さらに視聴者層が広がる「呪術廻戦」が1位−−動画配信ウィークリーランキング

エンタテイメント業界に向けたデータ×デジタルマーケティングサービスを提供するGEM Partners(ジェムパートナーズ)は、「定額制動画配信タイトルの視聴者数ランキング」を発表しました。

 

トップ10すべてがアニメ作品の中、「呪術廻戦」が1位に輝いています。

出典画像:プレスリリースより

定額制動画配信サービスにおいて、過去1週間以内にそのタイトルを観た人の多さを示す視聴者数ptランキングは、1位が「呪術廻戦」、2位は「鬼滅の刃」となりました。トップ10すべてがアニメ作品となるなど、アニメ作品が上位に入る構図は変わらず。「はたらく細胞」は5位と、大きく上昇しています。

 

海外ドラマの最高位は、11位の「ウォーキング・デッド」でした。12位に「愛の不時着」が続いています。

 

出典画像:プレスリリースより

性別で見ると、男女ともに「呪術廻戦」が1位となっています。女性は、「約束のネバーランド」「進撃の巨人」がランクアップし、「鬼滅の刃」を上回りました。「はたらく細胞」は、女性の支持が高い傾向にあります。海外ドラマでトップ20入りした作品の「ウォーキング・デッド」は男性、「愛の不時着」は女性でそれぞれランクインするなど、性別によって支持が分かれました。

 

出典画像:プレスリリースより

視聴者数の伸びが著しい「呪術廻戦」は、60代を除くすべての年代で1位となりました。「はたらく細胞」は15~19歳、20~29歳と、特に若年層で人気となっています。また、同じく若年層では「五等分の花嫁」が上昇しました。

3日間牛乳につけ込み、3回煮こぼすとカラスの肉が美味しくなる!?カラス対策ベンチャー創業者のアイデア~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

鳴き声研究者がカラスのだまし方を語る

こんにちは、書評家の卯月鮎です。喫茶店で隣のお客さんのおしゃべりが気になってしまうことってよくありますが、私は一時期カラスの会話が気になっていました。というのも散歩ルートによく2羽のカラスが電線の離れたところに止まりながら、鳴き合って会話していたのです。

 

定例の業務連絡か、はたまた惚れた腫れたの噂話か……。その掛け合いはなんとなく楽しそうで、もしかしたらカラス界のお笑いコンビで、ネタ合わせでもしていたのかなと勝手に想像しています(笑)。

さて、今回紹介するのは『カラスをだます』(塚原直樹・著/NHK出版・刊)です。賢いカラスをいかにだますかというアイデアに満ちた本。また、迷惑にも思える“黒い隣人たち”との共存方法を探る本でもあります。

 

著者はカラスの鳴き声を専門とする研究者で、研究データを生かしてカラス対策ベンチャー「CrowLab」を起業した塚原直樹さん。「カラス料理研究家」という変わった肩書きも持っています。18年間カラスと向き合ってきて得た知見がユーモアたっぷりに語られ、面白くて、なるほどな内容です。

 

カラスのミートパイは絶品!?

1章は「カラスを動かす」。起業前に山形市の依頼を受け、「カラス誘導大作戦」を行うことになった著者。「いてほしくない場所」である山形市役所では天敵であるタカの鳴き声やカラスが敵と戦うときの「グワッグワッ」という声を流し、「いてもいい場所」である山形地方裁判所や山形県郷土館ではカラスがねぐらに帰るときの「アー アー アー」を放送する……。これでカラスの群れを動かすことに成功しました。

 

著者によればカラスの鳴き声は音声を画像化する「ソナグラム」を使うとなんと41種類に分類されるそうです! なかでも「挨拶の鳴き声」「威嚇」などわかりやすいものは6種類。こうした声をうまく利用すればある程度カラスを誘導できるわけです。

 

第2章は「カラスになりきる」。カラスは真っ黒というイメージですが、よく観察すると「構造色」という規則正しい微細な構造によって黒の中に青や紫の色が現れる仕組みとなっています。

 

さらにカラスは人間には見えない紫外線を認識する能力があり、カラス同士では黒に見えていない可能性が高いのだとか。意外にカラスは自分たちをカラフルだと思っているかもしれません(笑)。

 

カラス料理について書かれた第4章も興味をそそられました。ただ処分されるよりも食資源にしたほうがいいと考えた著者は、まず塩焼きにしてみたところ、「硬いグミ」よりもはるかに硬く、独特の臭さで、味は鉄分が強い……。

 

そこで臭みを取るため3日間牛乳に漬け込み、3回煮こぼしてブーケガルニ(香草の束)とともに数時間煮込んだ「クロウシチュー」を作ったところ、これは好評。ただし独特のカラス臭がうっすら追いかけてくる……。

 

さらなる研究の結果、甘味を追加し、硬さを克服したカラスのミートパイが完成。味は絶品だとか。チャンスがあれば味見してみたいですね。

 

数年前に話題となったカラス本『カラスの教科書』は生態学的な研究者の視点でしたが、本書は社会的なカラス対策という視点が入り、人間側の苦労も書かれています。酒の席で思い付いたアイデアをすぐに実行に移す、著者の高いバイタリティも文章から伝わってきます。都市に生活する私たちにとって一番身近な鳥であるカラス。うまく付き合っていくのが理想ですね。

 

【書籍紹介】

カラスをだます

著者:塚原直樹
発行:NHK出版

テレビでも話題の「カラス語」研究者にして全国から引っ張りだこのカラス対策専門ベンチャー創業者が、長年の鳴き声研究のエッセンスから科学的な追い払い方までを、豊富な事例とともに楽しく解説。さらに、自分の目で確かめた事実のみに基づいて、カラスはなぜ黒い? 襲われないためにはどうすればいい? 肉を美味しく食べるには? などの疑問にも試行錯誤のままに詳しく答えます!

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

 

南蛮奴隷から織田信長の家臣になった『黒き侍、ヤスケ』の数奇な運命

2月7日、NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回が放送されました。最後をしめくくる「本能寺の変」は、織田信長と明智光秀の関係について新たな解釈が加わり、驚きの内容でした。

 

黒き侍、その数奇な生涯

『麒麟がくる』の主人公は明智光秀ですが、織田信長の果たす役割は大きいものです。それにしても、織田信長を取り上げたドラマや映画、そして舞台の多いことといったら……。歴史上のキャラクターでこれほど激烈で、熱い人はいないのではないでしょうか。

 

今から400年以上前に生きた人だというのに、実に革新的です。生まれてくるのが早すぎたと言いたくなります。とりわけ、戦乱の世をおさめる必要な人材を選ぶ眼力には卓越したものがあります。前からそう感じていましたが、『黒き侍、ヤスケ』(浅倉 徹・著/原書房・刊)を読み、織田信長はやはりただものではないと確信しました。

 

弥助は、アフリカのモザンビークで生まれた黒人男性です。イタリア人の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが織田信長に謁見するため来日した折り、奴隷としてやって来ました。身の丈6尺(約180センチメートル)を超えるたくましい体に魅了されたのか、奴隷の身でありながらも誇りを失わない態度が信用されたのか、詳細はよくわかりませんが、信長は彼を気に入り、ヴァリニヤーノから譲り受けると、弥助と名付け、その後、侍に取り立てます。

 

そんなまさかと思うものの、信用できる歴史的史料にいくつかの記述があるので、確かに存在し、侍となったのは間違いがないようです。

 

著者の弥助への向き合い方

著者の浅倉 徹は、大学で講義をしながら、日本全国の史跡を取材しているといいます。日本史研究者として別名義での著書もあります。『黒き侍、ヤスケ』を執筆するにあたり、著者は考えました。史料が少ないだけに、フィクションとするか、史実をベースにした物語にするか、迷ったのです。そして、自分の立ち位置を定めます。

 

当初は娯楽小説として目一杯創作に振り切るかとも思ったが、折角実在の人物なのだから荒唐無稽な話にするのはもったいなくも思い、極力史実ベースで物語を創作することにした

(『黒き侍、ヤスケ』より抜粋)

 

史実に沿うと決めても、当時の話し言葉をそのまま再現することは不可能です。弥助が何をしたか、何を話したか、どんな性格だったかについては、推測するより他にありません。名前も最初から弥助と名付けられたわけではありません。かといって、本名もわかりません。『黒き侍、ヤスケ』では、最初は「モー」という名で登場し、信長によって「弥助」の名が与えられたことになっています。

 

こうして細かな工夫を凝らしてあるので、私たち読者は複雑な人間関係に混乱することはなく、面白い歴史活劇を堪能できます。

 

信長とヤスケの出会い

『黒き侍、ヤスケ』には、織田信長とヤスケの出会いが実に印象的に描かれています。初対面のとき、信長は弥助の黒い肌を見て、墨を塗ったのかと疑います。人生で初めて出会う黒人ですから無理もありません。

 

けれども、そこは信長……。それが本物の肌なのか強引に確かめることにします。御小姓頭の森蘭丸に、水にひたした布で弥助の体を洗い、こするように命じたのです。もちろん、布に墨はつくはずもなく、肌はますます黒く輝きます。

 

信長は、墨を塗ったわけではないと確認した後、「〜〜ふうむ。面白い」とつぶやくや、次は相撲を取るよう命じます。

 

それだけでも度肝を抜く対応ですが、信長はさらに驚きの行動に出ます。ヴァリニヤーノに向かって、「あの黒き者を予にくれぬか」と頼んだというのです。対するヴァリニヤーノも負けてはいません。布教と神学校の建設に助力を得ることを条件にして、弥助を手放すことに同意します。

 

この時です。弥助の運命が大きく変わったのは……。彼の希望など関係のないところで折衝が行われたわけで、残酷といえば残酷です。けれども、そのおかげで弥助は奴隷の身分から解放され、信長の家来として働くようになりました。

 

信長を魅了するだけあって、弥助には、他国の人の信頼を勝ち得る何か特別な力があったのかもしれません。日本語もできないというのに、周囲の人々に助けられ、彼は次第に信長の家来として力を発揮し、昇進していきます。信長の目に狂いはなかったということでしょう。

 

本能寺の変での二人

弥助にとって、信長は自分を奴隷の身分から解放してくれた有り難い存在でした。上様のためなら、この命を投げ出してもかまわない、そう思っていたかもしれません。明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺を取り囲んだときにも、弥助は信長を守るため必死の抵抗をこころみ、信長を守ろうとします。討ち死に覚悟だったのです。ところが、信長は弥助に共に死んでくれとは言いませんでした。

 

「是非もなし。光秀が相手ではもはや逃げられまい。弥助。そちのみならば、切り抜けられよう。急ぎ、妙覚寺の信忠のもとへ行き、謀反のことを伝えよ」

(『黒き侍、ヤスケ』より抜粋)

 

そう言い残して本能寺に火を放ち、そのまま果てたとされています。弥助が本能寺の変の後、どうなったかについては、はっきりしたことはわかっていません。『黒き侍、ヤスケ』では、日本を出て故郷アフリカをめざしたとあります。この世には、ときにあり得ないような不思議な人生を送る人物が出現しますが、弥助もその一人でしょう。

 

海外でも人気者

弥助の人生は、海外でも反響を呼んでいます。ハリウッドで映画化の話が進み、チャドウィック・ボーズマンが弥助を演じることが既に決まっていたといいます。ところが、彼は大腸癌のため43歳の若さで亡くなり、演じることはできませんでした。さぞや魅力的な作品となったでしょうに、残念です。

 

けれども、Netflixでは近々、アニメ作品の「YASUKE」が公開予定だというので、楽しみに待っているところです。

 

今から450年近く前、信長と弥助は偶然出会い、言葉をかわしました。果たしてそこに何が生まれたのでしょう。二人がどうやって心を通じ合わせたのかも気になるところです。そこには言葉や文化の違いを超えた何かがあったのでしょう。

 

日本史上、希な存在である黒人侍・弥助の一生は、私たちに何か特別な力を与えてくれるように思えてなりません。弥助を知ることは、信長を、光秀を知ることにもつながります。こんな面白い話を知ることができた幸運をかみしめているところです。

 

【書籍紹介】

黒き侍、ヤスケ

著者:浅倉 徹
発行:原書房

ハリウッドで映画化! イエズス会宣教師の奴隷として日本を訪れ、織田信長に見出されて戦功を上げ、侍「弥助」になる。極めて資料の少ない「ブラック・サムライ」のありえた半生を、専門家がわかりやすい物語形式で紹介。

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「ぞっとしない」は「怖くない」ではない!? 正しく身につけたい「大和言葉」の世界

私の趣味は飲食店で出される「おひや」の写真を収集することなのですが、この「おひや」という単語が大和言葉だというのを『大和言葉つかいかた図鑑』(海野凪子・著/誠文堂新光社・刊)で知り、最近の言葉なのだと思っていた私はすこぶる感動してしまいました。

 

最近はリモートワークやチャットツールでのお仕事が増えてきて、対面して感情を伝える場面が減ってきましたよね。数千年以上も語り継がれてきた大和言葉を知ることで、このモヤモヤした気持ちや、うまく伝えられないことが伝えられるようになるかも! 今回はそんな「大和言葉」の世界をご紹介します。

大和言葉ってどんな言葉のこと?

大和言葉とは、簡単にいうと外国から言葉が入ってくる前から日本で使われていた言葉のこと。そう言われても、ピンと来ないなーという人も多いと思うので、以下の例をご紹介しましょう。

 

たとえば「お風呂」。「風呂」は「大和言葉」です(音読みではありますが、語源は「室(むろ)」であるという説をとります)。「漢語」でいうと「浴室」で、外来語だと「バスルーム」。言葉から受ける印象は違いますがすべて同じもので、場面によって私たちは無意識に語を使い分けています。

(『大和言葉つかいかた図鑑』より引用)

 

よく外国人の方が「日本語難しい」と言いますが、私たち日本人は気がつかないうちに「大和言葉」「漢語」「外来語」さらには「混種語」など新しい言葉もどんどん生み出しているんですよね。そりゃ難しいわ! と改めて感じました。

 

『大和言葉つかいかた図鑑』には、イラストと単語がセットで例とともに掲載されています。大和言葉自体がよくわからないなーという方の入門書としてもおすすめですよ。

 

「ぞっとしない」は“恐ろしくない”という意味じゃないよ!

ここからはいくつか大和言葉をご紹介していきましょう!

 

この「ぞっとしない」という大和言葉、どんな意味だと思いますか? 私は「ホラーを見てゾッとした」と同じ意味かな? と思ったのですが、こんな例文で紹介されています。

 

彼の話はあまりぞっとしないものだった。

(『大和言葉つかいかた図鑑』より引用)

 

ホラーの方で考えると、怖くないはないってこと? と思ってしまいますが、解説を読むと違っていました。

 

【ぞっとしない】

この場合の「ぞっとしない」とは「(恐ろしくて)ぞっとする」の反対の意味の言葉ではなく、「面白くない、感心しない」という意味です。「ぞっと」で区切らず「ぞっとしない」で一つの慣用的な表現になります。

(『大和言葉つかいかた図鑑』より引用)

 

よくバラエティ番組で面白くないことを「さむっ!」とリアクションしたりしますが(もうこの表現もサムいのかなw)、その表現とも近いんですかね?

 

日常生活で使える場面としては、「うわぁ〜全然面白くない」とテンション低めに面白くなかったことを伝える時に「うわぁ〜ぞっとしない」と言えばよさそうですね。あまりテンション高く「ぞっとしないわ!」と使う言葉ではなさそうなので、気持ちに合わせて使い分けたいなぁと感じました。

 

文字だけで感情を伝えるのに役立つ大和言葉

大和言葉には「感情」を伝える言葉も多くあるため、対面することが少なくなり、文字や画面越しでのやりとりが増えてきた現代においてもおすすめできます。

 

LINEならスタンプで感情をイメージで伝えることができますが、目上の方や初めましての方には「ちょっと送りにくいなー」と思いますよね。

 

例えば、コロナで大変な時期なのにたくさん協力や気遣いをいただいて、申し訳ないなぁ、ありがたいなぁという気持ちを一言で伝えたい! という時には、こんな大和言葉が良いかもしれません。

 

お気遣い、いたみいります。

(『大和言葉つかいかた図鑑』より引用)

 

ちょっと堅苦しく感じるかもしれませんが、この「いたみいる」の意味をご紹介しましょう。

 

【いたみいる(痛み入る)】

相手の親切や配慮をありがたく思う時に使います。「そんなにまでしていただいて申し訳ない、心苦しい」という気持ちが含まれます。「ご忠告、いたみいるよ」というように、ちょっと皮肉っぽく使うこともあります。

(『大和言葉つかいかた図鑑』より引用)

 

皮肉になっちゃったらヤバいですが(笑)、心から感謝している&心苦しいと思っている気持ちを伝えたいのなら、「いたみいります」は使えますよね!

 

『大和言葉つかいかた図鑑』には他にも天気に関する言葉や食べ物、仕事や日常の中でも使える大和言葉がたくさん掲載されています。見ているだけでもかわいいイラストと柔らかい言葉に癒されますし、自分の言葉のレパートリーを増やしたい方にもおすすめの一冊です!

 

 

【書籍紹介】

 

大和言葉つかいかた図鑑

著者:海野凪子
発行:誠文堂新光社

使ってみると、日常がちょっとウキウキする。日本人の感性にしっくりくる優しい響きの和の言葉。身近な例文となごむイラストで、楽しみながら使い方が身につく!

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オリラジ藤森慎吾流「プライドレス」な生き方は殺伐とした現代人の心の癒しとなるか

昨年末から、やたらとネットニュースを騒がせているのが、オリエンタルラジオの藤森慎吾さんだ。

 

相方のあっちゃんこと中田敦彦さんと一緒に吉本興業を辞めることを決意(あっちゃんはシンガポールに移住するが、藤森さんは日本に残るらしい)。そうかと思えば、年末には結婚報道も出た。すぐに本人によって「フェイクっ!!」と否定されたが。

 

そんなお騒がせ男・藤森さんだが、こんなにも“人たらし”な人はなかなかいないんじゃないかと感じる。それほどまでに、魅力的な人だと思うのだ。取材先で数回お見かけしたことがあるだけで、お話したことはないのだけれども。

 

酸いも甘いも知り尽くした男のやさしさ

たとえば、これはよく知られていることだと思うが、藤森さんは女性の外見を絶対に悪く言わない。容姿をいじらない。この件に関して、藤森さんはこう述べている。

 

「女の芸人さんに対する弄りってすごく難しいじゃない? 相当技術がいること。そういうことって、極々一部の腕のある人がやることで、自分にはその技術がないから。ウケもしないし笑えないんだったら、ただの悪口じゃん。だからやっぱ言わないよ、それは」

(藤森慎吾のYouTubeチャンネルより)

 

つまり、自分には(容姿いじりをしても)面白くする腕がない。そもそも、そういうことは好きじゃないし、やろうという感覚もない。だから容姿いじりはしない。(芸人として笑いの)腕がある人たちはやっているが、それはしっかり笑いが成立しているからいいけれど。自分はその技術がないから、やらない。それだけだと言うのだ。

 

容姿をいじらないというスタンスは徹底しつつ、かといって容姿をいじって笑いにしている芸人さんを蔑んだりもしない。ちゃんと相手を立てる。つまり、誰も傷つけない発言である。

 

咄嗟の受け答えが「君、かっこうぃーね!」

ほかにも、ほんの些細な受け答えだったが、ずっと心に残っていることがある。それは、同じくYouTubeでのガンバレルーヤの二人との会話の中のワンシーン。

 

藤森「久々だよね、ガンバレルーヤ。元気してた?」

ガンバレルーヤ「きゃー。どっちだと思います?」

藤森「いやいや。何その楽しいクイズ」

 

藤森さんと一緒にいることでテンションが上がっているガンバレルーヤの二人が、やや面倒くさい質問をしたのだが、それに対する「何その楽しいクイズ」って返答よ……。こんな素敵な返しをする人、今まで見たことがない。なんだか感動してしまった。

 

ほかにも、すべての言葉の返しに愛があって、これは老若男女みんな惚れてまうやろ! と心底思った次第である。

 

藤森慎吾が愛される所以は「プライドレス」な思考にあり

武勇伝で一躍ブレイクし、その後低迷しかけたけれど、チャラ男キャラで再びブレイク。最近では、YouTubeでの活躍のほか、ミュージカルや声優にも挑戦している藤森さん。映画『えんとつ町のプペル』でのスコップ役も最高だった。西野(亮廣)さんが当て書きしたことも相まって、ご本人の良さが120%反映されていた。

 

そんな、最高で最強の人たらし・藤森慎吾が、人たらしたる所以はどこにあるのか。その答えは、彼の著書『PRIDELESS 受け入れるが正解』(徳間書店・刊)に書かれている。

 

「褒め言葉」をすべての行動の原動力とし、なんにでもチャレンジする。けれども、どれだけ褒められ、もてはやされても、「学ばせていただいている」という姿勢は忘れない。プラスな感情のリアクションは惜しみなくして、相手に気持ちよくなってもらう。なにより、笑顔でいること。

 

そして、本のタイトルでもある「プライドがない」ことを最大の強みにする。つまらないこだわりが捨てきれずに、思うように生きられない人が多い中で、ハッとさせられる思考ではなかろうか。

 

本書では、藤森さんのこれまでの人生において何度も壁にぶつかり、その都度乗り越えてきたエピソードをまじえ、現在の「プライドレス」な生き方に至るまでの半生が描かれている。でもだからといって、「プライドレス」な生き方を読者に強いることは決してしていない。

 

むしろ、なにかのインタビューで「本に書かれていることすべてを真正面から受け止め、そのまま取り入れるのはすごく無駄な努力だと思う。こんな考え方もあるんだ、くらいの気持ちで読んでほしい」というようなことを語っていた。どこまでもフラットで、相手の気持ちをラクにさせる人である。

 

とにかくストレスフルな世の中には、プライドレスな生き方こそ処方箋になるんじゃないか? ひそかにそう思っている。

(『PRIDELESS 受け入れるが正解』―おわりにーより引用)

 

年齢を重ね、それなりの立場になり、ついいろいろな世間体やプライドが邪魔をして生きづらい人にこそ、ぜひ藤森流・プライドレスな生き方を。

 

【書籍紹介】

PRIDELESS 受け入れるが正解

著者:藤森慎吾
発行:徳間書店

こだわらない、逆らわない、競わない、あきらめない…成功を呼ぶ「気くばり思考」。初めて明かす、過去、現在、未来。大ブレイク後に訪れた悪夢。そこからの再起。オリラジ藤森が何度も立ち上がることができたわけ。「チャラ男」がたどり着いた現在地。

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VRやzoomを活用!? 要介護5のコラムニストの”普通”に生きる知恵−−『コータリン&サイバラの介護の絵本』

コラムニストの神足裕司氏がくも膜下出血で倒れたのは2011年9月のこと。一年後に退院はできたが「要介護5」の認定を受ける体になってしまった。要介護5とはもっとも重い症状で、食事、排泄、入浴など日常生活のすべてに介助が必要で、ほぼ寝たきりの状態を示す。にもかかわらず、神足氏は家族やケアマネージャーたちのサポートを受けながらコラムニストとして見事復活したのだ。

 

今日紹介する『コータリン&サイバラの介護の絵本』(神足裕司・著、西原理恵子・絵/文藝春秋・刊)は、90年代に一世を風靡した「恨ミシュラン」でタッグを組んだふたりの異色の介護本。介護の話は暗くなりがちだが、本書には”希望”がいっぱいだ。神足氏の変わらないテンポのいい文章、西原さんの愛ある毒舌とおなじみのユニークな漫画で、ときどきクスッと笑いながら読める一冊に仕上がっている。

 

車椅子に乗っていても普通に生きたい

本書は老人ホームの検索サイト「みんなの介護」に連載中の「コータリさんからの手紙」を加筆修正し、まとめたもの。連載は大人気で150万PVを獲得しているそうだ。人気の秘密は神足氏の前向きな考え方、生き方にあると思う。この本の前書きにもこう記されている。

 

車椅子に乗っているボクだって普通の人間だ。ごくごく普通に生きていきたい。ただそれだけだ。普通に近づけるにはどうしたらよいか。最新の器具も試してみるし、逆に健常者と同じことをしてみたらどう困るのか、困らないかもしれないし…も試してみたかった。(中略)いつも誰かの助けを請わなければ生きてもいけない。けれど、生きていかなくてはならない。ならばやっぱり少しでもおもしろいことをしたいじゃないか。60歳超えてもまだまだやってないことだらけだからね。ちょっとはツンツンとげを出して生きていきたい。

(『コータリン&サイバラの介護の絵本』から引用)

 

神足氏は要介護5になったからといって家にこもっていたりはしない。散歩にも外食にも、そして海外旅行にまで出掛けているのだ。何事もやれば出来る! ことを私たちに証明してみせてくれている。

 

相棒・サイバラについて

神足氏が倒れて以降、西原さんとの最初の記憶は、家族や編集者と共に上海蟹を食べに行ったことだそうだ。

 

ボクとサイバラは円卓の隣同士に座ってサイバラが体の不自由なボクのために「しかたないなあ」と言いながら上海蟹を全部剥く。そして食べさせてもくれる。「まったく好き勝手な生活しといてこんな体になって、こんな食事会してくれる家族なんてめったにいない」。そう怒りながら蟹を剥く。「あんたのために剥くなんてまったく」。サイバラはいつも口が悪い。しかも家族が知らないようなおっそろしいボクの外の世界を知っているサイバラはいつもギリギリな線を攻めてくる。

(『コータリン&サイバラの介護の絵本』から引用)

 

神足氏が西原さんに会ったのは「恨ミシュラン」の連載を始めたとき。振り返ると、西原さんは美大を卒業して数年なのに、すぐ噛みつかれそうな鋭さの中に、キラッキラッした目を持つ人で、只者ではないと思ったそうだ。また、辛辣でめちゃくちゃにみえる彼女がチラッと見せる優しさは心にずしっと来るのだとも打ち明けている。

 

本書には神足氏のコラム一本に対し、西原さんの一カットの漫画がつけられて、絵本のような体裁になっている。コータリン&サイバラのタッグの復活は読者としてもうれしい限り。ページをめくるたびに笑えて、明るい気持ちになれる。このような介護本はこの二人にしか作れないだろう。

 

VR映像で思い出の地をめぐる

神足氏は要介護5になってからも国内旅行はもちろん、ハワイ旅行にも出掛けていて、次はパリへと夢を膨らませている。が、彼と同じような境遇でそれを実現できる人は少ないのも事実。神足さんは以前から、病室で動けない人に映像を見せるサービスがあればいいのにと考えていたそうだが、実際そのサービスを提供する若者に出会うことになった。

 

それが登嶋健太さんだった。(中略)登嶋さんは高齢者の「思い出の地にもう一度行ってみたい」といった叶わぬ夢のため、現地に写真を撮りにいくボランティアをしていた。360度カメラで撮影した映像を見た方々は、「この店の横に桜の木があったでしょ」などと昔の記憶を辿りながら大喜びし、普段なら歩けない方が立ち上がり、前に進もうとすらする。

(『コータリン&サイバラの介護の絵本』から引用)

 

VR(ヴァーチャル・リアリティ)映像を見れば、ちょっとした旅行気分が味わえることに加えリハビリの効果もあるようだ。神足氏は、登嶋さんが見せてくれたパリの映像を見て、無理だと思っていたパリにもう一度行きたいと思うようになったと記している。

 

コロナ禍における「Zoom」について

コロナ禍になり、今はほとんどベッドの上という神足さんだが、「Zoom」をはじめたそうだ。ホワイトボードという機能を使い、文字でも参加できるので、上手に喋れない神足氏でも会議が成り立つという。

 

インターネット環境を整えて子どもたちに学習させるのなら、同様に、高齢者や障がい者にも顔と顔をつなげられるZoomの簡単版、テレビ電話みたいなものを早急に各世帯に配ったほうがいい。顔と顔がつながっているだけでも、安心するのだ。

(『コータリン&サイバラの介護の絵本』から引用)

 

ハイテクと高齢者、障がい者の相性はとても良いはず、ハンディがあるから無理だろうというのは想像力に欠けた人が考えることだと神足氏は言う。

 

どこまでもポジティブな彼のコラムは、これからも多くの人に希望を与えていくに違いない。

 

【書籍紹介】

コータリン&サイバラの介護の絵本

著者:神足裕司
発行:文藝春秋

老人ホーム検索サイト「みんなの介護」の人気連載「コータリさんからの手紙」で大反響!「要介護5」のコラムニストが描く愛と介護の日々。

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大人のための教養が深まるヨーロッパ都市伝説~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

ヨーロッパ在住30年の著者が都市伝説を謎解き

日本で一番有名な都市伝説といえば、昭和50年代に流行った「口裂け女」でしょうか。顔をマスクで隠した女が「私、きれい?」と聞いてくるという噂に、マスクをつけた人を見てはドキドキしていました。コロナ禍では身がもちませんね(笑)。

 

最近ではネットを通じて広まった謎の無人駅「きさらぎ駅」の都市伝説もありました。異界につながる駅。怖いですが、なんとなくロマンを感じます。

今回の『ヨーロッパの都市伝説――歴史と伝承が息づく13話』(片野優、須貝典子・著/祥伝社・刊)はタイトルの通り、ヨーロッパの都市伝説を紹介し、その背景を考察する新書。

 

著者は、ジャーナリストの片野 優さんと旅行ジャーナリストの須貝典子さん。これまで共著で、『図説 プラハ』『こんなにちがうヨーロッパ各国気質』などのヨーロッパ関連の本を手がけてきました。2人ともヨーロッパで約30年暮らし、現在はセルビア・ベオグラード在住ということで、直接見聞きした都市伝説が多く取り上げられているのが本書の強みです。

 

聴いた人が次々と自殺する曲……

冒頭の第1話「自殺を誘発する曲『暗い日曜日』」から、すでにゾクゾク来ます。聴いただけで死にたくなり、本国ハンガリーだけで157人が自殺したという「暗い日曜日」。ハンガリーの首都ブダペストでピアノ弾きをしていたシェレシュ・レジェーが、1933年に発表した曲です。

 

自殺した少女や財務省官吏の傍らにこの「暗い日曜日」の楽譜が置かれていた……といったニュースが新聞で報道されるや、その後、連鎖的に自殺者が増えていき、ついに1968年には作曲者のシェレシュ自身も自殺してしまう……。

 

これは比較的メジャーな都市伝説ではありますが、実際に著者が現地を見てきたエピソードが入り、臨場感が増しています。作曲家のシェレシュが弾き語りをしていたレストラン「キシュピパ」は現存しており、清潔でこぢんまりした印象の有名店だとか。

 

そしてドナウ川の夜景は浮世離れして幻想的。あまりにキラキラしていて現実世界から逃避したくなるのではと著者は推理しています。曲と風景が絶妙にマッチしてしまったのが自殺ソングの真相かもしれません。

 

第7話は吸血鬼のモデルともなったハンガリーの貴族エリザベート・バートリの事件。彼女は「血の伯爵夫人」と呼ばれ、若い娘650人を虐殺して生き血を絞り、若返りのために血風呂に浸かったとされています。

 

蛮行が行われたのは夫の死後、スロバキアのチェイテ城でのことだそうですが、それ以前にエリザベートが住んでいたハンガリーのナーダシュディ城を著者は訪れています。その感想は、想像していたより地味(笑)。拷問器具を探してようやくギロチンらしきものを発見したものの、スタッフに「製本機です」と言われてしまう……。このくだりにくすっと来ました。いつの世も人の想像力は勝手にふくらんでいくものです。

 

後半には、実はこの虐殺事件は濡れ衣だったという説も披露され、歴史ミステリーの短編を読んでいるかのような味わいがありました。

 

ほかにも、ベオグラードのニコラ・テスラ博物館に行き、テスラコイルによる放電実験を体験したエピソードや、プラハでゴーレムの制作者の墓参りをした話など盛りだくさん。都市伝説は時代やその土地の風土を映し出す鏡でもあります。ヨーロッパの達人とも言える2人が教えてくれる都市伝説には、怖さとともに歴史の因果が隠れていました。

 

【書籍紹介】

ヨーロッパの都市伝説 歴史と伝承が息づく13話

著者:片野 優/須貝 典子
発行:祥伝社

歴史の重みや因習を引きずるヨーロッパの都市伝説は怖くて深い――ヨーロッパで約30年間暮らし、33カ国を取材してきた著者は言う。自殺を誘発する曲はどのようにして生まれたのか(第1話)、なぜバチカンはファティマの奇跡を公認しながら第三の予言を隠蔽したのか(第5話)、切り裂きジャック事件の真犯人とは(第8話)など13話の真相に迫る。21世紀に明らかになった新事実や現地取材で発掘した事象を披露。歴史的背景もていねいに解説している。けっしてマユツバではない、読み応えのある大人のための都市伝説!

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

機内食を眺めながらいつかの海外旅行への想いをはせる−−『みんなの機内食』

ちょうど1年前、世間がまだコロナが他人事だったころ、私は旅行先のハワイを堪能しておりました。「また来年も来るぞ〜!」なんてテンション上げ上げに思っていましたが、いまだ終息の兆しは見えず、次はいつ行けるのやら……。YouTubeで現地ガイドさんの動画をみたり、自宅のスピーカーからはハワイアンミュージックをかけ続けたり、体にハワイが足りません!(笑)

 

もう限界! 海外行きたい!! そんな時に私の心を静めてくれたのが『みんなの機内食』(機内食ドットコム・編/翔泳社・刊)という世界中の機内食が掲載されている写真集のような一冊でした。今回は海外に行きたい、でも行けない! ぐぬぬぬぬぬ……となっている方におすすめの本をご紹介します。

 

ファーストクラスの機内食はすごい!

世界最大級の機内食クチコミサイト機内食ドットコムの書籍版が今回ご紹介する『みんなの機内食』です。このサイトは2021年1月時点で、世界252航空会社、1万2842の機内食が紹介されており、一般の私がいただけるエコノミークラスの機内食から、生きているうちに一度でいいから乗ってみたいファーストクラスの機内食までたくさんの情報が掲載されています。

 

旅行本というと、現地で楽しむことばかりが掲載されていますが、空港について飛行機に乗るところから旅行って始まっていますよね! そんな飛行機のメインイベント「機内食」にスポットが当てられた『みんなの機内食』には、厳選されたクチコミと写真、書き下ろしコラムやレポート記事も満載。ぺらりとページをめくれば、エコノミークラスでよく見る四角い丼みたいなご飯から、ファーストクラスでいただけるシャンパンやワイン、キャビアに寿司にローストビーフ、上品に点てられた抹茶まで未知の世界が広がり、旅行の新たな楽しさを見つけられること間違いなしの一冊になっています。

 

中でもすごいのがファーストクラスの機内食。ANA(全日空)で成田からニューヨークへ向かうファーストクラスでは、写真とともに以下のような説明が添えてありました。

 

食事ですが、さすがファースト。懐石です。先付から最後の食事までカラダが喜んでいるのが分かるくらい美味しかったです。

(『みんなの機内食』より引用)

 

この時は松茸のお椀までついていて、写真を見る限り料理だけでも数万円以上になりそうな感じ(シャンパンも飲み放題!)。私なんかエコノミーで「え、スタバのコーヒー飲めるの? ひゅ〜!」と喜んでいたのに……(笑)。

 

次回のハワイ行きはファーストクラスだな! なんて思いましたが、往復150万円と聞いて、腰が砕けました。

 

ファーストクラス経験者、真鍋かをりさんのコラムも掲載

旅行好きな芸能人といえば、元祖・ブログの女王こと真鍋かをりさんではないでしょうか。『みんなの機内食』には、そんな真鍋さんのコラムが紹介されています。なんと、20代前半のころ、お仕事でファーストクラスに乗ったことがあるのだとか!

 

機内に乗り込むとまず、個室のように設計されたプライベート感満載のシートに感動。

「なんだこのマンガ喫茶みたいな空間は……!」

ファーストクラスのシートをマンガ喫茶に例えてしまうあたり当時の私の若さを物語っていますが、あのときは心の底から感激しました。

しかし、シートのラグジュアリーさよりも衝撃を受けたのは、なんと言ってもファーストクラスの機内食。都内にある有名レストランの食事が飛行機の中で食べられるということも驚きでしたが、それ以前にまず、温かいお料理が真っ白なお皿に載って一品ずつ出てきたり、プラスチックではなくシルバーのカトラリーが並んでいることに、当時の私は大きなカルチャーショックを受けました。

(『みんなの機内食』より引用)

 

エコノミーしか知らない私にとっては、飛行機は狭いのが当たり前。同じ飛行機の別の場所ではこんな「お・も・て・な・し」が展開されていくなんて、なんとしてでも乗ってみたい(笑)。

 

現金で乗るのは大変なので、航空会社のクレジットカードに変えて、マイルでも貯めたいですね。なかなか海外に行けない時期なので旅好きな方は「次に行くならファーストクラスで!」というニーズが増えそうですよね。賢くマイルを貯めるコツがあればぜひ教えて欲しいです!

 

自宅でも機内食が食べられる!……らしい。

『みんなの機内食』を眺めていると、とってもワクワクしている自分に気がつきます。誰よりも旅行が好きだった! とか、毎年海外に行っていた! とかそんな人間ではないはずなのに、旅行というのはこんなにも自分の心を豊かにしてくれていたのか、と実感することができたのです。

 

誰もが安心安全に、心ゆくまで空の旅を楽しめるのはまだ先になるかもしれないけれど、それまでの時間でできることは色々とあるはずです。私はファーストクラスに乗るための方法を考えるとして(笑)、他にも何かできないかと探していたところ、「機内食の通販がある!」という情報をゲット!

【ANAショッピング A-style】

 

これはANAのエコノミークラスの機内食なのですが、めちゃくちゃ人気で、なんと1か月で約5万食が完売してしまったのだとか。直近では、2月3日に追加販売されたものも即完売! 気になる方はチェックしてみてくださいね。

 

安心して飛行機に乗って旅行できるその日まで、『みんなの機内食』を眺めながら脳内旅行を楽しんでいこうと思います。

 

 

【書籍紹介】

みんなの機内食

著者:機内食ドットコム(編)
発行:翔泳社

ファーストクラスの“極上の一品”から各社の個性あふれるワンプレートまでー雲の上で食べられる「ごちそう図鑑」!

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金融の「ルール」「常識」「法則」を知り人生の利益の最大化をする−−『新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』

2週間ほど前の話だ。アメリカ株式市場を舞台に『レ・ミゼラブル』の『民衆の歌』が響き渡るような出来事が起きた。

 

超有名トレーダー軍団vs名もなき個人投資家集団

「GameStop」という全米規模のチェーン店がある。アメリカでは小さな町のモールでもよく見るテレビゲームの小売店だ。2021年1月末、この会社の株価が1600パーセント上昇という爆上げを記録した。年明け直後の時点での価格18ドル84セントから1月29日には340ドルを超える驚異的なスピードの値上がり。筆者はそれほど経済通ではない。でも、株式投資を本格的に始めて1年半が過ぎた奥さんからこの出来事のスゴさをよーく説明され、驚くべき現象であることが理解できた。

 

なぜこんなことが起きたのか。株式市場での存在感を増し続けている無数の個人投資家が力を合わせ、はっきり言って冴えない銘柄の株価を意図的に上げるという行動に出たのだ。ウォール街のプロトレーダーたちを相手に喧嘩を売り、圧勝したともいえる。「Reddit」の「WallStreetBets」をはじめとするSNSの投資フォーラムでつながった名もなき個人投資家たちが結束して資金を大量に注ぎ込んだ結果、専門家も信じられないような角度で株価が急上昇するに至ったというわけだ。

 

金融リテラシーを上げたい

筆者は、株式投資という行いを10年前よりもはるかに身近に感じている。ちょっとまとまったお金があったとしよう。それを銀行に預けておくだけでは何も起こらない。当たり前の話だが、計画性もなくただおろして使うだけでは減っていくだけだ。そこで、そんなに大きな金額ではなくても参戦できる株式投資の方法を探って実践し続けている。まあ、実際の作業を担っているのは奥さんなんだけれども。

 

奥さんのおかげで少し読めるようになった株価チャート、そして毎日朝と夜に欠かさず見ている経済ニュースに加え、筆者の金融リテラシーをワンステップ引き上げるための新しいツールとなってくれそうな本を見つけた。

 

知的な人生設計とは

新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(橘 玲・著/幻冬舎・刊)には、「知的人生設計のすすめ」というサブタイトルが付けられている。2002年に出版された同タイトルのオリジナル版の内容を見直す方向性で加筆され、新版として出された。アップデートが必要な理由は、経済というものが、変化を止めることがない生体であるからにほかならない。ただし、変わらない部分もある。まずは、「はじめに」で記されているこの本の立脚点となる絶対的な原則を見ておきたい。

 

本書で繰り返し問うているのは、「経済的な視点から見て、私たちが生きているのはどういう社会なのか」ということです。それを知ることではじめて、“正しく”生きる方法がわかります。

                  『新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』より引用

 

ざっくりとした構成は以下のようになっている。

 

Prologue   1995―2014

PART1 人生を最適設計する資産運用の知識

PART2 人生を最適設計するマイクロ法人の知識

PART3 人生を最適設計する働き方

Epilogue   新宿中央公園のホームレス

 

ここで強調しておきたいのは、各パートを読み始める前と読み終えた後に、「はじめに」で記されているこの本の原則についての文章に戻ることだ。このルーティーンによって理解度が高まる気がする。

 

黄金の羽根を見つけよう

タイトルに盛り込まれている“黄金の羽根”とは何か。著者はその概念を以下のように定義している。

 

制度の歪みから構造的に発生する“幸運”。手に入れた者に大きな利益をもたらす。

                  『新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』より引用

 

ワールドカップサッカー日韓大会を例に、ていねいな書き口の文章で黄金の羽根についての説明が行われている。とても分かりやすいので、さまざまな仕組みに当てはめて自分なりに咀嚼し、展開していけるだろう。

 

ルール・常識・法則

70以上の項目でつまびらかにされていくのは、著者が自らの体験を通して紡ぎ出した「ルール」と「常識」そして「法則」だ。これら三つの要素が核心をなすこの本は「金融リテラシーを引き上げてくれそう」と書いたが、本書の真のテーマは人生を俯瞰して生きるスキルを高めていくことにちがいない。

 

経済が生体であることは、すでに1年間続いているコロナ禍を見ても実感できる。それに加え、これまで制度とされてきたものの大部分がリセットされる時代は確実に、そして静かに到来しつつある。著者が言う“正しく生きる方法”は、毎日重ねられていく小さな変化を見逃さず、変わらない部分を認識していくことによって育まれるのだろう。筆者に最も刺さった一文を記しておく。

 

経済的に成功するためには、経済合理的でなくてはならない。国家は神聖なものでも、崇拝や愛情の対象でもなく、人生を最適設計するための道具だ。

                  『新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』より引用

 

著者が示す「ルール」と「常識」そして「法則」を意識しながら生体である経済と向かい合っていれば、ある日突然、黄金の羽根のほうから近づいてきてくれるかもしれない。

 

【書籍紹介】

 

新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方

著者:橘 玲
発行:幻冬舎

自由な人生を誰もが願う。国、会社、家族に依存せず生きるには経済的独立すなわち十分な資産が必要だ。1億円の資産保有を経済的独立とすれば欧米や日本では特別な才は要らず勤勉と倹約それに共稼ぎで目標に到達する。黄金の羽根とは制度の歪みがもたらす幸運のこと。手に入れると大きな利益を得る。誰でもできる「人生の利益の最大化」とその方法。

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日本初のカモノハシ専門書で正しい捕まえ方を学んでみる

哺乳類なのに卵を産む、非常に珍しい生きものカモノハシ。あまり動物に興味がない人でも、その姿や特徴は知っているのではないだろうか。

 

奇妙な哺乳類、カモノハシ

カモノハシは、哺乳綱単孔目カモノハシ科カモノハシ属に分類される哺乳類。半水棲で、水中に住む昆虫などを主食としている。卵生哺乳類にはハリモグラやミユビハリモグラがいるが、こちらは同じ単孔目でもハリモグラ科に属しているので、種類が異なる。ちなみにハリモグラは陸上で生活している。

 

カモノハシは、まず見た目が奇妙だ。くちばしを持ち、横に広い尾がある。オスは後ろ足の蹴爪に毒がある。身体は密集した体毛で覆われており、前足には水かきがある。その奇妙な姿のため、発見された当時には作り物だと思われたという逸話があるそうだが、確かにこんな生きものを見せられたら、にわかには信じられないだろう。

 

カモノハシは「第六感」で餌を獲っている

いろいろ奇妙なカモノハシだが、実は視力も聴覚も嗅覚もあまり発達していない。野性の動物は、餌を狩るために五感のうち何かしらは発達しているといったイメージがある。犬は嗅覚が優れているし、フクロウなどは聴覚が敏感だ。

 

しかしカモノハシは五感があまり発達していない。その上、水中では目も耳も鼻も閉じて泳いでいるというのだから、餌探しの役にはほとんど立っていない。そのような状態で水中に潜り餌を捕獲して生きているというのだから、いったいどうやっているのか不思議だ。

 

カモノハシの博物誌~ふしぎな哺乳類の進化と発見の物語 生物ミステリー』(浅原正和・著/技術評論社・刊)によれば、カモノハシの特徴のひとつである大きなくちばしに秘密があるようだ。

 

カモノハシのくちばしには2つの感覚器官がある。ひとつが機械刺激を感じるメカノレセプター(機械受容器)。これは機械的な刺激を感じる器官で、水中では水流や水圧を感知している。もうひとつが電気を感じるエレクトロレセプター(電気受容器)。こちらは獲物が発する微弱電流を感じる器官だ。

 

カモノハシは、くちばしにあるエレクトロレセプターがかなり敏感になっており、これにより水中の生きものを感知して餌を獲っているというのだ。だから目も耳も鼻もそれほど必要ではない。

 

わたしたちは感覚を5つに分け、「五感」とよんだりしますが、この電気感覚は、さしずめ「第六感」といえるものです。

『カモノハシの博物誌~ふしぎな哺乳類の進化と発見の物語 生物ミステリー』より引用)

 

カモノハシは第六感で餌を獲っているということだ。

 

ちなみに、カモノハシのくちばしは柔らかく、骨が通っている。どちらかというと犬などの鼻の黒い部分が大きく広がっているといった感じのようだ。実際に触ってみたいものだ。

 

カモノハシの正しい持ち方

もし、カモノハシを捕まえなければいけないことがあったとしよう。そのとき、カモノハシをどのように持てばいいのだろうか。正解は「尾」だ。

 

尾を持つと、後ろ足のけづめで人間を刺そうとしても、足が届かないとのことです。

『カモノハシの博物誌~ふしぎな哺乳類の進化と発見の物語 生物ミステリー』より引用)

 

カモノハシの尾は骨があるので、尾を持っても問題ないとのこと。ひとつ知恵が増えた。ただし、カモノハシはオーストラリアにしか生息していないので、日本にいる限りこの知識は役立ちそうにない。

 

「そういえば、カモノハシって生で見たことがないな」と思い、日本の動物園で見られるところはないか探したが、実は日本にはいない。カモノハシは長時間の移動に耐えられないようで、オーストラリアの動物園にしかいないのだ。うーん残念……。

 

カモノハシが見たければオーストラリアに行け!

本書を読んでから、カモノハシへの興味がかなり湧いてきた。いつになるかわからないが、オーストラリアに行ってカモノハシを見てみたい。動物園によってはカモノハシに触れることができるアトラクションがあるようだが、予約で半年先まで埋まっているのだとか。もしカモノハシ目当てでオーストラリアに行く場合は、かなり前もって予定を立てておいたほうがよさそうだ。

 

 

【書籍紹介】

カモノハシの博物誌~ふしぎな哺乳類の進化と発見の物語

著者:浅原正和
発行:技術評論社

カモのようなくちばしがあり、卵を産む。この不思議な哺乳類の生態から進化、人間との関係まで解説する日本初のカモノハシ専門書。

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栄養ばっちり! 米感たっぷり!! オートミールは最強のダイエット食だ!!−−『オートミール米化ダイエットレシピ』

ダイエットのためにお米を食べない、もしくはお米を豆腐やカリフラワーなど他のものに置き換えるという制限を行う人がいます。そんな代用米のひとつとして、最近はオートミールが話題ですが、どのようなものなのでしょうか。

 

いろいろな代用米

ダイエットを決意する際、多くの人が、まずは白米の量を減らそうとします。これは、糖質が多く含まれる白米が太る原因になっていると考え、控えようとするからでしょう。そして、お米の主食を減らしたら、代わりの主食が必要になります。

 

今までも色々な食材がお米を代わりに使われてきました。筆者自身も、粒こんにゃくやカリフラワーをお米に混ぜてみたり、お茶碗に豆腐を入れてみたり、回転寿司店で細切り大根の上に具が乗っている巻き寿司を食したりといろいろな方法で試みましたが、どれも手間がかかったり、予算オーバーになったりと、なかなか長続きしませんでした。

 

超手軽なオートミール

そこに現れたのが、オートミールをお米の代用として使う「オートミールの米化」という方法です。オートミールはグラノーラの原料でもあるオーツ麦を脱穀したもので、お湯をかけるだけですぐに食べられるという優れものです。ヨーロッパでは柔らかくおかゆ状にし、フルーツを乗せて朝食に用いたりと愛食されているものです。

 

そして『オートミール米化ダイエットレシピ』(これぞう・著/学研プラス・刊)には、独特のレシピが載っていました。通常より少ない水の量でオートミールを電子レンジで調理するというものです。この方法だと、お米に近い形状のものができあがるのです。

 

お米に似せたオートミール

実際に食べてみると、本当にお米っぽく、穀類なので麦ごはんを食べているような感じで、違和感は全くありません。ごま塩を振りかけてみましたが、ごま塩ごはんのように食べられました。しかも、もちもちしていてお腹に溜まるので、満足感も得られます。今までの代用米のなかでは最もお米に近いものだと感じました。

 

著者のこれぞうさんは白米をこの米化されたオートミールと置き換えたところ、2年かけて40キロものダイエットに成功されたのだとか。彼が提唱するダイエットは、1日の食事のうち2食の主食をオートミールに置き換えるというもの。実際1日試してみましたが、たいていのダイエットで湧き上がる「お米食べたい!」という渇望は、全く起きませんでした。

 

オートミールは栄養たっぷり

なぜ、お米をオートミールに置き換えるだけで痩せられるのでしょう。本では1食分のカロリーと糖質の比較がされていました。白米1膳の場合252カロリーですが、米化したオートミールでは114カロリーなので、2食をオートミールにすると1日276カロリー減に。さらに糖質も54.8グラムから17.9グラムと、1日で73.8グラムも減る計算です。

 

それだけでなく、オートミールは全粒穀物なので、栄養素を豊富に含んでいるのだとか。白米どころか玄米と比べても食物繊維やカルシウムやたんぱく質や鉄分を多く摂取することができるそうです。何より、炊き上がりに時間がかかるお米に比べて、レンジで1分であっさりできあがってしまう驚異的な調理時間の短さも魅力的といえるでしょう。

 

本では米化したオートミールのレシピが70以上も載っています。オートミールをおにぎりやピザのようにアレンジする方法も楽しそうですが、まずは人気があるというカップチャーハンを作ってみました。米化オートミールにネギと卵と調味料を入れてレンジでチンしてみたら、かなりホクホクのおいしいものが出来上がりました。手軽に作ることができるので、負担感も少ないし、長く続けられそうです。

 

 

【書籍紹介】

オートミール米化ダイエットレシピ

著者:これぞう
発行:学研プラス

食物繊維でバッチリ腸活! 糖質少なめでもおなかいっぱい!お米よりグンと低いGI値! レンチンだけで作れるレシピも!ビタミン、ミネラル豊富! 豊富な食物繊維で腸内環境改善、血糖値にも効果的な新時代の主食!! レシピ70種以上!

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イタリア人のナンパに下心はない? イタリア人への「誤読」を解く1冊~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

日本に住むイタリア人が誤解を解く!

「○○人は××だ」、なんて国別の安易なステレオタイプは良くないとわかっていても、つい無意識に思ってしまうものですよね。特に有名な外国人タレントさんがいると、その国のイメージが固まりがち。イタリア人ならタレントのパンツェッタ・ジローラモさんでしょうか。お洒落で人生を楽しんでいて、女性をすぐナンパするという印象です(笑)。

 

といっても、外国出身のタレントさんも、日本人が思い込んでいるその国の典型例にわざと合わせている部分もあるかもしれません。私たちだって、海外で周りから日本人的であることを期待されたら、いつもはしてないのに丁寧におじぎしたり、忍者のマネをしてみたり……(笑)。

 

『誤読のイタリア』(ディエゴ・マルティーナ・著/光文社・刊)は、そんな「イタリア人って××だ」という日本人の固定観念を打破していく一冊。著者は日本文学研究家、翻訳家、詩人のディエゴ・マルティーナさん。

 

南イタリアのプーリア州出身で、大学は日本学科に進み、東京外国語大学、東京大学に留学。谷川俊太郎さんの『二十億光年の孤独』などを本国向けにイタリア語訳しています。来日して9年になるディエゴさんが違和感を覚える誤解とは何でしょうか?

 

時間を守らないことがマナー!?

第1章はイタリアの国民性について。「イタリア人は時間を守らない」と日本ではよく言われていますが、これは正解だとか(笑)。ただ、そこには理由があるのです。

 

もちろん個人の習慣で大遅刻する人はいるとして、10~15分程度の遅刻はイタリアではある意味マナーだそう。客を歓迎する準備がまだ整っていない可能性があるから、時間通りに到着しては失礼に当たる……。所変われば礼儀の概念も変わるのですね。

 

イタリア人は、女性と見たらすぐ恋愛に持ち込もうと口説くというのは「誤読」。イタリアでは「女性は特別な存在」という考え方が根付いており、男性は女性に対して常に優しくすべきと教えられます。なので、親切に声をかけたとしても、それはナンパとは少し異なり、別に下心があるわけではない……。これはある意味、ちょっとショックかもしれません(笑)。

 

第5章は「誤読のイタリア料理」。イタリア人にとって、「日本人の言うアルデンテは硬すぎる」というのは衝撃でした。最高のゆで加減がアルデンテじゃなかったの!? また、イタリア人が一日に何杯も飲むエスプレッソは、「飲み物」ではなく「飴」感覚というのも本場ならではだなと。

 

ほかにも、「結婚相手の条件が年収」なんてイタリアではありえないと断言していたのも印象的。人間関係、家族、恋愛などトピックスのジャンルが広く、飽きずに読めます。

 

まったくイメージと違う部分があったり、当たってはいるけどその理由が予想外だったり……。イタリアと日本を見つめるエッセイであり、日本人の“誤読”がやわらかい語り口で解説されているカジュアルな比較文化論でもあります。

 

【書籍紹介】

誤読のイタリア

著者:ディエゴ・マルティーナ
発行:光文社

『誤読のイタリア』が描写する「イタリア人像」には、皆に知られている部分と、まったく知られていない部分のどちらもあると思う。すでに知られているところでは、イタリア人の行動。あまり知られていないところでは、その言動の理由。本書では、イタリア文化の「形」で止まらずに、その「神髄」まで遡って説明しようとした。イタリア人の目を借りると、イタリア人への理解を深められる。そうすることで、「いつものイタリア人」でありながらまったく「新しいイタリア人」像が見えてくるのだろう。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

全米大ベストセラー『ヒルビリー・エレジー』が教えてくれる「ドリーム」なき現代アメリカの実像

1月20日(日本時間21日)、アメリカ合衆国の大統領就任式が行われました。レディ・ガガの国歌斉唱など、話題に事欠かない式でしたが、驚いたのはトランプ大統領が就任式を欠席したことです。現職の大統領が就任式に欠席するのは、なんと152年ぶりだといいます。

 

もっとも、2016年、アメリカ合衆国大統領の予備選挙でトランプが勝利したときは、もっと驚愕しました。多くのメディアが、民主党のヒラリー・クリントンが勝利するだろうと予想していたからです。

『ヒルビリー・エレジー』がベストセラーになったわけ

結局、世論調査や専門家の予想を覆し、ドナルド・トランプがヒラリー・クリントンを破って大統領に就任しました。実業家としては成功をおさめていた彼ですが、政治家として働いた経験はありません。そんなトランプがなぜ当選したのか? 労働者階級の人々と接点を持たない彼が、どうして貧困者層の票を多数集めることができたのか? 様々な意見が飛び交いましたが、決定的な答えがないままトランプ政権は始まり、そして終焉を迎えました。

 

何がどうなっているのやら。私にはすべてが謎に満ちています。『ヒルビリー・エレジー』(J.D.ヴァンス・著/光文社・刊)は、その謎をとく鍵を与えてくれる本です。トランプ大統領が誕生したころにベストセラーとなり、終焉を迎えた今も読まれ続けています。

 

著者はJ.D.ヴァンス。著者紹介によれば「イェール大学のロースクールを卒業し、現在はシリコンバレーで投資会社の社長として働いている」とのこと。これだけ読むとエリート中のエリートに見えます。

 

アメリカでは、白人 (White)、アングロ・サクソン系民族 (Anglo-Saxon)、プロテスタント (Protestant) の3条件を満たしているエリート層のことをそれぞれの頭文字を取ってWASPと呼びます。つまり、豊かな家庭環境で育ち、しつけも行き届き、教育をきちんと受けた高学歴を誇る人々です。経歴だけ見ると、J.D.ヴァンスはまさにWASPに属しているように思えます。

 

けれども、そうではないのです。著者の生い立ちは過酷なものでした。故郷はオハイオ州の南部にあるミドルタウンという町。かつては、AKスチールという鉄鋼メーカーの本拠地として活気あふれる場所でした。ところが、世界のグローバル化が進むに連れて衰退の一途をたどり、荒れた、問題を抱えた町になっていきました。アメリカには見捨てられた町が数多くありますが、ミドルタウンは中でも悲惨な末路をたどりました。貧しさゆえの問題が山積みとなり、人々は働く気力を失っていきます。

 

ヒルビリーとは誰か?

ヒルビリーとは「田舎者」という意味ですが、単に地方に住んでいる人々をさすわけではありません。そんなのどかな話ではないのです。本の副題に「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」とあるように、ヒルビリーは貧しく、忘れ去られた状態で、荒廃の中で生きています。

 

アメリカ社会では、彼等は「ヒルビリー(田舎者)」「レッドネック(首すじが赤く日焼けした白人労働者)」「ホワイト・トラッシュ(白いゴミ)」と呼ばれている

(『ヒルビリー・エレジー』より抜粋)

 

私はよくわかっていませんでした。豊かな自然に囲まれ、都会の喧噪とは無縁な場所で暮らす白人の子ども達が、これほどつらい状況下で育っていたことを……。

 

私にとってのアメリカは、強力な軍備を維持しながら世界を操る巨大国でした。問題は抱えつつも、華やかな輝きを放つ魅力的な国でした。アメリカン・ドリームの名が示すように、努力して運をつかみ取むことができれば、巨万の富を得る可能性に満ちている国、それがアメリカだと信じていたのです。

 

けれども、それはアメリカのごく一部にだけ許された輝きだったようです。輝きから取り残された場所には、身動きがとれないまま取り残された貧しい人がたくさんいます。彼らは特有の文化を持ち、それに誇りを持ち、頑固に守り通そうとします。「ヒルビリー」という単語には、複雑で絶望的な思いがこめられていたのです。

 

困った母を愛さずにはいられない

著者・J.D.ヴァンスは、貧しいミドルタウンの中でもとくに貧しく、複雑きわまりない家庭環境で育ちました。両親は彼がまだ赤ん坊のときに離婚しています。シングルマザーになった母親は、次から次へと恋人を作ります。その度に繰り返される引っ越し、そして、新しくできては消える義理の父親たち。家の中は、夫婦げんかと母のヒステリーがくり返され、騒がしく、とげとげしく、落ち着きません。

 

母は看護師という職業を持ちながら、自分の置かれている状態に不満を持っています。本来、自分は大学に行くべき優れた人間だったのにという思いを捨てることができず、現状に満足しないのです。付き合っている男性や子どもに対して要求ばかりが先行し、鬱屈が彼女の精神を不安定にしてドラッグへ走らせます。リハビリ施設に入り、ようやくドラッグと縁を切れたと喜んでいると、また施設に舞い戻る。そんな中で彼は育ったのです。

 

それでも、母は彼を愛していました。けれども、その愛をいつもおしみなく与えてくれたわけではありません。ヴァンスはJ.D.というニックネームで呼ばれていたのですが、母が「ねぇ、J.D.」と、すり寄るとき、それは絶望的なお願いをするときの枕詞でもありました。J.D.は、逆上した母から、何度かひどい仕打ちをされています。中でも次のエピソードは、ヒルビリーとして育った少年のどうしようもない環境を示しています。

 

母は私に「クリーンな尿をくれないか」と言うのだ。前の晩から祖母のところに泊まっていた私が学校へ行く準備をしていると、取り乱した母が息を切らして部屋に入ってきた。看護師免許を更新するためには、看護協会が実施する無作為抽出の尿検査に応じなければならない

(『ヒルビリー・エレジー』より抜粋)

 

そう、母は薬の反応が出る自分の尿を提出するわけにはいかなかったのです。この時、J.D.がどれほど傷ついたか母はわかっていません。彼女は自分が薬をやめるという約束を破っていることさえ忘れています。子どもを育てるために、当然の権利だといわんばかりに「クリーンな息子の尿」を欲しがり、ねだるのです。そこに罪悪感はありません。そんな余裕はないのです。

 

J.D.の「クリーンな小便が欲しいんなら、自分の膀胱からとれ」という叫びには、本物の絶望がこめられています。母への絶望はもちろんですが、自分にも絶望しています。J.D.は自信がなかったのです。自分自身もマリファナを吸っており、反応が出ることを怖れていたのです。結局、祖母の懇願もあり、彼は自分の尿を母に渡します。母が看護師として働き続けるためには必要だからと説得されてのことでした。これほど悲しいことがあるでしょうか?

 

そんなことがあっても、彼は結局、母を好きでたまらないのです。心底うんざりしながらも、助けないではいられません。家族愛などという甘ったれた気持ちではなく、ヒルビリーとして生き残るためには、家族で助け合うしか術がないのでしょう。サバイバルな知恵と言うべきでしょうか。J.D.には選択肢などないのです。

 

それでも、故郷

悲惨な幼少時代を経て、J.D.は故郷を抜け出すことに成功しました。海兵隊に入隊し、自分を鍛え、生活していくために必要な教育と、進学するためのお金を貯めました。そして、オハイオ州立大学に進学します。それだけではありません。大学卒業後、さらにイェール大学のロースクールに進むという破格の出世を遂げたのです。

 

J.D.はそれでも、自分の故郷に懐かしさを感じ続けました。彼にとって、そこは生き残りをかけた戦場でした。問題を起こしてばかりいる母も、自分を捨てた父や何人もの義父、何もかも人のせいにする隣人達も、共に戦った戦友であることに変わりはありません。

 

アメリカを理解するために、『ヒルビリー・エレジー』は必読の書だと思います。全米で100万部を突破する勢いで売れたのもそのためでしょう。今後も読み続けられるに違いありません。アメリカが抱える問題は、今も解決していないからです。

 

さらに、アメリカの問題は日本の問題でもあります。過疎化が進む地方の村や町を悲惨な状況に追い込む前に、私たちに何ができるか、考えなければと思います。『ヒルビリー・エレジー』の世界は、日本でも既に始まっているのかもしれないのですから。

 

【書籍紹介】

ヒルビリー・エレジー

著者: J・D・ヴァンス
発行:光文社

ニューヨーク生まれの富豪で、貧困や労働者階級と接点がないトランプが、大統領選で庶民の心を掴んだのを不思議に思う人もいる。だが、彼は、プロの市場調査より、自分の直感を信じるマーケティングの天才だ。長年にわたるテレビ出演や美人コンテスト運営で、大衆心理のデータを蓄積し、選挙前から活発にやってきたツイッターや予備選のラリーの反応から、「繁栄に取り残された白人労働者の不満と怒り」、そして「政治家への不信感」の大きさを嗅ぎつけたのだ。トランプ支持者の実態、アメリカ分断の深層。

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なんで?「学研の図鑑 スーパー戦隊」のウラ側を、担当者に聞いた!

1月15日に、なんとも興味深い出版物が販売されることがリリースされました。参考書や児童書などを出版している学研プラスが「学研の図鑑 スーパー戦隊」を発売するというもの。学研の図鑑というと、恐竜や昆虫・植物といった「ザ・図鑑」でお馴染みですが、一体どんな本なのでしょう? そして、なんで戦隊に特化した図鑑が? 担当編集者に聞いてコメントをもらいました。

↑「学研の図鑑 スーパー戦隊」3300円(税抜/4月8日発売) (c)2021 テレビ朝日・東映AG・東映 (c)テレビ朝日・東映AG・東映 (c)石森プロ・東映 (c)東映

 

同書は、「秘密戦隊ゴレンジャー」から最新の「機界戦隊ゼンカイジャー」までの全45スーパー戦隊がたっぷりと楽しめる一冊で、約300の戦士を図鑑の体裁で解説し、約270の強化形態までわかりやすいイラストで紹介した図鑑です。ロボット、乗り物、メカ生命体などが、それぞれ何とどのように合体して合体ロボが完成するのかが、ひと目でわかる相関図をスーパー戦隊ごとに掲載しています。ガチに本格的なやつですね。

 

また、2020年に創刊50周年を迎えた「学研の図鑑」の、図鑑づくりのノウハウが駆使されており、「くらべてみよう」という比較ページやメカの透視図など、大人も子どもも、好奇心を刺激する仕掛けがいっぱいです。

 

発表時からネットを中心に話題となった同書の、編集を担当した、学研プラス コンテンツ戦略室・芳賀靖彦さんに、同書のきっかけなどを聞きました。

 

きっかけは“キン肉マン”だった!?

―― なぜ今回、スーパー戦隊の図鑑をつくろうと思ったんですか?

