アパレル業界から北海道発お菓子メーカーに転身 クリエイティブ視点を生かすキャリアの築き方

PROFILE: 千葉真由美/COC取締役マーケティング本部長

千葉真由美/COC取締役マーケティング本部長
PROFILE: (ちば・まゆみ)1978年生まれ、札幌出身。99年ジュンの内装設計部門に入社し、6年間にわたって商業空間のデザイン業務を担う。その後、シューズ、コスメ、カフェ、ウエディングブランドなどの新規立ち上げや運営に従事した後、2016年にフリーランスに。22年に北海道コンフェクトグループに入社し、同社が手掛ける菓子「スノー」「札幌農学校」などのブランディングやマーケティング全般を担当 PHOTO:SHUHEI SHINE

「スノー(SNOWS)」「札幌農学校」など、北海道みやげとして話題のお菓子を多数手掛ける、北海道コンフェクトグループのCOC。同社でマーケティングの指揮を執る千葉真由美取締役マーケティング本部長は、アパレル業界での経験が長く、当時は「WWDJAPAN」をはじめとした業界紙もその活躍をよく取り上げていた人物だ。アパレル時代に培ったブランディングのスキルを生かし、現職ではお菓子ブランドのリニューアルや新規立ち上げを次々と仕掛けている。北海道と東京を行き来しながらマルチに活躍する千葉取締役に、お菓子業界に移った経緯や、アパレル時代に身につけたクリエイティブな発想について話を聞いた。

ーーアパレル時代はどのような仕事をしていたのか。

千葉真由美COC取締役マーケティング本部長(以下、千葉):美術系の学校を出た後に、総合アパレル企業のジュンに入社し、内装設計部門からキャリアをスタートしました。ブランドごとに相性の良さそうな内装デザイナーを選んだり、デザインコンペをしたりと、ブランドの事業部と内装デザイナーとを橋渡しするような仕事をしていました。その部門には6年ほど在籍しましたが、内装の仕事は若手であっても事業部長や社長などとやり取りする機会が多く、刺激的でした。

店舗設計の後に担当したのは雑貨ブランドです。雑貨強化の一環で、シューズとバッグのショップを作ることになり、企画・立案からイタリアでの買い付け、PRまでいろいろ担当していました。当時は毎日のように靴の産地である浅草に行き、メーカーや問屋を回っては「モノはこうやって作られるんだな」と学ばせてもらいました。その後は、ライフスタイル型の新しいセレクトショップのローンチプロジェクトに参加。どういう空間にどういう物を置くか、新しい発想で考えるのが楽しかったですね。

結婚を機に退職し、1年ほど仕事から離れていたのですが、再び職場に戻り、ウェディングのセレクトショップを立ち上げました。きっかけは、自分自身の結婚式の準備での体験です。当時は、予約をしてウェディングサロンに行って、ドレスや小物を決めていくというのが主流だったのですが、仕事をしていると予定を調整するのが難しく、働きながら準備するのが本当に大変でした。「今日行って、その場ですぐ選んで買える」。そんな自由な発想の新しいお店を作り、運営していました。

「地元に貢献できるのは幸せなこと」

ーーお菓子業界に転じることになったきっかけは何だったのか。

千葉:仕事はすごく楽しかったんですが、もう少し結婚生活に比重を置きたいと思って、退職することにしたんです。会社を辞めた後もそれまでの取引先などの方々からお声掛けいただき、セーブしながらもフリーランスで仕事はしていました。そんな中、北海道コンフェクトグループの社長である長沼(真太郎)が当時、東京で経営していたBAKEというお菓子メーカーを、週に1回ほど手伝うことになりました。もともと、長沼のお姉さんと高校時代の友人だったことからの縁です。それがお菓子業界に入るきっかけになりました。

ーー今は、北海道コンフェクトグループのCOCで取締役マーケティング本部長を務めている。

千葉:長沼が北海道に戻り、家業の老舗洋菓子メーカーを継ぐことになったので、私もそちらの仕事も手伝うようになりました。当初は業務委託で仕事をしていたのですが、徐々に東京オフィスの人数が増え、さまざまな指示を出す立場になっていったので、私も22年7月に北海道コンフェクトグループに入社。札幌の本社にも部下がいて、北海道と東京を行き来しながら仕事をしています。時期にもよりますが、月に2回ほど出張があって、ならすと1年のうち約3分の1は札幌にいます。

生まれ育った街の活性化に関わり、地元に貢献できることは、とても幸せなことです。それに、今も札幌には実家があり、親のこれからのことを考えても故郷で仕事ができるのはありがたいこと。私は東京の感度やスピードをキャッチしつつ、地元・北海道で幅広い層に受け入れられるお菓子の温度感も分かる点が強み。パティシエブランドではない私たちのお菓子は、世の中の8割くらいの人に買いたいと思ってもらえないと成り立ちません。よくあるようなものではダメですが、凝り過ぎたお菓子でも難しい。そのバランスを追求しています。

ーー具体的に、COCではどのようなお菓子を作っていて、自身はそこにどう関わっているのか。

千葉:注力ブランドのひとつである「札幌農学校」は、20年に20周年を迎えました。元々はミルククッキーのみを展開していましたが、ここ数年でプリンやタルトなど商品ラインアップを増やし、ブランド化を進めています。新千歳空港ファクトリー店限定の「焼きたて酪農チーズケーキ」と「焼きたて北海道アップルパイ」は特に人気で、2時間待ちの行列ができることもあります。

私たちはおいしいお菓子づくりのために「いい原材料を使う」「手間をおしまない」「フレッシュな状態で提供する」という三原則を大事にしているのですが、そのほかにパッケージデザインやネーミング、プライシング、店舗デザインにもこだわっています。

“ちょっとした違和感”を誘う店作り

ーー確かに、COCが手掛けているお菓子は、どれもパッケージやお菓子そのものの形、ポップアップストアの空間など、デザイン面も目を引く

千葉:お菓子は食べたらおいしいのは当たり前として、いかにして手に取ってもらうかが重要です。どうやったら買いたくなるかを常に考えています。例えば、生チョコレートを使用した冬期限定販売の「スノー」は、木の枝をイメージした形のチョコレート“森ノ木”やバウムクーヘンの“森ノ幹”など、自然の中にあるものからインスピレーションを得た商品をそろえていて、パッケージは版画家・大谷一良さんの作品をデザインとして使わせていただいています。大谷さんへのリスペクトを込めて、パッケージにはロゴを入れていません。店舗も空間にゆとりを持たせていて、かなりぜいたくな作り方をしています。普通のおみやげ屋さんではやらないようなことをして“ちょっとした違和感”を演出できたらと思っています。

「スノー」以外のブランドの店舗でも、ディスプレーとしてどれくらい箱を重ねるとすてきに見えるか、お店の人にはどういう制服を着てもらうとブランドらしさを出せるかなど、「ヒト・モノ・器」について常に考えています。これは、ファッションの世界でやってきたことと近いですね。

ーークリエイティブな視点を持ち続けるために、心掛けていることは何か。

千葉:お菓子業界に移ってからも、駅ビルや百貨店、有力なデザイナーズブランドの直営店など、ファッションやビューティ関連のさまざまなお店を見るようにしています。何を見たら新しいと感じるのか、どういうものを今っぽいと感じるのか、空間の見せ方やデザイン、色使いなどからヒントを得ています。

価格設定に関しても競合他社をリサーチするより、お菓子に関わらずマーケット全体を見ることを重視していています。街ではいま何が売れているのか、どうしてそれが売れているのかと常に考えている。マーケットを見続けていると、売れている理由がなんとなく分かってくるようになるんですよね。

長く愛される“名品”をいかに作るか

ーーアパレル業界とお菓子業界の違いに戸惑うようなことはなかったか。

千葉:アパレルは、ブランドごとにある程度、対象とする年齢層やターゲットが決まっていますが、お菓子が対象とするのは子どもからおばあちゃんまで幅広い。そこは違います。みんなに好かれて「買いたい!」と思ってもらえるお菓子を常に目指しています。また、お菓子業界に入って、チーズケーキならチーズケーキだけといったように、1つの商品しかないブランドがあることには驚きました。1アイテムしかないなんて、「コーディネートが組めない!」とアパレルではなってしまいますよね(笑)。

(シーズンごとに新商品がどんどん投入されるアパレルの世界と違って)お菓子は「1つの商品をどれだけ長い期間売り続けていくか」が重要です。言うなれば、「カルティエ(CARTIER)」の“タンク”のように時代を超える名品を作っていく必要がある。そしてそれを店舗での見せ方やSNSなどでお客さまを飽きさせることなく、楽しませ続けなければいけません。

24年には、北海道では多くの人が知っている「山親爺(やまおやじ)」という1930年からあるお菓子をリニューアルしました。「山親爺」を手掛ける老舗の菓子メーカー、千秋庵製菓が北海道コンフェクトグループに加わり、リニューアルすることになったんですが、パッケージデザインを変更すると共に、テレビCM(記事末尾のYouTube参照)のリバイバル放映を実施。CMの歌はYUKIさん、アレンジは蔦谷好位置さんという、北海道出身のお二人に手掛けていただきました。リニューアルによって、やや新鮮さを失っていた名品を蘇らせることができたと思います。全てのブランドをずっと続けることは難しいかもしれませんが、1つでも多くのブランドをできるだけ長く続けていきたいと思っています。

ーー改めて、今の仕事のどんな部分に醍醐味を感じているか。

千葉:お菓子を通して、北海道の美味しいものの魅力を1人でも多くの人に知ってもらえるのは、本当にうれしく思っています。それから、新しい業界で仕事をするのはアドレナリンが出てすごく楽しい。今までの経験をもとにアイデアも湧きやすいので、やってみたいことはたくさんあります。コラボができたらすてきだなと思うアパレルのブランドもありますよ。ノベルティーなのか制服なのか、どういう形で取り組むのがいいかを想像しているところです。

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学生が読むべき記事3選

「WWDJAPAN.com」では、記者が取材した生のニュースを毎日配信しています。その中から厳選した、ファッション・ビューティ業界を知る上で役立つ記事を記者のコメント付きで紹介。毎週アップするので、忙しい学生の皆さまも面接やビジネス会話のヒントにしてみては。

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2020年設立 スイーツとビューティーの 2つの事業を展開するサマンサグローバルが 事業拡大で急成長 新しい仲間を大募集

「バターのいとこ」は今、連日行列を作る話題のスイーツだ。宮本吾一氏が生み出した“ふわっ・シャリッ・とろっ”の3つの食感が楽しめる甘いミルクジャムを挟んだゴーフレット(ワッフル)が幅広い世代を虜にしている。おいしくおしゃれなスイーツであるだけでなく、SDGsに着目したソーシャルグッドな商品であることも魅力。材料はバターを作るときに出る副産物であるスキムミルク(脱脂粉乳)をアップサイクルしており、障害のある人たちや子育て世代の女性スタッフが働く就労支援施設を兼ねた工場で作られているため、酪農家、施設のスタッフ、そして消費者もみな笑顔になれる三方良しのビジネスなのだ。

憧れ消費から
“共感・応援消費”の時代へ

このムーブメントの仕掛け人が、「サマンサタバサ」の創業者である寺田和正氏だ。寺田氏が取締役会長を、宮本氏が社長を務め、栃木県の那須を拠点にするGOOD NEWSが「バターのいとこ」を手掛けており、寺田氏が2020年に立ち上げた新会社のサマンサグローバルブランディングアンドリサーチインスティチュート(以下、サマンサグローバル)が店舗を運営する(那須店を除く)。20年10月に、羽田空港第二ターミナルにスイーツを取り扱う「サマンサタバサグローバルアイランド」を開き、「バターのいとこ」の販売を開始したのを皮切りに、ブランドは急成長。現在はエキュート品川やルミネエスト新宿などを含む全12店に広がった。22年7月には那須に持続可能なまち「グッドニュース」を開業し、「バターのいとこ」の工場周辺に環境に配慮した事業を行うショップやレストランを誘致し、町おこしの取り組みをスタート。

GOOD NEWSの食のブランドラインアップも拡大。21年には、チーズを作る過程で廃棄されてしまうホエイ(乳清)からできた“ブラウンチーズ”を主役にしたクッキーサンドの「ブラウンチーズブラザー」と、規格外の野菜や余ってしまう食材を生かすことでフードロス問題に向き合うスパイスカレーパン「コナとスパイス」が仲間入り。今年6月には、自然と人が共生する里山の恵みを詰め込んだ新ブランド「里山ワルツ」のシリーズが誕生し、放牧酪農を行う那須の森林ノ牧場のミルクを使用した「森のミルクタルト」を、自然の中で放し飼いにされた鶏のたまごを使った「麓のエッグタルト」を発売
し、じわじわとファンを増やしている。

寺田氏は約30年前に「サマンサタバサ」を立ち上げてから、ヒルトン姉妹やミランダ・カーをはじめとする世界的なセレブリティーを起用したプロモーションで注目を集め、“憧れ消費”を推し進めてきた。これからの時代は“共感・応援消費”に注力していくと宣言している。グッドニュースの商品はいずれも社会や地域の課題を解決することを目的としており、共感を生み、応援したくなるような背景があるのだ。

全てが希望と感謝につながるビジネス
“誰かの明日に
つながることがしたい人”募集中!

サマンサグローバルとグッドニュースで非常勤取締役を務める世永亜実氏は、「サマンサタバサ」創業者の寺田和正氏の右腕として、広報部でブランディングやマーケティングを統括し、ブランドを成長させてきた人物だ。サマンサグローバルの魅力を「“社会課題をデザインの力で解決する”という強い信念のもと生まれた会社で、ここで働いていることを幸せに思えるし、誇りに感じられること」と語る。「酪農家さんが愛情を込めて作ったミルクからバターを作るときに90%以上がスキムミルクとして安価に販売される問題を解決し、工場は就労支援施設として障害のある方々の働く場所を増やすことにも貢献できており、全てが希望と感謝につながるビジネスになっている」。同社で働く人々について「既成概念にとらわれず、『自分の仕事で誰かの明日につながるようなことがしたい』という思いを持っている人が集まっている。これからの自分の生き方について考えている人たちにぜひ仲間になってほしい」という。

今年度は年商30億円を予想
サステナブルアクションで急成長!

SDGsに取り組み、持続可能なビジネスで成長するサマンサグローバル。今年度の売上高は 約30億円を予想し、来期は 50 億円を目指している。今後の新規出店は30店鋪予定。創業から約3年のこの企業の快進撃は始まったばかりだ。

成長企業でチャレンジを
楽しみたい人を大募集!

サマンサグローバルでは、店舗でのスイーツ販売の接客を中心に、在庫管理や発注、店舗のディスプレーの考案、販促やキャンペーンを立案、実行するスタッフを募集する。丁寧な研修があるため、未経験者歓迎。雇用形態は正社員、アルバイト、パートなど相談可。現在、「バターのいとこ」は、羽田空港第一ターミナル店(ゲート内)と 羽田空港第二ターミナル店 (ゲート内)、ルミネエスト新宿店 、大丸札幌店 、 新千歳空港店、羽田空港第一ターミナル店 食賓館3付近の6店舗、「ブラウンチーズブラザー」は、羽田空港第一ターミナル店(特選洋菓子) 、羽田空港第二ターミナル店(出発ロビー)の2店舗、「GOOD NEWS TOKYO」は、エキュート品川店、羽田空港第二ターミナル店(出発エリア)、上野マルイ店の3店舗、「里山ワルツ」は、羽田空港第一ターミナル スタースイーツの1店舗。羽田空港だけで7店舗、全12店舗を構える。店舗勤務だけでなく、ブランドに携わる本社の内勤スタッフも採用。

また サマンサグローバルは2023年秋、新事業「Samantha Beauty Project」を本格始動する。「綺麗になりたい」「新しい自分を発見したい」というビューティの本質を追求したプロダクトを開発。「美容室に行ったり、新しいファッションを身にまとったりすることで自信を取り戻す」という思いを体現するように、「Samantha Beauty Project」のプロダクトを取り入れることで、自分に自信を取り戻せるような事業を目指す。ありそうでなかったものと新しい価値をお客さまに提案し、内面も外見も美しく、毎日を素敵に彩るアイテムを発信していく予定だ。

今秋には新宿と有楽町でポップアップストアの出店を開始し、全国展開をスタート。来春には常設店をオープンする。この新規事業についても一緒にブランドの思いを届けていく仲間を募集する。

EDIT&TEXT : MAMI OSUGI
問い合わせ先
サマンサグローバルブランディングアンドリサーチインスティチュート
03-5484-7796

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若手社員だからこそ読んでほしい! 今だけ0円の業界深掘り記事を紹介

 「WWDJAPAN」4月4日発売号は“新入社員のAtoZ”特集。ファッション&ビューティ業界に入ったものの、右も左もわからない!という人に向けて、仕事で役立つ基礎知識や、同世代の働きぶりを発信しています。より多くの人に届けるため、特集の一部を期間限定で無料公開中!ファッションでよく聞く“コレクション“の解説や、ビジネスで成功した企業の徹底解説、大先輩の新入社員時代エピソードなど、ここでしか読めない内容ばかりなので、ぜひチェックしてみてください。


【今だけ0円!】
若手社員こそ読んでほしい
有料記事一覧

【ファッション&ビューティ業界の基礎知識】
 ファッション業界におけるランウエイショーは、一番華やかで取材がとっても楽しい世界。とは言え、その全容を知る人は多くないでしょう。「WWDJAPAN」は洋服が生まれるまでの過程、デザイナーの想いはもちろん、彼らを衝き動かした社会背景まで解説します。 この記事を0円で読む→

【ロンハーマンで活躍する若手社員】
 セレクトショップのロンハーマンは、“ラブ フォー トゥモロー”をスローガンに掲げ持続可能なビジネスモデルへの転換をいち早く始めた企業だ。同社のサステナビリティ計画を推進する中心人物の1人、若手社員の藤田トラヴィス恭輔さんに話を聞いた。 この記事を0円で読む→

【高島屋で活躍する若手社員】
 日本橋高島屋S.C.は昨年8月、期間限定の催事「つづくつなぐマーケット」を開催した。同イベントを運営するのは、入社2〜4年目の若手社員7人を中心とするプロジェクトメンバーだ。 この記事を0円で読む→

【ZOZOで活躍する若手社員】
 大手ECモールのZOZOは、新規事業「YOUR BRAND PROJECT」を2020年に始動した。インフルエンサーを起用してオリジナルブランドを企画し、ZOZOのプラットフォームから消費者に直接商品を届けるD2C事業だ。同事業で働く、入社6年目の尾田典子さんを取材した。 この記事を0円で読む→

【私が新入社員だった頃〜三越伊勢丹】
 仮想世界の百貨店「バーチャル伊勢丹」は、メタバース時代の新しい事業モデルとして注目を集めている。今ではデジタルの最前線に立つ三越伊勢丹の仲田朝彦さんだが、入社当時すでに百貨店は「冬の時代」と呼ばれていた。迷いを打破させたのが販売員としての接客経験だった。 この記事を0円で読む→

【私が新入社員だった頃〜資生堂】
 資生堂は、事業の中核部門である研究開発(R&D)を強化している。R&D領域をリードするのは、長年マーケティングに携わり多方面でイノベーションを巻き起こしてきた岡部義昭エグゼクティブオフィサーだ。入社から今年33年目を迎え、これまでとは異なるフィールドの旗振り役を務める彼の原点とは。 この記事を0円で読む→

【成功企業の裏側「アメリ」(前編)】
 ビーストーン(黒石奈央子CEO)のウィメンズブランド「アメリ(AMERI)」は、2014年の立ち上げ以来順調に成長を続け、21年7月期の売上高は38億円となった。ウィメンズのリアルクローズ市場で圧倒的な人気を誇る「アメリ」のデザインのプロセスを取材した。 この記事を0円で読む→

【成功企業の裏側「アメリ」(中編)】
 「アメリ」のデザインチームのメンバーは6〜7人(育児休業などで変動)。毎シーズン、アシスタントも含めメンバーそれぞれが企画を持ち寄ってデザインを決めていく。何を商品化するかの最終決定権は黒石奈央子ビーストーンCEOが握っているが、シーズン初めのディレクションは、特に黒石CEOが主導するものではないという。 この記事を0円で読む→

【成功企業の裏側「アメリ」(後編)】
 「アメリ(AMERI)」は立ち上げの2014年から週2回、4〜5型の商品投入を続けている。ECを訪問する客を飽きさせないために始め、それがEC成長の原動力にもなった。現在は国内外に実店舗6店(うち1店はブランドビンテージアイテムの専門店)を構えているが、週2回の投入は継続している。 この記事を0円で読む→



 「WWDJAPAN」は25歳以下を対象に、ファッションとビューティ業界の“今”と基礎知識を学ぶ「U25スペシャルプラン」をスタートします。価格は年間で1万6500円(税込)。申込み受付は5月15日まで。新入社員や若手社員への活用をご希望の企業人事や教育ご担当の方からのお問い合わせもお待ちしています。
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レナウン破綻1年 23歳元社員の挫折「服が好きなだけじゃ、やってけない」

 老舗アパレル、レナウンの破綻(20年5月)から1年。

 元社員たちはようやく当時を冷静に振り返れるようになった。「社内は『歴史のあるアパレルだから大丈夫』という感じで、危機感が全くありませんでした。自分自身も、どこかでそんな風に思っていたかもしれません」。

 そう話すのは吉田修太郎さん(仮名、23)。19年4月に新卒でレナウンに入社した。20年10月、関西のアパレル・小泉グループへ主力事業を譲渡するタイミングで希望退職。アパレル業界でのキャリアを歩み始め、わずか1年余りで道が閉ざされた。大学時代から「洋服が中心の生活」を送った吉田さんは、就職活動でもアパレルが第一志望だった。「長く愛せる洋服の素晴らしさを世に広めたい」との思いで、レナウン入社を選んだという。

WWDジャパン(以下、WWD):改めて、就職活動を振り返ると?

