連載開始から50年…手塚プロ社長が語る『ブラック・ジャック』の魅力と誕生秘話

言わずと知れた、手塚治虫氏による医療マンガの金字塔『ブラック・ジャック』。週刊少年チャンピオンで1973年に連載を開始してから、2023年で50周年となります。これに合わせ、10月6日(金)から11月6日(月)まで、六本木ヒルズ森タワー52階・東京シティビューで史上最大規模の展覧会「手塚治虫 ブラック・ジャック展」が開催中です。

 

原作の魅力をたっぷり感じることができる展覧会の開催を機に、名作『ブラック・ジャック』の魅力について、手塚プロダクション社長の松谷孝征さんにインタビュー。手塚治虫氏のマネージャーを務めていた当時の裏話や同氏が作品に込める思いなどを伺いました。

※手塚治虫の「塚」は旧字体。

 

5回の連載から代表作に。
『ブラック・ジャック』誕生の背景

『ブラック・ジャック』は、無免許の天才外科医ブラック・ジャックを主人公に繰り広げられる医療ドラマです。医療を軸に、生と死、命の尊さについて考えさせられる多種多様なストーリーが1話完結型(一部例外あり)で描かれ、今なお多くの医療関係者からリスペクトされています。

 

そんな同作品が連載を開始したのは、今から50年前の1973年。当初は長期連載ではなく、短期間の読み切り作品として終了する予定だったそうです。松谷さんが手塚プロダクションに入社したのも1973年のこと。連載当初の裏話を語っていただきました。

 

©Tezuka Productions

 

「連載が始まった1973年は、アニメーション制作会社の『株式会社虫プロダクション』と、版権や出版関係を扱っていた『虫プロ商事株式会社」の2つ会社が倒産した、手塚治虫にとって大変な時期でした。ちょうど会社のごたごたが収まりかけた秋口に、『週刊少年チャンピオン』の編集長から連載のオファーが来ました。それが、『ブラック・ジャック』の始まりです。最初は長期連載ではなく、1話完結型の話を5週やってみませんかという依頼で始まった作品でした。しかし、2~3週もすると、人気が跳ね上がっていったんです。結局その後も連載が続き、『ブラック・ジャック』は手塚治虫の代表作のひとつとなりました」(手塚プロダクション社長・松谷孝征さん、以下同)

 

経営破綻を報じる当時の新聞記事。展覧会では、漫画家・手塚治虫氏が逆境のなかにあった姿も伝えている。※展覧会の展示物より

 

借金を抱え、大変な時期でもあった手塚氏。しかし、落ち込む様子も見せず、漫画に打ち込む氏の姿がそこにあったといいます。

 

「2つの会社が倒産した後だったこともあり、先生にとっては逆にすっきりしたのかもしれませんね。とくに1972年~1973年頃は、以前より漫画を描いていない時期でもあったので、『漫画を書きたい』という思いがとりわけ強かったのだと思います」

 

東京・高田馬場にある、現在の手塚プロダクション本社。アトムの看板が出迎えてくれる。

 

約20ページで、
命の尊さ、医療の意義を問うストーリー

 

5回の短期連載で始まった『ブラック・ジャック』は、その後5年間にわたって連載が続き、連載終了後も14話の読み切り作品が発表されています。同作の魅力を、松谷さんに伺いました。

「絵柄も魅力ですが、なによりストーリーが素晴らしいと思います。週刊誌で約20ページの1話読み切りだから読みやすいんです。時として次の週まで続く話もありましたが、基本的には1話で終わるので前の号を読まなくてもストーリーに入り込める、というのは人気のひとつだと思いますね」

 

『ブラック・ジャック』第1話「医者はどこだ!」から、読者の前に初めて姿を現したシーン。※展覧会の展示物より
©Tezuka Productions

 

200話以上もあるエピソードには、どれも「命の尊さ」や「医療とはなにか」といったテーマが盛り込まれ、今なお私たちの心を揺さぶるものばかりです。なかでも松谷さんが印象に残っている話として挙げるのは、ブラック・ジャックが人も動物も、命は平等であるという問いを投げかけた『オペの順番』というエピソードです。

 

第241話『オペの順番』は、船の上で同時に怪我をしたヤマネコ、赤ん坊、代議士の誰からオペをすべきかをブラック・ジャックが判断するというストーリー。お金を持っている代議士は、『多額の謝礼金を支払うから優先的に手術しろ』と要求するのですが、ブラック・ジャックは症状の重い順に、ヤマネコ、赤ん坊、代議士の順にオペを行います。

 

「この話では、権力に対する忖度やお金があるから優先ということではなく、何より『命を助ける』ということが重要だと伝えたかったのだと思います。また、戦争を経験した手塚先生は、『ブラック・ジャック』以外の作品でも戦争の悲惨さや命、平和の大切さを訴えていました。人も動物も植物も、すべて命ある尊い生き物であると考えていたからこそのエピソードだと感じます」

 

『ブラック・ジャック』第241話「オペの順番」より。動物も人も同じ命であると考え、ヤマネコを懸命に治療するブラック・ジャックの姿が見受けられる。※展覧会の展示物より
©Tezuka Productions

 

他にも、「せっかく治療したのにその患者がそのあとすぐに死刑になってしまうエピソード(『ブラック・ジャック』第5話「二度死んだ少年」)や、『医者は何のためにあるんだ』(『ブラック・ジャック』第51話「ちぢむ!!」)という有名なシーンも印象に残っています」と松谷さん。こうした医療や医師の意義を問うエピソードも多い『ブラック・ジャック』。作品を通してあらためて“医療とは何か”という根本的な問いに向き合い、考えるきっかけにもなるはずです。

 

『ブラック・ジャック』第18話「二度死んだ少年」より。瀕死の殺人犯をブラック・ジャックが助けるも、その後死刑宣告をされてしまうというエピソード。「死刑にするために助けたんじゃない」という悲痛な叫びから、医療のあり方を考えさせられる。 ※展覧会の展示物より。 ©Tezuka Productions

 

作品を盛り上げる、魅力あふれるキャラクター

 

主人公の天才外科医ブラック・ジャックはもちろん、ブラック・ジャックの奥さん兼助手を務める自称18歳の女の子ピノコや、安楽死を専門とするドクター・キリコなど、『ブラック・ジャック』には魅力あふれるキャラクターが登場します。そうしたキャラクター達も作品の魅力だと、松谷さんは語ります。

 

©Tezuka Productions

 

「私が一番好きなキャラクターは、やはりピノコです。かわいらしくて、息抜きにもなりますよね。とあるエピソードで、ブラック・ジャックが寝ているピノコを起こさないように家を出ようとするのですが、扉を開けたらピノコがカバンを『はい』と渡すシーンがありまして。かわいらしさだけでなく、ピノコの献身的なやさしさにはとても惹かれます」

 

『ブラック・ジャック』第13話「ピノコ愛してる」より。ピノコのひたむきな愛情と、ブラック・ジャックとの絆を感じるエピソードだ。 ※展覧会の展示物より。
©Tezuka Productions

 

主人公ブラック・ジャックについても聞いてみたところ、連載当初松谷さんは、大人の「医者」が主人公ということに驚いたそうです。

 

「ブラック・ジャックは、莫大な手術費用を請求するというようなダークな一面も持っていますが、きちんと自分の正義を根底に持っていて、かっこいい主人公だなと思います。しかし、それまで少年誌といえば、格闘技や柔道などの熱血物が人気なイメージでしたので、主人公が大人の医者ということに当初は驚きました。自身が医学博士だったこともあると思いますが、先生が作品を通して子どもたちに『命の尊さ』を伝えるには、医者がぴったりだと考えたんでしょうね」

 

「自分が納得いかないものは、描き直す」
手塚治虫の漫画に向き合う姿勢

 

ストーリーやキャラクター以外で『ブラック・ジャック』を読む際に注目してほしい点について聞いてみたところ、「手塚治虫がこの話を通して何を子どもたちに伝えたかったのか、その裏側に込めた思いに注目してほしい」と、松谷さん。その熱意を感じる手塚氏のエピソードを語ってくださいました。

 

 

「ある時、あと1ページで完成するという状況で、手塚先生がアシスタントに『今回の話どうでしたか?』と問いかけたことがあります。アシスタントの1人が『イマイチですね』と答えると、『8時間ください』と言い残し、自分の部屋にこもってしまったんです。それが夜の12時。担当の編集者、印刷会社、写植屋を待たせている状況だったのですが、そこから8時間で20ページすべてを描き直したというエピソードが残っています。

 

