鮮やかな色柄で高揚感を表現するニット界のニュースター NY発「ザンコフ」のヘンリー・ザンコフ

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーや新進ブランドに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

今回取り上げるのは、ニューヨーク(NY)を拠点に「ザンコフ(ZANKOV)」を手掛けるヘンリー・ザンコフ。NYのファッション工科大学(FIT)を卒業後、「ダナ キャラン ニューヨーク(DONNA KARAN NEW YORK)」のアシスタントメンズデザイナーや「ダイアン フォン ファステンバーグ(DIANE VON FURSTENBERG)」のヘッド・オブ・ニットウエアとして経験を積んだヘンリーは、2020年に自身のブランドを設立した。得意とするのは、プレイフルな感覚や鮮やかな色彩、グラフィカルな柄が際立つニットウエア。24年にアメリカファッション評議会(CDFA)によるCFDAアワードで、年間最優秀新進デザイナー賞を受賞した。

ブランドの成長を物語るように、9月のNYファッション・ウイークでは初のランウエイショーを開催。色柄のミックス&マッチという持ち味を生かしながら、ニットにとどまらないクリエイションの可能性を見せた。さらに今年は、歌手や俳優として活躍するトロイ・シヴァン(Troye Sivan)によるフレグランスブランド「ツー ラング ヨー(TSU LANGE YOR)」との協業でホームウエアを手掛けたり、「ダイアン フォン ファステンバーグ」とカプセルコレクションを制作したりと、さまざまなプロジェクトを通して活動の場を広げている。

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

ロシアのサンクトペテルブルク出身です。子どもの頃はとても静かなタイプでした。同年代の子どもよりも大人に興味があり、両親やその友人たちと過ごす時間が多かったですね。また観察することが好きで、年齢よりも少し大人びていたと思います。母にはボヘミアンでクリエイティブな友人が多く、彼らの家を訪れる機会もよくありました。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

外出時に必ずエレガントでシックな装いをしていた祖母の存在が大きかったですね。意外性のある組み合わせを楽しむ姿を見て、幼い頃からファッションやスタイルを探求したいと思うようになりました。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

もともと自ら実験に取り組み、その成果を世界と共有したいという強い憧れと願望を抱いていました。ニューヨーク、そして短期間ですがヨーロッパで複数のブランドにデザイナーとして携わる中、十分な経験と自分のブランドに挑戦する自信がついたと感じたタイミングで立ち上げました。

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

服やファッションは、人をインスパイアし、高揚させ、魅了するものであると同時に、現実に根ざし、きちんと機能する必要があるということ。それが最も大きな学びだと思います。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

クオリティーとクラフトマンシップ、そしてもちろん色が大切です。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブルックリンのキャロルガーデンズに住んでいます。美しいブラウンストーンの建物と木々が並ぶ、とても魅力的なエリアですよ。NYのお気に入りは、友人とコーヒーやマティーニを楽しむ「ザ・オデオン(The Odeon)」、最高のハンバーガーとフライドポテトを味わえるブルックリンハイツの「インガズ・バー(Inga’s Bar)」、家庭的な和食が素晴らしいブルックリンの「ヒビノ(Hibino)」、スタジオ用の花を買うフラワーディストリクト、ソーホーの「ザ・ドローイング・ルーム(The Drawing Room)」、そしてパートナーと愛犬と一緒に散歩をするプロスペクト公園(Prospect Park)。展覧会を見に行ったり、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)が設計したゴージャスな建物に酔いしれたりできるグッゲンハイム美術館(Guggenheim Museum)も好きです。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

フラワーアレンジメント、友人や家族のために料理をすること、そして、森の中を散歩することです。

8:理想の休日の過ごし方は?

たくさん散歩をしたり、フィアンセのためにごちそうを作ったり、家でレコードをかけたりして過ごすのが理想ですね。

9:自分にとっての1番の宝物は?

愛犬のジョージーナです。

10:これから叶えたい夢は?

NYに自分のショップを持つことです。そこがアートやカルチャー、コミュニティが交差するような空間になればいいなと考えています。

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鮮やかな色柄で高揚感を表現するニット界のニュースター NY発「ザンコフ」のヘンリー・ザンコフ

海外ファッション・ウイークを現地取材するWWDJAPANは毎シーズン、今後が楽しみな若手デザイナーや新進ブランドに出会う。本連載では毎回、まだベールに包まれた新たな才能1組にフォーカス。10の質問を通して、ブランド設立の背景やクリエイションに対する考えから生い立ち、ファッションに目覚めたきっかけ、現在のライフスタイルといったパーソナルな部分までを掘り下げる。

今回取り上げるのは、ニューヨーク(NY)を拠点に「ザンコフ(ZANKOV)」を手掛けるヘンリー・ザンコフ。NYのファッション工科大学(FIT)を卒業後、「ダナ キャラン ニューヨーク(DONNA KARAN NEW YORK)」のアシスタントメンズデザイナーや「ダイアン フォン ファステンバーグ(DIANE VON FURSTENBERG)」のヘッド・オブ・ニットウエアとして経験を積んだヘンリーは、2020年に自身のブランドを設立した。得意とするのは、プレイフルな感覚や鮮やかな色彩、グラフィカルな柄が際立つニットウエア。24年にアメリカファッション評議会(CDFA)によるCFDAアワードで、年間最優秀新進デザイナー賞を受賞した。

ブランドの成長を物語るように、9月のNYファッション・ウイークでは初のランウエイショーを開催。色柄のミックス&マッチという持ち味を生かしながら、ニットにとどまらないクリエイションの可能性を見せた。さらに今年は、歌手や俳優として活躍するトロイ・シヴァン(Troye Sivan)によるフレグランスブランド「ツー ラング ヨー(TSU LANGE YOR)」との協業でホームウエアを手掛けたり、「ダイアン フォン ファステンバーグ」とカプセルコレクションを制作したりと、さまざまなプロジェクトを通して活動の場を広げている。

1:出身は?どんな幼少期や学生時代を過ごしましたか?

ロシアのサンクトペテルブルク出身です。子どもの頃はとても静かなタイプでした。同年代の子どもよりも大人に興味があり、両親やその友人たちと過ごす時間が多かったですね。また観察することが好きで、年齢よりも少し大人びていたと思います。母にはボヘミアンでクリエイティブな友人が多く、彼らの家を訪れる機会もよくありました。

2:ファッションに関心をもった原体験やデザイナーを志したきっかけは?

外出時に必ずエレガントでシックな装いをしていた祖母の存在が大きかったですね。意外性のある組み合わせを楽しむ姿を見て、幼い頃からファッションやスタイルを探求したいと思うようになりました。

3:自分のブランドを立ち上げようと決めた理由は?

もともと自ら実験に取り組み、その成果を世界と共有したいという強い憧れと願望を抱いていました。ニューヨーク、そして短期間ですがヨーロッパで複数のブランドにデザイナーとして携わる中、十分な経験と自分のブランドに挑戦する自信がついたと感じたタイミングで立ち上げました。

4:学生時代から過去に働いたブランドまで、これまでの経験で一番心に残っている教えや今に生かされている学びは?

服やファッションは、人をインスパイアし、高揚させ、魅了するものであると同時に、現実に根ざし、きちんと機能する必要があるということ。それが最も大きな学びだと思います。

5:デザイナーとしての自分の強みや、クリエイションにおいて大切にしていることは?

クオリティーとクラフトマンシップ、そしてもちろん色が大切です。

6:活動拠点として、今暮らしている街は?その中でお気に入りのスポットは?

ブルックリンのキャロルガーデンズに住んでいます。美しいブラウンストーンの建物と木々が並ぶ、とても魅力的なエリアですよ。NYのお気に入りは、友人とコーヒーやマティーニを楽しむ「ザ・オデオン(The Odeon)」、最高のハンバーガーとフライドポテトを味わえるブルックリンハイツの「インガズ・バー(Inga’s Bar)」、家庭的な和食が素晴らしいブルックリンの「ヒビノ(Hibino)」、スタジオ用の花を買うフラワーディストリクト、ソーホーの「ザ・ドローイング・ルーム(The Drawing Room)」、そしてパートナーと愛犬と一緒に散歩をするプロスペクト公園(Prospect Park)。展覧会を見に行ったり、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)が設計したゴージャスな建物に酔いしれたりできるグッゲンハイム美術館(Guggenheim Museum)も好きです。

7:ファッション以外で興味のあることや趣味は?

フラワーアレンジメント、友人や家族のために料理をすること、そして、森の中を散歩することです。

8:理想の休日の過ごし方は?

たくさん散歩をしたり、フィアンセのためにごちそうを作ったり、家でレコードをかけたりして過ごすのが理想ですね。

9:自分にとっての1番の宝物は?

愛犬のジョージーナです。

10:これから叶えたい夢は?

NYに自分のショップを持つことです。そこがアートやカルチャー、コミュニティが交差するような空間になればいいなと考えています。

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フランツ・フェルディナンドが明かす「バンドを長く続けるための秘訣」と「ノスタルジーに頼らない創作」

ゼロ年代UKインディーを象徴するバンドの一組、フランツ・フェルディナンド(Franz Ferdinand)は、デビューから20年強を経たいまも力強い歩みを続けている。二度に渡るメンバーチェンジを経て、今年1月にリリースされた最新作「The Human Fear」は、フランツらしさとまだ見ぬ新しさが共存する力作。テンポチェンジや転調を駆使したドラマティックな曲構成は健在であるが、ギリシャ音楽を取り入れた「Black Eyelashes」に象徴されるように、これまでにない音楽的語彙も獲得している。同時期にデビューしたバンドの多くが解散したり回顧的な活動をしたりするなかで、常に攻めの姿勢を崩さない彼らは特筆に値するだろう。

12月上旬には「The Human Fear」を携えた3年振りのジャパン・ツアーも開催。筆者が観た東京公演は、デビュー作から最新作までを網羅したオールタイム・ベスト的なセットリストでありながら、ベテランとは思えないほど性急でアグレッシブな演奏が印象的だった。とは言え、ただ前のめりの勢いがあるだけでなく、長年のキャリアで培われた安定感と余裕も伝わってくる。その意味で、これは今の彼らだからこそできるライブだったと言っていい。

このインタビューは、そんな東京公演の当日に行われたもの。取材に応じてくれたオリジナル・メンバーの2人、アレックス・カプラノス(Alex Kapranos、g/vo)とボブ・ハーディ(Bob Hardy、ba)の発言からは、「どんなに困難であっても、決して迎合せず、自分たちの信じた道を進む強い意志こそが重要」という思いが幾度となく伝わってきた。

「みんなが新曲を一緒に歌ってくれるのが一番うれしい」

——先日は大阪でのライブでしたよね。SNSで見る限り、かなり盛り上がっていたみたいでしたが。

アレックス・カプラノス(以下、アレックス):うん。これまで大阪でやった中でも、一番お気に入りのライブだったと思う。

ボブ・ハーディ(以下、ボブ):そうだね。

アレックス:オーディエンスが最高だった。本当に、本当に、本当に良かったんだよ!

——それを聞くと、今晩の東京公演もますます楽しみになりますね。最新作「The Human Fear」がリリースされてから1年近くが経ちましたが、これまででもっともうれしかった感想と、もっとも納得がいかなかった感想を挙げるとすれば、どんなものになりますか?

ボブ:僕にとって一番うれしいフィードバックは、やっぱりライブで曲を演奏しているときに感じるね。新曲をみんなが一緒に歌ってくれるのを見ているとき、特に若い子たちがね。初めて何かに向かって思いきり叫んでいる、みたいな感じがあって。そこがすごくいい。最前列にティーンエイジャーがいて、新しい曲は一緒に歌うのに、昔の曲は歌わない、みたいなライブもあったよ。

アレックス:それ、すごくいいよね。

ボブ:うん、最高だよ。

アレックス:自分たちが“今も生きているアーティスト”だって実感できる。新しいものを作って、前に進み続けているんだなって。それに個人的には、母親がすごく気に入ってくれて、息子も気に入っているっていう。それもクールだと思う。

——納得がいかなかった感想は、そんなにありませんでした?

アレックス:まあ、意見が合わない批評的な見方がまったくなかったとは言わないけど、アーティストとしては、そういうものから距離を取ることが大事だと思っているからね。そういうことを気にし始めたら、新しいものなんて絶対に作れなくなる。だから、あまり考えないようにしているんだ。

——ええ、それは正しい姿勢だと思います。

アレックス:それと、距離を置きたいと思っているものがもう一つあって——これは今の質問とも少し関係していると思うけど——ノスタルジーだね。昔の曲を演奏するのは大好きだけど、それはあくまで新しい曲と一緒にやる文脈の中で、という話なんだ。20年とか活動してきたバンドには、過去のアルバムを丸ごと演奏して、ツアーすることが期待されがちだけど、僕はそれには興味がない。確かに、そうしたほうがずっとお金にはなる。でも、最終的にはアーティストとして自分を殺すことになると思っている。新しいものを作るんじゃなくて、過去に生きることになるからね。

ボブ:まあ、もし何もアイデアが思い浮かばなくなったら、やるかもしれないけど(笑)。

アレックス:もし僕らが1stアルバムのツアーをやりだしたら、アイデアが枯渇したということだね。そしたらツアーのタイトルも、「ノー・モア・アイデアズ・ツアー」にするよ(笑)。

フランツらしさとは?

――実際、あなたたちと同世代のバンドの多くは、1stアルバムや2ndアルバムの完全再現ライブをよくやっていますよね。でも、あなたたちはまだ一度もそういうことをやっていないっていう。

アレックス:うん、そう。気づいてくれてありがとう。まあ、そういうことをやっている人たちの名前はあえて出さないけどね。でも次にそういうバンドにインタビューする機会があったら、こう訊いてみるといいよ。「もうアイデアが尽きたんですか? それとも、ただお金が欲しいだけですか?」って(笑)。

——なかなか覚悟のいる質問ですね(笑)。最新作収録の「Audacious」はテンポチェンジや転調が目立つ曲で、非常にフランツ・フェルディナンドらしいと感じます。と同時に、テンポチェンジや転調の多用とそこから生まれる演劇性には、クイーン(Queen)に通じるような、イギリスらしさも見て取れます。もしあなたたち自身でフランツらしさ、イギリスらしさを定義するとしたら、どのようになりますか?

ボブ:フランツ・フェルディナンドの場合は、やっぱりアレックスの声が決定的に重要だし、グルーブ感、踊れる感じ、強烈なフック。その辺りがフランツ・フェルディナンドらしさだと思うかな。

イギリスらしさってことで言うと、(自分たちの地元である)グラスゴーには労働者階級の人がたくさんいて、外に出かけるとき——ダンスに行くとか、クラブに踊りに行くとか——すごくちゃんと着飾る伝統があるんだ。見た目に本気で手をかける。

——まさに自分たちはその伝統を受け継いでいると。

ボブ:一方で、その対極にあるのは、すごく裕福な金持ちの子どもたちが、わざとラフな格好をすることだと思う。

アレックス:まさにそこが、ザ・ストロークス(The Strokes)と僕らの違いだと思う。ザ・ストロークスは金持ちの子どもたちが着崩すバンドだったけど、僕らは貧乏な子どもたちが着飾るバンドだった、っていうね。

——なるほど。では、アレックスが考えるフランツらしさ、イギリスらしさは?

アレックス:確かに僕らには、どこかイギリス的な部分があると思う。それはバンドに演劇性があるというか、ちょっとキャンプ(*けばけばしい、大袈裟に誇張された振る舞いのこと)に寄るくらいの芝居がかった感じで、アメリカの音楽ではあまり見かけない要素だと思うんだ。

ボブ:もっと絞り込むなら、僕らは基本的にアートスクール出身のバンドなんだと思う。クイーンとか、ロキシー・ミュージック(Roxy Music)とかと同じでね。

アレックス:ザ・フー(The Who)もアートスクール出身だし、トーキング・ヘッズ(Talking Heads)もそうだよね。

ボブ:トーキング・ヘッズはアメリカのバンドだけど、イギリスのアートスクール的な感覚っていうのは確かにあると思う。

アレックス:それにもう一つ違いがあると思っていて。今話してるアートスクール的なバンドと、いわゆるロック——アメリカのロックと言おうとしたけど、イギリスのロックも含めて——との違いなんだけど、ロックの視点って、基本的には「普通の男が普通の感情を抱いている」ってものが多い。一方でアートスクール的な視点は、非凡なものを探しにいく感じなんだ。普通の場所の中にさえ、非凡なものを見つけようとする。

——その「普通なものの中にも非凡なものを探す」というメンタリティーにも通じる話ですが、あなたたちの音楽には常にアウトサイダーの美学というか、奇妙であること、アウトサイダーであることを祝福する側面があると感じます。そういった自分たちの志向は、どこから生まれているのだと思いますか?

アレックス:僕たちはそういう風に感じているから、っていうだけなんだけどね。学校でさ、自分がいわゆるイケてるグループの一員だって感じて育ったわけじゃないだろ?

