「保証がなくても、とりあえず行動しちゃう」島崎遥香、“ゆとり世代”語るも「結局は人」映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』

宮藤官九郎氏のオリジナル脚本で、2016年に連続ドラマとして放送された『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)。岡田将生さん、松坂桃李さん、柳楽優弥さん演じる「ゆとり第一世代」のアラサーたちが、社会問題や恋愛に葛藤する姿が描かれ話題に。2017年にはスペシャルドラマも放送され、2023年に待望の映画化となった。

 

島崎遥香さんが演じるのは、岡田さん演じる坂間正和の妹・坂間ゆとり。その名のとおり平成生まれの”真性ゆとり”であり、兄の生き方を「古い」と批判しては合理的に生きてきた。当映画では就職や恋愛を経た、ゆとりのその後が明らかになる。島崎さんには、役との共通点や新世代に対して思うこと、さらに役者意識からGetNavi webおなじみの“今ハマっていること” まで聞いた。

 

【島崎遥香さん撮り下ろし写真】

 

坂間家、集結!「『サザエさん』みたいだなって」

 

──連続ドラマ『ゆとりですがなにか』が映画化すると知り、最初に思ったことを聞かせてください。

 

島崎 2017年のスペシャルドラマを撮影したあと、“絶対にまた続きがある!”と信じていたので、うれしかったですね。

 

──続編があると言われていたのでしょうか?

 

島崎 それは全く言われていなかったです。“続編をやってほしい”という願望が強くありました。

 

──楽しい現場だったのですね。久しぶりに集結した坂間家の雰囲気はいかがでしたか?

 

島崎 何にも変わっていなかったです。どういう感じになるのだろうと私も不安でしたが、現場に行った瞬間に、昔と変わらない空気感を感じました。やっぱり、すごく居心地が良かったです。

 

──具体的に、現場での坂間家はどのような空気感なのでしょう?

 

島崎 なんていうんだろう……坂間家は『サザエさん』みたいだなって思っていて。ほんわかした感じです。家族みたいな感覚で、自然体でいられるんです。本当に、たわいもない会話をしますよ。

 

──例えばどんな会話をされたのか、うかがっても?

 

島崎 たわいもなさすぎて覚えていないです(笑)。それから、ほんわかした中で監督が「よーい、スタート」と言ってカメラがまわったときも、“戻ってきたなぁ”という感覚になりましたね。懐かしさが蘇りました。

 

島崎遥香は「ゆとりちゃんのようなタイプの人間」

 

──島崎さんは『ゆとりですがなにか』のタイトルを体現する “坂間ゆとり”役ですが、一貫して意識していることはありますか?

 

島崎 “ちょっとドライに見える”ことかな。年配の方が見たら”冷めて見える”というか、何を考えているかわらかないというか、媚を売りすぎないというか……。ゆとり世代って付き合いが悪いとよく言われますし、そんなふうに見られるイメージがあるので。そこだけはブレないようにしようかなと。

 

──映画ではゆとりのその後が描かれていましたが、台本を見た時、どう思ったのでしょう?

 

島崎 ゆとりちゃんのその後について、ここまでの予想はしていませんでしたが、「まぁ、どうせこうなるよな」って思いました(笑)。ただ自分がゆとりちゃんのようなタイプの人間なので、ゆとりちゃんの生き方は、特に不思議に感じることもなく、自然と受け入れていましたね。

 

──ゆとりと島崎さん自身に、重なる部分があると?

 

島崎 はい。目立ちたがり屋というよりは、ちょっと内気っぽいところが似ています。あとは思ったことを行動に移す速さ、後先考えずに行動する感じが似ているかもしれないです。

 

──行動派なのですね。具体的なエピソードをうかがっても?

 

島崎 例えばですが、ゆとり世代から「会社辞めた!」ってよく聞きますけど、私も辞めようと思ったら、何も決まっていなくてもすぐ辞めますね。多くの人は、計画を練ってから行動するじゃないですか。私は保証がなくても、とりあえず行動しちゃう。意外と行動派なんです。

 

──ちなみにドラマの視聴者からは、ゆとりと、元彼である“まりぶ”のその後について気になるという声もあがっていました。

 

島崎 気になりますよね! 私も気になっていました。一応2人だけのシーンはありましたが……少しでした(笑)。ギュッと詰め込んだのだと思います。正直「どういうことなんだろう!?」と思う部分もありますが……時間が限られている映画なので、しょうがないですねぇ。

 

──視聴者の想像にお任せします、ですかね。島崎さん自身もゆとり世代にあたりますが、実際に「ゆとりですがなにか」と思った体験はありますか。

 

島崎 当事者だと、“ゆとり”だと感じること自体、あまりないかもしれないです。「あなた、ゆとりだよね」なんて、そんな直接言ってくる人もいないですし(笑)。ニュースで“ゆとり教育”を耳にしていたくらいかな。土日はお休みでしたし、ゆとり教育を受けていたんだなっていう実感はあります。

 

──では平成生まれの真性ゆとりや、Z世代に対して違いを感じたことは?

 

島崎 年が離れている弟がいて、まさに新世代ですね。受験方法が変わったり、英語を小学生からやるようになったり。あと今はダンスも授業に含まれているんですよね。それらはなかったなぁって。ただ、そういう実際に変わったことはあっても、「この世代だから、こうだよね」ってことはないと思うんです。結局は人。何でもそうですけど、人によりますね。

 

──この作品でも、同じ世代でさまざまな人が登場しますしね。

 

「自分の感覚を入れないと演じるのが難しいんです」

 

──ドラマ放送から映画化までの7年間に、さまざまな作品に出演された島崎さん。役を演じるうえで、意識が変わったことはありますか?

 

島崎 ないです。たぶん今後も変わらないです。頑固なので。私、どの役でも「自我」を入れたいんですよ。その「自我」の部分はずっと変わらないと思います。

 

──「自我」を入れたい、と。演じるうえでの、こだわりなのですね。

 

島崎 そうじゃないと、できない。自分に照らし合わせて、自分の感覚を入れないと演じるのが難しいんです。感情がうまく乗らないというか……。だから、どの役でも「島崎遥香っぽいな」って、見る人に感じてもらえると思っています。これまでの作品でも、ファンの人だったら分かるんじゃないかな。

 

──自分と真逆のタイプの役でも?

 

島崎 はい。どこかしら共通する部分を見つけるようにします。そうしないと、私らしくない。自分らしさを大切にしています。

 

──強い意思を感じました。最後にGetNavi webということで、現場でも思わず楽しんでしまうような、今ハマっているモノやコトを教えてください。

 

島崎 全部かき氷になっちゃう! どこでも言っていますが、かき氷が好きで、お店に食べに行きます。撮影現場でも、休憩時間があれば近くのお店を調べて、行けたら行きます。1年中食べているので、普通の人よりかは食べていると思います(笑)。

 

──1年中ということは、冬も食べられるのですか?

 

島崎 食べます。冬は、寒いです。だからダウンを着て行きます(笑)。あったかいお茶が入ったマイボトルを持参して。

 

──また強い意思を感じました。ぜひ、かき氷の良さを教えてください。

 

島崎 味変がしやすいことです。氷って、味がついていないじゃないですか。お食事系にもできるし、スイーツにもなるし、無限の可能性がある! お店では2、3杯食べるので、おなかいっぱいにもなります。白米みたいなものですね。身体が冷えても食べ続けますよ、途中からは試練だと思って食べていますけど(笑)。

 

映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』

10月13日(金)全国公開

 

【映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』よりシーン写真】

 

(STAFF&CAST)
監督:水田伸生
脚本:宮藤官九郎
プロデューサー:藤村直人、仲野尚之(日テレ アックスオン)
出演:岡田将生、松坂桃李、柳楽優弥、安藤サクラ、仲野太賀、吉岡里帆、島崎遥香 / 木南晴夏、上白石萌歌、吉原光夫 / 中田喜子、吉田鋼太郎
主題歌:「ノンフィクションの僕らよ」感覚ピエロ(JIJI.Inc)
配給:東宝
公式サイト:https://yutori-movie.jp/

 

(STORY)
<野心がない><競争心がない><協調性がない>【ゆとり世代】 。かつて勝手にそう名付けられた男たちも30代半ばを迎え、それぞれの人生の岐路に立たされていた……。夫婦仲はイマイチ、家業の酒屋も契約打ち切り寸前の正和(岡田)、いまだに女性経験ゼロの小学校教師・山路(松坂)、事業に失敗し、中国から帰ってきたフリーター・まりぶ(柳楽)。≪Z 世代≫≪働き方改革≫≪テレワーク≫≪多様性≫≪グローバル化≫……彼らの前に、想像を超える新時代の波が押し寄せる!  時代は変わった。俺たちは……どうだ!?

 

© 2023「ゆとりですがなにか」製作委員会

 

撮影/中田智章 ヘアメイク/信沢Hitoshi スタイリング/黒瀬結以

北香那「今までとは違う、新たな私を見てほしい!」映画『春画先生』

江戸文化の裏の華で、“笑い絵”ともいわれた「春画」の世界。その奥深さを真面目に説く変わり者の春画研究者と、しっかり者の弟子が繰り広げる春画愛を描いた『春画先生』が、10月13日(金)より公開。まさにオトナのためのコメディドラマで、内野聖陽さん演じる芳賀先生の相棒となる弓子を演じる北香那さんが、これまでのイメージを覆す“挑戦”について語ってくれました。

 

北 香那●きた・かな…1997年8 月23 日生まれ、東京都出身。17年、ドラマ「バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~」(テレビ東京系)でジャスミン役に抜擢され、注目を集める。18 年、アニメ映画『ペンギン・ハイウェイ』では声優初挑戦ながら主演を務める。主な出演作にドラマ「アバランチ」(21年)、「恋せぬふたり」(22年)、「拾われた男」(22年)、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の 13 人」(22年)、「ガンニバル」(22年)、「インフォーマ」(23年)、NHK大河ドラマ「どうする家康」(23年)、主演ドラマ「東京の雪男」 (23年)、「口説き文句は決めている」(23年)、映画『バイプレイヤーズ もしも 100 人の名脇役が映画を作ったら』(21年)、『なんのちゃんの第二次世界大戦』(21年)などがある。Instagram

【北香那さん撮り下ろし写真】

 

改めて春画に触れて分かった、それだけでない面白さ

──「何としても、弓子を演じたい」という気持ちで、オーディションを受けられたそうですが、その理由は?

 

 塩田(明彦)監督が書かれた脚本を読んだとき、とても面白くて、何事にも一生懸命で、1つひとつの言動に嘘がない弓子にとても魅力を感じたんです。それにプラスして、ちょっと自分とシンパシーを感じる部分もあったことも大きいです。気が強い部分もそうですが(笑)、私も1つのことに夢中になると、それを追い続けてしまうんです。例えば、お芝居をしていると楽しくて、「もっともっと、何かないかな?」とか。それで「弓子を演じたい、塩田監督の演出を受けてみたい」と強く思い、自分を奮い立たせながらオーディションに行きました。

 

──『月光の囁き』などで知られる塩田監督作ならではの“歪んだ愛情表現”については?

 

 確かにいろいろな形の愛情表現があるなと感じましたが、弓子だけでなく、登場人物全員が一直線に幸せに向かっているところに惹かれました。例えば、内野聖陽さんが演じた芳賀先生に対する弓子のちょっと歪んだ愛情だったり、柄本佑さんが演じた辻村の歪んだ思いやりだったり、それらがちょっとズレていて、滑稽で面白いというのが、この作品の魅力だと思うんです。最初に台本を読んだときも、「この人たち、一体何なんだ?」と何か惹かれるようなものがあって夢中になってしまいました。

 

──ちなみに、北さんは春画の存在について知っていましたか?

 

 中学生の頃、クラスの男の子たちが「江戸時代のエッチな本があるらしい……」という話をしていたのをある時、聞いてしまったんです。それで家のパソコンで検索して、初めて春画の存在を知ったのですが、「こんなところをお母さんに見られたら、どうしよう!」と思うぐらい恥ずかしかったです(笑)。でも、今回役作りでいただいた資料を読んだり、自分なりに春画の歴史を勉強して、改めて春画に触れてみると、表現として豊かで面白いんですよ。それを想像する面白さや絵の繊細さなど、見れば見るほど、奥深いというか、最初は春画を何も知らなかった弓子が、どんどんのめり込む理由も分かりましたし、そこは『春画先生』と重なっている気もしました。

 

安達祐実さんの迫力に飲み込まれそうになりました

──『罪の余白』以来、8年ぶりとなった内野聖陽さんとの共演はいかがでしたか?

 

 前回は1シーンだけの共演でしたが、今回はガッツリお芝居させていただき、内野さんの芝居への集中力に引っ張られました。内野さんのお芝居は、リハーサルや本番でテイクを重ねても、一切ブレないし、その空気感によって現場が締まるんです。私もそれに感動しつつ、「このままじゃいけない!」と身が引き締まる気持ちになり、さらに弓子と向き合うきっかけをいただきました。

 

──実際に演じることで、弓子が芳賀先生に惹かれていく理由は分かりましたか?

 

 芳賀先生は、一見気難しそうに見えるけれど、「めちゃくちゃ少年じゃん!」みたいなところがあるんですよ。そういう愛らしさ、かわいらしさというところに、ある種のギャップを覚えました。実際、すごくモテているのも理解できました。撮影中、芳賀先生のことを好きになりすぎた弓子が芳賀先生から久しぶりに連絡が来て、ダッシュして家に向かうシーンがあるのですが、実際にすごい距離を走ったんです。電車が来るタイミングを狙って、何度も全速力で走って、汗だくになって。翌日は全身筋肉痛になったことを思い出しました(笑)。

 

──キスシーンもある安達祐実さんとの共演はいかがでしたか?

 

 安達さんと対峙すると、迫力というか勢いがすごくて、まるで爆風や竜巻を受けるような感覚でした。何度もそれにのみ込まれそうになりましたが、そこを何とか踏ん張って、抵抗していく姿が映像として残っているように思えます。あのシーンに関しては、役作り云々というよりは、ほぼ自然体です(笑)。その後に、内野さんを叩くシーンになるのですが、リハーサルを繰り返した後、内野さんが「遠慮なく叩いてくれ!」とおっしゃったので、そこは遠慮なくさせていただいて(笑)。それが弓子と芳賀先生に火をつけている感じも出ていて、情熱的なシーンになったと思います。

 

──完成した作品を観たときの感想は?

 

 撮影中は「自分がどう映っているか?」とか、チェックするようなことはなかったのですが、撮影が女性を美しく撮ってくださる芦澤明子さん(『レジェンド&バタフライ』など)だったので、完成をとても楽しみにしていたんです。実際に、ものすごくきれいに撮ってくださって、弓子の魅力を倍増させていただいたので、とても感動しました。自分が弓子を演じたことを抜きにしても、クライマックスまでの伏線がいろんなところに張られているし、面白いはたくさんセリフはあるし、オトナのためのコメディとして、おススメできる作品になったと思います。

 

新たな第一歩を踏み出すきっかけ

──ドラマ『バイプレイヤーズ』でのジャスミンの印象が強かった北さんですが、本作は自身のキャリアにおいて、どのような作品になったと思いますか?

 

 役柄的に、いろんなことに挑戦した以外にも、顔の表情で表現したり、ハッキリと発声したり、これまでのお芝居から180度変えるような挑戦もしました。そういう挑戦がいっぱいあったので、新たな第一歩を踏み出すきっかけとなる作品になったと思います。本当に自分の中で、すごく大切で、大好きな作品になりました。だから、いろんな人に見てほしい気持ちはありますし、ずっと私を応援してくれている両親にも「今までとは違う、新たな私を見てほしい!」という気持ちです。お父さんは、ちょっとビックリしちゃうかもしれないけど(笑)。

 

──今回の現場を通じて、強く感じたことは?

 

 これまで映画の現場をあまり経験してなかったこともあって、『春画先生』の現場を通して、「映画を作ることは、こんなに一体感があって、簡単に妥協しないもの」ということを知り、ものすごく気持ちよかったんです。塩田監督がすぐにOKを出さずに、テイクを繰り返すことでの安心感というか、粘ってくれたことで、濃厚な毎日を過ごすことができて、とても感謝しています。そういう意味では、これからたくさんの映画の現場を知りたいなと強く感じました。

 

──北さんが現場に必ず持っていくモノやアイテムについて教えてください。

 

 『春画先生』のときは、鎌倉の鶴岡八幡宮の厄除けのお守をずっと下着に付けていました(笑)。「たくさんの思いが詰まった作品の撮影が、何かのアクシデントで中断することなく、無事終わりますように」という気持ちが強かったので。あと、スピリチュアルな石とかも好きで、現場にはできるだけスギライトを身に着けていきます。ちなみに、個人的なパワースポットは芸能の神様がいる新宿の花園神社です。

 

 

春画先生

10月13日(金)より東京・新宿ピカデリーほか全国公開

【映画「春画先生」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督・原作・脚本:塩田明彦
出演:内野聖陽 北 香那 柄本 佑 白川和子 安達祐実

(STORY)
肉筆や木版画で人間の性的な交わりを描いた「春画」の研究者である「春画先生」こと、芳賀一郎(内野)は、世捨て人のように研究に没頭する日々を過ごしていた。そんな芳賀から春画鑑賞を学ぶ春野弓子(北)は、春画の奥深い魅力にのめり込んでいくと同時に、芳賀に恋心を抱く。やがて、芳賀が執筆する「春画大全」の完成を急ぐ編集者・辻村(柄本)や、芳賀の亡き妻の姉・一葉(安達)の登場により、大きな波乱が巻き起こる。

 

公式サイト:https://happinet-phantom.com/shunga-movie/#modal

 

(C)2023「春画先生」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/南野景子 スタイリスト/鵜嶌帆香
衣裳協力/AOIWAKA、MARTE、Jouete、seven twelve thirty

ナイツ塙の「劇団スティック」の魅力とは? ~オーディションに落選したライターがその魅力に迫る~

漫才協会会長でもあるナイツの塙 宣之さんが「棒読み」演技の役者を集めた「劇団スティック」を立ち上げたのが2021年。「棒読み」とはとにかく規格外なコンセプトで、その「棒読み」が笑いを誘うという想定外の芝居が見られる劇団なのです。実はオーディションにも応募した筆者が、このたび劇団スティックの面々にインタビューできることになりました!

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:金田一ワザ彦)

塙 宣之●はなわ・のぶゆき…1978年3月27日生まれ。千葉県我孫子市出身。漫才コンビ・ナイツのボケ担当。相方は土屋伸之。一般社団法人漫才協会会長。マセキ芸能社所属。兄はお笑いタレントのはなわ。著書に「言い訳 -関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」「極私的プロ野球偏愛論 -野球と漫才のしあわせな関係-」「ぼやいて、聞いて。」「静夫さんと僕」がある。24年公開の漫才協会のドキュメント映画の監督としてデビュー予定。X(旧Twitter)

 

劇団スティック●げきだんすてぃっく…「棒読み」「棒演技」がコンセプト。劇団員はおもにネットでのオーディションで選ばれた。YouTubeチャンネル「ナイツ塙会長の自由時間」内でミニドラマやトークの配信、舞台公演などの活動を行う。今回インタビューに参加したメンバーは以下の通り(敬称略)。上段左から、高橋テルノブ、鈴木三点倒立、コマネチ、スガモ智之、越川みつお、堀江俊介。下段左から未確定空白、暇田桂子、座長・塙宣之、岩井洞子、イザベラ今回欠席はちはね、おきちえり、東堂祐太郎、田荒井優佑。

【劇団スティックさん撮り下ろし写真】

ラジオで困ったら劇団スティックの話をすればいい

 劇団スティックの取材なんて、どうかしてますよ。ドッキリみたい(笑)。

 

──最初に塙座長から、劇団スティックを作ろうと思った経緯を教えてください。

 

 オーディションをスタートしたのはコロナ渦になって1年ぐらい経った2021年春ごろです。連続ドラマに出ていた時、自分の演技を「棒読み」ってすごくイジられていたんで、それならいっそ棒読みの劇団を作ろうということで、劇団スティックという名前で2021年9月6日に立ち上げました。

 

──そもそもドラマに出たきっかけは?

 

 出たいという気持ちはまったくなかったんです。『警視庁・捜査一課長』(テレビ朝日系)は2018年(シーズン3)からなんですけど、話がきた時は、断るのもなあ、やればネタになるな、ぐらいの気持ちでした。

 

──次のシーズンのオファーが来たときはどう思いました?

 

 テレビ朝日の人はすごく変わってるんでしょう(笑)。

 

──ドラマの仕上がりも変わってますね。

 

 でも僕が入った時は、まだそんなに変なドラマではなかったです。だんだん収拾つかないぐらいもうわけわかんなくなって。まあ皆さんに助けられたって感じです、内藤剛志さんや本田博太郎さんに。

 

──周りはすごい方々ですよね。で、そうこうしているうちに、ラジオで高田文夫先生から……。

 

 そう、「流れるような棒読み」っていうね。キャッチコピーをつけていただいたので、それは今でもネタに使わせていただいてます。

 

──そこから劇団立ち上げという発想は急展開な気がするんですが。

 

 コロナ禍だったから暇だったんでしょうね。それでもラジオがあるから。基本的に月~木が『ラジオショー』(ニッポン放送)で、土曜日『ちゃきちゃき大放送』(TBSラジオ)。週4日30分のオープニングをやって土曜日もあるので、とにかくラジオのネタが欲しいわけです。伊集院 光さんもそうみたいですけど、自分でネタを作るしかないんですよ。YouTubeで「地下芸人ラジオ」もやって「なんであんなことまでやるんだ」って言われますけど、これもラジオでしゃべるネタのためにラジオをやってるわけです(笑)。だから劇団をやることによって、もうとにかくネタに尽きない。困ったら劇団スティックの話をすればいいじゃないですか。

 

一同 (笑)。

 

──オーディションはどのように進めたんですか。

 

 応募がけっこう来たんです。200人とか300人ぐらいかな。

 

──240人から44人に絞ったとYouTubeでおっしゃってました。

 

 忘れてました(笑)。書類審査、あと写真を見て、「棒」みたいな人を選んでいったんです。応募者は全国にいらっしゃって、全部リモート面接でオーディションは進めました。ただ棒読みかどうかっていう判断は自分ではできなかった(笑)。なので、セリフを読んでもらうよりも会話をする中で、人柄とか、そういうもので選んでいきました。

 

──今日はいらっしゃらないですけど、ちはねちゃんは神戸からの応募でしたね。

 

 いずれ上京するということを聞いたのと、あとハイスクール漫才(吉本興業主催の高校生の漫才日本一を決めるコンテスト)で優勝したっていう、とんでもない実績があったので、面白いかなと思って。

 

芝居公演をやったほうがいいかなって、落ち着きました

 ネタ作りの一環、そういう自己満足で始めちゃったところはあるんですけど、YouTubeでドラマ作ったりしていた時より、3月に旗揚げ公演をやった時は、やっぱり生の舞台はいいな、劇団やってよかったと思いましたね。大学の時も落研で部長やってコントとか作っていたので、そういうみんなに何かを作っていくのが久々にできた感じがして、すごく楽しかったです。大学の時の一個上の先輩が旗揚げ公演の脚本を書いてくれた小川さん(放送作家・小川康弘)なので、久々に一緒にやったのがまた楽しかったですね。

 

──キングオブコントにも劇団スティックとして2年連続出場して、昨年は1回戦敗退でしたけど、今回は準々決勝までいきました。本気のメンバーがいたとか。

 

 恥ずかしくなっちゃいました(笑)。控室で劇団のみんなが「決勝行ったら次の日あの番組に出るのか」とか言ってる時点でもうちょっとダメだなと思いました。

 

一同 (大笑い)。

 

 行くわけねえだろと思いながら、一人だけやっぱり冷静で。去年は1回戦突破が目標でした。今年は2回戦まででよかったと思ってるんですよ。多分、劇団のメンバーたちはわかんないかもだけど、俺はわかったんです。準々決勝での本気の芸人たちのまなざし。「荒らしに来んなよ」っていうのが。自分はM-1グランプリも予選から参加したから、これ、ちょっとよくないなと思って。来年以降は参加するなら劇団スティックのメンバーの方たちだけでいいかなと思いましたね。

 

──演出に専念しますか。

 

 演出……まあ演出というか、何もしないです。

 

一同 (笑)。

 

 演出すると口出したくなっちゃうんで。

 

──ネタ作りでも、頭に浮かぶのは時事ネタばかりで、コントが作れないと?

 

 それはもう申し訳なかったですね。やっぱり限界ありますよね、時事ネタだけだと。実は時事ネタを思いっきりやったんです、準決勝で。だけど、そういうことじゃなかったんだなって思いました。小屋によるところがあるでしょう、お笑いって。今回やったネタはちっちゃいとこだとウケる笑い。完全に2回戦の小屋の大きさのものを準々決勝の大きな舞台でやってしまったので、もう余白がすごかったです、サイドの余白が(笑)。全然使いこなせない。

 

──去年チャレンジした様子はYouTubeに公開されていますが、今年のはまだですね。

 

 今年のネタはもう撮らないです。アナザーストーリーみたいなのをYouTubeにもうすぐあげるんですけど、多分一番面白いのがウチで合格発表の時に「おっしゃ!」ってなってたところ。

 

一同 あはははっ。

 

 あれ以上のものはもうできないです。ネタはYouTubeであげられない映像です、そもそも(笑)。

 

──以前作られていたミニドラマ、刑事ものの『泥棒めし』はわかるんですが、医療ものの『ジーニアスドクター』にもチャレンジされてて、お金もかかるのにすごいなと思いました。

 

 大変でしたね。お金もそうですが編集も大変、時間もかかる。僕のYouTubeっていろいろな制作会社が入ってるんですけど、制作の人から「これ誰がお金払うんですか?」みたいな話になって、全部持ち出しでやってました。なかなかドラマって簡単に撮れない。

 

──それでもクローズアップとかを多用してちゃんと医療ドラマになってるなと思って見ていたんですけど、手術のシーンでカメラが引いちゃって「あきらかに手術台が単なるテーブルだ」って思ってドキドキしちゃって。

 

 よく見てますね。そんなのあなただけでしょう?

 

一同 (大笑い)。

 

 見なくていいでしょう、あんなの(笑)。今振り返るとあのころはなんだったんだっていう時期ですね。何をやってたんだ俺たちはっていう。

 

──『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のパロディみたいなのもありましたよね、自撮りカメラで揺れる映像の。

 

 あった! あれなんだっけ?

 

岩井洞子 ホラードラマを撮りたくて。見ていただいたんですね、ありがとうございます。

 

──いやいや、見てて楽しいんですけど、再生回数が気になったので、見たら488回でした。

 

一同 がははははぁ。

 

──そういう時期を経て、舞台公演になっていったんですね。

 

 そうですね。もともとYouTuberじゃないので、ちゃんとした芝居公演をやった方がいいかなっていうふうに落ち着きましたね。まあ、1年に1回でも2年に1回でもやろうということで。

 

──で、春先に旗揚げ公演(2023年3月24日・豊島区南大塚ホールで開催『君があの子で私も誰かで』)があって、夏にはキングオブコントへのチャレンジがあって、今どういう時期ですか?

 

 今は何もないですよ。ナイツの独演会がもう来月から始まりますから。今日だっていち早く帰ってネタ作りたいんですから。

 

旗揚げ一発目にしては難しいやつやっちゃったっていう感じでした

──旗揚げ公演の内容なのですが、「棒演技」の方々にはまったく向いてないような、難しいストーリー(※1)に敢えてしているように思えました。

※1…『君があの子で私も誰かで』は、2人の妊婦が神社の石段からいっしょに落ちて、心と体が入れ替るという話。武器としての「棒」使った殺陣のシーンなどでも、さまざまな人物がぶつかるたびに心と体がどんどん入れ替わる。

 

 一発目にしては、ちょっと難しいやつやっちゃったっていう感じでした。

 

──妊婦の心と体が入れ替わるなんて、すごいアイディアですよね。

 

 そうそう。お腹の子どもまで入れ替わってるかもみたいな。

 

──見てるほうも、なんと言ったらいいか……知らない人と知らない人が入れ替わっても、どう見たらいいかわからなくて。

 

一同 うなずく。

 

 さすがです。そうです、そうです。だからもうなんか最後みんな麻痺してて、戸田恵子さん(※2)に対してやりすぎなんじゃないか、もうちょっと抑えてもいいぞって、俺は思ったんですけど。

※2…ゲストとして芝居の終盤に戸田恵子さんが登場。見事な入れ替わりの演技を見せた。

 

──すごいハイテンションでしたね。

 

 逆に戸田恵子さんが浮いてる感じ。

 

一同 わはははははぁ。

 

──ところがそのハイテンションが入れ替わったら効いてくるという。

 

 そういうことです。戸田さんがすぐ察してそういうふうにしたほうがいいんじゃないかと。要するに入れ替わりを見せなきゃいけませんからね。ただ、もう殺陣シーンの練習のときから、誰が誰に入れ替わってるのか、みんなわかってなかった。

 

──妊婦役のお2人、暇田桂子さんとおきちえりさんはかなり出番が多かったですね。

 

 暇田(桂子)さんとおき(ちえり)ちゃんはほぼ主役、出ずっぱりでした。『マツコ会議』(2023年9月23日に最終回を迎えた日本テレビの番組)でも取り上げられて。そうそう、『マツコ会議』を見てた亀梨(和也)君が、今度やるときは見に来るって言うんですから。亀梨君は『マツコ会議』二度見たって。

 

一同 拍手。

 

──今YouTubeで公開されている旗揚げ公演の模様はゲネプロの映像ですが、本番との違いはありますか?

 

 本番のほうがウケてましたね。本番で高橋(テルノブ)さん、セリフを噛みまくって面白かったです。そうそう、ゲネプロを撮影してた佐藤さんがいびきかいたのも面白かった。思いっきり寝てたみたいです。びっくりしますよね、ほんとに。

 

圧倒的エースです、「棒」という意味で。本当にできないやつだから

──ではメンバーの方からコメントいただきます。鈴木さんから順番に。

 

鈴木三点倒立 ドラマとか映画のオーディションになかなか受からず、やめようかなと思った時期に、母親がラジオリスナーで劇団スティックのことを知りました。今のところ手応えはないです。いまだにオーディションは落ちてます。

 

 スティックの中では実力派なのにね。

 

──実力というのは「棒」ってことですか?

 

 「棒」じゃないです、一番上手いぐらいです。

 

──スガモさんはバスケット選手の衣装ですね。

 

スガモ智之 バスケットの富永選手のモノマネで冨短(とみじか)選手をやってます。僕は本当に入れてもらって感謝しかないです。

 

 20年来の付き合いですが、この場所を押さえてくれるっていうだけでいる、正式メンバーではなく研修生です(笑)。

 

スガモ 僕はネタとかも、もう棒読みっていうか、抑揚がなくて。一人コントもできなくて。

 

 圧倒的エースです、「棒」という意味で。本当にできないやつだから腹立ってくる(笑)。

 

──コマネチさんはビートたけしさんのファンですか?

 

コマネチ そうです。自分は社会人劇団とかあったら入ろうって思ってたんです。トイレの個室で合格通知のメール開いて「ああ!」って叫んじゃいました。入ってみたら刺激が強くて、知らないことばかりで幸せです。

 

 小道具とか作るのが上手いんですよね、実家が看板屋さんで。殺陣の木刀を作ってくれました。

 

──またこちらも変わった名前ですね、未確定空白さん。

 

未確定空白 音楽大学の作曲科を出て、譜面作ったり、伴奏の仕事をしていたんですが、コロナで全部失いました。それで舞台に上がりたい気持ちもあったところで募集を知って、就職活動のエントリーシートを出す感覚でした。テレビの取材とか、思った以上にいろいろなことを経験させていただいています。「スティック飯」を作ったのも光栄でした(※3)。

※3…棒状の料理で競う企画「【劇団スティック】第一回スティック飯選手権」は2022年10月10日公開。

 

 暇田桂子さんは本名わかんないですから。

 

暇田桂子 「暇」っていう漢字が好きなんです。

 

──舞台を見て「棒読み」の見本みたいな方だと思ったんですが、小さいころからなんですよね……。

 

暇田 はい、よくからかわれていたので、それを活かせることができるのかなと思って。

 

──あの量のセリフを全部覚えて。

 

暇田 絶対間違えないぞって思いで頑張りました。周りもみんな感動してくれました。ふだんはふつうの会社員で、会社のみんなも応援してくれて。

 

 暇田さんが考えた「イチジク」っていう作品も、いつかちゃんと作って公開したいね。公園で土の中から出てくるホラー。一応撮ったんですけどね。こだわりが強くて、なかなかまだ編集できてなくて。

 

──続いては岩井洞子さん。

 

 ズーム面接していて洞子さんが一番最初に合格って感じでした。喋り方とか発声もしっかりしてるわけじゃないから、面白いなと思って。でも舞台はもう全然違って上手でした。

 

岩井洞子 舞台は……大変でした。高橋(テルノブ)さんが……とにかく噛みまくってて、それに釣られないようにするのが……。

 

一同 (笑)。

 

 もともとお笑いファンですよね。THE Wも一人で出て去年は2回戦まで。

 

岩井 もともとナイツファンなんです。THE W、今年は一回戦で落ちて。あとM-1も出たんです。

 

 M-1も出たの! 誰と?

 

岩井 ちょっと内緒で。

 

 なんでだよ(笑)。

 

岩井 空白さんと(笑)。ダメだったんですけど。

 

 どんどんやってください。そういうの面白いですよ。

 

──どういうネタなんですか。

 

 気になりますよね。

 

空白 「コミュ障のコミヤで~す」っていうのを、洞子さんが言うネタです(笑)。

 

──THE Wでのピンネタはどんな感じで?

 

岩井 不動産屋のお客さんが上の階の人に通報されちゃったっていうから、草でも育ててらっしゃるんですか、っていうような……。

 

 面白いね。洞子さんは頭の中が面白いから。

 

岩井 自分としては地道に思い出作りをしていきたいなと思ってます。

 

──高橋さんはルシファー吉岡さんと似てるってネットに書かれてますね。

 

高橋テルノブ よく言われます。僕は10年以上演劇をやってきて、この中の誰よりもうまいと思っていたんですが、今回舞台をやってみたら誰よりも下手だった。見に来た家族にもお前よりうまいやつたくさんいたって。

 

 でも、舞台のバミリ(立ち位置などの印)付けるのうまいですから。

 

高橋 それ、裏方(笑)。バイトで病院の事務をやってて、コロナもあって舞台もやめようと思ってたんですよ。ひょんなことからYouTubeの募集にたどり着いて。旗揚げ公演では、俺が一人で頑張らなきゃみたいに思ってたんです。

 

一同 (爆笑)。

 

高橋 でもそうじゃなかった。

 

 すぐわかりましたよ(笑)。

 

高橋 経験者として引っ張っていくぞと思ったら、引っ張られてた(笑)。

 

──イザベラさんは衣装を担当されているんですね。

 

イザベラ 本業はスタイリストなんですけど、今は舞台進行の仕事をしてます。今も本番中で、今日お昼公演を東京芸術劇場のプレイハウスでやってきて。アーサー・ミラー原作の『橋からの眺め』です。

 

 本当にいつも関わっていただいてますけど、大丈夫なんですか?

 

イザベラ こちらが第一優先です。

 

一同 (笑)。

 

イザベラ 旗揚げ公演の本番前が激務だったので、なかなか稽古に出られず、それが本当に心残りでございます。戸田恵子さんと絡むとても大きな役をいただいていたのですが、戸田さんとは当日だけお会いして、立ち位置だけ決めるみたいな時に、いろいろ話をさせていただいて。

 

──あそこのシーンはちゃんと心と体が入れ替わってるように見えました。

 

イザベラ あれはもう本当にゲネプロの時も本番の時もどういう風にするかを戸田さんと話をして。戸田さんのアクションをとにかく見て、変わった瞬間にあれになるっていうのをもうそこだけはちゃんとやりたかったので。戸田さんの胸を借りる、もうそれだけだったので、お客様に伝わっていたのなら、本当にありがたいことでございます。

 

──越川みつおさんは、男性アイドルグループBOYS AND MEN出身ですが、すごい人がまた入りましたね。

 

 越川くんはオーディション組じゃなくて、木根尚登さんから託されたんです、越川を頼むねって。そう言われてもどうしたらいいだろうか、じゃあ劇団スティックに役者として入ってもらえば、頻繁に会えるかなと。入ってもらってよかったですよ。いいフックになってますよね。実際に舞台の経験もあるので。木根さん、旗揚げ公演の当日、車ぶつけてしまって来れなかったんですが。

 

一同 (笑)。

 

 落ち込んでそのまま家に帰ったらしいです。来てほしかったですよね。

 

──越川さんから見て、塙座長はどんな方ですか。

 

越川 本当にお笑いの第一線でやられている方が、芸人さんもいらっしゃいますけども、素人を集めてなんかよくわからないことをやってるわけじゃないですか。で、誰よりもゲラゲラ笑ってらっしゃるので、その姿を見ると、懐は広いし、いい意味で変態なんだなと思いましたね。

──旗上げ公演はいかがでしたか?

 

越川 僕も今までいっぱい舞台立ってきましたけど、これまでで一番怖かったですね。

 

 「入れ替わりが来たぞう」って言ってよ、バカでかい声で(笑)。大好きなんですよ、あのセリフ。一人だけめちゃくちゃ声通るから。

 

越川 (笑)。でも、もう怖くて、稽古やってても小屋に入っても、最後まで手応えがなくて。でもお客さんの反応を見て、あ、こういった価値観もあるんだなってことを初めて知れてよかったなと思ったんですけど……。

 

 お笑いと芝居、どっちでもないから難しいよね。このスティックの舞台は。面白くしても、真面目にやりすぎても。

 

越川 いっそ僕も棒読みでやったほうがとも思ったんですけど、普通にやってくれればいいっていうふうに言われて、気が楽になったんです。普通にやることで、周りが際立っていくことが今は喜びなので、自分が目立とうとは一切思ってなくて、本当にフューチャーされる人がたくさんいてよかったです。今までとは全然異次元の舞台でしたね。新たな扉が開きました。

 

──最後はお弟子さんですね。

 

堀江俊介 漫才56号・堀江です。最初劇団をやるって聞いたときは、僕らはスタッフというか、裏方に回るのかなと思ったら、一応研修生という扱いで、出させていただけるっていうので、それこそオーディション組もいる中で、参加していいんですかみたいな気持ちがありました。師匠が与えてくれた経験なので、これきっかけで何かに活かせたらいいかなと。演技も初めてしますし。本当に勉強になります。

 

 ほかの弟子とは温度差があって。

 

堀江 僕は皆勤です。

 

──動画見ててもいつもいらっしゃる。

 

 それがいいところです。

 

堀江 師匠のためですから、何でもやります。

 

 動きも早いし。だから今日のこの集会所も堀江が押さえられるので、スガモはもういらない。

 

スガモ いやいやいや。押さえますよ!

 

──今日参加されていないメンバーについても塙さんのコメントをください。ちはねさんは入団の経緯をさきほどお聞きしましたが……。

 

 彼女は芸人として売れてくれればいいなと思っています。おきちえりさんは、色々な音楽を作ってくれているので助かっています。劇団のムードメーカーで副座長的な存在です。

 

──吉本所属のなんとかずの東堂さんと田荒井さんは?

 

 2人は漫才をやりたくて入っているので、芝居よりもバイトを優先してしまうこともあるのですが、ギャグとしてありかなと。今回お芝居をしたい後輩、漫才をしたい後輩がわかったというのがやってみてわかりましたね。

 

それぞれ輝いてほしい、ハッピーになってもらえばいいです

──劇団スティックの活動の方向性ってあるんですか。

 

 方向性はまだわからないですが、1年に1回、春に公演をやって、それと自分が漫才しか書けないもんで、そこは無理しないで、小川さんに座付き作家になって書いてもらおうかなと。

 

──最終目標はありますか。

 

 最終目標って(笑)。テロ組織みたいな、やめてください(笑)。最終目標はやっぱりまあ、僕は自分の仕事があるんですけど、皆さんがどういうことを目的にしているかわからないので……だから芸人やってるメンバーもいれば、演劇やられてる人もいて、みんながそれぞれ輝いてほしい、ハッピーになってもらえばいいです。だからあんまり劇団スティックがあることによって大変だな、みたいになっちゃうと申し訳ないので、趣味のサークル的なものがいいかなと思ってます。

 

──ミュージカルに挑戦するともおっしゃってましたが、来年の春はその方向ですか?

 

 一応小川さんにはミュージカル作ってくれって。場所は南大塚ホールという我々のホームで。

 

一同 (ざわめき)。

 

 来年は2日押さえようかなって。やってくれるイベンターさんがいればね。

 

──ところで、じつは私も劇団に応募してたんです。塙さんは書類審査の時からご自身で審査されていたのですか。

 

 書類審査から自分でしていたのですが……金田一さんがいたのは記憶にないです。

 

──なんか変な空気にしてすみません(応募写真、ふざけすぎていたか……)。

 

 

 

MISATO ANDO、アーティストデビュー。幼少期からBiSH、そして現在まで語り尽くします!

元BiSHのリンリンが、アーティストMISATO ANDOに生まれ変わったーー。BiSH時代から、独自の世界観を展開し、衣装デザインも担当するなどその才能を発揮させていたが、今年6月30日より本格的にアートの道に進むこととなり、10月6日よりMEET YOUR ART FESTIVAL 2023「Time to Change」で初出展を控える。”無口担当”だったMISATO ANDOの幼少期から現在まで、そのミステリアスな世界を深掘りすると、意外なほどあますことなく話してくれた。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:有山千春
会場協力/寺田倉庫)

MISATO ANDO●みさと・あんどう… 3月9日生まれ。静岡県出身。2023年6月にBiSHが解散し、翌日にリンリンからMISATO ANDOに改名。改名後はアート活動中。Artist Spokenにて『子宮のラジオ』を毎週金曜配信中。アートフェス『MEET YOUR ART FESTIVAL2023』にてアーティストデビュー。X(旧Twitter)Instagram

【MISATO ANDOさん(&作品)撮り下ろし写真】

 

初出展に向け、午前3時まで制作する日々「作業中は戸川純さんの『肉屋のように』をループ」

──今日は何時頃まで作業しますか?

 

MISATO ANDO(以下、MISATO) 今日は、解散してから初めてみんなに会うBiSHの仕事があるので、夕方前には終わりにします。いつもは、昼すぎに来て夜中の3時くらいまで作業しています。集中すると食べるもの忘れてしまって、1日1食で大丈夫な日もあって、いい感じです。

 

──いい感じですか(笑)。音楽などかけていますか?

 

MISATO 作業中は、戸川純さんの『肉屋のように』を、ずっとループしています。

 

──1曲をずっとループですか?

 

MISATO はい、時間が分からなくて済むから。アルバムだと、どのくらい時間が経ったか分かっちゃって、「全然進んでないじゃん!」ってなるので。この曲は「やってやるぞ!」と兵隊みたいな気持ちになれるのもいいです。

 

──それはいい案ですね。いつから製作していますか?

 

MISATO 1週間前からです。最初は自宅で作業しようと思っていたんですが、家具とか全部出して。でも、無理でしたね。寺田倉庫さんがここを貸してくださってよかったです。

 

──現時点で、巨大な顔と両手を、針金で形づくっていて。そこに、太陽のお面やキッズサイズの靴、ぬいぐるみ、衣装などが置いてあります。コンセプトは?

 

MISATO 今回、人生で初めて世に出す作品なので、最初は、自分の描いた絵をいっぱい散りばめてお部屋のようにしたいなという欲望がありました。でも「そうじゃないな」と思って。自己紹介のような、ルーツを伝えることをテーマにしました。

──ここに置いてるものは、MISATOさんのルーツにまつわるもので、それをコラージュしていくんですね。この衣装も同じようにコラージュするんですか?

 

MISATO はい。これはBiSHの衣装オークションに出品された衣装で、ファンの方が落札して、私は手に入れることができなかったんですよ。そうしたらそのファンの方、とてもパンクで、発送先を事務所にしてくれていたんです。

 

──えーー! すごい! その方は、MISATOさんが欲しがっていたのをわかっていたんでしょうか。

 

MISATO BiSHのルーツを伝えるためにはパンクな衣装がいいと思っていたし、しかもパンクな方から頂いたものだし、だからこの衣装を飾りたいと思ったんです。

 

マイクも重いほど非力だったが、重作業で「筋肉がぼこっと。いまマッチョです」

──もっとも苦労したのは、現在まででどの工程ですか?

 

MISATO まず、コレの名前も分かっていないくらいのレベルで。使ったのも初めてなんですよ。

 

──電動ドライバーでしょうか?

 

MISATO だから最初から苦労だらけです。この大きな作品を、どんな素材を使って作ったらいいんだろうか、ということも分かっていなくて。まずはいろんな方の作品づくりを見るなかで、今こういう大きな立体物を作るとき、発泡スチロールを使うのが主流だと知って。でも私は、もっと原始的なやり方が知りたいと思ったんです。初めての展示作品だから、いちから手をかけたくて。それで辿り着いたのが、ニキ・ド・サンファルというアーティストでした。製作過程の映像の中で彼女は、硬そうな針金や金網を使っていて、「これだ!」と。とはいえ、設計など分からないので、分かる人をお呼びして、最初の軸となる部分の作り方を教えていただき、あとは基本的に自分でやっています。

 

──使ったことがない素材や工具を初めて使い、挑む姿勢、思いきりがありますね。それに、初めてとは思えないほど、金網の曲線がとてもきれいです。

 

MISATO いまのところうまいこといっています。ただ、硬くて結構危ないから、手、傷だらけなんです。手袋もボロボロだし。

 

──ほんとうだ! 引っかき傷が多数ありますね。

 

MISATO この太い針金が普通の力じゃ曲がらなくて、顔の周囲の長さをねじるのに5時間かかります。おかげで、肘の下の筋肉がぼこっと丸くなっていて、いま、マッチョです。

──体力づくりなどしていますか?

 

MISATO いえ、もともと筋肉がなくて、マイクも重たくて持てないくらいでした。でもBiSHの8年間は毎週土日は絶対にライブをやっていたから、自然と体力はついたみたいです。

 

──形づくることのほかに、自宅からルーツにまつわるものを運ぶ作業もあるんですよね。

 

MISATO そうですね、たとえば、ちっちゃい清掃員の子からもらった手紙とかも持ってくるつもりです。私は大人になっても、ちっちゃいときの記憶や好きだったものが、今も同じ軸で残っているんですよ。だからそういう子たちにとっても、将来、私がなにかしらの存在として残るかもしれないと思うと、好きになってもらえたことがすごくうれしいんですよね。そういうのも、ここにコラージュしたいなと思っています。

 

──MISATOさんも幼少期からの”好き”が脈々と続き、いまを形成しているということですね。完成が楽しみです。

 

無類の洋服好き! 100着の服で埋もれた部屋は「電気が隠れて暗いんです」

──アーティストとしては6月30日から活動を開始しましたが、アーティスト写真のコンセプトが「筆と結婚」でした。

 

MISATO あれは、「アートをやります」ということはつまり、「アートと結婚だ」と思って、家族写真のような結婚写真を撮ろうと思ったんです。

 

──最もこだわったのはどんなところですか?

 

MISATO 王冠と、写真の質感です。いわゆる家族写真のような質感にしたくて。あとは、夫を生身の人間じゃなくてマネキンにして、写真の上からペイントしたことです。

 

──王冠はどこで手に入れたんですか?

 

MISATO 以前からお世話になっているスタイリストの服部昌孝さんが、あちこち飛び回って持って来てくださって。古い木箱に入っていました。

──MISATOさんは、物に対する愛情がすごく深いと感じます。特に、月日を経た二度と手に入らないような物に対して。ご自宅にもどんどん集まっているのでは?

 

MISATO そうですね。好きだった物を捨てられないタイプです。実家にも小さいときに使っていたカバンやポーチ、おもちゃが残っているし、今の家には古着がたくさんあって。古着を買い始めたのは7、8年前からですが、古着ってほんとうに一期一会の出会いで。なおかつ、昔の人のこだわりがすごく表れているんですよ。刺繍や、ひとつひとつ異なるビーズやボタンがついていたり。そういうのを見ると作った人の気持ちが伝わってきて、捨てられない気持ちが芽生えてしまうんです。

 

──家にあるもののなかで、思いが強い物はどんなものですか?

 

MISATO そうですね、親戚のおばさんからもらった昔のエルメスのスカーフや、おばあちゃんやおじいちゃんが使っていたハンカチとか。

 

──スカーフは普段の私服でも取り入れたり。

 

MISATO はい、使います。

 

──Instagramにアップしているコーデ、いつもとてもオシャレですよね。普段はどんなふうに服を選んでいますか?

 

MISATO 基本、前日に決めるんですよ。当日の朝に1時間で決める……とかだとすごく困っちゃうので。最近は、洋服を組むだけの遊びみたいな日もあって、それがすっごく楽しいんです。あとは、行く場所や気分に合わせて、派手にいくのかラフにいくのか、などいろいろと選んでいます。

 

──お洋服、家どれくらいありますか?

 

MISATO めっちゃある……100着は絶対ありそう。2段のラックがひとつ、長いラックがひとつ、もうひとつラックがあって。全部に服がぎゅうぎゅうに詰まっていて背が高いので、そのせいで電気が隠れて部屋が暗くなっています。そのくらい、服まみれ。

 

──もはや衣装部屋ですね。

 

MISATO 部屋の3分の1が服ゾーンで、台所に絵の具などを並べています。冷蔵庫を開けるのも一苦労みたいな、足の踏み場もないです。

 

──自宅というか、アトリエですね!

 

MISATO そうかも。寝れればいいや、みたいな。

 

キース・ヘリングとの出会いで世界が一変し「BiSH時代に公募サイトにこっそり応募したり」

──絵を描き始めたのは2019年頃からなんですよね。

 

MISATO はい。小さい頃から図工の授業が好きで、絵を描くことが好きで、BiSHに入ってからも落書きはよくしていましたが、2019年頃に山梨にある中村キース・ヘリング美術館に行き、初めてちゃんと心からアートに触れたんです。キース・ヘリングの作品は、説明文を読む前に自分なりに理解できて。その後に読む説明文が、自分の理解と一致していたときに、意気投合した気持ちになって、パワーがすごかったんですよね。そこからアートが好きになったのと、キース・ヘリングがアクリル絵の具で描いていたので、私もアクリルで描くようになりました。

 

──それまでは、違った目線でアートを鑑賞していたんでしょうか。

 

MISATO それまでは「色合いが好きだな」「このTシャツがあったら欲しいな」「こんなに昔なのに、すごくおしゃれな絵だな」とか、そういう感じで見ていて、描いた人の気持ちや込められた想いに目を向けるようになったのは、キース・ヘリングに出会ってからなんです。

 

──キース・ヘリングの作品には、自然に思いを馳せるようになったんですね。

 

MISATO そうなんです。すごく分かりやすいんですよ。「怒っている」「苦しんでいる」「応援している」とか、子どもでも分かる優しさがすごくいいなと思い、胸を打たれました。

 

──それで絵を描くようになり、どのくらいうペースで描いていましたか?

 

MISATO BiSHの活動の合間に、結構描いていましたね。公募サイトにこっそり応募して、ニューヨークの展示に出してみたり、賞をいただいたり、チャレンジしていました。

 

──こっそりやっていたんですか。メンバーもスタッフも知らずに。

 

MISATO 一応、渡辺(淳之介)さんには「勝手にやります」と伝えたら「好きにやったらいいよ」と言ってくれました。

 

消えゆくストリップ劇場への「アートとして残したい」という深い愛情

──どんなところからインスピレーションを得てますか?

 

MISATO 人と話しているときが多いですね。誰かがなにか発言して、「それ、絵にしたら絶対面白いじゃん」と思いついてメモして、そこから妄想が膨らんでいきます。あとは散歩をしたり、小さいときの記憶を突然思い出したとき、とかですね。ほかには、動物の番組を見ていたとき、ナマケモノの体には虫が100種類以上住んでいると知ったときとか。人間は虫嫌いな人が多いけど、ナマケモノって顔のパーツが結構人間に似ているんですよ。だからお風呂に入れてあげようとおもって、大浴場に浸かっているナマケモノの絵を描いたり。そういう絵を、ノンストップでずっと描いています。6時間ずっと描いていても疲れないし、楽しいし。

 

──描くことで、なにかを昇華しているんでしょうか。

 

MISATO 自分が作ったものの中には、今しか得られない情報、いつかなくなってしまう情報があると思っていて。たとえばギャルの絵を描いていたんですが、ギャルはいつまでこの日本にいるか分からないという不安があって。いてほしいなって思うんですよ、民族のように。そんなふうに「いましかないもの」を作品に残せることが、すごく楽しいんです。しかもそれを、どんな色を使ってもいいし、自分の世界の中で描ける。

 

──消えてしまうものに対する愛が強いんですね。

 

MISATO そうですね。ここ2、3年でストリップ劇場が好きになったのもそうなんですが、昔はストリップ劇場って日本に300軒くらいあったのに、いまは20軒もなくて。どんどん消えていくし、法律で、新しく建てることができないようになっているし。その事実を知り、会えない寂しさと、今知ることができてよかったという気持ちが強くあり、残せるものはアートとして残していきたいなと思っているんです。

 

──ストリップ劇場に通っていらっしゃるんですよね。いちばん好きな劇場はどこですか?

 

MISATO 福岡県北九州市にあるA級小倉劇場です。すごくステキな劇場で、メインステージから伸びた花道の先に円形の回転するステージがあるんですが、そこで踊り子さんがすべてを脱ぎ捨てた瞬間、メインステージ後方のカーテンが開くんです。そうすると、ステージを半円で囲むようになっている座席が鏡に写り、360度観客がいるように見えて。客席から見えない、踊り子さんの体の部位も見えて、ピンクのライトに照らされて……その異空間に、すごく感動しました。

 

──MISATOさんが見た光景が作品に落とし込まれるのを見てみたいです!

 

歴史の資料集で知った春画に大興奮「そういうこと、架空の世界の話だと思っていたんです」

──春画もお好きなんですよね。昔から、秘事に対して興味があったのでしょうか。

 

MISATO はい。幼稚園くらいから興味があり、小学生のとき、お祭りでおっぱいの形をした柔らかいヨーヨーを母にねだって買ってもらったりしていました。
でも、家ではすごく隠されてきたんですよ、エッチなものとか、「見ちゃダメ」と。ドラマで女性が自分を売るシーンがあると、私は興味があるけど親はチャンネルを変えてしまったり。だからなおさら気になっていたところ、歴史の資料集に載っていた春画の本を、先生が「君たちにはまだ早いから言わないけど、春画というものがある」と、黒板に書いたんです。それからもう気になって気になって。それが小6くらいのとき。急いでおうちに帰り、パソコンで「春画」と調べたら、すっごいのがでてきて。それではじめて、大人の裸を知ったんです。

 

──そこで初めて! 小6だと、男女の性について話題にするお友達もいそうですが。

 

MISATO そういうこと、私は架空の世界の話だと思っていたんですよ。「ある」と言われているけど「そんなわけない」と思うタイプの小学生だったんです。
春画を知る前は、百人一首の坊主めくりという遊びが好きでよくやっていたんですが、絵札には着物を着たお姫様やお殿様が登場しますよね。私は呉服屋の娘ということもあり、着物を着ている人たちは、品のある貴族のような方々だと思っていて。そんなときに着物を着た人たちの春画を見たので、すごくびっくりしたと同時に、「この人たちも人間なんだ」と思って、うれしくなったんです。本当の本当の秘密を知ってしまった感覚が、面白くて。

 

──見てはいけないものを見てしまった衝撃とギャップが、より強かったんですね。

 

MISATO そこから妖怪春画を好きになったり。ユニークなものが好きなんです。

 

原点は母の手仕事「母の仕事が終わるまで、人形を縫いながら待っていたんです」

──実家が呉服屋さんなんですね。

 

MISATO はい。ひいおじいちゃんが着物に絵を描く友禅師で、母は美大を卒業していたり、家族全体が美術系が好きでした。母は、私の図工の授業のために、かわいい空き箱や包装紙、リボン、卵のパックなど、いろんなものをとっておいてくれて、図工の授業のときになんでも作れたんです。だから、今の私は母の影響が大きいかもしれないですね。幼稚園から中学校まで、学校で使う袋類はなんでも手作りしてくたし、昔、願いが叶う人形が流行りましたよね?

 

──ブードゥー人形でしょうか?

 

MISATO 買うと1つ500~800円するから「買うならお母さんがもっとかわいいのを作るよ」と作ってくれたり、基本、なんでも作ってくれて。だから私も自然と作ることが好きになりました。

 

──図工の授業で、先生や友達から一目置かれたことなどありそうです。覚えていますか?

 

MISATO えーー、なんだろう。あ、トンボを作ったことがありました。トンボの目が卵のパックで、中に、お母さんがくれた玉虫色のきれいなリボンを詰めて。体はトイレットペーパーの芯で作ったと思います。あと、これも、小3か小4のときに作ったものなんです。

 

──この太陽のお面ですか!? え! すごい……!!

 

MISATO いろいろ取れてしまっていますが、ネックレスを切ってデコレーションしたりして。マニキュアとかも使っていたと思います。

 

──生気に満ちていて、見ていると感動してなんだか泣きそうになります。これも実家から持ってきたんですね。

 

MISATO そうです。明日と明後日でまた帰って、ここにコラージュできる分だけ掘り出してこようかなと思っています。あとこの人形は、両親が共働きで、幼稚園の頃に母の職場で母を待ちながら作っていたものです。お手伝いのおばさんと一緒に、着物の切れ端で作っていました。だから縫い方が荒いんですよ。

 

──ほんとうだ。待っている間の想いが伝わってくるような感覚になります。そういうとき、たいていの子どもはテレビに夢中になると思いますが、そういう選択肢はなかったんですね。

 

MISATO テレビよりもおもちゃで遊ぶほうが好きでした。シルバニアファミリーとか、あと、当時はたまごっちの人生ゲームがどこを探してもないほど人気でしたが、サンタさんがくれたんです。

 

──いいエピソードですね。

 

MISATO それが大好きで毎日のように遊んでいましたが、お留守番は1人なので、5人で遊んでいるように1人で遊んでいました。1人で順番にルーレットを回して、ゴールしたら1人で「やったー!」とか喜んだり。

 

小学生のときは男の子を従え探検隊のリーダーに。昆虫好きの意外なルーツ

──かわいすぎますね。気の合うお友達はいましたか?

 

 

MISATO 近所に同世代の子がいなくて、基本的には1人で遊びつつ、小3、4年の頃は、幼稚園とか低学年の男の子と一緒に遊んでいました。

 

──年下男子とどんな遊びをしていましたか?

 

MISATO 私は虫がすごく好きなんですよ。だからみんなで虫捕りに行ったり、荒れた空き地を探検したり、蟻の巣をほじって卵を回収して持ち帰って育てたり。私は恥ずかしがり屋なんですが、ちっちゃい子たちがいるときは、自分が探検隊のリーダーだと思ってあちこち行っていました。

 

──蟻の卵って育てられるんですね!

 

MISATO 勝手に生まれていました。

 

──ひとつひとつの体験がリアルだからこそ、ルーツとして体に染み付いているんだと感じました。

 

MISATO だからいろんな虫を飼っていて、今回の作品に間に合えば、いままで飼った虫を作れる限り作ってここにコラージュしたいなと思っています。

 

──これまで見て、触って、感じたことが、すべてここに凝縮されるんですね。特に外での体験が反映されている。

 

MISATO ちっちゃい時から外が好きで、今も空を見上げて歩いたりして、普段見えていない看板に気づくみたいなことが多くて。外に出ることは、自分にとってとても大事なことです。そんな、「外」をジャングルに見立てて、ジャングル=カラフルな経験、として、「いろいろな経験を背負ってアートの世界に出てきた私」という意味を込めて作っています。

 

──ああ! それでこう、にょっきりと手と顔が出ているんですね! これまで話をうかがったように、さまざまな事象に影響を受けてきたと思いますが、影響を受けた人間は?

 

MISATO やっぱりキース・ヘリングです。いろいろな出来事を絵にして、人目に触れるよう伝えて、なんでも行動してみるものだ、ということをキース・ヘリングから教わったし、それは優しさでもあるんですよね。今生きてくれていたら、コロナ禍を彼はどう描いてくれたんだろうな、と思ったりします。

 

──キース・ヘリング以前に影響を受けた人はいますか?

 

MISATO BiSHでライブをするうえで、戸川純さんみたいになりたいと思っていました。加入したばかりの頃は、戸川純さんの『蛹化の女』をコンセプトに、衣装にまったく合わないリアルな昆虫のヘアピンをつけて、ライブで叫んだりしていました。

 

──ファンの方がよく、「戸川純を彷彿とさせる」と言っていますもんね。

 

MISATO そのように言ってくださる方もいますね。

 

「いまは知識がないからこそ楽しいことばかり」今後訪れる産みの苦しみにドキドキ!?

──そういう個性が出せるのが、BiSHのステキなところですよね。MISATOさんが衣装をデザインしたこともありますよね。2021年にローソンで発売した「BiSHくじ2021」のメインビジュアルの衣装です。

 

MISATO そうですね。ローソンの由来を調べたら、元々は牛乳屋さんだと知って。BiSHが牛乳屋さんをやるなら、絶対に明るくはないと思って、「山奥に孤立して住んでいる6人組が営む、牛乳屋」をコンセプトにしました。みんなどこかにエスニック柄が入っていたり、不気味な6人組になるように。でも、ハシヤスメ(アツコ)は意外とかわいい服が好きなので、かわいらしいデザインにしたり、頭にもかわいい飾りをつけたりしました。

 

──それぞれの好みを反映しているんですね。

 

MISATO そうですね。みんなが喜んで着てくれそうなものにしました。ハシヤスメが「すごくかわいい!」と言ってくれたのを覚えているし、普段、服に興味がないメンバーも喜んでくれました。「これを着てライブをやりたい」と言ってくれたのがうれしかったです。

 

──人のために作ることと、自分のアドレナリンの赴くままに作ることは、表現にちがいがありますか?

 

MISATO 変わらないです。全部、自分の好きなように作っているので。

 

──いつか、産みの苦しみが訪れるでしょうか。

 

MISATO ありますでしょうねえ。いまは、いろんな物を触ったり、観たり、素材を冒険して作っている最中で、知識がないからこその楽しさを謳歌しています。だから、そうではなくなったときにどんなものを作っているのか……は、ちょっとドキドキしながらも、楽しみでもありますね。

 

──そのうち、日本では手に入らない素材を求めて、世界に探し出しそうな感じがします。

 

MISATO いろいろ旅してみたいです。世界は、見たことがないことしか、ないので。

 

──行きたい場所はありますか?

 

MISATO 両親が新婚旅行で行ったアフリカには行ってみたいです。実家に、マサイ族の置物や写真がたくさん置いてあるんですよ。そこで一緒にお絵かきとかしてみたいです。そこに住む方々の色彩感覚や模様はわたしとはまったくちがうだろうし、一緒に見て楽しみたいです。

 

──最後に、今後の展望を教えてください。

 

MISATO キース・ヘリングが来日したとき、青山の路上にチョーク絵を描いたり、壁画にペイントをしていて。その壁画は今はないのですが、当時壁画があった建物の向かいがワタリウム美術館なので、そこでいつか展示をしたいというが、今の目標です。

 

──きっと叶うと思います。

 

MISATO ありがとうございます。

 

完成作

 

 

【MISATO ANDOが初出展するMEET YOUR ART FESTIVAL】

MEET YOUR ART FESTIVAL 2023「Time to Change」

会期:2023年10月6日(金)〜10月9日(月・祝)
会場:東京・天王洲運河一帯
開催時間:11:00〜20:00(9日〜17:00)
※6日は終日内覧会。マーケットエリアのみ16:00〜21:00
※アートエリアは7日から。

料金:一般 1500円(前売り)、2000 円(当日) / 学生 1000 円(前売り)、1500 円(当日)いずれも要学生証

URL:https://avex.jp/meetyourart/festival/

『水曜どうでしょう』テーマ曲を歌う、樋口了一が俳優デビュー「この映画で、パーキンソン病への理解が広まれば」

「1/6の夢旅人2002」や「手紙~親愛なる子供たちへ〜」で知られるシンガーソングライターの樋口了一さんが『いまダンスをするのは誰だ?』(10/7(土)公開)で俳優初挑戦。自身と同じパーキンソン病を患う主人公の再生の物語を描いた本作。思いがけない出演オファーの心境や初めての撮影現場の様子、そしてこの映画を通して届けたい思いなどをたっぷりと伺った。

 

樋口了一●ひぐち・りょういち…1964年2月2日生まれ。熊本県出身。シンガーソングライター。2003年、『水曜どうでしょう』のテーマソング「1/6の夢旅人2002」をCDリリースし、大きな注目を集める。08年にリリースしたシングル『手紙~親愛なる子供たちへ〜』はラジオでのOAをきっかけに「介護の歌」「泣ける歌」といった反響を受け、翌09年には第51回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞した。12年より活動拠点を地元の熊本に移し、熊本地震や九州の水害の復興のための支援ソング『小さき花の歌』を発表。この曲には大泉洋らも参加し、話題となった。現在は全国に歌を届ける「ポストマンライブ」をライフワークにしつつ、シンガーソングライターの村上ゆきとのユニット「エンドレスライス」としても活動を行っている。

【樋口了一さん撮り下ろし写真】

 

同じパーキンソン病でも症状は人によって様々なんです

──今作への最初のオファーは、キャストとしてではなく主題歌の依頼だったとお聞きしました。

 

樋口 はい。古新舜監督から「パーキンソン病を題材にした映画があるので、その主題歌を作ってください」というお話をいただいたのが最初でした。監督がわざわざ僕が住む熊本まで来てくださり、4〜5時間ほどお話をして、「ぜひやらせてください!」と二つ返事でお受けしたんです。なのに、それが次にご連絡をいただいた時は出演のオファーに変わっていて(笑)。正直、あの数時間の会話で、僕の一体何をそんなに気に入ったんだろうという疑問もあったのですが、大事な主演を芝居未経験の僕に委ねるという潔さが面白いなと思い、主演の依頼もお受けしたんです。あとで、「どうして僕に?」と監督に訊ねたところ、はっきりとした答えがなかったものですから、きっと直感だったんでしょうね。

 

──演技初挑戦にして主演という大役ですが、こちらも二つ返事だったのでしょうか?

 

樋口 いえ、基本的に逃げ腰タイプなので、最初はどうやって断ろうかと考えていましたね。僕はすべてのことにおいて大体そういう逃げ腰な感じからスタートするんですよ(笑)。ただ、今回はもったいない気がしたんです。というのも、僕自身、パーキンソン病を患ってから16年が経ちますし、残りの人生をどれくらい生きられるか分からない。そう考えた時、“映画で主役を演じてくれ”とお願いされる機会なんてまずないわけですし、そんなせっかくのチャンスを前に、“やったことがない”という理由だけで断るのがあまりにも惜しいなと思ったんです。それに、もし失敗に終わったとしても、僕が責任を取る必要もないんじゃないかという思いもありました(笑)。

 

──確かに、作品は監督の責任だとよく聞きます(笑)。

 

樋口 ですよね(笑)。まあ、それは冗談ですが、僕は素人だけに、ひたすら一生懸命やればいいだけですので、そうした気軽さもあり、出演する方向に気持ちが変わっていったんです。

──初めてのことに挑む怖さよりも、好奇心のほうが勝ったんですね。

 

樋口 はい。いつでも逃げられるような心持ちでいながらも、見たことのない景色を見てみたいという厄介な性格なもんですから(笑)。

 

──ただ、主題歌を作るのと主演として作品に参加するのとでは、シナリオの読み解き方も変わってきそうです。

 

樋口 それはすごくありましたね。深い内容の作品ですし。そもそも、“これだけの分量のセリフを覚えられるのか?”という問題もありました。それに、覚えたとしても、演じながらセリフを言わなければいけないということをすっかり忘れていまして(苦笑)。クランクインが夫婦の食卓での会話のシーンだったのですが、コップのビールを飲み干して、セリフを言う時になって改めて気づきました。もうがく然としましたよ。“こんなこと、同時にできるわけがない”って(笑)。

 

──しかも、主人公の功一は劇中でダンスを習い始めますから、さらに初挑戦が続きます。

 

樋口 ダンスに関しては、いい意味で開き直っていました。やはり、数か月のレッスンで到達できるレベルというのは限られていますから。それに、この映画で功一が見せるダンスは決して上手なものではなく、どちらかというとみっともなさがあるんです。ただ、みっともなさの中にも、“かっこいいみっともなさ”と“かっこ悪いみっともなさ”があり、功一の真剣さや本気具合をいかに伝えていくかが大事だと思ったんです。ですから、たとえ滑稽に見えても、なりふりの構わなさのようなものを届けていきたいという思いを強く意識してダンスレッスンに励んでいました。

 

──そのほかで苦労されたことはありますか?

 

樋口 パーキンソン病の症状の違いですね。《ピル・ローリング》と呼ばれる手の中で紙を丸めるような動きがあるのですが、僕にはその症状がないんですね。ですから、主人公が持つ症状の一つひとつを僕も勉強しながら演技をしていきました。

 

公表することへのハードルが少しでも下がる社会になっていけばいい

──私もパーキンソン病という病名や、その症状を漠然と知ってはいても、細かなところまでは何も分かっていなかったと、この映画を見て痛感しました。

 

樋口 きっと多くの方がそうだと思います。だからこそ、この映画を作る意味や意義があったんだと思います。僕自身、学ぶことがたくさんありましたから。例えば映画の中で会議中に体が勝手に動き、「私は踊っているんだ」と話すシーンがありますが、これは《ジスキネジア》という症状なんですね。ハリウッドスターのマイケル・J・フォックスさんによく見られる動きだと説明すればピンとくるかもしれません。私にはこの症状もなく、スタッフさんやエキストラさんのなかに罹患されている方がいらっしゃり、ご自宅で撮影したものを見せていただいたりしました。それを見ると、本当にダンスを踊っているように体が動き回っているんです。私が想像していた以上の動きでしたので、そうした罹患されている方々のお話や体験をうかがいながら、役を作り上げていったところもあります。

 

──その一方で、薬で症状を抑えられるということも、恥ずかしながらこの映画で初めて知りました。

 

樋口 そうなんです。最近は効果的ないろんな薬が生み出されていて、服用の仕方によって、長きにわたって体を自由に動かせる状態を維持できるようになっています。映画の中でもダンスやランニングをしたり、クルマも運転していますから。ただ、波があるんですよね。薬を飲み続けると、どうしても効果を得られる血中濃度のポイントがだんだん狭まっていって、次第に体が勝手に動くようになったり、反対に動かなくなったりするんです。ですから、この映画の現場でも自分に薬が効いている時間の中で調整しながらの撮影になりました。

 

──劇中では、病名も含め、そうした症状のことや薬のことなどを周囲にどのように伝えていくかが罹患後のハードルの一つだと描かれていました。

 

樋口 僕も2009年に確定診断を受け、2012年に公表しましたので、3年ほど病気のことを伏せていました。でも、それが普通だと感じていたんですよね。僕もスタッフも、周りに“言わない”という選択が当たり前だと思っていたんです。

 

──それを公表しようと思われたのはなぜなのでしょう?

 

樋口 ある方に、音楽の仕事をして世間にも名や顔を知られている僕が病気になったのは、何かしらの役割があるのでは? と言われたことがきっかけでした。その言葉を聞いて、なるほどと思ったんです。もちろん、僕のようにフリーで仕事をしている人間と会社勤めをされていらっしゃる方では環境が違いますし、公表するにも大変さや覚悟の決め方が異なると思います。もしかすると、組織の中で働かれている方は、周囲からの良かれと思っての気遣いに別の心苦しさや孤立した思いを感じることがあるかもしれませんし。でも、だからこそ、この映画を通じてパーキンソン病のことをたくさん理解していただき、公表することへのハードルが少しでも下がる社会になっていけばいいなという願いも込めているんです。

 

“悪あがき”がこれからの僕の人生のテーマ

──樋口さんはこれまで30年間にわたって音楽活動をされていますが、歌以外の演技やダンスで表現することの面白さや魅力をどんなところに感じられましたか?

 

樋口 演技でいえば、喜怒哀楽の感情をよりストレートに出せるところが楽しいなと思いました。特に功一は物語の序盤でいろんなことに対して怒っている役柄でしたからね。僕自身は日常で怒ることがほとんどないのですが、彼は些細なひと言にいきなり火が着いたように怒り出す。ですから、どうすればそうした感情を持てるんだろうと最初は悩みました。でも、演じていて気づいたんです。功一はパーキンソン病だと告知され、自暴自棄になっていた状態だったので、何をされ、何を言われても、感情が爆発してしまうような臨界点にいたんだろうな、と。むしろ無意識に自分が怒鳴れるきっかけを探していたようなところもあるのかなと感じて。それからはどんどん感情を表に出すことに違和感を持たなくなりましたね。

 

──では、完成した作品を見て印象的だったシーンはありますか?

 

樋口 やはりラストシーンです。“踊れない”とふさぎ込む娘に対して、「諦めたら終わりだぞ」と告げる場面。しかも、娘にそんなことを言いながら自分が踊りだすのがいいですよね(笑)。あの姿にはすごく共感しました。だって、本来なら踊ることをやめた娘に対し、舞台袖から引っ張り出してでも説得しようとする感情が湧くと思うんです。にもかかわらず、セリフにはないものの、“俺が踊るから、お前は見てろ!”というぐらいの勢いがあって。言ってることとやってることが破綻している(笑)。でも、その矛盾した感じが人間らしくて素敵だなと思ったんです。

 

──確かに、理屈で考えるとおかしな行動ですが、感情で考えるとすごく腑に落ちるシーンでした。

 

樋口 そうなんです。しかも、功一のダンスがいまいちイケてないのもいいですよね(笑)。彼の中ではすごく盛り上がっているんでしょうけど(笑)。それに、もしかすると功一は娘のために踊ったのではなく、自分自身の生き様を見せつつ、ただ純粋に踊ることを楽しんでいただけなのかもしれない。彼は病気を患い、手足が思うように動かないけど、それを含めて“俺の姿を見てくれ!”と伝えているようでもあって。いろんな感情の受け取り方ができるシーンだと思います。

 

──先ほど、樋口さんがご自身の病気を公表したことを“何かしらの役割”とお話されていましたが、パーキンソン病を患いながらも音楽制作やライブ活動を続けていらっしゃる樋口さんの姿自体も、同じ病気を抱える方々の支えや勇気になっているのではないかと思います。

 

樋口 そうだと嬉しいですね。僕は罹患して16年になるんです。最初に病気のことが分かった時は、さすがに16年後は歌も歌えなくなっているかなと思ったこともありました。実際に一時期、声がうまく出なくなったこともあったんです。でも、それが不思議と持ち直してきて。今は楽器を弾きながら歌うことは難しいにしても、ちゃんと声も出ますし、ライブも精力的に続けられています。この映画でも、当初の依頼としてあった主題歌(『いまダンスをするのは誰だ?』)を歌わせていただいていますしね。

──しかも、すごくテンポの早い曲です。

 

樋口 音楽を30年間やってきたなかで、一番早いかもしれません(笑)。古新監督が書かれた歌詞に触発されたというのもありますし、やせ我慢をして無理している人間の姿を歌で表現したかったんです。イメージとしては80年代のダンス映画の『フラッシュダンス』のような、とにかく前向きな空気感を出したくって。また、僕はもともと生楽器を使ってもう少しアナログっぽい雰囲気の曲にしていたのですが、そこに河野 圭くんが打ち込みのアレンジを入れてくれたことで、新しさと古さがいい具合に混じった楽曲になりました。

 

──樋口さんはシンガーソングライターとして活動されてきましたが、ご自身以外の方の歌詞にメロディを乗せることに難しさなどは感じますか?

 

樋口 今はもう慣れてきましたね。2008年にシングル曲の『手紙〜親愛なる子供たちへ〜』を作って以来、いただいた歌詞に曲をつけることが増えてきましたから。もちろん、自分がメロディを乗せたいと感じた歌詞に限るのですが、その人が綴った言葉に込めた思いを感じながら、さらにその奥にある意味などを掘り起こしていく。そうした作業がどんどんと楽しくなってきているんです。

 

──なるほど。では、今後アーティストとして挑戦していきたいことがありましたら教えてください。

 

樋口 そうですね……決して病気を患っているからというわけではなく、残された時間を逆算して考えると、これからの人生のなかで何ができるだろうかと考えながら行動するようになってきているんです。その意味では、この年齢で映画の主人公を演じてくれと言われたときの驚きやワクワク感などを音楽のほうにもフィードバックさせたいなと思っていて。それ以外にも、身体が動くうちはいろんなことを詰め込んでいこうと思っています。いうなれば、“悪あがき”っていのがこれからの人生のテーマですね(笑)。

 

──これからのご活躍も楽しみにしています。最後に、樋口さんが今はまっているものを教えていただけますか?

 

樋口 小説です。読む方ではなく、書く方。コロナ禍で音楽活動が制限されたことを機に、新たな表現の場として昨年の7月頃から書き始めていて、3月3日や4月4日といった毎月のゾロ目の日にウェブで新作を発売したり、ライブ会場で販売したりしているんです。物語の内容も、大人の童話のようなものから不条理なお話まで本当にバラバラで。ラストを決めずに書き始めていくので、途中から思いもよらない方向に進んだりして、僕自身も“これ、どうなるんだ!?”と楽しみながら書いてます。

──歌の歌詞を書かれている方が生み出す小説というのはすごく興味深いです。

 

樋口 僕が普段から書いている歌詞も、実はちょっと物語っぽいんですよね。どこか語り部っぽいところがあったりして。ですから、そうした部分では繋がっているのかもしれません。それに、下の娘が小さかった頃に寝る前の読み聞かせをよくしていたのですが、いつも最後まで読んでもそこで終わらず、さらに先の物語を即興で適当に作っていたんです(笑)。すると、娘からも「今日はちょっとだけ怖くて、でも最後は安心して眠れるお話がいい」といったリクエストがきたりして(笑)。それが結果的にこの小説のようなクリエイトに繋がっていったのかもしれないです。今は、締切に追われてようやく書き始めるという感じですが(苦笑)、一度手をつけると一気に書き終えることが多いので、これからもジャンルを決めず、いろんなお話を紡いでいきたいですね。

 

 

 

(C)いまダンフィルムパートナーズ

いまダンスをするのは誰だ?

10月7日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開

 

【映画「いまダンスをするのは誰だ?」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督・脚本・原作:古新 舜
企画・原案:松野幹孝
エグゼクティブプロデューサー:古新 舜
音楽:樋口了一、村上ゆき
主題歌:樋口了一『いまダンスをするのは誰だ?』(テイチクエンタテインメント)

出演:樋口了一、小島のぞみ、山本華菜乃、塩谷 瞬、IZAM、杉本 彩ほか

(STORY)
家庭を顧みず、仕事一筋で生きてきた功一(樋口)。妻や娘ともすれ違いが続く日々を送ってきた彼は、ある日、若年性パーキンソン病だと診断される。なかなか受け入れられず自暴自棄になり、やがて妻からも離縁を迫られ、職場でも仲間が離れていき、それまで以上に孤独を抱えてしまうのだった。そうした中、パーキンソン病のコミュニティ「PD SMILE」で新たな仲間と出会った彼は人との触れ合いの大切さを痛感し、新たな生き方を求めて前を向いて力強く歩き出していく。

公式サイト:https://imadance.com./

(C)いまダンフィルムパートナーズ

 

撮影/中村 功 取材・文/倉田モトキ

松尾スズキ「若い頃の絵も含め、自分自身を白紙に戻すつもりで全部見せていこうかなと」生誕60年個展開催

演劇、文筆、俳優とさまざまなジャンルでマルチに活躍する松尾スズキさんが、生誕60年の節目に初の個展「松尾スズキの芸術ぽぽぽい」を開催。幼少期より絵を嗜んできた彼が魅せるアートの世界。さらに会期中には伝説のひとり芝居「生きちゃってどうすんだ」の上映会や、同年代の演劇人とのトークセッションなどスペシャルな企画もめじろ押し。そこで今回はGetNavi web独占で作品の一部を紹介いただくとともに、絵に対する想いもたっぷりと語っていただいた。

 

松尾スズキ●まつお・すずき…1962年12月15日生まれ。福岡県出身。作家、演出家、俳優。1988年、大人計画を旗揚げ。97年、『ファンキー!~宇宙は見える所までしかない~』で岸田國士戯曲賞受賞。2008年には映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。19年に正式部員は自身一人という「東京成人演劇部」を立ち上げ、『命、ギガ長ス』を上演。同作で読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。20年よりBunkamuraシアターコクーン芸術監督、23年より京都芸術大学舞台芸術研究センター教授に就任。

【松尾スズキさん撮り下ろし写真】

 

絵は僕のすべての活動の原点

──初めに、今回個展を初開催することになった経緯を教えていただけますでしょうか?

 

松尾 きっかけはコロナ禍でした。緊急事態宣言が出されたことで、することがなくなってしまったんですよね。体は元気なのにずっと部屋の中にいましたし、“暇”というのは心を殺してしまうので、それで、殺風景な部屋が気になり始めたこともあり、部屋に飾る絵を描こうと思ったんです。描きかけの絵が自分の部屋にあることを思い出し、そこにはヘンテコな漫画みたいな絵が描かれていたんですが(笑)、それを塗りつぶして創作したのが、チラシにも載っているイラスト(※1)です。そしたら、どんどん絵を描くのが楽しくなっていきましてね。いくつか描いてはメールマガジンなどで発表していたのですが、事務所の社長から「それだけあるなら個展をやりましょう」と提案され、それで今回開催する流れになりました。会場は小さいところでよかったんです。でも、どうせなら還暦祝いのイベントを絡めたり、トークショーなんかも一緒にやったらいいんじゃないかという話になり、気づいたらスパイラルホールなんていう大きな会場になっていました(笑)。

 

──松尾さんは作家、演出家、俳優、映画監督、エッセイストなど、いくつもの顔をお持ちですが、イラストを描くことはご自身にとってどんな位置づけなのでしょう?

 

松尾 絵は物心ついた頃から描いていました。といっても、落書き程度のものですけどね。漫画が好きだったので、いろんなキャラクターの模写から始まり、ウルトラマンの怪獣なんかも描いたりして。小学生の頃からコマ割りした漫画も描いていましたね。そうやって、キャラクターたちにセリフを言わせたり、演出をつけたりという作業は、のちの演劇活動に繋がっていると言えます。映画を撮り始めたのも、知り合いの監督から、「松尾さんは漫画を描いていたんだから、カット割りもできますよ」という言葉に背中を押してもらったからなんです。ですから、絵は僕の原点とも言えますね。

 

──大学は芸術学部に進学されていますが、どういった経緯で演劇活動を始めることになったのですか?

 

松尾 上京して印刷会社でサラリーマンをしていたんです。でも、長続きしなくて。漫画の持ち込みなんかもしていたんですが、編集者に「よく分からない」と言われ(苦笑)、僕のストーリーはダメなんだなと思ったんです。それで、学生演劇をしていたこともあり、劇団を作ってもう一度演劇に懸けてみようと思い、大人計画を旗揚げしました。その頃、ちょっとだけ絵とは断絶していましたね。ただ、落書きだけは好きで、ずっと続けていました。今でも僕の台本は落書きだらけですよ。演出を考えている振りをして、俳優の似顔絵を描いていたりして(笑)。時には、そこからアイデアが浮かぶこともありますしね。

 

──また、プロフィールを拝見すると影響を受けた作家として赤塚不二夫さんを挙げていらっしゃいますね。

 

松尾 ええ。僕は赤塚さんのドタバタコメディも好きなんですが、キャラクターの身体性に惹かれるんです。イヤミの《シェー》とか、爆発して首だけ飛んでいくような描写とか。残酷なんだけど、どこかかわいらしさがあるのがよくて。とはいえ、赤塚さんに限らず、モンキー・パンチさんや松本零士さんも好きで、いろんな漫画に影響を受けていますけどね。

 

──では、画家で影響を受けた方はいらっしゃいますか?

 

松尾 僕が美大生だった頃、ちょうど横尾忠則さんがファインアート宣言をしたんです。それまでポスターを描いている人だという認識だったのに、絵を見たらすごく発想が入り乱れていて。カオスで。まるで“宇宙”のような表現だと感じたんですね。そのインパクトが大きくて、よく真似をしてコラージュ作品を造ったりしていましたね。

──今回の個展でもその影響を受けた作品が見られるのでしょうか?

 

松尾 (影響を)受けたいなぁとは思うんですけど、横尾さんのようなしっかりした絵が僕には描けませんからね(笑)。僕は僕で、漫画と絵画の中間みたいな世界で攻めようかなと思っています。

 

──ちなみに、イラストを描く際はいつも物語や完成形をイメージされているのでしょうか?

 

松尾 そこはまさに横尾さんの影響と言いますか、アドリブで描くことがほとんどですね。一箇所を描き始め、周囲にできたスペースにどんな続きを描いていこうかなという感じで。最初に入念なスケッチをして仕上げていくことができないんです。

 

──では、絵画だからこそ伝えられるものにはどんなことがあると思いますか?

 

松尾 自由に物語を想像できる余白があることじゃないでしょうか。というのも、僕は背景や風景にはあまり興味がないんです。イラストで描いているキャラクターたちも、自分がこれまで書いてきた物語をどこかしらベースにしつつ、そこに登場しなかった架空の人物や生き物などをテーマにして表現していることが多くて。ですからお客さんにも、キャラクターたちがどんなバックボーンや物語を背負っているのかということを自由にイメージしながら見てもらいたいんですね。それが一枚絵の強みだとも思っていますから。

 

──とはいえ、今回の展覧会では松尾さん自身による音声ガイドもあります。

 

松尾 そうなんですよね。どうしましょうかね。適当な嘘ばっかり言おうかな、なんて思っています(笑)。絵についての説明とか、解説するようなことが本当に何もないので(笑)。

──嘘の解説というのもむしろすごく興味をそそります(笑)。そんなお話をうかがった後で聞くのも野暮ですが、今回のインタビューに際して、掲載用にご提供いただいた3点のイラストについて少しだけお話をいただけますか?

 

松尾 メインのイラスト(※1)は自分なりの屏風を表現してみたかったんです。もし自分が屏風を描くなら、まず雲は外せないだろうなというところからスタートしました。

 

※1

──雲がお好きということですか?

 

松尾 好きですね。以前、舞台の美術セットにも自分が描いた雲を飾ったことがあります。日本画や屏風絵を見ていると、ヒュ〜っとした雲のような絵がよく描かれていますよね。あれが実際に雲なのか、それとも風を表現したものなのかは分かりませんが、あの様式化された感じが面白いなと思っていて。それで自分の作品にもよく雲を登場させたりしているんです。今回の絵に登場させているのも、雲のようであり、煙のようでもあるので、ご覧になった方が自由に想像していただければと思います。

 

──3人の女学生が登場しているイラスト(※2)はいろんなストーリーを想起させられます。

 

松尾 これは以前、自分が撮った映像作品の中に女の子たちが逃げているシーンがあり、それを見ながら勝手に描いた絵ですね。最初に3人の子を描き、何から逃げてるんだろうと考え、“そうだ、おばけを描こう”と思って(笑)。これに限らず、僕の絵にはよくモンスターが登場します(笑)。

※2

──また、先ほど「背景にあまり関心がない」というお話がありましたが、もう一点のイラスト(※3)は背景が細かく描き込まれています。

 

松尾 “キング・クリムゾンを見せつけているこの女性は一体何なんだ!?”という感じですよね(笑)。この絵は、昔見た日本画の絵はがきの構図を借りて描いたものなんです。それがずっと頭の中に残っていたんですよね。そうしたら、先日たまたま観に行った甲斐庄楠音さんという日本画家の個展にまさにその絵があったんです。“俺はこの人の絵に感化されていたんだ”と偶然の再会にすごく驚きました。もちろん、その絵ではキング・クリムゾンを見せつけていませんでしたけどね(笑)。

※3

──普段からよく美術展や美術館は行かれるんですか?

 

松尾 行きますね。雑食なので何でも見ますよ。浮世絵も好きですし、西洋の油絵も見ます。少し前はデイヴィッド・ホックニー展にも行きました。好んで見るのは、様式化されたような絵ではなく、作家がどういう眼鏡で物事を見ているのかがこちら側にも伝わってくるような作品が多いですね。“この絵を描く数秒前に、この作家に一体何があったんだろう?”とストーリーを感じさせられる絵。ですから、抽象画はあまり見ないです。ただ、今回の展覧会に向けて、一枚ぐらいは描いてみてもいいかなと、漠然と思っています。よくホテルの壁に飾ってあるようなやつを(笑)。

 

60歳を迎え、チェーホフを手にしつつ、下衆なネット記事も変わらず読んでいます(笑)

──展覧会の期間中にはトークイベントも開催されます。ゲストの片桐はいりさん(12月13日)やKERAさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ/14日)とのトークセッションはどのような内容を予定されているのでしょう?

 

松尾 これはどこまで話していいのか分かりませんが……今のところほぼ白紙です(笑)。ただ、お2人とも同じ還暦仲間ですし、歳をとった者たちが陥りがちなノスタルジックな会になるんじゃないかなっていう気はしていますね(笑)。20代の頃からの知り合いですから、当時の僕たちのことを知らない人に向けた話もできたらなって。

 

──それぞれどんな話題が生まれるのかとても興味があります。

 

松尾 はいりさんはストイックなイメージがありますけど、人生を楽しんでいる方という印象もありますよね。生まれ育った街の映画館で今もたまに“もぎり”をされていたり。それに、常識人でありながら、表現に対してはある種の厳しさをきっとお持ちだと思うんです。じゃないと、あれほど面白いお芝居はできませんから。今はダンス公演に出たりといろんな挑戦もされているので、これからどのような方向性を考えているのかも聞いてみたいです。

 

──KERAさんについては?

 

松尾 どうしてあんなにいっぱい新作を書くんだろうっていうのは聞いてみたいですね(笑)。だって書きすぎじゃないですか? 僕はもう、あそこまで書けないですよ(笑)。それとやっぱり笑いについては話してみたいです。あと、KERAさんと一緒に歌うのも初めての経験なので楽しみにしています。

 

──なお、トークセッションの最終日(15日)には池津祥子さんと伊勢志摩さんが立会人で、劇団員が選ぶ、松尾さんの10大事件を語る企画もあります。自選と多選では事件の重大さが異なるでしょうから、どんなものが飛び出すのか期待してしまいます。

 

松尾 あの2人は本当に空気を読まない発言をするから恐ろしいんですよ。何を聞かれるのかと戦々恐々としていますので、そんな狼狽する松尾の姿をぜひお楽しみください(笑)。

──(笑)。また、10年前に開催したひとり芝居『生きちゃってどうすんだ』の上映に合わせて、江口のりこさん(12月11日)と、宮藤官九郎さん(12日)とのスペシャルトークも行われます。

 

松尾 宮藤は大人計画の中で一番しゃべれる人間なので呼びました(笑)。多分、この頃の僕は疲れ切っていると思いますから(笑)。宮藤とこうしてトークショーするのは、同じくスパイラルホールで開催した5年前の『30祭(SANJUSSAI)』(松尾スズキ+大人計画の30周年イベント)以来になるので楽しみですね。江口さんについては、お会いするたびに「『生きちゃってどうすんだ』をまたやらないですか?」と尋ねてこられるんです。ですから、どこがそんなに好きなのかを聞いてみたいなと(笑)。それに昨年の舞台『ツダマンの世界』にも出ていただきましたけど、コロナ禍で食事にも行けなかったので、この機会にお互いの劇団の話なんかもできればいいなと思っています。

 

──今回の『生きちゃってどうすんだ』の上映もファンにとってはうれしい企画になっていますね。

 

松尾 これは社長のアイデアです。もともとこのひとり芝居は、当時あがた森魚さんが一人で日本中をツアーしているドキュメンタリーを見たのがきっかけで。その身軽さみたいなところに憧れて、50歳になった時に自分も一人でやってみようと思ったんですよね。でも欲張りすぎて、一人なのに2時間近い作品になってしまって。本当くたびれて“二度とやるまい”と思ったので、その意味でも貴重な映像だと言えます(笑)。

 

──その『生きちゃってどうすんだ』から約10年が経ちましたが、50歳から60歳になり、ご自身の中で作品の変化を感じることはありますか?

 

松尾 以前は、自分のやりたいことばかりをやっていればいいという思いで生きていましたけど、お客さんが自分に対して何を望んでいるのかをより考えるようになりましたね。やはり、お客さんありきの世界ですから。今回の個展の作品数についても、関係者の中には「50点もあれば十分だと思いますよ」と言ってくれる方もいるんです。でも、もし自分が客の立場だったらもっと多くの絵を見たいと思うはずで。そもそも私はプロの画家ではありませんから、それなら量をお見せするしかない。そういった“お客さんの視点”で物事をよく考えるようになりましたね。

 

──そう思うようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

 

松尾 やはり一人で芝居をしてみて、人前で表現することの厳しさを身に沁みて感じたというのがあります。また、Bunkamuraシアターコクーンで芝居を上演することが増えていき、同劇場の芸術監督にもなり、自分の中で“商業演劇をやっているんだ”という意識が強くなってきたのもあります。そもそも大人計画だってチケットを売っている以上、商業演劇になるわけで。そうした意識の変化は日増しに感じるようになりました。もしかしたら、またいつか昔みたいな傲慢な人間に戻るのかもしれませんが、今はそういうモードになっています。

 

──では、還暦を迎えられたことで心境の変化はありますか?

 

松尾 昔は60歳ってすごく大人だなと思っていましたけど、自分を見返してみるとダメだなって感じることばかりです(笑)。ダメっていうか、両親を見送り、喪主も務めて、その意味では大人の振る舞いができたかなと思うところもありますが、いよいよすがるものが何もない中で、いまだにふわふわしてしまっていて。“これでいいのか……”という思いはあります。それで、最近は自分の中で何かが変わろうとしているのか、チェーホフとかを読み始めたりして(笑)。その一方で、ネットのしょうもないニュースとかを相変わらず読んじゃうんです。これを読まずにいられたらもっと大人になれるのかなって思ったりしながら(笑)。先日も、新幹線で岡山から戻って来る時に、手持ち無沙汰で下衆いネット記事を読んでいたんですね。そしたら、姫路からずっと隣に別の乗客が座っていて、勝手にその視線を感じて、“俺が下衆な記事を読む、この自由な時間を奪うんじゃねえ!”と思ったりしていました(笑)。60歳になっても、いまだにそうした地面を這いずり回っている感はありますね。でもまあ、これを大人と呼ぶのなら呼べと思いますが(笑)。

 

──(笑)。また、大人計画としては今年35周年を迎えました。これまでを振り返り、ターニングポイントとなった作品を挙げていただくと……?

 

松尾 1994年の『愛の罰~生まれつきなら しかたない~』ですね。初めて本多劇場に進出する時に、このままじゃダメだと思ってものすごく稽古をしたんです。普段だと1か月か1か月半のところを2か月以上かけて稽古して。新人しかいなかったので徹底的に練習をして、その公演が結果的に支持されたんですよね。劇団員全員のモチベーションがすごく上がっていたという意味でも、ターニングポイントだったかなと思います。

 

──では、今改めて再演してみたい作品はありますか?

 

松尾 『ファンキー!~宇宙は見える所までしかない~』(1996年)はちょっとやってみたいですね。せっかく岸田國士戯曲賞というありがたい賞をいただけた作品ですので、いつか当時とは演出を変えて再演してみたいなと考えています。結構タブーな表現も含まれているのでやりづらいところもあり、だからこそ変えていかないといけない部分もあるんですけどね。

 

──演劇界での表現の難しさは近年高くなっているのでしょうか?

 

松尾 今は最高潮なんじゃないでしょうか。演劇は閉じられた空間とはいえ、SNSで拡散されることもありますからね。ただ、僕自身はもう、そこまで過激なものをやりたいとは思わなくなってきていて。言葉の端々が過激であってもしょうがないと思っていますし、それよりもストーリーで人間の本質的なダメさみたいなものを表現できたらなと思っているんです。思考や作風が、表面的な部分じゃなく、深い部分に入り込んでいるのかもしれない。放送禁止用語をことさらに連呼したり、裸の女の人がでてきたりとか、そうしたものはもう一通りやってきたので、もういいかなっていうのもありますしね。

 

──今回の個展は、そうした“今”の松尾さんの思考の中で生まれた作品が多いだけに、より楽しみが増してきます。

 

松尾 ありがとうございます。あ、ただ、チラシを見て誤解されている方もいるかもしれませんが、僕が踊るとは思わないでくださいね(笑)。まあ、踊りはしませんが、絵画だけでは自信がないので、あの手この手をやると思います。学生時代に描いていたイラストや、それこそ出版社に持ち込んだ昔の漫画など、これまで世に出したことのないものを全部見せていこうかなと。60歳の還暦には“0歳の干支に戻る”という意味もあるそうですし、この際、一旦自分をすべて白紙に戻すつもりで挑もうと思っていますので、ぜひご期待いただければと。

 

 

 

生誕60周年記念art show「松尾スズキの芸術ぽぽぽい」

●2023年12月8日(金)〜15日(金) 東京/スパイラルホール(スパイラル3F)
https://otonakeikaku.net/2023_matsuo60/

 

●開催時間:11:00〜17:00
※12月8日(金)は13:00〜20:00
※12月9日(土)・10日(日)は11:00〜20:00
※各日ご入場は閉館の30分前まで

●チケット料金
10月7日(土)より一斉発売
【前売券】
入場券1,900円(税込)
音声ガイド付入場券2,500円(税込)
※未就学児童 無料(日時指定予約必要)
【当日券】
入場券2,000 円(税込)

 

松尾スズキ50歳、伝説のひとり芝居「生きちゃってどうすんだ」上映+スペシャルトーク

全席指定 各日3,800円(税込)

ゲスト:12月11日/江口のりこ 12日/宮藤官九郎

 

松尾スズキトークセッション〜生きちゃってどうしよう60〜

全席指定 各日7,500円(税込)

●12月13日「松尾×はいり彼女はもぎり続けた。男はそれをただ見ていた」

【出演】松尾スズキ×片桐はいり 【司会】皆川猿時、猫背椿 【演奏】門司肇(Pf)、河村博司(Gt)

●12月14日「松尾×KERA電気ロッカーは、スピーカーに足を乗せる夢を見る」

【出演】松尾スズキ×ケラリーノ・サンドロヴィッチ 【司会】皆川猿時、猫背椿 【演奏】門司肇(Pf)、河村博司(Gt)

●12月15日「告白、ハンパしちゃってごめん!」劇団員が選ぶ、松尾スズキの10大事件簿 立会人:池津祥子+伊勢志摩

【出演】松尾スズキ×池津祥子×伊勢志摩 ほか 【司会】皆川猿時 【演奏】門司肇(Pf)、河村博司(Gt)

 

撮影/映美 取材・文/倉田モトキ

三浦翔平「今だけではなく未来のため、自分だけではなく誰かのため、お金だけではなく愛のため」映画『親のお金は誰のもの 法定相続人』

2000年に発足した「成年後見制度」の問題とともに、時価6億円の値打ちがある伝説の真珠をめぐる家族の騒動を描いた映画『親のお金は誰のもの 法定相続人』が10月6日(金)より公開。『天外者』の田中光敏監督と再びタッグを組み、成年後見人である弁護士・城島龍之介を演じた三浦翔平さんが伊勢志摩での撮影エピソードを語ってくれました。また、自身のYouTubeでも話題の趣味であるバイクの話では、家族愛にちなんだ映画同様、子供への思いなどもお話いただきました。

 

三浦翔平●みうら・しょうへい……1988年6月3日生まれ。東京生まれ。08年、ドラマ「ごくせん 第3シーズン」で俳優デビュー。以降、多くの人気作品に出演。10年に、『THE LAST MESSAGE 海猿』で第34回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。近年の出演作に『天外者』(20年)、『嘘喰い』(22年)などがあり、24年にはNHK大河ドラマ「光る君へ」に出演予定。X(旧Twitter)Instagram

【三浦翔平さん撮り下ろし写真】

龍之介の視点から見ると、お金よりも家族愛がテ―マ

──『天外者』に続く田中光敏監督の新作に出演された経緯は?

 

三浦 かなり前に田中(光敏)監督の方から、「お金の話を絡めた弁護士の役をやってもらいたい」という話をいただきました。そのときは主人公が50代ぐらいの物語だったようですが、スケジュールや制作の問題などで、企画が頓挫してしまったんです。今回はご縁がなかったと思っていたら、数か月後に田中監督から「新たに主人公に翔平くんを当て書きにした物語を作りたいです」と連絡があり、改めて出演オファーを受けました。

 

──同じく『天外者』の小松江里子さんによる脚本を読まれたときの感想を教えてください。

 

三浦 小松先生が書かれた脚本には、田中監督が伝えたい要素がいろいろ入っている印象を受けました。お金と家族が軸となる話ですが、僕が演じる龍之介の視点から見ると、「お金というよりも家族愛がテーマなのかな?」と思いました。そこに至るまでの彼の過去が描かれていますし、そこに持っていけるように田中監督とも話し合いました。

 

──財産管理の弁護人・成年後見人である龍之介を演じるうえでの役作りは?

 

三浦 弁護士役は初めてではなかったのですが、クランクイン前に、実際の弁護士の先生とお会いする機会をいただき、成年後見人制度のことや今の弁護士業界の話を伺うことができました。法の抜け道を使った決してきれいではない、ほとんど世に出せない話だったこともあり、今まで演じてきた弁護士よりも、さらに踏み込んだ取材ができたと思います。成年後見人のリアルな部分については、直接的ではないにしろ、物語を通じて伝えられていると思います。

 

比嘉さんと対峙するシーンでは、感情を動かしてもらいました

──龍之介を演じるにあたり、田中監督と小松さんからのアドバイスは?

 

三浦 最初のプロットの段階では、「龍之介の心に抱えた闇を前面に出した方がいいのでは?」とか「完全に悪人キャラに振り切った方がいいかも?」という話も出ていました。でも、最終的に小松先生が、観た人によって捉え方が変わる微妙なニュアンスで演じるキャラクターにしてくださいました。最終的には「龍之介もかわいそうな人間だった」ということを分かっていただけると嬉しいです。

 

──そんな龍之介を演じるうえで、いちばん難しかった点は?

 

三浦 毎回どの役も難しいですが、今回の龍之介でいえば、フラメンコ(踊り)のリズムであるサパテアードの音に合わせて演じるシーンが難しかったです。セリフを言えないなか、動きと顔の表情だけで表現するのは簡単なことではない。それが真珠のシーンとリンクする、とても斬新なシーンになったと思います。これは技術的な難しさですが、気持ち的な難しさに関しては、龍之介が心にフタをしたまま生きていること。そこから、憎み続けてきた母親と向き合う瞬間ですね。何となくの逆算をしつつ、事務所で母からの手紙を渡されたときや比嘉(愛未)さんを前に感情を爆発させた直後のタイミングで、龍之介の心が動いているかと思います。

 

──W主演である比嘉さんとの撮影エピソードを教えてください。

 

三浦 序盤は比嘉さんとご一緒するシーンがそこまでなかったのですが、終盤にいくにつれて対峙するシーンでは、すごく感情を動かしてもらいました。目のお芝居が印象的で、今回は芯のある強い女性の役だったこともあり、感情を表に出さない龍之介にとって、彼女の言葉のひとつひとつがズシズシ刺さってきました。田中監督がこだわっていた英虞湾の景色とともに、いいシーンになったと思います。そのほか、比嘉さんとの思い出といえば、その後にダンスシーンが控えていたので、2人でダンスの練習をしていたことですかね(笑)。

 

本当に大切なものは目に見えない

──そのほか、三浦友和さんや小手伸也さんとの共演はいかがでしたか?

 

三浦 友和さんのお芝居は、純粋に引き込まれました。言葉数が少ないなかで、役になりきられていて。それがあまりにすごすぎて、「のまれないようにしなきゃ」と思いました。でも、普段はとてもフランクで素敵な方で、休憩中は昔の映画の話や乗られているキャンピングカーの話をしてくださいました。小手さんは初めましてだったのですが、「何を投げても返してくださる役者さんだ」と勝手に思っていたので、安心しきっていました。実際、田中監督の演出が付かないときは、小手さんが自由にやられて、そこに乗っかればシーンとして成立したように思えます(笑)。あと、小手さんは日本神話にとても詳しい方で、ロケ地にまつわるお話をされていたんですが、映画まるまる一本観た気持ちになりました。

 

──そんなロケ地である伊勢志摩で思い出に残っていることは?

 

三浦 伊勢神宮には、観光で行かせてもらいました。あまり時間がなかったのですが、牡蠣だったり、伊勢海老だったり、事前にプロデューサーさんが調べてくれたおいしい店はひと通り行きました。ただ、東京でも仕事があったので、撮影中も行ったり来たりで、他のキャストさんとコミュニケーションを取る時間がなかったです。

 

──作品の見どころやメッセージをお願いします。

 

三浦 お金と家族が主なテーマですが、いろんな条件が揃わなければいけない真珠作りの大変さなども描かれています。田中監督が一番伝えたいことは、台本にもある「本当に大切なものは目に見えない」だと思うし、『天外者』に続いて、「今だけではなく未来のため、自分だけではなく誰かのため、お金だけではなく愛のため」というメッセージも含まれています。映画を観る方それぞれの視点から、違った観方ができる作品になっているかと思います。

 

思い出とともに子供に乗り継いでほしいハーレー

──GetNavi webということで、モノやコトについてお話いただきたいです。現場に必ず持っていくモノやグッズはありますか?

 

三浦 基本的に荷物を持たない主義なので、作品に入っているときは台本、シャープペン、赤ペンぐらい。あと、ロケ弁だけではビタミン不足になりがちなので、水に溶かして飲む、粉末のクエン酸はできるだけ持っていくようにしています。

 

──YouTubeでもよく登場されていますバイクへのこだわりについても教えてください。

 

三浦 誰もが自分の生まれ年や誕生日の数字に縁を感じると思うんですが、自分が死んでも、モノは一生残っていくので、その年代のモノを集めたくなるんですよ。ただ、自分の生まれ年のいいバイクがなかったこともあり、その年代のパーツを取り入れて、自分でカスタムしました(笑)。あと、子どもが生まれるタイミングで、「ハーレーダビッドソン ソフテイル FXLRS」を買いましたが、これは子どもに思い出とともに乗り継いでほしい気持ちからですね。今はもう一台、ショベルヘッドエンジンのハーレーも持っています。昔の良さは昔のバイクで味わえるし、今の良さは今のバイクで味わえる。ありがいことに作品が続いているので、ほとんど乗れていませんが、プラモデルのように眺めるだけで楽しいんです。

 

 

親のお金は誰のもの 法定相続人

10月6日(金)より公開

 

(STAFF&CAST)
監督:田中光敏
脚本:小松江里子
出演:比嘉愛未 三浦翔平 浅利陽介 小手伸也 山崎静代 松岡依都美 田中要次 デヴィ夫人 内海崇 DRAGONGATE 石野真子 三浦友和

(STORY)
三重県伊勢志摩で真珠の養殖を営む大亀家の母・満代(石野)が亡くなった。満代の娘たちは、財産管理の弁護士で成年後見人である城島龍之介(三浦翔平)から、遺産相続や、父・仙太郎(三浦友和)の手による時価6億円の真珠が自由にならないことを告げられ、巨額な財産をめぐって大騒動が巻き起こる。そんな中、三女の遥海(比嘉)は、母を死に追いやったのは真珠の養殖を手伝わせた父が原因であると恨みを募らせていた。

公式サイト:https://oyanookane-movie.com/

(C)2022「法定相続人」製作委員会

 

撮影/干川 修 取材・文/くれい響 ヘアメイク/石川ユウキ スタイリスト/根岸 豪

要潤が14年ぶりの舞台にかける思い「『レイディマクベス』は俳優人生22年で出会えたターニングポイントになる作品」

話題のドラマや映画に数多く出演する要潤さんが、14年ぶりとなる舞台『レイディマクベス』に出演中だ。本作はウィリアム・シェイクスピアの『マクベス』の登場人物であるレイディマクベスにスポットを当てた作品で、主演の天海祐希を始め7人の豪華俳優陣が競演する新作書き下ろし舞台。『レイディマクベス』を俳優人生の集大成にしたいと語る要さんに、今回の舞台にかける思いや、今ハマっていることなどを聞いた。

 

要 潤●かなめ・じゅん…1981年2月21日生まれ。香川県出身。「仮面ライダーアギト」(2001年)でデビューをし、注目を集める。その後、数々のテレビドラマや映画に出演を続け、TBSラジオ「要潤のMagic Hour」のレギュラー番組も持つ。近年の代表作に、「TOKYO MER〜走る緊急救命室〜」(TBS系)、「ドクターX~外科医・大門未知子~」(テレビ朝日系)、連続ドラマW「フィクサー」(WOWOW)、連続テレビ小説「らんまん」(NHK)などがある。2023年は劇場版『TOKYO MER~走る緊急救命室~』『キングダム 運命の炎』などの話題作が全国劇場公開。公式HPX(旧Twitter)InstagramTikTokYouTube

 

【要 潤さん撮り下ろし写真】

 

40歳を過ぎて、舞台への思いが強くなった

──舞台に出るのは久しぶりですよね。

 

 2009年に司馬遼太郎先生が原作の朗読活劇『レチタ・カルダ「燃えよ剣」』に出演して以来です。このときは一人舞台だったので、すごくやりがいもあったんですが、個人的に舞台は、本番に向けて稽古を重ねて、みんなで作り上げていくというイメージが強くて。だから、あまり舞台をやっているという感覚ではなかったんです。

 

──14年間も舞台に出ていなかったんですね。

 

 実は2020年にコロナで中止になった舞台がありました。大人計画さんの『もうがまんできない』という舞台で、作・演出は宮藤官九郎さん。稽古もやったんですが、大人計画さん独特の空気感が出来上がっていて、毎日が笑いに包まれた現場で、すごく刺激的で楽しかったです。ようやく今年、上演されたんですが、僕はスケジュールの関係で参加できなくて残念でした。

 

──『レイディマクベス』のオファーがあったときのお気持ちはいかがでしたか。

 

 今お話したとおり僕は舞台経験が少ないんですが、以前から先輩方に「板の上に立つ俳優になりなさい」と言われていて。40歳を過ぎて、舞台に挑戦したいという気持ちが強くなっていたタイミングでオファーをいただいたので、「ぜひ!」という気持ちでした。今まで自分が積み重ねてきた経験が通用するのか、また俳優として新しい何かを得られるんじゃないかという両方の気持ちがありました。

──今作の見どころをお聞かせください。

 

 ウィリアム・シェイクスピアの『マクベス』をモチーフに、主人公をマクベス夫人に置き換えた、オリジナルの脚本と設定による書き下ろし世界初演の舞台です。エンターテインメントの要素もありつつ、アーティスティックな面も多くて。素晴らしい絵を見て、衝撃を受けて、はっきりした答えはないんだけど、すごく心の中が動いたときのような、そんな舞台になると思います。観終わった後、皆さんにどう感じてもらえるのかが楽しみです。

 

──主演の天海祐希さんをはじめ、錚々たるキャストが顔を揃えています。

 

 ベテランの方々ばかりで、足を引っ張らないようにしなきゃいけないなと(笑)。僕は舞台経験が少ない上に、シェイクスピア作品を演じたこともないので、とにかくみんなに食らいついていこうという気持ちです。初めて共演する方もいらっしゃいますが、尊敬できる素敵な俳優さんばかりなので、胸を借りるつもりで演じたいです。

 

──プレッシャーはありますか?

 

 もちろん感じていますけど、そのプレッシャーに負けないような、キャリアを積んできました。台本の読み方、キャラクターの作り方など、自分なりに積み上げてきたもので、役にのまれないように、しっかりと板に立ちたいです。

 

──シェイクスピアの舞台には、どんな印象をお持ちでしたか。

 

 シェイクスピアは俳優をやっていたら絶対に耳にする名前で、世界中で常に作品が公演されているので、今まで尻込みしていたというか、自分にできるのかなという不安がありました。ただ俳優を22年やってきて、この作品に、このタイミングで出会えたということで、すーっと受け入れられたんです。作品ってやりたいと思って、回ってくるものではないですからね。

 

舞台は大きな山を、みんなで一緒に登っていく感覚がある

──要さんの演じるバンクォーはどんな役柄でしょうか。

 

 バンクォーは、天海祐希さん演じるレイディの幼なじみで、弁が立ち、人を翻弄しながら自分の手は汚さない、したたかでずるい男です。レイディとは友人なんですけど、仲良しこよしではなく、忌憚ない意見も言う。彼女を刺激する存在ですね。

 

──どんな役作りを意識していますか。

 

 バンクォーは自分とはまったく違うタイプですが、実は自分と違う役のほうがやりやすかったりするんですよね。自分と等身大の役がきたときって、演じながらこれでいいのかなと不安になることがあるんです。今回は設定も特殊ですし、完全にイメージで役を作り上げることができる。ただ僕は、自分から「こうしよう!」と思って演じるタイプの俳優ではないんです。この人はこういうふうに演じるから、じゃあ僕はこうかなというふうに作っていくタイプなので、稽古を通してバンクォー像を作っていきたいです。そのためにはイメトレが重要だと思っていて、僕はあまり瞬発力がないので、いろいろなパターンを想定して台本を読み込んでいます。今回は百戦錬磨の方々ばかりなので、「この人やりづらいな」と思われないようにしたいです(笑)。

 

──天海さんは憧れの俳優のお一人だそうですね。

 

 俳優としての器が大きいんですよね。いらっしゃるだけで、その場が明るくなりますし、一緒にお芝居をすると全てを受け入れてくれる。どんな局面でも、ついていきたいなって思える人です。今回も天海さんが引っ張っていってくれるので、その歯車の一つになれるように、あわよくば潤滑油になれたらいいなと思います。

──本番では、どんなことを楽しみにしていますか。

 

 シェイクスピアは難解なセリフも多いので、長い稽古期間で、しっかりと自分の中に落とし込んでいこうと考えていますが、もしかしたら公演期間も、沼にハマっていくように考えるのかもしれない。それって映像にはない舞台ならではの醍醐味ですし、すごく楽しみです。俳優としての階段を一つ上がるような、ターニングポイントになる作品にしたいですね。

 

──その他に舞台と映像の違いを感じる部分はありますか。

 

 舞台は大きな山を、みんなで一緒に登っていく感覚があります。それに対して映像は、低い山がいっぱいあって、とにかく今日はこの山を登り切って、明日は違う山に登るようなイメージですね。

 

──改めて『レイディマクベス』の魅力をお聞かせください。

 

 いつの時代も争いは絶えないですけど、戦わずして生きることができるのかとか、戦争の是非など、いろいろなテーマが包括されています。コロナ禍を通じて、今まで違和感を抱いていたことが露わになって、改めて生き方を考えるきっかけになりましたが、時代は違えど、『レイディマクベス』は今の時代に合っている作品です。

 

──要さん自身、コロナ禍のピーク時にどんなことを考えましたか。

 

 東日本大震災のときもそうでしたけど、自分に何ができるのかとか、自分が幸せに生きるためにはどうしたらいいんだろうとか、いろいろなことを考えました。改めて家族の尊さを感じましたし、ここまで長く休みが続くこともなかったので、家族と密に過ごす時間を大切にしていました。

 

友達とDIYで山小屋作りにハマっている

──要さんは多彩な趣味をお持ちですよね。

 

 いえいえ、胸を張って趣味と言えるものはないんですよ。というのも趣味の範囲が分からないので、仕事が趣味みたいなところもあって。

 

──確かに今年7月18日に放映された「午前0時の森」(日本テレビ系)で、「無趣味なのでテレビ用の趣味や特技を答えている」と仰っていて、それっぽい趣味として乗馬と手品を挙げていました。

 

 どちらもハマっていた時期はあるんです。プライベートで手品師の方と知り合って、テレビで披露できるなと思って、幾つか手品を教えてもらって、実際に番組でも披露しました。乗馬も24歳ぐらいのときに、友達とノリで乗馬クラブに通ったんです。乗馬は一筋縄ではいかないので、半年ぐらいかかったんですけど、映画『キングダム』で刀を持って馬に乗るシーンがあったので、そのときの経験が活かされたのかなと。

──YouTubeチャンネル「要潤のシュールな日常」では度々、料理を披露していますが、手際が素晴らしいですよね。

 

 料理も趣味と言えるほどのものではないんですけど、下積み時代にバイトでイタリア料理店や居酒屋のキッチンに立たせていただいたので、そのときに基本的な包丁の使い方などは覚えました。

 

──家で料理を作ることはあるんですか。

 

 今はほとんどないですね。妻がバランスの良い料理を作ってくれるので助かっています。たまに自分が食べたい料理を一品足すぐらいです。

 

──たとえば、どういう料理を作るのでしょうか。

 

 僕は砂肝が好きなので、砂肝の炒め物とかですかね。炒めるだけですけど、下処理が手間なんですよね。売られている砂肝は繋がった状態で、皮に白い筋みたいなものが付いていて、それを取るのが大変なんです。

 

──今ハマっていることは何でしょうか。

 

 DIYですね。3年ぐらい前から友達と山小屋を借りて、少しずつ改造しているんです。ただの遊びですし、そんなに凝ったことはできないんですけど、かなり古い建物だったので、綺麗にしていこうと。

 

──どういうきっかけで始めたんですか。

 

 コロナ禍で、飲みに行くことができなくなって、都内で集まることも難しくなって。山にこもって、みんなで会う場所を作ろうと始めました。YouTubeでDIY動画を見て、自己流でやっているんですけど、道具や資材を揃えるのが楽しいんです。道具はホームセンターで買って、資材はネットで安い物を探してオークションで落札して。新品よりもヴィンテージのほうが、味わいがあるんですよね。いつまでに完成させるというのもないので、気長にやっています。

 

 

レイディマクベス

(schedule)
■東京公演
日程:2023年10月1日(日)〜11月12日(日)
会場:よみうり大手町ホール

■京都公演
日程:2023年11月16日(木)〜11月27日(月)
会場:京都劇場

(cast&staff)
出演:天海祐希、アダム・クーパー、鈴木保奈美、要 潤、宮下今日子、吉川 愛、栗原英雄
作:ジュード・クリスチャン
演出:ウィル・タケット
音楽:岩代太郎翻訳:土器屋利行
美術・衣裳:スートラ・ギルモア
音響:井上正弘
照明:佐藤啓
ヘアメイク:川端富生
演出助手:伊達紀行
舞台監督:本田和男
主催:TBS 読売新聞社 研音 tsp
企画:tsp 制作:TBS & tsp

(story)
戦争が続いているとある国。レイディマクベスは元軍人であり、自ら戦場に赴く兵士だった。マクベスとは、ともに国を守るために闘う同志として知り合い、恋に落ち、娘を授かる。しかし彼女は産後、戦場へ戻れなくなり、母として、家庭を守ることに専念していたが、そんな現状に満足できないまま人生を歩んでいた。戦いは相変わらず終わりを迎える様子もなく、夫マクベスは戦場で次々と勝利を収め、国を導く存在となる。彼女には常に忘れられない若き日に描いた夢があった。それは「夫と共に国を治める」ということ。そんな時、統治者ダンカンが血縁者以外から後継者を選ぶと宣言。彼女の脳裏に忘れずに在った夢であり、夫婦の野望、そしてその夢が今、まさに手に入りそうになった時、二人は望むものを手に入れることができるのか……。

公式サイト:https://tspnet.co.jp/
公式X:https://twitter.com/2023LadyM

 

撮影/武田敏将 取材・文/猪口貴裕

「イカゲーム」主演イ・ジョンジェの初監督作「ハント」が公開中!「緊迫感のあるスピーディーなアクションシーンを追い求めた」

「イカゲーム」で世界中を夢中にさせたイ・ジョンジェ。一躍国際的スターとなり、ハリウッドをはじめ活躍の場を世界に広げている。そんな彼が今度は監督に初挑戦した。大統領暗殺計画を巡る壮絶なスパイアクションとなる映画『ハント』は、彼が4年間温めてきたシナリオを基に監督し、盟友チョン・ウソンとダブル主演を果たした。初監督作とは思えないスリリングな演出がカンヌ映画祭をはじめ、各国映画祭で称賛されている。初監督作に対する思いのほか、チョン・ウソン、ファン・ジョンミン、キム・ナムギル、チュ・ジフンら韓国を代表するそうそうたる俳優たちの撮影裏話などを聞いた。

 

イ・ジョンジェ●1972年12月15日生まれ。韓国・ソウル出身。『若い男』(94)で韓国で最も権威のある映画賞・青龍映画賞を含む4つの映画賞で新人賞を受賞。『太陽はない』(98)では史上最年少で青龍映画賞主演男優賞を受賞した。以降、『イルマーレ』(00)、『ラスト・プレゼント』(01)などでキャリアを積み、『10人の泥棒たち』(12)、『新しい世界』(13)、『神と共に』シリーズ(17~18)などヒット作が続くなか、。2021年に主演を務めたNetflixオリジナルシリーズ「イカゲーム」が世界中で大ヒットを記録。続編「イカゲーム シーズン2」の2024年の配信も予定されている。

【イ・ジョンジェさん写真一覧】

 

アクションの中に心理や状況をしっかり盛り込んでいく

──監督するにあたり、同事務所のチョン・ウソンからアドバイスなどありましたか。

 

イ・ジョンジェ ウソンさんは、あるインタビューで「僕は現場では出来る限り言葉を控えるようにしている」と話されていました。そのインタビューを読んで改めて撮影を振り返って考えると、彼は助言をしたり、または“こういうことをしたい”というような話はほとんどしていなかったと思います。むしろ、僕が何を望んでいるのか絶えず耳を傾けて聞いてくれました。逆に僕の方からキム・ジョンド(チョン・ウソン)はこう演じてほしいと話していましたね。

 

──本作では、シーンや演じる役によって異なるアクションを作り上げたと伺いました。具体的にどのアクションシーンでどのような違いを意識しましたか?

 

イ・ジョンジェ アクションシーンは本作の中でかなり重要な部分を占めていると考えました。それは見どころという意味ではなく、アクションの中に俳優や役柄の心理、緊迫した状況をしっかり盛り込んでいくことが大切だと考えていたんです。アクションシーンごとに、例えばジョンドが置かれている緊迫した状況、追われている状況を表現したり、別のアクションシーンではパク・ピョンホ(イ・ジョンジェ)が脅威にさらされたり、憐憫の感情を引き起こすような演出をしながら撮影していきました。これらがうまく撮影できればアクションシーンが単に見どころとなるだけではなく、それ以上に感情の詰まったシーンになると考えたからです。なので、銃弾が飛び交ったり爆弾が爆発するのではなく、感情が爆発するようなアクションシーンを撮りたいと思いました。

 

──アクションと心理戦のバランスがとても素晴らしいと思います。脚本を書く際に工夫したことはありますか? 過去のスパイアクション映画とは違うポイントを作るようにした、と伺いましたが、それはどのようなものでしょうか。

 

イ・ジョンジェ スパイ活動のテンポがどちらかというとゆったりしていて、さまざまな秘密が重なり合っていき、一体この人物は何を隠しているのか、どのように考えていくのかを知っていくような、非常に複雑なタイプのスパイ映画が多いと思いますが、その場合、最後にこの映画は何を伝えたかったのだろうと思ってしまう時がたまにありますよね。私がこのスパイ映画を撮るとなった時に、そのように引きのばすと、果たして多くの観客の皆さんに受け止めてもらえるのかなと疑問に思って、もっとスピードを全力で上げて撮ろうと決めました。

スピードの早い展開がピョンホやジョンドの心理を表し、また心拍数を上げていくような、緊張感を最大限に出せる要素になると思ったんです。この映画は最初のシーンから最後のシーンまで全力疾走するようなスピード感でストーリーが展開していきます。その合間でアクションシーンが入ってくることにより、ピョンホやジョンドのことを追い詰める効果があったのではないかと思います。個人的にスパイ活動を描きながらも、緊迫感のあるスピーディーなアクションシーンを追い求めるという戦略を立てて、この映画を撮っていきました。

(C)2022 MEGABOXJOONGANGPLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

 

釜山に日本の80年代のような街並みを再現

──日本での銃撃シーンは韓国でロケを組んで撮影したと伺いました。苦労した部分や、日本を意識し韓国とは違うようにした部分などありますか?

