「TSTS」が体現する二面性の美学 赤裸々に綴るQ&Aで育むコミュニティー

佐々木拓也/「ティーエスティーエス(TSTS)」デザイナー

PROFILE: 1990年青森県生まれ。文化服装学院、ここのがっこう、アントワープ王立芸術アカデミーで学ぶ。「サカイ」でインターンを経験後、「タイガ タカハシ」(現T.T)の立ち上げに携わる。2023年、パタンナー井指友里恵とともに「ティーエスティーエス」を始動 PHOTO:NAOYA TOITA

佐々木拓也が手掛けるファッションブランド「TSTS」が、今、静かに存在感を高めている。ブランド名は“TAKUYA SASAKI TEST SAMPLES”の略。軍服の実験的試作品に由来し、試行錯誤を前提とした服作りと、アントワープ仕込みのシュールなユーモアを核に据える。

オンラインでの発信も特徴的だ。noteでは「ファッションデザイナーを目指したきっかけは?」という一つの問いに対し、12回の投稿、5万字超で回答。自身の半生やアントワープ王立芸術アカデミーでの教育、葛藤を綴ったその記録は、狭き門を志す人々にとって貴重な資料となっている。

ストリートとモード、東京とアントワープ、その間にある「二面性」は、どのようにして形づくられてきたのか。ブランドの現在地と、その先に見据えるものを聞いた。

──ファッションに目覚めたきっかけは?

最初のきっかけは9歳の時、「ナイキ(NIKE)」のスニーカーを初めて自分の意志で選んで買ってもらったことです。そこから足元からトータルコーディネートを考えるようになっていきました。

2つ目が中学1年生の時。雑誌「ブーン(Boon)」を通して、地元とは異なる、東京や世界の都市のファッションに触れたことです。自分の日常の延長線上にないファッションと出合えたのは大きかった。

3つ目が高校1年生の時。エディ・スリマン(Hedi Slimane)の「ディオール オム(DIOR HOMME)」を知り、ストリートからモードへと視野が一気に広がりました。

──佐々木さんの学生時代はオンラインのコミュニティーが台頭し始めてきた頃ですよね。

青森の小さな村で育った僕でも、インターネットがあったからこそ、一歩踏み込んだファッション情報にアクセスできました。特に高校で携帯電話を持ったことが大きかった。ミクシーやモバゲーにはマニアックなコミュニティーがあり、かなり深い情報交換が行われていました。

16歳で「ディオール オム」に夢中になった年には、クリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)やルカ・オッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)の名前も自然と知るようになっていました。

東京とアントワープで学んだ
異なるファッション教育

──文化服装学院、ここのがっこう、アントワープと3つの学校で学ばれましたが、それぞれから得たものは?

文化服装学院では、まず技術を学びました。当時はファッションデザイナーになれるとは思っていなくて、「近くで何かしら手伝える存在になれたら」くらいの気持ちでした。

ここのがっこうは、海外式のファッションデザインへの入口でした。主宰の山縣良和さんはセント・マーチンズ出身で、授業では「自分は何者か」「本当に作りたいものは何か」を徹底的に掘り下げる。そのプロセスが自分にはとても合っていて、正直、得意だと感じました。

アントワープ王立芸術アカデミーでは、ファッションデザイナーになるための実践的なトレーニングを受けました。当時の学長、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)から直接学べたことも大きな糧です。毎シーズン制作するリサーチブックは学生時代からの習慣で、自分の思考を整理すると同時に、他者に伝えるためのプレゼンテーションツールでもあります。

──帰国後はどのような経験を積みましたか?

東京に戻ってから、思いつくブランドすべてに履歴書を送り、見事に全滅しました(笑)。その後、「サカイ(SACAI)」でパタンナーアシスタントとして9カ月間働くことになります。

同時期に、友人の故・髙橋大雅くんの誘いで「タイガ・タカハシ(TAIGA TAKAHASHI)」の立ち上げに参加し、デザイン以外の業務を担当しました。その経験を経て、アントワープ時代から共に制作してきたパタンナーの井指(友里恵)に背中を押され、2023年に「ティーエスティーエス」をスタートさせました。

ギンガムや絵文字が象徴する
2年で確立されたシグネチャー

──ブランドを3つのキーワードで表すとしたら?

「二面性」「東京」「アントワープ」です。青森にいながら東京のストリートカルチャーに憧れていた経験と、アントワープで培ったコンセプチュアルな思考。その両方が、自分の服作りの軸になっています。

──「ティーエスティーエス」だと一目見て分かるシグネチャーも生まれていますね。

ファーストシーズンで「二面性」を表現するため、服の内と外で異なるギンガムチェックを使ったのが始まりです。それがどんどん膨らんで、気づけば“ギンガムのブランド”になっていました(笑)。
サックスブルーや絵文字風グラフィックも、今ではブランドを象徴する要素になっています。

──絵文字風グラフィックが生まれた経緯は?

精神的な不調を経験していた25年春夏の制作時に、村上隆さんの「言い訳ペインティング」に出合いました。僕も「もう思いつきません」「ちょっと調子悪いです」という言い訳をチャット画面風のプリントに落とし込んだんです。絵文字はAppleが商標を持っているので、すべてオリジナルで制作しています。

──コレクションには社会批評性とユーモアの共存が感じられます。

アントワープでの卒業コレクションのテーマは「お笑い」でした。服の中で大喜利をするような感覚で、小さなボケを積み重ねていく。それが結果的にコンセプチュアルに見えるものになっていました。理屈っぽく考えるのがもともと好きなので、アントワープ的なシュールさを意図的に混ぜるようになりました。

ファーストシーズンでは、チャーリー・チャップリンの映画「独裁者」をメインモチーフに採用しました。反戦や反差別、資本主義へのアンチテーゼを投げかけつつも、ポジティブなムードを添えたかったので、ポップな色使いを意識しました。

サカナクション山口にヒントを得た
新たなコミュニケーションの在り方

──インスタグラムのQ&Aでファンとコミュニケーションを取られるようになった理由は?

インディペンデントブランドの本質は、デザイナーとファンの結びつき、コミュニティーの形成にあると思っています。かつてDCブランドや裏原がフィジカルな場を持てていたけど、今ブランドではそれを実現できない。それならば、SNSという非物理的な場をどう使うかが重要だと感じました。

影響を受けたのは、サカナクションの山口一郎さんのYouTube配信です。物作りの苦悩やプロセスをファンと共有して、一体感を作る。音楽という質量のないものに概念を乗せることで、質量を与える。その姿勢に強く共感しました。ただ、僕はYouTube向きじゃないなと。顔出しもしておらず、喋りも下手だと思っていたので、テキストベースのコミュニケーションをしたいと思ったんです。

──自身のことを赤裸々に綴っているが、反響は?

インスタグラムのQ&Aは反響も大きかったですが、賛否もありました。フォロワーが増える一方で、同じくらい減る(笑)。デザイナーに興味がない洋服好きの方には、Q&Aがノイズになってしまうと思いました。それなら、興味のある人だけが読める場所でやろうとnoteに移行。制限なく書けて、写真も掲載できる。有料コンテンツにすることで、濃度の高いファンのフィルターになっていると感じます。

─現在のブランドのフェーズをどう捉えていますか?

卸先は全国に広がり、理想としていた店舗にも並ぶようになりました。ただ、一般認知はまだこれから。2026年以降は海外展開も視野に入れ、いつかはランウェイショーにも開催したいです。

──憧れのブランドは?