手塚先生は、よく、『漫画は子どもたちが見るものだからこそ、自分で満足いかないようなものを出すわけにはいかない』と語っていました。だからこそ、あと1ページで仕上がるという状況であっても、誠心誠意漫画に向き合う姿勢を崩さなかったのだと思います」

 

手塚治虫作品が時代を超えて愛される理由

 

『ブラック・ジャック』はもちろん、手塚治虫の作品は今なお多くの人々に愛され、読み継がれています。長く親しまれる理由を、松谷さんも身をもって実感したことがあるのだとか。

 

「手塚プロダクションに入社する前、私は出版社で漫画雑誌のグラビアや読み物ページを担当していました。そんななか、1972年にとあるきかっけで手塚治虫の担当になってしまったんです。子どものころは『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』といった作品を親しんでいたのですが、担当になったころはほとんど手塚先生の作品を読んでいませんでしたね。

 

担当として2ヵ月半ほど手塚先生の仕事場に泊まり込むようになったころ、手塚作品を読み直してみたんです。その時、子どもたちに伝えたかった強いメッセージに気づき、あらためて手塚治虫のすごさを実感しました。手塚治虫作品は、戦争の悲惨さ、命の尊さ、平和の大切さといった、いつの時代にも通ずる普遍のテーマが込められており、手塚先生はそれらを子どもたちへ伝えなくてはならないという使命感を持っていたのでしょうね。どんな時代にも変わらない良さがあり、読み返す度に新しい発見や感動を得ることができる。それが手塚治虫作品の魅力だと思います。

 

手塚プロダクションはこれからも、手塚先生が生涯をかけて訴え続けてきたメッセージを世界中の子どもたちへ届けていきたいと考えています」

 

500点を超える原画が登場する
『手塚治虫 ブラック・ジャック展』

 

©Tezuka Productions

 

10月6日(金)から11月6日(月)まで、六本木ヒルズ森タワー52階・東京シティビューで開催されている『手塚治虫 ブラック・ジャック展』は、松谷さんが語る『ブラック・ジャック』の作品の魅力だけでなく、手塚氏が子どもたちへ伝えたかった思いを存分に感じることができる貴重な展覧会です。

展示される原画は531点。200以上のエピソードを取り上げ、多種多様なストーリーの世界を余すことなく体感しながら、『ブラック・ジャック』のあらたな魅力を発見できる内容となっています。

ブラック・ジャックとピノコが過ごした家を再現したフォトスポットや豪華ラインナップのグッズなど、ファンにはたまらない要素も盛りだくさん。50周年というこの機会に、『ブラック・ジャック』の魅力に浸ってみてはいかがでしょうか。

 

©Tezuka Productions

 

『手塚治虫 ブラック・ジャック展』

・会期:2023年10月6日(金)~2023年11月6日(月)
・開館時間:10:00-22:00(最終入館21:00)
・会場:東京シティビュー(東京都港区六本木 6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階)
・入館料:一般<平日 2,300円・土日祝 2,500円>
学生(高校・大学生)<平日 1,700円・土日祝 1,800円>
子ども(4歳~中学生)<平日 900円・土日祝 1,000円>
シニア(65歳以上)<平日 2,000円・土日祝 2,200円>
※料金はすべて税込です。
※障がい者手帳をお持ちの方(介助者1名まで)は無料です。
※本展は事前予約制(日時指定券)を導入しています。

 

Profile

手塚プロダクション 社長 / 松谷孝征

1944年横浜生まれ。実業之日本社で手塚治虫の担当編集者を務めた後、マネージャーとしてスカウトされ、1973年に株式会社手塚プロダクション入社。1985年4月に、同社代表取締役社長に就任。『火の鳥』『ジャングル大帝』等、プロデューサーとして数多くの手塚治虫原作アニメーション制作に携わり、現在に至る。

レトロブームで躍動!「モンチッチ」が50年も日本と世界で長生きしている理由

1974年の発売当初から日本で大ブームを巻き起こし、その人気が海外へと広がっていったモンチッチ。2023年の今なお世界で愛され続け、いよいよ2024年には “50歳” を迎えます。なぜモンチッチはこれほど人気者なのか?___誕生した背景から隠された魅力、そして今若者の間でどのように受け入れられているかまで、モンチッチを生み出した玩具メーカー、セキグチを直撃し、解き明かします。

 

「まったく新しい人形」として受け入れられたモンチッチ

↑発売当初のモンチッチ。「製造が難しいこともあり、実は今でもモンチッチ以外で、ボディはぬいぐるみ、顔と手足はソフトビニールで作られている商品はあまり見かけません」

 

モンチッチは、1974年にセキグチから発売。ボディはぬいぐるみ、顔と手足はソフトビニールで作られている点が「今までにない」と話題になり、たちまちブームになったといいます。ヒットの要因となった “新しさ” はどのようにして生まれたのか、まずはモンチッチ誕生の背景に迫ります。明かしてくれるのは、株式会社セキグチ マーケティング部 シニアマネージャーとして、モンチッチのコラボレーション企画やライセンス業務、広報など、モンチッチに関わる業務を担当している幡野友紀さんです。

 

「セキグチは1918年に創業し、昔からソフトビニールを使った人形の製造販売を行ってきました。そんな当社がぬいぐるみにチャレンジし始めたのは、1960年代の後半ごろ。当時から人形を海外にも輸出していたのですが、世界に幅広く展開していくためには、人形だけでなく、動物やかわいらしいキャラクターのぬいぐるみにもチャレンジしたほうが良いのでは、と考えたことがきっかけでした」(幡野さん、以下同)

 

とはいえ、最初は苦労も多かったのだとか。

 

「人形とぬいぐるみは作り方がまったく異なるため、最初は苦労することも多かったようです。その状況を打破するきっかけになったのが、現・会長が当時のヨーロッパで見かけたというぬいぐるみ。しっかりとした型紙で作られていない、クタッとしたぬいぐるみのかわいらしさに感銘を受けたのだそうです。その後、当社でもそれをヒントにぬいぐるみ作りが行われるようになりました。しかし、ぬいぐるみの “表情” を作ることはどうしても難しかったため、当社がこれまで人形の会社として培ってきた技術を活かして顔はソフトビニールで作ることに。そして1972年に、ボディはぬいぐるみ、顔と手足はソフトビニールで作られた『くたくたシリーズ』が誕生しました。これがモンチッチの前身となるぬいぐるみです」

↑1972年に誕生した「くたくたモンキー」

 

『くたくたシリーズ』の翌年に発売した『マドモアゼル ジェジェ』も、モンチッチの誕生を語る上で欠かせない存在。

 

「ジェジェは、ソフトビニールで作った人形で、表情の愛らしさはもちろん、指しゃぶりをしているところがかわいいと評判になりました。指しゃぶりの仕草を取り入れたのは、当時女性が外に働きに出ることが増え始め、『お母さんを待っている間に指しゃぶりをする子どもが増えた』と言われていたから。こうした社会的な背景を取り入れたところも、人気の理由の一つになっているのではないでしょうか」

↑1973年に誕生した「マドモアゼル ジェジェ」

 

「そして1974年、赤ちゃんをイメージした新たな『くたくたシリーズ』を作る際に、ジェジェの指しゃぶりの仕草をヒントにして誕生したのがモンチッチです。フランス語で『私の』を意味する『モン』と『小さくてかわいいもの』を意味する『プチ』、またモンキーのモンとおしゃぶりをチュウチュウ吸っているところから、『モンチッチ』と名付けられました

↑クマ、タヌタヌ、チムたん、チャムは、「くたくたシリーズ」の時からいるキャラクター。現在も「モンチッチフレンズ」としてグッズなどを展開している

 

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海外でも人気者に! モンチッチが愛される理由とは?