 

芳賀靖彦さん(以下、芳賀) 『学研の図鑑 キン肉マン「超人」』を発売したときに、自分のオタク魂の結晶が人々を喜ばせることができるんだと知り、非常に感激しました。そんなときSNSで「自分の好きなマンガやアニメにも、超人図鑑のような編集者がいればいいのに」という意見を見かけ、そんな人たちのためにも図鑑をつくってあげたいと思いました。

 

レトロな「学研の図鑑」と相性がよいコンテンツといえば、すぐに「スーパー戦隊」しかない! と思ったのですが、実現を決定づけたのは、非常に強力な心当たりがあったからです。

 

それが本書の監修を務める松井 大(まつい ひろし)さんです。松井さんは、2004年から(株)企画者104で「特捜戦隊デカレンジャー」以降(※企画参加は2003年から)のすべての「スーパー戦隊」作品に資料担当として携わっている“スパ戦愛”あふれる男なのですが、私と同じ「キン肉マン」好きということもあり、もう18年の長きにわたって親しくさせていただいています。

 

その松井さんと、やはり「スーパー戦隊」のキャラクターデザインでおなじみのイラストレーターK-SuKeさんと、超人図鑑を酒の肴に会食した際に、「ぜひ、スーパー戦隊図鑑をつくろう!」という話で盛り上がり、企画を立案するにいたりました。

 

―― 現在の製作状況はどんな感じでしょうか?

 

芳賀 現在は、第4校を校正中。文字の赤字落としを進めながら、漏れていたイラストの追加や修正を鋭意進めております。

 

―― どのような人に読んでもらいたいですか?

 

芳賀 スーパー戦隊シリーズは長く続いているので、一定の時期しか見ていないとか、いまから見直すのはたいへん、と思っている人も多いと思いますが、今年は45作品記念のアニバーサリーイヤーですので、これを機会に過去作をおさらいしたいなら、この図鑑ほど最適なものはありません。

 

また、本書は総ルビでお子さん一人でも読めるように作っていますが、大人でも十分に楽しめる内容になっていますので、コレクターズアイテムにするのもよし、親子のコミュニケーションツールとしてもご活用いただくのもよし。「スーパー戦隊」を愛するすべての人に手に取ってほしい図鑑です。

 

―― 本の“顔”となる表紙ですが、アカレンジャー(ゴレンジャー)に決めた理由は何だったのでしょうか?

 

芳賀 表紙選びで辛いのは、スーパー戦隊の戦士は全員が主役で、それぞれに熱いファンがついているため、1人に絞りきれないところです。しかし、そんな魅力的な戦士たちの中でも、圧倒的に納得感があるのはアカレンジャーですね。おかげさまでケースは即決! では、ケースから出したときの表紙は? 裏表紙は? 悩みは尽きません。最終的に他のだれが、何が、表紙を飾るのかは発売後のお楽しみに!

 

スーパー戦隊の起点から、1つ1つ描き起こしたロボ相関図まで!

―― 本の見所や、特に注目してほしいところはどこでしょうか?

 

芳賀 注目していただきたいのは、左上のイラストです。本来であれば、スーパー戦隊が勢揃いしたかっこいい絵を入れたくなるところですが、ここではネジレ次元へ飛び込もうとする瞬間の鮫島博士(のちの宿敵)を描き、メガレンジャー誕生の起点を表わしました。このように、本書ではスーパー戦隊の誕生や戦う理由に焦点を当てているのが大きな特徴なのです。

 

―― 特に苦労したところは?

 

芳賀 制作上、いちばん苦労したのはロボの合体相関図です。これまで体系的な資料が存在しなかったので、ロボットの一覧を見ながら「これとこれが合体して…」とパズルのように読み解きながら図にしていきました。こちらのボウケンジャーはうまくいったほうですが、近作になればなるほど複雑で、カオス化していくので、何度もくじけそうになりました(笑)

 

―― 「これだけは譲れない!」とか、そういうこだわりポイントはありますか?

 

芳賀 私が子どもの頃の特撮作品の図鑑には、ロボの透視図はつきものでした。透視図には、漠然とロマンや未来に対する希望のようなものを感じたものです。でも、最近はなぜかめっきり見なくなりましたよね。だから、本書を作る際は、絶対にロボの透視図を載せたい! と思いました。このバトルフィーバーロボの完成図があがってきたときには、子どものときの熱い感動がよみがえりましたね。

 

―― 最後に、「学研の図鑑」ファンの皆さんにメッセージをお願いします!

 

芳賀 スーパー戦隊を「学研の図鑑」のフォーマットで出す以上は、学習図鑑的な視点は必須だと考えました。「速さをくらべよう」のページは単なる最速ランキングにはしたくなかったので、監修の松井 大さんと何時間も検討しながら、なるべくユニークな乗り物や戦士を集めました。ほかにもこれまでになかった視点の特集ページがたくさんあるので、どうぞお楽しみに!

 

【商品概要】

監修:東映株式会社
(株)企画者104/松井 大
定価:本体3,300円+税
発売日:2021年4月8日(木)
発行所:(株)学研プラス

作詞家・いしわたり淳治の頭の中を覗いてみたら、「言葉」の面白さや無限大の可能性に気づいた。『言葉にできない想いは本当にあるのか』

「言葉」を生業としている職業は多々あるが、作詞家ほど言葉の持つ意味や響き、リズム、流行り廃り、表面にはあらわれていない隠れた想いを敏感に感じ取り、表現している人たちはいないような気がする。しかも、それらをロジカルに組み立てて、ヒットシーンを築く曲をつくりあげていく。

 

そう思うようになったのは、『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系列)という関ジャニ∞がMCを務める音楽バラエティ番組にて、作詞家・いしわたり淳治さんの解説を見たことがきっかけだ。

 

普段何気なく耳にしては通り過ぎていた歌の歌詞を、そうくるか! という視点で捉え、私たちに伝えてくれる。

 

これは、たとえば音楽プロデューサー・蔦谷好位置さんしかり。関ジャムという番組は、普段はあまり表舞台に出ないけれど、音楽シーンを彩るうえで欠かせない人たちにスポットライトを当てる、唯一無二の番組だと思う。

 

話を戻そう。いしわたり淳治さんの感性っておもしろい、日常生活の中で、どんな言葉やフレーズに反応しているのだろう? と思っていた矢先、彼の著書を発見した。『言葉にできない想いは本当にあるのか』(いしわたり淳治・著/筑摩書房・刊)、朝日新聞デジタルのコラムを書籍化したものだ。

 

本当の気持ちを100%相手に伝えられる人は稀有

いしわたりさんは、「はじめに」でこう述べる。

 

自分の感情を他人に伝えるために、人類が発明した非常に便利な道具が「言葉」である。言葉という道具はあまりにも便利すぎて、ともすれば忘れてしまいそうになるけれど、私たちが言葉を使って表現しているのはいつだって「感情の近似値」にすぎない。その意味で、言葉は常に大なり小なり誤差を孕んでいるものではないかと思うのである。

(『言葉にできない想いは本当にあるのか』より引用)

 

確かに、自分の想いをどれだけ的確に相手に伝えようと試みても、100%自分の感情とイコールにすることは難しい。本当の想いよりも過剰だったり、反対に不足していたり。だからこそ、「言葉」は面白く、言い得て妙だったり、ユニークな言葉の使い方をしている瞬間に出会うと心躍るのだそうだ。

 

今回は、『言葉にできない想いは本当にあるのか』で挙げられている118のワードから、いくつかピックアップしてご紹介しよう。

 

チャプター飛ばしたいわ!(サバンナ 高橋茂雄)

『アメトーーク!』の年末スペシャル版にて、何度も野球のボールを拾いに行く東京03豊本明長さんの様子を見て、サバンナ高橋さんがつぶやいた一言である。

 

目の前で繰り広げられる同じ光景を眺めているときの気持ち、まだ名前がなかった感情に初めて正確な名前がついた感じがしたと、いしわたりさん。

 

個人的には、野球の試合で、バッターボックスに立っていながらなかなかバットを振らない選手を見たとき、「チャプター飛ばしたいわ!」という気持ちになる。そもそも、野球観戦はほとんどしないけれども。

 

やたらと同じ話ばかりしたがる人と話しているときも、ボソッと呟いてみるといいかもしれない。

 

別の人の彼女になったよ(wacci)

ロックバンド『wacci』の曲の冒頭の歌詞。この歌詞について、素晴らしいといしわたりさんは絶賛する。

 

別れた彼女が、元カレに対して言う以外、決して使い道がない言葉、つまり、ほとんどの人が実際には使ったことがない言葉にもかかわらず、言葉を発した女性と言われた元カレ、ふたりを取り巻く環境、心情が手に取るようにわかる。

 

今彼の自慢をして、私幸せなんだよ!とアピールしているのに、その裏には元カレへの断ち切れない想いが隠しきれていない。

 

このような「勝手に物語が立ち上がってくる言葉」というのは、ありそうでいてなかなか見つけられないのだそう。なるほど。と言いつつ、いしわたりさんの「勝手に物語が立ち上がってくる言葉」という表現自体が、私にとって膝を打つ表現なのだが。

 

ドキドキドキ(ジャルジャル)

『キングオブコント2019』で、ジャルジャルがネタ終わりのインタビューにて発した一言「ドキドキドキしています」。この奇数回のオノマトペが、ものすごく新鮮だったといしわたりさん。

 

これが、「ドキドキドキドキしています」と偶数回になると、一転普通に聞こえてしまうから不思議なのだそう。いやー、確かに! 「ぱくぱくぱく食べる」→ものすごくお腹が空いてそう。「ピカピカピカに掃除する」→めちゃめちゃ綺麗好きっぽい。「わくわくわくしてる」→この上なく楽しみな様子、といった具合。

 

繰り返す回数が多いほど強調できるわけではなく、奇数回の不安定さが良いのだろうといしわたりさんは分析する。まったくもう、いしわたりさんは目から鱗がぽろぽろぽろとこぼれるような発見をする。

 

言葉は「生き物」。だからこそドラマがある

いしわたりさんが語る「言葉」は、本当に面白い。天才だと思う。けれども、そんな天才をもってしても、「言葉」を完璧に使いこなせる日が来るのは難しいと述べる。なぜならば、言葉は次々に新たな表現が生まれ、進化し、時に死語となっていくから。つまり、「生き物」だから。

 

だからこそ、言葉を発する一人ひとりの背景にドラマがあるし、言葉によって関係性が良くも悪くも変わっていくし、言葉によってムーブメントが起こるのだろう。

 

最後になったが、今回この書評コラムを書くにあたり、いしわたりさんのことを調べていて初めて、伝説のバンド「SUPERCAR(スーパーカー)」のギタリストだったことを知った。やはり、いしわたり淳治は天才である。

 

【書籍紹介】

 

言葉にできない想いは本当にあるのか

著者:いしわたり淳治
発行:筑摩書房

歌詞、流行語、テレビ、広告から独自の視点で118ワードをピックアップ。刺さる理由を解剖。ロジカルな歌詞解説で話題の作詞家による“アイディア”と“思考”の処方箋。作詞家が“言葉”を語るとこんなに凄い!!!

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騎手同志の対談でディープに迫る、競馬の楽しみ——『ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話』

自宅で過ごす時間が多くなり、色々なゲームに手を出しています。そんな中でも、めちゃくちゃ勉強になっているのがNintendo Switchの『ダービースタリオン』、そうダビスタ。ご存知の方もいるかもしれません。競走馬オーナーとなり、強い馬を育てていく競走馬育成シミュレーションゲームです。競馬の知識がほぼ0に近い私は、強い馬を育てられず、我がつるたファームは借金まみれですが(笑)、一攫千金を夢見て頑張っています。

 

競馬ってギャンブルの面が目立ってしまいがちですが、ダビスタをやっていると一頭の馬がレースに出るまでに、オーナー、飼育員、調教師、ジョッキー等、たくさんの「人」に支えられている競技なのだなぁと感じ、ゲームを始めてから日曜日の競馬中継を見る目が変わりました。

 

今回は競馬好き、ダビスタ好きにも読んでほしい『ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話』(藤岡佑介・著/イースト・プレス・刊)をご紹介します。

やっぱり、武 豊はすごかった!

競馬のジョッキーと聞いて思いつくのは、武 豊騎手ではないでしょうか? 前人未到のJRA 4000勝を2018年に達成し、誰もが知っている日本を代表するジョッキーです。

 

『ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話』は、競馬情報サイトnetkeiba.comで連載されている藤岡佑介騎手の対談コーナー「with 佑」をまとめたものなのですが、書籍だけのスペシャル対談として武 豊騎手との対談が収録されています。そこには負けてしまった時の心の保ち方、騎手という職業についてなど、競馬を知らない人が読んでも、言葉のひとつひとつからプロフェッショナルが溢れていて感動できる内容になっています。

 

数々のエピソードの中でも私が一番驚いたのは、騎手になる前のエピソード。ジョッキーになるためには競馬学校に入学するのですが、その時から武 豊は武 豊だったのです!!

 

―(中略)武さんの競馬学校時代の成績にも興味があります。「実はそれほど優秀じゃなかった」など意外すぎるエピソードがあったりして(笑)。

 

武 残念ながら優秀でした(笑)。卒業時は9人でしたが、入学当初は12人でスタートして、学科はだいたい3位か4位で中の上といったところでしたけど。実技は中間テストと期末テストがあって、3年間のうち一度だけ2位になってしまったことがありますが、あとは全部1位でしたね。

(『ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話』より引用)

 

小学5年生から乗馬を始めていたことや血筋もあるかもしれませんが、すごい成績ですよね! 「60歳でダービーを勝ちたい」と語っていたこともあるそうですが、現在51歳の武 豊騎手ならやってくれそう……と思ってしまいました。

 

「試合が終われば同士」と語る、外国人初の全国リーディングジョッキー

私は同じ公営競技の中でもボートレースが好きなのですが、日本と韓国にしか競技がないため、「外国人選手」がいません。しかし競馬はグローバル! 日本で活躍する外国人騎手も多く見られるようになってきました。

 

『ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話』には、フランス出身のクリストフ・ルメール騎手との対談が掲載されています。そんなルメール騎手は、日本ダービーという大舞台でたった8cmの差で一着を逃したことがあったそう。ゴール後「負けたけれど、いいレースができてうれしい」とコメントし、優勝した川田騎手に手を差し伸べたのだとか。その時を振り返り、このように語っていました。

 

ルメール うん、至って自然に手が出たよ。誰が勝ったとしても、自分の仲間がダービージョッキーになったわけだから、彼の美しい1日を心から喜ぶべきでしょ? 自分が勝ったときも、周りの人たちから「おめでとう!」と言われたいから、自分も仲間の勝利を喜べる人間でいたい。

(『ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話』より引用)

 

美しい……! 尊い……! 一戦一戦に魂を込めた、まさに命懸けの戦いを目にすれば、ギャンブルという枠を超えたスポーツとしての魅力やヒューマンドラマに出会える! と、忘れかけていたレース自体の楽しさを思い出させてくれました(もちろん、お金も欲しい! けれどギャンブルなので嗜む程度にしておきましょうw)。

 

ちょっと目線を変えると、競馬がもっと面白くなる?

最後に「競馬を通じて、ひとりでも多くの人と1頭でも多くの馬を幸せにしたい」と語る、著者である藤岡佑介騎手の言葉をご紹介します。

 

競走馬は、たくさんの人の思いを背負い、決して大げさではなく、本当に命を賭してレースに臨んでいます。そんな彼らの頑張りに精一杯の騎乗で応えるのはもちろんのこと、その走る姿や着順という結果により、ひとりでも多くの人に幸せをもたらすことができたら——。そんな思いが僕のモチベーションのひとつであり、馬に携わる仕事をさせてもらっている“ホースマン”としての大事な使命だと僕は考えます。

(『ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話』より引用)

 

誰よりも競馬が大好きで、誰よりも競馬の未来を考えている藤岡騎手との対談だから引き出せるジョッキーたちの想いがたっぷり掲載されている一冊でした。競馬や騎手という職業を詳しく知らない方はもちろん、週末は競馬をしている方も、私のようにゲームで楽しんでいる方も、騎手の胸の内やプライベートを知ることで、新しい競馬の楽しみ方と出会えるような気がしています。

 

私も藤岡騎手と11人の騎手が楽しそうに過去のレースを振り返り、そしてこれからについて語っている言葉に「競馬ってこんなに奥が深くて、幅も広くて面白い世界だったのか!」と感じました。ギャンブルだけじゃない面白さを多くの人に知ってもらいたい! そしてダビスタでは、藤岡佑介騎手で優勝したい! そんな思いで日々ゲームを楽しんでいきたいと思っています(笑)。

 

【書籍紹介】

ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話

著者:藤岡佑介
発行:イースト・プレス

武 豊騎手との特別対談を収録!! あのレースの真実、勝負に臨む覚悟、ライバル心…騎手同士だからこそ話せる“ここだけの話”!

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ジョッキー×ジョッキー トップ騎手11人と本気で語る競馬の話

なぜ、彼はエベレストで死んだのか? 登山家・栗城史多の秘密に迫る−−『デス・ゾーン』

世界最高峰の山、エベレストに挑むその姿をライブ配信した登山家は、後にも先にも栗城史多氏ひとりしかしない。山を舞台にしたこのエンターテイメントには多くの人々が夢中になった。うちの夫もそのひとりで、それまでは誰も見たことが未知の映像に引きつけられていたのだ。

 

デス・ゾーン』(河野啓・著/集英社・刊)は、栗城氏の生い立ちから、なぜ、山を目指すことになったのか、そして、凍傷で9本の指を失いながらもそれでもエベレストを目指し、そして最後には滑落死した彼の真実に迫った一冊で、2020年第18回開高 健ノンフィクション賞を受賞している。

栗城史多のエベレスト劇場

まずは本書の章立てから見ていこう。

 

序幕 真冬の墓地

第一幕 お笑いタレントになりたかった登山家

第二幕 奇跡を起こす男と応援団

第三幕 遺体の名は「ジャパニーズ・ガール」

第四幕 エベレストを目指す「ビジネスマン」

第五幕 夢の共有

第六幕 開園! エベレスト劇場

第七幕 婚約破棄と取材の終わり

第八幕 登頂のタイミングは「占い」で決める?

第九幕 両手の指九本を切断

第十幕 再起と炎上

第十一幕 彼自身の「見えない山」

第十二幕 終演~「神」の降臨~

最終幕 単独

 

著者の河野氏は、北海道放送のディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ。情報番組を制作。栗城氏の取材は2年に渡ってしていたそうだ。

 

「ボクの理想はマグロです」

「単独無酸素で七大陸最高峰を目指す!」これが登山家・栗城史多のキャッチフレーズだった。が、河野氏がひきつけられたのは別の発言だったという。

 

単独無酸素? 七大陸最高峰? 登山の知識がなかった私にはどうもピンと来なかった。だが、唯一、強烈に引き付けられる記述があった。

「ボクの理想はマグロです。少しの酸素でいつまでも泳いでいられるマグロのような体を作りたいんです」

すごいことを言う人だな、と驚嘆した。山に登る登山家が海の魚を「理想」と語るのだ。

(『デス・ゾーン』から引用)

 

河野氏はすぐさま連絡を取り、取材を開始。そのとき栗城氏は25歳、初印象は、小柄で童顔で人懐っこい笑顔は小動物を思わせたという。

 

カメラは登山道具のひとつ

栗城氏にとってカメラは登山道具のひとつだった。エベレストに挑戦する前に彼は、まずマッキンリーの登頂に成功する。そして頂上でガッツポーズする姿を公開したのだ。

 

「マッキンリーにカメラを持っていったのは、登頂した証拠を残すためでした。(中略)だって、もったいないじゃないですか? こんなに苦労して登っているのに誰も知らないなんて」

登山の過程を自撮りする理由を、栗城さんはそう語った。私は彼の言葉に納得がいった。取材する人間の心情に近い気がしたのだ。

(『デス・ゾーン』から引用)

 

周囲の人々は奇跡だと言ったこの登頂がなければ、栗城氏の人生はまったく別のものになっていたはずだと河野氏は記している。

 

あの植村直己さんが遭難したマッキンリーに登った栗城はすごい! と多くの人は驚いた。が、しかし栗城氏が登ったのは6月。植村さんが登ったのは厳寒期だから、その難易度は雲泥の差と経験豊富なプロの登山家たちは知っていたのだが。

 

七大陸単独無酸素は虚偽表示

栗城氏の登場にはメディアもいっせいに飛びついた。メディアは常に新しいスターを求めているから、ルックスがよく、行動も発言もユニークな彼を「ニートのアルピニスト」として持ち上げるようになっていった。また、栗城氏もエンターテイナーとしての素質を備えていて、人々が飛びつきそうなネタを上手に使っていたようだ。

 

一つ告白しておかなければならない。私は彼のある言葉を、「虚偽表示」や「誇大広告」の臭いを感じながらも、「まあ本人が言っているのだから」と番組の中で垂れ流してきた。

彼が掲げる『単独無酸素での七大陸最高峰登頂』が、それだ。(中略)しかし、それは、彼のいわば「ネタ」だった。どういうことか? そもそも酸素ボンベを使って登るのは、八〇〇〇メートル峰だけなのだ。つまり七大陸最高峰のうち、エベレストのみ。他の六つの最高峰にボンベを担いで登る人間など、端からいないのである。「単独無酸素」と「七大陸」がゼットになること自体、ひどく誤解を生む表現なのだ。

(『デス・ゾーン』から引用)

 

夢の共有者たち

それでもネット民たちは栗城氏を絶賛し続けた。「大好きです!」「大注目のヒーロー」「こんな若者を待っていた!」などなど。河野氏は、栗城氏に対しさまざまな疑問を抱き始めた時期に、誰か文句を言っているヤツはいないのか? と検索してみたものの、誰もいなかったと振り返る。

 

殻に閉じこもりがちな若者達は、自身の夢を栗城氏に託すようになっていった。しかし、それが栗城氏を追い込んでいってしまったのも事実だろう。

 

2012年のエベレスト挑戦の時、登頂に失敗し、諦めて下山途中に凍傷を追い、両手の指9本の第2関節から先を失ってしまった。それだけのハンデを背負いながらも、栗城氏はエベレスト登頂を諦めることをしなかった。登山の専門家たちは無理と言っても、彼は耳をかさなかったようだ。

 

エベレスト劇場の最終幕

栗城氏のエベレスト劇場は、2018年5月、エベレストでの滑落死という最悪の悲劇で幕を閉じることになった。本書にも彼の死について多くの人々の意見が記されているが、栗城氏の大学時代のガールフレンドの言葉が胸を打つので引用しておこう。

 

「栗ちゃんはこの社会で同じように生きにくさを感じている人たちの『代弁者』のような役割を担っていたと思います。彼にとっても、人から求められることは生きがいであり、社会を生き抜くエネルギーになっていた気がします。(中略)たぶん登りたくて登ってたんじゃない。(中略)もしかしたら。死なずにすんだ命だったのかな。誰かが止めていれば……受け止めていれば……。(中略)彼のブレインは栗ちゃんの危うさに気づかなかったんだろうか……?」

(「デス・ゾーン』から引用)

 

著者の河野氏もメディアの人間として、自責の念があるという。人間を安易に謳い上げるのは危険なことだ。栗城さんを死に追いやったのは……私かもしれない。そう告白している。

 

ちなみに私は登山にはまったく興味がなく、また無知だが、本を開いたとたんにグイグイと引き込まれ一気に読んでしまった。現代の若者を知るという意味でも読んでおきたい一冊といえる。

 

 

【書籍紹介】

デス・ゾーン

著者:河野 啓
発行:集英社

両手の指九本を失いながら“七大陸最高峰単独無酸素”登頂を目指した登山家。彼には誰にも言えない秘密があった。2020年第18回開高 健ノンフィクション賞受賞作。

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文壇随一の食通が考える理想の居酒屋メニューはコレだ!~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

 

記憶に残る居酒屋メニューの数々

居酒屋の料理ってなんでそんなに後を引くんでしょうか? 特別高級な食材でもなく、凝った調理をしているわけでもないのに、「そうそう、これなんだよ!」というピッタリきた味でじんわりと温かくなります。ひとたびそのお店の美味しい料理に当たると「次は日本酒で試してみよう」とか、「華やかな梅酒ロックは合うかな」とか、何度も足を運びたくなってしまうのが居酒屋マジックですよね。

今回の新書『空想居酒屋』(島田雅彦・著/NHK出版・刊)は、そんな居酒屋の食べ物好きにもってこいの一冊。お酒ではなく、主に居酒屋メニューとその雰囲気に焦点が当たっているのがたまりません。

 

著者は芥川賞選考委員も務めるおなじみの小説家・島田雅彦さん。食通としても知られ、居酒屋を飲み歩いて40年、自ら包丁を握って35年だとか! そんな島田さんが過去に訪れた酒場を振り返りながら、理想の居酒屋料理を考えるエッセイ。それだけにとどまらず最後には自ら居酒屋を限定オープンしてしまいます。

 

多彩なキムチやタニシ、蚕の佃煮などつまみがズラリと30種類も並ぶ韓国のマッコリタウン。ホッキ貝入りのポテトサラダが定番メニューの幡ヶ谷駅前の居酒屋。名物カクテル「スプリッツ」をはしごしたヴェネツィアの立ち飲み居酒屋バーカロ……文字で再現された居酒屋の雰囲気と名物料理の数々に、読んでいるだけでほろ酔い気分に!

 

好きが高じて居酒屋オープン!?

ウェブ連載コラムをまとめたもので、テーマもバラエティ豊か。「『揚げ物王』はどれだ?」の回はダイエットの大敵です(笑)。ヴェネツィアで食前酒のつまみとして食べるオリーブの肉詰めの揚げ物、揚げ油と香辛料の風味が絶妙な中東のひよこ豆フライ。フワッとした衣にからむ甘辛いソースが決め手の関西の串カツ。そして横綱はやはり江戸前の天ぷら。穴子、キス、メゴチ、エビ……。水揚げされたその日に、海水の塩分が感じられる鮮度であることがベストだそう。すっかり揚げ物の口になってしまいました。

 

本書の最後では、初台にある行きつけのカフェのオープンテラスを借りて自ら居酒屋を開店してしまいます。調理インフラをキャリーバッグ1つにギュッと詰め込み、名付けて「何処でも居酒屋」。

 

包丁、まな板などの調理器具は100円ショップで調達し、あとは小型コンロ2つと、大小のフライパン。醤油や味噌、塩、砂糖、ナンプラー、ポン酢など各種調味料も収納すれば、どこでもたいていのものは調理できるとか。

 

「何処でも居酒屋」のメニューは台湾オムレツ、切り干し大根のソムタム風、チリコンカルネ、卵天……と各国料理が揃っています。簡単なレシピ付きで、自宅でも再現できそう。

 

お店派もおうち呑み派もどちらも楽しめる一冊。まさに読む居酒屋です。

 

【書籍紹介】

空想居酒屋

著者:島田雅彦
発行:NHK出版

そこに酒があり、ドリンカーがいれば、即酒場。コロナ禍で外食産業の大手チェーンが大打撃を受ける一方、デリバリーを軸としたゴーストレストランが増えてきている。ポスト・コロナの飲食店はどうなってしまうのだろうか。そんな中、国内外の酒場をハシゴして40年、包丁を握って35年の「文壇一の酒呑み&料理人」が、ついに理想の居酒屋“masatti“を開店した??? 芥川賞最多落選の芥川賞選考委員が放つ、気宇壮大かつ抱腹絶倒の食エッセイ!(レシピ&カラーページ付)

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

知りたいのは「間違いない味」! プロの料理家のレシピだけを集めた『Nadia magazine』は、おうち時間をぐっと豊かにする!

昨年の緊急事態宣言以来、料理をする人がかなり増えたそうだ。思うように外出できず、飲食店の営業時間も短くなっているのだから、当然といえば当然だろう。

 

毎日食事を作っている主婦の立場からしてみても、休校続きで子どもが一日中家にいる、旦那はテレワークで家にいる、かといってテイクアウトやデリバリーはお金がかかる。必然的に、ご飯を作るしかない。いつも以上に。

 

さて、そうなるとネックになるのが献立だ。夕食だけなら、持っているレパートリーを順繰りさせればごまかせたが、もう一食、二食追加になることで、明らかにレシピがマンネリ化してくる。

 

さほど料理に対して情熱がない私は、新たなレシピを編みだすなど論外。冷蔵庫にある材料をもとに、ネットでレシピを検索することになるのだが、ここで欲が出てくる。初めてチャレンジするレシピだろうと、失敗したくない。間違いない味のものを作りたいのだ。

 

というわけで、最近よく利用しているレシピサイトがある。月間ユーザー数2000万人という話題のメディア「Nadia(ナディア)」である。

 

【関連記事】
超レッドオーシャンの「レシピサイト業界」に新しい動きが。月間2000万ユーザーを抱える「Nadia」の本質的な「モノづくり」

 

厳しい審査を通過したプロの料理家だけがレシピを投稿できる

「Nadia」の大きな特徴は、厳しい審査を通過し、運営会社によって「Nadia Artist」と認められた人しかサイトにレシピを投稿できないということ。つまりプロの料理家のレシピしか載っていないのだ。どんなに私のオリジナル豚キムチが美味しかろうと、「Nadia」には載せてもらえないのである。

 

「むね肉のしそチーズはさみ焼き〜照り焼きソース〜」by Yuuさん/出典画像:プレスリリースより

 

「Nadia」に集められたレシピはどれも、味はもちろん、料理写真の撮り方やレシピ解説文に至るまで、さすがプロ! と唸ってしまうクオリティ。特に、写真が素晴らしい。見ているだけで「作ってみたい! 食べてみたい!」と垂涎ものである。

 

「ハレの日に食べたい本格派 ほうれん草とベーコンのキッシュ」by筒井しょうた/出典画像:プレスリリースより

 

もちろん料理の味付けには好みがあるので、プロのレシピだからといって確実においしいと感じるわけではないが、それでも味付けの失敗を最大限防げるので、かなり重宝しているサイトなのだ。

 

とはいえ、実際に料理するときは紙のレシピが便利です

そんな便利な「Nadia」だが、実際に料理を作るときは、できれば紙のレシピが見たいと思ってしまう私はアナログな昭和の人間だろうか。

 

スマホにレシピを表示しておいても、気づけば画面が消えてしまっている。濡れた手で操作するのは怖いので毎回手を拭かないといけないし、スクロールしてレシピの続きを見るのも煩わしい。だから、レシピ本の方が使い勝手が良くありがたい。

 

おそらく、同じような声が多かったのだろう。先日、「Nadia」で人気のレシピを集めた『Nadia magazine』というレシピ本が発売になった。聞けば、普段ネットでレシピを検索する習慣がない年齢層高めの人たちにも「Nadia」のレシピを届けたいという想いから、企画立案されたそうだ。

 

なるほど、たしかに実家や義実家の母たちがネットでレシピを探している姿を見たことがない。そのかわり、料理雑誌やレシピ本は定期的に購入している様子。早速、両実家に『Nadia magazine』を贈ると、すぐに喜びのメールが届いた。「美味しそうで便利そうなレシピばかり!」「色とりどりで見ていて楽しいし、挑戦したいの一杯」(メール本文ママ)と、毎日の食事作りに一役買っているようだ。

 

有料会員限定の「人気ランキング上位レシピ」も公開!

実際に、私自身も何品か『Nadia magazine』のレシピを作ってみたが、いずれも家族の評判がすこぶる良い。さすがプロのレシピである。

 

そしてもう一点、『Nadia magazine』の良き点をお伝えしたい。それは、ランキング形式でレシピが並んでいるということ。

 

ネットで人気の高いレシピを探そうとすると「ここからは有料会員への登録が必要です」と表示されて、がっくりと肩を落としているのが常だが、『Nadia magazine』では、Nadiaで公開しているレシピの中からユーザー人気の高いレシピをランキングで教えてくれている。これが地味に助かる!のである。

 

そんなこんなで、しばらくは『Nadia magazine』さえあれば、食事作りに困ることはなさそうだ。「フライパン1つ」や「調味料3つ以内」「火を使わない」といったアイコンがついている、初心者でも挑戦しやすい簡単なレシピがほとんどなので、コロナ禍によって料理をはじめようという人にもおすすめしたい。おうち時間を豊かにしてくれる『Nadia magazine』、日本中の食卓を彩ってくれる一冊だ。

 

【書籍紹介】

 

Nadia magazine vol.01

発行:ワン・パブリッシング

人気レシピサイトNadiaの中から、圧倒的に支持される料理家のレシピを厳選して掲載した公式料理ムック本です。毎日の料理に役立つ、「つくりやすくておいしい」レシピをはじめ、有料会員限定の人気レシピのランキングや、Yuuさん、RINATY(りなてぃ)さんなどのベストセラー料理家からアジカン伊地知潔さん、大人気YouTuberなどによる、この本でしか見られない新作レシピを紹介します。

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類書を掘る楽しさに溢れた「恋心」をうるおす27の選書集 −−『恋って何ですか?』

みなさん「恋」してますか?

 

年女の私は、今年36歳。親との年齢差が変わるはずなんてないのに「なんだか母親の年齢に近づいているような気がする」と思うことが増えて、恋だ、愛だと言っていたころが懐かしく感じるようになりました。恋愛映画も親目線で感動するようなスイッチに変わってしまったし、友達とも恋愛話より仕事や人生の話をすることの方が増えてきて、「私は恋を忘れてしまったのか!?」「え〜! もっとキュンキュンしたい!」と思っても何をしたらいいかわからない。不倫するわけにもいかないし、はてさて、36歳、どんな「恋」でキュンキュンしたらよいのじゃ……。

 

今回は私のように恋の泉がカラカラに乾いてしまった人におすすめの『恋って何ですか? 27人がすすめる恋と愛の本(14歳の世渡り術シリーズ)』(河出書房新社・編集/河出書房新社・刊)をご紹介します。

 

 

14歳の世渡り術』シリーズが面白い

“中学生以上、大人まで”というキャッチコピーがついた『14歳からの世渡り術』シリーズは、ちょっと難しいテーマや話題のトピックスを中学生から読めるような内容に仕上げているもの。『大人になって困らない 語彙力の鍛えかた』『正しい目玉焼きの作り方』などタイトルも面白そうなものが多く、中学生はもちろん、大人でも十分に楽しめるシリーズです。

 

今回ご紹介する『恋って何ですか? 27人がすすめる恋と愛の本』は、社会学者の上野千鶴子さんやイラストレーターの死後くん、歌舞伎俳優の尾上右近さんなど様々な業種で活躍されている27名の有名人が「恋」や「愛」の本を紹介していくブックガイド。

 

この本を読むだけでも忘れかけていた恋を思い出させてくれますが、紹介されている本を読んで、さらにその著者や紹介者の他の本も読んで……なんてどんどん広げていくこともできるので、一冊で何倍も楽しめます。

 

選書されている本が「中学生向けなのでは?」と思うかもしれませんが、大人向けな本ばかり。恋がわからない中学生、恋に悩む高校生、恋を忘れた大人、誰が読んでもピン! とくる本が紹介されています。

 

27通りある「恋って何ですか?」の答え

紹介されている27名の中から、個人的に「わかるわ〜」と頷いてしまったものをいくつかご紹介します。

 

『宮廷神官物語シリーズ』でも人気の小説家・榎田ユウリさんは、『好き? 好き? 大好き? Do You Love Me?』(R.D.レイン・著、村上光彦・訳/みすず書房)を紹介する冒頭で、以下のように語っています。

 

恋とは混乱です。

ウワァァであり、ドドドドドであり、ヒャッホーイであり、しばしばズドォォンです。

(『恋って何ですか? 27人がすすめる恋と愛の本』より引用)

 

うんうん、そうだった! 言葉のチョイスも素敵ですよね(笑)。ちなみにこの『好き? 好き? 大好き? Do You Love Me?』は、詩集なのだとか。「混乱」と言われると、恋をしなくてもいいものなんて思ってしまいますが、「こんな気持ち」を味わってみたくなることも確か。大人になると味わえる機会が減ってしまいますが、思い出すことはできます。

 

あぁ〜私も枕に顔を埋めて「ぎょえ〜〜」と言ったことあったなぁ〜とか、懐かしくなれただけでも恋の泉がちょっと復活するような気持ちを味わえました(笑)。

 

出会いがあれば、別れもある

また恋は成就するものがある一方で、叶わない恋をしている人も多いでしょう。私もかつて叶わぬ恋をしたこともありました(遠い目)。小説や漫画、映画など恋が成就したハッピーエンドなお話が多いですが、「失恋する」お話ってあまりないですよね。でも現実では、失恋の方が圧倒的に多いはず!!

 

サンキュータツオさんは、「恋は気持ちが一方通行の状態」と語りながら、ドストエフスキーの『白夜』を紹介しています。

 

恋をした人は、やきもきします。一目惚れして舞い上がる、相手に会って舞い上がる、なかなか話しかけられないと悩む、関係をどうやったら進められるか悩む、嫉妬する。最終的に裏切られる、振られる。『白夜』には、そんな恋の状態が全部詰まっています。

失恋から立ち上がることが人生です。失恋したときの心の耐性をつけるために、この作品をおすすめします。

(『恋って何ですか? 27人がすすめる恋と愛の本』より引用)

 

心の耐性……! 本を読むことで予行練習するというのは確かに良いかも。ただ練習しすぎて本番ができなくなってしまった人もいるから、「恋」って本当、一言では言えないことばかりなのだなぁと感じますね。う〜ん、深い!

 

私がピックアップした本がどちらも洋書になってしまいましたが、『恋って何ですか? 27人がすすめる恋と愛の本』には、漫画、絵本、現代小説までたくさんの「本」が紹介されています。

 

漫画や映像で見る恋物語も楽しいですが、文字で読み想像する恋物語もまた味わい深いもの。恋の泉にうるおいを与えるべく仕事の合間にでもパラパラと本をめくり、キュンキュンしたいと思います(笑)。

 

【書籍紹介】

恋って何ですか?

著者:河出書房新社(編)
発行:河出書房新社

恋になやんだとき必読のブックガイド!小説家・俳優、学者etc. が大事にしている本を教えます。

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恋って何ですか? 27人がすすめる恋と愛の本(14歳の世渡り術シリーズ)

 

歌舞伎町に存在する厳然たるルールとは何か?−−『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』

初めての映画館。初めてのバイト先。そして、初めて通った英会話学校。筆者にとって、新宿・歌舞伎町は何かとお初の思い出がある街だ。およそ34万8000平方メートルの面積の中にたくさんの日常、そして非日常が詰まっている。

 

おじさんが頭から血を流しながらダッシュする街

三多摩地域のとある市に住んでいた筆者にとって、新宿は一番近い大都会だった。子どものころから使っていた西武新宿駅の階段をJR新宿駅方向に下りて行くと、左手に広がるのが歌舞伎町。日本最大の繁華街に昼の顔と夜の顔の差を感じた覚えはない。ただ最初に書いたように、ごく狭い範囲に日常と非日常が隣り合っている。

 

それは、たとえばこういうことだ。今はセントラルロードという名前になっている通りにあった牛丼屋でバイトをしていたある夜、シフト終わりにお店を出たら、50歳くらいのおじさんが、頭から血をほとばしらせて何かを叫びながらダッシュしていた。横にいた先輩は特に驚く様子も見せず、目で追うだけだった。後から考えれば、走って行った方向に大久保病院があったので、何らかの事情でケガをして向かっていたのかもしれない。

 

この原稿で紹介したいのは、筆者がかつて比較的長い時間を過ごした歌舞伎町の深いところまでを紹介してくれる本だ。内側で生きている人ならではの皮膚感覚を通して語られる話は、この街に行ったことがある人には独特な懐かしさ、そして行ったことがない人には新鮮な驚きと共に響くだろう。

 

インサイダー視点で語られる日本一の歓楽街

新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』(手塚マキ・著/幻冬舎・刊)の著者手塚マキさんは歌舞伎町でホストクラブやバー、飲食店、美容室など十数軒を構える「Smappa! Group」の会長を務める“歌舞伎町どっぷり”で生きてきた人物だ。1997年から歌舞伎町で働き始め、ナンバーワンホストを経て独立し、グループ企業を育て上げた。

 

プロローグで、コロナ禍の中“夜の街バッシング”が起きた2020年5~6月にかけて新宿区とホストクラブの連携体制が出来上がるまでのプロセスが語られている。とてもタイムリーだ。インサイダーであり当事者である手塚さんの視線から冷静な口調に乗せて紡がれるものごとの時系列は、ドキュメンタリーフィルムを見ているような感覚で読み進めることができる。

 

追体験とアップデート

プロローグから始まり、第一部で歌舞伎町の概要と歴史、第二部で歌舞伎町に生きる人たちについて詳しく触れていくこの本の構成についての説明が「はじめに」で綴られる。学術論文のアブストラクトに似た印象を受けるこの「はじめに」は、次のような文章でしめくくられる。

 

以上のように、歌舞伎町全体の雰囲気を摑んでいただいてから、その中で生きる1人1人の人間にスポットを当てることで、歌舞伎町で生きるということをリアルに感じていただけるかと思います。ようこそ歌舞伎町へ。

            『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

この本、筆者にとっては追体験であると同時にアップデートとなりそうだ。どのような形で懐かしさを埋め、どんな新情報をもたらしてくれるのか。

 

人が夜の街に求めるもの

社会派ドキュメンタリーのようなプロローグを抜けると、すぐに“歌舞伎町概論”が始まる。その冒頭に印象的な一文を見つけた。

 

歌舞伎町を去った人でも、隠す過去にしたり、武勇伝にしたり、ただ通り過ぎた一風景にする人は少ない。特別な何かがそこにはあるからだろう。だから私も語る。私の大好きな歌舞伎町を語る。

            『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

「はじめに」とはまったく違うリリカルな書き口の文章だ。人々が求めるのは、歌舞伎町という街自体がまとっている特別感なのかもしれない。

 

歌舞伎町のルールって?

日本一の歓楽街を貫く絶対的なルールはあるのか。この本を読んで、厳然としたルールがあることがわかった。しかも、それはあっけないほど単純だ。でも、歌舞伎町で生きる大多数の人々はこの単純で厳然としたルールを遵守する。

 

決まったルールも線引きもない。だが歌舞伎町なりのモラルがある。自分のテリトリーを大事にするということは、他人のテリトリーに対しても敬意を持つということなのだ。

           『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

考えてみればごく当たり前のことかもしれない。ただ、歌舞伎町が生活圏ではない人々は、非日常に満ちた街は非日常的なルールに司られていると考えがちではないだろうか。それはいかにもステレオタイプなのだ。ルールという言葉は、リスペクトというニュアンスでとらえるべきだろう。歌舞伎町全体を覆う共通のリスペクトが強力な表面張力として機能しているのだと思う。

 

歌舞伎町、そしてそこで生きる人たちを対象に繰り広げられるマクロ的視点とミクロ的視点の行き来が心地よい。今流行っているPC経由のオンラインツアーにドキュメンタリー要素を盛り込み、紙媒体で展開してくれているような一冊だ。読み終わって思った。42年前、頭から血をほとばしらせながら疾走していたあのおじさんは、結局どうなったのだろうか。

 

【書籍紹介】

 

新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>

著者:手塚マキ
発行:幻冬舎

戦後、新宿駅周辺の闇市からあぶれた人々を受け止めた歌舞伎町は、アジア最大の歓楽街へと発展した。黒服のホストやしつこい客引きが跋扈し、あやしい風俗店が並ぶ不夜城は、コロナ禍では感染の震源地として攻撃の対象となった。しかし、この街ほど、懐の深い場所はない。職業も年齢も国籍も問わず、お金がない人も、居場所がない人も、誰の、どんな過去もすべて受け入れるのだ。十九歳でホストとして飛び込んで以来、カリスマホスト、経営者として二十三年間歌舞伎町で生きる著者が<夜の街>の倫理と醍醐味を明かす。

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Aマッソの笑いは「特定の誰かに困った顔をさせない」−−『イルカも泳ぐわい』

イルカも泳ぐわい』(加納愛子・著/筑摩書房・刊)は、女性お笑いコンビ「Aマッソ」の加納愛子が上梓した初エッセイ集。Webちくまで連載されているコラム「何言うてんねん」をまとめたものに、書き下ろしエッセイ+初の短編小説「帰路酒」が収録されている。

 

「女性あるある」をやらない女性お笑いコンビ、Aマッソ

女性お笑いコンビのなかでも、Aマッソはかなり特徴のあるコンビだと思う。2人とも小さくて可愛らしい感じなのだが、いわゆる「女性あるある」的なネタはない。しかも、出てくるワードがかなり独特で、毒があるネタが多い。よく「とがっている」と言われているが、彼女たちは「自分たちがおもしろいと思うことが、いわゆる女性あるあるじゃないだけ」らしい。

 

2020年の女性芸人No.1決定戦「THE W」の決勝戦では、2人の背後にプロジェクターによる映像投影を組み合わせた斬新なネタだった(ちなみに優勝はひとりコントの吉住だったが)。

 

個人的には、コントのほうがAマッソの持つ特異性がよく出ていると思う。Aマッソのコントは、ショートショートのような雰囲気のものが多い。途中から「これ、どうなるんだろう?」というように期待してしまう。僕は、Aマッソのネタにはどことなく文学性のようなものを感じている。

 

日常の違和感+妄想+独特のキーワード=Aマッソ

『イルカも泳ぐわい』は、ネタ作り担当の加納が書いたエッセイ。読んでみると、まるでAマッソのコントそのものだなといった印象だった。日常のちょっとした違和感に加納が疑問を持ち、そこから想像の世界でどんどん本筋とは違う方向に向かっていく。たまに、これはホントのことなのか夢なのか、ただの妄想なのかわからなくなってしまうこともある。

 

もちろん、Aマッソしか注目しなさそうなワードも続出。「タグ表示忠実野郎」「アイデアの二日目顔」「姓でも名でもパーティー」。多分自分では一生思いつかないし、口にしないワード。こういうところがAマッソのおもしろいところだと思う。

 

芸人の仕事は「特定の誰か」に困った顔をさせないこと

本書の中で、一番印象に残ったのが「すいません」というエッセイ。街中で倒れている自転車を見過ごせなくて、ついつい起こしてしまう女友達について書いている。

 

彼女は、2人で歩きながら話しているときに会話を中断してまで自転車を起こしに行くことを悪いと思っているようで、加納に「すいません」と言う。そして、再び歩き出してもちょっと困ったような顔をしている。彼女は、上司に怒られているときにも友人とケンカをしたときにも、そんな困ったような顔をしている。

 

それを知っていた加納は、「相手の悪口を並べ立てて笑えばいいのに」と思うが、「私がすべきことは、擁護ではない。そして、選択の否定でもない。」と断言する。そして、次のような文章が続く。

 

彼女とはさして仲良くもないのに、彼女の眉が、視線の軌道が、いつも私を奮起させる。いや、もっと言えば、彼女じゃなくてもいい。「特定の誰か」に困った顔をさせないように、芸人という仕事が存在するのだという気がする。

(『イルカも泳ぐわい』より引用)

 

この部分を読んだとき、Aマッソのネタがなぜ独特なのか、ちょっとわかったような気がした。Aマッソ(のネタを作る加納)は、決して万人受けするような感じではない。それは「みんな」を笑わせたいのではなく、「特定の誰か」を笑わせたいからなのだ。

 

その相手は、相方の村上であったり、一緒にYouTubeチャンネルを作っているスタッフ陣だったり、身近な友人だったり、Aマッソのファンだったりするだろう。もちろん、不特定多数のお笑いファンにも笑ってもらいたいという気持ちはあるはずだが、そのためには加納が思う「特定の誰かに困った顔をさせない」笑いではなくなるはずだ。

 

読後に「何言うてんねん」と笑ってほしい

あとがきにはこんな文章もある。

 

読み終えた方が「こいつ何言うてんねん」と笑ってくれたらいいなと思います。

(『イルカも泳ぐわい』より引用)

 

今のAマッソは、「こいつ何言うてんねん」とは思われていると思うが、その後に笑えるかどうかはかなり個人の性癖に寄っている感じ。「好き」と「嫌い」が両極端に分かれるだろうなと思う。

 

しかし、それこそがAマッソであり、そこがなくなるとその他のお笑い女性コンビと同じような存在になってしまうだろう。

 

できればこのまま突き進んで売れてほしいなと願ってしまう。普通になってしまったAマッソは見たくない。「特定の誰か」をひとりずつ増やしていって、最終的に日本国民の7割くらいがAマッソの「特定の誰か」になればいいなと思う。

 

まあ、僕が書いているこれも「こいつ何言うてんねん」と思っていただければ幸いです。(笑いはないが)。

 

最後に。本書の巻末に収録されている短編小説「帰路酒」は、もともとネタとして書いたものを作家にボツにされたことから小説に仕上げたものだという。こちらもかなりAマッソだし、ショートショートとしておもしろいので、ぜひご一読を。

 

【書籍紹介】

イルカも泳ぐわい。

著者: 加納愛子
発行:筑摩書房

芸人エッセイ、最新形態。Aマッソ加納、初めてのエッセイ! Webちくまの人気連載「何言うてんねん」に、初の短編小説「帰路酒」他、書き下ろしを加えた全40篇を収録。言葉のアップデート、しすぎちゃう?

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おうちワイン入門! 5つのステップで超初心者から上級者へレベルアップ~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

ワイン・ジャーナリストが丁寧にガイド!

こんにちは、書評家の卯月鮎です。私がワインにハマったきっかけはグラス。子どものころ、丸みを帯びたワイングラスがどこかなまめかしく、そして高貴なものに思えて、普段から意味もなく使っていました。ぶどうジュースを注いでは悦に入ってちびちびと飲んだり、麦茶や水も貴族になったつもりで味わったり(笑)。

 

今では本物の赤ワインにもハマっていますが、ワインって最初はどれを飲んでいいのか、銘柄も多くて全然わからないですよね。そういうときのガイドとして心強いのが今回の一冊。

絶対はずさないおうち飲みワイン』(山本昭彦・著/朝日新聞出版・刊)は、おうち飲みワインの流儀を最短距離で身につけられる新書。超初心者でもワインの味わい方や料理との組み合わせを知り、ステップアップして上級者へと成長できる構成になっています。

 

著者はワイン・ジャーナリストの山本昭彦さん。購読制ワインサイト「ワインレポート」の設立者で、世界中の産地からニュースをレポートしています。著書は『おうち飲みワイン100本勝負』『ブルゴーニュと日本をつないだサムライ』など。山本さんがワインと出会ったのは40年近く前で、大学時代のフランス貧乏旅行のとき。日本円で150円ほどの安酒を買って、焼きたてのバゲットとハムを食べたら、いくらでも飲めてしまったとか。本場での幸せな出会いが人生を決めたということなんでしょうね。

 

ワインコラムも読み応えあり!

山本さんによれば、ワインは語るものではなく、喜びをわかちあう飲み物! 小難しい飲み物ではないと明言されていて、そのスタンスがワイン入門へのハードルをぐっと下げてくれます。

 

1章から5章まで5つのステップがあり、各ステップの最後には6~16本の具体的な銘柄も紹介されています。ボルドーで収穫人が回し飲む初心者向けの「レ・ヴァンタンジュ セレクテッド・バイ・クリスチャン・ムエックス」、美しいサーモンピンクがインスタ映え確実な「ステュディオ・ロゼ・バイ・ミラヴァル」、日本で多くのVIPに振る舞われた、引き締まった味わいの甲州産「アルガブランカ クラレーザ」。モノクロですがボトルの写真も載っています。2000円台のワインが多く気軽に手が出せそうです。

 

ワインの銘柄紹介だけだとカタログっぽくなってしまいますが、コラムや読み物も充実。特にコラムで驚いたのが、「実はヤフオクやメルカリで偽造ワインが売られている」という話。空き瓶に安ワインを詰め替える旧来のパターンはもちろん、ゼロからそっくりな瓶とラベルを製造するなど、デジタル技術が進み、手口も巧妙になっているとか。安いワインで騙されてしまうのも悔しいですが、体に入るものなので食品としての不安もありますね。

 

もうひとつ、「ワインの色は何色ある?」というコラムも新発見でした。おおよそ赤、白、ロゼの3色だろうと思っていたら、なんと果皮と種を漬け込んで醸す世界的に流行のオレンジ、完熟前のブドウから造るグリーン、白ワインを樽に入れたまま放置してできるイエローもあるとのこと! オレンジワイン、気になります。

 

晩酌でただ強いアルコールを摂取して酔っぱらうだけ……というのでは少々寂しいもの。趣味として、奥の深いワイン道に一歩踏み込んではいかがでしょうか。

 

【書籍紹介】

絶対はずさないおうち飲みワイン

著者:山本昭彦
発行:朝日新聞出版

ソムリエは絶対教えてくれない「お家飲みワイン」の極意。ワインは飲み残しの2日目が美味、きんぴらごぼうには赤、グラスは1つで十分、ワインを買って来たらまず冷蔵庫……などの実践的超常識を紹介。お安く手軽に飲むところから始まり、自分の言葉でワインが語れ、ワイン会を主宰できるまでの5つのステップ。これを読めばワイン通になれる。ステップごとのお勧めワインを計50本紹介。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

ホストが短歌!? 31文字に込められた彼らのホンネが楽しく切ない−−『ホスト万葉集 巻の二』

コロナ禍でしばしば話題にあがるホストクラブ。苦境に立つ彼らのなかに毎月短歌を詠み続ける集団が。歌会での出来は、ホストならではの言葉のセンスが光ります。彼らはなぜ凄い歌が詠めるのかを考察してみました。

 

コロナ禍に生きるホストたち

 

「コロナかもだから会わない好きだから コロナ時代の愛なんてクソ」

 

これはホストの歌会を主宰する手塚マキさんが詠んだものです。「だから会わない/好きだから」と「だから」をあえて2度使う美しい歌を、最後「クソ」で締めるのがすごくホストらしく、姫(お客様)に来てもらわなくては稼ぐことができないホストの心の叫びも込められている気がします。

 

ホストクラブSmappa!グループでは、毎月歌会が行われ、80人の在籍ホスト達は短歌を詠んでいます。代表の手塚さんは歌舞伎町で清掃活動をしたり、歌舞伎町ブックセンターという書店を経営してホスト達に読書を勧めるなど、普段から文化や社会とホストとの接点を考えているかた。

 

2020年7月に出版した『ホスト万葉集』(講談社・刊)が大好評で、12月に早くも『ホスト万葉集 巻の二』が刊行されました。そこに収録された375首の中にはコロナを題材としたものも多くあります。

 

ホストにとって言葉は商品

ホストクラブのホストは、まずお客様から指名をいただく必要があります。指名客の飲み代のうちの何割かが彼らの収入となるからです。店を訪れる女性客は、大勢のホストのなかからひとりだけを選びます。つまり彼らは選ばれしものになる必要があるのです。

 

どうやって女性客の気を引くか。もちろん見かけをカッコ良くする努力もしていますが、大切なのは会話なのです。他のホストに勝つためにも、その女性客はどんなセリフを喜ぶかを常に考え、言葉選びをしています。目立つためには流行語をアレンジするなどの言葉遊びをすることも。実は日々、言葉のセンスを磨いているようなものなのです。

 

ホストは切磋琢磨する

ホストクラブで有名なのは集団でのシャンパンコールの光景。あれは何度も練習し、息を合わせているからできる素晴らしいショーなのです。彼らはライバルであり、そして協力し合う仲間でもあり、結束力はかなりのもの。歌会でも自然と彼らは競い合うようになったのでしょう。

 

「ギラギラと偏見の視線浴びながら 俺はホストでキラキラするよ」

 

これはホストの流石 翼さんが詠んだ歌ですが、「ギラギラ」と「キラキラ」の対比がとても美しいです。ホストクラブのシャンパンコールは韻が綺麗に揃い、ラップのようなひとつの作品に感じさせられるのですが、彼らは普段からこうした言葉遊びに慣れているので、短歌でも自然とそれが出てくるのでしょう。

 

ホストの毎日はドラマ

そしてホスト達の毎日は、愛とスリルに満ちています。姫に愛されたり、嫉妬されたり、驚くほど高額のシャンパンを開けていただいたり、ある日突然姫が店に来なくなったり。そして夜の歌舞伎町を歩けば、ケンカをしている人がいれば泣いている人もいて、ドラマがそこかしこに散らばっているのです。

 

彼らは姫やホスト仲間など色々な人との出会いと別れを日々繰り返しています。めまぐるしくいろいろなことが起きるなかで、目の前の姫を喜ばせるためにより良い言葉を選び続けている、そんな彼らの日常が31文字に凝縮されるからこそ、こちらの心にも響くのではないでしょうか。

 

手塚さんは、起業家として鋭い着眼点を持ち、ホストが握る寿司屋やホストクラブの内勤スタッフがお世話する介護事業などを実現してした人です。今回の周囲をあっと言わせる鮮やかな歌会企画も、一連の異業種マッチングの流れのひとつなのでしょう。ホストたちの言葉のキレの良さがこの歌集で知れ渡ったことで、新たな活路が開かれる予感もします。

 

【書籍紹介】

ホスト万葉集 巻の二

著者:手塚マキと歌舞伎町ホスト80人 from Smappa! Group
発行:講談社

NHK「クローズアップ現代+」、朝日新聞夕刊一面トップほか、マスコミ&ネット・メディアで大反響の前作『ホスト万葉集』発売から半年足らず。コロナ禍直下の7月から11月まで6回の歌会で作った合計591首から375首を厳選! 今度は「姫」と「母」の、感動の短歌も収録!

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悲しいけど「ふふふ」と微笑んでしまう、たんぽぽ・川村エミコの優しいエッセイ『わたしもかわいく生まれたかったな』

くせ毛なので三つ編み&ヘアーバンド、メガネをかけた超地味っ子だった私は、小学2〜3年生のころ、学校のトイレにある鏡をみて「この顔は本当の私の顔じゃない」とよく思っていました。私の本当の顔は可愛いけれど、脳が違う顔に見せているんだ! と本気で思っていました。さすがに高学年になり「あぁ間違っていたのは自分だな」と理解し、現実を受け止め「よし、お笑い芸人になろう」と思った時もありました。

 

いろんなことを拗らせてきた私に、お笑いコンビ「たんぽぽ」の川村エミコさんのエッセイ『わたしもかわいく生まれたかったな』(川村エミコ・著/集英社・刊)は、じゅわじゅわ〜っと心に沁み入る言葉がたくさんありました。今回は、そんな心のコリをほぐしてくれるような一冊をご紹介します。

 

 

悲しいけど「ふふふ」と微笑む、優しいエッセイ

この『わたしもかわいく生まれたかったな』は、ウェブサイト『よみタイ』の連載を単行本化したもの。川村さんの幼少期から大人になるまで、17のエッセイが綴られています。

 

エッセイと共におかっぱ頭のかわいいイラストが添えられているのですが、このイラストも川村さんが描いたもの。絵がかわいくて上手なのはもちろんなのですが、イラストに添えられている文字もめちゃくちゃキレイなんです! そのキレイな文字の理由もしっかりエッセイに書かれてありました。なんと幼稚園に上がってすぐに、書道教室に通い始めたのだとか。でも、そのきっかけがちょっぴり悲しい……。

 

幼稚園に上がって少しした頃、そんなあまり話さない父が私に言いました。

「えみちゃん! えみちゃんはあまり綺麗なほうじゃないです。なので、字は綺麗なほうがいいから、書道を習いましょう。」と。

朝、食卓でサラッと言われました。

往々にして割と大事なことや流しちゃダメでしょ!ってことを、サラッと言われることや言うことってありますよね、それです。

プロポーズを夕食終わりにサラッと、それはとてもグッときますが、朝食時にサラッと綺麗とか綺麗じゃないとかの話と字の話は幼心に「お願い! サラッとしないでー!」でした。

(『わたしもかわいく生まれたかったな』より引用)

 

真面目な川村さんは書道教室にしっかり通い、なんと小学一年生で神奈川県鶴見区の「鶴見区特別賞」をゲットしたそう。その授賞式でのちょっぴり悲しい思い出は『わたしもかわいく生まれたかったな』で読んでいただきたい!

 

川村さんの文章はすごく不思議で、傍から見ればめちゃくちゃ悲しいエピソードと思ってしまうのですが、なんだかほっこりしてしまうのです。どこかで心は傷ついているけれど、その傷を癒す方法を探して自分なりに解決できている人なんだなぁと勝手に親近感がわいてしまいました。

 

友達になるために「試験」がある?

たくさんのエピソードの中で私が好きなお話は、「友達が欲しくて1987」です。小学二年生のころ、どうやって友達を作ったのかが書かれたお話です。

 

Sちゃんと友達になりたかった私は、か細いか細い声で「お友達になりたいです。」と声を掛けました。蚊の鳴く音量で、お友達になりたい人に「お友達になりたいです。」と言う口下手ぶりで返答を待っていると、Sちゃんは「友達になるには試験があります。」と言い放ちました。

(『わたしもかわいく生まれたかったな』より引用)

 

試験の結果どうなったかは、ここには書きませんが、試験の内容も面白くて「わぁ〜小学生を思い出すわ!」と勝手に自分の思い出を重ねてしまいました。

 

けれど自分の幼少期を振り返ってみると、どうしてあの子と仲良くできたのだろう? と思うことが多く、自分からお願いしたのか、お願いされたのか、どうやって友達になったのかを思い出せないのです。私が初めてできた親友は、小学三年生。ふたりで漫画を描いたり、交換日記をしたり気がついたら仲良くなって「親友」と言っていたのに、彼女が転勤族だったため2年ほどで転校してしまい、今はその子がどこで何をしているのかもわかりません。

 

どうやって友達になったのか、どうして仲良くなれたのか、試験でもあれば覚えているのにな〜なんて思ってしまいました(笑)。

 

幼少期の思い出は、悲しくも愛おしい

『わたしもかわいく生まれたかったな』には、素敵なエッセイが満載です。またこの本の最後のページには、

 

このページにはあなたの小さい頃の思い出を書いてみてください。

(『わたしもかわいく生まれたかったな』より引用)

 

というイラストとメッセージとともに空白のページが準備されています。ついつい「今」や「未来」にばかり目がいって、振り返ることを忘れがちな日々ですが、ほんの30分でも、幼少期のことを思い出してみると毎日がちょっと楽しくなるかもしれません。なかなか思い出せないなぁ〜という人は、『わたしもかわいく生まれたかったな』を読んでみると幼いころの記憶が蘇ってくる不思議な体験ができるので、オススメです! 忘れてしまっているだけで、私にもたくさんの思い出があったんだなぁ〜と懐かしい気持ちにさせてもらえますよ。

 

【書籍紹介】

わたしもかわいく生まれたかったな

著者:川村エミコ
発行:集英社

「書くこと」でたぐり寄せた幸せでも不幸せでもないかけがえのない記憶ー。お笑いコンビ「たんぽぽ」・川村エミコ初のエッセイ集。

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やさいレシピの救世主! これで献立に困らない−−『ごはんがおいしい 野菜のおかず』

11都府県に緊急事態宣言が出され、今までよりさらに家から出ない毎日を送っています。もっとも、私は家で原稿を書くのが仕事なので、今までも忙しいときほど家にこもる生活でした。家で3食作って食べるのもいつものことでした。けれども、最近になって行き詰まりを感じるようになりました。何を作ろうかと悩むようになったのです。 『ごはんがおいしい 野菜のおかず』(冨田ただすけ・著/世界文化社・刊)は、そんな私の強い味方です。

 

おうちごはんで変化したこと

おうちごはんを1年近く続けているうち、変わったと感じることが3つあります。まずひとつめは、外食に行かなくなりました。行かないのか、行けないのか、自分でもよくわからないのですが、なんだか面倒になり「ま、いいか。家で食べよう。寒いし」となります。

 

ふたつめは、買い物に行かなくなりました。以前はがっちりマスクをして、1日おきにスーパー・マーケットに買い出しに行っていました。夫が冷凍食品が苦手だからです。おまけに、朝、献立を言うので前もってその日の献立を決めておけません。これでは買いに出るしかないでしょう?

