唯一無二のホラー体験を作り出す「方南町お化け屋敷オバケン」の職人魂に玉袋筋太郎も感服!

〜玉袋筋太郎の万事往来
第27回「方南町お化け屋敷オバケン」・オバケン

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第27回目のゲストは、「方南町お化け屋敷オバケン」を運営する株式会社HLCの代表取締役、オバケンさん。閑静な住宅街を舞台にした唯一無二のお化け屋敷はどのように生まれたのか、その道程に玉ちゃんが迫る!

 

【公式サイト:http://obakensan.com/

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

 

「方南町遊園地化計画」の第一歩がお化け屋敷だった

玉袋 丸の内線の方南町駅から徒歩数分の場所に、お化け屋敷があるなんて全く知らなかった。先ほど見学させていただいたお化け屋敷も、外観は普通の肉屋だもんね。

 

オバケン 実際、肉屋と間違えて入ってくる方もいらっしゃいます。

 

玉袋 そもそも、どういう経緯で方南町にお化け屋敷を作ろうと思ったんですか。

 

オバケン グループ会社が飲食店や小売業を始め、いろんな事業をやっていて、もともと僕はフリーのディレクターをやっていたんですけど、この会社に入社したときに映像事業部のHLCを設立させていただいたんです。しばらく映像をやっていたんですけど、うちのボス(代表)から「商売のありがたみを分かってないんじゃないの? テナントを借りたから、自分の好きな商売をやってみろ」と言われたんです。

 

玉袋 太っ腹だね。

 

オバケン 条件は方南町でやることと、外注をしないで全て自分で作ること。それで、下手に専門外のお店を作るよりも、住宅街にディズニーランドみたいなのものがあったら面白いなと思って。町中を遊園地にしようということで、後の「方南町遊園地化計画」というプロジェクトに繋がっていくんですけど、まず何をするか考えたときに、ホラー映画が好きだったので、お化け屋敷をやったらヤバくないかと。

 

玉袋 ホラー系の映像も手掛けていたんですか?

 

オバケン 全くです。映像事業部で手掛けていたのはPVやCM、動画編集が中心で、ホラーは好きなだけ。しかもお化け屋敷どころかイベント業もやったことがなかったんです。でも、そういう経緯で手作りのお化け屋敷を始めて、今年で13年目になります。

 

玉袋 すごいですね!

 

オバケン 他にお化け屋敷を作る会社がないので、目立っているだけなんですけどね。今はボスが商店街の副理事を務めていて、町ぐるみで「方南町おばけまつり」というイベントも開催しています。

 

玉袋 いっそのこと、方南町に事務所がある中村獅童も入れちゃおう(笑)。オバケンのホームページを見たら、すごく凝った造りで、それまでのお化け屋敷のイメージとは違うよね。

 

オバケン もともと素人ですから、お化け屋敷の作り方も分からない。それで、いろいろお化け屋敷を見て回ったんですけど、大半が「ウォークスルータイプ」と言われるもので、施設内を歩くお客さんを脅かすのが主流だったんですけど、僕は映画が好きなので、どれだけストーリーに没入させるかみたいなところから、いろいろ考えました。

たとえば今オバケンでやっている「畏怖 咽び家」は、一軒家が舞台で殺人鬼が出てくるんですけど、まずサイトに行くと、予約するところから世界観が始まるんです。予約のボタンを押すと、「Y澤不動産」というダミーの不動産屋ページが出てきて。そこには訳の分からないヘンテコな間取りの物件がいっぱいあるんですけど、どれも予約済みになっているんです。1個だけ内覧予約ができるところがあって、それを押したら、ようやくチケットページに飛んで予約ができるんです。

 

玉袋 凝ってるなぁ。

 

オバケン 当日、方南町駅に行くと、不動産屋に扮したスタッフがお客様を出迎えて、「今から内見しましょう」とボロボロの家に連れて行って。そこで「お客さんなら特別に月の家賃1万円でどうですか」と持ちかけて、お客様が「お願いします」と言うと、「契約書を忘れたので取りに行ってきます」と、その場を不動産屋が出て行くところからスタートなんです。

 

玉袋 イントロからして惹き込まれるよ。

 

オバケン 実はその一軒家には、間借りしていた殺人鬼がオーナーを殺して住んでいる。お客様は40分間の中で、一軒家を脱出するために最大6人で謎を読み解いていくんですが、ウォークスルーではなくて、殺人鬼に見つからないように、自由にその部屋の中を移動することができる。いわば“かくれんぼ”なんです。殺人鬼は包丁を持って出て来るんですけど、見つかっちゃうと、その人だけ連れて行かれて、血まみれの風呂場の中に突っ込まれてしまう。その人は他の人が助けない限り、出てこられないんですよね。助けたり、隠れたりしながら、鍵を見つけて、開かずの部屋を開けて、そこで新たなアイテムが見つかったりして、そんな感じで脱走するまでが1章。その一軒家で、ストーリーは4章まであるんですよ。

 

玉袋 1回じゃ終わらないんだね。

 

オバケン 現在の「畏怖 咽び家」はシーズン5で、そのたびに内容を変えているんですけど、シーズン1「忘れられた家」では最初は料金が800円でした。当初はストーリーも1つだけだったので、そうすると1回クリアして終わりで、商売にならなかったんです。今は1回3000円なんですが、難易度も高くなっているので、2、3回チャレンジして、ようやく1章をクリアできる。

 

玉袋 なるほど。

 

オバケン 2章は、一軒家から逃げ切ったけど、家の中で聞こえてきた「助けて」という女性の声が気になって、助けに行くという設定で。そんな感じで3章、4章と続いていくので、お客様は「畏怖 咽び家」に何度も来ることになるんです。最終的に2メートルぐらいの深さの井戸が出てくるんですけど、その井戸も立ち上げメンバーの吉澤ショモジがスタッフ達と自力で掘って、コンクリで固めて、骨をパラパラ撒いて。そうやって何回も来てもらえるように、全部自分たちで作っていくのが常設とお化け屋敷ですね。

 

玉袋 そりゃ大変だね。常設の物件は幾つあるんですか。

 

オバケン 方南町は今お話しした一軒家と、先ほど見ていただいた肉屋。あと遊園地なのでお化け屋敷以外に「忍者屋敷シュリケン」という施設があります。港区にも、築90年の一軒家もあるので、都内に4軒です。

 

ずっと文化祭をやっているような感覚

玉袋 いやー、面白いビジネスだね。

 

オバケン 都内以外にも、うちは某所に廃キャンプ場を持っていて、そこで1泊2日の「ゾンビキャンプ」というのをやっています。あと宿泊施設を使った「ゾンビホテル」とか。それが割と当たって、いろいろな企業さんやテーマパークから、「うちでお化け屋敷はできませんか?」という依頼があるんです。たとえばサンリオピューロランドさんだったり、鹿島アントラーズさんのスタジアムだったり、海外でもシンガポールでやったり。

 

玉袋 いろんなところからオファーがあるんだ。『デッドライジング』みたいに本物のショッピングモールもやってほしいね。

 

オバケン やりたいんですけど、なかなか貸してくれないんです。

 

玉袋 東海汽船と組んで無人島もいいな。あと夕張炭鉱とか寂れた場所でやるのも面白いよね。

 

オバケン 夕張とかやりたいですね!

 

玉袋 大きなイベントが「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」ぐらいしかないから、お化け屋敷はいいよね。

 

オバケン お化け屋敷が良いのは、誰も使わない、使えないような場所を使えるところなんです。「咽び屋」で使用している一軒家も再建築不可物件で、新築が建てられないんです。誰も買わない、誰も借り手がいないからこそ、安く使えるんです。過去にはテレビ静岡さんや福島テレビさんから、社屋の建て替えのときに「何かできませんか?」というお話があって、テレビ局を全部血まみれにしました。

 

玉袋 いいね。それで言ったら、もう建て替えが始まっちゃったけど、新宿の小田急百貨店や、花園神社の隣に立ってた白鴎ビルでやってほしかったな。すぐにお化け屋敷ビジネスは軌道に乗ったんですか?

 

オバケン 金銭的には5年目ぐらいで、やっとやっていけるんじゃないか、みたいな。それまではお客様の入りは良かったんですけど、お金をかけ過ぎて、ずっとマイナスでした。初めて「ゾンビキャンプ」を開催したときも、イベント経験がなかったので、どうやってチケットを売るのかも分からず、当日支払いにしたら、半分ぐらいのお客様が来なくて赤字でした。

でもその間も、ずっとボスが応援してくれたんです。普通は新しい商売を始めるときって、マーケティングはどうとか、同じ事例はあるのかとかから始まるじゃないですか。

 

玉袋 でも、「オバケン」は全くないところから始まっているからね。

 

オバケン そうなんです。担保は「面白い」っていうだけですから。

 

玉袋 この会社自体のストーリーがもう映画だよ。

 

オバケン いろんな失敗を繰り返していくうちに、やっとイベントのやり方が分かってきて、徐々に収支も良くなっていきました。営業も全くしたことがないんですけど、「ゾンビキャンプ」をやったことでテレビでもたくさん紹介されて、それで企業さんに知ってもらってイベントのお話をいただくようになりました。

 

玉袋 そんな時にコロナだ。

 

オバケン そうなんです。やっと、みんな食べていけるかなぐらいのときに、コロナ禍があって。でも逆に良かったというか、コロナ禍の前はドル箱状態だったんですよ。どんどんお客様が来るので、苦しい時代を知らないスタッフにとっては、それが当たり前だったんです。そんなときにコロナがあって、一気に客足が途絶えて、どうやったらお客様が来てくれるのかを改めて考えるようになったんですよね。そういう時期があったからこそ皆成長でき、今はコロナ禍前よりもお客様が増えています。

 

玉袋 どういう経緯でスタッフになった人が多いんですか?

 

オバケン お客様としてうちのイベントに来て、面白かったから自分もやってみたいというので入ったスタッフがメインですね。役者志望も多いので、「畏怖 咽び家」の不動産屋スタッフのようにキャストさんをやってもらいつつ、企画も考えてもらって、施工やデザイン、映像にも携わるので、ずっと文化祭をやっているような感覚です。

 

玉袋 ちなみにオバケンさん自身は、霊体験とかって信じるタイプなんですか?

 

オバケン 信じています。というか実際に体験してますし、UFOにさらわれたこともあります。

 

玉袋 そうなの!? 矢追純一の番組みたいにエイリアン・インプラントされたとか?

 

オバケン 高校時代のことなんですけど、夜寝てたら凄まじい光を浴びて、パッと起きたら目の前に何かがいたんです。ウィーンって音がしたんですけど、そのまま眠りに就いて、目を覚ましたら何事もなかったので夢かなと思ったんです。ところが、そこから2、3か月経って丸坊主にしたら、後頭部に一直線でめっちゃキレイなハゲができていたんです。床屋さんに行って聞いたら、何万人も切ってるけど、こんなの見たことないって言ってて。

 

玉袋 きれいに仕上げてくれたんだ(笑)。ただの切り傷とは違ったんだね。霊体験はどんなものだったんですか?

 

オバケン 若いころ、よく心霊スポットに行ってたんですけど、誰もいない方向から足音が聞こえたり、顔が浮いていたりが、よくありましたね。

 

玉袋 そういった経験が、お化け屋敷に繋がっていった部分もあったのかもね。

 

「お笑いウルトラクイズ」さながらの仕掛けが張り巡らされたゾンビイベント

玉袋 大型イベントは、どういう内容なんですか?

 

オバケン それぞれ違いますけど、先ほどお話しに出た鹿島スタジアムを丸ごと使った「カシマゾンビスタジアム」のときは、まず「オバケンレジェンズ対アントラーズレジェンズ」というダミーの試合から始めるんですよ。

お客様を観客席に入れて、ちゃんとモニターに試合を映して、そのときはOBの中田浩二選手にも出ていただきました。試合中、急に選手1人が苦しみ出して、発症してゾンビになる。そこで、どんどん選手が襲われていき、そこに自衛隊が登場して、「このスタジアムは封鎖された。今から何分以内に脱走しろ」という感じでスタートして、ピッチだったり、バックヤードだったりをエリア分けして、お客様はミッションをクリアして脱出を目指すんです。

 

玉袋 大がかりだね。

 

オバケン ただ企業さんの施設だと、どうしても制限がいろいろあるんです。だから一番凝っているのは「ゾンビキャンプ」ですね。お客様が集合場所に到着すると、自衛隊に扮したスタッフが待ち構えていて、パンデミック状態の世界に輸送されてきたという設定でイベントが始まるんです。お客様の中には仕込みが何人もいるんですが、知らない人同士で6人ぐらいのチームを組んで、バーベキューをやったりして、1泊2日を過ごすので、自然と参加者同士仲良くなるんです。

 

玉袋 連帯感が出てくるよね。

 

オバケン そうです。そこに、どんどん設定が用意してあって、たとえば、もうすぐ結婚するカップルがいて、いきなり1人が発症して血をドバーッ! と吐いてゾンビになる。その前にお客様はミッションをクリアして獲得したピストルを持っているんですけど、そこで発症した仲間を撃ち殺さなきゃいけないというシーンに持ち込んで、ゾンビには弾着も仕込んであるんです。

 

玉袋 ホラー映画で、よくある展開だ。結婚間近の2人とか実際にいそうだもんな。

 

オバケン 毎年、内容も変えるんですが、ある年は劇用車のパトカーを借りたんです。それで会場に入ってきた警察官がイベントを止めて、「ここに違法薬物を持っている奴がいる」と宣言すると、薬を持っていた仕込みがすーっと逃げる。そこで追いかけっこが始まって、ナパーム爆破も用意してあるんです。

 

玉袋 もはや「お笑いウルトラクイズ」の世界だよ。

 

オバケン 本当そうです! そして何十人ものゾンビを解き放って、パニックに陥れていくんです。

 

玉袋 展開が上手いね。人間の心を操作して、追い詰めていくって頭を使うし、これまでのお化け屋敷の概念とは全く違って、自由度が高いよね。リアル・ロールプレイングゲームというかさ。海外にもお化け屋敷はあるんですか?

 

オバケン ありますけど、オバケンのように心理的な恐怖よりかは、激しく襲い掛かってくるものが多い印象です。

 

玉袋 オバケンに年齢制限はあるんですか?

 

オバケン ものによりますけど、過去には過激なR-18イベントもありますね。あと千人規模の大きなイベントになると、ちょっとしたミスで大きな事故に発展する可能性もありますから、子どもだと危険な場合もあります。今も日々勉強中です。

 

玉袋 難しい問題だな。デカいイベントをやりたくても、ちょっとでも危険性があると躊躇しちゃうもんね。それを全てクリアするためにシミュレーションしていくことを考えると、本当に頭を使う商売ですね。今は何人ぐらいスタッフがいるんですか?

 

オバケン メインで動いているのは10人ぐらい。ちょいちょい手伝いで来るのが5人ぐらいで。約15人で4店舗を回しつつ、イベントを月2回やって、イレギュラーで大型イベントも入ってくるので、かなり忙しいです。でも、みんな中途半端で終わりたくないし、凝りたくなっちゃうから、ギリギリまでやっちゃうんです。

 

最終的な目標は宇宙ステーションでアトラクションをやること

玉袋 大型イベントもいいけどさ、拠点が方南町っていうのもいいよな。以前、酔っぱらって丸ノ内線に乗ったら方南町行でさ、降りたら終点の方南町で、とりあえず駅前の居酒屋に飛び込んだんだ。そこでお姉ちゃんと仲良くなったという良い思い出もあるんだけどさ(笑)。方南町行で中野坂上から先に停車するのって、中野新橋、中野富士見町、方南町だけでしょう。かなりマニアックな場所だよね。

 

オバケン マニアックな場所で誰も手をつけていないからこそ、やりやすいというのもあって。この春、新宿南口にあるタイトーステーションさんで、オバケンプロデュースのホラーアトラクション「くらやみ遊園地」 をオープンしたんですけど当然、方南町よりもたくさん人が入るんです。ただ会社的には、たとえば1000万円かけて大きな街でやるよりも、100万円で10個のイベントを方南町でやったほうが面白いよねと思うんです。

 

玉袋 アイデア勝負ってことだね。

 

オバケン たとえば同じ方南町で、「ベビーカーおろすんジャー」という町で有名なヒーローがいるんです。数年前まで方南町駅ってエレベーターがなくて、ベビーカーなどの重い荷物があっても、階段でしか下ろせなかったんです。それで一般の方が、お母さんやお年寄りのお手伝いをサポートするボランティアを始めたんですけど、普通の格好でやるよりも、戦隊ヒーローに変身したほうが面白いし目立つということで始めたら、ちっちゃい子から人気が出て、海外メディアでも取り上げられました。元手は2000円しかかかってないんですけどね(笑)。2017年にエレベーターは設置されたんですけど、今でも週2回は駅前に立ってサポートをしています。そういうのっていいなと思うんですよね。

 

玉袋 海外からのお客様はどうなんですか?

 

オバケン コロナ禍が収束して増えていますね。

 

玉袋 そりゃ喜ぶだろうな。

 

オバケン コロナ禍のときは、海外向けにオンライン上でお化け屋敷を作って、ある女の子を助けるために上手く誘導していくストーリーを言葉も英語、出演者も外人の方で作ったら、外国で賞をいただきました。ただリアルで外国人の方でも楽しめるお化け屋敷ってなかなか難しくて、たとえば「畏怖 咽び家」のミッション進めていくには殺人鬼の書いた日記を読まなきゃいけないので、どうしても言葉の壁があるんですよね。そういうところにも対応するには、海外向けに作らないと難しいですね。

 

玉袋 オバケンさんの今後の夢は何ですか?

 

オバケン オバケンを始めるときに未来新聞みたいなものを作ったんですけど、そこに方南町からお化け屋敷を始めて、世界中に広げていって、最終的にはラスベガスでやると書いたんです。でも今の最終的な夢は宇宙ステーションでアトラクションをやることなんです。

 

玉袋 お化け屋敷界のウォルト・ディズニーだ。

 

オバケン 無重力の宇宙ステーションでリアルに『エイリアン』をやってみたいんですよね(笑)。僕が生きている間に実現できるかは分からないですけど、いつかは絶対に実現すると思うんです。僕は今44歳なんですけど、サンリオの辻信太郎代表取締役会長は現在95歳で、2020年まで社長を務めていらっしゃったんですが、サンリオピューロランドを設立したのは59歳のときなんです。ということは僕も50年後に夢が叶っているかもしれない。こういうことは発言していかないと絶対に実現しないので、最終的な夢は宇宙です!

 

玉袋 今日はオバケンさんの話を聞いて職人魂を感じましたよ。

 

オバケン そんな立派なものじゃなくて、遊んでいるだけです(笑)。

 

玉袋 いやいや! 俺も50年後とは言わないまでも、ちゃんと夢を持って生きようと改めて思ったよ。とりあえず今の夢は、20年後に孫と一杯飲むことだけどね。

 

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)

<出演・連載>

TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」

【デビュー20周年】湘南乃風が全力オススメ! “今アツい”モノとは【インタビュー後編】

メジャーデビュー20周年を、2023年7月30日に迎える4人組レゲエグループ・湘南乃風。インタビュー前編に続き、後編ではGetNavi webらしくRED RICE、SHOCK EYE、HAN-KUNの3人(若旦那は都合が合わず不在)に、それぞれが“今ハマッているモノ”を聞いた。

湘南乃風●しょうなんのかぜ…RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUNからなる4人組レゲエグループ。2003年にメジャーデビューを果たし、2006年にラブソング『純恋歌』が約60万枚を超える大ヒットに。2007年には『睡蓮花』、2008年には『黄金魂』とヒット曲を続々とリリース。TwitterInstagram

 

RED RICEは自身の誕生日にメンバーからもらったり、反対にメンバーにプレゼントしたりするほどハマっているというモノについて熱弁。SHOCK EYEは趣味である神社巡りとカメラに伴い揃えるようになった便利グッズについて、HAN-KUNは「最近ドハマりした」という、ある話題作について熱く、笑顔をみせながら語った。

 

【湘南乃風、20周年撮り下ろし写真】

 

 

RED RICEが語る、グラスの世界「いずれはスコットランドに」

↑RED RICE

 

──20周年を迎えた皆さんが、今ハマっているモノ・コトはありますか?

 

RED RICE 趣味がゴルフなんですけど、語り始めたら長いですよ~(笑)。

 

──RED RICEさんといえば、ゴルフですよね。YouTube「レッドライスTV」も拝見しています。

 

RED RICE でも今日はそちらは置いといて。実は、コロナ禍でウイスキーにハマったんです。家で1人で飲む機会が多くなりました。そこでウイスキーを飲み始めたら、おいしくて。今ではウイスキーを飲むための、「ウイスキーグラス」を集めています。

↑RED RICEさんのウイスキーグラスコレクション。「次は、国産のガラスメーカーさんのグラスを調べて集めていきたいと思っています」

 

──いいですね。飲み方や楽しみ方によって、グラスの種類も変わってきますよね。

 

RED RICE ストレートかロックで飲むことが多く、ストレートで飲む時は『グレンケアン』のモルトグラスを使っています。グレンケアンはどこの蒸留所にも置いてある、世界のスタンダードともいえるウイスキー専用のテイスティンググラスで、1,000円ぐらいで買えるんですよ。

 

──思ったよりお手頃ですね。

 

RED RICE そうなんです。チューリップ型で香りもしっかり楽しめます。ロックで飲む時は『バカラ』を使っていますが、やっぱり結構高いじゃないですか。なので、ロックグラスは『アデリア』のモノもいくつか集めていますね。バカラの半額ぐらいで買えるんですよ。あと、先日SHOCKから誕生日プレゼントにグラスをもらいました。

↑SHOCK EYEさんからRED RICEさんへの誕生日プレゼント。ワイングラスで有名な「リーデル」のシングルモルト用グラス。

 

──おお、素敵ですね!

 

RED RICE 『リーデル』のシングル・モルト・ウイスキー専用グラスです。愛用しています。ちなみに俺も、若旦那の誕生日にグラスをあげましたよ。そんな感じで、グラスとウイスキーを組み合わせながら楽しんでいます。

 

──ウイスキーはもちろん、グラスの世界も深いですよね。

 

RED RICE そうなんですよ。日本産ウイスキーが盛り上がり始めているので、国産のグラスメーカーの製品も良いものがたくさん出ているはずなんです。でも俺は、まだまだ勉強中で全然深掘りできていないので、もっと知りたい。いずれはスコットランドに行ってみたいです。ウイスキー発祥の地だけでなく、ゴルフもスコットランドが本場なので。

 

──RED RICEさんの好きなモノは、スコットランドに縁がありますね。

 

RED RICE 諸説ありますが、ゴルフが18ホールになったのも、寒いスコットランドでウイスキーを飲んで身体を温めながらゴルフをすると、ちょうど18ホールでウイスキーが1本空くからなんだとか。実際に蒸留所に行った後、ウイスキーを飲みながらゴルフをするのが夢ですね。

 

──実現したらぜひお話聞かせてください!

 

 

SHOCK EYEが愛用、便利なアウトドアグッズ

↑SHOCK EYE

 

──SHOCK EYEさんはいかがでしょう。Instagramでは、全国の神社で撮影した写真を公開されていますよね。

 

SHOCK EYE そうですね。撮影に行くのに遠出したり山登ったりしているので、趣味はアウトドアな感じです。街中の神社にも行きますが、どちらかというと山の中の神社に行くことが多いです。

 

──山深い場所にある神社も多いですよね。

 

SHOCK EYE はい。そうなるとカメラの性能も考えつつ、どれだけ実用性がある最小限の装備でいけるかが大事になってきます。そういう装備や収納について考えるのが、すごく好きなんです。三脚1つとっても、コンパクトで軽量が良いけど、でも望遠レンズをつけたらバランスが悪いし……なんてことを常に考えていて。

 

──目的地や被写体によっても、装備は変わってきますもんね。

 

SHOCK EYE なので、しょっちゅう電気屋さんに行ってはアイテムを見回っています。買っても買わなくても、とにかく行くだけで楽しい。最近だと気温がマイナス10℃しかないような環境で撮影することがあり、特殊な状況に合わせたアイテムを探して揃えましたね。湖で、湖面が凍っているようなところでした。防水性の高いゴアテックスパンツや、ヒル対策のスパッツなども買いましたよ。

 

──状況に合わせて、いろんなアウトドアグッズを揃えているのですね。

 

SHOCK EYE この前『ビクトリノックス』の十徳ナイフも購入しました。東急ハンズで見て、無性に欲しくなって。子どものころ、アーミーナイフはすごく高価で、憧れだけど買えないものだと思っていたんです。でも実際は、わりと手頃な価格で手に入る。まだ使う場面がないので、次に山上った際、使い心地を試してみたいと思います。

↑SHOCK EYEさんのアウトドアアイテム。スマホケース、コンパクト三脚などは『ピークデザイン』で揃えている。

 

──ほかに最近買って良かったアウトドアアイテムはありますか?

 

SHOCK EYE 『ピークデザイン』の、カメラをカチャッと取り付けられるキャプチャーですね。3個くらい持っていて、どのバックにもカメラを装着できるように付けています。

 

──3つも! それは便利ですね!

 

SHOCK EYE オシャレで、おすすめです。ピークデザインで言うと、スマホケースも持っています。強力なマグネットが付いているケースで、トラベル三脚と一緒に使うとワンタッチで装着できるようになるので、アウトドアでかなり便利ですよ。

 

 

HAN-KUN、RED RICEを“力士役”に推薦⁉

↑HAN-KUN

 

──HAN-KUNさんは、最近ハマっているコト・モノなどありますか?

 

HAN-KUN 最近ドハマりしたのは、Netflixで配信中の『サンクチュアリ -聖域-』という作品。

↑Netflixシリーズ「サンクチュアリ -聖域-」独占配信中。借金・暴力・ 家庭崩壊…と人生崖っぷちで荒くれ者の主人公・小瀬清(演:一ノ瀬ワタル)が、若手力士“猿桜” として大相撲界でのし上がろうとする姿を、痛快かつ骨太に描く人間ドラマ。

 

──相撲を題材にしたドラマですね。世界各国で話題になっていますよね。

 

RED RICE 俺、これから見ようと思っているんですが、HAN-KUNと若旦那がその話で盛り上がっているので、聞かないようにするので必死です(笑)。嫁も見ていて、「知らない俳優さんたちが出てくるところが良い」と言っていました。

 

HAN-KUN そうそう。Netflixならではのキャスティングで、主人公の俳優(一ノ瀬ワタル)さんは今作が初主演らしくて。力士役の人たちも初出演の人ばかりで、まるでドキュメンタリーを見ているようなリアリティーを感じられるんですよ。

俺の場合は結局、役者さんたちが気になりすぎて、それぞれのキャリアとかバックストーリーとかまで掘ってしまったんだけどね(笑)。

 

SHOCK EYE ノンフィクションの題材があるわけではないんだよね?

 

HAN-KUN そう。フィクションの物語なんだけど、撮影に至るまでにハリウッド級の役作り期間があったみたいなんだ。リアルなわけだよね。まず力士役の1次オーディションで半年、次に身体づくりや相撲の稽古にまた半年かけて2次オーディションをする。1次オーディション後の期間も、ギャランティを支払って進行させたみたいだよ。だから作品としての完成度がすごいんです。

 

SHOCK EYE それは見てみたいな。何話構成なの?

 

HAN-KUN 1話30分~1時間ぐらいで、全8話だから、移動中にサッと見られると思う。もっと見たいくらいだった。

 

RED RICE それでHAN-KUNが「次回作のオーディションがあったら、REDは身体作りして出てみればいいと思う」とか言い始めて!

 

HAN-KUN 次回作のオーディションがあったら、 その半年間は、湘南乃風としての仕事は3人で何とかして頑張るから。RED は「ごっつあんです」って言って、任せてくれればいいから。

 

──あはは! それは見てみたいです(笑)。

 

HAN-KUN 相撲という日本の文化が世界に発信されていること自体、日本で音楽をやっている身として、夢があるなと感じる。Netflixのグローバルチャートでトップ10に入ったのもすごい。世界に周知されるべき日本の国技なんだなと改めて感じましたね。

 

──この作品から相撲にハマる人もでてきそうですね。

 

HAN-KUN 新しいムーヴメントが来そうな予感がしました。もともとスポーツだとサッカーが好きで、よく試合を見に行っているのですが、今回のドラマを通して大相撲を見に行きたいなって。近々、行ってみようと思います。

 

──両国からのレポート、期待しております!

 

撮影/中村 功 取材・文/kitsune ヘアメイク/Chiho Oshima スタイリング/Kan Fuchigami

中村守里「思いっきり叫ぶし、見られ方とか気にせず、顔ぐしゃぐしゃになってやるぞ! 」映画『ヒッチハイク』

“最恐”都市伝説を映画化した『ヒッチハイク』(7月7日(金)公開)で、山奥で道に迷ったことで不気味な一家に遭遇してしまうヒロイン・涼子を演じる中村守里さん。女優として注目を浴びた映画『アルプススタンドのはしの方』から3年、2023年は大河ドラマ「どうする家康」に出演したほか、出演映画も続々公開予定です。今回、観るのも苦手だと語るホラー映画に意を決して挑戦した中村さんに、撮影エピソードなどを振り返ってもらいました。また、役作りを機にハマっているアイテムも紹介してくれました。

 

中村守里●なかむら・しゅり…2003年6月14日生まれ。東京都出身。ミスセブンティーン2018ファイナリスト。2018年からラストアイドル1期生として活躍(2020年卒業)。主な出演作に映画「アルプススタンドのはしの方」「世界の終わりから」、大河ドラマ「どうする家康」、ドラマ「美しい彼」シリーズなど。今後の出演作に映画「カタオモイ」(8月4日(金)公開)、映画「まなみ100%」(9月29日(金)公開)がある。TwitterInstagram

【中村守里さん撮り下ろし写真】

ただ、私自身かなりの怖がりで、ホラー映画が苦手なんです

──今回の涼子役は、オーディションで選ばれたそうですね?

 

中村 私がオーディションを受けた段階では、涼子役になるのか、友だちの茜役になるのか分からず、どちらのお芝居もしました。オーディションでは「松嶋菜々子さんが好き」という話もしましたし、最後に思いっきり叫んだりもしました。ただ、私自身かなりの怖がりで、ホラー映画が苦手なんです。都市伝説や怪談が好きな友だちはいますが、私から観たいとか聞きたいと思ったことは一度もなかったんです……。

 

──そんななか、清水涼子としての役作りはどのようにされましたか?

 

中村「思いっきり叫ぶし、見られ方とか気にせず、顔ぐしゃぐしゃになってやるぞ!」という気持ちでした(笑)。涼子のキャラクターは控えめで慎重派な子なので、そこからのギャップを見せたいと思っていましたから。あとは、どこかで物音が聞こえたときなどの視線の向け方を意識しました。

 

──『ひとりかくれんぼ』『コープスパーティー』など、多くのホラー映画を手掛けている山田雅史監督から、おすすめのホラー映画は紹介されましたか?

 

中村 松嶋さんが出られている作品ということで、台本読みのときに、山田監督から『リング』を勧められました。でも、なかなか観ることができなくて、やっと観始めたらホントに怖くて……、なんとか最後まで観ることができました。今まで観たことがなかったので、よく分からなかったのですが、「『ヒッチハイク』もこんな雰囲気の作品になるんだろうな」というイメージがわいたので、観てよかったです。

 

車内が奇妙な空間になっていて、本当に気持ち悪かったです(笑)

──時代錯誤なカウボーイ姿のジョージ役を演じる川崎麻世さんら、涼子たちを襲う不気味な一家との共演はいかがでしたか?

 

中村 川崎さんは、現場での佇まいや歩き方から神妙な雰囲気というか不思議なオーラが漂っていて、その時点で怖かったです。ジョセフィーヌ役の速水(今日子)さんには、控室にいらっしゃるときに「おはようございます!」とごあいさつしたんですが、よく見たらメイクで真っ白な顔をされていて、「おぉ……」となってしまいました(笑)。でも、一番怖かったのは大男役の保田(泰志)さんで、圧倒されてしまいました。双子のアカちゃんとアオちゃんは、最初は区別がつかなかったんですが、現場でアカは赤色のダウンコート、アオは青色のダウンコートを着て、無邪気な感じがかわいらしかったです。実際の皆さんは優しい方で、現場は和気あいあいとしていました。

 

──そんなジョージ一家が熱唱するスイス童謡「おおブレネリ」を、キャンピングカーで聴かされるシーンはいかがでしたか?

 

中村 皆さん歌がお上手なこともあって、車内が奇妙な空間になっていて、本当に気持ち悪かったです(笑)。12月に群馬の山奥で撮っていたので、ただでさえ寒いんですよ。さらにゾゾーッとして、そのときに私の中に生まれた感情がそのままカメラに映っていると思いますね。

 

アフレコのとき、あらためて監督のホラー愛を感じました

──完成した作品を観たときの感想、そしてお好きなシーンは?

 

中村 完成した作品を観たときは、内容を全部知っているのに、怖くて、怖くて……。自分が出ているのに、自分じゃない人に見えてきちゃったんです(笑)。大倉(空人)さんが演じている健が銃を持って反撃するシーンは、健が成長した一歩を表していてかっこよかったです。涼子的には「この子は敵なの? 味方なの?」というところがあって、演じていて苦労しましたが、そのお芝居の変化にも注目してほしいです。

 

──本作に出演したことで、中村さん自身が学んだことなどがあれば教えてください。

 

中村 ホラー映画は観るのと出るのでは、全く違うものだと思いました。相変わらず、私一人では観れませんが、撮影は怖くないというか、撮影中もむしろワイワイして楽しかったのでまた出演してみたいです。あと、撮影後にアフレコをしたんですが、そのときに山田監督が映像を観ながら、ずっとニコニコされていたんです。ひょっとして現場より笑顔だったかもしれませんが、そのときに監督のホラー愛を感じました。

 

自分にしかできない表現で、いろんな人物を演じてみたい

──今後、8月にはいまおかしんじ監督の『カタオモイ』、9月には青木柚さんとW主演を務めた川北ゆめき監督の『まなみ100%』と、出演映画が連続公開されます。

 

中村『カタオモイ』は片岡鶴太郎さんの娘役で、レストランの厨房に立つとかアルバイトしているような気分を体験できました。いまおか監督のどこかつかめない演出も楽しかったですが、私もよくつかめないと言われるので、同じ人種なのでしょうか(笑)。そのいまおか監督が脚本を書かれた『まなみ100%』では、まなみちゃんの10年間を演じたのですが、順撮りではなかったので、その日によって、大人になったり、高校生になったりして大変でした。たまに高校生に戻りきれないときがあって、川北監督から「ちょっと大人っぽいんじゃない?」と指摘されることもありました。あと、主人公の“ボク”にとって、まなみちゃんはマドンナ的存在なので、「魅力的な人に見えなきゃいけない」と思いつつ、ずっと「魅力的ってなんだろう?」と考えていましたし、監督の期待に応えなきゃというプレッシャーもありました。

 

──女優として注目された『アルプススタンドのはしの方』から3年、先日二十歳を迎えられましたが、今後の希望や展望を教えてください。

 

中村 いろんな現場で、「『アルプススタンド』観たよ!」「「美しい彼」観たよ!」と言っていただけることは嬉しいです。今後も、多くの方にそう言っていただける作品に出られるよう頑張っていきたいです。あと、「この人が出ていたら、気になるし、観てみたい」と言われるような人になりたいです。今は安藤サクラさんに憧れていますが、自分にしかできない表現で、いろんな人物を演じてみたいです。

 

今ハマっているモノは「お薦めされた中古のフィルムカメラ」

──よく現場に持っていかれるモノやアイテムについて教えてください。

 

中村 小さいときから本を読むのが好きなので、バッグの中にはいつも1、2冊は文庫本を入れています。今は村上春樹さんを好きになったきっかけの一冊「国境の南、太陽の西」を読み返したり、映画版を観たことで原作を読み始めた「スイートリトルライズ」を入れていたり。あと三島(由紀夫)さんの作品は、一度断念したこともあるんですが、改めて「複雑な彼」に挑戦したら、とても読みやすくて面白かったです。漫画はあまり読んだことがなかったんですが、友だちに勧められた「シバトラ」を読んだらハマりました(笑)。落ち着いた雰囲気が好きなので、図書館にもよく行きますし、電子書籍だと目が疲れちゃうので、文庫本でよく読んでます。

 

↑村上春樹著「国境の南、太陽の西」をはじめお気に入りの作品は何度も読み返すという。右は小学生時代から愛用しているペンケース

 

──長年使っていて、手放せないモノやアイテムは?

 

中村 私、物持ちいい方だと思うんですが、そのなかでも小3の頃から使っているペンケースです。それまで使っていた缶でできたものが壊れてしまって、ロフトで買い直したんですが、大人っぽいものを考えて小3が選ぶにしては、なかなか地味なデザインで(笑)。中にはボールペンとシャープペンと消しゴムぐらいしか入れていません。

 

↑リラックスできると愛用の香水と撮影をきっかけに購入したカメラ

 

──今ハマっているモノやアイテムについても教えてください。

 

中村 放送中のドラマ「カメラ、はじめてもいいですか?」(BS松竹東急)の役作りで始めたカメラです。とにかく手に馴染ませるために、デジカメを使っていたんですが、撮影が終わった後に、お借りしていたカメラ屋さんに行って、いろいろ相談した後に、お薦めの中古のフィルムカメラを購入しました。レトロチックでデザインもかわいい「オリンパス PEN EE-2」です。あと、「二十歳になる前に、ちょっと大人になりたいなぁ」という思いから買い始めた香水。今アトマイザーに入れ替えたものは「ゲラン」のもので、ローズ系なんですが、くどくなくて、スッと抜けるような匂いで、落ち着くんですよね。

 

 

ヒッチハイク

7月7日(金)より全国ロードショー

【映画「ヒッチハイク」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:山田雅史
脚本:宮本武史
出演:大倉空人、中村守里、平野宏周、高鶴桃羽、速水今日子、結城さと花、結城こと乃、保田泰志、細田善彦、川崎真世

(STORY)
大学生の涼子(中村)と茜(高鶴)は、ハイキングの帰りに山道で迷ってしまう。やっとバス停に辿り着いたものの、バスが来る気配は全くなかった。さらに、涼子は足を怪我しており、茜の彼氏も飲み会で迎えに来られないらしい。2人は、意を決してヒッチハイクをすることに。こんな山奥で無謀にも思えたが、運良く一台のキャンピングカーが停まる。運転席から降りて来たのは、時代錯誤のカウボーイの格好をしたジョージと名乗る男(川崎)。ジョージは快く2人を受け入れ、車内へと誘う。そこには、ジョージの家族も同乗していたが、どこか異様な雰囲気が漂っていた―。いっぽう、過保護な親にウンザリしている健(大倉)は、悪友の和也(平野)を誘い同じ山でヒッチハイクの旅をしていた。

※川崎麻世の「崎」は立つ崎が正式表記

(C)2023「ヒッチハイク」パートナーズ

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

桜田ひより「待っているときのドキドキワクワクは交換日記でしか味わえない」『交換ウソ日記』

櫻いいよ氏の大ヒット小説を映画化した青春ラブストーリー「交換ウソ日記」が、7月7日(金)より全国公開します。ふとしたことから、学校イチの人気者・瀬戸山(高橋文哉)との秘密の交換日記を始めることになった高校2年生の希美を演じる桜田ひよりさんに、初となる“恋愛映画ヒロイン”の思いを語ってもらいました。

 

桜田ひより●さくらだ・ひより…2002年12月19日生まれ、千葉県出身。子役からキャリアを重ね、ドラマ「明日、ママがいない」(14)で演技力の高さが話題となり、注目を集める。主な出演作にドラマ「ワイルド・ヒーローズ」「卒業タイムリミット」「彼女、お借りします」「生き残った6人によると」「silent」、映画『祈りの幕が下りる時』、『男はつらいよ お帰り 寅さん』、映画『おそ松さん』など。アニメ映画『雄獅少年/ライオン少年』では声優を務める。公式HPInstagram

 

 

【桜田ひよりさん撮り下ろし写真】

「私も参加させていただける年齢になったんだ」という嬉しさ

──最初に本作の出演オファーがきたときの率直な感想は?

 

桜田 恋愛映画のヒロインが初めてのうえ、とても爽やかな胸キュン映画なので、「私でいいのかな?」と思ってしまいました。でも、今活躍されている俳優さん、女優さんが一度は通る道だと思うので、「私もそこに参加させていただける年齢になったんだ」という嬉しさがありました。また、新たに自分を発見できることや同世代の役者さんとご一緒できるワクワクもありましたし、恋愛だけでなく、友情の部分も描かれているので、いろんな方に刺さる作品にしたいと思いました。

 

──今回演じられた恋に奥手な希美の印象は?

 

桜田 人の話を聞くのが好きなところは、希美ちゃんと似ていると思います。私、ホワホワしてそうとか、おとなしそうといった女の子っぽいイメージを持たれがちなんですが、意外とそんなことなく(笑)、女の子と一緒に歩くときは必ず車道側を歩くんですよ。演じているときは、希美ちゃんに寄り添っているので、理解したい気持ちの方が強いですが、客観的に見ると、ちょっともどかしくなって、応援したくなっちゃいますね。

 

──そんな希美を演じるうえで、特に気を付けた点はありますか?

 

桜田 例えば、目の前に瀬戸山(高橋文哉)くんがいるときの表情と、交換日記を家で書いている表情の違い。希美ちゃんは意識してないかもしれないけれど、観ている人には「こんなにも違う!」と思ってもらえるよう緊張と笑顔の差を出しました。ほかにも、「観ている人に、いかに胸キュンしてもらえるか?」ということにこだわって演じようと、スタッフさんといろいろ話し合ったので、角度とか画角は注目ポイントかと思います。

 

学園モノならではのどこか淡い雰囲気も体験することができて楽しかった

──また、希美は音楽好きの放送部員という設定でもあります。

 

桜田 希美ちゃんは、マキシマム ザ ホルモンさんが好きな放送部員なので、部屋の中でノリノリで、ヘッドバンギングしているシーンも見てほしいですね。私は、学生時代、お仕事があったので部活に入ってなかったんですが、放送部かバスケットボール部に入りたかったんです。放送部だとお弁当を放送室で食べられる特別扱いに憧れていたので(笑)、放送室のシーンを撮っているときは高まりました。

 

──そのほか、学生時代にできなくて、本作でできたことは?

 

桜田 球技大会などに参加できても、仕事があるのでケガしないようにとか、日に焼けないようにとか、気を付けていたんです。今回はそんなことを気にせず、思いっきりやることができて、とても楽しかったです。

 

──共演者との撮影エピソードについて教えてください。

 

桜田 とにかく和気あいあいとしていました。(茅島)みずきちゃんと(齊藤)なぎさちゃんの女子3人のシーンが多かったので、いろんな話をして距離が縮まりました。3人で流行っていた干し芋が常に控え室に置いてあったり、お弁当の時間が待ち遠しすぎて、どんな弁当か予想するのも楽しかったです。高橋さんと曽田(陵介)さんが合流してからも、学園モノならではのどこか淡い雰囲気も体験することができて楽しかったです。

 

高橋さんは“人との距離感を絶妙に測れる方”

──そんな5人が揃っての遊園地ロケでの思い出は?

 

桜田 富士急ハイランドに行ったのは初めてだったのですが、何もかもが新鮮で、迫力満点な乗り物ばかりで、すごく楽しかったです。大勢で遊園地に行く機会はなかなかないと思うので、映像を通り越して、素で楽しんでいました。ここだけの話、男の子よりも女の子の方が絶叫マシンは得意でしたね(笑)。

 

──瀬戸山役の高橋さんの印象を教えてください。

 

桜田 人見知りの私と違って、誰とでも積極的に会話ができ、相手に気を遣うことができる印象を受けました。そして、人との距離感を絶妙に測れる方で、自分が思っていることも言えるし、相手のことも聞き出せるところもすごいと思いました。希美ちゃんが瀬戸山くんにバスケを教えてもらうシーンがあるんですが、そこでも丁寧に教えてもらいました。

 

──元カレの矢野先輩を演じた板垣瑞生さんとは共演作が多いですよね?

 

桜田 板垣さんとは『ホットギミック ガールミーツボーイ』『映像研には手を出すな!』『鬼ガール!!』など、今回の共演者のなかで一番共演した数が多いです。でも、元カレの役は珍しくて、「お互い胸キュンもので共演するようになったんだね」と、成長したなぁみたいなお話をしていました。

 

交換日記は1つひとつの言葉の大切さも生まれる

──桜田さん自身、交換日記の思い出はありますか?

 

桜田 小学生のとき、3~4人くらいの女の子とやった記憶があります。一緒にノートを買いに行って、「こういう順番で!」とか決めたんですが、2回ぐらい回って、どこかで消息を絶ちました(笑)。人数が多ければ多いほど、そんな感じになるような気がします。SNSが普及している今、交換日記を通して会話するなんてことはなかなかないですし、1つひとつの言葉の大切さも生まれますし、なにより待っているときのドキドキワクワクは交換日記でしか味わえないので、この映画を機会に流行すると嬉しいですね。

 

──二十歳を迎え、恋愛映画でヒロイン役という初めての経験をしたことで、桜田さんの今後の展望を教えてください。

 

桜田 今回恋愛映画のヒロインという、初めての経験をしたことで、いろんな発見があったんです。その発見を大切にして、今後のお仕事に繋げられたらいいなと思います。また、どこかでファンの方を裏切りたい気持ちもあるので、女の子っぽい役ばかりだけでなく、例えば英勉監督から「また、(『おそ松さん』の)チビ太やってほしい!」と言われたら、もちろんやりたいです!

 

──現場に必ず持っていくモノや、ハマっているアイテムについて教えてください。

 

桜田 いつも持っていくものは、コンタクトの替えです。1dayのソフトコンタクトを使ってるんですが、役柄上、泣くことが多いんです。それでコンタクトがズレたり、ハズれることもあるので、そのためにも替えが必要なんです。ハマっているものは、プレゼントでいただいたコンパクトプロジェクターです。アニメ「魔法使いの嫁SEASON2」などの動画を天井に映して、それを見ながら眠りにつくのが気持ちいいんです。機能性も高いですし、画質もいいので、めちゃくちゃおススメです。

 

 

 

交換ウソ日記

7月7日(金)より全国公開

 

(CAST& STAFF)
出演:高橋文哉 桜田ひより 茅島みずき 曽田陵介 齊藤なぎさ/板垣瑞生
原作:櫻いいよ「交換ウソ日記」(スターツ出版)
主題歌:「ただ好きと言えたら」KERENMI&あたらよ(A.S.A.B)
監督:竹村謙太郎
脚本:吉川菜美
音楽:遠藤浩二
製作:(C)2023「交換ウソ日記」製作委員会

(STORY)
高校2年生の希美(桜田)は、ある日移動教室の机の中に、ただひと言、「好きだ!」と書かれた手紙を見つける。送り主は、学校イチのモテ男子・瀬戸山(高橋)。イタズラかなと戸惑いつつも、返事を靴箱に入れたところから、2人のヒミツの交換日記が始まる。ところが、実はその手紙や交換日記は希美ではなく、親友宛てのものだったことが判明。勘違いから始まった交換日記だったが、本当のことが言い出せないまま、ついやりとりを続けてしまい……。

 

撮影/干川 修 取材・文/くれい響 ヘアメイク/菅井彩佳(NICOLASHKA) スタイリスト/福田春美

山下敦弘監督「岡田将生くんも清原果耶さんも本質とは逆の要素を演じていて、その“ねじれ”も含めてすごく面白くなった」映画「1秒先の彼」

ワンテンポ早い彼女とワンテンポ遅い彼が織り成す時間差ラブストーリー「1秒先の彼女」。2020年に台湾で生まれた名作を、山下敦弘監督がリメイク。台湾版とは男女のキャラクターを変更し、岡田将生さんと清原果耶さんがワンテンポ早い彼とワンテンポ遅い彼女を演じている「1秒先の彼」が7月7日(金)より公開される。本作の脚本を担当した宮藤官九郎さんとの初タッグのこと、映画「天然コケッコー」以来16年ぶりとなる岡田さんとのエピソードなどを山下監督が語ってくれた。

 

山下敦弘●やました・のぶひろ…1976年8月29日生まれ、愛知県出身。1999年大阪芸術大学芸術学部の卒業制作として撮った『どんてん生活』が高評価を受ける。代表作は、映画『リンダリンダリンダ』、『天然コケッコー』、『もらとりあむタマ子』など。『カラオケ行こ!』が2024年1月に公開予定。Twitter

【山下敦弘監督の撮り下ろし写真】

宮藤さんもオリジナルを好きになってくれて、すぐに企画に合流することに

──台湾映画「1秒先の彼女」の主人公のヤン・シャオチーを演じるリー・ペイユーさんのファンになり、監督がリメイクに名乗りを上げられたそうですね。

 

山下 リー・ペイユーのファンになったということをもう少し細かくお話すると、オリジナルの「1秒先の彼女」は、時間が行ったり来たりしながら、細かい伏線もいろいろあるので、リメイクするとなると結構ややこしくて大変だなと思ったんです。僕はあまり複雑な映画を撮ってこなかったので。でも何回か映画を観ていくうちに、いろんな皮を剥いていくと郵便局員の女の子とバスの運転手、この2人のキャラクターの魅力に自分は惹かれたんだなって思いました。彼女のファンになったと言うのはそういう意味で(笑)、そこで自分がリメイクするとしたら、キャラクターの魅力に乗っかり、そこをブレずに描くことができれば、大丈夫だろうと思えるようになりました。

 

──脚本を宮藤官九郎さんに依頼した経緯を教えてください。

 

山下 プロデューサーと話している中で宮藤さんの名前が上がりました。10年ぐらい前に一度、宮藤さんと一緒にある企画をやりかけたことがあったんですね。それを思い出しつつ、オリジナルが入り組んだ話だったので、自分が今まで一緒にやってきた脚本家の方に書いてもらう感じでもないのかなと思っていたときに、宮藤さんの名前が出て「あ、なるほど」と。でも宮藤さんがこういう内容をどう感じるかわからなかったので、とりあえずオリジナルを見ていただいて、気に入ってもらえたらということになりました。そしたら宮藤さんもオリジナルをすごく好きになってくれて、それからすぐに企画に合流することになりました。

 

──オリジナルと男女の設定を反転させたのはどうしてですか。

 

山下 まずキャストがなかなか決まらなかったんですね。台湾版の2人を日本版に置き換えたときに誰がいいんだろうって考えると、なかなか良い組み合わせが見つからず、そんななかで一度反転して考えてみたらどうですかね、ということになりました。そこで岡田将生くんの名前が上がり、宮藤さんが「岡田くんなら(反転して)書けるかも」ということで、まず前半を書いてくださいました。この映画は二部構成のようになっていると思うのですが、前半は宮藤さんがすごく早く書き上げてくださった印象があります。ただ後半はどうしようかってなりましたね。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

宮藤さんが書くとちゃんとリズムに乗って、面白く聞こえてくるんです

──後半はオリジナルから変わった部分が多い気がします。

 

山下 視点が変わりますからね。前半を宮藤さんが岡田くんに当て書きしながら書き進めていくうちに、女性キャラクターのイメージとして清原果耶さんが浮かびました。そうなると荒川良々さん演じる人物が増えたり、いろいろ変わっていきました。後半はみんなで考えていった感じがあったかもしれないです。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──宮藤さんとは監督と脚本家としては今回が初めてだそうですが、宮藤さんの脚本で映画を撮ってみていかがでしたか。

 

山下 言い方が難しいんですが、この物語は説明しなきゃいけないセリフが多いんです。いわゆる手続きを踏まないといけないセリフなんだけど、宮藤さんが書くとちゃんとリズムに乗って、面白く聞こえてくるんです。説明ゼリフだけにならないところがすごいと思ったんですが、結局は宮藤さんの脚本って、現場で俳優さんたちが非常に楽しそうにやるんですよ。オレよりも意図がわかっているというか(笑)。例えば、ハジメ(岡田)には妹がいて、片山友希さんとしみけんさん演じるギャルとギャル男の妹カップルが登場するんですが、彼女らと岡田くんのシーンは8割が説明のセリフなんだけど、みんな楽しそうなんです。逆に清原さん演じるレイカの感情が渦巻いている居酒屋のシーンは、すごく難しいというか、こちらが試されている感じがしました。

 

京都ファンタジーというか、京都って少し不思議なことを受け入れてくれる

──日本版を作るにあたり、舞台を京都にしたのはどうしてですか。

 

山下 このファンタジーのような世界観がなじむかなと。京都ファンタジーというか、京都って少し不思議なことを受け入れてくれるような土地柄なんですね。

 

──わかります。しかもSFなのに大したことは起きないぐらいの。

 

山下 そうそう。いわゆるゴリゴリのSFというより、都合の良いSFファンタジーが成立する街だなと思いました。あとは台湾版のロケーションが素晴らしかったので、ああいういい場所ないかなって話したときに、「京都の日本海側のエリアもありますよね、天橋立とか」って候補が出てきて。オレも見たことがなかったので、「じゃあ見に行きましょう」ってことで、宮藤さんとプロデューサーとオレで見て回ったら、面白かったんです。それがきっかけですね。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──拝見しながら、そういえば天橋立って行ったことないなって思いました。

 

山下 そうなんですよ。京都って修学旅行で行く人が多いけど、日本海側ってあまり行かないじゃないですか。行ってみると、天橋立って普通に人の生活の場になってるんです。道として利用している人もいれば、ジョギングしている人もいる。普通に公道なので当たり前なのですが、すごく独特で面白かったです。日常的のもので、あまり観光地なものじゃないというか(笑)。昔は本当に郵便局もあったらしいですよ。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

岡田くんのあの感じを創ったのは宮藤さんな気がするんですよね

──岡田さん演じるハジメは、見た目は最高なのに口が悪い残念感が漂うイケメンです。でもこういう役を演じる岡田さんは最高だなと思いました。

 

山下 僕も宮藤さん脚本のドラマ「ゆとりですがなにか」を観たときに、これは岡田くんのハマり役だなと思って(笑)。そう思うと、岡田くんのあの感じを創ったのは宮藤さんな気がするんですよね。二枚目半というか。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──清原さんがレイカ役になった決め手はなんでしょうか。

 

山下 清原さんとご一緒するのは今回が初めてで、結局全てが直感的な部分が働いた気がします。岡田くんが最初に決まり、「じゃあ相手は誰だろう」となったときに清原さんの名前が上がって、「あ、面白そうだな」と思いました。魅力的だし実力もありますからね。ただ岡田くんとは年齢差もあり、レイカを清原さんでいくにはいろいろ設定を変えないといけないし、2人が全然違うタイプなので大変でした。

 

──全然違うタイプというのは?

 

山下 僕が最初にイメージしていたワンテンポ早いハジメとワンテンポ遅いレイカというイメージとは反転しているんです。多分、岡田将生という人間がワンテンポ早いわけではなくて(笑)。どちらかというと、ワンテンポ遅い派なんですよね。そして、実は清原さんもワンテンポ遅い人ではなくて、ワンテンポ早いと思うんです。2人とも本質とは逆の要素を演じていると思うんですよ。本来持っているものが逆なので、最終的にその“ねじれ”も含めてすごく面白くなったなと思います。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

言い方が難しいけど、岡田君のよさってガワを生かし切れていないところだと思う

──プレスのコメントで宮藤さんが岡田さんにはヒロイン感があるとおっしゃっていますが、そういう意味でもハジメとレイカの役割は反転していますね。

 

山下 ヒロイン感は僕も撮り終わってから思いました(笑)。逆に清原さんが王子様っぽいんですよね。清原さんはおっとりした女の子を演じていますが、でもすごく芯が強くて存在感があるから。だけど周りから一歩ズレているという不思議なキャラになりました。岡田くんはせっかちで、ワンテンポ早いんだけどまろやかなんです。すごく柔らかいというか。せっかちって見ていてイライラするし、嫌味なキャラになりがちなんだけど、岡田くんがやると角が取れるんですよ。それは岡田くんが持っている本質的な部分がまろやかで、ワンテンポ遅い感じがあるから。そこも含めてすごく独特なキャラになったなと思っています。これが男女逆だったら、多分もっとせっかちになったと思うので、それによってこの映画は面白いねじれが生じましたね。

 

──岡田さんとは「天然コケッコー」以来16年ぶりにご一緒されたとのことですが、監督から見た岡田さんの印象ってどんな感じでしょうか。

 

山下 優しくてかわいらしい感じですかね。何だろうな……うまい言葉が見つからないけど、本当にいいヤツなんですよね。

 

──久々に一緒にお仕事をされていかがでした?

 

山下 最初はちょっと照れくさかったです。「天然コケッコー」当時は、僕も若かったので、昔の自分を知っている、知られているというのは照れくさいですよ。だからお互い昔のことはあまり掘り下げない(笑)。……今、ふと思い出したんですけど、「1秒先の彼」のなかで僕はあれが好きなんですよ。ラジオDJの笑福亭笑瓶さんと岡田くんがしゃべるシーンがあって、「僕、つまらん男ですもん」って言うんです。これだけいい顔を持っていて、すごく優しいのに「僕、つまんない男ですから」ってことを自覚している。そこにキュンとくるんです。言い方が難しいんだけど、彼のよさってガワを生かし切れていないところだと思うんです。めちゃくちゃキレイだし、あのビジュアルは才能なんだけど、それを意識してないというか、使い方が分かっていない。だからすごくいいヤツだなって思うんですよね。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──あまり外見を気に留めていない感じはするかもしれないです。

 

山下 そうそう。「天然コケッコー」のときからスカした感じが1ミリもない。普段は「すみません、すみません」って感じで、それがすごくかわいかったんだけど、当時から変わっていないんです。それが「岡田だな」って感じがしました。だからラジオで笑瓶さんに相談するのも説得力があるんですよね。桜子(福室莉音)というギターの弾き語りをしている女の子に惚れて、笑瓶さんに「今日が一番幸せです」って言うんだけど、本当にそうなんだろうなって思う(笑)。岡田くんがやると嫌味じゃないんですよ。他のイケメンがやったら「モテないキャラを演じているんでしょ?」って思うかもしれないけど、岡田くんが言うと本当にそう見えるんですね。

 

現場では隠れていたい。帽子、メガネ、ヒゲとできるだけ隠したいってことなのかも

──では最後に、GetNavi webということで、モノに関するお話をお聞きしたいのですが、監督が撮影に必ず持っていかれるモノを教えてください。

 

山下 オレらしいもの……帽子ですかね。撮影で合宿するとなると、帽子を何種類も持っていきます。それが一番こだわっているものかも。

 

──今日もニット帽を被っていらっしゃいますが、ニット帽に限らず被っていらっしゃるということですか。

 

山下 限らずですね。そろそろ夏なのでニット帽はもう限界です(笑)。1か月くらい掛かる撮影だと、ハット、キャップ、ニット帽と3つ、4つ持っていきますね。

 

──気分で替えていらっしゃるのでしょうか。

 

山下 気分で替えます。クセなんですよね。床屋さんに何十年も行ってなくて、家でバリカンで刈るんですけど、要は髪のセットが苦手で自分ではやらないから、帽子を被るのがクセになっています。

 

──髪をセットしないからすぐに出られるように帽子をかぶると。

 

山下 そうですね。なんかこう、僕は現場で隠れたいんですよ。芝居を見るときも顔をこう台本で隠しています。逆に一番目立つっていう話もあるんですけど(笑)、できれば隠れたい。どういう心理状態なのかわからないんですが、帽子、メガネ、ヒゲと全部できるだけ隠したいってことなのかもしれないなって最近思います。

 

 

1秒先の彼

7月7日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

 

(STAFF&CAST)
監督:山下敦弘
脚本:宮藤官九郎
原作:「1秒先の彼女」(チェン・ユーシュン監督)
主題歌:幾田りら「P.S.」

出演:岡田将生、清原果耶
荒川良々、福室莉音、片山友希
加藤雅也、羽野晶紀、しみけん
笑福亭笑瓶、松本妃代、伊勢志摩
柊木陽太、加藤柚凪ほか

(STORY)
ハジメ(岡田)は京都の生まれ。いつも人よりワンテンポ早く、50m走ではフライング。記念写真を撮るといつもシャッターチャンスを逃してしまい、小学校、中学校、高校の卒業アルバムの写真はことごとく目を閉じている。現在、ハジメは長屋で妹の舞(片山)とその彼氏のミツル(しみけん)と3人で暮らしている。

ハジメの職場は京都市内にある中賀茂郵便局。彼は高校を卒業して12年間、郵便の配達員だった。ついたあだ名が、『ワイルド・スピード』。度重なる信号無視とスピード違反で免許停止を食らい、それからは窓口業務だ。ハジメと同じ窓口に座るのは新人局員のエミリ(松本)と小沢(伊勢)。いつも2人に「見た目は100点なのに中身が残念」と言われ、ふてくされる日々。

レイカ(清原)も京都の生まれ。日本海に面した漁師町の伊根町で育った。いつも人よりワンテンポ遅く、50m走では笛が鳴ってもなかなか走りださない。現在、彼女は大学7回生の25歳。アルバイトをいくつも掛け持ちし、学費を払いながらの貧乏生活だ。写真部の部室に住み込み、1人ぼっちで夜食をとりながら、ラジオを聴いている。

ある日、急停車したバスに追突した高校生を看護するハジメの姿をみて、既視感をおぼえたレイカ。郵便局でハジメの窓口にいき、胸の名札『皇』の文字を見つめる。

街中で路上ミュージシャン・桜子(福室)の歌声に惹かれて恋に落ちるハジメ。早速、花火大会デートの約束をするも、目覚めるとなぜか翌日に。“大切な1日”が消えてしまった…!? 秘密を握るのは、毎日郵便局にやってくるレイカらしい。ハジメは街中の写真店で、目を見開いている見覚えのない自分の写真を偶然見つけるが……。

【映画「1秒先の彼」よりシーン写真】

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

 

撮影/関根和弘 取材・文/佐久間裕子

【デビュー20周年】湘南乃風、史上最高の“仲の良さ”! ベストアルバム&ハマスタ公演へ【インタビュー前編】

メジャーデビュー20周年を、2023年7月30日(日)に迎える湘南乃風。『純恋歌』や『睡蓮花』など数々のヒット曲を世に送り出し、2021年には加山雄三さんの「海 その愛」の音源を使用した『湘南乃「海 その愛」』をリリースし話題に。7月5日(水)には、記念すべきベストアルバム『湘南乃風~20th Anniversary BEST~』を発売し、8月12日(土)には横浜スタジアムで「湘南乃風 二十周年記念公演 風祭り at 横浜スタジアム」を開催予定だ。

湘南乃風●しょうなんのかぜ…RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUNからなる4人組レゲエグループ。2003年にメジャーデビューを果たし、2006年にラブソング『純恋歌』が約60万枚を超える大ヒットに。2007年には『睡蓮花』、2008年には『黄金魂』とヒット曲を続々とリリース。TwitterInstagram

 

今回は、まさにアニバーサリーイヤー中の湘南乃風にインタビュー。若旦那は都合が合わず残念ながら不在となったものの、前編ではRED RICE、HAN-KUN、SHOCK EYEの3人が20年の歩みと、過去最高だという現在のメンバー間の“仲の良さ”について、後編ではそれぞれが今ハマっているモノ・コトについて熱く語った。

 

【湘南乃風、20周年撮り下ろし写真】

 

20年目の初感覚「距離感が、今までで一番良いんじゃないか」

↑RED RICE

 

──メジャーデビュー20周年、おめでとうございます! 改めて、今のお気持ちを聞かせてください。

 

RED RICE ありがとうございます。まずは素直にうれしいですね。ここまで来れたんだな、というのを噛みしめています。

 

──デビューからグループが20年続くというのは、すごいことかと。

 

RED RICE たしかに、そうですよね。俺らも10周年ぐらいまでは、未来が当たり前に来るようなイメージで過ごしていました。付き合いたての恋人じゃないけど「俺ら一生一緒だぞ」みたいなテンションでやっていました(笑)。

でも10年目以降は、うまくいかないことやメンバー個人の活動もあって、全然違う生活をする時間が増えた。コロナ禍も重なり、20年目に辿り着けるか不安だったんです。結果として、こうして無事に迎えられて、安堵しています。

 

──コロナ禍も落ち着いてきたタイミングで、20周年ライブツアーも順調に進んでいらっしゃいますね。

 

RED RICE 今回っているツアーは、本当にいい形で進められています。特にメンバー間の距離感が、今までで一番良いんじゃないかって。なんでしょうね……みんなここにいたいから自然といる、みたいな状態になっています。

ライブが終わった後も、 レコード会社や事務所が開く打ち上げではなく、自分らで「なんか食いに行こうか」って。気づいたらバックDJのBK(The BK Sound)と5人で寿司屋のカウンターに並んで、食いながらその日のライブの話をしています(笑)。

 

SHOCK EYE RED はずっと「終わらないでほしい」って言ってるんですよ。ロマンチックですよね。

 

RED RICE とても居心地よく一緒にいる感じがあります。20年目にして、初めての感覚を味わっている(笑)。だから8月12日の横浜スタジアム公演も来なきゃいいのに、このツアーがずっと続けばいいのに、と思っています。

 

──20周年ツアーが終わってほしくないのですね。コロナ禍を経たこともあり、ファンもライブを心待ちにしていたのではないでしょうか。

 

RED RICE タオルを回せなかったり、収容人数が半分だったり、そういうライブを超えてきましたからね。今、お客さんたちが本当に楽しそうで。それは俺ら自身が楽しめていることもありますが、とにかくライブ全体の雰囲気が良いんですよ。

 

──SHOCK EYEさんは、ツアーを回っていかがですか?

