「リモート指導」でより安全な帝王切開を目指すケニア。医師不足を補うか?

帝王切開での出産は、正しい知識と経験を持った医師がいなければ、危険を伴うこともあります。発展途上国でそんな帝王切開手術を支える産婦人科医を、遠隔で育成していこうという試みがケニアで進められています。

テクノロジーで手術や医師の育成が変わる

 

ケニアのマクニエ県では、妊産婦の死亡率が10万人当たり452人と、同国全体の死亡率(10万人当たり355人)よりはるかに高いのが現状です。その理由の一つとして考えられるのが、帝王切開手術を行える産婦人科医が、毎月900件ほど行われる帝王切開に対してわずか3人しかいないこと。通常の出産に比べて複雑で難しい帝王切開には、それを支える技術を持った医師の存在が欠かせません。しかし、ケニアでは必要な設備が整った病院も、十分な技術を持った医師も不足していることが指摘されているのです。

 

そこで、米ジョンズ・ホプキンス大学と提携する非営利医療団のJhpiegoでは、医療向けプラットフォームを展開するProximieと提携して、遠隔で医師のメンターシップ(※)を行うプログラムを2021年12月に立ち上げました。これはケニアで帝王切開の手術が行われる際、経験豊富な産婦人科医とバーチャルでつなぎ、問題があればそこで相談しながら手術を進め、死亡率を減らそうという試み。手術室には4つのカメラを設置し、妊産婦、赤ちゃん、手術室全体などを映し、異なる場所にいる医師とバーチャルでつながり会話できるのです。手術の記録を録画して、後日それを閲覧することもできるとのこと。帝王切開の手術はもちろん、合併症のケア、処置後の赤ちゃんのケアなど、プログラムを通して、若手医師や看護師に適切なスキルを身につけていってもらうことを狙いとしています。

※メンターシップ(またはメンタリング)とは、企業などの組織において先輩が上司の指示に頼らず、自律的に後輩を指導すること

 

このプログラムに参加した5つの病院のいずれの手術チームも、バーチャルでのサポートがあることで、緊急事態が起きてもそれに的確に対応できるようになったとのこと。また録画した動画をケニアの手術チームとともに閲覧しながら、手術の対応について議論して、医師や看護師全体の知識や対応力を底上げしていくこともできます。Jhpiegoによると、プロジェクト開始当初は手術安全のためのチェックリストを守っている病院はほぼなかったのに、2022年3月時点で遵守率が100%になったそうです。

 

このプロジェクトは22か月に渡り行われていますが、「若手医師や看護師の6か月のインターン期間では、帝王切開の緊急事態に対応できるような十分な経験と自信をつけることは難しい」とケニアの産婦人科医師が語っているように、このようなプログラムを継続する必要性が認識されています。

 

デジタル技術を駆使した医師のメンターシップは、指導する側(メンター)にとっても指導を受ける側(メンティー)にとっても、有効な育成手法と言えるでしょう。発展途上国ではインターネットの接続やカメラなどの必要設備を整えることが必要にはなりますが、このような取り組みは産婦人科医に限らず、医療に関する他の分野にも広がっていきそうです。

 

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日本とは違うバングラデシュの「薬局」。ヘルスケア市場の課題解決の一手「リスクアセスメントシステム」について

南アジアの親日国としても知られているバングラデシュ。人口1億6千万人以上、経済成長率は近年7%台をキープし、首都ダッカは人口2000万人を超える巨大都市へと成長しています。年々上昇する都市人口率が50%を超えるのは2040年頃と推定され、ますます注目が高まる開発途上国のひとつです。(※)

※医療国際展開カントリーレポート(経済産業省:2021年)

 

そんなバングラデシュですが、医療体制や保険制度については未整備な部分があります。経済成長と人口拡大に比して、医療分野の開発不足が目立っています。なかでも「薬局」の存在感は重要で、国民のプライマリーケアの担い手となっており、日本での「薬局」とは異なる機能を担っているそうです。

 