吉田修太郎(以下、吉田):就活を始めた当初は、レナウンという会社自体を知りませんでした。出合いのきっかけは、大学の就活支援講習会。自分が自信を持って人に薦めれるような、マジメなモノ作りをしている会社を探していたんですが、「アパレル業界ってチャラチャラしているんだろうな」というイメージもどこかにあって。落ち着いて紳士的に振る舞うレナウンの採用担当者がかっこいいなと、一目惚れしました。採用面接でも、真摯に自分の個性や人柄を汲み取ってくれようとしていましたね。他の大手アパレル、セレクトショップも視野に入れていましたが、迷いなくレナウンに決めました。

 19年4月、入社式で周りを見渡すと、先輩社員は「ダーバン(D’ARBAN)」のスーツに身を包み、「心の底からファッションが好きそうな人ばかり」。業界を見渡せば、給料がもっといい会社はある。それでも、レナウン決めた同期たちに親近感を抱いた。「やってやろう」。吉田さんのモチベーションも高まっていた。
 
WWD:最初の配属は?

吉田:都内の百貨店の紳士服売り場でした。僕と歳のほど近いチーフ(店長)が親身に陳列や接客、在庫管理をていねいに教えてくれました。人を大切にしてくれる企業ということを、現場でも改めて感じました。

WWD:やりがいはあった?

吉田:それは、正直「イエス」とは言えません。若手が意見を発する機会は、ほとんど与えられなかったように思います。新作の展示会では、キャリアや階級を問わず、商品について思ったことを自由に書いて意見できたんですが、この仕組みは形骸化していました。僕がしたためた意見は、一度も反映されませんでした。

「意見が悪かったんじゃない。企画のやつらが気にしているのは新宿伊勢丹みたいな、業績がいい売り場だけだから」。閉店後の売り場で落胆していた吉田さんは、当時のチーフに肩をたたかれ、そう励まされたという。

デジタルを軽視 危機感もない現場

WWD:19年秋には「ダーバン」「アクアスキュータム」の新レーベルをスタートするなど、新しい動きも見られた。得意としてきたテーラードスーツではなく、カジュアルなセットアップを打ち出したが、目立った業績改善にはつながらなかった。

吉田:僕を含む若手の受け止めとしては、「ようやくか」という感じでした。(新レーベルが振るわなかったのは)いいものを作れるし、自分たちの商品が好きで真摯に売れる人はたくさんいるけれど、その魅力を届けるための手段を考えなかったからだと思います。僕の上司を含め、社内の上の人たちはSNSでのプロモーションやECをオマケだと考えていて、全くやる気が感じられませんでした。

 20年初頭から、レナウンを取り巻く状況は急激に悪化する。新型コロナの国内感染状況が本格化し、店舗売り上げは大きく落ち込んだ。3月に発表された12月期業績は67億円の赤字。親会社の中国・山東如意科技集団からの売掛金(53億円)未回収問題も影を落とした。

WWD:社内はざわついていた?

吉田:退職の準備を始める人もちらほらいましたが、「雪崩を打って」というほどではありませんでした。やはり心のどこかで老舗だから、大企業だから大丈夫だろうという気持ちがあったのでしょう。

 とどめを刺したのは、20年4月から5月にかけての「緊急事態宣言」の発令。全国の商業施設が休業し、百貨店やショッピングセンター向けブランドが大半のレナウンはなすすべがなくなった。

 そして5月15日、勤務中に吉田さんの友人から、インスタグラムで1通のダイレクトメッセージが届く。「テレビに出ているの、お前の会社じゃないの?」。

吉田:すぐにネットニュースを開きました。最初は自分の目を疑いました。「冗談だろう」と。この日まで、社内も僕自身も、平常通り業務をこなしていましたから。その日の午後に課長以上が招集され、(経営破綻が)初めて経営陣以外に知らされたようでした。直前まで何の知らせもなかったことに、会社への不信感と怒りが募りましたね。両親はもちろん、友人の親御さんもすごくショックだったようです。その世代(50〜60代)にとっては、僕たちにはうかがい知れないほど、レナウンは大きな存在だったみたいで。何度も『ありえない』と繰り返していました。

 吉田さんは退職後、就職先を探したが、コロナ不況で希望のセレクトショップやアパレルメーカーは軒並み採用がなかった。そして半年たった今は、ITやウェブサービス領域の企業を視野に、現在も就職活動を続けている。

WWD:アパレル業界でもう一度やりたいという気持ちはある?

吉田:ファッションが好きな気持ちは、今も変わりません。ただ、がんばろうという心が折れてしまった。服が好きという純粋な気持ちでは、(アパレル業界で)やっていけないなと。優れた商品や、情熱のある個人がいても、それを時代に合った形で生かそう、届けようとする姿勢が会社になければ、意味がない。そういうことを(レナウンでは)突きつけられましたね。

 吉田さんの言葉には失望と、悔しさがにじむ。

 「ファッションは趣味と割り切ります。デジタルの知見を磨いて、将来副業として関われたらいいですね」。

 レナウン破綻の本質的な原因は、その旧態依然としたビジネスモデルを変えられなかったことだ。モノ作り、販売、プロモーションなどあらゆる面で昭和の栄光を引きずり、ジリ貧の経営状態だった。新型コロナは引導を渡したに過ぎない。かつての名門の衰亡は、業界全体に強烈なメッセージを残した。「時代の変化に適応できない企業は、生き残れない」。そして、そのことを最も痛切に感じたのは、ほかならぬレナウンに身を置いた人々に違いない。

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躍進するアンダー30を取材した若手記者たちは何を思ったか?

 「WWDJAPAN」4月5日号の特集“新入社員の基礎知識”は、この春入社3〜5年目となる若手記者が中心となって作り上げた。巻頭では、「フーフー(FOUFOU)」の高坂マールデザイナーやyutoriの片石貴展・最高経営責任者ら、躍進するU30にインタビューを実施。記者たちは先輩たちのどんな考えに共感し、自らの生活に役立てようと思ったのか?それぞれの意見を述べ合う座談会を実施した。(この記事はWWDジャパン2021年4月5日号からの抜粋です)

【座談会参加者】
美濃島:この春入社4年目。後輩が増え、若手と言えなくなってきた状況に焦りながらも、「飛躍の年」を目標に掲げて日々の取材に邁進する。主にデザイナーズとスポーツを担当し、特集ではユーチューバー兼美容師の宮永えいとをインタビューした。

木村:入社3年目のチーム最年少。仕事には慣れてきたが、悩みの多い時期を過ごす。今号では表紙撮影やインタビュー、裏表紙「ファッションパトロール」を担当。

川井:入社5年目。取材を通して人物の「人となり」を可視化し、発信することに意義を感じる。オンライン取材には未だに慣れない。主にメンズコスメを担当し、今号ではインタビューと「お仕事スケジュール」などを担当した。

座談会スタート!

美濃島:“時代を切り開くマイルール”と題して個性あふれる6人の先輩にインタビューしましたが、心に残った言葉はありました?

木村:「フーフー(FOUFOU)」の高坂デザイナーとyutoriの片石CEOの対談で挙がった、「短期間で成功も失敗も判断しない」という話です。私たちの世代ってSNSもあるし、欲しい情報に瞬時に到達できるから、物事と向き合う時間が短くなっている。でも、仕事やビジネスって短期間の成長が全てじゃない。目前の利益や事業拡大だけじゃなく、自分の理想的な姿に近づいているか、得られたものがあるかが大事なんだなと改めて気付かされました。

川井:D2Cブランド「フェイブスビューティー(FAVES BEAUTY)」の小澤一郎社長は、学生時代に起業し、事業内容をどんどん変えながら10年近く会社を経営されています。一つの事業に固執し過ぎると、危機的状況を察知していてもやめ時が分からなくなる。継続力と判断力のバランスが重要なんだと思いました。

美濃島:僕が救われたのは、ユーチューバー宮永えいと氏の「とことん個人と向き合うこと。でも、全員と向き合う必要はない」という言葉です。会社に入って思ったのが、人によって言ってることが全然違うこと。この春入社する人も、似たようなことで悩む人は多いはずです。でも、大切にする意見ってその時々で変わっていいし、全ての意見を吸収する必要はない。最も重要なのは、自分の軸を持つことなんですよね。

木村:その考え方はタメになりますね。私は「途中経過を楽しめなかったらやめたらいい」って言葉を聞けたのがうれしかった。仕事になると、成果やアウトプットを念頭に置くあまり、仕事の過程を楽しめないことがたくさんある。今回の表紙撮影も、すてきなクリエイターやタレントと一緒に物作りができるのに、締め切りや付随作業ばかりを考えてしまって、最初は「大変さ」が勝っていた。でも途中で「あ、これって楽しいことじゃん!」と気付くことができて、大変さがストレスじゃなくなりました。

美濃島:そういう意味では、どの人も「好き」という初期衝動からビジネスにつなげているのが今っぽかったですね。

川井:今はいろんなツールがあるから、ビジネスへの落とし込み方もたくさんあります。些細なことも視点を変えれば事業に転換できるから、視野を広く持って生活していきたいです。

美濃島:僕たちも、やりたいことが明確になったら限界を決めずに、あらゆる手段を試しながら突き進んでいきましょう!


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迷える業界の子羊たちにささぐ 栗野先生のお悩み相談室

 自分で選んだ道であれど、会社の人間関係や先の人生設計など、仕事に悩みは付きもの。困った時は先輩に聞くのが一番。そこで今回は業界歴44年、ユナイテッドアローズ創業者の栗野大先輩によるお悩み相談室をオープン。業界で奮闘する「WWDジャパン」読者から寄せられた仕事に関する悩みを聞いた。

Q.アパレル販売員です。コロナ禍で生活が一変し、貧困や地球環境など、社会問題を深く考える時間ができ、私も世の中をより良くしたいと思うようになりました。販売員としてどうしたら世の中を変えていけるのか教えください。

栗野宏文ユナイテッドアローズ上級顧問クリエイティブディレクション担当(以下、栗野):自分が今の時代に必要だと信じたモノをお客さまに伝えることに尽きるでしょう。販売員の仕事はただモノを売るのではなく、意味や価値をお客さまにお渡しする仕事です。サステナビリティはモノを大切にすることでもありますが、販売員がお客さまに満足度の高い購買体験を提供できれば、きっとその商品を長く愛用してくださると思いますよ。

Q.社会人歴約5年です。最近、忙しいときや焦っていると感情が先に出てしまい後悔する事が多いです。栗野さんは焦ったり感情的になったりすることはありますか?そんなときはどういうふうに対処していますか?

栗野:人間は理性的な生き物です。感情が先に出てしまうときは、冷静に理由を探してみましょう。小池龍之介さんの「もう、怒らない」という本の中に、「なんでこんなこと起きるんだ」と思ったら、その気持ちに頭の中で「」をつけて認識するとよいと書いてありました。そうすることで客観性が生まれ、感情が考える対象になるからです。10年ほど前にこの本を手に取ったということは、僕も同じような悩みを持っていたのでしょう。厳しい言い方をしますが、「私は短気なんだよね」と決めつけている時点で言い訳です。そうありたくないのであれば、そうではない自分でいればよい。あらゆる悩みに共通しますが、自分は自分で変えられます。

Q.個性が強いもの同士はどうしたらうまく一緒に仕事ができますか?

栗野:まず、個性がない人はいません。みんな違って当たり前。それぞれの個性の良いところを上手に引き出せば、違いは必ずプラスに作用します。

Q.仕事で立ち止まってしまったときに何をされていますか?

栗野:悩まないことです。池田晶子さんの「14歳からの哲学」という本の中に、「悩むと考えるは違う」という言葉があります。「悩む」は自分を立ち止まらせること。「考える」は考え始めた瞬間から問題解決が始まっています。僕も周りからよく「考えすぎじゃない?」と言われることがありますが、考えないなんて無理なこと。悩まずに考えていれば、おのずと答えは見えてきます。

Q.特にファッションの仕事は生活と密接な分、仕事のことを考えないことが難しいです。お勧めの気分転換法はありますか?

栗野:残念ながら僕は気分転換が必要だと思ったことがありません。服について考えることも、街の人々を観察することも好きなので、それに疲れてしまったらこの仕事を辞めるとき。ただ世の中には僕みたいなお気楽な人ばかりではないと思うから(笑)、気分転換が必要な人は深呼吸すること、温かいお茶を飲むことをお勧めします。僕は毎朝自分で紅茶を入れて飲んでいますよ。

Q.地元で織物産業を活気づけるためにアーティストができることはありますか?

栗野:ファッションはあらゆるアーティストやクリエイターと接点を作ることができます。臆せず、門をたたきに行ってほしいです。

Q.栗野さんがお考えになる新入社員の心得を教えてください。

栗野:とにかく何でもやりなさい。どんなことにも学びがあります。組織に入れば、自分の好き嫌いにかかわらず、周りから仕事を頼まれるのは当たり前です。僕が大学卒業後に入社した会社では、3カ月ほど店の掃除しかやらせてもらえませんでした。しかしそこで、売り場が整っていることが物事の原点だと学びました。靴の在庫を整理するときにはサイズ順に並べて、売れる商品を前に持ってくるなど工夫をしました。ただの片付けですが、そこにクリエイティビティを生かしたわけです。それを見ていた上司が6カ月後くらいにバイイングのアシスタントを任せてくれました。任された仕事はとっととこなして、自分で仕事を作ってしまうくらいの勢いで取り組むべきです。イエスマンになれという意味ではなく、仕事を受ける側としての主体性をきちんと持つことが大切です。

Q.仕事で人と関わるときに気を付けていることはありますか?

栗野:相手との必要な距離感は考えながら取っています。販売員でもお客さまに信頼されるのはありがたいことですが、友達になってしまってはプロとしての関係性が崩れてしまいます。若いうちは距離感の取り方が難しいかもしれませんが、何気なく話しているときも考えながら行うということが大切です。

Q.一つの大きな目標が定まりません。

栗野:ひょっとするとこの方は目標がないと前に進めないと思っているのかもしれませんね。でも僕は目標なんて持ったことはないですよ。全部歩きながら考え、歩きながら考えているうちに形になっていくものです。一方で、周りに目標を聞かれることもあります。そういうときは相手があなたを育てるためのヒントを探っているから。期待してくれていると思って小さなことでも答えてみるとよいかもしれません。

Q.販売員をされていたときにモノのかっこよさを伝える力はどのように磨きましたか?

栗野:自分が試すしかありません。服は人が着て動いて初めて良さが分かります。自分で着られない服は、試着されたお客さまや同僚をよく観察してください。商品のスペックやマニュアルを覚えるよりも、自分の熱量を伝えることでお客さまは納得します。今後ますます販売員の温度やヒューマニティーが求められる時代になると思います。

Q.デザイナーとして稼ごうとすると家庭との両立が難しいです。

栗野:家庭か仕事、どちらを取るかではなく、家庭を大切にするためにはどんな働き方が適切か、考えてみてください。たとえそれで収入が減ったとしても、別のハピネスがあるはずです。現代人は忙しいことに価値があると誤解しがちですが、忙しいとは他人に時間を奪われているということ、自分で納得のいく時間を生きていないということです。

Q.マネジメント職に就くために若手のうちに磨くべき能力は何ですか?

栗野:最も大切なことは、相手の話を聞く力でしょう。それがコミュニケーション能力です。販売員を経験し、聞き上手は話し上手だと学びました。自分を理解してもらうためにはまず相手を知ることが大切です。

Q.私は現在大学4年生で将来は洋服のサプライチェーン上の諸問題の解決に取り組みたいと考えています。特に関心の薄い人に自身の問題意識を伝えたいときに心掛けていることはありますか?

栗野:身近な例で説明することです。特にサステナビリティの話題は、科学的な説明はとても難しい。化学調味料がたくさん入った5分で作れる料理と、だしから時間をかけて作った料理、最終的に体に良いのはどちらでしょう、という具合に例えてみると理解しやすい。「こんなに良いことなのになんで分かってくれないの?」という態度は禁物です。重要なことほど、さらりと言う方が伝わります。

Q.私は少しでも洋服を楽しむときに後ろめたさを感じずに済む世界にしたいと思っています。環境に配慮したモノ作りと、デザインの多様性は両立し得るのでしょうか?

栗野:両立します。そのヒントは「WWDジャパン」を読んでください。答えは一つではありません。両立できないと考えるのは逃げだと思っています。後ろめたさを感じずにファッションを楽しむ方法を一緒に知恵を絞って見つけていただきたいです。

Q.憧れていた業界の仕事に就いたにもかかわらず、日々の仕事の忙しさやストレスで仕事が楽しめません。栗野さんはこれまで仕事が楽しめなかったことはありますか?

栗野:楽しくなかったことはほとんどありません。それでも壁に突き当たることはありますよ。むしろ悩みや課題がない方が楽しくないと思います。解くべき問題があるときはむしろやるべきことがある証拠。悩んだ人ほど幹が太くなります。今日僕が話したことも答えではありません。立ち止まってしまったときに一歩を踏み出すヒントを共有できたらうれしいですね。


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アトピーや乳がん患者などに多大な支持を得る下着「フリープ」の山本朱美  ランジェリー業界の開拓者vol.3

 新型コロナウイルスの感染拡大は、従来の商品やサービスの在り方に変化をもたらしている。対面のフィッティングを重視してきた下着業界にも影響を及ぼしているのは言うまでもない。ソーシャルディスタンスが重要視される中、接客やサービスにも変化が求められている。この連載では、コロナ禍に先んじて、既成概念に捉われない新領域の商品やサービスを生み出してきた下着業界の開拓者を紹介する。

 連載第3回は、下着メーカー島崎の自社ブランド「フリープ(FLEEP)」とODM事業の責任者である山本朱実・取締役営業部部長だ。2007年にスマイルコットン社の素材を使用した肌に優しいインナーブランド「フリープ」は誕生した。自社工場の高い縫製技術を最大限に生かし、縫い代を表に出すことで肌に当たらないようにするなど、丁寧かつこだわりのあるもの作りが高く評価され、年々売り上げを伸ばしてきた。最近はブランドの認知度も高まり、アトピー性皮膚炎や乳がん手術後の患者からも支持を得ている。

――「フリープ」のコンセプトと特徴は?

