“なんとなく”を続けたその先に アートブックフェアでの偶然の出会いが生んだ「ミッドナイトトークマガジン」

 SF映画についてだらだらと語るというテーマで制作された「ミッドナイトトークマガジン(0:00 midnight talk magazine以下、0:00)」は200部のみの少部数発行の自費出版物、いわゆるジン(ZINE)だ。新潟在住の美術家・飯塚純さんと、東京在住の写真家・龍崎俊さんと鈴木理恵さん夫婦、そして新潟在住のデザイナー2人の計5人で制作されている。新潟と東京という離れた距離でジンを作り始めたのは、「東京アートブックフェア(TOKYO ART BOOK FAIR以下、TABF)」がきっかけだったという。飯塚さん、龍崎さん、鈴木さんに、創刊の経緯とジンという発行形態にこだわる理由を聞いた。

 アート出版に特化して2009年にスタートした日本で初めてのブックフェア「TABF」は昨年10周年を迎え、回を重ねるごとに盛り上がりを見せている。第1回目は、アイオブジャイル(EYE OF GYLE、現ジャイルギャラリー)とヴァカント(VACANT、2019年に閉業)の2会場で100組にも満たないアーティストや出版社、ギャラリーが集うイベントだったが、近年は約350組が出展し、来場者は2万人以上というビッグイベントとなっている。出版物の売買だけでなく、アートブックにまつわる展示やトークイベント、紙や印刷のプロによるプリンターセクション、フードトラックなどによる飲食コーナーなどもあり、まるでフェスのようだ。近年は台湾や上海などアジア圏のアートブックシーンが活気づいているが、「TABF」は現在アジアで最大規模のアートブックフェアであり、その文化をけん引する存在ともいえる。

 そんな「TABF」をきっかけにジンと呼ばれる自費出版物に興味を持ったり、ジンを作り始めたりと、新たなコミュニティーが生まれて出版物に発展するケースは多々あると思う。今回紹介する「0:00」も、「TABF」で出会った作家同士の交流で生まれたジンだ。

 新潟県在住の美術家・飯塚純さんは、16年の「TABF」に初めて出展した。出展の少し前に知ったという、金沢市でアーティスト・ラン・スペース「アイアック(IACK)」を主宰する写真家・河野幸人さんの写真に惹かれて、別の階に出展している河野さんのブースに行くと、そこにいたのが写真家の龍崎俊さんだった。河野さんと龍崎さんは13年に「ステイアローン(STAY ALONE)」というプロジェクトを立ち上げ、タブロイド誌を発行(現在休刊中)していた。「龍崎さんのお名前も活動自体も全く知らず、初めてお会いした龍崎さんのジンをその場で見ました。僕は美術大学の映像科出身なのですが、映画的な作品だなと感動して何冊か購入しました。そのうちの1冊が『ブレードランナー』から引用した作品だとすぐにわかったんです」と飯塚さんは当時を振り返る。すぐにフェイスブック経由でメッセージを送り、交流が始まった。

 その後愛知県名古屋市のギャラリーを併設した本屋「オンリーディング(ON READING)」で開催された龍崎さんの個展に飯塚さんが足を運び、翌日、龍崎さんとそのパートナーで写真家の鈴木理恵さんと一緒に朝食を食べながらいろいろな話をした。龍崎さんが「スター・ウォーズ」が好きで、武蔵野美術大学造形学部映像学科に入学したことを知ったのもその時だ。龍崎さんは、「ばかげた夢なんですけど、『スター・ウォーズ』が大好きで当時はまだ予定がなかった“エピソード7”を撮りたいがために映像学科を目指しました。ただ、実際に映画を撮るという勉強を始めると、監督は人を動かす仕事だし、作るという行為からはかけ離れている。会社に属して映画を撮るというのが今の大きな映画の主流で、個人で映画を撮るというのはあまり現実的ではないというのが実際だと思うんです。そうなると、たくさんの人を動かすというのは、自分が想像していた映画作りの方法と全然違うものだったということに気づいたんです」と話す。