「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」です。川久保玲さんたちが築いた土壌があるからこそ、日本のファッション業界はインフラが整っていると感じます。その恩恵を受けられる時代だからこそ、自分たちも挑戦できる。意思決定の速さと自由さを武器に、ブランドイメージを高く保ちながら、着実に成長していくことが目標です。

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佐々木拓也/「ティーエスティーエス(TSTS)」デザイナー

PROFILE: 1990年青森県生まれ。文化服装学院、ここのがっこう、アントワープ王立芸術アカデミーで学ぶ。「サカイ」でインターンを経験後、「タイガ タカハシ」(現T.T)の立ち上げに携わる。2023年、パタンナー井指友里恵とともに「ティーエスティーエス」を始動 PHOTO:NAOYA TOITA

佐々木拓也が手掛けるファッションブランド「TSTS」が、今、静かに存在感を高めている。ブランド名は“TAKUYA SASAKI TEST SAMPLES”の略。軍服の実験的試作品に由来し、試行錯誤を前提とした服作りと、アントワープ仕込みのシュールなユーモアを核に据える。

オンラインでの発信も特徴的だ。noteでは「ファッションデザイナーを目指したきっかけは?」という一つの問いに対し、12回の投稿、5万字超で回答。自身の半生やアントワープ王立芸術アカデミーでの教育、葛藤を綴ったその記録は、狭き門を志す人々にとって貴重な資料となっている。

ストリートとモード、東京とアントワープ、その間にある「二面性」は、どのようにして形づくられてきたのか。ブランドの現在地と、その先に見据えるものを聞いた。

──ファッションに目覚めたきっかけは?

最初のきっかけは9歳の時、「ナイキ(NIKE)」のスニーカーを初めて自分の意志で選んで買ってもらったことです。そこから足元からトータルコーディネートを考えるようになっていきました。

2つ目が中学1年生の時。雑誌「ブーン(Boon)」を通して、地元とは異なる、東京や世界の都市のファッションに触れたことです。自分の日常の延長線上にないファッションと出合えたのは大きかった。

3つ目が高校1年生の時。エディ・スリマン(Hedi Slimane)の「ディオール オム(DIOR HOMME)」を知り、ストリートからモードへと視野が一気に広がりました。

──佐々木さんの学生時代はオンラインのコミュニティーが台頭し始めてきた頃ですよね。

青森の小さな村で育った僕でも、インターネットがあったからこそ、一歩踏み込んだファッション情報にアクセスできました。特に高校で携帯電話を持ったことが大きかった。ミクシーやモバゲーにはマニアックなコミュニティーがあり、かなり深い情報交換が行われていました。

16歳で「ディオール オム」に夢中になった年には、クリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)やルカ・オッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)の名前も自然と知るようになっていました。

東京とアントワープで学んだ
異なるファッション教育

──文化服装学院、ここのがっこう、アントワープと3つの学校で学ばれましたが、それぞれから得たものは?

文化服装学院では、まず技術を学びました。当時はファッションデザイナーになれるとは思っていなくて、「近くで何かしら手伝える存在になれたら」くらいの気持ちでした。

ここのがっこうは、海外式のファッションデザインへの入口でした。主宰の山縣良和さんはセント・マーチンズ出身で、授業では「自分は何者か」「本当に作りたいものは何か」を徹底的に掘り下げる。そのプロセスが自分にはとても合っていて、正直、得意だと感じました。

アントワープ王立芸術アカデミーでは、ファッションデザイナーになるための実践的なトレーニングを受けました。当時の学長、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)から直接学べたことも大きな糧です。毎シーズン制作するリサーチブックは学生時代からの習慣で、自分の思考を整理すると同時に、他者に伝えるためのプレゼンテーションツールでもあります。

──帰国後はどのような経験を積みましたか?

東京に戻ってから、思いつくブランドすべてに履歴書を送り、見事に全滅しました(笑)。その後、「サカイ(SACAI)」でパタンナーアシスタントとして9カ月間働くことになります。

同時期に、友人の故・髙橋大雅くんの誘いで「タイガ・タカハシ(TAIGA TAKAHASHI)」の立ち上げに参加し、デザイン以外の業務を担当しました。その経験を経て、アントワープ時代から共に制作してきたパタンナーの井指(友里恵)に背中を押され、2023年に「ティーエスティーエス」をスタートさせました。

ギンガムや絵文字が象徴する
2年で確立されたシグネチャー

──ブランドを3つのキーワードで表すとしたら?

「二面性」「東京」「アントワープ」です。青森にいながら東京のストリートカルチャーに憧れていた経験と、アントワープで培ったコンセプチュアルな思考。その両方が、自分の服作りの軸になっています。

──「ティーエスティーエス」だと一目見て分かるシグネチャーも生まれていますね。

ファーストシーズンで「二面性」を表現するため、服の内と外で異なるギンガムチェックを使ったのが始まりです。それがどんどん膨らんで、気づけば“ギンガムのブランド”になっていました(笑)。
サックスブルーや絵文字風グラフィックも、今ではブランドを象徴する要素になっています。

──絵文字風グラフィックが生まれた経緯は?

精神的な不調を経験していた25年春夏の制作時に、村上隆さんの「言い訳ペインティング」に出合いました。僕も「もう思いつきません」「ちょっと調子悪いです」という言い訳をチャット画面風のプリントに落とし込んだんです。絵文字はAppleが商標を持っているので、すべてオリジナルで制作しています。

──コレクションには社会批評性とユーモアの共存が感じられます。

アントワープでの卒業コレクションのテーマは「お笑い」でした。服の中で大喜利をするような感覚で、小さなボケを積み重ねていく。それが結果的にコンセプチュアルに見えるものになっていました。理屈っぽく考えるのがもともと好きなので、アントワープ的なシュールさを意図的に混ぜるようになりました。

ファーストシーズンでは、チャーリー・チャップリンの映画「独裁者」をメインモチーフに採用しました。反戦や反差別、資本主義へのアンチテーゼを投げかけつつも、ポジティブなムードを添えたかったので、ポップな色使いを意識しました。

サカナクション山口にヒントを得た
新たなコミュニケーションの在り方

──インスタグラムのQ&Aでファンとコミュニケーションを取られるようになった理由は?

インディペンデントブランドの本質は、デザイナーとファンの結びつき、コミュニティーの形成にあると思っています。かつてDCブランドや裏原がフィジカルな場を持てていたけど、今ブランドではそれを実現できない。それならば、SNSという非物理的な場をどう使うかが重要だと感じました。

影響を受けたのは、サカナクションの山口一郎さんのYouTube配信です。物作りの苦悩やプロセスをファンと共有して、一体感を作る。音楽という質量のないものに概念を乗せることで、質量を与える。その姿勢に強く共感しました。ただ、僕はYouTube向きじゃないなと。顔出しもしておらず、喋りも下手だと思っていたので、テキストベースのコミュニケーションをしたいと思ったんです。

──自身のことを赤裸々に綴っているが、反響は?

インスタグラムのQ&Aは反響も大きかったですが、賛否もありました。フォロワーが増える一方で、同じくらい減る(笑)。デザイナーに興味がない洋服好きの方には、Q&Aがノイズになってしまうと思いました。それなら、興味のある人だけが読める場所でやろうとnoteに移行。制限なく書けて、写真も掲載できる。有料コンテンツにすることで、濃度の高いファンのフィルターになっていると感じます。

─現在のブランドのフェーズをどう捉えていますか?

