日本初「911だらけのラリーイベント」開催。70年の節目に歴代ポルシェ911が70台エントリー!

1948年6月8日、はじめてポルシェの名を冠したスポーツモデル「356 “No.1” ロードスター」が誕生した。今年、2018年の6月8日はポルシェブランド誕生70年、人間でいえば古希にあたる記念すべき年だ。

この70周年を祝って、日本初の“911限定”ラリーイベント、「The Rally -Amazing Moment-」が開催される。日程は、6月2日(土曜日)~3日(日曜日)の2日間。東京~軽井沢間、往復約400kmをバラエティに富んだ新旧911が走り抜けるイベントだ。

6月2日は、クルマ好きの聖地として名高い「代官山T-SITE」からスタート。参加する911は、70周年にちなんで70台。軽井沢では、雄大な浅間山を背景にゆったりクルージングが楽しめる「鬼押ハイウェイ」、184か所のコーナーを擁する高速ワインディングの碓氷峠と、911のポテンシャルを存分に味わいつくせる様々なコースが用意されている。

初日の夜は「軽井沢マリオットホテル」でのディナーパーティだ。特別ゲストによるトークショーなど、昼と夜の両面から911の世界観をたっぷりと堪能できる仕掛け。そして、2日間にわたる400kmの旅のフィナーレは、東京・丸の内の「パレスホテル東京」で迎える。スタートからゴールまで一貫して、華やかな大人のラリーといった演出が施されている。

「The Rally -Amazing Moment-」へのエントリーは911ならば、空冷、水冷は問わない。1963年のデビュー以来100万台以上が生産されている911、どのモデルがエントリーしてくるのか気になるところだ。長年、ポルシェのオフィシャルフォトグラファーとして歴代911を撮影してきた、写真家・小川義文氏も参戦する。もしかすると、愛車との雄姿を写真に収めてもらえるかもしれない。911オーナーならば、エントリーを検討してみてはいかがだろうか。

 

写真:小川義文

 

【DATA】

大会名称:The Rally-Amazing Moment-
開催日程:平成30年6月2日(土)~6月3日(日)
募集台数:70台
参加規程:参加者はドライバー、コドライバーの2名1組
参加資格車両:ポルシェ911(水冷、空冷問わず)
参加料:1台(2名)23万円(税込み)
http://www.porsche.co.jp/dealers/aoyama/therally_2018/

 

【著者プロフィール】

citrus 編集部

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ラリーでは成功したが、ビジネスでは失敗…数奇な運命をたどったスーパーカー

車両デザインのインパクトの強さ、そして革新性という点では、数あるスーパーカーのなかでも筆頭格といえるモデルが、老舗プレミアムブランドのランチアが1974年に発売した「ストラトス」だろう。“成層圏”を意味する車名を冠した異次元のスポーツカーはラリーの舞台で大活躍するものの、市販モデルとしては親会社のマーケティング戦略に大きく揺り動かされることとなった――。今回はスーパーカー界きってのラリー・ウェポンの話題で一席。

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【Vol.10 ランチア・ストラトス】

1970年開催のトリノ・ショーにおいて、名カロッツェリアのベルトーネは斬新なショーモデルを雛壇に上げる。チーフデザイナーのマルチェロ・ガンディーニが手がけた「ストラトス ゼロ(Stratos Zero)」だ。大胆なラインで構成した楔形のロー&ワイドフォルムに、フロントガラスを跳ね上げて乗降するハッチドアなど、未来からやってきたかのような異次元のスタイリングは、まさに車名の元となった“stratosfera=成層圏”にふさわしいアレンジだった。一方、基本コンポーネントに関してはランチアの協力を仰ぎ、フルビア用のシャシーやパワートレインなどを使用する。エンジンの搭載はミッドシップレイアウトとし、後輪を駆動するMR方式を採用していた。

 

■空力デザイン&MRレイアウトが注目を集める

1970年開催のトリノ・ショーに出展された「ストラトス ゼロ」。後にストラトスへと発展していく1970年開催のトリノ・ショーに出展された「ストラトス ゼロ」。後にストラトスへと発展していく

 

自動車マスコミや識者などのあいだでは、その先進的すぎるスタイリングからショーカーでとどまると思われたストラトス ゼロ。しかし、空力性能に優れる造形やMRレイアウトといった特性に熱い視線を注いだ人物がいた。ラリーにおけるランチアの実質的なワークスチーム、HFスクアドラ・コルセを率いるチェザーレ・フィオリオだ。フィオリオはパワー競争の激化によって戦闘力が下がり始めていたフルビアHFに代わる新ラリーマシンの導入を検討していた。そこに登場したストラトス ゼロは、空力へのアプローチや駆動レイアウトの面で非常に魅力的に映ったのである。これを聞きつけたカロッツェリア・ベルトーネは、ランチアにストラトス ゼロをベースとしたラリーモデルの共同開発およびストラダーレ(量販モデル)としての市販化を提案。最終的にこの案はランチアの首脳陣から了承され、早々に2社による共同プロジェクトがスタートする。フィオリオが掲げた開発要件は、整備性の高さ、高度な運動性能、サファリ・ラリーに耐え得る頑強な機構、といった内容の実現だった。

 

■ラリー競技への参戦を目的に車両を開発

全長3710×全幅1750×全高1114mm/トレッド前1430×後1460mmのショート&ワイドのディメンションを持つ。2418cc・V型6気筒DOHCエンジンをミッドシップに横置き搭載する全長3710×全幅1750×全高1114mm/トレッド前1430×後1460mmのショート&ワイドのディメンションを持つ。2418cc・V型6気筒DOHCエンジンをミッドシップに横置き搭載する