 

イ・ジョンジェ とある方に、日本でカーチェイスや、都心の道路で銃撃シーンを撮るためには解決しなければならないことが多いし、許可を取るのも非常に難しいと言われてとても悩みました。悩んでいるさなかにコロナ禍となって……。結果的に日本へ行くことができなくなってしまったんです。そこで釜山でセットをうまく作れば80年代の日本の街並みを表現できるのではないかと思い、ロケハンをして、交差点を3~4箇所ほど車両規制をした上で撮影しました。

看板や道路標識、信号機なども作り込みました。また、日本の80年代に実際に走っていたタクシーなどさまざまな種類の車を韓国に空輸して、カーチェイスと銃撃戦を撮ったんです。その後、ポストプロダクションの作業でCGの力も借りて表現しました。実際の日本の80年代のような街並みを作り上げようとして撮ったんですが、果たして日本の観客の皆さんがどんなふうにそのシーンをご覧になるのかとても気になるところです(笑)。

(C)2022 MEGABOXJOONGANGPLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

 

──ファン・ジョンミンやキム・ナムギル、チュ・ジフンら名だたる俳優が友情出演しています。

 

イ・ジョンジェ 今、名前を挙げていただいた俳優の皆さんは、私とウソンさんが『太陽はない』(98)以来、久しぶりに共演することになって、私たちも一緒に何かやらせてくださいと先に連絡をくださったんです。この作品は私たちの会社のArtistスタジオと、SANAI PICTURESという映画会社が共同製作をしていますが、私とウソンさんとSANAI PICTURESの代表は友情出演してくださっている俳優の皆さんと普段から本当に親しく過ごしているんです。なので、どんな小さな役でもいいからやらせてくださいと、皆さん言ってくださったんですが、むしろ私はとても心配になりました。こんなに大勢の有名な俳優の方々がいきなりどっと出てくると、映画が散漫なものになり、もしかしたらストーリーの集中を妨げるのではと。そんななか、ある日アイディアがパッと浮かんだんです。それは皆さんを1つの作戦のシーンの中に全て盛り込むというものでした。みんな銃に撃たれて死んでしまうシーンでしたが……(笑)。そうするといきなり一斉に出てきて、10分もたたないうちにみんな死んでしまう、その後は出てこないという状況になったんです。それを東京シーンのところに全て配置しました。

 

撮影終わりには近くのプルコギ屋さんで焼酎を

──撮影はいかがでしたか? スケジュール調整も大変なメンバーだと思います。

 

イ・ジョンジェ 東京シーンが終わるとその後すぐにファン・ジョンミンさん、イ・ソンミンさんも出てくるんですが、これらは10分~15分の間に起こることです。有名な俳優の方々が、一気にいきなりわぁっと登場して、いきなりわぁっと退場していく、そんなシーンになったんですが、それによって私は自信を持つことができました。このやり方であれば観客の皆さんに楽しんでいただけると同時にその後は再びストーリーに集中できると思って、そのような作り方にしたんです。 また、実は当時彼らは自分たちの主演映画を撮っている時期でスケジュールを合わせるのがとても大変でした。しかし、彼らが映画会社に「イ・ジョンジェとチョン・ウソンが久しぶりに共演するので少しでも手伝いたい」とお願いしてくれて時間を割いてもらえました。彼らとは3週間撮影したのですが朝4時半から準備をし、17時まで撮影をしていました。撮影が終わると近くのプルコギ屋さんでみんなで焼酎を飲みながら楽しい時間を過ごしたことを今でも覚えています。

 

──日本のファンへのメッセージをお願いします。

 

イ・ジョンジェ 以前日本には旅行でも仕事でも頻繁に来ていましたが、ここ数年はコロナ禍によって頻繁に日本に来ることができませんでした。ですが、今回『ハント』のプロモーションで日本に来ることができて、とても楽しいですし、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。特に日本のファンの皆さんに直接お会いすることができて、顔なじみの方もいらっしゃるので、再会できて本当に嬉しく思いますし、とても胸が熱くなりました。また、新しく私のことを応援してくれるファンの方にもお会いすることができて、とても力をもらっているような気がして、本当に皆さんに感謝しています。これからもステキな作品を頑張って撮って、皆さんに頻繁にごあいさつできる機会を、これからもたくさん作っていきたいと思っています。皆さんもどうかお元気で、そしていつも幸せでいてください。これからも応援をお願いします。ありがとうございます。

 

 

(C)2022 MEGABOXJOONGANGPLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

HUNT

東京・新宿バルト9ほか全国公開中

【映画「HUNT」よりシーン写真】

脚本・監督:イ・ジョンジェ
出演:イ・ジョンジェ、チョン・ウソン、チョン・ヘジン、ホ・ソンテ、コ・ユンジョン、キム・ジョンス、チョン・マンシク

公式HP https://klockworx.com/huntmoviejp

(C)2022 MEGABOXJOONGANGPLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

 

御年87。お年寄りのアイドル・毒蝮三太夫が、今だからこそ、どうしても言っておきたいこと

「そこのババア、まだ息しているか?」「くだばり損ないのジジイ、死ぬのを忘れたのか?」

歯に衣着せぬ毒舌を吐きながらも、“お年寄りのアイドル”として絶大な人気を誇る毒蝮三太夫さん。自身のルーツから老いや病気まで縦横無人に語り尽くす今回のインタビューでは、シリアスなメッセージや普段見せない真摯な一面も明らかになる。

「今だからこそ、どうしても言っておきたいこと」(本人談)に耳を傾けてほしい──。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:小野田衛)

毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう )本名:石井伊吉。1936年生まれ。中学生だった1948年に舞台『鐘の鳴る丘』で子役としてデビュー。1966年、1967年の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に出演し、一躍、お茶の間の人気者に。1968年、「笑点」出演中に親友の立川談志のすすめで毒蝮三太夫に改名。1969年から始まったTBSラジオの「ミュージックプレゼント」は2019年に50周年を迎え、現在も放送中。年寄りを愛情込めて「ジジイ」「ババア」と呼ぶ“毒舌”が人気で、高齢者に親しまれている。平成11年に聖徳大学の客員教授に就任し、介護や福祉の講義を受け持つ。著書「70歳からの人生相談」(文春新書)「たぬきババァとゴリおやじ」(学研プラス)など。 YouTube「マムちゃんねる」好評配信中。

 

戦争を語れる最後の世代

──今回は毒蝮さんの生い立ちから今後のことまでたっぷり伺おうと考えています。

 

毒蝮 生い立ちから? そんな昔のこと、まったく覚えていないよ!

 

──生まれたのは大阪ですが、育ちは東京の下町ですよね。たとえば第二次世界大戦の前夜あたりから記憶は残っていたりしますか?

 

毒蝮 そうね。小さいころは軍国少年だったな……。(※七五三の写真を出しながら)これ見てくれる? 俺が5歳のときなんだよ。服に「大日本海軍」って書いてあるのわかる? 明治神宮で撮った写真なんだ。俺だけじゃなくて、当時はみんな将来何になりたいかって聞かれたら「兵隊さん」って答えるのが当たり前だった。やっぱり兵隊はカッコいいと思っていたからさ。「電車の運転手がいい」って言う奴も中にはいたけどね。

 

──それが時代の空気だったんですね。

 

毒蝮 ……でもさ、この記事を読んでいる人は戦争のことなんて知りたいのかな?

 

──それは知りたいと思いますよ。あれから年月が経っているからこそ、風化してしまった部分もありますし。

 

毒蝮 そうだよな。実を言うとさ、俺も最近そのことはよく考えるんだ。というのも、俺はもう87歳なんだよね。終戦の時点で9歳。だから実際には戦地に行ったわけじゃないの。でも空襲は体験しているし、戦争がどういうものなのかは自分なりに語ることができる。戦争を生で語れるのって、もはや俺たちが最後の世代じゃないかな。

 

──実際、その通りだと思います。

 

毒蝮 たとえば大沢悠里ちゃんは俺より5歳下なんだけど、(1945年)3月10日の東京大空襲をかすかに覚えているらしいんだよ。でも、母親の背中に背負われて逃げたという場面しか印象にないんだって。そりゃそうだよな。4歳のときの記憶なんて、誰しもぼんやりしている感じだろうからさ。大抵の人は、記憶がしっかりしてくるのって6~8歳くらいだろうし。

俺はさ、たまたま仕事でラジオをやっているし、大学で女子大生に教えたりもしているじゃない。だから、普通よりは若い人たちと話す機会も多いと思うんだ。そこでふと感じるのは、自分が経験した戦争のことを次世代に語り継ぐのは一種の義務なのかなってこと。ましてや今はすぐ終わると言われていたウクライナとロシアの戦争が長引いているうえに、北朝鮮からもひっきりなしにミサイルが飛んできているご時世。いろいろ考えちゃうよな。

 

──日本においても戦争そのものに対する関心が高まっていることは感じます。

 

毒蝮 「戦争には勝者も敗者もない」って新聞なんかには書いてあるよね。本当にそうなんだ。勝ったほうだって多大なダメージを受けるわけだから。実際、ロシアだって傭兵がたくさん死んでいるっていうしさ。もちろん非戦闘員も殺される。子どもやお年寄りだって虐殺される。それが当たり前なんだよ。そもそも戦争って残酷なものなんだから。

 

──毒蝮さん世代の方が戦争を語ると、やはり言葉に重みがあります。

 

毒蝮 しかし俺にとっての戦争となると、どこから話せばいいかな……。まず俺には兄が2人いるのね。俺とは親父が違うんだけど。それで沖電気に勤めていた1番上の兄が中国……当時は支那と呼ばれていたんだけど、そこに行くことになったわけだ。そのことが記された手紙が家に届いたから、おふくろと一緒に慰問に行ったことは覚えているよ。たしかおふくろも「立派に死んでほしい」くらいのことは言っていた気もするな。

一方、2番目の兄は逓信省に勤めていたんだよ。逓信省と言っても今はわからないか。これはのちの郵政省。今は総務省になっているのかもだけど。それで当時は(チャールズ・)リンドバーグがプロペラ機でニューヨークからパリまで飛んだり、大西洋を横断したりして、日本でも航空熱が高まっていてさ。2番目の兄貴もそんな姿に憧れて、郵便飛行士になろうと仙台にある飛行学校に入ったんだ。リンドバーグは兵隊じゃなくて、郵便飛行士だったからね。ところが、この仙台飛行学校は途中から特攻隊の育成所にすり替わったわけ。平和に貢献しようとしていたのに、気づいたら兄貴も人殺し要員にさせられちゃって……。

 

──そんなの騙し討ちじゃないですか。

 

毒蝮 騙し討ち? それを言ったら、戦争の本質なんて全部が欺き合いだよ。二・二六事件だって盧溝橋事件だって同じ。全部が捏造、すり替え、ゴリ押し、欺瞞、詭弁……そういった人間の汚い部分のオンパレードなんだから。プーチンなんて元KGBだし、その最たる例じゃないか。ゼレンスキーだって騙し合いをしているしね。「援助してください」と国際世論に訴えたら、戦車とかがウクライナに与えられることになる。それは結果的に戦火が大きくなるということだからさ。そして最前線で死んでいくのは常に下っ端の人間というわけ。

 

──……たしかにそういう面はあるかもしれません。

 

毒蝮 話を2番目の兄に戻すと、戦争が激しくなったものだから、途中からは仙台じゃなくて中国に行かされたんだよね。戦争があと1~2か月長引けば、兄貴も特攻隊として飛ばされていたらしい。当時、沖縄にアメリカの艦隊が集まってきていたの。だから片道分だけの燃料と150キロの爆弾を積んで、そこに突っ込んでいくんだよ。

一応、教官はみんなからの申し出を募るそうだ。「特攻隊に行きたい奴は『〇』を書け。行きたくない奴は『×』を書け」って。二者択一だよな。そして飛行機は毎日どんどん飛んでいくことになる……。

 

──みんな「〇」を記入したということですか。本音は「×」を書きたいでしょうけど。

 

毒蝮 そういうことだよね。兄貴は「これ、どうする?」って仲のいい友達と2人で悩んだらしい。だけど、場の空気的に「×」は書けないよ。とはいうものの、何かしら書いて提出しなくちゃいけない。それでどうしたかというと、震えるような小さい字で「〇」を書いたんだって。その気持ち、すごくよくわかるよ。

 

──もし「×」と書いて提出したら、どうなったんでしょうね?

 

毒蝮 その場で処刑されたんじゃないの?「私は非国民です」って宣言しているのと同じだから。戦争が終わってから「実は私は戦争反対の立場を取っていました」なんて言い出す人も現れたけど、「嘘つけ!」って俺なんかは思うよね。正直者じゃないし、後出しじゃんけんみたいだなって感じる。あの時代、とてもじゃないけどそんなことは言えない空気だったよ。

 

東京大空襲を経て芸能の世界へ

──お兄さん2人は召集されたということですが、毒蝮さん本人は?

 

毒蝮 まだ小学生だったから、普通だったら学童疎開するのよ。当時は品川の戸越公園あたりに住んでいたんだけど、学校の子どもたちはみんな長野に行ったね。なぜ俺だけ東京に残ったのか親父にあとから聞いたら、「馬鹿野郎! 死なばもろともだろうが」とか言っていた。

親父は大工だったんだけど、一時は海軍技術研究所っていう今は防衛庁になっているところで仕事していたからさ。たぶんそのへんの情報は早かったんだと思う。つまり大東亜戦争に突入したら、日本はこっぴどい目に遭って負けるって薄々気づいていたんじゃないかな。もし小学生の俺1人が疎開先で生き残っても、結局、身寄りもいないわけじゃん。だったら一蓮托生でいいという発想になったというわけ。実際、うちらの家族は昭和20年(1945年)の空襲で生きるか死ぬかギリギリのところをさまよったしね。

 

──いわゆる東京大空襲ですね。

 

毒蝮 まず死者が10万人近く出た3月10日の空襲では、おふくろと一緒に近所の空き地に逃げ、遠くの空が真っ赤に燃えていたのを覚えている。そのあとも大きな空襲は何回かあったんだけど、うちらが住んでいた城南地域をモロに襲ったのが5月24日から25日にかけての空襲。このときはB-29が500機くらい出ていて、空は真っ黒。3月10日以上の数だったんだよ。死者の数は3月10日のほうが全然多いんだけどね。

それでも大空襲だから、人はいたるところで当たり前のように死んでいるわけ。あるいは焼夷弾が直撃して、真っ赤に焼けながらのたうち回っていたりしてさ。それはもう本当に地獄そのものだよ。俺とおふくろはほうほうの体で逃げたんだけど、燃えているところを歩き回ったものだから靴がダメになっちゃった。そうしたら俺と同じくらいの子ども用サイズの革靴が、そのへんに落ちていてね。履こうと思って靴を拾い上げてみると、ひとつは軽いんだけど、なぜかもうひとつは重いんだよ。どういうことかというと、片足分だけ持ち主の足首が入っていたんだ。

 

──履いていた子どもは死んだということですか?

 

毒蝮 そう。特に血もついていなかったし、かまいたちみたいにして足先だけスパッと切れたんだと思う。だけど極限状態にあったものだから、俺はその革靴から足首を抜いて普通に履いたんだよね。親も特に止めなかった。持ち主の子どもは死んでいるわけだから、どうせなら物資不足の中、同じくらいの子に使ってもらったほうがいいという考え方もできるし。

 

──想像を絶します。

 

毒蝮 ここまで厳しい話は、なかなかテレビではできない。でも、さっき言ったように戦争の愚かさを伝えられるのは、俺たちが最後の世代だと思うからさ。これは本当にきちんと記事にしてほしいな。

 

──かしこまりました。戦後の毒蝮さんは中学1年生のときに『鐘の鳴る丘』で初舞台を踏むと、その後も子役として活躍していましたよね。

 

毒蝮 すべて行き当たりばったりだったけどね。まぁでも出演した作品の数でいえば結構なものになったし、一応は学費も映画の出演料で払ったりしていたしさ。そこそこ楽しんではいたんだよね。当時は映画だけではなくテレビでもドラマが始まった時期で、そこの波に乗れたのも大きかった。もちろん『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』もその流れだったんだけど。

 

──1966年放送の『ウルトラマン』では科学特捜隊のアラシ隊員役、1967年放送の『ウルトラセブン』ではウルトラ警備隊のフルハシ隊員役で活躍しました。

 

毒蝮 『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』を作った円谷英二さんは、『ゴジラ』を撮った人でもある。『ゴジラ』という怪獣映画は、アメリカに対する水爆反対・戦争反対のメッセージが込められているんだよね。ただし戦後の日本社会ではダイレクトにそんなことをアメリカに言えなかったから、映画の中で主張したわけ。皮肉なことに『ゴジラ』自体はアメリカ人に大ウケするわけだけど……。

円谷さんは戦犯として公職追放になったこともあるものの、クリスチャンだから基本的には反戦主義者だし平和主義者。『ウルトラマン』の撮影現場でもよく熱く語っていたよ。「地球は地球人で守るしかないんですよ」って。つまりスーパーマンみたいな存在はいるわけないということでさ。

 

──そんな理念が『ウルトラマン』の中にはあったんですね。

 

毒蝮 だって地球温暖化や核戦争にしたって、地球人が地球を壊しているだけじゃない。今だったら、中国からの大気汚染や福島の処理水だってそうかもしれない。原子力発電所も日本みたいな地震国で建設していいのか、そこは本当に慎重に議論を重ねなくちゃいけないところだよね。温暖化によって山火事だって起きる可能性はあるし。いつまで人類はこんな愚かなことをしているのかっていう話だよ。

 

石井伊吉から毒蝮三太夫へ

──『ウルトラマン』は視聴率40%を超えるモンスター番組でしたが、それで毒蝮さんの俳優人生も変わったんじゃないでしょうか。

 

毒蝮 いや、そんなことは全然ない。放送当時、『ウルトラマン』は「ジャリ番(※子ども向けの低俗な番組)」とか呼ばれてバカにされていたね。振り返ってみると、作品の中では公害や交通戦争の問題にも警鐘を鳴らしていたんだけど、当時の俺たちはそんなこと何もわからなかった。早く撮影を終わらせて飲みに行くことばかり考えていたよ(笑)。

あのオレンジの服が邪魔でしょうがなくてさ。そのうち家にもガキがやってくるし、なんでこんなに人気があるのか意味がわからなかった。正直、今でもわかっていない部分はあるね。でも、明確にヒットした理由はあるんだろうな。だって『忍者部隊月光』とかは覚えていないけど、『ウルトラマン』はいまだに55周年フェスティバルとかやっているわけだし。今やっている令和版『ウルトラマン』シリーズには公害の問題提起や反戦思想はないだろうけど、俺はそれでいいと思うんだ。時代が違うんだから、同じようにする必要はまったくないよ。

 

──俳優時代の毒蝮さんは、借金を抱えながら新劇の「劇団山王」も作りました。硬派な役者業を続ける中、テレビの特撮というのはあまりにも毛色が違ったのでは?

 

毒蝮 そこの部分の抵抗感はすごく強かったよ。こっちはシェイクスピアがやりたいのに、なんで20メートルの怪獣相手に演技しなくちゃいけないんだよってフラストレーションを抱えていた。仲がよかった(立川)談志も俺の姿を見て、「こんな人気は長く続くものじゃない。お前は役者を辞めて1人でしゃべるべきなんだ」ってこんこんと説得してくるわけ。それで結果的には本名の石井伊吉から、毒蝮三太夫という芸名に変わるんだけどね。

 

──それが『笑点』出演時のタイミングですよね。ずっと役者を続けていて落語の世界とは無縁だったはずですが、なぜ飛び込もうと決意したんですか?

 

毒蝮 談志の誘いが、すごくしつこかったんだ。7~8年くらい言われ続けていたんだから。それで根負けした部分は大きいな。

 

──役者業が箸にも棒にもかからないならわかるのですが、キャリア的には順風満帆だったのではないですか?

 

毒蝮 順風満帆というのは大袈裟だけど、そこそこやれていたのは事実。だから、そこも悩んだポイントではあったね。決め手となったのは、談志っていうのはすごく見る目が鋭いんだよ。落語の師匠に対しても、臆することなく「あいつはダメ」とか平気で言っちゃう人なの。忖度なんて一切しない男だったからね。その談志が「お前はしゃべりのほうが向いている。寄席に来い」って繰り返し言うものだから、その言葉を信じてみようなと思ってさ。

結果的には、あそこが俺の人生のターニングポイントだったと思う。談志の言葉を信じてよかったと今でも思うね。最初は俺も『笑点』に座布団運びで出演して出演者として時には答えたりしたんだけれど、まったく受けなくてさ。もともと落語家に憧れていたわけじゃないから、場違い感もすさまじかった。本職の落語家たちからは「なんなの、こいつは?」って感じで冷ややかに見られていたしね。

 

──ただ、『笑点』の出演は短期間で終わります。

 

毒蝮 『笑点』という番組は、基本的な枠組みを談志がすべて作り上げたんだ。番組の構成から出演者のキャラクター設定まで本当に全部を決めていた。談志の笑いっていうのはシック・ジョークがベースにあるのね。アイロニーなわけよ。そのへんは今の平和的な『笑点』とはだいぶ勝手が違っていたね。2言目には「それってコンプラ的に大丈夫ですか?」とか言い出す今のテレビ界だったら、成立しない笑いだったかもしれない。談志は臨戦態勢だったからさ。それであいつは『笑点』の人気がだんだん出るようになってから辞めたの。本当は俺まで一緒に辞める必要はなかったんだけど、あいつに誘われて出始めた『笑点』だったから、もういいやと思ってね。

 

殻を破って出てきた「うるせえな、ババア!」

──冠番組の『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』が始まったのは、そのすぐあとですよね。

 

毒蝮 スタートしたころは俺もかしこまっちゃって、今みたいなスタイルじゃ全然なかったね。結局、俺は役者をずっとやっていたわけじゃない? だから落語の番組に出ると落語家みたいに演じるし、ラジオに出たら一般的なレポーターを演じなくちゃいけないと思っていたの。だけど談志とか地元の友達とかは「お前、なんで普段の調子でしゃべらないの?」って言ってくるわけ。1年くらいは殻が破れなかった気がする。

 

──そして殻を破った瞬間、「うるせえな、ババア!」といった暴言が飛び出すようになったわけですか(笑)。

 

毒蝮 いや、暴言じゃなくて本当のことだから(笑)。普段、下町の仲間としゃべっているときは「そうですよね、おばあさん」なんて優しい口の利き方していないわけだしさ。それを普段通りにしたら、一気に弾けた番組になっちゃった。

相手から話を引き出すような今のスタイルは、おふくろからの影響も大きいかもしれない。一時、地元でおしるこ屋をやっていたんだけど、おふくろはそこで吉原で働いている女郎さんたちから悩み相談をよく受けていたんだ。正直、アドバイスとしては大したことも言っていないと思うんだけど、安心して話せるような雰囲気をおふくろは出していたんだろうね。その血は俺にも流れているわけでさ。

 

──番組が長く続いている秘訣はどういうところにあるのでしょう?

 

毒蝮 自分ではわからない。でも俺の中の感覚としては、『ミュージックプレゼント』って番組収録というよりもライブショーに近いんだよ。だから放送が終わってからも、会場で30分くらい延長してしゃべっているの。それは要するにラジオのリスナーではなくて、目の前にいる人たちを満足させたいっていう気持ちだよね。もちろん最初はスタッフも嫌がっていたよ。だって、そんなことしても番組に反映されないんだから。でも「昨日、こんなことがあってさ」みたいな話をしていると一種のネタ出しにもなるんだよね。そういうところで交わされる会話から、明日しゃべる内容が決まることもあるし。

 

──最近の毒蝮さんに関していうと、2005年に腸閉塞で入院されていますよね。ニュースにもなりましたが、ご自身の中でも気持ちの面で変化は生まれましたか?

 

毒蝮 少なからず変わったところはあるだろうね。なにしろ41日も番組を休んだしさ。入院したのが12月だったから、2006年のお正月を俺は病院で過ごしているんだよ。そのときに詠んだのが≪これがまぁ おせち料理か2006 管を通して 流し込むらむ≫という短歌。それまで大病なんてしたことなかったから、家内も気が動転しちゃったよ。当時は姉歯事件が毎日のように報じられていたものだから、それにつられて病院の書類で「妻」って書かなくちゃいけないところを「姉」って間違えたくらいだから(笑)。

ただ、入院によって学んだことも大きかったね。入院すると、自分の立ち位置や価値が見えてくるんだよ。他人からどう思われているのかもクリアになるし。TBSのディレクターやプロデューサーだけじゃなく、社長まで飛んでくるという話になったときはビックリしたね。今だから言うけど、悪い気はしなかった(笑)。

 

──でも元気に復活して、ラジオのリスナーもホッとしたと思いますよ。

 

毒蝮 大きな病気をすると、健康のありがたみをしみじみ感じるよね。それと思ったのは、看護師さんやお医者さんに愛される患者にならないとダメ。「この患者を治したい」って思われるような患者に自分でなるべきなんです。

 

──含蓄のある言葉ですね。

 

毒蝮 自分が入院してから、番組で病気の人に接するときの態度も少し変わったかもしれないな。ちょっと前の生放送で、千葉県船橋市で40代くらいの女性の方から「胸を撫でてください」って言われたことがあるの。でも、今の時代は女性の胸なんて触ったら「パワハラだ! セクハラだ!」って瞬く間に糾弾されちゃうでしょ? それで躊躇していたら、「乳がんの手術を受けるから元気づけてほしい」という話だったんだよね。

その女性は3か月くらいしてから、また別の生放送で会ったよ。「おかげさまで手術がうまくいきました」って元気そうにしていた。そのとき、少し思ったんだよね。「俺も少しはいいことしているのかな」って。

 

──当たり前じゃないですか! 毒蝮さんのトークで元気をもらっているリスナーは大勢いると思いますよ。

 

毒蝮 もし毒蝮三太夫に改名もせず、あのまま俳優を続けていたら今頃は仕事なんてないよ。セリフだって覚えられなくなっているだろうしさ。幸いなことに腸閉塞をやってからは特に大きな病気もないし、それどころか自分でも健康そのものだと思っているんだ。老人なのに早寝早起きもせず、夜中3時くらいに寝て昼の12時に起きる毎日。酒も飲んでいるし、車の運転もする。歯だって28本全部が自前だしね。年寄りじみていないというか、加齢に逆らった生き方をしているなって自分でも呆れるよ(笑)。

 

──本当にバイタリティの塊ですね。

 

毒蝮 とはいうものの、油断は禁物。好事魔多し。自分を過信しているとロクなことがないから、そこは気をつけるようにしているけどね。交通事故を起こす前に免許返上するつもりだし。

 

リスナーよりもジジイになった今後は……

──驚くのは、毒蝮さんが『ミュージックプレゼント』を始めたのって、33歳の若さだったんですよね。33歳なんて、社会から見たらまだ小僧ですよ。当時は血気盛んな若手が「おい、ジジイ」と呼びかけていたわけですが、今やその毒蝮さんもジジイ側の人間なわけで……。

 

毒蝮 いや、本当にそうなんだよね。現場に行っても、今は俺より年下の人が多いんだもん。自分のほうがジジイなのに、「おい、ジジイ」というのも違和感があるよ。だけど、今のお年寄りって全般的に若くなっているでしょ? 70歳くらいじゃまだ貫禄がないというか、ジジイとかババアっぽい味わいが出ないんだよね。だから最近は「あなたにはまだババアと呼ぶだけの魅力がありません」とか言うこともあるけどさ。

まぁでも自分でも「このくたばり損ない!」とか言いたい放題の番組がよく続いていると思うよ。若い人たちはどう思っているのかね? 相手にもしていないのかな?

 

──たしかに言葉は汚いですけど、単なる悪口ジジイではないということは伝わっているんじゃないでしょうか。

 

毒蝮 まぁそこは長年やっているとコツみたいなものがあって、たとえば「おい、ババア」とか言ったあとに「元気でな」とか「また会いたいね」とかフォローするわけだよ。転んでもただでは起きないというか、足を蹴飛ばしておきながら頭を撫でるみたいなことをちゃっかりやるわけ。(笑)

それは俺がやっぱり下町育ちだからなんだろうね。それも遊郭・吉原が近くにあるような、竜泉寺という下町。そういう地域では、どんなことをしてでも生き抜いてやるんだという根性のある奴がいっぱいいるんだよ。這いつくばっているような連中と一緒にいるうちに、したたかに世を渡っていく術が自然と身についちゃった。柄の悪い江戸っ子というのは、人におべっかを使ってご馳走になってもうれしくないの。毒のある言葉を吐いて、「あいつ、面白いな」って言われるのが性に合っているんだよね。

 

──仕事に関しても1人の人間としても、今後のビジョンはありますか?

 

毒蝮 「欲張らない」「人を蹴落とさない」「嘘はつかない」。この3つは、ずっと肝に銘じていくつもりだけどね。実は今日もこの取材の前に2つくらい打ち合わせや収録をやったんだけど、うちの奥さんなんかは「また今日も仕事なの!?」とか怒るわけよ。「もう出世なんてしなくていい。それより家で2人だけで暮らしたい」とか言ってね(苦笑)。

でも、俺はまだ周りに求められているわけだから幸せ者だと思うよ。仕事で若い人と接することが多いから、脳も活性化されるしさ。やっぱり年を取れば取るほど、柔軟で瑞々しくしていたほうがいいわけ。偏屈な年寄りなんて、嫌われる要素しかないんだから。そんなのは損でしかないよ。

 

──毒蝮さんは理想的な年の取り方をしているように感じます。

 

毒蝮 よくお年寄りが「若者が寄ってこないから寂しい」とか言っているのを聞くけどさ。よく観察してみると、自分に原因があるケースが多いんだ。若者が寄りたくない老人になっているんだもん。別に若い人たちに迎合する必要はないけど、自分たちの世代が知っていることを若い人にもわかるように説明する努力は大事だと思うな。これからの日本はますます高齢化社会になっていくわけだけど、お年寄りの側も変わらなくちゃいけないよね。若い人たちが「ああいうカッコいいジジイやババアになりたい」って憧れるような老人が世の中に増えればいいなと思う。

御年87。お年寄りのアイドル・毒蝮三太夫が、今だからこそ、どうしても言っておきたいこと

「そこのババア、まだ息しているか?」「くだばり損ないのジジイ、死ぬのを忘れたのか?」

歯に衣着せぬ毒舌を吐きながらも、“お年寄りのアイドル”として絶大な人気を誇る毒蝮三太夫さん。自身のルーツから老いや病気まで縦横無人に語り尽くす今回のインタビューでは、シリアスなメッセージや普段見せない真摯な一面も明らかになる。

「今だからこそ、どうしても言っておきたいこと」(本人談)に耳を傾けてほしい──。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:小野田衛)

毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう )本名:石井伊吉。1936年生まれ。中学生だった1948年に舞台『鐘の鳴る丘』で子役としてデビュー。1966年、1967年の『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に出演し、一躍、お茶の間の人気者に。1968年、「笑点」出演中に親友の立川談志のすすめで毒蝮三太夫に改名。1969年から始まったTBSラジオの「ミュージックプレゼント」は2019年に50周年を迎え、現在も放送中。年寄りを愛情込めて「ジジイ」「ババア」と呼ぶ“毒舌”が人気で、高齢者に親しまれている。平成11年に聖徳大学の客員教授に就任し、介護や福祉の講義を受け持つ。著書「70歳からの人生相談」(文春新書)「たぬきババァとゴリおやじ」(学研プラス)など。 YouTube「マムちゃんねる」好評配信中。

 

戦争を語れる最後の世代

──今回は毒蝮さんの生い立ちから今後のことまでたっぷり伺おうと考えています。

 

毒蝮 生い立ちから? そんな昔のこと、まったく覚えていないよ!

 

──生まれたのは大阪ですが、育ちは東京の下町ですよね。たとえば第二次世界大戦の前夜あたりから記憶は残っていたりしますか?

 

毒蝮 そうね。小さいころは軍国少年だったな……。(※七五三の写真を出しながら)これ見てくれる? 俺が5歳のときなんだよ。服に「大日本海軍」って書いてあるのわかる? 明治神宮で撮った写真なんだ。俺だけじゃなくて、当時はみんな将来何になりたいかって聞かれたら「兵隊さん」って答えるのが当たり前だった。やっぱり兵隊はカッコいいと思っていたからさ。「電車の運転手がいい」って言う奴も中にはいたけどね。

 

──それが時代の空気だったんですね。

 

毒蝮 ……でもさ、この記事を読んでいる人は戦争のことなんて知りたいのかな?

 

──それは知りたいと思いますよ。あれから年月が経っているからこそ、風化してしまった部分もありますし。

 

毒蝮 そうだよな。実を言うとさ、俺も最近そのことはよく考えるんだ。というのも、俺はもう87歳なんだよね。終戦の時点で9歳。だから実際には戦地に行ったわけじゃないの。でも空襲は体験しているし、戦争がどういうものなのかは自分なりに語ることができる。戦争を生で語れるのって、もはや俺たちが最後の世代じゃないかな。

 

──実際、その通りだと思います。

 

毒蝮 たとえば大沢悠里ちゃんは俺より5歳下なんだけど、(1945年)3月10日の東京大空襲をかすかに覚えているらしいんだよ。でも、母親の背中に背負われて逃げたという場面しか印象にないんだって。そりゃそうだよな。4歳のときの記憶なんて、誰しもぼんやりしている感じだろうからさ。大抵の人は、記憶がしっかりしてくるのって6~8歳くらいだろうし。

俺はさ、たまたま仕事でラジオをやっているし、大学で女子大生に教えたりもしているじゃない。だから、普通よりは若い人たちと話す機会も多いと思うんだ。そこでふと感じるのは、自分が経験した戦争のことを次世代に語り継ぐのは一種の義務なのかなってこと。ましてや今はすぐ終わると言われていたウクライナとロシアの戦争が長引いているうえに、北朝鮮からもひっきりなしにミサイルが飛んできているご時世。いろいろ考えちゃうよな。

 

──日本においても戦争そのものに対する関心が高まっていることは感じます。

 

毒蝮 「戦争には勝者も敗者もない」って新聞なんかには書いてあるよね。本当にそうなんだ。勝ったほうだって多大なダメージを受けるわけだから。実際、ロシアだって傭兵がたくさん死んでいるっていうしさ。もちろん非戦闘員も殺される。子どもやお年寄りだって虐殺される。それが当たり前なんだよ。そもそも戦争って残酷なものなんだから。

 

──毒蝮さん世代の方が戦争を語ると、やはり言葉に重みがあります。

 

毒蝮 しかし俺にとっての戦争となると、どこから話せばいいかな……。まず俺には兄が2人いるのね。俺とは親父が違うんだけど。それで沖電気に勤めていた1番上の兄が中国……当時は支那と呼ばれていたんだけど、そこに行くことになったわけだ。そのことが記された手紙が家に届いたから、おふくろと一緒に慰問に行ったことは覚えているよ。たしかおふくろも「立派に死んでほしい」くらいのことは言っていた気もするな。

一方、2番目の兄は逓信省に勤めていたんだよ。逓信省と言っても今はわからないか。これはのちの郵政省。今は総務省になっているのかもだけど。それで当時は(チャールズ・)リンドバーグがプロペラ機でニューヨークからパリまで飛んだり、大西洋を横断したりして、日本でも航空熱が高まっていてさ。2番目の兄貴もそんな姿に憧れて、郵便飛行士になろうと仙台にある飛行学校に入ったんだ。リンドバーグは兵隊じゃなくて、郵便飛行士だったからね。ところが、この仙台飛行学校は途中から特攻隊の育成所にすり替わったわけ。平和に貢献しようとしていたのに、気づいたら兄貴も人殺し要員にさせられちゃって……。

 

──そんなの騙し討ちじゃないですか。

 

毒蝮 騙し討ち? それを言ったら、戦争の本質なんて全部が欺き合いだよ。二・二六事件だって盧溝橋事件だって同じ。全部が捏造、すり替え、ゴリ押し、欺瞞、詭弁……そういった人間の汚い部分のオンパレードなんだから。プーチンなんて元KGBだし、その最たる例じゃないか。ゼレンスキーだって騙し合いをしているしね。「援助してください」と国際世論に訴えたら、戦車とかがウクライナに与えられることになる。それは結果的に戦火が大きくなるということだからさ。そして最前線で死んでいくのは常に下っ端の人間というわけ。

 

──……たしかにそういう面はあるかもしれません。

 

毒蝮 話を2番目の兄に戻すと、戦争が激しくなったものだから、途中からは仙台じゃなくて中国に行かされたんだよね。戦争があと1~2か月長引けば、兄貴も特攻隊として飛ばされていたらしい。当時、沖縄にアメリカの艦隊が集まってきていたの。だから片道分だけの燃料と150キロの爆弾を積んで、そこに突っ込んでいくんだよ。

一応、教官はみんなからの申し出を募るそうだ。「特攻隊に行きたい奴は『〇』を書け。行きたくない奴は『×』を書け」って。二者択一だよな。そして飛行機は毎日どんどん飛んでいくことになる……。

 

──みんな「〇」を記入したということですか。本音は「×」を書きたいでしょうけど。

 

毒蝮 そういうことだよね。兄貴は「これ、どうする?」って仲のいい友達と2人で悩んだらしい。だけど、場の空気的に「×」は書けないよ。とはいうものの、何かしら書いて提出しなくちゃいけない。それでどうしたかというと、震えるような小さい字で「〇」を書いたんだって。その気持ち、すごくよくわかるよ。

 

──もし「×」と書いて提出したら、どうなったんでしょうね?

 

毒蝮 その場で処刑されたんじゃないの?「私は非国民です」って宣言しているのと同じだから。戦争が終わってから「実は私は戦争反対の立場を取っていました」なんて言い出す人も現れたけど、「嘘つけ!」って俺なんかは思うよね。正直者じゃないし、後出しじゃんけんみたいだなって感じる。あの時代、とてもじゃないけどそんなことは言えない空気だったよ。

 

東京大空襲を経て芸能の世界へ

──お兄さん2人は召集されたということですが、毒蝮さん本人は?

 

毒蝮 まだ小学生だったから、普通だったら学童疎開するのよ。当時は品川の戸越公園あたりに住んでいたんだけど、学校の子どもたちはみんな長野に行ったね。なぜ俺だけ東京に残ったのか親父にあとから聞いたら、「馬鹿野郎! 死なばもろともだろうが」とか言っていた。

親父は大工だったんだけど、一時は海軍技術研究所っていう今は防衛庁になっているところで仕事していたからさ。たぶんそのへんの情報は早かったんだと思う。つまり大東亜戦争に突入したら、日本はこっぴどい目に遭って負けるって薄々気づいていたんじゃないかな。もし小学生の俺1人が疎開先で生き残っても、結局、身寄りもいないわけじゃん。だったら一蓮托生でいいという発想になったというわけ。実際、うちらの家族は昭和20年(1945年)の空襲で生きるか死ぬかギリギリのところをさまよったしね。

 

──いわゆる東京大空襲ですね。

 

毒蝮 まず死者が10万人近く出た3月10日の空襲では、おふくろと一緒に近所の空き地に逃げ、遠くの空が真っ赤に燃えていたのを覚えている。そのあとも大きな空襲は何回かあったんだけど、うちらが住んでいた城南地域をモロに襲ったのが5月24日から25日にかけての空襲。このときはB-29が500機くらい出ていて、空は真っ黒。3月10日以上の数だったんだよ。死者の数は3月10日のほうが全然多いんだけどね。

それでも大空襲だから、人はいたるところで当たり前のように死んでいるわけ。あるいは焼夷弾が直撃して、真っ赤に焼けながらのたうち回っていたりしてさ。それはもう本当に地獄そのものだよ。俺とおふくろはほうほうの体で逃げたんだけど、燃えているところを歩き回ったものだから靴がダメになっちゃった。そうしたら俺と同じくらいの子ども用サイズの革靴が、そのへんに落ちていてね。履こうと思って靴を拾い上げてみると、ひとつは軽いんだけど、なぜかもうひとつは重いんだよ。どういうことかというと、片足分だけ持ち主の足首が入っていたんだ。

 

──履いていた子どもは死んだということですか?

 

毒蝮 そう。特に血もついていなかったし、かまいたちみたいにして足先だけスパッと切れたんだと思う。だけど極限状態にあったものだから、俺はその革靴から足首を抜いて普通に履いたんだよね。親も特に止めなかった。持ち主の子どもは死んでいるわけだから、どうせなら物資不足の中、同じくらいの子に使ってもらったほうがいいという考え方もできるし。

 

──想像を絶します。

 

毒蝮 ここまで厳しい話は、なかなかテレビではできない。でも、さっき言ったように戦争の愚かさを伝えられるのは、俺たちが最後の世代だと思うからさ。これは本当にきちんと記事にしてほしいな。

 

──かしこまりました。戦後の毒蝮さんは中学1年生のときに『鐘の鳴る丘』で初舞台を踏むと、その後も子役として活躍していましたよね。

 

毒蝮 すべて行き当たりばったりだったけどね。まぁでも出演した作品の数でいえば結構なものになったし、一応は学費も映画の出演料で払ったりしていたしさ。そこそこ楽しんではいたんだよね。当時は映画だけではなくテレビでもドラマが始まった時期で、そこの波に乗れたのも大きかった。もちろん『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』もその流れだったんだけど。

 

──1966年放送の『ウルトラマン』では科学特捜隊のアラシ隊員役、1967年放送の『ウルトラセブン』ではウルトラ警備隊のフルハシ隊員役で活躍しました。

 

毒蝮 『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』を作った円谷英二さんは、『ゴジラ』を撮った人でもある。『ゴジラ』という怪獣映画は、アメリカに対する水爆反対・戦争反対のメッセージが込められているんだよね。ただし戦後の日本社会ではダイレクトにそんなことをアメリカに言えなかったから、映画の中で主張したわけ。皮肉なことに『ゴジラ』自体はアメリカ人に大ウケするわけだけど……。

円谷さんは戦犯として公職追放になったこともあるものの、クリスチャンだから基本的には反戦主義者だし平和主義者。『ウルトラマン』の撮影現場でもよく熱く語っていたよ。「地球は地球人で守るしかないんですよ」って。つまりスーパーマンみたいな存在はいるわけないということでさ。

 

──そんな理念が『ウルトラマン』の中にはあったんですね。

 

毒蝮 だって地球温暖化や核戦争にしたって、地球人が地球を壊しているだけじゃない。今だったら、中国からの大気汚染や福島の処理水だってそうかもしれない。原子力発電所も日本みたいな地震国で建設していいのか、そこは本当に慎重に議論を重ねなくちゃいけないところだよね。温暖化によって山火事だって起きる可能性はあるし。いつまで人類はこんな愚かなことをしているのかっていう話だよ。

 

石井伊吉から毒蝮三太夫へ

──『ウルトラマン』は視聴率40%を超えるモンスター番組でしたが、それで毒蝮さんの俳優人生も変わったんじゃないでしょうか。

 

毒蝮 いや、そんなことは全然ない。放送当時、『ウルトラマン』は「ジャリ番(※子ども向けの低俗な番組)」とか呼ばれてバカにされていたね。振り返ってみると、作品の中では公害や交通戦争の問題にも警鐘を鳴らしていたんだけど、当時の俺たちはそんなこと何もわからなかった。早く撮影を終わらせて飲みに行くことばかり考えていたよ(笑)。

あのオレンジの服が邪魔でしょうがなくてさ。そのうち家にもガキがやってくるし、なんでこんなに人気があるのか意味がわからなかった。正直、今でもわかっていない部分はあるね。でも、明確にヒットした理由はあるんだろうな。だって『忍者部隊月光』とかは覚えていないけど、『ウルトラマン』はいまだに55周年フェスティバルとかやっているわけだし。今やっている令和版『ウルトラマン』シリーズには公害の問題提起や反戦思想はないだろうけど、俺はそれでいいと思うんだ。時代が違うんだから、同じようにする必要はまったくないよ。

 

──俳優時代の毒蝮さんは、借金を抱えながら新劇の「劇団山王」も作りました。硬派な役者業を続ける中、テレビの特撮というのはあまりにも毛色が違ったのでは?

 

毒蝮 そこの部分の抵抗感はすごく強かったよ。こっちはシェイクスピアがやりたいのに、なんで20メートルの怪獣相手に演技しなくちゃいけないんだよってフラストレーションを抱えていた。仲がよかった(立川)談志も俺の姿を見て、「こんな人気は長く続くものじゃない。お前は役者を辞めて1人でしゃべるべきなんだ」ってこんこんと説得してくるわけ。それで結果的には本名の石井伊吉から、毒蝮三太夫という芸名に変わるんだけどね。

 

──それが『笑点』出演時のタイミングですよね。ずっと役者を続けていて落語の世界とは無縁だったはずですが、なぜ飛び込もうと決意したんですか?

 

毒蝮 談志の誘いが、すごくしつこかったんだ。7~8年くらい言われ続けていたんだから。それで根負けした部分は大きいな。

 

──役者業が箸にも棒にもかからないならわかるのですが、キャリア的には順風満帆だったのではないですか?

 

毒蝮 順風満帆というのは大袈裟だけど、そこそこやれていたのは事実。だから、そこも悩んだポイントではあったね。決め手となったのは、談志っていうのはすごく見る目が鋭いんだよ。落語の師匠に対しても、臆することなく「あいつはダメ」とか平気で言っちゃう人なの。忖度なんて一切しない男だったからね。その談志が「お前はしゃべりのほうが向いている。寄席に来い」って繰り返し言うものだから、その言葉を信じてみようなと思ってさ。

結果的には、あそこが俺の人生のターニングポイントだったと思う。談志の言葉を信じてよかったと今でも思うね。最初は俺も『笑点』に座布団運びで出演して出演者として時には答えたりしたんだけれど、まったく受けなくてさ。もともと落語家に憧れていたわけじゃないから、場違い感もすさまじかった。本職の落語家たちからは「なんなの、こいつは?」って感じで冷ややかに見られていたしね。

 

──ただ、『笑点』の出演は短期間で終わります。

 

毒蝮 『笑点』という番組は、基本的な枠組みを談志がすべて作り上げたんだ。番組の構成から出演者のキャラクター設定まで本当に全部を決めていた。談志の笑いっていうのはシック・ジョークがベースにあるのね。アイロニーなわけよ。そのへんは今の平和的な『笑点』とはだいぶ勝手が違っていたね。2言目には「それってコンプラ的に大丈夫ですか?」とか言い出す今のテレビ界だったら、成立しない笑いだったかもしれない。談志は臨戦態勢だったからさ。それであいつは『笑点』の人気がだんだん出るようになってから辞めたの。本当は俺まで一緒に辞める必要はなかったんだけど、あいつに誘われて出始めた『笑点』だったから、もういいやと思ってね。

 

殻を破って出てきた「うるせえな、ババア!」

──冠番組の『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』が始まったのは、そのすぐあとですよね。

 

毒蝮 スタートしたころは俺もかしこまっちゃって、今みたいなスタイルじゃ全然なかったね。結局、俺は役者をずっとやっていたわけじゃない? だから落語の番組に出ると落語家みたいに演じるし、ラジオに出たら一般的なレポーターを演じなくちゃいけないと思っていたの。だけど談志とか地元の友達とかは「お前、なんで普段の調子でしゃべらないの?」って言ってくるわけ。1年くらいは殻が破れなかった気がする。

 

──そして殻を破った瞬間、「うるせえな、ババア!」といった暴言が飛び出すようになったわけですか(笑)。

 

毒蝮 いや、暴言じゃなくて本当のことだから(笑)。普段、下町の仲間としゃべっているときは「そうですよね、おばあさん」なんて優しい口の利き方していないわけだしさ。それを普段通りにしたら、一気に弾けた番組になっちゃった。

相手から話を引き出すような今のスタイルは、おふくろからの影響も大きいかもしれない。一時、地元でおしるこ屋をやっていたんだけど、おふくろはそこで吉原で働いている女郎さんたちから悩み相談をよく受けていたんだ。正直、アドバイスとしては大したことも言っていないと思うんだけど、安心して話せるような雰囲気をおふくろは出していたんだろうね。その血は俺にも流れているわけでさ。

 

──番組が長く続いている秘訣はどういうところにあるのでしょう?

 

毒蝮 自分ではわからない。でも俺の中の感覚としては、『ミュージックプレゼント』って番組収録というよりもライブショーに近いんだよ。だから放送が終わってからも、会場で30分くらい延長してしゃべっているの。それは要するにラジオのリスナーではなくて、目の前にいる人たちを満足させたいっていう気持ちだよね。もちろん最初はスタッフも嫌がっていたよ。だって、そんなことしても番組に反映されないんだから。でも「昨日、こんなことがあってさ」みたいな話をしていると一種のネタ出しにもなるんだよね。そういうところで交わされる会話から、明日しゃべる内容が決まることもあるし。

 

──最近の毒蝮さんに関していうと、2005年に腸閉塞で入院されていますよね。ニュースにもなりましたが、ご自身の中でも気持ちの面で変化は生まれましたか?

 

毒蝮 少なからず変わったところはあるだろうね。なにしろ41日も番組を休んだしさ。入院したのが12月だったから、2006年のお正月を俺は病院で過ごしているんだよ。そのときに詠んだのが≪これがまぁ おせち料理か2006 管を通して 流し込むらむ≫という短歌。それまで大病なんてしたことなかったから、家内も気が動転しちゃったよ。当時は姉歯事件が毎日のように報じられていたものだから、それにつられて病院の書類で「妻」って書かなくちゃいけないところを「姉」って間違えたくらいだから(笑)。

ただ、入院によって学んだことも大きかったね。入院すると、自分の立ち位置や価値が見えてくるんだよ。他人からどう思われているのかもクリアになるし。TBSのディレクターやプロデューサーだけじゃなく、社長まで飛んでくるという話になったときはビックリしたね。今だから言うけど、悪い気はしなかった(笑)。

 

──でも元気に復活して、ラジオのリスナーもホッとしたと思いますよ。

 

毒蝮 大きな病気をすると、健康のありがたみをしみじみ感じるよね。それと思ったのは、看護師さんやお医者さんに愛される患者にならないとダメ。「この患者を治したい」って思われるような患者に自分でなるべきなんです。

 

──含蓄のある言葉ですね。

 

毒蝮 自分が入院してから、番組で病気の人に接するときの態度も少し変わったかもしれないな。ちょっと前の生放送で、千葉県船橋市で40代くらいの女性の方から「胸を撫でてください」って言われたことがあるの。でも、今の時代は女性の胸なんて触ったら「パワハラだ! セクハラだ!」って瞬く間に糾弾されちゃうでしょ? それで躊躇していたら、「乳がんの手術を受けるから元気づけてほしい」という話だったんだよね。

その女性は3か月くらいしてから、また別の生放送で会ったよ。「おかげさまで手術がうまくいきました」って元気そうにしていた。そのとき、少し思ったんだよね。「俺も少しはいいことしているのかな」って。

 

──当たり前じゃないですか! 毒蝮さんのトークで元気をもらっているリスナーは大勢いると思いますよ。

 

毒蝮 もし毒蝮三太夫に改名もせず、あのまま俳優を続けていたら今頃は仕事なんてないよ。セリフだって覚えられなくなっているだろうしさ。幸いなことに腸閉塞をやってからは特に大きな病気もないし、それどころか自分でも健康そのものだと思っているんだ。老人なのに早寝早起きもせず、夜中3時くらいに寝て昼の12時に起きる毎日。酒も飲んでいるし、車の運転もする。歯だって28本全部が自前だしね。年寄りじみていないというか、加齢に逆らった生き方をしているなって自分でも呆れるよ(笑)。

 

──本当にバイタリティの塊ですね。

 

毒蝮 とはいうものの、油断は禁物。好事魔多し。自分を過信しているとロクなことがないから、そこは気をつけるようにしているけどね。交通事故を起こす前に免許返上するつもりだし。

 

リスナーよりもジジイになった今後は……

──驚くのは、毒蝮さんが『ミュージックプレゼント』を始めたのって、33歳の若さだったんですよね。33歳なんて、社会から見たらまだ小僧ですよ。当時は血気盛んな若手が「おい、ジジイ」と呼びかけていたわけですが、今やその毒蝮さんもジジイ側の人間なわけで……。

 

毒蝮 いや、本当にそうなんだよね。現場に行っても、今は俺より年下の人が多いんだもん。自分のほうがジジイなのに、「おい、ジジイ」というのも違和感があるよ。だけど、今のお年寄りって全般的に若くなっているでしょ? 70歳くらいじゃまだ貫禄がないというか、ジジイとかババアっぽい味わいが出ないんだよね。だから最近は「あなたにはまだババアと呼ぶだけの魅力がありません」とか言うこともあるけどさ。

まぁでも自分でも「このくたばり損ない!」とか言いたい放題の番組がよく続いていると思うよ。若い人たちはどう思っているのかね? 相手にもしていないのかな?

 

──たしかに言葉は汚いですけど、単なる悪口ジジイではないということは伝わっているんじゃないでしょうか。

 

毒蝮 まぁそこは長年やっているとコツみたいなものがあって、たとえば「おい、ババア」とか言ったあとに「元気でな」とか「また会いたいね」とかフォローするわけだよ。転んでもただでは起きないというか、足を蹴飛ばしておきながら頭を撫でるみたいなことをちゃっかりやるわけ。(笑)

それは俺がやっぱり下町育ちだからなんだろうね。それも遊郭・吉原が近くにあるような、竜泉寺という下町。そういう地域では、どんなことをしてでも生き抜いてやるんだという根性のある奴がいっぱいいるんだよ。這いつくばっているような連中と一緒にいるうちに、したたかに世を渡っていく術が自然と身についちゃった。柄の悪い江戸っ子というのは、人におべっかを使ってご馳走になってもうれしくないの。毒のある言葉を吐いて、「あいつ、面白いな」って言われるのが性に合っているんだよね。

 

──仕事に関しても1人の人間としても、今後のビジョンはありますか?

 

毒蝮 「欲張らない」「人を蹴落とさない」「嘘はつかない」。この3つは、ずっと肝に銘じていくつもりだけどね。実は今日もこの取材の前に2つくらい打ち合わせや収録をやったんだけど、うちの奥さんなんかは「また今日も仕事なの!?」とか怒るわけよ。「もう出世なんてしなくていい。それより家で2人だけで暮らしたい」とか言ってね(苦笑)。

でも、俺はまだ周りに求められているわけだから幸せ者だと思うよ。仕事で若い人と接することが多いから、脳も活性化されるしさ。やっぱり年を取れば取るほど、柔軟で瑞々しくしていたほうがいいわけ。偏屈な年寄りなんて、嫌われる要素しかないんだから。そんなのは損でしかないよ。

 

──毒蝮さんは理想的な年の取り方をしているように感じます。

 

毒蝮 よくお年寄りが「若者が寄ってこないから寂しい」とか言っているのを聞くけどさ。よく観察してみると、自分に原因があるケースが多いんだ。若者が寄りたくない老人になっているんだもん。別に若い人たちに迎合する必要はないけど、自分たちの世代が知っていることを若い人にもわかるように説明する努力は大事だと思うな。これからの日本はますます高齢化社会になっていくわけだけど、お年寄りの側も変わらなくちゃいけないよね。若い人たちが「ああいうカッコいいジジイやババアになりたい」って憧れるような老人が世の中に増えればいいなと思う。

EXIT・兼近大樹「キスシーンみたいな撮影の前は照れくさくて……思い付く限りの小ボケをたくさん挟んで挑みました」連続ドラマW-30「アオハライド Season1」

累計部数1300万突破の大ヒットマンガ「アオハライド」が、出口夏希と櫻井海音のW主演で、Season1/Season2の2部作で完全実写化する。そのSeason1となる連続ドラマW-30 「アオハライド Season1」が9月22日(金)よりWOWOWにて放送・配信される。原作の大ファンだと語る、EXITの兼近大樹さんが髪を黒く染め、普段のチャラ男口調も封印して、生徒に人気の高校教師役で出演。生徒役の若い俳優とのジェレネーションギャップも感じたそうで、撮影中のエピソードを笑いいっぱいに語ってくれた。

 

兼近大樹●かねちか・だいき…1991年5月11日生まれ、北海道出身。2017年にりんたろー。とEXITを結成。ボケ担当。2018年4月、ヨシモト∞ホールにて結成最速の単独ライブを開催。現在、EXITとして冠番組『EXITのベルギー行ったらモテるやつ』(テレビ東京系)ほかレギュラー番組多数。個人では、ドラマ「ホスト相続しちゃいました」に出演するほか、2021年、小説「むき出し」を出版し、小説家デビューも果たした。

【兼近大樹さん撮り下ろし写真】

黒髪にして衣裳を着ると陽一のようにかわいいなって思いました(笑)

──兼近さんが演じられた田中陽一は英語教師で、志田彩良さん演じる生徒の村尾修子から想いを寄せられています。高校生に人気の先生を演じると決まったときの心境はいかがでしたか。

 

兼近 面白いなと思いました。オレは女子生徒に嫌われるタイプだったので、今回のようなきれいな感じの人間を演じる日が来るとは思わなかったですよ。しかも英語教師なんて。東京に出てきたとき、オレはローマ字を読めなくて、AからZまで書けなかったんですよ。そういう人間が英語教師の役をやるとは……。

 

──役作りとして4年ぶりに黒髪にされたそうですね。

 

兼近 見た目から入ったところはありましたけど、「黒髪にできますか?」と聞かれたので、できないわけないんで「はい」と黒髪にしました。

 

──見た目から、ということで黒髪にして衣裳を身につけてみたら、すぐに田中陽一になれました?

 

兼近 そもそも原作の陽一がめっちゃ好きなんすよ。かわいいじゃないですか。大人から見た陽一は子供でかわいいから、最初は自分が陽一になれるのかなって思いましたけど、黒髪にして衣裳を着るとかわいいなって思いました(笑)。

 

染み込ませたチャラ男に見えるしぐさをやらないように気を付けました

──原作の陽一は20代。確かに高校生から見れば大人だけど、もっと上の世代から見ると若者です。30代前半の兼近さんから見た陽一のかわいらしさってどんなところですか。

 

兼近 器用で賢そうに見えるけど、実は自分の気持ちを伝えるのがあまりうまくない。そういう部分って年齢を重ねたらうまくなっていくはずなんです。でも陽一は生徒を指導する立場のくせに、そういうことがうまくできないかわいさがあるんですよね。あとはシンプルに感情をストレートに出しているところもかわいい。それも年齢を重ねると隠せるようになるはずなのに、櫻井海音くん演じる洸のお兄ちゃんであり先生なのに、平気で感情を出せる。もしかしてそれがね……大人であるオレがかわいいと思ったのが、陽一の計算だったら怖いですけど(笑)。原作に描かれている感じではそう思わなかったので、今のところ計算ではないだろうと思うとかわいいです。

 

──演じる上でもかわいさを意識しました?

 

兼近 若々しさとかわいさは意識しました。どこか生徒に近い気持ちを持っている感じを意識して頑張ったんですけど……なかなかねぇ(笑)。生徒を演じている子たちが本当に若いじゃないですか。多々分からないノリもありましたけど頑張りました。おじさんだけど、普段から若い人のふりをしているんで、そこはわりとうまくいったかなと。だいぶ(若々しく)カモフラージュできた気がします。

 

──先生役となると普段の兼近さんの話し方とは全く違ってきますよね。

 

兼近 (首を小刻みに揺らしながら)この動きをしないようにしました。今はあんまりやってないかもしれないんですけど、普段はチャラ男になってるんでそのクセがついてるんです。何でもないときも普通に動きながらしゃべっちゃうんです。自分で染み込ませたチャラ男に見えるしぐさなんで、それをやらないように気を付けました。

 

──気を付けないと動いちゃうんですか。

 

兼近 ふとしたときにやりそうになるんです。何のリズム刻んでんだろうみたいな、鳩の首の上下みたいな動きをチャラ男ってやるじゃないですか(笑)。それが出ないようにガチっとはめて、首をすわらせました。

 

わざとすれ違いと起こさないといけないんだなって勉強になります(笑)

──陽一役がくる前から原作はご存じだったのでしょうか。

 

兼近 知ってたんですけど、話がきたときに改めて読み返して、オレの教材だなって思いましたね(笑)。多分、昔は恋愛の勉強ができる教材として読んでいたので、歳を取ってから読んでも「あ〜いいなぁ」ってなりました。少女マンガって全体にヒロインと好きな人の気持ちのすれ違いを描くのが上手じゃないですか。すぐに想いが合致するわけじゃない。だから日常でもわざとすれ違いと起こさないといけないんだなって勉強になります(笑)。

 

──ほかには、どんな部分が教材として役立ちましたか。

 

兼近 少女マンガって心の描写が上手じゃないですか。「アオハライド」も相手は“どういう気持ちなんだろう、分からないよ~”みたいな描写がありますよね。日常でもあの感じを意図的に作らなきゃダメなんだなって思いました。そのための教材です(笑)。オレはストレートなタイプで、計算や駆け引きみたいなことができないから。

 

──好きなマンガの実写に出演できるのはうれしいものですか。

 

兼近 めっちゃ嬉しいです。オレは原作ものの声や実写とかめっちゃやりたい人なんで。

 

──原作ファンのこだわりもあるでしょうし、実写化ならではの難しさもあるのかなと。

 

兼近 寄せられそうなところは寄せて、無理なところは、自分の中で「原作とは違います」という言い訳をして落とし込みます。だってそのキャラクター本人じゃないから、そりゃそうじゃんって。そこは折り合いをつけてます。

 

演技はコントや漫才に近いものがあるかもしれない

──陽一も少女マンガならではなセリフがありますが、それを言うときの気持ちはいかがでしたか。

 

兼近 いや、照れくさいっすよ。オレだったら。でもスタートがかかったら、ある程度イケてたと思うんですよね(笑)。スタートの声さえかけてくれれば、コントみたいなものなので。コントや漫才中も面白いことをする側は笑ってないですよね。それはコント中もその中の人になっているから、相手に面白いことを言われても笑わないんです。ボケられて笑っている場合じゃない。真剣なんで。そういう意味では、演技はコントや漫才に近いものがあるかもしれないです。

 

──撮影中“陽一”になっていれば照れもないと。

 

兼近 照れないですね。ただ「カット!」って言われたときに、ふと我に返るとめちゃくちゃ恥ずかしいんで、ヘンにボケたりしました。撮影が始まる前と終わった後は、もうずっと照れくさいです(笑)。

 

──照れくさいときはどんなことをしたんですか。

 

兼近 何をやってたかなぁ。それこそキスシーンみたいなことも今回やりまして、始まる前が恥ずかしいんですよ。なのでめちゃくちゃエピソードトークとかしました。そのとき思い付く限りの小ボケをたくさん挟んで、志田さんに話したことを覚えてます。

 

──ということは、志田さんに照れが伝わっていたのでは(笑)。

 

兼近 いや、伝わってないでしょう(笑)。僕も大人ですからね。うまいこといったんじゃないかな。

 

忖度なしのボケツッコミは素晴らしい

──撮影中、印象的だったシーンを教えてください。

 

兼近 僕もいたんですけど、プール掃除をするシーンです。実際は冬の寒い時期で、撮影前にクリスマスだからって出口さんや櫻井くんたちがクリスマスのコスプレみたいな格好して現れたんです。「僕、これ昨日取り寄せたんだ」ってクリスマスツリーの格好していたり、キャッキャキャッキャしていて。オレは遠くからそれを見て、気持ちがほかほかしました。たまらんなぁ〜! と(笑)。演技じゃなくて、全員が素でやってるんだけど、でも登場人物たちが楽しんでるようにも見えるんです。見た目は役になりきってますからね。だからスピンオフ的なエピソードを見せてもらっているみたいな感じでほっこりしました。

 

──一緒にキャッキャしても良かったのでは。

 

兼近 さすがに混ぜてもらえなかった。ちょっと年齢が離れ過ぎてたのかな〜。僕に気を使っていたと思いますよ。みんなでキャピキャピしながら、先生のもあるよってかぶり物を渡されたので、「おー、ありがとな」って一応かぶったんですけど、そこから会話には混ざれませんでした(笑)。それと先生役なので、マインドとして生徒たちとあまり絡まないように、なるべく距離を置くというのは意識していました。見守るような立ち位置で、みんなと一緒にキャピキャピはしていなかったです。ま、できないんですけど(笑)。

 

──生徒役の皆さんを見ていて、どんなときに若さを感じましたか。

 

兼近 お菓子ひとつ食べるにしても、その話題でみんな盛り上がるんです。僕だったら自信がないと話し出さないんですけど。ま、年齢に関係ないのかな。僕がそういう職業だからなのかもしれないんですけど、僕にとっては、勝算のないトークは始めないっていうのが当たり前のことなんすよ。でもみんなお菓子ひとつでかけ合いができるというか。そういう若者特有の円滑なしゃべりを聞きながら、自分には「これはないなー」と。忖度なしのボケツッコミは素晴らしいなって思いました。

 

野球の話ができるの、すごくうれしい

──ここからは兼近さんがハマっているものについてお聞かせください。

 

兼近 野球ですね。大谷翔平はもちろん、プロ野球は常に見てます。

 

──昔からプロ野球はお好きなんですか。

 

兼近 ずっと好きではあったんですけど、全然見てなくて。去年ぐらいから毎日欠かさずに見るようになりました。パ・リーグTVに入っているので、リアルタイムで見られなかったら、VODで日ハム(北海道日本ハムファイターズ)の試合をひたすら見ています。個人の結果もネットの速報でチェックしてます。こういうことを月曜日以外は毎日やってますね。月曜日もメジャーリーグの試合はあるので、千賀滉大やダルビッシュ有、前田健太といったメジャーで活躍する選手たちの結果を追っています。

 

──そこまで追いかけるようになるきっかけは何だったんですか。

 

兼近 もともと好きではあったんですけど、『プロスピ(プロ野球スピリッツ)』や『パワプロ(実況パワプロ野球)』といったゲームで野球熱を消化していたんですよ。でもゲームは時間がかかるからやめたんです。じゃあ何で野球を楽しめばいいんだろうってなり、せっかくならリアルのプロ野球を追いかけようってなりました。今は『パワプロ』のサクセスのように、自分がサクセスしているかのように選手の記録を追いかけるようになりました。

 

──選手の成績を見て一喜一憂されてるってことですか。

 

兼近 そうです、そうです。選手一人ひとりの結果を見てます。日ハムで言ったら万波中正選手はホームラン王になれる可能性を残しているので、その観点から日々チェックして、見逃し三振とかだと「おいおいおい、見逃して終わりが一番ダメじゃん!」って一人で言ったりします(笑)。

──自分が監督であるかのような気持ちで見ているんですね。

 

兼近 いや、監督も自分が雇用しているという目で見ています。「新庄剛志を監督に起用したいんですが」という相談を受けて、オレが「ま、いいでしょ」って受け入れたって感じで見ているので、全部楽しいんですよ。だから新庄の采配が失敗したときも、「あ〜、こういうときもあるよ。大丈夫、大丈夫」みたいな気持ちでいられるんです(笑)。自分のチームとして見てるから。

 

──どちらかというと褒めて伸ばすタイプですか(笑)。

 

兼近 僕はそうですね。挑戦して失敗するのは全然アリです。こうやって野球の話ができるの、すごくうれしいです。野球好きが減ってきたなっていうのを明らかに感じられるから。「THE 突破ファイル」の収録で、サンドウィッチマンさんと話すぐらいなので。あとぺこぱの松陰寺(太勇)さんがロッテ(千葉ロッテマリーンズ)のファンなので、空き時間にギャーギャーわめきながらロッテ対日ハムの試合の話をしたりします。おじさんですよね。

 

──今年はWBC、高校野球と盛り上がっていたように思いますが、野球ファンのとって楽しい年だったのでは?

 

兼近 そうですね。僕もWBCの中継を配信する番組でMCをやらせてもらって、夢が一つ叶った気がしました。こんな日が自分にくるとは思わなかったんで。やっぱり野球といえば中居(正広)さん一強、野球でタレントが前面に出てきていいのは中居さんだけみたいになってるんで、そこにオレが食い込んだんだと思って(笑)。もちろんお叱りの声はいっぱい受けましたが、うれしかったです。

 

──ちょっとずつ野球の仕事に食い込んでいきたいって気持ちはありますか。

 

兼近 もう十分です。WBC中継のMCができて、日本が優勝して、大谷とトラウトの対決が見られたので。野球の仕事に関しては満足した感じはありますね。今は日ハムとEXITがコラボしたグッズを出させてもらったりして、ずぶずぶに絡ませてもらっているので、そこんとこもうちょっと深いところまでいけたらいいですね(笑)。

 

 

連続ドラマW-30「アオハライド Season1」

9月22日(金)スタート(全8話)
WOWOWで毎週金曜午後11:00 放送・配信(第1話無料放送)
TVerでは最新話を見逃し配信。WOWOWオンデマンドでは第1話放送終了後に全8話を一挙配信。

(STAFF&CAST)
原作:咲坂伊緒
監督:木村真人、松田祐輔
脚本:桑村さや香
主題歌:「この雨がやんだら」足立佳奈 feat.竹内唯人

出演:出口夏希 櫻井海音
志田彩良 莉子 新原泰佑 宮里ソル(円神)工藤美桜
堀内敬子 野間口 徹 神保悟志 板尾創路 渡邊圭祐 比嘉愛未
曽田陵介 兼近大樹(EXIT)

(STORY)
吉岡双葉(出口)と田中洸(櫻井)は中学の同級生。ある雨の日を境に2人は互いの距離を縮め、一緒にお祭りに行く約束を交わす。ところが、洸は待ち合わせ場所に現れず、双葉に何も告げぬまま転校してしまう。高校生になり、友達から嫌われないように自身を偽るための“ガサツな女子”を演じる双葉は、クラスで孤立する槙田悠里(莉子)のことが中学時代の自分と重なり、気になり始める。そんな双葉の前に突然、洸に似た男の子が現れる。しかし、彼は“馬渕”と呼ばれていて——。

 

撮影/映美 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/富樫真綾(Ari・gate)

セントチヒロ・チッチ、ソロ活動のこれからを語る。「CENTとしてBiSHで得たものを継いでいきたい」【単独インタビュー】

元BiSHのセントチヒロ・チッチがソロプロジェクトをスタートさせ、CENT名義で1stアルバム「PER→CENT→AGE」をリリースした。さらに、加藤千尋名義では、女優としての初舞台も控えており、多方面での活躍が話題になっている。解散から2か月ほどたった今、チッチは何を思うのか。そして、新たに始まったソロプロジェクトの今後とは。セントチヒロ・チッチの今とこれからについて、じっくりと話を聞いてきた。

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:kitsune)

 

セントチヒロ・チッチ…5月8日生まれ。東京都出身。2023年6月に解散したBiSHの元メンバー。解散後は、CENT(せんと)としてソロプロジェクトを始動。2022年8月に本格始動し、ソロ曲「向日葵」を発表した。2023年8月23日には、豪華アーティスト陣が参加したセルフプロデュースの1stアルバム「PER→CENT→AGE」をリリース。また、加藤千尋名義では俳優デビュー。11月に上演される舞台「雷に7回撃たれても」でヒロイン役を務める。CENT OFFiCiAL X(旧Twitter)セントチヒロ・チッチ X(旧Twitter)セントチヒロ・チッチInstagram

【セントチヒロ・チッチさん撮り下ろし写真】

 

あの日、考えていたこと。「みんなを置いてけぼりには、したくなかった」

──6月29日に東京ドームで行われたBiSH解散ライブから、2か月ほどたちました。いま改めて振り返ってみてどうですか。

 

チッチ よかったんじゃないですかね。……正直、今はそれくらいしか言えないです。「振り返ってどうか」ってよく聞かれるんですけど、まだ何て言えばいいか分からないんですよね。今まで、ライブの映像はすぐ見返すタイプでしたが、今回はまだ見返せていないくらいで。だから、今言えるのは、よかったんじゃないかなってことだけなんです。もう少したったら、何か言えると思うんですが……。

 

──なるほど。解散前のインタビューでは、「(解散に)納得できていない」というお話もされていましたが、そういった気持ちもありつつのライブだったということでしょうか?

 

チッチ いえ、ライブ自体にその気持ちを持ち込むことはなかったです。それは私の中だけでの問題だったので。ラストライブ中は、「みんなでやり切る」ことだけを考えてやっていました。

結局、あの日は最終的に、身体も気持ちも疲れ果てちゃって。ライブの打ち上げがあったのですが、2次会に行く元気もないくらい(笑)。 ただ、全てを出し切ったんだなっていうのは、自分でもよく分かりましたね。みんなも全力を出し切って、すごく楽しそうでしたし。健康にその日を迎えて、気持ち的にも、全員が晴れやかな表情でステージにいた。それは、本当によかったと感じています。

 

──ファンの方に対しての思いや感じたことは何かありましたか?

 

チッチ 当日は、こっち側の私たちだけじゃなくて、あっち側にいるみんなも晴れやかな気持ちでいてほしいと思っていました。泣いても笑っても怒っても別によくて、ただ、そういうものが全部ここで出し切れないと、意味ないなって思っていました。

──ファンの方にも、清々しい気持ちになってほしいというか。

 

チッチ ただ、お客さんにも「解散おめでとう」って人と「解散してほしくない!」って人たちがもちろんいて、そういう気持ちを私たち全員が分かっているはずなのに、「よし、もうすぐ終わります!」みたいなテンションで最後を迎えるのは、ちょっと勝手すぎるかなとも思っていました。少し違和感を感じてはいたんです。だから、みんなを置いてけぼりにはしないよう、ライブもMCに関してもそこだけは必死にやっていましたね。

 

──そうなんですね。チッチさんの思いは皆さんに伝わっていたと思います。

 

チッチ 記憶や思い出はきれいに構成されてしまいがちですが、きれいなことじゃないことも全部記憶しておきたい、そう思っています。心に刻んで、忘れないようにしたくて。そうして、また少し時間が経過したら、違った感情が生まれて、改めてお話できると思います。

 

「BiSHで生まれたセントチヒロ・チッチがいたからこそ、CENTが始まった」

──チッチさんは、昨年からCENT名義でソロの音楽活動を開始されました。そして、解散後も休む間もなく、活動を続けていますね。

 

チッチ 私は自分に自信があるタイプではないので、休むほどの自信はなかったし、休みたいとも特に思わなかったですね。その後のことは、解散前によく考えるべきだと思っていたし、応援してくれる人たちのためにも時間を空けずにやりたいっていうのが自分の中ではありました。

 

──他のメンバーの方を含め、皆さんそれぞれの方向で止まらずに活動を続けられています。

 

チッチ BiSHは燃え尽きて終わったわけじゃないからだと思いますよ。道半ばながら、自分たちで決めて終わることになったので、まだ燃えたぎるものがメンバーの中にあった。自分たちが一番かっこいい時に解散するけど、じゃあ今後、それぞれが自分自身をかっこよく見せていくにはどうするか。そこを考えることに、みんなワクワクしているし、今その真っ最中なんですよね。

 

──皆さん自身も楽しんでいらっしゃる時期であると。 その中で、チッチさんはBiSHの所属事務所であったWACKに継続して所属していらっしゃいますね。そこは、何かお考えがあったのでしょうか?

 

チッチ この先は分からないですが、BiSHが終わったその瞬間、 私はBiSHを切り離して生きていきたいっていう意思はなかったんです。これまでの人生で、何かを全うした経験ってあまりなかったのですが、BiSHは、やっと成し遂げられたと感じたものだった。それを今後の人生にどう生かすかを考えていきたい時間だから、WACKにいたいな、と考えたんです。

だから、CENT名義での活動もその1つですね。BiSHで生まれたセントチヒロ・チッチがいたからこそ、CENTが始まった。そこから切り離すわけではなく、CENTとして活動を継いでいきたいという気持ちがあります。

 

──なるほど。BiSHで得たものを生かしていきたいという意味が込められていたんですね。

 

チッチ はい。丸々違う名前にしてもよかったんですけど、なんかそうじゃないなって自分の中で思って。ただ、セントチヒロ・チッチのままだと性に合わない部分もある。自分1人だけで生きていきたいと思ったんじゃなくて、CENTを囲む人と一緒に作っているクルーのような気持ちになれる気がしたので。

 

ハッピーなアルバムが完成。「自分のお気に入りが詰まったスペシャルなおもちゃ箱です」

──先日、CENT名義でのファーストアルバム「PER→CENT→AGE」が発売されました。アルバムのテーマやコンセプトは何か考えていたんですか?

 

チッチ アルバム自体のコンセプトは特になくて。収録されている曲は、最近できたものもあれば、3年前に作ったものもあるんですよ。バラバラな時期にできているんです。

 

──そうなんですね。ただ、全体を通してハッピーな雰囲気を感じました。

 

チッチ それはそうかもしれません。私は、ネガティブな曲を作れないというか、ネガティブにあまり寄り添えないなって、自分で感じていて。だったら、ネガティブに共感するんじゃなくて、ポジティブな方面に引っ張ってあげられるような曲を作ろうとは常々思っているんです。私がピースの風を振りまいていたら、みんなも同じ方向に向かえるかな、と。

 

──そのお気持ちが、楽曲に乗せられているんですね。伝わってきました。

 

チッチ 目指すものは「PEACE」なので。曲の性格はそれぞれ似てるなって思ったし、出来上がったら、なんだかおもちゃ箱みたいだなって思いました。おもちゃ箱って同じものが一切入っていないじゃないですか。

──自分のお気に入りが詰まったスペシャルな箱ということですね。

 

チッチ 例えばですが、友達が遊びに来て、私のおもちゃ箱を見た時に「これいいね!」ってなるものは、友達によって全然違うと思うんですよ。それと同じように、今回のアルバムを聴いたお客さんが、「これが好き」と言ってくれる曲がきれいにバラバラでした。

 

──面白いですね。ファンの方の反応もいろいろだったんですね。

 

チッチ はい。あ、そんなにバラけるんだって思ったくらいで(笑)。でも、それぞれの楽曲がいろんな愛され方をしてほしいと願っていたので、嬉しいですね。

 

憧れの存在との楽曲制作。「ただ、峯田さんが私に授けてくれる音楽が楽しみだった」

──今回のアルバムでは、豪華なアーティストの方々が制作に関わっていらっしゃいますね。皆さんのスタイルや楽曲を聴いて感じたことは、何かありますか?

 

チッチ 今回、たくさんの尊敬している方や、音楽の仲間が協力してくれてありがたかったですね。例えば、真島昌利(ザ・クロマニヨンズ)さんは、私の曲を聴いていただいた上で「あそぼーよ」を提供してくださったと聞いて、すごく光栄でした。今までそこまで接点が作れなかったんですが、そんな中、憧れの人に書いてもらえたっていうのは、ものすごく嬉しくて。一番童心に返れるような、子どもから大人まで響く曲を作ってくださったので、たくさんの方に届けたいです。

曲作りからいろいろと相談したのは、えみそん(おかもとえみ・フレンズ)ですね。もともとプライベートで仲良くさせていただいていたんですが、このアルバムを作るにあたり、ガールズパワーも欲しいと思って。こんな雰囲気の曲に生まれ変わらせたいとか、まだ自分の技術が足りない部分をどうしたらいいか、など深く相談させてもらいました。

 

──峯田和伸(銀杏BOYZ)さんとはレコーディングも一緒にされたそうですね。憧れの存在と仰っていましたが、実際に曲作りをしてみていかがでしたか?

 

チッチ 何の疑いもなかった状態というか。最初、峯田さんがやると決めてくださって、不安や焦りは1ミリもなく、ただ峯田さんが私に授けてくれる音楽がすごく楽しみだったし、最初のディスカッションからワクワクしていました。

いただいた瞬間から、早く歌いたいってずっと思っていて、一度私1人でレコーディングしたのですが、その後に峯田さんが「僕も行くからもう1回レコーディングしよう」と来てくださったんです。すごく濃い時間でしたし、嬉しかったですね。

 

──峯田さんの思いも感じますね。

 

チッチ もちろん誰に曲提供する際でも思いはあると思いますが、実際に来てくれて、その場で生まれるコーラスに心を感じました。

──峯田さんからアドバイスは何かありましたか?

 

チッチ 特にはないのですが「チヒロさんのその感じがいいと思いますよ」って、肯定してくださいました。あとは、いろいろアイデアを出してくれました。曲名もレコーディングの最後に「どうするの?」って言われて、ん~って悩んでいたら、「“決心”ってどうかな?」って付けてくださって。

 

──おお、考えてくれたんですね。

 

チッチ 全然繋がりがないところから生まれた「決心」って言葉には、正直びっくりしたんですけど、「歌詞を読んだ時に、決心を感じたので」と言ってくれて感動しました。すぐに「それにします!」と言って決めました。

 

──歌詞から気持ちを感じ取ってくださったと。

 

チッチ 自分では浮かばない曲名だったし、峯田さんでしか生まれなかっただろうと思って、「これしかない!」と思いました。たくさんの方に聴いてもらいたいですね。

 

実現できなかった海外公演。「好きでいてくれる人たちに、自分で会いに行きたい」

──アルバムを発売されて、次にソロ活動でやりたいことは何かありますか?

 

チッチ 実は、BiSHでできなかったことが1つあって……それは、海外ライブなんですけど。そこは、本当に悔しかったですね。今までの活動に後悔はないけど、正直やりたかったことの1つだったので。CENTとして、今まで会いたいと思ってくれていた人たちに、自分が出向いて会いに行きたいと思っています。

 

──いいですね。やはり他国からのお客さんや、海外からメッセージがきたりすることは多いですか。

 

チッチ 結構いろんな国の方からありますね。先日のリリースイベントでは、日本人の方ですが、アフリカから3日かけて来てくれた方がいて。頑張ろうって思えましたね。

 

──すごいですね!

 

チッチ ファンの方もそうですし、サマソニやフジロックで出会った海外のアーティストの方との繋がりも少しずつ増えて。共演した方に「かっこよかったです! 大好き!」みたいな気持ちを一生懸命文章にして送ると、みんなフレンドリーにメッセージを返してくれるんです。私は、実は結構暗いので(笑)、普段はそんなメッセージ送らないんですけど、海外の方は変な奴だって思わないでいてくれそうだと思って、社交的にコミュニケーションしています。

 

──そうなんですね。今、きっと世界中で待っている方がいらっしゃると思いますよ。

 

チッチ BiSHの時は、たくさんの人に受け入れられたいという気持ちが強かったですが、今は、好きでいてくれる人に会いに行きたいという、真逆の願望が強いかもしれません。いつも遠くから来てくださっていた皆さんに、今度は私から会いにいきたいです。

 

女優という新たな挑戦。「安定より、いろんなことに飛び込んで生きていく方が、自分らしい」

──音楽活動はもちろんのこと、加藤千尋名義での女優活動もスタートされました。

 

チッチ 演技のお仕事は、BiSH時代からちょこちょこやらせてもらっていたのですが、今までは、本人役や当て書きでの役が多かったので、これからが挑戦だなと思ってます。中途半端にはやりたくないので、その1歩目を踏み出すために、覚悟を見せたいという決意の表れとして、こちらも名義を分けて活動しようと考えました。

 

──女優として、また別の活動であるから、ということですね。

 

チッチ ただ、別ものではありますが、表現者としては何も変わらないです。私は、一生表現をして生きていきたいと思っているので、今回新たな試みではありますが、挑戦したいと思いました。安定を求めるよりかは、いろんなことに飛び込んで生きていく方が、自分らしいかな、とも思うので。

 

──女優として、こんな作品やジャンルに挑戦してみたいというものはありますか?

 

チッチ なんでもやってみたいですが、個人的にはホラーが好きなので積極的に演じてみたいですね。あ、でもお化け役じゃなくて(笑)。怖がる方や襲われる方ですね。逆に、サスペンス系でサイコパスの殺人鬼役とかもいいです。サイコスリラーやスプラッター系の!

 

──あはは。それはぜひ拝見したいですね。

 

チッチ ただ先日『ほんとにあった怖い話』(フジテレビ系)に出演させていただいて、怖がるって難しいなと演技をして思いました。そこは、作品をいろいろと見つつ研究したいです。あとは、アクション系にもチャレンジしたいです。私、戦ってみたいんですよね(笑)。

 

──戦ってみたいとは……!?

 

チッチ 日常を生きてる中で他人と戦うことってできないじゃないですか。でも、映像の中ではそれが可能であって。そういう表現の仕方、体で体現することは、音楽ではできないことなので、新しい表現として、とてもワクワクするなって思っているんです。

 

──なるほど。それは演技ならではの表現かもしれませんね。ちなみに、映像だけでなく11月には長編舞台作品『雷に7回撃たれても』が控えていらっしゃいます。

 

チッチ 舞台も楽しみです。が、同時に怖いですね。このセリフの量みんなどうやって覚えているの? って(笑)。 今は、監督とプロデューサーと主演の大下ヒロトとディスカッションしながら、役を自分の中に投影していく時間にしています。

もともとヒロトとは友人で、尊敬していた人だったので、今回共演できて救われました。初めましての方と、初舞台で主演とヒロインだとしたら、もっと緊張しただろうなって思ったんですけど、尊敬して信頼できる友達だからこそ、私もしっかりぶつかっていきたいなと思えたんです。

──そうだったんですね。新たなステージ、楽しみにしています。

 

チッチ はい、緊張はしますが……。でも、峯田さんも音楽を続けながら、お芝居もやられているじゃないですか。対談の時に「お芝居も楽しいよ」って言ってて。そうやって楽しんでいる姿を見ると、頑張れそうってすごく思って、力をもらいましたね。やり遂げたいですね。

 

これからやりたいこと。「声のお仕事が、何か形になればいいなって」

──多方面で活躍されているチッチさんですが、最近はバラエティ番組にもかなり出演されていますね。

 

チッチ テレビ出演はいつも楽しんでやらせてもらっています。多分、バラエティだけで生きていくって決めてたら、性格的に悩むことも多いだろうけど、たくさんの表現の中の1つなので。今でさえ、ちょっと反省しながら帰る時もあるくらいなので……(笑)。

 

──それはちょっと意外です。出演したい番組や会いたい方はいますか?

 

チッチ BiSHをやっている中で、いろんな方にお会いできたのですが、今お会いしたいのは、とんねるずの石橋貴明さんですね。母の影響もあって、ずっととんねるずさんのファンなのですが、ノリ(木梨憲武)さんには今ではかわいがっていただいてて、すごく幸せで。ですが、タカさんにはお会いしたことがないんですよ。

 

──石橋さんでしたら、もしかしたらYouTubeのゲストで呼ばれる可能性もあるかもしれませんよ。

 

チッチ それは本当に夢ですね。ぜひいつかお会いしたいです。あとは、番組で言ったら『クレイジージャーニー』(TBS系)の大ファンなので、出演してみたいですね。やっぱりスリルを求めて生きている方に魅かれる部分があるんです。生き方自体に興味があるというか。好きな回がたくさんあるので、コメントをつけながら紹介したいくらいです。

 

──特別企画で、番組が好きなタレントさんが「クレイジー旅」ランキングを紹介する回がありましたね。

 

チッチ うわ~、それは出演したいですね。これからもアピールし続けたいです。

──さて、最後になりますが、今後新たに挑戦したいことは何かありますか?

 

チッチ 声のお仕事をしたいとは昔からずっと思っていたので、何か形になればいいなと思っています。昔からアニメやゲームが好きで、声のお仕事は1つの夢ですね。

 

──とても向いてそうですし、イメージが沸きます。

 

チッチ 高校生の時は、果てしなくどうしようもない人間だったのでずっとアニメを見てました(笑)。音楽とアニメで生きていて、屋上でサボって音楽聴くかアニメ見るかって感じの学校生活でしたから。

ちなみにですが、今回のアルバムの最後の曲「:Q」は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の映画を見て、帰り道にどうしても曲が作りたくなって作った曲なんですよ。

 

──そうだったんですか! それは改めて映画を観て、聴いてみたいですね。

 

チッチ 何かしなきゃ、という衝動に駆られて、自分が作品の中にいるような気持ちで書きましたね。そういった部分でアニメ作品には大きな影響を受けていますよ。

 

──声優をやりつつ、主題歌を歌うアーティストさんはいらっしゃいますから、そういったお仕事もあり得そうですね。

 

チッチ わ~。めちゃくちゃやりたいです。すごく理想です。今後、実現できるように、頑張っていきたいと思います。

 

──応援しています! 本日はありがとうございました。

 

<ツアー情報>

【タイトル】
Hello Friend Tour
【公演日時】
2023年11月14日(火) 愛知 CLUB QUATTRO
2023年11月17日(金) 福岡 DRUM Be-1
2023年11月18日(土) 熊本 B.9 V1
2023年11月22日(水) 北海道 札幌KLUB COUNTER ACTION
2023年11月23日(木・祝) 北海道 札幌KLUB COUNTER ACTION
2023年11月28日(火) 東京 Spotify O-WEST
2023年12月1日(金) 宮城 仙台CLUB JUNK BOX
2023年12月2日(土) 岩手 宮古KLUB COUNTER ACTION
2023年12月6日(水) 大阪 梅田Shangri-La
2023年12月9日(土) 石川 金沢AZ
2023年12月14日(木) 広島 SECOND CLUTCH
2023年12月16日(土) 香川 festhalle
2023年12月17日(日) 愛媛 WstudioRED
2023年12月22日(金) 沖縄 output
2023年12月23日(土) 沖縄 output
<リリース情報>
CENT 1st ALBUM
「PER→CENT→AGE」
発売日:2023年8月23日(水)
【初回限定盤】CD+DVD
品番:DQC-9057
価格:¥5,500(税抜価格 ¥5,000)
【通常盤】CDのみ
品番:DQC-1674
価格:¥3,300(税抜価格 ¥3,000)
▼CD収録内容
M1. すてきな予感 [作詞:CENTCHiHiRO CHiTTiii 作曲・編曲:J. og]
M2. ナポレオーネ通りにて [作詞・作曲・編曲:おかもとえみ]
M3. 決心 [作詞: CENTCHiHiRO CHiTTiii 作曲:峯田和伸 編曲:杉森ジャック]
M4. おとぎばなし [作詞・作曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii 編曲:koyabin]
M5. 君へ [作詞・作曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii 編曲:J. og]
M6. インマイルームフェス [作詞・作曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii 編曲:J. og]
M7. 紙ヒコーキと晴れのちコーヒー [作詞・作曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii,おかもとえみ 編曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii]
M8. あそぼーよ [作詞・作曲:真島昌利 編曲:富澤タク]
M9. 向日葵 [作詞・作曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii 編曲:koyabin]
M10. 夕焼けBabyblue [作詞・作曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii 編曲:koyabin]
M11. :Q [作詞・作曲: CENTCHiHiRO CHiTTiii 編曲:J. og]
▼DVD収録内容
Tr1. 「向日葵」OFFiCiAL ViDEO
Tr2. 「すてきな予感」OFFiCiAL ViDEO
Tr3. 「CENTのはじめまして。(2022.08.20 八王子Match Vox)」
Tr4. 「Recording Making Movie」
<CENT公式SNSアカウント>
Official X:https://twitter.com/CENT_CCC
Official Instagram:https://www.instagram.com/cc_chittiii_bish
Official YouTube:https://youtube.com/@CENT_OFFiCiAL

町田啓太インタビュー「疑問を持ち、意見を交換する大切さをあらためて気づかせてくれた」映画『ミステリと言う勿れ』

田村由美さんの人気漫画を、菅田将暉さん主演で実写化した連続ドラマ『ミステリと言う勿れ』。原作で人気のエピソード、通称「広島編」をもとに、名家・狩集家をめぐる遺産相続事件の顛末を描いた当映画で、インテリな見た目の臨床検査技師である狩集理紀之助(かりあつまり・りきのすけ)を演じた町田啓太さん。

町田啓太●まちだ・けいた…1990年7月4日生まれ。群馬県出身。2020年のドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(テレビ東京系)は、第106回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演男優賞などを受賞し、2022年に映画化。ほか近年の出演作にドラマ『SUPER RICH』(フジテレビ系・2021)、『ダメな男じゃダメですか?』(テレビ東京系・2022)、『テッパチ!』(フジテレビ系・2022)など。10月8日より連続ドラマW『フィクサー Season3』の放送・配信がスタート。Instagram

 

もともと原作漫画が大好きだったという町田さんは、実写ドラマ化の話を聞いた際から出演を熱望し、劇場版にて念願の初出演を果たす。原作ファンの目線から見た「ミステリ」の現場について語った。

 

【町田啓太さん撮り下ろし写真】

 

原作好きとして「自分なりに理紀之助を構築できたら」

 

──もともと、原作コミックのファンだったそうですね。

 

町田 ファンと言うとおこがましいですが、とにかく原作が好きだったんです。作品全体から醸し出される温もりとともに、主人公の久能整が発する何気ない言葉が、ミステリを解きつつ、事件に関わっている人の心も解いているように感じていました。ドラマ化されると聞いて僕も参加できたらいいなぁと思っていたのですが、なかなかお声がかからなくて……(笑)。

 

──となると、今回通称「広島編」が原作となる映画への参加は、かなりうれしかったのでは?

 

町田 はい。お声がけしていただいただけでもうれしかったのですが、プロデューサーの草ヶ谷(大輔)さんも松山(博昭)監督も以前、ドラマ『人は見た目が100パーセント』でご一緒させていただいたので、またご一緒できることが、よりうれしかったですね。

 

──狩集理紀之助役をオファーされたときの率直な感想を聞かせてください。

 

町田 最初に聞いて「理紀之助なんだ!」と思いました。原作を読んだときから好きなキャラクターだったので、とてもうれしかったです。ドラマで菅田将暉くんが演じていた整も思慮深くて好きでしたし、そんな菅田くんと共演できることも楽しみでした。

 

──好きなキャラクターを演じるうえで、どのような思いだったのでしょう。

 

町田 できるかぎり原作ファンの方に楽しんでもらえるよう、自分なりに理紀之助を構築できたらという思いでいました。ただ今回は映画なので、いろんなエピソードで構成された広島編の全部は描ききれず、原作好きとしては、理紀之助の魅力をすべて出せないもどかしさのようなものを、少し感じてしまいましたね。

 

──理紀之助の特徴でもある、メガネと広島弁については?

 

町田 メガネは衣装合わせのとき、かなりの本数の中から原作のイメージに近いものを選びました。広島弁は映画『こいのわ 婚活クルージング』で一度挑戦していたのですが、理紀之助の内向的で周りを気にする繊細な性格に合わせて、コテコテではなく、少し標準語に近いものでいこうとなりました。萩原利久くんが演じた新音とのバランスもあったと思います。

 

「現場の空気感の変化が、映画の内容とシンクロしていた」

 

──個性的な狩集家の遺産相続候補者が集い、物語が進む現場の雰囲気は?

 

町田 最初は「菅田くんを中心にした『ミステリ』の現場は、どういう雰囲気なのか?」と、探り探りでした。それに僕の最初の撮影シーンは、狩集家が一堂に介する前で遺言書が読まれるシーンで、厳かな雰囲気だったんです。でも撮影の合間の時間は、菅田くんがいろんなパスをくれたので、会話が弾み、気づいたらずっと話していた感じでした。その空気感の変化が映画の内容とシンクロしていたので、それも観ながら楽しめると思います。

 

──鈴木保奈美さん、松坂慶子さんといった先輩方との共演はいかがでしたか?

 

町田 皆さんと共演したことがあり、緊張よりうれしくて心強い気持ちの方が大きかったです。松坂さんとはドラマ『スミカスミレ 45歳若返った女』で恋に落ちる役を、保奈美さんは、当映画の撮影と同時期にWOWOWのドラマ『フィクサー』でも共演中だったんです。本当に皆さん温かくて、優しくて、素敵な方ですが、作品によって醸し出す雰囲気がガラッと違うので、圧倒されますね。

 

──撮影は広島を中心に行われたということですが、印象に残った現地でのエピソードはありましたか?

 

町田 せっかく広島にいたのですが名物を食べられず。最後に良いものを食べようと、一人でしゃぶしゃぶを食べていたんです。すると、たまたま保奈美さんに見つかって、「よく食べるね」と一言声をかけられて……(笑)。なんだか恥ずかしかったです。

 

「いろんなことに疑問を持ち、意見を交換する大切さ」

 

──撮影中、特に大変だったことを聞かせてください。

 

町田 狩集家が集まるシーンは、登場人物が多いんです。だから同じシーンを何度も撮りましたし、それぞれのキャラのリアクションを捉える分、長時間の撮影になるので集中力を保つのが大変でした。また登場人物それぞれの思惑が入り組んでいることもあり、松山監督含め、皆さんとディスカッションする時間もありました。とにかく考えることが多かったです。

 

──そのような今回の現場で、刺激になったことや学んだことは?

 

町田 魅力的な皆さんと共演できたことは、すごく刺激的でした。そして、いろんなことに疑問を持ち、意見を交換する大切さをあらためて気づかせてくれた現場でした。

 

──原作者の田村さんも、ロケに来てくださったとか。

 

町田 はい、お会いできてとてもうれしかったです。田村さんと意見交換ができたことも、大変有り難かったですね。そして僕を見るなり、「あ、理紀之助だ!」と言ってくださったことも心強かったです。

 

──最後にGetNavi webということで、現場に常に持って行くなど町田さんが今ハマっているモノについて教えてください。

 

町田 ファッション関係の仕事で今年6月にイタリアに行きましたが、そこで初めて本場のエスプレッソを飲んで、その美味しさにハマりました。現場でもよく飲んでいます。

 

──ということはコーヒーマシンなど買われたり?

 

町田 実はスタイリストさんとヘアメイクさんから、誕生日プレゼントにデロンギのエスプレッソマシンをプレゼントしていただきました! そして事務所の先輩であるEXILE TETSUYAさんからも、AMAZING COFFEEのキューリグ スターターセットをプレゼントしていただきました。今ではコーヒー三昧です(笑)。

 

映画『ミステリと言う勿れ』

9月15日(金)より全国公開

 

【映画『ミステリと言う勿れ』よりシーン写真】

 

(STAFF&CAST)
監督:松山博昭
原作:田村由美
脚本:相沢友子
出演:菅田将暉、松下洸平、町田啓太、原菜乃華、萩原利久、鈴木保奈美、滝藤賢一、でんでん、野間口徹、松坂慶子、松嶋菜々子、伊藤沙莉、尾上松也、筒井道隆、永山瑛太、角野卓造、段田安則、柴咲コウ
公式サイト:https://not-mystery-movie.jp/

 

(STORY)
天然パーマでおしゃべりな大学生・久能整(菅田)は、広島で開催される美術展を訪れ、そこで犬堂我路(永山)の知人だという女子高生・狩集汐路(原)と出会い、あるバイトを持ちかけられる。それは、狩集家の莫大な遺産相続に関するものだった。当主の孫にあたる汐路、ゆら(柴咲)、紀之助(町田)、新音(萩原)、4人の相続候補者は、遺言書に記されたお題に従って謎を解いていくなか、衝撃の真実にたどり着く。

 

(C)田村由美/小学館 (C)2023 フジテレビジョン 小学館 TopCoat 東宝 FNS27社

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/KOHEY スタイリング/石川英治(TABLE ROCK.STUDIO)

アイドルからMリーガーに華麗なる転身・中田花奈「ビーストな麻雀でMリーグを掻き乱していきたい」(後編)

今年6月30日、プロ麻雀リーグ「Mリーグ」の2023-24シーズンに向けたドラフト会議で、新規参戦チーム「BEAST Japanext」から指名を受けた中田花奈さん。タレントとして活躍する一方で、プロ雀士、麻雀カフェの経営など、麻雀の世界でも華々しい活動を続ける彼女が、ついにMリーガーとしての顔も持つことになった。インタビュー後編は、Mリーグへの思いと選手としての意気込み、さらにはプライベートの過ごし方なども語ってもらった。

 

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アイドルからタレント・プロ雀士・経営者と多才ぶりを発揮・中田花奈「乃木坂46卒業後の活動を自己評価すると花丸満点!」(前編)

中田花奈●なかだ・かな…1994年8月6日生まれ。埼玉県出身。2011年、乃木坂46の1期生オーディションに合格、2020年10月25日に同グループを卒業。2021年3月にプロ雀士の試験に合格。タレント、プロ雀士、麻雀カフェ「chun.」のオーナー&店長を務めるなど多方面で活躍。プロ麻雀リーグ「Mリーグ」の2023-24シーズンより、新規参戦チーム「BEAST Japanext」にドラフト指名を受けて、Mリーガーに。X(旧Twitter)Instagram

【中田花奈さん撮り下ろし写真】

 

勝つよりも、かっこよくて綺麗な手を作ることに魅力を感じていた

──新規参戦チーム「BEAST Japanext」の所属が決まりましたが、以前からMリーガーになりたい気持ちは強かったですか。

 

中田 プロ雀士になったからには、大きな目標だと思っていました。麻雀カフェ「chun.」が忙しかったり、ありがたいことにタレント業も順調だったりして、もう少し麻雀に向き合う時間ができてから、じっくり考えようと思っていました。

 

──6月30日に行われたドラフト会議で指名を受けたときは、涙を流されていましたね。

 

中田 「まさか」と思いつつも、「もしかして」という気持ちもあって。今年は周りもそわそわしていましたし、もしものときのためにと番組さんがカメラも回して。だから、少し心構えはしていたのですが、実際に指名を受けたときは感極まりました。

 

──すぐに実感が湧きましたか?

 

中田 いろいろな方から祝福の連絡をいただいたので、Mリーガーとして恥ずかしくないようにしないといけないなと思いましたけど、正直、始まってみないと実感はないですね。でもMリーグに向けて今は麻雀に力を入れています。最近はお店の仕事をちょっとずつ減らして、麻雀と向き合う時間を増やすようにしています。

──大勢の人に見られている中での対局は経験豊富なので、そこは中田さんの強みではないでしょうか。

 

中田 まだ自信を持って麻雀を打てる実力ではないので、周囲の声は気になりますし、まだまだ見られることに違和感はあります。

 

──Mリーガーになるにあたって、もちろん強さは必要ですが、それ以外で大切なのは何だと考えていますか。

 

中田 ゲーム展開の面白さは大事なところかと思います。ほとんど点数がない状態から連チャンして巻き返し、トップを獲りましたという展開はMリーグで珍しくないんですよね。Mリーグはトビなしなので諦めない心が大切ですし、面白いゲームメイクを心がけたいです。

 

──魅せる麻雀で理想とするMリーガーはいらっしゃいますか?

 

中田 TEAM RAIDEN/雷電の黒沢咲さんは高い打点にこだわってらっしゃるので、人気もありますし、その麻雀スタイルは私の理想でもあります。ただ私の場合、両面待ちのザンク(3,900点)やゴンニ(5,200点)を取りに行かず、単騎待ちの満貫狙いとか、こだわり過ぎて上がりを狭くしちゃうことが多いので、その辺のバランスをうまく取りつつ、高打点を想定した打ち方をしたいなと思います。

 

──高い打点にこだわるきっかけはあったんですか。

 

中田 麻雀を始めたときから、勝つよりも、かっこよくて綺麗な手を作ることに魅力を感じていたので、安い手で捌くことができないんです。そこがゲームメイクの下手なところだと思うので、今後の課題でもあります。

 

──派手な手のほうが見る側も盛り上がりますしね。

 

中田 KADOKAWAサクラナイツの岡田紗佳さんは、その辺のバランスが絶妙で、手堅く打っているかと思ったら、放送対局でもたくさん役満を上がっているんですよね。まだ私は放送対局で一度も役満を上がれていないので、岡田さんのように高い手をバン! と決めたいです。ただ、EX風林火山の二階堂亜樹さんの、すっと止められる麻雀も大好きなんです。ついつい私は欲が出ちゃうんですけど、欲が出そうなところを止める亜樹さんの姿がクールで憧れます。

──「BEAST Japanext」をどういうチームにしていきたいですか。

 

中田 チーム名どおり、「ビーストな麻雀」がコンセプトになりそうなので、Mリーグを掻き乱していきたいです。新しいチームなので、他のチームからするとどういう麻雀を打ってくるのか未知数だと思うんですよね。

 

──チームメイトはどんなスタイルなんですか。

 

中田 猿川真寿さんは「モンキーマジック」と称されるように、意外な打牌を成功させる方です。菅原千瑛さんはバランス型で、鈴木大介さんはセオリーが通用しない攻撃型と、それぞれ個性が違います。

 

──Mリーガーとしての意気込みをお聞かせください。

 

中田 MリーガーになったからにはMVPを目指したいので、高い目標を持って頑張りたいです。実力的にはまだまだですが、今できることは精いっぱいやるので、応援していただけたら嬉しいです。

 

<中田花奈さんへ10の質問>

緊張したときは「東京ドームに立ったことがあるんだ」と心の中で鼓舞しています

Q.1 好きな役、好きな牌はありますか?

中田 好きな役は「四暗刻」です。初めて上がった役満ですし、山読みがうまくいったときの嬉しさも大きいです。役満って運の要素が大きいですけど、四暗刻は自分で場をうまく操作している感があって楽しいんですよね。まだスッタン(四暗刻単騎)で上がったことが一度もないので、目標の一つです。好きな牌は苗字にもある「中」で、お店の名前にもしました。大三元や国士無双で上がった経験はあるのですが、まだ「中」で上がったことがないので、それも目標です。

 

Q.2 座右の銘を教えてください.

中田 2020年に出した1st写真集のタイトルにもなった「好きなことだけをしていたい」です。本当に好きなことだけをしている人生ですし、やりたいことは全部やるというのがモットーで、それがお仕事にも繋がっているなと感じます。

 

Q.3 自身の調子を図るものは?

中田 アイドルをやっていたからかもしれないですけど、朝の寝起きの顔です。鏡を見たときのむくみ具合やお肌のコンディションで、「今日はいける」「今日は駄目」だと判断しているかもしれません(笑)。

Q.4 Mリーガー(プロ雀士)で、プライベートで仲の良い選手はいますか?

中田 先日、岡田紗佳さんと初めてご飯に行きました。以前から収録の合間に声をかけてくださったり、マメに連絡をくださって、私が麻雀番組に出たときの感想やアドバイスも伝えてくださるんです。ご飯のときに、「ライバルは中田花奈って言いたいじゃん」と言われて、その言葉が心に刺さって、「そう言われるぐらい強くなろう!」と心が動きました。

 

Q.5 試合前にルーティンにしていることはありますか。

中田 以前はトイレットペーパーのミシン目を綺麗に切るというのをやっていたのですが、最近はEX風林火山の勝又健志さんが、対局前にアプリで清一色(チンイツ)待ち問題をやっていると聞いて。こんなにレベルの高い方でも、そんな努力をしているんだと驚いて、私も同じアプリをやっています。

Q.6 試合前の緊張感を乗り越えるためにしていること、猛者たちを相手に気後れしない方法、試合中に冷静でいられるコツは?

中田 私自身、いつも緊張はしているんですけど、そんなときに気持ちを落ち着かせるために、「自分は東京ドームという、大きなステージに立ったことがあるんだ」と心の中で何度も唱えて鼓舞するようにしています。

 

Q.7 休日はどのように過ごすことが多いですか?

中田 時間があるときは、友達やお店のスタッフとご飯に行ったり、飲みに行ったりしています。おうちにいると、Mリーグを見たり、Mリーガーやプロ雀士の方が出した本を読んだりと、結局は麻雀のことを考えちゃうんですよね。

 

Q.8 最近の推しアイドルはいらっしゃいますか?

中田 乃木坂46のメンバーになるんですけど、遠藤さくらちゃんと筒井あやめちゃんがかわいくて、同じ動画を繰り返し見ています。

Q.9 いつも持ち歩いているものはありますか?

中田 私の親戚がやっている扇子屋さん「白竹堂」の扇子です。「花奈」って名前を彫ってくれて、いつも持ち歩いています。

 

Q.10 愛用している家電はありますか?

中田 アイリスオーヤマの電気圧力鍋です。私はお米が大好き過ぎるので、一人暮らしを始めるときに、あえて炊飯器を買いませんでした。簡単にお米が炊ける状態だと食べ過ぎちゃうから、手間のかかる土鍋で1合だけ炊いていました。でも土鍋炊きって洗うのが大変なので、誘惑に負けて電気圧力鍋を買ってしまったんです(笑)。これが便利で、ご飯も美味しく炊けるし、煮込み料理を作るときも適当に出汁と野菜を入れるだけで、すごくおいしくなります。

 

中田花奈さんのサイン入り生写真を1名様にプレゼント!

<応募方法>

下記、応募フォームよりご応募ください。
https://forms.gle/cHfN1Umm41WRddHU6

※応募の締め切りは10月6日(金)正午まで。
※当選は発送をもってかえさせていただきます
※本フォームで記載いただいた個人情報は、本プレゼント以外の目的での使用はいたしません。また、プレゼント発送完了後に情報は破棄させていただきます。

 

【麻雀プロリーグ・Mリーグ「BEAST Japanext」】https://m-league.jp/

【BEAST Japanext公式サイト】https://www.bsjapanext.co.jp/m-league/

【BSJapanext『MリーグNo.1への道 BEAST ROAD』毎週水曜日よる10時より生放送】
チーム公式X(旧Twitter)https://twitter.com/BEAST_Japanext

 

撮影/中村 功 取材・文/猪口貴裕

アイドルからタレント・プロ雀士・経営者と多才ぶりを発揮・中田花奈「乃木坂46卒業後の活動を自己評価すると花丸満点!」(前編)

2020年10月25日に乃木坂46を卒業後、日本プロ麻雀連盟のプロテストに合格。プロ雀士として活躍する一方で、麻雀カフェ「chun.」のオーナー&店長を務め、タレントとしても数多くのバラエティや情報番組に出演するなど、多才ぶりを発揮している中田花奈さん。9月18日に開幕するプロ麻雀リーグ「Mリーグ」の2023-24シーズンより、Mリーガーデビューを果たす彼女に、乃木坂46卒業から現在までの軌跡を前後編で振り返ってもらいながら、Mリーグへの思いを語ってもらった。前編はタレント卒業も考えていた中田さんの快進撃に迫ります!

 

中田花奈●なかだ・かな…1994年8月6日生まれ。埼玉県出身。2011年、乃木坂46の1期生オーディションに合格、2020年10月25日に同グループを卒業。2021年3月に日本プロ麻雀連盟第37期後期プロテストに合格。タレント、プロ雀士、麻雀カフェ「chun.」のオーナー&店長を務めるなど多方面で活躍。プロ麻雀リーグ「Mリーグ」の2023-24シーズンより、新規参戦チーム「BEAST Japanext」にドラフト指名を受けて、Mリーガーに。X(旧Twitter)Instagram

【中田花奈さん撮り下ろし写真はこちら】

父の「麻雀が下手くそ過ぎる」という一言で絶対に強くなると一念発起

──中田さんの麻雀遍歴を教えていただきたいですが、そもそも始めたきっかけは?

 

中田 2015年6月に出演した舞台『じょしらく』のセリフで「数え役満」が出てきて。落語のお話で、麻雀は直接関係なかったのですが、その麻雀用語を調べたのがきっかけで麻雀を覚えようと思いました。もともとボードゲームやパズルゲームのアプリが好きだったので、その延長で麻雀のアプリにもハマりました。

 

──初めて実戦で麻雀を打ったのは、いつ頃だったんですか。

 

中田 麻雀アプリにハマっていると公言していたら2017年に、須藤凜々花さんがMCを務めていた『NMB48須藤凜々花の麻雀ガチバトル! りりぽんのトップ目とったんで!』(TBSチャンネル1)の「二代目決定トーナメント」というトーナメント形式の対戦に呼んでいただいて。でも実際の卓で打ったことがなかったので、慌ててスタッフさんや事務所の方々にお願いして直前に初めて卓で打たせていただきました。

 

──ほとんど実践経験のないまま、収録に臨まれたんですね。

 

中田 そうなんです。だから最初の対局は4着らしい4着で、今考えたら恥ずかしいです(笑)。当たり前ですけど、実戦は誰も上がりを教えてくれないじゃないですか。アプリゲームだとロンができるときは知らせてくれるし、フリテンだったら、これでは上がれませんと教えてくれるのでチョンボの心配もありません。だから上がるのすら怖かったですね。

 

──中田さんが初めて麻雀番組に出たとき、ファンの反応はどんな感じだったのでしょうか。

 

中田 当時、私のファンの方々も麻雀をやっている方は少なかったので、「4着惜しかったね」という反応でした。ただ、番組を見た父から「下手くそ過ぎる」と言われて。父が麻雀を打てることすら知らなかったのですが、その一言が本当に悔しかったんです! その時に絶対に強くなる! と思って。そこから麻雀の本も読み始めました。

──その後、お父さんと麻雀は打ったんですか?

 

中田 私は一人っ子ですし、母はルールも知らないので、なかなか家族麻雀ができなくて。法事で親戚が集まったときに、ようやく私、父、叔父、叔母の4人で、手積みで打つことができて、そのときに父に勝てたんです! それが本当に嬉しくて、「もう私に下手くそとは言えないね」と言ってやりました(笑)。その後、お正月に打ったときは父に負けちゃったので五分なんですけど。

 

──手積みで麻雀するのも、なかなかない経験ですよね。

 

中田 手積みが本当に難しくて……。背が竹の麻雀牌で、ちょっと丸みがあるので、上に乗せるだけでも一苦労でした。

 

──その後もコンスタントに麻雀番組に出演。2020年1月からは冠番組『乃木坂46中田花奈の麻雀ガチバトル! かなりんのトップ目とれるカナ?』が始まります。

 

中田 放送で対局できることで、1回1回の麻雀が濃くなったと思います。自分自身で振り返りができますし、実況解説の人が意見やアドバイスを言ってくださるので、すごくありがたいです。

 

──なぜ、そこまで麻雀にハマったのでしょうか。

 

中田 もともと頭を使うゲームが好きだったのと、突き詰めていっても終わりがないという奥深さが面白かったんです。対面だと心理戦の要素もあるし、毎回局面が違って、謎解きみたいなところもあります。この牌は危険そうだなってビタ止めしたのがうまくいった瞬間が本当に気持ち良くて。あと先切りの効果で、引っ掛けが成功してロンしたときも最高です。

 

経営は頑張った分だけ報われる確率が高くなるし、結果も分かりやすい

──プロ雀士になろうという気持ちは乃木坂46時代からあったんですか。

 

中田 仕事が落ち着いたら、プロ雀士を目指そうかなと考えたことはありましたが、まさか乃木坂46を卒業して、すぐに目指すことになるとは思っていませんでした。番組さんの企画きっかけではあったのですが、必死に頑張りました。

 

──乃木坂46を卒業する直前に、中田さんにお話を伺ったとき、「雀荘がやりたい」と仰っていたのが印象に残っています。

 

中田 乃木坂46を卒業したら、タレント業を続けられると思っていなかったので、本気で引退を考えていました。真剣にセカンドキャリアとして雀荘のママになりたかったんですよね。だから卒業して、すぐに麻雀カフェ「chun.」を始めました。

 

──どういうコンセプトで「chun.」を始めたのでしょうか。

 

中田 私は個室の雀荘やセット雀荘には行くけど、フリー雀荘には一度も行ったことがなくて。フリー雀荘はタバコの煙がもくもくというイメージで、少し怖い印象もあり、どうしても一見さんは入りにくいというのがありました。私と同じような考えの麻雀好きはたくさんいるだろうなと感じていましたし、自分で麻雀は打たないけどMリーグを見るのが好きという方も多いので、見る麻雀の面白さも伝えたい。その二つニーズに応える、雀荘のイメージを変えるようなお店にしたいなというのがコンセプトでした。

 

──6月30日に行われた「Mリーグ」のドラフト会議も、「chun.」でご覧になっていましたよね。

 

中田 私自身がパブリックビューイングみたいに、みんなでMリーグを見たかったんですよね。それがイベントだけじゃなく、日常的に見られる環境があったらいいなと思ってお店を作ったところもありましたが、まさか自分が出る側になるとは……。

 

──従来にないお店を作るために、どんな工夫をしたのでしょうか。

 

中田 私はバイト経験もなかったですし、雀荘がどうやって回っているのかも分からなかったので、実際に営業しつつ、改善点を見つけて、スタッフと相談して修正していきました。あとは、いろいろな経営者の方に相談をして、アイデアを取り入れています。

 

──どういう方に相談したんですか?

 

中田 従来の雀荘とは客層が全く違うので、飲食店の方にお話を聞くことが多かったですね。同業で言うと、「Nishi azabu RTD」さんと「麻雀ラウンジぷろす」さんはお話を伺いました。

 

──すぐにお店は軌道に乗ったんですか。

 

中田 おかげさまでオープン当初からたくさんの方に来ていただいて、ファンの方々に支えられています。ありがたいです。

──経営のやりがいはいかがですか?

 

中田 経営は頑張った分だけ報われる確率が高くなるし、結果も分かりやすいので、やりがいがあって面白いです。

 

──人材についてはいかがですか。

 

中田 直感でアルバイトの子を選んでいるのですが、みんな真面目に働いてくれるし、シフトがない日も普通に麻雀を打ちに来たり、カフェ利用をしてくれたりして。お店を愛してくれるスタッフばかりです。

 

──人を見る目は乃木坂46時代に培われたのでしょうか。

 

中田 メンバーやスタッフさん、グループに関わってくれる方々はもちろん、握手会などで直接お会いするファンの方々も含めると、たくさんの人たちと接してきたので、自然と研ぎ澄まされていたのかもしれません。

 

新しい知識を得るのが大好きなので、競馬新聞を見ているだけでワクワク

──先ほどタレント引退も考えていたと仰っていましたが、乃木坂46卒業後もテレビ・ラジオ・ネット配信番組などに引っ張りだこですよね。

 

中田 麻雀メインの活動になるとは思っていましたが、ここまでメディアに出ることを想像していませんでした。自分の思っていた以上にお仕事をいただけて、ありがたいです。

 

──もともと話術に定評がありましたし、当然の流れかと思いますが。

 

中田 いえいえ、確かにラジオは好きでしたが、悩みもあって。「元乃木坂46」と呼んでいたただけたり、プロ雀士や経営者として呼んでいただけたりと、さまざまなケースがあって、どの立ち位置でどのような発信の仕方がいいのか迷っちゃうときがあるんですよね。番組によって今何を求められているのかが分からなくなって、「おそらく今日はこの角度じゃなかった」「もっと切り込んだほうがよかった」と反省することも多いんです……。

 

──それだけ自分に高いハードルを掲げている証拠だと思います。グループ時代に培ったものがプロ雀士になって活きているなと感じることはありますか。

 

中田 運がいいなと感じる局面が多いので、それは乃木坂46のときに育まれたパワーなのかなと思います(笑)。

 

──たとえば、どういうときに感じるんですか。

 

中田 たとえば親がリーチしたとき、自分に良い手が入っていなかったら、ベタオリすることもあるじゃないですか。他が降りている中、私も降りてそうに見せて、ドラ単騎で親から上がれたときですね。あとリーグ戦で国士無双を2回上がったことがあって、「私は運を持っているな」と感じました。

 

──まさに運も実力のうちですからね。今年7月からは冠番組として、YouTubeの新・競馬バラエティ番組『中田花奈のウマくなりたい!』が始まりました。これまで馬券を買ったことはあったんですか?

 

中田 それが一切なくて。ただ「うまプロ」(フジテレビ系)は毎週録画して見ていて。「3連単」とか「ディープインパクト」といった言葉に聞き覚えはありました。ただ当時は未成年だったので馬券を買うこともできなかったですし、知らない用語や馬、騎手の方などを調べることもなかったです。だから今回の番組が決まってから勉強を始めました。先日、番組で競馬新聞の見方を教えてもらったんですよ。

──競馬新聞は見方が分からないと、何が書いてあるのか理解できないですよね。

 

中田 最初は情報量の多さと字の細かさで一生分からないと思っていたのですが、知っていくうちに、どの情報を拾えばいいのか考えるのがすごく楽しくて。麻雀のときもそうだったのですが、私は新しい知識を得るのが大好きなので、競馬新聞を見ているだけでワクワクします。

 

──乃木坂46を卒業して約3年経ちますが、自己評価すると100点満点で何点でしょうか。

 

中田 もともとアイドルになるのが夢だったので、それが叶った上に、十分やりきったので、正直、アイドル卒業後は余生みたいな気持ちでした(笑)。でもまた新たにワクワクすることが幾つも見つかって、花丸満点をあげたいです!

 

【麻雀プロリーグ・Mリーグ「BEAST Japanext」】https://m-league.jp/

【BEAST Japanext公式サイト】https://www.bsjapanext.co.jp/m-league/

【BSJapanext『MリーグNo.1への道 BEAST ROAD』毎週水曜日よる10時より生放送】
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<後編に続く>
アイドルからMリーガーに華麗なる転身・中田花奈「ビーストな麻雀でMリーグを掻き乱していきたい」(後編)

 

撮影/中村 功 取材・文/猪口貴裕

“野球×未亡人”にリピーター続出! 主演・森山みつき独占インタビュー「体を縛り、心を開放する夏子の気持ちは、分からなくもなかったです(笑)」映画『野球どアホウ未亡人』

インディーズ映画ながら今年6月に予告編が解禁されるや否や、その破壊力あるタイトルとともに、映画サイトの「動画再生ランキング1位」に。さらに、都内での2週限定公開では、「キャストが8人の野球映画」とリピーターが続出した『野球どアホウ未亡人』。往年のスポ根マンガ×日活ロマンポルノの昭和感漂う独特な世界観で、“野球に目覚める未亡人”水原夏子をコミカルかつ情熱的に演じた森山みつきさん。あまりのキュートさゆえ、観る者を「どアホウ」にさせる日本映画界注目間違いなしのニューヒロインに、緊急独占インタビューを敢行しました!

 

森山みつき●もりやま・みつき…11月3日生まれ。大阪府出身。森永乳業アロエヨーグルトのCMなどで活躍後、21年に『共振』(樋口慧一監督)で映画デビュー。22年に『REVOLUTION+1』(足立正生監督)に出演するほか、主演を務めた『死後写真』(溝井辰明監督)ではイタリアの映画祭「Sipontum Arthouse International Film Festival」にて主演女優賞を受賞している。X(Twitter)Instagram

 

【森山みつきさん撮り下ろし写真】

学生時代、「幸薄そう」「なにか抱えてそう」と言われがちでした

──2週間の都内上映が終わりましたが、お友達をはじめ周囲の反応はいかがでしたか?

 

森山 上映していくうちに、変な勢いみたいなものを肌で感じていたんですが、最終日の満席は、さすがにビックリしましたね! その一方で、「こんな映画なのに……」という申し訳ない気持ちもあります。観に来てくれた知り合いの反応も、刺さった人と刺さらなかった人では、だいぶ感想が分かれますね。刺さらなかった人は「面白かったよ。頑張ってね~」程度で終わるんですが、刺さった人は細かいシーンやギャグをあれこれ指摘してくれるので、「まぁ、そういう映画だよな」と思っています(笑)。

↑東京・池袋シネマ・ロサで上映された際には特設コーナーも

 

──森山さんのこれまでの経歴を教えてください。

 

森山 中学生のときに『愛のむきだし』を観て、満島ひかりさんに憧れて、満島さんの『川の底からこんにちは』を観て、さらに衝撃を受けました。大学では演劇サークルに入っていて、客演で小劇場に出ていました。俳優ってセリフを与えてもらえるというか、自分の言葉じゃない言葉を発せられるような環境が自分に合っていて、居心地がいいんです。それで、映画に出たい気持ちが強くなり、18年に大阪から上京しました。それで何作か映画に出演させてもらったんですが、映画館で上映される機会がなくて……。そんなとき、『野球どアホウ未亡人』のオーディションを知りました。

↑映画「野球どアホウ未亡人」より

 

──かなり強烈なタイトルですが、オーディションを受けられたポイントは?

 

森山 小野(峻志)監督のお名前はもちろん知っていましたが、募集要項に、劇場公開されることと一緒に、“主人公の夏子がいろいろな顔を見せる”と書かれていたんです。私は自分の多面性を自覚していたので、それを何かしら活用できるのではないかと思ったことも大きいです。学生時代、「幸薄そう」とか「なにか抱えてそう」と言われがちでしたし……(笑)。ちなみに、中学はソフトボール部でしたが、募集要項には「野球経験問わず」と書いてあって、オーディションでも特に野球に関しては何もしていません。でも、撮影前にはしっかり野球指導の日があって、そこで変化球を投げる夏子のボールの持ち方や投球フォームを決めました。

 

台本を何度読んでも分からないんです(笑)

──ちなみに、オーディションの様子はいかがでしたか?

