デニムストリート上陸!!!

 

 

 

 

こんにちは音譜

本日は重大なお知らせがあります!!

 

 

なんと!

 

 

デニムストリートが新しくオープンします!!

 

 

場所は、、、、

 

 

 

 

江ノ島に!!魚しっぽ魚からだ魚あたま音符

 

湘南デニムストリートが上陸!!!!

 

 

湘南デニムストリート

令和2年 4月1日 OPENキラキラ

 

〒251-0036
神奈川県藤沢市江の島1丁目4番12号

 

電話0466-47-6769

 

 

 

和蔵の青ステッチが江ノ島限定商品です上差し音譜

(ちなみに倉敷デニムストリートは白ステッチです)

 

 

レディースとメンズどちらも展開していますキラキラ

 

青ステッチって意外と珍しいですよね!!

 

 

江ノ島にご旅行の際には

是非、湘南デニムストリートへお越し下さい!!

 

皆様!!4/1ですよ~!!お待ちしております目音譜

 

 

 

古来の祈りの場を再生して“導き”の神社としてリファイン。[和布刈神社/福岡県北九州市]

潮の満ち引きを司る月の神様「瀬織津姫」を祭る神社が、中川政七商店のコンサルティングによって“在るべきすがた”へアップデート。(Photo Takumi Ota)

和布刈神社由緒正しい神社が、そのままの意義で現代に在り続けるために。

古来より人々が集い、敬虔な祈りを捧げ続けてきた神社。人々の悩みや苦しみに寄り添って、地域の絆をも育んできたそこは、しかし、近年は世情の変化によって賑わいを失いつつあります。

そんな神社を“導きの場”としてリファインしようというのがこのプロジェクト。創建1800年、九州の最北端で関門海峡を望む『和布刈神社(めかりじんじゃ)』が、奈良の老舗・中川政七商店のコンサルティングによって改まりました。

2019年12月に“導き”の神社としてコンセプトや神紋、授与所などを一新。(授与所の内観/Photo Takumi Ota)

本州と九州を繋ぐ大動脈・関門海峡を仰ぎ見る地で人々を導く。(Photo Takumi Ota)

神功皇后が瀬織津姫の教えのままに三韓の征伐に向かわれ、勝利した際に創建された、と伝わる。

和布刈神社迎合するのではなく、移り変わった世の中で存在感を示すために。

全国に8万社以上もある神社は、時代の変化とともにその役割が弱まり、維持や存続が難しくなりつつあります。そんな中コンサルティングを依頼された中川政七商店が『和布刈神社』とともに打ち出したのは、“和布刈神社を在るべきすがたへ”というビジョン。ただ注目を集めるためのリニューアルではない、ご祭神と創建の由緒が伝わるよう丁寧にコンセプトと伝える手法を整えました。

まずは潮の満ち引きを司る女神「瀬織津姫(せおりつひめ)」にちなみ、“導き(=道先を先導する)”というキーワードを創出。そして伝統ある八重桜の神紋をリファインして、御守やおみくじ・縁起物など参拝者の心を“導く”手助けをする授与品と、それらをお渡しする授与所の装いを一新しました。さらに人生の最後の“導き”をも担うために、関門海峡での海洋散骨供養を「海葬」に改めました。

授与品の一覧。再生や始まりを意味する「白」を基調とした御守・おみくじ・縁起物と、万物の源たる「陰陽五行」をモチーフとした御守などをリデザイン。

「一年幸ふくみくじ」。関門海峡の名物・ふぐに見立てた可愛らしいおみくじで、釣り竿で釣ることで神のお告げを頂く。

有史以前からの自然信仰にならって、御霊が海へと還るための供養「海葬」も執り行っている。海洋散骨ののちも、境内の遥拝所で故人を偲ぶことができる。

和布刈神社一気通貫した「コンサルティング」で、伝統の再興を支援。

これらを実現したのは、中川政七商店とそのプロジェクトメンバー達。中川政七商店は、日本の工芸をベースにした生活雑貨の企画製造・小売業として全国展開する直営店舗の印象が強いものの、実は自社の培ってきたノウハウを生かしたコンサルティング事業でも多くの実績を持っています。

まずはコンサルティング事業部の部長であり、「経営者とクリエイターの共通言語」を重んじるメソッドを確立してきた島田智子氏が、コンサルティングを担当。そしてグラフィックデザインは伊勢丹の包装紙のリニューアルや、パティスリーキハチのパッケージなどを手がけてきた岡本健デザイン事務所の岡本健氏と、山中港氏が担いました。さらに参拝者との交流スポットとなる授与所のデザインは、中川政七商店や茶道ブランド「茶論(さろん)」の直営店舗などを手掛けたABOUTの佛願忠洋(ぶつがん・ただひろ)氏が担当しました。
こうしてあまたの実績を誇る精鋭によって、『和布刈神社』は“在るべきすがた”へ改まったのです。

第32代神主・高瀨和信氏も、『和布刈神社』の再建に向けて精力的に活動。その意気を汲んで格調高くリファイン。

由緒や歴史、神領に縁(ゆかり)ある古道具や作家の器などを販売する「母屋」。連綿と続いてきた潮流に触れるひととき。

和布刈神社想いを形にして心を繋ぐ。

「今回のアップデートは、『和布刈神社』の由緒や歴史に紐づくストーリーを重視しつつ事業を整理いたしました」と島田智子氏は語ります。
「コンサルティング時はいつもそうなのですが、特に今回は『神社』からのご依頼ということで、私どもが経験していない領域での1からのスタートとなりました。神社や神道に関しては、長い歴史の中で様々な解釈や考え方があります。私どもでは到底判断がつかない部分も多く、そのため神主の高瀬さんの考えや想いをいかにしっかりと聞き出し、整理した上で表現できるかを大切にいたしました」

こうして『和布刈神社』の整理を進めていき、「なるべく分かりやすく、そぎ落とす」「開きすぎずに神聖さ、緊張感を担保する」、これら2つのバランスをとることを大切にしました。

「神社の創建の歴史などは、古事記や日本書紀といった文献から紐解いている記述が多くあります。ですが、文献によってそれもバラバラですし、難しい漢字が羅列されていて、一般の人々にとっては非常に難解な説明になりがちです。かつての『和布刈神社』様もそのような状態でしたので、“なるべく伝えたいことだけにそぎ落とす”ことに専念いたしました」

一方で、神社は一般的なビジネスとは全く違う領域です。“わかりやすくキャッチ―に伝える”マーケティングのみならず、古来より受け継がれてきた“神聖さ”や“緊張感”を保つことも欠かせません。
それらのバランスをとりながら、神主の高瀬氏や、デザイナーの岡本氏と打ち合わせながら、何度も調整を重ねていきました。

「影と光」というコンセプトでリニューアルされた授与所。(Photo Takumi Ota)

ご祭神の瀬織津姫は、もともと天照大神の荒魂(神の荒々しい側面、陰の部分)だった。そのいわれにちなんで授与所内にも影と光の陰影を表現。(Photo Takumi Ota)

授与所の中央に据えられた御神体の一部「受け岩」は、神社の象徴として授与所全体を見守るとともに、御守の授与の際に重ね合わせて、神職による鈴振りを行うことで、神様の御魂を御守ひとつひとつにお分けしている。

和布刈神社伝統を守りながら新たな歴史を刻む。

こうして『和布刈神社』は、新たな祈りと“導き”の場として再生しました。今後は「茶房」など、古来の日本人の在り方を伝える場の展開も予定しているそうです。

また2020年1月25日には、1800年以上の歴史をもつ祭事「和布刈神事(めかりしんじ)」が厳かに執り行われました。3人の神職が干潮によって現れた海底に降り、鎌でワカメを刈りとって神前に供えながら、航海の安全と豊漁を祈願する習わしです。

さらに3月15日には、人形(ひとがた)に身の罪穢れを移し、無病息災を祈る「上巳(じょうし)の祓い式」が執り行われます。そして北九州市の一大イベント「門司みなと祭」の開催時期に合わせて、5月23日(土)~24日(日)の2日間には、これまた毎年恒例の「例祭」が執り行われます。

新たな人々の拠り所として生まれ変わった『和布刈神社』。日本人のルーツを想い、人と人との絆を確かめ合う場として、どんな人々でも温かく迎え入れてくれます。

親しみやすくも神聖な場として、次の時代へと続いていく。(Photo Takumi Ota)

住所:福岡県北九州市門司区門司3492番地 MAP
電話:093-321-0749
受付時間:9:30~17:00(授与所)
https://www.mekarijinja.com/
(写真提供:中川政七商店)

世界最高峰のレストランのスーシェフと、人気店の寿司職人。ふたりの料理人が、冬の能登島を巡る。[能登島取材ツアー/石川県七尾市]

夜明け前の漁港に、次々と定置網漁の船が帰港する。ここから能登島の豊富な海産物が出荷される。

能登島取材ツアー七尾湾に浮かぶ小さな島へ、食材を探しに。

能登島は、能登半島の中ほどにある七尾湾に浮かぶ周囲約72kmの島。1982年に能登島大橋が開通するまでは、船が本土と行き来する唯一の交通手段でした。そのため島内よりもむしろ対岸にある都市との交流が盛んで、七尾市に面した島の西側と珠洲方面に近い東側では方言まで異なるとか。「話してみれば、島内のどの地区の出身だかわかる」と、島の方々は口を揃えます。

このように小さな島の中に多様性があり、さらに島特有の文化も育みながら歩んできた能登島。今回はそんな能登島の食を探し、ふたりの料理人が島を訪ねました。

ひとりは食材を追求し日本各地を歩き回る真摯な寿司職人・江戸川橋『酢飯屋』の岡田大介氏。ひとりは「World’s Best 50 Restaurants」で4度の1位に輝いたデンマーク『NOMA』でスーシェフ兼メニューを開発者として活躍する高橋惇一氏。ふたりは長年の友人同士。活躍の場は違えども、食材を見つめる目や、料理哲学には共通点もいろいろ。そんなふたりは能登島の食材をどう見つめ、そこから何を得たのでしょうか?

友人同士のふたり。ときにふざけ合い、ときに真剣な料理論を交わす。

能登島取材ツアー郷土寿司とハーブ。興味の先は異なれども、見つめる本質は同じ。

旅行にしては真剣な目的があり、しかし視察と呼ぶには自由すぎる。それはきっと“旅”と呼ぶにふさわしい数日間でした。

2月初旬。雪の舞う能登島。
ふたりが最初に訪れたのは、折しも開催されていた「まあそいマルシェ」の会場でした。“まあそい”とは“豊かな、肥えた、成長した”といった意味の、この地方の方言。地元の集会所で開かれている小さなマルシェですが、ふたりは真剣です。とくに岡田氏は、出店する地元のおばあちゃんに郷土寿司の作り方を真剣に尋ねています。岡田氏のスタンスはいつもこう。人懐こく、誰にでもフレンドリー。ふと気づくと、見知らぬ誰かとすっかり仲良くなっている。この持ち前の性格が、岡田氏の食材探しを有意義にしていることは想像に難くありません。

次いで訪れた『NOTO高農園』は、九州出身の高利充氏と奥様が、20年前にこの地に開いた農園です。方言が島内の東西で異なるのは先述の通りですが、実は土壌も東西で別。外海に面した東側は稲作に向いた砂地、西側は野菜づくりに適した赤土。『高農園』は西側の赤土と向き合いながら、有機野菜づくりに励んでいます。「来る前に土壌の特質がわかっていたわけではありませんが、やればやるほど面白い土です」と高氏。現在では各地の料理人のリクエストに応えながら、年間300種以上の作物を育てています。そしてその畑を前に、今度は高橋氏が目を奪われています。とくに惹きつけられているのはハーブ。「このレモンタイム、爽やかな香りでしょう? この葉だけを摘んでペーストにするんです」と話す高橋氏。優しい視点で、いつもスタッフにまで気を配り、場の雰囲気を和ませるのが高橋氏。岡田氏とは異なるスタイルですが、こちらもまた現地の方の心を溶かします。陽気で活発な岡田氏、穏やかで優しい高橋氏。見事なまでのコンビです。

「まあそいマルシェ」の会場で、メモを取りながら郷土料理の「花ちらし」について訪ねる岡田氏。

『NOTO高農園』では、『NOMA』でのハーブの使い方などを高橋氏が伝えた。

蕪と大根を中心に、土と向き合いながら多種の野菜を作り続ける。

『NOTO高農園』の高夫妻とともに。2月にしては雪が少ないという。

能登島取材ツアー生活の道具であること。器にも潜む、能登島らしさ。

次いでふたりは、能登島にある二箇所の工房を訪ねました。自身の店の一角をギャラリーにするほど器が好きな岡田氏と、器とのバランスも含めてメニューを考案する高橋氏。どちらも料理における器の大切さを実感しています。

そんなふたりを迎えた能登島を代表する工房。一軒目は元プロダクトデザイナーの藤井博文氏の『陶房 独歩炎』。藤井氏が手掛けるのは陶器のような磁器と、磁器のような陶器。土のあたたかみがありつつ、磁気のような滑らかさも併せ持つテクスチャは唯一無二の存在感ですが、藤井氏は「自分は作家というよりもデザイナー。日常的に使う道具であることを第一に考えています」といいます。その上で企業や飲食店から難しい依頼が入ると「燃える」のだと笑います。真っ平らな皿、独特な形のキャセロール、液垂れしない醤油差し。藤井氏の作品の多くは、そうした依頼から生まれています。

岡田氏はそんな藤井氏の言葉に深く頷きます。「えび専用皿とかイカ専用皿といった依頼をすることがあります。そういう課題がある方が、創作意欲が湧く人もいますから。そしてそこから思いもよらないものが生まれたりもするんです」
器の大切さを知っているからこそ、作家の創作意欲にまで心を配る。岡田大介という人物がまた少し見えてきました。

次いで訪れたのは能登島の小さなガラス工房『kota glass』。ガラス作家・有永浩太氏のアトリエで、ここから数々の賞に輝く独特なガラス作品が生まれます。ふたりの料理人を惹きつけた有永氏の作品の特徴は、色。とくに海外ではガラス作品に色が入るのは珍しいといいます。「海外の多くのレストランは白を中心にデザインされています。だから透明なガラスが映えます。一方、日本では木が主体のため、色を少し入れることで背景と馴染みやすくなるのです」そんな有永氏の解説を熱心に聞くふたり。

色がありながら、ガラスならではの清廉な透明感を失わない有永氏の作品ですが、その根本はやはり「生活の中にもっとガラスを取り入れて欲しい」との思い。

道具として日常に親しみ、使われてこそ価値がある。能登島で出会ったふたりの作家の思いは、能登島のものづくりに共通する哲学なのかもしれません。

『陶房 独歩炎』の藤井氏。自身を「デザイナー」と言いつつ、熱い職人魂も持つ人物。

金属を混ぜた釉薬で光沢を出す陶器など、独自の感性が光る作品が揃う。

藤井氏の作品は、東京・明治神宮前のギャラリー『一客』でも常設展示されている。

『kota glass』の有永氏。個人の工房だからこそできる個性ある色とデザインを目指す。

グレーやアンバーなどの色が入ることで、器自体の輪郭が際立つ。

2軒の工房で見た作品は、ふたりともその場で購入していた。

能登島取材ツアー早朝の漁港から醤油蔵まで、多様性に富んだ食をたどる。

翌朝、まだ夜も明ける前から起き出したふたりは、『えのめ漁港』に向かいます。
七尾湾、富山湾、そして日本海と豊かな漁場に近い能登島は、言うまでもなく魚介の産地。とくに定置網漁が盛んで、ブリ、タラ、サバなどの魚介が豊富に揚がります。
戻ってくる漁船を港で迎えるふたり。しかし考えてみれば、どんな魚が揚がるか知るだけならば、電話で尋ねるだけでも十分なはず。それでも、突き刺すような寒さの中、早朝の漁港に向かうのは、どのような魚がどのように扱われているか、自身の目で確かめたいから。それほどまでにふたりの料理人は、食材と真剣に向き合うのです。

揚がったばかりのイカを手渡され、その場でかじりつく。どのように選別、梱包されるかを真剣に見つめる。ふたりの漁港の見学は、夜がすっかり明けるまで続きました。

さらにふたりの興味は、この地特有の調味料にまで広がります。鉄製の釜で海水を煮詰めるという、一度は途絶えてしまった能登島独自の塩作り製法を蘇らせた源内伸秀氏を訪ねて話を伺う。日本三大魚醤に数えられる能登独自の魚醤“いしり”づくりの工場を見学し、その味を確かめる。岡田氏が惚れ込み、日頃から使用する手作りの醤油の『鳥居醤油』の蔵を訪れる。

どれも熟成などの長い時間がかかる仕込み作業であり、目の前で完成する様子が確認できるわけではありません。それでもふたりは足を運び、話しをするのです。それは造り手の思いや人柄が、ある食材や調味料の完成形に大きな影響を及ぼすことを知っているから。「たとえば寿司屋が必ず扱う醤油。鳥居さんは手で作って、自分で売っている。“昔は当たり前だった”なんて言いますけど、それを変えないことがすごい。自分で作って売る仕事をしているからには、こういうものを使いたいと思うんです」岡田氏はそう言います。

取材班が同行した能登島の2日以外にも数日間能登半島に滞在し、食材を見て回ったふたり。そこで見極めたのは、現地での食材の扱われ方、そして生産者の人間味でした。
「自分たちの居場所、身の回りのものを大切にされている、という印象」高橋氏は能登島をそんな言葉で語りました。「だから言い方が難しいのですが、もしも仮にここの食材がベストではなくても、使いたいなと思います。もちろん、おいしいんですよ。でもそれ以上に人間味の部分が印象的で。料理は、生産者のことも含めたストーリーを伝えられることが大切ですから」そう笑いながら付け加えます。「人と直接会って話すと、メールのやりとりでは起こり得ないミラクルが起きるんです」
岡田氏も今回の旅から得るものが多かった様子。以前に何度も能登半島を訪れている岡田氏ですが、能登島ははじめてでした。「能登というくくりにできないほど特徴的ですね」と印象を語ります。「僕は比較的産地を訪問する料理人だと思いますが、そこで見るのは“現地でどんな食材が大切にされているか”ということ。現地で大切にされていれば、大切に出荷されますからね。この能登島でとくに驚いたのは海藻。これは今後取り入れていこうと思う部分です」

約40種類が食用になり、“日本で一番海藻を食べる”と言われるこの海藻のほか、海を泳いで渡って原生林で繁殖し、いまでは島民以上の数になったイノシシ、牡蠣殻を肥料にする米など、まだまだ能登島には特産がいろいろ。この能登島での数々の出会いが、ふたりの料理人、そして2軒の名店の未来を、少し変えていくのかもしれません。

頂いたイカをその場で齧る岡田氏。まず自身の感覚で確かめることが寿司職人としての矜持。

次々と船が入り慌ただしい朝の漁港。それでも質問に答えて頂くなど、どこか穏やかな人の良さが垣間見えた。

立ち寄った道の駅では、能登島でつくられる地酒に興味を示した。

塩作りの源内氏にタコ捕りを習い、はしゃぐふたり。疲れなど感じさせない行動力。

鉄の釜で海水を煮詰めるかつての塩作りを復活させた源内氏。

『いしり工房』で、魚醤の製法を学ぶ。調味料には土地柄が表れやすいとか。

『いしり工房』直営の飲食店『いしり亭』では、自家製いしりを使った料理が楽しめる。

昔ながらの手仕込みを守る『鳥居醤油』。その頑固なまでの姿勢が岡田氏を魅了する。

『鳥居醤油』は手仕込み故に、味と香りに振れ幅があり、そこがまた魅力になっている。

住所:〒926-0224 石川県能登島百万石町27番3号
https://taka-farm.com/

http://www.doppo.jp/

https://www.kotaglass.com/

住所:〒926-0806 石川県七尾市一本杉町29
電話:0767-52-0368
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能登に根差す若手料理人トップチーム「N-Terra」結成。能登の地に芽吹く、美食旅の最新形。[N-Terra お披露目イベント/石川県能登半島]

『N-Terra』のメンバー。『ラトリエ ドゥ ノト』の池端隼也氏(写真中央)、ジェラート店『MALGA GELATO』 の柴野大造氏(左端)、イタリア料理店『Villa della Pace』の平田明珠氏(左から二人目)、日本料理の料理人・川嶋享氏(右から二人目)、『ブロッサム』のシェフ・黒川恭平氏(右端)。

N-Terra お披露目イベントジャンルを超えたコラボが生む「能登の里山里海」フルコース。

2月のある晩、石川県輪島市にあるフランス料理店『ラトリエ ドゥ ノト』は、静かな熱気に満ちあふれていました。旅や食関連のジャーナリスト、有名旅館のオーナー、伝統工芸の作家らが続々と集まってきています。迎えるのは、同店のオーナーシェフ・池端隼也氏を筆頭に、能登町のジェラート店『MALGA GELATO』のジェラートマエストロ・柴野大造氏、七尾市のイタリア料理店『Villa della Pace』のオーナーシェフ・平田明珠氏、七尾市で割烹を開店準備中の料理人・川嶋享氏、七尾市の洋食店『ブロッサム』のシェフ・黒川恭平氏の5名。彼らは、料理人の力で能登の持続可能な地域社会を目指すネットワーク『N-Terra(エヌテラ)』を結成。そのお披露目イベントとして、夕食会が開かれようとしているのです。

“能登”の「N」にイタリア語で“大地”を意味する「Terra」を組み合わせたチーム名には、能登の地に根差して活動していくことへの強い思いが込められています。本州から北へ細長く突き出る能登半島は、外浦は暖流と寒流がちょうどぶつかる荒々しい海、内浦は“天然の生簀”とも称される穏やかな海の恵みを受け、山、平地、川、湾が複雑に入り組んだ自然豊かな地。魚介、肉、米、野菜、果物、山菜、ジビエ、調味料に至るまで実にバラエティ豊かで良質な食材に彩られています。さらに、古来、北前船の中継地であったことから、日本全国や大陸との交流によって、各地の技術を取り入れた食文化を発展させてきました。また、輪島塗や珠洲焼といった伝統工芸においても技術の洗練が追求されてきたことも特徴的です。

2011年には、農林漁業を中心に自然と調和した暮らしが継承されてきた「能登の里山里海」は世界農業遺産に認定。能登の自然環境と文化を、食を通じて広く発信したいという思いをひとつにして結成されたのがこの『N-Terra』なのです。

