【数量限定】JR「Suicaペンギン」「TOICAのひよこ」が大人用腕時計に!

アサミズカンパニーは、JR東日本のICカード「Suica」のキャラクターであるSuicaペンギン、JR東海のICカード「TOICA」のキャラクター、TOICAのひよこをデザインした腕時計を発売しました。12月18日から予約を開始し、25年1月下旬頃から順次発送する予定です。

 

記事のポイント

Suica、TOICAユーザーなら、ひと目でそれとわかる印象的なデザインの大人用腕時計です。着ければ、手首に注目されること間違いなし!キャラクターファンや鉄道ファンはもちろん、ちょっとしたアクセントになるファッションアイテムを探している人にはうれしい一品では。

 

Suicaのペンギンウォッチは、フェイス柄・ハーフ柄の2種展開、TOICAのひよこは、カードをイメージしたデザインです。

↑アクセントになること間違いなしのファッションアイテム

 

アサミズカンパニー
JR東日本 Suicaのペンギンウォッチ大人用フェイス柄ハーフ柄
各価格: 3960円(税込)

 

 

アサミズカンパニー
JR東海 TOICAのひよこウォッチ 大人用
価格: 3960円(税込)

「弘南鉄道6000系」に泊まれる!? 備品や機器類で装飾し、車内を再現したコンセプトルーム

津軽の鉄道文化にひたれるコンセプトルームが、青森県・弘前市の宿泊施設「GOOD OLD HOTEL」内に登場!

 

Clan PEONY津軽は、津軽地域で営業する私鉄・弘南鉄道大鰐線でかつて運行されていた、弘南鉄道6000系車両をテーマにした「弘南鉄道コンセプトルーム」の予約受付を、12月11日に開始しました。一般向けの宿泊は、12月17日にスタートします。

 

記事のポイント

弘南鉄道6000系は、1960年から約30年間、東京急行電鉄(現:東急電鉄)で運用され、弘南鉄道が譲り受けたのち2006年まで定期運行していた車両です。その6000系の車内を細部に渡って再現するために、弘南鉄道が監修したコンセプトルーム。机の中に至るまで、鉄道ファンの心をくすぐるアイテムがふんだんに詰まった客室になっています。

 

今回のコンセプトルームでは、実際の運行時に車内で使用していた座席や荷物棚、看板などの備品、計器やヘッドライトなどの機器類を室内装飾に用いています。ホテルでありながら、弘南鉄道の歴史に浸りつつ往年の車両に乗車しているような気分を味わえます。

↑室内に再現された座席。※写真は工事中のものです

 

↑入り口付近に、年表や社訓、スイッチ類などが据え付けられています ※写真は工事中のものです

 

↑机のなかにも備品類が盛りだくさん ※写真は工事中のものです

 

↑昔懐かしいつり革も、運行当時のまま設置 ※写真は工事中のものです

 

コンセプトルームが開設される「GOOD OLD HOTEL」は、繁華街の集合ビルをリノベーションした“泊まれるスナック街”として話題の宿泊施設。鉄道ファンはもとより、昭和レトロの雰囲気を満喫したい人や、古き良き時代の思い出に浸りたい人にとっても見どころ満載では。

 

Clan PEONY津軽
弘南鉄道コンセプトルーム
販売価格 :1部屋2万円(通常時)※時期によって変動あり
部屋タイプ:洋室ツイン(ベッド2台、最大定員2人、バス・トイレ付、禁煙)

 

なぜ増えている? 百花繚乱「ラッピング電車」の世界

前記事では、この9月に運行を開始したラッピング電車「ベイスターズトレイン ビクトリー号」について紹介した(~2018年9月16日まで運行)。この例に限らず、実はここ数年、全国の鉄道会社がラッピング電車を走らせることが増えている。その理由は何なのか、どんなラッピング電車が走っているのか――。本稿では具体的な例を挙げつつ、ラッピング電車の最新傾向を見ていこう。

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ベイスターズ応援電車「ビクトリー号」、鉄道好きが興味津々のギミックとは?

 

ラッピング電車が増えているのはなぜ?

ラッピングのはじまりは1990年代中ごろからと、意外に古い。2000年に東京を走る都バスに広告ラッピングが施され、その名を「ラッピングバス」と紹介されたことから、ラッピングの名が広まったとされる。

 

昨今、通勤用の電車は銀色のステンレス車体が多くなりつつある。塗料を使っての塗装が不用になってはいるものの、各車両の差はあまりない。沿線PR、キャンペーンなどでPR媒体として車両を利用したいときに、ラッピングはまさにうってつけだったのである。

 

さらに近年は、印刷精度もあがり、また貼りやすいラッピングシールが開発されている。

 

ラッピング費用は、ラッピングシールの大小で大きく異なる。その差は大きいが、車両全部(屋根や床下部分を除く)をラッピングすると1両で百数十万円以上というのが相場のようだ。8両や10両という長い車両を1両ごとラッピング、さらに企業広告ともなれば、広告費も加算されかなり高額になる。

 

一方で車両編成が短い電車となると、ぐっと身近になる。1〜2両編成の路面電車で広告ラッピングされた電車が多いことから、そのあたりの実情が推測できよう。

 

続いて全国を走る代表的なラッピング電車を見ていこう。

 

チームカラーが目を引く「プロ野球応援ラッピング電車」

前回ベイスターズのラッピング電車を紹介したので、まずはその他のプロ野球球団のラッピング電車から見ていこう。

 

例年、新たなデザインで登場しているのがJR西日本の「カープ応援ラッピング電車」。JR山陽線、呉線、可部線などを走行する。カープのイメージカラーである派手なレッドの車体が目立つ。今年の車両には、側面に選手たちがプレーする姿が躍動している。

↑毎年のように登場する「カープ応援ラッピングトレイン」。写真は2015年のもの。地元広島だけでなく、周辺地域を走ることもあり注目度は高い

 

西のカープが赤ならば、東の西武ライオンズはチームカラーでもあるレジェンドブルーで対抗する。全体がブルーのシックな装い、車体には球団のロゴが施される。車内のシートにも球団ロゴがプリントされている。

↑自社の球団を持つ強みを生かす西武鉄道。例年、西武ライオンズの球団ロゴ入りの「L-Train」を走らせる。今年の車両は3代目で、20000系10両×2編成が走り続けている

 

鉄道会社で球団を所有しているといえば、阪神電鉄が代表格でもある。この阪神だが、球団80周年の2015年にタイガースカラーの黄色い車体の「Yellow Magicトレイン」を走らせたものの、その後は大がかりなラッピング電車は走らせていない。今後に期待したい。

 

子どもたちに人気!「キャラクター入りラッピング電車」

キャラクター入りのラッピング電車も各地を走っている。代表的な車両を見ていこう。

 

自社のキャラクター「そうにゃん」を生み出し、そのキャラクター入りラッピング電車を走らせるのが相模鉄道。「そうにゃん」は相鉄沿線出身のネコだそうで、仕事は相鉄の広報担当とのこと。2014年に登場、そうにゃんのイラストが車内外に入るラッピング電車「そうにゃんトレイン」が好評で、すでに5代目の「そうにゃんトレイン」が走っている。

↑相模鉄道のキャラクターといえば「そうにゃん」。車内外にキャラクターが入る「そうにゃんトレイン」はすでに5代目が走っている。写真は4代目そうにゃんトレイン

 

熊本県のPRキャラクターといえば「くまモン」。肥薩おれんじ鉄道では、2012年からくまモン入りの「くまモンラッピング列車」を走らせている。当初は1両のみだったが、その後に増えて2号、3号と色違いのラッピング列車が走っている。くまモンの姿は車体だけでなく、車内にはくまモンのぬいぐるみや立体像などが置かれ、かわいらしい姿を楽しむことができる。

↑肥薩おれんじ鉄道の「くまモンラッピング列車」。ブルーの車体の「1号」以外に、オレンジ色の「2号」、さらに2018年3月から黒と赤の「3号」も走り始めている

 

キャラクター入りラッピング列車は他社でも多く登場している。代表的な車両としては、JR四国の「アンパンマン列車」、京阪電気鉄道の「きかんしゃトーマス号」、富士急行「トーマスランド号」などが挙げられる。子どもたちに人気があるキャラクターがラッピングされる傾向は、今後も強まるだろう。

 

沿線の観光要素を強く打ち出した「観光ラッピング電車」

鉄道会社にとって、定番となりつつあるのが、「観光ラッピング電車」。沿線のPRも兼ねて、また既存の車両とはひとあじ異なる車両を走らせ、乗客の注目を集める狙いもあるようだ。

 

代表的な車両を2車両、挙げておこう。

 

まずは西日本鉄道(西鉄)の観光ラッピング電車「旅人(たびと)」。沿線の太宰府観光用に生まれた電車だ。2014年当時には8000形が使われていたが、現在は、3000形となり、太宰府の観光活性化に一役買っている。さらに西鉄では「水都(すいと)」という観光ラッピング電車も走らせている。こちらは柳川のイメージアップを図るための観光ラッピング電車。こちらも以前は8000形だったが、現在は3000形を利用した2代目となっている。

↑西日本鉄道の「旅人(たびと)」は沿線の太宰府をモチーフにしたラッピング電車。車体には太宰府に咲く四季の花々が描かれる。内装は5つの開運模様で構成される

 

両列車とも注目度は高く、ラッピングや車内の改装などの費用をかけてでも、こうした観光ラッピング電車を走らせる効果は大きいようだ。

 

おもしろいのは南海電気鉄道(以下、南海と略)加太線(かだせん)を走る「めでたいでんしゃ」。

 

和歌山県の海沿いを走る加太線沿線は海産物が特産品となっていて、路線も「加太さかな線」という愛称をもつ。とはいえ、ローカル線ならではの乗客の減少に悩んでいた。そんな同線用に2016年に登場させたのが「めでたいでんしゃ」。加太に縁の深い鯛をモチーフに生まれた電車だ。走る電車で鯛のボディを再現しており、窓には目、車体にはウロコ模様が入るなど凝った造りとなっている。

↑南海電気鉄道加太線の「めでたいでんしゃ」。沿線を代表する海の幸「鯛」が走るイメージ。ピンクの「めでたいでんしゃ さち」と水色の「めでたいでんしゃ かい」が走る

 

↑こちらは2015年9月末から走り始めた京王電鉄の高尾山ラッピング車両。1983年まで走っていた京王2000系の緑色を再現。車体には四季の高尾山の姿が描かれている

 

↑阿武隈急行の「伊達なトレインプロジェクト号」。後に仙台藩主まで出世した伊達政宗のゆかりの地、伊達市を走ることから生まれたラッピング車両。2016年春から走り続ける

 

こんな車両は見たことない!「ユニークなラッピング電車」

ラッピング電車の長所は、デザインの自由度が際限なく生かせる所。発想がユニークなラッピング電車も各地で走っている。最後に、そうしたちょっとユニークなラッピング電車を見てみよう。

 

まずは京浜急行の大師線を走る「京急120年の歩み号」から。

 

4両編成の同列車、それぞれの車体カラーが、太平洋戦争前、戦後そして現代と、時代ごとに変ってきた京浜急行の車体カラーがラッピングされている。1番古い赤茶色の車体には、古い電車を表現すべく、鋼鉄製の車体を組み立てるときに使われたリベットの出っ張りまでがプリントされている。このあたりは、ラッピング電車でなければできない表現だろう。

↑「京急120年の歩み号」と名付けられた京浜急行1500形ラッピング電車。4両それぞれ、異なる年代の車体カラーを施した。2019年の2月まで大師線を中心に走る予定だ

 

東急世田谷線のラッピング電車もおもしろい。

 

「招き猫電車」として名付けられたこの電車。世田谷線が玉電として走り始めてから110周年を迎えることから生まれた。塗装でこのような招き猫のデザインを描くとなると、かなり大変だ。細かい招き猫の模様は、ラッピングシールがあるからこそ表現できたものだろう。残念ながら2018年9月末までの運行の予定。ホームページ上で運行予定が公開されているので、いまのうちに乗ってみてはいかがだろう。

↑東急世田谷線を走る「招き猫電車」。玉電として走りはじめて110周年を迎えたことから走り始めたラッピング電車で、2018年の9月いっぱい走り続ける予定

 

↑こちらは智頭急行のラッピング列車「あまつぼし」。天空の津(港)に集う天上の星をイメージした。車体には発見すると幸せになれる(?)ピンクの「ハート型の星」もデザインされる

 

↑長崎電気軌道の「みなと」。デザイナー水戸岡鋭治さんにより310号電車の車内外がリメークされた。輝くメタリック色、車体にはネコのイラストも入り注目度は抜群

 

まさに百花繚乱となりつつあるラッピング電車の世界。今後、どのようなラッピング電車が登場するか、ますます楽しみだ。

ベイスターズ応援電車「ビクトリー号」、鉄道好きが興味津々のギミックとは?

9月、プロ野球はシーズン終盤戦を迎え、日々、過熱の度合いを高める。そんな折、横浜を本拠地とするDeNAベイスターズを応援する特別ラッピング電車「ベイスターズトレイン ビクトリー号」が東急東横線・みなとみらい線で運転を開始した。ラッピング電車は16日(日曜)まで走り続ける。

↑東急東横線、みなとみらい線を走った臨時「ベイスターズトレイン ビクトリー号」。渋谷駅発、日本大通り駅行きという珍しい特別列車となった 写真協力:HK

 

↑車内の様子

 

選手たちの雄姿を車内外にラッピングした「ビクトリー号」

東京急行電鉄(以下、東急と略)と、横浜高速鉄道、さらにDeNAベイスターズの3社の協力によって生まれた「ベイスターズトレイン ビクトリー号」。横浜高速鉄道Y500系8両編成を利用して、DeNAベイスターズ一色のラッピング電車として仕立てた。

 

もともとY500系は、車体の色が球団カラーのブルーを基調にした電車。車外にまず選手の写真がラッピングされている。さらに車内がすごい。ドアには躍動する選手たちの姿がラッピングされている。床や中吊りほかの広告スペースもすべてDeNAベイスターズだらけ。吊り革ももちろんDeNAバージョンだ。

 

ビクトリー号を利用した特別ツアーには特別ゲストも登場!

「ベイスターズトレイン ビクトリー号」が走り始めた初日の9月7日(金曜日)から3日間は、同列車を利用した「ビクトリーツアー」が行われた。渋谷駅から横浜スタジアムの最寄り駅、日本大通り駅まで走る臨時列車として運行。列車には公募により選ばれた250名が乗車。DeNAのユニフォームを着込んだ、熱心なファンの姿が目立つ。

↑球団ユニフォームを着込んだDeNAファン一色だった「ビクトリーツアー」。乗り込んだファンたちは、選手の雄姿を熱心に撮り歩くために車内を行ったり来たり

 

乗車したファンたちは、まずはラッピングされた電車の中を熱心に見て回り、記念撮影を楽しむ。取材日の特別ゲストは球団OBの三浦大輔さん、MCはダーリンハニー吉川正洋さんというコンビ。吉川さんは大の鉄道ファンであり、熱心なDeNAファンとして知られている。車内アナウンス用のマイクを利用しての、この2人の軽妙なやり取りに車内は大いに盛り上がった。

↑「ビクトリーツアー」初日は、特別ゲストとして“ハマの番長”ことOBの三浦大輔さんが同乗。乗車したファンにポストカードを配布、ハイタッチで応援ムードを盛り上げた

 

渋谷駅発12時48分、日本大通り13時33分着。途中の数駅で、運転停車はしたものの、ドアは開かずという東急としては非常にレアな臨時列車となった。特別ゲストの三浦大輔さんと吉川正洋さんが車内を巡り、ファンと交流する。あっという間に日本大通り駅に到着した。その後も記念グッズ抽選会や、スタジアム内での練習見学と盛りだくさんの1日となった。

↑乗客を送り届け、車両基地へ戻る「ビクトリー号」。車両は横浜高速鉄道のY500系が利用された。正面にはDeNAベイスターズのヘッドマークも掲げられた

 

ラッピングされた「ベイスターズトレイン ビクトリー号」は、9月16日まで東急東横線とみなとみらい線を中心に走り続ける。車内のラッピングは、この16日で外される予定だが、車体に貼られた選手たちの写真は、その後しばらくの間はラッピングされたままで走り続ける予定だ。

 

おもしろい車内ラッピングに鉄道ファンも興味津々

ベイスターズファンとして盛り上がり必至な「ビクトリー号」だが、鉄道好きにもおもしろい電車だった。車外をラッピングした電車は多いが、車内をラッピングしている電車となると、そう多くはない。

 

特に興味をひかれたのが、ドアに貼られた選手たちのラッピング。トンネルといった背景が暗い場所では、その迫力のシーンが1枚の写真のようになってしっかり見える。だが明るい背景のところで見ると、ガラス窓のみ透けてみえるように工夫されている。車両の運行のためには、この部分が透けることが必要なのだそう。ちゃんと鉄道車両のラッピングならではの難しい問題もクリアされていたわけだ。

↑ドアに貼られた背番号19は、「小さな大魔神」の愛称を持つ山崎康晃選手。背景が暗いトンネル内では、このように迫力ある投球シーンがしっかりと見える

 

↑明るいところでは、このようにガラス窓部分が透けて見えるようにつくられている。保安上の問題から、窓部分だけこのように透ける特別なラッピングシールが貼られている

 

↑車体の側面にはDeNAの選手たちのプロフィール写真がラッピングされている。乗降トビラのラッピングは、外から見ると、このように選手の姿が見えないことがわかる

 

ここまでは最近走り始めた「ベイスターズトレイン ビクトリー号」というラッピング電車を見てきた。このほかにも、ここ最近は全国の鉄道会社がラッピング電車を走らせている。次回はそうした事例を挙げつつ、ラッピング電車の最新傾向を見ていこう。

カラフルトレインと独特な路面電車が走る稀有な街――“元気印”のローカル線「豊橋鉄道」の旅

おもしろローカル線の旅~~豊橋鉄道渥美線(愛知県)~~

 

愛知県の東南端に位置する豊橋市。この豊橋市を中心に電車を走らせるのが豊橋鉄道だ。今回はまず、豊橋鉄道がらみのクイズから話をスタートさせたい。

【クイズ1】普通鉄道+路面電車を走らせる会社は全国に何社ある?

【答え1】全国で5社が普通鉄道+路面電車を走らせる

豊橋鉄道は渥美線という普通鉄道(新幹線を含むごく一般的な鉄道を意味する)の路線と、市内線(東田本線)という路面電車を走らせている。こうした普通鉄道と路面電車の両方を走らせている鉄道会社は5社しかない(公営の鉄道事業者を除く)。

 

ここで普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社を挙げておこう。

 

東京急行電鉄(東京都・神奈川県)、京阪電気鉄道(大阪府・京都府など)、富山地方鉄道(富山県)、伊予鉄道(愛媛県)に加えて、豊橋鉄道の計5社だ。東京急行電鉄が走らせる路面電車(世田谷線)は、道路上を走る併用軌道区間がほとんどなく、含めるかどうかは微妙なところなので、実際には4社と言っていいかもしれない。

 

このように豊橋鉄道は全国でも数少ない普通鉄道と路面電車を走らせる、数少ない鉄道会社なのだ。

↑豊橋市内を走る路面電車・豊橋鉄道市内線(東田本線)。写真はT1000形で、「ほっトラム」の愛称を持つ。低床構造の車両で2008年に導入された

 

【クイズ2】1の答えのなかで、県庁所在地でない街を走る鉄道は?

【答え2】県庁所在地でない街を走るのは豊橋鉄道のみ

前述した普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社は、ほとんどが都・府・県庁所在地を走る鉄道だ。

 

5社のうち唯一、豊橋鉄道が走る豊橋市のみ県庁所在地ではない。豊橋市の人口は約37万人で、首都圏で同規模の人口を持つ街をあげるとしたら川越市、所沢市(両市とも埼玉県)が近い。人口30万人台の都市で、普通鉄道と路面電車の両方が走る、というのは異色の存在と言うことができるだろう。

 

豊橋市は愛知県の中核都市とはいえ、豊橋鉄道を巡る環境は決して恵まれていない。にも関わらず豊橋鉄道は優良企業であり、年々、手堅く収益を上げ続けている元気な地方鉄道だ。

 

今回は、そうした“元気印”の豊橋鉄道渥美線と市内線を巡る旅を楽しもう。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべてが1800系。もと東京急行電鉄の7200系だ。電車は3両×10編成あり、すべての色が異なる。写真は1808号車で編成名は「椿」

 

渥美線、市内線ともに90年以上、豊橋を走り続けてきた

豊橋鉄道の歴史を簡単に振り返っておこう。

 

1924(大正13)年1月:渥美電鉄が高師駅(たかしえき)〜豊島駅間を開業

1925(大正14)年5月:新豊橋駅〜田原駅(現・三河田原駅)間が開業

1925(大正14年)7月:豊橋電気軌道が市内線を開業、以降、路線を延長

1940(昭和15)年:名古屋鉄道(以降、名鉄と略)が渥美電鉄を合併

1949(昭和24)年:豊橋電気軌道が豊橋交通に社名変更

1954(昭和29)年:豊橋交通が豊橋鉄道に社名を変更。同年に名鉄が渥美線を豊橋鉄道へ譲渡

 

歴史を見ると、太平洋戦争前までは、渥美線と市内線(東田本線)は別の歩みをしていた。その後に名鉄に吸収合併された渥美線が、名鉄の経営から離れ、市内線を走らせていた豊橋鉄道に合流した。ちなみに、現在も豊橋鉄道は名鉄の連結子会社となっている。

 

【豊橋鉄道渥美線】全10色の「カラフルトレイン」が沿線を彩る

豊橋鉄道は旅をする者にとって、乗って楽しめる鉄道でもある。

 

まずは豊橋鉄道渥美線の旅から。渥美線の電車は、その名もずばり「カラフルトレイン」の名が付く。

 

渥美線の電車は、とにかくカラフルだ。3両×10編成の電車が使われるが、すべての色が違う。1801号車は赤い「ばら」、1802号車は茶色の「はまぼう」、1803号車はピンクで「つつじ」、というように各編成には、沿線に咲く草花の愛称が付けられる。

↑赤い車両は1801号で編成名は「ばら」。渥美線の電車は沿線を彩る花や植物にちなんだカラーに正面やドアなどが塗られ、「カラフルトレイン」の名が付けられている

 

↑カラフルトレインの車体には写真のようにカラフルなイラストが描かれる。10編成ある車体の違いを見比べても楽しい

 

電車は元東京急行電鉄の7200系。1967(昭和42)年に誕生したステンレス車で東急では田園都市線、東横線などを長年、走り続けた。2000(平成12)年には全車両がすでに引退している。豊橋鉄道では、この東急を引退した年に計30両を譲り受けた。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべて1800系。元東急の7200系で、製造されたのは昭和42年から。東急車輌の銘板が掲げられる。車歴はほぼ50年だが大事に使われている

 

生まれた年を考慮すると、かなりの古参の車両ではあるが、豊橋鉄道では、古さを感じさせないカラフルなカラーに模様替えされている。

凝ったつくりの1日フリー乗車券。乗車記念にもぴったり

渥美線の起点となる新豊橋駅。駅名が違うものの、JR・名鉄の豊橋駅を出ればすぐ。アクセスも良く駅舎も快適だ。

↑渥美線はJR豊橋駅に隣接した新豊橋駅が起点となる。新豊橋駅は2009年に新装された駅舎で、豊橋駅東口・南口の連絡デッキ(自由通路階)とつながり利用しやすい

 

渥美線を旅するならば新豊橋駅で「1日フリー乗車券(1100円)」を購入したい。単に新豊橋駅と終点の三河田原駅を往復するだけならば、通常切符の方が割安だが(520円×2)、途中駅にも立ち寄るならばフリー乗車券のほうが断然におトクとなる。

 

さらに、この1日フリー乗車券。鉄道好きな人たちの心をくすぐる工夫がされている。ジャバラ状になっていて、広げると渥美線のカラフルトレイン10編成のイラストや解説を楽しむことができるのだ。使用後にも大事に保存してきたい、そんな乗車券だ。

↑豊橋鉄道の1日フリー乗車券。凝ったつくりで表裏に「カラフルトレイン」各色の車両説明とともに沿線の案内がプリントされる。記念に保存しておきたい乗車券だ

 

↑渥美線の新豊橋駅のホームには、フグなどの地元の産品のイラストが描かれる

 

乗車時間は片道40分弱。渥美半島の景色を楽しみながら走る

渥美線は新豊橋駅〜三河田原駅(みかわたはらえき)間の18.0kmを結ぶ。乗車時間は40分弱で、長くもなく、短くもなく、ほどほど楽しめる路線距離だ。

新豊橋駅から、しばらく東海道本線に並走して最初の駅、柳生橋駅へ到着。さらに東海道本線を越え、東海道新幹線の線路をくぐり南下する。

 

しばらく住宅街を見つつ愛知大学前駅へ。このあたりからは愛知大学のキャンパスや、高師緑地など沿線に緑が多く見られるようになる。

 

高師緑地の先にある高師駅(たかしえき)には渥美線の車庫があり、検修施設などをホームから見ることができる。

↑高師駅の南側に車両基地が設けられる。留置線に停まるのは1805号の「菖蒲」。菖蒲は梅雨の時期、豊橋市の賀茂しょうぶ園や田原市の初立池公園などで楽しめる

 

↑1807号「菜の花」の車内。シートは菜の花柄。吊り革も黄色と菜の花のイメージで統一されている。乗っても楽しめるのが豊橋鉄道渥美線の魅力だ

 

芦原駅(あしはらえき)を過ぎると沿線の周辺には畑を多く見かけるようになる。路線が通る渥美半島の産物はキャベツ、ブロッコリー、レタス、スイカ、露地メロンなど。渥美線の1810号車は「菊」が愛称となっているが、電照菊を栽培するビニールハウスの灯りも、この沿線の名物になっている。

 

そうした畑を見つつ乗車すれば、終点の三河田原駅へ到着する。同駅からは渥美半島の突端、伊良湖岬(いらこみさき)行きのバスが出ている。

↑渥美線の終点・三河田原駅。2013年10月に駅舎が改築された。1980年代まで貨物輸送に利用されていたため駅構内はいまも広々としている

【豊橋鉄道市内線】豊橋市内を走る路面電車も見どころいっぱい

豊橋鉄道では路面電車の路線を「豊鉄市内線」と案内している。路線名は東田(あずまだ)本線が正式な名前だ。ここでは市内線という通称名で呼ぶことにしよう。

 

ちなみに東海中部地方では、豊橋鉄道市内線が唯一の路面電車でもある。

 

市内線の路線は駅前〜赤岩口間の4.8kmと、井原〜運動公園前間の0.6kmの計5.4kmである。

 

路面電車は豊橋駅東口にある「駅前」停留場から発車する。行き先は「赤岩口(あかいわぐち)」と「運動公園前」がメインだ。途中の「競輪場前」止まりも走っている。

↑豊橋駅ビル(カルミア)の前に広がる連絡デッキを下りた1階部分に「駅前」停留場がある。写真は「赤岩口」行きの市内線電車。車輌はモ3500形で元都電荒川線7000形

 

名鉄や都電の譲渡車輌に加えて新製した低床車輌も走る

市内線で使われる車輌は5種類。

 

まず低床のLRV(Light Rail Vehicleの略)タイプのT1000形「ほっトラム」は、1925年以来、約83年ぶりとなる自社発注の新製車輌でもある。

 

ほか、モ3200形は名鉄岐阜市内線で使われていたモ580形3両を譲り受けたもの。モ3500形は東京都交通局の都電荒川線を走った7000形で、4両が走る。

 

モ780形は名鉄岐阜市内線を走ったモ780形で、市内線では7両が走り、主力車輌として活躍している。そのほか、モ800形という車輌も1両走る。こちらは名鉄美濃町線を走っていた車輌だ。

↑市内線の主力車輌となっているモ780形。地元信用金庫のラッピング広告が施された781号車など、華やかな姿の車輌が多い

 

↑元名鉄岐阜市内線を走った3203号車。クリーム地に赤帯のカラーは豊鉄標準カラーと呼ばれる。標準カラーだが、実際にはこの色の車輌は少なく希少性が高い

 

↑3201号車は「ブラックサンダー号」。豊橋で生まれ、現在、全国展開するお菓子のパッケージそのものの車体カラー。市内線の「黒い雷神」として人気者になっている

 

↑「おでんしゃ」は車内でおでんや飲み物を楽しみつつ走る、秋からのイベント電車だ。秋の9月24日までは納涼ビール電車が運行されて人気となっている

 

市内線を走る電車は、T1000形以外は、名鉄と都電として活躍した車両が多い。豊橋鉄道へやってきたこれらの電車たち。独特のラッピング広告をほどこされ、見ているだけでも楽しい電車に出会える。

 

日本一の急カーブに加えて、国道1号を堂々と走る姿も名物に

市内線は豊橋駅から、豊橋市街を通る旧東海道方面や、三河吉田藩の藩庁がおかれた吉田城趾方面へ行くのに便利な路線だ。

 

興味深いのは、市役所前から東八町(ひがしはっちょう)にかけて国道1号を走ること。国道1号を走る路面電車は、全国を走る路面電車でもこの豊橋鉄道市内線だけ。自動車や長距離トラックと並走する姿を目にすることができる。

↑豊橋公園前電停付近から東八町電停方面を望む。国道1号の中央部に設けられた市内線の線路を走るのはT1000形「ほっトラム」

 

国道1号を通るとともに、面白い光景を見ることができるのが井原電停付近。井原電停から運動公園前へ行く電車は、交差点内で急カーブを曲がる。このカーブの大きさは半径11mというもの。このカーブは日本の営業線のなかでは最も急なカーブとされている。

 

ちなみに普通鉄道のカーブは最も急なものでも半径60mぐらい。それでもかなりスピードを落として走ることが必要だ。

 

路面電車でも半径30mぐらいがかなり急とされているので、半径11mというカーブは極端だ。このカーブを曲がれるように、同市内線の電車は改造されている。

 

T1000形は、この急カーブを曲がり切れないため、運動公園前への運用は行われていないほどだ。日本で最も厳しいカーブを路面電車が曲がるその光景はぜひとも見ておきたい。

↑井原電停交差点の半径11mという急カーブを走るモ780形。見ているとほぼ横滑りするかのように、また台車もかなり曲げつつスピードを落として走り抜ける

 

赤岩口へ向かう電車は井原電停の先を直進する。赤岩口には同線の車輌基地がある。

 

この赤岩口も、同路線の見どころの1つ。車庫から出庫する電車は市内線に入る際に一度、道路上に設けられた折り返し線に入って、そこでスイッチバックして赤岩口電停へ入る。

 

折り返し線は道路中央にあり、通行する自動車の進入防止の柵もなく、何とも心もとない印象だが、通行するドライバーも慣れているのだろう。白線にそって電車の線路を避けて通る様子が見受けられる。

 

カラフルトレインと独特な路面電車が走る稀有な街――“元気印”のローカル線「豊橋鉄道」の旅

おもしろローカル線の旅~~豊橋鉄道渥美線(愛知県)~~

 

愛知県の東南端に位置する豊橋市。この豊橋市を中心に電車を走らせるのが豊橋鉄道だ。今回はまず、豊橋鉄道がらみのクイズから話をスタートさせたい。

【クイズ1】普通鉄道+路面電車を走らせる会社は全国に何社ある?

【答え1】全国で5社が普通鉄道+路面電車を走らせる

豊橋鉄道は渥美線という普通鉄道(新幹線を含むごく一般的な鉄道を意味する)の路線と、市内線(東田本線)という路面電車を走らせている。こうした普通鉄道と路面電車の両方を走らせている鉄道会社は5社しかない(公営の鉄道事業者を除く)。

 

ここで普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社を挙げておこう。

 

東京急行電鉄(東京都・神奈川県)、京阪電気鉄道(大阪府・京都府など)、富山地方鉄道(富山県)、伊予鉄道(愛媛県)に加えて、豊橋鉄道の計5社だ。東京急行電鉄が走らせる路面電車(世田谷線)は、道路上を走る併用軌道区間がほとんどなく、含めるかどうかは微妙なところなので、実際には4社と言っていいかもしれない。

 

このように豊橋鉄道は全国でも数少ない普通鉄道と路面電車を走らせる、数少ない鉄道会社なのだ。

↑豊橋市内を走る路面電車・豊橋鉄道市内線(東田本線)。写真はT1000形で、「ほっトラム」の愛称を持つ。低床構造の車両で2008年に導入された

 

【クイズ2】1の答えのなかで、県庁所在地でない街を走る鉄道は?