 その頃に写真の授業を受け、朝撮影したネガが夜にはプリントになっているという状況を新鮮に感じたのだという。「写真は未来に見ることを目的として撮る行為で、タイムカプセル的な要素がある。人に宛てる手紙も、それが読まれるのは未来ですよね。それが自分が求めているSF映画の主題だなと感じて」。そこから龍崎さんは写真を撮り始め、もう20年近くになる。

 飯塚さんは龍崎さんの話を受け、「作っている作品は全然違うけれど、似たきっかけで僕も映像を志している部分があったのですごくシンパシーを感じたんです。理恵さんも話を聞きながらたまに突っ込んでくれて、3人で話すバランスもよかった。僕はジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)が好きなのですが、『コーヒー&シガレッツ』のようなとりとめもない会話の中に垣間見られる美学というか、そんな映画を撮りたいと前から思っていたんです。内輪の話から開けるものがあるのではと感じていました」。そして、この3人での会話をなんらかの形にしようと模索を始めた。

ページをめくるにつれ、夜明けが近づくような紙の色が印象的なデザインの創刊号。当初は左開きにしようと考えていたが、映画の脚本を意識し右開きに変更した

 1年ほどかけてコンセプトと内容を考え、ジンとして発行することを決めた。同時に自分たちがやろうとしていることに共感してくれるデザイナーも探した。デザイン会社に所属していて、以前から顔なじみだった川田朋史さんと安達早百合さんに依頼したが、これが想像以上によい結果をもたらすことになった。1号目はページをめくっていくと背景の黒の濃度が薄くなり、まるで夜明けに近づく空の色を表しているようだ。「コスト的な面も考慮しながら動きをつけたかったのですが、モノクロながらカラーに見えるようなグラデーションの演出を2人が考えてくださいました。このほかにも全ページカラーのバージョンや、写真の編集を変更したものも作ってくれています」。また、本文の下についている注釈もデザイナーによるもの。これについては2号目の本文中で明かされている。「注釈については一言も依頼していなかったと思うのですが、安達さんが入れてくださっています。デザインというよりも編集の領域まで携わってくださって、安達さんのセンスに感謝しています」。デザイナーと制作者の絶妙なバランスで成立しているジンなのだ。

 当初は映画ではなく、単なる雑談の雑誌にしようとも考えた。テーマを映画にしたのは、「映画評論家や、詳しく語るユーチューバーの方もたくさんいて、批評的に見せるものはいっぱいあるけれど、あれ楽しかったよね、みたいな気軽な感想を言い合えるものはないと思ったんです」。タイトルの「0:00」は、時計の針が重なっている瞬間が面白いと感じて命名した。「僕が好きな映画はタイトルで状況が分かるものが多くて。深夜0時という、夜だけど朝にも近いという設定の方が入り口としてはいいのかなと。たぶん話も脱線するし、ずれたとしても“深夜のテンションで”と言える。そしてタイトルをアイコン的な記号にしたいとも思ったんです。僕と龍崎さん・理恵さんの1対2のような形が『0:00』で表せそうだとも思いました」。

 飯塚さんは記憶の3段階である記銘・保持・想起を主題に、ファウンドフォトやリ・フォトグラフという手法で作品作りを続ける美術家だ。本として初めて出版したのはハードカバーの作品集だった。一方で龍崎さんと鈴木さんは、ハードカバーではなくコピー機で印刷してとじるような、自身で気軽に制作できるジンという形態にこだわっている。飯塚さんとは対照的な作品作りを続けているからこそ、2人に憧れを抱いていた。

