6.5ozループウィールTシャツ(LOVE柄)

着心地バツグンの吊り編みTの2021新柄!

  • 吊編み機(LOOPWHEEL)で時間を掛けて編み上げた無地Tシャツ
  • プリントインクは生地に若干染み込むタイプで、味のある仕上がり
  • プリントデザインは山形県酒田市で活躍するピンストライパーHOPPING SHOWER"テツ"氏によるもの
  • プリントTシャツ(14番単糸)より一格薄い生地(16番単糸)を採用
  • ボディ:16番単糸吊編み天竺(6.5oz)
  • ネック:20番双糸フライス編
  • XS〜Lサイズは丸胴(脇接ぎなし)、XL〜XXLは脇接ぎ仕様
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい
  • 専用衿ネームと裾ネームが付きます

IHT-2106 :サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 61.0 39.0 86.0 87.0 19.0 18.0
S 63.0 41.0 93.0 94.0 19.5 18.0
M 65.0 43.0 97.0 96.0 10.0 18.5
L 67.0 45.0 103.0 104.0 20.5 19.0
XL 68.5 47.0 112.0 113.0 21.0 19.5
XXL 70.0 49.0 118.0 119.0 21.5 20.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • 商品はワンウォッシュ済みです。
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい

素材

  • 綿:100%

6.5ozループウィールTシャツ(デニム柄)

着心地バツグンの吊り編みTの2021新柄!

  • 吊編み機(LOOPWHEEL)で時間を掛けて編み上げた無地Tシャツ
  • プリントインクは生地に若干染み込むタイプで、味のある仕上がり
  • プリントデザインは山形県酒田市で活躍するピンストライパーHOPPING SHOWER"テツ"氏によるもの
  • プリントTシャツ(14番単糸)より一格薄い生地(16番単糸)を採用
  • ボディ:16番単糸吊編み天竺(6.5oz)
  • ネック:20番双糸フライス編
  • XS〜Lサイズは丸胴(脇接ぎなし)、XL〜XXLは脇接ぎ仕様
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい
  • 専用衿ネームと裾ネームが付きます

IHT-2107 :サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
XS 61.0 39.0 86.0 87.0 19.0 18.0
S 63.0 41.0 93.0 94.0 19.5 18.0
M 65.0 43.0 97.0 96.0 10.0 18.5
L 67.0 45.0 103.0 104.0 20.5 19.0
XL 68.5 47.0 112.0 113.0 21.0 19.5
XXL 70.0 49.0 118.0 119.0 21.5 20.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。
  • 商品はワンウォッシュ済みです。
  • 定番の7.5ozプリントTシャツよりもワンサイズ小さめになります。ご購入の際は、サイズスペックをご確認下さい

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(バイク柄2021 New Color)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディースのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2108: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

壱岐の魅力を詰め込んだクラフトジンがいよいよ完成![IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

壱岐の海をイメージしたブルーボトル。白砂が印象的な筒城浜海水浴場の岩場に置いてみると海の色と同化するほど、壱岐の海の色を再現。

壱岐ジンプロジェクト取材した生産者の顔が次々と浮かぶ、壱岐だからこそ生まれたこだわりのジン!

何はともあれ、まずは出来上がったばかりのジンをストレートで味わってみました。
すると、ファーストアタックで驚くほどイチゴの甘い香りが鼻腔に広がったのです。
「あ〜、取材をさせてもらったイチゴ農家の松村春幸さんの畑でにんまりとしたあの甘い香りと同じだ」。取材時の出来事が鮮明に思い出されます。
次に、香りで押し寄せたのは柚子。柚子の皮むき工場を訪れた際に教えてもらった『壱岐ゆず生産組合』の長嶋邦明氏の言葉が浮かびます。「もったいないけど、皮以外は全て捨ててしまうんですよ。でも、いい香りでしょ」。
それがしっかりとジンの個性に乗り移り、こんなに豊かな和の香りを生んでいるとは。
その後もジンを口に含むと、複雑なアスパラガスの味わいから、モリンガのほのかな苦味、ニホンミツバチから採取したという希少な壱岐産ハチミツの甘い香りまで、次々と取材で出会った生産者の顔が思い浮かぶのです。

昨年、コロナ禍で始まった長崎県壱岐島でのクラフトジン造り。壱岐を代表する焼酎蔵と、壱岐唯一の5つ星ホテルがタッグを組んで、壱岐でしか造れないジンを生み出そうと動き出したプロジェクトは、2021年5月末、「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」という名のクラフトジンの完成をもって初回の生産を終えました。そして今回、現地にうかがいジン造りの過程を見守ってきた我々『ONESTORY』も、壱岐発のジンの完成の一報を受け、再び壱岐を訪れたというわけです。群雄割拠のクラフトジン業界で壱岐発のジンはどう映るのでしょうか。今回は、壱岐の料理と合わせるペアリングディナーも体験し、忖度なしにその魅力に迫ってみたいと思います。

夕日に照らされた「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。ボトルには、約700年近く受け継がれてきた伝統と歴史を持つ壱岐の神事芸能・神楽をデザイン。

干潮時のみ参道が現れる小島神社。そこかしこに広がる壱岐の美しさをボトルで表現した。 

少しの傷で廃棄されてしまっていた果実などを、壱岐の生産者を巡って説明し、譲り受けてジンの素材に。

壱岐ジンプロジェクト何度となく頓挫しそうになったジン造り。その情熱はクラウドファンディングで支援を募り結実。

まずはジン造りの経過報告から。
プロジェクト当初は、『壱岐リトリート 海里村上』の若きホテルマン・貴島健太郎氏と、その熱意にほだされ、壱岐で酒を醸し続ける『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋福太郎氏がタッグを組んだジン作り。島から若者が減る一方、高齢化は進み、雇用の確保など、島としての課題も山積み。愛する島と焼酎がこのまま廃れるのは何よりも悲しいと、ふたりは奮い立ったのです。

ですが、コロナ禍という特殊な状況の中、壱岐発のクラフトジン造りは紆余曲折。なかなか思うように進まず、約1年の時を経てクラウドファンディングで支援者を募る形をとり、予定していた3月の完成よりも2ヵ月遅れた5月末にようやく完成したといいます。
今回のジン造りのキーマンふたり、『壱岐リトリート 海里村上』でホテルマンとして働く貴島氏と、『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏は、それでも良かったと笑います。(詳しい紹介はこちらにて。)

「実は、会社の事情で僕が突如、壱岐から神奈川の箱根へ転勤が決まり、暗雲が立ち込めてしまったりしました。でも、『壱岐リトリート 海里村上』の支配人とソムリエが全面バックアップしてくれ、その後フィニッシュまで持っていってくれたんです。本当にハラハラしました」と貴島氏。
「コロナと同じで、状況が逐一変化していく中で、それでもこのプロジェクトは壱岐の焼酎文化の発展のためには諦められなかった」と石橋氏。
当初のチームが形を変えていく中でも、連携し、協力しあい、ジン造りの灯火を消さずに乗り越えてきたことで、ジンが完成したといいます。
実際、クラウドファンディングでの支援の輪は目標額を大きく上回り、目標100万円の200%以上の支援額を達成。更には、ふたりがかかげてきたフードロスの問題や、麦焼酎発祥の地である壱岐の焼酎をベースに使うこと、そして壱岐の水と壱岐産のボタニカルで香りと味を生み出すなど(詳しい紹介はこちらにて。)、課した課題は全てクリアしたといいます。せっかくやるなら妥協しない。そんなふたりの想いの強さから造られたジン。発売が遅れたのは必然だったのかもしれません。構想から約1年を費やしたジン造りでしたが、少数精鋭、貴島氏と石橋氏が島を走り回り、生産者一人ひとりの理解を求め、廃棄されてしまう食材に再び光を与える。発売の遅れは妥協を許さなかったという証であり、壱岐の海を連想させるブルーボトルの中に壱岐らしさをたっぷりと詰め込んだのです。
「まさに壱岐の情景!」。アルコール度数40%のストレートをぐびりと呷(あお)った、まさにそれが我々編集部の第一印象でした。

「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」とペアリングするディナーを待つ間に、目前に広がる穏やかな海を眺めつつ、ふたりの奔走を思い出しながらジンの完成を讃え、ほくそ笑むのでした。

壱岐の景勝地・猿岩を前にインタビューに答えて頂いたキーマンふたり。『壱岐リトリート 海里村上』のホテルマン・貴島健太郎氏(左)と『壱岐の蔵酒造』代表・石橋福太郎氏(右)。

『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏(左)。

『壱岐リトリート 海里村上』のソムリエ大場裕二氏。総支配人と大田氏とともに最終的な味の監修に参加。

壱岐ジンプロジェクト壱岐の料理と、壱岐の素材だけで造ったジン。スペシャルなペアリングディナーを体験。

「飲み飽きない味。実際、私は毎日晩酌で飲んでいるんです。華やかなフルーツの香り、一番はイチゴと柑橘ですね。更にハチミツが入っている分、独特の甘さも。薬草っぽい木の芽、モリンガもほのかに感じますね」と話すのは、『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏。
「ベースのボタニカルサンプルが24~25種類。その中で配合を組み合わせたジンです。全て壱岐の食材であり、石橋さんと貴島の方で味の設計図はしっかりできていたので、調えるのはそれほど難しくはなかったですよ。私の印象ではイチゴの香りが突出していたので、調和させるために調えたくらい。更にこのジンは、香りは強いけど米由来の甘さがある。それこそが壱岐焼酎らしさ。より甘さを引き出すなら氷で少しずつ溶け出すと甘くなりますし、焼酎由来なのでお湯割りにも合う」と話すのは、『壱岐リトリート 海里村上』のソムリエ・大場裕二氏。『壱岐リトリート 海里村上』の料理とお酒、味の統括をする番人ふたりがジンの最終的な監修をしたことで、更に「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」は、壱岐らしさの息吹を注ぎ込まれたといいます。

ペアリングディナーの最初の前菜盛り合わせでは、長崎の郷土料理の呉豆腐や自家製の唐墨大根を受け止めるべく、まずはストレートで提供。ジン本来の力強さを楽しませながら、しっかりと塩味の効いた前菜と調和させます。
かと思えば、アワビやアスパラガスの天ぷらではソーダ割り。
シンプルな壱岐牛の炭火焼きではお湯割り。クラフトジンは壱岐の料理と合わせると、変幻自在、いかようにも表情を変えていく印象です。

「壱岐の素材だけで造ったジンですから、壱岐の料理に合わないわけがない。これはやはり壱岐で飲むべきジンです」と言って大田氏が笑えば、「まさに壱岐のテロワールを凝縮したお酒です。僕からしたら手のかからないペアリングです」と大場氏もセリフをかぶせます。

若者の焼酎離れを危惧し、同じ蒸溜酒ながら全く異なるジンを生み出した今回のプロジェクト。味の番人ふたりはいとも簡単にジンのみで楽しませるペアリングディナーを完成させたそうです(こちらのペアリングディナーは、現時点ではクラウドファンディングのリターンとして提供)。

最後のスイーツは壱岐産日本蜜蜂の自家製アイスクリーム。
これにストレートのジンを合わせると、得も言われぬ多幸感を生み出すのです。あの希少なハチミツの香りが、アイスにかかったハチミツと合わさると追い鰹の要領で膨らみ、旨さを増幅させていくのです。しばし、恍惚としながらも、壱岐の豊かさを感じるペアリングディナーはゆっくりと心地よく終演を迎えました。

壱岐で生み出された料理と、壱岐の素材だけで造ったクラフトジン。それを壱岐の5つ星ホテルで味わう同企画。クラウドファンディングのリターンで8名のみが手にしたこの愉悦は、ぜひ今後、ホテルの名物企画になることを切に願います。

唐墨大根、呉豆腐、玉子味噌漬け、トマト蜜、貝ウニの前菜盛り合わせはストレートで。

黒鮑、烏賊、アスパラガス、南京を天ぷらで。モリンガ塩で味わう。こちらはすっきりとしたソーダ割りがマッチ。

肉料理は壱岐牛炭焼き。こちらは壱岐の柚子塩で味わう。お湯割りがじんわりと壱岐牛の脂を溶かし、旨味が広がっていく。

白眉は壱岐産日本蜜蜂の自家製アイスクリーム。アイスの上にさらにハチミツがかかっており、ちびちびとストレートで味わうとハチミツ由来の甘さが膨らむ。

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

想いはひとつ、壱岐の美しさを詰め込むのみ。キーマンふたりが振り返るジン造り。[IKI’S GIN PROJECT/長崎県壱岐市]

小牧崎にて、日本海に沈む夕日。ジン造りの最後のインタビューはこんな絶景の中で行われた。

壱岐ジンプロジェクト焼酎蔵の代表と若きホテルマン。ふたりが出会いジン造りが動き出す!

若者の焼酎離れを危惧する『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋福太郎氏と、仕事で初めて壱岐を訪れることになった『壱岐リトリート 海里村上』の若きホテルマン・貴島健太郎氏。そんなふたりがタッグを組み生み出したのは、壱岐発祥の麦焼酎をベースに使ったジン。年齢も経歴も全く違うふたりが、壱岐の素晴らしさを伝えたいという一心で結びつき、壱岐でしか造り得ないジンを完成させたのです。

全てを壱岐にちなんだものにしたいと、まずふたりが取り組んだのは、焼酎をベースにしながら、廃棄されてしまう壱岐の食材などを蒸溜し、香りをつけるというもの。当然、仕込み水も壱岐の水。ボトルデザインも壱岐出身者が行い、壱岐の海の色を鮮やかに表現しました。1年に及ぶジン造りの最後のインタビューでは、キーマンふたりの視点から「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」というジンについての想いを語って頂きました。

光り輝く「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」。紆余曲折を経てキーマンふたりを中心についに2021年5月末に完成。

壱岐のそこかしこに広がる絶景に、すっとなじむブルーボトルのクラフトジン。

壱岐のモンサンミッシェルとも呼ばれる小島神社。美しい風景が日常に溶け込んでいるのが壱岐という島だ。 

壱岐ジンプロジェクト壱岐を代表する焼酎蔵が目指した、新たなチャレンジとは?

まずは『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏が次のように話します。
「プロジェクトの構想自体は、実はジンありきでスタートというわけではなかったんです。こんな大変な時代だからこそ、何か面白いことをやりたいという想いから始まり、方針がなかなか定まらず4~5ヵ月が経過。そうこうしていたところに、若きホテルマンの貴島さんがジンを提案してくれたんです。初めは焼酎蔵に『ジンを造ってみませんか?』と大まじめに語る彼をどうかしていると思ったほどです。でも、熱心な彼の想いに耳を傾けると、壱岐愛がビンビンと伝わってきた。そうして僕も覚悟を決めたんです(笑)。それからは試行錯誤の連続。なんせお酒はお酒でもジャンルが全く違いますから。まずはスピリッツ免許を取らないとでした。それでも貴島さんとユズにイチゴ、ニホンミツバチ、アスパラガス、各種柑橘、モリンガなどなど、20以上の生産者を回るうちに、色々と協力者も増えてきて、少しずつ形になっていくのが楽しかった。2020年の3月からプロジェクトが始まり、約1年3~4ヵ月でようやく形になったわけです。『壱岐の蔵酒造』としても新たな事業であり、僕自身も年甲斐もなくワクワクしていたんだと思います」。
若者の焼酎離れを危惧していた矢先、新型コロナウイルス感染症の蔓延により、壱岐発祥の麦焼酎は大打撃を受けます。そんな中、起死回生のチャレンジとして、石橋氏はジンという新たな手法で挑戦を始めたのですが、ご本人曰く楽しかったと、感想は実にシンプル。自らが愛する焼酎に食材を漬け込み、香りを移すために蒸溜するジンの製法にも可能性を見出したといいます。
「ベースの焼酎から、いくらでも違った味わいを生み出せるのが面白い。壱岐のボタニカルでまだまだやれる可能性を感じましたね」と石橋氏は続けます。
クラウドファンディングで支援を求めると、目標の100万円をたやすく達成し、更に倍額の200万円も達成。クラフトジンの需要が会社の一事業として見えてきたといいます。
「初回ロットは1,000本のみ。どのくらい出るかが未知数で不安で小規模でやってみたんですが、予想以上に出た。嬉しい悲鳴ですが、もう少し造れば良かったなぁ」と石橋氏。
すでにトライアルで生産された1,000本の行き先はほとんどが決まったそうで、次の生産計画も立てやすいとのこと。
そんな1年に及ぶジン造りを振り返る石橋氏の目は、少年のように輝いて見えました。更に石橋氏の頭の中は、すでに次の蒸溜のことでいっぱいのようにも。来期の仕込みではいったいどんな生産者のボタニカルを使うのでしょうか。この経験を生かしたいという想いが言葉からも溢れていました。

『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏。焼酎蔵の代表自らがジン造りを牽引。

自社の麦焼酎に様々な果実や野菜、ボタニカルを漬け込み、壱岐らしさを探ってきた。

『壱岐リトリート 海里村上』の貴島氏とともに、様々な生産者のもとを訪れ、廃棄される運命にあったボタニカルを再利用したいと訴え続けてきた。

壱岐ジンプロジェクト純粋に壱岐が素晴らしいから、ジンにその想いを詰め込んだ若きホテルマンの挑戦。

「売れ残ってしまったらどうしようというのが、正直な気持ちでした。とにかく、しっかりと売れてくれてひと安心です。クラウドファンディングの支援者などからも『壱岐にこんなのあったんだね』や『とても楽しみです』など、感慨深いとコメントももらえて、チャレンジして本当に良かったです」と、ジン造りの発案者・貴島氏。
20代の貴島氏を中心としてスタートしたプロジェクトですが、『壱岐の蔵酒造』の代表・石橋氏や、『壱岐リトリート 海里村上』の総支配人であり料理長の大田誠一氏など、貴島氏と議論を重ねたのは、年齢を重ねた人生の大先輩ばかり。気後れせずにいかに自分の想いを表現できたのかが気になります。
「とにかく僕にとって壱岐は新鮮だった。僕の感じた壱岐の魅力を詰め込もうと、素直に発言しただけなんです。壱岐の人にとっては、それが都会の感覚と感じてもらえたようなんですが、今壱岐にある美しい風景や美味しい食材は、本当にかけがえのないもの。僕にしたら、皆さんの普通はとてつもなく贅沢だと伝えたかったんです」と貴島氏は話します。
そんな一途な想いこそがこのプロジェクトの骨子。真っ青に輝く「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」は、まさに壱岐の魅力そのものなのかもしれません。
「お勧めは、お湯割りです! ジンなのにお湯割りが美味しかった! 焼酎文化の島らしさで香りが立つのが特徴です。ジンはもちろん、焼酎以外のお酒ではなかなかこうはいかないのかも。それもこのジンが持つ壱岐らしさです」と貴島氏。
更に、貴島氏はこのまま終わらせたくないともいいます。第2弾、第3弾と、バリエーションを加えてやっていけたらと話してくれました。
「ハチミツが、最初はここまで香りがするとは思わなかった。とても貴重なニホンミツバチのハチミツなので、そこまで量を使えなかったのが悔しい。もうワンランク上のプレミアムジンを造れば、思う存分使えるかも」。そんな発想も貴島氏ならではのものなのかもしれません。

壱岐という小さな島で巻き起こった、クラフトジンプロジェクトは、一旦、最初の挑戦を終えました。

麦焼酎発祥の島だからこそ、なし得たジン。
海風が吹き抜ける島でなくては造れなかったジン。
柑橘の島だからこそ生み出せる香りを持つジン。
コバルトブルーに輝く海があったからこそ出来上がったジン。
「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」には、そんな壱岐の魅力が溢れています。初回ロットは1,000本。そのうち最後に残された約200本が2021年8月10日(火)より一般発売されます。壱岐を感じてほしい、そんな挑戦者たちのクラフトジンは、様々な壱岐の方々の顔が浮かぶジンとなりました。
壱岐を訪れたことのない人ならば、美しい海と豊かな食材の香りに思いを馳せ、壱岐を訪れたことのある人ならば、再訪したような錯覚を感じるやもしれません。それほど、このクラフトジンは壱岐なのです。壱岐を感じてみたい、旅気分を味わってみたいという方に、『ONESTORY』は「JAPANESE IKI CRAFT GIN KAGURA」を強くお勧めしたいと思います。

『壱岐リトリート 海里村上』のホテルマン・貴島健太郎氏。壱岐の様々な生産者と会話を繰り返し、想いを伝えてきた。

持ち前のチャレンジ精神で、様々な食材を自ら試食。食べごろ前の柑橘など、まだ苦味しかない状態でも味わってみたいと貴島氏。

完成したクラフトジンのボトルを手に持つ貴島氏。いよいよ最後の200本が2021年8月10日(火)に一般発売される。 

住所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳本村触520 MAP
電話:0120-595-373
http://ikinokura.co.jp/

住所:長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2 MAP
電話:0920−43−0770
https://www.kairi-iki.com/

イージーショーツ 

ラフ&タフなアイアン流イージーショーツが登場!

  • ウエストオールゴムで履きやすいショーツです。
  • ウエストオールシャーリングのイージースタイル
  • アイアンハートらしく厚手素材で作っているためヘビーさと丈夫さがプラス
  • 色はあえて製品染めをすることで初めから穿きこんだような色合いを表現
  • 部屋の中でもキャンプ場でも、どこでも活躍間違いなし!です。

729: サイズスペック

  ウエスト 前ぐり 後ぐり ワタリ 裾巾 股下
S 80.0 21.5 36.0 31.8 26.0 27.0
M 85.0 22.5 37.0 33.4 27.0 27.0
L 90.0 23.5 38.0 35.0 28.0 27.0
XL 95.0 24.5 39.0 36.6 29.0 27.0
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。予めご了承ください

素材

  • 綿100%

暮らすように滞在する。京都・東山から提案するホテルの新たなスタイル。[東山 四季花木/京都市東山区]

東山に誕生した『東山 四季花木』。伝統美を表現しつつ、余計な装飾を削ぎ落とした引き算の美学が光る。

東山 四季花木建築家とインテリアデザイナーの夫婦が手掛けたラグジュアリーホテル。

荘厳な寺社の数々、行灯が照らす古都の町並み、ゆったりとした鴨川の流れ。一般的にイメージされる“京都らしさ”の多くが詰まった京都市東山区。そんな東山区の中心部、東西線東山駅のほど近くに2019年秋、一軒のラグジュアリーホテル『東山 四季花木』が誕生しました。

客室は、わずか8室。宿泊施設の建設ラッシュが続く京都にあって、ともすると見落としてしまいそうな小さなホテルです。しかし足を踏み入れるとそこは、訪れる人のことを考え抜いた数々のホスピタリティに満ちた、唯一無二の存在でした。

ホテルを手掛けたのは、建築家の夫とインテリアデザイナーの妻のご夫妻。二人の言葉を通して、ホテル誕生の物語と、館内の随所に仕掛けられた穏やかに過ごすための工夫を紐解いてみましょう。

1階のアプローチ。正面奥には『唐長』十一代目・千田堅吉の作品が出迎える。

東山 四季花木京都人夫妻が考えた「二人で行くなら、こんなホテル」

石畳の敷かれた三条通り沿いの、五階建ての建物。
どっしりと重厚な石の質感と大きなガラスが醸す怜悧さに、門口の坪庭や親子格子が添える温かみ。複数の建材がバランス良く融合し「街に溶け込んでいるのになぜか目を引く」という不思議な現象を引き起こします。あえて言葉にするならば“和モダン”ですが、それだけでは伝えきれない存在感です。

それもそのはず、設計を担当したオーナー・川上隆文さんは、これまでに数々のホテル、住宅、公共施設などを設計してきた人物。そんな川上さんがとくに意識してきたのは、住まい手、使い手のことです。土地の価値を最大限に活かす建物を設計すると同時に、「たとえば飲食店なら客席が何席で何回転するのか」という、いわば設計士の担当範囲外のことまで考え続けてきたといいます。

そして依頼としての設計を手掛けながら、「自分で作るならこうしたい」という思いを温めてきたのです。言うなれば、“構想数十年”。無駄のない美しさは、建築家としてのキャリアの集大成であり、夢の結晶なのかもしれません。

インテリアデザイナーである妻・北山ますみさんも、理想のベクトルは同じ。仕事として照明、クロス、調度品などを配置するにとどまらず、「実際に利用する人がどう感じるか」という部分まで想像しながらインテリアデザインを手掛けてきました。

「経営のことまで考える建築家は聞いたことがない」と北山さんが言えば、川上さんも「女性目線がありながら、業界の慣例に収まらない芯の強さもあります」と北山さんを評価。そんな互いにリスペクトを抱く二人が「二人で行くなら、こんなホテルが良い」と導き出した答えこそが、この『東山 四季花木』なのです。

北山ますみさん(左)と川上隆文さん(右)のオーナー夫妻。旅好きな二人の思いが、ホテルの随所に込められる。

「旅館のホスピタリティとホテルの快適性の良いとこ取り」を目指したという。

ルーフトップテラスからは京都市内の夜景なども一望。部屋を離れて思い思いに過ごすことができる。

東山 四季花木ゲストの目線で徹底的に考え抜かれたホスピタリティ。

構想を温め続けた二人ですが、実は開業を決めてこの物件を探したわけではありませんでした。単に投機的な目線だけでみれば、これまでに何度も良い物件もありました。しかし二人の心は動きません。それは京都人として、自分たちの大好きな京都をどう表現できるのか、というアーティストの目線での妥協ができなかったのでしょう。

しかしあるとき、縁のあった不動産関係者に、知り合って3日目にこの場所を紹介されます。場所を見た瞬間、二人の心は決まりました。祇園、平安神宮、南禅寺などが徒歩圏内でありながら、市街地の喧騒からは離れた立地。目の前は歩道があり、電柱も地中。東山の緑を望む眺望。「ここでならやりたかったことが表現できる」それがこの土地に決めた理由。
事業として必要に迫られてはじめたホテルではないため、経営においても売上や効率以上に大切にする点があります。
それは、ゲストの満足度。訪れた人が満足し、また来たいと思えることを、ホテルの最高優先度に据えたのです。

ホテルの設えやホスピタリティの方向性は、そんな思いを起点に考えられました。おいしい料理屋と素晴らしい寺社がある京都で、ホテルにまでパワーのある空間に身を置くことが必要か。見どころの多い京都ではホテルの滞在時間が短くなる。それなら広めの客室でゆったりくつろげる時間を提供しよう。夫婦で旅行していたら一人になる時間も必要。ならば露天風呂や屋上テラスを設えよう。夕食は日本料理を食べる方が多いから、朝食は胃に軽く京野菜中心の洋食が良いのではないか……。じっくりと考え抜かれるホテルの方針。

それは京都旅行というストーリーの中でホテルが主役になるのではなく、たとえば親戚の家を訪れたような穏やかな安心感を提供すること。
「外から眺めたパッケージとしての京都ではなく、京都に暮らすようにゆるやかに滞在してもらいたい」そんな思いが、ホテルの中に詰まっているのです。

ウェルカムティーは日本最古の茶園『丸利 吉田銘茶園』の煎茶を季節の和菓子とともに。

チェックイン、チェックアウト、滞在中のくつろぎスポットとして利用できる『茶論』は館内2階。

朝食は京野菜を中心に、はなかごパンや自家製スロージュースとともにヘルシーな内容。名店で料理長も務めた坂辻亮シェフのオリジナル。

東山 四季花木京都らしく、しかし主張し過ぎず。中庸こそがホテルの美学。

ガラスの扉を抜けて内部へ。1階は重厚な石造りのエントランスには、寛永元年創業『唐長』の唐紙やタイルが出迎えます。
チェックインは2階の「茶論(サロン)」へ。土壁や網代天井を施した畳敷きの空間は、滞在中のくつろぎ空間としても利用できます。

客室はすべて26㎡〜54㎡のラグジュアリースタイル。京都らしさ、おだやかなくつろぎを感じさせつつ、決して押し付けにならないインテリアは、北山さんの本領発揮。アメニティや茶器にまで行き届くこだわりも、くつろぎの時間を演出します。開放的で心地よい露天風呂と、360度の眺望が自慢のルーフトップテラス。チェックアウトを12時に設定しているのも、滞在をゆったりと楽しんでもらうための心配りです。

京都の魅力を伝える一貫として、おだやかな時間を提供するホテル。
「丁度良い、といわれるのが何よりうれしい」と北山さんは話しました。「京都は宝石箱のような街。食べ物、工芸、職人の技。京都にはまだまだ知られていない魅力が山ほどあります。そんな京都の魅力を体感してもらうために、ホテルとして“丁度良い”空間と時間を提供したい」

旅において、宿泊施設に望むものは人それぞれ。しかしこの『東山 四季花木』のように出すぎず、引きすぎず、おだやかで、かつ存在感のあるホテルは、これからの京都旅行の新たな過ごし方を提案してくれます。

客室「庭玉」はプライベート庭園付き。部屋からは比叡山や平安神宮の鳥居なども望む。

美術品や盆栽などオーナー夫妻のこだわりが光る客室「遠州」。檜風呂のバスルームも完備。

ルーフトップから望む東山。屋上からは大文字の送り火も煙が届くほどの至近距離で眺められる。

住所:京都市東山区三条通白川橋西入ル今小路町85-1 MAP
料金:1泊朝食付き(1室あたり)60,000円~(税・サ込)
アクセス:地下鉄東西線東山駅より徒歩1分
https://www.shikikaboku.jp/

“メイド・イン・ジャパン”の追求と回帰。「美味しい」の先に踏み込んだ鮨と日本酒のペアリング。

1806年(文化3年)創業の『仙禽』11代目蔵元・薄井一樹氏(右)、『鮨えんどう』店主の遠藤記史氏(左)。 

恵比寿 えんどう × 仙禽日本固有の食材、伝統製法にもう一度光をあてる。 

海洋資源をはじめとした自然環境の維持に努め、新型コロナウイルス感染症の影響を受けつつも、鮨と日本酒のペアリングで食文化の発展に貢献してきた『恵比寿 えんどう』の店主・遠藤記史氏。革新的な酒造りで知られる『新政』に続き、今回ペアリングを試みたのが、栃木の銘酒『仙禽』です。 
 
「『仙禽』はこれまで何度も蔵見学をしていて、蔵元の薄井一樹さんも来店いただいています。今回のペアリングは、鮨と日本酒の相性がいいことは大前提。そこからさらに思想や表現方法、合わせ方の視点にまで踏み込んで見ました」と語る、遠藤氏。 
 
ペアリングにあたり、遠藤氏がコンセプトに掲げたのは「メイド・イン・ジャパン」。国内はもとより海外でも人気の高く、日本の食文化の中で最も「メイド・イン・ジャパン」を標榜しているとも言える鮨ですが、今あえてテーマとした意図はどこにあるのか。 
 
「イギリスに6年間留学していた経験があるのですが、現地で感じたのは英語が話せることが国際人としての必要条件ではなく、あくまで十分条件ということ。むしろ日本語や日本の文化を理解しているかどうかが、国際人としての必要条件だと感じました。今、食の世界はボーダーレスで、日本料理でもトリュフやキャビアを使い、和食にワインを合わせることも一般的。フレンチでも昆布出汁を使うし、三ツ星のレストランで日本酒が当たり前に振舞われる。より自由になった一方で、文化が必要以上に混ざりすぎると個性や特徴が失われる。7色ある色も全て混ぜれば黒になるのと一緒です。トリュフやキャビアもそれはそれで美味しいけれど、鮨に握るとどうしても陳腐になってしまいます。日本料理らしいことが個性であり特徴なのであって、これからの国際社会では際立ってくる。つまり、大切なのは“メイド・イン・ジャパン”であること。そこを表現するには、その土地に存在する固有の個性=テロワール(土地)が大事になってきます。そのテロワールに最もこだわっている蔵元が『仙禽』です。僕自身、日本固有の素材にこだわっていきたいし、どのように表現していくか、それが今回ペアリングをやる意義でもあります」。 
 
遠藤氏が考えるペアリングの意義を受け止めるのが、『仙禽』11代目蔵元の薄井一樹氏。遠藤氏が追求する「メイド・イン・ジャパン」を誰よりも理解を示し、自ら実践してきた唯一無二の酒造りについて語ります。 
 
「『仙禽』では、この土地でなければ生まれない“ドメーヌ”、昔ながらの農業に原点回帰する“ルーツ・オーガニック”、木桶仕込み、生酛酒母、古代米(亀ノ尾)使用、米を磨かない精米機も酒造好適米も存在しなかった頃の超古代製法を再現する“ナチュール”を3本の柱に酒造りをしています。“ドメーヌ”も“オーガニック”も“ナチュール”も昔は当たり前のことだったのに、モノを大量生産・大量消費することが世界の常識となり、便利さを追求していく時代の中で失われてしまった。酒造りは便利に走れば走るほど機械工業になり、酒自体も有機質なもの無機質なものになっていきます。日本酒だけでなく、味噌や醤油、器だってそう。失われてしまった伝統文化や製法が多い中で、僕らは日本の優れた技術を継承し、後世の人たちに残していかなければなりません」と、その使命感を薄井氏は語ります。 
 
「古ければ良いという訳ではありません。残すべき製法は守りつつ、味はモダンでなければ。自分の土地で収穫された農作物を加工して、製品にすることをフランスでは“ドメーヌ”と言いますが、一次産業と二次産業の架け橋も担っています。本来はそれが自然なことなのに、流通が発達したからといって、地元と縁もゆかりもない風土の違うものを買って酒造りしたのでは意味がありません。その土地のテロワールが感じられる原料を使って加工すれば、自ずと相性はいいもの。“オーガニック”も同様です。近代農業は化学肥料により、土壌が地球規模で汚染されています。本当にいいものは贅沢品でも何でもなく、素朴で野性味があるもの。とりわけ日本酒では顕著に現れます。“ドメーヌ”も“オーガニック”も“ナチュール”も、時間の針を昔に戻しているだけ。ただの回帰主義でなく、物理的に失われた大事なものを取り戻すための手法なのです」と言葉を続けます。 

水産資源の減少に危機意識を高めるシェフ約30名が加盟する『シェフス・フォー・ザ・ブルー』のメンバーとして活動する遠藤氏(左)。高い酸と濃醇な甘みの「甘酸っぱい」酒で日本酒業界に新風を吹き込んだ薄井氏(右)。 

恵比寿 えんどう × 仙禽東京の鮨が抱える矛盾。鮮度というハードルを超えて。 

ペアリングのテーマ「メイド・イン・ジャパン」を表現するための考え方のひとつ「オーガニック」を象徴するのが、「朝締めの鯛」です。この日届いたのは、愛媛産の鯛で、店に届く数時間前に締めたもの。遠藤氏は「日本一」と称賛します。 
 
この鯛を扱うにあたり、様々な産地を頻繁に訪れ、魚が育つ環境を肌で感じてきた遠藤氏だからこそ抱いた「矛盾がある」と言います。 
 
「今年は例年になく真イワシが多い年だったのですが、“鰯”は読んで字のごとく弱りやすい魚で何より鮮度が大事。漁船の上で食べる機会があったのですが、驚くほど旨かった。でも、この旨さはどうやっても東京では表現できません。産地での味を100点とすると、東京は80点。産地と張り合えるのは、せいぜいマグロくらいでしょう。東京でしかできない表現を考えた時、鮨には熟成というアプローチもあります。ですが、旨味の数値は上がったとしても、食感や香りはブラインドで食べたら何の魚かわからない。熟成するとどれも似たような食感になり、香りはどうしても損なわれます。産地や個体ごとの香りや風味、食感は、鮮度の良い魚の方が圧倒的に表現できる。熟成と鮮度についてはどちらが美味い不味いという話ではなく、ここから先は哲学の問題。ただ僕は新鮮な魚に魅力を感じていて、鮮度を表現するためにもなるべく素材をいじりすぎず、化粧しないよう本来の持ち味をそのままに生かし、単一素材にフォーカスした鮨を追求しています」。 
 
遠藤氏の意図を受け、薄井氏が合わせた日本酒は「朝搾り」。市販されていないため、この日この時にしか味わうことの出来ない希少な酒です。 
「おめでたいイベントですから、当日に上層(醪を搾って液体の酒と酒粕に分ける工程)した日本酒です。鮮度がかなり高いのでガス感もあり、角が立っているけれど若々しさがある。遠藤くんの鯛も朝締めということなので、鮮度と鮮度を掛け算するイメージ。口の中で魚と日本酒のフレッシュ感を合わせることにより、ペアリングのトーンが揃います」と、薄井氏は語ります。 

朝締めしたその日に届いた愛媛産の鯛に、朝搾りのフレッシュな日本酒を合わせて。 

鯛は成長に伴いメスからオスに性転換し、「一部は成長してもメスのままの個体がいる」と遠藤氏。この日はオスを選んだが、捌いたところメスだったそう。オスの力強さとメスの脂が乗った柔らかな身質のどちらも持ち合わせている。 

恵比寿 えんどう × 仙禽ペアリングで捧げる日本の伝統製法と国産原料へのオマージュ。 

ペアリングのもうひとつの考え方「ドメーヌ」を象徴するのが、「富山産ホタルイカ」です。ホタルイカ自体、日本の固有の品種でまさに「メイド・イン・ジャパン」と言える食材ですが、遠藤氏が着目したのは「もろみ」。 
 
このコロナ禍で輸出入を含む流通が一時ストップし、原料である小麦や大豆の生産を海外に依存してきたことに遠藤氏は危機感を感じたといいます。 
 
「“メイド・イン・ジャパン”にこだわった時に一番難しいと感じたのが、醤油と味噌です。日本の伝統的な食文化であり、日本料理には欠かせない核でありながら、原料の多くは海外に依存していて国産でない。それではどうやってもテロワールは表現できません。今回は現地でボイルしたホタルイカに和えたのは、鹿児島県長島町にある石元淳平醸造の『cocoromiso』。醸造所から100km圏内で収穫された国産大豆と『仙禽』のように蔵付き麹を使用しており、江戸時代と同じ作りでテロワールも表現されています。付加価値をつける意味でも、自国の食文化にはしっかりと向き合っていきたい」と、遠藤氏は表情を引き締めます。 
 
このホタルイカに合わせたのは、「クラシック仙禽 雄町」。生酛と呼ばれる伝統的な製法で作られていると、薄井さんは語ります。 
 
「明治以降に登場した簡略的な酒造りとは違い、昔から受け継がれてきた“メイド・イン・ジャパン”を象徴する職人技が凝縮しています。醤油の原料も今や日本産が珍しい時代。大量生産・大量消費の時代の流れで忘れ去れている技法がある中、昔ながらの日本の食材・技術を大事にした掛け合わせです」。 

富山産ホタルイカ×「クラシック仙禽 雄町」。日本固有種のホタルイカに伝統的な手法で醸された日本酒を合わせて。大豆と小麦の穀物感を残したもろみは、「クラシック仙禽 雄町に丁度良い」と、薄井氏。

国産の大豆と小麦を使用したもろみを使用。ホタルイカは叩いて肝ともろみ和えることでいい出汁が出るとのこと。 

恵比寿 えんどう × 仙禽自然の豊かさを実感。生命力×生命力のペアリング。 

ペアリングの考え方の3つ目が「ナチュール」。ここで遠藤氏が選んだのが、「オーガニック ウナギ」です。これまで鮨ダネでアンタッチャブルな食材だったといいますが、あえてチャレンジしたい食材でもあると遠藤氏。今まで扱ってこなかった理由には、「文化的背景もあります」と話します。 
 
