第7回 小さく金の文字で「MOEGARA」/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

 

第7回 小さく金の文字で「MOEGARA」

 

 とある会食で、その会で一番偉い人が「燃え殻さんに絶対喜んでもらえると思って、今日持ってきたものがあるんですよ」と言って、ブランド物の紙袋に入ったプレゼントを渡してきた。

 

 「絶対喜んでもらえると思って」という前フリは、かなり危険だ。「えー、すみません」とかなんとか言いながらそれを受け取る。「開けて、開けて」偉い人がそう急かしてくる。

 

 笑顔を絶やさぬよう、あくまでも自然な態度を心掛け、僕は包装紙を破かないように慎重に箱を開けた。そこにはブルーの革張りの文庫本カバー。

 

「おお……」自然な微笑みが底を尽き、あまりにも棒読みの一行しか言葉が出てこなかった。

 

「あれ? 喜んでない? ない?」偉い人の顔が一瞬にして曇る。「いやいやいやいやいやいや(五万回)」僕はマッハで否定し、「文庫のカバーって自分ではなかなか買わないんで嬉しいです! いや本当に嬉しい! かなり嬉しい!」と念押しするように言った。

 

「俺、ブルー、好きなんだよねえ」ギリギリ機嫌が戻った偉い人がそう言ったとき、「お前が好きでどうすんだ!」と瞬時に言葉が漏れそうになったが、「へえ〜、そうなんですね〜」となんとか振り絞って返した。

 

 どんなときでも、リアクションをしっかりきっちりできる人は大人だ。

 

 リアクションは、相手に誠意を伝えるツールだ。社会で生きていくには、自分の気持ちを正直に表すことよりも、相手の機嫌を損なわない所作のほうが大切になる。

 

 どんな場面でも、相手が欲しいリアクションをサラッとできるようにしておくことは、あらゆるマナー講座で必須項目にしたほうがいい気がする。

 

 

 前に映画好きの女性と一緒にテアトル新宿で映画を観たことがあった。

 

 彼女は、いわゆる単館映画と呼ばれる種類の映画をよく観に行く人で、その日一緒に観た映画も、ちょっと古いモノクロの日本映画だった。

 

 前日、僕は午前三時過ぎまで原稿を書いていたということもあり、映画の中盤から信じられないくらいの睡魔に襲われる。暗闇の中で、ふと彼女のほうを見ると、映画に見入っているのがわかる。

 

 首を左右にバキバキと鳴らし、大きく一回深呼吸。「眠気よ去れ」と念を込め、もう一度スクリーンに目をやった。

 

 そこまでは覚えているのだが、そこから映画が終わるまでの記憶が朧げだ。気づくと、エンドロールが流れはじめ、壮大な音楽が聴こえていた。

 

 恐るおそる彼女のほうを見ると、真剣な顔といえば真剣な顔、つまらなそうな顔といえばつまらなそうな顔で、スクリーンを観ていた。こちらはすっかり寝てしまい、感想など言えるわけがない。

 

 しかし、彼女の表情からは映画の良し悪しが伝わってこない。「終わり」という文字がスクリーンに大きく映し出され、場内が明るくなる。

 

 彼女がこちらを見る。僕も彼女のほうを見る。少し微笑み、小さく頷いた彼女。これはきっと「この映画、良かった」の表情だと察しながら、映画館を出た。

 

 大きく伸びをしながら彼女が「良かったよねえ〜」と言う。「良かったよねえ〜」の「たよねえ〜」くらいから被せるように僕も「よねえ〜」と合わせ、「いや〜、脚本から役者まで全部最高だったわ」と付け足した。

 

 すると間髪入れずに彼女が「寝てたのに?」とニヤッと笑って訊いてくる。「ん?」と僕。

 

 

 夕暮れの新宿三丁目付近。行き交う車の音だけが聞こえていた。

 

「いや、まあ、ところどころ寝てた可能性が高いけども……、だいたい起きてましたよ」と、しどろもどろになりながらごまかす。

 

 リアクションは、相手に誠意を伝えるツールだ。社会で生きていくには、自分の気持ちを正直に表すことよりも、相手の機嫌を損なわない所作のほうが大切になる。

 

 ただ、正直に自分の心情を伝えるほうが、結局、相手に誠意が伝わるということもまた事実だ。

 

 

【燃え殻「もの語りをはじめよう」】アーカイブ

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

第6回 古い野球カードと博士の笑顔/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

第6古い野球カードと博士の笑顔

 