【答え2】県庁所在地でない街を走るのは豊橋鉄道のみ

前述した普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社は、ほとんどが都・府・県庁所在地を走る鉄道だ。

 

5社のうち唯一、豊橋鉄道が走る豊橋市のみ県庁所在地ではない。豊橋市の人口は約37万人で、首都圏で同規模の人口を持つ街をあげるとしたら川越市、所沢市(両市とも埼玉県)が近い。人口30万人台の都市で、普通鉄道と路面電車の両方が走る、というのは異色の存在と言うことができるだろう。

 

豊橋市は愛知県の中核都市とはいえ、豊橋鉄道を巡る環境は決して恵まれていない。にも関わらず豊橋鉄道は優良企業であり、年々、手堅く収益を上げ続けている元気な地方鉄道だ。

 

今回は、そうした“元気印”の豊橋鉄道渥美線と市内線を巡る旅を楽しもう。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべてが1800系。もと東京急行電鉄の7200系だ。電車は3両×10編成あり、すべての色が異なる。写真は1808号車で編成名は「椿」

 

渥美線、市内線ともに90年以上、豊橋を走り続けてきた

豊橋鉄道の歴史を簡単に振り返っておこう。

 

1924(大正13)年1月:渥美電鉄が高師駅(たかしえき)〜豊島駅間を開業

1925(大正14)年5月:新豊橋駅〜田原駅(現・三河田原駅)間が開業

1925(大正14年)7月:豊橋電気軌道が市内線を開業、以降、路線を延長

1940(昭和15)年:名古屋鉄道(以降、名鉄と略)が渥美電鉄を合併

1949(昭和24)年:豊橋電気軌道が豊橋交通に社名変更

1954(昭和29)年:豊橋交通が豊橋鉄道に社名を変更。同年に名鉄が渥美線を豊橋鉄道へ譲渡

 

歴史を見ると、太平洋戦争前までは、渥美線と市内線(東田本線)は別の歩みをしていた。その後に名鉄に吸収合併された渥美線が、名鉄の経営から離れ、市内線を走らせていた豊橋鉄道に合流した。ちなみに、現在も豊橋鉄道は名鉄の連結子会社となっている。

 

【豊橋鉄道渥美線】全10色の「カラフルトレイン」が沿線を彩る

豊橋鉄道は旅をする者にとって、乗って楽しめる鉄道でもある。

 

まずは豊橋鉄道渥美線の旅から。渥美線の電車は、その名もずばり「カラフルトレイン」の名が付く。

 

渥美線の電車は、とにかくカラフルだ。3両×10編成の電車が使われるが、すべての色が違う。1801号車は赤い「ばら」、1802号車は茶色の「はまぼう」、1803号車はピンクで「つつじ」、というように各編成には、沿線に咲く草花の愛称が付けられる。

↑赤い車両は1801号で編成名は「ばら」。渥美線の電車は沿線を彩る花や植物にちなんだカラーに正面やドアなどが塗られ、「カラフルトレイン」の名が付けられている

 

↑カラフルトレインの車体には写真のようにカラフルなイラストが描かれる。10編成ある車体の違いを見比べても楽しい

 

電車は元東京急行電鉄の7200系。1967(昭和42)年に誕生したステンレス車で東急では田園都市線、東横線などを長年、走り続けた。2000(平成12)年には全車両がすでに引退している。豊橋鉄道では、この東急を引退した年に計30両を譲り受けた。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべて1800系。元東急の7200系で、製造されたのは昭和42年から。東急車輌の銘板が掲げられる。車歴はほぼ50年だが大事に使われている

 

生まれた年を考慮すると、かなりの古参の車両ではあるが、豊橋鉄道では、古さを感じさせないカラフルなカラーに模様替えされている。

凝ったつくりの1日フリー乗車券。乗車記念にもぴったり

渥美線の起点となる新豊橋駅。駅名が違うものの、JR・名鉄の豊橋駅を出ればすぐ。アクセスも良く駅舎も快適だ。

↑渥美線はJR豊橋駅に隣接した新豊橋駅が起点となる。新豊橋駅は2009年に新装された駅舎で、豊橋駅東口・南口の連絡デッキ(自由通路階)とつながり利用しやすい

 

渥美線を旅するならば新豊橋駅で「1日フリー乗車券(1100円)」を購入したい。単に新豊橋駅と終点の三河田原駅を往復するだけならば、通常切符の方が割安だが(520円×2)、途中駅にも立ち寄るならばフリー乗車券のほうが断然におトクとなる。

 

さらに、この1日フリー乗車券。鉄道好きな人たちの心をくすぐる工夫がされている。ジャバラ状になっていて、広げると渥美線のカラフルトレイン10編成のイラストや解説を楽しむことができるのだ。使用後にも大事に保存してきたい、そんな乗車券だ。

↑豊橋鉄道の1日フリー乗車券。凝ったつくりで表裏に「カラフルトレイン」各色の車両説明とともに沿線の案内がプリントされる。記念に保存しておきたい乗車券だ

 

↑渥美線の新豊橋駅のホームには、フグなどの地元の産品のイラストが描かれる

 

乗車時間は片道40分弱。渥美半島の景色を楽しみながら走る

渥美線は新豊橋駅〜三河田原駅(みかわたはらえき)間の18.0kmを結ぶ。乗車時間は40分弱で、長くもなく、短くもなく、ほどほど楽しめる路線距離だ。

新豊橋駅から、しばらく東海道本線に並走して最初の駅、柳生橋駅へ到着。さらに東海道本線を越え、東海道新幹線の線路をくぐり南下する。

 

しばらく住宅街を見つつ愛知大学前駅へ。このあたりからは愛知大学のキャンパスや、高師緑地など沿線に緑が多く見られるようになる。

 

高師緑地の先にある高師駅(たかしえき)には渥美線の車庫があり、検修施設などをホームから見ることができる。

↑高師駅の南側に車両基地が設けられる。留置線に停まるのは1805号の「菖蒲」。菖蒲は梅雨の時期、豊橋市の賀茂しょうぶ園や田原市の初立池公園などで楽しめる

 

↑1807号「菜の花」の車内。シートは菜の花柄。吊り革も黄色と菜の花のイメージで統一されている。乗っても楽しめるのが豊橋鉄道渥美線の魅力だ

 

芦原駅(あしはらえき)を過ぎると沿線の周辺には畑を多く見かけるようになる。路線が通る渥美半島の産物はキャベツ、ブロッコリー、レタス、スイカ、露地メロンなど。渥美線の1810号車は「菊」が愛称となっているが、電照菊を栽培するビニールハウスの灯りも、この沿線の名物になっている。

 

そうした畑を見つつ乗車すれば、終点の三河田原駅へ到着する。同駅からは渥美半島の突端、伊良湖岬(いらこみさき)行きのバスが出ている。

↑渥美線の終点・三河田原駅。2013年10月に駅舎が改築された。1980年代まで貨物輸送に利用されていたため駅構内はいまも広々としている

【豊橋鉄道市内線】豊橋市内を走る路面電車も見どころいっぱい

豊橋鉄道では路面電車の路線を「豊鉄市内線」と案内している。路線名は東田(あずまだ)本線が正式な名前だ。ここでは市内線という通称名で呼ぶことにしよう。

 

ちなみに東海中部地方では、豊橋鉄道市内線が唯一の路面電車でもある。

 

市内線の路線は駅前〜赤岩口間の4.8kmと、井原〜運動公園前間の0.6kmの計5.4kmである。

 

路面電車は豊橋駅東口にある「駅前」停留場から発車する。行き先は「赤岩口(あかいわぐち)」と「運動公園前」がメインだ。途中の「競輪場前」止まりも走っている。

↑豊橋駅ビル(カルミア)の前に広がる連絡デッキを下りた1階部分に「駅前」停留場がある。写真は「赤岩口」行きの市内線電車。車輌はモ3500形で元都電荒川線7000形

 

名鉄や都電の譲渡車輌に加えて新製した低床車輌も走る

市内線で使われる車輌は5種類。

 

まず低床のLRV(Light Rail Vehicleの略)タイプのT1000形「ほっトラム」は、1925年以来、約83年ぶりとなる自社発注の新製車輌でもある。

 

ほか、モ3200形は名鉄岐阜市内線で使われていたモ580形3両を譲り受けたもの。モ3500形は東京都交通局の都電荒川線を走った7000形で、4両が走る。

 

モ780形は名鉄岐阜市内線を走ったモ780形で、市内線では7両が走り、主力車輌として活躍している。そのほか、モ800形という車輌も1両走る。こちらは名鉄美濃町線を走っていた車輌だ。

↑市内線の主力車輌となっているモ780形。地元信用金庫のラッピング広告が施された781号車など、華やかな姿の車輌が多い

 

↑元名鉄岐阜市内線を走った3203号車。クリーム地に赤帯のカラーは豊鉄標準カラーと呼ばれる。標準カラーだが、実際にはこの色の車輌は少なく希少性が高い

 

↑3201号車は「ブラックサンダー号」。豊橋で生まれ、現在、全国展開するお菓子のパッケージそのものの車体カラー。市内線の「黒い雷神」として人気者になっている

 

↑「おでんしゃ」は車内でおでんや飲み物を楽しみつつ走る、秋からのイベント電車だ。秋の9月24日までは納涼ビール電車が運行されて人気となっている

 

市内線を走る電車は、T1000形以外は、名鉄と都電として活躍した車両が多い。豊橋鉄道へやってきたこれらの電車たち。独特のラッピング広告をほどこされ、見ているだけでも楽しい電車に出会える。

 

日本一の急カーブに加えて、国道1号を堂々と走る姿も名物に

市内線は豊橋駅から、豊橋市街を通る旧東海道方面や、三河吉田藩の藩庁がおかれた吉田城趾方面へ行くのに便利な路線だ。

 

興味深いのは、市役所前から東八町(ひがしはっちょう)にかけて国道1号を走ること。国道1号を走る路面電車は、全国を走る路面電車でもこの豊橋鉄道市内線だけ。自動車や長距離トラックと並走する姿を目にすることができる。

↑豊橋公園前電停付近から東八町電停方面を望む。国道1号の中央部に設けられた市内線の線路を走るのはT1000形「ほっトラム」

 

国道1号を通るとともに、面白い光景を見ることができるのが井原電停付近。井原電停から運動公園前へ行く電車は、交差点内で急カーブを曲がる。このカーブの大きさは半径11mというもの。このカーブは日本の営業線のなかでは最も急なカーブとされている。

 

ちなみに普通鉄道のカーブは最も急なものでも半径60mぐらい。それでもかなりスピードを落として走ることが必要だ。

 

路面電車でも半径30mぐらいがかなり急とされているので、半径11mというカーブは極端だ。このカーブを曲がれるように、同市内線の電車は改造されている。

 

T1000形は、この急カーブを曲がり切れないため、運動公園前への運用は行われていないほどだ。日本で最も厳しいカーブを路面電車が曲がるその光景はぜひとも見ておきたい。

↑井原電停交差点の半径11mという急カーブを走るモ780形。見ているとほぼ横滑りするかのように、また台車もかなり曲げつつスピードを落として走り抜ける

 

赤岩口へ向かう電車は井原電停の先を直進する。赤岩口には同線の車輌基地がある。

 

この赤岩口も、同路線の見どころの1つ。車庫から出庫する電車は市内線に入る際に一度、道路上に設けられた折り返し線に入って、そこでスイッチバックして赤岩口電停へ入る。

 

折り返し線は道路中央にあり、通行する自動車の進入防止の柵もなく、何とも心もとない印象だが、通行するドライバーも慣れているのだろう。白線にそって電車の線路を避けて通る様子が見受けられる。

 

「全駅から富士山が望める鉄道」の見どころは富士山だけじゃない! おもしろローカル線「岳南電車」の旅

おもしろローカル線の旅~~岳南電車(静岡県)~~

 

富士山の南側、静岡県富士市を走る岳南電車(がくなんでんしゃ)。富士山を見上げつつ1両で走るカラフルな電車が名物となっている。「全駅から富士山が望める電車」が岳南電車のPR文句。だが、売りは富士山が見えるだけではない! 乗っていろいろ楽しめる岳南電車なのだ。

↑主力車両の7000形。元京王井の頭線の3000系で、中間車の両側に運転台を付ける工事を受けたあとに、岳南へやってきた。オレンジ色のほか水色の7000形も走る

 

奇々怪々―― カーブが続く路線

岳南電車、その名もずばり、岳(富士山)の南を走る電車である。東海道本線の吉原駅(よしわらえき)と岳南江尾駅(がくなんえのおえき)間の9.2kmを結ぶ。路線はすべてが静岡県富士市の市内を通る。富士市内線と言ってもいい。

上の路線図を見てわかるように、吉原駅から、ぐる~っとカーブして、吉原の繁華街を目指す。さらにその先もカーブ路線が続く。なぜこのようにカーブが多いのだろう?

 

まずは、岳南電車の歴史を簡単に触れておこう。

 

1936(昭和11)年:日産自動車の専用鉄道として路線が設けられる。

1949(昭和24)年:岳南鉄道により鈴川駅(現・吉原駅)〜吉原本町間が開業される。その後、徐々に路線が延長されていく。

1953(昭和28)年:岳南富士岡駅〜岳南江尾駅間が開業し、全線開業。

 

太平洋戦争後に誕生、ちょうど70周年を迎えた鉄道路線である。そして、

 

2013(昭和25)年:岳南鉄道から岳南電車に路線の運行を移管

 

現在は富士急行グループの一員になっている。2013年に岳南鉄道から岳南電車に名前を変更した理由は後述したい。

↑岳南電車の起点となる吉原駅。JR吉原駅のホームとは専用の跨線橋で結ばれる。武骨な駅舎ながら、それが岳南電車らしい味わいとなっている

 

↑終点の岳南江尾駅。レトロな駅表示に変更されている。駅のすぐ横を東海道新幹線が通る。2駅手前の須津駅(すごえき)の近くには新幹線の名撮影地もある(徒歩15分)

 

↑岳南唯一の2両編成8000形。こちらも元京王井の頭線の3000系だ。岳南では「がくちゃん かぐや富士」の名が付く。朝夕のラッシュ時や臨時列車に利用されている

 

工場をよけて路線を敷いた結果、カーブが多くなった

富士市は第二次産業が盛んな都市である。

 

岳南電車が走る地域で、最も大きな工場といえばジヤトコだ。ジヤトコ前駅という駅すらある。吉原駅の北側にジヤトコ本社富士事業所が大きく広がる。直線距離にして南北1kmという大きな工場だ。

 

ジヤトコの富士事業所は太平洋戦争前に、日産自動車の航空機部吉原工場として誕生した。現在、同社は日産自動車グループの一員として、主に変速機を生産。日産自動車や、国内外の自動車メーカーに納入している。

 

岳南電車の路線は、太平洋戦争以前にこの工場用に敷かれた専用線が元になっている。路線開業の際には、工場を縁取るように線路が延ばされていった。

 

さらにその先にも大規模な工場などがあり、この敷地をよけるように線路が敷かれている。こうして工場をよけるように線路が敷かれていった結果、カーブが多い路線となったのだ。

 

岳南原田駅〜比奈駅間では工場内を走る箇所もある。奇々怪々、電車の上を太いパイプ類が通るその風景は、この岳南電車ならではの車窓風景だ。日が落ちると工場のライトをくぐるように走り、幻想的な光景が楽しめる。

↑富士市は大規模工場が多い。この工場を縫うように路線が通る。岳南原田駅〜比奈駅間では、工場の内部を抜ける。上空をパイプが張り巡らされた不思議な光景と出会う

大規模な引込線、これはもしかして…?

比奈駅と岳南富士岡駅の間に大規模な引込線が残されている。旅客輸送のみを行う岳南電車が、これはもしかして……?

 

岳南電車の沿線には、かつて多くの引込線が敷かれ、2012年3月17日まで実際に貨物輸送が行われていた。沿線の工場へ向けての貨物輸送の比重がかなり高かった。

 

貨物輸送を取りやめた理由は、JR貨物が連絡貨物の引き受けを中止したため。その裏には、鉄道貨物輸送のなかで大きな割合を占めていた紙の輸送が急激に減っていった現状があった。沿線には豊富な水を利用して日本製紙などの製紙工場が多いが、ペーパーレス化の流れもあって紙の生産量が減り、鉄道を使った紙の輸送量が急減していた時代背景があったのだ。

↑比奈駅と岳南富士岡駅間に残る大規模な引込線の跡。多くの貨車が停まっていた時代があった。この先、使われることなく放置されるのには惜しいように思われる

 

↑岳南富士岡駅構内には当時の貨物用機関車が保存される。手前のED50形ED501号機は上田温泉電軌という会社が1928(昭和3)年、川崎造船所に発注した電気機関車だ

 

かつては珍しい「突放」も見られた

先の引込線跡は、鉄道貨物の輸送用に設けられた留置施設でもあった。

 

2012年3月まで行われた岳南電車での貨物輸送。この路線の貨物輸送ではほかで見ることのできないユニークな輸送風景が見られた。

 

まずは使われる貨車の多くがワム80000形という屋根付きの有蓋(ゆうがい)車だった。最終盤となった6年前、このワム80000形が使われていたのは、岳南へ乗り入れる貨物列車のみとなっていた。

↑貨物列車が運転された当時の比奈駅の構内。コンテナ貨車とともに有蓋車のワム80000形が紙の輸送に使われていた。現在は比奈駅構内の引込線はほとんどが取り外されている

 

↑岳南での輸送に使われたワム8000形。すでに有蓋車での貨物輸送は消滅してしまった。かつては一般的だった天井の無い無蓋車もごく一部で利用されるのみとなっている

 

さらに岳南では、「突放(とっぽう)」と呼ばれる貨車の入れ換え作業が最後まで行われていた。かつては、貨車からの荷卸し、貨車の組み換え作業が行われた駅では、ごく普通に見られた突放。だが、近年になり、この突放が行われていたのは岳南のみとなっていた。

 

機関車がバック運転し、走行中に貨車を切り離し、その惰性で貨車のみを走らせる。それこそ「突放」の字のごとく、機関車が貨車を突き放した。貨車には作業員が乗っていて、貨車に付いたブレーキをステップに乗って操作、巧みに停止位置に停めるという作業だった。

 

機関車の運転士、そしてポイントの切替え、ブレーキをかける作業員らの息のあった作業を必要とした。危険が多い作業でもあったが、所定の位置に上手く停止、またはほかの貨車と連結させる熟練のワザが見られた。

↑後ろに写る貨車と連結を試みる突放作業の様子。無線片手に機関車の運転士らと連絡を取り合い、ステップ操作でブレーキを利かせ、貨車のスピードを巧みにコントロールした

臨時電車や沿線マップといった取り組みも

貨物輸送の割合が大きかった当時の岳南鉄道にとって、輸送中止の痛手は大きかった。不動産業、ゴルフ場経営などを行う岳南鉄道への影響を小さくしようと、鉄道部門のみを切り離して、子会社へ移した。貨物輸送が終了した翌年にそうした移管が行われ、鉄道の名前も岳南鉄道から岳南電車に変えた。

 

岳南電車のなかでも注目された貨物輸送ではあるが、廃止されてからだいぶ日が経った。筆者は久々に現地を訪れて電車に乗ったが、鉄道会社の経営も順調に軌道に乗っているように感じられた。

 

「ビール電車」や「ジャズトレイン」が夏期限定で運行。ほかにも、お祭り用に臨時電車やラッピング電車を走らせたり、詳細な沿線マップを作ったり、グッズをふんだんに用意したり……と地道な営業活動を続けている。こうした細かい活動が少しずつ実を結びつつあるように見えた。

↑吉原の祇園祭(6月9日・10日開催)に合わせて走った「お祭り電車」。タイムリーなラッピング電車を走らせるなど小さな鉄道会社ならではの動きの良さが感じられる

 

↑吉原駅構内に並ぶグッズコーナー。ずらりと並ぶグッズ類に驚かされる

 

↑全線1日フリー乗車券は700円。こどもは300円。春・夏・冬休みのこども券は200円と割安に。駅で配布されている沿線MAPは飲食店や観光地情報も掲載され便利だ

 

沿線の隠れた見どころ

起点の吉原駅から終点の岳南江尾駅まで、乗車時間20分ほど。沿線の見どころを紹介しよう。

 

吉原駅から出発すると、しばらく東海道本線と並走する。その後、ジヤトコの工場にそってカーブを走り、しばらく走るとジヤトコ前駅に付く。そこから吉原の町並みのなかを走り、吉原本町通りが通る吉原本町駅へ。さらに本吉原と住宅街が続く。

 

岳南原田駅を過ぎ、大きな工場を見つつ、前述した工場内を走れば比奈駅へ到着する。

 

この比奈駅には駅舎内に鉄道模型専門店「FUJI Dream Studio501」がある。模型好きの方は立ち寄ってみてはいかがだろう。

 

さらに隣りの岳南富士岡駅には車両の検修庫があり、また貨物輸送に使われた電気機関車と貨車が保存されている。これらの保存車両は駅ホームからの見学に限られるが、昭和初期生まれの貴重な機関車も残されるので、じっくり見ておきたい。

 

須津駅(すどえき)から岳南江尾駅までは住宅街を走る。須津からは東海道新幹線と富士山が美しく撮れることで知られる名スポットが近い。
電車が走る富士市は小さな河川が多く、豊富な水が流れる地でもある。岳南電車は数多くの河川を跨いで走る。これらは富士山麓から豊富に湧き出る伏流水が生み出した河川でもある。

↑岳南富士岡駅近くの流れ。沿線には富士山の伏流水を集めた小河川が多く、豊富な水の流れが目にできる。春から初夏にかけてはカルガモ一家との出会い、なんてことも

 

筆者が撮影していたポイントでも、こうした河川に出会ったが、水が豊富で流れは澄んでいる。見ていてすがすがしい気持ちになった。カルガモ一家がのんびり泳ぐ、そんな川の流れに心も癒された旅であった。

東急の路線らしくない!? 「東急こどもの国線」の不思議と“大人の事情”

おもしろローカル線の旅~~東急こどもの国線~~

 

前回のおもしろローカル線の旅では、千葉県を走る流鉄流山線を紹介した。路線距離5.7km、乗車時間が11分の非常に短い路線だったが、今回取り上げる、神奈川県を走る東急こどもの国線は路線距離3.4km、乗車時間7分とさらに短い。そのみじか~い路線に秘められた謎について解き明かしていこう。

 

東急の路線らしくない!? 東急こどもの国線の謎

東急こどもの国線は、東急田園都市線の長津田駅からこどもの国駅まで3.7kmを結ぶ。

この路線、ちょっと不思議なことがある。東京急行電鉄(以下、東急と略)の純粋な路線とは言い難い事例が、いくつか見られるのだ。

 

例えば、電車は横浜高速鉄道が所有する車両で、シルバーに黄色と水色という東急のほかの電車とは異なる車体カラーとなっている。駅などの表示は、東急の社章とともに、横浜高速鉄道という会社の社章が掲示されている。さらに長津田駅のホームも、東急の改札口を出た外に設けられている。

 

なぜ、このように東急の路線を名乗っているのに、ちょっと異なる点が多いのだろうか?

↑こどもの国線では横浜高速鉄道Y000系電車が2両編成で走る。横浜高速鉄道の車両だが、車両の運行や整備などは、すべて東急の手で行われている

 

↑終点のこどもの国駅。駅の表示は東急とともに横浜高速鉄道の社章が付けられている。そこには、こどもの国へ行くために造られた路線ならではの事情が潜んでいた

 

こどもの国行き電車にからむ“大人の事情”

こどもの国線は、東京急行電鉄の路線のなかでは、やや複雑な「立場」となっている。実は路線の所有者は東急ではない。横浜高速鉄道という第三セクターの鉄道事業者が持つ路線なのだ。

 

横浜高速鉄道は、神奈川県内でみなとみらい線の運営を行う鉄道事業者。みなとみらい線では、自社の車両を走らせ、東急東横線や東京メトロ線などとの相互乗り入れを行っている。このみなとみらい線では横浜高速鉄道が第一種鉄道事業者といわれる立場。第一種鉄道事業者とは、自ら路線を持ち、自らの車両を運行させる鉄道事業者のことだ。

 

横浜高速鉄道のこどもの国線の立場は、みなとみらい線とは異なり「第三種鉄道事業者」となっている。第三種鉄道事業者とは、鉄道路線を敷設、運営する事業者のこと。別会社である第二種鉄道事業者にその線路での列車運行を任せている。こどもの国線では東急が、この第二種鉄道事業者となっている。

 

こどもの国線にこのような複雑な事情が絡んだ理由を簡単に触れておこう。

 

こどもの国は旧日本軍の弾薬庫跡地を利用した施設。もともと、この弾薬庫まで延びていた引込線をこどもの国線として活用した。そしてこどもの国開園の2年後の、1967(昭和42)年に路線が開業した。

↑1965(昭和40)年に開園したこどもの国。こどもの国へ行く専用の路線として1967(昭和42)年に造られた

 

路線開業や電車の運行には東急が協力したが、開業時に路線を所有したのは社会福祉法人こどもの国協会だった。当初はこどもの国へ行く専用路線という色合いが濃く、休園日には列車の本数が大幅に削減された。

 

その後、沿線は徐々に住宅地化していった。通勤路線として使う側にしてみれば、こどもの国の営業にあわせた列車運行が不便でもあった。途中駅がなく、列車の交換が途中でできないなど、増発もかなわなかった。

 

通勤路線化にあたり路線の所有者が横浜高速鉄道に変わった

そこで通勤路線化が進められたが、こどもの国協会という公益法人が鉄道事業に本格的に関わるのは問題がある、とされた。

 

そのため1997(平成9年)、こどもの国協会から横浜高速鉄道に路線の譲渡が行われた。ちなみに、みなとみらい線の開業が2004年のことだから、それよりもだいぶ前に横浜高速鉄道の鉄道路線が生まれていたことになる。

 

子ども向けのこどもの国行き専用線から、通勤路線化するにあたって、第二種、第三種という「大人の事情」がからむ話になっていたのである。

↑長津田駅にあるこどもの国線の案内。平日の朝夕は列車が増発され、また日中は20分間隔で運行される。所要時間は長津田駅からこどもの国駅まで7分

 

急カーブから路線がスタート。途中に東急の車両工場も

長津田駅から電車が発車すると、すぐに東急田園都市線と分かれるように急カーブが設けられる。このカーブの半径は165m。普通鉄道のカーブとしては、かなりの急カーブだ。

 

そのため、時速を30km程度に落として走る。実は通勤路線化を図るときに、地元から「騒音がひどくなる」と反対運動が起きた経緯もあり、いまも騒音対策のためにかなり徐行して走っているのだ。

 

ほどなく、畑地を左右に見て走ると唯一の途中駅、恩田(おんだ)駅へ。

↑長津田駅を発車したこどもの国駅行きY000系電車。すぐに半径165mという急カーブにさしかかる。この急カーブを徐行しつつ走り始める

 

↑横浜高速鉄道のY000系のシートは、このようにカラフル。こどもの国のシンボルマークの赤、緑、青、黄(シートでは同系のオレンジを使用)に合わせた色のシートが使われる

 

恩田駅の近くには東急の長津田車両工場がある。東急の全車両の大掛かりな検査や整備が行われる重要な車両工場だ。時に留置線には、興味深い車両が停められていることもあり、鉄道ファン必見のポイントでもある。

 

さらにナシが植えられる果樹園が連なるエリアを過ぎれば、ほどなく終点のこどもの国へ到着する。こどもの国へは駅から徒歩3分の距離だ。

 

長津田駅から7分と乗車時間は短いものの、注目したい急カーブがあり、車両工場あり、となかなか興味深い路線でもある。

 

子どものころ、東京都や神奈川県で育った方のなかには、遠足でこどもの国へ行った人も多いのではないだろうか。時には童心に戻ってこどもの国で遊んでみてはいかがだろう。

↑恩田駅に近い東急の長津田工場を敷地外から見る。写真に映る白い車体は伊豆急行2100系。この後に同工場でザ・ロイヤルエクスプレスへの改造工事が行われた

開業1世紀で5回の社名変更の謎――乗車時間11分のみじか〜い路線には波乱万丈のドラマがあった!

おもしろローカル線の旅~~流鉄流山線~~

 

千葉県を走る流鉄流山線の路線距離は5.7kmで、乗車時間は11分。起点の駅から終点まで、あっという間に着いてしまう。それこそ「みじか〜い」路線だが、侮ってはいけない。その歴史には波乱万丈のドラマが隠されていたのだ。

↑流鉄のダイヤは朝夕15分間隔、日中は20分間隔で運行している。全線単線のため、途中、小金城趾駅で上り下りの列車交換が行われている。写真は5000形「あかぎ」

 

【流鉄流山線】開業102年で5回も社名を変えた謎

千葉県の馬橋駅と流山駅を結ぶ流鉄流山線。流山線は流鉄株式会社が運営する唯一の鉄道路線で距離は前述したとおり5.7kmだ。

歴史は古い。1913(大正2)年の創立で、すでに100年以上の歴史を持つ。その1世紀の間に5回も社名を変更している。このような鉄道会社も珍しい。ざっとその歩みを見ていこう。

 

1916(大正5)年3月14日:流山軽便鉄道が馬橋〜流山間の営業を開始

1922(大正11)年11月15日:流山鉄道に改称

1951(昭和26)年11月28日:流山電気鉄道に社名変更

1967(昭和42)年6月20日:流山電鉄に社名変更

1971(昭和46)年1月20日:総武流山電鉄に社名変更

2008(平成20)年8月1日:流鉄に社名変更、路線名を流山線とする

 

改名の多さは時代の変化と、波にもまれたその証

流鉄が走る流山(ながれやま)は江戸川の水運で栄えた町である。味醂や酒づくりが長年にわたり営まれてきた。この物品を鉄道で運ぶべく、流山の有志が資金を出し合い、造られたのが流山軽便鉄道だった。

 

創業時から流山の町のための鉄道であり、町とのつながりが強かった。そのためか、ほかの鉄道会社のように、路線延長などは行われず創業時からずっと同じ区間での営業を続けてきた。

 

当初の線路幅は762mmと軽便鉄道サイズ。その後に、常磐線への乗り入れがスムーズにできるようにと、線路幅が1067mmに広げられた。このときに流山軽便鉄道から流山鉄道と名称が変更された。

 

太平洋戦争後、電化したあとは流山電気鉄道と名を変え、さらに流山電鉄へ。この流山電鉄の社名は、わずか4年で総武流山電鉄と名を改められている。これは経営に平和相互銀行が参画し、大株主となった総武都市開発(ゴルフ場事業会社)の「総武」が頭に付けられたためだった。

↑総武流山鉄道時代の主力車1300形。こちらは元西武鉄道の譲渡車両で、西武では551系、クハ1651形だった。「あかぎ」というように編成の愛称がこの当時から付けられた

 

しかし、平和相互銀行は1986年に不正経理が発覚、住友銀行に吸収合併されて消えた。さらに大株主の総武都市開発がバブル崩壊の影響を受け、2008年に清算の後に解散。小さな鉄道会社は、こうした企業間のマネーゲームに踊らされ、また投げ出された形となった。

 

2008年には現在の、鉄道事業を主体にした「流鉄株式会社」となっている。

 

つくばエクスプレスの開業で厳しい経営が続いているが――

時代の変転、また経営陣が変わることで社名が変わるという、なんとも小さな鉄道ならではの運命にさらされてきた。

 

さらに2005年8月には、つくばエクスプレスの路線が開業。流鉄が走る流山市と都心をダイレクトに結ぶために、この開業の影響は大きかった。流鉄の利用者減少がその後、続いている。

 

とはいえ、流鉄の決算報告を見ると、2016年3月期で、鉄道事業の営業収益は3億3093万円、2017年3月期で3億2822万円。純利益は2016年度が340万円、2017年度が286万円と少ないながらも純利益を確保し続けている。

 

一駅区間の運賃は120円、馬橋駅〜流山駅間の運賃は200円、1日フリー乗車券は500円と運賃は手ごろ。ICカードは使えず、乗車券を購入し、出口で駅員に渡すという昔ながらのスタイルをとっている。大資本の参画はないものの、5.7km区間を地道に守り続ける経営が続けられている。

↑流鉄の馬橋駅。総武緩行線や、総武本線の線路と並ぶように駅とホームがある。通常はJR側の1番線を利用する。手前は2番線で、通勤時間帯のみの利用となる

 

↑馬橋駅の自由通路の西側に「流山線」の小さな案内板が架かる。発車ベルは「ジリジリジリーン」という昔ながらのけたたましい音色。レトロ感たっぷりだ

 

鉄道ファンの心をくすぐる所沢車両工場の銘板

流鉄の車両は1980年ごろから、すべて西武鉄道から購入した車両が使われている。1979年から導入された1200形・1300形、1990年代から使われた2000形や3000形。そして2009年からは、5000形車両が順次、旧型車両と入れ替えて使用している。

 

現在走る車両の5000形は、赤、オレンジ、黄色、水色など6色に塗られ、それぞれ「あかぎ」「流馬」「流星」といった車両の愛称が付けられる。
これらの車両は、すべてが所沢車両工場製だ。2000年まで西武鉄道では、ほとんどの車両を所沢駅近くにあった自社工場で製造していた。そんな証でもある銘板が、いまも車内に掲げられている。 鉄道ファン、とくに西武好きにとっては心をくすぐるポイントといっていいだろう。

↑現在、流鉄を走る5000形電車は2両×6編成。そのすべてが西武鉄道から購入した車両だ。西武時代の元新101系で、車内には「西武所沢車両工場」という銘板が付けられる

 

↑2012年まで走っていた2000形「青空」。西武では801系(2000形の一部は701系)という高度経済成長期に造られた車両で、1994年から20年近く流鉄の輸送を支えた

 

↑終点の流山駅。駅の奥に車庫と検修施設が設けられている。駅から徒歩3分、流山街道を越えたところに近藤勇陣屋跡(近藤勇が官軍に捕縛された地とされる)がある

 

流山には味醂を積みだした廃線跡など興味深い史跡が残る

乗車時間は11分と短いが、沿線の見どころを簡単に紹介しよう。

 

馬橋駅〜幸谷駅付近は常磐線の沿線で住宅街が続く。小金城趾駅に近づくと農地が点在する。鰭ケ崎(ひれがさき)駅からは流山市内へ入る。大型ショッピングセンターすぐ近くにある平和台駅を過ぎたら、間もなく流山駅へ到着する。

↑難読駅名の「ひれがさき」。ここの地形が魚の背びれに似ていたから、または地元の東福寺に残る伝説、神竜が残したヒレ(鰭)から鰭ケ崎の地名となったとされる

 

流山の街は「江戸回廊」を名乗るように味わいのある街が残る。新選組の近藤 勇が官軍に捕縛されたとさる、近藤勇陣屋跡。18世紀から味醂製造を続けてきた流山キッコーマンの工場も、街中にある。ここで造られるのが万上(まんじょー)本味醂(みりん)だ。1890(明治23)年に建てられ、国登録有形文化財に指定される呉服新川屋店舗(いまでも営業を続けている)といった古い建物も残る。

↑流山駅前に立つ流鉄開業100年記念の案内板。歴代の車両が写真付きで紹介されている。蒸気機関車やディーゼル機関車で客車を牽いたころからの歴史がおよそわかる

 

↑かつて流山駅から流山キッコーマンの工場まで引込線(万上線)が敷かれていた。1969(昭和44)年に廃止されたあとは市道として使われ、かたわらに記念碑も立つ

 