ボブ:うん、違うね。

アレックス:ポール(・トムソン、Paul Thomson。初代ドラマー)も間違いなく違ったし、僕もそうじゃなかった。ニック(・マッカーシー、Nick McCarthy。初代ギタリスト)もね。ニックはイングランド人のキッズとして育って、引っ越しも多かったし。

ボブ:僕の場合は、自分の友だちがアウトサイダーだった、って感じかな。そっちのほうが面白かったから。学校の中心にいる連中とか、主流のグループは退屈だった。

アレックス:そうなんだよね。結局いつも子ども時代の経験に根っこがあると思う。ボブがどうだったかは分からないけど、僕の場合は、最初はただ子どもとして普通に過ごしていて、ある時ふと「自分がどこに位置しているのか」に気づく瞬間が来る。そこで疎外感を覚えて、「ああ、俺はあっち側じゃないんだな」って思う。その疎外感を受け入れる段階があって、さらにその先には、ほとんど反抗に近い感覚が生まれる。「よかった、あんな型にはまった連中じゃなくて。あれは退屈すぎる」ってね。まあ、普通の人生のほうが楽なのは分かっているけどさ。

影響を受けたアーティスト

——数年前にアレックスがポッドキャストで「Take Me Out」はジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder)やハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf)などに影響を受けていると語っていましたが、そういう影響源はあなたたちの口から出るまでほとんど指摘されたことがなかったと思います。そのように、まだ誰からも指摘されたことはないけど、実は影響を受けているアーティストや曲というのは他にもあるのでしょうか?

アレックス:ああ、もう、数えきれないほどあるよ。本当にたくさんあって……具体的に一つ挙げるのは難しいんだけど。そうだな、ここで名前を出したいアーティストがいて、彼女は正当に評価されていないと思うんだ。それがドリー・プレヴィン(Dory Previn)。彼女はアンドレ・プレブヴィン(André Previn)の妻だった人で、とにかく素晴らしい作詞家だった。20世紀でも屈指のリリシストのひとりだと思ってる。特に最初の2~3枚のソロ・アルバムはね。

彼女は自分自身の人生経験について歌っていて、さっき話していたこととも重なるけど、とにかく明快で、直接的で、その書き方がすごく印象的だった。僕が書いた曲で、直接ドリー・プレヴィンの曲みたいなものはないと思う。でも彼女の音楽を聴いて、「ああ、こういう歌詞を書きたい」と思ったのははっきり覚えてる。彼女は本当に、心から偉大だと思えるアーティストだし、一つの歌詞の中で物語を語って、個人的な体験を振り返りつつ、同時にもっと大きな文化的な参照点まで織り込める人でもある。それって、僕にとってはものすごくクールなことなんだ。

バンドを長く続ける秘訣

——あなたたちはデビューから既に20年以上が経っているわけですが、多くの同世代のバンドが解散したり活動休止したりする中で、いまもなおコンスタントに活動を続けていられる最大の理由は何だと思いますか?

アレックス:大きな理由の一つは、前に進みたくないメンバーが去っていったことだと思う。

ボブ:僕は、アレックスが決して諦めないからだと思う。橋を渡り切るまで、とにかく進み続けるんだ。

アレックス:実際、それは誰にでもできることじゃないと思う。バンドを結成したときにも話していたけど、アイデアを持つこと自体は誰でもできる。でも、そのアイデアを最後までやり切る覚悟を持っている人は、本当に少ない。

ボブ:それだけじゃないんだ。何かがうまくいかなかったとき、それを「失敗」として終わらせるんじゃなくて、教訓として受け取る。「あ、ここはダメだったな。じゃあ次はこっちに行こう」って切り替える。その感覚自体がスキルだと思う。多くの人は、何かがうまくいかない地点まで来ると、そこで止まってしまう。でもそれは間違いなんだ。「Audacious」には、そういうことを歌っているラインがあるよね。なんだっけ?

アレックス:というか、あの曲全体が、まさにその話なんだ。続ける理由が見えなくなるような状況、全てが崩れていくように感じるときに、どう反応するのか。圧倒されて、「ああ、もう無理だ」と屈してしまうのか、それとも「よし、ここで大胆なことをやってやろう」と乗り越えようとするのか。あの曲は、個人的な状況についてでもあるし、同時に創作についての話でもある。状況に飲み込まれるのか、それとも……という問いだね。

ボブ:20年やってきて、いま思うのは、外から見ると他のアーティストのキャリアって、すごく一直線に見えてしまいがちだってこと。例えば、ポール・マッカートニー。50年代後半にバンドを始めて、巨大な存在になって、そのままずっと続けて、いまや神様みたいにスタジアムで演奏してる——そんなふうに見える。でも実際には、彼のキャリアには数えきれないほどの危機があった。ビートルズ解散後にどん底を経験して、スコットランドの農場に移り住み、ひどく落ち込んでいた時期もあった。80年代には、完全に時代遅れの存在として見られていた。それでも彼は音楽を作り続け、乗り越えてきた。外からは一直線に見えるキャリアも、実際は危機の連続なんだ。でも、その危機をどう乗り越えたかが、最終的にその人を形づくるんだよ。

アレックス:大事なのは、頂上を見失わないことだと思う。岩に遮られて頂上が見えなくなっても、太陽はそこにあるし、そこを目指しているという感覚を持ち続けること。マッカートニーの話は本当にその通りで、「Ram」みたいに、いまでは名作とされているアルバムも、当時は批評家から徹底的に酷評されて、90年代後半まで真剣に相手にされなかった。ブルース・スプリングスティーンも、ルー・リードも同じだよね。彼らに共通しているのは、自分自身への信念というより、自分たちが作っているものへの確信――いや、「信念」という言葉は違うかもしれないけど――とにかく、作っているものをやり抜くという強い意志。それを、僕は心から尊敬している。

——では、もしまだアルバムも出していない10代の若いバンドから、長く活動を続ける秘訣を訊かれたら、どのようにアドバイスしますか?

アレックス:(熟考して)……正直、どこから話せばいいのか分からないな。でも最初のアドバイスとして言うなら、他人のアドバイスを聞かないこと、かな(笑)。

——なるほど(笑)。

アレックス:いや、本気でね。自分自身のルートは、自分で見つけるしかない。多くのアーティストは、過去の誰かが辿った道を見て、「自分もああやらなきゃいけないんだ」って思い込んでしまう。でもそれが原因で、馬鹿げたことをする人も出てくる。たとえばヘロインに手を出すとかね。冗談じゃなくて、90年代後半のグラスゴーで、僕の周りにいた連中が、「ルー・リードみたいな曲を書くにはこれが必要なんだ」って思い込んで、実際にドラッグを注射してたのを覚えてる。面白い曲が書けるようになると思ってたんだ。でも違う。大事なのは、自分だけのルートを見つけること。魅力的なアーティストを見てみると、みんなその人特有の癖や個性があって、それが作品を面白くしている。誰もやらなかったことをやっているから、惹きつけられるんだ。だから、先人から学ぶことは大切だけど、自分自身の視点や進む道が何なのかをちゃんと考えてほしい。そして、それが人と違っていても怖がらないでほしい。違っているという事実を、ちゃんと受け入れてほしいんだ。

2025年のベスト・ソングは?

——素晴らしいアドバイスだと思います。では最後に、あなたたちにとっての2025年のベスト・アルバム、もしくはベスト・ソングを教えてください。

ボブ:ちょっとスマホ見てもいい?

——ええ、もちろん。

アレックス:2025年のベスト・ソングはもう決めてるよ。アミル・アンド・ザ・スニッファーズの「U Should Not Be Doing That」(※リリースは2024年)。あれは最高だと思う。本当にいい曲だよ。

ボブ:じゃあ、僕はベスト・アルバムかな。友人でもあるジョアン・ロバートソンが作った「Blurrr」っていうアルバム。彼女とはもう何年も前からの知り合いで、別に頼まれたわけじゃないけどね。彼女は、さっき話してたことを体現している存在だと思う。これは彼女にとって初めてのアルバムじゃなくて、何枚も出してきた中の一枚なんだけど、突然みんなが彼女に注目し始めた。ずっと静かに、自分のやり方でやり続けてきた結果、世界のほうが追いついてきた感じなんだ。最近は本当にいいライブにも出ているし、音楽のまわりに確かな熱気が生まれている。彼女は頑固なまでに自分の道を突き進んできた。自分の道を自分で耕してきたんだ。その結果、40代にして、すごく尊敬されるアーティストになりつつある。ある意味、今が一番脂が乗ってる時期かもしれないね。

アレックス:この前パリで彼女のライブを観たんだけど、それがまた最高でさ。とにかく、極端なくらい自分自身なんだ。ステージに出てきていきなり、「照明を消してくれる? すごくうっとうしいんだけど。目に当たるから」って言って、結果、ステージが完全に真っ暗になったんだ(笑)。観客への配慮とか、文字通り一切なし。「照明がないと私が見えないでしょ?」みたいな発想がまったくない。ただ「これが嫌だから」って。それがすごく愛おしかったし、本当に彼女は最高だよ。

——それは最高ですね。質問は以上です、ありがとうございました。

アレックス:アリガト、サンキュー。いい質問だったよ。

◾️フランツ・フェルディナンド
「The Human Fear」

◾️フランツ・フェルディナンド「The Human Fear」
リリース:2025年1月8日
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14393

TRACKLIST:
01. Audacious
02. Everydaydreamer
03. The Doctor
04. Hooked
05. Build It Up
06. Night Or Day
07. Tell Me I Should Stay
08. Cats
09. Black Eyelashes
10. Bar Lonely
11. The Birds
12. It’s Funny *Bonus track

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フランツ・フェルディナンドが明かす「バンドを長く続けるための秘訣」と「ノスタルジーに頼らない創作」

ゼロ年代UKインディーを象徴するバンドの一組、フランツ・フェルディナンド(Franz Ferdinand)は、デビューから20年強を経たいまも力強い歩みを続けている。二度に渡るメンバーチェンジを経て、今年1月にリリースされた最新作「The Human Fear」は、フランツらしさとまだ見ぬ新しさが共存する力作。テンポチェンジや転調を駆使したドラマティックな曲構成は健在であるが、ギリシャ音楽を取り入れた「Black Eyelashes」に象徴されるように、これまでにない音楽的語彙も獲得している。同時期にデビューしたバンドの多くが解散したり回顧的な活動をしたりするなかで、常に攻めの姿勢を崩さない彼らは特筆に値するだろう。

12月上旬には「The Human Fear」を携えた3年振りのジャパン・ツアーも開催。筆者が観た東京公演は、デビュー作から最新作までを網羅したオールタイム・ベスト的なセットリストでありながら、ベテランとは思えないほど性急でアグレッシブな演奏が印象的だった。とは言え、ただ前のめりの勢いがあるだけでなく、長年のキャリアで培われた安定感と余裕も伝わってくる。その意味で、これは今の彼らだからこそできるライブだったと言っていい。

このインタビューは、そんな東京公演の当日に行われたもの。取材に応じてくれたオリジナル・メンバーの2人、アレックス・カプラノス(Alex Kapranos、g/vo)とボブ・ハーディ(Bob Hardy、ba)の発言からは、「どんなに困難であっても、決して迎合せず、自分たちの信じた道を進む強い意志こそが重要」という思いが幾度となく伝わってきた。

「みんなが新曲を一緒に歌ってくれるのが一番うれしい」

——先日は大阪でのライブでしたよね。SNSで見る限り、かなり盛り上がっていたみたいでしたが。

アレックス・カプラノス(以下、アレックス):うん。これまで大阪でやった中でも、一番お気に入りのライブだったと思う。

ボブ・ハーディ(以下、ボブ):そうだね。

アレックス:オーディエンスが最高だった。本当に、本当に、本当に良かったんだよ!

——それを聞くと、今晩の東京公演もますます楽しみになりますね。最新作「The Human Fear」がリリースされてから1年近くが経ちましたが、これまででもっともうれしかった感想と、もっとも納得がいかなかった感想を挙げるとすれば、どんなものになりますか?

ボブ:僕にとって一番うれしいフィードバックは、やっぱりライブで曲を演奏しているときに感じるね。新曲をみんなが一緒に歌ってくれるのを見ているとき、特に若い子たちがね。初めて何かに向かって思いきり叫んでいる、みたいな感じがあって。そこがすごくいい。最前列にティーンエイジャーがいて、新しい曲は一緒に歌うのに、昔の曲は歌わない、みたいなライブもあったよ。

アレックス:それ、すごくいいよね。

ボブ:うん、最高だよ。

アレックス:自分たちが“今も生きているアーティスト”だって実感できる。新しいものを作って、前に進み続けているんだなって。それに個人的には、母親がすごく気に入ってくれて、息子も気に入っているっていう。それもクールだと思う。

——納得がいかなかった感想は、そんなにありませんでした?

アレックス:まあ、意見が合わない批評的な見方がまったくなかったとは言わないけど、アーティストとしては、そういうものから距離を取ることが大事だと思っているからね。そういうことを気にし始めたら、新しいものなんて絶対に作れなくなる。だから、あまり考えないようにしているんだ。

——ええ、それは正しい姿勢だと思います。

アレックス:それと、距離を置きたいと思っているものがもう一つあって——これは今の質問とも少し関係していると思うけど——ノスタルジーだね。昔の曲を演奏するのは大好きだけど、それはあくまで新しい曲と一緒にやる文脈の中で、という話なんだ。20年とか活動してきたバンドには、過去のアルバムを丸ごと演奏して、ツアーすることが期待されがちだけど、僕はそれには興味がない。確かに、そうしたほうがずっとお金にはなる。でも、最終的にはアーティストとして自分を殺すことになると思っている。新しいものを作るんじゃなくて、過去に生きることになるからね。

ボブ:まあ、もし何もアイデアが思い浮かばなくなったら、やるかもしれないけど(笑)。

アレックス:もし僕らが1stアルバムのツアーをやりだしたら、アイデアが枯渇したということだね。そしたらツアーのタイトルも、「ノー・モア・アイデアズ・ツアー」にするよ(笑)。

フランツらしさとは?

――実際、あなたたちと同世代のバンドの多くは、1stアルバムや2ndアルバムの完全再現ライブをよくやっていますよね。でも、あなたたちはまだ一度もそういうことをやっていないっていう。

アレックス:うん、そう。気づいてくれてありがとう。まあ、そういうことをやっている人たちの名前はあえて出さないけどね。でも次にそういうバンドにインタビューする機会があったら、こう訊いてみるといいよ。「もうアイデアが尽きたんですか? それとも、ただお金が欲しいだけですか?」って(笑)。

——なかなか覚悟のいる質問ですね(笑)。最新作収録の「Audacious」はテンポチェンジや転調が目立つ曲で、非常にフランツ・フェルディナンドらしいと感じます。と同時に、テンポチェンジや転調の多用とそこから生まれる演劇性には、クイーン(Queen)に通じるような、イギリスらしさも見て取れます。もしあなたたち自身でフランツらしさ、イギリスらしさを定義するとしたら、どのようになりますか?

ボブ:フランツ・フェルディナンドの場合は、やっぱりアレックスの声が決定的に重要だし、グルーブ感、踊れる感じ、強烈なフック。その辺りがフランツ・フェルディナンドらしさだと思うかな。

イギリスらしさってことで言うと、(自分たちの地元である)グラスゴーには労働者階級の人がたくさんいて、外に出かけるとき——ダンスに行くとか、クラブに踊りに行くとか——すごくちゃんと着飾る伝統があるんだ。見た目に本気で手をかける。

——まさに自分たちはその伝統を受け継いでいると。

ボブ:一方で、その対極にあるのは、すごく裕福な金持ちの子どもたちが、わざとラフな格好をすることだと思う。

アレックス:まさにそこが、ザ・ストロークス(The Strokes)と僕らの違いだと思う。ザ・ストロークスは金持ちの子どもたちが着崩すバンドだったけど、僕らは貧乏な子どもたちが着飾るバンドだった、っていうね。

——なるほど。では、アレックスが考えるフランツらしさ、イギリスらしさは?

アレックス:確かに僕らには、どこかイギリス的な部分があると思う。それはバンドに演劇性があるというか、ちょっとキャンプ(*けばけばしい、大袈裟に誇張された振る舞いのこと)に寄るくらいの芝居がかった感じで、アメリカの音楽ではあまり見かけない要素だと思うんだ。

ボブ:もっと絞り込むなら、僕らは基本的にアートスクール出身のバンドなんだと思う。クイーンとか、ロキシー・ミュージック(Roxy Music)とかと同じでね。

アレックス:ザ・フー(The Who)もアートスクール出身だし、トーキング・ヘッズ(Talking Heads)もそうだよね。

ボブ:トーキング・ヘッズはアメリカのバンドだけど、イギリスのアートスクール的な感覚っていうのは確かにあると思う。

アレックス:それにもう一つ違いがあると思っていて。今話してるアートスクール的なバンドと、いわゆるロック——アメリカのロックと言おうとしたけど、イギリスのロックも含めて——との違いなんだけど、ロックの視点って、基本的には「普通の男が普通の感情を抱いている」ってものが多い。一方でアートスクール的な視点は、非凡なものを探しにいく感じなんだ。普通の場所の中にさえ、非凡なものを見つけようとする。

——その「普通なものの中にも非凡なものを探す」というメンタリティーにも通じる話ですが、あなたたちの音楽には常にアウトサイダーの美学というか、奇妙であること、アウトサイダーであることを祝福する側面があると感じます。そういった自分たちの志向は、どこから生まれているのだと思いますか?