↑リニューアルを経た、現在のモンチッチ

 

モンチッチは国内での発売後、海外にも輸出され、世界中で人気者になりました。そんなモンチッチの特徴の一つが、詳細なプロフィールが作られていないこと。その理由について、幡野さんに伺いました。

 

「ぬいぐるみはたとえ量産品であっても、自分の家に迎えた一体に名前をつけたりかわいがったりしていくうちに、替えのきかない存在になっていきますよね。モンチッチも、手にした方それぞれに自由にかわいがってもらいたいという思いから、詳細なプロフィールは決めていないんです」

 

さらに、モンチッチが長年愛されてきた背景には、時代やトレンドにあわせて少しずつアップデートしてきたことがあるのだとか。

 

「モンチッチはこれまで大きなリニューアルを2回行っています。1回目は1985年で、それまでブルーだった目の色を茶色に変えました。当社ではもともと西洋的な人形を作っていたためモンチッチもブルーアイだったのですが、日本生まれだということがより伝わる茶色にしようと考えたことが、変更した主な理由です。

 

2回目は2016年で、時代やトレンドに合わせたビジュアルへと進化しました。例えば今の若者たちにも受け入れてもらいやすいよう、肌の色を赤みをおさえたナチュラルな色に調整しています。また、ぬいぐるみの生地もトレンドにあわせて変更。現在は柔らかくてふわふわした触り心地のぬいぐるみが人気になっているため、硬めの手触りだったモンチッチも、洋服を着せられるくらいの硬さは残しつつ、触ったときになめらかさを感じられるようアップデートしました」

 

イベントやコラボ企画を通して、モンチッチと出会うためのきっかけをつくる

時代やトレンドに合わせて進化してきたモンチッチは、これまでさまざまなイベントやコラボ企画なども実施してきました。とくに代表的・特徴的なものを幡野さんに聞きました。

 

「モンチッチの歴史の中でも大きな挑戦だったのが、2010年にエアギターの日本大会に出場したこと。このときのことは、社内でも社外でも今なお語り継がれています(笑)。きっかけになったのは、モンチッチがたびたび売り場応援に行っていたお店で、エアギターのデモンストレーションイベントが開催されることになり、『モンチッチもやってみない?』と誘われたこと。迷いながらもステージに立ってみるとイベントは大いに盛り上がり、大会にも出場することになったんです。その後、モンチッチ自身が懸命にエアギターを練習した甲斐もあって、予選1位で日本大会に出場することができました。しかし世界大会への出場をかけて挑んだ日本大会は、1位と0.1ポイント差の準優勝という結果に……。私自身もすごく悔しかったのですが、エアギターに挑戦したことでモンチッチのパフォーマンスの幅が広がり、それ以降さまざまなイベントに参加するようになりました」

↑2010年エアギター日本大会決勝に出場したときの様子

 

「そのほか、さまざまなコラボレーション企画も行っています。例えば、2019年に実施したのが『男はつらいよ』とのコラボ。作品の舞台である葛飾は、セキグチがオフィスを構える場所でもあり、『葛飾柴又寅さん記念館』で、寅さんの衣装をまとった『寅チッチ』のグッズを販売したり、イベントを実施したりしました。また、ティーンズメディアとのコラボでは、女子高生たちと一緒に商品開発を行ったことも。女子高生たちのアイデアを取り入れた『JOLモンチッチ』を制作しました」

↑寅さんとコラボレーションした「寅チッチ」。©松竹 ©SEKIGUCHI

 

↑女子高生たちのアイデアを取り入れて生まれた「JOLモンチッチ」

 

モンチッチのイベントやコラボレーションで意識しているのは、あまり縛りを設けず前向きにやってみる、ということ。モンチッチはぬいぐるみ商品なので、商品自体を手に取ってもらえなくなると、モンチッチが存在していることを伝える手段がどんどん減ってきてしまうからなんです。実際、お客様のなかにはコラボレーショングッズを購入して、そこからスタンダードのモンチッチを好きになってくださった方もいらっしゃいます。さまざまな層にアプローチできるようなイベントやコラボレーションを行うことで、今後もモンチッチと出会うためのきっかけづくりを積極的に行っていきたいです」

 

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いよいよ50周年へ。 “レトロの象徴” を強みに、若者にもアプローチ!

2023年6月からスタートした、モンチッチの50周年プロジェクト。プロジェクトの具体的な内容や、若者を中心としたレトロブームとの親和性など、「モンチッチの今」について伺いました。

 

「2024年のモンチッチ50周年に向けて、今年6月に『株式会社モンチッチ』を設立し、『レトロで元気ッチ!プロジェクト』を発足しました。このプロジェクトは、 “レトロの象徴” であるモンチッチが、少子化や高齢化といった課題を抱える日本の地域・地方を元気にするために、全国のレトロ文化を支援しようというもの。第一弾として、6~7月に浅草でスタンプラリーを実施しました。今後もさまざまな場所でイベントを開催していく予定です」

↑浅草で実施された「レトロで元気ッチ!プロジェクト」の様子

 

「モンチッチは今の時代、『レトロを象徴する存在』『昭和を代表するおもちゃ』として捉えられることが多く、モンチッチを見た人からは必ずと言っていいほど『懐かしいね』と言われてきました。しかし、『懐かしい』という言葉にはポジティブな意味もある反面、『昔の方が良かった』『今の印象が薄い』という意味もあるような気がしていて……。今でも新たなグッズを販売し、さまざまなイベントやコラボ企画を実施している私たちからすると、昔のブームを追い越せていないのではと課題に感じていました。

 

しかしここ最近でレトロブームが到来し、昔のものが逆に新しくてかわいいと捉える人が若者を中心に増えていますよね。モンチッチがこれからも長く愛されるキャラクターでいるためには、若者への認知を広げていくことが不可欠なので、私たちは今の状況を大きなチャンスだと捉えています。そのため今は、50周年プロジェクトとしてレトロを全面に打ち出した企画を実施したり、レトロなテイストをグッズに取り入れたりと、 “レトロの象徴” であることを強みとして活かしていく方法を考えているところです。レトロは一過性のブームではなくカルチャーになりつつあると感じているので、今後もレトロが好きな層に向けたアプローチも続けていきます」

 

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モンチッチのおすすめグッズを紹介!

最後に、現在販売されているモンチッチのグッズの中から、幡野さんのおすすめをピックアップ、それぞれのおすすめポイントについても教えていただきました。

 

・50周年記念の第1弾

「レッツ!パレードモンチッチ」シリーズ
レッツ!パレード モンチッチ やわらかL 男の子 9680 円 (税込)
レッツ!パレード モンチッチ S 男の子/女の子 各3300 円 (税込)
レッツ!パレード ベビチッチ S 男の子/女の子 各3080 円 (税込)
レッツ!パレード モンチッチ 顔でかSSキーチェーン 男の子/女の子 各 2420 円 (税込)
レッツ!パレード モンチッチ マスコット 770 円 (税込)
レッツ!パレード モンチッチ ポーチ 1980 円 (税込)

「50周年記念の第1弾として販売しているシリーズ。『50周年の始まりを皆で行進して始めよう!』というイメージで、パレードのコスチュームを着たモンチッチや仲間たちのグッズを展開しています。ぬいぐるみのほかに、キーホルダーやポーチなども!」

 

・ポップなカラーリングとさらりとした肌触りが特徴

「モンチッチCOLORS キーチェーン」
左から、パープル・イエロー・ピンク
各1980 円 (税込)

「ポップなカラーリングとさらりとした肌触りが特徴の手のひらサイズのキーチェーンです。柔らかいボディなので、座らせることもできますよ。カラーは、パープル・イエロー・ピンクの3種類です」

・素材サイト『いらすとや』とコラボ

©Takashi Mifune ©SEKIGUCHI

「いらすとや×モンチッチ 顔でかSSキーチェーン」
(左から)うさぎ・いぬ・ねこ・くま
各2420円

「大人気の素材サイト『いらすとや』さんとコラボし、おなじみのキャラクターである、うさぎ・いぬ・ねこ・くまの着ぐるみを着たモンチッチのキーチェーンを展開しています。また、いらすとやさんに作画いただいたLINEスタンプも販売中です!」

 

50周年を迎え、さまざまなグッズが販売されたり、イベントが開催されたりと、盛り上がりを見せているモンチッチ。昔からのファンも新規のファンも、その魅力にあらためて触れてみてはどうでしょうか?