↑SHOCK EYE

 

SHOCK EYE 幸せな時間ですね。もちろん、ライブ中に自分なりの課題が見つかる時もありますが、喜怒哀楽を感じられてうれしいです。コロナ禍では何の感情もないような時期があり、自分にとって、とても不幸せな時間だと思いました。だからこそ、今ライブができるありがたみを噛みしめつつ、今後の活動1つひとつを大事に、繊細に扱いたいです。

 

──同じように、ファンの方も幸せだと感じていると思います。

 

SHOCK EYE こうやって、ファンの方々がまた会いに来てくれるのもありがたいですよね。みんなの前でライブを続けていくためにも、メンバー同士も幸せだと思えるように、良い距離感で活動していきたいです。

 

──HAN-KUNさんはいかがでしょうか?

↑HAN-KUN

 

HAN-KUN ツアー、すげえ楽しいっすね。みんな盛り上がってくれてありがたいです。……って若旦那も言ってます! 今日はこれが彼の代わりです(フリスクの箱を動かして喋らせながら)。

 

──あはは! 若旦那さんも、ありがとうございます!

 

 

“新橋編”という新たな試み「若旦那の中でしっかりとイメージが」

──べストアルバム『湘南乃⾵ 〜20th Anniversary BEST〜』が7月5日に発売予定ですが、テーマが「湘南編」「新宿編」「新橋編」と分かれていますね。先日それぞれのコンセプトジャケットを、3箇所で撮影されたとか。

 

HAN-KUN このアルバムのコンセプトアイデアを出したのは、若旦那です。ちょっと聞いてみますね……(フリスクの箱を振りながら)「俺が一番こだわったのは新橋編です」だそうです。

 

──(笑)。新橋編には『カラス』や『黄金魂』、『夢物語』などの曲が収録されていますね。あえていうと、湘南乃風にあまり“新橋”のイメージはないと思ったのですが。

 

HAN-KUN 正直俺らも撮影をやってみるまで、若旦那が考えているイメージに追いつけなかったんです。でも実際に、それぞれの場所で衣装を着てロケをしてみると、新橋で撮った写真が一番しっくりきたんですよ。

撮影して初めて、若旦那の中では、しっかりとイメージが出来上がっていたんだなって分かりました。あと今まで俺らは、役に成り切ったり演じたりして撮影することがなかったんです。

 

──今回は貴重な撮影だったわけですね。

 

HAN-KUN そうなんです。みんなでちょっと恥ずかしがりながら「似合ってるじゃん(笑)」と会話しつつ撮影しました。俺たちの内側でのやりとりもすごく新しくて、新鮮だったんです。REDなんか撮影終わりに「ああ、楽しかったなあ」って、こぼれるようにつぶやいていて。

 

RED RICE ツアーと同じく「この撮影が終わってほしくない!」と思いました。それくらい楽しかったんです。良い雰囲気でロケができました。ちなみに見てもらえば分かると思いますが、湘南編のジャケット写真が一番フィットしていないですよ(笑)。

 

──え、そんなことあるのですか⁉

 

SHOCK-EYE いや~、実は“ハズしに”いってまして。

 

RED RICE 湘南編のコンセプトも若旦那のアイデアなんですけど、撮る時に「冗談で言ったんだけどな……」とボソッとつぶやいていて。

 

HAN-KUN 最終的に「サッとやって、サッと帰ろう!」と言っていたくらい。とりあえず、それぞれのコンセプト写真の仕上がりは、ぜひ見てほしいですね。自分の目で確かめてみてください。

 

──楽しみにしています!

 

※後日、撮り下ろし写真を使用した貴重なアルバムジャケットが公開。新橋編とともに、新宿編、「一番フィットしていない」というまさかの湘南編はコチラを要チェック!

↑メンバーが「一番しっくりきた」という新橋編

 

 

デビュー時から変わらぬスピリット「自分のリアルを歌う」

──20周年を迎え、今デビュー当時の曲を改めて歌う時、曲に込める想いや感覚に変化はありましたか?

 

RED RICE 俺は全然変わらないですね。よく「このころは若かったよね」とか「今じゃこの歌詞書けねえな」とか話は出るけれど、ステージで歌っている時は、気持ちも感覚も当時まで戻っちゃう。「大人になりたくねえ」みたいな歌詞があっても、全然歌えます。もう50手前ですけど(笑)。

SHOCK EYE 僕も一緒です。変わらないというか、地続きの話なんです。ずっと歌っていなかった曲を20年ぶりに歌うとしたら感覚は違うかもしれないけれど、どの曲もずっと歌い続けてきたので。

 

──20年間走り続けてきたからこそ、変わらないと。

 

SHOCK EYE 自覚していない変化はあるかもしれないけどね。ただ当時の言葉であっても、歌うたびに、自分に馴染んでいることを感じたり共感したりしながら歌っているんですよ。単純に、曲の構成や作り方に関して「これは今じゃ作れないなあ」と思う作品はありますが。

 

──なるほど。湘南乃風が音楽を作るうえで、20年間変わらず大切にしていることがあれば教えてください。

 

RED RICE 俺は曲を書くのが一番遅いんですけど、良く言えば、“自分が本当に納得するまで作り続ける癖”です。それは20年間変わっていない。

進行が遅くなってみんなに迷惑かけたり、最初に作ったものに結局戻ったりもしますけど。でも無駄な工程を繰り返したからこそ、初めに出てきたものが良かったと再認識できる。それをやらないと自分の正解が分からないので。

 

──HAN-KUNさんは、いかがでしょう?

HAN-KUN 僕は歌詞作りで、嘘をつかないことですかね。経験したことや自分のリアルをちゃんと伝えることを、ずっと変えていない。できていないことは、できていないと言うし、やりたいことは、本当にやりたいと思う理想を伝える。まだ実現できていない理想を語ったとしても、自分の人生の線上にあることを歌詞に乗せるようにしています。

 

──すてきですね。それが若いころから変わっていないのがすごいです。

 

HAN-KUN 俺らが憧れて、活動を始めるきっかけになった音楽が「レゲエ」なんですけど、そもそもレゲエが大切にしているのが、実際に起きたことを歌うことなんですよ。発祥のジャマイカでは、社会的に困窮している中での反骨精神や反逆性が歌われているんです。

日本では置き換えづらい部分もありますが、やっぱり身近に起きたこと、体験したことを歌うことで、共感を生むというのが大切だと思います。

 

──レゲエのスピリットに則って作り続けている、ということですね。

 

HAN-KUN はい。例えば恋愛や友情、楽しいパーティーだったとして、実際に自分が体感したことを歌詞にすることで、聴いている人がまるで一緒に経験しているかのように、楽しく感じてほしいんです。

 

──実際に湘南乃風の曲には、リアルな情景が浮かぶような歌詞や、共感できる言葉が多いと感じます。

 

HAN-KUN レゲエを始めたころ「音の上で会話しているような音楽」だという印象を受けました。だから俺らの音楽を聴いた人が、俺らと会話しているように思ってほしいなと。

「なんで俺のこと知ってるの?」「なんで今、ここで頑張れって言ってくれるんだろう」「俺のこと見てくれているのかな」なんて思ってもらえるような身近さとリアルさを、今も変わらず大事にしています。

 

──SHOCK EYEさんは、変わらず大切にしていることは何かありますか?

SHOCK EYE 僕は、ずっと勉強させてもらっているという感覚です。常に変わらなきゃ、成長しなきゃと思っています。それは表層的なものや音楽的な話でなくて、内面的で人間的成長の部分のことです。自分自身にダメ出しをするタイプなんですよ。

 

──常に変化を求めてきた、ということですか?

 

SHOCK EYE いや、変化することだけが正しいわけではないと思っています。時に我慢して何かをやり続けることや、維持し続けることが成長に繋がる場合もあるので。要は“こうあるべきだと思わないようにする”ことを心がけています。

 

──なるほど。より成長するための最善を考えているということですね。

 

SHOCK EYE はい。今後も、個人としてもグループとしても成長し続けられたらと思いますね。

 

──ではここで二十周年記念公演に向けて、読者にメッセージをお願いします。

 

HAN-KUN リーダー、代表して!

 

RED RICE 8月12日に横浜スタジアムで「湘南乃風 二十周年記念公園 風祭り」があります。20年経ったからこそ出せる“俺たちの味”や、 20年歌い続けた人間にしか見せられない景色があると思うので、ぜひ足を運んで欲しいなと思います。湘南乃風史上、一番仲の良いメンバーの空気を浴びに来てほしいです!

 

──楽しみにしています!

 

※湘南乃風へのインタビューは7月7日公開の後編へ。3人がハマっているという “今アツい”モノとは?

 

ヘアメイク/Chiho Oshima スタイリング/Kan Fuchigami

伊藤沙莉「私が目指していた幅広い役を演じられる女優さんに近づいているようで光栄」『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』

『ミッドナイトスワン』の内田英治監督と『さがす』の片山慎三監督が共同監督を務める『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』が6月30日(金)より公開します。主人公・マリコを演じるのは、来春のNHK連続テレビ小説「虎に翼」でヒロインを務めるなど、ドラマ・映画と出演作が続く、伊藤沙莉さん。新宿・歌舞伎町を舞台に、行方不明になった地球生命体を探すバーテンダー兼探偵というブッ飛んだキャラを演じる伊藤さんに、撮影エピソードや女優としての醍醐味など伺いました。

 

伊藤沙莉●いとう・さいり…1994年5月4日生まれ。千葉県出身。2003年、ドラマデビュー。NHK連続テレビ小説「ひよっこ」(17)で注目を集める。20年、ドラマ「全裸監督」「これは経費で落ちません!」、テレビアニメ「映像研には手を出すな!」(声の出演)などの活躍を評価され、第57回ギャラクシー賞テレビ部門個人賞を受賞。21年は『ステップ』『劇場』『ホテルローヤル』『タイトル、拒絶』などにより、第63回ブルーリボン賞助演女優賞、第45回エランドール賞新人賞を受賞。22年は『ボクたちはみんな大人になれなかった』『ちょっと思い出しただけ』で第45回山路ふみ子女優賞、今年はNHK特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」における演技で第77回文化庁芸術祭 テレビ・ドラマ部門放送個人賞を受賞。6月5日(月)より舞台「COCOON PRODUCTION 2023『パラサイト』」に出演。24年はNHK連続テレビ小説「虎に翼」の主演を務める。TwitterInstagram

 

【伊藤沙莉さん撮り下ろし写真】

 

魅力的な2つの職業を同時にできたことでお得感があって嬉しかった

──5月に公開された『宇宙人のあいつ』に続き、奇しくも“宇宙人”がキーワードになっています。

 

伊藤 企画の立ち上げでいえば、『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』(以下、『マリコ』)の方がずっと前なんです。かれこれ5年ぐらい前から動いていたんですが、その頃は宇宙人の話になるとは聞いてなかったんですよ。その後、いろいろあって……撮影は『マリコ』が先だったんです。

 

──『宇宙人のあいつ』の飯塚健監督も、『マリコ』の内田英治監督も、以前から伊藤さんを起用してきた恩師ともいえる監督なのも興味深いですよね。

 

伊藤 飯塚さんと内田さんは友人同士でもあるんですけど、さすがに「なんで、ここに来て宇宙人被りしているんだ!?」と思いました(笑)。劇場公開のタイミングまで一緒になったことには、本当にビックリです!(笑)

 

──今回演じられた新宿にある小さなバーのバーテンダーで、探偵であるマリコというキャラクターについてはどう思われましたか?

 

伊藤 私にとって魅力的な2つの職業を同時にできたことで、お得感があって嬉しかったです。もともとスナックやバーの雰囲気が好きで、『ブルーアワーにぶっ飛ばす』や『すずめの戸締まり』ではスナックのママやチーママをやらせてもらっているんですよ。それに『探偵はBARにいる』のような探偵ものも好きで、志村(けん)さんの助手役をやらせていただいたドラマ(「志村けんin探偵佐平60歳」)も楽しかったんです。マリコには助手がいない設定ですが、あえて一人でやっている感じもかっこよかったです。

 

どこか演劇をやっているような楽しさも

──まさに内田監督による当て書き&ハマり役といえますが、演出に関しては、伊藤さん長編初主演映画『獣道』のときとの違いは?

 

伊藤 内田さんは『獣道』のときとは……全くの別人でした(笑)。優しく寄り添ってくれるような感じで、とにかく丸くなった感じ(笑)。私もこれといった役作りもしませんでした。コロナ禍とはいえ、歌舞伎町で撮影できましたし、舞台となるバー「カールモール」も実在している店内で撮影できました。とてもぜいたくな現場で楽しかったです。

 

──伊藤さんも出演された「全裸監督」では助監督を務めていた片山慎三監督が、本作では共同監督で参加しています。

 

伊藤 監督としての片山さんとご一緒したい気持ちが強かったので、「なんてぜいたくでありがたい機会なんだ!」と思いましたね。片山さんは『さがす』や『岬の兄妹』のようなハードな作風の作品を撮る方とは思えないぐらい優しい方で、こっちが恐縮するぐらい腰が低くて驚きました。それにいろいろとキャラの濃い人たちと交わりながら群像劇を作っていく、どこか演劇をやっているような楽しさもありました。

 

──とはいえ、ほとんどのキャストが初共演だったということで、以前からおっしゃっていた人見知りは出ませんでしたか?

 

伊藤 スナックやバー独特の話しかけたくなるような雰囲気もありましたし、マリコは基本バーカウンターの中にいるので、その設定に助けられたような気がするんです。本当のママのように、入れ替わり立ち代わりやって来るお客さんをもてなして、捌いていくような気分でした(笑)。内田さんの映画らしい自由度の高いシーンもありますし。

 

休憩中の竹野内さんの真摯な姿に感動しつつ、不思議な空気感に笑いを堪えていました

──自称忍者・MASAYA役の竹野内豊さんとの撮影現場でのエピソードは?

 

伊藤 竹野内さんは、とても不思議な魅力をお持ちの方。休憩時間にふと気づいたら、真剣に忍術指導の先生と会話をされている竹野内さんがいらっしゃったんです。「ここができないんですよ」と真剣に質問されていて、まるで本当に忍者修業をしているお弟子さんのようで……。そのあまりに真摯な姿に感動しつつ、不思議な空気感に笑いを堪えていました。

 

──内田監督・片山監督が各3話を演出。全6話で構成されていますが、お気に入りのエピソードを教えてください。

 

伊藤 どのエピソードも面白かったのですが、そのなかでも北村有起哉さんが演じた落ちぶれたヤクザと行方不明の娘さんとのエピソード(「鏡の向こう」)が一番好きですね。どうしようもできない、救いようもない感じに泣きました。北村さんの娘役を舞台版の「幕が上がる」と「転校生」で一緒だった藤松祥子さんがやっていて、好きな女優さんなんです。今回は久しぶりの共演で、残念ながら一緒のシーンがなかったんですが、そういう特別な思いもあって好きですね。

 

「今日は宇宙人と一緒だ」とか、よく分からない愛着がわいてきました(笑)

──他にお気に入りのキャラはありましたか? また宇宙人との共演はいかがでしたか?

 

伊藤(「姉妹の秘密」に登場する)殺し屋姉妹というか、妹さんの彼氏を含む、三角関係が好きですね(笑)。3人の、宇宙人よりもファンタジーな設定が意味不明すぎて面白かったです。あと、宇野祥平さんがバスケットケースの中に入れた宇宙人を運んでいるんですが、実際には箱の中に何も入っていないんですよ。でも、撮影が進むにつれて、「今日は宇宙人と一緒だ」とか、よく分からない愛着がわいてきました(笑)。

 

──7月から放送のドラマ「シッコウ!!~犬と私と執行官~」に続き、日本初の女性弁護士を演じる24年放送のNHK連続テレビ小説「虎に翼」に主演。宇宙人に続いて、今度は法を司るリーガル系の役が続きます。

 

伊藤 前々から同じクールのドラマで、同じ題材やテーマが扱われることが不思議だなぁと思っていたんですよ。いろんな方のアンテナの張るタイミングだったり、前から温めていた企画がたまたま重なっただけだと思うんですが、今の私はまさにその渦中にいる感じです(笑)。ファンタジーから、リアルと、ふり幅はすごすぎますが、それでこそ私が目指していた幅広い役を演じられる女優さんに近づいているようで光栄ですね。

 

 

探偵マリコの生涯で一番悲惨な日

6月30日(金)より全国ロードショー

【映画「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」よりシーン写真】

 

(STAFF&CAST)
監督:内田英治、片山慎三
脚本:山田能龍、内田英治、片山慎三
主題歌:Da-iCE「ハイボールブギ」(avex trax)

出演:伊藤沙莉
北村有起哉、宇野祥平、久保史緒里(乃木坂46)、松浦祐也
高野洸、中原果南、島田桃依、伊島空、黒石高大、
真宮葉月、阿部顕嵐、鈴木聖奈、石田佳央、
竹野内豊

(STORY)
新宿歌舞伎町にある小さなバー「カールモール」のカウンターに立つ、27歳の女・マリコ(伊藤)。さまざまなワケあり常連客を相手にする一方、「新宿探偵社」の探偵としての顔も持つ彼女のもとに、ある日FBIを名乗る3人組から「アメリカへの移送中に連れ去られた地球外生命体を捜してほしい」という、謎の依頼が舞い込む(「歌舞伎町にいる」)。ほか、全6エピソードから完成するコラボレーション・スタイル。

(C)2023「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/岡澤愛子 スタイリング/吉田あかね

乃木坂46・久保史緒里&上田誠「上田さんの現場はムチャぶりだらけですが、ワクワクしかないです」映画『リバー、流れないでよ』

結成25周年を迎えた劇団ヨーロッパ企画による新作オリジナル映画『リバー、流れないでよ』が6月23日(金)より全国で公開。脚本家・上田 誠さんが得意とするタイムリープを軸に、“2分間”のループ地獄に翻弄される人々を描いた本作。物語のカギを握る人物を上田作品に縁のある久保史緒里さんが演じるなど、公開前から多くの注目を集めている。そこで互いに厚い信頼を寄せるお2人に、これまでの出会いから新作の制作秘話などをたっぷりと語ってもらった。

 

【久保史緒里さん、上田誠さん撮り下ろし写真】

初めて出会ったときの久保さんは心がゼロオープンでした

──お2人の最初の出会いは2021年の舞台『夜は短し歩けよ乙女』になるのでしょうか?

 

上田 そうです。僕が作・演出をし、久保さんにはヒロインの乙女役を演じていただきました。

 

久保 その後に、同じ年に放送されたドラマ(『サマータイムマシン・ハズ・ゴーン』)にも呼んでいただいて。ですから、私にとって上田さんの脚本作品に参加するのは、今回の映画で3回目になります。

 

──当時はどのような印象を?

 

上田 きっと緊張されていたんでしょうね。最初は全く心を開いてくれなかったです(笑)。

 

久保 ははははは!

 

上田 もう、ゼロオープン(笑)。でも、初めてご一緒する舞台ってそういうものなんですよね。僕もヨーロッパ企画という劇団を運営しているので、久保さんの気持ちがよく分かるんです。普段乃木坂46ではグループで活動していて、そこから1人で一歩外に出て仕事をするとなると、どうしても気が張っちゃいますから。

 

久保 それに、コロナ禍での感染対策として、稽古中はあまり雑談みたいなこともできなくて。それで打ち解けるのに時間がかかってしまったというのもあります。

 

上田 でもそうした中、久保さんの役者としての力量には驚かされっぱなしでした。『夜は短し歩けよ乙女』って結構内容がぶっ飛んでいて、セリフも多かったし、歌まであったんです。とにかくやることが多い舞台だったんですが、久保さんは毎日のように課題を一つずつクリアしていき、稽古のたびに、“あ、ここがすごくよくなってる!”という発見がありました。

 

 

久保 そんなに褒めていただいて恐縮です。私、あの稽古ですごく覚えていることがあって。劇中で空を飛ぶシーンがあったじゃないですか。

 

上田 ありましたね。

 

久保 それで、私がたまたま稽古期間中に別のお仕事でスカイダイビングをする機会があり、上田さんに後で、「私、乙女が空を飛んでいるときの気持ちがよく分かりました!」って報告したんです。そしたらものすごく笑ってくださって。「え〜、変わってんね〜!」って言われたんですよ(笑)。

 

上田 ははははは! 確かに言ったかも(笑)。

 

久保 そこからでしたね。私の心が一気に開いたのは。

 

上田 えっ、あそこだったの?(笑)

 

久保 もちろん、それまでのいろんな会話やコミュニケーションの積み重ねがあったうえでのことですけどね。

 

上田 そうかあ〜。いや、実はね、スカイダイビングの話を聞いたとき、僕、感動していたんですよ。

 

久保 そうだったんですか?

 

上田 うん。舞台の稽古って集中力が必要だし、かなり疲れますよね。にもかかわらず、そんな大変な合間にスカイダイビングの仕事を入れるってなかなかできないことで。ぶっちゃけ、僕が久保さんの立場だったら、空を飛びながら「ふざけんな!」ってキレてると思うんです(笑)。なのに久保さんは不機嫌になるどころか、“役の気持ちになれた!”という感覚をつかんできて。そりゃもう、演出家としては大感動ですよ。“この人は、一切の時間と仕事を無駄にしていなんだな”って思いました。

 

久保 いえ、とんでもないです。『夜は短し〜』の稽古は本当に楽しかったんです。上田さんはいつも笑顔で、毎日同じシーンをやっても、毎日同じところで笑ってくださいましたし(笑)。そのことでこちらもお芝居がどんどん楽しくなれて。それもあって、私の緊張がちょっとずつほぐれていったというのもありましたね。

 

久保史緒里●くぼ・しおり…2001年7月14日生まれ。宮城県出身。2016年に乃木坂46の3期生としてデビュー。俳優としても活躍するほか、ファッション誌「Seventeen」専属モデル、「乃木坂46のオールナイトニッポン」のメインパーソナリティーなど多方面で活躍中。主な出演作に、映画『左様なら今晩は』、ドラマ「クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術」、舞台「桜文」など。現在、NHK大河ドラマ「どうする家康」に出演中。待機先に映画『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』、劇団☆新感線 いのうえ歌舞伎「天號星」がある。公式ブログInstagram

 

お声掛けいただいたときは、「ぜひ!」と即答でした

──お2人はその後、先ほど久保さんのコメントにもあったようにドラマ『サマータイムマシン・ハズ・ゴーン』で再会されました。

 

上田 あのドラマは《時間》をコンセプトにした短編集で、どれもトリッキーな物語だったんです。それこそタイムマシンが出てくるものや、別の時間軸で生きているもう一人の自分が出てくるものがあったり。その中でも久保さんにヒロインをお願いした『乙女、凛と。』という作品は最もテクニカルなもので、約1分後の未来の自分と電話で会話をするという内容のお話でした。

 

久保 しかも長回しの撮影だったうえに、最後の最後で未来の自分と歌でハモるという展開があったんです。

 

上田 過酷ですよね。せっかく京都の先斗町での撮影だったのに、全然楽しくなかったと思います(笑)。

 

──“自分とハモる”という発想がユニークですね。

 

上田 これは久保さんが主演だったから思いついたアイデアでした。というのも、ヨーロッパ企画の劇団員には音楽ができる人があまりいなくて。それもあって、僕自身は以前から音楽モノの作品をすごく作りたかったんですけど、20年以上叶わずにいたんですね。それが、『夜は短し〜』で音楽劇のようなことができて、気持ちの上でも充実していて。その流れでもう一度、久保さんと一緒に音楽を使った短編映像を作りたいなと思ったんです。その結果、とんでもないムチャぶりだらけの現場になってしまいましたけど(苦笑)。

 

久保 現場ではずっと緊張していました。頭から終わりまで10分ぐらいの物語をすべて長回しで撮っていたので、最後のハモリでミスをしたら、それまでの撮影が全部無駄になってしまうと思って。

 

 

上田 しかも、メロディがあるようでないようなアカペラでしたしね。

 

久保 リズムがちょっとでもズレたら撮り直しになるので、カメラの後ろで上田さんが指揮をしてくれていましたよね(笑)。

 

上田 そうそう。あと、音程も取らないといけないから、あのとき僕はハーモニカをポケットに忍ばせていたんですよ。

 

久保 そうでした!

 

上田 そしたら、久保さんがおずおずと……ものすっごくおずおずと、「……あの、私、いちおう、絶対音感があるんで……たぶん、大丈夫だと思います」と言ってくださって。あの節は本当に助かりました(笑)。

 

久保 いえいえ。

 

上田 でも、正直どうですか? 僕との仕事はムチャぶりばかりで困ってませんか?

 

久保 全然です! すごく楽しいです。ほかでは絶対に経験できないことが多いですし。“大変だ!”とか、“う〜ん、これは困ったぞ”と思ったことも一度もなくて。むしろワクワクしかないです。もちろん緊張はあります。『乙女、凛と。』のときも間違えられないぞって思っていたのに、最初にNGを出してしまったのが私でしたし。

 

上田 序盤の歌のところでね。

 

久保 はい。撮影が始まってそうそうに歌もセリフも全部飛んでしまって。でも、あのとき、共演者の永野(宗典)さんが落ち込んでる私を見て、「主演が最初に間違えてくれたほうが、僕らはありがたいんだよ」とおっしゃってくれたんですよね。

 

──優しい!

 

久保 そうなんです。ヨーロッパ企画の皆さんは本当にお優しいんです。だから、どんな挑戦でも前向きに楽しく挑めるんです。

 

──でも、その永野さんはいきなり本番でアドリブを入れてきたと聞きました。

 

久保 あ〜……はい(苦笑)。

 

上田 彼は変態ですからね(笑)。長回しだからカメラワークも決まっているのに、それでもアドリブを入れてくるような男ですから。でも、久保さんが僕たちの現場を楽しいと言ってくれてホッとしています。僕は演劇でも映画でも、いろんなことに挑戦していますが、それはまだ誰も見たことのない実験的な風景や映像を作りたいという野心があるからなんです。でも、それをやろうとすると、どうしてもムチャなチャレンジも必要になってくる。そんなとき、劇団員であれば忌憚なく頼めるんですね。逆に言えば、身内の人間にしか頼めない(笑)。そうした中で、久保さんはいつも僕の想像以上のものを生み出してくださるので、厚かましくもお願いすることが多くて。今では、それぐらい僕の作品には欠かせない方だと思っています。

 

久保 そう言っていただけて嬉しいです!

 

上田 今回の映画にしても、相当難しい役だったと思うんです。何者なのかよく分からないのに、キーパーソンとしての存在感を出しつつ、それでいて、目立ちすぎないように物語に溶け込む必要がありましたから。でも、それを頼めるのは久保さんしかいないと思って。

 

久保 ありがたいです。私も今回の役でお声掛けいただいたときは、「ぜひ!」と即答でした。

 

上田 誠●うえだ・まこと…1979年11月4日生まれ。京都府出身。劇団「ヨーロッパ企画」代表、全ての本公演の脚本・演出を担当。2017年に舞台「来てけつかるべき新世界」で岸田國士戯曲賞受賞。近年の主な作品に、映画『ドロステのはてで僕ら』(原案・脚本)、『前田建設ファンタジー営業部』(脚本)、アニメ映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(日本語吹き替え版脚本)、『四畳半タイムマシンブルース』(原案・脚本)、ドラマ「魔法のリノベ」(脚本)、舞台「たぶんこれ銀河鉄道の夜」(脚本・演出・作曲)などがある。Twitter

 

試写を観て、「あ、本当に完成するんだ!」って感動しました

──今回の映画の台本を最初に読まれたときはどのような印象でしたか?

 

久保 “なんて新しくて面白い試みの作品なんだろう!”と思いました。でも同時に、“これ、どうやって撮るんだろう……?”という疑問が生まれて。撮影しているときのイメージも完成形も、全く想像がつかなかったんです。

 

上田 京都の貴船にある旅館とその周囲だけが突然、延々と2分間のタイムリープを繰り返すという内容ですからね。撮影現場もほかの映像作品とはちょっと雰囲気が違いましたよね。

 

久保 しかも、それぞれの2分間の物語を毎回長回しで撮っていたので、監督(山口淳太)も常にストップウォッチを片手に時間とも戦っていて。「あ〜、10秒オーバーした!」とか、「今度はちょっと短い!」って(笑)。その様子を近くで目の当たりにしていたので、実際に完成試写を見たときは涙が出ました。

 

上田 それはどういう涙?

 

久保 いろんな感情があふれてきたんですが、“あ、本当に完成するんだ!”という驚きもありましたね(笑)。

 

上田 ははははは! でも、そうだよね。当然、物語は台本通りに展開するんだけど、現場ではいろんな2分間のお話を撮っているから、どこがどうつながっていくのかが立体的にイメージできないだろうし。

 

久保 そうなんです! だからこそ、完成したものを見たときの感動がすごくて。なかなか味わえない体験でした。

 

上田 実際の現場もやっぱり大変さはありました?

 

久保 長回しで皆さんがお芝居をされている途中で私がカットインしたりフェードアウトしていくので、“絶対に失敗できないぞ”という緊張感がありました。それに、スタッフさんやキャスト皆さんの熱量もものすごくて。2分きっかりで終わるように何度もリハーサルを重ねたり、相談しあったりして、緻密に作りあげていったんです。そうした繊細な作業をしている場に自分もいられたことが幸せでした。

 

 

 

──上田さんの代表作に映画化もされた『サマータイムマシン・ブルース』(2005年)があり、タイムリープものもこれまでに何度か作られていますが、今作の『リバー、流れないでよ』の構想はいつ頃からあったものなのでしょう?

 

上田 今回は京都の貴船にある「ふじや」という旅館をメインとし、その近くにある建物や貴船神社など、いろんな場所がロケ地提供してくださったんです。そうした、全面協力をしていただけるというお話をいただいてから考えた企画でしたね。

 

久保 本当に素晴らしいロケ地でしたよね。

 

上田 旅館の中の構造も面白かったです。地下がちょっとした迷宮みたいな作りになっていたり。それに、いい意味での箱庭感もあって。“この楽しい場所をどうやって遊び尽くそう?”という感じで構想を練っていきました。

 

──なるほど。また、繰り返されるタイムリープの時間が2分というのもものすごく絶妙だなと感じました。

 

上田 ありがとうございます。これもちゃんと理由がありまして。一部の場所だけがタイムリープしているので、2分以上だと意外と遠くまで行けて、そのままリープ地獄から抜け出せちゃうんですよ(笑)。

 

久保 確かに! それに、登場人物たちが何度も行き来する旅館の本館とはなれも、ギリギリ2分でドラマを展開させながら移動もできる距離感ですもんね。

 

上田 そこもちゃんと事前に調べました。実際に現地に行って、旅館の中を走り回ったり、神社まで走ってみて、“あ、ちょうど1分ぐらいか。それなら残りの1分でどんな展開が生み出せるだろう”って考えたり。

 

久保 すごい! そこまでしっかり計算されていたんですね。

 

──何度も別の形で繰り返される2分間の出来事をすべて長回しで撮るというのも上田さんのアイデアだったんですか?

 

上田 監督の山口と話して決めました。劇団制作で映画を作るときは、なるべく舞台的な映像にしたいなという思いがあるんです。僕らは京都の劇団なので、今回のように地元のロケ地を生かしたものにしたり。長回しの手法もその1つで、普段、演劇活動をしている僕らのアドバンテージでもあるので、よく使うようにしていますね。ただ、僕や劇団員にとってはそこにやりがいを見いだしていますけど、ゲストの久保さんにしてみれば知ったこっちゃない話ですからね(笑)。毎回こうした冒険に巻き込んでしまって、申し訳ないなと思っています。

 

久保 大丈夫です。そんなこと全然思ってませんから(笑)。

 

いつか久保さんには、誰もやったことのない一人芝居を

──久保さんにとって上田さんの脚本作品に参加するのはこれで3度目になりましたが、改めて上田さんが書くセリフの面白さはどんなところだと思いますか?

 

久保 今回の映画で特に感じたことですが、物語を大きく動かす劇的なセリフが散りばめられているわけではないんです。どれもが日常的なさり気ない言葉ばかりで。でも、それが別の誰かの心に刺さっていったり、突き動かしたりする。それがすごく心地いいんです。また、リアルさがあるのに、どれも面白くって。つい吹き出しちゃうセリフもあれば、“さっきの言葉って、こういうことだったのか!”と伏線にもなっていることがあるので、いろんな角度から楽しめる。だから、一度見始めると最後まで見入っちゃうんだと思います。

 

──確かに今回のようなSF要素のある作品でも、説明セリフっぽく聞こえないところに上田さんの言葉のセンスを感じます。

 

上田 そこは意識しているところでもあるんです。おっしゃるようにSFだとどうしても誰かが状況を説明する必要があるんですけど、そこはあまり重要視していないというか。なんなら別に聞き逃してもらってもいいかなって思ってて(笑)。

 

久保 そうなんですか!? でも、言われてみれば、SF部分の説明が理解でなくも物語の流れが分かるようになっていますよね。

 

上田 ええ。雰囲気だけ伝わればいいと思ってますから。だから、もっと言えば説明セリフを言うキャラクターは、ちょっと軽めに扱われていたりすることもあります(笑)。

 

久保 (笑)。そういえば、今回の私の役に関しては最後のほうにちょっとだけ説明セリフがある程度でした。

 

上田 それも意図的でした。というのも、舞台の『夜は短し〜』での乙女はすごく重要な役割を担っていて、物語やセリフをしっかりと観客に届けなくてはいけなかったので、大変な重責を背負わせてしまったなと思っていたんです。でも、それを見事に体現してくださったので、そのおわびというわけではないのですが、今回の映画に関してはもう少し気軽に挑める、重力が軽めのセリフにしました。……といいつつ、かなり大事なキーパーソンの役でしたけどね(笑)。

 

久保 はい。そこは見てのお楽しみということで(笑)。

 

──久保さんが演じる役がどういう存在なのか、ぜひ映画館で確認してもらいたいですね。また、上田さんが紡ぐ物語の魅力に、登場人物がみんな優しく、観終わった後に幸せな気持ちになるというのがあると思います。

 

上田 僕はそういうのが大好きなんです。自分が脚本を書く上でいつも大事にしているのが面白さと懐かしさで。観終わった後に、その2つが心に残ってくれたら嬉しいなと思っているんですね。特に《懐かしさ》って宇宙の根源ぐらい素敵な感情だと思うので、初めて観た作品なのに“なぜか懐かしい”と感じてもらいたい。そのためにも登場人物たちが殺伐とし合うことなく、互いの優しさを渡し合って円環を閉じていきたいと考えていますし、その意味で今回もすごくいい作品になったのではないかなと自負しています。

 

 

──では上田さんが、今後久保さんに演じてもらいたい役などはありますか?

 

上田 ………ちょっと変わった役とか?(笑)

 

久保 やります!

 

上田 早いですね(笑)。

 

──(笑)。なぜ、少し変わった役を?

 

上田 久保さんとはこれまで一緒にお仕事をして、すべてにおいて素晴らしいクオリティのお芝居を魅せてくれているんです。僕としては“最高の役者に出会えた!”という喜びもあるので、せっかくなら今度は誰もやったことのない役に挑戦してもらいたいなと思っていて。……たとえば、一人芝居とか興味あります?

 

久保 やってみたいです! ぜひ、ぜひ!

 

上田 本当に!? じゃあ、そのときはお願いします。

 

久保 上田さんが書かれるものであれば、もう無条件でご一緒します。上田さんが書く一人芝居にもすごく興味がありますし。原型が何もない状態でも断りません(笑)。

 

上田 そんなこと言って大丈夫? だって、人間の役じゃないかもしれませんよ?

 

久保 問題ないです! むしろやりたいです(笑)。

 

──ものすごい信頼感ですね(笑)。では最後に、GetNaviwebということで、お2人が仕事の現場に持っていく必需品をご紹介いただけますか?

 

上田 僕はペンケースとスケッチブックですね。台本のセリフはいつもスケッチブックに手書きで書いているんです。最後にはパソコンで清書をするんですけどね。なので、アナログの文具品はマストです。

 

久保 手書きにこだわるのはどうしてなんですか?

 

上田 パソコンだと手軽に文字が書けるから文章が長くなってしまうんです。最近の小説が長いのもそういう理由だと思っていて。でも、手書きだと途中で疲れちゃう(笑)。すると、短いセリフの掛け合いになるからいいんですよね。

 

久保 へ〜、面白いですね! 私はどんな現場でも干し芋を持っていきます。すっごく緊張するタイプなので、食事が喉を通らなくなることが多くて。ご飯も食べずに現場に行くこともあり、すると集中力が低下してしまうので、干し芋を持っていって食べるようにしています。

 

上田 ご飯は喉を通らなくても、干し芋は大丈夫なの?(笑)

 

久保 ちょっとの量でもお腹が膨れるので(笑)。それに、もはやちょっとしたお守みたいにもなっているんです。“ご飯が食べられなくても、干し芋があるから大丈夫だ!って(笑)。

 

上田 なるほど〜。ちなみに僕の現場はどうですか? ちゃんと食事は食べられてます?

 

久保 これがですね……どんどん喉を通ってしまうんですよ(笑)。

 

上田 よかった〜。

 

久保 今回の映画でも撮影の合間に、みんなでおいしいみかんを囲みながら食べてましたよね。本当に楽しい時間でした。

 

 

 

リバー、流れないでよ

6月23日(金)より全国ロードショー

(STAFF&CAST)
原案・脚本:上田 誠
監督・編集:山口淳太
主題歌:くるり「Smile」(Victor Entertainment / SPEEDSTAR RECORDS)
出演:藤谷理子、永野宗典、角田貴志、酒井善史、諏訪 雅、石田剛太、中川晴樹、土佐和成、鳥越裕貴、早織、久保史緒里(乃木坂46/友情出演)、本上まなみ、近藤芳正

(STORY)
京都の奥座敷・貴船。そこに凛として佇む老舗料理旅館「ふじや」でミコト(藤谷)は仲居として働いていた。別館の裏には清流の貴船川が流れ、そのほとりで川をしばし見つめた後、仕事へと戻るミコト。……が、そこで妙な異変を感じる。目に映る景色や行動、それに番頭(永野)との会話に既視感を覚えたのだ。デジャブかと思いきや、その後も幾度となく繰り返される同じ風景。やがて、この旅館の周囲一帯が2分間の時間をループしていることに気づく。時間が経つと再び最初の位置に戻ってしまうものの、記憶だけは引き継がれていく……。混乱を極めた状況のなか、はたしてミコトたちはこのループ地獄から抜け出すことができるのか?

(C)ヨーロッパ企画 / トリウッド 2023

 

撮影/干川 修 取材・文/倉田モトキ ヘアメイク/宇藤梨沙 スタイリング/伊藤舞子 衣装協力/ánuans、ピッピシック、ココシュニック、エナソルーナ

森七菜&奥平大兼「この映画を通じて、七尾市の素晴らしさが届くといいな」映画『君は放課後インソムニア』

現在、アニメ版が放送されているオジロマコトの同名コミックを実写映画化した『君は放課後インソムニア』が、6月23日(金)より全国公開。劇中、不眠症に悩まされる高校生の伊咲と丸太(がんた)を演じる、森七菜さんと奥平大兼さんに、本作の魅力や石川県七尾市での撮影の思い出などを振り返ってもらいました。

 

【森 七菜さん、奥平大兼さん撮り下ろし写真】

一人の人間として七尾市に存在するよう、生きようということを意識(奥平)

──もともと、森さんが原作のファンだったという「君は放課後インソムニア」の魅力を教えてください。

 

 私は原作の嘘がないというか、ありえないことがないところに惹かれたんです。一歩踏み出せば叶いそうな夢が描かれていることも素敵でした。あと、今の仕事を始めていたこともあって、充実した学生時代を送ることができなかったので、その思いを丸太と伊咲に叶えてもらっている気分で読んでいました。

 

奥平 言葉に表すのが難しいのですが、舞台になった石川県七尾市から醸し出される空気感が素晴らしいと思いました。いい意味で、ゆったり時間が流れているところや、さまざまなキャラクターの会話がリアルなところにも惹かれました。

 

──そこを踏まえて、伊咲と丸太を自身でどう演じようと思いましたか?

 

 ファン目線は完全に捨てないとうまく演じられないと思っていました。全部主観に持っていって、丸太からの目線とかはできるだけ気にしないように演じました。

 

奥平 ゆったりした時間の感覚を大切にして演じたいと思いました。あと、原作のキャラクターはできあがっているので、できるだけ素直に演じつつ、一人の人間として七尾市に存在するよう、生きようということを意識しました。

 

森 七菜●もり・なな…2001年8月31日生まれ。大分県出身。映画『心が叫びたがってるんだ』(17)で映画初出演。2019年に公開された新海誠監督作『天気の子』、岩井俊二監督『ラストレター』(20)と立て続けに大作に抜擢され注目を浴びる。その他の出演作に、NHK 連続テレビ小説「エール」(20)、ドラマ「この恋あたためますか」(20/TBS)、映画『ライアー×ライアー』(21)、『銀河鉄道の父』(23)など。是枝裕和監督が演出・脚本を担当したNetflix シリーズ「舞妓さんちのまかないさん」が絶賛配信中。公式HPTwitter(音楽スタッフ)Instagram(スタッフ)YouTube(スタッフ)

 

素のまんまで会話していて、どこかお芝居している手応えがなかった(笑)(森)

──2年ぶりの2度目の共演となる、お2人の現場での印象は?

 

奥平 森さんは一緒にお芝居をしていて楽しい役者さんです。いい意味で、素直で、何してくるのか分からないんです。だから、それを目の当たりにする楽しみがありますね。実際アドリブも多かったんですが、それが伊咲の言葉として聞こえてくるのが、面白かったです。

 

 奥平さんはすごく自然体の方なので、私も素のまんまで会話していて、どこかお芝居している手応えがなかったんです(笑)。でも、それがこの映画にとって大事なことだったような気がしますし、私もたくさん助けられました。

 

──2人の掛け合いシーンについて、池田千尋監督の演出は?

 

 私と奥平さんがとりあえずやってみないと分からないタイプなので、まずは池田監督の前でやらせてもらって、そこから監督の要望に合わせていく感じでした。

 

奥平 そういう意味では、僕らを信用してくれているのが嬉しかったですし、僕らも池田監督を信頼してお芝居できたと思います。

 

 私のアドリブがすべらないよう、奥平さんがしっかりフォローしてくれるので、私は奥平さんのことも信頼していました。すごいいいチームワークだったと思います。

 

奥平大兼●おくだいら・だいけん…2003年9月20日生まれ。東京都出身。映画『MOTHER マザー』(20)で俳優デビュー。第44回日本アカデミー賞新人俳優賞、第94 回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、第63回ブルーリボン賞新人賞、第30回日本映画批評家大賞新人男優賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。その他の出演作に、映画『マイスモールランド』(22)、『ヴィレッジ』(23)、ドラマ『早朝始発の殺風景』(22/WOWOW)など。公開・配信待機作に、ディズニープラス独占配信ドラマ『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』などがある。公式HPInstagram

 

出身地・大分と似ているので、どこか懐かしくて、ホッコリしました(森)

──約1か月に及ぶ七尾市での撮影の思い出は?

 

奥平 七尾市の皆さんの温かさを感じました。七尾高校の天文台とか真脇遺跡とか、実際に原作に出てくる場所を撮影のために貸してくださり感謝しかないです。それは原作が七尾市に愛されているからこそだと思いました。朝の3時ぐらいから撮った海岸のシーンは大変でしたが、とても綺麗なシーンになりました。ただ、天候があまり良くなかったので、それはそれで大変でした(笑)。でも、そこでキャストのみんなとたくさんコミュニケーションが取れたのでよかったです。

 

 街並みの風景が私の出身地・大分と似ているので、どこか懐かしくて、ホッコリしました。お休みのときに、みんなで高校の近くまでジェラートを買いに行って食べたのも、いい思い出です。あと、自然が豊かなところにも身を委ねられました。私が大変だったのは暑さですね。天文台がサウナみたいになってしまって、汗ダラダラになりながら、顔を真っ赤して撮影していました(笑)。まだ七尾市に行ったことのない人にも、この映画を通じて、七尾市の素晴らしさが届くといいなと思います。あと、七尾高校には今、天文部がないようなので、復活してほしいです。

 

丸太として演じ切ってみて、今では伊咲推しです(笑)(奥平)

──完成した作品をご覧になって、原作を読んだときから好きなキャラは変わりましたか?

 

 奥平さんは白丸先輩でしょ? 撮影に入った頃から、ずっと「白丸先輩、かわいいよね!」と言っていたし(笑)。

 

奥平 そうやって、イジってくるんだから(笑)。確かに原作読んだときに、「白丸先輩は人間としてかわいらしい人だなぁ」と思いましたけど、丸太として演じ切ってみて、伊咲の温かさみたいなところに惹かれました。そういう意味では、今では伊咲推しです(笑)。

 

 私は原作を読んでいたときは、(丸太の幼なじみの)受川くんが好きだったんですよ。丸太ほど登場するキャラではないけれど、その立ち位置がかっこよく見えたんです。でも、伊咲を演じたことによって、不器用さも含めて、丸太の愛おしさがどんどん見えてきました。なので、具体的にいうと、伊咲と丸太のかけがえのないコンビ感が好きです。

 

──GetNavi webということでモノについてもお話ください。撮影現場に必ず持っていくモノやアイテムはありますか?

 

奥平 JBLのヘッドホンとイヤホンですね。音楽が好きなので、ちょっとでも時間があれば、1曲でも聴いていたいんです。移動中はヘッドホンとか、ヘアメイクしているときは、髪の毛が崩れないようにイヤホンとか、使い分けしています。家にあるスピーカーなど、音楽の周辺機器はすべてJBLで揃えています。ジャンル的にはUSのヒップホップが好きですね。

 

 歯ブラシとカメラです。カメラはペンタックスのMXで、買ってすぐのタイミングで、『君は放課後インソムニア』の現場にも持って行って、みんなのことをパシャパシャ撮っていました。奥平さんも現場にカメラ持ってきていたのに、風景ばかりで、ぜんぜん私たちのこと撮ってくれなかったんですよ! 私が撮った写真はSNSに発表したいと思います。

 

 

君は放課後インソムニア

6月23日(金)より全国公開

【映画「君は放課後インソムニア」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:池田千尋
原作:オジロマコト「君は放課後インソムニア」(小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中)
脚本:高橋泉、池田千尋
出演:森 七菜、奥平大兼
桜井ユキ、萩原みのり、上村海成、安斉星来、永瀬莉子、川﨑帆々花
斉藤陽一郎、田畑智子、工藤 遥、でんでん、MEGUMI、萩原聖人

(STORY)
石川県七尾市に住む高校一年生・丸太(奥平)は、不眠症のことを父親の陸(萩原聖人)に相談することもできず、孤独な日々を送っていた。そんなある日、丸太は学校で使われていない天文台の中で、偶然にも同じ悩みを持つクラスメートの伊咲(森)と出会い、その秘密を共有することになる。天文台は、不眠症に悩む二人にとっての心の平穏を保てる大切な場所となっていたが、ひょんなことから勝手に天文台を使っていたことがバレてしまう。だが天文台を諦めきれない二人は、その天文台を正式に使用するために、天文部顧問の倉敷先生(桜井)、天文部OGの白丸先輩(萩原みのり)、そしてクラスメートたちの協力のもと、休部となっている天文部の復活を決意するが……。

 

(C)オジロマコト・小学館/映画「君ソム」製作委員会

 

撮影/中村 功 取材・文/くれい響 ヘアメイク/宮本 愛(yosine.)(森)、速水昭仁(CHUUNi)(奥平) スタイリスト/山口香穂(森)、伊藤省吾(sitor)

博多大吉インタビュー−『たまむすび』のイズムを受け継ぎ始めたポッドキャストの魅力とラジオへの愛

博多大吉さんがパーソナリティを務める『大吉ポッドキャスト いったん、ここにいます!』は、今年3 月、11年の歴史に惜しまれながら幕を閉じた『たまむすび』(TBSラジオ)のイズムを受け継いだ番組だ。水曜日パートナーとして、メインパーソナリティの赤江珠緒アナと伴走した大吉さんらしく、番組は『たまむすび』のエッセンスを含みながらも、大吉さんの魅力たっぷりの内容に。5月某日、番組収録後の大吉さんに番組の経緯や想いを詳しくうかがった。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:牛島フミロウ)

 

博多大吉(はかた・だいきち)/1971年03月10日福岡県生まれ。趣味:プロレス、プロレスの知識(福岡県大会2位)、ゲーム

 

ラジオとポッドキャストは別物

──先ほど番組収録を見学させていただきました。非常にリラックスして臨まれていたように見えましたが、お気持ち的には『たまむすび』とはまた違うものですか

 

博多大吉(以下、大吉)「全然違います。ポッドキャストを始めた当初は変な感じでしたね。『たまむすび』だとリアルタイムで聴いている方がいらっしゃるので、僕とか赤江(珠緒)さんが喋っている内容についてすぐにリアクションが届くんです。Twitterだったり、卓越しのスタッフのリアクションがあるけど、ポッドキャストでは何にもない。スタッフさんも『たまむすび』の方は5、6人いたけど、ポッドキャストでは基本2人しかいないですしね。だから、内輪ネタの扱い方は“大丈夫かな”と考えながらやってますね」

 

──というのは?

 

大吉「ラジオって身内のメディアだと思ってるんです。リスナーさんは、番組の裏側のような自分たちだけがわかる話題ってお好きだと思うんです。その“内輪ネタ”のさじ加減が、リアルタイムのリアクションがないと難しくなるんだっていうのは感じますね。相変わらず勉強です」

 

――リアクションがないとやりにくさがありますか?

 

大吉「やりにくいっていうか、不安ではありましたね。NHKで『あさイチ』をやってますけど、あっちもリアルタイムで反応が来る番組なので、それに体が慣れてるんでしょうね。この番組のように少人数のスタジオで、今日録ったものを何日か後に配信するっていうのは初めてなので」

 

――逆に収録ならではのやりやすさはあったりしますか?

 

大吉「編集が入るから、失敗しても噛んでもいいっていうのは、すごく気楽ですよね。特に今日なんかは勝手知ったるメンバーなので(注※見学したのは元『たまむすび』スタッフをゲストに招いた回)もう喫茶店で喋っているような感覚でしたね。これが、あんまりお会いしたことがない方とかだと、こっちも心構えがいると思うんですけど」

 

大吉さんのラジオ愛

──このポッドキャストは、『たまむすび』の元プロデューサー、阿部さん(通称“アベコP”)からご提案があったとか?

 

大吉「そうです。“ポッドキャストをやります”ということは、アベコちゃんから言ってもらいました。『たまむすび』が終わるって発表があってからだから今年2月とか、その頃やと思います。実は、僕も頭の中でポッドキャストとかできないのかなとは思ってたんですよ」

 

──大吉さんもポッドキャストを考えてらっしゃった?

 

大吉「考えてました。だから『え、やらせてもらえるの?』みたいな感じでした」

 

――ちなみにどんなことをしたいと考えていたんですか?

 

大吉「『たまむすび』を続けたいっていうのはもちろんあったし、赤江さんの居場所を作っておくという理由もあるんですけど、僕が好きなラジオを続けたかったんです。『たまむすび』を11年間やって、ラジオって本当に楽しいなって思ったんですね。本当に多くの方がおっしゃるんですけど、 芸人ってやっぱりラジオをやりたいんですよ」

 

――確かに皆さんそうおっしゃいます。それはどういった理由なんでしょうか?

 

大吉「僕ら芸人って、エピソードトークをしたり、リスナーさんのメールとかハガキを読んで臨機応変に喋ったりする練習をまずやるんですね。ラジオ番組風に30分喋る“電波のないラジオ”を、デビューした頃にやらされます」

 

──トークスキルの練習みたいなものでしょうか?

 

大吉「そうです。会議室で(博多)華丸と2人で向き合ってやったって、面白くもなんともないですよ。でも、実際初めてラジオの仕事をいただいた時に、会議室で練習したのと全く違う面白さに気づくんです。だから僕、『ラジオは結構です』っていう芸人はあんまりいないと思うんですよね。みんな本当に喉から手が出るほど欲しい仕事はラジオだと思います」

 

──練習との一番の違いというのは何でしょうか?

 

大吉「やっぱりリスナーさんとのコミュニケーションでしょうね。単純に笑ってくれる方もいれば、こんなこともありますよっていう反対意見ももちろん来る。ちゃんとお客さんがいるっていう状況はなんでもそうですけど、その繋がりが醍醐味です」

 

──先ほどおっしゃったリアクションという点も含め、ラジオはお客さんと繋がれる魅力があるんですね。

 

大吉「ラジオがなくなるっていうのは、自分の中でもどうしたものかなと。たとえば相方の華丸は、役者という軸が漫才師以外で1個あるんですよ。僕は漫才師以外の自分自身の軸がラジオだったので、それがなくなるのはすごくしんどい。今後のことを考えたら、これは何かやっとかんと大変なことになるんじゃないかな、と思ってました。なので、このポッドキャストの話がなかったらYouTubeをやろうと思ってましたから」

 

――そういったお考えがあったんですね。

 

大吉「僕もポッドキャストを考えていたとは言っても、お話がないからには、こっちからやらせてよっていうのはちょっと違うかなと思ってたので、TBSラジオから言っていただいて良かったです」

 

――じゃあこのポッドキャストはまさに大吉さんの軸足というわけですね。

 

リスナーからの反響に驚く

――第8回で特集されていましたけど、4月12日配信の第1回で、大吉さんがリスナーに番組のBGMやテーマ曲を募集したところたくさん来すぎちゃった、ということでした。このリスナーの反応をどう感じていますか?

 

大吉「良くも悪くも予想外でしたね。こんなにみんなが食いついてくれるとは正直思ってなかったんです。博多大吉がポッドキャストを始めるんだってことで、『たまむすび』の残り香があるぞと、多少なりともお客さんは来てくれると思ったんですよ。でも、こんなにも多くのリスナーさんが来てくれるとは思いませんでした」

 

──テーマ曲の募集というのも良かったのかもしれませんね。リスナーが制作陣と一緒に番組を作り上げていく、といったワクワク感もあります。

 

大吉「そうですね。僕のひとり喋りでやることも考えたんですけど、『たまむすび』は僕一人のものじゃないので、ゲストやリスナーとうまい具合に半々でやっていこうと思ったんすよ。赤江珠緒の『たまむすび』は月から木まで4曜日あって、僕はそのうちの一つの曜日のパートナーなので、僕一人でやるっていうのはある意味おかしな話ですから」

 

――大吉さんらしいお考えだと思います。

 

大吉「『たまむすび』の雰囲気を残しつつ、赤江さんがいつか来てくれたらいいなみたいな感じで、好きなプロレスの話したりとか、お笑いの話したりとか、そういうことをやっていこうと思ってたんです。で、ほんとに軽い気持ちでテーマ曲を作ってくれませんかと話したらもうドーンと来たので……あ、これはうかうか自分の好きなノア(プロレス団体)の話とかできないぞと(笑)」

 

――リスナーの多さと熱さに驚いた、みたいな(笑)。

 

大吉「そうですね。これも、リアルタイムならノアの話をして、Twitterのハッシュタグを見れば、そんなに盛り上がってないなとか、盛り上がってるなとかが分かるんですけど、ポッドキャストだとないので、おっかなびっくり話してますね」

 

――番組開始から約2か月経ちますが、ほかに何か反応はありましたか?

 

大吉「業界内でというか、芸人さんや、スタッフさんレベルでも、“ポッドキャストやるんだね”とかはすごく言われました」

 

――第1回配信で、『たまむすび』にゆかりがある方々の出演を募集してますとおっしゃってましたけど、その後なにか動きは?

 

大吉「具体的にはないかな。みんな恥ずかしいのかな(笑)。まあ、プチ鹿島さんとかはもういつでも! っていう感じでスタンバイはしてくれてます」

 

――プチ鹿島さんが来たら、マニアックなプロレス話になりそうですねー。

 

大吉「そうなんですよ、だからまだお呼びするのは早いかなと、今は止めてます(笑)」

 

――今日の収録中にも、「まだ始まったばかりなんだからゆっくりやろう」と大吉さんがおっしゃってましたね。

 

大吉「そうなんですよ。ポッドキャストを聴いてもらっている方は物足りないと思うかもしれないですけど、“いやいや、まだ基礎工事の段階だから”と。家づくりで例えたら、赤江さんが来るのは餅まきの日。今はまだコンクリートを固めて土台を作ってるところですから、ここで手は抜けないぞって思います」

 

あのゲストはいつくる?

――『大吉ポッドキャスト』の今後について伺いたいのですが、考えている企画だったり、こんなことしてみたいなというのはありますか?

 

大吉「このポッドキャストはすごく長いスパンで考えてるんです。番組でも言いましたけど、10年後(にもう1回『たまむすび』をやる)っていうのを一応の目処にしてるんです。だから、“これから10年あるからな”っていう意識はあります。もちろんこれから1個ずつやっていこうと思ってるんですけどね」

 

――なるほど~。

 

大吉「僕が言うこっちゃないかもしれないですけど、ポッドキャストってビジネスモデルとしてまだ確立してないので、ゲストを呼ぼうとしても、予算なりスケジュールで誰かが無理をしないと作れないんです。僕がどこまで口出しできるかわかんないですけど、発起人のアベコちゃんとか、ディレクターの御舩くんと考えながら、必要とされればイベント的なものをやるのが最初になるのかなと思いますね。公開録音じゃないですけど、そういうのは僕自身がやってこなかったことなので」

 

――逆に言うと、アイデアがあればいろんなこと挑戦できそうな気もします。

 

大吉「そうなんですよね。おそらくリスナーから一番期待されてるのが、やっぱりピエール瀧さんとか、赤江さんがいつゲストに来るのかっていうことだと思うんです。それも視野に入れながら、でもそれが当たり前になると、じゃあなんで『たまむすび』が終わったんだってなりますし」

 

――確かにその通りです。

 

大吉「ポッドキャストだから、時間に自由がきくからできるっていう面もあるでしょうし、だからこそ、あんまり先にも引っ張れないとも思います。皆さんの“ゲストに来るのはいつだ”っていう気持ちを」

 

――大吉さんのポッドキャストには、『たまむすび』にゆかりがあった方が登場されるということで期待されているリスナーも多いかと思います。まぁでも焦ってやってもですね。

 

大吉「そうなんですよ、だってまだ10年ありますから」

 

――最初の1年で燃え尽きたんだなとなってもいけないですもんね。

 

大吉「だから、年内に1回は来てほしいかなと思いましたけど、メッセージだけでもいいかなとか。赤江さんも別に引退したわけじゃないし、きっとどこかのメディアには出てるでしょうから」

 

――じゃあ皆さんの登場は期待しつつちょっと首を長くして待つ、という感じですね。

 

大吉「(カンニング)竹山とか、山ちゃん(山里亮太さん)とかもね。そう、春風亭一之輔師匠はぜひって言ってくだってるみたいです」

 

――楽しみですね。著名な方や文化人のゲストも当然面白いのですが、番組スタッフさんとかへのインタビューもいいですよね。普通の人って言ったら失礼かもしれないですが、人間誰もが持ってる歴史やドラマを大吉さんが聞き出すと、ちゃんとコンテンツ化するなっていう印象があります。

 

大吉「本当ですか。そう言っていただけるのはすごく嬉しいですね。今のポッドキャストの段階では、ゲストに来た人を片っ端から私が事情聴取する(笑)っていうのをひとつの柱にしようと思ってたので。『あさイチ』で、ゲストとのプレミアムトークのコーナーはもう6年やってますからね、そこで鍛えられたのかもしれません」

 

ポッドキャストで大事にしていること

――ラジオとポットギャストでは、話す内容とかも変わったりしますか?

 

大吉「変えるのもかっこ悪いなとは思ってるんですけど、そこまで気にはしなくなりましたね。この話題どうかなとか、これを言ったら各所で問題が起こるかなとかいうのは、あまり気にせず気兼ねなく言えるようにはなりました」

 

――編集もあるし、ポッドキャストの方がラジオよりも若干緩いところがあるんでしょうか?

 

大吉「だぶんそうだと思います。たとえば、第8回で話した『THE SECOND』についても(注※取材の数日前に放送があった)、仮に今も『たまむすび』が続いていたとしたら、『THE SECOND』について一言って振られても、答えられなかったと思いますね。でも、ポッドキャストだったらいいかって感じです」

 

――大吉さんがそうやってリラックスした感じでお話しされると、ゲストの方もいろんな話をしやすいかもしれないですね。

 

大吉「はい。お互い様なんで、ゲストにもいっぱい喋ってもらって」

 

――ラジオとポットキャストで共通して大吉さんが大事にしていることは何でしょうか?

 

大吉「どちらも聴いてくれている方がいるからできてることなので、その方々をおざなりにしないことですね。だから、さじ加減が難しいんですけど、内輪ネタのラインの引き方であったりとか、『たまむすび』から続く“モヤモヤお焚き上げ”のコーナーもやってますけど、来たお便りをあんまり真面目にやっても重くて面白くなくなっちゃうんで、最終的にどこかで着地点作ったりするのを、しっかりやらないといけないなと思いますね」

 

――リスナーあってのラジオであり、ポッドキャストであると。

 

大吉「ポッドキャストだとリアルタイムな反応がないから、“こんなとこでいいか”で終わらせず、“こんなとこかな”からもう2段階ぐらい考えて喋るようにはしてるつもりです」

 

――リスナー目線を大事にされているんですね。

 

大吉「でも、あまりにもリスナーさんを重視すると、こっちがやりたいことができなくなるので、そのバランスは考えてます。それこそ“赤江さん出せ”“瀧さん出せ”って言われても、できないもんはできませんし“いや、まだです”と言うしかない。その辺はうまいことやらなければいけないと思ってます。お互いあうんの呼吸で、聞いてくれてる方とそういう関係を作れるように、頑張りたいですね」

 

――多くのリスナーが「大吉先生がやってくれて良かった」と言っているのは、そういった姿勢でいてくれるからですね。

 

「やりたいんならやればいい」

大吉「意志を継いでいくって、もう本当に余計なお世話なのはわかってましたけど、でも『たまむすび』があと1回ぐらいやってもいいんじゃないとは思ってますね。オンエアでも言いましたけど、甲本ヒロトさんがおっしゃった『やりたきゃやりゃいいじゃん』っていう言葉がすごく心に残ってて」

 

――いろんなこと考えちゃいますからね、邪魔なんじゃないかとか。

 

大吉「そうそう。でも、なんかしら場所があったほうがもう1回やりやすい。なんもなしで10年後……たとえば再来年ぐらいでもいいんですけど、『たまむすび』が復活しますとか言ったところで、そんなに機運は盛り上がるのかな、赤江さんも出てくれるのかなって。じゃあ、赤江さんに会いたければ会えばいいじゃないって思いますから、会える場所は残しておきたいですからね」

 

――ポッドキャストをやると発表された際も「赤江さんがいつでもフラッと帰って来られる場所をつくる」とおっしゃってました。

 

大吉「大切な空き地があったとして、何も手をつけなくてそこにマンションが建ってしまったとしたら、もうその場所で会えないじゃないですか。だから、この空き地にだけはポンっとポストを1個置いとこうっていう感じです」

 

――聖火じゃないけど、ずっと火をともし続けていく気概が感じられます。

 

大吉「ちゃんとそれで煮炊きもやってますんで(笑)」

 

――いろんな名番組、伝説的な番組がありますけど、そういった再建に向けてのアクションをしたという話はなかなか聞かないですよね。

 

大吉「おそらくいろんな事情で、やりたくてもやれなかったことが多かったと思うんです。今回はたまたま図々しいアベコと僕と御舩くんっていう3人がいたっていうだけだと思いますけどね」

 

――『たまむすび』が終わって心に空洞ができたまんまの「たまロス」の方も多いと思います。そんなリスナーを救ってくれた大吉さんとスタッフさんたちに感謝しないといけないですね。

 

大吉「いやいや、感謝するのは僕のほうでございます」

 

――これからも頑張ってください、配信楽しみにしています!