アレックス:僕たちはそういう風に感じているから、っていうだけなんだけどね。学校でさ、自分がいわゆるイケてるグループの一員だって感じて育ったわけじゃないだろ?

ボブ:うん、違うね。

アレックス:ポール(・トムソン、Paul Thomson。初代ドラマー)も間違いなく違ったし、僕もそうじゃなかった。ニック(・マッカーシー、Nick McCarthy。初代ギタリスト)もね。ニックはイングランド人のキッズとして育って、引っ越しも多かったし。

ボブ:僕の場合は、自分の友だちがアウトサイダーだった、って感じかな。そっちのほうが面白かったから。学校の中心にいる連中とか、主流のグループは退屈だった。

アレックス:そうなんだよね。結局いつも子ども時代の経験に根っこがあると思う。ボブがどうだったかは分からないけど、僕の場合は、最初はただ子どもとして普通に過ごしていて、ある時ふと「自分がどこに位置しているのか」に気づく瞬間が来る。そこで疎外感を覚えて、「ああ、俺はあっち側じゃないんだな」って思う。その疎外感を受け入れる段階があって、さらにその先には、ほとんど反抗に近い感覚が生まれる。「よかった、あんな型にはまった連中じゃなくて。あれは退屈すぎる」ってね。まあ、普通の人生のほうが楽なのは分かっているけどさ。

影響を受けたアーティスト

——数年前にアレックスがポッドキャストで「Take Me Out」はジョルジオ・モロダー(Giorgio Moroder)やハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf)などに影響を受けていると語っていましたが、そういう影響源はあなたたちの口から出るまでほとんど指摘されたことがなかったと思います。そのように、まだ誰からも指摘されたことはないけど、実は影響を受けているアーティストや曲というのは他にもあるのでしょうか?

アレックス:ああ、もう、数えきれないほどあるよ。本当にたくさんあって……具体的に一つ挙げるのは難しいんだけど。そうだな、ここで名前を出したいアーティストがいて、彼女は正当に評価されていないと思うんだ。それがドリー・プレヴィン(Dory Previn)。彼女はアンドレ・プレブヴィン(André Previn)の妻だった人で、とにかく素晴らしい作詞家だった。20世紀でも屈指のリリシストのひとりだと思ってる。特に最初の2~3枚のソロ・アルバムはね。

彼女は自分自身の人生経験について歌っていて、さっき話していたこととも重なるけど、とにかく明快で、直接的で、その書き方がすごく印象的だった。僕が書いた曲で、直接ドリー・プレヴィンの曲みたいなものはないと思う。でも彼女の音楽を聴いて、「ああ、こういう歌詞を書きたい」と思ったのははっきり覚えてる。彼女は本当に、心から偉大だと思えるアーティストだし、一つの歌詞の中で物語を語って、個人的な体験を振り返りつつ、同時にもっと大きな文化的な参照点まで織り込める人でもある。それって、僕にとってはものすごくクールなことなんだ。

バンドを長く続ける秘訣

——あなたたちはデビューから既に20年以上が経っているわけですが、多くの同世代のバンドが解散したり活動休止したりする中で、いまもなおコンスタントに活動を続けていられる最大の理由は何だと思いますか?

アレックス:大きな理由の一つは、前に進みたくないメンバーが去っていったことだと思う。

ボブ:僕は、アレックスが決して諦めないからだと思う。橋を渡り切るまで、とにかく進み続けるんだ。

アレックス:実際、それは誰にでもできることじゃないと思う。バンドを結成したときにも話していたけど、アイデアを持つこと自体は誰でもできる。でも、そのアイデアを最後までやり切る覚悟を持っている人は、本当に少ない。

ボブ:それだけじゃないんだ。何かがうまくいかなかったとき、それを「失敗」として終わらせるんじゃなくて、教訓として受け取る。「あ、ここはダメだったな。じゃあ次はこっちに行こう」って切り替える。その感覚自体がスキルだと思う。多くの人は、何かがうまくいかない地点まで来ると、そこで止まってしまう。でもそれは間違いなんだ。「Audacious」には、そういうことを歌っているラインがあるよね。なんだっけ?

アレックス:というか、あの曲全体が、まさにその話なんだ。続ける理由が見えなくなるような状況、全てが崩れていくように感じるときに、どう反応するのか。圧倒されて、「ああ、もう無理だ」と屈してしまうのか、それとも「よし、ここで大胆なことをやってやろう」と乗り越えようとするのか。あの曲は、個人的な状況についてでもあるし、同時に創作についての話でもある。状況に飲み込まれるのか、それとも……という問いだね。

ボブ:20年やってきて、いま思うのは、外から見ると他のアーティストのキャリアって、すごく一直線に見えてしまいがちだってこと。例えば、ポール・マッカートニー。50年代後半にバンドを始めて、巨大な存在になって、そのままずっと続けて、いまや神様みたいにスタジアムで演奏してる——そんなふうに見える。でも実際には、彼のキャリアには数えきれないほどの危機があった。ビートルズ解散後にどん底を経験して、スコットランドの農場に移り住み、ひどく落ち込んでいた時期もあった。80年代には、完全に時代遅れの存在として見られていた。それでも彼は音楽を作り続け、乗り越えてきた。外からは一直線に見えるキャリアも、実際は危機の連続なんだ。でも、その危機をどう乗り越えたかが、最終的にその人を形づくるんだよ。

アレックス:大事なのは、頂上を見失わないことだと思う。岩に遮られて頂上が見えなくなっても、太陽はそこにあるし、そこを目指しているという感覚を持ち続けること。マッカートニーの話は本当にその通りで、「Ram」みたいに、いまでは名作とされているアルバムも、当時は批評家から徹底的に酷評されて、90年代後半まで真剣に相手にされなかった。ブルース・スプリングスティーンも、ルー・リードも同じだよね。彼らに共通しているのは、自分自身への信念というより、自分たちが作っているものへの確信――いや、「信念」という言葉は違うかもしれないけど――とにかく、作っているものをやり抜くという強い意志。それを、僕は心から尊敬している。

——では、もしまだアルバムも出していない10代の若いバンドから、長く活動を続ける秘訣を訊かれたら、どのようにアドバイスしますか?

アレックス:(熟考して)……正直、どこから話せばいいのか分からないな。でも最初のアドバイスとして言うなら、他人のアドバイスを聞かないこと、かな(笑)。

——なるほど(笑)。

アレックス:いや、本気でね。自分自身のルートは、自分で見つけるしかない。多くのアーティストは、過去の誰かが辿った道を見て、「自分もああやらなきゃいけないんだ」って思い込んでしまう。でもそれが原因で、馬鹿げたことをする人も出てくる。たとえばヘロインに手を出すとかね。冗談じゃなくて、90年代後半のグラスゴーで、僕の周りにいた連中が、「ルー・リードみたいな曲を書くにはこれが必要なんだ」って思い込んで、実際にドラッグを注射してたのを覚えてる。面白い曲が書けるようになると思ってたんだ。でも違う。大事なのは、自分だけのルートを見つけること。魅力的なアーティストを見てみると、みんなその人特有の癖や個性があって、それが作品を面白くしている。誰もやらなかったことをやっているから、惹きつけられるんだ。だから、先人から学ぶことは大切だけど、自分自身の視点や進む道が何なのかをちゃんと考えてほしい。そして、それが人と違っていても怖がらないでほしい。違っているという事実を、ちゃんと受け入れてほしいんだ。

2025年のベスト・ソングは?

——素晴らしいアドバイスだと思います。では最後に、あなたたちにとっての2025年のベスト・アルバム、もしくはベスト・ソングを教えてください。

ボブ:ちょっとスマホ見てもいい?

——ええ、もちろん。

アレックス:2025年のベスト・ソングはもう決めてるよ。アミル・アンド・ザ・スニッファーズの「U Should Not Be Doing That」(※リリースは2024年)。あれは最高だと思う。本当にいい曲だよ。

ボブ:じゃあ、僕はベスト・アルバムかな。友人でもあるジョアン・ロバートソンが作った「Blurrr」っていうアルバム。彼女とはもう何年も前からの知り合いで、別に頼まれたわけじゃないけどね。彼女は、さっき話してたことを体現している存在だと思う。これは彼女にとって初めてのアルバムじゃなくて、何枚も出してきた中の一枚なんだけど、突然みんなが彼女に注目し始めた。ずっと静かに、自分のやり方でやり続けてきた結果、世界のほうが追いついてきた感じなんだ。最近は本当にいいライブにも出ているし、音楽のまわりに確かな熱気が生まれている。彼女は頑固なまでに自分の道を突き進んできた。自分の道を自分で耕してきたんだ。その結果、40代にして、すごく尊敬されるアーティストになりつつある。ある意味、今が一番脂が乗ってる時期かもしれないね。

アレックス:この前パリで彼女のライブを観たんだけど、それがまた最高でさ。とにかく、極端なくらい自分自身なんだ。ステージに出てきていきなり、「照明を消してくれる? すごくうっとうしいんだけど。目に当たるから」って言って、結果、ステージが完全に真っ暗になったんだ(笑)。観客への配慮とか、文字通り一切なし。「照明がないと私が見えないでしょ?」みたいな発想がまったくない。ただ「これが嫌だから」って。それがすごく愛おしかったし、本当に彼女は最高だよ。

——それは最高ですね。質問は以上です、ありがとうございました。

アレックス:アリガト、サンキュー。いい質問だったよ。

◾️フランツ・フェルディナンド
「The Human Fear」

◾️フランツ・フェルディナンド「The Human Fear」
リリース:2025年1月8日
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14393

TRACKLIST:
01. Audacious
02. Everydaydreamer
03. The Doctor
04. Hooked
05. Build It Up
06. Night Or Day
07. Tell Me I Should Stay
08. Cats
09. Black Eyelashes
10. Bar Lonely
11. The Birds
12. It’s Funny *Bonus track

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スタイリスト・濱本愛弓が選ぶ、2025年本当に使い倒した私物ベスト3

PROFILE: 濱本愛弓/スタイリスト

PROFILE: (はまもと・あゆみ)1988年1月6日生まれ、大阪府出身。2014年からアシスタントを経て、18年に独立。現在はモード誌をはじめ、さまざまなメディアやブランドでスタイリングを担当。エッジの効いた強さの中に、計算されたシルエット選びと肌見せで女性らしさを忍ばせる。その絶妙なバランス感覚に、業界にもファンが多い。

ファッション&ビューティの現場で活躍する注目の“あの人”に、2025年リアルに使い倒したアイテムベスト3を聞く年末の特別連載。その選択には、今の価値観とムードがはっきりと表れる。

第7回は、人気スタイリストの濱本愛弓が登場。仕事と生活――その両方を行き来する多忙な彼女が、2025年に本当に使い倒した3つの私物を語ってくれた。そこに浮かび上がるのは、母になった今の視点、変わりゆく美意識、そして「自分らしさ」への揺るぎない信頼だ。

濱本愛弓が選んだベスト3

BEST1:
強さをそっと添える「ドルセー」の香水

――今年1年で、毎日のように使った相棒は?

濱本愛弓(以下、濱本):1番使ったのは、毎日身につけていた「ドルセー(D'ORSAY)」の香水です。愛用している“インセンスクラッシュ”は、スパイシーでウッディ、さらにレザーが調和したような香り。ちょうど24年の今頃から使い始め、自分の香りとして定着してきました。

――残量も半分以下で、リアルに愛用していたことが分かります。香水をまとうのはどんなシーンですか?

濱本:私の中で、香水とジュエリーはオン・オフの気分のスイッチになるもの。なので、仕事に行く前に必ずつけていて。香りって、目には見えないけれど、その人を印象づけるすごく大切な要素だと思うんです。

スタイリストとして独立したばかりの頃、強く見せるための“鎧”として、少し重くてスパイシーな香りを取り入れていて、それが今では自分の定番になりました。当時は金銭的に余裕もなかったですが、香水は無理してでも買うものという意識がありましたね。

――つけ方のこだわりはありますか?

濱本:つけ方はシンプルで、左右の手首にワンプッシュずつ吹きかけてなじませます。体温と合わさって、どんどんその人だけの香りになっていくのも香水の好きなところ。

この“インセンスクラッシュ”もオリエンタルで妖艶な印象がありながら、肌に溶け込むとふんわり上品に香ってくれます。周囲から、「どこの香水?」って聞かれることも多いんです。

BEST2:
ゴールドが効いた「ミュウミュウ」のバッグ

――使い倒したアイテムベスト2を教えてください。

濱本:「ミュウミュウ(MIU MIU)」の“アバンチュール ナッパレザー バッグ”。もともとスモールバッグを持つことが多かったのですが、昨年秋に娘が生まれてからは、必然的に大きなサイズを選ぶように。このバッグは、ビンテージっぽいゴールドのパーツがとにかくかわいい。今日のスタイリングのように、ゴールドバックルのベルトと合わせて、リンク感を出すのにハマっています。

――バッグを選ぶときに、気にしているポイントやこだわりはありますか?

濱本:かわいいデザインを一番重視しているので、機能性は正直あまり重視していないかも。必要な荷物が収まるかはもちろんチェックしますが、細々とした小物類はポーチに分けて入れるので、収納スペースの多さや使い心地は気にしないんです。

――では、このバッグを使ってみて感じた魅力は?

濱本:ラムレザーなのでで、使い込むうちに柔らかさが増して、くたっとしてきたところ。あとは、持ち手が短すぎず肩掛けしやすいのも、使いながら実感した良さですね。

――じゃらじゃら揺れる、キーチェーンも印象的です。

濱本:まず目を引くのは、友人の彼がつくってくれた娘と愛犬の写真のチャーム。ほかには、パリで買ったエッフェル塔のキーチェーン、お土産でいただいたストラップなど、好きなものがここにぎゅっと詰まっています。バッグ自体がシンプルなので、遊び心を足したいときにつけたりしますね。

BEST3:
パンツを解体した「ホダコヴァ」のジャケット

――では、ベスト3は?

濱本:3つ目は、「ホダコヴァ(HODAKOVA)」のジャケット。25年春夏のコレクションを見てからずっと気になっていて、今年の秋頃にファーフェッチ(Farfetch)で購入しました。

――どんなところに惹かれたのでしょうか。

濱本:「ホダコヴァ」は、アップサイクルした布地やファッションピースを用いて、デザインを再構築しているブランド。このジャケットも、パンツを解体して作られているんです。今までジャケットと言うと、キレイめな形を好んで着ることが多かったんですが、こういうメンズライクでちょっと野暮ったい感じも新鮮でいいなと思い、手に取ってみました。

――濱本さん流のスタイリングアイデアは?

濱本:アイテムが持つ雰囲気にド直球なスタイリングよりも、エレガントに昇華させるほうが好き。なので、ともするとワークやストリート感のあるジャケットですが、自分が着るなら足元はヒールがマストです。細身のスラックスやペンシルスカートなど、タイトなボトムスと合わせたいですね。

「ホダコヴァ」のコレクションでは、同素材のスカートとのセットアップで提案されていて、黒のベルトで引き締めていたのがすごくすてきだったんです。それを見て、私も黒のベルトを通して着るようにしています。

――サイズ感へのこだわりや着方のコツはありますか?

濱本:ビンテージにもありそうな作業着っぽいデザインですが、このミニマムなシルエットは新品だからこその魅力だなって思うんです。オーバーサイズをがばっと着るのもいいですが、コンパクトなサイズをモダンに着こなしたくて、XSサイズを選びました。

このジャケットは、高い襟もポイント。首元のシルエットをよりおしゃれに見せるため、髪を短く切りました(笑)。ヘアスタイルを変えるきっかけにもなった1着です。

母になっても「自分らしいファッションで」

――25年を振り返って、どんな1年でしたか?

濱本:昨年の10月に娘が生まれたので、今年はお母さん1年目。彼女の成長に驚かされたり、彼女を通して自分自身の人生を振り返らせてもらったり、学びが多い日々でした。自分が幼い頃の記憶って、全て残っているわけではないじゃないですか。でも、産まれた瞬間からその人生を見させてもらえる、そんな存在ができたことは、すごくワクワクすることだなぁと感じています。

――お子さんが産まれてから、ご自身のファッションやスタイルに変化はありましたか?