能登の5人の料理人がタッグを組んだ渾身のコースがいよいよスタートしました。

一品一品に対して、使われている素材の背景とコンセプトなど、皿に込められているストーリーの説明が。すべてに能登のワインや日本酒をペアリング。器やグラスにも能登の作家のものが使われている。

池端氏の締め鯖のクレープ。緑の大地を連想させる小松菜のクレープで魚とハーブをくるりと巻き、里山里海の恵みをひと口で味わえる。器は輪島塗工房『キリモト』製。

お碗の出汁は直前に鰹節を削る。日本料理の命である出汁を引く工程では、川嶋氏はひときわ気持ちが入る。

川嶋氏による“手仕事”を表現したお碗。加工に大変な手間ひまを要するなまこの卵巣の塩辛このわたと、胡麻を煎り、あたり(擦る)、手で練り上げる胡麻豆腐に、削りたての鰹節と3年熟成の昆布でとった香り高い一番出汁を張る。塩味はこのわたの塩分のみ。胡麻と磯の上品な香りが鼻に抜ける。ペアリングは中能登町の純米酒『池月』。

池端氏のサラダ。ガス海老、イカ、バイ貝、中能登町の無農薬・自然栽培の農園『あんがとう農園』のハーブとエディブルフラワー。ガス海老もイカもすぐに身がだれ変色してしまうものだが、鮮度抜群のものをシンプルに堪能できる、能登ならではの一品。ペアリングは輪島市の白藤酒造の希少な酒『奥能登の白菊 自然栽培米 純米酒』。

N-Terra お披露目イベント信頼できる生産者、最高の食材はすぐそばに。

この日の昼、生産者の元へ行く平田氏に同行させてもらいました。向かったのは七尾市能登島で有機栽培で多様な有機野菜を作る『高農園』。『N-Terra』のメンバー全員が懇意にしている生産者のひとつです。

代表の高利充氏は脱サラで農業を始めた新規就農者です。金沢出身で、福岡で営業職のサラリーマンをしていましたが、鹿児島出身の奥さんと出会ってから「ふたりで農業をやろう」と場所を探し、能登島に出合いました。土作りから始めてアルバイトをしながらイモ類やキャベツを育てていましたが、食べていくまでの収入にはつながりません。限界を感じた高氏は、買い叩かれない付加価値の高い少量多品種の野菜作りへのシフトを図ると同時に、消費の最前線である飲食店への直販ルートの開拓に努めます。

著名な料理人に採用されたことが口火となり、東京を中心に販路は着実に増えていきました。現在、直販先は約200カ所にのぼり、耕作面積は約20ha、年間を通じて300種類を栽培するまでになりました。
「能登島は赤土なのでミネラル豊富で、しっかりした味の野菜が育ちます。大切にしているのは、農薬も化学肥料も極力使わず、大地がもともと持っている力を借りて自然のままに育てること。愛情は全力で注いでいますけど」と高氏は話します。
「畑の周りではノビルやハコベなども採れます。これはタラの芽ですよ。作物以外にもいろんな食材が身近なところにあることを地元の方々に教わっています。結局、その土地で無理なく育ったものがいちばん美味しいということを学びました」と平田氏。時間をつくっては高氏を訪ねて、旬の野菜やハーブの様子を確認したり、新しい品種の情報などを仕入れるようにしています。高氏も平田氏のように直接料理人と話す時間を大切にしています。野菜を実際に調理する人の感想や味わった人の反応をつぶさに知ることができ、また野菜作りにフィードバックすることができるからです。

出荷に追われる高氏を引き留めてはいけないと、平田氏は採れたてのサンゴケールやちりめんキャベツ、日野菜蕪などを仕入れて農園を後にします。午前中まで土の中にいたこれらの野菜たちは、この日のディナーに登場しました。優れた食材が目と鼻の先にあり、すぐに調理できるという状況は、なんと贅沢なことでしょうか。食材がなんでも手に入るという能登では、料理人と生産者とのこのようなネットワークがごく自然なものとして存在しているのです。

うっすらと雪をかぶった『高農園』の畑にて代表の高氏と平田氏。高氏にとって料理人と話す時間は現場のニーズを知る大切な機会。平田氏にとっても畑を訪れるのは料理のインスピレーションを得るために、なくてはならない時間だ。

平田氏の原木しいたけ「のと115」のコンフィ。肉厚な能登のブランドしいたけ「のと115」のオイル漬けを金柑とカワハギと共にいただく。表面にはフキノトウの香り、ソースからはイカ墨と海藻の風味がふわりと漂う。周りにはシェフ自ら山で積んできた野苺や野草が。ペアリングには10年以上前に瓶詰めされた二羽鶴酒造『能登 三年酒』。

『高農園』と『あんがとう農園』の野菜を使った黒川氏のサラダ。シーザードレッシングは液体窒素で急冷しパウダー状に。人参とほうれん草はそれぞれの調理法で甘みを引き出し、雪の下で糖度を上げる畑を表現している。柴野氏のレタスのジェラートと共にいただく。ペアリングは羽咋市の御祖酒造『遊穂 おりがらみ』。

普段は各自の店でリーダーシップをとるシェフたち。プロフェッショナル同士のコラボレーションは、細かな説明がなくても呼吸が合うから不思議だ。

川嶋氏の蒸しかぶら寿司。本来のかぶら寿司はかぶらとブリを使って発酵させるなれずしだが、麹に漬けて4日熟成させたブリを香ばしく焼き上げ、もち米と合わせて握り寿司状に。そこにかぶら餡をたっぷりとかけている。輪島の伝統菓子「柚餅子(ゆべし)」へのオマージュにもなっている。ペアリングは中能登町のどぶろく。

平田氏のイノシシの煮込み。能登のじろ飴を塗ったイノシシをイノシシの骨でとったスープでじっくりトロトロに。付け合わせは、イノシシの大好物であるサツマイモを入れて野草茶で炊いたリゾット、春の山の味覚であるノビルのピクルスとセリのタプナード。さらに穴水町で伝統的に栽培されているカラシナ種、唐川菜のジェラートが添えられる。ペアリングは数馬酒造がジビエ専用に開発した『竹葉 ジビエ純米』。

N-Terra お披露目イベント能登を「スローツーリズム」を実現する世界最先端の田舎に。

ひとつの料理ジャンルの研究や振興を目的にした料理人ネットワークはたくさんありますが、『N-Terra』のように特定地域でジャンルを超えて結びつくネットワークはあまり聞きません。そもそもどのような経緯で生まれたのでしょうか。
池端氏が旗振り役となってメンバーを募ったと勝手に想像していましたが、結局のところメンバーのみなさんに聞いてもはっきりしたことはわかりませんでした。共通した話としては、互いの店へ食べに行って知り合い、付き合いのある生産者が同じだったり、おすすめの生産者を紹介したりする中で交流を深めてきたということ。そして、能登には素晴らしい食材があり、その存在を伝えるのは料理人の役目だと感じていたこと。どうやら志を同じくする彼ら5名が自然に結びついてコラボレーションするようになり、そのグループにあらためて名前がついた、というのが事の真相。出会うべくして出会った仲間と言えるでしょう。

彼らの描く未来には石川県の「スローツーリズム」の考え方がベースにあります。“食”を切り口に、その地域ならではの新しい価値観を創造し、来訪者に新たなライフスタイルを提案する旅。イタリアのスローフードやスローシティのコンセプトにも通じる、物事の本質を見つめる目でゆったりと能登の魅力を味わってほしいという思いがあるのです。

料理はなによりも雄弁です。コースが進んでいくにつれ、次は皿の上で能登のどんなストーリーが語られるのだろうかと期待がさらに膨らんでいきます。メンバーは調理の合間にサーブを手伝い、ゲストたちとしばし語らいます。彼らも次第に緊張がほぐれ、達成感に満たされていくのが伝わってきます。

ゲストのひとり、日本におけるスローフード運動をリードする島村菜津氏の言葉が印象的でした。
「日本の観光地を見てもそうでしょう、世界中でマスツーリズムが浸透していくにつれ、それまで地域ならではの個性を持っていた田舎は壊され、均質化し、中央の資本に利益を吸い取られて魅力を失っていきました。その教訓から、マスツーリズムの進出を食い止め、地元民の手によって地域の自然と文化を守りながら唯一無二の個性を磨いていくのが、世界の潮流になっています。能登には世界に誇れる文化と自然がある。文化と自然を守り、魅力を発信できる人々がいる。ここには最先端のツーリズムがあると言っても過言ではないでしょう」

『N-Terra』の取り組みは、ローカルがローカルであり続けながら本質的な豊かさを未来へとつなげていけるか。その試金石としても注目を集めていくはずです。

池端氏の魚料理、マフグのミキュイ(半生)。春菊のソースと共にたっぷりと注がれているのは、さまざまな骨や野菜の切れ端を材料に丁寧に抽出したスープ。厨房においてフードロスは微塵も発生させないという決意が表現されている。その上品かつ複雑なスープをまとったフグは、噛むほどに旨味があふれ出る。ペアリングは輪島市にあるハイディワイナリーの『セイベル ブラン』。

黒川氏による能登牛のハンバーグ。先人からの知恵や技術を受け継ぐ“承継”をテーマにした一品。穴水町にある能登ワインの赤ワインを使って煮込み、やはり洋食の定番であるマカロニグラタンを添えている。同時に柴野氏によるバゲットのジェラートをパン代わりにサーブ。ジェラートだけど確かにバゲットという摩訶不思議な美味しさ。冷温の共演も楽しいメインディッシュだ。ペアリングは能登ワインの『クオネス ヤマソーヴィニョン』。

デザートは柴野氏のジェラート盛り合わせ。モッツァレラ、桜、能登大納言小豆、どぶろく、ビターチョコレートなど。どれも甘さ控えめで、素材のフレッシュな風味が心地いい。口溶けがやさしく、喉ごしとキレが秀逸。いくらでも食べられる。

最後にスタッフ全員でご挨拶。やり切ったというスタッフと幸せそうなゲストの笑顔にその場は包まれた。

人気パティスリーを切り盛りする、26歳の若社長。津軽スイーツ界のホープに会いに行く。[TSUGARU Le Bon Marché・アンジェリック/青森県弘前市]

現在は20名近いスタッフをまとめる『アンジェリック』代表・成田巧樹氏。開店中のほとんどの時間、ほかのスタッフと一緒に厨房で手を動かし続ける。

津軽ボンマルシェ午前中から人が絶えない、弘前の超人気パティスリー。

りんご生産量日本一を誇る津軽エリアでは、アップルパイがひとつの強力な観光コンテンツ。多くのスイーツ店やパン店がそれぞれに趣向を凝らしたアップルパイを販売する中、根強い人気を誇るのが、弘前市にあるパティスリー『アンジェリック』のアップルパイです。以前「津軽ボンマルシェ」で行ったりんごがテーマの対談企画でも、普段津軽をベースに活動している参加者全員が「本当に美味しい!」と大絶賛。しかも参加者のひとり・『パン屋 といとい』成田志乃さんが元々働いていた店という縁もあり、対談当日は代表の成田巧樹氏が飛び入り参加してくれる展開となりました(ちなみに、同じ苗字のふたりですが、血縁関係などはなし。『成田』は津軽に多い姓として知られています)。

生産者の高齢化や後継者不足など、津軽のりんご産業が直面する課題についての話も多く交わされた対談の中、大いに盛り上がったのが、弘前市内でも一、二を争う人気パティスリーを切り盛りする成田氏の、地元への強い想い。「弘前の街が活性化したら、自分たちの商売ももっと良くなるはず。色んな業種の人の独立を後押しするような活動ができればいいなと思って」。そう語る成田氏は、弱冠26歳の若さです。きっと成田氏のような存在が、これからの津軽を牽引していくに違いない。対談時に感じたそんな想いから取材を申し込み、後日改めて店舗を訪れました。

弘前駅から車で10分ほどの幹線道路沿い、真っ白でスタイリッシュな外観が目を引く建物が『アンジェリック』。中に入ると、圧倒されるのがその品数です。美しいケーキが鎮座する正面の冷蔵ケースの上には、タルトやパンがずらり。右にも左にも、クッキーなどの焼き菓子、カラフルなマカロン、贈答用の詰め合わせなどがぎっしりと陳列された什器が並びます。「生ケーキはいつも25種類前後、パンは2、30種類揃えています。そのほか焼き菓子やチョコレートが50から60種類くらいかな。改めて数えると、結構ありますね(笑)」と成田氏。開店時間を過ぎると次々とお客さんが訪れにぎわう店内の様子から、名実ともに弘前を代表するパティスリーであることが伝わってきます。

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いい意味でケーキ店のイメージを裏切る、白い箱のような独特の外観がユニーク。気付かずに通り過ぎてしまう人も多いとか。

ケース内には洗練されたデザインのケーキ類が並ぶ。季節ごとの新作も多く、「楽しみながら作りたいから、飽きてきたら変えるんです(笑)」と成田氏。

ショップからは、厨房の忙しそうな様子が見て取れる。遅い時間でも商品が売り切れることがないよう、毎日夕方4時頃まで製造を続けるそう。

津軽ボンマルシェ金髪だったやんちゃな青年が、数千万円の借金を背負って代表取締役に。

成田氏は弘前市の郊外出身。パティシエのキャリアのきっかけとなったのは、高校時代にケーキ店でアルバイトを始めたことでした。「共働き家庭のおばあちゃん子だったこともあり、成田氏にとってケーキは昔から“クリスマスや誕生日にしか食べられない特別なもの”。アルバイトを始め、初めて「ケーキって作れるものなんだ!」と知ったそう。勉強は嫌いでも何か作るのは好きだったこともあり、高校卒業後に紹介を受けて就職したのが、当時別のパティシエが経営していた『アンジェリック』だったのです」。想像以上に繊細な作業に苦労する一方、気付けばケーキ作りの魅力にどっぷりハマっていたという成田氏。失敗しても、理由を調べると「これはそういうことか、あれもそうなのか」とどんどん繋がっていくのが楽しく、日々「何でだろう、じゃあ調べよう」の繰り返しだったとか」。当時同僚だった『パン屋 といとい』成田志乃さんは、その頃の成田氏を振り返ってこう話します。「バッキバキの金髪でとがってたけど、根は真面目でした。“腕に貯金”っていうのが、当時の私たちの合言葉で。今学ぶ技術が後の自分への投資になるはずと信じて、よく遅くまで一緒に残って作業していました」。

当時の社長にも、そんな成田氏の様子が見えていたのでしょう。自身が経営から退くと決めたとき、『アンジェリック』の事業を引き継がないかと声を掛けたのが成田氏でした。「正直、なんでオレ?って。相当やんちゃで、理不尽な先輩にふきん投げつけるくらい生意気だったから(笑)。同僚の中にはケーキ屋の息子も多かったけど、自分はそうじゃない。帰るところがない分、応援してくれたのだと思います」。社長業を担うことを決心したのが24歳。銀行に融資を頼み込み、数千万円を借り入れて自らの会社を設立、『アンジェリック』を買い取り代表となったのはそれからわずか3カ月後のこと。

就任後にまず改革したのは、販売する商品より先に、スタッフの労働環境でした。それまでは固定残業で給金、休みともに十分ではないと感じていたうえ、ほかのスタッフの不満も耳にしていた成田氏は、最初に残業時間の管理を開始。好きなときに休みが取れるシステムに変更しました。「そもそもケーキ作りって、すごく効率が悪いんですよ。ひとつ作るのに、土台作ってジャムやクリーム炊いて、冷やしたり温めたり……。収益上げるには、もう自分が頭使うしかなくて」と成田氏。さまざまな施策に取り組みましたが、売り上げが落ちる夏場に行うホールケーキのセールもそのひとつ。予約が一台入るごとに、スタッフ全員に決められた金額のボーナスが入る制度にしたところ、現場のやる気がぐんと上がったそう。「『あと10台売れば3000円!』って、みんな自分からどんどん宣伝してくれて。普通そういうキャンペーンって働く側からしたら忙しくなるし、嫌なものじゃないですか。でも目に見える形で収入が上がると変わる。スタッフみんなと一緒に、自分たちでお金を作っていきたいんです」。

今も何でも調べたり、試したりするのは変わらないと成田氏。「新しい素材はすぐ試します。メーカーや商社の営業さんと話すのも勉強になるし、すごく楽しい」。

『アンジェリック』で一番の人気を誇る「アップルパイ」。パイ生地の上にりんごペースト、紅玉ジャム、スライスした生のりんごを乗せて焼き上げる。

前社長の時代に、弘前店・鶴田店・青森店の3店舗を展開していた『アンジェリック』。現在はそれぞれが独立し、経営母体は異なる。

津軽ボンマルシェスイーツを介し、生産者、お客さん、そして地域と繋がる店に。

既に確固たる人気を確立していた『アンジェリック』。特にアップルパイは、長年店の代名詞的存在でした。成田氏が代表となった2017年、最初に原材料を見直した商品がこのアップルパイ。それまで青果店から仕入れていたりんごを、すべて弘前市の契約農家のものに変更したのです。「ずっと誰が作ったか分からないりんごを使っていて、なんか気持ち悪いなって。一カ所の農家さんからたくさん買う代わり、シャキシャキした食感出したいから少し早く収穫してくれとか、美味しく加工するためのわがままは言わせてもらってます。品種も時期によってまちまち。一年中同じ味に作るのが一般的だと思うけど、うちでは品種が変わるから味も変わる。でも生ものなんだから、ブレてなんぼでしょ? 作ってる俺らも楽しいし、お客さんも『今日は何の品種?』とか『この品種初めて食べた』とか話してくれますよ」と成田氏。

ちなみにアップルパイはこの3年間で売り上げが倍増。多い日にはなんと900個も販売するそう。さらに成田氏は、アップルパイの新たな仕掛けを計画中とか。現在販売中のアップルパイの難点は、フレッシュな分賞味期限が1日と短く、遠方への手土産には向かないこと。ならば途中まで作った状態で冷凍し、最後にお客さん自身が焼き上げるアップルパイがあれば、持ち帰りも発送もできるうえ、美味しいタイミングで食べてもらえると考えています。「家で出来立てが味わえるの、おもしろいじゃないですか。それにこれが売れたら、津軽のりんごをもっとたくさんの人に知ってもらえる。りんごの食感をどう残すかとか課題も多くて、まだまだ計画段階ですが」と成田氏。

取材に訪れた時期は、タルトに使われた洋梨のル・レクチェやいちごなども地元・津軽産。地域の旬の農産物を積極的に使うようになった『アンジェリック』は、農家と消費者の橋渡し役を担います。パティシエとしてさまざまな食材に接するうち、「農家の仕事ってすげーなと思うようになった」という成田氏。「ここの農家さんの作物が好き、考え方が好きだと思ったら、傷ものでも何でも最高に美味しく加工して売るのが俺らの仕事」と語ります。

パティシエになってからは『アンジェリック』一本の成田氏。地方から東京や海外へ出向き経験を積む若手も多い中、特に他店での修業は考えなかったと言います。その理由は、今後もずっと大好きな地元・津軽をベースに商売を続けていきたいという想い。「県外で数年やるより弘前で数年やる方が、断然こっちのニーズも分かるし繋がりもできるでしょ。東京にも、最高の素材と最新の技術でめちゃくちゃ美味しいケーキを出すところがあれば、手頃な価格と食べやすい味でファミリー層に愛される店もあります。結局それぞれだし、地元と県外を天秤にかけて考えなくてもいいかなと。うちで目指すのは、幅広い年齢のお客さんに美味しいと思ってもらえるもの。マニア向きは作りません。でもその中にひとつかふたつ、自分がやりたいことだけ詰め込んだ攻めたケーキがある。なぜって、その方がやってて楽しいからですよ(笑)」。

ごく一部のイベント出店を除き、商品の販売を行うのはこちらの店舗のみ。「自分の目が届かないところで売られるのが気持ち悪いから」と成田氏。

取材時に使われていた地元産のフルーツ。成田氏が代表となってから、こうした食材の比率が増えた。津軽はほかにもぶどうや桃、さくらんぼ、メロンなどの名産地として知られる。

津軽らしさ全開のケーキは観光客にも人気。プライスカードには、中身の構造がひと目で分かるイラストが。成田氏曰く、「カッコつけた店より、分かりやすい店でありたい」。

津軽塗の漆器にそっくりなチョコレート菓子「津軽香々欧(つがるカカオ)」も手土産に最適。クッキーを包んだミルクチョコレートに、食用色素による模様をプリントしたもの。

津軽ボンマルシェ経験の浅さも長所に。独自の“放牧式”経営術で生まれる団結力。

次々語られる迷いのない言葉から、経営者としての技量が垣間見える成田氏。しかし意外や「店で一番足を引っ張っているのは俺ですよ」と笑いながら話します。曰く、自らの経営方針は“牧場経営”。その心は、「スタッフに割とのびのび動いてもらう、“放牧式”の経営です。自分が未熟な分、みんなに助けてもらわないと」とのこと。たとえば成田氏が思い付きで購入を決めてしまった陳列棚は、「下に在庫が入れば品出しが楽になる」というサービス担当者の意見により改造され、使いやすい焼き菓子用什器に変身。「各担当者がそれぞれ自発的に考えるようになったら、どんどん効率が上がって。最近は何かあると、スタッフ同士で解決してくれるようになりました(笑)」と成田氏。

さらに成田流のコミュニケーションも、チームの関係作りに大いに影響を及ぼしているようです。「自分は経験が浅い分プライドがないから、突っ走る前にブレーキをかけられるんです。周りに意見を言われても、普通の社長だったら『いや、ここはこうすべき』と通すところも、俺の場合は『え、何で? 理由教えて!』って。だから大きな失敗はそれほどないし、失敗するときはみんなも一緒(笑)。クセの強いメンバーが多いけど、何かやり残しがあれば全員で終わらせるのが今の共通のスタンスだし、人間関係はすごくいいと断言できる。スタッフこそがうちの店の強み、武器みたいなものだと思っています」。『アンジェリック』の経営元となる会社を設立する際、『グランメルシー』と命名した成田氏。「めっちゃ感謝!」(by成田氏)という意味のこの名には、お客さんへの感謝のほか、スタッフや業者・生産者の人々など、すべての工程に関わる人、物を大事にしたいという想いを込めたそう。