 

大吉「ありがとうございます!」

 

どこまでも謙虚に、言葉を選んで話してくださった大吉さん。ポッドキャスト開始時は「恩返しのつもりだったが出しゃばってしまったかな」と不安を漏らしてもいたが、リスナーから番組に届くメッセージを聴くにつけ、大吉さんの英断にエールを送りたくなる。コンテンツがすごいスピードで大量消費される時代に、作ったコンテンツを守る、意志を継いでいくっていうのは言うほど簡単ではないはずだ。

 

リスナーにも作り手にも愛されるコンテンツがどんなものかを知りたい方は、ぜひ『大吉ポッドキャスト いったん、ここにいます!』を聴いてみてはどうだろう。

 

【番組情報】

TBSラジオ『大吉ポッドキャスト いったん、ここにいます!
毎週水曜17時頃配信
Spotify、Amazon Music、Apple Musicほか、各プラットフォームで配信中!

公式Twitter

 

當真あみ「広瀬すずさんが目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています」映画『水は海に向って流れる』

6月9日(金)より公開される広瀬すずさん主演映画『水は海に向かって流れる』に出演する當真あみさん。役どころは、広瀬さん演じる榊と同じシェアハウスで暮らす同級生の直達(大西利空)に思いを寄せ、榊に対抗心を燃やす高校生の楓役だ。昨今、主人公の声の吹替を担当したアニメ『かがみの孤城』をはじめ、大河ドラマ「どうする家康」(NHK総合ほか)など出演作が相次ぐ業界注目の彼女に、初めての長編実写映画出演となる『水は海に向かって流れる』の思い出を振り返ってもらった。

 

當真あみ●とうま・あみ…2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。2020年10月にスカウトされ、2021年7月にCMデビュー。「カルピスウォーター」の14代目CMキャラクターに起用される。主な出演作にドラマ「妻、小学生になる。」「オールドルーキー」「GetReady!」『パパとなっちゃんのお弁当』、アニメ映画「かがみの孤城」(声の出演)など。今後の出演作に映画「忌怪島/きかいじま」(6月16日(金)公開)がある。Instagram

【當真あみさん撮り下ろし写真】

楓を演じるときは、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるように

──今回演じられた楓は、前田哲監督との面接で決まったそうですが、監督とはどのようなお話をされたのですか?

 

當真 おととしの夏、まだ中学3年生だった時に、東京で初めて前田監督とお会いするということで、すごく緊張していました。そのときは、かしこまった話というよりは学校の話など、雑談をしていたのを覚えています。あと、前田監督からは「芯が強そうに見える」と言われたんですが、そこが楓ちゃんと似ていたというのは、後になって知りました。

 

──初めての長編実写映画出演が決まったときの感想は? また、本作が初めての本格的な演技だとのことですが、いかがでしたか?

 

當真 すごく嬉しかったです。それと同じくらい「自分は本当にお芝居ができるんだろうか?」という不安な気持ちがありました。だから、原作マンガをしっかり読みました。あと、撮影が始まる前に、前田監督が大西(利空)くんと一緒に読み合わせしたり、役について考えたり、リハーサルしたりする場を与えてくれたので、そこでも一生懸命頑張りました。

 

──當真さんは、楓がどのような女の子だと思いましたか?

 

當真 私の中では、楓ちゃんは素直で強い女の子だなと思いました。それで自分の気持ちに真っすぐなので、榊さん(広瀬すず)や直達くん(大西利空)にちゃんと伝えられるし、すぐに行動に移せる。どちらかと言えば、私はアニメ『かがみの孤城』で演じたこころちゃんに近くて、ちょっと内気な性格なので、うらやましいです。演じるときも、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるようにしました。

 

よく見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました

──楓は陸上部部員という設定で、當真さんはドラマ「オールドルーキー」ではフェンシング選手を演じられました。運動は得意ですか?

 

當真 運動はすごく得意なわけではないですが、苦手な方でもないです。楓ちゃんは陸上部の設定なので、フォームや走り方を習って練習しました。ただ、本番では走るのに集中しすぎてしまって……。ちゃんとできていたかどうか、完成した映画を観るまで不安でした。

 

──撮影現場の印象はいかがでしたか?

 

當真 初めて本格的な演技ということ以外にも、よくTVや映画で見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました。そのため、休憩時間は皆さんのお話を聞いていることが多かったです。雑談や日常の会話をされていて、とても和やかな雰囲気でした。私は大西くんと同じシーンが多いですし、同い年なので、お互いの学校の話など、リラックスして、一番多く話したと思います。

 

──広瀬さんや高良健吾さんらが集うシェアハウスでのエピソードを教えてください。

 

當真 映画の中で榊さんが作ってくれる手料理を、私は食べられなかったんです。あとで「おいしかった」というお話を聞いたので、私も近くで見たかったし、ポテトサラダとか食べたかったです(笑)。あと、自分の出番がない長めの空き時間には、シェアハウスの二階で、映画に出てくる猫のムーちゃんと一緒に、ねこじゃらしで遊んでいました。普段ペットを飼っていないので、とても楽しかったです。

 

素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかった

──大変だったシーンを教えてください。

 

當真 素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかったです。「とにかく、やりきらなきゃ!」とう気持ちもありましたし、特に榊さんとのシーンは何回も何回もテイクを重ねました。榊さんと楓ちゃんの設定上、私の方から広瀬さんにぶつかりにいかないといけないので、緊張と怖さ、もどかしさでいっぱいでした。でも、前田監督も広瀬さんも、目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています。

 

──改めて、當真さんにとって、どのような現場だったと思いますか?

 

當真 スタッフさんもキャストさんも気軽に声をかけてくださったり、場を和ませてくれたり、温かくて和気あいあいとした現場だったと思います。そのおかげで、撮影後半にいくにつれて、リラックスして演技できました。私は楓ちゃんと性格が逆なので、今までやったことのない経験ができましたし、普段の生活の中でも「しっかりしないと!」と意識してみたり、いろいろと勉強なりました。

 

その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しい

──本作後に撮影された『忌怪島/きかいじま』も間もなく公開されます。

 

當真 『水は海に向かって流れる』の後に、ドラマの現場も経験して『忌怪島』の現場に入ったので、少しは緊張が解けているような気がしました。ホラー映画なので、ほかの作品と雰囲気がぜんぜん違いますし、私の中では「叫ぶ」イメージがあったので、ほかのホラー作品を観て、女優さんの叫ぶ表情とかタイミングを研究しました。

 

──現在、亀姫役で大河ドラマ「どうする家康」に出演されるなど、多忙な日々を送られていると思います。周囲の反応・反響はいかがですか?

 

當真 毎日が大変とか忙しいというよりは、自分にはない要素を持った役を演じるときの難しさに気づかされています。でも、その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しいです。家族や友だちから頻繁に連絡が来ることで、「みんな見てくれているんだなぁ」って実感しています。あとは、たまにSNSで自分のアカウントに来るメッセージとか読むことで、「嬉しいなぁ」と思っています。

 

──今後の目標や展望について教えてください。

 

當真 今、活躍されている俳優さんの多くが経験されている学園ドラマに出演したいです。あとは、高校を卒業してからになると思いますが、将来的に例えば『ハケンアニメ』のような、いろんなお仕事をしている役に憧れがあります。

 

──現場に必ず持っていくモノやアイテムを教えてください。

 

當真 あまり意識していないのですが、大きいバッグとは別に、お仕事のときは台本とお水だけを入れるためのトートバックを持っていきます。今使っているのは、『忌怪島』の撮影で奄美大島に行ったとき、お休みの日に自分で泥染めをして作ったものです。あと、お仕事以外でもなんですが、モバイルバッテリーはないと安心できないみたいで、ときどき大きなカバンの方に2つ入っていることもあるんです(笑)。

 

 

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

水は海に向かって流れる

6月9日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

【映画「水は海に向って流れる」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:前田 哲
原作:田島列島「水は海に向かって流れる」(講談社「少年マガジン KCDX」刊)
脚本:大島里美
主題歌:スピッツ「ときめきPart1」(Polydor Records)
出演:広瀬すず
大西利空、高良健吾、戸塚純貴、當真あみ/勝村政信
北村有起哉、坂井真紀、生瀬勝久

(STORY)
通学のため、叔父・茂道(高良)の家に居候することになった高校生の直達(大西)。だが、どしゃぶりの雨の中、最寄りの駅に迎えにきたのは見知らぬ大人の女性、榊 (広瀬)だった。案内されたのはまさかのシェアハウス。いつも不機嫌そうにしているが、気まぐれにおいしいご飯を振る舞う26 歳の OL ・榊をはじめ、脱サラしたマンガ家の茂道(通称:ニゲミチ先生)、女装の占い師・泉谷(戸塚)、海外を放浪する大学教授・成瀬(生瀬)と、いずれも曲者揃い、さらには、拾った猫ミスタームーンライト(愛称:ムー)をきっかけにシェアハウスを訪れるようになった直達の同級生で泉谷の妹・楓(當真)も混ざり、想定外の共同生活が始まっていく。そして、日々を淡々と過ごす榊に淡い想いを抱き始める直達だったが、「恋愛はしない」と宣言する彼女との間には、過去に思いも寄らぬ因縁が……。榊が恋愛を止めてしまった《本当の理由》とは……?

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

當真あみ「広瀬すずさんが目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています」映画『水は海に向って流れる』

6月9日(金)より公開される広瀬すずさん主演映画『水は海に向かって流れる』に出演する當真あみさん。役どころは、広瀬さん演じる榊と同じシェアハウスで暮らす同級生の直達(大西利空)に思いを寄せ、榊に対抗心を燃やす高校生の楓役だ。昨今、主人公の声の吹替を担当したアニメ『かがみの孤城』をはじめ、大河ドラマ「どうする家康」(NHK総合ほか)など出演作が相次ぐ業界注目の彼女に、初めての長編実写映画出演となる『水は海に向かって流れる』の思い出を振り返ってもらった。

 

當真あみ●とうま・あみ…2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。2020年10月にスカウトされ、2021年7月にCMデビュー。「カルピスウォーター」の14代目CMキャラクターに起用される。主な出演作にドラマ「妻、小学生になる。」「オールドルーキー」「GetReady!」『パパとなっちゃんのお弁当』、アニメ映画「かがみの孤城」(声の出演)など。今後の出演作に映画「忌怪島/きかいじま」(6月16日(金)公開)がある。Instagram

【當真あみさん撮り下ろし写真】

楓を演じるときは、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるように

──今回演じられた楓は、前田哲監督との面接で決まったそうですが、監督とはどのようなお話をされたのですか?

 

當真 おととしの夏、まだ中学3年生だった時に、東京で初めて前田監督とお会いするということで、すごく緊張していました。そのときは、かしこまった話というよりは学校の話など、雑談をしていたのを覚えています。あと、前田監督からは「芯が強そうに見える」と言われたんですが、そこが楓ちゃんと似ていたというのは、後になって知りました。

 

──初めての長編実写映画出演が決まったときの感想は? また、本作が初めての本格的な演技だとのことですが、いかがでしたか?

 

當真 すごく嬉しかったです。それと同じくらい「自分は本当にお芝居ができるんだろうか?」という不安な気持ちがありました。だから、原作マンガをしっかり読みました。あと、撮影が始まる前に、前田監督が大西(利空)くんと一緒に読み合わせしたり、役について考えたり、リハーサルしたりする場を与えてくれたので、そこでも一生懸命頑張りました。

 

──當真さんは、楓がどのような女の子だと思いましたか?

 

當真 私の中では、楓ちゃんは素直で強い女の子だなと思いました。それで自分の気持ちに真っすぐなので、榊さん(広瀬すず)や直達くん(大西利空)にちゃんと伝えられるし、すぐに行動に移せる。どちらかと言えば、私はアニメ『かがみの孤城』で演じたこころちゃんに近くて、ちょっと内気な性格なので、うらやましいです。演じるときも、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるようにしました。

 

よく見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました

──楓は陸上部部員という設定で、當真さんはドラマ「オールドルーキー」ではフェンシング選手を演じられました。運動は得意ですか?

 

當真 運動はすごく得意なわけではないですが、苦手な方でもないです。楓ちゃんは陸上部の設定なので、フォームや走り方を習って練習しました。ただ、本番では走るのに集中しすぎてしまって……。ちゃんとできていたかどうか、完成した映画を観るまで不安でした。

 

──撮影現場の印象はいかがでしたか?

 

當真 初めて本格的な演技ということ以外にも、よくTVや映画で見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました。そのため、休憩時間は皆さんのお話を聞いていることが多かったです。雑談や日常の会話をされていて、とても和やかな雰囲気でした。私は大西くんと同じシーンが多いですし、同い年なので、お互いの学校の話など、リラックスして、一番多く話したと思います。

 

──広瀬さんや高良健吾さんらが集うシェアハウスでのエピソードを教えてください。

 

當真 映画の中で榊さんが作ってくれる手料理を、私は食べられなかったんです。あとで「おいしかった」というお話を聞いたので、私も近くで見たかったし、ポテトサラダとか食べたかったです(笑)。あと、自分の出番がない長めの空き時間には、シェアハウスの二階で、映画に出てくる猫のムーちゃんと一緒に、ねこじゃらしで遊んでいました。普段ペットを飼っていないので、とても楽しかったです。

 

素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかった

──大変だったシーンを教えてください。

 

當真 素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかったです。「とにかく、やりきらなきゃ!」とう気持ちもありましたし、特に榊さんとのシーンは何回も何回もテイクを重ねました。榊さんと楓ちゃんの設定上、私の方から広瀬さんにぶつかりにいかないといけないので、緊張と怖さ、もどかしさでいっぱいでした。でも、前田監督も広瀬さんも、目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています。

 

──改めて、當真さんにとって、どのような現場だったと思いますか?

 

當真 スタッフさんもキャストさんも気軽に声をかけてくださったり、場を和ませてくれたり、温かくて和気あいあいとした現場だったと思います。そのおかげで、撮影後半にいくにつれて、リラックスして演技できました。私は楓ちゃんと性格が逆なので、今までやったことのない経験ができましたし、普段の生活の中でも「しっかりしないと!」と意識してみたり、いろいろと勉強なりました。

 

その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しい

──本作後に撮影された『忌怪島/きかいじま』も間もなく公開されます。

 

當真 『水は海に向かって流れる』の後に、ドラマの現場も経験して『忌怪島』の現場に入ったので、少しは緊張が解けているような気がしました。ホラー映画なので、ほかの作品と雰囲気がぜんぜん違いますし、私の中では「叫ぶ」イメージがあったので、ほかのホラー作品を観て、女優さんの叫ぶ表情とかタイミングを研究しました。

 

──現在、亀姫役で大河ドラマ「どうする家康」に出演されるなど、多忙な日々を送られていると思います。周囲の反応・反響はいかがですか?

 

當真 毎日が大変とか忙しいというよりは、自分にはない要素を持った役を演じるときの難しさに気づかされています。でも、その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しいです。家族や友だちから頻繁に連絡が来ることで、「みんな見てくれているんだなぁ」って実感しています。あとは、たまにSNSで自分のアカウントに来るメッセージとか読むことで、「嬉しいなぁ」と思っています。

 

──今後の目標や展望について教えてください。

 

當真 今、活躍されている俳優さんの多くが経験されている学園ドラマに出演したいです。あとは、高校を卒業してからになると思いますが、将来的に例えば『ハケンアニメ』のような、いろんなお仕事をしている役に憧れがあります。

 

──現場に必ず持っていくモノやアイテムを教えてください。

 

當真 あまり意識していないのですが、大きいバッグとは別に、お仕事のときは台本とお水だけを入れるためのトートバックを持っていきます。今使っているのは、『忌怪島』の撮影で奄美大島に行ったとき、お休みの日に自分で泥染めをして作ったものです。あと、お仕事以外でもなんですが、モバイルバッテリーはないと安心できないみたいで、ときどき大きなカバンの方に2つ入っていることもあるんです(笑)。

 

 

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

水は海に向かって流れる

6月9日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

【映画「水は海に向って流れる」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:前田 哲
原作:田島列島「水は海に向かって流れる」(講談社「少年マガジン KCDX」刊)
脚本:大島里美
主題歌:スピッツ「ときめきPart1」(Polydor Records)
出演:広瀬すず
大西利空、高良健吾、戸塚純貴、當真あみ/勝村政信
北村有起哉、坂井真紀、生瀬勝久

(STORY)
通学のため、叔父・茂道(高良)の家に居候することになった高校生の直達(大西)。だが、どしゃぶりの雨の中、最寄りの駅に迎えにきたのは見知らぬ大人の女性、榊 (広瀬)だった。案内されたのはまさかのシェアハウス。いつも不機嫌そうにしているが、気まぐれにおいしいご飯を振る舞う26 歳の OL ・榊をはじめ、脱サラしたマンガ家の茂道(通称:ニゲミチ先生)、女装の占い師・泉谷(戸塚)、海外を放浪する大学教授・成瀬(生瀬)と、いずれも曲者揃い、さらには、拾った猫ミスタームーンライト(愛称:ムー)をきっかけにシェアハウスを訪れるようになった直達の同級生で泉谷の妹・楓(當真)も混ざり、想定外の共同生活が始まっていく。そして、日々を淡々と過ごす榊に淡い想いを抱き始める直達だったが、「恋愛はしない」と宣言する彼女との間には、過去に思いも寄らぬ因縁が……。榊が恋愛を止めてしまった《本当の理由》とは……?

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

光石研「60歳を過ぎて、デビュー当時の楽しさを取り戻せるんじゃないかなという感じがしています」主演映画「逃げきれた夢」

日本を代表する名バイプレイヤー・光石 研さんの12年ぶりとなる主演作『逃げきれた夢』が6月9日(金)から公開される。本作は光石さんをモチーフにして書かれた脚本で、光石さんは人間味溢れる定時制高校の教頭・周平役を演じています。光石さんの故郷・北九州で撮影された最新作についてはもちろん、16歳からの役者人生についても振り返っていただきました。

 

光石 研●みついし・けん…1961年9月26日生まれ、福岡県出身。高校在学中に『博多っ子純情』(78)のオーディションを受け、主役に抜擢される。以後、冷徹なヤクザから良き父親役まで様々な役柄を演じ、映画やドラマ界では欠かせない存在として活躍。近年の映画出演作は『青くて痛くて脆い』『喜劇 愛妻物語』(20)、『バイプレーヤーズ~もしも100 人の名脇役が映画を作ったら~』『浜の朝日の嘘つきどもと』『由宇子の天秤』『マイ・ダディ』(21)、『おそ松さん』『やがて海へと届く』『メタモルフォーゼの縁側』『異動辞令は音楽隊!』(22)など。現在は『波紋』が公開中。公式HPInstagram

【光石 研さん撮り下ろし写真】

舞台は僕が生まれ育った北九州の八幡、なかなかくすぐったい感じ

──多くの主演作のオファーが殺到するなか、なぜ12年ぶりのタイミングだったのでしょうか? 今回、光石さんを当て書きした二ノ宮隆太郎監督の作品の魅力も教えてください。

 

光石 僕を主演に映画を撮りたいなんて言ってくれる監督、全くいないですよ(笑)。ホントたまたま12年ぶりに珍しい監督が現れただけです(笑)。二ノ宮監督は同じ事務所なんですが、役者としても何度か共演していてとても好感を持っていました。二ノ宮監督が作る映画に関しては、普段の生活と地続きな感じがしていて、何でもできるスーパーマンみたいな登場人物も出てこない。市井の人たちの数日間を切り取っているような作風が好きでしたね。

 

──脚本を読んだときの率直な感想は?

 

光石 二ノ宮監督が僕のことをモチーフに書いた脚本ということは知っていましたが、台本をいただいて読んだときは、僕が演じる周平の職業こそ違いますが、モロに等身大だったんです。舞台は僕が生まれ育った北九州の八幡(西区)ですし、なかなかくすぐったい感じがしました。

 

全く変わらず、どこの現場にも同じスタンスというか同じ姿勢

──二ノ宮監督の演出による故郷での撮影エピソードを教えてください。

 

光石 撮影中も、八幡という街が僕のことをすべて見透かしているようで、終始気恥ずかしかったです。ただ具体的には言えませんが、どこか後押しだったり、手助けしてくれる磁場みたいなものも感じました。これまで二ノ宮監督は、手持ちカメラで被写体を延々と追うスタイルだったようですが、今回は同じ長回しでも、前もってカット割をしていて、カメラも三脚に乗せて固定して撮ることをやっていたので、とても仕上がりが楽しみでした。

 

──今回は座長として、現場に入るときの心境の違いはありましたか?

 

光石 僕は全く変わらず、どこの現場にも同じスタンスというか同じ姿勢で行っています。今回は街角にいるような男性に焦点を当てた作品ですし、僕自身もそういう男性を演じる役者だと思っているので、いつもと変わらず。座長という意識はないですが、僕の故郷でスタッフみんなと泊まって撮影したので、差し入れを多めにしました。さすがに「あの町はよくなかった……」と言われたくはなかったので(笑)。

 

──周平の旧友役である松重 豊さんとの共演はいかがでしたか?

 

光石 松重さんとは気心が知れていますから、台本について相談するわけでもなく、「僕がこうするから、こうしてほしい」と言うわけでもなく、余計なことを気にせず、やれましたね。松重さんの芝居をちゃんと見ていれば、2人でキャッチボールというか、かっこよく言えば、セッションできると思っていましたから。お互いの手の内を知っている者同士ですし、普段の顔も知っていますし、やっぱり楽しかったですね。二ノ宮監督もカットをかけず、ずっとカメラが回っていました。

 

俳優にとって自然に歩く芝居って難しいんです

──「カンヌ国際映画祭 ACID部門」正式出品も決まりました。完成した本作を観たときの感想は?

 

光石 自分の老いの問題だけじゃなく、家庭の問題だったり、親の介護の問題だったり、60歳過ぎて、迫りくるいろんな問題が描かれているので、台本を読んで分かっていながらも一本の作品として観たときは、どこか身につまされる思いがしましたね。あとは自分が出ているので、職業的に「このシーンはこうすれば良かった」とか反省しちゃいましたね。いつまで経っても、冷静には観られないですね(笑)。

 

──思い入れのあるシーンは?

 

光石 自分のことをあれこれ言うのはなんだか恥ずかしいですが、今回歩道や校庭で歩くシーンがとても多かったんですが、俳優にとって自然に歩く芝居って難しいんですよ。どうしても目的を持っているように見せたり、そのときの感情を出そうとしたり、その後のシーンの前振りにしようとか思ってしまうんです。だから、そこを注意しながら自然に歩きました。それが巧くできたかどうかはよく分からないんですけれど(笑)。

 

転機となった作品は判を押すように言いますけれどやっぱり『Helpless』

──もしも上京せずに八幡に残っていたらどのような生活を送っていたと思われますか?

 

光石 僕は16歳のときに、たまたま『博多っ子純情』(1978年)という作品のオーディションを受けて映画の現場を知って、この世界に入ろうと思ったものですから、夢を見る前なんですよね。だから時々、「あのオーディションを受けなかったら、何やっていたんだろう?」と考えることがあるんですが……。なんか、怖いですよね。怪しい商売に手を染めるような、ろくでもない奴になったかもしれないし……(笑)。ただ、勉強は苦手だったので、周平のように高校の教頭先生にはなっていなかったと思います。

 

──そんななか、自身の転機となった作品を教えてください。

 

光石 判を押すように言いますけれど、やっぱり『Helpless』(1996年)。僕が34、35歳ぐらいだったんですが、その前から岩井俊二監督が「GHOST SOUP」や「FRIED DRAGON FISH」などの深夜ドラマで使ってくださって、「若い監督がいっぱい出てきて、時代が変わってきたな」と思っていました。そんななかで、決定打だったのが『Helpless』で、青山真治監督が今までやったことのないヤクザ役を僕に振ってくれたのが大きかったと思います。

 

──妻や娘から相手にされない父親を演じた『逃げきれた夢』のほか、現在公開中の映画『波紋』では家出する父親を、放送中のドラマ「だが、情熱はある」でも職を転々とする父親を演じられています。同じダメな父役でも、どのように演じ分けされているのですか?

 

光石 僕の中では「今回はこうやってやろう」とか、手を変え、品を変えてやっているつもりはないんですよ。ヘアメイクさんがやってくれる髪形だったり、衣装さんが選んでくれる服だったり、そういうところに手助けされて、何となく違う雰囲気に見えるんじゃないですかね。みんなと現場で作っていったら、そうなっちゃったみたいな感じです。まぁ、台本にもなんとなくヒントが書かれていますし。そもそも僕、役作りということが苦手というか、うまく説明できないんですよ(笑)。

 

とにかく清潔感があるもの、あとは目立たないものが一番

──芸歴45年を迎える光石さんにとっての原動力は?

 

光石 大人たちに交じって撮影現場にいて、監督から「走れ!」「笑え!」と言われることが楽しかったデビュー作のときの感覚や気持ちを今も楽しみたいと思っているから、この仕事を続けられていると思うんですよ。でもプロになると、なかなかそれができなくて……。20代から30代、40代となかなか厳しい時代もありましたが、60歳を過ぎて、ますますその思いが強くなったというか、当時の楽しさを取り戻せるんじゃないかなという感じがしていますね。

 

──GetNavi webということでここからはモノやコトについてお話させてください。昨年、エッセー本「SOUNDTRACK」を上梓されました。そのなかでもファッションについていろいろとお話されていますが、光石さんのこだわりを教えてください。

 

光石 年齢が年齢なんで、とにかく清潔感があるもの、あとは目立たないものが一番だと思っています。十代の頃から、「MEN’S CLUB」「POPEYE」的なトラディショナルなもの、アイビー的なものが刷り込まれていますから。いろいろ寄り道もしましたが、結局そこに戻っているような気がします。ここ数年、気に入っているブランドは「Engineered Garments」。新作をInstagramでチェックして、電話で取り置きしてもらっています(笑)。

 

──必ず現場に持っていくモノや長く愛用されているモノなどを教えてください。

 

光石 現場に必ず持っていくのは、ポンと置ける間口の大きいトートバッグ。ブランド的には「L.L.Bean」だったり、「TEMBEA」だったり、「Engineered Garments」だったり、荷物の大きさによって、いくつか使い分けています。すぐ取り出せて、ちゃんと置けるのがいいですね。あとは長く愛用しているとなると、「PARKER」と「Tiffany & Co.」のダブルネームによる万年筆。これは35年ぐらい前にニューヨークで買ったものですが、かなりマメに使っています。

↑光石さん愛用の万年筆

 

 

逃げきれた夢

6月9日(金)より東京・新宿武蔵野館、シアター・イメージフォーラムほか全国ロードショー

【映画「逃げきれた夢」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督・脚本/二ノ宮隆太郎
出演:光石 研
吉本実憂、工藤 遥、杏花、岡本 麗、光石禎弘
坂井真紀、松重 豊

(STORY)
北九州で定時制高校の教頭を務める周平(光石)は、定年を前にして記憶が薄れていく症状に見舞われ、途方に暮れるとともにこれまでの人生を振り返っていた。そんな周平に、息子と同じ症状が既に進行している父は、何の反応も見せない。ある日、これまでの人間関係を見つめ直そうと決意した周平は、家族や元教え子、生徒たちに積極的にコミュニケーションを取ろうとするが……。

(C)2002『逃げきれた夢』フィルムパートナーズ

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/下山さつき スタイリング/大島千穂 衣装協力/ブルック ブラザーズ、SCYE BASICS(英)、パラブーツ 青山店

AKB48・下尾みう「“ザ・ラブコメ”みたいな亜美と隼人の出会いは演じていてうらやましかったです」映画『美男ペコパンと悪魔』公開

ヴィクトル・ユーゴーによる幻想小説を、現代の東京と中世ヨーロッパの世界を交えながら描いたダーク・ファンタジー『美男ペコパンと悪魔』が、6月2日(金)より公開。劇中ヒロイン・ボールドゥールと亜美の二役を演じた下尾みうさんが、AKB48とは異なる女優としての活動や撮影エピソードについて語ってくれました。

 

下尾みう●したお・みう…2001年4月3日生まれ。山口県出身。AKB48のチーム4メンバー。2014年「AKB48 Team 8 全国一斉オーディション」に山口県代表として合格し、同年劇場公演デビュー。2018年には日韓合同オーディション番組『PRODUCE48』に参加。54thシングルで選抜メンバーに初めて選出され、2022年10月5度目の選抜入りとなった60th「久しぶりのリップグロス」 をリリース。舞台をはじめテレビなど多数出演。舞台における演技経験はあるが、長編映画への出演は本作が初。AKB48公式HPTwitterInstagram

【下尾みうさん撮り下ろし写真】

原作を読み込んで、あとはボールドゥールの趣味である糸車をひたすら練習

──今回、初の長編映画のヒロインに抜擢されて、率直な感想は?

 

下尾 今回はオーディションではありませんでしたが、いろんな方がいる中で私を選んでいただいたので、「まさか、私がヒロインを演じることになるなんて!」という驚きの気持ちでいっぱいでした。しかも、ヴィクトル・ユーゴーさんが原作のダーク・ファンタジーの実写化なので「どうやって演じたらいいの?」という戸惑いもあり、さらに現代パートもあるので「どう演じ分けたらいいの?」という不安もありました。

 

──中世のヨーロッパの城主の娘であるボールドゥールの役作りは?

 

下尾 お姫様ですからね(笑)。まずは原作を読み込んで、あとはボールドゥールの趣味である糸車のひたすら練習しました。ピアノを弾いたり、ドラムを叩くように手と足で違う動きをするので、身体に馴染ませることによって、「こうやって時間を潰すことで、世界中を旅するペコパンを待ち続けていたのかな」と思えるようになりました。

 

──一方の亜美は現代の高校生。こちらは等身大の下尾さんで演じられたのでは?

 

下尾 一年前に撮影したのですが、高校生の記憶はまだまだありますから、特に役作りみたいなものはしませんでした。強いて言えば、亜美は読書家の設定なので、私も本を持ち歩くようにして、仕事の合間に読むように心がけていました。私も本を読むのは好きなのですが、基本的に家でじっくり読む派なので。そのときに持ち歩いていたのは、住野よるさんの「また、同じ夢を見ていた」です。

 

実はボールドゥールに関しては、ほとんどメイクをしていないんです

──舞台経験が豊富な下尾さんですが、映像でのお芝居はいかがですか?

 

下尾 舞台と映像では、目や手の動きなどの表現方法や声の大きさなどがまったく違うので、とても緊張しました。できるだけ動作を小さく収めたり、リアルに見せたりすることに慣れなくて大変でした。

 

──中世パートでの撮影エピソードを教えてください。

 

下尾 実はボールドゥールに関しては、ほとんどメイクをしていないんです。AKB48に入ってこの仕事を始めてから十年近く、「人前ではメイクするもの」と思っていたので、ドキドキしながら演じていました(笑)。しかも、それが今回ポスターになっていて、「大丈夫かなぁ?」と思っています。映画版公開に先駆けて3月にやった朗読劇では、ヘアメイクやつけまつげまで、メイクモリモリでしたから、それを見てくださった方が映画版を観たら、きっと驚かれると思います。

──また、現代パートでの撮影エピソードを教えてください。

 

下尾 ボールドゥールよりも亜美の方が大変だったかもしれません。撮影初日に、意識不明になった隼人(阿久津仁愛)を見守る病院でのシーンを全部撮らなければいけなくて、泣くお芝居を何回もしたんです。一度だけ、すごくスイッチが入ってボロボロに号泣できたのですが、そのときは顔を下に向けてしまったんです。そのため、完成した作品では顔がしっかり見えているテイクが使われることになって、悔しい思いをしました。とてもいい教訓になりました。

 

──初挑戦された特殊メイクはいかがでしたか?

 

下尾 別日に顔の型取りがあった後、撮影当日は朝早く入って、全部で3時間ちょっとかかりました。それを2日間やりました。最初は「眠っちゃうかも?」と思っていたのですが、緊張感もあって、ずっとドキドキしていました。演技をするときも、神経を尖らせていたと思います。CG合成のシーンでいえば、池の水面に顔が映るシーンだけ合成だったのですが、私もペコパン(阿久津仁愛=2役)みたいにCGのクリーチャーと格闘したかったです。

 

私も旅に出たペコパンの帰りをずっと待てるぐらいの恋をしてみたい

──完成した作品を観たときの感想は?

 

下尾 私は戦っていないのですが、CGを使ったリアルなアクションシーンは見どころだと思いました。クリーチャーがペコパンの目の前に存在しているように見えましたから。あとは、現代パートで隼人と一緒に登下校したり、デートしたりと、私が学生時代に体験できなかったシーンを見たことで、改めてキュンキュンしました。私も旅に出たペコパンの帰りをずっと待てるぐらいの恋をしてみたいと思いました。

 

──長編映画でヒロインを演じられた本作を経て、新たな女優としての目標は?

 

下尾 今後は映像のお仕事をもっとやっていきたいですし、1テイク1テイク、納得いく演技ができる女優さんになりたいと思いました。憧れの人は、ずっと長澤まさみさん。シリアスもコメディもなんでもできるし、きれいな部分だけでなく、いろんな面を見せられる人って素敵だなぁと思うんです。

 

──ちなみに下尾さんといえば、日韓合同オーディション番組『PRODUCE48』に出演以降、韓国やタイなど海外のファンも急増したかと思います。

 

下尾 コロナ禍での行動制限も解除されて、毎週のように韓国から劇場公演やイベントに来てくださるファンの方もいます。あと、今年の誕生日にはタイのファンの方が私の顔がプリントされたトゥクトゥク(三輪タクシー)を走らせてくれたり、韓国のファンの方が新大久保の電光掲示板のスクリーンにメッセージを流してくれたり、いろんなところでお祝いしてもらえたことが嬉しいですね。

──また、YouTube「なるたおちゃんねる」では、「ワンピース」好きで知られる倉野尾成美さんとコンビを組まれています。

 

下尾 「ワンピース」はもちろん勧められました。でも、なるさんとは同じマンガ好きでも、好きなジャンルが違うんです。なるさんは少年マンガ系で、私は少女マンガ系。だから、“ザ・ラブコメ”みたいな亜美と隼人の出会いは演じていてうらやましかったですし、たまりませんでした(笑)。

 

──必ず現場に持っていくモノやアイテムを教えてください。

 

下尾 二十歳になったときに、初めて自分で買ったCELINEの財布です。ちょっと高価なものなので、一年間じっくり考えて、自分の中で「お仕事をもっと頑張る!」と決めて買いました。デザインも面白いですし、カードもいっぱい入ります。その後に、『美男ペコパンと悪魔』の話も決まりましたし、「根も葉もRumor」でAKB48の選抜にも選ばれましたし、嬉しいことが続いて、いろいろと頑張ることができたので、今では買って良かったと思っています。

↑下尾さんが愛用しているCELINEのお財布

 

 

(C)2023映画「美男ペコパンと悪魔」製作委員会(ヴィクトル=マリー・ユーゴー著)

美男ペコパンと悪魔

6月2日(金)よりシネ・リーブル池袋、シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開

【「美男ペコパンと悪魔」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
企画・製作総指揮:堀江圭馬 監督・脚本:松田圭太
原作:ヴィクトル=マリー・ユーゴー「美男ペコパンと悪魔」 (翻訳:井上裕子)
クリーチャーデザイン:SAZEN LEE、米山啓介、ムラマツアユミ

出演:阿久津仁愛、下尾みう
岡崎二朗、堀田眞三/吉田メタル

(STORY)
現代の東京。交際中の高校生・隼人(阿久津)と亜美(下尾)はある日、些細な事でけんかをしてしまう。別れた後に隼人は交通事故に遭い昏睡状態に陥る。自分を激しく責めながら憔悴する亜美は、ふと隼人の鞄に入っていたヴィクトル・ユーゴー著の『美男ペコパンと悪魔』を手に取り、隼人が眠るベッドの傍らで読み始め……。

公式WEBサイト: is-field.com/pecopin/index.html
公式Twitter: @pecopin_movie
フィギュア特設WEBサイト:is-field.com/pecopin/figure.html

(C)2023映画「美男ペコパンと悪魔」製作委員会(ヴィクトル=マリー・ユーゴー著)

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/伊藤里香

新たな「ドロップ」が始まる! 品川ヒロシ監督×細田佳央太「映画版とは全く別モノの“第3話”から見るのもアリかと思います(笑)」

品川ヒロシさんが自らの青春時代をベースに綴った小説「ドロップ」を、2009年の映画化に続いて、自身でWOWOWドラマ化。今回、主人公の信濃川ヒロシ役を演じるのは、ドラマ『ドラゴン桜』や大河ドラマ『どうする家康』などでも注目の若手実力派・細田佳央太さん。「リメイクではなくリブート」にこだわった品川監督の思い、初ヤンキー&初アクションに挑んだ細田さんの現場エピソードなどについて語ってもらいました。

 

【細田佳央太さん、品川ヒロシ監督撮り下ろし写真】

 

「やったことないから、やってみないと分からない」という気持ち(細田)

──ご自身の分身といえるヒロシ役に、品川監督が細田さんを起用された理由は?

 

品川 表情の作り方やしぐさなどが面白くもあり、しっかり男前な部分もある。それに長ゼリフで大立ち回りするシーンが多いので、演技力がしっかりした人じゃなければならない。それも含めて、実力派である細田くんを選ばせてもらいました。それで決まった後に、『ドラゴン桜』を見たんですが、「すごい俳優さんだなぁ」と改めて思いました。

 

──これまで演じてきた役のイメージからは程遠いヤンキーを演じることについて、細田さんはいかがでしたか?

 

細田 映画版が既にあって、今度はドラマ版を自分が演じるというプレッシャーはなかったんですが、自分がヤンキーを演じるという不安というか心配は、やはりありました。今までやったことのないタイプの役ですし、自分が生きてきた中でリアルに見たことがなかったですから。ただ、「やったことないから、やってみないと分からない」という気持ちもありました。

細田佳央太●ほそだ・かなた…2001年12月12日生まれ。東京都出身。主な出演作に映画「町田くんの世界」「花束みたいな恋をした」「子供はわかってあげない」、ドラマ『ドラゴン桜』『もしも、イケメンだけの高校があったら』など。TwitterInstagram

 

──品川監督から細田さんへのアドバイスは?

 

品川 そもそも、今回は映画版とは違うものにしたかったんです。あくまでもリメイクじゃなくてリブート。第1話から第2話にかけては映画版をなぞっている部分もあるんですが、第3話以降からは全く違うんですよ。漫画版や小説版のエピソードを盛り込んだり、ドラマ版のオリジナルストーリーも加えましたし。だから、細田くんには「映画版は観ない方がいい」と言いました。

 

ツッコミの音、その語感が気持ちいいというところも注目してほしい(品川)

──そう言われたときの細田さんの気持ちは?

 

細田 僕以外の役者、達也役の板垣(瑞生)くんにしろ、ルパン役の森永(悠希)さんにしろ、森木役の(林)カラスさんにしろ、ワン公役の大友(一生)さんにしろ、みんながみんな自分の人生を歩みつつ、役者の経験値も積んでいる方たちばかりなので、違う作品になって当たり前だと思っていました。だから、僕たち世代の狛江北中、僕たち世代の『ドロップ』になるんじゃないかと。

 

──ヒロシの絶妙なツッコミについて、品川監督はどんな演出をされたのですか?

 

品川 映画版のときは、もっと細かく「この間で言ってほしい」とか言っていたんですが、今回はそこまでお笑い芸人みたいなツッコミにしたくなかったんです。作品を撮るうちに、「僕のリアルとお客さんのリアルは違う」と思ったのがきっかけですね。普通に生活しているなかでは、そこまでツッコんだり、ツッコまれたいしないですから。クランクイン前は細田くんにレクチャーしましたけど、撮影が始まってからは、そこまでしていません。だけど、芝居にちゃんとツッコミの音は残っていて、その語感が気持ちいいというところも注目してほしいです。

品川ヒロシ●しながわ・ひろし…1972年4月26日生まれ。東京都出身。品川祐。庄司智春と品川庄司とコンビを組む。作家・映画監督としては品川ヒロシ名義で活動。主な監督作に映画「ドロップ」「漫才ギャング」「OUT」など。TwitterInstagramYouTube

 

──細田さんは、これまでにもコミカルな役柄を演じられていますが、今回の現場は違いましたか?

 

細田 ヒロシはツッコミが多い役柄なので、そこは台本読みのときに品川監督から丁寧に教えていただきました。これまでコミカルな芝居をやってきて、少しはセリフの間やテンポ感の知識みたいなものはありましたが、今回はコメディ作品のノリでやったらダメだったと思うんですよ。品川監督が実際にお手本をやってくださることもあって、そのニュアンスをたどっていきながら、少しずつできるようになりました。そう考えると、それがヒロシを演じるうえで、一番気を遣った部分かもしれません。

 

今まで本格的なアクションをやっていなかったことに助けられた(細田)

──ヤンキー作品ならではのアクションシーンについては、今回どのような方向性を目指されたのでしょうか?

 

品川 とにかくケンカのシーンが多いので、ずっと殴って蹴って、殴って蹴ってだけでは、見る人が飽きてしまうと思ったんです。それで、アクションにも一人ひとりにキャラ付けして個性を持たせました。例えば、ヒロシはとにかく弱いとか、達也は無茶苦茶するとか、ルパンだったら逃げるとか、ワン公だったら噛みつくとか。そうすることによって、一人ひとりにお芝居があるところを目指しました。

 

──細田さんは本格的なアクションが初めてだったと思います。

 

細田 ヒロシはヤンキーへの憧れから始まっているキャラなので、僕の場合は何もないというか、変にカタチ作られていない方がいいわけで、今まで本格的なアクションをやっていなかったことに助けられたところがありますね。常にケガしないように心がけましたが、それに関してはやりながら感触をつかんでいった感じです。

 

ずっと怒鳴っているだけなのにいいセリフに聞こえてきてグッときた(品川)

──ラスボスといえる最凶のヤクザ・片桐役で、映画版で森木役を演じられた波岡一喜さんが出演されています。

 

品川 森木をやったから波岡くんに出てもらったわけでもないんですが、狛江北中の5人というか、最終的には9人が向かっていくデカい存在じゃないといけないと思ったので、一世代上の役者さんということで、片桐役を波岡くんにお願いしました。彼に向っていく若い役者という構図や、今回森木をやっているカラスくんと波岡くんが現場で話している姿を見たりするとどこか感慨深いというか、お願いしてよかったですね。

 

細田 僕みたいなひよっこがベテランの方に向かっていく現場はこれまでも何度かあったので、今回も遠慮なく勉強させてもらう気持ちでぶつかっていきましたし、このタイミングでご一緒できて本当に良かったです。波岡さんからも映画版の撮影当時のお話も聞けましたし、いろんな意味で刺激になりました。

 

──ほかにも、刑事役の三浦誠己さんや達也の父親役で深水元基さんなど、過去にヤンキー映画に出演されていたベテラン陣との共演も見どころです。

 

品川 映画版で哀川翔さんとエンケン(遠藤憲一)さんがやられていたキャラクターで、僕も思い入れが強いシーン。あの化け物の迫力を出せる人ということでお願いしたので、三浦さんも深水くんもプレッシャーだったと思うんですよ。でも映画版にないシーンでも、どんどん面白くなっていったし、ずっと怒鳴っているだけなのにいいセリフに聞こえてきて、なんかグッときましたね。

 

細田 三浦さんも深水さんも、『ドロップ』の後の現場でもご一緒したんです。ボコボコにしてもらうぐらいの気持ちでぶつかっていって、お二人からもたくさん勉強させてもらいました。

 

品川 クライマックスのトンネルのシーンで、役柄と同じように三浦さんと深水くんが後ろの方で、細田くんたちを見ていて、「なんか、いいっすね」と言っていたんですよ。役者としてヤンキーものを卒業した2人が、そうやって俯瞰しているんだけど、そんななかで波岡くんが現役で頑張っているという(笑)。この瞬間も嬉しかったですね。

 

ぜいたくな作品で環境にも恵まれていました(細田)

──全10話の連続ドラマとしての見どころをお願いします。

 

品川 『異世界居酒屋「のぶ」』に続いて、今回もWOWOWのプロデューサーさんに「全話撮らせてほしいです」と無理を言わせてもらいましたが、ドラマになったから無理矢理エピソードを作ったというよりは、映画版の2時間の尺に収め切れなかったものを入れました。だからこれまでどおり、ヒロシと達也の友情を描きつつ、他の3人のキャラも色濃くなっていると思いますし、調布南中の赤城と加藤だったり、狛江西中のテルとジョーだったり、徐々に仲間が増えていく感じは意識しました。こんなことを言うのも変ですが、映画版とは全く別モノの「第3話」から見るのもアリかと思います(笑)。

 

──全話を同じ監督が演出されることについては、役者さんとしてはありがたいことですよね。

 

細田 監督が品川さんお一人なので、変な話、監督同士の擦り合わせなどで疑問に思うようなことが全くない。それにプラスして、全話撮り終えてからの放送というのも恵まれていました。基本、連ドラは放送しながら撮っていくスタイルなのでメリットもありつつ、どこか追われている感覚もあるんです。だから、よりぜいたくな作品で環境にも恵まれていました。

 

──お二人が現場に必ず持っていくモノやアイテムがあれば教えてください。

 

細田 僕はイヤホンとかiPhoneとか音楽を聴くものは、肌身離さず持っていきます。集中力を高めるためというか、電車移動しているときに周りの人の会話を聞いてしまいがちなので、それを塞ぐためのもので……特に病んでないです(笑)。

 

品川 僕はストレッチポールです。すぐ肩が凝るし、背中を伸ばしたくなるんです。あと、僕自身アクションをやることもあるので、撮影の合間とか、ナイター撮影の待ちのときには必ず使っています。

 

 

連続ドラマW-30「ドロップ」

WOWOWにて6月2日(金)午後11時より放送・配信スタート(全10話)
WOWOWプライム、WOWOW4K第1話無料放送/WOWOWオンデマンド無料トライアル実施中

【連続ドラマW-30「ドロップ」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:脚本:品川ヒロシ
原作:品川ヒロシ「ドロップ」(リトルモア刊)
出演:細田佳央太、板垣瑞生、森永悠希、金城碧海(JO1)、波岡一喜 / 深水元基 ほか

(STORY)
ヤンキー漫画に憧れて「不良」になることを決めたヒロシ(細田)は、私⽴から公⽴の狛江北中へと転校する。そこで待ち受けていたのは、想像以上にハードな不良⽣活だった……。転校初日に不良グループのリーダー・達也(板垣)から呼び出され、早速ケンカをすることになるも、達也に完膚なきまでに叩きのめされ、刑事の荒牧(三浦誠己)にも捕まってしまう。そんなヒロシだったが、達也やルパン(森永)、森⽊(林カラス)、ワン公(大友一生)からケンカを通じて仲間の⼀員と認められ、ヒロシはその得意の口ゲンカとハッタリを武器に、不良たちとケンカの日々を送っていくことに。近隣の狛江⻄中の不良グループの襲来、そして隣の調布からは調布騎兵隊の登場、さらには最強のヒットマン(金城)!? から元ヤクザ(波岡)まで、ヒロシの相当ハードな不良⽣活が続く……。

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

玉袋筋太郎も驚愕! 半ぺん・蒲鉾一筋320年!! 日本橋の老舗18代目店主が語る伝統を守る戦い

〜玉袋筋太郎の万事往来
第26回「神茂」(かんも)第18代目店主・井上卓

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第26回目のゲストは、元禄元年の1688年に創業以来、日本橋で半ぺん・蒲鉾の製造販売を行う「神茂」(かんも)の第18代目店主、井上卓さん。伝統の味わいを守り抜くために艱難辛苦を乗り越えてきた老舗店の知られざる裏側に玉ちゃんも驚愕!

 

【公式サイト:https://www.hanpen.co.jp/

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

ペリーが来航時にかまぼこを食べていた?

井上 まずは、この帳簿を見てください。明治時代に使っていた帳簿なんですけど、明治三陸地震や日清戦争に際して寄付したことなんかが記録されているんです。

 

玉袋 うわー! 歴史があるところはすげーや。

 

井上 この辺が魚市場だった時に板舟といって、板1枚幾らで場所を貸していたんです。この帳簿には貸していた先にいただいたお金も書いてあります。

 

玉袋 帳簿だけでも、この街の歴史が感じられますね。

 

井上 東大の先生に読み解いてもらおうと、この帳簿を渡したら、僕が貼ってしまった付箋を見て、「付箋の跡が付くから外してください」と注意されました(笑)。あと、これは宮内省の時代に使われていた「門鑑」と言われる通行証です。

 

玉袋 こんな貴重なものが残っているんですか!

 

井上 僕が子どもの時分、うちにいた工場の人から聞いたんですが、自転車で配達に行って、おまわりさんに職務質問された時に、これを見せたら「大変失礼しました!」と敬礼されて、気分が良かったと。

 

玉袋 そんな通行証、欲しいもんだね。ETCは通れないけどさ(笑)。社長が18代目でしょう。「江戸っ子は三代続かなければ」なんて言葉があるけど、それどころじゃないね。神茂さんの創業はいつなんですか?

 

井上 1688年創業になっているんですけど、過去帳を見ると、「神崎屋」という屋号で、もうちょっと前からやっていたみたいです。

 

玉袋 先ほど工場見学をさせていただいた時にお聞きしましたが、創始者は大阪出身だったそうですね。

 

井上 江戸幕府開府の時に、大阪の人たちをたくさん江戸に住まわせたらしいんですけど、創始者の神崎屋長次郎も東京に来て、日本橋に店を開いたのが始まりです。このあたりの住所は「日本橋室町」ですけど、当時は「小田原町」と呼ばれていました。というのも江戸城を綺麗に作り直す時、小田原にいた石垣の職人さんを、この辺に住まわせたらしいんです。それで職人さんが故郷を懐かしんで、小田原町という名前にしたんです。

その後、石垣の造成が終わった小田原町の職人さんは築地に移されます。だから築地に今でもある交番は、「築地警察署小田原町交番」と書いてあります。その後、この辺は「本小田原町」と呼び名が変わっていったんですが、石垣の職人さんがいなくなった跡地に魚類の集積場を作ることになったんです。現在の日本橋の下流側の岸が魚の揚げ降ろしをしていたので「魚河岸」という名称が生まれました。

 

玉袋 なるほどねー。俺も東京出身だけど、この辺のことは何も知らないなぁ。

 

井上 近くにある昭和通りも、江戸のころは運河でした。関東大震災のがれきで埋め立てられてしまいましたが、そこは「米河岸」と言って、お米の揚げ降ろしをしていたんです。そして日本銀行本店の手前が汐留といって運河の終点で塩の揚げ降ろしする「塩河岸」でした。

 

玉袋 勉強になるなぁ。その日本橋も、高度経済成長期には上に高速道路が走っちゃったけど、今度は撤去するっていうんだから、時代は変わるね。

 

井上 ちなみにペリーが来航した時に、江戸幕府が横浜で一行をもてなしたんですが、その時に料理を担当したのが「百川」です。落語に「百川」という噺がありますけど、その舞台になった実在する高級料亭です。この近くにあったんですけど、お土産がかまぼこだったんです。ペリー一行に用意した献立の記録が残っているんですが、紅ちくわかまぼこや伊達巻が供されたと記録に残っています。

 

玉袋 百川というと、与太郎が行ったり来たりする話だけど、この辺が舞台とは知らなかった。俺も勉強不足だなぁ。

 

井上 ただ、アメリカの公文書簡には、「あまり江戸の料理は美味しくなかった」と書いてあるんです(笑)。その前にペリーは沖縄に寄っているんですが、沖縄料理のほうが、味が濃くてアメリカ人の口に合ったんでしょうね。まだ日本の出汁文化が世界的に伝わっていなかった時代ですからね。

 

江戸時代の輸出事情から生まれたはんぺん

玉袋 はんぺんや練り物と聞くと、「紀文」や「佃權」(つくごん)、「鈴廣」などの大手が思い浮かぶんですけど、歴史で言ったら神茂さんのほうが全然長いんですよね。

 

井上 佃權さんは2017年に廃業されてしまいましたけどね。

 

玉袋 そうなんですか!? 俺たちの世代だと、佃權のテレビコマーシャルが流れていて、「あたしゃ佃權 はんぺんだ こんにゃく問答 おでん種」ってフレーズを今でも覚えてますよ。先ほどのお話しに戻すと、鈴廣は小田原に本社があるから、その辺の話も繋がってくるんですかね?

 

井上 小田原は伊勢などに行く時に通る観光場所でした。関東よりも西はお湯で食べる文化があるので、かまぼこを蒸したりする。かまぼこは大量に作れるから、それを旅行で訪れた人に食べさせるうちに、海も近いし、名産になる。関東よりも北は寒いから、お湯を沸かすのにすごくエネルギーがいるので、焼くほうが手っ取り早いから笹かまなんですよ。

 

玉袋 言われてみるとそうですね。

 

井上 はんぺんについてお話しすると、今でも日本は中国にアワビとナマコとフカヒレを輸出していますけど、江戸時代のころから、この三品は「長崎俵物」や「俵物三品」と言って、中華料理の食材として長崎から中国に輸出して重宝されていたんです。そのために、江戸幕府は「たくさん鮫を獲ってこい」という指令を出していたんですが、フカヒレ以外は不要になるので、鮫を食べるために江戸時代に作られたのがはんぺんなんです。今の時代は食べる魚も豊富にあるので、鮫なんかに目を向けないでしょうし、獲った魚を保存できない江戸時代だからこそはんぺんが生まれたんでしょうね。

 

玉袋 子どもたちに「はんぺんって何でできてる?」と聞いて、「鮫」って答える子はいないと思うよ。以前、「はんぺんを作ってみよう」みたいな番組があって、担当したタレントも、はんぺんが何でできてるか分からないってところから始まって、最終的に鮫に辿り着いて作ったみたいな流れだったからね。鮫っていうと気仙沼のイメージが強いんですけど、実際はどうなんですか?

 

井上 今も気仙沼は鮫漁が盛んですし、うちも気仙沼や銚子から鮫を仕入れています。

 

玉袋 はんぺんには何鮫が向いているんですか?

 

井上 一番いいのは星鮫なんですけど、江戸時代は保健所がないから、はんぺんに何鮫を使っても良かったんです。だから、その時に水揚げされた鮫を何でも使っていました。歌舞伎座が版権を持っている浮世絵に、日本橋の橋の上で、一心太助みたいな男が天秤棒で大きな鮫を運んでいて、二人の女性が振り返って見ている作品があるんです。

 

玉袋 それぐらい鮫を食べるのが珍しいことじゃなかったんだね。

 

井上 江戸湾と隣の相模湾、さらに隣の駿河湾と、だんだん海が深くなっていって、そのあたりが鮫の産卵場所らしいんです。だから江戸湾には産卵のために多くの鮫が集まって来て、大型もいれば小型もいます。僕は水産庁の「たか丸」という船に乗って、底引きの試験操業を見学したことがあるんです。そうすると今でも網いっぱいに星鮫が獲れるんです。ただ近辺の漁師さんは、高く売れるアナゴやヒラメが目当てだから、なかなか星鮫は獲ってくれないんです。青森県や佐賀県では今でも星鮫を獲ってますけどね。

 

玉袋 星鮫でもフカヒレは作れるんですか?

 

井上 作れますけど、本当にちっちゃいから、加工する手間を考えたら、もっと大型の鮫のほうが喜ばれます。ただ本当に味が良くて、香りもある魚なので、星鮫だけではんぺんもできるし、かまぼこもできるんです。

ヨシキリザメなど大型の鮫だと、アンコウみたいに身質が水っぽくて柔らかいので、空気を抱き込みやすいんです。それだけだと味的に弱いので、そこに青鮫と言って、カジキみたいな身質の鮫を入れると、味と食感のバランスが上手く取れます。

だから、うちでは青鮫とヨシキリザメを混ぜて、はんぺんを作っています。たまに星鮫だけで作ったはんぺんを、「復刻版星鮫はんべん」という商品名で出しているんです。それを高島屋のイベントなんかに出すと、10時開店で10時半ぐらいには売れきれちゃいますね。

 

玉袋 鮫ってアンモニアが回っちゃうから、早く処理しなきゃいけないイメージなんですけどどうなんですか?

 

井上 むしろ鮫って自分でアンモニアを出すから傷みにくい魚なんです。臭いは強くなるけど腐敗しにくいので、マグロなんかと比べると、比較的長く食べられるんですよね。広島では鮫のことをワニと読んで、ワニ料理を食べる習慣があります。鮫は鮮度が良ければ、刺身でも食べられますからね。

 

 

玉袋 鮫の代用品としてエイははんぺんに使えないんですか?

 

井上 エイは板鰓類(ばんさいるい)と言って、鮫と一緒の仲間なんですけど、ほぼ身がないんです。よっぽど大きいエイだったら、真ん中に身がありますけど、それでもヒレの部分ばかりです。そういえば僕の代になって、もっときめの細かいはんぺんを作れないのかと、ミンチでもっと細かくして試作品を作ってみたんです。でも基礎がなくなっちゃったような味と食感で、とても商品化できるものではなかったですね。

 

玉袋 ちょうど1週間前に静岡に行ったんですけど、静岡おでんと言ったら黒はんぺんじゃないですか。それで地元の人に「黒はんぺんだね」なんて言ったら、向こうはカチンときたらしくてさ。「静岡では、これがはんぺんで、もう一つが白はんぺんだ」って言ってたね(笑)。

 

井上 黒はんぺんは焼津の名産ですが、青魚が原料という違いはありますけど、作り方は同じようなものなんです。それが関東では鮫が原料でたまたま白くなっちゃった、みたいな。先ほど関東より北はお湯で茹でる文化がなかったというお話をしましたが、たとえば北海道なんかは、近年まではんぺんは食べられていなかったんです。今は紀文さんやコンビニのおでんのおかげもあって、全国的にはんぺんは有名になりましたけど、今でもはんぺんに馴染みのない方もいらっしゃいます。初めてはんぺんを食べて、「淡雪みたいで美味しい」と仰っている方がいました。

 

玉袋 そうなんだ、俺なんか小さいころからはんぺん好きだから、全国的に食べられていると思っていました。社長にとってベストなはんぺんの食べ方って何ですか。

 

井上 はんぺんをほんのり温める程度に焼いて、大葉やミョウガを刻んで、それと一緒に生姜醤油で食べてもらうのが一番のオススメです。父と母は「わさび醤油で召し上がってください」と言ってましたけど、今はスーパーでも美味しいお刺身がたくさん出回っていますから、同じ食べ方をすると負けちゃいますね。

 

玉袋 いやいや! はんぺんも負けてないですよ。確かに生姜醤油だと、これからの暑いシーズンにぴったりのつまみだね。冷ややっこよりも美味しそうだ。

 

井上 昔の日本料理屋さんでは、はんぺんにウニを塗って焼くこともあったみたいですね。

 

玉袋 ウニはんぺんは美味しそうだなぁ。先ほど工場見学中に仰っていましたけど、寿司屋や日本料理屋にもはんぺんを卸しているそうですね。

 

井上 卵焼きにはんぺんを混ぜるそうなんです。たとえば日本料理屋さんだと、数年前に閉店しましたが新橋の「京味」さん、最近だと大門の「くろぎ」さん、お寿司屋さんだと、予約の取れないお店として人気の「日本橋蛎殻町 すぎた」さん、銀座の「寿司幸」さんが買われていきます。

「寿司幸」さんとは長くお付き合いしていて、卵の黄身にはんぺんを溶かすんですが、泡立ててはダメらしいんです。どうやって泡立たせないで混ぜるかは分からないんですが、混ぜたものを備長炭で、45分かけて焼くそうです。お寿司屋さんによっては、乾燥させた海老とはんぺんの両方を入れて卵焼きにするところもあるそうです。

 

玉袋 はんぺんだけに何色にも染まるというか、白いキャンバスだよね。神茂さんは、さつま揚げも主力商品なんですよね。

 

井上 そうですね。ただ当初は作ってなくて、関東大震災以降に作り出したんです。戦後になって、さつま揚げの量もどんどん増えていったんですけど、それまではかまぼこと白ちくわとはんぺんだけだったんです。その3種だけで、よく商売が成り立っていたなと思うんですけど。

 

玉袋 晩酌する時にかまぼこで一杯やることもあるんですけど、スーパーで売ってるかまぼこを食べると、どうも昔食べたかまぼこと違うなってていう感覚があるんですよね。正月なんかは、おせちに高級かまぼこを買って食べるんだけど、混じりけがないというか、やっぱり良いものは美味しいんですよね。

 

井上 魚の量が違うんですよ。あと魚を練る時に使う氷も必要最小限にとどめるんです。それによって水っぽくなくなりますし、そうするとでんぷんを入れる必要もなくなります。やっぱりでんぷんの入ってないかまぼこのほうが美味しいんです。

 

会社の危機を救った二つの商品

玉袋 ところで社長は、どうして18代目を継ごうと思ったんですか?

 

井上 僕は次男坊なので、もともと稼業を継ぐ気はなくて、ジャスコに就職しました。そこで、いろいろ流通について学ぶうちに、コスト感覚も身に付きました。ところが、神茂の売り上げが下がっていたころ、うちの父が体を壊してしまい、母から「相続のこともあるから、ちょっとこっちも見てよ」と言われて、ちょいちょい見るようになったんです。それで会社の会計士とも話をしたら、相続対策を何もやってなかったんです。

 

玉袋 老舗にありがちな話ですね。

 

井上 すでに私の兄は工場で働いていましたけど、のんびりした性格で、兄弟で銀行に行っても他人事みたいなんです。僕が銀行の人に事業計画書を渡して、「本当に申し訳ございません。こういうふうに会社を変えていきます」と頭を下げている横で兄は普通に座っている(笑)。うちは自社ビルなんですけど、バブルの時にビルを建てたので、借金が12億円ぐらいあったんです。その額をかまぼことはんぺんで返済するのも大変じゃないですか。ビルの家賃収入もバブルが崩壊してから、どんどん下がっていましたからね。

 

玉袋 危ない、危ない!

 

井上 そこで、僕はお店の中の商品で、要るものと要らないものを分けました。さらに新商品として、袋に入った調理済みおでんを作ろうと、築地に行って似たような商品を21社分買ってきて、何品おでんが入ってるかと平均重量を調べて、コストを全部算出しました。

 

玉袋 ジャスコのおかげですね。いわば実家コンサルティングだ。

 

井上 それで、父にこういう商品を作ると報告したら、「うちらしくないから駄目だ」と。「どこが“らしく”ないんだ?」と聞いたら、パッケージが嫌だと。だから八重洲ブックセンターに行って、元禄時代の地図を買って来て、版元に連絡して、製品のパッケージに使いたいとお願いしたんです。使用料を聞いたら、「カレンダーだと15万円いただいています」と言うから、同じ金額をお支払いして、その地図をパッケージに使って。そしたら初年度でクラウン1台分ぐらい売り上げたんです。

 

玉袋 それはすごいですね!

