月: 2020年7月
マスコミ自体が今のネット時代にそれほど対応しきれていないというか、せいぜい頑張っても紙媒体に内容をWEBやSNSにあげるだけ。これじゃね新しいビジネスモデルでもないし、時代についていけてないというか。そういうマスコミの情報とか新しいビジネスモデルはこれだみたいな記事を見ても、そういう当の本人がどうなの?ということになってる感じがする。
それに、裏読みとか独自分析とか全くないし、プレス向け発表したのをそのまま流しているだけとか、、、それぐらいならネットユーザーで情報発信してる方々の方がはるかにも面白いぞということになる。いづれなくなる運命と言えばそれまでだが、もうちょいブレイクスルーした方法が見つけられないのかなんて思うね。
Reno3 A(自分のだけ?)だめですな。
セットアップ時にフリーズで強制終了で6回、何とか立ち上がってから、何回も数分止まることはざら。YAにもっていっても再現できないのでそのまま使ってください。あるいはSIMの問題ということでちゃんちゃんでした。確かにSIMの相性と言われたらどうしようもない。今もぐらっく画面で数分以上止まってます。目を離していると復帰しました。なんだこの商品は。
本当にエコ活動ってどうなんだろう。
レジ袋の効果も最大限2%くらいというし、実際にコロナで営業活動が相当落ちている企業はエコ投資なんて当然後回しだろうし、消費者も収入が落ち込んでいる中で、あえて高いエコより商品を買うとも思わんし。まずは生活が元に戻るまでは優先度は落ちると思うけどな。
その前に地球温暖化って本当なんだろうか、それは二酸化炭素排出なんかとどれくらいの相関関係があるのか。異常気象はどの説明要因とそう感が高いのか。それは長期短期トレンドではどうなのかなどなどはっきりして欲しいと言うこともあるね。
新しい考え方が必要であることは確かだが、国や県で補助金とか山ほどいることは分かったし、さらに企業も個人事業の大きな問題が起こった時に補助金をもらわないと続けられないということ自体が問題で、いつまでもいつも補助金が必要分来るわけじゃやなくって、さらに補助金を出せるようにするには当然税金や社会保険やその他がドーンと上がることとイコールだろうし、、、、ということを考えると、コロナに影響を受けないビジネスモデルに早急に進化しなければならないことが確実だ。
DX化とかは必要充分なことだとして、それ以上の進化が求められるということなんだが、個々の企業や個人事業はどう変われるのかがここ直近の優先課題だな。
いろいろあるな。。。。
まあ世の中嘘だらけということで。
米ブルックス・ブラザーズが破産法申請 コロナで打撃:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61306650Y0A700C2000000/
すごいことやってるな。。。
リモートの番組って割とワンパターンやね。
なんてことが最近話題に登る。まあ従来の研修の手法は基本リアル集合型を想定しているので、実際に研修をやってみてクラスターでも起こせばそれでその企業の責任は大きく問われる。。。。なんてことを考えるとリアル集合型はとっても危なくてやれない。しかし人を育成しないと今度は企業が危ないということになると、否応なくテレワークに対応した研修をやるしかない。
いままでみんなでワイワイやりながらというようなエンゲージメント型の研修やゲーム型の研修は物理的に難しくなる。ワンウエイでしゃべる場合もYOUTUBEのときのように、聞いてる方の立場を考えると集中力は数分しか持たないかもしれない。。。さらに、企業側にしても最近の業績の落ち込みなどを考えればリアル集合型のようなハイコストな研修はなかなか難しいということをクリアする方法を確立したところだけが、今後の研修業界で生き残れる可能性があるということになる。
まあ、研修業界ほどビジネスモデル自体が古いところもないので、ここで一気にどう変われるかな???