山本朱実・島崎取締役営業部部長(以下、山本):柔らかくて軽いスマイルコットン社の素材を使い、肌に当たる部分を極力フラットに仕上げたり、ゴムを使わずパワーネットを挟み込んだり、肌に優しい仕様にこだわっている。2007年のデビュー当時から日本アトピー協会推薦品として承認され、現在は乳がんの手術後の患者にも愛用してもらっている。19年は、月に一度ポップアップストアや医療機関で患者と接点を持つ相談会などを開催していたが、20年はそれができなかった。もどかしいが、取引先や顧客も同じ状況だ。コロナ禍だからといって患者がいなくなるわけでなく、医療機関のスタッフの相談にどのように対応するか試行錯誤している。若年層あればオンラインで相談もできるだろうが、年配層は難しい場合も多い。だから電話相談などを積極的に行っている。

――アトピー性皮膚炎患者に支持されるようになったきっかけは?

山本:10年に日本アトピー協会を通じて、横浜市の野村皮膚科医院の野村有子院長と出会ったことがきっかけだ。商品を見て「これだけ肌に優しいものなら、患者に紹介しましょう」と言われ、それから年3回、同医院のカフェの販売会に参加している。初めて患者や医者様の話を聞いたときは、いろいろな気付きの連続だった。例えば、肌に優しいと思って綿混レースを使っていたが、「綿混でも、レースが肌に直接触れると刺激になる」と言われてすぐにレースは全て肌に触れないように改善した。信頼できる医療関係者との出会いが、本当の意味で肌に優しいインナーブランドとして「フリープ」が成長するターニングポイントとなった。

下着が社会復帰を後押し

――乳がんの患者さんに浸透したのはいつから?

山本:2つのきっかけがあった。最初は13年に、岡山在住のブレストカウンセラーさんと出会ったこと。いくつかの病院と提携して患者と医療機関との間に入り、ブラジャーのアドバイスなどをしており、大阪の百貨店で「フリープ」を見て、術後の患者さんにも薦められると病院に紹介してくれた。ある日、大学病院の乳がんの認定看護師から本社に商品の説明に来て欲しいと連絡が入り、そこから広がって行った。2つ目は、元社員が紹介してくれた看護師との出会いだ。約300人登録がある日本乳がん看護研究会の代表世話人で、「フリープ」を気に入ってくれた。認定看護師が集まる年1回の勉強会では、ウィッグや下着など関連商品の企業展示があり、出展したところ、看護師にとても好評で、広まった。医療機関とのパイプを作ろうと戦略を立てて営業したというよりも、縁がつながって、想定していなかった領域に足を踏み込む結果になった。看護師や患者の要望やアドバイスを直接聞いて反映していなかったら、「フリープ」はここまで成長できなかった。

――「フリープ」がそこまで支持される理由は?

山本:医療関連の下着はデザインや色がかなり限られるのに対し、「フリープ」のナチユラルで心安らぐ雰囲気が受けたのだと思う。また、価格が手ごろなこともあり、「安心安全でリーズナブル。また、おしゃれ」という声が広がっていった。患者に「百貨店でも販売している誰もが使用している商品だ」と説明すると、「乳がんになったけれど、特殊な下着しか使えない悲しい状況じゃないのだ」と喜ばれたことが心に響いた。乳がんにより、あきらめなければならないのではなく、一般人と同じ下着をつけられることが、患者にとっては大きな励みになることを知った。見た目は通常の下着と変わらないけれども、細部まで配慮されているので術後の患者に使えることが「フリープ」の強みだと実感した。

――患者の接客で感じることは?

山本:乳がんの患者は、術後に社会復帰するケースが多く、乳房切除したことを知られたくないという思いが強い。接客して、ボディーラインがきれいに見えることを確認できると「ようやく社会復帰ができる」と言われることが多い。その明るい表情を見ると、下着が人生を変えることができるのだとうれしくなる。人に見えるものではないが、患者にとっては、前進する勇気を与える重要なものだと実感する。

ECに慣れていない顧客との接点を大切に

――コロナ禍にも関わらず、20年5〜10月が増収増益となった理由は?

山本:店舗が休業した4〜5月は、売り上げを自社ECと電話・FAXの注文でカバーし、20年5〜10月は前年同期比9%増になった。電話・FAXの注文は19年2月に、個別データを管理し効率的に注文を受ける顧客対応チームの体制を整えていたことが奏功した。店舗の休業中は、他社様同様、ECの売り上げが伸び、20年5〜10月は同32%増になったが、電話・FAXの注文はそれ以上に好調で2倍以上伸長した。電話注文は外注ではなく社内スタッフが対応するため、私自身もひたすら電話をとる日があった。顧客とゆっくり話して要望を聞くことができた貴重な時間だった。ECに力を入れているが、ECに慣れていない顧客もいる。そういう顧客との接点をどう持つか、これからも探っていきたい。

――これからの課題は?

山本:在庫は減らしつつも欠品しないよう適正な在庫管理をすること。自社工場と連携しながら、必要な時に必要な量を適宜提供していく体制作りは、今後「フリープ」が健全に成長するために不可欠だと考えている。もう一つは「フリープ」の存在を知らず、悩みを抱えている人にどのように発信していくかが課題だ。「こんな下着があるなんて。もっと早く知りたかった」という声を聞くたび、ブランド認知度を上げていかなければと思う。

川原好恵:ビブレで販売促進、広報、店舗開発などを経て現在フリーランスのエディター・ライター。ランジェリー分野では、海外のランジェリー市場について15年以上定期的に取材を行っており、最新情報をファッション誌や専門誌などに寄稿。ビューティ&ヘルス分野ではアロマテラピーなどの自然療法やネイルファッションに関する実用書をライターとして数多く担当。日本メディカルハーブ協会認定メディカルハーブコーディネーター、日本アロマ環境協会認定アロマテラピーアドバイザー。文化服装学院ファッションマーチャンダイジング科出身

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クラウドファンディング開始15分で目標金額達成 スピード感あるもの作りのD2Cブランド「シシ」

 SISIが展開する新クリーンビューティスキンケアブランド「シシ(SISI)」から今年1月、第1弾製品として“はがさないマスク”の「ロザリティ ウォータリーマスク」(50g、6400円)が誕生した。同製品は公式発売に先駆けてクラウドファンディングサービスのマクアケ(Makuake)で先行販売し、開始わずか15分で目標金額30万円を達成。達成率949%の284万9140円でプロジェクトを終了した。そして2月24日、同社はネイチャーラボとサティス製薬、個人投資家などから総額1億円の資金調達を実施。これによりマーケティングの強化、ユーザーニーズに応える新商品の開発、新サービスの投資、事業展開に向けた採用強化を推進する。いま勢いのあるSISIの澤田実加代表にクラウドファンディング早期達成の理由やスピード感のあるもの作り、今後の展開について聞いた。

WWD:第1弾製品「シシ」は、基本処方が完成してわずか 6 カ月でプレローンチするスピード感。開発の経緯は?

澤田実加SISI代表(以下、澤田):いいプロダクト作りの条件はチームに良い開発者がいること。そのため請負型のOEMではなく、パートナーシップという形で開発者を巻き込めるようなチーム編成を組んでいるため、スピード感を持ちながら肌への本質的な効果としての有効性、使いやすさ即時的な効果実感という意味での機能性、毎日使い続けたくなる嗜好性を兼ね備えたもの作りができる。また、開発だけが頑張ってもビジネスサイドの意思決定が遅くてローンチが遅れることも起こりやすい。そのため、ビジネスの意思決定をスムーズに行うようにしっかりとユーザー感覚のある少人数ビジネスチームを編成している。

WWD:なぜ第1弾製品は“はがさないマスク”に?

澤田:世の中に飽和しているクリームや乳液などのカテゴリーを新ブランドから出しても、ユーザーにとっては選択肢が多すぎてわざわざ使う理由が見い出しにくい。そして現代女性にとっては、ブランドが製品の使い方を定義するよりも、ライフスタイルや肌質に合わせた使い方の幅があることがとても重要だと思った。普段のスキンケアにプラスしたり、スリーピングマスク使いしたり、疲れたときはオールインワンでも対応できたり。塗るタイプの美容マスクは競合製品が少なく新規性がまだまだあると考えている。いま、スキンケアが毎日の義務的なルーティンから楽しむものへと意識が変わっている理由もあり、美容マスクの需要が伸びている。一方、忙しい女性にとっては毎日シートマスクをするたった15分が取れないという課題も。当社はそんな悩みを、プロダクトを通じて解決していきたい。

WWD:「ロザリティ ウォータリーマスク」のキー成分である “Rosality”の特徴、開発のこだわりや苦労点は。

澤田:この商品は世界のエキスパートが集結し、現代ストレスと肌の関係に着目して開発したレスキューアイテム。ローズの香り成分を、効果をもたらす機能性成分に変革した“Rosality”を配合している。チャレンジした点は、みずみずしい感触でありながら保湿感をキープする製品へと仕上げたこと。保湿感を求めるとベタつきが気になる一方、軽すぎると冬場は物足りない。朝も夜も、夏も冬もどんな肌質でも気持ちよく使えてしっかり潤う商品を目指した。

WWD:なぜクラウドファンディング(マクアケ)を活用したのか。早期達成した理由は。

澤田:クラウドファンディングを選んだ理由は2つある。1つ目は、公式販売前にプロダクトマーケットフィット(PMF)を確認したかったから。時代に合った良いものを作っている自負がありつつも、店頭販売ではないD2C の新ブランドは最初の1個を買ってもらうことが大変であるということも痛感していた。コミュニケーションがお客さまに伝わるか、どんな層が興味を持ってくれるかを確認したかった。2つ目は、クラウドファンディングで化粧品を取り扱えるようになったこと。数ある化粧品の中で早期にオピニオンリーダーに注目してもらえるようにPR視点でクラウドファンディングを活用した。クラウドファンディングが成功した理由は、初日の売上目標を高く設定して何が何でも初速をつけることに注力したから。マクアケと注目されているD2Cブランドとの合同イベント実施やビジネスメディアへの寄稿を含め、精力的にPR 活動を行なった。そういった入念な準備が非常に大事。そして、なによりも支援してくれるお客さまがいたからに尽きる。

WWD:ブランドの今後の展開について。

澤田:「自分を思い大切にする習慣をつくるブランド」の「シシ」は、美容を基軸にしながらプロダクトを通じてお客さまの日々の悩みに寄り添える製品展開をしていく。あえて製品のラインアップを持たず、一つ一つのアイテムに個性があるユニークなパワーアイテムを展開していくブランド作りをしていきたいと考えている。そして今の時代に必要とされている製品をスピード感を持って届け、製品だけでなくブランドのファンになってくれるお客さまを増やす。お客さまとリアルで会えるポップアップも今後やっていきたい。

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1500万枚を売り上げた「スロギー」無縫製ブラ開発者の河野智美 ランジェリー業界の開拓者vol.2

 新型コロナウイルスの感染拡大は、従来の商品やサービスの在り方に変化をもたらしている。対面のフィッティングを重視してきた下着業界にも影響を及ぼしているのは言うまでもない。ソーシャルディスタンスが重要視される中、接客やサービスにも変化が求められている。この連載では、コロナ禍に先んじて、既成概念に捉われない新領域の商品やサービスを生み出してきた下着業界の開拓者を紹介する。

 第2回に登場するのは、トリンプ・インターナショナル・ジャパン(TRIUMPH INTERNATIONAL JAPAN)の河野智美スロギーブランドヘッドオブクリエイティブデザインだ。2013年に接着技術による無縫製のブラジャー“スロギー ゼロ フィール(SLOGGI ZERO FEEL以下、ゼロ フィール)”を開発し、コンフォートブラの先駆けに。18年には世界41カ国でも同商品の販売を開始し、日本を含む世界でのシリーズ累計販売枚数(トリンプによる13年3月~20年12月末、42カ国の累計販売枚数)は1500万枚を記録し、ヨーロッパでも日本発の革新的な下着として高く評価されている。

――「スロギー ゼロ フィール(以下、ゼロ フィール)」誕生の経緯は?

河野智美スロギーブランドヘッドオブクリエイティブデザイン(以下、河野):「スロギー」は1979年に快適なショーツブランドとしてトリンプ誕生の地であるドイツで誕生し、86年に日本に上陸した。08年に伸縮性に優れた生地を使い、接着技術による無縫製で作ったショーツを日本独自の企画として発売。これが“ゼロ フィール”シリーズのデビューでこの技術をブラジャーに応用するために研究を重ね、13年に接着面も伸びる特殊な製法によってハーフトップブラが完成した。ちょうどノンワイヤーブラの人気が高まりつつある時期で、まるで着けていないような快適さが支持され、国内ではシリーズ累計販売枚数850万枚を突破。同年の9〜10月には1000万枚達成も見込めるようになった。日本の公式オンラインショップ全体の20年7〜12月売り上げの前年同期比比は金額で289%増、枚数で同618%増を記録。コロナ禍でノンワイヤーのリラックスタイプのブラの購入が増えたことに加え、日本独自企画のマスクがヒットしたことが大きい。「スロギー」ブランドとしては他にも、ワンサイズであらゆる体型をカバーする“ゴー オールラウンド”や、新開発の特殊素材で驚く軽さと通気性を実現させた“オキシジン インフィニット”などの商品、スタイリッシュなデザインの“エス バイ スロギー”などを展開している。

――ヨーロッパを中心に世界42カ国で販売されているが、日本企画の“ゼロ フィール”の受け止められ方は?

河野:過去にはなく非常に革新的な商品として受けとめられている。ヨーロッパでは、18年春に販売を開始したが、すでにヨーロッパの「スロギー」ショップでは全体の売り上げの約3分の1を“ゼロ フィール”が占めている。ブランド誕生40年を超える「スロギー」の歴史の中で、これほど短期間で売り上げを伸ばした商品は初めてで評価が高い。

“スロギー ゼロ フィール”は下着業界のスニーカー

――ヨーロッパで受け入れられると予測できたか?

河野:日本で国内向けに開発した“スロギー ゼロフィール”を海外で販売すると聞いた時は、正直不安だった。日本人は肌もデリケートで肌触りや品質に対して高い基準を求める国民性だ。細部に至るまでこだわって開発したのはもちろん、日本では発売後もさらに良くしていく改善の文化があり、それを重ねて良い物を作っているという自負はあった。一方で、ヨーロッパではそこまでのディテールが求められないと思っていたし、ランジェリーに対してはセクシーさを求める文化があるため、快適性を追求した“ゼロ フィール”のような商品が受け入れられるか心配だった。しかし、実際には、無縫製でありながら、生地が薄くて伸びが良く、生地端がほつれずめくれ上がらないといった品質の高さが評価されて革新的な商品と認められた。先日のグローバルミーティングでは、ヨーロッパのスタッフから「“ゼロ フィール”を嫌いな人はいない」という発言もあった。本国の代表からは、「“ゼロフィール”は下着業界のスニーカーだ。行きたい所へどこまでも歩いていけるポジティブなエネルギーをもたらしてくれる。これをみんなで伝えていこう」と言われた。

――グローバルでの河野さんの役割は?

河野:ヨーロッパとアジアそれぞれのヘッド・オブ・クリエイティブデザインとともに、年5〜6回スイスの本社に集まり、デザインや素材、色、柄を決める会議を行う。売り上げ高はヨーロッパが大きく、本社もヨーロッパにあるため、どうしてもヨーロッパ寄りのデザイン色になりやすいが、日本の代表として、しっかりと日本の市場と需要を伝えるという役割を担っている。ヨーロッパでは私のことを“ゼロ フィール マザー”と呼んでくれてリスペクトしてくれ、意見を大切にしてくれる。”ゼロ フィール“の開発者ではなく、これから先どう育てて行きたいかという意見も求められる。ただ、昨年はコロナ禍で一度もそのメンバーと顔を合わせることなく全てリモートで会議などを行った。

――無縫製のコンフォートブラが多くある中における“ゼロ フィール”の優位性は?

河野:安価な商品もたくさん出ているが、それらを使った多くのお客さまに、「やっぱり違う」と戻ってもらっている。生地や接着技術のオリジナリティーは“ゼロ フィール”を超えるものはまだないと自負している。ナイロンもポリウレタンも細い糸を使ったハイゲージの丸編みで、編み立てた後の加工も一手間かけている。接着剤も生地に合わせてベストなものをブレンドするなど、一つ一つの小さな積み重ねが違いを生み、優しい肌触りと着心地となり選ばれるのだと思う。

――今後の課題とコンフォートブラに求められることとは?

河野:コンフォートブラの市場は今後ますます広がり、快適なだけでなく、バストがきれいに見える、服のように一枚で過ごせるなど、快適である以上の要素が求められるだろう。それを形にするのが今の一番の課題だ。また、サステナブルな素材を採用するなど、時代に合った物作りが不可欠だ。サスティナブルであることはとても重要で、今後さらにその方向に加速するのは間違いないが、風合いがかたくてはお客さまに納得してもらえない。サスティナブルな素材を使って、今の柔らかな風合いと同じレベルを迅速に作りあげるかがもう一つの課題だ。難しいことだが、素材のサプライヤーも含めて同じ方向を見据えてチャレンジしているので、遠くない未来に実現すると思っている。

川原好恵:ビブレで販売促進、広報、店舗開発などを経て現在フリーランスのエディター・ライター。ランジェリー分野では、海外のランジェリー市場について15年以上定期的に取材を行っており、最新情報をファッション誌や専門誌などに寄稿。ビューティ&ヘルス分野ではアロマテラピーなどの自然療法やネイルファッションに関する実用書をライターとして数多く担当。日本メディカルハーブ協会認定メディカルハーブコーディネーター、日本アロマ環境協会認定アロマテラピーアドバイザー。文化服装学院ファッションマーチャンダイジング科出身

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「ワコール」の“3Dスマート&トライ”プロジェクトを率いて成功に導いた篠塚厚子 ランジェリー業界の開拓者vol.1

 新型コロナウイルスの感染拡大は、従来の商品やサービスの在り方に変化をもたらしている。対面のフィッティングを重視してきた下着業界にも影響を及ぼしているのは言うまでもない。ソーシャルディスタンスが重要視される中、接客やサービスにも変化が求められる。この連載では、コロナ禍に先んじて、既成概念に捉われない新領域の商品やサービスを生み出してきた下着業界の開拓者を紹介する。

 第1回は、ワコール(WACOAL)の篠塚厚子・総合企画室イノベーション事業推進部課長だ。わずか5秒で18カ所をセルフで計測できる3DボティースキャナーとAIによる接客を連動させた“3Dスマート&トライ“のプロジェクトを率いて成功へと導いた。2019年にスタートしたこのサービスの導入店舗は現在15店、計測者は累計4万人にも上る。昨年から、そのシステムの提供を通して他企業とも協業し、新たな美のプラットフォーム作りを目指している。

――“3Dスマート&トライ”誕生のきっかけは?

篠塚厚子ワコール総合企画室イノベーション事業推進部課長(以下、篠原):単発の事業としてではなく、ワコールのオムニチャネル戦略の一環として考えたものだ。16年に、今後デジタルをどのように活用してワコールのビジネスをアップデートするべきか検討が始まり、17年4月にオムニチャネル戦略推進部が発足した。当時、私は育休明けで、自らその部への参画を願い出た。というのも、産休前の15年関はグループ会社のピーチ・ジョン(PEACH JOHN)でSNSを活用したブランディングに関わっており、育休中に読んでいた本の影響もあり、次の時代はデジタルが必須と思っていたからだ。オムニチャネル戦略の中では、リアル店舗を今後どうしていくか、未来の顧客体験をどう描くかという課題があり、私の役割はそれを考えることだった。17年7〜10月にかけて1人の客としてワコールの30~40の店舗を訪れて感じたのは、「このままで新しいお客さま、とくに若いお客さまは満足できるのか」ということだった。そのときに、新しい顧客体験が「このようであるといいな」と夢物語のように描いたのが“3Dスマート&トライ”の構想だ。

――具体的なプロジェクトはどのように始まった?