「理由はたくさんあるのですが、まず鮨自体が発酵食品であり屋台のファーストフードだったことが大きいと思います。うなぎは当時から高級料理で、焼くための炭どころが必要でした。パッと食べてサッと帰る鮨では、そこまで設備も出来ないしコストもかけられない。江戸前寿司の文化に浸透してこなかった歴史が長いのはそのためです。現代の鮨はファーストフードではなく、きちんとした設備もあり、価格の問題もない。時代背景が変わってきた中で、ネタとして取り込んでもいいと僕は考えています」。 
 
一時期は稚魚が減少し、漁獲量の低下が懸念されたウナギ。遠藤氏は、鹿児島大隅半島の養鰻家・横山柱一氏が育てた「横山さんの鰻」にこだわりがあります。 
 
「自然豊かな環境で、飼育期間で抗生物質を使用せず、良質の自然の餌でストレスなく育てています。このウナギに合わせる日本酒は、おりがらみの日本酒『雪だるま』。僕にとってもチャレンジングな試みでした」と遠藤氏。 
 
オーガニック・ウナギに寄り添う日本酒は、「造り方も自然に寄り添った“江戸スタイル”」だと、薄井氏。ペアリングの考え方にも説得力があり、改めて意義を伺い知ることができます。 
 
「原料の米はオーガニックの亀ノ尾。ほとんど磨いていません。雑味が多く、パンチが効いているとイメージされがちですが、原料の米自体にエネルギーがあるので、自然な造りをすると体液みたいにナチュラルに体に入って来る。味わいも野性味がありつつ繊細です。今回の“横山さんの鰻”も生命力がある。野性味に溢れた生命力溢れる日本酒とウナギを掛け算したペアリングです」と薄井氏は話します。 

「横山さんの鰻」×「仙禽オーガニック ナチュール2020」。生命力溢れるウナギと生命力溢れる日本酒の掛け合わせ。サクサク、トロッとしたテクスチャーのマリアージュも楽しめる。 

「この手法でないと表現できない」と、炭火で焼き上げる。原始的な調理法もまた遠藤氏の揺るぎないポリシー。 

恵比寿 えんどう × 仙禽親交を深めることで無理のない掛け算が成立する、唯一無二のペアリング。 

本来であれば昨年実施されるはずだったペアリング。新型コロナウイルス感染症の影響で今年に延期になったことが、むしろ良い効果を生み出しました。 
 
「去年の時点で僕の中でこうしたいというイメージがあって、延期によってブラッシュアップできました。日本酒では嫌われていた酸をポジティブに取り入れて、シグネチャーとして打ち出したのは『仙禽』が最初。酸があると料理との相性がいいし、日本酒単体での味のバランスもいい。温故知新の発想や伝統をアップデートしている酒造りはインスパイアされました」と遠藤氏。 
 
日頃から親交があり、「ペアリングのためのペアリングではない」と断言する遠藤氏。薄井氏も「家庭料理のペアリングであれば、僕ひとりで考えれば十分。ですが、プロとプロがやる場合はそうはいきません。栃木の蔵と恵比寿の店を毎月のように行き来しているので、いいところも悪いところも知っている。そうでもないと本当の意味でのペアリングは生まれません。ただ、そうしたことを抜きにしてもペアリングしやすい料理と日本酒ではあります」と話します。 

薄井氏が「肉として捉える」というスッポンの照り焼き×熟成した酸とアミノ酸の数値が高い「仙禽オーガニック ナチュール2020」が支える。福島産のキュウリ塩麹×『仙禽』の中でもアルコール度が低く、重心が軽い日本酒「線香花火」。ひとつ前に出されるうなぎの脂を断ち切る。うなキュウをイメージ。

ウナギ×「ユナイテッドアローズ 雪だるま」。オーセンティックな哲学をベースにするユナイテッドアローズとコラボが実現した銘柄。 

「これは鉄板」と二人が声を揃えるあん肝×「ナチュール貴醸酒」、カラスミ×爽やかな酸味のナチュールや熟成された豊かな甘みの貴醸酒をアッサンブラージュした「初代ユナイテッドアローズ」。 

味がぼやけないよう皮目を炙り、食感のコントラストと旨味が立ったメジマグロ×焦げた風味と旨味を受け止める「仙禽 愛山10年熟成」。アミノ酸の数値が高い金目鯛昆布締め×「モダン仙禽 無垢」。 

丁寧に包丁を入れた脂ののりがいい中トロ×ドメーヌ・さくら山田錦を35%まで磨き上げ、甘味とクリアな酸味を備えた「仙禽 一聲2021」のペアリングは、甘味と甘味の掛け算。

血の風味があり食感もコリコリとした赤貝×テクスチャーの相性がいい「全麹仕込み バーボン樽」、大トロ×高いアルコール度数で大トロの脂を支える「仙禽ナチュール2020(お燗)」。 

酢で締めすぎない、青身の小魚らしさが特徴の小肌×おりが絡んだフレッシュ感のある味わいの「さくら」、イカらしいサクサク感のある朝締めのアオリイカ×亀ノ尾、山田錦、雄町をアッサンブラージュした「Hope! 希望」を冷で。 

肉と似た重心のあるクジラ×「温度が低いと支えられず、お燗ではネガティブな部分が顔を出す」と常温で提供する「仙禽ナチュール2021」。 

温かい状態で握りにする鹿児島県甑島の車海老×古代米「亀ノ尾」の個性が発揮された「クラシック仙禽 亀ノ尾」をお燗で。ネタの中でもっとも油が乗っているというノドグロ×山田錦、亀ノ尾、雄町の3品種の酒を黄金比でブレンド=アッサアンブラージュした「醸」の甘さが引き立て合う。 

磯の風味が際立つホタテの磯辺焼き×「赤とんぼ」、淡白な旨味のあるサヨリ×酸度が高く、上品な貴醸酒の甘みがある「七夕物語」。 

トリ貝×「仙禽ナチュール2021」食感が柔らかく甘味が強い、これからが旬のトリ貝。ミネラル燗のある手巻きのトロたく×ひやおろし「赤とんぼ」。 

恵比寿 えんどう × 仙禽人間同士のペアリングが可能性を生む。矛盾を抱えてもなお模索する「東京でしか表現できない鮨」。 

今回のペアリングを通して、ふたりが表現したかった「メイド・イン・ジャパン」。鮨と日本酒を掛け算することで、今後も見据えるテーマがより明確になりました。 
 
「遠藤さんは元々ペアリングに長けている鮨職人です。“線香花火”や“赤とんぼ”のように普通なら敬遠されがちな古いヴィンテージも平気でペアリングに呼び込んで、当ててくる。本当に勉強になります。今回のペアリングは、ふたりして蔵で厳密にテイスティングしながら決めました。僕ひとりでは絶対に完成できなかった。料理を作る人、酒を造る人が人間同士もペアリングして初めていいものが生まれるもの。そこを外すと、ボーダー柄にチェックのズボンを履くようなもの。かみ合わなくなりますからね」と薄井氏。 
 
ペアリングというアプローチで様々な視点を通し、食文化の発展と課題と向き合う遠藤氏もまた、今後に向けてさらなる意欲を燃やします。 
 
「『仙禽』とはペアリングに対する考えも方向性も共通しています。あえて寄せる必要はなく、あるがままでいい。現在の東京のフードシーンはデジタルな情報発信が主流ですが、デジタルやオンラインでは表現に限界があるとも感じています。やはり今回のペアリングのように体感してみないしないことには、本当の価値はわかりません。東京にはモノもヒトも情報も集まるけれど、東京でしか食べられない鮨を追求しづらくもある。食文化の分岐点にある今、そうした矛盾を捉える段階まできた。引き続き、模索していきたいです」。 

住所:東京都渋谷区恵比寿南1-17-2 Rホール4F MAP
電話:03-6303-1152

住所:栃木県さくら市馬場106 MAP
電話:028-681-0011
http://senkin.co.jp​​​​​​​


Photographs:JIRO OHTANI
Text:MAMIKO KUME

芸能界屈指のラーメン通・田中貴氏が見る、ロングセラー袋麺「サッポロ一番」のさらなる可能性。[サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen/東京都港区]

田中貴氏とマッキー牧元氏。音楽を通して出会った旧知のふたりが、「サッポロ一番」を挟んで語り合う。

サッポロ一番劇場『虎ノ門横丁』に誕生した「サッポロ一番」の期間限定レストラン。

虎ノ門ヒルズ内のシックな空間に、26の人気店が集う『虎ノ門横丁』。その一角に、ひときわ個性を放つポップアップレストランが誕生しました。暖簾に描かれるのは「サッポロ一番」のロゴ。そう、発売以来半世紀以上、袋麺のトップブランドとして君臨し続けるあの「サッポロ一番」です。この『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』は、「サッポロ一番」に、文字通り“ひとてま”加えたオリジナルメニューが味わえる店なのです。

発売元のサンヨー食品は「サッポロ一番」にひと手間、ひと工夫を加えることで、さらに美味しく、栄養バランスもアップするアレンジレシピを提案してきました。ここでは、そのアレンジレシピの味を再現するだけでなく、さらにタベアルキスト・マッキー牧元氏を監修に迎え、その味をブラッシュアップして、ここでしか味わえない逸品として提供されます。牧元氏といえば、『超一流のサッポロ一番の作り方』(2018年/ぴあ株式会社刊)などの著作がある、大の「サッポロ一番」フリーク。さらに、2020年10月に同所で開催された『サッポロ一番劇場』もプロデュース。中華とイタリアンの名シェフに「サッポロ一番」をカスタムしてもらい、コース仕立てでアレンジメニューを提供しました。今回も、そんなおなじみの「サッポロ一番」が牧元氏の手でどのように生まれ変わるのか、各所で話題を集めています。

さて、今宵はそんな『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』に、ひとりのお客様がやってきました。穏やかな笑みを浮かべつつ、カウンター内の調理を鋭い目で見つめるその顔は、いまや芸能界一のラーメン通として知られるサニーデイ・サービスのベーシスト田中貴氏です。自身を「評論家ではなく、ただのラーメン好き」という田中氏に、はたして牧元氏がアレンジした「サッポロ一番」は、どのように響くのでしょうか?

『虎ノ門横丁』の一角に誕生した期間限定のレストラン。オープンで入りやすい雰囲気が魅力。

調理法、アレンジ、盛り付けなどで、最高の状態の一杯を提供。「サッポロ一番」の未知なる可能性を伝える。

「サッポロ一番」公式サイトなどで提案するアレンジレシピを、マッキー牧元氏がさらにアレンジ。今だけ、ここだけのメニューが登場する。

サッポロ一番劇場冷やすことでキリッと締まった麺が、田中氏を唸らせる。

『サッポロ一番 ひとてま荘Kitchen』は2021年7月1日(木)〜7月18日(日)までの期間限定オープン。メニューは7月9日までの前半が「レモンの冷やし塩らーめん」「冷麺風冷やしごま味ラーメン」「じゃがいものみそまぜそば」の3品、後半7月10日〜7月18日が「冷やし台湾風みそラーメン」「かぼすの冷やししょうゆ味」「豚キムチの旨辛みそラーメン」というラインナップです(メニューはいずれも700円)。

田中氏は着席すると、さっそく前半メニューの3品をオーダー。牧元氏はキッチンで田中氏を迎えます。
実はふたりは牧元氏の前職であるビクターエンタテインメント時代からの旧知の仲。田中氏にとって牧元氏は「大先輩です」という間柄ですが、ことラーメンに関しては話が別。妥協を許さぬ意見が期待されます。

届いた料理を、真剣な面持ちで味わう田中氏。傍らではその姿を牧元氏が見つめます。しばしの沈黙の後、田中氏から飛び出したのは「美味しいですね」の一言でした。そして田中氏が最初に着目したのは、麺について。

「味によって麺が違うんですね」

「そう、そこがサッポロ一番のすごいところ。味噌ならリングイネのような楕円形の麺、塩なら喉越しの良い丸麺といった具合に、味によって麺を使い分けているんです」

「それぞれ味の絡みも良いし、冷やして締めているから食感も良い。生麺に近づけるという発想ではなく、乾麺ならではの良さを引き出していると思います」

カウンターを挟んで交わされる会話。音楽を通して出会ったふたりが、食というフィールドで語り合う。しかしそれは、妥協を許さず、ひとつの事象を掘り下げるアーティストの姿そのものでした。

いつもにこやかな田中氏も、ラーメンを前にすると真剣。忌憚のない意見が飛び出す。

7月9日までの限定メニューのひとつ「レモンの冷やし塩らーめん」。「サッポロ一番塩らーめん」をベースに、さっぱりとした味わいに仕上がっている。

「ホクホクじゃがいものみそまぜそば」は、「サッポロ一番みそラーメン」がベース。キタアカリの甘みやバターとチーズのコクがアクセント。

サッポロ一番劇場多彩なアレンジで、おなじみの「サッポロ一番」が驚きの味に。

その後も、田中氏の核心を突くコメントが次々に飛び出します。
「じゃがいものみそまぜそばは、鶏挽き肉が合いますね。ちょうど良く旨みが足されています」と田中氏がいえば、「豚だと脂が出すぎてしまうから、あえて鶏を選びました」と牧元氏。
さらに、「ラーメンにじゃがいもを合わせるというのも珍しい。崩して混ぜると甘みが足されて味が変わってきますね」とのコメントには、「トッピングで味変しながら楽しむ、エンターテイメントとしてのメニューですね」と牧元氏。
この軽快なやり取りもラーメン通である田中氏の経験値の豊富さと、牧元氏との関係性があってのこと。

さらに、田中氏が「一方で、レモンの冷やし塩らーめんは、サラダチキン、水菜、糸唐辛子など、主張の強すぎないトッピングで、非常にわかりやすい美味しさですね」というと、牧元氏は「こちらは味変ではなく、食べ進めながら食感に変化をつけて楽しむイメージです」と勘所をついたコメントと答えが返ってきます。

まさに、ラーメン通の田中氏の知識と経験は、「サッポロ一番」相手にも遺憾なく発揮された様子でした。

帰り際には「サッポロ一番の見方が変わりました」と感慨深げに語った田中氏。
「家でも袋麺を食べるときは必ず何らかのアレンジをしていましたが、冷やすという発想はありませんでした。生麺とは別ジャンルの乾麺の可能性をあらためて感じるメニューでしたね」と、感想を伝えてくれました。

アレンジの監修を務めたマッキー牧元氏。自身の経験とサッポロ一番への愛を、メニュー開発に込めた。

キムチやキュウリを添えて冷麺風にアレンジした「冷麺風冷やしごま味ラーメン」。

3種のアレンジメニューを味わい「サッポロ一番の印象が変わった」という田中氏。「自宅でもアレンジに挑戦したい」と語ってくれた。

1955年生まれ。立ち食いそばから割烹、フレンチからエスニック、スィーツから居酒屋まで、日々飲み食べ歩く(年間約600食)。まさに、「食べるグルメマップ」。「味の手帖」「食楽」「銀座百点」など多数の雑誌やWebで連載中。

1971年生まれ。サニーデイ・サービスのベーシスとして1994年、成蹊大学在学中にメジャーデビュー、2000年に解散するも2008年に再結成。現在もライブは即日ソールドアウトとなるなど、その人気ぶりは健在。ラーメン愛好家としても知られている。

住所:東京都港区虎ノ門1-17-1虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー3F 虎ノ門横丁  MAP
開店期間
7月1日(木)~7月18日(日)
営業時間
ランチ 11:30~15:00 (LO 14:30)売り切れ終い
ディナー17:00~20:00 (LO 19:30)売り切れ終い
https://www.toranomonhills.com/toranomonyokocho/

Photographs:KOH AKAZAWA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by サッポロ一番)

暑い季節に

皆様こんにちは(・∀・)

暑い季節になってきましたね☀️

まだ、梅雨明けは宣言されておりませんけど倉敷も暑い日が続いております💦


そんな暑い時期には




インディゴ染のタオルでございます(*゚∀゚*)



大きさも3種類ご用意しております(´∀`*)

お土産や贈り物にもご利用ください(*゚▽゚*)


松本オーガニックナチュールの誕生。そこには自然体の日出彦がいた。

生酛造りにおいて最も大切な「もと摺り」に励む松本日出彦氏。奥は、『仙禽』の杜氏、薄井真人氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO人生初のもと摺り、生酛造りの洗礼。激しく辛い作業だったが、身体は喜んでいた。

2021年4月某日。武者修業中の松本日出彦氏の姿は、栃木『仙禽』にありました。

蔵に足を踏み入れると、静寂な空気の中に響いていたのは酒造りの作業唄。

この作業唄は、明治後期から江戸時代にかけ、先人たちが酒造りの仕事中に唄ったと言われているものです。しかし、機械化が進む昨今においては、儀式として使用されることはあるも本来の役目を果たすことはほぼありません。

『仙禽』は、その唄の役目を現代に受け継ぐ数少ない蔵です。その理由は、この時期においても酒造りをしていることにも紐付きます。

「『仙禽』は、“速醸酒造り”ではなく、伝統的な酒造りの手法、“生酛造り”を採用しています。(前者と後者の)違いは様々ありますが、特筆すべきは酒母造り。人工的に作り出す乳酸を使用して発酵を促すのか、自然に発酵を促すのか。当然、後者の方が時間と手間はかかり、酒造りにおける期間も長い」。

そう話す松本氏がこの日勤しんでいるのは、「もと摺り」。生酛の酒母造りを指すそれは、蒸米、麹、水を櫂棒で丹念に摺り合わせる作業。午前中の「一番摺り」に始まり、数時間ごとに「二番摺り」、「三番摺り」と続け、1回約30分、「六番摺り」まで行います。前出の作業唄の尺は、約30分。唄うことによって、先人たちはもと摺りの時間を計ってきたのです。

見た目は地味ですが、相当な労力、体力、そして忍耐力を要するもと摺り。松本氏の額には汗が滲み、腕は震え、呼吸も荒い。天を仰ぐ数は、回を追うごとに増え、その過酷さを物語ります。人生初となったもと摺りは、想像をはるかに超える辛さ。

まさに「武者修業」と言いたいところですが、「修業」のみ切り離された苦行の絵図。

それを横で見守るのは、『仙禽』の薄井一樹氏とその弟であり杜氏の真人氏。

「全身の筋肉が泣いていました。悲鳴をあげていました。まさか『仙禽』で人生初のもと摺りをするとは夢にも思いませんでした」と話す松本氏ですが、一拍起き、「ただ……、不思議と身体は喜んでいました。初めて田んぼに入った時の感動に近いような。江戸時代に酒造りをしてきた先人は、こうやって仕事をしていたのだと身を持って体験することによって胸に込み上げてくる職人としての魂を感じました」と言葉を続けます。

「日出彦は、本当に真っ直ぐで不器用な人。でも、誰よりもぶれない芯を持っています。それは今も変わらない」と一樹氏。

今回、共に酒造りをする品目は、『仙禽』の代名詞とも言えるシグネチャー、「仙禽オーガニックナチュール」です。

「日出彦に決めさせなかった。日出彦を試したかった。日出彦に挑戦してもらいたかった。そして、日出彦の造る『仙禽オーガニックナチュール』を見てみたかった」。一樹氏は、そう話します。

「よりによって一番難しい造り。『仙禽』ブランドにも、薄井兄弟にも、そして、『仙禽』のお客様の期待にも応えるべく、自分の全てを出し切りました」と松本氏。

―――
「ナチュール」という思想は、あらゆる異なるジャンルの壁を超え、「つながる」ことができます。 
―――『仙禽』HPより抜粋

果たして、『仙禽』と松本日出彦は、どう「つながる」のか。

米の原型もある状態からここまでペースト状になるまで摺る。地道な作業が旨い酒を造る。

「四番摺り」後の松本氏。疲労困憊であることは、表情を見れば一目瞭然。

手の皮は剥け、腕の筋肉は悲鳴を上げる。「先人は本当に努力して酒造りをしてきたのだと感じます」と松本氏。

この日、偶然にも『仙禽』に訪れていた『白糸酒造』の田中克典氏。松本氏と共に「もと摺り」を行うも、「これはキツイ!」とひと言。松本氏曰く、「『白糸酒造』で体験したハネ木搾りの時も身体が喜んでいた」と話す。「もと摺りと同じく辛かったですが……汗」。

「うちの哲学が凝縮している『仙禽オーガニックナチュール』をどう日出彦が料理するのかという興味がありました。技術力の高さを知っているだけに、生酛造り、自然任せな酒造りに挑戦してもらいたかった」と一樹氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO「味」は体を表す!? 搾り立てをひと口。ちゃんと日出彦の酒だった。

「“柔らかさ”、“旨味”、“酸味”を活かしたいと思っていました。それを表現するにあたり、今回、主役として活躍してくれたのはお米だったような気がしています。『仙禽』が使用しているのは、米の先祖とも言える古代米の亀ノ尾。生酛造りとの馴染みが非常に良く、しっかり合わさっている」と松本氏。

6月初旬、醪のテイスティングが行われました。当然、その時点での醪は、経過の途中段階。完成形は想像するしかありませんが、「良い仕上がりだった」と真人氏と松本氏は振り返り、「どぶろくとしても良いレベル」と続けます。

そして何より、「もと摺りを頑張って良かった(笑)」と松本氏。

酒造りは、全ての仕事が連動しているため、何かひとつでも欠けてしまったり、判断を誤ってしまえば、良い酒はできません。

2021年6月中旬。関東甲信を始め、全国的に梅雨がやや遅く、暑い日が続きました。気温と湿度は、醪の経過に大きな影響を及ぼします。生酛造りであれば尚更。搾る日の見極めも良い酒の絶対条件。急遽、予定より早く搾り、荒走りをひと口。

「松本さんの思い描いていたイメージが、お酒に出ていると感じました」と真人氏。その具体の詳細を聞くと「通常の『仙禽オーガニックナチュール』と一番異なる点を感じたのは、味に丸みが帯びており、穏やか。優しいナチュールでした」。

「まさに『松本オーガニックナチュール』。松本日出彦というひとりの人間の自然体が味に出ている」と一樹氏と真人氏。

「今回、『仙禽』の中に日出彦が入ってきて、良い酒ができないわけがないという大前提が自分の中にあったので、そこに全く不安はありませんでした」と話す一樹氏の横で「僕は不安でしたけど(笑)」と松本氏。更にその横にいる真人氏は、「松本さんは、日本で一番、速醸酒造りに長けている職人だと思っています。そんな方と『仙禽』の酵母無添加のナチュールを一緒に造ることで、速醸造りの技術が生酛造りと良い相乗効果を生むのではないかと感じていました。そして、同じ職人として勉強にもなりました。細かい数値の取り方、予知の感など、技術の高さはもちろん、何より酒造りに対する確固たる哲学に一番刺激を受けました。ここまで考えてるんだ、こういう角度から考えてるんだという、酒造り全体に対しての想いの強さが一番刺さりました。自分たちの領域を超えたものを造っていく楽しみとその醍醐味を通して、全てが学びの時間でした」と話します。

実は、真人氏と松本氏は、今回が初対面。しかし、時間の長さが人間関係を構築するとは限りません。職人関係にあるふたりは、瞬く間に共鳴し、一気に距離を縮めます。

今回の酒は、『仙禽オーガニックナチュール』という円と松本日出彦という円の交点から創造された楕円部分の作品。

その作品の質を高めるためには、蔵だけでなく、土地を知ることも松本氏にとって大切な知見のひとつ。『仙禽』と同じさくら市にある氏家の田んぼへも足を運びました。

「ここは、約10年お付き合いのある田んぼです。関東平野のど真ん中。風の抜けも陽当たりも良く、昔から稲作が盛んな土地でした。水源を辿ると日光は鬼怒川の伏流水。柔らかいテクスチャーは滑らかで喉に引っかからずスムーズな飲み心地ですが、低アルコールで仕上げた酒の場合に物足りなさを感じる人はいるかもしれません。ですが、これが我々の水ですから。この土地で生きる『仙禽』が造る酒は、この水だからできる酒」と一樹氏。

「平らな土地のようでゆるやかな勾配があり、水の流れも生まれています。標高も約160mとバランスも良く、米作りに適した寒暖の差もある。『仙禽』の仕込み水と同様のため、まさにこの土地の恵みを持って生まれたこの土地だからこそできる酒。逆を言えば、この土地でなければできない酒でもあります」と松本氏。

「環境を知るだけでなく、農家さんを知ることも大切だと思っています。『仙禽』では、11名の契約農家さんにお米を育てていただいておりますが、それぞれ個性があり、味も違います。農家さんたちも『仙禽』の造り手のひとり」と真人氏。

田んぼなくして酒造りは成立しません。幸い、この地域ではそれを受け継ぐ次世代の農家はいるも、全国的に見れば後継者不足であることは間違いありません。

「我々、酒を造る人間たちも自分ごと化し、真摯に向き合わなければいけない深刻な問題」と3人。

そんな農家さんたちとのコミュニケーションを深めると同時に自然への敬意を表すため、「毎年、田植えに参加させていただいています」と一樹氏、真人氏。

米に触れる前に、土に触れ、水に触れ、農家に触れる。蔵の外から酒造りをしている蔵、それが『仙禽』なのです。

「酵母無添加、生酛造り、90%までしか削っていない亀ノ尾。今回、お世話になっている五蔵の中でも一番ダイナミックな醪になるのではと思っています」と松本氏。

醪のテイスティング。良い経過具合に安堵する松本氏。昨今は、温暖化も進み。気象の変化も激しいため、温度管理やいつ搾るのかの見極めにも高い技術と判断力が必要とされる。

ヤブタ式と呼ばれる自動圧搾ろ過機によって搾る。ひと口含み、「松本さんらしさ、出ていますね!」と真人氏。

『仙禽』の蔵の中にある井戸水。水質は柔らかく、源流は日光の鬼怒川から下ってくる伏流水。

「透明度も高く、見た目だけでなく味も綺麗」と松本氏。この水が地域を支え、『仙禽』を支える。

『仙禽』と同じさくら市に位置する田んぼへ。美しい田園風景が平野に広がる。

田んぼは生態系も生む。水を張れば蛙が鳴き、花が咲けば、蝶が花粉を運ぶ。田んぼはただ米を作る場所ではなく、自然を循環させる。

田植えの時期、『仙禽』の蔵人は総出で参加。「農家さんと田植えを共にすることによって、より良い酒造りができる」と一樹氏、真人氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO日出彦は蔵を失い、世界はコロナ禍に陥った。日本酒はどう生きるか。

一樹氏が『仙禽』に戻ってきたのは、2004年。以前は、東京でソムリエ講師をしていました。

「自分は、子供のころからこの町が好きじゃなかった。だから、ソムリエの道を歩んだのかもしれない」。

しかし、「今のままでは『仙禽』は生き残っていけない」という危機感を覚え、帰還。2015年には、100%ドメーヌ化を成し、『仙禽』のスタイルを確立させます。ある意味、転身とも言える本業へコンバートは、ソムリエで培ってきた手腕を発揮させたのです。それは、外の視点。

「日本酒の中だけでものごとを考えてはいけないと思っています。更には、ワインや酒類、飲料の中だけでもいけない。いわゆる一般企業と当たり前のように競争しないといけない。しかし、『仙禽』も業界もまだ対等に戦えるレベルではありません。コロナ禍になってから、より会社の中を強くしたいという思いがあります。業界にではなく、世界に置いていかれないようにしたい。常に優良企業についていけるような会社にしていきたい。そうでなければ、会社も自分も成長できない。日出彦に関して言えば、そんな大変な年に蔵まで失ってしまった」と一樹氏。

2020年2月。世界に新型コロナウイルスという言語が露出以降、1日たりとも報道からそれが消えた日はありません。

「自分は、新型コロナウイルスの感染拡大の年に蔵も失い、本当に色々ありました。一樹さんの言うように、客観視する目は必要だと思います。しかし、それは蔵にいる時には分からなかった。厳密に言えば、分かったつもりだった。皮肉なことに、蔵を失ったから気付くことができた。それは、ある意味、業界から外れたから。他人になったから。一般人になったから。ゼロになった時、何ができるのか自問自答し続けました。これからの酒蔵の在り方、人間としての生き方、これまでになかった心境の変化が芽生えました。考え抜いた先にひとつの答えが生まれたならば、それを実現させる努力をしなければいけない。せっかく次のステップに進む機会をいただけたのですから、最高のものを作りたい」と話す松本氏。しかし、難問の答えは、そう易々と導き出せません。

自粛、時短営業、緊急事態宣言、さらには酒類の提供禁止。長く暗いトンネルの光は未だ見えず、『仙禽』も一時、酒造りを中断した時期があったと言います。

「2020年5月。一度だけ酒造りを止めた時がありました。全くお酒が売れなくなるのではないかという恐怖心からです。しかし、ありがたいことに、この状況下においても出荷が落ちることはなく、すぐに再開しましたが、何とも言えない感情が入り混じったままです。しかし、下を向いてばかりいられない。発見したこともありました。ナチュールを筆頭に酒造りをする中、我々は、当たり前のように麹菌、酵母菌など、目には見えない菌と共存してきたことに改めて気付きました。新型コロナウイルスもまた目には見えません。コロナ禍において、人の力ではどうにもならないこともたくさんありました。自然も、発酵も、逆らわず、寄り添う必要性、必然性を感じました。まだまだ自分たちにできる、技術だけではない日本酒造りがあると思いました。新たなもの作り、ものの売れ方、売り方を熟考し、再考していきたい。スイッチを入れ替えて変化していきます」と真人氏。

「新型コロナウイルスに恐怖を覚えない人は、世界中どこにもいないと思います。しかし、新型コロナウイルスに教えてもらったこともあるはず。ポジティブに転換しなければいけない。例えば、一次産業や農業のことをもっと考えないといけない。日本酒においてはお米ですが、飲食店においてはそれが広義に。停止してしまえば、魚、肉、野菜などの産業も死活問題です。『仙禽』では、2020年より多くお米を買うようにしました。何かを学ばなければ、空白の2年になってしまう。そういう意味では、先ほど、杜氏(真人氏)からも話が出た通り、経営は新型コロナウイルス前と変わらずに済みましたが、思考は変えなければいけない。これは、おそらく神のお告げなのかもしれません。そして、たったひとつわかることがあるとすれば、蔵元、蔵人として生きる長い人生の中、一番ターニングポイントになった2年だということ」と一樹氏。

神という言葉を聞き、ある風景を想像します。それは蔵の中にある神棚です。その隣には、上部を失った痛々しい煙突。

「3.11、東日本大震災の時に煙突が崩れ落ちてしまいました。破損した瓦礫が飛び散る中、奇跡的にすぐ横に祀った松尾様の神棚だけ、被害がなかったのです」と真人氏。

「神は細部に宿る」とは、ドイツの美術家や建築家から生まれた言葉。ディテールにこだわった丁寧な作品は作者の強い思いが込められており、まるで神が命を宿したかのごとく不朽の作品として生き続けるという意味を持ちます。

日本酒やお米においても、作り手の強い思いが込められており、まるで神が命を宿したのごとく生まれます。

酒造りの神様、松尾様は、『仙禽』が生き続けるために、蔵を守ってくれたのかもしれません。

「蔵の背景、地域性、水、米。全て大切ですが、誰が造るのかも大切。人の個性、哲学が凝縮された味の楽しみ方を普及させるために、どう伝えていくのかを考える必要があると思います」と松本氏。

「自分たちの蔵や日本酒周辺のことだけでなく、この町を盛り上げたい」と話す一樹氏の行間には、「この町をちゃんと好きになった」愛を感じる。

「新型コロナウイルスによって、人が踏み入れられない領域を感じたと同時に抗えない自然の力を再認識しました。生酛造り、ナチュールを始め、これからの酒造りに活かしていきたいと思います」と真人氏。

3.11、東日本大震災の時に崩れた煙突は、補強され、今尚、残る。昔の写真と比べると、屋根を突き抜け、この町の風景の一部だったことがわかる。

創業は江戸時代後期の文化3年(1806年)。現在は、11代目蔵元の薄井一樹氏と弟であり杜氏の真人氏を中心に蔵を支える。

『仙禽』とは、仙人に仕える鳥「鶴」を意味する。現在のシンボルロゴは、愛情の赤、伝統の白、革新の黒を表現。その全てが響き合う時、ほかにはない唯一無二が生まれる。

HIDEHIKO MATSUMOTO守破離を超えろ。もう一度、日出彦が自分の日本酒を造ることを信じている。

たかが一年、されど一年。職人にとって酒造りをできない年があるということは、大きなブランクと空白を生んでしまいます。

年々、いや日々、発達するテクノロジーや技術によって加速する時代の変化に「日出彦の存在を置き去りにしてほしくなかった。日出彦が造る日本酒が世界からなくなってほしくなかった」と一樹氏は話します。

前述、真人氏と松本氏の出会いは今回の酒造りが初対面と記しましたが、一樹氏においてもその付き合いは2年足らず。

「すごい凝縮した2年(笑)」と一樹氏、松本氏。

「薄井さんにお会いする前、最初に『仙禽』のお酒を飲んだ時は、かなり際どいところを攻めてくる人たちがいるなと思いました。アグレッシブな蔵元という印象。それが年を追うごとに余計なものが削がれ、良い意味で煮詰まり、時代ともフィットしてきて。日本酒という今までの当たり前の流れを良いかたちで堰き止めたとのではないでしょうか」と松本氏。

松本氏が話す「時代ともフィットしてきて」の時期とは、『仙禽』が100%ドメーヌ化した年。「時代にアジャストしていくことは重要」とは、一樹氏の言葉。

それからは、互いの酒を飲み交わし、食事をし、旅をし、哲学や想いを共有し、自然と同じ時間を共にするようになります。「そんな仲間がピンチになったら、そりゃ助けるでしょ。深い意味はないです」と一樹氏。

「これから日出彦がどうなっていくのかはわからない。ただ、もう一度、日出彦が自分の日本酒を造ることを信じている。一番の理想は、製造場が変わっただけにしてもらいたい。日出彦は、良い意味でも悪い意味でも人に迎合しない高いプライドを持った職人。酒造りのポリシーは変えずにいただきたい。歴史上、この『武者修業』というプロジェクトほど、人間にフォーカスしたお酒はないと思います。しかし、この『武者修業』も、できれば早く終わってほしい。続いてしまう現象があるとすれば、まだ日出彦が宙に浮いた状態ということですから。1日も早く安住の地を見つけてほしい。そして、『武者修業』という五蔵を巡った財産を新しい自分のブランドにきちんとフィードバックできるようにしていただければと思っています。みんなの思いを無駄にしてほしくない。前の日出彦よりも、今の日出彦の方がきっと強い」と一樹氏。

「ヤブタ(自動圧搾ろ過機)から搾られたお酒を松本さんと一緒に飲んだ時の満面の笑みが忘れられません。僕の願いは、たったひとつ。あの笑顔を自分の蔵で1日も早く見せてほしい」と真人氏。

技術はある。仲間もいる。応援者もいる。守破離を超えろ。自分を超えろ。

搾りを終えた後、ほっとひと息。とはいえ、3人が話す内容は日本酒のことばかり。志の高い職人たちによって、日本酒というものは価格を超えた価値になり、日本の伝統工芸品と肩を並べるのかもしれない。「異なる点は、飲んでしまえばなくなること。でも、だからおもしろい」と一樹氏。

『仙禽』の顔とも言える、『仙禽オーガニックナチュール』。いにしえの技法により造られる超自然派日本酒。完全無添加(米・米麹・水)は、古代米の亀ノ尾のエネルギーを十分に引き出す。

住所:栃木県さくら市馬場106 MAP
TEL:028-681-0011
http://senkin.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

対談vol.1 お茶について考える。自分たちが止まってはいけない。希望を失わないために。[GEN GEN AN幻/東京都中央区]

「あえて、これまで表現してこなかったティーパックは、自分の世界にはなかった挑戦でもありました」と櫻井氏(左)。「私たちのブレンダーでは創造できなかったお茶が完成しました」と丸若氏(右)。

櫻井氏と『GEN GEN AN幻』が共同制作したティーパックは「ブラックホール」と「コメット」の2種。遊び心のあるパケージデザインにおいても、宇宙を彷彿させる。

GEN GEN AN幻きっかけはインスタライブ。コロナ禍によって加速した新たな表現と挑戦。

2020年12月より2021年9月まで、10ヶ月間限定の条件付きで『銀座ソニーパーク』に開業した『GEN GEN AN幻』。

周知の通り、開業当時においても新型コロナウイルスによる難局の渦中。しかし、主宰する丸若裕俊氏は、「まずやってみよう」という実にシンプルな考えを持って、規模の大小に関わらず「今だからできる」活動を続けています。

今回のプロジェクトもそのひとつ。『櫻井焙茶研究所』と共同制作をした「ティーバック」です。

『櫻井焙茶研究所』は、櫻井真也氏が南青山に店舗を構える茶屋。ミニマルな空間には、日本の美が凝縮され、静寂な空気が漂います。スタッフは皆、白衣に身を包み、店名の通り、まるで研究所のよう。美しい道具、所作と共に供される茶は、味だけでなく、席に座った瞬間から「時間」が総合演出され、それを体験することが『櫻井焙茶研究所』の醍醐味であり、価値。なすがまま、操られるような心地良い時間に身を委ねれば、快感さえ覚えます。

そこでひとつ疑問が浮かびます。そんな『櫻井焙茶研究所』がなぜ「ティーパック」?