 

井上 今度は調理済おでんの「其の二」を作ろうということで、今度は中央区に住む画家の方が日本橋の絵を描いていたから、また電話をして、「使わしていただきたい」と。前回が15万円だったので同じ値段で交渉したら、「結構ですよ」と許可をいただいて。「其の二」を出したら、これも好評だったんです。こういう商品を出したら好調ですと伝えたら、銀行の反応も良くて、融資の交渉もスムーズに進みました。そしてこうしているうちに、運が向いていたんですかね。コンビニ大手さんから電話がかかってきて、「おでん種のすじを作ってくれないか」という注文があったんです。

 

――コンビニの発注量は個人経営だと大変ですよね。

 

井上 そうなんですよね。それまで、竹のすだれを巻いてすじを作っていたんですけど、とてもじゃないけどコンビニさんの発注量を作ることはできない。そこで東急ハンズでアルミ板を買って来て、50枚単位で硬貨をまとめるプラスチックのケースをヒントに、ベンディングマシンでちょっとずつアルミ板を曲げていって。すだれの型みたいなものを二つ作って、蝶番で繋げてパカパカ開閉する試作品を作ったんです。ちくわぶの作り方が、これに近かったんですよね。それを篠崎あたりの鉄工所に持って行って、「これと同じような作りで、量産できるものを作ってほしい」と。それで完成した型で、毎日千本、二千本と千単位ですじが作れるようになったので、改めてコンビニさんと契約したんです。

 

玉袋 大手との契約はでかいね!

 

井上 従業員の士気も上がりますしね。それで出荷を始めたら、売り上げも好調で、川崎にあったフェリーターミナル近くの店舗では、大根、卵に次いで、すじが3位になったそうです。厚みと食べ応えがあったので需要があったんでしょうね。ところが、あまりにも忙しくなり過ぎて、夏場でも夜の11時まで残業が続くようになって、辞める従業員が出始めたんです。それで、これ以上作り続けるのは難しいということで、コンビニさんとの契約は4年で終了とさせていただきました。でも、そのおかげで会社の危機を脱することができたので感謝しています。

 

玉袋 まるで一本のドラマを観ているようなお話しでしたね! 第19代目店主は決まっているんですか?

 

井上 今は子育て中の娘が、もうすぐ復帰するんですけど、おそらく継いでくれると思います。娘の旦那も工場で働いているんですよ。ただ僕の時代に、今お話ししたような波乱がたくさんあったから、安泰という訳ではないですよね。ただバトンさえ渡せば、あとは新しい代が、新しい発想で頑張ってくれればいいんです。

 

 

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)

<出演・連載>

TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」

茅島みずき&田鍋梨々花「眠そうな私(茅島)の写真がよく送られてきました。それがブームだったよね」ドラマ『対ありでした。〜お嬢さまは格闘ゲームなんてしない〜』

NTTドコモによる新しい映像配信サービス「Lemino(レミノ)」オリジナルドラマとして、対戦型格闘ゲームに熱中するお嬢様学校の女子生徒たちを描いたマンガ『対ありでした。〜お嬢さまは格闘ゲームなんてしない〜』が実写化。5月19日(金)より配信スタートします。メインキャラクターの綾と美緒を演じた茅島みずきさんと田鍋梨々花さんは、この作品で格闘ゲーム初挑戦。最初はボタンを押すのも大変だったという練習のことなど、仲良しトークで展開してくれました。

 

(写真右)茅島みずき●かやしま・みずき…2004年7月6日生まれ、長崎県出身。「アミューズ 全県全員面接オーディション2017年〜九州・沖縄編〜」でグランプリを受賞し、芸能界入り。現在放送中の『明日、私は誰かのカノジョ シーズン2』(TBS/MBS)に出演中。7月7日(金)公開の映画「交換ウソ日記」にも出演している。公式HPInstagram(写真左)田鍋梨々花●たなべ・りりか…2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年に開催された「ミスセブンティーン」のグランプリに選ばれ、同年10月より同誌専属モデルに。ドラマ『コード・ブルー-ドクターヘリ救命救急』などに出演。今後の待機作に、6月2日(金)スタートの連続ドラマW-30「ドロップ」(WOWOW)がある。公式HPTwitterInstagram

【茅島みずきさんと田鍋梨々花さん撮り下ろし写真】

「この技出したい!」って欲が出てきて、みんなに負けたくないと思ってやるように(田鍋)

──格闘ゲームはやったことありました?

 

茅島 ないです。出演することが決まってからみんなで練習しました。アケコン(アーケードコントローラー)も初めて見たので、どうやって持つのか全く分からなくて。ゲームを家に持ち帰ってひたすら練習していました。

 

田鍋 私も初めてでした。私もアケコンに触ったことがなかったので、同時に両手の指を動かして操作するのも慣れませんでした。

 

──ドラマのために練習して、今後ハマリそうな感じはありましたか?

 

茅島 はい。私はもともとすごくゲームが好きでいろんなゲームをしますが、格闘ゲームはすごく難しくて、ボタンをちょっと押し間違えると技が出ないんですよね。だから最初は楽しいと思うより難し過ぎて、「これ、私にできるかな」って不安が大きかったんです。でも少しずつ技を出せるようになったら楽しくなってきました。

 

田鍋 そうだね。慣れてくると「この技出したい!」って欲が出てきて、みんなに負けたくないと思ってやるようになりました。

 

──初めてとは思えない指さばきでした。練習は、お家にゲームを持ち帰ってひたすら正しいボタンの位置に指を押すって感じだったのでしょうか。

 

茅島田鍋 そうですね(笑)。

 

茅島 指導してくださる方がいらっしゃったので、まずみんなで自分が握りやすい持ち方をいろいろ試して、持ち方を決めました。技の一覧表があったよね。

 

田鍋 そう、技が書いてある紙をいただきました。

 

茅島 「このボタンを押せば、この技が出ます」って書いてある一覧がありました。

 

田鍋 「ストリートV(STREET FIGHTER V CHAMPION EDITION)」の使うキャラによって技の出し方が全部違うんですよね。

 

普段とゲームをしているときの興奮した感じのギャップを出せたら(茅島)

──なるほど。登場人物の使うキャラが違うから、キャスト間で「この技の出し方を教えて」ってことができないわけですね。

 

田鍋 そう、できないんです。

 

茅島 その技の一覧を見ながら、自分が使うキャラのこの技を出さなきゃ! と思いながら、それぞれ家で練習していました。

 

田鍋 適当にコントローラーを動かすのではなく、ゲーム画面に合わせないといけなかったんです。技を出していないときはボタンを押さないとか、そういう細かい部分まで気を付けながら撮影していたのですごく難しかったです。

 

──ということは、技が出せるようになるとうれしい気持ちになったのでは?

 

田鍋 なりました。私が演じた美緒は、当たり前のようにたくさんの技を出すので、ぎこちない手付きをしちゃいけないなと思って、自然に見えればいいなと思っていました。

 

茅島 私もそうでした。綾はゲーム愛がすごく強い子なんです。でもメインキャラクター4人の中では一番周りが見えているキャラなので、普段とゲームをしているときの興奮した感じのギャップを出せたらいいなと思って。ゲームをしているときはすごく早口になるので、オタク要素を出せるように演じていました。

 

──周りが見えている綾に対し、美緒はゲームしているときは常にハイテンションでした。演じる上で意識したことはありましたか?

 

田鍋 美緒は狂っているぐらいゲームが好きなので自分の世界に入り込んでいる表情を意識しました。ゲームをしているとき以外も白目を剥いたりすごく表情豊かなので、素直に感情が顔に出る人物として表現しました。

 

現場で見てすごいなって思いました。完璧にすらすら言うから(田鍋)

──ゲームの専門用語がたくさん出てくるので、画面に解説が出てきてとてもありがたかったのですが、演じていらっしゃるみなさんはセリフを覚えるのが大変だったろうなと思いました。

 

茅島 すごく大変でした!

 

田鍋 そうだよね。綾が一番ゲーム用語を言っていたもんね。

 

茅島 私は美緒が毎日泣いて叫んで、感情を出すのがすごく大変そうだなって思って見ていて(笑)。それに対して私はひたすらゲーム用語を早口でしゃべることが多かったので、イントネーションはこれで合っているんだろうかとか、セリフに出てくるゲーム用語を調べるところから始まりました。普段使わない言葉なので、覚えるのも時間がかかりましたね。

(C)NTT DOCOMO,INC.

 

──イントネーションはどうやって調べたんですか。

 

茅島 ゲーム指導の先生に「このイントネーションで合っていますか?」って聞いたりしました。事前に調べて撮影に臨みましたね。

 

田鍋 でも現場で見てすごいなって思いました。そう言いながら、完璧にすらすら言うから。初めて聞く単語が多すぎるのに、自分の言葉みたいに言っていました。

 

違ったりりちゃんが見られてすごくよかった。また仲が深まった気がしました(笑)(茅島)

──一方、田鍋さんは茅島さんもおっしゃったようにずっとハイテンションでいるのが大変そうだなと思いました。

 

田鍋 美緒は今ゲームがやりたいと思ったら絶対にやりたいし、思い通りにならないと泣いちゃうような、本当に小学生みたいな子だったので、感情の起伏をちゃんと表に出せたらなと思いながら演じていました。私自身は自分の気持ちのスイッチを入れないと自然とできないタイプで。「テンションを上げないと!」と思わないとできないので、感情のスイッチを入れるように1回1回意識して演じていました。

 

茅島 それが本読みのときからすごく大変そうでした。1人で怒って泣いているので、みんなで「本当に大変だよね。のど枯れそうだよね」って心配しながら見ていました。

(C)NTT DOCOMO,INC.

 

──お2人は2回目の共演になりますが、最初に共演したときとお互いの印象は変わりました?

 

茅島 最初に共演したときに仲良くなりましたし、楽しい思い出がたくさんあるんですけど、りりちゃんは何を考えているか分からない、ミステリアスな部分があるって、その時共演したみんなに言われていたんです。今回の現場では、また違ったりりちゃんが見られてすごくよかったです。より仲が深まった気がしました(笑)。最初に共演したときはクールな印象だったのに、明るい一面をたくさん知りました。

 

田鍋 2人とも雑誌セブンティーンの専属モデルで、撮影で会うことはあったんですけど、そこまでしっかり一緒に撮影したことがなくて。私もみずきちゃんに対してすごくクールで大人っぽい印象があったんですが、お話しているとすごくギャップがありました。現場で、4人(茅島、田鍋、池田朱那、永瀬莉子のチーム白百合役の4人)でいると妹キャラで、かわいらしいんですよね。よく話してみないと分からない一面を今回のドラマを通して知ることができたので、私もすごくうれしかったです。

 

日課みたいになっていて、朝その写真を見て笑うと元気になれる(田鍋)

──ここからはモノやコトについてのお話をお聞かせください。今、ご自分の中で熱いモノを教えてください。

 

田鍋 「おいせさんお浄め塩スプレー」はいつも持っていて、自宅には絶対ストックがあります。何回リピートしたか分からないくらい。ずっと同じ場所で撮影していたりすると、なんかこうリフレッシュしたいと思うことがあるんです。そういうときに振りまいたりします。お香みたいな香りなんですが、強くないので香りでリフレッシュできるんですよね。

↑田鍋さんが愛用する「おいせさんお清め塩スプレー」

 

茅島 私はイヤホンです。音楽が大好きで、音楽を聴かない日はないんです。朝移動するときに聴いて、夜は音楽を聴きながら寝るのがルーティーンです。逆に音楽を聴かないと寝られないくらい。音楽を聴きながら移動して、現場について頑張るぞって気持ちになるから、イヤホンを忘れたら絶対に取りに戻ります。

↑茅島さんが愛用するイヤホン

 

──「対ありでした。」の現場でチーム白百合の4人が集まったときに流行っていたモノや盛り上がった話題はありましたか?

 

茅島 写真じゃない?

 

田鍋 そうだね、写真だ(笑)。

 

茅島 私は朝に弱いので、なかなか目覚めなくて寝起きの顔のままになっていることが多いんです。撮影が始まる頃にはちゃんと起きているんですけど、それまでの待ち時間にすごく眠い顔していたんでしょうね(笑)。

 

田鍋 朝こっそり写真を撮っていました。パシャって(笑)。

 

茅島 私は気づいていなかったんですよね。

 

田鍋 その写真を後で見せたり、4人のトーク部屋に送ったりしました。「朝、おにぎりを持ちながら寝てたよ」とか。

 

茅島 眠そうな私の写真がよく送られてきました。それがブームだったよね。

 

田鍋 うん、ブームだった。日課みたいになっていて、朝その写真を見て笑うと元気になれるんです。

 

茅島 多分きっかけは永瀬莉子ちゃんで、私の朝の顔がすごく好きっぽくて、その写真を見てすごく幸せそうに笑うんです。それで笑ってくれるならいいかなって思いました(笑)。今ではスタンプ代わりにその写真を使って、「ごはん行こうよ」ってみんなを誘ったりしています。

 

 

(C)NTT DOCOMO,INC.

Leminoオリジナルドラマ「対ありでした。 ~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~」

2023年5月19日(金)12:00~
(※最新話の配信開始から1週間は無料視聴可能)

出演:茅島みずき、田鍋梨々花、池田朱那/永瀬莉子
監督:大内田龍馬
原案:江島絵理『対ありでした。 ~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~』 (MFコミックスフラッパーシリーズ/KADOKAWA刊)
番組配信ページ: https://bit.ly/3LwbyJk

(STORY)
国内屈指のお嬢さま学校「黒美女子学院高等学校」に入学した深月綾(茅島)は、校内一注目を集め、“白百合さま”と羨望される美緒(田鍋)が、誰もいない教室で熱く格闘ゲームに興じる姿を目撃してしまう。お嬢さま学校でゲームは決して許されない行為……固く口止めされた綾だったが、美緒に同じ格ゲーマーだとバレてしまい、対戦を望まれてしまう!?

 

【Leminoオリジナルドラマ「対ありでした。 ~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~」よりシーン写真】

(C)NTT DOCOMO,INC.

 

撮影/映美 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/SAKURA(まきうらオフィス)(茅島)、中軍裕美子(田鍋) スタイリスト/平松彩霞(茅島)、黒崎 彩(Linx)(田鍋)

新谷ゆづみ「よりリアリティーを感じながら、ぬいサーの一員として演じることができました」映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

繊細な感性で話題作を生み続ける大前粟生氏の小説を初めて映画化した『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が、4月14日(金)より全国公開。ぬいぐるみに話しかける「ぬいぐるみサークル」に所属する女子大生・白城を演じる新谷ゆづみさんが、「いろいろと考えさせられた」という役作りや、女優としての今後の展望・目標について語ってくれました。

 

新谷ゆづみ●しんたに・ゆづみ…2003年7月20日生まれ。和歌山県出身。最近の主な出演作に連続ドラマW -30「異世界居酒屋『のぶ』Season3~皇帝とオイリアの王女編~」(WOWOW)、ZIP!朝ドラマ「パパとなっちゃんのお弁当」など。映画「わたしの見ている世界が全て」が公開中。

【新谷ゆずみさん撮り下ろし写真】

 

白城は物事を平等に見ることができるし、優しいけれど、そう見えないクールな部分も

──原作・脚本を読んだときの感想は?

 

新谷 私が演じる白城は、ぬいぐるみサークル(以下、ぬいサー)の七森(細田佳央太)や麦戸ちゃん(駒井 蓮)たちと比べると、ちょっと大人びている印象が強かったです。そのとき、私はギリギリ高校生で、「役作り、どうしよう?」と思いましたし、金子(由里奈)監督からも、「白城はとても重要なキャラクター」と言われていたので、少しプレッシャーはありました。

 

──大人っぽいと感じた白城を、さらにどのように捉え、どう演じようと思われましたか?

 

新谷 物事を平等に見ることができるし、とても優しいけれど、そう見えないクールな部分もある。それは物事を客観視できていたり、世間に対して、ちょっと諦めている部分もあるからだと思うんです。あと、七森や麦戸ちゃんとは違う世界を知っているし、物事の捉え方や受け取り方も、優しさのかたちも違う。白城自身も、ぬいサーに入らなければ、彼らと交わることはなかったし、仮に交わったとしても深く関わることがない関係性だと思いましたし、その微妙な雰囲気をどのように出していこうかと考えました。

 

──彼女は、ぬいサーだけでなく、イベントサークルと兼サー(兼部)しています。

 

新谷 一般的な大学生で、どちらかといえば陽キャ。そんな白城に共感するお客さんの方が多いと思ったので、そこも心掛けて演じようと思いました。白城は、ぬいサーに入ることで、イベサーと違う世界を見たかっただろうし、どこかで、ぬいサーのみんながうらやましいと思う部分もあると思うんですね。イベサーでのストレスや悩みを抱えていたことも、「ぬいサーにいたい!」と思う理由ではないでしょうか。

 

──ちなみに、白城はぬいサー内で、唯一ぬいぐるみに話しかけない部員です。

 

新谷 白城なりの理由があるとは思いますが、そんな異質なことすらも、何も言わずに受け入れてくれる、ぬいサーは、どこまでも優しいんだなと感激しました。だからこそ、白城も改めて「この人たちとちゃんと向き合いたい」と思ったんだと思います。

 

金子監督は私たちのことを考えて意見してくださり、ものすごく優しかったです

──ぬいサーメンバーの雰囲気、金子監督の演出はいかがでしたか?

 

新谷 ぬいサーの皆さんとは、台本読み合わせのときから、何度かお会いしましたが、わちゃわちゃした雰囲気にもならず、その後も個人個人の気持ちを深く知りすぎないラインをキープしながら、お互いやっていました。みんな意外と人見知りだったりするのかな? 金子監督は、自分でぬいぐるみを作って現場に持ってくるぐらい気持ちが入られていたので、とても説得力のある演出でした。いろんな意味で、妥協がない方なのですが、言い方だけでなく、私たちのことを考えて意見してくださり、ものすごく優しかったです。

 

──たくさんのぬいぐるみに囲まれた、ぬいサーの部室はいかがでした?

 

新谷 大学のシーンは、立命館大学の校内で撮ったんですが、普通に通っている学生さんもいるなか、その片隅にある本当の部室にたくさんのぬいぐるみを配置して撮影したんです。「わぁ、こんなお部屋があるんだ!」と興奮しました。美術さんが用意してくださったものもあれば、いろんな人のお家にあったものをかき集めているので、役者の私物もあるんです。私は持っていかなかったですけど……。よりリアリティーを感じながら、ぬいサーの一員として演じることができました。

 

──撮影中に苦労されたシーンや印象的だったシーンは?

 

新谷 七森とぶつかり合うシーンですね。お互いぶつかり合うけれども、それは真逆にいた2人がしっかり向き合った証拠じゃないかと。だからこそ、2人の言動として、表現として、すごく大事なシーンだと思いました。なので、時間をかけて、何度もやらせてもらいました。

 

──京都ロケの思い出は?

 

新谷 京都のホテルに宿泊しながらの撮影だったので、そういうところで生まれた絆はあったかもしれません。さすがに、みんなで食べに行くことができなかったのですが、撮影の合間に一人でご飯屋さんにも行きました。佳央太さんが「おいしい鰻を食べに行った」と聞いていたので、そのお店に行ったら、休業日だったんです。それで有名なラーメン屋さんに行って、さっぱりしておいしい醤油ラーメンを食べました。

 

──完成した作品を観たときの感想は?

 

新谷 劇中に流れる音楽や効果音がとてもポップなのに、どこか切なさを感じました。あと、何度か出てくるぬいぐるみ目線のカットを観ることで、ぬいぐるみの方にも感情移入しちゃったりして(笑)。なかなかできない体験ですし、それがこの映画ならではの特色や面白さだと思いました。

 

素敵な人間性も含めてずっと吉高由里子さんに憧れています

──『麻希のいる世界』『やがて海へと届く』など、2022年は女優としての新谷さんにとって大きな転機となった一年だったと思います。それを経ての本作は、どんな一作になりましたか?

 

新谷 原作を読んだときからいろいろと考えさせられ、役者としてもそうですが、人としてもすごく成長できる内容の作品に出会えたと思っています。それは私自身、前から望んでいたことですし、この作品を観た誰かに何かを伝えられることができたらいいなとも思います。あと、同じ事務所ということもあり、七森役の佳央太さんとは小学生のときから同じレッスンを受けるような知り合いだったんです。今回やっと共演できたのですが、このタイミングでご一緒できて本当に良かったです。

 

──今年20歳になり、来年デビュー10周年を迎えるなか、今後の展望・目標は?

 

新谷 もうそんなに経つんですね! お仕事をしつつ、とにかく人間として成長したいです。あと、年齢を重ねるごとに、吸収できるものを着実に吸収しつつ、それを作品に反映できたらと思っています。これからは学生だけでなく、いろんな職業の役をやっていくと思うので、とても楽しみです。素敵な人間性も含めて、ずっと吉高由里子さんに憧れていて、それは変わりませんね。

 

──これまで大人っぽい役柄を演じることが多かったですが、素の新谷さんは?

 

新谷 私、三人姉妹の末っ子なんです。だから、家族の前では甘えたがりです。あと、ちょっと頑固かもしれないし、お姉ちゃんがお母さんに怒られている姿を見て育っているので、「これはしないようにしよう!」とか、要領の良さというか、ずる賢い部分はあるかもしれません(笑)。

 

──撮影現場などに、常に持っていくモノやグッズがありましたら教えてください。

 

新谷 役について以外も、やりたいと思ったことや次の日の予定など、思いついたものをすぐ書き込めるよう、ペンとノートは必ず持っています。ずっと使っているのは、書きやすさよりも柔らかさ重視のシャープペン。ノートはいろんなものを使ってきたんですが、2年前に新潮社さんの「マイブック」に出会って、その使いやすさが気に入っています。2年間で、3冊ぐらいのペースですね。あと、ネロリの匂いをする香水とか、いい匂いがするものも好きです。

 

 

(C)映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

4月14日(金)より新宿武蔵野館、渋谷 ホワイト シネクイントほかロードショー
4月7日(金)より京都シネマ、京都みなみ会館にて先行公開

(STAFF&CAST)
監督:金子由里奈
原作:大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(河出書房新社 刊)
脚本:金子鈴幸、金子由里奈
出演:細田佳央太、駒井 蓮
新谷ゆづみ、細川 岳、真魚、上大迫祐希、若杉 凩、
天野はな、小日向星一、宮﨑 優、門田宗大、石本径代、安光隆太郎

【映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」よりシーン写真】

(C)映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

 

撮影/金井尭子 取材・文/くれい響 スタイリング/世良 啓 ヘアメイク/坂本志穂 衣装協力/ToU I ToU SERAN,Fumiku

岐阜・信長まつり、大ヒット「織田ちん」を生み出した「シイング」がすごかった! 美濃で求め続けた“ロック”と“ロマン”

odachin-gift

義父・斎藤道三に託された地を「岐阜」と改めた織田信長は、楽市・楽座や兵農分離など町づくりを行い、岐阜を拠点に全国統一を目指しました。そんな信長を称える「岐阜市産業・農業祭~ぎふ信長まつり~」2022年11月5日と6日、3年ぶりに開催。かつてない盛り上がりを見せました。

 

この状況の下、突然スポットライトを浴びることになった会社が。和紙を伝統産業とする美濃市の「シイング」です。

 

今回は大人気商品「織田ちん」を生み出した社長・鷲見恵史さんに直接お話をうかがいました。実は「織田ちん」ヒットの裏には、ロックとロマンが詰まった、知られざる物語があったのです。

鷲見恵史…52歳。岐阜県関市洞戸出身。名古屋の美術大学卒業後、美濃市で美濃和紙を扱う問屋「大滝商会(現シイング)」に入社。現在はシイング社長として、美濃和紙と全国各地の産業や技術を組み合わせたアイデア商品の企画販売を行っている。

 

※最後にプレゼントのお知らせがあります。

 

 ぽち袋「織田ちん」は、どう生まれたのか

――信長まつりで話題になり、現在も完売が続いているぽち袋「織田ちん」。まずは「織田ちん」がどう生まれたのかを聞かせてください。 

 

鷲見 実は「織田ちん」が誕生したのは3年前になります。「岐阜のお土産モノ」が作りたいと思っていた時、ちょうどNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』(2020年)の舞台が岐阜だったのです。社員が岐阜県出身の漫画家・石田意志雄先生と知り合いで、石田先生と相談して明智光秀や織田信長のぽち袋を作りました。

 

岐阜県は長良川や板取川など美しい清流があり、昔から和紙作りに適した土地です。美濃和紙は、福井の越前和紙、高知の土佐和紙と並んで「三大和紙」と呼ばれていて、障子紙や鉄筆原紙など薄くて強い紙が得意なんです。でも「織田ちん」はお札が透けないよう、厚紙が得意な福井と四国の協力も得ながら、オリジナルで厚く漉いてもらいました。

odachin-gift2
↑「織田ちん」の他、明智光秀の「明智貢いで」、徳川家康の「徳川マイぞうきん」、斎藤道三の「ありが道三」など、おちゃめな武将のぽち袋

 

――「織田ちん」をはじめ、「明智貢いで」や「徳川マイぞうきん」などネーミングが印象的です。なぜダジャレにしようと思ったのでしょう? 

 

鷲見 シイングは初期から、モノに文字を入れる言葉遊びを大事にしていました。売ったり展示したりする時、真っ白な紙だけでは面白くないので。20年前、試しにダジャレを入れてみたら、思いのほか売れた。そこからダジャレを取り入れるようになりましたね。

 

この「織田ちん」をはじめとするシリーズも、シイングのベースに見合うものにしようと考えました。「織田ちん」と「お駄賃」は、ぽち袋ならではの商品なので、販売当時から人気でした。 

↑左から「ぽち(長)寿(招福つるかめ)」「ぽち(長)寿(めで鯛)」。初期に作ったという言葉遊びのぽち袋

 

 

岐阜・信長まつりを機に、話題の商品に!

――販売当時から人気だった「織田ちん」ですが、信長まつりを機に大ヒットしました。その時の状況を聞かせてください。 

 

鷲見 信長まつりの前日、私は神戸のイベントで売り子をしていたのですが、社員から「織田ちん」が話題になっていると連絡が来て。得意先からも注文があり、各店に納めようと急いで岐阜に戻りました。

 

出荷準備をして、翌朝配達して会社でホッとしていると、さっき収めたばかりの店から「もうない」と電話があり。また配達して、でもすぐに「なくなった」と連絡が来て……。「すごいことが起きているぞ」と。

odachin-gift2
↑岐阜駅にある「THE GIFTS SHOP」に並べられた「織田ちん」をはじめとするぽち袋。信長まつり当日、鷲見さんが何度も配達しに行ったとのこと

 

――まさに「岐阜のお土産モノ」になったのですね!  

 

鷲見 売れてはなくなってを繰り返して、求めてくださる方々の手に届くよう、とにかく作り続けました。その間に大手コンビニから声をかけていただいたり、テレビやラジオからオファーがきたり。「岐阜のお土産モノを作りたい」思いが、数年越しに花開きました。偶然の重なりですが、強い思いで岐阜のあらゆる店に置いていたことが、今回の出来事につながったのかなと思います。

 

 

財産は150年の全国ネットワーク。シイングの歴史 

――「織田ちん」のヒットで「シイング」にも注目が集まっています。ここで、会社の歴史を教えてください。 

 

鷲見 もともとは「大滝商会」という名で、障子紙などの美濃和紙を扱う問屋でした。一方で軸箱など製造部門や、照明のシェード部門ができるなど、時代の流れとともに動いている会社でもありましたね。 先代の大滝国義社長(2017年没)が「古いことやってたら終わるから、好きなことやっていいよ」と言う人で、「なんか面白そう」と会社に入ってくる人が多かったです。

 

――今はどんなことをしているのでしょう。 

 

鷲見 紙や加工の情報量を財産として、商品企画を行っています。アイデアを形にするため、問題点やコストを考えつつ、実際に製作しながら全国各地の加工屋さんやデザイナーと意思疎通を図っています。 自社で企画製造するだけでなく「考える人」と「作る人」の間にいて、「どこでどうすれば商品ができるか」を伝えてつなげる通訳の役割もあると思っていて。伝統産業を発展させるためにも、柔軟発想を大事にしている会社なんです。 

shing-kikai
↑鷲見「もともと紙問屋なので、ファブレスな会社です。ただアイデアをすぐに形にできるよう試作機はたくさん持っています。こちらは断裁機ですね」

 

――全国各地ということですが、美濃市以外のネットワークはどう築いたのでしょう?

  

鷲見 会社自体に150年の歴史があり、先代の大滝がいろんな土地の人と仲が良かったこともあり、それなりに情報の蓄積はありました。大滝に続いて私も、日本全国いろんな所を見て、いろんな人と会うようにしています。「この素材を足して、加工すればできるはず!」と失敗を重ねながら挑戦する日々です。デザイナーさんからの「この素材で、こんなものをデザインしたい」という相談にアドバイスを返せるのは、経験があってこそなので。 

 

――社長自ら考え続け、動き続けているのですね。 

 

鷲見 シイングという名前は、1988年に大滝が「考える」の「think」と、紙を“考えて変化させていく” 現在進行形で「紙ing」と付けました。その後私が社長になってから、“紙の進行形”だけだと伝わりにくいと思い、サブタイトルに「楽しいを考える」と加えました。大滝とは血がつながっていませんが、「考える」ことに関してはものすごい馬が合ったんですよね。  

 

 

「え? そんなモノまで?」紙にとどまらないユニーク商品 

kamiplay_ppb_kamimen
↑「KamiPLAY」シリーズ「かみめん」

 

――具体的に、どのような商品があるのか見せてもらっても? 

 

鷲見 例えば、マスクと顔封筒がセットになった「かみめん みずひき」。目の周りが水引きになっているんですよ。コロナ禍前は、お祝い金を直接渡すことが多かったじゃないですか。この顔封筒にお金を入れて、マスクをかぶって渡して、飲みの場で写真を撮る(笑)。販売当時は話題になり、完売しました。

 

実は美濃の縫製技術を使っているんです。もともと岐阜県は縫製技術が高く、ミシンを持っているおばあちゃんがいっぱいいて。「これ縫える?」っておばあちゃんに聞いたら、すぐに縫ってくれました。 

 

――美濃和紙の紙漉き技術にとどまらない、土地のさまざまな技術を使っているのですね。 

 

鷲見 技術でいうと、「こより」を使った商品があります。もともとは着物の値札の技術なんですよ。まず「こより原紙」を仕入れて、印刷や型抜きをします。表と裏が和紙で、中に芯紙が入っているので、お湯につけて、バナナの皮みたいに和紙を剥く。中の芯紙をちぎったら和紙だけになるので、それをきゅるきゅるって“よる”んです。

↑「よしよし」シリーズ「かたちのこより」

 

プレゼントにつけると、かわいくないですか? 美濃市に作れる人がいたのでお願いしました。技術は地の利で、みんなが意外に知らない技術が各土地にはいっぱいある。少し前に、薄く丈夫な美濃和紙を生かした、水に濡らしてあおぐことで涼しい風を感じられる「水うちわ」が流行ったころから、土地の技術を探究するのもいいなと思ったんです。 

 

ただ一方で難しいのは、技術の価値が上がると、値段も上がること。例えばユネスコ無形文化遺産に登録されている、限られた手すき和紙職人しか漉くことのできない「本美濃紙」は、材料として使うと高くなってしまいます。アイデア商品を作って需要を喚起したいところですが、高額品は価値がわかる人に買ってもらうしかないですよね… 

KamiPLAY_kaminote
↑「KamiPLAY」シリーズ「かみノート」。鷲見「製本テープを髪の毛にしてみました。テープの材料を仕入れて、のり加工業者に頼んで、社内でカットして、貼って、断裁して440円で販売。値段合わんねって(笑)」

 

――材料と価値、難しいですね。そして、これだけいろんな商品を生み出していることに驚きました。

 

鷲見 うちはトライアンドエラーが多く、「え?そんなモノまで?」とよく驚かれます。現状の失敗でいうと、美濃の紙布を使った蜜蝋ラップですかね。洗えるラップとして、何回も使ことができます。デザインもかっこいいけれど、紙布と蜜蝋の相性がイマイチで試行錯誤しています。

 

――なぜ洗えるラップを作ろうと? 

 

鷲見 この商品は、県と市と一緒に作っているんです。ビックデータが出始めたころ、データを使って和紙の商品を作ったら面白いのではと思い、私から和紙業界団体を通じて県や市にお願いしました。そうしたら業界の商品開発の一環としてOKをもらって。チームを組んで研究した結果、SDGs関連商品がいいねとなり、やってみましょうと。 

 

――ビックデータを利用するとは! いろんな人を巻き込む行動力もすごいですね。 

 

鷲見 当時はまだ、ビックデータを商品企画に活かすことを周りで誰もやっていなかったので面白そうだなと。その前はデザイナーズ商品のムーブメントもあって、さまざまなデザイナーにアプローチをかけていました。次第に商品を作る時「誰に頼めばいいか」がわかるようになってきたので、今度は「どう売ればいいか」を突き詰めたいなと思ったんです。 

↑「蜜蝋ラップ」を紹介。鷲見「今後の課題ですね。生産体制だけは、ばっちり整えているんですけどね(笑)。何が正解かわからないので、いろいろ試していきたいなと思います」

 

求め続けたのは “ロック”と“ロマン” 

――鷲見さんは、どのようないきさつでシイングに入社したのでしょう? 

 

鷲見 高校時代を美濃市で過ごしましたし、伝統産業を培っているので「面白いモノが作れるんじゃないか」と、なんとなく美濃市で就職先を探しました。そこで当時、美濃市でホームページがあった会社がシイングを含む2社しかなかったんです。 会社の近所にあるガソリンスタンドで働いている親戚に「シイングって知ってる?」と聞いたら、「社長がガソリン入れに来てるよ」と言われて、面接してもらえないか頼んでもらいました。強引に入ったんです(笑)。 

 

――やはり行動力がすごい(笑)。鷲見さんが社長になってから始まっている、さまざまな紙のプロジェクトは、どういういきさつでできたのでしょう?  

 

鷲見 社長の立場になって一時期、考え方が「守り」になっていたのですが、一方で「攻めなきゃ」というもどかしい気持ちも強く抱えていて。さまざまなことにチャレンジし始めました。岐阜の片田舎でも面白いものが作れることを、存在証明的にやりたかったんでしょうね。最初のプロジェクトは県の事業で、美濃和紙を基にさまざまな商品を作る「かみみの」でした。すると、そこで出会ったプロデューサーと「ロックなモノが作りたい!」と意気投合したんです。

 

当時、雑貨品は女性向けのかわいらしいモノが多かったので、僕の中でずっと“漢向けのモノ”が作りたかった。その流れで「ロックな人を探そう!」と、バンドメンバーを集めるように人を探しましたね(笑)。音楽系出版社で働いていた友人に声をかけたり紹介してもらったりして、集まった4人で「KamiPLAY」プロジェクトを立ち上げました。 

 

――本当にバンドの結成ストーリーのようですね。「KamiPLAY」は、どんな活動をしているのですか? 

 

鷲見 まず「そもそもロックってなんぞや」と3カ月くらい話し合いました(笑)。「ロックって何?」と聞かれると、難しくないですか? とにかく作りがロックな商品を生み出したかった。無駄にギミックにこだわっているとか“泥臭い熱さ”とか考えるのが、すごく楽しかったです。 

↑「KamiPLAY」シリーズ「タイポカモフラ 金封・ぽちぶくろ」。鷲見「“迷彩に文字”なんて、オモロイじゃないですか。『おめでとうの文字が隠れています』と明かすのは面白くないので言いません。でも、そうすると気づかれないんですよね」

 

年に1回、当時乗っていたボロい車でメンバーと旅に出て、旅先で出会った加工技術を使って商品を作っていました。「今回は四国編です」「明日は愛媛のメーカーに参ります」と各地を回って、商品を作って発表する。まさに“ロマン”です。今は自社内で完結させることが多いですが、プロジェクトで出会った人とは良い関係性が続いています。 

kami-colla
↑「KamiPLAY」シリーズ「PPB(ペーパーボール)天体」と「PPB(ペーパーボール)アニマル」。鷲見 「紙風船を、あえてペーパーボールって呼んでいます」

 

kuronoho_kamifusen
↑「クロノホ」シリーズ「紙風船『石ころ』」。鷲見「片隅に転がっているようなヤツです。美濃の言葉で“くろのほう”は“すみっこのほう”という意味。それから僕は“鷲見(すみ)”なので」

 

 

どこにいても「刺さるものをつくりたい」  

 

――シイングに入社した時から伝統的な形にとらわれず、アイデアで新しいモノを求める姿勢が一環していますよね。 

 

鷲見 自分の軸ですね。ただ、ロックな商品を作るうえで反省もしました。楽しいけれど、売れない。ギミックを説明しなきゃならない、でも説明したら面白くない。そうしたら気づかれないし、そもそも気づいてもらったとしても刺さらずに終わることも多い。 

 

芸人さんやミュージシャンも同じだと思いますが、今は特に、世の中に沿うものでなければ売れないんです。ロックな感性ではなく、市場を考えたり人を増やしたりマーケティングしていくことが正解だと思います。でも、自分は我慢ができない。年を取って丸くなりましたけど、やっぱり自分が納得したうえで刺さるものを作りたいですね。 

 

――まさにロックですね!  強い思いを感じます。 

 

鷲見 だからこそ「織田ちん」で一番うれしかったのは、10人中10人が「良かった」と言ってくれたことです。同業者も「神様、見てくれているね」と声をかけてくれて、これまでの姿勢を見てもらえていたのかなって。 コロナ禍は本当につらかったけれど、やっとみんなに喜んでもらえる商品を生み出せたって……本当にうれしかったです。 

 

――「織田ちん」を機に美濃市に興味を持ち、足を運ぶ人も増えるのではないかなと。 

mino-udatsu
↑「うだつの上がる町並み」で有名な美濃市

 

鷲見 多くの人に「織田ちん」などの商品を積極的に使ってもらうことで、和紙の価値や美濃の認知が拡大していったらいいなと思います。地方はやはり人口減少問題を抱えていますから。ただでさえ人口2万人という美濃市から、今も人は減っている。そもそも日本全体もシュリンクしているというか……ここからさらに二極化するのではないかと。 

 

――二極化というのは? 

 

鷲見 例えば四国などの紙の町で、中小企業と大企業が乱立していると、やはり従業員が大企業に取られてしまうという話を耳にします。コロナ禍では外国人の受け入れもできず、賃金を上げなければ人材が確保できなくなる。そうなると一部の企業は体力がなくなって、倒産や合併が相次ぎます。残るのは大企業と、なんとか商売が成立する従業員数名の小規模事業者です。紙の町に限った話ではないかもしれませんが。

 

そこで、どこでどう生きていくかを考えるのですが……私はとにかく、どこにいようと“刺さるものを作りたい”。伝統産業の衰退は、需要と供給バランスの問題でもあります。需要がないから衰退していく。だから、どこにいたとしても考えることをやめず、刺さるものを発信し続けて新しい需要を喚起し続けよう、ということは決めています。

 

――考え続けた先に「織田ちん」のヒットがあったのですね。お話を聞けば聞くほど、今回のヒットは必然だと感じました。さて読者には、悩みや葛藤を抱えながら働いている人や、これから社会に出る人、また伝統産業に携わっている人もいるかと思います。最後に、そういった方々にメッセージを送るとしたら、どんな言葉を送りますか。

 

鷲見 最後の最後に一般的な話になってしまいますが、人生も仕事も、何事も「やってみなきゃわからない」。これしかないです。私は末っ子で慎重派ですが、経験を重ねて、飛び込む勇気だけは必要なんじゃないかと思っています。特に伝統産業の中にいると、強く思いますね。同じものをずっと作っていたら、需要はどんどん減っていく。 

 

そうしたら、やらなきゃしょうがないんです。やらずにあれこれ言うのは説得力もない。失敗したら直していけばいい、悩んだらまずはやってみること。とにかくやる、ひたすらやる、です!  

 

株式会社シイング 

公式サイト:http://shi-ing.co.jp/ 

公式オンラインストア:https://store.shi-ing.co.jp/

公式Instagram: https://www.instagram.com/shi_ing_mino/ 

 

【シイングのさまざまな商品(画像をタップすると閲覧できます)】

odachin-gift2 kamiplay_ppb_kamimen koyori-yoshiyoshi koyori-yoshiyoshi2 KamiPLAY_kaminote shing-mono4 KamiPLAY_PPB_tentai_all KamiPLAY_PPB_animal_all kuronoho_kamifusen odachin-gift

 

 

鷲見社長イチオシ! 「織田ちん」含むシイングの商品を7名様にプレゼント

odachin-present

akechi-present paperbowl-present tokugawa-present tokugawa-present2 note-present2 note-present2 paperbowl-present

鷲見社長がこだわりぬいたシイングの商品を、計7名様にプレゼント!

●ぽち袋「織田ちん」「明智貢いで」「ありが道三」「徳川埋蔵金」「徳川マイぞうきん」 各1名

●「Pokke Note ハンカチ しましま」 1名

●「PPB(ペーパーボール)天体」地球 1名

 

下記、応募フォームよりご応募ください。

https://forms.gle/dvue8TLsDTCLsK4s8

※応募の締め切りは5月7日(日)まで。
※当選は発送をもってかえさせていただきます。
※本フォームで記載いただいた個人情報は、本プレゼント以外の目的での使用はいたしません。また、プレゼント発送完了後に情報は破棄させていただきます。

待望の続編公開!髙石あかり&伊澤彩織「日本のアクション映画として、もっと世界にも認知してもらいたい」映画『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』

社会に適応できない元女子高生の殺し屋コンビの日常を、コミカルさとバトル満載で描いた青春アクション映画『ベイビーわるきゅーれ』。公開から1年以上にわたり、全国各地でロングラン上映されるなど、国内外で話題をさらった。彼女たちのその後を描いた続編『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』が3月24日(金)より公開される。前作に引き続き、ちさと役とまひろ役を演じた髙石あかりさんと伊澤彩織さんに、続編に対する熱い思いや撮影エピソードを伺いました。

 

【髙石あかりさん、伊澤彩織さんの撮り下ろし写真】

 

阪元監督の「『ベイビーわるきゅーれ』が名刺代わりになる」が本当に

──前作が公開されたことでの周囲の反応はいかがでしたか?

 

髙石 前作から繋がったお仕事も多いですし、お仕事に行く先々で「『ベイビーわるきゅーれ』観たよ!」と言っていただけることが本当に嬉しくて! 私たちにとって、まさにベイビー(子ども)のような存在の作品だったので、どんどん成長していることを実感しています。

 

伊澤 成長しましたねぇ。前作を撮り終えたときに、阪元(裕吾)監督と「『ベイビーわるきゅーれ』が自分たちにとって名刺代わりになるだろう」という話をしていたんですが、本当にその通りになりました。しっかり“『ベイビーわるきゅーれ』の人”として認識されたり、“金髪の方”と言われ、金髪じゃないときは気づいてもらえないぐらいだったり(笑)、いい経験をさせてもらいました。

髙石あかり●たかいし・あかり…2002年12月19日生まれ、宮崎県出身。19年より俳優活動を本格化。『ベイビーわるきゅーれ』(21)で映画初主演を果たす。主な出演作に『終末の探偵』(22)、ドラマ『生き残った6人によると』(22)など。映画『わたしの幸せな結婚』(3月17日(金))、『Single8』(3月18日(土))が公開待機中のほか、ドラマ『東京の雪男』 (NHK Eテレ)にレギュラー出演。TwitterInstagram

 

──作品は異例のロングランヒットを記録したほか、伊澤さんは「日本映画批評家大賞」で新人女優賞(小森和子賞)も受賞されました。

 

伊澤 賞までいただけるとは戸惑いました。『ベイビーわるきゅーれ』に出て一番変わったと思うのは、すごい量のお手紙をいただいたこと。「映画を観て励まされました」という内容のものが多いんですが、私は逆にそのお手紙に書かれた言葉に励まされていました。劇場公開が終わった後もU-NEXTやAmazonPrimeの配信で観てくれた方からの反響がありました。

 

髙石 Twitter上で『ベイビーわるきゅーれ』について描いてくださったイラスト“ベビ絵”がどんどんアップされたときには、ちょっと驚きましたね。あまり他の作品ではなかなか見たことのない現象でしたから。

 

──そして、続編製作の話を聞いたときの感想は?

 

伊澤 前作を撮り終わって、2か月後ぐらいのタイミングにはもう企画が動いていて、「えっ、できるんですか?」という感じでした。それから「早く言いたい!」みたいな時期があって、TOHOシネマズ日比谷での上映(21年12月)のときに、やっと発表できて嬉しかったですね。

 

髙石 そのとき、なぜかマイクが不調で(笑)。だから、劇場で叫びました! 私、続編の撮影に入る前にも、改めて『ベイビーわるきゅーれ』で検索をかけることがあったんですが、公開から1年以上経っても、数秒単位で話題に挙っていて、「まだまだ続いているんだなぁ」と、熱量の高さを実感しました。

 

お互いを助け合うことで、より2人の距離が近くなった

──撮影前のアクション訓練はいかがでしたか?

 

伊澤 アクション監督の園村(健介)さんとあかりちゃんと3人で集まって自主練習したりしましたね。立ち回りを入れる前のベース作りが要になったと思いました。2人で銀行強盗をボッコボコにするシーン、楽しかったよね。

 

髙石 でも、カメラを意識したアクションをするのは難しかったです。今回は園村さんから、身体の仕組みというか、「この筋肉を動かすと、この動きに繋がる」といったことを教えていただいたので、少しはレベルアップしていたらいいなとは思います。

伊澤彩織●いざわ・さおり…1994年2月16日生まれ、埼玉県出身。スタントパフォーマーとして、映画『キングダム』(19)、『るろうに剣心 最終章』(20)、『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』(21)、『ジョン・ウィック』新作(23)などで、メインキャストのスタントダブルを担当。役者としての主な出演作に映画『ある用務員』(20)、『ベイビーわるきゅーれ』(21)、『オカムロさん』(22)などがある。Twitter

 

──今回、阪元監督や園村アクション監督から与えられた課題のようなものは?

 

髙石 本読みのときに、阪元監督が恥ずかしそうに「前作は2人のお話でしたが、今回のテーマは2人が一つの個になることです」と言われたのですが、それを意識しながら演じました。「右手が使えないなら左手で戦う」というように、お互いを助け合うことで、より2人の距離が近くなったと思います。

 

伊澤 阪元監督に「続編は男の2人組が私たちに挑戦してくる話」だと聞いていたので、挑戦を受ける側の私が強者に見えるようにどうしたらいいかというのが課題でした。前作から園村さんに教えてもらっていた身体の連動をもっと深く染み込ませる必要がありました。

 

ただの共演者ではなく阪元監督含めて家族みたいな近さがある関係

──撮影中の印象的なエピソードを教えてください。

 

伊澤 3日間かけた自動車工場でのアクションシーンですね。初日は屋外で、ゆうり(丞威)とまこと(濱田龍臣)との2対2の銃撃戦を撮影して、2日目から工場内で丞威さんと1対1のバトルを撮っていたのですが、真夏だったので、出る汗の量がすごかったんです。丞威さんと「どっちが多く汗が出たか勝負しよう!」と、着ていた衣装を絞ったんですが、お互いに滝のように出て、引き分け。人生で一番汗をかいた日でした(笑)。

 

髙石 あと、着ぐるみを着た、ちさととまひろのシーン。『アイアンマン』みたいな顔だけアップのショットは室内で撮ったんですが、身体を動かせない状態で顔だけ動かすのが、なかなか難しいんですよ。ちなみに、あれがクランクアップでした(笑)。

 

伊澤 着ぐるみを着た「キラキラ橘商店街」のシーンも楽しかったですね。撮影の合間に、みんなでコロッケ食べたり、揚げパン食べたり、商店街巡りもしました。下町の和やかな雰囲気が好きだったので、また遊びに行きたいです。

──劇中では仲良しコンビですが、実年齢では髙石さんが伊澤さんの8歳年下です。

 

伊澤 それに関しては早い段階で感じなくなったというか、私ができないことをいろいろやってくれるんです。うまく話せないときもすごくフォローしてくれるし、お芝居に関しても引っ張ってくれる。とても尊敬していて、「私の方が子供なんじゃないか?」と思うことも多いんです。年齢差感じる?

 

髙石 伊澤さんは珍しいタイプというか、ただの共演者というよりは、阪元監督含めて家族みたいな近さもあるというか。実際、伊澤さんのお家に遊びに行かせていただいたりもしているんですけど、それも友だちとも違っていて。多分、ちさととまひろの距離だと思うんです。

 

伊澤 自然に補い合っている感じがします。前作が公開されてから続編の撮影が始まるまでは、会ったり遊んだりする時間もなく、おのおの違う作品の現場で頑張っていたので、またこうして隣にいさせてもらえることが嬉しいです。

 

──前作に比べ、ちさととまひろのより親密な関係性が色濃く出ています。特に伊澤さんが丞威さんとバトる直前の2人の掛け合いは見どころです。

 

髙石 私は試写でスクリーンを通して観たときに、それはすごく感じました。私たち役者側の仲の良さがしっかり出たんじゃないかなと思います。

 

伊澤 「ちさとが死んじゃったら本当に嫌だな」と思って、撮影前に泣きそうになってました。顔の右側を撮っていたカメラには写っていないんですが、左目だけ泣いていて。あかりちゃんにだけバレてました(笑)。

 

今後のちさととまひろの関係性がどうなるか、気になります

──シリーズ3作目や“阪元監督作ユニバース”における期待を教えてください。

 

髙石 今後のちさととまひろの関係性がどうなるか、気になりますね(笑)。

 

伊澤 気になるね。私は(『最強殺し屋伝説国岡[完全版]』)の国岡さんとも戦いたいですね。でも、そのときは、まひろじゃない役で出演して、瞬殺されたいな(笑)。阪元さんが作る世界観を、もっと世界中の人に見てほしいです。

 

髙石 『Baby Assassins』の英語タイトルで海外でも人気なので、ちさととまひろも海外に飛び出したいですし、レッドカーペットも歩いてみたいですね。とにかく、またお互いに別の場所で鍛え上げて、阪元監督のもとに戻ってきたいです。

──現場に常に持っていくモノ・アイテムを教えてください。

 

髙石 いつも、このトートバッグに、ペンやリップクリーム、目薬を入れて持ち歩いています。ファッションブランド「Akihide Nakachi」の展示会で、私がひと目惚れした生地があったんですが、デザイナーのAkihide Nakachiさんが二十歳の誕生日に、その生地で作ってくださったトートバッグをプレゼントしてくださったんです。世界に1つだけなので、大切に使っています。あと、伊澤さんのお母さんが作ってくださった「ベイビー」仕様のキーホルダーと伊澤さんが作ってくださったステッカーも! これ、着ぐるみで着たパンダと虎のデザインになっているんです。

 

伊澤 インスタントカメラやデジカメを持っていきます。それで、今回は『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』の撮影の合間に撮った写真たちを持ってきました。阪元監督と3人で組体操したり、特別出演してくださった新しい学校のリーダーズさんを撮ったり、アルバム込みで宝物ですね。

 

 

(C)2023「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」製作委員会

ベイビーわるきゅーれ 2 ベイビー

3月24日(金)より新宿ピカデリーほかにて公開

 

(STAFF&CAST)
監督・脚本:阪元裕吾
アクション監督:園村健介
出演:髙石あかり、伊澤彩織
水石亜飛夢、中井友望、飛永 翼(ラバーガール)
橋野純平、安倍 乙 / 新しい学校のリーダーズ / 渡辺 哲
丞威、濱田龍臣

(STORY)
ちさと(髙石あかり)とまひろ(伊澤彩織)は、また途方に暮れていた……。
ジムの会費、保険のプラン変更、教習所代など、この世は金、金、金。金がなくなる……。
時を同じくして殺し屋協会アルバイトのゆうり(丞威)とまこと(濱田龍臣)兄弟も、途方に暮れていた。
上からの指令ミスでバイト代はもらえず、どんなに働いたって正社員じゃないから生活は満足いかない。この世は金、金、金。金が欲しい。
そんなとき「ちさととまひろのポストを奪えば正規のクルーに昇格できる」という噂を聞きつけ、作戦実行を決意。
ちさと・まひろは銀行強盗に巻き込まれたり、着ぐるみバイトをしたりとさぁ大変。そんな2人にゆうり・まこと兄弟が迫りくる…!
育ってきた環境や男女の違いはあれど、「もし出会い方が違えば仲良くなれたかなぁ」なんて思ったり思わなかったり、ちょっと寂しくなったりならなかったりする物語である。

公式サイト:https://babywalkure.com/
公式Twitter:https://twitter.com/babywalkure2021
公式Facebook:https://www.facebook.com/babywl2021
公式Instagram:https://instagram.com/babywalkure
公式Tiktok:https://www.tiktok.com/@babywalkure.official

【映画「ベイビーわるきゅーれ 2 ベイビー」よりシーン写真】

(C)2023「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/西田美香(atelier ism(R)) スタイリスト/入山浩章

田代 輝「僕も永瀬正敏さんのような俳優になりたいって、改めて目指したいものを考えるきっかけになりました」映画「雑魚どもよ、大志を抱け!」

映画監督、脚本家として活躍している足立 紳氏が20年がかりで念願の企画を実現した。映画「雑魚どもよ、大志を抱け!」(3月24日(金)公開)は、コンプレックスや葛藤を抱える小学生男子たちのかけがえのない日々を描いた作品だ。子供たちのリーダー的存在・隆造を演じた田代 輝くんが、撮影中のエピソードなどを語ってくれた。

 

田代 輝●たしろ・ひかる…2007年11月17日生まれ、東京都出身。0歳から赤ちゃんモデルとして活動を始める。2016年NHK Eテレの「で〜きた」で主人公・おうすけを演じ、その後、話題作に次々と出演。映画『CUBE 一度入ったら、最後』(21)、ドラマ『シジュウカラ』(22)などで重要な役柄を演じた。Instagram

 

【田代 輝さん撮り下ろし写真】

チャレンジする気持ちで、隆造の孤独な気持ちを味わうように何度も台本を読みました

──隆造役はオーディションで決まったのでしょうか。

 

田代 はい。原作である足立 紳監督の「弱虫日記」という小説を読んで、隆造がすごくかっこいいキャラクターだったので、ぜひとも演じてみたいなと思いました。オーディションのときは絶対に受かりたいという気持ちで挑戦しました。

 

──監督にやる気を見せるために何かアピールはしましたか?

 

田代 アピールはしていないです(笑)。1次から3次まであったんですけど、1次オーディションでは隆造を演じるのではなく、「思いっきり笑ってくれ」、「思いっきり泣いてくれ」みたいなことを言われました。僕は昔飼っていたペットが死んだことを思い出して演技をしましたが、そういう感情を出すようなオーディションって今まで経験したことがなかったので、不思議な感じがしました。

 

──映画を拝見して、確かに隆造はとてもかっこいい男の子だなと思いました。田代さんご自身は隆造をどんな人物だと捉えていらっしゃいましたか。

 

田代 隆造はクラスでも強くて友達をまとめている、かっこいい子だと思いました。でもそんな隆造にも悩みはあって、親から愛情を注がれず虐待を受けている一面があるんです。そういった悩みをできるだけ友達には隠して生きることを貫いている少年なので、すごく難しい役だなと思いました。でもチャレンジする気持ちで、隆造の孤独な気持ちを味わうように何度も台本を読みました。

 

特に難しくて印象的だったのは、瞬と掛け合いするシーン

──実際に演じてみて隆造という役のどんなところが難しかったのでしょうか。

 

田代 特に難しくて印象的だったのは、瞬(池川侑希弥)と掛け合いするシーンです。家庭に大きな悩みを抱えていた隆造が、ずっと隠してきたことを瞬に打ち明けるすごく大事なシーンなので、練習しなきゃ! と思っていました。でも足立監督から「練習し過ぎると慣れが出てきてしまうから、できるだけ練習しないで臨んでほしい」と言われたんです。本番で生の感情が撮れたら……ということでしたけど、僕はそういう演技をする経験があまりなかったので、新たな考え方みたいなものを教えていただいてすごく勉強になりました。

 

──あのシーンは長回しでセリフも長く、見ているだけでも難しさが伝わる場面でした。プレッシャーもあったのでは?

 

田代 そうですね。ありました。緊張もしましたし、うまくできるかなって不安もありましたけど……。あのシーンはずっと一緒に撮影してきて、瞬とも仲良くなって絆も深まったときに撮ったので、本当に瞬と隆造との関係で演技ができたというか。ものすごく役に入り込んで、お互い全力でできたと思います。

 

──そのシーンについて池川さんと話し合ったりしました?

 

田代 前日に「いよいよ明日だね」って話しました。でも監督から練習しないでって言われていたので、話し合うだけでも「瞬と隆造のようになれるかな」と思って、前日は一緒に過ごしました。

 

人として尊敬していて、池川くんみたいになれたらなって思いました

──瞬と隆造のように池川くんともすごく仲良くなったんですね。

 

田代 はい。池川くんは優しいし周りへの気配りもできるし、いろんなことに対しての考え方が素晴らしいと僕は思っています。人として尊敬していて、池川くんみたいになれたらなって思いました。池川くんはどう思っているかわからないんですけど、本当に仲良くしたいなって(笑)。最近も取材で会う機会があるので、ちょっと前くらいから連絡して、「久しぶり。ようやく会えるね」って、本当に楽しみでした。実はさっきも池川くんに会って、お互いに話したいことがいっぱいあって、会話が止まらなかったです(笑)。

 

──子供たちと一緒のときには年相応に楽しそうな隆造も、父親役の永瀬正敏さんと向き合うときは緊張感がありましたね。

 

田代 永瀬さんとのシーンも難しかったんですけど、カメラがないところではすごく優しい方で、気さくに話しかけてくださり、僕の話にも付き合ってくださいました。でもカメラが回るとその優しい姿を忘れてしまうくらい本当に怖くて。ものすごい演技を間近で見せていただいたので刺激を受けました。僕もこういう俳優さんになりたいって、改めて目指したいものを考えるきっかけになりました。

 

──映画の舞台は1988年。35年くらい前の小学生と、自分が小学生だった頃を比べて、ここは違うここは変わらないなって感じたことはありましたか。

 

田代 この映画に登場する7人の子供たち全員が、すぐ友達と比べたり、こいつには負けたくないみたいな小さなプライドみたいなものを持っているんです。それは今の僕にもわからなくはないので、気持ちの面ではあまり変わりがない気がします。でも町の風景や時代背景、あとは言葉遣いが本当に違うなって思いました。撮影中アドリブで会話するシーンも多かったんですけど、そのときに最近の言葉が出ちゃうこともあって(笑)。そんなときは「35年前にその言葉ないよ」と監督からたびたび注意されました。でも最終的にはみんな慣れて、当時の言葉でちゃんと会話できるようになりました。

 

──例えばどんな言葉で注意を受けたか覚えてます?

 

田代 「マジ」とか「ヤバイ」とか(笑)。今は普通に使う言葉じゃないですか。だから日常的に出てしまって難しかったですね。

 

ありがとうございます……って、感謝の気持ちしかないです

──隆造たちは自然に恵まれた場所に住んでいますが、撮影は飛驒で行われたそうですね。

 

田代 はい。大きな自然って感じの場所でした。山や川、飛驒の景色も本当にきれいで、何より空気がおいしいんです。東京にいるときとはまた違う何かを感じて、撮影中はすごく充実している感じがしました。

 

──撮影中はどんな感じで進んでいったのですか。

 

田代 1か月ほど、他の6人と合宿みたいな形で一緒に宿に泊まって過ごしたんです。カメラが回っていないときもだんだん仲良くなって、みんなとの絆も深まっていったので、どんどん自分が隆造になっていく感じがしました。本当に役に入り込めたなって思いました。

 

──映画に登場する7人での合宿はとても楽しそうですね。

 

田代 撮影が始まる3日くらい前に宿に入って、役作りの準備期間を足立監督からいただきました。撮影する場所をみんなで見て回ったりして、だんだん気持ちを高めることができたと思います。ただそれ以前から、週に1回みんなで集まって演技の練習をしていたので撮影が始まる頃には打ち解けていました。

 

──7人集まるとどんな雰囲気ですか。

 

田代 みんなそれぞれの良さがあるというか(笑)。池川くんはすごく優しくて、みんなに気配りができるんです。そういうところは本当に瞬に近い感じがしました。小林役の坂元(愛登)くんはなんか面白くて、現場はいつも楽しかったです。

 

──役とはまったく違う人もいました?

 

田代 正太郎は役の上ではすごく真面目なんですけど、演じている松藤史恩くんは7人の中で一番やんちゃかもしれないです(笑)。

 

──ムードメーカーはどなたでした?

 

田代 本当にみんながムードメーカーでした。隆造はみんなをまとめる役だから、撮影以外のところでも自分が先頭に立とうって意識していました。みんなそれぞれの良さがあって、現場でもバランスが取れていたと思います。

 

──足立監督の印象を教えてください。

 

田代 本当に優しい方で、すごく好きです。現場でも絶対に怒らないし、僕たちが考えて来た演技を自由にやらせてくれて、でも違うところがあれば違うと優しくアドバイスをくださって。本当にありがたかったなって思います。穏やかに現場が進んでいったのも足立監督だからだと思っています。すてきな作品に出演させていただいてありがとうございます……って、感謝の気持ちしかないです。

 

ルービックキューブがまだ1分ちょっとかかるので1分切りたいです

──お話が変わりますが、今ハマっているものについて教えてください。

 

田代 友達としゃべりながら、「フォートナイト」とかいろんなゲームをやることにハマっています。といっても、そんなに長い時間できないので1日2時間くらいですね。今からやろうよみたいな感じで友達を誘って、日頃の学校のことなんかをしゃべりながらやっています。

 

──ゲームは強いですか?

 

田代 わからないです(笑)。でも……けっこう得意な方ではあります。

 

──他に夢中になっているものは?

 

田代 趣味でいうと、ルービックキューブをやっています。一応6面そろえられるんですけど、まだタイムが遅くて時間がかかっちゃうんです。なので、今は速くできるように練習中です。

 

──目標はありますか。

 

田代 1分切りたいですね。今はまだ1分ちょっとかかるので。

 

──十分速いですよ(笑)。ルービックキューブは何でハマったんですか。

 

田代 友達にルービックキューブ6面そろえられるよって言ってる子がいて、僕もルービックキューブには触ったことがあったんですけど、6面そろえられたことがなかったんです。どうやってやるんだろうって不思議に思って、やり方を調べたらなんとなくできるようになりました。あれって規則性があるので、多分自由に触っているだけじゃ6面はそろわないんですよね。やり方があるので、できるだけその動作を速くできるようにするような感じで、時間を早めていくんです。それにすごくハマっています。やっていると夢中になっちゃいますね(笑)。

 

 

(C)2022『雑魚どもよ、大志を抱け!』製作委員会

雑魚どもよ、大志を抱け!

3月24日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

 

(STAFF&CAST)
監督:足立 紳
原作:足立 紳「弱虫日記」(講談社文庫)
脚本:松本 稔、足立 紳
出演:池川侑希弥(Boys be/関西ジャニーズJr.)、田代 輝、白石葵一、松藤史恩、岩田 奏、蒼井 旬、坂元愛登
臼田あさ美、浜野健太、新津ちせ、河井青葉 / 永瀬正敏

(STORY)
地方の町に暮らす平凡な小学生・瞬(池川侑希弥)。心配のタネは乳がんを患っている母の病状……ではなく、中学受験のためにムリヤリ学習塾に入れられそうなこと。望んでいるのは、仲間たちととにかく楽しく遊んでいたいだけなのに。瞬の親友たちは、犯罪歴のある父(永瀬正敏)を持つ隆造(田代 輝)や、いじめを受けながらも映画監督になる夢を持つ西野(岩田 奏)など、様々なバックボーンを抱えて苦悩しつつも懸命に明日を夢見る少年たち。それぞれの家庭環境や大人の都合、学校でのいじめや不良中学生からの呼び出しなど、抱えきれない問題が山積だ。ある日、瞬は、いじめを見て見ぬ振りしてしまう。卑怯で弱虫な正体がバレて友人たちとの関係はぎくしゃくし、母親の乳がんも再発、まるで罰が当たったかのような苦しい日々が始まる。大切な仲間と己の誇りを獲得するために、瞬は初めて死に物狂いになるのだった。

 

【映画『雑魚どもよ、大志を抱け!』よりシーン写真】

(C)2022『雑魚どもよ、大志を抱け!』製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/野中美希 スタイリスト/君嶋麻耶

土屋アンナ、 “ダメ男を放置できない”キティに「共感だらけ」 演技は「生きれば生きるだけ引き出しが多くなる」

人気シリーズ『シュレック』に登場する伝説のネコ・プスが主人公の映画『長ぐつをはいたネコと9つの命』が3月17日(金)に公開します。

 

愛くるしいモフモフながら、剣を片手に危険な旅を繰り返していたプス。いつの間にか、9つあった命はラスト1つに。死に恐怖を感じ家ネコになろうとした時、どんな願い事も叶う「願い星」の存在を知ります。命を増やすため、なんとしても「願い星」を手に入れたいプスは、手強いライバルたちを巻き込んだ大冒険へ繰り出します。

tsuchiya-nagagutsu11
土屋アンナ●つちや・あんな…1984年3月11日生まれ、東京都出身。主な出演作に、『下妻物語』(04)、『さくらん』(07)、『パコと魔法の絵本』(08)、『Diner ダイナー』(19)、『ALIVEHOON アライブフーン』(22)など。InstagramTwitter

 

今回はスリの達人でプスの元カノであるキティ・フワフワーテ役の土屋アンナさんに話を聞きました。キャスティングの話がきたことを「めっちゃうれしかったです」と笑顔で振り返った土屋さん。役作りから自身の家族についてまで、時折、強くたくましいキティの影を見せつつ語ってくれました。

 

【土屋アンナさん撮り下ろし写真(画像をタップすると閲覧できます)】

tsuchiya-nagagutsu7 tsuchiya-nagagutsu6 tsuchiya-nagagutsu8 tsuchiya-nagagutsu9 tsuchiya-nagagutsu3 tsuchiya-nagagutsu tsuchiya-nagagutsu2 tsuchiya-nagagutsu4 tsuchiya-nagagutsu10

 

仕事に活きるのは人生経験「生きれば生きるだけ、引き出しが多くなる」

tsuchiya-nagagutsu7

――土屋さんは、これまでアクションSF映画『バトルシップ』(2012年)や、アニメ映画『君は彼方』(2020年)などで声優を務めていました。今回プス役を務めるうえで、何か特別な準備はしましたか?

