生産者の想いは熱く、その味は洗練の極みに。珠玉の石川食材、めくるめく。[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

OVERVIEW

北陸、石川。

日本海沿岸、本州のほぼ中央に位置する石川県の形を、思い浮かべることはできますか?
南北約200kmに細長く伸びる縦長の県土は、南部には広大な原生林と共に屹立する霊峰白山を擁し、北部は能登半島となって日本海に突き出ています。

荒波に削られた岩礁と断崖が続く能登外浦。それとは対照的に穏やかな能登湾に臨む能登内浦。多様な自然資源に恵まれた能登の里山里海は、土地の環境や生物多様性を生かした農業、農村景観が維持されている地として世界農業遺産に認定されました。今も息づく農村文化は、世界からの注目の的です。
白山に降り注いだ雨は河川となって広範囲に栄養豊富な水をもたらし、加賀平野や手取川扇状地など肥沃な穀倉地帯が形成されています。
クルマで、電車で、小一時間も移動してみると、きっと気づくはずです。海、山、川、平野が織りなす千変万化の風景に、石川がいかに多様な表情を持っているかを。

多彩な石川の風土は、実に多様な農産品を生み出してきました。

ブランド椎茸の最高峰との呼び声も高い「のとてまり」。
希少性と高い品質で注目高まる幻のブランド牛「能登牛」。
満を持して醸造が始まった石川県オリジナルの酒米「百万石乃白」。
“石川の宝”とも称される高級ぶどう「ルビーロマン」。

今回、『ONESTORY』では、フードキュレーター・宮内隼人が、数々の石川の味覚からあらためて、これら4つの逸品に着目。究極の地産地消を実現する金沢市の日本料理店「片折」の片折卓矢氏、最も注目を集めるイノベーティブレストランの一店である小松市の「SHÓKUDŌ YArn(ショクドウヤーン)」の米田裕二氏、日本が誇るトップソムリエである「An Di(アンディ)」の大越基裕氏、世界的パティシエとして知られる「Mont St.Clair(モンサンクレール)」の辻口博啓氏、4人の食のスペシャリストと一緒に、4つの食材の知られざる魅力を徹底追求していきます。

さあ、のぞいてみましょう、深淵なる石川食材の世界を。


Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

これまでにない圧倒的な旨さ。ネクストレベルの和牛を求めて、能登牛の進化、着々と。後編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

『能登牧場』専務の平林将氏(左)とONESTORYフードキュレーター宮内隼人(右)

能登牛兵庫系の旨い肉質と鳥取系の体格のよさを兼ね備えた能登牛。

石川県のブランド和牛「能登牛(のとうし)」は、1995年に「能登牛銘柄推進協議会」による認定制度がスタートした、ブランド和牛としては比較的新しい銘柄です。しかし、そのルーツは、明治期にまで遡るといいます。能登半島の日本海側である外浦一帯で製塩業が発展したのに伴い、大量に必要となった薪を搬出するための役牛を繁殖したのが始まりとされています。明治時代に兵庫県但馬地方から、大正時代に鳥取県から種牛が導入されて掛け合わされ、農耕を目的として四肢とりわけ前脚が屈強な牛が繁殖されていきました。種牛の導入は毎年計画的に行われていましたが、昭和初期、霜降りが入った上質な肉ができる資質型の兵庫系と、体が大きくなる体積型の鳥取系を交配した和牛一代雑種が、資質と体積を両立した和牛として生産が推奨されるようになりました。さらに交雑を進めたところ、体積は当初より小さくなり、霜降りも若干少なくなったものの、肉質のよさは引き継がれ、他の有名ブランド和牛よりもサシが比較的少ない赤身であることが個性となり、一定の支持を得るようになっていったといいます。

外浦のほぼ中央、志賀町に拠点を構える『寺岡畜産グループ』は、能登牛の品揃えに強みをもつ精肉店や卸、直営レストランを展開する肉一筋の企業。1904年(明治37年)に創業した精肉店『寺岡精肉』を母体とする、能登の食肉の歴史と共に歩んできた会社です。代表取締役社長を務める寺岡才治氏に話をうかがいました。

「運送業などを営んでいた祖父が、明治時代に何を思ったか牛肉専門の肉屋を始めました。牛肉食は都会では広まっていたとはいえ、当時としては先進的だったでしょうね。1995年に能登牛と名乗るためのルールが策定されましたが、当社ではそれまでもずっと地元産の和牛の美味しさを伝えたいと、販売チャンネルの開拓はもちろん、繁殖にも取り組んできました。ノトウシではなくノトギュウと呼んでいましたけどね。今では能登牛の知名度はかなり上がりましたが、まだ流通量は少なく、県外からは“幻のブランド和牛”と言われることもあります」(寺岡氏)