卸先は全国に広がり、理想としていた店舗にも並ぶようになりました。ただ、一般認知はまだこれから。2026年以降は海外展開も視野に入れ、いつかはランウェイショーにも開催したいです。

──憧れのブランドは?

「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」です。川久保玲さんたちが築いた土壌があるからこそ、日本のファッション業界はインフラが整っていると感じます。その恩恵を受けられる時代だからこそ、自分たちも挑戦できる。意思決定の速さと自由さを武器に、ブランドイメージを高く保ちながら、着実に成長していくことが目標です。

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「TSTS」が体現する二面性の美学 赤裸々に綴るQ&Aで育むコミュニティー

佐々木拓也/「ティーエスティーエス(TSTS)」デザイナー

PROFILE: 1990年青森県生まれ。文化服装学院、ここのがっこう、アントワープ王立芸術アカデミーで学ぶ。「サカイ」でインターンを経験後、「タイガ タカハシ」(現T.T)の立ち上げに携わる。2023年、パタンナー井指友里恵とともに「ティーエスティーエス」を始動 PHOTO:NAOYA TOITA

佐々木拓也が手掛けるファッションブランド「TSTS」が、今、静かに存在感を高めている。ブランド名は“TAKUYA SASAKI TEST SAMPLES”の略。軍服の実験的試作品に由来し、試行錯誤を前提とした服作りと、アントワープ仕込みのシュールなユーモアを核に据える。

オンラインでの発信も特徴的だ。noteでは「ファッションデザイナーを目指したきっかけは?」という一つの問いに対し、12回の投稿、5万字超で回答。自身の半生やアントワープ王立芸術アカデミーでの教育、葛藤を綴ったその記録は、狭き門を志す人々にとって貴重な資料となっている。

ストリートとモード、東京とアントワープ、その間にある「二面性」は、どのようにして形づくられてきたのか。ブランドの現在地と、その先に見据えるものを聞いた。

──ファッションに目覚めたきっかけは?

最初のきっかけは9歳の時、「ナイキ(NIKE)」のスニーカーを初めて自分の意志で選んで買ってもらったことです。そこから足元からトータルコーディネートを考えるようになっていきました。

2つ目が中学1年生の時。雑誌「ブーン(Boon)」を通して、地元とは異なる、東京や世界の都市のファッションに触れたことです。自分の日常の延長線上にないファッションと出合えたのは大きかった。

3つ目が高校1年生の時。エディ・スリマン(Hedi Slimane)の「ディオール オム(DIOR HOMME)」を知り、ストリートからモードへと視野が一気に広がりました。

──佐々木さんの学生時代はオンラインのコミュニティーが台頭し始めてきた頃ですよね。

青森の小さな村で育った僕でも、インターネットがあったからこそ、一歩踏み込んだファッション情報にアクセスできました。特に高校で携帯電話を持ったことが大きかった。ミクシーやモバゲーにはマニアックなコミュニティーがあり、かなり深い情報交換が行われていました。

16歳で「ディオール オム」に夢中になった年には、クリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)やルカ・オッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)の名前も自然と知るようになっていました。

東京とアントワープで学んだ
異なるファッション教育

──文化服装学院、ここのがっこう、アントワープと3つの学校で学ばれましたが、それぞれから得たものは?

文化服装学院では、まず技術を学びました。当時はファッションデザイナーになれるとは思っていなくて、「近くで何かしら手伝える存在になれたら」くらいの気持ちでした。

ここのがっこうは、海外式のファッションデザインへの入口でした。主宰の山縣良和さんはセント・マーチンズ出身で、授業では「自分は何者か」「本当に作りたいものは何か」を徹底的に掘り下げる。そのプロセスが自分にはとても合っていて、正直、得意だと感じました。

アントワープ王立芸術アカデミーでは、ファッションデザイナーになるための実践的なトレーニングを受けました。当時の学長、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)から直接学べたことも大きな糧です。毎シーズン制作するリサーチブックは学生時代からの習慣で、自分の思考を整理すると同時に、他者に伝えるためのプレゼンテーションツールでもあります。

──帰国後はどのような経験を積みましたか?

東京に戻ってから、思いつくブランドすべてに履歴書を送り、見事に全滅しました(笑)。その後、「サカイ(SACAI)」でパタンナーアシスタントとして9カ月間働くことになります。

同時期に、友人の故・髙橋大雅くんの誘いで「タイガ・タカハシ(TAIGA TAKAHASHI)」の立ち上げに参加し、デザイン以外の業務を担当しました。その経験を経て、アントワープ時代から共に制作してきたパタンナーの井指(友里恵)に背中を押され、2023年に「ティーエスティーエス」をスタートさせました。

ギンガムや絵文字が象徴する
2年で確立されたシグネチャー

──ブランドを3つのキーワードで表すとしたら?

「二面性」「東京」「アントワープ」です。青森にいながら東京のストリートカルチャーに憧れていた経験と、アントワープで培ったコンセプチュアルな思考。その両方が、自分の服作りの軸になっています。

──「ティーエスティーエス」だと一目見て分かるシグネチャーも生まれていますね。

ファーストシーズンで「二面性」を表現するため、服の内と外で異なるギンガムチェックを使ったのが始まりです。それがどんどん膨らんで、気づけば“ギンガムのブランド”になっていました(笑)。
サックスブルーや絵文字風グラフィックも、今ではブランドを象徴する要素になっています。

──絵文字風グラフィックが生まれた経緯は?

精神的な不調を経験していた25年春夏の制作時に、村上隆さんの「言い訳ペインティング」に出合いました。僕も「もう思いつきません」「ちょっと調子悪いです」という言い訳をチャット画面風のプリントに落とし込んだんです。絵文字はAppleが商標を持っているので、すべてオリジナルで制作しています。

──コレクションには社会批評性とユーモアの共存が感じられます。

アントワープでの卒業コレクションのテーマは「お笑い」でした。服の中で大喜利をするような感覚で、小さなボケを積み重ねていく。それが結果的にコンセプチュアルに見えるものになっていました。理屈っぽく考えるのがもともと好きなので、アントワープ的なシュールさを意図的に混ぜるようになりました。

ファーストシーズンでは、チャーリー・チャップリンの映画「独裁者」をメインモチーフに採用しました。反戦や反差別、資本主義へのアンチテーゼを投げかけつつも、ポジティブなムードを添えたかったので、ポップな色使いを意識しました。

サカナクション山口にヒントを得た
新たなコミュニケーションの在り方

──インスタグラムのQ&Aでファンとコミュニケーションを取られるようになった理由は?

インディペンデントブランドの本質は、デザイナーとファンの結びつき、コミュニティーの形成にあると思っています。かつてDCブランドや裏原がフィジカルな場を持てていたけど、今ブランドではそれを実現できない。それならば、SNSという非物理的な場をどう使うかが重要だと感じました。

影響を受けたのは、サカナクションの山口一郎さんのYouTube配信です。物作りの苦悩やプロセスをファンと共有して、一体感を作る。音楽という質量のないものに概念を乗せることで、質量を与える。その姿勢に強く共感しました。ただ、僕はYouTube向きじゃないなと。顔出しもしておらず、喋りも下手だと思っていたので、テキストベースのコミュニケーションをしたいと思ったんです。

──自身のことを赤裸々に綴っているが、反響は?

インスタグラムのQ&Aは反響も大きかったですが、賛否もありました。フォロワーが増える一方で、同じくらい減る(笑)。デザイナーに興味がない洋服好きの方には、Q&Aがノイズになってしまうと思いました。それなら、興味のある人だけが読める場所でやろうとnoteに移行。制限なく書けて、写真も掲載できる。有料コンテンツにすることで、濃度の高いファンのフィルターになっていると感じます。

─現在のブランドのフェーズをどう捉えていますか?