 

土屋アンナ(以下、土屋) 特に意識しなかったですね。俳優としての演技も同じですが、最初からその役柄に入れないので、やりながら映像と自分の動きをマッチさせていきました。実際に声を出して、その動きをして衣装を着て、どんどんその役になっていく。初めからできると思わないようにしています。

 

――過去の経験が活きていると感じたことはありましたか?

 

土屋 それはありますね。仕事も人との出会いも増えて、いろんな感情を経験する分、同じ笑顔でも「ああ、こういう笑顔なのかな」って読み取るパターンが増えているかな。毎日刺激を受けて生きているから、生きれば生きるだけ引き出しが多くなると思います。年を重ねるごとに、人の心は、懐は、大きくなる! ……(周りを見ながら)でしょうか(笑)?

 

――なるほど! 確かにそう思います。演じるうえで意識したことはありましたか?

 

土屋 英語と日本語で、ちょっと違うなと思っていて。英語は音が多いけれど、日本語は淡々としているので、より伝わるように大げさにしました。あとは声にならないような微かな音、例えば重い物を持った時の「うっ」とか。映画を見ている人にわかりやすく伝えるために、そんな音を出すようにしました。その音を考えるのが難しくもあり、面白かったです。

 

――迫力あるアクションシーンも、かなりありましたね 。

nagagutsu-movie
(C)  2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

土屋 「はっ」1つでも、ジャンプする時の「はっ」と、着地した時の「はっ」は、違うんですよね。頭で考えると自然じゃなくなるので、身体を動かしていました。わざとらしくならないように、でも表現は大げさにっていうレベルも難しい。「声優さんすごいな」って思いました。

 

――日本語吹き替え版を担当した鍛治谷功監督の演出はいかがでしたか?

 

土屋 気持ちを引き出してくれるのがとても上手な監督でした。「ちょっと楽しい感じで」とか、「これくらいのテンション? いぇ――い!」「それいきすぎです」とか盛り上げてくれて、一緒に音楽を作るような感じでしたね。私は気が合うと思っているけれど、監督はどう思っているかな(笑)?楽しんで作品を作ろうという気持ちが共通点としてあったので、うまくいったのかもしれません。

 

キティとプスは“理想の関係性”。「人としての信頼を大事にする愛のカタチ」

tsuchiya-nagagutsu2

――プス役の山本耕史さんとの軽快な掛け合いが印象的ですが、収録は一緒だったのでしょうか?

 

土屋 別撮りでしたが、プスの声はすでにほとんど入っていたので、一緒にやっているような感じでした。山本さん、いい声していますよね。それに歌が上手じゃないですか。映画『下妻物語』(2004年)の時に、歌う人はテンポを読むのがうまいと言われたんです。今回、テンポよく一緒に作品を作ることができて、山本さんとも気が合う気がしています。

 

――そんな山本さん演じるプスの元カノであるキティに、共感するポイントはありましたか?

 

土屋 共感だらけですね。1番は、“ちょっと好きな異性”に会っていても、率先だって「あたしが行く!」と戦いに向かうところ。とりあえず自分で行動するところが、すごく似ているんじゃないかな。あとは母性本能。「ちょっぴりダメ男だから放置できない、この子大丈夫かな」とプスを心配する面もわかりますね。

 

でもキティは自分の芯を貫いて「私は勝手に生きていくから!」「あなたが寄り添うならOKだけど、あなたが寄り添わないなら知らないわよ」っていう強さを持っている。やっぱり相手を甘やかしちゃダメですね、甘やかしません!

 

――(笑)。逆に異なる部分はありましたか?

 

土屋 キティが目をキラキラさせて、プスと“かわいこ対決”するシーンがありますが、私は絶対できないと思いました。「私を見て」のセリフは「えっ、どうやって言おう。どうしよう」って焦りましたね。ネコのかわいさが、私ゼロなので。ネコは6匹飼っていますが、とにかく目がかわいい。あのかわいさを、あいにく私は持っていないです。

 

――くっつきそうでくっつかない、プスとキティの関係性についてはどう思いますか?

nagagutsu-movie2
(C) 2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

土屋 すごくいいなと思っちゃいますね! 今の時代、パートナーシップというカタチもありますし。友達やきょうだいのような時もあり、恋人のような時もある。人としての信頼を大事にする愛のカタチですよね。私も「そちらは戦いに行くの、じゃあこちらも戦いに行く、後ほど会おうね」みたいなの大好きです!

 

とかいってラブストーリーのベタベタしている感じも大好きですけれど(笑)。「なにこれ! こんな恋愛したいみたい!」って思う時もあります。でもやっぱり、くっつきそうでくっつかない、それが人生の面白さですよ!

 

「『うちとは違うね』じゃなく『いいカタチだね』って受け止められる人が増えたら」

tsuchiya-nagagutsu3

――プスとキティと行動を共にするワンコや、「願い星」を狙うゴルディ家族も登場します。それぞれキャラクターの印象を聞かせてください。

 

土屋 ワンコは、4歳児までのような心を持っていますよね。大人になればなるほど世間のルールに則ったり、経験上で壁を作ってしまったりするけれど、子どもは純粋な目で物事を見ていて、大人がびっくりするような行動や言葉を素直に言ってくれる。「いいじゃん! だってもう幸せだよ」って、ワンコの言葉1つひとつが子どものようでした。

 

それから子どもって、絶対的に親の味方じゃないですか。親が子どもを強く怒ってしまっても、子どもは親がずっと好きなんです。ワンコも「ねぇ、僕はママとパパが好きなの! それだけなの!」っていう心の持ち主だったので、娘や息子の視線で見られている気がしましたね。親がこの映画を見ると、ワンコと子どもがシンクロするんじゃないかな。

(C) 2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

――土屋さんは4児の母で、ちょうど4歳のお子さんもいますね。

 

土屋 そうそう。私が疲れて帰って愚痴をこぼしても、4歳の虹波(にいな)はおもちゃの携帯で20分くらい「もしもし? そうなの? わかったわ」って、1人で楽しそうにしゃべり続けているんです。見ていると「この子、周りからの言葉なんてどうでもよくなるくらい自分の世界を楽しんでいる」って思います。

 

ワンコが自分の境遇を話した時も、キティは「それおかしくない?」と言ったけれど、ワンコはすごく楽しそうだった。子どもって、本当にキラキラしている宝です。

 

――3頭のクマと暮らす少女ゴルディ家族については?

 

土屋 ゴルディ家族は、いろんな見方ができると思います。人が決めた“家族というカタチ”じゃなくていい、クマでもいいじゃん、これが私のファミリーですって。「思いやる気持ち」「愛する気持ち」は人が決めたカタチにハマらないことを伝えてくれていると思います。

 

みんながこう思えたら世界平和ですよね。「うちとは違うね」じゃなく「いいカタチだね」って受け止められる人が増えたらいいな。

 

“願い星”を手に入れたら?「目の前に小さな命があるなら、それを守るのが大人の仕事」

tsuchiya-nagagutsu9

――家族といっても楽しいことばかりではなく、「パートナーがムカつく」「育児がつらい」とネガティブになる時もあると思います。そんな時、土屋さんはどうしていますか?

 

土屋 楽しいだけじゃない、そりゃそうですよ! 生きていくには仕事をしなきゃいけない、子育てだって自分とは全然違う人間を育てていくわけだから、思ったとおりにいくわけない。 今は特に SNSの時代で、きれいなお弁当をアップしていたり、ファミリーでYouTubeを幸せそうにやっていたりする家もありますが、すべてを見せているわけではないと思うんです。

 

それを前提に考えると、なるようになる気持ちで母親をすることが大事。さらに大事なのは「自分が崩れたら終わる」と思える強さだと思っています。悩んでも、親が唯一やることは子どもを生かすこと。それこそ自分の子じゃなくても。目の前に小さな命があるなら、それを守るのが大人の仕事だと思うんです。

 

私は自分なりの子育てを一生懸命やればいいっていう気持ちだけでやっていますね。それに子どもは常に親を必要としていて、必要とされると、人は強く生きられますから。

tsuchiya-nagagutsu8

――強くたくましいキティの影が見えました。では本作にちなんで、もし土屋さんが「願い星」を手に入れたら、何を願いますか?

 

土屋 世界中で傷ついている子どもたちがいなくなることが1番の願いです。叶ったら超最高ですよね。最近悲しいニュースばかりだから、いいニュースを流してほしい。いいニュースがニュースだから……それがやっぱり私の願いかな。ピースでいこうぜ! です。

 

――土屋さんの真っすぐな願いが伝わりました。最後に、読者に一言お願いします。

 

土屋 楽しい映像の中に、1つひとつの言葉の重さを見つけれくれたら、また見方も違ってくるのかなって思います。この映画を通して、みんな生きているだけで最高だねってなったらいいな。

 

愛用コレクションはアウトドア用品! 土屋さんの「ハマっているモノ」

tsuchiya-nagagutsu10

――今ハマっているモノはありますか

 

土屋 今コレクションしているのはフリーダイビング用のマスクと、GULL(ガル)のロングフィンです。海に潜るので、海グッズはお風呂場に増えていますね。マスクなんて7つくらいあるかな。潜るところによって変えたり、フリーダイビング用の小さなものだったり、いろいろあります!

GULL-SKIN
↑土屋さんが愛用している「GULL SKIN」ロングフィン

 

それから海つながりで、海に持っていくマイボトルも集めていました。コーヒー用とか漏れる問題とか、いろいろ試した結果、やっと理想のボトルにたどり着いたんです!

BOTTLE
↑土屋さんの理想だという「Hydro Flask」のボトル

 

――今はいろいろなモノがありますね。選ぶ時は機能性重視なのですか?

 

土屋 えー、色(笑)。といってもマスクもロングフィンも、見た目と機能性の両方をそろえていないとダメですけどね。買う時は「この青好き! このピンク好き!」で即決まります。買い物に時間かけないタイプですが、長く愛用しますよ。

 

迷ったら人に見せて「どっち派?」って聞くけれど、答えを聞いても「やっぱりこっち!」って人の意見は一切無視。いや、意見を聞いて「え……」って自分が思ったら違うってわかるんでしょうね(笑)。

 

 

nagagutsu-main2
(C)  2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

長ぐつをはいたネコと9つの命

3月17日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

 

(STAFF&CAST)
監督:ジョエル・クロフォード
声の出演(日本語吹替版):山本耕史、土屋アンナ、中川翔子、小関裕太、木村 昴、津田健次郎
声の出演(オリジナル):アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック
配給:東宝東和 ギャガ

公式サイト:https://gaga.ne.jp/nagagutsuneko/

nagagutsu-main nagagutsu-movie nagagutsu-movie2

撮影/中村 功

甲子園のヒーロー「斎藤佑樹」が今思うこと、これからのこと。そしてお気に入りのモノとは?

昨季限りでプロ野球のユニフォームを脱いだ斎藤佑樹は、言わずと知れたかつての“甲子園のヒーロー”だ。2006年夏、早実のエースだった斎藤が駒大苫小牧・田中将大選手(現東北楽天ゴールデンイーグルス所属)と繰り広げた、引き分け再試合に持ち込まれたほどの死闘は、今も語り継がれている。そして16年後、今年の甲子園では始球式をつとめたうえ、仙台育英が悲願を果たした決勝戦では解説席に現れ、“神解説”と大きな話題を集めた。

 

斎藤佑樹はいま何を考え、どこへ向かうのか。これまであまり明かされなかったプライベートも含めて、ざっくばらんに語ってもらった。

 

↑インタビューの間は常に笑顔が絶えず、気さくにトークを展開。現役を引退してから、「表情が穏やかになった」と言われることが多いという

 

「ゲットナビ、めちゃめちゃ好きなんですよ! この3年くらい毎号読んでます。インタビューのオファーをいただけて本当にうれしかったです」

 

ポーカーフェイスで、寡黙で、ストイック。筆者が野球選手としての斎藤佑樹に抱いていた印象とは異なる——多少のリップサービスはあったにせよ——社交的で自然体な青年の姿がそこにあった。家電やガジェット、時計、クルマなどモノ全般の情報に広くアンテナを張るという斎藤さんが、いま特に凝っているのは写真撮影だという。

 

「風景や空を撮ることが多いですね。月の周期は常にチェックしていて、満月を撮ったり、逆に星がキレイに見える新月のときを狙ってみたり。星空を撮りたいときは、街の灯りが少ないところまでクルマでパッと出かけることもあります。この間、北海道の美瑛町にある白金青い池という有名な観光スポットに行ったんですが、かなり良い写真が撮れました」

 

「達成感を得られるのが写真の魅力。いつか個展を開いてみたいです」

 

愛用するソニーα7SⅢは元々、現役時代に自身の投球フォームを記録してチェックするために購入したもの。趣味としての撮影を本格的に始めたのは現役を退いてからのことだが、すぐにのめり込んだ。

 

「カメラが好きなのは、撮影で達成感を得られるからかもしれません。僕は子どものころから野球の練習やトレーニングをして、試合で結果を出すことで達成感を得てきました。写真もそれと似ているところがあって、撮るものを事前にリサーチしたり、自身の撮影技術を高めたり、色々な準備をして撮影に臨みます。その結果として良い写真が撮れたら達成感を味わえる。写真を見た人からそれを褒めてもらえればさらにうれしいですね。腕を磨いて良い写真がたくさんストックできたら、いつか個展を開いてみたいと思っています」

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 1

●ミラーレス一眼
ソニー「α7S Ⅲ」実売価格44万9900円(ボディ)

有効1210万画素の裏面照射型CMOSセンサー「Exmor R」を搭載。画像処理エンジンは新開発のBIONZ XRを採用し、最高感度は拡張でISO409600を実現する。新開発の放熱構造により、長時間の4K動画記録も可能だ。

 

「フォームチェック用カメラが、趣味での相棒になりました」

「投球フォームを動画で記録してチェックするために購入しました。現役引退してその用途はなくなりましたが、いまでは趣味の撮影での相棒となりました。特に星空や夜景を撮るのが好きで、いつでも撮れるよう持ち歩いています」

 

カメラに限らず、あらゆることに対してこだわりが強いほうだという。現役時代はもちろん、引退したいまでも身体のケアには人一倍気を使っているが、特に意識を高く持つのが「睡眠」だ。

 

「2020年の秋にヒジの靭帯を断裂して新しい医療を受けていたんですが、そのときに先生から『再生に必要なテストステロンと成長ホルモンの分泌には、質の良い睡眠が必須』と言われたことがきっかけで、こだわるようになりました。たまに寝違えることがあったので、まずはしっかりデータを取ってマットレスの硬さを見直し、シーリー製の柔らかいものに変えました。これは肌触りも良くてストレスを感じることがなく、とても気に入っています。寝室のエアコンと加湿空気清浄機は国内メーカー製の高性能モデル。あとは、ディフューザーを使って、リラックスできるシトラス系の香りで部屋を満たすのもポイントです。天井に取り付けたポップインアラジンでヒーリング系の映像と音楽を流しながら寝ています。現役時代から移動中に寝るタイプじゃなかったぶん、自宅の睡眠空間にこだわりを持っているんです」

 

毎日欠かさないジムトレーニングも、ボディメンテナンスに対するこだわりのひとつだ。パーソナルトレーナーをつけて、ハードなメニューで自分を追い込んでいる。

 

「現役時代よりしっかりやってるんじゃないかっていうくらいで、終わったあとはヘロヘロになってます。スーツをカッコ良く着こなせる肉体を目指していて、ベンチプレスをしっかりやっています。現役時代は胸回りの可動域を広げるためにベンチプレスをやっていなかったので新鮮です。魅せる肉体に仕上がってきてますよ」

 

本来は「とても好き」だという酒も、質の高い睡眠やジムトレーニングといった毎日の“ルーティン”を守るために控えている。

 

「20代のころはチームメイトとハメを外すこともありました(笑)。米国アリゾナでのキャンプ中、後輩の(杉谷)拳士とクラフトビール専門店に繰り出したり……。ただ30歳を過ぎてから節制し始めて、引退後も酔うほど飲んだ日はありません。毎日活動するなかで、酒に酔ったことで思うようにいかなくなってしまうのがイヤなんです。翌日に何もなければハメを外しても良いのですが、毎日やるべきことはあるので、あまりそういう気になりませんね。最近流行っている低アルコール飲料や、お酒テイストのノンアルコール飲料は結構好きです。この間初めてノンアルワインを飲みましたが、思っていた以上に美味しくて驚きました」

 

↑本誌を毎月愛読する理由は「モノだけじゃなくて、トレンド全体を把握できるのが良い」から。ほかにも様々なメディアをチェックしている

 

「メタバース空間を活用して、何ができるか考えています」

 

インタビューの合間にも本誌をパラパラとめくり、「このカメラが欲しいんですよね〜」とか「この家電って本当に良いんですか?」と気さくに尋ねてきた斎藤さんが、最も興味を示していたのは「メタバース」の特集記事だ。

 

「新しいことがやりたくて、いま勉強しているところです。コロナ禍で気軽に外出できない状況が続くなか、スポーツ界にもメタバースの波が必ず来ます。例えば、北海道日本ハムファイターズの本拠地は2023年に新球場へ移転することが決まっていますが、道内の人でないと実際に訪れるのは難しい。そこで、メタバース空間内に球場や周辺施設を再現できれば、これまでにないエンタテインメントビジネスが生まれると思うんです。アバターが着るユニフォームなどグッズも販売できるし、バーチャルならファンと選手との交流もさかんになるはず。僕も何かアイデアを出してファイターズや野球界を盛り上げたいという気持ちがあります。メタバース空間内に僕が撮った写真を並べて個展を開くというのも良いですね(笑)」

 

次のステージへ進むためインプットを続ける斎藤さんに、“いま一番やりたいこと”を聞いた。

 

「色々とありますが……今年の夏に富士山に登る予定です。そこで達成感を味わえると思いますし、ビジネスへの活力も得たいですね」

 

野球界で幾度も頂点に立った斎藤佑樹は、新たなる高みを目指してスタートを切ったところだ。

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 2

●一体型VRヘッドセット
Oculus「Oculus Quest 2」実売価格3万7180円(128GB)

Meta(旧Facebook)が展開するシリーズ最新モデル(現在はMeta Quest 2に名称変更)。スマホやPCなどと接続せずに使えるスタンドアローン型で、頭部だけでなく全身の動きに対応する高いトラッキング性能を備える。

「メタバースを楽しむため、真っ先に購入しました」

「『メタバース』に興味を持って勉強するようになり、まず購入したのがコレです。いまのところはVRChatを楽しんだり、シューティングゲームをプレイしたりといった用途ですが、今後どんどんやりたいことが増えるはず!」

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 3

●照明一体型プロジェクター
ポップイン「popIn Aladdin 2」実売価格9万9800円

LEDシーリングライトとプロジェクター、スピーカーが一体となったデバイス。Android 9.0を搭載し、YouTubeなどの動画配信サービスをはじめとする様々なコンテンツを楽しめる。フルHD画質で最大120インチの投写が可能。

「ベッドルームに設置して、月の映像に癒されています」

「ベッドルームに設置して映像と音を楽しんでいます。以前は寝る前にNetflixで映画をよく見ていたのですが、いつも途中で落ちてしまって最後までたどり着けなくて(笑)。いまは月の映像を見て癒されながら寝ています」

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 4

●電子レンジ
バルミューダ「BALMUDA The Range」実売価格4万7850円

ムダを削ぎ落としたシンプルなデザインが特徴。自動/手動での温めや解凍モードなどをダイヤルで直感的に設定できる。オーブン機能も備え、パンなどの発酵にも対応。操作音にギターサウンドを採用しているのもユニークだ。

「シンプルなデザインが気に入り、バルミューダで揃えています」

「白物らしくない、シンプルでオシャレなデザインのバルミューダがお気に入り。このレンジのほか、BALMUDA The ToasterやBALMUDA The Potなどを揃えて、キッチン回りで統一感を出していますね」

 

Profile

斎藤佑樹

早実高3年時の夏の甲子園で激闘の末に優勝を飾り、一躍全国区のスターに。早大入学後からすぐに主戦投手として活躍し、4年時には主将も務めた。2010年のドラフト会議では1位指名で4球団が競合した後、北海道日本ハムファイターズに入団。プロ入り後は度重なるケガに悩まされながらも11シーズンを送り、21年に現役引退。同年12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。
Instagram @yuki____saito

 

撮影/千葉タイチ

 

※『GetNavi』2022年4月号のインタビュー記事を再構成し、転載したものです。

「どちらに転んでもリスクがあるから不安はない」50代編集者が見た、女優 yukinoの覚悟と渋好みな暮らし

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】
ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方

 

最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないらしい。無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくらしい。努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんだとか!

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができる。そう信じていた気がします。そして、遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載を始めてみることにしました。

第1回「シンデレラガール、雪七美の17㎡堅実暮らし」
第2回「清楚とロック、モデルとミュージシャン…タカハシマイの2つの顔」
第3回「女優・辻千恵が過ごす、ひとりの時間と戦いの時間」
第4回「モデル・宮崎葉の“歯車”が回り始めた理由」

 

どちらに転んでもリスクがあるから、不安はない———yukinoさん

昨年より放送されていた東京ガスのテレビコマーシャルをご存知でしょうか?「未来が見える女の子が、少し先回りしてトラブルを避ける」という映像は、自転車置き場で倒れる自転車を足でエイッと支えたり、プールに落としかけたスマホを、横っ飛びにしてキャッチしたり。「え〜!」「ほ〜っ!」と思わず見入ってしまうものでした。

 

この女の子を演じていたのが、yukinoさん。「あれ、合成などはなく、ぜんぶガチでやったものなんですよ! 演じる余裕もなくて、真顔だったんです」と笑います。実は、2021年の3月に上京したばかり。女優&モデルとしての初仕事が、あのCMだったと言いますから驚きです。

 


東京ガス「先まわりする女性」篇。2021年第74回広告電通賞 フィルム広告 企業公共部門で金賞を受賞。

 

宮崎県出身、長崎の大学では教育学部で音楽を専攻。3歳からピアノを続けていたのだとか。「ピアニストになる……というわけではなく、ただ趣味で続けていければと思っていました」と語ります。だったら、その頃将来はなにをやりたいって思っていたの? と聞いてみると……

 

「カフェをやりたいと思っていました」とyukinoさん。「自分が働く空間を自分で作りたいと思ったんです」と語ります。しかも、大学時代からその夢を現実のものにしようと、SNSなどで自分の思いを発信していたといいますから、えらい!

 

このあたりが、私が若かった頃とは大きく違うなあと思います。今から20年ぐらい前は、もしカフェをやりたいと考えても、それが「自分の手が届くところにある」と感じることはなかなか難しかった……。どうやってカフェをオープンさせるのか情報も手に入らなかったし、大きな資本がないとできないという「常識」がまだまだはびこっていたし、学生をはじめ若者が持つ力はごくごくちっぽけでした。

 

つまり、自分が考えていることと、社会との間に大きな溝があったということです。でも今は、SNSが発達し、誰でもがより広い世界にアクセスしやすくなり、小さな一歩が大きな波を引き起こす可能性がぐんと増したような気がします。その夢への風通しのよさが、とてもうらやましいなあと思います。

 

編集者の一田憲子さん。

 

「これ、私が作ったんですよ」とyukinoさんが見せてくれたのが、細い金や銀の糸で編んだアクセサリーでした。「えっ? なに? これ金属でできているの?」と不思議に思っていると、「これ、糸で編んだものなんです。軽いし、金属アレルギーの人も身につけられるんですよ」と教えてくれました。

 

昔から手を動かして何かを作ることが大好きだったそうです。アンティークレースやヴィンテージのスパンコールなどを組み合わせてアクセサリーを作り始めたのが大学生の頃。「tokage(トカゲ)」というブランド名でネットショップを立ち上げました。

 

どうして「トカゲ?」と名前の由来を聞いてみると……。「目立つアクセサリーもかわいいと思うんですけど、身につけたときに自分に馴染むものがいいなあと思って。影や木漏れ日ってきれいでしょう? ああいう風に『さりげないけどきれい』っていうものを作りたいなと思って。『〇〇と影』っていう意味で『tokage』にしました」。なるほど、爬虫類の「トカゲ」ではなく「と、影」という意味だったんだ! と納得しました。カフェにしろ、アクセサリーにしろ、なんて目指す方向がしっかりしていることでしょう!

 

yukinoさん。

 

おどろくほど繊細な糸で編んだイヤリングは、yukinoさんが自分で立ち上げたウェブショップ「tokage」で販売しています。

 

レース糸や、アンティークビーズでアクセサリー作りを。手を動かしているうちに、自然に形が生まれてくるそう。

 

アクセサリーはオリジナルのボックスに入れて、自分で押し花をして作ったカードを添えて発送。隅々まで心を込めて。

 

大学時代に、ミスコンテストに誘われて出場。同時期に今の所属事務所から声をかけられました。「私で、大丈夫ですか? って思わず聞きました(笑)。当時SNSで応援してくださる方も増えていて、やってみようかなと思って……。東京に行くワンステップを踏んでから、カフェを開くのもありかなとも考えたんです」とyukinoさん。ミスコンが終わってから「一度東京に来て、実際にお仕事をちょっと経験してみませんか?」と提案されたそう。「ずっと田舎にいたから、東京は刺激も多いし、行きたいお茶屋さんにも行けるかもと思いました」。

 

東京で行きたかったお茶屋さんはどこだったの? と聞くと、「HIGASHIYA GINZAさんですね」とyukinoさん。なんと、びっくり!「HIGASHIYA」といえば、和菓子をモダンにアレンジし、急須でお煎茶を出されるお店。若い人が「好き」というには、ずいぶん渋いセレクトです。「お茶が好きなんです。落ち着きがあって、ちょっと静かな環境ですね」。

 

そういえば、自宅で愛用していると、インスタグラムにアップされていた器も、ずいぶん渋いものでした。

 

「雑貨屋さんでティーポットを買うときに、7000円だったんですが、店員さんに『その若さで、この金額のものを即決するのは珍しいですね』って言われました」と笑います。

 

お気に入りのティーポットやカップでお茶を飲むひとときが幸せ。作家ものの器は、どれも渋めのセレクト。

 

左は東京表参道にあるお気に入りのお茶屋さん「櫻井焙茶研究所」で買った茶葉。右は、大好きというオードリー・ヘップバーンのカレンダー。「映画『ローマの休日』などは、何度も見ました。品があって、純粋な感じや、ファッションセンス、そして演技がかわいいところが大好きです」。

 

こうして「一度お試しで」と事務所の提案で上京。その際初めての仕事が「ニューバランス」のプロモーションビデオでした。

 

「事務所の車でロケに行って、ニューバランスを履いて走る……というものでした。走るのは大丈夫だったんですけど、しゃべるのが全然ダメでしたね」と笑います。その後に続いた仕事が、あの「東京ガス」のCMだったというわけです。卒業後、上京。女優さんになることを目指して東京で暮らし始めます。それが、新型コロナウイルス感染症が猛威を振っていた昨年3月のこと。

 

不安はなかったのですか? と聞いてみました。

 

「もともと私は、普通の会社員ではなく、カフェをオープンすることを目指していました。もし女優の道を目指していなかったら、カフェの店員さんをしながら修行をしていたと思うんです。どちらに転んでもリスクがあるので、そういう意味では不安はなかったですね」

 

どうやら、yukinoさんの中で「カフェ」という優先順位は揺るぎないもののよう。人は「これ」というものを1本持つと、若くてもこんなにも強くなれるものなんだ、と感心してしまいました。もしかしたら、「強い」から未来を決められるのではなく、「決めれば」、強くなれるのかもしれません。

 

友人からもらったマトリョーシカや、雑貨屋さんで買ったラッコや犬など木の置物を持参してくれました。かわいいけれど、ちょっとシンプルなものが好き。

 

上京するときに物件を決める条件が「キッチンにコンロがふたつあること」。なるべく自炊をして食べているそう。

 

お母様はずいぶん厳しい方だったそうです。よく上京を許してくれましたね? と言うと……

 

「『ちゃんと就職しなさい。教育学部に行ったんだから教師になりなさい』と言われていました。でも私が『自営でカフェをやりたい』と言い始めて、SNSでいろいろな発信をし、フォロワー数が伸びてきた様子を見た頃から『もう好きにしなさい』と言ってくれるようになりましたね。厳しく育てられたからこそ、その反動で『自由』が好きになったし、好きなものが明確になった気がします」。

 

順調にスタートを切ったかに見えたけれど、上京してから受けたオーディションでは、なかなか結果が出ない日々が続いたのだと言います。

 

「やっぱり、簡単にはいかないなって思いました。それで、今年の9月から演技のワークショップに行き始めたら、少しずつよくなってきた感じかな」。

 

ワークショップは「自分の中の衝動に気づく」という課題だったそうです。

 

「表現するのではなく、頭で考える前に行動するっていうことなんです。二人一組になって、相手から感じられる感情を伝えたり、自分の感情をぶちまける練習をするんです。たとえば『私、緊張している』っていうことを言葉や行動にのせる……。人によっては立ち上がってものを蹴ったりしながら言う人もいます。そういう自分の感情に気づく練習なんです。それを10人くらいの前でやるので、自分に自信がないと動けずに固まっちゃうんですよね。衝動じゃなく、自分自身を奮い立たせるために立ち上がっちゃったりする。そうすると先生にしかられます」

 

なんと、難しそう!「衝動」とは、自分の内側の回路と自分をつなぐことなのかも。「たとえばドラマの現場でも、その役だったらどうするか? が『衝動』であれば、『演技しています』っていうことにはならないと思うんですよね」とyukinoさん。

 

実はごく最近ドラマのお仕事が決まって、撮影が終わったばかり。ドラマをやってみてどうだったのでしょう?「楽しかったんですけど、私にとって、すごくやりにくい役で、いろいろ考えさせられました。女優って、自分に自信をつけないとできない職業だって思いました」。

 

それはどういう意味? と聞くと……。「『これを演じてください』言われて演じるわけですが、自分に自信がないと『こうしたらいいのかな? これはやりすぎかな?』と考えちゃうんですよね。余計なことを考えないためにも、自分に自信をつけることが、これからの課題だと思いました」。

 

あのワークショップ以来、どうやらyukinoさんの求めることの根っこはすべて「自信」につながっているよう。

 

「merモデルオーディション2020」で見事、グランプリを獲得。

 

真ん中に「自分」がいて、両方の手に「仕事」と「暮らし」をきちんと握っている

女優のお仕事は始まったばかり。今はまだ女優1本では“食べていけない”ので、アルバイトを2本掛け持ちしているそうです。その合間にアクセサリー作りを。もし、女優さんとして成功したとしても続けていきたいことなのだそう。そして、最終目的はやっぱりカフェを開くこと。

 

「一度東京でやってみるのもいいかなと思うし、大学時代を過ごした長崎の港町で開いてもいいなとも思います。そして、やっぱり宮崎の実家に戻って、田舎の山の中でオープンしてもいいなあ。もし、私が女優さんとして成功できたら、山の中でもお客さんを呼び寄せることができると思うんですよね。だから今は、女優としての仕事を頑張ろうと思っています」。

 

 

好きなカフェを巡ったり、お気に入りの器やポット、茶葉を手に入れて自宅でティータイムを過ごしたり。仕事から帰った夜には、糸やビーズを取り出します。若いころは、夢を追いかけるだけで精一杯で、自分が「楽しむ」といういちばん大事なことを後回しにしがちなのに、yukinoさんは、真ん中に「自分」がいて、両方の手に「仕事」と「暮らし」をきちんと握っていました。

 

最後に愛用のノートを見せてくれました。「パピエラボ」のものだそう。「私のストライクゾーンは、結構広いんです。これもかわいいし、あれもいい。でも、ひとつに絞った方がいいなあって思うんです。だから、道を迷わないために、時々ノートに書いて自分の考えをまとめています。『将来は、これとこれがやりたい。じゃあ、これはどんな世界観にしたい? じゃあ、今目の前にあるこれはどうすべきかな?』みたいな感じ。実現できているかどうかは別ですけど」。

 

右が「パピエラボ」で購入したノート。ラッコの絵のノートは「ロフト」で。「中がベルリンの紙が使われているんです。その質感が好き」とyukinoさん。

 

その着実さ、冷静さに驚いてしまいます。若い頃、私がものごとを決める「ものさし」は、「実現できるか、できないか」という「結果主義」だった気がします。でも、yukinoさんの一歩は「できるかどうかわからないけれど……」でした。カフェも女優という仕事も、自分にそれをやる力があるかどうかは不明です。でも、きっとできる気がする……。それだけで十分なんだ。そう教えてもらった気がします。

 

若い頃からずっと「これができる自信が持てたらやろう」と思ってきました。でも、それだといつまでたってもスタートできない。「よし」と自分に自信を持てる日なんて永遠にやってこない……。そのことに気づいた頃には、もうずいぶん歳をとってしまっていました。「自信」というものは走り続けながら育てるものなのかも。一生懸命走っていたら、いつの間にかラクに走れるようになっていた、みたいに。

 

何かを手に入れるために必要なのは、あれとこれとそれという「条件」ではなく、「これが欲しい」と、ただ思えばいい。そう考えれば、私は「若さ」という条件は手放してしまったけれど、これからでも、欲しいものが手に入れられるのかもしれないな、とちょっとうれしくなりました。

 

 

Column / 一田さんの暮らしの一手間

季節の果物を使ってジャムを作ります。冬ならりんごや文旦、春になったらいちご……。りんご2個や、いちご1パックなら、小さな鍋に入れてほんの20~30分でできちゃうのでおすすめ。

 

私は、どんな果物でも、全体量の70%の砂糖を加えて作ります。これさえ覚えておけば簡単! りんごは好きな大きさにカットして。ごろんと形が残った方がよければ大きめに。ペースト状の方が好きなら小さめに。いちごはヘタをとってそのまま。

 

このほか、無農薬の文旦や甘夏などが手に入れば、皮を刻んで実と一緒に煮れば、マーマレードができます。自分で作ったジャムは、市販のものと香りが違います! 好きな甘さに調節できるのもいいところ。いちごと黒胡椒、りんごとクローブなど、スパイスを加えても。季節ごとにジャム作り、楽しんでみてください。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト「外の音、内の香(そとのね、うちのか)」も主宰。近著に『暮らしを変える 書く力』(KADOKAWA)
『外の音、内の香』https://ichidanoriko.com/

 

女優・モデル / yukino

1998年生まれ、宮崎県出身。長崎大学教育学部卒業。東京ガスをはじめ、ニューバランスやハタラクティブなどの広告のほか、優里「ベテルギウス」のMVにも出演。現在、ドラマ『まったり! 赤胴鈴之助』(テレビ大阪・BSテレ東)に出演中。
Instagram https://www.instagram.com/yk_____.jp/
Twiiter https://twitter.com/yk_____jp
「tokage」 https://enikaitayona.official.ec/

 

今どきの20代女子の生き方とは? 50代編集者が見たモデル「宮崎葉」の歯車が回り始めた理由

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方

 

「イチダさん、最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないんですよ」。え~!

「無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくんです」。ふ~ん。

「努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんです」。なんと!

 

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、わあ、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができるし、まだ見ぬ世界を知れば、新しい扉が開くかもしれない。そんな自分の中に眠っている可能性に心ときめかせたものでした。遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも、「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

 

でも、時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

 

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

 

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載をスタートしました。

第1回「シンデレラガール、雪七美の17㎡堅実暮らし」
第2回「清楚とロック、モデルとミュージシャン…タカハシマイの2つの顔」
第3回「女優・辻千恵が過ごす、ひとりの時間と戦いの時間」

 

「何者かになりたい」という大きな野望はない。ただ目の前にある“やってみたいこと”にまっすぐ向き合いたい––––宮崎 葉さん

↑さまざまな企業やブランドの広告に起用されるなど、いま活躍目覚ましい宮崎葉さん(右)。さまざまな人の“暮らし”を取材し発信してきた一田さんは、彼女のどんな一面を引き出すのでしょうか?

 

ある時は、CMの動画の中でにこやかな笑顔で踊り、結婚情報誌の扉でウェディングドレス姿を披露。ある時は、雑誌に私服コーディネートで登場し、郊外のショッピングモールの広告では大きなポスターの中でにっこり。モデルとして今、次々と活躍の場を広げている宮崎葉さん。

 

私と同郷の兵庫県出身と聞いて、なんだかうれしくなって、いそいそと今回のインタビューに出かけていきました。

 

上京したのは4年前で、22歳の時。でも「本格的にモデル1本でお仕事をするようになって、まだ2年ぐらいなんです」と聞いて驚きました。それまでは、アパレルショップで正社員として働きながら、モデルを続けてきたそうです。まさに、たった今、花咲いたばかり! そして「今から!」「ここから!」という時期。そんな今しか聞けないお話を伺ってみました。

 

 

雑誌「mer」のオーディションでグランプリを獲ったのが、モデルとして仕事をするようになるスタート。関西在住だったので、月に1回東京での撮影に呼ばれて、日帰りで通っていたのだと言います。

 

若い頃からモデルさんになりたかったの? と聞いてみました。

 

「いえ、そんなにはっきりした思いはなかったんですよ。通っていた美容院でサロンモデルのようなことはさせてもらっていたんですが、元々は体育の先生を目指して大学に入って……。教員免許も取りました。でも、グランプリをとったのをきっかけに、自分のなりたい道が、ちょっとずつ変わってきたのかな、と思います」。

 

毎回、この連載でお話を聞きながら驚くのは、みんな「今までの道」に加えて、「もう1本の道」が見えてきたときに、「やってみたい!」と軽やかに、足を踏み換えることができるということ……。「いい学校に行って、いい会社に入って……」という古い価値観の中で、「失敗しないように」「道からそれないように」と、“堅実さ”を何よりの道標に歩んできた私にとって、ふたつの道のうち、「明るい方へ」「楽しそうな方へ」と選択ができることを、とてもうらやましく思いました。

 

 

実は葉さん、今もモデルをしながら週末は、チアリーディングの社会人クラブチームに所属し、大会に出場しています。その始まりは高校時代だったそう。

 

「高校のオープンハイスクールのときに、チアリーディング部が演技をしてくれたのですが、それがものすごく華やかで、たちまち惹かれちゃって。それで部活に入ることにしました」

 

大学生になると、今度はチアリーディングの社会人クラブチームに所属。

 

「高校では、自分たちで文化祭や地域のお祭りなどで披露していただけだったのですが、大学で入ったクラブチームは、ちゃんとチアリーディング協会に所属していて、演技をして、点数をつけてもらって順位を決める、という“競技のチア”でした。高校でやっていたこととはガラッと内容が変わって、ほぼイチからやり直すという感じでしたね。すごく苦労しました。周りはうまい人ばかりで……」

 

ふんわりとかわいくて、笑顔がキュートで……。そんな葉さんですが、どうやらとてつもないガッツの持ち主のようです。

 

「社会人のチームだったので、練習は週に2日だけ。本番に向けて演技を完成させないといけないので、手取り足取り教えてもらう、なんてことは望めませんでした。つまり、私を上達させるために練習時間を割くんじゃなく、うまい人たちが大会に出るために練習をするんです。練習に行って、音楽をかけるためのボタンを押しただけで帰ってきた、っていうこともあったなあ。今思い出しても悔しくなります(笑)」

 

それでも、先輩たちを見て覚え、合間にちょっとだけ仲間に入れてもらった少ない時間で演技をやってみる……。

 

「私、負けず嫌いなんです。せっかく入ったんだから、絶対に大会に出たかったし」と葉さん。

 

何かにトライしようとする時に、人は何によって喜びを得るのだろう? とこのエピソードを聞いてあらためて考えました。最初から「負けている状態」の世界へ飛び込んでいくなんて、その苦労は相当だったはず。「人に褒めてもらうこと」=喜びだったとしたなら、そんな選択はしなかったと思います。

 

葉さんには、はつらつとチアをするあの世界へ行きたい! というビジョンがあった……。だからこそ、オセロゲームのように「できない」を「できる」にひっくり返すプロセスの中に喜びを見つけられたのかもしれません。

 

 

大学4年間でチアリーディングをやり切ったのち、「就職どうしよう?」と考え始めました。

 

「教育実習にも行ったのですが、なんだかやっぱり先生は違うかもな……と思えてきて」

 

そんな時、あの「mer」のグランプリが降ってきたというわけです。

 

「もし、モデルをやるとしたら、教師とは絶対に両立できません。いろいろ悩んで、今自分が優先すべきなのはどっちだろう? と考えました。そして、モデルは今やらなかったら、たぶん一生チャンスがないだろうな、と思ったんです。ただ、モデル一本だと、東京に住んでやっていけるかどうかわからないから、両立できる仕事を……と探してアパレルに就職することにしました」。

 

その選択は、意外や堅実。

 

「副業を認めてもらえる会社を探しました。入社したアパレル会社は、そんな前例はなかったみたいなんですが、面接の時に一生懸命説明をしたら、ちゃんと聞いてくださって『それでも大丈夫だよ』と採用してもらえたんです。好きなブランドだったのでうれしかったですね」

 

こうしていよいよ上京。最初の2年間ぐらいはホームシックに。「東京の町に慣れなくて、早く帰りたい、心細い……ってずっと思っていました」と葉さん。それでも、帰らなかったのは「自分のすべきことが、明確にここにあるとわかってきたから」だったのだとか。

 

「モデルの仕事を続けてきたときに、やっぱり仕事の数とか、モデルさんの人数とかが、関西とは全然違うんです。頑張っているモデルの友達が周りにいて、事務所に所属して、マネージャーさんがいて……。そういう環境に身を置くと、自然に『やらなきゃ』『頑張ろう!』っていう気持ちになりましたね」

 

↑現在はウェブメディアに形を変えた、“いちばん身近なおしゃれのお手本帖”「mer」から。私服は、リュックやスニーカーのちょっとボーイッシュなスタイルを、色をそろえたりフレアーシルエットを取り入れたりして品よくするのがマイルール。https://mer-web.jp/tag/miyazakiyo/

 

とは言っても、アパレルの仕事をしながらのモデル業は、仕事9割、モデル1割ぐらいのバランスだったそう。

 

「オーディションに行っても、まったく受からなくて……」

 

そんな中で葉さんは、大きな決断をします。1年半ほど勤めたアパレルの会社をやめることに。

 

「働きながらのモデル業は、やっぱり限界があって……。月の20日間は出勤という制限があったので、出勤日にオーディションが重なると諦めざるをえませんでした。マネージャーが店長にかけあって、仕事が入った場合には、出来る限りシフトを調節してもらっていました。でも、せっかくお休みをもらってオーディションに行ったのに受からない、ということが続いて……。結果が出ないことが、焦りやストレスになっていたんです」

 

まだオーディションに全く受からないという時期に、仕事をやめるのは大きな決断がいったはず。生活の安定と、「やりたい仕事をする」ということは、なかなか両立しないものです。

 

私もフリーライターとして独立したての頃、お金が足らなくて、こっそり妹に電話をしてお金を借りたこともありました。それでも、就職するという安定を選ばなかったのは、やっぱり「フリーライター」としてやっていきたかったから。足下がす〜す〜する不安を抱えていたからこそ、真剣に「どうやったらライターで食べていけるか?」と考えたし、なりふり構わず必死になれたんだよなあと思い出します。

 

 

その後もオーディションを受け続けること1年ほど。ようやく決まったのは、関西で流れるテレビCMでした。「めちゃくちゃうれしかったです。やっと決まった〜! って」と笑います。

 

そこから、どんどん仕事がくると思いきや……。増えつつはあっても、ぽつんぽつんと入る程度。そんな流れが変わってきたのが、1年前ぐらい。不思議なことにどんどん仕事が決まっていったそう。

 

いったい何が変わったの?と聞いてみると……。

 

「今までは、ちょっと受け身というか……。『こういう仕事がしたい』とか『もっとこうなりたい』って思いながらも、なかなか行動に移すことができなかったんです。でも、年末から今年にかけてやりたいことを事細かくマネージャーさんに伝えたりするようになりました。歳を重ねて、いつまでこの状況でいるんだろう……と思うと、『もうウジウジ思っている暇はない』って思ったのかもしれません」と正直に教えてくれました。

 

具体的には「どうなりたい」と思ったのでしょう?

 

「たとえば、女優になりたいとか、舞台がやりたいとか、明確な『これになりたい』っていうのはないんです。でも、とにかく今自分の目の前にある仕事で、たとえば『和装のモデルがやってみたい』とか『あのお店とコラボしてみたい』とちょっとでも思ったら、すべてマネージャーさんに伝えるようになりました。今までは、人がやっているのを見て『ああ、いいなあ』『やってみたいなあ』で終わりになっていたんですが、とにかく口に出すようになったんです。マネージャーさんもいっぱい営業をかけてくれて。今、一緒に頑張っている気がして、すごく充実しています。とにかく今は、手当たり次第、いろんなことをやってみたいですね」

 

「やりがいのある仕事」とか「夢を描く」と聞くと、明確な目標を持って、そこへ向かって着々と歩いていく……というイメージがあります。でも、誰もが「女優になりたい」「歌手になりたい」といった具体的な絵を描くことができるわけではありません。

 

「今目の前にあること」だけでいい。そんな「頑張り方」もあるのだと、葉さんのしなやかな姿が教えてくれた気がします。

 

 

実は、2年前にモデルの仕事一本に絞ったときにまた、チアリーディングのチームに入ったそうです。今は水曜日と日曜日の夜に練習をしているそう。

 

「仕事でうまくいかないことがあっても、チアで練習をしていると頭が空っぽになってリフレッシュできますね。モデルの仕事だけだと、周りの人間関係もそれだけ、になっちゃうけれど、チアに行くと下は高校生から、ずっと年上の先輩までがいらして、いろんな意見も聴けるし」

↑チアリーディングでのひとコマ。写真のような大技もこなしてしまう、本格的な技術をもつチームで活躍しています

 

私は、ライターとして食べていくだけで精一杯で、他のことに手を出す心のゆとりがまったくありませんでした。暮らすことも、旅することも、買い物の経験も、人づきあいも、すべてが仕事のため……。「他のことなんてしている暇なんてないし……」とずっと思ってきたのです。

 

でも、この年齢になって思います。私は、たった1本しか脚がなかったから、常に不安だったんだなあって。もし、仕事とはまったく別の世界を持っていたら、仕事でうまくいかないことがあっても、誰かに何かを言われて傷ついたとしても、「ここでダメなら、他で頑張ればいい」とひと回り大きな目で自分を見られたかも……。

 

「これしかない」と突き進むことは、最短距離に見えて、もろくて、崩れやすいのかなあと思います。

 

 

今年、27歳になる葉さん。

 

「若い時よりも今の自分の方が好きですね」と語ります。

 

「今まで、自分が着たい服や、自分ややりたいメークと、お仕事のニーズがちょっとずれていたかも? と感じていました。でも最近、求められるイメージと、ようやく自分がピタッとあってきた気がするんです。無理をしないで、ありのままの自分でいられるというか……。歳を重ねるとごに、その歳相応の美しさで、その時にあったお仕事で、モデルを続けていければいいなって思います」。

 

今、目の前にあるものに一生懸命向き合っていたら、いつかふっと風にのることができる……。大事なのは、運命を自分の力で変えようと焦るより、ここにあるものを両手で大事に拾い上げることなのかもしれません。

 

Column / 一田さんの暮らしのひと手間

 

土鍋でご飯を炊くと言うと「え〜、そんな丁寧なことできないし……」と言われます。でも、実は炊飯器よりずっと早く炊けて、しかも簡単!

 

土鍋の種類にもよりますが、私が持っている廣川温(ひろかわあつ)さん作の鍋なら、お米3合に水3カップ強を強火にかけ、沸騰したら火をとめて、20分ほど蒸らせばできあがり! しかも、ご飯の粒がぴんと立っておいしいこと! 冷めてもおいしいのが、土鍋ご飯の魅力です。

 

土鍋を持っていなくても、鍋で一度ご飯を炊いてみることをおすすめします。普通の金属製の鍋なら、沸騰したら弱火にして10〜15分。火をとめて15分蒸らせばできあがり。キッチンで場所をとる炊飯器を置かなくてもいいのもいいところです。 鍋で炊いたご飯があれば、納豆と味噌汁だけでもご馳走に。ぜひ試してみてください。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト「外の音、内の香(そとのね、うちのか)」も主宰。近著に『暮らしを変える 書く力』(KADOKAWA)
『外の音、内の香』https://ichidanoriko.com/

女優・モデル / 宮崎 葉

1994年生まれ、兵庫県出身。ナチュラル、スタイリッシュなイメージを得意とし、CMからグラフィックまで多数の広告に出演。シンプル・カジュアルを突き詰めた着こなしも評価が高く、ファッション媒体やブランドのビジュアルも数多く務めている。モデルの傍ら、チアリーディングにも精を出し、2015年には西日本大会、関西大会において優勝、日本選手権大会では決勝に進出した。
Instagram https://www.instagram.com/you_miyazaki/?hl=ja
Twitter https://twitter.com/you_yopi

 

MOE絵本屋さん大賞2020発表! 編集長に聞く、大人へ絵本をガイドする『MOE』が支持される理由

やさしい言葉にホッとする。美しい絵や色にワクワクする。絵本の世界は子どもたちだけではなく、現代の大人たちにも、心のサプリメントのような存在として広く愛されています。

 

約20年前から始まった出版不況のなか、絵本を含む児童書は安定的に売り上げを伸ばし続ける希少なジャンルです。往年の名作から大人向けまで、絵本の種類は年々幅広くなり、業界はまさに成熟のときを迎えているといえるでしょう。その一方で、年に約2000冊といわれる新刊絵本のうち、書店の小さな絵本コーナーで私たちが出会える作品の数は、けっして多くはありません。

 

今この時代だからこそ読める、面白い作品に出会うには、どんな風に絵本を探したらいいのでしょうか? そこにヒントをくれるのが、白泉社の雑誌『月刊MOE(モエ)』が実施している絵本の年間ランキング『MOE絵本屋さん大賞』です。「絵本のある暮らし」をキャッチフレーズにうたう『MOE』は、読者と良質な絵本との出会いをサポートし続けている専門誌。

 

今回は同誌のファンでもあるブックセラピスト・元木忍さんが、絵本の世界でいま起きていることや、絵本とのお付き合いを楽しむための秘訣を、『MOE』編集長の門野隆さんに聞きました。

 


『MOE』(白泉社)
絵本のある暮らしを提案する月刊誌。人気作家やキャラクターなどを切り口とした巻頭特集のほか、絵本好きの琴線に触れるアートや映画、雑貨、スイーツなどの情報を届けています。あの『ハリー・ポッター』シリーズを日本の雑誌として初めて大特集したのも同誌でした。毎月3日発売。
https://www.moe-web.jp

 

「大人の絵本の楽しみ方」を提案した初の専門誌

1983年に創刊された『MOE』の第1号。「メルヘン&イメージアート」というキャッチコピーからも分かる通り、絵本の世界を保育者の視点で扱うのではなく、大人女性が楽しむアート、カルチャーという視点から取り上げた雑誌へとリニューアルを果たしました

 

元木忍さん(以下、元木):『MOE』はひと言でいうと「絵本の専門誌」ですが、特集によっても違いますし、絵本以外の内容もかなり掲載されていて、本当に楽しい雑誌ですよね。

 

門野隆さん(以下、門野):ありがとうございます。キャッチフレーズとしては「絵本のある暮らし」。もっと具体的にいうと、絵本やそのキャラクターを中心としたカルチャー総合誌、というのがしっくりくると思います。

 

元木:絵本と一緒に楽しめそうなお取り寄せスイーツや、雑貨が紹介されていたりするのもいいですよね。

 

門野:そうですね。読者は9割が女性です。年齢層は10代後半から70代までとすごく幅広くて、創刊時からの読者もいらっしゃいます。

 

元木:それはすごいですね。絵本は子どもだけが読むものではないので、読者が多いわけですね。そして、たしか創刊から40年以上になるんですよね。

 

門野:はい。厳密にいうと『MOE』は偕成社という会社が1979年に創刊した『絵本とおはなし』という専門誌から始まっていて、1983年に『MOE』にリニューアルされたという経緯があります。白泉社に移ったのは、1992年4月号からです。

 

元木:こうして見ると、『絵本とおはなし』の誌面は文字情報が多かったんですね。育児本のような少し“堅い”印象があります。

 

門野:そうですね。1970年代までの絵本は、まだあくまで“子どものもの”という見方が強かったと思うのですが、一方で『MOE』が生まれた80年代は、海外の絵本を大人が「おしゃれなもの」として楽しむような価値観が生まれた時期でもありました。そこで絵本の魅力をもっと広く発信するために、『MOE』はあえてビジュアルを中心に置いた、女性誌っぽい雑誌にリニューアルしたそうです。

1979~1983年まで偕成社から発行されていた絵本専門誌『絵本とおはなし』。「保育者とお母さんの専門誌」とうたわれ、現在の『MOE』とは違って、テキストが中心の保育者向け情報誌でした

 

よみがえってきた絵本の記憶

元木:『MOE』の誌名の由来はなんですか?

 

門野:「萌え」からきているそうです。絵本が持つ豊かな世界が、もっと多くの読者の心に萌え出るように……そんな願いを込めたのではないでしょうか。ちなみに、僕自身は編集長になってまだ4年目なんです。

 

元木:それ以前はどんなお仕事を?

 

門野:1999年に入社して、15年間青年コミック誌で漫画やグラビアなどを担当していました。その後2年くらい広告企画部で仕事をしていたら、あるとき急に『MOE』の編集長をやることになりまして。

 

元木:出版社でのグラビアや広告部なんて、それとは全然違う世界の絵本の編集長に抜擢されたのですね……! ご苦労されたこともあったのではないですか?

 

門野:いきなりだったので驚いたのですが(笑)、うちの編集部には7名のスタッフがいて、そのなかに偕成社時代からのスタッフが現在も2名います。外部のライターさんも児童書や絵本のスペシャリストですから、そういう意味で不安はあまりなかったですね。大人になってすっかり忘れていたのですが、絵本に関しては小さいころによく読んでいた記憶もあったんです。編集長をやることになったとき、そのころ読んでいた絵本を実家から送ってもらって……今も編集部に置いてあるんですけれど。

 

元木:(机に広げた門野さん私物の絵本を見ながら)これはすごい! かなりの量ですよね。

門野編集長が幼いころ読んでいた絵本の一部。切り口がいつも斬新な『おなら』の長新太さんも、門野さんが好きな絵本作家のひとり

 

門野:親が僕のために、いわゆる“月刊絵本”を何種類か購読していたんです。

 

元木:やっぱりちゃんと持っていたんですね。絵本の仕事へ導かれていく魂を。

 

門野:それはどうでしょうかね(笑)。乗り物や食べ物の話は好きでよく読んでいました。あとは人体の不思議のような、世の中のいろんなことをわかりやすく教えてくれる本も好きでしたね。

 

元木:私は、かこさとしさんの大ファンなのですが、2019年の4月号に掲載されたかこさんの特集は、編集の切り口がすごく面白かったです。かこさんと作品への愛をひしひしと感じて、ファンとしてはまさに鳥肌ものでした。これだけ絵本に触れてきた門野さんなら、きっと『MOE』のお仕事はすごく面白いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

元木さんが特に感動したという2019年4月号は、だるまちゃんシリーズや、『からすのパンやさん』で知られるかこさとしさんの特集号。誌面ではさまざまな関係者がかこ作品への愛を語っており、可愛らしい表紙デザインもコレクション欲をそそります

 

門野:うーん、そうかもしれません。子どものころは、絵本を読んでも作家の名前なんて気にしないんですよね。だから大人になって、作家の視点から作品を深掘りすると新たな発見があったりして、個人的にも面白い仕事だと感じています。それに、絵本自体が出版業界で注目されているのもやりがいにつながっているかもしれません。おかげさまで『MOE』は、年々部数も伸びていて、売り上げ率も80%近くあるんです。

 

元木:すごい! 紙の本でも雑誌が特に不調だといわれているなかで、それだけ読者に支持されている月刊誌はなかなかないですよ。本当にすごいことだと思います。

『MOE』の門野隆編集長と、ブックセラピストの元木忍さん

 

そんな門野編集長がいま感じている使命とは? そこには絵本という出版物特有の背景がありました。また、注目される「MOE絵本屋さん大賞」が実は採算度外視の取り組みであることなど、秘話も語っていただきます。

絵本の「中身」をガイドする大切な意味とは?

元木:そんな門野さんはいま、編集長としてどんな使命を感じていらっしゃるのでしょうか?

 

門野:僕がいま大事にしているのは、絵本を気軽に楽しんでもらうための間口を広げることです。そもそも絵本って内容がシンプルなだけに、選ぶのが難しいと思うんです。

 

元木:それは分かる気がします。文字が少ないのにメッセージ性が高いから、結局どれがいいんだろう?って悩んでしまう人は多いんじゃないかな。

 

門野:数十年前の作品がずっと愛され続けるのも、安心して買えるからという面が少なからずありますよね。業界としても60、70代といった大先輩の方々がまだまだ現役でいらっしゃる世界なので、ある種の厳しさをともなう現場でもあったりするんです。もちろんこういう側面は簡単に変えられるものではないですけれど、そのなかでどうやって世の流行や、読者の趣味趣向を誌面に反映できるかは常に工夫をしています。

 

元木:特定の作家さんやキャラクターに寄った特集もあれば、「絵本で愛を贈る」「思わず泣いた感動絵本」といった切り口でいろいろな絵本を紹介するような特集もありますね。

 

門野:はい。特集の内容は基本的には編集スタッフやライターの意見をもとに考えています。ほかにも『ハリー・ポッター』特集や『ドラえもん』特集のように、絵本と直接関係はないけれど、『MOE』の世界観に合う題材を取り上げることもたまにありますね。

 

元木:その中で、毎号何冊くらいの絵本を紹介しているんですか?

 

門野:多いときは100冊以上、少ない号だと30〜40冊くらい。平均して80冊程度じゃないでしょうか。それでも絵本は年間で2000冊くらい新刊が出ていますから、全部は拾いきれていないんですよね。もちろんたくさん紹介できればいいわけでもなくて、そのなかで「いいもの」を厳選して紹介するのが『MOE』の役割だと思っていますけれど。

 

元木:そうそう。それが『MOE』の重要な役割なんだろうなって、私も思っているんです。絵本って一度ヒットすれば長く売れますけれど、新人さんの作品となると初版部数が極端に少ないですよね。そうすると近所の本屋さんへ行っても、新しい作家さんにはなかなか出会えなかったりして。

 

門野:そうですね。

 

元木:だからといって、中身がわからないとネットで気軽に買うこともできない。これが絵本の難しいところであり、面白いところでもあると私は思っているんです。判型が大きいのか小さいのか、紙の手触りはどんな感じか、どのくらいの厚みがあるのか。実際に触れてみなければわからない個性こそ、絵本の魅力だったりしませんか?

 

門野:それこそ、デジタル化できないんですよね。そもそも絵本って判型もバラバラですし、店頭で売りにくい商品なんですよ。だから内容がよくても、新人作家の新刊となるとなかなか本屋で置いてもらえないこともあります。かといって読者からすれば、ネット書店の情報だけで欲しい絵本を見極めるのはすごく難しい。こういった現状のなかで本当に良質な絵本が埋もれ、なくなってしまわないように、『MOE』が伝えていくべきことはたくさんあると思っています。

『MOE』は1~2か月に1回くらいの頻度で編集会議を行い、編集者とライターが企画を出し合って各号の特集内容を決めているそう

 

「ムーミン」や「スヌーピー」といった人気キャラクターは、年に1度は必ず特集が組まれています。近年ではねこのキャラクターでおなじみのヒグチユウコさんが大人気で、カレンダーなどの付録がついてくる号もあります

 

歴代で門野編集長が初めてトライしたという、芸能人を起用した表紙。女優ののんさんなど、『MOE』読者の共感を集めそうな人選にこだわりました

 

利益度外視で取り組む『MOE絵本屋さん大賞』

全国3000人の絵本コーナー書店員にアンケートを取り、年間で面白かった絵本ベスト30を決めている『MOE絵本屋さん大賞』は、2020年で13回目を迎えました。写真は大賞を受賞したヨシタケシンスケさんの『あつかったら ぬげばいい』(白泉社)。大人のモヤモヤした心にも効くと話題のヨシタケ作品は、男女を問わず人気があります

 

元木:そんな『MOE』の使命のひとつともいえるような活動が、毎年実施している『MOE絵本屋さん大賞』だと思います。これはどんな経緯から生まれて、毎年どういった形で行われているんでしょうか?

 

門野:いわゆる『本屋大賞』の絵本版をやってみたいねということで、13年前に始めたのが最初でした。全国の絵本コーナーの書店員さん3000人にアンケートを取り、毎年年末にその年の絵本ベスト30を発表しています。直近の2020年はたまたま白泉社の絵本が大賞をいただきましたが、年によっては白泉社の絵本がまったくランクインしてないことさえあります。つまり、本当にガチで利益度外視でやっているんですよね(笑)。

 

元木:2020年度は、オンライン授賞式という形で動画を配信していましたね。私も知っている有名な絵本売り場の方が出てきて、このランキングはすごく信頼できる! と感じました。

 

門野:お店によっては年間を通して『MOE絵本屋さん大賞』のコーナーを残してくださっていることもあったりして、絵本の売り上げにつながるランキングとして着実に成長してこれたという実感はあります。

 

元木:新刊の売り上げに貢献するのはもちろんですけれど、私は『MOE絵本屋さん大賞』って、この13年の間にきっとたくさんの売り場担当者を育てたと思うんですよね。本を読まない、知らない書店員が珍しくなくなっている現状のなかで、それは素晴らしい貢献のひとつだと思うんです。

 

門野:そうですね。絵本を本当にたくさん読んでいる書店員さんが選んでくれたからこそ、今回白泉社から出たヨシタケシンスケさんの『あつかったら ぬげばいい』が大賞を獲ったことは、僕たちにとってメチャクチャうれしいことなんです。

 

元木:ヨシタケさんは今回10位までに4冊もランクインしていて、まさに今をときめく売れっ子作家。絵本好きの女性だけではなく、お父さんにも人気があるなんていわれますよね。ちなみに今回ランクインしているなかで、門野編集長が個人的に注目している作家さんはいますか?

 

門野:僕が以前からずっとすごいなと思っているのは、今回3位にランクインした『の』や、『Michi』などで知られるjunaida(ジュナイダ)さんですね。抜群の画力や内容の面白さはもちろんですが、ブックデザイナーの祖父江慎さんが装丁を手掛けられていたり、モノとしての魅力がもはや絵本を超えています。これこそ、子どもだけではなく大人が欲しくなる絵本なのではないでしょうか。

 

元木:うん。junaidaさんの絵本はもはや芸術の域ですよね。それこそ子どもの頃からこんな絵本を読んでもらっていたら、何かすごい才能が開花してしまいそうです!