取材中、成田氏のいくつかの言葉が印象に残りました。スタッフの働き方改革について話したときには「体調がキツいから休みたいって言うのも結構勇気がいるはず。その気持ちをないがしろにしたくない」。チームワークの話題になったときには「失敗って、別にひとりのせいじゃない。普段からお互いに気に掛けていれば、誰かが気付いて止められるじゃないですか」。りんご対談の際は少し不敵な一匹狼タイプに見えた成田氏でしたが、今回じっくりと話を聞いて見えてきたのは、周囲へ細やかに気を配るリーダーの一面。『アンジェリック』の美味しいスイーツとにぎわいは、そんな成田氏率いるチームの団結力あってこそなのでしょう。

前社長から引き継いでから3年、「ありがたいことに、売り上げもよく人手も足りている。事業としては順調です」という『アンジェリック』。成田氏は現在、新たに『グランメルシー』の名前でブランドを作りたいと考え中とか。初めて立ち上げから手掛けるブランドに託すのは、人口減少が顕著な地方を盛り上げるため、自分たちのような若い世代が行動し、実績を作るべきという信念です。「刺激を受けた人が、何か始めるきっかけになれば」。そう語り、自ら地元の台風の目となるべく進み続ける成田氏。その視線の先には、スイーツ界に留まらない、津軽の未来が広がっていました。

一部商品ラインナップのほか、黒を基調にしたシックな内装やパッケージなどは、前社長時代からそのまま継続。「既に人気もブランド力もある店だったので、変えない方がいいところも多かった。一番変化したのは、スタッフの働き方ですね」と成田氏。

記念日需要の高さにも納得の、見目麗しいホールケーキ。卵や小麦粉、乳製品を使わないアレルギー対応ケーキのオーダーも受け付けている。

普段は愛煙家で塩辛い食べ物が大好きだが、「味に対する勘はいい方だと思う。人が作った食べものの改善点をあら探しするのが癖なんです」と笑う成田氏。インタビューを行ったのは、『アンジェリック』上階にあるコーヒー専門店『iro coffee』。元々『アンジェリック』スタッフだったバリスタ・千葉俊氏の独立を後押しし、二階のスペースでの営業を提案したのも成田氏だ。

住所:青森県弘前市野田1-3-16 MAP
電話:0172-35-9894
https://www.instagram.com/angelique_hirosaki/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

厳しい自然環境にありながら、その豊かな恵みとともに生きる小さな島。[東京“真”宝島/東京都 利島]

東京"真"宝島OVERVIEW

周囲約8kmというとても小さな島ながら、海からも空からも必ず目に入る利島の唯一無二の存在感。それは、島そのものが美しい山だからではないでしょうか。宮塚山のなだらかな裾野は海へと広がり、洋上にぽっかりと浮かぶその愛らしい姿かたちがとても印象的です。東京都心から南に約140kmの位置にあり、その名を「としま」と呼びます。伊豆諸島最大にして最も都心に近い大島の南に位置し、伊豆諸島の中では2番目に近い島でありながら、その厳しい自然環境ゆえ、簡単にたどり着くことが困難な島でもあります。

中央に位置する宮塚山のなだらかな姿かたちからは想像もつかないほど、島の周辺は激しい波に削られた断崖絶壁に囲まれ、穏やかな湾も砂浜もなく、着岸が難しい桟橋があるのみ。特に波が荒れやすい冬の海では船の就航率はさらに悪くなり、欠航することもしばしば。島に降り立つと、平らな土地が一切なく、急な坂しかないことにすぐに気がつくでしょう。利島の人々は、御神体そのものである宮塚山のふもとに暮らしている、という表現のほうがしっくりきます。集落は比較的なだらかな島の北側に密集しており、いたるところから大海原をのぞむことができます。

そんな厳しい自然環境の中で暮らす島民の数は約320人ほど。ですが、近年は島暮らしを希望するI ターン者が徐々に増え、現在では島民の約半数を移住者が占めているのだといいます。まだまだ利島の存在を知る人は少なく、降り立つ観光客は決して多くはありませんが、この島で暮らしたいと希望する人々が増えているという事実は、利島という小さな島にある大いなる魅力に惹きつけられている証左でもあるでしょう。

利島を利島たらしめるもの。それは島の約8割を埋め尽くすという、約20万本ものヤブツバキの存在です。最盛期を迎える冬には、島じゅうを赤く染める椿の花が咲き誇り、どこを歩いても可憐な椿の花が目に入ってきます。利島では古くは江戸時代から椿とともに暮らし、椿油を生産してきました。日本で一、二を争う生産量を誇り、有機で栽培された良質なものとして、高く評価されています。さらに、冬にはイセエビ漁がさかんになり、軒先で椿の実を干す光景も利島ならではの風景です。ほかにも、宮塚山にはスダジイなどの巨樹が数多く残っており、初夏には世界最大ともいわれるサクユリの白く美しい大輪の花を目にすることができるでしょう。

険しい断崖絶壁に囲まれた島だからこそ、美しい自然とのどかな暮らしが守られてきました。暮らしの中にある厳しくも豊かな自然と、そこから得られる恵みとともに暮らしてきた利島の人々は “足るを知る”からこそ、来るものたちをやさしく、あたたかく迎えてくれるのです。

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(supported by 東京宝島)

人々が憧れ、集まり、文化を深めていく。コーヒーの聖地を津軽のこの土地へ。[TSUGARU Le Bon Marché・白神焙煎舎/青森県中津軽郡]

30kgのコーヒー豆を炭火で焼くことができるフジローヤル製の大型ロースター。焙煎中はコーヒーの豊かな香りが店内に漂います。工房はガラス張りでオープン。中の様子を自由に眺めることができます。

津軽ボンマルシェ世界自然遺産の玄関口で味わう、一杯のコーヒー。

津軽富士と呼ばれる岩木山の麓にあり、白神山地の玄関口である中津軽郡西目屋村。弘前の街中からは車で30分弱、約1500人という青森県でも最も人口の少ない村であり、世界自然遺産に認定された広大なブナの原生林はすぐ目の前。水源の里と謳われるほどにきれいな水が豊富に流れる、自然に恵まれた地域です。まわりはりんご畑も多く、まるで絵本の中にいるような里山の風景が続く車窓を眺めていると、町の中心ともいうべき施設「道の駅津軽白神 Beechにしめや」に到着しました。近くには村役場や郵便局などが点在し、住民の生活の拠点であると同時に、世界中から観光客が訪れ、エコツーリズムや各種アクティビティ体験ツアーの案内を行う観光情報施設として賑わっています。建物内には、以前「津軽ボンマルシェ」で紹介した『GARUTSU』の2ヵ所目の醸造所である『白神ワイナリー』や、屋上で養蜂を行なっている蜂蜜専門店『BeFavo(ビファーボ)』、ダムマニアに人気の「津軽ダムカレー」が食べられるレストラン『森のドア』などが入っており、道の駅としてはかなり個性的。そして『白神焙煎舎』も同じ建物内の一角にあります。

キリッと黒で統一された店内は、コーヒーの良い香りに包まれ、旅人から仕事の合間のビジネスマン、地元のおじいちゃんおばあちゃんまで、幅広い層の人々がコーヒーを買いに訪れます。店の奥には広い焙煎工房があり、若い男性が興味津々でガラス越しに作業の様子を覗いていることも。誰もが自然と吸い寄せられ、ほっと寛いだ空気に癒される、コーヒーには言葉にできない不思議な魔法が備わっていることは、すでにご承知の通りだと思いますが、この土地には何かそれ以上の神がかったような強い吸引力が感じられるのです。その秘密は一体何なのか?まずは津軽におけるコーヒーの歴史と文化を紐解いてみましょう。

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モダンで落ち着いた雰囲気の白神焙煎舎店内。賑やかで活気ある道の駅の建物内で、この一角だけが一味違うオーラを放っています。道の駅に焙煎施設があるというのも珍しいです。

店の入り口に設置された、ダッチコーヒー(水出しコーヒー)メーカー。白神山地のまろやかな水をポタポタと半日かけて落とす、この地ならではのコーヒーです。その場に立ち止まり、じっと様子を見つめているお客さんも多いとか。

コーヒーを入れるパッケージもユニーク。代表の成田志穂さんがアメリカ西海岸で見つけた、チャイニーズレストランのテイクアウト用パッケージをヒントにデザインしてもらったそうです。

津軽ボンマルシェ江戸時代から続く、津軽のコーヒー文化を受け継いで。

津軽のコーヒーの歴史は江戸時代まで遡ります。およそ200年前、幕府より命を受け、北方警備のため蝦夷地(北海道)へ赴いた津軽潘兵は、冬の厳しい寒さの中で栄養不足になり、当時は不治の病だった浮腫病にかかって多くの人が亡くなりました。そこで、予防薬として配給されたのがコーヒーだったのです。1803年(享和3年)に蘭学医の広川獬が著した「蘭療法」には、浮腫病に対してコーヒーに薬効があることが記されています。コーヒーが最初に伝わったのは長崎の出島といわれていますが、当時飲むことができたのは一部の特権階級のみ。津軽潘兵は農民や漁師の出身も多かったそうで、一般庶民として最初にコーヒーを飲んだのはおそらく津軽の人々だったのではないでしょうか。

現在、弘前の街中には個人経営の小さな喫茶店が多く、コーヒーの街と呼ばれています。津軽出身の文豪・太宰治がよく通っていたという歴史ある喫茶店も当時の面影を残しつつ、営業を続けています。街の人々と共に長い年月をかけて育まれてきたコーヒー文化。その担い手の一人ともいえるのが、1975年に創業した「弘前コーヒースクール」の代表、成田専蔵氏です。店舗・成田専蔵珈琲店を営む傍ら、コーヒーの歴史を自ら研究し、津軽潘兵が飲んでいたコーヒーを再現。弘前市内のいくつかの喫茶店で飲めるように働きかけ、広めました。同市内の喫茶店を巡るスタンプラリーを考案したり、コーヒーに携わる人々の知識や技術向上のためにスクールやライセンスを設けたりと、コーヒーを通じた地域振興に関わる活動を長年精力的に行ってきました。その功労を讃えて、2018年には日本コーヒー文化学会より、第1回文化学会賞を受賞しています。

白神焙煎舎は、成田専蔵氏の思いを受け継ぎ、さらに新しい一歩を踏み出した珈琲施設。代表を務めるのは娘である成田志穂さんです。子供の頃からコーヒーに親しんできたのかと思いきや、大きくなるまで、父親が何をして働いているのかよく知らなかったそうです。
「ある時は使えないクズ豆を大量に持って帰ってきて、家の裏にある畑に撒いていましたから、子供の頃は何か肥料を作る人だと思っていました(笑)。家に篭って文章を書いて、それが新聞に掲載されたり、講演や調査で全国を旅したり、いろんな人に先生って呼ばれていたり。不思議な仕事だなあと思っていて。父の仕事をちゃんと意識するようになったのは、もう少し大人になってからです。自宅の隣に店ができてアルバイトを始めて、だんだんと自分もコーヒーの勉強をするようになりました。大学は英文科でしたから、通訳として父に付いてブラジルやバリ島にコーヒーの視察に行ったりしました」
志穂さんがいつも見ていたのは、なにやら楽しそうな父の姿。コーヒーに携わっていると海外に行けて、いろんな人の繋がりができ、ワクワクするような面白い経験ができる。なんて魅力的な仕事なんだろう、と思っていたそうです。大学を卒業し、ワーキングホリデーでカナダ・バンクーバーに滞在すると、アメリカ西海岸はサードウェーブの新しいコーヒーカルチャーが盛り上がってきたときで、そこから近いバンクーバーもまさに影響を受けていました。エスプレッソ、ラテアートなどは、当時まだ日本でやっているところは少なく、志穂さんの目にはおしゃれな最先端の飲み方に映ったのです。コーヒーへの価値観もガラリと変わりました。その後は自然な流れで父の会社へ入社し、コーヒーに没頭する人生が始まりました。

世界各国からやってきた、コーヒーの生豆の入った麻袋が積み上がるバックヤード。ちなみにブルーマウンテンだけは木樽に詰めて送られて来るそうで、店内のディスプレイにも使われています。

普段は物腰柔らかな志穂さんですが、コーヒーと向き合う時の表情は真剣。ハリオのガラス製ドリッパーを使い、ハンドドリップで淹れています。

ドリップされた豆が膨らみ、ふわりと香りが広がる、至福のひととき。

定番の「白神焙煎炭焼珈琲」。香り豊かでまろやかな、すっきりとした味わい。志穂さんはこの土地のテロワールを大切にし、“西目屋らしい味”を常に意識しています。

津軽ボンマルシェ西目屋村の炭焼きを復活。りんごの剪定枝を炭にしてコーヒーを焙煎。

津軽のコーヒー文化を長らく牽引してきた成田親子。しかし、二人の兼ねてからの願いは、その歩みをさらに一歩深いところへ踏み込み、しっかりと根を張って広げて行けるような場を整えることでした。自分たちのやりたいこと、コーヒー文化の根源を表現できるような場所を、ずっと前から探していたそうです。縁あって巡り合った西目屋村は、彼らにとって理想郷ともいえる、驚くほど環境に恵まれた土地でした。
「コーヒーに最も大切な、きれいな水と空気が得られるこの環境は申し分ありません。この土地に誇りと愛情を持ち、大らかでオープンな西目屋の人々にも助けられました。さらにこの村はかつて炭を作っていた歴史があり、それはコーヒーの焙煎に適していたのです」と志穂さん。
西目屋村は「目屋炭」と呼ばれる、青森県内有数の炭の生産地として栄えた歴史があります。山間地域では昔は農作物を育てることが難しく、住民のほとんどは炭を焼いて生計を立てていました。白神山地の山の中には炭焼き小屋が点在し、できた炭は街へ運んで売られました。この地域の伝統工芸品である「目屋人形」は、ほっかむりをした野良着姿の女性が背中に炭俵を背負っており、当時の様子を窺い知ることができます。昭和の初め頃までは実際にそのような女性を見かけることも多く、彼らは車も通れない細く険しい山道を何時間も歩き、せっせと炭を運んでいたそうです。

2019年、白神焙煎舎は山の中に自社で運営する炭製造施設「白神炭工房 炭蔵」を設立しました。実際に現地を訪れると、山の斜面に赤い三角屋根の建物が建っています。中は学校の体育館かと思うほど広々としており、半年以上かけて作ったという大きな炭窯がどんと鎮座していました。窯で炭を焼く時は、専門の職人が一週間から10日、近くに寝泊まりしながらずっと火の番をするそうです。岩木山の周りにはりんご畑がたくさんあり、剪定などで不要になるりんごの木の枝が大量にありました。それらを有効活用し、炭として資源を甦らせています。
「りんごの木は硬質なため、炭にすると火持ちが良く、炎も熱量も安定します。欧米では昔から、お客様がいらしたときの特別な炭として、暖炉を焚くために使われていました。りんごの木炭の性質はコーヒーにも適しており、爆ぜにくいので豆が焦げることなく、柔らかな炎で芯までじわじわ火を通し、ふっくらと焼きあがります」
白神焙煎舎では、この道30年以上の熟練の職人が炭火を操って焙煎。その豆で淹れた「白神焙煎炭焼珈琲」は、この土地でなければ味わえない、唯一無二のコーヒーとなったのです。

白神焙煎舎から車でさらに10分ほど行った、山奥にある炭製造施設「白神炭工房 炭蔵」。冬はすっぽりと雪に覆われ、辿り着くのも困難。すぐ近くには津軽ダムがあります。

炭焼き小屋内部。1回で5トン焼けるという巨大な炭窯。窯を作れる職人は現在一人しかおらず、津軽の「やってまれ(やってしまえ)」精神で、作っているうちにどんどん大きくなってしまったそうです。

りんごの剪定枝で作られた炭。りんごの木炭はアウトドアやバーベキュー用などでも人気が高く、販売するとあっという間に売れてしまうそうです。

津軽ボンマルシェ津軽の風土を丸ごと味わえる、西目屋村をコーヒーの聖地に。

白神焙煎舎で特にやりたかったことの一つが「コーヒースタジオ」。専蔵氏の兼ねてからの念願でもありました。コーヒーの淹れ方のコツや焙煎の仕方を気軽に学べ、本物の味を知ることができる体験講座です。実際の講座ではプロが試作用に使う小型ロースターを1人1台使い、自分でりんごの炭を詰め、機械を操作して豆を焙煎するなど、かなり本格的。「弘前コーヒースクール」でコーヒーを学び、資格を取得した、専蔵氏の弟子といえる人々が講師を務めています。機械をパソコンに繋ぎ、データも残せるので、将来喫茶店をやりたい人が本気の姿勢で学びに来ることもあるそうです。海外から来た人が珍しがって動画撮影していることも。
「父曰く、コーヒーはそもそも欧米では、家庭に焙煎用の調理器具があって、自分で豆を焙煎することが普通だったようです。味噌汁みたいに各家庭の味があったのです。日本では、既に焙煎された豆を買うことが常識のようになっていますが、もっと根本のところからコーヒーに親しんでいないと、本当の文化は育たないというのです」

成田親子がこの先何十年後かに夢見ている壮大なプログラムは、西目屋村をコーヒーの聖地にすること。この村では家庭でも普通に美味しいコーヒーの淹れ方を心得ていたり、自分で焙煎ができたり、日常的なコーヒーの文化度が圧倒的に高い地域として、地元が誇りを持ち、コーヒー好きな人々が憧れ、各地から訪れ、多くの人が集まってくれるような場所に育てていきたい。そして、この土地の歴史と文化が溶け込み、醸成され、風土を丸ごと味わえるような独自のコーヒーの味が創られていくことを見届けたい。
「西目屋村に昔からあった炭作りに学び、津軽を代表する果物であるりんごの剪定枝で炭を作って豆を焙煎し、世界自然遺産として知られる白神山地の清らかな水で淹れる。どれもこの地でなければできないことであり、コーヒーに欠かせない要素であり、自信を持って語り伝えたいストーリーです。その価値が自然に地域に浸透し、『西目屋はどこで飲んでもコーヒーが美味しいな』とか、『ここに住んでいるおばあちゃんはコーヒー淹れるのがうまいよね』なんて言われるようになったら嬉しい」
いつもの日常の中に、上質なコーヒーが当たり前のようにあり、それがこの地で出会うみんなの幸せに繋がる。そんな世界を目指して一歩一歩進んでいきたい、と語る志穂さん。脈々と続く土地の歴史と豊かな大自然、そして西目屋村の人々の温かな郷土愛が丸ごと抽出された一杯のコーヒーは、きっと大切な贈り物をいただいたような、忘れられない味になることでしょう。

炭焼き焙煎体験用のロースターは3台。各機械には「SHIRAKAMI」、「KUMAGERA」、「ANMON」(暗門の滝から命名)と名前が付いており、それぞれ性格が違うといいます。志穂さんは「この子はね…」と我が子のように愛情と親しみを込めて話します。

住所:〒036-1411 青森県中津軽郡西目屋村大字田代神田219-1 MAP
https://shirakami-roast.jp

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

冬のツアーは美味しい会津を体験!収穫し、食べて、学ぶ。[NEW GENARATION HOPPING AIZU/福島県会津若松市]

2月15、16日に行われたツアーの一幕。例年のこの時期の会津は雪景色だが、今年は100年に一度の暖冬らしく、遠くの山の頂にしか雪の姿はなかった。

ニュージェネレーションホッピング南会津調味料ひとつにも表れる会津の豊かな食卓。

南会津の四季を体感していただくONESTORYのツアーもひとまず最終回。今回の旅のガイドを務めてくださるのは、本格ナポリピッツァや会津の食材を使った料理が評判の『ピッツェリア&トラットリア フェリーチェ』を営むシェフの矢澤直之氏です。

冴え渡る青空の下、バスに乗り込んだ参加者が最初に向かったのは1834年創業の『満田屋』です。こちらは江戸末期から続くお味噌屋さんで、味噌蔵を改築した店内で味噌田楽をいただくことができます。先ほど顔を合わせたばかりの面子ですが、「この竹串、具材によって形が違うね」「お店の方が1本1本削っているみたいだよ」などと会話を交わすうちに打ち解けたムードに。まだ明るいうちからビールなどいただきつつ、2種類に焼き分けたこんにゃくは甘味噌と柚子味噌で、外はカリッと中はふわふわのおもちは甘味噌で。大豆のうま味がしっかり残る豆腐には山椒味噌。うるち米を使ったしんごろうは、荏胡麻を使ったじゅうねん味噌をたっぷり、と4種類の味噌を使い分けながら様々な具材を楽しみました。冬場の食卓に彩りを添える味噌に、会津の方の丁寧な暮らしが表れているようです。

次に向かったのは磐梯山系に囲まれた気持ちのいい畑。あぜ道を歩いていると、前方で満面の笑顔の矢澤氏が手を振っています。「会津の美味しい旅ということで、ここではネギの収穫体験を楽しんでいただけたらと思います」と矢澤氏。その隣で我々を出迎えてくれたのは、農家の佐藤忠保氏とトマト農家の大友佑樹氏です。「ここ一帯は冬になるとネギの頭が少し見えるぐらいまで雪が積もります。ネギを傷めないよう雪をほぐしてから1本1本手で抜くのですが、今年はその手間がない分ラクですね」と佐藤氏。鮮やかな手つきでネギを抜いてみせてくださったのを機に、参加者も次々に収穫を体験しました。試しに1本抜いてみると、ずっしりと重量があり、たっぷりと水分を蓄えていることが伺えます。「この辺りの土は水分を多く含んでいるので、1本あたりの重さは300g~400gほど。うちはこのネギを“とろねぎ”と名付けて独自にブランド化しています」。収穫したネギを軽トラで作業場に運び込み、切った根の先を見ると、蜜のような粘度のつゆがとろり。香りも力強く、食材を見る矢澤氏の目も真剣です。その様子から、このネギを使うという今宵のディナーへの期待が高まります。

農作業の後は松本養蜂総本場に立ち寄り、国産オーガニックはちみつを使ったレモネードをいただきました。稼業を継いで5代目という松本高明氏の蜂蜜は、樹種によって全く味が異なり、どれも天然由来のワイルドさを秘めています。矢澤氏もさまざまな料理に用いるのだそう。蕎麦や栗などレアなはちみつを試食させていただいた後は温泉タイムです。訪れた会津若松の奥座敷・東山温泉は、約1300年前に行基上人によって発見されたとされている、さらさらの硫酸塩泉。日帰り湯でお世話になった『くつろぎの宿 新滝』の露天風呂からは、渓流を見下ろすことができ、農作業による心地よい疲労感がするすると湯の中に溶け出していくようでした。