 

森山 あくまでも私の感覚ですけれど、会場に入った私を見た小野監督とプロデューサーの堀(雄斗)さんの顔を見たとき、「この人たちは私を使いたいのかもしれない……」と察しました。「でも、こんな作品だからどうしよう?」とも思いましたよ。オーディションではクライマックスの対決シーンをしたのですが、いきなり「森山さん、関西出身だから、関西弁でいけますか?」と変更になったんです。私、埼玉にいた期間が長くて、えせ関西弁になっていたので、母と友達2人の力を借りて、できるだけリアルを追求しました。ただ、あのシーンだけ、夏子が関西弁になるのかは、今も分かりません(笑)。

 

──そんな夏子役に抜擢されますが、未亡人が野球を始める怒涛の展開や「私は野球だ」といった謎セリフばかりで、不安ではなかったですか?

 

森山 台本を読んでも、完全に置いてきぼりでしたから不安でした。何度読んでも分からないんです(笑)。オーディションに合格して、カフェで小野監督と堀さんと一度打ち合わせをしたときも正直悩んでいました。でも、そのとき、お二人が1シーンずつ、丁寧に説明されている姿が、すっごく楽しそうだったんですよ。爆笑しながらキャッキャッしているのを見ているうちに、「もう全部お任せします。私を好きに使ってください」と、心に決めました。

──ちなみに、夏子の役作りとして、小野監督から勧められたマンガや映画は?

 

森山 小野監督から「こういう雰囲気で!」と事前に渡されたのは、野球マンガの「逆境ナイン」だけ。「野球狂の詩」の水原勇気に関しては、作品を観た方がSNSでつぶやかれていたので、映画版を先週初めて観ました。ただ、撮影前に「感情チャート表」というものをいただいたんです。そこには「それぞれのキャラクターがどんなことを考えているのか?」「それを観たお客さんがどう思うか?」「その演出の意図とは?」といったことが、シーンごとに書かれていたので、それを基にしてやるしかなかったです。考えてしまったら終わりですし(笑)。あと、小野監督が撮りたい画が定まっているのは分かっていたので、私はそれを体現すればいいかと委ねました。

 

英語で歌うミュージカルシーンは自分で振り付けしました

──劇中、夏子は未亡人なのに喪服は着ず、魔球養成ギプス(重野ギプス)を付け、鬼監督・重野の猛特訓を受けることになります。

 

森山 個人的に和装は好きなので、喪服は着たかったですね。あのギプスは、ただの針金をぐるぐるにして作ったものなので、一度ボールを投げると針金がびよーんと伸び切ってしまうんです。それでカットがかかるたび、元に戻さないといけないですし、パーツもよく取れてしまうし、針金が皮膚にめり込んでくるし、とにかく大変でした。特訓といえば、高校は陸上部だったのですが、11人いた同期が1年間で2人になるほど、女性の顧問がめちゃくちゃ厳しかったんです。残ったうちの1人が私ですが、どこか顧問に怒られるのが嬉しい気持ちになっていたこともあり、重野ギプスによって、体を縛り、心を開放する夏子の気持ちは、分からなくもなかったです(笑)。

↑映画「野球どアホウ未亡人」より

 

──夏子がすぐに押し入れに飛び込んでしまうシーンも印象的です。

 

森山 夏子はイヤなことがあると、すぐに飛び込んでしまうんですが、一度だけ足で戸を締めるんですよ。あれは私が勝手に現場で生み出したものが採用されました。夏子が被る野球帽も、最初は浅めだったのに、野球に没頭するにつれて深めに被るということを勝手にやって、小野監督に採用されました。

↑映画「野球どアホウ未亡人」より

 

──英語詞の挿入歌を歌って踊る『鴛鴦歌合戦』オマージュなミュージカルシーンに加え、エンドロールに流れるシンボル・テーマ曲も歌われています。

 

森山 台本には「決闘に向かって歩く夏子」しか書いてなかったのですが、後になって小野監督が「このシーンで歌ってもらっていいですか?」と言われて、「いいですよ」と承諾したら、歌詞が英語でした(笑)。しかも、「ミュージカルにしたいので、その日までに歌詞を覚えてきてください」と。それで、当日現場に行ったら、傘だけ渡されて、「森山さんにお任せします」と言われたので、自分で振り付けしました。シンボル・テーマ曲を歌うことは、撮影後にお願いされましたが、最初は1コーラスしかなかったのに、いつの間に2コーラス目も出来て、気づけば歌っていました。

 

水原夏子と出会えて良かったです

──そういう小野監督の謎の策略もあり、『時をかける少女』の原田知世さんも思い起こさせる森山さんのアイドル映画としても仕上がっています。ご自身の感想は?

 

森山 自分の芝居を観るのはなかなかキツいのですが、初見のときは「これで大丈夫なのか?」という気持ちでした。それが「小野監督の言ったとおりやったので、これでいいに違いない」になり、公開されて劇場で観るうちに、「これはめちゃくちゃ面白い……かもしれない」と思うようになりました。私も「どアホウ」側に洗脳されているような気がします。私自身は大衆受けする顔だとは思っていないですし、皆さん「水原夏子」というキャラクターのファンになってくださっているので、その空気感は今後も大切にしていきたいです。

↑映画「野球どアホウ未亡人」より

 

──名古屋・大阪での公開が始まり、さらに東京での凱旋公開と、今後「どアホウ」現象は全国に広まっていくと思われます。

 

森山 今、こんな生きづらい世の中なので、こんな謎のパワーが秘められた映画を観ることで、頭を真っ白にして、少しでも「どアホウ」になってもらえたらと思います。すでに、ご覧になられたお客さんは、どんどん「どアホウ」になっていますから(笑)。

──女優としての今後の希望や展望を教えてください。

 

森山 ここまで振り幅の大きい役をやらせていただいて、とても楽しかったですし、それをいろんな方に観ていただけることは、森山みつきのいろんな可能性を見ていただけることでもあるので、水原夏子と出会えて良かったです。ただ、今回は1つの役にすぎないので、これを深めていくことが、今後の私の課題のような気がしています。そして、より闇深い人間を演じられたらいいですね(笑)。

 

──いつも現場に持っていくグッズやアイテムを教えてください。

 

森山 がま口です。もともと和柄が大好きで、和の伝統文化コースを専攻していた大学の卒業論文も、麻の葉模様について書いているんです。その影響もあって、財布や化粧ポーチも、全部がま口。それを大きなバッグに入れて持ち歩いているんですが、そのバッグもがま口だったりもします。

↑森山さんのがま口の一部。がま口専門店にもたびたび訪れるという

 

 

野球どアホウ未亡人

9月22日(金)より、愛知県・刈谷日劇にて、9月30日(土)より大阪シアターセブンにて公開。今秋より池袋シネマ・ロサにて、凱旋上映も決定!

【映画「野球どアホウ未亡人」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:小野峻志
脚本:堀雄斗
プロデューサー:堀雄斗
出演:森山みつき 井筒しま 秋斗 工藤潤矢 田中 陸 関 英雄 柳涼 藤田健彦

(STORY)
夫の賢一(秋斗)が亡くなり、草野球チーム「多摩川メッツ」の監督である重野(藤田健彦)に野球の才能を見いだされた夏子(森山みつき)。賢一の残した借金を返済するため、草野球の投手を務めることになった彼女は、重野からの激しい特訓を重ねるうちに、野球の快楽性にとりつかれる。さらに、義妹の春代(井筒しま)やプロ野球スカウトマンの古田(工藤潤矢)ら一癖も二癖もある人物に囲まれ、夏子は歩みを進めていく。

公式Twitter:https://twitter.com/ONOKANTOKU

 

撮影/金井尭子 取材・文/くれい響

吉岡里帆「全てを知らなくても、その先に築いていける関係性もあると思う」連続ドラマW湊かなえ「落日」

湊かなえ氏が作家生活10周年の節目として書き下ろしたミステリー小説「落日」がWOWOWで連続ドラマ化。9月10日(日)午後10時より放送・配信する。吉岡里帆さんは過去にトラウマを抱える新人脚本家・甲斐真尋を演じている。北川景子さん演じる新進気鋭の映画監督・長谷部香と女性二人が手を取り合い、心の傷を克服する姿を美しく感じたという吉岡さんが役作りや北川さんの印象について語ってくれた。

 

吉岡里帆●よしおか・りほ…1993年1月15日生まれ、京都府出身。2015年、NHK連続テレビ小説「あさが来た」で注目を集める。2023年、主演映画『ハケンアニメ!』で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。現在公開中の映画「Gメン」でのコメディエンヌぶりも話題を呼んでいる。10月10日(火)スタートの主演ドラマ「時をかけるな、恋人たち」、10月13日(金)公開の映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」、12月1日(金)公開の「怪物の木こり」にも出演。Instagram

【吉岡里帆さん撮り下ろし写真】

香と真尋、二人のキャラクターの対比みたいなものを一番意識して演じました

──原作は湊かなえさんの小説です。お読みになった感想はいかがでしたか。

 

吉岡 湊かなえさんの原作小説は、北川景子さん演じる長谷部香と私が演じた甲斐真尋という対照的な二人が手を組んだことにより、トラウマを乗り越え、希望を見いだしていくという構図になっています。原作を読んで、その人間関係がとても素敵だなと思いました。一見相反する二人だけれど、心の奥底で繋がっていて、過去の出来事から負ってしまった心の傷と戦いながら、それでも前を向いていたいという思いを捨てずに進んでいく。その姿がとても美しく感じたので、真尋を演じる上でもそういうところを意識しました。

 

──真尋は今まで吉岡さんが演じてこられなかった役柄のような印象があります。

 

吉岡 真尋は過去にあった出来事を乗り越えられず、すごく後ろ向きなキャラクターなんです。そこから北川さん演じる女性監督の香に引っ張り上げられて、救い出してもらうような人間なので、人に影響を受けて前向きになっていく過程を大事に演じました。北川さんが演じる香は強さやかっこよさ、包容力を持ったキャラクターであるのに対して、私が演じた真尋は、弱くて前に進めず、同じ場所で停滞している。二人のキャラクターの対比みたいなものを一番意識して演じていました。

 

香に自分の話をする真尋のシーンは研究しがいのあるシーンだと臨みました

──過去にトラウマを抱える役なので演じていて苦しかったことはありましたか。

 

吉岡 真尋がトラウマを抱えていることを香に初めて見抜かれるシーンがあって。香は監督なので会話する相手の心の状態など、深いところを聞いてくるんです。「どういう状況だったの」「あのときはどう思っていたの」みたいに香に問い詰められて、真尋は答えたくないのに答えてしまう。真尋が諦めたように自分の話をするシーンだったので、怖かったし、緊張感もありました。

 

──自分自身が向き合ってこなかった部分をさらけ出すとも言えるシーンですが、どんな気持ちで演じられましたか。

 

吉岡 限られた時間の中で一番ピークまで感情を持っていくのが本当に難しくて。子供の頃のトラウマを大人になってから話すことになるので、真尋が溜め込んできた時間みたいなものをイマジネーションする作業というか。なので苦しいという気持ちもありましたし、人がずっと隠してきたものを吐露するときってどういう感じなんだろうって、研究しがいのあるシーンだなって思って臨みました。

 

──そもそも「知る」ということについて積極的ではない真尋が、どうして脚本家になったんだろうって思いました。

 

吉岡 個人的に思ったのは、何かを書く仕事って、世の中に発信できるエネルギーに溢れている人だけが書いているわけじゃないと思うんです。真尋は自分が思っていること、抱えていることを言えなかったり、表立って自分というものを出さなかったりするからこそ「書く」ということにたどり着いたのかなと解釈しています。真尋は全然才能がないと言われるところから物語がスタートするのですが、それでも辞めないということは、彼女は書くことに救われているのかなって。文字の世界にいることで安心感を覚えたりもしているんじゃないかって思いました。

 

人間の関わり合いの優しさをすごく細かく演出されているように感じる

──内田英治監督とはいつかお仕事をしたいと思っていらっしゃったそうですね。

 

吉岡 仲が良いヘアメイクさんが内田組も担当されていて、「素晴らしい監督さんなので、いつか一緒にお仕事をしてみてほしい」と何度かおっしゃっていて。それで興味が湧いて、そのヘアメイクさんと一緒に「ミッドナイトスワン」を映画館に観に行ったら、あまりにも素晴らしい映画で本当に心が震えました。トランスジェンダーの凪沙と親戚の女の子がだんだんと本当の母と娘のようになっていくんですが、内田監督って相容れない二人が出会ったときの科学反応みたいなものを、本当に優しく撮る方なんだなと感じたんです。人間の関わり合いの優しさをすごく細かく演出されているように感じて、私はそこに惹かれました。

 

──過去と向き合うために映画を撮ろうとする香と、過去となかなか向き合うことができない真尋、相容れない二人という点では共通しているのかもしれませんね。

 

吉岡 企画書をいただいたときに、湊かなえさんが描く対照的な女性二人の様が共通しているなって思いました。「ミッドナイトスワン」を見たときも、二人だけの狭い世界で、お互いを思いやるお話だったので、「落日」も二人の小さな世界かもしれないけど、丁寧に表現できるのかなと思うととても楽しみでした。

 

「かわいいです、北川さん!」と思う瞬間がたくさんありました

──実際に内田監督とご一緒していかがでしたか。

 

吉岡 印象に残っているのが、内田さんは現場の座組をとても信じている人なんだなということです。現場で出たアイデアを否定せず、「なるほど、そういうのもあるね」って取り入れて撮ってみるというのを何度かお見かけしたので、スタッフの皆さんを信じていらっしゃるんだなと。そして私たち役者のことも信じてくださっているのを感じて、素敵な監督さんだなって思いました。

 

──北川さんの印象を教えてください。

 

吉岡 本当に美しくて優しくて、包容力があって面白くて。一緒にいるのが本当に楽しくて、撮影中は幸せでした。お芝居に関しては二人で「こうしよう」と話し合って作るというより、現場にいて自然に出てきたという感じでした。

 

──一緒にお芝居をして、驚いたことや意外だったことはありましたか。

 

吉岡 初めは北川さんが美しすぎて緊張していたんですけど、気さくに話してくださって。北川さんってこうクールビューティーで、かっこいい女性のイメージが強かったんですが、お話をするととてもかわいらしいチャーミングな一面をたくさん見ることができました。失礼かもしれませんが、「かわいいです、北川さん!」と思う瞬間がたくさんありました(笑)。

 

踏み込まれたくないだろうなと感じたらそれ以上は絶対に踏み込まないように

──香と真尋の“真実”に向き合う姿が描かれていきますが、吉岡さんご自身は真実を積極的に知りたいと思うほうですか。それとも隠された真実なら暴かなくてもいいかなと思いますか。

 

吉岡 ラジオ番組のパーソナリティーをやっているんですが、インタビュアーの立場になるので、相手が話したくないだろうな、ここは踏み込まれたくないだろうなって少しでも感じたらそれ以上は絶対に踏み込まないようにします。全てを知らなくても、その先に築いていける関係性もあると思うので。

 

──ではここからは「モノ」に関する質問をさせてください。今ハマっている「モノ」を教えてください。

 

吉岡 マネージャーさんが3年前の誕生日にプレゼントしてくださったパナソニックのスチーマーです。精製水だけじゃなくて化粧水の蒸気が出せるスチーマーで、めちゃくちゃ気に入っています。しっかり保湿もできるのでずっと愛用しています。

 

──普通に化粧水を塗るだけとは違いますか。

 

吉岡 お風呂に入った後に使うんですが、浸透力があって潤う感じがします。

 

──美容家電はお好きなんですか。

 

吉岡 美容家電好きですね。かっさも使っています。電動であったかくなって、マッサージにめちゃくちゃいいんです。私は足がむくみやすいので、テレビを見ながらかっさで足をマッサージしています。最近新しいのが出たみたいで、それも気になっています(笑)。

 

──気に入ったら長く愛用するタイプですか。

 

吉岡 そうですね。買うときにすごく考えて、めちゃリサーチして電気屋さんを回って購入するので、1回買ったらずっと大事に使います。

 

──口コミを見てネットショッピングじゃなく、実際に店頭で商品を見られるんですね。

 

吉岡 そう、店舗に行って見ます。実物を見て、見た目、触り心地の良さを確かめて、「本当のところどうですか?」って店員さんにお話を伺います(笑)。そうすると親身に答えてくださって、「今こういうのを打ち出していますけど、個人的にはこれをめちゃくちゃ推しています」みたいな話をしてくださるんですよ(笑)。

 

連続ドラマW 湊かなえ「落日」

9月10日(日)スタート(全4話)
毎週日曜午後10:00 放送・配信(第1話無料放送)

【連続ドラマW 湊かなえ「落日」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
原作:湊かなえ『落日』(ハルキ文庫刊)
監督:内田英治
脚本:篠﨑絵里子
出演:北川景子 吉岡里帆 久保史緒里(乃木坂46) 高橋光臣 宮川一朗太 真飛 聖 / 竹内涼真 黒木 瞳 ほか

(STORY)
初の監督作品で国際的な評価も得た新進気鋭の映画監督・⻑⾕部⾹(北川)は新人脚本家・甲斐真尋(吉岡)に、映画の脚本の相談を持ちかける。その基となるのは、15年前、 引きこもりの男性・⽴⽯⼒輝⽃(⽵内)が⾼校⽣の妹・沙良(久保)を自宅で刺殺後、放⽕して両親も死に⾄らしめた“笹塚町⼀家殺害事件”。そして事件が起きた⼩さな町・笹塚町は真尋の⽣まれ故郷でもあった。真尋の師である人気脚本家・大畠凜⼦(⿊⽊)は、真尋の背中を押す⼀⽅、この事件に興味を⽰し……。

さらに、この事件を追うことは、⾹と真尋それぞれが抱える“ある過去”とも向き合うことも意味していた。判決も確定しているこの事件を、⾹はなぜ撮りたいのか。真尋はどう向き合うのか。事件を調べていくうちに、衝撃の真実にたどり着く。

 

撮影/映美 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/北原果(KiKi inc.) スタイリスト/安藤真由美(スーパーコンチネンタル)

猪塚健太「『今日俺』メンバーも集まった笑い声が絶えない現場でした」映画『禁じられた遊び』

『リング』『スマホを落としただけなのに』シリーズの中田秀夫監督が橋本環奈さんと重岡大毅さん(ジャニーズWEST)を主演に迎え、同名ホラー小説を映画化した『禁じられた遊び』(9月8日(金)公開)。劇中、怨霊モンスター“美雪”に立ち向かう霊能者・大門の助手・黒崎をクールに演じる猪塚健太さんが、独特なキャラ作りについてや大門役のシソンヌ長谷川さんとの“笑える”エピソードを語ってくれました。

 

猪塚健太●いづか・けんた…1986年10月8日生まれ。愛知県出身。主な出演作に、映画『娼年』(18年)、『今日から俺は!!劇場版』(20年)、『劇場版ポルノグラファー~プレイバック~』(21年)、『極主夫道 ザ・シネマ』(22年)、『バイオレンスアクション』(22年)、『劇場版 TOKYO MER~走る緊急救命室~』(23年)などがある。X(Twitter)Instagram

【猪塚健太さん撮り下ろし写真】

“見せ場”もしっかりいただき、とても気合が入っていました

──念願の中田組に初参加された猪塚さんですが、幼い頃の恐怖体験の思い出は?

 

猪塚 小学生の頃、自分ではやらなかったですが、周りではこっくりさんが流行っていました。あと、世代的に『学校の怪談』が流行っていて、それを観たことで、「夜の学校に忍び込んで、音楽室の肖像画を見に行こうぜ!」みたいなことを言ったりしていました(笑)。

 

──今回演じられた黒崎の役作りについて教えてください。

 

猪塚 黒崎は霊媒師・大門先生の弟子という、キッチリした役割があるキャラクターですし、怨霊と対峙する“見せ場”もしっかりいただき、とても気合が入っていました。感情を表に出さないキャラということで、衣装は黒に統一することになり、髪の色に関しては、諸事情で途中から金髪になったのですが、結果的に金髪の方がよかったと思いました。

──猪塚さん自身が考えられた黒崎のキャラは?

 

猪塚 原作の黒崎に比べると、やはり僕と風貌が違うので、映画ならではの黒崎にしたいと思いました。なので、黒崎自身もしっかり霊能力を持っていて、自分より能力を持っている大門先生をリスペクトしていることを大切に演じようと思いました。

 

日本刀に日本酒を吹きかけるシーンは一発で決めました!

──また、黒崎が武器の日本刀を手にした際のさまざまなポーズは、どのように考えられたのでしょうか?

 

猪塚 中田監督やプロデューサーさんと一緒に、日本刀を使ったときに、一番かっこよく見えるポージングを考えました。そして、撮影の直前で決まったものをやりました。黒崎が日本刀に日本酒を吹きかけるシーンに関しては、しっかり台本のト書きに書いてあったので、自宅で何度も練習して、一発で決めました! 僕も満足していますし、中田監督も大喜びしてくださり、とてもよかったです。

 

──師匠である大門を演じられたシソンヌ・長谷川 忍さんの印象は?

 

猪塚 長谷川さんとは『今日から俺は!!』の先生役で共演して以来でしたが、久々に衣装合わせでお会いしたときに、「“臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前”と、2人で九字の呪文を唱えるシーンで、俺は自分のペースでやるから、猪塚くん頼むから、それに合わせてよ!」というリクエストがあり(笑)。弟子役なので、どんなペースでも合わせる覚悟でしたが、これも本番一発で成功しました。ト書きには「大門はいかにもうさん臭そうな」と書いてあったのですが、私服にハイブランドのTシャツを着たり、そのまんま体現してくださって、さすがでしたね(笑)。

──そのほか、中田組での撮影エピソードを教えてください。

 

猪塚 比呂子役の橋本環奈さんは、驚き顔や怖がり顔ばかりで大変だったと思いますが、カットがかかれば、いつものように大笑いされていて……。環奈さんも『今日俺』メンバーでしたし、常に笑い声が絶えない現場でした。「ホラー映画って、自分に合っているかも?」と思うぐらい楽しかったです。

 

驚くような結末が用意されています

──完成した作品の観たときの感想や見どころを教えてください。

 

猪塚 包丁をブンブン振り回す堀田真由さんの取りつかれ具合がすごかったです。あと、新納慎也さんの気持ち悪さもよかったですね。僕、ホラー映画が得意ではなく、今まで劇場で観たことがなかったんです。でも、この映画は「怖い!」よりも「面白い!」が勝っていて、僕みたいにホラーが苦手な人でも楽しめると思いました。

 

──ちなみに、本作ではどんな新しい猪塚さんが観られると思いますか?

 

猪塚 最近、頻繁に悪い役をやらせてもらっているというか、「娼年」以来、そういう役を自分からやりたいと言い続けているんです。それは、クセが強いキャラの芝居を勉強していくことで、僕が役者として求められる幅が広がっていくと思ったからなんです。「TOKYO MER~走る緊急救命室~」の目黒みたいな役もいただいているんですが、今回は原点回帰じゃないですが、ヒーロー要素もある役をやらせていただいたと思っています。驚くような結末が用意されていますし(笑)、新鮮な気持ちで観てもらえるんじゃないかと思います。

 

──現場によく持っていくモノやアイテムについて教えてください。

 

猪塚 仙台の皮工房「J’s LEATHER」の台本ケースです。去年の誕生日にマネージャーさんたちからいただいたもので、それまでは台本ケースを使っていなかったんです。皮製なので、使えば使うほど、いい味が出てくるんですが、マネージャーさんも「この中に入る、いい仕事がたくさんできるよう頑張っていこう」という熱い思いも込められているんです。なので、これを使っていることで、気合が入ります!

↑愛用の台本ケースを手に。もちろん「禁じられた遊び」の撮影現場でも使用

 

 

禁じられた遊び

9月8日(金)より全国公開

【映画「禁じられた遊び」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:中田秀夫
原作:清水カルマ
脚本:杉原憲明
出演:橋本環奈 重岡大毅(ジャニーズWEST)
堀田真由 倉 悠貴 正垣湊都 猪塚健太 新納慎也・MEGUMI 清水ミチコ
長谷川 忍(シソンヌ) ファーストサマーウイカ

(STORY)
愛する妻・美雪(ウイカ)と息子・春翔(正垣)と共に幸せな生活を送っていた直人(重岡)。だが、突然の悲劇が一家を襲い、美雪は帰らぬ人に……。直人の元同僚の映像ディレクターの比呂子(橋本)は、直人の家で庭の盛り土に向かって、呪文を繰り返し唱え続ける春翔の姿を発見。その呪文は春翔の他愛ない質問に、直人が冗談で教えたものだったが、子どもの純粋な願いは恐ろしい怪異を呼び覚まし、比呂子と直人に襲いかかる。

(C)2023映画「禁じられた遊び」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

ファーストサマーウイカ「『売れてやる!』と必死だったときの嫉妬心と眼力を役作りに生かしました(笑)」映画『禁じられた遊び』

『リング』『スマホを落としただけなのに』シリーズの中田秀夫監督による『禁じられた遊び』(9月8日(金)公開)で、不慮の事故死から怨霊として蘇る“最凶モンスター”美雪を演じるファーストサマーウイカさん。毒舌キャラでブレイクしたバラエティ番組はもちろん、来年の大河ドラマ「光る君へ」など、女優としても大躍進の彼女が挑んだ渾身の役作りについて聞きました。

 

ファーストサマーウイカ…1990年6月4日生まれ。大阪府出身。2013年に、BiSメンバーとしてメジャーデビュー。翌年解散後、19年までBILLIE IDLE(R)のリーダーとしてライブを中心に活動した。現在ではバラエティやドラマ、ラジオなど多岐にわたり活躍している。最近の主な出演作は日本テレビ「ファーストペンギン!」(2022)、NHK「超人間要塞ヒロシ戦記」(2023)、テレビ朝日「unknown」(2023)、映画『私はいったい、何と闘っているのか』(2021/監督:李闘士男)など。ドラマ「シッコウ!!~犬と執行官と私~」(テレビ朝日系)に出演中。2024年大河ドラマ「光る君へ」では清少納言役での出演が控える。X(Twitter)Instagram

【ファーストサマーウイカさん撮り下ろし写真】

 

美雪の気持ちがすごく理解できるんですよ(笑)

──“最凶怨霊モンスター”と呼ばれる美雪役として、出演オファーがあったときの感想は?

 

ウイカ 美雪は『リング』でいうところの貞子のポジションですし、『リング』と同じ中田秀夫監督の新作ということもあり、「本当に私でいいのかな?」という気持ちが頭をよぎりました。しかも、こういう役って、ミステリアスな雰囲気の方が演じることが多いと思うんですが、私はバラエティ番組の印象が強いですし、やけに長いカタカナ名ですし! なので「本当に私でいいんですか?」と確認しました(笑)。

 

──そんな美雪のキャラ作りについては?

 

ウイカ 美雪は生きているときから、いろんなものを抱えていたという悲しいバックグラウンドを汲み取りつつ、地面からよみがえり、這って走って人を襲うパワフルな怨霊なので、私自身は生命力を感じられる気持ちで演じようと思いました。さらに、分かりやすく言えば、年始に売られる福袋を目指して、開店したばかりのデパートを全力疾走する感覚。「どう走ろう?」とか考えずに、本能のまま、狙った獲物を追いかけました(笑)。

──また、美雪の原動力には、重岡大毅さんが演じる夫・直人に思いを寄せた、橋本環奈さん演じる比呂子に対する“嫉妬”が挙げられます。

 

ウイカ 「あの人、あの作品に出られていいなぁ」「あの子、かわいいなぁ」というように、私にとっての原動力というか、嫉妬もガソリンなので、美雪の気持ちがすごく理解できるんですよ(笑)。息子の呪文というきっかけをもらって生き返って、理性や抑圧されたものがない分、彼女の一番の本能が色濃く出たんだと思います。

 

──中田監督の演出はいかがでしたか?

 

ウイカ 事細かくというよりは、イメージの共有みたいなことをしていました。例えば、ビジュアル撮影のときに、「歯を出さない方がいい」とか「ゾンビっぽくならない方がいい」とか話し合ったのですが、監督のこだわりを一番感じたのはネイルの色でした。美雪は指先が印象的に撮られるシーンが多いので、中田監督に「ネイル、どうしますか?」と聞いたら、「黄色のラメで!」と言われたんです。三十路越えた控えめキレイめタイプのファッションの母親が一番選ばない色だと思うんですが、その違和感がよかったらしいんです。私は最後まで、それを理解できませんでしたが、完成した作品を観たら、爬虫類のような気持ち悪い配色になっていて、ゾッとしつつも、納得しました。

 

シンプルに、フィジカルがしんどかった特殊メイク

──怨霊になった美雪の声については?

 

ウイカ 現場でもアフレコでも、いろんなパターンをたくさん録りました。かわいい声を出すより、デスボイスみたいに今にも吐きそうな声を出す方が得意なので、「もうちょっと高く」「もうちょっと低く」みたいに、中田監督の要望に応えさせてもらいました。美雪は三形態以上あるんですが、まるでスタジオで歌録りしているようでした(笑)。

 

──そして、なによりも苦労されたと思われる特殊メイクについては?

 

ウイカ 4人のスタッフさんと一緒に4時間ぐらいかかる特殊メイクでしたが、現場に入った後、エアスプレーで全身真っ白に塗るんですが、汗をかいたら崩れてしまうし、擦れないよう、行動も最小限に留めていました。そして、お風呂に入って落とすのですが、これが1時間半ぐらい。完成した状態で待機して、撮影が1時間で終わるときもあったので、都度ON/OFFできないと言いますか、ONの時間ばかりでした。いい経験をさせてもらいましたが、シンプルに、フィジカルがしんどかったです(笑)。

──重岡さんや橋本さんらとの現場でのエピソードは?

 

ウイカ ホラー映画の現場って、どこかシリアスでピリピリしているのかなという勝手なイメージを持っていたんですが、まるでコメディを撮っているような明るくて、笑いが絶えない現場でした。そもそも中田監督がいつもニコニコしていて、癒し系な方なので(笑)。それに加えて、重岡さんや橋本さんはほぼ一発OKみたいな集中力というかスイッチのON/OFFがすごかったです。森のシーンではキャンプに来たかのように楽しかったのですが、蚊に刺されないようにするのが大変でしたね。

 

──生前から“第六感”も持っていた美雪のように、ウイカさん自身「直感が鋭いかも?」と思われたことは?

 

ウイカ 例えば、スタイリストさんとテレビ番組の衣装を決めるとき、「これは隣の出演者の方と被るかも?」と思って確認してもらうと、本当に被っていたりするんです。あと、大きなお仕事とオーディションが重なって、あえてオーディションを受けたら、落ちてしまったんです。そしたら、今までにないぐらい大きなお仕事が入ってきたりとか、ある分岐点に立たされたときの選択肢から、何かしらの匂いを感じ取れるかもしれません。これを自由自在に操れたら、ホントいいんですが……(笑)。

 

必要とされているものと、自分がやりたいことをかけ合わせる

──2013年にアイドルグループ、BiSのメンバーに新加入してから10年ほど経ちましたが、女優を中心に活躍している現状をどのように捉えていますか?

 

ウイカ 10年前に、BiSの新メンバーとして入ったとき、そのときグループにはいないキャラと私のキャラをかけ合わせれば、新規のファンを得られるんじゃないかと思っていたんです。その後も常に、その場において必要とされているものと、自分がやりたいことをかけ合わせることを考えながら、ここまできた気がします。今回の美雪に関しても、私をオファーしてくださったということは、私が持っている要素を出すのが正解だと思ったので、例えば「なんとか売れてやる!」と必死だったときの眼力を生かしました(笑)。

──主演映画『炎上する君』(公開中)のおさげキャラ・浜中のように、さまざまな役に挑んでいることに関しては?

 

ウイカ 作品ごとの監督やプロジェクトの皆さんに、パブリックイメージから、遠のいた私を見いだしてもらうと言いますか、新しい引き出しを開けてもらっている気がしますし、自分もそれに応えたい気持ちが強いです。「パブリックイメージが素の自分か?」と言われたら、そうとは言い難いんですが(笑)、とにかく楽しいですし、やりがいでもあります。

 

──撮影現場に必ず持っていくモノ・アイテムを教えてください。

 

ウイカ プロのネイリストさんが使っている大きいメイクバッグです。私、メイクに毎回2時間かかるんですが、メイクさんにやってもらうと、その都度、顔が変わってしまうんです(笑)。ファッション誌などでテーマが決まっているときはメイクさんにお任せなのですが、舞台出身だったこともあって、バラエティ番組など、自分として出るときは自分でメイクしています。あまりの重さで、肩が壊れないようにキャリーに入れています。実は今回の美雪のいろんなパターンのアイメイクも、自分でやっているんです!

 

 

 

禁じられた遊び

9月8日(金)より全国公開

【映画「禁じられた遊び」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:中田秀夫
原作:清水カルマ
脚本:杉原憲明
出演:橋本環奈 重岡大毅(ジャニーズWEST)
堀田真由 倉 悠貴 正垣湊都 猪塚健太 新納慎也・MEGUMI 清水ミチコ
長谷川 忍(シソンヌ) ファーストサマーウイカ

(STORY)
愛する妻・美雪(ウイカ)と息子・春翔(正垣)と共に幸せな生活を送っていた直人(重岡)。だが、突然の悲劇が一家を襲い、美雪は帰らぬ人に……。直人の元同僚の映像ディレクターの比呂子(橋本)は、直人の家で庭の盛り土に向かって、呪文を繰り返し唱え続ける春翔の姿を発見。その呪文は春翔の他愛ない質問に、直人が冗談で教えたものだったが、子どもの純粋な願いは恐ろしい怪異を呼び覚まし、比呂子と直人に襲いかかる。

(C)2023映画「禁じられた遊び」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/近藤伊代 スタイリスト/山本絵里子 衣装協力/KLOSET

稲葉友が大いなるお笑い愛を語る「落語やお笑いのラジオは生活の一部」

数々のドラマ、映画、舞台に出演する一方で、ラジオのナビゲーターを務めるなど、幅広く活躍、現在公開中の映画『#ミトヤマネ』では、主人公の玉城ティナさん演じるカリスマ・インフルエンサー・ミトを支えるマネージャーを演じる稲葉 友さん。多趣味で知られる稲葉さんに、生活の一部となっているお笑いラジオと落語についてや、『#ミトヤマネ』の撮影エピソードなどを伺いました。

 

稲葉 友●いなば・ゆう…1993年1月12日生まれ、神奈川県出身。2010年、ドラマ『クローン ベイビー』(TBS)にて俳優デビュー後、数々のドラマ、映画、舞台に出演。主な映画出演作に、『春待つ僕ら』(18)、『この道』(19)、『シライサン』(20)、『ずっと独身でいるつもり?』(21)、 『恋い焦れ歌え』(22)、『よっす、おまたせ、じゃあまたね。』(23)など。毎週火曜22:00~放送のドラマ10『しずかちゃんとパパ』(NHK)に出演中の他、毎週水曜24:30~放送の『みなと商事コインランドリー2』(テレビ東京)に出演中。毎週金曜11:30~生放送中のJ-WAVE『ALL GOOD FRIDAY』にてナビゲーターを務める。公式HPX(Twitter)Instagram

【稲葉 友さん撮り下ろし写真】

落語と音楽は通じるものがある

──稲葉さんは落語をよく聴くそうですが、いつ頃から聴き始めたんですか。

 

稲葉 聴き始めたのは20歳そこそこです。きっかけは役者の先輩で、演劇界の人たちが集まって落語をやるみたいな企画があって、それを何回か観に行って、落語って面白いなと思ったんです。そこからYouTubeやサブスクなどで落語を聴き漁るようになって、新宿末廣亭などの寄席にも行くようになりました。その流れで、神田伯山先生がYouTubeチャンネルに長尺の講談を上げていらっしゃるので、講談も聴くようになりました。

 

──好きな噺家はどなたでしょうか。

 

稲葉 僕は現役でバリバリやられている噺家に惹かれるのですが、特に柳家三三師匠と柳家喬太郎師匠が大好きです。正統派の三三師匠と、新作も古典も組み合わせて今っぽい笑いをやる喬太郎師匠と、それぞれ芸風が違っていて、落語を聴いたことがない方は、まずお二人を聴いてほしいですね。

 

──おすすめの演目は何でしょうか。

 

稲葉 三三師匠だと「壺算」(つぼざん)、喬太郎師匠だと「転失気」(てんしき)ですね。お話で好きなのは「井戸の茶碗」。あとは「寿限無」(じゅげむ)や「金明竹」(きんめいちく)などの前座噺は、噺家さんによってオチも尺も変わるので、それを聴き比べるのも楽しいです。

──稲葉さんは音楽もお好きですが、落語のリズムは音楽に通じるものがありますよね。

 

稲葉 そうですね。落語は実際に演じている姿を見ながら聴いたほうが面白いんですけど、耳だけで聴いても楽しいんですよね。それは音楽と通じるところがあります。個人的に小説を耳で聴こうとは思わないんですが、落語だと物語を耳から取り入れる楽しさがあるんですよね。

 

──どういうシチュエーションで落語を聴くことが多いですか。

 

稲葉 いろいろあるんですが、掃除や料理などをしながら落語を聴くと、楽しく家事ができるので、音楽の使い方に近いかもしれません。あと移動中、寝たいときに聴くことも多いです。初めて聴く話だと面白くなって目が覚めてしまうんですけど、聴きまくっている話だと心地よくて誘眠効果があるんです。

 

同世代の芸人が活躍しているのが楽しくてしょうがない

──稲葉さんはお笑い鑑賞も好きなんですよね。

 

稲葉 めちゃめちゃ好きです。最近はなかなか行けなくなりましたが、10代後半から20代前半は、よく劇場にも足を運んでいました。もちろんお笑い芸人の方のラジオも聴きますし、YouTubeでネタ動画を見漁っています。M-1グランプリの予選が始まると、「この季節か」と思いますし、1回戦から見ています。お笑いは同業他社だけど、フラットに楽しめる数少ないコンテンツというか。映画、ドラマ、舞台を見るのも好きなんですけど、どうしても「自分だったらどうするんだろう」みたいな感じで、俳優として見てしまうところがあるんですよね。その点、お笑いはただただ楽しめますから。

 

──劇場まで見に行くのは相当なお笑い好きですね。

 

稲葉 きっかけとしては、地元の友人がコンビでお笑いの養成所に入ったんですよ。もう解散したパンプアップというコンビなんですけど、すでに僕もお仕事を始めていたので、彼らの出るライブを見に行った流れで、頻繁に行くようになりました。パンプアップの同期がオズワルド、コットン、空気階段など、ちょうど賞レースで結果を出している世代なんです。当時見ていた芸人さんが活躍されているので楽しくてしょうがないですね。

 

──芸人さんのラジオだと、どういう番組を聴いているんですか。

 

稲葉 あんまり聴く番組の数が増えると消化できないので、「このラジオは一旦卒業だな」とか自分の中で入れ替え戦をするんですけど、外せないのは『マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0(ZERO)』と『ハライチのターン』です。ポッドキャストやネットラジオアプリもよく聴いていて、最近だとマユリカ、ぱーてぃーちゃん、春とヒコーキが好きです。面白い人たちの面白い話を、無料で聴けるなんてことがあっていいのだろうかと思いながら聴いています(笑)。

──ご自身もラジオをやっているから、芸人さんのラジオを聴き始めたところもありますか。

 

稲葉 まさに僕は自分がラジオを始めてから、ラジオを聴くようになったんです。こんなに面白いことをラジオでしていたんだという衝撃があって、芸人さんの日本語の選び方や言葉のスピード感は勉強になります。

 

──芸人さんのYouTubeはどうですか。

 

稲葉 けっこう見ますね。気にかけて見ているのは、ぱーてぃーちゃん、霜降り明星、ママタルト、春とヒコーキ、あたりですね。ぐんぴぃ(春とヒコーキ)さんの「バキ童チャンネル」なんて最高です。

 

──お忙しい中、よく見る時間がありますね。

 

稲葉 落語と一緒で集中して見るとかじゃなくて、ご飯作るぞとか、移動するタイミングで見たり聴いたりするころが多いですね。

 

──生活の一部なんですね。よく料理はされるんですか?

 

稲葉 コロナ禍で外食や人とご飯を食べる機会が激減したことによって、外に出ること自体が僕の中でイベントになっちゃったので、ベースが自炊になりました。自炊だと、好きな料理を好きな量、好きな品数だけ食べられるのもありますし、外食の感動も増すんですよね。

 

──感動が増すというと?

 

稲葉 自分が作ったことのない料理や、初めての味に出会ったときって嬉しいじゃないですか。それって自炊との相乗効果だと思うんです。あと外食で出会った料理を忠実に再現するのは難しいですけど、何となくこうしているのかなとか、こういう組み合わせはありなんだとか、新しい発見も多いんですよね。

 

──料理がお好きなんですね。

 

稲葉 野菜を刻むとか、日持ちしそうな食材を小分けにして仕舞うとか、一連の作業が好きなんです。その間にラジオや落語も聴けますし、ストレス解消にもなるんですよね。

 

SNSの存在が当たり前になった今の日本が詰め込まれている映画『#ミトヤマネ』

──現在公開中の映画『#ミトヤマネ』で、主人公の玉城ティナさん演じるカリスマ・インフルエンサー・ミトを支えるマネージャーの田辺キヨシを演じています。初めて脚本を読んだときの印象はいかがでしたか。

 

稲葉 今の日本のSNSが過渡期なのか全盛期なのかは分からないですが、SNSの存在が当たり前になった今の日本が詰め込まれているなと感じました。物語も登場人物たちの価値観も多面的で、年月が経って見たときに、2023年の映画だなと感じられるような作品だなと思いました。

 

──インフルエンサーにはどんなイメージを抱いていますか。

 

稲葉 僕自身はインフルエンサーから何がしかの情報を得ることはあまりないんですけど、職業として確立されていて、生計を立てる手段でもあるし、そこから有名になって芸能界デビューするルートの一つでもあるのかなと。

──田辺を演じる上で、どんなことを意識しましたか。

 

稲葉 僕がお仕事を通して見てきたマネージャーさんは、わりと控えめというか、あまり目立たない格好をして、タレントがいるときは、ちょっと下がっているみたいな方が多い印象でした。ところが、田辺は自分の着たい服を着て、自分のしたい髪型やメイクをして、ネイルもしてと、自己主張の激しいタイプ。そういう格好ができちゃう人だから、こういう性格で、こういう話し方やテンション感になるだろうなとイメージしていきました。きっとマネージメントをしているのはミトだけじゃないから、誰に対してもフラットに接して、それでいて仕事はきっちりやるというギャップもあって演じやすかったです。

 

──宮崎大祐監督の演出はいかがでしたか。

 

稲葉 下読みをしたタイミングで、「この役は、どういう人間ですかね?」みたいな話をして、「こういう話し方はどうですか」というご相談はあったんですが、現場ではヒップホップの話ばかりしていました(笑)。フラットにそういうお話ができるということは、ちょっとした疑問があったときにもコミュニケーションが取りやすいんですよね。

 

──独創的な映像や構成が印象的でした。

 

稲葉 初めて完成した作品を見たときに、脚本を読んだだけでは想像しえなかったものが見事に映像化されていて、宮崎監督の頭の中がぎっしり詰め込まれているなと。音楽や映像の使い方はもちろん、カット割りなども独特なんですけど、撮影しているときに違和感はなくて。自分が出演しているというのもありますが、こういう切り取り方をするんだ、こういう組み合わせで、こういう繋ぎ方をするんだと面白い映画体験でした。僕は自分が出ている作品は落ち着いて見られないほうなんですけど、この映画はさまざまな要素が詰め込まれていて普通に楽しめました。

──玉城さんの印象はいかがでしたか。

 

稲葉 カリスマっぽいイメージがあったので、ミトにぴったりだなと思っていたんですけど、実際の玉城さんは気さくで、とっつきやすい方なんですよね。たくさん言葉を知っているから、どういう話を振っても、会話が弾むのも面白かったです。

 

──ミトの妹・ミホを演じた湯川ひなさんの印象は?

 

稲葉 ひなちゃんは過去に舞台でご一緒する機会があったんですが、ちょうどコロナ禍で公演中止になってしまったんです。1週間だけ稽古はしたので、お互いのお芝居は見たんですけど、あまりお話する間もなくて。今回、お久しぶりということで、挨拶に行こうとしたら、「私のこと覚えているかな……?」という表情をしていたんです(笑)。人と慣れるまでに時間がかかるタイプなのかなと思っていたんですが、撮影に入ると、よどみなく話すようになって。ところが本作の試写で久しぶりに会ったら、また距離があるなと感じて、親戚の子みたいな感じがあります(笑)。お芝居面では、すごく吸引力があって、筋道を通して演じる足腰のしっかりした方で。ひなちゃん本人のかわいらしい人間性と俳優としての強さのギャップが素敵でした。

 

──最後に映画の見どころをお聞かせください。

 

稲葉 一筋縄ではいかない作品ではあるんですけど、映画好きの方でも、長い映画を見慣れていない方でも、見やすい作品だと思いますし、実際のテンポ以上に圧倒的な疾走感と緩急を感じられます。人それぞれ、どこにポイントを置くかで見え方も違ってくる作品で、映画の体験として本当に楽しいので、ぜひ映画館で映像と音楽を浴びていただきたいです。

 

 

(C)2023 映画「#ミトヤマネ」製作委員会

#ミトヤマネ

絶賛公開中

(STAFF&CAST)
脚本・監督:宮崎大祐
配給:エレファントハウス

出演:玉城ティナ
湯川ひな 稲葉 友
片岡礼子 安達祐実 筒井真理子

(STORY)
主人公の「ミトヤマネ」(玉城)は絶大な人気を誇るカリスマ・インフルエンサーで、日々さまざまなSNS投稿をして生活を送っている。そんな姉を陰で支えているのは妹のミホ(湯川)だ。そんなある日、ミトが所属しているインフルエンサー事務所のマネージャー(稲葉)から、「ディープ・フェイク」アプリとのコラボ案件を持ちかけられる。アプリは大人気となり、世界中の至る所にミトの顔が拡散された。一方、ミトの顔を悪用する者も次々と現れる。そんな状況すら自分の人気につながると喜ぶミトであったが……。

公式サイト:https://mitoyamane.jp/
公式Instagram:https://www.instagram.com/mitoyamane/
公式Twitter:https://twitter.com/mitoyamane

(C)2023 映画「#ミトヤマネ」製作委員会

 

 

撮影/武田敏将 取材・文/猪口貴裕 ヘアメイク/速水昭仁(CHUUNi) スタイリング/添田和宏 衣装協力/メアグラーティア、ヨハン シルバーマン、ティグル ブロカンテ、フラグスタフ、リプロダクション オブ ファウンド、スキャット

玉袋筋太郎の心をわしづかみ! バンドと魚屋の二刀流・森田釣竿の「サカナ愛」に迫る!!

〜玉袋筋太郎の万事往来
第28回「泉銀」店主・森田釣竿

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第28回目のゲストは、千葉県浦安市の鮮魚店「泉銀」(いずぎん)の3代目店主であり、魚と海をテーマにした世界で唯一のフィッシュロック・バンド「漁港」(ぎょこう)のリーダーでもある森田釣竿さん。「ギョギョッとサカナ★スター」にも出演する森田さんの熱い“サカナ愛”に玉ちゃんも共鳴!

 

【公式HP:https://www.gyoko.com/

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

浦安の正しいベビーカーは台車にダンボール

玉袋 「ギョギョッとサカナ☆スター」(NHK Eテレ)をよく見ているんだけど、大将とさかなクンの掛け合いが大好きだから、このお店に来たくてしょうがなかったんですよ。番組の効果はありますか?

 

森田 ちびっこのお客さんが多くなりましたね。僕は「漁港」ってコワモテのバンドをやっているんですけど、前はそれ経由で来店する方が多かったんですよ。

 

玉袋 「漁港」も初めて見た瞬間、心を掴まれたんだよ。

 

森田 玉さん、「漁港」を知っているんですか!?

 

玉袋 もちろんだよ。かっこいいのが出て来たなと思った。

 

森田 魚を食べてもらいたい、水産業界を盛り上げたいって思いで活動をしているんですけど、同期のバンドはどんどん売れていくんですよね。

 

玉袋 同期だと誰がいるの?

 

森田 ライブでご一緒したのは氣志團、鳥肌実さん、意外な方ですと平原綾香さん、Perfumeですね。

 

玉袋 個性的なメンツだね。その中にいても「漁港」はインパクトがあるよ。

 

森田 これが売れなかったんですよ。

 

玉袋 いやいや、今も続けているんだからたいしたもんだよ。今日は会えて本当に嬉しいね。

 

森田 僕のほうこそ玉さんとお話できるなんて信じられないですし、今も緊張してます。

 

玉袋 浦安ってロケーションもいいね。

 

森田 今や浦安はリゾート地ですからね。

 

玉袋 俺の中で浦安といえば、山本周五郎の『青べか物語』だからさ。

 

森田 ありがとうございます。そう言ってくれる人がいなくなっちゃったんですよね。

 

玉袋 ディズニーなんて新参者だよ。前にロケで浦安のニュータウンに行ったことがあるんだけど、ショッピングモールで買い物をしている若いママがマクラーレンの乳母車に子どもを乗せてたんだ。それを見てたら、作られた街って感じがして、気持ちが悪くてしょうがなかった。

 

森田 本来、浦安の正しいベビーカーは台車ですから。台車から子どもが落ちないように、焼き海苔のダンボールに入れて散歩するんです。

 

玉袋 それが浦安スタイルだ(笑)。ロケで浦安のスナックに行ったことがあるんだけど、案内してくれた役場のおばちゃんが「ディズニー側とこっち側で仲が悪い」って言ってたけど本当なの?

 

森田 仲が悪いというよりは、僕ら側とディズニー側に住んでいる人たちとは、ほとんど接点がないんですよ。

 

玉袋 本来は泉銀さんこそがディズニーシーですよ。そもそも俺はディズニーシーに行ったことがないんだけど、「シー」って名乗るんだったら、なめろうぐらい出せよって話でさ。

 

森田 千葉県の郷土料理ですからね(笑)。

 

玉袋 大将はここの何代目なの?

 

森田 自分は3代目です。もともと浦安は漁師町で、父方の先祖が漁師、母方の先祖が魚屋だったんです。昔、ばあさんに聞いた話だと、浦安で獲れたアサリをリヤカーで浅草まで運んで引き売りしていたそうです。

 

小学生のころは軍歌、中学生のころはパンクにハマっていた

玉袋 「漁港」を始めたきっかけは何だったんですか。

 

森田 当時、浦安魚市場っていうのがあって、泉銀もその中にあったんですけど、お客さんが全然来なかったんですよね。それで二十代半ばで自分が魚屋を継いだときに、この先やっていけるのかなと不安になったんです。バンド活動自体は15歳からやっていたんですけど、ライブハウスには若いお客さんがいるよなってことで、じゃあライブハウスでマグロを捌いたらどうなんだろうと。そしたら、興味を持ってお店に遊びに来るんじゃないか。そうすれば漁師に興味を持ったり、第一次産業に焦点を当てていけるんじゃないかなってことで「漁港」を始めたんです。それで23年やっています。

 

玉袋 バンド結成前は、どんな音楽を聴いていたんですか。

 

森田 小学生のころは軍歌しか聴いてなかったんですよ。

 

玉袋 素晴らしいね!

 

森田 初めて買ったカセットテープも軍歌でしたから(笑)。当時はおニャン子クラブ全盛期で、友達はみんな聴いていましたけど、こっそり自分は軍歌を聴いていて、「なんで俺はみんなと違うんだろう」って思っていました。その後、中学生のときにバンドブームが到来して、そのタイミングで初めてセックス・ピストルズを聴いたんです。それでシド・ヴィシャスが大好きになって、シドがベースで人を殴っている映像を観て、「これだったら俺でもできるかもしれない」ってなっちゃったんです。それまで右だったのが急に左になったんですよね(笑)。

 

玉袋 「漁港」を組む前は、パンクバンドだったんですか?

 

森田 そうですね。ちょっとだけプログレッシブロックをやっていたこともあって、売れない音楽ばかりやっています。バンド活動を続けていく中で、やっぱりバックボーンの魚屋に戻っちゃうんですよね。それで自分に表現できるものは何かというと、パンクでもないし、軍歌でもない。それでフィッシュロックという自分だけのジャンルを作るしかなかったんです。

 

玉袋 浅草キッドも裏を張るみたいなところでやってきたから、「漁港」のコンセプトは「やられた!」と思ったよ。しかも本物の魚屋なんだから。

 

森田 二十代のころは魚屋をやりながらバンド活動も活発にやっていたから大変だったんですよ。朝一番で魚屋をやって、午後から車で京都まで行ってライブをやって、その日に浦安に戻って寝ないで仕事をしていました。

 

玉袋 マグロと一緒で止まると終わりだ(笑)。バンドブームと言えばカブキロックスの氏神一番なんて、デーモン小暮ほどコンセプトが徹底していなかったから説得力がなかったじゃない。でも「漁港」は専門的な言葉もバンバン飛び出すから嬉しくなっちゃうんだよ。

 

森田 僕もビートだけしさんの大ファンで、「北野チャンネル」も放送開始直後から月謝を払って見ていたんですけど、そのときに初めて浅草キッドさんの漫才を見て感動したんです。ライブも何回も観に行きました。

 

玉袋 それは恥ずかしいね。

 

――たけしさん繋がりで言えば、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で浦安のフラワー通り商店街を盛り上げる企画がありました。

 

玉袋 そうだそうだ。「ここに来なけりゃ 死んでしまう」

 

森田 「コイコイ」。

 

玉袋・森田 「フ フ フラワー商店街」。

 

森田 お店には番組グッズ「たけし猫招き」の置物も飾っています。ただフラワー商店街も一過性で盛り上がっただけで、今では見る影もないです。

 

玉袋 浦安みたいにイオンなんかができちゃったら、駅前は全部シャッター商店街になっちゃうけど、俺は大型ショッピングモールが大嫌いでさ。やっぱ魚は魚屋さん、野菜は八百屋さん、肉は肉屋さんっていうのが一番で、そんな厳しい状況でも、個人店で頑張っている大将に惚れちゃう訳よ。巨大戦艦に対して、手漕ぎのべか船で立ち向かうようなものでしょう。もはや人間魚雷だよ。

 

森田 思いの強さは誰にも負けないつもりです。僕もよく「イオンだらけ、Amazon頼みの世の中で、お前らいいのかって」いう風に言うんですよ。玉さんのように、画一的な街に違和感を抱く方もいらっしゃって、そういう人たちに支えられています。結局、日本は島国なので、田舎者の集まりなんですよね。ニュータウンに住んで、おしゃれな乳母車を引いたところで、出身が浜育ちですから、やっぱり田舎を思い出しますよ。そういう方が検索して、「おかしな魚屋があるぞ」と泉銀に来てくれるんです。

 

お客さんとの会話は魚が段取ってくれる

――森田さんはSNSで積極的に発信をしていますよね。

 

森田 自分から仕掛けていかないと個人店は注目してもらえないですからね。でも映えるとかバズるとかそういうことじゃなくて、本質的なことを大切にしたいんです。対面で会話をして、今日の献立を決めるとか、そういうことを令和の時代にやり直してみてもいいんじゃないのかなと思うんです。お客さんとの会話は魚が段取ってくれるんですよ。たとえば産地が神津島の魚をお店に出して、神津島出身の人がお店に来れば、それだけで話が盛り上がる。魚が時空を結んでくれるんですよね。

 

玉袋 まさに一心太助だね。お母さんが子どもを魚屋に連れて行けば、勉強にもなるしね。真珠の核入れみたいなものでさ、魚屋に行けば社会も見えてくるし、後の世代にも繋がっていくんだ。

 

森田 魚はナマモノですから、最後までしっかり見届けるというのが魚屋の仕事。だから葬儀屋以上に働かなきゃいけないと思っています。上田勝彦さんという元々漁師で水産庁に入ったという面白い方がいらっしゃって。上田さんが言うには、「人は必ずしも魚を見て買ってはいない。その人を見て魚を買うんだ」と仰っていたんです。玉さんの番組を観るのも、番組がどうこうではなく、玉さんが好きだから観る訳で。魚屋にしても、その店の人が好きだから買いに来るというのを僕は信じているんですよね。

 

玉袋 それが商売の根本だよね。

 

森田 「今日は調子悪そうだな」とか、店主とお客さんで確認し合いながら、コミュニケーションを取るのが大切だと思うんです。

 

玉袋 俺は水族館に行くのが好きでさ、帰りに絶対に寿司屋に行くんだ。ここも水族館と一緒だよ。わくわくするよね。

 

森田 水族館だと見た魚を持って帰れないですけど、魚屋だと持って帰って触って食べられますからね。

 

玉袋 骨抜きの魚なんて言語道断だよ。

 

森田 自分で魚を獲りに行かなくてもいいだけで、だいぶ楽だと思うんですよ。しかも海から運んでくれる人もいて、目利きをする市場の人たちもいる。あなたたちが買う魚には、どれだけの人が携わって、ここまでたどり着いていると思っているんだと。それなのに、骨があって食べるのが面倒だとか言って、どこまであたなたちのためにやってあげなきゃいけないのかと。食べることまで面倒だったら生き物として終わりだと思うんですよね。

 

魚屋も音楽活動も継続することに意味がある

森田 せっかくなんでイワシクジラを食べませんか? うちはクジラが強いんですよ。

 

玉袋 いいね! 俺はグリーンピースもシーシェパードも大嫌いだからさ。

 

森田 僕は漁港のときにオープンフィンガーグローブをつけているんですけど、いつでも反捕鯨団体と戦えるようにするためなんです(笑)。格闘技経験はないんですけど、戦う気持ちの表れです。

 

玉袋 調査捕鯨はどうなの?

 

森田 終わったんですよ。調査捕鯨が終わって、商業捕鯨になったんです。日本は令和元年6月30日でIWC(国際捕鯨委員会)を脱退して、捕鯨業を再開しました。

 

玉袋 『ザ・コーヴ』なんてつまらない映画があったけどさ、観終わった後に、「ふざけんな! 俺の2時間を返せ」って思ったよ。

 

森田 閉場した浦安魚市場には壁画があって、それがクジラだったんです。千葉県は和田町に小型捕鯨基地があったり、有名な捕鯨集団がいたりと捕鯨が有名な土地なんです。昔、今は葛西臨海水族園がある場所に大きいクジラが座礁して、それを浦安の漁師が引っ張ってきて、飢餓から救ったという話があるんですけど、クジラはありがたくいただくものなんですよ。僕も小さいときから慣れ親しんだ味ですから、どうして捕鯨を批判されなきゃいけないんだと思うんです。子どものときに、売れ残ったクジラをブルドックのウスターソースで炒めて食べていたんですけど、その味は今でも忘れられません。

 

玉袋 クジラの仕入れは難しくないんですか?

 

森田 個人店では難しいですね。まだ泉銀でクジラを扱ってなかったころに、鋸南勝山捕鯨の祖 醍醐新兵衛さんのお墓に行って、「何とかクジラを仕入れさせてください」とお願いしました。そのおかげか、その後いろんな人との出会いがあって、クジラを仕入れられるようになったんですよね。

 

玉袋 それってそろばん勘定とは別だよね。

 

森田 そうなんです。金儲けのためじゃないんですよね。

 

(玉ちゃんにクジラの刺身が提供される)

 

玉袋 おお! 感謝していただきます!

 

森田 イワシクジラの赤身と、ニタリクジラの皮を味噌漬けにしたものです。イワシクジラは大きめのクジラで、昔の人はミンククジラよりも美味しいって言います。イワシクジラは獲れる頭数が限られているので貴重なんです。

 

玉袋 うめえ! この味は子どもたちにも伝えたいね。

 

――何種類ぐらいクジラを扱っているんですか。

 

森田 今はニタリクジラとイワシクジラとミンククジラ。あとは今の時期が旬のツチクジラです。ツチクジラは刺身よりも、焼いたほうが美味しいんです。

 

――泉銀さんでは、クジラは年中購入できるんですか?

 

森田 はい。いつでも反捕鯨団体が来てもいいように、クジラは欠かさないようにしています(笑)。こういう食文化を繋いでいくのってガッツがないと駄目なんです。やられてもいい。いつでもかかってこいと、そういう気持ちが食文化を繋いでいくと思うんですよね。

 

玉袋 すごいね。感動しちゃったよ。最後に「漁港」の意気込みも聞いておきたいね。

 

森田 「漁港」はライブハウスでマグロを解体するというところだけクローズアップされて、一時期はイロモノ扱いになっちゃいました。本人はそれを狙ってやっていた訳じゃないですからね。音楽業界もどう売っていいか分からないし、水産業界も漁港は音楽業界が作ったものだと思っていたから、どこに行っても理解してもらえませんでした。でも23年間続けてきて、やっと魚屋だって認知してもらえるようになりました。だから魚屋も音楽活動も継続することに意味があるんだと思っています。本当に大変ですけど、やるしかないなって。

 

玉袋 バンドとしてもう一丁、のろしを上げようよ。

 

森田 魚を食べてもらうには発信力がないといけないし、売れないとダメだと思っているんですよね。だから夢は紅白歌合戦ですね。紅白に出て、大みそかにお店を休んでみたいです。

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)

<出演・連載>

TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」

「仮面ライダーガッチャード」主演・本島純政に迫る!「新しいことにチャレンジする勇気をもらえる、誰かの背中を押すような作品」

事務所に所属して僅か4か月で、9月2日から始まる「仮面ライダーガッチャード」の主演の座を勝ち取った本島純政さん。今年3月までは普通の高校生だった青年が、なぜ俳優を志したのか。まだ初々しさの残る本島さんに、これまでのキャリアや、「仮面ライダーガッチャード」の撮影エピソードなどを伺いました。

 

本島純政●もとじま・じゅんせい…2005年1月5日生まれ。東京都出身。趣味:ギター演奏・映画鑑賞・ドラマ鑑賞。特技:ギター演奏。2023年3月よりアミューズ所属。2023年9月3日よりスタートする「仮面ライダーガッチャード」の主人公・一ノ瀬宝太郎役にオーディションで抜擢。今後、役者業を主軸として活動の幅を広げていく。公式HPX(Twitter)InstagramTikTok

【本島純政さん撮り下ろし写真】

 

憧れの俳優は吉沢亮さんと鈴木亮平さん

──趣味が映画鑑賞とのことですが、昔から映画は好きだったんですか。

 

本島 物心ついたときからお父さんと一緒に映画を観ていて、小学生の頃には大好きになっていました。当時は洋画のアクション映画を観ることが多かったのですが、中でもお父さんの影響でダニエル・クレイグさんがジェームズ・ボンドを務めた『007』シリーズが好きでした。

 

──小学生でダニエル・クレイグ版の『007』を好むなんて渋いですね。

 

本島 小学生なので、ちゃんとストーリーは理解していなかったのですが、とにかくアクションが面白かったです。

 

──特技のギターは、いつ頃から始めたんですか?

 

本島 小学3年生です。YouTubeでギターの動画を見ているうちに、自分も弾いてみたいと思うようになって、親に相談してギターを買ってもらいました。

 

──ご家族など周囲の影響ではなかったんですね。

 

本島 そうですね。ただ、過去にお父さんはベース、お母さんはピアノをやっていて、親戚にもギターを弾いている人が多かったんです。音楽に縁が深い家系だから、ギターを弾く運命だったのかなと(笑)。小学・中学は1人でギターの練習をしていたんですけど、高校で軽音楽部に入って、ギターと歌を担当して、部長も務めました。

 

──どういうバンドが好きだったんですか?

 

本島 有名どころだとRADWIMPSさんやKing Gnuさんあたりですが、日本のロック以外にも洋楽、ヒップホップ、K-POPなど、幅広く聴いています。

 

──ヒップホップの楽曲をカバーすることもあったんですか?

 

本島 OZworldさんの「NINOKUNI」を文化祭でカバーしたことがあります。友達からギターバージョンの動画が送られてきて、すごくギターがかっこよかったんですよ。それをきっかけにヒップホップも好きになりました。

 

──K-POPはどのあたりを聴くのでしょうか。

 

本島 最近よく聴くのはaespaやTOMORROW X TOGETHERです。

 

──学生時代、集めていたものはありますか?

 

本島 一時期、ギターのピックを60枚ぐらい集めました。温かみのある曲を弾くときはこのピックとか、鋭さが欲しいときは硬めのガラスのピックを使ってみようとか、ピックによって音も弾きやすさも全然違うんですよね。

 

──音楽の道に進みたいという気持ちもあったんですか?

 

本島 音楽に限らず、いろんなことにチャレンジできたらいいなと思っていました。今は俳優をメインに活動していますが、音楽にフォーカスを当てたら、また違った自分の視点が生まれてくるのかなと思っていて。音楽で生まれた視点は、お芝居にも生かせるだろうし、今後も俳優一本に絞らずに、さまざまなことにチャレンジすることで自分の感性や世界観を広げていきたいですね。

 

──芸能活動を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

 

本島 高校2年生のときに、学校で進路希望を書くことがあって、初めて真剣に何がやりたいのかを考えたんです。それで自分は映画が好きだから、映像作品に携わりたいなと。一口に映画と言っても、いろいろな職種がありますけど、たくさんの映画を観てきて、やはり演技に感化されることが多かったので、自分がやりたいのは役者だなと。僕の演技を見て、「感動したよ」とか「ハッピーな気持ちになったよ」とか、連続ドラマだったら「来週も楽しみです」とか、そういう気持ちになってもらえたら素敵だなと思ったんです。それで高校2年生からさまざまなオーディションを受けて、今の事務所に入りました。

 

──ご家族は俳優になることに賛成だったんですか。

 

本島 応援してくれています。この世界に入るときは、「厳しい世界だから、半端な気持ちで行ったら必ず後悔する。ちゃんと責任感を持って、覚悟を決めて行きなさい」と言ってもらいました。親戚にバレリーナをやっている人もいるので、エンターテインメントに理解があるんですよね。

 

──憧れている、もしくは目標にしている俳優さんはいらっしゃいますか。

 

本島 吉沢亮さんと鈴木亮平さんです。吉沢亮さんは、最近観させていただいた『東京リベンジャーズ2』の演技が素晴らしくて。僕は「東京リベンジャース」が好きで、前作の映画ももちろん観ていましたし、原作のコミックも読んでいたんですけど、吉沢さんが演じるマイキーは想像をはるかに超えていて。お芝居に一気に引き込まれて、本当に目が離せませんでした。事務所の先輩でもあるし、「仮面ライダー」の先輩でもあるので、自分にとって目標の方です。

 

──鈴木亮平さんはどういうところに惹かれたのでしょうか。

 

本島 もともと優しくて朗らかな役を多く演じられるイメージがあったんですけど、『孤狼の血 LEVEL2』(21)で鈴木亮平さんが演じられた上林成浩を観て、怖くて震えるほどでした。本当に演じられる役の振り幅がすごいなと思って、僕も将来は幅広い役にチャレンジできる役者になりたいので、憧れの方です。

 

オーディションは「素の自分」で臨んだことが良かった?

──今年3月に事務所に所属したそうですが、「仮面ライダーガッチャード」のオーディションはいつ頃だったんですか?

 

本島 所属して2か月ぐらいでお話をいただきました。

 

──ものすごいスピード感ですね! その間にお芝居のレッスンは受けていたんですか?

 

本島 集団レッスンと個人レッスンの両方を受けていました。事務所に入るまで生でお芝居を見る機会がなかったので、集団レッスンで他の人の演技を直に見られるのは貴重な経験でした。同じ台本でも、自分とは違うアプローチをしていて、それを見ることによって、自分の幅も広がっていくんですよね。日に日にレッスンが楽しくなって、役者になりたいという思いが固まっていきました。

 

──「仮面ライダーガッチャード」のオーディションに臨むにあたって、事前準備はしましたか。

 

本島 「仮面ライダーオーズ/OOO」がお気に入りの仮面ライダーシリーズだったので、オーディションを受ける前に改めて全話見返して、先輩方のお芝居や、どんなストーリーだったかを復習しました。

 

──大人になって観ると、印象も違うんじゃないですか。

 

本島 違いますね。人間の「欲望」をメインテーマにした作品ですが、こんなに複雑なストーリーだったんだという驚きがありつつ、ちゃんと子どもが観ても分かるように作られていて。それでいて大人が観ても楽しめるようになっていて、改めて面白い作品だなと思いました。

 

──オーディションで印象に残っていることを教えてください。

 

本島 第一次審査のとき、事前に渡された台本に、一ノ瀬宝太郎が料理を作って食べるシーンがあって、それが「きゅうりハンバーグ辛子明太マヨ」という聞いたこともないものだったんです。それを食べた後に、宝太郎が「ちょっと配分を間違えたかな」と言うんですけど、どんな味か全く想像できなくて。ただ食材は全部揃えられそうだったので、大体のイメージで食材を買ってきて、オーディション当日の朝に作って食べたんですよ。それが本当に微妙な味で、リアルな演技ができたのかなと思います(笑)。

 

──どういうところがオーディションで評価されたと自己分析しますか。

 

本島 第一次審査から最終審査まで長かったのですが、自分を作り過ぎてしまうと、それに集中してしまって演技に影響が出ると思いました。だから素の自分でいることを意識したのですが、それが良かったのかなと思います。実際、あとでプロデューサーの方が、「オーディションのときの本島さんの素の部分が、一ノ瀬宝太郎に似ていたから選んだんだよ」と仰っていて、間違ってなかったんだとホッとしました。

 

──一ノ瀬宝太郎はどんなキャラクターでしょうか。

 

本島 明るくて真面目なんですけど、ちょっと抜けているところもあって、周りから愛されるキャラクターです。宝太郎はまだ夢が見つかってない状態で学生生活を送っていたんですが、ある日、大事件に巻き込まれて、仮面ライダーになることを託される。そこから仮面ライダーガッチャードになって、さまざまな壁にぶつかっていくんですけど、絶対に諦めることなく前に進んで、そういうところが宝太郎の魅力かなと思います。

 

スーツアクターの演技を見ることで一ノ瀬宝太郎を客観視できる

──初めて経験するアクションはいかがでしたか。

 

本島 本当に大変でした。これまで一度もやったことがなかったからこそ、がむしゃらにやるしかなくて。でも、がむしゃらにやること自体が楽しいんですよね。どんどん新しいことに挑戦できますし、ワイヤーアクションもあるんですけど、「明日の撮影は吊られるのか」と思うだけでワクワクします。

 

──「仮面ライダーガッチャード」のスーツアクターを演じる永徳さんとの共演も新鮮ではないでしょうか。

 

本島 スーツアクターが永徳さんで良かったなって思うことばかりです。現場で永徳さんのお芝居を見させていただくんですけど、一ノ瀬宝太郎を客観視して見ることのできる貴重な時間なんです。永徳さんに、「どうやって役作りをしているんですか」とお聞きしたら、「純政のしぐさを観察している」と仰っていて。永徳さんのお芝居を見ることで、自分はこんな印象なんだ、こんなクセがあるんだと鮮明になっていくんです。それを自分の中にもどんどん落とし込んでいって撮影に臨んでいます。

 

──例えば、どんなクセがあったんですか。

 

本島 分かりやすいところで言うと、宝太郎は頷くしぐさが大きいんです。松本麗世さん演じる九堂りんねに「ありがとう」と言われたときに、台本には頷くという指示はなかったんですが、永徳さんが大きく頷いていた姿を見て、それを演技に取り入れました。

 

──現場の雰囲気はいかがですか。

 

本島 明るくて、温かくて、居心地の良い現場ですし、全員で協力して、良い作品にしようという気持ちが端々から伝わってきます。僕がお芝居で困っていると、すぐに察してアドバイスをくれますし、日に日にみんなの仲が良くなっていくのが実感できて楽しいです。

 

──特撮シーンは戸惑いも大きかったのではないでしょうか。

 

本島 最初は苦戦しました。例えば「ここに仮面ライダーがいて、上から瓦礫が降ってくるんだよ」と言われても、どのぐらいのスピードで、どのぐらいの量が落ちてくるのか、落ちた後はどんな状態なのかとか、全て分からなかったので、そこを想像で補うのは苦労しました。でもアフレコをやっていくうちに、徐々に慣れて、想像力がついてきたのもあって、変に考え過ぎるんじゃなくて、自分が感じたままにやればいいんだなと。それが自分に合っているのかなと思いました。まだ模索している最中ですけが、ちょっとずつ感覚が掴めている気がします。

 

──お忙しい毎日だと思いますが、オフの日はどう過ごすことが多いですか。

 

本島 オフの日は近場でも旅行したいなと思っているんですけど、まだ今の環境に慣れていないせいか、実際は寝て終わることが多いです(笑)。

 

──旅行が好きなんですか?

 

本島 大好きです。「仮面ライダーガッチャード」の撮影が始まる前は、一人旅をすることも多くて、朝起きて突発的に電車で江の島に行くなんてこともありました。だから今は、一年後ぐらいに車を買うのが目標です。まだ免許は持ってないんですけど……車を買うための貯金も始めました。車で行動範囲を広げて、いろんな場所に行ってみたいんですよね。旅は知見を深めますから。

 

──車に詳しいんですか?

 

本島 小さい頃は詳しくてミニカーを集めていました。よくやっていた遊びが、泡風呂の中にミニカーを落として、見えない状態で触って「これはGT-Rだ!」みたいな感じで車種を当てるゲーム(笑)。正直、あの遊びをしていた頃の方が車に詳しかったですね。改めて勉強します!

 

──最後に「仮面ライダーガッチャード」の見どころをお聞かせください。

 

本島 新しいことにチャレンジする勇気をもらえる、誰かの背中を押すような作品です。先ほどもお話しましたが、宝太郎はどんどん新しい壁にぶち当たっていくけど、絶対に諦めないので、その諦めない姿勢を見ていただきたいです。宝太郎が通う錬金アカデミーの生徒たちのキャラクターが面白くて、一人ひとりの個性が際立っているのも見どころです。たとえば宝太郎と対極にいる、藤林泰也さん演じる黒鋼スパナはクールでキザなエリート、人工生命体(モンスター)のケミーを道具としか思っていません。でも宝太郎はケミーを仲間だと思っていて。そんな宝太郎と錬金アカデミーの生徒たちがどういう化学反応を起こすのかも楽しみにしてください。

 

 

仮面ライダーガッチャード

2023年9月3日(日)、テレビ朝日系にてスタート!
毎週日曜 午前9:00~9:30放送

(CAST&STAFF)
出演:本島純政 松本麗世 藤林泰也 安倍 乙 富園力也 熊木陸斗 沖田絃乃 宮原華音 坂巻有紗 加部亜門 南野陽子 石丸幹二
原作:石ノ森章太郎

脚本:長谷川圭一 内田裕基 ほか
監督:田﨑竜太 ほか
アクション監督:福沢博文(レッド・エンタテインメント・デリヴァー)
特撮監督:佛田 洋(特撮研究所)
音楽:高木 洋
ゼネラルプロデューサー:大川武宏(テレビ朝日)
プロデューサー:芝高啓介(テレビ朝日) 湊 陽祐(東映)
制作:テレビ朝日・東映・ADKエモーションズ

(STORY)
『仮面ライダーガッチャード』のモチーフは、《錬金術》と《カード》。《錬金術》とは、異なる組み合わせによって“金”を生みだそうとする技術のこと。その神秘的な研究の1つには、肉体や魂をも対象として“完全な存在”に錬成する試みも含まれていた。そんな錬金術の粋を集めて造られたのが、完全なる人工生命体、《人工生命体(モンスター)ケミー》。その数、101体。それらは《ライドケミーカード》というカードに保管されていた。ところが、慎重に保管されていたはずの彼らがカードを飛び出して、一斉に開放されてしまう。偶然、それを目撃した“夢を探し求める高校生”一ノ瀬宝太郎(本島)は、仮面ライダーガッチャードの変身ベルト《ガッチャードライバー》を託され、世に放たれたケミーを回収する使命を与えられる。

公式サイト:https://www.tv-asahi.co.jp/gotchard/
公式Twitter:https://twitter.com/Gotcha_toei
公式Instagram:https://www.instagram.com/kamenrider_tvasahi/
公式TikTok:https://www.tiktok.com/@superherotime_tvasahi

 

撮影/友野 雄 取材・文/猪口貴裕 ヘアメイク/木内真奈美 スタイリング/石橋修一

岡崎紗絵「大きなチャレンジで悩みつつ撮ったことで、いろいろな新しい発見ができた作品になりました」映画『緑のざわめき』9・1公開

福岡・佐賀を舞台に3人の異母姉妹が織りなす物語を松井玲奈さん主演で描いたヒューマンドラマ『緑のざわめき』が9月1日(金)より公開する。本作で、響子の異母妹・菜穂子を演じている岡崎紗絵さん。ドラマ「ナイト・ドクター」、日曜劇場「オールドルーキー」などで見せた姐御的キャラのイメージはなく、三姉妹を中心とした入り組んだ人間関係に、揺れ動く感情を抱え込む役どころだ。「かなりの挑戦作になる」と感じた本作への意気込みや役づくりなど、難役を演じることへの思いを聞いた。

 

岡崎紗絵●おかざき・さえ…1995年11月2日生まれ。愛知県出身。2015年より俳優として実績を重ね、ドラマ「教場Ⅱ」「ナイト・ドクター」、日曜劇場「オールドルーキー」など話題作に出演。ドラマ「花嫁未満エスケープ」では主演を務めたほか、映画では、今泉力哉監督の恋愛群像劇『mellow』(20)でヒロイン役を好演した。近年の出演作にドラマ「ケイジとケンジ、時々ハンジ」「転職の魔王様」、映画『名も無い日』(21)、『シノノメ色の週末』(21)がある。Instagram

【岡崎紗絵さん撮り下ろし写真】

 

菜穂子を演じるには「理解しきれないんじゃないか?」と悩みました

──今回、出演依頼を受けての感想は?

 

岡崎 夏都(愛未)監督をはじめ、プロデューサーさんも今回は初めましてのチームの作品だったので、菜穂子役のお話をいただいたときは嬉しかったです。プロデューサーさんは、私が出ていた「ナイト・ドクター」を見てくださっていたとおっしゃっていました。

 

──脚本を読んだときの第一印象は?

 

岡崎 私は今まで、どちらかというと陽で分かりやすい、感情が読みやすい役が多かったこともあり、「菜穂子という陰なキャラクターを演じ切るには、自分の考えだけでは足りないんじゃないか? 理解しきれないんじゃないか?」と悩みました。そして、脚本も書かれた夏都監督に直接質問することによって、いろいろなものが見えてくるような気がしました。

 

──実際、夏都監督とは、どのような話し合いをしたのでしょうか?

 

岡崎 脚本には書かれていない菜穂子の出生というか、バックグラウンドだったり、三姉妹を中心とした登場人物の入り組んだ関係性だったり……。それらを夏都監督の口から直接聞くことによって見えてくるものがありましたし、現場に入るまでに疑問や不安が解消されていくと同時に、私にとって「かなりの挑戦作になる」と思うようになりました。

 

──端的に言えば、松井玲奈さん演じる異母姉・響子のストーカーとなる菜穂子の役作りは?

 

岡崎 菜穂子はお姉ちゃんをストーキングしている一面もありながら、しっかり仕事しているし、友だちと一緒に遊びに行ったりするので、ずっと内にこもっているわけでもないんです。そのバランスがとても難しくて、「人間関係をうまくやろうとしている繊細な人」「つかみどころのない、一貫性がない人」というところで演じました。それを表すように、日によって菜穂子が着ている服のコーデも違っているんです。

 

──女優としても活動している夏都監督の演出はいかがでしたか?

 

岡崎 現場では「これは菜穂子が取る行動なのか?」「友だちとはどれぐらいの温度感で話しているのか?」ということが分からなくなったこともあったんです。でも、夏都監督はニュアンスで伝えるのではなく、「それは違う」「それはこうした方がいい」と、明確にハッキリ言ってくださり、とてもありがたかったです。

 

撮影の合間には嬉野温泉にも行くことができて楽しかった

──菜穂子が突然、響子の家を訪れ、お互い対峙するシーンについては?

 

岡崎 とにかく純粋に憧れの存在として、響子を思い続け、響子になりたいという気持ちで臨んだのですが、松井さんご自身も、神秘性がある方なので、そこにズレはなかったです。そのため、とてもやりやすかったのですが、いきなり家に上がり込むという、自分の気持ち先行の普通じゃない行動を取るので、撮影前に松井さんといろいろお話しましたし、いろいろな意見の下、時間をかけて撮りました。菜穂子のすべてを理解して、肯定するのはなかなか難しかったですが、そこはできるだけ彼女に寄り添えるよう心がけました。

 

──佐賀でのロケにおける撮影エピソードを教えてください。

 

岡崎 佐賀には初めて行ったのですが、とても自然が豊かな場所が多かったです。撮影の合間には嬉野温泉にも行くことができて楽しかったです。あと、福岡ですが、響子の好きな場所として、劇中にも出てくる海中鳥居が神秘的で、とても印象的なシーンになりました。

 

──『シノノメ色の週末』と同様、女性監督が3人のヒロインの物語を描いた作品ですが、作品を観た後の印象は全く異なります。

 

岡崎 あのときは、しっかり者の役柄でしたから(笑)。今回は三姉妹それぞれの人生がありつつ、「本当はこうなってほしかった」という思いや心の機微が描かれた、とても繊細な作品になったと思います。ハッキリと答えが出ているような作品ではないですが、3人それぞれの心の動きを感じ取ってもらえたら嬉しいです。

 

これからもどんどん気持ちが熱くなってくる作品に携わっていきたい

──岡崎さんが本作に出演されたことで学んだこと、勉強になったことは?

 

岡崎 現場でもたくさん支えていただき、座長の松井さんにも引っ張っていただき、お互いが影響し合うことを強く感じました。相手の演者さんの行動やセリフ回しひとつで、こちらのお芝居が変わってくることは、とても面白くもあり、勉強になりました。もちろん、大きなチャレンジで、悩みつつ撮ったことで勉強になったこともありました。私の感情が揺れていたからこそ、出てくるものもこれまでと違ったと思いますから。そういう意味では、いろんな新しい発見ができた作品でした。

 

──二期にわたって放送された初主演ドラマ「花嫁未満エスケープ」などでも活躍されている岡崎さんですが、ヒロインを演じられた20年公開の『mellow』(20年)は大きな転機作だったかと思われます。

 

岡崎 初めてヒロイン役をいただいたことも大きかったと思いますが、「私も作品にかかわっている・携わっている」という強い気持ちというか、私の動きひとつ、気持ちひとつで、いろんなものが変わっていくことを最初に知ることができた作品です。座長の田中圭さんの胸を借りる気持ちで飛び込んだんですが、田中さんもそれを受け入れ、支えてくださったのもありがたかったです。また、今泉(力哉)監督とも密にお話できたことで、迷いなくやれたのも大きかったですし、現場に流れる時間が映画のままで優しかったんです。『緑のざわめき』もそうですが、これからもスタッフ・キャストが一丸となった現場で、どんどん気持ちが熱くなってくる作品に携わっていきたいです。

 

──撮影に必ず持っていくモノやグッズを教えてください。

 

岡崎「SIXPAD」のマッサージガン(パワーガン)です。メイクさんが持っているものを貸していただいたのがきっかけなんですが、今ではこれなしではいられない状態になっています(笑)。撮影でヒールを履くことが多いので、足が疲れやすいんです。ふくらはぎとかに当てると、むくみがすごく取れますし、美容というよりは筋膜を剥がして、リンパの流れを良くするような感じですね。

↑岡崎さん愛用のマッサージガン。足のむくみ対策に欠かせないとのこと

 

 

 

緑のざわめき

9月1日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

【映画「緑のざわめき」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督・脚本:夏都愛未
出演:松井玲奈、岡崎紗絵、倉島颯良、草川直弥(ONE N’ ONLY)、川添野愛、松林うらら、林裕太、カトウシンスケ、黒沢あすか

(STORY)
東京で暮らす28歳の女優・小山田響子(松井)は多忙な日々に疲れて仕事を辞め、生まれ故郷である九州の佐賀県嬉野市に近い福岡県に移住する。いっぽう、響子の異母妹である24歳の本橋菜穂子(岡崎)は、地元に帰ってきた響子をストーキングするように。ある日、偶然を装って響子に接触した菜穂子は彼女の手帳から盗んだ情報を通し、もう1人の異母妹で佐賀の集落に暮らす18歳の小暮杏奈(倉島)と電話でつながる。

公式サイト:midorinozawameki.com

(C)Saga Saga Film Partners

 

撮影/関根和弘 取材・文/くれい響 ヘアメイク/サイオチアキ(Lila) スタイリスト/稲葉有理奈(KIND)

久間田琳加「主人公の青磁が気になる存在に」JO1白岩瑠姫とW主演『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』

小学6年生でファッション雑誌『ニコラ』(新潮社)の専属モデルオーディショングランプリを受賞し、『Seventeen』(集英社)を経て、現在『non-no』(集英社)の専属モデルを務める久間田琳加さん。“りんくま”の愛称で、同世代から圧倒的な人気を誇る22歳だ。2023年にはHiHi Jetsの井上瑞稀さんとW主演を務めた映画『おとななじみ』で、コミカルな演技が話題となった。

久間田琳加●くまだ・りんか…2001年2月23日生まれ。東京都出身。2015年にドラマ『女子の事件は大抵、トイレで起こるのだ。』(GYAO!)で俳優デビュー。これまで『ヌヌ子の聖★戦〜HARAJUKU STORY』『マリーミー!』『青春シンデレラ』『ブラザー・トラップ』などで主演を務める。主な出演作は『ながたんと青と-いちかの料理帖-』『君に届け』、主演作『おとななじみ』など。現在放送中の『こっち向いてよ向井くん』(日本テレビ系)第2話に出演すると、“可愛すぎる”と注目を集めた。XInstagram

 

一転、9月1日(金)に公開する、汐見夏衛氏の同名恋愛小説を実写映画化した『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』では、常に本心を覆い隠し周囲の空気を読む優等生役を演じる久間田さん。役作りから、W主演を務めるJO1白岩瑠姫さんとの現場エピソード、念願だった酒井麻衣監督への思いまでたっぷりと語った。

 

【久間田琳加さん撮り下ろし写真】

 

 

「絵が上手い青磁に強い憧れもありました」

 

──原作の小説を初めて読んだ時、どのような感想を抱かれましたか?

 

久間田 キュンとするポイントもあり甘酸っぱい気持ちになりつつ、やはり青磁が気になる存在になりました。青磁は自由奔放な性格で、人を引っ張っていくところがとても魅力的なキャラクターです。好き嫌いの感情を抜きにして、目で追ってしまう人だと思います。しかも私は絵を描くことがスーパー下手なので、絵がうまい青磁に強い憧れもありました。一方で、マスクを手放せない丹羽茜役を演じることが不安でした。

 

──『おとななじみ』に続く主演映画となる本作ですが、今回演じられた茜は、マスクで本心を隠している優等生の女の子でした。

 

久間田 『おとななじみ』はラブコメだったので、「どうやって笑いのポイントを作れるか」という脳になっていましたが、今回はマスクで顔半分が見えないことによる大変さといいますか……鏡の前で「どのような表情に見えるのか」を練習しました。ただ、実は茜はどこか自分に近いような気がして、気持ちは投影しやすかったです。

 

──茜のどの部分に共感したのでしょう?

 

久間田 私も茜と同じで、思ったことをすぐ、しかも直接言えるようなタイプではないですね。だから「茜でありつつ、半分は自分のままでいられたらいいな」と思っていました。

 

──反対に、久間田さんが茜と似ていないと思われる点は?

 

久間田 私に比べて茜は、きょうだいの面倒見がいい。私は兄が一人いるだけなので、末っ子タイプなんですよ。だから親戚で集まったときなどに小さい子がいると、びっくりしちゃうんです。

 

──茜には妹がいますが、その点どのように役作りをしたのでしょう?

 

久間田 それが子役さんの方から距離を縮めてくださったこともあり(笑)。現場で心配はなかったです。

 

JO1白岩さんは「青磁と同じ、自由奔放な方だと思いました(笑)」

 

──ドラマ『美しい彼』(MBS)など、映像美が特徴的な酒井監督にはどのような印象を抱かれましたか?

 

久間田 実は、酒井監督が演出されたドラマ『明日、私は誰かのカノジョ』(MBS)を原作ファンとして見たときに、キャラクター1人ひとりに愛を感じられたんです。それで「いつか酒井監督が撮られる作品に出てみたい」と思っていました。酒井監督がどんな方なのか知りたくて、ずっとSNSもチェックさせていただいていました(笑)。

 

──酒井監督の作品への出演は、念願だったのですね。

 

久間田 はい。実際にお会いして話したら、青磁と茜に対する思いが人一倍強い方で安心しました。『明日カノ』を見て、私が感じたことに間違いはなかったと。自分の思いを伝えるのが下手な茜は伏し目がちになることが多いので、酒井監督には目線の演技も指導していただきました。

 

──青磁役を演じた、白岩さんの印象はいかがでしょう?

 

久間田 白岩さんとは撮影前のリハーサルで何度かお会いしたのですが、お互いに台本を読み込むことでいっぱいいっぱいになってしまって、全然お話しする時間がなかったんです。クランクインして数日経って、「アオハライド」(集英社)など好きな少女マンガの話題などで、少しずつ話せるようになりました。

 

──久間田さんも白岩さんも、少女マンガがお好きなのですね。

 

久間田 そうなんです。あと白岩さんはお弁当を食べずに、お菓子ばかり食べていて。白岩さんご本人は「違う」と言っていましたが、私は青磁と同じ自由奔放な方だなと思いました(笑)。クラスメイトと一緒の現場でも、常に真ん中にいるムードメーカーでしたし、本番と休憩中のギャップがなく、ずっと青磁のままでいるようで。白岩さん自身を真っすぐ“青磁”として見ることができて、とても助けられました。

 

──舞台が高校ということで、青磁をはじめとするクラスメイトとの関わりも多かったかと思います。印象に残った撮影エピソードはありましたか?

 

久間田 撮影は真冬で、とても寒かったのですが、日没後や日の出前にマジックアワーを狙ったカットがあり、その数分を狙ってチーム一丸となって頑張ったことは、良い思い出になりました。それから学校の屋上で、青磁とペンキをかけ合うシーン。とてもダイナミックですし、演じている私たちも現場で楽しんでいました。モニターチェックのときから、ものすごくきれいで「これをスクリーンで観たらどうなるんだろう」とワクワクしていました。

 

──青春の一風景ですね。実際に完成した作品を観たときの感想も聞かせてください。

 

久間田 想像どおりきれいなシーンばかりで、朝方に茜が帰宅した後、携帯をいじっているときに窓の外の色が変わっていくシーンも印象的でした。このシーンは初日に撮影したのですが、私は携帯を見ているので、どんな状況になっているのか分からなかったんです。

 

──久間田さん自身も、見るまで分からなかったと。

 

久間田 はい。酒井監督の世界観やこだわりを感じ、念願だった酒井監督と一緒に仕事ができたことを、より強く実感できたシーンでした。あとは白岩さんが絵画を練習されているところを見ていなかったので、青磁が絵を描くシーンは、その上手さにビックリしましたし、スクリーンで観ることで、より素敵なシーンになっていました。

 

22歳、今後は「親近感を持たれる俳優さんになりたい」

 

──映画やドラマの出演作が続く久間田さん。この変化を、自身はどのように捉えられているのでしょう?

 

久間田 私は俳優業を始めたのが遅かったこともあり、日々“学べ学べ”の精神で、今もずっと走り続けています。いろんな現場を体験させていただいて、とても楽しいですし、やりがいを感じています。

 

──現在は制服を着た、学生役が多いですよね。

 

久間田 はい。以前、先輩方から「この仕事をしていると、高校を卒業してからの方が制服を着るよ!」と言われていたのですが、本当にそうなっています。学生時代は「今すぐにでも制服を脱ぎたい」と思うくらい大人になりたかったのですが、今となっては制服を尊い存在に感じています(笑)。

 

──ファッション誌で制服を着る機会も少なくなったとか。

 

久間田 ファッション誌のモデルでは、実際に学校を卒業してしまうと、制服のページをもらえなくなってしまうんです。だからこそ制服を着られるのは、俳優業ならではだと思っています。今22歳なので、あと3年は制服を着られたらいいなぁ……でも2年ぐらいで、学生役のお話が来なくなったらどうしよう(笑)。

 

──(笑)。学生役も作品によってさまざまで、役柄の幅も広がっているかと思いますが、今後挑戦してみたい役はありますか?

 

久間田 今後はたくさん共感してもらえる役を演じ、親近感を持たれる俳優さんになりたいです。見る方に元気を与えられたらいいですね! また今回は酒井監督とご一緒させていただき、思えば願いは叶うんだと思ったので、そんな思いも持ち続けていきたいです。

 

──最後にGetNavi webということで、いつも現場に持っていくような、お気に入りのアイテムについて教えてください。

 

久間田 今の私に欠かせないのはカフェラテとチョコレート! 特にコンビニのコーヒーマシンで作るアイスラテが大好きです。もともとコーヒーは好きですが、同映画の撮影中に、カフェラテとチョコレートの組み合わせが最強だと気づいてしまいました。かなり集中力が高まりますよ!

 

映画『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』

9月1日(金)より全国ロードショー

 

【映画『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』よりシーン写真】

 

(STAFF&CAST)
出演:白岩瑠姫(JO1)、久間田琳加
箭内夢菜、吉田ウーロン太、今井隆文/上杉柊平、鶴田真由
監督:酒井麻衣
原作:汐見夏衛「夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく」(スターツ出版 刊)
脚本:イ・ナウォン、酒井麻衣
音楽:横山克、濱田菜月 主題歌:JO1「Gradation」(LAPONE Entertainment)
製作:『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』製作委員会
制作プロダクション:C&Iエンタテインメント、アスミック・エース
配給:アスミック・エース

 

(STORY)
周囲の空気ばかり読んでしまう優等生の茜(久間田)と、自由奔放で絵を描くことを愛する銀髪のクラスメイト・青磁(白岩)。茜は何もかもが自分とは正反対の青磁のことを苦手に思っていたが、青磁が描く絵とまっすぐな性格に惹かれ、2人は少しずつ距離を縮めていく。やがて、そんな2人の過去が重なり合い、これまで誰にも言えなかった思いが溢れ出す。

 

©2023『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』製作委員会

 

撮影/中田智章 取材・文/くれい響 ヘアメイク/Mien(Lila) スタイリスト/Toriyama悦代(One8tokyo)

「らんまん」で朝ドラ出演の夢が叶った中田青渚「浜辺美波さんの存在は心強かった」

現在放映中の連続テレビ小説「らんまん」(NHK)では大学教授の夫を支える妻・田邊聡子、「僕たちの校内放送」(フジテレビ系)ではラジオ好きでクールな女子高生・藤原瑞輝と、全くタイプの違うキャラクターを演じている中田青渚さん。実力派俳優として映画・ドラマに引っ張りだこの中田さんに、2本のドラマの撮影エピソードや、今ハマっていること、オフの過ごし方などを伺いました。

 

中田青渚●なかた・せいな…2000年1月6日生まれ。兵庫県出身。2014年、「第5回Sho-comiプリンセスオーディション2014」でグランプリを獲得し、俳優活動をスタート。2021年、映画『街の上で』『あの頃。』『うみべの女の子』の演技で第43回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。2022年、BS時代劇『善人長屋』で連続ドラマ初主演を務める。公式HPX(Twitter)

【中田青渚さん撮り下ろし写真】

 

登場したばかりの聡子との違いに注目して

──朝ドラに出るのが目標だったそうですが、「らんまん」で夢が叶いましたね。中田さんは要潤さん演じる東京大学植物学教室の田邊教授の妻・聡子を演じていますが、オファーがあったときのお気持ちはいかがでしたか。

 

中田 オファーをいただいたときは、すでに「らんまん」が始まっていたので、一視聴者として見ていたんです。だからマネージャーさんから台本を渡されて、ビックリ以外なかったです。お話をいただいてから撮影までの期間も短くて、実感のないまま撮影に入って。自分が出演している回が放送されて、ようやく実感できました。

 

──朝ドラならではの現場の雰囲気ってありますか?

 

中田 すごくチーム感があるなと思いました。長期間に渡って撮影しますし、メインキャストさんとスタッフさんは毎日会っているので、息が合っているんですよね。登場人物も多いので、私がポンと入っても、アットホームに迎えてくださいました。

 

──とはいえキャリアのある俳優さんばかりですから、相当緊張もしますよね。

 

中田 すごく緊張しました。ただ聡子の初登場シーンを最初に撮影したので、聡子の緊張と私の緊張が良い感じにリンクして演じることができました。

 

──聡子を演じる上で、どんなことを意識しましたか。

 

中田 最初はおどおどしたキャラクターなのですが、衣装合わせのときに監督に言われたのが、「聡子はしっかりした家庭に育って、良い学校に行かせてもらって学があるので、おどおどしているだけのキャラクターにはならないようにしてほしい」と。だから、落ち着きがあって、所作がちゃんとしている女性でいようと意識しました。

 

──20週目で田邊教授が東京大学から失墜します。それに伴い、これまで夫の影に隠れていた聡子が、子どもたちを守りながら力強く成長を遂げていきます。変化していく聡子を演じる難しさはありましたか?

 

中田 基本的に順撮りなので、自然と気持ちを持って行きやすかったです。ただ、普段はあまりしゃべるタイプではない聡子が、大事なことを伝える重要なシーンがあるのですが、そのときは感情がしっかりと乗るように演じました。

 

──浜辺美波さん演じる寿恵子とのシーンも多いですが、浜辺さんとの共演で印象に残っていることは何でしょうか。

 

中田 聡子には二人の子どもがいますが、演じている子役の子たちが本当に元気で。私の中で子役の子は落ち着いているイメージだったんですけど、二人は会った瞬間から仲良くなって、手を繋いで走り回っていたんです(笑)。あまり私は小さい子たちと接する機会がなかったので、わたわたしていたら、浜辺さんが「ちゃんと座ってね」と優しく言ってくださって。そしたら二人とも静かになって、すごく心強かったです。

 

──21週目以降で、聡子目線での見どころをお聞かせください。

 

中田 回を追うごとに聡子は成長して、立派な母親になっていくので、登場したばかりの聡子との違いに注目して観てもらえるとうれしいです。

 

青春を追体験できた「僕たちの校内放送」

──出演中のドラマ「僕たちの校内放送」が8月22日の放送回で最終回を迎えます。最初に台本を読んだときは、どんな印象でしたか。

 

中田 校内放送をテーマにした作品で、二人の男子高生と一人の女子高生が織りなす青春群像劇と聞いたときは、かわいい感じの学園ドラマかなと思ったんです。ところが台本を読んだら、恋愛要素は一切なくて、しかも私の演じる藤原瑞輝(ふじわら・みずき)はクールでとがった女の子。思っていた学園ドラマとは違うなという驚きがありました。

 

──瑞輝のしゃべり方は、普段の中田さんよりもトーンが低いですよね。

 

中田 瑞輝のようにクールで、ツンデレ要素のある女の子を今まで演じたことがなかったので、すごく新鮮でした。初日の撮影で声を落としてしゃべることを意識して演じたら、監督から「もう少し楽しそうにしてほしい」と言われて(笑)。ただ声を落とすだけだと楽しそうに見えないんだと気づいて、そこのバランスはちょっと難しかったです。

 

──メインキャストを務める木戸大聖さんと前田旺志郎さんの印象をお聞かせください。引っ込み思案で目立たない存在の放送部員・今野浩哉(こんの・ひろや)を演じる木戸さんは初共演だったそうですね。

 

中田 私よりも3歳年上なので、ちゃんとコミュニケーションを取れるか不安だったんです。でも接してみるとフレンドリーで、たまに年下なのかなって思うぐらい少年っぽさがある方で、すごく安心しました。その一方で、座長らしさも兼ね備えていて。撮影スケジュールがタイトだったので、スタッフさんも大変だったのですが、率先して声をかけていらっしゃって、ちゃんと周りが見えている方だなと思いました。

 

──クラスの“陽キャ”グループに属しながらも、今野のパートナーとして一緒に校内放送を盛り上げる大城健太(おおしろ・けんた)を演じる前田さんとは、過去にも共演経験があるそうですね。

 

中田 『うみべの女の子』という映画でご一緒したことがあって、そのときは、しっかりしていて、熱量を持って仕事に取り組む方だなという印象がありました。ところが今回は、木戸さんと気が合ったみたいで、ずっと二人で本物の高校生みたいにわちゃわちゃしていて(笑)。お二人ともバスケ経験があるみたいで、体育館で撮影した後に、見たことないような汗をかきながら一緒にバスケをやっているんです。その姿を見て、しっかりしているだけじゃなくて、かわいらしい部分もある方なんだなと思いました。

 

──校内のマドンナ・夏川茜(なつかわ・あかね)を演じる米倉れいあさんの印象はいかがでしたか。

 

中田 まだ18歳と聞いて、年下の子と共演する経験もほとんどなかったですし、正直びびっていました(笑)。10代だからこそのキラキラ感があって、声もかわいくて、ヒロインに相応しいと思いました。

 

──米倉さんとはうまくコミュニケーションは取れたんですか?

 

中田 すごくゲームが好きみたいで、休憩中に誘ってくれました。いつも、れいあちゃんから積極的に話しかけてくれたし、私のほうが遊んでもらっていた感じですね(笑)。

 

──「僕たちの校内放送」に出演して、ご自分の高校時代と重なる部分はありましたか?

 

中田 私は高校生になるタイミングで上京したので、部活も入らなかったですし、共感よりもうらやましいという気持ちが大きかったです。これが青春か! と思いました。

 

『メイちゃんの執事』を全巻揃えたくてオーディションに応募

──先ほど高校入学のタイミングで上京したというお話がありましたが、そもそもこの世界に入ったきっかけは、マンガを全巻揃えたかったからだそうですね。

 

中田 全く芸能界には興味がなくて、賞品だった図書カード3万円分が欲しくて「第5回Sho-comiプリンセスオーディション2014」を受けました。『メイちゃんの執事』という少女マンガを集めていて、全20巻あったのですが、新刊で揃えたかったんです。そこまでお小遣いをもらえないから、これだ! と思ってオーディションを受けたらグランプリをいただいて。おかげで全巻揃えることができました(笑)。

 

──他にどんなマンガを集めていたんですか?

 

中田 『ストロボ・エッジ』や『アオハライド』など、王道系の少女マンガが多かったですね。『ストロボ・エッジ』が全10巻、『アオハライド』も当時出ていたのは10巻ぐらいだったので全巻揃えることができたのですが、『メイちゃんの執事』は強敵でした(笑)。

 

──最近はマンガを大人買いすることはないんですか?

 

中田 あまり部屋に物を置かないようにしているので、持っていたマンガも実家に送りましたし、今は幾つかマンガアプリを入れて読んでいます。所有欲も子どもの頃はありましたけど、大人になったら自分で買わなければいけないので(笑)。私のお母さんは厳しくて、なんでも買い与えるタイプではなかったからこそ、中学生の頃は余計に欲しいという気持ちが強かったのかもしれません。年齢を重ねて、お母さんの気持ちが分かるようになりました。

 

──今は何かを集めることはないんですか?

 

中田 まだ集めるというほどではないんですけど、花瓶に興味があって。このお仕事をしていると、お花をもらうことが多いのですが、二十歳を過ぎた頃から、花を飾ると華やかになるからいいなと思い始めて。それで最近、自分の部屋にも花を飾りたいなと思って、花瓶を二つ買いました。いろんな形が欲しいので、もうちょっと揃えたいなと考えています。

 

──今ハマっていることはありますか。

 

中田 編み物です。去年の冬、耳まで隠れる暖かいモコモコの帽子を作りました。今はカバンを編んでいるのですが、細い毛糸で編み始めてしまったので、編んでも編んでも進まないんです(笑)。

 

──昔から編み物が好きだったんですか?

 

中田 お母さんが好きだったので、小学生のときに一緒に編み物をしていました。それ以来なので約10年ぶりに編み物を始めました。すっかりやり方も忘れていたので、YouTubeで編み物の動画を見て編みました。帽子は太い毛糸を使ったので数日で完成しました。

 

──もともと帽子好きなんですか?

 

中田 そうではなかったのですが(笑)、当時、「しょうもない僕らの恋愛論」というドラマの撮影中で役柄の髪形もあり、撮影後は髪の毛をまとめて帰りたくて。真冬で寒かったのもあって、それで帽子を編もうとなりました。カバンも早く仕上げたいのですが、年内にできるのかな……。

 

学生役はできるうちにたくさんやりたい

──オフはどう過ごすことが多いですか。

 

中田 基本、家にいます。妹と一緒に住んでいるのですが、よく一緒にアニメを観ています。妹の学校で流行っているアニメが中心で、『SPY×FAMILY』『呪術廻戦』『【推しの子】』といった王道系を観ることが多いですね。あと妹がバレーボールをやっていたので『ハイキュー!!』だったり、同じくスポーツ系だったら『アオアシ』だったり。観ようと思っていたけど溜まってしまったドラマを一気見することもあります。

 

──ちなみに妹さんは、中田さん出演のドラマは観るんですか?

 

中田 全然見ないです。どうやら恥ずかしいみたいで(笑)。

 

──今年だけでもたくさんのドラマに出演していますが、体調管理はどうしていますか。

 

中田 あまり外食をしないので自炊をすることが多いのですが、栄養価を計算できるアプリを参考にしながら料理をします。最近は暑いので、納豆、オクラ、とろろなど、ネバネバ系を食べることが多いですね。あと寝て回復するタイプなので、たくさん寝ます。お仕事のときも移動中や休憩中に隙あらば寝ています。体が丈夫みたいで、滅多に体調を崩すこともないですね。

 

──地元にいたとき、家族で夏の恒例行事はありましたか?

 

中田 近くの川にホタルが出るので、家族みんなで早めに夕飯を食べて、見に行っていました。そうすると大体、友達も家族と見に来ているので、一緒に遊んでいました。

 

──今年の夏も残り僅かですが、やり残したことはありますか?

 

中田 まだ人生で一度もかき氷屋さんに行ったことがないので、かき氷屋さんに行って、大きいふわふわのかき氷を食べてみたいです! あと夏には間に合わないと思うのですがユニバ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行きたいです。

 

──行ったことはあるんですか?

 

中田 関西出身なのに一度も行ったことがなくて、私が実家にいたときは、他の家族も行ったことがなかったんです。ところが私が東京に来た途端、家族全員が行き始めて(笑)。すごく置いて行かれた感があるので、今年中に行きたいです。人混みは苦手なんですけどね……。

 

──今は海外客も多いので、いつ行っても混んでいると思いますよ。

 

中田 一時期YouTubeで、主観で撮影したジェットコースター動画を観るのにハマっていて、ユニバの乗り物がいいなと思ったんですよね。特に「ザ・フライング・ダイナソー」に乗ってみたいです。

 

──お仕事的にはどうですか。

 

中田 今23歳で、そろそろ学生役がリミットになってくるので(笑)。今回の「僕たちの校内放送」みたいに、学生役はできるうちにたくさんやりたいです。

 

 

 

連続テレビ小説『らんまん』【全130回(全26週)】

NHK総合 月~土 :午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K月~土 :7:30〜7:45、(再放送)11:00 〜11:15

 

(STAFF&CAST)
作:長田育恵
語り:宮﨑あおい
音楽:阿部海太郎
主題歌:あいみょん
制作統括:松川博敬
プロデューサー:板垣麻衣子、浅沼利信、藤原敬久
演出:渡邊良雄、津田温子、深川貴志、ほか

出演:神木隆之介、浜辺美波、志尊淳、佐久間由衣、ほか

公式サイト:https://www.nhk.jp/p/ranman/ts/G5PRV72JMR/

 

火曜ACTION!『僕たちの校内放送』

フジテレビ:8月22日(火)24時25分~24時55分

(STAFF&CAST)
プロデュース:足立遼太朗
演出:清矢明子
脚本:伊吹一、前田知礼

出演:木戸大聖、前田旺志郎、中田青渚、米倉れいあ、ほか

公式サイト:https://www.fujitv.co.jp/schoolbroadcast/

 

撮影/河野優太 取材・文/猪口貴裕

東雲うみインタビュー【完全版】「プラモデルを始めたらものすごい充実感が味わえました」

グラビアアイドルとして活動する一方で、ディープなプラモデル趣味が話題となり、現在はモデラ―としても活躍する東雲うみさん。彼女がハマるキャラクタープラモデルの世界をナビゲートしてもらった。GetNavi本誌掲載インタビューから完全版としてボリュームアップしたWebオリジナルインタビューをお届け。

※こちらは「GetNavi」 2023年9・10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

ナビゲーター
アイドル・モデラ―

東雲うみ

しののめ・うみ…1996年9月26日生まれ。埼玉県出身。血液型AB型。身長162cm、B90・W59・H100cm。“グラビア界の二刀流”として活躍するほか、YouTuberとしても活躍。X(Twitter)InstagramYouTube

【東雲うみさんの撮り下ろし写真】

 

活躍を想像し、具現化できる自由さが好きです!

──どのようなきっかけでプラモデルに興味を持ち始めたのでしょうか?

 

東雲 大学生の時に、たまたま秋葉原に遊びに行ったんです。そのときに通りかかったお店にアニメ『機動戦士Zガンダム』の主人公メカのZガンダムのプラモデルの完成品が飾られていて。それがすごくかっこよくて、もうひと目ぼれだったんです!

 

──それまで、いわゆるガンダム作品を好きで見ていたんですか?

 

東雲 そのころはガンダムをよく知らなかったんです。シャアやアムロが出るとか、かつて大ヒットした作品だという程度。でも、そこで見たZガンダムの完成品が気に入って、それがプラモデルのキットでそのお店で売っているというのをその場で知って、値段もそんなに高くなかったのでとりあえず買ってみようと。それが始まりですね。

 

──それはどれくらい前ですか?

 

東雲 5年前くらいです。そのときは買ったZガンダムをとりあえず普通に説明書どおりに組み立てて、「プラモデルも面白いな」って思いました。もともと細かい作業は好きだったので、組み立てるのも楽しくて完成しただけで満足でした。その後、Zガンダムが活躍するアニメがあることを知って、テレビシリーズの『機動戦士Zガンダム』を見たら見事にアニメにもハマりました。主人公のカミーユも大好きになって。そこから「ガンダム作品をちゃんと見よう」と思って、最初の『機動戦士ガンダム』から順を追って宇宙世紀の作品を全部見ていったんです。

 

──背景を勉強して、そこからさらにガンプラを楽しむようになったんですね。

 

東雲 プラモデルに関しては、アニメにハマった後に、自分が組み立てたZガンダムを他の人はどんなふうに作っているのかが気になって、SNSで調べてみたんです。そうしたら、同じキットを作っているはずなのに、塗装したりアレンジしたりと、めちゃくちゃかっこよく作っている人がたくさんいらして。それがきっかけで、「どうやったらこんなふうに完成させられるんだろう?」といろいろとネットで調べ始めました。その結果、塗装や改造の仕方によって仕上がりが違うことを知って、そこから自分でもやるようになりました。

 

──最初のプラモデルのYouTubeの動画は、Zガンダムでしたね。

 

東雲 そうです。今から2年前くらいにアップした動画ですが、あの頃はすでにかなりプラモデルにハマっている状態でした。でも、プラモデルが好きで、趣味で作っていることはグラビアのお仕事を始めて最初の1年くらいは隠していました。正直、「グラビアの子がビジネスでガンプラを好きだと言っている」というふうに見られるのがイヤだったんです。本当に大好きで趣味として楽しんでいることだったので。知り合いや仕事でご一緒する方には「プラモデルが好き」という話をしていたのですが、ずっと公表していませんでした。でも、せっかく完成したら人に見せたいという欲求が出てきて……。また、仕事でご一緒する方も「それは世に出した方がいいよ」と言ってくれて。そうした経緯で最初のYouTubeのプラモデル制作動画を撮りました。あのときは、その後のこととか考えていなくて、とにかく自分の好きなものを世に広めたい、完成品を見せたいという気持ちだけでした。

 

──プラモデル好きは、お父さんや兄弟などの影響などがあったのかと思っていたんですが、そんなことはないんですね。

 

東雲 兄弟もいませんし、父親も「プラモって何?」というくらい何もわかっていないです(笑)。私自身、もともと『トランスフォーマー』や『パシフィック・リム』などのロボットものの映画が中高生のころから大好きで。でも、女子校だったので同じ趣味を共有できる友達もおらず。唯一、外国人の英語の先生が『パシフィック・リム』好きで話が合ったくらいですね。大学に入ってからは、教授がガンダム世代でガンダムの話ができるようになったり。だから、同世代でこうした趣味が合う友達はいないんですよね。

 

──ロボットが好きなんですね。

 

東雲 ロボットは大好きです! 私は立体としての造形から入るタイプなので、正直アニメは「観なくてもいいや」くらいに思っていたんです。でもZガンダムを作ったらすごく愛着が湧いて、「このモビルスーツは映像ではどう動いているんだろう」と思って。おかげで、プラモデルだけじゃなく、アニメにも見事にハマりました(笑)。

──プラモデルの「ここにハマった」というようなポイントはどこですか?

 

東雲 細かく言うとたくさんあるのですが、やっぱり自由度の高さですね。私は作り始める段階で妄想するのがすごく好きなんです。「この子はどう戦ってきたのか?」というのを想像するし、どういうストーリーのもとに仕上げたらいいか……というのを制作する前の段階で考えて、イメージするのがまず楽しくて。参考に他のモデラーさんが作られたものを見て想像するのもいいですし、箱の中のキットを見て「どう仕上げようか」と妄想するのも楽しい。作り始める前にまず「考える」時間を持つのがひとつの楽しみ方だと思いますね。

 

──動画を拝見すると、制作前のプランニングをしっかりされて作られていますね。

 

東雲 実際に作っていく過程でも結構シミュレーションしながら進めていきますね。まず、素組み状態のプラモデルの写真を撮ってiPadに取り込んで、カラーリングのプランを練ったり、スジ彫りなどのディテールアップする箇所を写真に描き込んだり。そうした作業に没頭できるのもプラモデルの魅力だと思います。私は、プラモデルを作るときには、絶対にコンセプトを決めるようにしています。例えば、映画『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』に出てくるクスィーガンダムを作ったときは、劇中のシチュエーションに合わせて、夜明けの空、太陽が昇っていく様子を表現しようと思ったんです。そういうコンセプトを決めると、そこからどんどんいろんな想像が広がっていって。太陽が昇るなら、ガンダムの中心をオレンジ色っぽくして、そこからフワァーっと広がる空の色にしようとか。そうした完成品像が頭の中に完全に見えた状態で始めたいんです。もちろん、実際に手を動かすと「ここは違うな」ということはありますが、完全に作りたいものにこだわってイメージしてから作っている感じですね。

 

──改造作業もマニアックかつかなり高度な作業をされていますよね。そういう知識はどこから取り入れているんですか?

 

東雲 そこはすごく言われます。「1人でこんなふうにできるわけがない」とか「裏にバックアップしているモデラーがいる」とか。そう思われるのはちょっとイヤです。実際には全部自分で調べて、自分で作業しています。今だったら、モデラーさんのブログやYouTubeの動画など、自分が熱を持って調べようと思えば、いくらでも情報を入れることができますよね。だから、あらゆる手段を使ってものすごく調べています。例えば、ナイチンゲールを作ったときには曲面にディテールを追加する方法として、プラ板を熱で収縮させる「バキュームフォーム」というやり方があると知って、それをやっているモデラーの方のブログを参考にさせていただいたり。動画では載せていないですが、実際の作業では5枚くらいプラ板を無駄にするほど、たくさん失敗をしていますし、そうやって仕上げているんです。動画にするときには、編集して一番いいところだけを映しているので、失敗をしていないと勘違いされやすいんですね。

 

──YouTubeでは、いろんなジャンルの配信をされていますが、中でもプラモデルに関する動画だからこその良さはありますか?

 

東雲 やっぱり、共感してくれる人が多いというのは1つの魅力ですね。私は、大道芸や絵画、ギターやゲームなどもやるんですが、動画にすると大道芸は見せるだけになってしまうし、絵も自分の作風を見せるだけになるので、見ている方に同じように共感はなかなかしてもらえない。でも、プラモデルは一般に流通されていて、同じ土台を手に入れることができる。そこから、どのように自分の個性やこだわりを持って仕上げるかというところで、「あなたは、そのプラモデルをそんなふうに作ったんですね」と共感できるし、話をできる人が多い趣味という感じがありますね。

 

──プラモデルは、キットや完成品の話だけじゃなく、組み立てて仕上げるのに使う道具や材料、塗料など何を使っているかという話でも盛り上がれますよね。

 

東雲 そうなんですよ。そうした同じ趣味の人同士のコミュニケーションが楽しいですし、完成品をYouTubeに出せばたくさんコメントがいただけるのも嬉しくて。評価をもらえて「僕だったらこう仕上げる」「この発想はなかった」といろんなコメントがもらえると次の作品制作のモチベーションにもなるんですよね。

 

──プラモデルには、そうして同じ趣味を持つ仲間との交流が拡大していく魅力があるということですね。

 

東雲 特にガンプラはキットを買ってニッパーを手にすればスタートできるので、始めるのはかなりハードルが低いと思うんです。しかも、SNSで検索すると同じキットを作っている仲間がたくさんいるので、そこから友達もできますし。プラモデルを始めただけで、いろんな欲が満たされます。作りたい欲、完成品を見せたいという欲、そこからいろんな人と交流もできる。始めただけでこんなに充実感や満足感を感じられる趣味はなかなかないと思います。

 

──動画を拝見すると、東雲さんご自身も制作する模型のジャンルがどんどん広がっていますね。

 

東雲 ガンプラだけじゃなく、本当にいろいろ楽しんでいます。最近だとキャラクターの美少女プラモとかも好きですし。基本的には気になるものは手を付けています。以前、模型雑誌の企画で初めて飛行機模型を作らせていただいたことがあって。最初はスケールモデルはハードルが高くて手が出せないというイメージを持っていたんですが、実際に作ってみたら小さい中に再現されたディテールに驚きつつ、意外と簡単に作ることができる。だから、興味があったら気軽に手を出していいのかなと思いましたね。最初はうまくできなくても、いろいろなことを知ることができて楽しいですし。

──プラモデルはトライ&エラーなので、失敗を恐れずにやるのはいいことだと思います。

 

東雲 そこは本当に声を大にして言いたいですね。やらないのはもったいないって。私のファンの方でも「東雲ちゃんみたいにうまくできないから、買ったけど作れない」って言われる方がすごく多いんです。でも、そうじゃないんだよって。私も何回も失敗しているし、失敗したから世に出してない作品もいっぱいある。でも、そうやって作っていく中でいろんな発見があって、どんどんうまくなりますから。私だって、最初に動画で出したZガンダムと今の完成品を比べたら全然レベルが違いますからね。動画を見返すとどんどん上手になっているのがわかるんです。だから、「失敗を恐れずにやる」というのは大事だと思っています。

 

──現在は、グラビアのお仕事に加えて模型のお仕事も増えてきていると思うのですが、二つの好きなことをやっている感想はいかがですか?

 

東雲 すごく嬉しいですよね。本当に好きなことは仕事にしないほうがいいって言うじゃないですか。私も作例制作の依頼がきたらプラモデルが嫌いになるかと思っていたんですが、実際に依頼されて作って、それが雑誌に載ると本当に嬉しさしかなくて。ツラいところは、「締切」があるというところですね(笑)。私はもっと作り込みたい、納得できないから作り直したいと思うレベルでも出さなくちゃならないときは「ううっ……(泣)」となることはあるんですが、模型雑誌では私の作例をきれいに撮影していただいて、一番かっこいい姿を掲載していただけて、インタビューもしてもらえるので。そして、それが世に出て見てもらって、フィードバックがもらえるのは嬉しすぎて。今はやりがいしかないですね。一方で、例えば納期まで2週間という状況の中で、グラビアの撮影が何日間か入ったりすると「ちょっと帰ってプラモ作りたいのに」「早く作らないと間に合わない!」とウズウズしちゃうこともあります。グラビアも大好きだからしっかりとやりたいんですが、プラモデルの方をもっとやりたいという気持ちになっちゃうことも多いです(笑)。

 

──グラビアでご自身の姿を見てもらうのと、プラモデルを作って見てもらう。2つの仕事をしていて、感覚が近いところもあるんでしょうか?

 

東雲 あります! 私は、自分のことを自分で操縦できるプラモデルだと思っているんです。ボディメイクとして筋トレをするんですが、それはプラモデルの感覚で言うとディテールアップですよね。「お尻がこういうふうに上がればいいかな」とか「くびれの角度はこっちの方がいいな」と思ったら、それに向けて筋トレをする。それはプラモと一緒で、イメージしたものに近づける感覚です。筋トレする際も髪形を整えるときも「私がこうなったらいい」というのをまず頭の中で想像するんです。そして、その姿をプロに撮ってもらう。それは、プラモの作例と一緒で、私自身が作例みたいな感じで挑めるので、それもめちゃくちゃ楽しいです。

 

──プラモデルは気になっているけど、なかなか始められないでいる読者も多いと思うので、そういう方々にメッセージをお願いします。

 

東雲 「GetNavi」という雑誌を手にしたり、サイトを訪れる方は、その時点で何か趣味を見つけたいと思っている方が多いと思うんです。その中の1つとしてプラモデルに興味がありつつ、「まだ始めるのには早いかな」とか、「興味はあるけど失敗しそうでなかなか手を出せない」と思っている人がたくさんいるのではないかと。でも、私はそこにプレッシャーを感じずに気軽に始めてほしいなと思っています。とりあえず、興味があるけど何を買っていいかわからないなら、プラモデル売り場に行ってジャケ買いでもいいので、気になったものを手にしてみる。そして、1個組み立ててみると楽しさがわかるんじゃないかと。もちろん、作り方のセオリーみたいなものはありますが、そんなのは後から知ればいいので。恐れずに始めて、手にしたものが難しくて無理そうだったら、ちょっと簡単そうなキットを組むとか。無理せず、自分のペースでできるプラモデルがたくさんあるし、最初は失敗してもいいので、恐れずに始めて、楽しさを知ってほしいと思いますね。

 

【うみ的マストアイテムをCHECK!】

❶「やすりの親父」/長さがちょうど良くて持ちやすいし、しっかりした硬さもあって、長く使ってもヘタらない。目詰まりもしにくいように感じます。❷「メラミンスポンジ」/お掃除用品として使われることが多いんですけど、プラモデル製作では簡単なツヤ消しや塗装にも使えます。❸「ゴッドハンド 神ふで」/ムラなく塗れてはみ出さない。筆塗り派はもうこれを買ってください(笑)。❹「綿棒」/100均で売っているメイク用の綿棒がオススメ。片方が尖っていて細かい作業に向いています。

 

【うみ製作!愛すべき作品マイベスト3 】

1.  ナイチンゲール

「自作のバキュームフォーマーで外装フレームを作ってディテールアップしたり、バーニアが見えるようにメッシュ加工にしたり、黒立ち上げ塗装で渋い赤に仕上げたこだわりの作品です」

 

2.  SDF-1 MACROSS

「初めて光ファイバーを使って電飾に挑戦した作品です。何度も失敗しながら苦労しました。青が好きで、シノノメブルーという色を作っていて、それがめちゃくちゃいい感じに出てます」

 

3.  クスィーガンダム

「夜明けの朝日に照らされている海をイメージして作りました。思い描いたイメージを大切にして、絵を画くような感覚で仕上げていったので、とても思い入れがあります」

 

【INFORMATION】

うみちゃんねる @umi_shinonome

グラビアアイドル・東雲うみの公式チャンネル。登録者数は93万人(7月10日時点)。ガチでプラモデル製作に取り組む動画から、グラビアアイドルのお仕事の裏側、筋トレなどのボディメイクやコスプレ披露など、すべて本人が動画を編集してアップしている。

 

東雲うみ 「うみとボク」

BOMBデジタル写真集
好評リリース中!