『MOE絵本屋さん大賞2020』で3位を受賞したjunaidaさんの『の』と、『MOE絵本屋さん大賞2019』で7位にランクインした『Michi』(ともに福音館書店)。絵本の中に入り込んでしまいそうな圧倒的な絵と構成

 

門野:そうですね。絵本は子どもにとって人生で初めて触れる本であり、親子のコミュニケーションを生む道具であり、いろいろな感情や知識を教えてくれる特別な存在でもあります。でも僕が、大人として絵本の世界を知ってあらためて感じているのは、絵本の役割はあくまで読む人が決めるものだということ。形もばらばらなら中身も違って、その役割も読む人次第で変わっていく。同じ形に統一できない多様性が、絵本の面白さなのだと思います。そういった絵本の多様性を伝えることが、僕たちの『MOE』の役割だと思っていますね。

 

【プロフィール】

MOE編集長 / 門野 隆

1999年に白泉社へ入社。青年コミック誌『ヤングアニマル』で漫画やグラビアの編集などを15年間手がける。その後同社の広告企画部へ異動し、2年後の2018年に絵本専門誌『MOE』の編集長に就任する。https://www.moe-web.jp

 

「後悔したことは1秒もない」女優・モデル「辻千恵」の素顔と覚悟を50代編集者が見た

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方

 

「イチダさん、最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないんですよ」。え~!

「無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくんです」。ふ~ん。

「努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんです」。なんと!

 

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、わあ、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができるし、まだ見ぬ世界を知れば、新しい扉が開くかもしれない。そんな自分の中に眠っている可能性に心ときめかせたものでした。遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも、「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

 

でも、時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

 

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

 

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載をスタートしました。

第1回 シンデレラガール「雪七美」の17㎡堅実暮らし
第2回 清楚とロック、モデルとミュージシャン…タカハシマイの2つの顔

 

本当にやりたいことをやって、ダメだったら次に見えてくるものがある––––辻千恵さん

映画の主演を務めるなど、新進女優として期待される辻千恵さん(左)。さまざまな人の“暮らし”を取材し発信してきた一田さんが、辻さんの暮らし、そして生き方に迫ります

 

第3回は、モデル、女優として活躍する辻千恵さんです。つい最近出演された、ミュージシャンayakoさんのミュージックビデオをのぞいてみると……。雨降りの日、窓辺で空を見上げたり、別れた彼との日々を思い出して涙したり。その様子のさりげないこと! ああ、いつか私もあんな切ない思いをしたことがある。あんな風に空を見上げたことがある……。気づかないうちに辻さんの存在感に自分を重ねて、その世界に足を踏み入れている気分になります。そんな透明感が彼女の魅力なんだなあと、映像を見ながら思いました。

 

「こんにちは〜」とインタビューにやってきた辻さんは、やっぱりさりげない方でした。モデルというと、ばっちりメイクをして「私を見て!」という方が多いのかと思いきや、とてもナチュラル。話はまず、辻さんが今暮らしている部屋のことから始まりました。

 

「うちが大好きなんです。早く仕事が終わっても寄り道せずにすぐに帰るんです」と辻さん。

 

だとすれば、インテリア好きなのかと思いきや、よくよく聞いてみるとそうでもないよう。

 

「あんまりこだわりがなくて……。ものがない方が好きなので、ぜんぶクローゼットにしまいこみたいんです。だから観葉植物も置かないし、雑貨も飾りません」。

 

こんなところもとても正直。「素敵に暮らしていますアピール」をすることもなく、ありのままの様子を語ってくれました。格好つけず、さっぱりしていて、ありのまま。話始めてすぐに、辻さんらしさがビンビンと伝わってくるようでした。

 

だったら、家でのどんな時間が楽しいの?と聞いてみると。「お風呂に入ることと、動画配信サービスで作品を見ること。ごはんを作るのも好きですね」と教えてくれました。

 

佐賀県出身。大学時代は福岡で過ごし、通っていた美容院の美容師さんが、雑誌『mer(メル)』の地方スナップに連れて行ってくれ、そこで編集者から「オーディションに出てみない?」と声をかけられたのが、モデルの仕事を始めるきっかけだったそう。就活を終え、企業の内定ももらっていたのに、ギリギリまで迷って、最後の最後にモデルの道を選んだのだとか。

 

「内定が決まっていた会社の人事の女性がすごくいい方で。『辻さんは、本当はどっちがやりたいの?』と、ひとりの女性として話してくださったんです。それも踏ん切りがついたきっかけだったかな。『あ、モデルの仕事は今しかできないかも!』って思ったんです。その日の夜から東京に行ってお仕事だったんですが、福岡に戻ってすぐ、内定はお断りしちゃいました」

 

 

でも……。最初は撮影の仕事がイヤでたまらなかったそうです。

 

「何もできないし、電車を乗り継いで、現場に通うだけで疲れちゃうし」。

 

それが少しずつ楽しく変わっていったのは、スタッフさんや同じモデル仲間など、「人」が好きになったから。それでも、モデルになることに、「迷いは一切ありませんでした」ときっぱり。将来への不安はなかったの? と聞いてみると「そうですよね~。ちゃんと考えていなかったんだと思います。ほとんど勢いだけだったかな」とからりと笑います。

 

辻さんが上京するきっかけとなったファッションメディア「mer」。現在は、雑誌からウェブ媒体へとチャネルを移行していますが、変わらず等身大の「辻千恵」が見られる場所。私服などからも、飾らない人柄が透けて見えるよう

 

「トレンドを追うよりも質の良いアイテムを集めるようになりました」と言う辻さんの私物。
「トレンドを追うよりも質の良いアイテムを集めるようになりました」と言う辻さんの私物

 

ただ、一方でこんな風にも語ります。

 

「私はずば抜けて背が高いとか、細いとか、整った顔とかじゃないから、ショーでランウェイを歩くようなモデルには絶対になれないってことはわかっていました。だから、雑誌のモデルだけでなく、ちょこちょこ映像のお仕事をやり始めたら、お芝居もやりたいなあって思うようになりました」。

 

せ~の! で夢に向かって走り出した時、「これは、私にはむいていないかも」とか「私の力では無理かも」と、自分の状況を冷静に判断する、というのはとても難しいものです。20代で、自分自身を少し離れた位置から見ることができている……。そのことにただただ驚きました。

 

「自分の力が出せる場所が、ちゃんと自分でわかったんですね」と聞いてみると……。

 

「『mer』の編集長に、演技レッスンに連れて行ってもらったんです。そこでレッスンを受けてみたら、すごく楽しかった! 目の前にペットボトルがあると思って、開けて飲んでみる……みたいな程度だったんですが、なにもできない自分が不甲斐なくて、終わったら思わず泣いちゃいました。でも、気づいたら『また来たいです』って言っていたんです。そこから通うようになって」。

 

どういうところが楽しかったのでしょう?

 

「なんだろう? 写真を撮られるままに、「きれい」とか「かわいい」と評価されるのとは違って、自分次第でどうにでもなる。そこが面白かったのかも」。

 

辻さんは、モデルとして走り出しながら、美しいだけで評価をされない世界を求めていたのかもしれません。

 

 

レッスンに通い始めて1~2年が経った頃から、CMのオーディションに受かったりと、世界が変わり始めました。

 

「あれ? なんか楽しい! って思うようになったんです。カメラの前で止まっていなくて、動いていいんだ! とか、自分で台詞を言うんだ! とか、すべてが新鮮でした」

 

実は、その後辻さんは自分の意志で事務所を移籍しました。より、自分らしい仕事をするための、大きな一歩です。

 

「会社を移ることで、いろんなものを手放しました。だから、ちょっとドキドキ……。自分はこれからどうやって生きて行こうかな? と考えた時に、本当にやりたいことをやって、ダメだったら次に見えてくるものがあるかな、って思ったんです」

 

辻さんのしなやかさは、この強さから生まれているんだなあと感じずにはいられません。私の若い頃とは大違い!

 

20代の頃、私は失敗することが何よりキライでした。優等生体質だったこともあり、なにかアクションを起こしたら、必ず「いい結果」がついてこないとダメ! と思い込んでいたように思います。人から評価を受けること、褒められること、が自分の行動の基準だった。

そうすると、どういうことが起こるかと言うと……。失敗しそうなことはやらなくなる。

このことを、50代になった今、いちばん後悔しています。

 

 

人生は「初めてのこと」の繰り返し。この事実に気づいたのはごく最近のことです。初めてのことだから失敗するのは当たり前。そして、人は失敗からしか学ぶことができない……。つまり、新たな自分に出会いたかったら、まずやるべきことは、失敗なのだと、やっとわかってきました。新しいことへの挑戦と失敗と、「じゃあ、どうする?」と考えることは、3つでセットです。この繰り返しで人は成長することができる……。

やっと私は今、「だったら失敗してみよう」と思い始めたばかり……。ずいぶん遅いスタートになってしまいました。

 

演技レッスンを定期的に受けて、少しずつ意識が変わっていったという辻さん。

 

「私はもともと、そんなに見た目にこだわるタチじゃないんです(笑)。『かわいらしくいたい』というより、『何者かになる』っていう方に面白さを感じたのかもしれませんね。ミュージックビデオでは、初めて『世界観』ということを意識し始めました。曲の世界観と、自分が写っている映像が本当にあっているのかな? とか……。CMだったら、本当に女子高生に見えるかな? とか、そういう試行錯誤が今楽しいんです」

 

 

2019年に、自分でオーディションを受けて勝ち取った主演映画『男の優しさは全部下心なんですって』に出演した際には、ずいぶん苦しい思いをしたそう。

 

「泣きながらマネージャーさんに『もう無理です』って何度も言いました。撮影中は、監督のことをずっと恨んでいましたね(笑)。でも、完成した映画を見た時に、すべてが報われた気がしました。楽しさも、苦しさもちゃんと味わえたなって思います」

 

そんな全力投球の仕事を終えて、帰る場所が辻さんにとっての家。

 

「家は『巣』みたいな場所。自分を取り戻すところですね」とにっこり。

 

上京したばかりの頃、自分でそろえた器たち。中央のカップは、益子の陶器市で見つけたもの。カメラマンの先輩などにお茶時間の楽しさを教えてもらった

 

浄化作用があるというセージの葉に火をつけて、香りを楽しむ

 

やや大きめのお風呂は、窓があるところがお気に入り。仕事でつらいことがあっても、ここで体も心も洗い流せばさっぱりと生まれ変わることができる

 

でも、その自宅のために、あれこれモノを買いそろえることは今はしません。

 

「移籍する少し前から、お金を貯めようって思ったんです。無駄なものは買わないようにしようって、生活を変え始めました。モデルの頃よりずっと不安定になることはわかっていたので……」

 

いたって普通の女の子なのに、その腹のくくり方には驚きます。「安定」をよく手放せましたね〜、と聞いてみました。

 

「怖いもの知らずだったんだと思います。お金を取るか、自分の気持ちを取るか……。でも今は『生活するって厳しい!』ってことも実感しています。でも、みんなそこを乗り越えているし、今の事務所はそういう人ばかりが集まっているんです。みんなアルバイトもするし、チャンスは絶対つかむし、全然意気込みが違うんです。そういうのを見させていただいて、『あ、今まで私は甘ったれていたな』って思います。どうして昔、あんなに好きなものばっかり買っちゃっていたんだろう?って……(笑)。今はあれこれ好きなものを買えなくてもいい。ただ撮影で心が削られたら、家で補充できたらいいかな」

 

人は、不安な時にしか見ることができない風景があるように思います。

私も独立したばかりの頃、8万円のワンルームの家賃が払えなくて、妹にこっそり借りたこともありました。夕暮れ時に家に帰る時、公園の横のきれいなマンションの部屋には明かりが灯って、晩ご飯のいい香りがしてきて……。そんな風景を眺めながら「いつか私も絶対にあんな暮らしをする!」と思ったもの。あのヒリヒリとしたピュアな思いを、今懐かしく思い出します。そして、不安でたまらなかったけれど、なんて尊い時間だったのだろう……と思います。

 

 

昨年は、オンラインでのリーディング公演で主演を務めたり、NHKのよるドラ『閻魔堂沙羅の推理奇譚』に出演したり、CMにも登場。今、少しずつ辻さんの新たな扉が開き始めているよう。

 

「ひとつずつミッションが用意されている感じなんです。終わったら『ああ、またひとつ経験できたなあ』って感じますね。いただいた役の中で、どれだけ個性が出せるのか、わたしにしかできないことをやっていかなきゃいけないなって最近考えています。本当は怖い犯人なんだけど、どこか辻千恵っぽいというか……。それがないとリピートしてもらえないから……。それを探しながらやっていきたいなって思います」

 

いろいろ大変なことはあるけれど、「不思議と1秒も後悔したことはないんです」と辻さん。最後に10年後も20年後も役者をやっていると思いますか? と聞いてみました。

 

「やっていたらいいですね。でも、やれていなくてもいいです」と笑います。

 

えっ? そうなの? と思わず聞き返しました。

 

 

「例えば、5年後に今の仕事に満足しちゃって、パン屋さんがやりたい、って思ったら、パン屋さんをやっていいと思うんです。今できることをやるっていうことが大事かな」

 

頑張るんだけれど、固執しない。得たものを握りしめず、新たなものを得るためにあっさり手放す。その姿の軽やかなこと! 人は、キャリアを積み重ねながら生きるもの。そんな思い込みを見事に蹴っ飛ばしてくれたような気がします。常に新たな自分に出会い続け、昨日の私は今日の私とは違う。昨日の私は消えてなくなるかもしれないけれど、忘れられない存在として人の心に残る……。それが、辻さんの「透明感」という魅力の正体なのかもしれないと思いました。

 

Column / 一田さんの暮らしのひと手間

大雑把で三日坊主。片付けが超苦手な私が、あれこれ失敗した後に、やっと「これ」と選んだ収納グッズが「無印良品」のファイルボックスです。

 

「手前のものをどけて後ろのものを出す」というふうに、手間がかかると、「しまう」こと自体が面倒くさくなってしまいます。なので、ひと手間でポイと投げ込めることが大事。幅が狭く奥行きがあるファイルボックスは、アイテム別に分けてずらりと並べておけるのがいいところ。どこに何をしまえばいいのかが一目瞭然。さらに「中までは整理しない」と決め、多少グチャグチャになっても気にしません。

 

こうして「大雑把な私でもできる方法」を見つけると、部屋にものが溢れることがなく、「見えるところだけはとりあえずすっきり」をキープできるというわけです。片付け下手の方、ぜひお試しを。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト『外の音、内の香(そとのね、うちのか)』も主宰。近著に「日常は5ミリずつの成長でできている」(大和書房)
『外の音、内の香』https://ichidanoriko.com/

女優・モデル / 辻 千恵

1993年10月9日、佐賀県生まれ。「いちばん身近なおしゃれのお手本帖」をコンセプトとした『mer』のモデルとして活躍するほか、近年は映画やドラマ、CMなど映像作品に多数出演。近作は、映画『男の優しさは全部下心なんですって』『たまつきの夢』『はちみつレモネード』、テレビドラマに『閻魔堂沙羅の推理奇譚』(NHK)『スポットライト』(MXテレビ)『パレートの誤算〜ケースワーカー殺人事件〜』(WOWOW)
Instagram https://www.instagram.com/chie100009/?hl=ja
Twitter https://twitter.com/tjce1009

 

儲かってこそ広がる!SDGsビジネスアワード大賞受賞者が語る、ビジネスで世界を変える方法

2015年9月に行われた国連サミットでの「持続可能な開発のための2030アジェンダ」には17のゴールが設定され、2030年までのSDGs(持続可能な開発目標)が記されています。

 

この「SDGs」という言葉、最近よく聞きますよね。地球に良いこと、環境のためになること、多様性を認めるなど、なんとなくは理解しているけれど、実際にいま何が起きていて、自分はいったいどうしたらいいの? と途方に暮れている人も多いのではないでしょうか?

 

今回は、「SDGsビジネスアワード」で大賞を受賞した、フロムファーイースト株式会社の代表取締役をつとめ、『世界は自分一人から変えられる』(大和書房)の著者でもある阪口竜也さんに話をうかがうなかで、そのヒントを探りたいと思います。聞き手は、髪から爪先までフロムファーイーストのスキンケアブランド『みんなでみらいを』を愛用中という、@Livingでおなじみの“ブックセラピスト”、元木忍さんです。

 


『世界は自分一人から変えられる』
阪口竜也 / 大和書房

大学時代、DJになるためにフリーペーパーを立ち上げ、新卒採用で給与交渉! 美容業界に転身し、エクステ専門店で世界進出も果たして順風満帆な人生を送っていた著者は、さまざまな逆境や出会いを重ねながら、2010年には、使えば使うほど体と環境が良くなる商品をと開発した「米ぬか酵素洗顔クレンジング」が大ヒット、さらに2017年には「SDGsビジネスアワード」で大賞を受賞。行動力と勇気を与えてくれると、2017年の出版以降、多くの人に親しまれています。

 

“つまらない大人”ではいたくない

元木忍さん(以下、元木):『世界は自分一人から変えられる』は、2017年に出版された本ですが、知人に紹介をされて、読ませて頂きました。本の中で、阪口さんが幼い頃、「あんなつまらなそうな大人にはなりたくない」と思っていたと書かれていますが、大人になってみて、この日本にはどんな大人が多いと感じていらっしゃいますか?

 

阪口竜也さん(以下、阪口):残念ながら、今も「つまらなそうだな〜」と思う大人がいっぱいいます。ただ、これは社会構造が問題なんだと思うんです。学生の頃は、社会と接することのないコミュニティの中にいるから、つまらない社会構造に触れることはないけれど、大学生で就職活動をするようになると、「これが正解です」「あーしなさい」「こーしなさい」「これは間違いです」とルールでガチガチになった社会が登場するんですよね。「これはおかしいぞ?」と感覚ではわかっていても、その流れに乗らざるを得ない。乗ってしまえばルールの中からは逸脱しにくくなるので、なりたくなくてもつまらない大人へのレールに乗ってしまう社会構造になっているんです。

 

元木:社会構造のおかしな部分に疑問を持てたり、阪口さんみたいに「俺はこうするんだ!」と言えればいいんでしょうけど、ほとんどの人が「おかしいな〜」と思いながらもその中でしか生きられないと……。半ば諦めているのでしょうか?

 

阪口:「なんか違う」っていうことは本人もわかっているはずなんだけど、声を上げたり、変化することが怖いんでしょうね。おかしい部分を変えればうまくいくよって教えてあげたいです。

 

元木:本当に言えていないですよね……。そもそも、いつ頃からこういう社会構造になってしまったのでしょうか?

 

阪口:社会=経済という市場原理ができてしまってからでしょうね。いいものを食べて、いい洋服を着て、いい家に住むのがステータス。さらに、日本人には昔から安定志向があるから、貯蓄や財産が多いほうが偉いという価値観。残念ながら「自分がこうありたい」と言いにくい社会として大きくなってきたという背景がありますね。

大量生産・大量消費の現代に一石を投じるべく一念発起、2017年には並み居る大手企業を抑えて「SDGsビジネスアワード」で大賞を受賞した、阪口竜也さん

 

普段通りに生活をしているだけで環境が良くなる仕組み

元木:阪口さんご自身は、大学生時代にDJをやりたいからとフリーペーパーを立ち上げ、新卒採用でも「1年だけ働く」と条件付きで給与交渉までされたそうですね。このエピソードだけでもビックリしちゃいますが、そこから就職後、本当に1年で退職。最初にフリーペーパーの広告を出してくれた会社さんに転職し、エクステ専門店を立ち上げて、世界進出までされました。驚くほどのスピードで、すべてが順風満帆に見えますが、なぜ「世界を変えたい」と一念発起し、今の事業を始めたんですか!?

 

阪口:話だけ聞くと「どんな変なやつなんだ」って思われちゃいますけど(笑)、実は脈絡なく生きてきたわけではなくて、すべては繋がっています。よく「阪口さんだからできるんだよ」とも言われますけど、目の前にある選択肢を、「やる」か「やらない」か選んできただけのこと。元々、「世界を変えたい」って漠然と思っていましたが、今の事業はあるスピーチがきっかけで始めることになったんです。

 

元木:1992年「地球サミット」でセヴァン・カリス=スズキさんが行った伝説のスピーチですよね。私も記憶にあります。

 

学校で、いや幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、
・争いをしないこと
・話し合いで解決すること
・他人を尊重すること
・ちらかしたら自分で片付けること
・ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
・分かち合うこと
・そして、欲張らないこと
ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、自分たちはしているのですか?

(『世界は自分一人から変えられる』より)

 

阪口:このスピーチを知ったのは、2004年になってからなんですよ。当時からこのスピーチが「感動した!」とか「伝説だ!」って話題になっていたはずなのに、1992年から2004年までの約10年で世界が大きく変わったか? と振り返ってみると、むしろ悪くなっているじゃないか……と思って。「みんなはたとえ感動しても、行動はしないんだな」って実感したんです。だったら、何もしなくても普段通りに生活をしているだけで環境が良くなる、子供たちに地球を残せる、そんな取り組みをすれば世界を変えられるんじゃないか? そう考えて、「みんなでみらいを」の事業を立ち上げました。

 

ナチュラルコスメ「みんなでみらいを(minnade miraio)」の化粧品。無添加な上、排水口に洗い流された排水は微生物によって分解されるため、肌にいいだけでなく、地球環境にもいい。右から、「米ぬか酵素洗顔クレンジング」2310円、「米ぬか酵素洗顔クレンジング+クレイ」3850円、「椿と黒文字のスキンケアオイル」4180円、「米ぬか美容オイル」3850円(すべて税込)

 

元木:「普段通りに生活をしているだけで環境が良くなる」って、本当に素敵な考え方だと思います。だから「みんなでみらいを」にはスキンケア商品や洗剤など日常生活に身近な、毎日使う商品が揃っているんですね。

 

阪口:社会=経済の時代は、便利だとか早いとか楽とか、“モノにあふれた豊かさ”や“効率がいい生活”をすることが最高! とされていたので、その代償として環境は破壊されてしまったように思います。この「経済発展=環境破壊」の構造を、「環境保護=経済発展」の仕組みに変えなきゃいけないと考えるようにもなりました。

美容師さんを例にあげると、見習いの子たちの手ってシャンプーでボロボロに手荒れしているんですよ。これは「今すぐ、美しい髪が欲しい」という社会のニーズに応えるために、合成界面活性剤やいろいろな薬品を使って、企業がスピーディに見た目の美しさを求めた商品を開発した結果なんですよね。そんな人間の手が荒れてしまうようなものを毎日下水に流したら、川や海は汚染されてしまう……。さらに各家庭からも同じようにいろいろな薬品が自然界に流れてしまっていると思うと、100年後もこの地球があるって保証できないだろうと思ったんです。

 

元木:私も美容室と一緒に事業をしていたので、「どうして美容師さんはこんなに手が荒れてしまうの?」と思っていました。髪の毛を染めている液剤が悪いのではないかと少しは疑いがありましたが、地球にも悪いんだとあらためて気が付かされ、私も髪を染めるのをやめました。地球を汚してまで美しくなりたいって何でしょうね? そのあたりのことをきちんと理解しておくことも、とても重要なのではないかと感じました。

 

「SDGs」は企業にとって大チャンス!?

阪口:その価値観も、少しずつですが変わってきています。新型コロナウイルスで自粛せざるを得なくなったのもありますが、「白髪でもかっこいいじゃん!」とか「自然由来の毛染めしようよ」とか地球にも自分にも優しい方向になっていますから。10年前では考えられなかったことです。元木さんの白髪も素敵ですよ!

 

元木:ありがとうございます(笑)。私も「みんなでみらいを」の商品を愛用していて、全身に使っています。正直、髪を洗うときしむんだけど、ドライヤーで乾かすとつるんとして気持ちがいい。今までは、髪の毛がツヤツヤになるとかしっとりするのが善とされていましたが、そうするためにどれだけの添加物や薬品が使われてきたのか? って考えさせられます。

 

阪口:都合の悪いことは、企業は発信しません。“天然由来”って聞こえはいいけれど、石油だって天然物質。無添加でも、植物を育てる時にたっぷり農薬を使っていたらその残留物は表記されません。CMのナチュラルな雰囲気だけで商品を選んでいる人も、正直多いですからね。自分が使う商品なんだから、何が入っているのか? この成分はどういう意味なのか? どうしてこの添加物が必要なのか? 調べれば全て出てくることですから、自分で調べて、理解して欲しいです。 

元木:たしかに、私たちはいろいろな情報を鵜呑みにし過ぎていますよね。

 

阪口:ネットで検索すれば、それがどんな成分かはすぐにわかりますよ。いろいろな情報を自分で調べて、自分に合うものを見極めて、選んで、使うのが当たり前になって欲しいですね。最近は、その感覚がどんどん薄れているような気がしますし。

 

元木:自分の目を養うことはもちろんですが、メーカーも、環境に優しい取り組みをしたいんだけど……と思っているだけで、踏み切れないという企業も多いのかもしれませんね。

 

阪口:正直、企業は“やらざるを得ない状況”だと考えたほうがいいと思います。社会のニーズはすでに変化していて、全世界70億人の共通目標として2030年までに「これを達成しますよ!」ってSDGsを掲げているわけですから。世界中で国を挙げて、予算つけて大々的に取り組んでいて、SDGsに沿った活動をすればするほど企業価値が高まりますから、マーケティング視点から考えても大チャンス。「経済発展=環境破壊」の価値観でいる企業は、CSR活動で「やってますよ」とアピールするのではなく、SDGsに沿った新規事業を生み出すほうが効果的です。

SDGsは17のゴール・169のターゲットから構成されています。どんな企業でもひとつくらいは事業内容を見直したり、達成に近づける取り組みができるはずです。今までは、商品開発後「どうやってターゲットにリーチするか」を考えていたと思いますが、もうターゲットはSDGsで定められているので、ゼロから新規事業を考えるより圧倒的に効果を得やすいんです

 

元木:なるほど。全人類の共通目標がSDGsと思うとわかりやすい! 今までエコ活動や環境保全はボランティアな印象がありましたが、しっかりビジネスとして経済を回していくことが大切なんですね。

 

阪口:そうそう。これまでの価値観で考えると、CSRってコストがかかるでしょ? 僕自身も社会貢献だけなんてことはしていません。どうすればビジネスとして成立するかをしっかり考えてビジネスモデルを組めば、環境保護しながら儲けることは可能です。「中小規模の企業じゃ無理だよ」って声も聞きますが、むしろSDGsという共通目標があることで大企業と一緒に仕事を生み出せる可能性も秘めています。僕もSDGsを通じて身の丈以上の企業とやりとりしてきた実績もありますから。チャンスがいっぱい転がっているので、あとは自分の所属している組織で「何ができるか」を本気で考えて、行動するだけです。

 

何ができるかを考えて、あとは行動あるのみ。そんなモットーを、阪口さんはさまざまな分野で体現しています。ファッション、はたまた家まで!? 次のページで、くわしく話を聞いていきます。

SDGsに適う暮らしは誰もが「いいね!」と思う。それを行動に起こすこと

元木:阪口さんとお話していると、その“行動力”にも驚かされます。いい意味で少年のままというか(笑)、本当に「やる」か「やらない」かの判断がスピーディですよね。

 

阪口:ありがとうございます(笑)。地方自治体からも「うちの〇〇を使って欲しい」って声がかかるので視察ツアーに参加すると、ほとんどの参加者が「いいですね」で終わるんです。僕の場合は、そこで計算して採算が合えば「今、買うわ」って取引しちゃいます。

「みんなでみらいを」の中にある「椿と黒文字のスキンケアオイル」という商品も、石川県能登半島に椿があるけど何もしてないって言うから地元の人に摘んでもらって、椿オイルを抽出してもらうことにその場で決めたんです。でも能登半島にある椿だけじゃ商品化するまでにはちょっと足りなかったので、伊豆諸島の神津島の町長さんに「椿ある?」って聞いたら「ある」と。じゃあそっちも買うよ! と。半年で商品化することができました。

 

阪口さん(左)と、聞き手の元木さん(右)

 

元木:それはすごい(笑)。米ぬかの後は、椿オイルですね。日本の素晴らしいものを自然のまま商品化していくなんて、本当に素晴らしい。でも、一緒に働いている社員さんは驚かれないですか?

 

阪口:もう慣れてますね(笑)。それに、うちの社員はもちろん、一緒に取り組んでいる商社や百貨店、取引先もひとつのチームという感覚なんです。だって、百貨店だって僕の商品を扱うことで給料をもらえているわけですから。もちろん「みんなでみらいを」の商品だけを取り扱っているわけじゃないけど、一緒に盛り上げていこうよと思っています。

 

元木:チームで取り組むなんて最高ですね。これから阪口さんがやってみたいことはどんなことでしょうか?

 

阪口:衣・食・住に関わっていきたいです。ずっと化粧品をやりたいわけじゃないんです(笑)。化粧品のような生活消費財は、市場にも浸透しやすい、ニーズが高いということで始めていましたが、違う業界でもどんどんやっていきたいと思っています。「住」の話だと、今、自分で家を建てているんですよ!

阪口さんが新たに手がけているタイニーハウス

 

元木:え、家をですか!?

 

阪口:“タイニーハウス”って、DIYで作れるレベルの家です。国産木材を使って、土地さえあれば、材料費はたったの100万円で作れちゃいます。造りもしっかりしているし、自分でDIYするから愛着も出てきます。数年経って「あぁ〜ちょっとここが傷んでるなぁ」となれば自分で補修もできる。これをひとつのパッケージにして販売しようと考えています。

 

元木:なんと100万円! 最近では都内にいなくても仕事ができる時代に急に変化したので、この“タイニーハウス”は流行りそうですね! 友達とのシェア別荘にしても楽しそう。

 

阪口:いいですね。あと「衣」でいうと、パイナップルで作った靴を売り始めました。

ファッショナブルなバブーシュ。“ヴィーガンレザー”で作られていますが、その原料はなんと、パイナップルなのだとか! vegflow「babouche」1万5000円(税別)

 

元木:パイナップルには見えない!

 

阪口:でしょ? おしゃれなんですよ。サステナブルなファッションとして注目をいただき、おかげさまで発売以来たくさんの注文をいただいています。けれど、大量生産はしたくてもできないので、数量限定になってしまうんです。

 

元木:数量限定であれば、さらに価値がついて話題の商品になりそうですね。

 

阪口:そうですね。「食」についてもさまざまな企業さんと展開を進めていますが、サステナブルな企画って、誰が聞いても「いいね!」とか「やってみたい!」ってポジティブな共感を得られるんです。環境にも生物にも経済にもうれしい、まさに“三方良し”な世界に変えるためには、「すごいなー」「いいなー」で終わらせないことですね。僕でもやれているんだから、他の人もやればいいだけのことなんです。

 

【プロフィール】

フロムファーイースト 代表取締役 / 阪口 竜也

2003年、有限会社エクステンド(現フロムファーイースト株式会社)設立。2010年、エクステンション事業を売却し、作れば作るほど使えば使うほど体と環境が健康になる事業「みんなでみらいを」を運営。2009年 Entrepreneur of the year 2009のセミファイナリスト受賞。2014年よりカンボジアで「森の叡智プロジェクト」を開始。2015年パリ開催のCOP21で発表。2017年には、日本ではじめて開催された『第一回SDGsビジネスアワード』では、大賞を受賞した。
みんなでみらいを https://www.minnademiraio.net/

 

味付けのコツも! 家政婦・志麻さんが教える、家事を“楽しくラクする”10の秘訣

フランス料理店で料理人として働いたのち、家政婦に転身した、タサン志麻さん。スーパーで買える身近な食材でフランス料理が作れるという魅力的なレシピは、すでに多くのひとがご存知でしょう。

 

その志麻さんに、家政婦として1500軒以上もの家庭や台所を見てきた経験から、家事との上手な付き合い方を教えていただきました。料理を効率よく行うコツや調理道具のこと、買い物や掃除の仕方、そして食事への思いなどを通して、志麻さんの魅力をたっぷりお届けします。

 

作るときも食べるときも、楽しくすることが何より大切

↑タサン志麻さん。今回はご自宅にお邪魔し、献立の決め方から料理、キッチンの掃除にいたるまで、志麻さん流の家事の進め方、考え方についてうかがいました

 

志麻さんが、パートナーのロマンさんと2人のお子さん、2匹の猫たちと一緒に暮らしているのは、静かな町にある古民家。テレビ番組や雑誌などでの活躍も多くなりましたが、本業である家政婦の仕事を、変わらず大切にしています。そんな忙しい中でも、お子さんたちとの時間や家族の団らんを大切にしている志麻さんは、いったいどのように家事をこなしているのでしょうか?

 

「とにかくすべての根底にあるのは、“楽しく楽にする”こと。料理にネガティブな気持ちを持っている方や、大変だと感じながら頑張っている方も多いのですが、食べることって毎日絶対にやらなくてはならないことですから、本当は楽しく作れたらいいですよね。

 

大切にしてほしいのは、何よりもまず自分が心地よく生きられること。どうやったら家事が楽しくなるかな、って考えてみるといいかもしれません。我が家では一汁三菜ではなく、フランス流に大皿で出したものをみんなで食べるスタイルにしているので、作るのも食べるのも片づけるのも、とても楽なんですよ」(志麻さん)

 

1. スーパーはお肉と魚のコーナーに直行する!

↑スペアリブとレンズ豆の煮込み ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

実際に、志麻さんがどのような夕食づくりをしているかを伺ってみると、買い物の仕方から特徴的でした。

 

「自分が今日、何を食べたいかなって考えながらその日の買い物をするのが好きなので、できる限り毎日スーパーに行って、その日の分をその日に買います。おすすめの買い物の仕方は、入り口にある野菜コーナーを素通りして、お肉と魚のコーナーから見ること。今日はお肉の気分なのか魚なのか、お肉なら何がおいしそうで安いか……、そこが決まってから戻って野菜を見て、どんなものを合わせるか考えます。

 

もちろん買い物の仕方はそれぞれでいいと思いますが、食べたいメイン食材がはっきり決まってから他のものを見ると、そこに向かって買い物していけばいいので、迷いが少なくて効率がいいんですよ」(志麻さん)

 

↑食材のストックはほとんどしないそうですが、小さな玉ねぎは「煮込み料理にもグリルにも、小ぶりな玉ねぎを入れると見た目がかわいいから好き」という理由で、見つけると買ってストックしておくそう

 

2. メニュー名で考えず「食べたい食材+味」で決める!

↑タットリタン ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

メインに使う食材が決まったら、次はそれを“何味で食べたいか”を考えるそうです。

 

“○○風の○○煮込み”のようにメニュー名で献立を考えてしまったり、買い物の前にあらかじめ献立を決めてしまったりすると、使いたい食材が手に入らなかったときに切り替えしづらくなったり、慣れていないレシピだと、作っているうちに工程がわからなくなって調べなくてはならなかったりしますよね。とはいえ、知っているメニューしか作れなくなると、だんだんマンネリ化もしてきます。

 

「“何味がいいか”と考える方が、トマト、コンソメ、味噌、クリーム味と、楽にアイデアを広げることができますし、食材が変われば出てくる旨味も違うので、味も見た目もまったく違う料理にすることができます。

 

たとえば、肉じゃがの作り方を知っているとしたら、材料を鶏肉に変えてコンソメとトマトで煮込めば、まったく違う料理になりますよね。お肉を魚に変えてもいいし、じゃがいもと玉ねぎ以外の野菜を加えてもいい。素材と味付けの分だけバリエーションができるので、レパートリーは無限に広がっていきます。しかも、食材が変わっただけで作り方は肉じゃがと同じですから、楽に作ることができるんです」(志麻さん)

 

3. レシピ通りに作らないから料理が楽しくなる

↑イワシとじゃがいものセロリ風味 ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

手がけたレシピ本がすでに10冊以上にもなる志麻さんですが、実は「あまりレシピに縛られないでほしい」という思いを持っているそう。

 

「レシピはあくまでも、アイデアの提案にすぎません。人によって味覚は違いますし、今日はちょっと疲れているからしょっぱいものが食べたいな、というときは塩を強くする、というように、そのときの気分や体調に合わせて味付けを考えてほしいなと思っています。

 

実はそこを意識することこそが、料理を楽しくするポイントでもあるんですよ。レシピを見てその通りに計って作るより、自分でどんなふうにしようかなって、クリエイティブな頭を働かせて作る方がきっと楽しいし、思い通りにできあがったときにすごくうれしいんですよね。

 

また、和食は味噌にみりんに醤油にと、味を重ねていく“足し算の調理”なので、細かくて複雑な味が表現できますが、バランスをとるのがとても難しいお料理でもあるんです。一方、フランス料理は“引き算の調理”と言われていて、味付けにはほぼ塩しか使わないので、味の匙加減を整えやすいのがいいところ。きっとどなたにもおいしく作れると思いますよ」(志麻さん)

 

↑調味料棚もシンプル。塩は、粗塩とサラサラしたテクスチャーのものが2種類、砂糖は茶色いものとお菓子に使う白いもの

 

4. 塩で味付けなし! 志麻さん流「つけあわせ茹で野菜」の作り方

↑ホットサラダ ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

メインディッシュに添える茹で野菜は、塩を入れず、水だけで茹でるのが志麻さん流。メインで塩分を取るので、塩分過多にならないようにすることと、どの料理にも塩気があると、全体のバランスが重くなってしまうからだそう。塩気のあるメイン料理と、塩の入っていない茹で野菜を食べ合わせることで、全体の味のバランスがとれ、おいしく食べることができます。

 

ちなみに志麻さんが作るグラタンのホワイトソースも同じで、入れる具材は塩茹でしたり塩胡椒したりして味付けしますが、ホワイトソース自体には塩を入れないのが特徴です。上に乗せるチーズと具材の塩気の中に感じる塩分のないホワイトソースが、軽さとやさしさのある料理に仕上げてくれます。

 

5. 魚料理は金曜日! 志麻さん流 魚料理のアレンジの仕方

↑魚のソテー ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

日々のメニューに、魚の新しい食べ方を取り入れたいときはどうしたらいいか、相談してみました。

 

「南仏では魚介が豊富ですが、フランスの他の地域では金曜日は魚の日にしようって言われるくらい、あんまり魚を食べないんです」(志麻さん)

 

魚は、馴染みのない種類のものを扱うのが難しいので、レパートリーが増えていきづらいものですが、よく知っている魚の味付けを変えて食べてみるのが近道なのだそう。たとえば、焼いて大根おろしを添える食べ方が一般的なサンマも、オリーブオイルとニンニクとハーブで味付けをして焼いたり、バターで焼いてレモンとニンニクとクリームでソースを作ってみたり、味付けを変えるだけで新しい料理になりますよ。

 

続いて6番目の秘訣は? フランスの家庭では、鍋やフライパンごと出した大皿料理をみんなで取り分けていただくのが主流。ここには子どもたちへの食育、さらに食とコミュニケーションの関わりに対する考え方も反映されているようです。

 

6. 無意識に食べないようにする、大皿料理の良さ

↑ケバブ ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

フランスの家庭料理は、個々に盛り付けられたものを食べる和食とは違い、お鍋やフライパンごと出した大皿料理をみんなで取り分けていただくのが主流。ここには子どもたちへの食育的な考え方も含まれていました。

 

「盛り付けられたものを食べる方法だと、“自分のお皿にあるから食べる”だけで、どうしても食べることに無意識になりがちなんです。そうではなく、“食卓の上から自分が何をどのくらい食べたいか決めて自分の皿によそう”という行為が、食べることを能動的にするのだと思います。

 

“子どもたちにはこれを食べてほしい、もっとお肉ばかりじゃなく野菜も”とコントロールしたくなることもあるとは思いますが、子どもにだってその日の気分があるもの。栄養のことはその日のその食事だけで考えるのではなく、一週間でどのくらいどんな栄養が摂れたか、一か月ではどうか、という長期的な目で見てみるといいと思います。

 

毎食欠かさず野菜を何品目、ということに囚われすぎてしまうと、やっぱりそうできなかったときに苦しくなってしまいますよね。疲れた日はデリバリーに頼ればいいし、我が家でもそうしていますよ。栄養満点の食事でも、キリキリして作って急がせて食べるより、『もう今日は無理!』って潔く諦めて、何であっても楽しく食べられる方がいいと思いませんか?」(志麻さん)

 

7. オーブンから食卓までフライパンひとつで、洗い物を少なく

そんな志麻さん宅での夕食のメインメニューは、たとえばグラタンのようなオーブン料理やお肉の煮込み料理が定番。

 

調理に使う道具は、下ごしらえしたものをそのままオーブンにも入れられる、お鍋やフライパンのセット一式だけ。オーブン料理も煮込み料理も、できあがったものをそのまま食卓に出すので、洗い物がとても少なくて済むのです。

 

「グラタンや煮込みは手が込んでいると思われがちですが、実はオーブンとお鍋がほとんどやってくれるので、すごく簡単。オーブン料理は特に、焼きはじめてしまえば台所にいる必要もありません。付け合わせにするのは、先ほどお伝えしたように、さまざまな旬の野菜を茹でたもの。そのまま食べたり、好みのソースをつけたりしていただきます。副菜となると味付けしなくてはならないので手がかかるけど、茹でるだけなら楽ですよね。

 

子どもたちはそれにごはんも食べますが、わたしとロマンは食べないことが多いかな。パンを用意することもあります。お皿にソースを残すのはマナー違反だと、子どもの頃から教えられているフランスでは、お皿に残ったソースをパンで拭っていただく習慣があるんです。だから、パンがごはんの代わりに主食になるという意味合いではなく、お料理と一緒にちょっと食べるという程度の量なんですよ」(志麻さん)

 

8. 会話するために会う、食事する……フランスの暮らしに学んだおもてなし

ロマンさんが作ったイタリア風マカロニグラタン ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

フランスと日本の違いは、働き方や時間の使い方にもありますが、子育て世帯は100%共働きですから、フランスでも誰もが忙しいのはさほど変わりません。そんな中でも料理することや食べることを楽しめているフランスの家庭では、おもてなしの様子も違いました。

 

「日本でのおもてなしって、調理を担当する人はずっと台所から出てこられなくて、ひたすら料理を作っている、というイメージがありますよね。わたしもロマンを連れて実家に帰ったとき、母は全然食卓に来られないくらい忙しく料理をしてくれていました。もちろんそれが悪いのではなく、日本でのおもてなしはそういうものだと教わって生きてきたように思います。

 

でもフランスでは、喋るために会うのだということに重きを置いているんです。料理はオーブンに任せて、買ってきたハムなんかを食べながらワインを飲んで喋る、というスタイル。料理をしていてはせっかくのゲストとの時間が取れませんから、食べるものにこだわるのではなく、顔を合わせる時間を作ることにこだわる、という感じでしょうか。

 

また、フランス料理はどんな年齢の人でも食べられるようなメニューが多いので、赤ちゃんや老人のために別のものを用意することもほとんどありません。離乳食用に別のものをつくることもしません。みんなで同じものを食べるから楽しい、ということをあらためて実感できる文化があります」(志麻さん)

 

9. 調理道具をシンプルにしておくことが掃除の手間を省く

続いてお聞きしたのは、オススメの道具のこと。片付けの負担をなくし、調理をスムーズにするためには、道具を少なくするのがよいのだそう。

 

「フランスではお箸を使わないので、卵ひとつかき混ぜるにも泡立て器を出すという、道具の多い料理なんです。でも、日本にはお箸というとても便利なものがありますよね。かき混ぜるのも炒めるのもひっくり返すのも何でもできて、ちゃちゃっと洗うことができるので、わたしはお箸一本だけで料理しちゃいます。ナイフとまな板も、このセットひとつしか使いません。お肉を切ったり野菜を切ったりしながら調理中に何度も洗うので、小さい方が楽なんですよね。使う道具は極力シンプルな方が掃除は楽ですし、いろいろ置くと収納や片付けが大変になるので、必要なものだけ置いています」(志麻さん)

 

10.“汚れは溜めずに今すぐやる!”のがキレイを保つ秘訣

家政婦になったばかりの頃は、掃除の仕事が多かったという志麻さんが、さまざまなお宅を見ていちばん気になったのは台所の排水口だそう。

 

「なぜか排水口がぬるぬるしていて汚いまま、という方が多くて、あそこに物が落ちると汚いと思っていらっしゃるんです。生ゴミって本来は、野菜の皮などの“もともと食べられるもの”ですから汚いわけじゃないのに、放置してしまうから雑菌が増えて、ニオイが出たりぬめりの原因になったりしてしまうんですよね。

 

“今度やろう”と思っていると、汚れが落ちにくくなって掃除にも時間がかかるので、汚れた瞬間に拭いたり洗ったりしておくと、きれいな台所を保つことができます。料理中は三角コーナーやポリ袋を用意しておき、生ゴミをそこに溜めながら料理して、終わったら捨てる、というふうに習慣づけておくと、排水口も汚れないしゴミもまとめやすくておすすめですよ。我が家では大掃除もしないので、使ったらその都度掃除するようにしています」(志麻さん)

 

↑「我が家では毎日漂白しているので、中まですごくきれいです」という排水口。使ったら放置せず手入れする、が結果的に楽することにつながります

 

インタビュー中、終始「何でも楽しくやることが大事」と、話してくださった志麻さんの生活はシンプルで、とても温かいものでした。料理がつらいなと感じている人は、いったん今の方法を見直してみてはどうでしょう。何を作るか、どう片付けるかと考えるよりも、肩の力を抜いてその日できる範囲のことを無理なくすることで、家事の負担が減っていくのかもしれません。

この記事に掲載した料理の写真はすべて、『志麻さんちのごはん』(幻冬舎刊)からお借りしたもの。志麻さんが日々を綴ったエッセイとレシピの中に、料理を楽にするヒントがたくさん盛り込まれています。

【プロフィール】

家政婦 / タサン志麻

調理専門学校を卒業したのち、渡仏して三つ星レストランで料理人として働く。帰国後は老舗フランス料理店やビストロで働いたが、日本でのフランス料理の在り方に疑問を感じて退職、家政婦となる。料理人としての知識を活かして各家庭の食事作りをするうちに、やりたかったことはこれだと強く思うようになり、現在も家政婦として働いている。『沸騰ワード10』(日本テレビ系列)、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)の出演をきっかけに全国的な人気となり、この3年で10冊以上のレシピ本を出版。近著はエッセイを盛り込んだ『志麻さん式 定番家族ごはん』(日経BP社)。
https://shima.themedia.jp/

【関連記事】家政婦・タサン志麻さんに教わる“肩の荷が下りる”フランス家庭料理の極意
https://getnavi.jp/cuisine/344289/

 

20代女子のイマドキの生き方って? 清楚とロック、モデルとミュージシャン…「タカハシマイ」の2つの顔を“暮らしの編集者”が見た

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】
ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方
https://at-living.press/culture/14565/

 

人とは違う「私」になりたい。それが、人生の扉を開ける鍵────タカハシマイさん

「イチダさん、最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないんですよ」。え~!

「無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくんです」。ふ~ん。

「努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんです」。なんと!

 

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、わあ、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができるし、まだ見ぬ世界を知れば、新しい扉が開くかもしれない。そんな自分の中に眠っている可能性に心ときめかせたものでした。遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも、「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

 

でも、時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

 

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

 

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載を始めてみることにしました。

↑モデルであり、ミュージシャンでもあるタカハシマイさん(左)。たくさんの人の“暮らし”を取材してきた一田さん(右)の目に、マイさんの暮らし、そして生き方はどう映るのでしょう?

 

第2回は、バンド「Czecho No Republic(チェコノーリパブリック)」のシンセサイザー&ボーカル担当で、モデルとしても活躍するタカハシマイさんです。今回のインタビューの前に、私はまずYouTubeで「チェコノーリパブリック」の動画を見ることから始めました。「Forever Summer」「Baby Baby Baby Baby」「Hi Ho」。気づくと、見終わってからも、そのメロディを口ずさんでいました。なんて心地いい音楽なんだろう。今まで聞いたことのない調べなのにす〜っと体に入ってくる。そんな感じでした。

 

さらにボーカルとして歌うマイさんの愛らしいこと! 眉毛の上でパッツンと切った前髪。くるくる巻いた長いヘアは妖精のよう。どのシーンの洋服も素敵で、音、ファッション、映像、すべてがひとつになって、物語を紡いでいるようでした。でも……。画面から伝わってくるのは、そこに「意志をもって立っている」というマイさんの強さだった気がします。この人、いったいどういう人? 興味津々で取材の日を迎えたのでした。

↑「チェコノーリパブリック」では、シンセサイザーとボーカルを担当。4人のメンバーと共に独自の世界観で活動を続けている

 

「小さな頃から歌が好きだったんですか?」とまずは聞いてみました。「そうですね。もともとは幼稚園ぐらいのときに、SPEEDを好きになって、いつも歌って踊っていました。思春期になっても、音楽をやりたいっていう気持ちはずっと変わらずにありました。洋服も好きだったので服飾の世界もいいな、という思いもありましたけど、『歌手になりたい』っていうのが、小さな頃からの夢でしたね」と教えてくれました。

 

洋服への興味はどこから生まれたのでしょう?

 

「5歳年上のいとこのお姉ちゃんがいるのですが、その影響ですね。私が中学生の頃、お姉ちゃんはロングヘアを赤茶色に染めて、ブワ〜ッと広がるパーマをかけてきたんです。そのヘアスタイルに古着を着ていて、それを見た時に『めちゃくちゃかわいい!』って思ったんです。ほかにはいないような珍しいスタイルで、なんて個性的なんだろうって。その個性的な感じが、私にはツボだったんですよね」。

 

つまり、「人と違う」ということに強烈に惹かれたということ。ここが、私の若い頃とは大きな違いでした。まだ自分が何者でもなく、どう生きればいいかもわからない時代。優等生だった私は、「みんなに認められるいい子」になろうとしていました。つまり、「王道」の真ん中を歩くことを目指し、「レールから外れないように」と生きていたってこと。マイさんと真逆です。

 

人と違う自分でいる、というには強さが必要です。「私はこれでいい」と自分で自分を信じられなくてはいけませんから……。マイさんは、そんな強さをどうやって手に入れたのでしょうか?

 

「うちは父子家庭で、父方の実家で兄と、おじいちゃん、おばあちゃんと5人暮らしでした。小さな頃から父に対しての不満があって……。すごく厳しくて、みんなより門限が早いとか、お泊まりがダメとか。そういうものに対する反抗心が、『人と同じはいや』という方向へいったのかもしれません。今は父へのいろんな感情は一周まわってわかるようになりましたけど」

 

今回お話を聞いて、この「誰かとかぶりたくない」という気持ちが、マイさんの中で、扉を開く“鍵”となっていることを知りました。まずは、あのお姉さんの個性に憧れて、古着に目覚めたマイさん。中学生の頃から1人で電車に乗って、埼玉から原宿へ、古着を探しに通うようになります。「そこで、ヴィンテージという世界があることを知って、本屋さんで毎月雑誌『Zipper』を買うようになりました」。

 

1993年に創刊された『Zipper』は、“みんなと同じスタイルは『NO』!”がそのコンセプトでした。まさにマイさんの当時の心とぴったりと重なったというわけです。

 

「街の素敵な女の子」が主役のウェブマガジン「mer」にも、たびたび私服コーデで登場。古着と新しいものをミックスさせるのがいつものスタイル。

 

ちょうどその頃から、ロックバンドに目覚めたそう。「それまでは、普通に『モーニング娘。』とかが好きだったし、いわゆるテレビで活躍しているアーティストを聞いていたんですが、中学生頃からバンドミュージックを聴くようになりました。友人のお姉ちゃんが軽音部だったので、いろいろ教えてもらって……。その頃出会って衝撃を受けたの『銀杏BOYZ』でしたね」

 

本格的に音楽をやりたいと、高校は軽音楽部があるところを選び、バンド活動を始めました。高校卒業後も、「音楽をやる」と決め、あえて就職しなかったと言いますから、その思いの強さに驚きです。そして、ひとりで上京。
そのことから、プロになるつもりだったの? と聞いてみました。

 

「なるだろうな、なれるはず! と思っていて、軽い気持ちで出てきちゃったかな」と、明るく笑います。

 

就職しない、ということはミュージシャンとして食べていくということ。もし、なれなかったら……。もし食べていけなかったら……。根がネガティブ思考の私は、心配や不安の方が先に立って、きっと自分の夢は後回しにしてしまったはず。

 

「どうやってでも生きていけるだろう、っていう気持ちでした」と語るマイさん。
ネガティブ思考はあんまりない人なの?と聞くと……。

 

「まったく。1ミリもなかったですね」と大笑い。

そのポジティブさは、どこからくるのでしょう?
「どうしてだろう〜? 昔からよくも悪くも楽天的すぎて(笑)あんまり落ち込んだりもしないし、どうにもでもなるさっていう気持ちが大きいです。おじいちゃんとおばあちゃんが『好きなことをやりなさい』って育ててくれたからかな」

 

 

こうして、厳しかったお父様には内緒で家を出て、当時つきあっていた彼の家へ。ある意味、後先考えずに走り出すことで、マイさんは運命の扉を開けたよう。あの古着を見に行っていた原宿で、当時たびたび雑誌のスナップ写真を撮られ、憧れの雑誌だった『Zipper』に掲載されるようになっていました。プロフィールに「音楽をやっています」と書いたところ、なんと、それを見た大手音楽事務所から連絡があったと言いますから、その強運っぷりには驚かされます。「『歌を聴いてみたいです』って言ってくださって。それで、次の日に会社に行って歌ったら、養成所に入ることになりました」

 

ところが……。デビューの入り口が見えかけたところでマイさんは踵を返してしまいます。「私の才能が追いついていないこともあって、なかなか思うようにいかなくて……。求められることと、やりたいことに誤差が生まれて、もう無理……とやめることにしたんです」。
そのまま所属していれば、プロになる道がより近くなったはず。なのに「何かが違う」という自分の違和感を優先したなんて! 迷いはなかったんですか?と聞いてみました。

 

「かなりありましたね。何よりも大手音楽事務所に所属したことを家族がすごく喜んでくれていましたから……。でも、友人たちは『それって、本当に好きなことなの?』『自分が好きなことをやった方がいい』って言ってくれました。私、これは好き、これは嫌いというのが、昔からはっきりしていたんだと思います」。

 

 

ちょうど養成所に通い始めた頃、マイさんにはもうひとつの出会いがありました。それが現在所属しているバンド「チェコノーリパブリック」。

 

「友達と同じバイト先に、ボーカルの武井優心さんがいたんです。武井さんが、女性のコーラスを探していて、友達が紹介してくれました」。すでにあるグループに、あとから一人入る、ということは、なかなかハードルが高いもの。

 

当時、モデルの仕事も始め、少しずつ雑誌での露出も増えていたマイさん。「最初の頃は、バンドのイメージ的に『モデルがメンバーに入った』ということが、なんだか軽いイメージがして、バンドにとってマイナスになるかもって思ったんです。でも、メンバーがモデルとして私を知ってくれている人が、チェコを聴き始めてくれるかもしれないし、そうしたら新規のお客さんが増えるかもしれないって、言ってくれて。最初はライブに出ても、あんまり目立たないようにしていたこともあったんですが、「私が入ったことで、少しでもよくなった、ってみんなに思ってもらわなくちゃ!」って燃えました(笑)。徐々に私が歌う曲が増えていって、時が立つにつれて、ちゃんとメンバーとしてちゃんと認識してもらえるようになったかな」

 

大手音楽事務所を辞めて、バンドに入って、そこでも自分の出し方を試行錯誤して……。この経験を経て、マイさんの中で大きな変化がありました。「私が! 私が! っていうのがなくなりました。バンドとしてよくなっていけたらいい。それを第一に考えられるようになったんです。たぶん、あの挫折がなかったら、今も『私が!!』って生きていたと思います(笑)。時間はかかったけれど、今が一番自分を取り戻している気がします」

 

有名になることと、いい音楽を作ることは違います。でも、この区別をきちんとすることが難しいもの。ともすれば、「こんな音楽を演れば、有名になれるかも」と考えてしまいがちだから。人生の節目で、マイさんはちゃんと「自分が本当にしたいこと」の声を聞き分けられる人でした。そこがすごいなあと思うのです。

 

私は、フリーライターとして駆け出しの頃、食べて行くために、好きじゃない仕事もずいぶんやったなあと思い出します。インテリアや暮らしが好きだったのに、その路線一本では食べていけなくて、「東京のラーメン屋さん特集」だったり、「〇〇県遊び場ガイドブック」的な仕事もたくさんやりました。やっと自分の好きな路線だけで書いていけるようになったのは、40歳をすぎてからだった気がします。

 

「やりたいこと」を手にするためには「下積み時代」があって当たり前。そう考えるのは、もはや古い思考回路なのかもしれないなあと思いました。がまんして、やりたくないことをやって自分を消耗しないように……。人は、「やりたいこと」だけに向き合っていたら、自分のエネルギーを不完全燃焼させることなく、本当の自分のために効率よく燃やすことができるのかも。

 

「今、自然体でありのままの気持ちで音楽ができているなって感じるんです」とマイさん。

 

 

実は今年、マイさんは自身のブランド「ELLA CANTARIA(エヤ カンタリア)」を立ち上げました。ディレクターとして、作りたい服を作った経験はそれは楽しかったそう。「エヤ カンタリア」とは、スペイン語で「彼女は歌うだろう」という意味。まとうだけで清々しい気持ちになり、思わず歌い出したくなる……。そんなスタイルを提案しています。

 

さらに、たくさんのプライベート写真とともに、自分で文章も綴ったZINE第二弾「what’sタカハシマイ」も発表。次々に自分発信の場を広げています。

 

「正直なところ、今はモデルというよりも作り手でありたい、という気持ちが大きいんです。例えばライブ中に着る服など、身に纏うものにすごくこだわりが強い。私は自分を表現することが好きなんだなあって思いますね」。

 

↑等身大のマイさんの魅力がぎゅっと詰まったZINE。写真のセレクトから文章まですべてを自分で手掛けた

 

↑しなやかでいて、凛とした強さも秘めている。そんな心豊かな女性像をコンセプトにマイさんが立ち上げたブランド「ELLA CANTARIA」

 

もうひとつ、大きな変化がありました。それが、「チェコノーリパブリック」のリーダー、武井優心さんとの結婚! 何か変わりましたか? と聞いてみると……?

もうひとつ大きな変化がありました。それが、「チェコノーリパブリック」のリーダー、武井優心さんとの結婚! 何か変わりましたか? と聞いてみると……。「う〜ん、より自由になったかな。結婚したことによって、自分を素直に出せるようになって、より身軽になった気がします。ともに歩んでくれる人がいるっていう安心感があるから、より羽ばたける感じがあるんです」。

 

それでも時には喧嘩をすることも。「キ〜ッて怒ることもしょっちゅうなんだけれど、あとで後悔して、『いつも優しい気持ちでいよう』って思うんですよね。今回新型コロナウィルス感染症で、バンドの活動もなかなかできなくて、ずっと苦しい沼にはまっているような精神状態でした。最近やっと配信ライブとか、光が見えはじめたところ。彼と一緒に落ち込んでしまうと、どんどん暗くなってしまうから、私が笑っていればいいんだ!と思うようになりました。そうしたら彼の落ち込みが和らぐってことに気づいたんです。だから、私は常に明るくいればいいんだなって思います」

 

↑昨年7月7日「チェコノーリパブリック」のリーダー武井優心さんと結婚。この写真は結婚の報告と新年の挨拶のために撮影したもの

 

↑家族は、武井優心さんと愛犬のサンちゃんとの、二人と一匹

 

↑武井さんが作ってくれるという朝ごはん。納豆と、刻んだ野沢菜、たくわんなどを刻んでご飯にかけた新潟の郷土料理「きりざいめし」

 

最後にこれからのことを聞いてみました。

 

「やっぱり自分らしく生きるのがいちばんだなって思うんです。結婚したこともあるのか、今、いろんな気持ちが変わり始めているんですよね。モデルとして表に立つより、作り手でありたいとか……。そして、女性として強くありたい。凛として、でも優しさを持ちながら、強く生きたいですね」

 

食べられなくなったらどうしよう? とか思わない? ネガティブな私がそう聞くと「まったく思わないわけでもないけれど、食べるために仕事するんじゃない。今はそういう気持ちで動きたいと思っています。ひとつひとつの仕事って、『やりたいからやる』って思わなかったら、その気持ちが伝わってしまう気がするんです。それってなんだか失礼だなあと思って……。昔だったら『お金になるからやろう』と思うこともあったけれど、今は、本当にやりたい仕事だけ、気持ちを込めてやりたい。そうすれば、自然に道は開けていくはず。それを信じていたいと思います」。

 

未来のことを計算せず、上手くやろうとしない。そして、自分の好き嫌いに正直になれば、「やりたいこと」に向き合う純度が高まって、自分自身の力をよりストレートに発揮できる……。それが、今回マイさんに教えてもらった「イマドキ」の生き方でした。人は、いろんなことを心配しすぎて、自分という「筒」を「不安」というモヤモヤで詰まらせてしまうのかもしれません。そんな“不純物”をきれいに掃除して、「筒」の通りをよくし、自分の中にある「本当のこと」とダイレクトに結べば、きっとできる! 自分を信じること、ピュアであることの強さを、私も手に入れてみたいと思いました。

 

Column / 一田さんの暮らしのひと手間

毎日の掃除では、「ラクして使える道具」を手に入れることが大事。いい道具に出会うと、掃除がグンとラクになるので、「あ~あ、いやだなあ~」と思うことが少なくなります。道具選びのポイントは、手間がかからないこと。そして汚れがよく落ちること。

 

私が床の拭き掃除に使っているのが、「イーオクト」の「MQ Duotex」というプレミアムモップ。

 

ペーパーを使ったフローリングワイパーもいいけれど、水拭きするとびっくりするほど気持ちいい! でも、いちいち雑巾で拭くのは面倒……。そんな時にこれが1本あるだけで、すいすい掃除ができます。マイクロファイバークロスのモップは、汚れをギュッギュと拭き取ってくれて、しかもマジックテープで着脱できるのでラクチン。

いい道具を手に入れることは、家事の心への負担を軽くしてくれます。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト『外の音、内の香(そとのね、うちのか)』も主宰。
『外の音、内の香』 http://ichidanoriko.com/

ミュージシャン・モデル / タカハシマイ

1992年3月26日、埼玉県生まれ。バンド「Czecho No Republic」でシンセサイザー、ボーカルを担当。2013年に日本コロムビアよりメジャーデビュー。テレビ東京『音流~ONRYU~』でMCを務める。今年6月に最新アルバム『DOOR』をリリースしたほか、12月9日にはファン投票によって収録曲を決定するベストアルバム「Czecho No Republic 2010-2020」のリリースが決定している。
Czecho No Republic http://c-n-r.jp/


Czecho No Republic『DOOR』

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

自衛隊の訓練中は脳内で「ガメラ2」を再生? ――激レアさんの自衛隊での日常がレアすぎる。

テレビ朝日「激レアさんをつれてきた。」で、「ただムッキムキになりたいだけでフランス外国人部隊に入った激レアさん」として出演し話題となった大仏見富士(おおふみ・とし)さん。彼の自衛隊時代の日常を描いた『自衛隊入隊日記 完全版』(学研プラス・刊)8月7日に発売された。自衛隊を経てフランスの外人部隊に入隊し、その後自伝エッセイの出版という、激レアな経歴をお持ちの大仏見さんにお話をうかがった。

 

 

工場のバイトから自衛隊へ

そもそもの始まりは、留学資金を貯めようとして始めたバイトだった。1日12時間、目の前に流れてくる部品に電動ドライバーでネジを留めていくという仕事だ。

 

「3Dグラフィックが全盛期だった時代、美術の短大で本格的に学んでからアメリカに留学しようと思っていました。そして、費用を貯めるのにとある工場でバイトを始めたんです。「1年に200万貯まる」なんて書かれていたんですが、実際は全然だめでした」

 

そういう生活が2年続いた頃のある日、大仏見さんは決断する。

 

「衣食住費も全部払ってくれますし、給料を全部小遣いにできるので自衛隊に行ってみようと。小学校の頃からさまざまな武道をやっていて、身体はできているので大丈夫かなと思いました。それがきっかけです。まず、お金を貯めるためでした」

 

決断したら、すぐに実行する。大仏見さんはとにかく、まず体が動くタイプの人のようだ。

 

「あまり深く考えません。とにかくやってみる。僕の根本的な人生の哲学は、「死ぬ間際に後悔する人生はいやだ」ということなんです。やりたいと思ったらやってみる。死ぬ間際に、あれやりたかったこれやりたかったって思いたくないんです」

 

教習用のクルマは20人乗りのトラック

人生を決定づけるような重大な決断の理由は、往々にして意外なほどあっけないのかもしれない。ともあれ、自衛隊生活が始まった。自衛隊という世界は当然ながら一般社会と違う側面がある。それを端的に示すエピソードを紹介しておきたい。

 

「自衛隊って教習所の基地があるんです。教官は資格を持った自衛官です。僕が人生で最初に運転したクルマは、後ろに20人くらい乗れるトラックでした。教習は全部これでやります。厳しくて大変でした。プラスチックのヘルメットをかぶって運転するんですが、坂道発進を失敗しようものなら、教官のシートの下にジャッキが置いてあって、それでいきなりヘルメットを叩かれます。

 

自衛隊特有の教習でトラックで道なき道を行く山道の運転もありました。もう、ひっくり返っちゃうようなものすごい角度の坂を降りろって言われるんです。あと、夜中にライトを消して運転ということもありましたね。本当に暗くて何も見えないところを走るんです。ちなみに教官は暗視ゴーグルを着けてました」

 

 

「ガメラ2 レギオン襲来」を脳内再生して乗り切る

もちろん、辛い訓練もあった。たとえば12時間ぶっ続けの行軍訓練。こんなに辛い訓練をどうやって乗り切ったのか?