 

ところが、コロナ以降はネットで食材をお取り寄せするようになりました。その方が経済的だし普段は手に入らない品を買うことができます。夫は普段からネットで買い物をするのに慣れています。気づくと、いつの間にか夫が食材を調達、私が調理を担当と分業するようになりました。

 

不思議なことに彼は冷凍食品嫌いも克服したようです。近所のスーパーでは手に入らない食材がお気に入りで、買い物を楽しんでいます。私は私で、苦手な買い物に行かなくていいのでかなり負担が減りました。

 

一番、大きな変化

私にとってコロナ後に一番大きく変化したのは、レシピを参考にして料理する楽しさを思い出したことです。以前は料理の本を見るのが趣味でした。息子や夫に「どれ食べたい?」と聞いては新しいメニューに挑戦するのが楽しくてたまらなかったのです。ところが、今や結婚41年。夫婦二人の毎日です。その間、一応は休みなくご飯を作り続けてきたわけで、今さら「何、食べたい?」と聞く必要はありません。聞かなくてもわかっているので、新しいメニューも必要ありません。

 

けれども、いくらなんでも同じメニューばかり食べるようになってきました。外食という刺激を失ったからでしょう。一方で、ネットで注文したイノシシの肉やホロホロ鳥などが送られてきます。今まで料理したことがなかっただけに、レシピを参考にする必要に迫られます。

 

とくに、野菜の献立に頭を悩ませるようになりました。野菜はセットで買う方が安く、早く着くため、気に入った農園から直接おまかせで箱買い注文します。どんな野菜が入っているかわからないので、宝箱のようで楽しいことは楽しいのです。ただ、見たこともないような長い茄子や、信じられないほど大きなキャベツ、今まで、夫が好まないからと料理しなかった芋類がどっさり送られてきて、戸惑うようになりました。私はレパートリーが少ないので、レシピ本なしにこれらをさばくのは難しいのです。

 

失敗しない簡単レシピ

そこで重宝しているのが『ごはんがおいしい 野菜のおかず』です。著者・冨田ただすけは、和食レシピサイト「白ごはん.com」を主宰している料理研究家です。元々は食品加工メーカーで商品開発の仕事についていた方だそうです。彼は料理好きが高じて転職し、今や月間400万PVを越える人気サイトの主宰者として活躍中です。

 

「白ごはん.com」も便利ですが、『ごはんがおいしい 野菜のおかず』は「日本一ていねいな和食レシピサイト発100品」をうたっているだけあって、簡単でおいしいレシピが満載です。既に、何品も実際に料理しましたが、一度も失敗したことがありません。レシピ通りに作っていれば、味かげんもぴったり。おまけに、難しい調味料や面倒な下ごしらえも必要ないのです。

 

これまでは野菜を食べなくちゃと思ってはいても、やれ面取りしなくちゃとか、下ゆでがいるぞとか、面倒に感じることもありました。忙しいと、ついサラダでいいやとなり、来る日も来る日もレタスをちぎり続け、「レタスっておいしいね〜。やっぱり野菜は生に限る」などとごまかしてきました。工夫したのは、ドレッシングを変えることくらいです。

 

けれども、『ごはんがおいしい 野菜のおかず』のおかげで、突如、野菜の料理のレパートリーが増えました。副菜として美味しい「ぬた和え」や「卵とじ」、そして主菜となる「春キャベツと手羽先のスープ煮」や「大根と豚バラのこってり煮」など、これまであまり作らなかった献立も増えました。それも「えっ!私、料理、上手じゃないの〜〜」と、自画自賛してしまう出来ばえなのです。

 

一番、感動したのが「里芋の煮っころがし」です。材料も、里芋とだしとしょうゆと酒とみりんと砂糖だけ。下ごしらえも里芋の皮をむけばOKです。それなのに、本当においしくできました。これまでは、ゆでこぼしたり、照りを出すために最後にみりんを足したり、なんだかんだしていたはずです。それなのに、ただ書いてあるとおりに煮るだけで、「私、小さな居酒屋、開けるかも」と思うほどおいしい煮っ転がしができるのです。

 

夫は相変わらず、里芋が嫌いです。けれども、全部、私が完食してしまうので、問題ありません。是非、参考にして、毎日の「おうちごはん」をのりきってください。自粛の日々が終わったとき、料理上手な自分を発見して、うれしくなると思います。

 

【書籍紹介】

ごはんがおいしい 野菜のおかず

著者:冨田ただすけ
発行:世界文化社

1年365日、毎日食べたいのはやっぱり野菜のお料理です!1日13万PVの大人気の和食レシピサイト《白ごはん.com》の冨田ただすけさんの野菜おかずの本が誕生。ほうれん草のおひたし、オクラのごま和え、きゅうりの酢の物など、毎日作りたいおかず、基本のキを押さえた、和のおかずのバイブルです。収録料理は123品!と永久保存版です。副菜:基本の小鉢とお漬物/主菜:肉や魚も一緒にいただける野菜たっぷりのおそうざい/おかずになる汁もの・鍋もの/四季折々のごはんものから野菜カレーまで。随所にコラムも収録(野菜の皮の活用レシピ、薬味のヒントなど)この1冊で、お料理はじめての方でも野菜のおかずのレパートリーがぐんと広がります。

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3色を巧みに操れば、”センスがいい人”になれる! 『3色だけでセンスのいい色』は超絶使える一冊だ!

ライターの仕事は、文章だけ書いていればいいものでもなく、最近は記事に添える図表やInstagramの画像案などを製作する機会が増えてきた。そうなると、「デザインで使用する色味とか配置って、なかなか難しいなぁ」という悩みが生じてきた。

 

最初にそう感じたのは、パワーポイントで作ったグラフを編集の人に納品したときのことだ。私は、パワポで円グラフなどを作るとき、自動で設定される色味があまり好きではない(賛同してくれる人、いない?)。なので、勝手に配色を変えて提出しようと思い、いろいろと色彩調整を変えようと試みた。しかし、いじればいじるほど、だんだんと何が正解かわからなくなり、結局最初の色設定で提出したという残念な記憶がある。

 

仕事以外でも、デザイン性を求められる機会は少なくない。たとえば、年賀状のデザイン、複数の布を使って子どもの給食袋やトートバッグを作るとき、塗り絵に挑戦するとき。もっと広く見れば、洋服の色合わせだってそうだろう。

 

出来上がっている作品やすでにコーディネートされているものを見て、「これ、オシャレだな~」と”イイものを見極める力”はわりとあるはずなのだが、いざ自分で配色を決めよと言われると、至極難しい。

 

使うのは3色だけ! いきなり「センスいい人」になれる!?

そんな自分の色彩センスに疑問を感じていたある日、書店で出会った一冊に一目惚れしてしまった。『3色だけでセンスのいい色』(ingectar-e・著/インプレス・刊)である。

 

タイトル通り、ズバリ3色だけを使っておしゃれなデザインが作れる、というもの。パラパラとページをめくってみると、一気に心が踊りだした。なに、このおしゃれな感じ……! どのページもかわいすぎるんですけど! 正直、眺めているだけでワクワクする。

 

本書は、「ナチュラル」「ポップ」「エレガント」「モダン」など、テーマごとに章立てでわかれており、さらに細かなテーマ別の見開き構成となっている。たとえば、「OVERSEAS(異国情緒を感じる色で飾る)」の中の「外国03:気品漂うパリジェンヌ」のページがこちら。

 

出典画像:プレスリリースより

 

少しくすんだ色使いが、パリの街並みを想像させる。ここで使われているのは、「マイルド・ショコラ」「ミルクティー」「ドルフィン・グレイ」の3色。カラー名からかわいい。そして私の頭では、この色のチョイスは到底浮かばない。CMYKのパーセンテージも載っているので、自分でデザインするときも真似しやすいのである。

 

大切なのは、使う色+配色!

おもしろいのは、チョイスした3色のバランスを変えるだけで、さらに違った印象になるということ。いや、頭では理解できても、デザインを専門にしている人でない限り、それを実現するのは難しいだろう。

 

本書ではありがたいことに、3色のうちのどのカラーをベースにして、他の2色をどの程度のバランスにすればビシッとキマるかまで教えてくれている。さらに、実際に文字を載せるとどう見えるかというカラーパターン例も9つ紹介。

 

この本の通りに真似すれば、迷いなく、瞬時に”超絶センスがいい人”になれる、というわけである。

 

ビジネスにも応用可能!

本書のデザイン例は、ビジネスシーンにも応用できる。たとえば、こちらの「クールなビジネスブルー」は、まさに私が悩んでいたパワポなどの資料作りに活かせそうだ。

出典画像:プレスリリースより

 

かなり使い勝手が良く、なによりページを眺めているだけで、なんだか幸せになれてしまう「3色だけでセンスのいい色」。

 

2つ懸念されることは、ざっと見る限り、比較的女性が好むような色合いが多いこと。そして、淡い色味が多く用いられているので、色彩特性を持っている人にとっては、見づらい配色が多いかもしれないという点は否めない。

 

とはいえ、ちょっとした製作物に、ファッションやインテリアにと、日常の中で活用できる知識が詰まっているので、手元に置いていて損はないだろう。色味に迷って、ついたくさんの色を使ってしまう人、いろいろ努力するも、なんだかデザインがキマらないとお悩みの人に、ぜひおすすめしたい一冊だ。

 

【書籍紹介】

見てわかる、迷わず決まる配色アイデア3色だけでセンスのいい色

著者:ingectar-e
発行:インプレス

配色が苦手でも、センスに自信がなくても。たった“3色”でおしゃれな配色が完成! センスのよい色の組み合わせがすぐ選べる、3色の配色アイデアに特化した配色本です。おしゃれな色の組み合わせがわからない、たくさんの色があると色選びに悩む、見栄えのよく、バランスよく配色がまとまらない……、そんな悩みを解決しデザイン作業に役立つ1冊です。

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孤独死した肉親を弔う5日間のドキュメンタリー−−『兄の終い』

兄の終い』(村井理子・著/CCCメディアハウス・刊)を書店で見つけたとき、これはミステリー小説か? と思った。

 

一刻もはやく、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう。

 

という帯に書かれた一文が最初に目に飛び込んできたからだ。だが、作者名を見ると村井理子さんではないか。翻訳家でもあり、『犬がいるから』など愛犬ハリーをめぐる軽快なエッセイで笑わせてくれる私が好きなエッセイストである。

 

本書は実話で、疎遠になっていた兄が孤独死したという知らせを警察から受けてからの5日間を綴ったものだ。怖さはあったが、作家という職業的な好奇心から物事を冷静に見つめることができたこと、そして、こういう経験は記録に残さなくてはという使命感があったのだという。

 

宮城県塩釜警察署からの電話

琵琶湖のほとりで暮らす村井さんの元に、ある夜、電話が入った。022ではじまる覚えのない番号だが、23時を回った時間に連絡とはよほどの用事に違いない。また、部屋を見回し家族全員がそこにいることを確認し、自分にとって最悪のことは起きていないと思い電話に出たそうだ。

 

「夜分遅く大変申しわけありませんが、村井さんの携帯電話でしょうか?」と、まったく覚えのない、若い男性の声が聞こえてきた。(中略)「わたくし、宮城県警塩釜警察署刑事第一課の山下と申します。実は、お兄様のご遺体が本日午後、多賀城市内にて発見されました。今から少しお話をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」と言った。

(『兄の終い』から引用)

 

死因は脳出血の疑い、第一発見者は同居していた小学生の息子だったという。村井さんはお兄さんとは仲良くはなく、また、疎遠になっていた。しかし、ご両親はすでに他界しており、親戚とも交流がない。対処できるのは村井さんひとりだったのだ。

 

遺体引渡しにはお金がかかる

この本では、孤独死した人の遺体を引き取り、火葬をするまでどういう流れで事が進んでいくのかに加え、事態に遭遇した人しか知りえない費用の話も包み隠さず伝えてくれている。

 

警察は、医師に作成してもらう死体検案書(戸籍末梢、埋葬や火葬に必要な書類)だけでも5万円から20万円かかると村井さんに告げた。医師によって値段が違うのだそうだ。その他の費用も含めるとかなりのお金がかかるのは明白だ。

 

死体検案書という言葉も始めて聞いたが、その値段が医師によってそんなにも幅があるとは驚いた。混乱しながらも、頭のなかではすでに金策がはじまっていた。じわじわと不安が広がるのがわかった。自分にとってはかなりの金額を短期間で用意する必要があることに気づいたからだった。

(『兄の終い』から引用)

 

兄を持ち運べるサイズに

村井さんは、とにかく計画をたてた。帯にあった衝撃の一文はここで登場する。

 

遺体を引き取ったら、塩釜署から斎場に直行し、火葬する。一刻も早く、兄を持ち運べるサイズにしてしまおう。それから兄の住んでいたアパートを、どうにかして引き払う。これは業者さんに頼んで一気にやってもらう。

(『兄の終い』から引用)

 

亡くなったお兄さんは離婚をし、その際、年上の子どもたちは母親が、末っ子だけは父親が親権を持っていた。村井さんは元妻に電話をし、行動を共にすることになった。母親である元妻としたら残された幼い息子に一刻も早く会いたいのは当然のこと。が、しかし、こんな状況になっても、母親が勝手にわが子に会うことは許されず、父親側の親族の立会いが必要なのだそうで、息子は一時、児童相談所に保護されていたという。

 

妹と元妻の勇気と行動力がすごい

本書はとても重いテーマを扱っているにもかかわらず、村井さんが書く文章はここでもリズムがあり、軽快だ。さらに、村井さん本人も、元妻も明るく、勇気があり、そしてすごいパワーを読む者に感じさせてくれるのだ。塩釜署でのこんなやり取りがある。何も身につけていない遺体に納棺師が着物を着付けるのに3万8500円かかると聞いたときのことだ。

 

ここで、「いいえ、どうせ火葬にするのでお着物はけっこうです」と言うガッツのある人はいないだろう。(中略)覇気ゼロの声で、お願いしますと頼んだ。(中略)塩釜署の入り口付近で待っていた叔母と加奈子ちゃんは私の姿を見ると、揃って立ち上がった。「今から?」と加奈子ちゃんが聞いた。「いや、今から納棺師さんがきれいにするって。だから対面は斎場らしいよ!」

私たちはなぜだか妙に明るく、花嫁のお色直しを待つ親類のように、キャッキャと会話した。私は心底ほっとしていた。ああ、これでやっと火葬ができる。

(『兄の終い』から引用)

 

加奈子ちゃんとは元妻のことだ。

 

異臭が漂うアパートで見つけたもの

遺体が発見されたときのままの状態のアパートに村井さんと元妻が入り込むシーンは読みながらドキドキしてしまう。また、異臭が漂い、汚れた部屋の壁に画鋲で留められていた写真を見つけたシーンは胸を打つ。離婚前の家族旅行の写真、40年以上前に撮影された白黒の兄妹の写真。それを村井さんは、兄の54年の人生でもっとも幸せだった時期の、幸せコレクションだ、と綴っている。

 

さらに、村井さんはお兄さんことをほとんど知らなかったのとは反対に、お兄さんは彼女が新聞に書いたコラム、雑誌に掲載された彼女の本の紹介などを切り抜き、引き出しにしまってあったのだ。憎いと一方的に思っていた兄の心情を、死後になって知ることになったのだ。

 

今まで一度も兄を理解できたことはなかったし、徹底的に避けて暮らしてきた。それなのに、兄が必至に生きていた痕跡が、至る所に現れては私の心を苛んだ。こんなことになるのなら、あの人に優しい言葉をかけていればよかった。

(『兄の終い』から引用)

 

本書にはさまれていた、しおりには村井さんの直筆でこう書かれていた。

 

失ってはじめて気づくことを失う前に知ってほしい。

 

息子さんは無事に母親の元に戻り、そしてお兄さんの遺骨は、村井家のもっとも騒がしい場所に置かれているそうだ。家族について、あらためて考えさせられる一冊だ。

 

【書籍紹介】

兄の終い

著者:村井理子
発行:CCCメディアハウス

憎かった兄が死んだ。残された元妻、息子、私ー怒り、泣き、ちょっと笑った5日間の実話。

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古人骨分析のプロが明かした、科学でわかるマヤ文明の秘密とは?~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

科学の力で神秘のヴェールを剥ぐ

「マヤ文明」と聞くと、神秘のヴェールに包まれた魔境というイメージが浮かびます。世界の滅亡を予言したマヤ暦、解読できない絵文字、勝敗で人身御供を決める神聖な球技……。

 

マンガやゲームでかじったオカルト知識がうごめいて、もはや本当にあったかどうかもあやふやになるレベル(笑)。しかし、現在は科学の光が当てられ、古代マヤ文明の実態が明らかになりつつあります。

 

今回の新書『古代マヤ文明 栄華と衰亡の3000年』(鈴木真太郎・著/中央公論新社・刊)は、科学的な手法を導入した最新の考古学の見地から古代マヤ文明に迫る本。

 

著者の鈴木真太郎さんは、古人骨を分析する「生物考古学」を専門とした考古学者。プロフィールを読んだ限りでは一般向けの単著はこれが初めてのようですが、非常にわかりやすくマヤ文明の謎と生物考古学のアプローチが解説されています。

 

歯からわかるトウモロコシの食べ方

「まえがき」にも書かれていますが、そもそもマヤ文明とは、メキシコ南東部からグアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス西部、エル・サルバドル西部の一帯で栄えた文明。その起源は紀元前1000年ごろまで遡り、16世紀のスペインの襲来によって滅亡しました。

 

生物考古学では、骨や歯に含まれるストロンチウムと酸素の同位体の分析から、人がどう移動しどこで何年過ごしたかがわかるのだとか。興味深かったのは、5世紀に成立したマヤ文明の王朝・コパン王国の創始者の出自。

 

これまでは碑文などから遠方のメキシコ中央部にあった大都市テオティワカンの出身というのが通説でしたが、実はベリーズで生まれた生粋のマヤ人だったと判明しました。こんな細かいことまで分かるんですね! ではなぜ、王は外の地から到来したかのような碑文を残したのか? ひとつ謎が解けてはまた謎が生まれ、新たな推察が浮かび上がってきます。

 

骨からわかることは他にもあります。第5章は「古代の食卓」。虫歯罹患率や歯の損耗具合、さらに人骨に含まれる窒素同位体などから食料事情を把握することができます。マヤ文明の主食がトウモロコシであることはすでにわかっていましたが、どのように加工されていたかも見えてきます。

 

グアテマラ南部にあるシン・カベサス遺跡出土の人骨は虫歯の罹患率が高く、損耗が遅い。一方でその近くのレイノサ遺跡は虫歯の罹患率が低く、損耗が速い。ここから著者は、シン・カベサスではトウモロコシを石灰水で下ゆでするニシュタマルという調理法が採用されていたのではないか……と導き出します。

 

柔らかくしてあるため歯が削れることはないが、歯に張り付くため虫歯にはなりやすい。このあたりはミステリーを読んでいるようで、いろいろな想像が湧き上がりました。

 

ほかにも歯に穴をあけてヒスイをはめ込む歯牙装飾、乳幼児の頭を板で挟む頭蓋変形といった、古代マヤ独自の文化とその理由も推測されています。「解読不可能」と言われていたマヤ文字も解明が進んでおり、“読める歴史史料”に変貌を遂げつつあるそうです。科学的なアプローチによって、古代のロマンがさらに色鮮やかになる、そんな一冊でした。

 

【書籍紹介】

古代マヤ文明 栄華と衰亡の3000年

著者:鈴木真太郎
発行:中央公論新社

かつて中米に栄えた古代マヤ。前一〇〇〇年頃に興り、一六世紀にスペインに征服された。密林に眠る大神殿、高度に発達した天文学や暦など、かつては神秘的なイメージが強かったが、最新の研究で「謎」の多くは明かされている。解読が進んだマヤ文字は王たちの事績を語り、出土した人骨は人びとの移動や食生活、戦争の実態まで浮き彫りにする。現地での調査に長年携わった著者が、新知見をもとに、その実像を描く。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

ヴァイオリニスト・高嶋ちさ子の強烈すぎる日常−−『ダーリンの進化論』

高嶋ちさ子さんによる自身初の自伝『ダーリンの進化論』(小学館)が発売された。日本を代表するヴァイオリニストでもあり、日本を代表する毒舌家でもある彼女の半生が描かれている。

 

自伝は5章に分かれており、1章で「生まれ育った高嶋家」について、2章で自身の子どもの頃から結婚までを語る「ヴァイオリンの道」、3章で伴侶である夫とのエピソードを語る「進化する夫」、第4章は「妊娠そして出産」、第5章は「手探りからの子育て」、第6章は「現在の高嶋家」だ。

一瞬も気を抜けない高嶋家の日常

全体として文章は簡潔で読みやすく、オチもしっかりついていてテンポがいい。高嶋家ではオチのない話には容赦なく突っ込みが入るというから、培われた能力は文章力として存分に発揮されていそうだ。爆笑しながら次の話題が気になり、スラスラと読み進められる。

 

印象的なのは、やはりかなり個性的な高嶋家のエピソードだ。

 

「みっちゃんが困らないようにあなたたちを産んだのよ」

と母から言われて育ってきたことをある心療内科の先生に話したら、

「それはさすがにひどいですね、つらかったでしょう」

と言われました。そう思う人が多いのかもしれません。けれど私はこう返しました。

「先生、私がそれをひどいと思うような子だったと思うんですか? 私は自分が使命を持って生まれてきてそれでよかったと思っているし、そんな見方しかできない先生に私のことはとても任せられないな」

母は私の性格を見抜いて言ったと思うのです。「この子は強い子だ」とわかっていたから私をこのように育てたし、もし私が弱い子だったら受け止められなかったでしょう。

『ダーリンの進化論』より引用

 

社会の多様性や障がい者の自立などまったく意識になかった一昔前は親にこう言われて育った子どもは多かったと聞く。しかし高嶋さんは傷つくどころか肯定的。親子の信頼関係の太さを感じるではないか。

 

そして彼女は「お金持ちになりたい」という。「お金持ちになりたい」という次男にはこんな話をするそうだ。

 

「ママにはダウン症の姉・みっちゃんがいて施設に通ったり東京都にも区にもお世話になっているから、その分ママが税金もいっぱい払わなきゃいけないと思ってる。そういう意味で、ママは稼いで『お金持ちになりたい』んだよ」

『ダーリンの進化論』より引用

 

こういう、欲望と真摯さが両立しているところが、彼女の人気の理由なのではないか。

 

歯にもの着せぬ語り口は高嶋家の伝統のようで「嘘をついてはいけない」「人に媚びてはいけない」と教わってきたのだとか。確かに、人の顔色をうかがって過ごすよりも、正直に生きたほうが楽だ。かといって「気を使わない」とも違う。文中でも、彼女が夫や家族や周囲を気遣う様子がいくつも語られている。後ろめたいことがなければ嘘をつく必要もなければ、人に媚びる必要もないのだから、案外正しい方針なのではないか。

 

それでいて高嶋家はケンカやいたずらが耐えなかったらしく、一瞬も気を抜けないのだとか。

 

兄だけでなく高嶋家は皆でイタズラを仕掛けてくるので負けていられません。父がゴリラのかぶりものをかぶって「ただいま」と家に帰ってきたり、私たちが学校から帰る頃を見計らって母が玄関に「引っ越しました」の貼り紙を貼っておく、なんてこともありました。いい大人があの手この手でイタズラを考えている、そんな環境でした。

『ダーリンの進化論』より引用

 

穏やかな夫と結婚したら穏やかで静かすぎて精神不安定になったというのだから、どれだけ高嶋家は絶叫マシンなのだろう。

 

夫を進化させる

驚くほどのんびり屋で人がいい夫と結婚し、2人の息子に恵まれた現在の様子は、ひたすら微笑ましい。夫に似て穏やかな長男と、ちさ子さんに似て繊細で口が悪い次男。この家族のやり取りもシーソーのようで笑いを誘う。

 

夫に対して怒りをぶつけるエピソードの数々は、読み手によって受け取りかたが変わりそうだ。多くの女性は高嶋さんの怒りに同調しそうだし、男性には「単なるきつい女」と見えるかもしれない。そういうやり取りを繰り返すうちに、夫が進化してきたというのも、2人の歴史を感じられる話だ。

 

ネットで「高嶋ちさ子」を検索すると、「あんな口の悪い女」とか「あいつにだけは 音楽をやってほしくない」など、ひどい書き込みがたくさんあってちょっと落ち込んだことがありました。すると「えっ? ちいちゃんは人に好かれたかったの?」と夫にサラっと言われました。

確かに私は人に好かれようとは生きていないし、普段の言動も人に好かれたいタイプの人間のものではありません。「あ、そっか」と気持ちがラクになりました。

『ダーリンの進化論』より引用

 

人の顔色をうかがい相手に合わせることと、嘘をつかないことは両立が難しい。目の前の人に同調して本音を言わないと、相手が変わるごとに意見を変えざるを得ない。そういうコウモリのような姿勢は「こいつは信用できないな」「優柔不断だ」という印象を与えることもある。つまり人に嫌われないようにして嫌われることがあり得るのだ。

 

特に日本は、人に気を使い、自分を押し殺して周囲に同調することが求められる、生きづらい社会だ。そういう中で彼女の裏表のない姿勢は、非常にすがすがしい。

 

コロナ鬱を吹き飛ばすにうってつけの1冊だ。

 

【書籍紹介】

ダーリンの進化論

著者:高嶋ちさ子
発行:小学館

ヴァイオリニスト・高嶋ちさ子が生まれ育った高嶋家の「弱肉強食ルール」。育児も手伝い「妻に逆らえるまで」成長した夫。ぶつかりながらも本音で生きる家族はやっぱり楽しい!

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今年こそ手帳難民とおさらば!−−『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』

よ〜し! と気合を入れて年末に買った手帳。最初のうちは、目標やリストを作ってテンション上がっていたのに気がつくと白紙……。来年こそは! とまた年末に新しい手帳を買う、なんて人も多いのではないでしょうか?

 

そんな毎年、手帳難民になってしまっている人におすすめなのが『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』(Marie・著/ディスカヴァー・トゥエンティワン・刊)という一冊。

 

なんだか先行きが見えない2021年なので、予定を立てたり、目標を立てたりするのもなんだかなぁ〜と思っていましたが、箇条書きすることで、タスク管理しながら自分の楽しみを見つけられるような気持ちになり、こんな時代でも「何」をしたらいいかがちょっとずつ見えてくるような気がしてきました。今回は「バレットジャーナル」って何? というところからご紹介していきます。

「バレットジャーナル」とは?

近年、SNSやYouTubeでも話題になっている「バレットジャーナル」。私は2021年に初めてこの言葉を聞いたのですが(恥)、アメリカで発祥し、2014年ごろから日本でも徐々に広まってきたものなのだとか。

 

バレットジャーナルは、ニューヨーク在住のデジタルプロダクトデザイナーであるライダー・キャロルさんによって開発された、ノートによるスケジュール・タスク管理システムです。

ライダーさんには学習障害があり、集中力を欠きがちなために、学校生活に困難を感じることが多かったといいます。大事なことを即座にとらえ、ひと目ですぐに理解できる記録のしかたを試行錯誤し、続けた結果、できあがったのがこのバレットジャーナルというシンプルなシステムなのです。

(『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』より引用)

 

ちなみに「バレット」とは、箇条書きの先頭につける点「・」(Bullet Point)のこと。インスタグラムで「#バレットジャーナル」と検索すると9万件以上ヒットするので、どんなものか気になる方はチェックしてみると良いかも!

 

1冊のノートから始められる! お手軽さ

私もこの本を読むまで「結局続かないでしょ〜」「手作りするなんて面倒〜」なんて思っていましたが、とにかく作るのが簡単で続けやすいのがバレットジャーナルのすごさ。

 

ノートとペンがあれば好きなタイミングからスタートできちゃいますし、一度に全て作り上げるのではなく、改良しながら自分にあったノートに作り上げていくことも可能。続けていくなかでタスク管理ができるようになってきたり、やるべきことが明確になってきたり、よいおまけもいっぱいついてきます。実際にどうやって作っていくのか、そして使っていくのかをご紹介しましょう。

 

バレットジャーナルは必要最低限、

1 インデックス(目次)
2 フューチャーログ(半年分の予定を書く)
3 マンスリーログ(月間予定を管理)
4 デイリーログ(一日の予定・タスクを管理)
の4つの構成単位(モジュール)から成り立っています。

(『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』より引用)

 

詳しい書き方については、『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』をご覧いただきたいのですが、イメージとしてはこんな感じ(個人情報ダダ漏れになってしまうので(笑)、サンプルとして書いたものをご紹介していきます!)。

↑左上から時計回りで、 インデックス(目次)、フューチャーログ(半年分の予定を書く)、マンスリーログ(月間予定を管理)、デイリーログ(一日の予定・タスクを管理)

 

バレットジャーナルの中でもメインとなってくる「デイリーログ」は、書き込むスペースが制限されていないため、多い日もあれば少ない日もあるとかなり自由度が高く使えます。付箋やマスキングテープ、シールなどこだわって楽しめる部分があるのもうれしいですよね。

 

とはいえ、バレットジャーナルなので書く内容は「箇条書き」でまとめるのが一応のルール。全てが「・」だと見分ける際にわかりにくくなってしまうので、バレットジャーナルでは、後から見返してもパッと理解できるよう、記号で区別していくそうです。

 

箇条書きにしたタスクには、「キー」と呼ばれる記号を打ちます。

ルールは次のように明確なので、そのタスクのジャンル、重要度がひと目でわかるようになります。

はじめに、タスクリスト(やることリスト)の頭に「・」を打つ。
完了したら、「・」に「×」を重ねる。
未完了のため次の日以降に移したら、「・」に「>」を重ねる。
特定の期日に実行するよう、スケジューリングが完了したら「・」に「<」を重ねる。

<キー(記号)の例>
【タスク】
・=タスクの作成
×=タスクの完了
>=タスクの先送り
<=タスクのスケジューリング完了
【予定】
○=イベント
【メモ】
ー=メモ
*=注目
!=ひらめき

(『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』より引用)

 

これ以外にも自分で「キー」を作るのもOK。『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』には、実際に使っている人の例がたくさん掲載されているので、私ならこうしよう! とか家事育児でやるタスクが多い人、仕事がメインの人、趣味や習い事が多い人などなど自分にあった「キー」を作っていくのも楽しいですよね。

 

タスクが溜まってストレスに感じない?

タスク管理というと、タスクが溜まっていくことがストレスになり続かないという人もいるのではないでしょうか? 私もそのひとりです(笑)。

 

リストに書いても書いても実行できないタスクは、荷が重すぎるか、自分に必要がないか、のどちらかです。

9割がたは、「その日じゅうに終わる気がしないので、手をつけなくない」「面倒くさい」と感じて後回しにしてしまいます。

(『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』より引用)

 

グッ……、耳が痛い。そういう時は、タスクを思い切って削除するか、細分化するのがおすすめなのだとか。例えば、「部屋の掃除」とザックリなタスクにしてしまってなかなかできない! という場合も、「トイレの拭き掃除」「リビングの掃除機がけ」「PC机の整理」「クイックルワイパー5分やる」など細分化することで達成できるタスクが増えます。

 

ストレスなく続けられる工夫も『「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル』にはたくさん掲載されています。

 

手帳を買っても続かない、2021年なんだかやる気が出てこない、毎日のタスク管理がうまくできない、うっかり忘れが多いなんて人は、自分でつくる自分のためのバレットジャーナルを作ってみるのはいかがでしょうか? タスク管理がうまくいかない人にも参考になるコツがいっぱい掲載されているので、作る予定がなくても読むことでヒントを得られるはずですよ♪

 

【書籍紹介】

「箇条書き手帳」でうまくいく はじめてのバレットジャーナル 

著者:Marie
発行:ディスカヴァー・トゥエンティワン

1冊のノートになんでも書き出すだけ! いつもごちゃごちゃの頭が、すっきり整理される。タスク、スケジュール、夢…「私のすべて」を管理できる。とにかく、書くことが楽しい! 日本初の「書き方」ガイド。

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パワハラ、いじめ、引きこもり、過労死…「自己承認欲求」が災いを生む裏側−−『「承認欲求」の呪縛』

「2020年度SNS利用動向に関する調査」によれば、日本国内のSNS利用率は83%に上る。間接的な形であることはもちろんだが、一人ひとりのスマホユーザーがそれぞれSNSを媒体にかなり多くの人たちとつながっている事実をうかがわせる数字だ。

 

自分はネット上でどう受け入れられているのか

ちなみに筆者はLINEとFacebook、Twitter、そしてInstagramを使っている。LINEはグループ内の特定メンバー間でのやりとりに限られるので少し性格が違うだろうが、他の種類のSNSで関わるのは実際に会ったことがない人たちが圧倒的に多い。使い始めのころは発信するだけである程度の満足感を得ることができた。でも、発信した情報がどのように受け入れられているのか確かめたくなる時期が必ず訪れる。「いいね!」の数が気になるし、何のリアクションもないまま書き込みをスルーされると、自分という存在の一部分を否定されたように感じてしまう。

 

筆者はいわゆるエゴサにもハマった。いや、ハマり続けている。アマゾンで、自分の著書や訳書につけられたコメントを読みだしたら止まらない。自分の仕事、ひいては自分の存在はネット上でどう思われているのか。ペンネームや著書名を検索してヒット数が多ければ当然うれしいし、少なければ漠然とした不安に包まれるし、ネガティブなコメントが目に入ればしっかりヘコむ。

 

認められた喜びが重圧に変わる

「承認欲求」の呪縛』(太田 肇・著/新潮社・刊)は、SNSというコミュニケーション世界で誰かに認められたい心理とそれに基づくさまざまな行動をつまびらかにしながら背景を探り、社会全体に当てはめて考察していく社会心理学的なアプローチの一冊だ。立脚点として、まえがきに記された一文をまず紹介しておきたい。

 

人は認められれば認められるほど、それにとらわれるようになる。世間から認められたい、評価されたいと思い続けてきた人が念願かなって認められたとたん、一転して承認の重圧に苦しむ。

 

『「承認欲求」の呪縛』より引用

読み進んでいって明らかになるのは、ネットにおける承認欲求が諸刃の剣であるという事実にほかならない。

 

どんなことをしてでも認められたい人たち

認められたい人たちは意外にも身近に、そして想像するよりはるかに多く存在する。Facebookを使っている人は、2~3日分の書き込みをさかのぼって読んでいただきたい。ひたすら自慢をする人、かまってほしい人、そして褒めてもらいたい人がすぐに見つかる。

 

バカッターと形容される人たちが続出した時期がある。炎上系・迷惑系ユーチューバーという人たちも、同じくくりでまとめることができるはずだ。こうした人たちに共通するのは、とにかくウケたいという気持ちだ。「ウケたい」――それはもちろん、認められたいという表現に置き換えることができる。本書の目次を見てみよう。

 

第一章 「承認欲求」最強説

第二章 認められたら危ない

第三章 パワハラ、隠蔽、過労死……「呪縛」の不幸な結末

第四章 「承認欲求の呪縛」を解くカギは

 

SNSに依存するあまり、リアルな社会とネット空間の境界線があやふやになってしまう人がいる。そういう状態に陥るのは異常なのか。この本は、そのあたりのプロセスについてもていねいに、そして深く掘り下げていく。

 

承認欲求の危うさ

著者の太田氏は、承認欲求の危ない側面を次のような言い方で説明している。

 

それは注目されるための自己顕示や乱行などより、ある意味もっと危険で、いっそう深刻な影響をもたらす。にもかかわらず周囲も、本人もそれが承認欲求のなせる業だということに気づかない。

 『「承認欲求」の呪縛』より引用

 

こうした意識がもたらすものは何か。太田氏は、スポーツ界で続々と発覚した暴力やパワハラ、社会問題化しているいじめや引きこもり、深刻な過労自殺や過労死、さらにはなかなか進まない働き方改革を実例として次々に挙げていく。著者が指摘するように、承認欲求とは誰しもが抱くごくあたり前のものでありながら、実は自覚できないままどこまでも肥大していくモンスターなのかもしれない。

 

コロナ禍の今だからこそ

あとがきに書かれた一文を読み、考えさせられている。

 

グローバル化が進むなか、わが国では逆に狭い共同体にとらわれる傾向がむしろ強まっているようにみえる。仲間うちでは絶対に認められなければならない、そこで認められさえすればいいという感覚だ。

『「承認欲求」の呪縛』より引用

 

個人レベルでも、インターネットがグローバル化の一端を担っていることはまちがいない。遠い国の図書館に所蔵されている本を読み、ウェブカムを通して行ったことのない場所の風景をリアルタイムで見ることもできる。コミュニケーションの速度と深度も、SNSによって劇的に変化した。

 

しかし、「認められたい」気持ちが強すぎるあまりこうした便利な環境が負のツールと化し、結果として想像もできなかったような狭い場所に自分を追い込むようなことになったら、皮肉などというマイルドな表現では形容しきれない。特におうち時間が長くなっている今は、ネットへの依存度が高まりがちだ。そういう状況だからこそ、他者とのかかわりを確認する意味でじっくり読むべき一冊であることを強調しておきたい。

 

 

【書籍紹介】

 

「承認欲求」の呪縛

著者:太田 肇
発行:新潮社

「嫌われたくない」「認められたい」が破滅を招く! SNSでは「いいね!」を求め過ぎ、仕事では「がんばらねば」と力んで、心身を蝕む人がいる。その悪因と化す「承認欲求」を徹底解剖し、人間関係や成果を向上させる画期的提言。

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國學院大學駅伝部の強さの秘密は「すき家の牛丼」!?−−『歴史を変えた挑戦』

毎年1月2日、3日に開催される、東京箱根間往復大学駅伝競走。通称「箱根駅伝」。毎年楽しみにしている人も多いことだろう。今年は復路でトップの創価大学と3分以上の差を付けられていた駒澤大学が、最終10区で大逆転をして総合優勝を勝ち取った。非常に熱いレースだった。

 

僕は駅伝経験はないが、スポーツ観戦が好き。そのなかでも、この箱根駅伝は毎年楽しみにしている。テレビで予選会をチェックするくらいには好きだ。そして、ここ数年はさらに箱根駅伝熱が高まっている。なぜなら、僕の母校である國學院大學が安定してシード権を獲得する常連校になってきているからだ。

 

國學院大學飛躍の要因は監督にあり

箱根駅伝が好きな人は、第88回大会(2011年1月2日、3日)の「寺田交差点」事件を覚えていることだろう(詳細は各自調べていただきたい)。あの事件で一躍有名になった國學院大學は、その後も安定してシード権を獲得できる常連校になり、2020年の第96回大会では、総合3位に入る躍進を見せた。2019年は三大駅伝のひとつ出雲全日本大学選抜駅伝競走(通称「出雲駅伝」)で優勝しており、同大学にとっては2019〜2020年のシーズンはまさに飛躍の年となった。

 

第88回大会まで数度箱根駅伝に出場はしたことがあるものの常連校と呼べるようなレベルではなかった國學院大學が、めきめきと力を付けた理由のひとつが現監督である前田康弘氏の就任だろう。監督就任時は2009年。まだ31歳という若さだったこと、駒澤大学の大八木監督の下で箱根駅伝の優勝経験もあることなどから当時注目されていたが、そんなにすぐに結果を出すとは思われていなかった。

 

しかし、監督就任3年目で初のシード権獲得、翌年は「寺田交差点」事件がありながらも連続シード権獲得。その後も安定して箱根駅伝に出場しているなど、きちんと実績を残してきている。その前田監督の著書が『歴史を変えた挑戦』(前田康弘・著/KADOKAWA・刊)だ。

 

選手の部屋で一緒にゲームをする監督

本書は、前田監督が陸上を始めた経緯、駒澤大学入学、就職、現役引退、そして指導者への復帰から國學院大學陸上競技部の監督就任に至るストーリーや、2019年から2020年の大躍進の年の様子、そして指導者としてのポリシーなどが書かれている。駅伝ファンは普段あまり見られない指導者の裏側が知れてたいへん興味深い。

 

前田監督は31歳という若さで監督に就任したこともあり、上の世代の指導者とは違う考え方を持っていたようだ。大学の体育会系というのは、上下関係が厳しく、監督なんてめちゃくちゃ怖いんだろうなというイメージだったが、前田監督はまったくそんなことはないようだ(テレビなどで見ている印象も全然怖そうではない)。

 

コーチ時代は、選手の寮の部屋に遊びに行って一緒にゲームをしたりするなど、できるだけ選手と距離感を近くすることで監督と選手の間を取り持つことを心がけていたよう。現在はそこまで近くはないものの、選手との距離感は大事にしている。

 

私が大事だと思うのが人と人との“距離感”や“間”だ。(中略)選手とのコミュニケーションでも、自分の得意な“間”に持っていくことはポイントだと思う。

(『歴史を変えた挑戦』より引用)

 

一番意識しているのは「選手から話しかけやすい存在であること」。コーチ時代ほどではないが、監督になってからも選手の部屋に遊びに行くことはあるようだ。

 

たまに日曜日などに息子を連れて、学生の部屋で彼らと一緒にゲームで遊ぶこともある。ただ、彼らは私に忖度をしているのか、対戦ゲームでは私を攻撃してこないが……。

(『歴史を変えた挑戦』より引用)

 

選手たちとしては、きさくな監督が遊びに来てくれるのはうれしいが、ゲームでボッコボコにしてしまうのは躊躇してしまっているという感じだろうか。まあ、いい距離感ではないだろうか。

 

勝負メシは「すき家の牛丼」

箱根駅伝に出場する場合、1月1日の午後から移動し、往路組はスタート地点の大手町近くのホテルに、復路組は芦ノ湖近くのホテルに宿泊するのだが、その際に前田監督が気を付けているのが「近くにすき家があること」なんだとか。

 

すき家の牛丼が、國學院大學の勝負メシになっている。出雲駅伝で優勝した際にも、ホテルで出される夕食はとらずに、みんなですき家で食べた。私も選手と一緒に夕食をとるので、インカレなど数日間に渡る試合の時には、連日牛丼が続くのだが……。

(『歴史を変えた挑戦』より引用)

 

栄養学的にはあまりよろしくないのだろうが、それよりも験を担ぐことを優先し、選手が気持ちよく走ることを重視しているとのこと。近くにすき家がない場合はテイクアウトして食べるというくらいだから、かなりのこだわりだ。ちなみに、なんですき家を食べるようになったのかは不明。でも、そういう験担ぎやルーティンがあるというのは、精神的に落ち着くものなのかもしれない。

 

物足りなさを感じるのは強くなった証拠

2021年の第98回大会、國學院大學は総合9位とシード権は取れたものの、昨年の成績から比べるとちょっと物足りない印象だった。

 

しかしよく考えてみると、10年前はシード権を取っただけで大喜びしていたのに、今や9位でちょっと悔しいというのは、それだけ國學院大學の駅伝が強くなっているということだろう。

 

前田監督が監督に就任してから、國學院大學の陸上が変わったのは明らか。これからも、その明るさと熱さで大学陸上界をかき回していってほしいと思う。そして、数年内は箱根駅伝総合優勝を手にすることを願っています。

 

【書籍紹介】

歴史を変えた挑戦

著者:前田康弘
発行:KADOKAWA

2019年出雲駅伝優勝&第96回箱根駅伝3位。やる気を引き出し、窮地でも勝てるチームづくりの舞台裏とはー就任11年目の躍進を支えたのは現代の若者と真摯に向き合いその特徴を見抜く力。

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知っておいて損なしの現代版お作法が学べる一冊「『育ちがいい人』だけが知っていること」

あれは私がまだ実家に住んでいたときのこと。3歳下の弟の彼女が、初めて我が家に遊びに来た。玄関先で挨拶をし、いざ家の中へ……というとき、当時学生だった私の目が点になった。靴を揃えずに、そのまま入ってきたのだ。

 

嘘でしょ? 私の横には、母親が立っていたというのに。彼氏の親に初めて会って、家にお邪魔するとき、靴も揃えられないって正気? とまるで小姑のごとく面食らってしまった。

 

別に私自身マナーが完璧なわけではないが、それにしたってお里が知れるというか……最低限のマナーを知らないと恥をかくのだと、痛感した次第だ。

正しい靴の脱ぎ方、知ってる?

いやいや、靴くらい揃えるでしょ! というあなた。もしかして、くるりと後ろを向き、靴を履いたまま揃えて、そのまま家に上がっていないだろうか?

 

正式なマナーは、家の中を向いたまま靴を脱ぎ、玄関に上がってから体の向きを変えて靴を180度回して揃える。この一連の動作を落ち着いて、よどみなくできると良い。

 

いまベストセラーとして話題の一冊『「育ちがいい人」だけが知っていること』(諏内えみ・著/ダイヤモンド社・刊)には、このような「できれば知っておきたい振る舞いやお作法」が250点も詰まっている。

 

育ちがよい人への道①「本物を普段使いにする」

特別なお客様がいらっしゃったときのために、来客用の食器やグラスを用意している人は少なくないはず。事実、筆者の諏内さんも来客用と普段遣い、食器をわけていた時期があったそうだ。けれど、

 

素敵なお皿は飾るだけ、しまうだけではなく、使うことで価値も増し、心を豊かにしてくれると考えるようになりました。今では、お気に入りのお皿やカトラリーを、日々使用することにしています。

(『「育ちがいい人」だけが知っていること』より引用)

 

とは筆者の諏内さん。すると、器や食べ物への感謝の気持ちや味覚の感性が高まって、より幸せに食事ができるようになったそうだ。

 

じつは我が家も、少し前までは結婚式のお祝いでいただいたブランドの器やグラスを、来客用にと食器棚の奥底にしまい込んでいた。けれども、あるときふと「使ってこそ、価値があるのでは?  贈ってくれた人も、がんがん使ってほしいはずだよね……」と思ったのだ。それ以来、ワインはバカラのグラスで。コーヒーは一点物の陶器マグカップで飲む。単純だが、毎回気分が良い。もちろん、使用後はしっかり磨き上げ、来客時にも同じグラスで飲み物をお出ししている。

 

とっておきの出番は少しでも増やしたほうが、自分の中のハッピーさが格段に違うのでおすすめだ。

 

育ちがよい人への道②「レストランでは手はテーブルの上に」

まったく知らなかったのだが、ヨーロッパでは「席についたらテーブルの上に手を置く」のが一般的らしい。なんでも、武器を持っていない、丸腰であるという証の行動なのだそう。

 

諏内さんいわく、「手をお行儀よくひざの上に置いたままでは会話も弾んで見えないので、テーブルの上に両手を出して軽く組むと、エレガントで◎」とのこと。確かに、見た目にも良さそうだ。次にレストランに行く機会があれば、試してみたい。

 

育ちがよい人への道③「挨拶はいったん立ち止まって」

挨拶ひとつで、その人の為人が伝わる。無言ですれ違うのは論外だが、ついやってしまいがちなのが「相手の目を見ない、または流れ作業のように挨拶をする」こと。挨拶はきっちり動作を止めて、体を相手に向けお辞儀をすると、かなり好印象だ。

 

諏内さんいわく、動作を止めて相手に挨拶をする=目の前の人を大切にしているという気持ちが伝わるからなのだそう。どんなに急いでいても、挨拶のときはいったん立ち止まって、しっかり相手と向き合おう。

 

マナーや作法の正解はひとつではない

『「育ちがいい人」だけが知っていること』を読み終えて、正直それなりの年齢で社会経験がある大人であれば、だいたいは知っている知識だろうというのが本音だ。無論、知っていても実践できていないものも多々あったが。なかには「あれ、私は別の方法を親から教わったな」というものもあった。

 

そうなのだ。マナーや常識、作法というものは、何通りも説があったり、時代とともに変化したりするものなのだ。諏内さんはこう述べる。

 

マナー、エチケット、作法、お行儀、ルールには明確な境界線が存在するわけではありません。(中略)そう。私たちの日常は、この微妙で曖昧なことだらけです。

そして、「育ちの良さ」が醸し出されるときの多くが、この微妙で曖昧な場面においてなのです。

(『「育ちがいい人」だけが知っていること』より一部抜粋)

 

なお、本書でいう「育ちの良さ」とは、なにもお金持ちの家に生まれるとか、そういったことではない。知ることさえできれば、誰でも身に着けられる所作であり言葉遣いであり、一度身に付けたら一生失うことのない財産である。

 

まずは、基本的なマナーを知ること。そして、それらを素直に実践すること。あなたもぜひ、一生モノの「育ちの良さ」を手に入れてみては。

 

【書籍紹介】

「育ちがいい人」だけが知っていること

著者:諏内えみ
発行:ダイヤモンド社

正しい靴の脱ぎ方ができていますか?「どちらでもいい」は間違った気遣い。「お金を返して」の品のいい切り出し方。必ず「お」をつけたい4つの言葉とは? 相手の詮索を上品にかわす方法。ほめられたときは、何と言うのが正解? エレベーターで「育ちがいい」か、そうでないかが分かってしまう。ハプニング時、できる女性は「大丈夫!?」ではなく「大丈夫よ」…テレビで話題のマナー講師が伝授。良家で必ず教えられるふるまいの正解250。

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その映像、本物ですか?フェイクが侵食する危険なネット社会~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

 

リアルが揺らぐネット社会

「百聞は一見にしかず」ということわざがありますが、それが通用しない世界がすぐそこまで来ているようです。これまではネットのあいまいな噂でも、映像を見ればそれを根拠にはっきりとしましたが、最近は加工技術が向上して映像もごまかせるように……。言ってもいない発言をしゃべらせることもできる、本当に恐ろしい時代です。“一見は百聞にしかず”。見たものをうのみにしないで100回は自分で調べないと、騙されてしまうかもしれません。

今回の新書『やばいデジタル “現実(リアル)”が飲み込まれる日』(NHKスペシャル取材班・著/講談社・刊)は、昨年4月に放映された「NHKスペシャル デジタルVSリアル」全2回をまとめたデジタルのリスクを警告する本。デジタルによって揺らぐ「フェイク」と「リアル」の境界線がテーマです。

 

フェイクは20倍の速度で拡散する!?

第1章は「フェイクに奪われる『私』-情報爆発と『ディープフェイク』」。新型コロナのパンデミックとともに、SNSでもデマやフェイクの情報が一気にあふれ、「インフォデミック(情報爆発)」が起きたのは記憶に新しいところ。生産が停止すると噂されたトイレットペーパーが売り切れたり、スーパーの棚からインスタントラーメンが消えたりしました。

 

マサチューセッツ工科大学の教授が、過去12年分のツイートを比較分析したところ、なんとフェイクと真実のニュースではフェイクのほうが20倍速く拡散するという結果が出たとか!

 

そのうえ、技術の進歩により映像のフェイクも蔓延しつつあります。たとえばフェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグさんを素材にした、映像アーティストのフェイク動画が注目されました。ディープラーニングによってAIに口元の動きを学習させ、本来言っていない発言を自然に言わせることが可能……。他にもフェイクがリアルを脅かす実例が多数紹介されていて、背筋が寒くなってきます。

 

一方で、私たちの現実(リアル)の情報が大企業に握られている時代でもあります。曖昧になるリアルと管理されるリアル、ふたつの視点が並んでいるのがこの本の面白いところ。第3章「あなたを丸裸にする『デジタルツイン』-ビッグデータはすべてを知っている」では、個人のプライバシーが露わになっている現状が分かります。

 

番組で被験者になってもらったXさんのグーグルの利用履歴9年分をダウンロードすると、そのデータ量はわずか2.74GB。録画用DVD1枚に楽々収まる情報量で、Xさんのすべてが丸裸になります。どこに行ったか、何を検索したか……。そこから分析して明らかになる家族構成、職業、年収、趣味、貯金額、病歴。家族や恋人、下手をしたら自分よりも自分のことを知られてしまっている。もし、これを悪用されたらひとたまりもありません。

 

本書はデータや実例も多く、読みやすくまとまっています。ネットの便利さと危険性のバランスについて考えるきっかけになる内容。30~40年前の私が読んだら「これはSFだ」と思うんでしょうけど、まさに今進行している事実なんですね……。

 

【書籍紹介】

やばいデジタル “現実(リアル)”が飲み込まれる日

著者:NHKスペシャル取材班
発行:講談社

あなたの人生は、わずか2.74GB(ギガバイト)。2020年の1年間で生み出されたデータ量は「50,000,000,000,000GB」。デジタルは、私たちの社会をさらに自由に、豊かにしてくれるーー。しかし、それが実にはかない願望であったことを、私たちはいま実感させられている。SNSの広がりは「真実」と「フェイク」の境界をあいまいにし、私たちは「フェイク」に踊らされるようになった。文脈を失い、断片化された情報は、それがデマであってもまるで真実であるかのように、「いいね」がつけられ、世界中に拡散されていく。ビッグデータに蓄えられた検索履歴は、私たち以上に私たちのことを知り尽くしたデータ=「デジタルツイン」となり、私たちのプライバシーを丸裸になりつつある。にもかかわらず、私たちは、デジタルの恩恵から逃れられない。フェイクが横行し、プライバシーが剥奪され、リアルはデジタルに侵食されるーー。不自由で非民主主義的な世界を、私たちはどう生きるべきか?

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

世界最大の英語辞典を巡る複雑で怪奇な物語−−『博士と狂人』

もう20年も前のことになる。私は『博士と狂人』(サイモン・ウィンチェスター・著/早川書房・刊)という本に夢中になった。「オックスフォード英語辞典」(略してOED)の編纂にまつわる驚くべき出来事を描いた物語だ。あまりにも壮大で希有な話なので、最初はよく出来た小説かと思った。しかし。19世紀後半に実際に起こったまぎれもない実話だという。

 

 

『博士と狂人』の著者

『博士と狂人』は、綿密に調べ上げた史実がきっちりと書かれたノンフィクションだ。そのため、古文書資料館に出向き、門外不出の貴重史料を読んでいるような気持ちになる。それも当然だろう。著者サイモン・ウィンチェスターは、オックスフォード大学出身の新聞記者で、ワシントン、ニューヨーク、ニューデリーなどの特派員をつとめ、30年にわたって活躍してきたジャーナリストだ。史料の扱い方が正確で綿密なのも、新聞記者としての力量を考えれば、当然のことかもしれない。

 

最初、この本に出会ったとき、映画化されたらいいのになと思った。複雑で怪奇なストーリーだからこそ、映像化すると、よりわかりやすく魅力を増すに違いない。映画やドラマの原作として、これほどふさわしい本はないだろう。

 

現に、フランスのリュック・ベッソン監督が、権利を得て、主人公をメル・ギブソンがつとめるとも聞いた。「メル・ギブソン、なるほどね」と私はうなずいた。同時に「博士と狂人のどちらを演じるのだろう。どちらもいけそう」と楽しみにしていたのだが、待てど暮らせど、なぜか映画にならないまま年月ばかりが過ぎて行った。

 

正反対な二人の主人公

2019年の秋、とうとう映画が上映されると知った。監督はP.B.シェムラン、出演はメル・ギブソンとショーン・ペン。『博士と狂人』は、そのタイトルが示すとおり、二人の人間が主役だ。どちらが欠けても、物語は精彩を欠く。二人揃ってこその物語なのだ。それだけに、配役も二人のアカデミー賞俳優を揃えたのだろう。

 

メル・ギブソンが演じるのは、ジェームズ・マレー博士。マレー博士は、スコットランドの奥地・ホーイックという小さな町で生まれた。仕立て屋と織物商を営む家の長男だが、高等教育を受ける余裕はなかった。しかし、マレーは努力家であり、さらには、興味の範囲が広い少年だった。知識欲も強く、地質学や植物学、天体や自然現象など、ありとあらゆるものに興味を示した。

 

貧しさゆえに、14歳までしか学校に通うことが出来なかった。生活のために知的好奇心を断念して、働かざるをえなかった。それでも幸運に恵まれて、いや、彼の熱心さとひたむきさが伝わったのか、OEDを編纂する仕事が舞い込んだ。難しい仕事とわかってはいたが、マレー博士は喜んで引き受け、水を得た魚のように動き出す。

 

ショーン・ペンが演じるのは、ウィリアム・マイナー。マイナーの両親は宣教師で、セイロンに赴任中にウィリアムが生まれた。マレー家とは異なり、マイナー家はアメリカの由緒ある上流階級に属していた。ウィリアムも優秀な少年で、十分な教育を受けている。エール大学の医学部を卒業して医者となり、将来は希望に満ちているように見えた。

 

しかし、ここに大きな壁が立ちはだかる。南北戦争が勃発したのだ。軍医として赴いた戦地で、マイナーは壮絶な経験をする。元々繊細な彼は、このときの体験によって精神に異常をきたし「モノマニー」を患っていると診断された。

 

モノマニーとは、ただ一つの問題に異常に取り憑かれる一種の精神異常である

(『博士と狂人』より抜粋)

 

アメリカで治療を受けた彼は、やがてロンドンで新しい生活を始めることになった。休養し、本を読み、絵を描いて暮らすことによって、モノマニーから解放され、元の生活を送ることができると期待されてのことだ。もちろん、生活を支える経済的余裕もあったのだろう。

 

しかし、そうはいかなかった。ロンドンで、彼は自らを奈落の底へつき落とすような最悪の行動を起こしてしまう。狂気と不安が彼を追いつめ、とうとうマイナーは犯罪者となる。

 

二人を結びつけたもの、それはOED

二人の主人公はまったく正反対の人物に見える。片や、貧しい生まれながらも努力によって見事な仕事を成し遂げる博士。片や、裕福な家に生まれ教育を受けながらも、精神を病む患者として病院に収容された人物。普通なら会うこともなく、その存在さえ知らず、生涯を終えたことだろう。

 

しかし、二人は出会い、互いを認め、一緒に仕事をしたのである。これはやはりひとつの奇跡と言うべき出来事だ。二人を結びつけたもの。それは、OEDの編纂という気の遠くなるような仕事であった。何しろ、着手してから全巻の編纂が完了するまで、なんと70年もの歳月を要したというのだから……。

 

マレー博士はこの仕事を始めるにあたって、広く一般の人々の協力を求めた。そうでなければ、到底、着手できなかったであろう。その協力者の中にマイナーがいた。

 

二人は互いのことを何も知らなかった。OEDの編纂という仕事が、20年もの長きにわたって、二人を結びつけたのだ。これほど長い間、手紙で編纂に関する意見を交換していたのにもかかわらず、二人は会ったこともなかった。マレー博士が招待しても、マイナーはいつも丁重に断ってきたからだ。

 

しかし、ある日、マレー博士は決心する。マイナーに会い、直接お礼を言おうと思い立ったのだ。晴れた空の下、マレー博士は出発し、あらかじめ練習しておいた挨拶を目の前にいる紳士に述べた。「はじめまして。ロンドン言語協会のジェームズ・マレーと申します。『オックスフォード英語大辞典』の編集主幹をつとめている者です。ようやくお目にかかれまして、まことに光栄に存じます……」しかし、挨拶が終わった途端に知ることになる。マイナーとは何者であるのかを。

 

このシーンは何度読んでも痺れる。そして、ぞっとする。映画ではどう描かれているのか、楽しみでたまらない。けれども、20年も待っていたくせに、私はまだ映画を観ていない。コロナの影響で、映画館に行きづらいのも一つの原因だ。

 

しかし、それだけではない。あまりにも楽しみにしていたため、観るのがこわくなってしまい、グズグズしているうちに、日がどんどん経っているのが本当のところだ。とりあえず、もう一度本を読み返してから、映画を観たいと思う。

 

【書籍紹介】

 

博士と狂人

著者:サイモン・ウィンチェスター
発行:早川書房

41万語以上の収録語数を誇る世界最大・最高の辞書『オックスフォード英語大辞典』(OED)。この壮大な編纂事業の中心にいたのは、貧困の中、独学で言語学界の第一人者となったマレー博士。そして彼には、日々手紙で用例を送ってくる謎の協力者がいた。ある日彼を訪ねたマレーはそのあまりにも意外な正体を知る−−言葉の奔流に挑み続けた二人の天才の数奇な人生とは? 全米で大反響を呼んだ、ノンフィクションの真髄。

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ストレスなく部屋をきれいに保つ方法「1日1捨て」の極意−−『1日1つ、手放すだけ。好きなモノとスッキリ暮らす』

コロナ禍で、在宅時間が長くなっている人も多いのではないでしょうか。そんな時に手をつけやすいのは、お部屋の片付けですが、どこから始めたらいいのかわからないという人も。けれど1日1つ捨てることは、できるのではないでしょうか。

 

 

モノを増やさないコツとは

私は以前、通常の掃除以外にプラスして1日に1か所30センチ四方を集中掃除していたことがあります。ほとんど汚れていなくて大して手間のかからない30センチならサッと終わるのですが、時々、モノがごちゃっと連なっている30センチ四方を片付けようとすると、ドッと疲れてしまい、途中で挫折してしまいました。

 

私たちはモノにまみれて暮らしているので、気を抜くとモノはどんどん増えていきます。けれど「まだ使える」「また使うかもしれない」と考えて、どうしても処分しきれないのです。最終的に私は家で一番狭い部屋を私のスペースにしました。そうすれば、日々片付けないと眠ることもできません。それでもちょっと目を離すと本が積み上がっていったりしますが、スペースがないため、モノにも悩まされなくなってきました。

 

一気に捨てるとストレスになる

1日1つ、手放すだけ。好きなモノとスッキリ暮らす』(マイナビ出版・刊)の著者・みしぇるさんの実家は禅寺。何もないスッキリとした空間で育った彼女が見つけた断捨離の極意は、1日1つ、モノを減らすということでした。そうして書かれた本には、ところどころに禅の言葉も書かれていて、味わい深いものになっています。

 

モノに愛着を感じる人は大勢います。一気に片付けようとすると、それは大事なモノとの別離となるので、多大なストレスになってしまうのです。けれど1日に1つだったら、ストレスも最小限。そして毎日続ければ365個ものモノを捨てることになるので、まさに継続は力なりなのです。

 

効果は数か月後

この1日1捨て方式のルールはとても簡単で、1日に1つ、何かを捨てればいいのです。捨てるものがない時はレシートでもいいとのこと。ラクだからこそムリなく続けることができそうです。このルールの大事なポイントは、続けること。毎日何かを捨てるという習慣ができてしまえば、捨てないでいる日は歯磨きしていない時のように気持ちが落ち着かなくなるのです。

 

次第に慣れてくると、捨てることが楽しみになったり、これはいらないとすぐに見抜くことができるようになったりと、ワンランク高い片付け意識になれるようです。少しずつなので、効果をはっきり実感したのは著者の場合、数か月後だったとのこと。片付いた部屋と同時に、毎日何かを捨てる習慣も身につくので、かなり合理的な方法かもしれません。

 

捨てたモノを記録する

本書には様々な捨てテクが載っていますが、最も真似したいと思ったのは「捨てたものを記録する」というところ。1日1つですから手帳にイラスト付きで書いているのです。後で見直せばシンプルライフに近づいていることを可視化できてとても良さそうです。イラストが苦手ならスマホで写真を撮って残してもいいのではないでしょうか。

 

本書では、著者や読者がどんなものを1日1捨てしているのかという実例も載っていました。うちわ、ペン、ポイントカードなど、これなら自分も捨てられそうというような、どこの家庭にもありそうなものが多く、これなら自分にもできそうとやる気が湧いてきます。

 

外枠でスケールダウン

一番共感できたのは「外枠を小さく」という言葉でした。たくさんカードが入るカードファイルを持っていたら、そこにいっぱいになるまで詰め込んでしまうので、あまりたくさんのカードが入らないものを持てばいいというようなことです。入る器が小さければそれ以上のモノを詰め込むことができません。

 

収納を置く余裕がある部屋だと、モノが増えたら新たに収納道具を買ってごまかしてしまいがちですが、それではモノの量は減るどころか増えてしまい、本質の解決にはなりません。たとえばTシャツは10枚までと量を指定しておけば、モノが部屋にあふれかえるということにはなりにくくなるのだと思います。

 

【書籍紹介】

1日1つ、手放すだけ。好きなモノとスッキリ暮らす

著者:みしぇる
発行:マイナビ出版

かさばりがちな食器、着ない服が食器棚やクローゼットに眠っていませんか? やらなきゃと思いつつ、つい面倒と感じてしまうモノの処分。モノを処分する習慣は、1日に1つモノを捨てるところからスタートしましょう。まずは財布に入れたままのレシートから始めてOK。“捨てグセ”が身に着けば、スッキリとした気持ちの良い暮らしが手に入ります。また手放し方と同時に、モノの愛で方も大切なポイント。モノを買うときのポイントや、買った後にどのようにしてそのモノを使い、自分の生活をより良くしていくのかを紹介します。

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「ひとり温泉」はひとりカラオケと似ている? 初心者でも心おきなく温泉を楽しむ53の方法とは?

温泉、行きたいですよね。コロナ前はほぼ月1で銭湯に行ったり、岩盤浴に行ったり、温泉が湧き出るスーパー銭湯を楽しんでいたりしたのですが、2020年はほぼ行くことができませんでした。悔しい……! 2021年はコロナが終息することを祈りながら、1回でも多く温泉や銭湯に行けたらいいなぁ〜なんて思っております。

 

この溜まりに溜まった「温泉行きたい欲」を満たしてくれるのが、『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』(永井千晴・著/幻冬舎・刊)という温泉エッセイ。温泉オタク会社員である著者の永井千晴さんが、全国約500湯を巡った温泉を振り返りつつ、ひとりで温泉を楽しむ方法を紹介しています。

 

ひとり温泉旅行は、ひとりカラオケみたいなもの!?

本のタイトルにある「ひとり温泉」ですが、ちょっとハードルが高いなぁと感じる人もいるのではないでしょうか? 温泉に行く! と聞くと、ふら〜っとひとりで行くよりも、あらかじめ計画をみっちり立てて、友達と家族と恋人と行くようなイメージがありますよね。「ひとりでも楽しめるの?」と思ってしまうのですが、これがめっちゃ楽しくて、ヒトカラ(ひとりカラオケ)と似ている感覚なのだとか。

 

本題に入る前にお伝えしておきたいのが、「ひとり温泉旅行は、ヒトカラ(ひとりカラオケ)みたいなもの」だということ。ひとりで温泉旅行を計画して、ひとりきりで現地に向かい、湯船にじんわり体を沈める……。そこには、カラオケでよくある「上司の年代に合わせた曲」「友達と一緒に歌える曲」「全員で盛り上がれる曲」の忖度がありません。私はただここに来たくて、お金も時間もすべて自分で管理して計画して、やっと憧れの温泉に浸かれた……という、体中に満ち満ちる圧倒的な自己満足、高揚感、達成感があるものです。

(『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』より引用)

 

想像しただけで体がウズウズしてしまう(笑)。私もヒトカラが大好きで、ずっとTHE YELLOW MONKEYしか歌っていないのですが、それは誰かから文句言われたりしませんからね! う〜ん、ヒトカラにも行きたい(笑)。2020年は自分のために使う時間がほぼなかったなぁ〜なんて思い返しているので、自分のためのひとり温泉、ぜひとも体験してみたいものです。

 

とはいえ、どこへ行こう?

都内近郊に在住の人が「温泉行くならどこ?」と聞けば、熱海や箱根などメジャーな温泉地が思い浮かびますよね。でも日本国内には、約3000の温泉地と2万ほどの温泉施設があるのだとか。

 

え……そんなにいっぱいの中からなんて選べない! という時に役立つのがこちらのチャート。著者である永井千晴さんが、2019年の夏にTwitterで投稿し、現時点でも21万いいね! がついているほど話題になっているツイートです。

 

 

『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』の中には、巻末ふろくとして、「東京から1泊2日で行けるおすすめ温泉チャート」「大阪から1泊2日で行けるおすすめ温泉チャート」「全国版おすすめ温泉チャート」の3つも付いています。

 

私も「東京から1泊2日で行けるおすすめ温泉チャート」をやってみると「高湯温泉」という福島県の温泉地がヒットしました。聞いたことないな……。

 

高湯は「一切の鳴り物を禁ず」の、とても静かな山奥の温泉地。ほぼ旅館しかありません。硫黄のにおいが豊かな白濁の温泉は極上です。

(『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』より引用)

 

私自身、お恥ずかしながら福島に温泉があることすらも知らなかったのですが、色々調べてみると「じゃらん」の全国温泉地満足度ランキングでは、堂々1位を獲得。う〜ん! 気になるっっ!!

 

東京から福島は遠くに感じてしまうかもしれませんが、新幹線に乗れば1.5時間。熱海や箱根とほぼ同じくらいの感覚で行けると思うと、意外と近いですよね。またこの「高湯温泉」は、福島駅から送迎してくれる旅館もあるそうなので、事前に調べてお邪魔するようにしましょう(現在は、コロナの影響で営業時間が変更や休業があるのでご注意ください)。

 

今すぐは行けなくても、「ここ行きたいな〜」を探すことはできる!