能登牛の魅力はなんといっても脂の融点が低いことによる口溶けのよさ。寺岡氏は比較的サシが控えめで、くどさがなく、赤身の肉質や香りがよい点を高く評価しています。
「こんなに口当たりのいい、胃もたれしない牛肉はないですよ。かといってA5ランクのサーロインステーキを200g食べたら、さすがに誰でも飽きるでしょう。要は部位や霜降り具合に応じて適切な切り方、調理をすることが大切なんです。私たち販売者にもそれを啓蒙する責任があると考えて、能登牛を使った料理教室も積極的に開催しています。家庭の調理器具でもコツさえ掴めば驚くほど上手に焼けるし、能登牛入りの細切れを使えば、牛丼もびっくりするほど美味しくなる。各部位が相応の値段で無駄なく消費されれば、農家はコストをかけてより美味しい肉の生産に取り組める。その好循環をつくっていくことが大事なんです」(寺岡氏)

最後に、寺岡氏のおすすめの食べ方を聞きました。能登牛を知り尽くす男は一体どのようにして能登牛を味わっているのでしょう?
「私ですか? そりゃもう刺身ですね。シンプルに醤油か塩で。能登牛のもも肉の刺身は絶品です。焼肉の場合もそうですが、能登牛を食べる際は、ぜひいつも使っている調味料で召し上がっていただきたい。美味しさがはっきりとわかりますからね」と寺岡氏は微笑みました。

グループ企業の精肉店『寺岡精肉』にて『寺岡畜産』の寺岡才治社長。ハレの日のごちそうに欠かせない「てらおかさんのお肉」として地元民に愛されている。

能登牛穏やかな牛の表情が物語るストレスフリーの生育環境。

能登半島北東部の能登町。富山湾に面する内浦から内陸山間地へと標高を上げていくと、人里を離れた原生林の中に、ぽっかりと牧草地が広がる開放的なエリアが出現します。能登牛を肥育する『能登牧場』です。2014年開業と歴史は浅いが、石川・福井合同肉牛枝肉共励会では最高位のグランドチャンピオンを5年連続で獲得した実力派。石川・福井の両県からそれぞれ数十頭出品される牛が、重量や霜降り具合、光沢、肉質などが審査され、各県の最高賞である知事賞を選出。グランドチャンピオンは、その2頭のうちより優れた牛に与えられるもので、最高峰の能登牛を輩出した証しでもあります。同牧場専務の平林将氏に牛舎を案内していただきました。

現在飼養している牛は4棟の牛舎で約1100頭、2020年3月末に4棟目が完成しました。第一に心がけていることは、牛にストレスを与えないこと、「牛の生活している空間へお邪魔しているのだ」という気持ちを持つことだと話します。
「ひとつのユニットの広さが32㎡。そこで最大4頭を飼養します。農林水産省が推奨する基準は1頭あたり6㎡ですから、ゆとりあるスペースと言えるでしょう。スタッフ間で再三確認しているのは、大声を出さないこと。無闇に牛に触らないこと。走らないこと。どれも牛を刺激しないためです。そもそも必要がなければ、極力牛舎に立ち入らないようにしています。人間のことが好きな牛もいれば、嫌いな牛もいる。嫌いな牛にとっては、人間の姿が目に入るだけでストレスになりますから」(平林氏)

ONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、牛舎内に漂う穏やかな空気を感じ取りました。全国各地の牧場を見てきた彼ですが、これほど臭いもなくクリーンな環境が保たれ、牛が静かに過ごしているのは珍しいと指摘します。牛たちがみなとてもやさしい顔をしていると。
「それはうれしいですね。確かに、劣悪な環境で育った牛は険しい顔になると言われています。うちの牛たちは、言い方は悪いけど、間抜けな表情のものが多い。でも、それはリラックスして過ごせている証拠だと判断しています」(平林氏)