 僕がJ-WAVEでナビゲーターを務めているラジオ番組『BEFORE DAWN』に、「ほとんどの努力は報われないのに、なぜ努力をしないといけないんですか?」という教会に持ち込んでほしいくらいの重い内容のメッセージが、先日届いた。

 

 たしかにそうだ。ほとんどの努力は報われない。頑張った全員の願いが成就してしまったら、成就で世界は溢れかえってしまう。

 

「今回、受験勉強をちゃんとみんな頑張ったので、全員合格にしました」なんてことは現実では起きない。同じような内容のメールが毎週のように届く。

 

 きっと、人が日々考え、悶々とする永遠のテーマなのかもしれない。僕は番組中に、あーだこーだと言いながら、いつも同じようなことを言って、お茶を濁す。「努力できる場所とチャンスがあるなら、せっかくだからやってみるというのはどうだろう?」ただそれだけのことを、毎回言っている気がする。

 

 

 高校のとき、「博士」というあだ名のクラスメイトがいた。

 

 彼は昼休みになると、保健室に行って、太いシャープペンシルのような注射器で、自分でお腹あたりに注射を打つ。彼は生まれつき、糖尿病を患っていた。

 

 彼が注射しているのは、インシュリンというやつで、毎日ほぼ決まった時間に打たないといけない。友達と呼べるほど親しくはなかったが、なぜか彼はときどき「保健室まで付き合ってよ」と僕を誘った。

 

 保健室のベッドに腰掛けて、慣れた手つきで注射を済ます彼を見ながら、「痛くないの?」とか「間違ったとこ打ったりしないの?」と毎回のように訊いていた気がする。

 

 彼は「ここあるじゃん、わかる?」などと言いながら、注射器を僕に見せて、詳しく説明してくれた。「博士」というあだ名は、彼が勉強が誰よりも出来たことと、銀ぶちメガネをかけていたところからついた。

 

 あるとき、彼のことを面白く思わないクラスの男子数名が、休み時間に彼の座席の周りを囲んだ。座ったままの彼は無言だ。他の生徒たちは遠目に様子を伺っている。僕も見てみぬふりをしてしまう。「やめてよ!」しばらくすると彼の悲痛な声が教室に響き渡った。

 

 彼の席を囲んだ男子たちが、彼の鞄の中の物を床にばら撒いていた。ある者は、彼の弁当を蹴飛ばし、ある者は教科書を遠くに投げ捨てる。

 

 その中のひとりが、彼のインシュリンの注射器を見つける。僕は思わず席を立つ。彼が必死にそれを取り返そうと手を伸ばした。「やめなよ!」と僕や周りの数人もそれには声を出した。が、注射器を持っていた男は、教室の窓から、それを校庭に向かってフルスイングで投げてしまった。

 

 彼はその光景を見て、卒倒してしまう。あとから彼に訊いたら、過呼吸を起こしてしまったらしい。

 

 結局、その事件は大問題になり、関わった生徒たち全員の親が学校に呼ばれる事態にまで陥る。彼はその後、しばらくして引っ越すことになった。担任からは父親の仕事の関係という話だったが、「本当は卒業までいたかった」という旨の電話を、数ヶ月後に僕はもらう。

 

 

 彼が三十歳で亡くなっていたという事実を知ったのは、卒業して二十五年経って、フェイスブックで繋がった同級生からだった。

 

 彼は西武ライオンズのファンで、二軍の選手までほとんどフルネームで言えた。将来は、西武ライオンズに関わる仕事に就きたいと、かなり本気で言っていたことを憶えている。保健室で、古いプロ野球カードを特別に見せてくれたときの、彼の笑顔は忘れられない。

 

 

「ほとんどの努力は報われないのに、なぜ努力をしないといけないんですか?」というメッセージには、「努力できる場所とチャンスがあるなら、せっかくだからやってみるというのはどうだろう?」と答えるしかない。

 

 彼はきっと、たくさん努力したかったはずだ。本当は野球選手を目指したかったのかもしれない。わからない。努力をすれば必ず叶う、とは言い切れない。ほとんどの努力は報われないだろう。でも、生きて、努力ができるということは、とても幸せなことだと思う。

 

 運があるとかないとか言っても仕方がないが、あえて言えば、努力ができるということは相当に運がいい。努力できる場所とチャンスがあるなら、せっかくだからやってみるのはどうだろうか。頭の良かった彼ならきっと、僕にそう諭すだろうなと思って、いつもそう答えることにしている。

 

 

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イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

第5回 アーティスト業と呼ばれる人々/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

第5アーティスト業と呼ばれる人々

 