篠塚:17年11月に最高経営会議で、その夢物語を形にしてこういうプロジェクトを始めたいとプレゼンテーションして許可をもらった。そして、その年の12月に次世代ショッププロジェクトが発足。メンバーは10人で、商品企画担当、販売教育担当、人間科学研究所、オムニチャネル戦略推進部から集まった。当初は「3Dスキャナーを使ってAIで接客したい」という構想を話してもメンバーはピンとこなかっただろうし、ポテンシャルをどれだけ感じていたのかは分からなかった。

採寸するだけのポップアップショップに長蛇の列

――手探りのスタートで、このプロジェクトが形になると実感したきっかけは?

篠原:夢を起点にスタートさせたかったので、はじめは実現できるかどうかは別として「こういう店が欲しい」「こういうサービスが欲しい」というのを書き出すワークショップをした。そこで出た意見をもとに、イメージする店をメンバーに小説として描いてもらった。その小説全てに“楽しい、面白い、すごい”といった言葉が入っていて、「これは形になる」と実感できた。メンバー全員がポジティブであったことが、実現できると思った最大の要因だ。その目処がついてからは実現に向けて、社内公募で集まった若手を中心とした11人のチームを18年5月に発足させた。もちろんハードルはたくさんあり、妥協したくなったり、やめようと思ったことも多々あったが、メンバーに恵まれて実現した。上司が強い意思を持ってリードしてくれたのも助かった。

――そのときプロジェクトチームが目指したゴールとは?

篠塚:「今までワコールの店に行ったことないけれど、このシステムだったらやってみたい」とお客さまに思っていただくことが最初のゴールだった。この新しいサービスをきっかけに、ワコールの店に初めて来たというお客さまが1人でもいれば、というのが最初の思いだ。19年4月に“3Dスマート&トライ”のお披露目となるポップアップストアを表参道ヒルズにオープンした際、からだを採寸するだけのためにお客さまが並んだのを見て、「このサービスを浸透させたい、デジタルを日常に取り込んで役に立てたい」と強く思うようになった。

理想値や平均値を示さないことに共感の声

――お客さまからどんな反応があったか?

篠塚:まず、「ワコールの販売員は優しい」「久しぶりにワコールの商品を着けてみたら本当によかった」というコメントが多かった。われわれが長年培ってきた商品や接客の強みを“3Dスマート&トライ”を通して知ってもらえてとてもうれしい。ワコールの商品や接客に携わる人をリスペクトしている。それぞれの思いを、このシステムを通じてお客さまに伝えられていると思う。あえて理想値や平均値を設定しなかったことに対して、お客さまが共感してくれたのもうれしい。本当はそれら数値と比較してこうした方が良いというアドバイスをした方が商品の売りにはつながるかもしれない。ただ、女性の美に寄り添う企業としては、そうしたくないという強い思いがあり、理想値や平均値を設定しなかった。SNS上で「平均値や理想体型を出さない姿勢が信用できる」という発信を見て思いが伝わっていると実感した。

――次のゴールは?

篠原:“3Dスマート&トライ”を核に、新たな女性の美のプラットフォームを作りたいと思う。ワコールの経営目標は「世の女性に美しくなってもらうことにより社会に寄与すること」。女性が美しくなる手段は下着に限らず、データをそれぞれの人生を豊かにするために使ってもらうことで事業の拡張にもつながる。今後は、会社の利益を出すということ以上に、豊かな社会の実現のためにどれだけ貢献できるかが重要になってくる。女性がそれぞれの美しさを追求する際に、ワコールが寄り添える存在であることが大切だ。それが、社会が必要とし、貢献できることだと思う。その一歩として、20年4月からイノベーション事業推進部として、“3Dスマート&トライ”を軸に、さまざまな企業と共創しながら、既存のワコールにない価値観を生み出そうとしている。

――そのゴールに向けてのデジタルの役割とは?

篠原:弊社のデジタルは“全ての人が生き生きといられる”ということをコンセプトにしている。デジタルは道具であって、人が主役。“3Dスマート&トライ”でデータが出たことで、「もっと説明して欲しい」というお客さまのニーズが生まれている。そして、店頭の販売を担うビューティーアドバイザー(以下、BA)と会話すれば、その知識の豊富さに触れBAに対する認識が変わるはずだ。20年10月にスタートしたアバターを活用した新しい接客システム「アバカウンセリング パルレ」は店頭にいなくても、BAが接客することができ、B Aの価値を生かせることを証明している。デジタルは既成概念、時間、空間を超えて、人の可能性を引き出す。それは豊かな社会や人生の充実につながるので大事にしたい。

川原好恵:ビブレで販売促進、広報、店舗開発などを経て現在フリーランスのエディター・ライター。ランジェリー分野では、海外のランジェリー市場について15年以上定期的に取材を行っており、最新情報をファッション誌や専門誌などに寄稿。ビューティ&ヘルス分野ではアロマテラピーなどの自然療法やネイルファッションに関する実用書をライターとして数多く担当。日本メディカルハーブ協会認定メディカルハーブコーディネーター、日本アロマ環境協会認定アロマテラピーアドバイザー。文化服装学院ファッションマーチャンダイジング科出身

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ファッション業界のコロナ禍での求人減 転職・副業事情をプロに聞く

 2020年はファッション業界にとって波乱の1年だった。コロナ禍での緊急事態宣言の休業や、外出自粛によって実店舗を主軸にしたビジネスが苦戦。ブランド事業の休止や縮小が見られることもあった。ポジティブな面に目を向けるとオンライン販売でのEC事業が急成長し、都心よりも地元でのショッピングが見直され、売り上げを伸ばした企業もあった。また、働き方も多様化し、リモートワークや副業解禁も進んでいる。

 アパレル・ファッション業界専門の転職支援サービス「クリーデンス(CREDENCE)」が発表した2020年9〜11月のアパレル・ファッション業界の求人数は、前年同期比で全体約16%減、正社員求人は約8%減、契約社員求人約44%減と、前年割れが目立った。都心の販売職の求人は減っているものの、EC事業の好調により、IT関連の求人は増加傾向にあるという。

 ここでは「クリーデンス」の河崎達哉・事業責任者に、ファッション企業のコロナ禍における求人の状況や2021年度の見込みについて聞いた。

ラグジュアリー、リユース、スポーツの採用は堅調

WWD:この1年の求人状況は?

河崎達哉(以下、河崎):コロナによって、パンドラの箱が開いたようにアパレル・ファッション業界の構造問題が溢れ出し、求人にも反映されたという印象だ。各社の人事担当者は採用よりも、今いる人員の最適化を重要視していた。採用エリアでは都心が厳しいなか、郊外や地方は相対的によく、消費者が車で行ける場所で買い物をするというアフターコロナのニーズが現れていた。また、ラグジュアリーの採用熱は高く、感度の高いコアなファンを掴んでいるブランドはコロナ禍であろうと、強さを感じた。またリユース系の販売職、スポーツアパレル系の採用も比較的好調。ファッションでも領域によって差が出た一年だった。

WWD:去年に比べて、求職者も増えているのか? 

河崎:今年は当社のマーケティング費(広告出稿)を抑えたにも関わらず、昨年と同等の登録者数があった。求職者は2極化しており、現在の会社の状況を見て動かざるを得ない人と、様子を見ている人に分かれる。

WWD:採用される人の傾向は?

河崎:採用する際に「スキル」「人物」「志向性」という基準がある中で、「人物」では企業の目線が高くなってきている。コロナ禍によってこれまでの売り手市場から一気に買い手市場になったことを背景に、採用見送りの理由を見ていると今まで以上に「本当にそのブランドが好きか?」「意志や思いがあるか?」というとこを問う企業が増えている。レジリエンス(困難を乗り越える力)という捉え方では、ブランド愛があれば頑張ることができたり、結果的に長く続けられたりということもあるため、その踏ん張る力を今まで以上に重視しているのだと感じる。しかし、採用見送りの理由で一番多いのは「経験スキルが足りていない」ということ。これまでならチャレンジでも採用できていた人材が、コロナ禍でコストが厳しくなり本当の即戦力を必要とする企業もある。

WWD:今、転職する際に求められているスキルとは?

河崎:販売職ではSNS運用ができるかどうかは重視されているが、ラグジュアリーブランドでは販売力と顧客化力を今まで以上に見ている傾向にある。その人ならでは強みを持っている人は求人マーケットでもニーズが高い。

副業で従業員のキャリアが充実

WWD:フリーランスに転身し業務委託として仕事をする人も増えている。企業も正社員以外での採用が増えているのか?

河崎:増えている。業務委託契約は経営の観点から正社員よりも人件費を抑えられるというコスト削減の面もあるが、チャレンジ採用ができるという点でも注目されている。中堅中小企業では、急にITやECを本格的に着手することになっても正社員で数人採用することはハードルが高い。それよりは週2、3日で出勤できる人と業務委託契約を結んだり、またはあえて他業界のエンジニアを副業で採用したりすることで社内に新たな価値観や刺激を入れることができるというメリットもある。「クリーデンス」で運営するフリーランスのファッション人材と企業をつなぐマッチングプラットフォーム「フレクション(FLEXSHION)」では、登録者が顕著に増えている。

WWD:副業者の数は増えている?副業を解禁する企業の傾向は?

河崎:副業を許可している企業はまだまだ少なく、これから制度を整えようとしている段階にある。副業を解禁する企業の傾向は、デジタル施策への着手も早く、変化をいとわないような印象。職種ではデザイナー、パタンナー、EC・ITエンジニアなどの募集が多く、販売職の副業の事例は当社ではまだない。

WWD:副業を解禁する企業側のメリットとは?

河崎:従業員のキャリアが充実し、その恩恵が企業に戻ってくるということ。閉ざされた環境で働くよりもいろんな刺激があった方が、新しい欲求が生まれるケースもある。従業員が新たなスキルを得られることに加え、前向きに仕事に取り組む姿勢が見られる効能を狙っていると考える。

WWD:2021年の求人の見通しは?

河崎:一定数は回復すると思うが、コロナ前の件数に戻るには数年はかかると思う。引き続きIT・EC系の求人は増えていき、販売の求人増は大きくは見込めないと予測する。DX(デジタルトランスフォーメーション)推進の傾向から、マーケティング、EC、生産管理などのポジションのニーズが高まり、採用の動きは活発化しそうだ。DX担当者と一括りにする中でも、事業の問題点を見つけて経営者を動かす力があるタイプ、ITを導入して運用のPDCAサイクルを回す実行部隊のタイプなど種類は分かれそうだ。

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コロナ禍しか知らない新入社員の2020-21年~スピンオフ編~

 「WWDジャパン」12月21&28日合併号は「“コロナトリガー”が変えたもの」です。その中で注目したのが、“コロナ禍しか知らない”2020年4月入社の新入社員たち。こちらの記事にも書いたのですが、三越伊勢丹、バロックジャパンリミテッド、ポーラの3人の新入社員のリアルをスピンオフ編としてお届けします。

WWD:自粛期間中に自分磨きのためにしたことは?

バロックジャパンリミテッド片岡あゆ(以下、片岡):アパレルや販売に関する本を取り寄せて自習しました。

ポーラ上村梨花(以下、上村):私も研修担当者からおすすめの本を聞いて読みました。その後、社長からも参考書籍が送られてきました。

三越伊勢丹パク・ヒョンソプ(以下、パク):僕もお二人と同じで、参考になりそうな本を読みました。

WWD:緊急事態解除後、徐々に“日常生活”が戻った。巣ごもり中に培った知識は業務で役に立った?また、自粛期間中に感じたことがあれば教えてほしい。

片岡:私は休業明けの6月から店頭に立ったのですが、自粛期間中に読んだ本のおかげで、お客さまからの服の洗濯に関する質問などに答えることができました。

上村:ビューティ業界を志し、夢がかなってポーラに入社したのですが、あらためて“自分はどういう仕事がしたいか?”“自分の強みとは?”をじっくり考えることができました。

パク:コロナショックを目撃して、不変的なビジネスモデルというものはないんだなと感じました。そして上村さん同様、僕も“本当の価値とは?”“自分にできることとは?”を考えました。

WWD:社会人になって9カ月、“われながらここは成長した!”を思える点は?

上村:受け身タイプだった自分が能動的になれました。同時に責任感も生まれました。

片岡:私も言われたことをやるタイプだったんですが、店頭では後輩もでき、教える立場になったことで自発的になり、助け合いの意識というかワンチーム的な考え方ができるようになりました。

パク:時間管理と行動力です。売り場にいると、接客とその他の運営業務を同時にこなさなくてはならないので、チームプレーが必要だと実感しました。

WWD:激変の20年がまもなく終わる。入社前に思い描いた“新社会人9カ月目”に比べて、現在地点はどんなもの?

パク:もっと一人前になっていると思いましたが、そんなことはなくて……。でも、会社は組織でありチームプレーこそ大事なのだと感じています。

上村:臨機応変に対応できていると思います。

片岡:想像した通りの地点にいます。ただ、仕事に対する意識は大きく変わりました。次の変化があっても、強いマインドを持っていれば対応できる!と自信が付きました。

WWD:21年の抱負、将来の夢を教えてほしい。

上村:自立して前進する!ですね。

パク:お客さまに楽しんでほしいです。そのお手伝いができればと。

片岡:来年4月から本社勤務になるので、今のうちに店舗でしか経験できないことをたくさん経験したいです。お客さまの生の声を吸収して本社に持って行きたいですね。これからもたくさん覚えなくてはならないことがあるでしょうが、積極的にチャレンジして進化したいです。

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カリスマ店員に憧れ、回転寿司のバイトからルミネエスト店の店長に エスペランサ高山亜樹

 マルキューブーム全盛期には、厚底ブーツの代名詞としてマルキューのカリスマ店員たちの足元を彩ったシューズブランド「エスペランサ(ESPERANZA)」。現在はトレンドからデイリーユースなシューズまで、幅広い層にシューズを展開している。中学生の頃にマルキューブームを体験した「エスペランサ」ルミネ エスト店の高山亜樹店長は、21歳のときに回転寿司のアルバイトから憧れの「エスペランサ」に一念発起して転職した。憧れを仕事にすることやアパレル接客の醍醐味を語ってくれた。

―高校1年生から21歳まで、ずいぶん長い期間、回転ずし店でアルバイトしていましたが、なぜ「エスペランサ」で働こうと?

高山亜樹さん(以下、高山):元々、オシャレをすることは大好きだったんです。それこそ小学生の頃から姉のコーディネートに「今日はちょっと変だよ!」とか口出ししていて、姉も出かける時には私にアドバイスを求めたりしていました (笑)。なので当時、そういうことを仕事にする人を何というのか気になって調べると『スタイリスト』という職業があるんだと知って、将来の夢にはしていたんです。ただ、高校生になったら飲食と接客にも興味が出てきて、回転ずし店でアルバイトを始めたんです。とはいえ、当時もファッション雑誌でトレンドチェックするのは欠かしませんでした。

―ある意味、子どもの頃の夢がかなったんですね!

高山:そうなんです!ショップに買い物へ行くと、そこで接客してくれるオシャレな店員さんと仲良くなれて、そのスタッフさんに会いに行っていたこともありました。好きなブランドのスタッフさんに会いに行って、「また来てくれたんですね!」と会話して、コーディネート提案してくれる。こんなにお客さまがたくさんいるのに、自分のことを覚えてくれていることに感激して、私もやっぱりこんな仕事がしたい!と思ったのが、転職のきっかけでした。

―私にもそんな思い出があります。

高山:一日中に何十人もの人を接客しているのに、それでも覚えていてくださって。それが嬉しかったし、ほかのお客さまも絶対そうだろうなと思って、私もこの世界に入りたくなったんです。

―その頃、接客を受けたスタッフさんで覚えている方はいますか?

高山:はい。中学生のときですが、ある日、特に買う予定がなかったのであるショップの前を素通りしたら、ショップの中から「え!なんで素通りするんですか?」と声を掛けられたんです(笑)。この方は本当にすごくて、いまでも覚えていますが、何度もその方にコーディネートを組んでもらっていました。ずっと前に買った商品まで覚えていてくれて、「前に買ったあの服と今日買ったものを合わせるといいよ!」とアドバイスしてくれたり、その記憶力もすごいですが、おしゃべりも楽しくて、1時間くらい入り浸っていたこともあります。結構強めなギャル系のブランドだったので、中学生の私は“敷居が高いブランドだな”と思っていたのですが、その方の接客でガラッとブランドの印象が変わりました。近寄りがたいスタッフさんかと思ったのですが、いざ話してみるとすごいフレンドリーで、色んなことを相談しました。

―こんなお姉さんになりたい!という感じですよね。それで、実際に働いてみてどうでしたか?

高山:大変でしたね。お客さまのことだけではなく、商品量は多いし、接客のためには覚えておかなくてはならない商品知識もたくさんあって…。その上で、お客さま一人ひとりに合った提案や接客方法を考える、本当に大変な仕事だと改めて知りました。でも、それ以上に楽しかったんです!子供の頃に姉にコーディネートしていた楽しい気持ちを思い出して、仕事という以上に喜びや楽しさのほうが大きかったですね。

―そうした中で、大変だったことは?

高山:やっぱり、接客の入り方です。前職が飲食だったので、どうアプローチしていけばいいか戸惑いました。

―確かに。飲食店は入店したら、お客の方からほぼ必ず注文するので、スタッフからアプローチすることはあまりないですもんね。

高山:そうなんです。自分から声を掛けていくので、今でも「このタイミングで良かったのかな?」と考えることがあります。とはいえ絶対の正解はないですし、自分だけではなく、お客さまありきのことなので、今でも勉強しています。次はこのタイミングで行こうかな、と常に考えていますね。

―声掛けのタイミングは、どんな販売員でも通る最初の壁ですよね。

高山:声掛けが上手くいかなくて、落ち込んじゃうとその気持ちがお客さまにも伝わるので、そこで躓いても、いかに楽しく自分らしく接客できるかが大事だと思います。

―逆にこの仕事の楽しいところは?

高山:仕事だけど趣味というか、自分の好きなことを仕事にしていられることですね。休日とかに洋服を買いに行くと、つい「この服にはうちのあの靴が似合いそうだな」って考えちゃんです(笑)。あと、街を歩いている人のコーディネートを見て、「うちのあの靴を合わせたらもっと可愛くなるのに!」とか…。逆にお客さまのコーディネートから学ぶことも多いです。

―ですが、最近は働き方が変わって、自宅で仕事する人も増えてきています。店頭から見ていて靴の需要はどうでしょうか?

高山:個人的な見方ですが、それでもカワイイ靴は絶対的に必要だと思っています。たとえ自粛期間中であっても、一歩も外に出ないということはありませんし。少し前までは「手持ちの靴がダメになったから買いに来ました」というお客さまも多かったのですが、最近は「こういう靴が欲しくて買いに来ました!」と目的を持って探しに来られるお客さまも増えているように感じます。

―そうなんですね!

高山:仕事が在宅になったからこそ、ちょっとしたお出かけが貴重になっているのかもしれません。以前にも増して、「こういうのが欲しい」というニーズをしっかり持って買い物に来られます。

―高山さんのお話しを聞いているとポジティブに変換するのが上手だなと思ったのですが、そう考える方法や秘訣ってあるんですか?

高山:元々は全然ポジティブではなかったんです。失敗したら本当にとことん落ち込むタイプでした。それこそエスペランサで働くようになってから変わったんです!上司や一緒に働くスタッフのお陰で、ポジティブに変換できるようになったんです。

―どうやって変わっていったのですか?

高山:それまでは、落ち込むときは底が見えないくらい、とことん落ち込むタイプだったんです。色々考えに考えて結局どうにもできずに当時の上司に相談をしたのですが、そこで「考えるより行動した方がいいよ」と言われて、ハッと気づきました。実はアドバイスをもらって気づいたのですが、考えるより思ったことはとりあえず行動に移すことの方が、自分の性格には合っていたんです。それからガラッと変わりました。パッと切り替えられる、ポジティブ思考になりました。

―ちなみに、当時はどんなことで悩まれていたんですか?