モンチッチ 公式サイト

“昭和レトロ” はブームから新定番へ。異例の大ヒットとなった 復刻グラス「アデリアレトロ」の世界

昭和時代に人気を集め、親しまれた食器ブランド「アデリア」。これを現代に復刻させた「アデリアレトロ」シリーズは、2018年11月に発売以降、ヴィンテージファンや20代~40代の女性を中心に人気を集め、2023年4月までに累計135万個を販売するほどのヒットとなりました。

 

近年続く、 “昭和レトロ” ブームの一端を担うこのアデリアレトロについて、企画・製造元である石塚硝子にコンタクト。デザイナーとして同シリーズに立案から携わった杉本光さんに話を聞きました。

 

SNSで発見した、根強いファンの存在

1819年創業のガラス食器メーカー石塚硝子は、1961年に食器事業へ本格参入し「アデリア」ブランドを立ち上げました。とくにグラス、ボンボン入れなどにポップなデザインをプリントしたグラスウェアシリーズは、その手ごろな価格とデザインの親しみやすさから一般家庭での定番アイテムになりました。しかし、時代の移り変わりとともにプリントグラスの人気も低迷、昭和の終わりには生産が終了し廃番となりました。

 

ところが、SNSを調査したところ当時のデザインが現代でも根強い人気であることが分かったといいます。

 

「新商品企画・開発のプロジェクトに任命されたのは、私を含む女性3人のチームでした。お客様がどのように今の『アデリア』製品を使ってくださっているのか、それを知るためにSNS上でリサーチを行ったんです。すると調べていくうちに、現代の「アデリア」ではなく昭和当時に生産されたヴィンテージのプリントグラスに関する投稿が『#アデリア』で検索したうちの7割を占めていることが分かりました。それで、当時のアデリア製品を復刻させたらお客様に喜んでもらえるのではないかと思ったのが、最初のきっかけです」(石塚硝子株式会社 企画グループ・杉本光さん、以下同)

↑話をうかがった、石塚硝子株式会社 企画グループの杉本光さん。2011年入社以来、デザイナーとして新商品の企画・開発・提案に携わってきた。「アデリアレトロ」シリーズには2018年の起案から関わり、立案からデザインまでを担当。

 

SNSでコアなファンの存在を知った杉本さんたちは、次にヴィンテージショップや蚤の市などを回って、レトロファンの声を集めるなど市場調査し、その市場価値の高さを再認識したといいます。しかし、復刻に至るまでには苦労もあったそう。

 

「『アデリアレトロ』を立案した当初は、社内で受け入れられずに苦労しました。『昭和のデザインを今さら商品化して売れるのか?』という意見がほとんどでしたね。それでも、市場調査で製品価値を認識していましたので、諦めずに企画書を出し続けました。その結果、2018年11月に『アデリアレトロ』として発売することが出来たときには、本当にうれしかったですね」

↑数百種類にものぼるというプリントグラスの柄。時代の流行に合わせて、デザインも変化していった

 

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当時のデザインを忠実に再現した「アデリアレトロ」

デザインを再現する上でも、復刻版ならではの苦労があったといいます。

 

「デザイナーとして大変だったのは、復刻版に使うデザインの資料集めです。当時描かれたデザインの資料が社内にいっさい残っていないので、デザインを再現するためにはヴィンテージグラスの現物から柄をもう一度描き起こす必要があります。ところが、復刻したいと思った柄の現物が全然手に入らない、ということがあったんです。そこで、Instagramで『再会チャレンジ』と称して、デザイン起こしのためにヴィンテージグラスの募集をしました。私たちが持っていないヴィンテージグラスを貸していただく、という企画で、ファンの方々にはとても助けていただきました」

 

ちなみに、デザイン起こしはグラスの上にトレーシングペーパーを置いて、鉛筆やペンで柄をなぞるという方法。資料が残っていないからこそ、現物の確保は「アデリアレトロ」商品化をする上で要のひとつといえます。ファンと一緒に作り上げていく「再会チャレンジ」は、今後もデザインを探す上で開催するかもしれないとのことです。

↑ヴィンテージグラスのデザインを丁寧にトレースして、デザインの基盤を作っていく

 

「柄の色合いも、当時のものを出来るだけ忠実に再現しています。当時ならではの独特の印刷のズレなんかもあえて再現することで、 “昭和っぽさ” を出すようにしています。パッケージも、当時の書体やエンブレムをカタログで確認して、昭和の世界観を崩さないよう注力しました。製品シール(アデリアシール)は、ヴィンテージグラスファンの間では、その有無で価値が決まることを知って採用に至りました。現在のものは『アデリアレトロ』へとデザインをアレンジしたものになりますが、もちろん当時の雰囲気を残すことにはこだわっています」

↑昭和当時に使用されていた絵具は現存していないが、出来る限り当時の色合いに近づけるようこだわって彩色されている

 

↑昭和の雰囲気はそのままの「アデリアレトロシール」

 

一方で、単なる復刻ではなく「現代のライフスタイルで使いやすい」製品になるよう、グラスデザインの変更などを行ったりもしたそうです。

 

「『脚付きグラス』は、昭和当時から現代にかけて根強い人気がある製品なんですが、脚の雰囲気はそのままに容量を当時よりも大きくました。それから、グラスの口径を手が入るぐらい広くして、洗いやすいようにも改良しました」

↑大容量にリメイクされた「脚付きグラス」

 

復刻版になってから、新しく登場した商品もあります。

 

「新しくデザインしたものでは『台付きグラス』があります。昭和当時にはなかった形状ですが、レトロ感もあって普段使いしやすい形を、と考えてこの形を採用しました。この製品は、シリーズの中でもとくに人気が高いです。柄では『野ばな』と『ズーメイト』に人気が集まっています」

↑コロンとした可愛いフォルムで、台もしっかりと安定しているので使いやすいと評判の「台付きグラス」。画像は人気の柄「ズーメイト」(左)と「野ばな」(右)

 

さらに、2023年3月には、同シリーズで初めてガラス製品ではない「ワイドマグ」が発売されました。

 

「新商品のワイドマグは陶器製です。こちらは、『アデリアレトロ』を温かい飲み物でも使いたい、というファンからの声がきっかけで誕生した商品になります。こうしてファンの方々の声を聞くことで、新しい商品を作っていくという試みは、これからも続けていきたいです」

↑陶器製の「ワイドマグ」は飲み物がたっぷり入るサイズ

 

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プチギフトのニーズにも応えた “令和時代に復刻版を手に入れる” 価値

もともとビンテージグラスとして人気が高かった「アデリア」シリーズですが、新品の「アデリアレトロ」を手に入れることの価値について、杉本さんは次のように語ってくださいました。

 

「50~60年前に作られた製品ですので、ヴィンテージだと保存状態が良くなかったりすることもあると思います。ですので、せっかく手に入れても、希少性や耐久性の不安から普段使いすることをちょっとためらってしまう部分もあると思うんです。その点、『アデリアレトロ』はヴィンテージではなく新品の高い品質で、どなたでも安心して、気軽に昭和レトロなデザインを楽しめるというところが魅力のひとつではないでしょうか」

↑身近な日用品である食器に関する意識調査では、”レトロなデザインの新品” でのニーズが9割以上だった。(出典=石塚硝子株式会社 ハウスカンパニー マーケティングレポートNo.200-O.01「ジワジワと心揺さぶられるレトロ商品」より)

 

「アデリアレトロ」の付加価値はこれだけではありません。昭和当時は贈答用を除くと、6個ぐらいがまとめて段ボールに入った梱包が主だったそうです。しかし現代では、プチギフトの流行もあり1個からでも可愛い、でデザイン性のあるパッケージが求められています。杉本さんたちも、こうしたニーズに合わせて復刻版はグラス1個からでも、しっかりした可愛い箱が付いてくるという商品に仕上げたのだとか。

↑昭和当時のフォントやロゴがかわいいパッケージはプチギフト用にもぴったり

 

さらに、一緒についてくるしおりのデザインは、当時の会報誌「アデリア」の1冊に使用されていたものを採用。ヴィンテージグラスと見分けるために、すべての現行品にはグラスのプリント内側にさり気なく「アデリアレトロ」の隠れゴロを入れるこだわりも。

↑昭和の雰囲気たっぷりの会報誌表紙(左)を、そのまま製品しおり(右)に採用。

 

「単品の場合、昭和当時は各家庭で使うための消耗品として買われるスタイルでした。現代でも、そのニーズはもちろんあると思います。一方で、ギフト需要が高くなって、友人や家族、そして自分へも “ギフト” として贈りたいと考える人は非常に増えてきていると考えています」

 

廃盤になったプリントグラス「おうち時間」の定着が復刻版大ヒットの背景

「アデリアが発売された昭和当時は、第二次ベビーブームが起きた頃で、団地などもどんどん建てられていた時代です。ライフスタイルも、従来の畳とちゃぶ台で食事をして、湯呑みでお茶を飲む、というものからテーブルと椅子を使った洋風スタイルへと急激に変化しました。ガラス食器の購買欲も非常に高かったのが、平成時代にかけて段々と勢いが弱まっていき、デザインの流行も変化したことでアデリアのプリントグラスは廃盤になりました。こういった経緯から、『アデリア』のプリントグラスは古い時代のもの、という印象が社内にはあったんです。ところが、年間10万個売れればヒットしたといわれる中で、復刻版は累計135万個という驚異的な販売数となりましたから、これには驚きました」(石塚硝子 ハウスウェアカンパニー 市販部 販促マーケティンググループ 広報チームの川島健太郎さん)

 

その大ヒットの背景には、昭和レトロブームとは別に、コロナ禍による「おうち時間」の定着もあったのではないか、と川島さんは話します。

 