 四ツ谷の路地を入ったところにある居酒屋で、某映画監督と飲み、「そろそろ行きましょうか」と店を出た。

 

 目の前の横断歩道をとりあえず渡りながら、「二軒目どうですか?」と声をかけようと振り返ると、そこに監督の姿がない。周りを探してみたが、見当たらない。慌てて電話をしてみるが、まったく繋がらない。

 

 しばらく待ってみたが、電話はかかってこなかった。仕方がないので、そのまま電車に乗って帰っていると、「ちょっと他で飲んできまーす!」と陽気なメールが監督から届いた。死んでなくてよかった、とだけ一応返信をした。

 

 それにしても自由だ。全然イヤじゃないが、あまりに突然消えるので驚いてしまった。いわゆる「アーティスト業」といわれる職業に就いている方々は、とにかく桁外れに自由な人が多い。全員じゃないが、結構いると思う。

 

 

 前に「飲み会の途中にお金も払わずに突然消える、面倒な人らしい」と評判の某ミュージシャンの男性と飲んだことがあった。

 

 ふたりで白ワインを一本くらい開けたところで、「ちょっとトイレに行ってきます」と彼は席を立つ。「きた! 消える気だ!」と確信した僕は、トイレまでトボトボ歩いていく彼を凝視していた。お水をふたつ頼んだあとも、僕はカウンターに座りながらトイレから目を離さない。

 

「ガチャ」とトイレのドアが開き、彼はこちらにピースを送りながら、ニコニコ笑って千鳥足で戻ってきた。

 

「いい人じゃないか」僕は思わずそうつぶやいてしまう。そしてそのあとも、ふたりで白ワインのデキャンタを飲み干し、今度は僕がトイレに立つ。かなり話も合い、気も合ったので、二軒目どこにしようかなと思いつつ、僕はトイレから戻る。

 

 すると、カウンターに座っていたはずの彼の姿がない。

 

「えっ……?」と呆然としているとバーテンダーに、「お連れの方が、お支払いを済まされて、帰られました」と告げられた。僕はすぐに彼に電話をかけたが繋がらない。お礼のメールを慌てて入れるが、返信はなかった。

 

「あのう……」とバーテンダーが恐るおそる僕に話しかけてくる。

 

「これを預かっております」そう言って、僕のテーブルの前に、CDを一枚、スーッと差し出した。

 

 CDには付箋が貼ってあり、「今日は楽しかったです。新譜になります。自信作なんですが、面と向かってお渡しするのが恥ずかしいので、先に帰ります」と殴り書きのような文字で書かれていた。僕はもう一度電話をかける。

 

 するとワンコールで彼は出た。「いま、タクシー乗りました」と彼。僕は奢ってもらったことと、CDを頂いたことのお礼を伝えた。「とっても、自信作なんで……、よかったらラジオでかけてください。すみません、また!」と、彼は一方的に言うと電話はすぐ切れた。

 

 

 彼に対する噂は、半分当たっていて、半分ハズレていた。

 

 桁外れに自由な人も、なんとか一生懸命ビジネスのことも考えようと努力していて、それはそれで、しみじみとしてしまった。自信があるんだかないんだか、律儀なんだか、不義理なんだか。

 

 とにかく「なんだか」が一杯な気持ちになる。そのとき頂いたCDを、後々聴いたら本当に素晴らしくて、J-WAVEの自分の番組で本当にかけてしまった。

 

 そういえば昨日、四ツ谷で消えた某映画監督から深夜に長い巻き物のようなメールが届いた。

 

 巻き物を要約すると「この間はごめんなさい。楽しい夜だったので、思わず消えてしまいました。あと今度出る週刊誌に、燃え殻さんの小説の批評を書いたんだけど、読まないでください」とのことだった。それを読んで、僕はまたまたしみじみ、「なんだか」が一杯な気持ちになった。

 

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

第4回 なんの変哲もない、魔法の石/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

第4回 なんの変哲もない、魔法の石

 

 それは僕が小学校二年の下校時の話。季節は春と夏の間くらいだったはずだ。

 

 「これは、なにがあっても無くさないでよ。守ってくれるんだから。なにかあったらギュッと握るんだよ」

 

 そう言ってMくんは、僕に碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石を渡してきた。一度も同じクラスになったことのないMくんと、初めて一緒に帰った日のことだった。

 

 その後、四十年以上経っても、一緒に飲んだり、旅行をしたりする間柄になるとは、もちろんそのとき思うわけもない。

 