【関連記事】NEW GENERATION HOPPING MINAMI AIZU/福進化し続ける料理人・矢澤直之氏インタビュー。会津若松・冬のツアーを終えて。

江戸末期から会津若松の地で180余年続く『満田屋』。5代目が味噌蔵を改装した店内では味噌や醤油、油などの物販も行っている。

炭火でじっくり焼いた味噌田楽。4種類の味噌すべてのベースになっている田楽味噌は、会津赤味噌に砂糖を加え、独自に仕上げたシンプルな味わい。

飴色に磨きこまれたカウンターで食す身欠きにしんの香ばしさよ。ビールだけでは物足りず、昼から日本酒に手を伸ばす参加者も。

農家の佐藤氏(左から2番目)と大友氏(左)を紹介する矢澤氏。このネギ畑から年間20万本のネギを収穫するという。「この他、コメやトマト、アスパラなども手掛けています」と佐藤氏。

ネギの収穫体験。まっすぐ上に引き抜くのがポイントで、やってみると抜ける瞬間が気持ちいい。しかし、腰をかがめ続けるこの作業はなかなかの重労働だ。

下仁田ネギばりに太いとろねぎだが、「甘さもありつつ、しっかりとしたネギの味わいと香りがあるのが特徴です」と佐藤氏。

出荷前のネギにエアを当て、外側の薄皮を泥ごと飛ばす。その作業も体験させてもらった。専用の機械を購入するまでは自作の機械を使っていたという。

収穫体験のあと、松本養蜂総本場に立ち寄り、福島と新潟の県境にある日本最大のぶなの森で採れた有機はちみつのレモネードを振る舞っていただいた。

稼業を継いで5代目の松本氏。アカシアやレンゲといったメジャーどころから、栗や蕎麦、上澄桜など、レアなはちみつまで味見させていただく。

東山温泉『くつろぎの宿 新滝』の日帰り湯で旅先の疲れを癒す。館内には趣の違う源泉かけ流しの4種類の風呂があり、宿泊すればその全てを堪能できる。

ニュージェネレーションホッピング南会津イタリアン×日本酒=魅惑のコラボレーション。

街に夜の帳が下りる頃、お楽しみのディナータイムです。迎えてくださった矢澤氏とマダムの未来さん、ピザ職人の林添氏は満面の笑顔。宴には、今までの取材でお世話になった会津木綿の新しい価値を提案する「IIE Lab.」の谷津拓郎氏と千葉崇氏、先ほどお世話になった農家の佐藤氏と大友氏も参加してくださり、賑々しいスタートとなりました。そしてもうひとり、重要な役目を担ってくださったのは、酒舗『植木屋商店』十八代目の白井與平氏。今回のディナーは、矢澤氏の料理と白井氏セレクトの日本酒をペアリングさせたディナーになっているのです。

乾杯は大友氏が作ったトマトを使ったクラフトビール。春のツアーでお邪魔した会津田島『Taproom Beer Fridge』併設の醸造所『南会津マウンテンブルーイング』で醸造した冬場限定のトマトセゾンです。矢澤氏と白井氏から挨拶があり、一皿目の「イチゴのカプレーゼ」が供されました。詰めたバルサミコと松本氏の上澄桜のはちみつがいちごの甘みと酸味を増幅させ、ミルキーなモッツァレラと絡み合います。ここには福島県喜多方にある大和川酒造と植木屋で特別につくられた「爆発!やまヨ別品大和川おりざけ」自社田栽培喜多方産夢の香45%の純米大吟醸の直汲み無濾過にごり生酒を合わせました。2品目は「馬肉のタルタル」。雌の太もものみを使用したシルキーな舌触りのタルタルは、庄内の板麩と合わせることで触感の違いを楽しむことができます。ここで供されたのは蔵付き酵母のみで醸した生酛の「弥右衛門」。キレイな酸を輪郭とした酒からは米のうま味もしっかり感じられ、馬肉と好相性です。3番目は「会津地鶏の白レバーのペースト」。生のマスカルポーネとセミドライにした見知らず柿を合わせた一皿には、震災で福島県浪江町から山形県長井市に移転した磐城寿の「黄金蜜酒」を。こちらは上品な舌触りの本みりんで、全ての食材と酒が口中でトロリと溶け合うのを楽しみました。

ここで、東山温泉の置屋で芸妓をしている月乃さんと千代乃さんが登場するサプライズがありました。芸妓さんというと敷居が高いイメージですが、なかには年末の時代劇『白虎隊』の主題歌にもなった堀内孝雄さんの代表曲『愛しき日々』に合わせたオリジナルの舞もあり、伝統芸を身近に感じることができました。

このタイミングで運ばれてきたのは、収穫したばかりのとろねぎを使った「とれたてネギのアフォガード」。3種類の調理法のネギが複雑に重なり合いながらも上品に纏まった旨味が沁みる一皿。ここでの日本酒は、土産土法の酒造りをモットーとする高橋庄作酒造の「会津娘」雄町の純米吟醸。デキャンタージュを繰り返すことで広がりが生まれた一杯が、料理と共鳴しあいます。滲み出る甘みとかすかな苦みが春の訪れを告げる喜多方産の「ホワイトアスパラのロースト」は趣向を変えてシャトーメルシャンの白ワイン「新鶴シャルドネ2014」と共に。濃い旨味が口中に広がる会津地鶏の胸肉とモモを使った「会津地鶏の食べ比べ」は、ほまれ酒造の「からはし」山田錦純米吟醸無濾過生原酒と合わせていただきました。完熟したフルーツを思わせる吟醸香とイキイキした酸が、山ざんしょうなど調味料でメリハリを利かせた料理とぴったりです。締めのパスタは「会津地鶏と打ち豆のボロネーゼ」。打ち豆とは、青大豆を水で戻して臼で潰した後に乾燥させた会津の伝統的な半加工豆。「このお料理に関してはあえてペアリングをしません。今日、飲んで美味しかったお酒と合わせていただければ」と白井氏。ここでは先ほどのお酒だけでなく、「写楽」や「飛露喜」といった人気銘柄のレア酒も登場し、会場内が色めき立ちました。

会津の自然が育んだ食材、風土を背景に生まれた知恵、そこで育った人々が思いを込めた料理と日本酒……その全てに思いを馳せつつ、ペアリングディナーは大満足のままフィニッシュに。最後に「IIE Lab.」さんから酒袋やあずま袋のプレゼントがあり、カラフルな袋をぶら下げた参加者は、意気揚々と二次会へ繰り出しました。

大友さんが育てたトマトのビールで乾杯。酸味のある青いトマトと完熟したトマトのピューレを使った冬場限定のトマトセゾンは、含み香にも味わいにもトマトがしっかり。

今宵のディナーは日本酒とのペアリング。そのセレクトを担ってくださったのは、会津の地で400年余り商いを続けている『植木屋商店』の白井與平氏。

現代のライフスタイルにも取り入れやすい会津木綿の商品を提案する研究所『IIE Lab.』の代表・谷津氏。ストールはもちろん、IIE Lab.のもの。

一皿目の「いちごのカプレーゼ」。ナポリから空輸したモッツァレラといちごで食欲全開に。合わせた「爆発!やまヨ別品大和川おりざけ」はその名の通り開栓時に吹きこぼれるほど発泡してまるでスパークリングワインのよう。

2皿目「馬肉のタルタル」。庄内から取り寄せた板麩を揚げて、カナッペ風に仕立てたもの。贅沢に黒トリュフを散らして。

東山温泉の置屋から駆けつけてくださった月乃さんと千代乃さん。イタリアンな店内に伝統芸能という異色のコラボレーションに会場から歓声があがった。

マダムの未来さん。この日、ほとんどのサービスを担当。とてつもない作業量ながら、それを全く表情に出さないプロ意識に感動!

3皿目は「会津地鶏の白レバーのペースト」。生のマスカルポーネと会津名産の見知らず柿、滑らかな舌触りのペーストが同じ速度で溶け合っていく。至福。

「とれたてネギのアフォガード」。一番下にはシイタケや白子、牡蠣と合わせてムース状にしたネギ、2層目のネギには会津地鶏のネックからゆっくり取り出した油で蒸し焼きに。上段はネギの根を揚げたもの。

「ホワイトアスパラのロースト」。初物の喜多方産のホワイトアスパラ。「北海道産とは違う独特の苦みを味わって頂きたくて、何とか14本だけ確保しました」と矢澤氏。

オープンキッチンから次々にワンダーな料理が生み出される。調理中の矢澤氏の表情は真剣そのもの。時折、参加者にキッチンから声をかけ、サービスも忘れない。

「会津地鶏の食べ比べ」。昨日締めたばかりの地鶏の胸肉とモモは皮目を香ばしく焼いていただく。会津の山山椒の実の赤ワイン漬けとタスマニアのマスタードと共に。

「会津地鶏と打ち豆のボロネーゼ」。刻みいれたうどの爽やかな苦みと鼻を抜けるふきのとうの香りがパスタを通して会津に春が近づいていることを教えてくれる。

大友さんが作ったトマトのジュースと乾杯時に登場したトマトセゾン。ビール酵母がトマトの赤い色素を食べてしまうそうで、色味は普通ながら味はしっかりトマト。

現代的なストライプが目をひく「IIE Lab.」からのお土産。日本酒やワインを入れて友人宅を訪れたくなる酒袋か、バッグインバッグとしても使えるあずま袋から好きなものを選べる趣向。

ニュージェネレーションホッピング南会津ホッピングで酒処・会津の奥深さを知る。

エプロンを脱いだ矢澤氏に先導され、向かった先は『時さえ忘れて』です。雑居ビルの2階にある看板の無いこのバーは、店主の鈴木啓介氏偏愛のお酒が楽しめる場所。今日は特別に『Baku table』(2020年現在、イベント出店、ケータリングで活動中)のシェフであり、「南会津の秋のツアー」でスペシャルディナーを担当してくれた山門夢実さんが地元食材を使ったおばんざいなどをご用意してくださり、2次会のスタートです。アンダーな照明と肩の力を抜いてリラックスできるムード、心温まる料理と心づくしの酒によって場の空気は一層打ち解けたムードに。そこに『塗師一富』の3代目・冨樫孝男氏の下で研鑽を積んだ菊池遥香さんや、大内宿でカフェ兼雑貨屋を営む『茶房 やまだ屋』の諸岡康之氏も加わり、観光ガイドには載っていない会津の話や街の移り変わりなど話題は多岐に及んでいきます。あれだけ飲んで食べたのに、胃の深いところにすとんと落ちていくのですから、郷土料理って不思議です。ここでも食べて、飲んで、「オータムポエムとニシンの山椒漬けの玄米おむすび」で締めて。多くの方々のおもてなしで心に灯った温かなものを感じながら、楽しい夜を過ごしました。

大成功のディナーを終え、夜の会津若松を歩きながら2次会の会場へと向かう一行。矢澤氏の隣にいるのは、常連客の金井氏。

仕事帰りに矢澤氏も訪れるというバー『時さえ忘れて』の鈴木氏。クラフトビールや蒸し燗でいただく日本酒など、こだわりの酒を提供している。

『時さえ忘れて』のカウンターにしっとり馴染んでいる夢実さん。普段の営業時のおつまみは自家製パンとミックスナッツのみなのだとか。

この日のカウンターには、夢実さんが作る地元食材を使った「白菜と雪下にんじんの三五八漬け」や「長芋と蕗味噌の揚げ春巻き」が並んだ。

参加者が思い思いの酒を注文するなか、ひとつひとつを丁寧に提供してくださった鈴木氏。生産本数の少ない国内の気鋭の造り手によるリキュールなども頂き、楽しい夜となった。

右は『塗師 一富』で修業を積んだ女流塗師の菊池さん。次世代を担う彼女の存在は、後継問題にゆれる伝統産業業界においても明るいニュースに違いない。

2次会は、今回のツアー参加者とおもてなしをしてくださった地元の方々が垣根なく話し込むことができる貴重な時間となった。

ニュージェネレーションホッピング・南会津城下町に息づく老舗と和菓子と麦とろと。

翌朝は『植木屋商店』でお土産を物色しました。一同、DJブースのある店内に驚きつつ、昨晩美味しかった銘柄を思い出しながら、これはと思う日本酒を選びます。個人的に気になったのが、自社田のなかでも特に特徴的な7枚の田んぼを選び、1枚の田んぼごとに獲れた米で仕込んだ会津娘の純米吟醸「穣(じょう)」。ひとつひとつのお酒にストーリーがあり、気持ちを込めてそれを伝えてくださる白井氏の話や素敵な酒器で試飲させていただき、あれもこれもと目移りしてしまいました。その後、矢澤氏が幼少期から通っているお店『麦とろ』でランチとなりました。店内には既に、湯気を立てたおかずや炊き立ての麦飯がセットされています。「さぁさぁ」と促され、山で採ってきたという菜の花のお味噌汁や磐梯筍をいただきました。栽培ものと違って、味も香りも力強い天然もののうま味は身体に染み込むよう。働き者のオヤジさんによると、この味をお客さんに味わってもらうため、4月は毎日山に入るそう。それでも昨年休んだのは1日だけというから恐れ入ります。

本日の最終目的地・大内宿へ移動するバスのなかでは、『日本一本店』という不思議な店名の和菓子屋で買ったあわまんじゅうをいただきました。くちどけのよいあんを鮮やかな黄色い粟の実で包んだシンプルなまんじゅうは、淡雪のように口の中で溶けていきます。「このお店は、早い時間からご主人が丁寧にあんを練っているから口どけが違うんですよ」と矢澤氏もえびす顔。熱い緑茶を飲みながら、車窓から雪のない磐梯山を眺めます。茅葺屋根の商店が軒を連なる大内宿を歩き、最後は『茶房 やまだ屋』へ。店内には諸岡氏とお母さまの久美子さんのセンスでセレクトした会津や福島で研鑽を積む若いアーティストや職人の民芸品が並び、さながらギャラリーのよう。天井の高い店内はリラックスした空気が流れ、曳きたてのコーヒーの香りが漂っています。淀みない矢澤氏の話に耳を傾けながら、ゆったりした時を過ごし、お別れの時間がやってきてしまいました。バスが走り出しても、しばらく手を振り続けてくれた矢澤氏に会釈しつつ、会津の美味を満喫するツアーは終了となりました。

2日目の午前中は『植木屋商店』へ。ネオンサインの店名がお出迎え。この日は休業日だったにも関わらず、お店を開けていただいた。

店内は要冷蔵の酒と常温の酒の棚が左右で分かれている。気になる酒について質問をすれば、よりその酒への興味が喚起される応えが返ってくる。

酒の話になるとつい熱が入る矢澤氏と白井氏。地元を愛する2人だからこそ飛び出す会話に、周囲にいる参加者もつい耳をそばだててしまう。

帰り際に白井氏から参加者全員に特製手ぬぐいのプレゼントがあった。描かれている絵が何を表しているかをあてる江戸時代に流行った「判じ絵」を用いて、『植木屋』と読ませる。

矢澤氏の案内でもないと、一観光客では辿りつけそうにない『麦とろ』。味わい深い看板に期待が高まる。

完璧に整えられた昼食。分厚い卵焼きやにしんの山椒づけ、自然薯をすりおろして出汁を加えた滑らかな味わいのとろろ…毎日でも食べたいものばかり。

たまたまお昼を食べに来た夢実さんとばったり。オヤジさんは誰へだてなく親しみのある笑顔を向け、さまざまな話題を振ってくれる。

矢澤氏が「日本一旨い」と語る『日本一本店』のあわまんじゅう。持つと驚くほど柔らかい。「この状態で成形できるって本当のプロだよね」と矢澤氏。

会津若松から山道を2,30分ほどバスに揺られて大内宿へ。茅葺屋根の商店が並ぶ道をそぞろ歩く。

『茶房 やまだ屋』の諸岡氏。東京に出てから地元に戻り、カフェを営みながら若いアーティストや職人の活動を応援すべく物販も行っている。

ジャズが流れるなか、矢澤氏のトークと丁寧に淹れた美味しいコーヒーが穏やかな時間をもたらす。評判の出し巻きたまごのサンドイッチをつまむ参加者も。

植木屋のショッピングバッグを携え、帰りの特急リバティに乗り込む。帰り際、会津木綿のトートバッグに入った佐藤氏のネギが配られた。

住所:〒965-0042  福島県会津若松市大町1-2-55 MAP
電話:0242-36-7666
http://www.pizzeria-felice.jp/

(supported by 東武鉄道

柿渋染め【レディース館】

 

 

こんにちはキラキラ

まだ少し肌寒いですが少しずつ過ごしやすい気候になってきましたねクローバー

 

 

 

 

本日は、レディース館で徐々に人気を上げてきた商品を紹介しますね音譜

 

 

 

皆様は 柿渋染め という染め方をご存じでしょうか?

 

 

青い渋柿をすりつぶして果汁を搾り、

発酵、熟成、させたものを「柿渋」といいます。

 

柿渋に含まれる「タンニン」には

抗菌、防腐、防水、防虫、補強

などの効果があり、

昔から染料や塗料として使われてきました。

 

 

そんな、日本古来の染色法を 柿渋染め といいいます。

 

 

 

そして、その染色法で染めたジーンズ 柿渋ジーンズです上差し音譜

 

 

【デニムクローゼット】 MP01 柿渋ジーンズ ¥28,600(税込)

 

形は少し太めのストレートですが

股上が深めでウエストを絞られているので

腰からお尻にかけて女性らしいラインが出るようなジーンズになっていますラブラブ

 

そしてすごく柔らかくて穿きやすいんです!

 

 

 

 

あとは、

この柿渋の茶色が味を出していますね!

 

 

 

 

ロールアップをして穿くとよりオシャレですねあしあと

 

穿いていくうちに、

↑このロールアップしている茶色に全体的に近づいてくるので

経年変化も楽しめますねイエローハーツ

 

 

 

 

柿渋バッグもありますよ~~音譜

 

 

ぜひ、穿き心地や色味を確かめに来てくださいね目

 

 

お待ちしておりますラブラブ

 

 

 

 

 

 

 

 

豊かな水と無数の巨樹が描く原始の風景。イルカだけではない、美しき自然の島・御蔵島。[東京“真”宝島/東京都 御蔵島]

東京"真"宝島OVERVIEW

三宅島の南約19kmの洋上に浮かぶ、お椀を伏せたような形の丸い島。海辺からすぐに急峻な山が切り立つ独特の地形から、船の就航率は夏で8割、冬で3割強。そのアクセスの難しさから、かつては「月より遠い」とまで言われていました。

そんな御蔵島には近年、年間7000人から8000人の観光客が訪れます。その大半の目的は、イルカ。御蔵島の周辺には150頭ほどのミナミハンドウイルカが生息し、イルカウォッチングやイルカとともに泳ぐドルフィンスイムが楽しめます。だから御蔵島の存在を知る人にとっても、その印象はほぼ“イルカの島”となっています。

1990年代前半から突如始まったイルカブームは、島民の生活を変えました。観光客が増え、活気に包まれ、1970年代には200人以下まで減っていた人口も約320人まで増えました。島民も、基本的にはその状況を歓迎しています。しかし、好況に浮かれ、ただ無計画に観光客を受け入れないのが、御蔵島らしさなのです。
御蔵島にある宿は、村営バンガローを合わせて7軒。島を訪れるにはまず宿を抑えることが先決。ただし予約受付開始とともに満室となり、ようやく部屋を押さえても船が出ない可能性もある。不便な状況ではありますが、結果的にこの“行きにくさ”が自然を守ることに繋がったのも事実。現在は新たな桟橋が建設中で、やがて就航率の問題は改善されるかもしれませんが、この守られてきた自然は、今もこれからも御蔵島の財産です。

海はもちろん、山に目を向けてみても、自然の美しさは同様。あちこちから湧き出す清冽な水、しっとりと湿った森、圧倒的な存在感を誇る巨樹、無数のオオミズナギドリ。そのすべてが御蔵島の人々が守り、未来へと繋げようとする財産なのです。

幸運にも御蔵島に行くチャンスを掴んだ人は、ぜひ考えてみてください。樹齢1000年を越える木が、なぜこれほど生えているのか。オオミズナギドリが、有人島である御蔵島でなぜこれほど繁殖するのか。広い海を泳ぐイルカたちは、なぜ御蔵島周辺にとどまっているのか。その意味を感じ取れたとき、御蔵島の自然や文化はより深く心に刻まれることでしょう。

【関連記事】東京"真"宝島/見たことのない11の東京の姿。その真実に迫る、島旅の記録。

(supported by 東京宝島)

世界に目を向けて、改めて問う『DINING OUT』の意義。[DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]

『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』に関わった5人の対談が行われた。左から、『料理通信』編集主幹・君島佐和子氏、コラムニスト・中村孝則氏、ハレクラニ沖縄セールス&マーケティング部部長・市川明宏氏、レクサスグローバルブランディングマネージャー・関根美香氏、『DINING OUT』総合プロデューサー・大類知樹氏。

ダイニングアウト琉球うるま沖縄に残る「精神風土」をストーリーとして描く。

2020年1月中旬、通算18回目の開催となった『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』。『DINING OUT』としては初めての世界遺産・勝連城跡での開催、その舞台で腕を奮った世界から注目されるシェフユニット「GohGan」の圧巻のパフォーマンスなど、見どころも多かった今回。大いに盛り上がったプレミアムな二夜の模様を、5人の関係者で振り返りました。

大類:一昨年の11月に南城市で開催した『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』のときから、琉球神話になぞらえて、1回目はアマミキヨが降り立った「南城」で、今回はその後、アマミキヨとシネリキヨというふたりの神様が住んだと言われる「うるま」、と繋げていこうと。さらに今回は、中世の時代にうるまを統治していた「阿麻和利」という人に注目しました。かつては首里に反逆した悪党とされていましたが「おもろさうし」という沖縄の万葉集のような書物のなかで「肝高」(気高い、という意味)と表現されていることを後々発見されてヒーローになっていく。小国の中でポジションを得るのは大変だったはずですが、独自の文化圏をつくり、経済的に繁栄させた彼は相当レベルの高いプロデューサーだった。この人にスポットを当てることでこのエリアの精神性を表現できるんじゃないかと。

中村:一般的にはうるま市に世界遺産「勝連城跡」があるということがあまり知られていないですよね。知られていない魅力を発掘するのが『DINING OUT』の楽しみどころ。史跡としての価値、主人公のまわりを含めた歴史上の物語の面白さ。このふたつを紐解けるというのは、知的好奇心をくすぐられると思うし、あれ以上の場所もストーリー展開もなかったと思います。

