1980年代初頭、厳しい排出ガス規制やオイルショックを乗り越えた日本の自動車メーカーは、新しいクルマのカテゴリーを模索していた。そんな状況下、いすゞ自動車はひとつの方針を打ち出す。アメリカ市場で人気を獲得していたスポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)の設定だ。今回は日本におけるSUVの先駆的なモデルである初代ビッグホーン(1981~1991年)の話で一席。
【Vol.59 初代いすゞビッグホーン】
アメリカで生まれ、発展したレクリエーショナルビークル(RV)の1ジャンルであるスポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)――今でこそクルマのカテゴリーとして日本でも浸透しているが、1980年代初頭はまだ一般に認知されていなかった。そこに白羽の矢を立てて、いち早く国産SUVをデビューさせたのがいすゞ自動車だった。
いすゞは1979年に4WDピックアップのファスター・ロデオをリリースする。凝ったカラーリングの内外装に乗用車的な装備群、そして駆動方式は4×4。純粋に荷物を運ぶピックアップではなく、遊び心満点のレジャーカーに仕立てていた。日本ではそれほど注目されなかったが、アメリカ市場では提携関係にあったGMのシボレー部門からも販売されて成功を収める。アメリカではこの種のクルマが売れる。それにアメリカ流のクルマの使い方は、やがて日本でも流行するはず――いすゞの首脳陣はそう読み、新たな4WDモデル、具体的には当時のアメリカで人気を高めていたSUVの企画を推し進めることとした。そして、オフロードでも街中でも新鮮な印象を与える内外装を持つ、手ごろなボディサイズとする、道を選ばぬ快適な乗り心地と操作性により長距離ドライブが楽しめるキャビンを創出する、マルチパーパスにふさわしい広いユーティリティスペースを持つカーゴルームを備える、従来の4WDを凌ぐ悪路走破力と高い信頼耐久性を持つ4WD機構を開発し装備する、日本国内はもちろん海外にも通用する国際感覚を持たせる、という商品コンセプトを掲げた。
■“大角鹿”の車名を冠して市場デビュー

開発陣は試行錯誤を繰り返しながら、1981年9月にはついに新ジャンルのSUVのリリースにこぎつける。車名は「ロデオ・ビッグホーン」を名乗った。ビッグホーンはロッキー山脈に生息する大角鹿の名前。ワイルドで力強いルックスと高い走破性にちなんで、このネーミングを採用した。未知の分野のクルマで、しかもピックアップをベースとしたことから、デビュー当初のロデオ・ビッグホーンは車種ラインアップを2ドアのバン(ホイールベース2300mmのショートと同2650mmのロング)およびソフトトップ(同2300mm)の3タイプに絞る。搭載エンジンはC223型2238cc直列4気筒渦流室式ディーゼル(73ps/14.2kg・m)を採用。駆動システムにはFRと4WDの切り替えが可能なパートタイム式を導入した。

意気揚々と市場に放たれたロデオ・ビッグホーン。しかし、当時の市場での注目度はいまひとつだった。1980年代初頭は各メーカーから高性能スペシャルティカーが続々とデビューし、流麗なスタイリングやハイパワーのスペック、ハイテク機構などがモノをいう時代で、ロデオ・ビッグホーンのキャラクターはやや地味に映ったのだ。また、ピックアップ譲りの走りも非力な印象。ルックスについても、英国のレンジローバーに似ていたために“プアマンズ・ローバー”という不本意なニックネームがついてしまった。悪いことは重なるもので、さらにロデオ・ビッグホーンには強敵が出現する。三菱自動車工業が開発したパジェロ(1982年4月デビュー)だ。ルックスはロデオ・ビッグホーンよりも強面で目立ち、車種ラインアップも豊富。結果的に販売成績は、パジェロの後塵を拝することになった。
■“新生ビッグホーン”の登場

市場でのシェアを拡大しようと、いすゞの開発陣は工夫を凝らしたロデオ・ビッグホーンの改良を画策する。まず車種ラインアップでは、SUVとしての特性を強調するために乗用モデルのワゴンの設定を決断。内外装は既存のバンよりも大幅にグレードアップさせ、とくにシートの座り心地の引き上げや装備類の充実にこだわった。搭載エンジンについては、主力ユニットのC223型ディーゼルにターボチャージャーを装着。加えて過給圧が高まると排気を逃がしてタービンの回転を調整するウエストゲートを採用し、低回転域から高回転域までのフラットなトルク特性を実現した。パワー&トルクの数値は87ps/18.7kg・mにまでアップする。高出力化に合わせて制動性能も見直し、マスターバックの拡大(7インチ→8インチ)やプロポーショニングバルブの採用などを敢行した。一方、シャシーについても徹底したリファインが図られる。前・ダブルウィッシュボーン/後・縦置半楕円リーフのサスペンションはチューニングを見直し、ピッチングを最小限に抑えた設定に変更。スタビライザーバーのサイズアップも実施する。タイヤは既存の6.00-16-6PRLT/H78-15-4PRに代わって215SR15を装備した。
1984年1月、ロデオが省かれて単独ネームとなった“新生ビッグホーン”が満を持して市場デビューを果たす。“ザ・リアル・ステーションワゴン”と称する2ドアのワゴンモデルはショートとロングの2タイプがラインアップされ、ともにエンジンはターボチャージャー付きC223型ディーゼル(C223-T型)が積み込まれた。さらに1985年6月になると、燃料タンクの増量(50L→83L)や5速MTの搭載、4ZC1型1994cc直列4気筒OHCガソリンエンジン(105ps/16.6kg・m)仕様の設定などを実施。翌7月にはロングボディの4ドア化を図った。
■「イルムシャー」と「ロータス」の登場

乗用モデルの追加によって、商品力がアップしたビッグホーン。しかし、販売成績は伸び悩み続けた。市場でのSUVの注目度は“ヨンク”と称されて急上昇したものの、その人気はビッグホーンよりも三菱パジェロやトヨタ・ハイラックス・サーフといったドレスアップ映えする後輩たちに集中してしまったのである。

いすゞはテコ入れ策として、海外ブランドの活用を選択する。まず第1弾として、ドイツのチューンアップメーカーであるイルムシャー社と提携。1987年10月にはイルムシャー社が足回りをセットし、レカロ製シートとモモ製ステアリングを装着したビッグホーン・イルムシャーを発売する。また、搭載エンジンに4JB1-T型2771cc直列4気筒OHC直噴ディーゼルターボ(110ps/23.0kg・m。後にインタークーラーが付いて115ps/24.0kg・mにアップ)を設定。さらに、ラグジュアリー仕様のエクスポートをラインアップした。1988年6月になるとオーバーフェンダーを備えたイルムシャーRを追加。
1988年11月にはイルムシャーGとSを設定し、Gにはガソリンエンジンの4ZE1型2559cc直列4気筒OHC(120ps/20.0kg・m)を搭載する。1990年1月には、オンロード性能を高めた最上級バージョンとしてロータス社が足回りを仕立てたスペシャルエディション・バイ・ロータスをリリースした。
車種設定の積極的な拡充を図り、SUVとしての評価も高まったビッグホーンは、1991年12月になると全面改良が実施され、より高性能で高品質な第2世代に移行する。そして、いすゞならではの堅実なSUV造りと息の長いモデルライフは、2代目にもしっかりと受け継がれることとなったのである。
【著者プロフィール】
大貫直次郎
1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。