車両デザインのインパクトの強さ、そして革新性という点では、数あるスーパーカーのなかでも筆頭格といえるモデルが、老舗プレミアムブランドのランチアが1974年に発売した「ストラトス」だろう。“成層圏”を意味する車名を冠した異次元のスポーツカーはラリーの舞台で大活躍するものの、市販モデルとしては親会社のマーケティング戦略に大きく揺り動かされることとなった――。今回はスーパーカー界きってのラリー・ウェポンの話題で一席。

【Vol.10 ランチア・ストラトス】
1970年開催のトリノ・ショーにおいて、名カロッツェリアのベルトーネは斬新なショーモデルを雛壇に上げる。チーフデザイナーのマルチェロ・ガンディーニが手がけた「ストラトス ゼロ(Stratos Zero)」だ。大胆なラインで構成した楔形のロー&ワイドフォルムに、フロントガラスを跳ね上げて乗降するハッチドアなど、未来からやってきたかのような異次元のスタイリングは、まさに車名の元となった“stratosfera=成層圏”にふさわしいアレンジだった。一方、基本コンポーネントに関してはランチアの協力を仰ぎ、フルビア用のシャシーやパワートレインなどを使用する。エンジンの搭載はミッドシップレイアウトとし、後輪を駆動するMR方式を採用していた。
■空力デザイン&MRレイアウトが注目を集める
1970年開催のトリノ・ショーに出展された「ストラトス ゼロ」。後にストラトスへと発展していく
自動車マスコミや識者などのあいだでは、その先進的すぎるスタイリングからショーカーでとどまると思われたストラトス ゼロ。しかし、空力性能に優れる造形やMRレイアウトといった特性に熱い視線を注いだ人物がいた。ラリーにおけるランチアの実質的なワークスチーム、HFスクアドラ・コルセを率いるチェザーレ・フィオリオだ。フィオリオはパワー競争の激化によって戦闘力が下がり始めていたフルビアHFに代わる新ラリーマシンの導入を検討していた。そこに登場したストラトス ゼロは、空力へのアプローチや駆動レイアウトの面で非常に魅力的に映ったのである。これを聞きつけたカロッツェリア・ベルトーネは、ランチアにストラトス ゼロをベースとしたラリーモデルの共同開発およびストラダーレ(量販モデル)としての市販化を提案。最終的にこの案はランチアの首脳陣から了承され、早々に2社による共同プロジェクトがスタートする。フィオリオが掲げた開発要件は、整備性の高さ、高度な運動性能、サファリ・ラリーに耐え得る頑強な機構、といった内容の実現だった。
■ラリー競技への参戦を目的に車両を開発
全長3710×全幅1750×全高1114mm/トレッド前1430×後1460mmのショート&ワイドのディメンションを持つ。2418cc・V型6気筒DOHCエンジンをミッドシップに横置き搭載する
ランチアとベルトーネの共同作業は、まず1971年開催のトリノ・ショーの舞台で最初の陽の目を見る。後のストラダーレに近いスタイリングを持つ「ストラトスHFプロトティーポ」が発表されたのだ。基本骨格は鋼板製のセンターモノコックにスチール製スペースフレームを前後に組み付ける構造で、設計にはダラーラが参画する。ホイールベースは2180mmと短くセット。懸架機構には前後ダブルウィッシュボーン/コイル(後にリアサスをストラット/コイルに変更)を採用した。
ストラトス ゼロに続いてガンディーニがデザインを主導したエクステリアは、切り詰めた前後オーバーハングに低くスラントしたノーズ、リトラクタブル式のヘッドライト、大きくラウンドさせたフロントウィンドウ、ウエッジを利かせたサイドビュー、スパっと切り落としたリアエンドなどが訴求点となる。また、前後端を支点とする跳ね上げ式のカウルを設定し、整備性を向上させていた。
内装はシンプル。シルバー色のメーターパネルやバケットタイプのシート、ヘルメットが収納できる深いポケットなどを設定していた