君島:南城の『DINING OUT』が、私に対して与えた影響が大きかったんです。その時には沖縄に残る「精神風土」という書き方をしましたが、気候風土などと同時に、日常的に「拝む」という精神性が沖縄には確実に残っていて、非常に面白いと思いました。その後、仏教の影響が極めて希薄なのが沖縄の独自性だ、と何かに書かれているのを読み、だから神話が未だに生き続けていると理解したんです。

市川:(東京と沖縄とでは)全然人が違います。考え方も感じ方も、神話の世界やユタ信仰なんていうのも。実際カミンチューという方からお話を聞く機会もありましたが、驚くことが多いですね。

【関連記事】DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS

『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』ではアマミキヨが降臨したと伝わる久高島にてレセプションを開催。

『DINING OUT RYUKYU-NANJO with LEXUS』では、女性の神「アマミキヨ」にちなみ、伊勢志摩観光ホテルの総料理長、樋口宏江シェフが担当した。

『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』のレセプションが行われた浜比嘉島のシルミチュー霊場。なにもない“洞窟”こそが神聖な場所。

世界遺産・勝連城跡を舞台にした『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』。地元の中高生による『肝高の阿麻和利』の演目は、今回のテーマを直にゲストへ伝えた。

ダイニングアウト琉球うるま味覚を開発し、人を変える。それがレストランの役割。

中村:ガガンシェフって賛否はいろいろ分かれるんですが、4年連続でアジアベストレストラン1位です。なぜそんなに人々を惹き付けるのかというと、ある種原始的に戻ることを彼らはやる。いまフーディといわれている人たちはある種みんな“知識武装”をしていますが、ガガンはそれを壊すんです。皿をなめあげるなんてまさにそう。さっき君島さんが話されたように、沖縄にはまだ原始的な宗教観や自然信仰が残っています。生身の人間くささや食文化が残っていて、だから僕らはそれに感動する。それが「GohGan」にフィットしたんだと思います。本来のおいしさ、根源的な喜びや楽しさを体験したい、という動きの中で彼らは評価されている。

君島:以前孝則さんと、なぜ「傳」の料理長・長谷川さん(『DINNG OUT NIHONDAIRA with LEXUS』を担当)があんなに外国人に支持されるのか話したことがあります。日本料理が積み上げてしまった格式が日本料理を分かりにくくしていますが、それよりも長谷川さんのストレートな、ほら楽しんでよ、っていう方がよほど世界の人々にフィットしたんだと。ガガンもそれと同じことが言えると思います。固有の文化によって、共有している人同士じゃないと分からないものではなく、固有の文化を取り払って感覚で面白いと思うかどうか、というところで支持をされている。
もうひとつ、ガガンの料理をいただいたのは昨日が初めてだったのですが、情報量が多く、五味がぜんぶ詰まっていて削ぎ落すところがなくて、食べていて収容しきれなくなる。それはわたしにとってはあまり快感ではないのですが、一方昨年ずっと考えていたのが、新しい味覚領域の開拓が必要だということ。アートで言えば美しさとはなにか、と絶えず問いかけていくのが役割だと思うんですね。おいしさとはなにかを問いかける役割を担うのがガストロノミー。ガガンがやっているのは、おいしさってなに?と投げかけている行為であることに間違いはなくて、彼が果たしている役割はありますよね。

大類:2013年に徳島県祖谷で開催した『DINING OUT IYA with LEXUS』を担当してくれた米田肇シェフが「レストランの役割というのは味覚を変えること。それが未来の人間を変えることに繋がっている」とまじめに言っていて。口の中に入るものが人を作るから、人間の進化に関わっているんだ、という意識なんです。シェフって料理を提供するだけじゃなくて、もっと大きな存在として成立するんだなと思いました。

市川:ゲストの方とお話をして一番クリアに分かったのは、彼らが求めているのはおいしさだけじゃないということ。ホテルはどうしてもおいしさを追求してしまうのですが、そういうコメントは衝撃だった。味覚を変えることは人類の将来を変えること、とありましたが、そういう部分にホテルとしてどう踏み込んでいくかというのは、『DINING OUT』のようなイベントの存在意義なのかなと。

関根:クルマのデザインも同じで、お客様に支持されていることをレプリケートしていたら進化がない。デザインを大きく変える際には賛否両論、分かれたんですが、そこで新しい方へ行ってみないと進化はない。全然違うアプローチでやってみるというのは、どんなことにも通じますね。
 

ガガン・アナンド、福山剛両シェフによるユニット「GohGan」。ユニット名は二人の名前を組み合わせたもの。

「傳」料理長の長谷川在佑氏は「DINING OUT NIHONDAIRA with LEXUS」で腕を振るった。

『DINING OUT IYA with LEXUS』を担当した「HAJIME」オーナーシェフの米田肇氏。

ダイニングアウト琉球うるま多様化する“人”へ、いかにアプローチしていくのか。

大類:今回、ハレクラニ沖縄さんと組んで宿泊施設と一体化したラグジュアリーパッケージつくることができたのはよかったです。

君島:いままで何度も参加して、弱いな、と思うのは宿泊ですね。地方には眠っている宝はあるんだけど、宿泊がいまひとつという所が多くて、そこが日本の弱み。だから今回はハレクラニ沖縄から会場へ、レクサスで繋いでいただいたことで、完全にすべてがひとつになりましたね。

関根:地元のドライバーの皆さまにもご協力いただいて、お客様にはショーファー付きのレクサス車両での移動を楽しんでいただきましたが、こうするとロケーションからロケーションに移動すること自体がひとつの体験になりますよね。訪れた場所の余韻を残しながら、車窓からの景色の変化を楽しむことで、旅のクオリティは更に高まると思います。

市川:実はお客様にとって、空港からホテルへ辿り着くまで、が重要なんです。そこであまりいい経験をしないと、ネガティブな状態でチェックインされるので。今回はレクサスさんがスポンサーになられていて、会場までの移動が全てレクサス車であったことも、ぜひ参加したいと思った理由のひとつ。そしてわたしたちは「ハレクラニ沖縄 エスケープ」という、ハレクラニ沖縄に泊まらないと絶対に体験できないユニークなプログラムを提供していますが、まさに今回の『DINING OUT』のコンセプトがばっちりはまりました。特に今回のお客様はお金のことは全く気にしなくて、一体どういう体験ができるのか、というところがポイントでした。ハワイでもモルディブでもバリでもなく、沖縄を選んでいただくために必要なコンテンツです。

中村:「アジアベストレストラン50」でどうすれば選ばれますか、と日本の地方のレストランや自治体の方によく相談されますが、投票者は実際に行ったことのあるレストランにしか投票できない。つまり、レストランだけではなくトータルで動線を考えないとランキングは上がらないんです。海外からのお客さんの数は増えていても金額が伸びていないことが問題で、いかに高級化するかが日本の観光業の大きな課題。それぞれの領域で、ラグジュアリーってなんなのか、なにをもって贅沢とするかを考えなければならないんです。

大類:今回、初めて海外ゲストのみの開催日を設けてみて、これまでの『DINING OUT』でも表現してきた「日本のおもてなしの精神性」は、五感を通して伝えられたと思います。一方で、海外ゲストを相手にする際は言葉や文化的背景の違いなど、難しい問題がたくさんあって。前提条件が違う人にどう日本の地域を表現していくか、というのがこれからの新たな課題ですね。

関根:今回、イギリス人の同僚と参加させていただいたのですが、歴史的な説明は同時通訳で聞いて理解した上で、勝連城跡を舞台にした地元中高生の迫力のある歌と踊りや、地元スタッフによる心のこもったサービスなど、「驚き」や「感動」は、ユニバーサルに心に響くのだと改めて感じました。

大類:『DINING OUT』をプランニングするとき、僕は東京の人間だから常によそ者なんですね。そのギャップがプランニングの起点で、そこにテーマを求めていく。日本の中でもそれが基本なのですが、これが海外のゲストが対象となったとき、そのギャップはさらに大きくなる。世界はグローバルになっていっているけど、表現者としてはどこに起点を求めればいいのかと。

関根:レクサスは90カ国以上に展開するグローバルブランドですが、レクサス独自のテースト(味)やブランドの価値観といった、人で言うとパーソナルな部分を発信し、共感いただいた方がブランドを支持してくださる。そういったものは日本とか海外とか関係なく共感いただける方には伝わるので、レクサスブランドってどういうブランドなのかというメッセージを発信し続けていくことは非常に大事だと思っています。特に今のラグジュアリーのお客様は、どういう価値観をもったブランドなのかといったような部分にものすごく興味関心を持たれている。

大類:今の時代、国別でもなく、個人にダイレクトにネットで繋がってしまえる時代。個人の強い意志や思いが大事で、個を立てていくということがブランド戦略になっていくんでしょうか。

中村:シェフもやっぱりパーソナルな、誰が作っているのか顔が見えるというのは戦略として必要な時代かなと思います。発信する方も受け入れる方も、それぞれの人がどういう価値観を持っているのか、見定めなくてはいけないですよね。海外のお客様を迎えるときに金継の器を出すとすごく喜ばれるんです。経年変化に美を求めるのは日本独自かもしれず、まだ自分たちが気づいていなかった日本のブランド価値のようなものがあるかもしれませんね。

関根:レクサス車の細部に至るまでのこだわりは、海外のお客様からは日本的と捉えられるようです。レクサスではヒューマンセンタード(人間中心)、と言っていますが、車に近づいたらウェルカムライトが点灯するなど、人間にとっての心地よさを常に追求しています。

2019年7月に開業したばかりのハレクラニ沖縄が今回のゲストの宿泊先に。

レクサスに乗って海中道路からレセプション会場のシルミチューへ。同じ道を帰ってくるときには日が暮れて、異なる景色を楽しむことができた。

外国人ゲストのみで開催する日を設けるという初の試み。客席のみならず、厨房も国際色豊かな顔ぶれとなった。

ダイニングアウト琉球うるま“サステナブル”を超えた表現が人を刺激する。

君島:ヒューマンセンタードという話がありましたが、この間弊社でSDGsのカンファレンスをやったときに、登壇してくださる方にサステナブルな取り組みをしている人が何人もいまして。農業に取り組むとこの先どうすべきか、よりクリアに見えてくるからサステナブルな方向へ進む。どちらも農業に携わっていて、共にサステナブルを語っているとしても、自然を中心に考えるか、人間を中心に考えるかで求めるものが違ってくることに気付きました。自然を中心に考えると人間なんていない方がサステナブルと言える。一方人間を中心にすると、わたしたちが存続するために地球をどうしなくてはならないか、考えていくことになる。

関根:車も同じですね。自動運転を例にとると、ただ単に人がいなくなって車だけが走っていればいいということでもなく、疲れて運転を任せたいときには自動運転、自分が運転を楽しみたい時は安心して運転できるようサポートしてくれる、というように、新しいテクノロジーは考え方によって全然違う使い方ができる。いまのお話と共通するなと思いました。

大類:日本ではサステナブルという言葉がファッション化しているところがありますが、サステナブルって言葉を使うのは、本質的な意味においては重いことですよね。

君島:いまや原稿にサステナブルって書かない日はないくらいですが、サステナブルであればOK、という雰囲気にだんだん陥ってくる。ガストロノミーと名乗っている人たちでも、確かにサステナブルな生産者の素材をつかったサステナブルな料理だけれども、これってどこにクリエイティビティがあるの?と思うような料理を提供するケースも増えている。サステナブルであればあるほど、あなたの表現はどこにあるのよ、と思えてくる。だから昨日いただいた「GohGan」の料理は、サステナブルを超えた表現として人を刺激してきて、ああ、おいしいってなんだろう、これは好きかなきらいかな、という根源的な問いかけがあったと思うんです。

皿を舐めて食べる「3種芋のリキットアップ」は、おいしさや食べることの本質を問いかけてくる一皿。

沖縄の伝統食、サーターアンダギーをパリブレスト風に飾り付けたデザートの一品。「GohGan」最後のパフォーマンスを祝うかのよう。

2006年6月、クリエイティブフードマガジン『料理通信』を創刊。編集長を経て、17年から現職。「The Cuisine Press」(Web料理通信)では、時代に消費されない本質的な「食の知」を目指して様々なコンテンツを届ける。辻静雄食文化賞専門技術者賞の選考委員。

ホテルオークラ、ハイアット、フォーシーズンズにて国内外のホテル開業を経験し、 2018年ハレクラニ沖縄へ。非日常的な体験を提供する「ハレクラニ沖縄 エスケープ」の開発に従事。

ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。
http://www.dandy-nakamura.com/

2006年トヨタ自動車入社。商品企画、国内営業企画を経て、12年よりLexus International所属。グローバルブランドキャンペーンやデザインイベントなど、グローバルにレクサスを発信する施策に多数関わる。

1993年、博報堂入社。2012年に新事業として『DINING OUT』をスタート。2016年4月に設立された、地域の価値創造を実現する会社『ONESTORY』の代表取締役社長。

“普通”をやり続けて150年。津軽の四季と人の手が、唯一無二の味噌を生む。[TSUGARU Le Bon Marché・加藤味噌醤油醸造元/青森県弘前市]

5代目となる加藤裕人氏と諭絵さん。穏やかで飾らない雰囲気が共通点の素敵な夫婦だ。

津軽ボンマルシェシャープな塩味と深いコク。弘前唯一の味噌蔵が守り続ける「津軽味噌」との出合い。

弘前駅にも近い商業施設『ヒロロ』の中にある食材店『フレッシュファームFORET』。以前ご紹介した『ひろさきマーケット』が運営するこの店には、青森県中の名産品が集まっています。そこで発見したのが、初めて見る“津軽味噌”なる表記の味噌。津軽の食材ハンター・『ひろさきマーケット』代表の高橋信勝氏のおすすめということもあり早速購入して使ってみると、これがなんとも個性的な味噌なのです。色は濃い目の茶色で、少しふんわりしたテクスチャー。ひと舐めすると、キリリとした塩気、ほのかな酸味とともに豊かな香りと深いコクが口の中いっぱいにふくらみ、長い余韻を残します。八丁味噌にも似た味ですが、より渋みが控えめでなめらかな印象。味噌汁はもちろんのこと、野菜にそのまま付けても美味しいほか、マヨネーズと混ぜてディップにしたり、ホワイトソースの隠し味にしたりと大活躍してくれるのです。

この味噌を造っているのが、弘前市内で唯一の味噌蔵である『加藤味噌醤油醸造元』。100年以上前、明治初期頃に建てられたとされる街道沿いの店舗と蔵は今も現役で、レトロ建築好きなら大興奮間違いなしの堂々たる立ち姿を見せています。「こんな古くて汚い場所で、すみません」。そう謙遜して出迎えてくれたのは、蔵の5代目となる加藤裕人氏、諭絵さんのふたり。諭絵さんの父である現代表で4代目の加藤元昭氏に代わり、数年前からメインで製造を担っているのが裕人氏です。「まずはぜひ、麹作りから見てください。味噌造りにおいて一番大切な作業なので、何か感じてもらえると思います」と裕人氏。

麹作りが行われる麹室の内部は温度と湿度が高めに調整され、ミストサウナのよう。室の中にずらりと並ぶのは、麹蓋(こうじぶた)と呼ばれる道具です。「今は蒸した米に麹菌を振って、麹蓋に移し、最初40℃に設定した室内で少しづつ温度を下げながら一晩寝かせた状態。これを手でほぐして人肌くらいの温度に下げ、再度寝かせます。米麹が出来上がるのは3日の朝。最初パラパラしていた米がぼってりしてきたら、麹の菌糸がきちんと米の中心部まで入っている証拠なんですよ」。まだ完成途中の米麹ですが、噛みしめるとじんわりと甘みが出てくるのは、米のでんぷん質を麹菌の酵素が分解し、ぶどう糖に変えているから。静かな麹室の内部ですが、実は目に見えない菌たちがじゃんじゃん活動中なのです。まさに発酵の神秘!

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

弘前市指定の「趣のある建物」にも登録されている建物。近所には日本酒蔵『カネタ玉田酒造店』もある。

創業は明治4年。古くから造る味噌のほか、昭和に入ってからはしょうゆ製造もスタート。味噌の仕込みがひと段落した2月から2ヵ月間は、しょうゆの醸造期間にあてる。

手前がベーシックなタイプの津軽味噌。奥は20年ほど前に顧客のリクエストに応えて作った白味噌タイプで、仕入れた味噌と自社の味噌のブレンド。

しっとりした空気と温かさが心地よい、麹室の内部。作業中の裕人氏の額には汗がにじむ。1シーズンに作る味噌用の米麹の量は700kgほど。

津軽ボンマルシェすべては手作業で。伝統の“寒仕込み”の現場は、驚きの連続。

蔵を訪れたのは1月下旬、仕込みの真っただ中。ここ『加藤味噌醤油醸造元』の味噌造りは、前年に収穫された米や大豆を使い、真冬の間に一気に作業を行ういわゆる“寒仕込み”です。冬場は雑菌の繁殖が抑えられること、気温が低いためゆっくりと発酵が進むことなどさまざまな理由から広まった伝統的な仕込み方ですが、特に寒さの厳しい津軽の冬はこの寒仕込み向きの気候。メインとなる作業期間は約2週間という短さですが、代わりにその期間、蔵には独特の緊張感が漂います。

麹の出来上がりとともに始まるのが、洗ってから一晩寝かせた大量の大豆を大釜で煮る作業。4時間以上かけ煮続け、柔らかくなった大豆を広げて冷ましてから、麹と塩を合わせた“塩切り麹”を混ぜていきます。さらに全体をミンチにかけ、熟成蔵にある木桶に詰めて、上から“踏み込み”を行って空気を抜き、作業はようやくひと段落。朝一番に大豆を煮始め、最後の桶詰めが終わる頃には午後4時過ぎになっていました。驚いたのが、とにかくほとんどの作業が蔵人の手で行われていること。たとえば大豆を運ぶのはバケツリレーで。塩切り麹と大豆を混ぜる作業も、スコップを使ってよいしょ、よいしょと行います。「この時期は雪かきとこの作業が被るから、腰が大変で。コルセットを着けて耐えています(笑)」と裕人氏。

しかし味噌はこれで完成ではありません。商品として出荷するまでに、木桶の中で自然熟成させること足掛け3年。四季がはっきりした津軽の気候の中、周囲の環境の変化が桶を通してゆっくり作用することで、味噌に複雑な風味が生まれるのです。そしてその際、裕人氏が頼りにしていると話すのが、桶や道具、建物の天井や柱など、蔵の至る所に住み着いた菌たち。「自分は味噌造りに携わってまだ数年。見よう見まねでやってきて、『なんとなくこんな感じ』と感覚に任せているところもあるんです。それでも毎回ちゃんと“加藤の味”になるのは、菌が活躍してくれるおかげ。多くの蔵の味噌が集まる鑑評会で商品名を隠して食べても、うちの味噌はすぐ分かる。個性の強さは良さだと思っています」と裕人氏。現在、仕込みは6人の小人数で行っていますが、菌は7人目のスタッフのような存在。津軽味噌のユニークな味わいは、津軽の気候と人の手、そして菌の力、そのどれが欠けても生まれないのです。

表面がふんわりと菌糸に覆われた完成形の麹。米は、なんと全量自家精米の「つがるロマン」。仕込み期間以外は、田んぼでの米栽培も蔵人の仕事となる。

大豆は津軽北部の五所川原市で生産される「おおすず」という品種を使用。親指と薬指で潰せるくらいの柔らかさが、煮上がりの目安。

煮終わった大豆は一度広げて粗熱を取り、バケツリレーで運ぶ。もうもうと湯気が立ち込め、煮豆のいい香りが一面に立ち込める。

坂の途中にある立地を生かし、高低差による重力を利用した構造。塩切り麹を混ぜた大豆はこの後下に落とされ、ミンチにかけられる。

津軽ボンマルシェ津軽の味噌蔵で育った妻と、群馬出身の夫。若夫婦の挑戦は二人三脚。

現在、製造工程の指揮を執る裕人氏ですが、諭絵さんと結婚し加藤家の一員となるまでは、まったく違う世界で活躍していたといいます。大学時代に東京で出会ったふたり。群馬県出身の裕人氏は、大学卒業後に建設系の企業に就職、諭絵さんと交際を続けながら、長野県松本市で営業職をしていたそうです。一方の諭絵さんは、家業のこともあり東京農業大学へ進学したものの、卒業後はアパレル会社に入社、東京で働いていました。転機が訪れたのは2009年のこと。父・元昭氏が体調を崩したことから諭絵さんは弘前へ帰郷します。「いつかは実家を手伝うことになると思っていました」という諭絵さんに対し、「自分は単純に彼女と一緒に暮らしたくて(笑)。元々環境が変わっても、全然気にしないタイプなんです」という裕人氏。ふたりは結婚し、裕人氏が加藤家に入るとともに、家業を継ぐことを決心します。

持ち前のポジティブさで「行ってみたら何とかなる」と弘前へやってきた裕人氏でしたが、当然ながら多くの困難に直面したそう。まずは家業ならではの悩み。「家庭も仕事場も一緒だから、いつ何時も諭絵さんが横にいる。結婚前はほとんど喧嘩をしませんでしたが、今は引きずるといいことがないから、逆にどんどん言い合うようになりました」と笑います。そしてこの地域特有の人々の気質にも、もどかしさを感じることが多かったとか。「外からは分からなかったしがらみや意地みたいなものが、思ったより強くて。それなのに、みんなはっきり本音を言わないんです!」。そう、その正体が、これまでも「津軽ボンマルシェ」で何度となく登場してきた津軽人の“じょっぱり”=頑固者気質です。

話が遡ること2年前。最初に取材を打診したとき、ふたりの返答はNGでした。「蔵の中をお見せできなくて」というのがその理由。それから1年半後、諦めきれず再度連絡すると、今度の返答は「お受けしたいのですが、NGかもしれない。父の了承を得られるかどうか、まだ分からなくて」というものでした。代表を務める父・元昭氏こそ、ふたりの身近にいるじょっぱり津軽人代表。「父は、家の仕事は人様に見せるようなものじゃないという考え方。これまで詳しい取材を受けたことはほとんどありませんでした」と諭絵さんが言えば、「でもうちの味噌は独特。きちんと説明しないと、食べ方が分からない人も多くて。僕らは今の時代、もっと発信力を付けるべきだと思っています。父を説得するので、もう少し時間をください」と裕人氏が続けました。

