「ストックホルム サーフボード クラブ(STOCKHOLM SURFBOARD CLUB)」が2023年秋冬コレクションを発表した。
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バイヤー向けにトピックスを拾います。
「ストックホルム サーフボード クラブ(STOCKHOLM SURFBOARD CLUB)」が2023年秋冬コレクションを発表した。
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「ミディウミソリッド(MIDIUMISOLID)」が2023年春夏コレクションを発表した。
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CBD関連製品を扱うhuは2月3日、CBDブランド「フー(hu)」を本格展開(全4品、税込1680〜1万480円)した。CBD配合のベイプ(電子タバコ)とオイル、バスフレークをそろえ、公式サイトで販売する。今後はセレクトショップなど店舗での取り扱いも視野に入れる。
「フー」は山崎水葵hu社長が睡眠障害で悩んでいた際に、海外の見本市で出合ったCBDオイルの効果を感じ、「味や使いやすさにこだわり、納得感が得られる商品を日本で展開したい」と開発に着手。2021年にクラウドファンディングサイト「マクアケ(MAKUAKE)」でベイプを販売したところ達成率が400%超と高評価を得た。今回、アメリカを拠点に活躍の場を広げる動画クリエイター・モデルのkemioとコンテンツクリエイターの植野有砂から商品開発時に助言を受け、アイテムを拡大した。
ブランドのイメージビジュアルに起用されたkemioは、山崎社長のCBDを日本に根付かせたいという思いに感銘を受けたことから、「アメリカは、レジの横にCBDグミが置いてあること、コーヒーショップでもCBDオイルをオプションで入れられることなど、さまざまなCBD関連の情報を山崎社長に伝えていた」という。こうした助言を基にバスフレークを開発にもつながった。植野も頻繁に海外視察へ行く中で、CBD商品にふれる機会が多く、生活に取り入れていた。女性目線のモノ作りとしてカラー展開について希望を伝え「ピンクが大好きなので、2種類のピンクのベイプを作ってもらった」と笑顔で語った。
取り扱いアイテムは、電源操作が必要ないデバイス“CBDベイプ”(全7色、税込各5660円)のほか、ベイプにセットするシャインマスカットやライチなどのフレーバーを扱うCBD濃度15%の“CBDポッド”(全5種、同3820円)。CBD濃度3%、5%、10%をそろえ、舌下に垂らしたり、お湯に加え香りを楽しんだりする“CBDオイル”(全3種、同4180〜6280円)、天然香料にCBDをプラスした“CBDバスフレーク”(全2種、1680〜1万480円)をそろえる。
年内にはCBDグミの販売も予定し、今後も「CBD濃度を高めた商品や、他の有効成分を配合した商品なども手掛けたい」(山崎社長)と意欲的だ。また、自分を労り、ご褒美を与えるような時間を作るきっかけとなるような“トリートブランド”として訴求していく。
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「ミズイロインド(MIZUIRO IND)」が2023年春夏コレクションを発表した。
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未来的な視点と常識にとらわれない素材使いでファッション界に大きな足跡を残した奇才デザイナーのパコ・ラバンヌ(Paco Rabanne)が2月3日、フランス・ブルターニュ地方のポルサルで死去した。88歳だった。
ラバンヌは1934年2月18日、スペイン・バスク地方のパサイア生まれ。母親は「バレンシアガ(BALENCIAGA)」のお針子のトップで、父親はスペイン共和国軍に所属していた。5歳の頃、父が内戦で銃殺されたことから、家族でフランスに亡命。その後、パリの国立美術学校で建築を学んだ。66年にプラスチックやメタルを用いたオートクチュールのデビューコレクションを発表。「現代的素材を使った、着ることができない12着のドレス」と題されたアイテムは、フランスのファッションメディアから大きな反感を買った。しかし、その1カ月後にはニューヨークでも発表し、アメリカのメディアの好評を得て、デザイナーとしての未来を切り開いた。
また、68年にはスペイン・バルセロナに拠点を置くラグジュアリーファッション・フレグランス企業のプーチ(PUIG)とフレグランスの契約を結び、翌年“カランドル(CALANDRE)”を発売。その後も、“パコ ラバンヌ プール オム(PACO RABANNE POYR HOMME)”や“メタル(METAL)”など、数々のヒット商品を手掛けてきた。
ファッションでは、衣服とその構造への疑問を絶やすことなく、革新的なクリエイションに取り組んだ。60年代から70年代にかけては、ピエール・カルダン(Pierre Cardin)やアンドレ・クレージュ(Andre Courreges)と共にスペースエイジ・ファッションをけん引。メタルディスクなどのパーツをつなぎ合わせるアッサンブラージュやチェーンメイルなど斬新な技法や素材使いが彼の代名詞となったが、80年代には勢いを失い、99年7月のクチュールショーを最後に引退。ファッションの表舞台から姿を消した。
その後、2011年に「パコ ラバンヌ」を擁するプーチが休眠状態となっていた同ブランドのファッション事業を再始動。インド人デザイナーのマニッシュ・アローラ(Manish Arora)を起用した。アローラはわずか2シーズンで退任したが、13年からはニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)時代の「バレンシアガ」で経験を積んだフランス人デザイナーのジュリアン・ドッセーナ(Julien Dossena)がクリエイティブ・ディレクターを務めている。
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未来的な視点と常識にとらわれない素材使いでファッション界に大きな足跡を残した奇才デザイナーのパコ・ラバンヌ(Paco Rabanne)が2月3日、フランス・ブルターニュ地方のポルサルで死去した。88歳だった。
ラバンヌは1934年2月18日、スペイン・バスク地方のパサイア生まれ。母親は「バレンシアガ(BALENCIAGA)」のお針子のトップで、父親はスペイン共和国軍に所属していた。5歳の頃、父が内戦で銃殺されたことから、家族でフランスに亡命。その後、パリの国立美術学校で建築を学んだ。66年にプラスチックやメタルを用いたオートクチュールのデビューコレクションを発表。「現代的素材を使った、着ることができない12着のドレス」と題されたアイテムは、フランスのファッションメディアから大きな反感を買った。しかし、その1カ月後にはニューヨークでも発表し、アメリカのメディアの好評を得て、デザイナーとしての未来を切り開いた。
また、68年にはスペイン・バルセロナに拠点を置くラグジュアリーファッション・フレグランス企業のプーチ(PUIG)とフレグランスの契約を結び、翌年“カランドル(CALANDRE)”を発売。その後も、“パコ ラバンヌ プール オム(PACO RABANNE POYR HOMME)”や“メタル(METAL)”など、数々のヒット商品を手掛けてきた。
ファッションでは、衣服とその構造への疑問を絶やすことなく、革新的なクリエイションに取り組んだ。60年代から70年代にかけては、ピエール・カルダン(Pierre Cardin)やアンドレ・クレージュ(Andre Courreges)と共にスペースエイジ・ファッションをけん引。メタルディスクなどのパーツをつなぎ合わせるアッサンブラージュやチェーンメイルなど斬新な技法や素材使いが彼の代名詞となったが、80年代には勢いを失い、99年7月のクチュールショーを最後に引退。ファッションの表舞台から姿を消した。
その後、2011年に「パコ ラバンヌ」を擁するプーチが休眠状態となっていた同ブランドのファッション事業を再始動。インド人デザイナーのマニッシュ・アローラ(Manish Arora)を起用した。アローラはわずか2シーズンで退任したが、13年からはニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)時代の「バレンシアガ」で経験を積んだフランス人デザイナーのジュリアン・ドッセーナ(Julien Dossena)がクリエイティブ・ディレクターを務めている。
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