きかっけは、『GEN GEN AN幻』の丸若氏、『櫻井焙茶研究所』の櫻井氏に加え、福岡の茶屋『万 yorozu』の徳淵 卓氏によるインスタライブでした。発起人は、丸若氏。

じっくり話してみたい。何か生まれるかもしれない。一緒にお茶について考えてみたい。

「まずやってみよう」。

GEN GEN AN幻自分の考えるお茶の世界には、ティーパックの表現はなかった。

そう話すのは、櫻井氏です。

「2014年に『櫻井焙茶研究所』を開業して以来、お茶の高みを目指してきました。空間様式や所作にこだわることも然り、上質を表現し続けることによってお客様にお茶の魅力を伝える活動をしています。玉露はもちろん、ほうじ茶においても焙煎の幅を持たせ、浅煎り、中煎り、深煎りと、最適な淹れ方をします。ゆえに、自分の世界にはティーパックはありませんでした」。

そんな活動をし続け、約5年後に訪れたのが、新型コロナウイルスでした。そして、同時にある問題にも対峙していました。それは、余分な茶葉の廃棄。

「自分たちは、店舗でお客様をおもてなしするだけでなく、お茶の製造から茶葉の販売もしています。その中で、どうしても企画に乗らない余分な茶葉が発生してしまうのです。わずかではあるのですが、5年も続けていればそれなりの量になります。廃棄されてしまう茶葉をなんとかしたいと思っていました。そんなことを考えている時、丸若さんからインスタライブに声をかけていただきました。自分とは異なるお茶に対する思考を知ることができたと同時に『EN TEA』への想いや丸若さんの人となりも知ることができました」と櫻井氏。

「実際に櫻井さんと面識ができたのは2015年ですが、その以前より『櫻井焙茶研究所』にはお邪魔させていただいており、常に刺激を受けていました。櫻井さんが表現するお茶は、体験する度に発見と学びがあります。独自の世界観とスタイルは、誰にも真似できないと思います。インスタライブへのお声がけは、単純に自分自身が櫻井さんの想いを知りたかったから。今この状況をどう考えているのか、今の社会に対してお茶はどうあるべきなのか。自分たちにできることは何か」と丸若氏。

テーマの具体もなければ、ゴールもない。発起人・丸若氏らしい!?場当たり的なインスタライブではあったものの、視聴者は約3,000人。

「たかが3,000人、されど3,000人。ご覧いただいた皆様がどのように感じたかはわかりませんが、そのうちの10%だけでもお茶に興味を持っていただければ非常に嬉しく思います」と丸若氏。

自粛や緊急事態宣言に伴い、企業においてはテレワーク推奨、飲食店に関しては酒類提供禁止など、様々が停滞する中、それぞれに店を構える『GEN GEN AN幻』と『櫻井焙茶研究所』も対岸の火事ではりません。そんな中、「自宅でお茶を楽しむ人にも本格的なお茶を届けたい」という想いから、実は最初に声掛けをしたのは櫻井氏。

「茶葉にこだわる人が増えてほしい。そういう想いは常にありました。しかし、そのような方々は、ティーパックを嫌う。世間的な印象として、ティーパックは、手軽、簡単などといった言語から脱却できていないのだと思います。自分はティーパックに否定的ではなく、むしろ発明品だと思っています。もちろん、腕の良い茶人、道具、淹れ方、温度など、全ての条件が揃ったお茶の魅力は素晴らしいです。その真似をするのではなく、ティーバッグだからこそ出来る理想の味わいがあると確信しています。だからこそ、櫻井さんから相談を受けた時に嬉しい気持ちと、ディーバッグに拘ってきて良かったと思いがありました。」と丸若氏。

「(前出の通り)余分な茶葉、廃棄問題に対して何とかしたいと考えていた時期だったので、『櫻井焙茶研究所』としてもこれまでやってこなかった表現へ着手しようと考えていました。具体的にはふたつ。ひとつはオンライン販売。もうひとつは、セカンドブランド『さくらいばいさけんきゅうじょ』の立ち上げです。実は、そのラインナップには、ティーパックという発想もあったのです。とはいえ、ティーバッグに前向きかつ拘りを持って取り組んでいる丸若さんとの交流がきっかけとなって実現したと思います。まずはじめに自社の商品作りを行い、今回のGEN GEN AN幻のティーバッグ作りへとつながるのですが、丸若さんでなければお断りしていたと思います。茶人として、ひとりの人として、きちんと丸若さんに触れることができたので、新しい挑戦を一緒にしてみようと決断をできました」と櫻井氏。

しかし、丸若氏からのオーダーは、『EN TEA』の茶葉を使用したもの。櫻井氏にとって、不慣れもあるティーバッグ作りを、他社の茶葉で作ることになったのです。

テーマは、「コメット」と「ブラックホール」。……極めて難解です。

茶缶の形状にも実は意味があり、湿気から茶葉を守るためにある。四角い缶だと衝撃が加わった時に変形し、蓋と容器に隙間ができてしまうが、丸い缶であれば衝撃が加わる点は1か所のみ。凹みはできても、蓋との噛み合わせは維持できる。

「以前、ゆず農家さんにお話を伺った時、タネが大量に廃棄されてしまうとおっしゃっていました。以降、ゆずの種をブランドしたお茶も開発し、環境への配慮にも目を向けています」と櫻井氏。

「櫻井さんは表現者だと思っています。うちの茶葉、原材料を使っていただくことによって、どんな化学反応が起きるのか楽しみでした」と丸若氏。

GEN GEN AN幻絶対条件は、美味しいこと。答えのない問題の解を見出す。

「まず、コメットもブラックホールも訪れたことがないので、どうしようかなぁと……。更に、表層から入ったテーマなので、ここには味のイメージもないわけです。世界のないものを作らなければいけないのですが、絶対的に必要なことは、美味しくなければいけないこと。いくつか茶葉を用意したもらった中から選び、ブレンドしてみましたが、最初はうまくいきませんでした。おそらく、自分のやり方で作っていたからだと思います。『櫻井焙茶研究所』は、季節や旬をつなげることを大切にしています。ゆえに、多数ブレンドすることはしないのですが、2回目は、その概念を覆し、あえて多数ブレンドしてみたのです。通常の自分であればあり得ない作り方です」と櫻井氏。

『さくらいばいさけんきゅうじょ』のさくらいは、『櫻井焙茶研究所』の櫻井を継承しているもうひとりの人格。そう考えれば、既存を壊す選択も腑に落ちます。

試行錯誤の結果、国産の茶、レモンの皮、月桃の葉、枇杷の葉、レモングラス、ラベンダーをブレンドして「コメット」を仕上げ、国産の茶、みかん皮、生姜、ローズレットペタルをブレンドして「ブラックホール」を仕上げました。

「『GEN GEN AN幻』では、これほどの種類をブレンドした経験はありません。得意不得意でいうと不得意な技術と言えます。しかし、櫻井さんは見事にまとめ上げました。これまでの『GEN GEN AN幻』にはなかった味です」と丸若氏。

その味わいを丸若氏に訪ねると、「『コメット』は、彗星のごとく、スッと抜ける感じ、動いてる感じ。『ブラックホール』は、ゆらぎ。人によって味の感覚が異なり、角度によって変化する要素もあるかもしれません」。……もはや問いから外れたその解説は、ふたつのテーマのごとく、捉えどころのない宇宙。

地球から宇宙までの距離は、約100kmと言われています。しかしながら、その厳密な境はなく、大気がほぼなくなる100km先の世界が宇宙と呼ばれているそうです。

今回の味においても、厳密に提唱することは野暮なのかもしれません。

まずは、ご賞味あれ。

「ブラックホール」の茶葉は、国産の茶、みかん皮、生姜、ローズレットペタルをブレンド。

急須に入れたティーパックは、その名の通り、まるで「ブラックホール」のような世界を形成する。じわじわと色が変化する様も神秘的。

「コメット」の茶葉は、国産の茶、レモンの皮、月桃の葉、枇杷の葉、レモングラス、ラベンダーをブレンド。

自由な思考でお茶を提案する『GEN GEN AN幻』では、ビーカーに淹れて楽しむのも一興。まるでお茶の実験のよう。

GEN GEN AN幻コロナ禍において、唯一できなかったこと。それは農家からたくさん茶葉を仕入れることができなかったこと。

「これまでやらなかったオンラインや『さくらいばいさけんきゅうじょ』など、新しい試みはしましたが、新型コロナウイルス前も後も大きな変化はありません」。

櫻井氏は、そう淡々と話します。

「自分が『櫻井焙茶研究所』を開業する前、和食料理店『八雲茶寮』と和菓⼦店『HIGASHIYA』にいました。『HIGASHIYA』では、お茶を楽しむお客様で賑わっていましたが、お茶業界ではお茶が売れない、お茶が飲まれないと言われており、真逆の状況に矛盾を感じていたのです。そこから、自分の働いている環境だけでなく、全体の環境に対して視野を広げ、危機感を持つようになりました。独立したきっかけは、自分の表現の仕方で何か農家さんや業界に貢献したいと思ったからです。新型コロナウイルスの感染拡大よりも前に、危機は訪れていたため、今回の難局だから特別に危機を感じることはありませんでした」と言葉を続けます。

実際、ゲストは激減するも、例年通り、二十四節気も作り続け、いつもと同じようにお茶と対峙します。「売れる売れないに関わらず、自分たちは表現し続けなければいけない」と櫻井氏。

しかし、「唯一できなかったことがある」と言います。それは、「お茶農家さんからお茶をたくさん買うことができなかったこと」。

新型コロナウイルスによる影響は自然界に関係なく、新芽も待ってくれません。

「お茶農家さんたちを発展させるには、自分たちが発展しなければいけません。自分たちが止まってしまったら、お茶に関わる全ての人たちが止まってしまう。周囲に希望を失わせないようにもっともっとお茶を表現していかなければいけないと思っています」と櫻井氏。

「お茶を作る人、道具を作る人、お茶を淹れる人。自分たちの活動を通して、若い人たちが魅力を持ってもらえる職業にもしていきたい」と丸若氏。

昨今、気候変動の影響も手伝い、寒暖の繰り返しによる霜と雨によって茶葉の収量が減っていると言います。2021年においてもやや遅い梅雨入りとなり、コントロールできない自然と運命共同体のため、未来も予測不能。

そんな中、たった一杯のお茶飲むことやたったひとつのティーパックを淹れることによって、何かが少しずつ循環し、好転していくのかもしれません。

日本の文化を守る一旦は、誰にでもできる身近な行為の繰り返しなのです。

「自分たちが活動し続けることによって、茶葉を育てていただいている農家さんにも希望を与えたい。これから、もっともっと茶葉も仕入れたいと思います」と櫻井氏。「現在の社会情勢などによって、生まれたオンラインやティーバッグの可能性をこれからも模索していきたいと思っています。そして、リアルな場だから体験できることも引き続き取り組んでいきます」と丸若氏。

櫻井焙茶研究所所長。和食料理店『八雲茶寮』、和菓⼦店『HIGASHIYA』のマネージャーを経て、2014 年独立。東京・南青山に日本茶専⾨店『櫻井焙茶研究所』を開業。お茶と食事のマリアージュ、お茶とお酒の融合など、お茶を通して様々なメニューの企画・提案を行うほか、国内外にて呈茶やセミナーも開催。日本茶の魅力をより多くの人に伝える活動を続ける。

住所:東京都中央区銀座5-3-1 Ginza Sony Park B1F MAP
https://www.ginzasonypark.jp/
https://en-tea.com/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

7.5oz ヘビーボディフォトプリントTシャツ

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはインクジェットプリントで、ごわつきもなく写真表現もきめ細やか。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2105: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(フライングホイール柄)

ホッピングシャワーテツさん画!フライングホイールTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2104: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(レーシングロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2103: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ(レーシングロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2103: サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
L-F 62.0 39.0 84.0 84.0 16.0 17.0
XS 63.0 42.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 66.0 44.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 47.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 71.0 49.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 52.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

営業に関して

皆様いかがお過ごしでしょうか??

岡山県も21日に非常事態宣言が解除をさらました!!

それに伴って平日もレディース館とテイクアウトコーナーはオープンすることになりました(・∀・)

ただ、テイクアウトは朝の11時から夕方の16時までの時短営業をさせていただきますm(._.)m

皆様が案じて来られますようにアルコールの設置とスタッフの検温・マスクの着用をしてお待ちしております( ̄▽ ̄)

日本最長の宿場町に眠った「杉の森酒造」再生物語。[SUGINOMORI REVIVAL/長野県塩尻市]

Suginomori Revival歴史ある『杉の森酒造』を再生すべく、『傳』長谷川在佑、『ラ・メゾン・グルマンディーズ』友森隆司、酒職人・松本日出彦が立ち上がる。

長野県塩尻市、この地には古き良きという言葉では表せない「日本」を知る場所があります。

「奈良井宿」です。

中山道にあるそこは、「木曽の大橋」のかかる「奈良井川」沿いを約1kmにわたって町並みを形成している日本最長の宿場。ここには、世界も驚愕する「日本」の時の営みが積み重ねられているのです。

江戸時代より続く中山道沿いにある「奈良井宿」は、かつて行き交う大勢の旅人で賑わっていたと言われます。その町並みは、「奈良井千軒」と謳われ、今なお、旅籠の幹灯や千本格子などがその面影を残しています。

ただ、ただ、歩いているだけで風格と誇りを感じるのは、そんな要素が凝縮されているせいかもしれません。

そして、場所だけでなく、風景が守られてきたことこそ、「奈良井宿」が他の宿場町と異なる特筆すべき点。それが現代においても成されているのは、歴史の数だけ受け継いできた人々の努力があってこそ。住民なくしては、これまでも、これからも、「奈良井宿」の歴史を語ることはできません。

偶然ではなく必然。意志ある人々によって歴代守られてきた風景が持つ価値は、昭和53年(1978年)に「重要伝統的建造物群保存地区」として国から選定されたことに裏付けされています。以降、平成元年(1989年)には国土交通大臣表彰の「手づくり郷土賞」、平成17年(2005年)には「手づくり郷土大賞」、平成19年(2007年)には「美しい日本の歴史的風土百選」、平成21年(2009年)には社団法人日本観光協会「花の観光地づくり大賞」なども受賞。

いつの時代においても、町づくりに懸ける想いが脈々と受け継がれているのです。

しかし、一方でそんな長い歴史の中で姿を消してしまったものもあります。

そのひとつが、古い軒先に一際大きな杉玉が飾られていた酒蔵『杉の森酒造』です。

創業は、寛政5年(1793年)。200年以上、町の風景に溶け込んだ酒蔵は、平成24年(2012年)に惜しまれながらも長い歴史に幕を下ろしました。

今回、『ONESTORY』は、そんな『杉の森酒造』を再生するプロジェクトに参画。

宿泊施設、温浴施設などを備える建物の中、我々は、蔵だった場所をレストランとバーに再生。復活させる酒蔵と共に地域の発展に取り組み、一度止まってしまった時を再び元に戻します。

料理のプロデュースには、日本を代表する料理人、『』の長谷川在佑氏を迎え、現場は塩尻の名店『ラ・メゾン・グルマンディーズ』の友森隆司氏が牽引します。更に、酒造りの監修を担うのは、松本日出彦氏。

名手を揃えるも、過度な演出をすることはありません。

「奈良井宿」だから味わえること、『杉の森酒造』だったから体感できることを大切にします。

それは、町との共生も意味します。

江戸時代を彷彿とさせる原風景に身を委ねれば、必ずや忘れかけていた日本の豊かさに気付かされるでしょう。

建築様式に目を凝らし、風景に想いを馳せる。連なる店に訪れ、ものに触れ、人に出会うことによって、この町の魅力を最大限に享受できるのです。

見るもの、感じるもの、その全てに歴史が感じられ、タイムスリップしたかのような錯覚に陥る地域一帯の体験時間こそがこの町の醍醐味。

一歩一歩、歩を進めることによって旅の奥行きは更に増していきます。

日本人こそ知るべき日本の風景の蓄積がここにはあります。
日本人こそ知るべき日本の時の流れがここにはあります。

果たして『杉の森酒造』は、どんな形で再生するのか。その全貌を追います。

※ご予約は、下記のHPにてご確認ください。
https://byaku.site

標高950mに位置する「奈良井宿」の桜は、ほかの地域と比べるとやや遅く、4月下旬から5月下旬が見頃。本数こそ少ないが、「奈良井川」沿いに咲く桜は、住民の癒やしでもある。

新緑が美しい夏の「奈良井宿」は、「鎮神社例大祭」 (例年8/12、宵祭り8/11)も開催。そのほか、木曽漆器祭・奈良井宿場祭」(例年6月第1金曜・土曜・日曜に開催。2021年は新型コロナウイルスにより、中止)も行われ、期間中には、宿場内にある漆器店、工芸品店にお値打ちの品が数多く並ぶ。

「奈良井宿」を囲む圧巻の紅葉は、例年、10月から11月が見頃。朱色、黄色に染まる風景は、樹齢300年以上の総檜造りの太鼓橋「木曽の大橋」などとも相性が良く、ノスタルジックな世界を形成する。

冬の「奈良井宿」は、雪化粧をまとい一面に銀世界を形成する。厳しい寒さを伴うが、その静寂は美しく、この時期だからこそ堪能できる美味もある。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

プリマロフト(R)ゴールド ・ パーテックスシールド DV マウンテンパーカー

商品詳細

  • アイアンハートのヘビーアウターでは1番の機能性を誇 るウィンターパーカー
  • 表地は 60/40( ロクヨンクロス ) と呼ばれる、 コット ンより通気性がよくナイロンよりも磨耗に強い昔ながら の素材を採用。 ハイテク素材のイーベントをラミネート。
  • 縫い目には裏から止水テープを張り込んだ完全防 水仕様です。
  • 内側にはジャケットでお馴染みの中綿、 プリマロフ ト (R) を詰め込んだ、 冬のバイクシーンにはピッタリの 仕様です
  • 衿元はパーカー内側に中綿入りスタンドカラーが付 いた 2 重仕様
  • 胸の縦ポケットはファスナー開きで左右にひとつず つ、 腰ポケットはベルクロ + 釦でしっかりと止められる フラップが付いた仕様
  • フロントはダブルジッパー、 スナップボタンの二重 留めで、 バイクで走る際の風の入りこみを防ぎます
  • 両脇内側にあるドローコードで裾の絞り具合を調整 でき、 袖口は中リブ付きに加え、 ベルクロで絞れる 2 重構造になっており、 バイクに乗る際に便利なアイア ンならではの仕様
  • 商品により多少の誤差が生じる場合がございます。予めご了承ください

素材

  • 表地/綿:60% , ナイロン:40%
  • 裏地/ナイロン:100%

納期

  • 10月中旬

7.5oz ヘビーボディフロントプリントTシャツ(ロゴ柄)

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • フロントプリントなので上にシャツを羽織ってもプリントが映えます。
  • プリントはラバーでフロントのみ
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2102:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

7.5oz ヘビーボディプリントTシャツ

着やすさと丈夫さを兼ね備えたオリジナルボディTシャツ

  • 着やすさと丈夫さを兼ね備えた7.5ozオリジナル(丸胴)ボディ ※レディスのみ脇はハギ合わせになります。
  • ボディ:14番単糸度詰め天竺(7.5oz)
  • ネック:30/2度詰めフライス
  • プリントはラバーで、バックとフロントワンポイント。
  • ワンウォッシュ済み

IHT-2101:サイズスペック

  着丈 肩巾 バスト 裾回り 袖丈 袖口
Ladies-Free 62.0 39.0 82.0 82.0 15.0 17.0
XS 63.0 41.0 90.0 90.0 18.0 18.0
S 65.0 43.0 96.0 96.0 19.0 19.0
M 69.0 46.0 100.0 100.0 20.0 20.0
L 73.0 48.0 106.0 106.0 21.0 21.0
XL 73.0 51.0 115.0 115.0 22.0 22.0

素材

  • 綿:100%

new☆デニム扇子



こんにちは晴れ


ぽかぽか陽気な気温から
段々と日差しが強くなり汗がでるような暑さになってきましたねメラメラ(>_<)メラメラ


そんなこれからの季節に
雑貨館からオススメするのは、
デニム扇子でございます!


デニム生地でオシャレで
シンプルなデザインが男女問わず人気になっております音譜

{368D4E95-50BE-4052-9B0E-30711AC7A237}

デニムの専用ケースも付いて
¥1,980(税込)です目アップ

デニム生地で出来ているので
丈夫で破れにくいですグッド!音譜

サイズもほんのり大きめなので
たくさんあおげます


見本も置いてますので
是非、試してみてくださいね!!


今年の夏は
ECOで乗り切ろう(・∀・)クローバー



「食」のおいしさ、楽しさ、喜びを語り合い、体験価値が増幅するコミュニティ。みんなの「愛すべき食」がつなぐ食の未来。[GOOD EAT CLUB]

食のエモーション・コマース「GOOD EAT CLUB」が2021年1月21日よりサービススタート。

グッドイートクラブ社会が変われば、コミュニティの形も変わる。新時代に求められるECの可能性。

2021年1月、新しい食の楽しみを提案するECサイト『GOOD EAT CLUB(グッドイートクラブ)』が始まりました。初夏からの本格始動に先駆けて、まずはβ版サービスのスタート。

仕掛け人は、これまで数々のコミュニティを創出してきたカフェ・カンパニー代表の楠本修二郎氏。

楠本氏がNTTドコモとタッグを組み、「GOOD EAT=愛すべき食」をコンセプトに、地域の食文化、地元の名店、尊敬する生産者など日本中に息づく「愛すべき食」を未来につないで、世界にも広げていこうというプロジェクト。従来のECサイトとは一線を画し、2021年初夏の本格ローンチからは、オンラインとオフラインを融合させた食のマーケット&ファンクラブへと展開していく予定です。

そして『ONESTORY』も、この新しい食の取り組みに賛同。
これまで日本各地で開催してきた『DINING OUT』を通じて出会った素晴らしい食文化、地域の食材、生産者、シェフ――。さまざまな「愛すべき食」を、キュレーションしてお届けしていきます。

さまざまな人にとっての「愛すべき食」が集まり、新しい食の楽しみを広げていく『GOOD EAT CLUB』。はたしてこれからどのようなメディアとなっていくのでしょうか。

仕掛け人の楠本氏に、『GOOD EAT CLUB』への思いやこれからのことを伺いました。

【関連記事】幻の野外レストラン「DINING OUT」で出合った、ぜひ飲んで欲しい日本茶セット

『GOOD EAT CLUB』では、食の偏愛者たちを「Tabebito」と呼び、それぞれの言葉で食品を紹介している。

グッドイートクラブ人類がいまだかつて経験したことのない美味しい時代を、どう楽しむか。

「カフェはメディアである」の言葉どおり、時代の変化に合わせたさまざまなコミュニティの場を提案し続けてきた楠本氏。

2021年、地球規模での大きな社会変化の中、どのような思いで『GOOD EAT CLUB』をスタートさせたのでしょうか。

「社会の変化に応じて求められるコミュニティも変わるし、コミュニティの形態そのものも変わっていく。コロナを機に、これから先のオンラインビジネスは電子商取引という機能面だけではなく、真剣に、顧客体験価値の増幅を生活者視点でやり切ることがとても重要だと思っています。それは、カフェ・カンパニーが今まで創ってきたコミュニティの発想と一緒。楽しくて自然に参加していくことから地域や社会との繋がりが生まれ、その人の生活が本当の意味で豊かになっていくというようなユーザー体験をいかに創出していけるか、ということです。

食は誰にとっても欠かせないものであるはず。そして、日本の未来にとっても大切な生活文化でもあります。だから、オンラインとオフラインを行ったり来たりできるようなプラットフォームを食を中心に作り出せたら、ECの可能性はすごく大きくなると思っています」。

楠本氏が掲げるのが「エモーション・コマース」という概念。

単なる売買のためのマーケットではなく、これまでカフェというリアルな場で繰り広げられてきたような、人々が集まり、食の楽しさや喜びを語り合うコミュニケーションが生まれていくオンラインの場。美味しさだけでなく、未来につなげていきたい味の応援などの「感情」も価値化して、双方向のやりとりが生まれていく場所。

「たしかにコロナによって社会の変化は一気にやってきたけれど、それよりも前からずっと日本が直面していたのが少子高齢化の進行と人口減少という課題です。これからの10年、ますます世界が変化していく中で、どれだけ日本の食産業を強くできるか。世界に勝負をかけていけるか。そのことに本気で向き合いたいという思いはずっと持っていました。

これまで、日本の食産業は、外食なら外食、食品メーカーなら食品メーカー、食品加工業…と、ずっと縦割りで、それぞれがそれぞれで頑張ってきました。でも、コロナ禍が落ち着いた時、変化した社会に対して今まで通りの“通常運転”をしていていいのだろうか。食産業をどんどん横軸で連帯させて、強いブランドを生みだしていくようなプラットフォームが必要なんじゃないかなと」。

コロナ禍をきっかけに本格始動した、食産業全体を盛り上げる業界横断型のプラットフォームという発想。その思いをさらに強固にした背景には、確実に広がっていた「中食(なかしょく)」の需要がありました。

「これまではレストランに行くということは家での食事とは別の大きな楽しみだったと思います。コロナ禍においてはこの楽しみが少なくなってしまった。とはいえ、ルーティンとしての家での食事ももちろんいいのだけれど、この、『外食する楽しみ』が家の中にも拡張されたら生活ももっと素敵になるのではないかな、と思うんです。たとえば、今週末は地方の名店の鍋セットにビオワインが合わせて届いて、それをお気に入りの音楽をかけながらみんなで食べるという経験は、これまでの飲食店だけでは経験できなかった『中食」の楽しみ方。料理もお酒もデザートも、音楽も、着る服も、シチュエーションも、家だったら楽しみ方は無限大なんですよね。

日本の食の素晴らしさは、クオリティはもちろんだけど、そのバリエーションにもあります。とある方が、『世界からも賞賛される日本の美食とその多様性は、ルネッサンス以来の人類の発明だ』とおっしゃっていました。それぐらい、いま僕らは美味しい時代を生きている。ありとあらゆる掛け合わせができる食体験をオンラインとオフラインの融合によって提供して、もっと“食べること”を豊かに、楽しくしていきたいです」。

『GOOD EAT CLUB』を運営する、株式会社グッドイトーカンパニーでもCEOを務める楠本修二郎氏。

楠本氏が『GOOD EAT CLUB』で販売中の商品でオススメするのは、胡麻専門店「和田萬」の商品達。写真は和田萬5代目・店主の和田武大氏。

一度、和田萬を食べたら「ほかの胡麻製品にはもう戻れない!」と楠本氏が太鼓判を押す。写真は「焙煎職人の極上胡麻3点セット」。(1,652円税込) ※他に送料がかかります。

グッドイートクラブ「おいしい」記憶は、風景に宿る。みんなの「愛すべき食」を、風景の記憶ごとシェアできる場所

『GOOD EAT CLUB』の中でひと際気になるのが「Tabebito(たべびと)」という存在。お笑い芸人の又吉直樹氏や、「OAD」世界のトップレストランNo.1レビュアーの浜田岳文氏、ワイン漫画『神の雫』の原作者・亜樹直氏などバラエティ豊かな顔ぶれの「Tabebito」たちが、偏愛たっぷりに熱量高く推薦する「愛すべき食」が特集記事で紹介されるだけでなく、実際に購入することもできる仕組みです。

「オーソリティによる権威づけももちろんいいのですが、GOOD EAT CLUBでは、もっと僕たちに寄り添ってくれるような、自然体で等身大の『これいいよね〜」という声も伝えていきたい。自分がいいと思ったことを、素直な言葉で表現してくれる旅人のような軽やかさと自由さがある人たちがTabebitoです。誰かの『これ好きなんだよね」が集まって、シェアしたり共感したり、そういうことがどんどんスパイラル状に広がってつながっていくといいなあと思っています」。

気のおけない仲間同士が集まった時に交わされる会話の延長線のような、力の入っていない自然体なやりとり。そんなところにこそ、格好つけない本音が隠されていたりします。

「『あの時のあれ美味しかったな」という記憶って、その時の風景なんですよね。トライアスロンで倒れそうになって完走した後に仲間から分けてもらったバナナの美味しさが忘れられないとか。美味しかったのは、そのもの自体よりも、情景や気持ちが相関する風景として記憶してる。『美味しい」って風景と記憶なんです。だから、「愛すべき食」というのは本当に人それぞれ違う。だからこそ、その中に本質的なものがあると思うんです。そういうものをきちんとつないでいくことで、未来に本当に良いものが継承されていくんじゃないかな』

人それぞれが大切にしているさまざまな「愛すべき食」。その気持ちごと可視化して、シェアをして広げていく。それが『GOOD EAT CLUB』の目指すマーケット&ファンクラブの形。「お店や作り手に対しての共感や共鳴は、チップのような応援の仕組みとして実装します。場合によってはクラウドファンディングなども立ち上げることも」。

「食品加工業のエキスパートとシェフ、老舗と食品メーカーなど、これまで出会えなかった食のプレイヤーたちがつながり、共鳴して、それぞれの掛け合わせ、響きあわせの中で強いブランドが生まれていくような場所にもしていきます。チャレンジがどんどん生まれていくラボのようなイメージです。そのために僕らがオーケストレーターとなって、いろんなプライヤーたちをつないでいく。まさに『ONESTORY』が得意なことですよね。そういう活動を、これからますます『ONESTORY』と一緒に取り組んでいきたいと思っています!」と、楠本氏は熱を込めて語りました。

『ONESTORY』が主催する幻の野外レストラン『DINING OUT』チームが最初にお届けする商品は、過去開催地から厳選した「日本茶」6選。商品の詳細は『GOOD EAT CLUB』で是非ご覧ください。

『DINING OUT』第一弾の商品は、日本各地から厳選した茶葉のセット。『GOOD EAT CLUB』で絶賛販売中。

早稲田大学政治経済学部卒業後、株式会社リクルートコスモス、大前研一事務所を経て、2001年カフェ・カンパニー株式会社を設立、代表取締役社長に就任。2019年GYRO HOLDINGS株式会社を設立、代表取締役に就任。コミュニティの創造をテーマに店舗の企画・運営、地域活性化事業、商業施設プロデュースを手掛ける。内閣府クールジャパン等の政府委員や東日本の食の復興を目的とした東の食の会代表理事等も歴任。

幻の野外レストラン「DINING OUT」を通して出合った、日本各地の美味しさを自宅で。第一弾「厳選日本茶6選」販売開始![GOOD EAT CLUB/宮崎県・広島県・静岡県]

2017年5月に宮崎県宮崎市で開催された『DINING OUT MIYAZAKI』。この地でも素晴らしいお茶生産者と出会った。

グッドイートクラブ様々な地域をプレミアムに表現してきた『DINING OUT』チームがお届けする新企画。

2021年初旬よりスタートした、「GOOD EAT=愛すべき食」をコンセプトに新しい食の楽しみを提案するECサイト『GOOD EAT CLUB(グッドイートクラブ)』。

『ONESTORY』も、この取り組みに賛同し、これまで日本各地で開催してきた『DINING OUT』を通じて出会った素晴らしい食文化、地域の食材、生産者、シェフ――。さまざまな「愛すべき食」を、キュレーションしてお届けしていきます。

第一弾は、「日本茶」。

『DINING OUT』で開催地域の食材や生産者の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝えてきたフードキュレーターの宮内隼人が、これまで出会った素晴らしい生産者と相談しながら6つの茶葉を厳選しました。

【関連記事】「食」のおいしさ、楽しさ、喜びを語り合い、体験価値が増幅するコミュニティ。みんなの「愛すべき食」がつなぐ食の未来。

『DINING OUT』で食材生産者とシェフを繋ぐ役割を務めるフードキュレーターの宮内が、第一弾の商品を担当。

宮内は自身のiPadを駆使して、生産者から聞いた食材情報を分析した上で、『DINING OUT』独自の食材データベースに収録していく。その数すでに3000種類を超えている。

グッドイートクラブ朝起きてから夜眠るまで。一日のバイオリズムに寄り添って「旅するように」楽しむ日本茶セット。

「美味しさはもちろんだけれど、日本各地にそれぞれの文化があって、楽しみ方の幅もとにかく広い。新しい食の楽しみの扉を開ける『GOOD EAT CLUB』で「楽しみ方」を提案するのに、日本茶はうってつけのテーマだなと思いました」と、今回のキュレーションを担当した宮内。

これから毎回ひとつのテーマを決めて、『DINING OUT』を切り口にキュレーションをしていく“GOOD EAT”。
第一弾は、日本各地の生産者さんのお茶を「旅」するように味わう楽しみに加えて、朝起きてから夜眠るまで、一日のバイオリズムに寄りそうお茶体験も楽しんでいただけるように、宮内が生産者さんと綿密に相談しながら6種類の日本茶を厳選しました。

選んだのは、静岡県のお茶問屋・マルモ森商店さんのフレーバーティ2種(煎茶+レモングラス、焙じ茶+クローブ)、宮崎県のお茶生産者・宮崎茶房さんの発酵茶2種(みねかおり白茶、みなみさやか紅茶)、そして広島県のお茶問屋・今川玉香園茶舗さんの緑茶(八女上陽さえみどり)と玄米茶。

「日本茶」と言えども、茶樹が育つ標高の違い、茶葉の摘み方の違い、蒸したり炒ったり発酵させたりといった製法の違い、あらゆる要素の掛け合わせで、緑茶も紅茶も烏龍茶も、さまざまに展開していく日本茶の奥深さ。その奥深さを体験できるセットです。

「マルモ森商店さんも宮崎茶房さんも今川玉香園茶舗さんも、もちろん日本茶と聞いて真っ先に思い浮かべるような緑茶も作っているんですが、その上で、皆さんそれぞれ三者三様のキャラクターがあって、唯一無二の取り組みをされている。いろいろな日本茶のバリエーションに出会って、このセットをきっかけにお茶の楽しみが広がっていくスターターキットにしていただけたらいいなと思っています」。

マルモ森商店が運営する茶葉専門店『chagama』の店長の天野裕太氏(左)、フードキュレーター宮内(右)。『chagama』の店舗では、静岡産を中心に100種以上のお茶を取り揃える。

「宮﨑茶房」の茶畑で、代表の宮﨑亮氏(写真中央)に詳しく生育方法を聞く。

広島県尾道『今川玉香園茶舗』の今川智弘氏。明治11年から続く老舗のお茶問屋。

グッドイートクラブこの国には、日本茶のプロフェッショナルがいる。食材が教えてくれる文化と技。

まだまだ自身もお茶のことは勉強中だという宮内。日本茶に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。

「『DINING OUT』で日本各地を回っていく中で、各地にその土地の風土や文化にあったお茶があるということを知りました。また、『DINING OUT』の現場では、シェフたちが十人十色、さまざまなお茶の楽しみ方を提案をしていて、それがすごく楽しいし、何より美味しかった。それから次第にお茶への興味が湧いていきました」

なかでも、大分・国東半島の『DINING OUT KUNISAKI』で見事なお茶のペアリングを提案した『茶禅華』川田シェフからの影響が大きかったという。

「川田さんは中国茶に対する知識もとにかく深いんです。一度、川田さんのお店でいただいた金萱茶(きんせんちゃ)という中国茶があまりにも美味しくて感動して、同じものを日本中探したことがあるんですが、どんなに探しても同じ美味しさのものに出会えなくて…。川田さんにお話ししたら、生産者さんによって味が全然違っていて、この生産者さんでないと出せない味なんだと言うことを教えていただきました。それ以外でも、お茶の温度や出し方まで徹底的に研究して実践されていらっしゃることを知り、僕自身のお茶への興味も深まっていきました」。

極めればどこまでも広がっていくお茶の世界。完璧な美味しさを追求するガストロノミーなお茶の楽しみもあれば、日常に寄り添って「ケ」の食としての楽しみもある。身近にこんなにも包容力のあるお茶の世界が広がっていたのにもかかわらず、私たちはあまりにも日本茶のことを知らないのかもしれません。

「今回いろんな方にお会いするまで、お茶問屋さんってお茶の流通の部分を担う仲介役だと思っていたんです。でもそれはお茶問屋さんの仕事のほんの一部。彼らはお茶に対するものすごい知見を持って、その人の好みや要望に合わせたお茶を提案してくれるお茶のキュレーターのような存在なんです。真骨頂はブレンドの技。お茶のブレンドのことは「合組(ごうぐみ)」と言うんですが、オーダーに応じて茶葉を選んでブレンドして、炒るところまで様々な変数を調整してお茶の味を整えていくところまでやってしまう。本来お茶はオーダーメイドに楽しめるということだったり、それを実現するものすごい審美眼と技術を持つお茶のプロフェッショナルがいるということを、このお茶を通じて知ってもらえたら嬉しいですね」。

食と出会うことが、その食を取り巻く匠の技や、生まれた地域の文化を知るきっかけになる。それはまさに『DINING OUT』の発想、そして「愛すべき食」でもあります。

これまで日本各地、18カ所で開催してきた『DINING OUT』。そこで出会ってきた数々の素晴らしい食材、食文化を、よりたくさんの方に体験いただけるような第二弾、第三弾の「愛すべき食」も計画中です。

「いろんな思いが詰まっていますが、とにかく美味しいので、まずはそれを体験していただきたいですね」。

今回ご紹介した第一弾「日本茶セット」の詳しい情報は『GOOD EAT CLUB』に掲載中。同時に販売も行っておりますので、この機会に是非ご賞味ください。

宮内が紹介したお茶のセットは『GOOD EAT CLUB』で販売中。セレクトの考え方や、生産者の想いなど詳しく紹介しています。

茶葉それぞれの抽出温度や、飲んで欲しいシーンも詳しく紹介しているので併せてお楽しみください。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。

LEXUSを駆って旅に出た、ある料理人の物語。高原を駆け抜け、自然の声に耳を澄まし、やがて一皿の料理が生まれる。[The Vision/大分県竹田市]

Lionel Beccat × LEXUS LC Convertible

フランス人料理人リオネル・ベカ氏がLEXUS LC Convertibleで九州を駆ける。

銀座のフランス料理店『ESqUISSE』のエグゼクティブシェフを務めるリオネル・ベカ氏。“唯一無二”と評される氏の料理は、自然と人との繋がりを大切にし、食材それぞれが語りかけるような存在感を放ちます。

そんなリオネル氏にとって、九州、とりわけ大分県竹田市は特別な場所です。2014年に開催された『DINING OUT TAKETA with LEXUS』でこの地を訪れたリオネル氏。豊かな自然、ここで生きる人々と触れ合うことで「主張すべきは料理人の個性ではなく、素材そのもの」という現在の料理哲学に至ったのです。

「自分を変えてくれた場所」リオネル氏は竹田市をそう評します。

そして2021年春、リオネル氏は再び九州を訪れます。
旅の相棒に選んだのはLC Convertible。オープンエアで風を感じ、自然の力をダイレクトに感じるこの車。優れた運動性能とエレガンスを兼ね備えた唯一無二の存在感。「最初からその姿だったような自然で流麗なデザイン」リオネル氏はLC Convertibleの美しさに、自身の料理との共通項を見出します。

LC Convertibleのハンドルを握り、高原を走り出すリオネル氏。ルーフをオープンにして、山の風を肌で感じます。「車と一体になるようなフィーリング」そんなドライビング体験はやがて、リオネル氏に料理のインスピレーションを与えます。

東京に戻り、厨房に入ると、リオネル氏は一皿の料理を仕上げました。それはあのとき心に浮かんだ風景を、そのまま落とし込んだような美しい一皿。九州の自然を駆け抜けた経験なくしては生まれ得なかったその料理を通し、リオネル・ベカという稀代の料理人の心の内側が少しだけ覗けるかもしれません。

※LEXUS公式サイトにてスペシャルコンテンツ公開中

くじゅう高原を駆け抜けるLC Convertible。そのドライビング体験が、料理人にインスピレーションを与えた。

LC Convertibleとリオネル氏。その流れるようなデザイン性も、リオネル氏の創造力を刺激する。

旅の経験を、一皿の料理に昇華。そこには深いメッセージが込められていた。

雨の日にも

皆様こんにちは!!

やっと寒い日が終わり暖かくなってきたな〜と、思ったらもう梅雨入り宣言が各所で行われましたねヽ( ̄д ̄;)ノ

なんというか。。。


一年が早い!!∑(゚Д゚)


さて、梅雨の時期にもオススメなオシャレなデニムの商品を一つ紹介します(о´∀`о)



それがこちら!!


デニム柄傘〜( ´ ▽ ` )



今日は倉敷があいにくの天気ですがこの傘をさして美観地区を歩くと目立つ事間違い無しのオシャレなアイテムとなっております(*゚▽゚)ノ


デニムストリートは現在も休まず営業を行なっておりますので美観地区へお越しの際は是非お立ち寄り下さい!!