ミンチにかけた原料を、木桶が並ぶ敷地内の熟成蔵まで運ぶのも人力。今年の冬は雪が少なかったが、例年はなかなかハードな作業だ。

100年以上使い続けている木桶。大釜やミンチの機械なども年代物ばかり。大量生産の味噌とは違う個性的な味わいは、こうした設備で造られる。

“踏み込み”作業を終え、熟成を待つ味噌。6月から7月には桶を移し替え、熟成を均一にするための “天地返し”を行う。

売店から蔵へ続く廊下の入口には、屋号が染め抜かれたのれんが。弘前界隈では、屋号の「ヤマトウ」より「加藤の味噌」として親しまれている。

現在は4種のしょうゆを製造。「しょうゆはまだまだ勉強中。今は脱脂加工大豆が原料ですが、丸大豆しょうゆを造ってみたい」と裕人氏。

津軽ボンマルシェ変えないこと、変えるべきことを模索しながら、津軽の食文化を未来へ繋ぐ。

無事取材を受けてもらえることになった今回、ぜひ知りたかったのが元昭氏の話でした。伝統を守り、製法を変えないこと。そうした『加藤味噌醤油醸造元』のやり方は、元昭氏が長年目指してきたことだったそうです。どんな思いで味噌造りに取り組んできたのか。幸運なことに、元昭氏自身に聞くことができました。

明治期に雑穀卸業としてスタートした後、扱っていた豆や米から味噌やしょうゆの製造を始めた『加藤味噌醤油醸造元』。しかし元昭氏が生後9カ月のときに3代目の父を戦争で亡くし、当時の民法により、元昭氏が全遺産を相続、かつ家族を扶養する義務を負うことになったそうです。その際必死で家を守ったのは、元昭氏の母。戦後の原料不足のとき、「加藤の味噌は自家製でないと」と早くから自家精米を復活させ、昔の製法にこだわったのも母でした。「津軽味噌の看板を守るという気概でしょう。自分は中学から地域の試験場に出入りして農大へ進み、そんな母を助けようと一生懸命でした。冬は仕込み、夏になれば田んぼで米作り。ずっとやることがありました。でも“寒仕込み”も、かっこよく言えば雑菌の繁殖がどうのとこうのとなるけど、本当は冬になれば農作業が減って、やることがなくなるというのが理由でね。そもそもは生活の流れの中に、味噌やしょうゆ造りがあったんですよ」と元昭氏。

味噌造りは、暮らしの仕事が四季の移ろいの中にあった時代から続く、大切な食文化。元昭氏はこう続けました。「ただ、日本の食生活は大きく変わりました。蔵で大切に使い続けてきた道具も、限界が来ているものが多い。メーカーも時代に合わせ、変化すべきところもあるはずです。まあでも、津軽人は“じょっぱり”ですからね。自分もそう(笑)。なかなか意見を曲げない分、息子が県外から来てくれたことがありがたい。味噌造りはまだまだだけど、経験が浅いからこそ出てくる的確な意見もあって、期待しているんです。本人に直接は言ったことはありませんが(笑)」。

にこやかに取材に応じてくれた元昭氏の言葉から見えてきたのは、苦労して続けてきた家業への覚悟と未来への想い。一方、元昭氏への取材前、裕人氏と諭絵さんはこう話していました。「自分たちの代は過渡期。設備、働き方、発信の仕方……次の代、その次の代のことまで考え、改革するときだと思います。でも、造り方は変えません。これからも全部人の手で、うちならではの味噌を造りたい。こだわりというより、これしか出来なくて。普通のことをやっているだけなんです」。普段は意見が食い違うこともあるという元昭氏と若夫婦ですが、結局、向いている方向は同じ。津軽味噌の唯一無二の美味しさが、これからも受け継がれ、食べ続けられる。そんな津軽の将来が見えたようでした。

普段あまり話さないという生い立ちや味噌造りのこだわり、娘夫婦への想いについて、丁寧に答えてくれた元昭氏。これまでの取材の中でも、特に印象深いひとときとなった。

取材中にいただいた、津軽の郷土料理「けの汁」と和菓子のおもてなし。にぼし出汁を津軽味噌と合わせ、細かく刻んだ野菜を入れた「けの汁」は、冷えた身体に染みわたるとびきりの美味しさ。

仲が良く、雰囲気も似ているふたり。現在は2人の子どもの子育て中。老舗の伝統を受け継ぐという大役に、協力し合いながら取り組んでいるのが印象的だった。

住所:青森県弘前市新寺町153 MAP
電話:0172-32-0532
https://www.tsugaru-yamatou.com/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

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素材

  • 綿:100%

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素材

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冴え冴えとした寒晴に深化する感覚。胎動する冬にTOKYOの本質を知る。[SIX SENSES TOKYO/東京都八王子市高尾]

シックスセンス東京OVERVIEW

冬はつとめて。
清少納言は『枕草子』で早朝に見る霜の白さに深い感銘を受けていますが、今年の高尾も冬は白く、美しい。都心とは全く異なる清冽な空気で満ちています。
頬を撫でる風は冷たく、身も引き締まるように感じられて、とても心地が良い。
ここが『京王線』で新宿からわずか1時間足らずとはにわかに信じられないほど、静かな朝を迎えています。

高尾山の頂に足を運べば、雪化粧した富士山が偉容を誇り、『髙尾山薬王院』では、「六根清浄」の精神に、「SIX SENCES」との驚くべき符合を感じます。

一方の『うかい鳥山』でも、冴え冴えとした空気の中、そびえる合掌造りに改めて日本人が大切に育んできた美意識の高さを感じ、文化まで移築せんと奔走した創業者の志に感銘を受けます。
共鳴した魂は連綿と受け継がれ、今の『うかい鳥山』にもしっかりと息づいている。
冬にしか出合えない鍋に舌鼓を打てば、身も心もほっこりと和みます。

冬の高尾も素晴らしい。
四季を通じて、TOKYOの四季を見つめてきたONESTORYの取材班は、新しい年を迎えた晩冬の高尾を目指しました。

【関連記事】SIX SENSES TOKYO/五感に響くことで研ぎ澄まされる第六感。都心から60分のTOKYOに顕在する本物の四季

(supported by うかい京王電鉄)

雛めぐり

 

 

皆さんこんにちは晴れ

 

気温もだんだん高くなってきましたが日々の

ニュースを見ていると各地でイベントが中止に

なったりと影響力に痛感しますねあせる

 

 

そんな中美観地区では2月22~3月8日まで

雛めぐりと言うイベントを開催してまして、

美観地区にある一定のお店はこの期間中

雛人形を飾ったりひな祭りに関する商品を

販売したりしているのです雛人形桜

 

きゃら工房がある場所は別名石畳通り

と言われていて、この通りでは短冊に願い事

を書いて飾っていてとても華やかです七夕

 

 

皆さんの素敵な願い事ばかりでした付けまつげキラキラ

 

 

早く今の状況が落ち着きますようにと

キャラ工房からも願いを込めて、、、

以上キャラ工房からでしたルンルン

 

 

「日本最初期のリゾート地」に敬意をはらった建築界の巨匠によって、文人たちが通い、思索した天空のリゾートが再生![六甲山サイレンスリゾート/兵庫県神戸市]

阪神間モダニズム(明治~昭和初期にかけて六甲山麓を舞台に花開いた芸術文化)を代表する歴史的建築物・旧「六甲山ホテル」が、イタリアを代表する建築家ミケーレ・デ・ルッキ氏の手によってリニューアル。2025年までに宿泊棟、オードトリウム、チャーチなどを含めた複合施設として完成する予定。

六甲山サイレンスリゾート「昭和のモダニズム」を体感できる、現代に蘇った神戸の新名所。

六甲山。神戸市を見守るかのようにそびえるこの風光明媚な山は、明治時代より、神戸に居留する外国人たちによってリクリエーションの場として開発されてきました。
瀟洒な山荘が建ち並び、日本で最初のゴルフクラブ「神戸ゴルフ倶楽部」が拓かれるなど、リゾート地の先駆けとして発展。そして昭和に入った1934年には、九州の雲仙・霧島と共に日本初の国立公園「瀬戸内海国立公園」に指定されました。

そんな由緒正しいリゾート地に、1929年、名門「宝塚ホテル」の分館として創られたのが旧「六甲山ホテル」。2007年に国の“近代化産業遺産”に認定されたその貴重な建築は、令和の現代になって、イタリア建築界の巨匠ミケーレ・デ・ルッキ氏の手によって『六甲山サイレンスリゾート』として蘇りました。

約2年間に及ぶ修復工事の末に、開館当時の美しさのままに再生!(旧館2階のレセプションエリア)

四季折々の樹々や花々、鳥や動物たちが息づく表情豊かな六甲山の自然に溶け込む。

六甲山サイレンスリゾート緑の中に佇む、歴史ある文化遺産。

六甲山のリゾート地としての歴史を汲んで、「昭和のモダニズム」を現代に蘇らせた『六甲山サイレンスリゾート』。しかし、その実現は簡単なものではありませんでした。

この素体となった旧「六甲山ホテル」の近くにヴィラを所有していた八光カーグループの代表取締役・池田淳八氏夫妻は、閉ざされて久しい建物の前を通る度に、朽ちていく歴史的な建築を目にして日々悲しい思いを抱いていました。

1959年に創業し、アルファ ロメオ、フィアット、アバルト、マセラティ(イタリア車)とジャガー、ランドローバー、アストンマーティン、マクラーレン(イギリス車)といったそうそうたる高級欧州車の正規ディーラーとして知られる八光カーグループの代表として、神戸のシンボルとも言える六甲山と、そこを舞台に花開いた“阪神間モダニズム”の文化や歴史が失われつつある光景は、実に耐えがたいものだったといいます。

そこで、この類まれなる文化遺産を開業当時の姿に蘇らせて、次の時代に継承していくことを決意。そのため旧「六甲山ホテル」をかつての所有者より譲り受けました。こうして歴史への敬意でもあり、公共の福祉でもある壮大なプロジェクトが動き始めたのです。

そして旧「六甲山ホテル」の建築を往時のままに再生すべく、様々な有名建築家に相談したものの、「解体して新設する方が経済的です」という意見が大半。しかし、そんな中でミケーレ・デ・ルッキ氏が、唯一「素晴らしい文化遺産なのでぜひ修復して次の世代に遺しましょう」との回答を寄せてくれました。こうしてデ・ルッキ氏に設計と監修を依頼することとなり、旧「六甲山ホテル」の再生が始まったのです。

ミケーレ・デ・ルッキ氏の近影。1980年代に世界中にムーブメントを巻き起こしたデザイン集団「メンフィス」の主要メンバーで、新たなデザインの潮流を生み出した。

六甲山サイレンスリゾート化学素材から自然素材に回帰した世界的建築家が、日本の木造建築を見事に再生。

デ・ルッキ氏は、デザイン界に登場した当初はカラフルなプラスティック材のプロダクトを中心としたコレクションを発表し、ポストモダンの代表的な作家として一世を風靡していました。
しかし時代が彼らに追いつく前に、将来の社会情勢や環境保護を鑑みて、プラスティックを破棄することを明言。現在は「木を使わせたら世界一」との呼び声も高い、「環境を保護して共存する建築家」として、世界中から高い評価を受けています。

そんなデ・ルッキ氏の作風と見事に合致した『六甲山サイレンスリゾート』 は、「六甲山の自然との共存」をテーマにしています。そして、その中心となる旧「六甲山ホテル」の建築は、“近代化産業遺産”に認定された風格のままに、美しいステンドグラスや重厚な梁、格調高いメイン階段などを修復・保存し、開業当時の姿を蘇らせました。

「阪神間モダニズム」の空気を肌で感じられる、往時のままの空間。エントランスには旧「六甲山ホテル」の歴史を紹介するヒストリー・ギャラリーを備えている。

“近代建築の三大巨匠”の1人として知られるフランク・ロイド・ライト氏や、阪神に多くの近代商業建築を遺した渡辺節氏が大正後期~昭和初期にかけて設計した。

修復作業の様子。伝統建材と新建材を知り尽くしたデ・ルッキ氏によって、見事に再生した。

六甲山サイレンスリゾート六甲山の自然と共存する、魅惑的な建築。

こうして誕生した『六甲山サイレンスリゾート』で愉しめるのは、「文化遺産の中で遊ぶ」という贅沢この上ない体験です。
旧「六甲山ホテル」の2階には、開業当時のステンドグラスを天井に仰ぎ見られるカフェテリアがあり、パティシエが毎日焼き上げるスイーツやフレッシュ・パスタなどの小洒落た軽食、そしてイギリスと縁が深い神戸ならではのティーセレクションや、本格的なアフタヌーン・ティーなどが楽しめます。

さらに旧館と通りを挟んだ向かい側、神戸港を見おろしながら大阪湾や淡路島までも一望できる絶景スポットには、ゴージャスなグリルレストランを創設。神戸港に水揚げされた新鮮な瀬戸内海の幸や、但馬牛、淡路鶏などのご当地グルメをふんだんに味わえます。

カフェテリアの内観。ステンドグラス越しに降りそそぐ自然光に癒される。

本場・英国式のアフターヌーン・ティーは神戸ならではのお愉しみ。

グリルレストランの鉄板焼きコーナーでは、選び抜かれた食材と調理方法に合わせたワイン、シャンパンなどのドリンクリストを用意。

3段式の広大なテラス席からの眺望。阪神の街並みと歴史を俯瞰するひととき。

六甲山サイレンスリゾート六甲山の歴史を繋ぎながら、新時代のリゾートを目指す。

旧「六甲山ホテル」を基軸として蘇り、六甲山の自然に溶け込むラグジュアリー・リゾートとして再生した『六甲山サイレンスリゾート』。しかし、その歩みはまだ始まったばかりです。今後も雄大な円環を紡ぐように、様々な施設が続々とオープンする予定です。

まずは2020年中に、より六甲山の自然に親しめる森に佇むカフェテリアを新設。そして2021年には、輪のように連なる宿泊棟「サイレンス・リング」を築いて、その中心に周囲の森さながらの樹々を内包する予定です。

さらにオードトリウム(コンサートや劇を鑑賞できる観覧席)や、結婚式を行なえるチャーチなど、文化と芸術を育む複合施設を展開。2025年にすべての完成を目指して、鋭意建築を進めています。

豊かな六甲山の自然を舞台に、それらと調和しながら広がっていく新時代のリゾート。
神戸市内から車で約30分の地に、自然に溶け込む文化遺産と、真のイタリア建築デザイン、そして最上の眺望と美食を堪能できる至福のひとときが待っています。

森の中のカフェテリア。環境に配慮された、持続可能な歴史遺産を目指す。

「サイレンス・リング」の完成イメージ。客室は神戸港を望むオーシャンビューと、六甲山の自然に癒されるマウントビューから選べる。

六甲山の景色や音を体感できるプレイルーム。ファミリーで訪れるゲストにも安心。

夜は“1000万ドルの夜景”が広がるパノラマビューと、ダイナミックな六甲山の自然との共演は、訪れる人々を非日常のひとときにいざなってくれる。

住所: 兵庫県神戸市灘区六甲山町南六甲1034 MAP
電話: 078-891-0650
https://rokkosansilence-resort.com/
(写真提供:八光自動車工業株式会社)

6.5ozループウィールロングTシャツ

着心地抜群の吊り編みTに長袖が登場!

  • 吊り編み機(LOOPWHEEL)で時間をかけて編み上げたロングTシャツ
  • 左胸にはIRON HEARTとPRIDE OF JAPANのプリント入り
  • プリントTシャツ(14番単糸)より一格薄い生地(16番単糸)を採用
  • ボディ:16番単糸吊り編み天竺/ネック:20番双糸フライス
  • XS〜Lサイズは脇はぎなしの丸胴、XL , XXLは脇はぎ仕様
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際はサイズスペックをご確認ください
  • 専用衿ネームと裾ネームが付きます。

IHTL-2001 : サイズスペック

着丈 肩幅 身幅 裾幅 袖丈 袖口幅
XS 63 40 87 90 62 8.0
S 64.0 42.0 93.0 96.0 62.0 8.0
M 65.0 44.0 99.0 102.0 63.0 8.5
L 66.0 46.0 105.0 108.0 64.0 8.5
XL 67.5 48.0 113.0 116.0 65.0 8.5
XXL 69.0 50.0 119.0 122.0 66.0 9.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • ワンウォッシュ済み

素材

  • 綿:100%

求めるのは心の“スパーク”?津軽のヴィンテージファンから愛される、家具屋の名物店主に会いに行く。[TSUGARU Le Bon Marché・RandBEAN/青森県弘前市]

取材中、自らの性格やプライベートについて驚くほどオープンに話してくれた『RandBEAN』代表・佐藤孝充氏。多くの人に慕われる誠実な人柄が伝わってきた。

津軽ボンマルシェ岩木山を眺める高台に佇む、りんご畑に囲まれた家具店。

弘前の街を歩くと、こじゃれたヴィンテージショップをよく見かけます。以前ご紹介した『green』の姉妹店『green furniture』はじめ、古道具や古着を扱うさまざまなテイストの店が揃い、各店に馴染み客が付いている模様。古道具店が多いのは弘前市が戦争時に空襲をまぬがれ、古い蔵や建造物が多く残っているのも理由だそうですが、そこに藩政時代から培われた高い文化レベルと、元々おしゃれなものに敏感な津軽人の“えふりこき”=見栄っ張り気質が相まって、古いものに価値を見出し素敵に活用する土壌が育ったとも言われているそうです。そして数あるヴィンテージショップの中でも人気のひとつが、今回ご紹介する『RandBEAN』(ランドビーン)。弘前市郊外、津軽のシンボル・岩木山を真正面に眺める気持ちのいい高台に位置するショップと工房では、国内外から買い付けたヴィンテージや新品の家具を販売するほか、手頃な価格のオリジナルの家具も製造、古家具のリペアやリメークも受注しています。

『RandBEAN』の代表を務めるのが、地元出身の佐藤孝充氏。実は佐藤氏の話は津軽の色々な所で耳にしていました。例えば弘前市代官町のセレクトショップ『bambooforest』。パッと目を引くウッディなファサードや内装を手掛けたのは佐藤氏で、店主の竹森幹氏とは、互いの店舗がまだ小さかった頃からの旧知の仲だとか。また、『パン屋 といとい』の店主・成田志乃さんと佐藤氏は高校時代の同級生。卒業後、お互い独立を果たしてから偶然再会したことがきっかけで、今では佐藤氏自身が『といとい』の馴染み客になっているそう。そして何より印象的だったのが、佐藤氏のことを話すとき、誰もが表情を崩すこと。竹森曰く「豆さん(佐藤氏の愛称)はね、ほんとおもしろい人なんですよ(笑)」。そんなこともあり、高まる期待と共に訪れた工房。現れたのは穏やかな口調で話す、物腰柔らかな青年でした。

2012年に『RandBEAN』を立ち上げ、多い時には4店舗を展開していた佐藤氏。取材時にはここ弘前ショップ兼工房のほか、青森市内にもショップを運営していました。その躍進の原動力を探ろうと、まずは独立の経緯を聞けば「元々音楽をやっていて。最初はギター作りを勉強していたんです」との答えが。ちょっと意外な話題から、取材のスタートとなりました。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

元々りんごの加工場だった場所に造られた木工所跡地を居抜きで購入、改修し、2019年にオープンさせた現弘前店。全体の敷地面積は600坪もある。

ヴィンテージ家具やセレクト雑貨、「カリモク60」「IDEE」などの人気ブランドの新品家具を扱うほか、オリジナルの家具のショールームも兼ねている。

ショップ部分の小窓からは、併設する工房の様子が伺える。「現場を見てもらうことで、自分の家具に愛着を持ってもらいたい」と佐藤氏。

津軽ボンマルシェひとりの音楽青年が、自分の家具店を立ち上げるまで。    

音楽少年だった佐藤氏は高校卒業後、「楽器が作りたい」と東京の音楽・芸能系の専門学校へ。そこで2年間、ギター制作を学んだそう。「木に触れながらものづくりをするのはいいなと思っていました。でも卒業したものの、職人になる気が起きなくて。東京にいる理由もないから、弘前に帰ったんです」と佐藤氏。帰郷後は、当時弘前にあった伝説的なライブハウス『萬燈籠』を拠点にアーティスト活動を行うかたわら、観光施設『津軽ねぷた村』で働き出します。ねぷた祭や津軽の伝統芸能、伝統工芸を紹介するこの施設で担当していたのは、木工芸品の制作や販売。曰く「やっぱり木に触れる仕事に惹かれたんでしょうね」。

昔から中古品好きで、東京在住時は高円寺で古着屋巡りをしていたという佐藤氏はその後、アンティーク家具の輸入販売業者へ就職。約9年間、家具の修理や制作、買い付けを手掛けていました。しかしその間に一度退職、さらに同じ会社への再就職を経験したという佐藤氏。退職の理由は、一社員の立場では、やりたいことがなかなかできないというフラストレーションだったといいます。「大鰐町にある木工房に入り、3カ月勉強させていただきました。でも、何か違うんですよ。そこでは県産の無垢材の家具を受注生産していて、技術も作品もすばらしいけれど、ひとつの家具が何十万円もする。僕は自分と近い年齢の人たちが、もっとリアルに生活に使えるもの、10万円あれば買えるようなものがやりたいんだと気付いたんです。それで工房を辞め、元いた会社に戻りました」と佐藤氏。

もうひとつ、10年ほど続けていた音楽活動にも転機が訪れます。自分がいいと思ったパフォーマンスとそれを観た周囲の反応の落差に、音楽は結局聴く人の好みがすべてなのだと感じたこと、そしてとあるアーティストとの対バンで、輝くばかりの才能を目の当たりにしたことがきっかけでした。そのアーティストとは、今や超が付く人気者となった竹原ピストル氏。「こりゃ敵わないと思ったし、自分はもうやりきったかなって。ザ・挫折ですよ」と佐藤氏は笑います。それまで自己実現の手段だった音楽をあきらめることで、次に踏み出した佐藤氏。自分が理想とする家具を、自分が思い描く方法で販売したい。そんな想いを胸に、リペアやリメイクの頭文字「R」に自身の愛称「豆」=BEANをくっつけた屋号『RandBEAN』を掲げ、ヴィンテージ家具の専門店としてスタートを切ったのでした。