濱本:荷物が増えるので必然的にバッグは大きくなりましたし、スニーカーを履く回数もぐっと増えました。けれど、以前と同じように、好きな服を好きなように着ることは変えていません。白いシャツを着て娘を抱っこすることもあるし、汚れたら「クリーニングに出せばいいじゃん」という感覚です。

――お子さんがいると、ファッションの幅が狭まることに悩む方も多いと思うのですが、濱本さんは自分の好きを貫いているんですね。

濱本:そうですね。小さな子どもがいても、自分の気分が上がるものをちゃんと着ていたいなって思うんです。なので、自分のスタイルはそのまま、何も変わりません。最低限のTPOはもちろん考えますが、自分らしくいられる服を着て、堂々と自信を持って過ごしている私の姿に、いつか娘が何か感じてくれたらいいなってひそかに思っています。

2026年の気分は、ベーシック

――26年春夏のファッションで、濱本さんが注目しているのは?

濱本:コレクションのトピックスでいうと、26春夏からのデザイナー交代が印象的でしたね。特に心を掴まれたのは、マチュー・ブレイジー(Matthieu Blazy)による新生「シャネル(CHANEL)」のショー。これまでよりも削ぎ落され、モダンに変わったデザインは、どれもすごくすてきでした。中でも、ジャケットが気になっています。

――濱本さんがオーダー済みの26年春夏のアイテムがあれば、教えてください。

濱本:2色買いしたのは、「オーラリー(AURALEE)」のレザートングサンダルです。前シーズンもそうだったのですが、春夏は足元に抜けをつくるのが気分。かちっとしたヒールではなく、トングサンダルを合わせる感じがいいなと思っていて。形はカジュアルですが、レザーなので都会的な雰囲気に。黒か白で迷った末、履きやすく何より合わせやすそうだったので、2色とも購入しました。

――ミニマルなデザインが、濱本さんの最近の気分なのですね。

濱本:そうなんです。ここ数年、洋服はブラウンやグレー、ベージュ、ネイビーといった、今まで選ばなかった色をたくさん着るようになりました。もともと「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」が好きなこともあり、派手な柄や明るい色もよく着ていたのですが、いつの間にか落ち着いた色ばかりを手に取る自分に気づいたというか。

年齢を重ねるほどに、その人自身にしかない深みや奥行きが生まれていきます。そう考えるようになってから、スタイリングも少しずつシンプルに、自分だからこそにじみ出るかっこよさを目指したいと思い始めたのかもしれません。

――最後に、来年の目標や今後チャレンジしたいことはありますか?

濱本:今年1年、家族の協力に本当に支えられて、スタイリストとしても変わらずたくさん仕事をすることができました。来年は海外での仕事のお話もあり、娘と数日離れることへの不安は正直ありますが、楽しみも大きく、少しずつ挑戦していけたらと思っています。まだ先の話かもしれませんが、またパリコレの空気を現場で感じられたらうれしいですし、いつか娘と一緒に、イタリアやコペンハーゲンを旅するのも夢のひとつです。


CREDIT
PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

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スタイリスト・濱本愛弓が選ぶ、2025年本当に使い倒した私物ベスト3

PROFILE: 濱本愛弓/スタイリスト

PROFILE: (はまもと・あゆみ)1988年1月6日生まれ、大阪府出身。2014年からアシスタントを経て、18年に独立。現在はモード誌をはじめ、さまざまなメディアやブランドでスタイリングを担当。エッジの効いた強さの中に、計算されたシルエット選びと肌見せで女性らしさを忍ばせる。その絶妙なバランス感覚に、業界にもファンが多い。

ファッション&ビューティの現場で活躍する注目の“あの人”に、2025年リアルに使い倒したアイテムベスト3を聞く年末の特別連載。その選択には、今の価値観とムードがはっきりと表れる。

第7回は、人気スタイリストの濱本愛弓が登場。仕事と生活――その両方を行き来する多忙な彼女が、2025年に本当に使い倒した3つの私物を語ってくれた。そこに浮かび上がるのは、母になった今の視点、変わりゆく美意識、そして「自分らしさ」への揺るぎない信頼だ。

濱本愛弓が選んだベスト3

BEST1:
強さをそっと添える「ドルセー」の香水

――今年1年で、毎日のように使った相棒は?

濱本愛弓(以下、濱本):1番使ったのは、毎日身につけていた「ドルセー(D'ORSAY)」の香水です。愛用している“インセンスクラッシュ”は、スパイシーでウッディ、さらにレザーが調和したような香り。ちょうど24年の今頃から使い始め、自分の香りとして定着してきました。

――残量も半分以下で、リアルに愛用していたことが分かります。香水をまとうのはどんなシーンですか?

濱本:私の中で、香水とジュエリーはオン・オフの気分のスイッチになるもの。なので、仕事に行く前に必ずつけていて。香りって、目には見えないけれど、その人を印象づけるすごく大切な要素だと思うんです。

スタイリストとして独立したばかりの頃、強く見せるための“鎧”として、少し重くてスパイシーな香りを取り入れていて、それが今では自分の定番になりました。当時は金銭的に余裕もなかったですが、香水は無理してでも買うものという意識がありましたね。

――つけ方のこだわりはありますか?

濱本:つけ方はシンプルで、左右の手首にワンプッシュずつ吹きかけてなじませます。体温と合わさって、どんどんその人だけの香りになっていくのも香水の好きなところ。

この“インセンスクラッシュ”もオリエンタルで妖艶な印象がありながら、肌に溶け込むとふんわり上品に香ってくれます。周囲から、「どこの香水?」って聞かれることも多いんです。

BEST2:
ゴールドが効いた「ミュウミュウ」のバッグ

――使い倒したアイテムベスト2を教えてください。

濱本:「ミュウミュウ(MIU MIU)」の“アバンチュール ナッパレザー バッグ”。もともとスモールバッグを持つことが多かったのですが、昨年秋に娘が生まれてからは、必然的に大きなサイズを選ぶように。このバッグは、ビンテージっぽいゴールドのパーツがとにかくかわいい。今日のスタイリングのように、ゴールドバックルのベルトと合わせて、リンク感を出すのにハマっています。

――バッグを選ぶときに、気にしているポイントやこだわりはありますか?

濱本:かわいいデザインを一番重視しているので、機能性は正直あまり重視していないかも。必要な荷物が収まるかはもちろんチェックしますが、細々とした小物類はポーチに分けて入れるので、収納スペースの多さや使い心地は気にしないんです。

――では、このバッグを使ってみて感じた魅力は?

濱本:ラムレザーなのでで、使い込むうちに柔らかさが増して、くたっとしてきたところ。あとは、持ち手が短すぎず肩掛けしやすいのも、使いながら実感した良さですね。

――じゃらじゃら揺れる、キーチェーンも印象的です。

濱本:まず目を引くのは、友人の彼がつくってくれた娘と愛犬の写真のチャーム。ほかには、パリで買ったエッフェル塔のキーチェーン、お土産でいただいたストラップなど、好きなものがここにぎゅっと詰まっています。バッグ自体がシンプルなので、遊び心を足したいときにつけたりしますね。

BEST3:
パンツを解体した「ホダコヴァ」のジャケット

――では、ベスト3は?

濱本:3つ目は、「ホダコヴァ(HODAKOVA)」のジャケット。25年春夏のコレクションを見てからずっと気になっていて、今年の秋頃にファーフェッチ(Farfetch)で購入しました。

――どんなところに惹かれたのでしょうか。

濱本:「ホダコヴァ」は、アップサイクルした布地やファッションピースを用いて、デザインを再構築しているブランド。このジャケットも、パンツを解体して作られているんです。今までジャケットと言うと、キレイめな形を好んで着ることが多かったんですが、こういうメンズライクでちょっと野暮ったい感じも新鮮でいいなと思い、手に取ってみました。

――濱本さん流のスタイリングアイデアは?

濱本:アイテムが持つ雰囲気にド直球なスタイリングよりも、エレガントに昇華させるほうが好き。なので、ともするとワークやストリート感のあるジャケットですが、自分が着るなら足元はヒールがマストです。細身のスラックスやペンシルスカートなど、タイトなボトムスと合わせたいですね。

「ホダコヴァ」のコレクションでは、同素材のスカートとのセットアップで提案されていて、黒のベルトで引き締めていたのがすごくすてきだったんです。それを見て、私も黒のベルトを通して着るようにしています。

――サイズ感へのこだわりや着方のコツはありますか?

濱本:ビンテージにもありそうな作業着っぽいデザインですが、このミニマムなシルエットは新品だからこその魅力だなって思うんです。オーバーサイズをがばっと着るのもいいですが、コンパクトなサイズをモダンに着こなしたくて、XSサイズを選びました。

このジャケットは、高い襟もポイント。首元のシルエットをよりおしゃれに見せるため、髪を短く切りました(笑)。ヘアスタイルを変えるきっかけにもなった1着です。

母になっても「自分らしいファッションで」

――25年を振り返って、どんな1年でしたか?

濱本:昨年の10月に娘が生まれたので、今年はお母さん1年目。彼女の成長に驚かされたり、彼女を通して自分自身の人生を振り返らせてもらったり、学びが多い日々でした。自分が幼い頃の記憶って、全て残っているわけではないじゃないですか。でも、産まれた瞬間からその人生を見させてもらえる、そんな存在ができたことは、すごくワクワクすることだなぁと感じています。

――お子さんが産まれてから、ご自身のファッションやスタイルに変化はありましたか?

濱本:荷物が増えるので必然的にバッグは大きくなりましたし、スニーカーを履く回数もぐっと増えました。けれど、以前と同じように、好きな服を好きなように着ることは変えていません。白いシャツを着て娘を抱っこすることもあるし、汚れたら「クリーニングに出せばいいじゃん」という感覚です。

――お子さんがいると、ファッションの幅が狭まることに悩む方も多いと思うのですが、濱本さんは自分の好きを貫いているんですね。

濱本:そうですね。小さな子どもがいても、自分の気分が上がるものをちゃんと着ていたいなって思うんです。なので、自分のスタイルはそのまま、何も変わりません。最低限のTPOはもちろん考えますが、自分らしくいられる服を着て、堂々と自信を持って過ごしている私の姿に、いつか娘が何か感じてくれたらいいなってひそかに思っています。

2026年の気分は、ベーシック

――26年春夏のファッションで、濱本さんが注目しているのは?

濱本:コレクションのトピックスでいうと、26春夏からのデザイナー交代が印象的でしたね。特に心を掴まれたのは、マチュー・ブレイジー(Matthieu Blazy)による新生「シャネル(CHANEL)」のショー。これまでよりも削ぎ落され、モダンに変わったデザインは、どれもすごくすてきでした。中でも、ジャケットが気になっています。

――濱本さんがオーダー済みの26年春夏のアイテムがあれば、教えてください。

濱本:2色買いしたのは、「オーラリー(AURALEE)」のレザートングサンダルです。前シーズンもそうだったのですが、春夏は足元に抜けをつくるのが気分。かちっとしたヒールではなく、トングサンダルを合わせる感じがいいなと思っていて。形はカジュアルですが、レザーなので都会的な雰囲気に。黒か白で迷った末、履きやすく何より合わせやすそうだったので、2色とも購入しました。

――ミニマルなデザインが、濱本さんの最近の気分なのですね。

濱本:そうなんです。ここ数年、洋服はブラウンやグレー、ベージュ、ネイビーといった、今まで選ばなかった色をたくさん着るようになりました。もともと「ドリス ヴァン ノッテン(DRIES VAN NOTEN)」が好きなこともあり、派手な柄や明るい色もよく着ていたのですが、いつの間にか落ち着いた色ばかりを手に取る自分に気づいたというか。

年齢を重ねるほどに、その人自身にしかない深みや奥行きが生まれていきます。そう考えるようになってから、スタイリングも少しずつシンプルに、自分だからこそにじみ出るかっこよさを目指したいと思い始めたのかもしれません。

――最後に、来年の目標や今後チャレンジしたいことはありますか?

濱本:今年1年、家族の協力に本当に支えられて、スタイリストとしても変わらずたくさん仕事をすることができました。来年は海外での仕事のお話もあり、娘と数日離れることへの不安は正直ありますが、楽しみも大きく、少しずつ挑戦していけたらと思っています。まだ先の話かもしれませんが、またパリコレの空気を現場で感じられたらうれしいですし、いつか娘と一緒に、イタリアやコペンハーゲンを旅するのも夢のひとつです。


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PHOTOS:TAMEKI OSHIRO

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東京の自然と伝統を皿に映す あきるの市のフランス料理店「ラルブル」

「食」が旅の目的になる時代。土地と深く結びついた旅の体験としてのデスティネーション・ガストロノミーが注目され、東京西部、多摩エリアでも存在感を増している。西多摩の山林や東京の島々に広がる多彩な自然の中で、土地の生産者と料理人の技が交錯し、その土地ならではの味覚や時間の流れを感じる体験が生まれる。

2023年秋、あきる野市にオープンしたフレンチレストラン「ラルブル(L’Arbre)」は、東京都指定有形文化財「小机家住宅」に店を構える。一部改修された築150年以上の建物が、土地の歴史と文化を映す“テロワール“を体感させ、食の体験をさらに深める。オーナーシェフの松尾直幹は、自ら畑を耕し、環境に配慮した野菜やハーブを育て、地元食材とフランス料理の技法を融合させた五日市らしいフレンチを作り出し、訪れる人々に土地の物語と時間の深みを届ける。松尾に、食材や料理のこだわり、東京のローカルフレンチの舞台裏を聞いた。

PROFILE: 松尾直幹/「ラルブル」オーナーシェフ

松尾直幹/「ラルブル」オーナーシェフ
PROFILE: 東京都西多摩郡瑞穂町出身。帝国ホテルのメインダイニング「レ セゾン」のスーシェフを務め、クラシックなフランス料理と和食材を融合させた料理創作を始め、国賓のお客さまへの料理提供等、数々の経験を積む。また、在職中には、フランス・パリの「フォーシーズンズホテル ジョルジュ サンク パリ」の三ツ星レストラン「ル サンク」で研鑽を積み、料理・文化・アートが交わるフランス料理を学ぶ。2023年10月、オーナーシェフとして「ラルブル」を開店。有機農法で野菜を作る農業家と出会い、21年からは自らも耕作する

まずは土地の歴史から学ぶ

――パリで働いていた際に、地元・多摩の食材を使ったフランス料理を提供したいと思うようになったそうですね。

松尾直幹(以下、松尾):土地が違えば食材も環境も違うため、フランス料理を真似しても同じものは作れません。その要素をいかにこの土地に置き換えていくかが大切です。店で提供しているのは、便利な食生活や急速な都市化によって失われていく食文化を今の形で伝えていくことです。

その1つは薪を使った料理です。昔、ガスはなく炭よりも薪を日常で使っていました。冷蔵庫のない時代ですから保存方法は塩漬けか乾燥、燻製、あるいは発酵させるか。どうやって食べていたのかを想像しながら料理を作っていると、自然にその土地独自の食文化が見えてくるはずです。そういったことを想像できるのも食の力ですよね。

――ご自身で畑を耕し、伝統野菜を積極的に使われているんですか?

松尾:環境に負荷のかからない栽培方法で野菜や果樹、ハーブを育てています。農薬を一切使わず、薪を使った際に出る灰、卵や貝の殻などを畑の土の酸度調整に活用しています。あきる野は、「のらぼう菜」や「秋川牛」「東京軍鶏」といった在来の野菜や食材を育んできた土地あり、こうした地元の食材の魅力と伝え、お客さまと生産者をつなげることも料理人の仕事の一部だと思っています。

在来種や固定種、伝統野菜も、食べる人がいなくなれば失われてしまう食材です。野菜の個性はお店の個性でもありますから、普段食べている野菜との風味の違いを感じ、その美味しさを知ってもらいたいですね。

――どのようにして、この土地ならではの料理や食材を知るのですか?

松尾:農家や地元の方々、山菜取りに行った時に偶然会ったおじいちゃんが教えてくれたり。そういったことは誰も紙に残していないため、聞いた内容に着想を得て、再構築した料理をつくっています。

――毎回「多摩島」で始まるディナーコースは、どのような考えで作っていますか?