卸先は全国に広がり、理想としていた店舗にも並ぶようになりました。ただ、一般認知はまだこれから。2026年以降は海外展開も視野に入れ、いつかはランウェイショーにも開催したいです。

──憧れのブランドは?

「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」です。川久保玲さんたちが築いた土壌があるからこそ、日本のファッション業界はインフラが整っていると感じます。その恩恵を受けられる時代だからこそ、自分たちも挑戦できる。意思決定の速さと自由さを武器に、ブランドイメージを高く保ちながら、着実に成長していくことが目標です。

The post 「TSTS」が体現する二面性の美学 赤裸々に綴るQ&Aで育むコミュニティー appeared first on WWDJAPAN.

ダイアンのユースケが語る初著書「なんなん自分」 転機となった「M-1」と“遅咲き”芸人論

PROFILE: ユースケ(ダイアン)/芸人

PROFILE: 1977年滋賀県生まれ。嵯峨美術短期大学卒業。中学時代の同級生である津田篤宏と2000年にダイアンを結成。ボケ・ネタ作りを担当。「なんなん自分」が初めての著作となる。

人気お笑いコンビ・ダイアンのユースケによる初の著書「なんなん自分」(KADOKAWA)が出版された。本書は些細なことが気になる繊細なユースケが、300ページを超えるたっぷりのボリュームで、日常の出来事をはじめ、幼少期、学生時代、「M-1グランプリ」、家族、ラジオなど、さまざまなテーマや状況下で感じた思いを、綴ったエッセイ集だ。初の著書を出版したユースケに、自身のことや「M-1」、漫才について、話を聞いた。

初の著書を書き終えて

——エッセイのタイトル「なんなん自分」はどのように決められたのでしょうか。

ユースケ:候補がいくつかあって、その中にあったワードだったんですけど、「これどうですか?」って聞いた時に、スタッフの方から「自分自身に対して『なんなん』って思うことが書いてあるからいいと思います」って言われたんです。そこで気付いたんですけど、2つ意味がある。関西以外の方は「自分=自分自身」なんやと思うんですけど、「いや、関西弁で『なんなん自分』っていうのは、『なんなん、あなた』っていう意味なんです」と。だから、両方の意味があっていいんじゃないかと思って、このタイトルになりました。

——本文でもご自身に対して「自己ツッコミ」をされていますが、客観的に自分を見る視点は子供の頃からあったのですか。

ユースケ:そうですね……。子供の時も多少はあったと思いますが、大人になってからの方がより強くなった気がします。もともと「気にしい」というか、他人のことも自分のことも、いろいろなことが気になってしまう性格なんで。

「こう見られてるんちゃうか」とか「こいつなんなんやろ」とか。大人になるにつれて、そういう自意識というか、自分を俯瞰して見る癖が子供の時より強まっていったという感じはありますね。

——文章から漫才のようなリズムを感じます。執筆する上で意識したことはありますか。

ユースケ:僕は本を出すのも初めてですし、人の本をたくさん読んできたわけでもないので。ただ、自分が書いたものを読み返した時に、リズムよく読めるかどうか。分からんなりに「語尾を修正した方がテンポが良くなるな」とか「この言い回しの方がスッと入ってきやすいな」と調整して。声に出して読むまではないけど、頭の中で読んでみて、心地よく入ってくるようにっていうのは意識しましたかね。

——実際に書いてみて、文章を書くことはお好きだと感じましたか。

ユースケ:あまり今までやってなかったですけど、好きですね。だから「本出しませんか」って話をいただいた時は「あ、出したいな」と思いましたし。書くことが、ある種の発散になっている部分もあります。やっぱり、自分が思ってることをこう文字にすることで、ちょっと引きで見れるというか、そのことについてもう一度ちゃんと考えることができる。いろんな意味でいいなと思いましたね。

——改めて発見したことはありますか?

ユースケ:なんか「自分が正しい」と思っていたことでも、こうやって書いてみて客観的に見ると、「あ、この部分は、もしかしたら自分が悪かったのかな」とか、書くことで見えたりとかもするところもあるので。頭の中だけで考えてることとは、またちょっと思いが変わったりとかするとこもありましたかね。

「ビビり」で「ヘタレ」でも芸人に

——人見知りの結果「地獄の高校時代を送った」と書かれていましたが、当時の救いになったものは何だったのでしょうか。

ユースケ:やっぱりラジオですかね。深夜ラジオを聴き始めたのが高校生の頃だったので、それは救いというか、数少ない楽しみでしたね。でもまあ、高校にはあまり友達がいまかったんですけど、地元の友達とは遊んでいたので、なんとかやっていけたのかなと思います。

——「ビビり」で「ヘタレ」であることが書かれていますが、それでも表舞台に立つ芸人になりたいと思われたのはなぜ?

ユースケ:昔からお笑いが好きで、ずっと見てましたし。学生生活が終わって、働くとなった時に「何が好きかな」と考えたら、お笑いだったってことですかね。なんで、そこで「自分が人見知りやからな」とかは、あんま当時は考えなかったですね。ただそれが好きやからNSC(吉本興業の養成所)行こうかな、ぐらいな気持ち。

——自信はありました?

ユースケ:いやいや、もう未知の世界やったんで。NSCには面白い人がたくさん集まると聞いていたので、自信満々というわけではなく「大丈夫かな?」という不安もあったけど、とにかく一度行ってみようと。

——NSC大阪22期(1999年入学)というと、キングコング、南海キャンディーズなど、とりわけ個性的な芸人がそろっていますけど、実際に入ってみてギャップは感じましたか?

ユースケ:僕らは入ったのが(年齢的に)少し遅かったんです。高校卒業後すぐとか、在学中に入る人も多くて、結構軽い気持ちで入ってくる人も多くて。最初は「あ、そんなに大したことないんやな」というか、本当に面白い人はそんなに多くないんだな、という印象が強かったですかね。

——同期の山里亮太さんは、当時からユースケさんのことを「圧倒的な天才だった」と評していますね。

ユースケ:いや、全然ですよ。山ちゃんはそう言ってくれますけど、当時から山ちゃんの方が全然目立っていました。僕らはネタ見せの授業でも、講師の人に褒められたのも遅かったですし。

大阪で今もある「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」に出るための社内予選ですら落とされたりしていました。「あいつらより俺らの方が絶対いいのにな」と思っても評価されない。だから、初めて講師の人に「面白いな」と言ってもらえた時は、「ようやく分かってもらえたんや」って嬉しかったですね。

——それは漫才の仕方などを変えたりしたんですか?

ユースケ:変えてはいないと思います。ただ、自信になった出来事があって。NSCって一期前の先輩がアシスタントをやるんですよ。僕らがNSC22期で授業受けた時は、21期の「あるある探検隊」で有名になったレギュラーさんがアシスタントをされてたんですよ。ネタ見せの授業の時、みんなからは死角になる場所でお二人が僕らのネタを見てたんですけど、松本(康太)さんが、腹がよじれるくらい笑ってたんですよ。それがチラッと見えた時に、「あ、面白いんや、俺ら」みたいな。NSCって基本、他人のネタに笑わないんで、そういうのに飢えてたから、それは今でも覚えてますね。

ダイアンの漫才

——ターニングポイントは「M-1グランプリ」だったと書かれていますね。

ユースケ:それまでもちゃんとやってはいたんですが、最後の2、3年は本当に漫才と向き合った感じでしたね。「M-1」に向けて必死にやったことで、関西でのお仕事も増えましたし、認知してもらえるきっかけになったので、それは本当に良かったと思います。

——「M-1」が終わって「自分が好きな漫才っていうのが分かった」と書かれてましたけど、どういう漫才が好きだっていうふうに思うようになりましたか?