「実は、『アデリアレトロ』が発売開始をしてから約1年半の間は、それほど販売数は伸びなかったんです。ところが、認知が広がってきた2020年から2021年にかけてどんどん販売数が右肩上がりになりました。ちょうどこの頃は、コロナ禍で、自宅で何かを楽しむことへの需要もありました。それに昭和レトロブームも相まって、昔ながらのクリームソーダを自宅で作るときなどに、グラスウェアとして『アデリアレトロ』を楽しんで使っていただけたことも、ヒットの後押しになったと思っています」(川島さん)

 

【関連記事】旬食材の一汁一菜こそ豊かな食事!「昭和」は現代を生きる教科書だった

 

温かみのある昭和レトロなデザインが魅力の「アデリアレトロ」シリーズでは、今後も新しいプリントデザインの復刻や、新しい商品の開発を予定しているそうです。

 

「ガラスメーカーなのでガラス食器しか作らない、というわけではなく、それ以外の素材にもチャレンジしていきたいです。ファンの方に喜んでもらえる商品はどんなものか、という考え方を軸に商品開発をしていきたいと思います」(杉本さん)

 

そして、さらにイベントやワークショップなど、ファンとの交流も大切にしていきたいとのことです。

 

「“昭和レトロブーム”  と言われますが、 “ブーム” は直訳すると “にわか景気、一過性の増加” を意味します。『アデリアレトロ』では、ファンマーケティングの考え方を中心に、“ブームではなく文化として定着させたい” という願いのもと、商品作りだけではなく喫茶イベントやワークショップなどを通じて世の中に根づかせて行きたいと考えています」(川島さん)

 

若い世代にとっては新しく、昭和世代にとっては懐かしい。そんな時代を超えて愛される「アデリアレトロ」のグラスウェアで、自分ならではの「純喫茶」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

「アデリアレトロ」HPInstagram

“昭和レトロ” はブームから新定番へ。異例の大ヒットとなった 復刻グラス「アデリアレトロ」の世界

昭和時代に人気を集め、親しまれた食器ブランド「アデリア」。これを現代に復刻させた「アデリアレトロ」シリーズは、2018年11月に発売以降、ヴィンテージファンや20代~40代の女性を中心に人気を集め、2023年4月までに累計135万個を販売するほどのヒットとなりました。

 

近年続く、 “昭和レトロ” ブームの一端を担うこのアデリアレトロについて、企画・製造元である石塚硝子にコンタクト。デザイナーとして同シリーズに立案から携わった杉本光さんに話を聞きました。

 

SNSで発見した、根強いファンの存在

1819年創業のガラス食器メーカー石塚硝子は、1961年に食器事業へ本格参入し「アデリア」ブランドを立ち上げました。とくにグラス、ボンボン入れなどにポップなデザインをプリントしたグラスウェアシリーズは、その手ごろな価格とデザインの親しみやすさから一般家庭での定番アイテムになりました。しかし、時代の移り変わりとともにプリントグラスの人気も低迷、昭和の終わりには生産が終了し廃番となりました。

 

ところが、SNSを調査したところ当時のデザインが現代でも根強い人気であることが分かったといいます。

 

「新商品企画・開発のプロジェクトに任命されたのは、私を含む女性3人のチームでした。お客様がどのように今の『アデリア』製品を使ってくださっているのか、それを知るためにSNS上でリサーチを行ったんです。すると調べていくうちに、現代の「アデリア」ではなく昭和当時に生産されたヴィンテージのプリントグラスに関する投稿が『#アデリア』で検索したうちの7割を占めていることが分かりました。それで、当時のアデリア製品を復刻させたらお客様に喜んでもらえるのではないかと思ったのが、最初のきっかけです」(石塚硝子株式会社 企画グループ・杉本光さん、以下同)

↑話をうかがった、石塚硝子株式会社 企画グループの杉本光さん。2011年入社以来、デザイナーとして新商品の企画・開発・提案に携わってきた。「アデリアレトロ」シリーズには2018年の起案から関わり、立案からデザインまでを担当。

 

SNSでコアなファンの存在を知った杉本さんたちは、次にヴィンテージショップや蚤の市などを回って、レトロファンの声を集めるなど市場調査し、その市場価値の高さを再認識したといいます。しかし、復刻に至るまでには苦労もあったそう。

 

「『アデリアレトロ』を立案した当初は、社内で受け入れられずに苦労しました。『昭和のデザインを今さら商品化して売れるのか?』という意見がほとんどでしたね。それでも、市場調査で製品価値を認識していましたので、諦めずに企画書を出し続けました。その結果、2018年11月に『アデリアレトロ』として発売することが出来たときには、本当にうれしかったですね」

↑数百種類にものぼるというプリントグラスの柄。時代の流行に合わせて、デザインも変化していった

 

【関連記事】純喫茶風の固め食感が旬! “昭和”なレトロプリンをカラメルソースから作る方法

 

当時のデザインを忠実に再現した「アデリアレトロ」

デザインを再現する上でも、復刻版ならではの苦労があったといいます。

 

「デザイナーとして大変だったのは、復刻版に使うデザインの資料集めです。当時描かれたデザインの資料が社内にいっさい残っていないので、デザインを再現するためにはヴィンテージグラスの現物から柄をもう一度描き起こす必要があります。ところが、復刻したいと思った柄の現物が全然手に入らない、ということがあったんです。そこで、Instagramで『再会チャレンジ』と称して、デザイン起こしのためにヴィンテージグラスの募集をしました。私たちが持っていないヴィンテージグラスを貸していただく、という企画で、ファンの方々にはとても助けていただきました」

 

ちなみに、デザイン起こしはグラスの上にトレーシングペーパーを置いて、鉛筆やペンで柄をなぞるという方法。資料が残っていないからこそ、現物の確保は「アデリアレトロ」商品化をする上で要のひとつといえます。ファンと一緒に作り上げていく「再会チャレンジ」は、今後もデザインを探す上で開催するかもしれないとのことです。

↑ヴィンテージグラスのデザインを丁寧にトレースして、デザインの基盤を作っていく

 

「柄の色合いも、当時のものを出来るだけ忠実に再現しています。当時ならではの独特の印刷のズレなんかもあえて再現することで、 “昭和っぽさ” を出すようにしています。パッケージも、当時の書体やエンブレムをカタログで確認して、昭和の世界観を崩さないよう注力しました。製品シール(アデリアシール)は、ヴィンテージグラスファンの間では、その有無で価値が決まることを知って採用に至りました。現在のものは『アデリアレトロ』へとデザインをアレンジしたものになりますが、もちろん当時の雰囲気を残すことにはこだわっています」

↑昭和当時に使用されていた絵具は現存していないが、出来る限り当時の色合いに近づけるようこだわって彩色されている

 

↑昭和の雰囲気はそのままの「アデリアレトロシール」

 

一方で、単なる復刻ではなく「現代のライフスタイルで使いやすい」製品になるよう、グラスデザインの変更などを行ったりもしたそうです。

 

「『脚付きグラス』は、昭和当時から現代にかけて根強い人気がある製品なんですが、脚の雰囲気はそのままに容量を当時よりも大きくました。それから、グラスの口径を手が入るぐらい広くして、洗いやすいようにも改良しました」

↑大容量にリメイクされた「脚付きグラス」

 

復刻版になってから、新しく登場した商品もあります。

 

「新しくデザインしたものでは『台付きグラス』があります。昭和当時にはなかった形状ですが、レトロ感もあって普段使いしやすい形を、と考えてこの形を採用しました。この製品は、シリーズの中でもとくに人気が高いです。柄では『野ばな』と『ズーメイト』に人気が集まっています」

↑コロンとした可愛いフォルムで、台もしっかりと安定しているので使いやすいと評判の「台付きグラス」。画像は人気の柄「ズーメイト」(左)と「野ばな」(右)

 

さらに、2023年3月には、同シリーズで初めてガラス製品ではない「ワイドマグ」が発売されました。

 

「新商品のワイドマグは陶器製です。こちらは、『アデリアレトロ』を温かい飲み物でも使いたい、というファンからの声がきっかけで誕生した商品になります。こうしてファンの方々の声を聞くことで、新しい商品を作っていくという試みは、これからも続けていきたいです」

↑陶器製の「ワイドマグ」は飲み物がたっぷり入るサイズ

 

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プチギフトのニーズにも応えた “令和時代に復刻版を手に入れる” 価値

もともとビンテージグラスとして人気が高かった「アデリア」シリーズですが、新品の「アデリアレトロ」を手に入れることの価値について、杉本さんは次のように語ってくださいました。

 