本記事では、ICTを活用した疾患の早期発見システムを開発し、バングラデシュの薬局への導入を目指す医療系スタートアップの取り組みをご紹介します。今回の取り組みではビジネス発案者兼事業責任者として、バングラデシュにおける臨床検査センター・クリニック運営やAI・ICTに基づく医療システム開発等を行うmiup社の横川祐太郎氏が参画しています。そんなmiup社とともに調査を担当したアイ・シー・ネット株式会社の小泉太樹さんから、最新バングラデシュの薬局事情と、新しい試みによるビジネス分野での可能性について伺いました。

 

お話を聞いた人

小泉太樹氏

バーミンガム大学大学院にて国際開発学修士号を取得後、2017年にアイ・シー・ネット株式会社に入社。現在はビジネスコンサルティング事業部で、保健医療分野における日本企業の新興国進出の支援やJICAプロジェクトに従事している。

 

●バングラデシュ人民共和国/主要産業は衣料品・縫製産業で、輸出額は世界3位(2020年時点)を誇る。1971年にパキスタンから独立した際、日本が諸外国に先駆けて国家承認をしたことから、親日国としても知られている。現在でも友好関係は続いており、「日本企業で働きたい」と考えている若者も多い。

データ出典:JETRO、経済産業省、アイ・シー・ネット調査報告などから編集部が独自集計したものになります

 

バングラデシュの薬局の様子

 

バングラデシュ薬局の現状と市場調査の背景

――まずは、バングラディジュの医療体制の現状と「薬局」の役割について教えていただけますか?

バングラデシュの医師の数は、日本の4分の1以下、薬剤師も40分の1以下のため、全体的な人員不足は大きな課題として挙げられます。また住んでいる地域によって所得の差があるため、全国民が平等に医療を受けられていません。ももちろん日本のような公的保険制度はないため、医療費負担が著しい重荷になっています。気軽に病院に行くことができないというのが、日本との大きな違いといえるでしょう。

 

日本の場合「ちょっと具合が悪い」と思えば、どこに住んでいても比較的簡単に医療機関を受診できます。また保険制度によって、治療費も抑えられているので「何かあれば病院に行く」という習慣もついていますよね。

 

バングラデシュの場合「ちょっと具合が悪い」と思えば、伝統的な療法や、薬局で薬を購入して治す選択が一般的です。とくに農村エリアでは、病院に行くまでの交通費や時間もかかるので、近所の薬局に頼る傾向があります。病院が近くにない、医療を受けるお金がないなど、いくつかの課題が重なり合っているのがバングラデシュの医療体制の現状です。

 

農村エリアの薬局

 

――人員や施設の不足、貧富の差、医療機関までの物理的距離、インフラ整備と一筋縄では解決できない状況なんですね。日本の場合、処方箋をもらってから薬局に行く流れが一般的ですが、バングラデシュの人々は「まずは、薬局」という考え方なのでしょうか?

 

もちろん医療機関からの処方箋で薬を購入している人もいます。ただ、農村エリアになると、処方箋を持っている人はわずか2割程度で、残りの8割は自分で薬を決めて購入したり、薬剤師や薬局スタッフに医療相談に来ている状況です。「まずは、薬局」という考え方が浸透しているのだと思います。

 

バングラデシュは医療機関・人材が不足している一方で、薬局の数は約14万と日本の2倍以上です。薬局は容易にアクセスでき、コミュニティに深く根差していることから、人々に広く受け入れられています。ただしここにちょっと課題がありまして……。正確な割合や数値に関する統計データは存在しませんが、薬局の中には国の認可(DGDA※)を受けていない薬局も多く存在しているのです。

※ DGDA:医薬品管理総局(Directorate. General of Drug Administration)

 

基本的にはDGDAが認可した薬局のみが営業できるのですが、無許可で営業している薬局もありまして……。患者さん側からは、許可の有無を見分けることが難しいので、いつも利用している薬局がじつは無許可だったなんてこともありますね。一応、ウェブサイトなどではDGDAの許可を受けた薬局一覧は掲載されているのですが、わざわざ調べている人はごくわずかでしょう。

 

 

――無許可ってことは、そこにいる薬剤師さんも資格を所有していない可能性があると……。

薬局の中には資格を持った薬剤師がいないことや、本来処方箋が必要な薬が販売されていることもあります。このような背景もあり、バングラデシュでは、抗生物質の過剰使用や多剤併用などの問題が頻繁に報告されています。患者さんの立場で考えれば、安心して薬を購入できる薬局を選びたいですよね。

 

例えば、体調が悪くて薬局に医療相談をしても不適切な薬を処方されてしまうケースもあります。また早めに医療機関を受診していれば治せていた病気も、薬局で見逃されているケースも。なんとかこれらの課題を解決できないかと開発したのが、「リスクアセスメントシステム」です。

 

薬局から医療機関へ繋ぐ「リスクアセスメントシステム」

――リスクアセスメントシステムについて、詳しく教えていただけますか?