 「この石どうしたの?」と僕が訊くと、「魔法の石。お母さんの田舎の三重で見つけたんだ」と言う。

 

 「へー……」僕はまじまじとなんの変哲もない丸い白い石を見る。

 

 本当になんの変哲もない石だった。ただ、その頃はそんなことを言っている場合ではなかった。僕はその石を、早速ギュッと強く握った。

 

 

 一日の始まり、自分のクラスに入って、まずすることは、自分の椅子や机を見つけることだった。だいたい誰かが椅子を二重にして座っている。机は教壇の近くでひっくり返されて、花瓶や黒板消しなどがその上に乗っかっているのが日常だった。椅子と机それぞれを自分の場所まで戻していると、担任教師が教室に入ってきて、「ちゃんと座りなさい!」と僕に注意をする。

 

 担任教師も薄々わかっていたとは思うが、いじめがどうしたこうしたというより、面倒なことをクラスに増やす僕の存在に、日々イライラしているように見えた。

 

 そもそも僕がいじめに遭う原因は、円形脱毛症のひどいのにかかったことからだった。

 

 最初、髪の毛はまだらに抜けて、眉毛やまつ毛はきれいに抜け落ちた。朝起きると、枕にゴッソリと髪の毛が抜けていたときもあった。

 

 気になって、逆に髪の毛を掴んで引っ張ることが癖になる。すると毎回抜けた髪の毛が、指の間にゴッソリとへばりつく。三面鏡で確認すると、円形のハゲが後頭部に点在していた。

 

 原因は結局未だに不明。ステロイドの塗り薬は欠かさなかったが、そのあとも髪の毛は抜けつづけ、結局すべて抜けてしまった。そんな姿で学校に行けば、いじめられないわけがなかった。

 

 僕に触ると髪の毛が抜け落ちるというゲームが流行って、僕が歩いていると、誰かが僕を強く押してくる。よろけた僕が、誰かに触りそうになる。すると触られそうになった誰かが、「うああ〜」と悲鳴を上げながら逃げたり、「キャ〜!」と大爆笑が起きたりしていた。

 

 手を叩いて笑う女子たちの中には、僕が好きだった人もいた。

 

 そのゲームはクラスどころか、学年で流行ってしまう。そうなると、下校時も気が抜けない。所構わず誰かが突然、僕を突き倒そうとしてくる。そしてまた、「うああ〜」とか「キャ〜!」がはじまる。

 

 あるとき、僕は下駄箱で警戒しながら上履きから外履きに履き替え、帰宅しようとしていた。

 

 すると、ちょうど帰ろうとしていたMくんと目が合う。「一緒に帰ろうよ」とMくんはニコッと笑った。

 

 校内で、悪意のない笑顔を向けられたのは久しぶりだった。

 

 「ありがとう」と僕は礼を言う。「ん?」みたいな反応をMくんは示し、「駄菓子屋でも寄らない?」と持ちかけてきた。

 

 駄菓子屋で、「ぷくぷく」というカステラにチョコレートがかかった駄菓子を食べていたとき、改めてMくんに「一緒に帰ってくれてありがとう」と伝える。「ん? どうして?」とMくん。「だって俺、いじめられているから……」と答える。「えっ! いじめられてるの?」Mくんは本当に驚いたという顔をして、「どうして?」とつづけた。

 

 どうしてもなにも。すっかり髪の毛が抜けたツルツルの頭を指さし、「こんな見た目だからさ」と笑う。「それだといじめられるの?」目を丸くしてMくんは、僕にそう訊いてきた。「多分……」だんだん僕もわからなくなってくる。それどころか、そのやりとりが面白くて笑いが込み上げてきてしまう。

 

 

 もしかしてあのとき、僕は泣いていたのかもしれない。でも、記憶の中の僕は、とにかく笑っている。思い出せない。忘れてしまった。

 

 ただ、心から嬉しかった気持ちを憶えている。

 

 Mくんは突然神妙な面持ちとなり、「これは、なにがあっても無くさないでよ。守ってくれるんだから。なにかあったらギュッと握るんだよ」

 

 そう言って僕に、碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石を渡してきた。

 

 僕は受け取ったその石を強く握る。

 あれから四十年以上経った。Mくんとはいまでも一緒に飲んだり、旅行をしたりする間柄だ。あの碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石は、いまでも実家の本棚に飾ってある。

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

第4回 なんの変哲もない、魔法の石/燃え殻「もの語りをはじめよう」連載

第4回 なんの変哲もない、魔法の石

 

 それは僕が小学校二年の下校時の話。季節は春と夏の間くらいだったはずだ。

 