ユースケ:「M-1」の時は、やっぱ本来自分らがやっているような形じゃない、「M-1」用にシステムに当てはめたような漫才をしていたので。「M-1」への挑戦が終わって、そういうのを気にすることなく、普段の自分らの感じのネタをやるようになって、そっちの方がやってて、お互い、楽しかったし、お客さんの反応も良かった。

別に「M-1」のネタもいいと思ってやってたんですけど、後々、また普段の自分に戻ってネタをやるようになった時に、「そっか、こういうネタの方が、自分らっぽいな」と。だからもっと自分らのネタで勝負できてたら、もしかしたらもっと良かったかも分からないですがっていう感じですかね。

——現在は賞レースの審査員も務められていますが、どのような基準で審査されているのでしょうか。

ユースケ:「キャラクター:何点」「発想:何点」「テクニック:何点」とか、そんなふうに細かく見てる暇もないので、自分の目を通して純粋にどう見えたか、という感覚を大切にしています。個人的な好みは関係なしっていうのは大前提。好みが入ってしまうと、(ネタを)やる側としては「頼んますよ」ってことになっちゃうんで。仮に聞かれた時にちゃんと自分の言葉で説明できるかどうか。そこは意識してます。

——ダイアンとして毎年単独ライブを続けていらっしゃいますが、辞めたいと思うことはありませんか。

ユースケ:いや、全然ありますよ(笑)。新ネタを作るのは本当に大変な作業ですし。ただ、ここで辞めてしまうと、ラジオとかで後輩にイジったり偉そうなことを言えなくなってしまう。「お前やってへんやん」ってなる。ピリッとする瞬間もありますけど、続けられるうちは年に一回くらい、そういう思いをしながらやっていくのがいいのかなと。お客さんが来てくれるうちは続けていきたいですね。

——今、漫才を作る上で大切にしているこだわりはありますか。

ユースケ:なんですかね……もう何年も前からですが、若い人から年配の人まで皆さんが分かるテーマにすることくらいですかね。ボケとかになってくると、分からへん人も多分いると思うんですけど。若い頃はぶっ飛んだ設定でやることもあったんですけど、今はやらなくなりましたね。

「日々を過ごしているだけで価値がある」

——44歳でご結婚されて変わったことはありますか?

ユースケ:僕は結構するのが遅かったので、それまではやっぱり独身の芸人の方が、すごいんじゃないか、みたいに思っていたんですけど、結婚してからはほんまに、「いや、結婚してやってる方がすごいな」っていうのは、結婚すると分かるというか。結婚して、芸人という仕事を成立させてる方が、すごいんやなって。まあ、これはもう完全僕の意見ですけど。

——NSC入学、東京進出、結婚。どれも「遅め」じゃないですか。それは用心深い性格ゆえでしょうか。

ユースケ:いや、そうなんですよね。だから僕は、全部遅いんですよ。それこそ「なんなん?」って思いますね。全てが遅い。自分でも何でかなと思います。用心深いからなのか、みんなが先に行って、「あ、大丈夫そうやな」と確認してから行くタイプなのか……。早い方がいいに決まっているんでしょうけど、これが僕のタイミングなんですかね。

——芸人を志した時に思い描いてたその芸人像と、今の自分って何かギャップありますか?

ユースケ:いや、もう、めっちゃあります。それはみんなそうやと思いますけど。最初は「すぐ売れる」と思って入ってきますけど、全然そうじゃないし。以前、東野幸治さんに言われたことがあるんです。「NSCに入る前の自分が見た時に、今の自分にファンレター出すか?」「いや、出さないっすね」みたいな(笑)。

だから当時の自分の理想とは違うにしても、当時の自分に恥ずかしくないような、「ここはちゃんとやってるな」と思える部分がどんだけあるか。それがあれば、それでいいんじゃないかという風には思いますね。

——ダイアンとしての将来像はありますか?

ユースケ:テレビとかメディアのお仕事もそうですし、劇場とかに出続けるっていうのもそうですし、それをバランスよく続けていければ、それが一番いいかなという感じですね。

——本の中で「夢がなくてもいい」「生きているだけで素晴らしい」といったことも書かれていましたが、競争の激しい芸能の世界で、なぜそう思えるようになったのですか。

ユースケ:こういう世界にいるからとかはあんまりなにも思わないですけど、「夢に向かって頑張ってますか?」「やりたいことをやりましょう」というような風潮が強いですけど、そうでなくても素晴らしいと思うんです。僕は動物が好きでよく動物のYouTubeを見るんですけど、彼らはそんなこと考えて生きていないじゃないですか。誰かに迷惑をかけず、普通に生活していくだけでも十分すごいこと。何か大きな夢がなくても、日々を過ごしているだけで価値がある。それは単純に、僕が思うことですね。

——最後に、ユースケさんのように繊細で生きづらさを感じている人へアドバイスをいただけますか。

ユースケ:できれば、そういうことを感じずに生きられるのが一番いいと思うんです。でも、もともと気になってしまうタイプの人は、なかなかそう簡単にはできない。意識して“気にしないようにする”という方法もあると思いますけど、正直、気にすればするほどこっちがストレスを感じてしまって、あまりプラスにはならない。

だから、“感じなくする”方向に持っていくのか、それとも、感じてしまう前提で、それを解消できる何かを持っておくのか。そこは人それぞれやと思います。僕はこうやって本に書いたり、テレビやラジオで喋ったりできるので、そういう形で発散できる分、まだいいほうやけど、たぶんそういう場がない人のほうが多いですよね。

だから、自分を変えていくのがいいのか、それとも何か解消できる方法を見つけるのか……もし何もなかったら、早急に見つけてください。こっちは悪くないのに、こっちがストレスを感じてしまうっていうのは、すごく理不尽なことではあるんですが、仕方ないことなんで。結局は、そういう「なんなん」という思いを、受け止めてくれる「捌け口」を見つけてもらうしかないですかね。

PHOTOS:MIKAKO KOZAI(L MANAGEMENT)

「なんなん自分」

著者:ユースケ(ダイアン)
発売日:2026年1月21日
価格:1870円
判型:四六判
ページ数:320ページ
発行:KADOKAWA
https://www.kadokawa.co.jp/product/322110000152/

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「ユニクロ アンド ジェイ ダブリュー アンダーソン」の新作など! 来週発売のファッションアイテム8選【2/23〜3/1】

ファッションアイテムの発売情報を「WWDJAPAN」的視点でピックアップ!今回は2月23〜3月1日に発売するアイテムを紹介します。「ユニクロ(UNIQLO)」は、「ユニクロ アンド ジェイ ダブリュー アンダーソン(UNIQLO AND JW ANDERSON)」を2月27日から順次販売します。イエローやピンクなどの春らしいカラーが爽やかなカレッジスタイルをラインアップ。春の訪れが待ち遠しいですね!