牛舎は基本的に西から東へ吹く偏西風が抜けるように設計されている。気温34℃にもなる夏場でも、自然風と換気によって牛舎内は快適。

珍しい取材班の登場に、好奇心旺盛な牛たちが寄ってきた。極力刺激しないように配慮する。

平林氏はハットがトレードマーク。深いブルーのユニフォームがよく似合う。科学的根拠に職人の勘による知見も織り交ぜながら、飼養法を解説してくれる。

能登牛豪州とも米国とも違う、しっかりした味付けの狙いをもって育てる独自の肥育

平林氏の実家は、全国的にも名高い黒毛和牛牧場である群馬県『赤城畜産』。『能登牧場』と『赤城畜産』は資本関係のないグループ会社で、平林氏は『赤城畜産』で会計を担当するかたわら飼養管理の基本を習得し、『能登牧場』の立ち上げから参画しているそうです。『赤城畜産』入社前はと聞くと……。
「ニートだったんですよ。大学院まで行って会計を勉強して、資格浪人していたんですけど、何年も落ち続けて。いいかげん働けと最後通告を受けた形で」とはにかみます。そのバックグラウンドがあるからか、どんな質問にも平林氏はロジカルに明解な答えを返してくれます。能登牛の特長であるオレイン酸についての説明も非常にわかりやすい。

「オレイン酸の含有率が高いこと=美味しい、とは限りません。脂肪酸の一種であるオレイン酸は脂の融点を下げる働きがあります。脂が溶けやすいと、食感が向上します。食感がよいことも美味しさの大切な要因ですが、味そのものはほかの脂肪酸や旨味成分であるアミノ酸が主要因となります。ですから、美味しい肉にするためには、オレイン酸を高くするだけでなく、きちんとした狙いをもって肉にしっかり味を付ける必要があります」(平林氏)

味付けに作用するのは配合飼料。牛のエサには大きく牧草とトウモロコシや麦などからなる飼料の2種類がありますが、ざっくり言えば、牧草は繊維質で飼料は糖質です。牧草で育つオーストラリア産牛肉は赤みが多く、どこか繊維を感じる硬い食感で、草っぽいニュアンスが感じられます。一方、飼料で育つアメリカ産牛肉も赤みが多く硬めながら、適度に脂もあります。

「日本での和牛の肥育は、単に無駄な脂を付けて太らせるのではなくサシを入れる独自の飼養法。牧草でしっかり内臓環境を作ってあげてから、飼料で肥育するいわばハイブリッドの方法なのです。内臓がしっかりしていると、飼料の効果も大きくなる。当牧場ではオレイン酸を高めるために、たとえば飼料に生米糠を混ぜ、味付けのための配合にもいろんな工夫をしています。内容は秘密なのですが」(平林氏)

牛床は、雌牛、去勢牛などの違いに応じて、餌台や水の高さも適切に設定され、年間を通じてエサの内容や水温が一定になるように配慮されている。すべては牛にストレスを感じさせないためだ。

ユニフォームの背筋には「能登牛」の金刺繍。能登牛の肥育専業牧場としての矜持が感じられる。

能登牛オレイン酸と格付けが生む矛盾への挑戦。能登牛の旨さを届けるために前進あるのみ。

メリットばかりに見えるオレイン酸には実はビジネス上のデメリットもあるといいます。オレイン酸が高いと格付けが下がる。オレイン酸と格付けがトレードオフになる傾向があるとか。『寺岡畜産』の寺岡氏も、その問題点を指摘していました。

「格付けは食肉処理した後に審査員によって行われるのですが、脂の融点が低い能登牛の場合は食肉処理してから数日間冷やさないと脂が固まってサシがはっきりしてこないため、BMSという霜降りの格付けが低くなりがちです。格付け後に、冷蔵が進んできれいなサシが浮かび上がってくることが多い。この現象を我々は『肉が化けた』と呼びます。能登牛は、肉が化けるんですよ」(寺岡氏)

脂の融点の低さは販売時にも露呈しがちだと平林氏は話します。
「オレイン酸が高く脂が溶けやすいと食味はよくなりますが、見栄えとして脂が溶けることが良しとされないケースも多々あります。典型的なのがスーパーマーケットの販売コーナー。一般的な食肉展示用の照明は肉の赤色を自然に演出するために色が調整されているので、能登牛のように脂が溶けやすい肉は発色が悪くなり、肉がダレた印象を受ける消費者もいます。格付け的には評価が低くなる恐れがあるというのは、そのあたりが理由となります。本来、品質とは関係のないことなんですけどね」(平林氏)

