ポップアップで世界を沸かせるシェフユニットが遂に『DINING OUT』に。ガガン・アナンドシェフ×福山剛シェフの「GohGan」による二夜限りの宴。[DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS/沖縄県うるま市]

福山シェフとガガンシェフ。楽しいこと、人を喜ばせることが大好きな2人は互いへの信頼関係も厚い。

ダイニングアウト琉球うるま琉球王国の交易の要衝・勝連を舞台に、土地に伝わる「おもてなし」の精神を2人のシェフが表現。

2020年1月18日(土)、19日(日)に『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』が開催されます。今回、舞台となるのは、沖縄県うるま市。那覇空港から車で約40分、沖縄らしい海景色をはじめとする豊かな自然と、深い歴史を持つ土地です。世界遺産・勝連城跡が古の栄華を伝える勝連は、琉球王国時代、中国や東南アジア、そして当時、外国であった日本などとの交易で大きく栄えた地域。異国と交わることで高尚な文化が育まれ、沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」で詠われた「気高さ、心の豊かさ」を意味する「肝高(きむたか)」が、美徳として人々の暮らしや精神に根付いています。さまざまな異文化が伝わる交易の要衝ゆえに育まれたおもてなしの姿勢もまた、土地の人々に受け継がれているもの。

『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』の厨房を仕切るのは、そんなうるま、勝連という地を象徴するようなシェフユニット。タイ・バンコク『Gaggan Anand』のオーナーシェフ、ガガン・アナンドシェフと、福岡『La Maison de la Nature Goh』の福山剛シェフによる『GohGan』です。いわずと知れた世界的なシェフ2人。『Asia's 50 Best Restaurants』において4年連続1位に輝き、 Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出したガガンシェフと、九州で唯一、同アワードにランクインした福山シェフは、2021年、福岡に『GohGan』をオープンすることでもガストロノミー界の話題をさらっています。3年前、北海道虻田郡で開催された『DINING OUT NISEKO with LEXUS』を体験した2人が、満を持しての登場。うるまの地での二夜にかける想いを、それぞれの料理哲学とともに紐解きます。

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人を楽しませることが大好きなガガンシェフ。厨房を離れても、その姿勢は変わらない。

ポジティブで誠実、そして大らかな福山シェフのオーラは、周囲をぱっと明るくするかのよう。

ダイニングアウト琉球うるま毎日満席になる、地域に愛される店を。原点を貫きながら、世界の舞台へ躍り出たガストロノミー界の異端児。

2016年、『Asia's 50 Best Restaurants』に選出された『La Maison de la Nature Goh』。九州地区のレストランとしては初。加えて、開業から14年目を迎える店のランクインは、大きな話題を呼びました。ランクインまでの道筋も、まったくもってユニーク。世界の舞台を目指す料理人たちにとっては登竜門的なアワード。ゆえに、そこに照準を定めたシェフたちはコースの価格設定から皿数、しつらえからプレゼンテーションに至るまで『50 Best Restaurants』スタンダードで店づくりを行います。が、福山剛シェフは違いました。2002年の開業以来14年、ただただ“地元に愛される店”として年月を重ねてきたのです。
「Best50の存在は知っていたけれど、まったく意識したことなどなかった。10年以上どうにか満席を続けて来られたご褒美かな、と思ったくらいで」
いたずらっぽく笑いながらそう話す福山シェフの表情には、おごりはもちろん、余分な気負いも一切ありません。

福岡県朝倉郡生まれ。物心ついた頃から料理に興味を持ち、高校時代にはアルバイトとしてフランス料理店『イル・ド・フランス』で働き始めます。今はなき福岡のクラシックフレンチの名店。そこで7年間、腕を磨いた後、ワインレストラン『マーキュリーカフェ』でさらに7年修業。開業したのは31歳のときでした。
「フランス料理は、リピーターがつきにくいジャンル。どうしたら“また来たい”と思って頂けるか。九州の食材や和の調味料も取り入れ試行錯誤していくうちに、いい意味で料理がボーダレス化していった気がします」
店舗での営業第一、「満席主義」を掲げる福山シェフは、他の料理人とのコラボレーション、ポップアップ等には、長い間、まったく興味がなかったといいます。
「むしろ否定的だった。イベントでつくる料理は、完成度でいったら店で100回つくっているものには叶わない。コストもかかるから、ゲストの負担も増える。いいことないな、と」

2015年、ガガン・アナンドシェフに出会い、その考えが大きく変わります。福山シェフは、店の10年来の常連客である中国人男性に招かれて出掛けた上海のある高級レストランでガガンシェフと初めて顔を合わせます。それから数か月後、『La Maison de la Nature Goh』で、その中国人男性のバースデーパーティが開かれることになり、ゲストとして招待されて来福していたガガンシェフと再会。「バースデーパーティは、サプライズで一緒に料理をつくろうよ」というガガンシェフの提案を「いいね」と受け入れます。福山シェフ、ガガンシェフがともに信頼を置く、大切なゲスト、たった一人を喜ばせるために即興で組まれた一夜限りのユニット。

「僕もガガンもすごく楽しかったんですよね。何よりそのゲストがとても喜んでくれたことが2人ともうれしくて。これはクローズドなイベントにしておいてはもったいないな、と」
これが『GohGan』のはじまり。世界中から注目を集めるシェフのユニットは、かくも偶発的に、かつビジネス抜きの「おもてなし」からスタートしたというのですから驚きです。
福山シェフは、ガガンシェフから、そして『GohGan』の活動から、大きな刺激を得たと話します。

「元々がきっちり、粗相なくやりたいという性格。料理や食材に対して“こうあるべき”みたいな考えが強くあったけれど、ガガンはまったく違う。一皿をどう楽しませるか。その方法に“べき論”はないんです。視野が開け、料理に自由を与えられたと感じました」
コラボレーションに対する考え方もまったく変わったといいます。
「他の料理人の仕事を、実際の作業の流れの中で間近で見られる。すると調理の技術だけでなく、スタッフの指導の仕方、ゲストとの向き合い方、すべてが見え、自分自身の仕事を客観的に見られるようになる。それが店のステップアップにつながれば、お客様に還元できますよね」

すべて「お客様を喜ばせるため」。これは、福山シェフの変わらぬ姿勢です。『Asia's 50 Best Restaurants』にランクインした後もコースは6,000円と8,000円のまま。県外、海外からのゲストは増えたものの、今も7割が、長く店に通う地元福岡のゲストだといいます。店であれ、ポップアップの会場であれ、目の前にいるゲストを喜ばせ、満足させたい。周囲の評価が変わっても、福山シェフの気持ちは変わらないのです。

西中洲の路地の奥にひっそりと佇む『La Maison de la Nature Goh』。周囲は小さなバーやスナックなどが軒を連ねる古い町並みが残る。

独立前に勤めたワインバーで、ゲストと向き合う楽しさを覚えたという福山シェフ。店のしつらえはカウンターが中心に。ほか、増築してつくった個室もある。

鯖 巨峰 水前寺菜。唐津のサバを軽く塩で締めてから炙り、皮ごと薄切りにした巨峰、水前寺菜のおひたしを合わせて。サバのねっとりとした食感と巨峰の果実味のフレッシュさ、淡い旨みをまとった粘り気のある水前寺菜が一体に。

椎茸と焦がしバターのエスプーマ。ふっくらとした蒸し鮑に、その肝とほうれん草のリゾットと、椎茸のエスプーマ、焦がしバターを添えて。リッチな旨みが重なり合う。

ダイニングアウト琉球うるまインドの食文化を再解釈し、バンコクから世界へ。「進歩的インド料理」で、世界の頂点に。

福山シェフが、「料理界きってのエンターティナー」と、話すガガン・アナンドシェフ。祖国・インドの食文化を再定義するイノヴェーティヴな料理をアジアの国際都市、タイ・バンコクから発信し、『Asia's 50 Best Restaurants』で4年連続1位を獲得。2019年の『The World’s 50 Best Restaurant』では4位にランクインした、文字通り、アジアを代表する世界的トップシェフです。ガガンシェフが2010年に『Gaggan』を開業して以来、取り組んできたのは、インド料理の革新です。ガストロノミー界の伝説ともいえるスペイン・バルセロナ郊外の『エルブジ』での修業経験を活かし、モダンな調理テクニックと驚きに満ちたプレゼンテーションでつくり上げる料理は繊細で、エネルギッシュで、クリエイティブ。「Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)」という新たなジャンルを世に打ち出しました。

ガガンシェフに改めて自身の料理哲学について尋ねると「なんでも調理してみること」との答えが。
「インド料理の伝統に縛られず、その時期の旬の食材、地元の産物をすべて見渡し、垣根なく取り入れる。それが私のフィロソフィーともいえる“5S”を支えています」
「5S」とは、Sweet (甘い)、 Salty(しょっぱい)、Spicy (スパイシー)、Sour(酸っぱい)、そして最後に加えられるのが「 Surprise(驚き)」です。
「この“5S”の料理が、私のスタイル。大きなポーションではなく、小さなサイズで一口ずつ味わって頂くことで、まるで花火のように、口の中のあちこちで、さまざまな味わいが爆発するような感覚を感じていただけるはず。この感覚を、楽しさを、料理を通じて伝えること。それが僕の目指すすべて、そして『Gaggan』そのものなのです」

そんなガガンシェフも、『GohGan』での活動から受けた刺激は、計り知れないと話します。福山シェフは「自分にとって、とても大切な人」とも。
「剛さんは本当に面白い人で、剛さんに出会ってから多くのことが変わりました。きっと、剛さんも私に会って変わったことがあるはず。つまり私たちは、お互いに刺激し合って、対等に、真にコラボレーションできる関係なのです。料理人のコラボレーションは珍しくない時代ですが、私たちのような関係は唯一無二ではないかと。『GohGan』での活動を誇りに思います」