 

「行軍は長い時間続くので、ヤバくなったら頭の中で映画をオープニングから再生します。それで現状を忘れられるんです。辛さを忘れて、今ある感覚を全部ゼロにしちゃうことができるので。12時間歩かなきゃならないんですが、その前に映画の見だめをしておいて、頭の中で6本くらい再生するんです。

 

行軍中は何も考えなくていいんで、ずーっと再生することが可能です。工場勤務の時もできていた気がします。だから12時間ネジを止めるだけの作業にも耐えられたんだと思います」

 

『自衛隊入隊日記 完全版』はビジュアルな文章が多い。その理由がわかったような気がした。ちなみに、本当に辛い時に再生したのはどんな種類の映画だったのだろうか。

 

「脳に入ってきやすいので特撮映画が好きですね。高校の時に『ゼイラム』(雨宮慶太・監督/1991年・公開)と出会って、特撮の道を目指そうと思ったくらいです。特撮好きになったのも「ゼイラム」がきっかけでした。僕のマスト作品は『ガメラ2 レギオン襲来』(金子修介・監督/1996年・公開)で、訓練中もよく脳内再生していました」

 

脳と体、それぞれの働きを分離させるという言い方が正しいだろうか。

 

「僕がなんで自衛隊の訓練に耐えられたかというと、何も考えないようにしたからです。無の境地というか。時間が解決してくれるだろうということです。どんなにつらい時でも時間は過ぎていくし、それで解決できるだろうという考え方です。あとはもう、何も考えない。そういうことをやって、どうにかこう、自衛隊でも褒められるような成績を残してきたということがあります」

 

自衛隊時代のエピソードについてはぜひとも本書を読んでいただきたい。「入隊初日は戦闘服への名札の縫いつけで流血騒ぎ」「トイレ掃除の後に待っていたのは恐怖の上長チェック」など、あまり知られていない自衛隊の日常が満載である。

 

 

フランス外人部隊への留学(?)と意外過ぎる帰国のきっかけ

 

そして、大仏見さんはここからさらなる驚異の選択をする。自衛隊を辞め、フランスの外人部隊への入隊を決心したのだ。

 

「自衛隊は、軍隊の色が薄いんです。本分は災害派遣で、周りの地域の人たちを助けることに重きを置いています。『本当の軍隊とは?』ってちょっと興味を持ち始めて、自衛隊とはやっぱり違うなと思いました。じゃあ自分が行ける軍隊ってなんだろうって考えていた時、同僚がフランスの外人部隊に行きたいと言っていて、フランス大使館から資料を取り寄せていたんです。それを見て、フランス語も学べるし行ってみようかなという気になりました」

 

そして、親には“留学”と言ってフランスに渡ってしまった。入隊した最初の4か月の訓練は自衛隊とは種類の違った辛さがあったという。

 

「体力というよりもメンタル面ですね。精神的にかなり追いつめられます。上官に罵倒されたり、ちょっと何かできないと仲間に笑われたりとか。お互いが協力し合うというスタイルではありません。自分がいかに強くなるかが大切な世界でした。自衛隊では、いわゆる共存共栄で仲間を大事にするという世界で生きてきたので、ギャップのすごさに悩まされましたね」

 

同僚は旧フランス領のアフリカ諸国の人たちが多かった。日本人も中国人もいたが、それぞれ目的は違ったようだ。

 

「割合としては、8割がアフリカから来た人たちです。アフリカ諸国とフランスの物価にものすごい差があるんです。軍は、正式には5年間いなければなりません。彼らは5年働くと、国に帰ったら家が2軒建つそうです。

 

外人部隊は5年間続けて辞めることができて、その時に永住権を手に入れられるんです。この永住権が目当ての人も多いですね。永住権を手に入れたら家族を呼び寄せて、フランスで商売を始めるんです。だから、そういう人は最初の4か月を終わると、なるべく体力を使わない部署である糧食班(食事を作る係)への配属を希望するんです

 

そして、外人部隊でも違和感が生まれる瞬間が訪れた。

 

「私が配属された駐屯地は、コートジボワールの大統領選挙に関連する平和維持活動のために多くの兵士が派遣された後でした。基地はほとんどガラガラで、やることと言ったら本当に雑用ばかりで、門番とか、偉い人が食事をするレストランのボーイもさせられました」

 

やがて疑問が生まれ、大きく膨れ上がっていく。

 

「基本的にはバイトみたいなことをさせられたので、これは何か違うな、と思ったんです。もちろん戦争したかったわけじゃありませんが…。で、そのゆるさもあって、こんな生活だったら日本に帰ったほうがいいんじゃないかなと思ったんです」

 

次のような情景、ちょっと想像してみていただきたい。もちろん舞台はフランスだ。

 

「ある週末、駐屯地の中を歩いていたら、どこかから『千と千尋の神隠し』のテーマが聞こえてきたんです。「呼んでいる~」って聞こえてきて、「フワァァー!! 誰が聞いてんのこれ?!」ってなりました。これは日本に帰れということに違いないと思ったんです。日本に帰って勉強し直して、やりたかったことをやらなきゃだめだ。そう言われているような気がしました」

 

大仏見さんは日本への帰国を決意して外人部隊を脱走する。その後、自衛隊とフランス外人部隊で貯めたお金でアメリカへ短期留学~日本に戻って専門学校へ入学と、振れ幅がありすぎる人生を送っていまに至っている。

 

 

あふれる自衛隊愛

波乱万丈な人生を送ってきた大仏見さんだが、そもそも自衛隊での経験を本にまとめようとした背景には、どんな思いがあるのか。

 

「自衛隊に関する情報は世間にほとんど出ていません。あったとしてもミリタリー図鑑みたいなものでしか知ることができません。自衛隊=戦争という極端な図式を思い浮かべる人がいますが、実際は入隊の動機も転職で困ってとか、そういう人が結構多かったりするといった、普通の人が普通に生活している世界でもあるという事実を伝えたかったことがあります」

 

自衛隊の意義に関しても、体験者ならではの言葉には独特の重みがある。

 

「私が横須賀の基地にいた時、行軍訓練で山まで歩いていくんですが、お年寄りの方々が通過する時に会釈してくださるんです。すごくありがたくて、それだけで頑張れたところもあります。国民の応援で力が発揮できるんです。辛い訓練もありますが、困っている人の力になれなければ自衛隊である意味がありません。自分の力がダイレクトに誰かのためになるという感覚がすごい馬力を生み出すんです」

 

そして今でも、自衛隊に対する愛情は尽きることがないようだ。

 

「自衛隊では、100%力を出し切った後さらに出すことができるんです。身近の誰かのためということです。日本は災害が多いので、そっちで頑張れる、誰かのためになれるということで、本当にエネルギーが生まれました。自衛隊では苦労した気持ちがしません。もちろん辛いっていうのはあるんですが、やり遂げられたっていう充実感が毎日あって。辞めた後悔ばかりしてます。いればよかったなって(笑)」

 

1日12時間シフトのネジ留めのバイトにしても、自衛隊や外人部隊への入隊にしても、大仏見さんはとにかく行動の人である。そういう人が脳内映画リピートを通して培ったリリックでビジュアルな文章で綴られたのが、『自衛隊入隊日記 完全版』。純粋で上質なエンターテインメントとして楽しめる1冊だ。

 

 

【書籍紹介】

自衛隊入隊日記 完全版

著者:ロボットマナブ、大仏見富士
発行:学研プラス

Kindleのベストセラーが新エピソード&描き下ろし4コマ漫画を加筆して完全版に! 読みやすくどこかやさしい文章が大好評! 工場勤務の22歳の若者が突如自衛隊に入隊、厳しくも愛にあふれる自衛官のリアルが感じられる自伝的青春小説

kindlleストアで詳しく見る
楽天Koboで詳しく見る
bookbeyondで詳しく見る

 

 

 

 

アナウンサーから女優へ。母・野際陽子が娘へ遺した言葉とは

あの野際陽子さんを母に、千葉真一さんを父にもち、自身も役者として活躍する真瀬樹里さんにインタビュー。

 

“役者一家”と聞けば、とても華やかなイメージがあるものの、実際の家族関係はどうだったのか? 母親からどんな影響を受け、どんな言葉をかけられて育ったのか? 母・野際陽子さんの生涯と素顔を綴った著書を出版したいま、あらためて振り返って語ってもらいました。

女優 真瀬樹里さん

1994年に映画「シュート!」でデビュー。2004年にはクエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビルVOL.1」に出演し、殺陣指導も行うなど映画界のアクションシーンに貢献。その後もテレビドラマ・映画・演劇などで活躍し、2017年10月にスタートしたテレビ朝日帯ドラマ劇場「トットちゃん!」では、母である野際陽子さん役として出演。野際陽子さんの生涯と素顔を綴った著書『母、野際陽子 81年のシナリオ』(朝日新聞出版)を出版。
https://twitter.com/jurimanase

 

役者一家に育ち、自然と役者を志した幼少期

「真瀬さんが書いた『母、野際陽子 81年のシナリオ』、読ませてもらいました。野際陽子さんって、クールで聡明な女性というイメージだったから、あまりの天然ぶりにビックリです!」

 

「私の母はとにかく、人を楽しませたい、笑わせたいという人。クールとはかけ離れた、ひょうきんな女性でした。トーク番組ではそういったひょうきんな一面も見せていましたが、視聴者の方からするとドラマで演じた母親のイメージが強いのでしょうか。役柄と実際の母を重ねると、コメディを演じているときのほうがずっと、素に近いくらいでした(笑)」

 

「本当にいろいろな役を演じていらっしゃいましたよね。 そんな名女優を母に持ち、父は名俳優の千葉真一さん。役者一家に育ったわけですから、真瀬さんが役者を目指したのも自然な流れだったんでしょうか?」

 

 

「物心がついたときから、将来の夢はずっと役者でした。幼いころから父や母に連れられて撮影現場にお邪魔して、芝居をいろいろ目にしていました。だから芸能界という華やかな世界への憧れというより、もっと素直に『役者って楽しそう! 私もやりたい!』という思いでしたね」

 

「親の背を見て子は育つ”なんて言葉があるけれど、真瀬さんが役者を目指したきっかけも、まさにその通りだったんですね」

 

「ところが、当時の母はそれに猛反対。私がどんなに強く『子役をやりたい!』と訴えても、『ダメ! 芝居を仕事にするのは高校を卒業してから』の一点張りでした。普段はひょうきんな母ですが、意志の強い女性でもあります。だから反発するなんて、もってのほか。5歳のときから、役者の道しか考えられないと思っていた私からすれば、抑圧されている感覚です。『どうして許してくれないの?』と思い悩み、その気持ちすら満足に伝えられない。泣いてばかりの思春期でしたね」

 

「ひとりの母として、学業を優先させたかったのかもしれませんね。私にも娘がいるから、野際さんの気持ちが分かる気がします。もちろん自分も子どものころは、お母さんに反発していたけれど(笑)」

 

「私が子どもだった当時は、子役がなかなか大成しない時代。今でこそ、子役からこの世界に入って成長し、大人の俳優になる方が多くいますが、当時は違いました。そこで母は、私の将来を思って『役者の仕事は高校卒業後から!』と言って、学業を優先するようにしてくれたのかもしれません。おっしゃる通り、親心からだったんですよね」

 

「そして真瀬さんは、大学在学中に役者デビュー。高校卒業後、すぐに夢を叶えたわけですね! デビューが決まったとき、野際さんはどんな言葉を掛けてくださったんですか?」

 

「特にお祝いの言葉はなく、『まずは現場を見てきなさい、経験を積んできなさい』とだけ(笑)。若いうちから仕事を始めることに反対していた母ですが、役者になりたいという夢そのものは応援してくれていました。私が中学・高校と所属していた演劇部の舞台についても、『台詞はこう発声しなさい』と実践的なアドバイスをくれましたし。そして、何より感謝しているのが、たくさんの習い事をさせてくれたことです」

 

 

「そうでしたね! バレエをはじめ、水泳にスキー、ピアノやエレクトーンにヴァイオリン、さらに書道も習っていたとか」

 

「実はそれも一部で、もっと多くの習い事をしていたんです。役者の仕事を禁じられていた幼い私にとって、習い事が心の拠り所でした。役者の養成所に入ると、歌や踊りのレッスンがありますが、『私は同じことを、もっと専門的に学べているんだ』『この頑張りが、いつか役者の仕事につながるに違いない』と、自分に言い聞かせていました。その結果、特技が多いということが私の特技と言えるようになりました(笑)。殺陣をやっていたことが『キル・ビル VOL.1』での殺陣指導や出演につながりましたし、もしピアニストの役が舞い込んだとしても、リアルに演じられる自信があります」

 

「小さいころの努力が、いつか仕事につながる。この言葉は、将来の夢が役者でなくとも言えることですね!」

 

ここまでのまとめ

役者をするお母さんの生き生きとした姿を見て育った真瀬さん。ところが、幼いころは子役活動を許されず、抑圧された子ども時代を過ごしたというのは意外でした。けれど、その子ども時代に頑張り続けた習い事が、真瀬さんの役者人生を今支えているとは、やはり何事も無駄にはなりませんね。

 

親が生き生きとした姿を見せること、そして習い事を続けることの大事さを学んだところで、ひとまずブレイクタイム。野際さんと真瀬さんの“母娘の恋バナ”から、野際さんの逝去から少し経った今だからこそ話せる秘話まで、つづきはGetNavi web本サイトで。

 

【書籍紹介】

『母、野際陽子 81年のシナリオ』真瀬樹里(朝日新聞出版)

 

参ったなぁ……と、いつも困っている「参田家(まいたけ)」の面々。今回はお母さんが「母として子どもにどう接するか」のヒントをもらうべく、野際陽子さんを母にもつ女優・真瀬樹里さんのもとを訪ねたようです。

参田家の人々とは……
maitake_family
ちょっと気弱なお父さん、元気でしっかり者のお母さん、もうすぐ小学生の娘、甘えん坊の赤ちゃん、家族を見守るオスの柴犬の4人と1匹家族。年中困ったことが発生しては、宅配便で届いた便利グッズや、ご近所の専門家からの回覧板に書かれたハウツー、知り合いの著名なお客さんに頼って解決策を伝授してもらい、日々を乗り切っている。

日々の「参った!」というお悩みを5分で解決!「参田家(まいたけ)のおうち手帖」

matitake300x97_01

カリスマモデルとして20年……今宿麻美に訪れた「子育て」による変化とは?

20年以上モデルとして第一線で活躍しながら、結婚と出産を経験した今宿麻美さん。昨年末に2人目のお子さんが生まれてからも、ずっとおしゃれで雰囲気が変わらず、いまだ女性たちにとって憧れの存在であり続けています。

 

そんな今宿さんが、子育てでの悩みや母親になったことで訪れた心境の変化について語ってくれました。

モデル 今宿麻美さん

1978年1月7日、宮崎県出身。18歳でモデルデビュー。ストリートファッションのアイコン的存在として国内外数々のファッション誌で活躍。2013年に結婚、2014年に第一子となる男児を出産、そして2017年12月に第二子となる男児を出産したばかり。ライフスタイルブック『今宿麻美のママライフ 39 Thank you』(祥伝社)では、ママとしての“今宿麻美”を余すところなく公開。夫婦で手掛けているファッションブランド「SEASONING」にも注目。
http://www.spacecraft.co.jp/imajuku_asami/

 

2人目の子どもが生まれて学んだこと

「今日は息子さんも来てくれたのね! 可愛いわね〜、うちの息子と年齢が近くて親近感が湧いちゃうわ。2人目の息子さんを出産されてからまだ3ヶ月ぐらいしか経ってないけれど、もう本格的にお仕事に復帰しているの?」

 

「そうですね。お仕事はいろいろお声掛けいただいていて、長男を出産したときも4ヶ月ぐらいで復帰しました。私自身、すぐに仕事復帰したいという気持ちだったので。モデルと母親、どちらもやることでオンオフのスイッチになるし、気持ちもリセットできるんです」

 

「上の息子さんは、今3歳で保育園に通っているそうだけど、おしゃべりが上手になってきて活発になってきているころよね。子どもが2人になって変わったことはあるかしら?」

 

「まだ出産したばかりなので、これからいろんな変化があると思うのですが、現実的なことでいうと、ゴミと洗濯物がめちゃくちゃ増えました(笑)。あと、長男のときよりもいろいろ赤ちゃんグッズを試すようになりましたね」

 

「あら、1人目でいろいろ買って試してみるというのはよく聞くけれど……。何か理由はあるのかしら??」

 

「長男のときに周りのママさんからいろいろと情報をもらったので、知識量が増えたことが理由です。試してみたいなと思うグッズが増えて、次男の時は便利そうなグッズはとりあえず試してみることにしました。あと、長男のときはバウンサー(赤ちゃんチェア)など、子育ての必須アイテムと聞いて買ったものが次男には合わなかったんですよ。やはり現役のママさんに聞くのが一番だなと実感したのも理由ですね」

 

「わかるわ! やっぱり実際に使ったママの感想が一番タメになるのよね。今宿さんはいつもキレイで怒るイメージなんてないけど、家の中で思わず「キー!」ってなることあるのかしら?」

 

「めちゃめちゃありますよー! 何が原因で怒ってるのかわからなくなるくらいです(笑)。でも、怒った後で冷静になってみると私自身反省することもあります。例えば次男が泣いているとき。私があたふたしてしまい、つい長男に話すときに強くなってしまうことも。「今日もガミガミ言いすぎたなぁ」と反省する毎日を繰り返してます」

 

「上の息子さんは、弟さんが生まれてから変化はあった?」

 

「弟の誕生はすごく喜んでくれたし、ふたりの触れ合いを見ていると癒やされます。次男を妊娠しているときに、先輩ママから「下の子を多少放ったらかしにしてでも、上の子に応えてあげるのが大事だよ」と聞いていたけど、そのときはあまり実感できなかったんです。でも、次男が生まれてから長男が赤ちゃん返りして……。そのときに「これか!」と戸惑いましたね。甘えてくるというより、反抗的な態度になることが多くて。今まで見たことのない長男の様子にびっくりして、受け入れるのが辛かったです。そのときのケアには、とても気を遣いました」

 

「そっか〜、きっと寂しくてママの気を引きたかったのね。では、子どもが生まれて自分が変わったなぁって思うことはあるかしら?」

 

「仕事への物理的なスタンスは変えざるを得なかったんですが、働くことのありがたみをこれまで以上に感じています。今までももちろん意識していたつもりですが、出産を経て自分が自由にできない時間ができたことで、感じ方が変わった気がします。こちらの都合で内容や時間の調整をしてもらったりすることが「特別なことでありがたい」ということを強く思うようになりました」

 

「子育てしながら働くというのは、周りの人たちに支えられてこそできるというのを実感するわよね。これから将来、子どもたちとやってみたいことはあるかしら?」

 

「まだまだ先の話ですけど……一緒にお酒を飲みたいですね!」

 

「素敵! うちもいつか娘や息子が成人したら一緒に飲みたい。あと15〜20年近くかかるけど、それを励みにすれば、子育ても頑張れる気がする!」

 

【前編のまとめ】

今宿さんも、世の中のママと同じようにバタバタ過ごしていることを知って安心! モデルとスタイリストとご夫婦ともに不規則になりがちな職業ながら、週末はできるだけ仕事の予定を入れないように意識しているのだとか。後編では、今宿さんの私服選びや妊娠中のファッションについてうかがいました。こちらもお楽しみに!

 

参ったなぁ……と、いつも困っている「参田家(まいたけ)」の面々。きょうはお母さんが子育ての悩みを解消すべく、モデルの今宿麻美さんのもとを訪ねたようです。

 

参田家の人々とは……
maitake_family
ちょっと気弱なお父さん、元気でしっかり者のお母さん、もうすぐ小学生の娘、甘えん坊の赤ちゃん、家族を見守るオスの柴犬の4人と1匹家族。年中困ったことが発生しては、宅配便で届いた便利グッズや、ご近所の専門家からの回覧板に書かれたハウツー、知り合いの著名なお客さんに頼って解決策を伝授してもらい、日々を乗り切っている。

日々の「参った!」というお悩みを5分で解決!「参田家(まいたけ)のおうち手帖」

matitake300x97_01

質感だけで「さすが」と絶賛された空清のブランドは? 家電のプロが教える「置きたくなる」オススメ空気清浄機

花粉除去に効果的な空気清浄機を、IT・家電ジャーナリストの安蔵靖志氏にガイドしてもらう本企画。第1回では空気清浄機選びのポイントと、ダイキンのモデルについて語ってもらい、第2回では、パナソニック、シャープのラインナップについて語っていただきました。今回は、お手入れのしやすさやデザイン性にこだわったモデルを見ていきましょう!

 

教えてくれるのはこの人!

20171228-s4 (8)
安蔵靖志(あんぞう・やすし)
IT・家電ジャーナリスト。家電製品総合アドバイザー(プラチナグレード)。AllAbout 家電ガイド。ビジネス・IT系出版社を経てフリーに。デジタル家電や生活家電に関連する記事を執筆するほか、家電のスペシャリストとしてテレビやラジオ、新聞、雑誌など多数のメディアに出演。KBCラジオ「キャイ~ンの家電ソムリエ」に出演中。その他ラジオ番組の家電製品リサーチや構成などにも携わっています。

 

お手入れの手間を減らしたいなら日立がオススメ

――人によってこだわりたいポイントも変わってくると思います。たとえば、空気清浄機はお手入れが面倒という人も多いですよね。

 

安蔵 そうですね。その点、お手入れをラクにしたいという人に注目してほしいのが、日立のEP-NVG110です。こちらは、運転時間の積算48時間ごとに1回、プレフィルターにたまるゴミを「自動おそうじユニット」で自動的に取り除いてくれます。

 

取ったゴミは、抗菌処理を施したダストボックスに溜まり、年に1回捨てるだけでOK。とにかくお手軽です。今後、Wi-Fiを搭載して室内の空気の「見える化」に対応すれば、もっと高く評価したい製品ですね。なお、前回紹介したシャープのKI-HP100とKI-HX75も、フィルターの自動掃除に対応しています。

 

20180228-s4(1)

日立

自動おそうじ クリエア EP-NVG110

実売価格6万2370円

背面両サイドから広面積で一気に吸い込む「ワイドスピード集じん」で8畳の部屋をわずか6分でキレイにします。さらに空気を斜めに吹き出すことで花粉を素早く集める「快速花粉気流」という機能も装備。同社従来比で約2.5倍の速度で花粉を集めます。通常の空清自動運転と比べ、PM2.5をスピード清浄する「PM2.5センシング」も搭載。本体カラーはシャンパンゴールドとブラウン。

 

日立 自動おそうじ クリエア EP-NVG110のスペック

20180228-s4(hitachi

 

デザイン重視ならカドーも注目

――デザイン重視という点では、安蔵さんオススメのモデルがあるとか。

 

安蔵 はい。以前にも話しましたが、空気清浄機は、デザインで納得できないものを買ってはダメ。それが常に目に入るわけですから、ずっと後悔することになります。その意味で、カドーの「AP-C200」には注目してほしいですね。直径242mmの継ぎ目のないスリムな円柱形で、デザイン性は抜群。設置場所を取らず、カラーもブラック、ホワイト、シルバーの3色からインテリアに合うものが選べます。空気の状態が青、黄色、オレンジの3段階で表示されるのもわかりやすいですね。

 

メーカーによると、活性炭の優れた吸着力と、可視光で反応する光触媒技術によって、フィルターに付着した汚れを分解し、1年間はお手入れもせずに使い続けられるとのこと。デザイン重視で手間がかからない製品を探しているなら、ぜひ選択肢に入れてほしいです。

 

20180228-s4(2

カドー
AP-C200
実売価格5万2920円

ボディ全面に吸引口を設置し、360°どこからでも空気を吸い込み、キレイな空気を真上に送り出して拡散します。空気新型光触媒「フォトクレアシステム」を採用し、フィルターをセルフクリーニングすることで、フィルターの長寿命化を実現。フィルターは0.09μm以下のPM2.5もキャッチします。ブラック、ホワイト、シルバーの3色を用意。

 

【AP-C200のスペック】

20180228-s4(cadl

 

ほかにはない質感で、所有する喜びを感じさせるのがブルーエア

――デザインでいえば、スウェーデンのメーカー、ブルーエアのデザインに引かれる人も多いですね。

 

安蔵 ブルーエアはシンプルなフォルムのなかに、北欧らしさを感じさせるデザインが秀逸。とにかく、ボディの質感が極めて良い。部屋に置いているだけで満足できる、所有する喜びを感じさせる……そこまで思わせてくれるものはブルーエア以外ないんじゃないでしょうか。

 

――フォルムだけでなく、質感も重要なんですね。

 

安蔵 他社からもデザインの優れた製品が出て来るようになりましたが、それでも質感がプラスチックのようなものも多くて。それに比べると、見ているだけで触りたくなる質感は「さすが」の一言です。

 

――ブルーエアはラインアップも豊富ですが、どれを選べばいいでしょうか?

 

安蔵 広めのリビングやスモールオフィスに設置するなら、「Blueair Classic 480i」がオススメ。シンプルで大風量、ボディはスチールで質感も最高です。Wi-Fi内蔵で、スマホと連携して空気の見える化に対応しており、スマホから遠隔操作で運転も可能です。

 

20180228-s4(3

 

ブルーエア
Blueair Classic 480i
実売価格9万5760円

空気清浄スピードの速さに定評がある「Blueair Classic」シリーズのミドルレンジモデルです。高性能フィルター技術と粒子イオン化技術を組み合わせた特許技術「HEPASilent テクノロジー」を搭載。目の粗さの異なる3枚の素材を重ねて折り畳んだ独自開発のフィルターを採用しており、汚れの捕集力が高く、目詰まりしにくいのが特徴です。Wi-Fi機能を搭載し、専用アプリで屋内や屋外の空気環境をモニタリングできます。

 

安蔵 コスパが高いのは、「Blue by Blueair Blue Pure 221 Particle」。実売3万円台ながら適用畳数が~47畳まで対応します。ちょっと縦長のキューブ形状で、本体の下半分の全周から空気を吸って上部から吐き出します。操作は本体側面の中央に付いた「Blue」のロゴの入った丸いボタンに触れるだけと超シンプルです。子どもでも操作できますね。

102-103・03-08

ブルーエア
Blue by Blueair

Blue Pure 221 Particle
実売価格3万540円

33㎝四方の角型ボディに高い空気清浄力を搭載。多層構造の筒型フィルターで360°集じんし、清浄な空気を大風量で上方に放出します。Wi-Fi機能とセンサーは非搭載。

 

――ブルーエアにはほかにも、グッドデザイン賞などを受賞した「Blueair Sense+」や、約2万円の「Blue Pure 411 Particle + Carbon」といったラインナップもあります。これらはどうですか?

 

安蔵 Blueair Sense+はシンプルで飽きのこないボタンレスのデザインで、6色で展開しているため、インテリアに合わせて選べます。また、Wi-Fi搭載で、エアーモニターの「Blueair Aware」(別売・実売価格2万4250円)との連携も可能。インテリア性にこだわりつつ、空気の見える化を堪能したい人にオススメです。

 

102-103螳・03-07

ブルーエア
Blueair Sense+
実売価格4万7830円

スチール製の本体に強化ガラスを組み合わせたミニマルデザインで各国のデザイン賞を受賞。特許技術「HEPASilent テクノロジー」を搭載するほか、天面に手を滑らせて操作するモーションセンサーを採用します。Wi-Fi機能も搭載。カラバリはポラールホワイト、ウォームグレー、リーフグリーン、ミッドナイトブルー、ルビーレッド、グラファイトブラックを用意します。

 

安蔵 一方、Blue Pure 411 Particle + Carbonはコンパクトな円柱状で、カバーフィルターを気分やシーズンで着せ替えられるのがユニーク。低価格ですし、一人暮らしのワンルームに初めて導入するようなケースにはピッタリですね。友達が遊びに来た時の話のタネにもなりそうですし、贈り物にも良さそうです。ただ、ブルーエアはデザイン、機能とも優秀ですが、いずれも加湿機能を備えていないのが惜しい。でも、これだけオシャレなら、加湿器を別途用意してもいいかな、と思っちゃいますね(笑)。

102-103螳・03-09

ブルーエア
Blue Pure 411Particle + Carbon
実売価格1万9440円

小型ボディに独自の粒子イオン化技術とフィルター技術を装備。360°吸引で花粉から生活臭まで強力に除去します。カラフルなプレフィルターは着せ替え交換できるのが特徴。

 

【ブルーエアラインナップのスペック】

20180228-s4(ba

 

二台目需要に応えるダイソンのPure Hot+Cool Link

――このほか、ややユニークな立ち位置になりそうなのが、扇風機、ファンヒーター、空気清浄機の1台3役のダイソンの「Dyson Pure Hot+Cool Link」かと思います。こちらは、どう評価しますか?

 

安蔵 1台3役で設置スペースが節約できるのはいい。ただ、空気清浄機として評価するのは、少し違うかな…という気もします。メイン機能は温風も出る扇風機ですから、「扇風機一台分のスペースで暖房も空気清浄も利用できる」と捉えるべきですね。空気清浄機としての能力は今回紹介した他社製品と比べると、決して高くありませんが、「Dyson Link アプリ」で室内や地域の空気の状況が見えるので、モニターとして利用するのもアリだと思います。モニターとして使うなら、温風機能はありませんが、よりコンパクトかつ安価な「Dyson Pure Cool Link テーブルファン」(実売価格4万3470円)を導入するのもアリですね。

20180228-s4(3 (2)

ダイソン
Dyson Pure Hot+Cool Link
実売価格6万3530円

空気を浄化しながら、温風と涼風を送り出すことができる、通年で使用しやすいファンヒーター。HEPAフィルターを搭載し、0.1μmレベルの微細な粒子を99.95%まで除去できます。

 

安蔵 あるいは、空気の汚れがちょっと気になるけれど、そこまで悩んでいないという場合や、すでに空気清浄機やヒーターを一台持っていて、気流制御などの性能にやや不満があるので、組み合わせて使いたいと場合にもオススメ。部屋がL字型といった複雑な間取りの場合は空調に死角ができるケースが見受けられるので、そういう家庭に向いていると思います。その意味では、ヒーターなしの「Dyson Pure Cool Link タワーファン」(実売価格5万6540円)は、高さがあって風量も出るので、こちらを選んだほうがいいでしょう。

 

【ダイソン 空気清浄機能付ファンヒーター Dyson Pure Hot+Cool Linkのスペック】

20180228-s4(dyson

 

「デザイン」と「空気の見える化」を重視して、後悔しない選択を!

――3回にわたって、各メーカーの主要モデルをひと通り見てきました。選び方について、もう一度「これだけは覚えておいてほしい」というところはどこでしょう。

 

安蔵 とにかく「邪魔にならないデザイン」が第一。室内に設置したときに邪魔に感じるデザインだと、時間が経つにつれて使わなくなってしまいます。一方、「空気が見える化」できるWi-Fi対応モデルは、効果が目に見えるので、使うモチベーションが続くのがメリット。この2つを重視しつつ、コストやお手入れの手間を加味して選びましょう。ぜひ、部屋にずっと置いて後悔しない製品を選んでください!

【2018保存版】今年の花粉はキケンです! 「花粉症の気象予報士」が最新予報と最強の空気清浄機「ブルーエア」をやさしくレクチャー

今年も花粉症の季節がやってきました。そこで今回は、花粉症およびハウスダストアレルギーに苦しむ気象予報士、元井美貴さんにお願いし、今年の花粉事情と花粉の性質を徹底的に解説してもらいます。さらに、花粉に悩む元井さんのために、GetNaviが自信を持ってオススメする空気清浄機、Blueair(ブルーエア)の「Blueair Classic 480i」を用意。世界基準CADR(後述)において、花粉除去でも最高値を記録した本機を実際に使ってもらい、その喜びを語ってもらいました!

 

教えてくれたのはこの人!

20180216-s1 (7)

気象予報士

元井美貴(もとい・みき)さん

東京都出身。青山学院大学在学中の2000年に気象予報士の資格を取得し、BS-i「キャンパスウェザー」で大学生お天気キャスターとしてデビュー。現在は、TBSテレビで気象解説を担当するほか、プロレス番組キャスターやプロレス解説としても活躍しています。天気をプロレス技で例える「プロレス天気予報」や、フラダンスで天気を表現する「フラダンス天気予報」など、趣味を生かした斬新な天気予報でも知られています。花粉症とハウスダストアレルギーに苦しんでおり、ブルーエアの空気清浄機には興味津々。

 

花粉除去といえばコレ!

20180216-s1-8

↑画像クリックで製品の公式サイトにジャンプします

Blueair

Blueair Classic 480i

世界的な空気清浄機専業ブランド、ブルーエアのミドルレンジモデル。目の粗さの異なる3枚の素材を重ねて折り畳んだ独自開発のフィルターを採用。フィルターは大小の汚れの捕集力が高く、目詰まりしにくいのが特徴です。Wi-Fi機能を搭載し、専用アプリで屋内や屋外の空気環境をモニタリングできます。

SPEC●適用床面積:〜33畳●最大風量:9.9㎡/分●運転音:32~52dB(A) ●フィルター交換目安:約6か月●センサー:PM2.5/VOC/温度/湿度●サイズ/質量:W500×H590×D275㎜/約14㎏

 

今年は花粉の「表年」で飛散量は去年の約2倍!

20180216-s1-6

――いよいよ花粉の季節がやってきました。元井さんご自身も花粉症とのことですが、どのような症状が出るのでしょうか?

 

元井 特に花粉が多い年は、ノドと鼻が辛いですね。涙が出て、全体的に顔がかゆくなるというか。元々ハウスダストアレルギーがあり、春先は花粉症で弱っているだけに、ハウスダストアレルギーも激しくなってしまいます。私にとって、春はいちばん体調を崩しやすい季節なんですね。だからこそ、今回、花粉に効くというブルーエアが使えるのをとても楽しみにしていて。実際使ってみたら、やっぱり良かったです!

 

――それは良かったです。今回用意したBlueair Classicは、世界的なブランド、ブルーエアのなかでも特に空気の浄化スピードが高いシリーズ。花粉対策にはこれ以上ないモデルですからね。その魅力はのちほど存分に語っていただくとして、まずは今年のスギ花粉の量から教えてください。

 

元井 残念ながら、今年の花粉は多くなりそうです。東京を例にとると、飛散量は去年の2倍になりそうですね。

 

――2倍ですか! なぜ今年は花粉の飛散が増えるのでしょうか。

 

元井 花粉が飛ぶ量は、前年の夏の気象条件に左右されるんです。夏の日照時間が長くて気温が高いほど、スギ花粉はたくさん作られます。そして、次のシーズンの春に大量に飛散するんですね。反対に、前年が冷夏だったり長雨だったりすると、次の春の飛散が少なくなります。業界では、花粉が多く飛ぶ年を「表年(おもてどし)」、少なく飛ぶ年を「裏年(うらどし)」と呼び、この「表」と「裏」が交互に繰り返されると言われています。

 

――では、今年は「表」だと……。

 

元井 はい。去年は「裏年」だったこともあり、今年は多くなりそうです。東京だけではなく、全国的にも昨年の2倍くらいの花粉が飛散すると言われています。

20180216-s1-(17)

 

スギ花粉のピークは3月だが、その後のヒノキ花粉にも注意すべし

――花粉症患者にとっては試練の年になりそうですね……。全国的に見ると、どの地域が多くなりそうですか?

 

元井 元々、関東甲信や東海、四国は花粉が多いんです。なかでも、近隣にスギ林が多く、地形や風向きなどの関係から、高知県や三重県などが飛んできやすい。今年はこれらの地域に加えて東北地方も多くなりそうですね。これも、昨年の夏の天気が良かったことに原因があります。

20180216-s1-4

――花粉のピークはいつごろになりそうですか?

 

元井 スギ花粉は3月いっぱいがピークです。ただし、東京は3月上旬から4月上旬までと、ピークが長く続くので注意してください。実は、スギ花粉が終わってからも安心はできません。これは、東海から西の地域を中心に、スギ花粉から1か月遅れでヒノキ花粉が飛散するため。ヒノキ花粉もスギと同様のアレルギーを引き起こし、お花見シーズンと重なるので、「桜の花粉症かな?」と勘違いする方もいらっしゃいます。スギ花粉のピークが終わっても、ゴールデンウィークくらいまでは注意が必要ですね。

20180225-s0

 

3つの条件が重なると花粉が多く飛ぶので要注意

――では、本格的なスギ花粉のピークを迎えたとして、花粉が多い日、少ない日があらかじめわかっていると、対策がとれるのでうれしいですよね。予想するにはどうしたらいいでしょうか?

 

元井 一定の気象条件が揃うと花粉が多く飛ぶので、その条件を知ることが大切です。花粉が多くなる条件は大きく3つ。①最高気温が高く②雨上がりの翌日で、③風が強く空気が乾燥しているとき。雨が降っていると、花粉が飛ばないので花粉症患者はラクなのですが、次の日、一気に気温が上がって風が強くなると、大量飛散につながります。そんな日は、ブルーエアをガンガン回して、しっかり花粉を除去したいところですね。

20180216-s1 (5)

――なるほど。雨の翌日は、ブルーエアでしっかり対策、というわけですね。では、1日のなかで、花粉が多く飛ぶ時間帯はありますか?

 

元井 特に「昼前後」「日が沈んだあと」は花粉が多く飛びます。まず気温が上昇し、杉林から飛んできた花粉が街に到達するのが昼前後。気温が上がると上昇気流が起こり、上空に舞い上がった花粉が落ちてくるのが日が沈んだあと、というわけです。

Blueair Classic 480iの公式サイトはコチラ

 

花粉症ではない人でも花粉は浴びないほうがいい

――昼ごはんを食べに出て花粉を浴び、帰宅時にまた浴びる……。ビジネスマンは大変ですね。

 

元井 しかも、街に落ちてきた花粉は、アスファルトで吸収されず、どんどん降り積もっていくのがやっかいなんです。積もった花粉は風で巻き上がって、また降りてきて……という動きを繰り返す。それだけに、アスファルトが多く、風向きや地形から花粉が飛んで来やすい東京は、花粉を大量に浴びやすい環境にあるわけです。そして、花粉を浴び続けると、いままで症状がなかった人も花粉症になる可能性があるんです。

↑花粉のイメージ。花粉表面のトゲがアレルゲンとなります。花粉はアスファルト上だと地面に吸収されないため、降り積もった花粉は風で巻き上げられることになります↑花粉のイメージ。花粉はアスファルト上だと地面に吸収されないため、降り積もった花粉は風で巻き上げられることになります(画像出典:ゲッティイメージズ)

 

――えっ、花粉症になるか、ならないかは体質で決まるんじゃないんですか?

 

元井 よく、コップの水に例えられますね。少しずつコップにたまった水が、許容量を超えるとこぼれるのと同様、花粉に接する機会が一定レベルを超えると、いままで何ともなかった人が、ある日を境に花粉症の症状に苦しむ可能性があるわけです。実際、花粉症の患者は増えていて、2017年の3月のデータでは、東京でのスギ花粉症の患者さんは全体の48.8%。ほぼ半分にまで達しています。

 

――なるほど。「自分は花粉症じゃないから」という人も、花粉はなるべく浴びないほうがいいんですね。

 

元井 はい。そのためには、屋外では極力花粉を浴びないようにし、家の中ではブルーエアのような花粉除去力の高い空気清浄機を使って、家族にも花粉を浴びさせないように努力したいですね。

 

――ちなみに、「大気汚染が花粉症を悪化させる」といった説もあるようですが、その点はいかがでしょうか?

 

元井 環境省のデータによると、PM2.5のひとつであるディーゼル排気の粒子が、鼻などのアレルギー症状と目の結膜炎を悪化させたというデータがあります。花粉症と大気汚染の明確な関連はわかっていないとのことですが、PM2.5の濃度が高いときは、注意しないといけません。

 

――そういえば、PM2.5が増える時期は花粉の時期と同じですね。

 

元井 たしかに、同じ春先です。この時期、黄砂とともに偏西風に乗った大気汚染物質が大陸からやってきます。実際、この時期は日本海側でPM2.5の濃度が高くなるのがわかっています。その意味で、花粉とPM2.5の両方を除去できるブルーエアの空気清浄機は、花粉症を防ぐうえで有効な手段になってきますね。個人的には、ハウスダストアレルギーも防げるので、一石二鳥です。

Blueair Classic 480iの公式サイトはコチラ

 

ブルーエアの空気清浄機は、これまでの空気清浄機とどう違う?

――さて、これまでのお話でもたびたび登場しましたが、今回は元井さんのために、GetNaviが自信を持ってオススメするブルーエアの「Blueair Classic(ブルーエア クラシック) 480i」を用意しました。こちらは、花粉を含むすべての対象物質で、空気浄化の世界基準「CADR」(※)の最高値を達成したブランド。とにかく、空気を浄化する性能が高いことで有名なんです。元井さんは、このブルーエアというブランドはご存じでしたか?

※CADR…Clean Air Delivery Rate(クリーンエア供給率)の略。米国家電製品協会(AHAM)が定めた、 空気清浄機が清浄な空気を供給する量を表す指標です。数値が高いほど、空気を浄化するスピードが速くなります

 

元井 はい。以前から気になっていたので、今回、実際に使うことができてうれしいです!

 

――使ってみて、これはスゴイ! と思った点はありましたか?

 

元井 とにかくパワフルな風に驚きました。キレイな空気が部屋の隅々までいきわたっていくのがわかります。これだけ風が強いと、花粉やハウスダストもしっかり引き寄せて、一気に吸い取ってくれそうですね。特に花粉は重いので、床に落ちる前に素早く吸引することが重要。その点、空気を浄化するスピードが極めて速いブルーエアを導入することは、花粉対策として理にかなっています。GetNaviさんがオススメするのも納得ですね。

 

あと、個人的には気分や用途に合わせて3段階で風量が調節できるのが気に入っています。それぞれの風量が絶妙で、たとえば、寝るときや仕事に集中したいときは、弱めの風にすれば音が気になりませんし、ふだんは中間の風量にしておけば常にそよ風が吹いているような心地良さ。そして最大風力で使うと、部屋の隅に置いていても、窓際のカーテンが揺れるくらいのパワフルな風に。窓を開けて換気したときのように、空気をリフレッシュすることができるのがうれしいです。

20180216-s1 (13)

↑↑本体に大型ファンを搭載し、室内全体の空気を豪快に循環させます。汚れた空気を側面から吸引し、フィルターで浄化した空気を側面から放出します

 

Blueair Classic 480iの公式サイトはコチラ

 

――ちなみに、元井さんは以前、別の空気清浄機を使っていたとき、不満が多かったとうかがいましたが……。

 

元井 5~6年くらい前、空気清浄機と加湿器が一緒になっていたものを買ったんですけど、こちらは加湿器の扱いが悪かったのか、使っているうちに異臭がしてきまして。空気清浄機なのに、イヤなニオイが広がっていくという惨事に……。それから使わなくなってしまったんです。

 

――加湿器のフィルターにカビや雑菌が増えたのが原因でしょうね。これは加湿機能付き空気清浄機の「あるある」です。

 

元井 あと、以前のモデルは、デザインがいかにも「家電です」といった印象で。寝ているときの「ボクは働いているよ」というアピールもスゴかった。ランプの点滅がずっと天井に反射しているのが気になって、ふせんを何枚も貼ってみたんですが、風と一緒に舞い上がってしまい……。

 

――イヤなニオイが広がって、夜も気になって寝付けない……と。それは災難でしたね(笑)。

 

室内になじむデザインとナイトモードがうれしい

20180216-s1 (11)

元井 その点、ブルーエアはさすが北欧(スウェーデン)のメーカー、デザインがすごくオシャレで。一見、空気清浄機に見えないから、オフィスにあっても家庭にあってもなじむというか。眠るときは光をOFFにすることもできるし、音を抑えてくれるナイトモードもある。ナイトモードが時間で指定できるのもありがたいですね。おかげで、夜は眠りに入りやすくなり、そのぶん朝の目覚めもよくなった気がします。

20180216-s1 (12)

↑操作パネルは直感的に使えるシンプルなデザイン。光量はアプリで調整できるうえ、フタを閉めれば光が漏れる心配もなし

 

――メンテナンスの面ではいかがですか? 6か月に一度、フィルターを交換するだけでOKとのことですが。

 

元井 以前に使っていたモデルは、掃除機でたまに吸うぐらいはできたんですが、中のものをどう交換していいかわからなくて。逆に、ブルーエアは「フィルターを替えるだけ」というのはわかりやすくて扱いやすいです。「フィルター交換まであと何日」とアプリで確認できるのもいいですね。

20180216-s1 (1)↑フィルターは背面からカンタンに取り出せます。

 

↑フィルターの構造。イオナイザーでウイルス、細菌、ハウスダストなどの有害物質をマイナスに帯電。プラスに帯電した目の粗さの異なる3層のフィルターでキャッチします。目詰まりを起こしにくく、風量も維持しながら、静音性と省エネにも貢献↑高性能フィルター技術と粒子イオン化技術を組み合わせた特許技術「HEPASilent® テクノロジー」を搭載。イオナイザーでウイルス、細菌、ハウスダストなどの有害物質をマイナスに帯電(中央)。プラスに帯電した目の粗さの異なる3層のフィルターでキャッチします(右)。目詰まりを起こしにくく、風量も維持しながら、静音性と省エネにも貢献

 

Blueair Classic 480iの公式サイトはコチラ

 

屋外は気象予報士にまかせ、屋内はブルーエアにまかせてみては?

――いま、アプリの話が出てきましたが、アプリの使い勝手はどうでしたか?

 

元井 本当に便利でした。リモコンを探してうろうろすることはありますが、スマホは常に持っているから、その場ですぐ操作できるのがうれしい。アプリで名前が付けられるので、親近感も湧きますね。私は「ブルー・デモン」(※)と名づけていたんですが、風量を上げるとゴオーっとすぐに反応してくれて。「ブルー・デモンくん、ちゃんと言うことを聞いてくれてるな」と、頼もしく思いました。

※ブルー・デモン……元井さんが愛してやまないメキシコのレジェンド覆面レスラー

20180216-s1 (2)↑Wi-FIと接続すると使用できる「Blueair Friend(ブルーエアフレンド)」アプリ。電源のON/OFFや風量の調節、パネル光量の調節などができます

 

――アプリだと、室内の様子もモニタリングできるんですよね。

 

元井 そうなんです。アプリで「PM2.5」として、PM2.5や花粉、ホコリを含む粒子の量が計測できますし、CO2が増えると窓を開けるよう、アラートで知らせてくれます。気象予報士としては、気温、湿度が見えるのもうれしいですね。外出先でも室内の様子がチェックできるので、小さなお子さんやペットがいる家庭も安心です。過去のデータが蓄積されていて、グラフになって表示されるのも素晴らしい。寝ている間の湿度などは気になりますから。

↑モニター画面。↑室内をモニターする画面。室内のPM2.5やVOC(ニオイ、揮発性有機化合物)、CO2、温度、湿度の変化をリアルタイムで確認できます。状況の変化をグラフで表示してくれるのも便利です

 

↑↑屋外の特定の場所を選び、空気の状況を表示させることも可能

 

――たしかに、ここまで手軽に屋内の様子がチェックできるようになると、すぐに対策が取れるので便利ですよね。

 

元井 そうですね。屋外の様子は、私たち気象予報士が「天気予報」として知らせることができます。ただ、屋内の様子は誰も予想ができません。だからこそ、屋内の状態が見えて、しっかり管理できるのはブルーエアの大きなメリット。家の外のことは私たち気象予報士にまかせていただき、家の中のことはブルーエアにまかせる……そんな役割分担があれば。日々を安心して過ごせるのではないでしょうか。花粉をきっかけに、室内環境を改めて見直してみるのもいいかもしれませんね。

20180216-s1 (9)

20180216-s1-8

↑画像クリックで製品の公式サイトにジャンプします

追加・削除された語句はどう選ばれた? 「広辞苑」10年ぶり大改訂の裏側を直撃インタビュー!

先月発売となった「広辞苑」第七版。10年ぶりの大改訂で新たに1万項目が追加されたことでも話題となっていますが、この10年と言えば、スマホやSNSが普及し、言葉も大きく変わった時代です。目まぐるしく変わっていったこの時代のなかで、「広辞苑」の制作現場ではどんな編集作業が行われていたのでしょうか。今回は「広辞苑」第七版の編集に携わった岩波書店の平木靖成さんに、辞典編集の実際をうかがいました。

20180215_y-koba2 (14)_R↑岩波書店・辞典編集部の副部長、平木靖成さん。「広辞苑」「岩波国語辞典」など、辞典の編集歴20年以上のすごいお方です

 

「広辞苑」は国語辞典ではない!?

――「広辞苑」は日本における辞典の代表ともいうべき存在ですが、ほかの国語辞典と比べてどんな違いがありますか?

平木靖成さん(以下:平木):まず、「ほかの国語辞典と比べて」とのご質問ですが、実は「広辞苑」は国語辞典ではありません。“国語辞典と百科事典を1冊に合わせた辞典”というのが、1955年にデビューした「広辞苑」のコンセプトです。単に言葉だけを扱うのではなく、事柄も扱うものなのです。

 

競合辞典を挙げるとするならば、「大辞泉」(小学館)や「大辞林」(三省堂)になります。これらはすべて、「広辞苑」と同じく国語+百科という体裁になっています。

 

――そういった競合辞典もあるなかで、「広辞苑」としての特徴はどういったところでしょうか?

平木:「広辞苑」は時代とともに語義変化があった場合に、(現代の意味からではなく)古くからある元々の意味から順に記載してます。ここがほかの辞典とは1番違っているところかなと思います。

 

――今回、10年ぶりに改訂された第七版が話題を呼んでいるわけですが、主にどんなところをアップデートされたのでしょうか?

平木:百科的な項目は、この10年の間の変化……つまり、研究が進んだり、法律が変わったり、市が合併して新しい市ができたりというところの反映が主な改訂になります。

 

もちろん、10年経ったからといってあまり変化をしなかった分野もあります。例えば、歴史ですが、そういった分野でもこれまで手薄だったところには、力を入れました。

 

一方、国語項目のほうは世の中で定着したと考えられる言葉、例えば「がっつり」「ちゃらい」「のりのり」などを収録しました。また、類義語の意味の違いの書きわけも今回の改訂の大きな柱です。例えば、「さする」と「なでる」の違いがすっきりわかるようになっています。

 

第七版の改訂は、第六版制作中から始まっていた!?

20180215_y-koba2 (9)_R

――10年ぶりとなった今回の改訂は、いつ頃から着手されたのでしょうか?

平木:着手というのが何を指すかにもよりますが、辞典の業界では「辞典を出した直後から、次の改訂を始める」とよく言われます。今回で言えば、前回の第六版を作り終えたときに「ここが足りなかったから、次の第七版で力を入れよう」というようなことです。

 

しかし実際には、改訂版を出す前から次の課題は見つかっているものです。時間が足りないなどの理由で諦めざるを得なかったけれど、次の改訂の課題としてそれらは蓄積されていきます。そう考えると、改訂の着手は前回の改訂版を作っているときからすでに始まっているとも言えるのです。

 

――第六版を出す前から、というのは驚きました。では、改訂の実作業をスタートさせたのはいつ頃だったのでしょうか? また、特に大変だったのはどういった点でしょうか?

平木:チームとして立ち上げたのは、2013年からです。最初は14人のチームだったのですが、出たり入ったりがありつつ、最も多い時期には外部の校正者を含めて17人のチームになりました。

 

編集部員には担当分野を決めます。国語のほうはあまり細かくないのですが、百科のほうは460くらいのカテゴリがありました。当然、各編集部員にとって得意な分野が割り当てられることが多いのですが、ときには得意じゃない分野を受け持たなければいけないこともあります。そういう場合、人にもよりますが、きっと大変だったのではないかと思います(笑)。

 

「未来に定着するかどうか」を予測しながらの新語収録

――今回は新しい項目を約1万収録しています。こういった項目はどのようにして決められたのでしょうか?

平木:国語分野では、編集部員が日頃からメモしていたものや、読者の方からの「こんな言葉が入っていないから入れてほしい」という要望をずっと溜めておいて、編集会議で「何を収録して、何を収録しないか」を決め、最終的に国語の監修の先生に確認していただきました。

 

その際、掲載するかしないかの判断は「日本語として定着しているか」または「定着する可能性があるかどうか」……それだけです。

 

――「定着する可能性がある」という予知的な観点で収録する・しないを決めることもあるのですね。

平木:特に若者言葉や俗語というものは使われ方が不安定です。仮に、次の改訂が10年後だとして、その10年後までそのままで使われ続けているかどうかと考えた際、「今回は見送っておこうか」ということもあります。

 

一方、百科のほうは国語ほど難しくはない面があります。例えば、新しい法律ができたら、それはたぶん10年以上は使われていくものでしょうから、「未来の定着」の判断を比較的しやすいのです。

 

――今回の改訂で多く項目が追加された分野はありますか?

平木:料理・スポーツ・ポピュラー音楽・アニメなどの分野は重視しました。料理では「キーマカレー」「チュロス」とか、あとはワイン関係で「テロワール」「カベルネ・ソーヴィニヨン」とかを入れました。

 

「広辞苑」に限らず、辞典はもともと男性目線のものが多かったんです。しかし、例えば新聞でいう家庭欄で使われるような言葉、女性のほうがよく使う言葉もきちんと入れていく方向に変わってきています。

 

基本的に項目を減らさないなか、削除される語句とは?

20180215_y-koba2 (5)_R

――改訂によって逆に削除する項目もあるのでしょうか?

平木:今回は数百項目くらいを減らしましたけれど、「広辞苑」は古語から扱っている辞典ですので、いまではあまり使われなくなった言葉だからといって削除しません。であっても、明治時代の小説を読むときには当時の旧制高校の学生言葉も入っていないといけないですし、バブル期の歌を聴くときには「ポケベル」の意味がわからないといけません。

 

ただ、そういったなかで改訂で落とす対象になりやすいのが、2つ以上の言葉が合わさってできた単純な「複合語」です。今回の改訂でいえば、「書留小包」という言葉を落としましたが、理由は「書留」と「小包」というそれぞれの言葉を引けば「書留小包」の意味もだいたいわかりますよね。同じような理由で「給水ポンプ」「基本値段」といった言葉も落としました。

 

一方、複合語でも、そこで新たな意味を生み出しているものは収録します。例えば「あの人」「あの川」「あの山」という言葉は載せないですが、「あの世」となったら、これは「死後の世界」という意味を持ちますから載せるという判断になります。

 

辞典編集者は「正しい言葉」ということを基本的に考えない!?

――最初の話に戻りますが、10年以上関わってきた改訂版が出たときのお気持ちはいかがでしたか?

平木:できあがって嬉しいと思ったことはあまりないんですよ。作っている過程は楽しいこともあるのですが、冒頭でもお話ししたように常に先々への課題が見つかりますし、いろいろなご意見やご要望を読者の方からいただきますので。

 

――ずっと言葉について考える仕事をされていると、例えば電車に乗っているときなどについ言葉が耳に入ってきて「その言葉の使い方、違うんだけどな」と思うような、職業病みたいなことはありませんか?

平木:「違うんだけどな」とはあまり思わないですね。「正しい言葉とは何か」を知りたい人は世の中に多くいますが、辞典編集者は「正しい言葉」ということは基本的に考えませんので。

 

――!?  どういうことですか?

平木:言葉は常に変化していくもので、使う人が多くなればなるほど、それがいわば正しくなっていくからです。昔は「うつくしい」の語義が、枕草子にあるように「かわいらしい」という意味だったけれども、いまは「ビューティフル」の意味で使わなければ意味が通じません。

 

助詞の使い方などにしても、明治時代は「服を着る」ことを意味して「服装する」と言っていたこともありました。ほかにも、「必死に働く」を「必死と働く」と言っていたり。

 

なので、何が正しくて、何が間違いであるのかというのは、時代ごとにどのような言葉や言い方が多く使われていて、いかに不自然に思われないかというだけなんです。ですから、普段生活の場で言葉に触れるときは、「違うんだけどな」という見方はなくて、「こういう言い方もするようになったんだな」という見方をすることが多いです。

 

――ありがとうございました!

 

果てしない数の言葉に触れ、その意味を追求しながらも、一方で時代に合わせた柔軟性も持っていないと成り立たない辞典編集の世界――。こういった制作側の思いをも感じながら「広辞苑」のページをめくってみたいものですね。

女装することの意味とは? 男の娘・大島 薫が語る男性の深層心理

女性と見まごうほどかわいらしい外見の大島 薫さん。工事もホルモンも一切なしの、れっきとした男性、いわゆる男の娘です。その大島さんは現在、同じ男の娘であるミシェルさんと恋愛中です。「2人が出会ったのは運命」と言い切る大島さんに、人と付き合うことの意味や、男性の深層心理についてお話ししてもらいました。

20180119_y-koba3_1 (2)

大島薫さん(以下、大島):ミシェルはボクがずっと追い求めていた理想の男の娘なんですよ。だからミシェルと一緒に家でバカ話をしていると、子どものときに戻ったような感覚になるんですよね。ミシェルはミシェルで、男性性を押しつけられた幼少期と、両親の離婚による不信感を取り戻しているところなんです。ミシェルもボクといると子どものころに戻ったような感覚になるみたいです。

 

——先日、別の人から「無邪気に笑える恋はいい恋だ」って聞きました。まさにそれですね。

 

大島:誰でもみんな、子どものときに欲しかったけれど得られなかったものがたくさんあると思うんです。それらを捨てて諦めながら大人になっていくんですよね。でもほんとうに好きな人と一緒に生きていくって、欲しかったものを取り戻していくことだと思うんです。

人はみんな、いびつな欠けた形をしているんですよ。感情的だったりネガティブ思考の人って、欠けている部分が多いんだと思うんですが、それをいろんな出会いや経験をすることで、ちょっとずつ補って本来あるべきだった形に戻っていこうとしているんだと思うんです。

 

——シェル・シルヴァスタインの「ぼくを探しに」ですね。

 

大島:問題は、みんながみんな欠けているから、自分の欠けたところを補ってくれる人と出会えるかがわからないことですよね。同じところが欠けている人には自分の穴は埋めてもらえないし。だからそういう意味では、ボクがミシェルと出会えたことは運命だなと思えます。ボクもいろんなところが欠けていたけど、ミシェルと出会う前の恋愛で、彼らからちょっと補ってもらえたのかもしれないし、だからいまミシェルに補ってあげられてるのかもしれない。これが一番最初の恋愛だったらうまくいってないかもしれないですよね。

 

——恋愛の経験を積むって大事なことだと思います。

 

大島:かといってテキトーな人と付き合っても補ってはもらえないですけどね(笑)

 

——!……難しいですね。自分をさらけ出せる人とどれだけ深い付き合いができるかってことでしょうか。

 

大島:家にいるときはニャンニャン口調で甘えてくるみたいな男性はいますよね。それは信頼の置ける相手にだからできることです。でも多くの女性は「いやいや、出会ったころはそんなんじゃなかったよね。思ったより女々しいんだね」ってガックリすると思うんですよ。だから結局恋愛って、どっちが我慢するかになっちゃうんですよね。こっちの願望を押しつけるか、向こうの願望を叶えてあげるか。

 

——そう、いつも相手の都合のいいような付き合いになっているなという気持ちになるんですよね。

 

大島:でもそれを満たしてあげると、相手が回りまわって自分を満たしてくれる可能性もありますしね。好きなことをやらせておいて、飽きて満たされたときに戻ってきたら、今度は自分を満たしてくれようとするのかなと思ったりもするんですよ。

 

——満たされない思いというと、女装することもその表れでしょうか。

 

大島:そうですね。女の子みたいに甘えたい願望をもっている人が、男の見た目のままでは甘えられないから女装したりするわけですよね。「甘えたい」とか「可愛く見られたい」っていう願望がダイレクトに表れているのが女装なんですよね。女装癖まで行かなくても、ニャンニャン口調になるのもその表れと考えられます。

20180119_y-koba3_1 (4)

——女装というのは、深層心理の表れなんですね。

 

大島:外見と中身は違うといっても、やっぱりかっこいい服を着ると振る舞いもかっこよくなるし、可愛い服を着ると振る舞いも可愛くなる。だから形も大事なんです。赤ちゃんプレイだって、赤ちゃん口調になればいいだけなのに、ガワも入るでしょ? 自分の気持ちを盛り上げるためにも必要なんです。

 

——男性たることに実はプレッシャーを感じている男性たちに、女装をすすめてみるのはどうでしょう? 

 

大島:いや、ボクが言うのもなんなんですけど、男でいるんだったら男であることを頑張ってほしいんですよね。そのほうがかっこいいし、そうできる人のほうが実は少ないから。

 

——確かに、いまは昔のような男気にあふれた人って少なそうです。年上お姉さん好きとかけっこういるし。

 

大島:最近、男でいようと努力している男性ってあまりいないと思うんですよ。それこそ「ワリカンでいいじゃん」みたいな。女の子を呼んでセックスして、終わったらピロートークもせず「帰っていいよ」みたいな。それは全然男らしくはないじゃないですか。

 

——クズ男らしい感じではありますね(笑)。

 

大島:「女の子はそこで帰してほしいと思ってないよ」って察しろよ男だったら!って思うんですよ。どんなに眠たくて面倒でも、腕枕の1つしとけばいいじゃんって。そういうのができてない人が多いけれど、それこそドア開けるだの椅子を引くだの、階段を先に行かせるだの、なんでもいいからそこから頑張れよって思うんですよね。

 

——そんな人がいたら絶対かっこいいと思うけど、大島さんはそこを目指さなかったんですか?

 

大島:いやいや、見た目がこうなだけでやってますよ。

 

——そこはもう「ガワから入る」問題じゃなくなっちゃったということですか?

 

大島:いまこの見た目だからそう思うってのもあります。「あー、今月厳しそうなのに頑張ってこの店払うんだ」なんて、可愛いなって思っちゃいますね。ちょっと自分を見てるようでもあって。ボクが男性に対して可愛いなって思う瞬間は、男であることにとらわれるところが垣間見えたときなんです。女性のほうはどうでしょう?

 

――自分のために頑張ってくれている男性を見るのは可愛いですね。純粋に嬉しいなって思います。確かに、男性として見栄を張らないのに、自分を大きく捉えてほしいという男性には魅力を感じないかもしれませんね。

 

見た目は女性だけど、中身は最上級に男らしかった大島さん。男とか女とか、そういう性別を乗り越えて、とにかくかっこかわいい人です。

 

そんな大島さんを作ってきた成り立ちと、ミシェルさんとの関係を描いた作品「男の娘どうし、恋愛中。」(宝島社)、大好評発売中です。

【男の娘・大島薫インタビュー】“極端な男性性”にとらわれた過去、そして現在は「頼りがいのある彼氏」!?