これまでのように思い立って、温泉へ! なんてことができにくくなってしまいましたが、その分じ〜っくり温泉旅行の計画を立てることができるようになりました。例えば、車で行くなら〇〇温泉にしよう! とか、雪景色を楽しめる温泉に行くぞ! とか、ワーケーションできる温泉旅館をいくつか探すぞ! などなど、探すことまで自粛する必要はありませんよね。

 

『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』にはおすすめの温泉地も多数掲載されていますし、「ひとり温泉」が初めてという方でも「なるほど、こういうことに気をつけておけばいいのね」といったポイントがたくさん掲載されています。またどうやって旅程を考えるかなど基本的な疑問も細かく紹介されています。

 

1 行きたい温泉地をだいたい絞る

2 観光協会・旅館組合サイトで情報収集

3 クチコミサイトでネガティブチェック

4 おおよその旅程を決定

(『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』より引用)

 

温泉を探す方法も、旅行サイトだけで調べていましたが、観光協会や旅館組合のサイトをチェックするとは盲点でした。私も高湯温泉の観光協会の公式サイトを見てみましたが、もう目が癒されまくりでした……。コロナが明けたら絶対、行くぞっ!

 

これまでのようにグループでわいわいと行く温泉旅行が難しい状況ですが、ひとりで温泉を嗜むことにフォーカスを当ててみると、意外と近場でも「いい温泉」はたくさんあることに気づかされます。今すぐは難しいかもしれないけれど、こんな時だからこそたくさん情報を集めて、楽しみを積み重ねておくことならできるはず。

 

私も「いつか」のために『女ひとり温泉をサイコーにする53の方法』を暗記する勢いで! 日本の素敵な文化である温泉を楽しむ計画をじっくりと立てていきたいと思っています。あぁ〜1日もはやく、心おきなく温泉にのんびり浸かれる日常に戻って欲しいなぁ。

 

【書籍紹介】

女ひとり温泉をサイコーにする53の方法

著者:永井千晴
発行:幻冬舎

訪れた温泉は約500湯。ヒマさえあれば女ひとりで温泉を巡りまくっている「温泉オタク会社員」による温泉偏愛エッセイ!

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手に汗を握るピカソの絵をめぐるアートサスペンス——『暗幕のゲルニカ』

「芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。」パブロ・ピカソの名言だ。

 

そのピカソの代表作といえば「ゲルニカ」。「ゲルニカ」は、1937年、パリ万博のスペインパビリオンの目玉として作成された。当時、パリのアトリエに運び込まれた縦349cm×横777cmの真っ白な大きなキャンバスを前に何を描くか考えていたピカソ。そこに内戦状態にあった祖国スペインのゲルニカ空爆の報が届く。ピカソはスペイン共和国政府を支持していたが、フランコ将軍率いる反乱軍に加担していたナチスドイツ軍によりゲルニカが都市無差別攻撃にあったのだ。爆撃を受けた街の悲惨な状態を表したモノクロームの画面は、以来、反戦のシンボルとして世界中の人々を惹きつけることになる。

 

 

国連のゲルニカに暗幕が!

「ゲルニカ」は現在、スペイン・マドリードのソフィア王妃芸術センターにある。そして、アメリカ・ニューヨークの国連安保理のロビーにもゲルニカがあるが、こちらはタペストリーだ。絵画のゲルニカと同じ構図とサイズでタペストリー職人のデュルバックがピカソの監修のもとに1955年に完成させ、1985年から国連に展示されている。

 

そのゲルニカに緞帳のような暗幕がかけられた事件が実際にあった。2003年、アメリカのブッシュ政権はイラク攻撃をしようとしていた。その時期パウエル国務長官は、国連安保理のロビーで記者会見を開いたが、背後にあるはずのゲルニカのタペストリーになんと暗幕がかけられていたのだ。空爆による悲劇を表したものはまずいと誰かが幕をかけたのだろう。作家であり、キュレーターでもある原田マハさんは、その映像を見て衝撃を受け、そして書き上げたのが、今日紹介する『暗幕のゲルニカ』(原田マハ・著/新潮社・刊)なのだ。

 

見る人を呆然,佇立させるゲルニカ

目の前に、モノクロームの巨大な画面が、凍てついた海のように広がっている。泣き叫ぶ女、死んだ子供、いななく馬、振り向く牡牛、力尽きて倒れる兵士。それは、禍々しい力に満ちた絶望の画面。瑤子は、ひと目見ただけで、その絵の前から動けなくなった。真っ暗闇の中に、ひとり取り残された気がして、急に怖くなった。目をつぶりたいけれど、つぶってはいけない。見てはいけないものだけれど、見なくてはいけない—。

(『暗幕のゲルニカ』から引用)

 

ゲルニカを前にしたとき、大半の人が同じ状態になるであろう一文で本作ははじまる。文庫版の解説を担当したジャーナリストの池上 彰氏もこう書いている。

 

「ゲルニカ」と対面しました。が、壁画の前で動けなくなります。呆然と佇立するとは、こういう状況を指すのでしょう。いななく馬、茫然とする牛。のたうつ人々。言葉を失いました。

(『暗幕のゲルニカ』解説から引用)

 

どこまでが史実でどこからがフィクションなのか?

さて、原田マハさんの描くアートを巡る小説のおもしろさは、史実に基づいてはいるが、そこに架空の人物や出来事が巧妙に加えられ、読者をグイグイ引き込んでいくところだ。

 

本書はおよそ70年の時を隔てた二人の女性の視点で描かれている。一人はピカソの恋人であり、ゲルニカ作成過程を撮影した実在した女流写真家ドラ・マール。彼女は「泣く女」モデルでもあった。ドラ・マールの写真は見たことがあったが、どんな女性だったのかは正直ピンとこなかった。が、この本を読み進むうちに私の頭の中で彼女がイキイキと蘇っていき、いつの間にか、私はドラ・マールのファンになっていたのだ。想像力を刺激してくれる原田さんの力量には本当に脱帽だ。

 

そして、もう一人、21世紀パートは架空の人物で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーター、八神瑤子の視点で描かれている。瑤子は9・11でアートコンサルタントだった最愛の夫を亡くしたという設定だ。そして「ピカソの戦争」と銘打った展覧会を企画し、「ゲルニカ」を再びMoMAに呼び戻し、展示すべく奮闘するという展開だ。

 

「ゲルニカ」はなぜNYに渡ったのか

ゲルニカはある意味、問題作だった。人々に与えるインパクトがあまりにも強烈だからだ。当時、もしもヨーロッパに留めておきナチスの手に渡っていたら、引き裂かれ焼かれていただろう。本書の中で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の初代館長・アルフレッド・バーとピカソのやり取りが描かれている。

 

「どうか、お願いです。<ゲルニカ>を、ニューヨークへ——私たちの美術館へお貸しください」

ピカソは、黒曜石のように輝く瞳でアルフレッドをみつめていた。しばらくの沈黙のあと、厳かな声で画家ははっきりと答えた。

「君のもとに<ゲルニカ>を送ろう。——ただし、ひとつ条件がある」

——展示会が終わったあとも、そのまま、あの作品をMoMAに留めてほしい。スペインが真の民主主義を取り戻すその日まで、決してスペインに還さないでほしい。それだけが、たったひとつの条件だ。

(『暗幕のゲルニカ』から引用)

 

こうしてゲルニカは海を渡った。戦後、回顧展でヨーロッパに一時的に戻ったことはあったが、1981年スペインに返還されるまで、ゲルニカはMoMAによって守られてきたのだ。そして、ピカソ自身は二度とゲルニカと対面することはなかったという。

 

反戦の意思を絵で表そうとするパブロ・ピカソ、その傍らに寄り添い、ピカソを支え、製作過程を撮影し続けるドラ・マール。その約70年後、ピカソの絵画を愛するキュレーターの八神瑤子は、反戦のシンボルである「ゲルニカ」をニューヨークで展示すべく奮闘する。物語は時を隔てつつ、同時進行していく。

 

海外旅行ができず、また名画を観に美術館に行くことができないコロナ禍の今こそ、読んでおきたい一冊といえる。

 

 

【書籍紹介】

暗幕のゲルニカ

著者:原田マハ
発行:新潮社

ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレーター八神瑶子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑶子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。怒涛のアートサスペンス!

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無意識の「イラつく言い回し」をハッピーにできる『言いかえ図鑑』

「ものは言いよう」とはよく言ったもので、同じ内容を伝えるにも、言い方次第で印象はガラリと変わる。あなたのまわりにもいないだろうか。決して悪い人ではないのだろうけど、何故かいつもカチンとくる言い方をする人が。話していて、イラっとさせられるポイントが多いのだ。

 

もう少し違う言い方をすればいいのにな……と思いながら、大の大人にそんなこと指摘できず、結果、なんとなく距離を置いてしまう。たとえば相手がわが子であれば、「そういう言い方をすると相手を嫌な気持ちにしちゃうから、やめたほうがいいよ」と注意できるのだが。

 

そう、言い方さえ少し変えれば、コミュニケーションはぐんとうまくいくのだ。『よけいなひと言を好かれるセリフに変える 言いかえ図鑑』(大野萌子・著/サンマーク出版・刊)は、つい使ってしまいがちな「よけいなひと言」を「好かれるセリフ」に言いかえる術を教えてくれる一冊だ。

 

 

✕「うそでしょう?」→◎「本当ですか?」

中学時代、国語の先生がよくこう教えてくれた。「信じられないようなビックリする話を聞いたとき、『うそ~!』ではなく『本当に!』と言った方が良いよ」

 

それを聞いて、多くの生徒が「うそ~!」と言って騒いでいたが、その先生が大好きだった私は、以来ずっと意識してきた言いかえだ。

 

『よけいなひと言を好かれるセリフに変える 言いかえ図鑑』の著者・大野さんも、「うそでしょう?」ではなく「本当ですか?」と言った方が好印象だと述べている。「うそでしょう?」といきなり疑う=言っていることが信じられないと相手を否定していることになるからだ。

 

同じようなニュアンスで、「マジっすか?」という若者言葉もビジネスの場では不適切だとのこと。いや、そりゃ当然だろうと思うのだが、あえてこう書かれているということは、うっかり使っている若者がいるということなのだろうか……。それこそ「うそでしょ?」、もとい「本当ですか?」案件である。

 

✕「お返事は週明けでけっこうです」→◎「お返事は3営業日以内にお願いします」

メールなどで仕事のやりとりをしているとき、本当によく遭遇するのがこれ。金曜日の夕方くらいに「お返事は週明けで大丈夫です」と連絡をするということは、土日の間に考えてね、仕事してね、と言っているようなものだ。

 

私の場合はフリーランスなので、土日関係なく原稿を書くことが多く、このあたりの感覚がすっかり麻痺してしまっているが、一般的な企業の場合は大問題だろう。

 

現に夫も「年末年始の休みに入る直前に仕事の依頼がきて(しかも、結構手間がかかる系の)、年明け納品でお願いしますだって!」とイラついていた。当然だ。

 

仕事の依頼は、休日をカウントせずに「〇営業日以内で」と伝えるのがベター。

 

✕「体調を崩さないようにお気をつけください」→◎「お健やかにお過ごしください」

メールや手紙などを相手に気持ちよく読んでもらうためには、ネガティブな表現をできる限り避けるべきだと大野さん。日本には「言霊」という言葉があるように、発した言葉に魂が宿ると考えられているからだ。

 

たとえば今の時期よく使われる「寒くなりましたが、風邪など召されませんようにご自愛ください」という結びの言葉は、ネガティブな表現なのであまりおすすめしないそう。おっと、これは私もよく使っていた……!

 

かわりに「急に寒くなりましたが、お健やかにお過ごしくださいませ」であれば、思いやりを感じるポジティブな表現なので◎。たしかに、ほんの少しの言いかえだが、受け取る側の印象が違う。意識したい表現だ。

 

好意的な表現は相手も自分をも幸せにする

『よけいなひと言を好かれるセリフに変える 言いかえ図鑑』には、ビジネスでもプライベートでも、そして子育てにも使える全141シーンでの言いかえ例が紹介されている。右ページに「よけいなひと言」と「好かれるひと言」、左ページに解説が載っているので、ひとめでわかりやすいのもポイントだ。

 

大野さんいわく「好意の返報性」、つまり好意をもって相手に接すると、その相手からも好意的に思われる、ということは本当にあるという。自分が発した言葉で相手が良い気持ちになり、相手からも丁寧に接してもらえる。結果、自分のことも認められるようになり、自己肯定感もアップするという、まさに好循環だ。

 

2021年は、ほんの少しの言い回しに気を付けて、自分も相手もハッピーな毎日を送ろう!

 

【書籍紹介】

よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑

著者:大野萌子
発行:サンマーク出版

「言い方」で損をしないための本。上司・部下、同僚、友だち、家族…人間関係がぐんとスムーズになる「言葉のかけ方」141 シーンを徹底解説!

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関東がカツオだし、関西が昆布だしなのは“道”に理由があった!?~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

歴史地理学者が和食を考察!

みなさん、あけましておめでとうございます! お正月といえばやっぱり和食。ケーキ、チキン、ピザと、クリスマスにこってりご馳走を食べて油まみれになった体には和食が染み込みます。といっても、ついお餅を食べ過ぎてしまうのですが……。

 

和食にはそれぞれの地域ならではの特色がありますよね。友だち夫婦は新婚時代、クリスマスケーキは仲良く一緒に選ぶのに、お雑煮では毎年もめていたとか(笑)。

 

 

今回の新書『和食の地理学 あの美味を生むのはどんな土地なのか』(金田章裕・著/平凡社・刊)は、お米、酢、宇治茶、柿の葉寿し、千枚漬け、ウンシュウミカン……和の食材や郷土料理がどのようにして生まれたのか、地理と地勢の観点から考察していきます。

 

著者は歴史地理学者で京都府立京都学・歴彩館館長の金田章裕さん。学者さんの本なのでちょっと構えてしまいますが、本書は金田さんの食べ物に関する個人的な思い出やエピソードが豊富で、講義中に教授の余談を聞くような味わいがあります。

 

流通ルートで名産品も変わる!

第3章「茶とダシの文化的景観」では、日本の代表的なダシ2種類がテーマ。カツオは黒潮に乗って太平洋を回遊するため、太平洋側の焼津のような漁港から江戸へ運ばれました。このルートは「カツオ節の道」ともいえるでしょう。当時魚河岸のあった日本橋に今でも鰹節専門店が多いのはその影響だとか。

 

一方、関西が昆布だしなのは、北前船で生産地の北海道と消費地の京都・大阪を結ぶ「昆布の道」があったからというのが理由のひとつ。航路として立ち寄る日本海側の港町にも昆布を利用した多様な和食が生まれたそうです。越中・加賀(富山県・石川県)の魚の昆布締めが代表例。どこで獲れるかだけでなく、流通ルートによって名産品が変わるのも面白いですね。

 

第4章「漬物と多様な発酵食品」では、著者の富山県の実家で作られていた「蕪(かぶら)寿し」の思い出が語られます。晩秋に収穫した蕪をやや厚めに切り塩サバを挟んで、柔らかく炊いたご飯と米麹を合わせたものに漬け込み1週間弱発酵させる……。桶を開く日は、「出来具合が気になって、母はとりわけ緊張と期待が交錯したようである」と書かれていて、その光景が思い浮かぶようです。

 

もうひとつ、「伊勢タクアン」にも興味を惹かれました。三重県伊勢市御薗町で作られ始めた「御薗大根」という品種を用い、ハサ(刈った稲を掛けて乾かすための木組)にかけて2週間天日干しにし、米ぬかに漬け込んで3年ほど熟成させる独特の風味があるタクアン。伊勢平野の北風が最適な乾燥をもたらすのだとか。最近は人工的な味のタクアンも多い中、これはぜひ食べてみたいですね。

 

私たちが日本の風景としてイメージする、のどかな水田や段々畑といった景観は、人々の生活と深く結びついて作り上げられた「文化的景観」なのだという金田さん。食べ物と地理・地勢は切っても切れない仲。今年の後半はコロナを気にせず旅行して、土地土地の味を楽しめるといいのですが。

 

 

【書籍紹介】

和食の地理学
あの美味を生むのはどんな土地なのか

著者:金田章裕
発行:平凡社

四方を海に囲まれ、南北に長く、地勢の変化に富む日本列島。ここで生まれた和食は多様な食材に支えられ、食材生産・加工の営みは特徴的な「文化的景観」を形づくってきた。米、野菜、日本茶、調味料と漬物、果物と海産物、そして近年、著しい品質向上が注目される日本ワイン。私たちが日々楽しむ美酒佳肴はどのように生まれているのか。豊かに広がる水田と畑、魚と海草の養殖風景。日本の地理・地勢から「人間と食の関係」を探求する。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

歴史小説家が選ぶ! 2021年をサバイブするための「読み初め」5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回は「2021年 読み初めの5冊」。波乱の2020年が過ぎ、新たな年をどのように過ごすべきか−−。谷津さんが選んだ硬軟取り混ぜた5冊にヒントがあるかもしれません。

 

【過去の記事はコチラ

 


 

明けましておめでとうございます。

 

と言いたいところなのだが、申し訳ないことにあんまり実感がない。もちろんこの原稿を書いているのが師走のまっただ中だからということもあるが、そもそも、小説家に休みはないのである。例年、ほんのちょっとおせちやお雑煮をつまんだ後は、相も変わらずパソコン画面とにらめっこしている。きっとこの原稿がUPされる日も、わたしはうんうん唸りながらキーボードを叩いているはずである。

 

とはいえ、正月っぽいことも一応している。「読み初め」である。年頭に森鴎外の歴史小説家としての懊悩が吐露された『歴史其儘と歴史離れ』、個人的に好きな短編、岡本綺堂『番町皿屋敷』を読んで気持ちをリセットしているのである。

 

「読み初め」の習慣を日本の伝統にねじこみたく色々な方に提案して回っているのだが、世間の反応は冷たい。「正月はだらだらテレビを観るのが楽しいんじゃないか」「酒飲んで過ごすよ」「そもそも起きないよ」……。

 

うーん、まあそのなんだ、テレビとか酒とか眠るのに飽きたら、本を手に取っていただけたら幸いである。今回は、年始休みに読みたい5冊という名目で選んでいる。というわけで、今年もよろしく。

 

正月の演芸番組を深く味わうための1冊

まずご紹介したいのは、『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』 (塙 宣之・著/集英社・刊)である。ヤホー漫才で知られる東京芸人による、国内最大(つまり世界最大)の漫才コンテストであるM-1を縦横無尽に語った本である。

 

なぜ正月向けの選書で年末の風物詩であるM-1を? といぶかしむ向きもあるだろう。確かに、本書はサブタイトルの通り、M-1を巡る状況、M-1が芸人にもたらしてきた影響、審査員の審査基準などなどの話題がメインだが、いや、そうした話題がメインだからこそ、お笑い芸人とはなんなのか、現代のお笑いの特質が浮かび上がる仕組みになっている。

 

関東芸人はM-1において不利と著者は喝破している。M-1を関西由来の「しゃべくり漫才」のコンテストであるとした上で、しゃべくり漫才の母語である関西方言を使いこなせない非関西勢の弱さや、しゃべくり漫才の持つ可塑性の高さ(言い換えるならハプニングへの対応力の高さ)など、第一線で活躍する著者ならではの芸談が展開されているのである。

 

正月はしゃべくり漫才だけでなく、関東演芸系の芸人の出演機会も多い。本書を片手に彼らの活躍を観ていただけると、芸人という特殊技能者たちの苦闘や息吹を感じることができるかもしれない。

 

自宅でホテルの醍醐味を知る1冊

年末年始は毎年どこかに旅行、という方も多いだろうが、今回はあの憎たらしいウイルスのせいで断念なさった方が大半であろう。そんなあなたにおすすめの本がある。『夢のホテルのつくりかた』(稲葉なおと・著/エクスナレッジ・刊)である。

 

日本は幕末期に西洋世界に門戸を開き、積極的に西洋文明を取り入れてきた。その歴史の中で、西洋式の宿泊施設である「ホテル」も発展を遂げてきた。本書はそんなホテルたちの建築を巡るドラマに光を当てた書籍である。

 

本書には、「ホテル」という特殊な建築物の醍醐味が溢れている。旅人を泊めるための宿であるホテルは、イベントや都市計画、観光業、場合によっては国策と関わっていることさえある。そんな発注主の遠大な思惑の下、設計者が己の知識や美意識、発注者のイメージを具体化してゆき、図面を元に現場の施工者がそれを形にする。そう、ホテル作りは様々な立場の人間が一堂に会する大事業なのだ。

 

発注主、設計者、施工者のドラマはもちろんのこと、本書は題材に挙げられたホテルの写真、図版も多数掲載されており、家に居ながらにして名だたるホテルの雰囲気を味わうことができる。優雅な正月旅行を断念したあなたは是非とも本書で溜飲を下げていただきたい。

 

改めて新型コロナウイルスについて考えてみる1冊

お次はこちらを。『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』(菊池 寛・著/文藝春秋・刊)である。

 

皆さんはスペイン風邪をご存じだろうか。インフルエンザウイルスを病原とし、1918年から20年ごろまで世界中で猛威を振るい、一説には「第一次世界大戦を早期で終わらせるきっかけになった」とまで言われる流行病である。(「スペイン風邪」の呼称については見直すべきとする意見があるとは承知しているが、今回は紹介する本の表記に合わせる。念のため注記。)

 

本書はちょうど100年前に生きていた文豪の菊池 寛の短編集であり、中にはスペイン風邪に関係のない小説も結構含まれているのだが(笑)、表題作である「マスク」は是非読んでいただきたいのである。

 

スペイン風邪流行当時、政府の奨励によってマスクの着用が叫ばれていた。だが、やがて周囲がスペイン風邪に慣れ皆がマスクを外したのに従い、主人公もマスクを手放してしまう。そんなある日、野球の試合があるというので、マスクをせずに球場に向かったところ……。

 

昔も今も変わらないなあと思うことしきりなのである。

わたしたちが恐れているのは、果たして病原菌なのだろうか。

もしかして、もっと別の何かを恐れているのではないだろうか。

 

そんな気づきを与えてくれる作品である。

 

新選組ファンの夢を叶える1冊

お次はこちら。『賊軍 土方歳三』(赤名 修・著/講談社・刊)である。

 

新選組といえば、戦国時代の三英傑と並び、歴史創作の世界における大看板である。歴史があまり好きではないという人でも、近藤 勇、沖田総司、斎藤 一といった人物の名前をそらんじることができる人も多いはずである。そして、本作の主人公である土方歳三のことも。

 

本作は、近藤と死に別れた直後の土方が、病床の沖田総司を訪ねるところから始まる。史実において沖田総司は病床についたまま、そこで死んでいる。しかし本作においては土方がそんな沖田を誘い、市村鉄之助の偽名を与えて連れ出す。そう、本作は新選組ファンの「そうだったらいいのにな」展開が描かれるのである!

 

新選組末期は物悲しい。仲間たちと袂を分かち、次々に仲間が脱落してゆき、最後、蝦夷地に至った土方を待つ運命も決して明るいものではない。そしてその中で、「たぶん土方にはああした心残りがあったろう」「あの人物にはやり残しがあったろう」という憐憫が湧く。

 

だが、本書は史実の隙を突いて「やり残し」を果たす、エネルギッシュなカタルシスがあるのである。2020年にやり残しがある方にとっても救いとなる……かもしれない。現在2巻なので追いかけやすい。正月休みを利用して読んでいただけると幸いである。

 

現代のデス・ゾーンを描き出す1冊

最後はこちら、『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(河野 啓・著/集英社・刊)である。

 

皆さんは、栗城史多という人物をご存じだろうか。「冒険の共有」、「七大陸最高峰単独無酸素登頂」を掲げ活動していたものの、2018年、エベレストで滑落死した登山家である。本書はこの人物を巡るノンフィクション作品である。

 

さて、事情に詳しい方なら、栗城氏が山岳の世界においてはアマチュア扱いだったことはご存じだろう。彼の標榜していた「七大陸最高峰単独無酸素登頂」という言葉にも幾重の欺瞞があり、無意味な修辞が含まれていることも。そう、本書はメディアに担がれ、ある種のアイコンとなってしまった非プロ登山家の彷徨を描いたノンフィクションなのである。

 

現在、有名になるための手段が増えた。SNSや動画サイトを通じて世に知られるようになった人は枚挙に暇がない。あなただって、明日突如とんでもない有名人になる可能性のある時代なのである。

 

本書は、メディアを利用して高いところまで登り、降りられなくなってしまったある登山家の記録であると同時に、わたしたちのすぐ側にある、現代のデス・ゾーンを描き出した一冊なのかもしれない。

 

 

2021年はどういう年になるだろう。わたしたちは去年、人間の意志などより遙かに強大な自然の脅威に触れてしまった。そして今年も半分はその脅威に晒され続けるのだろう。だが、それでも人間は意志を持ってそこにあるしかない。そのためのよすがの一つとして本を読んでいただけたなら、本を書く人間の端くれとしてはうれしい。

 

【過去の記事はコチラ

 

【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)

「大会」を失った高校演劇で起きた、様々な青春のカタチ−−『舞台上の青春 高校演劇の世界』

今年は新型コロナウイルスの影響で、オリンピックはもちろん様々な経済活動が低迷し、さらには中高大学生の運動部や文化部が目標にして汗を流してきた「大会」までもが消えてしまった1年でした。

 

大人たちの言う「しょうがない」の一言に、やり場のない思いを抱えていた学生も多かったのではないでしょうか? 俯瞰的にこの状況を捉えたら「しょうがない」とつい口に出てしまいますが、ひとりひとりの気持ちに寄り添ってみるとそんな言葉では片付けられない、整理ができないような思いを抱えていたはずです。

 

そんな中でもなんとか前を向いて青春をぶつけていたのが、『舞台上の青春 高校演劇の世界』(相田冬二・著/辰巳出版・刊)に登場する全国の演劇部員たちとその顧問の先生たち。ページをめくるたびに、いろんな思いに胸を掴まれてしまう一冊です。今回はそんな、みんなの胸の中にある「あの夏」を思い出しながら、高校演劇についてご紹介したいと思います。

 

 

演劇部の3年生は、最後の大会の全国大会には出られない?

私の高校には演劇部がなく、学生時代「演劇」に触れる機会はほとんどありませんでした。「クセの強い子たちが、青春しているんじゃないの?」という偏見をめちゃくちゃ持っていたのですが、今回『舞台上の青春 高校演劇の世界』を読んで、そしてYouTubeにアップされている高校演劇をいくつか見て、高校演劇が原作で今年公開された映画『アルプススタンドのはしの方』まで見て、すっかり高校演劇のトリコになってしまいました。

 

高校演劇の面白いところは、脚本や舞台美術を自分たちの手で作り上げているところや、動画で見ているだけでも涙が出てきてしまうくらい心揺さぶられる演技はもちろん、高校野球などと違い、秋に地区大会が行われ、冬に都道府県大会とブロック大会、翌年の夏に全国大会が行われる点です。

 

9月から10月にかけて各都道府県の地区大会が行われ、10月から12月にかけて各都道府県大会が開催。勝ち抜いた学校が、11月から翌年1月にかけて開かれる各ブロック大会に出場する。北海道、東北、北関東、南関東、中部日本、近畿、中国、四国、九州。9つに分けたブロックから各1校、最多加盟校数を擁するブロックからさらに1校、計10校が選ばれ、そこに全国大会開催県から1校、そして持ち回り枠(9ブロックのうち1ブロックが毎年持ち回りとなり、そのブロックは1校追加となる)1校がプラスされる。狭き門を突破したこの12校が、翌年度の7月下旬から8月上旬にかけておこなわれる全国大会に出場するのだ。

(『舞台上の青春 高校演劇の世界』より引用)

 

つまり、高校3年生の秋に高校最後の地区大会に出場して全国大会まで進めたとしても、その時は卒業してしまっているので参加したくても参加ができないということ。全国には約2000校の演劇部があるので、12校というのはかなり狭き門ではありますが、甲子園のように新学年になってから地区予選が行われ、夏に高校3年間の思いをぶつける大会とは違い、後輩へ「送りバント」するような形で翌年度に大会が行われるのはとても興味深いですよね。

 

様々な思いが交錯した、配信による全国大会

そんな狭き門の全国大会。2020年は「WEB SOUBUN」として7月31日から10月31日までウェブ配信で開催されました。本来であれば、審査があり、最優秀賞が決められますが、今回は自分たちが撮影した映像をサイト上で公開する形での大会のため審査もなし。コロナなんて感じることもなかった2019年11月〜2020年1月のブロック大会を勝ち抜いた12校が、全国大会という舞台上で競い合うことはできなかったのです。

 

東北の強豪校である青森県の青森中央高校演劇部は、全国大会に出場できたにもかかわらず、動画での公演を披露することが叶わなかった高校でした。

 

わたしたちは『俺とマコトと終わらない昼休み』でWEB SOUBUNに参加させていただくために、練習と準備を重ねて参りました。舞台収録のため、7月下旬に青森市内のホールを予約し、機材も調達済みでした。

ところが、69日。

青森市内で開かれた青森県高文連理事会において事務局より「WEB SOUBUNに出品する演劇収録は許可できない」との判断が明かされました。これは527日に青森県危機対策本部から示されたガイドラインに従ったもので、「大声での発声」「近接した距離での会話」「歌唱」などが想定されるとき県主催のイベントは開催できないという判断です。

(『舞台上の青春 高校演劇の世界』より引用)

 

フェイスシールドを付けて収録するかも悩んだそうですが、舞台上で「コロナ」を感じさせてしまい物語の邪魔になってしまうと収録をしない結論に至ったとのこと。みんなの葛藤が伝わってくる……(涙)。

 

他にもこの全国大会には、「同好会」で予選を通過し全国大会まで勝ち上がってきた北海道の富良野高校、舞台収録ではなく映画化という形で挑んだ徳島県の徳島市立高等学校とそれぞれの高校が複雑な思いをたくさん抱えながら参加していたことを知りました。『舞台上の青春 高校演劇の世界』では、全国大会に出場する高校の地区大会から「WEB SOUBUN」までが取材されており、それぞれの想いや「今」がしっかりと残されているので、ぜひ多くの方に手にとって読んで頂けたらと思っています。う〜ん、「WEB SOUBUN」見たかったなぁー!

 

誰にでもある青春物語、映画『アルプススタンドのはしの方』

今年の夏に公開された映画『アルプススタンドのはしの方』をご存じでしょうか?

 

12月23日より先行でいくつかの映画配信サイトでレンタルできるようになっているので『舞台上の青春 高校演劇の世界』と合わせてぜひぜひご覧いただきたい映画でして……。

 

というのも、この映画、高校演劇の舞台戯曲が原作なんです!!! 『舞台上の青春 高校演劇の世界』には、原作者である元・兵庫県立東播磨高校の演劇部顧問、藪 博晶さんへインタビューした記事が掲載されています。私も配信でこの映画を見まして、最初は熱血先生にクスクス笑ったり、「わかるわぁ〜」なんて昔を懐かしく思い出したり、楽しんでいたのですが、中盤からずっと涙が止まらなくて……。泣きながら、心の中で「がんばれ!」と叫んでおりました。

 

いろんなことがあった2020年。全く触れる機会のなかった高校演劇と『舞台上の青春 高校演劇の世界』を通じて出会えたのは、私にとって財産になりました。世代が変わっても、いつの日か、彼らの舞台をなんの心配もなく見れる日まで、高校生たちの青春を応援していきたいと思いました。高校生のみんな、思い通りにいかないこともいっぱいあるかもしれないけれど、おばさんも頑張るからっ!! がんばるんだぞぉーーーー!

 

 

【書籍紹介】

舞台上の青春 高校演劇の世界

著者:相田冬二
発行:辰巳出版

高校演劇の大会と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。高校野球のような知名度はないものの、演劇部にも青春を賭けて戦う全国大会があります。毎年、大会に出場できるのは全国約2000校のうち、わずか12校だけ。その倍率は実に175倍。この甲子園以上の狭き門を突破しようと、全国の高校演劇部員は日々情熱を燃やし舞台を作っているのです。本書では、全国大会出場校5校と授業に「演劇」を取り入れ、教育に活かしている高校を取材しています。演劇に必死に向き合う高校生や指導する先生の想いをインタビューや密着取材、ブロック大会を通して紡いでいます。ストーリーの語り部は映画評論家の相田冬二。そして今夏、高校演劇からの映画化で話題になった『アルプススタンドのはしの方』原作者へのインタビューも収録。

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“ややこしい”アメリカ英語の地図となってくれる『日常会話なのに辞書にのっていない英語の本』

今年も今日と明日で終わり。外に出る機会があまりないので、例年以上にテレビを見まくる時間が長くなっている。1年を振り返る情報バラエティ番組から始まってかなりの量のお笑い、そして映画やドラマというラインナップだ。

 

字幕を見て思うこと

筆者は昔からハリウッド映画やアメリカのドラマが大好きだ。本当の映画好きならフランス映画やインド映画も見るのだろうけれど、昔から惹かれるのはアメリカで製作されたものばかりだ。大きな理由のひとつは言語だと思う。字幕を目で追いながらアメリカ英語が耳から入ってくるというのが筆者にとって一番自然な形なのだ。

 

そうする過程で「こういう訳し方はないだろ」とか「うまい訳だな」と思うことがある。これは、ことわざ的な言い回しやダジャレみたいなものに特に多い気がする。世代特有のポップカルチャーに関するセリフも難しい。加えて言うなら、ごく普通の日常的な場面に出てくる言い回しや単語なのに、しっくりくる訳文が辞書に載っていないことがある。こうしたシチュエーションの解決策となるかもしれない本を見つけた。

 

“ややこしい”アメリカ英語の地図となってくれる本

日常会話なのに辞書にのっていない英語の本』(松本 薫、J・ユンカーマン・著/講談社・刊)の出発点は明瞭だ。

 

たった1冊の本でややこしいアメリカ英語をすべて紹介できるわけではないが、これからアメリカを訪れる方々が少しでも楽に過ごせることを念じて、私自身の失敗や友人知人の体験をまとめてみた。皆様のご健闘を心からお祈りいたします。

     「日常会話なのに辞書にのっていない英語の本」より引用

 

松本 薫さんは共著者であるアメリカ人男性と日本で知り合い、日本で結婚した。それまで外国で暮らしたことも、留学経験もなかった。英語の知識は、教科書と受験を通して蓄積した“ごく平均的な”日本人だったという。

 

TOEICの問題集には出てこないかも

まず楽しんでいただきたいのは、巻頭13ページにわたる「この意味で理解するととんでもないことが起こる!!」だ。イラストにあわせて英文と直訳的な日本語が示されている。

 

「Don’t tell a soul」「魂を語るな」

「This town is dry」「この町は乾いている…!?」

「Soup’s on!」「スープが上にあるよ!」

 

TOEICや英検の問題集には出てこないかもしれない表現だが、映画やドラマでは確かによく聞く。ごく日常的な響きであることもまちがいない。ちなみにそれぞれ正しい意味を記しておくと、上から「誰にも言うなよ」「この町ではアルコールが販売されていない」「ごはんができたよ」となる。

 

びっくりするほど多い収録フレーズ数

目次を見てみよう。章ごとのサブタイトルも示しておく。

 

1 街角でいきなり声をかけられた!
〜これさえ知っていれば、走って逃げなくても大丈夫

2 最初のひとことからして、わけがわからない
〜この言葉を知らないと会話が始まらない

3 “Yes”なのか”No”なのか、それが問題
〜質問してはみたものの、答えの意図がつかめない

4「アハー」だけではない! アメリカ式の相づち集
〜会話をスムーズに進めるための何気ないひとこと

5 ほめられているのか、しかられているのか
〜はたまた頼まれているのか、命令されているのか

6 聞けば聞くほど話が見えなくなる
〜アメリカ人が人やモノを説明するときの妙な言い方

7 壁の花にはなりたくない
〜ディナーやパーティーを2倍楽しむための必須用語

8 これでお開き、お疲れさまでした
〜締めくくるための大事なひとこと

 

53のシチュエーションが8つの章に分けられた構成になっていて、収録フレーズ数は驚異の450オーバー。これだけ多いと「読む」とか「覚える」という感じではない。繰り返し眺めるだけでいいと思う。この本で知るフレーズを脳裏のどこかに残しておいて、映画やドラマを見ている時に出てきたらそのシーンのイメージと共に意味を確認すれば、しっかり刷り込めるだろう。

 

表記にも独特の工夫

この本でもうひとつ特徴的なのは、例文に“聞こえる通り”の音がカタカナでふってあることだ。たとえばこんな感じ。

Do you have the time? ドゥユーヘァヴざタイむ

カタカナとひらがなを組み合わせ、文字の大きさも変えて示された読み方については巻頭の「この本の便利な特徴」を見ればすぐに理解できる。とても親切な作り。せっかくだから、例文は声に出して読みたい。字面と音をつなげるためのこうした工夫は、かゆい所に手が届く感じがある。

 

“生きた英語感”満載の語学参考書

アメリカ英語ならではという表現が満載の一冊。生きた英語をうたっているにもかかわらず、読み進めるにつれ違和感が生まれる本もたくさんある。説明が長すぎたり、文章がつまらなかったりするため“生きた英語感”が失われてしまうのだ。しかし本書は違う。ひとつひとつの表現が状況・意味・バリエーションという機能的な流れで紹介される作りになっている。楽しいという要素がなければ、学びは続かない。すぐに手が届くところにいつも置いておきたい一冊。

 

【書籍紹介】

日常会話なのに辞書にのっていない英語の本

著者: 松本 薫、ジョン・ユンカーマン
発行:講談社

警官に“Pull over three!”と言われて狼狽し、“Do you have the time?”と話しかけられてナンパと思い込み、“Do you have a light?”と聞かれて太陽を見上げてしまった…!アメリカでは、日常英語であるにもかかわらず、意味を誤解して損をしたり、トラブルに巻き込まれる日本人が後を絶たない。実体験をもとに日本人が誤解しやすい日常英語を厳選し、意味と使い方を懇切丁寧に解説。カタカナ読みも付いている、とことん実用的な英語の本。

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「片付けをする必要はどこにもない!」理系作家が説くその真意とは?−−『アンチ整理術』

僕は片付けが苦手だ。だから、部屋に物が溢れかえっている。机の上も非常に乱雑で、人に見せられたものじゃない。だから家に誰かを入れることがすごく嫌だ。

 

僕が片付けが苦手な理由

なんで片付けが苦手なのだろうと考えてみると、「別に片付けをしたいと思わないから」なんだろうなと思う。基本、なんでもかんでも床に置いてしまうため、足の踏み場がない状態。あまりにもひどくなると、ゴミ(たいてい通販の段ボール)を捨てて、スペースを空けるくらいしかやらない。

 

仕事は基本的にノートPC1台あれば済んでしまうので、そのスペースさえあればいいやくらいの気持ちなのだ。こんな感じだから、一向に片付かない。片付ける気もないわけだが……。

 

世の中には、断捨離だったり整理術だったりいろいろあるようだが、積極的にそういうものに目を通すことはしてこなかった。「部屋がきれいな人は性格がマメな人」くらいに思っているので、読んでも自分には役に立たないと思っているからだ。

 

しかし、刺激的なタイトルの書籍を見つけた。『アンチ整理術』(森 博嗣・著/日本実業出版社・刊)だ。著者は文筆家だが、1日1時間しか原稿を書かないという。以前読んだ書籍(『集中力はいらない』)は、共感することばかりだった。

 

そんな筆者が書くものだから、普通の感じではないだろうなと思った。なんせタイトルが『アンチ整理術』だし。

 

部屋の片付けは「身だしなみ」

筆者は、一人で作業をする人の部屋はだいたい散らかっているという。それは、散らかっていても誰にも迷惑がかからないからだ。その上、どこに何があるかは本人が把握しているから、物が多くても困らない。故に片付けが不要というわけだ。

 

じゃあ、なぜ片付けるのか。それは「身だしなみ」のようなものだという。

 

結局、部屋が綺麗に片付いているというのは、そういうった対外的なもの、身だしなみと同種の問題といえる。

(『アンチ整理術』より引用)

 

確かに、僕も家に工事や点検があるときは、一応掃除をしたり片付けをする(それでも全然きれいにはならないのだが……)。逆にそういうイベントがなければ、ほとんど片付けはしない。別に困らないから。

 

もちろん、著者も部屋は物で溢れかえっているようだが、かえってそういう環境のほうがアイデアが浮かびやすいという。文筆業というのは、アイデアが勝負。身の回りに自分の好きなものがいっぱいある状態のほうが、いろいろなアイデアが湧きやすいようだ。

 

パソコンにトラブルさえなえれば、仕事の効率にも影響しない。部屋が散らかっていることは、作業性にも効率にもまったく無関係である。

(『アンチ整理術』より引用)

 

共有空間は整理整頓が必要

逆に、整理整頓が必要なところというのはどういう場所なのだろうか。それは、共有空間だ。自分以外の人間がいる場所、オフィスや学校などは、一定のルールに沿って物を配置しておかないと、トラブルの元になる。

 

また、工場などの一定の作業を効率的に行う場所も整理整頓は必須だ。毎回違う場所に必要な道具が移動されていたりしたら、作業効率が大幅に落ちてしまう。そういうことを防ぐためには整理整頓はかなり重要になってくるだろう。

 

簡単に言えば、「一人の空間は散らかっててもよし」「みんなが使う場所は整理整頓が必要」ということなのだ。つまり、僕は自分の部屋が物で溢れかえっていても、あまり気にしなくていいようだ。

 

別に片付けなくてもいいんだ!

きれいな部屋には憧れるし、たまにものすごくきれいにすることがあるが、どうしてもまた同じ状態に戻ってしまう。だらしない性格な上、面倒くさがりなのでそうなってしまう。

 

でも、別にそれでもいいじゃん。そんな風に思わせてくれる本書。「●●整理術」やや断捨離系の本を読むよりも、本書を読んだほうがなんだか生きる元気が湧いてきた。これからも、物に囲まれた片付けないライフを満喫していこうと思う。

 

 

【書籍紹介】

アンチ整理術

著者:森 博嗣
発行:日本実業出版社

ものは散らかっているが、生き方は散らかっていない。新しい発想は、片づかない場所で生まれる!? 目からウロコの知的生産のヒント。自由に楽しんで生きるために大切な思考・価値観。理系作家の創造的仕事術。

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「学研の図鑑の図鑑」ってどういうこと〜? 50周年記念で「水玉の表紙」が蘇った「学研の図鑑LIVE 特別版」がアツい

学研プラスは、2021年3月11日発売「学研の図鑑LIVE 動物 特別版」「学研の図鑑LIVE 昆虫 特別版」「学研の図鑑LIVE 恐竜 特別版」の予約を、12月19日より開始しています。価格はいずれも税抜2000円で、全国の書店やネット書店で完全受注生産となります。受付は2021年1月15日(火)まで。

 

 

「学研の図鑑」シリーズは1970年に創刊。現在はシリーズ名を「学研の図鑑LIVE」に変えながら、2020年に創刊50周年を迎えました。ちなみに、昨年はキン肉マンの「超人」ばかりを集めた「超人」図鑑を発売するなど、攻めに攻めているって知ってました? 知を探究する領域が幅広い!

 

今回発売される同書は、図鑑LIVE本誌に加え、創刊当時の表紙のデザインを踏襲した特別ケースと、シリーズの歴史を詰め込んだ記念小冊子がついた特別版になります。

 

何がすごいかというと、小冊子の名称は「学研の図鑑 図鑑」。文章内で文字にすると、誤植したような風に見えますが、正真正銘「図鑑 図鑑」。自らも知の探究対象にするとは、どんだけ真面目! 未知の境地を切り開いています。

↑記念小冊子「学研の図鑑 図鑑」

この「学研の図鑑 図鑑」は、「動物」「昆虫」「恐竜」が用意されており、「学研の図鑑LIVE 動物 特別版」には「動物」が、「学研の図鑑LIVE 昆虫 特別版」には「昆虫」が、「学研の図鑑LIVE 恐竜 特別版」には「恐竜」が付属。それぞれに130巻分の全表紙を掲載した「全表紙ギャラリー」や当時の紙面が収録されています。

 

また、「動物」には親子で学研の図鑑の監修をした動物学者の今泉忠明さん、「昆虫」には学研の図鑑に大きな影響を受けた昆虫学者の丸山宗利さん、「恐竜」には多くの動物や恐竜のイラストを手掛けた画家の清水勝さんのお話が、関係者インタビューとして収録されています。

特別ケースのデザインは、1970年から1998年まで学研の図鑑の表紙を飾った、印象的な“水玉デザイン”を踏襲。確かに、「超人」図鑑でも水玉があしらわれていましたね。ちなみにこのデザインは、1964年の東京五輪でデザイン室コーディネーターを務めた道吉剛さんによるものです。

↑左から「学研の図鑑LIVE 昆虫 特別版」「学研の図鑑LIVE 動物 特別版」「学研の図鑑LIVE 恐竜 特別版」

 

子ども時代に学研の図鑑に親しんだ人なら、とても懐かしくなる本書。編集部の注目としては、見た目は昔らしさを表現していますが、中身は最新ということ。最新の図鑑のダイナミックなビジュアルに加え、自分が子どもの頃からは大幅に刷新された知識に驚くでしょう。まさに、親子で楽しめる商品といえます。

 

【商品概要】

『学研の図鑑LIVE 昆虫 特別版』
『学研の図鑑LIVE 動物 特別版』
『学研の図鑑LIVE 恐竜 特別版』
価格:本体2,000円+税
発売日:2021年3月11日(木)
判型:A4変型判
電子版:なし
発行所:(株)学研プラス

昆虫:https://www.amazon.co.jp/dp/4052053133/
動物:https://www.amazon.co.jp/dp/4052053141/
恐竜:https://www.amazon.co.jp/dp/405205315X/

怖くて、寂しくて、心の奥底が痛くなる−−吉田修一が「生きる意味」を問いかける『犯罪小説集』

毎月、数回は飛行機に乗る。時には毎週……。神戸の自宅から東京の夫の実家に行き、義母を見舞い、事務の用事を片付けるためだ。今や日常となっている上京なのに、何度乗っても慣れない。チェックインも、保安検査場も、待合室も、いつも何だかビクビクしてしまう。犯罪を犯しているわけでもないのに、意味もなく「すみません」と言っている。ブーツを脱ぐよう言われ、「あ、すみません」、搭乗の順番を間違えては「きゃ、すみません」の連続だ。

 

そんな私だが、機内のシートに座るや、別人のように落ち着く。シートベルトを締めると、いそいそと機内誌を開き、吉田修一のエッセイ「空の冒険」を読み始める。私にとって「空の旅」とは「機内誌を読む旅」に他ならない。

 

吉田修一のエッセイと小説

ところが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、機内誌が座席前ポケットから消えてしまった。以前は、飛行機が離陸体制に入るや「空の冒険」に没頭し、その後、他のページも丁寧に読み、着陸態勢に入ると、また『空の冒険』に戻るを繰り返していた。彼のエッセイを読むと「あぁ、なんかいいなぁ。心和むなぁ。落ち着くな、吉田修一」と感じる。

 

ところが、小説となるとこうはいかない。つまらないわけではない。大変、面白い。けれども、和むかというと、その反対で、心がかき乱され、ずず〜んと重くなることがほとんどだ。

 

とりわけ、『犯罪小説集』(KADOKAWA・刊)は、「空の冒険」を書いた同じ人の作品かと疑いたくなるほど、怖くて、寂しくて、そして、心の奥底が痛くなる。作品によっては、激しい痛みでうめきたくなる。それも、歯科医で詰め物をとられ、神経を触られたときのような熱感を伴った痛みなのだからたまらない。

 

中編、5作品の贅沢さ

『犯罪小説集は』、5つの作品からなっている。「青田Y字路(あおたのわいじろ)」「曼珠姫午睡(まんじゅひめのごすい)」「百家楽餓鬼(ばからがき)」「万屋善次郎(よろずやぜんじろう)」「白球白蛇伝(はっきゅうはくじゃでん)」の5つだ。

 

すべて、100枚前後の中編で、犯罪者とその周辺が驚くほど細かく書き込まれている。100枚をめいっぱいに使うと、こういう濃密な小説が出来上がるのだろう。ごく平凡な人間でも、こうした環境に置かれたら、次第に追い込まれ、犯罪を犯してしまうのかもしれないと思わせる何かがある。5つの作品の主人公は、性別も年齢もそれぞれだ。

 

「青田Y字路」の主人公は、25歳になる中村豪士。母親を手伝いながら、偽ブランド品を売っている。友達もいないし、ろくに口もきかない。どこにいるのだかわからないような人物だ。そんな彼が巻き込まれる誘拐事件とその残酷な結末……。

 

「曼珠姫午睡」は、48歳の主婦・英里子が主人公だ。ごく普通の毎日を送っていた彼女は、ある日、小学校の同級生・石井ゆう子が殺人を犯したことをテレビで知る。それからである。彼女の毎日に、微妙な変化が生じるのは……。

 

「百家楽餓鬼」は有名運送会社の御曹司・永尾。生まれながらの大金持ちだ。両親との仲もよく、妻とも愛し合っている。何の問題もないはずの彼がはまるギャンブルの罠。そして……。

 

「万屋善次郎」は、町工場で15歳から必死に働いた後、限界集落と呼ぶべき過疎の村に移り住み、養蜂業を営みながら暮らしている男の物語だ。村人たちにも受け入れられ、村おこしのためのプロジェクトに精を出す日々。それなのに、ほんのちょっとした誤解で、善次郎は村八分にされる。その結果、起こるおそろしい殺人事件……。

 

「白球白蛇伝」の主人公は、プロ野球の選手だった早崎弘志の栄光と転落を描いた物語だ。かつての栄光を忘れられない男の悲しみ。自分を特別な人間だと思い続けた早崎の人生と末路は……。

 

どこかでつながる5人

主人公の5人は、まったく別々の人生を歩んできた。ただし、どうしようもない鬱屈をどこかに抱えていることは共通している。だからこそ、何か邪悪なものに操られるように、間違った方向へと突っ走ってしまったのだろう。

 

犯罪など自分には縁がないと、人は思いがちだ。いや、たとえ思っていても、無理矢理、関係ないふりをして暮らしている。けれども、時に自分の中に犯罪者となる可能性があることに気づき、呆然と立ち尽くす。『犯罪小説集』は、そのあたりを容赦なく、突いてくる。

 

読み進むうち、主人公から何か言い様のない嫌な臭いが漏れてくる。顔を手で覆い隠し、その臭いをかがないように息を止め、なかったことにしたくなる。しかし、そうはいかないところが物語の力だろう。

 

映画・楽園の原作でもある

『犯罪小説集』の主人公たちは、それなりに一生懸命に生きている。人を殺すのを楽しんでもいない。だからといって、心が透き通るように純粋でもない。皆、どこかいびつで、自分に自信がなく、「やってられない」と毒づきながらも、食うために働き続ける。

 

目の前のことを解決するのに精一杯で、自分を建て直す余裕などない。そして、気づいたときは、信じられないような方向へ突き進み、犯罪を犯してしまう。そこが怖い。そこが悲しい。

 

5つの作品のうち、「青田Y字路」と「万屋善次郎」の二つの作品は、昨年、『楽園』というタイトルの映画になっている。主演は綾野 剛がつとめ、佐藤浩市、黒沢あすか、柄本明などが脇を固めている。別々の小説が、一つの映画としてまとめられるなんてと、最初は驚いたが、底辺に流れるどうしようもない思いは、5つの作品すべてに流れていることを思うと、これでいいのだと納得できる。

 

映画も小説も、やるせないほど重く、苦しい。しかし、どのシーンも生きる意味を訴えかけてくる。自分を輝かせたいと願いながらも、どうしていいかわからないまま、憂鬱に沈んでいるとき、5人の主人公のひとりが囁いてくれるかもしれない。「踏みとどまりなよ、環境に負けちゃ駄目だ」と。

 

【書籍紹介】

犯罪小説集

著者:吉田修一
発行:KADOKAWA

田園に続く一本道が分かれるY字路で、1人の少女が消息を絶った。犯人は不明のまま10年の時が過ぎ、少女の祖父の五郎や直前まで一緒にいた紡は罪悪感を抱えたままだった。だが、当初から疑われていた無職の男・豪士の存在が関係者たちを徐々に狂わせていく…。(「青田Y字路」)痴情、ギャンブル、過疎の閉鎖空間、豪奢な生活…幸せな生活を願う人々が陥穽にはまった瞬間の叫びとは?人間の真実を炙り出す小説集。

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野菜も、肉料理も、スープも? 忙しい日こそ、蒸し料理にお任せ!!−−『ほったらかしでおいしい! 蒸しレシピ』

師走ですね〜。毎年、自分にクリスマスプレゼントを何かしら買っているのですが、今年は「せいろ」にしようかな? なんて思っています。

 

というのも『ほったらかしでおいしい! 蒸しレシピ』(ワタナベマキ・著/学研プラス・刊)という、せいろ憧れを加速させる一冊を見つけてしまったから! 一般的に「肉まん蒸すくらいしか活躍しない」と思われているせいろですが、葉物野菜に根菜、シュウマイ、スープにカレー、さらには麻婆豆腐まで! せいろで楽しめる定番から意外なレシピまで、バリエーションが豊富にあったのです。今回はせいろの魅力とおすすめレシピをご紹介させていただきます。

せいろはサイズ選びがポイント!

『ほったらかしでおいしい! 蒸しレシピ』と出会ってから、近所のスーパー、ホームセンター、100均、生活雑貨店など、外出するタイミングと合わせて「せいろあるかな〜」と探しているのですが、全く見つからず……。欲しいものって山崎まさよしの歌のようになかなか見つからないものですね。

 

ガラス製の蒸し器や蒸し網は売っているのですが、せいろはなかなか手に入りません。クリスマスまでに見つからなかったら、ネットで買っちゃおうと考えています。私のように、「いつでも探しているよぉ♪」状態の方はあまりいないかもしれませんが(笑)、これから購入を考えているという方は、「サイズ」選びに注意しておきましょう。

 

せいろよりもひと回り大きい鍋なら、グラつかず、そのまま乗せられます。NGなのは、せいろがはみ出してしまうほど口径の小さな鍋や注ぎ口がある鍋。せいろとの間にすき間ができると蒸気が逃げてしまうため、うまく蒸せません。

 (『ほったらかしでおいしい! 蒸しレシピ』より引用)

 

せいろはあるけど、家にある鍋とはサイズが合わなくて……という方は「蒸し板」がおすすめ。これはせいろと鍋の間に挟んで使うのですが、1000円前後で購入できてサイズも豊富。また、杉・竹・ひのきといったせいろ素材の違いもあるので、サイズに加えて、素材にもこだわってみると楽しいかも。

 

蒸し料理はシンプル! 基本の手順は変わらない

ちなみに「蒸し料理」と聞くと、なんだか面倒そう……と思ってしまうかもしれませんが、実は超簡単。手順も、

 

①材料を下ごしらえする

②蒸し器にセットする

③蒸す

④蒸し上がり

 

だけなので、お好きな材料を切って入れて蒸して、終わり! 耐熱容器を使えば、そのまま食卓にも出せるので、鍋の洗い物もなくなります。

 

中華まんも、最近ではレンジで簡単にできちゃいますが、中華街などで食べる蒸したてって熱々のフカフカで超美味しいですよね〜! 今年は我慢続きの年末年始なので、美味しい中華まんやシュウマイ、旬の根菜なんかを取り寄せて、おうちで蒸しパーティも楽しいかもしれませんね。

 

使い終わった蒸し器のお手入れも、蒸気で殺菌されているので洗わなくてOK! お肉や魚の匂いが気になる方は水で洗い流すくらいで良いそうですが、大事なのはしっかり「乾かすこと」。カビてしまうこともあるので、しっかり日陰で乾かした後は、高温多湿な場所を避けて、ビニールなどには入れず、そのまま保管しておくようにしてください。

 

蒸し時間はたったの1分。冬にうれしい蒸しサラダ

冬になると、葉物野菜を食べる機会って減ってきますよね。でも、スーパーに行くと、この時期なのに今年はめっちゃ安い! でも、安いと思って買ってきても、寒い夜になると「サラダで食べるのもな〜」なんてついつい後回しにしてしまう……。そんな時にも「蒸す」のがおすすめです。しかもアッという間に出来上がる「レタスのしょうがじょうゆ蒸し」をご紹介します。

 

[材料]2人分

レタス 1個
しょうが(せん切り) 1かけ分
酒 大さじ2
ごま油、しょうゆ 各大さじ1 

[作り方]

1.下ごしらえ

レタスは手で4等分に割る。

2.蒸す

蒸し器にオーブン用シート(または耐熱容器)を敷き、レタスを入れてしょうがをのせ、酒、ごま油、しょうゆをかける。蒸気の上がった鍋にのせ、強火で1分〜1分30秒蒸す。

 

 (『ほったらかしでおいしい! 蒸しレシピ』より引用)

 

レタスまるまる1個を入れるのには、直径24cmのせいろがあればできちゃいます。生のレタスを2人で1個食べるのは大変ですが、蒸してしまえばペロリなんだとか。

 

他にも『ほったらかしでおいしい! 蒸しレシピ』には、大根と人参がたっぷり入った「蒸ししゃぶしゃぶ」や、2品同時に仕上げる「ラタトゥイユ&クスクス」、中国の定番蒸しパン「マーラーカオ」まで、失敗しらずな76品のレシピが掲載されています。寒い冬に見た目からも温まる蒸し料理。私もしっかりせいろをゲットして、年末年始は蒸しパーティを楽しみたいと思います! 待っててね、せいろ!!

 

 

【書籍紹介】

 

ほったらかしでおいしい! 蒸しレシピ

著者:ワタナベマキ
発行: 学研プラス

「蒸しレシピ」は実は簡単!  忙しい日にこそおすすめです。「蒸しレシピ」と聞くとなぜかハードルが高そうな気がしますが、著者のワタナベマキさんは、忙しい日にこそ蒸し料理を作るそうです。「蒸しレシピは材料をせいろにセットしたら、あとはほったらかしておくだけ。失敗がなく、素材の味を引き出してくれるから美味しくなり、片づけもラク。キッチンも汚れません」といいます。「何より、ふたを開けた瞬間に立ち上る蒸気は、それだけで心も体も温かくしてくれます」。この冬はぜひ、「蒸しレシピ」に挑戦してみませんか?

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「味よりも人」伊集院 静の馴染みの店を初公開!−−『作家の贅沢すぎる時間−そこで出逢った店々と人々−』

作家の贅沢すぎる時間 そこで出逢った店々と人々』(伊集院 静・著/双葉社・刊)は、伊集院 静氏のはじめての食のエッセイであり、また実名で馴染みの店を公開した本だ。伊集院氏は今年1月に大病で緊急入院したが、3月には退院され、今はお元気にしているそうだ。

 

紹介されている75軒は、どこも世話になった店、人々だという。このコロナ禍にあえて本書を出版することになったのは、無事に退院し、今は元気にしていますから、という御礼の手紙替わり、とのことだ。

きっかけは、ある鮨屋の閉店

何十年も前に訪ねた折のご主人、飲み交わした酒、出された肴の味覚がよみがえって来る。私はこれまで、そういう店や、懇意にした人々の話を、仕事の文章の中に具体的に書くことをして来なかった。と言うのは、私が書くことで思わぬ客がそこへ行き、迷惑になることがあると思っていたからである

(『作家の贅沢すぎる時間』から引用)

 

にもかかわらず、書く決心をしたのは、東京で40年来の付き合いのあった鮨屋から閉店の報せの葉書きが届いたのがきっかけだった。もしかすると、他の店々も同じような事情をかかえているのではないかと思いはじめ、店や主人、女将の話を具体的に書けば、一人でも多くの人が訪ねてくれ、役に立つのではないかと考えを変えたのだという。

 

また、佳い店ほど、美味い店ほど、主人は気難しいのが相場である。そういう店が大半である。とも伊集院氏は記している。

 

「味よりも人」

伊集院氏が青森に行けば必ず立ち寄るのが『天ふじ』という鮨屋。

 

鮨としては、北ではピカ一だと思っている。勢いのある鮨である。勿論、ネタも豊富で、主人の目が利くから美味この上ない。酒も絶品が揃えてある。私はカウンターの隅で、肴と酒をやる。『天ふじ』を訪ねると、いつも驚くのは、北の漁場で獲れる食材の多さである。

(『作家の贅沢すぎる時間』から引用)

 

この店は伊集院氏が競輪を打ちに行った際、連日通った店だそうだ。ある日、準決勝前にオケラになり、鮨代だけは残っていたのでカウンターに座った。元気のない彼に店の主人は「そうか。じゃ今夜はしこたま飲んでうちの座敷で寝て、それで帰りゃいいよ」と言われ、その言葉に甘えることになった。翌朝、目を覚ますと枕元に一見の客で知り合って数日の青二才に渡すような金額ではない封筒が置かれていたのだという。伊集院氏は、その金を握って競輪場へ走り、結局はまたオケラになったそうだが、店との付き合いはそこからはじまることになったという。

 

本書の帯には、こんな一文もある。

 

−−美味い、不味いじゃない。行き着くところは「味より人」である。−−

 

通い続けて30年の店

寒くなると誰もが食べたくなるのが、おでん。伊集院氏が30年近く通い続けているおでんの店は、銀座・数寄屋橋にある『おぐ羅』だ。ここのご主人は、かつてはノンプロ野球の名捕手だったそうだ。

 

おでんの味は関西風の薄味でタネは職人たちが早朝から下ごしらえをする。タネの中には季節のものが入り、ツブ貝、フキ、ぜんまい、イイダコ、マグロ……などたっぷり。また、定番の大根、豆腐もこの店ならではの味だという。

 

実は、この店、私の東京での帰る店であった。まだ若く、競輪にのめり込み、特別競輪に限らず、記念競輪、普通開催のS級戦にお目当ての選手が出走していると、すぐに飛んで行った。(中略)旅の大半は負け戦さである。ボストンバッグ一杯に金を詰め込んで、帰って来るぞと出発した青二才は、いつも肩を落として、テーブルの隅でひとり酒を飲んだ。そんな時、今は亡き女将さんが、「伊集院さん、それだけ遊んで無事に帰って来られたんだから、それだけで十分じゃない。はい、オヤジからですよ」と好物の豆腐を出してくれた。しみじみ有難いと思った。

(『作家の贅沢すぎる時間』から引用)

 

この店に、伊集院氏が松井秀喜さんや武豊さんを連れていった際のエピソードもあり、読み応えがある。

 

その人らしい店

奇妙なものだが、この人には人生の肝心を見習うべきでは、と思った人に連れられて、飲み屋なり、食事を出す店に行くと、まず、その人らしい店だナ、と思う店に連れて行かれるものだ。

(『作家の贅沢すぎる時間』から引用)

 

本書には、伊集院氏が連れて行かれた料理屋のエッセイも盛り込まれている。

 

今から20年前に、演出家の久世光彦さんと赤坂の小奇麗な鮨屋で会った際も、久世さんはこういう鮨屋が贔屓なのか、さすがだナと思った。と記している。また、阿佐田哲也こと色川武大さんに連れられて行った全国各地の競輪場がある街の店もしかりで、美味いものを出す店ばかりだったそうだ。

 

が、しかし、伊集院氏は、世話になっている人が案内してくれた店に、再び一人で行くことは絶対しないという。たとえその店が気に入っても、それをしないのが礼儀と思っているからだそうだ。

 

日本全国の馴染味の店

この本では、伊集院氏が出逢った店が75軒も紹介されて、巻末には住所、電話番号のリストもある。

 

札幌 『酒房 円か』(日本料理)

仙台 『地雷也』(炉端焼)

軽井沢 『加納』(寿司)

銀座 『鳥政』(焼き鳥)

横浜 『安記』(中華料理)

葉山 『ラ・マーレ』(フランス料理)

大阪 『すえひろ』(居酒屋)

京都 『やぐ羅』(蕎麦、うどん)

京都 『余志屋』(日本料理)

などなど。

 

今、コロナ禍で苦しんでいる飲食店が大半ではないだろうか。会食は避けなければならないが、感染対策を万全にした上で、ひとりで、いい店、美味い店を訪ねてみてはどうだろう。

 

【書籍紹介】

作家の贅沢すぎる時間−そこで出逢った店々と人々−

著者:伊集院 静
発行:双葉社

美味い、不味いじゃない。行き着くところは「味より人」である。執筆のあとに、旅した街で…作家の心と腹を満たした“馴染味の店”75軒を初公開。初の食エッセイ集!

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顔面蒼白、目まい、冷や汗、宇宙飛行士候補が課せられる過酷なテストとは?~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

 

宇宙飛行士になるという夢を掴むには?

こんにちは、卯月鮎です。誰もが子どものころ一度は憧れる職業といえば、宇宙飛行士ではないでしょうか。私も宇宙に行って、やりたいと思っていたことがふたつありました。ひとつは無重力空間でジュースの球を吸うこと。テレビの映像で液体が宙に丸く浮かんでいるのを見て、目を奪われました。「あのジュースはきっと最高に美味しいに違いない」、そう思ったのを覚えています。味は変わらないのに(笑)。

 

もうひとつは宇宙食。こちらも子供心に美味しそうに感じたんですよね。フリーズドライが多いので味は落ちるんでしょうけど……。飲んだり食べたりの興味ばかり(笑)。でも、憧れませんでしたか?

 

まあ、ぼんやりと「いいなあ」と思いつつも、宇宙飛行士はあくまで夢のまた夢。本気で目指すという人は少ないでしょう。今回の新書『宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶』(内山 崇・著/SBクリエイティブ)は、その夢を果敢に掴みにいった著者による選抜試験の記録。人生を賭けて一等星を追うことの素晴らしさと厳しさが伝わってきます。

 

 

著者の内山 崇さんは、少年のころからスペースシャトルに憧れ、宇宙飛行士になる夢を抱き続けてきました。石川島播磨重工業(現IHI)で日本が初めて手がける宇宙船「こうのとり」の開発を行うエンジニアとして働くなか、2008年にJAXAが実施した第5期宇宙飛行士選抜試験に応募し、10名のファイナリストに選ばれるも、惜しくも不合格……。その挑戦の過程と、後の葛藤までが活き活きとした文章で綴られています。

 

回転イスのテストは過酷すぎる!?