 

撮影/野下義光 取材・文/石井 誠

「未知な部分が大きい」俳優・福地桃子、初舞台『橋からの眺め』への思いを語り尽くす

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13 人』(NHK)で、北条泰時の妻・初役を演じ大きなインパクトを残した若手俳優の福地桃子さん。6月には準主役として、俳優・國村隼さんの孫役を演じた映画『青と白』が上海国際映画祭でプレミア上映されるなど話題に事欠かない。

福地桃子●ふくち・ももこ…1997年10⽉26⽇⽣まれ、東京都出⾝。2019年の連続テレビ⼩説『なつぞら』(NHK)に夕見子役で出演し注目を集める。2023年にはドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(Netflix)を皮切りに、同時期のドラマ『それってパクりじゃないですか?』(日本テレビ)、『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(NHK BSプレミアム)など続々と出演している。XInstagram

 

そんな福地さんが、キャリア初の舞台作品となる『橋からの眺め』(9月2日開演)に挑戦。福地さんは伊藤英明さん演じる主人公・エディの姪役で、重要な役どころとなっている。今回は、映画『青と白』の制作当時の話に加え、『橋からの眺め』での舞台デビューに懸ける思いをたっぷりと語ってもらった。

 

【福地桃子さん撮り下ろし写真】

 

「國村隼さんの気さくで素敵なお人柄に救われました」

 

──出演作続きで活躍されている福地さん。先日は映画『青と白』が上海国際映画祭でプレミア上映され、話題になっていましたね。

 

福地 作品が様々な場所で上映され、大変うれしく思いました。日本らしい雰囲気を海外の方にも感じていただけていたら良いなと思っています。

 

──日本ではまだ公開されていませんが、『青と白』はどのような作品なのでしょう?

 

福地 妻を失くしてしまった昔気質の塩職人が、自らの仕事や家族と向き合う姿を描いた物語です。塩職人の役を國村隼さんが演じられ、私はその孫娘という役柄でした。撮影自体は1年以上前に行いました。ドラマとはまた違って、季節を巡ってから皆さんの元に届くという、映画独特のリズムをしみじみと感じているところです。

 

──完成作品をご覧になった感想を、ぜひ聞かせてください。

 

福地 撮影から少し時間が経っていましたが、見た瞬間に当時の土地の空気や過ごした時間が強く思い起こされました。撮影時の肌感覚がよみがえってくるというか。そういった現地の雰囲気を感じ取れる作品になっているのではと思います。

 

──なるほど。その場にいるような感覚になると。

 

福地 はい。日本ではない別の場所で上映された時も、日本の空気や、職人さんの仕事や伝統を感じ取ってもらえるんじゃないかと。それが伝わっていたらいいなと思いました。

 

──祖父役の國村隼さんとは、ご共演されていかがでしたか?

 

福地 初めて共演させていただきましたが、気さくで素敵なお人柄に、とても救われました。作品では、すごく繊細なやりとりや心の動きが描かれます。そのため短い撮影期間中に、祖父と孫という関係を作らなくてはいけないのですが、國村さんが明るく話しかけてくださって。

 

──素敵ですね。

 

福地 ご一緒できて本当にうれしかったです。撮影自体も全編ロケで、実際に海の近くにある塩工房をお借りして撮ったので、美しい塩を作りながら本当に一緒に生活しているような感覚でした。画がある映像になっていると思います。

 

──それは楽しみです。ほかに、観客にはどんなところに注目してほしいですか?

 

福地 作品を観たときの感想として土地のにおいを感じました。風景を見つめて想像してもらい楽しんでほしいですね。亡くなったおばあちゃんとの思い出や関係性を知り見えてくる、おじいちゃんの知らない一面も感じ取れるような気がしました。映画を見ながら、大切な人と過ごす時間について、あらためて思い出していただけたらいいなと思います。

 

初の大舞台に「眺めは一体どんな感じなんだろう」

 

──9月2日から東京芸術劇場プレイハウスで開演となる『橋からの眺め』は、20世紀を代表するアメリカの劇作家アーサー・ミラーの作品で、ブロードウェイなど世界各地で上演されてきた名作です。初めての舞台を前に、今のお気持ちは?

 

福地 これまで自分が足を運んで、お客さんとして舞台を見ることはありましたが、今度は逆の立場になるわけで。舞台からの眺めは一体どんな感じなんだろうと、未知な部分が大きいです。

 

──舞台からの眺めは、本番になるまで分からないですもんね。

 

福地 はい。その場の空間を作るのは、そこにいる全員だと思っています。大きくみたら同じ場所なのに、立つ場所が変わるだけで空気が全く違うものになるかもしれない。今は、お客さんと一緒に作る舞台ならではの一体感を楽しみにしながら、観客の皆さんにもそこを楽しんでほしいなと想像しています。

 

──その点、映像作品より緊張感がありますか?

 

福地 公演ごとのお客さんの反応や温度感が、きっと自分にも影響があり、その都度お客さんとコミュニケーションを取りながら進めていくことになる。そこに緊張を感じつつも、とてもワクワクする部分でもありますね。

 

──当日が楽しみですね。脚本を読んでみていかがでしたか?

 

福地 この物語では、夫婦や兄弟、親戚などの関係を持つ登場人物たちの人間味あふれるやりとりの中で、 衝撃的な展開が次々と起こります。私は一度読み終えた後に、希望なのか喪失感なのか、言葉では表せない感情を受け取りました。また、きっと読むたびに変わっていく感情なんだろうな、と思いました。

 

──戯曲は1950年代のアメリカ・ブルックリンを舞台にしたお話ですが、観客はどういったところに感情移入したり、共感を持ったりするのでしょうか?

 

福地 近しい人との会話のやりとりの中で、微妙な“ズレ”が生まれることがありますよね。あとから振り返ると気がつくこともあるけれど、何気なく過ぎていってしまうズレもあると思うんです。それが今回、この作品で悲劇として描かれているポイントで、ものすごく深い意味があるところなのではと思っています。人間が持つ泥臭さが現れ、皆さん共感できる部分があるんじゃないかなと。

 

──なるほど。いつの時代も変わらない普遍的な部分なのかもしれませんね。

 

福地 だからこそ、この戯曲がブロードウェイをはじめ、さまざまな場所で演じられ続けてきたゆえんなのではないか、と感じました。

 

「登場人物誰一人、悲劇だと思って演じないでほしい」

 

──今回、演出を担当するのは英国内外で高い評価を受けている演出家のジョー・ヒル=ギビンズさんです。ジョーさんとの顔合わせで何かアドバイスはもらいましたか?

 

福地 舞台が始まる前のアドバイスのようなものではなくて。ジョーさんがこれまで手掛けてきた数々の舞台で起きたハプニングなど、楽しかった出来事をお話してくださったんです。こんな事件があったけどお客さんは笑っていたよ、とか。未知な領域への興味を広げてくださり、のびのびとした気持ちで稽古に臨めたらと思えたので、とても心強かったです。

 

──素敵な方ですね。ほかの出演者の方とは、もうお会いされましたか?

 

福地 まだですね。作品などでお会いしたことのある方もいらっしゃいますが、長い時間をかけてご一緒させてもらうのは初めての方が多いです。稽古の中で皆さんの人柄を知れる時間があると思うので、家族として少しずつパーソナルな部分を知って作品を作れればと思います。

 

──稽古が楽しみですね。

 

福地 坂井真紀さんとは、ひとつのシーンですがドラマの現場でご一緒させていただいたので、ジョーさんとお会いした時のお話ができました。ジョーさんの言葉で、「登場人物誰一人、このお話を悲劇だと思って演じないでほしい」と言っていたのが強く印象に残っていて。なんだか普通のように思えるのかもしれませんが、良い方向へ向くように歩いて行く気持ちを最後まで持ち続けることを大切に、作品に向き合おうと考えました。

 

──福地さんの軸となる言葉を、坂井さんに伝えられたのですね。

 

福地 はい。始まる前と始まってからとでは言葉の印象がまた変わると思うので、なるべく受け取ったときのままお伝えできたらいいなと思った言葉でした。すると坂井さんは「その話を聞けて良かった」と言ってくださったので、「あぁ良かったなぁ」と思いました。

 

──福地さんは、共演者の方との関係づくりを大切にしている印象を受けました。

 

福地 なるべくですが。心がけていることは、普段から“この人に伝えたい”ということがあったら、新鮮な気持ちのまま伝えようと思っています。もともと自分の言葉を伝えるのが得意だった訳ではないですが、関係性をより良いものにするために、思いを伝えることは大切にしたいなと考えています。

 

赤チェックの水筒から生まれた異文化交流

 

──GetNavi webでは、皆さんに今ハマッているモノをお聞きしているのですが、撮影現場に持って行ったり、重宝したりしているモノはありますか?

 

福地 最近、毎日暑いので水筒を持ち歩くようにしています。赤いチェック柄の水筒ですね。

 

──あ~、かわいいですね!

 

福地 丈夫なのでどこでも持ち歩けますし、大容量で気に入っています。

 

──使いやすそうですね。

 

福地 実は、この水筒に1つエピソードがあるんです! 仕事で出会った海外の方が、この水筒のチェック柄を指差して、声をかけてくれたんです。どうやらその方の母国では、チェック柄に親しみがあるようで。チェックにまつわる文化を教えてくれました。たまたま持っていたアイテムで、交流ができたのがうれしかったです。さらに愛着がわきました。

 

──素敵ですね。公演がある9月も暑いと思いますので、まだまだ重宝しそうですね。それでは最後に、『橋からの眺め』を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。

 

福地 私が演じさせていただくキャサリンは、子どもでも大人でもない年代の女の子です。正しい選択とは何かに悩み、とても複雑な思いを抱える役ですが、一方で、起きる物事を一番純粋に捉えているキャラクターでもあります。私もキャサリンの年齢だったころの気持ちを引き出して演じるので、皆さんにも、この家族に起きていることを純粋な目線で見つめてもらいたいです。

 

また“家族みんなが同じ方向を向いている”と思っていても、思わぬ事態が起きたり、思わぬ展開になったりと、想像してなかったことが発生するのは、日常生活でもあることだと思います。それでも、それぞれが真剣に生きている。皆さんが、この作品のどこかに共感を覚えつつ、何か受け取ってもらえたらいいな、と思います。

 

PARCO PRODUCE 2023『橋からの眺め』

【東京公演】東京芸術劇場 プレイハウス
2023年9月2日(土) 〜2023年9月24日(日)
チケット料金:S席1万1000 円、A席9000 円 ほか
※スマホアプリ「パルステ!」および各プレイガイドで発売中

【北九州公演】J:COM北九州芸術劇場 大ホール
2023年10月1日(日) 13:00開演

【広島公演】JMSアステールプラザ 大ホール
2023年10月4日(水)18:30開演

【京都公演】京都劇場
2023年10月14日(土) 〜2023年10月15日(日)

 

(STAFF&CAST)
作:アーサー・ミラー
翻訳:広田敦郎
演出:ジョー・ヒル=ギビンズ
出演:伊藤英明、坂井真紀、福地桃子、松島庄汰、和田正人、高橋克実
公式サイト:https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge
企画・製作:株式会社パルコ

 

撮影/映美 取材・文/kitsune ヘアメイク/秋鹿裕子(W) スタイリング/GOTO KANAE

「岸くんが返してくるセリフは一級品!」“Gメン”竜星涼インタビュー。待望の二枚目キャラでアドリブ炸裂!?

『ナンバMG5』で知られる小沢としお氏の同名コミックを映画化した『Gメン』が、8月25日(金)に公開。問題児だらけのクラスに転入した男子高校生・門松勝太を、岸優太さんが熱演するなか、勝太の恋愛の先生・瀬名拓美を演じるのが竜星涼さんだ。

竜星涼●りゅうせい・りょう…1993年3月24日生まれ、東京都出身。2010年にドラマ『素直になれなくて』(フジテレビ)で俳優デビュー。最近の出演作に映画『弱虫ペダル』(2020)、ドラマ『家、ついて行ってイイですか?』(2021・テレビ東京)、『スタンドUPスタート』(2023・フジテレビ)など。現在送中のドラマ日曜劇場『VIVANT』(TBS)にも出演中。XInstagram

 

犬飼貴丈さんとのW主演映画『ぐらんぶる』の北原伊織役(2020)や、NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』(2022)の“ニーニー”こと比嘉賢秀役など、近年三枚目キャラの印象が強い竜星さん。しかし今回は “武華のプリンス”の異名を持つ、二枚目キャラを熱演。キャストみんなが監督を笑わせにかかるという、少し変わった瑠東組の現場について、たっぷりと語った。

 

【竜星涼さん撮り下ろし写真】

 

「岸くんを困らせてほしい」瑠東監督からの無茶ぶり

 

──今年3月で30歳になった竜星さん。20代最後の映画が高校生役ということで、まずはオファーを受けた際の感想を聞かせてください。

 

竜星 この年齢で皆さんに制服姿を見せるということは、なかなか勇気がいることでして……(苦笑)。でも周りを見渡せば、僕よりも年上の先輩方が制服を着ていらっしゃるので、とても励まされました。「あ、俺もいけるわ!」と(笑)。

 

──先輩にあたる田中圭さんや高良健吾さんも制服姿でしたね。竜星さんが演じる瀬名のキャラクターについては、どう思われましたか?

 

竜星 最近は三枚目の役どころが多かったこともあり、二枚目という本来の自分の姿を忘れかけていたのですが(笑)、瑠東東一郎監督が「イケメンの竜星涼が見たい!」と言ってくださったんです。フタを開けたら「これは二枚目なのか? イケメンなのか……?」と思うことがあったりなかったりのキャラクターでしたが(笑)。しっかりカツラを被って二枚目になりました!

 

──瑠東監督といえば、竜星さんが教師役を演じられたドラマ『オトナ高校』(2017・テレビ朝日)や、主演を務められた『スタンドUPスタート』(2023・フジテレビ)などの作品がありますが、現場はどのような雰囲気なのでしょう?

 

竜星 瑠東組は、チームワークの良さやグルーヴ感が特徴的だと思います。キャストみんなが監督を笑わせようとするんです。

 

──モニター前で、瑠東監督が一番笑っているとか。

 

竜星 そうなんです。今回はドラマ『ごめんね青春!』(2014・TBS)からの仲である矢本悠馬がいたこともあり、特に男子校ノリでした。さらに主演の岸(優太)くんが、誰もが想像しないようなことを言ってくる天然キャラなので、現場の笑いが耐えなかったです。瑠東監督から僕への指示は「岸くんをできるだけ困らせてほしい」というものでした。

 

──「岸くんを困らせてほしい」とは、具体的にどういうことでしょうか?

 

竜星 岸くんが演じた勝太は、問題児だらけの1年G組に編入してきたり、僕が演じる瀬名に出会ったり、予想外の状況に困惑する役柄でした。そこで岸くんとの共演シーンでは、僕がアドリブをどんどん出して、彼自身を困らせて、勝太とシンクロするように仕掛けたんです。

 

──なんと。実際に“予想外の状況”を竜星さんが作り出していたのですね。

 

竜星 岸くんがテンパりながら返してくるセリフは一級品でした! あの言葉選びは努力しても出せるものではない、天性の才能だと思いましたね。役者陣から羨ましいと声があがるほどでした。

 

──ちなみに、竜星さんが演じられた瀬名も天然キャラですよね?

 

竜星 はい、だから僕は延々とボケ続けたんです(笑)。それに対して岸くんはツッコまなきゃいけないのですが、段取り・テスト・本番と、僕は全部違うボケをして困らせていました。ちょっと特殊な現場ですよね。信頼し合える、チームワークのいい瑠東組だからこそできることだと思います。

 

個性強めなキャラたちと「とにかく面白いものを」

 

──先ほど“年上の先輩方”も話題に挙がりましたが、八神紅一役の田中圭さんの印象は?

 

竜星 田中さんはドラマ『おっさんずラブ』(2016ほか・テレビ朝日)で瑠東組だったこともあり、役柄の中でのびのびと楽しんで演じられているように見えました。僕自身も貴重な学園モノでしたが、先輩である田中さん含め、年齢問わずみんなでわちゃわちゃできて、単純にうれしかったです。

 

──田中さんはじめ強烈なキャラクターが多く登場しますが、竜星さんのお気に入りは誰でしょう?

 

竜星 りんたろー。さんが演じられた薙竜二ですね。実は最初の台本読みの時、りんたろー。さんが仕事で来られなくて、瑠東監督から「代役を竜星にやってほしい」と頼まれたんです。そこで本気で役作りをして、僕の中で120点の薙を演じました。その場にいた矢本悠馬から「竜星涼史上、一番面白い芝居だった!」と言われましたし、僕も思わず瑠東監督に「僕、二役やれますよ!」と言っちゃいました(笑)。

 

──それはりんたろー。さんもプレッシャーですね。完成した作品を観たときは、どのような感想を抱かれましたか?

 

竜星 この映画は男子高校生の日常だったり恋愛だったり、いろんな要素が入っていますし、「どっちが上、どっちが下」のようなケンカを描いていないので、幅広い層の方に楽しんでもらえる青春映画になったと思います。ただラスト近くで、NGだと思っていたテイクが、がっつり使われているのを見た時は驚きました(笑)。長回しが多く、僕らもカットがどのように使われて、どのように編集されるか知らなかったので。

 

──それはまさかでしたね。竜星さんが特にお好きなシーンはどこでしょう?

 

竜星 高良健吾さん演じる伊達薫が、校舎の屋上から飛ぶシーンですね。ひょっとしてロボットか? と思っちゃいました(笑)。「とにかく面白いものを生み出そう」と、みんなが切磋琢磨している現場で、それを生むための長回しも当たり前で、さらにこんなファンタジーなシーンもあり……たまりませんよね!

 

自分に近いのは“三枚目”。「二枚目は、どこか辛くもありますね」

 

──本作にも通じる竜星さんの三枚目キャラといえば『ちむどんどん』の“ニーニー”が知られていますが、2019年の映画『トイ・ストーリー4』の日本語吹き替えで演じた“フォーキー”も転機になっているのでは?

 

竜星 フォーキーは初めての吹き替えのお仕事でしたが、いまだに僕が声を務めていたことに気づいていない人も多いです。その点、それまでの自分のイメージとかけ離れた役を演じ切ることができたと思っています。

 

──三枚目キャラを演じる苦労は多いのでしょうか?

 

竜星 それが、そうでもなくて。『男はつらいよ』シリーズの“寅さん”のように、僕は三枚目キャラの方が人間として好きですし、自分にも近いです。だから理解しやすいですし、よりのびのびと演じられるのかもしれません。

 

──ということは、二枚目キャラより三枚目キャラのほうが演じやすいと?

 

竜星 そうですね。完璧な二枚目キャラは、演じるうえで想像しなきゃならない部分も大きいので、楽しくもありつつ、どこか辛くもありますね。

 

──三枚目キャラにみられる“人を楽しませたい“という気持ちが、竜星さんからはひしひしと伝わってきます。最後にGetNavi webということで、現場に必ず持って行くモノを教えてください。

 

竜星 お守代わりに、必ずフリスクを持って行きます。仕事や撮影が始まる前、口に入れてスッキリすることで、気持ちがオンになるんです。一度に3粒と決めていますが、回数がハンパないので、絶対に食べ過ぎだと思っています(笑)。

 

映画『Gメン』

8月25日(金)より全国公開

 

【映画『Gメン』よりシーン写真】

 

(STAFF&CAST)
監督:瑠東東一郎
脚本:加藤正人、丸尾丸一郎
原作:小沢としお『Gメン』(秋田書店「少年チャンピオン・コミックス」刊)
出演:岸優太、竜星涼、恒松祐里、矢本悠馬、森本慎太郎、りんたろー。/吉岡里帆、高良健吾・尾上松也、田中圭
主題歌:「ランラン」ザ・クロマニヨンズ(HAPPYSONG RECORDS/Sony Music Labels Inc.)
公式サイト:https://g-men-movie.com/

 

(STORY)
“彼女できる率 120%”はカタいという名門・私立武華男子高校に転校してきた、高校1年生の勝太(岸優太)。しかし勝太のクラスは、校舎が隔離された問題児集団1年G組だった。学年トップクラスA組のエリートで校内イチのイケメン・瀬名(竜星涼)との出会い、レディース集団のレイナ(恒松祐里)とのロマンス(?)、いろいろな意味で勝太に迫る2年の伊達(高良健吾)、何かと訳知り顔で見守る3年の八神(田中圭)――“モテたい”だけが目的だった勝太だが、空回りしながらも仲間たちと楽しい日々を過ごしていく。しかしそんな勝太たちに、伝説のグループ=G メンが死闘の末に潰したはずの凶悪組織=天王会の魔の手が忍び寄っていた――。

 

(C)2023「Gメン」製作委員会 (C)小沢としお(秋田書店)2015

 

撮影/関根和弘 取材・文/くれい響 ヘアメイク:TAKAI スタイリスト:山本隆司(style3)

藤竜也&麻生久美子「木綿豆腐の上に生もやしと……ずっとウチの定番になっています(笑)」映画『高野豆腐店の春』

広島県尾道市で、昔ながらの豆腐店を営む職人気質の父と頑固な娘の心温まる愛情物語を描いた『高野豆腐店の春』が、8月18日(金)より公開。劇中、父・辰雄を演じた藤竜也さんと娘・春を演じた麻生久美子さんに、心温まる撮影エピソードのほか、おススメの豆腐料理などについても紹介していただきました。

 

(写真左)藤 竜也●ふじ・たつや…1941 年8月27日生まれ。中国・北京で生まれ、神奈川県横浜市で育ち、以来、横浜に在住。日本大学芸術学部在学中にスカウトされて、日活に入社。『望郷の海』(62)でスクリーンデビューを果たす。近年は『コンプリシティ/優しい共犯』(監督・近浦啓/20)、『それいけ!ゲートボールさくら組』(監督・野田孝則/23)などに出演。三原光尋監督作品『村の写真集』(2005)では第8 回上海国際映画祭・最優秀主演男優賞受賞。その後、『しあわせのかおり』(08)に出演し、最新作『高野豆腐店の春』(23)では三原監督とは3 本目のタッグを組み、円熟味のある演技で豆腐屋の店主を演じた。公式HP (写真右)麻生久美子●あそう・くみこ…1978年6月17日生まれ。今村昌平監督作品『カンゾー先生』(98)でヒロインに抜擢され一躍注目を集める。同作で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞など多数受賞。以降も映画『回路』(監督・黒沢清/2001)、『夕凪の街 桜の国』(監督・佐々部清/07)、『ハーフェズペルシャの詩』(監督・アボルファズル・ジャリリ/08)、『モテキ』(監督・大根仁/11)、ドラマ「時効警察」シリーズ(テレビ朝日/06~)、「オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ」(NHK/21~22)など、多数の映画やドラマなどに出演。本作では父親思いの頑固で一途な娘役を演じた。公式HPX(Twitter)mg公式

【藤竜也さん&麻生久美子さん撮り下ろし写真】

 

26年ぶりとはいえ、とにかく藤さんとお芝居できることに緊張していました(麻生)

──今回、お二人は藤さんが探偵役を演じられた『猫の息子』以来、26年ぶりの共演だったそうですね。

 

麻生 あのときは藤さんと直接の共演シーンはなくて、正直「女子高生役で、ヴァイオリン弾いたな……」という思い出ぐらいしかないんですよ。私自身、映画出演もほぼ初めてみたいなものでしたし。

 

 そうだったんですね。本当にきれいな女優さんになられて。名前の響きも美しいですし。麻生さんにはそんな印象がありました。

 

麻生 嬉しいです(笑)。26年ぶりとはいえ、初共演の気が引き締まる思いというか、とにかく藤さんとお芝居できることに緊張していました。

 

(C)2023「高野豆腐店の春」製作委員会

 

──今回演じられた辰雄と春の父娘は、一緒にお酒を飲んで帰るなど、とても仲良しですが、そんな関係性については、どのように思われましたか?

 

 実際の私は息子だけで、娘がいないので、娘を持つ父親の気持ちがどうも分からなかったんですよ。でも、麻生さんが心のこもった演技をしてくださったことで、見事にそれに引っ張られまして……。春の縁談の話が持ち上がる展開あたりから、気持ちがあたふたオロオロしていました。麻生さんの顔を見ると、涙が出ちゃいそうになるから、なるべく見ないようにしていましたし(笑)。

 

麻生 お互い信頼し合っているいい父娘関係だなと思いました。私も父親とはずっと暮らしていなかったので、「もし、今ぐらいの年齢でお父さんがいたら、こんな関係性なのかな?」と想像していました。とても理想的ですし、藤さんのアドリブも相まって大好きなシーンになりました。

 

 あ、あれね! 最初は「どんぐりころころ」を歌う予定だったんですが、なんとなく「ずいずいずっころばし」に変えたら、そっちの方が合っているような気がしたんですよ。幸せになるために、肩を寄せ合って生きる辰雄と春だけでなく、それを温かく見守る地域の仲間たちとの関係だったり、三原(光尋)監督が作られた設定も素晴らしかったですね。

 

私はいつも演じる役の履歴書というかプロフィールみたいなもの考えるんです(藤)

──今回の役づくりについて教えてください

 

 私はいつも演じる役の履歴書というかプロフィールみたいなものを考えるんですが、今回は特に辰雄が尾道で豆腐店を始めるまでのいきさつを考えました。でも、芝居はナマモノですから、麻生さんとカメラ前に立つことで、自然と辰雄になっていけるんですよ。台本には書かれていない亡くなった妻や親友のことまで、情感がどんどん溢れてきました。

 

麻生 私は必要以上に話さなくてもいい親子関係に見えるため、辰雄さんを演じる藤さんと一緒にいる時間を大切にしたいと思っていました。そのほかに、事前に何か特別な準備はしませんでした。

 

(C)2023「高野豆腐店の春」製作委員会

 

──ロケ地である尾道の景色も印象的ですが、藤さんはロケハンから同行されたそうですね。

 

 辰雄が暮らす場所、辰雄がいつも歩いている路地、辰雄が使っている郵便局や銀行などをしっかり見ておきたかったんです。そうやって、街を見ることが役作りに繋がりますし、本来なら1か月ぐらい実際に住んで、撮影隊を迎えたい気持ちでした(笑)。

 

麻生 私は初めて尾道に行ったのですが、すごくきれいな所で、大好きになりました。初めてなのに、どこか懐かしさもありましたし、地元の方もとても優しく温かく迎えてくださいましたし、春が住んでいることもしっくりしました。

 

 現場では僕が自転車のシーンで膝をぶつけてしまって、走れなくなって、麻生さんが病院まで走るシーンが急きょ追加されたんですよ。それがすごいいいシーンになりましてね。三原監督と一緒に、「あれはけがの功名だね」と言っていました(笑)。

 

この撮影をきっかけに、朝に温かい豆乳を飲むことにハマっています(麻生)

──舞台となる豆腐店での豆腐作りについてはいかがでしたか?

 

 豆腐作りはとても新鮮でした。今はほとんど機械での作業で、的確なタイミングでスイッチを入れたり、切ったりするぐらい。その中で大変だったのが、大きい水槽に入った出来上がった豆腐を切る作業。真冬の撮影だったものですから身を切るような冷たさで、「これ、やらせるの!?」というほどで(笑)。そしたら、実際の豆腐店の親父さんが「大丈夫ですよ! そのうち、熱く感じてきますから」と言われて(笑)。

 

麻生 今まで生きてきて、水がこんな冷たいと思ったことはなかったほどですが、不思議なことに冷たすぎて、だんだん手が熱く感じてくるんですよ。

 

──毎朝、豆乳を飲まれているシーンもありますね。

 

麻生 お豆腐屋さんに聞いたら、「子供の頃から豆乳を飲まされることで日課になった」と言われていました。私もこの撮影をきっかけに、豆乳のおいしさに気づき始めて、朝に温かい豆乳を飲むことにハマっています。豆腐について、ちょっとだけ詳しくなりましたが、辰雄さんの朝のあいさつも印象的でしたね。

 

「おう!」という、ちょっとハードボイルドみたいな感じで。辰雄の情が厚い部分とは違った職人としての一面が出ているようなシーンになったと思いました。

 

──また、本作に出演されたことで豆腐へのこだわりみたいなものは生まれましたか?

 

麻生 木綿と絹の違いとか、にがりだけで作ったお豆腐のおいしさとか考え方が変わりました。でも、三原監督は本当にご自身で作られているんですよ!

 

 僕はウィンドサーフィンしにハワイのマウイ島によく行っていた頃、健康志向の子のまねをした食べ方がありまして。それは木綿豆腐の上に、洗った生もやしを置いて、ゴマ油と醤油をかけるだけ。ずっとウチの定番になっていますよ(笑)。

 

麻生 その食べ方、撮影中に藤さんに教えていただき、ウチでもやってみました! すごくおいしかったです。あと、冷奴なら、シンプルにお塩で食べるのもいいですね。

 

生きることはそれ以上に素敵なんだということを教えてくれる(藤)

──本作のテーマや見どころについて教えてください。

 

『村の写真集』『しあわせのかおり』に続いて、今回3作目となる三原監督との映画に通じるものは、みんな何かしらの問題を抱えて生きているということだと思うんですよ。すべてを投げ出したいぐらい辛いかもしれないけれど、生きることはそれ以上に素敵なんだということを教えてくれる。今回も、そういうメッセージが込められた素敵な作品になったと思います。

 

麻生 私は出来上がった作品を観て、「人は一人では生きられない」ということを痛感しました。どんなかたちであれ、周りに支えてくれる人はいると思いますし、人が人を思いやる気持ちがたくさん描かれた作品になったと思います。

 

──藤さんといえば、NHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」で、ときどき英語が飛び出す龍己じいちゃんが大きな話題になりました。

 

 僕自身はピンときていませんが、「ファンタスティック」とか「ハニー」が評判になっているという話は現場で聞きました。公園を歩いたりしていると、小さい子から「モネちゃんのおじいちゃんだ!」と言われることもありましたね。

 

──麻生さんはオダギリジョーさんと共演された日本マクドナルドのCMの反応も大きかったのでは?

 

麻生 いろんな方から、すごい反響があります(笑)。「時効警察」でおなじみのオダギリさんとの共演を喜んでくださる方が多いんですが、じつはCMでの共演は初めてなんです。もちろん現場は楽しかったですけれど、私にとってはご褒美みたいな感じでしたね。

 

クルマは僕にとって大きな存在で、「ありがとう」と言いたい感じです(笑)(藤)

──現場に必ず持っていくモノやアイテムを教えてください。

 

 僕は60年、ずっと横浜に住んでいるので、現場までは必ずクルマに乗っていくようにしているんです。免許取ってから、20台目ぐらいでしょうかね。今はイタリアのアバルトに乗っていて、長距離のときのステーションワゴンと乗り分けています。一人っきりになれる特別な空間ですし、いい気分転換になります。乗っているときは音楽やラジオはほとんどかけないですね。それだけ、クルマは僕にとって大きな存在で、「ありがとう」と言いたい感じです(笑)。

 

麻生 私は喉にいいスロートティーを入れたポットですね。特に甘くもなく、ノンカフェインのもので、声が枯れてきたときや風邪のひき始めのときに飲むと、すぐに良くなるんです。あとはアロマ・マッサージオイル。ちょっと眠くなったり、疲れたり、気分転換したいときに付けると、スーッとして、気持ちいいんです。

 

──また、現在ハマられているものがあれば教えてください。

 

 20年ぐらいやっていた陶芸をやめて、もう十年ぐらいになりますが、その後は趣味っぽい趣味がないですね。あえて言うなら、飯づくりですね。和食でも洋食でも中華でも、なんでも作ります。我が家のシェフですから。困ったときには、YouTubeを見て参考にします(笑)。昔だったら、レシピ書を引っ張り出してきたけれど、かなり楽な時代になりましたよ。

 

麻生 私は本当に趣味がない人なんですが、今は子育てぐらいでしょうか。2人とも小学生なので、放送中の出演ドラマを一緒に見たりすることもありますが、習い事の送迎が多いですね(笑)。YouTubeの楽しみ方を藤さんに教えてもらいたいです。

 

 YouTubeって、玉石混交だから、自分の興味あるものに関しては参考になるので、うまく使ったらいいし、使いこなせばなかなか便利なものだと思いますよ。

 

 

(C)2023「高野豆腐店の春」製作委員会

高野豆腐店の春

8月18日(金)よりロードショー

【映画「高野豆腐店の春」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督・脚本:三原光尋
出演:藤竜也、麻生久美子、中村久美
徳井優、山田雅人、日向丈、竹内都子、菅原大吉 / 桂やまと、黒河内りく、小林且弥、赤間麻里子、宮坂ひろし

(STORY)
尾道の風情ある下町。その一角に店を構える高野豆腐店。父の辰雄(藤)と娘の春(麻生)は、毎日、陽が昇る前に工場に入り、こだわりの大豆からおいしい豆腐を二人三脚で作っている。ある日、もともと患っている心臓の具合が良くないことを医師に告げられた辰雄は、出戻りの一人娘・春のことを心配して、昔ながらの仲間たち──理髪店の繁(徳井)、定食屋さんの一歩(菅原)、タクシー運転手の健介(山田)、英語講師の寛太(日向)に協力してもらい、春の再婚相手を探すため、本人には内緒でお見合い作戦を企てる。辰雄たちが選んだイタリアンシェフ(小林)と食事をすることになり、作戦は成功したようにみえたが、実は、春には交際している人がすでにいた。納得のいかない辰雄は春と口論になり、春は家を出ていってしまう。そんななか、とある偶然が重なり言葉をかわすようになった、スーパーの清掃員として働くふみえ(中村)が、高野豆腐店を訪ねてくる。豆腐を作る日々のなか訪れた、父と娘それぞれにとっての新しい出会いの先にあるものは──。

 

(C)2023「高野豆腐店の春」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/ナライユミ(麻生) スタイリスト/井阪 恵(ダイナミック)(麻生)

夢だった写真集で初めての水着姿を披露! 安斉かれんが振り返るギャル&音楽遍歴

10・20代の女性から圧倒的な支持を集める安斉かれんさん。自ら作詞作曲を手掛け、歌だけではなくサックスも演奏するなど、アーティストとして多彩に活動する一方で、俳優・モデルとしてもマルチに活躍。8月4日には初の写真集『in all ♡』を発売して、沖縄と自身の地元・神奈川県藤沢市を舞台に初水着も披露している。

小学生の頃にエレクトーンとお囃子を習い、中学では吹奏楽部に所属してアルトサックスに打ち込んでいたという安斉さんに音楽遍歴と、知られざるギャル遍歴を振り返ってもらった。

 

安斉かれん●あんざい・かれん…1999年8月15日生まれ。神奈川県出身。2019年5月リリースのデジタルシングル「世界の全て敵に感じて孤独さえ愛していた」で avex よりメジャーデビュー。以降コンスタントに作品を発表する傍ら、2020年4月から7月まで放送されたテレビ朝日とABEMAの共同制作ドラマ「M 愛すべき人がいて」にて主人公・アユ役を演じ、大きな話題となる。2023年3月に1stアルバムとして『ANTI HEROINE』と『僕らはきっと偽りだらけの世界で強くなる。』の2作を同時リリース。公式HPYouTubeInstagramTikTokTwitter

【安斉かれんさん撮り下ろし写真】

高校生の頃から音楽でやっていく気持ちはブレることがなかった

──安斉さんの音楽遍歴をお伺いしたいんですが、楽器を始めたのは幾つのときですか?

 

安斉 小学校1年生のときにエレクトーンを習ったのが最初です。なんとなくノリで始めたんですけど演奏会にも出ていました。小学生の頃は友達の影響で、お囃子もやっていましたね。

 

──中学では吹奏楽部に所属していたそうですね。

 

安斉 中学校に入学する前ぐらいに、父に連れられてザ・ローリング・ストーンズのライブを観に行って、サポートメンバーが管楽器を吹いている姿に感動して、吹奏楽部に入部したんです。

 

──楽器は何を担当していたんですか?

 

安斉 3年間、アルトサックスを担当していました。そのあたりから、音楽をお仕事にできればいいなと漠然と考えていましたね。吹奏楽部に月1ぐらいで外部から女性のコーチが来てくれていたんですけど、めっちゃうまくてかっこよくて。自分もサックスのインストラクターをやりたいなと思っていました。

 

 

──かなり吹奏楽部には入れ込んでいたんですか?

 

安斉 ですね。当時は部活をやるために学校に行っていたようなものでした。普通、3年生は夏の大会が終わると部活を引退して高校受験に向けて頑張るんです。でも私は1月ぐらいにアンサンブルコンテストがあったので、受験そっちのけで練習して参加しました。

 

──吹奏楽の魅力は?

 

安斉 楽器のパートごとにやっていることは違うんですけど、みんなで合わせたときに一つの作品になるのが大好きでした。それは今の活動にも繋がっていて、バンドメンバーさんと一緒に歌わせてもらうときは、すごく充実感があります。

 

──高校でも吹奏楽を続けようと思わなかったんですか?

 

安斉 それも考えたんですけど、通っていた高校の吹奏楽部が8人しかいなくて(笑)。もっと広い視野で音楽に触れてみたいと考えたときに、「喉も楽器の1つだな」と思って、高1からエイベックス・アーティストアカデミーに通い始めました。毎日、学校帰りにレッスンに通って、高校時代は音楽漬けでした。レッスンがない日も、友達とカラオケに行っていましたしね。

 

──学校行事には積極的に参加するタイプでしたか?

 

安斉 正直、文化祭とかは熱心じゃなかったです。ただ私、足が速いんですよ。中学時代から体育祭で活躍するタイプで、高校でもリレーに出ていました。得意なことだけ参加するみたいな(笑)。

 

──大学進学は考えていましたか?

 

安斉 考えたことがなかったです。とにかく音楽を続けたいと思っていました。ただ高2の終わりぐらいになると、周りが進路や就職のことを考え始めて、私だけ音楽をやっていていいのかなって不安もありました。なので仲の良い友達以外に音楽をやっていることは言わなかったですし、「高校卒業後はどうするの?」って聞かれても、「ニートかな」って答えていました。でも、音楽でやっていくって気持ちがブレることはなかったです。

 

──作詞はいつぐらいからやっていたんですか?

 

安斉 歌と同時に始めました。自分で書いた歌詞を歌うほうがいいかなぐらいの軽い感じで、日記のような感覚で書き溜めていました。

 

──歌手デビューすることが決まって音楽に対しての意識に変化はあったのでしょうか。

 

安斉 ずっと音楽には真剣に取り組んでいたので、そういう面での意識は変わらなかったです。ただ自分の好きなジャンル以外の音楽も吸収していかなきゃいけないので、未知の音楽をどう好きになるか考えていました。振り返ってみたら、そこからいろんなジャンルを聴くようになったので、すごくありがたいことですね。

 

──歌い方に変化はありましたか?

 

安斉 もともと癖の強い歌い方だったんですけど、それだと歌える曲も限られてくるので、1年ぐらいかけて、ちょっとずつ真っすぐな歌い方に変えていきました。そこは大変でしたね。今となっては昔の歌い方を忘れちゃいましたけど(笑)。

 

──高校卒業後はレッスンに通いながら、「RELECT by RUNWAY CHANNEL Lab.」のショップ店員として働いていたそうですが、早くデビューしたいという焦りはありましたか?

 

安斉 芸能界自体にはそれほど興味がなかったので、何が何でもデビューしたいみたいな焦りはなかったです。音楽的な悩みはありましたけど、音楽に関わっていられること自体が幸せでしたね。

 

小学生の頃から金髪、つけまつげ、カラコンで登校

──6thシングルのタイトル「GAL-TRAP」が象徴的なように、安斉さんは“ギャル”のイメージが強いですが、そういう意識はありますか?

 

安斉 そこまで意識をしたことはないんですけど、小4ぐらいから、100均で買ったつけまを付けるとか、髪を染めるとか、自分の好きなもので固めるのが好きで。友達の間で『Popteen』が流行っていたのもあって、それに影響を受けたファッションをしているうちに、ギャルって呼ばれるようになりました。ただ自分としては、ギャルになりたいというよりかは、かわいいものを身につけたい一心だったんですよね。

 

──小学生で『Popteen』の影響を受けるって、かなり早いですよね。

 

安斉 早かったかもしれないですね。マセガキだったんで(笑)。カラコンデビューも小学生のときで、お父さんとドンキに行って買ってもらいました。

 

──親も寛容だったんですね。

 

安斉 自由でしたね。運動会でいっぱい生徒がいると見つからなくなるからって、親から「金髪で行きなよ」って言われたこともあります(笑)。中学時代は吹奏楽の大会に出られないので黒髪に戻したんですけど、中学を卒業したら、秒で金髪に戻しました。

 

──お母さんもギャルだったんですか?

 

安斉 ギャルではなかったんですけど、めっちゃ派手でした。ヒョウ柄の服を着て授業参観に来たりするから、「その恰好で学校に来ないでよ」って止めていました(笑)。

 

──高校時代、ファッション面でこだわりはありましたか?

 

安斉 当時はファッションというよりも、とりあえず制服がかわいい高校に行きたかったので、それで学校を選んだんです。制服がダサい高校は絶対に行かない、みたいな。だから制服に何をプラスしたらかわいくなるかしか考えていなかったです。遊びに行くのも大体制服でしたしね。スカートの丈はどれぐらの長さがイケてるかとか、靴下の長さとか、めちゃくちゃこだわっていました。特定の高校じゃないと買えないバッグがあって、そこの高校に通っている友達に頼んで買ってもらったこともありました。

 

 

──人よりも目立ちたいみたいな気持ちがあったんですか?

 

安斉 むしろ、あんまり目立ちたくなかったです。普通でいいや、みたいな。とはいえ、めっちゃ周りに目立つ子しかいなかったので、一緒になってやっていると自然と派手になっていきました。

 

──最近は金髪じゃないですよね。

 

安斉 金髪歴が長かったので、ちょっと飽きてきたところがあって。高校生のときはブリーチ抜きっぱのプリンでもかわいいと思っていたし、髪の毛が痛むのもどうでもよかったんです。ただ今は見られる職業だし、ちゃんときれにしようという意識が強くなりました。

 

──今日の髪形もきれいな仕上がりですね。

 

安斉 今は髪のいたわり期間なので、切れ毛にならないように定期的にトリートメントに通っています。しょっちゅう髪の色を変えるので、切れ毛が復活するケアはマメにしています。

 

──今日はアクセサリーもシンプルですね。

 

安斉 最近付けなくなっちゃいました。昔はプライベートでも、めっちゃピアスを付けたりしていたんですけど、今はお仕事で必要なときとか、プライベートで友達と写真を撮りそうなとき以外は基本的に付けません。かわいいものを集めるのが好きなので、ピアスにしても買うには買うんですけど、面倒くさいが勝っちゃうんですよね(笑)。ファッションにしても、お仕事のときは衣装を用意していただくので、着替えやすさ重視です。

 

──セレクトショップの店員はどういう経緯で始めたんですか。

 

安斉 期間限定だったし、楽しそうだなと思って働きました。そこのアパレルは、海外から買い付けた古着を売っていたので、今でいうY2Kファッションを先取りしていたんです。でも私が働いていた頃は時代が早過ぎたというか。日本にないようなアイテムがめっちゃあって、今だったらめちゃくちゃ流行ってると思います。そのときの経験は今にも活きていて、こんな服を着こなせたらかっこいいだろうなとか、こういうアイテムを衣装に使ったらかわいいだろうなとか、ファッションの考え方がガラッと変わりました。

 

右手首に入れたタトゥーをタイトルに冠した愛の詰まった写真集

──8月4日に1st写真集『in all ♡』を発売しました。写真集を出すのが夢だったそうですね。

 

安斉 今、同世代で活躍されている方々は、皆さん写真集やカレンダーを出しているイメージがあって、漠然と自分も25歳ぐらいまでに出したいなという憧れがありました。二十歳を過ぎたあたりから、ずっと写真集を出すのが夢だったので、決まったときはうれしかったですね。

 

──神奈川県藤沢市と沖縄というロケーションはどのように決まったのでしょうか。

 

安斉 初めての写真集は自分の中で大切なものにしたかったので、私が生まれ育った地元の神奈川県藤沢市で撮りたいとお伝えしたら、採用していただいて。あと私は8月15日生まれなので、夏を感じさせる場所がいいだろうと海がきれいな沖縄で撮影することになりました。私自身、沖縄が大好きで、プライベートで何度も遊びに行ってます。

 

──初めての水着も披露していますが、ボディメイクなどの事前準備はしましたか?

 

安斉 写真集が決まってから撮影まで1か月半ぐらいしかなかったんですけど、その期間は毎日10キロ歩いたり、ジムやエステに通ったりして、体重を落としました。健康的な痩せ方をしたかったので、ちゃんと食べつつ体を動かしていました。

 

──仕上がりはいかがでしたか?

 

安斉 いつもより顔がすっきりしているなって思いました(笑)。

 

↑安斉かれんさん1st写真集『in all ♡』より

 

──いろんな表情を見ることができますが、メイクで意識したことはありますか。

 

安斉 写真集ということもあって基本的に薄めのメイクをしているんですけど、藤沢での撮影は、いつもに近いメイクをしています。リップ1つで全然印象も変わるので、そこはメイクさんとも話し合いました。カラコンも普段だったら色付きを入れるんですけど、今回は素の部分を出したかったので、盛るというよりも、瞳にきれいな光が入ってくるようなレンズを使ったりして、私にとって初の試みが幾つもありました。

 

──『in all ♡』というタイトルには、どのような思いが込められているのでしょうか。

 

安斉 中の写真でも使われていますが、右手首に「in all ♡」というタトゥーを入れているんですけど、それをタイトルに使いました。「全ての愛の中で」という意味で、お仕事にしても「全ての愛の中で」やらせてもらっているということを忘れないようにしたいという思いが込められています。

 

──このタトゥーを入れたのは、いつぐらいですか?

 

安斉 1年半ぐらい前です。私はお酒を飲むと感情が豊かになるんですけど、お酒を飲みながらSNSを見ていたら、急にファンの方々への感謝が止まらなくなって。「マジでありがとう。愛だな!」という感じで、その言葉が生まれて、タトゥーで入れようと思って、自分でデザインして。歌っているときに、ちょうど見える位置に入れてもらいました。それぐらい『in all ♡』という言葉を大切にしていますし、この写真集も愛がたくさん詰まった作品だから、ぴったりだなと思いました。たくさんの愛に包まれた1冊になったので、ぜひ手に取っていただけるとうれしいですね。

 

 

安斉かれん 1st 写真集『in all ♡』

好評発売中!

 

撮影:西田幸樹
プロデュース:Kaori Oguri
定価:3,520円(税込)

 

撮影/たむらとも 取材・文/猪口貴裕

椎名桔平インタビュー「人を裁くことの難しさを考えさせられる良質なドラマ」『連続ドラマW 事件』

大岡昇平氏の不朽の名作をドラマ化した「連続ドラマW 事件」が8月13日(日)22時よりWOWOWで放送・配信がスタート。過去に映画、ドラマ化もされているが、今回は裁判員裁判など法曹の世界での変化を織り込み、閉塞した今を生きる人々の孤独や苦悩を描いた令和を舞台にした法廷サスペンスとなっている。元エリート裁判官の弁護士を演じた椎名桔平さんが、役作りや弁護士役を通して感じた「人を裁く」ということついて語ってくれた。

 

椎名桔平●しいな・きっぺい…1964年7月14日生まれ。三重県出身。1986年に俳優としての活動を始め、1993年「ヌードの夜」で注目を集める。以降、映画やドラマなどで幅広い役柄を演じる。最近の出演作に、ドラマ『大岡越前6』『祈りのカルテ 研修医の謎解き診察記録』、映画「沈黙のパレード」「仕掛人・藤枝梅安 第二作」などがある。Instagram

【椎名桔平さん撮り下ろし写真】

 

現代に合わせて、どうすれば今求められるエンターテインメントとして成立するか

──原作はロングセラー小説で、過去に映画化、ドラマ化もされています。今回のドラマ化に臨むにあたり、過去に映像化された作品を意識されましたか。

 

椎名 今回は全くと言っていいほど、別物だと考えて撮影に入りました。というのも、原作が書かれたのは60年近く前、映画やドラマになったのも随分前です。映画版で被告人の青年役を演じた永島敏行さんが、今回は裁判長の役で出演してくださいましたが、その頃と現在では時代背景がかなり違いますから。今回は製作側の意図として、令和の『事件』を作るということから始まっています。原作は緻密に構成された名作小説ですが、当時に比べると今は裁判員制度が採用され、少年法も改正されています。それを現代に合わせて、どうすれば今求められるエンターテインメントとして成立するんだろうと考えた上で、脚本もしっかり準備して練られていました。脚本を読んだときは、これは面白いなと思いました。

 

──現在の時代感は椎名さんが演じています菊地大三郎にはどう反映されたのでしょうか。

 

椎名 細かいところですが、例えばメモ用紙に書く代わりにタブレットを使ったり、裁判の中で使われる資料は、メモやコピーした紙を見ながらというのが一般的ですが、菊地は自分が撮ってきた写真やデータもタブレットで探すようにしました。そういった現代のツールを使いながら新しいものを作ろうと考えましたね。

 

──裁判員の存在が法廷での大きな変化だと思うのですが、裁判員の存在により弁護士の訴え方みたいなものも変わりそうです。

 

椎名 裁判員に向かってアピールすることが大事になりますよね。弁護士さんが裁判員の皆さんに、「ここはよく聞いてくださいよ」っていうような訴え方をするわけですから。それは舞台のような感覚と言いますか、芝居をするようなものだと思いました。そこは水田(成英)監督が、要所要所で「ここは裁判員を味方につけるために、こういった言い方をしてください」と演出してくださいました。

 

リアルとしか思えないセットで、リアルな感情をぶつけ合う、こういう世界観が何より楽しい

──菊地は元裁判官で現在は弁護士です。役作りのために実際の弁護士や裁判官の方からお話を聞かれたそうですが、印象的だったことを教えてください。

 

椎名 役に活かせる話を聞きたいという期待もありましたが、それ以上にそういう職業に就いている方がどんな人なのか気になりました。パイロットや検察官、裁判官、弁護士もそうだけど、なかなか周りにいない職種の方って、世間一般的なイメージがありますよね。僕はこれまで何度か医師役をして、偉い先生からお話を聞く機会もありましたが、実際に会うと皆さん気さくで、先生によってキャラクターも違うんです。だったら、まずは実際に法律家の方にお会いして、自分の中にあるイメージと照らし合わせて既成概念を取り払おう、そんな狙いもありました。

 

──もともと弁護士や裁判官の方にどんなイメージを持っていらっしゃいましたか。

 

椎名 きちんとしていて堅い人。冷静沈着に話して、間違ったことは言わない。裁判官となると輪をかけて堅い……そんな漠然としたイメージがありましたね。今回、法服を脱いだ裁判官の方にもお会いしたんですが、僕より年齢が若い方で、「こういう方が裁判長をされるんだな」と思いながら、その方の話し方の雰囲気や物腰を、対話を通して自分の中に印象として残すようにしました。弁護士さんは僕と同郷の方で、古い友人でもあるんです。なので、夜な夜な質問のメールを投げかけて答えていただきました。その返信がまた弁護士さんの答えという感じで、誤解のないように、しっかりと答えてくれました。そういうのを見ていますと、弁護士という職業が持つ責任に触れた気がしました。

 

──緊張感がある裁判シーンは、見る側としても気を抜けない感じがありました。

 

椎名 今回のドラマで一番の見どころは法廷シーンなんです。ドラマの構成として、法廷シーンにいくまでの準備段階があり、法廷シーンに入れば謎解きが始まるので、事件の中で何が起きたのかを回想で伝えていく手法を取っています。この構成がすごく分かりやすいんだけど、法廷の緊張感は最後までずっと続いている。なので、作り方として見る方にも緊張感を持たせることが大切なんですね。

 

──そんな緊張感が続く現場で楽しかったことはありましたか。

 

椎名 法廷シーンは単に見どころというだけではなく、リアルに法廷を作っているんです。僕が傍聴した霞ヶ関の法廷よりも本物感があるというか、どっちが本物なんだ!? と思うくらい、美術さんの力作でございまして(笑)。そして出演している方も、その役にしか見えないぐらい現実感がありました。皆さん分厚い原作を読み、過去の映画やドラマを見返して、“令和に置き換えた世界観ならどうするだろう”“ここはどんな言い方をするんだろうね”“じゃあ自分はこうする”など、いろんなことを考えて現場にいらっしゃっているのが分かるんです。だからこそ皆さんの芝居は非常に面白くて、僕は役としてそれを受け止めるわけですが、次は自分はどう投げ返そうか考える。そんな丁々発止がいろんなところで起こっていました。それが楽しいんですよ。役者をやっていて、リアルとしか思えないセットで、リアルな感情をぶつけ合う、こういう世界観が何より楽しいです。

 

公平さと客観性を完全に保つことができるかというと、なかなか難しい気がします

──役者冥利に尽きる現場だったと。

 

椎名 そう言えますね。でも大変でしたよ。セリフも仕事じゃなきゃ覚えられないぐらいの分量でね。受験勉強のときに、これだけのものができたら、もっと成績が良かったんだろうなって思いました(笑)。

 

──弁護士を演じて「人を裁く」ということについて、どう感じられましたか。

 

椎名 難しいですね。罪を犯した人が更生する方法にしても、今の形が「これだ!」って最終形なのかと聞かれると、そうではない気がしますし。例えば今後、AIが裁いていくことになったとしても、最終的に人間の力が介入しないと、僕は何か不条理な気がします。だから現在、一番帳尻が合わせられる方法として採用されているのが裁判員裁判なんでしょうね。少数の決定権を持つ人たちだけで裁くのではなく、事件について考える層を少し広げ、一般の人と意見交換して客観的な判決を下す……それが今のベターな方法なのかなとは思います。ただ裁判官も人間で、無作為に選ばれた裁判員の方も人間。被告席にいる人の風貌や、いろんな意味での偏見もあるだろうし、事件の報道のされ方によって、勝手な印象を持つ方だっていないとは限らないですよね。そうなると、どんな裁判でも公平さと客観性を完全に保つことができるかというと、なかなか難しい気がします。ドラマの中に「裁判官が違ったら、検事が、裁判員が違ったら、恐らく結果は大きく変わってた。そう思うと、裁判も、もう一つの『事件』なんだ」という菊地のセリフがあるんですが、ということは、人の人生も変わってくるということなんですよね。そういうことを考えさせられる良質なドラマだと思います。

 

──ここからはモノやコトについてお聞かせください。今、ハマっているものはありますか。

 

椎名 Apple Watchです。初めて買って、ハマってるんですよ(笑)。Apple Watchの中でも一番お手軽な商品(SE)なんですけどね。

 

──買おうと思ったきっかけは?

 

椎名 今はもう時計を着けなくなってしまって。時間が知りたいときはスマホを見るじゃないですか。それに、いい時計をして仕事に行くと、外したときにどこに置いておこうかってちょっと悩んじゃいますからね。そういうこともあるし、安い時計をするのも、そんな年頃じゃないですから(笑)。もう時計はしないな〜って思っていたところに、健康のための何かがあったり、お財布になったりメールも電話もできるとか!

 

──時計なのにすごくいろんな機能があってすごいですよね。

 

椎名 昔のマンガでありましたけどね(笑)。そんなものが今や手軽に手に入る時代なんだってことを、ちょっと実感したくて購入しました。

 

──もともとガジェット系に興味はあるんですか。

 

椎名 全くないです。普段はね。iPhoneも13miniで、まだ変えるつもりもないので、新しいモノ好きというわけではないですね。

 

──Apple Watchはオンラインストアで買われたんですか。

 

椎名 丹念にいろんなベルトを見ながら、お店で買いましたよ。Apple Watch Ultraという大きいモデルができたというので、気になってApple Storeに見に行きました。「時計なんて、そんなああだこうだ言って使うもんじゃないだろ?」と思いながらね。ただUltraは僕にもちょっと大きかった。でもUltraを見に行ったから、じゃあどうしようかって思ったときに、他のタイプを見せてもらったんです。そしたら欲しくなっちゃった(笑)。

 

──今は主にどんなことに活用していらっしゃいますか。

 

椎名 今はね、時計です(笑)。まだ心拍数を測ったことがないですけど、これから人間ドック的な数値とか、そういう使い方がどんどん増えるんでしょうね。そういう進化も見てみようと思っています。

 

 

連続ドラマW 事件

WOWOWにて8月13日(日)22時より放送・配信スタート(全4話/第1話無料放送)

【「連続ドラマW  事件」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
原作:大岡昇平「事件」(創元推理文庫刊)
監督:水田成英
脚本:三田俊之、保木本真也

出演:椎名桔平
北 香奈、望月 歩、秋田汐梨、高橋 侃
/ ふせえり、貴島明日香、中村シユン、仁村紗和、
入山法子、堀部圭亮、いしのようこ / 永島敏行 / 高嶋政宏

※高嶋政宏さんの高は正しくは「はしごだか」になります。

(STORY)
ある資材置き場で刺殺体が発見される。被害者は地元で細々とスナックを経営する23歳の女性・坂井葉津子(北)。程なく被害者の幼なじみで19歳の青年・上田 宏(望月)が殺人および死体遺棄の容疑で逮捕された。宏の弁護は、ある裁判を機に過去にとらわれ、“真実”に背を向けた元裁判官の弁護士・菊地大三郎(椎名)に託された。宏の自白もあり、すぐに判決が下る単純な裁判だと思われたが、検察での取り調べから一転、裁判で宏は殺意を否認する。宏のことを調べるうちに、再び“真実”と対峙する菊地。やがて法廷では意外な事実が次々と露見し、裁く者を惑わせる。果たして宏は、本当に「人殺し」なのか――。

 

撮影/田中和子(CAPS) 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/石田絵里子 スタイリスト/中川原 寛(CaNN)

瑚々&咲田ゆな&斉藤里奈ら「ミスマガジン2022」がチアリーダーズに!「とてもエッジの効いた物語で、撮影がとても楽しみでした」映画「さよならエリュマントス」公開

8月11日 (金・祝)から公開される映画『さよならエリュマントス』で、解散寸前のやさぐれチアリーダーズ「エリュマントス」を演じた「ミスマガジン2022」から、瑚々さん、咲田ゆなさん、斉藤里奈さんが登場! 自分の名前と同じキャラを演じる役作りや撮影での思い出はもちろん先日、東京ドームで行ったチアパフォーマンスのエピソードについても語ってくれました。

 

【瑚々さん&咲田ゆなさん&斉藤里奈さん撮り下ろし写真】

青春のキラキラした感じを想像したんですけれど、「これは全く違うぞ!」と(笑)(瑚々)

──先代「ミスマガ2021」が新米の殺し屋を演じた『グリーンバレット』に続く、本作で皆さんが演じられたのは、チアリーダー役。とはいえ、解散寸前という設定に驚かれたのでは?

 

瑚々 最初は青春のキラキラした感じを想像したんですけれど、台本を読んだときに「これは全く違うぞ!」ということに気づきました(笑)。でも、コメディ要素だったり、シュールだったり、リアルな描写も盛り込まれていて、きっと面白い映画になるだろうという予感がしました。

 

咲田 私も女の子らしく、かわいらしくチアダンスを踊るキャピっとした映画を想像していました。でも、もらった台本を読んだら、みんなでケンカしてたり、怖い男の人が出てきたり、「これがチアの映画なの?」と思うぐらいビックリしました。そして、それを仲良しなミスマガ2022の6人でやること自体、全く想像がつきませんでした。

 

斉藤 漠然と、6人が力を合わせて、上を目指していく話だと思っていたんですが、それどころか、みんなが個人的な事情を抱えた解散寸前のチームの話だったので、かなりの想定外ではありました。でも、とてもエッジの効いた物語で、撮影がとても楽しみでした。

 

瑚々●ここ…2004年8月7日生まれ。埼玉県出身。2015年にイトーカンパニーグループ“ネクストヒロインオーディション”にてグランプリを受賞。『レミングスの夏』(17)にて劇場用映画初出演。「ミスマガジン2022」では咲田ゆなとグランプリを同時受賞。2023年は本作のほか『ホワイト ライ』『散歩屋ケンちゃん』など続々出演作が公開された。X(Twitter)Instagram

【瑚々さん撮り下ろし写真】

 

──皆さんの名前がそのまま役名になっていますが、今回演じられたキャラクターと似ているところ・似ていないところを教えてください。

 

瑚々 大野(大輔)監督が6人全員と面接をしたうえで書かれた脚本だったので、みんなどこかしら、似ているところはあると思います。私は旅館でお母さんに電話するシーンでの対応だったり、みんなに今後のことを相談しつつ、自分なりに結果を出してしまっているあたりは、かなり自分の素に近い部分が出ていると思いました。似てないところは、ココほどハッキリ、サバサバした性格じゃないということでしょうか?(笑)

 

咲田 私はノー天気な感じとか、突拍子もないことをしたりするところは似ているんじゃないかと……家族にも言われました(笑)。でも、私はユナほど、ポジティブ思考ではないので、心のどこかで、ユナに対して、憧れのようなものを持っていました。

 

斉藤 私は6人の中で年齢が一番上なので、リナはリーダーの設定になったのですが、普段の私はそこまでみんなを引っ張っている感じではないですね。ただ、常に冷静で、一歩引いて周りを見ている感じはリナと似ていると思います。似ていない部分は、思っていることをそこまでストレートに出さないところ。リナはマネージャーさんにかなりガツガツ言っていますし、手まで出しちゃいますからね(笑)。そういうところを含めて、かっこいいなと思って、役を演じていました。

 

みんなとレッスンをした後に、スタジオを借りて自主練をしました(咲田)

──それを踏まえての役作りやチアダンス練習について教えてください。

 

瑚々 大野監督がキャラ作りしなくても、個性が出るようなキャラ設定にしてくださったと感じていたので、私は特に役作りはしませんでした。ただ、ダンスの完成度を高めることに関しては、かなり意識しました。

 

咲田 私は初めての演技だったので、かなりいろいろ考えました。森七菜さんの映画やドラマを観て、元気で活発なイメージを参考にしつつ、自分なりにユナっぽい感じにしました。見え方についても、姿見で確認しながら練習しました。また、ダンスに関しても初めてで、とにかくターンが苦手だったんです。なので、みんなとレッスンをした後に、スタジオを借りて自主練をしました。

 

斉藤 私はセリフ1つひとつを発するときに、それまでの私たち6人の思い出を思い浮かべるよう心がけました。そういう意味では、最初のダンス練習だったり、その日の撮影が終わって旅館でおしゃべりしているときだったり、6人での時間を使って、お芝居したと思います。私もダンスは得意ではないですし、もともと身体も硬いので、めちゃめちゃくじけそうになりました。みんなに支えてもらって、なんとか頑張りました!

 

咲田ゆな●さきた・ゆな…2003年5月28日生まれ。東京都出身。「ミスマガジン2022」にてプロダクション未所属の一般応募者ながら瑚々とグランプリを同時受賞する快挙を成し遂げたシンデレラガール。本作が劇場用映画のデビュー作となる。X(Twitter)Instagram

【咲田ゆなさん撮り下ろし写真】

 

──10日間かけて山梨ロケを行った撮影エピソードや思い出を教えてください。

 

瑚々 6人が一つの部屋に寝泊まりしながら、撮影していたこともあって、楽しいこともありつつ、大変なこともありました。定番のサクセスストーリーではないので、どういう仕上がりになるか分からない撮影の中、泣きながら電話したり、足をぶつけたりするシーンでは大野監督が思い描いているヴィジョンに自分が沿えなくて、テイクを重ねてしまいました。でも、それは苦だったというよりは、とても勉強になりました。そして、幼いころはあまり遅くまで撮影に参加できなかったのですが、18歳になったことで、夜遅くまで撮影できたことが印象的でした。とても新鮮でしたし、自分が大人になったことを実感した瞬間でもありました。

 

咲田 私は、とにかくダンスが大変だったことが忘れられません。ダンスも演技と同じで、見え方について、ずっと考えていましたから。あと、ユナが趣味のVlogを撮っているシーンがあるんですが、今後声優を目指している私にとって、とても大切にしたい好きなシーンになったと思います。

 

斉藤 私は2人と比べると、マネージャー役の中島(歩)さんとのシーンが多かったのですが、キャリアも経験値も全然違うので、自分のお芝居で精いっぱいでありながら、中島さんを見て学ぶ機会が多かったです。中島さんは私のエネルギーが出やすいような状況にしてくださいましたし、一緒にどう作り上げるか? と話してくださったので、とても感謝しています。「もううんざりなの!」と叫ぶシーンでは、私もテイクを重ねてしまったんですが、大野監督が「もう一回」としか言ってくれなかったんです。「何が足りてないのか?」を探りながら、いろいろ調整して、お芝居することは、難しくもありましたが、楽しくもありました。

 

東京ドームでプレーしたい野球少年の夢を背負ったような気持ちで(斉藤)

──7月24日に東京ドームで行われた「都市対抗野球大会」では、チアダンスを生披露されました。斉藤さんは始球式も務められましたが、当日のエピソードを教えてください。

 

瑚々 6人でチアを頑張ったので、映画の中だけでなく、どこかで披露できないかなと考えていたところでのお話だったのですが、「まさか東京ドームになるとは!」という感じで、びっくりしました。選手や観客の皆さんが温かい気持ちだったり、頑張ろうと思ってもらえるパフォーマンスを目指しつつ、とても感慨深く、光栄な気持ちが入り混じっていました。二度とないような貴重な経験をさせてもらいました。

 

咲田 高校生まで野球をやっていたお父さんの憧れの舞台だった東京ドームに、娘として立たせてもらって、パフォーマンスできたこと! 昔お父さんと一緒にキャッチボールをした思い出もよみがえってきましたし、とても感慨深かったです。もちろん緊張もしましたが、ワクワクやドキドキの方が勝っていました!

 

斉藤 私はあんまり緊張しないタイプなんですが、エリュマントス代表として始球式に参加するので、さすがに大暴投するのはマズいなと思い、お父さんとたくさん練習して、ちゃんと投げられるよう頑張りました。そして、東京ドームでプレーしたい野球少年の夢を背負ったような気持ちで投げさせてもらいました。

 

斉藤里奈●さいとう・りな…2001年1月1日生まれ。埼玉県出身。「FRESH CAMPUS CONTEST 2019」で準グランプリに輝く。ドラマ「私の正しいお兄ちゃん」(21)にて女優デビュー。「ミスマガジン2022」にて“ミス週刊少年マガジン賞”に選出。短編映画「言えぬまま」が第17回札幌国際短編映画祭入選。その他の出演作に『トモダチゲームR4』(22)、「ショジョ恋」(23)、「対ありでした。~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~」(23)などがある。X(Twitter)Instagram

【斉藤里奈さん撮り下ろし写真】

 

──現場によく持っていくなど、今お気に入りのグッズやアイテムを教えてください。

 

瑚々 ホテルなどでよく刺されることが多いので、オーガニックのいい匂いがするダニ除けスプレー。あと、枕を変えると寝られないタイプなので、枕カバーに使う大きめのバスタオル。でも、山梨ロケに持っていたら、なくても寝られるようなりました(笑)。それから、今年後厄なので、厄除け用のお守とファンの方からいただいた芸能の神様がいることで知られる花園神社のお守も手放せません。

↑瑚々さんが愛用するオーガニックスプレーとお守

 

咲田 3歳のとき、ハロウィンパーティで友だちのお母さんからもらった、おばけちゃんのぬいぐるみ。今でも基本ずっと一緒にいて、9月に発売される写真集にも一緒に映っているんです。あと、がんばれ馬券。1頭の馬の単勝と複勝をセットで買うと、「がんばれ!」という文字が入るんですが、これは競馬法執行100周年記念の日(2023年6月4日)に発券したもので、お守代わりに持っています。

↑咲田さんが大切にしている、ソダシのがんばれ馬券と子供のころから一緒にいる縫いぐるみ

 

斉藤 「アロマパルス」というオーガニックのアロマを使った香水です。その中でもリラクゼーション効果があるもので、気分を切り替えたいときに塗っています。あと、私もホテルや旅館で、ぐっすり眠れるタイプではないので、寝る前に、こめかみや首筋に塗っていますね。

↑斉藤さんが愛用品はオーガニックのアロマを使った香水「アロマパルス」

 

 

さよならエリュマントス

8月11日(金・祝)よりシネマート新宿・ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

【映画「さよならエリュマントス」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督・脚本:大野大輔
音楽:渡辺雄司(太田原愚豚舎)
主題歌:「さよならエリュマントス」MOSHIMO
ユニフォームデザイン:ペトス[PETHOS]

出演:瑚々、咲田ゆな、麻倉瑞季、斉藤里奈、三野宮 鈴、藤本沙羅、
豊田ルナ、平井亜門、田中爽一郎、大高洋子、瀬尾タクヤ、
米本学仁、川瀬陽太 / 中島 歩

(STORY)
もともとは甲府の社会人野球チーム“エリュマントス”のチアリーダーだったココ(瑚々)、ユナ(咲田ゆな)、ミズキ(麻倉瑞季)、リナ(斉藤里奈)、スズ(三野宮鈴)、サラ(藤本沙羅)はマネージャーの宍倉(中島歩)に連れられて地方の催事場などでのイベントに出演させられているメンバーたちと宍倉はけんかが絶えず、溝が深まるばかりだ。とある日、またイベント参加のため山梨の温泉街にたどり着いたエリュマントスチームだったが、宍倉の不用意な発言から無用なトラブルに巻き込まれてしまい――。

 

撮影/関根和弘 取材・文/くれい響

小川千奈「岩手で震災を経験した私だからこそ発信できることを、多くの方に届けていきたい」ウェザーニュースキャスター連載・第17回

24時間365日、最新の気象・防災情報を発信し続ける「ウェザーニュースLiVE」。YouTubeの登録者数は105万人を超え、日々の生活を支えるコンテンツとしてますます多くの人に愛されています。この番組を毎日生放送でお届けしているのが気象キャスターたち。GetNavi webではそんな皆さんの活動を紹介するとともに、それぞれのプライベートな一面に迫った連載「夕虹は晴れ! ウェザーニュースキャスター」を過去に展開していましたが、このたび、4月から新たに加わったキャスターや復帰されたキャスターにスポットを当て、短期集中連載として復活。今回はデビューして間もない小川千奈キャスターにご登場いただき、掘れば掘るほど意外な表情が見えてくる小川さんの魅力に迫りました!

 

<ウェザーニュースLiVE×GetNavi web連載>

連載「夕虹は晴れ! ウェザーニュースキャスター」一覧はこちら

小川千奈●おがわ・せんな…1999年6月30日生まれ。岩手県出身。0型。ウェザーニュース気象キャスター。2023年にウェザーニューズ入社。現在、同社が配信する「ウェザーニュースLiVE」の気象キャスターとして活躍中。趣味・特技は料理、乗馬、絵を描くことなど。X(Twitter)Instagram

【小川千奈さん撮り下ろし写真】

 

私以上に母がこの状況を一番楽しんでいるかも(笑)

──短期集中連載の2回目は、前回の魚住茉由キャスターと同じく4月27日にデビューしたばかりの小川千奈キャスターのご登場となります。その魚住さんからは、「最近なかなかじっくりお話をする機会がなく、寂しく思っています。近いうちにお互いがお休みのときにでもゆっくりと近況を話し合いたいです」とのメッセージをいただいています。

 

小川 まゆちゃんとは本当にゆっくりとおしゃべりできる時間がないんですよね。番組内のクロストークで少し会話を交わす程度で。私もぜひ、お休みの日に一緒にお出かけして、たくさん話したいです。

 

──それと、「インタビューを楽しんでください」ともおっしゃっていました。

 

小川 はい! すごく緊張してますが、頑張ります(笑)。

 

──お2人は同期ですが、年齢は魚住キャスターが1つ上になります。にもかかわらず、魚住さんは小川さんのことを「とてもしっかりしていて、お姉さんみたい」とお話しされていました。

 

小川 言っていましたね。絶対にそんなことはないと思うのですが。ただ、研修の休憩中にまゆちゃんがずっと一人でしゃべっていて、私が「ほら、もうそろそろ時間だよ!」って引っ張っていくことが何度かありました(笑)。でも、それぐらいだと思うんですよね、私のほうがお姉さんっぽかったのは。

 

──初めてお会いしたときの印象はいかがでしたか?

 

小川 正反対の性格なのかなと思っていました。普段のファッションの好みも私とは真逆ですし。それに、まゆちゃんのほうこそ1歳差とは思えないほど大人っぽく見えたので、“怖い人なのかな……” “話が全然合わなかったらどうしよう……”って思っていましたね(笑)。けど、実際は全くそんなことなかったです。研修の時間を重ねるごとにどんどん仲良くなっていきましたし、それに2人ともこの仕事に就くまで実家暮らしだったこともあり、お互い初めての一人暮らしに寂しさを感じていて。そうした気持ちを共有できたことも、距離を縮める大きなきっかけになったのかなって思います。

 

──親しくなるにつれて、“こんな一面もあるんだ!?”と意外に感じたことなどはありますか?

 

小川 それは……ないですね。研修中は朝から夜までずっと一緒で、宿泊していたホテルも同じだったので、晩ご飯もよく一緒に食べて帰っていたんです。ですから、研修中にお互いのほとんどのことを知れたのではないかと思います。あ、ただ、意外な一面とは少し違うかもしれませんが、アイスが好きだということは研修中にもよく聞いていたものの、まさか1日に4個も食べるほどとは思わなかったです(笑)。その意味では、デビューしてからちょっとずつ本領を発揮して、すべてをさらけ出してきているなという感じはします(笑)。

 

──さて、そのデビューから約3か月が経ちました。これまでを振り返ってみていかがですか?

 

小川 一生懸命生きていたら、あっという間に3か月以上が過ぎていたという感じです(笑)。日々、覚えることがあり、その日の本番でできなかったことがあれば、スタッフさんからフィードバックをいただいたり、家に帰ってから何が足りていなかったのかを反省するということを今もずっと続けていますので、気づいたらこんなにも月日が流れていて、その事実に驚きしかないです。

 

──当時の番組映像を見返すことはありますか?

 

小川 最近になってようやく見返せるようになりました。デビューの頃に比べたらちょっとは成長しているんじゃないかと思えるようになったからなんですが、それまではどうしても怖くて、“絶対、無理!”と思っていました……(笑)。

 

──どういったときに見返すことが多いのでしょう?

 

小川 地震が発生したときの自分の対応を反省材料として見ることが多いです。話し方や声の強弱、しゃべりの速さなどを客観的に見て、改善点を探すようにしています。

 

 

──確か、デビューをしてすぐぐらいの番組内で地震速報が入りましたよね。

 

小川 はい。1人で3時間を担当するようになった初日とその翌日の2日連続でした。その後も私が担当する番組中に地震が発生することが多く、スタッフさんからも話題になるほどでした。

 

──最初の頃は白井ゆかりキャスターが隣で見守ってくれていたと番組内でもお話しされていました。

 

小川 そうなんです。ものすごく心強かったです。地震速報が画面に出た瞬間、私の頭の中が混乱してしまって。でも、すぐにゆかりんさんが駆け寄って来てくれて、“これを冷静に伝えていけばいいんだよ”ってメモを渡してくださったんです。そうした地震のとき以外でも、いつも先輩方は気になったところがあれば放送後にアドバイスをくださいますし、スタッフさんも本番中にイヤモニ越しに助けてくださるので、本当に多くの方に支えられているなと思います。

 

──キャスターの皆さんは普段からイヤモニで指示を受けながら番組を進行されていますが、耳で聞きながら同時にトークを展開していくというのは、想像以上に難しい作業なのではないかと思います。

 

小川 初めの頃は慣れなかったですね。耳から入ってくる声に集中するあまり、生放送中なのに無言の時間ができてしまったりして。たまにスタッフさんからの指示に、「はい」って口に出して答えてしまうこともあったので、裏側を知らない視聴者さんは、「この子は一体誰と話しているんだ?」と困惑していたのではないかと思います。でも、それ以上にキャスターにとってもっと大変なのが、機械の不調でイヤモニから声が聞こえないときなんです。その瞬間の心細さったらないです(笑)。

 

──想像するだけでも恐ろしいです。

 

小川 “あれ!? 何も聞こえないぞ?”と思いつつ、でも放送が始まってしまったら、“とりあえず、次のインターバルまで一人でやりきるしかないぞ”って腹をくくるしかなくって。そうした度胸はちょっとずつ付いてきたかなと思います。

 

──思えば、4月27日のデビュー日は緊張のあまり、準備していた自己紹介用の内容が全部吹き飛んだとおっしゃっていましたよね。

 

小川 そうでした。それで翌日に自己紹介をやり直したりして(笑)。ただ、ちょっとだけ言い訳をさせてもらうと、デビュー日に担当したのが「コーヒータイム」(午前11:00〜午後2:00)の時間帯だったんです。でも、私は研修の間ずっと「サンシャイン」(午前8:00〜11:00)用の構成で練習をしていて。時間が違うと準備する台本の内容も変わりますから、ぶっつけ本番みたいな感じで「コーヒータイム」をすることになったんです。それに、研修中は何をするにもまず最初にまゆちゃんがやって、次に私という順番がいつの間にか出来ていたんですね。それが、あの日だけはなぜか私から本番に臨むことになり、そのことで私の中でちょっと狂いが生じたんです(笑)。“あれ、なんで今日に限って、まゆちゃんが先じゃないの?”って。

 

──それは確かにリズムが狂いそうです(笑)。では、そのデビューしてからの周囲の反響はいかがでしたか?

 

小川 両親がすごく喜んでくれていました。母はネットに疎いので、最初はウェザーニュースLiVEのことをよく分かっていなかったんです。でも、私がキャスターになってからはよく番組を見るようになり、今ではすっかり先輩キャスターさんたちのファンになっています。サインプレゼントの企画などがあると、「私も欲しい!」って応募していますから(笑)。

 

──自分の子どものコネを使わないところがファンの鑑ですね。

 

小川 そこは“平等に勝負してこそ本物のファンだ”という思いがあるみたいです(笑)。

 

──小川さんの仕事ぶりに関してお話をされることは?

 

小川 最初の頃は何も言われなかったので、あまり見てないのかなと思っていたんです。何も言わないほうがいいのかなと思っていたらしく、失敗も糧になると見守っていたらしいです。でも、実は結構チェックしてくれているみたいで。ふとしたときに、「昨日より今日の服のほうがよかったね」と連絡がきたりします。といっても、母が用意した服を着ることが多いので自画自賛なんですけど(笑)。今ではマイクをつけやすいように服をアレンジして送ってくれたりもするので、母が一番楽しんでいるんじゃないかと思いますね。

 

私は完全に江川チルドレンだと自負しています!

──小川さんがウェザーニュースLiVEのキャスターになろうと思ったきっかけはなんだったのでしょう?

 

小川 番組をよく見ている友人がいて、「キャスターを募集しているから応募してみたら」と言ってもらったのが最初でした。また、それ以前は高度急性期病院で看護師をしていたこともあり、命と向き合うことが多かったんです。そのため、もしかしたら気象を伝えるという新しい道で人を助けることができるのはないかという思いもあり、挑戦してみることにしました。

 

──それまで番組自体をご覧になったことは?

 

小川 応募するにあたってウェザーニュースLiVEの過去の動画を見ていたら、私が高校生だったときにたまたまSNSで見て衝撃を受けた松雪彩花キャスターとガチャピンの切り抜き動画が出てきたんです。そのとき、“あ、これがウェザーニュースLiVEだったんだ!”と運命的な再会にびっくりしました(笑)。

 

──そんな邂逅が(笑)。オーディション自体はいかがでしたか? 面接の際、愛読書として『魔太郎がくる!!』を挙げたという有名なエピソードもすでにありますね。

 

小川 『魔太郎がくる!!』の話は確か最終オーディションのときにしたんです。それまではずっと真面目そうな人だと思われていたらしいのですが、その発言で一変したようで(笑)。……いや、私自身は実際に真面目な人間だと思っていますよ(笑)。でも、そのあとで、「小川さんって、話せば話すほどどんな人か分からなくなってきます」と言われたので、“あぁ、これは落ちたな……”って思いました。

 

──では、キャスターに受かった要因はなんだったと思いますか?

 

小川 本当に分からないんです。応募したときも、とりあえずやってみようという気持ちだけでしたので、選考が進んでいくうちに、“あれあれ? 意外と残っちゃってる!?”とびっくりしてしまって。自分のなかではずっとイレギュラーの連続でした。

 

──ということは、受かった瞬間は不思議な感覚だったのでは?

 

小川 最終面接が終わって、しばらくして……それこそ忘れかけていた頃に電話が来たんですよね。しかも、お電話をくださった方の声のトーンがすごく低かったんです。ひょっとしたら、私自身が不合格を覚悟して、沈んだ気持ちで電話に出たから低く聞こえただけなのかもしれませんが、私も私で、“そうだよね、やっぱりダメだよね……”っていうテンションで電話に出ちゃって(笑)。そしたら、会話の途中あたりで、「これから一緒に頑張っていただけますか」という言葉が耳に入ってきたんです。最初は状況がよくつかめず、次に驚きがきました。“『魔太郎』の話までしたのに受かっちゃった!”って(笑)。

 

──(笑)。自分をさらけ出したことが良かったのかもしれませんね。

 

小川 確かに。たとえ面接で自分をよく見せたとしても、働き始めたらすぐにボロが出ると思ったので、最初から素の自分を出そうと決めていたんです。そうした自己開示や、自分を一切取り繕うことなく臨んだことも合格の要因の1つだったのかもしれないです。

 

──研修はいかがでしたか?

 

小川 番組で見ていたキャスターさんたちが目の前に次々と現れては、いろんなことを教えてくださるので、初めの頃はただのファンの気持ちになって舞い上がっていましたね(笑)。最初にお会いしたのが江川清音キャスターでした。「研修を担当する江川です」とあいさつをされて、それだけですごく感動したのを覚えています。その後もずっとさやねさんが付きっ切りで教えてくださったので、私は完全に江川チルドレンだと自負しています!

 

──特に印象的だったことは?

 

小川 途中からゆかりんさんもご指導してくださったのですが、お2人とも自分の時間を犠牲にしてまで研修に付き合ってくださったことが本当に嬉しかったです。私とまゆちゃんがクロマキーの前で何時間もかけて練習しているときも、ずっと一緒にいてアドバイスをくださって。それに、さやねさんもゆかりんさんも、私たちに足りないものは何かを常に考え、上の方に「こういう研修をさせてあげてください」と交渉までしてくださったんです。それもあって、私たちの代では研修の内容が大きく変わったとうかがいました。キャスターとしての先輩だからこそ分かる“必要な要素”を取り入れていただいたおかげで、実際の放送で役立っていることがたくさんありますし、そんな素敵で優しい先輩方ばかりがいる環境だということが、私がウェザーニュースLiVEのキャスターになって感じた一番の喜びですね。

 

 

──では、いざキャスターになった今、視聴者として番組を見ていたときと比べて、どのような印象の違いを感じますか?

 

小川 やはり、先輩方のスムーズな番組進行がいかにすごいことなのかを実感します。私もデビューして2か月経ったぐらいのときにスタッフさんから、「やっと番組の流れが見えてきて、進行もスムーズになってきたね」と褒めていただいたんです。そのときは、“でしょ、でしょ!”って喜んでいたのですが(笑)、まだまだ全然足りていないことも自覚していて。たとえば、ななさん(高山奈々キャスター)を見ていると、地震などの速報が入っても、緊張感をしっかりと出しつつ、どこか視聴者に冷静さを促すように親近感のある表情や言葉使いをされているので、そうした機転や技術が自分にはまだまだ不足しているなと感じます。

 

──そうしたなか、同期である魚住キャスターは小川さんにとって、どのような存在になっていますか?

 

小川 自分にはないものをたくさん持っているので、すごく勉強にもなりますし、いい刺激ももらっています。特にフリートークがそうですね。まゆちゃんは研修のときからトークが本当に上手で、反対に私はすごく苦手だったんです。まゆちゃんのように感情豊かに話すことができず、研修中もよく「気持ちが出ていない」と注意されていました。もしかすると、それまで看護師として感情を封じ込めるように心がけていたので、そこも原因としてあるのかもしれませんが、でも、いつまで経っても出来ない自分が本当に悔しくて。研修中は家に帰ってから、毎日部屋の中でブツブツブツブツとフリートークの練習をしていました(笑)。もちろん、トーク以外でもお互いに得意不得意があり、そのことでまゆちゃんと比べられることもあると思います。けど、それが同期のいる良さでもあると思いますし、“私も負けないように頑張るぞ!”という原動力にもなるので、その意味でも、まゆちゃんの存在は私にとってすごくありがたいですね。

 

気象キャスターになった今、この番組の重要性や意義を改めて強く感じています

──小川さんはもともと天気に興味をお持ちだったのでしょうか?

 

小川 天気というより、空を見るのが好きでした。特に星が大好きで、幼稚園のときに買ってもらったギリシャ神話の本をきっかけに、星に関する本をたくさん読んだり、家族でよくプラネタリウムを観に行ったりしていました。当時はプラネタリウムのクイズに全問正解するほどでした(笑)。

 

──星といえば、先輩キャスターに星空案内人の資格をお持ちの山岸愛梨キャスターがいらっしゃいますね。

 

小川 はい! あいりんさんの星に関する特番は必ず見ています!! いつかは私も星空案内人の資格を取りたいと思っています。ただ、今は勉強したいことがたくさんありすぎて、同時にいろんなことに手を出すとどれもが中途半端になってしまう気がして。ですので、まずはお仕事に直結する気象に関することに集中しようと思っています。

 

──そういえば、以前SNSで『すごすぎる天気の図鑑 雲の超図鑑』を購入されたとつぶやいていらっしゃいましたね。

 

小川 荒木健太郎先生の著書ですね。すごく面白かったです。荒木先生の本は分かりやすいうえに、パーセルくんというかわいいキャラクターが登場するので、楽しく気象を学べるのが最高です(笑)。それと、もちろんポン子ちゃんの本(『ウェザーロイドAiriのソラヨミのススメ。』)も読んでいます。気象という分野はそれまで難しい印象があったのですが、どちらの本も面白く知識を得られるので、ますます空について関心を持つようになりました。もともと読書は大好きなので、今後も先輩方の本をはじめ、たくさんの本を読みたいと思います。

 

──気象キャスターになってから、空の見方も変わりましたか?

 

小川 毎日、雲の高さを気にするようになりました。視聴者さんから届くリポートにもいろんな空の写真があるので、雲の色や形、それに模様の違いも意識するようになりましたし。また、私は岩手県出身なので、夜空の見え方も全然違うんです。東京や千葉は背の高いビルがたくさんあるので、あまり星が見えなくて。そうしたところからも、同じ日本でこれだけ空の見え方が違うんだということを改めて感じるようになりましたね。

 

──岩手出身ということは、東日本大震災も経験されているのでしょうか?

 

小川 はい。だからこそ、番組内で地震速報の対応がうまくできなかったときは悔しさがありました。私の家は岩手県の中でも内陸部のほうでしたので、震災時は停電や断水程度で済んだのですが、21歳のときに津波で大きな被害を受けた陸前高田市に足を運ぶ機会がありまして。震災から10年ほどが経ち、まだ重機がそこかしこで動いている一方で、一度海に流されてしまった街が復興していっている様子に人の力強さを感じたんです。それに、そのときの私には何もできませんでしたが、気象キャスターになった今であれば、番組を通じて防災を呼びかけることができる。また、あのような大きな地震を地元で経験したことで、私だからこそ伝えられるものがあるはずなので、その気持ちを忘れずに、これからも気象キャスターとしてできることを発信し続けていけたらなと思っています。

 

──すでに何か始めていることはあるんですか?

 

小川 先日、防災士の資格を取りました。それと、最近は報道と防災の連携についても勉強しています。東日本大震災のときはネット環境が今とは違いましたし、当時どのような報道をしていたらもっと多くの方を救えたのか、また、今であればどんなことができるのかといったことを日々考えています。それを思うと、ウェザーニュースLiVEの存在というのは本当に大きいなと感じます。チャットを通じて全国の気象情報がリアルタイムで分かりますし、そうした情報をみんなで共有することで、いろんな災害を自分事として考えられるようにもなる。気象キャスターになった今、この番組の重要性や意義を改めて強く感じています。

 

先輩方のいいところを吸収し、ミックスして、自分だけの道を創造していきたい

──以前、番組内でもお話しされていましたが、小川さんは積極的にウェザーリポートを送っているそうですね。

 

小川 ほぼ毎日送っています。これは気象解説員の山口(剛央)さんの影響でもあるんです。山口さんも毎日送っていらっしゃると知って、私も真似してみました。それに、ウェザーリポートをたくさん送ってポイントを貯めてWxBeacon2(簡易気象観測器)をもらいたいという目的もあります(笑)。また、何よりも私自身がキャスターになってみて、皆さんからのウェザーリポートのありがたみを強く感じているので、私もリポートを送ることで番組や気象情報の収集に貢献できたらなという思いもあるんです。あと、実際にリポートを送ると、皆さんからコメントが返ってくるのもすごく嬉しくて。一人暮らしを始めたばかりの私にとっては、ソラトモさん(ウェザーリポーター同士のコミュニティ)たちの存在を身近に感じることで心が救われているところもたくさんありますね。

 

──では、ウェザーリポート以外でよく利用しているウェザーニュースのアプリ機能や、番組内での好きなコーナーを挙げていただくと?

 

小川 好きなアプリ機能は服装予報です。毎日愛用しています。遠方に出かける予定があるときもすごく重宝しそうですよね。たとえば、岩手と東京だと気温や天候がまるで違いますから、帰省するときに役立ちそうです。番組内のコーナーで好きなのは、当然「ウェザーニュースUPDATE」です! 江川チルドレンですからね。さやねさん直伝の“試合”を継承していこうと(笑)。実は以前、さやねさんにお会いしたとき、「私が始めた“試合”をやってくれているんだね」と言われたことがあって。すごく喜んでくださっていたのが、私も嬉しかったです。

 

──そうした「ウェザーニュースUPDATE」をはじめ、番組内で天気を伝える際に意識していることはありますか?

 

小川 大前提の話になりますが、視聴者の視点に立って情報を分かりやすくお届けするということです。そのためにも、普段から気象解説員の皆さんとブリーフィングをするときは、どんな些細な内容でも気になることがあれば質問をするようにしていますし、視聴者さんに天気に興味を持ってもらえるように、トークで話せるネタとして、ソラヨミのポイントは仮に番組内で使わなかったとしても必ず聞くようにしていますね。

 

──番組中での小川さんと解説員の皆さんとの掛け合いも、見ていてすごく楽しいです。

 

小川 ありがとうございます。皆さんとはしっかりとコミュニケーションを取ることをいつも心がけていて、番組のインターバル中も余裕があれば、他愛のない話をしたりしています。私はまだ訛りが抜けていないことが多いので、山口さんからよく指摘を受けたりして。内藤(邦裕)さんからもよく、「せんちゃん、さっきの言葉は発音がちょっと違うよ」と教えていただきます(笑)。

 

 

──体に染み付いているイントネーションは、頭で分かっていてもなかなか直せないですよね。

 

小川 そうなんです。でも、オーディションのときは、「あまり訛ってないですね」って言われたんです。その記憶があったので研修に入るときも安心していたんですが、実はかなり訛っているみたいで(笑)。今でもスタッフさんが番組中の私の訛りを全部チェックし、放送後に正しい発音を一緒に調べてくれたりと、皆さんが一丸となって私を正しい道へと導こうとしてくださっているので(笑)、本当に感謝しかないです。

 

──では最後に、今後はどのようなキャスターになっていきたいと思っていますか?

 

小川 先輩方のいいところを全部吸収し、それらをミックスしつつ、かつ、自分らしい道を創造していきたいなと思っています。 “千チョップ”はさやねさんあってのものですし、ななさんからはツチノコヘアを伝授していただいたので、次はゆかりんさんの蟹座いじりもしっかり引き継いでいきたいなと(笑)。もちろん、その前にキャスターとしての技術もしっかりと学んでいきたいと思っています。

 

──今、先輩キャスターから一番吸収したいと考えているのはどんなことですか?

 

小川 トーク力ですね。いろんなスタッフさんから指摘を受けているんですが、私は“つなぎの言葉”が足りないんです。いつも進行が淡々としていて、コーナーが終わったあとも、『では、続いて全国のお天気を見ていきましょう』と、サクサクと次の話題に行ってしまうので、余裕がないように見えてしまって。ですから今は、先輩方の番組をたくさん見て、コーナーとコーナーをつなげていくための言葉をメモするようにしています。ちょっとしたひと言があるだけで、番組の雰囲気が大きく違ってきますし、特にあいりんさんは言葉の引き出しが豊富で、話のつなぎ方も本当に見事なので、いつも就寝前に動画を見て勉強しています。

 

──なお、次回は松雪彩花キャスターにご登場いただくのですが、松雪キャスターからはどんなことを吸収したいですか?

 

小川 全部です! 先ほどもお話ししたように、私が初めてウェザーニュースLiVEのことを知ったのはあやちさん(松雪)の切り抜き動画でしたし、ずっと憧れの存在なんです。今でもその方と一緒にお仕事できているということが信じられなくて。しかも、《シャケ子姉さん》と《梅子》として動画の共演までさせてもらったのは一生の思い出です!(笑) そんなあやちさんから一番吸収したいのは……やはり柔軟なトーク力ですね。ふわっとしたあの癒やされる話し方やしゃべるスピードには誰もが魅了されると思うんです。それでいて、地震などの緊急時には凛とした声になる。しかも、それが計算じゃなく、自然体でできるところが素敵なんです。普段から全く裏表がなく、画面で見ているまんまの方ですし、“そりゃあ、多くの人から愛されるはずだ”と思いました。インタビューされる際は、「すべてが大好きです! これからもたくさんいろんなことを教えてください」とお伝えください。……と、その前に、私はいまだに“あやちさん”のイントネーションが訛ってしまうので、正しく言えるようにしっかり練習しておきます(笑)。

 

《小川キャスターに16の質問!》

Q01. ご自身ではどんな性格だと思いますか?

小川 いつも元気です! ガッツもあります!! 情熱もあります!!! 落ち込むことがあっても、すぐに切り替えられます。幼少期から活発なほうで、みんなと泥遊びをしたり、カエルを捕まえては家に持ち帰ってくるような子ども時代を過ごしていました。母からもよく、「千は今も小僧だよね」って言われます(笑)。

 

Q02. 関東での生活はいかがですか?

小川 関東がというよりも、初めての一人暮らしに苦労していますね。母は専業主婦で、家のことをすべてやってくれていたので、今この歳になって料理やお洗濯を一人でこなさなければいけない大変さを身にしみて感じています。きっと、次に実家に帰ってぼ〜っとしているときにご飯が出てきたら、そのありがたさにボロ泣きすると思います(笑)。

Q03. 上京する際に持ってきた宝物は?

小川 母の手作りのポーチ。幼稚園に通っていたときに、お弁当箱入れとして母が作ってくれたものなんです。今は母からプレゼントでもらったハンカチを入れるポーチとして使っているのですが、思えば、こんな小さな袋に入るお弁当で満足していたのかと驚きますね(笑)。あとは、オーディションのときに持っていた地元の神社のお守も、私に幸運をもたらしてくれたので、今もカバンに付けています。

昔から物持ちがすごくいいんです。番組で着ている衣装の多くは母からのお下がりですし、高校生の頃に買ってもらったiPhone 6をいまだに使っていますし。ただ、iPhoneに関してはiOSのアップデートができず、YouTube が見られなくなったので、今はほぼ音楽を聴く専用機になっていますね。

↑小川キャスターが今も大切に使う宝物、お母さんからの手作りのポーチ

 

Q04. 学生時代は何キャラでしたか?

小川 いじられキャラでした。いじってもらうのは好きなので、番組でサポーターさんや先輩方からいじられるとちょっと嬉しくなります(笑)。

Q05. 今読み直したい漫画ベスト3は?

小川 『魔太郎がくる!!』(著/藤子不二雄A)はマストですね。2位は『ブラック・ジャック』(著/手塚治虫)。3位は『三丁目の夕日』(著/西岸良平)です。父が男3兄弟だったこともあり、祖母の家に行くとマンガ喫茶のように大量の漫画があったので、男の子っぽい作品をたくさん読んできたのはその影響です。

 

Q06. 妖怪にハマったきっかけは?

小川 小学1年生のとき、本屋さんで両親が「職業図鑑を買ってあげる」って言ってくれたんです。でも、私はそのときたまたま見つけた妖怪辞典が欲しくてたまらなくて、そのことで両親とケンカしているうちに、興奮しすぎて鼻血を出してしまったんですね(笑)。それを見かねて、妖怪辞典を買ってもらったのが、最初に好きになったきっかけです。その後、『ゲゲゲの鬼太郎』など妖怪に関する本を読むうちにどんどんとハマっていって。それに、もともと岩手県は遠野の河童伝説をはじめ、妖怪にまつわる逸話や民話がたくさんある土地なので、そうした地元の風土的な部分も含めて好きなんです。二戸市には座敷わらしで有名な旅館もありますし。予約が取れないのでまだ行ったことがないのですが、一度は泊まってみたいですね。

↑ 愛読書「まんがで読む星のギリシャ神話」「魔太郎がくる!!」(第1巻)。長い間愛読されていたのが分かります

 

Q07. ブルーインパルスの魅力を教えてください!

小川 シンクロしながらアクロバット飛行する技術には毎回感動させられました。まさに神業です。父の影響で、物心ついた頃から航空祭などによく連れて行ってもらっていたので、私も自然と好きになりました。家で父と一緒に『トップガン』とかを見ると大変ですよ。戦闘機の解説やらうんちくをずっと横で話しているので、ストーリーが頭に入ってこないです(笑)。そんな環境で育ったからなのか、青森の三沢ベースで働きたいなと思ったこともありました。松島基地に見学にうかがい、パイロットの皆さんからサインをいただいたのは、今でも宝物です。

Q08. 理想の休日の過ごし方と現実は?

小川 デビューするまでは、キャスターという響きから、きっと優雅な休日を送っているんだろうなと妄想していたんです。おしゃれなお店でアフターヌーンティーとかを楽しんだりして、もしかして私もそうなるのかなって。……寝ていますね(笑)。気づいたら一日が終わっているパターンです。でも、いつまでもそれだとせっかくのお休みがもったいないと思って、最近乗馬を始めました。地元でもやっていたので、懐かしさを覚えながら楽しんでいます。

 

Q09. では、その乗馬の素晴らしさを教えてください。

小川 ホースセラピーというものがあるぐらい、馬に触れていると心がふわっと軽くなり、ストレス解消にもなります。それに、乗馬はただ乗るだけじゃなく、厩舎から出したり、馬具を装着したりと、準備も自分でしなければいけないんです。ときどき蹴られそうになることもあるので危険ですし、そうしたことで集中力や生き物を大切にする心も養われる。そこも魅力だなと思っています。また、私はよくスタッフさんから姿勢が良くないと指摘されるので、乗馬をすることで少しでもその改善につながればいいなという思いもあります。

Q10. ほかのキャスターにここは負けないぞ!という強みは?

小川 やり抜く力ですね。“これは絶対にやるんだ!”と決めたことはどんなコンディションでもやり抜きます。これは幼少期に習い事が多かったことで培われたものだと思います。一週間で10個以上の習い事をし、それ以外にも週3で新体操のレッスンにも通っていましたから。たまに塾を途中で一旦抜けて、新体操に行ってから、また戻って勉強したりして(笑)。しかも月謝を払っている以上、絶対に休まないようにしていたので皆勤賞でした。それでいて、学校での友達の話題にもついていきたいので、帰宅してから録画したドラマとかを見て寝るというタフな生活を送っていて。おかげで相当な体力と精神力、マルチタスク能力が身についたと思います。

 

Q11.「6月会」(※6月生まれのウェザーニュースLiVEキャスターの集まり)に入って楽しかったことは?

小川 まず“6月に生まれてよかったぁ!”とこれほど強く思ったことはないです。30日生まれなので、母も「ギリギリ6月に生んでよかった!」と喜んでいました(笑)。入会のお誘いはゆいさん(駒木結衣キャスター)からいきなり連絡が来たんです。「『6月会』に入らない?」って。“やった!”と思って、二つ返事で入りました。でも、改めて考えてみたら、あいりんさん、ゆかりんさん、ななさん、ゆいさんという錚々たるメンバーでしたので、みんなで食事に行ったときは緊張でガチガチでしたね。そうしたなか、あいりんさんがお話ししてくれた「SOLiVE24」(※ウェザーニュースLiVEの前身)時代のエピソードがすごく面白くって。調子に乗って、「SOLiVE時代と今とでは、どちらが楽しいですか?」という怖いもの知らずな質問までしてしまいました(苦笑)。あいりんさんは「それぞれに違った良さと楽しさがあるから、どちらも大好き」とおっしゃっていましたね。また、あいりんさんからは気象キャスターとしてこれから大事にしないといけないことなど、心に残る言葉もたくさんいただき、すごく充実した時間を過ごさせていただきました。

Q12. 普段、番組の切り抜き動画は見ますか?

小川 先輩方の動画は昔から楽しんで見ています(笑)。自分の切り抜きは……最初は怖くて見られなかったです。でも、ちょっとずつ勇気が生まれたのと(笑)、自分を客観的に見られるようになってきたこともあって、最近は楽しめるようになりました。ただ、切り抜きを見る目的は反省の意味を込めてという思いが強いです。動画で見ると意外と早口になっていたり、逆にちょっと間(ま)が空きすぎているなと気づくことが多いので、そうした確認として見ていますね。そういえば、先日、私の名前が入ったチャンネルを見つけちゃったんです。それが本当に嬉しくって。編集作業など大変なことが多いでしょうし、私のために貴重な時間を割いてくださってありがとうございますという思いでいっぱいです。

 

Q13. 好きな岩手弁は?

小川 じゃじゃじゃ。正確には《じゃーじゃっじゃ》ですね。ドラマをきっかけにじぇじぇじぇが有名になりましたけど、私の地元である盛岡ではじゃじゃじゃと言います。驚いたときに出る言葉なので、使い方は同じですね。

 

Q14. 岩手のおすすめ観光スポットは?

小川 個人的には宮沢賢治の故郷『花巻』が大好きで、よく遊びに行っていました。すごくいい街ですし、有名なマルカンビル大食堂というお店があり、高さが10巻25センチぐらいあるソフトクリームが人気なんです。お箸を使って縦にすくって食べます。お箸以外で食べている人を見たことがありません(笑)。この食堂には大谷翔平さんや菊池雄星さんも通っていたと言われていて、野球ファンの聖地にもなっています。ほかには、世界遺産に登録されている平泉の中尊寺も好きですね。

Q15. GetNavi webということで、今、一番欲しい家電は?

小川 吸引力の強い掃除機。お掃除をするのが大好きなんです。ロボット掃除機もいいなと思うのですが、彼らが一体どうやって掃除をしてくれるのか、その実態がいまいちつかめていないので(笑)、しばらくはまだ手持ちの掃除機がいいですね。

 

Q16. では、ご自身を家電に例えると?

小川 パソコンかな。先輩キャスターやスタッフさん、それにサポーターの皆さんからいろんな情報をインストールして、常にアップデートし続けていきたい……そういう願いを込めてパソコンで!

 

 

小川千奈さんのサイン入り生写真を3名様にプレゼント!

 

<応募方法>

下記、応募フォームよりご応募ください。

https://forms.gle/2aZVYE2eDKNSthTs8

※応募の締め切りは8月31日(木)正午まで。
※当選は発送をもってかえさせていただきます。
※本フォームで記載いただいた個人情報は、本プレゼント以外の目的での使用はいたしません。また、プレゼント発送完了後に情報は破棄させていただきます。

 

「ウェザーニュース」HP https://weathernews.jp/

「ウェザーニュース」YouTube https://www.youtube.com/user/weathernews

「ウェザーニュースLiVE」公式Twitter https://twitter.com/wni_live

「ウェザーニュースLiVE」公式Instagram https://www.instagram.com/weathernews_live/?hl=ja

 

 

撮影/中村 功 取材・文/倉田モトキ

柳俊太郎「ゾンビがいる世界なんだけど、そこで生きているアキラやケンチョの行動って傍から見たら面白い」Netflix映画『ゾン100〜』

Netflix映画『ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと~』が8月3日(木)より配信スタート。 “もし世界が変わったら、どう生きる?”という普遍的なテーマを、ゾンビ×パンデミック×ブラック企業社員(社畜)という斬新な設定で描いた同名漫画が原作。本作で、ゾンビが存在する世界でたくましく生き残っていく主人公・アキラ(赤楚衛二)とともに、パンデミックの世界を生き抜こうとする親友を柳俊太郎さんが演じています。クールな役柄が多かった柳さんが今作では明るい三枚目的なキャラクターに挑戦。新しい魅力を見せてくれています。

 

柳俊太郎●やなぎ・しゅんたろう…1991年宮城県生まれ。2009年に第24回メンズノンノモデルオーディションでグランプリを受賞。パリコレクションやミラノコレクションなどに出演。2012年に俳優デビュー。世界190か国に配信されたNetfliix「今際の国のアリス」をはじめ、映画やドラマで話題作に続々出演。2022年は10本以上のドラマ、映画に出演。直近ではフジテレビ連続ドラマ「スタンドUPスタート」に出演した。今後は7月期テレビ朝日連続ドラマ「ハレーションラブ」に出演することが決定している。Instagram

※柳俊太郎さんの「柳」は木へんに夘が正式表記になります。

【柳俊太郎さん撮り下ろし写真】

 

撮影中はみんなで旅をしているような気分だったので、すごく濃い3か月でした

──主人公・アキラの親友ケンチョを演じていらっしゃいます。ケンチョ役のオファーを受けたときの心境はいかがでしたか。

 

 自分が今まであまりやったことがない三枚目という感じのキャラクターだったので、楽しみでありながら大丈夫かなというプレッシャーがありました。しかもNetflixオリジナルの壮大なスケールの作品で、とても重要な役なのでしっかりやらなければと思いました。

 

──ゾンビだらけになった世界を「もう会社にいかなくていいんだ!」という逆転の発想でサバイバルしていく様子が面白かったです。

 

 ゾンビがいる世界なんだけど、そこで生きているアキラやケンチョの行動って傍から見たら面白いんですよね。でもゾンビがいる世界で本人たちは必死に生きているところにリアリティーがあると思いました。海外のゾンビ映画と違って、「ゾン100」には武器が出てこないんです。身近なもので対処していくんですね。石田(雄介)監督はすごく熱い方で、現場では熱さ全開で演技指導してくださいましたし、僕自身も「自分の日常にゾンビがいたら」と考えて、アイデアを出したりしました。

 

──ケンチョは一見チャラい会社員ですが、実は友情に厚いキャラクターです。ケンチョを演じる上で意識したことを教えてください。

 

 普段の僕とは結構かけ離れているというか、ケンチョは根っから明るい性格なので、現場ではいろんなスタッフさんと触れ合おうと思いました。いつも以上に話しかけたり、常にテンション高めでいられるように明るく振る舞っていましたね。

──演じていて難しいことはありました?

 

 あまり演じた経験のないキャラクターだったので、正解が分からないというか、芝居をして「今、しっくりきた」と思うことが少なかったですね。正解かどうかの判断は監督がすることなので、間違っているわけではないんですが、自分の中ではどれが正解なのかなって探って、悩みながら演じていました。

 

──では逆にケンチョを演じて楽しかったことは?

 

 いろんな人と仲良くなれた気がします。勇気を持ってコミュニケーションを取らないと人との距離って近づかないじゃないですか。この作品では役柄を通していろんな人と近づくことができたなと。いろんな所でロケをして、撮影中はみんなで旅をしているような気分だったので、すごく濃い3か月でしたし、クランクアップのときはうるっとしましたね。

 

普段の赤楚くんも明るい人で、本当にこの作品のまんま

──いろんな場所で撮影して印象的だったシーンはどこですか。

 

 規模が大きいのでどこも印象的でした。まず新宿の街並みは横浜に作ったセットなんです。クランクインで、新宿の店がそのまま作られていたので「すげえ!」と思いました。僕は出ていないシーンなんですけど、名古屋で4車線くらいある道路を封鎖して撮影したというので、「こんなデカい道、封鎖できるんだ!?」って驚きました。それからアキラとケンチョ、シズカ(白石麻衣)の3人で温泉に入るシーン、キャンプファイヤーのシーンは青春って感じで印象に残ってます。湖でサップヨガをしたり、3人でいろいろなことをして。監督もみんなで旅しているようなテンションでいこうと言ってくださったので、ただただ楽しかったです。湖でやったサップヨガは気持ちよかったですよ(笑)。

 

──赤楚衛二さん、白石麻衣さんと共演した印象を教えてください。

 

 赤楚くんと共演するのは今回が3回目です。といっても、ここまでずっと一緒にいたことはないし、以前共演した作品は敵対する役だったので、お互い空気感は全然違っていました。でも普段の彼が明るい人だということは知っていて、本当にこの作品のまんまなんですよ。ずっとニコニコしていて好青年で。赤楚くんもこの現場が楽しかったらしく、「本当に楽しいっす。まじ終わりたくない」って言っていました(笑)。今回は親友役なので、すごく親密に話して関係性を作っていきました。白石さんはきれいで静かな印象でした。もともとトップアイドルなので、すごくカリスマ性があるじゃないですか。僕もみんなもそういうふうに見ていたので、麻衣ちゃんとも呼べないし、最初は距離感があって(笑)。でも話しかけるとノリがいいんです。エンジンがかかり始めるとフランクで明るい方で。そこにいくまでに探る感じはありましたけど、いい意味でギャップがあって、愛される人だなって思いました。

 

──赤楚さんや白石さんとはどんなお話をされましたか?

 

 プロデューサーの森井(輝)さんと監督、赤楚くんと話しているときに、みんな「白石さん」って呼んでいることが分かったんです。なので白石さんとの距離を縮めようと、誰が最初に麻衣ちゃんって下の名前で呼ぶかを決めようということになりました(笑)。どうやって決めたのか覚えてないんですが、さすがにオレと赤楚くんが最初にいくのは違うなってことになり、「そしたら森井さんじゃない?」ってことで、翌日いきなり森井さんが「おはよう、麻衣ちゃん」って話しかけました。でも白石さんは「え。急にどうしたのかな?」って思ったらしく。それに続いて監督も「麻衣ちゃん、おはよ」みたいな。オレらも「おはよう、麻衣ちゃん」って言うものだから、「どうしたの、みんな!?」って思っていたらしいです(笑)。

 

現場でもゾンビの扮装をした人に遭遇すると「うわっ!」ってなりました

──後半になるにつれてアクションも多くなります。終盤に登場する巨大なサメゾンビと格闘するシーンは大変だったのでは?

 

 大変でしたね。恐怖感を想像した上でアクションしたり、芝居をしないといけないから。サメゾンビがどんな画になるか完成まで分からないので、実際にお芝居するときは、迫力が出るように実物大の模型や顔だけの造型を用意してくださいました。それによってサメゾンビがどういうものかを、みんなで共有できたのはすごく助かりましたね。ただ完成した作品を見たら、まさかあんなに気持ち悪いとは思いませんでした(笑)。ゾンビもそうですけど、そのリアルな気味悪さもこの作品の魅力だなって思いました。

 

──撮影とはいえ気味が悪いゾンビに追いかけられているときの心境ってどんな感じなのか気になります。

 

 ケンチョはビビリな役柄なので、ひたすらビビッっていました。ゾンビを本気で怖いと思わないと、ケンチョの芝居はできないと思ったので。でも本当に気持ち悪いんですよ。現場でもメイクして目にコンタクトを入れたゾンビの扮装をした人に遭遇すると「うわっ!」ってなりました。群馬の古いアパートで撮影したとき、夜遅い時間にトイレに行ったらゾンビの方とすれ違って「おわっ!」って。「すみません」って謝られたので、「こちらこそすみません」って言ってしまいました(笑)。

 

やっぱりヒーローになりたいな。誰か助ける方がかっこいい

──もしゾンビが存在する世界になったら、栁さんはどんな行動をすると思います?

 

 僕、それを結構考えるんですよね。夢に出てきたりもしますし。リアルに考えると生存を諦めることもあり得るし、好きな人と一緒に逃げることもあり得るなっていろんなパターンを考えるけど……。でもやっぱりヒーローになりたいな。誰か助ける方がかっこいいし、男としてはそう生きたいじゃないですか(笑)。ケンチョってそういうタイプだと思うんです。でもビビリだからいけないみたいな。そういうところはオレと似てるかもしれないです。

 

──ここからは「モノ」や「コト」についてのお話をお聞かせください。趣味やハマっていることはあります?

 

 スポーツが好きで、最近は水泳をやっているんですけど、ユニフォームとかが好きなんですよね。見た目から入っちゃうので(笑)。最近はプールに行くためのゴーグル、キャップをつい買っちゃいました。あと料理もすごく好きなので、フライパン、包丁、おしゃれなタイマーを買ったり。もちろんお皿もいろいろあります。最近は花が好きなので花瓶も集めてます。

──お花をご自分で生けたりするんですか。

 

 本当は自分で生けたいんですけどまだ……。だからフラワーアレンジメントをやってみたいです。今はお花屋さんに行って、「こういう花瓶に合うのを作ってください」ってお願いしています。

 

──お花がある生活って素敵ですね。花と花瓶どちらが先でした?

 

 花瓶です。良い花瓶をゲットして、「せっかくなら飾ってみよう」ってなりました。もともとクランクアップのときに頂いたお花を部屋にかっこよく飾れたらいいなと思っていたんです。以前は何の変哲もない花瓶に飾っていましたが、だったらもっと素敵な花瓶に生けたいなって思ったのがきっかけです。

 

じいさんの気質は受け継いでいるのかもしれないです

──お気に入りの花瓶は?

 

 周りが緑で中が黒の花瓶です。ビンテージの作品で60年代のものだったかな。ゴツゴツしていて、面白いアーティストの作品で花を飾ってもかわいいんです。それはすごく大切にしています。

 

──趣味として新しく始めたいなと思っていることはありますか。

 

 フラワーアレンジメントと、油絵もやりたいです。あとTシャツや服も作ってみたいですね。

 

──モノを作ることがお好きなんでしょうね。

 

 どうなんだろう。子供の頃、男子ってプラモデルにハマったりするじゃないですか。そういうのはなかったんですよね。カードゲームやミニ四駆にも全然ハマらなかったし。でも祖父と秘密基地を作るのは好きでした。じいさんはプラモデルとか超好きで。それこそ、零戦の整備士で亡くなるまでいろんなものを作っていたんですよ。自分で作った小屋があって、そこに入ると飛行機のプラモデルがあって。モノを作る道具もいろいろ持っていて、そういうじいさんの気質は受け継いでいるのかもしれないです。

 

 

Netfliix映画『ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~』

8月3日(木)よりNetflixにて世界独占配信開始

(STAFF&CAST)
原作:麻生羽呂・高田康太郎「ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~」(小学館「サンデーGXコミックス」刊)
監督:石田雄介
脚本:三嶋龍朗
出演:赤楚衛二、白石麻衣、柳俊太郎、市川由衣、川崎麻世、早見あかり、筧美和子、中田クルミ、ドロンズ石本、中村無何有、谷口翔太、佐戸井けん太、北村一輝

※川崎麻世の「崎」は立つ崎が正式表記になります。

Netfliix映画『ゾン100~ゾンビになるまでにしたい100のこと~』作品ページ:https://www.netflix.com/jp/title/81464329

 

撮影/金井尭子 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/速水昭仁(CHUUNi) スタイリスト/伊藤省吾(sitor)

新世代のアクション女優・山本千尋、“香港四天王”への愛が止まらない!? 『埼玉のホスト』連ドラ初主演では新境地

幼少期から武術を習い、武術太極拳選手として世界の頂点に立つなど輝かしい成績を残した山本千尋さん。2013年に俳優デビューすると、圧倒的な身体能力を駆使したアクションを武器に多数の話題作に出演、唯一無二の存在感を放ち続けている。7月25日(火)放送開始のドラマ『埼玉のホスト』では連ドラ初主演を果たし、ホストクラブの立て直しを図る凄腕コンサルタントという役柄で新境地を見せている。

山本千尋●やまもと・ちひろ…1996年8月29日生まれ、兵庫県出身。3歳から武術を習い、2008年に「世界ジュニア武術選手権大会」の槍術で金メダル、2010年から2012年にかけて「JOCジュニアオリンピックカップ」の長拳・剣術・槍術で3種目3連覇、2012年に「世界ジュニア武術選手権大会」の槍術で金メダルと輝かしい成績を残す。2014年、『太秦ライムライト』で映画初出演にしてヒロインを務め、同作で「第3回ジャパンアクションアワード」ベストアクション女優優秀賞を受賞。最近の出演作に映画『キングダム2 遥かなる大地へ』(2022)、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)など。Instagram

 

小さい頃から香港映画が大好きという山本さんに、リスペクトするアクションスターたちの魅力や、刺激的な現場だったという『埼玉のホスト』についてなど大いに語ってもらった。

 

【山本千尋さん撮り下ろし写真】

 

リスペクトする“香港アクションスター四天王”の時代を超越した魅力

 

──山本さんは小さい頃から80年代の香港映画が大好きだそうですね。

 

山本 香港映画に限らず、ハリウッド映画や音楽なども80年代の作品が好きで、そこは親の影響が大きかったと思います。母が初めて映画館で観た映画が『プロジェクトA』(1983)だったらしいんですけど、それを完全に引き継いでいます。

 

──中でもジャッキー・チェン、ジェット・リー、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーは特別な存在だとか。

 

山本 私にとっての“四天王”です!

 

──お一人ずつ四天王の魅力を語っていただけますか。

 

山本 いいんですか? ただのオタクになっちゃいますよ(笑)。四天王の中で最初に好きになったのがジャッキー様。顔もアクションもお芝居も全てが好きです。プロデューサーや監督もご自身でやるだけあって現場をまとめる力がありますし、ご自身でアイディアを出すのはもちろんなんですけど、自分の出番ではない対決でも、やられ役で出ちゃうんですよ。子どもの頃は、単純に「かっこいいな」という目線で見ていたんですけど、この仕事を始めてから、ジャッキー様の動きを見ると、他の誰にも真似できない技術なんです。ただアクションがすごいのではなく、いろんなアイディアが詰め込まれているので、相当努力もされているんですよね。

 

──特に思い入れの深い作品は何でしょうか。

 

山本 好きな作品は『プロジェクトA』や『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985)なんですけど、思い入れの深さで言うと、小学1年生のときに、生まれて初めて自分のお小遣いでビデオを買った『ゴージャス』(1999)です。ジャッキー様には珍しいラブロマンスですが、擦り切れるほど繰り返し観ました。

 

──ジェット・リーはどういうきっかけで好きになったんですか。

 

山本 リー様は私がやっていた中国武術の大先輩にあたる方で、「第一回全中国武術大会」でチャンピオンになってから5連覇を果たしているんです。まず先輩としてのリスペクトがあるのと、とにかく私は少林寺に憧れていて、親に「頭を全部剃って、額に焼印を入れて欲しい」とお願いしたほどでした(笑)。何度か少林寺の方たちが出る公演も観に行きましたし、いつか本場の中国に行きたいという目標もあります。だからリー様のデビュー作『少林寺』(1982 ※リー・リンチェイ名義で出演)は特に好きです。ハリウッド進出後のリー様も好きですけど、私の中で『少林寺』を超える作品はないです。

 

──『ドラゴン・キングダム』(2008)でジャッキー・チェンとジェット・リーは初共演をしていますよね。

 

山本 ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが共演した『ヒート』(1995)もどちらを応援していいのか悩みましたけど、『ドラゴン・キングダム』はその比ではなくて、二人の大ファンとしては、こんなに辛い映画はありませんでした(笑)。

 

──ユン・ピョウは、どういうところに惹かれたのでしょうか。

 

山本 シンプルに顔がかっこよくて、男らしいところです。ユン・ピョウ様はスマートかつクールで、スーパー戦隊で言うと青みたいな存在。出演作では『プロジェクトA』が一番好きなんですけど、役の上とはいえ先輩のジャッキー様と対立しても、対等に渡り合っていて、そのストイックな姿に心を打たれました。

 

──『プロジェクトA』にはサモ・ハン・キンポーも出演していますね。

 

山本 ユン・ピョウ様とは対照的に、ぽっちゃりされているんですけど、実は誰よりもアクションが繊細と言いますか。代表作の『燃えよデブゴン』シリーズを観たら分かると思うんですけど、小さい頃から京劇をされていたので、しなやかに舞っているようなアクションが素晴らしくて、女性的な面もあるんです。だから4人の中で一番アクションの参考にさせてもらっていて、サモ・ハン様のような美しさや色っぽさを目指しています。後輩の育成にも積極的で、「まだまだ香港映画の灯を絶やさないぞ!」という意思を持ち続けているのも、かっこいいなと思います。

 

──四天王以外だとドニー・イェンもお好きだそうですね。

 

山本 今年の7月27日で還暦ですが、いまだにキレがすごいんですよね。あとアクションで中国武術というカラーを、ちゃんと見せてくれたのがドニー・イェン様で、特に『イップ・マン』シリーズは素場らしいです。英語が堪能で、ハリウッド映画でも現在進行形で大活躍されていますけど、アクションに頼らなくても魅力的な役者さんですね。

 

──女性でアクションがすごいと思う俳優さんはどなたでしょうか。

 

山本 チャン・ツィイー様です。『グリーン・デスティニー』(2000)や『グランド・マスター』(2013)などを観ると、絶対的な美しさと吸引力があって、ちゃんと武術の鍛錬も積んできたんだなと分かる剣術の動きをされています。デビュー作の『初恋のきた道』(1999)はアクションシーンがないですけど、それでも人を惹きつける力と美しさがあるので、憧れの存在です。

 

──日本のアクション俳優で憧れている方はいますか?

 

山本 真田広之さんです。私が映画を観るようになった頃には海外進出をされていたので、日本のアクションスターと言うよりは、ハリウッド俳優というイメージが強くて。今ほど日本人がハリウッドで活躍していない時代から、お芝居を通して日本の良さを伝えていて。それって並大抵の志ではできないことですし、後輩への道も作ってくださった偉大な方です。今年9月から公開の映画『ジョン・ウィック:コンセクエンス』を先行して観させていただいたんですが、ドニー・イェン様と真田広之さんの対決シーンは痺れました!

 

初めて行った歌舞伎町のホストクラブで洗練された接客に感動

 

──『埼玉のホスト』で連ドラ初主演を果たしましたが、オファーがあったときは、どんなお気持ちでしたか。

 

山本 思わず「私でいいんですか?」とびっくりしました。アクション主体の作品や、体を動かすようなキャラクターなのかなと思ったらそうではなくて、舞台はあまり訪れたことのない埼玉県、しかも私が演じるのは行ったことのないホストクラブの優秀なコンサルタントの役。最初は共通点が見つからなかったんですけど、それでも私を選んでいただけて感謝の思いでいっぱいでした。

 

──クランクイン前に、どんな準備をしましたか。

 

山本 キャラクター自体は現場でみんなと一緒に作っていくものですが、個人的な準備でいうと、ホストクラブに行ったことがなかったので、スタッフさんにお願いをしまして、歌舞伎町の有名なホストクラブに行かせていただきました。ホストの歴史やコンサルタントはどういうお仕事なのかなども調べて、現場に臨みました。

 

──初めてのホストクラブ体験はいかがでしたか。

 

山本 みなさん丁寧な教育を受けているようで、百貨店で接客されているような居心地の良さを感じました。現役ホストの方と一緒にお店のオーナーさんが接客をしてくださったんですが、ずっとお喋りが楽しくて、女の子のことを第一に考えてくれていて、素敵な空間でした。

 

──所作なども一味違うのでしょうか?

 

山本 すごく美意識が高くて、洗練されています。印象的だったのは、別の席の姫(お客様)に呼ばれると交代するんですが、そのときに真っ直ぐ目を見て、後ろ髪を引かれるように「すいません」と言ってくれるんです。そうすると、言われたほうも寂しい気持ちになって、また話したくなるんですよね。女性がハマる理由はこれかと納得できました。コールも見せていただいたんですが、開店の1時間ぐらい前にお店に入って練習しているとお聞きして、この仕事にひたむきに取り組まれているんだなと感心しました。

 

──ホストクラブで体験したことは、山本さん演じる荒牧ゆりかが立て直しをする埼玉のホストクラブ「エーイチ」のメンバーにも伝えたんですか?

 

山本 伝えたいなと思うぐらい素晴らしい空間だったんですけど、エーイチはツッコミどころ満載の寂れたホストクラブなので、エーイチのホストを演じるキャストの方々には、リハーサルのときに「ホストクラブ経験をさせてもらったけど、エーイチとは全然違うから、逆に知らないほうがいい」と詳しくは伝えませんでした(笑)。

 

──ゆりかを演じる上で、どんな役作りを意識しましたか。

 

山本 7月18日の制作発表会見で、「岩槻キセキ役の福本大晴くんは、この夏一番のヒロインだと思います」とお話しましたが、ゆりかは「この夏一番のヒーロー」だと思います。かわいいヒロインとして大晴くんがいるので、逆に私はキャストの中で一番のイケメンでいようと意識していました。私のアクション経験が反映された部分も少しずつ明かされていくので、そこにも注目してください。

 

──現場の雰囲気はいかがでしたか。

 

山本 終始みんな仲が良くて、部活みたいな雰囲気でした。その回によって、エーイチのホストと敵対する「ラブ2000」のホスト、一人ひとりにスポットが当たっていくんですけど、本音を言い合える仲間だったので、胸キュンシーンでも感情をぶつけ合うシーンでも、自分はこうしたい、あれは良くなかったと、意見を言い合いました。それぞれが自分の役柄にやりがいと愛着を持っていたからこそ、そういう関係性になれたと思います。みんなに心を動かされる瞬間があまりにも多くて、素晴らしいメンバーに出会えたなと思います。

 

──山本さん自身も、かなり意見を伝えたんですか?