このサービスはスマートフォンを使った、健康状態を判別するシステムです。

 

非医療従事者でも、疾患の疑われる患者さんのパーソナルデータを用いて簡潔かつ安価にリスクレベルを判定できます。具体的には、薬局スタッフが患者から体調を聞き取り、スマートフォンのアプリ上で入力すると、症状から関連性のある病名の表示や病気のリスクが高い患者さんに対して近隣の医療機関を紹介できる仕組みになっています。

 

「この病気です」と断定することは医療行為なので薬局ではできません。あくまで参考として活用いただくシステムですが、患者さんは無料で使っていただくことができるモデルとなっています。

 

――患者さんが無料というのは安心ですね。病気のリスクも知れるので、薬局中心のバングラデシュにとってはありがたい仕組みだと感じました。ビジネスモデルはどのように考えているのでしょうか?

 

薬局と紹介先である医療機関から利用料をもらう形を想定しています。将来的にはバングラデシュ全土に展開できればいいですね。2021年7月から現地調査を開始したのですが、薬局や医療機関に向けたリスクアセスメントシステムの説明会も実施しました。そこでは、今までにない良い仕組みだと好評をいただけています。思っていた以上に高い期待値を実感でき、私たちにとっても実りの多い調査となりました。

 

――システム自体は、誰でも簡単に使えるようなものなのでしょうか?

はい、医師など専門知識を持っていない方でも使えるようなシステムです。

 

薬局スタッフが端末操作してシステムに入力している様子

 

リスクアセスメントシステムの入力画面

 

調査期間中に農村エリアの薬局で、テスト版を使っていただきました。実際に使っていただいた方の中には、受診するまでに至ったNCDs(※)患者さんもいます。これまで見逃されていた病気の早期発見にもつなげることができ、サービスの本格スタートへのモチベーションも上がりましたね。

※NCDs (Noncommunicable diseases)非感染性疾患:循環器疾患、がん、慢性呼吸器疾患、糖尿病などの「感染性ではない」疾患に対する総称。開発途上国において経済成長にともない増加していくことが多い。

 

薬局向けの教育と、利用率の向上が課題

――実際に使ってもらうだけでなく、受診につながったとは! 素晴らしいですね。今回の調査で課題になった部分はどんなところでしょうか?

利用率の向上は課題だと感じました。今回のテスト版の利用率は、来店患者全体の4%未満でした。増加するNCDsに対応するためにはより多くの患者さんに利用していただくことが重要となります。

 

リスクアセスメントシステムが今までにないサービスなので、使い方がわからないことが大きな要因かもしれません。薬局を訪れる患者の約8割は処方箋を持っていない人たちなので、システムを使うメリットを理解してもらうことで、まだまだ利用者を伸ばすことができると考えています。

 

薬局への周知・教育の必要性も実感しました。「〇〇な患者さんが来たら、〇〇とご案内してください」など簡単なマニュアルがあると良いかも知れませんね。また、利用率の向上のためには、紹介できる医療機関を増やす、薬局の業務効率化や利益向上に結び付ける等、薬局が自ら使いたくなるシステムにしていくことも重要です。調査結果をふまえて、さらに使いやすいサービスになるよう継続的な取り組みを行っています。

 

――計画では、2022年度中の導入を予定されているとのことですが、進捗状況はいかがですか?