玄界灘に突出した半島で醸す。人生初、松本日出彦は「槽」に乗る。

『田中六五』で知られる『白糸酒造』へ。江戸時代から続く酒造りの技法「槽搾り」を体験する松本日出彦氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO『田中六五』の本気。その情熱に食らいつく。

「槽(ふね)」に乗る。

聞き慣れない言葉の意味は、江戸時代の伝統的な酒造り「上槽(じょうそう)」という工程にある槽搾りとハネ木搾りにあります。これは、『田中六五』を造る福岡県糸島市の『白糸酒造』が創業した安政2年(1855年)より守り続けている技法です。

「上槽」とは、発酵を終えた醪を搾り、濾過する作業のことを指します。その工程にある酒と酒粕に分離するために用いる道具の形が舟に似ているところから、搾ることを「槽に乗る」と呼ぶのです。

この日、松本日出彦氏は、人生初の槽に乗ります。

「4月5日に仕込んだ醪を今日(5月1日)は搾ります。通常、横型の油圧圧搾機を採用しますが、『白糸酒造』は昔ながらの搾り方の槽搾り。更には、全てハネ木搾りというこだわり。特に時間と労力を費やします。これまで酒造りをしてきた自分も初めて経験する搾り方です。」と松本氏。

この日、搾る醪は、1,900ℓ。それを酒袋に一つひとつ詰め、槽に積んでいきます。交互に並べることによって不安定な袋同士が支え合う姿は、まるで長屋の構造のよう。更にそれを積み上げることによって自然の圧がかかり、濾過されるのです。袋の数は、370枚。同じ作業をひたすら繰り返すそれは、見た目以上に過酷です。

松本氏の額には汗が滲み、徐々に息が荒くなります。震える腕と指先、背中や腰の乳酸の疲労は限界を迎え、筋肉も悲鳴を上げるが、必死に食らいつくしかありません。

約2時間を有し、作業を終えるも「やや遅い」と隣で囁くのは、『白糸酒造』8代目の杜氏であり、『田中六五』の生みの親、田中克典氏。

「しかし、早ければ良いわけではありません。醪の溶け具合によって搾られる量を想定しながら積んでいくため、早過ぎて重ねた袋が崩れてしまったり、中から醪が溢れてしまっては意味がありません。そういった視点で見れば、日出彦さんは勘が良い」と言葉を続けます。

自然の圧に身を任せた搾りを待つこと約3時間。その後、一滴残らず搾り切るために行うのは、『白糸酒造』が誇る伝統「ハネ木搾り」です。

原始的な手法のそれは、数々の改革を起こしてきた田中氏が唯一守り続けていることでもあります。

「ハネ木搾り」を知らずして、『田中六五』を飲むべからず。

温故知新とも言える「ハネ木搾り」は「故」であり「個」。『白糸酒造』の「故」から生まれた『白糸酒造』の「個」こそ、『田中六五』なのです。

『白糸酒造』8代目杜氏・田中克典氏とともに松本氏が仕込んだ醪。「数値、経過など、自分の思い通りに仕込ませていただきました」と松本氏。

ホースから出てくる醪を一つひとつ酒袋に詰め、槽と呼ばれる箱に並べ、積み、仕込んでいく。

この日は、1,900ℓの醪を370枚の酒袋に詰める作業を行う。一袋に入れる量は、約5ℓ。それを体感で行う。

酒袋に詰めた醪を、槽の中へ交互に並べ、積み重ねていく。少しでもバランスを崩してしまうと醪が溢れてしまうため、「慎重に、丁寧に、かつスピーディに」と田中氏。

槽にひたすら醪を詰めた酒袋を並べ、積み上げる松本氏。その頭上には、堂々たるハネ木がそびえる。

創業は安政2年(1855年)。歴史ある『白糸酒造』の酒蔵には、「ハネ木による手しぼり」と記される。それは、令和3年(2021年)になった今なお、変わらない。

『白糸酒造』のシンボルとも言える煙突。現在はその役目を終えたが、風景としてその姿を残す。「変えてはいけないものは、技術や伝統だけでない」と田中氏。

「杜氏になってから唯一変えなかったことがハネ木搾りです。逆を言えば、それ以外は全て変えました」と田中氏。

「『田中六五』は、土地の原料が活かされた糸島にしかできない日本酒。味は革新的ですが、造りは伝統的なのは、田中さんだから成せる業だとおもいます」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO現代とは真逆の世界。「ハネ木搾り」は、時短ではなく長時の酒造り。

「槽」の上を見上げれば、梁のような大木が天に浮き、その出番を待っています。

「槽とハネ木を備える旧蔵は、約100年前に建てられたのですが、このハネ木はその時からあると聞いています。素材はカシの木でとても丈夫ですが、さすがに今はひび割れも多く、鉄で補強しながら現役で使っています」と田中氏。

この大木をテコの原理で槽に圧をかけ、最後の一滴まで搾ります。その調整を測るのは、十数個の石。小さいもので約20kg、大きいもので約80kgある石を槽とは逆側に吊るし、徐々にその数を増やしていきます。最終的には、約1.2tに及ぶも、更に驚くべきは、それにかける日数。3日間かけて、「ハネ木搾り」は行われるのです。

昨今、圧搾機などを用いて「ハネ木搾り」と謳う蔵も少なくありませんが、正真正銘の全量「ハネ木搾り」は、日本全国の中でも『白糸酒造』のみと言って良いでしょう。逆を言えば、それだけ現代の技術は発達しているため、機械に頼ることもできますが、あえて手造り、手作業にこだわっているのです。

3日間かけて搾られた酒は、サーマルタンクに移され、−3.5度まで冷やし、一週間寝かせます。その後、生の状態で瓶詰めし、まるでプールのように水を張った釜にそれを並べ、徐々に65度まで温度を上げ、瓶燗火入れを行います。

「生酒を除くお酒は、通常、“火入れ”という工程を経て店頭に並びます。香りや味を安定させるだけでなく、雑菌を死滅させ、おいしいまま長期保存をできるようにするためです。しかし、『白糸酒造』では、急激な温度変化で風味を崩さないよう、あえて時間と手間のかかる“瓶燗火入れ”を採用しているのです」と松本氏。

「それによってお酒のストレスも軽減でき、味がおいしくなる(はず)」と田中氏。

『田中六五』の酒造りには、現代における時短の世界はありません。むしろ、1時間のことに3時間費やし、1日のことに3日費やすような長時の世界。しかし、「時間をかければおいしくなるわけではないことも、伝統を守り続ければおいしくなるわけでもないことも理解しています」と田中氏。

2014年より杜氏に就任以降、既存の方針を変えてばかりいた田中氏だっただけに、変えなかったことへの想いは一入。「結果が全て」と言葉を続ける田中氏は、変えなかった造りを持って『田中六五』を創造したのです。

「六五」とは、その名の通り、糸島産の山田錦を65%精米して仕上げた純米酒です。そのきっかけになったのは、佐賀県姫野市が誇る『東一』の勝木慶一郎氏が手がけた65%精米して仕上げた純米酒との出合いでした。奇しくも、勝木氏は、松本氏の前蔵の顧問であった人物であり、今後は『白糸酒造』の顧問を務めます。

「原料に勝る技術はない」とは、勝木氏が師から得た言葉であり、松本氏にも残した言葉。

今、松本氏が最も重要視する原料、それは「水」です。

「そう感じることができたのは、今、ご一緒している『冨田酒造』、『花の香酒造』、『白糸酒造』、『仙禽』、『新政酒造』の五蔵と同時に酒造りをさせていただいているからこそ、改めて気づくことができたのだと思います。各蔵、発酵のさせ方や醪の数値など、自分なりに味のイメージを持って仕込ませていただいており、最初の口当たりや印象もその通りにできていると感じています。しかし、後味や奥行き、旨味の重心は、必ず各蔵が持つ美点が活かされた味になっている。ここで搾った荒走り(搾りの最初に出てくる酒)を飲んだ時にそう確信しました。そして、その理由は、原料の水にあると思ったのです」。

ハネ木に石を吊るす作業も人力。3日間かけ、大小の石を数十個吊るし、搾る。石の総重量は、最終的に1tを超える。

ハネ木に吊るす大小の石たち。結んだロープは、舟で漁師が使用しているものと同様。「実は、以前の杜氏が漁師町に住んでおり、そこから分けていただいています。上槽、櫂入れなど、海にまつわる文言が酒造りに多いのも不思議ですね」と田中氏。

ハネ木の重さで沈んでいく酒袋との間を微調整していくのは、大小の木の板と角材。これもまた、古くから使用され、素材はイチョウの木。

 左側に石を吊るし、テコの原理で右側の槽に積んだ酒袋に圧をかけ、搾る。鉄で補強しながら使い続けて約100年。

醪による自然の圧、ハネ木搾りで搾りきった酒は、サーマルタンクへ。−3.5度まで冷やす。

酒袋に醪を積み重ね終わった後、荒走りをひと口。「自分が介在した味は感じるも、しっかり『田中六五』になっている」と松本氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO原料に勝る技術はない。水に触れ、水を知り、水について考える。

たかが水、されど水。水を表現することは難しい。

水を化学式で表すとH2O。つまり、ふたつのH(水素)とひとつのO(酸素)が結びついてできている化合物です。しかし、学式だけでは表せないことが味や風土にあると思います」と松本氏。

田中氏とともに向かった先は、糸島の水源とも言える「白糸の滝」。

約24mある滝の高さは、水しぶきが飛ぶほど近くまで足を運ぶことができます。ふたりは、流れる水をひと掬い。

「ミネラルが適度に含まれる中硬水。蔵の井戸水とは若干違う味とテクスチャー。うちのは、もう少しもったりしているというか、とろみがあるというか。ウエットな感じ」と田中氏。

「きっと、ここから流れ落ちる間に水質も変わるのではないでしょうか。岩肌から滲み出るのか、冬に溜まった雪解け水なのか。地形によって同じ水源でも異なる素材になるのだと思います」と松本氏。

「そういう意味では、このあたりは岩盤が近く、それに付着していれば鉄分も含まれているかもしれません。滝は上から流れ落ちる水ですが、井戸は下から汲み上げる水。地下水が帯水する地層に含まれる成分も関係しているのかもしれません」と田中氏。

例えば、ここ「白糸の滝」を内包する「羽金山」の雨水の行方を検証してみると、地中への染み込みは約50%、蒸発は約25%、地表面への流れは約25%(全て、裸地を除いた数字)。森林は、水の命を蓄えているのです。

さらに水について追求を進めれば、「羽金山」を始め、周囲の山々から流れ落ちる水から育った米で『田中六五』は造られています。水は酒造りだけでなく、米作りから重要な役割を果たしているのです。『田中六五』の原料となる山田錦もまた、糸島の山北地区の田んぼで育てられています。

「標高は約80mの低山。面積が確保され、程良くゆるやかに傾斜もあり、水の通りも良い。海に抜ける風道もあるため、寒暖の差もあり、米作りには非常に適した環境だと思います」と松本氏。

糸島は、全国的にも有名な山田錦の産地であり、福岡全域は、地域の酒造組合を中心にお米が管理されています。全量米、つまり昔の配給米の仕組みです。ゆえに、田中氏が直接農家とやりとりすることはありません。今では珍しい仕組みであり、ある意味、健全な地域の証拠ではありますが、一方で変化を生みにくい面も備えます。

「いつか米作りから農家さんとご一緒したいと思っています。そのために、農家さんの信頼を得られる酒造りをしたい」と田中氏。

信頼を得られる酒造りとは、生産数を上げ、たくさんのお米を仕入れることにあります。直接、関係を持てなくとも『白糸酒造』と『田中六五』の勢いを仕入れる量の多さで認知させ、いつかのための準備をしているのです。

「歴史ある日本酒業界の方針を変えるのは難しいですが、選択肢は増やすべきだと思います。自分たちも既存の仕組みに否定的ではありません。しかし、年々減っている酒蔵の数や低下している日本酒の摂取量という結果を真摯に受け入れた時、新しい仕組みも必要なのではないかと考えています。なぜなら、日本酒は、間違いなく日本のお米を支えているから。日本酒の数が減れば、田んぼも減り、農家さんもいなくなってしまいます。そうなる前に何とかしなければいけません」とふたり。

酒造りは蔵から始まるのではありません。原料が生まれる蔵の外から始まっているのです。

「レストランやお客様はもちろん、世の中は常に進化している。日本酒においても時代に応じた進化が必要。当たり前を見直し、変化を恐れてはいけない」とふたりは言葉を続けます。

伝統や歴史があるものは、時代との呼応を相容れないことがあるのかもしれません。

本当に大切なことは変えない。しかし、変えるべきことは変える。

『白糸酒造』のように。『ハネ木搾り』のように。『田中六五』のように。

全てにおいて、「守破離」を繰り返すことによって、物事は卓越していくのです。

 羽金山の中腹530mに位置する「白糸の滝」。文字通り、岩肌を白い糸のように流れる。その美しい景観は、県指定名勝にも選ばれる。しばし、滝の景色と音に癒される松本氏と田中氏。

「白糸の滝」から流れる清流は透き通るほど美しく、ヤマメも泳ぐ。

「酒を知るには土地を知ることが大事。土地を知るには水を知ることが大事。水が酒を決める」と松本氏。

『白糸酒造』から湧き出る井戸の水。「うちの水は少しとろみがあります。実は、最初はこの水があまり好きではありませんでした。しかし、この水によって馴染んでいく味がうちの日本酒であり、個性。大事な原料であり、自然からの大切な恵みです」と田中氏。

『田中六五』のお米は、糸島の山北地区で育った山田錦。「水が豊か、広く平らな土地、土の水はけも良い、昼夜の温度差もある。米作りには最適な環境だと思います」と松本氏。「農家も田んぼを守らなければいけない。誰に預けるのか、どの蔵に預けるのか。そういった問題にも一緒に向き合いたい」と田中氏。

上記よりも更に上空から望んだ糸島らしい景色。山があり、海があり、田園風景が広がる。

HIDEHIKO MATSUMOTO決して人助けではない。頼まれたわけでもない。ただ、一緒に酒造りをしようぜ。

実は、松本氏と田中氏の付き合いは長く、共通点も多い。

「最初の出会いは大学時代。ただ、その時は別に仲が良かったわけではない(笑)」とふたり。

卒業後、松本氏は『九平次』を造る名古屋『萬乗醸造』と『東一』を造る佐賀『五町田酒造』へ。田中氏は、広島『酒類総合研究所』を経た後、松本氏同様、佐賀『五町田酒造』へ。

同じ大学、同じ修業先。そして、前述の通り、ふたりを結ぶ勝木氏の存在。しかし、何より一番の共通点は、「お互い社交性が低い……。だから、仲良くなれなかった(笑)」とふたり。

では、いつからその距離は縮まったのか?「最近(2020年)ですかね(笑)」とふたり。

加えて、年齢が近い職人同士の輪は広がり、会えば夜な夜な熱い話をする日々。そんな矢先に起こった出来事が松本氏の蔵問題だったのです。

「過去は変えることはできない。変えることができるのは未来だけ。ですから、不謹慎かもしれませんが、変化と進化するチャンスだと思いました。助けようだなんて思っていません。そんな大それたことは自分にできませんから。ただ、日出彦さんは、大好きな友達だから。遊びも一緒にしたいし、勉強も一緒にしたい。だから……、ただ、一緒に酒造りをしようぜ」。田中氏は、そう振り返ります。

一方、そんな誘いを受けた松本氏でしたが、「当時の自分は、すぐに気持ちの切り替えはできず、うちに篭っていました」と話します。

「“それでもいいから、待ってるよ。酒造りがしたくなったら、一緒にやろうぜ”。田中さんは、そう言ってくれました」。

「他の友達が同じ状況になっても同じことをしたと思います。日出彦さんだって、逆の立場だったらそうしたんじゃないですかね。一緒に酒造りをしてみて感じたことは、攻めの数値。醪の経過も強気ですし、これは性格ですかね?(笑)」と田中氏。

「確かに、バランス良く酒造りをしている田中さんから見たら、そう映るかもしれませんね(笑)。吟醸酒作りではなかった自分にとっては、いつも通りなのですが……」と松本氏。

「日出彦さんの造っていた日本酒は、ガスを効かせ、熟成にも勝るフレッシュさもありました。その製法に関して話には聞いていましたが、あくまで口頭から得た想像の世界。今回、一緒に酒造りをすることによって、色々、理解できたことも多かったです」と田中氏。

一方、酒造りをさせてもらうことによって、松本氏は多くの発見を得ることができました。

「自分の魂はどこにあるのか。自分の酒造りは何だ。生きる営みこそ酒造りであり、それを表現するために、自分は再び酒造りの世界へ戻りたい。そう思いました。田中さんは、審美眼に長け、感度も高い。有言実行、変えるところはとことん変え、守るところはとことん守る」と松本氏。

事実、以前の『白糸酒造』は、難局を迎えていましたが、田中氏の杜氏就任後、さまざまな改革によって蔵は持ち直します。

「でも、新しい蔵を作る時には、反対されましたけどね(笑)」と田中氏。

酒造りはチーム。『白糸酒造』が守り続ける「上槽」のごとく、杜氏は言わば船頭。

「船頭(杜氏)は、一番強い風を受けなければいけません。その後ろで櫂を漕ぐ人間(職人)に同じ風当たりを理解してもらうのは難しい。どんな舵を切るのか、どんな海に向かうのか、それは穏やかなのか、荒波なのか。全ては田中さんにかかっている。『白糸酒造』は、みんな田中さんを信じて航海している素晴らしいチームだと感じました」と松本氏。

そんな航海の仕方は、日本酒業界においても同様かもしれません。

これがうまいとされる味をなぞれば、造りも原料も似てしまう。ある意味、安心安定の穏やかな海への航海ですが、結果、各々が持つ地域性や蔵の個性は失われてしまいます。特性を活かすためには、群から外れた荒波への航海の選択をしなければいけません。しかし、群が生んだ味の正解、造りの正解、原料の正解ではない、新しい正解を受け入れてもらうのは至難の業です。

「味を決めるのはあくまで消費者ですが、その責任を果たす義務が我々にはあると思います。自分たちの都合で変わらないのは良くない。逆にそれによって守れないものも出てくる。もはや、自分たちだけの問題ではありません」とふたり。

その問題はさまざま。解決するためには、どんな航海をするべきなのか。これからの松本氏の人生も例外ではありません。むしろ、波風のない平穏な海への航海はないでしょう。

「心を燃やして酒造りをするしかない。その種火は、他所から持ってきては意味がない。自分で起こすしかない」とは田中氏の言葉。

自分の正しいと思うコンパスを信じて、舟に乗る。

田中克典と過ごした時間から松本日出彦が学んだことは、酒造りだけではありません。そんな情熱を学んだのです。

「初めて一緒に酒造りができて、お互い良い経験になった」と田中氏。「今回、お世話に立っている5蔵の中で一番自由に酒造りをさせていただきました。仕上がりが楽しみです」と松本氏。

2016年に田中氏が建てた新たな蔵(手前)。モダンなコンクリート建築は、まるで美術館のよう。伝統的な「ハネ木搾り」を行う旧蔵(奥)とは対象に、ここではテクノロジーを駆使し、味の数値化やデータ管理する機能を備える。「変えないところはかえない。変えるところは変える。このバランス感覚と行動力に田中さんは長けている」と松本氏。

新旧の建物が並ぶ『白糸酒造』。「田中」とは田中家の姓であるとともに、「“田”んぼの“中”にある酒蔵で醸された」という意味も込められている。まさにそれを可視化した風景。

糸島産山田錦のみを65%精米して仕上げた純米酒『田中六五』。「『田中六五』が目指すは、オンリーワンでもナンバーワンでもありません。本当に伝えたいお酒を作り続けることによって、定番になることを目指したい」と田中氏。

住所:福岡県糸島市本1986 MAP
TEL:092-322-2901
http://www.shiraito.com

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

スタッフお手製

雑貨館に設置しているブロックにスタッフがデザインを施してくれました(*^◯^*)




結構色んなお客様も写真を撮ってくれていて新しい写真スポットになりつつあります( ・∇・)

これをフリーハンドで描いているのだから驚きですΣ( ̄。 ̄ノ)ノ

どこに設置しているのかは来た時に探してみてください( ̄▽ ̄)

間伐材、竹林に続き、カカオ廃材! 食べることが地球のためになるサステナブルスイーツ。[LIFULL Table Earth Cuisine/東京都千代田区]

江藤氏が手掛けた「ECOLATE CARE」。こちらは“廃材らしさ”をいかに残して美味しさを追求するかに身を粉にした。Photograph:株式会社LIFULL

上妻氏が考案した「ECOLATE TABLETTE」。廃材を使いながらチョコレートらしい食感を追求した。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ「地球料理 -Earth Cuisine」第三弾のテーマはカカオ廃材。

食べることが地球のためになる。いままで目を向けられていなかった、社会問題や環境問題の要因となる素材にフォーカスし、「食べる」という新たな可能性を見出す。そして、持続可能な社会を叶える未来へ……。

そんな理念のもと2018年に動き出したのが、「地球料理 -Earth Cuisine- (アース・キュイジーヌ)」。 「あらゆるLIFEを、FULLに。」を掲げ、住生活情報サービスなどを運営する企業、株式会社LIFULLの飲食事業  「LIFULL Table」が手掛けるプロジェクトです。  2018年10月、その第一弾として「Eatree Plates」が始動し、2019年3月には間伐材を食材として使用したパウンドケーキ「Eatree Cake 〜木から生まれたケーキ〜」を発売。続く2019年9月には放置竹林をテーマにした「Bamboo Sweets -竹害から生まれた和菓子-」を発表すると、2020年2月には放置竹林の竹と笹を使用した「Bamboo Galette(バンブー ガレット) -竹害から生まれたガレット-」を世に送り出したのです。
そして、今回がその第3弾。間伐材、竹に続き、「地球料理 -Earth Cuisine-」が目を向けたのは“カカオ”でした。

イベントでは、試食に先立ち株式会社LIFULLのCCOである川嵜剛平氏が挨拶。今回のプロジェクトへの想いを語った。

フーズカカオ株式会社代表取締役の福村 瑛氏。数々の現場を見てきた福村氏の言葉にカカオが抱える問題の深刻さを思い知らされた。

会場は、虎ノ門にある『Social Kitchen』。イベントは密にならぬよう、細心の注意を払い開催された。

ライフルテーブル/アースキュイジーヌ差し迫るチョコレート危機。カカオは絶滅の危機にある!

カカオといえば、誰もが知っているようにチョコレートの原材料になる植物です。では、なぜそのカカオに今回焦点が当てたのか。日本人において一番身近にあるスイーツのひとつといっても過言ではないカカオ。事実、日本におけるチョコレート市場はここ10年で35%成長したというデータもあります。しかし、その一方で、問題とされているのが、原料であるカカオ生産における社会問題。大量生産・大量消費にともなう価格低迷を背景に、カカオ農家の貧困問題や児童労働といった問題が浮き彫りになり、さらには需要増による生産地拡大が環境破壊を引き起こしているといいます。それだけではなく50年ほどで収穫力が低下するというカカオ樹の高齢化、昨今の気候変動によるカカオ樹が罹る病気の脅威もあったりと、深刻なカカオ不足が叫ばれ、このままでは2050年までにチョコレートづくりに使われているカカオ豆が絶滅する可能性すらあるといわれ、いずれチョコレートが食べられなくなってしまう恐れまであるというのです。

だからこそ、「地球料理 -Earth Cuisine-」はカカオに目を向けたのです。無論、使うのは一般的にチョコレート製造に用いられるカカオマスやココアバターといったものではありません。使うのはなんと「カカオの廃材」。これまで食材として見向きもされなかった、カカオ豆の殻であり、カカオ樹の葉であり、枝なのです。
名付けて「ECOLATE」。

“カカオの廃材”を食べることで、差し迫る“チョコレート危機”に対して、カカオが抱える問題について、今一度考えてもらおうというのです。

消費者が普段見ることのない生産の現場。カカオ生産における社会的、環境的問題はいまだ多い。Photograph:株式会社LIFULL

一般的にチョコレートに使われるのはカカオマス。それ以外のおよそ70%のカカオ部位は廃棄されるという。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌカカオ廃材を使ったスイーツづくりにふたりのパティシエが挑む!

今回、「ECOLATE」を開発するにあたって、その大事なファクターを担ったのが、インドネシアの農園により今回の廃材を仕入れ、東南アジア各国のカカオ豆および製菓材料の提供などを行うフーズカカオ株式会社。代表の福村 瑛氏はこう話します。
「話を聞いて、カカオの木を食べることで未来のカカオ生態系をつくれるこのプロジェクトの可能性にとてもワクワクしました。農家さんが木や葉っぱも食品として扱い、農薬を使わずに育ててくれるとカカオ豆自体の農薬問題解決の一助にもなります。これをきっかけに『カカオの木を食べる文化』が発展することを期待しています」。

そして、今回のプロジェクトで最も大切な2人が、カカオの廃材でスイーツを開発したパティシエの江藤英樹氏と、上妻正治氏でしょう。江藤氏は『DOMINIQUE BOUCHET TOKYO』『SUGALABO』といった名店でシェフパティシエを務めた後、現在は虎ノ門『unis』でシェフパティシエを『Social Kitchen』でプロデューサーを務める人物。一方で上妻氏は『Social Kitchen』ディレクターであり、「ジャパンケーキショー」にて3度の金賞を受賞した経歴の持ち主です。
とはいえ、消費者への問題提起、さらにはサステナブルな未来を築くための一助になるという使命があるにせよ、「ECOLATE」が食品である以上、大前提に“美味しい”ことが大切であることは言うまでもありません。カカオの廃材を活かし、江藤氏、上妻氏が考案した「ECOLATE」。いったいどんなスイーツに仕上がっているでしょうか。

「ECOLATE CARRE」を手掛けた江藤氏。殻だけでなく、葉、枝を使いながらスイーツにすることに苦心した。

ひと口サイズの3種のチョコレートが楽しめる「ECOLATE CARRE」。農園の雰囲気まで目に浮かぶ味わい。Photograph:株式会社LIFULL

ライフルテーブル/アースキュイジーヌまずは美味しいありき、江藤氏と上妻氏考案の「ECOLATE」。

まず、江藤氏が考案したのは、「ECOLATE CARRE」という3種のひと口チョコレート。茶色のキャレは、カカオ豆の殻を50%使用し、ビターな香ばしさを引き出したさっくりとした食感。江藤氏曰く「殻を細かくしすぎず、あえて粗めに残すことで、“廃材っぽさ”を感じてほしかった」といいます。キャメル色のキャレに使ったのはカカオの枝。20%の含有量で、独特の食感に“木の質感”を感じとることができます。そして、印象的だったのはモスグリーンのキャレ。こちらは、カカオ豆の殻、枝、葉を30%ほど混ぜたもの。実は、カカオの葉は伐採してそのまま地面に放っておくと、湿気がたまりカカオ樹の病害の原因にもなるそう。サクサクとしたなかにもしっとりした“やや湿度を感じる食感”には、そんなカカオ農園の姿までもイメージさせてくれました。しかも、これらのキャレには、廃材と糖分、油脂分しか使われていないというから驚きです。江藤氏も「現場には本当に殻、枝、葉そのものの状態で届くんです。それをいかにスイーツにするか。難題でしたが、『廃材でここまでできるんだ』ということを少しでも表現できれば」と話します。

次に上妻氏の「ECOLATE TABLETTE」。こちらはカカオ豆の殻の使用率を33%にまで高めながらも、チョコレートらしい滑らかな質感にこだわったと上妻氏はいいます。
「最大限のハスク(殻)の量を入れてどこに着地させるかが難しかったですね。「ECOLATE TABLETTE」には33%のハスクを使用しましたが、形状、テクスチャーは問題ありませんでした。しかし、問題は渋さだったんです」。
そこで上妻氏は、一般的な砂糖に比べ甘味の強い果糖やキビ糖などをブレンドして加え、その“渋さ”とのバランスを取ったそう。カカオとココナッツが織り成す豊かな風味、ほろ苦さと甘さのなかに、感じる絶妙な酸味のバランスに、チョコレート好きは目を白黒させることでしょう。

いずれにせよ、すごいのはカカオの廃材を使ったチョコレートながら、コンセプト重視にならず、食べてしっかりと美味しく、それでいてカカオの新たな一面をしっかりと食べ手に訴えかけてくる点。よもや廃材として捨てられていた素材が、このような素晴らしきチョコレートになろうとは思いもよらなかったのではないでしょうか。
「ECOLATE CARRE」と「ECOLATE TABLETTE」は、下記にて限定販売中。そして、ぜひ食べることで、カカオという食材の裏に隠れる社会問題に考えを巡らせてみてください。それがカカオの生産者が抱える問題を解決する一助となり、はたまた地球の未来をも守ることにもなるのですから。

上妻氏。江藤氏とともに試食中は、イベント参加者に作り手としての想いを熱心に語っていた。

「ECOLATE TABLETTE」。甘味、苦味、酸味がまさに三位一体となった味わい。テクスチャーも絶妙だ。Photograph:株式会社LIFULL

住所:東京都千代田区麹町1-4-4 1F MAP
電話:03-6774-1700
LIFULL Table HP:https://table.lifull.com/
ECOLATEの購入はこちら

辻調グループフランス校卒業。フランス・ラナプール「L’OASIS」カンヌ「villa des Lys」にて修行。「BEIGE Alain Ducasse TOKYO」にて経験を積み、「DOMINIQUE BOUCHET TOKYO」「SUGALABO」「THIERRY MARX」等、数々の名店でシェフパティシエを歴任し、2020年「unis」のシェフパティシエ「Social Kitchen」プロデューサーに就任。

東京都製菓専門学校卒業後、パティスリーキャロリーヌ、クリオロでチョコレート部門責任者を務め「Social Kitchen」ディレクターに就任。ジャパンケーキショーにて計3度の金賞受賞、World Chocolate Masters国内予選チョコレート部門1位、総合3位など受賞多数。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

暖かくなってまいりました

皆様こんにちは!
やっと暖かい日が続いてきて春になったかな?

という感じですね(・∀・)

時々暑いかも・・・という日もありますので寒暖差には気をつけましょう( ̄Д ̄)ノ


暑い日には冷たいものがおすすめで

テイクアウトのデニムソフト(*゚▽゚*)




ブルーベリー風味のラムネ味ですっきり爽やかな味わいです(о´∀`о)

食べ歩きにもオススメです!!

コンセプトの破綻、料理長交代、リニューアル……。オープン10ヶ月の、激動を経て……。[美会/東京都中央区銀座]

個室に設けられたカウンターから、ビア氏が料理のプレゼンテーションを行う。リニューアル後の新しい試みのひとつだ。

美会コロナ禍のオープン。すべてが変わった『美会』の10ヶ月。

2020年6月、銀座7丁目の路地裏に一軒のワインバーがオープンしました。店の名は『美会(びあ)』。銀座の中心にあって、夜中でも人が集えて美味しい料理と酒に出会える店。そんなコンセプトを店名に込めた店は、実に前途多難の船出となりました。オープンしたのは1回目の緊急事態宣言が解除された直後。どの飲食店にも苦しい状況は変わりませんが、こと『美会』に関しては、新型コロナウイルスの影響で店のコンセプトすら崩壊しかねない状況でした。

それでも『美会』は、確実に前を向いて進んでいきます。日本を代表する名店とのコラボ弁当の販売、アラカルトを止めコースの一本化。さらに、料理長の交代、オープン半年にして店の大胆なリニューアル、日本一予約が取れない焼鳥店として知られる『鳥しき』とのコラボランチの開始……。あらゆる手を打ち、店を存続させてきた店が、2021年3月にひとつの決断を下します。

「こんなときだからこそ、飲食店として、『美会』としてやらないといけないことがある、やるべきことがある」。

それがコンセプトの一新でした。オープンよりおよそ10ヶ月。激動の時を経て、コロナ禍だからこそ自分たちがやるべきことを突き詰めた『美会』のいまに迫ります。

ビア氏と『鳥しき』の店主・池川義輝氏。「カオマンガイ」の試作・試食を重ね、アイデアをひねり出す。

1階入り口には、オープン時に全国のレストランから届いたお祝いの札。ビア氏の愛され具合が分かる。

美会料理人の間でも愛される美食家が『美会』を開くまで。

『美会』という店を紐解くにあたり、まずこの店のオーナーの存在を知る必要があります。その人物こそ通称ビア、本名をピーラゲート・チャロンパーニッチといいます。料理人の間ではその名の知れた美食家でもあるビア氏は、タイ・バンコクの出身。幼い頃から日本の文化に興味を持ち、2006年に来日すると立命館アジア太平洋大学に入学、卒業後は日本の貿易会社、トリップ・アドバイザーでの勤務を経て、通訳や翻訳業のフリーランスとして活躍するようになります。そのビア氏に転機が訪れたのはおよそ10年前。あの『すきやばし次郎』の映画『二郎は鮨の夢をみる』がきっかけでした。ビア氏は、アメリカでも極めて高い評価を得たその映画を見た海外の友人から、こんな依頼をされたそうです。

「『すきやばし次郎』の予約をとってくれないか」

ビア氏は朝一番で並んで『すきやばし次郎』のプラチナシートを予約したといいます。すると、今度は「『鮨さいとう』が食べてみたい」「『すし匠』も行ってみたい」「『都寿司』も(移転前の『日本橋蛎殻町すぎた』)」とオファーが舞い込むようになったといいます。

「もともと自分は日本の文化が大好きで来日したんですが、いろんな店に一緒に食べにいくようになって、職人の仕事そのもの、特に寿司や日本料理の料理人の仕事に惹かれるようになったんです。自分のなかでは、はじめは“食べに行く”というより、職人さんに“会いに行く”ようなイメージ。僕のレストラン巡りはここから始まりました」。

それからおよそ10年、現在では全国の名店をめぐり、日本を代表する美食家となったビア氏。ではなぜ、そのビア氏が『美会』をオープンしたのかといえば、「それは本当に偶然だった」といいます。

ビア氏が、現在の『美会』のある物件と出会ったのは2019年12月のこと。知人から「銀座にいい物件があるんだけど、何かやってみない?」との何気ないひとことが引き金となりました。銀座といえば、ビア氏にとっても憧れの地。銀座に空いた物件の話が表に出てくること自体が珍しく、しかも、7丁目の路地裏にある一軒家という奇跡的な条件。ビア氏は考え抜いた末、この話を引き受けることにしました。

銀座といえば日本の一流の店が集まる美食街ながら、ビア氏が納得できるような、夜中まで美味しいものに出会える店は少なかった。ビア氏はそこに目をつけました。

「銀座には一流の料理人さんの友達がいっぱいいます。そんな料理人が仕事帰りに美味しい料理とお酒にありつける店にしたかったんです。夜な夜な料理人が集まってきて、みんなと一緒になってワイワイ楽しめる店にしたかった」

料理は、ビア氏ががこれまでに全国を食べ歩いて築き上げてきた、料理人や生産者とのパイプを活かし、全国の名だたる食材を使用したアラカルト。深夜でもワイン一杯から楽しむことができ、誰もが気軽に通える。いわゆる古臭い言葉ですが、味を知る大人の社交場のような店にしたかったのだそう。

2階の店内。2020年11月にリニューアルされ、よりゆったりと寛げる空間に生まれ変わった。

『美会』があるのは、コリドー街の一本裏手の路地裏。銀座の一軒家という奇跡的なロケーション。

『鳥しき』とのコラボで誕生した限定ランチメニュー「カオマンガイ」。現在は終売したが、復活を望む声も多い。

美会前途多難。皮肉にもオープン予定日は、緊急事態宣言発令日。

しかし、新型コロナウイルスがすべてを台無しにしたのです。そもそも当初予定していたオープン日が2020年4月7日。皮肉なことに、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言が発令された日でした。当然オープンは先延ばしになります。それでもビア氏には「オープンしたらなんとか客がやってきてくれるだろう」という気持ちもあったといいます。ところが蓋を開ければ、緊急事態宣言解除後も元には戻りませんでした。とりわけ、日本の他のエリアに比べても夜の銀座は、劇的に人通りが少なくなったのですから当然のことでした。それだけではありません。当初掲げたコンセプトからして、withコロナの時代には逆行するものになってしまいました。銀座の料理人が仕事終わりにワイワイ楽しめる店、深夜でも美味しい料理と酒にありつける店というコンセプトは、時短営業が余儀なくされ、密が避けられる状況では破綻しています。

さらに追い打ちをかけたのは、『美会』が新店であること。営業自粛、時短営業をしても、前年の売上実績がない『美会』には国からの協力金が支払われないのです。かさむ人件費、大きな負担になる家賃。オープン直後の6~7月は、店を開ければ開けるほど赤字になりました。迎えた9月には、今度は料理長の持病が悪化し、新たな料理長に交代することになります。当然ながらそこで料理も変更せざるを得ませんでした。

ところがこのあたりから、少しずつ『美会』の巻き返しが始まります。料理長の交代を機に、日本料理の王道をリスペクトしながら、日本全国の最高級の食材をかけ合わせた、ここでしか味わえない料理を提供するように。11月には店舗を思い切ってリニューアルすると、徐々に客足も戻ってくるようになります。そして、ビア氏は次なる一手を打ちます。

日本一予約が取れない焼き鳥店『鳥しき』とのコラボランチを始めるのです。それこそが現在の『美会』のコンセプトにも通じる「カオマンガイ」の提供でした。これがスマッシュヒットとなり、『美会』の大きな道標となりました。

「カオマンガイ自体はタイ料理ですが、『鳥しき』さんや日本料理の技術、食材を活かすとすごく洗練された味になり、人気が出た。だったら僕の目線でほかのタイ料理も、『日本の食材を使った日本でしか食べられない料理にしたらどうだろうか』と考えたんです」。

ビア氏が巡るのはレストランだけにあらず。生産者のもとへも足を運ぶ。写真は、兵庫県西脇市の『川岸牧場』にて。

「生春巻」は鴨肉の旨み、野菜のフレッシュさと食感に、ジュレ仕立ての爽やかなタレが絡み合う。

「トムヤムクン」は、香り、酸味、辛味は抑えられているものの、出汁による優しくも力強い旨みが印象的。

美会日本の食材を活かした新しいタイ料理のあり方。

そして、『美会』は新たな道を進むことになります。

夜遅くになっても美味しい料理と酒にありつける店ではなく、『美会』でしか味わうことができないタイ料理を追求すること。岐阜のジビエ、気仙沼の鱶鰭、豊洲『やま幸』のマグロや、『旭水産』の白身魚、『川岸牧場』の神戸牛……。これまでビア氏が全国を食べ歩いてきたなかで築き上げた料理人や生産者とのパイプ・ネットワークを活かして仕入れる、日本全国の最高級の食材をタイ料理に。取材日、『美会』で供されたのは、まさにここでしか味わえないタイ料理になっていました。

たとえば、コースの幕開けとなる生春巻き。つけダレは、和の出汁にわずかにナンプラーを加え、コブミカンの葉で香りをのせてジュレ仕立てにしています。巻かれているのは黄色人参、新生姜、キュウリ、鴨肉など。しかも、この鴨肉がただの鴨ではありません。ミシュランの星付きフレンチなども使う、岐阜のハンターから直接仕入れる極上の鴨肉だというのです。「トムヤンクン」に使われる魚介類も、日本を代表する名店のものと同じ。豊洲『旭水産』より仕入れる天然蛤や車海老、鯛が、丁寧に取られた魚と蛤の出汁に。レモングラスやガランガル(タイの生姜)、コブミカンの葉といったハーブのニュアンスを感じさせながら、実に優しいトムヤムクンに仕上がっています。

「タイは暑い国だから、日本のようによい食材がとれない。だから、ハーブやスパイス、辛さや甘さを重ねた料理ができたとぼくは思っています。それを日本の本当にいい食材を使うと、まったく料理に対するアプローチが変わってきます」。

これでもかという素材を活かしつつ、香草を加えたり、スパイスでアクセントを足したり、和の調味料や技法を交えたり、緩急自在に『美会』の料理にタイのエッセンスを纏わせる。ありそうでなかった新しいタイ料理の形。『美会』でしか楽しむことができない味がそこには確かにありました。

「キンメダイ」は、細かくしたタイの香草を取り入れ、食感と香りのアクセントに。銀餡で和のニュアンスも出した。

店内に飾られた写真の中には、生産者や職人とのツーショットも。『日本橋蛎殻町 すぎ田』の杉田氏とは、前身となる『都寿司』時代からの付き合いで、ビア氏に仕入先を紹介するほどの仲。

美会雨降って地固まる。激動の10ヶ月がビア氏の心を変えた。

オープンから激動の10ヶ月。コロナ禍でコンセプトが変わり、人が変わり、料理が変わった『美会』。そして、コロナが変えたもうひとつのことがありました。

「生産者さんを助けないといけないという思いも芽生えました。そのためにも店をやっている自分こそ、この状況を乗り越えないといけない。そして、タイ料理を通してタイという国を知ってもらうことで、自分の故郷にも恩返ししていければいいですね。いろんな料理人さんが気遣ってくれてアドバイスしてくれて手を差し伸べてくれました。そんな方々のためにも頑張らないといけません」。

最後に、コロナが落ち着いたら、またもとの『美会』のコンセプトに戻るのか? と尋ねると、きっぱりとビア氏は答えてくれました。

「この店をもとのようにすることはありません。この料理でタイ料理の素晴らしさを知ってもらえたらいいですね」。

コロナ禍でコンセプトが覆され、絶体絶命の危機を迎えた『美会』。もちろん、料理、サービス、プレゼンテーションなど、完成度でいえばまだまだ改善の余地があります。それはビア氏自身が一番感じているところ。しかし、進むべき道が見えたいま、裏を返せばそれは前進していくしかないことを意味します。

雨降って地固まる。新生『美会』がこれからどんな形でタイ料理を昇華していくのか、期待は高まるばかりです。

『やま幸』の山口幸隆氏との一枚。この愛されキャラがビア氏の真骨頂。多くの料理人、生産者、仲買人などに愛される所以だ。

住所:東京都中央区銀座7-3-16 MAP
電話:03-3572-5599
営業時間:11:30〜22:30(23:00)
定休日:日曜・祝日

Photographs:JIRO OHTANI
Text:SHINJI YOSHIDA

深まる郷土への想い。コロナ禍で見出した、宮古島で料理をつくる本当の意味。[Restaurant État d’esprit/沖縄県宮古島市]

Restaurant État d'esprit  宮古島OVERVIEW

われわれONESTORYが沖縄に面白いレストランがあると聞き、取材のための情報収集を始めたのがおよそ2年前のことでした。
その店は宮古島の北西に浮かぶ伊良部島の片隅にあり、『紺碧 ザ・ヴィラオールスイート』のメインダイニング。シェフは生まれも育ちも地元・宮古島。東京やフランスの名店で修業し、さらにはバスク地方のレストランで研鑽を積んだ人物だといいます。そんなシェフがつくるのは、フレンチの技法を駆使して沖縄の食材を昇華させる「琉球フレンチ」……。
きっとそこにはこの店でしか楽しめない体験が待っているに違いない。
そんな確信を胸に、ONESTORYはその店への取材に挑むことになりました。
店の名は『Restaurant État d'esprit』。フーディなら一度は耳にしたことがある名前かもしれません。

ONESTORYが『Restaurant État d'esprit』を取材したのは2020年2月。新型コロナウイルスの脅威が日本各地に広がりはじめた頃でした。
しかし、取材は済ませたものの、3月~4月に設定していた記事公開は先延ばしになります。当然ながら取材した情報の鮮度は公開が遅れるほど落ちていきます。
そんななかで2020年11月、われわれは記事の公開時期を相談、宮古島の現状を聞くべく、シェフの渡真利泰洋氏にコンタクトを取ると……。
初めての取材からおよそ10ヶ月後。よもやONESTORYが再び宮古島を訪ねることになろうとは!

