「バレンシアガ(BALENCIAGA)」は、英ロイヤル・オペラ・ハウス(Royal Opera House)の小劇場リンバリー・シアター(Linbury Theatre)で上演された「ラストデイズ(Last Days)」の衣装を提供した。ロイヤル・オペラ・ハウスが[IK1] ファッションブランドと提携するのは初めて。
同作品は、2005年に公開された、映画監督のガス・ヴァン・サント(Gus Van Sant)による同名の作品をオペラ化したもの。1990年代の音楽シーンをけん引したロックバンド、ニルヴァーナ(NIRVANA)のフロントマンで94年に突然自死したカート・コバーン(Kurt Cobain)の人生に想を得て、架空の若きロックスターの最後の日々をつづっている。さらに今回のオペラは、カートが作詞・作曲したニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)」のミュージックビデオの冒頭部分にインスピレーションを受けているという。
ジュリアン・オピーは1958年生まれ、ロンドン出身。80年代から風景や人物などの作品を発表し始め、点と線を使ったアニメのようなタッチの作風が代表的で、徐々に人気を獲得していった。英国の国民的バンド、ブラー(Blur)が2000年に発売したアルバム「ザ・ベスト・オブ・ブラー(The Best Of Blur)」のアートワークを担当して知名度をさらに広げるなど、さまざまな分野で活躍している。
そもそも、現代社会を生きていく上で“まとう”ことからは逃れられません。であれば、「好むと好まざるとにかかわらずなんらかの意味を持つものであり、それに対して自分はどういったスタイルを持つべきなのか」ということを10代半ばごろから考えてきました。また同時期には、「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」のデザイナー、川久保玲さんの“自分と社会、または世界が向き合うための一つの考え方であり鎧である”や、“自らを奮い立たせるためのもの”といったコンセプトにとても共感していました。日頃制服を着用する高校生ながら私はそこから徐々にモードの世界へと入り込み、大学進学後、着る服に制限がかからなくなったことで本格的にワードローブとして取り入れるようになりました。
WWD:当時よく着ていたのは?
宮田:「コム デ ギャルソン」のパッチワークのアイテムや、エディ・スリマン(Hedi Slimane)が手掛けていた「イヴ・サンローラン(YVES SAINT LAURENT)」(現「サンローラン」)。「ヘルムート ラング(HELMUT LANG)」や「ラフ・シモンズ(RAF SIMONS)」などです。エディ・スリマンの「イヴ・サンローラン」のファーストコレクションで登場したワイドパンツは今でも穿いています。あとは初期の「メゾン マルタン マルジェラ(MAISON MARTIN MARGIELA)」(現「メゾン マルジェラ」)。ファッションの刹那的な側面ではなく、100年の歴史を見通すなかでのスタンダードを考えるというアイデアに斬新さを覚えました。2010年前後にはフィービー・ファイロ(Phoebe Philo)の「セリーヌ(CELINE)」や、リカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)の「ジバンシィ(GIVENCHY)」など、ウィメンズ展開の服も着ていました。
宮田:ホワイトブリーチにしたのは5年ほど前からです。その前は黒髪の長髪、さらにその前はアシンメトリーと、もともとエッジが立ったヘアスタイルを好んできました。おそらく日本の多くの皆さんが私を認識してくれたのは、NHK「クローズアップ現代」や日本テレビ「真相報道 バンキシャ!」などの番組出演あたりからだと思います。マスメディアというのは大衆に対しての発信を意図している性質上、少しはみ出したようなことをするとすぐに「それはどうかと思うよ」と言われる空気が強かったりします。私はそれをある程度読みながらも、ある部分では覚悟のもと傾(かぶ)く、という姿勢で続けています。ファッションでもヘアスタイルでも、自分の中のスタンダードを変えるとき、大きく踏み出すと狂気じみた存在になりますよね。私は既に故人となったアレキサンダー・マックイーン(Lee Alexander McQueen)が放っていた狂気も好きですが、スタンダードを考える場合だとある程度のバランスが必要になります。そこで、「WWDJAPAN」や「VOGUE RUNWAY」、あとは当時だと「STYLE.COM」など、モードの過去10年分ほどのアーカイブに目を通し、狂気まではいかず、しかし多すぎて陳腐化しないものは何かとリサーチしました。その中から特に直近3年間で、時折登場してくるものの流行までに及んでいないのがホワイトブリーチだったんです。
宮田:清少納言の「枕草子」と、レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)が描いた「モナ・リザ」です。まず「枕草子」ですが、これは私にとってファッションのバイブルです。私のような研究者や新たに事業を興す人物たちは、今後世界でどれが普遍的でスタンダードな存在になるのかを探り、揺るがないものに価値を置きます。それこそマルタン・マルジェラの“100年の歴史を見通す中でのスタンダード”や、メンズならば時計やビンテージデニムをはき続けることにも近く、私も一人の研究者として普遍的な美を大事に思っています。しかしその一方で、変わりゆく一瞬の中にある美しさというのも大切にしたいものになります。
ボイントンCEO:当社が推進するアクティビストワークショップが4店舗増え、日本の全店舗に対し28%のシェアになる。17年にナチュラ & コーの傘下になり、新商品が出続けているがビーガン的な商品や、パッケージもサステナビリティの高いものばかりになっている。8月に主軸のベーシックスキンケアライン“DOY”を刷新し、“エーデルワイス”ラインとして発売したが、今後もフェイシャルスキンケアにはもっと力を入れていく方針だ。もともとユニセックスな商品であるため、男性客が増えているが、さらに男性の使用率を高めたい。そのほか、アクティビズムキャンペーン「BE SEEN. BE HEARD」の取り組みをグローバルに行う中で、日本では若者の政治参画を促す団体NO YOUTH NO JAPANとコラボレーションを進めている。店舗の環境もどんどん良くなってアップグレードが進んでいること、商品のポートフォリオに大きな期待ができること、そして社会的な課題に対しての取り組みが進む。そういう意味で、23年はとてもよい年になると思っている。
しかし07年にアニータが亡くなった後、「自分たちは他とは違う存在である」という方向性を失っていた時期が10年ほどあった。17年にナチュラ& コーが親会社になり新しい経営陣が入り、もう一度アニータの考えに立ち戻り、アニータのレガシィを生かすためにはどうすればいいのかを真剣に考えるようになった。再びゲームチェンジャーになるために、リサイクルの分野でリーダーになることを決心した。さらに処方も自然原料を使いながら有効性も高める。そして社会的な課題である物事にも取り組もうということで「BE SEEN. BE HEARD」も行う。アニータがゲームチェンジャーであるべきと考えたミッションに立ち戻ると決めた。
村上要/編集長:ウィメンズのパリコレ取材は7年ぶりくらい。取材中はランチを食べられない可能性が高いため、朝は仕事をしながら90分くらいかけて大量の食品を胃に詰め込む (右)藪野淳/欧州通信員:何でも白黒つけたがるドイツに住んで早5年。ファッション・ウイークを通して新たな価値観に触れる中、ボディーもジェンダーもニュートラルに考えるのが心地良いかもと感じる今日この頃 ILLUSTRATION : UCA