「50~60年前に作られた製品ですので、ヴィンテージだと保存状態が良くなかったりすることもあると思います。ですので、せっかく手に入れても、希少性や耐久性の不安から普段使いすることをちょっとためらってしまう部分もあると思うんです。その点、『アデリアレトロ』はヴィンテージではなく新品の高い品質で、どなたでも安心して、気軽に昭和レトロなデザインを楽しめるというところが魅力のひとつではないでしょうか」

↑身近な日用品である食器に関する意識調査では、”レトロなデザインの新品” でのニーズが9割以上だった。(出典=石塚硝子株式会社 ハウスカンパニー マーケティングレポートNo.200-O.01「ジワジワと心揺さぶられるレトロ商品」より)

 

「アデリアレトロ」の付加価値はこれだけではありません。昭和当時は贈答用を除くと、6個ぐらいがまとめて段ボールに入った梱包が主だったそうです。しかし現代では、プチギフトの流行もあり1個からでも可愛い、でデザイン性のあるパッケージが求められています。杉本さんたちも、こうしたニーズに合わせて復刻版はグラス1個からでも、しっかりした可愛い箱が付いてくるという商品に仕上げたのだとか。

↑昭和当時のフォントやロゴがかわいいパッケージはプチギフト用にもぴったり

 

さらに、一緒についてくるしおりのデザインは、当時の会報誌「アデリア」の1冊に使用されていたものを採用。ヴィンテージグラスと見分けるために、すべての現行品にはグラスのプリント内側にさり気なく「アデリアレトロ」の隠れゴロを入れるこだわりも。

↑昭和の雰囲気たっぷりの会報誌表紙(左)を、そのまま製品しおり(右)に採用。

 

「単品の場合、昭和当時は各家庭で使うための消耗品として買われるスタイルでした。現代でも、そのニーズはもちろんあると思います。一方で、ギフト需要が高くなって、友人や家族、そして自分へも “ギフト” として贈りたいと考える人は非常に増えてきていると考えています」

 

廃盤になったプリントグラス「おうち時間」の定着が復刻版大ヒットの背景

「アデリアが発売された昭和当時は、第二次ベビーブームが起きた頃で、団地などもどんどん建てられていた時代です。ライフスタイルも、従来の畳とちゃぶ台で食事をして、湯呑みでお茶を飲む、というものからテーブルと椅子を使った洋風スタイルへと急激に変化しました。ガラス食器の購買欲も非常に高かったのが、平成時代にかけて段々と勢いが弱まっていき、デザインの流行も変化したことでアデリアのプリントグラスは廃盤になりました。こういった経緯から、『アデリア』のプリントグラスは古い時代のもの、という印象が社内にはあったんです。ところが、年間10万個売れればヒットしたといわれる中で、復刻版は累計135万個という驚異的な販売数となりましたから、これには驚きました」(石塚硝子 ハウスウェアカンパニー 市販部 販促マーケティンググループ 広報チームの川島健太郎さん)

 

その大ヒットの背景には、昭和レトロブームとは別に、コロナ禍による「おうち時間」の定着もあったのではないか、と川島さんは話します。

 

「実は、『アデリアレトロ』が発売開始をしてから約1年半の間は、それほど販売数は伸びなかったんです。ところが、認知が広がってきた2020年から2021年にかけてどんどん販売数が右肩上がりになりました。ちょうどこの頃は、コロナ禍で、自宅で何かを楽しむことへの需要もありました。それに昭和レトロブームも相まって、昔ながらのクリームソーダを自宅で作るときなどに、グラスウェアとして『アデリアレトロ』を楽しんで使っていただけたことも、ヒットの後押しになったと思っています」(川島さん)

 

【関連記事】旬食材の一汁一菜こそ豊かな食事!「昭和」は現代を生きる教科書だった

 

温かみのある昭和レトロなデザインが魅力の「アデリアレトロ」シリーズでは、今後も新しいプリントデザインの復刻や、新しい商品の開発を予定しているそうです。

 

「ガラスメーカーなのでガラス食器しか作らない、というわけではなく、それ以外の素材にもチャレンジしていきたいです。ファンの方に喜んでもらえる商品はどんなものか、という考え方を軸に商品開発をしていきたいと思います」(杉本さん)

 

そして、さらにイベントやワークショップなど、ファンとの交流も大切にしていきたいとのことです。

 

「“昭和レトロブーム”  と言われますが、 “ブーム” は直訳すると “にわか景気、一過性の増加” を意味します。『アデリアレトロ』では、ファンマーケティングの考え方を中心に、“ブームではなく文化として定着させたい” という願いのもと、商品作りだけではなく喫茶イベントやワークショップなどを通じて世の中に根づかせて行きたいと考えています」(川島さん)

 

若い世代にとっては新しく、昭和世代にとっては懐かしい。そんな時代を超えて愛される「アデリアレトロ」のグラスウェアで、自分ならではの「純喫茶」を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

「アデリアレトロ」HPInstagram

純喫茶風の固め食感が旬!“昭和”なレトロプリンをカラメルソースから作る方法

なめらかで口溶けのいいクリーミーなプリンが一世を風靡したのは、ひと昔前のこと。今では昔ながらの固いプリンにトレンドが逆戻りし、さまざまなお店で“固めプリン”を見かけます。プリンらしい喉越しのよさがありながらも、しっかりとした独特の食感がたまりません。

 

今回は家でも固いプリンが作れるよう、お菓子研究家の本間節子さんにレシピを考案していただきました。教えていただいたレシピは、バットで作る大きなカスタードプリンと、柑橘の香りが鮮やかなレモンプリンです。

 

“固めプリン”で味わえる、卵のおいしさ

ふたたび脚光を浴びている固めのレトロプリンは、ナイフで切れるくらいしっかりと固まる配合で作られています。柔らかいプリンと違って、型から上手に外せるので、カラメルソースがのった、プリンらしい見栄えがかわいいですよね。また、生クリームが入る柔らかいプリンより、卵の味がしっかりと感じられるのも、魅力のひとつです。

 

「固めプリンのレシピはいろいろありますが、今回は生クリームではなく牛乳を使いました。卵も卵黄だけでなく、全卵も使って白身の力できちんと固まるようにします。卵の分量が多めなので、黄色い卵色になり、卵のおいしさが感じられるんですよ」(お菓子研究家・本間節子さん、以下同)

 

おいしいプリン作りのコツ1.
卵を室温に戻すこと!

使う卵は、室温に戻してから調理しはじめます。プリンは低温のオーブンで焼くので、冷たい卵から作りはじめてしまうと、火の通り方が変わってしまうのです。

 

「時間があるときは、殻に入ったままの卵を一時間ほど室温に置いておきましょう。ちょっと急いでいるときは、卵を割ってラップなどをして置いておくと、早く温まりますよ。ただ、湯煎するなどして温めてしまうと温度が上がりすぎてしまうので気をつけましょう」

 

おいしいプリン作りのコツ2.
バニラビーンズかバニラオイルで香りづけすること!

プリンを食べたときに感じる、あのいい香りの正体はバニラ。やや高価ですが、左のようなバニラビーンズを使うと自然な香りがあり、バニラの黒い種子がプリンに出るのが特徴です。右のようなバニラオイルを使うときは、バニラエッセンスと間違えないように注意しましょう。バニラオイルは耐熱性があり、焼き菓子などに向いていますが、バニラエッセンスは耐熱性ではないので、オーブン料理には向かないのです。

 

プリンに欠かせない「カラメルソース」の作り方

さて、プリンの作り方に入る前に、作っておきたいのがカラメルソース。濃さはお好みで調節できますが、今回は少し苦みがあって濃厚なソースと、軽やかでプリンの味にも馴染みやすい薄めの色ソースの2種類を作ります。濃いめのソースはホーローバットで作ったプリンに、薄めのソースはレモンプリンに使用しました。

【材料】

砂糖……40g
水……小さじ1
熱湯……大さじ1と1/3

 

【作り方】

1.プリンを作る容器にバターを塗る。

「カラメルソースができあがったらすぐに容器に流し入れるので、先に容器にバターを塗って準備しておきます。バターを塗ることで、型から上手に外れるようになりますよ」

 

2.小鍋に砂糖と水を入れ、蓋をして弱火にかける。

「ここでは水が砂糖全部にかからなくても大丈夫です。また、お鍋は小さい方が水の蒸発を防げる方がうまくいくので、12〜15cmくらいの小さなお鍋を使い、蓋をします」

 