コロナ前とwithコロナの時代。観光産業が主軸となる宮古島という場所で、揺れ動く世の中でもがくレストランが見つけた答え。そして、2回の取材を通して見えてきた『Restaurant État d'esprit』の魅力とは一体何か? 
決して大げさではなく、そこには沖縄料理の未来がありました。

住所:沖縄県宮古島市伊良部字池間添1195-1 MAP
電話:0980-78-6000
営業時間:18:00〜22:00
定休日:不定休
http://www.konpeki.okinawa/

Photographs:YASUFUMI MANDA
Text:TAKETOSHI ONISHI

歴史深い桑名の魅力を垂直方向に掘り下げた宿の決意。[MARUYO HOTEL Semba/三重県桑名市]

『MARUYO HOTEL Semba』の外観。白地の暖簾に踊るは、ここが材木商「丸与木材」だった頃の屋号。

マルヨホテル東海道唯一の海上路・桑名に生まれた一棟貸しの宿。

東海道五十三次の42番目の宿場にあたる桑名宿。かつて多くの旅人を癒してきたこの場所は、東海道唯一の海上路・七里の渡しで宮宿(現在の名古屋市熱田区)と結ばれ、伊勢参りの玄関口として栄えてきました。また、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が合流する桑名には流通の拠点として発展してきた側面や、米相場(江戸期の先物相場)が置かれたことで相場師が集まり、経済の拠点として発達してきた側面もあります。

そんな歴史を刻んできた桑名市船馬町にこのほど誕生したのは、明治創業の材木商の建物をリノベ―ションした1日1組(4名まで)限定の1棟貸しホテル『MARUYO HOTEL Semba』。オーナーは、先の材木商・丸与木材創業者の玄孫にあたる『MIWA Holdings』代表の佐藤武司氏です。

「9年ほど前からパリで日本文化をご紹介する『Pavillion MIWA』という会員制倶楽部を運営しているのですが、そこで出会った方々が日本にいらした時に泊まれる場所をということで、2018年に京都の北区に『The Lodge MIWA』という長期滞在型の宿泊施設を造りました。自然に恵まれた長閑な場所なのですが、過疎化が進んでいて、そこへ旅行者が来るようになったことで村の方が自信を取り戻していくのを間近で感じたんです。一方、桑名には私の実家があり、曾祖父から受け継いできた場所が空いていて、父から『(桑名も)京都のようにできないか?』と相談されたことがきっかけです」。

オーナーの佐藤武司氏と、妻でギャラリストの正木なおさん。夫妻の美意識が貫かれた宿になっている。

マルヨホテルアートと滞在の場が自然に溶け合う空間作り。

最初は長期滞在者向けの宿を考えていた佐藤氏でしたが、3年前にギャラリストの正木なおさんと結婚したことで、1泊だけで特別な体験ができる宿へとプロジェクトは変化していきました。

現代アートと工芸を扱うギャラリー『Gallery NAO MASAKI』を営むなおさんは、「生活とアートがどういうところで接点を持ってくるのか?」を十数年に渡って追求してきた人物。そんな奥様と二人三脚で手掛けた宿は、現在と過去、東洋と西洋、アートと工芸の境を超越し、全てが滑らかに融合した空間になったのです。

「桑名は伊勢の入口であり、経済の拠点となってきた時代や明治以降に多くの西洋文化が流入してきた歴史があります。そんな土地が持っているイメージを感覚的に味わっていただきたくて、アンティークの要素を強く持ってくることを意識しました。まず建物自体が古い木造建築で、中に入ると西洋風の格子が表れます。ラウンジは和室なのに石張りという他にはない内装になっていて、この宿を象徴する空間になっています」となおさん。

興味深いのは、具体の堀尾貞治氏の作品や城所右文次氏のバンブーチェアと並列して飾られた江戸時代の蔵に使われていた引き戸。経年による風合いはまるで現代アートのよう。「ここに訪れたゲストからも“この作品の作家はどなたですか?”といった質問をされます」となおさんは言います。古いものがアートに見え、いつしか空間そのものがアートになっていく……。本来、自分から出て来ようもない感覚が引き出され、新しい自分を発見したような気分になれるのは、この宿ならではかもしれません。

「“〇〇の作品がある宿”といったマーケティング的視点ではなく、自分たちが居る空間に自然にアートが在るようにするには、元の建物をどのように改修していくかも重要。例えば、予算ありきで工務店に丸投げする方法では、“予算内に収めるためクロス張りにしましょう”というように、本来自分たちがやりたかったこととのズレが生じてしまいます。そこで、工務店を入れずに現場を直接見ながら、“ここにはアンティークの桧の扉を使いたいので、それに合わせて開口部を仕上げてください”というように、僕と大工さんとで少しずつ改修を進めていきました」と佐藤氏。

通常ではありえない現場は、20歳で宮大工に弟子入り後、数寄屋建築の名門・中村外二工務店で研鑽を積んで独立した相良工務店の相良昌義氏が担当。土壁や漆喰の質感ひとつからも古の息遣いが聞こえてきそうな空間が誕生しました。また、電気工事など専門知識が必要な部分はその都度、佐藤氏自ら専門の職人を手配。調度はもちろん照明の碍子ひとつまでこだわった空間にいると、まるで美の胎内にいるかのような心地よさを感じることができます。

白い漆喰と黒漆喰の対比、オーナー自ら買い付けた照明、選び抜かれたリネン……。非日常のスイッチが入る「room1」の主寝室。

墨を混ぜて作る夜の海の色のような黒漆喰、一輪差しの花、工芸品の棚の配置の妙が、アートな空間を作り出す。

珍しい網代の扉は、佐藤氏自らアンティーク家具店で買い付けてきたもの。「この扉が使えるように開口部を設計してもらいました」。

ジョサイア・コンドルをオマージュした洋室「room 0」。フランスのアンティークの扉から中庭に出るのもいい。デスクに飾られているのはアート作品ではなく、蔵の窓。

マルヨホテル往時の宿場町の面影を残す老舗・名店で夕食を。

名古屋からわずか1駅とアクセスのよい桑名ですが、あえてお勧めしたいルートがあります。それは、名古屋の熱田から桑名まで「七里の渡し」を船で渡るクルーズプランです。

『熱田神宮』をお参りし、湾内のゆったりした波に2時間ほど揺られれば、伊勢の玄関口を象徴する「一の鳥居」が見えてきます。海から伊勢の国に入る体験は、江戸期の旅人と共鳴する特別な体験になることでしょう。

川沿いに佇む築70年以上の古民家の敷居を跨げば、しっとりとした和の美を纏った空間。1階は読書やお茶など、ゆるりとした時間を過ごせるラウンジ。2室ある客室の1室は、黒漆喰の床の間が夜の海を彷彿させる空間で、戸外には桧の露天風呂が設えられています。もう1室は、近隣にある明治時代の洋館「六華苑」を手掛けたジョサイア・コンドルをオマージュした美しい洋室になっています。

また、こちらの宿はB&B(ベッド&ブレックファスト)方式なので、夕食は桑名や名古屋の名店で好みの食事をいただくスタイル。

「宿場町として栄えたきた桑名には、老舗や名店がとにかく多いんです」と佐藤氏が語るように、宿の近辺には蛤料理の『日の出』に松坂牛の鉄板焼き、しゃぶしゃぶの『柿安 料亭本店』、明治10年創業のうどん店『歌行燈』が。こだわりのご夫婦が営まれている『朔』は1日6名限定でランチのみ営業の日本料理店で、店で出す器は全て奥様が手掛けていらっしゃいます。名古屋方面へクルマで30分もいけば、ミシュラン一つ星のフレンチ『壺中天』や、デザートをコース仕立てにしていただける一軒家レストラン『Le Dessert』といった名店も。旅先で美味を堪能したい向きは、希望を伝えつつ、行先を相談してみるのもよいでしょう。

長閑な景色、昔ながらの設えが旅の疲れを癒してくれる2階のダイニングルーム。語らいや食事の場として利用することができる。

宿の近所にある船溜まり。その昔、東海道を船で渡った旅人を思いながら、近場を散策するのも楽しい。

マルヨホテル街の魅力ひとつ一つにスポットが当たることによって、街は底上げされてゆく。

旅先で目覚めた朝は、本当においしいシンプルな食事で胃を満たしたいもの。『MARUYO HOTEL Semba』では、全てにおいてこだわった朝食を提供しています。搾りたてのオレンジジュースは、近隣にある大正時代創業の青果店からとったものを使用。そのお店は創業時バナナ屋だったそうで、当時のバナナがどれほど高級品だったかを考えると、桑名という街の豊かさが感じられます。また、豆乳ヨーグルトにかける蜂蜜は、転地養蜂を営む4代目が採取した桑名にある天然記念物のモチの木の単花蜂蜜。さらりとした優しい味わいです。

「パンは焼きたてのクロワッサンとパン・オ・ショコラをお出ししています。これも宿を始めることでお付き合いのできた街のパン屋さんに“チョコレートはもう少し甘さを控えてください”など、細かいお願いをして今のカタチになりました。先方からも、“やりがいがあります”とおっしゃっていただいて、グラノーラもこちらにお願いしています。グラノーラに使う米油はそもそも桑名が発祥で、400年ぐらいの歴史がある油屋さんのものを使っています。こだわり始めたら、地元のよいものに目がいくようになりました。そこから新たな出会いやプロジェクトが生まれ、自分も楽しみながらこの仕事をやらせてもらっていますし、お客様にも桑名の凝縮された魅力や歴史を感じ取っていただけるはずです。いまは気軽に海外に行けない時期。そんな時だからこそ、水平方向ではなく垂直方向へ、その地域の時間を遡っていくような旅を楽しんでいただけたらと思います」と佐藤氏。

また、「ミニバーに置く水ひとつやタオル1枚にも最良を追求し、新たなプロジェクトが幾つも進行中」と言葉を続けます。

街が持つあらゆる場所や店にスポットを当て、その魅力を我々に伝えてくれる『MARUYO HOTEL Semba』は、桑名という街にとって灯台のような存在なのかもしれません。

全て桑名産か桑名の名店で仕入れた朝食。搾りたてのオレンジジュース、曳きたてコーヒー、焼きたてのクロワッサン、豆乳ヨーグルトとグラノーラにはもちの木のはちみつをかけて。

数ある海苔の品種のなかでも希少なアサクサノリを長い月日をかけて復活させ、90%以上使用した「幻の海苔」は風味抜群。パッケージの題字は陶芸家の内田鋼一氏。桑名発祥の米油を使ったオリジナルグラノーラ、天然記念物のモチノキの蜂蜜も合わせて旅のお土産に。

住所:三重県桑名市船馬町23 MAP
料金:1泊朝食付き33,000円〜 (1室2名の一人あたりの税抜料金。1室2〜4名)
アクセス:名古屋駅より近鉄特急で16分、桑名駅からタクシーにて5分。名古屋駅からタクシーにて30分。
撮影:志摩大介(adhoc)
https://www.maruyohotel.com/
 

Text:MAO YAMAWAKI

ビジョンがなければ地域創生はできない。前橋から日本を元気にしたい。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「『白井屋ホテル』は、想いの塊。地元をはじめ、国内外のみんながこの場所のために協力してくれました。感謝しかありません」と田中 仁氏。

白井屋ホテルなくしてはいけない風景があった。誰かが守らないといけないと思った。

創業は江戸時代。群馬・前橋にある老舗旅館『白井屋』は、2008年に300年以上続いた歴史に幕を閉じました。以降、廃業していましたが、2020年12月に『白井屋ホテル』として再生。

その救世主は、アイウエアブランドブランド『JINS』の創業者、田中 仁氏です。

田中氏は前橋出身であり、地域創生に取り組むため、2013年より自ら代表理事を務める『一般社団法人 田中仁財団』を設立。本プロジェクトは、その活動の一環です。

「財団設立の目的は、地元・前橋の活性化です。『群馬イノベーションアワード』と『群馬イノベーションスクール』を立ち上げ、文化・芸術の振興と起業支援などを行ってきました。そんな時、『白井屋』が東京のマンション業者に売りに出されてしまうかもしれないという話を伺いました。街の中心地にそれができてしまったら、風景が失われるだけでなく、前橋の街が廃れてしまうのではと危惧しました」と田中氏は話します。

何とかしなければいけない。

一般社団法人 前橋まちなかエージェンシー』の代表理事・橋本 薫氏や『アーツ前橋』の館長・住友文彦氏もまた、田中氏と同じ思いを抱いていた人物です。

「2013年に開館した『アーツ前橋』のシンポジウムに登壇させていただいたのですが、そこで橋本さんとお会いしました。館長の住友さん含め、ほか数人にも今回の件を相談されました。“田中さん、何とかしてもらえませんか……”と。それならば!と自分も意を固め、『白井屋』を残すための活動を始め、元オーナーより譲っていただきました」。

とはいえ、田中氏は、ホテル業は素人。専門業者や大手ゼネコンに委託を打診するも「ほとんどの方々にお断りされてしまいました」と言います。なぜか?

「田中さんの“ビジョン”では難しい。皆にそう言われました。前橋でホテルを運営するのであれば、低単価・高回転のビジネスホテル以外は無理というのが理由でした。しかし、そこに“ビジョン”はないと思ったのです。自分でやるしかない。そう思いました」。

ここから全てが始まります。

【関連記事】群馬・前橋から世界へ。創業300年の老舗旅館『白井屋』が新たにめぶく。[白井屋ホテル/群馬県前橋市]

「僕は、前橋の“点”だけでなく、“面”を活性化させたいと思っています」と田中氏。『白井屋ホテル』周辺には様々な点がめぶき、面になりはじめている。街の芸術・文化活動の支援・振興施設として2013年に出来た芸術文化施設「アーツ前橋」もそのひとつ。館長・住友文彦氏とも親交が深い。Photograph:前橋観光コンベンション協会

「何かを創造する時、街との共存は大前提」と田中氏。前橋には「水と緑と詩のまち」という、まちづくりのキャッチフレーズが存在する。『白井屋ホテル』が位置するエリアのすぐ隣にも利根川が流れるなど、豊かな水源によって育まれたものは多い。街中にも川は点在し、特に「広瀬川」は住民から愛されている。

「広瀬川」を歩き進めると萩原朔太郎の記念館などもあり、「水」「緑」「詩」のすべてが広瀬川を歩けば体感できる。そして、記念館をぬけて、間も無くすると目に見えてくるのが「太陽の鐘」。「世界的な芸術家・岡本太郎さんによる作品です。元は静岡県内のレジャー施設に設置されていましたが、同施設閉園後、姿を消した幻の作品と言われていました。2018年に官民連携事業により、市民の新たな活動のシンボルとして、市の中心部を流れる広瀬川河畔に移設し、新たなシンボルとして親しまれています」と田中氏。Photograph:MMA+SHINYA KIGURE

白井屋ホテル前橋はめぶく。『白井屋ホテル』もめぶく。そう信じている。

めぶく。

この言葉は、行政と民間によって生まれた前橋ビジョンです。

「前橋ビジョンは、民間の視点から前橋市の特徴を調査・分析し、本市の将来像を見据え、“前橋市はどのようなまちを目指すのか?”を示す街作りに関するビジョンを共通認識できるよう言語化したものです」。

このビジョン策定にあたり、前橋市は『一般財団法人 田中仁財団』からの提案を受け入れ、都市魅力アップ共創(民間協働)推進事業として連携を諮ります。 策定に向けた具体的な作業は、前橋に偏見のない外部の視点で分析してもらうため、同財団が『ポルシェ』や『アディダス』などのブランド戦略を手掛けるドイツのコンサルティング会社『KMS TEAM』に依頼。2016年2月には「Where good things grow(良いものが育つまち)」という分析が成されました。

この英文を同じく前橋出身の糸井重里氏が新しい解釈に基付き、日本語で表現したものが「めぶく。」です。

「『白井屋ホテル』は、ビジョンを第一優先に考えたホテルです。そこには“めぶく”があるのか? ないのか? “めぶく”ためには、自分は何をしたらよいのか? そんなことから創造された場所です」。

とはいえ、最初から足並みが揃っていたわけではありません。大きなことから小さなことまで摩擦と反発は日常茶飯事。理解してもらえないことも多々ありました。市長と築いた関係も任期が変わってしまえばゼロからのやりなおしもしばしば。一貫性を保つことすら困難をきたします。

「それでもめげずにやってきました」。

田中氏は、本件以前より、商店街の活性化にも注力しています。ポートランドからパスタ屋を展開させるほか、地元住民が始める店舗の支援など、徐々に輪を広げ、地域との関係性、信頼を築いてきました。

「信頼を得るには時間がかかります。そこは丁寧にじっくりと積み重ねていくしかありません。『白井屋ホテル』完成後、まず最初に『白井屋』の元オーナーさんにいらしていただきました。この場所を残したことや屋号をそのまま採用したことをとても喜んでくれて。それが何より嬉しかったです」。

再生による創生。歴史を分断せず、引き継ぐために“めぶく”場所。
それが『白井屋ホテル』なのです。

創業当時の『白井屋』。「街のシンボルでもあった『白井屋』の歴史を途絶えさせてはいけないと思いました」と田中氏。

「多様な人やモノ、活動を受け入れ、巻き込み、巻き込まれながら、前橋の街とともに『白井屋』がこれからも変化し、成長していくことを願っている」と『白井屋ホテル』の再生を手がけた建築家・藤本壮介氏。Photograph:SHINYA KIGURE

白井屋ホテル藤本壮介からジャスパー・モリソン、群馬の芸術家まで。連鎖した想いの集結。

『白井屋ホテル』の再生は、建築家の藤本壮介氏が担います。その作りはもちろん、注目すべきは、4つの客室と様々に配されたアート、レストランのクリエイティビティです。

「客室には、元々あった建物をリノベーションしたヘリテージタワーと隣に新設したグリーンタワーから成り、全25室あります。中でも是非体験していただきたいのは、ジャスパー・モリソン、ミケーレ・デ・ルッキ、レアンドロ・エルリッヒ、藤本壮介が手がけたスペシャル・ルームです。それぞれに個性があり、ほかにはないホテルライフをお過ごしいただけると思います」。

錚々たる面々の空間は、まさに泊まるアート。

「実は、彼らはみんな僕の知り合いなのですが、ほぼボランティアで参画してくれています。ジャスパーに限っては、“自分が客室を手がけるのはこれが最初で最後”と言っていました。本当に感謝しかありません。また、25室中8室には群馬出身のアーティスト牛嶋直子、小野田賢三、木暮伸也、鬼頭健吾、竹村 京、白川昌生、村田峰紀、八木隆行の作品が飾られています。世界の一流と肩を並べる環境は良い共鳴を生むと思っています。彼らはこれがきっかけで東京『フィリップス東京』でも個展を開きました(すでに終了)。そうやって派生していくのも良いモデルケースになったと思います」。

国内外の一流は、田中氏の情熱に引き寄せられ、『白井屋ホテル』を起点に広がりも見せています。

そのほか、外観をローレンス・ウィナー氏のメッセージが彩り、パブリックスペースには、杉本博司氏、ライアン・ガンダー氏、宮島達男氏などの作品がそこかしこに点在。美術館級のオリジナル作品が贅沢なまでに配されています。

内包される『the RESTAURANT』は、『ミシュラン東京ガイド』二つ星を獲得する『フロリレージュ』の川手寛康氏が監修。

「『フロリレージュ』は、自分が大好きなレストラン。是非ご一緒したく、川手さんにご相談したところ、快く引き受けてくださり、『the RESTAURANT』の片山シェフの研修もさせていただき、川手さんの人脈でほかのレストランでも学ばせていただく環境も整えてくれました。ゆかりのない前橋にも足を運んでくださり、生産者の元へも巡り、どうすれば前橋の食をより良く表現できるのかを熟考してくださいました」。

片山シェフは、『群馬イノベーションスクール』出身の人物でもあります。川手シェフとともに地域食材を独自の解釈で再構築させ、上州キュイジーヌとして提供します。

「世界の一流を前橋で体験できるということは、この街にとって価値あることだと思っています。地域には雇用を生み、住民にはコミュニティを生みます。“前橋のリビング”だと思って、老若男女いつでも遊びに来ていただきたいです。僕は、小さなころから建築が好きなのですが、それは実家が100年以上続いた建物に住んでいたからだと思っています。小さなころから本物に触れることは、未来の感性を養うことにつながるのではないでしょうか。そういう意味では、小さなお子さま連れも是非。また、今回はホテルを作りましたが、自分が目指すべきは“点”が“めぶく”ことによって“面”が“めぶく”こと。前橋は人口34万人の中核都市です。この中核都市は、日本に85ヶ所あると言われています。きっと同じような悩みをかかえている街も多いのではないでしょうか。前橋がひとつのロールモデルになれれば良いなと思っています」。

前橋の“めぶく”芽、才能、人は、大地に眠っています。それを開花させるための地均しと水やりこそ、田中氏の使命であり、活動の核なのかもしれません。

「古今東西、どの地域を見ても一番大切だと思うことは“学育”ではないでしょうか教育は教えて育むものですが、学育は学んで育むもの。学ぶ場を作りたくて『群馬イノベーションスクール』も立ち上げました。個が養われていけば、地域はもっと良くなると思いますし、きっと強くなるとも思います。前橋から日本を元気にしたい」。

「『白井屋ホテル』の中で自分が一番好きな景色は、ジャスパー・モリソンが手がけた客室から見る景色」と田中氏。Photograph:SHINYA KIGURE

「ヘリテージタワー1階の吹き抜けにある螺旋階段も好きな景色です。支柱なく作れる技術は非常に高度なのです。是非、館内を色々回遊して多角的な景色をお楽しみいただければと思います」と田中氏。

1963年、群馬県前橋市生まれ。アイウエアブランド『JINS(ジンズ)』代表取締役社長。1981年『前橋信用金庫(現・しののめ信用金庫)』に入庫。1986年、服飾雑貨製造卸会社に転職し、1987年、個人にて服飾雑貨製造卸業の『ジンプロダクツ』を創業。1988年、『有限会社ジェイアイエヌ(現・株式会社ジンズ)』を設立。2001年より、アイウエアブランド『JINS』を展開。2006年、ヘラクレス市場(現・JASDAQ市場)に上場、2013年、東京証券取引所 市場第一部に上場。2014年、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程を修了。故郷・群馬県内での地域活性化活動を目的に田中仁財団を設立し、代表理事に就任。

住所:群馬県前橋市本町2-2-15 MAP
電話:027-231-4618
https://www.shiroiya.com

Photograph:KENTA YOSHIZAWA
Text:YUICHI KURAMOCHI

日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思った。

切り返しをする『花の香酒造』6代目、神田清隆氏(右)と松本日出彦氏(左)。一緒にお米に触れ、酒造りをすることによって、より絆は強固に。

HIDEHIKO MATSUMOTO心と体が同時に動いた。すぐ熊本から京都に向かった。一緒に酒造りをするために。

「“守破離”は、本当に好きなお酒だった」。

そう感慨深く話すのは、熊本県北の『花の香酒造』6代目、神田清隆氏です。

「2020年12月、SNSで(松本)日出彦さんが『松本酒造』を辞することを知り、衝撃を受けました。同時に涙が止まりませんでした」と言葉を詰まらせます。

『花の香酒造』もまた、1902年創業の老舗酒造。伝統を背負う自身と重なり合う部分があったのかもしれません。

もし逆の立場だったら……。そう考えるも、あまりに想像を絶するため、「第三者の自分ですら全くその事実を受け入れることができませんでした」。

神田氏は、すぐに松本氏に連絡。想いを伝えるために京都へ向かいます。

「日出彦さんが造る日本酒のファンは多い。自分もそのひとり。日出彦さんのお酒を一年でも市場からなくしてはいけない。そう思いました。酒造りを辞めてはいけない。いや、辞めないでほしい。だから、一緒に酒造りをしよう」。

驚くべきは、当時のふたりの関係。「互いの存在は知るも、面識がある程度でした」と神田氏。それでも「遠慮している場合ではない。心と体が同時に動いた」と言葉を続けます。

「神田さんからご連絡をいただいた時にはびっくりしました。本当に皆さんに支えられて今があります。感謝しかありません」と松本氏。

同じ酒造りをする職人同士は、あっという間にその距離を縮め、2021年3月には同じ現場に立っています。

「蔵も免許も失った自分は、進むも地獄退くも地獄。どちらも地獄ならば、進むしかない。その背中を押してくれたのは、昔からお世話になっている方々や仲間、家族の存在でした。もちろん、神田さんもそのひとり」。

地獄の先にはどんな景色が待っているのか。

「それを確かめるために、今できる酒造りを精一杯やらせていただきます」。

午前10時。もくもくとした湯気が酒蔵を包み、お米の香りが充満していきます。

「お米の香りを吸い込んだ時、胸に色々なことが込み上げてきた。涙が出そうになった」。そう話す松本氏は、日々の武者修業を通じて鍛錬を積み重ね、身体を覚醒してきます。

蒸しあがりと同時に神田氏が叫びます。

「日出彦さん、今日の仕込みを始めましょう!」。

蒸しあがった釜の蓋が上がる瞬間、濃い湯気が立ち込め、同時にお米の香りが広がる。

「地域が変わればお米も変わる。例え同じ品種だったとしても同じ味、同じ香りはありません」と松本氏。

種麹ひとつ取っても、それぞれの蔵のスタイルがある。『花の香酒造』が使用するのは、『樋口松之助商店』の吟醸用種麹ヒグチモヤシ。100kgのお米に対して40gを推奨。

 シャッ、シャッ、シャッ、シャッとリズム良く種切りをする神田氏と松本氏。息の合った音は、まるで錫杖のように心地良い響き。

手際良く蒸したお米の熱を下げていく『花の香酒造』のスタッフたち。松本氏も『花の香酒造』の一員として、ひとつ一つの工程に携わる。

生酛場にてお米を冷やす。室温は5℃に設定され、お米も同様の温度まで下げる。

この日は、お米を34℃に設定。蒸し立てのお米に空気を含ませ、温度を下げていく。

HIDEHIKO MATSUMOTO酒造りは酒造りだけにあらず。『花の香酒造』が目指すは、産土の精神。

この日の仕込みは、朝から麹米を蒸し、引き込み、切り返し、種切り、床もみ、盛り上げ。『花の香酒造』では、昔ながらの生酛造りを大切にしています。

野性味溢れる味わいは、酒母の力強さゆえ。自然が成す深い厚み、複雑さ、コクは、その手法の好例でもあります。時間と手間がかかる生酛造りは、続けている酒蔵も少なく、そう言った意味でも『花の香酒造』は貴重な存在です。

しかし、「一番のこだわりは“香り”。飲んだ瞬間、お米が持つ本来の香りを大事にしたい」と神田氏は話します。

そんな酒造りにおいて欠かせない原料、水とお米にも『花の香酒造』らしい哲学があります。

日本酒のテロワールとなる「産土」です。
(ウブ・産、ス・土、ナ・地の統合したもの。生まれた土地、生地、本居/広辞苑より)

「今回の武者修業で大切にしていることは、地域の環境を知ることです。この土地だから、この原料が生まれ、この酒ができる。余所者の自分は、まず学ぶことが始まり。それを理解しなければ、酒造りに参加する資格はないと思っています。技術云々は、その後」と松本氏。

熊本県玉名郡和水町にある『花の香酒造』は、丘陵地に囲まれた盆地と周囲の田園に流れる川沿いにあります。しかし、自然と寄り添うゆえ、避けて通れないのは天災。2016年の熊本地震や2020年の熊本豪雨では、酒蔵前に流れる川壁を大きく抉り、その傷跡は、今も残っています。熊本のシンボル、阿蘇山もまた、美しさの中に脅威を孕んだ自然の産物。

「熊本と言えば、阿蘇山。約9万年前に噴火した地盤の下には幾十も層が重なり、そこから染み出している岩清水を使って酒造りをしている。それだけで特別だと思います。そして、何より素晴らしいのはお米。これには神田さんの並々ならぬ努力と熱量を感じます」と松本氏。

それは、熊本在来品種「穂増(ほませ)」です。

「以前、お米の勉強をしようと、佐賀県唐津市にある『菜畑遺跡』に伺ったのです。日本最古の稲作発祥地として知られるそこには資料館も併設され、発掘された遺跡からは炭化したお米が発見されたとありました。それは、山形の“亀ノ尾”、静岡の“愛国”、滋賀の“旭”、兵庫の“神力”、岡山の“雄町”、そして熊本の“穂増”の6種。熊本にこんなお米があったのか!? 恥ずかしながら、初めて知りました。しかし、“穂増”だけ子孫が途絶えてしまい、詳細が不明でした。その後、調べを続けると、江戸時代に天下一のお米と言われた名米だったことがわかったのです。これは熊本の宝だと思い、 “穂増”をもう一度育て、それで酒造りをする決心をしたのです」と神田氏。

そこから「穂増」の復刻劇が始まります。まず、熊本の農家複数によってプロジェクトは立ち上がり、あらゆる手を尽くして種子を手に入れるも一筋縄にはいきませんでした。神田氏は3年目から加わり、そのための田んぼを作るべく山林も購入。環境ごと作ってしまったのです。前出の松本氏が言う「神田さんの並々ならぬ努力と熱量」とは、このことを指しています。もちろん、「穂増」で酒造りをしているのは、『花の香酒造』のみ。

2017年から苗を植え、収穫し、「穂増」のお米で酒造りを始めるも「まだ特徴を掴みきれていない」と神田氏。2020年は作付けから携わり、酒蔵の前段階より酒造りに勤しみます。2014年より杜氏に就任した神田氏の経歴から考えれば、スピード感に長けた脅威の行動力。

この土地唯一の造り酒屋『花の香酒造』は、神田角次、茂作親子が妙見神社所有の神田を譲り受けてお米を作り、神社から湧き出る岩清水で酒造りを始めたのが原点です。『神田酒造』として誕生した蔵が『花の香酒造』へと名前を変えたのは1992年のことでした。歴史を振り返っても、大きな決断をした年だと思います。そして、酒造りから100年の節目を迎えた2014年には、日本の伝統酒としてだけでなく、世界へ羽ばたく“Sake”を目指すべく、私たちにとって新しい酒造りの幕が開けました。何かを成すには常に判断と決断が迫られます。いつの時代にも挑戦、イノベーションが『花の香酒造』にはあり、その精神も自分は受け継がなくてはいけないと思っています」と神田氏。

「今、まさに挑戦とイノベーションの渦中にいるので、より勉強になります。以前、日本酒業界は、高度成長期のように、みんな同じようなものを作って、同じように売っている時代もありました。当時の流れでは自然だったのかもしれませんが、今は違う。いかに地に根差しているかはとても重要」と松本氏。

「実は、新型コロナウイルスの影響によって2021年に酒造りをしない蔵が結構あります。理由のひとつは、在庫過多です。緊急事態宣言や自粛によってレストランをはじめとした飲食店の休業、時短は私たちにとって死活問題。決して、『花の香酒造』も余裕があるわけではありませんが、酒造りをしなければ農家さんの生活を守れない。田んぼを維持できない。色々な問題が発生してしまいます。だから、酒造りを続けています」と神田氏。

酒造りは、雇用を始め、自然環境や生態系を循環する一部なのです。また、迎えてしまった難局においても前を向き、「田んぼの不耕起栽培の下地作りやスタッフとのコミュニケーションを強固にする時間に費やした」と言葉を続けます。

「次に必要なことは、その熱量と取り組みをどう可視化と言語化をして社会と共有していくか。日本酒を飲んでみたいけど、どんな味がわからない方々は、是非、背景を飲んでほしい」と松本氏。

その背景を伝えるためにはどうしたらよいのか。それをシェアしていくことが、これからの日本酒業界には必要なのかもしれません。

それ以外にも、蔵の構造の質疑、道具、機械設備、米の検査基準の現状まで、会話が尽きません。

「こうやって議論をしたり、情報交換をできるのは、現場にいるから。一緒に酒造りをしているから」とふたり。

「それにしても、端正込めて育てたお米で酒造りをしていると、お米の表情も喜んでいるように見える。そう思いますよね、日出彦さん!」。

視線の先には、笑顔で頷く汗だくの松本氏の姿がありました。

 酒造りだけでなく、蔵の中をくまなく回遊する松本氏。「日出彦さんには、酒蔵の改装の相談にも乗ってもらおうと思っています」と神田氏。

「酒造りの流れを効率良く作業するためには、機械や道具の配置も重要」と松本氏。神田氏にヒアリングしながら、『花の香酒造』にとっての最適をイメージする。

 「お米の等級検査の機械って…」、「あれはお米が表か裏かによって…」、「なるほど、じゃあ数回通してチェックして…」。立ち話の時間も常に酒造りの話。「お米の格付けをする制度の話をしていました。非常にマニアックな内容ですね(笑)」と松本氏。「日出彦さんは、知識が豊富」と神田氏。

 お米の肌触り、温度、香り。「手の感覚も徐々に戻ってきた」と松本氏。

切り返し、種切り、そして、盛り上げを行う松本氏に「日出彦さん、お米が喜んでるでしょ!」と神田氏。目で微笑み返す松本氏を見た神田氏は、「日出彦さんは、やっぱり現場が似合う」とこっそり呟く。

熊本地震で崩れ、復旧するも2020年の豪雨で再び崩壊した川壁の跡。豊かな自然環境に身を置くゆえ、その恩恵を受けられるも、天災とも運命共同体。

手前の川沿いに連なる建物が『花の香酒造』。その右手にある中央の円形の山が新規に購入した土地。田んぼを作り、「穂増」を育てる。

HIDEHIKO MATSUMOTO目の前の問題に背を向けてはいけない。日本の宝が失われる前に何とかしなければいけない。

「酒造り以外も議論させていただいているのですが、やはり田んぼの環境問題、維持問題、後継者問題、資金問題は深刻。それは、前回お世話になった『冨田酒造』でも感じたことです。幸い両蔵は、ちゃんと地域と繋がり、関係性を構築できていますが、全蔵がそうゆうわけではありません。廃業してしまったり、枯れ果ててしまったりと、深刻化されています。しかし、そんなことを報道やニュースで取り上げるメディアは中々ありません。きっと自分ごと化している人が少ないのかもしれません」と松本氏。

しかし、「もし日本から田んぼがなくなったら? もし日本からお米がなくなったら?」と考えてみれば、全国民で向き合うべき問題だという意識が芽生えるのではないでしょうか。

「世界的に見ても、これほどまでに良いお米ができる国は稀有だと思います。しかも、日本は大陸から少し離れた島国。外国人にとっては、まるで秘境のように映っているのではないでしょうか。そんな秘境の中にある地域。そして、地域ごとに生まれる日本の国酒・日本酒。地域性があればあるほど、きっと魅力的に感じるのではないでしょうか。そんなふうに物事を俯瞰して客観視できるようになったことも外に出たから。この感覚を大事にし、業界と共有し、社会と共有し、日本酒を取り巻く全てに貢献したい」と松本氏。

「酒造りに費やしてきた時間は、自分とは比べものにならないくらい向き合ってきた人。それが日出彦さん。酒造りも含め、一緒に過ごす時間は非常に勉強になっています」と神田氏。

「これまでは、自分の考えをもとに酒造りに没頭してきましたが、今は誰かのために酒造りをすることに喜びを感じています。それは、自分のこと以上に力が漲る。人の生き様を享受できるのは本当にありがたい。日本酒は生き様ですから。『花の香酒造』に対しても、これから一生をかけて恩返しをしていきたいと思っています」と松本氏。

皮肉なことに、「一生」という言葉の重みは、新型コロナウイルスによって増したかもしれません。

「今なお猛威を振るう新型コロナウイルスによって、医療従事者の方々は本当に大変な立場で国民を救ってくださっていると思います。これは日本だけの問題ではなく、世界の問題。未だロックダウンを繰り返す国や地域も少なくありません。ではなぜ、人類は、このウイルスを恐れるのか。それは、人を死に追いやる感染症だからです。それによって、人は“生きる”ことと“死ぬこと”を現実として受け入れるようになりました。生きていることは、当たり前ではない。今、生かされていることに感謝し、今、酒造りをさせていただけることに感謝し、これからの道を探していきたいと思います」。

前述、地獄はもう見た。あとは這い上がるだけ。

今、松本氏が歩んでいる道は、進化ではなく、深化。

酒職人として、人として、深く、より深く、必死に生きる。

熊本県玉名郡和水町の蔵元『花の香酒造』。明治時代に神田角次と神田茂作の親子で始めた酒造りは、内に梅の香りが漂うことから「花の香」という酒名が付いた。1992年には『神田酒造』から『花の香酒造』に社名も変更。

『花の香酒造』の中庭と蔵の建つ川沿いには、美しい梅の花が咲く。世界が新型コロナウイルスに翻弄される中、季節は変わらず訪れ、花は咲く。改めて、自然の偉大さを感じる。

「自分はもちろん、『花の香酒造』全体で日出彦さんをバックアップするつもりです」と神田氏。「神田さんをはじめ、『花の香酒造』の皆さんには感謝しかありません。自分はここでどんな貢献がでいるのか、精一杯考えてご一緒させていただきます」と松本氏。

「日出彦さん、初めて仕込んだ木桶のしぼりです。ちょっと試飲してみてください」と神田氏。「うん、うん……。もろみ23、アルコール15、酸1.46、アミノ酸0.56……」。味と数値を確認する松本氏。「なるほど。柔らかい岩清水の特徴とミネラルの香りも出ていていいですね」。

住所:熊本県玉名郡和水町西吉地2226-2 MAP
TEL:0968-34-2055
https://www.hananoka.co.jp

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

再度入荷しました!