【2月25日発売】
アトモス
(ATMOS)

侍ジャパンに敬意を表した初のコラボキャップ

「アトモス(ATMOS)」は、“2026ワールド ベースボール クラシック(2026 World Baseball Classic)”の開幕に向けて、日本代表チームの“侍ジャパン”と「ニューエラ(NEW ERA)」とのコラボレーションキャプ(7150円)を制作。コラボモデルは、「ニューエラ」の代表的な“59フィフティー(59FIFTY)”に、「アトモス」のロゴや優勝年のフラッグモチーフの刺しゅうなどをあしらった。

■商品詳細

コラボレーションキャプ(7150円)

【2月26日発売】
マッキントッシュ
(MACKINTOSH)

「C.P. カンパニー」と初のコラボ
完全防水のアウター2型

「マッキントッシュ(MACKINTOSH)」は、「C.P. カンパニー(C.P. COMPANY)」と初のコラボアイテムを制作。アイテムは、“ロングコート”(31万9000円)と“ゴーグル ジャケット”(29万7000円)をラインアップし、素材にはいずれも「マッキントッシュ」を代表する完全防水のゴム引きコットンを採用した。

■商品詳細

“ロングコート”(31万9000円)
“ゴーグル ジャケット”(29万7000円)

【2月26日発売】
ニューバランス
(NEW BALANCE)

定番を再解釈した“メイド イン USA”新作コレクション

「ニューバランス(NEW BALANCE)」は、“メイド イン USA”2026年春夏コレクションを2月26日から6月にかけて順次発売する。初回のドロップ1では、ライトなニュートラルトーンをアクセントにした“990v4”(4万2900円)と“992”(4万2900円)のほか、新色を加えた“フーディー”(3万800円)、“クルーネック スエット”(2万960円)、“Tシャツ”(1万1990円)などの定番アイテムをラインアップする。

■商品詳細

“990v4”(4万2900円)
“992”(4万2900円)
“フーディー”(3万800円)
“クルーネック スエット”(2万960円)
“Tシャツ”(1万1990円)
※一部商品

【2月27日発売】
ホワイトマウンテニアリング
(WHITE MOUNTAINEERING)

ナイロンとデニムを同型で展開するコラボコレクション

「ホワイトマウンテニアリング(WHITE MOUNTAINEERING)」は、「ディッキーズ(DICKIES)」と初のコラボコレクションを制作。アイテムは、デニムとナイロンの2種類で展開するボトムス3型とブルゾン(6万3800〜6万9300円)をラインアップするほか、ナイロン素材のワークシャツ(全3色、4万6200円)も用意する。

■商品詳細

“テーパードパンツ”(3万3000〜3万7400円)
“2タックパンツ”(3万6300〜4万700円)
“ワイドショートパンツ”(3万800〜3万4100円)
“ブルゾン”(6万3800〜6万9300円)
“ワークシャツ”(全3色、4万6200円)

【2月27日発売】
ユニクロ
(UNIQLO)

プレッピースタイルに遊び心を加えた新作コレクション

「ユニクロ(UNIQLO)」は、「ユニクロ アンド ジェイ ダブリュー アンダーソン(UNIQLO AND JW ANDERSON)」の2026年春夏コレクションを制作。本コレクションは、新たに登場するウィメンズの半袖オックスフォードシャツをはじめ、クラシックなプレッピースタイルに遊び心を加えたアイテムを展開。英国のウォータースポーツに着想を得た機能性と、軽やかな着こなしをかなえるレイヤリングスタイルを提案する。

■商品詳細

アウター(4990〜7990円)
ワンピース(2990〜4990円)
シャツ、スエット(2990〜4990円)
ボトムス(2990〜4990円)
ポロシャツ・Tシャツ(2990〜4990円)
グッズ(390〜4990円)

【2月27日発売】
ジーユー
(GU)

「ピーナッツ」コラボやリニューアルアイテムなど

「ジーユー(GU)」は、「アンダーカバー(UNDERCOVER)」とコラボしたスペシャルコレクションを制作。本コレクションは、プレッピーのムードと「アンダーカバー」らしいダークな一面を掛け合わせたアイテムを展開するほか、スヌーピーなどで知られる漫画「ピーナッツ(PEANUTS)」とのトリプルコラボアイテムもラインアップする。

■商品詳細

“サテンリブブルゾン”(5990円)
“デニムイージーパンツ”(2990円)
“ドライポンチ グラフィックTシャツ”(1990円)
“スエットTシャツ”(1990円)
“リバーシブルハット”(1990円)
※一部商品

【2月28日発売】
ア ベイシング エイプ®
(A BATHING APE®)

クロミ&ハローキティの個性を落とし込んだコレクション

「ア ベイシング エイプ®(A BATHING APE®)」は、サンリオのキャラクター、クロミとハローキティとハローキティとのコラボコレクションを制作。アイテムは、クロミとハローキティそれぞれを落とし込んだ2デザインを各型で用意し、本コラボに向けて特別にデザインしたオリジナルカモフラージュ柄の “フルジップフーディー”(3万800〜4万6200円)などをラインアップする。

■商品詳細

“Tシャツ”(8800〜1万4300円)
“カレッジ ミニ Tシャツ” (8800〜1万4300円)
“フルジップフーディー”(3万800〜4万6200円)
“ABC カモ メッシュキャップ”(1万7600円)
“プラッシュドール”(1万7600円)
“プラッシュドール キーチェーン”(7700円)

【2月28日発売】
ビューティフルピープル
(BEAUTIFUL PEOPLE)

マイメロディとクロミとのコラボアイテム

「ビューティフルピープル(BEAUTIFUL PEOPLE)」は、サンリオのキャラクター、マイメロディとクロミとのコラボレーションアイテムを用意する。今回のコラボレーションでは、蓄光プリントを施した暗闇で光るシアーTシャツやトラックジャケット、ウオレットなどの全5型のアイテムをそろえる。

シアーTシャツ(全2色、各2万5300円)

■商品詳細

シアーTシャツ(全2色、各2万5300円)
コーチジャケット(全2色、各7万9200円)
トラックジャケット(全2色、5万3900円)
トラックパンツ(全2色、各5万3900円)
ウオレット(全2色、各1万6500円)

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「テチチ」と青山学院大学発のファッションサークルがコラボ オフィスカジュアルのアイテム全8型を発売

キャンが運営する「テチチ(TE CHICHI)」は、青山学院大学を拠点とする学生ファッションサークル「アオヤマ ファッション アソシエーション(AOYAMA FASHION ASSOCIATION)」(以下、AFA)とコラボレーションしたアイテムを発売した。現在、全国の「テチチ」店舗およびキャン オンライン ショップ(CAN ONLINE SHOP)で取り扱い中だ。

「テチチ」は、上品さや心の豊かさを大切にしたいと願う女性に向け、“アーバンフェミニティ”をキーワードに、女性らしさと遊び心のエッセンスを加えた、時代とともに変化し続けるワードローブを展開している。

自分らしい通勤スタイルを見つけられるアイテム

本コラボでは、“プロと共に最高品質のファッションを作る”をコンセプトに掲げるAFAと共に、これから働く世代の学生が思い描く“理想の通勤スタイル”をアイテムに落とし込んだ。コラボレーションアイテムは、全8型を用意する。ニット(全2色、各6600円)とカラーシャツ(6600円)のレイヤードにチノパン(全2色、各7920円)を合わせたきれいめカジュアルな通勤スタイルをはじめ、ブラウス(全2色、各5500円)にジレ(全2色、各9900円)とパンツ(全2色、各8800円)を組み合わせたセットアップやドレープドレス(全2色、各1万2100円)に短丈ジャケット(全2色、各1万4300円)を合わせたスタイルアップがかなうコーディネートなどのラインアップに仕上げた。