3.ソースが色づいてきたら火を止め、お湯をそっと入れる。

「茶色くなってきたら蓋を取りましょう。ヘラなどは使わず、お鍋を揺らして全体混ぜていきます。濃いめのソースにする場合はコーラのような色になるまで、薄めにする場合は薄めのおしょうゆくらいの色になるまで加熱して火を止めます。そっとお湯を入れたら、ふたたびお鍋を回してなじませましょう」

 

4.耐熱のヘラでソースを集め、用意した容器に流し入れる。

「お鍋に置きっぱなしにしてしまうと固まってきてしまうので、できあがったらすぐに容器に入れます」

2種類のカラメルソースはこうしてできあがりました。右側が濃いめ、左側が薄めのソースです。

 

カラメルソースの作り方をマスターしたら、いよいよレトロプリンのレシピを教えていただきましょう。

 

ホーローバットで作る、しっかり固めのカスタードプリン

バットで作るプリンは、できあがった瞬間に歓声をあげたくなる大きさ。切り分けてたっぷり食べることができます。プリンカップを持っていなくてもできるので、ホーローや耐熱皿など、お好みの型で作ってみてください。

 

「焼きあがって冷蔵庫に入れれば3時間ほどで落ち着きますが、おすすめは前夜に作って翌日食べるなど、7~8時間しっかり寝かせること。時間が経つごとに水分が飛んで固くなっていくので、2日ほど置いて食べるのも楽しんでみてくださいね。盛り付けには6分立てした生クリームを使いました。100gの生クリームに5gの砂糖を入れています」

 

【使うバットのサイズ】

今回使ったのは、野田琺瑯の160×105×57 mmというサイズ。違うサイズで作る場合は、ようすを見ながら加熱時間を変えてみてください。

 

【材料(ホーローバット1つ分)】

全卵……3個
卵黄……1個
砂糖……60g
牛乳……350ml
バニラビーンズ……2cm分(またはバニラオイル数滴)
カラメルソース(砂糖40g /水小さじ1/熱湯大さじ1と1/3)

 

【下準備】

・卵を室温に戻しておく
・型にバターを塗り、カラメルソースを流し入れておく
・オーブンを140℃に予熱しておく

 

【作り方】

1.バニラビーンズのさやを割り、種子を砂糖に混ぜる。

「バニラビーンズのさやを半分に割り、種子を指先でしごいて出します」

 

2.鍋に牛乳とバニラビーンズのさやを入れ、1の半分を加えて温める。

「湯気が上がる程度に温め、熱々にしないようにします」

 

3.残りの砂糖と卵を混ぜる。

「気泡が入ってしまうと、プリンに“す”が入りやすくなってしまうので、泡立て器をボウルに押し付けるようにして混ぜます」

 

4.卵のボウルに温めた牛乳を1/3ずつ混ぜる。

「ここでも気泡が入らないよう、静かに牛乳を注いで混ぜます」

 

5.生地を濾す。

「なめらかな口当たりになるよう、一度ざるで漉しましょう」

 

6.カラメルを入れた容器に生地を流し入れる。

「容器に静かに流し入れ、上に泡が浮いていたら大きいものだけは楊枝などでつぶします」

 

7.140℃に予熱したオーブンで、湯煎しながら25分焼く。

「湯煎焼きできるようにバットを二重にしたら、外側のバットに熱湯を入れます。プリンの生地が半分くらい浸かるとよいでしょう」

 

8.焼きあがったら粗熱を取り、冷蔵庫で最低3時間は冷やし、底を10秒ほど湯煎する。

「温めることによって、まわりのバターと底のカラメルが少し溶けて、形から外れやすくなります」

 

9.周囲にナイフで切り込みを入れ、指で押す。

「周りをぐるりと指で押さえてみて、ちゃんと型から外れそうか確かめます」

 

10.大きいバットをのせて逆さにして型を外す。

「きちんと冷えていて、型の側面を外すことができていたら、こんなふうにうまくいきますよ! カットしてクリームやフルーツを添えていただきましょう」

 

喫茶店みたいに生クリームをたっぷり絞って。レトロなレモンプリン

続いては、プリンといえばこの形! とワクワクするプリンカップで作るレモンプリンです。バットで作るプリンと基本的な作り方は同じですが、レモンの皮を煮出すことで、香りのよい爽やかなプリンなります。
「レモンのプリンは香りの邪魔にならないよう、薄めに仕上げたカラメルソースを合わせています。こんもりと絞った9分立ての生クリームとの相性もいいので、ぜひクリームも作ってみてください。こちらも100gの生クリームに5gの砂糖を入れています」

 

【材料(アルミカップ8号サイズ4つ分)】

全卵……3個
牛乳……300ml
砂糖……60g
レモン……1/2個(香り付け用)
レモンの輪切り……4枚(飾り付け用)
カラメルソース(砂糖40g /水小さじ1/熱湯大さじ1と1/3)

 

【下準備】

・卵を室温に戻しておく
・型にバターを塗り、カラメルソースを流し入れておく
・オーブンを140℃に予熱しておく

 

【作り方】

1.レモンの皮を削り、白いワタを切る。

「レモンの香りを出すために、黄色い部分だけでなく、白いワタのところも切っておきます」

 

2.鍋に牛乳とレモンのワタの方だけを入れ、砂糖の半分を加えて温める。ふつふつとしてきたら火を止め、黄色い皮も入れる。

「黄色い皮の方は香りが飛んでしまわないよう、火を止めてから入れます」

 

3.牛乳を漉してレモンを取り出す。

「さっと沸かした程度でも、プリンにはしっかりレモンの香りがつきますよ」

 

4.「バットでつくるプリン」の3~9の要領でプリンを焼き、冷ます。
(焼き時間は20~25分で様子を見る)

「アルミカップの方も、ぐるりと一周包丁を入れてから指で押してみます」

 

5.盛り付けたい器にプリンを開ける。

「いったん出してしまうと、移動が難しいので、盛り付けたい器にそのまま入れましょう」

 

6.生クリームを星型の口金で絞り、輪切りのレモンを飾る。

見た目はシンプルなプリンと同じですが、食べてみるとびっくりレモン味! のレモンプリン。これから暑くなっていく季節に、冷たくて清涼感のある味で、ますますおいしくいただけそうです。

 

プリンは卵と牛乳、砂糖があれば作れる、とってもシンプルなお菓子。だからこそ、ちょっとした配合の違いで、さまざまな固さや味が楽しめるものでもあります。お菓子研究家の本間さんが幾重にも試作してできあがったレシピ、ぜひ試してみてくださいね。

 

【プロフィール】

お菓子研究家 / 本間節子

日本茶インストラクター。少人数性のお菓子作り教室「atelier h」主宰。季節と食材の味を大切にしたお菓子を提案している。丁寧で研究熱心なレシピは再現性が高く、定評がある。お菓子作りに慣れていない人にもできるような、近著に『お菓子をつくる季節を楽しむ82レシピ』や『やわらかとろける いとしのゼリー』(ともに主婦の友社)。

レトロデザインで日本でスマッシュヒット中! 台湾の国民家電「大同電鍋」の「変わらない」哲学

1960年に台湾で誕生し、2015年に日本でも販売をスタートした台湾の電気メーカー・大同電器による電鍋(以下、大同電鍋)。台湾では累計1500万台以上も販売され一家に1.7台という普及率で、なんと嫁入り道具にもよく挙げられるという国民的家電の一つです。

 

50年以上も基本構造が変わらず、デザイン的にも基本的にはほぼ同じであり続けたという、この大同電鍋は、スタイリッシュなデザインの電化製品が多いなか、かえって目立ちかわいく映ります。今回は、このデザインの秘密を大同日本の簡智賢さん、鄒宗佑さんに話を聞きました。

 

kan_san_syu_san↑大同日本営業販売部の簡智賢さん(右)、鄒宗佑さん(左)。

 

台湾人は変わらないことを好み、一つの物でいくつもの機能を持つことを好む

――台湾ではあちこちで目にする大同電鍋ですが、このデザインはマイナーチェンジを除いて、50年以上も基本が変わっていません。この理由はなんだったのでしょうか?

 

鄒宗佑さん(以下:鄒) まず、構造自体が50年前の発売当初から変わっていないことが挙げられます。鍋の中には加熱管があり、これで195度以上で加熱したり、水蒸気を蒸発させたりするのですが、この構造は実にシンプルです。シンプルだからこそ壊れにくく、台湾人の多くに愛されたという経緯があるわけですが、だからこそ、デザインもずっと変えないで今日まで販売し続けてきたというわけです。

 

――台湾の方は変化を好まないという国民性があるのでしょうか?