 

山本 そうですね。一人ひとりと対峙するシーンは、特に意見を言っていました。たとえば大晴くんとの胸キュンシーンで、「こういう風に演じたら視聴者の方がキュンとしてくれるかもしれない」と意見交換をできたのは、私はラブコメ自体が初めてだったのでありがたかったですね。

 

福本大晴との共演で初心にかえることができた

 

──歌舞伎町イチの売り上げを誇るホストクラブ「ラブ2000」のNo.1ホスト・赤坂ゲンジを演じる楽駆さんの印象はいかがでしたか。

 

山本 楽駆さんは今回のキャストで唯一、私と年が一緒だったんですが、初めてお会いしたときはクールで大人びていて、しっかりされている方だなと感じました。撮影中も、ゆりかとゲンジはシリアスなシーンが多かったので、その印象は変わらなかったんですけど、撮影が一段落してから気軽にお話するようになって。すごく天然で、ツッコミどころ満載の方でした(笑)。イメージがガラリと変わって、やっぱり同級生だなという感じで打ち解けられました。

 

──福本さんの印象はいかがでしたか。

 

山本 すごく周りが見えているなと感じました。とにかくチームのことを思ってくれているんですよね。お芝居に対してすごくストイックで、ときに繊細で。普段は関西弁で明るく振舞っているんですけど、実は内に熱いものを秘めていて、そこがキセキにも似ているように感じました。私よりも3歳年下ですけど、彼から学ぶものはたくさんあって。大晴くんのおかげで初心にかえることができました。

 

──「埼玉のホスト」の撮影を通して学んだことをお聞かせください。

 

山本 今まで現場では、自分のことを考えるのが第一だったんですけど、今回初めて連ドラでの座長を任せていただいて、みんなのことを考えることのほうが多くて。撮影が終わった後の帰り道も、今までは自分の反省会ばかりしていたんですけど、エーイチのみんなのことを振り返ることが多かったんです。ただ、自分が引っ張っていくというよりは、みんなにサポートされながら、座長でいさせてもらっている感覚が強くて、みんながちょっとずつアドバイスや栄養を与えてくれているんだなって感じることが多々ありましたし、その環境にいられたことが幸せでした。自分が座長を経験したからこそ、数々の作品で主演を務めている方々のすごさも改めて分かりました。

 

──ちなみに山本さんが姫になるとして、エーイチに行ったら誰に接客されたいですか。

 

山本 全員嫌です(笑)。みんなを見過ぎちゃって、キュンとする対象にならないですね。それだけ距離感が近い関係になれたんです。最終話に近づくに連れて、みんなのことが好き過ぎて、泣いちゃ駄目なシーンでも涙が出ちゃって……。それは私だけじゃなくて、みんなも同じで、「まだ最終回じゃないなんだから」とお互いにツッコミ合っていました(笑)。主演をさせていただいた身として、そういう素晴らしいチームにいれたんだと思うとうれしかったですし、みんなが愛おしくて仕方がなかったです。

 

──俳優を続けていく上で、どんなことを大切にしていますか。

 

山本 周りへの感謝の気持ちです。学生時代は主にアスリートとして日々を過ごしていましたが、個人競技でも、スポーツは一人でできるものではなくて。武術の大会で優勝したときも、自分の喜びよりも、支えてくれた人たちが喜んでくれることがうれしかったんです。周りの人たちのおかげで頑張れたんだというのが正直な気持ちでしたし、それは俳優業にも共通しています。このお仕事も一人では成立しないですし、たとえ自分が上手くできたからといって、全体が上手くできるものでもありません。だからこそ周りへ感謝する気持ちは、ずっと忘れないようにしようと思っていますし、時間はかかってしまうかもしれないですけど、何か一つ恩返しできるようになりたいと思っています。

 

──今回、連ドラ初主演を務めたことも、周りの方々は喜んでくれるでしょうね。

 

山本 私の映画デビュー作『太秦ライムライト』(2014)は、古き良き時代劇を支えてきた人たちを描いた作品でした。昨年はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出演させていただきましたが、そのときにお世話になった方々に良い報告ができたなと思いました。今回の連ドラ初主演にしても、この10年間で、いろいろな方から「いつか主演してね」と言っていただき、そのおかげで今回のチャンスをいただけたと思います。だから今後も報恩謝徳の気持ちを忘れずにいたいです。

 

──最後に改めて『埼玉のホスト』の見どころをお聞かせください。

 

山本 スマートでかっこよくて神々しいのがラブ2000、打って変わって本当にホストなの? っていうような、ちょっとお馬鹿で天真爛漫、でも憎めなくて愛おしいのがエーイチ。その対照的なところが見どころの一つです。一人ひとりの男の子たちがコンプレックスを抱えていて、それはエーイチ側だけじゃなくて、ラブ2000側のホストもそうなんですけど、それぞれ後悔があったり、挫折を繰り返したりしていて。でも仲間たちに出会えたおかげで、挫折を乗り越えて、成長していく青春群像劇になっています。見た方が「明日また頑張ろう」って思えるような、背中を押してくれるような明るい、そして力強いドラマになっているので、ぜひ見てください!

 

ドラマストリーム『埼玉のホスト』TBSテレビ

毎週火曜 深夜25時~ 放送中

TVer、TBS FREEにて見逃し配信、NETFLIXにて先行配信

 

<キャスト>
山本千尋、福本大晴 (Aぇ! group/関西ジャニーズJr.)、楽駆、木村了、中沢元紀、田中洸希、濱尾ノリタカ、守谷日和、中山咲月ほか

 

<スタッフ>
脚本:伊吹一
音楽:青木沙也果
主題歌:Sean Oshima 「回せ回せよ哲学を -Imagine-」 (A-Sketch)
挿入歌:りみー 「この物語はフィクションです」 (SoCo Records)
演出:古林淳太郎、坂上卓哉
公式サイト:https://www.tbs.co.jp/saitamanohost_tbs/

 

<ストーリー>
経営立て直しの凄腕コンサルタント荒牧ゆりか (山本千尋) は、匿名で埼玉のホストクラブ 『エーイチ』 の立て直しの依頼を受けていた。経営再生のためにゆりかは店のダメ出しを始め、さらに奇跡のナンバーワン候補を雇うと宣言。そんなゆりかがスカウトしてきたのは、農家の息子 (福本大晴) だった。だが、彼は植物としか喋れない超がつくほどの内気な性格で……。

 

撮影/中村功 取材・文/猪口貴裕

“だが情”春日俊彰役で話題の戸塚純貴、新作は妄想全開の役者に 『スーパーのカゴの中身が気になる私』7月22日放送開始

日曜ドラマ『だが、情熱はある』(2023年4月期)で、お笑いコンビ「オードリー」の春日俊彰役を演じ強烈なインパクトを残した戸塚純貴さん。次は7月22日(土)放送開始のドラマ『スーパーのカゴの中身が気になる私』で主演を務め、制作から携わるなどマルチな面を見せている。

戸塚純貴●とづか・じゅんき…1992年7月22日生まれ、岩手県出身。2011年、ドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011』で俳優デビュー。最近の出演作に映画『水は海に向かって流れる』、オムニバス映画『さよならを決めた日』、舞台『たぶんこれ銀河鉄道の夜』など。Instagram

 

そんな戸塚さんが、俳優になる前に目指していたのが自動車整備士。今でも車やバイクをいじるのが趣味だという戸塚さんに、機械いじりの魅力、そして『だが情』『スーパーのカゴの中身が気になる私』についてたっぷりとお話をうかがった。

 

【戸塚純貴さん撮り下ろし写真】

 

車とバイク愛が止まらない素顔「いじっているときがストレス発散」

 

──戸塚さんといえば資格取得マニアとしてファンの間で知られ、自動車整備士の資格もお持ちです。これはどんなきっかけがあったのでしょう?

 

戸塚 もともとは自動車が大好きで、そこから整備士に興味を持ち始めました。『ピンプ・マイ・ライド ~車改造大作戦!~』というアメ車(アメリカの自動車メーカーが製造した車)を改造する海外の番組があり、それを見て“整備士ってかっこいいなぁ”と。ただ僕が憧れていたのは、家のガレージでタンクトップを着て車をいじっているような姿で。日本で整備士というと職人的なところもあるので、ちょっとギャップもありましたが(笑)。エンジンやメカの構造などが大好きで、仕事にできたらいいなと思い、専門学校に進学しました。

 

──子どもの頃からお好きだったんですか?

 

戸塚 好きでしたね。学校の帰り道、横を通り過ぎていく車種を当てて遊んでるような小学生でした。

 

──エンジン音だけでどこの自動車メーカーか当てたり?

 

戸塚 あー、やってましたね(笑)。車やバイクは、あのカッコよさに惹かれていたのと、運転している人が羨ましかったんです。“どうやったら乗れるんだろう”と調べて。バイクは16歳、車は18歳にならないと免許が取れないと知ってからは、早く大人になりたかったです。“自分は免許のためだけに歳をとっているんだ”と当時は思っていました(笑)。実際、16歳になってすぐバイクの免許を取りました。

 

──当時は何に乗っていたんですか?

 

戸塚 最初は原付でした。Ape(エイプ)というホンダの50ccのバイクです。友達といじって遊んでいましたね。『モト・チャンプ』というバイク雑誌をよく読んでいて、みんなで「これに載せようぜ!」って張り切っていました。結局掲載されることはありませんでしたけど、青春ですね。

 

──今もバイクや車をいじるのも、運転するのも、両方お好きなんですか?

 

戸塚 そうですね。でも、いじる方が好きかもしれないです。自分が乗る車やバイクは絶対に自分でいじりたいですし、人に触らせたくないというのもあります。それに、いじっている間は無心になれるのでストレス発散にもなるんです。もともと黙々と作業することが大好きなので、リフレッシュできるというのが大きいですね。

 

──なるほど。ロードバイクもお好きだとうかがいました。

 

戸塚 ロードバイクにハマりだしたのは昨年からです。『VAMP SHOW ヴァンプショウ』という舞台でご一緒した尾上寛之さんの影響でした。尾上さんがすごく自転車好きで、稽古場にもよく乗って来ていたんですね。僕も10年くらい前に買った自転車で通っていたので、それをきっかけにいろいろと教えてもらうようになり、火が点きました。

 

──自転車もカスタマイズを?

 

戸塚 もちろんです。ピストバイクにしてみたり、フロントフォークやシャフトを変えてみたり。ただ、すごく楽しいんですが、キリがなくって(笑)。僕はまだまだ、そこまでではないんですが、たまに総額を聞いて“えっ、そんなに高いの!? ”と驚くことがあります。“だって、自転車だよ? ”って。エンジンが付いているわけでもないし、パッと見ただけだと骨にタイヤがついているだけなのに(笑)。でも、そこがハマる理由でもあるんですよね。シンプルゆえに奥が深いから、いろんなことを試したくなります。

 

──ドライブやツーリングと同じく、ロードバイクでもつい遠出したくなりますよね。

 

戸塚 そうなんです。以前も八景島まで行きました。いや〜、なめてました。遠いし、アップダウンが激しいからめちゃくちゃきつくて。目的地に着いたはいいものの、帰りは本気でタクシーを使おうかと考えましたから(笑)。でも帰り道は夜中でしたし、道も空いていたのですごく気持ち良かったです。

 

──ちなみにGetNaviということで、車とバイク以外で必ず現場に持っていくなど、今ハマっているモノもぜひ教えてください。

 

戸塚 My縄跳びですね! 朝早い現場だとなかなか身体が起きないので、シャキっとするまでずっと跳んでいるんです。……今気づいたのですが、僕はたぶん、ジャンプするのが好きなんです。思えば舞台の本番前にも必ずジャンプをするルーティンがあります。どうやら身体に気合いを入れようとすると、無意識に跳びたくなってしまう性分のようです(笑)。

 

『だが情』春日役は「僕が感じる春日さんの魅力をただ素直に出すだけ」

 

──とても多趣味な戸塚さんですが、今もどんどん趣味が増え続けているのでしょうか?

 

戸塚 いろんなものに興味を持って、すぐに手を出してしまうところはありますね。そのぶん、飽きっぽいんだと思いますけど(笑)。

 

──さまざまな趣味が、役者の仕事にフィードバックされるのでしょうか?

 

戸塚 資格はまったく活かされていないですね(笑)。ただ何でも興味を持ったものを掘り下げていく作業は大好きなので、仕事と趣味が互いにプラスになっているところはあります。役によって自分の知らないことがたくさんあり、とことん調べて勉強する。それで面白いなと思ったことは、プライベートでも趣味にしてみる。

 

──新しい役に出会うたびに、趣味や関心事が増えていく感じがして素敵ですね。

 

戸塚 この仕事の魅力の1つでもあると思っています。いろんな人の人生を生きられるので、毎回が新鮮です。それに役であれば、“戸塚純貴”じゃないので、好き勝手できるのも楽しいです。普段の生活では絶対にやっちゃいけないことも平気できますから(笑)。

 

──特に思いがけない役はありましたか?

 

戸塚 たくさんありますが、女装はまさしく別人になれた気がしました(笑)。

 

──女装役、多いですよね。

 

戸塚 そうなんですよ。どうしてなんでしょう(笑)? でも、すごく楽しいですよ。ネイルやメイクを経験したり、ちゃんと下着もつけたりするので、女性の気持ちが少しだけ分かった気がします。NHKの『ディア・ペイシェント〜絆のカルテ』ではトランスジェンダー役を演じさせてもらいましたが、学ぶことが多く、役をいただけて本当に良かったと思いました。

 

──別の人間を生きるという意味では、『だが、情熱はある』で演じた春日俊彰さん役も衝撃的でした。

 

戸塚 『だが情』は大変でした。最初にお話をいただいたときは不安と、“いや、絶対に無理でしょ”という思いしかありませんでした。想像できなかったんです、自分が春日さんを演じている姿が。どれだけ考えても、いいイメージが浮かばなかった。

 

でもプロデューサーさんが「これは戸塚くんじゃないとできない役だから」と言ってくださり、その想いに応えたいと思ったんです。オードリーさんのことは昔からラジオをよく聞いていて大好きだったからこそ、いちファンとして、リスペクトの想いを込めて臨むことにしました。

 

──演じるうえで、どんなことを心がけたのでしょう?

 

戸塚 何かを心がけたというより、演技に悩んだら、とりあえず胸を張ってゆっくり歩こうと思っていたぐらいですね(笑)。というのも、春日さんの生態って謎じゃないですか。テレビで拝見している春日さんはすぐにイメージできますが、居住地である「むつみ荘」で生活しているときの春日さんがどんな行動をされているのか本当に分からなくて。

 

そして春日さんの相方である「オードリー」若林正恭さんや、「南海キャンディーズ」の山里亮太さん、山崎静代さんは演者とコンタクトを取っていたそうなんですが、僕は春日さんとたまたま一度お会いしただけなんです。“……そうですか、僕だけヒントなしですか”と(笑)。

 

── 1人だけハンディがありますね(笑)。

 

戸塚 ただ、そのほうが純粋に自分が思う春日さんと向き合えたので、逆によかったのかなと思っています。それと、こんなことを言っちゃなんですが、ご本人からアドバイスをいただいても、あまり身にならない気がして(苦笑)。というのも春日さん自身、最近は自分のことがよく分からなくなってきているとおっしゃっていたんです。

 

ピンクのベストに七三分けがトレードマークですが、若林さんから提案されてあの姿になってからは、どんどん春日さんが“春日”に侵食され、もはや普段の自分がどんな感じなのかを忘れかけてしまっているとか。

 

──そうなのですね。確かに、春日さんが何を考えているかを理屈で理解しようとすると、“何を考えているのか分からない面白さ”もがなくなってしまう気がしますね。

 

戸塚 ですから僕もあまりあれこれ考え込まず、僕が感じる春日さんの素敵だと思う部分を素直に出していけば、それでいいんだと思うようになりました。とはいえ、それを視聴者に受け入れてもらえるかは別問題ですから、放送が始まるまで本当に不安でいっぱいでした。

 

──実際は、登場するやいなや絶賛の声がSNSにあふれていましたよ。

 

戸塚 うれしかったですし、ホッとしました。ただ、あの役の功績はスタッフさんたちの徹底したリサーチや愛があったからだと思っていて。まさに“そこに情熱があった”からこそ。そんな素敵な作品に参加できたこと、幸せでしたね。

 

吉見Pと共同制作「絶対に素晴らしい作品になりますから」

 

──このたび新たにスタートしたドラマが『スーパーのカゴの中身が気になる私』。主演の戸塚さんは、スーパーでアルバイトをしている売れない役者・十文字雄三を演じますね。

 

戸塚 またガラッと雰囲気が変わりました(笑)。十文字は売れっ子俳優になりたい向上心のある青年ですが、はたから見ても、どうにも役者に向いていない。でもその空回りしている感じがかわいいし、魅力的なんです。ひたすら夢に向かって頑張っている姿は惹きつけられます。ちょっと変わった奴ではありますが、みんなに愛されるキャラクターになればいいなと。

 

──共演者も石田ひかりさんをはじめ、豪華で個性的な面々が集まっています。

 

戸塚 スーパーで働くメンバーは皆さん素敵ですね。華やかに彩りを与えてくださる石田さんと清水麻璃亜さんがいて、そこに永野宗典さんやドロンズ石本さん、渋江譲二さんなど個性的な方々も加わります。十文字はみんなに支えられて成長していきますが、戸塚純貴としても皆さんに助けられています。さらにそこへ竹中直人さんや岡田義徳さんなど豪華なゲストが登場してくださる。物語はそんなゲストの皆さんのストーリーが軸となって描かれていくので、毎回新鮮な気持ちで見ていただけると思います。

 

──十文字が他人のカゴの中身からその人の人生を妄想し、自分の役作りにつなげていくという展開が面白いです。

 

戸塚 実は今回、脚本の段階から携わらせていただきました。『純喫茶で恋をして』という2020年のドラマでもお世話になった吉見健士プロデューサーや、脚本家の和田清人さんと一緒に、1から打ち合わせをして作らせてもらいました。

 

──『純喫茶で恋をして』も、吉見プロデューサーはじめ『孤独のグルメ』スタッフが手掛けるドラマですね。大好きです!

 

戸塚 うれしいです! 妄想全開で、男性ファンの多い作品なんです。今回も妄想がテーマの1つになっているので、どうやら吉見さんの中に、僕が“妄想する役”をやらせたい思いがあるんだなと感じました。僕も嫌いじゃないので、うれしいんですけどね(笑)。

 

また今回のドラマでは、妄想部分をアニメーションで表現するなど、いろんな遊びを盛り込んでいるんです。アメコミ(アメリカン・コミックス)っぽい世界観ですが、それも“マーベルの映画に憧れている役者志望という設定がいいんじゃないか”というアイデアから生まれたものでして。みんなでいろんな案を出しあって作り上げていったので、より思い入れの強い作品になりました。

 

──「役者は受け身の仕事」という話もよく聞きますが、自ら企画に携わるのはまた違った新鮮さや面白さがあるのではないかと思います。

 

戸塚 僕らはどうしても作品ありきで仕事をいただくことが多いのですが、そこに甘えていると、極端な話、与えられたセリフを言うだけで終わってしまう場合もあります。もちろん、“この役を君にやらせてみたい”という形でお声掛けいただくのは役者冥利に尽きるのですが、ときには自分から作品を生み出していくことも大事だと思っています。演者と制作陣が互いに意見を出し合い、うまく噛み合ったとき、絶対に素晴らしい作品になりますから。これからも挑戦していきたいと思っています。

 

──十文字は役者を目指す若者ですが、ご自身の経験を投影している部分もあるのでしょうか?

 

戸塚 そこは意識しませんでした。ただ同じ職業ですから、少なからず共感するところはあります。オーディションに向けての役作りで、思いっきり空回りしてしまうところとか(笑)。

 

──十文字のように、つい人間観察をしてしまうことは?

 

戸塚 そこはもう完全に同じですね(笑)。昔は喫茶店で台本を読むことが多かったのですが、まわりのお客さんの会話を盗み聞きしては妄想していました。会話の中身を分析して、その人の職業を推理してみたり、2人組のお客さんがいると、どういう関係なんだろうかと考えてみたり。それが役者の仕事に役立っているのかどうかは全然分かりませんけど(笑)。

 

──十文字と全く同じですね。すでにさまざまな役に挑戦されている戸塚さんですが、今後挑戦してみたい役はありますか?

 

戸塚 どんな役でもチャレンジしていきたいと思っています。さすがに年齢的に高校生役はもう無理だと思いますけど(苦笑)。これからは大人の役が増えていくと思うので、セリフや佇まいにしっかりと説得力をもたせられるようになりたいです。あとは、やっぱり日本人ですから、侍の役を演じてみたいです! これは日本人に生まれて役者の道を選んだ人間の宿命だと思っています。

 

──ぜひ見てみたいです! すでに殺陣の稽古などされているんでしょうか?

 

戸塚 はい! どんな役がきてもいいように、以前からアクションの基礎などはずっと習っていて準備だけはしています。侍役のつながりで、乗馬も経験してみたいです。乗馬にはライセンスがあると聞いたので、資格収集マニアとしてもぜひ挑戦してみたい1つです。

 

ドラマ『スーパーのカゴの中身が気になる私』中京テレビ

2023年7月22日(土)放送開始
毎週土曜 深夜24時55分~

TVer、Locipo、Hulu、U-NEXTにて見逃し配信

 

<キャスト>
戸塚純貴、石田ひかり、清水麻璃亜(AKB48)、永野宗典、ドロンズ石本、渋江譲二、新谷あやか、ほか

 

<スタッフ>
プロデューサー:吉見健士、歌谷康祐
脚本:和田清人、灯 敦生
演出:佐々木 豪、中山大暉
公式サイト:https://www.ctv.co.jp/superkago/

 

<ストーリー>
売れない俳優・十文字雄三は生活のためにスーパーでアルバイトをしていたものの、俳優業に専念することを決意し、バイトを辞める決心をする。しかし、そんな彼にレジ係のチーフが待ったをかける。「カゴの中身からその人の生活が見える」という彼女の言葉に、客の観察が役者の肥やしになると考えた十文字。その日を境に、彼は店に現れるわけあり風の客を見ては妄想を働かせるようになる……。

 

撮影/関根和弘 取材・文/倉田モトキ ヘアメイク/中島康平 スタイリング/鬼塚美代子

衣装協力/

TUITACI
アロハシャツ 2万6730円
お問い合わせ 03-6453-4410

ビリーズ▲エンター
スニーカー 1万6830円
お問い合わせ 03-5466-2432

唯一無二のホラー体験を作り出す「方南町お化け屋敷オバケン」の職人魂に玉袋筋太郎も感服!

〜玉袋筋太郎の万事往来
第27回「方南町お化け屋敷オバケン」・オバケン

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第27回目のゲストは、「方南町お化け屋敷オバケン」を運営する株式会社HLCの代表取締役、オバケンさん。閑静な住宅街を舞台にした唯一無二のお化け屋敷はどのように生まれたのか、その道程に玉ちゃんが迫る!

 

【公式サイト:http://obakensan.com/

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

 

「方南町遊園地化計画」の第一歩がお化け屋敷だった

玉袋 丸の内線の方南町駅から徒歩数分の場所に、お化け屋敷があるなんて全く知らなかった。先ほど見学させていただいたお化け屋敷も、外観は普通の肉屋だもんね。

 

オバケン 実際、肉屋と間違えて入ってくる方もいらっしゃいます。

 

玉袋 そもそも、どういう経緯で方南町にお化け屋敷を作ろうと思ったんですか。

 

オバケン グループ会社が飲食店や小売業を始め、いろんな事業をやっていて、もともと僕はフリーのディレクターをやっていたんですけど、この会社に入社したときに映像事業部のHLCを設立させていただいたんです。しばらく映像をやっていたんですけど、うちのボス(代表)から「商売のありがたみを分かってないんじゃないの? テナントを借りたから、自分の好きな商売をやってみろ」と言われたんです。

 

玉袋 太っ腹だね。

 

オバケン 条件は方南町でやることと、外注をしないで全て自分で作ること。それで、下手に専門外のお店を作るよりも、住宅街にディズニーランドみたいなのものがあったら面白いなと思って。町中を遊園地にしようということで、後の「方南町遊園地化計画」というプロジェクトに繋がっていくんですけど、まず何をするか考えたときに、ホラー映画が好きだったので、お化け屋敷をやったらヤバくないかと。

 

玉袋 ホラー系の映像も手掛けていたんですか?

 

オバケン 全くです。映像事業部で手掛けていたのはPVやCM、動画編集が中心で、ホラーは好きなだけ。しかもお化け屋敷どころかイベント業もやったことがなかったんです。でも、そういう経緯で手作りのお化け屋敷を始めて、今年で13年目になります。

 

玉袋 すごいですね!

 

オバケン 他にお化け屋敷を作る会社がないので、目立っているだけなんですけどね。今はボスが商店街の副理事を務めていて、町ぐるみで「方南町おばけまつり」というイベントも開催しています。

 

玉袋 いっそのこと、方南町に事務所がある中村獅童も入れちゃおう(笑)。オバケンのホームページを見たら、すごく凝った造りで、それまでのお化け屋敷のイメージとは違うよね。

 

オバケン もともと素人ですから、お化け屋敷の作り方も分からない。それで、いろいろお化け屋敷を見て回ったんですけど、大半が「ウォークスルータイプ」と言われるもので、施設内を歩くお客さんを脅かすのが主流だったんですけど、僕は映画が好きなので、どれだけストーリーに没入させるかみたいなところから、いろいろ考えました。

たとえば今オバケンでやっている「畏怖 咽び家」は、一軒家が舞台で殺人鬼が出てくるんですけど、まずサイトに行くと、予約するところから世界観が始まるんです。予約のボタンを押すと、「Y澤不動産」というダミーの不動産屋ページが出てきて。そこには訳の分からないヘンテコな間取りの物件がいっぱいあるんですけど、どれも予約済みになっているんです。1個だけ内覧予約ができるところがあって、それを押したら、ようやくチケットページに飛んで予約ができるんです。

 

玉袋 凝ってるなぁ。

 

オバケン 当日、方南町駅に行くと、不動産屋に扮したスタッフがお客様を出迎えて、「今から内見しましょう」とボロボロの家に連れて行って。そこで「お客さんなら特別に月の家賃1万円でどうですか」と持ちかけて、お客様が「お願いします」と言うと、「契約書を忘れたので取りに行ってきます」と、その場を不動産屋が出て行くところからスタートなんです。

 

玉袋 イントロからして惹き込まれるよ。

 

オバケン 実はその一軒家には、間借りしていた殺人鬼がオーナーを殺して住んでいる。お客様は40分間の中で、一軒家を脱出するために最大6人で謎を読み解いていくんですが、ウォークスルーではなくて、殺人鬼に見つからないように、自由にその部屋の中を移動することができる。いわば“かくれんぼ”なんです。殺人鬼は包丁を持って出て来るんですけど、見つかっちゃうと、その人だけ連れて行かれて、血まみれの風呂場の中に突っ込まれてしまう。その人は他の人が助けない限り、出てこられないんですよね。助けたり、隠れたりしながら、鍵を見つけて、開かずの部屋を開けて、そこで新たなアイテムが見つかったりして、そんな感じで脱走するまでが1章。その一軒家で、ストーリーは4章まであるんですよ。

 

玉袋 1回じゃ終わらないんだね。

 

オバケン 現在の「畏怖 咽び家」はシーズン5で、そのたびに内容を変えているんですけど、シーズン1「忘れられた家」では最初は料金が800円でした。当初はストーリーも1つだけだったので、そうすると1回クリアして終わりで、商売にならなかったんです。今は1回3000円なんですが、難易度も高くなっているので、2、3回チャレンジして、ようやく1章をクリアできる。

 

玉袋 なるほど。

 

オバケン 2章は、一軒家から逃げ切ったけど、家の中で聞こえてきた「助けて」という女性の声が気になって、助けに行くという設定で。そんな感じで3章、4章と続いていくので、お客様は「畏怖 咽び家」に何度も来ることになるんです。最終的に2メートルぐらいの深さの井戸が出てくるんですけど、その井戸も立ち上げメンバーの吉澤ショモジがスタッフ達と自力で掘って、コンクリで固めて、骨をパラパラ撒いて。そうやって何回も来てもらえるように、全部自分たちで作っていくのが常設とお化け屋敷ですね。

 

玉袋 そりゃ大変だね。常設の物件は幾つあるんですか。

 

オバケン 方南町は今お話しした一軒家と、先ほど見ていただいた肉屋。あと遊園地なのでお化け屋敷以外に「忍者屋敷シュリケン」という施設があります。港区にも、築90年の一軒家もあるので、都内に4軒です。

 

ずっと文化祭をやっているような感覚

玉袋 いやー、面白いビジネスだね。

 

オバケン 都内以外にも、うちは某所に廃キャンプ場を持っていて、そこで1泊2日の「ゾンビキャンプ」というのをやっています。あと宿泊施設を使った「ゾンビホテル」とか。それが割と当たって、いろいろな企業さんやテーマパークから、「うちでお化け屋敷はできませんか?」という依頼があるんです。たとえばサンリオピューロランドさんだったり、鹿島アントラーズさんのスタジアムだったり、海外でもシンガポールでやったり。

 

玉袋 いろんなところからオファーがあるんだ。『デッドライジング』みたいに本物のショッピングモールもやってほしいね。

 

オバケン やりたいんですけど、なかなか貸してくれないんです。

 

玉袋 東海汽船と組んで無人島もいいな。あと夕張炭鉱とか寂れた場所でやるのも面白いよね。

 

オバケン 夕張とかやりたいですね!

 

玉袋 大きなイベントが「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」ぐらいしかないから、お化け屋敷はいいよね。

 

オバケン お化け屋敷が良いのは、誰も使わない、使えないような場所を使えるところなんです。「咽び屋」で使用している一軒家も再建築不可物件で、新築が建てられないんです。誰も買わない、誰も借り手がいないからこそ、安く使えるんです。過去にはテレビ静岡さんや福島テレビさんから、社屋の建て替えのときに「何かできませんか?」というお話があって、テレビ局を全部血まみれにしました。

 

玉袋 いいね。それで言ったら、もう建て替えが始まっちゃったけど、新宿の小田急百貨店や、花園神社の隣に立ってた白鴎ビルでやってほしかったな。すぐにお化け屋敷ビジネスは軌道に乗ったんですか?

 

オバケン 金銭的には5年目ぐらいで、やっとやっていけるんじゃないか、みたいな。それまではお客様の入りは良かったんですけど、お金をかけ過ぎて、ずっとマイナスでした。初めて「ゾンビキャンプ」を開催したときも、イベント経験がなかったので、どうやってチケットを売るのかも分からず、当日支払いにしたら、半分ぐらいのお客様が来なくて赤字でした。

でもその間も、ずっとボスが応援してくれたんです。普通は新しい商売を始めるときって、マーケティングはどうとか、同じ事例はあるのかとかから始まるじゃないですか。

 

玉袋 でも、「オバケン」は全くないところから始まっているからね。

 

オバケン そうなんです。担保は「面白い」っていうだけですから。

 

玉袋 この会社自体のストーリーがもう映画だよ。

 

オバケン いろんな失敗を繰り返していくうちに、やっとイベントのやり方が分かってきて、徐々に収支も良くなっていきました。営業も全くしたことがないんですけど、「ゾンビキャンプ」をやったことでテレビでもたくさん紹介されて、それで企業さんに知ってもらってイベントのお話をいただくようになりました。

 

玉袋 そんな時にコロナだ。

 

オバケン そうなんです。やっと、みんな食べていけるかなぐらいのときに、コロナ禍があって。でも逆に良かったというか、コロナ禍の前はドル箱状態だったんですよ。どんどんお客様が来るので、苦しい時代を知らないスタッフにとっては、それが当たり前だったんです。そんなときにコロナがあって、一気に客足が途絶えて、どうやったらお客様が来てくれるのかを改めて考えるようになったんですよね。そういう時期があったからこそ皆成長でき、今はコロナ禍前よりもお客様が増えています。

 

玉袋 どういう経緯でスタッフになった人が多いんですか?

 

オバケン お客様としてうちのイベントに来て、面白かったから自分もやってみたいというので入ったスタッフがメインですね。役者志望も多いので、「畏怖 咽び家」の不動産屋スタッフのようにキャストさんをやってもらいつつ、企画も考えてもらって、施工やデザイン、映像にも携わるので、ずっと文化祭をやっているような感覚です。

 

玉袋 ちなみにオバケンさん自身は、霊体験とかって信じるタイプなんですか?

 

オバケン 信じています。というか実際に体験してますし、UFOにさらわれたこともあります。

 

玉袋 そうなの!? 矢追純一の番組みたいにエイリアン・インプラントされたとか?

 

オバケン 高校時代のことなんですけど、夜寝てたら凄まじい光を浴びて、パッと起きたら目の前に何かがいたんです。ウィーンって音がしたんですけど、そのまま眠りに就いて、目を覚ましたら何事もなかったので夢かなと思ったんです。ところが、そこから2、3か月経って丸坊主にしたら、後頭部に一直線でめっちゃキレイなハゲができていたんです。床屋さんに行って聞いたら、何万人も切ってるけど、こんなの見たことないって言ってて。

 

玉袋 きれいに仕上げてくれたんだ(笑)。ただの切り傷とは違ったんだね。霊体験はどんなものだったんですか?

 

オバケン 若いころ、よく心霊スポットに行ってたんですけど、誰もいない方向から足音が聞こえたり、顔が浮いていたりが、よくありましたね。

 

玉袋 そういった経験が、お化け屋敷に繋がっていった部分もあったのかもね。

 

「お笑いウルトラクイズ」さながらの仕掛けが張り巡らされたゾンビイベント

玉袋 大型イベントは、どういう内容なんですか?

 

オバケン それぞれ違いますけど、先ほどお話しに出た鹿島スタジアムを丸ごと使った「カシマゾンビスタジアム」のときは、まず「オバケンレジェンズ対アントラーズレジェンズ」というダミーの試合から始めるんですよ。

お客様を観客席に入れて、ちゃんとモニターに試合を映して、そのときはOBの中田浩二選手にも出ていただきました。試合中、急に選手1人が苦しみ出して、発症してゾンビになる。そこで、どんどん選手が襲われていき、そこに自衛隊が登場して、「このスタジアムは封鎖された。今から何分以内に脱走しろ」という感じでスタートして、ピッチだったり、バックヤードだったりをエリア分けして、お客様はミッションをクリアして脱出を目指すんです。

 

玉袋 大がかりだね。

 

オバケン ただ企業さんの施設だと、どうしても制限がいろいろあるんです。だから一番凝っているのは「ゾンビキャンプ」ですね。お客様が集合場所に到着すると、自衛隊に扮したスタッフが待ち構えていて、パンデミック状態の世界に輸送されてきたという設定でイベントが始まるんです。お客様の中には仕込みが何人もいるんですが、知らない人同士で6人ぐらいのチームを組んで、バーベキューをやったりして、1泊2日を過ごすので、自然と参加者同士仲良くなるんです。

 

玉袋 連帯感が出てくるよね。

 

オバケン そうです。そこに、どんどん設定が用意してあって、たとえば、もうすぐ結婚するカップルがいて、いきなり1人が発症して血をドバーッ! と吐いてゾンビになる。その前にお客様はミッションをクリアして獲得したピストルを持っているんですけど、そこで発症した仲間を撃ち殺さなきゃいけないというシーンに持ち込んで、ゾンビには弾着も仕込んであるんです。

 

玉袋 ホラー映画で、よくある展開だ。結婚間近の2人とか実際にいそうだもんな。

 

オバケン 毎年、内容も変えるんですが、ある年は劇用車のパトカーを借りたんです。それで会場に入ってきた警察官がイベントを止めて、「ここに違法薬物を持っている奴がいる」と宣言すると、薬を持っていた仕込みがすーっと逃げる。そこで追いかけっこが始まって、ナパーム爆破も用意してあるんです。

 

玉袋 もはや「お笑いウルトラクイズ」の世界だよ。

 

オバケン 本当そうです! そして何十人ものゾンビを解き放って、パニックに陥れていくんです。

 

玉袋 展開が上手いね。人間の心を操作して、追い詰めていくって頭を使うし、これまでのお化け屋敷の概念とは全く違って、自由度が高いよね。リアル・ロールプレイングゲームというかさ。海外にもお化け屋敷はあるんですか?

 

オバケン ありますけど、オバケンのように心理的な恐怖よりかは、激しく襲い掛かってくるものが多い印象です。

 

玉袋 オバケンに年齢制限はあるんですか?

 

オバケン ものによりますけど、過去には過激なR-18イベントもありますね。あと千人規模の大きなイベントになると、ちょっとしたミスで大きな事故に発展する可能性もありますから、子どもだと危険な場合もあります。今も日々勉強中です。

 

玉袋 難しい問題だな。デカいイベントをやりたくても、ちょっとでも危険性があると躊躇しちゃうもんね。それを全てクリアするためにシミュレーションしていくことを考えると、本当に頭を使う商売ですね。今は何人ぐらいスタッフがいるんですか?

 

オバケン メインで動いているのは10人ぐらい。ちょいちょい手伝いで来るのが5人ぐらいで。約15人で4店舗を回しつつ、イベントを月2回やって、イレギュラーで大型イベントも入ってくるので、かなり忙しいです。でも、みんな中途半端で終わりたくないし、凝りたくなっちゃうから、ギリギリまでやっちゃうんです。

 

最終的な目標は宇宙ステーションでアトラクションをやること

玉袋 大型イベントもいいけどさ、拠点が方南町っていうのもいいよな。以前、酔っぱらって丸ノ内線に乗ったら方南町行でさ、降りたら終点の方南町で、とりあえず駅前の居酒屋に飛び込んだんだ。そこでお姉ちゃんと仲良くなったという良い思い出もあるんだけどさ(笑)。方南町行で中野坂上から先に停車するのって、中野新橋、中野富士見町、方南町だけでしょう。かなりマニアックな場所だよね。

 

オバケン マニアックな場所で誰も手をつけていないからこそ、やりやすいというのもあって。この春、新宿南口にあるタイトーステーションさんで、オバケンプロデュースのホラーアトラクション「くらやみ遊園地」 をオープンしたんですけど当然、方南町よりもたくさん人が入るんです。ただ会社的には、たとえば1000万円かけて大きな街でやるよりも、100万円で10個のイベントを方南町でやったほうが面白いよねと思うんです。

 

玉袋 アイデア勝負ってことだね。

 

オバケン たとえば同じ方南町で、「ベビーカーおろすんジャー」という町で有名なヒーローがいるんです。数年前まで方南町駅ってエレベーターがなくて、ベビーカーなどの重い荷物があっても、階段でしか下ろせなかったんです。それで一般の方が、お母さんやお年寄りのお手伝いをサポートするボランティアを始めたんですけど、普通の格好でやるよりも、戦隊ヒーローに変身したほうが面白いし目立つということで始めたら、ちっちゃい子から人気が出て、海外メディアでも取り上げられました。元手は2000円しかかかってないんですけどね(笑)。2017年にエレベーターは設置されたんですけど、今でも週2回は駅前に立ってサポートをしています。そういうのっていいなと思うんですよね。

 

玉袋 海外からのお客様はどうなんですか?

 

オバケン コロナ禍が収束して増えていますね。

 

玉袋 そりゃ喜ぶだろうな。

 

オバケン コロナ禍のときは、海外向けにオンライン上でお化け屋敷を作って、ある女の子を助けるために上手く誘導していくストーリーを言葉も英語、出演者も外人の方で作ったら、外国で賞をいただきました。ただリアルで外国人の方でも楽しめるお化け屋敷ってなかなか難しくて、たとえば「畏怖 咽び家」のミッション進めていくには殺人鬼の書いた日記を読まなきゃいけないので、どうしても言葉の壁があるんですよね。そういうところにも対応するには、海外向けに作らないと難しいですね。

 

玉袋 オバケンさんの今後の夢は何ですか?

 

オバケン オバケンを始めるときに未来新聞みたいなものを作ったんですけど、そこに方南町からお化け屋敷を始めて、世界中に広げていって、最終的にはラスベガスでやると書いたんです。でも今の最終的な夢は宇宙ステーションでアトラクションをやることなんです。

 

玉袋 お化け屋敷界のウォルト・ディズニーだ。

 

オバケン 無重力の宇宙ステーションでリアルに『エイリアン』をやってみたいんですよね(笑)。僕が生きている間に実現できるかは分からないですけど、いつかは絶対に実現すると思うんです。僕は今44歳なんですけど、サンリオの辻信太郎代表取締役会長は現在95歳で、2020年まで社長を務めていらっしゃったんですが、サンリオピューロランドを設立したのは59歳のときなんです。ということは僕も50年後に夢が叶っているかもしれない。こういうことは発言していかないと絶対に実現しないので、最終的な夢は宇宙です!

 

玉袋 今日はオバケンさんの話を聞いて職人魂を感じましたよ。

 

オバケン そんな立派なものじゃなくて、遊んでいるだけです(笑)。

 

玉袋 いやいや! 俺も50年後とは言わないまでも、ちゃんと夢を持って生きようと改めて思ったよ。とりあえず今の夢は、20年後に孫と一杯飲むことだけどね。

 

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)

<出演・連載>

TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」

【デビュー20周年】湘南乃風が全力オススメ! “今アツい”モノとは【インタビュー後編】

メジャーデビュー20周年を、2023年7月30日に迎える4人組レゲエグループ・湘南乃風。インタビュー前編に続き、後編ではGetNavi webらしくRED RICE、SHOCK EYE、HAN-KUNの3人(若旦那は都合が合わず不在)に、それぞれが“今ハマッているモノ”を聞いた。

湘南乃風●しょうなんのかぜ…RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUNからなる4人組レゲエグループ。2003年にメジャーデビューを果たし、2006年にラブソング『純恋歌』が約60万枚を超える大ヒットに。2007年には『睡蓮花』、2008年には『黄金魂』とヒット曲を続々とリリース。TwitterInstagram

 

RED RICEは自身の誕生日にメンバーからもらったり、反対にメンバーにプレゼントしたりするほどハマっているというモノについて熱弁。SHOCK EYEは趣味である神社巡りとカメラに伴い揃えるようになった便利グッズについて、HAN-KUNは「最近ドハマりした」という、ある話題作について熱く、笑顔をみせながら語った。

 

【湘南乃風、20周年撮り下ろし写真】

 

 

RED RICEが語る、グラスの世界「いずれはスコットランドに」

↑RED RICE

 

──20周年を迎えた皆さんが、今ハマっているモノ・コトはありますか?

 

RED RICE 趣味がゴルフなんですけど、語り始めたら長いですよ~(笑)。

 

──RED RICEさんといえば、ゴルフですよね。YouTube「レッドライスTV」も拝見しています。

 

RED RICE でも今日はそちらは置いといて。実は、コロナ禍でウイスキーにハマったんです。家で1人で飲む機会が多くなりました。そこでウイスキーを飲み始めたら、おいしくて。今ではウイスキーを飲むための、「ウイスキーグラス」を集めています。

↑RED RICEさんのウイスキーグラスコレクション。「次は、国産のガラスメーカーさんのグラスを調べて集めていきたいと思っています」

 

──いいですね。飲み方や楽しみ方によって、グラスの種類も変わってきますよね。

 

RED RICE ストレートかロックで飲むことが多く、ストレートで飲む時は『グレンケアン』のモルトグラスを使っています。グレンケアンはどこの蒸留所にも置いてある、世界のスタンダードともいえるウイスキー専用のテイスティンググラスで、1,000円ぐらいで買えるんですよ。

 

──思ったよりお手頃ですね。

 

RED RICE そうなんです。チューリップ型で香りもしっかり楽しめます。ロックで飲む時は『バカラ』を使っていますが、やっぱり結構高いじゃないですか。なので、ロックグラスは『アデリア』のモノもいくつか集めていますね。バカラの半額ぐらいで買えるんですよ。あと、先日SHOCKから誕生日プレゼントにグラスをもらいました。

↑SHOCK EYEさんからRED RICEさんへの誕生日プレゼント。ワイングラスで有名な「リーデル」のシングルモルト用グラス。

 

──おお、素敵ですね!

 

RED RICE 『リーデル』のシングル・モルト・ウイスキー専用グラスです。愛用しています。ちなみに俺も、若旦那の誕生日にグラスをあげましたよ。そんな感じで、グラスとウイスキーを組み合わせながら楽しんでいます。

 

──ウイスキーはもちろん、グラスの世界も深いですよね。

 

RED RICE そうなんですよ。日本産ウイスキーが盛り上がり始めているので、国産のグラスメーカーの製品も良いものがたくさん出ているはずなんです。でも俺は、まだまだ勉強中で全然深掘りできていないので、もっと知りたい。いずれはスコットランドに行ってみたいです。ウイスキー発祥の地だけでなく、ゴルフもスコットランドが本場なので。

 

──RED RICEさんの好きなモノは、スコットランドに縁がありますね。

 

RED RICE 諸説ありますが、ゴルフが18ホールになったのも、寒いスコットランドでウイスキーを飲んで身体を温めながらゴルフをすると、ちょうど18ホールでウイスキーが1本空くからなんだとか。実際に蒸留所に行った後、ウイスキーを飲みながらゴルフをするのが夢ですね。

 

──実現したらぜひお話聞かせてください!

 

 

SHOCK EYEが愛用、便利なアウトドアグッズ

↑SHOCK EYE

 

──SHOCK EYEさんはいかがでしょう。Instagramでは、全国の神社で撮影した写真を公開されていますよね。

 

SHOCK EYE そうですね。撮影に行くのに遠出したり山登ったりしているので、趣味はアウトドアな感じです。街中の神社にも行きますが、どちらかというと山の中の神社に行くことが多いです。

 

──山深い場所にある神社も多いですよね。

 

SHOCK EYE はい。そうなるとカメラの性能も考えつつ、どれだけ実用性がある最小限の装備でいけるかが大事になってきます。そういう装備や収納について考えるのが、すごく好きなんです。三脚1つとっても、コンパクトで軽量が良いけど、でも望遠レンズをつけたらバランスが悪いし……なんてことを常に考えていて。

 

──目的地や被写体によっても、装備は変わってきますもんね。

 

SHOCK EYE なので、しょっちゅう電気屋さんに行ってはアイテムを見回っています。買っても買わなくても、とにかく行くだけで楽しい。最近だと気温がマイナス10℃しかないような環境で撮影することがあり、特殊な状況に合わせたアイテムを探して揃えましたね。湖で、湖面が凍っているようなところでした。防水性の高いゴアテックスパンツや、ヒル対策のスパッツなども買いましたよ。

 

──状況に合わせて、いろんなアウトドアグッズを揃えているのですね。

 

SHOCK EYE この前『ビクトリノックス』の十徳ナイフも購入しました。東急ハンズで見て、無性に欲しくなって。子どものころ、アーミーナイフはすごく高価で、憧れだけど買えないものだと思っていたんです。でも実際は、わりと手頃な価格で手に入る。まだ使う場面がないので、次に山上った際、使い心地を試してみたいと思います。

↑SHOCK EYEさんのアウトドアアイテム。スマホケース、コンパクト三脚などは『ピークデザイン』で揃えている。

 

──ほかに最近買って良かったアウトドアアイテムはありますか?

 

SHOCK EYE 『ピークデザイン』の、カメラをカチャッと取り付けられるキャプチャーですね。3個くらい持っていて、どのバックにもカメラを装着できるように付けています。

 

──3つも! それは便利ですね!

 

SHOCK EYE オシャレで、おすすめです。ピークデザインで言うと、スマホケースも持っています。強力なマグネットが付いているケースで、トラベル三脚と一緒に使うとワンタッチで装着できるようになるので、アウトドアでかなり便利ですよ。

 

 

HAN-KUN、RED RICEを“力士役”に推薦⁉

↑HAN-KUN

 

──HAN-KUNさんは、最近ハマっているコト・モノなどありますか?

 

HAN-KUN 最近ドハマりしたのは、Netflixで配信中の『サンクチュアリ -聖域-』という作品。

↑Netflixシリーズ「サンクチュアリ -聖域-」独占配信中。借金・暴力・ 家庭崩壊…と人生崖っぷちで荒くれ者の主人公・小瀬清(演:一ノ瀬ワタル)が、若手力士“猿桜” として大相撲界でのし上がろうとする姿を、痛快かつ骨太に描く人間ドラマ。

 

──相撲を題材にしたドラマですね。世界各国で話題になっていますよね。

 

RED RICE 俺、これから見ようと思っているんですが、HAN-KUNと若旦那がその話で盛り上がっているので、聞かないようにするので必死です(笑)。嫁も見ていて、「知らない俳優さんたちが出てくるところが良い」と言っていました。

 

HAN-KUN そうそう。Netflixならではのキャスティングで、主人公の俳優(一ノ瀬ワタル)さんは今作が初主演らしくて。力士役の人たちも初出演の人ばかりで、まるでドキュメンタリーを見ているようなリアリティーを感じられるんですよ。

俺の場合は結局、役者さんたちが気になりすぎて、それぞれのキャリアとかバックストーリーとかまで掘ってしまったんだけどね(笑)。

 

SHOCK EYE ノンフィクションの題材があるわけではないんだよね?

 

HAN-KUN そう。フィクションの物語なんだけど、撮影に至るまでにハリウッド級の役作り期間があったみたいなんだ。リアルなわけだよね。まず力士役の1次オーディションで半年、次に身体づくりや相撲の稽古にまた半年かけて2次オーディションをする。1次オーディション後の期間も、ギャランティを支払って進行させたみたいだよ。だから作品としての完成度がすごいんです。

 

SHOCK EYE それは見てみたいな。何話構成なの?

 

HAN-KUN 1話30分~1時間ぐらいで、全8話だから、移動中にサッと見られると思う。もっと見たいくらいだった。

 

RED RICE それでHAN-KUNが「次回作のオーディションがあったら、REDは身体作りして出てみればいいと思う」とか言い始めて!

 

HAN-KUN 次回作のオーディションがあったら、 その半年間は、湘南乃風としての仕事は3人で何とかして頑張るから。RED は「ごっつあんです」って言って、任せてくれればいいから。

 

──あはは! それは見てみたいです(笑)。

 

HAN-KUN 相撲という日本の文化が世界に発信されていること自体、日本で音楽をやっている身として、夢があるなと感じる。Netflixのグローバルチャートでトップ10に入ったのもすごい。世界に周知されるべき日本の国技なんだなと改めて感じましたね。

 

──この作品から相撲にハマる人もでてきそうですね。

 

HAN-KUN 新しいムーヴメントが来そうな予感がしました。もともとスポーツだとサッカーが好きで、よく試合を見に行っているのですが、今回のドラマを通して大相撲を見に行きたいなって。近々、行ってみようと思います。

 

──両国からのレポート、期待しております!

 

撮影/中村 功 取材・文/kitsune ヘアメイク/Chiho Oshima スタイリング/Kan Fuchigami

中村守里「思いっきり叫ぶし、見られ方とか気にせず、顔ぐしゃぐしゃになってやるぞ! 」映画『ヒッチハイク』

“最恐”都市伝説を映画化した『ヒッチハイク』(7月7日(金)公開)で、山奥で道に迷ったことで不気味な一家に遭遇してしまうヒロイン・涼子を演じる中村守里さん。女優として注目を浴びた映画『アルプススタンドのはしの方』から3年、2023年は大河ドラマ「どうする家康」に出演したほか、出演映画も続々公開予定です。今回、観るのも苦手だと語るホラー映画に意を決して挑戦した中村さんに、撮影エピソードなどを振り返ってもらいました。また、役作りを機にハマっているアイテムも紹介してくれました。

 

中村守里●なかむら・しゅり…2003年6月14日生まれ。東京都出身。ミスセブンティーン2018ファイナリスト。2018年からラストアイドル1期生として活躍(2020年卒業)。主な出演作に映画「アルプススタンドのはしの方」「世界の終わりから」、大河ドラマ「どうする家康」、ドラマ「美しい彼」シリーズなど。今後の出演作に映画「カタオモイ」(8月4日(金)公開)、映画「まなみ100%」(9月29日(金)公開)がある。TwitterInstagram

【中村守里さん撮り下ろし写真】

ただ、私自身かなりの怖がりで、ホラー映画が苦手なんです

──今回の涼子役は、オーディションで選ばれたそうですね?

 

中村 私がオーディションを受けた段階では、涼子役になるのか、友だちの茜役になるのか分からず、どちらのお芝居もしました。オーディションでは「松嶋菜々子さんが好き」という話もしましたし、最後に思いっきり叫んだりもしました。ただ、私自身かなりの怖がりで、ホラー映画が苦手なんです。都市伝説や怪談が好きな友だちはいますが、私から観たいとか聞きたいと思ったことは一度もなかったんです……。

 

──そんななか、清水涼子としての役作りはどのようにされましたか?

 

中村「思いっきり叫ぶし、見られ方とか気にせず、顔ぐしゃぐしゃになってやるぞ!」という気持ちでした(笑)。涼子のキャラクターは控えめで慎重派な子なので、そこからのギャップを見せたいと思っていましたから。あとは、どこかで物音が聞こえたときなどの視線の向け方を意識しました。

 

──『ひとりかくれんぼ』『コープスパーティー』など、多くのホラー映画を手掛けている山田雅史監督から、おすすめのホラー映画は紹介されましたか?

 

中村 松嶋さんが出られている作品ということで、台本読みのときに、山田監督から『リング』を勧められました。でも、なかなか観ることができなくて、やっと観始めたらホントに怖くて……、なんとか最後まで観ることができました。今まで観たことがなかったので、よく分からなかったのですが、「『ヒッチハイク』もこんな雰囲気の作品になるんだろうな」というイメージがわいたので、観てよかったです。

 

車内が奇妙な空間になっていて、本当に気持ち悪かったです(笑)

──時代錯誤なカウボーイ姿のジョージ役を演じる川崎麻世さんら、涼子たちを襲う不気味な一家との共演はいかがでしたか?

 

中村 川崎さんは、現場での佇まいや歩き方から神妙な雰囲気というか不思議なオーラが漂っていて、その時点で怖かったです。ジョセフィーヌ役の速水(今日子)さんには、控室にいらっしゃるときに「おはようございます!」とごあいさつしたんですが、よく見たらメイクで真っ白な顔をされていて、「おぉ……」となってしまいました(笑)。でも、一番怖かったのは大男役の保田(泰志)さんで、圧倒されてしまいました。双子のアカちゃんとアオちゃんは、最初は区別がつかなかったんですが、現場でアカは赤色のダウンコート、アオは青色のダウンコートを着て、無邪気な感じがかわいらしかったです。実際の皆さんは優しい方で、現場は和気あいあいとしていました。

 

──そんなジョージ一家が熱唱するスイス童謡「おおブレネリ」を、キャンピングカーで聴かされるシーンはいかがでしたか?

 

中村 皆さん歌がお上手なこともあって、車内が奇妙な空間になっていて、本当に気持ち悪かったです(笑)。12月に群馬の山奥で撮っていたので、ただでさえ寒いんですよ。さらにゾゾーッとして、そのときに私の中に生まれた感情がそのままカメラに映っていると思いますね。

 

アフレコのとき、あらためて監督のホラー愛を感じました

──完成した作品を観たときの感想、そしてお好きなシーンは?

 

中村 完成した作品を観たときは、内容を全部知っているのに、怖くて、怖くて……。自分が出ているのに、自分じゃない人に見えてきちゃったんです(笑)。大倉(空人)さんが演じている健が銃を持って反撃するシーンは、健が成長した一歩を表していてかっこよかったです。涼子的には「この子は敵なの? 味方なの?」というところがあって、演じていて苦労しましたが、そのお芝居の変化にも注目してほしいです。

 

──本作に出演したことで、中村さん自身が学んだことなどがあれば教えてください。

 

中村 ホラー映画は観るのと出るのでは、全く違うものだと思いました。相変わらず、私一人では観れませんが、撮影は怖くないというか、撮影中もむしろワイワイして楽しかったのでまた出演してみたいです。あと、撮影後にアフレコをしたんですが、そのときに山田監督が映像を観ながら、ずっとニコニコされていたんです。ひょっとして現場より笑顔だったかもしれませんが、そのときに監督のホラー愛を感じました。

 

自分にしかできない表現で、いろんな人物を演じてみたい

──今後、8月にはいまおかしんじ監督の『カタオモイ』、9月には青木柚さんとW主演を務めた川北ゆめき監督の『まなみ100%』と、出演映画が連続公開されます。

 

中村『カタオモイ』は片岡鶴太郎さんの娘役で、レストランの厨房に立つとかアルバイトしているような気分を体験できました。いまおか監督のどこかつかめない演出も楽しかったですが、私もよくつかめないと言われるので、同じ人種なのでしょうか(笑)。そのいまおか監督が脚本を書かれた『まなみ100%』では、まなみちゃんの10年間を演じたのですが、順撮りではなかったので、その日によって、大人になったり、高校生になったりして大変でした。たまに高校生に戻りきれないときがあって、川北監督から「ちょっと大人っぽいんじゃない?」と指摘されることもありました。あと、主人公の“ボク”にとって、まなみちゃんはマドンナ的存在なので、「魅力的な人に見えなきゃいけない」と思いつつ、ずっと「魅力的ってなんだろう?」と考えていましたし、監督の期待に応えなきゃというプレッシャーもありました。

 

──女優として注目された『アルプススタンドのはしの方』から3年、先日二十歳を迎えられましたが、今後の希望や展望を教えてください。

 

中村 いろんな現場で、「『アルプススタンド』観たよ!」「「美しい彼」観たよ!」と言っていただけることは嬉しいです。今後も、多くの方にそう言っていただける作品に出られるよう頑張っていきたいです。あと、「この人が出ていたら、気になるし、観てみたい」と言われるような人になりたいです。今は安藤サクラさんに憧れていますが、自分にしかできない表現で、いろんな人物を演じてみたいです。

 

今ハマっているモノは「お薦めされた中古のフィルムカメラ」

──よく現場に持っていかれるモノやアイテムについて教えてください。

 

中村 小さいときから本を読むのが好きなので、バッグの中にはいつも1、2冊は文庫本を入れています。今は村上春樹さんを好きになったきっかけの一冊「国境の南、太陽の西」を読み返したり、映画版を観たことで原作を読み始めた「スイートリトルライズ」を入れていたり。あと三島(由紀夫)さんの作品は、一度断念したこともあるんですが、改めて「複雑な彼」に挑戦したら、とても読みやすくて面白かったです。漫画はあまり読んだことがなかったんですが、友だちに勧められた「シバトラ」を読んだらハマりました(笑)。落ち着いた雰囲気が好きなので、図書館にもよく行きますし、電子書籍だと目が疲れちゃうので、文庫本でよく読んでます。

 

↑村上春樹著「国境の南、太陽の西」をはじめお気に入りの作品は何度も読み返すという。右は小学生時代から愛用しているペンケース

 

──長年使っていて、手放せないモノやアイテムは?

 

中村 私、物持ちいい方だと思うんですが、そのなかでも小3の頃から使っているペンケースです。それまで使っていた缶でできたものが壊れてしまって、ロフトで買い直したんですが、大人っぽいものを考えて小3が選ぶにしては、なかなか地味なデザインで(笑)。中にはボールペンとシャープペンと消しゴムぐらいしか入れていません。

 

↑リラックスできると愛用の香水と撮影をきっかけに購入したカメラ

 

──今ハマっているモノやアイテムについても教えてください。

 

中村 放送中のドラマ「カメラ、はじめてもいいですか?」(BS松竹東急)の役作りで始めたカメラです。とにかく手に馴染ませるために、デジカメを使っていたんですが、撮影が終わった後に、お借りしていたカメラ屋さんに行って、いろいろ相談した後に、お薦めの中古のフィルムカメラを購入しました。レトロチックでデザインもかわいい「オリンパス PEN EE-2」です。あと、「二十歳になる前に、ちょっと大人になりたいなぁ」という思いから買い始めた香水。今アトマイザーに入れ替えたものは「ゲラン」のもので、ローズ系なんですが、くどくなくて、スッと抜けるような匂いで、落ち着くんですよね。

 

 

ヒッチハイク

7月7日(金)より全国ロードショー

【映画「ヒッチハイク」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:山田雅史
脚本:宮本武史
出演:大倉空人、中村守里、平野宏周、高鶴桃羽、速水今日子、結城さと花、結城こと乃、保田泰志、細田善彦、川崎真世

(STORY)
大学生の涼子(中村)と茜(高鶴)は、ハイキングの帰りに山道で迷ってしまう。やっとバス停に辿り着いたものの、バスが来る気配は全くなかった。さらに、涼子は足を怪我しており、茜の彼氏も飲み会で迎えに来られないらしい。2人は、意を決してヒッチハイクをすることに。こんな山奥で無謀にも思えたが、運良く一台のキャンピングカーが停まる。運転席から降りて来たのは、時代錯誤のカウボーイの格好をしたジョージと名乗る男(川崎)。ジョージは快く2人を受け入れ、車内へと誘う。そこには、ジョージの家族も同乗していたが、どこか異様な雰囲気が漂っていた―。いっぽう、過保護な親にウンザリしている健(大倉)は、悪友の和也(平野)を誘い同じ山でヒッチハイクの旅をしていた。

※川崎麻世の「崎」は立つ崎が正式表記

(C)2023「ヒッチハイク」パートナーズ

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

桜田ひより「待っているときのドキドキワクワクは交換日記でしか味わえない」『交換ウソ日記』

櫻いいよ氏の大ヒット小説を映画化した青春ラブストーリー「交換ウソ日記」が、7月7日(金)より全国公開します。ふとしたことから、学校イチの人気者・瀬戸山(高橋文哉)との秘密の交換日記を始めることになった高校2年生の希美を演じる桜田ひよりさんに、初となる“恋愛映画ヒロイン”の思いを語ってもらいました。

 

桜田ひより●さくらだ・ひより…2002年12月19日生まれ、千葉県出身。子役からキャリアを重ね、ドラマ「明日、ママがいない」(14)で演技力の高さが話題となり、注目を集める。主な出演作にドラマ「ワイルド・ヒーローズ」「卒業タイムリミット」「彼女、お借りします」「生き残った6人によると」「silent」、映画『祈りの幕が下りる時』、『男はつらいよ お帰り 寅さん』、映画『おそ松さん』など。アニメ映画『雄獅少年/ライオン少年』では声優を務める。公式HPInstagram

 

 

【桜田ひよりさん撮り下ろし写真】

「私も参加させていただける年齢になったんだ」という嬉しさ

──最初に本作の出演オファーがきたときの率直な感想は?

 

桜田 恋愛映画のヒロインが初めてのうえ、とても爽やかな胸キュン映画なので、「私でいいのかな?」と思ってしまいました。でも、今活躍されている俳優さん、女優さんが一度は通る道だと思うので、「私もそこに参加させていただける年齢になったんだ」という嬉しさがありました。また、新たに自分を発見できることや同世代の役者さんとご一緒できるワクワクもありましたし、恋愛だけでなく、友情の部分も描かれているので、いろんな方に刺さる作品にしたいと思いました。

 

──今回演じられた恋に奥手な希美の印象は?

 

桜田 人の話を聞くのが好きなところは、希美ちゃんと似ていると思います。私、ホワホワしてそうとか、おとなしそうといった女の子っぽいイメージを持たれがちなんですが、意外とそんなことなく(笑)、女の子と一緒に歩くときは必ず車道側を歩くんですよ。演じているときは、希美ちゃんに寄り添っているので、理解したい気持ちの方が強いですが、客観的に見ると、ちょっともどかしくなって、応援したくなっちゃいますね。

 

──そんな希美を演じるうえで、特に気を付けた点はありますか?

 

桜田 例えば、目の前に瀬戸山(高橋文哉)くんがいるときの表情と、交換日記を家で書いている表情の違い。希美ちゃんは意識してないかもしれないけれど、観ている人には「こんなにも違う!」と思ってもらえるよう緊張と笑顔の差を出しました。ほかにも、「観ている人に、いかに胸キュンしてもらえるか?」ということにこだわって演じようと、スタッフさんといろいろ話し合ったので、角度とか画角は注目ポイントかと思います。

 

学園モノならではのどこか淡い雰囲気も体験することができて楽しかった

──また、希美は音楽好きの放送部員という設定でもあります。

 

桜田 希美ちゃんは、マキシマム ザ ホルモンさんが好きな放送部員なので、部屋の中でノリノリで、ヘッドバンギングしているシーンも見てほしいですね。私は、学生時代、お仕事があったので部活に入ってなかったんですが、放送部かバスケットボール部に入りたかったんです。放送部だとお弁当を放送室で食べられる特別扱いに憧れていたので(笑)、放送室のシーンを撮っているときは高まりました。

 

──そのほか、学生時代にできなくて、本作でできたことは?

 

桜田 球技大会などに参加できても、仕事があるのでケガしないようにとか、日に焼けないようにとか、気を付けていたんです。今回はそんなことを気にせず、思いっきりやることができて、とても楽しかったです。

 

──共演者との撮影エピソードについて教えてください。

 

桜田 とにかく和気あいあいとしていました。(茅島)みずきちゃんと(齊藤)なぎさちゃんの女子3人のシーンが多かったので、いろんな話をして距離が縮まりました。3人で流行っていた干し芋が常に控え室に置いてあったり、お弁当の時間が待ち遠しすぎて、どんな弁当か予想するのも楽しかったです。高橋さんと曽田(陵介)さんが合流してからも、学園モノならではのどこか淡い雰囲気も体験することができて楽しかったです。

 

高橋さんは“人との距離感を絶妙に測れる方”

──そんな5人が揃っての遊園地ロケでの思い出は?

 

桜田 富士急ハイランドに行ったのは初めてだったのですが、何もかもが新鮮で、迫力満点な乗り物ばかりで、すごく楽しかったです。大勢で遊園地に行く機会はなかなかないと思うので、映像を通り越して、素で楽しんでいました。ここだけの話、男の子よりも女の子の方が絶叫マシンは得意でしたね(笑)。

 

──瀬戸山役の高橋さんの印象を教えてください。

 

桜田 人見知りの私と違って、誰とでも積極的に会話ができ、相手に気を遣うことができる印象を受けました。そして、人との距離感を絶妙に測れる方で、自分が思っていることも言えるし、相手のことも聞き出せるところもすごいと思いました。希美ちゃんが瀬戸山くんにバスケを教えてもらうシーンがあるんですが、そこでも丁寧に教えてもらいました。

 

──元カレの矢野先輩を演じた板垣瑞生さんとは共演作が多いですよね?

 

桜田 板垣さんとは『ホットギミック ガールミーツボーイ』『映像研には手を出すな!』『鬼ガール!!』など、今回の共演者のなかで一番共演した数が多いです。でも、元カレの役は珍しくて、「お互い胸キュンもので共演するようになったんだね」と、成長したなぁみたいなお話をしていました。

 

交換日記は1つひとつの言葉の大切さも生まれる

──桜田さん自身、交換日記の思い出はありますか?

 

桜田 小学生のとき、3~4人くらいの女の子とやった記憶があります。一緒にノートを買いに行って、「こういう順番で!」とか決めたんですが、2回ぐらい回って、どこかで消息を絶ちました(笑)。人数が多ければ多いほど、そんな感じになるような気がします。SNSが普及している今、交換日記を通して会話するなんてことはなかなかないですし、1つひとつの言葉の大切さも生まれますし、なにより待っているときのドキドキワクワクは交換日記でしか味わえないので、この映画を機会に流行すると嬉しいですね。

 

──二十歳を迎え、恋愛映画でヒロイン役という初めての経験をしたことで、桜田さんの今後の展望を教えてください。

 

桜田 今回恋愛映画のヒロインという、初めての経験をしたことで、いろんな発見があったんです。その発見を大切にして、今後のお仕事に繋げられたらいいなと思います。また、どこかでファンの方を裏切りたい気持ちもあるので、女の子っぽい役ばかりだけでなく、例えば英勉監督から「また、(『おそ松さん』の)チビ太やってほしい!」と言われたら、もちろんやりたいです!

 

──現場に必ず持っていくモノや、ハマっているアイテムについて教えてください。

 

桜田 いつも持っていくものは、コンタクトの替えです。1dayのソフトコンタクトを使ってるんですが、役柄上、泣くことが多いんです。それでコンタクトがズレたり、ハズれることもあるので、そのためにも替えが必要なんです。ハマっているものは、プレゼントでいただいたコンパクトプロジェクターです。アニメ「魔法使いの嫁SEASON2」などの動画を天井に映して、それを見ながら眠りにつくのが気持ちいいんです。機能性も高いですし、画質もいいので、めちゃくちゃおススメです。

 

 

 

交換ウソ日記

7月7日(金)より全国公開

 

(CAST& STAFF)
出演:高橋文哉 桜田ひより 茅島みずき 曽田陵介 齊藤なぎさ/板垣瑞生
原作:櫻いいよ「交換ウソ日記」(スターツ出版)
主題歌:「ただ好きと言えたら」KERENMI&あたらよ(A.S.A.B)
監督:竹村謙太郎
脚本:吉川菜美
音楽:遠藤浩二
製作:(C)2023「交換ウソ日記」製作委員会

(STORY)
高校2年生の希美(桜田)は、ある日移動教室の机の中に、ただひと言、「好きだ!」と書かれた手紙を見つける。送り主は、学校イチのモテ男子・瀬戸山(高橋)。イタズラかなと戸惑いつつも、返事を靴箱に入れたところから、2人のヒミツの交換日記が始まる。ところが、実はその手紙や交換日記は希美ではなく、親友宛てのものだったことが判明。勘違いから始まった交換日記だったが、本当のことが言い出せないまま、ついやりとりを続けてしまい……。

 

撮影/干川 修 取材・文/くれい響 ヘアメイク/菅井彩佳(NICOLASHKA) スタイリスト/福田春美

山下敦弘監督「岡田将生くんも清原果耶さんも本質とは逆の要素を演じていて、その“ねじれ”も含めてすごく面白くなった」映画「1秒先の彼」

ワンテンポ早い彼女とワンテンポ遅い彼が織り成す時間差ラブストーリー「1秒先の彼女」。2020年に台湾で生まれた名作を、山下敦弘監督がリメイク。台湾版とは男女のキャラクターを変更し、岡田将生さんと清原果耶さんがワンテンポ早い彼とワンテンポ遅い彼女を演じている「1秒先の彼」が7月7日(金)より公開される。本作の脚本を担当した宮藤官九郎さんとの初タッグのこと、映画「天然コケッコー」以来16年ぶりとなる岡田さんとのエピソードなどを山下監督が語ってくれた。

 

山下敦弘●やました・のぶひろ…1976年8月29日生まれ、愛知県出身。1999年大阪芸術大学芸術学部の卒業制作として撮った『どんてん生活』が高評価を受ける。代表作は、映画『リンダリンダリンダ』、『天然コケッコー』、『もらとりあむタマ子』など。『カラオケ行こ!』が2024年1月に公開予定。Twitter

【山下敦弘監督の撮り下ろし写真】

宮藤さんもオリジナルを好きになってくれて、すぐに企画に合流することに

──台湾映画「1秒先の彼女」の主人公のヤン・シャオチーを演じるリー・ペイユーさんのファンになり、監督がリメイクに名乗りを上げられたそうですね。

 

山下 リー・ペイユーのファンになったということをもう少し細かくお話すると、オリジナルの「1秒先の彼女」は、時間が行ったり来たりしながら、細かい伏線もいろいろあるので、リメイクするとなると結構ややこしくて大変だなと思ったんです。僕はあまり複雑な映画を撮ってこなかったので。でも何回か映画を観ていくうちに、いろんな皮を剥いていくと郵便局員の女の子とバスの運転手、この2人のキャラクターの魅力に自分は惹かれたんだなって思いました。彼女のファンになったと言うのはそういう意味で(笑)、そこで自分がリメイクするとしたら、キャラクターの魅力に乗っかり、そこをブレずに描くことができれば、大丈夫だろうと思えるようになりました。

 

──脚本を宮藤官九郎さんに依頼した経緯を教えてください。

 

山下 プロデューサーと話している中で宮藤さんの名前が上がりました。10年ぐらい前に一度、宮藤さんと一緒にある企画をやりかけたことがあったんですね。それを思い出しつつ、オリジナルが入り組んだ話だったので、自分が今まで一緒にやってきた脚本家の方に書いてもらう感じでもないのかなと思っていたときに、宮藤さんの名前が出て「あ、なるほど」と。でも宮藤さんがこういう内容をどう感じるかわからなかったので、とりあえずオリジナルを見ていただいて、気に入ってもらえたらということになりました。そしたら宮藤さんもオリジナルをすごく好きになってくれて、それからすぐに企画に合流することになりました。

 

──オリジナルと男女の設定を反転させたのはどうしてですか。

 

山下 まずキャストがなかなか決まらなかったんですね。台湾版の2人を日本版に置き換えたときに誰がいいんだろうって考えると、なかなか良い組み合わせが見つからず、そんななかで一度反転して考えてみたらどうですかね、ということになりました。そこで岡田将生くんの名前が上がり、宮藤さんが「岡田くんなら(反転して)書けるかも」ということで、まず前半を書いてくださいました。この映画は二部構成のようになっていると思うのですが、前半は宮藤さんがすごく早く書き上げてくださった印象があります。ただ後半はどうしようかってなりましたね。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

宮藤さんが書くとちゃんとリズムに乗って、面白く聞こえてくるんです

──後半はオリジナルから変わった部分が多い気がします。

 

山下 視点が変わりますからね。前半を宮藤さんが岡田くんに当て書きしながら書き進めていくうちに、女性キャラクターのイメージとして清原果耶さんが浮かびました。そうなると荒川良々さん演じる人物が増えたり、いろいろ変わっていきました。後半はみんなで考えていった感じがあったかもしれないです。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──宮藤さんとは監督と脚本家としては今回が初めてだそうですが、宮藤さんの脚本で映画を撮ってみていかがでしたか。

 

山下 言い方が難しいんですが、この物語は説明しなきゃいけないセリフが多いんです。いわゆる手続きを踏まないといけないセリフなんだけど、宮藤さんが書くとちゃんとリズムに乗って、面白く聞こえてくるんです。説明ゼリフだけにならないところがすごいと思ったんですが、結局は宮藤さんの脚本って、現場で俳優さんたちが非常に楽しそうにやるんですよ。オレよりも意図がわかっているというか(笑)。例えば、ハジメ(岡田)には妹がいて、片山友希さんとしみけんさん演じるギャルとギャル男の妹カップルが登場するんですが、彼女らと岡田くんのシーンは8割が説明のセリフなんだけど、みんな楽しそうなんです。逆に清原さん演じるレイカの感情が渦巻いている居酒屋のシーンは、すごく難しいというか、こちらが試されている感じがしました。

 

京都ファンタジーというか、京都って少し不思議なことを受け入れてくれる

──日本版を作るにあたり、舞台を京都にしたのはどうしてですか。

 

山下 このファンタジーのような世界観がなじむかなと。京都ファンタジーというか、京都って少し不思議なことを受け入れてくれるような土地柄なんですね。

 

──わかります。しかもSFなのに大したことは起きないぐらいの。

 

山下 そうそう。いわゆるゴリゴリのSFというより、都合の良いSFファンタジーが成立する街だなと思いました。あとは台湾版のロケーションが素晴らしかったので、ああいういい場所ないかなって話したときに、「京都の日本海側のエリアもありますよね、天橋立とか」って候補が出てきて。オレも見たことがなかったので、「じゃあ見に行きましょう」ってことで、宮藤さんとプロデューサーとオレで見て回ったら、面白かったんです。それがきっかけですね。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──拝見しながら、そういえば天橋立って行ったことないなって思いました。

 

山下 そうなんですよ。京都って修学旅行で行く人が多いけど、日本海側ってあまり行かないじゃないですか。行ってみると、天橋立って普通に人の生活の場になってるんです。道として利用している人もいれば、ジョギングしている人もいる。普通に公道なので当たり前なのですが、すごく独特で面白かったです。日常的のもので、あまり観光地なものじゃないというか(笑)。昔は本当に郵便局もあったらしいですよ。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

岡田くんのあの感じを創ったのは宮藤さんな気がするんですよね

──岡田さん演じるハジメは、見た目は最高なのに口が悪い残念感が漂うイケメンです。でもこういう役を演じる岡田さんは最高だなと思いました。

 

山下 僕も宮藤さん脚本のドラマ「ゆとりですがなにか」を観たときに、これは岡田くんのハマり役だなと思って(笑)。そう思うと、岡田くんのあの感じを創ったのは宮藤さんな気がするんですよね。二枚目半というか。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──清原さんがレイカ役になった決め手はなんでしょうか。

 

山下 清原さんとご一緒するのは今回が初めてで、結局全てが直感的な部分が働いた気がします。岡田くんが最初に決まり、「じゃあ相手は誰だろう」となったときに清原さんの名前が上がって、「あ、面白そうだな」と思いました。魅力的だし実力もありますからね。ただ岡田くんとは年齢差もあり、レイカを清原さんでいくにはいろいろ設定を変えないといけないし、2人が全然違うタイプなので大変でした。

 

──全然違うタイプというのは?

 

山下 僕が最初にイメージしていたワンテンポ早いハジメとワンテンポ遅いレイカというイメージとは反転しているんです。多分、岡田将生という人間がワンテンポ早いわけではなくて(笑)。どちらかというと、ワンテンポ遅い派なんですよね。そして、実は清原さんもワンテンポ遅い人ではなくて、ワンテンポ早いと思うんです。2人とも本質とは逆の要素を演じていると思うんですよ。本来持っているものが逆なので、最終的にその“ねじれ”も含めてすごく面白くなったなと思います。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

言い方が難しいけど、岡田君のよさってガワを生かし切れていないところだと思う

──プレスのコメントで宮藤さんが岡田さんにはヒロイン感があるとおっしゃっていますが、そういう意味でもハジメとレイカの役割は反転していますね。

 

山下 ヒロイン感は僕も撮り終わってから思いました(笑)。逆に清原さんが王子様っぽいんですよね。清原さんはおっとりした女の子を演じていますが、でもすごく芯が強くて存在感があるから。だけど周りから一歩ズレているという不思議なキャラになりました。岡田くんはせっかちで、ワンテンポ早いんだけどまろやかなんです。すごく柔らかいというか。せっかちって見ていてイライラするし、嫌味なキャラになりがちなんだけど、岡田くんがやると角が取れるんですよ。それは岡田くんが持っている本質的な部分がまろやかで、ワンテンポ遅い感じがあるから。そこも含めてすごく独特なキャラになったなと思っています。これが男女逆だったら、多分もっとせっかちになったと思うので、それによってこの映画は面白いねじれが生じましたね。

 

──岡田さんとは「天然コケッコー」以来16年ぶりにご一緒されたとのことですが、監督から見た岡田さんの印象ってどんな感じでしょうか。

 

山下 優しくてかわいらしい感じですかね。何だろうな……うまい言葉が見つからないけど、本当にいいヤツなんですよね。

 

──久々に一緒にお仕事をされていかがでした?

 

山下 最初はちょっと照れくさかったです。「天然コケッコー」当時は、僕も若かったので、昔の自分を知っている、知られているというのは照れくさいですよ。だからお互い昔のことはあまり掘り下げない(笑)。……今、ふと思い出したんですけど、「1秒先の彼」のなかで僕はあれが好きなんですよ。ラジオDJの笑福亭笑瓶さんと岡田くんがしゃべるシーンがあって、「僕、つまらん男ですもん」って言うんです。これだけいい顔を持っていて、すごく優しいのに「僕、つまんない男ですから」ってことを自覚している。そこにキュンとくるんです。言い方が難しいんだけど、彼のよさってガワを生かし切れていないところだと思うんです。めちゃくちゃキレイだし、あのビジュアルは才能なんだけど、それを意識してないというか、使い方が分かっていない。だからすごくいいヤツだなって思うんですよね。

 

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

──あまり外見を気に留めていない感じはするかもしれないです。

 

山下 そうそう。「天然コケッコー」のときからスカした感じが1ミリもない。普段は「すみません、すみません」って感じで、それがすごくかわいかったんだけど、当時から変わっていないんです。それが「岡田だな」って感じがしました。だからラジオで笑瓶さんに相談するのも説得力があるんですよね。桜子(福室莉音)というギターの弾き語りをしている女の子に惚れて、笑瓶さんに「今日が一番幸せです」って言うんだけど、本当にそうなんだろうなって思う(笑)。岡田くんがやると嫌味じゃないんですよ。他のイケメンがやったら「モテないキャラを演じているんでしょ?」って思うかもしれないけど、岡田くんが言うと本当にそう見えるんですね。

 

現場では隠れていたい。帽子、メガネ、ヒゲとできるだけ隠したいってことなのかも

──では最後に、GetNavi webということで、モノに関するお話をお聞きしたいのですが、監督が撮影に必ず持っていかれるモノを教えてください。

 

山下 オレらしいもの……帽子ですかね。撮影で合宿するとなると、帽子を何種類も持っていきます。それが一番こだわっているものかも。

 

──今日もニット帽を被っていらっしゃいますが、ニット帽に限らず被っていらっしゃるということですか。

 

山下 限らずですね。そろそろ夏なのでニット帽はもう限界です(笑)。1か月くらい掛かる撮影だと、ハット、キャップ、ニット帽と3つ、4つ持っていきますね。

 

──気分で替えていらっしゃるのでしょうか。

 

山下 気分で替えます。クセなんですよね。床屋さんに何十年も行ってなくて、家でバリカンで刈るんですけど、要は髪のセットが苦手で自分ではやらないから、帽子を被るのがクセになっています。

 

──髪をセットしないからすぐに出られるように帽子をかぶると。

 

山下 そうですね。なんかこう、僕は現場で隠れたいんですよ。芝居を見るときも顔をこう台本で隠しています。逆に一番目立つっていう話もあるんですけど(笑)、できれば隠れたい。どういう心理状態なのかわからないんですが、帽子、メガネ、ヒゲと全部できるだけ隠したいってことなのかもしれないなって最近思います。

 

 

1秒先の彼

7月7日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

 

(STAFF&CAST)
監督:山下敦弘
脚本:宮藤官九郎
原作:「1秒先の彼女」(チェン・ユーシュン監督)
主題歌:幾田りら「P.S.」

出演:岡田将生、清原果耶
荒川良々、福室莉音、片山友希
加藤雅也、羽野晶紀、しみけん
笑福亭笑瓶、松本妃代、伊勢志摩
柊木陽太、加藤柚凪ほか

(STORY)
ハジメ(岡田)は京都の生まれ。いつも人よりワンテンポ早く、50m走ではフライング。記念写真を撮るといつもシャッターチャンスを逃してしまい、小学校、中学校、高校の卒業アルバムの写真はことごとく目を閉じている。現在、ハジメは長屋で妹の舞(片山)とその彼氏のミツル(しみけん)と3人で暮らしている。

ハジメの職場は京都市内にある中賀茂郵便局。彼は高校を卒業して12年間、郵便の配達員だった。ついたあだ名が、『ワイルド・スピード』。度重なる信号無視とスピード違反で免許停止を食らい、それからは窓口業務だ。ハジメと同じ窓口に座るのは新人局員のエミリ(松本)と小沢(伊勢)。いつも2人に「見た目は100点なのに中身が残念」と言われ、ふてくされる日々。

レイカ(清原)も京都の生まれ。日本海に面した漁師町の伊根町で育った。いつも人よりワンテンポ遅く、50m走では笛が鳴ってもなかなか走りださない。現在、彼女は大学7回生の25歳。アルバイトをいくつも掛け持ちし、学費を払いながらの貧乏生活だ。写真部の部室に住み込み、1人ぼっちで夜食をとりながら、ラジオを聴いている。

ある日、急停車したバスに追突した高校生を看護するハジメの姿をみて、既視感をおぼえたレイカ。郵便局でハジメの窓口にいき、胸の名札『皇』の文字を見つめる。

街中で路上ミュージシャン・桜子(福室)の歌声に惹かれて恋に落ちるハジメ。早速、花火大会デートの約束をするも、目覚めるとなぜか翌日に。“大切な1日”が消えてしまった…!? 秘密を握るのは、毎日郵便局にやってくるレイカらしい。ハジメは街中の写真店で、目を見開いている見覚えのない自分の写真を偶然見つけるが……。

【映画「1秒先の彼」よりシーン写真】

(C)2023『1秒先の彼』製作委員会

 

撮影/関根和弘 取材・文/佐久間裕子

【デビュー20周年】湘南乃風、史上最高の“仲の良さ”! ベストアルバム&ハマスタ公演へ【インタビュー前編】

メジャーデビュー20周年を、2023年7月30日(日)に迎える湘南乃風。『純恋歌』や『睡蓮花』など数々のヒット曲を世に送り出し、2021年には加山雄三さんの「海 その愛」の音源を使用した『湘南乃「海 その愛」』をリリースし話題に。7月5日(水)には、記念すべきベストアルバム『湘南乃風~20th Anniversary BEST~』を発売し、8月12日(土)には横浜スタジアムで「湘南乃風 二十周年記念公演 風祭り at 横浜スタジアム」を開催予定だ。

湘南乃風●しょうなんのかぜ…RED RICE、若旦那、SHOCK EYE、HAN-KUNからなる4人組レゲエグループ。2003年にメジャーデビューを果たし、2006年にラブソング『純恋歌』が約60万枚を超える大ヒットに。2007年には『睡蓮花』、2008年には『黄金魂』とヒット曲を続々とリリース。TwitterInstagram

 

今回は、まさにアニバーサリーイヤー中の湘南乃風にインタビュー。若旦那は都合が合わず残念ながら不在となったものの、前編ではRED RICE、HAN-KUN、SHOCK EYEの3人が20年の歩みと、過去最高だという現在のメンバー間の“仲の良さ”について、後編ではそれぞれが今ハマっているモノ・コトについて熱く語った。

 

【湘南乃風、20周年撮り下ろし写真】

 

20年目の初感覚「距離感が、今までで一番良いんじゃないか」

↑RED RICE

 

──メジャーデビュー20周年、おめでとうございます! 改めて、今のお気持ちを聞かせてください。

 

RED RICE ありがとうございます。まずは素直にうれしいですね。ここまで来れたんだな、というのを噛みしめています。

 

──デビューからグループが20年続くというのは、すごいことかと。

 

RED RICE たしかに、そうですよね。俺らも10周年ぐらいまでは、未来が当たり前に来るようなイメージで過ごしていました。付き合いたての恋人じゃないけど「俺ら一生一緒だぞ」みたいなテンションでやっていました(笑)。

でも10年目以降は、うまくいかないことやメンバー個人の活動もあって、全然違う生活をする時間が増えた。コロナ禍も重なり、20年目に辿り着けるか不安だったんです。結果として、こうして無事に迎えられて、安堵しています。

 

──コロナ禍も落ち着いてきたタイミングで、20周年ライブツアーも順調に進んでいらっしゃいますね。

 

RED RICE 今回っているツアーは、本当にいい形で進められています。特にメンバー間の距離感が、今までで一番良いんじゃないかって。なんでしょうね……みんなここにいたいから自然といる、みたいな状態になっています。

ライブが終わった後も、 レコード会社や事務所が開く打ち上げではなく、自分らで「なんか食いに行こうか」って。気づいたらバックDJのBK(The BK Sound)と5人で寿司屋のカウンターに並んで、食いながらその日のライブの話をしています(笑)。

 

SHOCK EYE RED はずっと「終わらないでほしい」って言ってるんですよ。ロマンチックですよね。

 

RED RICE とても居心地よく一緒にいる感じがあります。20年目にして、初めての感覚を味わっている(笑)。だから8月12日の横浜スタジアム公演も来なきゃいいのに、このツアーがずっと続けばいいのに、と思っています。

 

──20周年ツアーが終わってほしくないのですね。コロナ禍を経たこともあり、ファンもライブを心待ちにしていたのではないでしょうか。

 

RED RICE タオルを回せなかったり、収容人数が半分だったり、そういうライブを超えてきましたからね。今、お客さんたちが本当に楽しそうで。それは俺ら自身が楽しめていることもありますが、とにかくライブ全体の雰囲気が良いんですよ。

 

──SHOCK EYEさんは、ツアーを回っていかがですか?

↑SHOCK EYE

 

SHOCK EYE 幸せな時間ですね。もちろん、ライブ中に自分なりの課題が見つかる時もありますが、喜怒哀楽を感じられてうれしいです。コロナ禍では何の感情もないような時期があり、自分にとって、とても不幸せな時間だと思いました。だからこそ、今ライブができるありがたみを噛みしめつつ、今後の活動1つひとつを大事に、繊細に扱いたいです。

 

──同じように、ファンの方も幸せだと感じていると思います。

 

SHOCK EYE こうやって、ファンの方々がまた会いに来てくれるのもありがたいですよね。みんなの前でライブを続けていくためにも、メンバー同士も幸せだと思えるように、良い距離感で活動していきたいです。

 

──HAN-KUNさんはいかがでしょうか?

↑HAN-KUN

 

HAN-KUN ツアー、すげえ楽しいっすね。みんな盛り上がってくれてありがたいです。……って若旦那も言ってます! 今日はこれが彼の代わりです(フリスクの箱を動かして喋らせながら)。

 

──あはは! 若旦那さんも、ありがとうございます!

 

 

“新橋編”という新たな試み「若旦那の中でしっかりとイメージが」

──べストアルバム『湘南乃⾵ 〜20th Anniversary BEST〜』が7月5日に発売予定ですが、テーマが「湘南編」「新宿編」「新橋編」と分かれていますね。先日それぞれのコンセプトジャケットを、3箇所で撮影されたとか。

 

HAN-KUN このアルバムのコンセプトアイデアを出したのは、若旦那です。ちょっと聞いてみますね……(フリスクの箱を振りながら)「俺が一番こだわったのは新橋編です」だそうです。

 

──(笑)。新橋編には『カラス』や『黄金魂』、『夢物語』などの曲が収録されていますね。あえていうと、湘南乃風にあまり“新橋”のイメージはないと思ったのですが。

 

HAN-KUN 正直俺らも撮影をやってみるまで、若旦那が考えているイメージに追いつけなかったんです。でも実際に、それぞれの場所で衣装を着てロケをしてみると、新橋で撮った写真が一番しっくりきたんですよ。

撮影して初めて、若旦那の中では、しっかりとイメージが出来上がっていたんだなって分かりました。あと今まで俺らは、役に成り切ったり演じたりして撮影することがなかったんです。

 

──今回は貴重な撮影だったわけですね。

 

HAN-KUN そうなんです。みんなでちょっと恥ずかしがりながら「似合ってるじゃん(笑)」と会話しつつ撮影しました。俺たちの内側でのやりとりもすごく新しくて、新鮮だったんです。REDなんか撮影終わりに「ああ、楽しかったなあ」って、こぼれるようにつぶやいていて。

 

RED RICE ツアーと同じく「この撮影が終わってほしくない!」と思いました。それくらい楽しかったんです。良い雰囲気でロケができました。ちなみに見てもらえば分かると思いますが、湘南編のジャケット写真が一番フィットしていないですよ(笑)。

 

──え、そんなことあるのですか⁉

 

SHOCK-EYE いや~、実は“ハズしに”いってまして。

 

RED RICE 湘南編のコンセプトも若旦那のアイデアなんですけど、撮る時に「冗談で言ったんだけどな……」とボソッとつぶやいていて。

 

HAN-KUN 最終的に「サッとやって、サッと帰ろう!」と言っていたくらい。とりあえず、それぞれのコンセプト写真の仕上がりは、ぜひ見てほしいですね。自分の目で確かめてみてください。

 

──楽しみにしています!

 

※後日、撮り下ろし写真を使用した貴重なアルバムジャケットが公開。新橋編とともに、新宿編、「一番フィットしていない」というまさかの湘南編はコチラを要チェック!

↑メンバーが「一番しっくりきた」という新橋編

 

 

デビュー時から変わらぬスピリット「自分のリアルを歌う」

──20周年を迎え、今デビュー当時の曲を改めて歌う時、曲に込める想いや感覚に変化はありましたか?

 

RED RICE 俺は全然変わらないですね。よく「このころは若かったよね」とか「今じゃこの歌詞書けねえな」とか話は出るけれど、ステージで歌っている時は、気持ちも感覚も当時まで戻っちゃう。「大人になりたくねえ」みたいな歌詞があっても、全然歌えます。もう50手前ですけど(笑)。

SHOCK EYE 僕も一緒です。変わらないというか、地続きの話なんです。ずっと歌っていなかった曲を20年ぶりに歌うとしたら感覚は違うかもしれないけれど、どの曲もずっと歌い続けてきたので。

 

──20年間走り続けてきたからこそ、変わらないと。

 

SHOCK EYE 自覚していない変化はあるかもしれないけどね。ただ当時の言葉であっても、歌うたびに、自分に馴染んでいることを感じたり共感したりしながら歌っているんですよ。単純に、曲の構成や作り方に関して「これは今じゃ作れないなあ」と思う作品はありますが。

 

──なるほど。湘南乃風が音楽を作るうえで、20年間変わらず大切にしていることがあれば教えてください。

 

RED RICE 俺は曲を書くのが一番遅いんですけど、良く言えば、“自分が本当に納得するまで作り続ける癖”です。それは20年間変わっていない。

進行が遅くなってみんなに迷惑かけたり、最初に作ったものに結局戻ったりもしますけど。でも無駄な工程を繰り返したからこそ、初めに出てきたものが良かったと再認識できる。それをやらないと自分の正解が分からないので。

 

──HAN-KUNさんは、いかがでしょう?

HAN-KUN 僕は歌詞作りで、嘘をつかないことですかね。経験したことや自分のリアルをちゃんと伝えることを、ずっと変えていない。できていないことは、できていないと言うし、やりたいことは、本当にやりたいと思う理想を伝える。まだ実現できていない理想を語ったとしても、自分の人生の線上にあることを歌詞に乗せるようにしています。

 

──すてきですね。それが若いころから変わっていないのがすごいです。

 

HAN-KUN 俺らが憧れて、活動を始めるきっかけになった音楽が「レゲエ」なんですけど、そもそもレゲエが大切にしているのが、実際に起きたことを歌うことなんですよ。発祥のジャマイカでは、社会的に困窮している中での反骨精神や反逆性が歌われているんです。

日本では置き換えづらい部分もありますが、やっぱり身近に起きたこと、体験したことを歌うことで、共感を生むというのが大切だと思います。

 

──レゲエのスピリットに則って作り続けている、ということですね。

 

HAN-KUN はい。例えば恋愛や友情、楽しいパーティーだったとして、実際に自分が体感したことを歌詞にすることで、聴いている人がまるで一緒に経験しているかのように、楽しく感じてほしいんです。

 

──実際に湘南乃風の曲には、リアルな情景が浮かぶような歌詞や、共感できる言葉が多いと感じます。

 

HAN-KUN レゲエを始めたころ「音の上で会話しているような音楽」だという印象を受けました。だから俺らの音楽を聴いた人が、俺らと会話しているように思ってほしいなと。

「なんで俺のこと知ってるの?」「なんで今、ここで頑張れって言ってくれるんだろう」「俺のこと見てくれているのかな」なんて思ってもらえるような身近さとリアルさを、今も変わらず大事にしています。

 

──SHOCK EYEさんは、変わらず大切にしていることは何かありますか?

SHOCK EYE 僕は、ずっと勉強させてもらっているという感覚です。常に変わらなきゃ、成長しなきゃと思っています。それは表層的なものや音楽的な話でなくて、内面的で人間的成長の部分のことです。自分自身にダメ出しをするタイプなんですよ。

 

──常に変化を求めてきた、ということですか?

 

SHOCK EYE いや、変化することだけが正しいわけではないと思っています。時に我慢して何かをやり続けることや、維持し続けることが成長に繋がる場合もあるので。要は“こうあるべきだと思わないようにする”ことを心がけています。

 

──なるほど。より成長するための最善を考えているということですね。

 

SHOCK EYE はい。今後も、個人としてもグループとしても成長し続けられたらと思いますね。

 

──ではここで二十周年記念公演に向けて、読者にメッセージをお願いします。

 

HAN-KUN リーダー、代表して!

 

RED RICE 8月12日に横浜スタジアムで「湘南乃風 二十周年記念公園 風祭り」があります。20年経ったからこそ出せる“俺たちの味”や、 20年歌い続けた人間にしか見せられない景色があると思うので、ぜひ足を運んで欲しいなと思います。湘南乃風史上、一番仲の良いメンバーの空気を浴びに来てほしいです!

 

──楽しみにしています!

 

※湘南乃風へのインタビューは7月7日公開の後編へ。3人がハマっているという “今アツい”モノとは?

 

ヘアメイク/Chiho Oshima スタイリング/Kan Fuchigami

伊藤沙莉「私が目指していた幅広い役を演じられる女優さんに近づいているようで光栄」『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』

『ミッドナイトスワン』の内田英治監督と『さがす』の片山慎三監督が共同監督を務める『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』が6月30日(金)より公開します。主人公・マリコを演じるのは、来春のNHK連続テレビ小説「虎に翼」でヒロインを務めるなど、ドラマ・映画と出演作が続く、伊藤沙莉さん。新宿・歌舞伎町を舞台に、行方不明になった地球生命体を探すバーテンダー兼探偵というブッ飛んだキャラを演じる伊藤さんに、撮影エピソードや女優としての醍醐味など伺いました。

 

伊藤沙莉●いとう・さいり…1994年5月4日生まれ。千葉県出身。2003年、ドラマデビュー。NHK連続テレビ小説「ひよっこ」(17)で注目を集める。20年、ドラマ「全裸監督」「これは経費で落ちません!」、テレビアニメ「映像研には手を出すな!」(声の出演)などの活躍を評価され、第57回ギャラクシー賞テレビ部門個人賞を受賞。21年は『ステップ』『劇場』『ホテルローヤル』『タイトル、拒絶』などにより、第63回ブルーリボン賞助演女優賞、第45回エランドール賞新人賞を受賞。22年は『ボクたちはみんな大人になれなかった』『ちょっと思い出しただけ』で第45回山路ふみ子女優賞、今年はNHK特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」における演技で第77回文化庁芸術祭 テレビ・ドラマ部門放送個人賞を受賞。6月5日(月)より舞台「COCOON PRODUCTION 2023『パラサイト』」に出演。24年はNHK連続テレビ小説「虎に翼」の主演を務める。TwitterInstagram

 

【伊藤沙莉さん撮り下ろし写真】

 

魅力的な2つの職業を同時にできたことでお得感があって嬉しかった

──5月に公開された『宇宙人のあいつ』に続き、奇しくも“宇宙人”がキーワードになっています。

 

伊藤 企画の立ち上げでいえば、『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』(以下、『マリコ』)の方がずっと前なんです。かれこれ5年ぐらい前から動いていたんですが、その頃は宇宙人の話になるとは聞いてなかったんですよ。その後、いろいろあって……撮影は『マリコ』が先だったんです。

 

──『宇宙人のあいつ』の飯塚健監督も、『マリコ』の内田英治監督も、以前から伊藤さんを起用してきた恩師ともいえる監督なのも興味深いですよね。

 

伊藤 飯塚さんと内田さんは友人同士でもあるんですけど、さすがに「なんで、ここに来て宇宙人被りしているんだ!?」と思いました(笑)。劇場公開のタイミングまで一緒になったことには、本当にビックリです!(笑)

 

──今回演じられた新宿にある小さなバーのバーテンダーで、探偵であるマリコというキャラクターについてはどう思われましたか?

 

伊藤 私にとって魅力的な2つの職業を同時にできたことで、お得感があって嬉しかったです。もともとスナックやバーの雰囲気が好きで、『ブルーアワーにぶっ飛ばす』や『すずめの戸締まり』ではスナックのママやチーママをやらせてもらっているんですよ。それに『探偵はBARにいる』のような探偵ものも好きで、志村(けん)さんの助手役をやらせていただいたドラマ(「志村けんin探偵佐平60歳」)も楽しかったんです。マリコには助手がいない設定ですが、あえて一人でやっている感じもかっこよかったです。

 

どこか演劇をやっているような楽しさも

──まさに内田監督による当て書き&ハマり役といえますが、演出に関しては、伊藤さん長編初主演映画『獣道』のときとの違いは?

 

伊藤 内田さんは『獣道』のときとは……全くの別人でした(笑)。優しく寄り添ってくれるような感じで、とにかく丸くなった感じ(笑)。私もこれといった役作りもしませんでした。コロナ禍とはいえ、歌舞伎町で撮影できましたし、舞台となるバー「カールモール」も実在している店内で撮影できました。とてもぜいたくな現場で楽しかったです。

 

──伊藤さんも出演された「全裸監督」では助監督を務めていた片山慎三監督が、本作では共同監督で参加しています。

 

伊藤 監督としての片山さんとご一緒したい気持ちが強かったので、「なんてぜいたくでありがたい機会なんだ!」と思いましたね。片山さんは『さがす』や『岬の兄妹』のようなハードな作風の作品を撮る方とは思えないぐらい優しい方で、こっちが恐縮するぐらい腰が低くて驚きました。それにいろいろとキャラの濃い人たちと交わりながら群像劇を作っていく、どこか演劇をやっているような楽しさもありました。

 

──とはいえ、ほとんどのキャストが初共演だったということで、以前からおっしゃっていた人見知りは出ませんでしたか?

 

伊藤 スナックやバー独特の話しかけたくなるような雰囲気もありましたし、マリコは基本バーカウンターの中にいるので、その設定に助けられたような気がするんです。本当のママのように、入れ替わり立ち代わりやって来るお客さんをもてなして、捌いていくような気分でした(笑)。内田さんの映画らしい自由度の高いシーンもありますし。

 

休憩中の竹野内さんの真摯な姿に感動しつつ、不思議な空気感に笑いを堪えていました

──自称忍者・MASAYA役の竹野内豊さんとの撮影現場でのエピソードは?

 

伊藤 竹野内さんは、とても不思議な魅力をお持ちの方。休憩時間にふと気づいたら、真剣に忍術指導の先生と会話をされている竹野内さんがいらっしゃったんです。「ここができないんですよ」と真剣に質問されていて、まるで本当に忍者修業をしているお弟子さんのようで……。そのあまりに真摯な姿に感動しつつ、不思議な空気感に笑いを堪えていました。

 

──内田監督・片山監督が各3話を演出。全6話で構成されていますが、お気に入りのエピソードを教えてください。

 

伊藤 どのエピソードも面白かったのですが、そのなかでも北村有起哉さんが演じた落ちぶれたヤクザと行方不明の娘さんとのエピソード(「鏡の向こう」)が一番好きですね。どうしようもできない、救いようもない感じに泣きました。北村さんの娘役を舞台版の「幕が上がる」と「転校生」で一緒だった藤松祥子さんがやっていて、好きな女優さんなんです。今回は久しぶりの共演で、残念ながら一緒のシーンがなかったんですが、そういう特別な思いもあって好きですね。

 

「今日は宇宙人と一緒だ」とか、よく分からない愛着がわいてきました(笑)

──他にお気に入りのキャラはありましたか? また宇宙人との共演はいかがでしたか?

 

伊藤(「姉妹の秘密」に登場する)殺し屋姉妹というか、妹さんの彼氏を含む、三角関係が好きですね(笑)。3人の、宇宙人よりもファンタジーな設定が意味不明すぎて面白かったです。あと、宇野祥平さんがバスケットケースの中に入れた宇宙人を運んでいるんですが、実際には箱の中に何も入っていないんですよ。でも、撮影が進むにつれて、「今日は宇宙人と一緒だ」とか、よく分からない愛着がわいてきました(笑)。

 

──7月から放送のドラマ「シッコウ!!~犬と私と執行官~」に続き、日本初の女性弁護士を演じる24年放送のNHK連続テレビ小説「虎に翼」に主演。宇宙人に続いて、今度は法を司るリーガル系の役が続きます。

 

伊藤 前々から同じクールのドラマで、同じ題材やテーマが扱われることが不思議だなぁと思っていたんですよ。いろんな方のアンテナの張るタイミングだったり、前から温めていた企画がたまたま重なっただけだと思うんですが、今の私はまさにその渦中にいる感じです(笑)。ファンタジーから、リアルと、ふり幅はすごすぎますが、それでこそ私が目指していた幅広い役を演じられる女優さんに近づいているようで光栄ですね。

 

 

探偵マリコの生涯で一番悲惨な日

6月30日(金)より全国ロードショー

【映画「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」よりシーン写真】

 

(STAFF&CAST)
監督:内田英治、片山慎三
脚本:山田能龍、内田英治、片山慎三
主題歌:Da-iCE「ハイボールブギ」(avex trax)

出演:伊藤沙莉
北村有起哉、宇野祥平、久保史緒里(乃木坂46)、松浦祐也
高野洸、中原果南、島田桃依、伊島空、黒石高大、
真宮葉月、阿部顕嵐、鈴木聖奈、石田佳央、
竹野内豊

(STORY)
新宿歌舞伎町にある小さなバー「カールモール」のカウンターに立つ、27歳の女・マリコ(伊藤)。さまざまなワケあり常連客を相手にする一方、「新宿探偵社」の探偵としての顔も持つ彼女のもとに、ある日FBIを名乗る3人組から「アメリカへの移送中に連れ去られた地球外生命体を捜してほしい」という、謎の依頼が舞い込む(「歌舞伎町にいる」)。ほか、全6エピソードから完成するコラボレーション・スタイル。

(C)2023「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/岡澤愛子 スタイリング/吉田あかね

乃木坂46・久保史緒里&上田誠「上田さんの現場はムチャぶりだらけですが、ワクワクしかないです」映画『リバー、流れないでよ』

結成25周年を迎えた劇団ヨーロッパ企画による新作オリジナル映画『リバー、流れないでよ』が6月23日(金)より全国で公開。脚本家・上田 誠さんが得意とするタイムリープを軸に、“2分間”のループ地獄に翻弄される人々を描いた本作。物語のカギを握る人物を上田作品に縁のある久保史緒里さんが演じるなど、公開前から多くの注目を集めている。そこで互いに厚い信頼を寄せるお2人に、これまでの出会いから新作の制作秘話などをたっぷりと語ってもらった。

 

【久保史緒里さん、上田誠さん撮り下ろし写真】

初めて出会ったときの久保さんは心がゼロオープンでした

──お2人の最初の出会いは2021年の舞台『夜は短し歩けよ乙女』になるのでしょうか?

 

上田 そうです。僕が作・演出をし、久保さんにはヒロインの乙女役を演じていただきました。

 

久保 その後に、同じ年に放送されたドラマ(『サマータイムマシン・ハズ・ゴーン』)にも呼んでいただいて。ですから、私にとって上田さんの脚本作品に参加するのは、今回の映画で3回目になります。

 

──当時はどのような印象を?

 

上田 きっと緊張されていたんでしょうね。最初は全く心を開いてくれなかったです(笑)。

 

久保 ははははは!

 

上田 もう、ゼロオープン(笑)。でも、初めてご一緒する舞台ってそういうものなんですよね。僕もヨーロッパ企画という劇団を運営しているので、久保さんの気持ちがよく分かるんです。普段乃木坂46ではグループで活動していて、そこから1人で一歩外に出て仕事をするとなると、どうしても気が張っちゃいますから。

 

久保 それに、コロナ禍での感染対策として、稽古中はあまり雑談みたいなこともできなくて。それで打ち解けるのに時間がかかってしまったというのもあります。

 

上田 でもそうした中、久保さんの役者としての力量には驚かされっぱなしでした。『夜は短し歩けよ乙女』って結構内容がぶっ飛んでいて、セリフも多かったし、歌まであったんです。とにかくやることが多い舞台だったんですが、久保さんは毎日のように課題を一つずつクリアしていき、稽古のたびに、“あ、ここがすごくよくなってる!”という発見がありました。

 

 

久保 そんなに褒めていただいて恐縮です。私、あの稽古ですごく覚えていることがあって。劇中で空を飛ぶシーンがあったじゃないですか。

 

上田 ありましたね。

 

久保 それで、私がたまたま稽古期間中に別のお仕事でスカイダイビングをする機会があり、上田さんに後で、「私、乙女が空を飛んでいるときの気持ちがよく分かりました!」って報告したんです。そしたらものすごく笑ってくださって。「え〜、変わってんね〜!」って言われたんですよ(笑)。

 

上田 ははははは! 確かに言ったかも(笑)。

 

久保 そこからでしたね。私の心が一気に開いたのは。

 

上田 えっ、あそこだったの?(笑)

 

久保 もちろん、それまでのいろんな会話やコミュニケーションの積み重ねがあったうえでのことですけどね。

 

上田 そうかあ〜。いや、実はね、スカイダイビングの話を聞いたとき、僕、感動していたんですよ。

 

久保 そうだったんですか?

 

上田 うん。舞台の稽古って集中力が必要だし、かなり疲れますよね。にもかかわらず、そんな大変な合間にスカイダイビングの仕事を入れるってなかなかできないことで。ぶっちゃけ、僕が久保さんの立場だったら、空を飛びながら「ふざけんな!」ってキレてると思うんです(笑)。なのに久保さんは不機嫌になるどころか、“役の気持ちになれた!”という感覚をつかんできて。そりゃもう、演出家としては大感動ですよ。“この人は、一切の時間と仕事を無駄にしていなんだな”って思いました。

 

久保 いえ、とんでもないです。『夜は短し〜』の稽古は本当に楽しかったんです。上田さんはいつも笑顔で、毎日同じシーンをやっても、毎日同じところで笑ってくださいましたし(笑)。そのことでこちらもお芝居がどんどん楽しくなれて。それもあって、私の緊張がちょっとずつほぐれていったというのもありましたね。

 

久保史緒里●くぼ・しおり…2001年7月14日生まれ。宮城県出身。2016年に乃木坂46の3期生としてデビュー。俳優としても活躍するほか、ファッション誌「Seventeen」専属モデル、「乃木坂46のオールナイトニッポン」のメインパーソナリティーなど多方面で活躍中。主な出演作に、映画『左様なら今晩は』、ドラマ「クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術」、舞台「桜文」など。現在、NHK大河ドラマ「どうする家康」に出演中。待機先に映画『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』、劇団☆新感線 いのうえ歌舞伎「天號星」がある。公式ブログInstagram

 

お声掛けいただいたときは、「ぜひ!」と即答でした

──お2人はその後、先ほど久保さんのコメントにもあったようにドラマ『サマータイムマシン・ハズ・ゴーン』で再会されました。

 

上田 あのドラマは《時間》をコンセプトにした短編集で、どれもトリッキーな物語だったんです。それこそタイムマシンが出てくるものや、別の時間軸で生きているもう一人の自分が出てくるものがあったり。その中でも久保さんにヒロインをお願いした『乙女、凛と。』という作品は最もテクニカルなもので、約1分後の未来の自分と電話で会話をするという内容のお話でした。

 

久保 しかも長回しの撮影だったうえに、最後の最後で未来の自分と歌でハモるという展開があったんです。

 

上田 過酷ですよね。せっかく京都の先斗町での撮影だったのに、全然楽しくなかったと思います(笑)。

 

──“自分とハモる”という発想がユニークですね。

 

上田 これは久保さんが主演だったから思いついたアイデアでした。というのも、ヨーロッパ企画の劇団員には音楽ができる人があまりいなくて。それもあって、僕自身は以前から音楽モノの作品をすごく作りたかったんですけど、20年以上叶わずにいたんですね。それが、『夜は短し〜』で音楽劇のようなことができて、気持ちの上でも充実していて。その流れでもう一度、久保さんと一緒に音楽を使った短編映像を作りたいなと思ったんです。その結果、とんでもないムチャぶりだらけの現場になってしまいましたけど(苦笑)。

 

久保 現場ではずっと緊張していました。頭から終わりまで10分ぐらいの物語をすべて長回しで撮っていたので、最後のハモリでミスをしたら、それまでの撮影が全部無駄になってしまうと思って。

 

 

上田 しかも、メロディがあるようでないようなアカペラでしたしね。

 

久保 リズムがちょっとでもズレたら撮り直しになるので、カメラの後ろで上田さんが指揮をしてくれていましたよね(笑)。

 

上田 そうそう。あと、音程も取らないといけないから、あのとき僕はハーモニカをポケットに忍ばせていたんですよ。

 

久保 そうでした!

 

上田 そしたら、久保さんがおずおずと……ものすっごくおずおずと、「……あの、私、いちおう、絶対音感があるんで……たぶん、大丈夫だと思います」と言ってくださって。あの節は本当に助かりました(笑)。

 

久保 いえいえ。

 

上田 でも、正直どうですか? 僕との仕事はムチャぶりばかりで困ってませんか?

 

久保 全然です! すごく楽しいです。ほかでは絶対に経験できないことが多いですし。“大変だ!”とか、“う〜ん、これは困ったぞ”と思ったことも一度もなくて。むしろワクワクしかないです。もちろん緊張はあります。『乙女、凛と。』のときも間違えられないぞって思っていたのに、最初にNGを出してしまったのが私でしたし。

 

上田 序盤の歌のところでね。

 

久保 はい。撮影が始まってそうそうに歌もセリフも全部飛んでしまって。でも、あのとき、共演者の永野(宗典)さんが落ち込んでる私を見て、「主演が最初に間違えてくれたほうが、僕らはありがたいんだよ」とおっしゃってくれたんですよね。

 

──優しい!

 

久保 そうなんです。ヨーロッパ企画の皆さんは本当にお優しいんです。だから、どんな挑戦でも前向きに楽しく挑めるんです。

 

──でも、その永野さんはいきなり本番でアドリブを入れてきたと聞きました。

 

久保 あ〜……はい(苦笑)。

 

上田 彼は変態ですからね(笑)。長回しだからカメラワークも決まっているのに、それでもアドリブを入れてくるような男ですから。でも、久保さんが僕たちの現場を楽しいと言ってくれてホッとしています。僕は演劇でも映画でも、いろんなことに挑戦していますが、それはまだ誰も見たことのない実験的な風景や映像を作りたいという野心があるからなんです。でも、それをやろうとすると、どうしてもムチャなチャレンジも必要になってくる。そんなとき、劇団員であれば忌憚なく頼めるんですね。逆に言えば、身内の人間にしか頼めない(笑)。そうした中で、久保さんはいつも僕の想像以上のものを生み出してくださるので、厚かましくもお願いすることが多くて。今では、それぐらい僕の作品には欠かせない方だと思っています。

 

久保 そう言っていただけて嬉しいです!

 

上田 今回の映画にしても、相当難しい役だったと思うんです。何者なのかよく分からないのに、キーパーソンとしての存在感を出しつつ、それでいて、目立ちすぎないように物語に溶け込む必要がありましたから。でも、それを頼めるのは久保さんしかいないと思って。

 

久保 ありがたいです。私も今回の役でお声掛けいただいたときは、「ぜひ!」と即答でした。

 

上田 誠●うえだ・まこと…1979年11月4日生まれ。京都府出身。劇団「ヨーロッパ企画」代表、全ての本公演の脚本・演出を担当。2017年に舞台「来てけつかるべき新世界」で岸田國士戯曲賞受賞。近年の主な作品に、映画『ドロステのはてで僕ら』(原案・脚本)、『前田建設ファンタジー営業部』(脚本)、アニメ映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(日本語吹き替え版脚本)、『四畳半タイムマシンブルース』(原案・脚本)、ドラマ「魔法のリノベ」(脚本)、舞台「たぶんこれ銀河鉄道の夜」(脚本・演出・作曲)などがある。Twitter

 

試写を観て、「あ、本当に完成するんだ!」って感動しました

──今回の映画の台本を最初に読まれたときはどのような印象でしたか?

 

久保 “なんて新しくて面白い試みの作品なんだろう!”と思いました。でも同時に、“これ、どうやって撮るんだろう……?”という疑問が生まれて。撮影しているときのイメージも完成形も、全く想像がつかなかったんです。

 

上田 京都の貴船にある旅館とその周囲だけが突然、延々と2分間のタイムリープを繰り返すという内容ですからね。撮影現場もほかの映像作品とはちょっと雰囲気が違いましたよね。

 

久保 しかも、それぞれの2分間の物語を毎回長回しで撮っていたので、監督(山口淳太)も常にストップウォッチを片手に時間とも戦っていて。「あ〜、10秒オーバーした!」とか、「今度はちょっと短い!」って(笑)。その様子を近くで目の当たりにしていたので、実際に完成試写を見たときは涙が出ました。

 

上田 それはどういう涙?

 

久保 いろんな感情があふれてきたんですが、“あ、本当に完成するんだ!”という驚きもありましたね(笑)。

 

上田 ははははは! でも、そうだよね。当然、物語は台本通りに展開するんだけど、現場ではいろんな2分間のお話を撮っているから、どこがどうつながっていくのかが立体的にイメージできないだろうし。

 

久保 そうなんです! だからこそ、完成したものを見たときの感動がすごくて。なかなか味わえない体験でした。

 

上田 実際の現場もやっぱり大変さはありました?

 

久保 長回しで皆さんがお芝居をされている途中で私がカットインしたりフェードアウトしていくので、“絶対に失敗できないぞ”という緊張感がありました。それに、スタッフさんやキャスト皆さんの熱量もものすごくて。2分きっかりで終わるように何度もリハーサルを重ねたり、相談しあったりして、緻密に作りあげていったんです。そうした繊細な作業をしている場に自分もいられたことが幸せでした。

 

 

 

──上田さんの代表作に映画化もされた『サマータイムマシン・ブルース』(2005年)があり、タイムリープものもこれまでに何度か作られていますが、今作の『リバー、流れないでよ』の構想はいつ頃からあったものなのでしょう?

 

上田 今回は京都の貴船にある「ふじや」という旅館をメインとし、その近くにある建物や貴船神社など、いろんな場所がロケ地提供してくださったんです。そうした、全面協力をしていただけるというお話をいただいてから考えた企画でしたね。

 

久保 本当に素晴らしいロケ地でしたよね。

 

上田 旅館の中の構造も面白かったです。地下がちょっとした迷宮みたいな作りになっていたり。それに、いい意味での箱庭感もあって。“この楽しい場所をどうやって遊び尽くそう?”という感じで構想を練っていきました。

 

──なるほど。また、繰り返されるタイムリープの時間が2分というのもものすごく絶妙だなと感じました。

 

上田 ありがとうございます。これもちゃんと理由がありまして。一部の場所だけがタイムリープしているので、2分以上だと意外と遠くまで行けて、そのままリープ地獄から抜け出せちゃうんですよ(笑)。

 

久保 確かに! それに、登場人物たちが何度も行き来する旅館の本館とはなれも、ギリギリ2分でドラマを展開させながら移動もできる距離感ですもんね。

 

上田 そこもちゃんと事前に調べました。実際に現地に行って、旅館の中を走り回ったり、神社まで走ってみて、“あ、ちょうど1分ぐらいか。それなら残りの1分でどんな展開が生み出せるだろう”って考えたり。

 

久保 すごい! そこまでしっかり計算されていたんですね。

 

──何度も別の形で繰り返される2分間の出来事をすべて長回しで撮るというのも上田さんのアイデアだったんですか?

 

上田 監督の山口と話して決めました。劇団制作で映画を作るときは、なるべく舞台的な映像にしたいなという思いがあるんです。僕らは京都の劇団なので、今回のように地元のロケ地を生かしたものにしたり。長回しの手法もその1つで、普段、演劇活動をしている僕らのアドバンテージでもあるので、よく使うようにしていますね。ただ、僕や劇団員にとってはそこにやりがいを見いだしていますけど、ゲストの久保さんにしてみれば知ったこっちゃない話ですからね(笑)。毎回こうした冒険に巻き込んでしまって、申し訳ないなと思っています。

 

久保 大丈夫です。そんなこと全然思ってませんから(笑)。

 

いつか久保さんには、誰もやったことのない一人芝居を

──久保さんにとって上田さんの脚本作品に参加するのはこれで3度目になりましたが、改めて上田さんが書くセリフの面白さはどんなところだと思いますか?

 

久保 今回の映画で特に感じたことですが、物語を大きく動かす劇的なセリフが散りばめられているわけではないんです。どれもが日常的なさり気ない言葉ばかりで。でも、それが別の誰かの心に刺さっていったり、突き動かしたりする。それがすごく心地いいんです。また、リアルさがあるのに、どれも面白くって。つい吹き出しちゃうセリフもあれば、“さっきの言葉って、こういうことだったのか!”と伏線にもなっていることがあるので、いろんな角度から楽しめる。だから、一度見始めると最後まで見入っちゃうんだと思います。

 

──確かに今回のようなSF要素のある作品でも、説明セリフっぽく聞こえないところに上田さんの言葉のセンスを感じます。

 

上田 そこは意識しているところでもあるんです。おっしゃるようにSFだとどうしても誰かが状況を説明する必要があるんですけど、そこはあまり重要視していないというか。なんなら別に聞き逃してもらってもいいかなって思ってて(笑)。

 

久保 そうなんですか!? でも、言われてみれば、SF部分の説明が理解でなくも物語の流れが分かるようになっていますよね。

 

上田 ええ。雰囲気だけ伝わればいいと思ってますから。だから、もっと言えば説明セリフを言うキャラクターは、ちょっと軽めに扱われていたりすることもあります(笑)。

 

久保 (笑)。そういえば、今回の私の役に関しては最後のほうにちょっとだけ説明セリフがある程度でした。

 

上田 それも意図的でした。というのも、舞台の『夜は短し〜』での乙女はすごく重要な役割を担っていて、物語やセリフをしっかりと観客に届けなくてはいけなかったので、大変な重責を背負わせてしまったなと思っていたんです。でも、それを見事に体現してくださったので、そのおわびというわけではないのですが、今回の映画に関してはもう少し気軽に挑める、重力が軽めのセリフにしました。……といいつつ、かなり大事なキーパーソンの役でしたけどね(笑)。

 

久保 はい。そこは見てのお楽しみということで(笑)。

 

──久保さんが演じる役がどういう存在なのか、ぜひ映画館で確認してもらいたいですね。また、上田さんが紡ぐ物語の魅力に、登場人物がみんな優しく、観終わった後に幸せな気持ちになるというのがあると思います。

 

上田 僕はそういうのが大好きなんです。自分が脚本を書く上でいつも大事にしているのが面白さと懐かしさで。観終わった後に、その2つが心に残ってくれたら嬉しいなと思っているんですね。特に《懐かしさ》って宇宙の根源ぐらい素敵な感情だと思うので、初めて観た作品なのに“なぜか懐かしい”と感じてもらいたい。そのためにも登場人物たちが殺伐とし合うことなく、互いの優しさを渡し合って円環を閉じていきたいと考えていますし、その意味で今回もすごくいい作品になったのではないかなと自負しています。

 

 

──では上田さんが、今後久保さんに演じてもらいたい役などはありますか?

 

上田 ………ちょっと変わった役とか?(笑)

 

久保 やります!

 

上田 早いですね(笑)。

 

──(笑)。なぜ、少し変わった役を?

 

上田 久保さんとはこれまで一緒にお仕事をして、すべてにおいて素晴らしいクオリティのお芝居を魅せてくれているんです。僕としては“最高の役者に出会えた!”という喜びもあるので、せっかくなら今度は誰もやったことのない役に挑戦してもらいたいなと思っていて。……たとえば、一人芝居とか興味あります?

 

久保 やってみたいです! ぜひ、ぜひ!

 

上田 本当に!? じゃあ、そのときはお願いします。

 

久保 上田さんが書かれるものであれば、もう無条件でご一緒します。上田さんが書く一人芝居にもすごく興味がありますし。原型が何もない状態でも断りません(笑)。

 

上田 そんなこと言って大丈夫? だって、人間の役じゃないかもしれませんよ?

 

久保 問題ないです! むしろやりたいです(笑)。

 

──ものすごい信頼感ですね(笑)。では最後に、GetNaviwebということで、お2人が仕事の現場に持っていく必需品をご紹介いただけますか?

 

上田 僕はペンケースとスケッチブックですね。台本のセリフはいつもスケッチブックに手書きで書いているんです。最後にはパソコンで清書をするんですけどね。なので、アナログの文具品はマストです。

 

久保 手書きにこだわるのはどうしてなんですか?