松尾:テーマは「多摩と島から始まり、多摩と島で終わるストーリー」です。一品は伝統野菜を使うようにし、2カ月ごとにメニューを刷新しています。食材が豊富に採れる時期はインスピレーションで決めますが、ない時期は手に入るものの中で考えます。

――先日2周年を迎えられたときに「王道のフランス料理」を提供されました。通常は“王道ではない“フレンチを提供されていますが、そこにはどのような考えがあったのでしょうか。

松尾:王道のフランス料理は1皿の中でいろんな要素が重なり合っておいしさが完成します。お刺身とわさびのように2つの組み合わせで完結するのではなく、マリネなら酸、油、塩に加え、ハーブやスパイス、香味野菜など、いくつかの要素が合わさって“ひとつの味“になる。さらにワインとのペアリングで完成度が高まります。あとは“奇をてらわない“こと。文化的な根っこがしっかりとありながら進化を続ける完璧な料理です。

一方、ここで提供しているのは100年後にはこの地で“文化“として根づいていてほしいという思いでつくる「五日市のフランス料理」です。良い意味で「フレンチっぽくない」と言われることもありますが、3ツ星のフレンチのお店でキムチを使う時代ですから、あまり料理をカテゴライズせずに楽しんでもらいたいですね。

自分の軸にあるフランス料理を学んだからこそ、素材の味をどう活かし、どう調和させるかという技術で、この土地の食材の良さを最大限に引き出した「この土地ならではの一皿」になります。

“おいしい“の先に広がる、東京テロワール体験

――小机家住宅の独特の佇まいは、料理と空間の一体感をより深いものにしています。

松尾:トータルプロデュースは欠かせません。皿の上だけでも料理としては成立しますが、空間や食べる人との組み合わせがあってこそおいしい食事になる。皿だけで完結させず、空間まで整ってこそ、一皿一皿に土地の物語や空気が宿り、ここに来た意味が自然と生まれると思います。

この場所に入った瞬間から、料理が出る前のひとときも楽しんでいただきます。それは“食べる前のウォーミングアップ“。きれいだけでは心は動きません。レストランは非日常を演出する場所ですが、居心地の良い椅子や照明、さりげない小物や空間の温かさによって、居心地の良さを感じる空間であるべき。心が落ち着いてこそ、料理は自然に染み込んでいきますから。肩肘張ったり、緊張しながら食べても“おいしい“の限界は超えてこないですよね。

――人は何に“おいしい“を感じると思いますか?

松尾:心の琴線に触れるのは、体験に基づく“おいしい“に出合った瞬間です。ふと、自分が生まれ育ったときに味わった感覚が重なることもあります。郷愁感も大切なテーマの1つで、たとえば薪の香りには人間の本能に刻まれた安心感があり、自然と心が落ち着きます。

常に「文化とは何か」を探究しています。文化はすでに存在するものか、それとも作り出すものなのか。畑でも料理でも、「なぜこうなるのか」と問い続けることが大切です。料理人に一番大事なのは、問い続けられるかどうかです。「私が作ったから美味しいはず」という自己満足ではなく、「この素材を使う意味は何か、どうしたら美味しく感じてもらえるか」を考え続けています。

――あきる野市だからこそ感じられる豊かさを教えてください。

松尾:人のあたたかさが一番ですね。このあたりは東京とは思えないほどのどかさで、おじいちゃんが子どもの面倒を見たり、子どもたちが挨拶をしてくれたり……そんな日常があります。都心だと、お店を存続させるために料理以外にやらなければならないことが多く、気がつくと料理に集中できないことも多かったです。でもここなら、料理で表現することに集中でき、自分の世界観をしっかり引き出せます。

都心で働いていたときから、東京都も地方の1つだとずっと考えてきました。地元が多摩エリアなので、食材や鮎が釣れる場所にも馴染みがあります。私の中では「東京=多摩エリア」という感覚があって、都心はそれとは別のカテゴリー、という印象です。

――3年目となる来年に向けて、思い描いていることを教えてください。

松尾:初年度は「店を知ってもらう年」でした。美味しさをベースに、習ってきた料理を継承しつつ、自己紹介のように料理をお出しする年。2年目は調味料や手法も整ってきて、「本当はこういう料理がしたい」という想いを形にできました。3年目は自分が本当にやりたいことを思い切り表現できる年になりそうです。

遠方からでも、食べることを心から楽しみにしてくれるお客さまばかりです。静岡や栃木の方々が集まったり、都心から来る方にとっても、23区ではない“東京とは何か“を感じられる場になっています。「東京の食材」を知りたいと来店してくださる方々に、東京の伝統料理や食材の魅力を伝えられたときは本当に嬉しいですね。

PHOTOS:SEIJI KONDO

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“まだ来ていなかった”男性が来店するロジック 「エイド」比見幸平が見る、メンズビューティの現在地

PROFILE: 比見幸平/「エイド(aid)」代表

比見幸平/「エイド(aid)」代表
PROFILE: (ひみ・こうへい)1993年6月14日生まれ。2014年3月に国際文化理容美容専門学校渋谷校を卒業後、同年4月にリップスに入社。20年7月に独立し、美容室「aid」を恵比寿に出店。22年11月に渋谷に2店目を出店。25年12月に渋谷に旗艦店をつくるにあたり、恵比寿店を閉め、都内で2店を経営する PHOTO:YOHEI KICHIRAKU

渋谷に2店舗を構えるメンズヘアサロン「エイド(aid)」代表の比見幸平さんは、SNSで総再生回数3億回以上のカウンセリング動画を強みに、これまで美容室に縁の薄かった男性層を取り込んでいる。「垢抜けとは言わない」「実は女性が連れてくる」など、現場で常に顧客と向き合う比見さんの視点から、メンズビューティの現在地を紐解く。

動画集客の最適解を見つけるまで

WWD:カウンセリング動画を投稿し始めた経緯は?
比見幸平「エイド(aid)」代表(以下、比見):
5年前に独立したタイミングで、動画投稿を始めました。もともと、SNS自体は運用していましたが、前職の退職とともにアカウントを刷新する必要があり、1からの集客で「どう伸ばすか」を真剣に模索していました。

1週間〜1カ月、同じフォーマットタイプの動画を投稿し、伸び方を観察し、伸び悩んだら切り替える。このサイクルを繰り返した中で、施術前後の変化を見せる約30秒の動画がポンと伸び、このフォーマットに決めました。正直、「これが自分のやりたい分野か」と言われると少し違いますが、僕にとっての最適解はこれだったと腑に落ちています。

とはいえ、すごく特殊なフォーマットでもないですし、変化率が高いお客さまが毎日来店するわけでもない。どこかで伸びづらくなると感じていたので、現在も続けているカウンセリング動画に切り替えました。

WWD:現在は再生回数が多い動画で700万回以上も再生されている。
比見:
カウンセリング動画が支持される理由は2つに集約されると思っています。

1つは安心感です。ヘアスタイルの写真投稿は多数ありますが、それはお客さまにとっては技術力や提案としての認識。当たり前ですが、実際に来店すると人柄はまちまちで、「技術はあるけど自分と相性が合わない」というケースも少なくない。お客さまは、技術が高いとしても「どんな美容師か」というと緊張感が常にある。美容師の話している様子が把握できるカウンセリング動画は、そこから得られる情報が多いので安心して来店しやすい。予約のハードルが下がるのだと思います。

もう1つは、成功体験を擬似的に体験できるという点。自分自身が当事者にならずとも、なんとなく体験した気分を味わえる。この2つが要因だと考えています。

同業者もまだ気づいていない
ブルーオーシャン

 

WWD:動画を見た男性が来店する流れになっている?
比見:
実は僕のSNSのフォロワーの約7割は女性です。

新規来店の多くも、カウンセリング動画を女性が見て、女性が男性を連れてきてくれる。パートナーや家族のほか、職場の女性が連れてきてくださるケースもあります。

WWD:当事者の男性はどのような反応をする?
比見:
最初は主体的でなくても、変化を実感すると通い続けてくれる方が多いです。

男性は、一度定着すると同じ場所・同じメニューが楽になる傾向が強く、「前回と一緒で」という注文がおよそ8割。単価は女性より低いですが、来店頻度が高く、安定したボリュームゾーンになります。

WWD:ビジネスとしてもメリットがある。
比見:
そうですね。特に、今までメンズヘアサロンの顧客ではなかった、美容室に通っていなかった層を取れているので、メンズヘアを専門とする他店と競合しにくい。結果として差別化になり、売り上げにもつながっています。

正直、同業のメンズヘア美容師も気づいていないブルーオーシャンだと捉えています。

メンズビューティは3割と7割

WWD:美容室に通う男性は多数派ではない?
比見:

あくまで僕の体感値ですが、「美容室に行く」「スキンケアをする」といった女性と同等の外見意識を持つ男性は、全体の3割程度ではないでしょうか。

メディアでうたわれるメンズメイクなども、この層が追求しているだけで、全体として外見意識が向上しているというわけではないと思っています。

7割の人にとって、美容を通した悩み解決は想像外であることが多いと思います。自分ごととして捉えていないからこそ、「もっとこうなりたい」という欲自体がそもそも湧き出ない。だからこそ、自分から踏み込むケースが少ないと感じます。

「垢抜け」とは言わない

WWD:動画のコメント欄では「垢抜けている」として支持が高まっている様子が見られる。
比見:
実は僕自身が「垢抜け」と表現したことは1回もなくて。お客さまがおっしゃる分には構わないのですが、僕自身は言わないようにしています。僕が担当する中でお客さまに対して「垢抜け」と表現すると「悪かったものを良くする」という意味になる気がするのです。それは信頼が崩れそうで。

自分をカテコライズするとすれば、「お悩み特化型美容師」ですね。カウンセリングや悩み解決を軸にしていて、動画の影響もあり、お客さまからも「ここに行けば悩みが解決するかも」という期待を感じています。

WWD:メンズビューティは今後どうなると予測する?
比見:
美容にあまり興味を持つ人が増えたらうれしいので、僕はそういった人に向けて美容師を続けたいです。ただ、美容に関心がある男性は、急激に増えるとは考えにくく、緩やかな変化だと思います。女性とは前提が違う部分もあるので、美容だけが急に成長することは起きにくい。それでも、結果的に素敵な男性が増えれば、ひいては社会も明るくなると思っています。

WWD:ご自身の今後の目標は?
比見:
僕は、自分をキラキラした美容師像ではないと思っています。業界ではアーティスティックで派手な美容師像がフォーカスされやすい。でも、僕は目の前のお客さまのニーズに応えて喜ばせたい方です。こちらは目立たないけれど、実は業界全体で見たらこちらの美容師の方が多いと思っています。

そういう美容師も結果を残す様子を見せたいという気持ちがあります。店舗の拡大より、いい美容師を育てたい。時間はかかりますが、その積み重ねの先に結果がある。

美容に携わる仕事は、悪いことが1つもないと僕は思っています。自分の好きなことで誰かを喜ばせてお金をいただけて、また来てもらえる。もちろん技術があってこそですが、自分のできることで人を喜ばせることができるありがたさをと感じています。

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“まだ来ていなかった”男性が来店するロジック 「エイド」比見幸平が見る、メンズビューティの現在地

PROFILE: 比見幸平/「エイド(aid)」代表

比見幸平/「エイド(aid)」代表
PROFILE: (ひみ・こうへい)1993年6月14日生まれ。2014年3月に国際文化理容美容専門学校渋谷校を卒業後、同年4月にリップスに入社。20年7月に独立し、美容室「aid」を恵比寿に出店。22年11月に渋谷に2店目を出店。25年12月に渋谷に旗艦店をつくるにあたり、恵比寿店を閉め、都内で2店を経営する PHOTO:YOHEI KICHIRAKU

渋谷に2店舗を構えるメンズヘアサロン「エイド(aid)」代表の比見幸平さんは、SNSで総再生回数3億回以上のカウンセリング動画を強みに、これまで美容室に縁の薄かった男性層を取り込んでいる。「垢抜けとは言わない」「実は女性が連れてくる」など、現場で常に顧客と向き合う比見さんの視点から、メンズビューティの現在地を紐解く。

動画集客の最適解を見つけるまで

WWD:カウンセリング動画を投稿し始めた経緯は?
比見幸平「エイド(aid)」代表(以下、比見):
5年前に独立したタイミングで、動画投稿を始めました。もともと、SNS自体は運用していましたが、前職の退職とともにアカウントを刷新する必要があり、1からの集客で「どう伸ばすか」を真剣に模索していました。

1週間〜1カ月、同じフォーマットタイプの動画を投稿し、伸び方を観察し、伸び悩んだら切り替える。このサイクルを繰り返した中で、施術前後の変化を見せる約30秒の動画がポンと伸び、このフォーマットに決めました。正直、「これが自分のやりたい分野か」と言われると少し違いますが、僕にとっての最適解はこれだったと腑に落ちています。

とはいえ、すごく特殊なフォーマットでもないですし、変化率が高いお客さまが毎日来店するわけでもない。どこかで伸びづらくなると感じていたので、現在も続けているカウンセリング動画に切り替えました。

WWD:現在は再生回数が多い動画で700万回以上も再生されている。
比見:
カウンセリング動画が支持される理由は2つに集約されると思っています。

1つは安心感です。ヘアスタイルの写真投稿は多数ありますが、それはお客さまにとっては技術力や提案としての認識。当たり前ですが、実際に来店すると人柄はまちまちで、「技術はあるけど自分と相性が合わない」というケースも少なくない。お客さまは、技術が高いとしても「どんな美容師か」というと緊張感が常にある。美容師の話している様子が把握できるカウンセリング動画は、そこから得られる情報が多いので安心して来店しやすい。予約のハードルが下がるのだと思います。

もう1つは、成功体験を擬似的に体験できるという点。自分自身が当事者にならずとも、なんとなく体験した気分を味わえる。この2つが要因だと考えています。

同業者もまだ気づいていない
ブルーオーシャン

 

WWD:動画を見た男性が来店する流れになっている?
比見:
実は僕のSNSのフォロワーの約7割は女性です。

新規来店の多くも、カウンセリング動画を女性が見て、女性が男性を連れてきてくれる。パートナーや家族のほか、職場の女性が連れてきてくださるケースもあります。

WWD:当事者の男性はどのような反応をする?
比見:
最初は主体的でなくても、変化を実感すると通い続けてくれる方が多いです。

男性は、一度定着すると同じ場所・同じメニューが楽になる傾向が強く、「前回と一緒で」という注文がおよそ8割。単価は女性より低いですが、来店頻度が高く、安定したボリュームゾーンになります。

WWD:ビジネスとしてもメリットがある。
比見:
そうですね。特に、今までメンズヘアサロンの顧客ではなかった、美容室に通っていなかった層を取れているので、メンズヘアを専門とする他店と競合しにくい。結果として差別化になり、売り上げにもつながっています。

正直、同業のメンズヘア美容師も気づいていないブルーオーシャンだと捉えています。

メンズビューティは3割と7割

WWD:美容室に通う男性は多数派ではない?
比見:

あくまで僕の体感値ですが、「美容室に行く」「スキンケアをする」といった女性と同等の外見意識を持つ男性は、全体の3割程度ではないでしょうか。

メディアでうたわれるメンズメイクなども、この層が追求しているだけで、全体として外見意識が向上しているというわけではないと思っています。

7割の人にとって、美容を通した悩み解決は想像外であることが多いと思います。自分ごととして捉えていないからこそ、「もっとこうなりたい」という欲自体がそもそも湧き出ない。だからこそ、自分から踏み込むケースが少ないと感じます。

「垢抜け」とは言わない

WWD:動画のコメント欄では「垢抜けている」として支持が高まっている様子が見られる。
比見:
実は僕自身が「垢抜け」と表現したことは1回もなくて。お客さまがおっしゃる分には構わないのですが、僕自身は言わないようにしています。僕が担当する中でお客さまに対して「垢抜け」と表現すると「悪かったものを良くする」という意味になる気がするのです。それは信頼が崩れそうで。

自分をカテコライズするとすれば、「お悩み特化型美容師」ですね。カウンセリングや悩み解決を軸にしていて、動画の影響もあり、お客さまからも「ここに行けば悩みが解決するかも」という期待を感じています。

WWD:メンズビューティは今後どうなると予測する?
比見:
美容にあまり興味を持つ人が増えたらうれしいので、僕はそういった人に向けて美容師を続けたいです。ただ、美容に関心がある男性は、急激に増えるとは考えにくく、緩やかな変化だと思います。女性とは前提が違う部分もあるので、美容だけが急に成長することは起きにくい。それでも、結果的に素敵な男性が増えれば、ひいては社会も明るくなると思っています。

WWD:ご自身の今後の目標は?
比見:
僕は、自分をキラキラした美容師像ではないと思っています。業界ではアーティスティックで派手な美容師像がフォーカスされやすい。でも、僕は目の前のお客さまのニーズに応えて喜ばせたい方です。こちらは目立たないけれど、実は業界全体で見たらこちらの美容師の方が多いと思っています。

そういう美容師も結果を残す様子を見せたいという気持ちがあります。店舗の拡大より、いい美容師を育てたい。時間はかかりますが、その積み重ねの先に結果がある。

美容に携わる仕事は、悪いことが1つもないと僕は思っています。自分の好きなことで誰かを喜ばせてお金をいただけて、また来てもらえる。もちろん技術があってこそですが、自分のできることで人を喜ばせることができるありがたさをと感じています。

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「ア ベイシング エイプ®」から2026年春夏コレクションが登場 テーマは“ゴールデン エラ”

「ア ベイシング エイプ®(A BATHING APE®)」は1月3日、2026年春夏コレクション“ゴールデン エラ”を発売する。「ア ベイシング エイプ®」取扱店舗および公式オンラインストアで順次発売を開始する。

本コレクションは、現代の感性で過去を再解釈することを目的とし、「ベイプ®︎」のカモフラージュをベースにデザインコードを展開する。音楽、スポーツ、アートの分野からストリート、ヴィンテージハウス、東京のスカイラインを望むルーフトップの3つの舞台で構成された。