↑万上(まんじょー)本味醂の製造を続ける流山キッコーマンの工場。レトロふうな塀には引込線があった当時の写真などが掲げられている

 

コンパクトにまとまった古い流山の街。わずか乗車11分ながら、街を歩いた余韻を感じつつ、帰りはオレンジ色の「流星」に身を任せた。

 

西武鉄道の路線網にひそむ2つの謎――愛すべき「おもしろローカル線」の旅【西武国分寺線/西武多摩湖線/西武多摩川線】

おもしろローカル線の旅~~西武国分寺線/西武多摩湖線/西武多摩川線~~

 

東京都と埼玉県に路線網を持つ西武鉄道。その路線を地図で見ると、ごく一部に路線が集中して設けられている地域がある。一方で、ポツンと孤立して設けられた路線も。これらの路線網のいきさつを調べ、また訪ねてみると、「おもしろローカル線」の旅ならではの発見があった。

 

今回は、西武鉄道の路線網の謎解きの旅に出かけてみよう。

 

【謎その1】国分寺駅のホームは、なぜ路線で場所がちがうのか

下の地図は、西武鉄道の東京都下の路線図である。都心と郊外を結ぶ西武新宿線と西武池袋線、西武拝島線の路線が設けられる。東西にのびる路線と垂直に交わるように、南北に西武国分寺線と西武多摩湖線という2本の路線が走っている。

起点となる駅は国分寺駅で同じだが、国分寺線は東村山駅へ。その先、西武園線に乗り継げば西武園駅へ向かうことができる。一方の多摩湖線は萩山駅を経て、西武遊園地駅へ向かう。両路線はほぼ平行に、しかも互いに付かず離れず線路が敷かれている。途中、国分寺線と多摩湖線は八坂駅付近で立体交差しているが、接続する駅はなく、乗継ぎができない。

↑西武国分寺線とJR中央線の電車が並走する国分寺駅付近。路線を開業した川越鉄道は中央線の前身、甲武鉄道の子会社だった。以前は連絡線があり貨車の受け渡しも行われた

 

さらに、不思議なことに国分寺線と多摩湖線が発着する国分寺駅は、それぞれのホームが別のところにあり線路がつながっていない。国分寺線のホームはJR中央線のホームと並んで設けられているのに対し、多摩湖線の国分寺駅は、やや高い場所にある。同じ西武鉄道の駅なのに、だ。どうしてこのように違うところにあるのだろうか。

↑西武多摩湖線は、西武国分寺線よりも一段高い位置に設けられる。4両編成用のホームが1面のみでシンプルだ。駅に停まっているのは多摩湖線の主力車両、新101系

 

【謎解き】路線開発を競った歴史が複雑な路線網を生み出した

謎めく路線が生まれた理由は、ずばり2つの鉄道会社が、それぞれ路線を設け、延長していったから、だった。

 

国分寺線と多摩湖線の2本の路線の歴史を簡単にひも解こう。

◆西武国分寺線の歴史
1894(明治27)年 川越鉄道川越線の国分寺駅〜久米川(仮)駅間が開業
1895(明治28)年 川越線久米川(仮)駅〜川越(現:本川越)駅間が開業
*川越鉄道は後に旧・西武鉄道となり、1927(昭和2)年に東村山駅〜高田馬場駅間に村山線(現・西武新宿線)を開業させた。

◆西武多摩湖線の歴史
1928(昭和3)年 多摩湖鉄道多摩湖線の国分寺駅〜萩山駅間が開業
1930(昭和5)年 萩山駅〜村山貯水池(現・武蔵大和)駅間が開業
*多摩湖鉄道の母体は、堤康次郎氏(西武グループの創始者であり衆議院議員も務めた)が率いた箱根土地。経営危機に陥った武蔵野鉄道(現・西武池袋線)の再建に乗り出し、株を取得。1940(昭和15)年、武蔵野鉄道が多摩湖鉄道を吸収合併し、同じ会社となった。

 

川越線(現・国分寺線)を運営していた旧・西武鉄道陣営と、多摩湖線を含む武蔵野鉄道陣営の競り合いはすさまじかった。

 

武蔵野鉄道が1929(昭和4)年に山口線(現・西武狭山線)の西所沢駅〜村山公園駅(のちに村山貯水池際駅と改称)間を開業、また1930(昭和5)年1月23日に多摩湖鉄道が多摩湖線の村山貯水池(仮)駅まで路線を延ばした。すると1930年4月5日には旧・西武鉄道が東村山駅〜村山貯水池前(現・西武園)駅間に村山線を延伸、開業させた(現在の西武園線)。1936(昭和11)年には、多摩湖鉄道が0.8kmほど路線を延ばし、村山貯水池により近い駅を設けている。

↑1930(昭和10)年ごろの旧・西武鉄道の路線案内。すでに多摩湖線が開業していたが、熾烈なライバル関係にあったせいか多摩湖線や武蔵野鉄道の路線が描かれていない

 

村山貯水池(多摩湖)の付近には、似たような名前の駅が3つもあり、さぞかし当時の利用者たちは、面食らったことだろう。両陣営の競り合いは過熱し、路線が連絡していた所沢駅では乗客の奪い合いにまで発展したそうだ。

↑東京市民の水がめとして1927(昭和2)年に設けられた村山貯水池(多摩湖)。誕生当時は、東京市民の憩いの場にもなったこともあり路線の延長が白熱化した

 

村山貯水池を目指した激しい戦いの痕跡が、いまも複雑な路線網として残っていたわけである。

 

そんなライバル関係だった両陣営も、1945(昭和20)年に合併してしまう。会社名も西武農業鉄道と改め、さらに現在の西武鉄道となっていった。

 

【補足情報その1】両路線とも本線系統とは異なる古参車両が運用される

筆者は、西武鉄道の路線が通る東村山市の出身であり、国分寺線や多摩湖線は毎日のようにお世話になった。いまもそうだが、国分寺線や多摩湖線は、西武鉄道のなかではローカル線の趣が強い。西武池袋線や西武新宿線といった本線の運用から離れた、やや古めの車両が多かった。

 

子ども心に、新しい電車に乗りたいと思っていたものだが、やや古い車両に乗り続けた思い出は、いまとなっては宝物となって心に残っている。そのころに撮影したのが下の写真2枚だ。

↑国分寺線を走る351系(1970年ごろ)。同車両は西武鉄道としては戦後初の新製車両として誕生した。晩年には大井川鐵道に譲渡され、長年にわたり活躍した

 

↑西武園線を走るクハ1334。西武鉄道では急速に増える沿線人口に対応するため、国鉄から戦災車両の払い下げを受け再生して使った。クハ1334もそんな戦災車両を生かした一両

 

現在、多摩湖線を走るのが新101系。西武鉄道の車両のなかで唯一残る3扉車で、1979(昭和54)年に登場した車両だ。40年近く走り続ける、いわば古参といえるだろう。

↑多摩湖線の車両は新101系のみ。写真のような黄色一色、先頭車がダブルパンタグラフという新101系や、グループ企業の伊豆箱根鉄道カラーの車両も走っていて楽しめる

 

一方の国分寺線や西武園線は2000系。西武初の4扉車として登場し、こちらも40年にわたり走り続けてきた。国分寺線には2000系のなかでも角張ったスタイルの初期型の2000系も走っている。古参とは言っても、それぞれ内部はリニューアルされ、乗り心地は快適だ。

↑国分寺線の主力車両は2000系。写真は初期の2000系で、角張った正面に特徴がある。この初期型も最近になって廃車が進みつつある

 

多摩湖線には、レトロな塗装車も走っているので、そんな車両に乗りに訪れるも楽しい。

 

【補足情報その2】国分寺線と多摩湖線のおすすめの巡り方は?

昭和初期に生まれた国分寺線と多摩湖線をどう乗り継げば楽しめるだろうか。手軽に楽しめるルートを2パターン紹介しよう。

 

◆ルート例1
国分寺駅(多摩湖線) → 萩山駅 → 西武遊園地駅 →(西武レオライナーを利用)→ 西武球場前駅 → 所沢駅 → 東村山駅 → 国分寺駅
*多摩湖線の電車は国分寺〜西武遊園地間を直通する電車と、国分寺〜萩山間を走る電車がある。

◆ルート例2
国分寺駅(多摩湖線) → 萩山駅 → 西武遊園地駅 →(徒歩10分)→ 西武園駅 → 東村山駅 → 国分寺駅
*西武園〜国分寺間は、直通電車の本数が少ないので、東村山駅での乗換えが必要となる。

 

ちなみに西武園駅から徒歩約10分の北山公園では6月17日まで菖蒲まつりが開かれている。駅からは八国山緑地などを散策しつつ歩けるので、訪ねてみてはいかがだろう。

↑西武遊園地駅と西武球場前駅を結ぶ西武レオライナー(西武山口線)。大手私鉄で唯一の案内軌条式鉄道(AGT)が走っている。古くはこの路線をSLや、おとぎ電車が結んでいた

 

↑北山公園は狭山丘陵すぐそばにある自然公園で、初夏には200種類8000株(約10万本)の花菖蒲が咲き誇る。6月17日までは菖蒲まつりが開かれ多くの人で賑わう

【謎その2】西武鉄道の路線網とは離れた「孤立路線」はなぜ生まれたのか

西武鉄道の路線図を見るとJR中央線の北側にほとんどの路線が広がっている。そんななか、唯一、JR中央線から南に延びる線がある。それが西武鉄道多摩川線だ。

路線距離は8km、駅数は6駅と路線は短い。西武鉄道の本体と離れた「孤立路線」がどうして生まれたのか、また孤立している路線ならでは、手間がかかる実情を見ていこう。

↑西武多摩川線を走る電車はすべてが新101系。標準色のホワイトだけでなく、写真のようにレトロなカラー(赤電と呼ぶ塗装)も走っていて西武鉄道のファンに人気だ

 

【謎解き】西武鉄道が計画してこの路線を開業させたわけではない

西武多摩川線の元となる路線が開業したのは、境(現・武蔵境)駅〜北多磨駅間が1917(大正6)年のこと。1922(大正11)年には是政駅まで線路が延ばされた。路線を造ったのは多摩鉄道という鉄道会社だった。

 

その後、1927(昭和2)年に旧・西武鉄道が多摩鉄道を合併した。1945(昭和20)年の、武蔵野鉄道と、旧・西武鉄道の合併後は、西武鉄道の路線となり、いまに至っている。要は西武鉄道が計画してこの路線を開業させたわけでなく、鉄道会社同士が合併を進めたなかに、この路線が含まれていたというわけだ。

 

この路線は多摩川の砂利の採取が主な目的として造られたが、すでに西武多摩川線での貨物輸送はなくなり旅客輸送のみ。沿線に競艇場や複数の公園が点在することもあり、レジャー目的で利用する人も多い。

 

【補足情報その1】赤や黄色いレトロカラーの電車がファンの心をくすぐる

西武多摩川線を走る車両は新101系のみ。多摩湖線と同じ車両だ。新101系はホワイトが標準色となっている。この標準色に加えて、西武多摩川線では、鉄道ファンに「赤電」の名で親しまれた赤いレトロカラー(1980年ごろまで多くの車両がこのカラーだった)と、新101系が登場したころの黄色いレトロカラーというレアな色の2編成も走っている(2018年6月現在)。

↑新101系のレトロ塗装車。同車両が登場した当時の色に塗り直され、赤電塗装の車両とともに西武多摩川線の人気車両になっている

 

この2編成のカラーは、西武鉄道のオールドファンに特に人気で、懐かしいレトロカラーの電車をひとめ見ようと沿線に訪れる鉄道ファンも目立っている。

 

【補足情報その2】JR中央線との接続は便利だが、京王線との乗換えはやや不便

西武多摩川線の起点駅は武蔵境駅。JR武蔵境駅と同じ高架路線の駅となっている。乗継ぎ改札口を利用すれば、JR中央線との乗換えは便利だ。

↑西武多摩川線の起点となる武蔵境駅。JRの駅と並ぶように高架下に設けられている。こちらは自由通路側の改札口だがJR中央線との乗換え口がほかにある

 

電車は平日、休日に関わらず10分間隔で発車している。武蔵境駅から終点の是政駅まで12分あまりだ。車窓からは、武蔵野らしく畑地のほか、野川公園など三多摩地区を代表する公園も点在し、四季を通じて楽しめる。

 

途中、白糸台駅が京王線の武蔵野台駅との乗換駅になる。ただし、乗換えはやや不便で、徒歩6分ほどかかる。白糸台駅の駅舎が京王線の武蔵野台駅側とは逆側のみのためだが、この位置関係がちょっと残念に感じる。ちなみに白糸台駅には車両基地があり、仕業点検など簡単な整備や清掃はここで行われる。

 

そして終点の是政駅へ。この駅は多摩川のすぐ近くにあり、裏手に土手があり、のぼればすぐに多摩川河畔となる。

↑終点の是政駅の先にはバラスト用の砂利や、レールの置き場があり、その区間のみ線路が延びている。かつてこの先が多摩川まで延び砂利運搬用に利用されていたのだろうか

 

↑是政駅を出たすぐ裏手に多摩川があり、土手からはJR南武線や、武蔵野貨物線の橋梁が見える。長い間、河畔では砂利採集が行われ西武鉄道多摩川線で運搬されていた

 

【補足情報その3】鉄道ファンにとっては隠れた人気イベント!? 孤立路線ならではの苦労

西武多摩川線には白糸台に車両基地があるが、この基地では本格的な整備を行っていない。そのため、西武鉄道の路線内にある車両検修場まで運び、検査や整備をしなければいけない。そのあたりが孤立路線のために厄介だ。

 

武蔵境駅には、JR中央線との連絡線がある。車両は通ることはできるが、西武鉄道の電車がJRの路線を自走することはできない。そこで「甲種輸送」という方法で、輸送が行われる。JR貨物に輸送を委託、JR貨物の電気機関車が西武鉄道の電車を牽引して運ぶのだ。

 

そのルートは、武蔵境駅 →(中央線を走行)→ 八王子駅(進行方向を変える) →(中央線・武蔵野線を走行)→ 新秋津駅付近 →(西武池袋線への連絡線を走行)→ 所沢駅 → 武蔵丘車両検修場 という行程になる。
また、整備を終えた車両や交代する車両は、その逆で西武多摩川線へ戻される。

 

約3か月に1回の頻度で行われるこの「甲種輸送」。JR貨物の電気機関車が西武鉄道の電車を牽くシーンが見られるとあって、鉄道ファンには隠れた人気“イベント”にもなっている。

↑武蔵境駅の先でJR中央線への連絡線が設けられている。検査や整備が必要になった車両は連絡線を通りJRの路線経由で西武鉄道の車両基地へ「甲種輸送」されている

 

↑西武多摩川線用の新101系の「甲種輸送」の様子。JR路線内では西武鉄道の電車は自走できないため、JR貨物の機関車に牽かれて運ばれる

 

吊り革にコロッケ!? 愛すべき「おもしろローカル線」の旅【関東鉄道竜ケ崎線/東武小泉線】

おもしろローカル線の旅~~関東鉄道竜ケ崎線/東武小泉線~~

 

全国を走るローカル線のなかには、沿線に住む人以外に、ほとんど知られていない路線も多い。そうした路線に乗ってみたら、予想外に面白い発見がある。そんな「おもしろローカル線」を旅する企画、今回は北関東を走る2つの路線を訪れた。まずは茨城県龍ケ崎市内を走る関東鉄道竜ケ崎線から紹介しよう。

 

〈1〉関東鉄道竜ケ崎線(茨城県)の旅

路線距離わずか4.5km!! 街は「龍」ケ崎市、路線は「竜」ケ崎線という不思議

関東鉄道竜ケ崎線は、その距離わずか4.5kmという短い路線だ。関東鉄道といえば、取手駅〜下館駅を結ぶ常総線がよく知られている。あちらは51.1kmの路線距離があり、最近は、都心へのアクセスに優れたつくばエクスプレスが、途中の守谷駅を通ることから、沿線の住宅化が著しい。

 

一方の竜ケ崎線は、始点となる駅が、JR常磐線の佐貫駅。常総線の始発駅・取手駅とはずいぶん離れている。路線距離は短く、駅数が始点・終点あわせても3駅のみである。どうして離れたこの場所に、このような短い路線が走っているのだろう。

↑路線は常磐線の佐貫駅からほぼ一直線に終着駅の竜ケ崎駅へ向かう。終点の竜ケ崎駅から、さらに400mぐらい先に龍ケ崎市の中心部がある

 

龍ケ崎は、古くは陸前浜街道(旧国道6号にあたる)の要衝でもあり、木綿の生産地だった。しかし、常磐線(開業時は日本鉄道土浦線)が、街から遠い佐貫に駅が設けられることになった。そのため佐貫と龍ケ崎を結ぶ鉄道路線を、と1900(明治33)年に造られたのが前身となる竜崎(りゅうがさき)鉄道だった。開業当時は762mmという線路幅だった。

 

その後に改軌され、1944(昭和19)年に鹿島参宮鉄道に吸収された。路線は1965(昭和40)年、鹿島参宮鉄道と常総鉄道が合併して生まれた関東鉄道に引き継がれ、現在の関東鉄道竜ケ崎線となっている。

 

面白いのは地元の自治体名は龍ケ崎市と書くのに、路線は竜ケ崎線と書くところ。市の名前に「龍」が使われているのは、龍ケ崎市が生まれた際の官報に載った表記を元にしている。一方の竜ケ崎線は関東鉄道が合併した当時から「竜」の字が使われている。公文書に使われる常用漢字が「竜」の字だったため、この字が路線名として定着したようだ。

 

乗ったらエッ—−? 吊り革にコロッケが付いている

竜ケ崎線の始発駅・佐貫に降り立つ。JRの橋上駅を下りた先に関東鉄道の佐貫駅があった。この竜ケ崎線、路線距離は前述したように、わずか4.5km。乗車時間は7分だ。途中に入地(いれじ)駅という駅があるのみで、乗ったらすぐに着いてしまう。だが、乗車したときのインパクトは特大。なんと、車内がコロッケだらけなのだ!

 

車両はディーゼルカー。訪れた日は主力車両のキハ2000形1両のみの運行だった。淡い水色ボディにブルーの帯とブルーの天井、オレンジ色の細い帯がはいる関東鉄道特有の車体カラーだ。

 

車内には「コロッケがキタ−−」とネームが入るシール式のポスターが貼られる。ほかに「コロッケ アゲアゲ」などさまざまなイラスト入りのポスターが車内を飾る。それら貼り紙よりもさらにインパクト大なのが吊り革だ。なんと、吊り革にコロッケが付いていたのだ。

↑関東鉄道のキハ2000形の車内をさまざまな「コロッケ」のシールポスターが彩る。ほかに「コロッケ、地球に生まれて良かった−!」などの文句が踊るポスターも貼られていた

 

↑車内の吊り革のほとんどにコロッケが付く。もちろん本物ではなく、プラスチック製の食品サンプルを利用したもの。小判型や俵型など、コロッケの形にもこだわりが垣間見える

 

↑JR佐貫駅の駅前にあるそば店「四季蕎麦 佐貫駅前店」でも揚げたてコロッケが販売されている。市内の複数の店で販売されるが、竜ケ崎駅そばに販売店が無いのは惜しい

 

このコロッケは何なのだろうか。

 

実は龍ケ崎市の名物グルメが「コロッケ」なのだ。2003年に「コロッケクラブ龍ケ崎」が生まれ、全国のイベントに参加。2014年には、ご当地メシ決定戦で見事に優勝したという輝かしい経歴を誇る。いまも市内ではコロッケイベントが随時、開かれている。

 

竜ケ崎線の車内の装いも、市外から訪れた人たちに、そんな龍ケ崎名物を伝えよう、という意図があったわけだ。当初は短期間で終了の予定だったらしいのだが、好評なので現在もこの装いで列車が運行されている。

 

竜ケ崎沿線では、佐貫駅のそば店や、関東鉄道佐貫駅に隣接する観光物産センター「まいりゅうショップ」(冷凍もののみ用意)でも龍ケ崎コロッケが販売されている。筆者もひとついただいたが、ほくほくしていて懐かしの味だった。

↑JR常磐線の佐貫駅に隣接して関東鉄道佐貫駅が設けられる。入口には龍ケ崎市観光物産センターの「まいりゅうショップ」がある

 

レトロふうな途中駅、そして終点の竜ケ崎駅へ

ついコロッケだけに目を奪われがちだが、そのほかの沿線の様子もお伝えしよう。沿線には龍ケ崎市の住宅地が点在する。そして田畑も広がり、北関東らしい風景が広がる。

 

途中の駅は入地(いれじ)駅の1駅のみ。駅の待合室は最近、きれいに模様替えされ、駅名表示などレトロな文字が入る案内に変更されていた。

↑レトロな造りに変わった入地駅。ホーム1つの小さな駅だが、つい降りてみたくなるような趣がある。駅近くの道にキジが歩いているのを発見、そんなのんびりした駅だった

 

起点の佐貫駅から乗車7分で終着駅、竜ケ崎駅へ到着する。街の中心は400〜500m先にあるため、駅周辺は閑散としている。とはいえ、鉄道好きならば、すぐ近くにある車両基地は見ておきたい。留置された予備車両をすぐ近くで見ることができる。

↑竜ケ崎線の終着駅・竜ケ崎駅に到着したキハ2000形。この先、線路は行き止まりの頭端式のホームとなっている。すぐ裏手に竜ケ崎線の車両基地がある

 

↑竜ケ崎駅の外観。路線や駅の開業は古く、すでに120年近い歴史を持つ。駅舎は近年、改修され、きれいになっている

 

↑車両基地にとまるキハ532形。基地の建物が撤去されたこともあり、周囲の道路からでも車両がよく見える。写真のキハ532形は予備車両として週末に走ることが多い

 

〈2〉東武小泉線(群馬県)の旅

不思議な“盲腸線”がある路線。日本離れした景色がおもしろい

今回、紹介するもう1本の路線は東武鉄道の小泉線。下の地図を見ていただくとわかるように、東武小泉線は館林(たてばやし)駅と太田駅を結ぶ路線である。途中の東小泉駅から西小泉駅までの2駅区間の路線もある。

↑群馬県内を走る東武小泉線の路線。東武鉄道の特急「りょうもう」は全列車が足利市駅経由のため伊勢崎線を走る。東武小泉線の方が距離は短いものの走るのは普通列車のみだ

 

都心と群馬県の赤城や伊勢崎を結ぶ特急「りょうもう」は東武伊勢崎線を通り、この東武小泉線を通らない。足利市駅を通るため、大きく北をまわっているのだ。特急が通る路線よりも短い “短絡路線(距離は東武小泉線経由の方が約4km短い)”であり、行き止まりの“盲腸線”がある。

 

東武小泉線では、どのように列車が運転されているのか、気になって訪ねてみた。

 

東武小泉線は館林駅〜西小泉駅間12.0kmと、太田駅〜東小泉駅間6.4kmの計18.4km区間を指す。歴史は古く1917(大正6)年に営業を始めた中原(ちゅうげん)鉄道小泉線(館林〜小泉町)が元となる。1937(昭和12)年には東武鉄道に買収されたあと、1941(昭和16)年に太田〜東小泉間と小泉町〜西小泉間が開業、現在の小泉線の路線ができあがった。

 

その当時、西小泉駅近くには中島飛行機小泉製作所があり、西小泉駅から利根川河畔まで貨物線の仙石河岸(せんごくがし)線が敷かれていた。その先、利根川を越えて熊谷まで路線延長の計画があったという(旧東武熊谷線と接続を計画)。1976年に仙石河岸線は廃止されたが、路線の草創期は東洋最大の飛行機メーカーだった中島飛行機との縁が深かった。

 

ちなみに中島飛行機といえば、陸軍の「隼」、「鍾馗(しょうき)」、「疾風」。海軍の「月光」、「天山」といった名戦闘機を生み出している。戦後に、中島飛行機は解体され、自動車メーカーのSUBARUにその技術が引き継がれた。

 

東武で最大車両数を誇った8000系が2両編成で走る

やや前置きが長くなったが、いまは軍需産業にかわり、自動車、さらにパナソニックなどの工場がある地域でもある。そんな予備知識を持ちつつ、東武小泉線の起点駅、館林駅に降りる。

 

館林駅の東武小泉線用ホームは3番線、5番線ホームの先、伊勢崎方面側にある。2両編成の運転に対応した4番線ホームで、スペースは小さい。このホームから列車が出発する。使われるのは8000系で、乗務員1人のワンマン運転で走る。

↑東武鉄道の代表的な電車として活躍した8000系。現在、東武小泉線を走る電車はすべて8000系で、2両編成となり、ワンマン運転用に改造されている

 

↑館林駅の伊勢崎駅側の一角にある4番線が東武小泉線の乗り場。このホームから2両編成の西小泉駅行き電車のみが出発する

 

館林駅からは西小泉駅行きの電車しか走っていない!?

乗り場で知ったのだが、館林駅発の東武小泉線の列車はすべてが“盲腸線”の終わりにあたる西小泉駅行きだった。館林駅と太田駅を直接に結ぶ列車が無いのだ。館林駅から東武小泉線経由で太田駅へ向かう場合は、分岐する東小泉駅での乗換えが必要になる。

 

つまり東武小泉線の列車の運用は館林駅〜西小泉駅間と、東小泉駅〜太田駅(多くが桐生線赤城駅まで直通運行)間の2系統に分けられていた。

 

東小泉駅〜西小泉駅間は、小泉線にとっては盲腸線区間ではあるが、列車の運用はこの区間を切り分けているわけでなく、館林駅〜西小泉駅間が東武小泉線のメイン区間という形で電車が走っているわけだ。

↑館林駅〜西小泉駅間を走る列車すべてが、東小泉駅で太田駅方面の電車と接続して発車している

 

終着・西小泉駅は数か国語が飛び交い異国の地に来たよう

東武小泉線の電車に乗ると気づくのが、日系の人たちの乗車が多いこと。ブラジルやペルーなどへ日系移民として渡った子孫が、日本へ多く戻り沿線にある工場で働いているようだ。車内では日本語以外の言葉が飛び交い、まるであちらの電車に乗っているかのように感じる。

 

ちなみに、沿線では西小泉駅、小泉町駅、東小泉駅がある大泉町に多くの日系人が暮らしている。大泉町は人口が4万1845人(2018年4月30日現在)で、そのうち18%を外国人が占めている。群馬県内で最も人口の多い町で、人口密度も北関東3県の市町村のなかで最も高い。

 

実際に西小泉駅へ降りてみる。すると駅は新しく模様替えされ、案内表示はポルトガル語、スペイン語、などさまざまな言語で表示されている。地図も同様だ。

↑2017年から2018年2月にかけて工事が行われ、駅舎とともに屋外の公共トイレもリニューアルされ、きれいになった。大泉町の玄関口にふさわしい造りとなっている

 

↑このとおり駅の案内はインターナショナル。英語、ポルトガル語、スペイン語、中国語などで表記されている

 

↑街の地図もおしゃれな雰囲気。これならば日本語が読めなくとも心配なさそうだ

 

街中に出てみる。日本のお店に混じって、日系の人たち向けのお店も目立つ。駅前のブティックにはドレスで着飾ったマネキン。ポルトガル語・スペイン語の看板が目を引く。さらにブラジル料理の店などが点在する。公園ではラテン音楽に合わせて踊りを練習する子どもたち……。まるで南米の街を歩いているかのように感じる。

↑国内で英語の看板は見かけるものの、スペイン語、ポルトガル語の看板となるとそうは無いのではないだろうか。大泉町ではこれが当たり前の光景だ

 

↑ブラジル料理店やブラジリアバーなどが西小泉駅近くには多く並ぶ。街にはシュラスコや、フェジョアーダといったブラジル料理が楽しめる店もある

 

西小泉駅の留置線や廃線跡を利用したいずみ公園にも注目!

西小泉駅は1970年代まで貨物輸送が盛んに行われていた駅でもある。そんな面影が駅周辺に残るので、こちらも注目しておきたい。

 

西小泉駅自体の開業は1941(昭和16)年12月で、中島飛行機の玄関口として当時は立派な駅が設けられたそうだ。残念ながら、太平洋戦争開始直前のことで、当時の写真や資料は残っていない。だが、面影は偲べる。現在のプラットホームは一面ながら、引込線などのスペースが大きく残る。

↑西小泉駅を発車する館林駅行き電車。駅は線路の配置もゆったりしていて、以前に貨物用に使われた線路やホームの跡もいずみ緑道側に残されている

 

さらに利根川方面へ延びていた仙石河岸(せんごくがし)線の廃線跡が、いずみ緑道としてきれいに整備されている。群馬の街で異国情緒を楽しんだあとに、廃線の面影を偲びつつ公園散歩をしてみるのも楽しい。

↑貨物線だった仙石河岸線の廃線跡がいずみ緑道となっている。同緑道は日本の道100選や、日本街路樹100景、美しい日本の歩きたくなるみち500選にも選ばれている

 

次回以降も、全国各地のユニークなローカル線を紹介していこう。

意外に知られていない「踏切」の安全対策。「踏切の安全確認のために停車いたしました」はどんなとき?

国土交通省が平成28年度に行った調査によると、踏切事故は20年前に比べて58%減、10年前に比べて40%減となり、死亡者数も平成8年度142人、平成18年度124人、平成28年度97人と確実に減ってきている(鉄軌道輸送の安全に関わる情報)。一方で、70歳代以上の高齢者が巻き込まれる事故が34.5%と目立っており、60歳代まで含めると49.7%にもなる。

踏切には安全対策のためにさまざまな機器が取り付けられている。こうした安全装置を知ることにより、クルマや高齢者が踏切内に取り残されたときなど、もしものときに遭遇したらどのように対応すればいいのか知っておきたい。今回は、首都圏に路線網を持つ京王電鉄の踏切の安全対策を中心に見ていこう。

 

「踏切の安全確認のために停車いたしました」はどんなとき?

駅はまだ先だというのに、電車が駅と駅の間で停車。「踏切の安全確認のために停車いたしました」という車掌のアナウンスが車内に流されることがある。踏切でどのようなトラブルが起こると、電車が停止するのか、整理しておこう。停止となる要素は次のことがあげられる。

 

①非常停止ボタン(踏切支障報知装置)が押されたとき

②踏切障害物検知装置が、踏切内に残されたクルマなどを検知したとき

③踏切警報装置の電源が停電したとき

 

それぞれについての詳細は後述するが、これらのことが起こると以下のような対応が行われる。

「特殊信号発光機が作動して運転士に知らせるとともに、当該踏切の手前で停まるように信号が発信されます。さらに万が一、運転士のブレーキ操作を行わなかった場合でも、自動的にブレーキが作動します(停止距離に余裕がない場合は非常ブレーキが作動)」(京王電鉄)

ちなみに、踏切障害物検知装置で人が検知されることはあまりなく、数秒間、同じ場所に留まってはじめて検知されるとのこと。つまり通行する人が遮断機が閉まりかけている踏切を無理に渡ろうとした場合、こういった事例を運転士が発見し危険だと思いブレーキをかけたときをのぞき、電車が急停車するまでには至らないようだ。

 

もちろん、そのような行為は大変危険であり、絶対に行ってはならない。踏切内で転んだり、もしものときは取り返しがつかない。直前横断が踏切事故の原因のなかでもっとも多いことを忘れないようにしたい。

 

非常押ボタンが押されたら、係員や乗務員による復帰操作が必要

さて踏切の安全確認のために電車が停車したとき、運転再開の手続きはどのように行われるのだろう。

「駅係員または乗務員により、目視で当該踏切道の異常の有無を確認します。非常押ボタンによる発光信号の作動については、安全確認後に係員が同装置の復帰操作を行います。運転再開は踏切道内の安全確認後に、そのむねを運輸指令所へ報告してから行います」(京王電鉄)

特に非常ボタンが押されて一度停まってしまうと、運転再開まではなかなか大変なのである。このことにより、列車の遅れ、または前後の踏切が開かなくなるなどの影響が生じてしまう。

 

踏切の警報が鳴りだして遮断動作が終了するまでの時間は15秒が標準。また遮断動作が終了してから電車の到達までの時間は標準で20秒あるそうだ。警報器が鳴り始めて、少なくとも電車到着までに35秒以上の時間があるわけだ。閉まりかけた踏切には無理して進入しない。さらに、もしもの時も慌てずに対応したい。

↑警報が鳴ってから電車が到達するまで約35秒。ただこの数字はあくまで標準時間で、踏切を渡り切る時間を考慮しつつ、長時間、遮断させないなどの設計が行われている

「踏切警報灯」は視認性を考えて場所ごとに使い分けされていた

ここからは、踏み切りに施された安全対策を見ていこう。これらを把握しておくことで、いざというときに落ち着いて行動できるようになるだろう。まずは赤く点滅する踏切警報灯の話題から。

 

京王電鉄の場合、踏切警報灯には次の写真のようなタイプが使われている。大きく分けて、片面形と全方向形、両面形の3種類だ。古くからある片面形だが、「老朽化に伴う更新では片面形から全方向形へ、もしくは両面形への変更を基本としています」と京王電鉄では話す。

片面形は片側のみ、全方向形はその名前のとおり360度、どこからでも点滅していることが確認できる。両面形は表裏の両側から見える形だ。古くから使われてきた片面形に比べて、視認性というポイントでは全方向形と両面形の2タイプのほうが優れていることは言うまでもない。

 

さらに京王電鉄の踏切では、視認性を向上させるために、形の違う踏切警報灯を併存させている箇所がある(上の写真の右下がそれにあたる)。この場所では、線路と交差する道に加えて、線路沿いに側道がある。ちょうど街路灯の柱があり、側道から踏切警報灯が見難いことから、全方向形と片面形を併存させている。

↑京王電鉄をはじめ、鉄道会社の踏切は、写真の全方向形の踏切警報灯が増えつつある

 

筆者が京王電鉄京王線の高幡不動駅 → 笹塚駅の間にある70か所の踏切警報灯を調べたところ(踏切北側のみ)、全方向形が50%近くと圧倒的に多く、従来からある片面形が38%と減りつつあることがわかった。なお、両面形は10%と数は少なめだった。

 

遮断機のトラブルで多い「遮断かん」の破損を防ぐ工夫

次の写真は、東海地方のある路線で見られた踏切のトラブル例だ。遮断機がしまりつつあるのに、クルマが無理に渡ってしまったらしく、踏切を遮断する棒「遮断かん」が完全に折れ曲がっていた。このような状態になると、保安要員が現地へ出向き、修理をしない限り、電車は踏切の手前で停車、さらに踏切前後で徐行運転をせざるをえない。実際にこの路線では列車が大幅に遅れ、また付近の踏切がなかなか開かない状態になっていた。

↑踏切を遮断する棒「遮断かん」が折れてしまった事例。こうなってしまうと、保安要員が到着して遮断かんを交換するまでは、電車は徐行運転を余儀なくされる

 

鉄道会社ではこのような遮断機のトラブルに、どのように対応しているのだろうか。

 

まずは遮断かんを動かしている電気踏切遮断機と、遮断かんをつなぐ部分に「遮断かん折損防止器」という機器を取り付けていることが多い。この防止器を付けることで、多少の角度の折れ曲がりには耐えられる仕組みとなっている。

 

とはいえ限界を越えると上の例のように鉄道の運行に支障をきたし、ほかのクルマや歩行者に迷惑をかけることになってしまう。踏切事故の原因のなかでもっとも多いのが直前横断で、全体の56.5%を占めている(国土交通省調査)。クルマの運転をしているときは、当たり前だが閉まりかけた踏切の無理な横断は慎みたい。

↑電気踏切遮断機(左のボックス部分)と遮断かんの間に付く遮断かん折損防止器。この装置で、一定の角度までは遮断かんが折れないような仕組みとなっている

 

一方、高齢者が(踏切の内側で)遮断かんを前にして立ち往生しているような場合は、手で遮断かんを上にあげて、高齢者を踏切の外へサポートしたい。筆者も自転車を押す高齢者が遮断かんの手前で動けなくなっていた際に、遮断かんを持ち上げて外に出られるよう手助けしたことがあった。人が通るために遮断かんを持ち上げるぐらいならば、大概の踏切には遮断かん折損防止器がついていて、折れることはまずないといっていい。

 

京王電鉄の場合は、まず遮断かん折損防止器の装着に加えて、FRP(繊維強化プラスチック)という、かたい素材の遮断かんを使っている。それでも、クルマが遮断かんに引っかかったりして、折れることがある。折れた場合は、すぐに保守要員が現場に急行して予備品と交換するそうだ。

 

さらに最近ではスリット形遮断かん、屈折ユニットといった、折れ曲がりの衝撃を緩和する遮断かんの導入を進めているということだった。

 

踏切の動作状況を運転士に知らせる「踏切動作反応灯」

踏切がしっかり閉まっているかどうか、これを運転士に知らせるのが踏切動作反応灯だ(京王電鉄社内では「踏切遮断表示灯」と呼んでいる)。踏切動作反応灯の点灯によって、踏切が正常に作動していることがわかる。万が一、停電や故障で踏切が可動していない場合には、この表示が消えたままとなる。

 

ちなみに、この踏切動作反応灯は、鉄道会社により形が違っている。

↑踏切の手前に設けられた京王電鉄の踏切動作反応灯(×印が付いた側)。踏切がしっかり閉まっているかどうかをこの反応灯で運転士に知らせている

 

↑西武鉄道の踏切動作反応灯。上下のランプが点滅して、踏切が正常に作動しているかどうかを運転士に知らせる

 

ところで、上の京王電鉄の踏切動作反応灯の写真に写り込むランプ(踏切動作反応灯の上)は何だろうか?