2022年度中は実証調査の拡大や販売体制の準備を進め、2023年前期にはシステムの販売を開始し、後期には全国展開を予定しています。

 

将来的には、他の途上国への横展開も検討しています。まだまだ世界に目を向ければ、解決しなければいけない医療課題はたくさんあります。普及が期待できるバングラデシュで実績を残し、他の国でも活かせればと考えています。

 

今回は薬局を中心としたシステムの提供ですが、日本の医療・ヘルスケア企業さんと連携して事業拡大することもできると考えています。バングラデシュでの実績を共有し、日系企業の海外展開をお手伝いできるとさらに可能性は広がっていくと感じました。

 

薬局での血圧測定の様子。薬局では血圧・血糖値測定など簡単な健康チェックが行われている

 

--日本国内のヘルスケア事業も盛り上がっているところなので、アイデアを掛け合わせて途上国医療を支えるサービスが提供できそうですね。ちなみに、今回の調査では農村エリアでテスト版が実施されていましたが、都市部での導入も予定していますか?

都市部の場合、病院内や隣接した場所にも薬局があります。そのため、来店患者はすぐに医師に診断してもらうことが可能です。農村エリアと同じ仕組みでシステムを導入するのではなく、都市部には都市部のニーズにマッチしたシステムが必要だと実感しています。

 

バングラデシュの薬局は、医療機関まで距離がある「農村型」・病院と薬局が密接している「都市型」・農村と都市の間にある「郊外型」の3つに分けられます。全国展開に向けて、それぞれの特徴に合わせて調整されたリスクアセスメントシステムを提供していく予定です。

 

予防対策に貢献し、バングラデシュの医療体制を支えたい

――最後に、プロジェクトの展望・目標を教えてください。

一昔前のバングラデシュでは感染症が多かったのですが、近年の経済成長にともなって糖尿病などの生活習慣病が増えています。まだまだ医師の数や医療施設が少ないため、医療やヘルスケアのニーズ拡大が予想されています。

 

政府としても公的セクターだけではまかないきれない部分を民間セクターと協業したいと考えています。薬局へのリスクアセスメントシステム導入を通じてNCDs予防対策に貢献していきたいですね。私自身もこのプロジェクトへのやりがいを感じながら、miup社横川氏と一緒に目標に向かって伴走していきたいと思っています。

 

――リスクアセスメントシステムをきっかけに、途上国の医療体制の拡大や充実に期待したいですね。

そうですね。バングラデシュは10代が多い若い国で、まだまだポテンシャルを秘めた国です。ビジネスチャンスの観点から見ても魅力が十分にあると思います。まずはバングラデシュで実績をつくり、将来的には開発途上国全体の医療体制をサポートできるように努めていきたいです。

 

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取材・執筆/つるたちかこ

ヨーロッパで急成長中の医療×IoT「e-Health」、日本も注目すべき最先端を追う

【掲載日】2022年7月19日

新型コロナウイルス感染症の世界的流行も受けて、IoT技術を医療に取り入れるグローバルな潮流が加速されました。オンラインビデオ通話などによる遠隔診療をはじめとした、IoTを通じて個々の健康を増進する「e-Health」の取り組みが、世界各地で行われています。

 

EU理事会議長国であるフランスの取り組みの一環として、2022年5月にパリで開催された展示会「SANTEXPO 2022」では、最先端の取り組みを行う企業、研究・教育機関、NGOがヨーロッパ各地、さらにはそれ以外の地域からも出展。3日間開催された同展示会の出展社数は約600社、参加者は約2万人にのぼりました。この記事では、ヘルスケア・介護×IoTの最新トレンドをアイ・シー・ネット株式会社のグジス香苗がフランス在住の強みを活かし、実際に「SANTEXPO 2022」へ参加したレポートからお届けします。

パリ15区のポルト・ド・ベルサイユ見本市会場で開催

 

およそ600もの企業や団体がブースを出展した

 

薬局、市庁舎でも受けられる遠隔診療キャビンの導入

展示会場でまず目を引いたのが、遠隔診療用キャビン。日本でも普及が期待されているオンライン診療ですが、欧州では薬局を中心に、市庁舎、スーパーマーケットなど、公共の場所に遠隔診療用キャビンの設置が進んでいます。

 