一番気になるのは具体的な試験内容。応募した963名から宇宙飛行士として選ばれるのはたった2~3名。本書の第4章では最終選抜試験の様子が克明に語られます。まずは試験初日の「平衡機能検査(回転イス)」。イスが回転するなか音声指示に従って数秒おきに頭を前後左右に倒すというもの。5分ごとにイスの回転速度は上がっていく。顔面から冷や汗が噴き出て、目まいが尋常ではない……。宇宙酔い対策としてこれにどれだけ耐えられるかが、宇宙飛行士には重要な資質だそうです。地味ながらキツすぎるテストです。

 

その後始まるのが「閉鎖環境試験」。筑波宇宙センターの隔離エリアで10人が1週間寝泊まりし、監視カメラのもとさまざまなタスクを課せられる……。まさに宇宙ステーションでの活動を模した試験。腕には「アクチグラフ」という腕時計状のものをつけて24時間活動状況をチェックされ、すべての発言が記録されます。

 

タスクの内容は、ディベートや全員で協力して会社を設立するゲーム、そして1日1時間千羽鶴を折るというもの(ノルマ付き)。私ならすぐキレて、鶴以外のものを折ってしまいそうです。

 

選ばれる者と選ばれない者では天地の差がある残酷な試験ではありますが、受験者同士の友情が育まれていく様子も描かれ心温まります。現在、内山さんは新たな夢として次世代宇宙船の開発に取り組んでいるとか。宇宙飛行士に興味がある人だけでなく、大きな目標を掲げる人にもオススメしたい一冊です。

 

【書籍紹介】

宇宙飛行士選抜試験
ファイナリストの消えない記憶

著者:内山崇
発行:SBクリエイティブ

宇宙飛行士選抜試験。日本で唯一、宇宙飛行士として生きる夢に挑戦できる場所。日本が有人宇宙開発分野で世界に名乗りを上げた2008年、JAXAは10年振りとなる5回目の宇宙飛行士募集に踏み切った。応募総数は史上最多の963名。このものがたりは、スペースシャトルにあこがれて宇宙エンジニアになった著者が、「宇宙飛行士」になるために全身全霊を傾けて挑んだ10か月におよぶ選抜試験への挑戦と、その後の12年の葛藤を描いたものである。

 

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

人生に絶望した時は、すぐに「立ち直ろう」としない! 絶望との上手な付き合い方とは?−−『絶望読書』

あなたは「絶望」を体験したことがありますか?

 

突然目の前が真っ暗に感じてしまうような出来事や、終わりが見えない経験、大切なナニカを失ってしまったこと、自分ではどうにもできないことなど、大なり小なり経験したことがあるという人はいるはず。

 

一概に「これが絶望です!」とは言えないし、人によって絶望の度合いは違うと思いますが、できれば経験したくないことですよね。そんな予告なしにやってくる「絶望」とどう向き合うのか、そして絶望がやってきた時に支えになるのはどんなことなのか? そんな知りたいような……知りたくないことが書かれた『絶望読書』(頭木弘樹・著/飛鳥新社・刊)をご紹介します。

 

絶望には「読書」がいい?

『絶望読書』というタイトルから、「そんな本、わざわざ読まなくても……」と言われてしまいそうですが、この本は絶望するために読む本でも、絶望から立ち直るノウハウが書かれた本でもなく、「絶望の期間の過ごし方」が書かれた一冊。サブタイトルにも「〜苦悩の時期、私を救った本〜」とあったので、「よし、これを読んで暗い気持ちになることはないんだな!」と読み始めたのでした。

 

自分の人生を振り返ってみても「絶望した」なんて経験は正直ありません。しかし、自分の大切な人が絶望していた時に何もできず、なんと声をかけたらいいのか、何をすれば喜んでくれるのか、どうしたら前を向けるのか、次に進めるのか、と勝手に色々とやってしまった経験があります。ポジティブ人間な私は、大切な人が絶望している時、「なんとかなるさ! ハハハ!」なんて明るく振る舞ってしまったり、「元気だそぉー!」なんて励ましたりしちゃったのですが、『絶望読書』の著者である頭木さんによると、絶望している時には、共感できる絶望の本や映画との出会いが心を救ってくれるとのこと。

 

絶望したときには、まず絶望の本がいいのです。

明るい、ポジティブな本がダメというわけでは、もちろんありません。

ただ、それは立ち直りの段階に入ってから、はじめて心に届いて、励みとなるものなのです。

まだ「絶望の期間」にあるときには、まぶしすぎて、かえって悲しくなり、心の負担となりかねません。

 (『絶望読書』より引用)

 

著者の頭木さん、どうしてこんなことを言えるのか? というと、青春真っ只中の大学3年生の時に難病にかかり、そこから13年間の闘病生活をされています。「もう病気は治りません」と医師から言われ、まさに絶望を味わった方なのです。そんな頭木さんが、そんな時期どんな言葉に救われたかというと絶望名人とも呼ばれているカフカの言葉だったそう。

 

そんな経験も踏まえて書かれているので、元気な方はもちろん、今まさに絶望を味わっているという方にも手に取ってもらえる一冊ではないかと思います。

 

なんでもかんでも読んでもいいわけではない

『絶望読書』は、大きく二部構成になっていて、第一部では『絶望の「時」をどう過ごすのか?』を、頭木さんの経験から「絶望」を紐解く内容になっています。私は「絶望ってなんですか?」という図太い人間なので「こんな感情なのか」と新しい視点を知り、過去にしてしまった自分の行いを反省し、いつか来るかもしれない絶望の正体を知ることができました。今、絶望真っ最中という方は、「こんなにも気持ちを理解してくれる本はなかった!」と感じられると思うので、一部だけでも読んでみるのをおすすめします。

 

第二部では『さまざまな絶望に、それぞれの物語を!』と、太宰治、カフカ、ドストエフスキーの小説、ドラマや映画さらには落語などの絶望の種類に合わせて、さまざまなコンテンツが紹介されています。読書じゃなくても寄り添ってくれる物語を紹介してくれているので、活字を読めるメンタルではない時や、動画をみたい時にも対応できます。

 

さらに番外編として、「絶望しているときに読んではいけない本」として、イタリアの作家ディーノ・ブッツァーティ『七階』という短編小説が紹介されています。「絶望していない人はぜひ」とのことだったので試しに読んでみたところ、世にも奇妙な物語に出てきそうなお話で、読了後5分くらい何もできなくなりました(笑)。本当に心から元気なときに読むことをおすすめします!

 

絶望からすぐに立ち直ることが正解じゃない

絶望していると、そこから立ち直らなくては! とか、少しでも前向きにならなくては! と思ってしまう人が多いかもしれませんが、焦る必要はないそうです。著者の頭木さんは、「最後に」でこのような言葉を残しています。

 

立ち直りの道がまったく見あたらず、閉じ込められた洞窟で、どこからもわずかな光さえさしてこなくて、どちらに進んでみればいいかもわからないような心境にあるかもしれません。

でも、肝心なのは立ち直りの道を早く見つけることではありません。そこをどうかあせらないでください。

肝心なのは、本書の中でも何度も書きましたが、「絶望の期間」をいかに過ごすかということです。

「絶望読書」は必ずあなたの力となるはずです。

 (『絶望読書』より引用)

 

『絶望読書』を読み終わって「いつ絶望と遭遇するかわからない」という前提で生きていなかったなぁと気がつきました。なるべく避けたい、絶望とは無縁だ! と思っていても予告なしでやってくるのが絶望です。そんな時に寄り添ってくれるような絶望の物語(本や映画や音楽など)を自分の中にストックしているかどうかで、乗り越えられることもあるかもしれないと感じました。

 

辛いことがあっても前を向いて立ち向かう、ポジティブに生きることが正解で、ネガティブな考えはNGだよ! とされてしまっている今の世の中で、このことを知っているかどうかは生きていく上で大事だと思うのです。絶望なんてないわ! と、心では泣きながら生きている方は、背負ってきたいろんなものをおろして、一度「絶望」と向き合ってみるのはいかがでしょうか?

 

【書籍紹介】

絶望読書

著者:頭木弘樹
発行:飛鳥新社

悲しいときには、悲しい曲を。絶望したときには、絶望読書を。

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「バカ」な考えや振る舞いから抜け出す方法−−『すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』

信じられない。スーパーコンピューター富岳の飛沫拡散シミュレーションをはじめとする科学的エビデンスが次々と提出され続けている今も、マスク不要論を主張する人たちがいる。アメリカでは“憲法で保証された権利”まで持ち出し、マスクをしないことの正当性を攻撃的なやり方でアピールするグループもいまだに存在する。本当に信じられない。

 

過ぎたるは……

一方、OCD(強迫性障害)めいた一面がある筆者の行動様式は正反対。外に出たらマスクは可能な限り着けたままでいることはもちろん、10分に1回くらい除菌スプレーで手指を消毒する。マスク着用も、手指をまめに消毒する行いも間違ってはいないはずだ。ただ、やりすぎと感じる人がいることはわかっている。周囲に対しても自分とまったく同じようにふるまうことを期待すれば、問題が起きることもわかっている。だから筆者は、自分が設定した基準は自分だけにとどめることを絶対のルールにしている。

 

マスク不要論者と筆者、それぞれの行動の属性は正反対だが、根源はよく似た種類の極端さなのではないか。こうしたものが生まれる第一の原因は、人それぞれの独自のバイアスだろう。それに加わるのが、ある意味微視的な思考回路だ。思い込みや妄信という言葉で置き換えることもできるかもしれない。

 

あなたの周りのバカな人たち

すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』(安達裕哉・著/日本実業出版社・刊)は、誰の中にもあり、程度の差こそあれ誰でも陥りがちなバイアスとの向き合い方について記された本だ。「はじめに」の文章から紹介する。

 

仕事をしていると、少なからず「こいつ、バカだなぁ」と感じることがあるでしょう。

・人の話を聞かない上司

・仕事をしない同僚

・アドバイスを聞かない後輩

・無茶な要求を出す取引先

こうした状況は、職場を憂鬱にし、仕事を退屈な苦行に変えてしまいます。

『すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』より引用

 

バカな人たちの生息域は職場に限らない。日々の生活のありとあらゆるシーンに現れる。

 

与えられた情報に対する姿勢

バカとはどういうことなのか。本書でも触れられているが、養老孟司氏の『バカの壁』では〈「バカ」というのは「与えられた情報に対する姿勢」の問題である〉と定義されている。そして安達氏は、自分が知りたくないことに対して自主的に情報を遮断してしまう姿勢が「バカの壁」なのだと語る。これに気づいた後、安達氏は言葉を交わす相手の真意を必ず確かめるようになった。

 

「聞くこと」「話を吟味すること」が「バカ」から抜け出す最もよい方法だと思ったからです。すると、あらゆる人は「自分の見えている世界の中では合理的な選択をしている」ことがわかってきました。「バカ」は人の属性ではなく、考え方の属性なのです。

『すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』より引用

 

存在しているのはバカな人たちではなく、特定の状況下でズレが感じられるバカな考え方や振る舞いなのだ。原因がわかっているなら、相手がどんな人でもある程度までは理解できるようになる。知的であるためには、まず向き合うべきものをしっかりと把握する、つまりまず相手を「受けとめる」ことが必要だ。

 

知的な関係性を築くために

章立てを見てみよう。

 

第1章 すぐに決めつける、耳をふさぐ「バカな振る舞い」
第2章 「なぜ、バカな振る舞いをしてしまうのか」を行動経済学・心理学から見る
第3章 どうすれば、「バカな振る舞い」をやめることができるのか?

 

三段論法的なわかりやすい流れで話が進んでいく。実例を通してバカな振る舞いをカタログ化し、原因を内側から考察し、それを避けるための具体的な方法を示していく。筆者は自分のことを決して切れ者とは思わない。でも、それと同時に一定水準のインテリジェンスを有している人間であると信じたい。まずは、バカな考えや振る舞いが頭をもたげる瞬間は誰にでも訪れるという事実を認めることが、知的な自分というものへ近づく最初の一歩となるようだ。

 

時々見える自分の姿

バカな考えや振る舞いに踊らされることなく、周囲の人たちにとっても知的な存在であるためにどうしたらよいのか。目的を達成するためのヒントとして、第1章の冒頭で紹介されている最初のサンプル「わかりたくない人」の定義を記しておく。

 

つまり、自分の既成概念を優先し、事実を受け止めることができない。これが「わかりたくない人」だ

 『すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』より引用

 

さまざまな方向と深度でバカな考えや振る舞いに関する考察が展開されていく。唖然としたのは、自分としか思えない誰かがときどき登場することだ。「決めつける」と「受けとめる」という行いを通して自分を客観視するための、とてもよいきっかけとなりそうな一冊。

 

 

【書籍紹介】

すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人

著者: 安達裕哉
発行:実業之日本社

自分が絶対に正解と思っている人には要注意!! 行動経済学、心理学をもとにした「バカな振る舞いをする人」の傾向と対策&自分がそうならないための方法。

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「芸人よ、ピュアであれ」世間とのズレを感じる芸人・ふかわりょうの生き方−−『世の中と足並みがそろわない』

一言ネタでブレイクし、その後リアクション芸人の道を歩みながら、DJや文筆業、MCなどで活躍中の芸人、ふかわりょう。慶応大学出身で音楽に精通しており、自らもピアノやギターを演奏するなど、かなりマルチな才能を発揮している人物だ。

 

「あるあるネタ」の草分け的存在

デビュー当時は、長髪に白いヘアバンドをして、音楽に合わせて踊りながらぼそぼそっとしゃべる「小心者克服講座」という、シュールな芸風がウリだった。

 

「おまえんち割り箸も洗うの?」
「おまえんちの階段、急だな」
「消しゴムの角使ったくらいで怒るなよ」

 

など、地味に相手にダメージを与える一言がおもしろかった。当時、「あるあるネタ」という概念がなかったため、かなり新鮮だった記憶がある。

 

フジテレビをCXと呼ぶ若手は売れない

そんなふかわりょうの著作が『世の中と足並みがそろわない』(ふかわりょう・著/新潮社・刊)だ。本書は、彼が常日頃抱いている「世間とのズレ」について書かれたエッセイだ。たとえば、テレビ局や地名を略すことに対して、ふかわは違和感を抱いているという。

 

逆に、駆け出しの若手が「フジテレビ」を「CX」と呼んだり、「ケツがあるので」などと発していると、そういう、形式に憧れている奴はきっと売れないだろう、と心の中で査定していきます。

(『世の中と足並みがそろわない』より引用)

 

これはなんとなくわかる。僕も編集プロダクションでアルバイトを始めたときに感じた。初稿(原稿を入れた後に紙面と同じ体裁で出されるチェック用の刷りだし)を業界では「ゲラ」と呼ぶのだが、僕はなぜ初稿がゲラなのかわからなかったので、ずっと初稿と呼んでいた。なんとなく、自分で意味がわからない言葉は使いたくなかったのだ。でも、ふかわが世間とズレていると感じている違和感は、こんなものではなかった。

 

スマホを割れたまま使うのは女性のほうが多い理由

基本的に、ふかわ自身の思い込みと偏見から起こっている違和感なのだが、その違和感について彼なりにきちんと分析されていて、それが割と的を射ている感じがする。

 

たとえば、スマホの画面が割れているのは女性のほうが多いという持論を展開している部分。統計などはないため、あくまでもふかわ個人のなかでそう思っているということなのだが、そう思う理由がなんとなく納得できるものなのだ。

 

ひとつが、メカニカルなものに対するリスペクトが男性に比べてないため、割れてしまっても放置してしまうというもの。そしてもうひとつの理由が以下だ。

 

女性の場合、たとえ画面が割れてしまっても、「うわ、最悪!」と発したら、それで終了するものもあると思います。(中略)仮に男性が「うわ、最悪!」と言ったとしても、それは、修理に至るまでの未来へ向けて発したものであるのに対し、女性のそれは割れてしまったこと自体への言葉。なんならそれで修理したことになってしまう。

(『世の中と足並みがそろわない』より引用)

 

つまり、困っている状況を解決することよりも、その状況を他人と共有することに価値を置いているというのだ。

 

女性の全員がそうだとは思わないが、なんとなく当たっているような気がしないでもない。たとえば女性に悩み事を相談された場合、解決策を提示してもあまりいい顔をされず、ただうんうんとうなずいているだけのほうが喜ばれたりする。

 

スマホの画面が割れても、それを見せることで共感を得られれば、女性は満足するものなのかも知れない。そう思った。

 

芸人よ、ピュアであれ

ふかわの芸人論も興味深い。ふかわは「芸人よ、ピュアであれ」と説く。一昔前は「芸人よ、不幸であれ」と言われていたようだが、近年は不幸話はあまり喜ばれない。しかし、幸せでもいけない。

 

我々は「笑い」を生まないと己の生きる価値がないと思ってしまう人種。些細なことに気を留め、誰よりも傷つきやすく、感動しやすい。

(『世の中と足並みがそろわない』より引用)

 

今は破天荒な芸人というのはあまりいない。どちらかというと「常識」がある芸人のほうが受けている。酔っ払って狼藉を働いたり、闇営業なんてもってのほかだ。

 

つまり、平凡な生活のなかから笑いを生み出していく必要がある。そこでふかわは「ピュア」な心を持ち続けることこそ、今の芸人に必要なことだと言っているのだ。

 

確かに、最近僕が好きな芸人たちは、普段から仲良しで、その様子をYouTubeなどで配信していたりする。爆発的におもしろい笑いが生まれるわけではないが、緩やかな日常のなかで、ゆったりとした笑いがある。自然体でお笑いと向き合い、日常のささいなことを笑いに変える。そんな芸人が増えていると思うし、気になってしまう。

 

僕が一般的なお笑い好きだとは思っていないが(わけのわからないことを延々やり続ける芸人も大好き)、やはりお笑いに対してピュアな気持ちを持った芸人は応援したくなる。

 

世間とのズレを感じている人にオススメしたい

先日、とある女性芸人コンビのYouTube番組にふかわが登場し、売れるためには何が必要かを語っていた。その一言一言が優しさとユーモアに溢れていて、ふかわりょうという人間性がうかがえた。

 

その番組内で「名前のない月を見ろ」とアドバイスをしていた。満月のときはみんな月を見るが、それ以外の名前のない月(実際には名前はあるのだが)こそ見るべきだというのだ。誰もが見えているのに見ていないもの。そのような視点で世間を観察していたからこそ、ふかわは一言ネタ、あるあるネタというジャンルを作ることができたのだろう。

 

本書はふかわの思い込みと偏見に溢れているが、ふかわりょうという芸人そのものがわかる良書。ちょっと他人とズレているかもしれないと感じている人がいたら、読んでみると共感できることがあるのではないだろか。

 

【書籍紹介】

世の中と足並みがそろわない

著者:ふかわりょう
発行:新潮社

スマホ画面が割れたままの女性、「ポスト出川」から舵を切った30歳、どうしても略せない言葉、アイスランドで感じる死生観、タモリさんからの突然の電話……。どこにも馴染めない、何にも染まれない。世の中との隔たりと向き合う “隔たリスト”ふかわりょうの、ちょっと歪で愉快なエッセイ集。その隙間は、この本が埋めます。

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あなたには人生をかけられる”推し”がいますか? 最年少三島賞作家による話題作『推し、燃ゆ』

推しが燃えた。

 

この上なく現代風で、かつインパクト大な一文から始まる『推し、燃ゆ』(宇佐見りん・著/河出書房新社・刊)は、いろいろな意味で私の心を鷲掴みした。

 

いつごろからだろうか、「推し」というワードが一般化してきたのは。推しとは、自分が応援しているアイドルやタレント、アニメやゲームのキャラクターのことだ。相手が二次元、三次元問わず使われる言葉である。

 

推しは自分の背骨である。

『推し、燃ゆ』の主人公・あかりは、周りの人が難なくこなしていることがうまくできず、生きづらさを感じている女子高生だ。学校でも家でもバイト先でも思うように立ち回れず、部屋も片付けられない、忘れてはいけないことを忘れてしまう、漢字や数式もなかなか覚えられない。学校の保健室で病院の受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた。

 

そんなあかりは、アイドルグループのメンバー・上野真幸に出会い、心血を注いで推している。自分の背骨だと感じるくらい我が身の一部である推し。人生をかけて推しを推す。推しがいるから、この生きづらくマイナスばかり感じる人生が、少しだけプラスに転じる。

 

ある日、推しがファンを殴り、瞬く間に炎上した――というストーリー。冒頭の「推しが燃えた」である。

 

二度読んでみて、感じた想い。

この小説を、私はまるっと二度読み直した。一度目は、とにかく衝撃的すぎた。あかりが抱えるまるで靄がかかったような世界が、表現のひとつひとつが、なんだか生々しくてリアルで、でもちっとも共感できなくて、読んでいて苦しかった。読み終わってからも、モヤモヤしていた。

 

でも、もう一度読んでみようと思った。すると、一読目はあかりの苦しい想いばかりが目に入ったが、二度目は苦しみだけではない、さまざまな表現や描写がすっと入り込んできたから不思議だ。

 

筆者の宇佐見りんさんは、今年三島由紀夫賞を史上最年少で受賞した21歳。彼女の二作目が、この『推し、燃ゆ』である。

 

中高生のころからSNSが生活に浸透し、当たり前のように使ってきた宇佐見さんだからこそ描ける、現代の光と闇なのか。そりゃ、20歳も年が離れた私にとっては、共感できないことが多くても仕方がないのかもしれない。ちょっと遠くまで来すぎた。

 

推しの推し方は十人十色。

一方で、推し活に関しては、ほぼ共感しかなかった。もちろん、推しに対する考え方は人それぞれだ。作中にも、こんな表記がある。

 

アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人、お金を使うことに集中する人、ファン同士の交流が好きな人。

あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。

(『推し、燃ゆ』より引用)

 

あかりは、特に推しからの見返りを求めない。別に親しくなりたいわけじゃない。ただただ、推しが発する世界を感じ、理解することを喜びに感じている。一方通行だからこそ、推しから与えてもらえるものが大きい。

 

しかし、あかりの友人・成美は違う。あわよくば推しと繋がりたい。交流を持ちたいがゆえに、有名なアイドルグループから触れ合える地下アイドルへ、”推し変”した。

 

かくいう私にも、かつて激アツな推しがいた。まだ推しというワードがなかったころの話だ。推しは尊い。推しがいるから、毎日頑張れる。そんなふうに思いながら、青春時代を過ごしていた。

 

応援の仕方こそ違えども、いつの時代も、推しは生きる活力になるのだ。

 

いま推しがいる人も、いない人も。若き作家の重すぎるほどの熱量を感じてみてはいかがだろうか。

 

 

【書籍紹介】

推し、燃ゆ。

著者:宇佐見りん
発行:河出書房新社

推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。

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第二ボタンの代わりにもらうのは○○!? 女子校の秘密に迫る一冊~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

辛酸なめ子さんが女子校の魅力を語る!

ゴールドカードが必須の空港ラウンジ、一見さんお断りの料亭……。ふらっと行っても立ち入り不可の場所は5割増しくらいで興味がそそられますよね。雑誌の袋とじだって、ページが閉じられているだけでつい上から覗きたくなりますから(笑)。

 

大概そういう場所はお金を積めば入れるものですが、学生時代にひとたびチャンスを逃してしまうともはやフィクションの世界となってしまうのが女子校。身近なのにもっともヴェールに包まれた場所と言えるのではないでしょうか。

 

今回の『女子校礼賛』(辛酸なめ子・著/中央公論新社・刊)は、女子校の謎と不思議に迫る新書。少子化やジェンダーの問題も絡んで、今後女子校は減ることはあっても増えることはなさそうです。女子校にはどんな校則や行事があって、生徒がどのように過ごしているのか。あれやこれや気になることばかり。

 

著者は人気コラムニスト・漫画家の辛酸なめ子さん。自身も名門の女子学院出身で、以前その経験から『女子校育ち』という新書も著しています。

 

今回も第一章では自身の体験談が盛り込まれ、後ろの席の子が社長の娘でお手伝いさんもいて格差を感じたこと、お互いの個性を認め合うためいじめがなく平和に過ごせたこと、先輩に憧れて手紙を書いたこと……といった思い出が語られています。

 

第二ボタンの代わりは靴ひも!?

第二章「女子校の知られざる真実」では、有名女子校の出身者たちが驚きのエピソードを明かしてくれます。女子御三家の一角・雙葉(ふたば)は、憧れの先輩にもらうアイテムがなんと靴ひもだとか! 「第二ボタン的なイメージ」というその靴ひもをもらいに行くときのドキドキ感は告白にも似ているそうです。

 

また、お嬢様学校として名高い日本女子大学附属高校は、実は私服OKの自由な校風。授業中にカルボナーラで早弁、お昼休みにピザのデリバリー……!? 慶應女子の出身者もピザのデリバリーを頼んでいたそうで、「女子校」「自由」「お金持ち」の3つの条件が重なると「教室ピザ」が成立するのかもしれません(笑)。

 

全3章立ての最後は「女子校潜入記」。学習院女子中・高等科の科長(校長)先生へのインタビューや、最難関女子校として知られる桜陰学園の非公開の歓迎会への潜入など、貴重なレポートとなっています。ちなみに私が一番気になったのは、学習院女子の「ごきげんよう弁当」というお弁当(予約制・450円)の存在。味は書かれてませんでしたが、上品なお味なんでしょうね。

 

本書は女子校を極端に好奇の目で見ておらず、清潔感もあって、さらりと女子校の特徴がわかるのが良さ。受け継がれてきた伝統や校風にも焦点が当たっているので、日常とは少し距離のある異世界ファンタジー的な雰囲気も感じられます。お子さんを女子校に入れたいと思っている親御さんにも向いている本ではないでしょうか。

 

【書籍紹介】

女子校礼讃

著者:辛酸なめ子
発行:中央公論新社

辛酸なめ子が、女子校の謎とその魅力にせまる!女子校育ちは「あるある」と頷き、受験生とその親はモチベーションがアップする、ポジティブな一冊。卒業生・在校生へのインタビューや、文化祭等への潜入記も充実。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

歴史小説家が選ぶ! 日本人なら知っておきたい「忠臣蔵」の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「忠臣蔵」。かつての冬の代名詞であり、今でも12月14日の討ち入りの日には四十七士の墓がある泉岳寺には多くの人が訪れます。そんな「忠臣蔵」谷津さんはどんな5冊を選ぶのか?

 

【過去の記事はコチラ

 


 

「ここのところ、忠臣蔵が忘れ去られつつある」

 

歴史、時代小説家が集まると口の端に上るのが、この話題である。歴史小説は、二次創作物的な側面もある。商業で歴史小説を書く際にはネタの面白さやテーマ性なども勘案されるが、扱う事件や人物の知名度がものをいう。それがため、信長、秀吉、家康の三英傑に近い人物を描いた歴史小説が書店さんに溢れているわけである。

 

昔、忠臣蔵は戦国三英傑、新撰組などと並ぶ、歴史創作のドル箱ジャンルだった。それどころか、かつての日本では、クリスマスと並ぶ師走の風物詩だったのである。ところが今はどうだろう。数年に一回、映画が封切られたり地上波でドラマが放送されるのがせいぜいといったところだ。もちろん、マスメディアの動向だけで文化を論じるべきではないが、マスメディアは今日においても国民的な知名度を形作っている。

 

その結果、「吉良上野介って誰ですか?」という三十代の声に際してしまい、「ああ、これじゃ企画が通らないや」と歴史小説家が肩を落とすことになるのである。だが、あえて言いたい。

 

忠臣蔵は面白い。

 

江戸城松之廊下(本当に松之廊下が現場だったかは議論の余地があるようだが)で白昼起こった浅野内匠頭による刃傷事件。喧嘩両成敗が武士の祖法にもかかわらず、もう一方の吉良上野介にはなんのお咎めもなかった。これを不服とした浅野家家臣による吉良邸討ち入り。冷静に見ればとんでもない話であるが、江戸時代、近現代に至るまで、日本の人々にある種のエモさを与えてきたことは否定できない。

 

というわけで、今回は復権を祈っての「忠臣蔵」選書である。

 

昭和の国民作家の「忠臣蔵」

 

まずご紹介するのは新編忠臣蔵(一・二) (吉川英治・著/KADOKAWA・刊) である。言わずとしれた昭和の国民作家による忠臣蔵作品である。さて、皆さんは吉川英治にどういう印象をお持ちだろうか。戦前から戦後にかけて活躍した作家ということもあって、読みづらいんじゃないかとお思いの方もいらっしゃるのでは? しかし安心してほしい。吉川英治作品は時々難しい言葉が出てくるが、少し読むうちに慣れてくる。それどころか、独特の躍動感、リズム感が文体に存在し、結局はするすると読むことができるはずである。

 

そして、最初に紹介する作品でありながら、本作、かなり『仮名手本忠臣蔵』の印象を躱している作品である。一般的なイメージでは意地悪な老人として描かれる吉良上野介の名君としての面を取り上げたり、ただの復仇譚ではない陰影を、様々な視点から複眼的に浮かび上がらせていることに特徴がある。

 

また、この作品は戦中期に描かれた作品であるため、皇室の描き方にも特徴がある。どう特徴があるのかと言えば……ここは皆さんの楽しみのために取っておこう。

 

吉良視点で描かれた「忠臣蔵」

 

次にご紹介するのは、吉良忠臣蔵 (森村誠一・著/KADOKAWA・刊) である。

 

忠臣蔵ものは大抵、討ち入り側、すなわち浅野家臣団から描かれることが多い。その方が知られたエピソードも多いからである。だが本作は従来の図式である浅野方――善玉、吉良方――悪玉の図式を逆転させたところに新しさがある。その結果何が起こったか。浅野方、吉良方、さらにはある第三勢力による三つ巴の謀略戦が始まるのである! そしてその結果、従来の忠臣蔵作品においてはちょい役、斬られ役にすぎなかった人物たちが躍動感を持って動き始め、それぞれのドラマが展開し始める。群像の人となりや立場、人としての懊悩が鮮やかに描かれてゆき、破局(討ち入り)に向かって収束していく様には舌を巻くよりほかない。

 

忠臣蔵のストーリーと第一級のエンターテイメントが両立した、とんでもない作品である。

 

お金から見た「忠臣蔵」

 

お次に紹介するのは、「忠臣蔵」の決算書 (山本博文・著/新潮社・刊)である。2019年封切り映画『決算! 忠臣蔵』の原作といえばピンとくる方も多いかもしれない。

 

本書は忠臣蔵(正確には忠臣蔵の元ネタとなったいわゆる赤穂事件)に迫った歴史系一般書籍であるが、その観点が面白い。史料『預置候金銀請払帳』という、浅野方の頭領だった大石内蔵助の会計報告書がある。これを縦横に用い、討ち入り方の苦闘を浮かび上がらせている。

 

わたしたち現代人は、浅野内匠頭切腹から二年弱で吉良邸討ち入りが行なわれたことを知っている(あるいはご存じなくとも調べることができる)。そのためにその歴史的な行動が必然のことのように思われるが、討ち入りに至った人々はそれぞれに人生があり、それぞれ飯を食ってどこかに泊まり、銭を払っていた――つまりは生活を営んでいたのである。本書は芝居の登場人物のようにさえ思える四十七士を、経済というアングルを導入することにより、実在の人間としての横顔を浮かび上がらせることに成功したといえるのである。

 

吉良は影武者だった!? 奇想で描く「忠臣蔵」

 

続いてはこちら。『身代わり忠臣蔵』(土橋章宏・著/幻冬舎・刊)。『超高速! 参勤交代』などのユーモア時代小説で知られる作家の忠臣蔵ものであるからして、当然ただの忠臣蔵ではない。本書を他の忠臣蔵ものと差別化しているものは、「吉良上野介は松之廊下事件で死に、それからの上野介は別人の影武者だった」という奇想である。また、この影武者もいい。影武者を吉良上野介の弟にして放蕩者であった破戒僧・孝証(ちなみにこの人物の来歴はほぼ知られていないが、実在の人物である)としたことで、お話に膨らみが生まれ、出会うはずのない人物との出逢いや、起こるはずのない出来事が出来する。

 

本作の面白さは、従来の忠臣蔵からたった一人、重要人物をすげ替えたことにより発生する意外性にこそある。忠臣蔵のストーリーなのに、まるでわたしたちの知らないストーリーが用意されている。その大胆な換骨奪胎に、ぜひ驚いて頂きたい。

 

『仮名手本忠臣蔵』をモチーフにした本格ミステリー

最後はこちら。『仮名手本殺人事件』 (稲羽白菟・著/ 原書房・刊)である。本書は、史実の赤穂事件ではなく、芝居である『仮名手本忠臣蔵』をモチーフにしたミステリー小説である。

 

時は現代、衆人環視の中、血を吐いて倒れた人間国宝の歌舞伎役者の死を受け、劇評家の海神惣右介、冨澤弦二郎の二人が独自に捜査を始めるところから話が始まる。本作のミステリー的な工夫は、謎の提示と解決の鮮やかさである。一つの謎が解決したかと思ったらさらに謎が深まっていき……という具合に、読者をどんどん深みに引きずり込んでいく。それだけに、解決編の満足度も高い。

 

そうしたミステリーとしての面白さとは別に、本書は『仮名手本忠臣蔵』、そして赤穂事件のガイドブックとしても楽しめる。どうしても歌舞伎の演目というと二の足を踏まれる向きもあろうかと思うが、本作ではそうした読者がいることも想定し、作中、無理なく『仮名手本忠臣蔵』と事件としての赤穂事件の違いについても丁寧に語られている。そして、物語の『仮名手本忠臣蔵』と史実の赤穂事件、この虚実のあわいが本作の肝なのだが……。ネタバレはここまでにしよう。

 

忠臣蔵が忘れ去られようとしているのに対し、それでもいいじゃないか、というご意見もある。封建的な内容が現代にそぐわない、とのことだが、わたしはそのご意見には与しない。

 

忠臣蔵は、理不尽に際した人々の物語である。理不尽を前に意志を通したり、通せなかったり、逃げ出してしまったり、仲間を裏切ってしまったり、ドンキホーテ的な行動に意気を感じて協力したりする。忠臣蔵に出てくる登場人物たちは、常に理不尽と戦っているのである。

 

わたしたち人間が理不尽のない世界を実現しない限り、忠臣蔵は古びない。これが、忠臣蔵に対するわたしのざっとした思いなのだが、これをお読みの皆様、いかがなものであろうか。

 

【過去の記事はコチラ

 

【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)

もう動画を観ることに飽きた。そんなあなたに−−『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』

withコロナが続くこのごろ。周囲からは「もう動画を観るのも飽きてしまった」「家の中でどう過ごしたらいいのかわからなくなってしまった」などという声も聞こえてきます。けれどせっかくなら、その時間を自分のために有意義に使いたくありませんか?

 

 

タイトル買いしてしまう本

「ジャケ買い」という言葉があります。表紙にひとめ惚れし、中を読まないまま衝動的に購入することをいいます。それと似た言葉で「タイトル買い」もあり、本のタイトルにシビれ、どんな内容のものかもわからないまま購入してしまうことがそれです。今回取り上げる『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン・著/サンマーク出版・刊)もそうです。

 

何かを始めたい人たち

この本は2001年に出版されたものですが、根強い人気で、続編も2冊出ています。なにしろタイトルがパワーワードすぎるのです。タイトルだけで、励まされ、癒されてしまう人もきっといるはずです。

 

家にこもりがちで、時間ならたくさんあるという人が多いのではないでしょうか。今ならば、ずっとやりたかったことができるかもしれない。そう感じている人もいます。動画鑑賞するだけの日常に飽き飽きした人の中には、前から興味を持っていた語学の学習や楽器練習を始める人が出てきました。

 

検索すると、動画サイトには語学や楽器のレクチャーコンテンツがたくさんあり、自分で何かをしたくなった時の強い味方になってくれます。その途端、今まで観ているだけだった動画サイトは、無料の学習ツールに変化するのです。

 

ずっとやりたかったこと探し

やりたいことがある人は、動画を検索すればそれに関連する情報を得ることができます。しかし「自分のやりたいこととはなんだろう?」と言うところで止まってしまう人がいます。いざ自由時間を与えられると、自由慣れしていないため、何をしていいのかわからず戸惑ってしまうのです。

 

この本は、そんな人たちのための自分探し本です。12週間にわたってこちらに様々な質問が投げかけられる仕組みになっており、やりたいこと探しを手伝ってくれるのです。いろいろなワークが収録されていますが、その中でも特に評判がいいのが「モーニング・ページ」というものです。

 

自分と対話できるモーニング・ページ

「モーニング・ページ」とは、朝に何かを書くということではありません。毎日、ノートに3ページずつ、何かを書くことです。何を書いてもよく、何も思い浮かばないときは、「何も思い浮かばない」と書けばいいのだそうです。

 

この作業をすることにより、自分に向けられる批判的な考えから離れ、創造に没頭できるようになるのだとか。実際、何年も前に筆者も試したことがありますが、子育て中だったので、まず子どものことを案じ、それから今日は天気がいいから洗濯しなくてはなどと家事が気になり、それらを書きました。そしてたくさんの雑念が自分を覆っていることに気づいたのです。

 

夢をかなえる3ページ

3ページも自分の思いを綴ることは、慣れていない人には大変かもしれません。けれど書き続けることによってクリエイティブな部分が刺激されるのか、それを続けた人のなかには、詩を書くようになったり作曲をするようになる人が続出したそうです。そして、前からやりたかったことを思い出した人もいました。

 

ノートに向かう集中した時間は、自分自身との深い対話をもたらすのかもしれません。本書では、モーニング・ページは「内的な世界へ入っていく通路」であり「自分の内部の知恵の源」とつながるものだと説明されています。雑念を払った先には、自分の純粋な気持ちや、ずっとやりたかったことが現れるのかもしれません。

 

【書籍紹介】

 

ずっとやりたかったことを、やりなさい。

著者:ジュリア・キャメロン
発行:サンマーク出版

毎日の繰り返しに、埋もれた自分。そろそろ起こしてみませんか?忘れた夢を取り戻す12週間の旅。

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彼の「服」は女性を武装させる美しすぎる甲冑なのか?−−『VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン』

初対面の人に会うのが苦手だというヒトは多い。私もそのひとりだ。とりわけ、これから仕事でお世話になる方に会うときは、緊張のあまり心も体もガチガチになる。担当編集者もずっと同じ人でいて欲しいし、大学病院のお医者さまが変わるのも嫌でたまらない。

 

 

圧倒される美しいデザイン

私はそれを情けないと思っていた。「新しい部署に移ると新しい仲間ができて楽しいじゃない」と、明るく言う人に会うたびに私は駄目だなと思っていた。

 

ところが、あるときを境に初対面の人に会うのを乗り越えられるようになった。それはアレキサンダー・マックイーンというデザイナーを知ったからだ。

 

彼の服を着ると、なぜか勇気がわいてきて、何とかなると思えるのだ。マックイーンの洋服は高価で、バーゲンを待たなければ買うことはできない。けれども、「今日は勝負!」という日にはマックイーンの服を着る。すると、その日の仕事はうまくいくのだ。

 

なぜだろう。不思議である。その理由を知りたくて『VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン』(クロエ・フォックス・著/ガイアブックス・刊)を手に取るや、最初のページで圧倒され、あまりの美しさに息をのんだ。それは、2009年のコレクションで発表されたミニドレスだ。ラクラン・ベイリー撮影の写真だが、洋服がモデルの肉体に吸い付いて一体化し、ホログラムのように浮き出て見える。足元をかすかなオレンジ色の光が横切り、女神が降臨したかのようだ。

 

アレキサンダー・マックイーンというヒト

アレキサンダー・マックイーンは、ロンドンの下町で生まれた。父親はロンドンタクシーの運転手で、マックイーンもロンドンの地理には詳しかった。ファッションには縁がない環境で育った彼だが、子どものころから洋服に興味を持ち、16歳で学校を辞めると、サヴィル・ロウにある王室御用達の有名テーラーで見習いとして働き始めた。その後、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインの修士コースを卒業し、デザイナーとしての才能を開花させていく。

 

VOGUEの有名エディターであったイザベラ・ブロウは、マックイーンの卒業作品をすべて買い取るほどの惚れ込みようだった。洋服を知り尽くしているイザベラでさえ、度肝を抜くようなマックイーンの服。『VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン』には、ため息が出るほど美しく、目を見張るほど大胆な洋服が溢れている。

 

時に、大胆すぎると非難を受けた彼の洋服だが、実は、伝統的なシルエットに裏打ちされたものだった。背広のテーラーで腕を磨いただけあって、基礎がしっかりしていた。デビューから4年後、パリのジバンシーのデザイナーに抜擢されたのも、確かな技術を買われてのことだ。彼自身も言っている。

 

特定のシルエットか、裁断法を生み出せる唯一の人間になりたい。そうすれば私の死後でも、21世紀がアレキサンダー・マックイーンで始まったことが分かるだろう

(「VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン」より抜粋)

 

服が着る人を守る理由

マックイーンは天才であったが、同時に大変な努力家でもあった。一旦、洋服を作り始めると、その集中力たるや、一緒に働くスタッフも寄せ付けない激しさだった。とりわけ裁断の技術は抜きんでており、彼にしかできない方法で迷うことなく布を切った。

 

集中力を高めて静かにスタジオの床にしゃがみ込み、チョークを使って片手で輪郭を描き、数分で裁断を終えた

( 「VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン」より抜粋)

 

彼には彼だけがわかる世界があった。自分にしかできない仕事をする喜びにあふれてもいただろう。

 

マックイーンの洋服を身にまとうと、どこからともなく力が湧いてくる。それは服に守られていると感じるからに違いない。実際、彼自身も言っている。

 

私のデザインは女性を武装させていくようなものであり、衣服を纏うことの心理的側面を表している

(「VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン」より抜粋)

 

彼が武装するために服を作っていたのだとしたら、それはあまりに美しく、繊細な甲冑だったと言えるだろう。着ている者がそれが甲冑だと気づかないほどに……。

 

仕事に打ち込みすぎての死なのか?

好きなことを仕事にできる。これは素晴らしいことだ。しかし、多くの人に許されることではない。歌うのが好きだから歌手になりたいと思っても、望みを叶える人はほんの一握りだ。結局、人は食べていくために夢をあきらめ、生きていかねばならない。

 

マックイーンの場合は、好きなことを仕事にして、まっしぐらに突き進み、そして成功をおさめた。天賦の才があったとはいえ、多くの人に支えられて実現できたことだ。ファッションは一人だけでは仕事として成り立たない。

 

反対に、マックイーンには自分の洋服作りを支えるスタッフを養っていく義務があった。有名になるにつれ、会社の経営が両肩にのしかかり、単に服を作っていれば幸福な男の子ではいられなくなった。そうしたストレスが彼を蝕んだのだろうか。それとも、唯一、愛した女性である母が亡くなったことが、疲れ切った彼から最後の望みを奪う結果となったのか。

 

2010年2月10日、マックイーンは自ら命を絶った。まだ、40歳の若さだった。死の直前までコレクションの発表に向けて必死の努力を続けており、ファッションへの情熱を失っていたわけではなかった。

 

死の原因については、母の死の他にも、患っていたうつ病の悪化であるとか、ゲイであることの悩みとか、多くの理由が挙げられたが、はっきりしたことはわからないままだ。ただ、死について考え抜いていたデザイナーであったろう。

 

死について考えることは重要だ。それも人生の一部なのだから。悲しく憂鬱なことだが、同時にロマンティックでもある。死は1つのサイクルの最後であり、すべてのものに終わりがある

(「VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン」より抜粋)

 

マックイーン亡き後、跡をついだのはサラ・バートン。長年、マックイーンのもとで働き、マックイーンからすべてを学んだデザイナーだ。

 

死から10年が経った今もなお、マックイーンのデザインは受け継がれ、多くの人の心身を守る甲冑となっている。できれば、彼自身を守って欲しかったと思う。

 

 

【書籍紹介】

VOGUE ON アレキサンダー・マックイーン

著者:クロエ・フォックス
発行:ガイアブックス

現代のファッション界の天才を描く、エキサイティングな話題の新シリーズ。当時の一流フォトグラファー&イラストレーターによる『ヴォーグ』独自の作品コレクションと名高いファッションライターによる記述を典拠にした本文を組み合わせた、インターナショナルなファッションバイブル。偉大なデザイナーを知る資料としても理想の1冊。

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世界一幸せな国フィンランドに学ぶ、シンプルな働き方と生き方−−『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』

半年前は、コロナ禍によって自宅勤務が増え「慣れないテレワーク」なんて言葉がニュースで飛び交っていましたが、すっかりコロナ以前の働き方に戻ってしまったという人も多いのではないでしょうか? 逆にテレワークでの働き方にマッチして、郊外に引越したり、出社しない生活スタイルに変わった人もいると思います。

 

働き方やライフスタイルについて考える機会が多かった2020年。来年以降は自分らしい働き方、生き方をしたいと考えている方にオススメの一冊『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』(堀内 都喜子・著/ポプラ社・刊)をご紹介します。

フィンランドでは、どうして午後4時に仕事が終わるの?

フィンランドは、幸福度が3年連続世界1位、有休消化100%、在宅勤務はコロナ前から3割以上が当たり前、夏休みは1か月以上取得するなど、日本で働いている人からすると「どうやったらそんなことができるの?」と思うことばかり。著者の堀内さんは、フィンランド・ユヴァスキュラ大学大学院で修士号を取得し、現在はフィンランド大使館で広報をされている方。

 

『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』には、フィンランド在住時の友人との会話や、企業の取り組みなどが細かに書かれてあるため「あぁ〜本当にフィンランドってこんな国なんだ」ということがよくわかる一冊でした。本のタイトルになっている「午後4時に仕事が終わる」理由は、以下のように紹介されています。

 

フィンランドでは、8時から働き始める人が多く、16時を過ぎるころから一人、また一人と帰っていき、16時半をすぎるともうほとんどの人はいなくなる。

 (『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』より引用)

 

16時と聞くと「退社時間、はやっ!」と思ってしまいますが、しっかり8時間働いているんですよね。朝が早い背景には、北欧の白夜なども影響しているそうです。また法律で、1日8時間、週40時間以内の勤務時間は守りなさいと決められているのだとか。メディアなどで「フィンランドはすごい!」と断片的に取り上げられているので、「マネできないよ〜」と思ってしまうことがありますが、こうやって理由や背景を知ると、納得感を持って自分ごとに落とせるな〜と感じられました。

 

フィンランド流の「良い会議」とは?

さらに驚きなのが、有休消化100%で、夏休みも1か月取得しているフィンランドの一人当たりのGDPが日本の1.25倍ということっ! 人口が少ない国なので、輸出産業を高めないといけない背景もありますが、短い時間でしっかり成果を出せているのは国民性が影響しているかもしれませんね。

 

5年ほど前にフィンランドの有名企業さんが集まり、「良い会議」のための8つのルールが提案されたそうです。このルールは「とりあえず会議しようか」という日本企業とは真逆! オンライン・オフラインかかわらず、無駄な会議に悩んでいる方、必見です。

 

会議の前に:

1 会議の前に本当に必要な会議なのか、開催の是非を検討する。

2 もし必要なら、会議のタイプと、相応しい場所を考える。

3 出席者を絞る。

4 適切な準備をする。細かな準備が必要な時もあれば、そうでない時もある。議長は、参加者に事前に通知し、必要に応じて責任を割り当てる。

 

会議のはじめに:

5 会議のはじめに目標を確認。会議が終わった時にどんな結果が生まれるべきか。

6 会議の終了時間と議題、プロセスの確認。それがアイデア、ディスカッション、意思決定、コミュニケーションのどれであるかを参加者に知らせる。

 

会議中に:

7 会議の議論と決定に全員を巻き込む。一部が支配するのではなく、各自の多様性(外向的/内向的)を考慮に入れる。少人数、隣同士との議論を通じて意見を表明する機会なども作る。

 

会議の終わりに:

8 結果や、その役割分担をリストアップし明白にする。

 (『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』より引用)

 

もちろんフィンランド全国民がこれに沿って会議をしているわけではないそうですが、これだけ目的を持った会議をできているかな? と胸に手を当ててみると、見えてくることがあるのではないでしょうか。8つのルールはどれもシンプルですが、しっかり結論に導ける手順なので、使えそうな方はぜひ実践してみてください。

 

私は現在フリーランスなので、会議に参加する機会がめっきり少なくなりましたが、サラリーマン時代を思い出してみると、開催の是非を検討してよ! という会議はたくさんありました。

 

無駄な会議が多く悩んでいる方は、このページに付箋を貼って上司の机に『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』を置いておくことをおすすめします!(笑)

 

フィンランド人のようになりたい……

サウナが好きで、仕事のオンオフがはっきりしていて、言うことはちゃんと言うフィンランド人。この本を読んでいると、あぁ私もフィンランド人のようになりたいと思ってしまいます。特にこのエピソードは、素敵だなぁ〜と思ってしまいました。

 

以前、私が知人を亡くし、落ち込んでいた時、一緒に泣くでもなく、慰めの言葉をたくさん並べるわけでもなかったが、「それが人生」と冷静にひとこと言い、泣いている私を放っておいてくれた。最初は冷たいなと思ったが、そう言ったのは彼女だけではなかった。フィンランドの友人がみんな冷静に受け止めて「残念ね、お悔やみ申し上げます」に続いて「それが人生」と言い、過度に感情を表すわけでもなく、変に励ますのでもないのが、不思議であり、最終的には心地よくもあった。

 (『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』より引用)

 

「それが人生」ってめっちゃいい言葉!

 

日本で生きていると、共感することや同調することをどこかで強いられているように感じる時がありますが、「それが人生」の言葉で一歩歩み出せるようになりますよね。仕事で失敗したり、家族と喧嘩したり、自分が落ち込んでしまった時は心の中で「それが人生」と呟くようにしようと思いました。

 

これ以外にも、最近話題の「シス」の考え方や、仕事も人生も大切にするフィンランド流の生き方がさまざまな視点から紹介されています。来年以降の働き方を変えたいなと考えている方、ワークライフバランスを考え直したいという方、年末年始の読書のおともに『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』おすすめです!

 

 

【書籍紹介】

フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか

著者:堀内都喜子
発行:ポプラ社

ワークライフバランス世界1位! フィンランド流ゆとりのある生き方。フィンランド人は、仕事も、家庭も、趣味も、勉強も、なんにでも貪欲。でも、睡眠時間は平均7時間半以上。ヘルシンキは、ヨーロッパのシリコンバレーと呼ばれる一方で、2019年にワークライフバランス世界1位に。やりたいことはやる。でもゆとりのあるフィンランド流の働き方&生き方の秘訣を紐解きます。

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菊池雄星が絶賛! 野球好き、犬好きにはたまらない井上ひさしの隠れた名作が復刊−−野球盲導犬チビの告白』

井上ひさしさんがこの世を去ってから10年、大の野球ファンだった彼の名作がこの秋、文庫本で復刊した。

 

野球盲導犬チビの告白』(井上ひさし・著/実業之日本社・刊)は昭和54年のプロ野球界を舞台に描かれたフィクションだが、巨人の長嶋監督、王選手、江川選手、そして横浜大洋ホエールズの別当監督など、当時の野球界を牽引した人々が実名で登場する奇想に満ちた作品なのだ。

現在の野球界へのメッセージ

復刊した本書の帯には、現在シアトル・マリナーズで活躍中の菊池雄星選手の言葉でこうある。

 

「これは井上ひさしさんが残した野球界へのメッセージであり予言だ。」

 

菊池選手は、日本を代表する文豪の本であり、しかもはじめての本の解説に大きなプレッシャーを抱きつつページを開いたそうだ。しかし、読み始めて数ページでその不安は消えたという。

 

リズミカルでユーモアがあり、かつ優しい言葉で訴える井上節。著者の調べ上げた膨大な資料から来る根拠のある数字の数々。特に野球ボールの回転数や変化球に対する考察は、現代になって浸透してきたものであり、それを数十年前に文章として残していたことに驚いた。

(『野球盲導犬チビの告白』解説から引用)

 

また、菊池選手は著者が残したメッセージは現代に通じるものが多いと感じたそうだ。中でも一番大切なこととして、

 

「ここぞというときに腹の底から意見を言え。(中略)人々はおまえの意見をきくはずだ」

(『野球盲導犬チビの告白』から引用)

 

という一文が残ったという。顔も名前もわからないSNS上の匿名コメントが溢れる現在だが、それらは公衆トイレの落書きと同じだ、と。そして言葉はその人の人生に乗っかってこそ輝く、と菊池選手は結んでいる。

 

主人公は盲目の天才打者

さて、物語の主人公は盲目の天才打者・田中一郎と、彼の目となって活躍する雑種のチビだ。チビは、そもそもは千葉県習志野市の植木屋の飼い犬だった。が、プロ野球公式野球審判テストに落ちてばかりのその家の次男坊から虐待を受け続け、ある日、思いつめて出奔。行く当てもないまま彷徨っていると、照明灯も点いていない市川市営球場からシュッ、シュッという音が聞こえてきた。近づいていくと、そのシュッはボールが空気を切り裂きつつ飛来していく音だった。チビは野球審判員志願者の飼い犬だったから、野球に詳しいという設定だ。

 

チビは土手にのめり込んだボールを掘り出し、咥えて投手板まで運んでいった。

 

「おっ、市川にも利口な犬がいるぜ」投手板の男は市川在住の犬族が聞いたら腹を立てそうなことを言い頭を撫でてくれました。(中略)「野球を職業にしている人じゃないかな」という考えが浮かびましたが、ラーメンの匂いがぷんぷんしている。どうも正体が掴めない。(中略)打席の男は一米八十糎以上はありましたろう。(中略)この素晴らしい肉体の持主は盲目でした。ボールを打つ際、顔を伏せ、右耳を投手板に向けていたのは、目が不自由だったからなんですね。

(『野球盲導犬チビの告白』から引用)

 

これがチビと田中一郎、そして彼を育てた元野球選手でラーメン屋の店主・永井コーチとの出会いだった。物語は全編を通して犬のチビの目線で描かれているのがとても新鮮だ。

 

野球協約第83条とは?

訓練を重ね、十分にプロとしてやっていける実力を見につけた主人公はコーチとチビと共に入団テストを受けに行く。最初に多摩川の巨人軍グラウンドを訪ねたが、そこではテストさえ受けさせてもらえずけんもほろろに断られる。そして、ふたりと一匹は横浜大洋ホエールズの本拠地、横浜スタジアムに向かった。5分間だけほしいと永井コーチは別当監督を説得し、田中一郎は盲人であることを伏せたままバッターボックスに入った。打撃投手の投げたボールはすべてホームランで、しかも左右へと打ち分けられた。実力をしっかりと見せつけた後で、「田中一郎は盲人なのです」と打ち明けたのだ。

 

ぼくはうれしかった。だって別当監督がわが田中一郎さんを気に入ってくれていることが、その仕草や顔色からもはっきりわかりましたから。

(『野球盲導犬チビの告白』から引用)

 

問題は、野球協約第83条に触れるかどうか?

 

第八十三条 不適格選手。球団は左に揚げるものを支配下選手とすることはできない。

(1)医学上男子でないもの。

(2)不適当な身体または形態をもつもの。

(3)連盟会長が野球の権威と利益を確保するため不適当と認めたもの。

 

さらに、犬がグラウンドに入っていいのか? もネックになったが、永井コーチは啖呵を切った。

 

「ここに若者がひとりいる。そいつは野球の才能に恵まれ、自分でも野球で身を立てようとしている。ただしその若者が自分の実力を発揮するには犬コロが一匹必要だが、どうして犬コロを連れてグラウンドに出ちゃいけねえんだよ。その犬は野球を知っている。だからゲームの進行を妨げやしねえ。(中略)王 貞治に匹敵するような素質の持主が、どうして自分のなりたいものになれねえんだい。つまりあんたらは、盲人は野球をやっちゃいけねえといいてえんだな。」

(『野球盲導犬チビの告白』から引用)

 

こうしてチームは野球界に挑戦状を投げつけるべく、田中一郎と契約を交わすことになったのだ。

 

野球盲導犬が必要な理由

田中一郎は球場にすでにあるもの、ベースや投手板や内外野やフェンスなどにまごつくことはない。また、ボールをはじめ動くものに対しては、異常なほどに鋭い聴覚力や動物的な勘が働いて万全に、迅速に反応できる。

 

が、しかし、不意に置かれた動かないものに対しては即座の対応は不可能で、もしも、走るコース上にグラヴやヘルメットを置かれたら、踏んで転ぶ。それを防ぎ、助けるのがチビの役目なのだ。

 

チビはリードの端を主人のユニフォームのベルトに結わえつけられ、グラウンドに立つ。野球を知っているというチビが球種のサインを覗いたり、走者になったときは、牽制球への対処や盗塁の先導を、啼き分け、唸り分けでするシーンなどは、フィクションならではのおもしろさがある。

 

さて、デビュー後の田中一郎とチビの活躍はネタバレになってしまうので書けないが、とにかく痛快だ。

 

本書はすべての野球ファン、そして犬好きにもおすすめしたい。

 

【書籍紹介】

野球盲導犬チビの告白

著者:井上ひさし
発行:実業之日本社

盲目の天才打者、横浜大洋ホエールズの田中一郎選手。盲導犬に先導され、“耳”で球種を捉える驚異の打法で、昭和54年度は本塁打56本、打率4割7分4厘を記録。とくに対巨人戦での活躍はめざましかった。壮大な「予告ホームラン」でも物議をかもす田中の謎につつまれた生い立ち、球界が狼狽える様を、一匹の“野球盲導犬”が語る、奇想に満ちた物語。

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愛知のモーニング習慣を民俗学で謎解きするとその理由は!?~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

日常のブームを民俗学の視点で見ると?

民俗学というと、柳田国男の『遠野物語』を思い出します。私は学生時代、この序文に衝撃を受けました。

 

「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」

 

山村の奥には異界があり、それを語ることで文明に浸り切った都会人に衝撃を与える……。恐らく当時厨二病という言葉はなかったと思いますが、「平地人を戦慄せしめよ」が私の厨二心をいたくくすぐり(笑)、図書室で柳田国男を読みふけったのを覚えています。

とまあ、民俗学というと田舎の特殊な風習を分析するイメージがありますが、それを変えてくれるのが今回紹介する新書『みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?』(島村恭則・著/平凡社・刊)。

 

著者の島村恭則さんは民俗学者で関西学院大学教授。これまでに沖縄や韓国で民俗学の調査・研究を行ってきました。その見地から、私たちの日常を民俗学の視点で探る「現代民俗学」の講義をしています。

 

現代人が戦慄するような伝統だけでなく、ついやってしまう験担ぎも、地域で受け継がれるB級グルメも、ネットを騒がす謎のブームもすべて民俗学で考察できるというから新鮮です。

 

喫茶店のモーニング習慣が根付いた理由

第一章「知られざる『家庭の中のヴァナキュラー』」では、家庭内のルールが取り上げられています。親が言うことを聞かない子どもを脅かすときの「怖い人が来て連れて行かれちゃうよ」という言葉。これは山姥やナマハゲのような異界の存在が来る古来の民間伝承を下敷きに、親が化け物を創造している例で立派な民俗学の一種とか。

 

また、新品の靴を下ろすとき靴底をマーカーで汚したり、ライターで炙ったりするおまじないが幅広い地域で行われていますが、実はこのルーツには意外な日本の風習があり、新しい履き物が葬式を連想させるから……。いまだに現代人の心に影響を与えているのは驚きですね。

 

第四章「喫茶店モーニング習慣の謎」はミステリーを読んでいる感覚もあって、非常にワクワクしました。愛知県など中京圏で特に人気の喫茶店のモーニングにどんな意味があるのか。社会的・文化的な側面から追っていきます。

 

愛知県豊橋市や一宮市、さらにアジア各国の事例を挙げ、モーニング習慣を考察。すると朝食を外で取ることの納得の理由が浮かび上がってきます。単にどこかのお店が始めたサービスが当たったというだけでなく、歴史や環境に裏打ちされた人間の行動に基づいていたんですね。

 

「福島の円盤餃子」「別府の冷麺」といったB級グルメの由来、コロナ禍で話題のアマビエの民俗学的分析などキャッチーな話題が盛りだくさん。ブームや人気になっているものには必ず理由がある。その答えが見えて、なるほどと思わされる新書でした。

 

【書籍紹介】

みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?

著者:島村恭則
発行:平凡社

民俗学が田舎の風習を調べるだけの学問というのは誤解だ。キャンパスの七不思議やわが家のルール、喫茶店モーニングやB級グルメといった現代の日常も、民俗学の視点で探ることができる。本書ではこれらの身近なものをヴァナキュラーと呼んで〈現代民俗学〉の研究対象とした。発祥の経緯やその後の広がりを、数々のユニークなフィールドワークで明らかにする。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

覚えて損はない! あなたの文章の品格をアップさせる言い回し−−『美しい日本語選び辞典』

長年ライターをやっていると、どうしても自分の文章が凡庸に思えてくることがある。具体的なところでは、言い回しのバリエーションだ。

 

同じ意味のことを異なる言い方にすると、文章の雰囲気が変わるものだ。そのため、一時期は類語辞典などを片手に文章を書いていたこともある。しかし、ここ10年くらいはWebメディアでの執筆がメインになってきて、「難しい言葉を使っても伝わらないんじゃないか」という思いから、比較的優しい言葉を選んで使うようになった。

 

格調高い文章を書くための辞典

普段仕事をしているメディアでは、そういう原稿で問題ないのだが、たまに硬い文章を書く場合もある。そんなとき、いつものような柔らかめの文章ではちょっと心許ない。そこで手に取ったのが『美しい日本語選び辞典』(学研辞典編集部・編/学研プラス・刊)だ。

 

本書の前書きには以下のような記述がある。

 

本書は、格調高い文章を書きたい物書きのための辞典です。歴史物や近代文学の雰囲気を醸し出すのに使えることばを選んで収録しています。

『美しい日本語選び辞典』より引用

 

近代文学の雰囲気。いったいどんな言葉が並んでいるのだろうか。

 

文豪っぽいフレーズで文章の格式をアップ!

たとえば「タイミングを逃す」というフレーズ。これを文豪風に言い換えるとどうなるだろうか。本書で「遅い」という項目を見てみると、【機を失する】というフレーズが出てきた。確かに文豪っぽい。「黙る」というフレーズの言い回しには以下のようなものがある。

 

【暗黙裏】
【息の根を殺す】
【言わず語らず】
【言葉を詰まらせる】
【言葉を呑む】

 

もちろん、それぞれ微妙に意味は異なるので、文章によって使い分ける必要がある。しかし、「彼女は黙っていた」というより「彼女は言葉を呑んだ」と書いたほうが小説っぽくなる。日本語、深い。

 

本書を読んでいて気に入ったフレーズが、【慇懃(いんぎん)を通じる】というもの。意味は「男女がひそかに関係を結ぶ」だ。

 

「太郎と花子は、みんなに隠れて付き合っていた」と書くより「太郎と花子は慇懃を通じていた」と書くと、なんだか格式高い上に隠微な雰囲気もプラスされる。やはりボキャブラリーは重要だなと思う。

 

日常会話で使う場合は相手を選ぼう

仕事によっては小説っぽいテイストの原稿を書くことがある。そのときは、自分のボキャブラリーから小説っぽいフレーズを引っ張り出して書いたりしていたが、本書があればさらに文豪のような文章にすることができるかもしれない。

 

ただし、日常会話で使う場合は要注意。本書に出てくるフレーズは、基本的に文章、しかも小説などで使われるものなので、会話で使っても「?」と思われるだろう。言葉は、相手に通じなければ意味がない。相手がわかる言葉を選ぶというのも重要だ。

 

 

【書籍紹介】

美しい日本語選び辞典

著者:学研辞典編集部
発行:学研プラス

格調高い決まり文句を使いこなし、格好いい文章を書きたいときに開く本。近代以降の文学作品で用いられる慣用表現を精選し、用例を付した。小説,シナリオ,歌詞などの創作にもぴったり。薄い,軽い,小さいの三拍子で,いつでもどこでも使える。

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今からイメージしておく「老後のリアル」−−『ひとりで老いるということ』

最近「老い」を感じることが増えてきました。35歳なので先輩方からはまだまだ若い! と言われるのも承知ですが、5年前とは明らかに違う自分の心と体は、確実に老いているのだと実感する機会が増えています。

 

テレビでも「人生100年!」なんて高らかに言われちゃうもんだから、ここから40年、50年生きるとしたらどうなるんだろう?と考えることも増え、老いについてもっと知りたい! と『ひとりで老いるということ』(松原 惇子・著/SBクリエイティブ・刊)を手にしてみると、知らなかったことだらけで目からウロコがボロボロ落ちる衝撃を味わいました。

 

この『ひとりで老いるということ』には、著者の松原さんが自分より先輩の80代90代の方々に徹底取材を行った内容が書かれてあり、老後のリアルな生き方が紹介されています。

 

リアルな老後をイメージできますか?

著者の松原さんは1947年生まれで、おひとり様の方。これまでも『女が家を買うとき』や『老後はひとりがいちばん』など女性ひとりの生き方に関する著書を多く出版されています。私はこの『ひとりで老いるということ』で初めて出会ったのですが、のんべんだらりと生きてきた自分にグサグサと言葉が突き刺さり、「読みたくても読むのが…読み進めるのが怖い……」とビクビクしながら読みました。

 

どんな話が掲載されているかというと、子どものいない女性が親戚と養子縁組をした話、有料老人ホームで新しく恋人作ってラブラブな生活をしている話、90歳でも仕事をしている女性の話、詐欺に騙されてしまった人の話などなど。決して怖い話が載っているわけではないのですが、自分の想像を超えてくる内容ばかりなので、「老後のイメージがわかないなー」と思っている人には超おすすめです。また「はじめに」で、著者の松原さんはこんなことも語っています。

 

既婚未婚にかかわらず、子供がいるいないにかかわらず、人はひとり。オギャーと大きな声をあげて暗闇から外界に出てくるときはひとり。

そして、最期も、ひとりで外界に別れを告げ、暗闇の中に入っていく。

 (『ひとりで老いるということ』より引用)

 

「ひとりで老いる」というと、どうしても未婚だったり、パートナーに先立たれた「ひとり」を思い浮かべてしまいますが、どんな人でもみんな老いるも死ぬもひとりなのだと気付かされました。

 

老いが嫌だといっても抗えないし、死にたくないと思っていてもそれはいつかはやってくる……じゃあどんなシチュエーションであろうと「ひとり」でも大丈夫な力を、日ごろから養っていこうじゃないか!! 妙な気合いも入ってしまった言葉でした(笑)。

 

相続する人がいない場合、財産は国庫へ行くって本当?