 「これは、なにがあっても無くさないでよ。守ってくれるんだから。なにかあったらギュッと握るんだよ」

 

 そう言ってMくんは、僕に碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石を渡してきた。一度も同じクラスになったことのないMくんと、初めて一緒に帰った日のことだった。

 

 その後、四十年以上経っても、一緒に飲んだり、旅行をしたりする間柄になるとは、もちろんそのとき思うわけもない。

 

 「この石どうしたの?」と僕が訊くと、「魔法の石。お母さんの田舎の三重で見つけたんだ」と言う。

 

 「へー……」僕はまじまじとなんの変哲もない丸い白い石を見る。

 

 本当になんの変哲もない石だった。ただ、その頃はそんなことを言っている場合ではなかった。僕はその石を、早速ギュッと強く握った。

 

 

 一日の始まり、自分のクラスに入って、まずすることは、自分の椅子や机を見つけることだった。だいたい誰かが椅子を二重にして座っている。机は教壇の近くでひっくり返されて、花瓶や黒板消しなどがその上に乗っかっているのが日常だった。椅子と机それぞれを自分の場所まで戻していると、担任教師が教室に入ってきて、「ちゃんと座りなさい!」と僕に注意をする。

 

 担任教師も薄々わかっていたとは思うが、いじめがどうしたこうしたというより、面倒なことをクラスに増やす僕の存在に、日々イライラしているように見えた。

 

 そもそも僕がいじめに遭う原因は、円形脱毛症のひどいのにかかったことからだった。

 

 最初、髪の毛はまだらに抜けて、眉毛やまつ毛はきれいに抜け落ちた。朝起きると、枕にゴッソリと髪の毛が抜けていたときもあった。

 

 気になって、逆に髪の毛を掴んで引っ張ることが癖になる。すると毎回抜けた髪の毛が、指の間にゴッソリとへばりつく。三面鏡で確認すると、円形のハゲが後頭部に点在していた。

 

 原因は結局未だに不明。ステロイドの塗り薬は欠かさなかったが、そのあとも髪の毛は抜けつづけ、結局すべて抜けてしまった。そんな姿で学校に行けば、いじめられないわけがなかった。

 

 僕に触ると髪の毛が抜け落ちるというゲームが流行って、僕が歩いていると、誰かが僕を強く押してくる。よろけた僕が、誰かに触りそうになる。すると触られそうになった誰かが、「うああ〜」と悲鳴を上げながら逃げたり、「キャ〜!」と大爆笑が起きたりしていた。

 

 手を叩いて笑う女子たちの中には、僕が好きだった人もいた。

 

 そのゲームはクラスどころか、学年で流行ってしまう。そうなると、下校時も気が抜けない。所構わず誰かが突然、僕を突き倒そうとしてくる。そしてまた、「うああ〜」とか「キャ〜!」がはじまる。

 

 あるとき、僕は下駄箱で警戒しながら上履きから外履きに履き替え、帰宅しようとしていた。

 

 すると、ちょうど帰ろうとしていたMくんと目が合う。「一緒に帰ろうよ」とMくんはニコッと笑った。

 

 校内で、悪意のない笑顔を向けられたのは久しぶりだった。

 

 「ありがとう」と僕は礼を言う。「ん?」みたいな反応をMくんは示し、「駄菓子屋でも寄らない?」と持ちかけてきた。

 

 駄菓子屋で、「ぷくぷく」というカステラにチョコレートがかかった駄菓子を食べていたとき、改めてMくんに「一緒に帰ってくれてありがとう」と伝える。「ん? どうして?」とMくん。「だって俺、いじめられているから……」と答える。「えっ! いじめられてるの?」Mくんは本当に驚いたという顔をして、「どうして?」とつづけた。

 

 どうしてもなにも。すっかり髪の毛が抜けたツルツルの頭を指さし、「こんな見た目だからさ」と笑う。「それだといじめられるの?」目を丸くしてMくんは、僕にそう訊いてきた。「多分……」だんだん僕もわからなくなってくる。それどころか、そのやりとりが面白くて笑いが込み上げてきてしまう。

 

 

 もしかしてあのとき、僕は泣いていたのかもしれない。でも、記憶の中の僕は、とにかく笑っている。思い出せない。忘れてしまった。

 

 ただ、心から嬉しかった気持ちを憶えている。

 

 Mくんは突然神妙な面持ちとなり、「これは、なにがあっても無くさないでよ。守ってくれるんだから。なにかあったらギュッと握るんだよ」

 