皆様こんにちは!

前回ブログに書きましたが倉敷では桜も見頃でやっとこさ春らしくなってまいりました🌸


デニムストリートでは人気商品のかすてらまんじゅうが再入荷しております(=´∀`)




あえて食欲がなくなる青色で作ってます笑

見た目とは裏腹に中身はこし餡でお茶請けにぴったり!!


倉敷に来たお土産にもぴったり!?

ウケること間違いなしです( ̄∀ ̄)

霞ヶ浦と北浦の豊かな水が育む、爽やかな初春の香り。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・セリ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

春の七草のひとつとして知られるセリ。

川に生える野ゼリは初春の風物詩ですが、ここ行方市での出荷時期は10月中旬から4月下旬まで。12月から2月のセリは葉が柔らかく爽やかな香り、以降は食感も香りも強くインパクトのある味わい、と季節による違いが楽しめます。

そんな長期にわたる収穫を可能にしている要因が、水の豊かさです。

霞ヶ浦と北浦に挟まれ、豊富な地下水を湛える行方市で主に水稲との二毛作栽培で育てられるセリは全国有数の出荷量。

さらに首都圏から約70kmというアクセスの良さ、収穫後に急速に冷やして鮮度を保つ予冷の徹底などで、食卓に新鮮なままのセリが届くのです。

鼻に抜ける爽やかな香りで、春の訪れを告げるセリ。

その栽培の様子を探るため、行方市を訪れます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

300種に及ぶ品種は、先人たちの努力の結晶。小さなイチゴに潜む、たくさんの物語。[NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM・イチゴ/茨城県行方市]

なめがた ベジタブルキングダムOVERVIEW

赤く色づく小さなイチゴ。

その甘酸っぱいおいしさから一般的にはフルーツに分類されますが、樹木ではなく茎に実がなる草本性であることから、性質上は野菜とされることも。これほど老若男女誰しもに愛される野菜というのも珍しいかもしれません。

そしてもうひとつイチゴならではの特徴が、その品種の多さにあります。

とちおとめ、女峰、とよのか、紅ほっぺ、あまおう、章姫……。少し考えるだけでも10や20の品種がすぐに思い浮かびます。

一説には日本国内にあるイチゴの品種は300種以上といわれています。

そしてこの種類こそ、イチゴ栽培の歴史。「もっと甘いイチゴを」「もっとおいしいイチゴを」という先人たちの努力の結果にほかなりません。

イチゴ栽培面積全国7位の茨城県にも、そんなストーリーが潜んでいました。小さなイチゴに潜む、大きな夢。今回はそんな物語を探しに、行方市『森作いちご園』に向かいます。

【関連記事】NAMEGATA VEGETABLE KINGDOM/温暖な気候、肥沃な大地、豊富な水。年間60種以上の野菜が育つ、日本屈指の野菜王国


Photographs:TSUTOMU HARA
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by なめがたブランド戦略会議(茨城県行方市))

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

味の決め手は内包する水分の透明度。フードキュレーターと『茶禅華』川田智也シェフがめぐる浜松の食材。[静岡県浜松市]

山間にある古刹・大福寺にて。この寺に伝わる納豆が、川田氏の心を捉えた。

ファインド アウト 静岡山間の古寺に受け継がれる門外不出の納豆。

食材のプロフェッショナルであるフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、それをトップシェフにプレゼンする。そんな二段構えの構成でお届けしている今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

プレゼンする相手は、中華料理で国内唯一のミシュラン三つ星を獲得する『茶禅華』の川田智也シェフ。そしてフードキュレーターが対象エリアとして選んだのは、中華に適した食材が数々眠る浜松エリアです。

視察の1日目では静岡の歴史を起点に、この土地ならではの食材をプレゼン。2日目となるこの日は、果たしてどんな食材との出合いが待っているのでしょうか。

この日、一行がまず向かったのは三ヶ日町の山間にある大福寺。創建平安前期、鎌倉時代に建立された山門が出迎える古刹です。宝物館に収蔵される貴重な古文書や室町時代に作られた庭園も見どころですが、この日の目的は、この寺に代々伝わる大福寺納豆。およそ400年前から門外不出の製法で作られる名物です。

「いまから400〜500年ほど前、中国(明)の高僧が禅寺に持ち込み、植物性のタンパク質しか摂れない寺での栄養源として広がったのが寺納豆の起源です」

そんなご住職の話に耳を傾ける一行。

かつては徳川将軍家にも献上されていたが、あるとき納期が遅れ、家康が「浜名の納豆はまだ来ぬか」と催促したことから“浜名納豆”の呼び名が定着。それが縮まり“浜納豆”となり、戦後は大福寺の名を冠し“大福寺納豆”の名を正式に採用した。そんな名前の変遷からも、悠久の歴史を感じます。

フードキュレーターのふたりは、2015年に静岡県日本平で開催された『DINING OUT NIHONDAIRA』でこの大福寺納豆と出合い、ぜひ川田氏にご紹介したい、と考えていたといいます。一方の川田氏も、その名は聞き及んでいました。

「中華で豆鼓(トウチ)というと京都の大徳寺納豆やこの大福寺納豆のようなもの、とまず教わります。浜納豆をみるのは初めてですが、まさに豆鼓に近いですね」

その後、ご住職の好意で大福寺納豆を試食させて頂く一行。

川田氏は「やさしい、柔らかい味わい。口に入れた瞬間はやさしいけれど、そこから広がり、奥行きが出て立体的になります。とてもきれいなおいしさですね」と、噛みしめるように味わいます。そしてしみじみと「中国で生まれたものが海を越えて伝わって、大切に守り続けられている。感慨深いものがありますね」とつぶやきました。

ご住職が画像付きで解説する納豆の製法を、身を乗り出して見る3名。

大福寺納豆。粘りはなく、やさしい味の後に、複雑な広がりがある。

製法は門外不出だが、できる限り詳細に大福寺納豆の作り方を教えてくれたご住職。

開創は875年、1207年に現在地に移ったと伝わる由緒正しき寺。

ファインド アウト 静岡

天然か養殖かではなく、調理法との相性で食材を考える。

次の目的地に向かう前に、昼食の時間。浜松といえば、やはりウナギが外せません。浜名湖は100年以上前から続く日本のウナギ養殖発祥の地。そのため人口あたりのウナギ料理屋の軒数は静岡県が日本トップ。浜松をはじめとした近隣エリアでも、無数の専門店がしのぎを削っています。

一行が訪れたのは、そのなかでもナンバーワンとの呼び声高い『あつみ』。明治40年の創業以来、浜名湖産のウナギにこだわる名店です。
川田氏が『茶禅華』で出すウナギは、身は焼き、皮は蒸してから揚げる中国式。別物なのかと思いきや「皮目の香ばしさ、身の柔らかさなど勉強になることばかり」とか。そして「やっぱりおいしいですね」と感嘆のような感想を漏らしていました。

昼食を済ませた一行の続いての目的地は、浜名湖畔でスッポンの養殖を営む『服部中村養鼈場』。ここはフードキュレーターのふたりが、日頃からスッポン料理を手掛ける川田氏にぜひ紹介したかったという施設。

そして実は川田氏自身も、かねてから訪れたかったという場所でもあります。

「以前、和食の料理人さんから、“焼きスッポンをやるなら服部中村養鼈場”と伺ったことがあります。煮る、揚げるという調理には身の締まった天然物が最適ですが、焼くなら適度な脂がある方が良いのです」と川田氏。服部征二社長の案内で養殖池を見学しながら、早くも料理のイメージを考えているようです。

服部社長によれば、こちらの創業は1879年(明治12年)。除草剤や抗生物質を使用せず、餌は魚のミンチ。自然に近い状態で3〜4年かけてじっくり育てることで、旨味濃いスッポンになるのだといいます。

「日照時間が長く甲羅干しも含めて天然の環境に近づけやすいことが、浜松がスッポン養殖に適している理由です。ストレスなく育つことで、天然と比べて身が柔らかく、臭みなどが一切ないスッポンになります」と服部社長。

冬眠をして脂を蓄える10月から3月が旬、4月以降は動き回るため身が締まってくる、との話も興味深く聞きながら川田氏は「ぜひここのスッポンで焼きスッポンをやってみたい」とすでに決意している様子でした。

浜名湖産のウナギを備長炭で焼き上げる『あつみ』のウナギ。平日でも行列必至の人気店。

中華料理と日本料理。異なるジャンルであろうと、常に何かを学び取ろうとする姿勢の川田氏。

訪問時はスッポンは冬眠中だったが、養殖場の環境などをつぶさに見学。

服部社長がこだわりを持って育てるスッポンは、京都の名門料亭をはじめ、各地にファンが多い。

脂が乗り、身が柔らかい旬のスッポン。川田氏はすでに料理のアイデアまで考案していた。

ファインド アウト 静岡噛むごとに旨味があふれ出す、フランス原産の上質な鶏。

最後の目的地は『フォレストファーム恵里』。ここは全国でも珍しいフランス原産の鶏・プレノワールを飼育する農場。代表の中安政敏氏が丹精込めて鶏を育てています。

実はフードキュレーターのふたりは、先の事前視察で訪れた浜松駅前商店街のマーケットイベント『浜松サザンクロスほしの市』で、プレノワールの焼き鳥屋台を出店する中安氏と出会い、再訪を約束していました。

一行を快く迎える中安氏。さっそく鶏舎を案内しながら、自慢のプレノワールの解説を聞かせてくれます。

フランス農水省が優良品質の品目を認定する「ラベルルージュ」に選ばれるプレノワール。独特の歯ごたえがあり、コクと旨味のある肉質は高級レストランでも重宝される名品ですが、飼育に手間がかかるため全国でも生産者は数えるほど。「おそらく静岡県ではうちだけです」という希少な鶏です。

開け放たれた鶏舎では200羽ほどのプレノワールが、のびのびと育っていました。さらに中安氏は、自家配合の飼料など、独自の工夫でさらにプーレノワールの魅力を引き出しています。「飼料は湯葉カスや地元ブリュワリーからもらうビールの麦汁、米、大麦、小麦、糠。そこに玄米の乳酸菌と酵母菌を加えます。化学飼料はもちろん、動物性タンパク質も一切入れないことで、臭みを抑えています」と中安氏。さらにその場で炭を起こし、焼き鳥にして試食をさせてくれました。

「独特の食感ですね。決して固いわけではないのですが、旨味が出てくるのでずっと噛みたくなる味です」と川田氏。さまざまな鶏を食べて比べてきた川田氏にしても、さらなる発見があったようです。

「本当に良い経験をさせてもらいました」

東京への帰路、川田氏はそう話し始めます。「東京にいても多くの食材は手に入りますが、やはり現地に赴かないとわからないことがある」といいます。そして今回、浜松で感じ取ったことを次のように語ってくれました。

「中国料理は火の料理、日本料理は水の料理です。そしてその両者を現在という時間軸を考えた上で取り入れる“和魂漢才”が私の料理のテーマ。静岡の食材は、野菜も魚も肉もお茶も、本当においしかった。そのおいしさを紐解いていくと、中にある水分のクリアさに行き着きます。水分がクリアだから味に透明感があり、立体感があります」

コロナ禍で、ライフワークとしていた中国訪問ができない分、日本に目が向いているという昨今。改めて“水の料理”たる食材に触れ、その素晴らしさを再確認しているのだという川田氏。
「静岡の食材、それも植物性だけのXO醤を作ってみたらおもしろいかもしれませんね。根菜やネギ、豆、それにお茶の油。静岡の豊かさをうまく表現できそうです」

行く先々で、食材が発する小さな声に耳を澄ますように、真摯に食材と向き合っていた川田氏。その心の中に、浜松の素晴らしい食材たちは確かな足跡を残したようです。

開放的な環境でストレスなく育てることもプレノワールのおいしさの一因。

竹炭作りで全国に弟子も持つ中安氏。プレノワールの飼育でも、独自のおいしさを追求する。

シンプルな塩味の焼き鳥で、肉のおいしさが際立った。

住所:静岡県浜松市北区三ヶ日町福長220-3 MAP
TEL:053-525-0278
https://hamamatsu-daisuki.net/

住所:静岡県浜松市中区千歳町70 MAP
TEL:053-455-1460
定休日:火曜、水曜
http://unagi-atsumi.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA
協力:しずおかコンシェルジュ株式会社

(supported by 静岡県)

フードキュレーターが『茶禅華』川田智也シェフを誘う浜松食材探求。産地を訪れ、生産者と対面する、という意味。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県浜松市]

食材の表面ではなく、背後に潜む歴史や生産者の思いにまで意識を向けるのが、川田智也シェフの食材の接し方。

ファインド アウト 静岡歴史を紐解き食材の本質を探る、浜松エリアの食材探求。

ONESTORYのフードキュレーター・吉岡隆幸と宮内隼人が静岡県の食材を徹底リサーチし、その魅力をシェフに伝える今回の企画『FIND OUT SHIZUOKA』。

前回の視察で、浜松にフォーカスして食材を徹底的に掘り起こしたふたりが、今回、『茶禅華』の川田智也シェフを迎え、いよいよプレゼンに臨みます。

川田氏が腕を振るった『DINING OUT KUNISAKI』の開催は2018年5月。それから3年近い月日が流れ、ミシュランガイド3つ星獲得、数々のメディアへの登場など、川田氏を取り巻く状況も変わりました。しかし久々にお会いする川田氏は、かつてと変わらぬ穏やかな笑顔。物静かなのに存在感がある、凪いだ湖面のような人柄はまったく同じです。

「浜松は旅行で数回訪れたことがありますが、食材探しという視点では初。非常に楽しみです」と川田氏。事前のイメージは「首都圏に近く、汎用性の高い食材が多い一方で、個性的な、尖った食材も多い印象」といいます。果たして、ふたりのフードキュレーターのプレゼンは、川田氏にどのような爪痕を残すのでしょうか。

しかし、最初にふたりのフードキュレーターが案内したのは、浜松のシンボル・浜松城。もちろん、ただの観光ではありません。

食材の味や香りだけではなく、そこに潜む歴史や物語を紐解き、深く理解するのが、川田氏の食材との接し方。そこで、この地の歴史を肌で感じてもらうことを目的に、まずはここを目的地としたのです。

さらにここは歴史好きな川田氏が「もっとも好きな戦国武将」という徳川家康ゆかりの城。
「家康は中国から伝来したさまざまな物や制度を、日本という土地に合わせて再構築しました。禅の教えや静岡に縁の深いお茶もそうですね。ただ模倣するのではなく、本質を読み解いた上で、場所や時代にあわせて再現する。それは私の料理の目指すところでもあります」
実際、川田氏は資料館となっている城の内部で歴史地図を見ながら、こんな話を聞かせてくれました。

「いまフグを扱っているのですが、外皮と身の間にある部分を“遠江(とおとうみ)”と呼ぶんです。この地図を見てください。三河地方の隣にあるのが遠江地方。身と皮(=三河)の隣だから遠江。洒落がきいた名前ですよね」

知識として知っていても、その場に立つことで新たな発見がある。ここからはじまる浜松の旅は、幸先が良さそうです。

浜松城を望む川田氏とふたりのフードキュレーター。在りし日の家康に思いを馳せる。

ファインド アウト 静岡

中国を起源とする豚が、静岡の地で新たな魅力を放つ

今回の視察に同行するふたりのフードキュレーターは、川田氏に食材をプレゼンするため、数日前にも浜松を訪問済み。さまざまな情報のインプットも済ませているだけに、移動中の道中も食材の話は尽きません。

立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』で川田氏がメロンに興味を示せば「通年でメロンが出るのは、静岡や熊本などごく限られた産地。なかでもダントツが静岡です」と返し、川田氏が国産の良いキウイを探しているといえば「静岡は日本におけるキウイ栽培発祥の地。ちょうど先週訪問したキウイパークでは、そこにしかない品種もあります。サンプルを送りますね」と打てば響くような反応。

続いてランチを兼ねて訪れたのは、豚肉料理『とんきい』。ふたりのフードキュレーターが推薦する、自社牧場で生産した豚肉の料理が楽しめるレストランです。

三和畜産が運営する『とんきい牧場』は、1968年に母豚5頭で養豚業をスタート。トウモロコシ、米、大豆などオール穀物の自社配合飼料で育てる豚は、臭みがなくドリップが少ないのが特徴。さらにこちらでは、浙江省の金華豚を起源とする「プレミアム金華バニラ豚」も飼育されています。

三和畜産の鈴木芳雄社長の話を聞き、レストランでトンカツを試食する川田氏。

「弾力があり旨味もあるのに、脂は澄んだ味わい。どうしてこれほど脂がキレイなんでしょう?」そんな川田氏の疑問に「飼料のためだと思います。とくに米を混ぜるようになってから、目に見えて脂が良くなりました」と鈴木社長。

さらに豚舎近くを見学させてもらいつつ、豚糞を利用するバイオガス発電施設の話なども伺う川田氏。

「豚への愛情が伝わってくる方ですね」

しみじみとつぶやく川田氏の言葉が印象的でした。

道中で立ち寄った『ファーマーズマーケット三方原』にて。ふたりのフードキュレーターの深い知識が川田氏に披露される。

豚コレラの懸念で豚舎の見学はできなかったが、鈴木社長の話に耳を傾ける3人。

『とんきい』には精肉店も併設。きめ細かい肉質が、川田氏の興味を惹いた。

『とんきい』のトンカツ。豪快な厚切りでありながら、脂のしつこさとは無縁。

ファインド アウト 静岡生産者の人柄が品質に表れる。お茶という農産物の不思議。

そこでふたりのフードキュレーターは、まず川田シェフを『ふじのくに茶の都ミュージアム』にご案内しました。ここは静岡県のお茶栽培の歴史から、世界のお茶事情まで、幅広く体験できる施設。家族で楽しめるスポットではありますが、食材のプロたちも多くを学べる本格的な展示資料もいろいろ。とくに世界の茶葉が一堂に会するコーナーでは川田氏も熱心に見入っていました。

続いて前回の視察でもお世話になった製茶問屋『マルモ森商店』の森宣樹社長にご案内を頼み向かったのは、島田市のお茶農家『永田農園』です。
ここは、国内のお茶の審査でもっとも権威のある「全国茶品評会」で、親子二代で最高賞の農林水産大臣賞を受賞する農園。それは、森社長によれば「お茶農家の分母からいえば、甲子園で優勝するよりも難しいこと」という快挙です。

代表の永田英樹氏の案内で茶畑を歩く川田氏。日本茶にも強い興味がある川田氏だけに、その表情も真剣です。

「物腰柔らかく、穏やかな人柄。まさにお茶に相通じる方」後に尋ねると、川田氏はそう話しました。「畑も手入れが行き届いている。いまは時期ではありませんでしたが、生産者の顔と畑の様子をみればどれほど丁寧に、愛情を持ってやられているかがわかります」

これもまた、産地を訪れて得られる収穫のひとつなのかもしれません。

フードキュレーターのふたりは事前リサーチでも『ふじのくに茶の都ミュージアム』を訪れ、静岡の茶の歴史をインプットした。

『ふじのくに茶の都ミュージアム』では、世界の茶葉を実際に手に取り、香りを感じることができる展示も。

作地面積日本一を誇る静岡の茶畑。この風景に川田智也シェフは何を見出すのか。

『永田農園』の茶畑で永田氏の話を伺う。収穫期でなくとも、現地で聞くことには大きな意味がある。

土に手を伸ばし、香りを嗅ぎ、自身が納得するまで深く学ぶ。それが川田氏の食材探求。

『永田農園』は自社製茶場も併設する自製自園。ここでも手順やこだわりの話を永田氏に伺う。『chagama』の森社長も同席してくれた。

『永田農園』の深蒸し煎茶を試飲する川田氏。

ファインド アウト 静岡若き日本料理人に学ぶ、産地ならではの料理表現。

この日の夕食は浜松の日本料理店『勢麟』へ。こちらの店主・長谷部敦成氏と共通の知人がいることから「ぜひ来てみたかった店」という川田氏。ゆえにその顔には、ただ夕食を楽しむというより、一切を見逃さずに吸収しようという真剣味が宿ります。

コースは御前崎の漁港や、地元浜松の舞阪漁港に長谷部氏自ら赴いて目利きした魚や在来種の野菜など、静岡ならではの食材が主役。それを長谷部氏の日本料理の技で、クリアでありながら奥行きがある引き算の料理に仕立てます。

長谷部氏が自身の店を「料理屋ではなく、食べ物屋です」と標榜するのは、この食材自身に調理法を尋ねるような、素材重視の料理に起因するのかもしれません。

川田氏も「素材の水分が擦れていない、水が生きている。ここまでクリアさを追求するのは、中国料理にはない視点です」と、早々に何かを掴み取った様子。コースを食べ終えた後には「全部食べてひとつのお料理を頂いたような気分です。伝統、現在、未来という3つの時間軸がキレイに整った料理という印象。本当に素晴らしい」と手放しの称賛を寄せていました。
試食の際は、食材の声に耳を傾けるように深く味わい、生産者と話す際はまっすぐ目を見つめる。川田氏のストイックな修行僧のようなその姿勢は、産地の情報を余さず吸収しようという思いの現れなのかもしれません。

こうして『茶禅華』川田智也シェフにより浜松食材視察の1日目は終了しました。次回は2日目の様子をお伝えします。

食材に魅せられてこの地に移り住んだ『勢麟』の長谷部氏。

水と醤油だけで炊いた『勢麟』のオコゼ。鰹も昆布も使わず、素材の持ち味だけで勝負する。

1品ごとに交わされる会話は、ときに深い食材談義に発展した。

えぼ鯛は味噌漬けにして炙り、地元で採れたからし菜と合わせた。

メジは地元で“ひっさげ”と呼ばれるサイズ。朝採りの大根おろし、長谷部氏が山で採取した柚子と合わせて。

住所:浜松市中区元城町100-2 MAP
TEL:053-453-3872
https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/

住所:静岡県浜松市北区細江町中川1190-1 MAP
TEL:053-522-2969
https://www.tonkii.com/

住所:静岡県島田市金谷富士見町3053-2 MAP
TEL:0547-46-5588
https://tea-museum.jp/

住所:静岡県浜松市中区元城町222-25 MAP
TEL:053-450-1024
http://seirin-hamamatsu.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


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滋賀県木ノ本『冨田酒造』へ。額に汗かき、己を鍛え直す。

 お米をほぐし、かき混ぜることで酸素を送り込む。高温な室内に加え、重労働な切り返しは、酒造りにおいて重要な作業。

HIDEHIKO MATSUMOTO再び酒職人として生きるために。松本日出彦の武者修業が今、始まる。

まるで蒸気機関車のような煙を吐き出している現場では、衛生管理上、身につけているヘアキャップと新型コロナウイルスによるマスク着用も手伝い、個人を認識するのは難しい。

そんな中、まるで雲の切れ間から射す光のごとく、煙の切れ間から声が射します。

「あと何分!」、「蒸しあがりの具合は!」、「量は!」、「今、何度!」。

その主は、『七本鎗』で知られる『冨田酒造』15代目蔵元の冨田泰伸(やすのぶ)氏です。

対して、スタッフたちは間髪入れずに的確な数値を返します。

「温度が全て」とは、冨田氏の言葉。

この日の仕込みは、2種。麹米と醪(もろみ)を木桶で仕込むための掛米。

「この木桶は、日出彦君と一緒に仕込んでいます」。

木桶に目を移すと、かい入れ(もろみを混ぜる作業)をしている松本氏の姿がありました。

ここでの会話も「今、何度?」、「7.5℃です」、「氷入れる?」など、温度確認。この日の気温は15℃。通常よりもやや高めだったため、木桶の温度をより冷やすか否かの議論を繰り返します。

「日本酒の温度管理にはいくつかの法則があります。例えば、今回、もろみの温度を7℃にしたいとします。もし、木桶の中が5℃であれば、2℃の差があります。その差異である2℃×4=8℃に5℃を足し、13℃のお米を入れれば7℃になります。当然、その逆も然り。お米の温度に合わせて木桶の中の温度も調整します」と冨田氏。

麹においてもそれは同様。種切りの温度は各蔵によって様々ですが、この日『冨田酒造』が合わせたのは32℃。もちろん、麹米の量に対し、種麹の量をどうするかも重要です。「お米100kgに対して種麹80gを推奨しており、今日はお米94kgなので、種麹80g×0.94=75.2gの量で種切りをします」。

この方式を瞬時に弾き出し、1℃、いや0.5℃、1g、いや0.5gの微調整を数十秒ごとに確認し合います。それを成せるのは、松本氏が見習いではないから。

「今の日出彦君には、蔵も免許もありませんが、技術や経験を失ったわけではありません。同じ酒職人としての学びも多いです。これまでの『冨田酒造』にはなかった発想の提案や一緒に酒造りをすることによって生まれる化学反応にも期待しています」と冨田氏。

「酒造りはあくまでチーム。自分のような余所者を受け入れてくださり、感謝しかありません。冨田さんとは、これまでも酒造りに関して会話することはありましたが、一緒に酒造りをすることは今回がはじめて。それが実現できたのは、今の自分に蔵がないからということと『冨田酒造』が自分にチャンスを与えてくださったから。同じ現場をご一緒させて思うことは、ただお米を洗ったり、触ったりするだけでも、その感覚をリアルタイムで意見交換できることは非常に貴重。何気ない会話の中にもみんなの考えや哲学があります。それぞれの蔵が持つ当たり前も他では当たり前でないこともしばしば。違いを共有することによって生まれる発見もあります。酒造りは、工夫の連続。当然、『冨田酒造』には『冨田酒造』のやり方があり、その酒造りに則りながら、自分は何を貢献できるのか。日々、そんなことを考えながら取り組ませていただいています」と松本氏。

引き込み、切り返し、種切り、床もみ。そして、かい入れ。額や腕には汗が滲み、体で酒造りの感覚を取り戻していきます。とはいえ、息切れや二の腕の震え、時折、天を仰ぐ姿には、ブランクを感じざるを得ません。そんな今の自分を全身全霊に受け入れているのは、松本氏自身だということは言うまでもなく、それだけ酒造りは甘くない。

そして、そんな松本氏をチームに受け入れる決断をした冨田氏をはじめ、『冨田酒造』の職人たちの懐の大きさを感じた瞬間でもありました。

「今、酒造りができないのならば、うちに来ればいい」。ただ、それだけ。

理由はひとつ。仲間だから。

熱々のお米を手でひねりつぶし、蒸し具合と温度を確認する松本氏。その行為のごとく、「ひねりもち」と呼ぶ。

この日は、木桶の温度を7℃にすべく、かい入れをするたび、温度を計り、小まめに調整をする。

松本氏と仕込む木桶。「まだ仕込みの段階ですが、これからのもろみの育て方によってどんな化学反応が起きるのか、楽しみです」と冨田氏。

「今は温度計で計れる時代ですが、昔は米の中に手を入れて肌感覚で温度を計っていた。そんな感覚は圧倒的に先人たちの方が研ぎ澄まされている」と冨田氏。「切り返しひとつ取っても酒蔵によって様々。全ての作業が勉強になります」と松本氏。

「日出彦君、お願いします」と冨田氏。シャッ、シャッとリズム良く種切りをする松本氏。

 某名言「考えるな、感じろ」よろしく、『冨田酒造』の酒造りのひとつ一つを体に刻み込む松本氏。その目は、酒職人。

HIDEHIKO MATSUMOTO本当の意味で地酒を愛する人に愛される日本酒、それが『七本鎗』。

酒造りにおいて大切な素材、それは、水と米です。

うまい地酒を作りたいのか? うまい日本酒を作りたいのか?

作り手によって味の個性は大きく変わるも、素材だけにフォーカスすれば、このどちらを目指すのかは大きな分かれ道と言ってよいでしょう。

『冨田酒造』は前者であり、『七本鎗』はその好例です。

「『冨田酒造』では、滋賀県産のお米を4種使用していますが、中でもメインは“玉栄”。全体の75%を占めています。水は、古くから蔵にある井戸水を汲み上げています。奥伊吹山系の伏流水の水質は中軟水で、我々の酒造りには欠かせない自然からの恵みです」と冨田氏。

前述、木桶の氷のくだりは、この井戸水を冷やしたものになります。

「この関係性が素晴らしい。できそうでできている蔵は少なく、本来、日本酒はそうあるべきだとも思います」と松本氏は言います。

特にお米に関しては、山田錦や五百万石などのメジャー級な酒米があるため、他府県の良質な作り手から仕入れ、うまい日本酒を作ることは可能です。しかし、『冨田酒造』が目指すのは、うまい地酒。地元のお米、地元の農家、地元のお水を使い、地元の蔵で作るからこそ意味があるのです。

「自分が蔵に戻ってきた時、実は、県産ではないお米に頼っていました。しかし、これは間違っていると思い、地酒の“地”に根ざすことをコンセプトに大きく舵を切りました。その後、ご縁をいただいた篤(とく)農家さんと今もお付き合いさせていただいています」と冨田氏。

しかし、「玉栄」は、酒造りにおいてはやや難しい品種。例えば、雑味の原因にもなってしまうタンパク質が少ない酒米にとって、「玉栄」はやや多く、一般的には好まれません。それでも「僕らの技術で補えば良い」と2001年から契約。酒造りと米作りを行う長浜市を通して、「湖北」としての地酒を発信することに務めています。

「これは、一見簡単そうに感じますが、実は非常に難しく、覚悟がないとできません。お米、農家、地域。真っ向から向き合う精神が必要とされます」と松本氏。それは、冨田氏が今にたどり着くまで何年もかかった過去を振り返れば理解できます。

「最初は、全然“玉栄”を活かせなくて。寝かせないと味が乗らなく、在庫過多の時もありました。その当時は、華やかな日本酒が流行だったので、自分の酒造りは極めて稀有で地味でした。今は勘所も掴め、早出しもできるようになりました」と冨田氏。これは、冨田氏のたゆまぬ研鑽もしかり、品質向上のために二人三脚で歩んできた農家との絆が生んだ賜物。時間と労力は、ほかの日本酒よりも何倍もかかりましたが、「湖北」でしかできない日本酒を追求し続けたからこそ生まれたのが今の『七本鎗』なのです。

「ここに来て感じたことは、まず何と言っても日本一大きな湖の琵琶湖があるということです。滋賀県のほぼ中央に位置し、約1/6の面積を占めているほど水の宝庫。標高においても120mありますが、旧街道のため、昔から水と人が密接に関わってきたことがわかります。この環境の中で育ったお米を22ヘクタールも『冨田酒造』は使っている。それは、地酒を作ることにこだわるだけでなく、田んぼを守り、それによって生態系を維持し、更には農家の雇用も生んでいます。地域の人が地域を諦めてしまったらお終いです。正しい循環のもと、正しく作られている地酒が『七本鎗』なのだと思います。それは冨田さんだからできたこと。事実、“玉栄”をメインに使用する酒蔵は、『冨田酒造』ただひとつ」と松本氏。

日本には、約1,300社(国税庁・清酒製造業の状況・平成30年度調査分)の酒蔵があると言われています。

「各蔵がそれぞれ地酒に特化すれば、日本酒はもっとおもしろくなる」とふたり。

そんな同じ未来に向かって熱く語ることができるのは、同じ蔵で同じ時間を過ごしながら酒造りをできたからかもしれません。

同じ時間、同じ場所で酒造りを共有するからこそ発見できることも多い。「今この状況をどうするかなどの議論は、一緒に酒造りをしているからこそ」とふたり。

 蒸しあがったばかりのお米。香りも豊かで艶もある。同時に、ここからスピード勝負と温度調整の戦いが始まる。「飲んだ時、グッと力強い当たりがあるも、輪郭がはっきりしているので、綺麗にサッと抜ける。それは、“玉栄”だからできる」と冨田氏。

「今も変わらず井戸から水が沸き続けている。本当に自然は偉大です。水は酒造りにおける生命線。この水が『冨田酒造』を支えているんですね」と松本氏。

「日本酒はただの液体だけではありません。環境、作り手、想いなど、酒造りを取り巻く全てがこのボトルの中には凝縮されています。酒造りの出所は、狭ければ狭い方が濃く、おもしろい。しかし、表現は広く。地域は移動できませんが、ボトルは世界中に移動できる。様々な想いがひとりでも多くの方に届けられるよう、これからも精進していきたいです」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTOこれから何を目指すのか。何をすべきか。同士だから語り合えた。

前出の通り、日本には、約1,300社の酒蔵があると言われています。これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれですが、約1,800社あった平成15年から比べると、減少傾向にある業界であることは言うまでもありません。

「言わずもがな、日本酒業界は狭い世界です。まず、蔵元でないと蔵がないことや免許取得の難しさなどもあり、新規参入のハードルが高いのです。自分は、今まさに新規参入しようとしている最中ゆえ、それを肌で感じています。ありがたいことに伝統も経験させてもらっているので、両側面から客観視し、これからの日本酒業界にとって何ができるのかを考えていければと思っています」と松本氏。

「日出彦君と話して一番印象的だったのは、外に出たからこそ分かったことや見えたことがあったということでした。ハッとさせられました。伝統はバイアスにもなりかねない。そう思いました。これは、伝統を持った人間と失った人間にしか理解できないこと」と冨田氏。

『冨田酒造』もまた、460年余年の歴史を刻む伝統的な酒蔵。その15代目蔵元の冨田氏は、家業を継ぐ前に東京のメーカーに勤務し、その後、フランスのワイナリーやスコットランドを巡った経験も持ちます。各地域で得た世界の酒造りは、今の『七本鎗』に大きな作用をもたらせたに違いありません。

そんなふたりは、これからの日本酒業界に何が必要だと感じているのか? そのひとつにタッチポイントをあげます。

 作業終了後、酒職人の表情から友人の表情に。酒造りや日本酒業界の未来についてなど、真剣な話から他愛もない話ができるのは、ふたりの関係だから。

 江戸期に建てられた酒蔵は、登録有形文化財でもある。「守るべき部分は変えず、変革する部分は果敢に挑戦している冨田さんは素晴らしいです」と松本氏。「守るべき部分で言えば、まさにこの酒蔵。建物を守ることも酒造りのひとつだと思っています」と冨田氏。

HIDEHIKO MATSUMOTO全ての難局を今後に生かすために。新型コロナウイルスと青天の霹靂から得たもの。

「新型コロナウイルスによって、『冨田酒造』も大きな打撃を追いました。いかに、飲食店に寄りかかっていたのかも如実に出ました。これは反省として生かし、これまで届けられなかった場所や人にどうすれば届けられるのかを考えるきっかけにもなりました。しかし、ただ消費量を増やしたいわけでもありません。本質の伝え方を今一度考える必要があると思いました」と冨田氏。

「そんな広げ方の工夫は、これからの自分の課題のひとつだと思っています。タッチポイントを増やすということは、我々が伝える言語を相手に理解してもらえるように合わせなければいけません。自分目線ではなく相手目線になるコミュケーション能力は、これからの日本酒業界には必要だと感じています」と松本氏。

「そんな新しいポジションの確立もまた、日出彦君ならできると思います」と冨田氏。

新しいポジションの確立……。もしそれを成すことができれば、前述にある新規参入の難しさの改善にもつながるかもしれません。

また、新型コロナウイルスによる影響によって好転したことも。

「個人的には、色々立ち止まって考えるきっかけになりました。『冨田酒造』では、よりチームの結束を強くするために、様々を見える化し、コミュニケーションを深く取るようにしました。それは今なお続けており、以前以後と比べても格段に現場の空気が良くなりました。周辺環境においても美点はあり、中でも琵琶湖では数年ぶりに全層循環が確認されました」と冨田氏。

全層循環とは、湖面と湖底の水が混ざり合い、水温と酸素濃度がほぼ同じになる現象を指します。「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれるそれは、近年において発生しなかった冬もありましたが、2021年は、1月22日に確認されており、これは過去10年の中で最も早い日でもありました。

「湖底の酸素濃度が低くなると生物が生息しにくくなり、生態系にも好ましくない影響が及ぶと危惧されます。2020年より難局を迎え、各々が様々な苦悩を迎えていると思います。しかし、唯一、自然界にとっては本来の姿を取り戻したのではないでしょうか」と言う松本氏に続き、「今冬は、本当に雪がすごく降りました。自分が生まれてからこんなに寒い冬は初めてかもしれません。その豊富な雪解け水が全層循環にもつながったと思います」と冨田氏。

「地酒」にこだわる『冨田酒造』ゆえ、地域の環境問題も切実。好転を喜ぶだけでなく、今後、持続していくことも課題になっていきます。しかし、「好転したことは自然だけでありませんでした」と冨田氏は話します。

「2020年末、青天の霹靂のような知らせを日出彦君から受けました。想像を超える苦しみも味わったと思います。でも、今(2021年3月)こうして、一緒に酒造りをしている。このスピード感は、新型コロナウイルスによって、より結束力が増した時期でもあったからだと思います」。

「冨田さんをはじめ、『冨田酒造』の皆さんは、自分に生きる場所を与えてくれました。こんな自分でも、また酒造りをしていいんだと立ち上がる勇気を与えてくださいました」と松本氏。