 龍崎さんが初めてジンを制作したのは08年で、鈴木さんは09年。以来2人は10年以上にわたり制作を続け、個展も精力的に行っている。鈴木さんがジンというものを知ったのは、龍崎さんと同じ武蔵野美術大学の映像学科に在籍していた頃、友人が見せてくれたスイスのレーベル「ニーブス(Nieves)」が発行したスパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)のジンだった。「いつも学校で見ていたハードカバーの重厚なものではなく、面白い友人をただ撮っているだけの薄い冊子でした。気軽に出したいものを出すという感じがすごく軽やかに見えたんです」と鈴木さんは話す。龍崎さんがジンにこだわる一番の理由は、即時性だ。「作ろうと思ってからアウトプットまでのスピードの速さはジンならでは。作り始めた頃は、データ制作の作業を除くと1日や2日で仕上げていました」。2ケタの少部数発行も多いためエディション番号が付き、ジンはアートピースとも言えると龍崎さんは続ける。「同じアートブックでもハードカバーの本は権威の象徴だと思うんです。お金もかかりますし、すぐにできることではないですよね。一方でジンは、キンコーズなどを利用して誰でもできるスタイルです。僕が展示で扱う写真はもちろん手焼きのプリントも交ざっていますが、A0サイズのコピー用紙にコピーした作品もあります。美術館やギャラリー以外でもアートが根付くというコンセプトといいますか、そういうスタイルを重要視したいんです」。

 さらに、ジンを作り続ける楽しさとして「飯塚くんのように、僕のジンをバッグに忍ばせて持ち歩いてくれている人もいて、そこから生まれる縁がある。ハードカバーの写真集をわざわざ持ち歩くことはないと思うので、そういう縁はジンや雑誌だからこそだと感じます」。経済的にも作りやすく、「“なんとなく”だけど続けられる」と鈴木さんは話す。龍崎さんも、「“なんとなく”という言葉はネガティブに聞こえるかもしれませんが、継続した先にはその“なんとなく”がすごく重みを持って存在することになるんです。ジンと出合っていなかったら僕は写真をやめていたかもしれません」と言い切る。

 アートブックフェアというコミュニティーで、作品へのアプローチが真逆の作家たちが出会い、ジンというアウトプットにつながる。オンライン上で作品を見せたり、世界中どこにいてもやり取りができる便利な世の中ではあるが、偶然の出会いはかけがえのないものを生むのだと、3人の話を聞いてあらためて強く思った。顔を突き合わせて話すからこそ感じられる空気感もある。だからリアルのイベントは面白いのだ。そしてジンと雑誌は継続することで、読者はもちろん、作り手にとっても見える景色が変わっていく楽しさがある。これから新しく作り始める人も、今まで作ってきた人も、どうか作り続けてほしいと願う。その先には想像もしない未来が待っていると思うから。

※今回をもって本連載は終了させていただきます。長きにわたり今まで読んでくださったたくさんの皆さまに心より感謝申し上げます。また別の場所でお会いしましょう。ありがとうございました!

高山かおり(たかやま・かおり)/独断と偏見で選ぶ国内外のマニアックな雑誌に特化したオンラインストア、「マガジンイズントデッド(Magazine isn’t dead.)」主宰、ライター、編集者:北海道生まれ。北海道ドレスメーカー学院卒業後、セレクトショップのアクアガールで販売員として勤務。在職中にルミネストシルバー賞を受賞。4歳からの雑誌好きが高じてその後都内の書店へ転職し、6年間雑誌担当を務める。18年3月に退社し、現在に至る

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“なんとなく”を続けたその先に アートブックフェアでの偶然の出会いが生んだ「ミッドナイトトークマガジン」

 SF映画についてだらだらと語るというテーマで制作された「ミッドナイトトークマガジン(0:00 midnight talk magazine以下、0:00)」は200部のみの少部数発行の自費出版物、いわゆるジン(ZINE)だ。新潟在住の美術家・飯塚純さんと、東京在住の写真家・龍崎俊さんと鈴木理恵さん夫婦、そして新潟在住のデザイナー2人の計5人で制作されている。新潟と東京という離れた距離でジンを作り始めたのは、「東京アートブックフェア(TOKYO ART BOOK FAIR以下、TABF)」がきっかけだったという。飯塚さん、龍崎さん、鈴木さんに、創刊の経緯とジンという発行形態にこだわる理由を聞いた。