 

上田 パソコンだと手軽に文字が書けるから文章が長くなってしまうんです。最近の小説が長いのもそういう理由だと思っていて。でも、手書きだと途中で疲れちゃう(笑)。すると、短いセリフの掛け合いになるからいいんですよね。

 

久保 へ〜、面白いですね! 私はどんな現場でも干し芋を持っていきます。すっごく緊張するタイプなので、食事が喉を通らなくなることが多くて。ご飯も食べずに現場に行くこともあり、すると集中力が低下してしまうので、干し芋を持っていって食べるようにしています。

 

上田 ご飯は喉を通らなくても、干し芋は大丈夫なの?(笑)

 

久保 ちょっとの量でもお腹が膨れるので(笑)。それに、もはやちょっとしたお守みたいにもなっているんです。“ご飯が食べられなくても、干し芋があるから大丈夫だ!って(笑)。

 

上田 なるほど〜。ちなみに僕の現場はどうですか? ちゃんと食事は食べられてます?

 

久保 これがですね……どんどん喉を通ってしまうんですよ(笑)。

 

上田 よかった〜。

 

久保 今回の映画でも撮影の合間に、みんなでおいしいみかんを囲みながら食べてましたよね。本当に楽しい時間でした。

 

 

 

リバー、流れないでよ

6月23日(金)より全国ロードショー

(STAFF&CAST)
原案・脚本:上田 誠
監督・編集:山口淳太
主題歌:くるり「Smile」(Victor Entertainment / SPEEDSTAR RECORDS)
出演:藤谷理子、永野宗典、角田貴志、酒井善史、諏訪 雅、石田剛太、中川晴樹、土佐和成、鳥越裕貴、早織、久保史緒里(乃木坂46/友情出演)、本上まなみ、近藤芳正

(STORY)
京都の奥座敷・貴船。そこに凛として佇む老舗料理旅館「ふじや」でミコト(藤谷)は仲居として働いていた。別館の裏には清流の貴船川が流れ、そのほとりで川をしばし見つめた後、仕事へと戻るミコト。……が、そこで妙な異変を感じる。目に映る景色や行動、それに番頭(永野)との会話に既視感を覚えたのだ。デジャブかと思いきや、その後も幾度となく繰り返される同じ風景。やがて、この旅館の周囲一帯が2分間の時間をループしていることに気づく。時間が経つと再び最初の位置に戻ってしまうものの、記憶だけは引き継がれていく……。混乱を極めた状況のなか、はたしてミコトたちはこのループ地獄から抜け出すことができるのか?

(C)ヨーロッパ企画 / トリウッド 2023

 

撮影/干川 修 取材・文/倉田モトキ ヘアメイク/宇藤梨沙 スタイリング/伊藤舞子 衣装協力/ánuans、ピッピシック、ココシュニック、エナソルーナ

森七菜&奥平大兼「この映画を通じて、七尾市の素晴らしさが届くといいな」映画『君は放課後インソムニア』

現在、アニメ版が放送されているオジロマコトの同名コミックを実写映画化した『君は放課後インソムニア』が、6月23日(金)より全国公開。劇中、不眠症に悩まされる高校生の伊咲と丸太(がんた)を演じる、森七菜さんと奥平大兼さんに、本作の魅力や石川県七尾市での撮影の思い出などを振り返ってもらいました。

 

【森 七菜さん、奥平大兼さん撮り下ろし写真】

一人の人間として七尾市に存在するよう、生きようということを意識(奥平)

──もともと、森さんが原作のファンだったという「君は放課後インソムニア」の魅力を教えてください。

 

 私は原作の嘘がないというか、ありえないことがないところに惹かれたんです。一歩踏み出せば叶いそうな夢が描かれていることも素敵でした。あと、今の仕事を始めていたこともあって、充実した学生時代を送ることができなかったので、その思いを丸太と伊咲に叶えてもらっている気分で読んでいました。

 

奥平 言葉に表すのが難しいのですが、舞台になった石川県七尾市から醸し出される空気感が素晴らしいと思いました。いい意味で、ゆったり時間が流れているところや、さまざまなキャラクターの会話がリアルなところにも惹かれました。

 

──そこを踏まえて、伊咲と丸太を自身でどう演じようと思いましたか?

 

 ファン目線は完全に捨てないとうまく演じられないと思っていました。全部主観に持っていって、丸太からの目線とかはできるだけ気にしないように演じました。

 

奥平 ゆったりした時間の感覚を大切にして演じたいと思いました。あと、原作のキャラクターはできあがっているので、できるだけ素直に演じつつ、一人の人間として七尾市に存在するよう、生きようということを意識しました。

 

森 七菜●もり・なな…2001年8月31日生まれ。大分県出身。映画『心が叫びたがってるんだ』(17)で映画初出演。2019年に公開された新海誠監督作『天気の子』、岩井俊二監督『ラストレター』(20)と立て続けに大作に抜擢され注目を浴びる。その他の出演作に、NHK 連続テレビ小説「エール」(20)、ドラマ「この恋あたためますか」(20/TBS)、映画『ライアー×ライアー』(21)、『銀河鉄道の父』(23)など。是枝裕和監督が演出・脚本を担当したNetflix シリーズ「舞妓さんちのまかないさん」が絶賛配信中。公式HPTwitter(音楽スタッフ)Instagram(スタッフ)YouTube(スタッフ)

 

素のまんまで会話していて、どこかお芝居している手応えがなかった(笑)(森)

──2年ぶりの2度目の共演となる、お2人の現場での印象は?

 

奥平 森さんは一緒にお芝居をしていて楽しい役者さんです。いい意味で、素直で、何してくるのか分からないんです。だから、それを目の当たりにする楽しみがありますね。実際アドリブも多かったんですが、それが伊咲の言葉として聞こえてくるのが、面白かったです。

 

 奥平さんはすごく自然体の方なので、私も素のまんまで会話していて、どこかお芝居している手応えがなかったんです(笑)。でも、それがこの映画にとって大事なことだったような気がしますし、私もたくさん助けられました。

 

──2人の掛け合いシーンについて、池田千尋監督の演出は?

 

 私と奥平さんがとりあえずやってみないと分からないタイプなので、まずは池田監督の前でやらせてもらって、そこから監督の要望に合わせていく感じでした。

 

奥平 そういう意味では、僕らを信用してくれているのが嬉しかったですし、僕らも池田監督を信頼してお芝居できたと思います。

 

 私のアドリブがすべらないよう、奥平さんがしっかりフォローしてくれるので、私は奥平さんのことも信頼していました。すごいいいチームワークだったと思います。

 

奥平大兼●おくだいら・だいけん…2003年9月20日生まれ。東京都出身。映画『MOTHER マザー』(20)で俳優デビュー。第44回日本アカデミー賞新人俳優賞、第94 回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞、第63回ブルーリボン賞新人賞、第30回日本映画批評家大賞新人男優賞を受賞し、一躍脚光を浴びる。その他の出演作に、映画『マイスモールランド』(22)、『ヴィレッジ』(23)、ドラマ『早朝始発の殺風景』(22/WOWOW)など。公開・配信待機作に、ディズニープラス独占配信ドラマ『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』などがある。公式HPInstagram

 

出身地・大分と似ているので、どこか懐かしくて、ホッコリしました(森)

──約1か月に及ぶ七尾市での撮影の思い出は?

 

奥平 七尾市の皆さんの温かさを感じました。七尾高校の天文台とか真脇遺跡とか、実際に原作に出てくる場所を撮影のために貸してくださり感謝しかないです。それは原作が七尾市に愛されているからこそだと思いました。朝の3時ぐらいから撮った海岸のシーンは大変でしたが、とても綺麗なシーンになりました。ただ、天候があまり良くなかったので、それはそれで大変でした(笑)。でも、そこでキャストのみんなとたくさんコミュニケーションが取れたのでよかったです。

 

 街並みの風景が私の出身地・大分と似ているので、どこか懐かしくて、ホッコリしました。お休みのときに、みんなで高校の近くまでジェラートを買いに行って食べたのも、いい思い出です。あと、自然が豊かなところにも身を委ねられました。私が大変だったのは暑さですね。天文台がサウナみたいになってしまって、汗ダラダラになりながら、顔を真っ赤して撮影していました(笑)。まだ七尾市に行ったことのない人にも、この映画を通じて、七尾市の素晴らしさが届くといいなと思います。あと、七尾高校には今、天文部がないようなので、復活してほしいです。

 

丸太として演じ切ってみて、今では伊咲推しです(笑)(奥平)

──完成した作品をご覧になって、原作を読んだときから好きなキャラは変わりましたか?

 

 奥平さんは白丸先輩でしょ? 撮影に入った頃から、ずっと「白丸先輩、かわいいよね!」と言っていたし(笑)。

 

奥平 そうやって、イジってくるんだから(笑)。確かに原作読んだときに、「白丸先輩は人間としてかわいらしい人だなぁ」と思いましたけど、丸太として演じ切ってみて、伊咲の温かさみたいなところに惹かれました。そういう意味では、今では伊咲推しです(笑)。

 

 私は原作を読んでいたときは、(丸太の幼なじみの)受川くんが好きだったんですよ。丸太ほど登場するキャラではないけれど、その立ち位置がかっこよく見えたんです。でも、伊咲を演じたことによって、不器用さも含めて、丸太の愛おしさがどんどん見えてきました。なので、具体的にいうと、伊咲と丸太のかけがえのないコンビ感が好きです。

 

──GetNavi webということでモノについてもお話ください。撮影現場に必ず持っていくモノやアイテムはありますか?

 

奥平 JBLのヘッドホンとイヤホンですね。音楽が好きなので、ちょっとでも時間があれば、1曲でも聴いていたいんです。移動中はヘッドホンとか、ヘアメイクしているときは、髪の毛が崩れないようにイヤホンとか、使い分けしています。家にあるスピーカーなど、音楽の周辺機器はすべてJBLで揃えています。ジャンル的にはUSのヒップホップが好きですね。

 

 歯ブラシとカメラです。カメラはペンタックスのMXで、買ってすぐのタイミングで、『君は放課後インソムニア』の現場にも持って行って、みんなのことをパシャパシャ撮っていました。奥平さんも現場にカメラ持ってきていたのに、風景ばかりで、ぜんぜん私たちのこと撮ってくれなかったんですよ! 私が撮った写真はSNSに発表したいと思います。

 

 

君は放課後インソムニア

6月23日(金)より全国公開

【映画「君は放課後インソムニア」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:池田千尋
原作:オジロマコト「君は放課後インソムニア」(小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中)
脚本:高橋泉、池田千尋
出演:森 七菜、奥平大兼
桜井ユキ、萩原みのり、上村海成、安斉星来、永瀬莉子、川﨑帆々花
斉藤陽一郎、田畑智子、工藤 遥、でんでん、MEGUMI、萩原聖人

(STORY)
石川県七尾市に住む高校一年生・丸太(奥平)は、不眠症のことを父親の陸(萩原聖人)に相談することもできず、孤独な日々を送っていた。そんなある日、丸太は学校で使われていない天文台の中で、偶然にも同じ悩みを持つクラスメートの伊咲(森)と出会い、その秘密を共有することになる。天文台は、不眠症に悩む二人にとっての心の平穏を保てる大切な場所となっていたが、ひょんなことから勝手に天文台を使っていたことがバレてしまう。だが天文台を諦めきれない二人は、その天文台を正式に使用するために、天文部顧問の倉敷先生(桜井)、天文部OGの白丸先輩(萩原みのり)、そしてクラスメートたちの協力のもと、休部となっている天文部の復活を決意するが……。

 

(C)オジロマコト・小学館/映画「君ソム」製作委員会

 

撮影/中村 功 取材・文/くれい響 ヘアメイク/宮本 愛(yosine.)(森)、速水昭仁(CHUUNi)(奥平) スタイリスト/山口香穂(森)、伊藤省吾(sitor)

博多大吉インタビュー−『たまむすび』のイズムを受け継ぎ始めたポッドキャストの魅力とラジオへの愛

博多大吉さんがパーソナリティを務める『大吉ポッドキャスト いったん、ここにいます!』は、今年3 月、11年の歴史に惜しまれながら幕を閉じた『たまむすび』(TBSラジオ)のイズムを受け継いだ番組だ。水曜日パートナーとして、メインパーソナリティの赤江珠緒アナと伴走した大吉さんらしく、番組は『たまむすび』のエッセンスを含みながらも、大吉さんの魅力たっぷりの内容に。5月某日、番組収録後の大吉さんに番組の経緯や想いを詳しくうかがった。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:牛島フミロウ)

 

博多大吉(はかた・だいきち)/1971年03月10日福岡県生まれ。趣味:プロレス、プロレスの知識(福岡県大会2位)、ゲーム

 

ラジオとポッドキャストは別物

──先ほど番組収録を見学させていただきました。非常にリラックスして臨まれていたように見えましたが、お気持ち的には『たまむすび』とはまた違うものですか

 

博多大吉(以下、大吉)「全然違います。ポッドキャストを始めた当初は変な感じでしたね。『たまむすび』だとリアルタイムで聴いている方がいらっしゃるので、僕とか赤江(珠緒)さんが喋っている内容についてすぐにリアクションが届くんです。Twitterだったり、卓越しのスタッフのリアクションがあるけど、ポッドキャストでは何にもない。スタッフさんも『たまむすび』の方は5、6人いたけど、ポッドキャストでは基本2人しかいないですしね。だから、内輪ネタの扱い方は“大丈夫かな”と考えながらやってますね」

 

──というのは?

 

大吉「ラジオって身内のメディアだと思ってるんです。リスナーさんは、番組の裏側のような自分たちだけがわかる話題ってお好きだと思うんです。その“内輪ネタ”のさじ加減が、リアルタイムのリアクションがないと難しくなるんだっていうのは感じますね。相変わらず勉強です」

 

――リアクションがないとやりにくさがありますか?

 

大吉「やりにくいっていうか、不安ではありましたね。NHKで『あさイチ』をやってますけど、あっちもリアルタイムで反応が来る番組なので、それに体が慣れてるんでしょうね。この番組のように少人数のスタジオで、今日録ったものを何日か後に配信するっていうのは初めてなので」

 

――逆に収録ならではのやりやすさはあったりしますか?

 

大吉「編集が入るから、失敗しても噛んでもいいっていうのは、すごく気楽ですよね。特に今日なんかは勝手知ったるメンバーなので(注※見学したのは元『たまむすび』スタッフをゲストに招いた回)もう喫茶店で喋っているような感覚でしたね。これが、あんまりお会いしたことがない方とかだと、こっちも心構えがいると思うんですけど」

 

大吉さんのラジオ愛

──このポッドキャストは、『たまむすび』の元プロデューサー、阿部さん(通称“アベコP”)からご提案があったとか?

 

大吉「そうです。“ポッドキャストをやります”ということは、アベコちゃんから言ってもらいました。『たまむすび』が終わるって発表があってからだから今年2月とか、その頃やと思います。実は、僕も頭の中でポッドキャストとかできないのかなとは思ってたんですよ」

 

──大吉さんもポッドキャストを考えてらっしゃった?

 

大吉「考えてました。だから『え、やらせてもらえるの?』みたいな感じでした」

 

――ちなみにどんなことをしたいと考えていたんですか?

 

大吉「『たまむすび』を続けたいっていうのはもちろんあったし、赤江さんの居場所を作っておくという理由もあるんですけど、僕が好きなラジオを続けたかったんです。『たまむすび』を11年間やって、ラジオって本当に楽しいなって思ったんですね。本当に多くの方がおっしゃるんですけど、 芸人ってやっぱりラジオをやりたいんですよ」

 

――確かに皆さんそうおっしゃいます。それはどういった理由なんでしょうか?

 

大吉「僕ら芸人って、エピソードトークをしたり、リスナーさんのメールとかハガキを読んで臨機応変に喋ったりする練習をまずやるんですね。ラジオ番組風に30分喋る“電波のないラジオ”を、デビューした頃にやらされます」

 

──トークスキルの練習みたいなものでしょうか?

 

大吉「そうです。会議室で(博多)華丸と2人で向き合ってやったって、面白くもなんともないですよ。でも、実際初めてラジオの仕事をいただいた時に、会議室で練習したのと全く違う面白さに気づくんです。だから僕、『ラジオは結構です』っていう芸人はあんまりいないと思うんですよね。みんな本当に喉から手が出るほど欲しい仕事はラジオだと思います」

 

──練習との一番の違いというのは何でしょうか?

 

大吉「やっぱりリスナーさんとのコミュニケーションでしょうね。単純に笑ってくれる方もいれば、こんなこともありますよっていう反対意見ももちろん来る。ちゃんとお客さんがいるっていう状況はなんでもそうですけど、その繋がりが醍醐味です」

 

──先ほどおっしゃったリアクションという点も含め、ラジオはお客さんと繋がれる魅力があるんですね。

 

大吉「ラジオがなくなるっていうのは、自分の中でもどうしたものかなと。たとえば相方の華丸は、役者という軸が漫才師以外で1個あるんですよ。僕は漫才師以外の自分自身の軸がラジオだったので、それがなくなるのはすごくしんどい。今後のことを考えたら、これは何かやっとかんと大変なことになるんじゃないかな、と思ってました。なので、このポッドキャストの話がなかったらYouTubeをやろうと思ってましたから」

 

――そういったお考えがあったんですね。

 

大吉「僕もポッドキャストを考えていたとは言っても、お話がないからには、こっちからやらせてよっていうのはちょっと違うかなと思ってたので、TBSラジオから言っていただいて良かったです」

 

――じゃあこのポッドキャストはまさに大吉さんの軸足というわけですね。

 

リスナーからの反響に驚く

――第8回で特集されていましたけど、4月12日配信の第1回で、大吉さんがリスナーに番組のBGMやテーマ曲を募集したところたくさん来すぎちゃった、ということでした。このリスナーの反応をどう感じていますか?

 

大吉「良くも悪くも予想外でしたね。こんなにみんなが食いついてくれるとは正直思ってなかったんです。博多大吉がポッドキャストを始めるんだってことで、『たまむすび』の残り香があるぞと、多少なりともお客さんは来てくれると思ったんですよ。でも、こんなにも多くのリスナーさんが来てくれるとは思いませんでした」

 

──テーマ曲の募集というのも良かったのかもしれませんね。リスナーが制作陣と一緒に番組を作り上げていく、といったワクワク感もあります。

 

大吉「そうですね。僕のひとり喋りでやることも考えたんですけど、『たまむすび』は僕一人のものじゃないので、ゲストやリスナーとうまい具合に半々でやっていこうと思ったんすよ。赤江珠緒の『たまむすび』は月から木まで4曜日あって、僕はそのうちの一つの曜日のパートナーなので、僕一人でやるっていうのはある意味おかしな話ですから」

 

――大吉さんらしいお考えだと思います。

 

大吉「『たまむすび』の雰囲気を残しつつ、赤江さんがいつか来てくれたらいいなみたいな感じで、好きなプロレスの話したりとか、お笑いの話したりとか、そういうことをやっていこうと思ってたんです。で、ほんとに軽い気持ちでテーマ曲を作ってくれませんかと話したらもうドーンと来たので……あ、これはうかうか自分の好きなノア(プロレス団体)の話とかできないぞと(笑)」

 

――リスナーの多さと熱さに驚いた、みたいな(笑)。

 

大吉「そうですね。これも、リアルタイムならノアの話をして、Twitterのハッシュタグを見れば、そんなに盛り上がってないなとか、盛り上がってるなとかが分かるんですけど、ポッドキャストだとないので、おっかなびっくり話してますね」

 

――番組開始から約2か月経ちますが、ほかに何か反応はありましたか?

 

大吉「業界内でというか、芸人さんや、スタッフさんレベルでも、“ポッドキャストやるんだね”とかはすごく言われました」

 

――第1回配信で、『たまむすび』にゆかりがある方々の出演を募集してますとおっしゃってましたけど、その後なにか動きは?

 

大吉「具体的にはないかな。みんな恥ずかしいのかな(笑)。まあ、プチ鹿島さんとかはもういつでも! っていう感じでスタンバイはしてくれてます」

 

――プチ鹿島さんが来たら、マニアックなプロレス話になりそうですねー。

 

大吉「そうなんですよ、だからまだお呼びするのは早いかなと、今は止めてます(笑)」

 

――今日の収録中にも、「まだ始まったばかりなんだからゆっくりやろう」と大吉さんがおっしゃってましたね。

 

大吉「そうなんですよ。ポッドキャストを聴いてもらっている方は物足りないと思うかもしれないですけど、“いやいや、まだ基礎工事の段階だから”と。家づくりで例えたら、赤江さんが来るのは餅まきの日。今はまだコンクリートを固めて土台を作ってるところですから、ここで手は抜けないぞって思います」

 

あのゲストはいつくる?

――『大吉ポッドキャスト』の今後について伺いたいのですが、考えている企画だったり、こんなことしてみたいなというのはありますか?

 

大吉「このポッドキャストはすごく長いスパンで考えてるんです。番組でも言いましたけど、10年後(にもう1回『たまむすび』をやる)っていうのを一応の目処にしてるんです。だから、“これから10年あるからな”っていう意識はあります。もちろんこれから1個ずつやっていこうと思ってるんですけどね」

 

――なるほど~。

 

大吉「僕が言うこっちゃないかもしれないですけど、ポッドキャストってビジネスモデルとしてまだ確立してないので、ゲストを呼ぼうとしても、予算なりスケジュールで誰かが無理をしないと作れないんです。僕がどこまで口出しできるかわかんないですけど、発起人のアベコちゃんとか、ディレクターの御舩くんと考えながら、必要とされればイベント的なものをやるのが最初になるのかなと思いますね。公開録音じゃないですけど、そういうのは僕自身がやってこなかったことなので」

 

――逆に言うと、アイデアがあればいろんなこと挑戦できそうな気もします。

 

大吉「そうなんですよね。おそらくリスナーから一番期待されてるのが、やっぱりピエール瀧さんとか、赤江さんがいつゲストに来るのかっていうことだと思うんです。それも視野に入れながら、でもそれが当たり前になると、じゃあなんで『たまむすび』が終わったんだってなりますし」

 

――確かにその通りです。

 

大吉「ポッドキャストだから、時間に自由がきくからできるっていう面もあるでしょうし、だからこそ、あんまり先にも引っ張れないとも思います。皆さんの“ゲストに来るのはいつだ”っていう気持ちを」

 

――大吉さんのポッドキャストには、『たまむすび』にゆかりがあった方が登場されるということで期待されているリスナーも多いかと思います。まぁでも焦ってやってもですね。

 

大吉「そうなんですよ、だってまだ10年ありますから」

 

――最初の1年で燃え尽きたんだなとなってもいけないですもんね。

 

大吉「だから、年内に1回は来てほしいかなと思いましたけど、メッセージだけでもいいかなとか。赤江さんも別に引退したわけじゃないし、きっとどこかのメディアには出てるでしょうから」

 

――じゃあ皆さんの登場は期待しつつちょっと首を長くして待つ、という感じですね。

 

大吉「(カンニング)竹山とか、山ちゃん(山里亮太さん)とかもね。そう、春風亭一之輔師匠はぜひって言ってくだってるみたいです」

 

――楽しみですね。著名な方や文化人のゲストも当然面白いのですが、番組スタッフさんとかへのインタビューもいいですよね。普通の人って言ったら失礼かもしれないですが、人間誰もが持ってる歴史やドラマを大吉さんが聞き出すと、ちゃんとコンテンツ化するなっていう印象があります。

 

大吉「本当ですか。そう言っていただけるのはすごく嬉しいですね。今のポッドキャストの段階では、ゲストに来た人を片っ端から私が事情聴取する(笑)っていうのをひとつの柱にしようと思ってたので。『あさイチ』で、ゲストとのプレミアムトークのコーナーはもう6年やってますからね、そこで鍛えられたのかもしれません」

 

ポッドキャストで大事にしていること

――ラジオとポットギャストでは、話す内容とかも変わったりしますか?

 

大吉「変えるのもかっこ悪いなとは思ってるんですけど、そこまで気にはしなくなりましたね。この話題どうかなとか、これを言ったら各所で問題が起こるかなとかいうのは、あまり気にせず気兼ねなく言えるようにはなりました」

 

――編集もあるし、ポッドキャストの方がラジオよりも若干緩いところがあるんでしょうか?

 

大吉「だぶんそうだと思います。たとえば、第8回で話した『THE SECOND』についても(注※取材の数日前に放送があった)、仮に今も『たまむすび』が続いていたとしたら、『THE SECOND』について一言って振られても、答えられなかったと思いますね。でも、ポッドキャストだったらいいかって感じです」

 

――大吉さんがそうやってリラックスした感じでお話しされると、ゲストの方もいろんな話をしやすいかもしれないですね。

 

大吉「はい。お互い様なんで、ゲストにもいっぱい喋ってもらって」

 

――ラジオとポットキャストで共通して大吉さんが大事にしていることは何でしょうか?

 

大吉「どちらも聴いてくれている方がいるからできてることなので、その方々をおざなりにしないことですね。だから、さじ加減が難しいんですけど、内輪ネタのラインの引き方であったりとか、『たまむすび』から続く“モヤモヤお焚き上げ”のコーナーもやってますけど、来たお便りをあんまり真面目にやっても重くて面白くなくなっちゃうんで、最終的にどこかで着地点作ったりするのを、しっかりやらないといけないなと思いますね」

 

――リスナーあってのラジオであり、ポッドキャストであると。

 

大吉「ポッドキャストだとリアルタイムな反応がないから、“こんなとこでいいか”で終わらせず、“こんなとこかな”からもう2段階ぐらい考えて喋るようにはしてるつもりです」

 

――リスナー目線を大事にされているんですね。

 

大吉「でも、あまりにもリスナーさんを重視すると、こっちがやりたいことができなくなるので、そのバランスは考えてます。それこそ“赤江さん出せ”“瀧さん出せ”って言われても、できないもんはできませんし“いや、まだです”と言うしかない。その辺はうまいことやらなければいけないと思ってます。お互いあうんの呼吸で、聞いてくれてる方とそういう関係を作れるように、頑張りたいですね」

 

――多くのリスナーが「大吉先生がやってくれて良かった」と言っているのは、そういった姿勢でいてくれるからですね。

 

「やりたいんならやればいい」

大吉「意志を継いでいくって、もう本当に余計なお世話なのはわかってましたけど、でも『たまむすび』があと1回ぐらいやってもいいんじゃないとは思ってますね。オンエアでも言いましたけど、甲本ヒロトさんがおっしゃった『やりたきゃやりゃいいじゃん』っていう言葉がすごく心に残ってて」

 

――いろんなこと考えちゃいますからね、邪魔なんじゃないかとか。

 

大吉「そうそう。でも、なんかしら場所があったほうがもう1回やりやすい。なんもなしで10年後……たとえば再来年ぐらいでもいいんですけど、『たまむすび』が復活しますとか言ったところで、そんなに機運は盛り上がるのかな、赤江さんも出てくれるのかなって。じゃあ、赤江さんに会いたければ会えばいいじゃないって思いますから、会える場所は残しておきたいですからね」

 

――ポッドキャストをやると発表された際も「赤江さんがいつでもフラッと帰って来られる場所をつくる」とおっしゃってました。

 

大吉「大切な空き地があったとして、何も手をつけなくてそこにマンションが建ってしまったとしたら、もうその場所で会えないじゃないですか。だから、この空き地にだけはポンっとポストを1個置いとこうっていう感じです」

 

――聖火じゃないけど、ずっと火をともし続けていく気概が感じられます。

 

大吉「ちゃんとそれで煮炊きもやってますんで(笑)」

 

――いろんな名番組、伝説的な番組がありますけど、そういった再建に向けてのアクションをしたという話はなかなか聞かないですよね。

 

大吉「おそらくいろんな事情で、やりたくてもやれなかったことが多かったと思うんです。今回はたまたま図々しいアベコと僕と御舩くんっていう3人がいたっていうだけだと思いますけどね」

 

――『たまむすび』が終わって心に空洞ができたまんまの「たまロス」の方も多いと思います。そんなリスナーを救ってくれた大吉さんとスタッフさんたちに感謝しないといけないですね。

 

大吉「いやいや、感謝するのは僕のほうでございます」

 

――これからも頑張ってください、配信楽しみにしています!

 

大吉「ありがとうございます!」

 

どこまでも謙虚に、言葉を選んで話してくださった大吉さん。ポッドキャスト開始時は「恩返しのつもりだったが出しゃばってしまったかな」と不安を漏らしてもいたが、リスナーから番組に届くメッセージを聴くにつけ、大吉さんの英断にエールを送りたくなる。コンテンツがすごいスピードで大量消費される時代に、作ったコンテンツを守る、意志を継いでいくっていうのは言うほど簡単ではないはずだ。

 

リスナーにも作り手にも愛されるコンテンツがどんなものかを知りたい方は、ぜひ『大吉ポッドキャスト いったん、ここにいます!』を聴いてみてはどうだろう。

 

【番組情報】

TBSラジオ『大吉ポッドキャスト いったん、ここにいます!
毎週水曜17時頃配信
Spotify、Amazon Music、Apple Musicほか、各プラットフォームで配信中!

公式Twitter

 

當真あみ「広瀬すずさんが目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています」映画『水は海に向って流れる』

6月9日(金)より公開される広瀬すずさん主演映画『水は海に向かって流れる』に出演する當真あみさん。役どころは、広瀬さん演じる榊と同じシェアハウスで暮らす同級生の直達(大西利空)に思いを寄せ、榊に対抗心を燃やす高校生の楓役だ。昨今、主人公の声の吹替を担当したアニメ『かがみの孤城』をはじめ、大河ドラマ「どうする家康」(NHK総合ほか)など出演作が相次ぐ業界注目の彼女に、初めての長編実写映画出演となる『水は海に向かって流れる』の思い出を振り返ってもらった。

 

當真あみ●とうま・あみ…2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。2020年10月にスカウトされ、2021年7月にCMデビュー。「カルピスウォーター」の14代目CMキャラクターに起用される。主な出演作にドラマ「妻、小学生になる。」「オールドルーキー」「GetReady!」『パパとなっちゃんのお弁当』、アニメ映画「かがみの孤城」(声の出演)など。今後の出演作に映画「忌怪島/きかいじま」(6月16日(金)公開)がある。Instagram

【當真あみさん撮り下ろし写真】

楓を演じるときは、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるように

──今回演じられた楓は、前田哲監督との面接で決まったそうですが、監督とはどのようなお話をされたのですか?

 

當真 おととしの夏、まだ中学3年生だった時に、東京で初めて前田監督とお会いするということで、すごく緊張していました。そのときは、かしこまった話というよりは学校の話など、雑談をしていたのを覚えています。あと、前田監督からは「芯が強そうに見える」と言われたんですが、そこが楓ちゃんと似ていたというのは、後になって知りました。

 

──初めての長編実写映画出演が決まったときの感想は? また、本作が初めての本格的な演技だとのことですが、いかがでしたか?

 

當真 すごく嬉しかったです。それと同じくらい「自分は本当にお芝居ができるんだろうか?」という不安な気持ちがありました。だから、原作マンガをしっかり読みました。あと、撮影が始まる前に、前田監督が大西(利空)くんと一緒に読み合わせしたり、役について考えたり、リハーサルしたりする場を与えてくれたので、そこでも一生懸命頑張りました。

 

──當真さんは、楓がどのような女の子だと思いましたか?

 

當真 私の中では、楓ちゃんは素直で強い女の子だなと思いました。それで自分の気持ちに真っすぐなので、榊さん(広瀬すず)や直達くん(大西利空)にちゃんと伝えられるし、すぐに行動に移せる。どちらかと言えば、私はアニメ『かがみの孤城』で演じたこころちゃんに近くて、ちょっと内気な性格なので、うらやましいです。演じるときも、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるようにしました。

 

よく見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました

──楓は陸上部部員という設定で、當真さんはドラマ「オールドルーキー」ではフェンシング選手を演じられました。運動は得意ですか?

 

當真 運動はすごく得意なわけではないですが、苦手な方でもないです。楓ちゃんは陸上部の設定なので、フォームや走り方を習って練習しました。ただ、本番では走るのに集中しすぎてしまって……。ちゃんとできていたかどうか、完成した映画を観るまで不安でした。

 

──撮影現場の印象はいかがでしたか?

 

當真 初めて本格的な演技ということ以外にも、よくTVや映画で見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました。そのため、休憩時間は皆さんのお話を聞いていることが多かったです。雑談や日常の会話をされていて、とても和やかな雰囲気でした。私は大西くんと同じシーンが多いですし、同い年なので、お互いの学校の話など、リラックスして、一番多く話したと思います。

 

──広瀬さんや高良健吾さんらが集うシェアハウスでのエピソードを教えてください。

 

當真 映画の中で榊さんが作ってくれる手料理を、私は食べられなかったんです。あとで「おいしかった」というお話を聞いたので、私も近くで見たかったし、ポテトサラダとか食べたかったです(笑)。あと、自分の出番がない長めの空き時間には、シェアハウスの二階で、映画に出てくる猫のムーちゃんと一緒に、ねこじゃらしで遊んでいました。普段ペットを飼っていないので、とても楽しかったです。

 

素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかった

──大変だったシーンを教えてください。

 

當真 素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかったです。「とにかく、やりきらなきゃ!」とう気持ちもありましたし、特に榊さんとのシーンは何回も何回もテイクを重ねました。榊さんと楓ちゃんの設定上、私の方から広瀬さんにぶつかりにいかないといけないので、緊張と怖さ、もどかしさでいっぱいでした。でも、前田監督も広瀬さんも、目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています。

 

──改めて、當真さんにとって、どのような現場だったと思いますか?

 

當真 スタッフさんもキャストさんも気軽に声をかけてくださったり、場を和ませてくれたり、温かくて和気あいあいとした現場だったと思います。そのおかげで、撮影後半にいくにつれて、リラックスして演技できました。私は楓ちゃんと性格が逆なので、今までやったことのない経験ができましたし、普段の生活の中でも「しっかりしないと!」と意識してみたり、いろいろと勉強なりました。

 

その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しい

──本作後に撮影された『忌怪島/きかいじま』も間もなく公開されます。

 

當真 『水は海に向かって流れる』の後に、ドラマの現場も経験して『忌怪島』の現場に入ったので、少しは緊張が解けているような気がしました。ホラー映画なので、ほかの作品と雰囲気がぜんぜん違いますし、私の中では「叫ぶ」イメージがあったので、ほかのホラー作品を観て、女優さんの叫ぶ表情とかタイミングを研究しました。

 

──現在、亀姫役で大河ドラマ「どうする家康」に出演されるなど、多忙な日々を送られていると思います。周囲の反応・反響はいかがですか?

 

當真 毎日が大変とか忙しいというよりは、自分にはない要素を持った役を演じるときの難しさに気づかされています。でも、その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しいです。家族や友だちから頻繁に連絡が来ることで、「みんな見てくれているんだなぁ」って実感しています。あとは、たまにSNSで自分のアカウントに来るメッセージとか読むことで、「嬉しいなぁ」と思っています。

 

──今後の目標や展望について教えてください。

 

當真 今、活躍されている俳優さんの多くが経験されている学園ドラマに出演したいです。あとは、高校を卒業してからになると思いますが、将来的に例えば『ハケンアニメ』のような、いろんなお仕事をしている役に憧れがあります。

 

──現場に必ず持っていくモノやアイテムを教えてください。

 

當真 あまり意識していないのですが、大きいバッグとは別に、お仕事のときは台本とお水だけを入れるためのトートバックを持っていきます。今使っているのは、『忌怪島』の撮影で奄美大島に行ったとき、お休みの日に自分で泥染めをして作ったものです。あと、お仕事以外でもなんですが、モバイルバッテリーはないと安心できないみたいで、ときどき大きなカバンの方に2つ入っていることもあるんです(笑)。

 

 

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

水は海に向かって流れる

6月9日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

【映画「水は海に向って流れる」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:前田 哲
原作:田島列島「水は海に向かって流れる」(講談社「少年マガジン KCDX」刊)
脚本:大島里美
主題歌:スピッツ「ときめきPart1」(Polydor Records)
出演:広瀬すず
大西利空、高良健吾、戸塚純貴、當真あみ/勝村政信
北村有起哉、坂井真紀、生瀬勝久

(STORY)
通学のため、叔父・茂道(高良)の家に居候することになった高校生の直達(大西)。だが、どしゃぶりの雨の中、最寄りの駅に迎えにきたのは見知らぬ大人の女性、榊 (広瀬)だった。案内されたのはまさかのシェアハウス。いつも不機嫌そうにしているが、気まぐれにおいしいご飯を振る舞う26 歳の OL ・榊をはじめ、脱サラしたマンガ家の茂道(通称:ニゲミチ先生)、女装の占い師・泉谷(戸塚)、海外を放浪する大学教授・成瀬(生瀬)と、いずれも曲者揃い、さらには、拾った猫ミスタームーンライト(愛称:ムー)をきっかけにシェアハウスを訪れるようになった直達の同級生で泉谷の妹・楓(當真)も混ざり、想定外の共同生活が始まっていく。そして、日々を淡々と過ごす榊に淡い想いを抱き始める直達だったが、「恋愛はしない」と宣言する彼女との間には、過去に思いも寄らぬ因縁が……。榊が恋愛を止めてしまった《本当の理由》とは……?

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

當真あみ「広瀬すずさんが目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています」映画『水は海に向って流れる』

6月9日(金)より公開される広瀬すずさん主演映画『水は海に向かって流れる』に出演する當真あみさん。役どころは、広瀬さん演じる榊と同じシェアハウスで暮らす同級生の直達(大西利空)に思いを寄せ、榊に対抗心を燃やす高校生の楓役だ。昨今、主人公の声の吹替を担当したアニメ『かがみの孤城』をはじめ、大河ドラマ「どうする家康」(NHK総合ほか)など出演作が相次ぐ業界注目の彼女に、初めての長編実写映画出演となる『水は海に向かって流れる』の思い出を振り返ってもらった。

 

當真あみ●とうま・あみ…2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。2020年10月にスカウトされ、2021年7月にCMデビュー。「カルピスウォーター」の14代目CMキャラクターに起用される。主な出演作にドラマ「妻、小学生になる。」「オールドルーキー」「GetReady!」『パパとなっちゃんのお弁当』、アニメ映画「かがみの孤城」(声の出演)など。今後の出演作に映画「忌怪島/きかいじま」(6月16日(金)公開)がある。Instagram

【當真あみさん撮り下ろし写真】

楓を演じるときは、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるように

──今回演じられた楓は、前田哲監督との面接で決まったそうですが、監督とはどのようなお話をされたのですか?

 

當真 おととしの夏、まだ中学3年生だった時に、東京で初めて前田監督とお会いするということで、すごく緊張していました。そのときは、かしこまった話というよりは学校の話など、雑談をしていたのを覚えています。あと、前田監督からは「芯が強そうに見える」と言われたんですが、そこが楓ちゃんと似ていたというのは、後になって知りました。

 

──初めての長編実写映画出演が決まったときの感想は? また、本作が初めての本格的な演技だとのことですが、いかがでしたか?

 

當真 すごく嬉しかったです。それと同じくらい「自分は本当にお芝居ができるんだろうか?」という不安な気持ちがありました。だから、原作マンガをしっかり読みました。あと、撮影が始まる前に、前田監督が大西(利空)くんと一緒に読み合わせしたり、役について考えたり、リハーサルしたりする場を与えてくれたので、そこでも一生懸命頑張りました。

 

──當真さんは、楓がどのような女の子だと思いましたか?

 

當真 私の中では、楓ちゃんは素直で強い女の子だなと思いました。それで自分の気持ちに真っすぐなので、榊さん(広瀬すず)や直達くん(大西利空)にちゃんと伝えられるし、すぐに行動に移せる。どちらかと言えば、私はアニメ『かがみの孤城』で演じたこころちゃんに近くて、ちょっと内気な性格なので、うらやましいです。演じるときも、普段の自分とは違うことを意識して、スイッチを入れるようにしました。

 

よく見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました

──楓は陸上部部員という設定で、當真さんはドラマ「オールドルーキー」ではフェンシング選手を演じられました。運動は得意ですか?

 

當真 運動はすごく得意なわけではないですが、苦手な方でもないです。楓ちゃんは陸上部の設定なので、フォームや走り方を習って練習しました。ただ、本番では走るのに集中しすぎてしまって……。ちゃんとできていたかどうか、完成した映画を観るまで不安でした。

 

──撮影現場の印象はいかがでしたか?

 

當真 初めて本格的な演技ということ以外にも、よくTVや映画で見ていた俳優さんたちが目の前にいるということで、ずっと緊張していました。そのため、休憩時間は皆さんのお話を聞いていることが多かったです。雑談や日常の会話をされていて、とても和やかな雰囲気でした。私は大西くんと同じシーンが多いですし、同い年なので、お互いの学校の話など、リラックスして、一番多く話したと思います。

 

──広瀬さんや高良健吾さんらが集うシェアハウスでのエピソードを教えてください。

 

當真 映画の中で榊さんが作ってくれる手料理を、私は食べられなかったんです。あとで「おいしかった」というお話を聞いたので、私も近くで見たかったし、ポテトサラダとか食べたかったです(笑)。あと、自分の出番がない長めの空き時間には、シェアハウスの二階で、映画に出てくる猫のムーちゃんと一緒に、ねこじゃらしで遊んでいました。普段ペットを飼っていないので、とても楽しかったです。

 

素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかった

──大変だったシーンを教えてください。

 

當真 素直に気持ちをぶつけるシーンは難しかったです。「とにかく、やりきらなきゃ!」とう気持ちもありましたし、特に榊さんとのシーンは何回も何回もテイクを重ねました。榊さんと楓ちゃんの設定上、私の方から広瀬さんにぶつかりにいかないといけないので、緊張と怖さ、もどかしさでいっぱいでした。でも、前田監督も広瀬さんも、目の前でずっと私のお芝居に付き合ってくださって、とても感謝しています。

 

──改めて、當真さんにとって、どのような現場だったと思いますか?

 

當真 スタッフさんもキャストさんも気軽に声をかけてくださったり、場を和ませてくれたり、温かくて和気あいあいとした現場だったと思います。そのおかげで、撮影後半にいくにつれて、リラックスして演技できました。私は楓ちゃんと性格が逆なので、今までやったことのない経験ができましたし、普段の生活の中でも「しっかりしないと!」と意識してみたり、いろいろと勉強なりました。

 

その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しい

──本作後に撮影された『忌怪島/きかいじま』も間もなく公開されます。

 

當真 『水は海に向かって流れる』の後に、ドラマの現場も経験して『忌怪島』の現場に入ったので、少しは緊張が解けているような気がしました。ホラー映画なので、ほかの作品と雰囲気がぜんぜん違いますし、私の中では「叫ぶ」イメージがあったので、ほかのホラー作品を観て、女優さんの叫ぶ表情とかタイミングを研究しました。

 

──現在、亀姫役で大河ドラマ「どうする家康」に出演されるなど、多忙な日々を送られていると思います。周囲の反応・反響はいかがですか?

 

當真 毎日が大変とか忙しいというよりは、自分にはない要素を持った役を演じるときの難しさに気づかされています。でも、その役を通してでしか経験できないこと、その役をやるからこそできることに気づけて楽しいです。家族や友だちから頻繁に連絡が来ることで、「みんな見てくれているんだなぁ」って実感しています。あとは、たまにSNSで自分のアカウントに来るメッセージとか読むことで、「嬉しいなぁ」と思っています。

 

──今後の目標や展望について教えてください。

 

當真 今、活躍されている俳優さんの多くが経験されている学園ドラマに出演したいです。あとは、高校を卒業してからになると思いますが、将来的に例えば『ハケンアニメ』のような、いろんなお仕事をしている役に憧れがあります。

 

──現場に必ず持っていくモノやアイテムを教えてください。

 

當真 あまり意識していないのですが、大きいバッグとは別に、お仕事のときは台本とお水だけを入れるためのトートバックを持っていきます。今使っているのは、『忌怪島』の撮影で奄美大島に行ったとき、お休みの日に自分で泥染めをして作ったものです。あと、お仕事以外でもなんですが、モバイルバッテリーはないと安心できないみたいで、ときどき大きなカバンの方に2つ入っていることもあるんです(笑)。

 

 

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

水は海に向かって流れる

6月9日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

【映画「水は海に向って流れる」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:前田 哲
原作:田島列島「水は海に向かって流れる」(講談社「少年マガジン KCDX」刊)
脚本:大島里美
主題歌:スピッツ「ときめきPart1」(Polydor Records)
出演:広瀬すず
大西利空、高良健吾、戸塚純貴、當真あみ/勝村政信
北村有起哉、坂井真紀、生瀬勝久

(STORY)
通学のため、叔父・茂道(高良)の家に居候することになった高校生の直達(大西)。だが、どしゃぶりの雨の中、最寄りの駅に迎えにきたのは見知らぬ大人の女性、榊 (広瀬)だった。案内されたのはまさかのシェアハウス。いつも不機嫌そうにしているが、気まぐれにおいしいご飯を振る舞う26 歳の OL ・榊をはじめ、脱サラしたマンガ家の茂道(通称:ニゲミチ先生)、女装の占い師・泉谷(戸塚)、海外を放浪する大学教授・成瀬(生瀬)と、いずれも曲者揃い、さらには、拾った猫ミスタームーンライト(愛称:ムー)をきっかけにシェアハウスを訪れるようになった直達の同級生で泉谷の妹・楓(當真)も混ざり、想定外の共同生活が始まっていく。そして、日々を淡々と過ごす榊に淡い想いを抱き始める直達だったが、「恋愛はしない」と宣言する彼女との間には、過去に思いも寄らぬ因縁が……。榊が恋愛を止めてしまった《本当の理由》とは……?

(C)2023 映画「水は海に向かって流れる」製作委員会(C)田島列島/講談社

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

光石研「60歳を過ぎて、デビュー当時の楽しさを取り戻せるんじゃないかなという感じがしています」主演映画「逃げきれた夢」

日本を代表する名バイプレイヤー・光石 研さんの12年ぶりとなる主演作『逃げきれた夢』が6月9日(金)から公開される。本作は光石さんをモチーフにして書かれた脚本で、光石さんは人間味溢れる定時制高校の教頭・周平役を演じています。光石さんの故郷・北九州で撮影された最新作についてはもちろん、16歳からの役者人生についても振り返っていただきました。

 

光石 研●みついし・けん…1961年9月26日生まれ、福岡県出身。高校在学中に『博多っ子純情』(78)のオーディションを受け、主役に抜擢される。以後、冷徹なヤクザから良き父親役まで様々な役柄を演じ、映画やドラマ界では欠かせない存在として活躍。近年の映画出演作は『青くて痛くて脆い』『喜劇 愛妻物語』(20)、『バイプレーヤーズ~もしも100 人の名脇役が映画を作ったら~』『浜の朝日の嘘つきどもと』『由宇子の天秤』『マイ・ダディ』(21)、『おそ松さん』『やがて海へと届く』『メタモルフォーゼの縁側』『異動辞令は音楽隊!』(22)など。現在は『波紋』が公開中。公式HPInstagram

【光石 研さん撮り下ろし写真】

舞台は僕が生まれ育った北九州の八幡、なかなかくすぐったい感じ

──多くの主演作のオファーが殺到するなか、なぜ12年ぶりのタイミングだったのでしょうか? 今回、光石さんを当て書きした二ノ宮隆太郎監督の作品の魅力も教えてください。

 

光石 僕を主演に映画を撮りたいなんて言ってくれる監督、全くいないですよ(笑)。ホントたまたま12年ぶりに珍しい監督が現れただけです(笑)。二ノ宮監督は同じ事務所なんですが、役者としても何度か共演していてとても好感を持っていました。二ノ宮監督が作る映画に関しては、普段の生活と地続きな感じがしていて、何でもできるスーパーマンみたいな登場人物も出てこない。市井の人たちの数日間を切り取っているような作風が好きでしたね。

 

──脚本を読んだときの率直な感想は?

 

光石 二ノ宮監督が僕のことをモチーフに書いた脚本ということは知っていましたが、台本をいただいて読んだときは、僕が演じる周平の職業こそ違いますが、モロに等身大だったんです。舞台は僕が生まれ育った北九州の八幡(西区)ですし、なかなかくすぐったい感じがしました。

 

全く変わらず、どこの現場にも同じスタンスというか同じ姿勢

──二ノ宮監督の演出による故郷での撮影エピソードを教えてください。

 

光石 撮影中も、八幡という街が僕のことをすべて見透かしているようで、終始気恥ずかしかったです。ただ具体的には言えませんが、どこか後押しだったり、手助けしてくれる磁場みたいなものも感じました。これまで二ノ宮監督は、手持ちカメラで被写体を延々と追うスタイルだったようですが、今回は同じ長回しでも、前もってカット割をしていて、カメラも三脚に乗せて固定して撮ることをやっていたので、とても仕上がりが楽しみでした。

 

──今回は座長として、現場に入るときの心境の違いはありましたか?

 

光石 僕は全く変わらず、どこの現場にも同じスタンスというか同じ姿勢で行っています。今回は街角にいるような男性に焦点を当てた作品ですし、僕自身もそういう男性を演じる役者だと思っているので、いつもと変わらず。座長という意識はないですが、僕の故郷でスタッフみんなと泊まって撮影したので、差し入れを多めにしました。さすがに「あの町はよくなかった……」と言われたくはなかったので(笑)。

 

──周平の旧友役である松重 豊さんとの共演はいかがでしたか?

 

光石 松重さんとは気心が知れていますから、台本について相談するわけでもなく、「僕がこうするから、こうしてほしい」と言うわけでもなく、余計なことを気にせず、やれましたね。松重さんの芝居をちゃんと見ていれば、2人でキャッチボールというか、かっこよく言えば、セッションできると思っていましたから。お互いの手の内を知っている者同士ですし、普段の顔も知っていますし、やっぱり楽しかったですね。二ノ宮監督もカットをかけず、ずっとカメラが回っていました。

 

俳優にとって自然に歩く芝居って難しいんです

──「カンヌ国際映画祭 ACID部門」正式出品も決まりました。完成した本作を観たときの感想は?

 

光石 自分の老いの問題だけじゃなく、家庭の問題だったり、親の介護の問題だったり、60歳過ぎて、迫りくるいろんな問題が描かれているので、台本を読んで分かっていながらも一本の作品として観たときは、どこか身につまされる思いがしましたね。あとは自分が出ているので、職業的に「このシーンはこうすれば良かった」とか反省しちゃいましたね。いつまで経っても、冷静には観られないですね(笑)。

 

──思い入れのあるシーンは?

 

光石 自分のことをあれこれ言うのはなんだか恥ずかしいですが、今回歩道や校庭で歩くシーンがとても多かったんですが、俳優にとって自然に歩く芝居って難しいんですよ。どうしても目的を持っているように見せたり、そのときの感情を出そうとしたり、その後のシーンの前振りにしようとか思ってしまうんです。だから、そこを注意しながら自然に歩きました。それが巧くできたかどうかはよく分からないんですけれど(笑)。

 

転機となった作品は判を押すように言いますけれどやっぱり『Helpless』

──もしも上京せずに八幡に残っていたらどのような生活を送っていたと思われますか?

 

光石 僕は16歳のときに、たまたま『博多っ子純情』(1978年)という作品のオーディションを受けて映画の現場を知って、この世界に入ろうと思ったものですから、夢を見る前なんですよね。だから時々、「あのオーディションを受けなかったら、何やっていたんだろう?」と考えることがあるんですが……。なんか、怖いですよね。怪しい商売に手を染めるような、ろくでもない奴になったかもしれないし……(笑)。ただ、勉強は苦手だったので、周平のように高校の教頭先生にはなっていなかったと思います。

 

──そんななか、自身の転機となった作品を教えてください。

 

光石 判を押すように言いますけれど、やっぱり『Helpless』(1996年)。僕が34、35歳ぐらいだったんですが、その前から岩井俊二監督が「GHOST SOUP」や「FRIED DRAGON FISH」などの深夜ドラマで使ってくださって、「若い監督がいっぱい出てきて、時代が変わってきたな」と思っていました。そんななかで、決定打だったのが『Helpless』で、青山真治監督が今までやったことのないヤクザ役を僕に振ってくれたのが大きかったと思います。

 

──妻や娘から相手にされない父親を演じた『逃げきれた夢』のほか、現在公開中の映画『波紋』では家出する父親を、放送中のドラマ「だが、情熱はある」でも職を転々とする父親を演じられています。同じダメな父役でも、どのように演じ分けされているのですか?

 

光石 僕の中では「今回はこうやってやろう」とか、手を変え、品を変えてやっているつもりはないんですよ。ヘアメイクさんがやってくれる髪形だったり、衣装さんが選んでくれる服だったり、そういうところに手助けされて、何となく違う雰囲気に見えるんじゃないですかね。みんなと現場で作っていったら、そうなっちゃったみたいな感じです。まぁ、台本にもなんとなくヒントが書かれていますし。そもそも僕、役作りということが苦手というか、うまく説明できないんですよ(笑)。

 

とにかく清潔感があるもの、あとは目立たないものが一番

──芸歴45年を迎える光石さんにとっての原動力は?

 

光石 大人たちに交じって撮影現場にいて、監督から「走れ!」「笑え!」と言われることが楽しかったデビュー作のときの感覚や気持ちを今も楽しみたいと思っているから、この仕事を続けられていると思うんですよ。でもプロになると、なかなかそれができなくて……。20代から30代、40代となかなか厳しい時代もありましたが、60歳を過ぎて、ますますその思いが強くなったというか、当時の楽しさを取り戻せるんじゃないかなという感じがしていますね。

 

──GetNavi webということでここからはモノやコトについてお話させてください。昨年、エッセー本「SOUNDTRACK」を上梓されました。そのなかでもファッションについていろいろとお話されていますが、光石さんのこだわりを教えてください。

 

光石 年齢が年齢なんで、とにかく清潔感があるもの、あとは目立たないものが一番だと思っています。十代の頃から、「MEN’S CLUB」「POPEYE」的なトラディショナルなもの、アイビー的なものが刷り込まれていますから。いろいろ寄り道もしましたが、結局そこに戻っているような気がします。ここ数年、気に入っているブランドは「Engineered Garments」。新作をInstagramでチェックして、電話で取り置きしてもらっています(笑)。

 

──必ず現場に持っていくモノや長く愛用されているモノなどを教えてください。

 

光石 現場に必ず持っていくのは、ポンと置ける間口の大きいトートバッグ。ブランド的には「L.L.Bean」だったり、「TEMBEA」だったり、「Engineered Garments」だったり、荷物の大きさによって、いくつか使い分けています。すぐ取り出せて、ちゃんと置けるのがいいですね。あとは長く愛用しているとなると、「PARKER」と「Tiffany & Co.」のダブルネームによる万年筆。これは35年ぐらい前にニューヨークで買ったものですが、かなりマメに使っています。

↑光石さん愛用の万年筆

 

 

逃げきれた夢

6月9日(金)より東京・新宿武蔵野館、シアター・イメージフォーラムほか全国ロードショー

【映画「逃げきれた夢」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督・脚本/二ノ宮隆太郎
出演:光石 研
吉本実憂、工藤 遥、杏花、岡本 麗、光石禎弘
坂井真紀、松重 豊

(STORY)
北九州で定時制高校の教頭を務める周平(光石)は、定年を前にして記憶が薄れていく症状に見舞われ、途方に暮れるとともにこれまでの人生を振り返っていた。そんな周平に、息子と同じ症状が既に進行している父は、何の反応も見せない。ある日、これまでの人間関係を見つめ直そうと決意した周平は、家族や元教え子、生徒たちに積極的にコミュニケーションを取ろうとするが……。

(C)2002『逃げきれた夢』フィルムパートナーズ

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/下山さつき スタイリング/大島千穂 衣装協力/ブルック ブラザーズ、SCYE BASICS(英)、パラブーツ 青山店

AKB48・下尾みう「“ザ・ラブコメ”みたいな亜美と隼人の出会いは演じていてうらやましかったです」映画『美男ペコパンと悪魔』公開

ヴィクトル・ユーゴーによる幻想小説を、現代の東京と中世ヨーロッパの世界を交えながら描いたダーク・ファンタジー『美男ペコパンと悪魔』が、6月2日(金)より公開。劇中ヒロイン・ボールドゥールと亜美の二役を演じた下尾みうさんが、AKB48とは異なる女優としての活動や撮影エピソードについて語ってくれました。

 

下尾みう●したお・みう…2001年4月3日生まれ。山口県出身。AKB48のチーム4メンバー。2014年「AKB48 Team 8 全国一斉オーディション」に山口県代表として合格し、同年劇場公演デビュー。2018年には日韓合同オーディション番組『PRODUCE48』に参加。54thシングルで選抜メンバーに初めて選出され、2022年10月5度目の選抜入りとなった60th「久しぶりのリップグロス」 をリリース。舞台をはじめテレビなど多数出演。舞台における演技経験はあるが、長編映画への出演は本作が初。AKB48公式HPTwitterInstagram

【下尾みうさん撮り下ろし写真】

原作を読み込んで、あとはボールドゥールの趣味である糸車をひたすら練習

──今回、初の長編映画のヒロインに抜擢されて、率直な感想は?

 

下尾 今回はオーディションではありませんでしたが、いろんな方がいる中で私を選んでいただいたので、「まさか、私がヒロインを演じることになるなんて!」という驚きの気持ちでいっぱいでした。しかも、ヴィクトル・ユーゴーさんが原作のダーク・ファンタジーの実写化なので「どうやって演じたらいいの?」という戸惑いもあり、さらに現代パートもあるので「どう演じ分けたらいいの?」という不安もありました。

 

──中世のヨーロッパの城主の娘であるボールドゥールの役作りは?

 

下尾 お姫様ですからね(笑)。まずは原作を読み込んで、あとはボールドゥールの趣味である糸車のひたすら練習しました。ピアノを弾いたり、ドラムを叩くように手と足で違う動きをするので、身体に馴染ませることによって、「こうやって時間を潰すことで、世界中を旅するペコパンを待ち続けていたのかな」と思えるようになりました。

 

──一方の亜美は現代の高校生。こちらは等身大の下尾さんで演じられたのでは?

 

下尾 一年前に撮影したのですが、高校生の記憶はまだまだありますから、特に役作りみたいなものはしませんでした。強いて言えば、亜美は読書家の設定なので、私も本を持ち歩くようにして、仕事の合間に読むように心がけていました。私も本を読むのは好きなのですが、基本的に家でじっくり読む派なので。そのときに持ち歩いていたのは、住野よるさんの「また、同じ夢を見ていた」です。

 

実はボールドゥールに関しては、ほとんどメイクをしていないんです

──舞台経験が豊富な下尾さんですが、映像でのお芝居はいかがですか?

 

下尾 舞台と映像では、目や手の動きなどの表現方法や声の大きさなどがまったく違うので、とても緊張しました。できるだけ動作を小さく収めたり、リアルに見せたりすることに慣れなくて大変でした。

 

──中世パートでの撮影エピソードを教えてください。

 

下尾 実はボールドゥールに関しては、ほとんどメイクをしていないんです。AKB48に入ってこの仕事を始めてから十年近く、「人前ではメイクするもの」と思っていたので、ドキドキしながら演じていました(笑)。しかも、それが今回ポスターになっていて、「大丈夫かなぁ?」と思っています。映画版公開に先駆けて3月にやった朗読劇では、ヘアメイクやつけまつげまで、メイクモリモリでしたから、それを見てくださった方が映画版を観たら、きっと驚かれると思います。

──また、現代パートでの撮影エピソードを教えてください。

 

下尾 ボールドゥールよりも亜美の方が大変だったかもしれません。撮影初日に、意識不明になった隼人(阿久津仁愛)を見守る病院でのシーンを全部撮らなければいけなくて、泣くお芝居を何回もしたんです。一度だけ、すごくスイッチが入ってボロボロに号泣できたのですが、そのときは顔を下に向けてしまったんです。そのため、完成した作品では顔がしっかり見えているテイクが使われることになって、悔しい思いをしました。とてもいい教訓になりました。

 

──初挑戦された特殊メイクはいかがでしたか?

 

下尾 別日に顔の型取りがあった後、撮影当日は朝早く入って、全部で3時間ちょっとかかりました。それを2日間やりました。最初は「眠っちゃうかも?」と思っていたのですが、緊張感もあって、ずっとドキドキしていました。演技をするときも、神経を尖らせていたと思います。CG合成のシーンでいえば、池の水面に顔が映るシーンだけ合成だったのですが、私もペコパン(阿久津仁愛=2役)みたいにCGのクリーチャーと格闘したかったです。

 

私も旅に出たペコパンの帰りをずっと待てるぐらいの恋をしてみたい

──完成した作品を観たときの感想は?

 

下尾 私は戦っていないのですが、CGを使ったリアルなアクションシーンは見どころだと思いました。クリーチャーがペコパンの目の前に存在しているように見えましたから。あとは、現代パートで隼人と一緒に登下校したり、デートしたりと、私が学生時代に体験できなかったシーンを見たことで、改めてキュンキュンしました。私も旅に出たペコパンの帰りをずっと待てるぐらいの恋をしてみたいと思いました。

 

──長編映画でヒロインを演じられた本作を経て、新たな女優としての目標は?

 

下尾 今後は映像のお仕事をもっとやっていきたいですし、1テイク1テイク、納得いく演技ができる女優さんになりたいと思いました。憧れの人は、ずっと長澤まさみさん。シリアスもコメディもなんでもできるし、きれいな部分だけでなく、いろんな面を見せられる人って素敵だなぁと思うんです。

 

──ちなみに下尾さんといえば、日韓合同オーディション番組『PRODUCE48』に出演以降、韓国やタイなど海外のファンも急増したかと思います。

 

下尾 コロナ禍での行動制限も解除されて、毎週のように韓国から劇場公演やイベントに来てくださるファンの方もいます。あと、今年の誕生日にはタイのファンの方が私の顔がプリントされたトゥクトゥク(三輪タクシー)を走らせてくれたり、韓国のファンの方が新大久保の電光掲示板のスクリーンにメッセージを流してくれたり、いろんなところでお祝いしてもらえたことが嬉しいですね。

──また、YouTube「なるたおちゃんねる」では、「ワンピース」好きで知られる倉野尾成美さんとコンビを組まれています。

 

下尾 「ワンピース」はもちろん勧められました。でも、なるさんとは同じマンガ好きでも、好きなジャンルが違うんです。なるさんは少年マンガ系で、私は少女マンガ系。だから、“ザ・ラブコメ”みたいな亜美と隼人の出会いは演じていてうらやましかったですし、たまりませんでした(笑)。

 

──必ず現場に持っていくモノやアイテムを教えてください。

 

下尾 二十歳になったときに、初めて自分で買ったCELINEの財布です。ちょっと高価なものなので、一年間じっくり考えて、自分の中で「お仕事をもっと頑張る!」と決めて買いました。デザインも面白いですし、カードもいっぱい入ります。その後に、『美男ペコパンと悪魔』の話も決まりましたし、「根も葉もRumor」でAKB48の選抜にも選ばれましたし、嬉しいことが続いて、いろいろと頑張ることができたので、今では買って良かったと思っています。

↑下尾さんが愛用しているCELINEのお財布

 

 

(C)2023映画「美男ペコパンと悪魔」製作委員会(ヴィクトル=マリー・ユーゴー著)

美男ペコパンと悪魔

6月2日(金)よりシネ・リーブル池袋、シネ・リーブル梅田ほか全国順次公開

【「美男ペコパンと悪魔」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
企画・製作総指揮:堀江圭馬 監督・脚本:松田圭太
原作:ヴィクトル=マリー・ユーゴー「美男ペコパンと悪魔」 (翻訳:井上裕子)
クリーチャーデザイン:SAZEN LEE、米山啓介、ムラマツアユミ

出演:阿久津仁愛、下尾みう
岡崎二朗、堀田眞三/吉田メタル

(STORY)
現代の東京。交際中の高校生・隼人(阿久津)と亜美(下尾)はある日、些細な事でけんかをしてしまう。別れた後に隼人は交通事故に遭い昏睡状態に陥る。自分を激しく責めながら憔悴する亜美は、ふと隼人の鞄に入っていたヴィクトル・ユーゴー著の『美男ペコパンと悪魔』を手に取り、隼人が眠るベッドの傍らで読み始め……。

公式WEBサイト: is-field.com/pecopin/index.html
公式Twitter: @pecopin_movie
フィギュア特設WEBサイト:is-field.com/pecopin/figure.html

(C)2023映画「美男ペコパンと悪魔」製作委員会(ヴィクトル=マリー・ユーゴー著)

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/伊藤里香

新たな「ドロップ」が始まる! 品川ヒロシ監督×細田佳央太「映画版とは全く別モノの“第3話”から見るのもアリかと思います(笑)」

品川ヒロシさんが自らの青春時代をベースに綴った小説「ドロップ」を、2009年の映画化に続いて、自身でWOWOWドラマ化。今回、主人公の信濃川ヒロシ役を演じるのは、ドラマ『ドラゴン桜』や大河ドラマ『どうする家康』などでも注目の若手実力派・細田佳央太さん。「リメイクではなくリブート」にこだわった品川監督の思い、初ヤンキー&初アクションに挑んだ細田さんの現場エピソードなどについて語ってもらいました。

 

【細田佳央太さん、品川ヒロシ監督撮り下ろし写真】

 

「やったことないから、やってみないと分からない」という気持ち(細田)

──ご自身の分身といえるヒロシ役に、品川監督が細田さんを起用された理由は?

 

品川 表情の作り方やしぐさなどが面白くもあり、しっかり男前な部分もある。それに長ゼリフで大立ち回りするシーンが多いので、演技力がしっかりした人じゃなければならない。それも含めて、実力派である細田くんを選ばせてもらいました。それで決まった後に、『ドラゴン桜』を見たんですが、「すごい俳優さんだなぁ」と改めて思いました。

 

──これまで演じてきた役のイメージからは程遠いヤンキーを演じることについて、細田さんはいかがでしたか?

 

細田 映画版が既にあって、今度はドラマ版を自分が演じるというプレッシャーはなかったんですが、自分がヤンキーを演じるという不安というか心配は、やはりありました。今までやったことのないタイプの役ですし、自分が生きてきた中でリアルに見たことがなかったですから。ただ、「やったことないから、やってみないと分からない」という気持ちもありました。

細田佳央太●ほそだ・かなた…2001年12月12日生まれ。東京都出身。主な出演作に映画「町田くんの世界」「花束みたいな恋をした」「子供はわかってあげない」、ドラマ『ドラゴン桜』『もしも、イケメンだけの高校があったら』など。TwitterInstagram

 

──品川監督から細田さんへのアドバイスは?

 

品川 そもそも、今回は映画版とは違うものにしたかったんです。あくまでもリメイクじゃなくてリブート。第1話から第2話にかけては映画版をなぞっている部分もあるんですが、第3話以降からは全く違うんですよ。漫画版や小説版のエピソードを盛り込んだり、ドラマ版のオリジナルストーリーも加えましたし。だから、細田くんには「映画版は観ない方がいい」と言いました。

 

ツッコミの音、その語感が気持ちいいというところも注目してほしい(品川)

──そう言われたときの細田さんの気持ちは?

 

細田 僕以外の役者、達也役の板垣(瑞生)くんにしろ、ルパン役の森永(悠希)さんにしろ、森木役の(林)カラスさんにしろ、ワン公役の大友(一生)さんにしろ、みんながみんな自分の人生を歩みつつ、役者の経験値も積んでいる方たちばかりなので、違う作品になって当たり前だと思っていました。だから、僕たち世代の狛江北中、僕たち世代の『ドロップ』になるんじゃないかと。

 

──ヒロシの絶妙なツッコミについて、品川監督はどんな演出をされたのですか?

 

品川 映画版のときは、もっと細かく「この間で言ってほしい」とか言っていたんですが、今回はそこまでお笑い芸人みたいなツッコミにしたくなかったんです。作品を撮るうちに、「僕のリアルとお客さんのリアルは違う」と思ったのがきっかけですね。普通に生活しているなかでは、そこまでツッコんだり、ツッコまれたいしないですから。クランクイン前は細田くんにレクチャーしましたけど、撮影が始まってからは、そこまでしていません。だけど、芝居にちゃんとツッコミの音は残っていて、その語感が気持ちいいというところも注目してほしいです。

品川ヒロシ●しながわ・ひろし…1972年4月26日生まれ。東京都出身。品川祐。庄司智春と品川庄司とコンビを組む。作家・映画監督としては品川ヒロシ名義で活動。主な監督作に映画「ドロップ」「漫才ギャング」「OUT」など。TwitterInstagramYouTube

 

──細田さんは、これまでにもコミカルな役柄を演じられていますが、今回の現場は違いましたか?

 

細田 ヒロシはツッコミが多い役柄なので、そこは台本読みのときに品川監督から丁寧に教えていただきました。これまでコミカルな芝居をやってきて、少しはセリフの間やテンポ感の知識みたいなものはありましたが、今回はコメディ作品のノリでやったらダメだったと思うんですよ。品川監督が実際にお手本をやってくださることもあって、そのニュアンスをたどっていきながら、少しずつできるようになりました。そう考えると、それがヒロシを演じるうえで、一番気を遣った部分かもしれません。

 

今まで本格的なアクションをやっていなかったことに助けられた(細田)

──ヤンキー作品ならではのアクションシーンについては、今回どのような方向性を目指されたのでしょうか?

 

品川 とにかくケンカのシーンが多いので、ずっと殴って蹴って、殴って蹴ってだけでは、見る人が飽きてしまうと思ったんです。それで、アクションにも一人ひとりにキャラ付けして個性を持たせました。例えば、ヒロシはとにかく弱いとか、達也は無茶苦茶するとか、ルパンだったら逃げるとか、ワン公だったら噛みつくとか。そうすることによって、一人ひとりにお芝居があるところを目指しました。

 

──細田さんは本格的なアクションが初めてだったと思います。

 

細田 ヒロシはヤンキーへの憧れから始まっているキャラなので、僕の場合は何もないというか、変にカタチ作られていない方がいいわけで、今まで本格的なアクションをやっていなかったことに助けられたところがありますね。常にケガしないように心がけましたが、それに関してはやりながら感触をつかんでいった感じです。

 

ずっと怒鳴っているだけなのにいいセリフに聞こえてきてグッときた(品川)

──ラスボスといえる最凶のヤクザ・片桐役で、映画版で森木役を演じられた波岡一喜さんが出演されています。

 

品川 森木をやったから波岡くんに出てもらったわけでもないんですが、狛江北中の5人というか、最終的には9人が向かっていくデカい存在じゃないといけないと思ったので、一世代上の役者さんということで、片桐役を波岡くんにお願いしました。彼に向っていく若い役者という構図や、今回森木をやっているカラスくんと波岡くんが現場で話している姿を見たりするとどこか感慨深いというか、お願いしてよかったですね。

 

細田 僕みたいなひよっこがベテランの方に向かっていく現場はこれまでも何度かあったので、今回も遠慮なく勉強させてもらう気持ちでぶつかっていきましたし、このタイミングでご一緒できて本当に良かったです。波岡さんからも映画版の撮影当時のお話も聞けましたし、いろんな意味で刺激になりました。

 

──ほかにも、刑事役の三浦誠己さんや達也の父親役で深水元基さんなど、過去にヤンキー映画に出演されていたベテラン陣との共演も見どころです。

 

品川 映画版で哀川翔さんとエンケン(遠藤憲一)さんがやられていたキャラクターで、僕も思い入れが強いシーン。あの化け物の迫力を出せる人ということでお願いしたので、三浦さんも深水くんもプレッシャーだったと思うんですよ。でも映画版にないシーンでも、どんどん面白くなっていったし、ずっと怒鳴っているだけなのにいいセリフに聞こえてきて、なんかグッときましたね。

 

細田 三浦さんも深水さんも、『ドロップ』の後の現場でもご一緒したんです。ボコボコにしてもらうぐらいの気持ちでぶつかっていって、お二人からもたくさん勉強させてもらいました。

 

品川 クライマックスのトンネルのシーンで、役柄と同じように三浦さんと深水くんが後ろの方で、細田くんたちを見ていて、「なんか、いいっすね」と言っていたんですよ。役者としてヤンキーものを卒業した2人が、そうやって俯瞰しているんだけど、そんななかで波岡くんが現役で頑張っているという(笑)。この瞬間も嬉しかったですね。

 

ぜいたくな作品で環境にも恵まれていました(細田)

──全10話の連続ドラマとしての見どころをお願いします。

 

品川 『異世界居酒屋「のぶ」』に続いて、今回もWOWOWのプロデューサーさんに「全話撮らせてほしいです」と無理を言わせてもらいましたが、ドラマになったから無理矢理エピソードを作ったというよりは、映画版の2時間の尺に収め切れなかったものを入れました。だからこれまでどおり、ヒロシと達也の友情を描きつつ、他の3人のキャラも色濃くなっていると思いますし、調布南中の赤城と加藤だったり、狛江西中のテルとジョーだったり、徐々に仲間が増えていく感じは意識しました。こんなことを言うのも変ですが、映画版とは全く別モノの「第3話」から見るのもアリかと思います(笑)。

 

──全話を同じ監督が演出されることについては、役者さんとしてはありがたいことですよね。

 

細田 監督が品川さんお一人なので、変な話、監督同士の擦り合わせなどで疑問に思うようなことが全くない。それにプラスして、全話撮り終えてからの放送というのも恵まれていました。基本、連ドラは放送しながら撮っていくスタイルなのでメリットもありつつ、どこか追われている感覚もあるんです。だから、よりぜいたくな作品で環境にも恵まれていました。

 

──お二人が現場に必ず持っていくモノやアイテムがあれば教えてください。

 

細田 僕はイヤホンとかiPhoneとか音楽を聴くものは、肌身離さず持っていきます。集中力を高めるためというか、電車移動しているときに周りの人の会話を聞いてしまいがちなので、それを塞ぐためのもので……特に病んでないです(笑)。

 

品川 僕はストレッチポールです。すぐ肩が凝るし、背中を伸ばしたくなるんです。あと、僕自身アクションをやることもあるので、撮影の合間とか、ナイター撮影の待ちのときには必ず使っています。

 

 

連続ドラマW-30「ドロップ」

WOWOWにて6月2日(金)午後11時より放送・配信スタート(全10話)
WOWOWプライム、WOWOW4K第1話無料放送/WOWOWオンデマンド無料トライアル実施中

【連続ドラマW-30「ドロップ」よりシーン写真】

(STAFF&CAST)
監督:脚本:品川ヒロシ
原作:品川ヒロシ「ドロップ」(リトルモア刊)
出演:細田佳央太、板垣瑞生、森永悠希、金城碧海(JO1)、波岡一喜 / 深水元基 ほか

(STORY)
ヤンキー漫画に憧れて「不良」になることを決めたヒロシ(細田)は、私⽴から公⽴の狛江北中へと転校する。そこで待ち受けていたのは、想像以上にハードな不良⽣活だった……。転校初日に不良グループのリーダー・達也(板垣)から呼び出され、早速ケンカをすることになるも、達也に完膚なきまでに叩きのめされ、刑事の荒牧(三浦誠己)にも捕まってしまう。そんなヒロシだったが、達也やルパン(森永)、森⽊(林カラス)、ワン公(大友一生)からケンカを通じて仲間の⼀員と認められ、ヒロシはその得意の口ゲンカとハッタリを武器に、不良たちとケンカの日々を送っていくことに。近隣の狛江⻄中の不良グループの襲来、そして隣の調布からは調布騎兵隊の登場、さらには最強のヒットマン(金城)!? から元ヤクザ(波岡)まで、ヒロシの相当ハードな不良⽣活が続く……。

 

撮影/映美 取材・文/くれい響

玉袋筋太郎も驚愕! 半ぺん・蒲鉾一筋320年!! 日本橋の老舗18代目店主が語る伝統を守る戦い

〜玉袋筋太郎の万事往来
第26回「神茂」(かんも)第18代目店主・井上卓

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第26回目のゲストは、元禄元年の1688年に創業以来、日本橋で半ぺん・蒲鉾の製造販売を行う「神茂」(かんも)の第18代目店主、井上卓さん。伝統の味わいを守り抜くために艱難辛苦を乗り越えてきた老舗店の知られざる裏側に玉ちゃんも驚愕!

 

【公式サイト:https://www.hanpen.co.jp/

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

ペリーが来航時にかまぼこを食べていた?

井上 まずは、この帳簿を見てください。明治時代に使っていた帳簿なんですけど、明治三陸地震や日清戦争に際して寄付したことなんかが記録されているんです。

 

玉袋 うわー! 歴史があるところはすげーや。

 

井上 この辺が魚市場だった時に板舟といって、板1枚幾らで場所を貸していたんです。この帳簿には貸していた先にいただいたお金も書いてあります。

 

玉袋 帳簿だけでも、この街の歴史が感じられますね。

 

井上 東大の先生に読み解いてもらおうと、この帳簿を渡したら、僕が貼ってしまった付箋を見て、「付箋の跡が付くから外してください」と注意されました(笑)。あと、これは宮内省の時代に使われていた「門鑑」と言われる通行証です。

 

玉袋 こんな貴重なものが残っているんですか!

 

井上 僕が子どもの時分、うちにいた工場の人から聞いたんですが、自転車で配達に行って、おまわりさんに職務質問された時に、これを見せたら「大変失礼しました!」と敬礼されて、気分が良かったと。

 

玉袋 そんな通行証、欲しいもんだね。ETCは通れないけどさ(笑)。社長が18代目でしょう。「江戸っ子は三代続かなければ」なんて言葉があるけど、それどころじゃないね。神茂さんの創業はいつなんですか?

 

井上 1688年創業になっているんですけど、過去帳を見ると、「神崎屋」という屋号で、もうちょっと前からやっていたみたいです。

 

玉袋 先ほど工場見学をさせていただいた時にお聞きしましたが、創始者は大阪出身だったそうですね。

 

井上 江戸幕府開府の時に、大阪の人たちをたくさん江戸に住まわせたらしいんですけど、創始者の神崎屋長次郎も東京に来て、日本橋に店を開いたのが始まりです。このあたりの住所は「日本橋室町」ですけど、当時は「小田原町」と呼ばれていました。というのも江戸城を綺麗に作り直す時、小田原にいた石垣の職人さんを、この辺に住まわせたらしいんです。それで職人さんが故郷を懐かしんで、小田原町という名前にしたんです。

その後、石垣の造成が終わった小田原町の職人さんは築地に移されます。だから築地に今でもある交番は、「築地警察署小田原町交番」と書いてあります。その後、この辺は「本小田原町」と呼び名が変わっていったんですが、石垣の職人さんがいなくなった跡地に魚類の集積場を作ることになったんです。現在の日本橋の下流側の岸が魚の揚げ降ろしをしていたので「魚河岸」という名称が生まれました。

 

玉袋 なるほどねー。俺も東京出身だけど、この辺のことは何も知らないなぁ。

 

井上 近くにある昭和通りも、江戸のころは運河でした。関東大震災のがれきで埋め立てられてしまいましたが、そこは「米河岸」と言って、お米の揚げ降ろしをしていたんです。そして日本銀行本店の手前が汐留といって運河の終点で塩の揚げ降ろしする「塩河岸」でした。

 

玉袋 勉強になるなぁ。その日本橋も、高度経済成長期には上に高速道路が走っちゃったけど、今度は撤去するっていうんだから、時代は変わるね。

 

井上 ちなみにペリーが来航した時に、江戸幕府が横浜で一行をもてなしたんですが、その時に料理を担当したのが「百川」です。落語に「百川」という噺がありますけど、その舞台になった実在する高級料亭です。この近くにあったんですけど、お土産がかまぼこだったんです。ペリー一行に用意した献立の記録が残っているんですが、紅ちくわかまぼこや伊達巻が供されたと記録に残っています。

 

玉袋 百川というと、与太郎が行ったり来たりする話だけど、この辺が舞台とは知らなかった。俺も勉強不足だなぁ。

 

井上 ただ、アメリカの公文書簡には、「あまり江戸の料理は美味しくなかった」と書いてあるんです(笑)。その前にペリーは沖縄に寄っているんですが、沖縄料理のほうが、味が濃くてアメリカ人の口に合ったんでしょうね。まだ日本の出汁文化が世界的に伝わっていなかった時代ですからね。

 

江戸時代の輸出事情から生まれたはんぺん

玉袋 はんぺんや練り物と聞くと、「紀文」や「佃權」(つくごん)、「鈴廣」などの大手が思い浮かぶんですけど、歴史で言ったら神茂さんのほうが全然長いんですよね。

 

井上 佃權さんは2017年に廃業されてしまいましたけどね。

 

玉袋 そうなんですか!? 俺たちの世代だと、佃權のテレビコマーシャルが流れていて、「あたしゃ佃權 はんぺんだ こんにゃく問答 おでん種」ってフレーズを今でも覚えてますよ。先ほどのお話しに戻すと、鈴廣は小田原に本社があるから、その辺の話も繋がってくるんですかね?

 

井上 小田原は伊勢などに行く時に通る観光場所でした。関東よりも西はお湯で食べる文化があるので、かまぼこを蒸したりする。かまぼこは大量に作れるから、それを旅行で訪れた人に食べさせるうちに、海も近いし、名産になる。関東よりも北は寒いから、お湯を沸かすのにすごくエネルギーがいるので、焼くほうが手っ取り早いから笹かまなんですよ。

 

玉袋 言われてみるとそうですね。

 

井上 はんぺんについてお話しすると、今でも日本は中国にアワビとナマコとフカヒレを輸出していますけど、江戸時代のころから、この三品は「長崎俵物」や「俵物三品」と言って、中華料理の食材として長崎から中国に輸出して重宝されていたんです。そのために、江戸幕府は「たくさん鮫を獲ってこい」という指令を出していたんですが、フカヒレ以外は不要になるので、鮫を食べるために江戸時代に作られたのがはんぺんなんです。今の時代は食べる魚も豊富にあるので、鮫なんかに目を向けないでしょうし、獲った魚を保存できない江戸時代だからこそはんぺんが生まれたんでしょうね。

 

玉袋 子どもたちに「はんぺんって何でできてる?」と聞いて、「鮫」って答える子はいないと思うよ。以前、「はんぺんを作ってみよう」みたいな番組があって、担当したタレントも、はんぺんが何でできてるか分からないってところから始まって、最終的に鮫に辿り着いて作ったみたいな流れだったからね。鮫っていうと気仙沼のイメージが強いんですけど、実際はどうなんですか?

 

井上 今も気仙沼は鮫漁が盛んですし、うちも気仙沼や銚子から鮫を仕入れています。

 

玉袋 はんぺんには何鮫が向いているんですか?

 

井上 一番いいのは星鮫なんですけど、江戸時代は保健所がないから、はんぺんに何鮫を使っても良かったんです。だから、その時に水揚げされた鮫を何でも使っていました。歌舞伎座が版権を持っている浮世絵に、日本橋の橋の上で、一心太助みたいな男が天秤棒で大きな鮫を運んでいて、二人の女性が振り返って見ている作品があるんです。

 

玉袋 それぐらい鮫を食べるのが珍しいことじゃなかったんだね。

 

井上 江戸湾と隣の相模湾、さらに隣の駿河湾と、だんだん海が深くなっていって、そのあたりが鮫の産卵場所らしいんです。だから江戸湾には産卵のために多くの鮫が集まって来て、大型もいれば小型もいます。僕は水産庁の「たか丸」という船に乗って、底引きの試験操業を見学したことがあるんです。そうすると今でも網いっぱいに星鮫が獲れるんです。ただ近辺の漁師さんは、高く売れるアナゴやヒラメが目当てだから、なかなか星鮫は獲ってくれないんです。青森県や佐賀県では今でも星鮫を獲ってますけどね。

 

玉袋 星鮫でもフカヒレは作れるんですか?

 

井上 作れますけど、本当にちっちゃいから、加工する手間を考えたら、もっと大型の鮫のほうが喜ばれます。ただ本当に味が良くて、香りもある魚なので、星鮫だけではんぺんもできるし、かまぼこもできるんです。

ヨシキリザメなど大型の鮫だと、アンコウみたいに身質が水っぽくて柔らかいので、空気を抱き込みやすいんです。それだけだと味的に弱いので、そこに青鮫と言って、カジキみたいな身質の鮫を入れると、味と食感のバランスが上手く取れます。

だから、うちでは青鮫とヨシキリザメを混ぜて、はんぺんを作っています。たまに星鮫だけで作ったはんぺんを、「復刻版星鮫はんべん」という商品名で出しているんです。それを高島屋のイベントなんかに出すと、10時開店で10時半ぐらいには売れきれちゃいますね。

 

玉袋 鮫ってアンモニアが回っちゃうから、早く処理しなきゃいけないイメージなんですけどどうなんですか?

 

井上 むしろ鮫って自分でアンモニアを出すから傷みにくい魚なんです。臭いは強くなるけど腐敗しにくいので、マグロなんかと比べると、比較的長く食べられるんですよね。広島では鮫のことをワニと読んで、ワニ料理を食べる習慣があります。鮫は鮮度が良ければ、刺身でも食べられますからね。

 

 

玉袋 鮫の代用品としてエイははんぺんに使えないんですか?

 

井上 エイは板鰓類(ばんさいるい)と言って、鮫と一緒の仲間なんですけど、ほぼ身がないんです。よっぽど大きいエイだったら、真ん中に身がありますけど、それでもヒレの部分ばかりです。そういえば僕の代になって、もっときめの細かいはんぺんを作れないのかと、ミンチでもっと細かくして試作品を作ってみたんです。でも基礎がなくなっちゃったような味と食感で、とても商品化できるものではなかったですね。

 

玉袋 ちょうど1週間前に静岡に行ったんですけど、静岡おでんと言ったら黒はんぺんじゃないですか。それで地元の人に「黒はんぺんだね」なんて言ったら、向こうはカチンときたらしくてさ。「静岡では、これがはんぺんで、もう一つが白はんぺんだ」って言ってたね(笑)。

 

井上 黒はんぺんは焼津の名産ですが、青魚が原料という違いはありますけど、作り方は同じようなものなんです。それが関東では鮫が原料でたまたま白くなっちゃった、みたいな。先ほど関東より北はお湯で茹でる文化がなかったというお話をしましたが、たとえば北海道なんかは、近年まではんぺんは食べられていなかったんです。今は紀文さんやコンビニのおでんのおかげもあって、全国的にはんぺんは有名になりましたけど、今でもはんぺんに馴染みのない方もいらっしゃいます。初めてはんぺんを食べて、「淡雪みたいで美味しい」と仰っている方がいました。

 

玉袋 そうなんだ、俺なんか小さいころからはんぺん好きだから、全国的に食べられていると思っていました。社長にとってベストなはんぺんの食べ方って何ですか。

 

井上 はんぺんをほんのり温める程度に焼いて、大葉やミョウガを刻んで、それと一緒に生姜醤油で食べてもらうのが一番のオススメです。父と母は「わさび醤油で召し上がってください」と言ってましたけど、今はスーパーでも美味しいお刺身がたくさん出回っていますから、同じ食べ方をすると負けちゃいますね。

 

玉袋 いやいや! はんぺんも負けてないですよ。確かに生姜醤油だと、これからの暑いシーズンにぴったりのつまみだね。冷ややっこよりも美味しそうだ。

 

井上 昔の日本料理屋さんでは、はんぺんにウニを塗って焼くこともあったみたいですね。

 

玉袋 ウニはんぺんは美味しそうだなぁ。先ほど工場見学中に仰っていましたけど、寿司屋や日本料理屋にもはんぺんを卸しているそうですね。

 

井上 卵焼きにはんぺんを混ぜるそうなんです。たとえば日本料理屋さんだと、数年前に閉店しましたが新橋の「京味」さん、最近だと大門の「くろぎ」さん、お寿司屋さんだと、予約の取れないお店として人気の「日本橋蛎殻町 すぎた」さん、銀座の「寿司幸」さんが買われていきます。

「寿司幸」さんとは長くお付き合いしていて、卵の黄身にはんぺんを溶かすんですが、泡立ててはダメらしいんです。どうやって泡立たせないで混ぜるかは分からないんですが、混ぜたものを備長炭で、45分かけて焼くそうです。お寿司屋さんによっては、乾燥させた海老とはんぺんの両方を入れて卵焼きにするところもあるそうです。

 

玉袋 はんぺんだけに何色にも染まるというか、白いキャンバスだよね。神茂さんは、さつま揚げも主力商品なんですよね。

 

井上 そうですね。ただ当初は作ってなくて、関東大震災以降に作り出したんです。戦後になって、さつま揚げの量もどんどん増えていったんですけど、それまではかまぼこと白ちくわとはんぺんだけだったんです。その3種だけで、よく商売が成り立っていたなと思うんですけど。

 

玉袋 晩酌する時にかまぼこで一杯やることもあるんですけど、スーパーで売ってるかまぼこを食べると、どうも昔食べたかまぼこと違うなってていう感覚があるんですよね。正月なんかは、おせちに高級かまぼこを買って食べるんだけど、混じりけがないというか、やっぱり良いものは美味しいんですよね。

 

井上 魚の量が違うんですよ。あと魚を練る時に使う氷も必要最小限にとどめるんです。それによって水っぽくなくなりますし、そうするとでんぷんを入れる必要もなくなります。やっぱりでんぷんの入ってないかまぼこのほうが美味しいんです。

 

会社の危機を救った二つの商品

玉袋 ところで社長は、どうして18代目を継ごうと思ったんですか?

 

井上 僕は次男坊なので、もともと稼業を継ぐ気はなくて、ジャスコに就職しました。そこで、いろいろ流通について学ぶうちに、コスト感覚も身に付きました。ところが、神茂の売り上げが下がっていたころ、うちの父が体を壊してしまい、母から「相続のこともあるから、ちょっとこっちも見てよ」と言われて、ちょいちょい見るようになったんです。それで会社の会計士とも話をしたら、相続対策を何もやってなかったんです。

 

玉袋 老舗にありがちな話ですね。

 

井上 すでに私の兄は工場で働いていましたけど、のんびりした性格で、兄弟で銀行に行っても他人事みたいなんです。僕が銀行の人に事業計画書を渡して、「本当に申し訳ございません。こういうふうに会社を変えていきます」と頭を下げている横で兄は普通に座っている(笑)。うちは自社ビルなんですけど、バブルの時にビルを建てたので、借金が12億円ぐらいあったんです。その額をかまぼことはんぺんで返済するのも大変じゃないですか。ビルの家賃収入もバブルが崩壊してから、どんどん下がっていましたからね。

 

玉袋 危ない、危ない!

 

井上 そこで、僕はお店の中の商品で、要るものと要らないものを分けました。さらに新商品として、袋に入った調理済みおでんを作ろうと、築地に行って似たような商品を21社分買ってきて、何品おでんが入ってるかと平均重量を調べて、コストを全部算出しました。

 

玉袋 ジャスコのおかげですね。いわば実家コンサルティングだ。

 

井上 それで、父にこういう商品を作ると報告したら、「うちらしくないから駄目だ」と。「どこが“らしく”ないんだ?」と聞いたら、パッケージが嫌だと。だから八重洲ブックセンターに行って、元禄時代の地図を買って来て、版元に連絡して、製品のパッケージに使いたいとお願いしたんです。使用料を聞いたら、「カレンダーだと15万円いただいています」と言うから、同じ金額をお支払いして、その地図をパッケージに使って。そしたら初年度でクラウン1台分ぐらい売り上げたんです。

 

玉袋 それはすごいですね!

 

井上 今度は調理済おでんの「其の二」を作ろうということで、今度は中央区に住む画家の方が日本橋の絵を描いていたから、また電話をして、「使わしていただきたい」と。前回が15万円だったので同じ値段で交渉したら、「結構ですよ」と許可をいただいて。「其の二」を出したら、これも好評だったんです。こういう商品を出したら好調ですと伝えたら、銀行の反応も良くて、融資の交渉もスムーズに進みました。そしてこうしているうちに、運が向いていたんですかね。コンビニ大手さんから電話がかかってきて、「おでん種のすじを作ってくれないか」という注文があったんです。

 

――コンビニの発注量は個人経営だと大変ですよね。

 

井上 そうなんですよね。それまで、竹のすだれを巻いてすじを作っていたんですけど、とてもじゃないけどコンビニさんの発注量を作ることはできない。そこで東急ハンズでアルミ板を買って来て、50枚単位で硬貨をまとめるプラスチックのケースをヒントに、ベンディングマシンでちょっとずつアルミ板を曲げていって。すだれの型みたいなものを二つ作って、蝶番で繋げてパカパカ開閉する試作品を作ったんです。ちくわぶの作り方が、これに近かったんですよね。それを篠崎あたりの鉄工所に持って行って、「これと同じような作りで、量産できるものを作ってほしい」と。それで完成した型で、毎日千本、二千本と千単位ですじが作れるようになったので、改めてコンビニさんと契約したんです。

 

玉袋 大手との契約はでかいね!

 

井上 従業員の士気も上がりますしね。それで出荷を始めたら、売り上げも好調で、川崎にあったフェリーターミナル近くの店舗では、大根、卵に次いで、すじが3位になったそうです。厚みと食べ応えがあったので需要があったんでしょうね。ところが、あまりにも忙しくなり過ぎて、夏場でも夜の11時まで残業が続くようになって、辞める従業員が出始めたんです。それで、これ以上作り続けるのは難しいということで、コンビニさんとの契約は4年で終了とさせていただきました。でも、そのおかげで会社の危機を脱することができたので感謝しています。

 

玉袋 まるで一本のドラマを観ているようなお話しでしたね! 第19代目店主は決まっているんですか?

 

井上 今は子育て中の娘が、もうすぐ復帰するんですけど、おそらく継いでくれると思います。娘の旦那も工場で働いているんですよ。ただ僕の時代に、今お話ししたような波乱がたくさんあったから、安泰という訳ではないですよね。ただバトンさえ渡せば、あとは新しい代が、新しい発想で頑張ってくれればいいんです。

 

 

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)

<出演・連載>

TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」

茅島みずき&田鍋梨々花「眠そうな私(茅島)の写真がよく送られてきました。それがブームだったよね」ドラマ『対ありでした。〜お嬢さまは格闘ゲームなんてしない〜』

NTTドコモによる新しい映像配信サービス「Lemino(レミノ)」オリジナルドラマとして、対戦型格闘ゲームに熱中するお嬢様学校の女子生徒たちを描いたマンガ『対ありでした。〜お嬢さまは格闘ゲームなんてしない〜』が実写化。5月19日(金)より配信スタートします。メインキャラクターの綾と美緒を演じた茅島みずきさんと田鍋梨々花さんは、この作品で格闘ゲーム初挑戦。最初はボタンを押すのも大変だったという練習のことなど、仲良しトークで展開してくれました。

 

(写真右)茅島みずき●かやしま・みずき…2004年7月6日生まれ、長崎県出身。「アミューズ 全県全員面接オーディション2017年〜九州・沖縄編〜」でグランプリを受賞し、芸能界入り。現在放送中の『明日、私は誰かのカノジョ シーズン2』(TBS/MBS)に出演中。7月7日(金)公開の映画「交換ウソ日記」にも出演している。公式HPInstagram(写真左)田鍋梨々花●たなべ・りりか…2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年に開催された「ミスセブンティーン」のグランプリに選ばれ、同年10月より同誌専属モデルに。ドラマ『コード・ブルー-ドクターヘリ救命救急』などに出演。今後の待機作に、6月2日(金)スタートの連続ドラマW-30「ドロップ」(WOWOW)がある。公式HPTwitterInstagram

【茅島みずきさんと田鍋梨々花さん撮り下ろし写真】

「この技出したい!」って欲が出てきて、みんなに負けたくないと思ってやるように(田鍋)

──格闘ゲームはやったことありました?

 

茅島 ないです。出演することが決まってからみんなで練習しました。アケコン(アーケードコントローラー)も初めて見たので、どうやって持つのか全く分からなくて。ゲームを家に持ち帰ってひたすら練習していました。

 

田鍋 私も初めてでした。私もアケコンに触ったことがなかったので、同時に両手の指を動かして操作するのも慣れませんでした。

 

──ドラマのために練習して、今後ハマリそうな感じはありましたか?

 

茅島 はい。私はもともとすごくゲームが好きでいろんなゲームをしますが、格闘ゲームはすごく難しくて、ボタンをちょっと押し間違えると技が出ないんですよね。だから最初は楽しいと思うより難し過ぎて、「これ、私にできるかな」って不安が大きかったんです。でも少しずつ技を出せるようになったら楽しくなってきました。

 

田鍋 そうだね。慣れてくると「この技出したい!」って欲が出てきて、みんなに負けたくないと思ってやるようになりました。

 

──初めてとは思えない指さばきでした。練習は、お家にゲームを持ち帰ってひたすら正しいボタンの位置に指を押すって感じだったのでしょうか。

 

茅島田鍋 そうですね(笑)。

 

茅島 指導してくださる方がいらっしゃったので、まずみんなで自分が握りやすい持ち方をいろいろ試して、持ち方を決めました。技の一覧表があったよね。

 

田鍋 そう、技が書いてある紙をいただきました。

 

茅島 「このボタンを押せば、この技が出ます」って書いてある一覧がありました。

 

田鍋 「ストリートV(STREET FIGHTER V CHAMPION EDITION)」の使うキャラによって技の出し方が全部違うんですよね。

 

普段とゲームをしているときの興奮した感じのギャップを出せたら(茅島)

──なるほど。登場人物の使うキャラが違うから、キャスト間で「この技の出し方を教えて」ってことができないわけですね。

 

田鍋 そう、できないんです。

 

茅島 その技の一覧を見ながら、自分が使うキャラのこの技を出さなきゃ! と思いながら、それぞれ家で練習していました。

 

田鍋 適当にコントローラーを動かすのではなく、ゲーム画面に合わせないといけなかったんです。技を出していないときはボタンを押さないとか、そういう細かい部分まで気を付けながら撮影していたのですごく難しかったです。

 

──ということは、技が出せるようになるとうれしい気持ちになったのでは?

 

田鍋 なりました。私が演じた美緒は、当たり前のようにたくさんの技を出すので、ぎこちない手付きをしちゃいけないなと思って、自然に見えればいいなと思っていました。

 

茅島 私もそうでした。綾はゲーム愛がすごく強い子なんです。でもメインキャラクター4人の中では一番周りが見えているキャラなので、普段とゲームをしているときの興奮した感じのギャップを出せたらいいなと思って。ゲームをしているときはすごく早口になるので、オタク要素を出せるように演じていました。

 

──周りが見えている綾に対し、美緒はゲームしているときは常にハイテンションでした。演じる上で意識したことはありましたか?

 

田鍋 美緒は狂っているぐらいゲームが好きなので自分の世界に入り込んでいる表情を意識しました。ゲームをしているとき以外も白目を剥いたりすごく表情豊かなので、素直に感情が顔に出る人物として表現しました。

 

現場で見てすごいなって思いました。完璧にすらすら言うから(田鍋)

──ゲームの専門用語がたくさん出てくるので、画面に解説が出てきてとてもありがたかったのですが、演じていらっしゃるみなさんはセリフを覚えるのが大変だったろうなと思いました。

 

茅島 すごく大変でした!

 

田鍋 そうだよね。綾が一番ゲーム用語を言っていたもんね。

 

茅島 私は美緒が毎日泣いて叫んで、感情を出すのがすごく大変そうだなって思って見ていて(笑)。それに対して私はひたすらゲーム用語を早口でしゃべることが多かったので、イントネーションはこれで合っているんだろうかとか、セリフに出てくるゲーム用語を調べるところから始まりました。普段使わない言葉なので、覚えるのも時間がかかりましたね。

(C)NTT DOCOMO,INC.

 

──イントネーションはどうやって調べたんですか。

 

茅島 ゲーム指導の先生に「このイントネーションで合っていますか?」って聞いたりしました。事前に調べて撮影に臨みましたね。

 

田鍋 でも現場で見てすごいなって思いました。そう言いながら、完璧にすらすら言うから。初めて聞く単語が多すぎるのに、自分の言葉みたいに言っていました。

 

違ったりりちゃんが見られてすごくよかった。また仲が深まった気がしました(笑)(茅島)

──一方、田鍋さんは茅島さんもおっしゃったようにずっとハイテンションでいるのが大変そうだなと思いました。

 

田鍋 美緒は今ゲームがやりたいと思ったら絶対にやりたいし、思い通りにならないと泣いちゃうような、本当に小学生みたいな子だったので、感情の起伏をちゃんと表に出せたらなと思いながら演じていました。私自身は自分の気持ちのスイッチを入れないと自然とできないタイプで。「テンションを上げないと!」と思わないとできないので、感情のスイッチを入れるように1回1回意識して演じていました。

 

茅島 それが本読みのときからすごく大変そうでした。1人で怒って泣いているので、みんなで「本当に大変だよね。のど枯れそうだよね」って心配しながら見ていました。

(C)NTT DOCOMO,INC.

 

──お2人は2回目の共演になりますが、最初に共演したときとお互いの印象は変わりました?

 

茅島 最初に共演したときに仲良くなりましたし、楽しい思い出がたくさんあるんですけど、りりちゃんは何を考えているか分からない、ミステリアスな部分があるって、その時共演したみんなに言われていたんです。今回の現場では、また違ったりりちゃんが見られてすごくよかったです。より仲が深まった気がしました(笑)。最初に共演したときはクールな印象だったのに、明るい一面をたくさん知りました。

 

田鍋 2人とも雑誌セブンティーンの専属モデルで、撮影で会うことはあったんですけど、そこまでしっかり一緒に撮影したことがなくて。私もみずきちゃんに対してすごくクールで大人っぽい印象があったんですが、お話しているとすごくギャップがありました。現場で、4人(茅島、田鍋、池田朱那、永瀬莉子のチーム白百合役の4人)でいると妹キャラで、かわいらしいんですよね。よく話してみないと分からない一面を今回のドラマを通して知ることができたので、私もすごくうれしかったです。

 

日課みたいになっていて、朝その写真を見て笑うと元気になれる(田鍋)

──ここからはモノやコトについてのお話をお聞かせください。今、ご自分の中で熱いモノを教えてください。

 

田鍋 「おいせさんお浄め塩スプレー」はいつも持っていて、自宅には絶対ストックがあります。何回リピートしたか分からないくらい。ずっと同じ場所で撮影していたりすると、なんかこうリフレッシュしたいと思うことがあるんです。そういうときに振りまいたりします。お香みたいな香りなんですが、強くないので香りでリフレッシュできるんですよね。

↑田鍋さんが愛用する「おいせさんお清め塩スプレー」

 

茅島 私はイヤホンです。音楽が大好きで、音楽を聴かない日はないんです。朝移動するときに聴いて、夜は音楽を聴きながら寝るのがルーティーンです。逆に音楽を聴かないと寝られないくらい。音楽を聴きながら移動して、現場について頑張るぞって気持ちになるから、イヤホンを忘れたら絶対に取りに戻ります。

↑茅島さんが愛用するイヤホン

 

──「対ありでした。」の現場でチーム白百合の4人が集まったときに流行っていたモノや盛り上がった話題はありましたか?

 

茅島 写真じゃない?

 

田鍋 そうだね、写真だ(笑)。

 

茅島 私は朝に弱いので、なかなか目覚めなくて寝起きの顔のままになっていることが多いんです。撮影が始まる頃にはちゃんと起きているんですけど、それまでの待ち時間にすごく眠い顔していたんでしょうね(笑)。

 

田鍋 朝こっそり写真を撮っていました。パシャって(笑)。

 

茅島 私は気づいていなかったんですよね。

 

田鍋 その写真を後で見せたり、4人のトーク部屋に送ったりしました。「朝、おにぎりを持ちながら寝てたよ」とか。

 

茅島 眠そうな私の写真がよく送られてきました。それがブームだったよね。

 

田鍋 うん、ブームだった。日課みたいになっていて、朝その写真を見て笑うと元気になれるんです。

 

茅島 多分きっかけは永瀬莉子ちゃんで、私の朝の顔がすごく好きっぽくて、その写真を見てすごく幸せそうに笑うんです。それで笑ってくれるならいいかなって思いました(笑)。今ではスタンプ代わりにその写真を使って、「ごはん行こうよ」ってみんなを誘ったりしています。

 

 

(C)NTT DOCOMO,INC.

Leminoオリジナルドラマ「対ありでした。 ~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~」

2023年5月19日(金)12:00~
(※最新話の配信開始から1週間は無料視聴可能)

出演:茅島みずき、田鍋梨々花、池田朱那/永瀬莉子
監督:大内田龍馬
原案:江島絵理『対ありでした。 ~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~』 (MFコミックスフラッパーシリーズ/KADOKAWA刊)
番組配信ページ: https://bit.ly/3LwbyJk

(STORY)
国内屈指のお嬢さま学校「黒美女子学院高等学校」に入学した深月綾(茅島)は、校内一注目を集め、“白百合さま”と羨望される美緒(田鍋)が、誰もいない教室で熱く格闘ゲームに興じる姿を目撃してしまう。お嬢さま学校でゲームは決して許されない行為……固く口止めされた綾だったが、美緒に同じ格ゲーマーだとバレてしまい、対戦を望まれてしまう!?

 

【Leminoオリジナルドラマ「対ありでした。 ~お嬢さまは格闘ゲームなんてしない~」よりシーン写真】

(C)NTT DOCOMO,INC.

 

撮影/映美 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/SAKURA(まきうらオフィス)(茅島)、中軍裕美子(田鍋) スタイリスト/平松彩霞(茅島)、黒崎 彩(Linx)(田鍋)

新谷ゆづみ「よりリアリティーを感じながら、ぬいサーの一員として演じることができました」映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

繊細な感性で話題作を生み続ける大前粟生氏の小説を初めて映画化した『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』が、4月14日(金)より全国公開。ぬいぐるみに話しかける「ぬいぐるみサークル」に所属する女子大生・白城を演じる新谷ゆづみさんが、「いろいろと考えさせられた」という役作りや、女優としての今後の展望・目標について語ってくれました。

 

新谷ゆづみ●しんたに・ゆづみ…2003年7月20日生まれ。和歌山県出身。最近の主な出演作に連続ドラマW -30「異世界居酒屋『のぶ』Season3~皇帝とオイリアの王女編~」(WOWOW)、ZIP!朝ドラマ「パパとなっちゃんのお弁当」など。映画「わたしの見ている世界が全て」が公開中。

【新谷ゆずみさん撮り下ろし写真】

 

白城は物事を平等に見ることができるし、優しいけれど、そう見えないクールな部分も

──原作・脚本を読んだときの感想は?

 

新谷 私が演じる白城は、ぬいぐるみサークル(以下、ぬいサー)の七森(細田佳央太)や麦戸ちゃん(駒井 蓮)たちと比べると、ちょっと大人びている印象が強かったです。そのとき、私はギリギリ高校生で、「役作り、どうしよう?」と思いましたし、金子(由里奈)監督からも、「白城はとても重要なキャラクター」と言われていたので、少しプレッシャーはありました。

 

──大人っぽいと感じた白城を、さらにどのように捉え、どう演じようと思われましたか?

 

新谷 物事を平等に見ることができるし、とても優しいけれど、そう見えないクールな部分もある。それは物事を客観視できていたり、世間に対して、ちょっと諦めている部分もあるからだと思うんです。あと、七森や麦戸ちゃんとは違う世界を知っているし、物事の捉え方や受け取り方も、優しさのかたちも違う。白城自身も、ぬいサーに入らなければ、彼らと交わることはなかったし、仮に交わったとしても深く関わることがない関係性だと思いましたし、その微妙な雰囲気をどのように出していこうかと考えました。

 

──彼女は、ぬいサーだけでなく、イベントサークルと兼サー(兼部)しています。

 

新谷 一般的な大学生で、どちらかといえば陽キャ。そんな白城に共感するお客さんの方が多いと思ったので、そこも心掛けて演じようと思いました。白城は、ぬいサーに入ることで、イベサーと違う世界を見たかっただろうし、どこかで、ぬいサーのみんながうらやましいと思う部分もあると思うんですね。イベサーでのストレスや悩みを抱えていたことも、「ぬいサーにいたい!」と思う理由ではないでしょうか。

 

──ちなみに、白城はぬいサー内で、唯一ぬいぐるみに話しかけない部員です。

 

新谷 白城なりの理由があるとは思いますが、そんな異質なことすらも、何も言わずに受け入れてくれる、ぬいサーは、どこまでも優しいんだなと感激しました。だからこそ、白城も改めて「この人たちとちゃんと向き合いたい」と思ったんだと思います。

 

金子監督は私たちのことを考えて意見してくださり、ものすごく優しかったです

──ぬいサーメンバーの雰囲気、金子監督の演出はいかがでしたか?

 

新谷 ぬいサーの皆さんとは、台本読み合わせのときから、何度かお会いしましたが、わちゃわちゃした雰囲気にもならず、その後も個人個人の気持ちを深く知りすぎないラインをキープしながら、お互いやっていました。みんな意外と人見知りだったりするのかな? 金子監督は、自分でぬいぐるみを作って現場に持ってくるぐらい気持ちが入られていたので、とても説得力のある演出でした。いろんな意味で、妥協がない方なのですが、言い方だけでなく、私たちのことを考えて意見してくださり、ものすごく優しかったです。

 

──たくさんのぬいぐるみに囲まれた、ぬいサーの部室はいかがでした?

 

新谷 大学のシーンは、立命館大学の校内で撮ったんですが、普通に通っている学生さんもいるなか、その片隅にある本当の部室にたくさんのぬいぐるみを配置して撮影したんです。「わぁ、こんなお部屋があるんだ!」と興奮しました。美術さんが用意してくださったものもあれば、いろんな人のお家にあったものをかき集めているので、役者の私物もあるんです。私は持っていかなかったですけど……。よりリアリティーを感じながら、ぬいサーの一員として演じることができました。

 

──撮影中に苦労されたシーンや印象的だったシーンは?

 

新谷 七森とぶつかり合うシーンですね。お互いぶつかり合うけれども、それは真逆にいた2人がしっかり向き合った証拠じゃないかと。だからこそ、2人の言動として、表現として、すごく大事なシーンだと思いました。なので、時間をかけて、何度もやらせてもらいました。

 

──京都ロケの思い出は?

 

新谷 京都のホテルに宿泊しながらの撮影だったので、そういうところで生まれた絆はあったかもしれません。さすがに、みんなで食べに行くことができなかったのですが、撮影の合間に一人でご飯屋さんにも行きました。佳央太さんが「おいしい鰻を食べに行った」と聞いていたので、そのお店に行ったら、休業日だったんです。それで有名なラーメン屋さんに行って、さっぱりしておいしい醤油ラーメンを食べました。

 

──完成した作品を観たときの感想は?

 

新谷 劇中に流れる音楽や効果音がとてもポップなのに、どこか切なさを感じました。あと、何度か出てくるぬいぐるみ目線のカットを観ることで、ぬいぐるみの方にも感情移入しちゃったりして(笑)。なかなかできない体験ですし、それがこの映画ならではの特色や面白さだと思いました。

 

素敵な人間性も含めてずっと吉高由里子さんに憧れています

──『麻希のいる世界』『やがて海へと届く』など、2022年は女優としての新谷さんにとって大きな転機となった一年だったと思います。それを経ての本作は、どんな一作になりましたか?

 

新谷 原作を読んだときからいろいろと考えさせられ、役者としてもそうですが、人としてもすごく成長できる内容の作品に出会えたと思っています。それは私自身、前から望んでいたことですし、この作品を観た誰かに何かを伝えられることができたらいいなとも思います。あと、同じ事務所ということもあり、七森役の佳央太さんとは小学生のときから同じレッスンを受けるような知り合いだったんです。今回やっと共演できたのですが、このタイミングでご一緒できて本当に良かったです。

 

──今年20歳になり、来年デビュー10周年を迎えるなか、今後の展望・目標は?

 

新谷 もうそんなに経つんですね! お仕事をしつつ、とにかく人間として成長したいです。あと、年齢を重ねるごとに、吸収できるものを着実に吸収しつつ、それを作品に反映できたらと思っています。これからは学生だけでなく、いろんな職業の役をやっていくと思うので、とても楽しみです。素敵な人間性も含めて、ずっと吉高由里子さんに憧れていて、それは変わりませんね。

 

──これまで大人っぽい役柄を演じることが多かったですが、素の新谷さんは?

 

新谷 私、三人姉妹の末っ子なんです。だから、家族の前では甘えたがりです。あと、ちょっと頑固かもしれないし、お姉ちゃんがお母さんに怒られている姿を見て育っているので、「これはしないようにしよう!」とか、要領の良さというか、ずる賢い部分はあるかもしれません(笑)。

 

──撮影現場などに、常に持っていくモノやグッズがありましたら教えてください。

 

新谷 役について以外も、やりたいと思ったことや次の日の予定など、思いついたものをすぐ書き込めるよう、ペンとノートは必ず持っています。ずっと使っているのは、書きやすさよりも柔らかさ重視のシャープペン。ノートはいろんなものを使ってきたんですが、2年前に新潮社さんの「マイブック」に出会って、その使いやすさが気に入っています。2年間で、3冊ぐらいのペースですね。あと、ネロリの匂いをする香水とか、いい匂いがするものも好きです。

 

 

(C)映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

4月14日(金)より新宿武蔵野館、渋谷 ホワイト シネクイントほかロードショー
4月7日(金)より京都シネマ、京都みなみ会館にて先行公開

(STAFF&CAST)
監督:金子由里奈
原作:大前粟生「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」(河出書房新社 刊)
脚本:金子鈴幸、金子由里奈
出演:細田佳央太、駒井 蓮
新谷ゆづみ、細川 岳、真魚、上大迫祐希、若杉 凩、
天野はな、小日向星一、宮﨑 優、門田宗大、石本径代、安光隆太郎

【映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」よりシーン写真】

(C)映画「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」

 

撮影/金井尭子 取材・文/くれい響 スタイリング/世良 啓 ヘアメイク/坂本志穂 衣装協力/ToU I ToU SERAN,Fumiku

岐阜・信長まつり、大ヒット「織田ちん」を生み出した「シイング」がすごかった! 美濃で求め続けた“ロック”と“ロマン”

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義父・斎藤道三に託された地を「岐阜」と改めた織田信長は、楽市・楽座や兵農分離など町づくりを行い、岐阜を拠点に全国統一を目指しました。そんな信長を称える「岐阜市産業・農業祭~ぎふ信長まつり~」2022年11月5日と6日、3年ぶりに開催。かつてない盛り上がりを見せました。

 

この状況の下、突然スポットライトを浴びることになった会社が。和紙を伝統産業とする美濃市の「シイング」です。

 

今回は大人気商品「織田ちん」を生み出した社長・鷲見恵史さんに直接お話をうかがいました。実は「織田ちん」ヒットの裏には、ロックとロマンが詰まった、知られざる物語があったのです。

鷲見恵史…52歳。岐阜県関市洞戸出身。名古屋の美術大学卒業後、美濃市で美濃和紙を扱う問屋「大滝商会(現シイング)」に入社。現在はシイング社長として、美濃和紙と全国各地の産業や技術を組み合わせたアイデア商品の企画販売を行っている。

 

※最後にプレゼントのお知らせがあります。

 

 ぽち袋「織田ちん」は、どう生まれたのか

――信長まつりで話題になり、現在も完売が続いているぽち袋「織田ちん」。まずは「織田ちん」がどう生まれたのかを聞かせてください。 

 

鷲見 実は「織田ちん」が誕生したのは3年前になります。「岐阜のお土産モノ」が作りたいと思っていた時、ちょうどNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』(2020年)の舞台が岐阜だったのです。社員が岐阜県出身の漫画家・石田意志雄先生と知り合いで、石田先生と相談して明智光秀や織田信長のぽち袋を作りました。

 

岐阜県は長良川や板取川など美しい清流があり、昔から和紙作りに適した土地です。美濃和紙は、福井の越前和紙、高知の土佐和紙と並んで「三大和紙」と呼ばれていて、障子紙や鉄筆原紙など薄くて強い紙が得意なんです。でも「織田ちん」はお札が透けないよう、厚紙が得意な福井と四国の協力も得ながら、オリジナルで厚く漉いてもらいました。

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↑「織田ちん」の他、明智光秀の「明智貢いで」、徳川家康の「徳川マイぞうきん」、斎藤道三の「ありが道三」など、おちゃめな武将のぽち袋

 

――「織田ちん」をはじめ、「明智貢いで」や「徳川マイぞうきん」などネーミングが印象的です。なぜダジャレにしようと思ったのでしょう? 

 

鷲見 シイングは初期から、モノに文字を入れる言葉遊びを大事にしていました。売ったり展示したりする時、真っ白な紙だけでは面白くないので。20年前、試しにダジャレを入れてみたら、思いのほか売れた。そこからダジャレを取り入れるようになりましたね。

 

この「織田ちん」をはじめとするシリーズも、シイングのベースに見合うものにしようと考えました。「織田ちん」と「お駄賃」は、ぽち袋ならではの商品なので、販売当時から人気でした。 

↑左から「ぽち(長)寿(招福つるかめ)」「ぽち(長)寿(めで鯛)」。初期に作ったという言葉遊びのぽち袋

 

 

岐阜・信長まつりを機に、話題の商品に!

――販売当時から人気だった「織田ちん」ですが、信長まつりを機に大ヒットしました。その時の状況を聞かせてください。 

 

鷲見 信長まつりの前日、私は神戸のイベントで売り子をしていたのですが、社員から「織田ちん」が話題になっていると連絡が来て。得意先からも注文があり、各店に納めようと急いで岐阜に戻りました。

 

出荷準備をして、翌朝配達して会社でホッとしていると、さっき収めたばかりの店から「もうない」と電話があり。また配達して、でもすぐに「なくなった」と連絡が来て……。「すごいことが起きているぞ」と。

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↑岐阜駅にある「THE GIFTS SHOP」に並べられた「織田ちん」をはじめとするぽち袋。信長まつり当日、鷲見さんが何度も配達しに行ったとのこと

 

――まさに「岐阜のお土産モノ」になったのですね!  

 

鷲見 売れてはなくなってを繰り返して、求めてくださる方々の手に届くよう、とにかく作り続けました。その間に大手コンビニから声をかけていただいたり、テレビやラジオからオファーがきたり。「岐阜のお土産モノを作りたい」思いが、数年越しに花開きました。偶然の重なりですが、強い思いで岐阜のあらゆる店に置いていたことが、今回の出来事につながったのかなと思います。

 

 

財産は150年の全国ネットワーク。シイングの歴史 

――「織田ちん」のヒットで「シイング」にも注目が集まっています。ここで、会社の歴史を教えてください。 

 

鷲見 もともとは「大滝商会」という名で、障子紙などの美濃和紙を扱う問屋でした。一方で軸箱など製造部門や、照明のシェード部門ができるなど、時代の流れとともに動いている会社でもありましたね。 先代の大滝国義社長(2017年没)が「古いことやってたら終わるから、好きなことやっていいよ」と言う人で、「なんか面白そう」と会社に入ってくる人が多かったです。

 

――今はどんなことをしているのでしょう。 

 

鷲見 紙や加工の情報量を財産として、商品企画を行っています。アイデアを形にするため、問題点やコストを考えつつ、実際に製作しながら全国各地の加工屋さんやデザイナーと意思疎通を図っています。 自社で企画製造するだけでなく「考える人」と「作る人」の間にいて、「どこでどうすれば商品ができるか」を伝えてつなげる通訳の役割もあると思っていて。伝統産業を発展させるためにも、柔軟発想を大事にしている会社なんです。 

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↑鷲見「もともと紙問屋なので、ファブレスな会社です。ただアイデアをすぐに形にできるよう試作機はたくさん持っています。こちらは断裁機ですね」

 

――全国各地ということですが、美濃市以外のネットワークはどう築いたのでしょう?

  

鷲見 会社自体に150年の歴史があり、先代の大滝がいろんな土地の人と仲が良かったこともあり、それなりに情報の蓄積はありました。大滝に続いて私も、日本全国いろんな所を見て、いろんな人と会うようにしています。「この素材を足して、加工すればできるはず!」と失敗を重ねながら挑戦する日々です。デザイナーさんからの「この素材で、こんなものをデザインしたい」という相談にアドバイスを返せるのは、経験があってこそなので。 

 

――社長自ら考え続け、動き続けているのですね。 

 

鷲見 シイングという名前は、1988年に大滝が「考える」の「think」と、紙を“考えて変化させていく” 現在進行形で「紙ing」と付けました。その後私が社長になってから、“紙の進行形”だけだと伝わりにくいと思い、サブタイトルに「楽しいを考える」と加えました。大滝とは血がつながっていませんが、「考える」ことに関してはものすごい馬が合ったんですよね。  

 

 

「え? そんなモノまで?」紙にとどまらないユニーク商品 

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↑「KamiPLAY」シリーズ「かみめん」

 

――具体的に、どのような商品があるのか見せてもらっても? 

 

鷲見 例えば、マスクと顔封筒がセットになった「かみめん みずひき」。目の周りが水引きになっているんですよ。コロナ禍前は、お祝い金を直接渡すことが多かったじゃないですか。この顔封筒にお金を入れて、マスクをかぶって渡して、飲みの場で写真を撮る(笑)。販売当時は話題になり、完売しました。

 

実は美濃の縫製技術を使っているんです。もともと岐阜県は縫製技術が高く、ミシンを持っているおばあちゃんがいっぱいいて。「これ縫える?」っておばあちゃんに聞いたら、すぐに縫ってくれました。 

 

――美濃和紙の紙漉き技術にとどまらない、土地のさまざまな技術を使っているのですね。 

 

鷲見 技術でいうと、「こより」を使った商品があります。もともとは着物の値札の技術なんですよ。まず「こより原紙」を仕入れて、印刷や型抜きをします。表と裏が和紙で、中に芯紙が入っているので、お湯につけて、バナナの皮みたいに和紙を剥く。中の芯紙をちぎったら和紙だけになるので、それをきゅるきゅるって“よる”んです。

↑「よしよし」シリーズ「かたちのこより」

 

プレゼントにつけると、かわいくないですか? 美濃市に作れる人がいたのでお願いしました。技術は地の利で、みんなが意外に知らない技術が各土地にはいっぱいある。少し前に、薄く丈夫な美濃和紙を生かした、水に濡らしてあおぐことで涼しい風を感じられる「水うちわ」が流行ったころから、土地の技術を探究するのもいいなと思ったんです。 

 

ただ一方で難しいのは、技術の価値が上がると、値段も上がること。例えばユネスコ無形文化遺産に登録されている、限られた手すき和紙職人しか漉くことのできない「本美濃紙」は、材料として使うと高くなってしまいます。アイデア商品を作って需要を喚起したいところですが、高額品は価値がわかる人に買ってもらうしかないですよね… 

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↑「KamiPLAY」シリーズ「かみノート」。鷲見「製本テープを髪の毛にしてみました。テープの材料を仕入れて、のり加工業者に頼んで、社内でカットして、貼って、断裁して440円で販売。値段合わんねって(笑)」

 

――材料と価値、難しいですね。そして、これだけいろんな商品を生み出していることに驚きました。

 

鷲見 うちはトライアンドエラーが多く、「え?そんなモノまで?」とよく驚かれます。現状の失敗でいうと、美濃の紙布を使った蜜蝋ラップですかね。洗えるラップとして、何回も使ことができます。デザインもかっこいいけれど、紙布と蜜蝋の相性がイマイチで試行錯誤しています。

 

――なぜ洗えるラップを作ろうと? 

 

鷲見 この商品は、県と市と一緒に作っているんです。ビックデータが出始めたころ、データを使って和紙の商品を作ったら面白いのではと思い、私から和紙業界団体を通じて県や市にお願いしました。そうしたら業界の商品開発の一環としてOKをもらって。チームを組んで研究した結果、SDGs関連商品がいいねとなり、やってみましょうと。 

 

――ビックデータを利用するとは! いろんな人を巻き込む行動力もすごいですね。 

 

鷲見 当時はまだ、ビックデータを商品企画に活かすことを周りで誰もやっていなかったので面白そうだなと。その前はデザイナーズ商品のムーブメントもあって、さまざまなデザイナーにアプローチをかけていました。次第に商品を作る時「誰に頼めばいいか」がわかるようになってきたので、今度は「どう売ればいいか」を突き詰めたいなと思ったんです。 

↑「蜜蝋ラップ」を紹介。鷲見「今後の課題ですね。生産体制だけは、ばっちり整えているんですけどね(笑)。何が正解かわからないので、いろいろ試していきたいなと思います」

 

求め続けたのは “ロック”と“ロマン” 

――鷲見さんは、どのようないきさつでシイングに入社したのでしょう? 