福山シェフの日本・福岡だから生まれたフレンチと、ガガンシェフのインドをベースにしたテクニカルでボーダレスな料理。自由度は高いけれど、2つの揺るぎない軸がある。それが『GohGan』の新しさであり、ユニークさにほかなりません。そして、国籍も食の背景もつくる料理も違う2人が共有しているものが、「おもてなし」の気持ち。
ガガンシェフは2019年『Gaggan』を離れ、11月にバンコクの中心に開いた『Gaggan Anand』を新たな拠点に活動しています。「ラボであり、オフィスでもある」と話す空間は、オープンキッチンをテーブルが囲む形で、ゲストとの距離は、より密接に。シェフであるアナンド氏のエネルギッシュなオーラも、プレゼンテーションの一部になっています。

2018年、『GhoGan』で開催した佐賀県佐賀市でのイベントの様子。ガガンシェフは、サーブの直前まで盛り付けをチェック。

『Gaggan Anand』の外観。しつらえからサービスまで「型にハマらず」がスタイルだ。

1階の厨房はフルオープンで、全席シェフズテーブルのよう。赤いライトが妖艶な雰囲気。

ダイニングアウト琉球うるまカジュアル? ファインダイニング? うるまの二夜で、『DINING OUT』の歴史を塗り替える。

福山シェフとガガンシェフの話から浮かび上がるのは、2人にとっていかにお互いの存在が、そして『GohGan』での活動が大切なものだったかということ。それだけに、ポップアップとしては最後となる『DINING OUT RYUKYU URUMA with LEXUS』に賭ける想いは、並々ならぬものがあります。

11月、ガガンシェフに先駆け沖縄に第一回目の視察に出掛けた福山シェフ。今年2度目の沖縄だったとのことですが、その前に行ったのは15年以上前。料理人として改めて旅をしたことで、「産地としてのポテンシャルが見えて来た」と、話します。
「地理的には比較的近い九州で仕事をしているけれど、自然も食材も食文化もまったく違う。アジア諸国に旅したときのような感覚を覚えました。肉に魚、フレッシュハーブやスパイス、フルーツと、素晴らしい食材が多い。きっとこれは使いたがるな、と、ガガンの顔を思い浮かべながらの旅でした」

視察から福岡に戻った福山シェフは、翌日、バンコクに向かいました。
「彼の新しい店で食事をした後、沖縄で見てきた食材の情報を一通りシェアしました。『GohGan』では最終的にメニューが決まるのは本番の2、3日前なんてこともザラでしたが、今回はそういうわけにはいかないよね、と。ガガンがどこまでいうことをきいてくれるかはわかりませんが(笑)」
話す様子から、2人がもうすでに『DINING OUT』を楽しんでいる様子が伝わってきます。
2017年『DINING OUT NISEKO with LEXUS』を経験して以来、『GohGan』での『DINING OUT』は夢だったと、2人は話します。
「徳吉洋二シェフの料理は文句なしに素晴らしかった。ニセコのローカルな食材をベストな形で調理し、表現は非常にクリエイティブだった。そのときから“僕らならどうやる?”と、剛さんと話していたんです」

そう話すガガンシェフ、実は沖縄は未訪の地なのだとか。取材の後に予定されてた視察の旅への期待を次のように話します。
「タイと似たイメージを抱いています。トロピカルフルーツ、野菜、ヤギと、食材にも共通点が多い。酒の文化もユニーク。例えば素晴らしいラムがありますよね。それからいい蟹があるとも! 早く行きたくて仕方ありません」
真剣に一皿に向き合う料理も好きだけれど、自分はハッピーで楽しい「時間」を提供したい。その想いこそが、『GohGan』という稀有なポップアップユニットを生み出した、2人のシェフに共通する姿勢です。

「ファインダイニングでいくか、カジュアルにするか。ガガンとさんざん話をして“祭をやろう”と」
福山シェフは笑いながら話します。2人の料理人でやる意味、その2人が『GohGan』である意味。『DINING OUT』の歴史に、これまでになかった新章を加える意欲は満々です。
『GohGan』では、双方のスタッフがチームに加わりますが、『DINING OUT』では、さらに地元スタッフ勢が加わることにも期待を寄せます。

「私たち2人のチームだけでなく、地元のシェフ、サービススタッフみんなが主役。彼らとコラボレーションをして『DINING OUT』を共に創り上げたい。私たちは沖縄という土地からいろんなことを学ぶはずですし、地元の方々にも何かを残したい」と、ガガンシェフ。
「沖縄のみなさん、ぜひ大いに狂っていきましょう! そうでないと、私も剛さんもクレイジーな人間ですから、一緒にやっていられないですよ。覚悟しておいてくださいね」
ファインダイニングかカジュアルかではなく、「祭」を。その全貌は、1月の沖縄うるまで明らかになります。

『La Maison de la Nature Goh』のダイニングのエントランスには、ガガンシェフと福山シェフのマスコットが飾られている。

ポップアップユニット「GohGan」が、沖縄の食材でどんな驚きと感動を与えてくれるのか期待が募ります。

1971年生まれ。福岡県出身。高校在学中、フレンチレストランの調理の研修を受け、料理人の道へ。1989年、フランス料理店『イル・ド・フランス』で研鑽を重ね、その後、1995年からワインレストラン『マーキュリーカフェ』でシェフを務めた。2002年10月、福岡市西中洲に『La Maison de la Nature Goh』を開店。2016年には、九州で初めて「Asia's 50 Best Restaurants 」に選出され、2019年には24位にランクインを果たす。

インド コルカタ出身。2007年にバンコクへ移住し、その後レストランの料理長を務める一方、エルブジで研修を積む。2010年に開いたレストラン「Gaggan」では、エグゼクティブシェフを務め、Progressive Indian Cuisine(進歩的インド料理)を打ち出す。世界的注目が集まる「Asia's 50 Best Restaurants」において4年連続1位に輝き、2019年の「The World's 50 Best Restaurant」では4位を獲得。同年8月新たなチャレンジに向けてお店をクローズし11月に再始動をする。

世界を舞台に地方創生を成し遂げる強い意志の元に開業。自然豊かな南木曽に生まれた看板一つない新しいホテルの形。[Zenagi/長野県木曽郡南木曽町]

ザエクスペディションホテル ゼナギ

OVERVIEW

長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)は、ほとんど岐阜との県境に位置する、奥深い山の中にあります。「日本で最も美しい村」連合にも認定されている、人口4000人あまりの小さな町です。南木曽には、中山道妻籠宿(つまごじゅく)という江戸時代の風情を色濃く残す古い宿場町もあります。じつはいまインバウンドの観光客が好んで訪れる穴場的存在になっています。伊勢神宮に納める木曽ヒノキの産地としても知られるこの町に、最高級ホテルが開業したのが、2019年の4月のこと。「Zenagi」と名付けられたホテルは、THE EXPEDITION HOTELという冠も戴いて、日本の田舎を探検するという意味が込められています。

このホテルを開業したのは、MENEXという企業。彼らは、地方創生のプロフェッショナルであるとともに、世界で最も古く、また過酷と呼ばれるアドベンチャーレースの「ドロミテマン」で完走し、オリンピックに参加した経験もあるプロフェッショナルなアドベンチャーたちです。2020年のオリンピックを前に、日本中でインバウンドによる観光収入の増加を目指す動きが活発ですが、「Zenagi」がターゲットにしているのは、世界中のあらゆる高級なものを経験している「富裕層」です。その価格は、3食とアドベンチャー体験を含めたオールインクルーシブで¥120000からというもの。

南木曽町田立(ただち)という、和紙の里でもある棚田の最上部に立つこのホテルは、部屋数はわずか3室。12名が宿泊人数の上限です。江戸時代後期から明治初期に建てられたという古民家を改装して開業しました。単なる古民家ではありません。材木取引などで大きな財を成した豪農が所有していた建物です。内部空間の梁を見るだけで、その贅を尽くした造りに圧倒されます。そこに、ガラス窓による明るい開口部を作り、木曽地方の木材や、漆器などの伝統工芸を取り入れたのが「Zenagi」です。MENEXのCEOである岡部統行(むねゆき)氏は、テレビドキュメンタリーの監督も務める、異色の経歴の持ち主です。開業までの山あり谷ありのプロセスと、このホテルの魅力について、存分に伺いました。

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222  MAP
THE EXPEDITION HOTEL Zenagi  HP:https://zen-resorts.com/

南会津に生きる人、それぞれの内なる「時間」に映像表現で挑戦した、トリップムービー第3弾。[南会津ショートフィルム/福島県南会津郡]

南会津ショートフィルム美しい景色とともに紡がれる「人」と「時間」の物語。

四季折々の南会津の姿を、4人の映像作家の作品を通じて表現するプロジェクト「南会津ショートフィルム」。その3作目となる「パラレル タイム ジャーニー」は、南会津の山々が織りなす美しい紅葉の景色とともに紡がれる「時間」──過去・現在・未来──とともに歩む「人」にフォーカスした物語です。指揮を執るのは、子ども向けの番組からミュージックビデオ、ショートフィルムまで、様々な舞台で活躍中の映像作家・大金康平氏。栃木県北部に位置する大田原市で生まれ育ったという大金氏は隣接する福島県について、言葉訛りも近く身近な存在に思っていたといいます。

「今回のお話をいただいた時、元々感じていた親近感は持ち味としつつも、まだ訪れたことのなかった南会津ならではの日常や小さなドラマには敏感でいたいと思いました。敢えて下調べをし過ぎず、旅行のような気分のまま現地に飛び込みました」。取材のための3日間の滞在では、その中で一貫した何かが見つかるかどうかを気にしていたという大金氏。そうして見つけたテーマが「時間」でした。

「南会津には、過去・現在・未来という3軸の、もしくはそれ以上に細分化された沢山の時間が同時に流れていると感じました。例えばそれは、何億光年も昔から今に到達している星の光や、太古から伝わる会津田島の神話、長い年月をかけて育ってきた木々の存在といったものです。それらに敬意を払い、慈しみながら関わりを持つ南会津の人々の中には、それぞれの“時間”が流れていることに気がついたのです。会津田島の神話を表現した太鼓のパフォーマンスに取り組む「田島太鼓 龍巳会」の子供達や、南会津の木々や山々を次世代に伝えたいとする森の案内人、これから一斉に咲く花々の美しさを願い、桜を植える人々──そういった方達の営み、“時間”に立ち会うということは、まさに“パラレルタイムの旅”なのではないかと。この目に見えない時間感覚を映像で伝えられたら、これまでにない新たな南会津の魅力を提案できるのではないかと考えました」。