 アート出版に特化して2009年にスタートした日本で初めてのブックフェア「TABF」は昨年10周年を迎え、回を重ねるごとに盛り上がりを見せている。第1回目は、アイオブジャイル(EYE OF GYLE、現ジャイルギャラリー)とヴァカント(VACANT、2019年に閉業)の2会場で100組にも満たないアーティストや出版社、ギャラリーが集うイベントだったが、近年は約350組が出展し、来場者は2万人以上というビッグイベントとなっている。出版物の売買だけでなく、アートブックにまつわる展示やトークイベント、紙や印刷のプロによるプリンターセクション、フードトラックなどによる飲食コーナーなどもあり、まるでフェスのようだ。近年は台湾や上海などアジア圏のアートブックシーンが活気づいているが、「TABF」は現在アジアで最大規模のアートブックフェアであり、その文化をけん引する存在ともいえる。

 そんな「TABF」をきっかけにジンと呼ばれる自費出版物に興味を持ったり、ジンを作り始めたりと、新たなコミュニティーが生まれて出版物に発展するケースは多々あると思う。今回紹介する「0:00」も、「TABF」で出会った作家同士の交流で生まれたジンだ。

 新潟県在住の美術家・飯塚純さんは、16年の「TABF」に初めて出展した。出展の少し前に知ったという、金沢市でアーティスト・ラン・スペース「アイアック(IACK)」を主宰する写真家・河野幸人さんの写真に惹かれて、別の階に出展している河野さんのブースに行くと、そこにいたのが写真家の龍崎俊さんだった。河野さんと龍崎さんは13年に「ステイアローン(STAY ALONE)」というプロジェクトを立ち上げ、タブロイド誌を発行(現在休刊中)していた。「龍崎さんのお名前も活動自体も全く知らず、初めてお会いした龍崎さんのジンをその場で見ました。僕は美術大学の映像科出身なのですが、映画的な作品だなと感動して何冊か購入しました。そのうちの1冊が『ブレードランナー』から引用した作品だとすぐにわかったんです」と飯塚さんは当時を振り返る。すぐにフェイスブック経由でメッセージを送り、交流が始まった。

 その後愛知県名古屋市のギャラリーを併設した本屋「オンリーディング(ON READING)」で開催された龍崎さんの個展に飯塚さんが足を運び、翌日、龍崎さんとそのパートナーで写真家の鈴木理恵さんと一緒に朝食を食べながらいろいろな話をした。龍崎さんが「スター・ウォーズ」が好きで、武蔵野美術大学造形学部映像学科に入学したことを知ったのもその時だ。龍崎さんは、「ばかげた夢なんですけど、『スター・ウォーズ』が大好きで当時はまだ予定がなかった“エピソード7”を撮りたいがために映像学科を目指しました。ただ、実際に映画を撮るという勉強を始めると、監督は人を動かす仕事だし、作るという行為からはかけ離れている。会社に属して映画を撮るというのが今の大きな映画の主流で、個人で映画を撮るというのはあまり現実的ではないというのが実際だと思うんです。そうなると、たくさんの人を動かすというのは、自分が想像していた映画作りの方法と全然違うものだったということに気づいたんです」と話す。

 その頃に写真の授業を受け、朝撮影したネガが夜にはプリントになっているという状況を新鮮に感じたのだという。「写真は未来に見ることを目的として撮る行為で、タイムカプセル的な要素がある。人に宛てる手紙も、それが読まれるのは未来ですよね。それが自分が求めているSF映画の主題だなと感じて」。そこから龍崎さんは写真を撮り始め、もう20年近くになる。

 飯塚さんは龍崎さんの話を受け、「作っている作品は全然違うけれど、似たきっかけで僕も映像を志している部分があったのですごくシンパシーを感じたんです。理恵さんも話を聞きながらたまに突っ込んでくれて、3人で話すバランスもよかった。僕はジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch)が好きなのですが、『コーヒー&シガレッツ』のようなとりとめもない会話の中に垣間見られる美学というか、そんな映画を撮りたいと前から思っていたんです。内輪の話から開けるものがあるのではと感じていました」。そして、この3人での会話をなんらかの形にしようと模索を始めた。