高山:この時は店長に昇格したばかりで、スタッフ教育に悪戦苦闘していました。「あの教え方で良かったのかな?」「あの教え方ではダメかな?」「どう教えたら覚えてもらえるかな?」とずっと悩んでいただけで、なかなか実践できていなかったんですね。そこで「行動してみたら」と言われ、実際に自分の考えてみたことをやってみたら道が開けてきて、次にやるべき課題が見えてきたんです。それ以来、悩んだときは即行動とシフトチェンジできるようになりました。

―全国のショップの店長さんが商業施設の休業期間に何をすればと悩まれたと思うのですが、高山さんはどうされていましたか?

高山:休業は仕方ないので、営業再開時に役立つことをしようと、スタッフにいろんな宿題を出していました。例えば「営業再開時に入荷予定の商品について、メリットを5つ考えて」と宿題を出し、スタッフが考えたメリットをみんなで共有して接客ロープレをしていました。商品知識の宿題について本部に相談したら、本部で資料も作ってくれたんですよ。これは本当に嬉しかったです。その新商品のポイントをまとめた資料はスタッフに「こんなの作ってくれたよ!これを参考に考えてきて」とラインで送りました。自粛期間を勉強のために使った結果、営業再開後にはルミネカードの獲得数で「エスペランサ」は群を抜いてトップを取れましたし、スタッフからも「宿題があって良かったです」「むしろ休業前よりレベルアップしました!」という感じで話してくれて、店長としてはやってよかったなと(笑)。

―すごい!学びの時間にして、実際に効果もあったとは。ルミネエストはもとはかなり人通りが多く、スタッフはいつも忙しそうにしていたので、この休業期間を利用して接客や商品知識を身につけたのは良かったかもしれません。

高山:スタッフたちも、すごい自信がついたみたいで、営業再開後はみんな楽しそうに仕事をしています。仕事って自信がついてくると楽しいんですよね。その仕事の本質を分からないでやっているより、ちゃんと勉強して理解した上で仕事していた方が絶対楽しいと思うのです。今回はそれができたんだと思いました。

―それでは最後に今後の目標を教えてください!

高山:今後は、店舗のことだけじゃなくて、お客さまのことを考えていろいろな行動ができるスタッフを増やしていきたいと思いってます。そして、販売の仕事は楽しいんだよ、接客は楽しんだよ、という風に思ってくれるスタッフを増やしたいですね。

苫米地香織:服が作れて、グラフィックデザインができて、写真が撮れるファッションビジネスライター。高校でインテリア、専門学校で服飾を学び、販売員として働き始める。その後、アパレル企画会社へ転職し、商品企画、デザイン、マーケティング、業界誌への執筆などに携わる。自他ともに認める“日本で一番アパレル販売員を取材しているライター”

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「時短だから仕事少ない方がいいよね」は「余計なお世話」 バロック・ママ社員による新部署での挑戦

 バロックジャパンリミテッドは、CSR強化や社員へのサステナビリティの観点から、ママ・パパ世代の働きやすさを考慮した「Eコンテンツ開発部」を新設し、同部署から10月に既存ブランド「イム(Y/M)」をEC専業ブランドとして再始動した。従来からある「EC事業部」は既存ブランドの通販業務を担っているのに対し、「Eコンテンツ開発部」はコンテンツやブランド開発から一気通貫で担当する。これにより「アパレルのEコンテンツの最大化と事業化」を目指す。

 「Eコンテンツ開発部」には、現在4人のママ社員が在籍。全員が「スライ(SLY)」「マウジー(MOUSSY)」「ロデオクラウンズ(RODEO CROWNS」の店長やMD、営業などで活躍し、産休・育休から復帰した経験豊富な敏腕メンバーだ。中でも第1号メンバーの牛込里沙マネジャーは、組織から仕組み作りまでを任せられる同部署のキーマンでもある。

 そもそも発足のきっかけは、「20代から会社を支えてくれている社員のライフスタイルの変化を受けて」と熊川大輔・上席執行役員 営業統括本部 副本部長。「店舗管理やスタッフ同士のコミュニケーションは、時短勤務だと難しいこともある。決定力とパワーのある子たちを既存事業に復帰させたかったのが本音だが、これらの課題解決に挑戦する新たな部署を作ってみようと思った」と加える。以前からの構想を、新型コロナウイルスとベテラン社員たちの産後復帰が重なったことが後押した。

 現場では、MDと生産に関する業務をペアで取り組み、急な休みでも「その人しかできない」状況を回避。内装から手作りしたという本社の1フロアには、デスクから撮影スタジオまでが1カ所にまとめられ、「(定時に帰るには)社内の移動時間でさえもったいない」というママたちの意見が、作業動線にまで反映されている。

メリットは「子育てを軸にサポートしあえる“雰囲気”」

 ママ・パパ世代を集めて“部署化”する効果について「1番のメリットは、理解してカバーし合える環境にある。子どもが体調不良のとき、快く休ませてあげられる“雰囲気”が大切。たとえ相手が悪く思っていなくても、心苦しい環境はある」と牛込マネジャーは語る。「育休復帰後の業務内容」や「子育てと仕事の両立」は、アパレルに限らず全ての企業の課題だが、この“休みづらさ”が“子育てへの理解のなさ”と表現される場合も多い。一方で「仕事へのモチベーションはとても高い。1番、結果主義の部署かもしれない」と補足する。

 4人が手掛ける「イム」は、アパレルD2Cブランドのプラットフォーム事業「YOUR BRAND PROJECT Powered by ZOZO」の1ブランドとして10月21日に、「ゾゾタウン(ZOZOTOWN)」で先行発売。「ウェア(WEAR)」公式ユーザーのウェアリスタである社内外の6人をディレクターに迎えた商品は、当初の見込み売上に対して120%と好調なスタートを切っている。特にウェアリスタの1人である「Misatoさんとのコレクションが売れ筋」で、カフタンニットワンピースは、200枚が完売。今後はコラボメンバーを増やし、反響のあるコレクションは単体でのブランド化も検討する。

 発足間もない「Eコンテンツ開発部」だが、牛込マネジャーは「時短だからそんなに仕事を与えない方がいいよね、は余計なお世話(笑)。それも周囲の優しさだが、女子の気持ちをもっと繊細にくみ取る必要がある」。実は牛込マネジャー自身、育休開けにスピード感がゆるやかな部署に配属され、「今日与えられた仕事が1時間で終わった。物足りない」と、逆に熊川大輔・副本部長を呼び出したエピソードがあるという。

 それを受けて「時短だからと変に仕事量を減らすのではなく、きちんと役割を与えた方が生き生きと働いている。会社はノルマを定めて、ルールはスタッフが決める方が、今の時代に合っているのでは」と熊川大輔・副本部長。

 産休・育休復帰で不安を抱えるママ社員が、仕事の感覚を取り戻せる環境を作ることは、さまざまな内情を抱える社員の多様な働き方の後押しになり、会社全体の活性化につながる。

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脱サラから香水ベンチャーを立ち上げ 映画とのペアリングなどユニークなアイデアを生み出す「セレス」

 香水の総合販売サイト「セレス(CELES)」は香水を「試す」「相談する」「買う」の3つがかなうさまざまなサービスを展開し、注目を集めている。500種類以上の香りの現品サイズはもちろん、気楽に試せるムエット(無料)や0.7mL(15プッシュ分)・2.5mL(50プッシュ分)・5mL(100プッシュ分)を販売するほか、日本フレグランス協会の資格を持ったスタイリストにイメージに合わせた香水を提案してもらえる「セレス セレクト」、ランダムに香水が届く「セレス ガチャ」などさまざまなサービスをそろえる。また10月には好きな映画を選び、その映画をイメージした香りを提案する「セレス シネマ」をスタートし、12月28日まで提供している。

 そんな「セレス」を手掛けるのは、大学院卒業後に大手電力会社を2年で退職し、香水業界のホワイトスペースを見つけ起業した代表のソールズベリー夏生。そもそも香水ビジネスの着想源になったのは、アメリカでも行われている高級腕時計のレンタルサービスだったという。「昔から香水はつけていたが、すごく興味や知識があったわけではないし、絶対に独立して起業したい!と思っていたわけでもない。ただ、腕時計のレンタルビジネスには注目していて、ぼんやりとビジネスチャンスがあるのでは、と思っていた。高価な腕時計は簡単に買えるわけではないし、お店で試着するのも敷居が高い。そんな腕時計を気楽に試せるビジネスは需要があると思った」と話す。

 結局腕時計ビジネスはコスト面など諸々を考慮したときに断念したが、当時香水をネットで販売していた知り合いがビジネスを続けられなかったときに、在庫を買い取ったことが「セレス」のはじまりになった。「買い取った香水を小さな瓶に詰め替え、手ごろな価格で香水を試せるようにした。最初は友人や知り合いが買ってくれていた。注文数も増えていくにつれ、香水を低価格・少量で気楽に試せるサービスが日本にあまりはないことに気づいた」。腕時計同様にビジネスになると思ったソールズベリー代表は、副業でコツコツ続けていたウェブサイトを本格的にビジネスにすると決心し、27歳という若さで2018年に起業。「ちょうど電力会社の仕事でシンガポールへの転勤の話をされたタイミングだった。給料も待遇も上がる機会だったけれど、まだ若いときにいろいろチャレンジしたいという思いがあり、成功する確信や自信はなかったけれど、香水事業にかけることにした」と当時の心境を振り返る。

「香水をつけるハードルを下げたい」

 そこから始めた「セレス」は、ラテン語で「天国」を意味する“セレスト(Celeste)”から名前をつけた。古来エジプトでは香りは天国に捧げるものだったこと、さらにヘビーメタルバンド「セレスティア」のファンだったことから、「セレス」にしたという。最初は少ない人数で四苦八苦しながら始めたビジネスが、現在は香水の注文数がスタートから2万5000件を達成し、来月には3万件を超えると予測する。また、現状単独注文が取引の半数を占め、残りは「セレス セレクト」や「セレス ガチャ」など独自のサービスだという。「日本の香水市場はまだまだ小さい。同じアジアでも韓国の人口は日本の3分の1にもかかわらず、香水市場の規模は同等レベル。でも今は香水に対する意識も変わり、ファッション同様に自己表現として楽しむ手段になりつつある。ただ、まだどんな香水をつけたらいいのか分からないという人も多く、香水をつけるハードルを下げるためにも、気楽に試せるサービスをいろいろ考えている」と話す。

 デジタルで香りを売るのが難しいともされる中で、今までにない切り口で香りに触れられるサービスとして10月にスタートしたのが、映画とのペアリングだ。好きな映画を入力すると、映画と香水に詳しいスタイリストが選んだ、映画に合わせた香りをが、送られるという仕組みだ。一見映画と香水は遠い業界に感じるが、「映画ははっきりしたテーマやストーリーがあり、感じ方は人それぞれ。そこは香水と似ているものだと思った」と説明。「もちろん難しい映画もある。例えば『ホームアローン(英表記?)』。子どもが家に一人で残されていろいろなハプニングが起こるストーリーだが、実は子どもながら大人に憧れてシェービングクリームを塗っているシーンがあったり、泥棒を退治したり、親がいないときに“大人”になりきるシーンがたくさん出てくる。だからあえて幼い香りと言うより、少し背伸びするような、スモーキーで渋めな香りを提案してみた。あとは、ホラー映画も香りと結びつけるのは難しかったりする(笑)」。

香りのプラットフォーム化を目指す

 ユニークなサービス以外に、同社の強みの一つとして挙げるのは、現在1万件を超える消費者のレビューだ。「香水は主観的なものでもあり、いろいろな人の正直なレビューが求められる。ブランド公式ECだといいレビューが目立つが、実はネガティブな意見こそ参考にされる。いずれは一般消費者のレビューに加え、スタイリストのプロのレビューも掲載し、香水の図鑑のような役割を果たせるようになりたい」。なお現在人気なのは、「ジョー マローン ロンドン(JO MALONE LONDON)」「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」「イソップ(AESOP)」だという。

 これまで香水をより身近な存在にするためにさまざまなサービスを展開してきたが、今後も同じ目標の元、オンラインのチャットサービスの導入やリアル店舗の出店も視野に入れる。「消費者のレビューを見られるだけでなく、スタイリストとリアルタイムでコミュニケーションをとったり、さらに香水を買ったり、香りのプラットフォーム化を目指す。また、いずれはリアルな空間で香りを体験できる場も作りたい」。

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アーティスティックスイミング選手からメイクアップアーティストに転身 “スポーツ選手らしい”メイクに奮闘

 「音楽に合わせて水中で演技を行い、技の完成度や同調性、演技構成、芸術性や表現力を競い合う」と聞けば、シンクロナイズドスイミングを思い浮かべるだろう。実は2018年にアーティスティックスイミング(以下AS)と名前を新たに、より感情豊かな演技が求められている。その中には、美しい動きはもちろん、その表情を彩るメイクにも目を引きつけられるが、そのAS用メイクを選手に指導している荒井美帆メイクアップアーティストもまた、元アーティスティックスイミング選手だった。その経歴についてやメイクアップアーティストへの転身についてはもちろん、日常生活にも生かせる汗や水に強いメイク方法、アスリートに向けたメイク活動について話を聞いた。

WWD:AS選手からメイクアップアーティストになった経緯は?

荒井美帆メイクアップアーティスト(以下、荒井):AS選手時代、09年に日本代表チームに入ることができましたが、日本代表になるとアーティスティック日本代表オフィシャルスポンサーであるコーセーのメイクアップアーティストから試合用のメイクアップを教えてもらえる機会があるんです。メイク講習会が1年に2回ほどありましたが、その講習がとても楽しかったですね。それに、ASには必ずメイクアップが必要にもかかわらず、日本代表に選ばれない限りメイクを学ぶ機会がないんです。試合のたびに自身でメイクをしなければいけないため、私も小学生のときから先生にやってもらったり周りの先輩の真似をしたりしていました。ただ、その先輩も自己流なのでそれを真似ていてもひどい出来だったりもしましたね(笑)。そんな経験もあって、「代表以外の人にメイクを教える機会を設けたい」と思いメイクアップアーティストを目指しました。引退後に専門学校に通い、メイクアップアーティストになることができました。

WWD:メイク講習会ではどのようなことを教わりましたか?

荒井:まず色使いが違いました。教わる前までは、赤い水着のときは目元に赤いアイシャドウを入れたり、青い水着だったら青一色のメイクを施したりなどワンパターンなものでしたから。演技のテーマに合わせてアイシャドウの入れ方を変えたりチークの色を変えたり、メイクの使い分けを初めて知ることが多かったです。明るい曲のときは、表情が柔らかく見えるようにライトなカラーやアイラインの入れ方で変化を出しました。一方で、カッコよく見せたいときや怖さを表現したいときはアイラインを強めに入れてキリッとさせたりリップの色も濃い目の赤にしたりしましたね。

WWD:直近の活動は?

荒井:新型コロナウイルスが流行する前までは、アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動していました。そして直近1年半は、ASのパフォーマーとしてカリブ海を回る世界最大級の豪華客船内で毎日開催される50分間ショーに出演していました。これまでに2回乗船しており、それぞれ9カ月と4カ月半乗船していました。もともと5月までパフォーマーをする予定だったのですが、コロナの影響で今年の3月に帰国し、再びメイクアップアーティストとして活動しています。

WWD:日本ではどのような活動をしているのか?

荒井:例えば、京都のAS選手に向けてなじみのある「よーじや」のメイクアイテムを使用したオンラインのメイク講習を行いました。オンラインでメイクを伝えるのは難しく、最初はライティングや画面に対して鏡をどこに向けて設置したら見えやすいかなど試行錯誤でした。画面越しで色の見え方も違いますし、アイラインがきれいにひけているかどうかの判断もしづらかった。しかし、北海道から沖縄まで離れた場所の人にも講習できるというのはオンラインならでは。これまでは関東のASチームを中心にメイク講習をしていたので新鮮でした。

WWD:AS用メイクで重視するポイントは?

荒井:水に強いのはもちろん、アイシャドウならグラデーションを作るのを大切にしています。AS選手がメイクを濃くするのは、遠くのお客さまにも表情をよく見せるためでもあります。年々ASメイクも多様化し、まつ毛を描いてみたり、アイシャドウもアートのように奇抜に入れてみたりするようになっていきました。しかしそのうち、「競技に相応しくない」「スポーツ選手らしくない」となり、数年前から“派手すぎるメイク”が禁止となりました。テーマに合わせたメイクを考えるのが楽しかったのでやはり寂しさもありましたが、“ショー”ではなく“競技”なので、「選手らしく」というのは仕方のないことだとも感じましたね。そのため、以前は2色を目元に強くいれるメイクを多用していましたが、それでは「濃いメイクでNG」と判断される恐れも。なので、同じ2色でもグラデーションを使って自然にきれいめに見えるようにしています。

WWD:元選手だからこそ分かる、現役選手に伝えられることとは。

荒井:私のメイクはコーセーのメイクアップアーティストに教わったことがベースにはなっていますが、それにプラスして元選手としての目線でも伝えています。例えば、早朝に試合があるときは練習をしてすぐ本番というタイトなスケジュールなので、選手は朝起きてホテルでメイクとヘアをセットします。その場合、「目の下のアイラインはにじみ防止のため練習後(本番前)に引いたほうがいいよ」「リップは試合の直前に塗ったほうがいいよ」などプラスのアドバイスができます。試合前はバタバタして一からメイクを直す時間がないので、ほんの少しのメイク直しで済むように教えていますね。そのほか、選手はまだメイクをしたことがない中学生や高校生が多いので、ファンデーションは簡単に塗れて化粧直しもしやすいパウダータイプをすすめています。スポンジを水に濡らして使えば、汗や水にも強くなる。これは日常生活も使える小技ですね。

WWD:AS用メイクにはもちろん、日常生活でも使える汗や水に強いメイクアイテムを教えてください。

荒井:AS用では、「メイクアップフォーエバー(MAKE UP FOR EVER)」の“アクアシール”がおすすめ。どんなパウダーやペンシルもウオータープルーフにできるリキッドで、例えばアイシャドウに混ぜて使用したり、アイシャドウを塗ってからリキッドを上に塗ったりすると一瞬でウオータープルーフになります。私はリキッドをアイシャドウ下地として塗り、その上にアイシャドウを重ねるという使い方が多いですね。「ファシオ(FASIO)」のアイブロウペンシルとマスカラは選手時代から使用していますが、使いやすく落ちにくいので今も使い続けている一品です。「キャンメイク(CANMAKE)」のジェルタイプアイシャドウ“ジェルスターアイズ”はパールとラメがたっぷりで選手にも使いやすい。手に取りやすい価格も魅力ですね。「エクセル(EXCEL)」の“ロングラスティングアイライナーEX”も汗や皮脂、水に強くおすすめです。また、「よーじや」「チャコット(CHACOTT)」のアイシャドウは発色が良く使っています。

WWD:今後の活動予定は?

荒井:メイクのオンライン講習は今後も続けていきます。普段は、アスリートがメディアに出るときに自分でできるセルフメイクの方法も伝えていますが、いま広げていきたいのは、新体操やフィギュアスケートの選手などメイクが必要な競技の選手に向けた競技用メイクです。そのほか、ウオータプルーフ重視のメイクとして、ランナーやインストラクターなど汗をかきやすい人に向けたメイク、ボディービルダーなどコンテストに出場するステージメイクといった、スポーツ全般に関わる人にメイクを広げていきたいですね。

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仕事が絶えないあの人の、“こうしてきたから、こうなった”コロナ禍でさらに注目の下地専門ブランド“ヌーディモア”泉祥子編

 転職はもちろん、本業を持ちながら第二のキャリアを築くパラレルキャリアや副業も一般化し始め、働き方も多様化しています。だからこそ働き方に関する悩みや課題は、就職を控える学生のみならず、社会人になっても人それぞれに持っているはず。

 そこでこの連載では、他業界から転身して活躍するファッション&ビューティ業界人にインタビュー。今に至るまでの道のりやエピソードの中に、これからの働き方へのヒントがある(?)かもしれません。

 新型コロナウイルスの影響による在宅勤務や外出自粛の増加にともない、美容に対する意識にも変化が生じています。「パナソニック(PANASONIC)」が10月に発表した調査によると、在宅勤務でメイクをしない時間が増加した女性は70%以上にのぼるといいます。“薄化粧”や“メイクがマスクに付かないこと”に関心が高まる今、改めて注目される“化粧下地”。今回は、下地専門ブランド「ヌーディモア(NUDYMORE)」プロデューサーの泉祥子さんに登場いただきます。飲食業界から化粧品業界へ転身を果たした泉さんのキャリア変遷に加え、不採算ブランドという立ち位置から“下地専門ブランド”として存在感を高める「ヌーディモア」の魅力をひも解きます。
※在宅勤務を行っている20~40代女性100名を対象にスキンケアについての調査を実施

WWD:化粧品に携わる前のお仕事から教えていただけますか?