3作目の今回は南会津に流れる「時間」をテーマに、過去・現在・未来を自然と共に歩む人々にフォーカスしている。

会津田島の神話を表現した太鼓のパフォーマンス。大金氏が大切にしているフイルムのような質感や色彩で表現された映像が胸を打つ。

南会津ショートフィルム自然体な人の営みと向き合い見えた、理想の生き方。

大金氏が制作において大切にしていることは、モチーフは極力平凡で小さく、日常生活で手が届く範囲から面白いことや心動かされるものを探す、ということ。むやみな壮大さや非日常的な演出はとらず、誰もが感じたことがあるような、身近でささやかな体験や想いを具現化することを得意としています。「まだまだ模索中ではありますが、誰でも参加できる“あるある探し”といいますか、馴染みやすさという点はひとつの特徴かもしれません」と大金氏は語ります。

また視覚的に大きな特徴として挙げられるのが、フィルムのような質感や色彩です。フィルムが紡ぎ出す特有の世界観は、人の心の奥底に訴えかける力があると大金氏は考えています。「デジタルが主流の時代でフィルムに“近づける”というと退化的に聞こえるかもしれませんが、そこには数値では表せない色彩がありますし、唯一無二の“情緒”や“懐かしさ”を引き出せる重要なツールであると信じています。今や簡単に扱えないメディアであるからこそその魅力を再認識し、私なりの表現に挑戦していきたいと考えています」。

こうして撮影された「パラレル タイム ジャーニー」は、南会津の人々のありのままの姿や言葉を通じて、過去・現在・未来へと自由に行き来するかのような感覚へ、観る者を誘う作品となりました。
「撮影を通じてたくさんの地元の方にお会いしましたが、年代・性別を問わず共通して感じたのは“今を生き急いでいない”ということでした。“今持っているものに感謝をもって生きること”、“自然の時の流れに身を任せて”など、語る言葉は人により様々ですが、その地で与えられたものに順応する力と、その中で自分らしく生きる・表現する力が絶妙なバランスで両立している、理想の生き方だなと思います」。

作品の主役は当然、南会津の人々ですが、同時に南会津に流れる“時間たち”でもあります。皆が平等に与えられたはずの時間が、南会津ではこんなに色・形の違うものとして多数存在しているという事実は、観光名所として訪れるだけでは気づけないかもしれません。大金氏が表現する南会津の「時」が誘う旅。それを作品を通じて擬似体験すれば、南会津が、そこに生きる人々が、より身近で尊いものに感じられるはずです。

1992年生まれ。栃木県大田原市出身。日本大学藝術学部映画学科監督コース卒業。中学生の時より短編映画づくりに取り組み、大学在学中は役者として演劇芝居も経験。微小なモチーフとノスタルジックな色彩表現を得意とし、NHK/Eテレ『シャキーン!』をはじめ、子ども番組やミュージックビデオ、ショートフィルムの演出・撮影等、幅広く手がける。「映像作家100人 2018 / 2019」選出。

監督・撮影・編集 大金 康平
ドローン 植田 城維

コピーライター 西垣 強司
MA 鈴木 泰憲
音響効果 徳永 綸

プロデューサー 植田 城維
制作 原田 大誠
スチール nasatam
南会津コーディネーター 瀬田 恒夫

<撮影協力>
じね〜んの森ガイド 星 義道
十文字星見台 岸 正一
田島太鼓 龍巳会 渡部 久留美、メンバーのみなさん
サイクルツアー 野田 雅之、藤原 純
福島県立田島高等学校のみなさん
南会津町立桧沢小学校のみなさん
まちなか交流サロン 芳賀沼 順一、ご近所のみなさん
佐藤造林のみなさん


(supported by 東武鉄道)

TOKYOで心に響く錦繍の秋と出合い、豊穣のときに深謝する。[SIX SENSES TOKYO/東京都八王子市高尾]

シックスセンス東京OVERVIEW

天高く馬肥ゆる秋。
『京王電鉄』で都心からわずか1時間足らずで辿り着く、高尾では紅葉が辺り一体を包み込むベストシーズンを迎えていました。

赤、黄、茶、深紅、緋色。
暖色系のグラデーションが眩しい、それは、錦繍の秋と呼ぶに相応しい、見事な情景。
そんな感動と出合いたくて、今日も多くのツーリストが高尾山の頂を目指していました。
一方の『うかい』でも、今が最高の時季といえるでしょう。
美しく染まった庭園に、心は洗われ、春や夏では味わえなかった感傷的な気分も沸き起こります。

里山の風情に、秋の装いはとてもよく似合う。
秋が素晴らしいのは、料理も同様で、山海の美味は充実のときを迎えていました。
今年も素晴らしい新米が育ったようです。
ONESTORYの取材班は、豊穣のときを迎えた秋の高尾に向かいました。

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(supported by うかい京王電鉄)

キャンドル制作に情熱を傾け、炎が紡ぎ出す幻想の世界を旅するアーティスト。[TSUGARU Le Bon Marche・YOAKEnoAKARI(ヨアケノアカリ)/青森県南津軽郡]

陽の沈みかける僅かな時間、湖面に浮かび上がる森の情景とキャンドルの灯り。

津軽ボンマルシェキャンドルが持つ不思議な力を独自の世界観で表現。

優しく揺らめく炎に、人はしばし言葉を失います。しんと静まり返った森の中で、無数の小さな炎が囁くように瞬き、ただその場に無言で立ちすくんでしまう、一瞬が永遠のように感じる時間。キャンドルの灯りには、誰をも無限の幻想の世界へ引き込むような、不思議な力があります。『YOAKEnoAKARI』の安田真子さんも、そんなキャンドルに魅了され、独自の世界を表現している1人です。

安田さんの作ったキャンドルを初めて見たのは、以前紹介した竹森幹氏が営む店『bambooforest(バンブーフォレスト)』でした。そこに並ぶキャンドルは見れば見るほど精巧で、独特の風情をまといつつ、凛とした佇まいがありました。竹森氏もキャンドルの説明にはつい熱が篭るようです。
「うちでは初期から扱いがありますが、まずキャンドル自体のクオリティが日を追うごとにどんどん上がっているし、ラベルなどのパッケージデザイン、展示ディスプレイの技術など、トータルで『YOAKEnoAKARI』の世界観を表現している。その完成度がすごい」
そして毎年「Cidre night」でキャンドルのデコレーションを手がけている、『弘前シードル工房 kimori』代表の高橋哲史氏に至っては、「安田さんは考え方が面白く、すごい変態」と言わしめるほど。津軽を盛り上げるキーマンともいえる人々に何かと注目されている、期待のクリエイターなのです。

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並べられたキャンドルは、長さや間隔など、何度も細かくディスプレイの微調整を繰り返し、最大限に美しさを発揮できるよう最後まで手を尽くした。

炎が灯ると途端に、ふわりと別世界へ誘われたような気分になる。140本近く並んだ、手作りのキャンドル。相容れない火と水の共演に、自然がもたらす寛容な美しさを表現。

『YOAKEnoAKARI』安田真子さん。常にその先の美しい景色を探求し、地道な実験を繰り返すストイックな職人肌。

津軽ボンマルシェ探求すればするほど難しいから飽きることがない。

南津軽郡藤崎町に生まれた安田さんの実家はリンゴ農家。元々手先は器用な方だったと安田さんは自負しています。
「農家って結構なんでも自分で作ってしまうものなんです。機械を直したり、家を建てたり。父は5年くらいかけて家をリフォームしていましたし、子供の頃からものを作ることは見慣れていたんですね」。

それがキャンドルの場合は、全く分からなかったから引き込まれてしまった、という安田さん。納得のいく作り方を探求すればするほど、難しさが増し、どんどん深みにはまって行く…。気付いたらキャンドル作家になっていたというのです。

そのせいか、安田さんのキャンドル作りは、まるで科学者のようです。日々実験を繰り返し、材料も作り方も緻密に丁寧に調整していきます。例えば温度によってろうが固まった時の質感は微妙に変わってくるそうで、温度変化を慎重に見極めます。融点の違う3種類のろうを使い、キャンドルの部分によって配合を変えています。シンプルに見えるキャンドルでも、実は精密な式を頭に叩き込み、計算を重ねた上で試作を繰り返しているのです。
「色と質感、硬さ、溶け方、温度。私はぼんやりしているように見られるのだけど、キャンドルに関しては意外と真面目に考えて、日々研究しているんです。キャンドルを日常に使って欲しいから、炎の大きさやろうの溶け方、残り方など、美しく安全で実用的であることも配慮しています。そのままで綺麗なものをもっと綺麗にしたい、もっと何かできるんじゃないかと思う、常にその先へ進みたい。人間の本能的な欲求、探究心があります」
何事もとにかく経験値、と断言する安田さん。どれだけ経験を積むかで、見えてくるものがある、と。
「インスピレーションは降りてくるものだけれど、経験は自分でひとつひとつやって行き、自分のものにするしかない事ですよね」
と話しながら真剣な手付きでキャンドルに向かう安田さんの背中は、孤高の職人の佇まいでした。

安田さんのアトリエ。テーブルや棚、ディスプレイに使う什器も自分で作ってしまうという。

安田さんが特に力を入れているのは、自然の植物をドライにして詰め込んだ、森の風景の中に溶け込んでしまいそうなボタニカルキャンドル。(写真提供 YOAKEnoAKARI)

ボタニカルキャンドルは、ローズ、マリーゴールド、ラベンダー、オレンジ、桜、など各種ある。火を灯すと植物が影のようにほんのり透けて、幻想的な雰囲気に。(写真提供 YOAKEnoAKARI)