 

これは踏切の安全を守るために欠かせない特殊信号発光機というもの。踏切に設置された非常ボタン(正式には踏切支障報知装置と呼ばれる)が押されたとき、または踏切障害物検知装置(詳細は後述)が障害物を検知したときに、この発光機が赤く光る。鉄道会社によっては、棒状のもので知らせる例もあるが、いずれのタイプも、赤い光がぱっと輝き、遠くからでもよく見える。

 

非常ボタンを押されたら、この特殊信号発光機が発光して運転士に通知、さらにATC装置(自動列車制御装置)が作動、走る電車の減速が自動的に行われる。2重の安全対策が施されているわけだ。

↑踏切に設置されている非常ボタン(踏切支障報知装置)。このボタンが押されると、特殊信号発光機が点灯、さらにATC(自動列車制御装置)が作動し、電車が減速される

 

↑特殊信号発光機の点灯の様子。点灯時の様子はなかなか目にできないが、点灯時は赤く輝き、遠くからでもすぐわかる(非常ボタンの仕組みを伝える鉄道イベントでの1コマ)

 

踏切内でクルマが立ち往生、または高齢者が踏切内で立ち往生していて動けない、といったトラブルが生じたときには、いち早く非常ボタンを押して、運転士や鉄道会社へ知らせることが大切だ。

 

非常ボタン以外にも障害物を検知して知らせる仕組みが

利用者のあまり目に触れないところで、踏切の安全を守っている装置が踏切障害物検知装置(以下、障検・しょうけんと略)だ。障検のなかでもっとも普及しているのが、光センサー式の検知装置だ。踏切の左右両側に、銀色の柱が数本、立っている姿を目にしたことのある人もいるのではないだろうか。これがその検知装置だ。

↑踏切の脇に立つ踏切障害物検知装置。発光器から赤外線、またはレーザー光線を発光し、受光器でその情報を得て、踏切内の障害物の有無を検知している

 

赤外線やレーザー光線を発光器から出し、もう一方の側に立つ受光器でこの信号を受ける。赤外線やレーザー光線が途中で遮られ、踏切内にクルマなどの障害物があることが検知されると、非常ボタンが押されたときと同じように特殊信号発光機が光り、さらにATC装置が作動して、車両が減速される。

 

光センサー式の検知装置は、複数の装置を立てて、障害物を検知する。とはいえ、赤外線やレーザー光線を照射する部分が限られている。元々、クルマなどの障害物の検知を前提にした装置のため、踏切内に人がいたとしても、その検知は難しい。

 

この検知装置に比べて高度な検知が可能にしたのが「三次元レーザーレーダ式(3DLR)」と呼ばれるシステム。踏切脇の支柱上に箱形の装置が設置されていて、この箱からレーザー光が照射され、踏切内の障害物を検知しようというものだ。障害物が踏切内に留まっている場合、クルマだけでなく、条件によっては人まで感知できるように検知の精度が高まっている。

↑三次元レーザーレーダ式の踏切障害物検知装置。京王電鉄では芦花公園駅に隣接する踏切などに設置される。同踏切がカーブ途中にあり視界が悪いため設置されたと思われる

 

ちなみに京王電鉄では踏切障害物検知装置の設置割合は踏切全体の63%だとされる。歩行者専用の踏切もかなりあるので、クルマが通行できる踏切のうち、多くが何らかの装置を備えているわけだ。ちなみに検知方式は光センサー式の検知装置(HB形と呼ばれるものやレーザー式)を多く使用しているが、一部に三次元レーザーレーダ式も設置されている。

 

踏切の保安設備がない「第4種踏切の事故」が目立つ

ここまでさまざまな安全対策について見てきたが、踏切は、その保安設備により第1種、第2種、第3種、第4種の全4種類に分けられている。踏切警報器や自動遮断機が付いている踏切は第1種踏切とされる。第2種踏切は踏切保安係が遮断機を操作する踏切で、現在はすでに国内にない。第3種踏切は自動遮断機がなく、踏切警報器のみの踏切だ。

 

そして第4種踏切は踏切警報器などの保安設備がなく、足元に踏み板が設けられ渡れるようになっている形のものだ。ちなみに大手私鉄の踏切は、第4種は非常に少なく、今回紹介した京王電鉄はすべての踏切が第1種で、第4種は1つもない。第4種は、列車の運行本数の少ない地方の鉄道路線に多い。

↑踏切警報器や自動遮断機がない第4種踏切。地方路線に多く残り、事故率も高いことか問題視されている

 

数で言えば全国の3万3432箇所(国土交通省平成27年度調査・路面電車の路線も含む)ある踏切のうち、第4種は2864箇所で、0.085%でしかない。

 

ところが、第4種踏切で起きた事故が、踏切事故全体の13.9%を占める。今後、どのような対策を施していけばいいのか。近隣の人たちにとって、欠かせない第4種踏切もあり、安全対策が模索されている。

 

「踏切」は着実に進化していた!! 意外と知らない「踏切」の豆知識

私たちが日ごろ、何気なく通る踏切。鉄道の安全を守るために必要不可欠な設備だが、実は調べてみると、いろいろな機器が取り付けられ、形もいろいろあることがわかった。そこで、2回にわたり鉄道の安全運行に欠かせない踏切を紹介していこう。

 

こんなにいろいろあったとは!! 踏切の機器一覧

まずは踏切を使う側が、知っておきたい踏切の基礎知識から。

 

次の写真は東京北区にあるJR東北本線の井頭踏切。京浜東北線、東北本線、湘南新宿ラインなどの電車が絶え間なく走る。列車の通過本数は多いが、踏切施設としてはごく一般的な形だ。とはいえ、ご覧のように、細部を見ると、さまざまな機器が取り付けられていることが分かる。

踏切には、鉄道の安全運行を守るため、これだけの設備が必要ということなのだ。まずは踏切には黄色と黒で色分けされた柱が付く。この柱は「踏切警報器柱」という名称で、1番上に黄色と黒に色分けされた×印が付いている。これは「踏切警標」と呼ばれている。そしてその下に「踏切警報灯」が付く。これが大半の踏切にある基本的な設備だ。

 

なかでも利用者が目を向けることが多いのが、赤く点滅する「踏切警報灯」ではないだろうか。形もいろいろ。そんな踏切警報灯に、まず注目した。

 

形いろいろ「踏切警報灯」。省エネタイプも登場

踏切を利用する人やクルマへ注意を促すために、赤く点滅。踏切の機器のなかでも最も目立つ存在なのが、踏切警報灯だ。この踏切警報灯、実はいろいろな形がある。まとめたのが下の写真だ。

長く使われてきて、おなじみな形が片面形だろう。赤い警報灯を取り囲むように黒い円形の鉄板が付く。警報灯の上に傘が付くものも多い。筆者も踏切の警報灯は、いまもこの片面形が一般的なのだろうと、思っていた。だが、実際に巡ってみると、形の違う警報灯がすでに多く普及していることがわかった。

 

それが全方向形、またぼんぼりの形のような全方位形と呼ばれるタイプ。前後の両面が点滅する両面形もある。片面形をのぞき、近年になって使われるようになった形のものだ。これらの新しいタイプの良さは、片面形と比べると、見る角度に関係なしに点滅していることが見える点だろう。

 

片面形の場合、線路と交わる道路が1本の場合は良いが、数本の道路が交差しつつ線路をまたぐ場合にやっかいだ。片面形の場合には、角度が異なる道路ごとに警報灯を装着する必要があり、経費がそれだけかさむ。片面形でなく全方向形で対応すれば、2灯の装着で済む。最近はLEDライトを利用した警報灯も生まれ、省エネの効果も期待できるようになっている。

↑踏切に交わる道路の角度にあわせて片面形の警報灯を付けた例。道路にあわせて4灯の警報灯が付く。これが全方向形であれば、2灯で済むので設置費用も割安となる

 

古くから使われる片面形の警報灯だが、鉄道会社で異なる形のものを使っている例もあった。愛知と、岐阜両県に路線を持つ名古屋鉄道(名鉄)だ。この名鉄の踏切はほとんどが、取り囲む黒い板が四角。全国的にも珍しい形だと思われる。

↑名古屋鉄道(名鉄)の踏切は写真のような黒い板の中に丸い警告灯が納まる形。あくまで筆者が確認した範囲だが、名鉄の踏切のみの特徴かと思われる

「遮断かん」は折れにくいカーボンファイバー製が主流に

通常、私たちが遮断機と呼んでいる、踏切を遮断するシステム。実は遮断機は、踏切を遮るさおを下ろす機械「電気踏切遮断機」と、遮るさお「踏切遮断かん」(「かん」は漢字ならば「桿」)で構成されている。

 

この踏切遮断かんには、以前は竹ざおが利用されることが多かったが、いまはFRP(繊維強化プラスチック)が広く普及するようになっている。カーボンファイバーとも呼ばれる素材で、軽くて強い。

 

強いとはいえ、踏切内に閉じこめられたクルマが脱出しようとしたときには折れることもある。そのために踏切遮断かんと電気踏切遮断機の間に、遮断かん折損防止器という装置が付けられることが多い。これで、多少の角度までならば、遮断かんが折れないように工夫されている。

↑遮断機は、動作する部分の電気踏切遮断機と、遮断かん折損防止器、遮断かんで構成される。遮断かんには、のれんのような注意喚起用のパーツが付けられた踏切もある

 

↑竹ざおを使った遮断かんも一部の踏切では残っている。また、注意喚起用にリフレクター(反射板)を付ける鉄道会社もある

 

電子音が主体の「警報音発生器」。珍しい音色が聞ける路線も

踏切では踏切警報灯と、音で電車や列車の接近を伝えている。この音を発生させる装置は「警報音発生器」と呼ばれる。

 

いま、全国の多くの踏切の警報音は「電子音式」になっている。カンカンカンカン……という良く耳にするあの音だ。踏切警報器柱の上に取り付けられたスピーカーで、この音が流されている。

 

いまや電子音が大半を占めるなか、レトロな音色が聞ける線区がまだ残っている。例えば千葉県内を走る小湊鐵道。始発・五井駅すぐそばの踏切・五井踏切では「電鈴(でんれい)式」とよばれる警報音を聞くことができる。柱の上に鐘がついていて、この鐘を鳴らすことで警報音が生まれる。「チンチンチンチン……」という郷愁あふれる音色が楽しめる。

 

この鐘を鳴らす方式には、「電鐘(でんしょう)式」とタイプもある。鐘を鳴らす方式はおなじだが、電鐘式のほうが柱の上にのる鐘が大きく、音はやや重め。三重県内を走る三岐鉄道三岐線の踏切などで見ることができる。

↑小湊鐵道の五井踏切。電鈴式というレトロな警報音を聞くことができる。柱の上にのる鐘を鳴らして音を出される仕組みだ

 

↑三岐鉄道の山城8号踏切では電鐘式と呼ばれる警報音が聞ける。柱の上に音を奏でる鐘が付けられている

 

警報音は電子音だが、近づく電車の動きに合わせて音のスピードが変わる踏切がある。それは京成電鉄の踏切。上りか下り、どちらかの一方の電車が通過するときは、通常の電子音での警報のみ。一方の電車が通過、さらに逆側からの電車が近づいたときは、電子音のスピードが早まる。まだ電車は来ますよ、という注意をうながし、また切迫感が伝わるように工夫されている。

↑京成電鉄の踏切では、上下電車が通るときのみ、通常とは違う早さの警報音を聞くことができる

 

踏切に欠かせない標識、そして線路部分の説明

踏切部分の設備ではないものの、踏切になくてはならないのが踏切標識。踏切の50〜120m手前に立つ標識で、この先に「踏切あり」ということを示している。この標識、1986(昭和61)年よりも前と後で、立てられた標識の絵が違うことをご存知だろうか。

 

次の写真が古いものと新しいものの違い。左は1986年以前のもので、右が以降に立てられた標識だ。蒸気機関車の運行が減ったことで、描かれた絵が電車に変更された。電車が走らない地域では、気動車の絵も使われている。

↑左が1986年までの「踏切あり」の標識。いまも残されている路線もある(写真は小湊鐵道)。右は1986年以降に立てられた標識。電車がデザインされている

 

最後に踏切の足元にも目を向けておこう。踏切を通る道路上には特別な仕組みが用意されている。レールの内側に踏切ガードレールというレールが付けられているのだ。レールと踏切ガードレールの間にはすき間がある。このすき間は車輪のフチにある出っぱり部分、フランジを通すためのものだ。踏切ガードレールがあり、その中には踏み板が付けられていて、人やクルマの通行に支障が生まれないように工夫されている。

↑人やクルマが通る踏切の足元の構造物にも名前が付いている。電車の車輪が通り抜けられるように、レールと踏切ガードレールの間には、すき間が設けられている

 

このように、踏切には必要不可欠な機器や設備が多く用意されている。次回は、安全への備え、さらに、走行中の電車への情報の伝わり方、そしてもしものことに出くわしたらどうしたら良いかなど、踏切をめぐる安全に関して目を向けていきたい。

まもなく見られなくなる? 終焉近づく「国鉄形電車」のいまと今後【2018年春 保存版】

1987年4月のJRグループ発足前の、国鉄時代に開発され、製造された電車(車両)を国鉄形電車(車両)と呼ぶ。やや武骨な出で立ち。走行音や乗り心地も、現在の静かで乗り心地の良い電車とは、ちょっと差がある。だが、その姿に親しみを感じ、郷愁を覚える人も多いことだろう。

 

長年走り続け、日本の経済発展にも寄与してきた国鉄形電車も、誕生してから30年以上の年月が経ち、終焉も近づきつつある。2018年の3月から5月にかけてそうした車両の著しい動きを見ることができた。

 

いまや残り少ない国鉄形電車のうち、動向が注目される車両と、さらにそうした車両に乗ることができる、また撮影できる路線に注目した。なお、今回は国鉄形電車のオリジナルな姿をなるべく留めた車両を中心に紹介したい。

 

いよいよ見納めか? 関西地区の103系

103系といえば、国鉄形の通勤電車を代表する存在。1963(昭和38)年から1984(昭和59)年まで3500両近い車両が製造され、首都圏を始め、近畿圏の多くの路線で通勤用に使われてきた。この103系が急激に車両数を減らしている。JR西日本が103系の最後の“牙城”となっていたが、大阪環状線や、大和路線(関西本線)、阪和線から、相次いで姿を消した。

 

近畿の都市部路線で残るのは奈良線、さらに朝夕しか運行のない和田岬線(兵庫駅〜和田岬駅間)のみとなっている。奈良線の103系は運行本数も減り、廃車の情報がちらほら見られるようになっている。早々に消えるのは避けられないようだ。最後まで残りそうなのが和田岬線。そのほか、更新され形を変えているが、播但線、加古川線、JR九州の筑肥線といった路線の103系が残りそうだ。

↑奈良線を走るウグイス色の103系。各駅停車用に使われてきたが、阪和線の205系が奈良線に移ってきたことで、103系の運用が急激に減ってきている

 

↑和田岬線の103系。前面窓ガラスのワクが黒ゴムと、鉄道ファンにはたまらないレトロ感を保つ。検査時には207系が代用されることがあり、訪れる際は注意したい

 

近郊形電車113系・115系の行く末は?

103系と同じ時期に造られたのが113系。近郊路線用に開発された直流電車で、この113系を寒冷地区用、急勾配路線用にした115系が造られた。

 

この113系、115系も活躍の場が狭められつつある。JR東日本に残っていた115系はこの春に、高崎地区での運用がなくなり、新潟地区のみの運行となった。その姿も貴重になりつつある。

 

JR西日本では湖西線、草津線で113系の運用が、また山陽本線を中心に113系、115系が多く使われている。新車両の導入が急速に進んでいるものの、あと数年は活躍ぶりを見ることができそうだ。とはいえ、深緑色、また濃黄色といった独自カラーに塗られた姿に、一抹の寂しさを覚える人も多いのではないだろうか。

↑越後線を走る115系。JR東日本で115系が走る地区は新潟地区のみとなっている。新型E129系の増備が進み、ここ数年で115系の姿は見られなくなりそうだ

 

↑湖西線・草津線を走る113系。深緑一色という出で立ちで京都〜近江路を走る

 

↑山陽本線の115系は濃黄色。広島地区では新型227系の進出が著しいが、まだまだ主力として活躍中。連結部側を先頭車としたユニークの姿の115系も走っている

 

↑JR四国にも113系が4両×3編成が残っている。とはいえ前面の姿は大きく変わり、113系の面影を留めていないのが残念だ

 

新快速として活躍した117系が最後の輝きを放つ

117系といえば、国鉄時代に生まれた近郊形電車のなかでは異色の存在。1979(昭和54)年からの製造で、そのころ私鉄の車両にくらべ見劣りした、京阪神地区の車両のレベルを高めるべく開発された。東海道本線を走る新快速列車に投入、速くて快適と沿線の人たちに愛された。そんな華やかな活躍もすでに過去のものとなり、JR東海で走っていた117系はすべて引退、残るはJR西日本の117系のみとなっている。

 

深緑色の117系が湖西線・草津線を、濃黄色の117系が山陽本線などを、オーシャンブルーの117系が和歌山地区を走る。山陽本線、和歌山地区での117系の運用は少なめだが、湖西線・草津線では頻繁に走っている。京都駅まで乗り入れていて、いましばらくは両路線や京都駅で目にすることができそうだ。

 

JR西日本では新車両導入を各路線で進めている。湖西線・草津線の113系や117系も、ここ数年で代わることが十分に考えられる。

↑湖西線・草津線を走る117系。同地区の113系・117系は数年前にほぼ深緑色に統一された。東海道本線・京都駅付近でも、その姿を頻繁に見ることができる

 

↑山陽本線を走る117系は、115系などと同じで濃黄色に塗られている

 

大阪環状線や大和路線が201系の最後の活躍の場所に?

201系が開発されたのは1979(昭和54)年のこと。「省エネルギー形電車」として生まれた。首都圏では中央快速線、中央・総武緩行線などで201系が使われていたが、すでに引退。残るは関西地区のみとなっている。

 

この関西地区でも201系の活躍の場が狭まっている。多く走っていた大阪環状線やゆめ咲線では新型323系の導入が進み、先輩格の103系が先に引退、201系も運用が減りつつある。残りは大和路線(関西本線)・おおさか東線のみとなっている。新型車両の増備で、先に大阪環状線用のオレンジ色車両が消えていきそう。ゆめ咲線用のラッピング電車と、ウグイス色の大和路線用の車両が最後に残りそうな気配だ。

↑大阪環状線を走るオレンジ色の201系。新型323系の増備で、日中、森ノ宮の電車区内に停められていることが多いようだ

 

↑大和路線の普通列車として走るウグイス色の201系。同路線でも後進の221系が増えつつあるが、ここ数年は主力電車として走り続けそうだ

国鉄形の特急電車189系・381系の動向は?

2018年の春、首都圏でその動向が最も注目された車両が、特急形電車の189系だった。1975(昭和50)年、国鉄が信越本線用に造った車両で、近年は中央本線の多くの臨時列車に使われてきた。国鉄時代に生まれた特急らしい姿を保った車両で人気も高かった。

 

189系は6両×4編成が残っていたが、この春に3編成がほぼ同時期に引退となった。まだ走るだろうと思われていた車両だっただけに、多くの鉄道ファンを驚かせることに。残るは長野総合車両センターに配置されるN102編成のみとなっている。一編成のみとなった車両の今後の動向が注目される。

↑長野総合車両センターに配置される189系のN102編成。あずさ色で塗られる。この5月19〜20日には「桔梗ヶ原ワイナリー号」として長野駅〜塩尻駅間を走る予定だ

 

国鉄時代に生まれた特急用の電車には、あと2種類、国鉄形電車が残っている。381系と185系電車だ。

 

1973(昭和48)年に登場したのが381系電車。カーブが多い路線のスピードアップを図るため振子装置が組み込まれた初の車両だった。中央本線などで活躍したが、すでにJR東海に受け継がれた381系は、全車が引退、JR西日本に残る車両のみとなっている。

 

そのうち、紀勢本線、福知山線などを走った381系は、すでに消えて、残るは岡山駅〜出雲市駅間を結ぶ特急「やくも」のみとなった。振子装置の動きに違和感を覚える利用者も多く、人気薄なのがちょっと残念だ。

↑特急「やくも」として走る381系電車。車両はすべてが「ゆったりやくも」カラーで塗られる。JR西日本の381系の運用は、すでにこの「やくも」のみとなっている

 

さて、特急形電車の残り一車両、185系の動向。現在は、東京と伊豆半島を結ぶ特急「踊り子」として多くの車両が使われている。この185系も、今後は中央本線などを走るE257系との入れ換えが予想されている。

 

この185系や、381系の運用が終わるとき(2018年5月時点で両車両とも車両変更の発表は行われていない)に、本当に国鉄形の特急電車が終焉の時を迎えることになりそうだ。

↑特急「踊り子」以外にも首都圏を走る臨時列車として使われる185系。この車両もすでに生まれてから30年以上たっている

 

そのほか今後の動向が気になる車両をいくつか−−

国鉄の最晩年に生まれた車両も徐々にだが、引退する車両が出始めている。そんな晩年生まれで気になる車両をいくつかここで見ておこう。

 

まずは105系。この電車は地方路線用に造られた電車で2両編成が基本。1両が電動車、もう1両は付随車という構成だ。輸送密度の低い路線にはうってつけの電車で、現在はJR西日本管内のみに残る。運行される路線は近畿地方では和歌山線や桜井線など、中国地方では、宇部線、小野田線などだ。

 

そんな105系が走る和歌山線、桜井線に新車を導入することが2018年3月に発表された。広島地区にも導入されている227系で、2両編成×28本が造られる。車載型IC改札機を搭載した車両で、2019年春に登場、2020年春には105系が全車置き換えとなる予定だ。

↑和歌山線を走る105系。オーシャンブルーの和歌山色で塗られる。和歌山線には103系を改造した105系も走る。103系の改造車は写真のようにかつての姿を色濃く残す

 

205系も一部の路線では動向が注目される存在になりつつある。205系は国鉄の1985年に登場した通勤形電車。JRになったあとも増備された。軽量ステンレス製の車体で、最初に山手線に導入されるなど、首都圏ではおなじみになった電車だった。

 

いまでも郊外の路線を走り続けているが、多くが正面の形を変更した更新車両が多くなっている。そんななかで、オリジナルの形をした205系が走っていたのが、武蔵野線だ。この武蔵野線でも、205系の後に造られた209系や、E231系といった車両との置き換えが進められつつある。

 

2018年2月にはJR東日本から武蔵野線を走っていた205系の全車両がインドネシア通勤鉄道会社に譲渡されることが発表された。オリジナル色が強い武蔵野線の205系も近日中に見納めとなりそうだ。

↑長年、活躍してきた武蔵野線の205系だが、全車両がインドネシア・ジャカルタの鉄道会社への譲渡が発表された。ここ1〜2年で209系やE231系に置き換えられそうだ

 

希少な車両ゆえに生き延びている国鉄形電車もある

国鉄時代に生まれた電車のなかで、希少な存在なだけに、いまも重宝される電車がある。そんな国鉄形電車の話題にふれておこう。

 

まずは123系。この123系、荷物用電車として生まれた。1両の前後に運転席があり、1両で運行できるように造られている。鉄道での手荷物・郵便輸送が、廃止されたこともあり、国鉄時代の最晩年に、13両が一般乗客向けの電車に改造された。現在、残るのはJR西日本の5両のみ。宇部線、小野田線といった路線で使われている。

 

JR西日本では1両で運行できる125系をすでに開発していて、小浜線、加古川線で利用している。とはいえ、やはり都市部向け新車両の増備が優先されそう。宇野線や小野田線では、今後しばらくの間は123系が走り続けそうだ。

↑荷物車を改造して造られたJR西日本の123系。1両で走ることができ、利用者の少ないローカル路線では重宝される存在でもある。まだまだその活躍を見ることができそうだ

 

JR九州の415系も希少がゆえに生き延びている国鉄形電車といっていいだろう。JR九州の電車は、ほとんどが交流電車。筑肥線など一部に直流電車が使われる。両電化方式に対応した交直流両用電車は、国鉄時代に生まれた415系のみだ。JR九州の在来線は、ほとんどが交流電化区間だが、関門トンネルをはさんで下関駅まで走る場合は、下関側が直流電化区間となるため、交直両用電車が必要となる。唯一の交直流両用電車である415系が欠かせないわけだ。

↑415系はJR九州では唯一となる交直流両用電車。関門トンネルを越えて下関駅まで電車を走らせるために、必要不可欠な存在となっている

 

415系は1971(昭和46)年からの製造とかなりの古参車両でもある。すでにJR東日本に引き継がれた415系は全車が引退したが、JR九州では先の事情があり、JR東日本からの譲渡された車両を含め150両以上の大所帯が残存する。

 

JR九州では将来に備え、新交直流電車の新造では無く、蓄電池形ディーゼルエレクトリック車両を開発中。関門区間での運用も検討されているようだが、415系の置き換えは、だいぶ先の話となりそうだ。

 

設置が進む「ホームドア」最前線――期待の新型と今後の問題

ホームからの転落を防止するために設けられるホームドア。2016年8月に視覚障害のある男性が、東京都内の地下鉄駅のホームから転落して死亡するという痛ましい事件が起きた。このことが契機となり、国土交通省は2020年度までに、1日に10万人以上が利用する駅にホームドアを設置する数値目標を示した。

 

このホームドア、プラットホームの端に設置されていて、停車した電車のトビラと同時に開き、また電車のトビラが閉まればホームドアも一緒に閉まるもの、という程度の認識しか筆者は持ち合わせていなかった。

 

しかし、調べてみるとさまざまな形や、開閉方法が異なるホームドアがあった。設置方法の違いもある。さらに、設置が難しい駅があることもわかった。今回は、そんな奥深いホームドアの世界を見ていくことにしよう。

 

歴史は意外に古い!? 設置費用は数十億円!? ホームドアの豆知識

まずは、ホームドアが生まれてから現在に至るまでの流れについて、簡単に触れておこう。

 

国内のホームドアの歴史は意外に古い。1974(昭和49)年1月1日に東海道新幹線の熱海駅に設置されたのが初めてだった。東海道新幹線の熱海駅はホームの幅が狭い。さらに上り下りの線路のみで、停まらない列車がホームのすぐ目の前を高速で通過していく。通過時の風圧が強く、利用者が巻き込まれる恐れがあった。そのため、日本初の「可動式ホーム柵」が設置されたのだった。

 

その後、1977(昭和52)年に、山陽新幹線の新神戸駅に設置され、これが西日本初のホームドアとなった。1981(昭和56)年には神戸新交通ポートアイランド線の部分開業にあわせてホームドアが導入された。さらに1991(平成3)年の営団地下鉄(現在の東京メトロ)南北線が部分開業し、半密閉式のホームドアが全駅に取り付けられた。

↑地下鉄としては最初のホームドアを導入したのが現・東京メトロ南北線だった。安全に万全を期すため、半密閉式スクリーンタイプというホームドアシステムが導入された

 

現在、多くの駅で見かける通常の開閉式ホームドアは、2000(平成12)年に都営三田線で導入されている。これが新幹線以外で最初に設置されたホームドアでもあった(南北線の方式を除く)。

 

その後、導入が進んでいき、国土交通省の調べでは2006年度末に318駅だった設置駅が、2016年度末には686駅まで増えている。とはいえ、設置費用はかなり高額だ。1駅(上下2線分)あたり数億円から数十億円にも及ぶという。もちろん、設置後の維持費もかかる。国や地方自治体から一部補助金が出されるとはいっても、JR東日本やJR西日本、さらに大手私鉄といった経営に余裕があるところでないと、そう簡単に導入できるものではないというのが現実だろう。

 

ホームドアの開け閉めは誰が行っている?