現在、『能登牧場』では、オレイン酸含有率の高さはそのままに、脂が白く見栄えする肉の研究を続け、オレイン酸と格付けの矛盾を克服するために奮闘中です。さらに、平均28カ月で出荷するところを30カ月以上飼養する、長期肥育にも取り組んでいるそうです。もうこれ以上大きくなりにくい牛をなぜ手間ひまかけて肥育するのでしょうか。

「これは科学的には完全にはわかっていないことなのですが、30カ月から33カ月で脂が一気に美味しくなるということが職人の経験則でわかっています。今後はその検証も含め、いわゆる1000日肥育にもチャレンジしていきたい。一般的には雌牛の方が食味がよいとされているので、まずは雌で長期肥育を行い、能登牛の圧倒的な美味しさを世に知らしめたい。旨い肉は何よりも雄弁です。能登牛の知名度は、揺るぐことのない美味しさから広げていきたいです」

和牛の品質向上への挑戦は大変な時間と労力を要する。しかし、その歩みは、牛歩のごとく着実で力強いものでした。

能登牛のおいしさを最大限に発揮させるためには、よく餌を食べることが必要だと語る。飼料には糖蜜などによって牛の嗜好性を高める工夫がされている。

非常に清潔な印象の牛舎。牛たちは、穏やかな雰囲気の中で、横になり、牧草を食んで思い思いに過ごしていた。

住所:石川県羽咋郡志賀町富来領家町甲-26(増穂浦ショッピングモール アスク内) MAP
電話:0767-42-0012

住所:石川県鳳珠郡能登町泉ろ12 MAP
電話:0768-72-0622

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

ローカルガストロノミーの求道者『SHÓKUDŌ YArn』が惚れ込む、稀少なブランド和牛とは?前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

能登牛を使った『SHÓKUDŌ YArn』のスペシャリテ。一体どんな味なのか?

能登牛気鋭の料理人と評価高まる能登牛の邂逅。

地域の気候風土、歴史、文化を料理に表現する「ローカルガストロノミー」。この理念を独自の発想と遊び心で体現し、国内外のフーディたちから熱視線を浴びるレストランが、石川県小松市の郊外にあります。その名は『SHÓKUDŌ YArn(ヤーン)』。英語で「糸」を意味する「yarn」を冠する店は、かつて撚糸工場だった建物をリノベーションして2015年にオープンしました。どこか北欧をイメージさせるストイックなデザインの建物に入ると、オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏、パティシエールの亜佐美氏夫妻が屈託のない笑顔で迎えてくれました。

亜佐美氏はここ小松市、裕二氏は隣の能美市の出身。ふたりは高校の同級生。高校卒業後、それぞれ大学に進みますが、大学卒業後は共にほどなく料理の道へ。裕二氏はイタリアで星付きの店を渡り歩いて修行を重ね、店を任されるようになります。亜佐美氏も少し遅れてイタリアでの修行を開始。その後、ふたりは世界で最も予約の取れない最先端のレストランと言われた「エルブジ」での研修が許され、さらなる研鑽を積みます。そんなふたりがいつしか自分たちの店をと、熟慮の末に選んだ地が、地元の小松でした。

リノベーション前の撚糸工場は元々、亜佐美氏のお祖父さんが運営していたもの。『YArn』には、糸を紡ぐように地域の文化や歴史を紡いでいきたい。裕二のYと亜佐美のAで理想の店にしていきたいといった想いが込められているといいます。

『YArn』で使う食材は小松市をはじめとする石川県産の新鮮な海山の幸が多くを占めています。全ての調理に使う水も、能美市仏大寺にある遣水観音山霊水堂の水をわざわざ汲みに行くこだわりよう。そんな米田夫妻のお気に入りの食材のひとつが石川県産のブランド和牛「能登牛(のとうし)」です。同店では、能登牛のA5ランクに格付けされたものの中でも、オレイン酸の含有量など一定条件をクリアして最上級ランクの評価を得た「能登牛プレミアム」を使用しています。裕二氏は能登牛の魅力について話します。
「塊の状態を見ただけ、触っただけで、これは本当にいい肉だなとわかるんです。うれしくなってくる。赤身とサシのバランスが絶妙。常温で脂が溶けて肉がいい具合にしっとりして、いい弾力になってきます。口当たりがやさしく、旨味や香りが強いけれど、後味はすっきり。胃もたれするような重さはまったくありません。料理人として創造性をめちゃくちゃ刺激される食材ですね」