ストリートウエア黄金期へのシネマティックなオマージュを表現

“ワールドカップ マニア”では、2000年代初頭の世界的なスポーツカルチャーへの熱狂をストリートのスタイルへ落とし込んだ。トラックスーツのセットアップやフットボールに着想を得たジャージに加え、フットボールファンスカーフと「ベイプ®︎」のグラフィックを融合させた“ファンスカーフ・フルジップフーディー”をそろえる。

“ライン カモ”は藍染を想起するような色調と、職人的なディテールを融合したデザインに仕上げた。これらの新作カモに加え、“OGバーシティジャケット”が復刻する。新キャララクターの“ベイプマン-エックス”は、メッシュ素材のアイパネルを備えたフルジップフーディーをラインアップする。そのほかにも、「フットソルジャー(FOOTSOLDIER)」店舗のカーペット柄に着想を得たプリント生地を用いた“ソリッド カモ ジャガード”や、パッチワークを取り入れたワークウエアも登場する。さらに、“スクリーン カモ”は、躍動的なモーションに着想を得た鮮やかなパターンで展開する。また、“ジャパニーズ インディゴ アート カモ”が本コレクションから新たに登場し、日本製デニムのアイテムをラインアップする。

“マルチ ピクセル カモ”では、レトロゲームやデジタルカルチャーへのオマージュとして、ピクセル調で再構築した。また、“グリッチ ウッドランド カモ”は、クラシックなミリタリーにグリッチ表現を加えている。また、ウイメンズライン限定でピンクとオレンジをベースにデザインしている。さらに、ラインストーンをあしらったBABY MILO®のぬいぐるみバッグパックなどのアクセサリーがそろう。“スーベニアジャケット”は、引き続きコレクションの中核として、位置付けられ、文化的モチーフと現代的なカッティングを融合させた。箔プリントを施したインディゴフーディーは、メタリックな輝きをまとう。スポーツテーマのコレクションでは、フェミニンな視点からアスレチックスタイルを再解釈する。“スクリーンカモ”は、ウィメンズ限定の鮮やかなグリーンで登場する。セミトランスペアレント素材にディップダイ加工を施したフットボールジャージを用意する。さらに、フーディーやMA-1、ミックスカラーニットトップスなども展開する。

キッズラインでは、“グリッチ ウッドランド カモ”を軸に、柔らかなコットンジャージやフリース素材を使用している。ビンテージ加工を施したタンクトップやスエット、“カラー カモ”と“ファースト カモ”を左右で切り替えた“スプリット カモ”のシャークパンツや、バックパックなども展開する。さらに、ワッペンやバッジを重ねたフェイクプリントのパッチワークやバーシティジャケットも登場する。スポーツウエアは、トラックスーツ、サッカーボール、キャップ、ソックスなどのアクセサリーがラインアップする。また、BABY MILO® & FRIENDSを主役に据えた“3D MILO ALL FRIENDS PATTERN”のアイテムも展開する。

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韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル」が日本事業に本格参入 20代向けの新ラインを発表

韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル(KOPHER)」はこのほど、日本事業に本格参入する。新たに20代の肌悩みに特化した“グロウ シリーズ”(全7品、4600〜5200円)を打ち出すほか、ブランドを代表する“4ever シリーズ”(全8品、2700〜9800円)など全3シリーズを扱う。2026年に日本法人および日本事業部を本格始動させ、マス層へのリーチを図る。

「コフェル」について

「コフェル」は、2019年に韓国で誕生したスキンケアブランド。「肌が持つ本来の健康な美しさを引き出す」という理念の下、韓国内で20院以上を展開する「4ever 美容外科」と協業し、医学的アドバイスや臨床現場での知見を反映した製品開発を行う。ライフステージに寄り添いながら、日々のデイリーケアで肌を育む「肌管理スキンケア」を提案している。

23年にはQoo10のメガ割でコスメカテゴリーランキング1位(対象期間23年11月22日〜12月3日)を獲得し、今年は楽天市場のアワードを2冠受賞。ブランドのリピート率は約70%だといい、着実に支持を広げている。今回、年代ごとの肌の特徴とニーズに合わせて製品展開を見直し、揺らぎやすい20代の肌に特化した新シリーズを開発した。

20代の肌悩みに特化した新シリーズ

特に20代は、ストレスや睡眠不足、季節・環境の変化など、さまざまな要因の影響を受けやすく、肌の状態も不安定だ。新たに開発した“グロウ シリーズ”は、ピーリングをはじめ美容成分の浸透や効果をサポートするエステ発想のラインアップを軸に、その日の肌状態に合わせて4種のパウダー状セラム“メルティングセラム”(全4種、各10g、各4500円)から1種を選んで重ねることで、日々変化する肌に寄り添う。

主力の“4ever シリーズ”は25〜35歳が求める保湿とハリを重視し、あらゆる肌悩みに対応することを目指した。肌に存在する成分として知られるタンパク質(EGF)と、EGFと互いに補い合うように設計した9種のペプチド(成長因子)を配合。さらにマトリカリア花エキスやスイカズラ花エキスなどの自然由来成分が、肌への負担を和らげながら、しっとりとした心地よい使用感を実現した。中でも人気の“キュリペア メラクリーム”(35mL、4900円)は、累計販売数2500万個を突破。リピーターの口コミを中心に支持が広がり、ブランドの人気をけん引している。

そのほか、40代以上には弾力とハリにアプローチする“ハイニカル シリーズ”(全3品、各5500円)を提案する。

日本は重要な戦略的市場

「コフェル」は現在世界16カ国で展開し、全体売り上げの約半分を日本市場が占めている。19年第3四半期から25四半期連続で売り上げが増加している中、特に日本市場が越境ECで成長をけん引していることから日本法人および日本事業部を26年に本格始動する。これを機にバラエティーショップを中心にオフライン展開を強化し、ゆくゆくは旗艦店のオープンも視野に入れている。チェ・ユンソク社長は、「今後は韓国から製品を輸出するだけでなく、日本の消費者のニーズに応える製品開発も行う」とし、3年以内にマス層のブランド認知度約20%を目指す。

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韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル」が日本事業に本格参入 20代向けの新ラインを発表

韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル(KOPHER)」はこのほど、日本事業に本格参入する。新たに20代の肌悩みに特化した“グロウ シリーズ”(全7品、4600〜5200円)を打ち出すほか、ブランドを代表する“4ever シリーズ”(全8品、2700〜9800円)など全3シリーズを扱う。2026年に日本法人および日本事業部を本格始動させ、マス層へのリーチを図る。

「コフェル」について

「コフェル」は、2019年に韓国で誕生したスキンケアブランド。「肌が持つ本来の健康な美しさを引き出す」という理念の下、韓国内で20院以上を展開する「4ever 美容外科」と協業し、医学的アドバイスや臨床現場での知見を反映した製品開発を行う。ライフステージに寄り添いながら、日々のデイリーケアで肌を育む「肌管理スキンケア」を提案している。

23年にはQoo10のメガ割でコスメカテゴリーランキング1位(対象期間23年11月22日〜12月3日)を獲得し、今年は楽天市場のアワードを2冠受賞。ブランドのリピート率は約70%だといい、着実に支持を広げている。今回、年代ごとの肌の特徴とニーズに合わせて製品展開を見直し、揺らぎやすい20代の肌に特化した新シリーズを開発した。

20代の肌悩みに特化した新シリーズ

特に20代は、ストレスや睡眠不足、季節・環境の変化など、さまざまな要因の影響を受けやすく、肌の状態も不安定だ。新たに開発した“グロウ シリーズ”は、ピーリングをはじめ美容成分の浸透や効果をサポートするエステ発想のラインアップを軸に、その日の肌状態に合わせて4種のパウダー状セラム“メルティングセラム”(全4種、各10g、各4500円)から1種を選んで重ねることで、日々変化する肌に寄り添う。

主力の“4ever シリーズ”は25〜35歳が求める保湿とハリを重視し、あらゆる肌悩みに対応することを目指した。肌に存在する成分として知られるタンパク質(EGF)と、EGFと互いに補い合うように設計した9種のペプチド(成長因子)を配合。さらにマトリカリア花エキスやスイカズラ花エキスなどの自然由来成分が、肌への負担を和らげながら、しっとりとした心地よい使用感を実現した。中でも人気の“キュリペア メラクリーム”(35mL、4900円)は、累計販売数2500万個を突破。リピーターの口コミを中心に支持が広がり、ブランドの人気をけん引している。

そのほか、40代以上には弾力とハリにアプローチする“ハイニカル シリーズ”(全3品、各5500円)を提案する。

日本は重要な戦略的市場

「コフェル」は現在世界16カ国で展開し、全体売り上げの約半分を日本市場が占めている。19年第3四半期から25四半期連続で売り上げが増加している中、特に日本市場が越境ECで成長をけん引していることから日本法人および日本事業部を26年に本格始動する。これを機にバラエティーショップを中心にオフライン展開を強化し、ゆくゆくは旗艦店のオープンも視野に入れている。チェ・ユンソク社長は、「今後は韓国から製品を輸出するだけでなく、日本の消費者のニーズに応える製品開発も行う」とし、3年以内にマス層のブランド認知度約20%を目指す。

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韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル」が日本事業に本格参入 20代向けの新ラインを発表

韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル(KOPHER)」はこのほど、日本事業に本格参入する。新たに20代の肌悩みに特化した“グロウ シリーズ”(全7品、4600〜5200円)を打ち出すほか、ブランドを代表する“4ever シリーズ”(全8品、2700〜9800円)など全3シリーズを扱う。2026年に日本法人および日本事業部を本格始動させ、マス層へのリーチを図る。

「コフェル」について

「コフェル」は、2019年に韓国で誕生したスキンケアブランド。「肌が持つ本来の健康な美しさを引き出す」という理念の下、韓国内で20院以上を展開する「4ever 美容外科」と協業し、医学的アドバイスや臨床現場での知見を反映した製品開発を行う。ライフステージに寄り添いながら、日々のデイリーケアで肌を育む「肌管理スキンケア」を提案している。

23年にはQoo10のメガ割でコスメカテゴリーランキング1位(対象期間23年11月22日〜12月3日)を獲得し、今年は楽天市場のアワードを2冠受賞。ブランドのリピート率は約70%だといい、着実に支持を広げている。今回、年代ごとの肌の特徴とニーズに合わせて製品展開を見直し、揺らぎやすい20代の肌に特化した新シリーズを開発した。

20代の肌悩みに特化した新シリーズ

特に20代は、ストレスや睡眠不足、季節・環境の変化など、さまざまな要因の影響を受けやすく、肌の状態も不安定だ。新たに開発した“グロウ シリーズ”は、ピーリングをはじめ美容成分の浸透や効果をサポートするエステ発想のラインアップを軸に、その日の肌状態に合わせて4種のパウダー状セラム“メルティングセラム”(全4種、各10g、各4500円)から1種を選んで重ねることで、日々変化する肌に寄り添う。

主力の“4ever シリーズ”は25〜35歳が求める保湿とハリを重視し、あらゆる肌悩みに対応することを目指した。肌に存在する成分として知られるタンパク質(EGF)と、EGFと互いに補い合うように設計した9種のペプチド(成長因子)を配合。さらにマトリカリア花エキスやスイカズラ花エキスなどの自然由来成分が、肌への負担を和らげながら、しっとりとした心地よい使用感を実現した。中でも人気の“キュリペア メラクリーム”(35mL、4900円)は、累計販売数2500万個を突破。リピーターの口コミを中心に支持が広がり、ブランドの人気をけん引している。

そのほか、40代以上には弾力とハリにアプローチする“ハイニカル シリーズ”(全3品、各5500円)を提案する。

日本は重要な戦略的市場

「コフェル」は現在世界16カ国で展開し、全体売り上げの約半分を日本市場が占めている。19年第3四半期から25四半期連続で売り上げが増加している中、特に日本市場が越境ECで成長をけん引していることから日本法人および日本事業部を26年に本格始動する。これを機にバラエティーショップを中心にオフライン展開を強化し、ゆくゆくは旗艦店のオープンも視野に入れている。チェ・ユンソク社長は、「今後は韓国から製品を輸出するだけでなく、日本の消費者のニーズに応える製品開発も行う」とし、3年以内にマス層のブランド認知度約20%を目指す。

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韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル」が日本事業に本格参入 20代向けの新ラインを発表

韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル(KOPHER)」はこのほど、日本事業に本格参入する。新たに20代の肌悩みに特化した“グロウ シリーズ”(全7品、4600〜5200円)を打ち出すほか、ブランドを代表する“4ever シリーズ”(全8品、2700〜9800円)など全3シリーズを扱う。2026年に日本法人および日本事業部を本格始動させ、マス層へのリーチを図る。

「コフェル」について

「コフェル」は、2019年に韓国で誕生したスキンケアブランド。「肌が持つ本来の健康な美しさを引き出す」という理念の下、韓国内で20院以上を展開する「4ever 美容外科」と協業し、医学的アドバイスや臨床現場での知見を反映した製品開発を行う。ライフステージに寄り添いながら、日々のデイリーケアで肌を育む「肌管理スキンケア」を提案している。

23年にはQoo10のメガ割でコスメカテゴリーランキング1位(対象期間23年11月22日〜12月3日)を獲得し、今年は楽天市場のアワードを2冠受賞。ブランドのリピート率は約70%だといい、着実に支持を広げている。今回、年代ごとの肌の特徴とニーズに合わせて製品展開を見直し、揺らぎやすい20代の肌に特化した新シリーズを開発した。

20代の肌悩みに特化した新シリーズ

特に20代は、ストレスや睡眠不足、季節・環境の変化など、さまざまな要因の影響を受けやすく、肌の状態も不安定だ。新たに開発した“グロウ シリーズ”は、ピーリングをはじめ美容成分の浸透や効果をサポートするエステ発想のラインアップを軸に、その日の肌状態に合わせて4種のパウダー状セラム“メルティングセラム”(全4種、各10g、各4500円)から1種を選んで重ねることで、日々変化する肌に寄り添う。

主力の“4ever シリーズ”は25〜35歳が求める保湿とハリを重視し、あらゆる肌悩みに対応することを目指した。肌に存在する成分として知られるタンパク質(EGF)と、EGFと互いに補い合うように設計した9種のペプチド(成長因子)を配合。さらにマトリカリア花エキスやスイカズラ花エキスなどの自然由来成分が、肌への負担を和らげながら、しっとりとした心地よい使用感を実現した。中でも人気の“キュリペア メラクリーム”(35mL、4900円)は、累計販売数2500万個を突破。リピーターの口コミを中心に支持が広がり、ブランドの人気をけん引している。

そのほか、40代以上には弾力とハリにアプローチする“ハイニカル シリーズ”(全3品、各5500円)を提案する。

日本は重要な戦略的市場

「コフェル」は現在世界16カ国で展開し、全体売り上げの約半分を日本市場が占めている。19年第3四半期から25四半期連続で売り上げが増加している中、特に日本市場が越境ECで成長をけん引していることから日本法人および日本事業部を26年に本格始動する。これを機にバラエティーショップを中心にオフライン展開を強化し、ゆくゆくは旗艦店のオープンも視野に入れている。チェ・ユンソク社長は、「今後は韓国から製品を輸出するだけでなく、日本の消費者のニーズに応える製品開発も行う」とし、3年以内にマス層のブランド認知度約20%を目指す。

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韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル」が日本事業に本格参入 20代向けの新ラインを発表

韓国発“肌管理”スキンケアブランド「コフェル(KOPHER)」はこのほど、日本事業に本格参入する。新たに20代の肌悩みに特化した“グロウ シリーズ”(全7品、4600〜5200円)を打ち出すほか、ブランドを代表する“4ever シリーズ”(全8品、2700〜9800円)など全3シリーズを扱う。2026年に日本法人および日本事業部を本格始動させ、マス層へのリーチを図る。

「コフェル」について

「コフェル」は、2019年に韓国で誕生したスキンケアブランド。「肌が持つ本来の健康な美しさを引き出す」という理念の下、韓国内で20院以上を展開する「4ever 美容外科」と協業し、医学的アドバイスや臨床現場での知見を反映した製品開発を行う。ライフステージに寄り添いながら、日々のデイリーケアで肌を育む「肌管理スキンケア」を提案している。

23年にはQoo10のメガ割でコスメカテゴリーランキング1位(対象期間23年11月22日〜12月3日)を獲得し、今年は楽天市場のアワードを2冠受賞。ブランドのリピート率は約70%だといい、着実に支持を広げている。今回、年代ごとの肌の特徴とニーズに合わせて製品展開を見直し、揺らぎやすい20代の肌に特化した新シリーズを開発した。

20代の肌悩みに特化した新シリーズ

特に20代は、ストレスや睡眠不足、季節・環境の変化など、さまざまな要因の影響を受けやすく、肌の状態も不安定だ。新たに開発した“グロウ シリーズ”は、ピーリングをはじめ美容成分の浸透や効果をサポートするエステ発想のラインアップを軸に、その日の肌状態に合わせて4種のパウダー状セラム“メルティングセラム”(全4種、各10g、各4500円)から1種を選んで重ねることで、日々変化する肌に寄り添う。