 そう言って僕に、碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石を渡してきた。

 

 僕は受け取ったその石を強く握る。

 あれから四十年以上経った。Mくんとはいまでも一緒に飲んだり、旅行をしたりする間柄だ。あの碁石のように丸い、ツルツルした小さな白い石は、いまでも実家の本棚に飾ってある。

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

燃え殻「もの語りをはじめよう」連載/第3回 実家の冷蔵庫は魔境だ

第3回 実家の冷蔵庫は魔境だ

 

 実家の冷蔵庫は魔境だった。

 

 母はとにかくものを捨てない。袋麺に入っていた粉末スープの残り、スーパーで買った寿司に付いていたガリの小袋、惣菜に付いていたソースの小袋。いろいろなドレッシングも半分くらいなくなると、新しいなにかしら別の味のドレッシングを買い足すので、そのまま冷蔵庫の中で墓標と化す。

 

 ラップに包まれた野菜の切れ端が完全に水分を失って、なんの野菜だったか当てるのが難しい形状になっていたり、プラスチック容器に入った時を越えた煮物らしきものがあったり。と思うと、いきなりのリアルゴールドが二本、冷蔵庫の奥の奥に収納されていたこともあった。

 

 僕が小学生だった頃、魔境の中で別のなにかに変化した食べ物たちを、母が買い物などで家にいない時間を見計らって、妹と一緒に大量にゴミ箱に捨てていた。

 

 ときどき母が、どんなに片付けても満員御礼の冷蔵庫の中をくまなく観ながら、「あれ……、スープの素ってなかった?」と、僕や妹に聞いてくることがあった。

 

 妹は「あの奥の奥にあった、スープの素のことを一瞬でも思い出すなんて、すごいわ」と、なにを感心しているのか、もうわからなかったが、次はこの間捨てた「蒸したさつまいもだったもの」を思い出すかもしれないなどと、母の行動から目が離せなくなっていた。

 

 

 五年前、母はがんをわずらった。術後、家族が呼ばれ、医者から、「これがいま、手術で切除したものになります」と、母の内臓だったものの現物を、見せてくれた。切除した量の多さに、母のお腹の中には、もう何も残っていないんじゃないか? と真剣に思ったほどだ。

 

 その後、長い入院を経て、いまも継続的に治療中だ。放射線治療のあとなどは、数週間に渡って、後遺症に悩まされる。父から、夜中に倒れたというメールをもらったのは、一度や二度ではない。だんだん食事の量も減ってきている。

 

 この間、実家に戻ったとき、母がトイレで席を外している間に、ふと冷蔵庫を開けてみた。冷蔵庫の中身は、まるで引っ越した初日かのように、ほとんど食べ物はなく、少々の調味料と果物の切れ端、たまごのパック。それに牛乳とヨーグルトのカップが二つあるだけだった。父が、「お母さん、ここ数日、おかゆを少し食べられるようになってきたんだよ……」と笑っていた。

 

 年老いた両親のふたり暮らし。それも母はかなり痩せて、お茶碗一杯ほどのお粥も食べられないような状態だということが、冷蔵庫のあり様でいやでも伝わってきた。父も、母に付き合って、一緒にお粥の生活をしているとのことだった。

 

 そのときトイレから母が帰ってくる。「なにか食べるでしょ? あれ、おそうめんとかなかったっけ? ああ、スープの素とかあったら、なにかすぐに作れるんだけど……」と言いながら、よいしょと母が冷蔵庫を開けた。「ああ、ごめんね。なにもないわ」と寂しげに言う。「食べてきたから大丈夫だよ」とだけ僕は返した。

 

 

 あの頃、実家の冷蔵庫は魔境だった。母はとにかくものを捨てない。どこかでもらったお饅頭まんじゅうの食べかけに、クリスマスから一週間経ってもあったショートケーキの残骸。賞味期限を見たら、いまが何年か一瞬わからなくなる生麺の焼きそば。

 

 パートで忙しかった母が、僕と妹のお弁当のおかずのために、作り置きをしてくれていた煮物や卵焼き。母はアイスクリームが大好きで、こっそり冷凍庫の奥に箱入りのピノをよく隠していた。

 

 僕と妹は、たまにそれを見つけると、こっそり一つか二つだけ盗み食いをするのが楽しかった。一度それが見つかって、すごい剣幕で僕と妹は怒られたことがある。懐かしい。

 

 パートが早く終わると、一度家に戻ってきた母が買い物に出かける。僕と妹はそのタイミングで、冷蔵庫の中の、二度と食べそうにないものを選別して、ゴミ箱に捨てていた。

 