座面の生地を張り替えたヴィンテージの椅子は、創業当初からの人気アイテム。生地の張替えのオーダーも多く受注する。

テーブルや椅子、シェルフなどのオリジナル家具の受注生産を始めたのは、独立から数年後。店舗やギャラリーの内装を丸ごと請け負うこともある。

扱う商品の中には、「津軽ボンマルシェ」で紹介してきた作家のものも。こちらは『YOAKE no AKARI』が手掛けたキャンドル。

津軽ボンマルシェ常に子どものような心で、物事と向かい合っていたい。

それは独立時の心境を聞いたときのこと。「今もそうだけど、僕はいつも“スパーク”していたんです」。佐藤氏はふと呟いてから、こう続けました。「誰かの言葉に『気付いたら夕日を背負っていた』みたいな表現が出てきて、すごくいいなって。子どもの頃って、夢中になって遊んでいたらあっという間に夕方だった。いつもそんな気持ちでいたいんですよ」。やってみたいという直感が弾ける瞬間が“スパーク”。そしてこれこそが『RandBEAN』の躍進の原動力です。

独立当初、親戚のりんご倉庫を借りて始めた店は、ほどなくして弘前市中心部にある商業施設に移転。3年目には市内のデパート『中三 弘前店』内に移転したほか、青森市内の『中三 青森店』に支店を出します。その後も弘前駅前の商業施設『ヒロロ』や五所川原市の『エルム』内に短期出店。拠点となる弘前の店ではヴィンテージやオリジナルの家具に力を入れ、青森店では新品の家具、ほかではリーズナブルなユーズド家具をメインに、エリアに合わせた商品展開を続けてきました。「創業してからの7年はずっと『やりたいことはやる、やってみないと分からない』という精神でした。思うように行かず泣いてばかりでしたが(笑)、自分のスパークに正直に、ブレずにやってきたと思います。でも最近会社が大きくなり過ぎて、スパークできているのか分からないときが続いて。拡大するより、10年、20年続けられる店にしたいという気持ちが出てきたんです」と佐藤氏。

昨年、長く営業していた『中三 弘前店』の店を閉め、次なる拠点を探して見つけたのが今の場所。岩木山の雄大な眺めに一目ぼれだったといいます。そして着手したのが、お客さんと作り手の距離が近い、工房併設のショップ作り。7年の経験を経てたどり着いた、佐藤氏の理想の店舗の形でした。資金調達にはクラウドファンディングも利用。店舗面積120坪の新たな『弘前店』が誕生します。「この物件の話が来たとき、この場所で経営者として、地に足をつけてやっていきたいと感じて。これも自分なりのスパークだと思っています」と佐藤氏。

現在、家具の制作やリペアを担当するスタッフは2人。どちらも佐藤氏がスカウトした、キャリアの長い腕利きの職人だ。

同世代でも手が届くアイテムを。佐藤氏のそんな想いが込められたさまざまなオリジナル家具を制作。定番は、古材を再利用したシリーズ。

セレクトショップ『bambooforest』のファサードは、店主の竹森幹氏のアイデアを佐藤氏が具現化したもの。木目のリズミカルな配色がユニーク。

津軽ボンマルシェ気付けば、最高のチームに囲まれて。“スパーク”探しの旅は続く。

かつて「やりたいことがやれない」と不満を抱えていた会社員時代のことを「結局、失敗の責任を負うのは自分自身。一社員の僕には、そんな覚悟もなかったんだと思います」と振り返る佐藤氏。『RandBEAN』を立ち上げてからは、「ひとりでできると意気込んだのに、デザインひとつ決めるのも不安で。何度も壁にぶつかりました」と話します。そんなとき救いとなったのが、周囲のスタッフの存在。「今いるスタッフは最高なんです。彼らにきちんと休みを取ってもらい、家族を養える給料を渡すのが、今の僕のモチベーションといってもいいくらい。地に足をつけるとか、安定を求めて守りに入るって、マイナスに捉えられがちだけどそうじゃない。大事なものが壊れないよう大切に扱いながら自分の人生を生きる“タフさ”、そこに夢があるなと思うんですよ」。佐藤氏は笑顔で付け加えました。「今は、次の“スパーク”待ちの期間かも。ていうかこの取材、こんなとりとめのない話ばかりで大丈夫ですか?(笑)」。

事実、佐藤氏と話した2時間のうち、家具や木工の話題はそれほど多くありませんでした。それより盛り上がったのは、影響を受けた本のことや、自身の家族のこと。ときには佐藤氏の悩み相談のような展開になった場面もありました。まだ会って間もない相手に対し、オープンに本音だけを話してくれた佐藤氏。取材中、『RandBEAN』を売り込むお決まりの宣伝文句のような発言は、ただのひとつも出なかったことが記憶に残っています。「木の質感や素材としての魅力は好きだけれど、それで自分の作品を作りたいわけではなくて。家具そのものより、それを使う人の暮らしがいいものになることが理想です」と佐藤氏。

個人ごとですが、担当ライターの住まいは東京郊外。「RandBEAN」のようにヴィンテージやオリジナルの家具を手掛ける店は、近所にも多数存在します。それでも話を聞くうち、いつか弘前のこの店で家具を誂えたいと思うようになったのは、佐藤氏の人柄に惚れ込んでしまったからにほかなりません。多くの人が顔をほころばせながら佐藤氏の話をする訳は、飾ることも強がることもなく、手探りで挑戦を続けるその生き方が魅力的だからでしょう。取材後しばらくして、佐藤氏からメールが届きました。
“青森店を閉め、弘前店の売り場を倍にすることにしました。今、弘前店の二階を改装中で、外には飲食スペースも作る予定です”。
どうやら新たな“スパーク”を見つけたらしい佐藤氏。きっと今頃は日が暮れるのも忘れ、夢中で改修作業に取り組んでいるはずです。今年4月に予定されているリニューアルオープンが、弘前の春に楽しい話題を運んでくれることは間違いないでしょう。

2018年青森市の中心街にオープンしたカフェレストラン『UGUISU』には、テーブルや椅子、スツールを納品。直線と曲線のコントラストが美しい。

「昔は中古品の安さやかっこよさに惹かれていたけれど、この仕事を始めてからは、物が持つストーリーに魅力を感じるようになりました」と佐藤氏。

古い窓枠を配したファサードが印象的な『RandBEAN』弘前店。スタッフの労働条件を考慮し、現在ショップの営業は週4日のみ。今後スタッフを増員し、この4月からは水曜定休のみに変更となる。

「若い頃から地元・青森が大好き。東京に比べたら田舎だけど、そんなところもいいんです」と佐藤氏。取材時の本音トークの端々に、愛されキャラの片鱗が見えた気がした。

住所:青森県弘前市小沢山崎83-4 MAP
電話:0172-55-9564
https://randbean.com/

(supported by 東日本旅客鉄道株式会社

和牛の原型と言われる、幻の純血種から生まれた奇跡のハンバーグ。[やまぐち三ツ星セレクション・ハンバーグ/山口県]

幻の純血種“見島牛”の血を受け継ぐ“見蘭牛”を100%使用した粗挽きハンバーグ。あふれ出る肉汁と肉本来の旨味を堪能できる。

やまぐち三ツ星セレクション希少な純血和牛「見島牛」を未来へ守る。

「見島牛(みしまうし)」という名を聞いたことはあるでしょうか。それは、山口県萩市の沖約44kmに浮かぶ離島、見島で飼育されている牛のこと。室町時代に朝鮮半島から渡来し、農耕用の役牛として飼育され、現代に至るまでその命が脈々と受け継がれてきました。西洋種の影響を受けていない、日本に残る純血和牛2種類のうちのひとつが見島牛。和牛の原型と言われる見島牛は、その文化遺産としての価値も高く評価されており、見島全域とともに「見島ウシ産地」として国の天然記念物に指定されています。

島人が育てる見島牛は、その数わずか約80頭。島内で見島牛を飼育する6戸のうちの一つであり、見島牛保存会会長を務める多田一馬氏を訪ねました。
「牛は家族の一員。物心ついた時から家に牛がおるのは当たり前で、子どもの頃には親父や爺さんが田んぼや畑で牛を使っていたのを覚えていますよ。専用の農耕具を引かせて土を起こしたり、整地したり。親父や爺さんは手綱1本で指示を出すとなんでも言うことを聞くんやけど、子どもの私やと全然だめでね。とても賢いんですよ、牛は」と笑います。

【関連記事】やまぐち三ツ星セレクション/山口県を身近に感じる逸品たち。そのふるさとを訪ねて。

▽見蘭牛 男の粗挽きハンバーグ
価格:1.620円

見島は人口約740人の小さな島。萩港から定期船で約70分。冬場は船が揺れることが多く、欠航率も高い。

成熟した見島牛。一般的な和牛に比べて体高は低く細身。しかしながら力は強く、ジャンプ力もある。

見島牛共同飼育場を多田氏に案内してもらう。見知らぬ取材班が訪れても、従順で性格が穏やかな見島牛はいたって静か。

見島牛共同飼育場の放牧地にて、対馬沖の漁師を辞めて地域おこし協力隊として見島牛飼育のために島に移住した花田康章氏。開放的な土地で、見島牛はストレスなく育つ。

やまぐち三ツ星セレクション働き者で、グルマンも唸らせる、見島牛こそ牛の鑑。

見島牛は一般的な黒毛和牛と比較すると体格が小さく、成熟まで5年、7〜8歳まで成長が続くように発育は遅いのが特徴です。しかし、性格は穏やかで、粗食に耐え、病気に強く、力も強いとあって、農耕の重要な担い手となってきました。「まず牛に食べさせて、残り物を人間たちが食べたものです」と多田氏が話すように、室町時代から代々、各家庭で家畜以上の存在として大切に飼われてきたのです。
昭和30年代、その伝統が大きく変わってしまいます。農機具の機械化と共に見島牛の役牛としての必要性が薄れ、働き手とならず飼育にお金と手間がかかる牛を手放す農家が続出。一時は600頭もいた見島牛は33頭にまで激減してしまいました。
天然記念物の行く末に危機感を覚えた地元青年たちが中心となり、昭和42年に見島牛保存会が設立。共用の運動場を開設し、運動や健康診断を推進するなど地道な保護増殖の努力により、現在は80頭余りまで回復してきました。

現在、見島牛は保護増殖に影響しない去勢牛や雌の廃用牛が年間数頭ほど島外に出され、食用として消費されています。気になるのはその味です。
味わった人は「いくらでも食べ続けられる美味しさ」と絶賛します。一般的な高級和牛よりも霜降り具合が落ち着いていて、肉のサクサクとした小気味よい食感と力強い赤身の旨味を楽しめるとあって、牛肉マニア垂涎のブランド牛となっています。

多田氏の牛舎で生まれたばかりの仔牛。「うちではメスばかりが産まれとる。メスは金にならんからつらい」と苦笑いするが、その目は母親候補の誕生にうれしそう。

放牧場から、宇津港を望む。豊穣な海と緑に覆われた大地が見島牛を育む。

正観音が祀られる観音崎は絶景スポットの1つ。島内には風光明媚な名所も数多く点在する。

自然環境に即した暮らしを大切にする見島。ゆったりとした“島時間”に合わせて心穏やかに過ごすことができる。

やまぐち三ツ星セレクション見島牛の肉質を受け継ぐ「見蘭牛」をハンバーグに。

絶品と称されながらも、あまりにも希少な見島牛。一人でも多くの人にその魅力を体感してもらうことが、島民の暮らしを支え、見島牛の種の保存にも繋がります。そんな中で今、脚光を浴びているのが「見蘭牛(けんらんぎゅう)」です。見島牛を父親に、オランダ原産のホルスタインを母親に持ち、24カ月をかけて育てられる、萩市が誇る銘柄牛です。

見蘭牛を飼育する『ミドリヤファーム』の代表・藤井照雄氏は見蘭牛の特徴について話します。
「ホルスタインは乳牛のイメージがあるかもしれませんが、ヨーロッパでは肉牛としても肥育されます。ホルスタインと見島牛を交配すると、見島牛ならではの濃醇な風味やすっきりとした後味といった優れた肉質が受け継がれながら、ホルスタインのように四角く大きな体に育ちます。肉質は見島牛に匹敵する美味しさ。肉そのものの圧倒的な旨味を楽しんでいただくために、ぜひ塩で味わっていただきたいです」

そんな見蘭牛の味を手軽に、そして存分に楽しめるのが「見蘭牛・男の粗挽きハンバーグ」です。つなぎを一切使用せず、見蘭牛を100%使用。ソースではなく、添付の藻塩と胡椒でいただくという、肉のポテンシャルに裏打ちされた、なんとも潔いスタイルです。
商品担当の藤井治雄氏は、開発の苦労を振り返ります。

「ソースを使わずに塩で美味しいハンバーグを、しかもレトルトで完成させるのは想像以上に難しいチャレンジでした。当初はいろいろなつなぎを試しましたが、最終的には複数の大きさに挽いた見蘭牛の粗挽き肉、脂の比率、混ぜ方の順番を突き詰めることで満足のいく仕上がりに到達することができました。口に広がる肉本来の旨味を堪能していただきたいです」
孤島で奇跡的に命が紡がれてきた純血和牛から生まれた奇跡のハンバーグ。格別な食体験となるのは、間違いありません。

萩市内の牧場で飼育されている見蘭牛。顔つきは見島牛に似ているが、体格はホルスタインのように立派だ。野生のウリボウの登場にも気にせず堂々と餌を食む。

『ミドリヤファーム』の加工施設に隣接する直営レストランと直売店。見島牛と見蘭牛を味わえるとあって、遠方から足繁く通う客も多い。

『ミドリヤファーム』の直売店『みどりや本店』では、見蘭牛の生肉のほか、ソーセージなどの加工品も販売。地元の常連客でにぎわう。

『ミドリヤファーム』の藤井照雄氏(左)、見島牛保存会会長の多田一馬氏(中)、地域おこし協力隊の花田康章氏。見島牛の保護に不可欠な3人だ。

「見蘭牛 男の粗挽きハンバーグ」¥1620。遊び心あふれるパッケージ。湯煎するだけで絶妙な焼き加減の極上ハンバーグを味わえる。

住所:〒750-0025 山口県下関市竹崎町4-2-36 MAP
電話:0120-414716
https://www.ymtc-webstore.jp

住所:〒758-0057 山口県萩市大字堀内89番地 MAP
電話:0838-25-1232
https://www.ym-tc.co.jp/list/

(supported by 地域商社やまぐち株式会社)

3人のキーマンが振り返る、世界遺産を舞台に躍動したシェフユニット「GohGan」幻の饗宴。[DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]

ダイニングアウト琉球うるま

2020年1月中旬、沖縄県うるま市を舞台に開催された『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』。
舞台となったのは県南東部のうるま市に残る世界遺産・勝連城跡。古くから海運の要衝で、15世紀には琉球王朝と拮抗(きっこう)する栄華を誇った勝連。様々な国や地域の人々を受け入れ、文化に寄り沿うことで発展してきた土地には「気高さ、心の豊かさ」を意味する「肝高(きむたか)」の精神が今も根づいているといわれています。今回の『DINING OUT』のテーマは、この「肝高」、そして交易の地に伝わる「おもてなし」。

そんな壮大な舞台で料理を担当するのは、世界的なシェフ二人で構成されるポップアップユニット「GohGan」。2010年に開いた「Gaggan」で、エグゼクティブシェフを務め、世界から注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurants」では4位を獲得したインド人シェフのガガン・アナンド氏。そして、九州で唯一「Asia's 50 Best Restaurants」にランクインした「La Maison de la Nature Goh」の福山 剛氏。

そして、2人をよく知る「The World's 50 Best Restaurants」の日本評議委員長を務める中村孝則氏がディナーホストを努めました。

沖縄とインドの融合、サプライズによる彼らなりの「おもてなし」を実現させた驚きの二晩を、3人のキーマンが振り返ります。

【関連記事】DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS

1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年、フランス料理店『イル・ド・フランス』で研鑽を重ね、その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「Asia's 50 Best Restaurants 」に選出され、2019年には24位にランクインを果たす。

インド コルカタ出身。2007年にバンコクへ移住し、その後レストランの料理長を務める一方、エルブジで研修を積む。2010年に開いたレストラン「Gaggan」では、エグゼクティブシェフを務め、Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出す。世界的注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurant」では4位を獲得。同年8月新たなチャレンジに向けてお店をクローズし11月に再始動をする。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、TVにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を授勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士の称号も授勲。(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称))2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/

一度味わうと忘れられない、甘鯛という滋味。真冬の海でその最前線を追う。[Fisherman’s Wharf Shimonoseki・甘鯛/山口県下関市]

フィッシャーマンズワーフ 下関OVERVIEW

若狭のぐじや京料理などでよくその名を目にする高級魚・甘鯛ですが、実は山口県は国内屈指の漁獲高を誇ります。というのも長年、漁獲高は山口県が全国一位を保持。足が早い魚でもあるため、都心にはなかなか出回らず、県内消費が多かったといいます。
しかし、そんな話は今や昔、冷凍保存の設備の向上や、漁師の船上での神経締めの技術の発達により、今や下関産の甘鯛も全国屈指のブランド魚の仲間入りを果たそうとしています。

淡白な味わいながら、火入れや下処理など丁寧な仕事を施せば施すほど、どんな料理にも適応するポテンシャルを持ち、滋味溢れる味わいは食通を唸らせます。なかでも脂を蓄える冬場の甘鯛は絶品と言われています。
下関沖、真冬の海での甘鯛漁から、フレンチの食材としても大活躍のレストラン、さらには高級魚・甘鯛の干物まで、一度味わうと虜になってしまう下関の甘鯛の現場を訪れました。

【関連記事】FIsherman's Wharf SHIMONOSEKI メインページ/豊かさの再発見。改めて知る海峡の街・下関へ

(supported by 下関市)

美しき藍色に染まる絶海の群島は、世界を震撼させた固有種の宝庫。[東京“真”宝島/東京都 父島]

東京"真"宝島OVERVIEW

竹芝桟橋から定期便の「おがさわら丸」に乗ること24時間。航路の途中は電波もほぼつながることがなく、旅の行きすがら、日常がいかに携帯電話に依存していたかを実感するところから小笠原諸島への旅路ははじまります。
午前11時の出港から、船内でランチを味わい、見渡す限り360度の海の青に染まる世界を貪り、さらには燃えるような夕日を眺め、それでも余りある時を過ごせる船の時間。レストランでの夕食の後、ほろ酔いで星空を観察する頃には、電波なんて気にしなくなっている自分に気がつきます。

日常とはかけ離れた時間旅行。小笠原諸島を目指す人は、そんな一瞬を求め、この島を目指すのかもしれません。

翌朝、朝日とともに身体が自然と目覚めると、島への上陸の準備は万端。小笠原の玄関口となる父島への旅が、いよいよ幕を開けるのです。

東京都に属しながらも、所在地は都心から南へ約1000kmの絶海の群島。かつて島を開拓したハワイや欧米系の人々が「無人(ぶにん)」を「ボニン」と発音したことからボニンアイランドの愛称で親しまれ、小笠原の象徴である息を呑むほどの美しい海の藍色は「ボニンブルー」と呼ばれてきました。

さらには島が歩んだ歴史も特筆。小笠原諸島は1543年にスペイン船により発見された後、日本人よりも先に欧米系やハワイ系の人々が定住していたと言われています。その後、日本では1593年(文禄2年)に、信州深志(松本)城主小笠原時長のひ孫、小笠原貞頼が発見したと伝えられています。

そして2011年には、その隔絶された環境により独自に進化を遂げた固有種の生態系が高く評価され、小笠原諸島は世界自然遺産に。生息する陸産貝類のうち約100種が固有種という驚異的な報告も世界を驚かせました。

行きづらい、だからこそ守られた自然と歴史に育まれた、固有種の宝庫。それこそが、美しい藍色に彩られたボニンブルーの島・父島なのです。

【関連記事】東京"真"宝島/見たことのない11の東京の姿。その真実に迫る、島旅の記録。

(supported by 東京宝島)

月と砂漠の先にある世界。僕は、まるで小惑星に降り立ったような錯覚を覚えた。[東京”真”宝島/東京都 大島]

高画質(4K Ultra HD)の映像は、こちらからご覧ください。
監督・撮影・編集:中野裕之
撮影:佐藤 宏 音楽:木下伸司

東京"真"宝島

日本唯一の砂漠。そこにはSF映画のような風景が広がっていた。

なぜ日本唯一なのか? そう思う人も少なくないでしょう。
その理由は地図にあります。国土地理院が発行する地図に唯一「砂漠」と記された場所が大島にあるのです。その1つである「裏砂漠」のことを、映像作家の中野裕之監督はこう言います。
「SF映画の惑星のような場所」。

初めて訪れたのは、22年前。その後、公私ともに幾度となく訪れた大島は、数々のミュージックビデオを手がける中野監督にとっては、「音」を感じる島でもあります。
「子供が小さい頃、一緒に三原山を登りました。そこに吹く風の音が何か原始的で。そんな自然音が印象的でした。仕事では、映画の撮影や日本を代表するあるアーティストのミュージックビデオの撮影で訪れたのですが、そのロケーションが裏砂漠でした。東側一帯は黒い火山岩で覆われ、歩く度に聞こえてくる“ジャッジャッ”という音がリズムを刻んで。今回も、あの岩の前であれを撮って、これを撮って……など、当時の音楽や撮影シーンが走馬灯のように思い出されました。また、(時期により)朝夕に霧が出るのですが、それが映像としてはとても幻想的。裏砂漠は低層ですが起伏の表情も豊か。SF映画の惑星のような場所でした」。

【関連記事】東京”真”宝島/映像作家・映画監督、中野裕之が撮る11島の11作品。それは未来に残したい日本の記録。

地球ではなく、まるで違う惑星の世界のような「裏砂漠」。

黒い火山で覆われた「三原山」の東側一帯に広がる「裏砂漠」。

夕刻の「三原山」もドラマティック。「ずっと眺めていると心まで浄化されるよう」。

島の面積は約91㎢。伊豆諸島北部に位置する最大の島であり、都心から最も近い島でもある。

東京"真"宝島「裏砂漠」へ向かう道。その美しい名に感じる浪漫。

「裏砂漠」へ向かう道は、大きく分けて3つ。東側の道から入って高台から向かう「月と砂漠ライン」、東側の道沿いにある入口からの道、そして北側から向かう「再生の一本道」です。
「今回、僕は『月と砂漠ライン』から裏砂漠へ向かいました。『月と砂漠ライン』は、208号線(大島一週道路)から入るのですが、看板がとにかく小さいです。そこから3kmほど山道を走り、行き止まりにある駐車場まで行き、更に徒歩で約10分かけてたどり着きます。裏砂漠自体の景色が良いのはもちろんですが、何が良いって、この道のネーミングが美しい」。
月と砂漠……。それはまるでバンド名のようでもあります。