主力の“4ever シリーズ”は25〜35歳が求める保湿とハリを重視し、あらゆる肌悩みに対応することを目指した。肌に存在する成分として知られるタンパク質(EGF)と、EGFと互いに補い合うように設計した9種のペプチド(成長因子)を配合。さらにマトリカリア花エキスやスイカズラ花エキスなどの自然由来成分が、肌への負担を和らげながら、しっとりとした心地よい使用感を実現した。中でも人気の“キュリペア メラクリーム”(35mL、4900円)は、累計販売数2500万個を突破。リピーターの口コミを中心に支持が広がり、ブランドの人気をけん引している。

そのほか、40代以上には弾力とハリにアプローチする“ハイニカル シリーズ”(全3品、各5500円)を提案する。

日本は重要な戦略的市場

「コフェル」は現在世界16カ国で展開し、全体売り上げの約半分を日本市場が占めている。19年第3四半期から25四半期連続で売り上げが増加している中、特に日本市場が越境ECで成長をけん引していることから日本法人および日本事業部を26年に本格始動する。これを機にバラエティーショップを中心にオフライン展開を強化し、ゆくゆくは旗艦店のオープンも視野に入れている。チェ・ユンソク社長は、「今後は韓国から製品を輸出するだけでなく、日本の消費者のニーズに応える製品開発も行う」とし、3年以内にマス層のブランド認知度約20%を目指す。

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【先輩の履歴書、見せてください】Vol.4 TEPPEIスタイリスト兼ファッションディレクター

トレンドを語るにあたり、近年欠かせないのは“Z世代”の存在感。若者たちは何に関心を持ち、悩み、そして何を着ているのか――。「WWDJAPAN」は、若者とファッション業界をつなぐプラットフォームになるべく、その“リアル”をお届けする。

本企画では、学生が悩む“キャリア”についてフォーカス。毎回ゲストとして招いたファッション&ビューティ業界の先輩方に、学生たちがインタビュアーとして質問する“囲み取材”を行う。年内最後のゲストとして、スタイリストのTEPPEIが登場した。スタイリング業にとどまらず、俳優としての経歴やファッションショー、ビジュアルディレクションに携わる彼に、学生たちが思い思いにキャリアの悩みや質問を投げかけた。

PROFILE: STYLIST TEPPEI/スタイリスト、ファッションディレクター

STYLIST TEPPEI/スタイリスト、ファッションディレクター
PROFILE: 1983年5月17日生まれ、滋賀県出身。滋賀県立膳所高校卒業後、バンタンデザイン研究所スタイリスト専攻に入学し、卒業後は原宿ビンテージショップに所属。後に同店のプレスに就任した。ファッション誌のスナップ企画の常連となり雑誌「FRUiTS」では数多くの表紙に起用される。2006年からスタイリストとしての活動をスタートし、同年には映画「間宮兄弟」の玉木役で役者デビューを果たす。現在はスタイリング業の他、ファッションショーやビジュアルのディレクションも手掛ける

「着る人にとって“鎧”のような存在」
精神面でアプローチするスタイリングの仕事

学生:自分のスタイリングはできても、他の誰かの服をスタイリングするのは難しいと感じます。知らない人をスタイリングすることも多いと思うのですが、そのときに意識することはありますか?

TEPPEI:僕がこの仕事に行き着いた理由は、フィジカルなものよりももっと精神的な部分にあって。服が自己肯定感や承認欲求を満たしてくれる、鎧のようなものになったらいいなと思っています。

スタイリングをする時にはまず、着用者が「撮影ディレクションにおいてどんな存在であるべきか」ということを考えます。そして打ち合わせやフィッティングのファーストコンタクトの数分で、その人やスタッフが考えていることをどれだけ理解できるか。精神的な意味で壁を取っ払って、僕と相手の真ん中に服がある状態で会話をしたいーーそこで信頼されないような自分であれば、どんな服を持って行ったとしても結果は変わってしまうんじゃないか、とすら思えます。

例えば結婚式など、自分にとっての大切な日があったとして、その日の朝に会ったばかりの人に持ってこられた服を着せられてもちょっと半信半疑ですよね。それが結婚式じゃなくても、ステージでパフォーマンスをしたり、テレビに出るということは、数千人、数万人の人に晒されていくわけです。どんなに完璧に見える人でも、どこかで不安を感じながらその瞬間を迎えている。そんなときに、彼らにとっての鎧になれるような服を着てもらって、カメラ前やステージへと送り出すようなイメージでスタイリングをしています。

学生:スタイリングをする前に、服を着せるモデルのことをリサーチしたりしますか?

TEPPEI:あまりしません。事前にリサーチしてその人のことを知って、萎縮してしまう自分を知っているからです。1人の人間として見たいし、実際に会えばその人がどんな人なのかを嗅ぎ取れる自信がある。僕にとっては、実際に会ったそのときの印象の方が大切です。

学生:専門学校に通わなくても、スタイリストになれると思いますか?大学に通っているため、専門知識を学ぶ機会が乏しく不安です。

TEPPEI:まず、専門学校に行っているかどうかは全く関係ないと思います。実際に自分のアシスタントは専門学校や別の業界の出身など、多種多様です。

技術的な部分で言えば、専門学校では大学より専門的なことを学べますが、授業で学べることと現場で求められることは異なるし、僕にとって専門学校のカリキュラムが完璧かというと、そういうわけでもないと思うんです。そして師匠や一緒に動くチームによっても、やり方はそれぞれだと思います。

だからこそ「学んで来たことと全然やり方が違うじゃん」ということもあると思うんですけど、そのときに「なんでできなかったんだろう」「次はどうすればいいんだろう」とトライし続けることができるかどうか。そのくらい、そういった“挑戦し続ける力”を試されるんじゃないかと思います。睡眠不足が続くだけで人は崩れてしまうから、続けることはとても難しい。でもそうやって目標や夢に実直でい続けることーーそれができれば、絶対に夢がかなう世界だと思います。

僕は高校が進学校で、勤勉でいなければ親から怒られるような環境だったからか、専門学校に行ってもひたすら真面目に勉強していました。「一生懸命いい成績を取ったら、きっと何とかなるんじゃないか」って。そういうタイプの人間はファッション系の専門学校には少なくて、当時の僕にとってはカルチャーショックでした。不良に憧れを持つ人も多い時代だったけど、僕はそうなることもできなかったから、これまで自分がやってきた生き方を自然にやるしかなかったんですよね。そうしていたら成績だけは優秀で、気づいたら先生たちも応援してくれるようになって。専門学校に行って良かったと思うのは、今でも尊敬できる恩師に出会えたこと、そして「この世界で生きていくということは、こうやって試され続けていくことなんだ」ということが学べたことですね。

学生:多くの職業において、届ける先は自分が会ったことがないような未知数の消費者になることが多いと思います。そんなふうに受け取り手の顔が見えない仕事をするときに、TEPPEIさんが意識していることを知りたいです。

TEPPEI:確かに「何を目指せばいいんだ」と悩んだ時期もあります。でも今は、その現場のチームのメンバーそれぞれが、撮影が終わった帰り道に「良い撮影だった」と納得しているかを大切にしています。撮影の現場では意外と“あくまで仕事として”、まるでルーティーンのように仕事をこなす人も多い。僕はもっと特別な一瞬にしたかったのに、「みんなあんまり盛り上がってないじゃん」と寂しくなるときがあるんです。

それは決して悪いことではないし、そうやって作ったものが世の中に出て、よろこんでくれる人がいるのも事実。でも僕はもうちょっと、特別な瞬間としてやり遂げたいなって悶々としていたんです。それでもキャリアを経過していくと、そんな一瞬を共有できる人々に出会えて、そんな人たちと一緒だからこそ納得がいくものづくりができるようになりました。

会ったこともない多数の誰かの意識には介入できないけど、少なくとも現場にいるみんなが納得できるのなら、極端ですが「どんな結果になったとしても胸が張れる仕事をできた」と思えるようになりました。今は自分がその現場にいることで、その輪の中心となって、熱い何かを起こせないかというような気持ちで現場に臨んでいます。大きなことを考え出すとキリがないし、コントロールできないことも多いけど、「自分が伝えられる範囲の人たちに対して熱量が届いているか」というのが僕のものさしになっていますね。

学生:2003年に映画「間宮兄弟」にも出演していますが、役者の道に進むことも考えていたのでしょうか?

TEPPEI:当時「こんな依頼が来てるけどどうする?」って友だちに言われて、軽い気持ちで現場に行ったんです。そして有名な役者さんたちの名前が並ぶ台本を見せられ、「“玉木”という役の役者を探しているんだけど、TEPPEI君、どう?」って。そこでようやくことの大きさに気がついて、そのときは逃げるように帰ったんですが、後から落ち着いて考え直し、出演することを決めました。

もちろん演技なんて何も分からないから、素人なりにどうにかこなして、何が何だか分からないうちに約10日間の撮影が終わりました。周りの人たちにはたくさん迷惑を掛けたし、気を遣わせていたと思います。そんな中、打ち上げのときに森田芳光監督が話しかけてくれて、「俳優として森田組でやってみないか」と。ーー森田監督は面白い若手俳優を見出す監督としても有名だったようです。現場での経験を通じて演技は自分の真ん中にはないと感じたので、「ファッションが好きだから、引き続きスタイリストをやりたいんです」と断りました。監督は「そうか、いつか俺の作品でスタイリングしてくれよ」と言ってくださって。僕も「絶対頑張ります!」と伝えたものの、数年後に森田監督は急性肝不全で亡くなってしまった。当時の自分が今の立場だったら、もしかしたら一緒にお仕事できていたかもしれませんが、僕が遅かったですね。

学生:TEPPEIさんにとって、ファッションとはどんな存在ですか?

TEPPEI:「自分の人生をここまで変えてくれたもの」という感じですかね。「どうやって生きていこう」と人生と向き合い、多感で不安定な若いころの自分の支えになったのがファッションだと思います。当時は「自己表現としての服」とすら思っていなくて、「誰かと仲良くなりたい」「あの子に好かれたい」とか、そんなふうに誰かに憧れたり、誰かからの承認を得たくて服を着るようになりました。そうやって過ごしながら20代になり、気が付いたら雑誌に取り上げられたり、パリからファッションデザイナーが会いに来てくれるようになって。雑誌を見た海外の若者が「背中にサインしてくれ」って会いに来てくれたこともありました。

そんなふうになっている自分をふと客観的に見たとき、弱い自分はこれまでと変わらずずっといるのに、表面で見えるスタイリストとしての自分はみんなが知っていて、全く違う方向に向かっているーーその心のギャップはすごいものでした。スタイリストの僕とそうではない僕は、人格が違うような気がします。ファッションを通して誰かに接したとき、自分というものの価値が出るんだとさえ感じている。自分の人生には欠かせないものですが、ここまで人生を共にするとは思わなかったですね。

学生:キャリアの中で影響を受けた人や言葉、作品などはありますか?ファッション業界で働く上でのおすすめの作品があれば教えてほしいです。

TEPPEI:見よう見まねで、ファッションブランドの作品や洋書、写真家の作品集なども読み漁った時期はありましたが、本当の意味で感化されていたかというとわかりません。今は色んな人の作品を見て感じるものもたくさんあるのですが、当時は将来の不安を払拭したくて見ていたのかもしれませんね。

“おすすめの本”や“勉強法”ってよくあるけど、自分の理想の先にある得たいものやモチベーションの方がずっと大事。それが明確になったら、何を学ぶべきか、何に感化されたいかがわかってくるのではないでしょうか。

「好き」を自分の真ん中に
ファッション業界で働くためのマインドセット

学生:将来ファッションショーの演出を手掛ける仕事に就きたいのですが、仕事として続けていくには、精神的にも体力的にも、かなり大変かと想像しています。今のうちにやっておくべきことはありますか?

TEPPEI:まず大前提として、ファッションの仕事に就いている人たちは「やらされているわけではない」。みんな選んでこの道に入ってきたんです。別に辛ければやめてしまってもいいわけですが、われわれはやりたいし、その中で成長していきたい。

皆さんがこれまでに生きてきた約20年は、ほとんどが親や国に決められた、“約束された”道のりだったのだと思います。きっと抗えないレールがそこにありながらも、今日ここにいる皆さんが生きているのは“自分で選びつつある人生”ですよね。ファッションの仕事は、自分が選択して選んだからこそ「眠れない」「休めない」など過酷な部分があるし、日常では起こり得ないような精神状態になることもある。それでも僕たちは、「やりたくてやっている」。

そういった「やりたくてやっている」人の最たる例が、ショーの世界で言うとパリのコレクションだと思います。アトリエのチームはきっと、1カ月くらいはゆっくりと休むことができないでしょう。本番の2週間前なんて、家にも帰れないかもしれない。でもみんなやりたくてやっているし、だからがんばれるんです。自分のモチベーションをそのゾーンにどうやって持っていくかが悩みだとしたら、自分がどんなことに駆り立てられるのか、自身の中にある衝動的な部分を探ってみると良い気がします。

僕はこの仕事を約20年やってきましたが、それでも来年自分がどうなっているのかは不安です。この仕事に就くまでにきっと会社に入って、そこで何か別の充実感や価値観を得るという選択もあった。親に生かしてもらって、高校に進学させてもらってもこの道を選んだんです。だからこそ、それは自分の責任。どの道を選んでも精神的な抑揚、いいことも悪いこともあると思います。ネガティブなことが多く聞こえるかもしれませんが、それを超えるほど凄まじく楽しい世界なので、それを信じて進むしかないんです。

学生:小学生の頃からずっとスポーツが好きで、高校でもスポーツに打ち込んでいたのですが、辛いことがあって嫌いになってしまいました。今はファッションが好きになって仕事にしたいと思っているものの、また嫌いになってしまわないか怖いです。

TEPPEI:厳しいスポーツの世界で頑張ってきたという過去は、とても貴重だと思います。きっと、色々なことを学んできたのでしょう。大きな大会に出ることや勝ち負けという結果を簡単に凌駕するくらい、そこで得られた精神力や経験は確実にあなたの土台になって、この先も強く残り続けていくと思います。

勝ち負けが明確なスポーツの世界とファッションの世界は異なりながらも、“競争の世界”という意味ではどこか似ているところがあるかもしれない。評価は周りが決めるものだとしても、自分がどんな道のりを歩んできたかはご自身が一番知っているはず。そこまで自分に重くのしかかる何かを抱えているということは、今はまだ克服できずとも、それを自分の中で消化できたときにきっと何よりの武器になっていると思います。

学生:グラフィックの世界に行きたいと思いながらも、無意識のうちに周囲と比べてしまったり、「この先食べていけるのか」「でももしこの道を選ばなかったら後悔するのか」など、漠然とした不安があります。

TEPPEI:「その道を選択することが正しいのか」というのは、みなさんが抱く不安でもあるし、僕も不安です。そんな中で、逃げずに立ち向かうというのは今の時代にも合ってないのかもしれないーー少し考え方を変えてみて、好きなことや楽しいことを自分の真ん中に置いてみるといいかもしれません。好きになったことを職業にするということは素晴らしいことなのに、その楽しさを忘れてしまう自分もちょっと寂しいじゃないですか。今日ここに来て、僕と話そうとしてくれているその熱量を、もっとプラスに考えてもいいんじゃないかな。

この先もきっと、どんな道を選んだとしても人と比べてしまうようなことは起こり得るんだと思うんです。もし自分が求めるべきものが、毎月の収入、数十万がずっと保証されるような就職なのだったら、それももちろん間違いではありません。でもせっかく好きなものを見つけたんだったら、まだ年齢的にもいくらでもトライができるから、まずはやってみたらいいと思います。

ファッションの世界でチャレンジをする中できっと、壁に直面することもたくさんあり、それはご自身にとっては非常に辛い期間かもしれないけど、たくさん悩んだ人の成長は相当すごいものだと思います。そういう人がファッション以外の道に進むとしても、長い間悩んで模索する中で培った精神力や耐久力というのは、どんな世界に行っても圧倒的な武器になるはずです。

学生:「好き」を自分自身の真ん中に置き続けるのはすごく難しいなとも思います。何年間も好きなものを軸に起き続けるコツはありますか?