キャビンにはオトスコープ(耳用の内視鏡)、デマトスコープ(皮膚の拡大鏡)、聴診器、パルスオキシメーター、体温計、血圧計といった検査機器が標準装備されており、簡易な検査に対応しています。また、薬が必要な場合は、キャビン内で処方箋をプリントアウト。薬局に設置されているキャビンを利用すれば、刷り出された処方箋で、薬を購入することができるので便利です。

ウェルネス、フィットネスサービスを展開するH4D社の遠隔診療用キャビン。人間工学に基づいて作られた椅子に座り、自ら検診器を使用する

 

キャビン上部に設置された画面に映る医師から問診を受ける

 

患者の情報が詰まった電子カルテは、暗号化されたうえで、EUの一般データ保護規則(General Data Protection Regulation、以下、GDPR)に基づいた高い安全性のもと、保管・管理されています。個人情報保護を目的に、2018年に適用が開始されたGDPRは、個人データを扱う機関・施設にデータ保護オフィサーの配置を義務付けるなど、高い基準が設定されているのが特徴。

遠隔診療サービスを提供するMEDADOM社の独立スタンド型診療用システム

 

保険証(緑色カード)を差し込み遠隔診療を開始。診療費は国民健康保険からMEDADOM社に払い戻される

 

遠隔診療用キャビンのリーディングカンパニーのひとつ、TESSAN社のスタッフによれば、同社製のキャビンは2018年から設置がスタートし、いまやフランス全土で450台が稼働しているとのこと。キャビンに訪れた患者に対応する医師・専門医は100人おり、患者数はなんと10万人におよびます。同社では、キャビン内の機器をさらに充実させる取り組みも行っており、眼科関連や心電図の検査機器を現在開発しているそうです。

TESSAN社の遠隔診療用キャビンの内部

 

そのビジネスモデルを見ていくと、キャビンの販売自体から得られる収益がない、という点が特徴的。というのも、これらのキャビンは5年間のリース契約で設置されており、リース終了後には契約者の所有物になるのです。一方、TESSAN社は、フランスの国民健康保険から払い戻される診察料から、管理費などの必要経費を除いた額を収益としています。

 

フランスでは、コロナ禍がはじまる以前の2018年時点で、遠隔診療に関する法整備が進んでおり、遠隔診療の医療費が国民健康保険の補償対象になっています。さらに、2020年以降のコロナ禍でその需要が爆発的に増えたことから、2022年7月31日まで遠隔診療の自己負担額が無料になる措置まで取られています。また、同国の健康保険証はデジタルスキャンに対応しており、日本とは異なるこういった土壌も、遠隔診療用キャビンの急速な普及に一役買っているといえるでしょう。

 

コロナ禍の感染対策や非接触に対する国民の意識向上の他に、このキャビンが普及した背景には、フランスの医療事情もあります。というのも、日本の街中に多く見られるような個人開業医によるクリニック数の減少と都市部に偏在していることから、医療へのアクセスが難しい「医療のデザートエリア(砂漠地帯)」と呼ばれる地域が存在します。こうした医療格差を埋める存在として、遠隔診療キャビンは大きな注目を集めているのです。

 

こうした背景は、日本でも決して、無縁ではありません。過疎化が進んでいる日本の地方では、医師不足の問題が深刻化しています。遠隔診療キャビンは、我が国における問題を解決するひとつのツールになる可能性も。また、医療レベルが低い発展途上国もこれに注目しています。アフリカ西部に位置し、フランス語を公用語とするマリでは、国家レベルのプロジェクトとして「マリ遠隔医療プロジェクト」が進行中。ヘルス分野のDX推進を進めるための省庁として、国家遠隔ヘルス・医療情報庁が設置されているほどです。

マリ「国家遠隔ヘルス・医療情報庁」の紹介パンフレット

 

パンフレットの裏面。遠隔医療をはじめ、庁内の取り組みについて解説

 

ブロックチェーン技術を活用した、患者の個人情報保護

「SANTEXPO 2022」には多くのスタートアップ企業も出展しました。そのなかでも特に目立っていたのが、ブロックチェーン技術を活用したプロダクトサービスを提供している企業。遠隔診療用キャビンの普及により、電子カルテ情報などを暗号化し安全に管理・共有するシステムの需要が高まっていることも、そんな企業を後押ししています。

 