津軽ボンマルシェ出会い、風景、旅の記憶。それらは感性を豊かにしてくれるもの。

安田さんは、時間ができると、糸の切れた風船のようにふわっと自由気ままに旅に出てしまいます。大好きな音楽イベントは、歌を聞き、踊り、お酒を飲み、友と語り合う楽しみはもちろん、キャンドルやドライフラワーで空間演出を手掛けることも多い安田さんにとって、灯りのディスプレイや空間デコレーションにも大いに学びがあります。旅は安田さんにとって大きなエネルギー源。そこで見たもの、出会った人、感じたことが自身の創作のインスピレーションに少なからず影響を与えているようです。

「旅に出ることは自分にとってご褒美のようなものです。ずっとこっちにいると、やるべき仕事をこなすことでいっぱいいっぱいになってしまうから、一旦仕事から完全に切り離し、頭をクリアにさせる。ピンと来たら即動くので、電車が目の前に止まったらとりあえず乗ってみよう、という感じ。知らない土地で、新しいものを見て、初めましての人に会うと、そこに気づきや学びがたくさんあり、多くの刺激を受けます。ああ、こんな生き方もあるんだなって、他の人の人生に少しでも触れる時間を持てることは、自分のこれからにも様々な影響を与えてくれますし、とても貴重に感じます」
だから実は、あまり生まれた土地に執着はないのだけれど、それはこの取材の趣旨に合っているでしょうか、と心配そうに気遣いを見せつつも、故郷である津軽の自然の風景は好きで、時に感動をもらう、と素直に話してくれました。

「りんご畑の風景を見るの、好きですよ。一番好きなのは11月中旬くらいに…あ、中旬でもないかな。一番遅い“ふじ”(りんごの品種)の収穫があるんですけど、一回ぐっと気温が下がって霜が降りると、なんだか空気が澄んで全てが変化したような感じがするんです。りんご自身がぐっと糖度を上げて、凍らないようにする。それは何とも言えないたくましさと美しさで、私には色も空気も鮮やかに変わって見えます。霜が降りて、りんごの表面には水滴が付いていたりして、それに朝の光がキラキラと反射して。本当に美しい景色だなあと思います。あ、冬も好きですよ。全部葉っぱが落ちてしまった畑の木々。一面の雪景色の中に凛として立ち続ける姿は、偉大な自然の生命力でしかない、と感じます」。
大いなる津軽の自然の美しさへ静かに目を凝らし、そっと耳を澄ます、安田さんの純粋な感性は、作品の中にじわりと染み込み、醸成され、さらなる深みを与えているようです。

りんごのボタニカルキャンドルは、実家の農園で実った姫りんごの実、葉、枝をドライにして、キャンドルに詰め込む。竹串を使い、配置のバランスを丁寧に整える。

文字のフォントやテープの紙質など、ラベルのデザインも細部まで徹底的にこだわって作った。青森はもちろん、東京、関西など各地で展示を行なっている。(写真提供 YOAKEnoAKARI)

津軽ボンマルシェポンコツが日々拾い集める小恍惚。

「常に自分のことはポンコツだと思っている」という安田さん。
「宇宙規模でこの世の中を考えれば、全てが塵みたいなものって思うようにしています。じゃないと自分に自信がなさ過ぎて持ちません。世の中には素晴らしいものを作る人や表現する人がたくさんいます。もちろん今できる精一杯で自分なりに頑張っていますが、職人としても人間としても、本当にまだまだ。全く自信はないです。でもポンコツなりの強みもあって。本当に沢山の人に助けてもらってます。それは私が生まれ持った強みだと思いますし、日々のご縁にとても感謝しています。尊敬している知人の書いたとある文章の中に、“生活の中で小恍惚を見出せヤツこそ幸福な人間だと思ってる”っていう一文があって、それが私にとってはとても心に残る一文です。子供のころから遊び場は春先から秋まで絶え間なく花々が咲く祖母のお庭とりんご畑。わたしは自然の中でたくさんの事を学び、拾い集めました。日々の暮らしの中でコツコツとキャンドルをつくる仕事をして、少し手を止めて美しい景色を眺めて、耳を傾けて。自分はそんな風に生きて行きたいのです。マイペースなポンコツが恍惚を拾い集めるように。」

『YOAKEnoAKARI』という屋号の生まれた背景は、日本語の言葉の響きが美しいことと、安田さんが幼少時に感じた経験から来ています。子供の頃、青森の冬の朝、夜明け前は真っ暗で雪に覆われているのですが、家には昔から薪ストーブがあり、暗闇の中で、その薪の燃える炎がほっと心を和ませていました。火の持つ光の温かさ、夜明けの時間帯の儚い美しさに心惹かれたことが、この名前に由来しているといいます。津軽の暗く厳しい冬だからこそ、温かな光に救われる、祈りのような気持ちが生まれるのかもしれません。
「でも実は、音楽イベントなどでキャンドルの装飾をすると、そこで私が夜明けまで遊んでキャンドルは置きっ放し、自分は代行で帰る、みたいなことも昔あったので、ヨアケノアカリなのかも。その辺がやっぱりポンコツなんですよね」。
職人としてストイックに探求し、アーティストとして確固たるこだわりを持ちながらも、適度に肩の力の抜けた愛嬌を覗かせる、そんな安田さんの気取らないキャラクターが、キャンドルの魅力にもきっと繋がっているのでしょう。

展示準備は体力勝負。そして時間との戦い。安田さんはイベントやパーティーなどで空間装飾を手がける、デコレーターのような仕事もしている。家具屋で働いたこともある経験から、空間のスタイリングは得意。

取材時にインスタレーションを披露してくれたのは『国際芸術センター青森』の展示棟にある「水のテラス」。通りがかった誰もがしばし立ち止まり、息を飲んだ。

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Instagram : https://www.instagram.com/yoakenoakari/

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本当のラグジュアリーとは何か? その考え方次第で、人生の豊かさは決まる。[HIRUME/福島県会津若松市]

「たとえ貴重な骨董品でも、私は暮らしの中でしっかり使います」と話す、冨永 愛さん。

冨永 愛×ヒルメ

豊かな生活には、身近に工芸品がある。

モデルとして日本人が世界で活躍する、大きな扉を開いた冨永 愛さん。17歳でニューヨークへ旅立ち、東洋人がランウェイを歩く地盤を築くまで、様々な試練と戦い続けてきました。国内外を飛び回る中で磨かれた審美眼は、古くから受け継がれ、あるいは発展されて、現存しているものに惹きつけられるといいます。

冨永さんが見せてくれたのは、継承した技術を駆使し進化させた「漆・蒔絵バングル」と作家の背景に想いを馳せるという「陶磁器」。こうした「Made in Japan」の本質の伴うものを、アクセサリーとして、食器として、生活に密着させ思い切り使うことに、豊かな気持ちになれる鍵がありました。

日本の伝統と革新を身につけられるバングル。「つけると、人生が豊かに感じられます」。

冨永 愛×ヒルメ伝統ある手仕事を身につけることこそ、本当のラグジュアリー。

冨永さんはある時に聞いた、「伝統芸能や工芸は、革新をしていかないと残らない」という野村萬斎氏の言葉に強く同感したといいます。「日本の素晴らしい文化、伝統、習慣はちゃんと継承していくべきだけど、ただ引き継いでいくだけでは残っていかないのだと、実感しています」と冨永さん。

もともと価値のある工芸を新しいモノとしていく、その信条の表れとして手に取ったのが、『HIRUME』の「漆・蒔絵バングル」です。古代、現代、未来を循環させる日本のものづくりの力を発信するブランドが、会津の伝統工芸士と一つひとつ丹精込めて生み出した逸品。機械には真似できない、漆を何層にも塗り重ね研ぎ出すことで表情が生まれる、このバングルを身につけることは、本質的な贅沢でもあります。「ラグジュアリーという言葉の本当の意味は、ファッションのひとつとしてちゃんと人の手の込んだ、伝統を受け継いだものを持つことで得られる、人生の豊かさでもあるのかなと今は思っていて。そういうモノを選べる生き方をしていきたいですね」と、冨永さんは話します。

漆ならではの深く上品な輝き、工芸士が研ぎ出した面が美しい。木製の土台のため、つけ心地も優しく軽い。

「1点1点、全て職人による手作り。人の手によって生み出されたものは、用途を超えた美しさがあります」と冨永さん。

冨永 愛×ヒルメ時を超えて、職人の手仕事を現代に生かす。そして受け継ぐ。

『HIRUME』のように、現代の技術を生かした工芸がある一方で、本当に古き良き匠の工芸も美しい。その両面から冨永さんは日本の工芸と向き合っています。
「海外へ出てから日本の文化が好きになって、最初は古い着物が欲しくて骨董市に行き始めたんです。でもそこで気に入ったのが、九谷焼の器でした。絵付けが手描きだったり、同じ柄でも作り手によって少しずつ違う。当時の職人はどうしてこの絵を描いたのかな?とその過程を考えながら、今にはないその人たちの時代の感性に想いを馳せるのが面白いんです」と、陶磁器を集め始めた理由を、冨永さんは話します。

冨永さんの器のコレクションは九谷焼に限らず、室町時代の漆器、李朝白磁の器、フランスで購入したカフェオレボウルなど、様々。年代物の貴重な品もありますが鑑賞用にはせず、漆器はお椀にしたり、日常で気前よく使っているのだといいます。重要なのは、自分にとって価値のある、背景のあるモノに囲まれた、ライフスタイルと生活空間を作ること。その中に身を置くと、ふとした時に心が和み、暮らしに彩りが生まれるのです。
「この九谷焼の皿の絵は、黒い頭で金色の羽のスズメなんです。全然そうは見えないんですけど、横に漢字で“雀”と書かれてあるから気付いて。作り手のユーモアを感じると、合わせる料理のイメージも広がりますね。蕎麦猪口やぐい呑みは飲み干した時に、底に描かれた絵を見るのも楽しいですよ」と冨永さん。