 

ランチアとベルトーネの共同作業は、まず1971年開催のトリノ・ショーの舞台で最初の陽の目を見る。後のストラダーレに近いスタイリングを持つ「ストラトスHFプロトティーポ」が発表されたのだ。基本骨格は鋼板製のセンターモノコックにスチール製スペースフレームを前後に組み付ける構造で、設計にはダラーラが参画する。ホイールベースは2180mmと短くセット。懸架機構には前後ダブルウィッシュボーン/コイル(後にリアサスをストラット/コイルに変更)を採用した。

 

ストラトス ゼロに続いてガンディーニがデザインを主導したエクステリアは、切り詰めた前後オーバーハングに低くスラントしたノーズ、リトラクタブル式のヘッドライト、大きくラウンドさせたフロントウィンドウ、ウエッジを利かせたサイドビュー、スパっと切り落としたリアエンドなどが訴求点となる。また、前後端を支点とする跳ね上げ式のカウルを設定し、整備性を向上させていた。

内装はシンプル。シルバー色のメーターパネルやバケットタイプのシート、ヘルメットが収納できる深いポケットなどを設定していた内装はシンプル。シルバー色のメーターパネルやバケットタイプのシート、ヘルメットが収納できる深いポケットなどを設定していた

 

肝心のパワートレインについては、実は選択がかなり難航した。当初はフルビア用V4ユニットをチューンアップして搭載することを考えていたが、高出力化する余地は限られていた。様々な検討の結果、候補にあがったのが、親会社のフィアットの124スポルトに採用する132系ユニットの1756cc直列4気筒DOHC、さらにランチアと同じく1969年よりロードカー部門がフィアットの傘下に収まっていたフェラーリのディーノ246GTに採用するTipo135CSの2418cc・V型6気筒DOHCなどだった。省察している最中、フィアット自身がアバルト企画のエンジンでラリーに本格参戦することが示される。最終的にランチアの開発陣は、ディーノ用のV6エンジンの採用を決断。セッティングを変更するなどして、ストラトスのシャシーに横置きでミッドシップ搭載した。

 

■親会社のフィアットの方針に即して生産を終了

市販モデル=ストラダーレは1974年に登場。ラリーの戦果と対照的に販売は振るわず、わずか492台で生産は終了となった市販モデル=ストラダーレは1974年に登場。ラリーの戦果と対照的に販売は振るわず、わずか492台で生産は終了となった

 

ディーノ用V6エンジンで武装し、同時に各部をモディファイした進化版プロトティーポのストラトスは、1972年開催のトリノ・ショーに出品される。そして、当時のグループ4規定の「連続する12カ月で400台以上の生産」を目指し、ベルトーネのファクトリーで製造をスタート。1973年には量産試作車が発表され、1974年より市販モデル=ストラダーレを発売した。

 

ストラダーレ版のストラトスのボディサイズは、全長3710×全幅1750×全高1114mm/トレッド前1430×後1460mmと量販車では類を見ないショート&ワイドのディメンションで、車重は1トンを切る980kgに収まる。前ダブルウィッシュボーン/後ストラットのサスペンションには前後スタビライザーとアジャスタブル機構を組み込み、シューズには205/70VR14タイヤ+軽合金ホイールをセット。また、操舵機構にはラック&ピニオン式を、制動機構にはデュプレックスシステムのディスクブレーキを採用した。ミッドシップに横置き搭載する2418cc・V型6気筒DOHCエンジンは、190hp/7000rpmの最高出力と23.0kg・m/4000rpmの最大トルクを発生。ディーノ用と比べると、5hp低い最高出力を600rpm低い回転数で、同レベルの最大トルクを1500rpm低い回転数で絞り出す。組み合わせる5速MTはクロスレシオに設定したうえで、ファイナルレシオをディーノ用の3.625から3.824へとローギアード化。これらのセッティング変更により、加速性能とピックアップを向上させていた。一方、外装に関してはリアスポイラーやリアガラスルーバー、車名およびベルトーネエンブレムなどを装備。シンプルにまとめられた内装には、シルバー色のメーターパネルやバケットタイプのシート、ダイヤルを溝に沿って上下して開閉するサイドウィンドウ、ヘルメットが収納できる深いポケットなどを設定していた。

世界ラリー選手権(WRC)では、1974年から1976年にかけて3年連続メイクスチャンピオンに輝く。無敵のラリーマシンとしてその名を轟かせた世界ラリー選手権(WRC)では、1974年から1976年にかけて3年連続メイクスチャンピオンに輝く。無敵のラリーマシンとしてその名を轟かせた

 

ホモロゲーションは1974年10月に獲得したものの、フェラーリからのV6エンジン供給の滞りもあり、ストラダーレ版ストラトスの生産は遅れがちとなる。また、エミッションコントロールの規制で米国や一部欧州の市場では販売できず、さらにオイルショックの影響などもあって売り上げは伸び悩んだ。一方で、ラリーの舞台ではコンペティション仕様のストラトスが大活躍。世界ラリー選手権(WRC)では、1974年から1976年にかけて前人未到の3年連続メイクスチャンピオンに輝いた。

 

無敵のラリーマシンに発展したストラトス。しかし、1977年からは親会社のフィアットが131アバルト・ラリーを駆ってWRCに本格参戦することが決定し、その影響で傘下のランチアのワークス参戦は取りやめとなる。また、販売不振のストラダーレ版ストラトスの生産も中止された。ラリーでは成功し、商業上では失敗――そんな数奇な運命をたどったスーパーカーは、わずか492台の生産台数をもって車歴を終えたのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。