この日、能登牛の類まれな魅力から生まれたスペシャリテ2品を作っていただきました。どちらも、想像の斜め上をゆく、驚きと感動の皿でした。
 

撚糸工場だった建物を曳家工事を行って大胆にリノベーション。住宅街で静かに異彩を放つ。

オーナーシェフ兼ソムリエの米田裕二氏とパティシエールの亜佐美氏夫妻。温かく気さくな人柄に惹きつけられる。

建物中央の中庭にすっくと立つのはスペインから運ばれたオリーブの木。樹齢200年から300年と推定される古木が、客席やキッチンを見守っているかのよう。

「能登牛プレミアム」のヒレ(左)とイチボ(右)。融点の低い脂、赤身とサシのバランスのよさが魅力だという。

能登牛先進的かつ懐かしい。斬新すぎる能登牛の牛すじ煮込み。

『YArn』では、客席からガラス張りのオープンキッチンでの仕事ぶりを見ることができます。さらに、ひとつのコースで15品ほど提供される料理の多くは、テーブルで仕上げが施され、そこに驚きと歓喜の瞬間が生まれます。

「牛すじ煮込みです」と運ばれてきた木皿には、よく味のしみていそうな大根がひとつ。そして、目の前に出された料理に、その場でアイスクリームがのせられました。それはなんと能登牛の牛すじ煮込みのアイスクリーム。「大根と一緒にどうぞ」と促されても、狐につままれたような感覚です。

さて、その味は……熱い大根のおでんと冷たい牛すじアイスが口の中で渾然一体となり、出汁で丁寧に炊き上げられた牛すじ煮込みがふわりと広がります。上品な旨味の余韻の中に、どこか懐かしさも沸き起こってきます。

「懐かしい。そう言ってもらえることが多いんです。これは居酒屋でインスピレーションを受けたメニュー。うちの店はイノベーティブとかフュージョンとかに分類されることが多いのですが、自分たちでそう言ったことは一度もないんです。私たちの経歴からスペイン料理やイタリア料理をイメージして来られる方も多いですね。でも実際、うちは家庭や居酒屋の料理が基本。だから“SHÓKUDŌ”とうたっているのです」(裕二氏)

驚きの牛すじアイスクリームは客席でサーブ。アイスクリームメーカーを客席に持ち込むための木枠も形がユニークな特注品。プレゼンテーションへの細やかな配慮が行き届いている。

能登牛を使ったスペシャリテ「牛すじ煮込み」。合わせるのは、奥能登にある数馬酒造の限定醸造品「NOTO純米88 無濾過生原酒」。精米歩合88%の超旨口の食中酒が、滑らかな牛すじ煮込みと共に花開く。

能登牛遊び心の中にしっかりと込められた技術とエッセンス。

裕二氏は7年のヨーロッパ生活を経て帰国すると、日本料理店へ入って修行を始め、夫婦共に茶道に入門しました。日本で生まれ育ったのに、日本のことを知らなさ過ぎる。イタリアやスペインで現地に溶け込んで仕事をする中で、そんな思いを募らせていったからだと亜佐美氏は修行時代を振り返ります。

「日本人の料理人はみんな刺身が引けるし、和食はなんでも作れると思われていました。『アサミ、モナカの皮を作ってよ』とか当然のように頼んでくるけど、こちらは作った経験もなければ、材料すらあやふや。日本料理を学ぶイタリア人が全員ピザを焼けるかといったら違いますよね(笑)。でも、考えてみたら、襖の正しい開け閉めも知らないし、海外での経験を活かすためにも、日本の文化をきちんと知らないと。そんな想いを強くしていきましたね」(亜佐美氏)

「料理には母国のエッセンスが必要と感じる事も多くなっていました。イタリアで、店を任せられていた時に、伝統的な猪の煮込みを食べたいという依頼があり、その店のオーナーのお母さんからレシピや作り方をきちんと教わり、料理を作ったのですが、やはり微妙なところで味が違うと、彼らが言ったのです。 やはり、そこにはうまれ育った場所で昔からお祖母ちゃんやお母さん、その地域の方々が作る伝統料理を食べてきたからこそ分かる微妙なエッセンスの違いがあるという事です。日本で言えば、たとえば味噌汁。外国人が日本料理をひと通り学んでも、日本人が作る味噌汁の味にはなかなか到達できない。この現実に直面した時に、それを悲観するのではなく、自分の料理をよりよいものにするために、日本の、特に身近な料理のエッセンスを込めるべきだと考えました。そんな試行錯誤によって、今の店の骨格ができていったのです」(裕二氏)