TEPPEI:「好き」ということ自体は恋愛と同じで、あまり理由はないのかも。僕の場合は最初は単純に「好き」、それだけだったけど、仕事を通じて人と時間を共有する時間そのものや、その時間の尊さ、美しさって、この業界特有のものなんじゃないかなと思えて、そんな部分も好きになりました。

仕事を「あくまでも仕事」と割り切っている人もいる一方、ファッションの世界を見渡してみると、少年のように好きなものを追いかけている人たちがいて。そんな姿に希少価値を感じるし、何だかかわいらしさすら感じてしまうんですよね。仕事を通して出会う人たちと、同じ熱量で気持ちを交換ができる“感触”が、「好き」を真ん中に置き続けられる理由なのかもしれません。

今きれい事ばかり言っているように聞こえているかもしれませんが、辟易とするようなことは多々あります。僕もそうだから、皆さんもそういう局面は抗えないし、絶対に降り掛かってきちゃうと思う。でもそんなとき、こういう“感触”を忘れないでほしいなと思っています。

学生:将来的には起業することも考えながら、ファッション業界に進みたいと思っています。「何とかなるだろう」と思っている楽観的な私に対し、両親は「安心して働ける環境なのか」と懐疑的で、それを説得できずにいます。

TEPPEI:「何とかなるだろう」と考えていたのは僕も同じです。その会社が良いか、悪いかは、会社の問題かもしれないし、ケースによっては受け止め方の問題かもしれない。そしてそういう状況は、ファッション業界以外でも起こりうると思います。親御さんからしたら固定観念的なものもあるのでしょうし、今伝えられることは「私が選んでいるところは違うから安心して」ということだけなのかもしれません。

起業してやりたいことが成し遂げられるかというと、それが難しいことであるのはご自身が一番分かっているはず。でも今進みたい道があるのに、心配しすぎてもあまり意味がないような気もしていて。新卒で入社した企業が全てではないし、数年経ったら転職する人も多い時代です。その目標に向かう中で得られた経験や人との出会いから、「最初はこう思ってたけど、こっちに行ってみよう」でも良いのではないでしょうか。

学生:今所属している団体でルックやショーづくりをしていますが、チームで何かをするとき、それぞれが目指したい方向性が異なることが多いです。TEPPEIさんどのように他の人と意識を合わせていますか?

TEPPEI:そんなふうに思っている学生がいるというのは、うれしいです。今の学生はもっと譲り合っちゃうのかなと思っていたので。

ショーで言えばまず、ブランドが「今回はこういうテーマだから、こういうショーにしたい」と方向性を示して、演出家の采配のもと各スタッフを設定しています。だからショーに携わるクリエイターはそのゴールに向かうために然るべきメンバーが選ばれていると思うし、「デザイナーがやりたいことを具現化する」という共通認識を持っている。それに基づいて、演出家やデザイナーと三位一体となって、本番直前まで、リハーサルの直後もずっと話し合いながら調整をしています。

でも学生のときはそれぞれが「自分は絶対折れないぞ」ってぶつかり合って、ノイジーになってもいいんじゃないかな。終わった後に「なんか良かったね」「喧嘩したね」みたいな感じでもいいと思います。みんなが一生懸命になっている熱量そのものがすばらしいのではないでしょうか。

学生:今ファッション業界の企業でアルバイトをしているのですが、全然仕事が上達しなくて。もし周りに仕事の覚えが悪い人がいたら、TEPPEIさんは嫌な気持ちになりますか?人に対して見切りをつけるタイミングはありますか?

TEPPEI:たとえばアシスタントに対して、「もう期待しない」ということは絶対ないです。そもそも教えているのが僕なので、僕自身にも原因があります。そういう関係値を築きながら一緒に仕事をしていくことだと思うので、見放してしまうなんて論外です。

どんな人に対してもですが、僕は割と人を信用してしまう人間なので、嘘をつかれるとちょっと辛いですね。あとは仕事に対する価値観、熱量の違い。何が正解、不正解というわけではなくて、あくまで“仕事は仕事"と割り切ってやっている人も全然います。そういう人は僕とは違う価値観で仕事をしていると思うので、一緒に仕事をするのは難しいと感じるときもあります。

学生:では、アシスタントに求めることとは?

TEPPEI:熱意。それこそがモチベーションや行動選択のコアな部分になるはずです。今日ここに来てくれたこともその1つで、今ここにいる人たちしか得られない経験をしている。アシスタントの面接をするときは、そういう熱量の高さを見ています。

TEPPEI:今日ここに来てくださった皆さんは、きっと志が高い人が多い傾向にあると思います。そんなモチベーションが高い人こそ陥りがちなのが、失敗や挫折を避けるために頑張ろうとしてしまうこと。その轍を踏みたくない一心で頑張るーーでもそんな人生というのは、本来あり得ないんです。

体や精神が育っていくにあたり、痛みや障害を伴うプロセスは、少なからず絶対にある。これからの人生設計やキャリアの中できっと、そういうものはつきものだと思います。そんなときに「こうしてみると良いでしょう」と方法論で考えることより、その原動力になる「好き」という気持ちが重要になってくるはず。少なくとも僕の場合はそうでした。

皆さんは今日、「TEPPEIに気に入られることで将来的に優位に繋がっていかないかな」とか、そんな下心じゃなくて、きっと「何かひと言聞きたいな」「この相談をぶつけて解決できないかな」と、暗闇の中でもがいてどうにか光を見つけたい、みたいなエネルギーがあってここに来ているはず。そのエネルギーこそが、あらゆる局面において自身を助けてくれる源になるし、僕自身もそうでありたいと思います。5年後、10年後にどこかでまた皆さんと出会ったときに、「あのとき話を聞いて、そうして今こうしているんだ」って話をして、今日の答え合わせができたらとてもうれしいです。

【参加学生ファッションスナップ】

PHOTOS:RYOHEI HASHIMOTO

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タイツが主役 足元に仕込む冬の最新ムード

タイツが主役の季節がやってきました。欧米ブランドの2025-26年秋冬コレクションでは、カラータイツやレースタイツがランウエイに続々と登場。防寒にとどまらない、スタイリングのキーピースとして存在感を放っています。レッグラインをシャープに見せるだけでなく、差し色としてのアクセントやフェティッシュなムード演出など、表現の幅は多彩です。

「グッチ(GUCCI)」は、パープルタイツをボトムスのように活用しました。エクリュのミニ丈ワンピースと組み合わせることで、スタイリング全体をコンパクトに引き締めました。くっきりとしたカラーコントラストが動きを生み出しています。アウターを羽織っても隠れないタイツは、冬の着こなしに仕掛けをもたらす存在。今回は、有力ブランドのランウエイから、技ありのスタイリングを読み解きます。

足元から外す、エレガントの定番

タイツは、装い全体のムードを適度にずらすうえで好都合なアイテムです。フォーマルやゴージャス、レディーライクといった、はっきりとしたイメージを備えたルックに対し、足元で“ずらし”を仕掛ける1点投入が効果的です。出番が限られがちなフォーマルウエアを、日常のスタイリングに落とし込む際にも役立ちます。

「ヴァレンティノ(VALENTINO)」は、まばゆいメタリック刺しゅうを施したジャケットを装いの主役に据えました。その他のアイテムは黒でシックにまとめながら、レッグラインには白の柄入りレースタイツにイエローのソックスをレイヤード。ガーリーな要素を加えつつ、ファーブーツで華やかさも添えています。ゴージャス、ノーブル、カジュアル、コケットといったテイストをミックスした、シャッフル感のあるコーディネートです。

赤一色で描くコントラスト

透け感のあるタイツは、色の濃淡を際立たせるスタイリングに便利なアイテムです。全体の色調を同系色でまとめる場合でも、トーンに差をつけることで立体感が生まれ、装いに奥行きを演出できます。タイツ越しにのぞく素肌感は、ルックに健やかな印象を添えます。

「マックイーン(MCQUEEN)」は、全身を赤で統一したルックを披露しました。ヴィヴィッドな赤のミニ丈ワンピースは、手の込んだ職人技が注ぎ込まれたクチュールテイスト。透け感のある柄入りレースタイツが、伸びやかなレッグラインを引き立てています。優美に張り出したワンピースの裾とのボリュームコントラストによって、腰から下がいっそうスレンダーに映ります。編み上げブーツとの対比も、全体の印象を引き締めました。

パンツライクに楽しむ濃色タイツ

セレブリティーのボトムレスルックでも話題を集めたように、色味やデニールが濃いタイツは、パンツのような見え方で着用できます。素肌にぴったり寄り添うので、シャープなレッグラインを際立たせられる点も魅力です。パンツとは異なる、しなやかな印象をを引き出してくれるのも特徴。カラートーンをそろえれば、オールインワンやコンビネゾンのように見せることも可能です。

「クレージュ(COURREGES)」は、全身をワインレッドで染め上げました。全身を覆い隠すのではなく、部分的にほどよく素肌をのぞかせることで、抜け感が生まれ、ヘルシーな雰囲気に。マフラーと一体化したトップスが縦長シルエットを強調し、ボトムスにはブーツと一体化したかのようなタイツを採用。レッグラインをシャープに演出しました。

エレガントになじむ透かし編みタイツ

エレガントな装いになじむのは、ストッキング風の透かし編みタイツです。レースや編み模様を施したタイプであれば、シンプルに傾きすぎるのを避けられます。全体のカラートーンを同系色でまとめると、穏やかで上品な雰囲気に整えやすいのもポイント。勢いが続くブラウン系のスタイリングとも好相性です。

「アナ スイ(ANNA SUI)」は、ジャケットとショートボトムスによるクラシカルなセットアップを用意しました。トップスとバッグにレオパード柄を取り入れ、レディーライクな装いにスパイスを加えています。全体をブラウン系でまとめることで、柔らかなムードに。同系色のレースタイツが、足元に落ち着きを添えています。

ダークムードを操る黒編みタイツ

“抗(あらが)い”がトレンドテーマに浮上し、テイスト面ではパンクやロックがファッションシーンに返り咲きました。黒タイツは、ミステリアスな表情が持ち味。タトゥー風のモチーフを配したタイツであれば、装いにダークな彩りを添えられます。

「ポーリーン デュジャンクール(PAULINE DUJANCOURT)」は、黒を基調に、デカダンでアンニュイなムードを演出しました。黒ニットのワンピースに黒のレース編みタイツを合わせ、パンキッシュな空気を漂わせています。デコラティブなカーディガンをゆるりと羽織ることで、リラックス感をプラス。カーディガンとタイツのバランスによって、攻めすぎないネオパンク調に仕上げました。

厚着や着ぶくれを避けながら装いにアクセントを加えられるタイツは、冬から春にかけて重宝するアイテムです。彩り豊かなカラータイツと、繊細な表情を帯びたレースタイツを使い分ければ、ムードを自在に操れます。アウターに比べて取り入れやすい点も魅力の1つ。単調なりがちな冬のルックに取り入れて、着こなしの幅を広げてみませんか。

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「ルルレモン」「ラルフローレン」「アシックス」……ミラノ・コルティナ五輪の各国ユニホームはこのブランド!【随時更新】

2026年2月6日からスタートするミラノ・コルティナ冬季オリンピック・パラリンピック。競技や選手たちの活躍はもちろんのこと、それぞれの国を象徴するデザインを取り入れたウエアにも注目だ。特に冬季五輪は防寒や体温調整、動きやすさなどの機能性とデザイン性を両立させたアイテムが多い。ここでは各国代表が着用するユニホームを随時紹介していく。

【日本】
アシックス、ゴールドウイン

8年ぶりの冬季五輪のウエアは“パフォーマンスとサステナビリティの両立”がテーマ

「アシックス(ASICS)」が冬季五輪のウエアを手掛けるのは8年ぶり。コンセプトは、パリオリンピック・パラリンピックに引き続き“パフォーマンスとサステナビリティの両立”で、コンディショニングとサステナビリティ、ダイバーシティという3つのテーマで開発した。また、メインカラーは前回大会と同じく“チームジャパン レッド”と“サンライズレッド”を組み合わせたグラデーションで、日本の伝統的な流水文様をベースに選手の芯の強さを表現したオリジナルグラフィック“RYUSUI”を落とし込んでいる。

スキー日本代表チーム「SNOW JAPAN」のユニホームを提供

全日本スキー連盟とのオフィシャルユニホームサプライヤー契約に基づき、スキー日本代表チーム「SNOW JAPAN」のモーグル・スキークロス・エアリアルの選手が着用するオフィシャルユニホームは「ゴールドウイン(GOLDWIN)」が提供する。新たなユニホームは選手からの意見やフィードバックをもとに、見映えや出来栄えが勝敗を左右する競技特性に合わせて多機能かつ審美性を兼ね備えた。戦国時代の武将からインスピレーションを得て作られた色「紅辰砂(べにしんしゃ)」を採用している。

【イタリア】
エンポリオ アルマーニ

スポーツライン「EA7 エンポリオ アルマーニ」で自国開催の冬季五輪を彩る

「エンポリオ アルマーニ(EMPORIO ARMANI)」のスポーツライン「EA7 エンポリオ アルマーニ(EA7 EMPORIO ARMANI)」を着用するイタリア代表。「エンポリオ アルマーニ」とイタリア代表の縁は2012年のロンドン五輪から始まり、今回で夏冬7大会連続の提供となるほか、22年からはイタリア冬季スポーツ連盟(FISI)のオフィシャルテクニカルアウトウエアとのコラボレーション契約も結んでいる。今回の公式ウエアはクリーンなライン、高機能素材、イタリアのアイデンティティと誇りを表現するディテールを取り入れ、オリンピック精神と「エンポリオ アルマーニ」のスポーティーエレガンスを体現した。

【アメリカ】
ラルフ ローレン

10大会連続でウエアを手がける協力タッグ

米国代表の開・閉会式ウエアを手がけるのは「ラルフ ローレン(RALPH LAUREN)」で、10大会連続となる。開会式のユニホームは、ウィンターホワイトのウールコートに星条旗のウールタートルネックセーター、テーラードウールパンツで構成。閉会式用にはカラーブロックのパファージャケットと国旗の色を反映したカラーパレットのウールタートルネックセータで組み合わせた。いずれも、レッド、ホワイト、ブルーのニット帽とミトン、レザーベルト、赤の靴紐をあしらったアルペンブラウンのブーツでコーディネートする。

【カナダ】
ルルレモン

国の景観や環境を象徴するモダンなシルエットとグラフィックをデザイン

カナダ代表は「ルルレモン(LULULEMON)」。チームの公式アウトフィッターとして、22年北京冬季大会から28年ロサンゼルス夏季大会までの4大会でチームのウエアを手掛けることになっており、今回が3回目となる。さまざまなカナダ人アスリートと協力して競技者ならではのニーズを理解し、体温調節や保温性に優れた素材を使用した。また、パラリンピック選手からのフィードバックを受け、フットウエアや座った姿勢には耐摩耗性素材、点字表記やマグネット式ファスナーなども備えた。デザインは国の景観や環境を象徴するモダンなシルエットとグラフィックをデザインした。トポグラフィックといった地形図のようなプリント、大きな楓の葉のディテールを赤や青、緑のカラーバリエーションで展開する。


ミラノ・コルティナ冬季オリンピック・パラリンピックとは

ミラノとヴェネト州の高級リゾート地、コルティナ・ダンペッツォを中心とした北イタリアで行われる今回の大会は、初めての多拠点型モデルを採用する冬季オリンピック・パラリンピックとなる。イタリアでの冬季オリンピックは過去に2度開催されており、1956年のコルティナ冬季大会からは70年ぶり、2006年のトリノ冬季大会から20年ぶり。また、ミラノでは夏冬通して初めての開催となる。2月6〜22日に行うオリンピックは8競技116種目、3月6〜15日開催のパラリンピックは6競技79種目を実施。オリンピックでは新競技として“スキーモ”の名でも知られる山岳スキーが、パラリンピックでは新種目として車いすカーリングのミックスダブルスが追加された。

競技会場は既存施設を有効活用する。開会式会場となるミラノ・サンシーロ・オリンピックスタジアムはインテル・ミラノとACミランのホームスタジアムでありさまざまな国際試合が行われている“サッカーの聖地”で、開会式の目玉となる国旗掲揚や聖火点灯はミラノ・センピオーネ公園の“平和の門”とコルティナのディボナ広場で実施。選手団のパレードも複数会場で行われる予定だ。


ミラノ・コルティナ冬季オリンピック・パラリンピックのWWD的トピックス

開会式では故ジョルジオ・アルマーニ氏をトリビュート

オリンピック開会式では、ファッション界の帝王で今年10月4日に91歳で逝去したジョルジオ・アルマーニ(Giorgio Armani)氏のトリビュートが行われる。組織委員会のジョヴァンニ・マラゴ(Giovanni Malago)会長は、「ミラノ市、そしてイタリア全体が彼の功績を称えたいと考えている」とコメントしている。 >>詳細はこちら

“編み物王子”トム・デーリーが英国代表にニットを提供

競技の合間に編み物をする姿から“編み物王子”の愛称で呼ばれた飛び込み競技の元イギリス代表選手で五輪メダリストのトム・デーリー(Tom Daley)氏が、イギリスのメンズウエアブランド「ベン シャーマン(BEN SHERMAN)」と協業しイギリス代表チームのための特別なニットアイテムを制作する。アイテムは、イギリスの国旗ユニオンジャックのカラーで編み上げた手編みのマフラーとニット帽。グレートブリテンの頭文字である「GB」ロゴ、雪の質感や冬の山岳風景から着想した立体的なケーブル編みなど、デーリーらしいユニークで大胆なデザインに仕上がっている。これらのアイテムは、開会式と閉会式で国旗を掲げる旗手が着用する公式アイテムとして採用される予定だ。 >>詳細はこちら

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