私が読んでいて思わず「えっ!?」と、声をあげてしまった一節をご紹介しましょう。

 

ご存知だと思うが、親やきょうだいも子供もいないおひとりさまの場合、遺言書がないとすべての財産は国に没収されるからだ。

 (『ひとりで老いるということ』より引用)

 

ご存知じゃない!

 

そんなこと誰も教えてくれなかったじゃない〜! これを高校の授業で教えてくれていたら(もしかして教わっていたのでしょうか……汗)人生計画も色々と変わっていたかもしれないなぁ〜なんて思ってしまいました。

 

例えば私より先に旦那さんが亡くなって、私も死んでしまうと子どもがいないので、誰に相続するかを決めておかなければいけません。手元にあるお金を使い切って、0円でこの世を去れれば最高かもしれませんが、そんな計画的に人生を終えられるはずはない……ってなんとなくわかっていることですよね。遺言書なんていらないだろう〜くらいに思っていましたが、残る予定のある財産があるなら、知っている誰かにあげたいし、国に没収されるくらいなら、違うことに使いたいなぁ〜なんて考えさせられました。「ひとり」で老いていくと決心しても、難しい世の中の仕組みになっているんですねぇ。まだまだ勉強が必要ですね。

 

孤独を愛する力を持つ

切ない気持ちになってきたところで、もっと切なくなるようなことをお伝えしましょう。

 

誰もが、人間である以上、孤独だ。理由もなく寂しくなったり、電話が鳴らなくて寂しくなるとき、「自分はなんて孤独なのだろう」と、暗い気持ちになるものだ。まだ、生命体が若いときは、忙しさで紛らわすことができるが、老いが孤独を加速させる。何もしないでいたら、家から一歩も出ずに孤独地獄の中で息絶えることになりかねない。

 (『ひとりで老いるということ』より引用)

 

そんなの嫌だぁーー!!!!!!

 

しかし、読み進めていくと、松原さんはその「孤独」とどのように向き合うべきかのヒントも与えてくれます。

 

寂しいなあと言ってないで、感謝の言葉を使うようにしたら、力が湧くはずだ。ひとりを満喫している90歳の方は、毎晩寝る前に、自分の体の部位に手をあてて、「ありがとう、心臓さん」「ありがとう、膝さん」と感謝を捧げるそうだ。そうすると体が喜ぶのがわかり、明日も楽しく生きようと思うのだそうだ。皆さん、努力しているのだ。孤独を味方につける自分なりの言葉のマジックを持っているのだ。

 (『ひとりで老いるということ』より引用)

 

なるほど。「ひとり」=「孤独」と嘆いて悲しく切ない気持ちのままでいるのではなく、「ひとり」の時間を楽しめるような心がけが日ごろから大事ということなんですね。これは「老い」だけではなく、コロナ禍で自粛せざるを得ない状況の生き方にも通じるような気がします。この状況を苦しい、辛いという気持ちに押しつぶされて前に進めなくなってしまうのではなく、少しでも前向きになれるような気持ちを自分で作り出せるかが鍵のように感じました。

 

時間が止まらない限り、生まれた日から老いや死からは逃れられません。わかっていることを改めて知ることで、見えてくる新しいこともあるはずです。ヒントを探したい方は、ぜひ一度読んでみてください。きっと読んで良かったと思えることがあるはずです。

 

【書籍紹介】

ひとりで老いるということ

著者:松原惇子
発行:SBクリエイティブ

年老いた自分はどう生活しているのか? 夫(あるいは妻)に先立たれ、たったひとりで生活しているのか? それとも老夫婦二人で老々介護状態か? もしかしたらボケているかも? 生活費は足りてるのか? 体は不自由になっていないか? 未来の自分の姿を知るのはちょっと怖い。知れば知るほど、歳を重ねるのが嫌になるかもしれないし、知れば案外怖くなくなるかもしれない。そこで、SSSネットワーク(ひとりの老後を応援する会)代表の松原惇子さんは、「だったら未来の自分の姿を知ろうじゃないか」と思い立ちました。たくさんの90歳を取材して得た松原さんの結論は、「90歳の自分は、いまの自分の生き方で決まる」ということ。不安を吹き飛ばし、「いまを元気に生きよう!」と勇気をもらえる1冊。

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“新しい現実”の中で「仕事の本質」の本質を見極めよ−−『小さなチーム、大きな仕事』

『ハウス・オブ・カード』というアメリカの政治サスペンスドラマのファーストシーズンに、スマホで記事を書く記者たちが集まるオンライン新聞社が登場する。いわゆる“ノマドワーカー”だ。

 

 

“新しい日常”とリモートワーク

彼らの働き方はとても機動的。タクシーや地下鉄で移動しながら原稿を書き、編集部に送る。編集部といっても、インテリアも雰囲気も大きめのコーヒーショップのようなスペースだ。出社はするが、実際に編集部にいるのは全体会議の時だけ。それも床に丸くなって座って行う。あとは外に出っぱなしでひたすらネタを追い、記事にまとめて編集部に送る。打ち合わせはSNSでちゃっちゃとこなす。

 

日本では、今年の6月あたりから中古のオフィス家具がよく売れているらしい。リモートワーク人口が増え、新品で買えばかなりの値段になる高機能チェアが一番の売れ筋だという。また、東京駅まで電車で90分圏内の一戸建て住宅がよく売れ、少し前までは農地だった場所に多くの新築住宅が建つ光景が目立ってきているようだ。ノマドワーカー記者ほどではないものの、オフィスに縛られない働き方は着実に浸透しつつあるといえるだろう。

 

予言書的なビジネス書

小さなチーム、大きな仕事』(ジェイソン・フリード、デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン・著/早川書房・刊)が出版されたのは2016年。まったく新しいタイプの労働空間としてアメリカで定着していたコワーキングスペースが、日本に初めて登場した6年後のことだ。著者の二人は世界的なソフトウェア開発会社「ベースキャンプ」の創業者と開発者のコンビ。IT業界で成功するためには革新性が大切な要素となることは容易に想像できる。この本では、業界ならではの革新性を仕事のやり方からライフスタイルにまで広げて具現化していくプロセスが紹介される。

 

物理的な空間としてのオフィスを確保したり、長い時間働いたりすることが成功の絶対的な条件ではないと説くこの本には、予言書めいた響きを感じる。身軽な働き方を通して実現できることはたくさんあること、そうするためのアイデアが具体的な形で次々と示されていく。他者との接触に大きな制限がかかっている今、この本に書かれていることは、そのままリアルな仕事術になっていると言っても過言ではない。

 

“新しい現実”の中での仕事の本質

予言書めいた響きという表現をした。本書のこうした性質は、こちらも予言的な「新しい現実」というタイトルの章の冒頭部分にも垣間見ることができる。

 

いつもの仕事をしながらビジネスを始めることで、必要なキャッシュフローを得ることができる。オフィスすら必要ない。自宅でも働けるし、何千マイルも離れたところに住む、一度も会ったことのない人たちとコラボレートすることもできる。さあ、いまこそ仕事の本質を見つめなおすときだ。

       『小さなチーム、大きな仕事』より引用

 

この本の刊行当時、こうした働き方を実現できる人は圧倒的少数だったにちがいない。しかし今はどうだろう。中古の高機能オフィスチェアや郊外の一戸建て住宅の売れ行きが好調であることを考えても、自分の周囲を見回しても、個で働く場面は圧倒的に多くなっているはずだ。

 

説得力のあるケーススタディ集

「見直す」「先に進む」「生産性」「進化」「ダメージコントロール」といった日々の仕事内容を示す言葉をタイトルにした13の章から成るこの本の核となる部分は、次のような一文に表されている。

 

この本は学術的な理論ではなく、僕たちの経験をベースにしている。ビジネスに関わってきた一〇年の間に、二度の不況、バブルの崩壊、ビジネスモデルの変化、そして暗く縁起の悪い予測が到来しては去っていくのを経験したが、僕たちは利益をあげる企業であり続けた。

『小さなチーム、大きな仕事』より引用

 

ソフト会社の創設者と開発者という立場での体験がケーススタディ的な感覚で、説得力ある考察として示されていく。強めに言い切る文章も歯切れがよく、テンポの良い講演やプレゼンに参加している気になる。

 

ひらめいたらすぐに動こう

「最後に」で、インスピレーションに満ちた文章を見つけた。

 

何かしたいことがあれば、今しなければいけない。しばらく放っておいて二カ月後に取りかかるというわけにはいかない。「後でやる」とは言えない。「後で」ではそんなにやる気満々でもないだろう。

『小さなチーム、大きな仕事』より引用

 

今だからこそ実践すべきことではないだろうか。これまでとはまったく違う状況で生き、働かなければならない日々の中、何とも言えない閉塞感に息苦しくなる時がある。説明できない焦燥感や不安に駆られることもある。でも、そんな状況に置かれている今だからこそ、何かひらめいたらすぐに動くことが大切だ。逆説的に言うなら、アイデアを具体的な形にするための実行力さえ意識していれば、どんな状況にあっても時間や空間に縛られない働き方を実現できる。そういう気にさせてくれる一冊だ。

 

【書籍紹介】

小さなチーム、大きな仕事

著者: ジェイソン・フリード、デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン
発行:早川書房

ビジネスの常識なんてウソっぱちだ。会社を成功させるのに、事業拡大も、派手な広告も、会議も、徹夜も、長期計画も、オフィスも必要ない。少人数でシンプルに、臨機応変に−−自分流のやり方を作り上げながら僕たちは成長してきた。世界的ソフトウェア開発会社「37シグナルズ(現・ベースキャンプ)」の創業者と開発者が、成功をつかむための常識破りな手法を伝授する。いま、ビジネスに真に必要な考え方を示す必読の書。

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NEWS加藤シゲアキが描く世界観にのめり込み、激しく嫉妬した。3年ぶりの長編小説『オルタネート』

できるだけ作者に対する先入観とか肩書は取っ払って、本を読むようにしている。大御所の作家だから傑作揃いとも限らないし、無名の新人だから荒削りな作品ばかりでもない。

 

でも、どうしても、若干の色眼鏡で見てしまっていたため、いままで手に取れなかったのがNEWS加藤シゲアキさんの作品だ。既出の作品の評判はかねがね耳にしていたけれど、NEWSというアイドルグループのメンバーとして活躍している加藤さんの姿を見てきたが故に、小説を読んで勝手に落胆したくなかったのかもしれない。

 

しかし、そんな私の傲慢な心配など、まったくの杞憂に終わった。加藤さんの最新作『オルタネート』(新潮社・刊)は、控えめに言ってとても素晴らしかった。作品の世界観に没頭し、作者が誰であるかなどすっかり忘れてしまうほど、結末までのページを夢中でめくり続けた。読んでいる間、ずっと楽しかった。読後感もすこぶる良い。

 

現代の高校生を疑似体験できた感覚

「オルタネート」とは、作中で出てくる高校生限定で参加できるマッチングアプリ。気になる相手を「フロウ」し、承認されると「コネクト」となり、連絡がとりあえる。舞台は東京都内のとある高校。信者さながらオルタネートにハマっている者、オルタネートを意識的に避けている者、オルタネートをやりたくでもできない者という3人の若者がうねるような運命の道をたどったり、逸れたり、立ち止まったり、そして……。三者三様の高校時代を描いた物語である。

 

私自身の高校時代なんてもう20年以上も前のことで、あのころはまだポケベルからPHS、携帯へと移り変わる超過渡期だった。もしも、いまみたいなSNS全盛期の中で高校時代を過ごしていたらどうだっただろうか。

 

きっと、昔よりももっともっと、たくさんのことを考えて、気にして生きなくてはいけないだろう。でもその分、信じられないくらい楽しいことも山程あるだろう。そして、パートナーが欲しい、有名になりたい、誰かに認められたい、自分の居場所が欲しい……そんな根底にある気持ちは今も昔も変わらない。きっと。

 

『オルタネート』は、読んでいると自分が高校時代に戻った、いや『オルタネート』の世界観に入り込んだような感覚に陥った。ある意味、現代の高校生たちの生活を疑似体験できたような気分だ。

 

遺伝子情報で運命の相手を見つける現代

なんとも現代風だなと思ったのが、オルタネート内の機能「ジーンマッチ」だ。オルタネートに、自分のすべての情報を預ける。そうして集められた情報から相性の良い相手が割り出され、パーセンテージとともに表示されるというもの。

 

つまり、アプリが運命の相手を探し出してくれるのだ。そのためには、アプリを信用し、自分自身をさらけ出さなくてはいけないが。

 

登場人物の一人は、このジーンマッチを使って、運命の人を探し出すために動き出す。出会ったのは、本当に運命の相手なのか。それとも。ここから先は、ぜひ本作を読んで確かめて欲しい。

 

いずれ同じような機能がSNSに登場しそうだなと思って調べてみると、すでに現実世界でもDNAを解析して運命の人を探し出すマッチングアプリが存在するらしい。時代はどんどん進化し、どんどんデジタル化していく。

 

デジタル世界でも、生身の人間が感じることは普遍

けれど、デジタル中心の世の中でも、画面上のコミュニケーションがメインになっても、やはり生身の人間が感じるさまざまな感情は普遍だ。

 

どうしてこんなにも、ぎゅっと苦しくなったり、とろけるように喜んだり、自然と涙がこみ上げたり、そんな高校生たちのリアルな感情が描けるのだろうか。加藤シゲアキという一人の作家を尊敬し、嫉妬した。

 

ちなみに、あるインタビューを読んだとき、「(NEWSの)メンバーと別れた、苦しい、つらいという気持ちを小説にしようと思った」という想いを吐露していた加藤さん。そうか、NEWSというアイドルグループに属してたくさんの経験をしたからこそ、加藤さんを形成し、『オルタネート』という作品につながったのか。そう思うと、また感慨深い。

 

これまでの作品も読みたくなる、そしてこれからの作品が楽しみで仕方がない、そんな一人の作家に出会えてラッキーな2020年の冬である。

 

【書籍紹介】

オルタネート

著者:加藤シゲアキ
発行:新潮社

高校生限定のマッチングアプリ「オルタネート」が必須となった現代。東京のとある高校を舞台に、若者たちの運命が、鮮やかに加速していく。全国配信の料理コンテストで巻き起こった“悲劇”の後遺症に思い悩む蓉。母との軋轢により、“絶対真実の愛”を求め続ける「オルタネート」信奉者の凪津。高校を中退し、“亡霊の街”から逃れるように、音楽家の集うシェアハウスへと潜り込んだ尚志。恋とは、友情とは、家族とは。そして、人と“繋がる”とは何か。デジタルな世界と未分化な感情が織りなす物語の果てに、三人を待ち受ける未来とは一体ー。“あの頃”の煌めき、そして新たな旅立ちを端正かつエモーショナルな筆致で紡ぐ、新時代の青春小説。

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マッチングアプリの光と闇−−『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』

コロナ禍の出会いのひとつの形として、マッチングアプリが注目されています。そんななか、マッチングアプリで30人の男性と会い続けた女性の実話コミックエッセイ『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』(松本千秋・著/幻冬舎・刊)がドラマ化され話題となっています。けれど、そこにはマッチングアプリに潜む危険も描かれています。

 

すぐ会うというアメリカ型感覚に

以前、ニューヨークに暮らす女性が「アメリカではマッチングアプリで知り合った異性と、まず会うのだ」と聞かされて驚いたことがあります。実際に会わないと判断できないからなのだとか。日本人は平安の時代より文を何度かやり取りする文化があるからなのか、メッセージをしばらく交わし、相手を好ましく思えるようになってから会う人が多い気がしたからです。

 

けれど、最近は、日本人も知り合ってすぐに会うパターンが増えつつあります。それは「恋愛」や「結婚」に主眼を置かない「お友達作り」的なマッチングアプリにより、気軽に会う感覚が育ちつつあるからのようです。私の周囲でも「SNSで知り合った知らない人と会うのと同じ感覚だ」と話す人が出てきました。

 

相手は見ず知らずの人

『38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記』では、結婚はもういいと思っているバツイチアラフォー女性が、アプリで見つけたイケメンと次々会い続けます。知り合ってその日に会うこともあります。

 

友達を増やす感覚で約束しているとはいえ、会う相手は見ず知らずの異性であり、SNSのアカウントすらわからないのです。中には「あなたの家に行っていいか」と聞いてくる男性や、自宅を特定し、窓の外から呼びかける男性までいます。ストーカー化されたら怖いですが、名前も住所もわからないので、向こうがアプリを退会してしまったら、連絡の取りようがありません。

 

お互いのニーズが違うとトラブルに

本書にはこうしたアプリに登録している男性の9割が、肉体関係目当てだとも書かれています。しかも一晩だけの遊びの人も大勢いるようです。しかし女性は慎重なので、誰とでもすぐそういう関係を結べる人のほうが少ないでしょう。

 

男女の仲になるつもりでやってきた男性と、そうではなかった女性との間でトラブルが起きることもあります。本の中には、女性が住む駅まで送ってきて「終電がなくなったので泊めて欲しい」と切り出す男性が何人もいて、手首を掴まれ迫られるシーンもありました。

 

暴力を振るわれるリスクも

初対面では密室に行かなくても、会う回数を重ねれば個室でふたりきりになるケースも出てくるでしょう。本書では、男性に首を絞められるシーンまであり、アプリでの出会いにはかなりのリスクがある行為だということを読者は目の当たりにします。

 

とはいえ今や芸能人や政治家や起業家までもがマッチングアプリに登録し、気軽に誰かとつながろうとしている時代。今まで関わることがなかった世界の人とつながることができるワクワクももちろんありますが、リスクもあるということも把握したうえで慎重に行動したいものです。

 

出会い依存という苦しみ

世の中にはマッチングアプリに依存してしまう人がいます。著者も、30人以上の男性と次々に出会います。1日に3人をハシゴすることもあります。アプリを止めようとしても2週間で耐えきれなくなり、またインストールしてしまうのです。

 

誰かとすぐに会うことができるマッチングアプリは、満たされない思いを即日埋めることができてしまいます。様々な男性と予測できない展開を経験をするスリルに、自分がドラマの主人公になったかのように感じ、クセになってしまうものなのかもしれません。

 

とはいえこのマンガは2018年ごろのお話。現在はコロナ禍で、女性はなお一層用心深くなっているよう。以前からアプリを活用している男性が「コロナ禍以降、遊び目的の女性が激減した」ともぼやいていました。感染症予防のためにも、我が身を大切にする女性が増えることは、悪いことではないのではないでしょうか。

 

【書籍紹介】

38歳バツイチ独身女がマッチングアプリをやってみた結果日記

著者:松本千秋
発行:幻冬舎

cakesの大人気連載、待望の書籍化! 幻冬舎+テレビ東京+note「#コミックエッセイ大賞」第1回入賞作品。もうすぐ40歳、再婚する気まるでなし。イケメン沼にハマったチアキの実録恋愛ストーリー。

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賢く調味料を買いたいなら「裏」を吟味しましょう!--『裏を見て「おいしい」を買う習慣』

コロナの影響から自炊することも増え、「あぁ〜作りたくないなぁ」なんて日もありますが(笑)、気分が乗っている時は「少しでもうまいものを作りたい」という気持ちになる日ももちろんあります。

 

そんな時に行って欲しいスーパーが六本木ヒルズの中にある「グランドフードホール」、通称グラホです。土地柄、名前からして高そうな感じなのですが、以前『カンブリア宮殿(テレビ東京系)』でも取り上げられた人気の新しい形のスーパーなのです。今回はこのグラホを運営する岩城紀子さんの著書『裏を見て「おいしい」を買う習慣』(岩城紀子・著/主婦の友社・刊)をご紹介します。

※画像はイメージであり、グランドフードホールとは関係ありません

 

グラホってどんなところ?

兵庫県の芦屋と東京都の六本木にある「グランドフードホール」は、選りすぐりの調味料や商品が並ぶ、食のテーマパーク! イートインコーナーもあるので、グラホで買ったお惣菜をその場で食べることも可能(六本木はレストランになっているので、食事もできます)。私も『裏を見て「おいしい」を買う習慣』を読んでどうしても行きたくなり、六本木店にお邪魔してきたのですが、コンパクトな店内に見たことがない商品がみっちり並んでいて、気がつくと、味噌・キムチ・蜂蜜・ようかん……と次々カゴに入れていて、思いっきり買い物しちゃいました(笑)。ほとんど初めてみる商品ばかりが並んでいるのですが、一体どうやって選ばれているのでしょうか?

 

店頭に置けるものは、私の舌が「これが一番!」と確信したものだけです。だから1アイテムにつき、原則1銘柄しか店には置きません。「グラホ」なら、目をつぶって買ってもハズレがない」常連さんのこの言葉が私の誇りです。

 (『裏を見て「おいしい」を買う習慣』より引用)

 

岩城さんは、美味しさを追求する生産者さんに代わって販路拡大、商品開発を担いながら、食品会社のコンサルやバイヤー代行もされているため、全国2600社以上のメーカーと繋がっているというすごい方。『カンブリア宮殿』を見ていても「この人がうまいって言った商品なら絶対うまいでしょ!」と思うほど、日本一いろんな商品を食べている方だと感じました。

 

また、メーカーや価格に左右されず、本当に美味しいものだけを選ぶために「ブラインド」という、パッケージもメーカーもなしの状態で、社内試食会を行うルールもあるんだとか。そういった厳しい基準を乗り越えた商品だからこそ、目をつぶって買ってもハズレがないということなのでしょう。

 

とはいっても、食費にお金をかけられない!

買ってきた味噌もキムチも私の中の細胞さんが「うまいっす!」と言っているのを感じられたのですが、毎日六本木の「グラホ」で買い物できるようなセレブ生活は夢のまた夢……。確かにいいものが揃っているし、食べても美味しかったのですが、全ての食事を「グラホ」で揃えてしまっては、家計を圧迫してしまう……というのが正直なところ(涙)。

 

でも、ちょっとでも「おいしい」ものを買いたい! という方は、調味料から揃えていくのがおすすめなんだとか。

 

1本1000円のしょうゆは、確かに高いです。でも1000円のケーキセットを高いと思いますか。ケーキは1回で食べきってしまうけれど、1本のしょうゆは長く持ちます。その価値をどうとらえるか、ということです。

 (『裏を見て「おいしい」を買う習慣』より引用)

 

これは「ケーキよりしょうゆを買いましょう」とか「高い=いいもの」と言いたいのではなくて、いつも「なんとなく」で買ってしまっているしょうゆなどの調味料は、ちゃんと自分で選んで決めたものか? という問いなのです。

 

私なんかもスーパーで調味料を買う際、どうしても安いものから目にしてしまいます。買うときに、どうやって作られているのか? 原材料は何か? 添加物は入っていないか? なんてことは気にもしていませんでした。けれど、ケーキセットのケーキを選ぶ時ってめちゃくちゃ自分と相談するじゃないですか?(笑) それくらいのテンションでしょうゆも選べば、1000円だったとしても「全然モト取れますな。しかもおいしい!」となるはずです。『裏を見て「おいしい」を買う習慣』には、しょうゆだけではなく、砂糖、塩、みりんなど基本の調味料を買う際のポイントも紹介されているので、気になる方はぜひ読んでみてください!

 

買い物は「投票」

こうやって「しょうゆ」ひとつをこだわって選んでみると、次は豆腐、次は卵、次はお肉……と買い物で選ぶものが変わってきます。著者の岩城さんも、買い物は投票であると語ります。

 

買い物は投票です。日々の買い物は、「この店の味、この商品の味をまた食べたい」という思いを込めた一票なのです。その一票が、つぶれかかった良質な会社を救うことにもなりますし、粗悪な素材を添加物でごまかして安く販売している企業を応援することにもつながります。ブランドバッグのニセモノが作られるのは、ニセモノを買う人がいるからですよね。危険性のある添加物が入った食品も、求められるから作るのです。だれも買わなくなれば、メーカーも見直しを迫られます。

 (『裏を見て「おいしい」を買う習慣』より引用)

 

私も『裏を見て「おいしい」を買う習慣』を読んでから、必要な分だけを買うように意識できるようになり、家庭内の食品ロスも減らせるなぁ〜と感じられるようになりました。「美味しいうちに食べきりたい!」という意識も働くため、使い切れるようになったのです。

 

ついつい「安いもの」「長持ちするもの」「いっぱい入っているもの」を選びたくなりますが、それが逆に食品ロスにつながることもあるのではないかな? と感じます。誰に投票するか、調べながら買い物してみると買い物は楽しく、毎日の食卓はさらに美味しくなりますよ!

 

【書籍紹介】

裏を見て「おいしい」を買う習慣

著者:岩城紀子
発行:主婦の友社

小さなメーカーが作る「おいしい」は私たちが買わないと消えてしまう。日本の食の未来を明るくする買い方の啓蒙書。

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悲運のボクサーと名伯楽の絆は夢を追うあなたの励みになる−−『熾火』

人は自分の将来に夢を持ち、それに向かって突き進むものだろう。特に若いころは自分の未来は明るいと信じ、夢の実現のために、その身を捧げる。しかし、現実には夢を手にする者はごくわずか……。多くの人々が志半ばで挫折し、苦い思いをかみしめながら、それでも毎日を生きていかねばならない。

すべてに恵まれて

夢の実現をはばむもの……。それは、才能の欠如、良い指導者を得られなかったこと、さらには周囲の無理解、体力の限界、努力が足りないなど、様々な理由があるだろう。

 

しかし、豊かな才能を持ち、最高の指導者を得て、周囲のサポートも万全、本人も必死の努力を続けていても、夢をあきらめざるをえない場合もある。『熾火』(別府育郎・著/ベースボール・マガジン社・刊)は、そんなどうしようもない不運に見舞われた一人のボクサーと、彼を支えたトレーナーの人生を描いた物語だ。

 

主人公の名は田辺 清。今から60年前に、ローマオリンピックで銅メダルを獲得したボクサーだ。この時のメダルは、ボクシング界で日本人が初めて獲得したメダルとなった。栄光に輝いた田辺はまだ大学2年生の若さ……。伸びしろは十分で、当然プロ入りが期待された。しかし、彼はプロボクサーの道を選ばず、大学卒業後に新聞記者になった。両親が強く反対したため、逆らわなかったのだ。

 

たとえオリンピック・メダリストであっても、新聞記者としてはビギナーだ。最初からすべてがうまくいったわけではない。ストレス過多のため、胃けいれんで1週間入院したりもしている。しかし、持ち前の粘り強さを武器に努力を重ね、やがて一人前の記者として認められるようになっていった。しかし……。

 

夢は熾火のように

新聞記者としての生活を続けていた田辺だったが、次第にボクシングのチャンピオンになるという夢をあきらめることができない自分に気づいた。家族から再び反対を受けたが、今回は自分の道を行くと決断し、トレーニングを再開した。ブランクがあったにもかかわらず、その年の12月には早くもプロとしてのデビュー戦を行っている。

 

熾火のように静かに燃えていた夢は、とうとう現実のものとなったのだ。デビュー後、田辺は順調に勝ち進み、ひとつの引き分けを挟んで21連勝を重ねた。そして、とうとう世界タイトルに手が届くところまできた。夢は実現間近だった。

 

夢の実現に、助っ人現れる

幸運に恵まれ、田辺の夢を自分の夢として協力してくれる人物も現れた。名トレーナーとして名を馳せていたアメリカ人、エディ・タウンゼントの指導を受けることになったのだ。二人の初対面のシーンは、興味深い。ジムにふらりと現れたエディは、田辺にいきなりこう言った。

 

「タナーベ、背中、ゴミあるよ」

 

生涯を通じて、互いに深い愛情を持ち続けた二人の最初の会話である。エディは田辺のウィークポイントを「背中のゴミ」と表現した。自分では気づかないところをトレーナーとして指導しようという意味だ。

 

田辺も不思議な日本語の真意を理解した。そして、二人は世界チャンピオンに向けて一緒に走り出したのだ。

 

田辺vsアカバロ戦

エディの指導のもと、田辺は自分の弱点を見つめ直しハードな練習を続けた。その甲斐あって、ついに世界王者・アカバロと対戦するチャンスを得た。

 

アカバロは当時32歳。フライ級の絶対王者として君臨する存在だ。ノンタイトル戦とはいえ、ここを乗り切れば世界タイトルに挑戦できる。昭和42年2月20日、東京・水道橋の後楽園ホールが決戦の舞台となった。

 

田辺は1ラウンドから王者・アカバロを圧倒した。その後も順調に、田辺はパンチを繰り出し、試合をリードする。1ラウンドから3ランドまで、田辺のリードが続いた。4ラウンド、偶然のバッティングでアカバロの額が切れ、激しい出血となった。それでも、アカバロはあきらめず、試合を再開したものの、5ラウンドに入ると、アカバロの出血はひどくなっていた。そして、迎えた6ラウンドで再び偶然のバッティングがあり、結局、試合続行不可能との判断がくだされた。アカバロの出血はひどいものだった。

 

結果、田辺はTKOでアカバロに勝った。TKOとはいえ、完勝である。新聞社を辞めてまで挑戦したボクシングの世界で、いよいよチャンピオンになる一歩手前まできたのだ。次の試合は、アカバロを相手にアルゼンチンで行われることが決まった。

 

めぐってきたチャンスを前に田辺は奮い立った。世界王者のタイトルを奪取するという夢の実現のため、伊豆でキャンプを張り練習に打ち込んだ。

 

世界タイトルまであともう一歩。田辺は気力・体力共に充実していた。準備は万端だったのだ。ところが……。

 

残酷な試練

神様は時々、残酷なことをなさる。そんな、あんまりだというような悲劇が田辺を襲った。それも突然に。まるで襲いかかるように……。

 

キャンプの最終日、25日のことだ。

荷物の整理も済ませてホテルのロビーでくつろいでいた。部屋の隅には大きな水槽があり、金魚が泳いでいた。窓の外には、紺碧の空に富士山の雄姿がくっきりと輪郭を刻んでいた。裾野は緑のじゅうたんを敷き詰めたように萌え広がっていた。

そんなのどかな光景が一変した。

蝶々の羽根のような黒い影がパッと右目に咲いた。シャッターが下りるように視野が遮断され、灰色の世界がそこにあった。

(『熾火』より抜粋)

 

網膜剥離だ。当時のボクサーにとって、それは即引退を意味し、死刑宣告に等しい病気だった。それでも、田辺はあきらめずに手術を受け、つらい入院にも耐えた。

 

ボクサーとして復帰したいという願いを果たすため、必死の戦いを試みたのだ。今まで戦ってきたリングの上ではなくベッドの上での格闘となったが、何よりつらい試合だったろう。必死の努力の甲斐なく、視力は戻らなかった。手術は成功したものの、目の周囲に侵出物がたまり、視力を取り戻すことは出来なかったのだ。

 

田辺は無念さをかみしめながら、プロとして22戦21勝1引き分けの記録を残し、引退した。
無敗のままの引退となった。

 

マイベストボクサー

田辺のトレーナーであったエディ・タウンゼントは、その後もボクサーの指導を続け、多くの素晴らしいボクサーを育て上げた。藤 猛、カシアス内藤、ガッツ石松、柴田国明、村田英次郎、赤井英和、井岡弘樹など、そうそうたるメンバーが並ぶ。しかし、多くの有名ボクサーのトレーナーをつとめたエディ・タウンゼントが「マイベストボクサー」と呼んだのは、田辺 清だけだった。

 

エディは田辺の才能を誰よりも認めており、網膜剥離による引退に心を痛めていた。チャンピオンに手が届きながら、それを手放さざるを得なかった田辺は、その後の人生を数々の職を転々としながら生きていく。

 

『熾火』は、ボクシング・ファンはもちろん、ボクシングの試合を観たことがない人にも、深い思いを残す作品である。とりわけ、あなたが夢を追いながらも苦難の多い厳しい毎日を送っているとしたら、何よりの励ましとなるに違いない。

 

【書籍紹介】

熾火

著者:別府育郎
発行:ベースボール・マガジン社

田辺 清。ローマ五輪銅でボクシング界初の日本人メダリストとなり、プロ転向後は22戦21勝1分。世界王者アカバロとのタイトル戦を前に、網膜剥離で引退を余儀なくされた伝説のボクサーだ。彼と、短期間ながらトレーナーを務めたエディ・タウンゼントの出会いは、その後も様々な形で縁(えにし)となってつながり、今なお日本ボクシング界に脈づいているー無敗で引退した悲運のボクサーと名トレーナーの物語。

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「歴史」から教わるコロナ危機の乗り越え方━『コロナ時代の経済危機』

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。人の移動を完全に止めてしまえば感染者は激減するだろうが、それでは経済がどんどん冷え込み、失業者が街に溢れるようになってしまう。コロナ禍は私たちにさまざまな問題を投げかけている。

 

これから紹介する『コロナ時代の経済危機』(池上 彰+増田ユリヤ・著/ポプラ社・刊)は、たった今、不安に駆られ、生きるヒントを模索している人に向けた一冊だ。

 

復興へのヒントは歴史の中にある

本書は、わかりやすいニュース解説でおなじみの池上 彰氏、そして増田ユリヤさんという二人のジャーナリストのテレビでの対談をまとめたもの。危機の歴史を知ることで、いたずらに怖がらず、未来に備えようという主旨で話が進められている。

 

恐慌の歴史は、1927年の金融恐慌、1929年の世界恐慌、1930年の昭和恐慌、1939年の第二次世界大戦勃発、1973年のオイルショック、1991年のバブル崩壊、2008年のリーマンショック、そして今年2020年のコロナショックと続いている。それぞれの危機に於いて時のリーダーたちはどう発言してきたのかが、この本では詳しく解説されている。目次はこのようになっている。

 

第1章 世界恐慌からコロナショックを考える

第2章 ルーズベルトから学ぶ、危機への対策

第3章 日本は昭和恐慌にどう立ち向かったか

第4章 オイルショック、リーマン・ショックという苦い経験

第5章 危機の時代のリーダーとは

第6章 コロナ時代の新しい生活様式を考える

 

世界貿易の減少は、世界恐慌で起こったこと

今回の新型コロナウイルス拡大による経済への影響は「世界恐慌以来」などと表現されているが、”世界恐慌”とはどんなものだったのかをおさらいしておく必要がある。本書での解説を抜粋してみよう。

 

1920年代のアメリカは「永遠の繁栄」と呼ばれる時代だった。1918年に第一次世界大戦が終わり、世界経済が復調、安定してきていた。特にアメリカは本土の戦争被害がなかったため、輸出で多大な利益を得て世界経済はアメリカの一人勝ち状況にあった。人々は働いてお金を得るだけでなく、投資によってお金を儲けようという意識が芽生え、株への投資がブームになり、借金をしてまで株を買うようになった。当時のフーバー大統領は、そんなアメリカの状況を、「永遠の繁栄」と言っていた。しかし、ある日突然、それは破綻。1929年10月24日木曜日、株価の下落は恐怖に駆られた投資家たちの間に売りの嵐を呼び、結果、ニューヨークのウォール街にある証券取引所で株価の大暴落が起こった。この「暗黒の木曜日」を発端に、アメリカでは1933年までに6000あまりの銀行、9万もの企業が倒産して失業者が大量に発生してしまった。不況は世界へと広がり、1930年代の後半まで世界恐慌は続いたのだ。

『コロナ時代の経済危機』から引用

 

危機を救ったルーズベルト大統領の3Rとは?

世界恐慌の最中に大統領になったルーズベルトは第一期の就任演説でこう語った。「わたしたちが恐れるべきものは恐怖そのものです。(中略)幸福は単にお金を所有することではありません。達成したときの喜びに、創造的な努力をするときの感動にあるのが幸福です。はかない利益を追いかけまわすのではなく、働くことの喜びと道徳的な高揚感を決して忘れ去ってはなりません。こうした暗黒の日々が、教訓を学ぶ機会となるのなら無駄にはなりません」

 

ルーズベルトはすべての国民を仕事に就かせるために、ニューディール政策を打ち出した。その基本方針は3Rと呼ばれた、リリーフ(救済)、リカバリー(回復)、リフォーム(改革)だ。

 

池上 ニューディール政策は、ざっくりいうと経済復興と社会保障の増進の二本立てなんだよね。ルーズベルトの前のフーバー大統領が、世界恐慌に際してほとんど有効な策を打ち立てなかったのに対し、ルーズベルトはアメリカ連邦政府の権限を強化して、経済統制を積極的に行っていった。

(『コロナ時代の経済危機』から引用)

 

持たざる国が辿った歴史

世界恐慌では、資源や植民地を持っていない国、ドイツ、イタリア、そして日本が資源などを求めて近隣諸国への侵略を始めていった。

 

増田 それこそが、第二次世界大戦につながるわけですが、今はその歴史をしっかり踏まえ、どうすれば国際的に協調していけるか、検討していかなくてはいけません。

池上 今もコロナ禍によって、各国ともに自分たちの国の経済を守るため、また、マスクや医療品、ワクチンの開発など、自分の国を中心に対策を考えざるを得ないところがあります。どうしても内向きになりがちですが、これからどうやっていくか、ですよね。これを機に、今後の経済や国際協調のあり方をどうするか、模索が始まるでしょうね。

(『コロナ時代の経済危機』から引用)

 

人やモノの移動が制限された状況下だが、情報や物資を互いに補い合って、各国が協力していくことが必至。そのための新しい発想が求められているのが今なのだ。

 

国民に向けて語るリーダーの言葉

本書では危機を乗り切るためにはリーダーの発言、行動力がいかに大事かが繰り返し語られている。日本が昭和恐慌を脱出できたのには、高橋是清という財政のプロがいたことが詳しく解説されている。また、現在進行中のコロナショックでは、ドイツのメルケル首相が取り上げられている。2020年3月18日、メルケル首相はロックダウンするにあたり、国民にこう言った。

 

増田 メルケルさんの次に紹介する演説は感動的でした。「次の点はしかしぜひお伝えしたい。こうした制約は、渡航や移動の自由が苦難の末に勝ち取られた権利であるという経験をしてきた私のような人間にとり、絶対的な必要性がなければ正当化し得ないものなのです。民主主義においては、決して安易に決めてはならず、決めるものであればあくまでも一時的なものにとどめるべきです。しかし今は、命を救うためには避けられないことなのです」

(『コロナ時代の経済危機』から引用)

 

東ドイツで育ったメルケルさんが自らの体験を踏まえたこの発言は説得力があった。さらに、補償の問題にも触れ、経済に対する取り組みも行うことが同時に明言された。

 

この他にも、危機に直面したとき私たちはどうすればいいのか、本書を読むとそれが見えてくるだろう。

 

【書籍紹介】

コロナ時代の経済危機

著者: 池上 彰、増田ユリヤ
発行:ポプラ社

世界恐慌、オイルショック、リーマン・ショック、そして、コロナショック。歴史的な経済危機の時にリーダーたちがどう振る舞ったか、何を伝えたか、そして、どのような政策をとったかを検証することで、復興へのヒントを探る。危機の事態にどのような対応をするべきか、その答えはいつも歴史にある。

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「頑張らない、ガマンしない、人に頼る」心屋仁之助、最後の著書『ずるい生き方』はコロナ時代のニューノーマルな生き方だ!

私には尊敬する先輩がたくさんいるが、皆が口を揃えて言うのが「好きな人としか会わない」ということ。

 

人生の時間は限られているのに、なぜ一緒にいたくない人と過ごすの? 自分とは合わない人、苦手だと感じる人、むしろ嫌な思いをさせられている人と付き合うなんて、時間の無駄よ。そんなふうにサラッと言ってのける。

 

もっと突き詰めている人は、「仕事もプライベートも、楽しいことしかしない」と宣言し、実際好きなことだけをして、毎日が本当に楽しそうだ。

 

そんな人たちを見て、「いいなぁ。でも私には無理だなぁ」などと思っていた私が、先日吸い寄せられるように手にとった本が『ずるい生き方』(心屋仁之助・著/かんき出版・刊)だった。

 

心屋仁之助の集大成である『ずるい生き方』

『ずるい生き方』は、大人気カウンセラー心屋仁之助さんの最後の著書として、発売前から話題だった。そういえば、仁さんの著書は、過去に一度コラムで取り上げたことがある。いつも周りを気にして、ついつい頑張ってしまう人は、もう少し”いい加減”に生きてみよう、という本だった。

 

【関連記事】
“頑張れ!”や“ちゃんとしなきゃ”に疲れたら――2017年は「適当」で「いいかげん」に生きてみよう

 

そして今回の仁さん集大成である『ずるい生き方』は、「頑張らない、ガマンしない、人に頼る。好きなものだけ選んで生きていこう」、つまり、人から「ずるい!」と言われるような生き方をしよう!と提案している一冊だ。

 

目次をざっと見てみると、「好きなことだけしてイヤなことはしない」「自分ファーストで生きる」「頑張らなくてもお金をもらう」「できないことはやらなくていい」「他力に任せる」「嫌いなヤツの真似をする」「無責任に生きる」……あー、そんな人生だったら素敵だけど、真似したいけど、私には無理無理無理無理! という見出しばかり。

 

実は、すでにこの意識こそが自分自身を苦しめているということに、すべてのページを読み終わってから気づくこととなる。

 

「頑張る教」は、自分も周りも苦しめる!

頑張ることは素晴らしい。頑張って仕事をしたからこそ、良い結果に結びつく。頑張るは正義。最近でこそ、「そんなど根性精神は古い」と言われつつあるが、昭和な私にはまだまだそんな固定観念がはびこっている。

 

でもそれって、日本で一番怖くて、もっとも迷惑な「頑張る教」だよ? と仁さんはズバリ切り込んでくる。

 

「頑張る教」とは、日本人の多くが自然に入ってしまう宗教で、「頑張る」「ガマンする」「私がやる」を信条として「頑張らない」「ガマンしない」「人任せにする、迷惑をかける」ことを罪とする宗教です(笑)。

(『ずるい生き方』より引用)

 

つまり、「仕事も恋愛も子育ても、頑張って頑張って、他人の分までギリギリまでやってしまう」ことで、他人にも頑張ることを押し付けてしまう。勝手に頑張って、頑張っていない相手に勝手にイライラして。私ばっかり頑張ってるのに! と怒り心頭に発する、という負のスパイラルだと。

 

これはもう、まさに最近の私だ。仕事もして、家のこともして、子どものために習い事の送り迎えから何から何まで全部こなして。で、子どもたちは部屋を片付けもせず、のんきにYouTubeを見てる。なんでママばっかり頑張らなきゃいけないの? と涙すら出ていた。

 

この「頑張る教の熱狂的な信者状態」から抜け出すことこそ、「ずるい生き方」なのだと仁さんは語る。

 

打開策はズバリ、徹底して人に頼ること。だって、人に迷惑をかけまいと一人で全部こなそうと頑張っちゃってるということは、実は他人の力を信用していない、周りのやる気を奪っている状態なのだから、と。

 

ああ、そうだった。子どもたちは、「お手伝いできることな~い?」と聞いてくれていた。でも、お願いするには、その前段階から準備しないと任せられないし、反対にややこしいし、簡単にやってもらえることだけでとりあえず……などと、「手伝いたい気持ち」を無下にしてきてはいなかっただろうか。その結果、「ママだけが頑張る」のが当たり前になってしまったのではないか。

 

自分が頑張れば頑張るほど、周りは何もしなくなるんだよ。(にこにこ)

 

そう言って微笑む仁さんの姿が目に浮かぶ(実際にお会いしたことはないけれど)。『ずるい生き方』のどのページを開いても、仁さんのやさしくも鋭い言葉が、私の胸に深く突き刺さってくる。

 

「ずるい生き方」ができる人になろう

2020年は新型コロナウイルスの影響で、さまざまなことが一変した。当たり前だったことが当たり前じゃなくなり、新しい生活様式なんてのが叫ばれるようになった。

 

そんな今だからこそ、心屋仁之助がずっと前から言い続けてきた「頑張らないで、サボって、好きなことだけやろう」というずるい生き方が、これからのニューノーマルなのかもしれない。

 

さて、まずは手始めに、罪悪感でなかなかできなかったことからトライしてみようか。ミスドのドーナツ、1つに選べないときは2つ買って食べちゃおう。休みの日は、一日中家にいてぐーたらしちゃおう。手が荒れてるから、食器洗いは家族にお願いしちゃおう。こうして書いてみると、ちっちゃいことに罪悪感を抱いていたのだな、私。

 

そして徐々に、本当にワクワクするやりたい仕事だけに絞っていこう。好きなことだけをする人生に変えていこう。「頑張る教」信者の皆様、自分も周りもハッピーになるために、仁さんの「ずるい生き方」を実践していこうではないか。

 

【書籍紹介】

ずるい生き方

著者:心屋仁之助
発行:かんき出版

がんばらない、ガマンしない、人に頼る。でも不思議と愛される!あなたの人生を変えるずるい成功法則教えます。

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動物愛をこじらせた人々の事件簿!池の水は何のために抜く?~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

池の水を抜くのはロマンがあるが……

みなさん、こんにちは。書評家をしています卯月鮎です。テレビ東京の人気番組「緊急SOS! 池の水ぜんぶ抜く大作戦」が始まったのは2017年1月。『日曜ビッグバラエティ』枠で不定期に放映され、その後月一のレギュラーとなりました。

 

私が最初にこの番組を見たとき、心のなかの川口浩探検隊が小躍りしたのを覚えています(笑)。一体どんなお宝が出てくるのか? 果たして池の主・巨大魚はいるのか? ネス湖のネッシーで育った世代としては、ついつい水の底に壮大なロマンを抱いてしまいます。

 

ただ、大規模に水を抜くことで、そこに棲んでいる生物に大きな影響が出ることは確か。のんびりと水中で暮らしていたのに、突如襲いかかる天変地異。人間で言ったら、「部屋の空気ぜんぶ抜く」みたいなものでしょうか。少し罪悪感がありますね。

今回の1冊は、『「池の水」抜くのは誰のため? 暴走する生き物愛』(新潮新書・刊)です。テレビ番組では外来種の駆除も強く打ち出されていますが、それは本当に在来種のためになるのでしょうか?

 

著者は朝日新聞の科学医療部の記者・小坪 遊さん。特に生き物の取材が好きで、2015年以降、環境省の記者クラブに3年弱所属していたそうです。今回が初めての単著となります。

 

本のタイトルは『「池の水」抜くのは誰のため?』ですが、他にも取材を通して目の当たりにした「知られざる生き物事件」の数々が各章で取り上げられています。「子どもたちのためにカブトムシを森に放したら炎上した」という冒頭のトピックは、人間と生物の歪んだ関係性が凝縮されているように感じました。

 

地元の子どもたちが喜ぶと思って、たたき売りされていたカブトムシを買って森に放し、SNSに書き込んだ千葉市議の炎上騒動。批判が集まった理由は長崎で売っていたカブトムシを千葉に放したから。遺伝子レベルで異なるカブトムシの可能性があり、地域の自然が壊れてしまう……日本国内であっても「外来種」の問題はあるのです。

 

池の水はもっと頻繁に抜くべき!?

本書のメインはやはり第3章「池の水は何度も抜こう」。番組への疑問点と意義がまとめられています。池の水を抜く「かいぼり」は本来、外来種駆除の手段というより冬に溜め池を干し、ひび割れや漏れがないか確かめる作業でいわば池のメンテナンスだとか。なので、一過性ではなく定期的に取り組んでいく必要があるのです。

 

また、「外来種は悪者」という見方も分かりやすいようで間違っていると著者はいいます。外来種は人間が持ち込んだもので、その生き物自体に善悪はありません。それに、たとえブラックバスを一気に駆除したとしても、今度はエサになっていたアメリカザリガニが急増するという事態もあるのです。テレビが取り上げるからと長期的な視点もなく、単に池の水を抜くのはあまりいいことではないんですね。

 

ほかにも、一部の悪質なブラックバス釣りマニアの放流行為、自分だけが良い写真を撮るため珍しい鳥の巣を取り去ってしまうカメラマンなどお騒がせ生物事件のトピックが盛りだくさん。生き物たちとの適切なソーシャルディスタンスを考えさせられる一冊です。

 

【書籍紹介】

「池の水」抜くのは誰のため?―暴走する生き物愛―

著者:小坪 遊
発行:新潮社

「池の外来種をやっつけろ」「カブトムシの森を再生する」「鳥のヒナを保護したい」――その善意は、悲劇の始まりかもしれない。人間の自分勝手な愛が暴走することで、より多くの生き物が死滅に追い込まれ、地域の生態系が脅かされる。さらに恐ろしいのは、悪質マニアや自称プロの暗躍だ。知られざる“生き物事件”の現場に出向いて徹底取材。人気テレビ番組や報道の盲点にも切り込む。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

「手料理=愛情」ではなく「手料理=余裕」なんだ!−−『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』

毎日献立を考えて、ご飯を作っている方、正直しんどくないですか?

 

一人暮らしをしていたころ、仕事でムカつくことがあると夜中急に料理をしたくなることがあって、私にとって「料理」は、ストレス発散ツールでもありました。もちろんご飯を作るのも食べるのも好き。基本は好きなことなんです。

 

でも結婚して、料理担当に就任し、毎晩ご飯を作っているとどうもしんどい日が出てくる……。そんな時に「味噌汁の具多くない?」なんて言われたら、『水曜どうでしょう』の大泉 洋さんばりに「おみまいするぞぉー!」と叫んでやりたくなります(笑)。

 

本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』(コウケンテツ・著/ぴあ・刊)には、そんな私の気持ちを救ってくれるような言葉ばかりが綴られていました。今回は、「いやぁ、今日は料理作るのしんどいわ」という人に読んでほしいこの一冊をご紹介します。

 

どうしてしんどくなっちゃうのか?

私は、「はじめに」にあるこの一節で一気に心を掴まれました。

 

毎日毎日家族のためにがんばってごはんをつくっても、「ありがとう」も「おいしかったよ」の一言もなく、感謝もされず、味が薄いだの、濃いだの、バリエーションが少ないだの文句だけ言われる。気に入らない料理は食べてもくれない。食後もテーブルはそのままで、各々が好きなことだけに没頭し出す。自分自身は食べたいものも食べられず、家族の残り物を一人で食べる生活。なのに毎日「ごはんを作らねばならない」のである。

 (『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』より引用)

 

わ、わ、わかる! そしてこの言葉に元気をもらえるという人もいるのではないでしょうか?「しんどい」理由がわからずモヤモヤしてた方は、明確に言葉になったことで、多くの気づきを見つけられたのではないでしょうか。ごはんを作るのは毎日のことだから、どこかで「しんどいのも当たり前」と思っていたのですが、そうじゃなかったんだ! と気づけたのです。

 

お子さんがいると食卓は日々変化していくもの?

私は子なし夫婦世帯ですが、料理が「しんどい」と感じていても、私自身「作ること」が目標だったので、謎の使命感に燃えながら(笑)、毎晩料理を作っていました。最近ようやく「え〜い! 外食だ!」とか「え〜い! 今日は作らない!」と無理をしないようにできるようになってきましたが、お子さんがいる家庭では、「無理しないことができない」という人も多いのではないでしょうか?

 

著者である、コウケンテツさんは3人のお子さんとの5人家族。料理研究家だからきっと家でもすごく美味しい料理をふるまっているのでは? とか、めっちゃ料理が好きだから「しんどい」なんて思うこともないのでは? なんて思いがちですが、そんなことはないそうです。娘さんから「パパ、ごはん作っているとき、ここにシワがよるよね」と指摘され、眉間にシワを寄せ、イライラしながら料理をしている自分に気がついたエピソードが書かれてありました。

 

僕は料理をしながら明らかにイライラしていました。そういうときは態度に出てしまうものなんですね。自分なりにそのわけを分析してみました。

・もともと一日の中で家族みんなで晩ごはんをゆっくり食べる時間が一番好きだった

・長男、長女が保育園に通っていたころは、家族揃って早めの時間に晩ごはんを食べていた

・次女が生まれ、また長男、長女が習い事や塾に通い始め、晩ごはんの時間が遅く短くなった

・いつも夫婦で晩ごはんの準備をしていたのに、子どもたちの世話や家事をどちらかが担当することになり、一人で準備することが多くなった

・自分の思い描いている晩ごはんの時間ではなくなってしまった

 

そんな理由で僕は自分でも気づかないうちにイライラしてしまっていたのです。改めて書き出してみると、

「え? こんなことで?」

感がハンパないです。

 (『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』より引用)

 

このイライラが重なって、「もうしんどい」となっているのであれば、必ず解決策はあると感じます。中にはどうしようもない、やるしかない、解決策がないと考えている人もいるかもしれませんが、少し自分の状況を客観的に見てみると「あれ? 私って自分で自分の首を絞めていただけかも?」と思えることもあるかもしれませんね!

 

手の込んだ料理を作ってあげたい! けれど……

世の中的に、手料理=愛情がたっぷりというイメージがこびりついています。私自身も、母親が専業主婦だったため、毎日母が台所に立つ姿を見ていましたし、「女なんだから一通りの料理ができて当たり前よ!」なんて価値観の中で生きてきました。

 

でも本当にそうなのでしょうか? 共働きでも、親の介護に疲れていても、子育て100%で自分の時間が取れなくても、絶対に私が手作りで料理を作らなければいけないのでしょうか? 『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』には、絶対手料理を作りましょうなんてことは書かれてはいませんでした。

 

愛情を込めて作ることは間違いなく良いことだし、素晴らしいことなのですが、実は、「手料理=愛情のバロメーター」ではなく「手料理=余裕のバロメーター」と考えた方が、しっくりくるのではないでしょうか。

 

手料理に必要なのは、心の余裕、時間の余裕です。料理が苦手でも嫌いでも、心や時間に余裕があれば、作ってみようかなという気持ちが湧き出てくるかもしれない。だから、

「もう無理、めんどうくさい。疲れたから料理を作りたくない」

そう思う自分に罪悪感があるママは、ただ単に「余裕」がないだけなのです。

 (『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』より引用)

 

食べることをやめるなんてできないので、レトルトでも冷凍食品でもいいし、余裕がない時は、外食やお弁当だっていいわけです。余裕のバロメーターと言われるとなんだかホッとできますよね。

 

また『本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』には、超簡単にできるナムルレシピなどパパっとできる料理が紹介されています。しかもレシピ本によくある、作り方の手順もなし。50〜60文字ほどの「作り方」と材料が載っているだけなので、「あれこれ揃えて……」なんて考えなくても、材料ちょっと足りないけど、いっか! なんて気持ちで作れるようなものが紹介されています。

 

気がつかないうちに「しんどく」なっている人は、ぜひこの本に癒されてみてください。きっと料理に対する力みが抜けて、新しい価値観を感じることができますよ。あと食べている側のみなさん! 食べることが当たり前と思わず、たまには「美味しいね」とか「後片付けはやるよ」とか「明日はお弁当デーにしようか」とか言ってみるのはいかがでしょうか? みなさんの食卓が明るく楽しい空間になりますように!

 

【書籍紹介】

本当はごはんを作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ

著者:コウケンテツ
発行:ぴあ

今日はもう、作る気力も体力も残っていない…「おうちごはんを作る人」の気持ちに寄り添う一冊。

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最狂のプロレス団体、全女の「ヤバい」話−−『吉田豪の”最狂”全女伝説』

長年プロレスファンをやっていると、プロレスの裏側みたいなものがなんとなくわかってくるものだ。一部の人は、そういうことを知ってしまった結果プロレスから離れてしまう場合もあるが、ますますのめり込む場合もある。僕の場合は完全に後者だ。

 

プロレスは、格闘技でありスポーツでありエンターテインメントでもあるという、かなり複雑な構造を持っている(と僕は思っている)。プロレスで起こっていることの9割以上がエンターテインメントの上に成り立っているとは思うのだが、なかには「これはリアルでは……?」という試合や人間関係などが垣間見えることも。真実のほどは単なる一ファンであるこちら側には知るよしもないが、そういうリアルな部分が見え隠れする瞬間がおもしろいと思うこともある。

 

最狂のプロレス団体、全女の「ヤバい」話が盛りだくさん

吉田豪の”最狂”全女伝説 女子プロレスラー・インタビュー集』(吉田豪・著/白夜書房・刊)は、かつて存在した女子プロレス団体、全日本女子プロレスに所属したレスラーおよび関係者へのインタビュー集だ。

 

吉田 豪といえば、プロレスをはじめ様々な分野の人に、本人でさえ忘れているような情報を徹底的にリサーチした、深いインタビューを行うプロインタビュアー。プロレスへの造詣が深く、かなり突っ込んだ話を引き出すことで有名だ。

 

そして、全日本女子プロレス(通称「全女」)といえば、男子プロレスとは違う女性社会特有のドロドロした人間関係をそのままリング上の戦いに反映していたと噂されていた、リアルとフェイクの境界線上を行ったり来たりしていたような団体。その当事者および関係者に吉田 豪がインタビューしているのだから、おもしろくならないわけがない。

 

そしてその内容はといえば、とにかく全女が狂っていたというエピソードが盛りだくさん。想像以上に、全女というところは「ヤバい」団体だったようだ。

 

たとえば、全女の一部の試合では上層部が賭けを行っていたり、試合の勝敗により選手のギャラが決まったり、あらかじめ試合の勝敗を決めず真剣勝負をさせる(通称「押さえ込み」)など、とにかく普通のプロレス団体では考えられないようなことが日常的に行われていたという。

 

その上、通常のプロレスでは選手同士をライバル関係にするためにある程度シナリオを作ったりする(通称「アングル」)ことが多いが、全女の場合は上層部が「●●がお前の悪口を言っていた」などのように、選手を焚き付けていたという。リアルの人間関係をそのままリング上に投影させていたのだから、ほかの団体とは違う殺伐とした雰囲気になるのもうなづける。

 

全女の「洗脳」は解けてほしくない

このインタビュー集に登場する元全女レスラーたちは、先輩からのしごき、いじめ、会社内での人間関係の軋轢、給料の遅配、未払い、挙げ句の果ては1000万円の借金の肩代わりをしたりなど、散々な目に遭っている人が多い。しかし、経営者である松永一族(全女を立ち上げた4人の兄弟)を悪く言ったり、全女が嫌いという人は極端に少ない。全女の全盛期を支えたレスラー、ブル中野のインタビューに次のような発言がある。

 

–そんな気がするんですよね。相当ひどい目に遭った人たちも、なぜか全女の悪口は言わないし。

ブル ね、なんなんでしょうね?

–結論としては、洗脳が解けてないせいなんじゃないかって話になったんです(笑)。

ブル そっか! でも、これは解けないでほしいですね。全女を嫌いになることは絶対にないと思うんで。

『吉田豪の”最狂”全女伝説 女子プロレスラー・インタビュー集』より引用

 

ブル中野は全女でトップを張り、アメリカの巨大プロレス団体WWEでも人気となった伝説のレスラー。全女が倒産する前に離脱しているということもあり、いい思い出が多いということもあるが、若手のころの地獄のような日々を過ごしてきても、やはり全女のことを悪く思ってはいないようだ。

 

そのほかのレスラー陣も、いろいろ嫌な思い出もあるようだが、結果的に全女のことは好きなよう。「喉元過ぎれば〜」ではないが、過ぎ去ったことはある程度きれいな思い出になるものなのだろうか。

 

裏側を知れば知るほど好きになる

吉田 豪のインタビュアーとしての力量もあるのだが、とにかく本書に登場する人たちの話がいちいちおもしろい。一言で言えば「狂っている」のだ。プロレスの裏側が赤裸々に語られていることはもちろん、当時の全女のハチャメチャっぷりがわかり、ちょっとひねくれたプロレスファンなら、ますますプロレスとジャンルに幻想を抱いてしまうのではないだろうか。

 

普通、裏側を知ってしまうと幻滅したりすることが多いのだが、プロレスに関しては裏側を知れば知るほど好きになってしまうという面もある。やはり、プロレスというジャンルは奥が深い。そして、そのなかでも全女は異質でおもしろい団体だったのだなと、改めて思った次第だ。

 

【書籍紹介】

吉田豪の”最狂”全女伝説 女子プロレスラー・インタビュー集

著者:吉田 豪
発行:白夜書房

愛憎満ちた全女のリングに、プロインタビュアー・吉田豪が迫る!

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「ビミョー」と「微妙」。英語でどう言い分ける?−−『この日本語バリバリ英語にしにくいバイ!』

最近、とあるYouTubeのコンテンツに関わり、英語字幕をつける作業をしている。それを通して感じるのは、ごく普通に使っている日本語をそのままのニュアンスで英語に置き換えることの難しさだ。

 

トランスレーションではなくローカライゼーション

翻訳を意味する言葉として、“トランスレーション”よりも“ローカライゼーション”が使われる機会のほうが多くなっているのではないだろうか。横の文章を縦にしたり、縦の文章を横にしたりという単純な話ではない。ローカライゼーションとは、文章を読んだり音声を聞いたりする人たちが具体的なイメージを脳裏に思い浮かべられるようにするプロセスにほかならない。

 

よく“生きた英語”というけれど、その語感を自分の中に取り込んで体現していくためにはどうしたらいいのだろうか。筆者はその手がかりを得るためにニュース番組やドラマを見て、さまざまな年代の人たちのインタビューを聞くことを意識している。アナウンサーとプロスポーツ選手のボキャブラリーは違うし、20代の人たちと70代の人たちの言い回しは異なって当然だからだ。

 

「ビミョー」と「微妙」

ローカライゼーションの本質とは、異なる言語のそれぞれのイメージを結び付けることかもしれない。こうした試みをする上でとても役に立ちそうな本を見つけた。『この日本語バリバリ英語にしにくいバイ!』(アン・クレシーニ・著/アルク・刊)は、福岡在住のアメリカ人言語学者クレシーニさんが日本語ならではのニュアンスの表現を英語にローカライズすることをテーマにした一冊だ。

 

“「ビミョー」は英語にどう訳す?”というサブタイトルがつけられている。これを見て思ったのは、たとえば女子高生が使う「ビミョー」と筆者の年代の人々が使う「微妙」にも若干の差があるということだ。この本は、そのあたりの感覚を文字化することにも成功している。

「ビミョー」は“I’m not really sure, but…”という言い方で始め、「微妙」は“subtle”という単語を使うのが最も近いようだ。ただし、” There is something different about it”という言い方が一番しっくりくる場合もある。

 

言葉と文化のつながり

「はじめに」の文章の最初の部分を読んでみよう。

 

私には好きな日本語がたくさんあります。意味が好きな言葉と音が好きな言葉がありますが、意味が好きなものを1つ挙げるなら、「癒やされる」です。この言葉に当てはまる英語はありません。「自然に癒される」という日本語に含まれる感情を、英語で表現するのは本当に難しいんです。

  『この日本語バリバリ英語にしにくいバイ!』より引用

 

「癒やされる」なら「Healing」でよさそうだけれど、そこで止まってしまってはごく単純な形の“翻訳”であり、“ローカライゼーション”では決してない。言葉に含まれる感情をイメージできるところまで達していないからだ。完全にイコールの関係になる英語と日本語のペアを作るのはとても難しい。なぜなのか。

 

その理由は、「言葉と文化はつながっている」ということが大きいと思います。例えば、日本は曖昧さを大事にする国で、その曖昧さを表す言葉は当然多くなります。

 『この日本語バリバリ英語にしにくいバイ!』より引用

 

前々から気づいてはいたことだけれど、こんな風に文字を切り口にして見せられると、改めて考えさせられることが多い。たとえば、第1章で展開される「さすが」という言葉に関する考察を読んだだけでも、いい意味でお腹いっぱいな感じになる。

 

イメージを重ね合わせる

外国出身の、日本語運用能力がきわめて高い人にとっての日本語のイメージについて書かれた本書には、まさにサブタイトル通り意味も語感もビミョーな表現が数多くリストされている。16章立てで進む“クレシーニ・ワールド”の引き出しはとても多く、さまざまな表現を起点にイメージが大きく膨らんでいく。こうしたイメージに盛り込まれたクレシーニさんの日常的なシーンに、読者が投影する日常的なシーンが重なり合っていく。これがローカライゼーションの実践的なプロセスなのだろう。

 

「ビミョー」「いただきます」「失礼します」「さすが」「飲み会」「なんとなく」―日本人が毎日ごく普通に使っている言葉をテーマに綴られていく文章はテンポがよく、あっという間に読み進んでしまう。ところどころにちりばめられた言語学な知見も、とても魅力的だ。

 

具体的な映像を思い浮かべるための方法論

本書の核となる部分は、外国語を学ぶ上でのビジュアライゼーション(脳裏に具体的な映像を思い浮かべること)の有益性だと思う。言葉の意味論は文字に頼りがちになって当然だ。それを踏まえた上で、本書の隠れテーマはビジュアライゼーションであると言っておきたい。

 

小学校で外国語学習が必修科目となる時代はすでに始まっている。器は据えられたので、あとは盛り込んでいくものについて考えなければならない。文法とか発音とかの各論の前に、土台としてのローカライゼーションの概念とか、それをスムーズに行っていくためのビジュアライゼーションの実践とか、試行錯誤の中でそういったものと真剣に取り組んでいくべき時期が来ているのではないだろうか。

 

 

【書籍紹介】

 

この日本語バリバリ英語にしにくいバイ!