泉祥子(以下、泉):山口県にある実家が喫茶店を営んでいたこともあり、飲食に関わる仕事に興味があったんだと思います。大学進学時に上京をし3年生のころ、渋谷にあるクリエイターやミュージシャンが集まる、“ザ・東京”とでもいうようなダイニングカフェでアルバイトをするように。しばらくしてお店の常連でもあったアパレルブランドの社長から、社内に飲食部門を立ち上げるため人を探していると聞き、「泉さん、やっちゃいなよ!」という軽いノリから、インターンをすることになりました。

WWD:具体的にはどのようなお仕事だったのでしょうか?

泉:レストランのメニュー開発から内装、制服決め、サービススタッフの研修まで何でもしましたね。とはいえ私自身が経験のない“ひよっこ”ですから、外部の方の協力を仰ぎながら全体のディレクションをするということが主な仕事。カメラマンや建築家、グラフィックデザイナーなどプロの仕事を間近で見ることのできる貴重な機会でした。何よりも五感をフル活用しながら、形のないコンセプトをゼロから形にしていくことは刺激的で、作る側と受け取る側(=お客さま)がいて初めてその空間が完成するということにも興奮しました。大学4年になり、就職活動もしていて内定までもらっていたのですが、結局そのまま飲食業界に進むことに決めました。

WWD:やりがいを感じていたのですね。

泉:はい。しかし3年半ぐらい経ったころ、燃え尽きてしまいました。立て続けに3店舗オープンし、それぞれの店舗のマネジメントや売り場でのサービスなど業務は多岐に渡っていたんです。朝8時半から深夜まで働き、タクシーで帰るような毎日でした。あるとき「もうやり切った!」と仕事を辞めて、ヨーロッパ旅行に行きました。半年ほどゆっくりしていたのですが、そろそろ家賃の支払いもやばいかも——そう思っていた矢先に友人から声をかけてもらい、化粧品会社でアルバイトをすることになりました。

その会社はベースメイクとスキンケア製品が主力で、スタッフによる販売力が売り。社内に商品開発といった部署はありませんでした。ほとんどの場合、創業以来のパートナーであったOEM (相手先ブランド生産)企業が企画からマーケティングまで行い、完成した商品を採用するというやり方でした。ほどなく社内から「お客さまのニーズに合った商品を作りたい」という話があがり、新たに商品部ができたタイミングで私もメンバーになったんです。25歳ごろですね。

WWD:元々美容の仕事への興味を持っていたのですか?

泉:いや、なかったです(笑)。初期メンバーは社長、秘書、私のみで、2カ月に1商品を出すということだけが決まっていました。商品開発のイロハも分かりませんし、大きな金額分の仕入れをするという緊張感ものし掛かってきました。OEMの方々には、文字通りゼロから教わりました。原料、成分、容器製造など化粧品作りに関わるすべての現場を見させていただきました。「原料だけでもこんなに取引先があるんだ」「ボトルのこのパーツを作る工場はまた別なのか」と驚きの連続。現場のプロの方を目の当たりにして、職人さんってクリエイティブだなと心底感じました。目には見えないコンセプトを形にするコスメ開発の作業ってレストランと同じだ!と気付いたんです。そうなるともう“異業種に転身した”という感覚や不安は消えて、お店づくりをしていたころのワクワク感でいっぱいになりました。

初めて手がけた商品での挫折から得た学び

WWD:初めて携わったのはどのようなアイテムだったのでしょう?

泉:美容液のリニューアルでした。愛用者の方々の信頼を損なわずに期待を超えなくちゃ!という大きなプレッシャーがありました。試行錯誤の末生み出した新美容液は既存品に比べて、原料や効果感、使用感も向上させましたし「なんならパッケージもちょっとおしゃれにしたぞ!」と満を持して発売。それが、全然売れなかったんです。

ここではっきりと分かったのは、お客さまが求めているのは効果や数値といったスペックだけではないということ。お客さまにとって化粧品は使ってきた歴史や経験と切り離せないもので、その延長線上に置いておきたいと思ってもらえる商品でないと価値がないということを思い知らされました。効果効能だけではない商品の魅力というのは、化粧品独特の嗜好性だと感じましたね。商品の“人格”をどうやって形作って、息を吹き込むかが要なんだ、と。これは実際にコスメをゼロから作ってみて分かったことでした。

WWD:なるほど。そのご経験と“情熱”をどのように形にされていったのでしょうか?

泉:この化粧品なしには人に会えない!と思うぐらい自分がのめり込める製品を生み出そう、そして納得するまでは商品を出さない——そう心に決めました。とはいえ2カ月に1度のペースで新商品を出さなくてはないので、どうしてもお尻が決まっています。「間に合わない」も「まぁいいか」も許されません。自分がとことん惚れた製品ならきっと悩みや年代が違ってもお客さまに愛してもらえるポイントがあるんじゃないかと信じて、試作品を何度も作り直しました。いざとなったらメーカーに入り浸って細かな調整を重ねるという日々でした。

WWD:それはOEM側との信頼関係があってこその技ですね。

泉:OEMからしたら大迷惑ですよね(笑)。自分の思いを製品に落とし込むために大切なことは、関わるすべての人を尊敬し、その人たちに愛されるかどうかだと思うんです。「お前が言うならしょうがない」と思っていただけることが、もう一踏ん張りに効いてくるんです。だからこそ、メーカー側のミスによってトラブルが発生したときは、普段の恩返しの機会と捉えて「大丈夫です!こちらでなんとかしますので!」と責めない姿勢でいることを心掛けました。結局、1人では何もできないですから。少しずつですが売り上げが伸び、部署は10人のチームになっていきました。

約10年間この仕事に携わり、その間に商品開発室長を経て役員までに。しかしずっと“プレイヤー”でいたかった私は、最終的に業務委託の契約にして、自分の会社を作ることにしたんです。

不採算ブランドを“下地専門ブランド”へ

WWD:そこで「ヌーディモア」に出合うのですね。

泉:はい。14年に立ち上げたトオンという会社では化粧品プロデューサーとして、企業の製品開発やブランディングを手掛けていました。そのうち、大手ドラッグチェーンの子会社が経営するコスメブランドから相談を受ける機会があって。「98年のデビュー以降、テコ入れもしておらず不採算。売り先もなくどうしよう」と。そのブランドが「ヌーディモア」でした。デビュー当時は人気メイクアップアーティストのプロデュースブランドということが売りだったけれど、契約はすでに終了。ただ販売だけを続けている状況でした。

売り上げを見ると確かにひどい数字でしたが、全体の7割が2種類の化粧下地によるものだったんです。スキンケアからファンデーション、アイシャドウなど70近い商品数の中で、リピートと口コミで下地だけが売れ続けている。それって逆に強みになるのでは?——そう感じた私はブランドごと譲り受け、16年に新たに「ヌーディモア」の会社(「クチュール」)を立ち上げました。

WWD:そこからどのように立て直されたのでしょうか?

泉:購入履歴やお客さまの声に耳を傾けると、やはり下地への支持が圧倒的。ここで、前職の“美容液リニューアル大失敗”の経験が生きました。ブランドの価値って作り手である私たちのものではなく、お客さまのもの。だからこそ「そうだよね、『ヌーディモア』といえば下地だよね」——そう感じてもらいながら、さらに愛されるブランドにしたいと考えたんです。

下地に特化するためにまず、下地以外のアイテムのほとんどを廃盤にしました。看板アイテムである下地“ブライトンカラー”と“ビューティヴェール”の基本設計は、ほぼデビュー時のまま。私が初めて「ヌーディモア」の下地を使用したとき、薄膜のヴェールなのに確実にトーンが上がる仕上がりに感動したんです。塗っているのか分からないようなスキンケアに極めて近い下地が多いなか、手応え感のある「ヌーディモア」は新鮮でした。パッケージも変えず、ロゴだけ変えているんですよ。

WWD:“変えない”ということも大きな決断だと思います。

泉:98年の誕生から生き残っている商品というのは本質がはっきりしている証拠。だからこそ商品の“骨格”はそのままに、製法の技術や原料のクオリティーを常に更新するようにしています。

下地2種を混ぜてアレンジしながら使用できるということも後から知ったんです。販売履歴を見てみると、2つの下地の同時購入が最も多かった。コールセンターの人に聞いてみたら、「ご愛用者さまは、質感と仕上がりの異なる2つの下地を混ぜて使っているんですよ」と。こんなにも下地が愛さているブランドは他にない——その思いで“日本初の下地専門ブランド”というコミュニケーションを掲げたわけですが、それがしっくりきていたのかなと今、実感しています。

WWD:コロナ禍の“マスクメイク”で下地がさらに注目されているように感じます。

泉:4月の緊急事態宣言以降、下地の昨年対比は約126%と伸びています。特に広告をしているわけではないので、口コミを見た新規のお客さまが増えている印象です。下地の市場は、ファンデーションの7分の1程度といわれているんです。5年前は“下地を使いましょう”という啓蒙活動していたくらいですから。

在宅勤務の増加でファンデーションをしっかり塗る機会が減ったり、マスクを着けるとメイクが崩れるからという理由でベースメイクを見直した方も多いと思うんです。また、「自分に必要なものって何だろう?」と立ち止まって考えた時に“隠す”や“盛る”ではないメイクの価値観に気付いた方も多いのかもしれません。自分らしさを生かしながらも気になるところはカモフラージュしたい——その役割は下地が得意だと思いますし、これからもそんな気持ち寄り添えるブランドでありたいですね。

WWD:飲食業界での経験が生きていると感じることはありますか?

泉:レストランビジネスもコスメも嗜好品=人生を豊かにしてくれるものだと信じています。食の体験で心揺さぶられたことからインスピレーションを受けることもあります。例えばクレンジング料“カウンセリング クレンズ”の開発で目指したのは、お粥でした。1日頑張った肌をリセットするクレンジングこそ、肌に乗せたときにホッとして心にもじんわりと染み渡るような優しいテクスチャーにしたかったんです。もちろん化粧品ならではの専門的な用語を使うこともありますが、五感に作用するような製品作りやコミュニケーションの方法も大切にしています。

WWD:今後、力を入れていきたいことはありますか?

泉:つい先日まで国立北京中医薬大学の日本校に通い、中医学と薬膳の勉強をしていました。中医学って、陰陽のバランスが大切でプラスがいいわけでもなく、マイナスが悪いわけでもなく自分なりの良いゼロ地点(ベース)があるという学問なんですね。肌を爆上げする!とかそういうことではなく、その人にとってのベストのベースを見つけてあげたいという「ヌーディモア」の考えと通じるものがあるように感じました。中医学の勉強を続けながら、インプットしたものを製品としてアウトプットしていけたらと思います。

WWD:泉さんにとって仕事とは?

泉: 呼吸したり、ご飯を食べたりすることと同列かもしれません。生きていることの一部であってプライベートの中に仕事がある、という感覚ですね。私は集団行動がめちゃくちゃ苦手で学生時代の通信簿では協調性の項目が「1」でした。化粧品会社に10年もいたのに、社長と秘書以外とは一度もランチに行かなかったぐらいですから(笑)。そんな私でも、好きなことや得意なことを見つけて楽しく働いてきて今があります。コロナの影響もあり、働き方はますます多様になって肩書きに囚われずに働ける環境は加速していくと思います。自分に合った環境さえ作ることができれば、やりがいを感じながら働けるんじゃないかな。

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「スーツを着崩す」唯一無二のセンスでファンを集める ビームス齋藤龍治

 ここ最近のビームスは主軸のアパレル事業にとどまらず、社員たちの暮らしぶりやインテリアを紹介した書籍「BEAMS AT HOME」の制作や美術館の公式グッズの監修のほか、自治体と連携して地方創生などにも力を入れており、ファッション業界で培ったモノやコトを他の領域で生かしている。社員やショップスタッフもインスタグラムやユーチューブなどで積極的に発信し、個々に活躍の場を広げている。これまに取材してきた同社のショップスタッフを思い返すと、個性豊かな人が多く、「心底ファッションが好きなんだな」と思うことが多い。今回インタビューしたビームス六本木ヒルズの齋藤龍治さんもそんな一人だ。

―いきなり失礼な質問かもしれませんが、そのヒゲはどうされているんですか?

齋藤龍治さん(以下、齋藤):もう4~5年ほどこの状態をキープしています。はじめは伸ばす気はなかったんですが、奥さんが美容師でして、軽い気持ちで「ヒゲパーマ当てたら?」と言われて、お試しでやってみたら意外と評判がよくてそのまま続行しています。

―ヒゲにもパーマができるんですね!

齋藤:そうなんですよ(笑)。お客さまも始めは驚いていましたけど褒めてもらうことも多く、最近はこのヒゲで覚えてもらうことも多くなりした。

―インスタグラムを拝見していても、ファッションはもちろんのことヒゲのインパクトも強いなと思いました。ところで、ファッション業界で働こうと思ったきっかけは?

齋藤:学生の頃からストリート系ファッションが好きだったんです。とはいっても青森の高校生には服を買うにも店はほとんどなく、今ほどネット通販が気軽にできる環境でもなかったので大変でした。工業高校に通っていたので、卒業後は勧められるままに東京の会社に就職し、上京して、いろんな街を歩いてみて「やっぱり服は楽しい」と思うようになり、会社を辞めました。ファッションの専門学校で勉強して、最初に働いたのが新宿の「ビームス ジャパン」でした。

―もともとファッションが好きでこの業界に飛び込んだとのことですが、実際に入ってみてどうでしたか?

齋藤:実は希望していたのはカジュアルの販売だったのですが、枠がなくて「ドレスなら空いているけど……」と言われて、テイストは違いますが入りました。

―そうだったんですね(苦笑)。ストリートファッション好きがドレスの販売員に。それが今の齋藤さんの独特なドレススタイルにつながるわけですね。初めての接客業に知識もないドレスの販売だと、不安も大きかったのでは?

齋藤:正直、ドレスに興味も知識もなく入ったので、始めた頃は前途多難でした。まだ学生気分も抜けてないし、言葉使いも全くダメでした(苦笑)。それこそスーツは専門的な知識を持っていないと売れないので、先輩スタッフや自分の一回りも二回りも上のお客さまからいろんなことを教えてもらい、少しずつ覚えていきました。毎日毎日「その合わせは違う」「この着方は間違っている」と指摘されては、「ドレスだとこの着方がいいんだ」とか「この組み合わせ方がカッコいいんだな」とちょっとずつ覚えていきました。ドレスの場合は、着こなし方の基礎が分かってきてそこから崩していくのが楽しい、みたいなところがありますから。

―お客さまから教えてもらうことのほかに、商品知識を身につけるためにやったことは?

齋藤:とにかく買って着ていました。ビームスではクラシックなラインとトレンド的なモードなラインのスーツがあるのですが、自分が好きなモードっぽいものを選んで着ていました。先輩からダメ出しをもらいながら勉強していくと、徐々に売れるようになって、さらに深掘りしてみようと欲が出てきました。

―やはり、着てみるのが一番身につきますか?

齋藤:そうですね。今でも買って着ています。実際に着ているのと着ていないとでは説得力に違いが出てくると思います。特に高価格帯の商品は、実際に着て愛着が湧くことで伝え方も変わるので、おのずと説得力も増します。ドレスは基礎知識の幅が広く、特に合わせ方の基本、サイジングはしっかりとしたルールがあるので、その時のトレンドで外したり、外さなかったり。好みであえて意外性のある合わせ方をしたり、いろいろあるんですよ(笑)。言葉ではなかなか伝えられない感覚は、先輩やお客さまの見よう見まねで身につけてきたので、何が正しいのかを教わったわけではないんですよ。

―コーディネートに正しい・正しくないはないですよね。そのときの気分で着こなし方も変わるところがファッションの面白いところだと思います。インスタのスタイリングにもそれが表れています。

齋藤:コーディネートは「毎日、同じ格好をしない」と、インスタやるようになって考えるようになりました。ローテーションを考えるのも楽しくなりました。たぶん、同じようなスタイリングを毎日していたら仕事を辞めるかもしれません。朝、起きて、その日のコーディネートを組んで「きまった!」と思ったら、その日は一日中気分よく過ごせますしね。

―着る服で気分が変わりますよね。嫌なことも跳ね返せる感じがあります。では、接客で勉強したことは?

齋藤:強いて何かで勉強したということはなく、慣れてきたという感じでしょうか…。顧客がひとりできた頃から接客が楽しくなってきました。それから、毎日誰か顔見知りのお客さまが来てくれると思うと店にいるのが楽しくなって、1人、2人と顧客が増えると充実してくるんですよね。

―その方は今でも来られます?

齋藤:今でも買いに来てくれます。最初から僕によい接客を求めていた感じではなくて、お客さまも自分もラフな感じで接していました。新宿時代はそんな感じでしたね(笑)。6年半ほど在籍し、ビームスハウス丸の内に異動しました。丸の内はドレスの中でも一番いそがしい店で、1日にお客さまのアポイントが4~5件ということもある店なので、ここでも鍛えられました。

―齋藤さんにとって接客とは?

齋藤:新宿で販売を始めた頃は、売れば売れるほど数字として見えてくるので「まるでゲームみたいだな』と感じていました。丸の内に異動してからは、新宿よりさらに客数が多い中で、いかに顧客を呼べるかを考え始めました。これはお客さまから指摘されたのですが「あまりおすすめじゃないものだと、売りたくない顔しますよね」と言われました(笑)。最近も別のお客さまから同じことを言われて、自分が好きなもの、お客さまにはこれを着てほしいというものが売りたいんだなって気づきました。

―お客さまから指摘を受けるということは、顔に出てた?

齋藤:そうみたいですね。顔に出ているとは思ってなかったんですけど(笑)。顧客のワードローブは把握しているので、着てほしいものでないとなぜか力が入らない。というか、おすすめしないわけではないけど、つい「こっちの方がいいですよ」と言ってしまいます。そのへんをお客さまも理解して、納得してお買い上げしてもらえるのがうれしいですね。

―齋藤さんのセンスや接客にほれて買い物に来られる感じなんですね。

齋藤:いわゆる『スーツのプロ』と呼ばれるような正統派のスタッフが丸の内にいましたが、僕は彼らとは接客スタイルが違うので、それぞれにハマる人がハマってくれればいいと思っていました。オーセンティックな提案がほしいときはそちらに聞いてくださいというスタンスです。ときにはお客さまの嗜好を伺った上でビシッとスーツを着用しているスタッフをおすすめすることもあります。僕は変わった感じの格好が好きなので、見た目で僕には来ないお客さまも多いです。お客さまからはなかなか声をかけてこない(笑)。

―お客さまも心得ている感じですね。それって意識的にしている?