「よしっ! では午後の仕込みを始めましょう!」。

冨田氏の号令に皆が動きます。もちろん、その群の中には松本氏の背中も。

武者修業は、まだ始まったばかり。さぁ、これからだ。

酒蔵内を右往左往。歩きながらも細かい確認作業を欠かさないふたり。どんな日本酒が生まれるのか、これから期待が高まる。

『冨田酒造』のタンクに書き込まれた松本氏のサイン。「いつの日か、こんなこともあったなぁと笑い話にできればいいな」とふたり。

住所:滋賀県長浜市木之本町木ノ本1107  MAP
TEL:0479-82-2013
http://www.7yari.co.jp/index2.html

1982年生まれ、京都市出身。高校時代はラグビー全国制覇を果たす。4年制大学卒業後、『東京農業大学短期大学』醸造学科へ進学。卒業後、名古屋市の『萬乗醸造』にて修業。以降、家業に戻り、寛政3年(1791年)に創業した老舗酒造『松本酒造』にて酒造りに携わる。2009年、28歳の若さで杜氏に抜擢。以来、従来の酒造りを大きく変え、「澤屋まつもと守破離」などの日本酒を世に繰り出し、幅広い層に人気を高める。2020年12月31日、退任。第2の酒職人としての人生を歩む。

Photographs&Movie Direction:JIRO OHTANI
Text&Movie Produce:YUICHI KURAMOCHI

お花見しながら

皆様こんにちは(・∀・)

暖かい日があったな〜と思うといきなり寒くなったりなかなか春が来ないですね(;ω;)


そんな中で倉敷のデニムストリートから少し南に向かって歩くと綺麗な桜が咲いております



河津桜と言って少し早咲きの桜になっております(・∀・)


デニムストリートでお花見のお供にレモンチューハイを買ってほろ酔い気分で楽しんでみてはいかがでしょうか

スッキリ爽やかで飲みやすいですよ(*´∇`*)

食べて、知り、伝える仕事。食材のプロたるフードキュレーターが浜松を味わい尽くす。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

フードキュレーター2人が『茶禅華』の川田シェフに食材を提案する為に選んだのは浜松エリア。写真は浜松のシンボル・浜名湖。ここにもさまざまな食材が眠っている。

ファインド アウト静岡浜松が誇る美味を駆け足でめぐる旅

まだ見ぬ素晴らしい食材を探し、日々全国を飛び回るONESTORYのフードキュレーター・宮内隼人と吉岡隆幸。2人が静岡県の食材を掘り起こし、トップシェフにプレゼンテーションする今回の企画。
プレゼンテーションする相手は、ミシュラン・ガイド三つ星を獲得し、いまや日本を代表する中華料理のシェフとなった『茶禅華』の川田智也シェフ。事前にリサーチを重ねた結果、最初の目的地は浜松エリアに決定。海、山、平地、湖が揃い、中華料理にふさわしい食材が見つかるであろうこのエリアへ、すでに繋がりがある生産者や地元料理人から情報をかき集めた上で、リサーチに向かいます。

フードキュレーターの大事な役割のひとつが、地域に眠る食材を見つけ出し、伝えていくこと。だから最初のアプローチは、とにかく食べることとなります。まず食べて、生産者と話し、そこに潜む思いやこだわりを聞き取り、一遍の物語を紡ぐ。そのために食べて、食べまくるのです。
畑で、港で、店で、イベントで。食材のプロたるフードキュレーターは、何を食べ、何を話し、何を感じたのでしょうか。

とにかく食材なら何でも口に運び、体験してインプットしていくフードキュレーター吉岡(左)、宮内(右)。浜松エリアではどんな食材と巡り合えるのか。

ファインド アウト静岡フードキュレーターを驚かせた、農園レストランの野菜たち。

「このあたりは赤土ですね。今は新タマネギの時期。土が良いから大きく育っています」

浜松の車窓を流れる景色を見ながら、吉岡が言いました。野菜に造詣が深い吉岡にとって、ただのどかな風景も宝の山に見えているのでしょう。だからランチに訪れてみた農園レストラン『農+ ノーティス』でも、吉岡のテンションは上がりきりです。

「野菜が本来の形のまま出せるのは、農園レストランならでは。きっとまず野菜が中心にあって、そこからどう料理をするか考えられているのでしょう」

それが吉岡が野菜が主役のランチコースを味わった感想。食材卸売会社も経営する吉岡ならではの視点です。

一方で料理人の経験もある宮内は「野菜愛があり、ただの料理人とは違うアプローチ。しかしシンプルだけどしっかりと構成が考えられている印象です。そしてとんでもなくリーズナブルですね」とこちらも絶賛。

食事後、急な訪問を侘びながら、店主の今津亮氏に話を伺うふたり。聞けば埼玉県に生まれた今津氏は、高校生の頃から農業に興味を持ち始め、東京農大、農業開発の企業を経て2017年にこの店を開いたのだといいます。

浜松を選んだ理由は「狭いエリアの中に赤土と黒土があり、そしてさまざまな野菜の栽培南限と北限に位置することから、より多彩な野菜を育てられます。今は年間120種ほどを育てています」と今津氏。

土の話、品種の話、流通の話。短い時間の中で有意義な会話を交わす今津氏とフードキュレーターのふたり。帰り際、畑で採れたばかりの大根をもらったふたりは、今津氏と再会を約束して店を後にしました。

この日の前菜は駿河軍鶏とロマネスコ 柑橘オランデーズソース。力強い野菜の存在感が際立つ。

店に隣接する畑にはさまざまな野菜が育っていた。

今津氏が惚れ込んだ浜松の土。吉岡氏もその質に強い興味を示した。

突然の来訪でも快く畑を案内してくれた今津氏。野菜への強い思いが言葉の端々に潜む。

今津氏と奥様が営む小さな店だが、いまや予約必須の人気店。

ファインド アウト静岡キウイの奥深い世界に触れる、キウイテーマパーク

続いての目的地は『キウイフルーツカントリーJAPAN』。ここは1978年にアメリカに渡った先代が、現地で出会ったキウイの種を譲り受けて持ち帰り、独学で築き上げた日本最大のキウイ農園。現在は62品種1200本のキウイの木が育つほか、観光農園としてBBQやクラフト体験など、さまざまな楽しみを提供しています。

ここでは食べ頃を迎えた8品種を試食しながら、平野氏の話に耳を傾けるふたり。
化学肥料を入れず、魚カスや堆肥を使用すること、天然の傾斜と暗渠(あんきょ)排水設備を利用して排水性を高めていること、雑草は一度長く伸ばして土の中に空気を入れてから刈り取ることなど、栽培の秘密を伺います。
「途方もない手間をかけて、自然に近い状態を作っている。おいしさの秘密が垣間見えました」と感しきりの宮内。
以前から平野氏とつきあいのある吉岡も、改めて農園に足を運んだことで、さまざまな新発見があったといいます。

様々な種類のキウイを育てるキウイフルーツJAPANで、この日は9種のキウイを食べ比べ。見た目も様々でこんなに違いがある事も発見。今回頂いたのはどれも完熟のキウイ達で、酸味、甘み、旨味、それぞれ異なる個性が光った。

宮内の資料には品種特性や感想が細かく書き込まれていく。

味わうことがふたりの仕事。深く考えながら、じっくりと味わう姿が印象的。

羊、茶畑、BBQ広場。さまざまな見どころがある観光農園。この丘からはキウイ畑全体が見渡せるが取材時は収穫後、また実りの季節に再開する事を約束した。食材だけでなく、生産者とのつながりを築くことも大切。

昼食は浜名湖名産のうなぎ。ここでも真剣に味を確かめるふたりの姿があった。

途中で立ち寄った『ファーマーズマーケット浜北店』では、種類豊富な柑橘に注目。

ファインド アウト静岡街の活気を創出する、浜松唯一のクラフトビール

夜になっても食の探求は終わりません。ディナーを兼ねてふたりが出かけたのは、浜松唯一のクラフトビールパブ『OCTAGON BREWING』。ここで代表の平野啓介氏と醸造責任者の千葉恭広氏の話を伺います。

平野氏の夢は、浜松をもっと盛り上げること。千葉氏の夢は雑味がなくクリアな味わいの、独自のビールを造ること。ふたりの思いが合致して生まれた醸造所兼ビアパブのこの店は、連日多くの客で賑わいます。そんな心地よい賑わいをBGMに、千葉氏の言葉を聞くフードキュレーターのふたり。

千葉氏は大阪生まれで、学生時代からビール造りを夢見て、ドイツに渡りました。そしてミュンヘン工科大学ビール醸造工学部で学び、実地研修を経てディプロム・ブラウマイスターの資格を取得。帰国後は若手醸造家の技術指導にあたってきたといいます。

しかしその華々しいキャリアよりもなお印象的なのは、千葉氏の輝く目。「とにかくビールが好きでたまらない」という千葉氏の言葉は、ときに専門的な領域にまで及びますが、フードキュレーターのふたりもまた食の専門家。ときに鋭い質問を飛ばしながら、白熱した講義は続きました。

千葉氏に醸造のこだわりを伺うふたり。その評定は真剣そのもの。

色、香り、テクスチャ。宮内の興味は、食の深い部分にまで及ぶ。

シトラス、マンゴー、パインなど華やかに香る「ブレイクアウェイIPA」など、オリジナルの地ビールが常時数種類楽しめるビアバー。

平野氏(左)と千葉氏(右)。ふたりの夢が形をなしたブリュワリーは、いまや浜松になくてはならない店。

ファインド アウト静岡少しずつ見えてきたフードキュレーターふたりの個性。

2月14日、日曜日。この日は月に1回、毎月第2日曜日に開催される『浜松サザンクロスほしの市』の日でした。
もちろん“市”と聞けば、フードキュレーターのふたりがじっとしているはずはありません。

そもそもこの市は、浜松駅南口のシャッター商店街に賑わいを取り戻すことを目的に、2018年から開かれているマーケットイベント。出店店舗は公募型ではなくスカウト型で、浜松に縁があるハイクオリティなショップやアーティストが揃うことで話題を集めました。現在の出店数は35店舗。はじめた当初は800人ほどの人出でしたが、徐々に知名度を高め、コロナ禍前のピーク時には2000〜2500人もの人で賑わいました。

「少しずつ商店街の方にも認めてもらえ、先日はようやくシャッター街に一軒新しい店も開きました」そううれしそうに語るのは、『浜松サザンクロスほしの市』を主催する(株)浜松家守舎CONの 鈴木友美子氏。大勢の人で賑わい、目に見える効果も出る、地方創生イベントの成功例を前に、ショップで次々と食べ物を試食していたフードキュレーターのふたりも強く興味を惹かれた様子でした。


旅はまだまだ続きます。
名物料理を食べ、養鶏場を見学し、農産物直売所の品揃えをチェックし、ハーブティーを試飲する。
食べて、話し、考え、また食べて、考える。そうしているうちに少しずつ、ふたりのフードキュレーターの個性もみえてきます。

食材卸売会社も経営している吉岡は、とくに野菜の知識が豊富。土壌の質や成分、野菜の品種、作柄、旬など、生産者と同じ目線での会話を通し、その魅力を引き出します。そして仲卸として、流通や価格にも気を配ります。

料理人の経験がある宮内は、ジビエも含めた肉、魚から加工品まで総合的な深い知識を有します。そして元料理人らしく、意識するのは口に入る瞬間のこと。加熱するとどうなるか、保存する方法はどうか、味の成分はどうか。料理としての完成形をイメージした食材探求が持ち味です。

それぞれ得意分野を持つフードキュレーター宮内隼人と吉岡隆幸。ふたりが意見を交わしながら食材を見つめることで、より立体的にその魅力が際立ってきます。

次回はいよいよ、今回のリサーチの経験を元に、川田智也シェフにふたりのフードキュレーターが浜松の食材をプレゼンします。
食材ひとつひとつとまっすぐ向き合い、まるで語り合うように食材の本質を読み解く川田シェフ。果たしてふたりのフードキュレーターは、そんな名シェフにどんな食材を、どう見せるのか。次回の記事をぜひお楽しみに。

『浜松サザンクロスほしの市』にはパンやスイーツから蜂蜜、チーズ、焼き鳥まで多彩なグルメも出店。

午前中から大勢の客が詰めかける。コロナ禍を乗り越え、再び活気が戻り始めた。

鈴木氏(中央)をはじめとした『浜松サザンクロスほしの市』実行委員会の3人。

静岡の地鶏・一黒しゃもを育てる『鳥工房かわもり』にて、代表・河守康博氏の解説を受ける。日本古来の黒しゃもの系統であるしずおか食セレクション認定地鶏・一黒しゃも。上質な脂と力強い弾力が魅力。

新鮮な一黒しゃもをその場で塩焼きにする河守氏。「コクがあるのに、臭みがない」(宮内)、「脂がすっきりとしている」(吉岡氏)とともに高評価。

ハーブティーやアロマを扱う『チムグスイ』にて。香りもまた、美味を司る大切な要素。

住所:静岡県浜松市浜北区四大地9-1178 MAP
電話:053-548-4227
定休日:月曜・水曜
https://notice-vegetable.storeinfo.jp/

住所:静岡県掛川市上内田2040 MAP
電話:0537-22-6543 (9:00~17:00)
定休日:木曜日 (1/10~3/20は水・木)
https://kiwicountry.jp

住所:静岡県浜松市中区田町315-25 MAP
電話:053-401-2007
定休日:火曜日
https://octagonbrewing.com/

住所:静岡県浜松市中区砂山町 砂山銀座商店街 MAP
開催日:毎月第2日曜日
開催時間:10:00~15:00 (8月のみ16:00~20:00)
https://hoshinoichi.com

住所:静岡県浜松市浜北区新原6677 MAP
電話:053-586-5633
営業時間:8:30~16:30
https://life.ja-group.jp

電話:0537-86-2538 (9:00~18:00)
http://torikoubou-kawamori.com/

1982年埼玉県生まれ。19歳のときに障害を持っている子どもたちと農業をする団体を立ち上げたことをキッカケに、農業・地域・食の世界へ。26歳のときに大手旅行会社を辞め、千葉県九十九里に移住し、地域支援や農業体験の受入を事業化するNPO団体のスタッフとして活動。東日本大震災をキッカケに、もっと地域の素晴らしさを伝えたいという想いで2012年に「合同会社SOZO(ソウゾウ)」を設立。2015年に静岡県日本平で開催されたプレミアム野外レストラン「DINING OUT NIHONDAIRA」から、「DINNG OUT」食材調達チームに参画。2019年に全国各地のこだわり食材を仕入れ、レストランやスーパーをメインに卸す会社「株式会社eff(エフ)」を立ち上げ、地域の商品開発プロデュースから実際の販売まで幅広い食の領域で活動している。

1977年東京都生まれ。18歳から料理の道に入り「ラ・ビュット・ボワゼ」「ダズル」を経て2010年、大阪の三ツ星レストラン「HAJIME」に入る。5年半の経験を積み2013年に徳島県祖谷で開催されたプレミアムな野外レストラン「DINING OUT IYA」に参加。生鮮食材の物流に関する知識習得のため大阪の特殊青果卸「野木屋」を経て、2016年より現職。現在「DINNG OUT」では、開催地域の食材(生産者)の魅力を言語化し、トップシェフの思考、哲学に合わせて伝える翻訳者として活動。また、ラグジュアリーブランドとコラボレーションした食品開発、ブランディングまで「食」領域のプロデューサーとして活動の幅を広げている。


Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

軽やかに、しなやかに。新たな時代の「食」の可能性を広げるキュレーションの力[FOOD CURATION ACADEMY]

料理通信社・編集主幹の君島佐和子さん(左)と、日本におけるフードキュレーターの一人として君島さんが名前を挙げる『H3 Food Design』代表の菊池博文氏(右)。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー「フードキュレーション」は、食の未来に何をもたらすか。

「食」の総合プロデューサーを目指す、すべての人に向けて『ONESTORY』が提案する学びの場『FOOD CURATION ACADEMY』。

2020年末の開講以来、多くの方にご視聴いただいている本講座を、より深く楽しんでいただくための特別インタビュー。

2回目となる今回は、講座にも登壇いただいた料理通信社・編集主幹の君島佐和子さんと、全国でさまざまな「食」のプロデュースを行っている『H3 Food Design』代表の菊池博文氏にお話を伺いました。

長年にわたり「食」を取り巻く世界の動きを間近で見つめ、その最前線を伝え続けてきた君島さん。そして、国内外のトップシェフとローカルを結ぶなど、早くからフードキュレーションを実践されてきた菊池氏。おふたりはいま、「食」の未来をどのように見据えているのでしょうか。

地球環境、テクノロジー、価値観、あらゆることが急速な変化にさらされる中、これからの社会に対してフードキュレーションが貢献できることとはいったい何なのか。その可能性を探っていきます。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー社会が期待する「食」の推進力。ビジョンを持った指南役が求められている。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座 #1で、「食」に対する社会の目線の変化を的確な分析で提示した君島さん。

人口爆発や気候変動による食糧危機など、地球全体が直面する大きな社会課題に対して、その解決の推進力を「食」が担うことが期待されるようになってきた、と君島さんは言います。

「“推進力”というとかなりポジティブで、その中に“意図”とか“意思”とかが含まれてきますよね。でも、そもそも人間がものを食べるということ自体が、意図せずともさまざまなことに影響をしていく作用があります。意図とは関係なく、“食”がどういう作用を及ぼすのかというところまで意識を向けることがすごく重要」。

生産から消費まで、どこかの部分だけを切り取るのではなく、一連の流れとして人間の「食べる」という行為が及ぼす影響を把握すること。動植物の循環、地球規模での循環として「食」を考えることが大前提になっています。そんな複雑な社会状況の中で、人間が「食」とどう向き合うべきか、何をどう食べたらいいのか、どう生産したらいいのか。私たちの向かうべき未来へのビジョンを提示する指南役が求められています。

「”食”を俯瞰して全体を見えていないとビジョンは描けない。そういう意味においても、フードキュレーションというのは本当に必要な概念だなと思います」。

「食」への目線の変化は、新たな「食」へのアプローチももたらします。

「昨年、東京・上野の国立科学博物館で『和食~日本の自然、人々の知恵』が企画されましたが(新型コロナウイルスの影響で開催中止)、そもそも博物館で食の展覧会を開くこと自体がこれまでなかったこと。日本各地の地質と水の硬度の関係を示す展示から始まっていたのもとても面白かったです。食と自然との関係はいまさら言うまでもありませんが、食と地域という論点も当たり前になってきて、より深く入ろうとすると、地理・地形・地質と食との関係の探求が必要になってくる。時代がそういう食への探求に向かっているのを感じます。まさに、講座 #3 の地質と食の対談のテーマですね。この対談は、ぜひ私もご一緒したかった(笑)! PCに張り付いて聞き入りました」。

『FOOD CURATION ACADEMY』講座の第1回「フードキュレーションとは何か」に登壇した君島さん。『フロリレージュ』オーナーシェフの川手寛康氏、『楽農研究所』代表の菊池義一氏、『ONESTORY』のフードキュレーター宮内隼人とともに、「食」業界のいまとこれからを掘り下げた。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビューフードキュレーションは「食」のリベラルアーツ。自らを起点に学びの枝葉を広げていく。

刻々と変化する地球規模での社会課題に対し、いつも感覚を研ぎ澄まし、広範な視野を持って知識をブラッシュアップし続けていくということは並大抵のことではありません。

「私たち取材する側も一緒で、知らなければならないことがたくさんありすぎて、“こういうことを知らないといけないんだよね”って思うと同時に、息苦しさみたいなもの感じていました。課題解決の推進力である”食”という面ばかりが強調されると、タイトで寛容さがなくて。正しさばかりが求められていくことはむしろ怖かったりもします。そう考えると、講座 #1で『ONESTORY』として提案されていた、“フードキュレーションは食のリベラルアーツである”という捉え方がとてもしっくりきます」。

人文科学、自然科学、社会科学。それぞれの分野と「食」との関わりをもっと広く深く理解していこう、考えていこうというフードキュレーションの学び。それは、確固たるフードキュレーションという概念を掲げ、その下に自分を当てはめていくのではなく、「自分にとってのフードキュレーションって何?」と自身を起点として学びを広げていくことではないかと君島さん。

「自分は何のために”食”の仕事をしているのか。その問い直しをしていくことで、自ずと、個々の人のフードキュレーター像が見えてくるのだと思います。目的に対して、より充実させるべきこと、補完すべきことは何なのか、自分が知らなければいけない領域が恐ろしく広がっているということに気付き、視野が広がり、活動の世界も広がっていきます」。

自分はどんな目的意識を持っているのか、何ができるのか、何がしたいのか。そのために、自分の持っている力をどう機能させていくか。そんな自分起点の発想が、領域を超えて活躍するマルチプレイヤーを生み出していくのです。

「『H3 Food Design』の菊池さんはご自身のお店を持たないからこそ、活動がより社会的になっているように思いますし、一方でお店を持っている方には、お店があるからこそできることがあります。目黒でイタリア料理店『Antica Braceria Bell'italia』を営む井上裕一シェフが不動前に開いたワインショップ『ワインマンストア』はワインだけでなく、井上シェフの人脈で、チーズもジェラートも、消毒液も置いてある都市のキオスクみたいなお店。お店もありながらオリジナルのワインも作っていて、5月末にはワイナリー付きの新店舗に移転される予定です。それぞれの立場で、自身が持っている機能を360度全方位で生かそうって考えていくと、自然と領域を超えてさまざまな分野とつながっていく。皆さんの取り組みをみていると、それを強く実感します」。

フードロス、海洋資源の枯渇、そして新型コロナウイルス。地球規模での様々な課題を前に、「この数年で、日本においても料理を作る人の思考が自然に広がっているのを実感する」と、君島さん。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー地方、食、生産者を軸に活動したい。ターニングポイントとなった震災。

君島氏が講座#1の中で、日本で活躍するフードキュレーターの一人として名前を挙げた、『H3 Food Design』の菊池博文氏。菊池氏は自身の仕事を、どのように位置付けているのでしょうか。

立場や関わり方は違えど、根本的にはずっと同じことをやっているなと思っています」と菊池氏。いまに繋がる菊池氏の仕事の原点は、「星野リゾート」に在籍していた2009年ごろから取り組んだ『軽井沢ブレストンコート』の『ブレストンコート・ユカワタン』のプロジェクトでした。

「日本を代表するローカルガストロノミーを真剣につくろうということで、コンセプト設計から開業、そして運営までマネージャーとして担当しました。器やカトラリーも日本の伝統工芸品で揃えたいという思いから、食材よりも工芸品をキュレーションするプロジェクトが先行したのですが、その中でも福井県の龍泉刃物さんとの出会いは、ボキューズ・ドール用のカトラリーの開発にもつながり大成功しました。この経験は僕の中で一つの自信にもつながりました。産地と一緒になって何かを生み出していくことは、今も変わらず続けていることですね」。

2011年3月『ユカワタン』がオープンして数日後、東日本大震災が発生。岩手県の三陸沿岸は菊池氏の故郷でした。「地方とガストロノミーと経済の様々な効果を探っていくことは、むしろ自分自身の故郷が必要としていること、この頃から考えるようになりました」と菊池氏。そんな思いを抱きつつも、2014年にはフランスの三つ星シェフ、レジス・マルコン氏を招き1泊2日の『ユカワタン』のバックステージツアー。ローカルガストロノミーの最前線を学ぶとともに、地域の伝統の食文化や食材を紹介するプログラムは、その後テーマを変えながら全3回行われました。

「食はディスティネーションの目的です。その魅力は、まるで宝物の様に足元に眠っていると思います」。

2016 年、地方と食と生産者という軸でもっと仕事を深めていきたい、そして三陸に特化した仕事に携わりたいという思いから独立。日常の食にフォーカスした拠点として、東京・池袋『もうひとつのdaidokoro』を立ち上げたほか、2019年には念願の三陸での取り組みとなる、『三陸国際ガストロノミー会議2019 立ち上げに参画し、講演プログラムのキュレーションを行いました。

君島さん曰く「社会が菊池さんを共有している」。

その言葉のとおり、菊池氏の視点や感覚が、人と人、人と地域を縦横無尽に結び、地域に新しい風を吹き込んでいくのです。

現在は長野県に暮らす菊池氏。日本各地の「食」における課題解決を実践するギルド的集団『H3 Food Design』の代表として、生産者と国内外のトップシェフ、食のジャーナリストをつないでいる。

君島佐和子 × 菊池博文 インタビュー土地の文化を発信しながら文化を再解釈する。「よそ者」が拓く、これからのガストロノミー

そして2021年。いま、菊池氏はどのようなことに取り組んでいるのか。

「今は地方のホテルを変えたいと思っています。ホテルがもっと地元と密着して行ったらどんなことができるんだろうと考えていた時、ちょうど『旧軽井沢KIKYOキュリオ・コレクション・バイ・ヒルトン』の相談を受けたのがはじまりです」。

粉やパティからすべて地元産の食材を使ったハンバーガーを企画して、四季折々の食材を使ったガストロノミーレストランをプロデュース。食材の仕入れ先のほとんどを、地元産に変更しました。

「レストランでの提供に限らず、加工品などのECやイベントやツーリズムなど、ホテルが地元のハブ的な存在になることで、大きな経済効果や雇用をもたらす事が可能です。また、災害時にはダイナミックな購買力やマンパワーを発揮する事が可能です」。

いま、新たに菊池氏が手掛けているホテルは長野県の「松本十帖」と滋賀県「ロテル・デュ・ラク」の2つ。

「地元に新しい風を吹かせるためには、むしろよそ者の方がいいんじゃないかなって思うんです。風土という言葉を分解した時に、"土"は伝統、その土地にずっと受け継がれてきたもの。でもきっとこれまでの歴史の中で、地域のさまざまな街道で、旅人や商人が行き交うことで、その土地に新しい"風"が入って変化が起きていた。革新の"風"と伝統の"土"。新しいガストロノミーの進化を作れるのは"風"を吹かせる旅人なんだっていうのが、僕の中の"風土"の解釈です。『DINING OUT』もまさにそうですよね。今、日本もいろいろな意味で閉塞感から脱しようとしている時期。ガストロノミーの世界も同じです。僕のアプローチは風をもう一度吹かせるというところです。地元の生産者さんと一緒にやっていくのは言わずもがな。一緒に取り組みながら成長して、価値を高めていくということがキュレーションの意味でもあると思います。それが結局のところサステナビリティなんじゃないかなというのが、僕の軸になっています」。

よそ者がもたらす「風」の力を信じながら、もう一つ大切にしているのが「健康」というテーマだという。

「文化から文明に変わり、大量生産、工業生産になっていろいろな食の危機が起こっている。でも日本の地方には、まだまだ大切な食文化がたくさん残っています。そのあたりを紐解くことが次のガストロノミーのヒントになるんじゃないかなと思っています。命を守るとか、家族を大切にするとか、健康を一番に思う”母性”に、ガストロノミーが戻ってきている。文化を発信しながら文化を再解釈していくことが、これからのガストロノミーの中心になってくるんじゃないかなと思っています」。

軽やかに、しなやかに。寛容さを失わない風のような存在が、「食」の未来を切り拓いています。

スペイン・ガリシア地方でシェフのコラボレーションイベントを企画した際に、サンチアゴのシェフの案内で生産者を訪問した時の様子。離れている価値をつなげ、新しい風を吹かせていく。

『信州ガストロノミーツアー(主催:長野県)』を企画運営した際、地元のお母さん世代や招待シェフと共に野沢菜漬けを体験。「これからのガストロノミーのヒントは、地方の食文化にある」と菊池氏。

栃木県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇専攻卒。株式会社パルコ、フリーライターを経て、1995年『料理王国』編集部へ。2002年より編集長を務める。2006年6月、国内外の食の最前線の情報を独自の視点で提示するフードマガジン『料理通信』を創刊(2021年1月号をもって休刊)。編集長を経て、2017年7月から編集主幹に。“食で未来をつくる・食の未来を考える”をテーマとする「The Cuisine Press」(Web料理通信)では、時代に消費されない本質的な「食の知」を目指して様々なコンテンツを届ける。辻静雄食文化賞専門技術者賞の選考委員。日経新聞の日曜朝刊「NIKKEI The STYLE/」に寄稿。デザイン専門誌『AXIS』、マガジンハウス『アンド プレミアム』でコラムを連載。著書に『外食2.0』。

岩手県・山田町出身。軽井沢を拠点に、「地方から地方へ」をテーマにローカル× ガストロノミーの各種イベント企画等を展開中。 ANAホテル 東京、フォーシーズンズホテル東京、グッチ・ジャパンを経て、2001年に星野リゾート参画。デンマーク 『NOMA』のレネ氏が来日した際『NOMA TOKYO Mandarin oriental Tokyo⻑野ツアー』を担当。星野リゾート料飲統括ユニットへ参画後、2016年に独立。『H3 Food Design』として日本各地においてガストロノミーを起点とし たソーシャルデザインを行っている。J.S.A認定ソムリエ、 調理師免許、フードツーリズムマイスター取得。

 

シェフとフードキュレーターがめぐる静岡。食のプロたちを驚かせる、海、山、畑の宝物。[FIND OUT SHIZUOKA/静岡県]

ファインド アウト 静岡OVERVIEW

静岡県。ここは日本一高い山と日本一深い海を持ち、肥沃な大地と豊富な水と温暖な気候に恵まれた地。関東と関西の中間に位置し、多彩な食文化が行き交い、混ざり合う地。そして東西長約155kmという広さの中に驚くべき多様性を秘めた地。

伊豆、静岡、焼津、藤枝、浜松、それに富士山の麓や海沿いの港町。エリアが変わる度にまったく異なる様相を呈する静岡県の食材たち。

今回は、まず徹底的に食材や食文化をリサーチして掘り起こし、そして見つけ出した食材を一流料理人にプレゼンテーションして評価していただく、という二段構えの構成で、静岡県の食材の豊かさをお伝えします。

題して「FIND OUT SHIZUOKA」知られざる静岡の一級食材をフードキュレーターが探し出す。

食材リサーチを担当するのは、宮内隼人と吉岡隆幸というONESTORYの2名のフードキュレーター。
フードキュレーターとは、まだ見ぬ素晴らしい食材を探し日本中を飛び回る食材のプロフェッショナル。ある食材の製法の科学的根拠や土地柄、歴史背景までを紐解きながら、その内に潜む物語を探る探究家。食材と人、食材と食材、人と人を結び、新たな価値を創出する食のプロデューサー。
そして2名とも、過去開催された『DINING OUT』で一流のシェフと食材生産者の間に入り、食材の価値を料理人にわかりやすく伝えていく、いわば翻訳者的な役割もこなしてきました。

そして今回参加する料理人は、昨年末にミシュラン三ツ星を獲得、今もっとも注目を集める『茶禅華』川田智也氏。過去『DINING OUT KUNISAKI』のシェフも担当。食材を徹底的に吟味し、研ぎ澄まされた感性でかつてない中華料理を生み出す川田氏に提案するとあって、2名のフードキュレーターも気合十分です。

さて、2名が今回向かったのは、浜松を含む静岡県中西部エリア。浜名湖の恵み、海の幸、こだわりの豚や鳥など、中華料理に役立ちそうな食材が多い事が予測された為、まずはこのエリアが選定されました。
この食材の宝庫でふたりはどんな生産者と出会い、どんな食材を見つけ出すのでしょうか。そして、発掘した食材を川田シェフはどう見つめ、何を感じ取るのでしょうか。その様子をお伝えします。

Photographs:JIRO OHTANI
Text:NATSUKI SHIGIHARA

(supported by 静岡県)

「このままでは地域から希望の光が消えてしまう。それはあってはならない」Zenagi/岡部統行

オーナーの岡部統行氏はホテル業界とは無縁の人だが、人の縁に導かれ『Zenagi』を開業。新型コロナウイルスによって苦しい状況が続くも、自らの理念である“100年後の日本を作る”ことに向け、前を向く。

旅の再開は、再会の旅へ。100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれない。

長野県木曽郡南木曽町(なぎそまち)。ほぼ岐阜との県境に位置し、人口はわずか4,000人あまり。奥深い山中にあるそこは、「日本で最も美しい村」連合にも認定されており、中山道妻籠宿(つまごじゅく)という江戸時代の風情を色濃く残す古い宿場町でもあります。

そんな日本人すら知る人が少ないこの町へ、実は感度の高い外国人が足繁く訪れていました。
しかし、新型コロナウイルスによって海外の行き来はなくなり、国内の移動においても困難に。自粛や緊急事態宣言によって、人と人のコミュニケーションは遮断され、日常は奪われてしまいました。

「何とか耐えている状況です」。そう切実に語るのは、『Zenagi』の岡部統行氏です。

2019年4月、突如誕生したそこは、世界基準とも言えるハイクラスなホテル。これは高価格という意味だけでなく、文化的な感度の高さを表します。

「オープン以降、世界中の旅行代理店や海外メディアにたくさん来ていただき 何とか“種播き”の1年目を越え、“収穫”の2年目へと向かおうとしている中、新型コロナウイルスの問題が起きました。お客様の7割が欧米からのインバウンドだったこともあり、言葉にできないほど大きな打撃を受けました。自分たちの力ではどうしようもない事態を前に、ただただ無力でした。しかし、そんな中でホテルを支えてくださったのは、日本人のお客様たちでした。今は、リピーターやファンの皆さまに応援をいただきながら、なんとか“耐えている”状況です」。

南木曽町田立(ただち)という、和紙の里でもある棚田の最上部に立つホテルの部屋数は、わずか3室。12名が宿泊人数の上限です。江戸時代後期から明治初期に建てられたという古民家を改装して開業したそこは、単なる古民家ではありません。材木取引などで大きな財を成した豪農が所有していた建物は、内部空間の梁を見るだけで、その贅を尽くした造りに圧倒されます。新設した開口部からは広大な自然を望み、空間には、木曽地方の木材やそれを使用した家具、漆器などの伝統工芸が配されます。上質と文化が交錯する時間は、ここだから体験できる特別。

「新型コロナウイルスの前から考えていた計画なのですが、ホテルを“1日1組限定のプライベート・リゾート”にすることにしました。もともと1組のお客様のために10名近いスタッフが力を合わせて、“最高の休日”を演出することに魅力を感じていました。ご家族やパートナー、友人たちとの“一生の思い出”をご提供差し上げることが我々の仕事だと思っています。先日もリピーターのご家族が来た際、“ここにだけは、新型コロナウイルスでも変わらない素敵な世界がある”と笑顔をいただいたことが心に残っています。また、お客様がホテルやレストランに来られない間にも“お客様とつながる方法”がないか思案する中、わたしたち自身のことを発信できる自社メディアを立ち上げる計画をしています。そこで地元の生産者さんの食材や職人さんの工芸作品などの販売もしていく予定です。いつもお世話になっている地域の方に、わたしたちにできることです」。

苦しい時こそ、自分たちは地域にどんな貢献ができるのか。それは、開業前より、町や人とのつながりを常に大切にしてきた岡部氏だからこそ思うことでもあります。それでも、歯止めなく押し寄せる様々な問題に不安を募らせます。

地域の皆さんが希望を失いかけていると思います。新型コロナウイルス前から地方の衰退はとても激しいものがありました。人口4,000人の消滅可能性都市で毎年50〜100人ずつ人口が減っていくのは、本当に恐ろしいことです。そこに、突然、今回の難局が降りかかり、町の唯一の希望だった観光業が壊滅的な被害を受けています。このままでは、地域から希望の光が消えてしまいそうで、不安でなりません」。

地域にもよりますが、自粛や緊急事態宣言は、人々の生活を大きく変えました。飲食業は時短営業を強いられ、保証や支援があるも、抱えている問題はそれぞれ異なり、一律で解決できない現状もあります。

「ホテルやレストランは、新型コロナウイルスによって一番被害を受けている業界と言われています。私自身、その通りだと実感をしています。しかし、こんな時だからこそ“ホテルやレストランにできること”もあると考えています。ホテルやレストランは、夢や価値観を皆さんと共有できる場所です。コロナ禍によってライフスタイルや価値観が大きく変化する時だからこそ、“新しい夢”、“新しい価値観”を皆さまと共有できる時なのだとも思います。我々の会社の理念は、“100年後の日本を作る”ことにあります。地方の衰退も人口減少もコロナの危機も乗り越え、どんな100年後の日本を夢見るのか? 自分たちが考えていることや日々取り組んでいることを、今後、少しずつでもお伝えしていきたいと思っています」。

100歳時代と謳われる昨今、100年後は近いか遠いか。しかし、ひとつわかることがあるとすれば、その未来のために今何ができるのかを真摯に向き合い、この難局をただの過去で終わらせてはいけないということではないでしょうか。様々な難局を先人たちが生き抜いてきたように。

「こういう時は、近くだけでなく遠くを見ることが大事だと思っています。例え、今は辛くても、100年後の日本を作ることを考えれば、これも必要なステップなのかもしれません。我々は、遠くを夢見て、今日も一歩一歩進んでいきます。一緒に乗り越えましょう! そして、皆様と再会できることを楽しみにしています」。

ライトアップされた『Zenagi』の全景。シルエットになっている山が伊勢山だ。インバウンドへの火付け役とされているのは、2016年にイギリスBBCで放送された『ジョアンナ・ラムレイが見た日本』という番組だった。

現代では到底採れないような材木の柱や梁が巡らされたロビー空間。天井には見飽きることのない静岡の竹細工職人による照明の「光と陰」。

元はお蚕場だった2階が客室に改装されている。眺めが一番良い「松」の間。

妻籠に迫る夕闇。妻籠の風景に欠かせない伊勢山が遠く霞む。『Zenagi』は、山の反対側に位置する17時にはほとんどの店が閉まってしまうが、そこから江戸の風情が湧き上がる。

住所:長野県木曽郡南木曽町田立222  MAP
https://zen-resorts.com/

Text:YUICHI KURAMOCHI

14ozセルビッチデニムポーチ

セルビッチデニムでつくったポーチが大きくなって新登場!