そして、「再生の一本道」。この道は、「温泉ホテルルート」と呼ばれ、この温泉ホテルとは、「大島温泉ホテル」を指します。
「大島温泉ホテルは、何度も宿泊しました。ここの露天風呂は、目の前に原生林が広がり、その奥には三原山が望めるのですが、それが本当に絶景!遮るものが何もなく、温泉の癒しを感じながら大島を体中で体験できます!」。
その「温泉ホテルルート」は、約3km歩いて向かうハイキングコース。この道中では、この場所の過酷な自然環境を目にすることができるでしょう。溶岩の上から出す芽が、徐々に草原になる。その後、樹木が育ち、森を作る。裏砂漠への道は、風景ができるまでのプロセスを描く道でもあり、そんな「再生」の物語がここには形成されているのです。
「大地の上にゴツゴツとした溶岩石が転がっているので、植物が根を張るのはきっと困難な場所だと思います。しかし、そんな環境でも力強く、たくましく、何とか生きようとしている姿に心が打たれます。生命力のエネルギーがすごい。植物は偉大ですね」。

「裏砂漠」は、三原山のマグマのしぶきが大地を焼き、植物を燃やし、漆黒の世界を創造しています。強く吹く風も手伝い、植物が定着しにくい場所でもあるのです。「それでも所々、綺麗な緑がちゃんとあって。昔はもっと黒かったと思うのですが、ちょっとずつ、ちょっとずつ増え、きっと現在に至るのだと思います。また来た時には、もっと緑が増えているかもしれませんね」と、中野監督はしみじみ話します。
そんな希望も込めてなのか、「再生の一本道」の一部には、こんな名前も付けられています。
「いつか森になる道」。
通りの名前を見ているだけで浪漫を感じる島、それが大島なのです。

「裏砂漠」から見る「三原山」。黒く焼けた大地の中、自生する植物が少しずつその面積を広げる。

寒さの残る3月の早朝の「裏砂漠」では雪が積もり、白いベールを纏わせる。

漆黒の世界が広がる「裏砂漠」。左側にある細い道が、「月と砂漠ライン」。

長く続く一本の道は、「再生の道」。温泉ホテルルートと呼ばれるそれは、「三原山」まで約3km。

東京"真"宝島大島の神聖。耳を澄ませば聞こえてくる、自然のオーケストラ。

「大島でもうひとつ印象深かった場所、それは神社でした」と中野監督は話します。その場所は、「大宮神社」と「波知加麻(はじかま)神社」です。
「一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と、ゆっくり長い参道の階段を登り、その鳥居を潜る度に何か世界が開けた感じがしました。左右には巨木が幹を連ね、数百本はある椎の木は圧巻です。しかも、椎の木は神木でもあるので、その群生の画力たるや凄まじかったです」と、神社のことを振り返り、映像制作をする上で欠かせない音についても言葉を続けます。
「大宮神社は、まず風の流れが良かったです。風が流れれば音が生まれ、その風によって葉が擦れ、更に音が重なる。加えて、ここでは鳥もさえずり、心地良い音も奏でていました。鳥がいるということは、そこにはひとつの生態系ができている証拠だと思います。そんな環境もまた神々しい。それらが成す重層音は、まさに自然のオーケストラのようでした」。

そして、「波知加麻神社」。
「ここも印象的だったのは、参道です。大宮神社の椎の木に対して、波知加麻神社は杉。天高くそびえる杉の林立は、陽光を遮り、独特な隠の世界を作っています。その環境も手伝っているのだと思いますが、目線を下げれば生き生きと苔がむしています。それはまるで絨毯のように広がっていました」。

1939年(昭和14年)12月に東京都指定天然記念物に指定された「大宮神社」。

「大宮神社」の参道には、巨木が連なる。途中、手水舎や鎮座する狛犬もその姿を表す。

「波治加麻神社」は、三社ある大島の旧郷社の中のひとつ。残りのふたつは「大宮神社」と「波浮比咩命神社」。

波治加麻神社」の参道は、真っ直ぐに伸びる杉の古木に囲まれる。

東京"真"宝島切られた大島。1万5千年前と今をつなぐ、歴史の風景。

島の西側、208号線を元町港から波浮港へ走ると現れるのが「地層切断面」です。長さ約630m、高さ約24mのそれは、言葉を失うほど圧倒されます。
中野監督曰く、「大島最高のジオ」。

伊豆大島の火山は、世界的にも解明の進んだ火山として有名であり、噴火を表す木目のような単位層を辿ると約1万5千年前の年月を数えるものもあると言われています。
「そんな昔からこの断層はここにいたんだと思うと、今こうしてその歴史の一片を見ることができるのって奇跡ですよね」。
そして、この断面は島民からとても愛されてもいるのです。その証に最寄りのバス停には「地層切断面前」とあり、愛称はバームクーヘン!(バス停のサインもバームクーヘン型!)
もちろん、大切に保護管理もされています。

また、「切る」という意味では、「地層切断面」の真逆にある島の北側に位置する「泉津の切り通し」。まるで巨木がまっぷたつに切られたような道は、パワースポットとして知る人ぞ知る場所でもある。そして、数十万年前より太平洋の荒波に切り削られて現在のような形になったと言われる「筆島」も是非。「神の宿る岩」としても知られ、ここもまた神聖な場所として足を運ぶ人が多いと言います。

近くで見ると様々な表情を持つ地層が幾十にも重なっている。その数だけ時が経った証。

少し引いて見た「地層断面」。道路のサイズと比べれば分かるよう、巨大な地層がうねりを上げる。

「砂の浜」上空から見た「地層断面」。長い距離を保ってその断層が続いているのが分かる。

「三原山」の火口。この山の噴出物によって、「裏砂漠」の一面は黒く覆われている。

まるで異次元への誘いのような「泉津の切り通し」。両脇には根がむき出しになり、今にも動き出しそう。

手前にある突起した岩は、「筆島」。高さ30mほどのそれは、れっきとした島であり、小さな無人島。

「筆島」の裏手にある岩。一箇所だけ赤く焼け、まるでここだけ切り削られたような異彩を放つ。

東京"真"宝島都心から最も近い島へ。次の旅先の候補には是非、大島を!

高速船、フェリー、飛行機でのアクセスが可能な大島は、都心から最も近い島であり、例えば高速船であれば東京・竹芝から1時間45分で到着します。
「大島は都心から近いですし、まず島のビギナーの方にもお勧めです。是非、春には大島桜を見てもらいたいです。シーズンを迎える島内には、多くの大島桜が咲き誇ります。今回の映像や写真にも入れているのですが、大島桜はピンク寄りの色味ではなく、白に近く、それを再現するのがなかなか難しかったです。なので、是非、実際にその目で見てください!」。

島の御神火様であり、シンボルの「三原山」の登山をすれば、この島の鼓動を感じることもできます。
「標高は758mなので、登りやすい山だと思います。火口を周遊できる遊歩道も完備されていますし、散策コースとしても最適だと思います。もちろん景色も抜群!」。

また、海にも宇宙がありました。
「魚、ウミガメ、サンゴ……。どれも美しいですよね。世界に自慢できるようなサンゴに魚たち。海の中にも宇宙があるっていう感じですよね。僕は近頃はやっていないですがもう一度、本格的にダイビングを始めたくなってしまいました! 大島でダイビングにハマってしまうということをよく聞くのですが、その意味がわかりました。この水中撮影をした佐藤さんは若い頃に務めていた仕事を辞め、それを本業にまでしてしまいましたからね!」。

花と葉に香りがあることや花が大きいことが特徴とされる「大島桜」。例年、3月から4月が見頃。

開花時期を迎えると、島内には「大島桜」がそこかしこに点在している。

「三原山」の火口周辺には遊歩道が用意され、散策やハイキングも可能。

手付かずの自然が残る美しい海では、美しいサンゴを見ることができる。

ダイビングで更に潜れば、色とりどりの熱帯魚や魚群との出合いもあり、別世界が広がる。

優雅に泳ぐウミガメ。「都心から1時間45分でウミガメに会えるなんてすごくないですか!」と興奮する中野監督。

「三原山」周辺には、ほかの山も点在する。ここ「白石山」は、大島で2番目に高い山。ちなみに、中央の車が見えるところが「月と砂漠ライン」の駐車場。

「トウシキ遊泳場」は、溶岩に囲まれた自然のプールのよう。溶岩が波を遮り、穏やかではあるが深さがあるため、飛び込みも楽しめる。

島の最南端から臨む大島。黒潮の影響により、一年を通して温暖な気候に恵まれているため、オールシーズン心地が良い。

月と砂漠の先にある世界。僕は、まるで小惑星に降り立ったような錯覚を覚えた。[東京”真”宝島/東京都 大島]

高画質(4K Ultra HD)の映像は、こちらからご覧ください。
監督・撮影・編集:中野裕之
撮影:佐藤 宏 音楽:木下伸司

東京"真"宝島

日本唯一の砂漠。そこにはSF映画のような風景が広がっていた。

なぜ日本唯一なのか? そう思う人も少なくないでしょう。
その理由は地図にあります。国土地理院が発行する地図に唯一「砂漠」と記された場所が大島にあるのです。その1つである「裏砂漠」のことを、映像作家の中野裕之監督はこう言います。
「SF映画の惑星のような場所」。

初めて訪れたのは、22年前。その後、公私ともに幾度となく訪れた大島は、数々のミュージックビデオを手がける中野監督にとっては、「音」を感じる島でもあります。
「子供が小さい頃、一緒に三原山を登りました。そこに吹く風の音が何か原始的で。そんな自然音が印象的でした。仕事では、映画の撮影や日本を代表するあるアーティストのミュージックビデオの撮影で訪れたのですが、そのロケーションが裏砂漠でした。東側一帯は黒い火山岩で覆われ、歩く度に聞こえてくる“ジャッジャッ”という音がリズムを刻んで。今回も、あの岩の前であれを撮って、これを撮って……など、当時の音楽や撮影シーンが走馬灯のように思い出されました。また、(時期により)朝夕に霧が出るのですが、それが映像としてはとても幻想的。裏砂漠は低層ですが起伏の表情も豊か。SF映画の惑星のような場所でした」。

【関連記事】東京”真”宝島/映像作家・映画監督、中野裕之が撮る11島の11作品。それは未来に残したい日本の記録。

地球ではなく、まるで違う惑星の世界のような「裏砂漠」。

黒い火山で覆われた「三原山」の東側一帯に広がる「裏砂漠」。

夕刻の「三原山」もドラマティック。「ずっと眺めていると心まで浄化されるよう」。

島の面積は約91㎢。伊豆諸島北部に位置する最大の島であり、都心から最も近い島でもある。

東京"真"宝島「裏砂漠」へ向かう道。その美しい名に感じる浪漫。

「裏砂漠」へ向かう道は、大きく分けて3つ。東側の道から入って高台から向かう「月と砂漠ライン」、東側の道沿いにある入口からの道、そして北側から向かう「再生の一本道」です。
「今回、僕は『月と砂漠ライン』から裏砂漠へ向かいました。『月と砂漠ライン』は、208号線(大島一週道路)から入るのですが、看板がとにかく小さいです。そこから3kmほど山道を走り、行き止まりにある駐車場まで行き、更に徒歩で約10分かけてたどり着きます。裏砂漠自体の景色が良いのはもちろんですが、何が良いって、この道のネーミングが美しい」。
月と砂漠……。それはまるでバンド名のようでもあります。

そして、「再生の一本道」。この道は、「温泉ホテルルート」と呼ばれ、この温泉ホテルとは、「大島温泉ホテル」を指します。
「大島温泉ホテルは、何度も宿泊しました。ここの露天風呂は、目の前に原生林が広がり、その奥には三原山が望めるのですが、それが本当に絶景!遮るものが何もなく、温泉の癒しを感じながら大島を体中で体験できます!」。
その「温泉ホテルルート」は、約3km歩いて向かうハイキングコース。この道中では、この場所の過酷な自然環境を目にすることができるでしょう。溶岩の上から出す芽が、徐々に草原になる。その後、樹木が育ち、森を作る。裏砂漠への道は、風景ができるまでのプロセスを描く道でもあり、そんな「再生」の物語がここには形成されているのです。
「大地の上にゴツゴツとした溶岩石が転がっているので、植物が根を張るのはきっと困難な場所だと思います。しかし、そんな環境でも力強く、たくましく、何とか生きようとしている姿に心が打たれます。生命力のエネルギーがすごい。植物は偉大ですね」。

「裏砂漠」は、三原山のマグマのしぶきが大地を焼き、植物を燃やし、漆黒の世界を創造しています。強く吹く風も手伝い、植物が定着しにくい場所でもあるのです。「それでも所々、綺麗な緑がちゃんとあって。昔はもっと黒かったと思うのですが、ちょっとずつ、ちょっとずつ増え、きっと現在に至るのだと思います。また来た時には、もっと緑が増えているかもしれませんね」と、中野監督はしみじみ話します。
そんな希望も込めてなのか、「再生の一本道」の一部には、こんな名前も付けられています。
「いつか森になる道」。
通りの名前を見ているだけで浪漫を感じる島、それが大島なのです。

「裏砂漠」から見る「三原山」。黒く焼けた大地の中、自生する植物が少しずつその面積を広げる。

寒さの残る3月の早朝の「裏砂漠」では雪が積もり、白いベールを纏わせる。

漆黒の世界が広がる「裏砂漠」。左側にある細い道が、「月と砂漠ライン」。

長く続く一本の道は、「再生の道」。温泉ホテルルートと呼ばれるそれは、「三原山」まで約3km。

東京"真"宝島大島の神聖。耳を澄ませば聞こえてくる、自然のオーケストラ。

「大島でもうひとつ印象深かった場所、それは神社でした」と中野監督は話します。その場所は、「大宮神社」と「波知加麻(はじかま)神社」です。
「一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と、ゆっくり長い参道の階段を登り、その鳥居を潜る度に何か世界が開けた感じがしました。左右には巨木が幹を連ね、数百本はある椎の木は圧巻です。しかも、椎の木は神木でもあるので、その群生の画力たるや凄まじかったです」と、神社のことを振り返り、映像制作をする上で欠かせない音についても言葉を続けます。
「大宮神社は、まず風の流れが良かったです。風が流れれば音が生まれ、その風によって葉が擦れ、更に音が重なる。加えて、ここでは鳥もさえずり、心地良い音も奏でていました。鳥がいるということは、そこにはひとつの生態系ができている証拠だと思います。そんな環境もまた神々しい。それらが成す重層音は、まさに自然のオーケストラのようでした」。

そして、「波知加麻神社」。
「ここも印象的だったのは、参道です。大宮神社の椎の木に対して、波知加麻神社は杉。天高くそびえる杉の林立は、陽光を遮り、独特な隠の世界を作っています。その環境も手伝っているのだと思いますが、目線を下げれば生き生きと苔がむしています。それはまるで絨毯のように広がっていました」。

1939年(昭和14年)12月に東京都指定天然記念物に指定された「大宮神社」。

「大宮神社」の参道には、巨木が連なる。途中、手水舎や鎮座する狛犬もその姿を表す。

「波治加麻神社」は、三社ある大島の旧郷社の中のひとつ。残りのふたつは「大宮神社」と「波浮比咩命神社」。

波治加麻神社」の参道は、真っ直ぐに伸びる杉の古木に囲まれる。

東京"真"宝島切られた大島。1万5千年前と今をつなぐ、歴史の風景。

島の西側、208号線を元町港から波浮港へ走ると現れるのが「地層切断面」です。長さ約630m、高さ約24mのそれは、言葉を失うほど圧倒されます。
中野監督曰く、「大島最高のジオ」。

伊豆大島の火山は、世界的にも解明の進んだ火山として有名であり、噴火を表す木目のような単位層を辿ると約1万5千年前の年月を数えるものもあると言われています。
「そんな昔からこの断層はここにいたんだと思うと、今こうしてその歴史の一片を見ることができるのって奇跡ですよね」。
そして、この断面は島民からとても愛されてもいるのです。その証に最寄りのバス停には「地層切断面前」とあり、愛称はバームクーヘン!(バス停のサインもバームクーヘン型!)
もちろん、大切に保護管理もされています。

また、「切る」という意味では、「地層切断面」の真逆にある島の北側に位置する「泉津の切り通し」。まるで巨木がまっぷたつに切られたような道は、パワースポットとして知る人ぞ知る場所でもある。そして、数十万年前より太平洋の荒波に切り削られて現在のような形になったと言われる「筆島」も是非。「神の宿る岩」としても知られ、ここもまた神聖な場所として足を運ぶ人が多いと言います。

近くで見ると様々な表情を持つ地層が幾十にも重なっている。その数だけ時が経った証。

少し引いて見た「地層断面」。道路のサイズと比べれば分かるよう、巨大な地層がうねりを上げる。

「砂の浜」上空から見た「地層断面」。長い距離を保ってその断層が続いているのが分かる。

「三原山」の火口。この山の噴出物によって、「裏砂漠」の一面は黒く覆われている。

まるで異次元への誘いのような「泉津の切り通し」。両脇には根がむき出しになり、今にも動き出しそう。

手前にある突起した岩は、「筆島」。高さ30mほどのそれは、れっきとした島であり、小さな無人島。

「筆島」の裏手にある岩。一箇所だけ赤く焼け、まるでここだけ切り削られたような異彩を放つ。

東京"真"宝島都心から最も近い島へ。次の旅先の候補には是非、大島を!

高速船、フェリー、飛行機でのアクセスが可能な大島は、都心から最も近い島であり、例えば高速船であれば東京・竹芝から1時間45分で到着します。
「大島は都心から近いですし、まず島のビギナーの方にもお勧めです。是非、春には大島桜を見てもらいたいです。シーズンを迎える島内には、多くの大島桜が咲き誇ります。今回の映像や写真にも入れているのですが、大島桜はピンク寄りの色味ではなく、白に近く、それを再現するのがなかなか難しかったです。なので、是非、実際にその目で見てください!」。

島の御神火様であり、シンボルの「三原山」の登山をすれば、この島の鼓動を感じることもできます。
「標高は758mなので、登りやすい山だと思います。火口を周遊できる遊歩道も完備されていますし、散策コースとしても最適だと思います。もちろん景色も抜群!」。

また、海にも宇宙がありました。
「魚、ウミガメ、サンゴ……。どれも美しいですよね。世界に自慢できるようなサンゴに魚たち。海の中にも宇宙があるっていう感じですよね。僕は近頃はやっていないですがもう一度、本格的にダイビングを始めたくなってしまいました! 大島でダイビングにハマってしまうということをよく聞くのですが、その意味がわかりました。この水中撮影をした佐藤さんは若い頃に務めていた仕事を辞め、それを本業にまでしてしまいましたからね!」。

花と葉に香りがあることや花が大きいことが特徴とされる「大島桜」。例年、3月から4月が見頃。

開花時期を迎えると、島内には「大島桜」がそこかしこに点在している。

「三原山」の火口周辺には遊歩道が用意され、散策やハイキングも可能。

手付かずの自然が残る美しい海では、美しいサンゴを見ることができる。

ダイビングで更に潜れば、色とりどりの熱帯魚や魚群との出合いもあり、別世界が広がる。

優雅に泳ぐウミガメ。「都心から1時間45分でウミガメに会えるなんてすごくないですか!」と興奮する中野監督。

「三原山」周辺には、ほかの山も点在する。ここ「白石山」は、大島で2番目に高い山。ちなみに、中央の車が見えるところが「月と砂漠ライン」の駐車場。

「トウシキ遊泳場」は、溶岩に囲まれた自然のプールのよう。溶岩が波を遮り、穏やかではあるが深さがあるため、飛び込みも楽しめる。

島の最南端から臨む大島。黒潮の影響により、一年を通して温暖な気候に恵まれているため、オールシーズン心地が良い。

@sYNe9yfGlfKUp4j 橋本典子

野球ならヒットうつ 守備しっかりやる は基本ですね どちらも出来ないなら ベンチ阪神見てたら 定まらない。 パナソニックは強さ半端ない 阪神油断したらずるずる が目立つ違いがわかる。 なんか違う、パナみたいやないし。

@sYNe9yfGlfKUp4j 橋本典子

野球ならヒットうつ 守備しっかりやる は基本ですね どちらも出来ないなら ベンチ阪神見てたら 定まらない。 パナソニックは強さ半端ない 阪神油断したらずるずる が目立つ違いがわかる。 なんか違う、パナみたいやないし。

世界的シェフユニットが躍動した、サプライズ満載のディナーショー。『DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』スペシャルムービー公開。[DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]

ダイニングアウト琉球うるま

DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS』(2020年1月開催)の感動を、スペシャルムービーとフォトギャラリーでお届けします。

『DINING OUT』第18弾となる舞台は、沖縄県うるま市が擁する世界遺産「勝連城跡」。世界遺産での開催は『DINING OUT』として初の試みとなりました。古くから海運の要衝で、15世紀には琉球王朝と拮抗(きっこう)する栄華を誇った勝連。様々な国や地域の人々を受け入れ、文化に寄り沿うことで発展してきた土地には「気高さ、心の豊かさ」を意味する「肝高(きむたか)」の精神が今も根づいているといわれています。今回の『DINING OUT』のテーマは、この「肝高」、そして交易の地に伝わる「おもてなし」でした。

その壮大な会場で腕を振るったのは、世界から注目を集めるシェフユニット「GohGan」です。2010年に開いた「Gaggan」で、エグゼクティブシェフを務め、世界から注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurants」では4位を獲得したガガン・アナンド氏。そして、九州で唯一「Asia's 50 Best Restaurants」にランクインした「La Maison de la Nature Goh」の福山 剛氏。

ポップアップとしての活動が最後になった「DINING OUT」で繰り出されたサプライズ満載の料理の数々をぜひ体感してみてください。

【関連記事】DINING OUT RYUKYU-URUMA with LEXUS

@i_am_o_ok かな

紀平梨花ちゃん、とても可愛いです💗 adidas様のスポーツウェア・シューズ似合っています!!!✨✨✨ 今後のご活躍も楽しみにしております!!!⛸️🏅💗