次にホームドアの通常のスタイルと、開閉方法を見ていこう。

 

通常のホームドアの形だが、ご存知のように2枚の戸が横開きする形が一般的で、ドアが格納される戸袋が左右にある。開いたときの開口部の長さは、電車のドアよりも横幅1mほど大きく開くように造られている。これは電車の停車位置が前後にややずれることがあるためで、そのぶんの余裕を持たせているわけだ。

 

設置位置はプラットホームの端と平行に設置されるのが一般的で、戸袋裏にセンサーが装着されている。もし、センサーが感知したときにはホームドアが再び開くなど、危険を避けるように作動する。

↑最も一般的なホームドア。開け閉めされるドアは金属の戸のみの場合と、写真のようにガラス戸のものがある。海外のホームドアはガラス戸になっている場合が多い

 

ホームドアの開け閉めだが、多くは電車に乗車する車掌が後端部にあるスイッチで操作する。電車の進入と同時に自動的にホームドアが開くもの(閉めるのは車掌が操作)と、開け閉めすべて車掌が操作するホームドアがある。

 

一方で、東京メトロ丸ノ内線や都営三田線などではワンマン運転にも対応。あらかじめ車両に改良を施して、運転士がドアの開閉するボタン操作すれば、連動してホームドアが開閉する路線もある。

 

次に一般的なホームドアの形に改良を加えた“進化タイプ”の例を見てみよう。

 

まずは、東京メトロ丸ノ内線の中野富士見町駅の場合。上り線のホームがややカーブしているため、電車とホームの間にすき間が生まれる。そのため、ホーム内からプレートが出てきてすき間を埋めるように作動している。電車とホームのすき間から物が線路へ落ちないよう配慮しているわけだ。

↑東京メトロ中野富士見町駅の例。上り線ではホームドアが開く際に、ホーム下からプレートが出てきて、電車とホームとの間に生まれる“すき間”を埋めている(矢印部分)

 

より安全に乗り降りしてもらおうという配慮が感じられるのが、相模鉄道横浜駅のホームドアだ。電車が停車位置に近づくと左右のランプが点灯。まずは赤で、乗車可能になったら青いランプが付く。閉まるときは青→赤と色が変わる。車掌が扱うホームドアの開け閉めスイッチも大きく、誤った操作を防ぐための工夫が見られる。

↑乗車可能なときは左右のランプが青く点灯する(矢印部分)。ホームドアの開閉は黄色い小ボタンで開き、緑の大ボタンで閉める。ボタンが大きく操作しやすい造りだ(赤写真内)

 

↑乗車ができないとき、また閉まりかけたときには右左のランプが赤く点灯する(矢印部分)

こんなホームドアもある! 走る車両に合わせて形もいろいろ

ホームドアの基本的な形とは異なる形、または設置方法を用いた駅もある。そんな通常とは異なるのホームドアの例を見ていこう。

 

設置方法が少し異なるのが東急電鉄の宮前平駅の例。写真を見ていただくとわかるように、ホームドアと電車の間に通常より広いスペースがある。

 

↑東急田園都市線の宮前平駅の様子。ホームドアと電車の間に、広いスペースが設けられている。東急の一部電車が6ドア車だったためこの形となった

 

これは以前に走っていた主力車両50000系に対応するための工夫だった。50000系は4ドア車とともに6ドア車を数両連結していた。しかし、50000系以外の電車は4ドアで、そうなると、ドアの位置が異なってしまう。宮前平駅のように電車との間にスペースを作れば、たとえ電車のトビラとホームドアの位置が合っていなくとも、電車への乗降が可能だったわけだ。

↑戸袋の線路側には「ホームの内側にお進みください」の表示が付けられる

 

宮前平駅のホームドアは電車が走りだしたあとに閉まる仕組み。とはいえ一長一短あり、電車のドアが閉まったあとに、ホームドアのなかに取り残されてしまうこともある。そうしたトラブルを防ぐために、現在は係員がホームに常駐している。現在は東急50000系の6ドア車が廃止され、すべて4ドア車と変更された。この大きなスペースは、いまは必要なくなっている。

 

次は、走る電車によってドアの開口部の大きさが異なる東京メトロ東西線の場合だ。

 

東京メトロ東西線の場合、主力車両の05系の一部と15000系は、乗降トビラが1800mmというワイドサイズになっている。一方で東西線には、ドアの幅が1300mmという通常サイズの電車も走っている。500mm差しかないといえばそれまでだが、ホームドアが従来のサイズだと、ワイドドア車の場合に、停車位置がややずれただけでも、乗り降りに支障をきたす可能性が考えられた。

 

そのため東西線の九段下駅に導入されたのは「大開口ホーム柵」と名付けられたホームドア。2重引き戸構造として、開く幅を大きくした。

↑東京メトロ九段下駅に通常の1300mm幅の東西線の電車が停車したときの様子。2重となった中側のドア部分の幅が、一般的なホームドアのドア幅となる

 

↑1800mmというワイドドアの電車が停まったときの様子。開口部が1300mmの通常の電車と500mm差とはいえ、幅が広いことがわかる

 

↑東西線九段下駅のホームドアは、2重で、それぞれ2枚のドアが右左に開く仕組みとした。通常のドア幅を持つ車両が到着したときでも、ドアが全開する仕組みになっている

ドアというよりも「バー」!? 導入に向けてテストが続く新型ホームドアも

走る車両のドアの数、ドアの位置がすべて同じ路線の場合、ホームドアを導入しやすい。困難なのはドアの数、ドアの位置が異なる車両が走る路線だ。こうした駅向けに新型ホームドアの実証実験も行われている。

 

たとえば、JR拝島駅(東京都)の八高線ホームには、3本バーを支柱間にわたして、車両が到着するとバーを上げ下げするホームドアが使われている。「昇降バー式ホーム柵」と名付けられたこのシステム。ドアの位置が、車両ごとに異なっていても対応できるシステムだ。

↑JR拝島駅の八高線、八王子行きホームに設置されたホームドア。「昇降バー式ホーム柵」と名付けられたシステムで、ドアの位置の違いに対応する方式として開発された

 

↑昇降バーが高々とあがる構造。乗客の乗り降りの邪魔にならない造りとなっている

 

バーをロープにしたホームドアも西日本で見ることができる。JR高槻駅(大阪府)で設置されたのは「昇降ロープ式ホーム柵(支柱伸縮型)」と呼ばれる装置。JR西日本はドアの数や位置が異なる車両が多々、走っている。そのため、この形のホームドアが試されているのだ。

↑JR高槻駅の場合、10mにわたる5本のロープが支柱間にわたされている。電車が到着するとこのロープが上に上がって乗降できる仕組み

 

鉄道会社間で異なる導入スピード――「2019年度に全駅設置」を掲げるところも

ホームドアの導入は鉄道各社によってかなり差がある。全国の地下鉄や新都市交通、そしてモノレールの路線では、当初からホームドアの導入が盛んで、導入率も高い。

 

JRでは新幹線の駅の導入率は高いものの、在来線はこれから本格的に、といった状況。大手私鉄では東高西低の印象が強い。また会社間での導入スピードも異なる。

 

そんななか、2019年度に早くも全駅にホームドア設置を目指しているのが東急電鉄だ。宮前平駅の例を前述したが、東急ではさまざまなスタイルを試してきた。そしていま、活発に各駅のホームドア設置を進めている。

 

東急のホームドアには2タイプがある。東横線、田園都市線などには通常のホームドアを導入する。一方で、池上線、東急多摩川線では「センサー付固定式ホーム柵」という形の“柵”を設置している。

 

これは後者の2路線の場合、電車が3両編成と短め、かつ駅間が短く、電車のスピードがほかの路線よりも遅いため有効だと考えられた対応策。ドアは無いものの、電車が発車しようとしたときに柵の内側に人が立つとセンサーが感知して、乗務員に知らせる。

↑東急池上線の駅に設置された「センサー付固定式ホーム柵」。柵と柵の間に乗降トビラがくるように停車する。線路側にはセンサーが設けられている

 

高額な設置費用を、もう少し手軽なものにできないかという試みもJR東日本で始められている。JR横浜線の町田駅の下りホームに付けられたのが「スマートホームドア」という名のホームドア。開口部および戸袋部分が、通常のものにくらべて軽量、簡素化され、本体機器費用、および設置工事費用などの低減を図っている。

↑JR横浜線の町田駅で試験が続けられる「スマートホームドア」。JR東日本の関連会社の手により開発されたホームドアで、軽量、簡素化が図られている

 

↑開口部は広々している。直線的なホームだけでなく、カーブしたホームにも対応できる仕組みとなっている

 

今後は、通常のものよりも簡素化されたスタイルのホームドアも普及していくのかもしれない。

 

あとは2ドア、3ドアなどドア数、およびドアの位置が異なる車両が走る路線。小田急電鉄や京浜急行電鉄などにより、すでに実証実験が行われている。両社では2020年度〜2022年度には主要駅には導入を予定している。果たしてどのようなスタイルのホームドアが導入されるのか興味深い。

 

ホームドア設置による抑止効果と今後の問題

最後に、ホームドア設置によってどの程度、事故が減るのかを見てみよう。

 

ちょっと古い数字だが国土交通省が2005(平成17)年にまとめた鉄道事故の統計によると、プラットホームでの死亡者数が196人。そのうち、「酔客」が10人(5.1%)、足を滑らせてなど「その他」での理由が24人(12.1%)。残りがすべて「自殺」164人(82.8%)という割合だった。プラットホームの死亡事故の原因は圧倒的に「自殺」が多かったわけだ。

 

この数字が、どのぐらいホームドアの設置駅で減っているのだろう。まだ設置駅の事故率を浮き彫りにした公式の統計は、残念ながら出されていない。とはいえ、ホームドア設置駅では誤ってホーム下に転落する事故は、ほぼ皆無となるだろう。時たま起こる、ホームドアを乗り越えて……というような事件がニュースになるものの、設置は確実に自殺をしようとする人たちへの抑止効果を生んでいると思われる。

 

とはいえ、ホームドア設置後の問題も出てきている。たとえば、つくばエクスプレスの例。2016年にホームドアがからむトラブルが22件も起こっている。ホームドアにはセンサーが付いているが、死角になる部分があるためだ。電車のドアに物が挟まったときに、ホームドアが逆に死角になって見えないことがある。ワンマン運転の電車の場合、こうした状況を運転士がすべて確認して電車を運行しなければならない。

 

これは、ホームドアもまだ完璧とは言えない技術であることを物語る話だ。今後、ホームドアの設置率向上を生かしていくため、さらなるハード面とソフト面の技術力のアップ、加えて利用者側もトラブルに出会わないために、ホームドアの仕組みをある程度、理解しておいたほうがいいのかもしれない。

赤字体質から6年連続増益へ――躍進する「JR貨物」に鉄道貨物輸送の現状を見る

相模灘を眼下に望む東海道本線の早川駅〜根府川駅間のカーブを、うねるようにして貨物列車が進む。ブルートレイン牽引機として活躍したEF66 “マンモス”、その血を受け継いだJR貨物のEF66形式直流電気機関車が、長い貨物列車の先頭に立つ。24両編成、総重量1000トン以上にも及ぶコンテナ貨車。力強く牽引する姿は豪快そのものだ。

この貨物列車の姿のように、JR貨物がいま、力強く元気だ。長年、赤字体質だった会社が、6年前から黒字経営に、さらにここ数年は好業績を上げ続けている。どのようにして体質改善が図られていったのか、変わるJR貨物の現状を見ていきたい。

 

6年連続増益!ついに最高益をあげるまでに

まずは、JR貨物の好調ぶりを数字で見ていこう。

 

平成29年10月30日に、平成30年3月期の中間決算が発表された。営業収益は935億円。対前年比23億円プラスで、2.6%の増収となった。営業利益にいたっては前年比12.2%増、経常利益は対前年比20.5%増となった。

 

中間期の純利益を見るとなんと78.2%の増加となる。これで6年連続増益となり、中間期決算の公表を開始した平成9年度以来の最高益をあげた。

↑JR田端駅近くビル上にある案内看板。夜になると機関車のヘッドライトが光り、面白い。赤い電気機関車がJR貨物を力強く牽引するといった構図にも見える

 

いまでこそ好調のJR貨物だが、10年ほど前まで、この状態はとても予想できなかった。純利益を見ると、平成20年度(△15億円)、21年度(△27億円)とマイナスの数字が並ぶ。22年度(10億円)は持ち直したものの、東日本大震災があった平成23年度はマイナス5億円の損失を計上した。

 

ところが、翌平成24年度からプラスに転じ、それ以降、ほぼ右肩上がりで業績を延ばしている。

 

こうした背景には、トラック輸送から鉄道輸送や船輸送への転換。CO2の排出を減らそうとする取り組み「モーダルシフト」が、国により強く推進されたこともあるだろう。また昨今の、ドライバー不足から鉄道貨物輸送への転換を余儀なくされた荷主が増えている背景もありそうだ。

 

一方で、時間をかけつつも、より効率の良い鉄道貨物輸送を目指してきた、その成果が実を結んだようにも思える。どのような改善を施し、また成果を生み出したのか、いくつかの事例を見ていきたい。

 

【事例①】

企業とのつながりを強めた「専用列車」の運行

鉄道貨物の輸送は大きく2つにタイプに分けられる。「車扱(しゃあつかい)輸送」と「コンテナ輸送」の2つだ。石油や鉱石などを専用の貨車に載せ、走らせることを車扱輸送と呼ぶ。一方、一定の大きさのコンテナを貨車に載せて運ぶ列車をコンテナ輸送と呼ぶ。

 

古くは車扱輸送が主流だったが、現在は、コンテナ輸送が鉄道貨物全体の約70%を占めている。主流となるコンテナ輸送だが、その姿を大きく変えたのが次の列車だった。

↑一企業の専用列車として走り続ける「スーパーレールカーゴ」。東京貨物ターミナル駅を23時14分に発車、大阪の安治川口駅に早朝5時26分に到着する

 

2004(平成16)年に走り始めた「スーパーレールカーゴ」。東京貨物ターミナル駅と大阪市内の安治川口駅を結ぶ貨物列車で、佐川急便の荷物を積んだコンテナのみを載せて走る。

 

M250系という動力分散方式の車両を利用、専用のコンテナを積んだいわば“貨物電車”のスタイルで走る。深夜の東海道本線を最高時速130kmで走り、上り下りとも約6時間10分で結ぶ。深夜に出発して、翌早朝には東京、大阪に到着するダイヤで運行されている。

 

「スーパーレールカーゴ」での輸送が実績を上げたこともあり、2013年からは福山通運の専用列車「福山レールエクスプレス号」が東京貨物ターミナル駅〜吹田貨物ターミナル駅(大阪府)間を一往復しはじめた。さらに「福山レールエクスプレス号」は、2015年から、東京貨物ターミナル駅〜東福山駅(広島県)間、2017年には名古屋貨物ターミナル駅〜北九州貨物ターミナル駅間の運行も開始された。こうした専用のコンテナ列車は、1往復で、大型トラック60台分のCO2削減につながることもあり、効果が大きい。

↑東海道貨物線を走る「福山レールエクスプレス号」。同列車は東京〜大阪間だけでなく、東京〜福山間、2017年5月からは名古屋〜北九州間の運転も始まっている

 

この動きは、宅配業種との協力体制のみに留まらない。2006年11月から運行を始めたのが「トヨタ・ロングパス・エクスプレス」。列車名でわかるように、トヨタ自動車関連の部品類を運ぶ専用列車だ。愛知県の笠寺駅(名古屋臨海鉄道・名古屋南貨物駅着発)〜盛岡貨物ターミナル駅、約900km間を約15時間かけて走る。1日に2往復(土・日曜日は運休)するこの専用列車。愛知県内にあるトヨタ自動車の本社工場と岩手工場間の部品輸送に欠かせない列車となっている。

↑相模灘を背に走る「トヨタ・ロングパス・エクスプレス」。青い色の31フィートサイズの専用コンテナを積んで走る

 

2018年3月のダイヤ改正からは、こうしたクルマの部品輸送用の専用列車が相模貨物駅(神奈川県)〜北九州貨物ターミナル駅間を走る予定で、専用列車の需要はますます高まっていくと言えそうだ。

 

【事例②】

スムーズな輸送に欠かせなかった拠点駅の整備

専用列車の登場とともに、JR貨物のスムーズな輸送に大きく貢献したのが2013年3月の吹田貨物ターミナル駅の開業だ。国鉄時代には、東洋一の規模を誇った吹田操車場の跡地の一部を利用した貨物駅で、東海道本線の千里丘駅〜吹田駅間の約7kmにわたる広大な敷地に貨物ターミナル駅が広がる。

↑東海道本線に沿って設けられる吹田貨物ターミナル駅。同駅の整備にあわせて福山通運の「福山レールエクスプレス号」の運行が始められた

 

同駅の整備により、先にあげた「福山レールエクスプレス号」などの列車の着発と、荷役が可能になった。また貨物列車の上り下り線ホームを整えたことで、東海道本線や山陽本線という物流の大動脈を走る列車の荷役作業を、よりスピーディに行えるように改善された(作業は着発線荷役と呼ばれる)。

 

吹田貨物ターミナル駅からは、大阪市内の別の貨物駅、大阪貨物ターミナル駅や百済貨物ターミナル駅を向かう列車も多い。構内を整備したことで、これらの列車の発着もよりスムーズになった。1つの駅の整備が大阪圏内だけでなく、西日本の鉄道貨物の流れをよりスムーズにしたと言っても良いだろう。

↑東海道本線を走る多くの貨物列車の起終点となるのが東京貨物ターミナル駅。駅構内に新たに設けられる大型物流施設の工事も始まっている

【事例③】

引っ越し需要にこたえて臨時列車を走らせる

3月、4月は1年で、最も引っ越し需要が高まる季節。さらに今年はドライバー不足、働き手不足の影響もあって、引っ越し料金が高騰し、予約が取れない状況だとされる。

 

そんな引っ越し需要に合わせて、JR貨物では3月上旬〜4月上旬にのべ30本の臨時列車を運転、68本の貨物列車の曜日運休を解除して、12フィートコンテナ換算で9800個(49,350トン)の輸送力の増強を図っている。

 

臨時列車が走るのは大阪貨物ターミナル駅〜鳥栖貨物ターミナル駅(佐賀県)・北九州貨物ターミナル駅間や、隅田川駅(東京都)〜札幌貨物ターミナル駅間。こうした柔軟性に富んだ対応も、JR貨物の新しい一面と言えるだろう。

 

【事例④】

国鉄時代に生まれたコンテナ貨車が消えていく

コンテナを積む貨車の更新も改善されてきたポイントの1つだ。

 

コンテナ用の貨車は1970年代にコキ50000形式が大量に造られた。その後、1980年代の終わりに、コキ100系というコンテナ貨車が生まれた。

 

40年にわたり使われてきたコキ50000形式だったが、時速100〜110kmのコキ100系に対して、最高時速が95kmと見劣りした。しかも床面の高さがコキ100系の1000mmに比べ1100mmと10mmほど高い。コンテナ貨車はコンテナを積んだときに、上限となる限界値があり、コキ50000形式には背の高いコンテナを載せることができない。

↑1970年代に大量に造られたコキ50000形式。高床構造で、12フィート汎用コンテナの利用の場合、高さ2500mm未満の限定サイズを使わざるを得なかった

 

いままで使われ続けてきたコキ50000形式だったが、2018年3月のダイヤ改正で残っていた車両が消えることになった。

 

今後、コンテナ貨車は、ほぼコキ100系に統一される。これまで12フィートサイズの汎用コンテナは、コキ50000形式に合わせてつくられていた。しかし、コキ100系が主流となることで、高さを2500mmから2600mmへと、100mmほどサイズが大きい汎用コンテナが一般化することになる。わずか100mmの違いながら、それだけ多くの荷物の積み込みが可能になるわけで、荷主にとってありがたい改善点となる。

↑31フィートコンテナを載せたコキ100系。高さが2500mmを越えるコンテナには、誤った積載を防ぐため「コキ50000積載禁止」の文字が書かれていた。

 

 

【事例⑤】

鉄道ファン受けしそうな貨物用機関車の塗り替え

最後に鉄道ファンとしては気になる貨物用機関車の話題に触れておこう。この貨物用機関車の運用に関しても、現在のJR貨物らしさを見ることができる。

 

EF200形式直流電気機関車という強力な貨物用機関車が使われている。東海道・山陽本線で使われる機関車で、日本の機関車史上、最強の6000kWの出力で、1600トンの貨車の牽引が可能な車両だった。

 

この機関車はJR貨物発足後の1990(平成2)年、景気が良かった時代に誕生した。ところが、生まれたあとの輸送需要が伸びなかったこと、フルパワーで走ろうとすると、地上の変電設備などに負荷をかけることから、出力を抑えての運転が余儀なくされていた。問題をかかえていたために21両と製造数も少なかった。

 

生まれてまだ30年も経っていないが、すでに稼働しているのが4両のみとなっている。このままでは、あと数年で消えていきそうな気配だ。

↑日本の電気機関車史上、最大のパワーを誇ったEF200形式電気機関車。オーバースペックがたたり、国鉄形機関車よりも先に消えていきそうな気配だ

 

消えていきそうな機関車がある一方で、国鉄形電気機関車に面白い動きが見られる。

 

国鉄がJRに分社化されすでに30年あまり。JR貨物に残る国鉄時代生まれの機関車も減りつつある。そんな動きのなか、国鉄形機関車のなかに、全般検査を受け、今後、3年、5年と走り続けそうな車両も出てきた。EF64形式やEF65形式が昨年から数両、全般検査を終えて工場から出庫してきているが、塗り替えた姿は、両形式ともすべてが国鉄原色と呼ばれる塗装だった。

↑EF65形式直流電気機関車の2065号機。定期的に行われる全般検査の際に国鉄原色に戻され、鉄道ファンの心をくすぐった

 

まさか、鉄道ファンに人気だから、ということでの国鉄原色への回帰というわけではないだろう。とはいえ、貨物ターミナル駅や機関区などの公開イベントなどでは、親子連れを含め多くの人が集まり、JR貨物の人気は高い。塗装変更という1つの現象ではあるものの、こうしたJR貨物へ興味を持つ鉄道ファンに受けるがための塗りかえであったら歓迎したい。

↑EF64形式の国鉄原色機は一時期、消えてしまった(JR貨物の場合)。ところが1028号機が全般検査後に国鉄原色に戻された。この復活劇を喜んだ鉄道ファンも多い

 

↑JR貨物のEF64形式といえばブルーに白のラインの色分けが多い。鉄道ファンからは“牛乳パック”と呼ばれたカラーだが、今後、この塗り分けはどうなっていくのだろうか

 

まもなく実施されるJR各社の「ダイヤ改正」、今年は何がどう変わる?

3月17日(土曜日)にJR各社のダイヤ改正が行われる。この春は新路線の開通といった華々しい話題はないものの、各社の変更点を見ていくと、時代の変化を感じざるをえない。旅客各社のダイヤ改正で目立った変更ポイントをチェックした。

 

【JR北海道】国鉄型キハ183系が走る路線がわずかに

まずはJR北海道のダイヤ改正で目立つポイントから。

 

長年、函館駅と札幌駅を結んできた特急「北斗」が消え、すべての列車が特急「スーパー北斗」となる。車両がキハ183系から、すべてキハ281系とキハ261系に変更されるのだ。この車両変更によって、若干の所要時間の短縮(既存列車から0〜9分の短縮)と乗り心地の改善が図られる。

 

この改正以降、キハ183系は道南から撤退、定期運用される列車は、石北本線を走る特急「オホーツク」と特急「大雪」のみとなる。特急「北斗」にはキハ183系のなかでも唯一のハイデッカー仕様のグリーン車が連結されていたが、この車両も消えることになりそうだ。長年、北海道の特急運用を支えてきたキハ183系の撤退だけに、一抹の寂しさを覚える。

↑増備が続くキハ261系が内浦湾沿いを走る。キハ261系は「スーパー北斗」だけでなく、「スーパーとかち」や「宗谷」「サロベツ」にも使われている

 

↑キハ183系「北斗」。中間にハイデッカータイプのグリーン車を連結する。同車両の製造技術はその後の特急トワイライトエクスプレス用の客車改造にも生かされた

 

さらにこの3月には、スラントノーズの名で親しまれてきたキハ183系の初期型車両が消えていく。車体に動物のイラスト、車内に動物をテーマにした遊び場が設けられていたキハ183系「旭山動物園号」。3月25日にラストランを迎える。

↑キハ183系「旭川動物園号」。写真は特急「フラノラベンダーエクスプレス」として運転されたときのもの。貴重なスラントノーズを持つキハ183系の初期形車両だった

 

【JR東日本】中央本線の特急と臨時列車に大きな変化が

JR東日本の管内で、より変化が大きいのが中央本線だ。

 

特急「スーパーあずさ」に使われるすべての車両が新型のE353系に変更される。これまで使われてきたE351系は、廃車となる予定。JR東日本の車両形式として「E」を初めて付けたE351系だが、登場して25年という期間での消滅となる。E351系はJR東日本で唯一の制御付き自然振子装置を備えた車両だった。整備の手間がかかるということで嫌われたのかもしれない。

↑すでに2017年12月から走り始めているE353系「スーパーあずさ」。今後は、増備され257系の特急「あずさ」や「かいじ」もE353系に置き換わるとされる

 

↑E351系は制御付き自然振り子装置を活かし、カーブを高速で走り抜けた。3月17日以降は、この姿を見ることができなくなる

 

昨年の暮れ、JR東日本がダイヤ改正を発表した際には明らかにされなかったが、長年、中央本線の臨時列車として使われてきた国鉄形特急電車189系の2編成(M51・M52編成)も4月末までに引退することになった。

 

残る189系は長野支社に配属されるN102編成のみで、こちらもあと数年で引退となりそうだ。国鉄形特急電車の姿を色濃く残した車両だけに、鉄道ファンから引退を惜しむ声があがっている。

↑「グレードアップあずさ色」と呼ばれる塗装で親しまれた189系M52編成。主に中央本線の臨時列車として活躍した。今後、中央本線の臨時列車の多くはE257系となる予定だ

【JR東海】「あさぎり」という特急名が「ふじさん」に

小田急電鉄の車両が当時の国鉄御殿場線に乗り入れることで始まった列車名の「あさぎり」。愛称は富士山麓の朝霧高原にちなんで名付けられた。

 

60年近くにわたり走り続けてきた小田急本線から御殿場線への乗り入れ列車だったが、この春から「ふじさん」という特急名に変更される。世界文化遺産に登録された富士山は、海外の人たちへもその名が知れ渡る。この名称変更も、やはり時代の波なのかもしれない。

↑JR東海と小田急電鉄が共同運行してきた特急「あさぎり」。車両には小田急のMSE(60000形)が使われる。3月17日からは特急「ふじさん」に改められる

 

JR東海では、ほかに注目されるのが特急「(ワイドビュー)ひだ」の名古屋駅の発車時間。午後の名古屋駅発の下り列車は、ほぼ2時間間隔となり、最終は20時18分と遅い発車となる。東京駅発18時30分の「のぞみ」に乗車すれば、乗り継げる時間に設定。このあたり、飛騨高山の人気と、海外からの利用者が多いことへの調整と思われる。

 

【JR西日本】国鉄形通勤電車の運用を最新タイプに変更

JR西日本では上り特急「こうのとり」を1時間間隔で運行、また18時台に新大阪駅発の和歌山駅行き、下り特急「くろしお」を増発させるといったビジネス利用を考慮したダイヤ変更を行っている。

 

一方で、鉄道好きには気になる車両の動きも。阪和線では、ごく一部に通勤形電車205系が使われてきたが、こちらが消える予定。さらに阪和線の支線、羽衣線の103系も車両変更される予定だ。

 

国鉄形車両の宝庫であったJR西日本も、徐々にJRになってから生まれた車両が多くなりつつある。阪和線を走っていた205系は奈良線などに移る見込みで、103系は残念ながら廃車ということになりそうだ。

↑JR西日本の225系。阪和線では今後、この新製車両の割合が増えていく

 

↑JR西日本では貴重な存在だった阪和線の205系。ダイヤ改正後は吹田総合車両所奈良支所などに転属する見込み

 

↑阪和線の支線・羽衣線を走る103系。国鉄当時の面影を色濃く残す車両として鉄道ファンに人気がある

 

JR西日本の路線のうち話題を呼んだのが三江線(さんこうせん)。ダイヤ改正後の3月31日に廃線となり、43年にわたる歴史を閉じる。利用者の減少という地方のローカル線が抱える問題が如実に現れた三江線の廃止。第2、第3の三江線が出ないことを祈りたい。

 

ちなみに現在、発売中の「時刻表」誌3月号には、三江線の時刻が掲載されている。三江線のダイヤが掲載された最後の「時刻表」誌となるのかもしれない。

↑天空の駅として人気の三江線・宇都井駅(うづいえき)。廃線が決まったあとは、その姿を一目見ようと多くの人たちが沿線へ訪れている

【JR四国】新型車両を利用した特急が増える一方で――

新型車両の導入が順調に進められているJR四国。ダイヤ改正で、特急用の電車8600系で運転される特急「しおかぜ」「いしづち」と、特急用の気道車2600系で運転される特急「うずしお」が増えることとなった。2車両ともJR四国の社内デザイナーがデザインした新造車両で、評判もなかなか。人気デザイナーに頼らず、独自の新型車を生み出す姿勢が目を引く。

↑新型8600系で運転の特急「しおかぜ」と「いしづち」。従来の8000系に換わり8600系で運転の列車が、「しおかぜ」「いしづち」とも1往復ずつ増える予定だ

 

↑2017年12月から運転が始まった2600系の特急「うずしお」。増車され、3月のダイヤ改正からは2600系で運転される列車が1日に3往復から4往復になる予定だ

 

新造車が増える一方で消えていく車両も。JR四国の2000系は、気道車としては世界初の制御付き振り子式車両として開発された。1989(平成元)年に製造されたTSE2000形が、鉄道史に名を残す2000系最初の車両となった。この試作車両の編成3両がダイヤ改正とともに姿を消すことになった。

↑TSEという愛称を持つ2000系の試作編成。その後の2000系量産型と異なり正面に特急名の表示が無い。最後は3月17日の特急「宇和海」2号として走る予定だ

 

【JR九州】減便が多く見られる厳しい現状

JR九州は、JR東日本やJR西日本に次ぐJRグループの“優等生”となりつつあった。鉄道事業以外に、多角経営に乗り出し、新規事業それぞれが順調に推移していた。

 

しかし、ベースとなる鉄道事業が、度重なる大規模災害や、利用者減少の荒波を受け、厳しさを増しているように見える。熊本地震による豊肥本線の寸断、さらに昨年の大水害による久大本線や日田彦山線の長期不通など、鉄道事業を揺るがす大きな負担となっている。そのため、一部の優等列車の減便や、閑散路線の運行本数を減らすなど、今回のダイヤ改正でもマイナス要素が目立ってしまっている。

↑上り特急「有明」。これまでは早朝発の上りが2本、夜に下り3本という列車が運行されていた。3月17日以降は、朝の上り1本のみの特急になってしまう

 

在来線の特急列車の本数や、運転区間の見直しが多くなっている。なかでも減便の割合が大きいのが特急「有明」。ダイヤ改正時までは博多駅〜長洲駅(ながすえき)間に上り2本、下り3本の運行で、長洲駅着が深夜1時20分と帰宅する利用者に重宝がられる列車も運行されていた。

 

それがダイヤ改正以降は、大牟田駅発の博多駅行きとなり、上り大牟田駅発6時43分のみになってしまう。区間短縮、さらに上り片道1本のみとは、なんとも思い切ったものだ。

 

ほかにもこうした例が見られる。

↑1903(明治36)年築の駅舎が残る嘉例川駅(かれいがわ)に停まる特急「はやとの風」。これまでは毎日運転の特急だが、ダイヤ改正後は週末などの限定日の運行に変わる

 

鹿児島中央駅と肥薩線の吉松駅を結ぶ特急「はやとの風」。錦江湾越しの桜島を眺めや、嘉例川駅や、大隅横川駅(おおすみよこがわえき)といった、明治生まれの駅舎が残る駅に停車するなど鉄道好きに親しまれてきた観光特急だ。

 

この「はやとの風」の運行日が毎日から、週末や長期休みの期間のみに限定されることになった。

 

同列車の終着駅・吉松駅からの北側区間は、さらに状況が厳しい。肥薩線では「山線」と呼ばれる吉松駅〜人吉駅間。スイッチバック駅の大畑駅(おこばえき)や真幸駅(まさきえき)がある険しい線区だが、この区間は走る列車がこれまでの5往復から、1日わずか3往復に減る。珍しいスイッチバックがあり、また日本三大車窓が楽しめた風光明媚な路線の旅が、かなり不便になりそうだ。

 

厳しい現実を見せつけられたJR九州のダイヤ改正の内容。一筋の光明を見いだすとしたら特急「あそぼーい!」の復活だろうか。

↑阿蘇カルデラを走ったころの特急「あそぼーい!」。熊本地震の影響で、写真の豊肥本線・立野駅付近の被害が大きく、長い間、運転休止となっていた

 

「あそぼーい!」は熊本地震が起こる前までは、豊肥本線の熊本駅〜宮地駅(みやじえき)を結ぶ人気のD&S(デザイン&ストーリー)列車だった。熊本地震以降には、臨時列車として、各地で運行されていたが、3月17日以降は、大分県の別府駅と肥薩線の阿蘇駅間を走ることになる。

 

週末や長期休み期間のみの運行となるが、パノラマシートから見る前面展望の楽しみが復活するわけだ。期待したい。

【乗車ルポ】この春登場で注目を浴びる「小田急新ロマンスカー」と「京王ライナー」、実際どう?

新宿駅を起点とする小田急電鉄と京王電鉄が、それぞれ新車両・新列車を、この春に登場させて注目を浴びている。小田急は3月17日に新ロマンスカー「GSE(70000形)」を登場させる。京王は2月22日に座席指定制の有料特急「京王ライナー」の運行を始めた。

 

小田急は観光用の特急ロマンスカー、一方、京王は通勤型電車で、シートの向きが転換できる座席指定制特急というスタイルの車両だ。2つの車両の単純な比較はできないものの、未来の鉄道車両と、未来へ向けた運行スタイルの姿が見えてくる。注目される新車両・新列車の乗車ルポをお届けしよう。

 

座れば心がウキウキ! 迫力の前面展望が魅力の新ロマンスカーGSE

小田急ロマンスカーといえば、小田急電鉄の特急の代名詞であり、同社のシンボル的な車両となっている。1957(昭和32)年にSE(3000形)を登場させて以来、時代を象徴する車両を世に送りだしてきた。

 

ところが、2000年代にVSE(50000形)、MSE(60000形)が新造されて以来、2017年にリニューアル車のEXEα(30000形)の投入があったものの、GSE(70000形)という車両の登場まで10年の歳月を待たなければならなかった。

20180302_y-koba2 (2)↑ローズバーミリオンと呼ばれる車体色が目を引くGSE(70000形)。すでに小田急本線や小田急多摩線を使った試運転や、試乗会が行われている

 

この春、待望の新型GSE(70000形)が登場する。GSEとはGraceful Super Expressの略で、“優雅なスーパー特急”という意味になるだろうか。

 

車体は薔薇の色をイメージした「ローズバーミリオン」。一見して華やかなカラーで、これまでのロマンスカー車両に比べてかなり目を引く。そしてこの車両の特徴であり、最大の魅力となりそうなのが、先頭に設けられた展望席。前後車両に展望席を設けたスタイルは、LSE(7000形)、VSE(50000形)といった車両に受け継がれてきた。

 

特急電車の一番前に陣取って展望を楽しむ。鉄道ファンでなくとも、誰もが一度は経験したいと思うはず。座れば心が浮き浮きする、そんな楽しめるスペースが新ロマンスカーにも採用された。

20180302_y-koba2 (3)↑GSE(70000形)の展望席は前後に16席ずつ。人気となること必須で、運転開始当初はかなりの倍率となりそうだ

 

20180302_y-koba2 (9)↑展望席の後ろにある運転室への入口。新車では、棚状のステップを下に設け、登り口の階段をスムーズに登れるように工夫している。運転時には、この上り口が閉じられる

 

20180302_y-koba2 (4)↑GSE(70000形)の先頭部を外から見る。正面だけでなくサイドの窓も広々している。写真の右に見える小さなトビラは乗務員用の乗降扉

 

GSE(70000形)では、展望席を持つ同スタイルのVSE(50000形)に比べて前面のガラスの高さを30cmほど拡大、先頭の座席を35cmほど前に配置した。

 

実際に、短時間ながら筆者も先頭の展望席に座ってみた。試乗会での体験だけに、ゆっくりと楽しめなかったが、 “迫力に圧倒される!”と感じた。正式に走り出したら、展望席の指定券をぜひゲットして乗りたいと思う。

 

この展望席の指定券は運転開始後、高嶺の花になること間違いない。当初は、なかなか指定券が取れそうにない。ただ、心配はご無用。ほかの席でも十分に新ロマンスカーの魅力が満喫できる。

 

通常席にいながらにして前面や後部の展望が楽しめる

中間車の車両であっても、側面の窓はVSE(50000形)やMSE(60000形)よりも広い天地幅は100cm。さらにつなぎ目のない連続窓で、車窓が十分に楽しめる。

20180302_y-koba2 (5)↑4号車の車内。車椅子利用者用の座席が用意される。側面の窓は思った以上に広い。天井も高く造られ広いイメージを強めている。天井の両端には空気清浄機が装着された

 

さらに面白いのがスマホで同列車の前面展望が楽しめること。車内で無料Wi-Fiシステムが使えるとともに、Romancecar Linkというサイトにつなげば、この前面展望が楽しめる。前面展望だけでなく、後部の展望映像も楽しめるというのが面白い。

20180302_y-koba2 (6)↑車内では無料Wi-Fiシステムの利用が可能。Romancecar Linkを使えば、前面の展望映像が楽しめる。2階にある運転室のカメラを使用、展望席とは違う角度の展望が楽しめる

 

筆者はスマホしか持参しなかったが、画面が大きめのタブレット端末を使えば、より迫力のシーンが楽しめそうだ。ちなみにこのシステム、座席の背に解説がある。観光情報なども見ることができて、役立ちそうだ。

 

乗り心地や細やかな配慮にも注目!