『YArn』の献立には、奇妙奇天烈な名前が並びます。ダジャレ、パロディ、中には読めない記号であることも。たとえば、「見た目ウザくない」は、一見そうは見えない「うざく」。「茶碗無視」は文字通り、茶碗の形状にとらわれない茶碗蒸し。蟹がぶくぶくと泡を吹いている「バブルカニシスターズ」は、甲羅を裏返すと香箱蟹が出現し、泡状の蟹酢をつけながらいただく、という衝撃的なメニューです。非日常の食事を堪能してほしい。美味しさはもちろん、店でしか体験できない驚きと楽しさを提供したい。そんな気持ちが、『YArn』にしかない自由な発想の料理を生み出しているのです。

本物の石と混ぜて提供される石そっくりのチョコレートも、『YArn』らしい遊び心いっぱいの一品。ちなみに、黒光りしている粒がチョコレートとは限らない。

能登牛能登牛本来の滋味が豊かに広がる唯一無二のカツとじ。

驚きと楽しさを提供するために、常にギャップを大切にしていると夫妻は話します。
「ヘンテコな名前のメニューが、風変わりではあるけれど、そこに伝統や馴染みある要素が盛り込まれていることがわかると、料理って妙に納得できて、不思議なことに懐かしさを強く感じるんです。これってギャップですよね」(裕二氏)

「一方、牛すじ煮込みのように名前は普通なのに、出てきた料理はなんじゃこりゃ!? というのもやはりギャップ。メニュー名も調理法もどちらも風変わりだと、そこにギャップは生まれませんよね。常連さんは、普通の名前の料理には何か仕掛けがあるぞと察するようになっていますが(笑)」(亜佐美氏)

「イタリア時代の経験が大きいですね。オリジナルのアイディアで、ティラミスをお客の目の前で盛り付けてみたところ、こんなプレゼンテーションは初めてで、ベストティラミスだとものすごく喜んでもらえて。それから、調理の基本は崩さずに、地元のイタリア人は決してやらないような食材の組み合わせや提供の仕方にどんどんチャレンジしていきました。自分は現地で異邦人であったからこそ、常識にとらわれずに自由に発想できた。この感覚を忘れずに和食に持ち込んで、楽しい料理を作っていきたい。ギャップの根っこには、そんな基本スタンスがあります」(裕二氏)

2品目の能登牛メニュー「牛ヒレカツとじ」がやってきました。一般的なカツとじとは似ても似つかぬ形状。ステーキのような肉の上に卵焼きのような塊がのっています。亜佐美氏がその正体を解き明かしてくれました。肉は能登牛のヒレ肉を真空低温調理したもの。あらかじめ2面を昆布〆することで水分を適度に抜くと同時に昆布の旨みとほのかな塩分をプラスしています。上にのっているのは、パンにたっぷりの卵と出汁をしみ込ませてフライパンで焼き目をつけたフレンチトースト。ふたつの間には三つ葉が挟んであります。「食べた人はたいてい変な笑顔になるんですよ」と裕二氏が補足します。

その時、きっと取材班も一様に変な笑顔になっていたことでしょう。口の中にあるのは、まさしく牛カツとじそのもの。いや、むしろ、肉、衣、卵が見事に調和しながらも、能登牛の滋味がググッと迫り、普通の牛カツとじでは味わえない肉の存在感を満喫できます。

美味しさの余韻に浸る取材班を夫妻はニコニコと見守っています。能登牛の恐るべきポテンシャル、それを遊び心と共に最大限に引き出す発想と技術。食べに行く価値があれば、人はどこからでもやってくる。ローカルガストロノミーの真髄を垣間見ました。

牛ヒレカツとじに使うフレンチトーストには焼き目をつけて香ばしさをプラス。

牛カツとじの肉は揚げずに低温調理。「とんかつの本質は蒸し料理。だから肉を素揚げしたり、焼いてしまって、とんかつのニュアンスがなくならないに試行錯誤しました」と裕二氏。

牛カツとじと合わせるのは、フランス・ローヌの「シャトーヌフ・デュ・パプ」。「枯れた感じの深い風味が、カツとじの濃厚な旨みとよく合います」(裕二氏)。

大阪の三ツ星店『HAJIME』などで経験を積んだONESTORYフードキュレーター宮内隼人は、独創的な『YArn』のスタイルに興味津々。料理談義は尽きることがない。

住所:石川県小松市吉竹町1-37-1 MAP
電話:0761-58-1058
https://shokudo-yarn.com/

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)