 

 そうですね。台湾人は現状維持が好きで、変わらないことのほうを好みます。そういうことも、大同電鍋が50年間デザインを変えなかった理由とも言えます。

 

簡智賢さん(以下:簡) あと、台湾人は一つのもので、いくつもの効果があることを好みます。大同電鍋は当初は炊飯器としての開発でしたが、それだけだと台湾人の生活習慣には合わないのです。ご飯も炊けるし、カレーも作れるし、蒸し料理も出来る……一つの電鍋でいくつもの料理が出来るということが台湾人の間で受け入れられ、長期にわたるヒットに繋がりました。

 

chourichuu↑大同電鍋は一つの鍋で「炊く、煮る、蒸す」の3つの料理を楽しめる、まさに合理的な鍋!

 

 

50年間で大きくデザインが変わったのは、スイッチ部分のたった一度のみ

――この50年間のうち、大同電鍋のデザインのマイナーチェンジはこれまでに何度ありましたか?

 

 鍋を支えるスタンドが、鍋の外側に付くようになったほかは、50年間で大きく変わったのはスイッチ部分のたった1回です。旧式タイプはスイッチがレバー式で、ここで火加減を見るだけでした。保温を止めたいときはコンセントから直接抜くというシンプルなものです。一方、新式タイプはレバーを排して、スイッチ部に保温のオン/オフと過熱(炊飯)を取り入れています。現在、日本で購入出来るのはこの新式のみです。

 

ただ、何故か日本人の間でもこの旧式を欲しがる方は多いんですよね。きっとレトロでかわいいからということだと思います。

 

kyushikiswitch

shinshikiswitch↑50年間で唯一デザインと機能が変わったスイッチ部。旧式のレバー式と、現在日本で購入出来る新式のスイッチ式

 

nabestand_01

nabestand_02↑鍋の外側に付く、鍋スタンド。小さな機能ですが、狭いキッチンではかなりありがたいものです

 

 

購入する9割以上が日本人といううれしい誤算

――ただ、現在の日本の市場を考えると、レトロ風のデザインの商品もありますが、やはり年々機能と合わせてデザインも進化させた商品が多いです。このことで、日本の市場参入に躊躇されたところはありませんでしたか?

 

 もちろんありました。当初、日本の市場に我々が参入するにはハードルが高いだろうと考えていました。台湾人から見れば日本は家電王国で、台湾でも日本の家電は人気がありますし、デザインも最新の優れたものが多いからです。

 

ただし、我々の大同電鍋は、台湾人の生活に根付いていて、台湾人が海外に行くときは、台湾国内で購入して海外に持っていくケースがかなり多くありました。そこで「わざわざ台湾で買って行かなくても、日本でも購入出来るようにしよう」ということが当初の目的で、日本の市場での販売はむしろ考えていなかったことなのです。しかし、実際に販売を始めフタを開けてみたら、結局買ってくださっている方の9割以上が日本人でした。

 

――その理由はやはり、進化し過ぎるデザインに対して、シンプルで昔ながらの大同電鍋のデザインへの親しみやすさがあったのかもしれませんね。

 

 はい。あと、台湾人はすでに台湾国内から日本に持ち込んでいるわけですが、シンプルな構造なのでなかなか壊れないんですよ(笑)。

 

壊れないと新しい大同電鍋を買う必要がないわけですから、台湾人は日本では買ってくれず、逆に当初は難しいと思っていた日本人が買ってくださっているという状況です。

 

daidodennabe↑当初は、日本に移住した台湾人向けに販売された大同電鍋ですが、購入者の多くは日本人ばかりだったようです

 

 

大同電鍋を現代に進化させた新商品、フュージョンクッカー

――これまでに大同電鍋をルーツにした、最新の商品を展開されることはなかったのですか?

 

 もちろんあります。特に近年、台湾国内での健康志向の高まりを受け開発し、ヒットしたものが無水調理の出来るグリル鍋、フュージョンクッカーという商品です。これはまさに大同電鍋の多機能を、現代版に転じた商品で、一つでIHクッキングヒーター、ホットプレート、土鍋、ホーロー鍋、オーブンといった各料理に適した調理機能を一つにまとめたものです。これが台湾国内でヒットしましたので、昨年の秋から日本でも販売をスタートしました。

 

――デザインは大同電鍋と比べると、随分進化していますね。

 

 はい。日本のグッドデザインでも賞を取ったほか、ドイツのiFデザイン賞では設計賞も取りました。デザイン、設計にはかなり力を入れましたので、これから未来の大同電鍋となって欲しいと思っています。

 

fusioncoccker

fusioncoccker02↑大同日本が満を持して、日本の家電市場に持ち込んだフュージョンクッカー。大同電鍋の多性能を、最新技術で再現しています

 

 

大同電鍋は台湾の変わらない風景の一つ

――大同電鍋そのものの天然レトロでかわいいデザインはこれからも変えない予定でしょうか?

 

 そうですね。機能はもちろんデザインも基本構造は変えない予定です。大同電鍋は台湾の一つの風景になっていて、私の実家でも2台あります(笑)。家庭はもちろんですが、コンビニエンスストアの煮卵……台湾ならどこにでもあるものですから、これは変えずにずっとこのままになると思います。

 

 特に変わることと言えば、カラーリングの変更とかキャラクターとのコラボレーションで、電鍋の外側のグラフィックだけですね。

 

今年は本社の100周年にあたるので、台湾国内では、100周年記念のカラーリーングを施した電鍋も発売予定ですが、基本はそのままです。この「電鍋を変えない」こと自体をもって、他社とは違う弊社のブランド力を高めていければと思っています。

 

kin

COCA COLA↑台湾でのコラボレーション電鍋。グラフィックのみの変更で、大同電鍋の機能やデザインそのものは、これから先も変えないそうです

 

いかがでしたでしょうか? 本文中にもある通り、大同電鍋は当初、日本在住の台湾人向けだったため、量販店での流通はなく、ネット通販のみで購入が可能です。気になる方は、下記サイトをチェックしてみてください!

 

【大同電鍋】

https://store.shopping.yahoo.co.jp/toj/tac-6gs-red.html

 

 

 

金庫…じゃなくて冷蔵庫! 「取っ手つきレトロモデル」は新生活の最強パートナーとなるか?

エスキュービズムは、現在販売している冷蔵庫/冷凍庫の技術をベースに、昔なつかしいデザインの「1ドア レトロ冷蔵庫」「2ドア レトロ冷凍/冷蔵庫」を1月中旬より順次発売します。カラーは、ライトグリーンの色をはじめ、レトロホワイトとブラックの3色を用意。価格は1ドアタイプが2万1800円(税抜)、2ドアタイプが2万3800円(税抜)です。

 

 

やさしい色使いと取っ手が目を引くレトロなデザイン

20180122-s3 (3)↑1ドア レトロ冷蔵庫

 

20180122-s3 (2)↑2ドア レトロ冷凍/冷蔵庫

 

1ドア レトロ冷蔵庫 WRD-1085、2ドア レトロ冷凍/冷蔵庫 WRD-2090は、どちらも取っ手がついた開きやすいデザイン。2ℓペットボトル2本が余裕で入るドアポケットを備えています。運転音は、1ドアタイプで24dB、2ドアタイプで25dBと優れた静音設計を実現。30dBといえば、郊外の深夜、ささやき声くらいの大きさなので、ワンルームでも気になることはなさそうです。省エネ達成率は2021年度基準で1ドアタイプが122%、2ドアタイプが111%と優秀なのもポイント。1ドアタイプは冷凍庫はありませんが、2台目として個室に設置したり、リビングに置いたりと、買い増し用途に使えます。2ドアタイプには25Lの冷凍室がついているので、一人暮らしにもぴったり。

 

やさしい色使いの温もりのあるデザインは、インテリアにも溶け込みそうです。どちらも2万円台前半とリーズナブルなので、なにかと出費の多い新生活のパートナーとしてもうれしいですね。

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1ドア レトロ冷蔵庫 WRD-1085

●価格:2万1800円(税抜)●カラー:ライトグリーン/レトロホワイト/ブラック●サイズ/質量:W453mm×D495mm×H840mm/22kg●定格内容積:85L (製氷室10L/冷蔵室75L)●年間消費電量:212kWh/195kWh/年●付属品:取扱説明書、製氷皿、霜取りヘラ、卵ケース、取っ手

 

2ドア レトロ冷凍/冷蔵庫 WRD-2090 
価格:2万3800円(税抜)●カラー:ライトグリーン/レトロホワイト/ ブラック、サイズ/質量:W453×D563×H876mm/25kg●定格内容積:85L (冷凍室25L/冷蔵室60L)●年間消費電量:237kWh/219kWh●付属品:取扱説明書、製氷皿、霜取りヘラ、卵ケース、取っ手×2