暮らしの中で道具を使えば、割れたり欠けたりしてしまうこともあります。そのたびに金継ぎをして、また味わい深い形に蘇らせるのが、冨永さんの器との付き合い方。先人もそうしてモノを慈しみ、古器は何人もの人の手に渡り、色々な時代をくぐり抜けてきました。時には人の寿命よりも長く現世にあり続けますが、持ち主が乱雑に扱えばすぐに消えてしまうモノでもあります。「長い歴史を経て、自分のところにやって来たっていうのが、可愛くもあるじゃないですか。それが骨董品に愛着を感じてしまう理由のひとつでもあります」と冨永さんは言います。

色合いも鮮やかな花鳥画が描かれた九谷焼。「ちょっとした副菜を入れるのにもぴったりです」。

内側の側面に斑点が見える蕎麦猪口。食すたびに柄が見えてくるのも楽しい。

どこか愛嬌のある絵付けを見ながら、「当時の職人さんの遊び心に和まされますね」。 

「どんな理由があって、子供より大きな壺を描いたんだろう?と気になります(笑)」。

冨永 愛×ヒルメ冨永 愛が考える、「ジャパンクリエイティブ」とは。

前述した野村氏の言葉の他に、冨永さんの視点に広がりを与えたのが、谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』でした。西洋との本質的な相違に目を配り、便利さを求めたために失われた日本的な美の本質を問う本書。例えば、現代の蛍光灯の下で見る金蒔絵は柄が派手にも感じられますが、制作された江戸時代の明かりは蝋燭の灯火。その中で、ぬらっと美しく光る様子を美学としていたと知れば、ものの感じ方も変わってくるといいます。「こうした知識を自分の厚みにしていくと、若い頃とは違う感性が生まれて、歳を重ねた甲斐があると思いますよ。つるっとした綺麗な漆椀を開けて、四季が描かれていると、今はもう官能的にすら感じます(笑)」と冨永さん。

日本特有の四季を、伝来した器に表し独自の美しさを追求してみせるのは、日本人らしい表現ともいえます。日本発祥のモノを改良し存続させてきた一方で、古より日本は他国の文化を吸収し、国の風土や時代に合う様式を模索して、自分たちの形を残してきました。冨永さんは、「ジャパンクリエイティブ」とは、こうして発展され続けていくべきだと考えています。「繊細な技術と趣きをものに吹き込める、日本がすごくものづくりに長けている国だと思うからこそ、時代を超えて存在し続けるには、進化していかなければならない。それが今後の課題になるのではないかと思います」と冨永さんは語ります。

大事なことは、先人たちが続けてきたように、本質に忠実でありながら、その時代の日本に最適な創作をしていくこと。

冨永さんが考える「ジャパンクリエイティブ」とは、つまり「継承」。
継承することができなければ、革新することはできず、伝統は成し得ないのです。

17歳の時にNYコレクションでデビューし、一躍話題となる。以後約10年間にわたり、世界の第一線でトップモデルとして活躍。その後、拠点を東京に移し、モデルの他、テレビ、ラジオ、イベントのパーソナリティなど様々な分野にも精力的に挑戦。日本人として唯一無二のキャリアを持つスーパーモデルとして、チャリティ・社会貢献活動や日本の伝統文化を国内外に伝える活動など、その活躍の場を広げている。

風土と人の手がつくる「クラフトな美味」。佐渡島の食を通じて見た新潟の食の奥深さ。~平野紗季子編~[Niigata Gastronomique Journey/新潟県]

新潟ガストロノミックジャーニーOVERVIEW

4賢者の紅一点を飾るのは人気フードエッセイストの平野紗季子さん。トップガストロノミーから老舗の一品、スイーツ、ジャンクフードまでユニークな視点と語り口で斬りまくり、味わいや料理人の仕事を伝えるのみならず、その価値を、食のシーンまでもを再編集してしまう稀代のタレントです。現在は、執筆活動のみならず、スイーツやショップ、商業施設のプロデュースも手掛ける敏腕。

平野さんが訪れたのは、佐渡島。フレンチ、イタリアン、蕎麦ダイニング3軒の店を軸に、郷土色豊かな海産物加工品店から新スタイルのワインショップまで、気の赴くまま土地を味わう旅をします。実は初めての佐渡島。新潟県の中でもユニークな地形と気候、それらが育む自然と島ならではの独特な文化に触れるスポットにも足を運び、豊かな食の背景に触れるひとときも。平野さんの感性に、佐渡島とそこで生まれる味がどう響くのか。その旅に密着します。

【関連記事】Niigata Gastronomique Journey/風土に根ざした独自の美食が花開く新潟へ。4名の食の賢者が各地を旅し、その全容を本気で斬る

1991年福岡県生まれ。小学生から食日記をつけ続け、大学生時代に日常の食にまつわる発見と感動を綴ったブログが話題になり文筆活動をスタート。雑誌「Hanako」「POPEYE」などで多数連載を持つほか、イベントの企画運営・商品開発など、食を中心とした活動は多岐にわたる。著書『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)。instagram: @sakikohirano


(supported by 新潟県)

学びを、表現の源流を足下の海川山に求め、自分の手でつくり上げた「里浜ガストロノミー」。[pesceco/長崎県島原市]

ペシコOVERVIEW

2018年8月。島原のレストラン『pesceco』は、大きく舵を切りました。町の繁華街で3年9カ月営んだカジュアルなイタリアンレストランを閉め、海沿いの一軒屋を新たな拠点として再スタートしたのです。完全予約制で、料理は昼夜ともおまかせのコースのみに。
「敷居が高くなった」と、足を遠ざけた地元客もいます。その一方で、「ここでしか食べられない料理がある」「店での食事を目的に島原へ旅する価値がある」と、県外から訪れるゲストが少しずつ増え始めています。

井上稔浩シェフは、島原生まれの島原育ち。県外に、いや世界に伝えたい島原の素晴らしいところも、他の地方都市同様に抱える少なくない地元の問題点についても、誰よりもよく知っています。そのうえで「島原が好きだから」と、この地に根を張る道を選びました。愛する故郷のために、料理人だからできることがある。店のあり方を大きく変えた移転リニューアルは、井上シェフの「覚悟」にほかなりません。町の外の人にとっては、ガストロノミー界に彗星のごとく現れたニューフェイス。そのユニークな歩みと、『pesceco』が示すローカル発のガストロノミーの可能性を追います。

住所:長崎県島原市新馬場町223-1 MAP
電話:0957-73-9014(完全予約制)
営業時間
 昼:12時入店
 夜:19時入店
定休日:不定休
pesceco HP:https://pesceco.com/

デニムストリートの姉妹店をご紹介☆

 

 

 

こんにちは目音譜

 

いきなりですが、

倉敷デニムストリート姉妹店があることを

ご存じでしょうか??ニコニコキラキラ

 

 

 

じつは、、、
倉敷の他に

3店舗あるんです!!

 

 

 

 

軽井沢デニムストリート(長野県)

 

こちらのお店はご存じの方も多いはず、、、

レンガ調のオシャレなお店ですイエローハーツ

 

 

デニムのバッグ、小物、アパレルはもちろんのこと

軽井沢にはワンちゃん犬とお散歩されている方が多いので

とくにワンちゃんのオシャレなお洋服をたくさん取り揃えていますキラキラ

 

 

 

倉敷のようにメンズ館、レディース館もあるんです上差しブルーハーツ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草津デニムストリート(群馬県)

 

草津温泉、西の河原通りで営業しているお店ですグリーンハーツ

 

 

 

 

 

白を基調とした店内がとてもオシャレで

バッグ、ワンピース、パンツ、ストール、帽子など

幅広いデニム商品が沢山ありますルンルン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デニム雑貨工房ソラマチ店(東京都)

 

 

こちらのお店は

東京スカイツリーの1階に出来たばかりの姉妹店なのですラブラブ

 

 

 

 

見やすく清潔感がある店内に

バッグ、小物、アパレル、などなど取り揃えていますキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

岡山児島デニムも取り扱っているのです!!

 

 

 

是非、各地に行かれた際には

デニムストリートにお立ち寄りくださいませあしあと

 

 

同じデニムストリートでも、

店内の雰囲気や取り扱っているモノが若干違ったりするのも見所ですルンルン

 

 

 

 

 

 

『DINING OUT』を通して発見した能登・輪島の魅力を3人のキーマンが語る。[DINING OUT WAJIMA with LEXUS/石川県輪島市]

ダイニングアウト輪島

2019年10月、石川県輪島市にて『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』が開催されました。
石川県輪島市は日本海に突き出した能登半島北部に位置し、門前町から続く美しい棚田や海岸線とのどかな里山や里海の景色には、誰もが懐かしさを感じずにはいられない、人と自然が共生する日本の原風景が大切に残されています。

そして、この地を代表する伝統工芸といえば、言わずと知れた「輪島塗」。日本の中でも輪島は、最も高度かつ広汎に漆文化が花開いた舞台なのです。なぜ輪島に最大の漆文化が花開いたのか?その答えを辿るべく設定された今回の『DINING OUT』のテーマは、「漆文化の地に根付く、真の豊かさを探る」。

この壮大なテーマに挑んだのは『DINING OUT』史上初のふたりのシェフでした。
ひとり目は、東京・西麻布「AZUR et MASA UEKI」の植木将仁シェフ。日本の優れた食材をフランス料理の技法で調理する「和魂洋才」をコンセプトにした、オリジナリティ溢れる料理で定評があります。石川県の出身であり、能登半島の食材の知識も豊富です。

ふたり目は、ジョシュア・スキーンズ氏。2009年 熾火料理を主としたスタイルの「Saison」をオープン。最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び、アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。今世界が最も注目するシェフの一人です。

ディナーホストを務めたのは、『DINING OUT』ではおなじみのコラムニストの中村孝則氏が7回目の登場。

そして、今回は更なるサプライズをご用意。「輪島塗」に新たな息吹をもたらすプロジェクト『DESIGNING OUT Vol.2』も同時開催され。クリエイティブプロデューサーとして、新国立競技場のデザインを手がけたことも記憶に新しい、世界的な建築家である隈研吾氏を迎え、輪島塗職人と共にオリジナルの輪島塗を完成させました。

今だかつてない豪華メンバーを結集させた『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』。3人のキーマンが振り返ります。