ページをめくるにつれ、夜明けが近づくような紙の色が印象的なデザインの創刊号。当初は左開きにしようと考えていたが、映画の脚本を意識し右開きに変更した

 1年ほどかけてコンセプトと内容を考え、ジンとして発行することを決めた。同時に自分たちがやろうとしていることに共感してくれるデザイナーも探した。デザイン会社に所属していて、以前から顔なじみだった川田朋史さんと安達早百合さんに依頼したが、これが想像以上によい結果をもたらすことになった。1号目はページをめくっていくと背景の黒の濃度が薄くなり、まるで夜明けに近づく空の色を表しているようだ。「コスト的な面も考慮しながら動きをつけたかったのですが、モノクロながらカラーに見えるようなグラデーションの演出を2人が考えてくださいました。このほかにも全ページカラーのバージョンや、写真の編集を変更したものも作ってくれています」。また、本文の下についている注釈もデザイナーによるもの。これについては2号目の本文中で明かされている。「注釈については一言も依頼していなかったと思うのですが、安達さんが入れてくださっています。デザインというよりも編集の領域まで携わってくださって、安達さんのセンスに感謝しています」。デザイナーと制作者の絶妙なバランスで成立しているジンなのだ。

 当初は映画ではなく、単なる雑談の雑誌にしようとも考えた。テーマを映画にしたのは、「映画評論家や、詳しく語るユーチューバーの方もたくさんいて、批評的に見せるものはいっぱいあるけれど、あれ楽しかったよね、みたいな気軽な感想を言い合えるものはないと思ったんです」。タイトルの「0:00」は、時計の針が重なっている瞬間が面白いと感じて命名した。「僕が好きな映画はタイトルで状況が分かるものが多くて。深夜0時という、夜だけど朝にも近いという設定の方が入り口としてはいいのかなと。たぶん話も脱線するし、ずれたとしても“深夜のテンションで”と言える。そしてタイトルをアイコン的な記号にしたいとも思ったんです。僕と龍崎さん・理恵さんの1対2のような形が『0:00』で表せそうだとも思いました」。

 飯塚さんは記憶の3段階である記銘・保持・想起を主題に、ファウンドフォトやリ・フォトグラフという手法で作品作りを続ける美術家だ。本として初めて出版したのはハードカバーの作品集だった。一方で龍崎さんと鈴木さんは、ハードカバーではなくコピー機で印刷してとじるような、自身で気軽に制作できるジンという形態にこだわっている。飯塚さんとは対照的な作品作りを続けているからこそ、2人に憧れを抱いていた。

 龍崎さんが初めてジンを制作したのは08年で、鈴木さんは09年。以来2人は10年以上にわたり制作を続け、個展も精力的に行っている。鈴木さんがジンというものを知ったのは、龍崎さんと同じ武蔵野美術大学の映像学科に在籍していた頃、友人が見せてくれたスイスのレーベル「ニーブス(Nieves)」が発行したスパイク・ジョーンズ(Spike Jonze)のジンだった。「いつも学校で見ていたハードカバーの重厚なものではなく、面白い友人をただ撮っているだけの薄い冊子でした。気軽に出したいものを出すという感じがすごく軽やかに見えたんです」と鈴木さんは話す。龍崎さんがジンにこだわる一番の理由は、即時性だ。「作ろうと思ってからアウトプットまでのスピードの速さはジンならでは。作り始めた頃は、データ制作の作業を除くと1日や2日で仕上げていました」。2ケタの少部数発行も多いためエディション番号が付き、ジンはアートピースとも言えると龍崎さんは続ける。「同じアートブックでもハードカバーの本は権威の象徴だと思うんです。お金もかかりますし、すぐにできることではないですよね。一方でジンは、キンコーズなどを利用して誰でもできるスタイルです。僕が展示で扱う写真はもちろん手焼きのプリントも交ざっていますが、A0サイズのコピー用紙にコピーした作品もあります。美術館やギャラリー以外でもアートが根付くというコンセプトといいますか、そういうスタイルを重要視したいんです」。