本エクスポに出展していたうちの一社であるDr Data社は、フランスの法医学博士号を有する女性社長が起業したスタートアップ。同社の事業は、ブロックチェーンの暗号化技術を用いた保健医療データの保護や電子患者データの管理です。さらに、GDPRに基づいた、データ保護オフィサーの派遣も行っています。

 

また、救命医・麻酔科医によるスタートアップであるGALEON社は、患者や治験のデータを病院間・医療関係者間で安全に共有できる仕組みを開発しています。当然ながら、このシステムもブロックチェーン技術を活用したものです。同社の試みは、データを安全に保管するだけでなく、医療関係者がそれを共有できるようにした点がユニークですが、患者が自分のデータを管理できるようにするシステム構築が進められています。

 

そして、GALEON社の独自性は、事業内容にとどまりません。医療従事者だけでなく患者にも資する会社にするというコンセプトで運営されている同社は「分散型自立組織」という形式を採用しています。同社の組織はプロジェクトに貢献した人による投票によって運営されており、たとえば自身のデータを治験に利用することに同意した患者にも、その投票権が与えられるそう。従来の株式会社とは違う、トップダウンの性質が非常に薄い組織体系です。多くの医師・患者から高い評価を得ているGALEON社のプロジェクトは、2021年末から2022年初頭にかけて、1500万ドル相当の資金調達にも成功しています。

 

仏・郵政公社がe-Healthに進出し、高齢者の見守りに注力

遠隔医療、ブロックチェーンのほかにも「SANTEXPO 2022」で目立っていた要素が、高齢者や慢性疾患患者の見守りサービスです。

 

たとえば、フランスの郵政公社La Posteは、家庭・医療・デジタル技術関連の企業買収を進めており、イノベーションの支援やヘルスケア領域へ事業範囲を拡大。高齢者の自立生活支援や見守り、医療補助機器の販売、さらには保健医療サービス提供事業者への物流・金融などのBtoBサービスまで幅広く手掛けています。

 

La Posteの強みは、郵便配達員という“インフラ”を全国に有していること。実は同社、そのインフラを活かし、下水管の詰まりなど日常生活上のトラブルが起きてしまった住宅を郵便配達員が訪ねた際に、工事業者を紹介するといった事業をすでに行っています。昨今の事例は、高齢者の見守りにその領域を広げたものと考えることができるでしょう。

早期退院した患者が体調を遠隔モニタリングできるよう、RDS社が開発した遠隔サーベイランス機器のパンフレット

 

また、早期退院した患者の体調を遠隔モニタリングできる、小型パッチタイプの遠隔サーベイランス機器を開発したRhythm Diagnostic Systems社の出展もありました。このパッチは1週間の使い切りタイプ。患者がこれを貼り付けて生活することで、退院後であってもそのバイタルサインを一定期間遠隔モニタリングできるというわけです。日本でも、病院の病床不足が問題になることはありますから、こういった機器が海を渡って来れば、医療従事者の負荷軽減に一役買いそうです。

退院患者のバイタルサインを1週間ほどモニタリング可能

 

日本でも待たれるe-Healthイノベーション

e-Healthの最先端が結集した今回の「SANTEXPO 2022」。その展示を通してとくに強く感じたのは、官民両面での「日本との違い」でした。“官”の面では、フランス政府が遠隔診療の医療費を無料にするなどの強力な政策を進めており、e-Health推進に向けた強力なリーダーシップを発揮しています。

 

また、“民”の面でも、乱立するデジタルシステムの相互補完性を各社が担保するなど、医療の改善に向けた問題解決意識が競合各社の間で共有されています。e-Health勃興期といえる今、多様な製品・サービスが乱立しており、それらひとつひとつの互換性に懸念が持たれるところですが、多くのケースにおいて杞憂というわけです。

 

一方で、勃興期ゆえの問題もあります。それは、e-Health導入による改善効果のエビデンスがまだ集まっていないということです。しかし、この記事で紹介してきたように、e-Health導入による社会問題の解決事例が集まり始めているのもまた事実。あとは、それにどれくらいの費用対効果があるのかなど、トライアンドエラーを繰り返しながら改善を続けていくフェーズに入ることでしょう。

 