肝心のパワートレインについては、実は選択がかなり難航した。当初はフルビア用V4ユニットをチューンアップして搭載することを考えていたが、高出力化する余地は限られていた。様々な検討の結果、候補にあがったのが、親会社のフィアットの124スポルトに採用する132系ユニットの1756cc直列4気筒DOHC、さらにランチアと同じく1969年よりロードカー部門がフィアットの傘下に収まっていたフェラーリのディーノ246GTに採用するTipo135CSの2418cc・V型6気筒DOHCなどだった。省察している最中、フィアット自身がアバルト企画のエンジンでラリーに本格参戦することが示される。最終的にランチアの開発陣は、ディーノ用のV6エンジンの採用を決断。セッティングを変更するなどして、ストラトスのシャシーに横置きでミッドシップ搭載した。
■親会社のフィアットの方針に即して生産を終了
市販モデル=ストラダーレは1974年に登場。ラリーの戦果と対照的に販売は振るわず、わずか492台で生産は終了となった
ディーノ用V6エンジンで武装し、同時に各部をモディファイした進化版プロトティーポのストラトスは、1972年開催のトリノ・ショーに出品される。そして、当時のグループ4規定の「連続する12カ月で400台以上の生産」を目指し、ベルトーネのファクトリーで製造をスタート。1973年には量産試作車が発表され、1974年より市販モデル=ストラダーレを発売した。
ストラダーレ版のストラトスのボディサイズは、全長3710×全幅1750×全高1114mm/トレッド前1430×後1460mmと量販車では類を見ないショート&ワイドのディメンションで、車重は1トンを切る980kgに収まる。前ダブルウィッシュボーン/後ストラットのサスペンションには前後スタビライザーとアジャスタブル機構を組み込み、シューズには205/70VR14タイヤ+軽合金ホイールをセット。また、操舵機構にはラック&ピニオン式を、制動機構にはデュプレックスシステムのディスクブレーキを採用した。ミッドシップに横置き搭載する2418cc・V型6気筒DOHCエンジンは、190hp/7000rpmの最高出力と23.0kg・m/4000rpmの最大トルクを発生。ディーノ用と比べると、5hp低い最高出力を600rpm低い回転数で、同レベルの最大トルクを1500rpm低い回転数で絞り出す。組み合わせる5速MTはクロスレシオに設定したうえで、ファイナルレシオをディーノ用の3.625から3.824へとローギアード化。これらのセッティング変更により、加速性能とピックアップを向上させていた。一方、外装に関してはリアスポイラーやリアガラスルーバー、車名およびベルトーネエンブレムなどを装備。シンプルにまとめられた内装には、シルバー色のメーターパネルやバケットタイプのシート、ダイヤルを溝に沿って上下して開閉するサイドウィンドウ、ヘルメットが収納できる深いポケットなどを設定していた。
世界ラリー選手権(WRC)では、1974年から1976年にかけて3年連続メイクスチャンピオンに輝く。無敵のラリーマシンとしてその名を轟かせた
ホモロゲーションは1974年10月に獲得したものの、フェラーリからのV6エンジン供給の滞りもあり、ストラダーレ版ストラトスの生産は遅れがちとなる。また、エミッションコントロールの規制で米国や一部欧州の市場では販売できず、さらにオイルショックの影響などもあって売り上げは伸び悩んだ。一方で、ラリーの舞台ではコンペティション仕様のストラトスが大活躍。世界ラリー選手権(WRC)では、1974年から1976年にかけて前人未到の3年連続メイクスチャンピオンに輝いた。
無敵のラリーマシンに発展したストラトス。しかし、1977年からは親会社のフィアットが131アバルト・ラリーを駆ってWRCに本格参戦することが決定し、その影響で傘下のランチアのワークス参戦は取りやめとなる。また、販売不振のストラダーレ版ストラトスの生産も中止された。ラリーでは成功し、商業上では失敗――そんな数奇な運命をたどったスーパーカーは、わずか492台の生産台数をもって車歴を終えたのである。
【著者プロフィール】
大貫直次郎
1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。