つい展望席に注目が集まるが、乗り心地にも触れておきたい。このGSE(70000形)には左右方向の車両振動を低減する「電動油圧式フルアクティブサスペンション」が装着されている。新幹線では東北新幹線E5系などの一部車両に電動式のフルアクティブサスペンションを使用しているが、在来線の量産車では初という電動油圧式のフルアクティブサスペンションの導入となった。今後は、東海道新幹線の新型N700Sにもこのシステムが使われる予定という優れた装置だ。

 

今回の試乗は短時間だったこともあり、電動油圧式フルアクティブサスペンションの性能こそ味わえなかったが、どのぐらいの成果が得られているのか、気になるところだ。

20180302_y-koba2 (7)↑海外からの利用者が多いロマンスカーゆえの配慮。広い荷物収納スペースがほぼ全車両に設けられている

 

20180302_y-koba2 (8)↑シートの上部にある点字の座席指定の番号案内。歩く時に手すりに代わりとなる場所の、こうしたきめ細かい配慮は、さすがロマンスカーと思わせるものがある

 

小田急電鉄では、3月17日(土曜日)にダイヤ改正の予定。下北沢駅付近の改良工事が完成し、代々木上原〜登戸間の複々線工事が完了する。それとともに特急ロマンスカーも、よりスムーズに運行されることになる。

 

GSE(70000形)は主に「はこね」「スーパーはこね」として運行される予定だ。新ロマンスカーに乗車できる日が待ち遠しい。

 

*注:小田急線〜箱根登山鉄道線の区間を直通する特急の料金割引が終了します。そのため、3月17日から新宿駅〜箱根湯本駅の特急料金が1090円と200円、高くなります

 

京王で初めて!座席指定制「京王ライナー」の運行開始

京王電鉄は新宿駅が起点の京王線系統、渋谷駅が起点の井の頭線の2路線を運行する。井の頭線の路線が12.7kmと短いのに比べて、京王線系統は西に路線が延び、新宿駅〜京王八王子間の京王線、調布駅〜橋本駅間の相模原線、北野駅〜高尾山口駅間の高尾線などの路線が広がっている。

 

京王線系統の総延長は71kmと路線の距離はかなりのもの。加えて都営新宿線との相互乗り入れも行われている。

20180302_y-koba2 (10)↑新型の5000系を使っての運行が始まった「京王ライナー」。平日は20時以降、土休日は17時以降、下りのみの運行が開始された

 

20180302_y-koba2 (15)↑車体側面の案内表示には京王ライナーのロゴが入り、また行き先と、停車駅を表示される。なお京王八王子駅に到着後は新宿駅へ回送され、再び京王ライナーとして運転される

 

京王電鉄としては初めて座席指定制の有料特急として2月22日から運行開始されたのが「京王ライナー」。車両は2017年10月から走り始めた新型5000系が使われている。5000系は通常の通勤電車として走るときは、窓を背にして座席が並ぶロングシートに、また座席指定制の有料特急として走る時はクロスシートに座席の向きが変更される。

20180302_y-koba2 (12)↑新宿駅入口に設けられた「京王ライナー」の案内表示。時刻と行き先、各ライナーの停車駅と空席状態が示されている

 

2月22日のダイヤ改正に合わせて設定された「京王ライナー」の運行ダイヤは次の通りだ。

 

運転は夜間の下りのみで、平日は20時以降、30分間隔で新宿駅発→京王八王子駅行き、新宿駅発→橋本駅行きが交互に計10本が運転される。夜は0時20分発の橋本駅行きが最終となる。

 

土休日は、運転時間がやや早めの17時から。17時発の時刻ちょうどが京王八王子駅行きで、各時間20分発が橋本駅行きとなる。運転本数は計10本。土休日の最後は21時20分発の橋本駅行きが最終となる。

 

1席400円。PCやスマホでも購入ができる

座席指定券の料金は400円。運転当日の指定券が、新宿駅にある京王ライナー専用券売機と、Web( PCかスマホ)で購入できる。筆者は、スマホでの予約・購入にチャレンジ、土曜日の17時発の京王ライナーに乗る手配をしてみた。

 

まずは会員登録を行う。仮登録などの多少のやりとりはあるがスムーズ。ログインすると、その日の京王ライナーの発車時間が表示される。乗りたい京王ライナーの「指定券を購入する」で、希望の号車や、座席タイプが指定できる。さらに座席表から、座りたい席が選べる。

20180302_y-koba2 (13)↑スマホの「京王ライナー」の利用画面。会員登録、さらにクレジットカードを登録すれば購入が可能、チケットレスで乗車できる

 

20180302_y-koba2 (14)↑ログインすると、京王ライナーの発車時刻と空き具合が表示される。発車15分前までWebでの購入ができる。15分をきると新宿駅の専用券売機のみでの販売となる

 

筆者は運行開始後、最初となる土曜日の17時発を選択した。さらに先頭車に乗りたいので、念のため朝に予約を入れたが、すでに先頭車の半分以上の席が埋まっていた。座席を決めたら、同意のチェックと、会員登録した際のパスワードが必要となる。パスワードを最後に打つというひと手間があるものの、新宿駅の券売機で買うよりも、早めの座席指定ができて安心だ。

 

確実に座れて快適ながら通勤用車両ならではの気になるポイントも

発車時に独特のミュージックフォーンを奏で、新宿駅2番線ホーム(京王ライナーはすべて同ホームを発車)を17時に出発。週末だったせいか、鉄道好きらしき乗客が多い。隣に座った人に声をかけてみると、やはり鉄道ファンだった。各鉄道会社の座席指定制の特急を比較のため乗車しているという。

 

車内アナウンスの前には、癒し系の音楽がワンフレーズ流される。このあたりも京王ライナーならでは。ちなみに、5000系が通勤時に使われるときはこの音は流れず、シンプルなアナウンスとなる。座席も、ロングシート、クロスシート転換式ならではといった印象だが、座り心地は悪くない。各座席の足元には電源用のコンセントも設けられる。

 

ただ、少し足元が狭く感じた。転換式のため狭くならざるを得ないのかもしれない。

20180302_y-koba2 (16)↑京王ライナーとして走る時のクロスシートの状態。ドアとドアの間にシートがタテ3列で配置される。京王ライナー利用時は室内の照明も暖色系の色合いとなる

 

20180302_y-koba2 (17)↑通勤利用時のロングシートの状態。ロングシートの時は6人掛けで、通常の通勤電車の7人掛けの状態に比べると1人当りの横幅が広くなる。肘掛けもありゆったりした印象

 

発車して22分で最初の停車駅、府中駅に停車する。途中、明大前駅(一時停止の運転停車を行う)と調布駅は停車しない。この府中駅より先は座席指定券が不要となり、誰でも乗車できるようになる。ちなみに橋本駅行きの場合は、京王永山駅から先の座席指定券がいらなくなる。

 

府中駅から乗る人が数人いた。わざわざ乗りに来たと思われる親子づれも。知らない人は、席の向きに戸惑っている様子だ。そして17時39分に終着の京王八王子駅へ到着する。所要時間39分の短い旅は終わった。

 

京王ライナー利用の場合、新宿駅〜京王八王子間は最短35分、新宿駅〜橋本駅間は最短32分と早い。

 

運転開始から1週間、実際の利用率は?

運転開始から1週間あまり。指定席の埋まり具合を確認してみた。

 

最初の数日は、記念に乗ろうと、早めの時間帯の指定券はほぼ満席となった。週が開けて2月26日からは、20時30分、21時30分発の橋本行きは満席となった。傾向として京王八王子行きよりも、橋本駅行きのほうがより利用率が高い。早めに売れ切れる京王ライナーは少なく、発車30分前に座席指定券を求めても十分に購入できるようだ。

20180302_y-koba2 (11)↑運行開始された週の新宿駅での様子。運転開始されたばかりの「京王ライナー」の姿を一目見ようと鉄道ファンだけでなく、多くの人が訪れた

 

京王電鉄にとって最初の有料特急の運転ということで、手探り状態ということもあるのだろう。もしもの話だが、平日朝の上り京王ライナー、また平日の18時台、19時台の下り京王ライナーが運転されればと思う。また都営新宿線からの直通京王ライナーがあれば使い勝手が良さそうだ。ピーク時、同線の飽和状態を見るとなかなか難しいプランかもしれないが。

 

今後、どのように修正が加えられていくのか、京王線沿線に住み、日々、京王線を利用する筆者にとしても期待しつつ見守りたい。

イギリスの列車の顔はなぜ黄色い? 知られざるイギリスの鉄道事情と日本との違い

日本から1万キロ近く西に位置し、ヨーロッパ本土から離れた島国、イギリス。世界初の公共鉄道であるストックトン・アンド・ダーリングトン鉄道が1825年に開業した「鉄道発祥の地」として広く知られている。そんなイギリスの現在の鉄道は果たしてどのようなものなのか。本記事では、日本の「常識」や「当たり前」から外れた意外なイギリス鉄道事情を紹介していく。

20180221_y-koba7 (1)↑日本の車両メーカーもイギリスの市場に参入している。写真は次世代都市間高速列車として導入が決まった日立レール・ヨーロッパが製造するClass 800。日本で設計されたことに敬意を表し「あずま」という愛称がつけられた。

 

1.似て非なるイギリスと日本の「鉄道民営化」

日本の鉄道は主にJRと私鉄の民営会社が運営しており、イギリスでも複数の民営会社が「National Rail (ナショナル・レール)」という総称の元で列車を運行している。JRは1987年に国鉄から分割民営化されて発足したが、イギリスも同様に1994年頃にイギリス国鉄(British Rail、ブリティッシュ・レール)が分割民営化された。

 

日本ではJRが車両、線路、駅を保有し乗務員や駅員を雇う「上下一体」の民営化がされた一方、イギリスでは「上下分離」方式が採用された。簡潔に説明すると、線路や駅などの鉄道インフラは国有機関である「Network Rail (ネットワーク・レール)」が保有し、列車の運行は鉄道運行会社が行う。

20180221_y-koba7 (1)↑イギリスの上下分離方式と日本の上下一体方式の簡単な図

 

しかし鉄道運行会社も日本のJRや私鉄のような半永続的なものではなく、イギリスの運輸省が定期的に列車の運行権の入札を行う。更に車両は鉄道運行会社が所有しているわけではなく、別の鉄道保有会社からリースして運行する形となっている。

 

鉄道運行会社も民営会社とはいえイギリス運輸省からの干渉が多く、利益が見込める路線を運行する場合はその一部を運輸省に収める義務がある。一方、地方の赤字路線を多く運行する場合は運輸省からの助成金が授与される。イギリスと日本の鉄道が同じく「民営化」されたとしてもそこには大きな違いがある。

20180221_y-koba7 (2)↑イギリスの列車運行には日本の企業も参入している。オランダ国鉄の子会社「アベリオ」と結託し、JR東日本と三井物産がロンドンとイングランド中部の路線で列車を運行する「ウェスト・ミッドランズ・トレインズ」を運営する。写真は同社所属のClass 350

 

2.現地人も把握困難なイギリスの複雑怪奇な運賃制度

日本では運賃が距離別制度となっており、JRも私鉄も基本的には何円払えば何キロ先の駅まで乗車が可能、という形式だ。しかしイギリスは運賃制度が異なり、駅間同士の運賃がそれぞれ設定されている。

 

ナショナル・レールの駅が2500駅近くあることから、その切符の総数は単純計算で300万種類を超える。傾向として移動距離が長くなるに連れて切符の値段も高くなるが、同距離間の駅の運賃を比べてみるとかなりの差が見られることも少なくない。これは路線の需要が価格設定に反映されているため、使用率の高い路線ほど高く、閑散路線ほど安い傾向にあるためだ。

20180221_y-koba7 (3)↑ナショナル・レールの切符は独特なオレンジと黄緑色の配色ですぐに判別できる。左下の矢印のマークは「ダブルアロー」と呼ばれ、イギリスでの鉄道のシンボルになっている。

 

これに加えて同じ駅間同士の切符でも運賃が複数設定されている。基本的には1日中使用できる「Anytime(エニータイム)」、ラッシュ時以外の閑散期に使用できる「Off-Peak(オフピーク)」、そして事前購入し乗車列車が指定される「Advance(アドバンス)」運賃が存在する。オフピーク運賃はエニータイムの半額近くだったり、アドバンスに至ってはエニータイムと比べて9割引になったりと、うまく駆使すれば非常にお得に列車に乗れる。

 

さらに時間制限が設けられた格安の「Super Off-Peak(スーパー・オフピーク)」運賃や、列車指定がないアドバンス運賃も存在したり、オフピークの往復と片道切符がほぼ同額だったりとイギリスの運賃制度の理解は困難を極める。

 

ほかにも日本の運賃制度と異なる点として、イギリスの豊富な割引制度が挙げられる。まず5歳以下の子どもは運賃不要で、15歳以下は子ども運賃扱いとなり半額となる。そして大きな割引要素となるのは「Railcard(レールカード)」システム。様々な条件を満たせば、年間£30(約4500円)払うだけでほとんどの運賃が1/3割引となる。

 

例えば16歳から25歳の人を対象としている「16-25 Railcard」(学生である必要はない)や、60歳以上の方を対象とした「Senior Railcard(シニア・レールカード)」、さらに家族連れ向けの「Family & Friends Railcard(ファミリー・アンド・フレンズ・レールカード)」なども存在する(この場合、子ども運賃は6割引となる)。

 

イギリスのエニータイム運賃は日本と同距離のものと比べると割高だが、このように豊富な割引制度を駆使すれば非常にお得に列車に乗ることができる。

 

また、列車遅延時の切符払い戻しの制度でもイギリスと日本に違いが出てくる。JRでは2時間以上の遅延で特急券のみの払い戻しが行われる。一方イギリスでは「Delay Repay(ディレイ・リペイ)」という払い戻し制度があり、これに加盟している列車運行会社を利用した場合、30分の遅延で片道運賃の半額、60分で全額払い戻しとなる(往復券の場合は30分で1/4、60分で半額、120分以上で全額払い戻し)。

20180221_y-koba7 (4)↑イギリスでは列車遅延時の払い戻し制度が充実している。写真は「ハル・トレインズ」の車両。ロンドンとイングランド北東の都市ハルを結ぶ列車運行会社だが、2017年度の定時率は最下位だった

 

この制度では遅延の原因の分別はなく、鉄道会社の責任の範囲外のものでも払い戻しが適用される。なお鉄道運行会社によってはディレイ・リペイに加盟していない会社もあり、15分の遅延から払い戻しが可能なところもある。一見、素晴らしい制度に思えるが、これが運賃値上げを助長している要因の1つであり鉄道利用者の間では賛否両論だ。

 

3.日本では当たり前の「列車種別」がイギリスにはない!?

日本ではJRにも私鉄にも「普通」、「快速」、「特急」や一部鉄道会社でしか見かけない珍しい列車種別が見られるが、イギリスでは列車種別の概念がほとんどない。もちろんすべての駅に止まる各駅停車タイプや主要駅にしか止まらない速達タイプの列車は存在するが、駅の発車案内板を見上げると、行先、停車駅や列車運行会社は表示されるものの種別にあたる情報はない。

20180221_y-koba7 (5)↑ロンドンのターミナル駅のロンドン・ユーストン駅の発車案内板。停車駅や発車時間は表示してあるものの、種別に相当するものは見当たらない

 

駅員の口頭での案内で「fast service(速達タイプ列車)」や「stopping service(各停タイプ列車)」などの表現はたまに使用されるものの、鉄道会社が公式に種別を案内しているのはロンドン地下鉄のメトロポリタン線の「fast(快速に相当)」と「semi-fast(区間快速に相当)」くらいだ。

20180221_y-koba7 (6)↑イギリスで数少ない種別表示があるロンドン地下鉄のメトロポリタン線の発車案内板。「All Stations(オール・ステイションズ)」は各駅停車、「semi-fast(セミ・ファスト)」は区間快速を意味する

 

列車運行会社によっては往年の伝統列車の名前を特定の列車につけることがある。例えばエディンバラ05:40発のロンドン行列車は「フライング・スコッツマン」の愛称がついているが、これも種別ではなく列車運行会社の遊び心と言える。

 

 

4.日本と異なる列車の内装とサービス――クロスシートや一等車の食事提供

日本の都市圏の通勤車両では乗客を最大限に載せるため進行方向の向きとは直角に座るロングシートが基本だ。地方のローカル列車でもロングシート車両が走る路線も少なくない。対してイギリスでは鉄道車両はごく一部を除いて進行方向と同じ向きに座るクロスシートが採用されている。しかし日本のように転換はできず固定なので進行方向によって座席の向きを変更することはできない。運悪く進行方向と逆向きの座席にしか座れなかった場合は我慢するしかない。

20180221_y-koba7 (7)↑着席率を増やすためイギリスの近郊・通勤列車で広く見られる固定式の2+3列クロスシート。長距離列車は普通車が2+2列、一等車が1+2列配置となっている

 

イギリスではラッシュ時の混雑が日本ほどひどくないのと、列車は座席を提供する交通機関という認識が強いため、座席数が確保できるようにクロスシートが採用されている。日本より狭い車幅に3+2列配置の座席を設置することもあり、かなり窮屈だが座席数を最大限に増やした仕様となっている。ナショナル・レールでは最近になってロンドン近郊の通勤車両にロングシートが登場したが、それ以外はすべてクロスシート車両だ。

 

ハード面だけでなく、ソフト面でもイギリスは日本とおおいにに異なる。特にイギリスでは一等席のサービスが充実している。内容は鉄道運行会社によって差はあるが、長距離都市間列車を運行するところだと列車乗車前に駅のファースト・クラス・ラウンジが使用できる。ここでは飲み物や軽食が提供され、一服することができる。乗車後は一等席のアテンダントからウェルカム・ドリンクと食事がなんと無料で提供される。しかし中距離列車や通勤列車の一等席では上記のようなサービスは一切ないので注意が必要だ。

20180221_y-koba7 (8)↑長距離列車が発着する一部主要駅では一等席の乗客が使用できるラウンジが開設されている。お品書きは駅によって異なるが飲み物とスナックが無料で提供される。写真はロンドン・パディントン駅のラウンジ

 

一部列車では食堂車サービスがあり、普通席の乗客でも追加料金を払えば車内で暖かい食事が食べられる。多くの長距離列車ではビュッフェがあり、カートによる車内販売も実施される。2両編成の気動車で運行される地方のローカル列車でも車内販売が行われることがあり、少々割高だが長い間乗っていても食事や飲み物に困ることはない。

20180221_y-koba7 (9)↑長距離列車の一等席では無料で食事が提供される。写真はヴァージン・トレインズの平日の軽食メニュー。ワインやビールなどのアルコール類も飲むことができる

 

ほかに大きく日本と異なるのは指定席。日本では基本的に指定席と自由席が分かれているが、イギリスではそれらが混在している。座席指定をせずに乗車した場合は座ろうとした座席がすでに予約済かどうかを確認するのが吉だ。座席指定料金は無料なので、混雑が予想される列車に乗る場合は事前に予約するのがいいだろう。しかしこのおかげで使用されない座席指定が多いのも事実だ。

20180221_y-koba7 (10)↑旧型車両では座席が予約されているかどうかはいまだに紙の予約札で示される。より新しい車両では座席上のLED表示で行われる

 

5.イギリスの列車の顔はなぜ黄色い? イギリス独特の鉄道車両の仕組みやインフラ

イギリスで頻繁に列車に乗った人はあることに気がつくかもしれない。それはほとんどの列車の顔が黄色いことだ。これは蒸気機関車が廃止され気動車やディーゼル機関車が導入された際に、蒸気機関車より静かなことから保線員と列車の接触事故が多発した。これを防ぐために接近する列車の視認性を向上させるように顔を黄色い警戒色で塗ったのが現代にも受け継がれているためだ。しかし最近になり一定の明るさのヘッドライトを装備した車両は前面の黄色い警戒色が免除されるようにルールが改訂されたため、これから登場するイギリスの新車は顔が黄色くないものも出てくるだろう。

20180221_y-koba7 (11)↑ナショナル・レールの線区で走る車両は基本的に顔が黄色い警戒色で塗られている。イギリスの鉄道車両の独特なチャームポイントでもある

 

列車の動く仕組みに関してもイギリスや日本で大きな相違点がある。例えば電車のモーターを台車の枠に取り付けて車輪を回す「吊り掛け駆動方式」を採用する電車は路面電車など一部の車両にしか見られなくなってしまったが、イギリスでは本線を時速160キロで走行する車両に採用されている。

20180221_y-koba7 (12)↑写真のClass 321は最高時速160キロで走行可能な吊り掛け駆動電車の一例だ

 

ほかにも電車を動かす電気を車輪が乗るレールに平行して設置された第三のレールから集める第三軌条方式というのがあるが、日本では主に低速の地下鉄路線などでしか使用されていない。一方イギリスではロンドン近郊とイングランド南東地方の路線で広く使用されており、最高時速160キロまで対応している。このようにイギリスは昔鉄道先進国だった故、様々な鉄道技術の試行錯誤を行った結果、独特なシステムができあがり、現在でも継承されている。

20180221_y-koba7 (13)↑ロンドン南部近郊とイングランド南東部の路線は多くが第三軌条方式で電化されており、写真のような複々線の幹線も珍しくない

 

日本ではとうの昔に廃止されたものもイギリスではいまだに現役だ。日本の現役車両はみな自動ドアだが、イギリスの一部車両では手動ドアのままの車両が多く残っている。駅に停車したら窓を開け、腕を外に出して外側のハンドルを使ってドアを開ける仕組みとなっており、初めて乗る乗客には難しい操作だ。

20180221_y-koba7 (14)↑写真のマーク3客車はイギリスでいまだに現役の手動ドアを使用する客車の1つ

 

ほかにも、日本ではもう廃止されてしまった腕木式信号機もイギリスでは現役だ。これらは20世紀の後半にイギリスの鉄道が運輸省により冷遇されて設備や車両更新の資金が足りなかった影響で現在でもしぶとく残っている。

20180221_y-koba7 (15)↑現役の腕木式信号機と新型電車が対照的な画を作る。写真はリトルハンプトン駅の出発信号機

 

しかしイギリスの列車に乗っていてまず気づくのはその速度だろう。日本のJRの在来線は基本的に最高時速130キロで、京成電鉄のスカイライナーのみが最高時速160キロで走行するが、イギリスでは在来線の最高速度が時速200キロとなっている。これはイギリスの在来線の線路幅がJRより大きく、安定して高速走行ができるおかげだ。在来線の時速200キロ運転は欧米では珍しくはないが、イギリスの特異的な面はこれの大部分がディーゼル列車で行われること。幹線の電化が他国より遅れたことにより高速ディーゼル列車が多数登場し、世界的に見ても時速200キロで営業運転を行うディーゼル列車が体験できる国はイギリスだけだ。

20180221_y-koba7 (16)↑1976年より最高時速200キロで運転しているディーゼル列車のHST。イギリス国鉄時代のフラッグシップ列車であり、現在は新型車両に置き換えられつつある

 

6.古き良き時代と鉄道旅を現代に伝える、イギリスの保存鉄道

イギリスでは昔から古い車両、特に蒸気機関車の保存活動が盛んだ。日本でも大井川鐵道や真岡鐵道、一部のJR路線で蒸気機関車が走るがイギリスではその規模が違う。ナショナル・レールとは別に廃線を転用した保存鉄道が全国各地に散らばっており、蒸気機関車や旧型客車、さらには旧型気動車やディーゼル機関車も大量に動態保存されている。主に春から秋にかけて営業し、定期的に「gala(ガーラ)」という祭典が開催され、ゲスト機関車を招待したり、運行列車を大幅に増発させたりして乗客を呼び込む。列車だけでなく駅舎や乗務員の制服なども20世紀初頭のものに統一して鉄道文化を保存している場所も多く、訪問すればまるでタイムスリップしたかのようだ。

20180221_y-koba7 (17)↑イギリス全土にある保存鉄道では春から秋にかけて毎日のように保存された車両で列車が運行される。写真はペイントン・アンド・ダートマス蒸気鉄道のSL列車

 

保存鉄道のほかにも頻繁に蒸気機関車が本線を走る臨時列車も運行される。日本では山口線や肥薩線などの地方ローカル線でしか運転されないが、イギリスでは営業列車が頻繁に行き交う大幹線で運転され、大都市のターミナル駅に蒸気機関車が入線する。12両以上の客車を牽引しながら時速120キロで走行する蒸気機関車には圧倒される。

60103 hauled the Scarborough Flyer organised by the Railway Touring Company from Scarborough (0810) to London King's Cross (1521) via Lincoln and Spalding. Seen here at London King's Cross.↑日本に限らずイギリスでも蒸気機関車は一般人の目を引く人気者。ロンドン・キングズ・クロス駅に到着した「フライング・スコッツマン」を一目見ようと人がホームに押し寄せる

 

ヨーロッパ大陸と離れ、独自の進化を遂げていったイギリス。日本の鉄道と比較すると対象的な面が多く、イギリスを訪問した際には鉄道旅でその違いを楽しんでいただきたい。

神奈川東部方面線/おおさか東線/七隈線ーー開業が近づく「鉄道新路線」3選+α

10年、20年という長い期間をかけて進む鉄道の新線計画。気の長い話ながら、工事が終了に近づいた路線もある。今回は開業を数年後に控えた新線づくりの進捗状況と、未来に向けて描かれる代表的な新線プランをチェックしていこう。そこには鉄道新線による“夢の未来図”も見えてくる。

【その1】相鉄線とJR線、東急東横線を結ぶ「神奈川東部方面線」

本サイトでも以前に新駅の開業情報をお伝えしたように、首都圏で最も完成に近づいている新線が神奈川東部方面線だ。鉄道・運輸機構が整備主体となり、西谷駅〜羽沢横浜国大駅間の2.7kmと、羽沢横浜国大駅〜日吉駅間の10.0kmの工事が進められている。

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相模鉄道(以下・相鉄と略)は横浜駅〜海老名駅間の本線と、二俣川駅〜湘南台駅間のいずみ野線の計35.9kmの路線を持つ。相鉄は大手私鉄としては珍しく、他社との乗り入れを行っていない。将来に向けて、他社と相互乗り入れを行い、自社の電車が東京の都心まで走ることは、相鉄の長年の悲願でもあった。

 

今回の神奈川東部方面線と名付けられた新路線の建設により、いよいよ相互乗り入れが可能になる。

 

工事はまず西谷駅〜横浜羽沢駅間が先行して行われ、2019年度に完成の予定。途中に羽沢横浜国大駅もつくられる。同駅の先でJRの東海道貨物線とのアクセス線が造られ、JRへの路線との相互乗り入れが可能になる。

 

アクセス線がつながるJR東海道貨物線は、横浜羽沢駅からトンネルで横浜市内を抜け、京急の生麦駅付近で地上に出る。完成後の具体的な乗り入れ案はまだ発表されていないが、東海道貨物線がその先、横須賀線とレールがつながっていることから、横須賀線・湘南新宿ラインへの乗り入れが検討されているようだ。

20180222_y-koba11 (3)↑相鉄本線の西谷駅からのトンネルはすでに完成し、羽沢横浜国大駅の地下ホームにはすでに線路が敷かれている。駅の先でJR線とのアクセス線が設けられる

 

新駅の羽沢横浜国大駅の先の東急東横線の日吉駅までの路線も進められ、2022年度に完成の予定だ。すでに東急東横線に乗り入れ用の20000系も誕生し、相鉄線内を走り始めている。ちなみにJRへの乗り入れ用には既存の相鉄10000系や11000系が使われると見られる。両車両ともJR東日本のE231系やE233系をベースに造られていて、共用しやすいからだ。

20180222_y-koba11 (4)↑相模鉄道の新型20000系。東急東横線への乗り入れ用に造られた車両で、すでに2月11日から相鉄線内を走り始めている

 

当初の予定よりも1〜2年ほど、新線の完成が遅れたものの、新横浜駅や都心へのアクセスが便利になる。横浜市近郊に変革の波がやってきそうだ。

 

【その2】新大阪駅からの直通電車でより便利になる「おおさか東線」

大阪でも新線の工事が着々と進んでいる。大阪市の東側を走るJRおおさか東線だ。このおおさか東線、すでに片町線の放出(はなてん)駅と、関西本線の久宝寺(きゅうほうじ)駅間の9.2kmは2008年に開業している。2018年度中の開業を目指しているのが新大阪駅〜放出駅間11.1kmの北新線区間だ。

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おおさか東線の北新線区間だが、実は大半の区間、すでに線路が敷かれていた。吹田貨物ターミナル駅から百済貨物ターミナル駅の間を日々、貨物列車が往復する城東貨物線という路線がすでにあるのだ。

 

第三セクター方式の大阪外環状鉄道株式会社が、この城東貨物線の施設や用地を整備、さらに駅や新大阪駅へのアクセス線の建設を行った。

20180222_y-koba11 (6)↑放出駅〜久宝寺駅間のおおさか東線の南区間はすでに2008年に開業している。大阪外環状鉄道株式会社が線路や駅などを建設、JR西日本が電車の運行を行う

 

20180222_y-koba11 (7)↑城東貨物線の淀川橋梁。こうした既存の施設が生かされた。写真の撮影時は遊歩道が併設され歩けたが、現在は新線建設のため、歩行者は通ることができなくなっている

 

すでにある貨物用の線路を利用して旅客新線に整備して誕生するおおさか東線。なかなか手堅い新線建設の方法と言えるだろう。このことで大阪市の北東にある各区、東大阪市など沿線に住む人たちは、新大阪駅へのアクセスが非常に便利になる。

 

さらに同線は将来的に、大阪駅の北側にできる北梅田駅(仮称)にも電車が乗り入れる計画がある。不便だった地域が一転、脚光を浴びるというのも新線ならではの恩恵といっていいだろう。

20180222_y-koba11 (8)↑大阪駅の北側を通る梅田貨物線。貨物列車と特急の運行本数が多く、開かずの踏切となることが多い。渋滞を改善するため地下化、北梅田駅の工事が進められている

 

20180222_y-koba11 (9)↑2013年までは大阪駅の北側には広大な梅田貨物駅が広がっていた。この跡地に2023年度を目指して、北梅田駅の開業工事が進められている

 

2023年度に開業が予定される北梅田駅(仮称)はおおさか東線の乗り入れだけでなく、今後、大阪の鉄道網に大きな変革をもたらす可能性がある「なにわ筋線」の北側の起点となる。なにわ筋線は市内を南北に通る「なにわ筋」の地下を通る新線計画。北梅田駅から中の島を通りJR難波駅まで至る出来れば非常に便利な路線だ。

 

この計画にはJR西日本だけでなく、南海電気鉄道(南海)や、阪急電鉄も参画を予定しており、新線への期待は大きい。開業は2031年春とかなり先だが、同線ができ上がったら、大阪の人の流れも大きく変わっていきそうだ。

【その3】博多駅への乗り入れを目指す「福岡市営地下鉄七隈線」

福岡市は地下鉄路線が非常に便利な町だ。福岡空港から博多や天神といった繁華街へも地下鉄1本で行けてしまう。

 

とはいえ、福岡市営地下鉄のなかでも便利な空港線、箱崎線にくらべて、やや不便でもあったのが七隈(ななくま)線。現在の東の起点は天神南駅だが、空港線の天神駅からやや歩かなければならない。

 

そんな不便さを解消しようと現在、工事が進められているのが、天神南駅〜博多駅間の約1.4km区間。当初、2020年度までには延伸の予定だったが、道路の陥没事故が起きてしまい、開通は2022年度に延びる見込みとなったのがちょっと残念だ。

20180222_y-koba11 (10)↑福岡市営地下鉄七隈線の3000系。鉄輪式リニアモーター方式の電車で通常の電車よりもやや小ぶりだ。現在の七隈線の路線は橋本駅〜天神南駅間の12km

 

◆4:その他の新線計画の可能性は――?