【関連記事】DINING OUT WAJIMA with LEXUS

1967年石川県金沢出身。1990年より渡仏し、南フランスの四ツ星ホテル『ホテル ル デュロス』をはじめ、フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積む。帰国後、1993年『代官山タブローズ』スーシェフを経て、1998年『白金ステラート』オープンと共にシェフに就任。2000年に独立後、青山に『RESTAURANT J』をオープンした。2007年からは軽井沢『MASAA’s』、銀座『RESTAURANT MASA UEKI』を経て、2017年には株式会社マッシュフーズとともに同店をオープン。日本の伝統的な食材や伝統文化を探求しながら自身の料理に落とし込み発信することで、オープンから間もなくして注目を集め、高い評価を得ている。2016年世界料理学会イン有田と函館にてスピーカーとして登壇もしている。
AZUR et MASA UEKI HP:http://www.restaurant-azur.com/

2006年、『Saison』のコンセプトを産み出し、2009年にサンフランシスコにて1号店をオープン。
熾火料理を主とした料理スタイルで食材の自然のあるべき姿を尊重しながら、最高品質の食材への追求とその革新的な調理法で注目を浴び,アメリカ人として熾火料理で唯一ミシュランの3つ星を獲得。「the world’s 50 best restaurant」、「Food & Wine’s 」のベストニューシェフ、「Elite Traveler Magazine’s」の次の世代を担う最も影響力のあるシェフ15名にも選出される。2016年、更なるイノベーションの促進と成長のプラットフォームを提供するために、『Saison Hospitality』 を設立。2017年には想いをLaurent Gras氏に引き継ぎ『Saison』の現場から完全に身を引き、さらなる革新と研究のラボラトリーとして『Skenes Ranch』を設立。同年、サンフランシスコ沿岸に Skenesの海に馳せる想いを込めた『Angler』をオープンさせると、 2018年 Esquire Magazineにて全米のベストニューレストラン、GQにおいても全米ベストニューレストランに選出され、ミシュラン一つ星を獲得。2019年にはビバリーヒルズに『Angler』 の2号店をオープン。今、世界が最も注目する料理人の一人である。

神奈川県葉山生まれ。ファッションやカルチャーやグルメ、旅やホテルなどラグジュアリー・ライフをテーマに、雑誌や新聞、テレビにて活躍中。2007年に、フランス・シャンパーニュ騎士団のシュバリエ(騎士爵位)の称号を受勲。2010年には、スペインよりカヴァ騎士(カヴァはスペインのスパークリングワインの呼称)の称号も受勲。2013年からは、世界のレストランの人気ランキングを決める「世界ベストレストラン50」の日本評議委員長も務める。剣道教士7段。大日本茶道学会茶道教授。主な著書に『名店レシピの巡礼修業』(世界文化社)がある。
http://www.dandy-nakamura.com/

3人揃えば賑やかな笑い声が絶えない、日々を楽しみながら伝統を受け継ぐ、刺し子ユニット。[TSUGARU Le Bon Marche・三つ豆/青森県五所川原市]

左から一戸晶子さん、工藤夕子さん、一戸正子さん。集まればいつもお喋りが弾む。雑談しながらも、ひと針ひと針、仕事の手は止まらない。

津軽ボンマルシェ生活の必需品から、芸術作品を生む楽しみへ。

津軽を代表する伝統的手工芸「こぎん刺し」。その歴史は江戸時代からといわれます。当時、北国で暮らす農民にとって、綿は栽培することが難しいため、とても高価なもので、着ることすら制限されていました。日常に使われていたのは麻でしたが、寒さの厳しい冬に、風通しの良い麻の着物では凍えてしまいます。そこで、麻布に綿の糸を細かく刺すことで、布目が詰り、厚みが出て、防寒の役目を果たすという生活の知恵が生まれました。また、ほころんでしまった布の補強をする役目も担っていました。津軽地方の方言では、作業着のことをこぎん(小布)と呼び、藍染の麻布で作られた作業着に、白い糸で刺したことが、こぎん刺しの始まりだったといわれています。それがいつしか多様に美しい図案が生まれ、家仕事をする女性たちの楽しみに変わっていったのでした。

1942年にホームスパンとして設立され、民藝運動の柳宗悦らの勧めにより、こぎん刺しの研究機関となった『弘前こぎん研究所』は、津軽のこぎん刺しを研究・保存し、次の世代へと伝えている重要な機関です。ここでは「モドコ」と呼ばれる伝統的な図案を組み合わせ、布や糸の色は昔に比べてもっとカラフルで自由になり、今の暮らしに馴染むデザインのバッグや小物などが制作・販売されています。こぎん刺しは、その美しい連続的な幾何学模様に魅了された手芸好きな人たちの間で現在も静かに脈々と続けられており、祖母や親から教えてもらう人もいれば、弘前こぎん研究所の講座などで技法を学び、深みにはまっていく人も多いようです。『三つ豆』を立ち上げた工藤夕子さんもその1人でした。

工藤さんは、これまでに津軽ボンマルシェで紹介してきた『スノーハンドメイド』や『KOMO』など、気鋭の作家たちとも交流があり、『パン屋 といとい』の成田志乃さんからは「夕子さんのこぎん刺しには、夕子さん本人の持つ魅力が宿っている。そこに惹き込まれます」と一押しの声を頂きました。どうやら津軽には工藤ファンが多いようなのです。一体どんな人が作っているのでしょうか。

【関連記事】TSUGARU Le Bon Marché/100年先の地域を創造するために。多彩で奥深い「つながる津軽」発掘プロジェクト!

津軽地方独特のこぎん刺しは、縦糸を1・3・5と奇数の目を拾って刺していくのが特徴。南部地方には偶数の目を拾って刺す「南部菱刺し」という工芸品がある。

津軽ボンマルシェ三つの「豆こ」が集まって紡ぎ出す美しい紋様。

刺し子やこぎん刺しで様々な作品を作り、津軽らしい暮らしの温もりを伝える、女性3人組のチーム『三つ豆』。五所川原にある工藤さんのアトリエを訪問すると、部屋の中からなんとも賑やかな笑い声が聞こえてきました。工藤さんの元に集まっていたのは、母である一戸晶子さんと、伯母の一戸正子さん。3人が仲良くテーブルを囲み、チクチクと針を動かしています。

「週に一回、月曜日は三つ豆の日って決めているの。最初は晶子さんが刺し子でちっちゃいのを作っていて、これいいねって。私も縫うのが好きだったから、じゃあ2人で何か作ろうかってね」。
と正子さん。
「正子さんは刺し子上手だったから、教えてもらったりして。そのうち夕子がこぎん刺しを始めて、それじゃあ3人で一緒にやりましょうよ、ってなったのよね」。
と晶子さん。お互いに教えあったり、色や柄を褒めあったり。ほのぼのとした雰囲気の中、時には娘や孫も加わって、他愛のないおしゃべりを楽しみながら、手はせっせと動かし、すいすい作業が進みます。

正子さんと晶子さんが作っているのは、主に刺し子の布作品。刺し子はそもそも日本に古くから伝わる伝統的刺繍で、全国各地で作られていますが、特に東北地方で作られたものが、広く知られているようです。藍染布や、白い晒し布に綿の糸で様々な模様を刺していくのが基本。刺し方に法則のようなものはありますが、こぎん刺しほど目は細かくなく、もっと大らかで大胆な色の組み合わせができることが特徴です。選ぶ色によって雰囲気もガラリと変ります。刺し方には様々な名前が付いており、「麻の葉」「矢羽根」「青海波」などの伝統模様があります。2人がよく作っているのは「紫陽花」というもので、たくさんの紫陽花が満開に咲いたような、可憐で華やかな印象の刺し子です。

そして刺し子の中でも「日本三大刺し子」と呼ばれる、より複雑な技法の一つがこぎん刺し。こぎん刺しの作品は主に工藤さんの担当です。こちらも伝統的な図案には名前が付いており、「花こ」「てこな(蝶々)」「猫の足」など、なかなかユニーク。生活に身近なものを表した名前が数多くあります。実は『三つ豆』というユニット名も、その基本的な図案の一つである「豆こ」に由来しています。豆ことは、ポツンとまあるい、シンプルな刺繍。3人が集まって、わいわい手仕事しているところを工藤さんの夫が見つけ、「まるで三つの豆こみたいだな」と冗談で言ったことが始まり。小さくてシンプルな3つの豆が、繋がることで驚くような美しい模様を生み出し、無限の広がりを見せる、そして親から子へ、家族から仲間へ、様々な人の繋がりも生み出していく、そんな可能性を感じさせてくれる、とても素敵な名前です。

工藤さんの母、一戸晶子さんが作った刺し子作品。布巾とのことですが、色の合わせ方が絶妙で、額に入れて飾りたくなるような美しさ。晶子さんは元数学教師で「私数字には強くて、刺し子にも役立つのよ」と笑う。

コースターとして使えるよう、小さく作られたものも。色の組み合わせを考えるのが何よりの楽しみ、という正子さん。孫がアイデアを出してくれることもあり、そんな時は新しい発見があるとか。

津軽ボンマルシェ人との出会いが道を作り、思わぬ方向へ広がっていく。

工藤さんは、子供の頃から手作りすることが大好きだったといいます。手芸好きな母の晶子さんに教わり、小学生の頃からクッションやバッグなどを作っていました。妊娠中は、生まれてくる子供のために服も作っていたそうです。そうこうするうちに自然な流れでフリマやハンドメイドイベントに参加して、自分で作ったものを少しずつ売るようになっていきました。

「母がこぎん刺しを好きでやっていましたし、自分も津軽の出身だから、いつかやってみたいなとは思っていました。ある時、とある刺繍作家さんのイベントで、こぎん刺しをやってみたい、と話していたら、一週間後に弘前こぎん研究所主催の教室がありますよ、と教えてもらって。そこで基礎を学んだことがきっかけです。以後、こぎん刺しの作品も少しずつ作って販売するようになりました。そうしたら、五所川原のコミュニティカフェで置いてくれるようになったり、金木に『駅舎』っていうカフェ(旧芦野公園駅。太宰治の小説「津軽」にも登場する)があるんですが、そこで展示をしませんかって声を掛けてもらったり。こぎん刺しについては、不思議なことにいいタイミングで誰かしらの導きがあるんですよね。震災後の2012年からは弘前の『集会所indriya』というカフェで教室を始めましたが、それもここの店主が作品を買ってくれたことがきっかけで、やってみたら?と背中を押してくれたんです」。