 

鷲見 高校時代を美濃市で過ごしましたし、伝統産業を培っているので「面白いモノが作れるんじゃないか」と、なんとなく美濃市で就職先を探しました。そこで当時、美濃市でホームページがあった会社がシイングを含む2社しかなかったんです。 会社の近所にあるガソリンスタンドで働いている親戚に「シイングって知ってる?」と聞いたら、「社長がガソリン入れに来てるよ」と言われて、面接してもらえないか頼んでもらいました。強引に入ったんです(笑)。 

 

――やはり行動力がすごい(笑)。鷲見さんが社長になってから始まっている、さまざまな紙のプロジェクトは、どういういきさつでできたのでしょう?  

 

鷲見 社長の立場になって一時期、考え方が「守り」になっていたのですが、一方で「攻めなきゃ」というもどかしい気持ちも強く抱えていて。さまざまなことにチャレンジし始めました。岐阜の片田舎でも面白いものが作れることを、存在証明的にやりたかったんでしょうね。最初のプロジェクトは県の事業で、美濃和紙を基にさまざまな商品を作る「かみみの」でした。すると、そこで出会ったプロデューサーと「ロックなモノが作りたい!」と意気投合したんです。

 

当時、雑貨品は女性向けのかわいらしいモノが多かったので、僕の中でずっと“漢向けのモノ”が作りたかった。その流れで「ロックな人を探そう!」と、バンドメンバーを集めるように人を探しましたね(笑)。音楽系出版社で働いていた友人に声をかけたり紹介してもらったりして、集まった4人で「KamiPLAY」プロジェクトを立ち上げました。 

 

――本当にバンドの結成ストーリーのようですね。「KamiPLAY」は、どんな活動をしているのですか? 

 

鷲見 まず「そもそもロックってなんぞや」と3カ月くらい話し合いました(笑)。「ロックって何?」と聞かれると、難しくないですか? とにかく作りがロックな商品を生み出したかった。無駄にギミックにこだわっているとか“泥臭い熱さ”とか考えるのが、すごく楽しかったです。 

↑「KamiPLAY」シリーズ「タイポカモフラ 金封・ぽちぶくろ」。鷲見「“迷彩に文字”なんて、オモロイじゃないですか。『おめでとうの文字が隠れています』と明かすのは面白くないので言いません。でも、そうすると気づかれないんですよね」

 

年に1回、当時乗っていたボロい車でメンバーと旅に出て、旅先で出会った加工技術を使って商品を作っていました。「今回は四国編です」「明日は愛媛のメーカーに参ります」と各地を回って、商品を作って発表する。まさに“ロマン”です。今は自社内で完結させることが多いですが、プロジェクトで出会った人とは良い関係性が続いています。 

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↑「KamiPLAY」シリーズ「PPB(ペーパーボール)天体」と「PPB(ペーパーボール)アニマル」。鷲見 「紙風船を、あえてペーパーボールって呼んでいます」

 

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↑「クロノホ」シリーズ「紙風船『石ころ』」。鷲見「片隅に転がっているようなヤツです。美濃の言葉で“くろのほう”は“すみっこのほう”という意味。それから僕は“鷲見(すみ)”なので」

 

 

どこにいても「刺さるものをつくりたい」  

 

――シイングに入社した時から伝統的な形にとらわれず、アイデアで新しいモノを求める姿勢が一環していますよね。 

 

鷲見 自分の軸ですね。ただ、ロックな商品を作るうえで反省もしました。楽しいけれど、売れない。ギミックを説明しなきゃならない、でも説明したら面白くない。そうしたら気づかれないし、そもそも気づいてもらったとしても刺さらずに終わることも多い。 

 

芸人さんやミュージシャンも同じだと思いますが、今は特に、世の中に沿うものでなければ売れないんです。ロックな感性ではなく、市場を考えたり人を増やしたりマーケティングしていくことが正解だと思います。でも、自分は我慢ができない。年を取って丸くなりましたけど、やっぱり自分が納得したうえで刺さるものを作りたいですね。 

 

――まさにロックですね!  強い思いを感じます。 

 

鷲見 だからこそ「織田ちん」で一番うれしかったのは、10人中10人が「良かった」と言ってくれたことです。同業者も「神様、見てくれているね」と声をかけてくれて、これまでの姿勢を見てもらえていたのかなって。 コロナ禍は本当につらかったけれど、やっとみんなに喜んでもらえる商品を生み出せたって……本当にうれしかったです。 

 

――「織田ちん」を機に美濃市に興味を持ち、足を運ぶ人も増えるのではないかなと。 

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↑「うだつの上がる町並み」で有名な美濃市

 

鷲見 多くの人に「織田ちん」などの商品を積極的に使ってもらうことで、和紙の価値や美濃の認知が拡大していったらいいなと思います。地方はやはり人口減少問題を抱えていますから。ただでさえ人口2万人という美濃市から、今も人は減っている。そもそも日本全体もシュリンクしているというか……ここからさらに二極化するのではないかと。 

 

――二極化というのは? 

 

鷲見 例えば四国などの紙の町で、中小企業と大企業が乱立していると、やはり従業員が大企業に取られてしまうという話を耳にします。コロナ禍では外国人の受け入れもできず、賃金を上げなければ人材が確保できなくなる。そうなると一部の企業は体力がなくなって、倒産や合併が相次ぎます。残るのは大企業と、なんとか商売が成立する従業員数名の小規模事業者です。紙の町に限った話ではないかもしれませんが。

 

そこで、どこでどう生きていくかを考えるのですが……私はとにかく、どこにいようと“刺さるものを作りたい”。伝統産業の衰退は、需要と供給バランスの問題でもあります。需要がないから衰退していく。だから、どこにいたとしても考えることをやめず、刺さるものを発信し続けて新しい需要を喚起し続けよう、ということは決めています。

 

――考え続けた先に「織田ちん」のヒットがあったのですね。お話を聞けば聞くほど、今回のヒットは必然だと感じました。さて読者には、悩みや葛藤を抱えながら働いている人や、これから社会に出る人、また伝統産業に携わっている人もいるかと思います。最後に、そういった方々にメッセージを送るとしたら、どんな言葉を送りますか。

 

鷲見 最後の最後に一般的な話になってしまいますが、人生も仕事も、何事も「やってみなきゃわからない」。これしかないです。私は末っ子で慎重派ですが、経験を重ねて、飛び込む勇気だけは必要なんじゃないかと思っています。特に伝統産業の中にいると、強く思いますね。同じものをずっと作っていたら、需要はどんどん減っていく。 

 

そうしたら、やらなきゃしょうがないんです。やらずにあれこれ言うのは説得力もない。失敗したら直していけばいい、悩んだらまずはやってみること。とにかくやる、ひたすらやる、です!  

 

株式会社シイング 

公式サイト:http://shi-ing.co.jp/ 

公式オンラインストア:https://store.shi-ing.co.jp/

公式Instagram: https://www.instagram.com/shi_ing_mino/ 

 

【シイングのさまざまな商品(画像をタップすると閲覧できます)】

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鷲見社長イチオシ! 「織田ちん」含むシイングの商品を7名様にプレゼント

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鷲見社長がこだわりぬいたシイングの商品を、計7名様にプレゼント!

●ぽち袋「織田ちん」「明智貢いで」「ありが道三」「徳川埋蔵金」「徳川マイぞうきん」 各1名

●「Pokke Note ハンカチ しましま」 1名

●「PPB(ペーパーボール)天体」地球 1名

 

下記、応募フォームよりご応募ください。

https://forms.gle/dvue8TLsDTCLsK4s8

※応募の締め切りは5月7日(日)まで。
※当選は発送をもってかえさせていただきます。
※本フォームで記載いただいた個人情報は、本プレゼント以外の目的での使用はいたしません。また、プレゼント発送完了後に情報は破棄させていただきます。

待望の続編公開!髙石あかり&伊澤彩織「日本のアクション映画として、もっと世界にも認知してもらいたい」映画『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』

社会に適応できない元女子高生の殺し屋コンビの日常を、コミカルさとバトル満載で描いた青春アクション映画『ベイビーわるきゅーれ』。公開から1年以上にわたり、全国各地でロングラン上映されるなど、国内外で話題をさらった。彼女たちのその後を描いた続編『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』が3月24日(金)より公開される。前作に引き続き、ちさと役とまひろ役を演じた髙石あかりさんと伊澤彩織さんに、続編に対する熱い思いや撮影エピソードを伺いました。

 

【髙石あかりさん、伊澤彩織さんの撮り下ろし写真】

 

阪元監督の「『ベイビーわるきゅーれ』が名刺代わりになる」が本当に

──前作が公開されたことでの周囲の反応はいかがでしたか?

 

髙石 前作から繋がったお仕事も多いですし、お仕事に行く先々で「『ベイビーわるきゅーれ』観たよ!」と言っていただけることが本当に嬉しくて! 私たちにとって、まさにベイビー(子ども)のような存在の作品だったので、どんどん成長していることを実感しています。

 

伊澤 成長しましたねぇ。前作を撮り終えたときに、阪元(裕吾)監督と「『ベイビーわるきゅーれ』が自分たちにとって名刺代わりになるだろう」という話をしていたんですが、本当にその通りになりました。しっかり“『ベイビーわるきゅーれ』の人”として認識されたり、“金髪の方”と言われ、金髪じゃないときは気づいてもらえないぐらいだったり(笑)、いい経験をさせてもらいました。

髙石あかり●たかいし・あかり…2002年12月19日生まれ、宮崎県出身。19年より俳優活動を本格化。『ベイビーわるきゅーれ』(21)で映画初主演を果たす。主な出演作に『終末の探偵』(22)、ドラマ『生き残った6人によると』(22)など。映画『わたしの幸せな結婚』(3月17日(金))、『Single8』(3月18日(土))が公開待機中のほか、ドラマ『東京の雪男』 (NHK Eテレ)にレギュラー出演。TwitterInstagram

 

──作品は異例のロングランヒットを記録したほか、伊澤さんは「日本映画批評家大賞」で新人女優賞(小森和子賞)も受賞されました。

 

伊澤 賞までいただけるとは戸惑いました。『ベイビーわるきゅーれ』に出て一番変わったと思うのは、すごい量のお手紙をいただいたこと。「映画を観て励まされました」という内容のものが多いんですが、私は逆にそのお手紙に書かれた言葉に励まされていました。劇場公開が終わった後もU-NEXTやAmazonPrimeの配信で観てくれた方からの反響がありました。

 

髙石 Twitter上で『ベイビーわるきゅーれ』について描いてくださったイラスト“ベビ絵”がどんどんアップされたときには、ちょっと驚きましたね。あまり他の作品ではなかなか見たことのない現象でしたから。

 

──そして、続編製作の話を聞いたときの感想は?

 

伊澤 前作を撮り終わって、2か月後ぐらいのタイミングにはもう企画が動いていて、「えっ、できるんですか?」という感じでした。それから「早く言いたい!」みたいな時期があって、TOHOシネマズ日比谷での上映(21年12月)のときに、やっと発表できて嬉しかったですね。

 

髙石 そのとき、なぜかマイクが不調で(笑)。だから、劇場で叫びました! 私、続編の撮影に入る前にも、改めて『ベイビーわるきゅーれ』で検索をかけることがあったんですが、公開から1年以上経っても、数秒単位で話題に挙っていて、「まだまだ続いているんだなぁ」と、熱量の高さを実感しました。

 

お互いを助け合うことで、より2人の距離が近くなった

──撮影前のアクション訓練はいかがでしたか?

 

伊澤 アクション監督の園村(健介)さんとあかりちゃんと3人で集まって自主練習したりしましたね。立ち回りを入れる前のベース作りが要になったと思いました。2人で銀行強盗をボッコボコにするシーン、楽しかったよね。

 

髙石 でも、カメラを意識したアクションをするのは難しかったです。今回は園村さんから、身体の仕組みというか、「この筋肉を動かすと、この動きに繋がる」といったことを教えていただいたので、少しはレベルアップしていたらいいなとは思います。

伊澤彩織●いざわ・さおり…1994年2月16日生まれ、埼玉県出身。スタントパフォーマーとして、映画『キングダム』(19)、『るろうに剣心 最終章』(20)、『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』(21)、『ジョン・ウィック』新作(23)などで、メインキャストのスタントダブルを担当。役者としての主な出演作に映画『ある用務員』(20)、『ベイビーわるきゅーれ』(21)、『オカムロさん』(22)などがある。Twitter

 

──今回、阪元監督や園村アクション監督から与えられた課題のようなものは?

 

髙石 本読みのときに、阪元監督が恥ずかしそうに「前作は2人のお話でしたが、今回のテーマは2人が一つの個になることです」と言われたのですが、それを意識しながら演じました。「右手が使えないなら左手で戦う」というように、お互いを助け合うことで、より2人の距離が近くなったと思います。

 

伊澤 阪元監督に「続編は男の2人組が私たちに挑戦してくる話」だと聞いていたので、挑戦を受ける側の私が強者に見えるようにどうしたらいいかというのが課題でした。前作から園村さんに教えてもらっていた身体の連動をもっと深く染み込ませる必要がありました。

 

ただの共演者ではなく阪元監督含めて家族みたいな近さがある関係

──撮影中の印象的なエピソードを教えてください。

 

伊澤 3日間かけた自動車工場でのアクションシーンですね。初日は屋外で、ゆうり(丞威)とまこと(濱田龍臣)との2対2の銃撃戦を撮影して、2日目から工場内で丞威さんと1対1のバトルを撮っていたのですが、真夏だったので、出る汗の量がすごかったんです。丞威さんと「どっちが多く汗が出たか勝負しよう!」と、着ていた衣装を絞ったんですが、お互いに滝のように出て、引き分け。人生で一番汗をかいた日でした(笑)。

 

髙石 あと、着ぐるみを着た、ちさととまひろのシーン。『アイアンマン』みたいな顔だけアップのショットは室内で撮ったんですが、身体を動かせない状態で顔だけ動かすのが、なかなか難しいんですよ。ちなみに、あれがクランクアップでした(笑)。

 

伊澤 着ぐるみを着た「キラキラ橘商店街」のシーンも楽しかったですね。撮影の合間に、みんなでコロッケ食べたり、揚げパン食べたり、商店街巡りもしました。下町の和やかな雰囲気が好きだったので、また遊びに行きたいです。

──劇中では仲良しコンビですが、実年齢では髙石さんが伊澤さんの8歳年下です。

 

伊澤 それに関しては早い段階で感じなくなったというか、私ができないことをいろいろやってくれるんです。うまく話せないときもすごくフォローしてくれるし、お芝居に関しても引っ張ってくれる。とても尊敬していて、「私の方が子供なんじゃないか?」と思うことも多いんです。年齢差感じる?

 

髙石 伊澤さんは珍しいタイプというか、ただの共演者というよりは、阪元監督含めて家族みたいな近さもあるというか。実際、伊澤さんのお家に遊びに行かせていただいたりもしているんですけど、それも友だちとも違っていて。多分、ちさととまひろの距離だと思うんです。

 

伊澤 自然に補い合っている感じがします。前作が公開されてから続編の撮影が始まるまでは、会ったり遊んだりする時間もなく、おのおの違う作品の現場で頑張っていたので、またこうして隣にいさせてもらえることが嬉しいです。

 

──前作に比べ、ちさととまひろのより親密な関係性が色濃く出ています。特に伊澤さんが丞威さんとバトる直前の2人の掛け合いは見どころです。

 

髙石 私は試写でスクリーンを通して観たときに、それはすごく感じました。私たち役者側の仲の良さがしっかり出たんじゃないかなと思います。

 

伊澤 「ちさとが死んじゃったら本当に嫌だな」と思って、撮影前に泣きそうになってました。顔の右側を撮っていたカメラには写っていないんですが、左目だけ泣いていて。あかりちゃんにだけバレてました(笑)。

 

今後のちさととまひろの関係性がどうなるか、気になります

──シリーズ3作目や“阪元監督作ユニバース”における期待を教えてください。

 

髙石 今後のちさととまひろの関係性がどうなるか、気になりますね(笑)。

 

伊澤 気になるね。私は(『最強殺し屋伝説国岡[完全版]』)の国岡さんとも戦いたいですね。でも、そのときは、まひろじゃない役で出演して、瞬殺されたいな(笑)。阪元さんが作る世界観を、もっと世界中の人に見てほしいです。

 

髙石 『Baby Assassins』の英語タイトルで海外でも人気なので、ちさととまひろも海外に飛び出したいですし、レッドカーペットも歩いてみたいですね。とにかく、またお互いに別の場所で鍛え上げて、阪元監督のもとに戻ってきたいです。

──現場に常に持っていくモノ・アイテムを教えてください。

 

髙石 いつも、このトートバッグに、ペンやリップクリーム、目薬を入れて持ち歩いています。ファッションブランド「Akihide Nakachi」の展示会で、私がひと目惚れした生地があったんですが、デザイナーのAkihide Nakachiさんが二十歳の誕生日に、その生地で作ってくださったトートバッグをプレゼントしてくださったんです。世界に1つだけなので、大切に使っています。あと、伊澤さんのお母さんが作ってくださった「ベイビー」仕様のキーホルダーと伊澤さんが作ってくださったステッカーも! これ、着ぐるみで着たパンダと虎のデザインになっているんです。

 

伊澤 インスタントカメラやデジカメを持っていきます。それで、今回は『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』の撮影の合間に撮った写真たちを持ってきました。阪元監督と3人で組体操したり、特別出演してくださった新しい学校のリーダーズさんを撮ったり、アルバム込みで宝物ですね。

 

 

(C)2023「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」製作委員会

ベイビーわるきゅーれ 2 ベイビー

3月24日(金)より新宿ピカデリーほかにて公開

 

(STAFF&CAST)
監督・脚本:阪元裕吾
アクション監督:園村健介
出演:髙石あかり、伊澤彩織
水石亜飛夢、中井友望、飛永 翼(ラバーガール)
橋野純平、安倍 乙 / 新しい学校のリーダーズ / 渡辺 哲
丞威、濱田龍臣

(STORY)
ちさと(髙石あかり)とまひろ(伊澤彩織)は、また途方に暮れていた……。
ジムの会費、保険のプラン変更、教習所代など、この世は金、金、金。金がなくなる……。
時を同じくして殺し屋協会アルバイトのゆうり(丞威)とまこと(濱田龍臣)兄弟も、途方に暮れていた。
上からの指令ミスでバイト代はもらえず、どんなに働いたって正社員じゃないから生活は満足いかない。この世は金、金、金。金が欲しい。
そんなとき「ちさととまひろのポストを奪えば正規のクルーに昇格できる」という噂を聞きつけ、作戦実行を決意。
ちさと・まひろは銀行強盗に巻き込まれたり、着ぐるみバイトをしたりとさぁ大変。そんな2人にゆうり・まこと兄弟が迫りくる…!
育ってきた環境や男女の違いはあれど、「もし出会い方が違えば仲良くなれたかなぁ」なんて思ったり思わなかったり、ちょっと寂しくなったりならなかったりする物語である。

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【映画「ベイビーわるきゅーれ 2 ベイビー」よりシーン写真】

(C)2023「ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー」製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/くれい響 ヘアメイク/西田美香(atelier ism(R)) スタイリスト/入山浩章

田代 輝「僕も永瀬正敏さんのような俳優になりたいって、改めて目指したいものを考えるきっかけになりました」映画「雑魚どもよ、大志を抱け!」

映画監督、脚本家として活躍している足立 紳氏が20年がかりで念願の企画を実現した。映画「雑魚どもよ、大志を抱け!」(3月24日(金)公開)は、コンプレックスや葛藤を抱える小学生男子たちのかけがえのない日々を描いた作品だ。子供たちのリーダー的存在・隆造を演じた田代 輝くんが、撮影中のエピソードなどを語ってくれた。

 

田代 輝●たしろ・ひかる…2007年11月17日生まれ、東京都出身。0歳から赤ちゃんモデルとして活動を始める。2016年NHK Eテレの「で〜きた」で主人公・おうすけを演じ、その後、話題作に次々と出演。映画『CUBE 一度入ったら、最後』(21)、ドラマ『シジュウカラ』(22)などで重要な役柄を演じた。Instagram

 

【田代 輝さん撮り下ろし写真】

チャレンジする気持ちで、隆造の孤独な気持ちを味わうように何度も台本を読みました

──隆造役はオーディションで決まったのでしょうか。

 

田代 はい。原作である足立 紳監督の「弱虫日記」という小説を読んで、隆造がすごくかっこいいキャラクターだったので、ぜひとも演じてみたいなと思いました。オーディションのときは絶対に受かりたいという気持ちで挑戦しました。

 

──監督にやる気を見せるために何かアピールはしましたか?

 

田代 アピールはしていないです(笑)。1次から3次まであったんですけど、1次オーディションでは隆造を演じるのではなく、「思いっきり笑ってくれ」、「思いっきり泣いてくれ」みたいなことを言われました。僕は昔飼っていたペットが死んだことを思い出して演技をしましたが、そういう感情を出すようなオーディションって今まで経験したことがなかったので、不思議な感じがしました。

 

──映画を拝見して、確かに隆造はとてもかっこいい男の子だなと思いました。田代さんご自身は隆造をどんな人物だと捉えていらっしゃいましたか。

 

田代 隆造はクラスでも強くて友達をまとめている、かっこいい子だと思いました。でもそんな隆造にも悩みはあって、親から愛情を注がれず虐待を受けている一面があるんです。そういった悩みをできるだけ友達には隠して生きることを貫いている少年なので、すごく難しい役だなと思いました。でもチャレンジする気持ちで、隆造の孤独な気持ちを味わうように何度も台本を読みました。

 

特に難しくて印象的だったのは、瞬と掛け合いするシーン

──実際に演じてみて隆造という役のどんなところが難しかったのでしょうか。

 

田代 特に難しくて印象的だったのは、瞬(池川侑希弥)と掛け合いするシーンです。家庭に大きな悩みを抱えていた隆造が、ずっと隠してきたことを瞬に打ち明けるすごく大事なシーンなので、練習しなきゃ! と思っていました。でも足立監督から「練習し過ぎると慣れが出てきてしまうから、できるだけ練習しないで臨んでほしい」と言われたんです。本番で生の感情が撮れたら……ということでしたけど、僕はそういう演技をする経験があまりなかったので、新たな考え方みたいなものを教えていただいてすごく勉強になりました。

 

──あのシーンは長回しでセリフも長く、見ているだけでも難しさが伝わる場面でした。プレッシャーもあったのでは?

 

田代 そうですね。ありました。緊張もしましたし、うまくできるかなって不安もありましたけど……。あのシーンはずっと一緒に撮影してきて、瞬とも仲良くなって絆も深まったときに撮ったので、本当に瞬と隆造との関係で演技ができたというか。ものすごく役に入り込んで、お互い全力でできたと思います。

 

──そのシーンについて池川さんと話し合ったりしました?

 

田代 前日に「いよいよ明日だね」って話しました。でも監督から練習しないでって言われていたので、話し合うだけでも「瞬と隆造のようになれるかな」と思って、前日は一緒に過ごしました。

 

人として尊敬していて、池川くんみたいになれたらなって思いました

──瞬と隆造のように池川くんともすごく仲良くなったんですね。

 

田代 はい。池川くんは優しいし周りへの気配りもできるし、いろんなことに対しての考え方が素晴らしいと僕は思っています。人として尊敬していて、池川くんみたいになれたらなって思いました。池川くんはどう思っているかわからないんですけど、本当に仲良くしたいなって(笑)。最近も取材で会う機会があるので、ちょっと前くらいから連絡して、「久しぶり。ようやく会えるね」って、本当に楽しみでした。実はさっきも池川くんに会って、お互いに話したいことがいっぱいあって、会話が止まらなかったです(笑)。

 

──子供たちと一緒のときには年相応に楽しそうな隆造も、父親役の永瀬正敏さんと向き合うときは緊張感がありましたね。

 

田代 永瀬さんとのシーンも難しかったんですけど、カメラがないところではすごく優しい方で、気さくに話しかけてくださり、僕の話にも付き合ってくださいました。でもカメラが回るとその優しい姿を忘れてしまうくらい本当に怖くて。ものすごい演技を間近で見せていただいたので刺激を受けました。僕もこういう俳優さんになりたいって、改めて目指したいものを考えるきっかけになりました。

 

──映画の舞台は1988年。35年くらい前の小学生と、自分が小学生だった頃を比べて、ここは違うここは変わらないなって感じたことはありましたか。

 

田代 この映画に登場する7人の子供たち全員が、すぐ友達と比べたり、こいつには負けたくないみたいな小さなプライドみたいなものを持っているんです。それは今の僕にもわからなくはないので、気持ちの面ではあまり変わりがない気がします。でも町の風景や時代背景、あとは言葉遣いが本当に違うなって思いました。撮影中アドリブで会話するシーンも多かったんですけど、そのときに最近の言葉が出ちゃうこともあって(笑)。そんなときは「35年前にその言葉ないよ」と監督からたびたび注意されました。でも最終的にはみんな慣れて、当時の言葉でちゃんと会話できるようになりました。

 

──例えばどんな言葉で注意を受けたか覚えてます?

 

田代 「マジ」とか「ヤバイ」とか(笑)。今は普通に使う言葉じゃないですか。だから日常的に出てしまって難しかったですね。

 

ありがとうございます……って、感謝の気持ちしかないです

──隆造たちは自然に恵まれた場所に住んでいますが、撮影は飛驒で行われたそうですね。

 

田代 はい。大きな自然って感じの場所でした。山や川、飛驒の景色も本当にきれいで、何より空気がおいしいんです。東京にいるときとはまた違う何かを感じて、撮影中はすごく充実している感じがしました。

 

──撮影中はどんな感じで進んでいったのですか。

 

田代 1か月ほど、他の6人と合宿みたいな形で一緒に宿に泊まって過ごしたんです。カメラが回っていないときもだんだん仲良くなって、みんなとの絆も深まっていったので、どんどん自分が隆造になっていく感じがしました。本当に役に入り込めたなって思いました。

 

──映画に登場する7人での合宿はとても楽しそうですね。

 

田代 撮影が始まる3日くらい前に宿に入って、役作りの準備期間を足立監督からいただきました。撮影する場所をみんなで見て回ったりして、だんだん気持ちを高めることができたと思います。ただそれ以前から、週に1回みんなで集まって演技の練習をしていたので撮影が始まる頃には打ち解けていました。

 

──7人集まるとどんな雰囲気ですか。

 

田代 みんなそれぞれの良さがあるというか(笑)。池川くんはすごく優しくて、みんなに気配りができるんです。そういうところは本当に瞬に近い感じがしました。小林役の坂元(愛登)くんはなんか面白くて、現場はいつも楽しかったです。

 

──役とはまったく違う人もいました?

 

田代 正太郎は役の上ではすごく真面目なんですけど、演じている松藤史恩くんは7人の中で一番やんちゃかもしれないです(笑)。

 

──ムードメーカーはどなたでした?

 

田代 本当にみんながムードメーカーでした。隆造はみんなをまとめる役だから、撮影以外のところでも自分が先頭に立とうって意識していました。みんなそれぞれの良さがあって、現場でもバランスが取れていたと思います。

 

──足立監督の印象を教えてください。

 

田代 本当に優しい方で、すごく好きです。現場でも絶対に怒らないし、僕たちが考えて来た演技を自由にやらせてくれて、でも違うところがあれば違うと優しくアドバイスをくださって。本当にありがたかったなって思います。穏やかに現場が進んでいったのも足立監督だからだと思っています。すてきな作品に出演させていただいてありがとうございます……って、感謝の気持ちしかないです。

 

ルービックキューブがまだ1分ちょっとかかるので1分切りたいです

──お話が変わりますが、今ハマっているものについて教えてください。

 

田代 友達としゃべりながら、「フォートナイト」とかいろんなゲームをやることにハマっています。といっても、そんなに長い時間できないので1日2時間くらいですね。今からやろうよみたいな感じで友達を誘って、日頃の学校のことなんかをしゃべりながらやっています。

 

──ゲームは強いですか?

 

田代 わからないです(笑)。でも……けっこう得意な方ではあります。

 

──他に夢中になっているものは?

 

田代 趣味でいうと、ルービックキューブをやっています。一応6面そろえられるんですけど、まだタイムが遅くて時間がかかっちゃうんです。なので、今は速くできるように練習中です。

 

──目標はありますか。

 

田代 1分切りたいですね。今はまだ1分ちょっとかかるので。

 

──十分速いですよ(笑)。ルービックキューブは何でハマったんですか。

 

田代 友達にルービックキューブ6面そろえられるよって言ってる子がいて、僕もルービックキューブには触ったことがあったんですけど、6面そろえられたことがなかったんです。どうやってやるんだろうって不思議に思って、やり方を調べたらなんとなくできるようになりました。あれって規則性があるので、多分自由に触っているだけじゃ6面はそろわないんですよね。やり方があるので、できるだけその動作を速くできるようにするような感じで、時間を早めていくんです。それにすごくハマっています。やっていると夢中になっちゃいますね(笑)。

 

 

(C)2022『雑魚どもよ、大志を抱け!』製作委員会

雑魚どもよ、大志を抱け!

3月24日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

 

(STAFF&CAST)
監督:足立 紳
原作:足立 紳「弱虫日記」(講談社文庫)
脚本:松本 稔、足立 紳
出演:池川侑希弥(Boys be/関西ジャニーズJr.)、田代 輝、白石葵一、松藤史恩、岩田 奏、蒼井 旬、坂元愛登
臼田あさ美、浜野健太、新津ちせ、河井青葉 / 永瀬正敏

(STORY)
地方の町に暮らす平凡な小学生・瞬(池川侑希弥)。心配のタネは乳がんを患っている母の病状……ではなく、中学受験のためにムリヤリ学習塾に入れられそうなこと。望んでいるのは、仲間たちととにかく楽しく遊んでいたいだけなのに。瞬の親友たちは、犯罪歴のある父(永瀬正敏)を持つ隆造(田代 輝)や、いじめを受けながらも映画監督になる夢を持つ西野(岩田 奏)など、様々なバックボーンを抱えて苦悩しつつも懸命に明日を夢見る少年たち。それぞれの家庭環境や大人の都合、学校でのいじめや不良中学生からの呼び出しなど、抱えきれない問題が山積だ。ある日、瞬は、いじめを見て見ぬ振りしてしまう。卑怯で弱虫な正体がバレて友人たちとの関係はぎくしゃくし、母親の乳がんも再発、まるで罰が当たったかのような苦しい日々が始まる。大切な仲間と己の誇りを獲得するために、瞬は初めて死に物狂いになるのだった。

 

【映画『雑魚どもよ、大志を抱け!』よりシーン写真】

(C)2022『雑魚どもよ、大志を抱け!』製作委員会

 

撮影/映美 取材・文/佐久間裕子 ヘアメイク/野中美希 スタイリスト/君嶋麻耶

土屋アンナ、 “ダメ男を放置できない”キティに「共感だらけ」 演技は「生きれば生きるだけ引き出しが多くなる」

人気シリーズ『シュレック』に登場する伝説のネコ・プスが主人公の映画『長ぐつをはいたネコと9つの命』が3月17日(金)に公開します。

 

愛くるしいモフモフながら、剣を片手に危険な旅を繰り返していたプス。いつの間にか、9つあった命はラスト1つに。死に恐怖を感じ家ネコになろうとした時、どんな願い事も叶う「願い星」の存在を知ります。命を増やすため、なんとしても「願い星」を手に入れたいプスは、手強いライバルたちを巻き込んだ大冒険へ繰り出します。

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土屋アンナ●つちや・あんな…1984年3月11日生まれ、東京都出身。主な出演作に、『下妻物語』(04)、『さくらん』(07)、『パコと魔法の絵本』(08)、『Diner ダイナー』(19)、『ALIVEHOON アライブフーン』(22)など。InstagramTwitter

 

今回はスリの達人でプスの元カノであるキティ・フワフワーテ役の土屋アンナさんに話を聞きました。キャスティングの話がきたことを「めっちゃうれしかったです」と笑顔で振り返った土屋さん。役作りから自身の家族についてまで、時折、強くたくましいキティの影を見せつつ語ってくれました。

 

【土屋アンナさん撮り下ろし写真(画像をタップすると閲覧できます)】

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仕事に活きるのは人生経験「生きれば生きるだけ、引き出しが多くなる」

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――土屋さんは、これまでアクションSF映画『バトルシップ』(2012年)や、アニメ映画『君は彼方』(2020年)などで声優を務めていました。今回プス役を務めるうえで、何か特別な準備はしましたか?

 

土屋アンナ(以下、土屋) 特に意識しなかったですね。俳優としての演技も同じですが、最初からその役柄に入れないので、やりながら映像と自分の動きをマッチさせていきました。実際に声を出して、その動きをして衣装を着て、どんどんその役になっていく。初めからできると思わないようにしています。

 

――過去の経験が活きていると感じたことはありましたか?

 

土屋 それはありますね。仕事も人との出会いも増えて、いろんな感情を経験する分、同じ笑顔でも「ああ、こういう笑顔なのかな」って読み取るパターンが増えているかな。毎日刺激を受けて生きているから、生きれば生きるだけ引き出しが多くなると思います。年を重ねるごとに、人の心は、懐は、大きくなる! ……(周りを見ながら)でしょうか(笑)?

 

――なるほど! 確かにそう思います。演じるうえで意識したことはありましたか?

 

土屋 英語と日本語で、ちょっと違うなと思っていて。英語は音が多いけれど、日本語は淡々としているので、より伝わるように大げさにしました。あとは声にならないような微かな音、例えば重い物を持った時の「うっ」とか。映画を見ている人にわかりやすく伝えるために、そんな音を出すようにしました。その音を考えるのが難しくもあり、面白かったです。

 

――迫力あるアクションシーンも、かなりありましたね 。

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(C)  2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

土屋 「はっ」1つでも、ジャンプする時の「はっ」と、着地した時の「はっ」は、違うんですよね。頭で考えると自然じゃなくなるので、身体を動かしていました。わざとらしくならないように、でも表現は大げさにっていうレベルも難しい。「声優さんすごいな」って思いました。

 

――日本語吹き替え版を担当した鍛治谷功監督の演出はいかがでしたか?

 

土屋 気持ちを引き出してくれるのがとても上手な監督でした。「ちょっと楽しい感じで」とか、「これくらいのテンション? いぇ――い!」「それいきすぎです」とか盛り上げてくれて、一緒に音楽を作るような感じでしたね。私は気が合うと思っているけれど、監督はどう思っているかな(笑)?楽しんで作品を作ろうという気持ちが共通点としてあったので、うまくいったのかもしれません。

 

キティとプスは“理想の関係性”。「人としての信頼を大事にする愛のカタチ」

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――プス役の山本耕史さんとの軽快な掛け合いが印象的ですが、収録は一緒だったのでしょうか?

 

土屋 別撮りでしたが、プスの声はすでにほとんど入っていたので、一緒にやっているような感じでした。山本さん、いい声していますよね。それに歌が上手じゃないですか。映画『下妻物語』(2004年)の時に、歌う人はテンポを読むのがうまいと言われたんです。今回、テンポよく一緒に作品を作ることができて、山本さんとも気が合う気がしています。

 

――そんな山本さん演じるプスの元カノであるキティに、共感するポイントはありましたか?

 

土屋 共感だらけですね。1番は、“ちょっと好きな異性”に会っていても、率先だって「あたしが行く!」と戦いに向かうところ。とりあえず自分で行動するところが、すごく似ているんじゃないかな。あとは母性本能。「ちょっぴりダメ男だから放置できない、この子大丈夫かな」とプスを心配する面もわかりますね。

 

でもキティは自分の芯を貫いて「私は勝手に生きていくから!」「あなたが寄り添うならOKだけど、あなたが寄り添わないなら知らないわよ」っていう強さを持っている。やっぱり相手を甘やかしちゃダメですね、甘やかしません!

 

――(笑)。逆に異なる部分はありましたか?

 

土屋 キティが目をキラキラさせて、プスと“かわいこ対決”するシーンがありますが、私は絶対できないと思いました。「私を見て」のセリフは「えっ、どうやって言おう。どうしよう」って焦りましたね。ネコのかわいさが、私ゼロなので。ネコは6匹飼っていますが、とにかく目がかわいい。あのかわいさを、あいにく私は持っていないです。

 

――くっつきそうでくっつかない、プスとキティの関係性についてはどう思いますか?

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(C) 2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

土屋 すごくいいなと思っちゃいますね! 今の時代、パートナーシップというカタチもありますし。友達やきょうだいのような時もあり、恋人のような時もある。人としての信頼を大事にする愛のカタチですよね。私も「そちらは戦いに行くの、じゃあこちらも戦いに行く、後ほど会おうね」みたいなの大好きです!

 

とかいってラブストーリーのベタベタしている感じも大好きですけれど(笑)。「なにこれ! こんな恋愛したいみたい!」って思う時もあります。でもやっぱり、くっつきそうでくっつかない、それが人生の面白さですよ!

 

「『うちとは違うね』じゃなく『いいカタチだね』って受け止められる人が増えたら」

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――プスとキティと行動を共にするワンコや、「願い星」を狙うゴルディ家族も登場します。それぞれキャラクターの印象を聞かせてください。

 

土屋 ワンコは、4歳児までのような心を持っていますよね。大人になればなるほど世間のルールに則ったり、経験上で壁を作ってしまったりするけれど、子どもは純粋な目で物事を見ていて、大人がびっくりするような行動や言葉を素直に言ってくれる。「いいじゃん! だってもう幸せだよ」って、ワンコの言葉1つひとつが子どものようでした。

 

それから子どもって、絶対的に親の味方じゃないですか。親が子どもを強く怒ってしまっても、子どもは親がずっと好きなんです。ワンコも「ねぇ、僕はママとパパが好きなの! それだけなの!」っていう心の持ち主だったので、娘や息子の視線で見られている気がしましたね。親がこの映画を見ると、ワンコと子どもがシンクロするんじゃないかな。

(C) 2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

――土屋さんは4児の母で、ちょうど4歳のお子さんもいますね。

 

土屋 そうそう。私が疲れて帰って愚痴をこぼしても、4歳の虹波(にいな)はおもちゃの携帯で20分くらい「もしもし? そうなの? わかったわ」って、1人で楽しそうにしゃべり続けているんです。見ていると「この子、周りからの言葉なんてどうでもよくなるくらい自分の世界を楽しんでいる」って思います。

 

ワンコが自分の境遇を話した時も、キティは「それおかしくない?」と言ったけれど、ワンコはすごく楽しそうだった。子どもって、本当にキラキラしている宝です。

 

――3頭のクマと暮らす少女ゴルディ家族については?

 

土屋 ゴルディ家族は、いろんな見方ができると思います。人が決めた“家族というカタチ”じゃなくていい、クマでもいいじゃん、これが私のファミリーですって。「思いやる気持ち」「愛する気持ち」は人が決めたカタチにハマらないことを伝えてくれていると思います。

 

みんながこう思えたら世界平和ですよね。「うちとは違うね」じゃなく「いいカタチだね」って受け止められる人が増えたらいいな。

 

“願い星”を手に入れたら?「目の前に小さな命があるなら、それを守るのが大人の仕事」

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――家族といっても楽しいことばかりではなく、「パートナーがムカつく」「育児がつらい」とネガティブになる時もあると思います。そんな時、土屋さんはどうしていますか?

 

土屋 楽しいだけじゃない、そりゃそうですよ! 生きていくには仕事をしなきゃいけない、子育てだって自分とは全然違う人間を育てていくわけだから、思ったとおりにいくわけない。 今は特に SNSの時代で、きれいなお弁当をアップしていたり、ファミリーでYouTubeを幸せそうにやっていたりする家もありますが、すべてを見せているわけではないと思うんです。

 

それを前提に考えると、なるようになる気持ちで母親をすることが大事。さらに大事なのは「自分が崩れたら終わる」と思える強さだと思っています。悩んでも、親が唯一やることは子どもを生かすこと。それこそ自分の子じゃなくても。目の前に小さな命があるなら、それを守るのが大人の仕事だと思うんです。

 

私は自分なりの子育てを一生懸命やればいいっていう気持ちだけでやっていますね。それに子どもは常に親を必要としていて、必要とされると、人は強く生きられますから。

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――強くたくましいキティの影が見えました。では本作にちなんで、もし土屋さんが「願い星」を手に入れたら、何を願いますか?

 

土屋 世界中で傷ついている子どもたちがいなくなることが1番の願いです。叶ったら超最高ですよね。最近悲しいニュースばかりだから、いいニュースを流してほしい。いいニュースがニュースだから……それがやっぱり私の願いかな。ピースでいこうぜ! です。

 

――土屋さんの真っすぐな願いが伝わりました。最後に、読者に一言お願いします。

 

土屋 楽しい映像の中に、1つひとつの言葉の重さを見つけれくれたら、また見方も違ってくるのかなって思います。この映画を通して、みんな生きているだけで最高だねってなったらいいな。

 

愛用コレクションはアウトドア用品! 土屋さんの「ハマっているモノ」

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――今ハマっているモノはありますか

 

土屋 今コレクションしているのはフリーダイビング用のマスクと、GULL(ガル)のロングフィンです。海に潜るので、海グッズはお風呂場に増えていますね。マスクなんて7つくらいあるかな。潜るところによって変えたり、フリーダイビング用の小さなものだったり、いろいろあります!

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↑土屋さんが愛用している「GULL SKIN」ロングフィン

 

それから海つながりで、海に持っていくマイボトルも集めていました。コーヒー用とか漏れる問題とか、いろいろ試した結果、やっと理想のボトルにたどり着いたんです!

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↑土屋さんの理想だという「Hydro Flask」のボトル

 

――今はいろいろなモノがありますね。選ぶ時は機能性重視なのですか?

 

土屋 えー、色(笑)。といってもマスクもロングフィンも、見た目と機能性の両方をそろえていないとダメですけどね。買う時は「この青好き! このピンク好き!」で即決まります。買い物に時間かけないタイプですが、長く愛用しますよ。

 

迷ったら人に見せて「どっち派?」って聞くけれど、答えを聞いても「やっぱりこっち!」って人の意見は一切無視。いや、意見を聞いて「え……」って自分が思ったら違うってわかるんでしょうね(笑)。

 

 

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(C)  2022 DREAMWORKS ANIMATION LLC.ALL RIGHTS RESERVED.

 

長ぐつをはいたネコと9つの命

3月17日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国公開

 

(STAFF&CAST)
監督:ジョエル・クロフォード
声の出演(日本語吹替版):山本耕史、土屋アンナ、中川翔子、小関裕太、木村 昴、津田健次郎
声の出演(オリジナル):アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック
配給:東宝東和 ギャガ

公式サイト:https://gaga.ne.jp/nagagutsuneko/

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撮影/中村 功

甲子園のヒーロー「斎藤佑樹」が今思うこと、これからのこと。そしてお気に入りのモノとは?

昨季限りでプロ野球のユニフォームを脱いだ斎藤佑樹は、言わずと知れたかつての“甲子園のヒーロー”だ。2006年夏、早実のエースだった斎藤が駒大苫小牧・田中将大選手(現東北楽天ゴールデンイーグルス所属)と繰り広げた、引き分け再試合に持ち込まれたほどの死闘は、今も語り継がれている。そして16年後、今年の甲子園では始球式をつとめたうえ、仙台育英が悲願を果たした決勝戦では解説席に現れ、“神解説”と大きな話題を集めた。

 

斎藤佑樹はいま何を考え、どこへ向かうのか。これまであまり明かされなかったプライベートも含めて、ざっくばらんに語ってもらった。

 

↑インタビューの間は常に笑顔が絶えず、気さくにトークを展開。現役を引退してから、「表情が穏やかになった」と言われることが多いという

 

「ゲットナビ、めちゃめちゃ好きなんですよ! この3年くらい毎号読んでます。インタビューのオファーをいただけて本当にうれしかったです」

 

ポーカーフェイスで、寡黙で、ストイック。筆者が野球選手としての斎藤佑樹に抱いていた印象とは異なる——多少のリップサービスはあったにせよ——社交的で自然体な青年の姿がそこにあった。家電やガジェット、時計、クルマなどモノ全般の情報に広くアンテナを張るという斎藤さんが、いま特に凝っているのは写真撮影だという。

 

「風景や空を撮ることが多いですね。月の周期は常にチェックしていて、満月を撮ったり、逆に星がキレイに見える新月のときを狙ってみたり。星空を撮りたいときは、街の灯りが少ないところまでクルマでパッと出かけることもあります。この間、北海道の美瑛町にある白金青い池という有名な観光スポットに行ったんですが、かなり良い写真が撮れました」

 

「達成感を得られるのが写真の魅力。いつか個展を開いてみたいです」

 

愛用するソニーα7SⅢは元々、現役時代に自身の投球フォームを記録してチェックするために購入したもの。趣味としての撮影を本格的に始めたのは現役を退いてからのことだが、すぐにのめり込んだ。

 

「カメラが好きなのは、撮影で達成感を得られるからかもしれません。僕は子どものころから野球の練習やトレーニングをして、試合で結果を出すことで達成感を得てきました。写真もそれと似ているところがあって、撮るものを事前にリサーチしたり、自身の撮影技術を高めたり、色々な準備をして撮影に臨みます。その結果として良い写真が撮れたら達成感を味わえる。写真を見た人からそれを褒めてもらえればさらにうれしいですね。腕を磨いて良い写真がたくさんストックできたら、いつか個展を開いてみたいと思っています」

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 1

●ミラーレス一眼
ソニー「α7S Ⅲ」実売価格44万9900円(ボディ)

有効1210万画素の裏面照射型CMOSセンサー「Exmor R」を搭載。画像処理エンジンは新開発のBIONZ XRを採用し、最高感度は拡張でISO409600を実現する。新開発の放熱構造により、長時間の4K動画記録も可能だ。

 

「フォームチェック用カメラが、趣味での相棒になりました」

「投球フォームを動画で記録してチェックするために購入しました。現役引退してその用途はなくなりましたが、いまでは趣味の撮影での相棒となりました。特に星空や夜景を撮るのが好きで、いつでも撮れるよう持ち歩いています」

 

カメラに限らず、あらゆることに対してこだわりが強いほうだという。現役時代はもちろん、引退したいまでも身体のケアには人一倍気を使っているが、特に意識を高く持つのが「睡眠」だ。

 

「2020年の秋にヒジの靭帯を断裂して新しい医療を受けていたんですが、そのときに先生から『再生に必要なテストステロンと成長ホルモンの分泌には、質の良い睡眠が必須』と言われたことがきっかけで、こだわるようになりました。たまに寝違えることがあったので、まずはしっかりデータを取ってマットレスの硬さを見直し、シーリー製の柔らかいものに変えました。これは肌触りも良くてストレスを感じることがなく、とても気に入っています。寝室のエアコンと加湿空気清浄機は国内メーカー製の高性能モデル。あとは、ディフューザーを使って、リラックスできるシトラス系の香りで部屋を満たすのもポイントです。天井に取り付けたポップインアラジンでヒーリング系の映像と音楽を流しながら寝ています。現役時代から移動中に寝るタイプじゃなかったぶん、自宅の睡眠空間にこだわりを持っているんです」

 

毎日欠かさないジムトレーニングも、ボディメンテナンスに対するこだわりのひとつだ。パーソナルトレーナーをつけて、ハードなメニューで自分を追い込んでいる。

 

「現役時代よりしっかりやってるんじゃないかっていうくらいで、終わったあとはヘロヘロになってます。スーツをカッコ良く着こなせる肉体を目指していて、ベンチプレスをしっかりやっています。現役時代は胸回りの可動域を広げるためにベンチプレスをやっていなかったので新鮮です。魅せる肉体に仕上がってきてますよ」

 

本来は「とても好き」だという酒も、質の高い睡眠やジムトレーニングといった毎日の“ルーティン”を守るために控えている。

 

「20代のころはチームメイトとハメを外すこともありました(笑)。米国アリゾナでのキャンプ中、後輩の(杉谷)拳士とクラフトビール専門店に繰り出したり……。ただ30歳を過ぎてから節制し始めて、引退後も酔うほど飲んだ日はありません。毎日活動するなかで、酒に酔ったことで思うようにいかなくなってしまうのがイヤなんです。翌日に何もなければハメを外しても良いのですが、毎日やるべきことはあるので、あまりそういう気になりませんね。最近流行っている低アルコール飲料や、お酒テイストのノンアルコール飲料は結構好きです。この間初めてノンアルワインを飲みましたが、思っていた以上に美味しくて驚きました」

 

↑本誌を毎月愛読する理由は「モノだけじゃなくて、トレンド全体を把握できるのが良い」から。ほかにも様々なメディアをチェックしている

 

「メタバース空間を活用して、何ができるか考えています」

 

インタビューの合間にも本誌をパラパラとめくり、「このカメラが欲しいんですよね〜」とか「この家電って本当に良いんですか?」と気さくに尋ねてきた斎藤さんが、最も興味を示していたのは「メタバース」の特集記事だ。

 

「新しいことがやりたくて、いま勉強しているところです。コロナ禍で気軽に外出できない状況が続くなか、スポーツ界にもメタバースの波が必ず来ます。例えば、北海道日本ハムファイターズの本拠地は2023年に新球場へ移転することが決まっていますが、道内の人でないと実際に訪れるのは難しい。そこで、メタバース空間内に球場や周辺施設を再現できれば、これまでにないエンタテインメントビジネスが生まれると思うんです。アバターが着るユニフォームなどグッズも販売できるし、バーチャルならファンと選手との交流もさかんになるはず。僕も何かアイデアを出してファイターズや野球界を盛り上げたいという気持ちがあります。メタバース空間内に僕が撮った写真を並べて個展を開くというのも良いですね(笑)」

 

次のステージへ進むためインプットを続ける斎藤さんに、“いま一番やりたいこと”を聞いた。

 

「色々とありますが……今年の夏に富士山に登る予定です。そこで達成感を味わえると思いますし、ビジネスへの活力も得たいですね」

 

野球界で幾度も頂点に立った斎藤佑樹は、新たなる高みを目指してスタートを切ったところだ。

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 2

●一体型VRヘッドセット
Oculus「Oculus Quest 2」実売価格3万7180円(128GB)

Meta(旧Facebook)が展開するシリーズ最新モデル(現在はMeta Quest 2に名称変更)。スマホやPCなどと接続せずに使えるスタンドアローン型で、頭部だけでなく全身の動きに対応する高いトラッキング性能を備える。

「メタバースを楽しむため、真っ先に購入しました」

「『メタバース』に興味を持って勉強するようになり、まず購入したのがコレです。いまのところはVRChatを楽しんだり、シューティングゲームをプレイしたりといった用途ですが、今後どんどんやりたいことが増えるはず!」

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 3

●照明一体型プロジェクター
ポップイン「popIn Aladdin 2」実売価格9万9800円

LEDシーリングライトとプロジェクター、スピーカーが一体となったデバイス。Android 9.0を搭載し、YouTubeなどの動画配信サービスをはじめとする様々なコンテンツを楽しめる。フルHD画質で最大120インチの投写が可能。

「ベッドルームに設置して、月の映像に癒されています」

「ベッドルームに設置して映像と音を楽しんでいます。以前は寝る前にNetflixで映画をよく見ていたのですが、いつも途中で落ちてしまって最後までたどり着けなくて(笑)。いまは月の映像を見て癒されながら寝ています」

 

斎藤佑樹のフェイバリットアイテム 4

●電子レンジ
バルミューダ「BALMUDA The Range」実売価格4万7850円

ムダを削ぎ落としたシンプルなデザインが特徴。自動/手動での温めや解凍モードなどをダイヤルで直感的に設定できる。オーブン機能も備え、パンなどの発酵にも対応。操作音にギターサウンドを採用しているのもユニークだ。

「シンプルなデザインが気に入り、バルミューダで揃えています」

「白物らしくない、シンプルでオシャレなデザインのバルミューダがお気に入り。このレンジのほか、BALMUDA The ToasterやBALMUDA The Potなどを揃えて、キッチン回りで統一感を出していますね」

 

Profile

斎藤佑樹

早実高3年時の夏の甲子園で激闘の末に優勝を飾り、一躍全国区のスターに。早大入学後からすぐに主戦投手として活躍し、4年時には主将も務めた。2010年のドラフト会議では1位指名で4球団が競合した後、北海道日本ハムファイターズに入団。プロ入り後は度重なるケガに悩まされながらも11シーズンを送り、21年に現役引退。同年12月に株式会社斎藤佑樹を設立した。
Instagram @yuki____saito

 

撮影/千葉タイチ

 

※『GetNavi』2022年4月号のインタビュー記事を再構成し、転載したものです。

「どちらに転んでもリスクがあるから不安はない」50代編集者が見た、女優 yukinoの覚悟と渋好みな暮らし

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】
ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方

 

最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないらしい。無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくらしい。努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんだとか!

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができる。そう信じていた気がします。そして、遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載を始めてみることにしました。

第1回「シンデレラガール、雪七美の17㎡堅実暮らし」
第2回「清楚とロック、モデルとミュージシャン…タカハシマイの2つの顔」
第3回「女優・辻千恵が過ごす、ひとりの時間と戦いの時間」
第4回「モデル・宮崎葉の“歯車”が回り始めた理由」

 

どちらに転んでもリスクがあるから、不安はない———yukinoさん

昨年より放送されていた東京ガスのテレビコマーシャルをご存知でしょうか?「未来が見える女の子が、少し先回りしてトラブルを避ける」という映像は、自転車置き場で倒れる自転車を足でエイッと支えたり、プールに落としかけたスマホを、横っ飛びにしてキャッチしたり。「え〜!」「ほ〜っ!」と思わず見入ってしまうものでした。

 

この女の子を演じていたのが、yukinoさん。「あれ、合成などはなく、ぜんぶガチでやったものなんですよ! 演じる余裕もなくて、真顔だったんです」と笑います。実は、2021年の3月に上京したばかり。女優&モデルとしての初仕事が、あのCMだったと言いますから驚きです。

 


東京ガス「先まわりする女性」篇。2021年第74回広告電通賞 フィルム広告 企業公共部門で金賞を受賞。

 

宮崎県出身、長崎の大学では教育学部で音楽を専攻。3歳からピアノを続けていたのだとか。「ピアニストになる……というわけではなく、ただ趣味で続けていければと思っていました」と語ります。だったら、その頃将来はなにをやりたいって思っていたの? と聞いてみると……

 

「カフェをやりたいと思っていました」とyukinoさん。「自分が働く空間を自分で作りたいと思ったんです」と語ります。しかも、大学時代からその夢を現実のものにしようと、SNSなどで自分の思いを発信していたといいますから、えらい!

 

このあたりが、私が若かった頃とは大きく違うなあと思います。今から20年ぐらい前は、もしカフェをやりたいと考えても、それが「自分の手が届くところにある」と感じることはなかなか難しかった……。どうやってカフェをオープンさせるのか情報も手に入らなかったし、大きな資本がないとできないという「常識」がまだまだはびこっていたし、学生をはじめ若者が持つ力はごくごくちっぽけでした。

 

つまり、自分が考えていることと、社会との間に大きな溝があったということです。でも今は、SNSが発達し、誰でもがより広い世界にアクセスしやすくなり、小さな一歩が大きな波を引き起こす可能性がぐんと増したような気がします。その夢への風通しのよさが、とてもうらやましいなあと思います。

 

編集者の一田憲子さん。

 

「これ、私が作ったんですよ」とyukinoさんが見せてくれたのが、細い金や銀の糸で編んだアクセサリーでした。「えっ? なに? これ金属でできているの?」と不思議に思っていると、「これ、糸で編んだものなんです。軽いし、金属アレルギーの人も身につけられるんですよ」と教えてくれました。

 

昔から手を動かして何かを作ることが大好きだったそうです。アンティークレースやヴィンテージのスパンコールなどを組み合わせてアクセサリーを作り始めたのが大学生の頃。「tokage(トカゲ)」というブランド名でネットショップを立ち上げました。

 

どうして「トカゲ?」と名前の由来を聞いてみると……。「目立つアクセサリーもかわいいと思うんですけど、身につけたときに自分に馴染むものがいいなあと思って。影や木漏れ日ってきれいでしょう? ああいう風に『さりげないけどきれい』っていうものを作りたいなと思って。『〇〇と影』っていう意味で『tokage』にしました」。なるほど、爬虫類の「トカゲ」ではなく「と、影」という意味だったんだ! と納得しました。カフェにしろ、アクセサリーにしろ、なんて目指す方向がしっかりしていることでしょう!

 

yukinoさん。

 

おどろくほど繊細な糸で編んだイヤリングは、yukinoさんが自分で立ち上げたウェブショップ「tokage」で販売しています。

 

レース糸や、アンティークビーズでアクセサリー作りを。手を動かしているうちに、自然に形が生まれてくるそう。

 

アクセサリーはオリジナルのボックスに入れて、自分で押し花をして作ったカードを添えて発送。隅々まで心を込めて。

 

大学時代に、ミスコンテストに誘われて出場。同時期に今の所属事務所から声をかけられました。「私で、大丈夫ですか? って思わず聞きました(笑)。当時SNSで応援してくださる方も増えていて、やってみようかなと思って……。東京に行くワンステップを踏んでから、カフェを開くのもありかなとも考えたんです」とyukinoさん。ミスコンが終わってから「一度東京に来て、実際にお仕事をちょっと経験してみませんか?」と提案されたそう。「ずっと田舎にいたから、東京は刺激も多いし、行きたいお茶屋さんにも行けるかもと思いました」。

 

東京で行きたかったお茶屋さんはどこだったの? と聞くと、「HIGASHIYA GINZAさんですね」とyukinoさん。なんと、びっくり!「HIGASHIYA」といえば、和菓子をモダンにアレンジし、急須でお煎茶を出されるお店。若い人が「好き」というには、ずいぶん渋いセレクトです。「お茶が好きなんです。落ち着きがあって、ちょっと静かな環境ですね」。

 

そういえば、自宅で愛用していると、インスタグラムにアップされていた器も、ずいぶん渋いものでした。

 

「雑貨屋さんでティーポットを買うときに、7000円だったんですが、店員さんに『その若さで、この金額のものを即決するのは珍しいですね』って言われました」と笑います。

 

お気に入りのティーポットやカップでお茶を飲むひとときが幸せ。作家ものの器は、どれも渋めのセレクト。

 

左は東京表参道にあるお気に入りのお茶屋さん「櫻井焙茶研究所」で買った茶葉。右は、大好きというオードリー・ヘップバーンのカレンダー。「映画『ローマの休日』などは、何度も見ました。品があって、純粋な感じや、ファッションセンス、そして演技がかわいいところが大好きです」。

 

こうして「一度お試しで」と事務所の提案で上京。その際初めての仕事が「ニューバランス」のプロモーションビデオでした。

 

「事務所の車でロケに行って、ニューバランスを履いて走る……というものでした。走るのは大丈夫だったんですけど、しゃべるのが全然ダメでしたね」と笑います。その後に続いた仕事が、あの「東京ガス」のCMだったというわけです。卒業後、上京。女優さんになることを目指して東京で暮らし始めます。それが、新型コロナウイルス感染症が猛威を振っていた昨年3月のこと。

 

不安はなかったのですか? と聞いてみました。

 

「もともと私は、普通の会社員ではなく、カフェをオープンすることを目指していました。もし女優の道を目指していなかったら、カフェの店員さんをしながら修行をしていたと思うんです。どちらに転んでもリスクがあるので、そういう意味では不安はなかったですね」

 

どうやら、yukinoさんの中で「カフェ」という優先順位は揺るぎないもののよう。人は「これ」というものを1本持つと、若くてもこんなにも強くなれるものなんだ、と感心してしまいました。もしかしたら、「強い」から未来を決められるのではなく、「決めれば」、強くなれるのかもしれません。

 

友人からもらったマトリョーシカや、雑貨屋さんで買ったラッコや犬など木の置物を持参してくれました。かわいいけれど、ちょっとシンプルなものが好き。

 

上京するときに物件を決める条件が「キッチンにコンロがふたつあること」。なるべく自炊をして食べているそう。

 

お母様はずいぶん厳しい方だったそうです。よく上京を許してくれましたね? と言うと……

 

「『ちゃんと就職しなさい。教育学部に行ったんだから教師になりなさい』と言われていました。でも私が『自営でカフェをやりたい』と言い始めて、SNSでいろいろな発信をし、フォロワー数が伸びてきた様子を見た頃から『もう好きにしなさい』と言ってくれるようになりましたね。厳しく育てられたからこそ、その反動で『自由』が好きになったし、好きなものが明確になった気がします」。

 

順調にスタートを切ったかに見えたけれど、上京してから受けたオーディションでは、なかなか結果が出ない日々が続いたのだと言います。

 

「やっぱり、簡単にはいかないなって思いました。それで、今年の9月から演技のワークショップに行き始めたら、少しずつよくなってきた感じかな」。

 

ワークショップは「自分の中の衝動に気づく」という課題だったそうです。

 

「表現するのではなく、頭で考える前に行動するっていうことなんです。二人一組になって、相手から感じられる感情を伝えたり、自分の感情をぶちまける練習をするんです。たとえば『私、緊張している』っていうことを言葉や行動にのせる……。人によっては立ち上がってものを蹴ったりしながら言う人もいます。そういう自分の感情に気づく練習なんです。それを10人くらいの前でやるので、自分に自信がないと動けずに固まっちゃうんですよね。衝動じゃなく、自分自身を奮い立たせるために立ち上がっちゃったりする。そうすると先生にしかられます」

 

なんと、難しそう!「衝動」とは、自分の内側の回路と自分をつなぐことなのかも。「たとえばドラマの現場でも、その役だったらどうするか? が『衝動』であれば、『演技しています』っていうことにはならないと思うんですよね」とyukinoさん。

 

実はごく最近ドラマのお仕事が決まって、撮影が終わったばかり。ドラマをやってみてどうだったのでしょう?「楽しかったんですけど、私にとって、すごくやりにくい役で、いろいろ考えさせられました。女優って、自分に自信をつけないとできない職業だって思いました」。

 

それはどういう意味? と聞くと……。「『これを演じてください』言われて演じるわけですが、自分に自信がないと『こうしたらいいのかな? これはやりすぎかな?』と考えちゃうんですよね。余計なことを考えないためにも、自分に自信をつけることが、これからの課題だと思いました」。

 

あのワークショップ以来、どうやらyukinoさんの求めることの根っこはすべて「自信」につながっているよう。

 

「merモデルオーディション2020」で見事、グランプリを獲得。

 

真ん中に「自分」がいて、両方の手に「仕事」と「暮らし」をきちんと握っている

女優のお仕事は始まったばかり。今はまだ女優1本では“食べていけない”ので、アルバイトを2本掛け持ちしているそうです。その合間にアクセサリー作りを。もし、女優さんとして成功したとしても続けていきたいことなのだそう。そして、最終目的はやっぱりカフェを開くこと。

 

「一度東京でやってみるのもいいかなと思うし、大学時代を過ごした長崎の港町で開いてもいいなとも思います。そして、やっぱり宮崎の実家に戻って、田舎の山の中でオープンしてもいいなあ。もし、私が女優さんとして成功できたら、山の中でもお客さんを呼び寄せることができると思うんですよね。だから今は、女優としての仕事を頑張ろうと思っています」。

 

 

好きなカフェを巡ったり、お気に入りの器やポット、茶葉を手に入れて自宅でティータイムを過ごしたり。仕事から帰った夜には、糸やビーズを取り出します。若いころは、夢を追いかけるだけで精一杯で、自分が「楽しむ」といういちばん大事なことを後回しにしがちなのに、yukinoさんは、真ん中に「自分」がいて、両方の手に「仕事」と「暮らし」をきちんと握っていました。

 

最後に愛用のノートを見せてくれました。「パピエラボ」のものだそう。「私のストライクゾーンは、結構広いんです。これもかわいいし、あれもいい。でも、ひとつに絞った方がいいなあって思うんです。だから、道を迷わないために、時々ノートに書いて自分の考えをまとめています。『将来は、これとこれがやりたい。じゃあ、これはどんな世界観にしたい? じゃあ、今目の前にあるこれはどうすべきかな?』みたいな感じ。実現できているかどうかは別ですけど」。

 

右が「パピエラボ」で購入したノート。ラッコの絵のノートは「ロフト」で。「中がベルリンの紙が使われているんです。その質感が好き」とyukinoさん。

 

その着実さ、冷静さに驚いてしまいます。若い頃、私がものごとを決める「ものさし」は、「実現できるか、できないか」という「結果主義」だった気がします。でも、yukinoさんの一歩は「できるかどうかわからないけれど……」でした。カフェも女優という仕事も、自分にそれをやる力があるかどうかは不明です。でも、きっとできる気がする……。それだけで十分なんだ。そう教えてもらった気がします。

 

若い頃からずっと「これができる自信が持てたらやろう」と思ってきました。でも、それだといつまでたってもスタートできない。「よし」と自分に自信を持てる日なんて永遠にやってこない……。そのことに気づいた頃には、もうずいぶん歳をとってしまっていました。「自信」というものは走り続けながら育てるものなのかも。一生懸命走っていたら、いつの間にかラクに走れるようになっていた、みたいに。

 

何かを手に入れるために必要なのは、あれとこれとそれという「条件」ではなく、「これが欲しい」と、ただ思えばいい。そう考えれば、私は「若さ」という条件は手放してしまったけれど、これからでも、欲しいものが手に入れられるのかもしれないな、とちょっとうれしくなりました。

 

 

Column / 一田さんの暮らしの一手間

季節の果物を使ってジャムを作ります。冬ならりんごや文旦、春になったらいちご……。りんご2個や、いちご1パックなら、小さな鍋に入れてほんの20~30分でできちゃうのでおすすめ。

 

私は、どんな果物でも、全体量の70%の砂糖を加えて作ります。これさえ覚えておけば簡単! りんごは好きな大きさにカットして。ごろんと形が残った方がよければ大きめに。ペースト状の方が好きなら小さめに。いちごはヘタをとってそのまま。

 

このほか、無農薬の文旦や甘夏などが手に入れば、皮を刻んで実と一緒に煮れば、マーマレードができます。自分で作ったジャムは、市販のものと香りが違います! 好きな甘さに調節できるのもいいところ。いちごと黒胡椒、りんごとクローブなど、スパイスを加えても。季節ごとにジャム作り、楽しんでみてください。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト「外の音、内の香(そとのね、うちのか)」も主宰。近著に『暮らしを変える 書く力』(KADOKAWA)
『外の音、内の香』https://ichidanoriko.com/

 

女優・モデル / yukino

1998年生まれ、宮崎県出身。長崎大学教育学部卒業。東京ガスをはじめ、ニューバランスやハタラクティブなどの広告のほか、優里「ベテルギウス」のMVにも出演。現在、ドラマ『まったり! 赤胴鈴之助』(テレビ大阪・BSテレ東)に出演中。
Instagram https://www.instagram.com/yk_____.jp/
Twiiter https://twitter.com/yk_____jp
「tokage」 https://enikaitayona.official.ec/

 

今どきの20代女子の生き方とは? 50代編集者が見たモデル「宮崎葉」の歯車が回り始めた理由

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方

 

「イチダさん、最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないんですよ」。え~!

「無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくんです」。ふ~ん。

「努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんです」。なんと!

 

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、わあ、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができるし、まだ見ぬ世界を知れば、新しい扉が開くかもしれない。そんな自分の中に眠っている可能性に心ときめかせたものでした。遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも、「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

 

でも、時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

 

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

 

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載をスタートしました。

第1回「シンデレラガール、雪七美の17㎡堅実暮らし」
第2回「清楚とロック、モデルとミュージシャン…タカハシマイの2つの顔」
第3回「女優・辻千恵が過ごす、ひとりの時間と戦いの時間」

 

「何者かになりたい」という大きな野望はない。ただ目の前にある“やってみたいこと”にまっすぐ向き合いたい––––宮崎 葉さん

↑さまざまな企業やブランドの広告に起用されるなど、いま活躍目覚ましい宮崎葉さん(右)。さまざまな人の“暮らし”を取材し発信してきた一田さんは、彼女のどんな一面を引き出すのでしょうか?

 

ある時は、CMの動画の中でにこやかな笑顔で踊り、結婚情報誌の扉でウェディングドレス姿を披露。ある時は、雑誌に私服コーディネートで登場し、郊外のショッピングモールの広告では大きなポスターの中でにっこり。モデルとして今、次々と活躍の場を広げている宮崎葉さん。

 

私と同郷の兵庫県出身と聞いて、なんだかうれしくなって、いそいそと今回のインタビューに出かけていきました。

 

上京したのは4年前で、22歳の時。でも「本格的にモデル1本でお仕事をするようになって、まだ2年ぐらいなんです」と聞いて驚きました。それまでは、アパレルショップで正社員として働きながら、モデルを続けてきたそうです。まさに、たった今、花咲いたばかり! そして「今から!」「ここから!」という時期。そんな今しか聞けないお話を伺ってみました。

 

 

雑誌「mer」のオーディションでグランプリを獲ったのが、モデルとして仕事をするようになるスタート。関西在住だったので、月に1回東京での撮影に呼ばれて、日帰りで通っていたのだと言います。

 

若い頃からモデルさんになりたかったの? と聞いてみました。

 

「いえ、そんなにはっきりした思いはなかったんですよ。通っていた美容院でサロンモデルのようなことはさせてもらっていたんですが、元々は体育の先生を目指して大学に入って……。教員免許も取りました。でも、グランプリをとったのをきっかけに、自分のなりたい道が、ちょっとずつ変わってきたのかな、と思います」。

 

毎回、この連載でお話を聞きながら驚くのは、みんな「今までの道」に加えて、「もう1本の道」が見えてきたときに、「やってみたい!」と軽やかに、足を踏み換えることができるということ……。「いい学校に行って、いい会社に入って……」という古い価値観の中で、「失敗しないように」「道からそれないように」と、“堅実さ”を何よりの道標に歩んできた私にとって、ふたつの道のうち、「明るい方へ」「楽しそうな方へ」と選択ができることを、とてもうらやましく思いました。

 

 

実は葉さん、今もモデルをしながら週末は、チアリーディングの社会人クラブチームに所属し、大会に出場しています。その始まりは高校時代だったそう。

 

「高校のオープンハイスクールのときに、チアリーディング部が演技をしてくれたのですが、それがものすごく華やかで、たちまち惹かれちゃって。それで部活に入ることにしました」

 

大学生になると、今度はチアリーディングの社会人クラブチームに所属。

 

「高校では、自分たちで文化祭や地域のお祭りなどで披露していただけだったのですが、大学で入ったクラブチームは、ちゃんとチアリーディング協会に所属していて、演技をして、点数をつけてもらって順位を決める、という“競技のチア”でした。高校でやっていたこととはガラッと内容が変わって、ほぼイチからやり直すという感じでしたね。すごく苦労しました。周りはうまい人ばかりで……」

 

ふんわりとかわいくて、笑顔がキュートで……。そんな葉さんですが、どうやらとてつもないガッツの持ち主のようです。

 

「社会人のチームだったので、練習は週に2日だけ。本番に向けて演技を完成させないといけないので、手取り足取り教えてもらう、なんてことは望めませんでした。つまり、私を上達させるために練習時間を割くんじゃなく、うまい人たちが大会に出るために練習をするんです。練習に行って、音楽をかけるためのボタンを押しただけで帰ってきた、っていうこともあったなあ。今思い出しても悔しくなります(笑)」

 

それでも、先輩たちを見て覚え、合間にちょっとだけ仲間に入れてもらった少ない時間で演技をやってみる……。

 

「私、負けず嫌いなんです。せっかく入ったんだから、絶対に大会に出たかったし」と葉さん。

 

何かにトライしようとする時に、人は何によって喜びを得るのだろう? とこのエピソードを聞いてあらためて考えました。最初から「負けている状態」の世界へ飛び込んでいくなんて、その苦労は相当だったはず。「人に褒めてもらうこと」=喜びだったとしたなら、そんな選択はしなかったと思います。

 

葉さんには、はつらつとチアをするあの世界へ行きたい! というビジョンがあった……。だからこそ、オセロゲームのように「できない」を「できる」にひっくり返すプロセスの中に喜びを見つけられたのかもしれません。

 

 

大学4年間でチアリーディングをやり切ったのち、「就職どうしよう?」と考え始めました。

 

「教育実習にも行ったのですが、なんだかやっぱり先生は違うかもな……と思えてきて」

 

そんな時、あの「mer」のグランプリが降ってきたというわけです。

 

「もし、モデルをやるとしたら、教師とは絶対に両立できません。いろいろ悩んで、今自分が優先すべきなのはどっちだろう? と考えました。そして、モデルは今やらなかったら、たぶん一生チャンスがないだろうな、と思ったんです。ただ、モデル一本だと、東京に住んでやっていけるかどうかわからないから、両立できる仕事を……と探してアパレルに就職することにしました」。

 

その選択は、意外や堅実。

 

「副業を認めてもらえる会社を探しました。入社したアパレル会社は、そんな前例はなかったみたいなんですが、面接の時に一生懸命説明をしたら、ちゃんと聞いてくださって『それでも大丈夫だよ』と採用してもらえたんです。好きなブランドだったのでうれしかったですね」

 

こうしていよいよ上京。最初の2年間ぐらいはホームシックに。「東京の町に慣れなくて、早く帰りたい、心細い……ってずっと思っていました」と葉さん。それでも、帰らなかったのは「自分のすべきことが、明確にここにあるとわかってきたから」だったのだとか。

 

「モデルの仕事を続けてきたときに、やっぱり仕事の数とか、モデルさんの人数とかが、関西とは全然違うんです。頑張っているモデルの友達が周りにいて、事務所に所属して、マネージャーさんがいて……。そういう環境に身を置くと、自然に『やらなきゃ』『頑張ろう!』っていう気持ちになりましたね」

 

↑現在はウェブメディアに形を変えた、“いちばん身近なおしゃれのお手本帖”「mer」から。私服は、リュックやスニーカーのちょっとボーイッシュなスタイルを、色をそろえたりフレアーシルエットを取り入れたりして品よくするのがマイルール。https://mer-web.jp/tag/miyazakiyo/

 

とは言っても、アパレルの仕事をしながらのモデル業は、仕事9割、モデル1割ぐらいのバランスだったそう。

 

「オーディションに行っても、まったく受からなくて……」

 

そんな中で葉さんは、大きな決断をします。1年半ほど勤めたアパレルの会社をやめることに。

 

「働きながらのモデル業は、やっぱり限界があって……。月の20日間は出勤という制限があったので、出勤日にオーディションが重なると諦めざるをえませんでした。マネージャーが店長にかけあって、仕事が入った場合には、出来る限りシフトを調節してもらっていました。でも、せっかくお休みをもらってオーディションに行ったのに受からない、ということが続いて……。結果が出ないことが、焦りやストレスになっていたんです」

 

まだオーディションに全く受からないという時期に、仕事をやめるのは大きな決断がいったはず。生活の安定と、「やりたい仕事をする」ということは、なかなか両立しないものです。

 

私もフリーライターとして独立したての頃、お金が足らなくて、こっそり妹に電話をしてお金を借りたこともありました。それでも、就職するという安定を選ばなかったのは、やっぱり「フリーライター」としてやっていきたかったから。足下がす〜す〜する不安を抱えていたからこそ、真剣に「どうやったらライターで食べていけるか?」と考えたし、なりふり構わず必死になれたんだよなあと思い出します。

 

 

その後もオーディションを受け続けること1年ほど。ようやく決まったのは、関西で流れるテレビCMでした。「めちゃくちゃうれしかったです。やっと決まった〜! って」と笑います。

 

そこから、どんどん仕事がくると思いきや……。増えつつはあっても、ぽつんぽつんと入る程度。そんな流れが変わってきたのが、1年前ぐらい。不思議なことにどんどん仕事が決まっていったそう。

 

いったい何が変わったの?と聞いてみると……。

 

「今までは、ちょっと受け身というか……。『こういう仕事がしたい』とか『もっとこうなりたい』って思いながらも、なかなか行動に移すことができなかったんです。でも、年末から今年にかけてやりたいことを事細かくマネージャーさんに伝えたりするようになりました。歳を重ねて、いつまでこの状況でいるんだろう……と思うと、『もうウジウジ思っている暇はない』って思ったのかもしれません」と正直に教えてくれました。

 

具体的には「どうなりたい」と思ったのでしょう?

 

「たとえば、女優になりたいとか、舞台がやりたいとか、明確な『これになりたい』っていうのはないんです。でも、とにかく今自分の目の前にある仕事で、たとえば『和装のモデルがやってみたい』とか『あのお店とコラボしてみたい』とちょっとでも思ったら、すべてマネージャーさんに伝えるようになりました。今までは、人がやっているのを見て『ああ、いいなあ』『やってみたいなあ』で終わりになっていたんですが、とにかく口に出すようになったんです。マネージャーさんもいっぱい営業をかけてくれて。今、一緒に頑張っている気がして、すごく充実しています。とにかく今は、手当たり次第、いろんなことをやってみたいですね」

 

「やりがいのある仕事」とか「夢を描く」と聞くと、明確な目標を持って、そこへ向かって着々と歩いていく……というイメージがあります。でも、誰もが「女優になりたい」「歌手になりたい」といった具体的な絵を描くことができるわけではありません。

 

「今目の前にあること」だけでいい。そんな「頑張り方」もあるのだと、葉さんのしなやかな姿が教えてくれた気がします。

 

 

実は、2年前にモデルの仕事一本に絞ったときにまた、チアリーディングのチームに入ったそうです。今は水曜日と日曜日の夜に練習をしているそう。

 

「仕事でうまくいかないことがあっても、チアで練習をしていると頭が空っぽになってリフレッシュできますね。モデルの仕事だけだと、周りの人間関係もそれだけ、になっちゃうけれど、チアに行くと下は高校生から、ずっと年上の先輩までがいらして、いろんな意見も聴けるし」

↑チアリーディングでのひとコマ。写真のような大技もこなしてしまう、本格的な技術をもつチームで活躍しています

 

私は、ライターとして食べていくだけで精一杯で、他のことに手を出す心のゆとりがまったくありませんでした。暮らすことも、旅することも、買い物の経験も、人づきあいも、すべてが仕事のため……。「他のことなんてしている暇なんてないし……」とずっと思ってきたのです。

 

でも、この年齢になって思います。私は、たった1本しか脚がなかったから、常に不安だったんだなあって。もし、仕事とはまったく別の世界を持っていたら、仕事でうまくいかないことがあっても、誰かに何かを言われて傷ついたとしても、「ここでダメなら、他で頑張ればいい」とひと回り大きな目で自分を見られたかも……。

 

「これしかない」と突き進むことは、最短距離に見えて、もろくて、崩れやすいのかなあと思います。

 

 

今年、27歳になる葉さん。

 

「若い時よりも今の自分の方が好きですね」と語ります。

 

「今まで、自分が着たい服や、自分ややりたいメークと、お仕事のニーズがちょっとずれていたかも? と感じていました。でも最近、求められるイメージと、ようやく自分がピタッとあってきた気がするんです。無理をしないで、ありのままの自分でいられるというか……。歳を重ねるとごに、その歳相応の美しさで、その時にあったお仕事で、モデルを続けていければいいなって思います」。

 

今、目の前にあるものに一生懸命向き合っていたら、いつかふっと風にのることができる……。大事なのは、運命を自分の力で変えようと焦るより、ここにあるものを両手で大事に拾い上げることなのかもしれません。

 

Column / 一田さんの暮らしのひと手間

 

土鍋でご飯を炊くと言うと「え〜、そんな丁寧なことできないし……」と言われます。でも、実は炊飯器よりずっと早く炊けて、しかも簡単!

 

土鍋の種類にもよりますが、私が持っている廣川温(ひろかわあつ)さん作の鍋なら、お米3合に水3カップ強を強火にかけ、沸騰したら火をとめて、20分ほど蒸らせばできあがり! しかも、ご飯の粒がぴんと立っておいしいこと! 冷めてもおいしいのが、土鍋ご飯の魅力です。

 

土鍋を持っていなくても、鍋で一度ご飯を炊いてみることをおすすめします。普通の金属製の鍋なら、沸騰したら弱火にして10〜15分。火をとめて15分蒸らせばできあがり。キッチンで場所をとる炊飯器を置かなくてもいいのもいいところです。 鍋で炊いたご飯があれば、納豆と味噌汁だけでもご馳走に。ぜひ試してみてください。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト「外の音、内の香(そとのね、うちのか)」も主宰。近著に『暮らしを変える 書く力』(KADOKAWA)
『外の音、内の香』https://ichidanoriko.com/

女優・モデル / 宮崎 葉

1994年生まれ、兵庫県出身。ナチュラル、スタイリッシュなイメージを得意とし、CMからグラフィックまで多数の広告に出演。シンプル・カジュアルを突き詰めた着こなしも評価が高く、ファッション媒体やブランドのビジュアルも数多く務めている。モデルの傍ら、チアリーディングにも精を出し、2015年には西日本大会、関西大会において優勝、日本選手権大会では決勝に進出した。
Instagram https://www.instagram.com/you_miyazaki/?hl=ja
Twitter https://twitter.com/you_yopi

 

MOE絵本屋さん大賞2020発表! 編集長に聞く、大人へ絵本をガイドする『MOE』が支持される理由

やさしい言葉にホッとする。美しい絵や色にワクワクする。絵本の世界は子どもたちだけではなく、現代の大人たちにも、心のサプリメントのような存在として広く愛されています。

 

約20年前から始まった出版不況のなか、絵本を含む児童書は安定的に売り上げを伸ばし続ける希少なジャンルです。往年の名作から大人向けまで、絵本の種類は年々幅広くなり、業界はまさに成熟のときを迎えているといえるでしょう。その一方で、年に約2000冊といわれる新刊絵本のうち、書店の小さな絵本コーナーで私たちが出会える作品の数は、けっして多くはありません。

 

今この時代だからこそ読める、面白い作品に出会うには、どんな風に絵本を探したらいいのでしょうか? そこにヒントをくれるのが、白泉社の雑誌『月刊MOE(モエ)』が実施している絵本の年間ランキング『MOE絵本屋さん大賞』です。「絵本のある暮らし」をキャッチフレーズにうたう『MOE』は、読者と良質な絵本との出会いをサポートし続けている専門誌。

 

今回は同誌のファンでもあるブックセラピスト・元木忍さんが、絵本の世界でいま起きていることや、絵本とのお付き合いを楽しむための秘訣を、『MOE』編集長の門野隆さんに聞きました。

 


『MOE』(白泉社)
絵本のある暮らしを提案する月刊誌。人気作家やキャラクターなどを切り口とした巻頭特集のほか、絵本好きの琴線に触れるアートや映画、雑貨、スイーツなどの情報を届けています。あの『ハリー・ポッター』シリーズを日本の雑誌として初めて大特集したのも同誌でした。毎月3日発売。
https://www.moe-web.jp

 

「大人の絵本の楽しみ方」を提案した初の専門誌

1983年に創刊された『MOE』の第1号。「メルヘン&イメージアート」というキャッチコピーからも分かる通り、絵本の世界を保育者の視点で扱うのではなく、大人女性が楽しむアート、カルチャーという視点から取り上げた雑誌へとリニューアルを果たしました

 

元木忍さん(以下、元木):『MOE』はひと言でいうと「絵本の専門誌」ですが、特集によっても違いますし、絵本以外の内容もかなり掲載されていて、本当に楽しい雑誌ですよね。

 

門野隆さん(以下、門野):ありがとうございます。キャッチフレーズとしては「絵本のある暮らし」。もっと具体的にいうと、絵本やそのキャラクターを中心としたカルチャー総合誌、というのがしっくりくると思います。

 

元木:絵本と一緒に楽しめそうなお取り寄せスイーツや、雑貨が紹介されていたりするのもいいですよね。

 

門野:そうですね。読者は9割が女性です。年齢層は10代後半から70代までとすごく幅広くて、創刊時からの読者もいらっしゃいます。

 

元木:それはすごいですね。絵本は子どもだけが読むものではないので、読者が多いわけですね。そして、たしか創刊から40年以上になるんですよね。

 

門野:はい。厳密にいうと『MOE』は偕成社という会社が1979年に創刊した『絵本とおはなし』という専門誌から始まっていて、1983年に『MOE』にリニューアルされたという経緯があります。白泉社に移ったのは、1992年4月号からです。

 

元木:こうして見ると、『絵本とおはなし』の誌面は文字情報が多かったんですね。育児本のような少し“堅い”印象があります。

 

門野:そうですね。1970年代までの絵本は、まだあくまで“子どものもの”という見方が強かったと思うのですが、一方で『MOE』が生まれた80年代は、海外の絵本を大人が「おしゃれなもの」として楽しむような価値観が生まれた時期でもありました。そこで絵本の魅力をもっと広く発信するために、『MOE』はあえてビジュアルを中心に置いた、女性誌っぽい雑誌にリニューアルしたそうです。

1979~1983年まで偕成社から発行されていた絵本専門誌『絵本とおはなし』。「保育者とお母さんの専門誌」とうたわれ、現在の『MOE』とは違って、テキストが中心の保育者向け情報誌でした

 

よみがえってきた絵本の記憶

元木:『MOE』の誌名の由来はなんですか?

 

門野:「萌え」からきているそうです。絵本が持つ豊かな世界が、もっと多くの読者の心に萌え出るように……そんな願いを込めたのではないでしょうか。ちなみに、僕自身は編集長になってまだ4年目なんです。

 

元木:それ以前はどんなお仕事を?

 

門野:1999年に入社して、15年間青年コミック誌で漫画やグラビアなどを担当していました。その後2年くらい広告企画部で仕事をしていたら、あるとき急に『MOE』の編集長をやることになりまして。

 

元木:出版社でのグラビアや広告部なんて、それとは全然違う世界の絵本の編集長に抜擢されたのですね……! ご苦労されたこともあったのではないですか?

 

門野:いきなりだったので驚いたのですが(笑)、うちの編集部には7名のスタッフがいて、そのなかに偕成社時代からのスタッフが現在も2名います。外部のライターさんも児童書や絵本のスペシャリストですから、そういう意味で不安はあまりなかったですね。大人になってすっかり忘れていたのですが、絵本に関しては小さいころによく読んでいた記憶もあったんです。編集長をやることになったとき、そのころ読んでいた絵本を実家から送ってもらって……今も編集部に置いてあるんですけれど。

 

元木:(机に広げた門野さん私物の絵本を見ながら)これはすごい! かなりの量ですよね。

門野編集長が幼いころ読んでいた絵本の一部。切り口がいつも斬新な『おなら』の長新太さんも、門野さんが好きな絵本作家のひとり

 

門野:親が僕のために、いわゆる“月刊絵本”を何種類か購読していたんです。

 

元木:やっぱりちゃんと持っていたんですね。絵本の仕事へ導かれていく魂を。

 

門野:それはどうでしょうかね(笑)。乗り物や食べ物の話は好きでよく読んでいました。あとは人体の不思議のような、世の中のいろんなことをわかりやすく教えてくれる本も好きでしたね。

 

元木:私は、かこさとしさんの大ファンなのですが、2019年の4月号に掲載されたかこさんの特集は、編集の切り口がすごく面白かったです。かこさんと作品への愛をひしひしと感じて、ファンとしてはまさに鳥肌ものでした。これだけ絵本に触れてきた門野さんなら、きっと『MOE』のお仕事はすごく面白いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

元木さんが特に感動したという2019年4月号は、だるまちゃんシリーズや、『からすのパンやさん』で知られるかこさとしさんの特集号。誌面ではさまざまな関係者がかこ作品への愛を語っており、可愛らしい表紙デザインもコレクション欲をそそります

 

門野:うーん、そうかもしれません。子どものころは、絵本を読んでも作家の名前なんて気にしないんですよね。だから大人になって、作家の視点から作品を深掘りすると新たな発見があったりして、個人的にも面白い仕事だと感じています。それに、絵本自体が出版業界で注目されているのもやりがいにつながっているかもしれません。おかげさまで『MOE』は、年々部数も伸びていて、売り上げ率も80%近くあるんです。

 

元木:すごい! 紙の本でも雑誌が特に不調だといわれているなかで、それだけ読者に支持されている月刊誌はなかなかないですよ。本当にすごいことだと思います。

『MOE』の門野隆編集長と、ブックセラピストの元木忍さん

 

そんな門野編集長がいま感じている使命とは? そこには絵本という出版物特有の背景がありました。また、注目される「MOE絵本屋さん大賞」が実は採算度外視の取り組みであることなど、秘話も語っていただきます。

絵本の「中身」をガイドする大切な意味とは?

元木:そんな門野さんはいま、編集長としてどんな使命を感じていらっしゃるのでしょうか?

 

門野:僕がいま大事にしているのは、絵本を気軽に楽しんでもらうための間口を広げることです。そもそも絵本って内容がシンプルなだけに、選ぶのが難しいと思うんです。

 

元木:それは分かる気がします。文字が少ないのにメッセージ性が高いから、結局どれがいいんだろう?って悩んでしまう人は多いんじゃないかな。

 

門野:数十年前の作品がずっと愛され続けるのも、安心して買えるからという面が少なからずありますよね。業界としても60、70代といった大先輩の方々がまだまだ現役でいらっしゃる世界なので、ある種の厳しさをともなう現場でもあったりするんです。もちろんこういう側面は簡単に変えられるものではないですけれど、そのなかでどうやって世の流行や、読者の趣味趣向を誌面に反映できるかは常に工夫をしています。

 

元木:特定の作家さんやキャラクターに寄った特集もあれば、「絵本で愛を贈る」「思わず泣いた感動絵本」といった切り口でいろいろな絵本を紹介するような特集もありますね。

 

門野:はい。特集の内容は基本的には編集スタッフやライターの意見をもとに考えています。ほかにも『ハリー・ポッター』特集や『ドラえもん』特集のように、絵本と直接関係はないけれど、『MOE』の世界観に合う題材を取り上げることもたまにありますね。

 

元木:その中で、毎号何冊くらいの絵本を紹介しているんですか?

 

門野:多いときは100冊以上、少ない号だと30〜40冊くらい。平均して80冊程度じゃないでしょうか。それでも絵本は年間で2000冊くらい新刊が出ていますから、全部は拾いきれていないんですよね。もちろんたくさん紹介できればいいわけでもなくて、そのなかで「いいもの」を厳選して紹介するのが『MOE』の役割だと思っていますけれど。

 

元木:そうそう。それが『MOE』の重要な役割なんだろうなって、私も思っているんです。絵本って一度ヒットすれば長く売れますけれど、新人さんの作品となると初版部数が極端に少ないですよね。そうすると近所の本屋さんへ行っても、新しい作家さんにはなかなか出会えなかったりして。

 

門野:そうですね。

 

元木:だからといって、中身がわからないとネットで気軽に買うこともできない。これが絵本の難しいところであり、面白いところでもあると私は思っているんです。判型が大きいのか小さいのか、紙の手触りはどんな感じか、どのくらいの厚みがあるのか。実際に触れてみなければわからない個性こそ、絵本の魅力だったりしませんか?

 

門野:それこそ、デジタル化できないんですよね。そもそも絵本って判型もバラバラですし、店頭で売りにくい商品なんですよ。だから内容がよくても、新人作家の新刊となるとなかなか本屋で置いてもらえないこともあります。かといって読者からすれば、ネット書店の情報だけで欲しい絵本を見極めるのはすごく難しい。こういった現状のなかで本当に良質な絵本が埋もれ、なくなってしまわないように、『MOE』が伝えていくべきことはたくさんあると思っています。

『MOE』は1~2か月に1回くらいの頻度で編集会議を行い、編集者とライターが企画を出し合って各号の特集内容を決めているそう

 

「ムーミン」や「スヌーピー」といった人気キャラクターは、年に1度は必ず特集が組まれています。近年ではねこのキャラクターでおなじみのヒグチユウコさんが大人気で、カレンダーなどの付録がついてくる号もあります

 

歴代で門野編集長が初めてトライしたという、芸能人を起用した表紙。女優ののんさんなど、『MOE』読者の共感を集めそうな人選にこだわりました

 

利益度外視で取り組む『MOE絵本屋さん大賞』

全国3000人の絵本コーナー書店員にアンケートを取り、年間で面白かった絵本ベスト30を決めている『MOE絵本屋さん大賞』は、2020年で13回目を迎えました。写真は大賞を受賞したヨシタケシンスケさんの『あつかったら ぬげばいい』(白泉社)。大人のモヤモヤした心にも効くと話題のヨシタケ作品は、男女を問わず人気があります

 

元木:そんな『MOE』の使命のひとつともいえるような活動が、毎年実施している『MOE絵本屋さん大賞』だと思います。これはどんな経緯から生まれて、毎年どういった形で行われているんでしょうか?

 

門野:いわゆる『本屋大賞』の絵本版をやってみたいねということで、13年前に始めたのが最初でした。全国の絵本コーナーの書店員さん3000人にアンケートを取り、毎年年末にその年の絵本ベスト30を発表しています。直近の2020年はたまたま白泉社の絵本が大賞をいただきましたが、年によっては白泉社の絵本がまったくランクインしてないことさえあります。つまり、本当にガチで利益度外視でやっているんですよね(笑)。

 

元木:2020年度は、オンライン授賞式という形で動画を配信していましたね。私も知っている有名な絵本売り場の方が出てきて、このランキングはすごく信頼できる! と感じました。

 

門野:お店によっては年間を通して『MOE絵本屋さん大賞』のコーナーを残してくださっていることもあったりして、絵本の売り上げにつながるランキングとして着実に成長してこれたという実感はあります。

 

元木:新刊の売り上げに貢献するのはもちろんですけれど、私は『MOE絵本屋さん大賞』って、この13年の間にきっとたくさんの売り場担当者を育てたと思うんですよね。本を読まない、知らない書店員が珍しくなくなっている現状のなかで、それは素晴らしい貢献のひとつだと思うんです。

 

門野:そうですね。絵本を本当にたくさん読んでいる書店員さんが選んでくれたからこそ、今回白泉社から出たヨシタケシンスケさんの『あつかったら ぬげばいい』が大賞を獲ったことは、僕たちにとってメチャクチャうれしいことなんです。

 

元木:ヨシタケさんは今回10位までに4冊もランクインしていて、まさに今をときめく売れっ子作家。絵本好きの女性だけではなく、お父さんにも人気があるなんていわれますよね。ちなみに今回ランクインしているなかで、門野編集長が個人的に注目している作家さんはいますか?

 

門野:僕が以前からずっとすごいなと思っているのは、今回3位にランクインした『の』や、『Michi』などで知られるjunaida(ジュナイダ)さんですね。抜群の画力や内容の面白さはもちろんですが、ブックデザイナーの祖父江慎さんが装丁を手掛けられていたり、モノとしての魅力がもはや絵本を超えています。これこそ、子どもだけではなく大人が欲しくなる絵本なのではないでしょうか。

 

元木:うん。junaidaさんの絵本はもはや芸術の域ですよね。それこそ子どもの頃からこんな絵本を読んでもらっていたら、何かすごい才能が開花してしまいそうです!

『MOE絵本屋さん大賞2020』で3位を受賞したjunaidaさんの『の』と、『MOE絵本屋さん大賞2019』で7位にランクインした『Michi』(ともに福音館書店)。絵本の中に入り込んでしまいそうな圧倒的な絵と構成

 

門野:そうですね。絵本は子どもにとって人生で初めて触れる本であり、親子のコミュニケーションを生む道具であり、いろいろな感情や知識を教えてくれる特別な存在でもあります。でも僕が、大人として絵本の世界を知ってあらためて感じているのは、絵本の役割はあくまで読む人が決めるものだということ。形もばらばらなら中身も違って、その役割も読む人次第で変わっていく。同じ形に統一できない多様性が、絵本の面白さなのだと思います。そういった絵本の多様性を伝えることが、僕たちの『MOE』の役割だと思っていますね。

 

【プロフィール】

MOE編集長 / 門野 隆

1999年に白泉社へ入社。青年コミック誌『ヤングアニマル』で漫画やグラビアの編集などを15年間手がける。その後同社の広告企画部へ異動し、2年後の2018年に絵本専門誌『MOE』の編集長に就任する。https://www.moe-web.jp

 

「後悔したことは1秒もない」女優・モデル「辻千恵」の素顔と覚悟を50代編集者が見た

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方

 

「イチダさん、最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないんですよ」。え~!

「無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくんです」。ふ~ん。

「努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんです」。なんと!

 

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、わあ、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができるし、まだ見ぬ世界を知れば、新しい扉が開くかもしれない。そんな自分の中に眠っている可能性に心ときめかせたものでした。遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも、「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

 

でも、時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

 

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

 

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載をスタートしました。

第1回 シンデレラガール「雪七美」の17㎡堅実暮らし
第2回 清楚とロック、モデルとミュージシャン…タカハシマイの2つの顔

 

本当にやりたいことをやって、ダメだったら次に見えてくるものがある––––辻千恵さん

映画の主演を務めるなど、新進女優として期待される辻千恵さん(左)。さまざまな人の“暮らし”を取材し発信してきた一田さんが、辻さんの暮らし、そして生き方に迫ります

 

第3回は、モデル、女優として活躍する辻千恵さんです。つい最近出演された、ミュージシャンayakoさんのミュージックビデオをのぞいてみると……。雨降りの日、窓辺で空を見上げたり、別れた彼との日々を思い出して涙したり。その様子のさりげないこと! ああ、いつか私もあんな切ない思いをしたことがある。あんな風に空を見上げたことがある……。気づかないうちに辻さんの存在感に自分を重ねて、その世界に足を踏み入れている気分になります。そんな透明感が彼女の魅力なんだなあと、映像を見ながら思いました。

 

「こんにちは〜」とインタビューにやってきた辻さんは、やっぱりさりげない方でした。モデルというと、ばっちりメイクをして「私を見て!」という方が多いのかと思いきや、とてもナチュラル。話はまず、辻さんが今暮らしている部屋のことから始まりました。

 

「うちが大好きなんです。早く仕事が終わっても寄り道せずにすぐに帰るんです」と辻さん。

 

だとすれば、インテリア好きなのかと思いきや、よくよく聞いてみるとそうでもないよう。

 

「あんまりこだわりがなくて……。ものがない方が好きなので、ぜんぶクローゼットにしまいこみたいんです。だから観葉植物も置かないし、雑貨も飾りません」。

 

こんなところもとても正直。「素敵に暮らしていますアピール」をすることもなく、ありのままの様子を語ってくれました。格好つけず、さっぱりしていて、ありのまま。話始めてすぐに、辻さんらしさがビンビンと伝わってくるようでした。

 

だったら、家でのどんな時間が楽しいの?と聞いてみると。「お風呂に入ることと、動画配信サービスで作品を見ること。ごはんを作るのも好きですね」と教えてくれました。

 

佐賀県出身。大学時代は福岡で過ごし、通っていた美容院の美容師さんが、雑誌『mer(メル)』の地方スナップに連れて行ってくれ、そこで編集者から「オーディションに出てみない?」と声をかけられたのが、モデルの仕事を始めるきっかけだったそう。就活を終え、企業の内定ももらっていたのに、ギリギリまで迷って、最後の最後にモデルの道を選んだのだとか。

 

「内定が決まっていた会社の人事の女性がすごくいい方で。『辻さんは、本当はどっちがやりたいの?』と、ひとりの女性として話してくださったんです。それも踏ん切りがついたきっかけだったかな。『あ、モデルの仕事は今しかできないかも!』って思ったんです。その日の夜から東京に行ってお仕事だったんですが、福岡に戻ってすぐ、内定はお断りしちゃいました」

 

 

でも……。最初は撮影の仕事がイヤでたまらなかったそうです。

 

「何もできないし、電車を乗り継いで、現場に通うだけで疲れちゃうし」。

 

それが少しずつ楽しく変わっていったのは、スタッフさんや同じモデル仲間など、「人」が好きになったから。それでも、モデルになることに、「迷いは一切ありませんでした」ときっぱり。将来への不安はなかったの? と聞いてみると「そうですよね~。ちゃんと考えていなかったんだと思います。ほとんど勢いだけだったかな」とからりと笑います。

 

辻さんが上京するきっかけとなったファッションメディア「mer」。現在は、雑誌からウェブ媒体へとチャネルを移行していますが、変わらず等身大の「辻千恵」が見られる場所。私服などからも、飾らない人柄が透けて見えるよう

 

「トレンドを追うよりも質の良いアイテムを集めるようになりました」と言う辻さんの私物。
「トレンドを追うよりも質の良いアイテムを集めるようになりました」と言う辻さんの私物

 

ただ、一方でこんな風にも語ります。

 

「私はずば抜けて背が高いとか、細いとか、整った顔とかじゃないから、ショーでランウェイを歩くようなモデルには絶対になれないってことはわかっていました。だから、雑誌のモデルだけでなく、ちょこちょこ映像のお仕事をやり始めたら、お芝居もやりたいなあって思うようになりました」。

 

せ~の! で夢に向かって走り出した時、「これは、私にはむいていないかも」とか「私の力では無理かも」と、自分の状況を冷静に判断する、というのはとても難しいものです。20代で、自分自身を少し離れた位置から見ることができている……。そのことにただただ驚きました。

 

「自分の力が出せる場所が、ちゃんと自分でわかったんですね」と聞いてみると……。

 

「『mer』の編集長に、演技レッスンに連れて行ってもらったんです。そこでレッスンを受けてみたら、すごく楽しかった! 目の前にペットボトルがあると思って、開けて飲んでみる……みたいな程度だったんですが、なにもできない自分が不甲斐なくて、終わったら思わず泣いちゃいました。でも、気づいたら『また来たいです』って言っていたんです。そこから通うようになって」。

 

どういうところが楽しかったのでしょう?

 

「なんだろう? 写真を撮られるままに、「きれい」とか「かわいい」と評価されるのとは違って、自分次第でどうにでもなる。そこが面白かったのかも」。

 

辻さんは、モデルとして走り出しながら、美しいだけで評価をされない世界を求めていたのかもしれません。

 

 

レッスンに通い始めて1~2年が経った頃から、CMのオーディションに受かったりと、世界が変わり始めました。

 

「あれ? なんか楽しい! って思うようになったんです。カメラの前で止まっていなくて、動いていいんだ! とか、自分で台詞を言うんだ! とか、すべてが新鮮でした」

 

実は、その後辻さんは自分の意志で事務所を移籍しました。より、自分らしい仕事をするための、大きな一歩です。

 

「会社を移ることで、いろんなものを手放しました。だから、ちょっとドキドキ……。自分はこれからどうやって生きて行こうかな? と考えた時に、本当にやりたいことをやって、ダメだったら次に見えてくるものがあるかな、って思ったんです」

 

辻さんのしなやかさは、この強さから生まれているんだなあと感じずにはいられません。私の若い頃とは大違い!

 

20代の頃、私は失敗することが何よりキライでした。優等生体質だったこともあり、なにかアクションを起こしたら、必ず「いい結果」がついてこないとダメ! と思い込んでいたように思います。人から評価を受けること、褒められること、が自分の行動の基準だった。

そうすると、どういうことが起こるかと言うと……。失敗しそうなことはやらなくなる。

このことを、50代になった今、いちばん後悔しています。

 

 

人生は「初めてのこと」の繰り返し。この事実に気づいたのはごく最近のことです。初めてのことだから失敗するのは当たり前。そして、人は失敗からしか学ぶことができない……。つまり、新たな自分に出会いたかったら、まずやるべきことは、失敗なのだと、やっとわかってきました。新しいことへの挑戦と失敗と、「じゃあ、どうする?」と考えることは、3つでセットです。この繰り返しで人は成長することができる……。

やっと私は今、「だったら失敗してみよう」と思い始めたばかり……。ずいぶん遅いスタートになってしまいました。

 

演技レッスンを定期的に受けて、少しずつ意識が変わっていったという辻さん。

 

「私はもともと、そんなに見た目にこだわるタチじゃないんです(笑)。『かわいらしくいたい』というより、『何者かになる』っていう方に面白さを感じたのかもしれませんね。ミュージックビデオでは、初めて『世界観』ということを意識し始めました。曲の世界観と、自分が写っている映像が本当にあっているのかな? とか……。CMだったら、本当に女子高生に見えるかな? とか、そういう試行錯誤が今楽しいんです」

 

 

2019年に、自分でオーディションを受けて勝ち取った主演映画『男の優しさは全部下心なんですって』に出演した際には、ずいぶん苦しい思いをしたそう。

 

「泣きながらマネージャーさんに『もう無理です』って何度も言いました。撮影中は、監督のことをずっと恨んでいましたね(笑)。でも、完成した映画を見た時に、すべてが報われた気がしました。楽しさも、苦しさもちゃんと味わえたなって思います」

 

そんな全力投球の仕事を終えて、帰る場所が辻さんにとっての家。

 

「家は『巣』みたいな場所。自分を取り戻すところですね」とにっこり。

 

上京したばかりの頃、自分でそろえた器たち。中央のカップは、益子の陶器市で見つけたもの。カメラマンの先輩などにお茶時間の楽しさを教えてもらった

 

浄化作用があるというセージの葉に火をつけて、香りを楽しむ

 

やや大きめのお風呂は、窓があるところがお気に入り。仕事でつらいことがあっても、ここで体も心も洗い流せばさっぱりと生まれ変わることができる

 

でも、その自宅のために、あれこれモノを買いそろえることは今はしません。

 

「移籍する少し前から、お金を貯めようって思ったんです。無駄なものは買わないようにしようって、生活を変え始めました。モデルの頃よりずっと不安定になることはわかっていたので……」

 

いたって普通の女の子なのに、その腹のくくり方には驚きます。「安定」をよく手放せましたね〜、と聞いてみました。

 

「怖いもの知らずだったんだと思います。お金を取るか、自分の気持ちを取るか……。でも今は『生活するって厳しい!』ってことも実感しています。でも、みんなそこを乗り越えているし、今の事務所はそういう人ばかりが集まっているんです。みんなアルバイトもするし、チャンスは絶対つかむし、全然意気込みが違うんです。そういうのを見させていただいて、『あ、今まで私は甘ったれていたな』って思います。どうして昔、あんなに好きなものばっかり買っちゃっていたんだろう?って……(笑)。今はあれこれ好きなものを買えなくてもいい。ただ撮影で心が削られたら、家で補充できたらいいかな」

 

人は、不安な時にしか見ることができない風景があるように思います。

私も独立したばかりの頃、8万円のワンルームの家賃が払えなくて、妹にこっそり借りたこともありました。夕暮れ時に家に帰る時、公園の横のきれいなマンションの部屋には明かりが灯って、晩ご飯のいい香りがしてきて……。そんな風景を眺めながら「いつか私も絶対にあんな暮らしをする!」と思ったもの。あのヒリヒリとしたピュアな思いを、今懐かしく思い出します。そして、不安でたまらなかったけれど、なんて尊い時間だったのだろう……と思います。

 

 

昨年は、オンラインでのリーディング公演で主演を務めたり、NHKのよるドラ『閻魔堂沙羅の推理奇譚』に出演したり、CMにも登場。今、少しずつ辻さんの新たな扉が開き始めているよう。

 

「ひとつずつミッションが用意されている感じなんです。終わったら『ああ、またひとつ経験できたなあ』って感じますね。いただいた役の中で、どれだけ個性が出せるのか、わたしにしかできないことをやっていかなきゃいけないなって最近考えています。本当は怖い犯人なんだけど、どこか辻千恵っぽいというか……。それがないとリピートしてもらえないから……。それを探しながらやっていきたいなって思います」

 

いろいろ大変なことはあるけれど、「不思議と1秒も後悔したことはないんです」と辻さん。最後に10年後も20年後も役者をやっていると思いますか? と聞いてみました。

 

「やっていたらいいですね。でも、やれていなくてもいいです」と笑います。

 

えっ? そうなの? と思わず聞き返しました。

 

 

「例えば、5年後に今の仕事に満足しちゃって、パン屋さんがやりたい、って思ったら、パン屋さんをやっていいと思うんです。今できることをやるっていうことが大事かな」

 

頑張るんだけれど、固執しない。得たものを握りしめず、新たなものを得るためにあっさり手放す。その姿の軽やかなこと! 人は、キャリアを積み重ねながら生きるもの。そんな思い込みを見事に蹴っ飛ばしてくれたような気がします。常に新たな自分に出会い続け、昨日の私は今日の私とは違う。昨日の私は消えてなくなるかもしれないけれど、忘れられない存在として人の心に残る……。それが、辻さんの「透明感」という魅力の正体なのかもしれないと思いました。

 

Column / 一田さんの暮らしのひと手間

大雑把で三日坊主。片付けが超苦手な私が、あれこれ失敗した後に、やっと「これ」と選んだ収納グッズが「無印良品」のファイルボックスです。

 

「手前のものをどけて後ろのものを出す」というふうに、手間がかかると、「しまう」こと自体が面倒くさくなってしまいます。なので、ひと手間でポイと投げ込めることが大事。幅が狭く奥行きがあるファイルボックスは、アイテム別に分けてずらりと並べておけるのがいいところ。どこに何をしまえばいいのかが一目瞭然。さらに「中までは整理しない」と決め、多少グチャグチャになっても気にしません。

 

こうして「大雑把な私でもできる方法」を見つけると、部屋にものが溢れることがなく、「見えるところだけはとりあえずすっきり」をキープできるというわけです。片付け下手の方、ぜひお試しを。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト『外の音、内の香(そとのね、うちのか)』も主宰。近著に「日常は5ミリずつの成長でできている」(大和書房)
『外の音、内の香』https://ichidanoriko.com/

女優・モデル / 辻 千恵

1993年10月9日、佐賀県生まれ。「いちばん身近なおしゃれのお手本帖」をコンセプトとした『mer』のモデルとして活躍するほか、近年は映画やドラマ、CMなど映像作品に多数出演。近作は、映画『男の優しさは全部下心なんですって』『たまつきの夢』『はちみつレモネード』、テレビドラマに『閻魔堂沙羅の推理奇譚』(NHK)『スポットライト』(MXテレビ)『パレートの誤算〜ケースワーカー殺人事件〜』(WOWOW)
Instagram https://www.instagram.com/chie100009/?hl=ja
Twitter https://twitter.com/tjce1009

 

儲かってこそ広がる!SDGsビジネスアワード大賞受賞者が語る、ビジネスで世界を変える方法

2015年9月に行われた国連サミットでの「持続可能な開発のための2030アジェンダ」には17のゴールが設定され、2030年までのSDGs(持続可能な開発目標)が記されています。

 

この「SDGs」という言葉、最近よく聞きますよね。地球に良いこと、環境のためになること、多様性を認めるなど、なんとなくは理解しているけれど、実際にいま何が起きていて、自分はいったいどうしたらいいの? と途方に暮れている人も多いのではないでしょうか?

 

今回は、「SDGsビジネスアワード」で大賞を受賞した、フロムファーイースト株式会社の代表取締役をつとめ、『世界は自分一人から変えられる』(大和書房)の著者でもある阪口竜也さんに話をうかがうなかで、そのヒントを探りたいと思います。聞き手は、髪から爪先までフロムファーイーストのスキンケアブランド『みんなでみらいを』を愛用中という、@Livingでおなじみの“ブックセラピスト”、元木忍さんです。

 


『世界は自分一人から変えられる』
阪口竜也 / 大和書房

大学時代、DJになるためにフリーペーパーを立ち上げ、新卒採用で給与交渉! 美容業界に転身し、エクステ専門店で世界進出も果たして順風満帆な人生を送っていた著者は、さまざまな逆境や出会いを重ねながら、2010年には、使えば使うほど体と環境が良くなる商品をと開発した「米ぬか酵素洗顔クレンジング」が大ヒット、さらに2017年には「SDGsビジネスアワード」で大賞を受賞。行動力と勇気を与えてくれると、2017年の出版以降、多くの人に親しまれています。

 

“つまらない大人”ではいたくない

元木忍さん(以下、元木):『世界は自分一人から変えられる』は、2017年に出版された本ですが、知人に紹介をされて、読ませて頂きました。本の中で、阪口さんが幼い頃、「あんなつまらなそうな大人にはなりたくない」と思っていたと書かれていますが、大人になってみて、この日本にはどんな大人が多いと感じていらっしゃいますか?

 

阪口竜也さん(以下、阪口):残念ながら、今も「つまらなそうだな〜」と思う大人がいっぱいいます。ただ、これは社会構造が問題なんだと思うんです。学生の頃は、社会と接することのないコミュニティの中にいるから、つまらない社会構造に触れることはないけれど、大学生で就職活動をするようになると、「これが正解です」「あーしなさい」「こーしなさい」「これは間違いです」とルールでガチガチになった社会が登場するんですよね。「これはおかしいぞ?」と感覚ではわかっていても、その流れに乗らざるを得ない。乗ってしまえばルールの中からは逸脱しにくくなるので、なりたくなくてもつまらない大人へのレールに乗ってしまう社会構造になっているんです。

 

元木:社会構造のおかしな部分に疑問を持てたり、阪口さんみたいに「俺はこうするんだ!」と言えればいいんでしょうけど、ほとんどの人が「おかしいな〜」と思いながらもその中でしか生きられないと……。半ば諦めているのでしょうか?

 

阪口:「なんか違う」っていうことは本人もわかっているはずなんだけど、声を上げたり、変化することが怖いんでしょうね。おかしい部分を変えればうまくいくよって教えてあげたいです。

 

元木:本当に言えていないですよね……。そもそも、いつ頃からこういう社会構造になってしまったのでしょうか?

 

阪口:社会=経済という市場原理ができてしまってからでしょうね。いいものを食べて、いい洋服を着て、いい家に住むのがステータス。さらに、日本人には昔から安定志向があるから、貯蓄や財産が多いほうが偉いという価値観。残念ながら「自分がこうありたい」と言いにくい社会として大きくなってきたという背景がありますね。

大量生産・大量消費の現代に一石を投じるべく一念発起、2017年には並み居る大手企業を抑えて「SDGsビジネスアワード」で大賞を受賞した、阪口竜也さん

 

普段通りに生活をしているだけで環境が良くなる仕組み

元木:阪口さんご自身は、大学生時代にDJをやりたいからとフリーペーパーを立ち上げ、新卒採用でも「1年だけ働く」と条件付きで給与交渉までされたそうですね。このエピソードだけでもビックリしちゃいますが、そこから就職後、本当に1年で退職。最初にフリーペーパーの広告を出してくれた会社さんに転職し、エクステ専門店を立ち上げて、世界進出までされました。驚くほどのスピードで、すべてが順風満帆に見えますが、なぜ「世界を変えたい」と一念発起し、今の事業を始めたんですか!?

 

阪口:話だけ聞くと「どんな変なやつなんだ」って思われちゃいますけど(笑)、実は脈絡なく生きてきたわけではなくて、すべては繋がっています。よく「阪口さんだからできるんだよ」とも言われますけど、目の前にある選択肢を、「やる」か「やらない」か選んできただけのこと。元々、「世界を変えたい」って漠然と思っていましたが、今の事業はあるスピーチがきっかけで始めることになったんです。

 

元木:1992年「地球サミット」でセヴァン・カリス=スズキさんが行った伝説のスピーチですよね。私も記憶にあります。

 

学校で、いや幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、
・争いをしないこと
・話し合いで解決すること
・他人を尊重すること
・ちらかしたら自分で片付けること
・ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
・分かち合うこと
・そして、欲張らないこと
ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに「するな」ということを、自分たちはしているのですか?

(『世界は自分一人から変えられる』より)

 

阪口:このスピーチを知ったのは、2004年になってからなんですよ。当時からこのスピーチが「感動した!」とか「伝説だ!」って話題になっていたはずなのに、1992年から2004年までの約10年で世界が大きく変わったか? と振り返ってみると、むしろ悪くなっているじゃないか……と思って。「みんなはたとえ感動しても、行動はしないんだな」って実感したんです。だったら、何もしなくても普段通りに生活をしているだけで環境が良くなる、子供たちに地球を残せる、そんな取り組みをすれば世界を変えられるんじゃないか? そう考えて、「みんなでみらいを」の事業を立ち上げました。

 

ナチュラルコスメ「みんなでみらいを(minnade miraio)」の化粧品。無添加な上、排水口に洗い流された排水は微生物によって分解されるため、肌にいいだけでなく、地球環境にもいい。右から、「米ぬか酵素洗顔クレンジング」2310円、「米ぬか酵素洗顔クレンジング+クレイ」3850円、「椿と黒文字のスキンケアオイル」4180円、「米ぬか美容オイル」3850円(すべて税込)

 

元木:「普段通りに生活をしているだけで環境が良くなる」って、本当に素敵な考え方だと思います。だから「みんなでみらいを」にはスキンケア商品や洗剤など日常生活に身近な、毎日使う商品が揃っているんですね。

 

阪口:社会=経済の時代は、便利だとか早いとか楽とか、“モノにあふれた豊かさ”や“効率がいい生活”をすることが最高! とされていたので、その代償として環境は破壊されてしまったように思います。この「経済発展=環境破壊」の構造を、「環境保護=経済発展」の仕組みに変えなきゃいけないと考えるようにもなりました。

美容師さんを例にあげると、見習いの子たちの手ってシャンプーでボロボロに手荒れしているんですよ。これは「今すぐ、美しい髪が欲しい」という社会のニーズに応えるために、合成界面活性剤やいろいろな薬品を使って、企業がスピーディに見た目の美しさを求めた商品を開発した結果なんですよね。そんな人間の手が荒れてしまうようなものを毎日下水に流したら、川や海は汚染されてしまう……。さらに各家庭からも同じようにいろいろな薬品が自然界に流れてしまっていると思うと、100年後もこの地球があるって保証できないだろうと思ったんです。

 

元木:私も美容室と一緒に事業をしていたので、「どうして美容師さんはこんなに手が荒れてしまうの?」と思っていました。髪の毛を染めている液剤が悪いのではないかと少しは疑いがありましたが、地球にも悪いんだとあらためて気が付かされ、私も髪を染めるのをやめました。地球を汚してまで美しくなりたいって何でしょうね? そのあたりのことをきちんと理解しておくことも、とても重要なのではないかと感じました。

 

「SDGs」は企業にとって大チャンス!?

阪口:その価値観も、少しずつですが変わってきています。新型コロナウイルスで自粛せざるを得なくなったのもありますが、「白髪でもかっこいいじゃん!」とか「自然由来の毛染めしようよ」とか地球にも自分にも優しい方向になっていますから。10年前では考えられなかったことです。元木さんの白髪も素敵ですよ!

 

元木:ありがとうございます(笑)。私も「みんなでみらいを」の商品を愛用していて、全身に使っています。正直、髪を洗うときしむんだけど、ドライヤーで乾かすとつるんとして気持ちがいい。今までは、髪の毛がツヤツヤになるとかしっとりするのが善とされていましたが、そうするためにどれだけの添加物や薬品が使われてきたのか? って考えさせられます。

 

阪口:都合の悪いことは、企業は発信しません。“天然由来”って聞こえはいいけれど、石油だって天然物質。無添加でも、植物を育てる時にたっぷり農薬を使っていたらその残留物は表記されません。CMのナチュラルな雰囲気だけで商品を選んでいる人も、正直多いですからね。自分が使う商品なんだから、何が入っているのか? この成分はどういう意味なのか? どうしてこの添加物が必要なのか? 調べれば全て出てくることですから、自分で調べて、理解して欲しいです。 

元木:たしかに、私たちはいろいろな情報を鵜呑みにし過ぎていますよね。

 

阪口:ネットで検索すれば、それがどんな成分かはすぐにわかりますよ。いろいろな情報を自分で調べて、自分に合うものを見極めて、選んで、使うのが当たり前になって欲しいですね。最近は、その感覚がどんどん薄れているような気がしますし。

 

元木:自分の目を養うことはもちろんですが、メーカーも、環境に優しい取り組みをしたいんだけど……と思っているだけで、踏み切れないという企業も多いのかもしれませんね。

 

阪口:正直、企業は“やらざるを得ない状況”だと考えたほうがいいと思います。社会のニーズはすでに変化していて、全世界70億人の共通目標として2030年までに「これを達成しますよ!」ってSDGsを掲げているわけですから。世界中で国を挙げて、予算つけて大々的に取り組んでいて、SDGsに沿った活動をすればするほど企業価値が高まりますから、マーケティング視点から考えても大チャンス。「経済発展=環境破壊」の価値観でいる企業は、CSR活動で「やってますよ」とアピールするのではなく、SDGsに沿った新規事業を生み出すほうが効果的です。

SDGsは17のゴール・169のターゲットから構成されています。どんな企業でもひとつくらいは事業内容を見直したり、達成に近づける取り組みができるはずです。今までは、商品開発後「どうやってターゲットにリーチするか」を考えていたと思いますが、もうターゲットはSDGsで定められているので、ゼロから新規事業を考えるより圧倒的に効果を得やすいんです

 

元木:なるほど。全人類の共通目標がSDGsと思うとわかりやすい! 今までエコ活動や環境保全はボランティアな印象がありましたが、しっかりビジネスとして経済を回していくことが大切なんですね。

 

阪口:そうそう。これまでの価値観で考えると、CSRってコストがかかるでしょ? 僕自身も社会貢献だけなんてことはしていません。どうすればビジネスとして成立するかをしっかり考えてビジネスモデルを組めば、環境保護しながら儲けることは可能です。「中小規模の企業じゃ無理だよ」って声も聞きますが、むしろSDGsという共通目標があることで大企業と一緒に仕事を生み出せる可能性も秘めています。僕もSDGsを通じて身の丈以上の企業とやりとりしてきた実績もありますから。チャンスがいっぱい転がっているので、あとは自分の所属している組織で「何ができるか」を本気で考えて、行動するだけです。

 

何ができるかを考えて、あとは行動あるのみ。そんなモットーを、阪口さんはさまざまな分野で体現しています。ファッション、はたまた家まで!? 次のページで、くわしく話を聞いていきます。

SDGsに適う暮らしは誰もが「いいね!」と思う。それを行動に起こすこと

元木:阪口さんとお話していると、その“行動力”にも驚かされます。いい意味で少年のままというか(笑)、本当に「やる」か「やらない」かの判断がスピーディですよね。

 

阪口:ありがとうございます(笑)。地方自治体からも「うちの〇〇を使って欲しい」って声がかかるので視察ツアーに参加すると、ほとんどの参加者が「いいですね」で終わるんです。僕の場合は、そこで計算して採算が合えば「今、買うわ」って取引しちゃいます。

「みんなでみらいを」の中にある「椿と黒文字のスキンケアオイル」という商品も、石川県能登半島に椿があるけど何もしてないって言うから地元の人に摘んでもらって、椿オイルを抽出してもらうことにその場で決めたんです。でも能登半島にある椿だけじゃ商品化するまでにはちょっと足りなかったので、伊豆諸島の神津島の町長さんに「椿ある?」って聞いたら「ある」と。じゃあそっちも買うよ! と。半年で商品化することができました。

 

阪口さん(左)と、聞き手の元木さん(右)

 

元木:それはすごい(笑)。米ぬかの後は、椿オイルですね。日本の素晴らしいものを自然のまま商品化していくなんて、本当に素晴らしい。でも、一緒に働いている社員さんは驚かれないですか?

 

阪口:もう慣れてますね(笑)。それに、うちの社員はもちろん、一緒に取り組んでいる商社や百貨店、取引先もひとつのチームという感覚なんです。だって、百貨店だって僕の商品を扱うことで給料をもらえているわけですから。もちろん「みんなでみらいを」の商品だけを取り扱っているわけじゃないけど、一緒に盛り上げていこうよと思っています。

 

元木:チームで取り組むなんて最高ですね。これから阪口さんがやってみたいことはどんなことでしょうか?

 

阪口:衣・食・住に関わっていきたいです。ずっと化粧品をやりたいわけじゃないんです(笑)。化粧品のような生活消費財は、市場にも浸透しやすい、ニーズが高いということで始めていましたが、違う業界でもどんどんやっていきたいと思っています。「住」の話だと、今、自分で家を建てているんですよ!

阪口さんが新たに手がけているタイニーハウス

 

元木:え、家をですか!?

 

阪口:“タイニーハウス”って、DIYで作れるレベルの家です。国産木材を使って、土地さえあれば、材料費はたったの100万円で作れちゃいます。造りもしっかりしているし、自分でDIYするから愛着も出てきます。数年経って「あぁ〜ちょっとここが傷んでるなぁ」となれば自分で補修もできる。これをひとつのパッケージにして販売しようと考えています。

 

元木:なんと100万円! 最近では都内にいなくても仕事ができる時代に急に変化したので、この“タイニーハウス”は流行りそうですね! 友達とのシェア別荘にしても楽しそう。

 

阪口:いいですね。あと「衣」でいうと、パイナップルで作った靴を売り始めました。

ファッショナブルなバブーシュ。“ヴィーガンレザー”で作られていますが、その原料はなんと、パイナップルなのだとか! vegflow「babouche」1万5000円(税別)

 

元木:パイナップルには見えない!