新線計画といえば、大規模なリニア新幹線や整備新幹線が注目されがちだが、ここでは、都市で計画され、より現実化しそうなプランに関していくつか触れておこう。

 

■羽田空港アクセス線

現在、羽田空港へのアクセスといえば、東京モノレールと、京浜急行電鉄空港線の2つのルートがある。このルートに加えて、都心や成田空港へのアクセスをよりスムーズにしようという新線が「羽田空港アクセス線」だ。

 

計画された路線は、羽田空港新駅と、空港の北側にある東京貨物ターミナル駅の間の約6kmに新線をまずは敷設。この東京貨物ターミナル駅からJR山手線の田町駅へ、またりんかい線の東京テレポート駅と、大井町駅へのアクセス線を整備する。実は、この路線、非常に現実味があると思われる。

20180222_y-koba11 (11)↑JR田町駅東口から見た新線となるだろう予定の敷地。いまは使っていない東海道貨物線の路線が新線となる予定。2016年12月には草が生い茂り、廃線という趣が強かった

 

20180222_y-koba11 (12)↑上写真と同じポイントから見た2018年2月の状況。草がきれいに刈りとられ、東海道新幹線の線路に併設された元東海道貨物線の線路も見えるように整備された

 

上の2枚の写真はJR田町駅東口から見た状況だ。東海道新幹線に沿って敷かれた線路は、以前の東海道貨物線で、古くは汐留駅(1986年に廃止)〜東京貨物ターミナル駅間の貨物列車の運行に使われていた。1998年までは浜松町駅起点で貨車に自家用車を載せ、クルマの所有者は寝台客車に乗車するカートレインという列車の運行にも使われていた。それ以降、この東海道貨物線は休線扱いになっていた。

 

それから20年あまり、雑草が生え、荒れた状況が続いたが、久しぶりに訪れると、きれいに整備された状況になっていた。工事開始という状況ではまだないようだが、新線整備を進める布石ととらえてもよいのかもしれない。

20180222_y-koba11 (13)↑JR田町駅付近からは東海道新幹線の大井車両基地へ向けて伸びる引込線にそって東海道貨物線が伸びている。写真の手前側に東京貨物ターミナル駅がある

 

20180222_y-koba11 (14)↑りんかい線の東臨運輸区。この運輸区の西側に東京貨物ターミナル駅がある。りんかい線は当初、国鉄が武蔵野線なども含め東京外環状線として計画した路線を元に生まれた

 

今回のルートに含まれる東京臨海高速鉄道りんかい線は、国鉄が東京外環状線として計画した鉄道路線で、JR京葉線や東京貨物ターミナル駅へもアクセスできるように路線プランが立てられた。実はいまも新木場駅の先で京葉線と線路がつながっている。また上の写真の東臨運輸区は東京貨物ターミナル駅に隣接しており、線路をつなげるのも難しくない。

 

あとは東京貨物ターミナル駅と羽田空港新駅と新線、ならびに田町駅と、大井町駅のアクセス線の整備ということがカギになるだろう。2024年に全線開業という情報もある羽田空港アクセス線。より便利な空港アクセス線の開設だけに期待したい。

 

■宇都宮LRT(ライトレール)

宇都宮市のLRT計画が本格化しはじめている。路面電車というと古いイメージがつきまとうが、最近、各地の路面電車で導入されるLRT(ライトレール)形路面電車は低床形が主体。乗り降りしやすく、またスムーズに走る軽量形電車というイメージが強くなっている。

 

宇都宮市が新設する路線は、優先着工区間が14.6kmで、道路上を走る併用軌道区間が76%を占め、ほかが専用軌道区間となる。既存の鉄道路線などの転用をしないで、まったくの新規のLRT路線は国内では初めて。2022年の開業と一般の鉄道に比べて工期は短く、また工賃、車両導入など、LRT導入のハードルは鉄道に比べて低い。宇都宮の例が、どのような結果となるのか注目される。

20180222_y-koba11 (15)↑まずはJR宇都宮駅東口と隣接する芳賀町にある本田技研北門間の14.6kmの路線が優先整備区間とされた。将来は西口や東武宇都宮駅前などにも延伸が計画されている

 

20180222_y-koba11 (16)↑写真の福井鉄道のF1000形FUKURAMU(ふくらむ)や、富山ライトレールの低床形車両がLRTを導入するうえで参考にされた

 

■都営大江戸線の延伸計画

都営大江戸線は現在、都内をめぐる環状区間と都庁前駅〜光が丘駅間の路線がある。この光が丘駅から先の新線プランが立てられいる。路線は、ちょうど西武池袋線と東武東上線の中間にあたる地域を走り、JR武蔵野線の東所沢駅まで至る計画。現在は、まだ都や国が優先的に進めるべき路線として位置づけされた段階だが、練馬区の大泉学園町など、鉄道の最寄り駅まで遠い地区では、延伸促進運動が高まりを見せている。

20180222_y-koba11 (17)↑都営大江戸線の終着駅・光が丘。この先、埼玉県まで至る新線の計画が立てられている

 

ディープで面白い「撮り鉄言葉」の用語集! よく見るアレは通称「はえたたき」

鉄道写真を撮りたいけれど、本格的なファンに混じって撮影となるとどうも敷居が高い……と感じている人はいないだろうか。その1つの大きなハードルとなっているのが愛好者同士で交される「撮り鉄言葉」。とてもディープな世界だが、言葉の意味を知ってみると、「は〜、なるほどね!」と思える言葉や笑えるような言葉もある。知って使えば、茶飲み話、酒の場で盛り上がること確実! そんな「撮り鉄言葉」の世界をご紹介しよう。

 

【まずはクイズ】次の言葉の意味を訳してください「今日は狙いの『カモレ』が『ウヤ』だ」

ある撮り鉄氏が言った「今日は狙い『カモレ』が『ウヤ』だ」という言葉。知らない人が聞けば何だか、ちんぷんかんぷんの言葉が並ぶが、訳せば「今日は狙っている貨物列車が運休だ」ということになる。

20180216_y-koba5 (2)↑狙いの「カモレ」と出会う。EF66形式の基本番台ともなれば、注目度も高い。現在、「貨物ちゃんねる」という専門サイトもあり「ウヤ」がチェックできるようになっている

 

ここからは、代表的な撮り鉄言葉をアイウエオ順に挙げていこう。

 

【ウヤ】運転休止(運休)のこと。もとは国鉄時代の鉄道電報用の略語だった。「この列車は、今日は“ウヤ”かな」というように使う。

 

【カブる(カブり)】目標とする列車を撮る場合、運悪く前や後ろを列車がすれ違い、遮られることがある。裏側をかぶった場合(裏カブり)は、まだ救われるが、車両の前をカブったら、撮影のために待った時間は無駄に。この喪失感は並みでない。

20180216_y-koba5 (3)↑複線や複々線の路線で起こりがちな「カブリ」。写真はかなり危なかったカブリの例。裏カブリに比べて、表をカブられると救いようがない

 

【カマ】機関車の俗称。蒸気機関車が釡に石炭をくべて走ったことから出てきた言葉で、いまでは機関車全部をカマと呼ぶことが多い。

 

【カモレ】この言葉も国鉄時代の鉄道電報用語で「貨物列車」の略語。「今日は“カモレ”狙いだ」と親しみを込めて使われることが多い。

 

三脚を「ゲバ」と呼ぶ理由――学生運動の名残がこんなところに

穏当とはやや言いにくい「撮り鉄言葉」もある。そんな言葉が続くのがカ行の「け」だ。

 

【激パ】撮影地が激しく混んで、パニック状態になることを指す。最近は、一部の人気列車に撮影者が集まりがちで激パとなりやすい。

20180216_y-koba5 (4)↑花見の季節、SLの撮影地は「激パ」エリアとなりやすい。ただ、大概が仕切り役の人が表れ、整然と撮影を楽しむ結果になることが多い

 

【ケツ撃ち】けつおい、バックショットとも言われる。列車の正面を撮る人は多いが、後ろを撮る人は少ない。昨今は寝台列車がほぼ消滅し、後ろが絵になる列車が減ってしまった。

20180216_y-koba5 (5)↑鉄道写真の世界では後ろから撮ることを「ケツ撃ち」と呼ぶ。最近は後ろが絵になる列車も極端に減っている。写真はJR東日本の寝台列車カシオペア

 

【ゲバ】三脚のこと。学生運動でゲバルト棒(ゲバ棒)を振りかざした時代、ちょうどSLが各地から消え鉄道写真のブームが激化、三脚を“武器”にして撮影場所の取り合いをした。そんな時代の名残で三脚をゲバと呼ぶようになったとされる。 事前に三脚を置いておくことを「置きゲバ」とも言い、こうしたマナー違反が撮り鉄が嫌われる1つの要因になっているとも言えるかもしれない。

20180216_y-koba5 (6)↑長年、多くのSLファンを受け入れてきた山口線の沿線。行政の対応もしっかりしていて、各所に「置きゲバ」を防ぐ立て札が立てられている

 

甲種、工臨、国鉄色――撮り鉄が熱くなりがちな「こ」絡みの言葉

非常に熱いファンが多いのが「コ」絡みの「撮り鉄言葉」だ。

 

【甲種(輸送)】正式には「甲種鉄道車両輸送」と言う。新造や改造した車両を工場から発注主までJR貨物の機関車が牽引する特別列車を指す。JRが自社の工場で製造・改造した車両を自前の機関車で運ぶ場合は「配給列車」と呼ぶ。

20180216_y-koba5 (7)↑新造された電車を牽くJR東日本のEF64形電気機関車。JR東日本管内の車両輸送は「甲種輸送」と言わず、「配給列車」と呼ぶ。この配給列車も撮り鉄に超人気の列車だ

 

【工臨】「工事臨時列車」のこと。保守作業用に必要なレールやバラストなどを運ぶ列車で、バラストを輸送する列車を「ホキ工臨」、レールを運ぶ列車を「チキ工臨」と呼ぶ。

 

【国鉄色(国鉄原色)】国鉄時代に生まれた車両の多くがJR民営化後は色変えされ使われた。一部車両が国鉄時代の塗装のまま、また国鉄色、国鉄原色に再塗装されており、それらの車両は人気も高い。

20180216_y-koba5 (8)↑いまや希少となった「国鉄色」の189系M51編成。3月以降の動向が注目されている

 

ファンが萌える「スカ色」「セノハチ」

サ行の言葉には、鉄道の世界では専門的、またファン垂涎の言葉も多い。

 

【車扱貨物】1両単位による輸送方式のこと。かつて主流な輸送方式だったが、積み降しの手間がかかるため、現在はコンテナ輸送が主流となっている。タンク車を使った石油の輸送などが車扱貨物にあたる。

 

【スカ色】東海道線を走った湘南色に対して、横須賀線を走る電車はクリーム色と青色の2色で塗られ「横須賀色」と称された。この横須賀色を略して、スカ色と呼ばれた。

20180216_y-koba5 (9)↑かつては数多く走っていた「スカ色」のJR東日本115系(写真)。いまや、しなの鉄道で復刻された1編成のみとなってしまった

 

【スジ】列車の時刻のこと。元は時刻を表すダイヤグラム(列車運行図表)に書かれた斜めの線を指した。

 

【セノハチ】山陽本線の瀬野駅〜八本松駅間のことを指す。勾配が急なことからいまでも上り貨物列車のみ、後ろに補助機関車(補機)を連結、後押しして列車の運行を助けている。

20180216_y-koba5 (10)↑山陽本線の瀬野駅〜八本松駅間を通称「セノハチ」と呼ぶ。上り貨物列車の後ろには補助機関車が連結される。坂を登る電気機関車の唸り音が鉄道ファンの心をくすぐる

 

「た」は「単機」のた~♪

「た」は撮り鉄が気になるモノや列車の運行形態が揃っている。

 

【タイガーロープ】複線区間で上り下り線の間にある黒と黄色の支柱とロープのこと。保線作業の安全確保のために付けられているが、一部の過激なファンが抜き去り問題視された。

20180216_y-koba5 (11)↑複線区間では保線作業の安全確保のために、上下線を区切る「タイガーロープ」が設けられている。必要欠くべからざるものでもあるのだ

 

【単機】後ろに貨車や客車を付けずに機関車が1両のみで走ること。機関車のみが2両で走るときは、重連単機とも呼ばれる。ディーゼルカーや電車が1両で走ることは「単行」と呼ぶ。単機や単行は、写真として形にしにくく、絵づくりに苦労することが多い。

 

【団臨】団体臨時列車の略称。団体臨時列車では、希少な車両がふだん走らない路線を走ることもあり、注目を浴びやすい。

 

【鉄っちゃんバー】三脚上の雲台に取り付けるプレートで、最低2台のカメラを装着しシャッターが切れることから重宝して使われる。

20180216_y-koba5 (12)↑「鉄っちゃんバー」と使った撮影例。三脚+バーを使えばカメラ、ビデオ機器あわせて3台一緒に撮影可能となる。バーはカメラ用具店で販売される

 

よく見かけるアレは「はえたたき」!?

続いてナ行、ハ行にいってみよう。撮り鉄言葉には、長い言い回しをせずに、一部を略した言葉がよく見受けられる。

 

【ネタガマ】一般的な機関車ではなく、希少な国鉄原色機など、その日に目指す特定の機関車を指すときに使う。例えば「今日のネタガマはEF65の2139号機だね」といった具合だ。

20180216_y-koba5 (13)↑EF65形式直流電気機関車の2139号機。最近のJR貨物の機関車は検査に合わせ、国鉄原色に戻される傾向があり、撮り鉄から「ネタガマ」として珍重されている

 

【廃回】廃車回送のこと。解体に向け工場へ自力で回送する姿には寂しさがつきまとう。

 

【はえたたき】線路脇に立っている電柱のこと。まるで「はえたたき」の形のよう、というのでこう呼ばれる。非電化路線でも、この通信回線用の電柱が立っていることがある。撮影の際には隠れるようなアングルが大切となる。

 

【歯ヌケ】貨物列車は現在、コンテナを載せたコキ車を連ねた列車が多くなっている。コンテナが一部で積まれず、歯抜け状態になった様子を歯ヌケと呼ぶ。機関車のすぐ後ろのコンテナの歯ヌケ状態は絵になりにくい。

20180216_y-koba5 (14)↑連休明け月曜日の東海道本線の様子。貨車にほとんどコンテナが載っていないことがわかる。このような日は貨物列車の撮影は避けた方が賢明だろう

 

【ひがはす】東北本線の東大宮と蓮田間の有名撮影地のことを指す。東鷲宮〜栗橋間の撮影地「わしくり」とともに、寝台特急が走る頃には多くの撮影者が訪れ賑わいを見せた。

 

いまや見る機会がほとんどなくなった「マヤ検」

最後にマ行、ラ行を見ていこう。

 

【前パン】電車や電気機関車の先頭部分のパンタグラフが上がっている状態。事前にその部分に余裕も持って構図を作っておかないと、パンタグラフが切れた状態の写真となりがち。

 

【マヤ検】マヤとは国鉄時代に生まれた軌道検測用の車両で、いまはJR北海道とJR九州で使われている。このマヤを使った検査のことを言う。全国でわずか2両となり、その検査風景に出会うこと自体、希少となっている。

20180216_y-koba5 (15)↑北海道で偶然に出会った「マヤ検」。JR北海道で新型検査車両を導入したこともあり、今後はますます出会うことが難しくなりそうな列車だ

 

【レ】「レ」とは“レレレのおじさん”の「レ」ではない。「レ」は列車の「れ」のこと。「今日は23レが遅れているのかなあ」というように使う。列車番号の後ろに「レ」を付け、客車列車では「1レ」「801レ」というように付けて列車名を呼んだ。運転士と司令室間の連絡で「1」だけだと意味がわからないので「1レ(列車)……」と言って判断した名残と言われる。ちなみに電車は列車番号後ろに「M」、気動車は「D」が付く。これらの列車ではレを後ろに付けない。

 

撮り鉄言葉は、鉄道電報用語があったり、SLが消えていったころの経緯があったりと語源はさまざまだ。今回、取り上げた言葉は、そのごく一部。訳してみると難しい言葉は少ない。代表例を知っていれば、撮り鉄の間で交わされるおよその話は理解できるだろう。恐れず、鉄道写真にチャレンジしていただけたら幸いである。

“撮り鉄”が大井川鐵道で起こした2つのトラブルから、嫌われない「撮影マナー」を考える

鉄道写真の愛好家たちは通称“撮り鉄”と呼ばれている。この言葉自体には本来、マイナスの意味合いはないはずなのだが、ここ数年、さまざまなトラブルが各地で報告されたこともあり、どうも世間から好ましくない存在だという風潮が強まっているようにも見える。実は、筆者も鉄道写真を撮るのが大好きな“撮り鉄”の1人であり、撮影していると、近くを通る人たちから冷たい視線を感じることがある。

 

“撮り鉄”という言葉に、付きまとうマイナスのイメージ。こうしたイメージのままで良いのだろうか? SL列車の運転で知られる、静岡県を走る大井川鐵道で2017年に実際に起こった2つのトラブルを例に、“撮り鉄”のマナーを考えてみた。

 

「場所取り」で同好の人たちや鉄道会社を憤慨させた例

2017年10月15日、大井川鐵道本線は、元西武鉄道のE31形電気機関車が復活、特別列車を牽引するということで、賑わいをみせていた。

20180209_y-koba7 (5)↑元西武鉄道のE31形34号機が2017年10月に復活。この電気機関車が特別な客車列車を牽くとあって鉄道ファンの注目を集めた

 

トラブルが起きたのは、島田市川根町の抜里(ぬくり)踏切。抜里駅に近く、編成写真がきれいに撮影できるスポットとしてよく知られている。

20180209_y-koba7 (6)↑抜里踏切で撮ったSLかわね路号。編成写真が良く撮れるポイントとして知られている

 

この日、多くの鉄道ファンが、少しでも良い写真を撮影しようと、場所を確保すべく早めに訪れていた。そんな道沿いにちょっと異質な“場所取り道具”が置かれていた。だいぶ前から置かれたものらしい。

20180209_y-koba7 (2)↑トラブルがあった抜里踏切。踏切の手前のやや広がっているあたりが撮影の好適地とされる。道幅はクルマ1台が通れるぐらいしかない

 

20180209_y-koba7 (3)↑問題となった“場所取り”。折り畳み式の踏み台と小さめの三脚、さらに黄色いテープを張って場所を確保していた(写真提供:大井川鐵道)

 

20180209_y-koba7 (4)↑踏み台には「場所取りをしています」との張り紙が。無断移動・無断撤去は厳禁ですという言葉とともに、「ルール(順番)を守りましょう」とある(写真提供:大井川鐵道)

 

道の端に置いてあるとはいっても、1番上の写真を見ていただくとわかるように、道は細い。踏切の前後で道をやや広げてあるものの、この場に立ってみると、クルマが通行するたびに道端にいても気をつかう。また運転している側も、立っている人や置いてあるものを引っかけないか、気をつかう。

 

ましてや置きっぱなし。場所取りのためとはいえ、通行の妨げになる。さらに踏み台にあった「場所取りをしています」の張り紙には、「最悪の場合は、ポアされることがありますのでご注意ください」と刺激的な言葉があった。

 

この場所取りのやり方に憤慨した同好の人たちが、大井川鐵道の職員に写真を送付した。その写真が上の2枚だ。この場所の取り方を問題視した大井川鐵道では、列車が走った2日後の10月17日に公式ツイッターで先の鉄道ファンから提供された写真と原稿を掲載した。

 

「抜里駅の踏切近くの路上を不法に占拠する事案がありました。(中略)違法性も高く、ファンの方同士及び沿線住民の方とのトラブルにつながるものと判断し、警察に通報済みです」。

 

この話題はネットのニュースにも取り上げられ、瞬く間に拡散された。

 

「98%の“撮り鉄”は良識ある人たちだと思っています」

想定外と思えるほど、反響を呼んだこのツイッター投稿。多くの人たちから声が寄せられたが、大井川鐵道の問題提起を支持する声が圧倒的に多かった。

 

大井川鐵道広報の山本豊福さんは次のように話す。

 

「ここまで大きな反響があるとは思ってみませんでした。私たちは撮り鉄の方を敵視する気持ちは全くありません。写真を撮られる98%の方は良識ある方だと思います。ごく一部の人が、こうした問題のある行動をする。そうした行為が撮り鉄の方々の全体のイメージを損ねることに結びついているのではないでしょうか。」

 

地元経済のために少しでも良かれと特別列車や、きかんしゃトーマス号などを走らせてきたことが、逆に地元の人たちに迷惑をかけているのはないか。大井川鐵道はそうした思いをいだき、鉄道ファンの一人一人に考えてもらおうと問題提起をしたのだった。

 

問題提起が予期せぬほどの大きな反響を呼んだが、 「私たちは単純にマナーを守ろうよ、ということを言いたいだけなのです」と山本さんは言う。

 

地元に住む人たちや、電車に乗る人に迷惑をかけずに、鉄道撮影を楽しむ。マナーを守ってごく一般的な方法で撮影を行い、また注意を払っていれば、問題は生まれないように思える。

20180209_y-koba7 (7)↑抜里踏切では三脚を立てるときも道の端ぎりぎり構え、また通行するクルマにも注意を払いながらの撮影が肝心になるだろう

 

20180209_y-koba7 (8)↑抜里踏切を越えた大井川河畔には大きな駐車スペースもあり、撮影時に利用できる。すぐ隣にはゲートボール場もある

 

写真撮影のために鉄道敷地内に入れば罪に問われる

大井川鐵道の沿線では、2017年6月17日のきかんしゃトーマス号の運転開始日に3人が無断で敷地内に入り、罪に問われている。この問題、どのような状況だったのか、振り返っておこう。

20180209_y-koba7 (11)_2↑2018年は6月から、きかんしゃトーマス号も運転の予定だ。地元・島田市と川根本町では、警察署も含め少しでも盛り上げたいと万全のサポート体制をとっている

 

罪に問われたのは東京都西東京市の男性会社員(62歳)と、川根本町の無職男性(89歳)、島田市の自営業男性(55歳)の3人である。この3人は大井川鐵道本線の福用駅と田野口駅近くの鉄道敷地内に侵入したところを、巡回中の島田警察署の署員に発見された。

20180209_y-koba7 (9)↑線路内への立ち入りが確認された田野口第3踏切。この踏切から線路内を歩き撮影地に向かったとされる

 

20180209_y-koba7 (10)↑大井川鐵道本線が走る地元の島田警察署。きかんしゃトーマス号などの人気列車が走る時は、署員が沿線の巡回を行っている

 

線路内に入る行為は鉄道営業法37条の罪に問われる。

 

第37条 停車場其ノ他 鉄道敷地内二妄二立ち入リタル者ハ 10円以下ノ科料二処ス

 

明治33(1900)年という古い法律のため、文言は難しく、罰金が低額(現状、10円ということはない)だが、要するに「鉄道敷地内にむやみに入ったら罰金ですよ」ということだ。

 

島田署の署員に鉄道敷地内に入っているところをが発見された先の3人は、その後にどのようなことが待ち受けていたのだろう。

 

まず、当日は、鉄道敷地内でカメラを構えていた人は、すぐにその場所から排除された。住所名前などを聞かれ、後日、島田警察署まで出頭させられた。3人のうち2人は沿線の住民だったが、東京都内に住む人は後日に島田警察署を訪れることになったという。その後、3人は10月20日に静岡地検へ書類送致された。

 

島田警察署の水野俊行地域課長と若林貴彦生活安全課長は次のように話す。

 

「3人の方々、皆さん、素直に鉄道敷地内に入ったことは認めています。やはり鉄道敷地内に入って撮影するというのは危険です。電車を止めてしまうということもありますので。善意のファンたちも楽しみに大井川鐵道に来られますので、足を引っ張り、迷惑をかけないようにしていただきたいですね。」

「地域の方も盛り上げていますので、万が一、けが人などが出るなどの問題が起こって、今後列車を運転しないということになったら、取り返しがつかないことになります。観光面などへの悪影響をもたらしてしまう。撮り鉄の方にはぜひともルールを守って楽しんでもらえればと思います。」

 

ちなみに、鉄道敷地内に入る行為への罪は軽微だが、もしそこで電車を止めてしまったら列車往来危険罪に問われ、逮捕という可能性もある。列車に巻き込まれたら最悪の結果につながる。鉄道敷地内に入ることは、それだけ危険性があることを胆に命じておきたい。

 

嫌われない撮り鉄になるために、やっておきたいこと

筆者は普段からいろいろな撮影スポットを訪れ、ほかの撮り鉄の人たちと交流することもある。その経験を踏まえ、自分が全国を撮影で回る上で大切にしていることをいくつかお伝えしたい。

 

■誰にでも「おはようございます」「こんにちは」の声かけ

まずは撮影地で先に構える人がいたら挨拶を心がけている。するとコミュニケーションが格段に取りやすくなる。

 

付近を散歩する人が近づいたら、やはり挨拶する。都会では無視されることも多いが、地元の人への声かけは、嫌われないための一歩のように思う。地元の人たちから撮影に向いた場所など有効な情報を得られることもある。

20180209_y-koba7 (12)↑通行する人に迷惑になる場所では三脚立てなどの行為は慎みたい。写真は高崎線のある撮影地。川の土手のため、一般の人に迷惑にならず、そのため撮り鉄の聖地になっている

 

■自分が持ち込んだゴミは持ち帰る

せっかく訪れた有名な撮影地がゴミだらけで、げっそりすることがある。もちろん撮り鉄だけでなく、一般の人が捨てる例もあるかと思う。だが、明らかにここは撮り鉄しか行かないだろう、という場所でこうした例が見られることがある。

20180209_y-koba7 (13)↑山梨県内の有名撮影地の例。同撮影スポットは線路がより低い位置にあり、気になっていても、降りてゴミを収集することができない。何年にもわたってこの状態が続く

 

逆に、撮り鉄のなかに素晴らしい行動を行う人がいたことについても伝えておきたい。

 

信州上田の有名撮影地で。彼は自分が持ち込んだゴミはもちろん、すでに落ちていたゴミや吸い殻も持参の袋に入れ始めたのである。持ち帰って適切な場所で捨てると言うのだった。海外でのサッカーの試合で日本人はスタンドのゴミを拾って持ち帰るということで称賛された例がある。撮り鉄のなかには、こうしたマナーを大事にする人もいるのだ。

 

■駐車場所には細心の注意を払う

自身にもあった失敗例は駐車場所だ。それによって地元の人に迷惑をかけ、自分もイヤな思いをした経験がある。

 

ということもあり、最近は都市部では駅からなるべく歩いて目的地へ出向き、地方ならば、時間にゆとりを持って、その場所へ行き、駐車場や、確実に迷惑がかからず不法とならない所に駐車する。駅から歩くことは健康にも良いし、何より停めたクルマに気を使わずに済むので、撮影をより楽しむこともできる。

 

マナーの問題というのは、言われた側は、ついうっとうしいな、と感じたりするもの。筆者も、面と向かって言われれば、“カチン”となってしまうときもある。感情のコントロールはなかなか聖人のようにはいかないものだ。とはいえ、どんなときも冷静になって、自らの行動を振り返ってみる必要がある思う。一人一人のそうした心掛けが、撮り鉄へのマイナスイメージ払拭につながるのではないだろうか。

鉄道界に訪れる、ちょっと悲しい春の別れ――静かに消えゆく「古豪車両」と気になる今後

冒頭の写真は、富士山に向かって走るJR東日本の189系電車。富士急行線内に週末、「ホリデー快速富士山号」として乗り入れていたときの“雄姿”である。だが、もうこの姿を見ることが出来ない。「あずさ色」の189系M50編成が1月25日のラストランを最後に引退してしまったからだ。

 

2017年から2018年にかけて、多くの新車が導入された。その一方で、“古豪たち”が舞台から去っていく。新車が増えるということは、引退する車両の増加にも結びつく。この春、静かに消えていく“古豪”に注目した。

 

1.いまや希少な国鉄形特急電車189系も残りわずか

JR東日本の189系は、高い位置に運転台がある国鉄形特急電車の姿を残す貴重な車両である。前述したように「あずさ色」のM50編成がすでに引退。残る189系は6両×3編成となった。気になる今後だが……。

20180202_y-koba5 (2)↑「あずさ色」と呼ばれた水色塗装の189系M50編成。週末は、ホリデー快速富士山号として富士急行線へ乗り入れることが多かった

 

20180202_y-koba5 (3)↑189系のM51編成は国鉄原色の塗り分け。こちらの編成の存続も危ぶまれている

 

残る189系は国鉄原色塗装のM51編成、グレードアップあずさ色のM52編成、もう1編成はあさま色のN102編成のみとなった。

 

残る3編成の気になる今後だが、JR東日本八王子支社のニュースリリースによると、「ホリデー快速富士山号」にはM51編成が3月11日まで、M52編成が3月16日まで使われる予定。3月25日にM51編成とM52編成による新宿駅〜甲府駅間の団体臨時列車が運行されることが発表されている。

 

残念ながら数少ない189系の活躍の場でもあった「ホリデー快速富士山号」には3月17日以降、E257系が使われることになった。3月25日以降の189系はどうなってしまうだろう。いまのところ発表は無い。1970年代から40年にわたり走り続けてきた強者たちの今後が気になるところだ。

 

2.誕生してから25年で消えるE351系「スーパーあずさ」

JR東日本の車両形式名の多くには頭に「E」の文字が付く。EASTという意味で付けられたこの「E」。最初に付けられた車両がE351系だった。中央本線の優等列車、特急「スーパーあずさ」として活躍してきた車両だ。E351系は1993(平成5)年に登場し、車歴は25年と、それほど長くない。ところが、このE351系も2018年3月のダイヤ改正で消えてしまう。

20180202_y-koba5 (4)↑JR東日本で唯一、制御付き自然振子装置を導入したE351系。カーブでは、やや車体を傾けつつ高速で走り抜ける姿が見られる

 

20180202_y-koba5 (5)↑2017年12月暮れから運用が始まった新型E353系。E351系の置き換え用だけでなく、今後、増備されてE257系にかわり「あずさ」や「かいじ」の運用も行われる

 

筆者は制御付き自然振子装置を取り付けたE351系「スーパーあずさ」の軽やかな走り、カーブで適度に傾斜して走る時の感覚や乗り心地が好きだった。まだ四半世紀しか走っていない車両だが、通常の車両よりも複雑な制御付き自然振子装置を備えるだけに、整備の手間や諸経費が問題となったようだ。廃車と報道されているが、車歴が浅いだけにちょっと惜しいようにも感じる。

 

3.関東ではいよいよ見納めとなるJR東日本の115系

115系は1963(昭和38)年に誕生、寒冷地用、急勾配路線用に2000両近くが造られた。いわば国鉄時代の近郊形直流電車としてはベストセラー的な車両で、多くの路線で活躍してきた。

20180202_y-koba5 (6)↑湘南色と呼ばれるオレンジと緑の塗り分け。高崎地区を走る115系もいよいよ終焉の時を迎えている

 

20180202_y-koba5 (7)↑115系に替わり高崎地区の主力電車となった211系。実はこの車両も登場は古く、国鉄時代の1985(昭和60)年に誕生、活躍は30年にわたる古参の電車だ

 

115系は上越線や信越本線などがある高崎地区でも長く活躍。なんと54年にもわたり輸送を支えてきた。そんな115系もこの3月中旬で定期運行が終了する。3月21日(祝日)に走る団体向け専用列車が最後となる予定だ。

 

関東地方周辺の115系は、今後も新潟地区や、しなの鉄道で走り続けるが、お馴染の湘南色で、半世紀にわたり走り続けてきた車両が消えてしまうことには、一抹の寂しさを覚える。

 

4.独特の形状“スラントノーズ”の特急形気動車が消える

関東地区の車両の話題が続いたが、次は北海道の車両の話題。JR北海道の特急として35年にわたり活躍してきた特急形気動車に、キハ183系という車両がある。この基本番台は運転席が高い場所にあり、ノーズの形状が独特で“スラントノーズ”と呼ばれ親しまれてきた。

20180202_y-koba5 (8)↑道内を走り続けてきたキハ183系基本番台。晩年は札幌と網走を結ぶ特急「オホーツク」として活躍した

 

20180202_y-koba5 (9)↑人気の特急「旭山動物園号」もキハ183系基本番台を使用した車両だった。写真は札幌〜富良野間を走った「フラノラベンダーエクスプレス」として走った際のもの

 

20180202_y-koba5 (10)↑JR北海道キハ183系の後期形。現在は道央と北見・網走を結ぶ特急「大雪」や「オホーツク」として活躍している。同車両も2019年度には引退する予定だ

 

すでに通常塗装のキハ183系基本番台の定期運行が終了。3月25日をもってキハ183系を使った「旭山動物園号」も運転終了となる。残るキハ183系は後期形のみ残るが、こちらは前面が平坦なタイプ。石北本線を走る特急「オホーツク」「大雪」のみでの運用となるが、こちらも2019年度での運用終了がすでにJR北海道から発表されている。

 

このキハ183系基本番台だが、クラウドファンディングによる寄付を募り、貴重な車両を保存しようという運動が行われている。1両は道央の安平町に2019年にできる「道の駅あびらD51ステーション」での保存が決定した。さらにもう1両を「安平町鉄道資料館」に保存しようという運動も高まりをみせている。

 

5.静かに消えていきそうな東急の通勤電車

特急車両のように注目を浴び、惜しまれつつ消えていく車両がある一方で、静かに消えていきそうな車両もある。たとえば東急電鉄の田園都市線を走る2000系と8590系がその一例だ。

20180202_y-koba5 (11)↑前面部分に特徴がある2000系。車体よこに赤いラインが入る。10両×3編成しか造られなかった通勤電車だ

 

20180202_y-koba5 (12)↑8590系も東急電鉄の中では希少車だ。2000系と同じで車両数が少なく10両×2編成のみが可動している

 

東急電鉄の田園都市線の主力車両といえば8500系。1975(昭和50)年に誕生した古参ながら、いまもなお多くが活躍している。この田園都市線に2018年春、2020系という新車両が登場する。

 

この新車の増備につれて引退すると見られるのが2000系や8590系だ。両車両とも8500系に比べて生まれてからの車歴は浅いものの、車両数が少ない。保安機器の関係で東武伊勢崎線への乗り入れができないこともあり、現在は、朝と夕方の混雑時間のみ田園都市線と東京メトロ半蔵門線内のみを走っている。

 

乗ったり見たりする機会が少ない車両だが、もし出会ったら注目しておきたい。

 

6.鉄道ファン注目の都営新宿線10-000形も消えていく

1978(昭和53)年の都営新宿線の開通時から走ってきた10-000形(いちまんがた)。徐々にスタイルを変えつつ1997(平成9)年まで製造された。その最終盤に造られた10-000形8次車の世代で、最後に残った10-280編成も、この1月から「さよならステッカー」を付けて走り始めている。都営地下鉄新宿線と、相互乗り入れする京王線が2月22日の同じ日にダイヤ改正を行うことから、これを機会に引退となりそうだ。

20180202_y-koba5 (13)↑京王線に乗り入れて走る都営新宿線の10-000形10-280編成。前面の黄緑ラインの下に細い青ラインが入る8次車で、残存する10-000形最後の編成となる

 

20180202_y-koba5 (14)↑10-000形の後継車両として造られた10-300形(いちまんさんびゃくがた)。3次車以降、大幅に形もかわりスタイリッシュな顔立ちに変更されている

 

都営新宿線の10-000形だが、一部の鉄道ファンからは消えるのを惜しむ声があがっている。その理由は10-000形8次車がチョッパ制御と呼ばれるシステムを使った、国内最後の新造車両だったため。チョッパ制御自体の説明は避けるが、中央線などを走ったオレンジ色の201系が採用した当時の最新技術で、その後の電車の制御方法の礎(いしずえ)となった技術でもある。

 

現在のVVVFインバータ制御が一般化する少し手前の、車両開発のいわば過渡期の電車と言っても良いかもしれない。

 

7.そのほかの今後が気になる車両を紹介

ここまでは、この春にほぼ引退が決定的、または予測される車両をあげてみた。ここからは、今後が気になる車両をあげておきたい。

 

■小田急電鉄LSE(7000形)

新ロマンスカーGSE(70000形)が3月に走り始める。ロマンスカーが増便されるために、しばらくの間はLSE(7000形)も走るとされているが、製造してからすでに30年以上を経ている車両だけに、気になるところ。現在、11両×2編成が残っている。新型GSE(70000形)の第2編成目の導入が2018年度中に予定されているので、その後に何らかの動きがあるかもしれない。

20180202_y-koba5 (15)↑前と後ろに展望席があるLSE(7000形)。LSE以降に造られたHiSE(10000形)、RSE(20000形)が先に引退。逆にLSEが長生きするということなった

 

20180202_y-koba5 (16)↑3月の運行開始を目指して新型ロマンスカーGSE(70000形)の試運転も始まっている。LSEやVSE(50000形)と同じように前後の展望席が魅力となっている

 

■JR西日本103系ほか国鉄形通勤電車

JR西日本は、ほかのJRグループ各社よりも、比較的長く車両を走らせる会社として知られている。国鉄時代に生まれた通勤電車103系や、113系、117系などがいまも京阪神を中心に走り続けている。車両の更新工事を受けているものの、JRグループが生まれてすでに30年以上。さすがに国鉄時代に生まれた車両のなかには引退する例も目立ってきた。

 

いま、気になるのが103系、昨年、大阪環状線と阪和線を走っていた103系が消え、大和路線(関西本線)を走る103系の定期運用が1月24日に終了、阪和線の支線・羽衣線の103系も春までに消える予定だ。

 

残っているのは奈良線、和田岬線など。東京や大阪など多くの路線を走った国鉄形通勤電車の姿を今も留める103系だけに、今後の動向が注目される。

20180202_y-koba5 (17)↑奈良線を走るJR西日本の103系。国鉄の通勤電車を代表するスタイルも、見納めの時期が近づいているようだ

 

静岡鉄道の「虹色」車両が美しすぎ! 導入理由もステキで堅実だった

静岡鉄道は静岡清水線を運行する鉄道会社。起点の新静岡駅から終点の新清水駅までの全線が静岡市内を走る。路線距離は11km、駅の数は15で、駅間は300m〜1.7kmと短め。朝のラッシュ時には5分間隔、日中でも6〜7分間隔と電車の本数が多く便利だ。

 

2016年3月に43年ぶりの新車A3000形を導入。翌年3月にA3000形の第2編成が、2018年3月21日には第3・第4編成(静岡鉄道社内の呼び方は第3号・4号車)が走り始める予定だ。このほど長沼車庫で、現在まで導入した4編成を揃えたお披露目イベントが開かれた。

 

新車を毎年、導入してきた静岡鉄道。小さめの私鉄ながら、まさに今、元気印の鉄道会社である。その元気の源を確かめるべく、長沼車庫を訪れた。

20180126_y-koba3 (2)↑静岡鉄道の長沼駅に隣接する長沼車庫で行われた新車のお披露目イベント。右はこれまでの主力車両1000形

 

20180126_y-koba3 (3)↑新型A3000形第1編成(写真右)から第4編成までがずらりとならぶ。当日は好天にも恵まれ、800人の来場者があった。鉄道ファンだけでなく親子づれも目立った

 

2019年度中には7色の新型車両が揃う予定。そのモチーフとは?