一方で日本に目を移すと……高い医療レベルを誇り、平均寿命世界一の国でもある我が国ですが、e-Healthの面でいえば後れをとっているといわざるをえません。この記事で紹介したものが海を渡って日本にやってくる未来があるかもしれませんが、国内でそれらに負けないイノベーションが生まれることも大いに期待ができます。

 

グジス香苗(写真右端)●米国大学院で公衆衛生修士号(MPH)を取得後、国際NGO、国連機関に勤務。アイ・シー・ネット入社後は、2011年から足掛け10年、セネガル保健省と保健システム強化のODA事業を実施。並行して女性の起業・ビジネス支援、経済的エンパワーメント、ジェンダーに基づく暴力などに関する研修事業や調査業務に従事した経験を持つ。現在は、アイ・シー・ネット保健戦略タスクチームの技術コンサルタントとして、保健医療分野の事業運営や戦略立案を支援しながら、フランス在住の地の利を活かしてフランス・欧州での調査業務を実施している。 

セネガル中央保健省の計画局課長、市長連合の代表、州医務局の担当官、プロジェクト総括のグジスの4人でチームを組んで、保健ポストを巡回指導(スーパービジョン)に訪れた時の様子。人材・保健情報・医薬品マネジメントと保健サービス提供の現状・課題を把握し、その対応策を一緒に検討した

 

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執筆/畑野壮太

次なるフロンティア! 急成長するインドの「メンタルヘルス」市場

【掲載日】2022年5月12日

近年、世界各国でメンタルヘルス(精神衛生)の重要性が認知されている中、特に注目を集めている国の1つがインドです。同国では多くの人々が心のケアを求めており、国全体でメンタルヘルスの問題に取り組んでいますが、精神科医が圧倒的に不足。この状況を打破するために、インドのスタートアップ企業がAIやロボットを活用しようとしています。

↑心の苦しみを誰に打ち明けたらいいのか?

 

2022年2月、世界経済フォーラムは、インドでメンタルヘルスの認知度が高まっているものの、人材不足の問題が深刻であると述べた記事を掲載しました。同国は2016年に、メンタルヘルスに関する国民的な議論を喚起するため「Live Love Laugh」というフォーラムを立ち上げ、啓蒙活動を行なっています。メンタルヘルスを前向きに捉える人の割合が2018年の54%から2021年には92%に増えるなど、国民の意識は大きく変化した模様。しかし、人材不足は解消されておらず、同国では10万人の患者に対して精神科医がわずか0.75人しか存在していません。

 

メンタルヘルスケアへの需要は増えています。新型コロナウイルスのパンデミックが宣言された2020年、アメリカの大手ソフトウェア企業のORACLEが、11か国で約1万2300人を対象にメンタルヘルスに関するアンケート調査を行いました。その結果、メンタルヘルスで最も苦しんでいる国はインドであることが判明。例えば、同国の従業員の89%がコロナ禍で精神の健康を損ない、さらに93%がその影響は家庭にも及んでいると述べています。

 

また、インドでは96%がリモートワークに伴うストレスを指摘していますが(比較すると日本人は71%)、それと同時に91%がメンタルヘルスの問題について職場のマネージャーではなくロボットセラピストに相談したいと回答。上司よりもロボットを好む傾向の高さは中国と同じですが、この問題におけるインドの取り組み方を考察するうえで、その事実は示唆的です。

 

すでにインドはロボットセラピストやメンタルヘルス向けのAIの開発に注力し始めています。近年、同国ではメンタルヘルス分野のスタートアップ企業に対する投資額が増加中。アメリカと比べると圧倒的に小さいものの、インドのメンタルヘルス産業は過去5年間で2000万ドル(約26億円※)の規模に拡大しており、コロナ禍における需要の爆発的な高まりから、同市場はこれから急拡大していくと見られます。

※1ドル=約130円で換算(2022年5月10日現在)

 

上述した世界経済フォーラムの記事の見出しは「Better access to treatment is the next frontier(より良い治療の提供が次なるフロンティア)」。メンタルヘルスケアを提供する日本企業も、巨大市場に成長する可能性を秘めたインド市場の動向に注目すべきかもしれません。

 

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