著者:アン・クレシーニ
発行:アルク

日本語の世界は奥が深い! 英語と文化が異なる言葉をあえて英語にするとどうなる? 言語学者のアンちゃんが「微妙」「さすが!」「きずな」といった日本語特有のニュアンスを英語でどう表現するかを提案します。

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「なぜ働くの?」その答えはここにある!−− 『なぜ僕らは働くのか』

小学校高学年になった息子、だんだんとお金のこと、働くということについて興味を持ちはじめたようだ。同時に、「なんで学校の勉強ってしなきゃいけないの? どうして宿題が毎日あるの?」という疑問も抱いている様子。

 

先日、子どもに対して「将来の夢は?」と聞くのはあまり良くない、何者になろうとしなくてもいい、という記事を書いた。

 

【関連記事】
もう「将来の夢は?」なんて聞けない。紀里谷和明が全人類に問いかける一冊『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた』

 

だが、だからといって、何の職業にもつかなくていいというわけではない。毎日を暮らしていくためには、何らかの方法でお金を稼がなくてはいけない。このことをいかに息子に伝えるか。親として、またひとつ大きなハードルがやってきた。

 

とまあ、以前の私なら焦っていたところだが、今はどんと構えることができている。テレレレッテッテレー! なぜならば、『なぜ僕らは働くのか』(池上 彰・監修/学研プラス・刊)を手に入れたからだ。

 

「読者満足度97.5%」は本当だった。

『なぜ僕らは働くのか』は、今年3月に発売された児童書。発売4か月で30万部を突破したという、驚異のヒットを遂げている。

 

主人公は、将来に漠然とした不安を抱えている中学生・ハヤト。自分の働く姿など想像できず、すでに夢を見つけている友人に焦りを感じつつも日々悶々と過ごすなかで、フリーデザイナーの叔母が製作していた一冊の本と出会う……というストーリー。

 

仕事とは。働くとは。幸せに働くことの意味。これからの時代の働き方−−とても大切なことだけれど子どもにうまく伝えられない、いや大人も改めて知っておきたいような貴重な情報が満載の一冊だ。

 

たとえば、「仕事」とは「働く」とはどういうことだろうか。簡単そうでいて、かなりの難問である。この問いに対する本書の答えをまとめると、こうだ。

 

私たちが生活をするとき、そこには必ず人と人とのつながり合い、助け合いがある。つまり、自分ではできないこと、労力や時間を割けないことを、他の人がする「仕事」で助けてもらう。なぜ働くかという答えのひとつは、助け合いでつくられるこの社会の一員になるためである。

(『なぜ僕らは働くのか』より抜粋)

 

そしてもうひとつ、誰かに助けてもらったら、「ありがとう」の意思表示としてお金を払う。これが、仕事とお金の関係であるとも述べられている。

 

なんとわかりやすく、本質をついた説明だろうか。そっくりそのまま、息子に伝えよう。

 

「好き」の気持ちを活かせる仕事とは

『なぜ僕らは働くのか』には、ワークライフバランスやAIと仕事の関係、多様性(ダイバーシティ)など、いま知りたいトピックが詰め込まれている。なかでも「むむ……」と唸ってしまったのが「第3章 好きを仕事に? 仕事を好きに?」だった。

 

やりたい仕事が見つからず焦ってしまうのは、小学生だって大学生だって、社会人だって同じだ。私自身も、小学生のころは母親が教師だった影響を受けて「学校の先生になりたい」と言っていたが、その後、なんとなく違うかもと思い直すように。何になりたいか答えが出ないまま学生時代を過ごしていた。

 

余談だが、中学校の卒業文集に書いた将来の夢は「新宿アルタで働く」だ。当時ウッチャンナンチャンが大好きで、2人が「笑っていいとも!」のレギュラーだったから、アルタで働いていれば会えるだろう!という邪な考えから。子どもの発想なんて、そんなものだ。

 

だから、小さいころからオリンピック選手を目指して猛特訓をしていた友人や、電車好きだから絶対に鉄道会社に入ると宣言していた友人を見て、眩しく感じたものだ(結果、2人とも夢を叶えた!)。

 

けれども、「早いうちからやりたいことがあるからすごいわけではない。むしろ、中学生のときになりたい職業が決まっていることが、良いことかはわからない」と本書では言うではないか。

 

なぜならば、小さいうちは、この世の中に存在する仕事のほんの一部しか知らないから。「子どもが好きだから保育士になりたい」という夢は素晴らしいことだが、「子どもが好き」という気持ちを活かせる仕事は、保育士以外にもたくさんある。まったく関係がないように見えるジャンルの職種でも、活かせる。選択肢は限りなく広いのだ。

 

ゆえに、毎日生活するなかで、自分が気になる、おもしろいと思うことがなにか、その裏にはどんな仕事があるのかを調べてみる。そういうアンテナを常に張っておくことで、やりたい仕事が見つけられるのだと教えてくれている。

 

池上さん、ありがとう。これもそのまま息子に伝えることにする。

 

仕事を始めてからも夢は見つかる。夢はどんどん変わっていい。

児童書と思いきや、大人ものめり込んで読んでしまう『なぜ僕らは働くのか』。大人になってもやりたいこと探しは続く、仕事を始めてからも夢は見つかる、夢はどんどん変わっていい。いまやりたい仕事をしている人はもちろん、さまざまな憤りや戸惑いを抱えながら働いている人の心をそっと包んでくれるような言葉が並ぶ。

 

ちなみに、本書の特設サイトにアップされている書籍動画では、今をときめく声優・花江夏樹さんがナレーションを担当されていたこともお伝えしておく。

 

きっと一度読んで本棚に……ではなく、この先何度も取り出して読み返すであろう一冊だ。

 

【書籍紹介】

なぜ僕らは働くのか

著者:池上 彰(監修)
発行:学研プラス

仕事、お金、働きがい、AIの進歩、多様性の尊重、人生100年時代…。働くうえで考えるべき様々なテーマをマンガと図解で多角的に伝えます。これから社会に出る若者たち、仕事に向き合い悩む大人たちが、未来に明るい希望を持てるように。そんな想いが込もった、温かくて前向きになれる一冊です。

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新型コロナの流行でアート市場に起きた予想外の動き~注目の新書紹介~

書評家・卯月 鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

 

コロナ禍で変わり始めた価値観

みなさん、こんにちは。書評家をしています卯月 鮎です。コロナ禍での生活が続き、以前とは感覚も少し変わってきました。これまでなら人が並んでいたり、混雑していたりするお店を見かけたら、「何だろう?」と気になっていたものですが、今では人が密集しているというだけで腰が引けている自分がいます。友だち、仕事仲間、知り合い……そんな人間関係の線引きにも変化が生じた気がします。

 

こうなると、人間の本質を切り取って露わにするアートにも当然影響が出てくるでしょう。今回の1冊は、芸術の秋にふさわしい新書『新型コロナはアートをどう変えるか』(光文社新書)。混乱するアート市場の現状は? そして新生アートから見えてくる新型コロナが社会にもたらす意味とは?

 

 

著者はアート・コレクターで横浜美術大学学長の宮津大輔さん。ビジネスとアートの関係性を書いた『現代アート経済学』(光文社新書)でも知られています。

 

まず第1章は「芸術は疫病をどう描いてきたのか」。すべての人が平等にガイコツになって墓場で踊る「死の舞踏」というモチーフが流行った中世ヨーロッパの黒死病。粋でいなせな若衆になった楊枝やタライが病魔を退治する擬人化絵が描かれた江戸時代の麻疹(はしか)。流行病に影響を受けたアートの歴史が解説されます。

 

『聖闘士星矢』のセル画が予想外の高値

もっとも興味深かったのは第3章「アートは死なず」。中国マネーの台頭と依然として力を持つオイルマネーにより、コロナ禍前には7兆円に膨れあがっていたアート市場。しかし、販売の中心だったアート・フェアが軒並み中止に追い込まれ、一時的な混乱を迎えているようです。それでも著者は、外出自粛が追い風となったeコマース関連など新たな富裕層の参入が考えられ、「数年で従前の規模を越えることは、リーマン・ショックの事例から、まず間違いないでしょう」と予測しています。

 

さらに、新型コロナ感染拡大に伴って、趣味性の高いサブカル的な作品の取引が活発になっているというから驚きです。サザビーズ香港のオークションでは『聖闘士星矢』のオープニングのセル画が予想価格の5~7万香港ドルに対して、37万5000香港ドル(約525万円)で落札されたという例が挙げられています。感染防止のため他者との関わりが減ることによって、自分の本当に好きなものにお金を使いたくなる……その心境、よくわかります。

 

また、オンラインアートのトピックもなるほどと思えました。キーワードは「脱・所有」。2020年5月には世界中の名画が無料で楽しめるオンライン・アート・プラットフォーム「VALL」がスタート。月額料金制(月々2980円)で若手アーティストの作品もオンラインで鑑賞できます。絵画をコレクションする、展示されている美術館に足を運ぶ、そんな行動は過去のものとなるかもしれません。

 

新型コロナの流行によって見えてくる生きる意味とアートの必要性。深まる秋の夜長、温かい紅茶でも飲みながら、アートとは何かを考えるのもぜいたくな時間の過ごし方です。

 

【書籍紹介】

新型コロナはアートをどう変えるか

著者:宮津大輔
発行:光文社

世界のアート市場は、新型コロナウイルス感染拡大前まで活況を呈していた。実際、中国を中心とする華僑・華人を含むアジア、並びに中東産油国の旺盛な購買意欲に牽引され、オークション・ベースだけでも7兆3000億円(2018年)に上っていた。しかし、新型コロナウイルスが風景を一変させた。このパンデミックはアート市場にどのような影響を与えているのか――。本書では、人類が疫病といかに対峙し、芸術をもって描出してきたのかを振り返るとともに、ウィズ/ポスト・コロナ時代のアート界について市場動向を中心に予測する。同時に、歴史的転換点を迎えた現在、様々なアーティストによる作品紹介を通じて、彼ら・彼女らの作品に込めた意図を探る。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

SNS疲れを吹き飛ばす、ある”つぶやき”ーー『生き辛いOLですが自己肯定感を高めたら生きるのがラクになりました。』

人のSNSのキラキラ投稿を見るたびに「私はあんなにステキじゃない」と落ち込んでしまうことがあります。人と自分を比べてめげそうになった時、一瞬でその気持ちを180度変えてくれる魔法の呪文があるといいます。

 

SNSは実はかなり気を遣うもの

SNS疲れとは、SNSによって疲れてしまう現象を言います。SNSではただ単に投稿するのではなく、これを読んだ人がどう思うか、いやな思いをする人はいないかということにも気を配らなくてはなりません。また、友人知人の投稿もこまめにチェックし、近況を把握しておく必要がありますし、自分の投稿に誰かがコメントしたら、返信も書かなくてはなりません。

 

一時期のように、「いいね!」の数を気にする人はだいぶ少なくなりましたが、人の投稿を読んでモヤモヤしてしまう人はまだまだ大勢います。誰かが成功したり幸せになっている姿を見ると、おめでとうと思う一方で、うらやましい、悔しいという気持ちを抱いてしまうことがあります。特に、自分が悩みやトラブルを抱えている時は、他の人の幸せを妬ましく感じやすいのかもしれません。

 

SNSに落ち込む人たち

コミックエッセイ『生き辛いOLですが自己肯定感を高めたら生きるのがラクになりました。』(あかり*生き辛いOL・著/SBクリエイティブ・刊)にも、SNS疲れの話が出てきます。SNSを見ると不安になったりみじめな気持ちになる場合、その原因はすべて「他人との比較」にあるというのです。

 

本書は、自らを「生き辛いOL」と称するあかりさんが書いたもので、彼女自身がどのようにして落ち込みから気持ちを切り替えてきたかが綴られているのでとても具体的です。あかりさんはSNS疲れが起きるのは、そこに自分に足りないものを見つけてしまうからだと書いています。

 

無意識に人と背比べをしてしまう

世界中の人が投稿しているのですから、あらゆる分野で自分以上の人の姿が目に入ってしまうのがSNSで、上を見ればきりがありません。人と争う気持ちがなくても、人間は無意識に人と自分とを比較してしまうものなのかもしれません。

 

落ち込むきっかけはいくらでもあります。SNSで他の人の私生活が視覚化されたことで、一瞬で勝ち負けが見えることもあります。自分より広い部屋に住み、自分より高価そうな食器で、自分より高そうな食材を食べている……など、敗北を感じる機会がSNSを始める前よりずっと増えているのです。

 

SNS疲れを吹き飛ばす魔法の呪文

著者のあかりさんは、本の中で、SNS疲れが起きた時のための魔法の呪文を伝授してくれています。それは「幸せだなあ」とつぶやくこと。

 

SNSを見ている時は、他の人が持っていて自分が持っていないこと、つまり足りないところにばかり目がいきがちですが「幸せだなあ」とつぶやくと、自分が持っていることのほうに目が向くのだそうです。

 

たとえば、自分より高級そうな食事をしている人を見てうらやましく感じた時も、「幸せだなあ」とつぶやけば、「なぜ幸せなのか」とその理由を自然と考えるようになるのだとか。そして「自分は今日も美味しくごはんを食べた。それで十分に幸せである」というふうに満足感を得ることができるというわけです。これはとても平和な考えかたで、確かに気持ちがラクになりそうです。

 

このような「自分はこのままでいい」という、ありのままを認める感情を自己肯定感というのだそうです。SNSの「いいね!」の数にこだわり、承認欲求が強かった今までのネット社会は「みんな違ってみんないい」というような温かみがあるものに変容しつつあるのかもしれません。

 

【書籍紹介】

生き辛いOLですが自己肯定感を高めたら生きるのがラクになりました。

著者:  あかり*生き辛いOL
発行:SBクリエイティブ

自分が嫌い、自信がない…ソレって自己肯定感低いせいかもよ…!? 自己肯定感の高め方がまんがでわかる。

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300年間、隠れキリシタンたちは何を守り続けたのか?−−『守教』

守教』(帚木蓬生・著/新潮社・刊)は300年間にわたるキリスト教徒たちの悲しみと苦悩を描いた作品です。読むのを楽しみにしていたのに、なぜか手に取らないまま本箱のいちばん良い場所に陣取ったままになっていました。

 

上下2巻の長編小説です。時間の余裕のあるときに、一気に読むつもりだったのに、何かと気ぜわしい毎日が続き、つい「今週は締め切りだ」とか「今日はなんだか眠たい」と、時ばかりが過ぎていました。

 

3つの執筆動機

ところが、ふと「今、読まずしていつ読むのか」という問いが心の中にわきました。そこで、「今こそそのとき」と読み始めると、著者・帚木蓬生の情熱ががんがん響いてきて、ボクシングをしているような気持ちになりました。次々とパンチが繰り出されるように物語はずんずん進みます。

 

帚木蓬生は、この作品を書くにあたって3つの執筆動機を持っていたといいます。

 

ひとつは、九州の筑後を舞台にした歴史小説を久留米藩三部作として完成させたかったから。著者はこれまで、筑後を舞台に『水神』『天に星 地に花』というふたつの作品を書いており、『守教』を3作目として、完結したかったのでしょう。

 

ふたつめは、今まで歴史小説であまり扱われずにいたキリシタンや隠れキリシタンにスポットライトをあて、その姿を描きたいと考えたから。日本人は歴史小説ファンが多いことで知られますが、主人公には戦国時代の武将などの豪傑が好まれます。外国人宣教師や日本人神父、そしてキリシタンについては、その姿を浮き彫りにした作品はあまりありません。

 

3つめの理由は、隠れキリシタンの人々が福岡にもいたということを書きたかったから。確かに、隠れキリシタンと聞くと、長崎や五島列島を連想します。福岡にも潜伏して信仰を守った人々がいたことを私は知りませんでした。

 

翻弄される人々

著者は、作品の舞台を筑後領にある高橋村と定めて物語を展開していきます。主人公は、大友宗麟に大庄屋となるよう命じられた一万田右馬助とその養子である米助です。彼らはキリシタンとして、一生をまっとうしようと決心しています。イエズスの教えを守ることは、生きることそのものでした。

 

ところが、豊臣秀吉が突如として外国人宣教師たちを国外に追放すると決めます。いわゆる伴天連追放令です。このあまりに急激な政策変更は人々の運命を変転させます。信者たちは、悩み、迷い、悲しみの中で祈りを唱えるしかありません。昨日まで信じる者は救われるはずだったのに、急転直下、信じると捕らえられ、拷問の末に殺されてしまうのです。

 

『守教』で描かれるのは、1569年から1867年まで300年の長きにわたります。歴史小説としてはあまりに長いと感じる方もいるかもしれません。けれども、著者はそれぞれの時代を生き抜いた一家を追いかけるのです。

 

守ろうとしたものは何か?

『守教』の主人公は歴史的に有名な人物ではありません。ごく普通の村人で平凡な人生を送っていました。しかし、キリスト教の信仰を選び取ったために非凡な毎日に突き落とされてしまったのです。

 

『守教』には、キリスト教の歴史を勉強した人なら必ずや興味を持つであろう人物も登場します。たとえば、アルメイダ修道士、フロイス神父、大友宗麟夫人のジュリア、そしてペドロ岐部神父などです。彼らは実在の人物ですから、小説でありながらドキュメンタリーのようでもあります。それが『守教』のもうひとつの魅力となっているのではないでしょうか。

 

人々が命がけで守ろうとしたのは、何か? その答えは『守教』の中で探すことができると、私は信じるようになりました。だから、読み終えた上下2巻はまだ本箱の良い位置に置いたままです。くり返し読みたいと思うからです。

 

【書籍紹介】

守教

著者:帚木蓬生
発行:新潮社

九州の筑後領高橋村。この小さな村の大庄屋と百姓たちは、キリスト教の信仰を守るため命を捧げた。戦国期から明治まで三百年。実りの秋も雪の日も、祈り信じ教えに涙する日々。「貧しい者に奉仕するのは、神に奉仕するのと同じ」イエズスの言葉は村人の胸に沁み通り、恩寵となり、生きる力となった。宣教師たちは諸国を歩き、信仰は広がると思われたが、信長の横死を機に逆風が吹き始める。吉川英治文学賞他受賞作。

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この「世間」に疲れた! と思った時に読みたい『世間とズレちゃうのはしょうがない』

今年に入ってから、「常識」とか「世間」を気にする人が増えたように思います。私は趣味で、喫茶店などにあるお冷の写真を集めているのですが、コロナ禍で今までのように写真を撮ってSNSにアップしたら世間様から何か言われてしまうのではないか……なんてことを考えてしまい、他のことまで行動が制限されてきて、ふと「私は何に恐れているんだ?」と思うようになりました。マスク・手洗い・うがい・三密を避けるなどの感染対策をすることは大前提ですが、何に恐れているのかわからなくなってきてしまったのです。

 

そんな感情を持ちながら『世間とズレちゃうのはしょうがない』(養老孟司、伊集院 光・著/PHP研究所・刊)を読み始めると、二人の対談の中に大事なキーワードがたくさん隠れていて、「私は世間の目を気にしすぎて疲れていたのかもな」と少しだけ気楽になれました。今回は、ちょっとこんな世間に疲れてしまった人におすすめしたい一冊をご紹介します。

養老孟司さんと伊集院 光さんがおしゃべりしている本

世間とズレちゃうのはしょうがない』は、440万部を売り上げた『バカの壁』(新潮新書)の著者である養老孟司さんと、テレビやラジオで人気の伊集院 光さんが対談している一冊です。

 

最初はどうしてこの二人? と思ったのですが、伊集院さんは養老さんの著書である『半分生きて、半分死んでいる』(PHP新書)の文章を読んで「世間からズレている」という共通点を見つけたのだとか。一体どんなズレだったのでしょうか? 伊集院さんは「はじめに」で以下のように書かれています。

 

僕は「風体ほかの影響でどうしても世間とズレてしまうことに怯えながら、どうにか修正を試みるも、どうにもならず結果大幅にズレたままだが、今はなんとか調整しつつ生きている」。先生は、とっくの昔に「自分が世間とズレていることは分かっている。しょうがないと開き直って、開いた距離感で世間を冷静に見つけている」。この差は大きいです。

 (『世間とズレちゃうのはしょうがない』より引用)

 

その差を対談しながら埋めていくので、どんな人が読んでも「なるほど」と思える部分が出てくると思います。

 

本の構成としては、伊集院さんが養老さんに色々と質問を投げかけながら対談が進んでいくのですが、養老さんがコレという明確な答えを提示する対談にはなっていません。「〇〇なんじゃない?」「私はこういう経験をしたよ」「僕もそう思う時がありました」とおしゃべりしている様子が楽しく、ラジオを聞いているように対談が進んでいきます。

 

0100の世界になっていない?

山の中で暮らす仙人なら別ですが、世間で生きていると常識やルールが生まれてきますよね。『世間とズレちゃうのはしょうがない』の中でも、80代の養老さんがコンビニでタバコを買う時に年齢確認をさせられることに対して、「どう見たって間違わないのに……」と話します。それに対して、伊集院さんはこんなことを返していました。

 

みんなまじめというか、「〇か一〇〇か」なんでしょうね。僕もこの〇、一〇〇が自分を生きやすくしてくれるという憧れがずっとありました。なんだかよく分からない基準ではじかれたり嫌なことをされたりするぐらいなら、ルールをちゃんと言ってくれれば、それに従うか従わないかを自分で決める、と思っていましたから。

でもどうやらそれは無理っぽい。そんなすべてのケースに当てはまってストレスを起こさないような精巧なルールはないということが、この歳になって分かってきました。

 (『世間とズレちゃうのはしょうがない』より引用)

 

この会話を読んで、「私は何に恐れているんだ?」と思ったこととリンクしました。今年に入ってから特にですが、常に「0か100か」を問われている感覚になっていたのだと腑に落ちたのです。〇〇しなければいけないとか、〇〇じゃないとダメなど世間のルールに監視されているような気持ちになっていたんだなぁ〜と自分を俯瞰できるようになりました。

 

最低限のルールは守りながらも、自分で選択し、世間と付き合っていかないと余計なことまで気にしてそれがストレスになってしまいますからね! 恐れるのはやめよ〜、だって無理だもん。と、100でも0でもなく30くらいの気持ちでいることを大切にしようと思います。

 

「みんな同じ」はいいこと?

「世間」にはいろんな人がいて当たり前ですが、もしその世間にいるモノが全て統一されてしまったらどうなるのでしょうか? 私自身、そんなことを考えたこともありませんでしたが、養老さんは最後にこんな言葉を残しています。

 

いろいろな人がいるという「実感」が欠けると、統一しようという世間になります。言葉がそうですね。日本語はさまざまです。でも「正しい日本語」と言いだすと、方言は消されてしまいます。いわゆる標準語だけの世界と、方言のある世界と、さて、どちらが豊かな世界でしょうか。全員が違う言葉を話すのがバベルの塔の世界です。それは困る。でもAIの世界は、実は「みんな同じ言葉」ですね。

今われわれに突きつけられている問題の一つは、ここでしょ。全員がコンピューター語を話すなら、さぞかし理性的な世界になるんでしょうね。そのときに皆さんはどこにいるんでしょうか。せめて一度は本気で考えてみていただきたいと思います。

 (『世間とズレちゃうのはしょうがない』より引用)

 

どうしても「世間」とか「みんな」と一言で括ってしまいがちですが、そこにはいろんな人がいる、動物も自然もあるということを忘れてしまいます。最近では、自分の常識=世間の常識と思っている人も多いので、自分も気をつけようと思っています(笑)。

 

2020年、色々と無理して頑張ってきた人は、『世間とズレちゃうのはしょうがない』を読んで一度立ち止まってみるのも良いのではないでしょうか。他にも、養老孟司さんが大好きな昆虫の話や、伊集院さんが見るお笑い芸人の話など、様々な視点から世間を読み解いてくれています。私もまた疲れたなぁ〜とか、世間って辛いわぁ〜と思ったらこの本を開いて、立ち止まる時間を作ろうと思ったのでした。

 

【書籍紹介】

世間とズレちゃうのはしょうがない

著者:養老孟司 , 伊集院 光 
発行:PHP研究所

世間からはじき出されないことを願う理論派・伊集院光と、最初から世間からはみ出している理論超越派・養老孟司。博覧強記でゲーム好きという共通点がある二人が、世間との折り合いのつけ方を探ります。

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「へたくそな字」を“ある程度”克服する方法−−『字が汚い!』

字が汚い!』(新保信長・著/文藝春秋・刊)。このタイトルを見たとき、「ああ、私のための本だ!」と心の中で叫んだ。まだ原稿を手書きしていた時代、出版社のデスクたちからは「字が読めない」と何度も叱られ、なんと印刷所から解読不明で原稿が戻ってきたことも一度あった。その後、ワープロが普及しはじめ、私は手書きで文を書くことがなくなった。「ワープロは君のような字が汚い人のために開発されたんだな」と、当時ある編集長からしみじみ言われたものだ。

 

さて、本書の著者、新保信長さんは東大卒の敏腕編集者だ。その彼が私と同じ悩みを持っていたとは、驚いた!

 

 

手書きの手紙が失礼になってしまう

新保さんは、ある日、大物漫画家あてに、誠意を見せたいと手書きの手紙を書くことにしたそうだ。が、しかし。

 

筆跡そのものが子供っぽくて拙いのだ。とても五十路を迎えた分別ある大人の字には見えない。(中略)これじゃいくら真面目に書いてもふざけてるようにしか見えず、説得力ゼロだ。「乱筆乱文にて失礼いたします」という常套句が謙遜でも何でもなく、心を込めたつもりの手書きが逆に失礼な感じになってしまう。

(『字が汚い!』から引用)

 

わかる、わかる。私の場合もその通りで、誠意を込めた手紙こそパソコンで打ってプリントし、サインだけを手書きでしている。けれども、達筆の手紙、字のきれいな友人からのメッセージカードなどをもらうと、心からうれしく思うし、そういう字を書けない自分を呪いたくなるのだ。

 

ビジネスマンの中には、同じように”自分の字”で悩んでいる方は少なくないのかもしれない。本書はそういう人々に向けた一冊なのだ。

 

世界初の「ヘタ字」研究

本書の文庫版の帯には、こう書かれている。「50歳を過ぎても字はうまくなるのか? 情熱と執念の右往左往ルポ!」と、興味津々のテーマだ。まずは章立てから見ていこう。

 

第1章 なぜ私の字はこんなに汚いのか?

第2章 練習すれば字はうまくなるのか?

第3章 字は人を表すのか?

第4章 字にも流行があるのか?

第5章 「うまい字」より「味のある字」をめざせ!

 

各章とも、実際に書かれた手書き文字の写真や図を多く挿入し、時々、クスッと笑え、そして、なるほどなるほどと思わせてくれる内容になっている。

 

取材ノートが読めない!

この本は読んでいて、思わず吹き出してしまう箇所がいくつも出てくる。

 

急いで書いた取材ノートなんかは当然もっとすさまじい。こういうものは自分さえ読めればいいわけで、その点では問題ない……と言いたいところだが、たまに自分でも判読に苦労することがある。

(『字が汚い!』から引用)

 

これなどは、私もまったくその通りで、自分の字が信用できないので、取材相手の許可をもらって会話を録音することにしているくらいだ。

 

また、本書では、新保さんの手書きだけではなく、さまざまな人物の手書きが登場する。たとえば、コラムニストの石原壮一郎氏の字は、新保さん曰く「ミミズがのたくったような字」という比喩がぴったりな感じだそう。あるいは、こんな人があんな字を書くとは思えないという代表がゲッツ板谷氏で、その外見には似合わない、昔の少女マンガに出てくるような可愛らしい字を書くのだという。

 

さらに、一目見ただけで誰の字かわかるのが西原理恵子さん。サイバラ文字としてキャラ立ちしているので、単行本のタイトルなどに、あえて手書きを使うケースが多いのだそうだ。

 

この他、作家たちの原稿、政治家の手書き文字、野球選手の字とプレーの関係などなど、多くの実例が紹介、解説されていてとてもおもしろく読める。

 

ドイツでは偉い人ほど字が汚い?

ところで、海外にも”ヘタ字”はあるのだろうか? というと、それはある。というか日本よりすさまじいようだ。

 

たとえば、ドイツでは字をきれいに書くというのは、どちらかというと”子どもが頑張る”というイメージなのだそう。医者、弁護士、政治家など、職業的な立場が偉ければ偉いほど字が汚くなる傾向にあるとか。実例として、アンゲラ・メルケル首相のサインが出ているが、そのアルファベットはまったく読めないのだ。

 

これはドイツだけでなく、フランスなどでも同じようだ。そもそも欧米では、日本のように手書きを尊重する文化がない。あちらでは19世紀からタイプライターが存在し、手紙も書類もタイプして、末尾にサインだけしてきた歴史があるので、手書きにこだわる人はあまりいないようなのだ。

 

ペン字教室へ行けば、字はうまくなる?

さて、自身の手書き文字に絶望した新保氏は、まずは『30日できれいな字が書けるペン字練習帳』という本を購入し、挑戦することになった。30日分の課題を40日ぐらいかけてクリアしたそうだが、期待したほど上達していないと思ったそうだ。

 

練習しながら自分なりに感じたことがいくつかある。お手本の注意ポイントを意識しすぎるのはよくない。そこばかり気にして全体がバラバラになりがち。いわゆる「木を見て森を見ず」的なことになってしまうので、細かいことより全体のバランスを考えたほうがいい(中略)ただ機械的に手を動かしてるだけではダメで、やはり自分で考えながら書かないと応用が利かない。そして、何より問題なのは「ゆっくり丁寧に書く」のが性格的に向いてないということだ。これ、きれいな字を書くには致命的なのではなかろうか……。

(『字が汚い!』から引用)

 

その後、新保氏は、ペン字教室へ通うことにした。1回100分の授業が月に3回、6か月で終了という初級コースに申し込んだ。やはり目の前で先生が添削されるのは、「なるほどそう書けばいいのか」と納得できたそうだ。また、楷書よりも行書のほうが書きやすく上達も早かったようだ。

 

完璧ではなくても行書っぽい書き方のコツを身につければ、ある程度ごまかしは効きそう。(中略)とりあえず自分の名前や住所だけでも続け字でサラサラっと書けるようにしておけば、いろんな場面で役立つことは間違いない。

(『字が汚い!』から引用)

 

なるほど、ヘタ字コンプレックスはペン字教室に行けばある程度解消できるのかもしれない。また、この項では、新保さんが教室の協力を得て実施したアンケートにより、受講生たちのそれぞれの動機がわかり、これから通ってみたい人は参考になるだろう。

 

この他、ゲバ文字、丸文字、長体ヘタウマ文字など、それぞれの時代の字についての解説などもおもしろく読める。字が汚いことで悩んでいる方は必見だ!

 

【書籍紹介】

字が汚い!

著者:新保信長
発行:文藝春秋

自分の字の汚さに、今さらながら愕然とした著者(52歳)は考えた。なぜ自分の字はこんなに汚いのか、どうすれば字はうまくなるのか、字のうまい人とヘタな人は何が違うのか、やっぱり字は人を表すのか……。そんな素朴な疑問を晴らすべく、字の汚さには定評のあるコラムニストの石原壮一郎氏、女子高生みたいな字を書くライターのゲッツ板谷氏、デッサン力で字を書く画家の山口晃氏、手書き文字を装丁に使うデザイナーの寄藤文平氏らに話を聞き、作家や著名人の文字を検証し、ペン字練習帳で練習し、ペン字教室にも通った。その結果、著者の字は変わったのか……!? 息をのむような「ヘタ字」の実例や、涙を禁じ得ない古今東西の字がヘタなことによる悲劇で埋め尽くされた世界初、哀愁漂う「ヘタ字」本。果たして著者の字はどこまできれいになったのか? 美文字になりたくてもなれないすべての人に捧げる、手書き文字をめぐる右往左往ルポ!

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もう「将来の夢は?」なんて聞けない。紀里谷和明が全人類に問いかける一冊『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた』

先日、元SMAPのメンバーだった森 且行氏が、悲願のオートレース日本一を獲得したというニュースが飛び込んできた。私の青春であり、永遠のアイドルである森くん。SMAPを脱退するとき、他のメンバーと「アイドル、オートレーサーと進む道は違うけどお互いに日本一になろう」と約束したことを、24年かけて叶えてくれた。これ以上、胸アツなことがあるだろうか。

 

やはり「夢」は、いくつになっても持ち続けていたい。「夢」があるから、毎日頑張れる。

 

無論、そのとおりだ。「夢だけ持ったっていいでしょ?」と嵐も言っている。けれど、その「夢」が見当たらない人が相当数いるのも事実。自分が何をしたいかわからない。やりたいことが見つからず、人生に迷ったり、焦ったり、悩んでいる人は、少なくない。

 

地平線を追いかけて満員電車を降りてみた』(紀里谷和明・著/文響社・刊)は、人生にモヤモヤを抱えている人にとって、大きな布石となる一冊だった。

紀里谷和明が4年半かけて完成させた渾身の一冊

紀里谷和明氏は、映画監督であり写真家であり、常に世界に向けて新しい試みを発信しているクリエーターだ。

 

そんな彼が、じつに4年半もの年月を費やして手掛けた本書。「成功したい」「自分を好きになれない」「やりたいことが見つからない」「仕事がうまくいっていない」「人生をあきらめかけている」5人の登場人物と、日本のどこかに存在すると言われている、とある劇場の支配人との対話形式で物語は進んでいく。

 

たとえば、「成功したい」と願う若者。お金が欲しい、モテたいという願望からはじまり、支配人と話をしていくなかで、次第に自分の中にある本音と向き合っていく。

 

本当はモテたいのではなく、モテている人だと思われたい。世間からうらやましがられたい。人からバカにされたくない。では、その「世間」や「人」とは、一体誰のことだろう?

 

会話が進むごとに、避けていた自分との対峙を余儀なくされる。禅問答のようなやりとりが続くことで、支配人に反抗する者もいるし、ヒステリックになる者もいる。けれども、次第に相談者の思考がクリアになっていく様は、まるで読者である自分自身の心まで整っていくような感覚だ。

 

「何になりたい?」ではなく「どうありたい?」

ひとつ、本書の中で特に印象に残ったシーンを例にあげよう。

 

子どものころ、おそらく誰もが聞かれたであろう「おとなになったらなにになりたい?」という質問。七夕の短冊には将来の夢を書いた……いや、書かされた。親戚が集まれば「花楓ちゃんは大きくなったら何になりたいんや?」というのが、常套句だったように思う。とりあえず、久しぶりに会ったら「大きくなったな~。もう○年生か! 身長いくつになった?」と尋ねるのと同じようなノリで。

 

けれど、この質問こそが、「自分は何者かにならなくてはいけない」という強迫観念を植え付けられているのでは? そう支配人は語る。

 

「何になりたい?」と聞かれたら、何かしらの職業名を答えなくてはいけない。肩書を持つ何者かにならなくてはいけない。幼心に、そう刻まれてしまうのではないかというのだ。

 

これには、いたく納得、賛同した。だからこそ、自分が何者にもなれず悩む大人がたくさんいるのではなかろうか。

 

では、どう質問すればいいのか。支配人はこうやさしく語る。「大人になったら、どうありたい?」

 

そう尋ねれば、答えは少し変わってくるだろう。何になりたいのではなく、どうありたいか。これは深い。とても深い。

 

この本を読み終えるスピードは人それぞれ

この本を、サクサク読める人もいるだろう。けれども、人によっては読みながら自己の人生を振り返り、考え、長い時間をかけて読み進めるだろう。時に心の奥底の痛い部分を突かれて、本を閉じたくなることもあるかもしれない。

 

じつは『地平線を追いかけて満員電車を降りてみた』は、紀里谷氏や彼のまわりの人々(主に編集者たち)の実体験に基づいて描かれたとのこと。特に第4章に出てくる話は、紀里谷氏自身の体験談そのものだそうだ。そのことを踏まえて読むと、また違った感慨深さが味わえる。

 

きっと誰もが紀里谷氏の言葉に触れることで、心の奥底にしまい込んだ感情や、抱えている迷いに向き合い、明日が少し明るくなるヒントを貰えるのではないだろうか。時折挟まれる美しい風景写真にも、心洗われる一冊だ。

 

【書籍紹介】

地平線を追いかけて満員電車を降りてみた

著者:紀里谷和明
発行:文響社

総制作日数4年半に渡る超大作!!  ハリウッドデビューした日本人映画監督・紀里谷和明氏初の自己啓発小説(対話篇)がついに発売!!

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1本1万円のネギ「モナリザ」はなぜそんなに高い?~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

ネギは優秀な脇役と思いきや……

みなさん、こんにちは。書評家をしています卯月鮎です。野菜室にネギがあるのとないのとでは大違いですよね。私はスキあらば何にでもネギをかけてしまうネギ人間です。納豆、味噌汁、カリッと焼いた厚揚げ、買ってきたタコ焼き、おでん、たらこスパ……。とりあえず料理が白緑に染まっていたら幸せ(笑)。

 

とはいえ、やはりネギは脇役というイメージが強いですよね。刑事ドラマなら、主人公を陰で見守るベテラン刑事といったところ。

しかし、今回の新書、清水 寅『なぜネギ1本が1万円で売れるのか?』(講談社+α新書)はネギが主役です。スーパーだと1本50円ほどのネギがなんと1万円! 果たしてどんなネギなんでしょうか? そこにはどのような秘密があるのでしょうか?

著者の清水寅さんは、消費者金融の会社で営業トップとなるも、30歳のときにストレスで病気を発症し農業の道に入ったという脱サラ組。持ち前の負けん気で新規就農2年目でのネギ栽培面積日本一を達成しました。その後、株式会社「ねぎびとカンパニー」を立ち上げ、自ら「初代葱師」を名乗り、ネギ関連のビジネスを次々に展開しています。

 

1本1万円のネギとは、贈答用にも使われる「モナリザ」というブランド。清水さんが生産する200万本のネギのうち、たった10本、びっくりするほど太くて美しい芸術品のようなネギが「モナリザ」に該当します。

 

実は、こうした高い値付けをすることで、残りの200万本のネギも相対的に価値が上がるという計算もあるとか。普及版の「寅ちゃんネギ」は2本298円。1本1万円と聞いたあとでは安く感じますよね(笑)。自社のネギのブランド価値を高めるさまざまな戦略もこの新書には詳しく書かれています。ビジネス書としても参考になる内容です。

 

ネギを美味しく栽培するには?

地元の蕎麦屋を攻略し、ミシュランガイドを頼りに銀座のレストランに飛び込み営業をかけ、そして東京のスーパーに進出……。そんな第2章のネギ成り上がりストーリーもワクワクしましたが、農業の素人としては、著者が編み出した栽培の工夫が明かされる第3章も興味深かったです。

 

ネギが病気にかからないようにするためには雑草対策が一番のテーマ。「土寄せ」というネギの根に土をかける作業を繊細に行い、その際に雑草にも土をかぶせ光合成を封じ退治していく。

 

肥料はいろいろ試した結果、ネギの顔色を見ながら動物性7割、植物性3割の有機肥料を使う。さらに贈答用のネギを栽培する畑には高価な甘味料ステビアを入れて土壌の微生物を活性化させ、栄養素を増やす……。日々の試行錯誤を経て、おいしいネギが生まれてくるわけです。

 

「ねぎびとカンパニー」を、特定の分野に強く、革新的チャレンジをしていくダイソンのような会社にしたいという著者。ネギにかけるまっすぐな想いと情熱、それとは対照的なネギを売るためのしたたかなマーケティング戦略。農業×ビジネスの2方向からの視点が、この新書を読後満足度の高いものにしています。ネギも十分に主役になれる器! 今日の晩ご飯のメインはネギでいきますか。

 

【書籍紹介】

なぜネギ1本が1万円で売れるのか?

著者:清水寅
発行:講談社

失敗に次ぐ失敗、それでも僕たちは、ネギ界のダイソンを目指す! ミシュラン星付きのシェフは唸り、スーパーのバイヤーたちは喜び、大手種苗会社の営業担当者は膝を打つ。「ブランド創り」「マーケティング」「営業の肝」「働き方」……、常に革新を求める彼のネギにはビジネスのすべてが詰まっている!!
風雲児による、おもしろすぎる経営論。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

お鍋に入れるだけじゃもったいない? 栄養もレシピも豊富な「とうふ」をもっと楽しもう!

鍋料理が美味しい季節になりました。私は鍋料理が大好きでして、秋から冬にかけて多い時は週2〜3回ほどキメてしまいます。最近は「鍋の素」の種類も豊富なので飽きることなく楽しめますよね。ひとり用の鍋の素なんかもあるのでテレワーク中のお昼にもぴったりっ!

 

そんな鍋には欠かせない「とうふ」ですが、脇役ではなく主役級にレシピが豊富だとご存知でしたか?『めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ』(瀬尾 幸子・著/主婦の友社・刊)には、定番から意外なレシピまで67品が紹介されています。今回はこの中からとうふの基礎情報と、鍋だけじゃもったいない! と思ってしまうような手軽で美味しいレシピもご紹介します。

 

「木綿」と「絹」の違いって知ってる?

みなさんの家庭では、「絹」と「木綿」どちらの豆腐を多く使っていますか? 個人的には、形が崩れず味も染み込んでくれる「木綿」が好きなのですが、たまにトゥルン! とした「絹」を食べると「こっちもいいわね〜」とブームが入れ替わるような感じです。

 

『めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ』で紹介されているレシピの表記にも、「木綿どうふ」「絹ごしどうふ」と指定しているレシピ以外では、好きな方を使ってOKということでしたので、まずはそれぞれの豆腐の違いを把握しておきましょう。

 

■木綿どうふ

豆乳ににがりなどの凝固成分を加えて、固まり始めたものを木箱に流し入れて重しをし、余分な水分を抜いたとうふです。水分が少ない分、大豆の栄養が多く残っていて、風味も強く、くずれにくいのが特徴です。

 

■絹ごしどうふ

濃い豆乳を四角い型に入れ、にがりなどの凝固剤を加え、重しをせずに固めたとうふ。やわらかくなめらかな口当たりで、その食感から“絹”の名がつきました。

(『めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ』より引用)

 

勝手な想像で、豆腐を作る工程で「木綿」は木綿の布を使っていて、「絹」は絹の布を使っていると思っていました(笑)。多分、何人かにそんな話をした気がする!!! ごめんなさい〜〜!

 

ちなみに最近、プロテインを飲んでいる人の中で話題の「タンパク質」ですが、木綿どうふ一丁を食べると1日に必要なタンパク質の約3分の1がとれると言われています。絹ごしどうふの方がやや少なめということなので、タンパク質を積極的に摂取したいという方は、木綿どうふがおすすめです。

 

余った豆腐はどうやって保存したらいいの?

豆腐を買ってきても、使いきれず余ってしまうことってありませんか? 私は余らすのが嫌なので、鍋に一丁入れてしまったりするのですが、そうすると旦那さんから「いつも量が多いんだよ〜」とお叱りを受けます(笑)。余った豆腐はどのように保存したら良いのでしょうか?

 

できれば買ってきたその日のうちに使い切りたいものですが、どうしても保存したい場合は、手をつけていなければパッケージのまま冷蔵庫に入れ、賞味期限内に食べきります。パッケージから出したものは、かぶるくらいの水を入れた保存容器に入れて冷蔵し、水をとりかえながら、2〜3日で食べきりましょう。

(『めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ』より引用)

 

「水をとりかえながら」がポイントですね! 3個入りの小分けパックで販売されているので、ちょっとでいい時には小分けパックを買うのもいいかもしれませんね! また余った豆腐は『めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ』に掲載されているレシピで毎日豆腐を食べてもいいのですが、「ちょっと今日は違うもので」という時には、この方法で保存しつつ、早めに食べきるようにしましょう。

 

簡単&絶品! 10分でできる豆腐のおかず

レシピが67品もあるけど、所詮豆腐でしょ? と侮るなかれ! 定番のハンバーグや肉どうふなど想像できるようなレシピだけじゃなく、カレーに餃子にオムレツなど意外なものもたくさん掲載されています。今回はその中でも作って簡単、食べて美味しい、「たぬきやっこ」をご紹介します。

 

材料(2人分)

とうふ…1丁(300g)
天かす…大さじ4
万能ねぎの小口切り…4本分

めんつゆ(3倍濃縮)…大さじ3

 

作り方

1 とうふは食べやすく切って耐熱容器に入れ、ラップをかけて電子レンジ(500W)で4分加熱する。

2 なべにめんつゆと水大さじ3を入れて中火にかけ(電子レンジであたためてもよい)、煮立てる。

3 とうふを器に盛り、天かす、万能ねぎをのせ、2をかける。好みで七味とうがらしを振る。

(『めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ』より引用)

 

天かすって家で余りがちで、気がつくと賞味期限が切れてる……なんてこともありますが、このレシピがあればすぐなくなっちゃいますよ! めんつゆと天かすは本当に最強コンビなので、お好みのとうふでぜひ味わってみてください。

 

『めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ』には他にも、厚揚げや油揚げ、おからなどのレシピも満載。お鍋やお味噌汁以外にも無限の可能性を持っている豆腐レシピでお腹からホットになって、寒い冬を乗り切りましょう!

 

【書籍紹介】

めんどうなことなし! いちばん簡単なとうふレシピ

著者:瀬尾幸子
発行:主婦の友社

とうふはえらい!栄養豊富で低カロリー、しかも安いから毎日食べたい!! だから、1冊まるごととうふの本をつくりました。のせるだけ、くずしてまぜるだけ、焼くだけ、煮るだけのレシピが沢山。「これってめんどう」と思う手間をできるだけ省いた簡単レシピが自慢です。67品をご紹介。

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日常を変え、なかったモノを創り出す−−「ない仕事」の作り方

10月28日、乃木坂46の白石麻衣さんのオンライン卒業ライブが行われた。参加した国内外のファンの推計は68万7000人。これほど大きなオーディエンスが関わるアイドルのオンラインイベントは史上初だろう。

 

エンターテインメントの新しい形

「3密を避けるという行いは、エンターテインメントがもたらす熱狂の反対側にある。ただ、世界や生き方が変わっていくなか、そこに合わせたエンターテインメントの形があるはずだ」

 

おニャン子クラブから櫻坂46まで数多くのアイドルグループをプロデュースしてきた秋元 康さんが、とある番組のインタビューで語っていた言葉だ。コロナ禍によってこれまで当たり前だったことができなくなり、さまざまなことが様変わりを強いられている。筆者としては全く認めるつもりはないが、「ニューノーマル」とか「新しい日常」という言葉も浸透しつつある。

 

そんななか、圧倒的人気を誇る乃木坂46の絶対的エースだった白石さんの卒業ライブがオンラインで行われたことは、2020年というきわめて特異な年におけるものごとの変容を端的に示すものにほかならない。

 

変更と創出

飲み会やカラオケ、ジムでのトレーニング。今まで通りの普通な感覚でできなくなったことは、挙げ始めたらきりがない。これまで当たり前だったことを変える。これまでになかったものを創り出す。今ほどこうした能力が求められる時代はないだろう。

 

では、そういう能力を自分の日常や仕事で具体的な形にしていくにはどうしたらいいのか? そんなにクリエイティブじゃないし、何から手を着ければいいのかもわからない。日常生活も仕事もルーティン要素が中心になりがちな筆者も、そう思いがちだ。そこでここでは、筆者自身も一部であるこうしたグループに属する人たちに大きなヒントと突破口をもたらすにちがいない本を紹介したい。

 

「マイブーム」

「ない仕事」の作り方』(みうらじゅん・著/文藝春秋・刊)の著者みうらじゅんさんは、ごく簡単な言い方で形容するなら多才な人だ。どんなジャンルであれ密度の高い知識を有していて、サブカルチャー分野の守備範囲が特に広いことも知っている。ただ、いまいち“本業”がわからない。そのあたりについて、ご本人は次のような文章で説明している。

 

私の仕事をざっくり説明すると、ジャンルとして成立していないものや大きな分類はあるけれどまだ区分けされていないものに目をつけて、ひとひねりして新しい名前をつけて、いろいろ仕掛けて、世の中に届けることです。

                    『「ない仕事」の作り方』より引用

 

みうらさんの造語「マイブーム」は1997年の「新語・流行語大賞」を受賞した。もう少し読み進めてみよう。

 

それまで私は、自分が「これは面白い!」と思ったものやことがらに目をつけ、原稿を書いたり、発言したりしてきましたが、世の中の話題にならないことのほうが多かったことは確かです。

『「ない仕事」の作り方』より引用

 

世の中の話題にならないことを面白いと感じる。こうした感覚から生まれた別のワードも、今やごく普通の日本語として定着している。

 

「ゆるキャラ」

みうらさんの仕事におけるキーワードは、違和感という言葉を抜きにしては語れない気がする。「ゆるキャラ」という言葉のイメージが生まれたのも、そもそもは違和感が絡むこんなシーンだった。

 

「ゆるキャラ」の存在が気になりだしたのは、20年ほど前、全国各地の物産展に赴いたときです。その土地の名産品が並び、多くの客がひしめく中、それはとても所在なさげに立っていました。

    『「ない仕事」の作り方』より引用

 

目の当たりにしたのは着ぐるみだ。こうした着ぐるみが大多数の人の記憶に残ることはない。なぜか。名称もジャンルもないからだ。あえてジャンル分けを試みればものすごく長い説明をしなければならなくなるし、説明するほうもされるほうも疲れてしまう。さらに言えば、伝わるものは何もないかもしれない。みうらさんは、「ない仕事」の出発点はここにあると語る。

 

違和感・変更・ニッチな感覚

目次を紹介しておく。

 

・まえがき すべては「マイブーム」から始まる

・ゼロから始まる仕事~ゆるキャラ

・「ない仕事」の仕事術

・仕事を作るセンスの育み方

・子どもの趣味と大人の仕事~仏像

・あとがき 本当の「ない仕事」~エロスクラップ

 

「ない仕事」の構成要素をあえて表すなら、違和感を大切にする意識、変更・変換能力を養う姿勢、そしてニッチな感覚ということになるだろうか。冒頭で紹介したインタビューで、秋元さんはこうも語っていた。「1000人、1万人の中で『面白そうだ』という感覚が生まれるよりも、10人が熱狂的に『面白い』と思うことを狙っている」

 

みうらさんのニッチな感覚と、秋元さんが語る圧倒的少数の熱狂。言い方こそ違うが、同じことを意味している気がする。先が見えない今の状況の中、こういう方向性で日々を過ごしていくことこそが、言いようのない閉塞感の突破口につながっていくはずだ。

 

【書籍紹介】

「ない仕事」の作り方

著者:みうらじゅん
発行:文藝春秋

「マイブーム」「ゆるキャラ」など新語を生み出し、それまで世の中に「なかった仕事」を企画、営業、接待も全部自分でやる「一人電通」という手法で作り続けてきたみうらじゅん。アイデアのひらめき方から印象に残るネーミングのコツ、世の中に広める方法まで、その驚きの仕事術を丁寧に解説。糸井重里さんとの対談も収録。

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アイデアを生み出すための3つのルールとは?−−『パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法』

仕事でも日常でも、いいアイデアが思いつかなくて困るということはよくあることだ。たとえば仕事の場合。何人もの大人が集まり、ああでもないこうでもないと議論を繰り返し、結局いい答えが見つからずにお開きになるということも珍しくない。

 

何かいいアイデアはないものか。そんなときにヒントになるのが『パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法』(柿内尚文・著/かんき出版・刊)だ。

 

著者は、数々のベストセラー書籍を世に送り出している編集者。そんな筆者が、物事の考え方について記しているのが本書だ。

 

どうしたらいいアイデアが浮かぶのか

筆者によれば、いいアイデアを思いつくための方程式が存在するとのこと。ただぼんやりと何かについて考えているのは、実は考えているのではなく「思っている」状態ということだ。

 

「思う」は頭に浮かんでくる、感じること。
「考える」は目的のために意識的に思考すること。

『パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法』より引用

 

一所懸命考えたけれど答えが出ないということは往々にしてあるが、それはただ「思っている」だけ。実は考えてないのだ。では「考える」とはどういうことなのだろうか。本書では以下のように書かれている。

 

考える=「広げる」+「深める」

『パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法』より引用

 

「広げる」とは可能性を考えていくこと。「深める」は本質的価値を考えていくこと。この2つについてしっかりと考えていくと、今までにない新しい価値観のアイデアが生まれてくるようだ。

 

アイデアを生み出すための3つのルール

著者は、アイデアを生み出すためには3つのルールがあるとしている。そのルールとは?

 

ルール1 ゴールを決める
ルール2 インプットして現状を整理する
ルール3 考える=「考えを広げる+考えを深める」

『パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法』より引用

 

何か悩み事があるとする。その悩みを解決するためには、まず目的(ゴール)を明確にする必要がある。たとえば、ピーマンが嫌いな人がそのゴールを「ピーマンを食べられるようにする」のか、「ピーマンをできるだけ食べないようにする」のか。そのゴールが設定できれば、悩みの半分は解決できたようなものだ。

 

次に行うのは、インプット。問題解決に必要な情報を本やインターネットから収集する。ただそれだけではなく、それらから必要な情報を選択し整理すること。そのときあらゆる角度からの情報を集めるのがポイントだ。

 

たとえば好きな人とのデートプランを考えるとき。

 

このときに定番デート、サプライズデート、ダメデート、奇抜デートなど、デート情報をさまざまな角度からインプットしていくのです。

『パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法』より引用

 

そして、インプットした情報を整理する。このとき重要なことは2つ。

 

・人間の心にある普遍性、本音を考えながら情報を整理する
・インプットした情報を疑う

『パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法』より抜粋

 

前者は、あらゆる人に共通する本音を考えるということ。面倒臭いことは嫌い、おもしろいものが好き、将来に不安を感じているなどなど、誰もが持っている感情を考える。後者は、書いてあることを疑ってみるということ。情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、「ほんとかな?」と一度疑ってかかってみる。そうすることで、逆の視点から見ることができるようになるのだ。

 

「考える」は時間をかけて身に付ける技術

なんとなく、いいアイデアを思いつくということは一種の才能ではないかと思うことがある。しかし本書を読むと、実はそこには一定のテクニックが存在しており、それを実践していくと、いつもとは違うアイデアが浮かぶのでは、という気がしてきた。

 

「考える」というのは、誰でもできること。ただ、集中力が続かなかったり、そもそも自分のなかに情報量が少なくて考えられなかったりということがある。

 

「考える」技術を身に付けるには、時間をかけて習慣化するのがいいとのこと。日頃から目に付いたキャッチコピーなどをメモしておいたり、思いついたことを書き留めておき、それを1日に1回や1週間に1回まとめる作業をしていくことで、「考える」ことが習慣化する。

 

なんとなく「思って」いるだけでは、おそらく何も新しいものは生まれてこない。日頃からアンテナを張り巡らし、それを具体的なアイデアにする訓練をすることで、何かアイデアを求められたときに、新しいものが浮かんでくるのだろう。

 

何の練習もしないで、いきなりバッターボックスに立ってホームランを打てと言われても、それは無理な話。それと同じように、日常的に「考える」ことをしているからこそ、いいアイデアが生まれるのだろう。

 

いいアイデアがほしいときは、いつでもやってくる。それに備えて、「考える技術」を身に付けておくのは、悪いことではないだろう。

 

【書籍紹介】

パン屋ではおにぎりを売れ 想像以上の答えが見つかる思考法

著者:柿内尚文
発行:かんき出版

企画した本1000万部突破! ベストセラー編集者、初の著書! 仕事にも、人間関係にも、恋愛にも、お金のことも、家族のことにも使える! 「想像以上の答えが見つかる思考法」

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結晶にトリュフを閉じ込める!? 1キロ100万円の塩へのこだわり~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

食のイノベーター10人の“食哲学”

定期的に塩ブームって来ませんか? 寄せては返す波のように、私はときどき塩にハマることがあります。今回はピンクソルト岩塩がお手ごろ価格で売っていたのをきっかけに、瀬戸内海の藻塩、イタリアのハーブソルト、ペルシャ産ブルーソルトと、いつのまにか棚にズラリ(笑)。

 

焼き椎茸やサーモンのお刺身、チキンソテー……塩をとっかえひっかえ食べ比べるのは、シンプルながらも飽きが来ない楽しみ。塩は食べ物の個性を引き出してくれます。ちなみにパウダー状の宮古島の雪塩を、同じく沖縄の紅いもタルトにかけてオーブンで温めると甘みが際立って最高ですよ!

 

 

そんな塩好きの私にヒットしたのがこの『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)。スーパーでよく見かける袋の塩は1キロ100円ほど。それが100万円!? どんな塩なのか、そこにどんな秘密があるのか、気になって仕方ありません。

 

著者・川内イオさんは規格外の稀な人を追う「稀人ハンター」として数々のメディアに寄稿中。本書では10人の食のイノベーターに取材しています。タイトルは「1キロ100万円の塩をつくる」ですが、登場する10人のジャンルは多種多様。

 

おまかせセットを冷凍で販売するという珍しい通販専門のパン屋を立ち上げ、現在予約が3年待ちの女性パン職人。300年の歴史がある茶園を継いで無農薬・無肥料の茶葉をつくりつつ新ビジネスを模索する元サラリーマン。サトウキビの絞り汁のみを使用する世界でも稀少なラム酒を醸造し、海外から依頼が殺到する女性社長……。食の分野で挑戦している人たちばかり。

 

「塩は我が子」、塩の声を聞く職人

その10人のなかでも特に私が気になったのは、やはり表題の「100万円の塩」を生み出した塩職人・佐藤京二郎さん。

 

異色の塩職人・佐藤さんが営む高知の製塩所には、彼の完全天日塩を求めて日本全国、ひいては海外から名店の料理人が訪ねてきます。ただ、簡単には売ってはもらえません。実際に会って話して、初めて塩が手に入る……。まさにこだわりの人。

 

「突然、塩と喋れるようになってくるんですよ」

 

日本一の塩職人に4度土下座して弟子入りし、ひたすら修業して1年がたったころ塩の声が聞けるようになったという佐藤さん。2009年に自らの製塩所を立ち上げ今に至ります。

 

「塩は生き物であり、僕の子どもです」

 

塩ができるまで最低3か月。毎日1時間から1時間半に1度、手で撹拌する。常にそばにいて面倒を見るので基本的に休みはなし。気の遠くなるような作業の末に塩は完成します。

 

佐藤さんが文字どおり「手塩にかける」塩。料理人の使用用途を聞いてから塩をつくり分け、結晶の大きさは0.1ミリ単位で調整できるそうです。

 

1キロ100万円の塩とは、フランスの高級レストランに頼まれたトリュフの塩。1年間、トリュフを海水につけてその出汁でつくったものだとか。

 

「塩全体がトリュフの味になるということではなくて、塩の結晶のなかにトリュフの風味を取り込むんです」

 

この塩を使ったフレンチを死ぬまでに一度は食べてみたいですね!

 

登場する10人ともそれぞれにこだわりとプライドがあり、食の世界の奥深さに目を見張ります。各人の人生哲学もしっかりと滲み出ていて読み応えあり! 単に値が張るものを食べるのではなく、作り手の想いを味わうのが真のグルメかもしれません。

 

【書籍紹介】

 

1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人

著者: 川内イオ
発行:ポプラ社

たったひとりから始まったおいしいものづくり革命。独自のアイデアで市場を切り開き、自分の暮らしも大切にしながら、国内外で活躍の場を広げている10名の食のイノベーターを取材。彼ら、彼女らの取り組みはどれも前例がなく、未知数。強烈な「想い」を胸に抱えて突き進む姿は、これからの働き方、生き方のヒントになります。

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【プロフィール】
卯月鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

恋人代行で真実の愛は生まれるのか?−−『明日、私は誰かのカノジョ』

ヒューマンライブラリーというイベントが世界で広がりをみせています。これは人間を本として貸し出す活動で、本(人)を選ぶと、その人の生き方を直接聞くことができるのです。こうした人間レンタル、今後世界中でさらに広がるかもしれません。

 

世界にたった1つの物語

人間を本にたとえるとしたら、世界にたった1冊のレアな本ということになります。その人だけの人生の物語を聞くことができるのはとても貴重な体験です。語り部には、LGBTなどのマイノリティの人や、障がいのある人など様々です。

 

このヒューマンライブラリーは2000年にデンマークで始まり、現在世界100か国近くにまで広まっているとのこと。日本でも2019年に150回も開催されています(日本ヒューマンライブラリー協会調べ)。今年はコロナ禍でオンライン開催の形で行われるなど工夫されているようですが、こうした人間レンタル、日本は先駆けだと思います。

 

レンタル彼女という癒し

明日、私は誰かのカノジョ』(をのひなお・著/小学館・刊)という漫画があります。これは女性目線で彼女代行業を描いた興味深いお話です。日本人のなかには「恋人」や「友達」をレンタルして済ます人がいます。これは外国にはあまりない業種らしいのです。

 

人は貸し借りするようなモノではない、という考えかたも根強いですが、手っ取り早く恋人を借りて、疑似体験でもいいから楽しくデートしたいと考える人も増えてきました。そして1日だけ誰かの彼女になって、普通のバイトより高額の報酬を得たいと考える女性たちも出てきたのです。

 

パーソナルなお仕事

近ごろ「モノよりコト」消費と言われるようになりました。現代人はもうモノをたくさん持っているので、今後は体験を消費するようになるだろうと言われているのです。彼女代行はまさしくお金を払って恋人を体験するもの。手をつないで映画を観ることも、その後にカフェで見つめ合いながら感想を語り合うことも、お金さえ払えば味わうことができるのです。

 

最近は、集団で先生に教わる学習塾よりも、個別指導塾でマンツーマン方式がいいという人が増えています。大勢の人がいるジムに通うよりも、マンツーマンで指導してもらえるパーソナルトレーナーにお願いする人も増えています。彼女代行もマンツーマンで恋人体験を伝えてくれる、とてもパーソナルなお仕事です。個人的に体験する形態が最近どんどん増えているのです。

 

マスクをする登場人物たち

物語は彼女代行をする女子大生・雪と周囲の女性たちの、お金と消費についての話が連なる形で進んでいきます。作者が取材熱心なのか、コロナ禍以降は登場人物たちがしっかりとマスクを装着していて、その律儀な描写が物語を一層リアルに感じさせています。

 

雪は、割のいいバイトとしてこの仕事をしていますが、何度か会ううちにどの男性も自分のことを本当に好きになり、本当の恋人としての交際を求めてくることを冷静に観察し、お金をもらえるからこそ優しい言葉や可愛い笑顔でもてなしてもらえるのだという現実に気づけない男性たちを哀れんでさえいます。

 

それぞれがトクをする個人間取引

雪の目を通して、彼女代行業がどんな仕事なのかを私たちはかなり具体的に知ることができます。そして疑似恋愛での男女の駆け引きを漫画を通して味わうのです。どんなにお金を積んでも真実の愛は得られないのだというつらさが随所に詰まっているのですが、続きが気になってしかたがありません。

 

 

【書籍紹介】

明日、私は誰かのカノジョ

著者:をの ひなお
発行:小学館

彼女代行として日々お金を稼ぐ女子大生と彼女に魅せられた男達の、恋愛のリアルを描くビターラブストーリー。第1巻は主人公の雪を偽の彼女としてレンタルした若きサラリーマン、壮太と雪の歪な恋愛模様を描く。あくまで客と彼らの理想の女を演じる代行彼女…二人の心の距離は果たして近づくのだろうかーー

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パリとユトリロと開高 健−−描き出される真実のパリとは?

