半島に残る歴史遺産を活かす。俵ヶ浦半島での暮らしを守るために動き始めた次世代。[九十九島/長崎県佐世保市]
九十九島知られていなかった俵ヶ浦半島の魅力に、触れてもらうことが第一歩。
佐世保市街地から南西に車でおよそ20分。北や西に九十九島(くじゅうくしま)湾、東に佐世保港を望む俵ヶ浦半島。庵浦町、野崎町、下船越町、俵ヶ浦町の4つの町からなる自然豊かなエリアです。俵ヶ浦半島で最も有名なスポット九十九島湾の絶景を見下ろす展望台『展海峰(てんかいほう)』ですが、今回はもっと奥まで足を伸ばしてみます。
そこで見えてきたのは、俵ヶ浦半島に残る原風景、人々の暮らし、半島が刻んできた100年以上の歴史でした。
まず話しをうかがったのは、俵ヶ浦半島の有志からなる『チーム俵』のメンバーの一人、山口昭正氏。同グループのトレイル部部長です。
「俵ヶ浦半島には4つの町があり、それぞれで『歴史遺産トレイル』、『お遍路トレイル』、『ごちそうトレイル』、『水神山神トレイル』というテーマでルートを整備しています。基本的には各町に元々あった生活道路を活かしたルート。整備の一例でいうと、ルート上に地域住民で手作りした道標を掲げたり、草刈りをしたり」と山口氏。
▶︎詳細は、SASEBO TIMES/多島美を有する海を舞台に、守るべき文化と新時代の叡智が共存する。
九十九島交流人口を増やし、雇用を生み出す。最終目標は定住者を増やすこと。
トレイルルートを新たに作るきっかけはなんだったのでしょう。
「いろいろなことが複雑に絡み合っているから…」と前置きした上で、山口氏は「まず、過疎化が進んでいることが大きな課題でした。小学校が廃校になったり、中学校も統合されるなど、子どもたちの数が減っているんです。つまり僕らぐらいの若い世代がこの地区から離れてしまっているということ。全国的に問題になっていることですが、ここもまた年々高齢化が進んでいます。それに歯止めをかけるには、俵ヶ浦半島に雇用を生み出し、定住を促す必要がある。ただ、大きな雇用を生む事業を僕らが立ち上げるのは現実的に難しい。そこで、まずは観光による交流人口を増やすために、トレイルルートを整備することにしました。その際、ご協力いただいたのが九州大学の景観研究室の樋口准教授でした。樋口准教授の“俵ヶ浦半島には多くの人々を感動させる風景が残っている”という言葉が大きなきっかけになりましたね。そこから地域の人々が一体となって道標を手作りし、この俵ヶ浦半島を歩いてもらう仕掛けを作りました」と教えてくれました。
九十九島地域住民が一体となってプロジェクトに取り組むことが大切。
漁村や農村などで全国的に問題になっている過疎化に歯止めをかけるための一つの手。今までも当たり前にそこにあった風景にスポットを当て、道標を作るなどして、歩きやすい環境を整える。しかも、それを地域住民が自分たちの手で行う。この手段なら、コストがそこまでかからない上、地域が一体となって同じベクトルでプロジェクトを進めることができます。俵ヶ浦半島における、トレイルルートの整備はまさにその成功モデル。
ただし、そのプロジェクトを進めるにあたり、誰かがリーダーにならなければいけません。その一人が山口氏というわけです。
2014年ごろから始まったこの取り組みにより、『展海峰』からさらに半島の奥へと足を伸ばしてくれる観光客も少しずつですが増えてきたと山口氏は話します。
どんな風景に出会え、歩き終わったあとにどんな思いを感じられるのか。4つあるルートのうち、俵ヶ浦半島はもちろん、軍港として栄えた佐世保の歴史まで紐解けるという、俵ヶ浦町のトレイルルート『歴史遺産トレイル』を実際に歩いてみました。
九十九島半島の南端に残る歴史遺産を巡る。それは佐世保市のルーツを探る旅。