近年は津軽だけにとどまらず、東京を始め、全国各地で個展やワークショップを開催。パリやニューヨークにも出展するなど、活躍の場を広げています。どれも自分から売り込むというより、周りの人のご縁で緩やかに道が開けてきた、というのも工藤さんらしい人柄を表しているようです。
ここでちょっと余談ですが、そんな工藤さんのもう一つの特技はなんと陸上競技! 体育大学を卒業しているというのだから本物です。今でもマラソン大会に出ることもあるそうで、スポーツ好きで手芸好き、という異色のキャラクターの持ち主。高校時代はジャージを入れるバッグも自分で手作りしていたとか。工藤さん曰く、長時間刺繍をしていると、無性に運動したくなる時が来るのだそうです。

「静と動の融合と言いますか。私にとってはどちらも大好きで大切なこと。両方あるからバランスが取れているんだと思います。手芸に疲れたら走ることでいい気分転換になって、また手芸に集中できるし、肩こり解消にもなりますよ」。
まるで運動部と文化部を行き来するような工藤さんは、細やかな気遣いを見せながらも、さっぱり明るく元気に笑い、バランス感覚のある人。そんな工藤さんのところにきっと多くの人が集まってくるのでしょう。

「津軽の魅力は海も山もあること。何もないようでいっぱいある。ここから海までだって自転車でいけますよ。1時間くらいかな?」と工藤さん。いえいえ五所川原から海まではなかなか遠いですが……さすがスポーツ好き!

モダンで洗練された印象の中に温かみを感じる工藤さんの作品。こぎん刺しは伝統的な図案の他、工藤さんが考案したオリジナル図案を刺すこともある。コギンザシスト(こぎん刺し作家)は日々続々と新しい図案を生み出しているという。

青森ひばで作られた小さな升に入った針山。升は知的障害を持つ方の就労支援施設に依頼して制作してもらっている。

布のバッグや小物を作る弘前の作家・たにさわあいさんとコラボした作品。しっかりした厚手リネン素材に、こぎん刺しのワンポイントがピリリと良いアクセント。

津軽ボンマルシェ名もなき津軽の女性たちの思いを今に伝えたい。

こぎん刺しの魅力とは、まず、誰でもどこでもすぐにできること、という工藤さん。図案の見方さえ分かるようになれば、あとは根気で、どんなに大きなものでも作れますよ、と心強い一言。そして針と糸と布さえあれば、どこでもサッと取り出してチクチク。そこはたちまち自分だけの小さなアトリエに。工藤さんはいつも裁縫セットを持ち歩き、ちょっとの時間も有効に使っています。

「でも何より一番の魅力だと感じるのは、津軽に暮らす女性たちにとって、こぎん刺しは郷土の誇りであるということ。その歴史的背景も忘れてはならないと思います。厳しい生活環境の中から生まれたものですが、そんな中でも模様を作るという楽しみを見つけ、根気のいる作業を続けてきた津軽の名もなき女性たちのことを考えると、なんとも慎ましく、たくましいなあと胸が熱くなります。これは現代においても、女性たちに訴えるものがあるのではないでしょうか。数の法則によって生み出される模様の美しさは無限大、でも美しさだけじゃない部分も伝えていきたいと思っています」。

工藤さんの家系は代々もの作りが好きなようで、2人の娘も手芸好き。こぎん刺しは得意で、家庭科の授業では困っている友達に教えてあげているそうです。母のイベントを手伝ってくれることもある頼もしい存在。家にあるこぎん刺しの本をいつも目にし、作ることを楽しんでいるようなので、工藤さんは特に何も言わず、自然と娘達に引き継がれていくことを、静かに見守っているとのこと。でも娘側に言わせると、こぎん刺しの話になるとつい熱がこもってしまう母の姿があるようですが…。

工藤さんは最近、歴史をたどる面白さを知り、地元である金木地域発祥の「三縞こぎん」についても調べています。こぎん刺しは地域によって刺し方に特徴があり、岩木川を境に東側で作られた「東こぎん」、西側の「西こぎん」、そして岩木川下流地域、北津軽郡金木町を中心に作られた三縞こぎんの大きく3つに分けられます。三縞こぎんは現存するものが非常に少ないため分からないことが多く、大変貴重だといわれます。工藤さんは、ずっと作りたかったという三縞こぎんをつい最近、実際に自分の手で再現しました。古い麻布は硬くて針が刺しにくく難しかった、と話し、昔の人に寄り添って、思いを馳せます。三つ豆の作るこぎん刺しや刺し子に、言葉にならないような惹き込まれる魅力を感じる理由は、時代をしなやかに生きた昔の津軽の女性たちへの尊敬や憧れが、ひと針ひと針に静かに込められているからかもしれません。針と糸が紡ぎ出す優美な模様はたくさんの物語を秘め、手に取る人へ優しく語りかけてくれるようです。

木枠に入った作品は、希少な「三縞こぎん」を再現したもの。右脇は教室の生徒さんたちで1枠ずつ作ったこぎん刺しをコラージュのように繋ぎ合わせた合作。

工藤さんのこぎん刺し用裁縫セット。出かける時もいつも持ち歩き、空いた時間ができたら、さっと広げてチクチク作業する。

ちょっと一息、休憩のお茶タイム。「世間話やテレビの話、身内の話など、話題は尽きないわね」「喋っている時間の方が長いかもしれないわ」と笑い合う晶子さんと正子さん。

http://mitumame-aomori.com/


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完熟の『ル レクチエ』を使ったデザートがついに完成。藤木千夏シェフが出した答えとは? [ル レクチエ/新潟県新潟市]

2019年11月、惜しまれながら幕を下ろした名店『Umi』。最後のコースのデザートには『ル レクチエ』のパフェが選ばれた。

ル レクチエ想定をすべて覆す、完熟『ル レクチエ』の芳醇な香り。

2019年11月、『ル レクチエ』の産地である新潟を訪れ、『ヤマヨ果樹園』にてジュースやペーストを試食した藤木シェフは言っていました。「温めてみたらどうだろう? 果実を焼いてみたら? スープにしたら? いろいろと浮かんできます」その上質な甘みが、藤木シェフにさまざまなアイデアを届けたのでしょう。

そして数週間後、追熟が終わった食べ頃の『ル レクチエ』が段ボール箱に詰められて藤木シェフの元に届きました。その箱を開けた瞬間に広がる芳醇な香り! 「食べ頃の『ル レクチエ』は、こんなに素晴らしい匂いなんだ!」その香りは、またたく間に藤木シェフの心を捉えます。そして想定していた構想はすべて消え去りました。「あれこれせずに、この感動をそのまま伝えたい」そうして藤木シェフのメニューは、ほぼ迷うこともなく完成しました。

【関連記事】ル レクチエ/桃のような口溶けと上品な甘み。高級西洋なし『ル レクチエ』の魅力を、料理で表現するために。

『ル レクチエ』の産地・新潟を訪ねた藤木シェフは、その栽培や追熟の技術に熱心に耳を傾けた。

ル レクチエ果実そのものをダイレクトに味わう究極のデザート・パフェ。

『ル レクチエ』が届く前、藤木シェフは厨房でメニューを考案していました。シェフの目の前にあるのは、『ル レクチエ』ではない、一般に流通している洋梨。甘みはとても繊細。香りも柔らかく上質。そんな魅力を活かすため、藤木シェフは洋梨を温かいスープに仕立て、香り豊かなバジルのアイスを添えました。それはその段階で考えうる最上の洋梨の表現。メニューは早くも確定したかに思われました。

そして届いた『ル レクチエ』。まず生で試食した藤木シェフは衝撃を受けます。「繊細なのに味が濃い。果実はみっちり詰まっていて、でも滑らか。そして鼻に届く素晴らしい香り」それがはじめて『ル レクチエ』を味わった藤木シェフの第一印象。そして藤木シェフは考えます。「この素材に足し算は必要ない。このおいしさをそのまま伝えよう」と。そしてメニューを変更し、『ル レクチエ』をダイレクトに伝えるメニューに舵を切りました。そのメニューはシンプルに果実そのものを味わう「パフェ」でした。

喫茶店やファミリーレストランでもおなじみのパフェ。「この『ル レクチエ』と今の私でしかできないパフェを生み出したい」と考えた藤木シェフは、「香り」を全体の主軸に据えました。そう、段ボール箱を開けた瞬間、一気にシェフを虜にしたあの香りです。

これから追熟作業に入る、収穫直後の「ル レクチエ」。

まずは『ル レクチエ』の試食。「上品な甘み、滑らかな食感など、すべてが想像していた以上」という。

ル レクチエ重層的な香りが渾然一体となり、『ル レクチエ』の魅力を引き立てる。

まず決定した組み合わせは、バジルオイルでした。バジルの先端の葉の香りをグレープシードオイルに移した爽やかなオイルです。次に、バジルの茎の部分の香りを移したブランマンジェ。滑らかな食感とバジルの香りが、こちらも『ル レクチエ』に寄り添います。柚子の果汁で作ったジュレは、香りとともに酸味の広がりを演出しました。仕上げには柚子の皮とタイムを少々。一方、合わせる『ル レクチエ』は、生のまま、そのままの果実です。食感を楽しんでももらうため、あえてゴロゴロのサイズにカットしました。

途中まで入れていた生姜のクランブルは、滑らかな食感の邪魔をしてしまうため、外しました。パフェにつきもののアイスも、今回は無しにしました。あくまでも主役は『ル レクチエ』。そしてテーマは「香り」です。