最近、荻原朔太郎の「旅上」という詩をしきりと思いだす。

 

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。

 

新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、海外旅行に行くことができないからだろうか。いや、それだけが理由ではない。私にとって、フランス、とくにパリは、憧れてはいるものの、そうは簡単には行くことができない街だ。せめてもの慰めに、『開高健のパリ』(開高 健・著/集英社・刊)を読んだ。

開高 健という作家

開高 健は1930年に大阪の天王寺で生まれた。1989年、食道癌の手術後、食道腫瘍に肺炎を併発して亡くなった。まだ58歳だった。

 

長いとは言えない生涯だが、彼は苦しみながら書き続けた。ジャンルは問わず小説、随筆、ノンフィクションなど、様々な分野で優れた作品を残している。個性的な生き方に憧れる人も多かっただろう。私は『夏の闇』が好きで、夢中になって読んだ。開高ファンの多くが、こうした「自分だけの1冊」を持っているのではないだろうか。

 

今年は、開高 健の生誕90年にあたる。90歳になった彼を想像するのは難しいが、開高 健は過去の人ではない。今年、ある新聞社が行った「読めば家でも旅気分」というランキングで、開高 健の「オーパ!」は、堂々の1位を獲得している。彼は今もなお、人々の記憶に残る作家だ。

 

パリとユトリロと開高 健

『開高健のパリ』は不思議な本だ。そもそも、どのジャンルに属するのかよくわからない。作家・開高 健が、画家・ユトリロ、そして、パリについて書いた作品で、随筆のようでもあり、画集のようでもあり、旅行記だと言われれば、そうだなと感じる。

 

どのページにも、パリやユトリロ、そして開高自身について、愛憎あふれる文章がみっちりと埋めこまれるように書かれている。角田光代の解説や山下邦夫の写真も興味深く、多くの人が加わって製作したコラボレーションならではの魅力が光る1冊だ。

 

開高 健は、パリの街角を描き続けたユトリロに対して、ラブレターを書くように思いを吐露し、本音も遠慮なく伝える。その一方で、自分の焦燥感をぶちまけ、激しい言葉をぶつけてもいる。その意味で、開高 健はユトリロに向かって、時を越えて叫んでいるかのようだ。

 

忘れてはならないのは、パリがそれに加わっていることだ。もしパリという街がなかったら、ユトリロも『開高健のパリ』も成り立たない。開高 健、ユトリロ、そして、パリという3つが、それぞれに自らを主張している。同時に3つの存在は徹底的に孤立し、ばらばらでもある。それが『開高健のパリ』の不思議さであり、醍醐味であり、混沌さを感じさせる理由だ。

 

パリを描くように書く

開高 健は、パリに何度も出向いては滞在している。彼にとって、パリとは何だったのだろう。「ふらんすに行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」というまなざしを向ける街だったのだろうか。

 

『開高健のパリ』で、彼はパリをユトリロというひとりの画家を通して書こうとする。それはまるで、作家が画家となって、表現したかのようだ。もしかしたら、彼はパリを「書く」のではなく、「描き」たかったのかもしれない。万年筆を絵筆に持ち替えて……。開高はユトリロに対しての思いをこう綴っている。

 

彼の画に向かうと私たちは埃りまみれになって古びてすれっからしになった自分たちの内部のある領域が、みずみずしくよみがえって樹液の活動のような新鮮さをみなぎらせてくれることを感ずるのである。

(『開高健のパリ』より抜粋)

 

パリの一日

開高 健のパリでの1日は、以下のようなものだ。朝は、宿屋を這い出してキャフェへ行く。そして「三日月パン」と「牛乳入りコーヒー」を飲み、新聞を眺めたりして店を出る。午後の3時になると、ビールと「ハムを棒パンにはさんだの」をおなかにおさめ、楽しい夕方に備える。

 

夕方になるのを待ちかねて、アペリチフにカシスかベルモット。秋の新酒の季節ともなれば、ボージョレかモンバジャックの赤を楽しむ。夕食には、ムール貝かカタツムリを味わいながら、ワインは白かロゼ。その後、映画や芝居を観て、11時ごろに名物玉ネギスープをどんぶり鉢ですすり「夜食」とする。そして、飲む。さらに飲む。いい気持ちでたまらないと微笑みつつ飲む、続けて飲むをくり返す。

 

あぁ、こんなパリを過ごしてみたい。誰もがそう思うのではないかだろうか。しかし、やがて気づくだろう。開高 健は苦しんでいたのだと。苦しくてたまらないから、日本を脱出し、ワイングラスを風船玉と呼び、そこにワインを注ぎ、何度も風船玉を傾ける。それでもやはり、やはり彼は苦しかったのだろう。

 

『開高健のパリ』には、うなるようなパリの描写がある。

 

パリ市の俯瞰図を見ると、複雑な血管の網のあちらこちらに大小さまざまな瘤ができたみたいである。
どれでもよいから1本の道をとって、たんねんにたどってゆくと、そのうちにきっとどこかで、この”丸い点”に入る。昼でもたそがれたように薄暗い、しめってくたびれた壁のなかを歩いていると、とつぜん石の腸の中から広場へ踏み込むことになるのである。

(『開高健のパリ』より抜粋)

 

こうして文章を写しているだけで、私は「そうよ、そうよ。パリってこうよ」などと頷きたくなる。ほんの数回行っただけだというのに。

 

パリのもうひとつの顔

パリは素敵なだけの街ではない。美味しくオシャレなだけでもない。ちょっとしたことで、抱え込んだ鬱屈、人種的混沌、激しい自己主張が、噴出する場所でもある。そんなとき、パリはいきなり姿を変える。
その複雑な暗さが、パリをパリたらしめているのだろう。

 

開高 健はパリの無残さも目の当たりにしている。あるとき、バスチーユ広場で行われた反右翼抗議集会に遭遇した。警察が広場の入り口を封鎖し、地下鉄も閉鎖、お店もシャッターを降ろして危険を回避しようとする。当然のことながら、デモ隊は行き場を失い、挙げ句の果てに、殴られたり蹴られたりとサンドバッグ状態となる。悲鳴、流血、そして逃亡……。これもパリのもうひとつの顔だ。

 

たとえ正視したくなくても、見なくてはならない問題を彼は書く。それを生フォアグラの見事さを書くのと同じ筆致で書いていく。それでいながら、不思議なほど違和感はない。それが開高 健の筆力によるのか、パリという街の混沌のためか、それともユトリロの画の効果かはよくわからない。わからないままに、パリについて強い印象を持つ、それが『開高健のパリ』だ。

 

出来ることなら、開高 健の口から直接、2020年のパリについて聞いてみたい。今のパリをどう思うか知りたい、知りたくてたまらない。しかし、それはかなわぬ夢である。今はただ、「ゆっくりとパリの夢をみてくださいね」と言うべきだろう。

 

【書籍紹介】

開高健のパリ

著者:開高 健
発行:集英社

パリという都市と、その街角を描きつづけた画家ユトリロにぶつけた、詩情ゆたかな文章群。そこには、読む者の共感をさそう追憶のパリと、まだ自分が何者かを知らずに苦闘する、言葉の旅人の最初期の「旅のかたち」がある。

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年末の大掃除前に「家掘り」してみませんか?

2020年も残り2か月! お家にいることが多かったので年末の大掃除は念入りにやりたいところですよね。年末は掃除だけに集中したいのですが、ついつい後回しにしてしまう、洋服や雑貨の整理、キッチン用品や家電など心のどこかで「もういらないなー」と思っていても「ま、いっか!」と毎年持ち越しているものが今年も増えていく……。

 

そんな憂鬱な気持ちになっている方は、『使い果たす習慣』(森 秋子・著/KADOKAWA・刊)を読んでみるといいかも。ブログ「ミニマリストになりたい秋子のブログ」で人気の森 秋子さんが実践する「家掘り」を今回はご紹介していきます!

 

「家掘り」って何?

最初「家掘り」と聞いて、何をどうするのか全く想像がつかなかったのですが、本の中でこんな風に紹介されていました。

 

家にあるたくさんのものに対する視点を変えたら、私の世界は輝きました。「これはこう使う」という固定概念を取り払えば、もっともっと家を使い果たすことができます。

何もないように見える土の中に、大きな芋が埋まっている芋掘りのように、私に必要なものがある時には「家掘り」をします。

何がでてくるか、ドキドキしながら楽しむ「掘るり」です。

 (『使い果たす習慣』より引用)

 

『使い果たす習慣』の中に出てくる「家掘り」されたアイテムだと、固形石鹸を置く石鹸置きを家で使わなくなったガラス皿に変えて素敵なインテリアにしたり、DMが入っていたビニール袋を丸めて掃除スポンジとして使ったり、いらない服を三角にカットしてガーランドに作り変えたり、使わない乳液をトイレ掃除に使ったり、どれも意外で楽しそうなことばかり! 家掘りを楽しめるようになってくると、新しいものを買う楽しさよりも、家の中にあるものを生かして、使い果たすことの方が楽しくなってくると感じられました。

 

「安いから」「便利だから」「いつか使えそう」でついつい買ってしまっているものも、家掘りを重ねていくことで買う前にブレーキがかけられるようになるかもしれませんね。

 

「仕事部屋」は、わざわざ作らなくてもいい?

リモートワークが増え、「書斎が欲しいな」とか「仕事机を作りたい」と考えた人も多いかもしれません。中には引越しをしたなんて人もいるかもしれませんね。私もダイニングテーブルでずっと仕事をしているので、暇さえあれば、オフィス机やオフィスチェアを見て「欲しいなぁ〜」と思っているのですが、秋子さんの手にかかれば、なんと洗面台がプライベートオフィスになってしまうんです!

 

洗面所にはスツールをひとつ置いていて、ときにプライベートオフィスに変わります。密室になるから集中できるのです。密談をするときにも風呂は最適です。

仕事をするときは洗面台を机にしてPCを置いたり、資料を読んだりします。

リビングの明かりは暖色系なので、洗面所の白色灯はよく見え、ぼんやりしたときも洗面所の鏡を見るとハッと我に返りやすいです。「絶対これをやらなきゃダメだ!」と切羽詰まっているときに篭ります。

 (『使い果たす習慣』より引用)

 

我が家にはスツールがない&洗面台のフリースペースの幅が少ないので、「こういう時の家掘りだ!」と家の中をウロウロしていたところ、本棚にピタっとノートパソコンがハマるスペースを発見! 今までスタンディングワーク(立って仕事をする)に抵抗があったのですが、この原稿も立って書き始めてみたらなんだか快適じゃないですか!(笑)

 

仕事は専用の机と椅子があった方がいい! というのが定説ですが、それが自分に合うか合わないかは人それぞれ。やってみたら意外とハマった! なんてこともあるので、自分の固定概念を取っ払う家掘りの真髄に触れたような気がしました。

 

使い果たせる「素材」を選ぶようにする

『使い果たす習慣』の表紙にある「やかん」ですが、これは著者の秋子さんが実際に15年以上前に購入し、現在も使っているという銅製のやかん。味が出ていて素敵ですよね! キラキラで綺麗なもの=いいものという固定概念を捨てられれば、愛着も湧いてくるし、大事に使い続けようという気持ちになれますよね。

 

でも、使い続けるためには、ものの素材にも注目しておくことが大切です。いくら自分が使い続けたい! と思っていても壊れてしまったり、劣化が激しくなってしまえば使い果たす前に壊れてしまうことも。どんな素材を選ぶのが良いのでしょうか?

 

ものには、長く使っていくと「劣化していくか」「たくましくなるか」のふたつの道しかありません。

プラスチック製やフッ素樹脂加工のものは、使ったその日から劣化する道をたどります。一方、ステンレス、銀、ガラス、木、革などの素材は、使い込むほどに味が出てたくましくなっていきます。

 (『使い果たす習慣』より引用)

 

実は私もこの本を読んで、長年欲しいと思っていた南部鉄器を手に入れました。今までは、電気湯沸かし器を使ったり、汚くなったやかんはゴミに出して、また安いやかんを買ってを繰り返していたのですが、奮発して2万円で購入!! ここから一生使うつもりで買ったので、あと40年生きるとしても1年あたり500円(笑)。ちょっとお金はかかったけれど、いい買い物をしたな〜としみじみしています。

 

他にも『使い果たす習慣』には、洋服のこと、モノの買い方について、お金を使わずにお出かけする極意など、秋子さんの暮らしを楽しむコツがたくさん紹介されています。大掃除で出てきたものを「ま、いっか!」と来年に持ち越したり、新しいモノを買うことでなんとなく気持ちを紛らわしている方は、ぜひ読んでみてくださいね。きっと読み終わるころには、「家堀り」をしてみたくなることは必至。家掘りをしていく中で、モノと向き合うことができて、本当に必要なものやことに目を向けられるようになるでしょう。私も来年に「ま、いっか!」を持ち越さないためにも、いらないものは捨てる、使えそうなものは使い果たすを実践していこうと思います!

 

【書籍紹介】

使い果たす習慣

著者:森 秋子
発行:KADOKAWA

「足りない」よりも「あるから大丈夫」を増やす。ステップダウンして深呼吸できる生活。

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岸田奈美さんのエッセイを何度も読み返したくなる理由。「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」

「赤べこ」「弟 万引き疑惑」「母 死んでもいいよ」「車椅子 沖縄旅行」「櫻井翔さん」−−これらのワードに「ん?」と思った方は、おそらく岸田奈美さんの文章を読んだことがあるに違いない。

 

岸田奈美さん。作家。noteで書かれた家族の話、日常の話がTwitterなどで拡散されまくっているお方だ。

 

そんな注目の彼女が初エッセイ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(岸田奈美・著/小学館・刊)を出したという。なんだか、B’zの曲名みたいなタイトルだ。だからというわけではないが、これは読むべきだろう!と早速拝読した。

 

知らず知らずのうちに、岸田奈美の文章に出会っていた件。

そして、冒頭の「ん?」である。

 

私自身はnoteをチェックしたことがほぼないのだが、本書を読み進めるうちに、あれ、この話知ってる……がいくつも重なった。そして、これら全部、岸田さんの文章だったのか! と一人膝を連打した。

 

おそらく、Twitterで誰かがシェアしていた記事を読んだのだろう。恥ずかしながら、書き手が「岸田奈美」さんだということを、赤べこの話以外は認識していなかった。それぞれの話を別のタイミングで読み、同じ人が書いたともつゆ知らず、感動していたのだ。

 

岸田さんには、知的障がいがある弟さんと、車椅子ユーザーのお母様がいる。お父様は、中学生のときに亡くなっている。些細な言い争いの末「パパなんか死んでしまえ」と言い放ったその夜に、急性心筋梗塞で倒れ、意識が戻らないまま亡くなったそうだ。

 

ここまでの経緯を知り、しかも本のタイトルを見ると、その悲運な身の上を切々と語った、ある種お涙頂戴的な内容かと思う方もいるかもしれないが、まったくもって違う。もっと明るい。そして、押し付けがない。ウィットに富んでいる。心がほっこりする。ああ、日本も捨てたもんじゃないぞ、と希望の光が差す。

 

個人的に、エッセイはあまり読み返したりしないのだが、岸田さんのエッセイは、何度も読み返したくなってしまう。そんな文章なのだ。

 

ちなみに、先程から「赤べこ」と述べているのは、岸田さんのエッセイが爆発的に世に広まったきっかけとなった作品だ。ある日、弟さんが学校から返ってきたら、コカコーラのペットボトルを持っていた。所持金はゼロなのに。これは、万引してしまったに違いない。そう慌てた岸田さんとお母様は、弟さんが持っていた「お代は、今度来られるときで大丈夫です」と書かれたレシートのコンビニに馳せ参じ、赤べこのように頭を下げまくった。けれど、よくよく話を聞いてみると、そして弟さんの周囲を見渡してみると、あたたかく接してくれる人ばかりだった。そんな素敵な弟さんの話だ。未読の方は、ぜひ本書もしくはnoteの岸田さんのページで読んでいただきたい。

 

岸田さんの“ミラクルづくしの人生”が私たちに与えてくれるもの。

岸田さんのプロフィールには、「一生に一度しか起こらないような出来事が、なぜか何度も起きてしまう」と書かれている。確かに、納得だ。なぜこんなにも、ありえないようなすごいことが度々起こってしまうのか。こんなの、エッセイに記すしかないじゃないか。そんな少々嫉妬めいたことまで思ってしまうほど、岸田さんの人生はユニークで、ハプニングだらけ、それでいて、とてもとてもあたたかい。

 

なかでも、写真家・幡野広志さんに家族で写真を撮ってもらい、それらの写真が「どれもことごとく、ばかみたいに泣けるものばかりだった(本文ママ)」と書かれていて、いかほどまでに泣ける写真なのかが気になって気になって仕方がなくなったタイミングで、いい頃合いのページとページに、その写真が一枚挟まれていた。そして、赤の他人の家族写真を見て、どうしようもなく胸が熱くなった。

 

もうひとつ。読み終えてからもしばらく気づかなかったのだが、カバーを外すとそこにも、岸田ファミリーを幡野さんがとらえた一枚が載っていた。カバーでもなんでも、外してみるものだ。

 

おそらく岸田さんは、この先もミラクルな出来事ばかりを引き寄せ、その経験を私たちに素敵な言葉を紡いで伝えてくれるだろう。そして私たちはそのエッセイを読んで、世の中捨てたもんじゃないよね、と大切な誰かと笑い合えるだろう。ささくれだった日々に、岸田さんの文章が癒やしを与えてくれる。

 

【書籍紹介】

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

著者:岸田奈美
発行:小学館

車いすユーザーの母、知的障害のある弟、急逝した父ー情報過多な日々をつづる笑いと涙の自伝エッセイ。

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常識をくつがえす川魚の美味しい焼き方とは!? 縄文暮らし大工のワイルド生活~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった直近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

 

縄文大工って何をつくってるの?

初めまして。卯月 鮎と申します。普段はファンタジーを中心に書評をしていますが、活字ならフィクションでもノンフィクションでもなんでも来いの本好きです! 特に1000円前後で手軽に買える新書は、本を読む入口としては最適。世のなかの知られざる仕組みがわかったり、これまで触れてこなかった新たな世界に魅了されたり……そんなワクワクする新書を紹介していきます。

 

 

第1回目は雨宮国広『ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋』(平凡社)。「縄文大工って一体何?」と、タイトルからして興味をそそられました。

 

縄文時代、憧れますよね。現代はスマホを片時も離さず、スケジュールをにらんでは「あと何分で○○線に乗らなきゃ」と、キチキチ行動するのが美徳とされる時代。ただし、便利なツールがサポートしてくれる分、人間が本来持っている生きる力は弱まった気がします。まあ、縄文時代に親しみがあるのは、「勉強、頑張るぞ!」とまだ意気込んでいた新学期の最初に習うから、ということもあるでしょう(笑)。

 

著者の雨宮国広さんは、石斧で丸木舟や縄文住居をつくる「縄文大工」。宮大工の修業中に先人の手仕事に感動し、その後、石斧の可能性に魅せられ、石斧ひとつで住居や道具を作ってきました。

 

しかも、三畳ほどの小屋で、髭も剃らず冬でも裸足。稲作がなかった縄文時代のように米は食べずに山の幸で暮らす「縄文暮らし」を実践しているユニークな人物です。スマホもクーラーもガスコンロもない縄文暮らしの楽しさと苦労とは? すごく気になりますよね。

 

第1章「縄文大工になったわけ」と第2章「能登に縄文小屋を建てる」には、もともと機械や鉄の道具に違和感を持っていた雨宮さんが縄文大工を志した理由が書かれています。

 

私は、その栗の丸太を作業台の上に置き、石斧を振り下ろした。『コーン』、私の心は青空になった。

『この石斧一本あれば、何でもつくれる』と感じたのだ。

『ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋』より引用

 

石斧の可能性に目覚めた瞬間の回想は、読んでいるこちらも晴れやかになるほど。

 

第3章「三万年前の丸木舟で大航海」では、杉の巨木を石斧で伐採し、掘り抜いて丸太舟に仕立てていく様子が詳しく書かれています。安定性を得るためひたすら丸太を石斧でコツコツと削る……。苦労と工夫の末、黒潮の荒波を越えて台湾から与那国島までの航海を達成! 自然の神秘と人間の潜在力を感じます。

 

そして、特に興味深かったのは第4章「縄文暮らしから生まれた哲学」。縄文暮らしを実践する雨宮さんの食材は、ドングリ、栗、銀杏、ニンニク……。囲炉裏の灰のなかで蒸し焼きにすると病み付きになるほど旨いのだとか。川魚も常識にとらわれず、塩も振らず腸も取らずにそのまま串焼き。
「ひと口食べて、目が点になった。『魚本来のままが、こんなに美味しかったのか!』」

 

ただし、90分以上焦がさずゆっくり焼くのがポイント。忙しい現代人には考えられない贅沢かもしれません。

 

さらに、縄文人にならって冬場も裸足で過ごすと足の裏が一年中ポカポカになるのだとか。丸太6本を並べただけのベッドも「最高の寝心地」というから驚きです。この4章は比較的短かったので、もう少し詳しく知りたかったですね。

 

縄文に関するエピソードを読むうちに、便利な生活と引き替えに「私たちが失っているものがたくさんあるんだな」と痛感しました。「もっとタフにならなきゃ!」、そう感じさせてくれる一冊でした。

 

【書籍紹介】

ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋

著者:雨宮国広
発行:平凡社

自ら建てた三畳の小屋に暮らし、蒸しドングリや川魚を食べ、囲炉裏の灰で歯を磨く。能登に縄文小屋を建て、三万年前の丸木舟を走らせる。「縄文暮らし」を実践しながら、原始を生きた人の姿を探る。原始人の暮らしをたどれば、現代人が失ったものが見えてくる。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

”予約がとれない伝説の家政婦”に教わる、気持ちがラクになるフレンチな暮らし方とは?

依頼を受けた一般家庭に出向き、契約時間の3時間で、そこにある材料だけで家族構成に合わせた10品以上の美味しい料理を仕上げてしまう伝説の家政婦・タサン志麻さん。今、各メディアから引っ張りだこの彼女のアイディアがつまった本を紹介しよう。

 

ちょっとフレンチなおうち仕事』(タサン志麻・著/ワニブックス・刊)がそれ。フランス風というとおしゃれでエレガントな、と思う方が多いだろうが、本書はそうではない。「人目を気にせず、自分らしくラクに暮らす」その知恵が満載の一冊なのだ。

 

志麻さんがフランスに惹かれた理由

本題に入る前にタサン志麻さんの経歴をちょっと紹介しておこう。辻調理専門学校で学んだ後、渡仏し、同グループ・フランス校を卒業。ミシュラン三ツ星レストランでの修行を経て帰国し、日本に活動拠点を移す。しかし、老舗のフレンチレストランなどに15年勤務したあと、2015年からフリーランスの家政婦として独立し、活躍を続けている。一流のフレンチシェフを目指さず、なぜ、彼女は家政婦になったのだろうか? その理由が垣間見れる言葉を引用しておこう。

 

私が惹かれたフランスは、多くの人がイメージする、いわゆる”おしゃれなフランス”ではありません。好きな料理も、繊細なレストラン料理ではなく、家庭料理です。フランスの家庭料理は、日本でイメージされるよりも、ずっとシンプルでおおらか。焼いただけ、煮込んだだけ、肩の力がふっと抜けるような料理ばかりです。

料理だけでなく、フランス人の生き方も同じだと思います。まわりの空気を読んで、無理に他人に合わせることもなければ、他人が何をしていようがあまり気にしません。自分にも、他人にもおおらかで、つき合っていると肩の力が抜けます。

(『ちょっとフレンチなおうち仕事』から引用)

 

タサン家は日仏家庭

志麻さんのご主人はフランス人だ。日本語を学ぶために来日し、アルバイトをしていた飲食店で志麻さんと出会い結婚。現在は、ふたりの幼い息子さんと共に、東京下町で暮らしている。

 

この本では、たくさんの写真と共にリアルなタサン家の暮らしぶりを垣間見れるのだ。まずは、章立てから見ていこう。

 

1章 日本の古民家でちょっとフレンチな暮らし

2章 料理をおいしくするシンプルな道具と段取り力

3章 ラクしたいときこそ、フランス料理! 35文字でわかる10の格言

4章 ”ちょっとフレンチ”な考え方で心が軽くなる子育て&家仕事

 

では、さっそく気になる内容を少しだけ紹介してみよう。

 

東京の一軒家なのに家賃は5万7千円!

タサン家の住まいは東京下町の築60年の古民家。リフォームが自由で、現状復帰は不要で広々とした一軒家の家賃はなんと5万7千円。あまりにボロボロでDIY好きのご主人も当初はひるんだそう。が。志麻さんは”おばあちゃんの家”に似た雰囲気を持つその家に惹かれ、「ここがいい!」と即決だったという。

 

1章では、ビフォア→アフターの写真も挿入し、古い家が素敵にリフォームされていく様子が紹介されている。引っ越して4年の現在も、少しずつリフォームは続いているそうだ。ご主人曰く、最初から完璧を目指さず、少しずつ手を加えるのがフランス流なのだとか。

 

伝説の家政婦は2口コンロを使っている!

本書を読んでいて私がいちばん驚いたのは、短時間で多くの品目の料理を作り上げてしまう志麻さんが、あえて2口コンロを選んで愛用していること。3口、4口のコンロでなければ、調理が思うように進まないと思っている主婦は多いと思う。しかし、志麻さんはコンロの数は多いほうがいいわけではないという。

 

たとえば、パスタをゆでながら隣でソースを作る。その間にサラダを作れば、一食のでき上がり。ほかにも、鍋で野菜たっぷりのスープを作りながら、フライパンで肉をソテーすれば完成です。オーブンで肉をローストしている間に、コンロで蒸し野菜を作ってもいい。そう考えると、わが家のメニューでは2口で十分という結論になりました。

(『ちょっとフレンチなおうち仕事』から引用)

 

何口もコンロがあると掃除も大変。その点でも2口ならササッと拭けて簡単にキレイを維持できる、とのこと。

 

忙しい日こそフランス料理を

フランス料理は手が込んでいて難しいと思われがちだが、志麻さんによると忙しいときこそフレンチなのだそう。

 

フランスの家庭にお邪魔すると、本当にシンプルな前菜をつまみながら、煮込みやオーブン料理ができ上がるのを待ちます。前菜は買ってきたサラミのこともあれば、ラディッシュ(赤かぶ)だけをポンと出されたり、プルーンをベーコンで巻いて焼いただけだったり。まったく、気負っていません。煮込みもオーブン料理も、最初に少しだけ作業をすれば、あとは鍋やオーブンにおまかせ。何品も食卓に並べることもなく、シンプルです。

(『ちょっとフレンチなおうち仕事』から引用)

 

和食を作るより、フレンチのほうがずっと手抜きができるなんて驚きだ。

 

・ラタトゥイユ
・鶏ときのこのソテー
・大根と牛肉のブレゼ
・豚バラのビール煮
・鶏むね肉のコンフィ
・手羽元とオレンジのオーブン焼き

 

など、志麻さん流の簡単フレンチ・レシピも紹介され、どれもとてもおいしそうだ。

 

子どもも大人と同じものを食べる

フランスでなるほど! と思ったことの一つが、大人も子どもも同じものをよく食べているということ。離乳食さえ、大人のものの一部を食べさせることが多いと感じます。

(『ちょっとフレンチなおうち仕事』から引用)

 

本書には「じゃがいものピュレ」のレシピがあるが、これら野菜をすりつぶした付け合わせは、離乳食時期の子どもに食べさせることができる。大人も子どもも同じものを食べることがフランス式の食育で、また、大人が食べ終わるまで、子どもも食卓にいるのがルールなど、自然とテーブルマナーが身につく子育て法もなるほどと思わせてくれる。

 

コロナ禍で、家にいる時間が長くなった今こそ、肩の力が抜けるフレンチな暮らしを、あなたも参考にしてみてはどうだろう。

 

【書籍紹介】

ちょっとフレンチなおうち仕事

著者:タサン志麻
発行:ワニブックス

「伝説の家政婦」シマさん初の暮らし本! 家は築60年、古民家。2つだけのコンロ、狭いキッチンだからこそラク! ラクしたい日こそフランス料理!シマさん家の家事フロー。

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元・歴史教師が解説する、日本のしくじり史には「なるほど」がいっぱい!

最近のテレビ番組では、成功者の話よりも「失敗話」のほうが取り上げられていますよね。どうやってどん底から這い上がったのか、絶好調だった人がどうして転落してしまったのか、そんな話のほうが「頑張るぞ!」と思えるような時代になったのだな〜としみじみしてしまいます。

 

けれど、できることなら「失敗」はしたくない!(笑)そんなとき、強い味方になってくれるのが日本史です。「昔と今じゃ時代が違うから参考にならないよ〜」と思う方もいるでしょう。ところが『面白く読めてビジネスにも効く 日本のしくじり史』(大中 尚一・著/総合法令出版・刊)を読むと今に通じるところばかりだと気がつきました。今回は、歴史上の人物に学ぶ「しくじり史」をご紹介します。

 

大河ドラマでも話題の明智光秀、「本能寺の変」は無計画に行われた?

NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で話題の明智光秀。放映が決まった際には、「やっと光秀が主役の大河だぁ!」と歓喜の声が聞こえてきましたよね。そんな明智光秀と言えば、1582年6月2日「本能寺の変」で、織田信長を討った人としての印象が強いのではないでしょうか? しかしこの「本能寺の変」、あの織田信長を討つというのに、計画的に行われたものではなかったというのです。

 

誰もが知る大事件。光秀はさぞかし用意周到に計画したのだろうと思われていますが、実際はそうではありませんでした。のちの動きを見ると、本能寺の変は突発的に誰にも根回しせずに行われたことがわかります。よって、慌てていろいろな手を打たなければならなかった、というのが実状ではなかったかと思います。

 (『面白く読めてビジネスにも効く 日本のしくじり史』より引用)

 

その突発さゆえに、明智光秀は「本能寺の変」から11日後に自害し「三日天下」と呼ばれてしまいます。この背景には、しっかり根回しできなかったことで、味方が少なかった……ということもあるのではないでしょうか?

 

夏ドラマで大ヒットだった『半沢直樹』のように、用意周到に倍返しの準備ができていたら明智光秀の人生も違っていただろうなーなんて感じてしまいました。大河ドラマではどのように描かれるのか、史実と合わせてチェックしたいところですね!

 

正直に言っていれば歴史は変わった? 大本営の虚偽発表

最近は、正確な情報を伝えるはずのメディアが、虚偽な情報を伝えネットで炎上! なんてこともあり、「メディアの情報って、どこまで正確なの?」と疑っている人が多くなっています。実はこの構図、今に始まったことではないのです。太平洋戦争中にもこんなことが行われていました。

 

真珠湾攻撃の翌年五月、アメリカ・オーストラリア連合軍との「珊瑚海海戦」では、お互いに空母を沈め合うなど、一見互角の戦いを見せます。しかし日本軍は戦略目的を達成できず実質敗北しました。それにも関わらず大本営発表では戦果をごまかし、圧勝したと発表。新聞もこれに追随し、真珠湾攻撃以来の戦果と書き立てました。この偽の戦果を聞いた国民は、久しぶりの海戦の勝利に酔いしれます。

 (『面白く読めてビジネスにも効く 日本のしくじり史』より引用)

 

この大本営は、日清戦争から太平洋戦争の戦時中に設置された機関で、日本軍の最高司令部なんだとか。最高司令部だから「国民を混乱させないように……」と思って虚偽の情報を伝えたのかもしれませんが、ちょっとした伝え方の違いが大きなズレに発展してしまうこともたくさんありますよね。

 

「正確な情報」と「安心できる情報」は違います。でも私たちはついつい「安心できる情報」を求めてしまいがち。時代は変わっても、こういう歴史を知ると人間の根本ってあんまり変わっていないんだな……なんて思ってしまいますね。正確な情報を冷静に見れる目を養いたいものです!

 

歴史を知ると、「今」が見えてくる?

今回2つの「しくじり史」をピックアップしてみましたが、『面白く読めてビジネスにも効く 日本のしくじり史』には、飛鳥時代から昭和まで50以上の話が一話完結で紹介されています。著者で経営コンサルタントの大中尚一さんは、歴史教師として7年勤務した経験がある方。「はじめに」でもこのように書いています。

 

歴史は、どんな自己啓発書よりも、成功するため・失敗を防ぐための最高の教科書となってくれるはずです。

 (『面白く読めてビジネスにも効く 日本のしくじり史』より引用)

 

私も読んでみて同じように感じました。歴史だから難しいとどこかで決めつけてしまっていましたが、何も変わらない人間の話だ! と35歳にして気がついたのです(笑)。

 

もし、これを高校生の時に読んでいたら、もっと日本史を楽しく感じられたと思うし、年号を暗記するような勉強方法ではなく物語として楽しめたと感じます。好きな時代から読んだり、知らなかった偉人の話を読んだり、いろんな楽しみ方ができる一冊です。騙されたと思って、気になる時代から手にとって読んでみてくださいね!

 

【書籍紹介】

面白く読めてビジネスにも効く 日本のしくじり史

著者:大中尚一
発行:総合法令出版

社会構造が大きく変化している現代。先が見えないいまこそ、歴史を振り返ってみてはいかがでしょうか。歴史には、混迷の時代を生きるためのヒントが詰まっています。現代と同じ「時代の変わり目」である幕末や戦後、バブル崩壊の時期には、時代の流れについていけずに脱落した人々がたくさんいました。彼らの失敗を学ぶことで、同じ轍を踏まず、時代の変化を上手く乗り越えることができるのです。
本書では日本史上の「しくじり」事例を60個ピックアップし、失敗の経緯と現代に通じる教訓をわかりやすく解説します。

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いま、我々にいちばん必要なスキルは『フェイクニュースの見分け方』である

いよいよ最終盤に差しかかった2020年アメリカ大統領選挙。人種差別問題の激化や西海岸全土を襲った大規模な山火事、そしてまったく先が見えないコロナ禍など、切迫した問題がここまで山積した状態の中で迎えるのは異例だろう。その選挙戦の主役の一人のイメージと一瞬でつながるパワーワードがある。

 

あれは、トランプ大統領の持ちギャグなの?

アメリカ版の流行語大賞“Word of the Year”で「フェイクニュース」という言葉が大賞を取っていないのは驚きだ。2017年に使い始めて以来、トランプ大統領はこの言葉をまるで持ちギャグのようにありとあらゆる場で乱発してきた。そして2020年の今は、ごく普通のボキャブラリーとして定着している。

 

ただ、意味をきちんと理解して使っている人はどのくらいいるだろうか。そもそもフェイクニュースとは、“偽のニュース”という直訳的で単純なものではないはずだ。一歩踏み込んだところでは何を意味するのか。トランプ政権の誕生と共に知られ始め、使われるようになったこの言葉について深く掘り下げて考えていく一冊の本を紹介したい。

 

インターネット時代の事実

フェイクニュースの見分け方』(烏賀陽弘道・著/新潮社・刊)では、「はじめに」の最初の部分で本書の定義が示される。

 

新聞・テレビ・雑誌・書籍など「旧型マスメディア」と新興のインターネットをぶち抜いて、より精度の高い「事実(ファクト)」を探す。そのための具体的な方法を提案する。それが本書の目的です。

              『フェイクニュースの見分け方』より引用

 

著者の烏賀陽さんは朝日新聞の記者から週刊誌記者、編集者を経てフリー記者になったという経歴の持ち主だ。プロとして、仕事の現場で長い間事実と関わり合ってきた人物ということがわかるだろう。一般人よりもはるかに近い距離で接する情報の取捨選択、そして情報との関係性を構築するための方法について興味を抱くのは、筆者だけではないはずだ。

 

大きく変化した個人レベルの情報収集

情報との関わり合い方は人それぞれだ。ただ、すべての人にとって同じなのは、その方法がかなり様変わりしたことだ。烏賀陽さんは、仕事で得た実体験を通して次のように記している。

 

幸運だったと思うのは、その職業人生の間に、アナログ➝デジタル➝オンライン化というマスメディア産業の技術革新を、職業の現場で、しかも同時進行で体験できたことです。新聞➝雑誌➝書籍➝インターネットと媒体はどんどん変化しました。

『フェイクニュースの見分け方』より引用

 

個人レベルでの情報の接点として最終進化形かもしれないインターネットには、当然ネガティブな面がある。しかし、そこを補って余りあるほど便利だ。便利なのは、“事実”を含むひとかたまりの情報を数えきれない人の間で共有できるところだ。ただ、その便利さにすべてを委ねるわけにはいかない。

 

しかし社会全体を見渡してみると、インターネットの普及は「信頼できる情報をマスメディアから見つける」という作業をより難しくしました。何が事実かわからない。何を信じていいのかわからない。時を同じくして旧型メディアの衰退が始まりました。

                『フェイクニュースの見分け方』より引用

 

電車の中で単行本や雑誌、タブロイド新聞を含む印刷媒体を手にしている人たちをほとんど見なくなったのは、いつごろからだろうか。大きく変わった状況の中、事実と虚実の区別の仕方が昔のままの形であるとはとても思えない。

 

これからの時代で最も大切なスキル

目次を見てみよう。

 

第1章 インテリジェンスが必要だ

第2章 オピニオンは捨てよ

第3章 発信者が不明の情報は捨てよ

第4章 ビッグ・ピクチャーをあてはめよ

第5章 フェアネスチェックの視点を持つ

第6章 発信者を疑うための作法

第7章 情報を健全に疑うためのヒント集

 

どの章でも興味深いトピックが取り上げられているのだが、筆者が特に惹かれたのは第4章だ。

 

「ビッグ・ピクチャー」とは、ある事実Fがあったときに、「空間軸」と「時間軸」を広げ、その座標軸に事実Fを置いて検証しなおしてみることだ。

             『フェイクニュースの見分け方』より引用

 

ひとつの事実を点として見るのではなく、それを取り巻く空間と時間を広げた上で見直すと、見え方がまったく変わってくる。このくだりは舛添元東京都知事と猪瀬元東京都知事の金銭問題を例に挙げながら進むのだが、時間と空間、そしてフェイクニュースとの関係性がよくわかる。

 

伝えられることすべてが事実ではない。嘘とまではいわないものの、決して事実ではないことを故意に流そうとする意図も歴然として存在する。そしてその方法は、想像以上に巧妙だ。いつか必ず訪れるアフターコロナの時代で最も重要となるスキルは、自分なりの方法で情報リテラシーを上げていくことに違いない。

 

【書籍紹介】

フェイクニュースの見分け方

著者:烏賀陽弘道
発行:新潮社

一見もっともらしいニュースや論評には、フェイク(虚偽の情報)が大量に含まれている。真偽を見抜くには何をすべきか。「オピニオンは捨てよ」「主語のない文章は疑え」「空間軸と時間軸を拡げて見よ」「ステレオタイプの物語は要警戒」「アマゾンの有効な活用法」「妄想癖・虚言癖の特徴とは」-新聞、雑誌、ネットとあらゆるフィールドの第一線で記者として活躍してきた著者が、具体的かつ実践的なノウハウを伝授する。

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メスの蚊が卵のために人間の血を吸っているとき、オスの蚊たちは何をしているんだろう?

夏場に多くの人を悩ませる「蚊」。夜中寝ているときに耳元でブンブンと音を立てて飛んだり、いつの間にか人間の身体から血を吸って、その証としてかゆみを残していく。指と指の間なんて刺されると意外と厄介だ。

血を吸うのはメスの蚊だけ

そんな迷惑な蚊だが、血を吸うのはメスだけというのは結構知られていること。蚊は、普段は花の蜜や植物の汁を吸って生きているが、産卵の時期になると栄養補給(おもにタンパク質)を行うために、人間や動物の血液を吸うのだ。ただ血を吸っているのではなく、彼らにもそれなりの理由がある。

 

産卵のため、ということなので、血を吸うのはメスの蚊だけ。次世代の子どもたちのために、手で叩かれて潰されてしまったり、蚊取り線香などにやられてしまう危険性を顧みず、人家に侵入して血を吸うメスの蚊。そう思うと、ちょっとくらい血を吸われてもいいかな、なんて思ってしまう。

 

■じゃあオスの蚊は何をやっているの?

生き物の死にざま』(稲垣栄洋・著/草思社・刊)は、地球上の生きものたちが、どのように生き、どうやって死んでいくのかについて書かれた書だ。そのなかに「アカイエカ」の話が出てくる。アカイエカは、いわゆる人家に侵入してくる蚊だ。オスの蚊は、いったい何をしているのか。それについての記述がある。

 

 卵を産まないオスの蚊は危険を冒して、人間や動物の血を吸う必要はない。
 家の外では、無数のオスの蚊が集まって飛びながら、蚊柱を作っている。オスの蚊は集団で羽音を立ててメスの蚊を呼び寄せ、蚊柱にやってきたメスの蚊はその中からパートナーを選び、交尾をするのである。そして交尾を終えたメスの蚊は決死の覚悟で家の中へと向かっていくのである。

(『生き物の死にざま』より引用)

 

オスたちは、メスに気に入られるために集団で飛び、お目当てのメスの蚊に気に入られようと頑張っているようだ。

 

オスの蚊が蚊柱を作っているということは、公園などで見かけるあの蚊柱の中に突っ込んでいっても、刺される心配はないと言うことなのだろうか。まあ、蚊柱に突っ込んだところで何のメリットもないのでやらないとは思うが、見かけても「蚊に刺されちゃう!」と思う必要はないのだろう。

 

固い絆で結ばれる(?)運命のチョウチンアンコウ

深海でひっそりと生活しているチョウチンアンコウ。頭の先からぶらさがっている発光器官が提灯のようなのでそう呼ばれているが、オスのチョウチンアンコウの死にざまというのはなかなか印象的だ。

 

チョウチンアンコウはメスの体長が40cmほどなのに対し、オスの体長は4cmほど。とても小さい。そして、オスは受精のためにメスの身体に噛み付き、そのままで一緒を終える。栄養分はメスの血液から吸収して生きる。究極のヒモ生活だ。

 

    それにしても、チョウチンアンコウのオスのヒモ生活は徹底している。
 メスの体についたオスは、メスに連れられていくだけで、自分で泳ぐ必要はない。そのため、泳ぐためのひれは消失し、餌を見つけるための眼さえも失ってしまう。それだけではない。メスの体からオスの体に血液が流れるようになれば、餌を獲る必要もないので内臓も退化する。そして、メスの体と同化しながら、子孫を残すための精巣だけを異様に発達させていく。価値あるものは精巣だけというありさまなのだ。

(『生き物の死にざま』より引用)

 

よく男性は、ヒモ生活に憧れるなんて話もあるが、チョウチンアンコウを見ていると、あんまりうらやましい感じはしない。しかし、パートナーを見つけることが困難な深海で確実に子孫を残すため、チョウチンアンコウのオスはこのような生き方を選択したのだろう。ある意味、自分たちの子孫のためだけに生きるという男らしい生きざまとも言えなくもない。

 

変わった生き方もそれなりに理由がある

本書にはそのほかにもさまざまな生き物の死にざまが登場する。人間から見れば、ただの虫だったり魚だったりの一生の話だが、彼らにとってみれば、そういう死にざまになったのにはそれなりに理由があることがわかる。

 

道ばたでひっくり返っている蝉、大量に卵を産むマンボウ、道路を横切って車にひかれている姿をよく見かけるヒキガエルなどなど、なぜそんなことになったのかが、本書を読むとわかるだろう。理由のない「死にざま」はないのだ。

 

【書籍紹介】

生き物の死にざま

著者:稲垣栄洋
発行:草思社

すべては「命のバトン」をつなぐためにーゾウ、サケ、セミ、ミツバチ…生命の“最後の輝き”を描く哀切と感動の物語。

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賛否両論あるけれど、「やさしい」お笑いが好きだ。尼神インター・誠子の初エッセイからいまのお笑いを考える。

時代はくるくると移り変わる。ついこの間までマジョリティな意見として受け入れられていたものが、たった数年で180度変わってしまうこともある。顕著なのが、お笑いだ。

 

かつては、相手の容姿などをイジることは当たり前だった。ツッコミ担当が、ボケ担当の頭を全力で叩くことも。

 

けれど、ここ数年で”やさしい”笑いが受け入れられる時代になった。相手を否定しないツッコミで一躍時の人となった「ぺこぱ」の2人しかり、女性の容姿を貶すような言葉は絶対に口にしないオリラジ藤森さんしかり。

 

とりわけ、古今東西女性に対して悪口を言うときの常套句である「ブス」というワードは、以前に比べてあまり耳にしなくなったように思う(余談だが、ブスは女性に対して使う言葉だと思っていたが、関西に住むようになり、芸人さんたちが男性相手に「ブス」とイジっているのを聞いて衝撃を受けた。ブスはユニセックスなワードだったのか)。

 

今回は、女芸人コンビ・尼神インターの誠子さんが書いた『B あなたのおかげで今の私があります』(狩野誠子・著/KADOKAWA・刊)を取り上げる。タイトルにある『B』とは、ズバリ『ブス』のことである。

Bと共に歩んできた誠子の半生

『B あなたのおかげで今の私があります』は、誠子さんの半生を語った完全ノンフィクションのエッセイ。ただし、「私」ではなく、「誠子」という一人称が用いられている。そのため、誰か聞き役(ライター)がいて、それをまとめたものかと思ったら、ご自身ですべて書かれたとのこと。

 

誠子は中2のとき、同じクラスの男子に「ブス(以降、B)」と言われたことをきっかけに、自分の中にあるBの存在に気づき、認めてしまう。以降、美人な双子の妹との扱いの差などもあいまって、Bは誠子にとって大きなコンプレックスとなる。

 

そんななか、Bとの付き合い方が変わる出来事が起こる。それは、誠子 meets お笑い。「M-1グランプリ」を見た誠子は、「漫才がしたい」と強く思うようになり、芸人になることを決意して……という展開だ。

 

自分の容姿に自信が持てず、なにもかもうまくいかないと焦っていた時代を経て、Bと向き合い、芸人としてBを味方につけ、うまく付き合えるようになるまでのエピソードが盛り込まれている。

 

Bから容姿端麗にはなれなくても、キュートにはなれる

特筆すべきは、誠子さんのポジティブさ。以前、手越くんのスーパーポジティブさについて書いたことがあった(https://getnavi.jp/book/522746/)が、ちょっと種類の違うポジティブさをひしひしと感じる。

 

たとえば、学生時代に同級生から陰で「白ブタ(色白のブタ)」と言われていたことを知り、ただのブタじゃないだけいい、色白って褒め言葉だし! と語れるポジティブさは、ただものではない。

 

そもそも、私自身は誠子さんを「ブス」だとは思わない。おそらく、くだんのポジティブさに加えて、常に笑顔でニコニコしているからなのだろう。ハッピーオーラをまとっている方だなという印象だ。

 

容姿を変えることは整形手術以外なかなか難しいけれど、雰囲気が素敵な「キュート」な女性には心がけ次第ですぐにでもなれる。そういった意味で、『B あなたのおかげで今の私があります』は、さまざまなコンプレックスを持つ女性たちの応援歌のような一冊だ。

 

愛のあるイジり、そうでないイジり

冒頭まで時を戻そう。「やさしいお笑い」が主流になってきた今、Bを味方につけネタにしていた誠子さんは今後どう振る舞っていくのか。本書ではこのような葛藤を述べている。

 

ブスと言われることは「おいしい」し、可愛いと言われることは「嬉しい」。

(『B あなたのおかげで今の私があります』より引用)

 

また、別のインタビューでは「ブスイジりは、(イジられている)本人は良くても、それを見ている人が傷つくという意見が出てきて、人を笑顔にするのが一番の目標なので、ネタの中でブスという言葉は使わなくなった」といったことも語っている。

 

つまり、芸人となった今は、Bをネタにイジられる=笑いがとれるからおいしい。イジってくる先輩後輩も、愛があってこそのBイジりだとわかっている。いわばお笑い界でのBイジりは、けっして悪口やイジメではなく、笑いにつなげようという愛のあるパスなのだ。

 

けれど、私たち一般人の世界、特に子どもたちが生きる世界ではそうはいかない。Bは明らかな悪口であり、イジりではなくイジメにつながりかねないと思うのだ。愛のあるBイジりを素人がやるのは、なかなかリスクが大きい。少なくとも自分の子どもたちには、他人に対して「ブス」などと言う人間にはなってほしくないと願う。

 

「誰かか傷つくから」といったSNSなど顔の見えない輩の声を気にしすぎて、なんでもかんでも消極的になるのを良しと思わないが、やっぱり私は近年の「やさしいお笑い」が好きだ。Bイジりからやさしいお笑いに転向しつつある、尼神インターの今後の動向に注目したい。

 

【書籍紹介】

B あなたのおかげで今の私があります

著者:狩野誠子
発行:KADOKAWA

女性芸人・尼神インター誠子の初エッセイ本。書名の「B」は「ブス」を意味する。子どものころからBと言われ続けている彼女だが、Bであることを受け入れ、今ではむしろBの方が楽しいと思うようになった。そんな彼女のしなやかな強さを、笑い涙をちりばめたエッセイに! 少女時代の思い出から、家族のこと、お笑いのことまで、未公開のストーリーをオール書き下ろしで一冊に。幼いころの写真も大公開。

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え、こんなのでいいの? 映えないけど伸びしろたっぷりな『へたキャン』のススメ

2020年は三密を防ぐキャンプへの注目が集まっていますよね。私も「気になる」という気持ちはあるものの、グッズを揃えるのが……、寒くて風邪ひいたら嫌だな……、ご飯上手に炊けなかったらどうしよう……などなどネガティブな気持ちが先行してしまい、YouTubeを見て満足な日々を過ごしています(笑)。

 

そんなYouTubeチャンネルの中でもキャンプ初心者におすすめなのが、本田圭佑選手のモノマネで大ブレイクしたじゅんいちダビッドソンさんの「ちゃんねるダビッドソン」。彼の動画は、「へた(くそな)キャン(プ)の第一人者」としても人気を集めていて、ただ普通にキャンプしているだけなのですが、笑ってしまうような動画が満載。今回はそんなじゅんいちダビッドソンさんの新刊『へたキャンごはん』(じゅんいちダビッドソン・著/主婦の友社・刊)をご紹介します。

 

そもそも「へたキャン」とは?

素人がインスタやYouTubeなどに上がっているようなおしゃれなキャンプをするのは正直むずい。まず車の免許がないから山方面には行けないし、人生でテントすらたてたことないですし、焚き火だってしたことがないわけですから、そんな素人が森の中で一泊するなんて想像すらできません(笑)。さらに田舎育ちの私は自然の怖さも知っているため、「熊が出るかも」とか「山火事になったらどうしよう」と行く勇気もない。ハードルが高いキャンプじゃなく、もっとラフにさらっと楽しめたらいいのに! と思っているわけですが、そんなラフなキャンプを実行しているのがじゅんいちダビッドソンさん。『へたキャンごはん』の中で、「へたキャン7か条」として以下を挙げています。

 

①荷物は好きなものを持っていって後悔しろ

②昼ごはんは作らない。店でテイクアウト!

③つまみを食べながら、まず火起こし

④米炊くならはんごうよりシェラカップの方が簡単やで

⑤結局、市販のものがうまい

⑥とりあえず肉を焼く

⑦家にある調理道具も活躍!

 

なんかさらっとしすぎてて「こんなのでいいの?」と正直思ってしまいました(笑)。「②昼ごはんは作らない。店でテイクアウト!」「 ⑤結局、市販のものがうまい」なんかは、確かに……と勝手にキャンプのハードルを自分で上げてしまっていたのだと気づきました。

 

とはいえ、食事は美味しいものを食べたいですよね! 「へたキャン」ならではのキャンプ飯を2つご紹介します。

 

「ランチパック」をホットサンドメーカーで挟むだけ!

キャンプに行くと、家にいる時よりも手の込んだ料理を作らなければいけないのではないか? と、これまた勝手にハードルを上げてしまうのですが、『へたキャンごはん』を読んでいるとどれも簡単で、普段全く料理をしない人でも美味しい逸品を作れるものばかり掲載されています。レシピ数も80と種類豊富ですが、作り方がとにかく簡単なものばかりなので、アレンジもいっぱいできそうなものばかり。

 

その中でも、「その手があったか!」と自宅でも真似したくなるのが「ランチパック」をホットサンドメーカーに挟んで焼くだけのへたキャンごはんです。

 

作り方

①ランチパックは1枚ずつホットサンドメーカーに入れ、途中で様子を見ながら、焼き色がつくまで中火で両面を2分弱ずつ焼く。

②それぞれの器に盛り、小倉&マーガリンにはバターをのせる。

 (『へたキャンごはん』より引用)

 

そのまま食べることの多いランチパックですが、焼いても美味しいんですね! 縁がしっかり閉じられているので、飛び出してしまって焦げ付いたりしにくいため、ゆっくり過ごしたいキャンプ場の朝にもぴったりです。あと味の種類も多いので、定番の小倉&マーガリンだけでなく、しょっぱい系のパンもおすすめです。

 

コンビニチキンもちょい足しでアウトドアな雰囲気に

キャンプ道具を持っていないから……とキャンプを諦めている方は、ベランダで楽しめる「ベランピング」に挑戦してみるのはいかがでしょうか?

 

さすがにベランダで焚き火はNGですが、お家のキッチンで調理したものをシートやベンチを広げてベランダで食べたり飲んだりするのも楽しむのもいいですよね。そんな時にも「へたキャン」スキルは活かされます(笑)。

 

お家とはいえ、準備や後片付けはチャチャっとすませたい! でも気分はアウトドア感を味わいたいと思ったら、近所のコンビニ食材でも十分にビールのつまみになるものが味わえます。

 

材料(2人分)

コンビニチキン…2個

A:マヨネーズ…大さじ3、スイートチリソース…大さじ1

 

作り方

チキンは食べやすく切る。器に盛り、Aをまぜ合わせてかける

 (『へたキャンごはん』より引用)

 

ベランピングだからこそ「美味しい!」「楽しい!」と思える逸品ですよね!

 

他にもスキレットを使った、パエリアやナポリタン、アルミホイルでりんごを丸焼きにしてみたり、知っておくと便利な情報がたくさん掲載されています。これからキャンプを始めるという方はもちろん、今年はベランピングを極めたい! と思っている方、すでにキャンプをしまくっているけどそろそろ料理のアイディアが尽きてきたな〜なんて人は参考になること間違いなし!

 

特に私のように「キャンプしてみたいけど、気が重くて」という人は「こんなのでいいんだ!」とキャンプへのハードルがかなり下がるのでおすすめです。キャンプ場でもお家のベランダでも、マナーを守って楽しいアウトドアリフレッシュしちゃいましょう。まだまだ伸びしろがたっぷりな「へたキャン」注目です!

 

【書籍紹介】

へたキャンごはん

著者:じゅんいちダビッドソン
発行:主婦の友社

数々の「ヘタキャン」をYouTubeで送るじゅんいちダビッドソンでも作れちゃうくらい簡単おいしい、アウトドアごはんの本! アウトドア好き♪たまには外でごはんやお酒を~というかたが一番初めに手にとってほしい、超入門アウトドアレシピブック。キャンプは好きだけど、人気のキャンプめしは、なかなかハードルが高い!という人でもレパートリーがバンバン増えます。なんせ、「ヘタキャン」「ダメキャン」をユーチューブで日々お送りしているピン芸人、じゅんいちダビッドソンでも作れるレシピなんですから。キャンプで気軽に作れるレシピはもちろん、キャンプまで行かない人でも活用できちゃうレシピをご紹介します。

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ひたすら演劇どっぷりな役者たちの漫画『ダブル』が熱すぎる!

ひたすら演劇どっぷりな役者たちの漫画『ダブル』(野田彩子・著/ヒーローズ・刊)が話題だ。連続ドラマ化企画も進行中だという。この作品のどういうところが魅力なのかというと、それは、ひたむきな「好き」というパワーと、そのパワーが生み出す幸福感にあるのかもしれない。

キャラクターが魅せる本気

漫画家・野田彩子さんは、おそろしいほど純粋な「好き」を抱えているキャラクターを描く。私はこの『ダブル』以前に『潜熱』というコミックを読破した。それは女子大生とヤクザの恋愛で、女子大生は誰に反対されても聞き入れず、彼のところに直進していってしまう。その姿には1ミリの迷いもない。

 

女子大生の怖いくらいの本気は、ものすごく魅力的だった。自分を信じ、自分が好きになった人を信じ、ひたすら「だって好きだから!」という一念だけで、突き進んでいく。読んでいるこちらが「あんな真っすぐになれたら気持ちいいだろうなあ」とうらやましくなってしまうほどの愛に満ちていた。

 

役者の30歳は難しい時期

最新作『ダブル』は劇団所属の30歳の役者ふたりが主人公である。30歳は「このまま役者をやっていていいのだろうか」と悩む人が多く出る年齢である。

 

30歳を超えると、次第に王子様のようなキラキラした役を演じづらくなってくる。オーディションでも自分にフィットするものが少なくなってくる。今後どんなジャンルに進めば生き残っていけるのだろう? と、方向性に迷う時期なのだ。けれどふたりには役者をやめるという選択肢はない。演じることがものすごく好きだからだ。

 

ひたすら好きを追いかける主人公

物語は対照的なふたりの主人公と共に進んでいく。天真爛漫で天才肌の多家良と頭脳派の友仁。友仁の演じる舞台を観たことがきっかけで多家良が役者として歩み始めてから7年目、友仁が多家良を世話していた関係が、ある抜擢をきっかけに変化し始める。

 

主人公のひとりである多家良は、『潜熱』のヒロインと重なる。女子大生がひたすらヤクザのおじさまに夢中だったように、多家良もひたすらお芝居に夢中で、難しいことはあまり考えず、24時間お芝居を演じたがっている。一方、相方の友仁は賢すぎるがために物事を難しく考えすぎて、なかなか思い切って行動できない。

 

好きを極めるとシンプルになれる

『潜熱』のヒロインも『ダブル』の多家良も、漫画の中ではしばしば怖い顔になる。真剣すぎて、読んでいるこちらがゾッとしてしまうような、思いつめた顔だ。漫画『ガラスの仮面』でも演劇を愛するヒロインは真剣になると白眼になることがあるけれど、好きすぎると鬼気迫る形相になるものなのだ。

 

人の背筋を寒くさせるほどの顔になるほどに、多家良は芝居に本気で挑む。少しは気を抜いたらどうだと言いたくなるくらい、わき目もふらない。そして彼は「ただただ演技が楽しい」という感情でいっぱいで、とてもシンプルな悦びに溢れている。

 

好きという気持ちに人は誘われる

芝居となると有名人に対しても物怖じしない多家良は、関係者にとても好かれ、可愛がられる。好きなことに思い切りのめりこんでいる人間は、目が輝いていて魅力的だ。演じることができる幸せを振りまいている彼のところには色々な人が近づいてくる。

 

多くの人が多家良と親しくなりたがる理由は、その弾むような気持ちを分けてもらいたくなるからかもしれない。そして、この、人が寄ってくるという特性こそが、彼の役者としての才能の表れにも感じられる。優れた役者は人の注目を集めるものだからだ。

 

漫画『ダブル』は文化庁メディア芸術祭において漫画部門の優秀賞を受賞した。そして連ドラ化の予定もあるという。回を重ねるごとにこの漫画自体にも、うれしい事柄が寄ってくるようになった。好きという一途な感情は、途方もないパワーを秘めているのかもしれない。

 

【書籍紹介】

 

ダブル

著者:野田彩子
発行:ヒーローズ

無名の天才役者・宝田多家良と、その才能に焦がれ彼を支える役者仲間の鴨島友仁。ふたりでひとつの俳優が「世界一の役者」を目指す!『潜熱』の野田彩子が描く、異色の演劇漫画、開幕!!

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【弊社取締役・松井登壇】10月27日・11月10日「編集視点を持った文章術オンライン講座 〜様々なビジネスパーソンの基礎能力アップ〜」開催

Web、メディア、デザイン、ブランディングを総合的に制作・ディレクションする「RIDE MEDIA&DESIGN」の酒井新悟さんの新著「ビジネスの課題は編集視点でみてみよう」(マイナビ出版)の刊行を記念して、中目黒蔦屋書店にて「編集視点を持った文章術オンライン講座 〜様々なビジネスパーソンの基礎能力アップ〜」が開催されます。

↑酒井新悟さん

 

そんな同講座にて、弊社取締役・松井謙介が、講師として参加。松井は、GetNavi編集長、統括編集長を長く務め、現在はGetNaviプロデューサーとして、新製品・サービスの紹介や解説に留まらない情報発信を行っています。

 

なんで、GetNaviチームが「文章術?」と思った方。少し説明させてください。雑誌版GetNaviは創刊から20年以上経つ紙と電子のマガジンで、新商品や新サービスの紹介/レビュー/比較を毎月お届けしています。

 

ウェブの時代になっても情報量の多さはひとつのウリですが、誌幅の関係もあって、ひとつひとつの説明文を極力コンパクトにしています。文字数にして40文字〜80文字。40文字といえば短歌に近い文字数。無駄な情報はなるべく省き、でも、読者のためになる情報を盛り込まないといけません。縦組みで入る本文も300文字程度。原稿用紙1枚にも満たない分量です。しかも、最近の機能名やキーワードは横文字が多い! iPhone 12 Pro Maxと入れただけで1行を使ってしまいます。

 

というわけで、GetNaviチームも文章術に関しては一家言あり。数ある情報を集めて、取捨選択し、エッセンスをわかりやすい形にして伝える。こんな風にいうと文章能力だけではなく、ビジネス的にも役立ちそうな気がしてきたでしょ?

 

講座の概要は?

講座は文章術のメソッドを概念で学び、その知識をワークショップで活かせる、前編後編全2回完結となっており、Zoomミーティング機能を使用して配信されます。前編は『文章力向上は、「収集・分析・企画・制作」が基本となる』をテーマに、文書術を「収集・分析・企画・制作」といったフレームワークを用いて概念的に学べます。10月27日19時~20時30分開催。

 

後編は11月10日19時~20時30分開催で、『身近なテーマを題材に短い文章を書いてみよう』というテーマのもと、任意で500~1000字の文章を提出し、それを題材にワークショップを行ないます。オンライン講座ですが、一方的な視聴スタイルではなく、講師に質問などのコミュニケーションも可能です。

 

同講座では、なぜ印象に残る文書が書けるのか、事実を述べた文書と感情を加えた文章の違い、文章だけではなくアイデンティティを表す文体についてや、文章術だけでなく物事の捉え方などを加味した編集力も学べます。固い内容のように見えますが、笑いあり涙ありで楽しく解説していくはず!

 

オンラインチケットは3500円で、オンラインチケットと「ビジネスの課題は編集視点でみてみよう」がセットになったチケットは5400円(送料込)。どちらもPeatixにて発売中です。イベントの概要は、中目黒蔦屋書店の告知ページを参照ください。

↑ビジネスの課題は編集視点でみてみよう

 

GetNaviチームとしては(おそらく)初となる、家電でもデジタルでも文房具でもない文章術をテーマにしたイベント。紙、電子、ウェブのコンテンツクリエーションに興味のある方はぜひご参加ください!

文豪たちの深すぎる「憂鬱」が逆に笑えて元気になれる−−『文豪たちの憂鬱語録』

何だか憂鬱である。今の生活に不満があるわけではない。それなのに、夕暮れ時、憂鬱でたまらなくなる。秋になったからか、コロナ対策に疲れたのか、悲しいニュースが多いからか……。自分でもよくわからない。わからないから、困っているのだ。けれども、そういう人は多いのではないだろうか。

 

もし、あなたも何だか憂鬱でたまらなかったら、『文豪たちの憂鬱語録』( 豊岡昭彦、高見澤 秀・著/秀和システム・刊)を読むことを勧めたい。のけぞるほどの憂鬱さが、プロの作家によって実に的確な表現で書かれている。読んでいるうち、「み〜〜んな、悩んだんだな」と、妙に納得し、心のどこかでほっとする。

 

画像出典:国立国会図書館

 

10人の文豪の憂鬱

取り上げられた文豪は10人。太宰 治、石川啄木、夏目漱石、芥川龍之介、島崎藤村、坂口安吾、宮沢賢治、谷崎潤一郎、佐藤春夫、有島武郎の10人だ。

 

ただし、章だては9章……。谷崎潤一郎と佐藤春夫が、ひとつの章でまとめられているからだ。このあたりもにくいと思う。二人は妻をめぐってスキャンダラスな関係にあったので、そのへんの事情を鑑みたのだろう。

 

いずれにしろ、取り上げられているのは日本が誇る文豪ばかり。好きで読みふけった方も多いだろう。たとえ、好きと思えなくても、教科書などで読み、感想文の宿題が出たりして、強制的に読むよう促された人もいるかもしれない。

 

けれども、文豪たちがこれほどまでに絶望のうちに生きていたとはと驚くことだろう。10人とも、悩みの渦の中で動けなくなりながら、作品を発表することによってかろうじて生きてきたのかもしれない。『文豪たちの憂鬱語録』には、それぞれの絶望から発せられた言葉が、これでもか、これでもかと、次々と吐露されていく。

 

生きてちょうだいと懇願したくなる、太宰 治

まず、最初に取り上げられているのは、太宰 治。絶望に取り憑かれながら生きた作家でとして有名ではある。章のはじめに、「暗すぎてウケる! 文豪界随一の絶望名人」とあるように、自殺未遂や心中事件をくり返し、結局、最期は38歳で人妻と心中した。一人で死ぬこともできないほど、寂しい人だったのかもしれない。彼の遺した言葉は胸に迫る。

 

生きてゆくから、叱らないでください 『狂言の神』

人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました 『人間失格』

あざむけ、あざむけ、巧みにあざむけ、神より上手にあざむけ、あざむけ 『二十世紀旗手』

(『文豪たちの憂鬱語録』より抜粋)

 

相手が才能あふれる文豪であるとわかっていながら、思わず言葉をかけたくなる。叱ったりしないから、そんなにあやまらないで、胸を張って、ただ生きてちょうだいと……。

 

ローマ字日記を残した石川啄木

『一握の砂』で有名な石川啄木。

はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る
友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ

などの句は、貧しい中、必死で生きた石川啄木の純粋性を感じ、胸がじーんとする。ところが、『文豪たちの憂鬱語録』には啄木が残したとんでもない作品が紹介されている。

 

それが『ローマ字日記』だ。日本語をローマ字で綴った実に不思議な日記を読み、啄木の生活が、実は放蕩三昧であったことを知った。ローマ字で日記を書いたのは、妻に内容を知られたくなかったからだという。妻はローマ字を読めなかったのだ。

 

「浅草に通って、遊女を何人も買ったこと」「家族への送金を渋っていること」「仮病を使って会社を休みまくったこと」(中略)なども、かなり赤裸々に書かれている

(『文豪たちの憂鬱語録』より抜粋)

 

これでは確かに妻には読ませることができない。石川啄木に対するイメージが、がらがらと音をたてて崩れていきそうになる。しかし、一方で、新しい啄木、私が今まで知らなかった啄木に会える気もして、なかなかに新鮮な体験となった。

 

夏目漱石

夏目漱石は留学先のロンドンで神経症を悪化させたと言われている。帰国後、東京帝国大学と第一高校の英語講師となったものの、精神状態は悪化の一途をたどり、苦しみのなかもがき続ける。

 

処女作である『吾輩は猫である』は、そんな苦しみを和らげようと気分転換のために書いた作品であるという。その意味では、神経症が名作を生んだのだ。その後、夏目漱石は教壇に立つのをやめ、小説に専念することを決心し、職業作家となった。

 

しかし、作家になってからも、神経症や胃潰瘍に悩まされ、49才で亡くなるまで、心身共にもだえ苦しみながら作品を書き続けた。『文豪たちの憂鬱語録』には、漱石が作品の中に残した言葉が記されている。

 

到底人間として、生存する為には、人間から嫌われると云う運命に到達するに違いない。 『それから』

呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。 『吾輩は猫である』

(『文豪たちの憂鬱語録』より抜粋)

 

売れっ子作家であり、エリートでもあった夏目漱石も、実は苦しみ抜いていたのだと、よくわかる。

 

珠玉の言葉が続く……

続く作家達もなかなかどうして見事な憂鬱の言葉を吐き出している。すべてを紹介できないので、どうか実際に読んでいただきたい。そして、どの憂鬱語録が自分の胸に迫るのか、探し出してはいかがだろう。

 

できることなら、自分も自分の憂鬱をさらけ出し「私の憂鬱語録」を書き出してみると、あらあら不思議、摩訶不思議……。生きている辛さや死への誘惑、そして、どうにもならない憂鬱から、少しの間、自分を解き放つことができる。

 

あなたの憂鬱を何とか飼い慣らすために、『文豪たちの憂鬱語録』は力になってくれると、私は信じている。

 

【書籍紹介】

文豪たちの憂鬱語録

著者:豊岡昭彦、高見澤 秀
発行:秀和システム

「生きてゆくから、叱らないで下さい」(太宰治)、「わがこの虚空のごとき、かなしみを見よ。私は何もしない。何もしていない」(宮沢賢治)など、文豪が人生をはかなみ、社会に唾を吐き、鬱々とさせる言葉には、言いたいことを素直に表現した爽快感があります。本書は、文豪たちの本音ともいえる憂鬱、絶望、悲哀、慟哭に満ちた言葉をすくいとった、ちょっと変わった語録です。文豪があなたの傷ついた心に寄り添い、ソッとなぐさめます。

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