 さらに、ジンを作り続ける楽しさとして「飯塚くんのように、僕のジンをバッグに忍ばせて持ち歩いてくれている人もいて、そこから生まれる縁がある。ハードカバーの写真集をわざわざ持ち歩くことはないと思うので、そういう縁はジンや雑誌だからこそだと感じます」。経済的にも作りやすく、「“なんとなく”だけど続けられる」と鈴木さんは話す。龍崎さんも、「“なんとなく”という言葉はネガティブに聞こえるかもしれませんが、継続した先にはその“なんとなく”がすごく重みを持って存在することになるんです。ジンと出合っていなかったら僕は写真をやめていたかもしれません」と言い切る。

 アートブックフェアというコミュニティーで、作品へのアプローチが真逆の作家たちが出会い、ジンというアウトプットにつながる。オンライン上で作品を見せたり、世界中どこにいてもやり取りができる便利な世の中ではあるが、偶然の出会いはかけがえのないものを生むのだと、3人の話を聞いてあらためて強く思った。顔を突き合わせて話すからこそ感じられる空気感もある。だからリアルのイベントは面白いのだ。そしてジンと雑誌は継続することで、読者はもちろん、作り手にとっても見える景色が変わっていく楽しさがある。これから新しく作り始める人も、今まで作ってきた人も、どうか作り続けてほしいと願う。その先には想像もしない未来が待っていると思うから。

※今回をもって本連載は終了させていただきます。長きにわたり今まで読んでくださったたくさんの皆さまに心より感謝申し上げます。また別の場所でお会いしましょう。ありがとうございました!

高山かおり(たかやま・かおり)/独断と偏見で選ぶ国内外のマニアックな雑誌に特化したオンラインストア、「マガジンイズントデッド(Magazine isn’t dead.)」主宰、ライター、編集者:北海道生まれ。北海道ドレスメーカー学院卒業後、セレクトショップのアクアガールで販売員として勤務。在職中にルミネストシルバー賞を受賞。4歳からの雑誌好きが高じてその後都内の書店へ転職し、6年間雑誌担当を務める。18年3月に退社し、現在に至る

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展示会で洋服を(あんまり)見ていない私 エディターズレターバックナンバー

※この記事は2020年6月22日に配信した、メールマガジン「エディターズレター(Editors' Letter)」のバックナンバーです。最新のレターを受け取るにはこちらから

展示会で洋服を(あんまり)見ていない私

 少しずつ再開している展示会で再認識したのですが、僕、展示会であんまり洋服を見ていません。先日お邪魔した展示会では、1時間喋りっぱなし、聞きっぱなし。慌てて「あ、チョットだけ見ます!!」ってカンジで、ラックの間を駆け抜け、失礼させていただきました。

 きゃ~、怒らないで(笑)!!でも、そんな展示会になっちゃうブランドほど、その姿を理解しているし、だからスキな気がします。その洋服を着ているスタッフの皆さんとの会話から、人となりを知り、そのブランドの洋服を着るとどんな気分になるかを悟り、何を考え、どこに向かっているかを学ぶ。そんなコミュニケーションをしている時、隣に並んでいる洋服は究極「おしゃべりを通して悟ったものが、形になっただけ」です。いや、「形になっている」のはスゴいことですが、こんな風に思ってしまった時、改めて「洋服至上主義」に陥ってはいけないのだと痛感しました。

 「ファッションを生業にしながら、洋服のことだけを考えちゃいけない」。難しいことですが、真実かと思います。僕、洋服オタクとはあんまり会話が続かず(苦笑)、ことファッションショーでは洋服のディテールを書き連ねるだけ記事のPVは低調です。むしろ「あぁ、なんの感情も湧かなくって、洋服だけを語る記事を書いてしまった……」と反省さえするほどです。なんか、ここにヒントがありそうな気がするんですよね~。例えば皆さん1日だけ、いやきっと無理だから1時間だけ、「洋服本体にまつわる話以外は禁止!!」なコミュニケーションに挑戦してみるのはいかがでしょう?きっと、それは恐ろしく苦痛な1時間です。洋服オタクじゃない限り。そして、そんな経験をすると「ファッション業界とはいえ、洋服を作るだけじゃダメだ~」と気づくのでは?と思うのです。