グラスに盛られた複数の層。スプーンで下から掬って、一度にすべての要素を味わいます。『ル レクチエ』、バジル、柚子、タイム。香りは複雑なようでいて、「清涼感」という共通項があるため違和感なく調和します。『ル レクチエ』の絹のような食感は、ブランマンジェとともに頬ばっても一緒に滑らかに溶けていきます。全体を包む優しい甘みと、柚子のほのかな酸味、そして鼻から抜けていく香り。パフェの語源は、フランス語で「完全な」を意味する「parfait(パルフェ)」。そのまま食べても最高の『ル レクチエ』を、そのまま以上においしく味わう、完全なデザートの完成です。

追熱後の『ル レクチエ』。桃やマンゴーのようなきめ細かいテクスチャが自慢。

さまざまな香りの要素が絡み合い、『ル レクチエ』の持ち味を引き立てる。

多彩な要素が同居するだけに、全体のバランスが肝。盛り付けも含め、まさに“完璧な”パフェが誕生した。

ブランマンジェ、ジュレ、そして『ル レクチエ』の果実。それぞれの食感のバランスも絶妙。

ル レクチエ名店のフィナーレと新店の幕開けを飾る『ル レクチエ』のパフェ。

藤木千夏シェフは2020年、故郷である福岡に新店を開店予定。その準備のため、藤木シェフの店であった恵比寿『Umi』は、2019年11月で幕を下ろしました。その最後の10日間、『Umi』のコースのデザートには、このパフェが登場しました。数々の食通を唸らせてきた名店のフィナーレを、『ル レクチエ』のパフェが飾ったのです。

そして朗報がひとつ。2019年12月中旬(予定)までは、藤木シェフが監修するニューオープンのカフェ『À L'AUBE』にて「季節のパフェ」としてこのパフェが味わえます。

11月末に開店した『À L'AUBE』はインテリアショップ『Francfranc』が手掛ける新たなライフスタイルブランド。藤木シェフはこの店のカフェの料理全般を監修したほか、今後福岡に拠点を移した後も、季節メニューの監修などを続ける予定。「現在の自分にできることを、すべて出し切っています」というカフェだけに、『Umi』と変わらない、素材感が際立つ料理が楽しめることでしょう。

このパフェについても「『Umi』との違いはポーションだけ。コースのデザートと違い、カフェでは一品で満足できるサイズ感になっています」と藤木シェフ。そんな藤木シェフの思いが籠もった『ル レクチエ』の「季節のパフェ」は『À L'AUBE』にて12月中旬までの限定販売。ただし売り切れ次第終了となるためお早めに!

『À L'AUBE』では厨房の技術指導も藤木シェフの仕事。スタッフたちに持てる技術と知識を伝える。

『À L'AUBE』では、12月中旬まで限定の「季節のパフェ」として、やや大きめのポーションで提供。

『Francfranc』が手がけるカフェだけに、スタイリッシュに統一された『À L'AUBE』の店内。使用される食器などは店内で購入できる。

住所:〒108-0071 東京都港区白金台4-19-20 Barbizon白金台ビル MAP
電話:03-6456-2927
https://a-laube.com/

1984年生まれ、福岡県柳川市出身。高校卒業後に料理専門学校に入学し、在学中から『ホテル オークラ』に勤務、卒業後は同ホテルに就職し、5年間研鑽を積む。24歳で渡仏し、ビストロや星付きレストランで修業、帰国後に銀座『ロオジエ』などを経て、2014年に再びフランスへ渡り、パリの『Retaurant Sola』でスーシェフを務める。2017年に帰国後、恵比寿『Umi』のシェフやカフェの監修などを務める。


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渋谷という街から、改めて発信する伝統工芸の価値。[Discover Japan Lab.(ディスカバー・ジャパン ラボ)/東京都渋谷区]

リニューアルオープンした『渋谷PARCO』の1階に国内初出店となった「Discover Japan Lab.」。「Discover Japan」編集長の高橋俊宏氏に話を伺った。

ディスカバージャパンラボ『DESIGNING OUT Vol.2』のプロダクトが、東京に登場。

地域に眠る魅力を掘り下げ、その価値を発信する『ONESTORY』と月刊誌『Discover Japan(ディスカバー・ジャパン)』。そんな同じ思いを持つ両者が手掛ける『DESIGNING OUT(デザイニング アウト)』は、日本に眠る伝統的なデザインに最先端のクリエイションを加え、新しいプロダクトとして開発、発信するプロジェクトです。

2019年10月、石川県輪島市を舞台に行われた『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』の会場では、『DESIGNING OUT Vol.2』として、世界的建築家・隈研吾氏が手掛けた輪島塗の器が披露されました。
あの輪島の夜、ある人はうっとりと眺め、ある人は慈しむように手触りを確かめた美しい器。それがこの度、東京にやってきました。それも再開発に湧く渋谷の街に。

2019年11月にリニューアルオープンを果たした『渋谷PARCO』の1階、『Discover Japan Lab.(ディスカバー・ジャパン ラボ)』と名付けられたその店は、『DESIGNING OUT Vol.2』の器のみならず、日本の伝統工芸の美しさを追求するセレクトショップ。本誌の特集と連動して毎月の店頭商品も入れ替わる、まるで『Discover Japan』の誌面がそのまま形になったかのような店でした。

『Discover Japan Lab.』は、月刊誌『Discover Japan』が見つけ出した日本各地の伝統工芸をセレクトするショップ。

『DESIGNING OUT Vol.2』の器は『DINING OUT WAJIMA with LEXUS』の晩餐で実際に使用された。

世界的建築家である隈研吾氏が、国指定重要無形文化財である輪島塗に新たな風を吹き込んだ。(写真は『DINING OUT WAJIMA』にて)

ディスカバージャパンラボ雑誌を編集するように、レイアウトされる店舗。

新生『渋谷PARCO』の正面玄関を入ってすぐ左手。施設の顔となるような位置に『Discover Japan Lab.』はあります。対面には誰もが知るハイブランドの店舗。しかし『Discover Japan Lab.』の店頭に並ぶ工芸品の数々は、どこにも負けぬ存在感を放ち、堂々と鎮座しています。

「日本のものづくりが、世界的に見ても素晴らしいものであることを、改めて伝える場」月刊誌『Discover Japan』の高橋俊宏編集長は、このラボの意味をそう話します。かつて最先端のカルチャーを生み出し、発信した『渋谷PARCO』という場所から、日本の伝統をもう一度送り出す。そこにこそ、日本のものづくりを見直すきっかけを見出したのです。

そんな店のオープニングのトップに『DESIGNING OUT Vol.2』を据えたのは、「隈さんは100以上ある輪島塗の工程をすべて読み込み、そのストーリーを6枚の皿で表現したのです。これにより現地の人も“輪島塗は途中でも使える”と気づいた。作家自身もそこに気づいた。変わり続ける宿命を持つ伝統工芸のなかで、その気付きを与えるストーリーを表現したのが、さすがは隈研吾さんという部分なのです」高橋編集長はそう話しました。この器は、「Discover Japan Lab.」と石川県輪島市にある「輪島塗会館」にて数量限定で販売します。

その他の商品も、もちろん伝えるだけではなく、どれも購入可能。「我々は雑誌を通して、作家について発信しています。しかし、ただ発信しているだけでは伝統はやがて先細りになってしまう。活動の出口の部分、作家の皆さんがやっていることを世に問う場としてこのラボがあるのです」高橋編集長の言葉には、日本の伝統工芸への誇りに満ちています。

『DESIGNING OUT Vol.2』の器は6枚セット、重ねる事で隈氏らしい建築美を表現する。45万円(税別)にて少数限定で販売中。

店長・守屋成美氏をはじめとしたスタッフが、雑誌をめくるように、すべての商品のストーリー、バックグラウンドを解説する。

この日は『嬉野茶時(うれしのちゃどき)』による、嬉野茶の試飲サービスも行われていた。

ディスカバージャパンラボ遠い未来を思い描く、若き陶芸家の夢。

もちろん『DESIGNING OUT Vol.2』のほかにも、素晴らしい作品が並びます。オープンの11月にメインスペースを飾っていたのは、陶芸家・青木良太氏の作品でした。
青木氏は陶芸という分野のなかでも、とくに釉薬について研究を続ける作家。今まで世の中になかった色や質感。それを釉薬で表現する研究者でもあるのです。
「21世紀にしか作れないもの、千年、二千年後にこの時代の代表作といわれるものを作りたい」青木氏の夢は壮大です。そして周囲に何を言われようとも、青木氏は挑み続け、そして掴み取っているのです。

たとえば、金を使わずに出す金色。かつて青木氏が黒い釉薬を使っていると、偶然ちらりと金の粒が見えました。青木氏は細い糸をたどるように、その金色ですべてを覆うことを目指しました。試しては失敗することを繰り返しながら、気づけば15年。そうして完成した『ブリンブリン』シリーズは、世界で唯一の金を使わない金色の陶器です。
スワロフスキー・クリスタルを全面に焼き付けた器も、陶器の脚付きワイングラスも、世界で唯一。「陶芸の長い歴史のなか、すべてやりつくされているはずなのに、なお新しい表現ができる。これこそが陶芸の可能性なのです」青木氏はそう話しました。

他にも土鍋、曲げ木、ガラス、衣料品など、日常に寄り添いながら新たな価値を伝える工芸品がいろいろ。若者たちが行き交う渋谷という街から、改めて見つめる伝統工芸。その世代に何かを伝えることができれば、それがこのラボが存在した意味となるのでしょう。

陶芸家・青木良太氏。釉薬を突き詰める独自の世界観に注目が集まっている。

青木氏の『ブリンブリン』シリーズ。『ブリンブリン』はヒップホップのスラングで「きらびやかなこと」を意味する。

青木氏の手掛ける杯。商品の価格は数百万円のものから、日常的に使えるものまで幅広い。

木工『まる工芸』の大澤昌史氏。「曲げ物というジャンルでどこまでチャレンジできるか。今はそれだけを考えています」

土鍋の新たな価値を発信する『土楽窯』の福森道歩氏。「料理からアプローチすることで、土鍋が冬のものという概念を覆したい」という。

住所:東京都渋谷区宇田川町15-1 渋谷PARCO 1F MAP
電話:03-6455-2380