AFA代表は、本コラボについて「今回、私たちはこれまで体験したことがない“オフィスカジュアル”という領域に挑戦しました。これから、社会人になる方々の日常に寄り添い、少しでも前向きな気持ちで身にまとってもらえたらという思いで制作しています」とコメントした。

>キャン オンライン ショップ

>特設サイト

>「アオヤマ ファッション アソシエーション」公式サイト

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「テチチ」と青山学院大学発のファッションサークルがコラボ オフィスカジュアルのアイテム全8型を発売

キャンが運営する「テチチ(TE CHICHI)」は、青山学院大学を拠点とする学生ファッションサークル「アオヤマ ファッション アソシエーション(AOYAMA FASHION ASSOCIATION)」(以下、AFA)とコラボレーションしたアイテムを発売した。現在、全国の「テチチ」店舗およびキャン オンライン ショップ(CAN ONLINE SHOP)で取り扱い中だ。

「テチチ」は、上品さや心の豊かさを大切にしたいと願う女性に向け、“アーバンフェミニティ”をキーワードに、女性らしさと遊び心のエッセンスを加えた、時代とともに変化し続けるワードローブを展開している。

自分らしい通勤スタイルを見つけられるアイテム

本コラボでは、“プロと共に最高品質のファッションを作る”をコンセプトに掲げるAFAと共に、これから働く世代の学生が思い描く“理想の通勤スタイル”をアイテムに落とし込んだ。コラボレーションアイテムは、全8型を用意する。ニット(全2色、各6600円)とカラーシャツ(6600円)のレイヤードにチノパン(全2色、各7920円)を合わせたきれいめカジュアルな通勤スタイルをはじめ、ブラウス(全2色、各5500円)にジレ(全2色、各9900円)とパンツ(全2色、各8800円)を組み合わせたセットアップやドレープドレス(全2色、各1万2100円)に短丈ジャケット(全2色、各1万4300円)を合わせたスタイルアップがかなうコーディネートなどのラインアップに仕上げた。

AFA代表は、本コラボについて「今回、私たちはこれまで体験したことがない“オフィスカジュアル”という領域に挑戦しました。これから、社会人になる方々の日常に寄り添い、少しでも前向きな気持ちで身にまとってもらえたらという思いで制作しています」とコメントした。

>キャン オンライン ショップ

>特設サイト

>「アオヤマ ファッション アソシエーション」公式サイト

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【一粒万倍日】3月5日は最強開運日 「グッチ」は桜のモチーフや日本限定カラーのスペシャルセレクション

3月5日は天赦日、一粒万倍日、寅の日、大安の全てが重なる「四重吉日」で、2026年における最強開運日だ。“一粒万倍日“は財布を買ったり、使い始めたり、贈ったりするのに適した日とされる。「グッチ(GUCCI)」は、桜のモチーフや日本限定カラーをあしらったスモールレザーグッズとアクセサリーのスペシャルセレクションを発売した。現在、全国の「グッチ」店舗および公式オンラインで取り扱い中だ。

さらに一部のアイテムには、ラッキーモチーフやイニシャルの無料刻印サービスを用意する。また、全国の「グッチ」店舗および公式オンラインで、桜モチーフの刻印も期間限定で登場する。

ラインアップ一覧

“再生と繁栄”と“自己表現”をテーマに本セレクションを発売するとともに、ヘビをモチーフにしたビジュアルを公開した。“白ヘビの皮を財布にすると幸運をもたらす”という言い伝えに着想を得て、脱皮を繰り返しながら成長するヘビのように、古いものを手放して新たな始まりを迎えることを象徴している。

日本限定アイテムとして、桜モチーフをあしらったミニウオレットとロングウオレットが登場した。どちらも、バンブー型のジッパーブルとダブルGハードウエアを配している。ミニウオレットは外側が新芽を思わせる淡いグリーン、内側にはピンクレザーに桜をあしらったデザインに仕上げた。また、桜の花を象ったチャームと桜飾りを付けたオリジナルキャラクターのチャームも用意する。

“GGマーモント”ラインからは、明るいトーンで再解釈したGGキャンバス製の新作をそろえる。ミニバッグ、スモールウオレット、ロングウオレット、キーケースを日本で先行発売中だ。

“GGエンブレム”ラインからは、日本限定バイカラーのロングウオレット、コインウオレット、カードケースが登場した。カラーは、全2種類を用意する。ベージュ&ブラウンGGキャンバスとモスグリーンのレザー、もうひとつはネイビーのGGキャンバスとレザーの組み合わせを展開する。

ウイメンズ ラッキーデー ギフト セレクション

メンズ ラッキーデー ギフト セレクション

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【一粒万倍日】3月5日は最強開運日 「グッチ」は桜のモチーフや日本限定カラーのスペシャルセレクション

3月5日は天赦日、一粒万倍日、寅の日、大安の全てが重なる「四重吉日」で、2026年における最強開運日だ。“一粒万倍日“は財布を買ったり、使い始めたり、贈ったりするのに適した日とされる。「グッチ(GUCCI)」は、桜のモチーフや日本限定カラーをあしらったスモールレザーグッズとアクセサリーのスペシャルセレクションを発売した。現在、全国の「グッチ」店舗および公式オンラインで取り扱い中だ。

さらに一部のアイテムには、ラッキーモチーフやイニシャルの無料刻印サービスを用意する。また、全国の「グッチ」店舗および公式オンラインで、桜モチーフの刻印も期間限定で登場する。

ラインアップ一覧

“再生と繁栄”と“自己表現”をテーマに本セレクションを発売するとともに、ヘビをモチーフにしたビジュアルを公開した。“白ヘビの皮を財布にすると幸運をもたらす”という言い伝えに着想を得て、脱皮を繰り返しながら成長するヘビのように、古いものを手放して新たな始まりを迎えることを象徴している。

日本限定アイテムとして、桜モチーフをあしらったミニウオレットとロングウオレットが登場した。どちらも、バンブー型のジッパーブルとダブルGハードウエアを配している。ミニウオレットは外側が新芽を思わせる淡いグリーン、内側にはピンクレザーに桜をあしらったデザインに仕上げた。また、桜の花を象ったチャームと桜飾りを付けたオリジナルキャラクターのチャームも用意する。

“GGマーモント”ラインからは、明るいトーンで再解釈したGGキャンバス製の新作をそろえる。ミニバッグ、スモールウオレット、ロングウオレット、キーケースを日本で先行発売中だ。

“GGエンブレム”ラインからは、日本限定バイカラーのロングウオレット、コインウオレット、カードケースが登場した。カラーは、全2種類を用意する。ベージュ&ブラウンGGキャンバスとモスグリーンのレザー、もうひとつはネイビーのGGキャンバスとレザーの組み合わせを展開する。

ウイメンズ ラッキーデー ギフト セレクション

メンズ ラッキーデー ギフト セレクション

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「アムリターラ」が米国市場に進出 スキンケアと食品で始動

オーガニックコスメブランド「アムリターラ(AMRITARA)」を展開するAMRITARAは26年4月、アメリカ市場に進出する。スキンケア製品と食品を皮切りに、自社オンラインサイトから始動。ゆくゆくはオーガニックブランドのセレクトショップなどに卸していく意向だ。

スキンケア製品は “インディゴ バランシング ソープ”、“ラディエンスシリーズ”、“アンチエイジングシリーズ”から7製品を展開。食品は原木シイタケや羅白昆布、かつおぶしなどをパウダータイプにしたアメリカ限定の5製品をそろえる。前者は“secrets of Japanese Beauty”として、後者は“UMAMI”をコンセプトに掲げ、アメリカ市場でのプレゼンス向上を図る。