 なぜこんな話を?と言いますと、このメルマガで度々お話しています「ファッションの拡張性」について、僕は「ここに気づかなければ、未来はない!」と思っていますが、やっぱり気付くことは結構難しそうなのです。「展示会」というフォーマットは、みんなが「洋服のことを伝え、学ぶ場だから」と思っているせいか、洋服のディテールばかりを話し、聞いてしまいがち。袖を通すことで得られる感情や、長きにわたり着ることで育まれる人格や個性みたいなものは置き去りです。で、そんな展示会で洋服のディテールだけを学んだ編集者やライターは、ゆえに携わるメディアで洋服のことしか書けずに終了。「あぁ、個々人が体験に基づく情報を発信しているインスタグラムが面白くって、オールドメディアがつまらなくなるワケだ」など、思考はどんどん発展します。

 業界の皆さん、どうでしょうか?久しぶりの洋服の展示会、ビューティの発表会は思い切って、商品・製品の詳細を語らない場や時間を設けてみては?リアルなコミュニケーションが渇望しがちな今、袖を通すことで、肌に塗ることで得られる感情についての言及やプレゼンがあったら、それは、来場者の琴線に今まで以上に響きそうです。

FROM OUR INDUSTRY:ファッションとビューティ、関連する業界の注目トピックスをお届けする総合・包括的ニュースレターを週3回配信するメールマガジン。「WWD JAPAN.com」が配信する1日平均30本程度の記事から、特にプロが読むべき、最新ニュースや示唆に富むコラムなどをご紹介します。

エディターズレターとは?
「WWDジャパン」と「WWDビューティ」の編集者から、パーソナルなメッセージをあなたのメールボックスにダイレクトにお届けするメールマガジン。ファッションやビューティのみならず、テクノロジーやビジネス、グローバル、ダイバーシティなど、みなさまの興味に合わせて、現在9種類のテーマをお選び頂けます。届いたメールには直接返信をすることもできます。

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【ミヤシタパーク見どころ5】「ベドウィン」の渡辺真史が手掛ける裏原を彷彿とさせるセレクトショップ「デイズ」

 三井不動産による東京・渋谷の複合施設「ミヤシタパーク」が、7月28日から段階的にオープンする。ラグジュアリーブランドやストリートブランドなどのほか、レコードやアートなどのカルチャー、ビューティ、全長100mに居酒屋やレストランが集まる「渋谷横丁」など、個性的な90店舗が入る。

 「ベドウィン&ザ ハートブレイカーズ(BEDWIN & THE HEARTBREAKERS)」の渡辺真史ディレクターは、ストリートブランドとスニーカーのセレクトショップ「デイズ(DAYZ)」を3階に出店した。“1990年代に裏原宿で起きたムーブメント”をテーマに、東京発のストリートブランドを並べる。渡辺ディレクターは「海外の友人から、東京のストリートブランドを同じ場所で見られないのかと聞かれることが多かったが、東京ではそれぞれの旗艦店が点在するため、一度に見られる場所がない。近いけど、お互いが遠い存在になっている。だったら、自分の経験を生かして東京のストリートブランドにこだわった店を作りたいと思った。若い人には新鮮に感じてもらい、90年代を知っている人には懐かしいと思ってもらいたい」と話す。

 “DAYZ”のロゴは「ダブルタップス(WTAPS)」の西山徹が手掛け、内装は「ノーウェア(NOWHERE)」や「シュプリーム(SUPREME)」などの内装もデザインした「M&M」が担当。「ネイバーフッド(NEIGHBORHOOD)」や「アンダーカバー(UNDERCOVER)」「フォーティー パーセント アゲインスト ライツ(FORTY PERCENTS AGAINST RIGHTS)」「M&M」「クンバ(KUUMBA)」など裏原ブームの隆盛を支えてきたブランドを扱いながら、店内のギャラリースペースなどを使って、もっとローカルなブランドも紹介してきたいという。自身の手掛ける「ベドウィン&ザ ハートブレイカーズ」は扱わず、あくまでも“仲間のブランド”を集めた場所という位置付けだ。
 