 

 捨てても捨てても、母の食べたいものと、母が僕たちに食べさせたいもので、冷蔵庫の中は常に食べ物でいっぱいだった。ほとんどなにも入っていない冷蔵庫の中を眺めている母を見ながら、あの頃の僕たち家族の出来事を、しばらく思い出していた。

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

燃え殻「もの語りをはじめよう」連載/第2回 VHSテープの背表紙には「ベスト集」

第2回 VHSテープの背表紙には「ベスト集」

 

 前世や、あの世の存在をそんなに信じているほうではないのだが、何度も見る夢があって、それが妙にリアルで頭に残っている。

 

 その夢の舞台は、多分アメリカの西海岸辺り。「西海岸」と、どこかに漢字表記されているわけではないが、「西海岸」ということを夢の中の僕は毎回、覚えている風。

 

 木造の二階建ての家に僕はいる。窓からは砂浜が見え、その先には真っ青な海が広がっている。水平線の先まで、船ひとつ見えない。雲もなく、空の青と、海の青の境はどこかにじんで見える。

 

 僕は古いデッキチェアーに座って、ぼんやり外を眺めている。波の音が遠くで微かに聞こえる。あまりに穏やかな時間の過ぎ方で、僕はウトウトしてしまう。夢の中だとわかっているのに、その夢の中で、僕はウトウトしている。

 

 そこで、フッと必ず目が覚める。まったく嫌な気持ちではない、不思議と穏やかな気持ちに包まれながら、「またあの夢だったなあ」と思う。

 

 この夢を見始めたのは、多分就職してからなので、二十数年前ということになる。正確ではないが、二年に一度くらいは見ている気がしている。

 

 どこかの誰かに、「前世で見た景色なんじゃないか?」と言われたことがある。前世自体、大して信じていないが、そうなのかもなあ……、くらいに思っていた。

 

 

 先日、久しぶりに実家に戻って、元自分の部屋だった、現在、物置き部屋の掃除をしていると、年季の入ったVHSテープが何本も出てきた。

 

 テープの背表紙には、「ベスト集」と油性ペンで書かれている。母親が「エロじゃない?」と迂闊うかつなことを言う。その考察はあながち捨てきれないが、思い切って古いビデオデッキを接続させて、テープを入れ、再生ボタンを押してみる。

 

「キュルル……」と不穏な音がして、巻き込んでしまったのかと思って、一度パカッとテープの挿入口を確認するが大丈夫そう。画面が切り替わり、再生がはじまった。

 

 歪んだ映像から、流れはじめたのは、テレビ東京の深夜に放送していた『モグラネグラ』。穴井夕子さんの爆笑する姿が懐かしい。

 

 プツッ、と映像は変わり、今度は全日本プロレス中継が流れはじめる。三沢光晴がまだ若い。ダニー・スパイビーという外国人選手がドタドタとリングを闊歩かっぽし、スパイビースパイク(要するにDDT)を決めた。

 

 なにをもって「ベスト集」としたのか? と当時の自分に訊いてみたくなったが、とにかく三十年くらいのときが経つと、たしかに紛れもなくすべての映像が、ベスト級だった。

 

 そしてまた画面が変わって、神奈川テレビ(TVK)が映る。覚えのないCMが映し出された。どこまでもつづく白い砂浜。真っ青な海、そして真っ青な空。「西海岸」という白文字のテロップが画面の下に入った。そして、初老の外国人男性が古い木造の家のバルコニーで、ハンモックを揺らしながら読書をしている。

 

 僕はその辺りまで観て、「あっ!」と思わず声が出た。砂浜のほうから白いビキニギャルが手を振ってハンモックの外国人男性に近づいていく。男性はゆっくりとタバコに火をつけ、「う〜ん、うまい」という感じで、ぷはあぁっと煙を吐いた。僕は、「ああ……」と頷きながらすべてを理解した。

 

 長年、僕が見てきたあの夢は、前世で見た景色ではなく、神奈川テレビの深夜に流れていたCMだった。画面がまた切り替わる。

 

 一回、砂嵐になって、再び映り出したのは、とあるバンドの演奏だった。僕が学生時代に一曲か二曲ヒットしたバンドのライブ映像。ボーカルがシャウトする。激しく動きすぎて、カメラが追いつかない。スタジオの観客たちはポカン顔でそれを眺めていた。

 

「ああ、いつかバンドやりたい」とその演奏を観ながら思ったことを思い出していた。

 

 