なお、同社はすでに25年2月に中国のT-MALLでも一部製品を展開しており、海外展開は米国が2カ国目となる。

AMRITARA は2008年7月に創業。創業者であり代表の勝田小百合氏が設立したオーガニックコスメブランド「アムリターラ」を展開する。勝田代表が製品開発も担い、安全性や環境配慮に対する高い基準のもと、無添加のコスメや食品をそろえる。

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「アムリターラ」が米国市場に進出 スキンケアと食品で始動

オーガニックコスメブランド「アムリターラ(AMRITARA)」を展開するAMRITARAは26年4月、アメリカ市場に進出する。スキンケア製品と食品を皮切りに、自社オンラインサイトから始動。ゆくゆくはオーガニックブランドのセレクトショップなどに卸していく意向だ。

スキンケア製品は “インディゴ バランシング ソープ”、“ラディエンスシリーズ”、“アンチエイジングシリーズ”から7製品を展開。食品は原木シイタケや羅白昆布、かつおぶしなどをパウダータイプにしたアメリカ限定の5製品をそろえる。前者は“secrets of Japanese Beauty”として、後者は“UMAMI”をコンセプトに掲げ、アメリカ市場でのプレゼンス向上を図る。

なお、同社はすでに25年2月に中国のT-MALLでも一部製品を展開しており、海外展開は米国が2カ国目となる。

AMRITARA は2008年7月に創業。創業者であり代表の勝田小百合氏が設立したオーガニックコスメブランド「アムリターラ」を展開する。勝田代表が製品開発も担い、安全性や環境配慮に対する高い基準のもと、無添加のコスメや食品をそろえる。

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大丸心斎橋店300周年企画が盛りだくさん 13店で「おとな様ランチ」

大丸心斎橋店は、今年11月に開業300周年を迎えるのに伴い、3月6日から11月26日までの約9カ月間にわたり特別プロモーションを実施する。17日に報道陣向けの内覧会が行われた。

大丸は1717年に京都で下村彦右衛門正啓が呉服商を創業。1726年(享保11年)11月1日、現在の心斎橋筋と清水町通り交差点の北西側で呉服店「松屋」として出店した。明治期に呉服屋から陳列式の百貨店に転換し、大阪初となるショーウィンドーを導入。1913年に建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物が失火で2年足らずで消失するも、1933年に御堂筋の拡幅と地下鉄開通に合わせ再オープンし、大大阪時代の街のランドマークとして親しまれ、近代的な百貨店として発展してきた。

300周年を記念し、3月6日から“ずっと、あきない。”をスローガンにさまざまなコンテンツを展開する。最初の約1カ月間は「歴史」をテーマに、大丸心斎橋店の歴史をたどる。

心斎橋筋側中央玄関では、旧ロゴマークと手塚治虫作の「火の鳥」をモチーフにしたロゴを藍染めした横4.8×縦1.5メートルの特注のれんを、印袢纏(しるしばんてん)姿の従業員が毎朝、掲揚し客を迎える。文楽の演目や錦絵にも描かれた江戸時代の呉服屋をしのばせる演出だ。

本館13カ所で展開する「ひとます博物館」は、各階エスカレーター前の約2帖ほどのスペースを活用したミニ博物館を設ける。江戸時代の店先を再現したブースや浮世絵、明治期にノベルティとして配布したすごろくや引札(チラシ)、大正から昭和期の広告ポスターなどの貴重な資料や、デジタル技術を組み合わせて展示する。あわせて配布される「歴史展リーフレット」に各階のスタンプを集め、重ねていくことで江戸末期の心斎橋店の浮世絵が完成する。

3月末までは館内レストラン13店舗にて、特別メニュー「春のおとな様ランチ」を提供する。かつて本館最上階にはアール・デコ様式の装飾の大食堂があり、ハレの日のご馳走として家族連れで賑わった。古き良き昭和の大食堂スタイルのお子様ランチを大人用にアップデートした特別仕様で春の旬食材を使った工夫を凝らした各レストラン13メニューが味わえる。

同店開業300周年記念事業推進担当の藤田幸久さんは「300年ずっと変わらず心斎橋の場所で商いを続けることができたのは、お客さまと心斎橋の街の皆さまに見守っていただけたからこそ。“ずっと、あきない。”のキャッチコピーには、これからも”飽きない”百貨店でいること、次の100年も”商い”を続けさせていただきたいというメッセージを込めています」と語る。

以降も「ずっと、あきない。」をスローガンに、開業300周年を記念したさまざまなイベントが実施される予定だ。

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大丸心斎橋店300周年企画が盛りだくさん 13店で「おとな様ランチ」

大丸心斎橋店は、今年11月に開業300周年を迎えるのに伴い、3月6日から11月26日までの約9カ月間にわたり特別プロモーションを実施する。17日に報道陣向けの内覧会が行われた。

大丸は1717年に京都で下村彦右衛門正啓が呉服商を創業。1726年(享保11年)11月1日、現在の心斎橋筋と清水町通り交差点の北西側で呉服店「松屋」として出店した。明治期に呉服屋から陳列式の百貨店に転換し、大阪初となるショーウィンドーを導入。1913年に建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物が失火で2年足らずで消失するも、1933年に御堂筋の拡幅と地下鉄開通に合わせ再オープンし、大大阪時代の街のランドマークとして親しまれ、近代的な百貨店として発展してきた。

300周年を記念し、3月6日から“ずっと、あきない。”をスローガンにさまざまなコンテンツを展開する。最初の約1カ月間は「歴史」をテーマに、大丸心斎橋店の歴史をたどる。

心斎橋筋側中央玄関では、旧ロゴマークと手塚治虫作の「火の鳥」をモチーフにしたロゴを藍染めした横4.8×縦1.5メートルの特注のれんを、印袢纏(しるしばんてん)姿の従業員が毎朝、掲揚し客を迎える。文楽の演目や錦絵にも描かれた江戸時代の呉服屋をしのばせる演出だ。

本館13カ所で展開する「ひとます博物館」は、各階エスカレーター前の約2帖ほどのスペースを活用したミニ博物館を設ける。江戸時代の店先を再現したブースや浮世絵、明治期にノベルティとして配布したすごろくや引札(チラシ)、大正から昭和期の広告ポスターなどの貴重な資料や、デジタル技術を組み合わせて展示する。あわせて配布される「歴史展リーフレット」に各階のスタンプを集め、重ねていくことで江戸末期の心斎橋店の浮世絵が完成する。

3月末までは館内レストラン13店舗にて、特別メニュー「春のおとな様ランチ」を提供する。かつて本館最上階にはアール・デコ様式の装飾の大食堂があり、ハレの日のご馳走として家族連れで賑わった。古き良き昭和の大食堂スタイルのお子様ランチを大人用にアップデートした特別仕様で春の旬食材を使った工夫を凝らした各レストラン13メニューが味わえる。

同店開業300周年記念事業推進担当の藤田幸久さんは「300年ずっと変わらず心斎橋の場所で商いを続けることができたのは、お客さまと心斎橋の街の皆さまに見守っていただけたからこそ。“ずっと、あきない。”のキャッチコピーには、これからも”飽きない”百貨店でいること、次の100年も”商い”を続けさせていただきたいというメッセージを込めています」と語る。

以降も「ずっと、あきない。」をスローガンに、開業300周年を記念したさまざまなイベントが実施される予定だ。

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