 オープンを記念して、「アンダーカバー」「ネイバーフッド」「クンバ」とコラボしたTシャツ(「アンダーカバー」は1万円、そのほかは7000円)を発売する。

 8月末には、オンラインショップ兼オウンドメディアを立ち上げる予定だ。「海外の人が日本に来たときに“東京の地方紙”のような感覚で見てもらいたい」と、ファッションやアート、音楽、フード、イベントなど、渋谷にまつわるローカルカルチャーをバイリンガルで発信していく。

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【ミヤシタパーク見どころ4】高級ダウンウエアの初旗艦店&白Tシャツだけの期間限定店

 三井不動産による東京・渋谷の複合施設「ミヤシタパーク」が、7月28日から段階的にオープンする。90店舗を集積する。「ルイ・ヴィトン」をはじめとしたラグジュアリーブランドやストリートブランドなどのほか、レコードやアートなどのカルチャー、全長100mに居酒屋やレストランが集まる「渋谷横丁」など、個性的な90店舗が入る。

カナダ発ダウン
「ムースナックルズ」が
日本初の旗艦店

 カナダ発の高級ダウンブランド「ムースナックルズ(MOOSE KNUCKLES)」が初の旗艦店を開く。伊藤忠商事が日本市場における独占輸入販売権を持ち、インポーターのグルッポタナカを通じて販売している。主力のダウンウエアはカナダ・マニトバ州の自社工場で生産。カナダの厳しい自然に対応した機能性を持ちながら、ロゴマークのヘラジカの足跡とメリケンサックに象徴される遊び心あるデザインが魅力になっている。定番のダウンジャケットで14万9000円。

 旗艦店ではダウンウエアを中心にそろえながら、「TOKYO」のロゴが入った日本限定のスエットアイテムのコレクションも展開する。

白Tシャツだけの専門店が
期間限定で出店

 知る人ぞ知る白無地のTシャツのみを販売する白Tシャツ専門店「#FFFFFFT(シロティ)」が、9月30日までの期間限定店「#FFFFFFT.zip(シロティジップ)」を出店している。「シロティ」は2016年4月から、東京・千駄ヶ谷に土曜日だけ営業、扱うのは白Tシャツのみ、オンライン販売もしない、というユニークなやり方を貫いてきた。

 「レイヤード ミヤシタパーク」の「シロティ ジップ」では、厳選した3000〜1万7000円の30種類のアイテムを販売している。「千駄ヶ谷の『シロティ』は今年で5年目に入るが、実は1日に多いときで200万円、平均でも夏は100万円の売り上げを稼いでいる。研ぎ澄ましたコンセプトがあれば、小さくても”ディスティネーションストア”になれる、そのことを証明できた」と、運営者で”白Tハンター”の夏目拓也さん。夏目さんは、今年4月にこれまで努めていた広告代理店大手の博報堂から独立しており、「出店で白Tシャツ専門店の新しい可能性に挑戦したい」として、今後は「シロティー」の運営やマーケティングのコンサルティングも手がけていく予定だ。

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ロサンゼルス発のサステナブルスニーカー「クレイ」が日本上陸

 リーガルコーポレーションはこのほど、ロサンゼルス発のスニーカーブランド「クレイ(CLAE)」の取り扱いを開始する。

 「クレイ」は2001年に誕生し、シンプルなデザインと快適な履き心地でスケーターを中心に人気を集め、現在では世界50カ国以上で展開する。海洋プラスチックゴミからできたニット素材やビーガンレザーなど環境に配慮した素材を用いていることも特徴だ。一部のレザーには、国際的な認証を得たタンナーが再生可能エネルギーの使用など持続可能な製法で作ったLITEレザーを用いている。

 リーガルコーポレーション公式ECサイトでは、オールレザーで仕上げた“ブラッドリー エッセンシャル”(2万900円、税込)や、白いイタリア製レザーにスエード素材を組み合わせてアメリカ西海岸の自然をイメージしたカラーでアクセントを加えた“ブラッドリー カルフォルニア”(2万3100円、同)などを含む国内展開商品のフルラインアップを販売中だ。全国の百貨店と小売店では順次販売を開始する。

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