上の写真のように、静岡鉄道の新型A3000形はすべて色が異なる。「shizuoka rainbow trains」と名付けられ虹色7色の新車両シリーズで、すでに走る第1編成がクリアブルー、第2編成がパッションレッド。新たにお披露目されたのがナチュラルグリーンと、ブリリアントオレンジイエローだった。車庫内に新型A3000形4編成が並ぶ。水色、赤、緑、黄色というカラフルな色使いの電車は、華やかで、見ている側の心も浮き立つようだった。

 

このA3000形。今後も増やしていき2019年度までに7色が揃う。最終的には12編成が造られる予定だという(色の配分は未定)。

20180126_y-koba3 (4)↑新静岡駅の待合室に設けられた新型A3000形紹介のブース。最終的には7色の車両が揃う予定だ

 

この新型車両に使われる予定の7色のカラー、実はそれぞれが静岡県の名物・名産品にちなんだ色となっている。

 

まず第1編成のクリアブルー(水色)は、富士山のイメージ。第2編成のパッションレッドは石垣いちご、第3編成のナチュラルグリーンはお茶、第4編成のブリリアントオレンジイエローは温州みかんをイメージしている。

20180126_y-koba3 (5)↑静岡鉄道のこれまでの主力車両1000形。1973(昭和48)年に導入され40年にわたり静岡市内を走り続けてきた

 

20180126_y-koba3 (6)↑2016年3月に走り始めたA3000形第1編成。最初の車両には静岡と縁が深い富士山をイメージしたクリアブルーが採用された。すでに第2編成のパッションレッドも走っている

 

20180126_y-koba3 (7)↑2018年3月21日に走り始めるのが第3編成ナチュラルグリーンと、第4編成ブリリアントオレンジイエローのA3000形

 

20180126_y-koba3 (8)↑A3000形第1編成のクリアブルー車は、鉄道友の会が選定する2017年ローレル賞に輝いた。ローレル賞の受賞は優秀な車両であることを認められた証でもある

 

さらに今後に登場の予定のフレッシュグリーンは山葵(ワサビ)、プリティピンクは桜エビ、エレガントブルーは駿河湾をイメージしているそう。7色のレインボー電車が走るようになれば、さらに沿線が華やぐことだろう。太平洋に面した静岡の、明るく温暖なイメージによく似合う。

 

静岡鉄道が新造車こだわった理由とは?

静岡鉄道のように自社発注の新造車を作る例は、地方の私鉄の場合、非常に少ない。自治体から補助を受けている鉄道会社を除けば、大手私鉄が使っていた車両を再生して使う例が目立つ。

 

なぜ静岡鉄道でもそういった選択肢をとらなかったのだろうか。ちなみに、新車A3000形の1編成(2両)の金額は3億3100万円と高額。それが12編成となると40億円近い金額となる。

 

巨額の出資をしつつ新車導入に踏み切らせた裏には、静岡鉄道ならではの手堅い営業戦略と、静岡鉄道の路線の特異性があった。

 

当初は、大手私鉄で使われてきた車両を購入しても良いのではという声が社内にあったとのこと。ところが、技術的な制約があったのだ。静岡鉄道を走る車両は2両編成で、1両の全長が18m、幅が2.74m。電気方式は直流600Vとなっている。都市部を走る大手私鉄の電車の場合、多くが全長18~20m、幅が2.8m超で、直流1500V方式が多い。

 

大手私鉄の車両を改造して間に合わせれば、初期費用は少なくてすむ。ところが、こうした電車をそのまま走らせるとなると、ホームを削る、電圧を変えるなど余分な工事が必要になる。導入後に使用できる年数や、メンテナンス費用などを含め総合的に判断し、では独自の新型車両を導入しよう、ということになった。

20180126_y-koba3 (10)↑4色並ぶ姿は壮観。お披露目イベントでは鉄道ファン用に、撮影時間も用意された

 

2019年度に会社創立100周年を迎える静岡鉄道

静岡鉄道の創始は1919(大正8)年にさかのぼる。駿遠電気鉄道という会社が静岡市内(旧清水町)を走る鉄道路線を譲り受け、列車を走らせたことに始まる。1960年代までは静岡市内、清水市内に路面電車路線を所有するなど、総延長100km超の鉄道路線を持つ会社でもあった。

 

1960年代にはモータリゼーションの波が押し寄せる。静岡鉄道では静岡清水線を残し、1975(昭和50)年までにほかの4路線を廃止した。鉄道に固執することなく、素早くバス路線に転換させた。当時の経営陣の先見の明には感服させられる。

 

唯一残った静岡清水線では安全対策に力を注ぎ、連続50年、有責事故ゼロという記録を打ち立て、「中部運輸局優良事業者表彰」を受けている。

 

ここで、静岡清水線の営業成績を見てみよう。鉄道事業の営業収益は平成25年度・26年度が14億円、平成27年度・28年度が15億円と伸びている。とはいえ鉄道事業だけを見ると、営業経費のほうが上回り、ここ数年は1.3億円から2.3億円という赤字を計上している。

 

多くの鉄道会社と同じように、鉄道事業のみだと経営は厳しい。静岡鉄道も鉄道以外の事業に乗り出している。そのなかで不動産事業と索道事業(日本平ロープウェイを運行)が好調で、最終的には静岡鉄道は年に4.7億円~5.3億円という純利益を上げてきた。こうした数字に、同社の手堅さが見てとれるようだ。

20180126_y-koba3 (9)↑1000形車両の多くは地元企業の広告をラッピングした車両も多い。静岡鉄道はこうした地道な営業努力を重ねている会社でもある

 

新車の形式名の頭に付く「A」の意味

会社創業100周年となる2019年度までに導入される予定の新型A3000形。せっかくの新車ならば、静岡鉄道らしい独自の車両にしよう。そんな思いは7色の車体色とともに、車両形式名にも込められた。

 

これまでの主力車両1000形とは異なり、新車A3000形の形式名には「A」が付く。AはActivate(活性化する)、Amuse(楽しませる)、Axis(軸)と3つの単号の頭文字だとされる。

 

鉄道が走る静岡清水エリアを“Activate(活性化)”させ、乗ること、眺めることで“Amuse(楽しい)”気持ちになってもらい、静岡市が目指すコンパクトシティの“Axis(軸)”になるような電車、という意味が「A」には込められている。

 

堅実な経営を続けてきた静岡鉄道が思い切った新車の導入。そこに込められた気持ちは、地域のリーディングカンパニーとしての熱い思いであり、静岡の人たちへのメッセージが込められているようでもある。

20180126_y-koba3 (11)↑イベントでは車内の見学会も開かれた。工場から搬入されたばかりの真新しい第4編成の車内がお披露目された

 

20180126_y-koba3 (12)↑省エネルギーと省メンテナンス化を狙ったA3000形のLED照明。ロングシートには生地に濃淡を付け、1人分の席の区分けがさりげなく図られている

 

20180126_y-koba3 (13)↑運転台はワンハンドルマスコンを中心に配置。ワンマン運転を行う乗務員の扱いやすさを考え、シンプルな機器の配置を心がけた

 

20180126_y-koba3 (14)↑カバーがかけられていたものの、吊り革の形がユニーク。下をにぎっても上をにぎっても良い2段吊り革が導入されている。国内で初めてA3000形で使われた形状でもある

 

相鉄線、悲願の新駅と新型車を公開! 陸の孤島・羽沢駅はどれぐらい便利になる?

神奈川県内に、相鉄本線といずみ野線の2路線を走らせる相模鉄道(以下、相鉄と略)。横浜市の中心部とベッドタウンを結ぶ路線ということもあって利用者は多く、朝のラッシュ時には、相鉄本線の二俣川駅~横浜駅間では、ほぼ2分間隔で8~10両編成の電車を走らせている。

 

そんな相鉄だが、関東地方の大手私鉄のうち唯一、他社路線と相互乗り入れをしない鉄道会社でもあった。

 

相鉄にとって、神奈川県内を走る路線から、東京都心へ自社の直通電車を走らせることは、長年の悲願でもあった。そんな相鉄が2019年度下期にいよいよ相鉄・JR直通線を完成させ、他社線への乗り入れを開始する。このほど乗り入れにあわせて造られた新型車と、新線に誕生する新しい駅が公開された。

 

鉄道が通るのに駅が無い!そんな“陸の孤島”に光明が

2019年度の下期に開通予定の相鉄・JR直通線の途中に新駅が誕生する。駅の名は羽沢横浜国大駅(はざわよこはまこくだいえき)に決まった。造られるのは横浜市神奈川区羽沢という地区。この羽沢地区だが、地図を見ていただくとわかる通り、元々、JRの東海道貨物線と東海道新幹線が地区を通っている。

sotetu↑新しく誕生する羽沢横浜国大駅付近の周辺図。東海道貨物線と東海道新幹線が通る地区でありながら旅客駅は無く、最寄りの駅は、みな2km以上も離れていた

 

だが、両線とも羽沢に旅客駅が無い。JR横浜羽沢駅はコンテナの積み降しを行う貨物専用駅で、東海道貨物線を湘南ライナーなど一部の旅客列車が通るが、旅客向け施設が無いため停車しない。東海道新幹線の最寄りの新横浜駅は羽沢から4kmほど離れている。付近の住民は目の前を電車や新幹線が通るにも関わらず、まったく縁が無かったのである。

10eki9506↑JR横浜羽沢駅は、東海道本線のバイパス線として造られた東海道貨物線の中間地点に1979(昭和54)年に誕生した。広大な屋根を持つ貨物ホームが駅の中心にある

 

鉄道が走りながら利用できないというのは歯がゆいばかり。しかも、最寄りの旅客駅はいずれも2km以上と遠く、毎日歩くのはつらい。したがって羽沢地区の人たちはバスを利用して横浜駅や保土ケ谷駅へ出ざるをえない。そんな“陸の孤島”エリアでもあった羽沢に新駅が誕生するというわけだ。JR横浜羽沢駅に隣接して新駅の建物が現在、建てられつつある。進捗状況を見てみよう。

09eki6988↑JR横浜羽沢駅に隣接して新しい羽沢横浜国大駅は誕生する。写真左側は新駅の機械棟、右側が貨物専用駅のJR横浜羽沢駅の構内。貨物駅上に架かる歩道橋からの撮影

 

2019年度下期に誕生する新線は全線がほぼ地下路線。そのため新しい羽沢横浜国大駅は駅入口こそ地上にあるが、駅ホームは地下2階部分となる。現在、まだ駅の建物や、エスカレーターやエレベーターなど設置工事中で、公開時は仮の階段で地下2階のホームまで下りた。

11eki6859↑新駅・羽沢横浜国大駅の入口棟。外壁はレンガ色のタイルで落ち着いた装いになりそう

 

12eki6972↑入口棟から2階ほど下りた地下にホームが設置される。現在は、工事用に仮の階段が設置されていた

 

相鉄・JR直通線は相鉄の西谷駅(にしやえき)から分岐して、新駅の羽沢横浜国大駅までは地下トンネルで結ばれる。駅のホームはすでに形を現し、相鉄本線側からの線路も敷かれていた。現在は、内装工事と、新駅から先のJR直通線と東急直通線それぞれのトンネル工事が中心に進められている。

13eki6936↑羽沢横浜国大駅のホーム階の工事の現状。すでに上下ホームはできあがり、線路も敷かれていた。写真はホーム中央部から西谷駅側を見たところ

 

14eki6931↑駅から見た西谷駅側のトンネル入口。円形のトンネルで、すでにトンネル内部は完成、線路も敷かれ、架線工事が進められていた

 

15eki6956↑新横浜駅側の工事の進捗状況。こちら側にJR東海道貨物線との連絡線が設けられる。相鉄・東急連絡線はその先、東急綱島駅の先で東急東横線と接続の予定

 

外観も車内も工夫が満載! 濃紺色に塗られた新型20000系電車

今回、公開されたのは新型20000系電車。「YOKOHAMA NAVYBLUE(ヨコハマネイビーブルー)」と名付けられた濃紺色塗装に加えて、これまでの電車とはちょっと異なるユニークな顔立ちをしている。

 

この電車、相鉄・JR連絡線とともに工事が進む相鉄・東急連絡線(2022年度開業予定)用の車両で、東急電鉄の車両の規格に合わせられ造られている。

02gaikan6384↑新型20000系の前に立つ滝澤秀之社長と相鉄のキャラクターそうにゃん。滝澤社長は「相鉄の電車に待ってでも乗りたい」と思ってもらえる車両を目指したと語る

 

2017年12月に創立100周年を迎えた相鉄。「デザインブランドアッププロジェクト」に取り組み始めた。その一貫として行われたのが、車体色の変更。従来から走る9000系の車両色をヨコハマネイビーブルーと呼ぶ濃紺色に変更し、さらに新車の20000系も同じ濃紺とした。9000系は2016年度のグッドデザイン賞を受賞するなど、デザインの世界では評価が高い車体カラーともなった。

 

滝澤秀之社長は、「20000系の顔かたちは日本古来の能面を意識しています。相模鉄道は残念ながら知名度が低いのが現状。車体色とともに、特徴のある顔かたちの車両でアピールできれば」と話す。都心まで走る車両ということで、そうした相鉄の思いが込められた車両なのだ。

 

さらに車内も、さまざまなところに新車らしい工夫が取り入れられている。写真で見ていこう。

03syanai6608↑ロングシートは汚れの目立たない生地を使用。LED照明は時間帯で光の色が変化する。乗降ドア側と座席の境に設けられた強化ガラス製の仕切り板の大きさが目立つ

 

04syanai6607↑一部の優先席にはユニーバーサルデザインシートが導入された。立ったり座ったりしやすいように座面はやや高め、背もたれが立ちぎみになっている

 

05syanai6486↑天井の中央部は高め。吊り革はつかむ輪の形が楕円になっている。2016年度のグッドデザイン賞にも輝いた形状だ。新車には空気清浄機も取り付けられる

 

06syanai6517↑貫通路のトビラはあまり力をかけずに開け閉めできる。取っ手の部分に磁石が付き、しっかりと閉まるように工夫された

 

07syanai6451↑それぞれの乗降ドアにドアスイッチが付く。空調効果を高めるため、駅に停車中、乗客自らがドアを開け閉めすることが可能となった

 

20000系電車は2018年2月11日に営業運転を開始の予定だ。いまのところ10両1編成のみだが、2009年以来の新型車ということで注目が集まりそうだ。

 

直通線が開通すれば都心が圧倒的に近くなる!

2019年度下期の開業はJR東海道貨物線との直通線のみだが、2022年度には東急東横線との直通線も開業の予定だ。相鉄・東急直通線は東急・綱島駅の北側で東急東横線の線路と接続するが、この線が開業すると、その1つ先の日吉駅で、東急目黒線との乗り入れも可能になる。

 

まだ相互乗り入れの具体的な運転計画は発表されていないが、相鉄と東急目黒線が直接、乗り入れるようになれば、二俣川駅~目黒駅間の所要時間が、現在54分かかるのに対して予想到達時間は38分と16分も短縮される。また、JRへの直通電車に乗れば、二俣川駅~新宿駅間の現行59分が、44分と15分も短縮される。

 

現在、各鉄道会社は沿線人口の減少という問題に直面しつつある。相鉄もそうした状況は同じだ。JRや東急との直通線が開業することによる所要時間の圧倒的短縮は、やはり沿線の人たちにとっては、ありがたいニュースであり、また住宅地開発をするうえでの格好の材料となるだろう。

 

将来の変化を読んで策を講じてきた相鉄の思いが花開く日が近いのかも知れない。

流行色は時代を反映!? 電車の「車体カラー」に注目すれば通勤や旅行がより楽しくなる!

ここ数年、車体色を大幅に変更する鉄道会社、また鮮やかなカラーの新車を投入する鉄道会社が増えている。鮮やか、そして明るいカラーの通勤電車に乗れば、朝のラッシュも少しは気持ちをまぎらすことができそうだ。本稿では、そんな変わりつつある電車の車体カラーについて考えたい。

 

新京成は明るいジェントルピンクに塗り替え

千葉県内を走る新京成電鉄。京成グループの一員ながら、やや地味な印象がぬぐえなかった。この新京成が2014年6月にコーポレートカラーをジェントルピンクに変更すると発表。その後、少しずつ電車の塗り替えを始めた。

 

すでに半分以上の車両の塗り替えが終わっているが、従来の車両に比べると、華やかなイメージだ。一方で、古い塗装を愛する乗客向けにリバイバル塗装車を走らせている。こうした車体カラーにこだわったサービスもなかなか楽しい。

20180112_y-koba2 (2)↑従来の新京成電鉄の車両。下地はベージュで、茶色の太めのラインが引かれていた

 

20180112_y-koba2 (3)↑ジェントルピンクと白という組み合わせの新塗装電車。色の変更で、これほど電車の印象が変わるのかと驚かされた

 

20180112_y-koba2 (4)↑8000形8512編成はあえて伝統の色のまま、リバイバルカーとして走らせている。「くぬぎ山(車両基地がある)のタヌキ」と鉄道ファンに親しまれてきた車体カラーだ

 

伊予鉄“みかん色”塗装は、オレンジすぎて

愛媛県松山市を中心に郊外電車と市内電車(路面電車)を運行する伊予鉄道(以下、伊予鉄)。会社創立は1887(明治20)年という老舗企業だ。夏目漱石が松山に赴任した時にも乗っていただろう、会社の歴史は130年にも及ぶ。

 

そんな歴史を誇る企業が2015年に発表した「IYOTETSUチャレンジプロジェクト」。チャレンジその1として “乗ってみたくなるような電車・バス” というコンセプトが掲げられた。大きな変更点が車体色だ。愛媛県の特産品、みかんにちなみ、みかん色に車両が変更されたのだ。

20180112_y-koba2 (5)↑従来の伊予鉄3000系電車。銀色の車体にオレンジラインが入る

 

20180112_y-koba2 (6)↑ここまで変貌しましたか、とすら思える3000系新塗装車。国内では非常に珍しい、電車と路面電車の線路が平面交差する大手町駅前の踏切を通過する

 

20180112_y-koba2 (7)↑郊外電車に加えて市内電車(路面電車)や伊予鉄バスも、すべてがみかん色一色に変身しつつある

変更されてみかん色一色に塗られた伊予鉄の電車。登場した当時は地元の人たちから「オレンジすぎる!」という声が上がり、否定的な声すらあった。

 

ところが、登場してからすでに3年。沿線では「華やかでいいと思うよ」という住民の声が聞かれた。最初は派手だと思われた車体カラーも、見続け、乗り続けることにより、違和感を感じる人が少なくなっているように思えた。

 

華やかさでは負けない大手私鉄の新型電車!

走る車両の塗装を全面変更して、成果を生み出した新京成や伊予鉄。関東を走る大手私鉄の新型車両にも、華やかな装いの車両が出現している。

 

まずは関東一の路線網を持つ東武鉄道から。これまで東武鉄道の電車といえば、エンジ色、ブルーのラインが車体横に入るか、もしくは前面がオレンジという車両が大半だった。そんな東武鉄道の車両カラーが変化しつつある。

 

まずは東武野田線に投入された60000系。2013年生まれでフューチャーブルーと呼ばれる明るい青色が正面や車体横の天井部に配された。東武アーバンパークラインという新しい路線の愛称が付けられたこともあり、路線のイメージアップにもつながる新車登場となった。

20180112_y-koba2 (8)↑東武アーバンパークライン(野田線)に導入された60000系。正面はフューチャーブルーという明るい青色で目立つ

 

前述の60000系からラインカラーということを意識し始めた東武鉄道だが、2017年に登場した70000系はかなりセンセーショナルな車体カラーだった。東急メトロの日比谷線乗り入れ用に新製された電車で、正面と車体横に鮮やかな赤色と細い黒のラインが入る。東武鉄道ではこの赤を“イノベーションレッド”と呼ぶ。

20180112_y-koba2 (9)↑東武鉄道としては画期的なカラーの70000系。東京メトロ日比谷線への乗り入れ用車両として登場した

 

まさにイノベーションになりそうな色使い。東武鉄道の車体カラー自体のイノベーションでもあり、今後の通勤電車の車体カラーに影響しそうな色使いだ。産業デザインの世界でも、かなり革命的と捉えられたようで、グッドデザイン賞に輝いた。

 

九州の雄も負けじと華やかな電車を走らせる

大手私鉄の中で、最も西側、福岡県内に路線網を持つ西日本鉄道(以下、西鉄)。この西鉄でも鮮やかな色使いの電車が2017年春から走り始めている。

 

これまで西鉄の電車は特急形の8000形(すでに全車が廃車)を除き、薄い緑色の車体に赤ラインの電車や薄い青ラインが入る3000形と、無難な色使いの車両が多かった。ところが9000形では普通や急行として走る車両でありながら、思い切った色使いに変更したのだ。

20180112_y-koba2 (10)↑西鉄の新型9000形。正面と車体横のラインはロイヤルレッドで塗られる。赤い色使いは、写真の印象よりも実際はもっと明るい色に感じられる

 

20180112_y-koba2 (11)↑関西圏の鉄道では、塗装カラーの変更があまり見られない。そんななかで2017年、阪神電気鉄道の5500系リニューアル車は独特の明るいブルー系カラーに塗り替えられた

 

淡い色系の新車も続々と登場!

東武鉄道の70000系と対極を行くようなカラーの新車を登場させようとする鉄道会社もある。東京急行電鉄(以下、東急)と都営地下鉄の例を見てみよう。

 

まずは東急。東急では田園都市線用に2020系、そして大井町線用に6020系をそれぞれ2018年の春に導入の予定だ。東急の電車といえば、銀色の車体に赤ライン。一部の路線に赤とオレンジ、また緑ラインといった原色に近いカラー車両を多く走らせてきた。

 

そんな東急電車のイメージを一新するのが2020系と6020系。白を基調とした外観デザインで、この白は「INCUBATION WHITE」(新しい時代へ孵化していく色)とされる。これまでの電車のように角張ったデザインでなく、やや傾斜したカーブラインが特徴の前面デザイン。ブラックとホワイトの組み合わせに、田園都市線の2020系は淡い緑色のラインを、大井町線用の6020系はオレンジ色のラインが入る。

20180112_y-koba2 (12)↑長津田検車区の奥に留置された新型の田園都市線2020系と大井町線6020系。6020系は、まだ報道陣にも公開されていない未発表の電車でもある(1月11日現在)

 

2017年から2018年にかけては鉄道車両の新車デビューラッシュが続くが、都営浅草線にも新型5500形が導入される。2017年の暮れ、馬込車両検修場で公開された車両はこれまでの浅草線の5300形とは異なり、淡いピンクライン。東急の新車と同じように、正面のやわらかなカーブラインが特徴となっている。

20180112_y-koba2 (13)↑都営浅草線の5300形と新型5500形(左)。既存の5300形は濃い赤ラインに対して、5500形は淡いピンク色のラインと変更された

 

渋めの色使いや伝統へ回帰という鉄道会社も

鮮やかな色使いの電車が登場する一方で、渋めの色で勝負しようというのが相模鉄道(以下、相鉄)だ。2017年12月に創立100周年を迎えた相鉄。「デザインブランドアッププロジェクト」に取り組み始めた。

 

その一貫として行われたのが、車体色の変更。従来から走る9000系をリニューアルするのに合わせて、外装は「YOKOHAMA NAVYBLUE(ヨコハマネイビーブルー)」と名付けられた紺色塗装に変更された。横浜をイメージしたカラーだとされる。

20180112_y-koba2 (14)↑9000系の従来車は薄いグレー地に水色とオレンジのラインが入る

 

20180112_y-koba2 (15)↑ヨコハマネイビーブルーと名付けられた紺色塗装の9000系リニューアル車。紺色とはいうものの、光にあたるときらきら輝いて美しく見える

 

濃い色使いながら、高級感あふれた印象を受ける。この9000系リニューアル車は2016年度グッドデザイン賞を受賞した。近日、公開予定の新車20000系もこのヨコハマネイビーブルーで登場の予定。 数年後にはJR東海道線と東急東横線との相互乗り入れが行われる予定の相鉄。その意気込みが感じられる車体カラーだ。

 

また、京浜急行電鉄(以下、京急)のように伝統色に回帰する動きも見られる。主力の1000形は2代目から車体のステンレス地の銀色が目立つ仕様だったが、新製車は元々の京急の電車の特徴である赤に窓回りを白く塗る塗装に改められている。この赤地に白というカラーは、京急の創業以来の伝統ということで長年、親しまれてきた。

 

元々、赤という古さを感じさせない色だったということもあり、改めて原点に戻ろうという意図なのだろう。ちなみにステンレス車体は腐食に強いのが特徴。そのため塗装を省くというのが一般的な傾向で、ステンレス車の全面塗装は関東の大手私鉄としては初めてのことになる。

20180112_y-koba2 (16)↑主力車の京急1000形電車。2代めはステンレス車体の銀色部分が目立っていた

 

20180112_y-koba2 (17)↑京急1000形の増備車はステンレス車体ながら、銀色のボディに赤地と白という伝統色が施されている。今後の増備車はさらに銀色部分が伝統色の赤で覆われる予定だ

 

時代を反映する車体カラー

流行色はその時代を反映するとされる。バブル崩壊で、経済状況が悪化した1990年代にはモノトーンが流行したのは、その典型的な例だった。

 

ここ数年の華やかな色使い、淡い色使いが車体カラーに増えているのは、好景気が影響しているのかも知れない。一方でヨコハマネイビーブルーといった渋めの色使いの電車が走り始めていることも面白い。車体のラッピング塗装の技術が向上したことも、車体カラーが多彩にしている1つの要因だろう。

 

電車の車体カラーにはこれが正解というものはない。色というのは、十人十色で好みが異なるもの。とはいえ各鉄道会社が競って、このような車体カラーを生み出す傾向は歓迎すべき現象だろう。今後、どのような車体カラーの電車が登場してくるのか、楽しみにしていきたい。

JR東日本の駅にガンダムグルメ期間限定登場!「これはいいものだ…」「スレッガーのハンバーガーはないの?」とガンダムファン大盛り上がり!

JR東日本のエキナカ・エキソト店舗で「機動戦士ガンダム」をモチーフにした“ガンダムグルメ”が期間限定で登場。ガンダムファンの間で「食べるしかないっしょ!」「地方でもやってほしい」と話題になっている。

出典画像:JR東日本公式サイトより出典画像:JR東日本公式サイトより

 

期間限定で登場するガンダムグルメに期待の声!

今回登場するガンダムグルメは、2018年1月9日から2月27日まで開催されるスタンプラリー「JR東日本 機動戦士ガンダムスタンプラリー 行きまーす!」と連動したもの。東京駅「グランスタ」にある「アルデュール」には「ジオニックマカロン」(2808円/1日100個限定)、「FairyCake Fair」には「1カップケーキ ハロ」(580円/1日20個限定)が登場する。

 

また、東京駅「グランルーフ フロント」の「HUMBURG WORKS」には「黒毛和牛三連星」(3800円/1日10食限定)、池袋駅構内の「野菜を食べるカレーcamp express」には「牛肉と豆のジャブロー風カレー」(1130円/1日20食限定)、上野駅構内と秋葉原駅構内の「東京じゃんがら」には「赤い彗星の3倍辛じゃんがら」(980円/1日50食限定)が登場。さらに、東京駅、秋葉原駅などに全16店舗を構える「いろり庵きらく」では、「赤い彗星の紅生姜天そば」(480円/1店舗1日30食限定)を味わうことができる。

出典画像:JR東日本リリースより出典画像:JR東日本リリースより

 

これらの期間・数量限定メニューに「ハロのカップケーキ可愛い!」「これはいいものだ…」「相変わらず大喜利メニューだらけだな(誉めてる)」「意外と本格的で笑った」「最近こういう企画が増えてくれて嬉しい!」と大興奮するファンが続出。また、「スレッガーのハンバーガーはないの?」「タムラ料理長の減塩メニューが食べたい」「うまい水はありますか?」といった、自分が食べたいガンダムグルメを上げる人も見受けられた。

 

スタンプラリーにも期待の声続出!!

「JR東日本 機動戦士ガンダムスタンプラリー 行きまーす!」は、山手線エリアを中心としたJR東日本管轄の63駅と東京モノレール2駅の計65駅に設置されたスタンプを集めるスタンプラリー。65駅の中から7駅のスタンプを集め、ラリーエリア12カ所にあるゴール店舗へ行くと「オリジナルステッカー」をプレゼント。さらに、39駅のスタンプを集めて特設ゴールカウンターに向かうと「39駅達成描き下ろしイラストボード」が、65駅すべて制覇すると「全駅制覇オリジナルガンプラ」を手に入れることができる。

出典画像:JR東日本公式サイトより出典画像:JR東日本公式サイトより

 

各駅に設置されているスタンプはすべて異なるため、「王子駅がガルマなのとてもよいですね」「蒲田がザクで、大森がララァだ!」「赤羽がアカハナとか結構凝ってる」と盛り上がりを見せている。スタンプラリーと一緒にガンダムグルメも楽しんでみてはいかがだろうか。

出典画像:JR東日本公式サイトより出典画像:JR東日本公式サイトより