 そのバンドがその後どうなったのか、Wikipediaで調べてみた。バンドは1999年に解散。ボーカルの男性は亡くなっていた。演奏の最後、ドラムセットを破壊するボーカル。ギターやドラムも不満げな顔でカメラの前から去っていく。

 

 彼らの姿は、2024年の僕にはやけに感傷的でカッコよく映った。VHSから再生される映像だったからなのかもしれない。バンドの行く末がわかっているからなのかもしれない。今夜夢に出てきそうなくらいカッコいい映像だった。「ああ、いつかバンドやりたい」と、性懲りもなく僕はまた思った。

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生

燃え殻「もの語りをはじめよう」連載/第1回「もの」語りをはじめよう

第1回 「もの」語りをはじめよう

 

 実家にはだいたい、芥川賞と直木賞受賞作品があった。父が気づくと買ってくるからだ。父が読書家だったというわけではない。とにかくミーハーだった。

 

「今回の芥川賞と直木賞はこれだ!」そう言って、テーブルの上にトンと二冊置かれる。妹と僕は「ああ……」ぐらいのリアクション。母は「もういいわよ」くらいの反応だが、父だけは毎回、「これがいま一番すばらしいものだからな」と一言付け加えた。

 

 出版社が号泣して喜ぶほどの賞至上主義者。もちろん買ってきた二冊を読んでいる姿は見たことがない。「買って満足、次またよろしく」なのだ。賞はこういう人のためにあるのか(違います)と、幼いころ僕はこの世界の仕組みを父から教えてもらった。

 

 母も負けじとミーハーだった。小学校のときの修学旅行前日。カッコいいTシャツを着てきたい、という漠然とした願いを母に告げる。

 

 母は、「いまから横浜の高島屋に行くから、カッコいいTシャツ買ってきてあげるわ」と言った。いまなら、「せめて一緒に買いに行け!」と助言するところだが、いまよりもさらに数十倍ぼんやり生きていたので、「黒色のカッコいいTシャツにして!」と、色指定までして母を送り出した。

 

 ほどなくして母が帰ってきて、「はい、カッコいい黒のTシャツ」と渡されたのは、もちろんカッコ悪い黒のTシャツだった。胸元には外国車の刺繍ししゅうのワンポイント。ワナワナと怒りに震えながら、「お母さん、ダサいよ! 車の刺繍がとってもダサいよ!」と抗議した。

 

 そのときすでに、外は真っ暗で、明日は修学旅行当日。万事休す。ダサTシャツを手に持ったまま、膝から崩れ落ちた僕は、「こんなの着て行かれないよっ!」と母に向かって泣きながら抗議する。

 

 すると母は、「アンタね。その胸元の車、ベンツよ。高級車よ!」と顔を真っ赤にして怒鳴り返してきた。「知るかっ!」瞬時にそう返していた。

 

 母はとにかく流行りに流される人だった。「これ、吉永小百合が愛用してるらしいわ」という謎情報を謎にゲットして、謎なのに値段の高いブランドのポーチを身につけたりしていた。

 

 

 そんなミーハー極まる両親に育てられた僕もまた、ミーハー極まる大人になった。いや、先月くらいまではなっていた。この連載を始めるにあたって、仕事部屋をよくよく見渡してみたら、さして思い入れのないものに囲まれて自分が日々生きていることに気づいてゾッとした。両親の血をしっかりひいていた。

 

 たとえば、机の上。なんとなく雰囲気で買ってしまった太陽の塔フィギュアが、こちらをガン見している。その横にはスパイダーマンのミニフィギュア。節操がない。冷蔵庫の中には、Amazonで箱で買ったエビアンが所狭しと収納されている。別にエビアンじゃなくてもいいが、エビアンだと落ち着く自分が哀しい。

 某量販店で買った間接照明は、とあるブランドの人気のデザインにそっくりだ。というか、そっくりだから買ったのだが、そのデザインを好きだったのか、インテリア雑誌によく載ってたから好きになったのか、もう自分でもわからない。まだ読んでない小説と雑誌もうず高く部屋のあちこちに積まれている。

 

 本の山の一番上には、洋書や海外の写真集。とあるバイヤーが「最近は写真集を集めてます」と言って紹介していたものをそのまま購入した。まったく父の芥川賞、直木賞のことを言えない。

 

「もの」についての物語の連載をはじめるにあたって、まずは身の回りの「もの」を吟味することからはじめようと思う。連載が進む中で、思い入れのあるものだけに囲まれる生活になることを祈っている。いや、そうしよう。だってもう五十を越えてしまったのだから。

 

イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生