バブル景気が絶頂期を迎えた1980年代末、日本の自動車メーカーは豊富な開発資金を背景に、イメージリーダーとなる高級スペシャルティの開発に力を入れるようになる。その最中、富士重工業はフラッグシップモデルであるアルシオーネのフルモデルチェンジを企画した――。今回は“SVX”のサブネームを付けて1991年にデビューした「アルシオーネSVX」の話題で一席。
【Vol.46 スバル・アルシオーネSVX】
後にバブル景気と呼ばれる未曾有の好況に沸いていた1980年代後半の日本の自動車市場。ユーザーの志向はハイソカーやスペシャルティカーなどの高級モデルに集中し、メーカー側もそれに対応した新型車を、豊富な開発資金をバックに鋭意企画していた。
■ジウジアーロの手になるグラマラスで未来的なデザイン
先代アルシオーネで不評だったスタイリングを刷新するため、ジウジアーロにデザインを依頼
そんな状況の中、富士重工業(現SUBARU)はフラッグシップモデルであるアルシオーネのフルモデルチェンジに邁進する。開発陣がまず手がけたのは、先代モデルで不評をかっていたスタイリングの案件だった。ユーザーの志向にマッチした、スポーティで先進性あふれるエクステリアを実現するためには――。最終的に開発陣は、外部の優秀な工業デザイナー、具体的にはイタルデザインを率いるジョルジエット・ジウジアーロ氏にエクステリアのスケッチを依頼する。その際の条件は、新型レガシィ用に開発していたプラットフォームとパワーユニットを使用し、さらにボディサイズは5ナンバー枠に収めることだった。
1980年代末になると、ジウジアーロのスケッチを基にした4分の1スケールモデルが完成する。当時の開発スタッフによると、「非常にシャープで未来的。純粋にカッコよかった」そうだ。しかし、ここでSOA(Subaru Of America,Inc.)やマーケット部門から意見が出る。「ボディをワイド化したほうが、北米市場では売れる」「国内でも、3ナンバーのほうが見栄えがいい」。国内の営業部門からは5ナンバーサイズを支持する声もあったが、結果的に首脳陣は“世界に通用するスバル”を目指すために3ナンバーボディを選択した。
グラマラスなデザインと戦闘機のそれを彷彿させるガラスキャノピーが特徴的
エクステリアは大幅に見直され、フェンダーやボディラインなどはグラマラスな形状に変化する。ボディサイズは全長4625×全幅1770×全高1300mm、ホイールベース2610mmに設定した。一方のキャビン部は、ジウジアーロの提案に即してグラス・トゥ・グラスのラウンドキャノピーで構成する。加工が難しい3次曲面ガラスは、日本板硝子に生産を依頼した。エンジンに関しては、従来のフラット4をベースに新たに6気筒化したEG33型3318cc水平対向6気筒DOHC24V(240ps/31.5kg・m)を搭載。駆動システムには不等&可変トルク配分のVTD-4WDを組み込み、加えて4輪操舵システムの4WSを導入する。懸架機構はフロントにL型ロワアームを組み込んだストラットを、リアにパラレルリンク式のストラットを採用した。
■キャッチフレーズは“500miles a day”
“500miles a day”と称し、500マイルを一気に、しかも快適に走れる性能を標榜した。搭載ユニットは水平対向6気筒、ミッションは4AT
富士重工業の新しい高級スペシャルティは、1989年開催の第28回東京モーターショーでコンセプトモデルが披露される。その後、開発途中で同社の経営再建プランが実施されて市販計画の見直しを余儀なくされたものの、1991年8月には何とか北米デビューにこぎつけ、その1カ月後には日本でも市販モデルが発表された。
新型は「アルシオーネSVX」のネーミングを冠する(北米版はSVXのみ)。SVXはSubaru Vehicle Xの略で、富士重工業の未来に向けた車=ビークルX、具体的には新世代のグランドツーリングカーを意味していた。また、この車名に合わせるようにキャッチフレーズは“500miles a day”と称し、500マイルを一気に、しかも快適に走れる性能を有していることを声高に主張した。
徐々にグレードを増やして売り上げのテコ入れを図ったが、好転せず。1996年に惜しまれながら生産を終了した
デビュー当初は上級仕様のバージョンLと標準モデルのバージョンEという2グレード構成で展開したアルシオーネSVXは、その後、限定車や廉価グレードの販売などで車種ラインアップを拡充していく。1993年11月には富士重工業40周年記念モデルとしてS40を300台限定でリリース。バージョンEをベースに、ピーコックブルーメタリックの専用色、ブルーガラスのウィンドウ、モノトーン基調のインパネなどを採用し、車両価格はバージョンEより50万円近く安い283万6000円(東京標準価格)に抑えた。翌94年7月には、好評だったS40の2世代目となるS40Ⅱを限定300台で販売。さらに同年11月には、BBS製アルミホイールを装着したS3を登場させる。1995年7月には、アルシオーネSVXの最終型となるS4を発売した。
限定車や廉価モデルの設定で販売拡大を狙った富士重工業。しかし、バブル景気の崩壊によって高級スペシャルティ市場は急速に冷え込み、アルシオーネSVXの販売成績も伸び悩む。そのうちに日本市場ではレクリエーショナルビークル、いわゆるRVブームが巻き起こり、同社の販売の主力はレガシィへと移っていった。結果的にアルシオーネSVXは1996年末に生産が中止され、同社の新車カタログから落とされることとなる。総生産台数は2万4379台。このうちの国内登録台数は、わずか5884台だった。ちなみにアルシオーネSVXの生産終了時には、富士重工業が把握していたアルシオーネSVXの国内オーナーに向けて社長名の挨拶状が発送された。紙面には、アルシオーネSVXに対する同社のこだわりと愛用への感謝、そして以後のアフターサービスを約束する旨が記載される。個性あふれる高級スペシャルティカーの生産終了に対しては、ユーザーだけではなく富士重工業自身にも惜別の情があったのだ。
【著者プロフィール】
大貫直次郎
1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。