俵ヶ浦半島の南端に位置する俵ヶ浦町は、軍港として開港した佐世保港を護るために、明治期に設置された砲台や観測所、江戸時代に海域の警備のために置かれた船番所、中世の山城跡が今なお残っています。
そんな俵ヶ浦町のトレイルはのどかな漁村の風景が広がる俵ヶ浦港からスタート。車だと一瞬で過ぎ去ってしまう風景も、歩いてみるとよりその素晴らしさを実感することができます。
道すがら、山中に「陸」と書かれた石標が多数あることに気づきます。これは明治時代、この地が旧陸軍によって管理されていた証です。トレイルルートとなっている道もかつて要塞を築く際に、港からトロッコに石やレンガなどを積んで上った道だそうです。山中には石垣なども残されており、自動車や重機がなかった時代に、こんな大規模な要塞を築いたことに驚かされます。
どんどん道を上っていくと、最初の目的地である『旧陸軍佐世保要塞丸出山堡塁観測所跡(きゅうりくぐんさせぼようさいまるでやまほるいかんそくじょあと)』に到着。ここは丸出山堡塁(まるでやまほるい)に設置された28cm榴弾砲の砲戦指揮のために建設されたもので、測遠機で敵艦との距離や弾着地点を観測して砲台に連絡する施設だったそうです。観測所の周囲に濠が掘られており、海から観測兵の動きが見えないように工夫されており、今もその形は残っていました。
九十九島かつてここが要塞だったことを示す、旧陸軍関連の遺跡群。
道標に沿って歩き、2つ目のハイライト『旧陸軍佐世保要塞小首堡塁跡(きゅうりくぐんさせぼようさいこくびほるいあと)』へ。ここは1900(明治33)年に築かれた砲台で、『丸出山堡塁』と同じく、接近する敵艦船との長時間の砲戦を想定した砲戦砲台です。24cmカノン砲4門を主兵装とし、副兵装として15cmカノン砲2門を装備した砲台で、太平洋戦争開戦後の1942(昭和17)年まで存続したそうです。
今回のトレッキングに同行してくれた地域おこし協力隊の久米川泰伸氏は、俵ヶ浦半島の魅力をこう話します。「地域おこし協力隊として2018年7月に佐世保市にやってきました。まず俵ヶ浦半島に来て感じたのが、地域の人同士の繋がりが強いこと。この一体感があってこそ、トレイルコースを整備することができたんだと実感しました。実際に歩いてみて、やはり感動するのは景色です。『丸出山堡塁』など絶景スポットもありますが、ほかは正直そこまでシンボリックな風景はありません。ただ、逆に原風景ともいえるそんな景色こそが、俵ヶ浦半島の魅力だと思っています。ぜひ、佐世保市を訪れた際は、のどかな時間が流れる俵ヶ浦半島まで足を伸ばしてほしいですね」。
九十九島半島の自然・歴史=財産と捉え、地域住民が一体となって未来へ進む。
俵ヶ浦半島は佐世保市街のように食事やショッピングが楽しめたり、観光スポットが充実しているエリアではありません。ただ、軍港として栄えた佐世保のルーツが眠る地であり、今でも『丸出山堡塁観測所跡』『小首堡塁跡』など、その証ともいえる遺跡が随所に残っています。
2018年4月には『展海峰』にあった直売所が、カジュアルでオシャレな『半島キッチン ツッテホッテ』としてリニューアルオープンするなど、『チーム俵』の動きはますます活発になっています。
半島の南端に位置する『白浜海水浴場』に代表される美しい自然、『チーム俵』として地域を盛り上げる若きリーダー、そして彼らの活動に賛同し、協力を惜しまない地域住民たち。これら3つが組み合わされば、俵ヶ浦半島の未来は明るい。実際にトレイルルートを歩いてみて、その思いを強くしました。
山口氏がふと話していた、「キレイな海があるし、レジャーとして釣りとかを楽しめるようにしたいんですよね。きっと、もっとやれることはたくさんある」という言葉もまた、頼もしい限りです。