今使っているのもダイナブックだけどCPUはインテルの第2世代のだ。なんと今は10世代だから何年前かわからんぐらい古いことになるけど、メモリー8G入れるとスイスイ動く。最近の8世代のより早いぐらいだ。しかもあらゆるソフト?の主要どころは全部フリーだ。もちろんウインドーズやマック系のデータとの互換も大丈夫である。購入時はパソコンが2万円台、OSが雑誌のおまけなんで数千円でスタンバイできる。もちろんカメラがついているのでZOOMもOKというぐあいである。
家用とモバイル用に2台体制にしても同じく2万円強台ぐらいでも十分だ。ということで最近の給付金で十分お釣りが来る。
それに家に遅くて使い物にならないパソコンがあるのならそれにubuntuをインストールすることで復活する可能性が高い。これなら更にハードを買う必要もなくなる。。。。という具合だな。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2007/01/news028.html
自分としてはubuntuなんかもスイスイ動いてくれればいいだけで。。。
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https://ndjust.in/Lj8Vg9Lh
#NewsDigest
普通企業に入ると何年で係長になってその次は何年で課長になって。。。。なんてことが多い。大手であれば仕方がないことなんだろうが、これじゃ永久に経営を実践することはできない。しかもすごい倍率ということだ。その場合人事考課がまともであればまだしも社内資格とか相対評価とか360度とかやっているレベルでは、本当に可能性がある人材を作り出すことはむつかしいだろう。
実際に営業ではだめでも経営者にむく人材もいるし、財務だから営業関連はわからないのかということもないと思う。そこにはいろんな仕事の本質と課題と修正できるロジックがわかればどんな仕事でも職種でも可能だろと思う。もちろん相当な置き換えの原理とかある程度奇想天外な手法をとれるということも大事だろうけど。
でもほとんどの企業は子いう環境が作れていないと思う。知り合いのアジア人は経営者がちょっとでもこの人材は可能性をありそうだったら、すぐに関連子会社の社長をやらせるということをやっているという話を聞く。そこで一気に行ける人とダメな人も出てくるだろうし、逆に失敗したほうが次のステップではいい成果を生むという人もいると思う。
最近若い人で無謀にも???ベンチャー企業をやりたいという人も出てきているが、日本の場合は財務面でそういった人の可能性を広げるような仕組みが本当に弱い。いきなり公庫や銀行で資金を借りるというハードルはなかなか高い。しかも借りるということは当然返済もあるわけで、海外でよく聞く投資というのとは本質が全く違うように思う。投資なら投資した人間がいろいろ実務的にサポートしてくれるが、公庫や銀行じゃ借りたら返すというだけでに終わる。全く本質が違う話だ。
大企業ではカンパニー制にしているところもあるけど、どこか親方日の丸的なにおいがする。まあ、子会社の社長をどんどん経験させるという手も結構面白いいのじゃないかと思うけどね。
普通に営業をやっていても、企画や生産を担当していてもその仕事で頑張っていたとしても、そこに経営的な観点が必要だといわれている。確かに、単に数字を伸ばすことだけでなく、単にコストを落とすだけでなく、そこには経営観点から見て、数字を伸ばすだけでいいのか、コストを抑えるだけでいいのかを考えねばならない。
例えば営業数字を伸ばせばいいじゃないかという考えもあるが、その結果メリットを生む部分とデメリットを生む可能性の部分と、将来的にボトルネックにはならないのか、売り上げが伸びても収益面ではどうだろうか、そこにかかるリソースや目に見えないコストなどはどうだろうか、その営業手法は他でも活用できるものなのか、その特定の要因が重なり合っただけではないのか。。。。。など考えれば検討ポイントは出てくる。
まあいつでも全部を網羅してやれというわけではないだろうが、その節々で経営観点からの考察は必要だろう。その経営観点というのは、日ごろから鍛えられていて、それがベースになっていて、活動を進めていくというような体質になっていないと修正や方向転換はむつかしいかもしれない。
最近よく言われる全社員IT人材であるべきとか、全社員経営者であるべきという話がおおいが、あまりにもハードルを上げすぎるきらいがあるが、これを業務のシステム化やナレッジ化で補ってでも行けることが必要になってきているようだ。
フェルミは単にクイズ的なもんだ。だから実務に役に立つかどうかの相関性は低いといわれても仕方がない。ある程度のオープンデータと答えが違ってもいいけどその答えの道び方が論理的かどうかということに重点をおかれているからだ。
実際の世界では答えが違っていればそれが論理的であろうが感情的であろうが話にならない。。。という観点から行けばフェルミでは全く不十分と言われても仕方がないだろう。ケース問題というのはこのフェルミからさらに実際の対策などまで論理的に考えていこうというものだ。対策を考える場合ではあらゆる可能性や懸念を考慮に入れながら、リソースやその時の重点度合いや効果的な検証まで含んだうえで考えるということになる。これならちょっと実践的だ。今、こういうレベルでの入社面接をやっているところが、アメリカのコンサル会社などでは流行っているらしい。実際の研修会なんかでも現実的な要素を盛り込んでケース問題をやっているところも多い。
これは我々のようなコンサルを長くやってきた身になってもなかなか面白い。実際には完敗するとこもあってということだ。