  • 【IHG-092】よりも少し大きいサイズになります(画像をご参照ください)
  • ジーンズと同じ素材のため色落ちします
  • ガンガン使ってジーンズの様な経年劣化をお楽しみください。
  • 21ozデニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-092】もございます。
  • 25ozデニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-093】もございます。
  • 21oz黒鎧デニムで作った少しこぶりなポーチ【IHG-094】もございます。
  • サイズは商品により多少の誤差が生じる場合がございます

素材

  • 綿:100%

「自分ではない誰かのために」人を思う心こそが、ものづくりの原動力。[NEW PAIRING OF CHAMPAGNE・Restaurant MOTOÏ/京都府京都市]

面識はあったが語り合うのは初めてのふたり。話は深く、心の内にまで及んだ。

MOTOÏ × 堀木エリ子町家、フレンチ、シャンパーニュ。複雑に絡み合う3つの要素。

和紙デザイナー・堀木エリ子さんが『テタンジェ』のトップキュベ「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のペアリングを体験する「食べるシャンパン」。

今回の舞台は、京都の路地に暖簾を掲げる『Restaurant MOTOÏ』です。

築100年の町家をリノベートした重厚な空間で供される、前田 元シェフのモダンフレンチ。それは空間の品格から想像するよりも自由奔放で、ときにフレンチという枠にさえ収まりきらない独自のスタイル。2012年のオープンから1年を待たずしてミシュランの星を獲得した事実は、このスタイルが単に奇をてらうのではなく、確かな技術とロジックに裏付けられていることの証明かもしれません。

堀木さんの事務所からもほど近く、過去にも何度か訪れたことがあるというこのレストラン。前田シェフは「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」にどのような料理を合わせ、堀木さんはそこに何を見出すのか。

未知なるマリアージュが始まります。

【関連記事】NEW PAIRING OF CHAMPAGNE/深まる「ご縁」、湧き上がる「パッション」。和紙デザイナー・堀木エリ子が体験する「食べるシャンパン」。

窒息させて血をとどめるエトフェという技法で、濃厚な旨味を湛える七谷鴨(ななたにかも)が主役のひと皿。

フレンチのほか、10年に渡る中華料理の経験も持つ前田シェフ。その技法は随所に活かされる。

温度を確かめるのは手。「熱いのですが、集中していると不思議と熱くないんです」と前田シェフ。

MOTOÏ × 堀木エリ子特別な時間を彩る、特別なレストラン。

「以前、友人にこの店で誕生日を祝ってもらったことがあります。その印象もありますが、私にとってここは特別な時に利用する、特別なお店です」。

中庭を臨むテーブルに着き、堀木さんはそう話しはじめました。そして口をつぐみ、しばし店内を見回します。

築100年超、かつて呉服商の邸宅だったというこの空間。庭木がもっとも美しく見えるよう一段下げられた床、重厚な天井を支えるように整然と並ぶ梁、いまや希少な大正ガラスを通し少し波打って見える木々。

京都を拠点に活躍する堀木さんにとって、この新旧が違和感なく調和する空間はきっと馴染み深いものなのでしょう。しばしの無言は決して居心地の悪いものではなく、むしろこの空間に浸っている時間だったのかもしれません。

やがて前田シェフの手で料理が運ばれてきました。

「京都・亀岡の七谷鴨です」という前田シェフの言葉通り、それは上質な鴨肉を余すところなく盛り込んだ一皿。胸肉はロースト、内臓はパテ、モモ肉はミンチにしてコンソメを取り聖護院大根に染み込ませています。添えられたクレソンは、シェフが早朝に清流の中から摘んできたもの。

このコンセプチュアルな料理は、果たしてどのように「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合うのでしょうか。

中華の技法で取ったコンソメなど、随所に中華料理の経験も持つ前田シェフらしさが光る。

店の考え方を出さず、自由に楽しんでもらうことが前田シェフの信条。

料理に潜ませた山椒や胡椒が「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」と響き合う。

MOTOÏ × 堀木エリ子食べる順序で味わいが変わるひと皿は、「まるで魔法」。

運ばれてきた鴨を口に運んだ堀木さんは、しばし咀嚼し、「おいしい。って当たり前ですけど、やっぱりその言葉が出てしまいますね」と笑います。それから「甘みがあり、臭みははく、鴨の旨味が凝縮されています。つまり、おいしいんです」と付け加えました。

次いで「大根はいわばソース代わりです」という前田シェフの説明を聞き、大根をひと口。

「上品でふくよかな“ソース”ですね。最初に山椒が香り、最後に胡椒の余韻が残る。鴨の旨味がいっそう引き立ちます」と称えました。

そして待ちわびたようにグラスに手を伸ばし、「本当にぴったり。料理の余韻をシャンパーニュが優しく包んでくれるような印象です」と堀木さん。さらに今度はパテを味わい、再びシャンパーニュをひと口。

「今度はシャンパーニュが口の中で弾けます。鴨、大根、パテ。食べる順番を変えるだけで味の感じ方が一変し、続くシャンパーニュの印象も違ってきます。一皿の料理とは思えない、まるで魔法です!」と驚きの表情を浮かべます。

前田シェフは我が意を得たりと微笑み、料理の種明かし。

「“コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008”は、エレガントかつスパイシーという複雑な味わい。そのさまざまな要素を引き出せるよう、料理も皿の中で多様性を持たせました。クレソンは水温が低い今の時期は、ワサビのような辛味がありますので、これで口の中をリセットして多彩な味わい方をお楽しみ頂けます」と複雑な計算が潜んでいることを教えてくれました。

「フランス料理には型があるが、ここにはそれがない。それこそ前田シェフの本質」と堀木さん。

「自分が行かないと嘘になる」と毎朝5時過ぎに市場に通う前田シェフ。

料理と和紙。ジャンルは違うが、ものづくりに挑む姿勢は驚くほど共通していたふたり。

MOTOÏ × 堀木エリ子誰かを思う心が、思いがけない力を生む。

これまでに何度か堀木さんが店を訪れ、互いに面識はあったふたり。実はそれ以前にも、ふたりが交差したタイミングがありました。それは前田シェフがかつて働いた期間限定レストランでのこと。

「レストランとして使っていた空間に、堀木さんの作品が飾られていたんです。光の加減によって見え方が変わる和紙。こんな美しいものを見ながら仕事ができるなんて、と幸せに思っていたことを覚えています」そう振り返る前田シェフ。

「誰かに見てもらうこと、誰かを喜ばせること、それがものづくりの基本ですから、そのお言葉はとてもうれしいです。そして前田シェフもきっと同じなのだと思います。先日“餃子”を食べて確信しました」。

堀木さんが話す「餃子」とは前田シェフが手掛け、2020年11月にオープンしたばかりの新店、その名も『モトイギョーザ』のこと。

「はじめはフレンチの前田シェフが餃子と聞いて驚いたのですが、お話を聞いて納得しました。家族のために家で作っていた餃子が起点なんですね」。

「その通りです。この社会情勢のなかで何かできることはないか、と考えていたときに、前から娘のために作っていた餃子を思い出しました。いつも早朝から仕入れに出かけ、帰るのは深夜。もっと娘の笑顔が見たいと、毎晩、娘の好きな餃子を試作しました。ニンニクを使わず、好物のパクチーとエビを入れて、もちろん無添加で。それが形になったのが『モトイギョーザ』です」と前田シェフ。

誰かのためになら、もっとがんばれる。そんな堀木さんの思いは、目の前のグラスを満たすシャンパーニュにも及びます。

「シャンパーニュも同じですね。十字軍で遠征したエルサレムで兵士が口にしたブドウ酒。それがおいしくて、故郷の皆にも伝えたい、と苗木を持ち帰ったのがシャンパーニュのはじまりですから。自分のためではなく誰かのため。それが思わぬ力を生むのかもしれませんね」。

「京都でやる、イコール京都の文化を伝えていくこと。その部分は大切にしたい」と前田シェフは語った。

空間設計にデザイナーは入れず、すべて前田シェフの思い描いた通りに設えたという。

フランス料理、和紙、シャンパーニュ、町家。どれも伝統を守り、今の時代に合わせて表現し、伝えていくもの。

MOTOÏ × 堀木エリ子なぜ? を考え続けることが次へのステップに。

偶然も必然も含め、幾度も互いの歩みが交差した前田シェフと堀木さん。同じ京都を拠点とし、そしてものづくりに向き合う姿勢にも多くの共通点がありました。

たとえば、今回堀木さんが手掛けた「コント・ド・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2008」のギフトパッケージは、熨斗のように箱を包む形。これは「紙で包むことにより物を浄化して人に差し上げる」という日本古来の文化を取り入れた表現です。

一方、前田シェフのコースに箸を使う料理が登場する際、箸はゲストの正面に横向きに置かれます。これも結界を意味する日本古来の作法。「なぜそうするのか、を常に考えます。他のレストランに行くときも、食材の組み合わせやソースを“なぜ”使っているのか、と考えます」という前田シェフの言葉に、堀木さんも深くうなずきます。

「例えば、居心地の悪い喫茶店があったとして、普通ならもう行かなければ良いだけのことですよね。でも私は友人と話しながら頭の片隅で、“なぜ居心地が悪いのか”を考えてしまうんです。そして“自分だったらこうしてみよう”というアイデアが生まれる。常に考え続けること、それが思いの深さなのでしょう」と堀木さん。

京都という特別な地を舞台にする理由。受け継がれる伝統の捉え方と、その上に成り立つ革新の意味。今の時代を反映し、未来につなげるものづくり。

深く深く掘り下げていく似た者同士のふたりの会話は、まるで自分自身に問いかけているようでもありました。

愛情、おもてなし、思いやり。ふたりの間で多くの言葉が語られたが、その本質はどれも「誰かを思う心」で共通していた。

住所:京都市中京区富小路二条下ル俵屋町186 MAP
TEL:075-231-0709
https://kyoto-motoi.com/

1962年京都生まれ。高校卒業後、4年間の銀行勤務を経て、京都の和紙関連会社に転職。これを機に和紙の世界へと足を踏み入れる。以後、「成田国際空港第一ターミナル」到着ロビーや「東京ミッドタウン」などのパブリックスペース、さらには、旧「そごう心斎橋本店」や「ザ・ペニンシュラ東京」など、デパートやホテルの建築空間に作品を展開。また、「カーネギーホール」(ニューヨーク)での「YO-YOMAチェロコンサート」舞台美術や、「ハノーバー国際博覧会」(ドイツ)に出展した和紙で制作された車「ランタンカー‘螢’」など、様々な分野においても和紙の新しい表現に取り組む。「日本建築美術工芸協会賞」、「インテリアプランニング国土交通大臣賞」、「日本現代藝術奨励賞」、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2003」、「女性起業家大賞」など、受賞歴も多数。近著に『和紙のある空間-堀木エリ子作品集』(エーアンドユー)がある。

お問い合わせ:サッポロビール(株)お客様センター 0120-207-800
受付時間:9:00~17:00(土日祝日除く)
※内容を正確に承るため、お客様に電話番号の通知をお願いしております。電話機が非通知設定の場合は、恐れ入りますが電話番号の最初に「186」をつけておかけください。
お客様から頂きましたお電話は、内容確認のため録音させて頂いております。
http://www.sapporobeer.jp/wine/taittinger/

Photographs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI

(supported by TAITTINGER)

好きな風景

皆様こんにちは( ´ ▽ ` )

デニムストリートは倉敷に市にありまして、倉敷といえば観光地で美観地区が有名ですがもう一つおすすめスポットを紹介します(・∀・)



水島展望台という場所から見た夜景が


サイッコーなんですよ(*゚▽゚*)

見えている景色は水島工業地帯という24時間稼働している工場の夜景です!

美観地区から車で30分ぐらいで着いてジーンズの聖地である児島の近くになります。

カップルで行くもよし、バイカーさんはツーリングで行くもよしでおすすめスポットです(*゚▽゚*)

昼は是非デニムストリートに寄って買い物を楽しんでもらい、夜は夜景を楽しむと言うのがオススメです!

「人類は地球を制御できない。今こそ、人類のサイクルから地球のサイクルへ」デザイナー・皆川 明

「コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました」と皆川 明氏。Photograph:Shoji Onuma

皆川 明 インタビュー不思議な時間の中、もの作りは進んでいった。

「このシーズンは、私たちにとって不思議な時間の中でものづくりが進んでいきました。今在る不安はどこまで続くのか、それはどのように晴れていくのか。その中で浮かぶ風景は雲の合間から、刺す光の景色や生き物が微かに、しかし途切れることのない繋がりを持つようなイメージでした。そして過去の様々な困難を乗り越えてきたこと、それが次の世界へと繋がる扉であることを信じる気持ちが湧いてきました。デザインは、マイナスの要因がある時こそ大切な拠り所になりたいと思います。このシーズンが皆さまの日々の暮らしの新しい喜びのひとかけらとなることを願いながら」。

この言葉は、『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』が「2021 Spring/Summer Collection after rainを発表した際に添えられたメッセージでデザイナーの皆川明氏が書いたものです。

その「不思議な時間」を指す主は、新型コロナウイルスによる様々な変化。

今なお、その渦中にありますが、この難局をただの難局だったという過去にしてはいけません。

「after rain」……、止まない雨はない。雨上がりの先には、一体どんな景色が待っているのか。

皆川氏と共に、考えていきたいと思います。

「2021 Spring/Summer Collection after rain」より。自然に溶け込むテキスタイルやデザイン、柔らかな質感が美しい。Photographs:Hua Wang Hair & Make-up:Yoshikazu Miyamoto Model left:Marianna Seki Model right:Kamimila

皆川 明 インタビューゼロイチだけではない。イチ以降も蓄積されるデザイン。

『ミナ ペルホネン』の特徴は、オリジナルの図案によるファブリックを作るところから服作りを進めることにあり、その表現はファッションの領域を超え、多岐にわたります。

インテリアでは、アルヴァ・アアルトやハンス J・ウェグナー、アルネ・ヤコブセンなどが手がける名作家具とのコラボレーションを発表。坂倉準三や柳宗理、剣持勇などで知られる『天童木工』やジョージ・ナカシマで知られる『桜製作所』では、椅子などのデザインを自ら手掛けます。そのほか、デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデンの『KLIPPAN(クリッパン)』といったテキスタイルブランドやイタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、テーブルウェアや雑貨のデザイン、新聞や雑誌の挿画の制作、更には、香川県豊島の一日一組の宿『UMITOTA(ウミトタ)』ではディレクションを担います。

その全てのデザインを可能にするのは、前述にある「ファブリックを作るところから服作りを進める」哲学にあると思います。つまり、ゼロからの創造です。しかし、それだけではないのが『ミナ ペルホネン』。

例えば、一般的なファッションブランドは、各年の春夏・秋冬の発表からシーズン後のセールという定常に対し、『ミナ ペルホネン』は同じデザインの服を何年も作り続けています。また、皆川氏が手掛けた『金沢21世紀美術館』のスタッフユニフォームにはパッチワークを採用。その理由に「穴が空いたり破れたりしても補修が目立たず、長く着ることができるデザインを考えました」と話します。ゼロイチから創造されたものは、イチ以降も蓄積を重ね、歳と共に生きていきます。いや、それ以上かもしれません。なぜなら、「ものは人の命よりも遥かに長く生き続けるから」です。

昨今、サスティナブルという言葉が市民権を得ましたが、皆川氏は、もっと以前より、その思考を持って『ミナ ペルホネン』をスタートしていたのです。

『Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)』社により作られている「Series 7」の60周年を記念して誕生したラインナップ。アルネ・ヤコブセンが「Series 7」のために選んだ色から皆川氏がインスピレーションを得て、経年変化を楽しめるテキスタイル「-dop-」から6色を選択。パッチワークにて仕上げた作品。Photograph:Kotaro Tanaka

桜製作所と共に製作した「lotus stool」。「公園の池に揺られる背の高い蓮からインスピレーションを受け作りました」と皆川氏。Photograph:Koji Honda

デンマークの『クヴァドラ』(左)やスウェーデンの『クリッパン』(右)にもテキスタイルデザインを提供。Photograph left:Patricia Parinejad

香川県豊島の一日一組の宿『ウミトタ』では、ディレクションを担う。『ミナ ペルホネン』のテキスタイルに囲まれて過ごす時間は、より一層特別な宿泊体験となるだろう。設計は、『シンプリティ』の緒方慎一郎氏が手がける。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
天然資源には限りがある。地球の循環を理解し、100年先も「つづく」社会へ。

『ミナ ペルホネン』の前身となる『ミナ』を創設したのは1995年。「せめて100年つづくブランドに」という思いから始まったその歩みは、2020年に25周年を迎えました。2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、その集大成と言って良いでしょう。

その会期終了間際に世界を震撼させたのが新型コロナウイルスだったのです。「まさかこんなことになるなんて……」。今なお「つづく」誰もが予想しなかった難局と同年に周年を迎えた『ミナ ペルホネン』は、今後、どう「つづく」のか。

同展覧会にはこれまでの歩みも年表として描かれ、その最後は、創設から100年先の2095年という未来に向けられています。その項目には、「過ぎた100年を根としてこれからの100年を続けたい」というメッセージが綴られていました。

人類は、新型コロナウイルスから何かを学び、それを根にできるのか。そして、100年後には、どんな世界が続いているのか。

「ものを作るということは、それを伝えるということまでを含んでおり、その伝えるという方法が新型コロナウイルス後は大きく変化したと思います。それについては、新たな方法を考える喜びになっています。生活は、海外への渡航がなくなり、未知の土地や文化の体験ができないようにも感じていましたが、身近な人との新たな関係や日々の小さな要素からの気づきが増えたと思います。どんなに世界が変わってしまっても、大切なことは変わりません。デザインによって暮らしの喜びは生まれ、そこから更に生まれる記憶が人生に幸福感をもたらすと信じています」。

消費するものではなく、生産するもの。
作る先にある、直すことまで目を向ける。

ある意味、人類は地球を支配してしまったのかもしれません。いや、支配できたと勘違いしてしまったのかもしれません。

それに気づきを与えたのが、新型コロナウイルスだったのではないでしょうか。

これから人類は、どう生きるべきか。

「地球の変化に耳を傾け、人間の作ったサイクルを地球全体のサイクルと整合させていく必要があると思います。それには、肥大した欲の制御と本質的な幸福感への理解が必要されるのではないでしょうか」。

2019年11月16日から2020年2月16日まで『東京都現代美術館』にて開催された『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』は、『ミナ ペルホネン』と皆川氏の集大成とも言える展覧会。テキスタイル、ファッション、インテリアなど、ありとあらゆる作品が一堂に会した。写真は、2020年7月30日から11月8日まで『兵庫県立美術館』にて開催された特別展『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』の「雲セクション」展示風景。Photograph:L . A . TOMARI

産地、手仕事、職人を大切にしている『ミナ ペルホネン』。どんなにテクノロジーが発達しても、丁寧なもの作りに勝るものはない。Photograph:L . A . TOMARI

皆川 明 インタビュー
全世界が同時に恐怖を知った。その真実を人類は生かさなければいけない。

新型コロナウイルスの特徴は数あれど、人類が迎えた難局の特徴はひとつ。それは、この問題が世界同時に発生したということです。日本のみ、アジアのみ、アメリカのみ、ヨーロッパのみなど、ある特定の国や地域で発生する件であれば、これまでもしかり、今後も可能性としてはありうると思います。しかし、全世界が同時に恐怖を知る難局は、これからの事例としても稀有なのではないでしょうか。

「全世界、同時に問題が発生したことを人類は未来に生かさなければいけないと思います。人類は地球をコントロールできるという認識を改め、経済性グローバリズムの次の世界を見つける機会と捉えるべきだと思います」。

地球環境は、ファッションとは切り離せない世界。コットンやリネン、ウールなど、原料となるほとんどは、自然から生まれます。

「多くの天然素材が使われるファッションは、その原料となる自然物を保護し、その環境を守りながら利用させていただかなければいけません。それは量だけではなく、生態系のバランスへの配慮も必要です。生産量は、許容される範囲に絞り、経済合理性による環境破壊をしてはいけません」。

人の活動停止により、自然は生命力が漲りました。澄んだ空気、透き通る海や運河、希少な生き物における繁殖率の増加など、世界各地で好転現象は見られています。皮肉なことに、新型コロナウイルスによって窮地に立たされているのは、人類のみ。

一方、コミュニケーションのためにテクノロジーの進化を加速させました。SNSやオンラインなどは、その好例ですが、同時に進化するスピードに使い手は追いつけず、モラルや道徳心も必要とされます。

「テクノロジーを正しく取り入れることにより、人と人をつなぎ、互いのプラスをつなぎ、より良い社会は創造できると思います。例えば、デザイナー、製造業、職人を適正にするシステムを世界的につなぐことができれば、人の特性をより生かし、テクノロジーが人を生かす社会も作れると思います」。

もちろん、そこには想いや心、愛は必要不可欠であり、いつの時代においても普遍的な価値は命から生まれます。

「デザインとは、作り手において作るという喜びを、使い手において使うという喜びを、同時に創造する行為だと思います。それが自分にとってのデザインです。コロナ禍において、日常は奪われてしまいましたが、一方で何気ない日常の有り難さを再考できました。何のために活動し続けるのか、表現し続けるのか、その先にあるものは何か……。色々、考えるきっかけにもなりました。自分は、喜びの循環と物質的循環の両輪を思考し、具体化することをデザインで表現したい。その先には、経済的価値から生きることの意味に向き合う未来があると信じているからです」。

1967年生まれ。1995年に『minä perhonen(ミナ ペルホネン)』の前身である『minä』を設立。ハンドドローイングを主とする手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザイン活動を行っている。デンマークの『Kvadrat(クヴァドラ)』、スウェーデン『KLIPPAN(クリッパン)』などのテキスタイルブランド、イタリアの陶磁器ブランド『GINORI 1735 (リジノ1735)』へのデザイン提供、新聞・雑誌の挿画なども手掛ける。
https://www.mina-perhonen.jp
 
Text:YUICHI KIRAMOCHI

栃木レザー ミニトラッカーウォレット

ミニトラッカーウォレットがリニューアルして,新色追加で再登場!

  • 【IHG-082】栃木レザー トラッカーウォレットのミニサイズ版です
  • ポケットにすっぽり収まるサイズ感で、上着の内ポケットにも入ります
  • 背面、内側のカード入れは逆さにしても落ちないよう一般的なカードのジャストサイズ設定です
  • カード入れが2ヶ所とフラップ付きのメイン気室で構成されています
  • ミニウォレットやパスケース、また名刺入れ等小さいながらに用途の広い商品です
  • 各パーツは真鍮で表のボタン、センター部分にはアイアンハートの刻印入りです
  • ハトメを付けているのでウォレットチェーンやキーホルダー等も付けられるようにしています

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うこと。それはコロナ禍においても変わらない」SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE/山中大介

「新型コロナウイルスそのものを理解することも必要ですが、人が受ける差別が一番怖いと感じています。今こそ、支え合い、助け合うことが大切だと思います」と『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』を運営する『ヤマガタデザイン』代表の山中大介は話す。

旅の再開は、再会の旅へ。どんなに世界が変わってしまっても、自分は人間らしい生活を求め続けたい。

それは、宿泊施設『SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE』(以下、スイデンテラス)です。木造建築のホテルとしては最大規模のそれを手掛けるのは、プリツカー賞を受賞した建築家、坂 茂氏。開発、運営を手がけるのは地元のベンチャー企業『ヤマガタデザイン』です。代表の山中大介氏は、都内の大手不動産会社を辞め、鶴岡市に移住。2014年に同社を設立します。

「自らに課したミッションは、街づくりに必要なことすべてを行うことでした。一次産業の衰退、労働人口の流出に伴う少子高齢化と全国の地方都市の例にもれず、鶴岡も多くの問題を抱えています。それらをひとつずつ解決しながら、魅力溢れる鶴岡を次世代に継承したい」と山中氏。

『スイデンテラス』は、そんな町づくりの中核施設としての役割も担っているのです。

その名のとおり、水田に浮かぶかのようなホテルは、総客室数119室。開業当時と比べ、大きな違いは団体客の激減。理由は周知の通り、新型コロナウイルスによるものです。

「以前は、団体旅行の方も多くいらっしゃっていましたが、新型コロナウイルス後は、より個人や少人数、小グループの旅行へと変化していきました。 また、遠方からおいでになる方が減った一方で、山形県内や東北、新潟などの隣県から訪れていただけるお客様が増えました。中でも、同じ庄内エリアにお住まいの方が、わざわざお泊りに来ていただけたことも、特徴的でした」。

『スイデンテラス』に限らず、ゲスト特性の変化は各地で見られます。地元や近県からの来訪者が増えているのは、その最たる例と言えます。

一方、ホテル側は万全の感染症対策を実施。安心安全に最善を尽くしています。とりわけ、『スイデンテラス』においては、細部にわたり徹底。食事のスタイルから設備投資など、早い判断力と行動力は、山中氏の手腕が光ります。

「コロナ禍でも、安心して滞在いただけるよう、食事の提供方法の見直し、滞在空間でのコロナ対策を徹底しています。特に、食事の部分では、個別に食事を取っていただけるように個室レストランを新たに設け、夜の食事は、お重に入れて個別に提供し、希望する方は、客室で食事が取れる形に変えました。また、昼ごはんは、テイクアウト可能なメニューを開発し、そのまま、お弁当として持ち帰れるようにしています。そのほかの施設面では、同居家族や友人家族のグループ利用に対応するため、コネクティングルームを新設しました。細かなところですが、ご案内や精算等の積極的なデジタル化にも取り組み、感染予防に努めております。新たな旅行の形にも対応し、ワーケーションの取り組みも始めました」。

以前、『ONESTORY』の取材時、山中氏は、地方創生のあり方のひとつとして「当事者になることが大切」だと話しています。これは、地方創生に限らず、今回の新型コロナウイルスに関しても同様なのではないでしょうか。この難局にどう当事者意識を持てるのか。自分ごと化できるのか。決して、対岸の火事ではありません。

「まず、新型コロナウイルスそのものを理解することは必要だと思っています。中国武漢での感染者確認から丸一年以上が経過しており、一定の信頼ある統計データが取れると思います。是非、感染者や死亡者の傾向を分析し、冷静な情報として社会に還元し、適切な対策を施していただきたいと思います」。

しかし、世界を難局にもたらした正体を知ること以上に恐れていること、それは人間が持つ本性による社会の歪みかもしれません。

「人が受ける差別が一番怖いと感じています。経済も命であり、若者の自殺者数の増加に心を痛めています。With/afterコロナ社会など、様々言われていますが、私は人間らしい生活を求め続けたいと思います。必要なことは、自らの免疫を高め続けることと、未来に希望を持つことです。『スイデンテラス』も、コロナ禍の影響を乗り越え、ハード/ソフト両面で進化し続けます。少し今の生活に疲れてしまったら、是非、山形庄内に人間らしい時間を求め、遊びにいらしてください。みんなで一緒に頑張りましょう!」

夕暮れ時、室内の光を漏らす建物が空模様とともに水盤に映る様子は、ため息が出るほどの美しさ。正面がフロントやレストランなどがある共用棟、その左が客室棟。左端のドーム型の建物がスパ&フィットネス棟。

田園ビューテラス付きダブルルーム(22㎡)
特徴的なピクチャーウィンドウからは、四季折々の風景が一望できる。

ファミリー(87㎡)のリビング。大人5名様まで宿泊できるため、ファミリーやグループでの利用がおすすめ。

米どころ・庄内平野に立つロケーション。実りの秋は、見渡す限りの水田が黄金色に染まる。人類がどんなに新型コロナウイルスに翻弄されようと、自然界のサイクルは変わることなく季節は訪れる。むしろ、人の活動停止によって自然は元気になったのかもしれない。

鶴岡に移住した後、2児に恵まれ、3人姉妹の父親となった山中氏。前回の取材時では「課題は解決するためにある」と話すも、新型コロナウイルスによって新たな課題も山のように浮上。しかし、常に山中氏は前向き。「またお客様と再会できるのを楽しみにしています。我々は、安心してお泊まりいただけるよう、万全の準備をしてお待ちしております」。

住所:山形県鶴岡市北京田字下鳥ノ巣23-1 MAP
電話:0235-25-7424
https://www.suiden-terrasse.yamagata-design.com

Text:YUICHI KURAMOCHI

ものを結び、人を結び、ことを結ぶ。意志あるところに道は拓ける。

「全てが急務なのは、日本だけでなく全世界共通。『困ったときほど美味しいものを!』プロジェクトがスピード感を持って遂行できたことは、コロナ禍だったからだと思います。この感覚は、今後の社会にも活かすべきだと思います」と鈴木さん。

困ったときほど美味しいものを!

大阪=食の街? くいだおれの街? それならば、困ったときほどおいしいを貫く。

2020年2月より、新型コロナウイルスは、世界中に感染拡大。今なお、終息の目処は立たず、困惑する日々が続いています。

テレワーク、自粛、緊急事態宣言など、これまで経験したことのない生活は、人々から日常を奪い、それによって経済は破綻。苦難する業界は多々あるも、メディアの報道も手伝い、飲食業界がそのひとつであることは周知の通りです。

政府による保証や支援があるも、状況は店によって異なるため、一律では解決できない問題もあります。飲食店の難局は、一次産業の難局にもつながるため、出口の見えない不協和音は拡がる一方。

しかし、手放しに営業や集客を正義と見せるのは困難を極め、やはり医療現場の改善こそ急務を要します。

飲食店も応援したい、医療従事者も応援したい。何かできないか。

そんな時に立ち上がったのが、大阪を活動拠点に置く『Office musubi』代表の鈴木裕子さんです。

鈴木さんは、食を通して様々を結び、日本初のフードビジネスインキュベーター『OSAKA FOOD LAB(大阪フードラボ)』も運営。シェフや料理を通してチャレンジしたい人々の場を創造し、大阪のフードシーンに活気をもたらせている人物です。

大阪といえば、名レストラン『HAJIME』の米田 肇シェフが行った署名活動は記憶に新しく、鈴木さんは、同活動における影の立役者でもありました。

そして、同時進行していたプロジェクトこそ、今回の主である『困ったときほど美味しいものを!』だったのです。

2020年5月、「食を通して医療従事者を支援できないか」と同プロジェクトを立案。『食創造都市 大阪推進機構』が事業主体となり、7月に本格始動させます。内容は、同機構が各飲食店より食事を買い取り、医療従事者の方々へおいしい食事を無償で届ける活動です。

「医療従事者に元気になってもらいたい。せめて、おいしい食事を食べて欲しい。そんな想いから始めた活動ですが、続けられる仕組みがないと一過性のものになってしまうと思いました。『困ったときほど美味しいものを!』は、食事を買い取ることによって飲食店への支援にもつながり、一次産業の支援にもつながります。更に、このプロジェクトは、本件だけでなく、今後起こりうる災害時などにも有用できると思っています」。

実は、立案から本格始動の間は、『Office musubi』の持ち出しで食事の買い取りを行い、医療現場へ配達。そこまでしても「早急にやるべき」だと鈴木さんは判断したのです。

「色々な方々にアドバイスをいただきながら、複数の医療機関にもコンタクトを取り、手探りから始めました。通常であれば、立ち上げまで時間がかかっていましたが、様々な機関と共にスピード感を持って遂行できたのは、コロナ禍だったからだと考えます。今やらないと間に合わない。時間をかけては意味がない。今は、そんなことが受け入れられている時期。これは社会全体として今後も活かすべきだと思います」。

その情熱は、飲食店にも連鎖。

agnel d’or(アニエルドール)』、『Difference(ディファランス)』、『RIVI(リヴィ)』、『communico(コムニコ)』、『柏屋』、『楽心』、『市松』、『一碗水(イーワンスイ)』、『酒中花 空心(シュチュウカ・クウシン)』、『餅匠 しづく』、『LE SUCRE-COEUR(ル・シュクレ・クール)』……。

星を獲得するレストランから予約の取れない名店、売り切れ必須の行列店まで、錚々たる面々が参画します。

さらには、一次産業にも連鎖。

大阪だけでなく、近県へと輪は拡がり、「是非、応援したい!」、「今回のプロジェクトのために使ってください!」、「医療従事者のためなら!」と、新鮮な食材が届きます。

京都府右京区『吉田農園』の棚田米。和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。和歌山県みなべ町『なかはや果樹園』の梅干し、ミニトマト。和歌山県有田郡湯浅町『善兵衛農園』の三宝柑、和歌山県田辺市龍神村『Tofu&Botanical Kitchen LOIN(ルアン)』の豆腐、しいたけ。和歌山県和歌山市『小川農園』のフェンネル、生姜、菜の花……。

「『困ったときほど美味しいものを!』は、自分たちの想像をはるかに超えたものになっていると実感しています。大阪は、“食の街”、“くいだおれの街”と謳われていますが、それならば、困ったときほどおいしいを貫くべき。どんな時でもおいしいものを提供したい、おいしいものを食べられる街にしたい。そんな食の仕組み、インフラが今回のプロジェクトです。これで終わりではありません。まだまだこれから。大阪の食を、日本の食を、世界に結ぶために、私は活動し続けます」。

取材当日に送られてきたのは、京都府右京区『吉田農園』の棚田米。鈴木さん、シェフだけでなく、「おいしい」の裏側には様々な人の想いが込められている。

 取材後、鈴木さんのもとに送られてきた果物は、和歌山県日高郡由良町『数見農園』の清見オレンジ、甘夏みかん、八朔。主催側から支援を募るでもなく、SNSや周囲の活動を知り、自ら連絡をしてくる生産者たち。

 食材を支援していただいた生産者たちをメモし、参画するシェフとも共有。「シェフたちも、どんな生産者が作った食材なのかを理解して料理する方が気持ちは入ります。少しも無駄を出さず、使わせていただいています。本当に感謝しかありません」。

困ったときほど美味しいものを!

私は世界を目指している。それまでのことは、全て通過点。

大学時代、海外への留学経験を持つ鈴木裕子さんは、「振り返れば、あの時に私の生き方は形成されたのかもしれません」と自身を振り返ります。

アメリカはコロラド州デンバーへ。半年の留学のつもりが結局、卒業まで。その後、帰国するかと思いきや就職まで。

鈴木さん曰く、「計画型ではなく、展開型(笑)」の性格は、やや場当たり!? ライブな進路は、帰国後も続きます。

「海外での仕事を経験してきたので、英語を活かせる業務や各国へも行き来できる大手外資系に勤めました。最初は、いわゆるキャリアウーマンとしてバリバリやっている毎日に充実していましたが、ある時、ふと思ったのです。私、歯車の一部になっていないかな?と」。

一度、そう思うと後に引けなくなる性分の鈴木さんは、転職先も決めず、すぐに離職。次は、極端に人数の少ない10人以下の会社を探します。

「最後、どちらか悩んだ2社があったのですが、安定ではなく挑戦している会社を選びました。リスクを取って私も挑戦してみたかったのです」。

その中で、鈴木さんは大きな変化を感じます。

「企業名ではなく、個人名で仕事をしている方々に出会い、能力のある個人は活躍できるのだと知りました。この企業に発注したいのではなく、この人に発注したい。その経験は、今の自分の基礎になっていると思います」。

しかし、その後、業務過多と様々あり、体調を壊してしまい、離職。結婚し、働く環境から身を離れた田舎で専業主婦をしていたことも。しばしの時を経て「ゆっくりこれからのことを考えよう」と思っていた時、以前、付き合いのあった経産省より一本の連絡が。新たに発足するプロジェクトのメンバーへの誘いです。

それは、『2005年日本国際博覧会(The 2005 World Exposition, Aichi, Japan)』、通称『愛知万博』を視野に立ち上がった『グレーターナゴヤイニシアティブ』でした。

愛知県は、鈴木さんの故郷でもあります。

「今もそうですが、本当に周囲に支えられています。『グレーターナゴヤイニシアティブ』には、約2年間携わりました。その後、これからどうしようかと思っていたら……。今度は、同プロジェクトにも参画していた『JETRO(ジェトロ)』より声をかけていただき、民間アドバイザーとしてご一緒することになりました。当時の『ジェトロ』は、車や機械ばかりを取り扱い、なぜ食をやらないんだろうなと漠然に思っていました。そんな時、政府が農水産物輸出を強化していく指針を発表し、私も食を中心に海外日本誘致も取り組んでいました。そこでレストランや食関係の方々と多く出会うようになったのです。みんなピュアな人たちで、ただおいしいものを作りたい、誰かに食べてもらいたい。喜ぶ顔を見たい。そう思っているシェフや生産者の働く姿や生きる姿を見て、自分の価値観が変わりました。働くことは生きることだと思います。であれば、好きな方々とご一緒したい。時間を過ごしたい。そう思いました」。

『ジェトロ』では、約2年半勤務。シェフでもない、農家でもない、生産者でもない鈴木さんは、どうすれば食を通して社会に貢献できるのか考えます。

「これまでの経験を活かし、食専門のマーケティングならできるかも!と思いました。最初は周囲に反対されましたが、反対されるってことは誰もやってないということですし(笑)」。

反対……。誰かが良いと判を押したものに良いと言える人はいても、最初の一歩を踏み出す人がいないのは日本人特有の性格。鈴木さんにそれがないのは、豊富な海外経験が他所と大きな差を生みます。

2009年独立、2011年『Office musubi』設立。

「会社設立後、最初のお客様は2社。どちらも『ジェトロ』の時に出会った方です。実は、今でもお取り引きさせていただいています」。

あの時、感じたことが頭をよぎります。「企業名」ではなく、「個人名」として、働く、生きる、その一歩を踏み出したのです。

近年では、前述の通り、大阪市北区中津の阪急高架下に『阪急電鉄』主催の『大阪フードラボ』を運営。飲食店の開業・起業や新規事業立ち上げに必要なノウハウを習得できる「育成プログラム」や「ビジネスマッチング」の機会を提供しています。

一見、多様なイベントスペースのように見紛うも、全てに共通していることは「挑戦」。日本初のフードビジネスインキュベーターの場こそ、『大阪フードラボ』なのです。

知名度を一気に上げたのは、ニューヨーク・ブルックリンで人気の移動型ファーマーズマーケット『SMORGASBURG(スモーガズバーグ)』の誘致でした。

「何事も徹底的にやらないと気が済まない性分で(笑)。『困ったときほど美味しいものを!』は、こんな難局を迎えても、シェフの活躍する舞台を作りたかった。自分たちでも医療従事者の方々を救えるんだという自信にも繋げてほしいと思った。お店を開けない、予約がない。みんなの苦しい姿を見ていますが、待っていても先が見えるわけではありません。であれば、掴みにいくしかない。私は私で、今回のプロジェクトをきっかけに、日が当たらない部分とより向き合うことができ、学びも多かったです。どこか一遍だけを切り取ってもいけない。何に基づいて活動しているのか、発信しているのか。何に基づいて大変なのか、苦しいのか。『大阪フードラボ』も考え方は同じです。受け身ではない、挑戦したい人が集う能動的な場所。日本はガラパゴスゆえ守られてきたものはありますが、人種や国境を超えてコミュニケーションしていく仕組みや戦い方は、まだ未成熟だと感じています。日本の当たり前は世界の当たり前ではない。安心感で群れることも良くないと思います」。

世界では、ひとつの街に様々な人種が暮らし、働き、生きる環境が形成されています。ゆえに各々が生まれた国や街への文化、歴史に対しての経緯が生まれ、多様性が創造されるのです。一方、地域によっては格差社会がはっきりしている現状もありますが、それでも真っ平らに同じ目線でいられる場所があります。それは「食卓」です。

「食卓を囲めば、みんなにこやか。世界共通、おいしいものを食べて嫌な思いする人はいませんよね? 性別や役職などは取り払われ、ファーストネームで呼び合える関係すら築けてしまうこともあります。おいしいは理屈じゃない。言語を超える。食べることは生きること。それは人としての本能。原動力にもなっている」。

『Office musubi』には、ものを結ぶ、人を結ぶ、ことを結ぶなど、「結ぶ」という想いを込めていますが、実はもうひとつメッセージが隠されています。それは、あえて大文字で記した頭文字の「O」と「musubi」を合わせた「おむすび」です。

「日本の食を世界に発信したいところから始まっているので、何かそれを彷彿させるネーミングにしたくて。私にとって日本の食といえばおむすび。実際、私の会社名は外国で“オムスビ”と呼ばれます。その時におむすびの説明をしてあげると会話も弾みますし、おむすびを通して、日本の文化や郷土を伝えてあげることもできる。もちろん、ご一緒する方々とは、実を“結ぶ”までやり遂げたいです」。

好きに勝るものはない。夢中に勝るものはない。

そんな心が鈴木さんを動かし、また周囲を動かしているのかもしれません。

食を通して挑戦する場として運営されている『大阪フードラボ』。これまで卒業した6名の中、開業できた事例もあれば、コロナ禍によって計画変更せざるを得ない事例もある。「彼らのためにも、一刻も早く日常が戻ることを願います」と鈴木さん。

『大阪フードラボ』は、大阪市北区中津の阪急高架下に位置。何もなかった場所に空間を生んだだけでなく、挑戦する人の人生も生んでいる。


Photograohs:JIRO OHTANI
Text:YUICHI KURAMOCHI