見た目は美女だけど中身は100%男性な男の娘・大島 薫さん。このたび、同じ男の娘であるミシェルさんとの関係を綴った新刊コミック「男の娘どうし恋愛中。」(大島 薫、ふみふみこ)を上梓しました。それがあまりに愛に満ちているうえ、ジェンダー問題を問いかける作品だったんです。読んだあと、いてもたってもいられなくなり、大島 薫さんにお話を聞きに行ってきました。

20180119_y-koba3_1 (1)

――大島さんは男の娘になる前、いわゆる「男」だったのですよね?

 

大島 薫さん(以下、大島):そうです。めちゃくちゃ“男”でした。ボクはすごく“極端な男性性”にとらわれて生きてきたんです。両親からはものすごく「男らしく」と言われて育ったし。子どものころから、母親がクルマに乗るときはドアを開けるよう父親に教えられましたしね。そういう環境もあって「カバンを持つなんてダサい、ジーパンのポケットに財布だけ入れて出掛けるのが男だ!」とか、「鏡の前に立ってキメキメで服を選ぶのは情けない、そこら辺にかけてある服をサッと着て出掛けるのが男っぽい!」とかね。

 

——申し訳ないですが、そういう男性のこだわりは、女性にはまったく響かないです(むしろどうでもいい……)。

 

大島:男性だから男らしい、女性だから女らしいということはないですよね。人それぞれ個性があります。だけど男は「男だ!」ってこだわっているうちは、男でいられるんですよ。そのこだわりがなくなると見栄も張らなくなるし、努力をしなくなってどんどん男としてのアイデンティティは失われていくと思うんです。で、ボクはそういうしがらみから脱却しようと思って、今この見た目なんですけど。

 

——ずいぶん思い切った脱却ですよね、でも「男の娘どうし恋愛中。」のミシェルさんとの関係を読むと、大島さんはめちゃくちゃ「頼りがいのあるかっこいい彼氏」です。

 

大島:ミシェルはボクと違って「女の子として見られたい」「可愛いと言われたい」という気持ちが強いんです。ボク自身もそういう時期があったから、ミシェルが女でありたいという気持ちがあるなら、それは叶えてあげたいんです。だからボクが彼女を女性として愛する男性でいないといけないと思ってるんですよ。ほかの男性と比べても「この人が一番魅力的だな」って思ってもらえる行動を取るようにしていますね。

 

——聞けば聞くほど彼氏に欲しいかっこよさです。

 

大島:だから基本的に彼女に支払いをさせたことはないです。それにデートの途中で「ちょっと待って、足りないから降ろしてくるわ!」ってATMに駆け寄るっていうのはダサいですよね。ボクがもし女性の立場で「2件目に行きたいな」と思ったときに「じゃあお金下ろしてくるよ」って言われたら「あ、無理させちゃったかな」って思うじゃないですか。だから最初から「これ、一晩じゃ絶対使わないでしょ!」っていう額を持っていきます。「これぐらいは普通に持ち歩いてるよ」って示しておかないと、相手も気軽に誘いにくくなりますよね。お金を払わせることに気を遣ってしまうようになるし。

20180119_y-koba3_1 (3)

——でもそれは、大島さんが高給を稼いでいるからこそできるのでは……?

 

大島:そんなことないですよ。ボクは自分ひとりなら月に20万もいらないなと思っているんです。だけどミシェルがこの先、なにか望んだときに叶えてあげたいと思うから、もっと稼ぐ必要があるなと思い直しました。だからそれまでやらなかった仕事も受けるようにして、何でもトライをするようになったら、前の3倍くらいに収入が増えました。

 

——“男性として”がんばることはデメリットではないのですね。それに気を遣わせない気遣いは、男性と女性、両方の経験があるからこそわかることでしょうか?

 

大島:そうかもしれないですね。ボクは相手が求める満たしてほしいこと、言ってほしい言葉がわかるほうだと思います。特にミシェルに関しては同じ男の娘なのでよくわかるかな。例えば女性の友達に「お前、ホントに男みたいだな」って言ったとしますよね。でも意外と女性って悪い気がしなかったりするじゃないですか。異性ではなく友達としてちゃんと見てくれていると感じたりして。

 

——わかります、女という色眼鏡で見る前に、気を許してくれている感じがして私は嬉しいです。

 

大島:彼氏にそう言われたとしても、仲の良さの証だったりしますよね。「男みたい」という言葉には、フランクに接することができる相手という意味があると思うんですけど、それをミシェルやボクに言ってしまうと、ちょっと意味が違ってくるじゃないですか。ある意味そう思うことはミシェルを女性扱いしていないことにも繋がってしまうんだけど、そういう微妙な感情は、ボクが誰よりも理解しなくちゃいけないんですよね。

 

――著書には、ミシェルさんのトラウマも書かれていますね。複雑な家庭環境のなかで「男らしくいなきゃ」「期待に応えなきゃ」というプレッシャーがすごくあったのかなと感じました。

 

大島:そうですね。ミシェルも「お兄ちゃんなんだから泣かないの」と言われて育ってきて、男のときは全然泣かない人だったようです。お母さんや妹さんはわりとよく泣く人で「そんなことでなんで泣いてんの?」と思っていたようです。いまは自分のほうが泣き虫で、この本も読む度に泣いてる(笑)。小さいころから「男は泣かないもの」と教えられて、それが染み付いていただけなんですよね。女性の見た目になって女性扱いされることで自分の感情が解放されつつあって、泣きたいときに泣けるようになってきたんじゃないかな。

 

――それはいいことなのでしょうか?

 

大島:泣きたいときに素直に泣けることは、幸せなんじゃないかな。ミシェルと同じように「男らしさ、女らしさ」にとらわれている人たちは多いのではないかと思います。でも「女の子だから泣いていい」と考えるのはよくないと思っています。何かができないことやしないことを女性性のせいにするのは、人として魅力に欠けますね。

 

――女だから、男だからどうしなければいけないというのがそもそも違うということですね。

 

大島:この本に「薫ちゃんがずっと私のこと好きかどうかなんてわかんないじゃん!」というミシェルのセリフがあるんです。確かにそうだけど、ボクは恋愛ってそういうものじゃないの?と思うんですよ。でも親が離婚したという人に話を聞くと、すごくミシェルの気持ちに共感するんです。恋愛に対して根強い不信感があるみたいなんですね。でもそれをずっと抱えていくのは辛いことです。だからこの本のテーマは、ボクやミシェルが男性性を押しつけられた幼少期を取り戻し、離婚による不信感を取り戻していく「過去からの脱却」なんです。

 

――お話ありがとうございました。

 

大島さんは、ミシェルさんと付き合い始めたころ、会ったあとに必ずメモを取っていたとか。どんな食べ物が好き・嫌いといった、ふとした会話のなかで得た情報を書き込んで、忘れないようにしていたんだそうです。「この話、前にしたよね、覚えてないんだ?」ってことがあると、めちゃくちゃ興ざめですよね。大島さんの気遣いは目まいがするほど羨ましいです!

 

中身は驚くほど頼りがいのある大島さん。自信がとらわれていた「男らしさ」「男としてのプライド」をすっかり脱ぎ去ったからこそ、小さなことにはこだわらないし、人として寛容なのでしょう。視野の広さや、作品からにじみ出る愛情の深さも、大島さんの魅力です。

 

「男の娘どうしの恋愛って、どんな感じなの?」「というかぶっちゃけ、どうやってするの?」みたいな下世話な興味からこの作品を読む人も多いかもしれません。もちろん、そういった好奇心もしっかり満たされますが(笑)、それだけではなく、男性性、女性性、家族、恋愛……いろんな問題を突きつけられます。それが、ふみふみこさんのかわいらしい絵柄で、時にはコミカルに語られます。

 

間違いなく、2017年のベスト5に入るコミックです。

プロレスラーの「海外武者修行」って何なの? 「凱旋帰国」直後の話題のタッグSHO&YOH選手に聞いてみた!

新日本プロレスのイケメンタッグとして、急速に知名度を上げつつあるSHO選手とYOH選手。メキシコ、アメリカ遠征から凱旋帰国した2017年10月の両国国技館大会で、タッグチーム「ROPPONGI 3K」(ロッポンギスリーケー)として電撃デビューを果たし、初のIWGP Jr.タッグ王者に輝きました。残念ながら、2018年1月4日の東京ドーム大会では外国人タッグのヤング・バックスに敗れてベルトを手放したものの、これまでの戦いぶりは、今後の活躍を大いに期待させる内容。今回は、そんなSHO選手とYOH選手に下積み時代から海外遠征、凱旋帰国までのお話をうかがうことで、お二人が何を学び、何を目指しているかを明らかにしていきます!

 

PROFILE

20180115-s3 (11)

SHO(左)

1989年8月27日生まれ。愛媛県宇和島市出身。173㎝、93㎏。高校時代にレスリングを始め、徳山大学に進学。レスリングでは副主将を務め、全日本大学グレコローマン選手権で7位、全日本学生選手権グレコローマンスタイル3位、西日本学生選手権フリースタイル準優勝など、数々の成績を残す。2012年に新日本プロレスに入門を果たし、同年の11月に渡辺高章戦でデビュー。2016年1月、同期のYOHと共にメキシコCMLL、アメリカROHに遠征。凱旋帰国となった2017年10月の両国国技館大会で、ロッキー・ロメロ率いる「ROPPONGI 3K」として、YOHとタッグを組みIWGP Jr.タッグ王座を獲得。所属ユニットはCHAOS(ケイオス)。趣味は筋トレ、釣り、ゲーム、サバゲー。

SHO選手のツイッターはコチラ

 

YOH(右)

1988年6月25日生まれ。宮城県栗原市出身。171.5㎝、85㎏。両親の影響を受け、幼いころからプロレスに興味を抱き、中学1年生の頃からプロレスラーを志すようになる。高校、大学ではレスリング部に所属し、卒業後にプロレス学校を経て2012年の入門テストに合格。同年、渡辺高章戦で待望のデビューを果たす。2016年1月、同期のSHOと共にメキシコCMLLへ遠征。その後、アメリカへと渡りROHで活躍。2017年10月の日両国国技館大会で、ロッキー・ロメロ率いる「ROPPONGI 3K」として、SHOとタッグを組みIWGPJr.タッグ王座を奪取。所属ユニットはCHAOS(ケイオス)。趣味は音楽鑑賞。THE BLUE HEARTS、銀杏BOYZ、HUSKING BEEなどを愛するパンクな一面も持つ。

YOH選手のツイッターはコチラ

 

憧れの選手との出会いによってプロレスラーを目指す

――まずはお二人がプロレスラーを目指したきっかけを教えてください!

 

SHO 高校生の頃、レスリングに入部するとプロレス好きの後輩がいて、その影響を受けたのが始まりでした。大学に入るとプロレスラーになるか、教員免許を取るか悩んでいたのですが……。棚橋弘至選手のサイン会で「プロレスラーを目指してます」とお話をすると、その当時に憧れていた棚橋選手から「待ってるよ!」と声を掛けてもらって。その瞬間、将来の目標は「プロレスラー」に決まりました(笑)。

20180115-s3 (2)↑SHO選手

 

YOH 僕は父親がプロレスの大ファンで、子どものころからプロレスが身近にあったことがきっかけですね。土曜の深夜に放送していた「ワールドプロレスリング」を毎週録画して、日曜の朝から一緒に観ていたのをいまでも覚えています。当時はまだ幼稚園の頃で「闘魂三銃士」が全盛の時代。リングで大活躍する武藤(敬司)選手を見て「カッコイイなぁ」と思っていました。そして、中学一年生のときに「プロレスのリングに立ってみたい。きっと気持ちいいんだろうなぁ」と考えるようになり、本気でプロレスラーを目指すようになりました。いま思えば父親の「英才教育」ですね(笑)。でも、プロレス好きの父親に「プロレスラーになる」と言ったら本気で驚いていました。そのとき、「お前本気か? なれるものならなってみろ!」と笑われて、闘志に火がついた形です。

20180115-s3 (6)↑YOH選手

 

下積み時代は相撲の世界に通じる厳しさがある

――新日本プロレスに入門し、練習生として過ごしたお二人ですが、下積み時代にはどんなことをしたのでしょうか?

 

YOH 入門した練習生は必ず専用の寮に入り、寮生活が義務付けられます。基本的には寮内の仕事をしつつ午前中に練習をして、午後は夜中の11時ごろまで雑用ですね。

 

SHO 練習や雑用よりも厳しかったのは、デビューするまでの寮生活が「外出禁止」だったこと。

 

YOH 僕たちはデビューまでに9か月掛かりましたから、かなり辛かった(笑)。デビューしてからも食事の当番や先輩レスラーの付き人、会場でのセコンド業務と、遊んでいるヒマはありませんでした。

20180115-s3 (8)

SHO 新日本プロレスの基本は、相撲のしきたりがベースになっています。力道山さんの時代から相撲の習慣が受け継がれていて、「新弟子」と呼ばれる下積み時代は相撲の世界と共通した厳しさがありますね。ホント、何度も辞めようと思いました(笑)。

 

「海外遠征」とは、一人前になるための卒業試験のようなもの

――プロレスでは、「海外遠征(または海外武者修行)ののち、凱旋帰国」といったフレーズをよく耳にするのですが、これはどういうものなのでしょうか?

 

SHO 新日本プロレスではヤングライオン(新日本プロレスの若手選手のこと)を経験したら、海外に送り出されるのが代々のならわしになっています。海外遠征は、一人前になるための卒業試験みたいなもの。俺たちも若手としての区切りを着けるため、必死になって海外遠征を目指しました。

 

YOH 海外に行くことは、自分の将来を探すための貴重な経験ですからね。でも当時、僕たちの下の後輩が入門してこなかったので、寮を出るまでの修業期間は約4年もかかりました。

 

――えっ、下が入ってこないと、寮を出られないわけですか?

 

SHO そうなんです。いや、長かった~(笑)。

20180115-s3 (4)

――新日本プロレスと関係の深いメキシコのプロレス団体「CMLL」とアメリカの団体「ROH」へと武者修行に行ったとのことですが、海外で一緒に生活するなかで、ケンカすることはなかったのですか?

 

YOH 僕たちは入門テストも入門日もまったく同じ同期。練習生時代から常に一緒にいたこともあってか、ケンカをしたことは一度もありませんでした。

 

SHO YOHさんの方が1歳年上と言うこともあり、上手にリードしてくれる感じですね。いまでも会話は敬語90%、タメ口10%(笑)。

 

YOH 敬語は使っても、気は遣ってくれないけどね……(笑)。でも、同じ歳だったら、ここまでうまく行ってなかったと思いますよ。

 

SHO このベストな関係は、俺が年上でもダメだったでしょうね。

 

メキシコでは試合のために往復14時間かけたことも

――ちなみに、武者修行には自分のスタイルを決めてから海外に向かうとうかがったのですが、お二人もスタイルを決めていたのでしょうか?

 

YOH 常に同期として行動をともにしていたので、スタイルとしては「タッグ」ということだけは決めていました。

 

SHO 海外には数多くのタッグチームがいるので、試合を重ねることで学ぶことも多いのでは? と漠然と考えていたんです。

20180115-s3-25↑連携技を決めるYOH選手とSHO選手 ©新日本プロレス

 

――メキシコのCMLLとアメリカのROHで試合をしていたお二人ですが、その違いを教えてください。

 

SHO メキシコは「ルチャリブレ」と呼ばれる、空中技を多用する独特のメキシカンプロレスがメインになるのですが、プロレスが文化として定着しているので、練習環境としてはかなり充実していました。

 

YOH メキシコは自分たちには合っていましたね。CMLLは常設の会場を5つくらい持っていて、そこをサーキットするような感じでした。

 

SHO 会場を回る日程が決まっていて、たとえば、火曜日はバスで7時間くらいかけて会場に行き、試合をして、そのまま7時間かけて帰ってくるのがお決まりでした。

 

――かなりハードなスケジュールですね。辛くはなかったのですか?

 

YOH バスの中ではいつも爆睡でしたから(笑)。

 

SHO 移動の時には地元のルチャドール(ルチャリブレの男性プロレスラー)と話をするのも楽しかった。今となっては良い思い出ですね。

 

メキシコでの練習方法は「ぶっつけ本番」

――では、アメリカのROHはどうでしたか?

 

YOH ROHでは平均して月に2~3試合くらいしか出場できなかったのですが、ヤング・バックス、モーターシティ・マシンガンズなどのトップクラスのタッグが多かったので、試合自体は楽しかった。コテコテのアメリカンプロレスも僕たちにとっては良い勉強になりました。

20180115-s3-24↑現在は日本で活躍するヤング・バックスと対戦するYOH選手(左)とSHO選手(右) ©新日本プロレス

 

SHO ただ、ROHでは試合数が少なかったので、休みの日はメキシコに練習するために通うことも多かったです。ROHでも、もっと試合がしたかったですね……。

 

――練習では、どんなことをしていたんですか?

 

YOH アメリカでは筋トレなどが中心だったのですが、メキシコでは、現役のプロレスラーに技を習っていました。教え方も独特で、高いところからいきなり「飛んでみろ」と言われる(笑)。それは怖いですよ。でも、やってみると何とかなるものです。ぶっつけ本番だと、集中力も高まりますしね。

 

――CMLLのルチャリブレとROHのアメリカンプロレスでは、どちらの経験が役に立っていますか?

 

SHO メキシコとアメリカのプロレスはまったく別物なので、どちらも経験して良かったと思います。

 

YOH 僕たちのようにタッグで戦うプロレスラーにとっては、対戦相手に合わせてスタイルを使い分けることが大きな武器になりますからね。引き出しを増やすことで、試合の流れを変えることができる。その経験値を増やしてくれた海外遠征は、大きなターニングポイントだったことは間違いありません。

 

――ちなみに、メキシコとアメリカでは、どちらが肌に合いましたか?

 

SHO 完全にメキシコです。とにかく人が優しくて陽気な性格ですから、ホームシックになることはありませんでした。

 

YOH でも、メキシコ人って、平気でウソをつくんですよ(笑)! 自分から食事に誘ったのに約束の場所に来ないとか。道を聞くと、その場所を知らないのに「向こうだ」って指をさすんです。でも、そのウソには悪意がないんですね。楽しませようとか、困っているヤツを助けようと思ってウソが出ちゃうらしい(笑)。

 

――それも困ったものですね(笑)。

20180115-s3-3

 

SHO選手は「技術」、YOH選手は「華やかさ」を追求

――メキシコとアメリカの海外武者修行中で、自分たちのスタイルが固まってきたのはいつごろですか?

 

YOH 正直な話、タッグとしてのスタイルが見えてきたのが2017年の6月くらい。メキシコやアメリカで試合を続けながら、迷走し続けていたというのが本音です。

 

SHO YOHさんと話し合って、タッグパートナーとして同じ目標を持ちながらも、それぞれが違った色を出すことが俺たちのスタイルになるんじゃないかと……。俺の場合はパワー重視で戦うスタイルを目指していたのですが、それだけでは他の選手と差別化はできません。MMA(総合格闘技)でも戦えるようなテクニックを身に着けるため、アメリカ修行時代には、柔術の達人でもあるダニエル・グレイシーに教えを請いました。

 

YOH 僕の場合は、SHOが技術的な部分を追い求めていることを知っていたので、それとは対照的に、「華やかさ」を突き詰めて行こうと決めました。

20180115-s3 (7)

――具体的には、どんなスタイルなのですか?

 

YOH 僕の憧れは今でも闘魂三銃士時代の武藤選手。ですから自分のプロレス哲学の中には蹴りや関節技は入っていません。僕が求めるのは、ひとつひとつの動きだったり、技と技の間(ま)の取り方だったり、所作の華麗さでお客さんを盛り上げて行きたい。最近のプロレスは技を数多く繰り出すことが主流になっていますが、もっと「技」を大切に使うべきだと考えています。古典的な技であっても、もっと華麗にアレンジできれば会場を盛り上げることができると信じています。SHOとは真逆の部分に磨きを掛けることが、僕が求めるスタイル。目指すべき道は、子どものころに憧れた「プロレスの原点」の違いなのかもしれませんね。

 

SHO その個性の違いがリング上でシンクロする。俺は、それがタッグとしての強みになると信じています。

 

タッグならではの魅力を伝えていきたい

↑↑カニのポーズ(後述)をとるSHO選手とYOH選手

 

――では、今後の目標を教えてください!

 

YOH 今の新日本ではオカダ・カズチカ選手を頂点にしたヘビー級の戦いが注目を集めていますが、ボクたちが戦う「ジュニアヘビー級」という階級をもっと盛り上げていきたい。観戦しているファンのみなさんと同じような身長の選手たちが戦う姿に共感してもらえたら。

 

SHO でも、そこにはプロレスラーとしての憧れを感じてもらえるハイレベルな戦いは欠かせません。実際、学生のころには「体の小さいお前がプロレスラーになれるワケがない」って言われていましたから。そんな俺がプロレスラーになれたのだから、本気でこの世界を目指している人たちに勇気を与えられたらなと思います。

 

YOH 僕の目標は、ジュニアヘビー級の試合が大会のメインを飾ること。新日本のマットに新しい伝説を作り上げることが僕たち「ROPPONGI 3K」に課せられた使命だと考えています。僕たちも所属するユニット「CHAOS」(ケイオス)には、邪道選手、外道選手のようなお手本にするべきタッグもいるので、まずはそこを目指すことが必要ですね。

 

SHO タッグを組んで戦う格闘技はプロレスだけ。その面白さ、迫力に興奮してもらえたら最高ですね。格闘技の新しい形として俺たちROPPONGI 3Kが盛り上げていきます!

 

――最後に、プロレスファンだけでなく、プロレスに興味を持ち始めた人たちに対してROPPONGI 3Kの魅力と見どころを教えてください。

 

SHO ROPPONGI 3Kならではのコンビネーションと技のキレを見て欲しい。展開の早さと激しい攻防に、きっと興奮してもらえるはずです。テレビでも楽しんでもらえると思いますが、実際に会場に足を運んでもらえればうれしいですね。

 

YOH パワー担当のSHOと、頭脳派の僕のコンビネーションは必見です(笑)。特に高い位置から相手の顔をマットに叩きつける必殺技「3K」(スリーケー)に注目してください。コンビで繰り出す技はシンプルですが、見応えがあると思います。

 

SHO 決め技の前に行う「カニのポーズ」も一緒にチェックしてほしいですね。このポーズが必殺技の合図。このときは、カニのように横にしか歩けなくなります(笑)。

 

YOH とにかく一度、会場で観戦して欲しいです。僕たちの試合を生で見てシビれてください!

20180115-s3 (14)

――今回のインタビューで目立ったのは、パワフルでお茶目なSHO選手、知的な印象のYOH選手の絶妙なコンビネーション。試合だけでなく、日常的に深い信頼関係が築かれていることが強く伝わってきました。このチームワークの良さを活かして、これからも新日本プロレスで大暴れしてくれることでしょう。ジュニアヘビー級タッグ王座のチャンピオンベルトを奪い返す日は、そう遠くはなさそうです。

 

【SHO&YOH選手が出場する大会情報はコチラ】

NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA 2018

2018年1月19日(金) OPEN 17:30/START 18:30
2018年1月21日(土) OPEN 17:30/START 18:30
2018年1月22日(月) OPEN 17:30/START 18:30

東京・後楽園ホール
https://www.tokyo-dome.co.jp/hall/

イベント特設サイトはコチラ

家電のプロが「もっとも勢いがある」と感じたメーカーは? 2017年「注目の家電」と「業界の流れ」を振り返る!

2017年も各社からさまざまな家電製品が登場しました。なかでも、家電のプロの目から見て、いったいどんなアイテムが印象に残ったのでしょうか。前編では、IT・家電ジャーナリストの安蔵靖志氏に調理家電について語っていただきました。後編となる今回は、調理家電以外で注目したアイテムや、2017年の業界の流れについてお話を聞いていきましょう!

 

20171228-s4-10

安蔵靖志(あんぞう・やすし)

IT・家電ジャーナリスト。家電製品総合アドバイザー(プラチナグレード)。AllAbout 家電ガイド。ビジネス・IT系出版社を経てフリーに。デジタル家電や生活家電に関連する記事を執筆するほか、家電のスペシャリストとしてテレビやラジオ、新聞、雑誌など多数のメディアに出演。KBCラジオ「キャイ~ンの家電ソムリエ」に出演中。その他ラジオ番組の家電製品リサーチや構成などにも携わっています。

 

パワー、持続力ともに高い「コードレスキャニスター掃除機」がいよいよ出てきた

――2017年、調理家電以外で「これは!」と思ったものはありますか?

 

安蔵 いよいよ出てきたな! と思ったのは、シャープと東芝から相次いで登場したコードレスキャニスターのクリーナーです。実は以前にも発売されたことがあったのですが、当時はパワーとバッテリー容量がいまひとつなのに、価格も安くなかったので普及しませんでした。今回、シャープと東芝から出た製品は、パワー、バッテリーともしっかり確保されていて、実用性は十分です。

20171122_ashida2_AEC-AP700-N
シャープ

コードレスキャニスター掃除機

RACTIVE Air(ラクティブ エア) EC-AP700

実売価格6万9480円

紙パック式のコードレスキャニスター掃除機。本体質量1.8kg、標準質量2.9kgの軽量ボディが特徴です。着脱式のバッテリーを採用し、予備バッテリーを用意すれば連続して運転できます(自動モードで約30分×バッテリー2個=約60分)。バッテリーパックは本体と離れた場所で充電が可能。サイクロン式の「EC-AS700」もあります。

 

20171122_ashida1_AVC-NXS1_R
東芝

コードレスキャニスター VC-NXS1

実売価格10万9190円

独自開発のモーターにより、強力な吸引力を実現。自走式のパワーヘッドで、スイスイお掃除できます。標準モードで最長約60分の運転が可能。裏表のない二面式の本体も特徴。また、大容量のダストカップを装備したダストステーションが付属しているので、本体のダストカップのゴミ捨てが不要です。

 

――今回は普及すると思われますか?

 

安蔵 訴求の仕方次第ですね。コードレスキャニスターで裾野を広げるためには、新しモノ好きのユーザーに訴求するだけでなく、高齢者を含めたマジョリティに訴えねばなりません。そのためには、今までのキャニスターと同じ使い勝手を実現して、高齢者でも迷わず使えるようにし、なおかつ充電は「充電台に置くだけ」というシンプルさが求められます。シャープも東芝もここはクリアしているので、あとは「いかに認知を広げるか」ということではないでしょうか。

 

ロボット掃除機ではパナソニックのRULOが他社と差別化できていた

――ロボット掃除機市場はいかがでしょうか。

 

安蔵 色々と出ましたが、どれか1台を選ぶならパナソニックの「RULO(ルーロ)」を推します。

 

――あ、センサーを増やした新モデルでしたよね。

 

安蔵 はい。特に上位モデルのMC-RS800は、人工知能も搭載して、マッピングしながら間取りを学習して効率よく掃除します。このマッピングが面白いんですよ。一度間取りをマッピングすれば、スマートフォンの専用アプリから「エリア指定モード」を利用して、掃除してほしくない場所を指定できるんです。例えばペットがいる家庭なら、エサの置き場所を指定すれば、そこを避けて掃除してくれます。ルンバの場合はバーチャルウォールという機材を設置する必要がありますし、その他のメーカーでは、磁気テープを貼る必要があることも。磁気テープだと、さすがにリビングの見栄えがね……。その点、RULOならリビングに余計なモノを置くことなく、除外エリアを指定できます。これは、大きな差別化ができているポイントですね。

20180107-s1-4
パナソニック

RULO MC-RS800

実売価格12万9220円

独自の三角形状を採用し、部屋の隅のゴミにも強いのが特徴です。新機種ではレーザー、超音波、赤外線の3種類の障害物検知センサーを搭載し、壁や障害物にぶつからないようにお掃除。スマートフォンからの操作にも対応します。

 

エアコンではアイリスオーヤマのWi-Fi搭載が衝撃的

――空調関連ではいかがでしょう。印象的な製品はありましたか?

 

安蔵 ユニークさという意味では、日立の凍結洗浄エアコンは印象的ですね。なかなか真似できないだと思います。しかし、なんといってもエアコンで衝撃的だったのは、新規参入したアイリスオーヤマがWi-Fiを標準搭載したこと。パナソニックやシャープも最上位のシリーズでは無線LANを内蔵していますが、アイリスオーヤマは8万~10万円台の低価格帯でWi-Fi搭載を実現し、業界を震撼させました。

20180109-s3 (2)
日立

ステンレス・クリーン 白くまくん

プレミアムXシリーズ
実売価格税込30万230円(※14畳タイプRAS-X40H2)

熱交換器の自動お掃除機能「凍結洗浄」は、熱交換器をいったん凍らせて霜を蓄え、一気に溶かすことで、従来取り除くのが難しかったホコリやカビを洗い流す新方式。エアコン内部をキレイにして清潔な空気を送り出します。[くらしカメラ AI]で部屋を検知し、人がいない時間を選んで自動で洗浄するのも特徴。

 

20180109-s3 (3)

 

アイリスオーヤマ

IRW-2817C(10畳用)

実売価格10万7780円

Wi-Fiと人感センサーを標準搭載し、屋外からのスマートフォンでの遠隔操作を実現したルームエアコンです。低価格とWi-Fi搭載で大きな注目を集めましたが、現在は販売終了。

 

安蔵 エアコンを遠隔操作しようという動きは2012年ごろからあったのですが、当時は法律の問題で電源ONができず、普及に弾みがつきませんでした。法改正を受けて、各社とも電源オンに対応するようになったのですが、これまでずっと「オプション(別売)対応」でした。そこにアイリスオーヤマが先陣を切ってWi-Fiを標準搭載し、パナソニックとシャープが続いた形です。パナソニックとシャープは最上位モデルのみですが、来年は下位モデルにまで広げて欲しいところですね。もちろん、他のメーカーも追随してくるでしょう。

 

――遠隔操作とは、それほど便利なものなんですか?

 

安蔵 もちろん。できたほうが誰にとっても便利です。家に帰る前に部屋を涼しくしておきたい、あるいは暖かくしておきたいとは誰しも思うでしょう。ましてやペットを飼っていると、春先の気温が落ち着かない時期などは「暑くて苦しんでいないかな……」などと心配してしまいます。この心配がなくなるだけでも、導入する価値がありますね。個人宅だけでなく、アパートやマンションなどの集合住宅に導入すれば、賃貸物件のアピールポイントの1つになるはずです。ペット可の賃貸物件とは、特に相性がいいのではないでしょうか。

 

もうひとつ、遠隔操作といえば、洗剤と柔軟剤を自動投入するパナソニックの洗濯機が良かった。こちらもスマホとの連携が可能なうえ、洗剤の量を自動で計量してくれるので、帰宅時間に合わせて洗濯が終了するよう、スマホで設定できるようになっています。

20180109-s3 (1)
パナソニック

ななめドラム洗濯乾燥機 NA-VX9800

実売価格35万3620円

液体合成洗剤や柔軟剤をあらかじめ入れておけるタンクを搭載し、洗濯の際は最適な量を計算してタンクから自動で投入。手間が省けて洗剤の入れすぎなどもなくなります。外出先からスマートフォンで洗濯の仕上がり時間などを設定可能。

 

2017年は「見える化」の機運が高まった

――空気清浄機の分野ではいかがでしょう。

 

安蔵 これは、家電業界全体にも言えるのですが、2017年は「見える化」の機運が高まってきた印象があります。そもそも、空気清浄機というものは、本当に効いているのかがわかりづらい。メーカーもその点に配慮して、例えば運転状況が屋外からスマホで確認できるようにし、スマホアプリで空気の状況を示すことで、空気清浄機の効果を見せる……といった形で「見える化」を進めてきた印象ですね。ダイキン、シャープ、ダイソン、ブルーエアなどがこれに対応していますが、例えばダイキンの加湿空気清浄機「MCK70U」は、PM2.5、ホコリ、ニオイの3種類の汚れを6段階のレベルで「見える化」しています。今後はパナソニックなども当然対応してくるでしょう。

20180109-s3 (6)
ダイキン

MCK70U

実売価格5万7070円

独自のストリーマ技術を強化し、有害ガスの分解スピードや脱臭性能が2倍になりました。0.3μmの微小な粒子を99.97%除去するTAFUフィルターを新たに搭載。ルームエアコンと同じアプリで、スマートフォンから室内の空気を見える化。遠隔操作も可能です。

↑ダイキンのアプリ画面↑ダイキンのアプリ画面

 

安蔵 「見える化」という意味では、「部屋干し3Dムーブアイ」を搭載した三菱電機の衣類乾燥除湿機「サラリ」が抜群に良かった。衣類乾燥除湿機では「一択」と言っていいと思います。

 

――「一択」ですか! どこがそんなにいいんでしょうか?

 

安蔵 「光ガイド」という機能がいい。これは、濡れた部分だけ検知して緑色の光で照らし、重点的に温風を当ててくれる機能です。これがあるだけで、「ちゃんと働いてくれているな」と、確認できるので、安心感がまるで違います。発想が面白いうえに理に適っている、という極めて良いプロダクトですね。また、フィリップスの電動ハブラシは、スマホと連携して正しく磨けているか、コーチングできるものが出ています。こちらも「見える化」のひとつと言えるでしょう。

20180109-s3 (7)

 

 

三菱電機

サラリ MJ-120MX

実売価格4万3090円

経済的なコンプレッサー方式を採用する衣類乾燥除湿機。約180cmのワイド送風で、洗濯物を一気に乾燥できます。温度、湿度、赤外線センサーを用いて乾き残りを見つけ、緑色の「光ガイド」を照射しながら集中乾燥します。

↑除湿をスタートしてから約5分ほど経過すると、濡れた箇所だけ検知して重点的に送風するのが特徴だ↑除湿をスタートしてから約5分ほど経過すると、濡れた箇所だけ検知して緑色の光で照らし、重点的に送風します

 

20180109-s3 (8)
フィリップス

sonicare(ソニッケアー) HX9964/55

実売価格3万8880円

4種類の高性能ブラシヘッドを備えた電動ハブラシ。スマートフォンの専用アプリで歯磨きをリアルタイムに追跡し、きちんと磨けているかどうかをセンサーでチェックします。

 

メーカーで「勢いがあるな」と感じたのはパナソニックとシャープ

――ちなみに、2017年、安蔵さんが「勢いがあるな」と感じたメーカーはどこですか?

 

安蔵 まずはパナソニックですね。先述の「ロティーサリーグリル&スモーク」「洗剤を自動投入する洗濯機」をはじめ、創業100周年で気合いの入った商品が数多く発表されました。私は毎週、家電を紹介するラジオ番組をやっているんですが、面白いモノを立て続けに出すものだから、紹介したいのがパナばかりになってしまって。こんなに続けて大丈夫か……と思ったこともあります。

↑前編でも紹介したパナソニックのパナソニック ロティサリーグリル&スモーク NB-RDX100(実売価格5万1230円)↑前編でも紹介したパナソニックのパナソニックの「ロティサリーグリル&スモーク NB-RDX100」(実売価格5万1230円)。かたまり肉を回転させて焼くことができるほか、オーブン、トースター、燻製器としても使用可能

 

もうひとつ際立っていたのが、実はシャープだと感じています。もともと、どん底の時期に「蚊取空清」や「ロボホン」などのチャレンジングな商品を出していましたが、これは凄いことですよ。2017年も、そのチャレンジ精神は健在。先述のコードレスキャニスター掃除機のほか、冷蔵庫の分野では大容量の500Lクラスで左右どちらでも開く「どっちもドア」を実現したモデルや、AIoT(※)に対応したモデルを開発しています。どっちもドア&AIoTモデルが出なかったのはちょっと残念でしたが、いずれ開発されるでしょう。また、効果は床置きの方がいい部分もあるとは思いますが、発想の面では天井に取り付けることで邪魔にならないLEDシーリングライト付きの空気清浄機、「天井空清」も面白いですね。さらに勢いのあったメーカーの次点を挙げるとすれば、低価格でWi-Fi搭載エアコンを出したアイリスオーヤマでしょう。

AIoT……AI(人工知能)とIoT(モノがインターネットを通じてクラウドやサーバーに接続され、情報をやりとりすること)を組み合わせたシャープの造語。単なるIoTではなく、ユーザーの好みを学習して提案するなどが可能となります

20171004-s2-37

シャープ

SJ-GX50D

実売価格30万5680円

クラウドサービス「COCORO KITCHEN」に対応したAIoT冷蔵庫。献立や食品保存方法などを教えてくれます。チルドルーム内を清潔に保つ高密閉構造の「プラズマクラスターうるおいチルド」を新採用。

 

――では最後に、2018年の家電がどのように進化していくか、予想をお願いします!

 

安蔵 意外性に欠けると思いますが、やはり期待したいのは家電のスマート化。いま、スマートスピーカーは一部のギークが楽しんでいるだけですが、できることが増えると魅力も増していきます。メーカーには、他社が対応したら自社も……というのではなく、「何が何でも対応してやろう」くらいの意気込みで対応してほしいです。極端な話をすれば、情報をやりとりするインターフェイスさえしっかり作っておけば、アプリの開発やアップデートはある程度「後追い」でもできるはず。そんなイメージで、開発スピードをどんどん上げていってほしいですね。

 

――魅力的な調理家電が数多く登場し、「遠隔操作」「見える化」などがキーワードとなった2017年。2018年も、「何だコレ!」と、我々の度肝を抜くような、斬新な家電に登場してほしいところ。みなさんもぜひ、新たなアイテムの登場に期待してみてください!

 

2017年の注目の調理家電を紹介した前編はコチラ

創業者の問いかけに一人だけ手を挙げた若き天才時計師の告白ーーフレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏インタビュー【後編】

テンプの動きが文字盤側から楽しめる「オープンハート」の設計を世界で初めて考案するなど、フレデリック・コンスタントは創業30年ほどで数多くの偉業を成し遂げてきました。こうした躍進を2002年から支えてきたのが、“ブランドの頭脳”ピム・コースラグ氏。フレデリック・コンスタント躍進の原動力となっている彼が初来日したタイミングで、話を聞くことができました。

 

前編はこちら

 

20171225_hayashi_WN_01

 

 

インスピレーションの源は「手の届くラグジュアリー」

−−フレデリック・コンスタント初の自社製ムーブメントCal.FC-910は、2004年に発表されました。その後も様々な自社製ムーブメントを手がけていますが、何があなたの意欲的な開発を支えているのでしょうか?

 

フレデリック・コンスタントの自社ムーブメントの開発は、常にブランドのコンセプトである「Accessible Luxury(手の届くラグジュアリー)」に基づいています。私たちの製品価格帯で自社製ムーブメントを搭載することは、それだけで価値あることだと思いますし、これをさらに発展させることもまた自然な流れでしょう。

 

↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏

 

 

FC-910や、その後に開発したFC-700は、発展させることを前提に設計したベースムーブとなっています。これらは、カレンダーウオッチからトゥールビヨン、永久カレンダーに、新作となるフライバック クロノグラフまで、様々な可能性を秘めているのです。

 

↑ムーンフェイズとポインターデイト、24時間計を備えたFC-945搭載のハートビート マニュファクチュール。文字盤とケースが完全に調和したデザインは、すべてピム氏の狙い通り↑ムーンフェイズとポインターデイト、24時間計を備えたFC-945搭載のハートビート マニュファクチュール。文字盤とケースが完全に調和したデザインは、すべてピム氏の狙い通り

 

 

開発に際して難しいことは、ただ一つ。どのようにしてフレデリック・コンスタントの価格帯に落とし込むか。という点だけですね。永久カレンダーをピーターからオーダーをされたときは、本当に途方にくれましたよ(笑)。

 

この難題に対して私が考えた解決策は、ムーブメントに永久カレンダーモジュールを加える設計でした。結果、価格を抑える(注:スリムライン パーペチュアルカレンダー マニュファクチュールは129万6000円)ことができただけでなく、合理的な設計で修理もしやすいというメリットも生まれました。これは他社製の永久カレンダーウオッチとは、一線を画す特徴だと言えます。

 

 

−−フライバック クロノグラフも、他ブランドの自社製ムーブメント搭載機と比べて現実的な価格となっています。これもやはりモジュール方式の設計のメリットなのでしょうか?

 

その通りです。フライバック クロノグラフではよりモジュールのパーツ点数を減らすことができました。その技術的成果で、特許も取得しています。

 

私たちが取得した特許技術は、リセットハンマーに関する事柄です。従来のコラムホイール式クロノグラフは、スタート・ストップ・リセットのすべてをコラムホイールを介して行っていました。対して新作のフライバック クロノグラフ マニュファクチュールが搭載するFC-760は、4時側のリセットボタンが直接リセットハンマーとクラッチギアに作用するようになっています。

 

↑スタート・ストップのみを制御するコラムホイールは、シンプルな星型を採用。このようにパーツの加工をシンプルにすることも、価格の抑制につながっている↑スタート・ストップのみを制御するコラムホイールは、シンプルな星型を採用。このようにパーツの加工をシンプルにすることも、価格の抑制につながっている

 

 

このムーブメントは60秒積算と30分積算の計測機能を持つクロノグラフですが、リセットハンマーは3股に分かれています。1つめは30分積算、2つめは60秒積算、そして3つめは動力を伝達するクラッチギアを切り離す役割を持っているのです。

 

この「ダイレクトフライバックハンマー」は、屈強な男性が押しても華奢な女性がリセットボタンを押しても壊れず正確に動作するようハンマーの設計を変え、トライ&エラーを繰り返しながらレバーの弾性の最適値を模索しました。壊してしまったプロトタイプは、30ぐらいはあるでしょうか(笑)。

 

無駄と思われるかもしれませんが、机上で計算を続けるより早いですし、信頼の置けるものが出来上がったと思います。

 

 

創業者の先見の明は時計師選びにも発揮されていた

創業者ピーター・スタース氏は、オープンハートからスイス初のスマートウオッチまで、様々な取り組みをいち早く行ってきた人物ですが、まさか人を見る目にまで優れていたとは驚きです。というのも実はピム・コースラグ氏は、フレデリック・コンスタントの価格では作りきれなかったムーブメントを、アトリエ ド モナコという別ブランドで発表しています。こちらはかなりの高級時計ですが、ピム氏がやりたいことを本気でやればジュネーブ・シールだって取得できてしまうわけです。

 

逆説的ですが、超高級時計を作るだけの知識と経験を持った人物が「手の届くラグジュアリー」というコンセプトを基に作り上げたものがフレデリック・コンスタントのマニュファクチュールコレクションというわけです。

 

フレデリック・コンスタントの時計が、ユニークでハイクオリティな理由も納得ですね。

 

フレデリック・コンスタント公式サイト https://frederiqueconstant.com/ja/

Ateliers deMonaco http://ateliers-demonaco.com/

 

 

 

スマートスピーカーとは何が違う? 人工知能を手にした「スマートホーム」がもたらす生活

ここ最近、「スマートスピーカー」と呼ばれる製品への注目が高まってきている。スマートスピーカーとは、音声で照明をコントロールしたり、楽曲やビデオを流してくれたり、天気予報や最新ニュースを教えてくれたりする“賢いスピーカー”のことを指す。もっとも、スピーカー自体が賢いというより、インターネットで接続した先にあるAI(人工知能)が、わたしたちの発する言葉を解析し、コマンドを出すのだ。

 

では、「スマートホーム」はどうだろうか。さらに、スマートホームが人工知能を手に入れると生活はどのように変わるのだろうか。2016年12月からスマートホームを手がけてきた投資不動産ディベロップメント事業会社インヴァランス代表取締役 小暮学氏と、米 Brain of Things(以下、BoT)CEO アシュトシュ・サクセナ氏に話をうかがった。

20171215_y-koba11 (1)↑Brain of Things アシュトシュ・アシュトシュ氏とインヴァランス 小暮学氏

 

完全なスマートホームが“不完全”だった理由

まず、スマートホームとはどのようなものなのだろうか。簡単にいえば、室内にある照明器具、エアコン、給湯器などのデバイスを、IoT技術によりスマートフォンでコントロールする仕組みを備えた家のことである。

 

インヴァランスでは、自社のそのIoTシステムを「alyssa.(アリッサ)」と名付け、同名のスマートフォンアプリで操作できるようにした。「これまでの家づくりは数百年もの間、地震や火事、水害などに持ちこたえられるように構造を強くしたり、お風呂やキッチン周りなどの設備を充実させたりと、ハード面での改良に重点を置いてきました。インヴァランスではその次の段階として、ユーザーエクスペリエンスの部分が重視されるべき、と考え、IoTを住まいに組み込むことにしました」と、システム開発の経緯を小暮氏は説明する。

20171215_y-koba11 (1)↑IoTを利用して外出先でもスマートフォンから室内の機器をコントロールできるようにした「alyssa.」システムの専用アプリ

 

alyssa.がスマートスピーカーやほかのスマートホームと決定的に異なる点は、建物の建築設計から携わる会社が提供している、ということ。構造を無視して、ガス器具など火を扱う器具のコントロールシステムを後付けすることは建築基準法上難しいが、それを熟知しているデベロッパーのインヴァランスだからこそ、外出先からガス給湯器を扱うシステムも載せられるのだ。

 

このようにスマートホームとしては完璧ともいえるシステムを構築した小暮氏だが、「これでは不十分だ」と言う。「スマートホームともてはやしても、結局家の中にあるスイッチをスマホで持ち出せるようにしただけ。スマホと家をつなげた単なる“コネクティッドホーム”に過ぎず、自分たちで操作しないといけないためスマートとは言えない。それらを自動化した、本当の“スマートさ”のために、AIは必須なのです」。

 

そのように考えていたところ、AIにおける博士号を取得したアシュトシュ氏率いるAI開発ベンチャー企業BoTのプロダクトに触れ、BoTと提携。2015年に完成していた、居住者の生活パターンを学習してより快適に過ごせるAIスマートホームシステム「CASPAR(キャスパー)」を同社のスマートホームに組み込むことにしたのだ。

 

スマートホームがAIを手にすることで生じる変化とは?

アシュトシュ氏は、「CASPARを組み込んだスマートホームはインテリジェントパートナーになり得る」と言う。そして、なぜスマートスピーカーだけでは足りないのか? という質問に次のように答えた。

 

「自動車の自動運転のことを考えてほしい。実際に運転するには道路状況を確認しつつ、アクセルやブレーキ、ウィンカーやハンドルなどの操作をする必要がある。もし、これらをすべて音声でコントロールする必要があるとしたら、コマンドを出し切れるだろうか。その必要をなくすために開発されているのが自動運転のAIなのである。

同じように、家の中でコントロールしたいものは、オン/オフの切り替えだけでなく、明るさや温度など微妙に調整の必要なものがある。例えば、『映画を見たい』という場合、ディスプレイをオンにするだけでなく、カーテンを閉め、照明を少し暗くする、といった具合だ。『テレビつけて』『東側のカーテン閉めて』『少し暗くして』とすべて指示するのは大変だろう。自分だったらこうするだろう、というようなことをひとつの音声コントロールで、いわば行間を読んで先回りしてやってくれるのがCASPARのようなAI、インテリジェントパートナーなのだ」

20171215_y-koba11 (2)↑「CASPAR.AI」のマイク・スピーカー。住人は明確な指示がある場合、「CASPAR」と呼びかけるが、大抵の場合は室内各所に設置したセンサーが住人の行動を把握し、例えば、廊下を通ってトイレに行けば明かりをつけるなど、自動的に機器をコントロールする

 

最新技術を駆使したスマートホームが高齢者の自立を支援

来るべき高齢化社会に向けてもAIを組み込んだスマートホームは重要になってくる、とアシュトシュ氏は言う。

 

「もちろん、音声コントロールはスマートスピーカーやスマートホームにとって、なくてはならないものだが、それは機能の一部にすぎない。もしベッドから起き上がろうとしたとき、またはトイレに入ったときに意識を失い倒れてしまったら、声を出して助けを呼べるだろうか。CASPARなら、部屋の各所に設けたセンサーと連動しているため、住人の動作や発する音から状況を解析し、助けを呼ぶことができる。高齢者が介護施設ではなく、自分の力で生活するのに不安がないようにするのもインテリジェントパートナーの役割であるといえよう」

20171215_y-koba11 (3)↑CASPARを組み込んだ高齢者向け住まいの実験。実際にセンサーが感知するのは熱(人がどこにいるのか)や音声などだけだが、それでも行動は把握できる。ここでは住人がベッドの上で咳き込んでおり、音声センサー(右下)がそれを拾い、右上のグラフには「Coughing(咳)」と表示。咳が何度も続くようであれば、看護師が駆けつける仕組みになっている

 

実は、米国でも一人暮らしの高齢者をどのように支援するのか、といった課題を抱えているという。普通の人にとって簡単なことでも、高齢者にとっては就寝前に明かりやガスコンロの火を確認して消すといったことは難しい場合もある。そのため火災のリスクも高まっているのだ。

 

そのような課題に取り組むべくBoTは、2018年の完成に向けて米カリフォルニアに130棟の高齢者向けアパートを建設中。完成すれば、介護施設に移り住まずとも、一人暮らしをしていくことが可能になるという。

20171215_y-koba11 (4)↑部屋の各所に設置したセンサーが、住人の行動を把握。指定時刻に薬を飲む行動を取っていないようであれば、「まだ薬を飲んでいません」と服薬を促す

 

建設中の高齢者向け住宅には、異変が起きたときすぐ駆けつけられるよう担当者が24時間常駐するが、「将来的には『介護ロボット』がその役割を担えるよう、ロボティクス分野の開発もすでに行っている」とアシュトシュ氏。スタンフォード大学で博士号を取った際のロボティクス関連知識を生かし、6年後をめどに実現を目指しているという。

 

さらに、朝起きる時刻や自宅での学習時間、歯磨きなど子どもが達成すべき目標をサポートするサービスも開発中だという。「毎朝、決まった時刻に子どもたちを起こし、もちろんスヌーズ機能もつけ、歯を磨いたり勉強したりしなかったら親にレポートするといった機能もつけます」とアシュトシュ氏は笑う。
20171215_y-koba11 (5)

わたしたちが子どものころに思い描いていたマンガの世界のような未来が、もうすぐそこまでやって来ているのかもしれない。

プロレスラー内藤哲也「カラ回りの人」から「人気沸騰」に至ったワケ「リスクを考えなくなった瞬間、流れが変わった」

内藤哲也選手は、新日本プロレスでいま大ブレイク中のプロレスラー。新日本のトップスター、棚橋弘至選手と対戦した際も、棚橋コールをかき消すほどの大声援を集めるまでに成長。リーダーを務めるユニット、「LOS INGOBERNABLES de JAPON」(ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン)はプロレスファンの絶大な支持を集めており、試合後に観客と行う「デ・ハポン」の大合唱は、その日、もっとも盛り上がるポイントのひとつとなりました。

 

同ユニットのグッズもバカ売れで、その勢いは、かつて大ブームを巻き起こしたユニット「nWo」に匹敵すると言われるほど。内藤選手自身、8月の「G1 CLIMAX 27」で優勝し、新日本プロレス最大のイベント、1月4日の東京ドーム大会で、IWGPヘビー級王座に挑戦することも決定しています。

↑挑戦権利書を手にする内藤選手↑挑戦権利書を手にする内藤選手

 

と、いま人気絶頂の内藤選手ですが、11月5日放映のアメトーク「プロレス大好き芸人」でも触れられていた通り、かつてベビーフェイス(※)だったころはブーイングの嵐だったそう。それがいま、なぜこれほどまでに人気を集めるに至ったのでしょうか。1.4東京ドーム大会への意気込みとともに、本人にじっくり聞いていきましょう!

※ベビーフェイス…善玉レスラーのこと。ヒール(悪役)に対応する存在。

 

PROFILE

20171129-s2 (9)

内藤哲也(ないとう・てつや)

1982年6月22日生まれ、東京都足立区出身。身長180cm、体重102kg。00年より5年間、アニマル浜口ジムにて基礎を学ぶ。05年、新日本プロレス公開入門テストに合格し、06年に宇和野貴史戦でデビュー。08年、裕次郎(現:高橋裕二郎)とNO LIMITを結成。第22代IWGP Jr.タッグ王者に就く。その後はヘビー級に転向し、10年にIWGPタッグ王者。12年には右膝前十字靱帯断裂の大ケガを負い、長期欠場を余儀なくされる。13年「G1 CLIMAX 23」にてG1初優勝を果たすも、ファン投票の結果、翌年の1.4東京ドーム大会メインイベンターの座を明け渡す屈辱を味わう。15年5月のメキシコ遠征の際、現地でラ・ソンブラやルーシュらのユニット“LOS INGOBERNABLES”(ロス・インゴベルナブレス)に加入。メキシコから帰国後の同年11月、ユニット“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”を結成する。17年8月、東京・両国国技館大会「G1 CLIMAX 27」優勝決定戦で、ケニー・オメガを撃破。4年ぶり2度目の優勝を果たし、18年1.4東京ドーム大会メインイベントでのIWGPヘビー級王座挑戦権を獲得。宿敵のオカダ・カズチカに挑む。得意技は「デスティーノ」。決めゼリフは「トランキーロ」。

内藤選手のツイッターはコチラ

 

メキシコに行くまでは自分の人気の無さを実感していた

20171129-s2 (6)

――現在、圧倒的な支持を得ている内藤選手ですが、ここ1年の人気の高まりはご自身でも感じますか?

 

内藤 それは感じますね。会場でも、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのグッズを身につけてるお客様が、全国どこの会場に行っても多いですし。いま、新日本プロレスで入場時に、名前のコールが起きるのは僕だけです。それが東京だけじゃなくて、地方に行っても起こるんです。だから「支持されてるんだな」というのは毎試合、感じています。

 

――人気に火が付いたと実感されたのはいつ頃ですか?

 

内藤 僕の転機はメキシコでロス・インゴベルナブレスというユニットに加入した2015年5月ですね。それまでは自分でいうのもなんですけど、まあ人気がなかった(笑)。

 

――当時、ご自身でも実感されていたんですか?

 

内藤 感じていました。元々、棚橋(弘至)選手、中邑(真輔)選手がいて、次は内藤だと言われていた時代があって、僕もそうなると思ってたんです。でも2012年の1月、オカダ(・カズチカ)が帰国して、一気に抜かれてしまった。そこから2015年までの3年間は、この状況がどうしたら覆えせるのか、自分でもわからないまま、なんとなくプロレスをしていた時期ですね。

↑第65代IWGPヘビー級王者、オカダ・カズチカ選手  ©新日本プロレス↑現IWGPヘビー級王者、オカダ・カズチカ選手  ©新日本プロレス

 

ファンの反応を気にしすぎてカラ回りする悪循環に陥る

――2014年の1.4東京ドーム大会では、ファン投票によるメインイベンター降格という悔しさも味わいました。そんななか、2015年にメキシコへ行かれたんですよね。

 

内藤 思い悩んでメキシコに渡ったんです。向こうで当時、すごく勢いのあった「ロス・インゴベルナブレス」というユニットに誘われて。彼らがやっていたプロレスは、まわりの目を一切気にせず、自分たちが表現したいことをそのままリング上で表現するというスタイル。そのイキイキとした姿を見たときに、「せっかく海外に来たんだし、自分もまわりを気にせず、やりたいプロレスを表現してみよう」と思ったんです。

 

――それまでは、やりたいプロレスができていなかったんですか?

 

内藤 僕はずっと、まわりの目を気にしながらプロレスをしていました。「いま、これが求められてるから、こうしたらウケるだろう」と考えて、動きやマイクパフォーマンスをやっていました。お客様ありきというか、いつもお客様の反応を気にしながらプロレスをした結果、逆にウケないという悪循環に陥ってたんです。

20171129-s2 (1)

――気持ちだけがカラ回りしていて、お客さんがついてこなかったというか……。

 

内藤 はい。それがメキシコで、彼らに混ざって気にせずにやってみたら、歓声も起きるし、ブーイングも起きる。そこにすごく充実感を感じて。

 

――ちなみに、内藤選手がよく口にする「トランキーロ」も、現地の経験からきているんですよね。

 

内藤 そうなんです。メキシコで彼らのスタイルに合わせて試合したときに、とにかく楽しくて楽しくて。僕がどんどん前に出ていっちゃうんで、仲間に「内藤、トランキーロ!」ってよく言われてて。「落ち着いて」とか、「冷静に」という意味の言葉なんですけどね。その言葉が頭にずっと残っていて、日本に帰ってきてから、ぽろっと出たのが始まりなんです。

 

メキシコで掴んだプロレスを貫いたらビックリするぐらい伝わった

20171129-s2 (3)

――なるほど。「トランキーロ」は、「プロレスが楽しくてたまらない」という経験から生まれた言葉なんですね。

 

内藤 はい。僕はメキシコでプロレスの楽しさを再認識して、「これをメキシコだけで終わせるのはもったいない」と思ったんです。「これを日本でもやってみよう。伝わらなかったら、もうプロレスラーとして終わるかも知れないけど、試してみよう」という覚悟で帰国しました。

 

――日本に戻って来られてからは、メキシコで掴んだやり方を日本で貫いたんですか。

 

内藤 はい。やりたいようにやって、思っていることを言うことにしました。そうすると、ビックリするぐらい伝わったんです。いままで僕の思いなんか、ぜんぜん伝わらなかったのに。「表現の仕方、伝え方をちょっと変えただけで、こんなにも反応が違うのか」と思いました。15年の6月に帰ってきて、その年の10月に両国で棚橋選手と戦ったころからお客様の反応も変わった。そのあと、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを結成して、そこからですね。日本で「プロレスが楽しいな」と感じるようになったのは。

↑ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバー。後方左からSANADA選手、BUSHI選手、EVIL選手、手前左から髙橋ヒロム選手、内藤選手 ©新日本プロレス↑ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバー。後方左からSANADA選手、BUSHI選手、EVIL選手、手前左から髙橋ヒロム選手、内藤選手 ©新日本プロレス

 

「手のひら返しかよ!」ファンを「お客様」と呼ぶ複雑な心境とは?

――ちなみに、内藤選手はいつもインタビューなどでファンを「お客様」と呼びますよね。それはどうしてなんですか?

 

内藤 メキシコに行く以前はいつもブーイングを受けてたんですけど、それが15年の10月ごろからいきなり歓声に変わったんです。だから、最初は「手のひら返しかよ!」と思いました(笑)。そういう皮肉も込めて「お客様」と言い始めたんです。でも、それだけじゃないのもわかっていて。僕も昔からプロレスファンでしたから、「いい試合を作り上げるのは、リング上のレスラーだけではムリだ」ということを知っています。プロレスの雰囲気は会場に来ていただいている方、全員で作るものだと思うので、その感謝の意味も込めて。皮肉半分、感謝の気持ち半分で、「お客様」と言うようにしているんです。

 

――内藤選手といえば、会社批判だったり、オーナー批判だったりと、歯に衣着せない発言も注目されていますが、メキシコのロス・インゴベルナブレスもそういった部分があるんですか?

 

内藤 いいえ。その辺りは、僕のオリジナルですね。

20171129-s2 (4)

――振り返ってみると、ご自身でも「言い過ぎたかな」と思うこともありますか?

 

内藤 結構、ギリギリでしたね(笑)。でも、思ってることをため込んでもしょうがないですから。言ってよかったと思うし、そのときの自分があったから、いま、これだけの支持につながっているのかな、と。

 

――とはいえ、物事をはっきり言うことって、なかなか難しいですよね。上の人に睨まれるかもしれないし、言ったからには責任を持ってやらなきゃいけない、とか……。その辺りはいかがでしょうか?

20171129-s2 (2)

内藤 もちろんリスクはあるんですけど、思っているだけじゃ、なにも伝わらないですからね。「踏み出す勇気」こそ、共感してもらえるいちばんの方法だと思うんです。口に出したり、行動で示さないと。迷っている人には、「伝えたいならリスクは恐れずに踏み出せよ」と言いたいです。

 

――内藤選手はそうすることで変わることができた、と……。

 

内藤 そうですね。僕もそれまでは自分の本音をさらけ出せず、リスクを考えながら動いていました。だからやることなすこと全部ダメだったんですが、最後の最後の賭けでうまく流れを掴むことができた。リスクを考えなくなった瞬間、流れが変わったんです。

 

オカダ選手には「焦らせてみろよ」と言いたい

――さて、新日本プロレス最大のイベント、1.4東京ドーム大会が近づいてきました。対戦相手であるIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ選手についてはどんな印象をお持ちですか?

 

内藤 僕は一度、IWGPヘビー級王座を巻きましたけど、彼はもう1年以上、ベルトを巻き続けているわけで。偶然で防衛できるほど簡単なベルトではないので、力がある選手なのは間違いない。でも、かつて、オカダ・カズチカは、僕にとって、どうしたら彼と並べられるのか、考えても考えても答えが出ないほど巨大な存在だった。それが今は、彼の姿を見てもなにも焦らなくなってしまった。彼が小さくなったのか、僕が大きくなったのかわかりませんが。ムリだとは思うんですけど、かつての僕が焦らされたオカダ・カズチカが、1月4日、僕の前に立っていてくれたらうれしいですね。

20171129-s2-(10)↑オカダ・カズチカ選手(左)と内藤選手による1.4東京ドーム大会の記者会見 ©新日本プロレス

 

――「焦んなよ」ではなく「焦らせてみろよ」というわけですね(笑)。ちなみに、これまで内藤選手は、インターコンチネンタル王座のベルトを破壊するなど、ベルトを雑に扱うイメージがあるんですが、IWGPヘビー級王座のベルトを奪取できたら、どのように扱いますか?

 

内藤 …逆に、僕がベルトを取ったらどうすると思いますか?

 

――うーん、どうでしょう……。やっぱり今回も雑に扱うような気が…いや、意外に大切にするかもしれないし……。

 

内藤 そう、それ! いまの時間ですよ! その「考える時間」がプロレスファンにとって最も楽しい時間であり、最も贅沢な時間ですよね。1月4日までまだ時間がありますから、それまで「内藤がベルトを取ったら、どうするんだろう?」ってことを予想しながら楽しんでほしいです。その答えは、もちろん…「トランキーロ! あっせんなよ」

20171129-s2 (8)

メキシコ遠征を機に、周囲を気にせず、リスクを恐れないことで人生が変わったという内藤選手。1.4東京ドーム大会では、ついに夢に見たメインイベンターを務めます。きっとこの大舞台でも、やりたい放題の試合を見せてくれるはず。みなさんもぜひ「お客様」として参加し、内藤選手とともに、忘れられない試合を作ってみてはいかがでしょう。

撮影/黒飛光樹(TK.c)

 

【内藤選手がメインを務める試合情報はコチラ】

20171116-s1-(20)

WRESTLE KINGDOM 12 in 東京ドーム

2018年1月4日(木)@東京ドーム
OPEN 15:30/START 17:00

特設サイトはコチラ

毎年恒例、国内最大のプロレス興行 イッテンヨン東京ドーム大会の開催が今年も決定! メインカードは、王者のオカダ・カズチカに『G1 CLIMAX 27』覇者の内藤哲也が挑戦するIWGPヘビー級選手権。

 

東京ドームにおけるオカダvs内藤戦といえば、2014年1月4日にもIWGPヘビー級選手権が実現しているが、当時行われた“ファン投票”によって中邑真輔vs棚橋弘至のIWGPインターコンチネンタル選手権に敗れて、実質的なセミファイナルに降格した経緯がある。

 

そこから、4年。
両国のメイン終了後に、内藤が「2018年1月4日東京ドーム大会のメインイベント、IWGPヘビー級選手権試合は、オカダ・カズチカvs内藤哲也でよろしいでしょうか?」とファンにアピールすると大歓声が巻き起こったように、新日本プロレスの雌雄を決する両者による“ビッグカード”となって、オカダvs内藤によるタイトル戦が再び激突する。

 

オカダは昨年6月に大阪城ホールで内藤からIWGPヘビー王座を奪還して以来、なんと破竹の8連続防衛を記録中。どの試合でも壮絶な好勝負を残してきた“超人”オカダにとって、“最大の挑戦者”となる内藤をどう迎え撃つのか?

 

一方の内藤は、昨年6月のIWGPヘビーから陥落以降は、IWGPインターコンチネンタル王座を保持していたものの、常にIWGPヘビーを意識した発言を繰り返しており、今回は待望の再挑戦となる。因縁の両者による、因縁の舞台での再激突。新日本プロレスの流れを左右する大注目の一戦となりそうだ。