齋藤:自分の好きな格好の販売員がドレスの店舗にいなかったので、自然とこのキャラクターになった感じです。自分の顧客もビシッとしたビジネスマンというより、ジャケット、スーツを着こなすけど、自由に崩せるような方が多くて、自分の格好にハマる人が集まっています。

―スーツをビシッと着る人もいれば、そうでない着方をしたい人もいますよね。そこに個性派な齋藤さんが登場して、ファンがついてきている。服好きとしては感慨深いですね。では最後に、これからの目標を教えてください。

齋藤:接客は楽しいので、ずっと売り場にいたいと思っています。ようやくキャリアが長くなってきて、自分の声が社内に通るようになってきたので、商品企画やイベント企画はより積極的にやっていきたいですね。

苫米地香織:服が作れて、グラフィックデザインができて、写真が撮れるファッションビジネスライター。高校でインテリア、専門学校で服飾を学び、販売員として働き始める。その後、アパレル企画会社へ転職し、商品企画、デザイン、マーケティング、業界誌への執筆などに携わる。自他ともに認める“日本で一番アパレル販売員を取材しているライター”

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スタンフォード大卒のボクが、グーグルではなくバロックを選んだ理由

 ジャスティン・カハンディング(Justin Cajanding)は、2019年9月にバロックジャパンリミテッドに外国人枠で入社した、米・ロサンゼルス出身の23歳。あのスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)らを輩出したことで知られる、スタンフォード大卒の肩書を持つ期待の新人だ。東京・表参道の旗艦店「ザ・シェルター トーキョー(THE SHEL’TTER TOKYO)」での販売員研修を経て、今年4月からは新規プロジェクトの立ち上げなどを担う「未来政策室」の配属となった。

 学生時代は、専攻の比較文学に加えてマーケティング、プログラミングなどを幅広く学び、就職活動では、あのグーグル社の選考も進んでいたというエリートだ。彼はどうしてバロックを選んだのか?

WWD:大学時代にどんなことを学んだ?

ジャスティン・カハディング(以下、ジャスティン):専攻は「比較文学」と「日本語」です。これらについて卒論を書き、学位を取得しました。そのほかにも政治経済哲学やコンピューター科学、プログラミング、日本や東アジアにおける経済論や経営管理など、学科の枠組みを超えて幅広く学びました。

WWD:中には、ファッション業界に直結する研究も?

ジャスティン:もともとファッションに興味がありましたが、スタンフォード大学には、ファッションデザインやファッション経営管理などに特化した学科がなかったので、関連する講座を自ら積極的に受講しました。たとえば大学院生向けの「日本のビジネス文化およびシステム」の学科の講座では、オムニチャネルを軸とした先進的な考え方の重要性を、日本のアパレル業界で応用する方法について教授と共同研究しました。特に日本が高く評価されている、実店舗における品質やサービスの水準を保ちながら、国内外の消費者に訴求する方法を模索しました。また、プログラミングのクラスでは、ビッグデータやテクノロジーが、アパレルをはじめとした非テクノロジー業界にもたらす影響を理解しました。

WWD:日本、バロックとの出合いは?

ジャスティン:大学3年時の交換留学で日本を訪れた際、教授にバロックをインターン先として斡旋してもらいました。かねてから日本で働くことに興味を持っていましたので、留学期間終了後にインターンシップとして働き始めました。

WWD:ご自身はどんなブランドが好きですか?

ジャスティン:僕を見てのとおり、ストリートブランドです(笑)。アメリカにいたころも、ブランドショップでよく買い物をしていました。正直、ショップはシンプルに「物を買うだけの場所」だと思っていました。でも日本では、店員は外国人にも優しくて、店を出た後は入店前よりも晴れやかな気分になるんです。言葉が分からなくても、日本が「おもてなし」の国と言われる理由が分かりました。

入社の決め手は社長からの直電

WWD:グーグル社の選考も進んでいたそうですが、バロック入社の決め手になったのは?

ジャスティン:(村井博之)社長からの電話で心を揺さぶられ、入社を決めました。「君はここで、どう成長したいんだ?自分のスタイルでやりたいようにやってくれていいから」という言葉に、チャレンジングな会社だと確信しました。アメリカの会社では上からどんどんミッションが課せられるから、考え方も課題解決の手法も型にはまってしまいます。でもバロックなら、自分らしく能力を生かせると思ったのです。

WWD:バロックの長所と課題はどう分析している?

ジャスティン:バロックは国内市場に満足せず、グローバルの舞台で戦おうと考えています。その熱意は社長の言葉からも伝わったし、ワクワクします。「マウジー(MOUSSY)」や「スライ(SLY)」のようなブランドには渋谷109から始まったブランドストーリーがありますし、商品の品質やおもてなしが強みです。それらの価値を海外の人が知らないのがすごくもったいないし、どうやって広めていくかが課題です。

WWD:自身の能力をどのように生かせると思う?

ジャスティン:バロックは日本で育てたブランドの哲学やイメージを海外に持ち込む方法を模索していますが、新しいマーケットに適応し戦っていくには市場分析が不可欠です。日本と欧米ではマーケティングの性質、攻略手法には大きなギャップがあります。その溝を埋めるために、僕が研究してきたマーケット分析の手法が生かせたらいいですね。

WWD:即戦力として期待されていますね。

ジャスティン:もちろん、自信満々ではないですよ(笑)。日本語はまだまだですし。「シェルター」で「アズール バイ マウジー(AZUL BY MOUSSY)」のメンズ服を売っていたときは、うまくいかなくて不安な日々が続きました。でもある日対応したお客さまが、わざわざSNSで僕を見つけてお礼のメッセージをしてくれて、折れかけた心を立ち直らせてくれました。今はウイルスのせいでこんな状況だけれど、店舗研修をしているときは中国、米国、などからの外国人客はすごく増えていることを肌で感じ、バロックがグローバルに戦える企業だと確信しました。休みの日には、大学のプログラミングマーケティングを学び直すために教科書を広げています。早く活躍できるよう、新しい知識も取り入れながら、自分をどんどんアップデートさせていきたいですね。

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伝説のバイヤー、笠原安代が振り返る新入社員時代 コロナ後の世界にファッションができることは?

 新型コロナウイルス感染症拡大で世界中が大混乱の中にありますが、時は春。新たな一歩を踏み出す人も多い時期です。ファッション業界に足を踏み入れたものの、コロナに伴う不測の事態に不安を感じていたり、「この業界に未来はあるのか?」と考え込んでしまったりしている新入社員、若手スタッフも少なくないと思います。そんなときに耳を傾けたいのが業界の頼れる先輩の言葉。ここでは、セレクトショップ「アクアガール(AQUAGIRL)」などを率いてきた伝説のバイヤー、ディレクターで、そのセンスや人柄に業界内でもファンの多い笠原安代さんに、自身の若手社員時代を振り返ってもらいました。先輩のキャリアの築き方を知ることは、これからファッションの世界で羽ばたこうとしている人にとって参考になるはず。同時に、コロナショックの中でファッション業界が果たす役割については、若手以外が聞いても励まされる内容です。

WWD:笠原さんは大学卒業後、大丸(当時)に入社して、出身地である神戸の大丸に勤めました。どんな新入社員で、どんな仕事をしていましたか?

笠原安代ファッションディレクター(以下、笠原):入社後すぐは婦人服のヤングカジュアル、半年後にはミセスカジュアルに配属されて、店頭で販売など行っていました。勉強しなければいけないことが山積みで、本当に大変でしたね。取引先ブランドの販売員の見よう見まねで接客を行っていましたが、特にミセスカジュアル売り場のお客さまは自分の母親とほぼ同世代でとても難しかった。今も研修では、「聞き上手になりなさい」「知ったかぶりはしない方がいい」と販売員に伝えていますが、それは私自身の経験から思うことです。入社2年目は、どういうわけか販促や宣伝、マーケティングのチームに異動することになりました。「購買行動を調べるために若い消費者を組織化してほしい」「母の日・父の日の販促は全社で何をするべきか」といったお題が次から次へと降ってくるので、ここでもまた目の前の仕事を一つ一つ解決することに必死でした。

WWD:日中は忙しく働きつつ、それが終わると大阪の上田安子服飾専門学校の夜間クラスにも通われていたと聞きます。それはどんな考えから?

笠原:服が好きで百貨店に入社したけれど、ファッションの知識がなさすぎました。販促の仕事では、さまざまな部署の先輩社員に話を聞いて情報を集めてくる必要があったんですが、知識という後ろ楯がないとダメだと痛感したんです。乗り越えるために本をたくさん読みましたし、服飾の専門学校にも通いました。上司や先輩が薦めてくれた本を読んだときは自主的に感想文を書いて渡すようにしていて、そうした中で師匠のような人にも恵まれました。専門学校は、自分から上司に「表層的ではないファッションの知識を得たい」と訴えて通わせてもらったものです。当時は会社が社員研修にかなりお金をかけていたので、そういう面でとてもいい時代だったなとは思います。

WWD:大丸に入社して間もなく、男女雇用機会均等法が制定(1986年に施行)されました。ファッション業界では最近もセクハラが問題になりましたが、笠原さん自身は女性として、理不尽な思いをしたことはありましたか?

笠原:大丸に入社したのは、実は男女の待遇差がなかったからなんです。当時の就職は高卒、短大卒、四大卒とで分かれていましたが、大丸は高卒と大卒との待遇差はあったかもしれないけど、男女の待遇差はなかった。私は特段フェミニストだったわけではないけれど、同じ職種なのに女だからというだけで男性とお給料が違うというのは、純粋に「なんで?」って。母親が公務員だったので、男女一緒に働くということが自分の中で自然だったんだと思います。当時は同業の百貨店でも入社時点から男女の待遇差があるところもあって、そういうところに入社してもきっとおもしろくないだろうなと考えたんです。私は転職したので、あのまま会社にいたらどうなっていたかは分からない。もしかしたら、「ガラスの天井」を感じることもあったかもしれません。ただ、当時の同期や年の近い先輩で優秀だった方は、女性も今役員などになっています。もちろん、キャリアの中で理不尽なことも目にしてきました。同じチームの後輩や部下からもセクハラで相談を受けることはあったし、その対応には心をくだいてきました。もしも今セクハラに悩んでいる人がいたら、一人だけで心を痛めずに、身近な先輩や上司に相談してほしい。「相談しろだなんて当たり前のこと、みんな分かっている」と思われるかもしれませんが、抱え込んでしまうのが一番よくないから伝えたいんです。最近、若いスタッフと話した際に、セクハラに直面した際には同期や年の近い人たちと(セクハラにあたる)LINEなどの画面を共有して、セクハラは許さないというムードを作るという人もいました。それもたくましくていいなと思います。とにかく、誰かに相談してほしい。これは女性に限った話ではありません。

WWD:確かに、男女問わずパワハラなどの問題もあります。

笠原:自分がどれだけ真面目に働いていても、変な人に当たってしまったら問題に巻き込まれる可能性はあります。だから誰かに相談することが大事。業種によらず、ビジネスはどうしても過去のデータに捕われがちで、見たことのないプランに対してOKはなかなか出ないものです。それを説得しようとする過程でのパワハラめいたことは、私も経験してきました。「お前は趣味でファッションやっているのか」と幹部に怒鳴られたこともある。私はそれをバネにして見返してやろうと思ってやってきましたが、そういうときに大事なのは武器と仲間ですね。武器はさきほど話したような知識や、それに裏打ちされた説得力。仲間は一緒にこれをやり切りましょうって頑張れるチームのこと。こうやって振り返ってみると、私の20代って結構暴れん坊だったなと思いますね(笑)。

WWD:その後、ミラノ駐在員やバイヤーを経て大丸を退社し、「アクアガール」(ワールド)のバイヤー、ディレクターに転身しました。夢をつかむために心掛けてきたことはありますか?

笠原:私は夢を大きく設定して、そこに向かって進んできたわけじゃないんです。タイミングごとに「これをやってみないか?」と私を導いてくださる人が出てきた。目の前のことに一生懸命取り組んで、自分自身の問題意識に集中していると次の扉が見えてきます。それをどんどん開けてきました。だから、ものすごく大きな夢があるわけじゃなくても、今ある仕事に真剣に立ち向かう中で道を切り開くこともできると知ってほしい。とりあえず、心掛けているのは来る依頼を拒まないこと。「えっ?」と思う内容の依頼もありますよ(笑)。でも一度やってみる。その依頼に直接応えることはできなくても、何か違う形につながるかもしれませんから。

WWD:バイヤーやディレクターという職種を目指す若手社員も多いです。どんなスキルがあると仕事をするうえで有利ですか?

笠原:今って、デザイナーや作り手が直接消費者とつながって、商品を売ることができる時代です。そんな時代において、バイヤーやディレクターの存在意義って何だろうとはよく考えています。私の答えは、作る人も買う人もよりハッピーになるように働くこと。そのために必要なスキルはコミュニケーション能力です。ではそのコミュニケーション能力とは何かという話になりますが、私が大切だと思っているのは、立場や経歴、職種などを超えて、あらゆる人にちゃんと伝える手段を持つこと。思いを形にしていく手段を持つことです。それをさらにかみ砕くと、説得力だったり、すぐに動き出せる行動力だったり、理不尽なときにも諦めない力だったり、礼儀正しさだったりします。コミュニケーション能力として、SNSやアプリに精通していることや、語学ができるといったことももちろん大事ですが、それだけではないと私は思う。これって、大丸での駆け出し時代に販促の仕事をする中で大切だと痛感したこととも重なります。

WWD:コロナショックの中で、「ファッションについて語るなんて不謹慎」といったムードも世の中にはあります。こんな状況下でファッションができることって、あるのでしょうか?

笠原:「アクアガール」時代の顧客受注会で、お医者さんや看護師さんなど、医療関係に従事するお客さまが夢のようにすてきな服を楽しんでいらっしゃったことが印象に残っています。(コロナ対応に限らず)戦っている人ほど美しいものを欲していて、それがあるからまた戦えるんだと思う。だから私はファッションが不謹慎だとは思いません。第一次世界大戦が終わった1920年代って、アールデコやモダンガールが生まれ、後のファッション史や美術史に大きな影響を残しました。当時モダンガール、モダンボーイと呼ばれて文化を作った人たちは、今でいうミレニアル世代やZ世代だったと思うんです。コロナショックによって、前年実績をもとにしたビジネス設計はもうできなくなりました。大変なことですけど、面白い時代とも言えるはず。もちろん大人は、「前年と比べられないなら一昨年と比べて」とか「家賃から逆算すると」とか言うでしょう。そういう冷静な視点も大切ですが、(コロナショックは)若い人が柔軟な思考で時代を塗り替えていくチャンスになり得ると思います。同時にそれは、若い人だけに限った話でもない。ムッシュ・クリスチャン・ディオール(Christian Dior)が自身のメゾンを開いたのは、第二次世界大戦後。40歳を過ぎてからです。年齢は関係ない。世界規模の危機のあとに美しいものが生まれてきたというのは歴史上の事実。だから、悲観し過ぎることなく、前向きでいたいと思っています。


【笠原さんが自宅待機中の若手社員に薦めるこの1冊】

「モードの体系」:「社会人2年目の私に、上司が薦めてくれた本。変化し続けるファッションの変化の理由を捉えることは難しくて不可解ですが、それゆえ私はファッションの魅力にはまっていきました」

【それ以外にも…】

「イヴ・サンローラン 喝采と孤独の間で」:「現代のファッションシステムを振り返り、今後のあり方を問う一冊。『アクアガール』バイヤー就任間もないころ、パリコレで隣席になったファッションジャーナリストの平川武治さんに薦められました」

「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか」:「経営におけるアートとサイエンスという考えを、社会人1年目から意識し実践することはファッションビジネスの未来を思考する一助になるはず」

「『感動』に不況はない」:「小林章一アルビオン社長に迫った本。リーマンショック後の不況の中で、ファッション業界が価格偏重になり悩んでいた時に読んだ本です」


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グランドスタッフからアパレルへ 前職の「同僚もお客さま」が導くスーパー販売員への道 ラグナムーン仮屋麻衣

 15年以上ショップスタッフ取材をしていると色んな職歴の人に出会う。元歯科助手、元ホテルマン、元保育士などなど、キャリアの描き方は様々だ。今回インタビューしたマークスタイラーの「ラグナムーン(LAGUNAMOON)」エリアマネージャーリーダーを務める仮屋麻衣さんもその一人だ。空港のグランドスタッフからショップスタッフへ転身した。人々の安全輸送に関わる空港のグランドスタッフには、高いサービススキルが求められる。アパレルの販売職との共通項やスキルの伸ばし方、サービスの本質などについて聞いた。

―空港のグランドスタッフとして働きたいと思った理由は?

仮屋麻衣さん(以下、仮屋): 高校時代から飛行機そのものや、空港の雰囲気と空間が好きだったんです。

―空港の雰囲気というのは?

仮屋:いろんな人が、いろんな思いを持って過ごしている雰囲気が好きで、いつのころからか空港で働くことに憧れるようになりました。毎日いろんな方と触れあって、毎日が刺激的で新鮮だろうな、と。そういう変化が好きなんです。

―その点では今のファッション販売職と一緒ですね。

仮屋:そうなんです!扱っている商品が空港は“飛行機に乗ること”とそれに付随するサービス、ファッションは“洋服”やそれに付随するコーディネート提案をするというだけで、航空業界とアパレル業界は全く違うようでいて、お客さまが希望するものを提供するという一貫性は変わりません。それに高校時代にもう一つ考えていた職業がショップスタッフでした。好きなものが「飛行機」「空港」「ファッション」の3軸あり、その中からまずは航空業界を選びました。

―実際にファッション業界へ入ってみていかがでしたか?航空系の専門学校や前職の経験は生きましたか?

仮屋:はい。専門学校でトレーニングした表情や所作、言葉使い、会話など。中でもお客さまの表情を読み取って、機転を利かして行動するという点は、とても生かされています。

―いろんな方が訪れる場所だからこそ、学校でそんなトレーニングもするんですね。接客力があるショップスタッフに話をうかがうと「表情を読み取る」ことが大切とよく言います。ですが、それを後進に伝えるのが難しいと…。

仮屋:実際にスタッフ育成に携わっていると、確かにそれを感覚として伝えることは難しいと感じています。専門学校ではグループトレーニングで同じグループ内の人の変化に気づけるかといったトレーニングが日頃からありました。航空会社へ入社後、お金を払ってくださる人だけがお客さまではなく、社内のスタッフでも業務を通じて会社に貢献するお客さまである、という意識が浸透していたので、お客さまだけでなく一緒に働くスタッフに対しても表情を読み取って、相手の求めていることを汲み取って仕事していました。

お客さまの場合は接客のひと時だけ接することになりますが、スタッフは常に一緒にいる仲間。その仲間にして、表情を読み取り手助けできなければ、一瞬しか出会わないお客さまに対しても同じことはできない。今はスタッフたちにそう伝えています。

同じお店で働くスタッフに「大変そうだから手伝おうとか」、表情が曇っていれば「体調が悪いの?」と一声かける気づきがあってこそ、それがサービスにも直結していくと教えています。

―確かにいつも一緒に働くスタッフにも気づけないなら、一瞬しか接しないお客さまの表情の機微に気が付けるか?ということですね。やはり、表情を読み取るには日ごろの訓練が必要ですか?

仮屋:表情が読み取れないという場合は、チェックする視点が体得できていない可能性が大いにあります。ここを見ると良いという感覚を掴み、体感して覚えていくといいのですが、その感覚を教えるのが難しい。これはスタッフ自身に実感してもらうしかないです。

自分自身が気づく前に、誰かが先回りして動いてくれていると嬉しいですよね。反対に自分が気づいたら率先して手伝う。その積み重ねです。気づきのある環境で「次は私が!」というサイクルを作ることがトレーニングになると思います。

―話は変わりますが、グランドスタッフを続ける選択肢もあったと思いますが、なぜファッション業界へ?

仮屋:働き始めて2年半経ったころ、どの業界にもあるキャリアアップで、お客さまと接する現場から、事務所内でインカムを付けスタッフの業務をコントロールする業務に異動したことがきっかけでした。どちらかというとずっと現場の空気を味わっていたかったのですが、新人もどんどん入社してきますので席を譲らないと(笑)。そこで、もう一つやりたかったファッションの道に進むことにしました。この2つの業界は、絶対的に自分の人生で実現させたいと思っていたので。

―強い思いがあったのですね。仮屋さんの考える、アパレル販売員の良いところを教えてください。

仮屋:やはり、毎日違うお客さまと出会えることですね。よくスタッフに伝えているのは、「お客さまのスタイリストだと思って悩みを聞き、お客さまは誰のために服を着たいのかだったり、お客さまのライフスタイルに寄り添ったりして提案することが私たちの存在意義だよ」と。それができたときにお客さまが喜んでくれたり、お客さまから「自分では選ばなかった」と言ってくださるときに、ありきたりですがやりがいを感じます。あと、「ラグナムーン」で働き始めたころは店に商品が届くのが楽しみの一つでした。ですが、長く働くと売り上げや予算などビジネスライクなことも付きまとい、徐々にときめきが薄れるスタッフも見てきました。そもそもショップスタッフの仕事は接客をして、その結果として売り上げがついてくるものなのですが、結果ばかり気になってしまうスタッフも多いので、もっと売り上げにつながるプロセスを楽しんでもらえるようにしたいですね。

―確かに、接客が上手くいったからこそ、対価として売上が付いてくるというプロセスを忘れてしまいがちです。しかも、ネット通販も便利になり、「接客は必要ない」という意見もあります。

仮屋:今はECでお買い物ができますし、情報もいくらでも収集できます。だからこそ「人間だからできること」、例えば表情を読み取り、気づけることが大切になるし、対話を通してお客さまにワクワクする気持ちを感じていただくことが、これからリアル店舗に求められることだと思います。こんな時代だからこそ“人間味”が必要なんです。

―人にしかできないことがあるということですね。今は福岡を拠点としながらブランドリーダーとエリアマネージャーを兼務されているとのことですが…。

仮屋: 店頭にも立ちながら、「ラグナムーン」に在籍している販売スタッフの人事やエリアマネージャーの育成を主に担当しています。福岡在住で責任ある仕事を任せていただけることはレアケースだと思いますし、恵まれていると思います。この役職をやらせていただけている以上は、これからもがんばらなければと思っています。

―これからの目標は?

仮屋:結婚して妊娠、出産、子育てとライフステージが変わったとしても、働いていける姿をスタッフたちに見せていきたいですね。今は女性が輝いて働ける時代になったとはいえ、まだまだ結婚がゴールだと考えているショップスタッフもいます。結婚や子供を産むタイミングなど、自分の人生プランを考えながら暮らしていける時代になったからこそ、子育てしながらも現場に立って毎日、刺激的な日々を過ごすスーパー販売員になって、スタッフからも「これからもこの仕事を続けられる」と感じてもらえるようになりたいです。

苫米地香織:服が作れて、グラフィックデザインができて、写真が撮れるファッションビジネスライター。高校でインテリア、専門学校で服飾を学び、販売員として働き始める。その後、アパレル企画会社へ転職し、商品企画、デザイン、マーケティング、業界誌への執筆などに携わる。自他ともに認める“日本で一番アパレル販売員を取材しているライター”

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仕事が絶えないあの人の、“こうしてきたから、こうなった” 美容室のサブスク展開の鈴木みずほジョシー代表編

 転職はもちろん、本業を持ちながら第二のキャリアを築くパラレルキャリアや副業も一般化し始め、働き方も多様化しています。だからこそ働き方に関する悩みや課題は、就職を控える学生のみならず、社会人になっても人それぞれに持っているはず。

 そこでこの連載では、他業界から転身して活躍するファッション&ビューティ業界人にインタビュー。今に至るまでの道のりやエピソードの中に、これからの働き方へのヒントがある(?)かもしれません。

 第7回目に登場するのは、美容室のサブスクリプション(定額制)サービス「メゾン(MEZON)」を運営するジョシー(JOCY)の鈴木みずほ代表。音楽配信や映画などさまざまなジャンルで“サブスク”によるサービスが増える中、「メゾン」が提案するのは提携の人気美容室をどこでも利用し放題の定額サービス。「髪に対して向き合えば人生が変わる、自信につながる」——鈴木代表は自身の原体験からそう断言します。ウェブ広告の会社員を経て起業をし、やりたいこととその思いに真正面から向き合い進んできた注目の経営者に迫ります。

WWD:以前はサイバーエージェントグループにお勤めだったのですね。

鈴木みずほ(以下、鈴木):不動産会社での仕事を経て、2012年に第二新卒で入社しました。転職エージェントに“成長できる会社”という条件で紹介してもらったのが縁です。でも正直なところ、最初は気が進みませんでした(笑)。当時のIT業界といえば華やかなイメージが強かったので、変な先入観を持っていて。それでもなぜ入社を決めたかというと、チャンスが与えられる会社であることを面接を通じて感じたからです。主力であったウェブ広告のサービスについて、私が感じていたマイナス面を面接担当者に正直に伝えたら、「それを考えるのが鈴木さんの仕事だからね。頑張って」と。入社も決まっていない相手にそう言葉をかけてくれる会社っていいな、ここなら必ず成長できるはず、と入社を決めました。最初の1年は営業職、その後の4年半は通信会社やデータ保有会社などと事業提携をしてウェブ広告の新しいサービス作っていました。新規事業開発はやらなくてはならないことも多く多忙でしたが、やりがいを感じていました。

WWD:手応えを感じながらも“独立”の2文字が頭にあったのでしょうか。

鈴木:会社には、いずれ起業をして辞めることを宣言して入社しているんです。退社したのは28歳です。小学生の頃から、祖父や父のような経営者になりたいと漠然と考えていました。その思いが特に強くなったのは、中学3年生のとき。父の会社の経営が傾き、生活が一変しました。それまでは何不自由なかったのがそうでなくなって。すると会社も家庭の雰囲気もとても変わっていきました。経営を立て直すためにもがく父の姿を見て、「人生を懸けてチャレンジできる仕事っていいな」「経営するってなんて面白い仕事なんだろう」と。子どものくせに、直面している家庭の状況をものすごく客観的に捉えていましたね(笑)。経営者が成長し続けない限り、会社の状況や周りの人の人生にここまでの影響を与えてしまうということや、良くも悪くも世の中にインパクトを与えられることに興味を持ちました。

美容室で自信をもらっている

WWD:2年前に起業して立ち上げた「メゾン」はどのようなサービスですか?

鈴木:美容室の定額制サービスです。「アフロート(AFLOAT)」や「ガーデン(GARDEN)」「ケーツー(K-two)」「アピッシュ(apish)」など約400店舗の人気美容室で、プランによってシャンプー、ブロー、ヘッドスパ、トリートメントを定額で受けることができます。通える回数が決まったチケットプランを除けば、通い放題のプランは全部で3つ。平日にシャンプー・ブロー通い放題の1万6000円、全日シャンプー・ブロー通い放題の2万5000円、全てのメニューを通い放題の3万5000円のプランです。ユーザーは、提携美容室の中からその日の予定に応じて好きなところを選んで通うことができます。

WWD:なぜこのサービスを始めようと思ったのでしょうか。

鈴木:私の原体験がもとになっています。前職の頃は、表参道にある美容室に月に4〜5回通っていました。銀座や恵比寿で予定があったとしても、わざわざ表参道へ移動しなくてはならない。自分が行動する動線上に美容室が寄り添ってくれたらいいのに、と思ったんです。美容室は国内に25万軒と、コンビニの5倍もある。行きたいときに行きたい場所に美容室があるという状況をつくり出すことはできるんじゃないか——そう思いつきました。

月に何度も美容室に足を運ぶ私は、ただきれいにしてもらっているだけじゃなくて自信をもらっていたように思います。当時、大事な商談やプレゼンの前に美容室に行くと商談の成立率が上がることに気づきました。周りの女性に聞くと、3〜4カ月に1度しか美容室に行っていないことを知り、それはすごくもったいないと感じて。ならば、気軽に美容室に立ち寄るライフスタイルをつくろうと、サブスクリプションサービスを立ち上げました。

WWD:コンビニ感覚で美容室に通えるのですね。

鈴木:美容室が増え続ける一方で、お客さまの数はほぼ変わっていません。何が起こるかというと、結果的に美容室同士でお客さまを奪い合ってしまう。カット・カラーで3カ月に1度しか接点を持てないのではなく、日常的にシャンプー・ブロー・ヘアケアで来店してもらうことで美容室側に新たな役割を作ることができれば、美容室の売り上げも伸びるだろうと考えました。

WWD:なるほど。美容室の稼働率がぐっと上がりますね。

鈴木:美容室が抱える「集客」の悩みは大きく2つあると考えています。1つ目に、平日の稼働率。どんなに人気の美容室でも平日の昼間が埋められないことも多いと聞きます。カット・カラーは2〜3時間かかってしまうので、平日に行ける人は限られますよね。シャンプー・ブローのメニューなら最速30分で終えられます。「メゾン」利用者の内訳を見てみると、平日の12〜18時に利用する働く女性が最も多いんです。

2つ目は、リピート顧客をつくることの難しさ。クーポンサービスのシステムで集客せざるを得なくなってくると、お客さまにとっては”クーポン価格”が魅力であって、“人”ではなくなってしまいます。2回目に来てくれることはなく、より手頃なお店へ行ってしまう。一方、「メゾン」を利用してシャンプー・ブローで何度も美容室に通っていると、自然とスタイリストさんと仲良くなるんです。定額制のシャンプー・ブローで来店したお客さまが「今日は○○さんにカットもお願いしようかしら」と、アップセールスにつながっているという報告を多く受けています。クーポンで選んでいるのではなく“信頼”で選んでいく——そんな理想の形のお手伝いをしていきたいですね。

WWD:美容室側の金銭的なメリットはどのようなものなのでしょうか。

鈴木:お客さまにご利用いただくと、「メゾン」からは一定の割合を美容室へお支払いするような仕組みになっています。例えば1か月間毎日利用いただくと、美容室側に30日×単価分の収益が上がります。美容室は赤字のリスクがなく、利益を上げることが可能です。そういった仕組みにしたのは施術をしてくれる人たちに一番還元したいという思いからです。自分たち、提携先、お客さま、すべてが笑顔になれる“三方よし”の精神ですね。このビジネスモデルは、前職の新規事業開発の部署での経験が生きています。新規事業の立ち上げ時は、文字通り鳴かず飛ばず。自分たちの利益だけを追求していて、全くうまくいかなかった。でも誰もが幸せになるようなビジネス設計をすると車輪が回り始めたんですね。今のサービスを考える際、初めからこのビジネスモデルでいくと決めていました。

WWD:それぞれの美容室はスムーズにこのシステムを受け入れてくれたのでしょうか。

鈴木:はい。今も新たに美容室を開拓していますが、新規で提携してくださる確率は96%以上です。その理由は、カット・カラーの集客ではなく、今までにないプラスの価値を提供できているからだと思っています。

でも私たちが大事にしているのはオーナーさん以上に、実際に施術してくださるスタイリストさんがいかに「メゾン」のサービスを理解してくださるか、ということ。スタイリストさんは売り上げを追っているので、1回の来店でいくらのもうけが出るかという発想になるんですね。クーポンを利用する新客の来店では、カット、カラー、パーマをすれば2万

円ほどの売り上げとなります。ただ、再来店の確率はスタイリストにより差が生じます。分かってはいるのだけど、目の前の2万円を魅力に思ってしまいがちです。なので、私たちが勉強会を開催し、中長期的な視点でお客さまを育てて行くのが「メゾン」です、という風に自分たちの言葉で伝えるようにしています。今後はユーチューブチャンネルも活用して、自分たちの思いや「メゾン」を利用してくださっているサロン側からのコメントなどを発信していきたいと考えています。

自分たちのサービスに自信を失いかけたことも

WWD:起業してからこれまでピンチはありましたか?

鈴木:3期目を迎えるまで、正直ピンチというピンチはなかったかもしれません。もちろん数字が思うように伸びなかったことはありますが、それを苦労とは思っていなくて。でも、去年の12月は苦しかった。いろいろな人に事業のアドバイスをいただくなかで、自分の事業に自信を持てなくなったことがありました。

そんなとき、足を運んだのはやはり美容室。そこで思い切って髪をショートにしました。髪を切ったら、考え方まで削ぎ落とされた気がしました。「このサービスで本当に幸せにしたい人って誰だったっけ?」とあらためて考えたときに、このまま進んではダメだ、と。関わってくださる人たちや私が幸せにしたいと思う人たちのためにも、私自身が自分たちの事業を誰よりも信じよう。そう意思を固めました。髪の毛が変わると、気持ちや人生まで変わるんだと身をもって実感しました。

だからこそ、髪を委ねる“人”が大事だよ、ということを伝えたいです。いろいろな美容室にクーポンを使って行くのもいいですが、美容師さんは言わば人生の伴侶。心から任せられる美容師さんと出会って、人生をリデザインしてもらうことで好転していくはずです。髪は素材美なので、たとえスッポンポンになっても付いてきます(笑)。そこが美しく自分にしっくりくれば、自分らしく生きられると思うんです。

WWD:ヘアにおいて女性を見て思うことはありますか?

鈴木:そうですね、日本の女性は髪へのプライオリティーが低いと感じます。髪よりも、ファッションやメイクといった外側の部分にお金を掛けている印象です。単純に髪をきれいにという話ではなくて、髪型を変えることで人生をデザインできるんです。私たちみたいなサービスサイドがそれを啓発していくことで、素材美を磨くことを推進できたらと思います。

WWD:次にどのようなことを仕掛けていきたいですか?

鈴木:ジョシーの存在価値は、“人に自信を提供すること”にあります。今、メンズ向けのサービスも絶賛準備中です。ただ、ヘアに固執するのではなくあらゆる形でアプローチできたらと思っています。その次に何をするかはあえて決めていません。たとえ今決めたことを3年後に実行しても、まったく必要とされていない可能性もある。その都度感じたことの中で、今ならこれだ!というサービスを堂々と発表したいと思っています。

WWD:今いる場所から新たなキャリアを積もうと考えている人にメッセージをお願いします。

鈴木:後輩や周りの女性たちから「会社を辞めようと思っているけれど、踏ん切りがつかない」という相談を受けることがあるのですが、そういうときには「会社を続けた方がいいよ」と伝えています。ドライに聞こえるかもしれませんが、本当にやりたいことなら体が先に動いているはずです。今は資金も比較的集まりやすく、起業もしやすい環境かもしれません。けれど、もし女性が起業という選択を考えるのであれば、よく考えた方がよいと思います。結婚、出産とライフステージが変わり、さらに会社をつくり組織を持って責任範囲が広がるとなると、本当に大変だからです。じっくり考えて、それでも自然と体が動いてしまうほどの熱量が溢れる何かで新しいことにチャレンジできたら、それはすごく幸せですよね。私自身ももがいてきたからこその、正直な気持ちです。

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役職呼びは廃止 社員からの提案は“やってみよう”の精神で 風通しの良さ1位/島田商事【ファッション業界 働きがいのある企業ランキング】

 「WWDジャパン」1月20日号では、「ファッション業界 働きがいのある企業ランキング」を発表。国内最大級の社員口コミ数を有する「OpenWork」の協力のもと、直近5年間でクチコミ件数10件以上ある企業の中からファッション業界における働きがいのある企業ランキングを独自に作成した。連動するウェブ企画では、「風通しの良さ」「20代成長環境」「法令順守意識」項目で1位となった企業に取材。1位たるゆえん、その魅力と源泉を探った。

 「風通しの良さ」1位は、ボタンや縫製資材を扱う島田商事だ。大阪で創業した同社の、関西ならではのユーモア溢れる社風とそのアットホームな雰囲気の秘訣を島田晋宏副社長に聞いた。

WWD:「風通しの良さ」1位について、率直な感想は?

島田晋宏代表取締役副社長(以下、島田):退職者による書き込みが多い「OpenWork」のクチコミでポジティブな評価をいただけたことはありがたい。経営側の思いが社員に伝わり、退職後もその社風が印象に残っているのだと感じた。特に「社員同士の距離が近い」「あたたかい社風」というクチコミがうれしかった。ただ、業界では決して悪い方ではないと思うが、給与に関してはまだまだ課題が残っていると感じたのも正直なところ。賞与に関しては、必ず利益分を還元しているのだが……。

WWD: 風通しの良いオープンな社内環境づくりにおいて、具体的に行なっている施策は?

島田:毎年、入社式の後に懇親会を行っている。そこで必ず新入社員たちと記念撮影を行うのがわが社の恒例行事。入社式のときは、いわゆるかしこまった記念写真。懇親会のときは、変顔の写真をあえて撮影する(笑)。2015年からスタートしたが、年によって社員のカラーが出るのも楽しい。この行事は、今では上海のオフィスや花巻の工場にまで広まっている。実は私自身が同志社大学の喜劇研究会出身で、学生時代にのめり込んだことは漫才。“笑い”でその場が和み、解放感で人と人が打ち解けてコミュニケーションを取れるきっかけになると思っているので、このような写真撮影を始めた。

WWD: 長い歴史がある会社だが、社員に対する配慮は古くからあった社風なのか?

島田:曽祖父が明治20年(1887年)に創業し、今年で133年を迎える。当初は大阪でのみボタンメーカーとして経営していた。戦時中は一度商いを畳み、祖父が戦争で負傷したこともあって、戦後は父が17歳で事業を再興した。最初は仕入れには苦労したと聞いている。そんな時、競合でもあった清原の創業者である清原清之助氏が、当時仕入れ分をツケで購入させてくれるなど、大いに助けてくださったそう。そのようなご恩があり、会社を成長させることができたのだとか。なので、人に対する姿勢は独特なものがあるのかもしれない。3代目社長である父がよく言っていたのが、「自分ひとりでは何もできないけれど、社員とその家族の存在があって会社を運営することができる。だから売り上げた分は最大限社員に還元するように努めろ」。父は社員を含む会社のことを自分の子どものように愛情を持っていると、私も子どもの頃から見て感じていたし、その精神が「風通しの良さ」にもつながっていると思う。

WWD:社内で円滑なコミュニケーションを図るために行っていることは?

島田:以前は係長、課長、部長のように肩書きで呼ぶ習慣があったが、それを廃止して名前で呼ぶようにしている。それによって上司部下、先輩後輩間であってもフラットに会話がしやすくなり、社員同士の距離感が縮まり、率直な意見や新しいアイデアも出やすくなると考えたからだ。付き合いで頻繁にゴルフに行くが、社員が私に対して「それだけゴルフに行っているのに、いつまで経ってもうまくなりませんね」と言ってくる(笑)。私はそれがすごくいいと思っている。

WWD:それだけオープンな環境だと社員も発言しやすいと思うが、社員の意見やアイデアが活かされた例は?

島田:商品企画部の女性社員が島田商事が手がける縫製資材をイラストで描き下ろしてくれた。ボタンは“ぼたお”、裏地は“うらじい”といったように、個性溢れる全20ものキャラクターを“トリムモンスターズ”として考案してくれた。面白かったのですぐに企業キャラクターとして採用し、カタログや販促品、ドイツ・ミュンヘンで行われる世界最大級のスポーツ用品見本市「イスポ(ISPO MUNICH)」展や新聞広告などに使用した。このキャラクターたちにはストーリーがあって、彼らがSBK(島田商事の旧称、島田釦株式会社の頭文字をとったもの)惑星からボタン型の飛行船に乗って、“縫製資材一つで洋服のデザインは変わる”ことを地球に伝えにやって来たというもの。そこに3代目社長の父が通りがかり、仲間になった(笑)。父もつね吉というキャラクターで登場している。普段はあまり目立たない縫製資材だが、もっと注目してほしいという思いが込められている。ほかにも、「イスポ」展出展も香港に駐在していた社員の声で始まり、最初は3m四方のブースだったが、今では数倍規模のスペースになっている。国際展示会への出店やアウトドアリテーラーショーへの参加なども若手社員のアイデアで実現したものだ。

WWD:社員にとって働きがいがある企業とはどのような企業だと考えるか?

島田:成長できること。ただ自分の時間や体力をお金に替えるだけではなく、個々が仕事を通じて何か得るものがあることが働きがいにつながると考えている。弊社では、語学が堪能な新入社員は早ければ1年目から海外出張に行くこともある。また、総合職の独身寮だけでなく、地域採用の一般職にも住宅手当を保障して通勤しやすい環境を整えるようにしている。そういった良い環境にある企業は、結果として優秀な若手社員が集まってくるという手応えがある。

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