 

阪口:でしょ? おしゃれなんですよ。サステナブルなファッションとして注目をいただき、おかげさまで発売以来たくさんの注文をいただいています。けれど、大量生産はしたくてもできないので、数量限定になってしまうんです。

 

元木:数量限定であれば、さらに価値がついて話題の商品になりそうですね。

 

阪口:そうですね。「食」についてもさまざまな企業さんと展開を進めていますが、サステナブルな企画って、誰が聞いても「いいね!」とか「やってみたい!」ってポジティブな共感を得られるんです。環境にも生物にも経済にもうれしい、まさに“三方良し”な世界に変えるためには、「すごいなー」「いいなー」で終わらせないことですね。僕でもやれているんだから、他の人もやればいいだけのことなんです。

 

【プロフィール】

フロムファーイースト 代表取締役 / 阪口 竜也

2003年、有限会社エクステンド(現フロムファーイースト株式会社)設立。2010年、エクステンション事業を売却し、作れば作るほど使えば使うほど体と環境が健康になる事業「みんなでみらいを」を運営。2009年 Entrepreneur of the year 2009のセミファイナリスト受賞。2014年よりカンボジアで「森の叡智プロジェクト」を開始。2015年パリ開催のCOP21で発表。2017年には、日本ではじめて開催された『第一回SDGsビジネスアワード』では、大賞を受賞した。
みんなでみらいを https://www.minnademiraio.net/

 

味付けのコツも! 家政婦・志麻さんが教える、家事を“楽しくラクする”10の秘訣

フランス料理店で料理人として働いたのち、家政婦に転身した、タサン志麻さん。スーパーで買える身近な食材でフランス料理が作れるという魅力的なレシピは、すでに多くのひとがご存知でしょう。

 

その志麻さんに、家政婦として1500軒以上もの家庭や台所を見てきた経験から、家事との上手な付き合い方を教えていただきました。料理を効率よく行うコツや調理道具のこと、買い物や掃除の仕方、そして食事への思いなどを通して、志麻さんの魅力をたっぷりお届けします。

 

作るときも食べるときも、楽しくすることが何より大切

↑タサン志麻さん。今回はご自宅にお邪魔し、献立の決め方から料理、キッチンの掃除にいたるまで、志麻さん流の家事の進め方、考え方についてうかがいました

 

志麻さんが、パートナーのロマンさんと2人のお子さん、2匹の猫たちと一緒に暮らしているのは、静かな町にある古民家。テレビ番組や雑誌などでの活躍も多くなりましたが、本業である家政婦の仕事を、変わらず大切にしています。そんな忙しい中でも、お子さんたちとの時間や家族の団らんを大切にしている志麻さんは、いったいどのように家事をこなしているのでしょうか?

 

「とにかくすべての根底にあるのは、“楽しく楽にする”こと。料理にネガティブな気持ちを持っている方や、大変だと感じながら頑張っている方も多いのですが、食べることって毎日絶対にやらなくてはならないことですから、本当は楽しく作れたらいいですよね。

 

大切にしてほしいのは、何よりもまず自分が心地よく生きられること。どうやったら家事が楽しくなるかな、って考えてみるといいかもしれません。我が家では一汁三菜ではなく、フランス流に大皿で出したものをみんなで食べるスタイルにしているので、作るのも食べるのも片づけるのも、とても楽なんですよ」(志麻さん)

 

1. スーパーはお肉と魚のコーナーに直行する!

↑スペアリブとレンズ豆の煮込み ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

実際に、志麻さんがどのような夕食づくりをしているかを伺ってみると、買い物の仕方から特徴的でした。

 

「自分が今日、何を食べたいかなって考えながらその日の買い物をするのが好きなので、できる限り毎日スーパーに行って、その日の分をその日に買います。おすすめの買い物の仕方は、入り口にある野菜コーナーを素通りして、お肉と魚のコーナーから見ること。今日はお肉の気分なのか魚なのか、お肉なら何がおいしそうで安いか……、そこが決まってから戻って野菜を見て、どんなものを合わせるか考えます。

 

もちろん買い物の仕方はそれぞれでいいと思いますが、食べたいメイン食材がはっきり決まってから他のものを見ると、そこに向かって買い物していけばいいので、迷いが少なくて効率がいいんですよ」(志麻さん)

 

↑食材のストックはほとんどしないそうですが、小さな玉ねぎは「煮込み料理にもグリルにも、小ぶりな玉ねぎを入れると見た目がかわいいから好き」という理由で、見つけると買ってストックしておくそう

 

2. メニュー名で考えず「食べたい食材+味」で決める!

↑タットリタン ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

メインに使う食材が決まったら、次はそれを“何味で食べたいか”を考えるそうです。

 

“○○風の○○煮込み”のようにメニュー名で献立を考えてしまったり、買い物の前にあらかじめ献立を決めてしまったりすると、使いたい食材が手に入らなかったときに切り替えしづらくなったり、慣れていないレシピだと、作っているうちに工程がわからなくなって調べなくてはならなかったりしますよね。とはいえ、知っているメニューしか作れなくなると、だんだんマンネリ化もしてきます。

 

「“何味がいいか”と考える方が、トマト、コンソメ、味噌、クリーム味と、楽にアイデアを広げることができますし、食材が変われば出てくる旨味も違うので、味も見た目もまったく違う料理にすることができます。

 

たとえば、肉じゃがの作り方を知っているとしたら、材料を鶏肉に変えてコンソメとトマトで煮込めば、まったく違う料理になりますよね。お肉を魚に変えてもいいし、じゃがいもと玉ねぎ以外の野菜を加えてもいい。素材と味付けの分だけバリエーションができるので、レパートリーは無限に広がっていきます。しかも、食材が変わっただけで作り方は肉じゃがと同じですから、楽に作ることができるんです」(志麻さん)

 

3. レシピ通りに作らないから料理が楽しくなる

↑イワシとじゃがいものセロリ風味 ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

手がけたレシピ本がすでに10冊以上にもなる志麻さんですが、実は「あまりレシピに縛られないでほしい」という思いを持っているそう。

 

「レシピはあくまでも、アイデアの提案にすぎません。人によって味覚は違いますし、今日はちょっと疲れているからしょっぱいものが食べたいな、というときは塩を強くする、というように、そのときの気分や体調に合わせて味付けを考えてほしいなと思っています。

 

実はそこを意識することこそが、料理を楽しくするポイントでもあるんですよ。レシピを見てその通りに計って作るより、自分でどんなふうにしようかなって、クリエイティブな頭を働かせて作る方がきっと楽しいし、思い通りにできあがったときにすごくうれしいんですよね。

 

また、和食は味噌にみりんに醤油にと、味を重ねていく“足し算の調理”なので、細かくて複雑な味が表現できますが、バランスをとるのがとても難しいお料理でもあるんです。一方、フランス料理は“引き算の調理”と言われていて、味付けにはほぼ塩しか使わないので、味の匙加減を整えやすいのがいいところ。きっとどなたにもおいしく作れると思いますよ」(志麻さん)

 

↑調味料棚もシンプル。塩は、粗塩とサラサラしたテクスチャーのものが2種類、砂糖は茶色いものとお菓子に使う白いもの

 

4. 塩で味付けなし! 志麻さん流「つけあわせ茹で野菜」の作り方

↑ホットサラダ ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

メインディッシュに添える茹で野菜は、塩を入れず、水だけで茹でるのが志麻さん流。メインで塩分を取るので、塩分過多にならないようにすることと、どの料理にも塩気があると、全体のバランスが重くなってしまうからだそう。塩気のあるメイン料理と、塩の入っていない茹で野菜を食べ合わせることで、全体の味のバランスがとれ、おいしく食べることができます。

 

ちなみに志麻さんが作るグラタンのホワイトソースも同じで、入れる具材は塩茹でしたり塩胡椒したりして味付けしますが、ホワイトソース自体には塩を入れないのが特徴です。上に乗せるチーズと具材の塩気の中に感じる塩分のないホワイトソースが、軽さとやさしさのある料理に仕上げてくれます。

 

5. 魚料理は金曜日! 志麻さん流 魚料理のアレンジの仕方

↑魚のソテー ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

日々のメニューに、魚の新しい食べ方を取り入れたいときはどうしたらいいか、相談してみました。

 

「南仏では魚介が豊富ですが、フランスの他の地域では金曜日は魚の日にしようって言われるくらい、あんまり魚を食べないんです」(志麻さん)

 

魚は、馴染みのない種類のものを扱うのが難しいので、レパートリーが増えていきづらいものですが、よく知っている魚の味付けを変えて食べてみるのが近道なのだそう。たとえば、焼いて大根おろしを添える食べ方が一般的なサンマも、オリーブオイルとニンニクとハーブで味付けをして焼いたり、バターで焼いてレモンとニンニクとクリームでソースを作ってみたり、味付けを変えるだけで新しい料理になりますよ。

 

続いて6番目の秘訣は? フランスの家庭では、鍋やフライパンごと出した大皿料理をみんなで取り分けていただくのが主流。ここには子どもたちへの食育、さらに食とコミュニケーションの関わりに対する考え方も反映されているようです。

 

6. 無意識に食べないようにする、大皿料理の良さ

↑ケバブ ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

フランスの家庭料理は、個々に盛り付けられたものを食べる和食とは違い、お鍋やフライパンごと出した大皿料理をみんなで取り分けていただくのが主流。ここには子どもたちへの食育的な考え方も含まれていました。

 

「盛り付けられたものを食べる方法だと、“自分のお皿にあるから食べる”だけで、どうしても食べることに無意識になりがちなんです。そうではなく、“食卓の上から自分が何をどのくらい食べたいか決めて自分の皿によそう”という行為が、食べることを能動的にするのだと思います。

 

“子どもたちにはこれを食べてほしい、もっとお肉ばかりじゃなく野菜も”とコントロールしたくなることもあるとは思いますが、子どもにだってその日の気分があるもの。栄養のことはその日のその食事だけで考えるのではなく、一週間でどのくらいどんな栄養が摂れたか、一か月ではどうか、という長期的な目で見てみるといいと思います。

 

毎食欠かさず野菜を何品目、ということに囚われすぎてしまうと、やっぱりそうできなかったときに苦しくなってしまいますよね。疲れた日はデリバリーに頼ればいいし、我が家でもそうしていますよ。栄養満点の食事でも、キリキリして作って急がせて食べるより、『もう今日は無理!』って潔く諦めて、何であっても楽しく食べられる方がいいと思いませんか?」(志麻さん)

 

7. オーブンから食卓までフライパンひとつで、洗い物を少なく

そんな志麻さん宅での夕食のメインメニューは、たとえばグラタンのようなオーブン料理やお肉の煮込み料理が定番。

 

調理に使う道具は、下ごしらえしたものをそのままオーブンにも入れられる、お鍋やフライパンのセット一式だけ。オーブン料理も煮込み料理も、できあがったものをそのまま食卓に出すので、洗い物がとても少なくて済むのです。

 

「グラタンや煮込みは手が込んでいると思われがちですが、実はオーブンとお鍋がほとんどやってくれるので、すごく簡単。オーブン料理は特に、焼きはじめてしまえば台所にいる必要もありません。付け合わせにするのは、先ほどお伝えしたように、さまざまな旬の野菜を茹でたもの。そのまま食べたり、好みのソースをつけたりしていただきます。副菜となると味付けしなくてはならないので手がかかるけど、茹でるだけなら楽ですよね。

 

子どもたちはそれにごはんも食べますが、わたしとロマンは食べないことが多いかな。パンを用意することもあります。お皿にソースを残すのはマナー違反だと、子どもの頃から教えられているフランスでは、お皿に残ったソースをパンで拭っていただく習慣があるんです。だから、パンがごはんの代わりに主食になるという意味合いではなく、お料理と一緒にちょっと食べるという程度の量なんですよ」(志麻さん)

 

8. 会話するために会う、食事する……フランスの暮らしに学んだおもてなし

ロマンさんが作ったイタリア風マカロニグラタン ※『志麻さんちのごはん』(幻冬舎)より

 

フランスと日本の違いは、働き方や時間の使い方にもありますが、子育て世帯は100%共働きですから、フランスでも誰もが忙しいのはさほど変わりません。そんな中でも料理することや食べることを楽しめているフランスの家庭では、おもてなしの様子も違いました。

 

「日本でのおもてなしって、調理を担当する人はずっと台所から出てこられなくて、ひたすら料理を作っている、というイメージがありますよね。わたしもロマンを連れて実家に帰ったとき、母は全然食卓に来られないくらい忙しく料理をしてくれていました。もちろんそれが悪いのではなく、日本でのおもてなしはそういうものだと教わって生きてきたように思います。

 

でもフランスでは、喋るために会うのだということに重きを置いているんです。料理はオーブンに任せて、買ってきたハムなんかを食べながらワインを飲んで喋る、というスタイル。料理をしていてはせっかくのゲストとの時間が取れませんから、食べるものにこだわるのではなく、顔を合わせる時間を作ることにこだわる、という感じでしょうか。

 

また、フランス料理はどんな年齢の人でも食べられるようなメニューが多いので、赤ちゃんや老人のために別のものを用意することもほとんどありません。離乳食用に別のものをつくることもしません。みんなで同じものを食べるから楽しい、ということをあらためて実感できる文化があります」(志麻さん)

 

9. 調理道具をシンプルにしておくことが掃除の手間を省く

続いてお聞きしたのは、オススメの道具のこと。片付けの負担をなくし、調理をスムーズにするためには、道具を少なくするのがよいのだそう。

 

「フランスではお箸を使わないので、卵ひとつかき混ぜるにも泡立て器を出すという、道具の多い料理なんです。でも、日本にはお箸というとても便利なものがありますよね。かき混ぜるのも炒めるのもひっくり返すのも何でもできて、ちゃちゃっと洗うことができるので、わたしはお箸一本だけで料理しちゃいます。ナイフとまな板も、このセットひとつしか使いません。お肉を切ったり野菜を切ったりしながら調理中に何度も洗うので、小さい方が楽なんですよね。使う道具は極力シンプルな方が掃除は楽ですし、いろいろ置くと収納や片付けが大変になるので、必要なものだけ置いています」(志麻さん)

 

10.“汚れは溜めずに今すぐやる!”のがキレイを保つ秘訣

家政婦になったばかりの頃は、掃除の仕事が多かったという志麻さんが、さまざまなお宅を見ていちばん気になったのは台所の排水口だそう。

 

「なぜか排水口がぬるぬるしていて汚いまま、という方が多くて、あそこに物が落ちると汚いと思っていらっしゃるんです。生ゴミって本来は、野菜の皮などの“もともと食べられるもの”ですから汚いわけじゃないのに、放置してしまうから雑菌が増えて、ニオイが出たりぬめりの原因になったりしてしまうんですよね。

 

“今度やろう”と思っていると、汚れが落ちにくくなって掃除にも時間がかかるので、汚れた瞬間に拭いたり洗ったりしておくと、きれいな台所を保つことができます。料理中は三角コーナーやポリ袋を用意しておき、生ゴミをそこに溜めながら料理して、終わったら捨てる、というふうに習慣づけておくと、排水口も汚れないしゴミもまとめやすくておすすめですよ。我が家では大掃除もしないので、使ったらその都度掃除するようにしています」(志麻さん)

 

↑「我が家では毎日漂白しているので、中まですごくきれいです」という排水口。使ったら放置せず手入れする、が結果的に楽することにつながります

 

インタビュー中、終始「何でも楽しくやることが大事」と、話してくださった志麻さんの生活はシンプルで、とても温かいものでした。料理がつらいなと感じている人は、いったん今の方法を見直してみてはどうでしょう。何を作るか、どう片付けるかと考えるよりも、肩の力を抜いてその日できる範囲のことを無理なくすることで、家事の負担が減っていくのかもしれません。

この記事に掲載した料理の写真はすべて、『志麻さんちのごはん』(幻冬舎刊)からお借りしたもの。志麻さんが日々を綴ったエッセイとレシピの中に、料理を楽にするヒントがたくさん盛り込まれています。

【プロフィール】

家政婦 / タサン志麻

調理専門学校を卒業したのち、渡仏して三つ星レストランで料理人として働く。帰国後は老舗フランス料理店やビストロで働いたが、日本でのフランス料理の在り方に疑問を感じて退職、家政婦となる。料理人としての知識を活かして各家庭の食事作りをするうちに、やりたかったことはこれだと強く思うようになり、現在も家政婦として働いている。『沸騰ワード10』(日本テレビ系列)、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)の出演をきっかけに全国的な人気となり、この3年で10冊以上のレシピ本を出版。近著はエッセイを盛り込んだ『志麻さん式 定番家族ごはん』(日経BP社)。
https://shima.themedia.jp/

【関連記事】家政婦・タサン志麻さんに教わる“肩の荷が下りる”フランス家庭料理の極意
https://getnavi.jp/cuisine/344289/

 

20代女子のイマドキの生き方って? 清楚とロック、モデルとミュージシャン…「タカハシマイ」の2つの顔を“暮らしの編集者”が見た

著書『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』がベストセラーとなった、編集者の一田憲子さん。「たとえズボラでも、いかに自分らしくこだわって、毎日を愛しんで暮らすか」を考え続け、自身のサイトでも発信している一田さんが、自身とは世代がまったく異なる20代の若い女性と出会ったら? 彼女たちなりの「自分らしい暮らし」へのこだわりと奮闘を、一田さんがレポートします。

【関連記事】
ズボラなりの“丁寧”でいい。話題の本『丁寧に暮らしている暇はないけれど。』著者の無理しない暮らし方
https://at-living.press/culture/14565/

 

人とは違う「私」になりたい。それが、人生の扉を開ける鍵────タカハシマイさん

「イチダさん、最近の20代は、半径2メートルのことしか興味がないんですよ」。え~!

「無理して頑張らないで、自分ができること、できないことを整理して、堅実に歩んでいくんです」。ふ~ん。

「努力はするけれど、1か月経って結果が出なかったら諦めるんです」。なんと!

 

「サイキンノワカイコ」について、こんな話を聞いて、わあ、私の時代とはずいぶん違うものだ、と驚きました。バブル世代の私たちは、とにかく「ガンバル」ことがよし、とされていました。自分の能力以上のことを抱えていれば、伸び代を伸ばすことができるし、まだ見ぬ世界を知れば、新しい扉が開くかもしれない。そんな自分の中に眠っている可能性に心ときめかせたものでした。遊ぶことにも貪欲だったけれど、「1か月後に休むために、今ガンバル」といった具合に、「味わい楽しむ」よりも、「獲得する喜び」を重視する世代だなあと、振り返って思います。

 

でも、時代が変わり、景気は後退し、「頑張っても」どうにも打破できない状況が目の前に広がったとき、「サイキンノワカイコ」は、未来のために「今」を犠牲にすることをやめ、「今日」「たった今」を楽しむようになったのでしょうか?

 

「今から」「ここから」という若い子たちが、何を考えているのか? それを知りたくてたまらなくなりました。新たな思考のプロセスを知ることは、50代の私たちが、当たり前だと思ってきたあれこれを、もう一度見直すきっかけになるかもしれません。

 

さらに、迷い、悩み、焦っている若者に、何かを伝えられるかもしれません。20代と50代。普段は会うこともないこの組み合わせの中で、何かしら面白い化学変化が起こればいいなと、この連載を始めてみることにしました。

↑モデルであり、ミュージシャンでもあるタカハシマイさん(左)。たくさんの人の“暮らし”を取材してきた一田さん(右)の目に、マイさんの暮らし、そして生き方はどう映るのでしょう?

 

第2回は、バンド「Czecho No Republic(チェコノーリパブリック)」のシンセサイザー&ボーカル担当で、モデルとしても活躍するタカハシマイさんです。今回のインタビューの前に、私はまずYouTubeで「チェコノーリパブリック」の動画を見ることから始めました。「Forever Summer」「Baby Baby Baby Baby」「Hi Ho」。気づくと、見終わってからも、そのメロディを口ずさんでいました。なんて心地いい音楽なんだろう。今まで聞いたことのない調べなのにす〜っと体に入ってくる。そんな感じでした。

 

さらにボーカルとして歌うマイさんの愛らしいこと! 眉毛の上でパッツンと切った前髪。くるくる巻いた長いヘアは妖精のよう。どのシーンの洋服も素敵で、音、ファッション、映像、すべてがひとつになって、物語を紡いでいるようでした。でも……。画面から伝わってくるのは、そこに「意志をもって立っている」というマイさんの強さだった気がします。この人、いったいどういう人? 興味津々で取材の日を迎えたのでした。

↑「チェコノーリパブリック」では、シンセサイザーとボーカルを担当。4人のメンバーと共に独自の世界観で活動を続けている

 

「小さな頃から歌が好きだったんですか?」とまずは聞いてみました。「そうですね。もともとは幼稚園ぐらいのときに、SPEEDを好きになって、いつも歌って踊っていました。思春期になっても、音楽をやりたいっていう気持ちはずっと変わらずにありました。洋服も好きだったので服飾の世界もいいな、という思いもありましたけど、『歌手になりたい』っていうのが、小さな頃からの夢でしたね」と教えてくれました。

 

洋服への興味はどこから生まれたのでしょう?

 

「5歳年上のいとこのお姉ちゃんがいるのですが、その影響ですね。私が中学生の頃、お姉ちゃんはロングヘアを赤茶色に染めて、ブワ〜ッと広がるパーマをかけてきたんです。そのヘアスタイルに古着を着ていて、それを見た時に『めちゃくちゃかわいい!』って思ったんです。ほかにはいないような珍しいスタイルで、なんて個性的なんだろうって。その個性的な感じが、私にはツボだったんですよね」。

 

つまり、「人と違う」ということに強烈に惹かれたということ。ここが、私の若い頃とは大きな違いでした。まだ自分が何者でもなく、どう生きればいいかもわからない時代。優等生だった私は、「みんなに認められるいい子」になろうとしていました。つまり、「王道」の真ん中を歩くことを目指し、「レールから外れないように」と生きていたってこと。マイさんと真逆です。

 

人と違う自分でいる、というには強さが必要です。「私はこれでいい」と自分で自分を信じられなくてはいけませんから……。マイさんは、そんな強さをどうやって手に入れたのでしょうか?

 

「うちは父子家庭で、父方の実家で兄と、おじいちゃん、おばあちゃんと5人暮らしでした。小さな頃から父に対しての不満があって……。すごく厳しくて、みんなより門限が早いとか、お泊まりがダメとか。そういうものに対する反抗心が、『人と同じはいや』という方向へいったのかもしれません。今は父へのいろんな感情は一周まわってわかるようになりましたけど」

 

今回お話を聞いて、この「誰かとかぶりたくない」という気持ちが、マイさんの中で、扉を開く“鍵”となっていることを知りました。まずは、あのお姉さんの個性に憧れて、古着に目覚めたマイさん。中学生の頃から1人で電車に乗って、埼玉から原宿へ、古着を探しに通うようになります。「そこで、ヴィンテージという世界があることを知って、本屋さんで毎月雑誌『Zipper』を買うようになりました」。

 

1993年に創刊された『Zipper』は、“みんなと同じスタイルは『NO』!”がそのコンセプトでした。まさにマイさんの当時の心とぴったりと重なったというわけです。

 

「街の素敵な女の子」が主役のウェブマガジン「mer」にも、たびたび私服コーデで登場。古着と新しいものをミックスさせるのがいつものスタイル。

 

ちょうどその頃から、ロックバンドに目覚めたそう。「それまでは、普通に『モーニング娘。』とかが好きだったし、いわゆるテレビで活躍しているアーティストを聞いていたんですが、中学生頃からバンドミュージックを聴くようになりました。友人のお姉ちゃんが軽音部だったので、いろいろ教えてもらって……。その頃出会って衝撃を受けたの『銀杏BOYZ』でしたね」

 

本格的に音楽をやりたいと、高校は軽音楽部があるところを選び、バンド活動を始めました。高校卒業後も、「音楽をやる」と決め、あえて就職しなかったと言いますから、その思いの強さに驚きです。そして、ひとりで上京。
そのことから、プロになるつもりだったの? と聞いてみました。

 

「なるだろうな、なれるはず! と思っていて、軽い気持ちで出てきちゃったかな」と、明るく笑います。

 

就職しない、ということはミュージシャンとして食べていくということ。もし、なれなかったら……。もし食べていけなかったら……。根がネガティブ思考の私は、心配や不安の方が先に立って、きっと自分の夢は後回しにしてしまったはず。

 

「どうやってでも生きていけるだろう、っていう気持ちでした」と語るマイさん。
ネガティブ思考はあんまりない人なの?と聞くと……。

 

「まったく。1ミリもなかったですね」と大笑い。

そのポジティブさは、どこからくるのでしょう?
「どうしてだろう〜? 昔からよくも悪くも楽天的すぎて(笑)あんまり落ち込んだりもしないし、どうにもでもなるさっていう気持ちが大きいです。おじいちゃんとおばあちゃんが『好きなことをやりなさい』って育ててくれたからかな」

 

 

こうして、厳しかったお父様には内緒で家を出て、当時つきあっていた彼の家へ。ある意味、後先考えずに走り出すことで、マイさんは運命の扉を開けたよう。あの古着を見に行っていた原宿で、当時たびたび雑誌のスナップ写真を撮られ、憧れの雑誌だった『Zipper』に掲載されるようになっていました。プロフィールに「音楽をやっています」と書いたところ、なんと、それを見た大手音楽事務所から連絡があったと言いますから、その強運っぷりには驚かされます。「『歌を聴いてみたいです』って言ってくださって。それで、次の日に会社に行って歌ったら、養成所に入ることになりました」

 

ところが……。デビューの入り口が見えかけたところでマイさんは踵を返してしまいます。「私の才能が追いついていないこともあって、なかなか思うようにいかなくて……。求められることと、やりたいことに誤差が生まれて、もう無理……とやめることにしたんです」。
そのまま所属していれば、プロになる道がより近くなったはず。なのに「何かが違う」という自分の違和感を優先したなんて! 迷いはなかったんですか?と聞いてみました。

 

「かなりありましたね。何よりも大手音楽事務所に所属したことを家族がすごく喜んでくれていましたから……。でも、友人たちは『それって、本当に好きなことなの?』『自分が好きなことをやった方がいい』って言ってくれました。私、これは好き、これは嫌いというのが、昔からはっきりしていたんだと思います」。

 

 

ちょうど養成所に通い始めた頃、マイさんにはもうひとつの出会いがありました。それが現在所属しているバンド「チェコノーリパブリック」。

 

「友達と同じバイト先に、ボーカルの武井優心さんがいたんです。武井さんが、女性のコーラスを探していて、友達が紹介してくれました」。すでにあるグループに、あとから一人入る、ということは、なかなかハードルが高いもの。

 

当時、モデルの仕事も始め、少しずつ雑誌での露出も増えていたマイさん。「最初の頃は、バンドのイメージ的に『モデルがメンバーに入った』ということが、なんだか軽いイメージがして、バンドにとってマイナスになるかもって思ったんです。でも、メンバーがモデルとして私を知ってくれている人が、チェコを聴き始めてくれるかもしれないし、そうしたら新規のお客さんが増えるかもしれないって、言ってくれて。最初はライブに出ても、あんまり目立たないようにしていたこともあったんですが、「私が入ったことで、少しでもよくなった、ってみんなに思ってもらわなくちゃ!」って燃えました(笑)。徐々に私が歌う曲が増えていって、時が立つにつれて、ちゃんとメンバーとしてちゃんと認識してもらえるようになったかな」

 

大手音楽事務所を辞めて、バンドに入って、そこでも自分の出し方を試行錯誤して……。この経験を経て、マイさんの中で大きな変化がありました。「私が! 私が! っていうのがなくなりました。バンドとしてよくなっていけたらいい。それを第一に考えられるようになったんです。たぶん、あの挫折がなかったら、今も『私が!!』って生きていたと思います(笑)。時間はかかったけれど、今が一番自分を取り戻している気がします」

 

有名になることと、いい音楽を作ることは違います。でも、この区別をきちんとすることが難しいもの。ともすれば、「こんな音楽を演れば、有名になれるかも」と考えてしまいがちだから。人生の節目で、マイさんはちゃんと「自分が本当にしたいこと」の声を聞き分けられる人でした。そこがすごいなあと思うのです。

 

私は、フリーライターとして駆け出しの頃、食べて行くために、好きじゃない仕事もずいぶんやったなあと思い出します。インテリアや暮らしが好きだったのに、その路線一本では食べていけなくて、「東京のラーメン屋さん特集」だったり、「〇〇県遊び場ガイドブック」的な仕事もたくさんやりました。やっと自分の好きな路線だけで書いていけるようになったのは、40歳をすぎてからだった気がします。

 

「やりたいこと」を手にするためには「下積み時代」があって当たり前。そう考えるのは、もはや古い思考回路なのかもしれないなあと思いました。がまんして、やりたくないことをやって自分を消耗しないように……。人は、「やりたいこと」だけに向き合っていたら、自分のエネルギーを不完全燃焼させることなく、本当の自分のために効率よく燃やすことができるのかも。

 

「今、自然体でありのままの気持ちで音楽ができているなって感じるんです」とマイさん。

 

 

実は今年、マイさんは自身のブランド「ELLA CANTARIA(エヤ カンタリア)」を立ち上げました。ディレクターとして、作りたい服を作った経験はそれは楽しかったそう。「エヤ カンタリア」とは、スペイン語で「彼女は歌うだろう」という意味。まとうだけで清々しい気持ちになり、思わず歌い出したくなる……。そんなスタイルを提案しています。

 

さらに、たくさんのプライベート写真とともに、自分で文章も綴ったZINE第二弾「what’sタカハシマイ」も発表。次々に自分発信の場を広げています。

 

「正直なところ、今はモデルというよりも作り手でありたい、という気持ちが大きいんです。例えばライブ中に着る服など、身に纏うものにすごくこだわりが強い。私は自分を表現することが好きなんだなあって思いますね」。

 

↑等身大のマイさんの魅力がぎゅっと詰まったZINE。写真のセレクトから文章まですべてを自分で手掛けた

 

↑しなやかでいて、凛とした強さも秘めている。そんな心豊かな女性像をコンセプトにマイさんが立ち上げたブランド「ELLA CANTARIA」

 

もうひとつ、大きな変化がありました。それが、「チェコノーリパブリック」のリーダー、武井優心さんとの結婚! 何か変わりましたか? と聞いてみると……?

もうひとつ大きな変化がありました。それが、「チェコノーリパブリック」のリーダー、武井優心さんとの結婚! 何か変わりましたか? と聞いてみると……。「う〜ん、より自由になったかな。結婚したことによって、自分を素直に出せるようになって、より身軽になった気がします。ともに歩んでくれる人がいるっていう安心感があるから、より羽ばたける感じがあるんです」。

 

それでも時には喧嘩をすることも。「キ〜ッて怒ることもしょっちゅうなんだけれど、あとで後悔して、『いつも優しい気持ちでいよう』って思うんですよね。今回新型コロナウィルス感染症で、バンドの活動もなかなかできなくて、ずっと苦しい沼にはまっているような精神状態でした。最近やっと配信ライブとか、光が見えはじめたところ。彼と一緒に落ち込んでしまうと、どんどん暗くなってしまうから、私が笑っていればいいんだ!と思うようになりました。そうしたら彼の落ち込みが和らぐってことに気づいたんです。だから、私は常に明るくいればいいんだなって思います」

 

↑昨年7月7日「チェコノーリパブリック」のリーダー武井優心さんと結婚。この写真は結婚の報告と新年の挨拶のために撮影したもの

 

↑家族は、武井優心さんと愛犬のサンちゃんとの、二人と一匹

 

↑武井さんが作ってくれるという朝ごはん。納豆と、刻んだ野沢菜、たくわんなどを刻んでご飯にかけた新潟の郷土料理「きりざいめし」

 

最後にこれからのことを聞いてみました。

 

「やっぱり自分らしく生きるのがいちばんだなって思うんです。結婚したこともあるのか、今、いろんな気持ちが変わり始めているんですよね。モデルとして表に立つより、作り手でありたいとか……。そして、女性として強くありたい。凛として、でも優しさを持ちながら、強く生きたいですね」

 

食べられなくなったらどうしよう? とか思わない? ネガティブな私がそう聞くと「まったく思わないわけでもないけれど、食べるために仕事するんじゃない。今はそういう気持ちで動きたいと思っています。ひとつひとつの仕事って、『やりたいからやる』って思わなかったら、その気持ちが伝わってしまう気がするんです。それってなんだか失礼だなあと思って……。昔だったら『お金になるからやろう』と思うこともあったけれど、今は、本当にやりたい仕事だけ、気持ちを込めてやりたい。そうすれば、自然に道は開けていくはず。それを信じていたいと思います」。

 

未来のことを計算せず、上手くやろうとしない。そして、自分の好き嫌いに正直になれば、「やりたいこと」に向き合う純度が高まって、自分自身の力をよりストレートに発揮できる……。それが、今回マイさんに教えてもらった「イマドキ」の生き方でした。人は、いろんなことを心配しすぎて、自分という「筒」を「不安」というモヤモヤで詰まらせてしまうのかもしれません。そんな“不純物”をきれいに掃除して、「筒」の通りをよくし、自分の中にある「本当のこと」とダイレクトに結べば、きっとできる! 自分を信じること、ピュアであることの強さを、私も手に入れてみたいと思いました。

 

Column / 一田さんの暮らしのひと手間

毎日の掃除では、「ラクして使える道具」を手に入れることが大事。いい道具に出会うと、掃除がグンとラクになるので、「あ~あ、いやだなあ~」と思うことが少なくなります。道具選びのポイントは、手間がかからないこと。そして汚れがよく落ちること。

 

私が床の拭き掃除に使っているのが、「イーオクト」の「MQ Duotex」というプレミアムモップ。

 

ペーパーを使ったフローリングワイパーもいいけれど、水拭きするとびっくりするほど気持ちいい! でも、いちいち雑巾で拭くのは面倒……。そんな時にこれが1本あるだけで、すいすい掃除ができます。マイクロファイバークロスのモップは、汚れをギュッギュと拭き取ってくれて、しかもマジックテープで着脱できるのでラクチン。

いい道具を手に入れることは、家事の心への負担を軽くしてくれます。

 

【プロフィール】

編集者・ライター / 一田憲子

1964年京都府生まれ、兵庫県育ち。OLを経て編集プロダクションへ転職後、フリーランスとして女性誌、単行本の執筆などで活躍。企画から編集を手がける暮らしの情報誌『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(ともに主婦と生活社刊)は、独自の切り口と温かみのあるインタビューで多くのファンを獲得。日々の気づきからビジネスピープルへのインタビューまで、生きるヒントを届ける自身のサイト『外の音、内の香(そとのね、うちのか)』も主宰。
『外の音、内の香』 http://ichidanoriko.com/

ミュージシャン・モデル / タカハシマイ

1992年3月26日、埼玉県生まれ。バンド「Czecho No Republic」でシンセサイザー、ボーカルを担当。2013年に日本コロムビアよりメジャーデビュー。テレビ東京『音流~ONRYU~』でMCを務める。今年6月に最新アルバム『DOOR』をリリースしたほか、12月9日にはファン投票によって収録曲を決定するベストアルバム「Czecho No Republic 2010-2020」のリリースが決定している。
Czecho No Republic http://c-n-r.jp/


Czecho No Republic『DOOR』

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

自衛隊の訓練中は脳内で「ガメラ2」を再生? ――激レアさんの自衛隊での日常がレアすぎる。

テレビ朝日「激レアさんをつれてきた。」で、「ただムッキムキになりたいだけでフランス外国人部隊に入った激レアさん」として出演し話題となった大仏見富士(おおふみ・とし)さん。彼の自衛隊時代の日常を描いた『自衛隊入隊日記 完全版』(学研プラス・刊)8月7日に発売された。自衛隊を経てフランスの外人部隊に入隊し、その後自伝エッセイの出版という、激レアな経歴をお持ちの大仏見さんにお話をうかがった。

 

 

工場のバイトから自衛隊へ

そもそもの始まりは、留学資金を貯めようとして始めたバイトだった。1日12時間、目の前に流れてくる部品に電動ドライバーでネジを留めていくという仕事だ。

 

「3Dグラフィックが全盛期だった時代、美術の短大で本格的に学んでからアメリカに留学しようと思っていました。そして、費用を貯めるのにとある工場でバイトを始めたんです。「1年に200万貯まる」なんて書かれていたんですが、実際は全然だめでした」

 

そういう生活が2年続いた頃のある日、大仏見さんは決断する。

 

「衣食住費も全部払ってくれますし、給料を全部小遣いにできるので自衛隊に行ってみようと。小学校の頃からさまざまな武道をやっていて、身体はできているので大丈夫かなと思いました。それがきっかけです。まず、お金を貯めるためでした」

 

決断したら、すぐに実行する。大仏見さんはとにかく、まず体が動くタイプの人のようだ。

 

「あまり深く考えません。とにかくやってみる。僕の根本的な人生の哲学は、「死ぬ間際に後悔する人生はいやだ」ということなんです。やりたいと思ったらやってみる。死ぬ間際に、あれやりたかったこれやりたかったって思いたくないんです」

 

教習用のクルマは20人乗りのトラック

人生を決定づけるような重大な決断の理由は、往々にして意外なほどあっけないのかもしれない。ともあれ、自衛隊生活が始まった。自衛隊という世界は当然ながら一般社会と違う側面がある。それを端的に示すエピソードを紹介しておきたい。

 

「自衛隊って教習所の基地があるんです。教官は資格を持った自衛官です。僕が人生で最初に運転したクルマは、後ろに20人くらい乗れるトラックでした。教習は全部これでやります。厳しくて大変でした。プラスチックのヘルメットをかぶって運転するんですが、坂道発進を失敗しようものなら、教官のシートの下にジャッキが置いてあって、それでいきなりヘルメットを叩かれます。

 

自衛隊特有の教習でトラックで道なき道を行く山道の運転もありました。もう、ひっくり返っちゃうようなものすごい角度の坂を降りろって言われるんです。あと、夜中にライトを消して運転ということもありましたね。本当に暗くて何も見えないところを走るんです。ちなみに教官は暗視ゴーグルを着けてました」

 

 

「ガメラ2 レギオン襲来」を脳内再生して乗り切る

もちろん、辛い訓練もあった。たとえば12時間ぶっ続けの行軍訓練。こんなに辛い訓練をどうやって乗り切ったのか?

 

「行軍は長い時間続くので、ヤバくなったら頭の中で映画をオープニングから再生します。それで現状を忘れられるんです。辛さを忘れて、今ある感覚を全部ゼロにしちゃうことができるので。12時間歩かなきゃならないんですが、その前に映画の見だめをしておいて、頭の中で6本くらい再生するんです。

 

行軍中は何も考えなくていいんで、ずーっと再生することが可能です。工場勤務の時もできていた気がします。だから12時間ネジを止めるだけの作業にも耐えられたんだと思います」

 

『自衛隊入隊日記 完全版』はビジュアルな文章が多い。その理由がわかったような気がした。ちなみに、本当に辛い時に再生したのはどんな種類の映画だったのだろうか。

 

「脳に入ってきやすいので特撮映画が好きですね。高校の時に『ゼイラム』(雨宮慶太・監督/1991年・公開)と出会って、特撮の道を目指そうと思ったくらいです。特撮好きになったのも「ゼイラム」がきっかけでした。僕のマスト作品は『ガメラ2 レギオン襲来』(金子修介・監督/1996年・公開)で、訓練中もよく脳内再生していました」

 

脳と体、それぞれの働きを分離させるという言い方が正しいだろうか。

 

「僕がなんで自衛隊の訓練に耐えられたかというと、何も考えないようにしたからです。無の境地というか。時間が解決してくれるだろうということです。どんなにつらい時でも時間は過ぎていくし、それで解決できるだろうという考え方です。あとはもう、何も考えない。そういうことをやって、どうにかこう、自衛隊でも褒められるような成績を残してきたということがあります」

 

自衛隊時代のエピソードについてはぜひとも本書を読んでいただきたい。「入隊初日は戦闘服への名札の縫いつけで流血騒ぎ」「トイレ掃除の後に待っていたのは恐怖の上長チェック」など、あまり知られていない自衛隊の日常が満載である。

 

 

フランス外人部隊への留学(?)と意外過ぎる帰国のきっかけ

 

そして、大仏見さんはここからさらなる驚異の選択をする。自衛隊を辞め、フランスの外人部隊への入隊を決心したのだ。

 

「自衛隊は、軍隊の色が薄いんです。本分は災害派遣で、周りの地域の人たちを助けることに重きを置いています。『本当の軍隊とは?』ってちょっと興味を持ち始めて、自衛隊とはやっぱり違うなと思いました。じゃあ自分が行ける軍隊ってなんだろうって考えていた時、同僚がフランスの外人部隊に行きたいと言っていて、フランス大使館から資料を取り寄せていたんです。それを見て、フランス語も学べるし行ってみようかなという気になりました」

 

そして、親には“留学”と言ってフランスに渡ってしまった。入隊した最初の4か月の訓練は自衛隊とは種類の違った辛さがあったという。

 

「体力というよりもメンタル面ですね。精神的にかなり追いつめられます。上官に罵倒されたり、ちょっと何かできないと仲間に笑われたりとか。お互いが協力し合うというスタイルではありません。自分がいかに強くなるかが大切な世界でした。自衛隊では、いわゆる共存共栄で仲間を大事にするという世界で生きてきたので、ギャップのすごさに悩まされましたね」

 

同僚は旧フランス領のアフリカ諸国の人たちが多かった。日本人も中国人もいたが、それぞれ目的は違ったようだ。

 

「割合としては、8割がアフリカから来た人たちです。アフリカ諸国とフランスの物価にものすごい差があるんです。軍は、正式には5年間いなければなりません。彼らは5年働くと、国に帰ったら家が2軒建つそうです。

 

外人部隊は5年間続けて辞めることができて、その時に永住権を手に入れられるんです。この永住権が目当ての人も多いですね。永住権を手に入れたら家族を呼び寄せて、フランスで商売を始めるんです。だから、そういう人は最初の4か月を終わると、なるべく体力を使わない部署である糧食班(食事を作る係)への配属を希望するんです

 

そして、外人部隊でも違和感が生まれる瞬間が訪れた。

 

「私が配属された駐屯地は、コートジボワールの大統領選挙に関連する平和維持活動のために多くの兵士が派遣された後でした。基地はほとんどガラガラで、やることと言ったら本当に雑用ばかりで、門番とか、偉い人が食事をするレストランのボーイもさせられました」

 

やがて疑問が生まれ、大きく膨れ上がっていく。

 

「基本的にはバイトみたいなことをさせられたので、これは何か違うな、と思ったんです。もちろん戦争したかったわけじゃありませんが…。で、そのゆるさもあって、こんな生活だったら日本に帰ったほうがいいんじゃないかなと思ったんです」

 

次のような情景、ちょっと想像してみていただきたい。もちろん舞台はフランスだ。

 

「ある週末、駐屯地の中を歩いていたら、どこかから『千と千尋の神隠し』のテーマが聞こえてきたんです。「呼んでいる~」って聞こえてきて、「フワァァー!! 誰が聞いてんのこれ?!」ってなりました。これは日本に帰れということに違いないと思ったんです。日本に帰って勉強し直して、やりたかったことをやらなきゃだめだ。そう言われているような気がしました」

 

大仏見さんは日本への帰国を決意して外人部隊を脱走する。その後、自衛隊とフランス外人部隊で貯めたお金でアメリカへ短期留学~日本に戻って専門学校へ入学と、振れ幅がありすぎる人生を送っていまに至っている。

 

 

あふれる自衛隊愛

波乱万丈な人生を送ってきた大仏見さんだが、そもそも自衛隊での経験を本にまとめようとした背景には、どんな思いがあるのか。

 

「自衛隊に関する情報は世間にほとんど出ていません。あったとしてもミリタリー図鑑みたいなものでしか知ることができません。自衛隊=戦争という極端な図式を思い浮かべる人がいますが、実際は入隊の動機も転職で困ってとか、そういう人が結構多かったりするといった、普通の人が普通に生活している世界でもあるという事実を伝えたかったことがあります」

 

自衛隊の意義に関しても、体験者ならではの言葉には独特の重みがある。

 

「私が横須賀の基地にいた時、行軍訓練で山まで歩いていくんですが、お年寄りの方々が通過する時に会釈してくださるんです。すごくありがたくて、それだけで頑張れたところもあります。国民の応援で力が発揮できるんです。辛い訓練もありますが、困っている人の力になれなければ自衛隊である意味がありません。自分の力がダイレクトに誰かのためになるという感覚がすごい馬力を生み出すんです」

 

そして今でも、自衛隊に対する愛情は尽きることがないようだ。

 

「自衛隊では、100%力を出し切った後さらに出すことができるんです。身近の誰かのためということです。日本は災害が多いので、そっちで頑張れる、誰かのためになれるということで、本当にエネルギーが生まれました。自衛隊では苦労した気持ちがしません。もちろん辛いっていうのはあるんですが、やり遂げられたっていう充実感が毎日あって。辞めた後悔ばかりしてます。いればよかったなって(笑)」

 

1日12時間シフトのネジ留めのバイトにしても、自衛隊や外人部隊への入隊にしても、大仏見さんはとにかく行動の人である。そういう人が脳内映画リピートを通して培ったリリックでビジュアルな文章で綴られたのが、『自衛隊入隊日記 完全版』。純粋で上質なエンターテインメントとして楽しめる1冊だ。

 

 

【書籍紹介】

自衛隊入隊日記 完全版

著者:ロボットマナブ、大仏見富士
発行:学研プラス

Kindleのベストセラーが新エピソード&描き下ろし4コマ漫画を加筆して完全版に! 読みやすくどこかやさしい文章が大好評! 工場勤務の22歳の若者が突如自衛隊に入隊、厳しくも愛にあふれる自衛官のリアルが感じられる自伝的青春小説

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アナウンサーから女優へ。母・野際陽子が娘へ遺した言葉とは

あの野際陽子さんを母に、千葉真一さんを父にもち、自身も役者として活躍する真瀬樹里さんにインタビュー。

 

“役者一家”と聞けば、とても華やかなイメージがあるものの、実際の家族関係はどうだったのか? 母親からどんな影響を受け、どんな言葉をかけられて育ったのか? 母・野際陽子さんの生涯と素顔を綴った著書を出版したいま、あらためて振り返って語ってもらいました。

女優 真瀬樹里さん

1994年に映画「シュート!」でデビュー。2004年にはクエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビルVOL.1」に出演し、殺陣指導も行うなど映画界のアクションシーンに貢献。その後もテレビドラマ・映画・演劇などで活躍し、2017年10月にスタートしたテレビ朝日帯ドラマ劇場「トットちゃん!」では、母である野際陽子さん役として出演。野際陽子さんの生涯と素顔を綴った著書『母、野際陽子 81年のシナリオ』(朝日新聞出版)を出版。
https://twitter.com/jurimanase

 

役者一家に育ち、自然と役者を志した幼少期

「真瀬さんが書いた『母、野際陽子 81年のシナリオ』、読ませてもらいました。野際陽子さんって、クールで聡明な女性というイメージだったから、あまりの天然ぶりにビックリです!」

 

「私の母はとにかく、人を楽しませたい、笑わせたいという人。クールとはかけ離れた、ひょうきんな女性でした。トーク番組ではそういったひょうきんな一面も見せていましたが、視聴者の方からするとドラマで演じた母親のイメージが強いのでしょうか。役柄と実際の母を重ねると、コメディを演じているときのほうがずっと、素に近いくらいでした(笑)」

 

「本当にいろいろな役を演じていらっしゃいましたよね。 そんな名女優を母に持ち、父は名俳優の千葉真一さん。役者一家に育ったわけですから、真瀬さんが役者を目指したのも自然な流れだったんでしょうか?」

 

 

「物心がついたときから、将来の夢はずっと役者でした。幼いころから父や母に連れられて撮影現場にお邪魔して、芝居をいろいろ目にしていました。だから芸能界という華やかな世界への憧れというより、もっと素直に『役者って楽しそう! 私もやりたい!』という思いでしたね」

 

「親の背を見て子は育つ”なんて言葉があるけれど、真瀬さんが役者を目指したきっかけも、まさにその通りだったんですね」

 

「ところが、当時の母はそれに猛反対。私がどんなに強く『子役をやりたい!』と訴えても、『ダメ! 芝居を仕事にするのは高校を卒業してから』の一点張りでした。普段はひょうきんな母ですが、意志の強い女性でもあります。だから反発するなんて、もってのほか。5歳のときから、役者の道しか考えられないと思っていた私からすれば、抑圧されている感覚です。『どうして許してくれないの?』と思い悩み、その気持ちすら満足に伝えられない。泣いてばかりの思春期でしたね」

 

「ひとりの母として、学業を優先させたかったのかもしれませんね。私にも娘がいるから、野際さんの気持ちが分かる気がします。もちろん自分も子どものころは、お母さんに反発していたけれど(笑)」

 

「私が子どもだった当時は、子役がなかなか大成しない時代。今でこそ、子役からこの世界に入って成長し、大人の俳優になる方が多くいますが、当時は違いました。そこで母は、私の将来を思って『役者の仕事は高校卒業後から!』と言って、学業を優先するようにしてくれたのかもしれません。おっしゃる通り、親心からだったんですよね」

 

「そして真瀬さんは、大学在学中に役者デビュー。高校卒業後、すぐに夢を叶えたわけですね! デビューが決まったとき、野際さんはどんな言葉を掛けてくださったんですか?」

 

「特にお祝いの言葉はなく、『まずは現場を見てきなさい、経験を積んできなさい』とだけ(笑)。若いうちから仕事を始めることに反対していた母ですが、役者になりたいという夢そのものは応援してくれていました。私が中学・高校と所属していた演劇部の舞台についても、『台詞はこう発声しなさい』と実践的なアドバイスをくれましたし。そして、何より感謝しているのが、たくさんの習い事をさせてくれたことです」

 

 

「そうでしたね! バレエをはじめ、水泳にスキー、ピアノやエレクトーンにヴァイオリン、さらに書道も習っていたとか」

 

「実はそれも一部で、もっと多くの習い事をしていたんです。役者の仕事を禁じられていた幼い私にとって、習い事が心の拠り所でした。役者の養成所に入ると、歌や踊りのレッスンがありますが、『私は同じことを、もっと専門的に学べているんだ』『この頑張りが、いつか役者の仕事につながるに違いない』と、自分に言い聞かせていました。その結果、特技が多いということが私の特技と言えるようになりました(笑)。殺陣をやっていたことが『キル・ビル VOL.1』での殺陣指導や出演につながりましたし、もしピアニストの役が舞い込んだとしても、リアルに演じられる自信があります」

 

「小さいころの努力が、いつか仕事につながる。この言葉は、将来の夢が役者でなくとも言えることですね!」

 

ここまでのまとめ

役者をするお母さんの生き生きとした姿を見て育った真瀬さん。ところが、幼いころは子役活動を許されず、抑圧された子ども時代を過ごしたというのは意外でした。けれど、その子ども時代に頑張り続けた習い事が、真瀬さんの役者人生を今支えているとは、やはり何事も無駄にはなりませんね。

 

親が生き生きとした姿を見せること、そして習い事を続けることの大事さを学んだところで、ひとまずブレイクタイム。野際さんと真瀬さんの“母娘の恋バナ”から、野際さんの逝去から少し経った今だからこそ話せる秘話まで、つづきはGetNavi web本サイトで。

 

【書籍紹介】

『母、野際陽子 81年のシナリオ』真瀬樹里(朝日新聞出版)

 

参ったなぁ……と、いつも困っている「参田家(まいたけ)」の面々。今回はお母さんが「母として子どもにどう接するか」のヒントをもらうべく、野際陽子さんを母にもつ女優・真瀬樹里さんのもとを訪ねたようです。

参田家の人々とは……
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ちょっと気弱なお父さん、元気でしっかり者のお母さん、もうすぐ小学生の娘、甘えん坊の赤ちゃん、家族を見守るオスの柴犬の4人と1匹家族。年中困ったことが発生しては、宅配便で届いた便利グッズや、ご近所の専門家からの回覧板に書かれたハウツー、知り合いの著名なお客さんに頼って解決策を伝授してもらい、日々を乗り切っている。

日々の「参った!」というお悩みを5分で解決!「参田家(まいたけ)のおうち手帖」

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カリスマモデルとして20年……今宿麻美に訪れた「子育て」による変化とは?

20年以上モデルとして第一線で活躍しながら、結婚と出産を経験した今宿麻美さん。昨年末に2人目のお子さんが生まれてからも、ずっとおしゃれで雰囲気が変わらず、いまだ女性たちにとって憧れの存在であり続けています。

 

そんな今宿さんが、子育てでの悩みや母親になったことで訪れた心境の変化について語ってくれました。

モデル 今宿麻美さん

1978年1月7日、宮崎県出身。18歳でモデルデビュー。ストリートファッションのアイコン的存在として国内外数々のファッション誌で活躍。2013年に結婚、2014年に第一子となる男児を出産、そして2017年12月に第二子となる男児を出産したばかり。ライフスタイルブック『今宿麻美のママライフ 39 Thank you』(祥伝社)では、ママとしての“今宿麻美”を余すところなく公開。夫婦で手掛けているファッションブランド「SEASONING」にも注目。
http://www.spacecraft.co.jp/imajuku_asami/

 

2人目の子どもが生まれて学んだこと

「今日は息子さんも来てくれたのね! 可愛いわね〜、うちの息子と年齢が近くて親近感が湧いちゃうわ。2人目の息子さんを出産されてからまだ3ヶ月ぐらいしか経ってないけれど、もう本格的にお仕事に復帰しているの?」

 

「そうですね。お仕事はいろいろお声掛けいただいていて、長男を出産したときも4ヶ月ぐらいで復帰しました。私自身、すぐに仕事復帰したいという気持ちだったので。モデルと母親、どちらもやることでオンオフのスイッチになるし、気持ちもリセットできるんです」

 

「上の息子さんは、今3歳で保育園に通っているそうだけど、おしゃべりが上手になってきて活発になってきているころよね。子どもが2人になって変わったことはあるかしら?」

 

「まだ出産したばかりなので、これからいろんな変化があると思うのですが、現実的なことでいうと、ゴミと洗濯物がめちゃくちゃ増えました(笑)。あと、長男のときよりもいろいろ赤ちゃんグッズを試すようになりましたね」

 

「あら、1人目でいろいろ買って試してみるというのはよく聞くけれど……。何か理由はあるのかしら??」

 

「長男のときに周りのママさんからいろいろと情報をもらったので、知識量が増えたことが理由です。試してみたいなと思うグッズが増えて、次男の時は便利そうなグッズはとりあえず試してみることにしました。あと、長男のときはバウンサー(赤ちゃんチェア)など、子育ての必須アイテムと聞いて買ったものが次男には合わなかったんですよ。やはり現役のママさんに聞くのが一番だなと実感したのも理由ですね」

 

「わかるわ! やっぱり実際に使ったママの感想が一番タメになるのよね。今宿さんはいつもキレイで怒るイメージなんてないけど、家の中で思わず「キー!」ってなることあるのかしら?」

 

「めちゃめちゃありますよー! 何が原因で怒ってるのかわからなくなるくらいです(笑)。でも、怒った後で冷静になってみると私自身反省することもあります。例えば次男が泣いているとき。私があたふたしてしまい、つい長男に話すときに強くなってしまうことも。「今日もガミガミ言いすぎたなぁ」と反省する毎日を繰り返してます」

 

「上の息子さんは、弟さんが生まれてから変化はあった?」

 

「弟の誕生はすごく喜んでくれたし、ふたりの触れ合いを見ていると癒やされます。次男を妊娠しているときに、先輩ママから「下の子を多少放ったらかしにしてでも、上の子に応えてあげるのが大事だよ」と聞いていたけど、そのときはあまり実感できなかったんです。でも、次男が生まれてから長男が赤ちゃん返りして……。そのときに「これか!」と戸惑いましたね。甘えてくるというより、反抗的な態度になることが多くて。今まで見たことのない長男の様子にびっくりして、受け入れるのが辛かったです。そのときのケアには、とても気を遣いました」

 

「そっか〜、きっと寂しくてママの気を引きたかったのね。では、子どもが生まれて自分が変わったなぁって思うことはあるかしら?」

 

「仕事への物理的なスタンスは変えざるを得なかったんですが、働くことのありがたみをこれまで以上に感じています。今までももちろん意識していたつもりですが、出産を経て自分が自由にできない時間ができたことで、感じ方が変わった気がします。こちらの都合で内容や時間の調整をしてもらったりすることが「特別なことでありがたい」ということを強く思うようになりました」

 

「子育てしながら働くというのは、周りの人たちに支えられてこそできるというのを実感するわよね。これから将来、子どもたちとやってみたいことはあるかしら?」

 

「まだまだ先の話ですけど……一緒にお酒を飲みたいですね!」

 

「素敵! うちもいつか娘や息子が成人したら一緒に飲みたい。あと15〜20年近くかかるけど、それを励みにすれば、子育ても頑張れる気がする!」

 

【前編のまとめ】

今宿さんも、世の中のママと同じようにバタバタ過ごしていることを知って安心! モデルとスタイリストとご夫婦ともに不規則になりがちな職業ながら、週末はできるだけ仕事の予定を入れないように意識しているのだとか。後編では、今宿さんの私服選びや妊娠中のファッションについてうかがいました。こちらもお楽しみに!

 

参ったなぁ……と、いつも困っている「参田家(まいたけ)」の面々。きょうはお母さんが子育ての悩みを解消すべく、モデルの今宿麻美さんのもとを訪ねたようです。

 

参田家の人々とは……
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ちょっと気弱なお父さん、元気でしっかり者のお母さん、もうすぐ小学生の娘、甘えん坊の赤ちゃん、家族を見守るオスの柴犬の4人と1匹家族。年中困ったことが発生しては、宅配便で届いた便利グッズや、ご近所の専門家からの回覧板に書かれたハウツー、知り合いの著名なお客さんに頼って解決策を伝授してもらい、日々を乗り切っている。

日々の「参った!」というお悩みを5分で解決!「参田家(まいたけ)のおうち手帖」

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質感だけで「さすが」と絶賛された空清のブランドは? 家電のプロが教える「置きたくなる」オススメ空気清浄機

花粉除去に効果的な空気清浄機を、IT・家電ジャーナリストの安蔵靖志氏にガイドしてもらう本企画。第1回では空気清浄機選びのポイントと、ダイキンのモデルについて語ってもらい、第2回では、パナソニック、シャープのラインナップについて語っていただきました。今回は、お手入れのしやすさやデザイン性にこだわったモデルを見ていきましょう!

 

教えてくれるのはこの人!

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安蔵靖志(あんぞう・やすし)
IT・家電ジャーナリスト。家電製品総合アドバイザー(プラチナグレード)。AllAbout 家電ガイド。ビジネス・IT系出版社を経てフリーに。デジタル家電や生活家電に関連する記事を執筆するほか、家電のスペシャリストとしてテレビやラジオ、新聞、雑誌など多数のメディアに出演。KBCラジオ「キャイ~ンの家電ソムリエ」に出演中。その他ラジオ番組の家電製品リサーチや構成などにも携わっています。

 

お手入れの手間を減らしたいなら日立がオススメ

――人によってこだわりたいポイントも変わってくると思います。たとえば、空気清浄機はお手入れが面倒という人も多いですよね。

 

安蔵 そうですね。その点、お手入れをラクにしたいという人に注目してほしいのが、日立のEP-NVG110です。こちらは、運転時間の積算48時間ごとに1回、プレフィルターにたまるゴミを「自動おそうじユニット」で自動的に取り除いてくれます。

 

取ったゴミは、抗菌処理を施したダストボックスに溜まり、年に1回捨てるだけでOK。とにかくお手軽です。今後、Wi-Fiを搭載して室内の空気の「見える化」に対応すれば、もっと高く評価したい製品ですね。なお、前回紹介したシャープのKI-HP100とKI-HX75も、フィルターの自動掃除に対応しています。

 

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日立

自動おそうじ クリエア EP-NVG110

実売価格6万2370円

背面両サイドから広面積で一気に吸い込む「ワイドスピード集じん」で8畳の部屋をわずか6分でキレイにします。さらに空気を斜めに吹き出すことで花粉を素早く集める「快速花粉気流」という機能も装備。同社従来比で約2.5倍の速度で花粉を集めます。通常の空清自動運転と比べ、PM2.5をスピード清浄する「PM2.5センシング」も搭載。本体カラーはシャンパンゴールドとブラウン。

 

日立 自動おそうじ クリエア EP-NVG110のスペック

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デザイン重視ならカドーも注目

――デザイン重視という点では、安蔵さんオススメのモデルがあるとか。

 

安蔵 はい。以前にも話しましたが、空気清浄機は、デザインで納得できないものを買ってはダメ。それが常に目に入るわけですから、ずっと後悔することになります。その意味で、カドーの「AP-C200」には注目してほしいですね。直径242mmの継ぎ目のないスリムな円柱形で、デザイン性は抜群。設置場所を取らず、カラーもブラック、ホワイト、シルバーの3色からインテリアに合うものが選べます。空気の状態が青、黄色、オレンジの3段階で表示されるのもわかりやすいですね。

 

メーカーによると、活性炭の優れた吸着力と、可視光で反応する光触媒技術によって、フィルターに付着した汚れを分解し、1年間はお手入れもせずに使い続けられるとのこと。デザイン重視で手間がかからない製品を探しているなら、ぜひ選択肢に入れてほしいです。

 

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カドー
AP-C200
実売価格5万2920円

ボディ全面に吸引口を設置し、360°どこからでも空気を吸い込み、キレイな空気を真上に送り出して拡散します。空気新型光触媒「フォトクレアシステム」を採用し、フィルターをセルフクリーニングすることで、フィルターの長寿命化を実現。フィルターは0.09μm以下のPM2.5もキャッチします。ブラック、ホワイト、シルバーの3色を用意。

 

【AP-C200のスペック】

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ほかにはない質感で、所有する喜びを感じさせるのがブルーエア

――デザインでいえば、スウェーデンのメーカー、ブルーエアのデザインに引かれる人も多いですね。

 

安蔵 ブルーエアはシンプルなフォルムのなかに、北欧らしさを感じさせるデザインが秀逸。とにかく、ボディの質感が極めて良い。部屋に置いているだけで満足できる、所有する喜びを感じさせる……そこまで思わせてくれるものはブルーエア以外ないんじゃないでしょうか。

 

――フォルムだけでなく、質感も重要なんですね。

 

安蔵 他社からもデザインの優れた製品が出て来るようになりましたが、それでも質感がプラスチックのようなものも多くて。それに比べると、見ているだけで触りたくなる質感は「さすが」の一言です。

 

――ブルーエアはラインアップも豊富ですが、どれを選べばいいでしょうか?

 

安蔵 広めのリビングやスモールオフィスに設置するなら、「Blueair Classic 480i」がオススメ。シンプルで大風量、ボディはスチールで質感も最高です。Wi-Fi内蔵で、スマホと連携して空気の見える化に対応しており、スマホから遠隔操作で運転も可能です。

 

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ブルーエア
Blueair Classic 480i
実売価格9万5760円

空気清浄スピードの速さに定評がある「Blueair Classic」シリーズのミドルレンジモデルです。高性能フィルター技術と粒子イオン化技術を組み合わせた特許技術「HEPASilent テクノロジー」を搭載。目の粗さの異なる3枚の素材を重ねて折り畳んだ独自開発のフィルターを採用しており、汚れの捕集力が高く、目詰まりしにくいのが特徴です。Wi-Fi機能を搭載し、専用アプリで屋内や屋外の空気環境をモニタリングできます。

 

安蔵 コスパが高いのは、「Blue by Blueair Blue Pure 221 Particle」。実売3万円台ながら適用畳数が~47畳まで対応します。ちょっと縦長のキューブ形状で、本体の下半分の全周から空気を吸って上部から吐き出します。操作は本体側面の中央に付いた「Blue」のロゴの入った丸いボタンに触れるだけと超シンプルです。子どもでも操作できますね。

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ブルーエア
Blue by Blueair

Blue Pure 221 Particle
実売価格3万540円

33㎝四方の角型ボディに高い空気清浄力を搭載。多層構造の筒型フィルターで360°集じんし、清浄な空気を大風量で上方に放出します。Wi-Fi機能とセンサーは非搭載。

 

――ブルーエアにはほかにも、グッドデザイン賞などを受賞した「Blueair Sense+」や、約2万円の「Blue Pure 411 Particle + Carbon」といったラインナップもあります。これらはどうですか?

 

安蔵 Blueair Sense+はシンプルで飽きのこないボタンレスのデザインで、6色で展開しているため、インテリアに合わせて選べます。また、Wi-Fi搭載で、エアーモニターの「Blueair Aware」(別売・実売価格2万4250円)との連携も可能。インテリア性にこだわりつつ、空気の見える化を堪能したい人にオススメです。

 

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ブルーエア
Blueair Sense+
実売価格4万7830円

スチール製の本体に強化ガラスを組み合わせたミニマルデザインで各国のデザイン賞を受賞。特許技術「HEPASilent テクノロジー」を搭載するほか、天面に手を滑らせて操作するモーションセンサーを採用します。Wi-Fi機能も搭載。カラバリはポラールホワイト、ウォームグレー、リーフグリーン、ミッドナイトブルー、ルビーレッド、グラファイトブラックを用意します。

 

安蔵 一方、Blue Pure 411 Particle + Carbonはコンパクトな円柱状で、カバーフィルターを気分やシーズンで着せ替えられるのがユニーク。低価格ですし、一人暮らしのワンルームに初めて導入するようなケースにはピッタリですね。友達が遊びに来た時の話のタネにもなりそうですし、贈り物にも良さそうです。ただ、ブルーエアはデザイン、機能とも優秀ですが、いずれも加湿機能を備えていないのが惜しい。でも、これだけオシャレなら、加湿器を別途用意してもいいかな、と思っちゃいますね(笑)。

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ブルーエア
Blue Pure 411Particle + Carbon
実売価格1万9440円

小型ボディに独自の粒子イオン化技術とフィルター技術を装備。360°吸引で花粉から生活臭まで強力に除去します。カラフルなプレフィルターは着せ替え交換できるのが特徴。

 

【ブルーエアラインナップのスペック】

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二台目需要に応えるダイソンのPure Hot+Cool Link

――このほか、ややユニークな立ち位置になりそうなのが、扇風機、ファンヒーター、空気清浄機の1台3役のダイソンの「Dyson Pure Hot+Cool Link」かと思います。こちらは、どう評価しますか?

 

安蔵 1台3役で設置スペースが節約できるのはいい。ただ、空気清浄機として評価するのは、少し違うかな…という気もします。メイン機能は温風も出る扇風機ですから、「扇風機一台分のスペースで暖房も空気清浄も利用できる」と捉えるべきですね。空気清浄機としての能力は今回紹介した他社製品と比べると、決して高くありませんが、「Dyson Link アプリ」で室内や地域の空気の状況が見えるので、モニターとして利用するのもアリだと思います。モニターとして使うなら、温風機能はありませんが、よりコンパクトかつ安価な「Dyson Pure Cool Link テーブルファン」(実売価格4万3470円)を導入するのもアリですね。

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ダイソン
Dyson Pure Hot+Cool Link
実売価格6万3530円

空気を浄化しながら、温風と涼風を送り出すことができる、通年で使用しやすいファンヒーター。HEPAフィルターを搭載し、0.1μmレベルの微細な粒子を99.95%まで除去できます。

 

安蔵 あるいは、空気の汚れがちょっと気になるけれど、そこまで悩んでいないという場合や、すでに空気清浄機やヒーターを一台持っていて、気流制御などの性能にやや不満があるので、組み合わせて使いたいと場合にもオススメ。部屋がL字型といった複雑な間取りの場合は空調に死角ができるケースが見受けられるので、そういう家庭に向いていると思います。その意味では、ヒーターなしの「Dyson Pure Cool Link タワーファン」(実売価格5万6540円)は、高さがあって風量も出るので、こちらを選んだほうがいいでしょう。

 

【ダイソン 空気清浄機能付ファンヒーター Dyson Pure Hot+Cool Linkのスペック】

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「デザイン」と「空気の見える化」を重視して、後悔しない選択を!

――3回にわたって、各メーカーの主要モデルをひと通り見てきました。選び方について、もう一度「これだけは覚えておいてほしい」というところはどこでしょう。

 

安蔵 とにかく「邪魔にならないデザイン」が第一。室内に設置したときに邪魔に感じるデザインだと、時間が経つにつれて使わなくなってしまいます。一方、「空気が見える化」できるWi-Fi対応モデルは、効果が目に見えるので、使うモチベーションが続くのがメリット。この2つを重視しつつ、コストやお手入れの手間を加味して選びましょう。ぜひ、部屋にずっと置いて後悔しない製品を選んでください!

【2018保存版】今年の花粉はキケンです! 「花粉症の気象予報士」が最新予報と最強の空気清浄機「ブルーエア」をやさしくレクチャー

今年も花粉症の季節がやってきました。そこで今回は、花粉症およびハウスダストアレルギーに苦しむ気象予報士、元井美貴さんにお願いし、今年の花粉事情と花粉の性質を徹底的に解説してもらいます。さらに、花粉に悩む元井さんのために、GetNaviが自信を持ってオススメする空気清浄機、Blueair(ブルーエア)の「Blueair Classic 480i」を用意。世界基準CADR(後述)において、花粉除去でも最高値を記録した本機を実際に使ってもらい、その喜びを語ってもらいました!

 

教えてくれたのはこの人!

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気象予報士

元井美貴(もとい・みき)さん

東京都出身。青山学院大学在学中の2000年に気象予報士の資格を取得し、BS-i「キャンパスウェザー」で大学生お天気キャスターとしてデビュー。現在は、TBSテレビで気象解説を担当するほか、プロレス番組キャスターやプロレス解説としても活躍しています。天気をプロレス技で例える「プロレス天気予報」や、フラダンスで天気を表現する「フラダンス天気予報」など、趣味を生かした斬新な天気予報でも知られています。花粉症とハウスダストアレルギーに苦しんでおり、ブルーエアの空気清浄機には興味津々。

 

花粉除去といえばコレ!

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↑画像クリックで製品の公式サイトにジャンプします

Blueair

Blueair Classic 480i

世界的な空気清浄機専業ブランド、ブルーエアのミドルレンジモデル。目の粗さの異なる3枚の素材を重ねて折り畳んだ独自開発のフィルターを採用。フィルターは大小の汚れの捕集力が高く、目詰まりしにくいのが特徴です。Wi-Fi機能を搭載し、専用アプリで屋内や屋外の空気環境をモニタリングできます。

SPEC●適用床面積:〜33畳●最大風量:9.9㎡/分●運転音:32~52dB(A) ●フィルター交換目安:約6か月●センサー:PM2.5/VOC/温度/湿度●サイズ/質量:W500×H590×D275㎜/約14㎏

 

今年は花粉の「表年」で飛散量は去年の約2倍!

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――いよいよ花粉の季節がやってきました。元井さんご自身も花粉症とのことですが、どのような症状が出るのでしょうか?

 

元井 特に花粉が多い年は、ノドと鼻が辛いですね。涙が出て、全体的に顔がかゆくなるというか。元々ハウスダストアレルギーがあり、春先は花粉症で弱っているだけに、ハウスダストアレルギーも激しくなってしまいます。私にとって、春はいちばん体調を崩しやすい季節なんですね。だからこそ、今回、花粉に効くというブルーエアが使えるのをとても楽しみにしていて。実際使ってみたら、やっぱり良かったです!

 

――それは良かったです。今回用意したBlueair Classicは、世界的なブランド、ブルーエアのなかでも特に空気の浄化スピードが高いシリーズ。花粉対策にはこれ以上ないモデルですからね。その魅力はのちほど存分に語っていただくとして、まずは今年のスギ花粉の量から教えてください。

 

元井 残念ながら、今年の花粉は多くなりそうです。東京を例にとると、飛散量は去年の2倍になりそうですね。

 

――2倍ですか! なぜ今年は花粉の飛散が増えるのでしょうか。

 

元井 花粉が飛ぶ量は、前年の夏の気象条件に左右されるんです。夏の日照時間が長くて気温が高いほど、スギ花粉はたくさん作られます。そして、次のシーズンの春に大量に飛散するんですね。反対に、前年が冷夏だったり長雨だったりすると、次の春の飛散が少なくなります。業界では、花粉が多く飛ぶ年を「表年(おもてどし)」、少なく飛ぶ年を「裏年(うらどし)」と呼び、この「表」と「裏」が交互に繰り返されると言われています。

 

――では、今年は「表」だと……。

 

元井 はい。去年は「裏年」だったこともあり、今年は多くなりそうです。東京だけではなく、全国的にも昨年の2倍くらいの花粉が飛散すると言われています。

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スギ花粉のピークは3月だが、その後のヒノキ花粉にも注意すべし

――花粉症患者にとっては試練の年になりそうですね……。全国的に見ると、どの地域が多くなりそうですか?

 

元井 元々、関東甲信や東海、四国は花粉が多いんです。なかでも、近隣にスギ林が多く、地形や風向きなどの関係から、高知県や三重県などが飛んできやすい。今年はこれらの地域に加えて東北地方も多くなりそうですね。これも、昨年の夏の天気が良かったことに原因があります。

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――花粉のピークはいつごろになりそうですか?

 

元井 スギ花粉は3月いっぱいがピークです。ただし、東京は3月上旬から4月上旬までと、ピークが長く続くので注意してください。実は、スギ花粉が終わってからも安心はできません。これは、東海から西の地域を中心に、スギ花粉から1か月遅れでヒノキ花粉が飛散するため。ヒノキ花粉もスギと同様のアレルギーを引き起こし、お花見シーズンと重なるので、「桜の花粉症かな?」と勘違いする方もいらっしゃいます。スギ花粉のピークが終わっても、ゴールデンウィークくらいまでは注意が必要ですね。

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3つの条件が重なると花粉が多く飛ぶので要注意

――では、本格的なスギ花粉のピークを迎えたとして、花粉が多い日、少ない日があらかじめわかっていると、対策がとれるのでうれしいですよね。予想するにはどうしたらいいでしょうか?

 

元井 一定の気象条件が揃うと花粉が多く飛ぶので、その条件を知ることが大切です。花粉が多くなる条件は大きく3つ。①最高気温が高く②雨上がりの翌日で、③風が強く空気が乾燥しているとき。雨が降っていると、花粉が飛ばないので花粉症患者はラクなのですが、次の日、一気に気温が上がって風が強くなると、大量飛散につながります。そんな日は、ブルーエアをガンガン回して、しっかり花粉を除去したいところですね。

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――なるほど。雨の翌日は、ブルーエアでしっかり対策、というわけですね。では、1日のなかで、花粉が多く飛ぶ時間帯はありますか?

 

元井 特に「昼前後」「日が沈んだあと」は花粉が多く飛びます。まず気温が上昇し、杉林から飛んできた花粉が街に到達するのが昼前後。気温が上がると上昇気流が起こり、上空に舞い上がった花粉が落ちてくるのが日が沈んだあと、というわけです。

Blueair Classic 480iの公式サイトはコチラ

 

花粉症ではない人でも花粉は浴びないほうがいい

――昼ごはんを食べに出て花粉を浴び、帰宅時にまた浴びる……。ビジネスマンは大変ですね。

 

元井 しかも、街に落ちてきた花粉は、アスファルトで吸収されず、どんどん降り積もっていくのがやっかいなんです。積もった花粉は風で巻き上がって、また降りてきて……という動きを繰り返す。それだけに、アスファルトが多く、風向きや地形から花粉が飛んで来やすい東京は、花粉を大量に浴びやすい環境にあるわけです。そして、花粉を浴び続けると、いままで症状がなかった人も花粉症になる可能性があるんです。

↑花粉のイメージ。花粉表面のトゲがアレルゲンとなります。花粉はアスファルト上だと地面に吸収されないため、降り積もった花粉は風で巻き上げられることになります↑花粉のイメージ。花粉はアスファルト上だと地面に吸収されないため、降り積もった花粉は風で巻き上げられることになります(画像出典:ゲッティイメージズ)

 

――えっ、花粉症になるか、ならないかは体質で決まるんじゃないんですか?

 

元井 よく、コップの水に例えられますね。少しずつコップにたまった水が、許容量を超えるとこぼれるのと同様、花粉に接する機会が一定レベルを超えると、いままで何ともなかった人が、ある日を境に花粉症の症状に苦しむ可能性があるわけです。実際、花粉症の患者は増えていて、2017年の3月のデータでは、東京でのスギ花粉症の患者さんは全体の48.8%。ほぼ半分にまで達しています。

 

――なるほど。「自分は花粉症じゃないから」という人も、花粉はなるべく浴びないほうがいいんですね。

 

元井 はい。そのためには、屋外では極力花粉を浴びないようにし、家の中ではブルーエアのような花粉除去力の高い空気清浄機を使って、家族にも花粉を浴びさせないように努力したいですね。

 

――ちなみに、「大気汚染が花粉症を悪化させる」といった説もあるようですが、その点はいかがでしょうか?

 

元井 環境省のデータによると、PM2.5のひとつであるディーゼル排気の粒子が、鼻などのアレルギー症状と目の結膜炎を悪化させたというデータがあります。花粉症と大気汚染の明確な関連はわかっていないとのことですが、PM2.5の濃度が高いときは、注意しないといけません。

 

――そういえば、PM2.5が増える時期は花粉の時期と同じですね。

 

元井 たしかに、同じ春先です。この時期、黄砂とともに偏西風に乗った大気汚染物質が大陸からやってきます。実際、この時期は日本海側でPM2.5の濃度が高くなるのがわかっています。その意味で、花粉とPM2.5の両方を除去できるブルーエアの空気清浄機は、花粉症を防ぐうえで有効な手段になってきますね。個人的には、ハウスダストアレルギーも防げるので、一石二鳥です。

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ブルーエアの空気清浄機は、これまでの空気清浄機とどう違う?

――さて、これまでのお話でもたびたび登場しましたが、今回は元井さんのために、GetNaviが自信を持ってオススメするブルーエアの「Blueair Classic(ブルーエア クラシック) 480i」を用意しました。こちらは、花粉を含むすべての対象物質で、空気浄化の世界基準「CADR」(※)の最高値を達成したブランド。とにかく、空気を浄化する性能が高いことで有名なんです。元井さんは、このブルーエアというブランドはご存じでしたか?

※CADR…Clean Air Delivery Rate(クリーンエア供給率)の略。米国家電製品協会(AHAM)が定めた、 空気清浄機が清浄な空気を供給する量を表す指標です。数値が高いほど、空気を浄化するスピードが速くなります

 

元井 はい。以前から気になっていたので、今回、実際に使うことができてうれしいです!

 

――使ってみて、これはスゴイ! と思った点はありましたか?

 

元井 とにかくパワフルな風に驚きました。キレイな空気が部屋の隅々までいきわたっていくのがわかります。これだけ風が強いと、花粉やハウスダストもしっかり引き寄せて、一気に吸い取ってくれそうですね。特に花粉は重いので、床に落ちる前に素早く吸引することが重要。その点、空気を浄化するスピードが極めて速いブルーエアを導入することは、花粉対策として理にかなっています。GetNaviさんがオススメするのも納得ですね。

 

あと、個人的には気分や用途に合わせて3段階で風量が調節できるのが気に入っています。それぞれの風量が絶妙で、たとえば、寝るときや仕事に集中したいときは、弱めの風にすれば音が気になりませんし、ふだんは中間の風量にしておけば常にそよ風が吹いているような心地良さ。そして最大風力で使うと、部屋の隅に置いていても、窓際のカーテンが揺れるくらいのパワフルな風に。窓を開けて換気したときのように、空気をリフレッシュすることができるのがうれしいです。

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↑↑本体に大型ファンを搭載し、室内全体の空気を豪快に循環させます。汚れた空気を側面から吸引し、フィルターで浄化した空気を側面から放出します

 

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――ちなみに、元井さんは以前、別の空気清浄機を使っていたとき、不満が多かったとうかがいましたが……。

 

元井 5~6年くらい前、空気清浄機と加湿器が一緒になっていたものを買ったんですけど、こちらは加湿器の扱いが悪かったのか、使っているうちに異臭がしてきまして。空気清浄機なのに、イヤなニオイが広がっていくという惨事に……。それから使わなくなってしまったんです。

 

――加湿器のフィルターにカビや雑菌が増えたのが原因でしょうね。これは加湿機能付き空気清浄機の「あるある」です。

 

元井 あと、以前のモデルは、デザインがいかにも「家電です」といった印象で。寝ているときの「ボクは働いているよ」というアピールもスゴかった。ランプの点滅がずっと天井に反射しているのが気になって、ふせんを何枚も貼ってみたんですが、風と一緒に舞い上がってしまい……。

 

――イヤなニオイが広がって、夜も気になって寝付けない……と。それは災難でしたね(笑)。

 

室内になじむデザインとナイトモードがうれしい

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元井 その点、ブルーエアはさすが北欧(スウェーデン)のメーカー、デザインがすごくオシャレで。一見、空気清浄機に見えないから、オフィスにあっても家庭にあってもなじむというか。眠るときは光をOFFにすることもできるし、音を抑えてくれるナイトモードもある。ナイトモードが時間で指定できるのもありがたいですね。おかげで、夜は眠りに入りやすくなり、そのぶん朝の目覚めもよくなった気がします。

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↑操作パネルは直感的に使えるシンプルなデザイン。光量はアプリで調整できるうえ、フタを閉めれば光が漏れる心配もなし

 

――メンテナンスの面ではいかがですか? 6か月に一度、フィルターを交換するだけでOKとのことですが。

 

元井 以前に使っていたモデルは、掃除機でたまに吸うぐらいはできたんですが、中のものをどう交換していいかわからなくて。逆に、ブルーエアは「フィルターを替えるだけ」というのはわかりやすくて扱いやすいです。「フィルター交換まであと何日」とアプリで確認できるのもいいですね。

20180216-s1 (1)↑フィルターは背面からカンタンに取り出せます。

 

↑フィルターの構造。イオナイザーでウイルス、細菌、ハウスダストなどの有害物質をマイナスに帯電。プラスに帯電した目の粗さの異なる3層のフィルターでキャッチします。目詰まりを起こしにくく、風量も維持しながら、静音性と省エネにも貢献↑高性能フィルター技術と粒子イオン化技術を組み合わせた特許技術「HEPASilent® テクノロジー」を搭載。イオナイザーでウイルス、細菌、ハウスダストなどの有害物質をマイナスに帯電(中央)。プラスに帯電した目の粗さの異なる3層のフィルターでキャッチします(右)。目詰まりを起こしにくく、風量も維持しながら、静音性と省エネにも貢献

 

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屋外は気象予報士にまかせ、屋内はブルーエアにまかせてみては?

――いま、アプリの話が出てきましたが、アプリの使い勝手はどうでしたか?

 

元井 本当に便利でした。リモコンを探してうろうろすることはありますが、スマホは常に持っているから、その場ですぐ操作できるのがうれしい。アプリで名前が付けられるので、親近感も湧きますね。私は「ブルー・デモン」(※)と名づけていたんですが、風量を上げるとゴオーっとすぐに反応してくれて。「ブルー・デモンくん、ちゃんと言うことを聞いてくれてるな」と、頼もしく思いました。

※ブルー・デモン……元井さんが愛してやまないメキシコのレジェンド覆面レスラー

20180216-s1 (2)↑Wi-FIと接続すると使用できる「Blueair Friend(ブルーエアフレンド)」アプリ。電源のON/OFFや風量の調節、パネル光量の調節などができます

 

――アプリだと、室内の様子もモニタリングできるんですよね。

 

元井 そうなんです。アプリで「PM2.5」として、PM2.5や花粉、ホコリを含む粒子の量が計測できますし、CO2が増えると窓を開けるよう、アラートで知らせてくれます。気象予報士としては、気温、湿度が見えるのもうれしいですね。外出先でも室内の様子がチェックできるので、小さなお子さんやペットがいる家庭も安心です。過去のデータが蓄積されていて、グラフになって表示されるのも素晴らしい。寝ている間の湿度などは気になりますから。

↑モニター画面。↑室内をモニターする画面。室内のPM2.5やVOC(ニオイ、揮発性有機化合物)、CO2、温度、湿度の変化をリアルタイムで確認できます。状況の変化をグラフで表示してくれるのも便利です

 

↑↑屋外の特定の場所を選び、空気の状況を表示させることも可能

 

――たしかに、ここまで手軽に屋内の様子がチェックできるようになると、すぐに対策が取れるので便利ですよね。

 

元井 そうですね。屋外の様子は、私たち気象予報士が「天気予報」として知らせることができます。ただ、屋内の様子は誰も予想ができません。だからこそ、屋内の状態が見えて、しっかり管理できるのはブルーエアの大きなメリット。家の外のことは私たち気象予報士にまかせていただき、家の中のことはブルーエアにまかせる……そんな役割分担があれば。日々を安心して過ごせるのではないでしょうか。花粉をきっかけに、室内環境を改めて見直してみるのもいいかもしれませんね。

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追加・削除された語句はどう選ばれた? 「広辞苑」10年ぶり大改訂の裏側を直撃インタビュー!

先月発売となった「広辞苑」第七版。10年ぶりの大改訂で新たに1万項目が追加されたことでも話題となっていますが、この10年と言えば、スマホやSNSが普及し、言葉も大きく変わった時代です。目まぐるしく変わっていったこの時代のなかで、「広辞苑」の制作現場ではどんな編集作業が行われていたのでしょうか。今回は「広辞苑」第七版の編集に携わった岩波書店の平木靖成さんに、辞典編集の実際をうかがいました。

20180215_y-koba2 (14)_R↑岩波書店・辞典編集部の副部長、平木靖成さん。「広辞苑」「岩波国語辞典」など、辞典の編集歴20年以上のすごいお方です

 

「広辞苑」は国語辞典ではない!?

――「広辞苑」は日本における辞典の代表ともいうべき存在ですが、ほかの国語辞典と比べてどんな違いがありますか?

平木靖成さん(以下:平木):まず、「ほかの国語辞典と比べて」とのご質問ですが、実は「広辞苑」は国語辞典ではありません。“国語辞典と百科事典を1冊に合わせた辞典”というのが、1955年にデビューした「広辞苑」のコンセプトです。単に言葉だけを扱うのではなく、事柄も扱うものなのです。

 

競合辞典を挙げるとするならば、「大辞泉」(小学館)や「大辞林」(三省堂)になります。これらはすべて、「広辞苑」と同じく国語+百科という体裁になっています。

 

――そういった競合辞典もあるなかで、「広辞苑」としての特徴はどういったところでしょうか?

平木:「広辞苑」は時代とともに語義変化があった場合に、(現代の意味からではなく)古くからある元々の意味から順に記載してます。ここがほかの辞典とは1番違っているところかなと思います。

 

――今回、10年ぶりに改訂された第七版が話題を呼んでいるわけですが、主にどんなところをアップデートされたのでしょうか?

平木:百科的な項目は、この10年の間の変化……つまり、研究が進んだり、法律が変わったり、市が合併して新しい市ができたりというところの反映が主な改訂になります。

 

もちろん、10年経ったからといってあまり変化をしなかった分野もあります。例えば、歴史ですが、そういった分野でもこれまで手薄だったところには、力を入れました。

 

一方、国語項目のほうは世の中で定着したと考えられる言葉、例えば「がっつり」「ちゃらい」「のりのり」などを収録しました。また、類義語の意味の違いの書きわけも今回の改訂の大きな柱です。例えば、「さする」と「なでる」の違いがすっきりわかるようになっています。

 

第七版の改訂は、第六版制作中から始まっていた!?

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――10年ぶりとなった今回の改訂は、いつ頃から着手されたのでしょうか?

平木:着手というのが何を指すかにもよりますが、辞典の業界では「辞典を出した直後から、次の改訂を始める」とよく言われます。今回で言えば、前回の第六版を作り終えたときに「ここが足りなかったから、次の第七版で力を入れよう」というようなことです。

 

しかし実際には、改訂版を出す前から次の課題は見つかっているものです。時間が足りないなどの理由で諦めざるを得なかったけれど、次の改訂の課題としてそれらは蓄積されていきます。そう考えると、改訂の着手は前回の改訂版を作っているときからすでに始まっているとも言えるのです。

 

――第六版を出す前から、というのは驚きました。では、改訂の実作業をスタートさせたのはいつ頃だったのでしょうか? また、特に大変だったのはどういった点でしょうか?

平木:チームとして立ち上げたのは、2013年からです。最初は14人のチームだったのですが、出たり入ったりがありつつ、最も多い時期には外部の校正者を含めて17人のチームになりました。

 

編集部員には担当分野を決めます。国語のほうはあまり細かくないのですが、百科のほうは460くらいのカテゴリがありました。当然、各編集部員にとって得意な分野が割り当てられることが多いのですが、ときには得意じゃない分野を受け持たなければいけないこともあります。そういう場合、人にもよりますが、きっと大変だったのではないかと思います(笑)。

 

「未来に定着するかどうか」を予測しながらの新語収録

――今回は新しい項目を約1万収録しています。こういった項目はどのようにして決められたのでしょうか?

平木:国語分野では、編集部員が日頃からメモしていたものや、読者の方からの「こんな言葉が入っていないから入れてほしい」という要望をずっと溜めておいて、編集会議で「何を収録して、何を収録しないか」を決め、最終的に国語の監修の先生に確認していただきました。

 

その際、掲載するかしないかの判断は「日本語として定着しているか」または「定着する可能性があるかどうか」……それだけです。

 

――「定着する可能性がある」という予知的な観点で収録する・しないを決めることもあるのですね。

平木:特に若者言葉や俗語というものは使われ方が不安定です。仮に、次の改訂が10年後だとして、その10年後までそのままで使われ続けているかどうかと考えた際、「今回は見送っておこうか」ということもあります。

 

一方、百科のほうは国語ほど難しくはない面があります。例えば、新しい法律ができたら、それはたぶん10年以上は使われていくものでしょうから、「未来の定着」の判断を比較的しやすいのです。

 

――今回の改訂で多く項目が追加された分野はありますか?

平木:料理・スポーツ・ポピュラー音楽・アニメなどの分野は重視しました。料理では「キーマカレー」「チュロス」とか、あとはワイン関係で「テロワール」「カベルネ・ソーヴィニヨン」とかを入れました。

 

「広辞苑」に限らず、辞典はもともと男性目線のものが多かったんです。しかし、例えば新聞でいう家庭欄で使われるような言葉、女性のほうがよく使う言葉もきちんと入れていく方向に変わってきています。

 

基本的に項目を減らさないなか、削除される語句とは?

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――改訂によって逆に削除する項目もあるのでしょうか?

平木:今回は数百項目くらいを減らしましたけれど、「広辞苑」は古語から扱っている辞典ですので、いまではあまり使われなくなった言葉だからといって削除しません。であっても、明治時代の小説を読むときには当時の旧制高校の学生言葉も入っていないといけないですし、バブル期の歌を聴くときには「ポケベル」の意味がわからないといけません。

 

ただ、そういったなかで改訂で落とす対象になりやすいのが、2つ以上の言葉が合わさってできた単純な「複合語」です。今回の改訂でいえば、「書留小包」という言葉を落としましたが、理由は「書留」と「小包」というそれぞれの言葉を引けば「書留小包」の意味もだいたいわかりますよね。同じような理由で「給水ポンプ」「基本値段」といった言葉も落としました。

 

一方、複合語でも、そこで新たな意味を生み出しているものは収録します。例えば「あの人」「あの川」「あの山」という言葉は載せないですが、「あの世」となったら、これは「死後の世界」という意味を持ちますから載せるという判断になります。

 

辞典編集者は「正しい言葉」ということを基本的に考えない!?

――最初の話に戻りますが、10年以上関わってきた改訂版が出たときのお気持ちはいかがでしたか?

平木:できあがって嬉しいと思ったことはあまりないんですよ。作っている過程は楽しいこともあるのですが、冒頭でもお話ししたように常に先々への課題が見つかりますし、いろいろなご意見やご要望を読者の方からいただきますので。

 

――ずっと言葉について考える仕事をされていると、例えば電車に乗っているときなどについ言葉が耳に入ってきて「その言葉の使い方、違うんだけどな」と思うような、職業病みたいなことはありませんか?

平木:「違うんだけどな」とはあまり思わないですね。「正しい言葉とは何か」を知りたい人は世の中に多くいますが、辞典編集者は「正しい言葉」ということは基本的に考えませんので。

 

――!?  どういうことですか?

平木:言葉は常に変化していくもので、使う人が多くなればなるほど、それがいわば正しくなっていくからです。昔は「うつくしい」の語義が、枕草子にあるように「かわいらしい」という意味だったけれども、いまは「ビューティフル」の意味で使わなければ意味が通じません。

 

助詞の使い方などにしても、明治時代は「服を着る」ことを意味して「服装する」と言っていたこともありました。ほかにも、「必死に働く」を「必死と働く」と言っていたり。

 

なので、何が正しくて、何が間違いであるのかというのは、時代ごとにどのような言葉や言い方が多く使われていて、いかに不自然に思われないかというだけなんです。ですから、普段生活の場で言葉に触れるときは、「違うんだけどな」という見方はなくて、「こういう言い方もするようになったんだな」という見方をすることが多いです。

 

――ありがとうございました!

 

果てしない数の言葉に触れ、その意味を追求しながらも、一方で時代に合わせた柔軟性も持っていないと成り立たない辞典編集の世界――。こういった制作側の思いをも感じながら「広辞苑」のページをめくってみたいものですね。

女装することの意味とは? 男の娘・大島 薫が語る男性の深層心理

女性と見まごうほどかわいらしい外見の大島 薫さん。工事もホルモンも一切なしの、れっきとした男性、いわゆる男の娘です。その大島さんは現在、同じ男の娘であるミシェルさんと恋愛中です。「2人が出会ったのは運命」と言い切る大島さんに、人と付き合うことの意味や、男性の深層心理についてお話ししてもらいました。

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大島薫さん(以下、大島):ミシェルはボクがずっと追い求めていた理想の男の娘なんですよ。だからミシェルと一緒に家でバカ話をしていると、子どものときに戻ったような感覚になるんですよね。ミシェルはミシェルで、男性性を押しつけられた幼少期と、両親の離婚による不信感を取り戻しているところなんです。ミシェルもボクといると子どものころに戻ったような感覚になるみたいです。

 

——先日、別の人から「無邪気に笑える恋はいい恋だ」って聞きました。まさにそれですね。

 

大島:誰でもみんな、子どものときに欲しかったけれど得られなかったものがたくさんあると思うんです。それらを捨てて諦めながら大人になっていくんですよね。でもほんとうに好きな人と一緒に生きていくって、欲しかったものを取り戻していくことだと思うんです。

人はみんな、いびつな欠けた形をしているんですよ。感情的だったりネガティブ思考の人って、欠けている部分が多いんだと思うんですが、それをいろんな出会いや経験をすることで、ちょっとずつ補って本来あるべきだった形に戻っていこうとしているんだと思うんです。

 

——シェル・シルヴァスタインの「ぼくを探しに」ですね。

 

大島:問題は、みんながみんな欠けているから、自分の欠けたところを補ってくれる人と出会えるかがわからないことですよね。同じところが欠けている人には自分の穴は埋めてもらえないし。だからそういう意味では、ボクがミシェルと出会えたことは運命だなと思えます。ボクもいろんなところが欠けていたけど、ミシェルと出会う前の恋愛で、彼らからちょっと補ってもらえたのかもしれないし、だからいまミシェルに補ってあげられてるのかもしれない。これが一番最初の恋愛だったらうまくいってないかもしれないですよね。

 

——恋愛の経験を積むって大事なことだと思います。

 

大島:かといってテキトーな人と付き合っても補ってはもらえないですけどね(笑)

 

——!……難しいですね。自分をさらけ出せる人とどれだけ深い付き合いができるかってことでしょうか。

 

大島:家にいるときはニャンニャン口調で甘えてくるみたいな男性はいますよね。それは信頼の置ける相手にだからできることです。でも多くの女性は「いやいや、出会ったころはそんなんじゃなかったよね。思ったより女々しいんだね」ってガックリすると思うんですよ。だから結局恋愛って、どっちが我慢するかになっちゃうんですよね。こっちの願望を押しつけるか、向こうの願望を叶えてあげるか。

 

——そう、いつも相手の都合のいいような付き合いになっているなという気持ちになるんですよね。

 

大島:でもそれを満たしてあげると、相手が回りまわって自分を満たしてくれる可能性もありますしね。好きなことをやらせておいて、飽きて満たされたときに戻ってきたら、今度は自分を満たしてくれようとするのかなと思ったりもするんですよ。

 

——満たされない思いというと、女装することもその表れでしょうか。

 

大島:そうですね。女の子みたいに甘えたい願望をもっている人が、男の見た目のままでは甘えられないから女装したりするわけですよね。「甘えたい」とか「可愛く見られたい」っていう願望がダイレクトに表れているのが女装なんですよね。女装癖まで行かなくても、ニャンニャン口調になるのもその表れと考えられます。

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——女装というのは、深層心理の表れなんですね。

 

大島:外見と中身は違うといっても、やっぱりかっこいい服を着ると振る舞いもかっこよくなるし、可愛い服を着ると振る舞いも可愛くなる。だから形も大事なんです。赤ちゃんプレイだって、赤ちゃん口調になればいいだけなのに、ガワも入るでしょ? 自分の気持ちを盛り上げるためにも必要なんです。

 

——男性たることに実はプレッシャーを感じている男性たちに、女装をすすめてみるのはどうでしょう? 

 

大島:いや、ボクが言うのもなんなんですけど、男でいるんだったら男であることを頑張ってほしいんですよね。そのほうがかっこいいし、そうできる人のほうが実は少ないから。

 

——確かに、いまは昔のような男気にあふれた人って少なそうです。年上お姉さん好きとかけっこういるし。

 

大島:最近、男でいようと努力している男性ってあまりいないと思うんですよ。それこそ「ワリカンでいいじゃん」みたいな。女の子を呼んでセックスして、終わったらピロートークもせず「帰っていいよ」みたいな。それは全然男らしくはないじゃないですか。

 

——クズ男らしい感じではありますね(笑)。

 

大島:「女の子はそこで帰してほしいと思ってないよ」って察しろよ男だったら!って思うんですよ。どんなに眠たくて面倒でも、腕枕の1つしとけばいいじゃんって。そういうのができてない人が多いけれど、それこそドア開けるだの椅子を引くだの、階段を先に行かせるだの、なんでもいいからそこから頑張れよって思うんですよね。

 

——そんな人がいたら絶対かっこいいと思うけど、大島さんはそこを目指さなかったんですか?

 

大島:いやいや、見た目がこうなだけでやってますよ。

 

——そこはもう「ガワから入る」問題じゃなくなっちゃったということですか?

 

大島:いまこの見た目だからそう思うってのもあります。「あー、今月厳しそうなのに頑張ってこの店払うんだ」なんて、可愛いなって思っちゃいますね。ちょっと自分を見てるようでもあって。ボクが男性に対して可愛いなって思う瞬間は、男であることにとらわれるところが垣間見えたときなんです。女性のほうはどうでしょう?

 

――自分のために頑張ってくれている男性を見るのは可愛いですね。純粋に嬉しいなって思います。確かに、男性として見栄を張らないのに、自分を大きく捉えてほしいという男性には魅力を感じないかもしれませんね。

 

見た目は女性だけど、中身は最上級に男らしかった大島さん。男とか女とか、そういう性別を乗り越えて、とにかくかっこかわいい人です。

 

そんな大島さんを作ってきた成り立ちと、ミシェルさんとの関係を描いた作品「男の娘どうし、恋愛中。」(宝島社)、大好評発売中です。

【男の娘・大島薫インタビュー】“極端な男性性”にとらわれた過去、そして現在は「頼りがいのある彼氏」!?

見た目は美女だけど中身は100%男性な男の娘・大島 薫さん。このたび、同じ男の娘であるミシェルさんとの関係を綴った新刊コミック「男の娘どうし恋愛中。」(大島 薫、ふみふみこ)を上梓しました。それがあまりに愛に満ちているうえ、ジェンダー問題を問いかける作品だったんです。読んだあと、いてもたってもいられなくなり、大島 薫さんにお話を聞きに行ってきました。

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――大島さんは男の娘になる前、いわゆる「男」だったのですよね?

 

大島 薫さん(以下、大島):そうです。めちゃくちゃ“男”でした。ボクはすごく“極端な男性性”にとらわれて生きてきたんです。両親からはものすごく「男らしく」と言われて育ったし。子どものころから、母親がクルマに乗るときはドアを開けるよう父親に教えられましたしね。そういう環境もあって「カバンを持つなんてダサい、ジーパンのポケットに財布だけ入れて出掛けるのが男だ!」とか、「鏡の前に立ってキメキメで服を選ぶのは情けない、そこら辺にかけてある服をサッと着て出掛けるのが男っぽい!」とかね。

 

——申し訳ないですが、そういう男性のこだわりは、女性にはまったく響かないです(むしろどうでもいい……)。

 

大島:男性だから男らしい、女性だから女らしいということはないですよね。人それぞれ個性があります。だけど男は「男だ!」ってこだわっているうちは、男でいられるんですよ。そのこだわりがなくなると見栄も張らなくなるし、努力をしなくなってどんどん男としてのアイデンティティは失われていくと思うんです。で、ボクはそういうしがらみから脱却しようと思って、今この見た目なんですけど。

 

——ずいぶん思い切った脱却ですよね、でも「男の娘どうし恋愛中。」のミシェルさんとの関係を読むと、大島さんはめちゃくちゃ「頼りがいのあるかっこいい彼氏」です。

 

大島:ミシェルはボクと違って「女の子として見られたい」「可愛いと言われたい」という気持ちが強いんです。ボク自身もそういう時期があったから、ミシェルが女でありたいという気持ちがあるなら、それは叶えてあげたいんです。だからボクが彼女を女性として愛する男性でいないといけないと思ってるんですよ。ほかの男性と比べても「この人が一番魅力的だな」って思ってもらえる行動を取るようにしていますね。

 

——聞けば聞くほど彼氏に欲しいかっこよさです。

 

大島:だから基本的に彼女に支払いをさせたことはないです。それにデートの途中で「ちょっと待って、足りないから降ろしてくるわ!」ってATMに駆け寄るっていうのはダサいですよね。ボクがもし女性の立場で「2件目に行きたいな」と思ったときに「じゃあお金下ろしてくるよ」って言われたら「あ、無理させちゃったかな」って思うじゃないですか。だから最初から「これ、一晩じゃ絶対使わないでしょ!」っていう額を持っていきます。「これぐらいは普通に持ち歩いてるよ」って示しておかないと、相手も気軽に誘いにくくなりますよね。お金を払わせることに気を遣ってしまうようになるし。

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——でもそれは、大島さんが高給を稼いでいるからこそできるのでは……?

 

大島:そんなことないですよ。ボクは自分ひとりなら月に20万もいらないなと思っているんです。だけどミシェルがこの先、なにか望んだときに叶えてあげたいと思うから、もっと稼ぐ必要があるなと思い直しました。だからそれまでやらなかった仕事も受けるようにして、何でもトライをするようになったら、前の3倍くらいに収入が増えました。

 

——“男性として”がんばることはデメリットではないのですね。それに気を遣わせない気遣いは、男性と女性、両方の経験があるからこそわかることでしょうか?

 

大島:そうかもしれないですね。ボクは相手が求める満たしてほしいこと、言ってほしい言葉がわかるほうだと思います。特にミシェルに関しては同じ男の娘なのでよくわかるかな。例えば女性の友達に「お前、ホントに男みたいだな」って言ったとしますよね。でも意外と女性って悪い気がしなかったりするじゃないですか。異性ではなく友達としてちゃんと見てくれていると感じたりして。

 

——わかります、女という色眼鏡で見る前に、気を許してくれている感じがして私は嬉しいです。

 

大島:彼氏にそう言われたとしても、仲の良さの証だったりしますよね。「男みたい」という言葉には、フランクに接することができる相手という意味があると思うんですけど、それをミシェルやボクに言ってしまうと、ちょっと意味が違ってくるじゃないですか。ある意味そう思うことはミシェルを女性扱いしていないことにも繋がってしまうんだけど、そういう微妙な感情は、ボクが誰よりも理解しなくちゃいけないんですよね。

 

――著書には、ミシェルさんのトラウマも書かれていますね。複雑な家庭環境のなかで「男らしくいなきゃ」「期待に応えなきゃ」というプレッシャーがすごくあったのかなと感じました。

 

大島:そうですね。ミシェルも「お兄ちゃんなんだから泣かないの」と言われて育ってきて、男のときは全然泣かない人だったようです。お母さんや妹さんはわりとよく泣く人で「そんなことでなんで泣いてんの?」と思っていたようです。いまは自分のほうが泣き虫で、この本も読む度に泣いてる(笑)。小さいころから「男は泣かないもの」と教えられて、それが染み付いていただけなんですよね。女性の見た目になって女性扱いされることで自分の感情が解放されつつあって、泣きたいときに泣けるようになってきたんじゃないかな。

 

――それはいいことなのでしょうか?

 

大島:泣きたいときに素直に泣けることは、幸せなんじゃないかな。ミシェルと同じように「男らしさ、女らしさ」にとらわれている人たちは多いのではないかと思います。でも「女の子だから泣いていい」と考えるのはよくないと思っています。何かができないことやしないことを女性性のせいにするのは、人として魅力に欠けますね。

 

――女だから、男だからどうしなければいけないというのがそもそも違うということですね。

 

大島:この本に「薫ちゃんがずっと私のこと好きかどうかなんてわかんないじゃん!」というミシェルのセリフがあるんです。確かにそうだけど、ボクは恋愛ってそういうものじゃないの?と思うんですよ。でも親が離婚したという人に話を聞くと、すごくミシェルの気持ちに共感するんです。恋愛に対して根強い不信感があるみたいなんですね。でもそれをずっと抱えていくのは辛いことです。だからこの本のテーマは、ボクやミシェルが男性性を押しつけられた幼少期を取り戻し、離婚による不信感を取り戻していく「過去からの脱却」なんです。

 

――お話ありがとうございました。

 

大島さんは、ミシェルさんと付き合い始めたころ、会ったあとに必ずメモを取っていたとか。どんな食べ物が好き・嫌いといった、ふとした会話のなかで得た情報を書き込んで、忘れないようにしていたんだそうです。「この話、前にしたよね、覚えてないんだ?」ってことがあると、めちゃくちゃ興ざめですよね。大島さんの気遣いは目まいがするほど羨ましいです!

 

中身は驚くほど頼りがいのある大島さん。自信がとらわれていた「男らしさ」「男としてのプライド」をすっかり脱ぎ去ったからこそ、小さなことにはこだわらないし、人として寛容なのでしょう。視野の広さや、作品からにじみ出る愛情の深さも、大島さんの魅力です。

 

「男の娘どうしの恋愛って、どんな感じなの?」「というかぶっちゃけ、どうやってするの?」みたいな下世話な興味からこの作品を読む人も多いかもしれません。もちろん、そういった好奇心もしっかり満たされますが(笑)、それだけではなく、男性性、女性性、家族、恋愛……いろんな問題を突きつけられます。それが、ふみふみこさんのかわいらしい絵柄で、時にはコミカルに語られます。

 

間違いなく、2017年のベスト5に入るコミックです。

プロレスラーの「海外武者修行」って何なの? 「凱旋帰国」直後の話題のタッグSHO&YOH選手に聞いてみた!

新日本プロレスのイケメンタッグとして、急速に知名度を上げつつあるSHO選手とYOH選手。メキシコ、アメリカ遠征から凱旋帰国した2017年10月の両国国技館大会で、タッグチーム「ROPPONGI 3K」(ロッポンギスリーケー)として電撃デビューを果たし、初のIWGP Jr.タッグ王者に輝きました。残念ながら、2018年1月4日の東京ドーム大会では外国人タッグのヤング・バックスに敗れてベルトを手放したものの、これまでの戦いぶりは、今後の活躍を大いに期待させる内容。今回は、そんなSHO選手とYOH選手に下積み時代から海外遠征、凱旋帰国までのお話をうかがうことで、お二人が何を学び、何を目指しているかを明らかにしていきます!

 

PROFILE

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SHO(左)

1989年8月27日生まれ。愛媛県宇和島市出身。173㎝、93㎏。高校時代にレスリングを始め、徳山大学に進学。レスリングでは副主将を務め、全日本大学グレコローマン選手権で7位、全日本学生選手権グレコローマンスタイル3位、西日本学生選手権フリースタイル準優勝など、数々の成績を残す。2012年に新日本プロレスに入門を果たし、同年の11月に渡辺高章戦でデビュー。2016年1月、同期のYOHと共にメキシコCMLL、アメリカROHに遠征。凱旋帰国となった2017年10月の両国国技館大会で、ロッキー・ロメロ率いる「ROPPONGI 3K」として、YOHとタッグを組みIWGP Jr.タッグ王座を獲得。所属ユニットはCHAOS(ケイオス)。趣味は筋トレ、釣り、ゲーム、サバゲー。

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YOH(右)

1988年6月25日生まれ。宮城県栗原市出身。171.5㎝、85㎏。両親の影響を受け、幼いころからプロレスに興味を抱き、中学1年生の頃からプロレスラーを志すようになる。高校、大学ではレスリング部に所属し、卒業後にプロレス学校を経て2012年の入門テストに合格。同年、渡辺高章戦で待望のデビューを果たす。2016年1月、同期のSHOと共にメキシコCMLLへ遠征。その後、アメリカへと渡りROHで活躍。2017年10月の日両国国技館大会で、ロッキー・ロメロ率いる「ROPPONGI 3K」として、SHOとタッグを組みIWGPJr.タッグ王座を奪取。所属ユニットはCHAOS(ケイオス)。趣味は音楽鑑賞。THE BLUE HEARTS、銀杏BOYZ、HUSKING BEEなどを愛するパンクな一面も持つ。

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憧れの選手との出会いによってプロレスラーを目指す

――まずはお二人がプロレスラーを目指したきっかけを教えてください!

 

SHO 高校生の頃、レスリングに入部するとプロレス好きの後輩がいて、その影響を受けたのが始まりでした。大学に入るとプロレスラーになるか、教員免許を取るか悩んでいたのですが……。棚橋弘至選手のサイン会で「プロレスラーを目指してます」とお話をすると、その当時に憧れていた棚橋選手から「待ってるよ!」と声を掛けてもらって。その瞬間、将来の目標は「プロレスラー」に決まりました(笑)。

20180115-s3 (2)↑SHO選手

 

YOH 僕は父親がプロレスの大ファンで、子どものころからプロレスが身近にあったことがきっかけですね。土曜の深夜に放送していた「ワールドプロレスリング」を毎週録画して、日曜の朝から一緒に観ていたのをいまでも覚えています。当時はまだ幼稚園の頃で「闘魂三銃士」が全盛の時代。リングで大活躍する武藤(敬司)選手を見て「カッコイイなぁ」と思っていました。そして、中学一年生のときに「プロレスのリングに立ってみたい。きっと気持ちいいんだろうなぁ」と考えるようになり、本気でプロレスラーを目指すようになりました。いま思えば父親の「英才教育」ですね(笑)。でも、プロレス好きの父親に「プロレスラーになる」と言ったら本気で驚いていました。そのとき、「お前本気か? なれるものならなってみろ!」と笑われて、闘志に火がついた形です。

20180115-s3 (6)↑YOH選手

 

下積み時代は相撲の世界に通じる厳しさがある

――新日本プロレスに入門し、練習生として過ごしたお二人ですが、下積み時代にはどんなことをしたのでしょうか?

 

YOH 入門した練習生は必ず専用の寮に入り、寮生活が義務付けられます。基本的には寮内の仕事をしつつ午前中に練習をして、午後は夜中の11時ごろまで雑用ですね。

 

SHO 練習や雑用よりも厳しかったのは、デビューするまでの寮生活が「外出禁止」だったこと。

 

YOH 僕たちはデビューまでに9か月掛かりましたから、かなり辛かった(笑)。デビューしてからも食事の当番や先輩レスラーの付き人、会場でのセコンド業務と、遊んでいるヒマはありませんでした。

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SHO 新日本プロレスの基本は、相撲のしきたりがベースになっています。力道山さんの時代から相撲の習慣が受け継がれていて、「新弟子」と呼ばれる下積み時代は相撲の世界と共通した厳しさがありますね。ホント、何度も辞めようと思いました(笑)。

 

「海外遠征」とは、一人前になるための卒業試験のようなもの

――プロレスでは、「海外遠征(または海外武者修行)ののち、凱旋帰国」といったフレーズをよく耳にするのですが、これはどういうものなのでしょうか?

 

SHO 新日本プロレスではヤングライオン(新日本プロレスの若手選手のこと)を経験したら、海外に送り出されるのが代々のならわしになっています。海外遠征は、一人前になるための卒業試験みたいなもの。俺たちも若手としての区切りを着けるため、必死になって海外遠征を目指しました。

 

YOH 海外に行くことは、自分の将来を探すための貴重な経験ですからね。でも当時、僕たちの下の後輩が入門してこなかったので、寮を出るまでの修業期間は約4年もかかりました。

 

――えっ、下が入ってこないと、寮を出られないわけですか?

 

SHO そうなんです。いや、長かった~(笑)。

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――新日本プロレスと関係の深いメキシコのプロレス団体「CMLL」とアメリカの団体「ROH」へと武者修行に行ったとのことですが、海外で一緒に生活するなかで、ケンカすることはなかったのですか?

 

YOH 僕たちは入門テストも入門日もまったく同じ同期。練習生時代から常に一緒にいたこともあってか、ケンカをしたことは一度もありませんでした。

 

SHO YOHさんの方が1歳年上と言うこともあり、上手にリードしてくれる感じですね。いまでも会話は敬語90%、タメ口10%(笑)。

 

YOH 敬語は使っても、気は遣ってくれないけどね……(笑)。でも、同じ歳だったら、ここまでうまく行ってなかったと思いますよ。

 

SHO このベストな関係は、俺が年上でもダメだったでしょうね。

 

メキシコでは試合のために往復14時間かけたことも

――ちなみに、武者修行には自分のスタイルを決めてから海外に向かうとうかがったのですが、お二人もスタイルを決めていたのでしょうか?

 

YOH 常に同期として行動をともにしていたので、スタイルとしては「タッグ」ということだけは決めていました。

 

SHO 海外には数多くのタッグチームがいるので、試合を重ねることで学ぶことも多いのでは? と漠然と考えていたんです。

20180115-s3-25↑連携技を決めるYOH選手とSHO選手 ©新日本プロレス

 

――メキシコのCMLLとアメリカのROHで試合をしていたお二人ですが、その違いを教えてください。

 

SHO メキシコは「ルチャリブレ」と呼ばれる、空中技を多用する独特のメキシカンプロレスがメインになるのですが、プロレスが文化として定着しているので、練習環境としてはかなり充実していました。

 

YOH メキシコは自分たちには合っていましたね。CMLLは常設の会場を5つくらい持っていて、そこをサーキットするような感じでした。

 

SHO 会場を回る日程が決まっていて、たとえば、火曜日はバスで7時間くらいかけて会場に行き、試合をして、そのまま7時間かけて帰ってくるのがお決まりでした。

 

――かなりハードなスケジュールですね。辛くはなかったのですか?

 

YOH バスの中ではいつも爆睡でしたから(笑)。

 

SHO 移動の時には地元のルチャドール(ルチャリブレの男性プロレスラー)と話をするのも楽しかった。今となっては良い思い出ですね。

 

メキシコでの練習方法は「ぶっつけ本番」

――では、アメリカのROHはどうでしたか?

 

YOH ROHでは平均して月に2~3試合くらいしか出場できなかったのですが、ヤング・バックス、モーターシティ・マシンガンズなどのトップクラスのタッグが多かったので、試合自体は楽しかった。コテコテのアメリカンプロレスも僕たちにとっては良い勉強になりました。

20180115-s3-24↑現在は日本で活躍するヤング・バックスと対戦するYOH選手(左)とSHO選手(右) ©新日本プロレス

 

SHO ただ、ROHでは試合数が少なかったので、休みの日はメキシコに練習するために通うことも多かったです。ROHでも、もっと試合がしたかったですね……。

 

――練習では、どんなことをしていたんですか?

 

YOH アメリカでは筋トレなどが中心だったのですが、メキシコでは、現役のプロレスラーに技を習っていました。教え方も独特で、高いところからいきなり「飛んでみろ」と言われる(笑)。それは怖いですよ。でも、やってみると何とかなるものです。ぶっつけ本番だと、集中力も高まりますしね。

 

――CMLLのルチャリブレとROHのアメリカンプロレスでは、どちらの経験が役に立っていますか?

 

SHO メキシコとアメリカのプロレスはまったく別物なので、どちらも経験して良かったと思います。

 

YOH 僕たちのようにタッグで戦うプロレスラーにとっては、対戦相手に合わせてスタイルを使い分けることが大きな武器になりますからね。引き出しを増やすことで、試合の流れを変えることができる。その経験値を増やしてくれた海外遠征は、大きなターニングポイントだったことは間違いありません。

 

――ちなみに、メキシコとアメリカでは、どちらが肌に合いましたか?

 

SHO 完全にメキシコです。とにかく人が優しくて陽気な性格ですから、ホームシックになることはありませんでした。

 

YOH でも、メキシコ人って、平気でウソをつくんですよ(笑)! 自分から食事に誘ったのに約束の場所に来ないとか。道を聞くと、その場所を知らないのに「向こうだ」って指をさすんです。でも、そのウソには悪意がないんですね。楽しませようとか、困っているヤツを助けようと思ってウソが出ちゃうらしい(笑)。

 

――それも困ったものですね(笑)。

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SHO選手は「技術」、YOH選手は「華やかさ」を追求

――メキシコとアメリカの海外武者修行中で、自分たちのスタイルが固まってきたのはいつごろですか?

 

YOH 正直な話、タッグとしてのスタイルが見えてきたのが2017年の6月くらい。メキシコやアメリカで試合を続けながら、迷走し続けていたというのが本音です。

 

SHO YOHさんと話し合って、タッグパートナーとして同じ目標を持ちながらも、それぞれが違った色を出すことが俺たちのスタイルになるんじゃないかと……。俺の場合はパワー重視で戦うスタイルを目指していたのですが、それだけでは他の選手と差別化はできません。MMA(総合格闘技)でも戦えるようなテクニックを身に着けるため、アメリカ修行時代には、柔術の達人でもあるダニエル・グレイシーに教えを請いました。

 

YOH 僕の場合は、SHOが技術的な部分を追い求めていることを知っていたので、それとは対照的に、「華やかさ」を突き詰めて行こうと決めました。

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――具体的には、どんなスタイルなのですか?

 

YOH 僕の憧れは今でも闘魂三銃士時代の武藤選手。ですから自分のプロレス哲学の中には蹴りや関節技は入っていません。僕が求めるのは、ひとつひとつの動きだったり、技と技の間(ま)の取り方だったり、所作の華麗さでお客さんを盛り上げて行きたい。最近のプロレスは技を数多く繰り出すことが主流になっていますが、もっと「技」を大切に使うべきだと考えています。古典的な技であっても、もっと華麗にアレンジできれば会場を盛り上げることができると信じています。SHOとは真逆の部分に磨きを掛けることが、僕が求めるスタイル。目指すべき道は、子どものころに憧れた「プロレスの原点」の違いなのかもしれませんね。

 

SHO その個性の違いがリング上でシンクロする。俺は、それがタッグとしての強みになると信じています。

 

タッグならではの魅力を伝えていきたい

↑↑カニのポーズ(後述)をとるSHO選手とYOH選手

 

――では、今後の目標を教えてください!

 

YOH 今の新日本ではオカダ・カズチカ選手を頂点にしたヘビー級の戦いが注目を集めていますが、ボクたちが戦う「ジュニアヘビー級」という階級をもっと盛り上げていきたい。観戦しているファンのみなさんと同じような身長の選手たちが戦う姿に共感してもらえたら。

 

SHO でも、そこにはプロレスラーとしての憧れを感じてもらえるハイレベルな戦いは欠かせません。実際、学生のころには「体の小さいお前がプロレスラーになれるワケがない」って言われていましたから。そんな俺がプロレスラーになれたのだから、本気でこの世界を目指している人たちに勇気を与えられたらなと思います。

 

YOH 僕の目標は、ジュニアヘビー級の試合が大会のメインを飾ること。新日本のマットに新しい伝説を作り上げることが僕たち「ROPPONGI 3K」に課せられた使命だと考えています。僕たちも所属するユニット「CHAOS」(ケイオス)には、邪道選手、外道選手のようなお手本にするべきタッグもいるので、まずはそこを目指すことが必要ですね。

 

SHO タッグを組んで戦う格闘技はプロレスだけ。その面白さ、迫力に興奮してもらえたら最高ですね。格闘技の新しい形として俺たちROPPONGI 3Kが盛り上げていきます!

 

――最後に、プロレスファンだけでなく、プロレスに興味を持ち始めた人たちに対してROPPONGI 3Kの魅力と見どころを教えてください。

 

SHO ROPPONGI 3Kならではのコンビネーションと技のキレを見て欲しい。展開の早さと激しい攻防に、きっと興奮してもらえるはずです。テレビでも楽しんでもらえると思いますが、実際に会場に足を運んでもらえればうれしいですね。

 

YOH パワー担当のSHOと、頭脳派の僕のコンビネーションは必見です(笑)。特に高い位置から相手の顔をマットに叩きつける必殺技「3K」(スリーケー)に注目してください。コンビで繰り出す技はシンプルですが、見応えがあると思います。

 

SHO 決め技の前に行う「カニのポーズ」も一緒にチェックしてほしいですね。このポーズが必殺技の合図。このときは、カニのように横にしか歩けなくなります(笑)。

 

YOH とにかく一度、会場で観戦して欲しいです。僕たちの試合を生で見てシビれてください!

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――今回のインタビューで目立ったのは、パワフルでお茶目なSHO選手、知的な印象のYOH選手の絶妙なコンビネーション。試合だけでなく、日常的に深い信頼関係が築かれていることが強く伝わってきました。このチームワークの良さを活かして、これからも新日本プロレスで大暴れしてくれることでしょう。ジュニアヘビー級タッグ王座のチャンピオンベルトを奪い返す日は、そう遠くはなさそうです。

 

【SHO&YOH選手が出場する大会情報はコチラ】

NJPW PRESENTS CMLL FANTASTICA MANIA 2018

2018年1月19日(金) OPEN 17:30/START 18:30
2018年1月21日(土) OPEN 17:30/START 18:30
2018年1月22日(月) OPEN 17:30/START 18:30

東京・後楽園ホール
https://www.tokyo-dome.co.jp/hall/

イベント特設サイトはコチラ

家電のプロが「もっとも勢いがある」と感じたメーカーは? 2017年「注目の家電」と「業界の流れ」を振り返る!

2017年も各社からさまざまな家電製品が登場しました。なかでも、家電のプロの目から見て、いったいどんなアイテムが印象に残ったのでしょうか。前編では、IT・家電ジャーナリストの安蔵靖志氏に調理家電について語っていただきました。後編となる今回は、調理家電以外で注目したアイテムや、2017年の業界の流れについてお話を聞いていきましょう!

 

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安蔵靖志(あんぞう・やすし)

IT・家電ジャーナリスト。家電製品総合アドバイザー(プラチナグレード)。AllAbout 家電ガイド。ビジネス・IT系出版社を経てフリーに。デジタル家電や生活家電に関連する記事を執筆するほか、家電のスペシャリストとしてテレビやラジオ、新聞、雑誌など多数のメディアに出演。KBCラジオ「キャイ~ンの家電ソムリエ」に出演中。その他ラジオ番組の家電製品リサーチや構成などにも携わっています。

 

パワー、持続力ともに高い「コードレスキャニスター掃除機」がいよいよ出てきた

――2017年、調理家電以外で「これは!」と思ったものはありますか?

 

安蔵 いよいよ出てきたな! と思ったのは、シャープと東芝から相次いで登場したコードレスキャニスターのクリーナーです。実は以前にも発売されたことがあったのですが、当時はパワーとバッテリー容量がいまひとつなのに、価格も安くなかったので普及しませんでした。今回、シャープと東芝から出た製品は、パワー、バッテリーともしっかり確保されていて、実用性は十分です。

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シャープ

コードレスキャニスター掃除機

RACTIVE Air(ラクティブ エア) EC-AP700

実売価格6万9480円

紙パック式のコードレスキャニスター掃除機。本体質量1.8kg、標準質量2.9kgの軽量ボディが特徴です。着脱式のバッテリーを採用し、予備バッテリーを用意すれば連続して運転できます(自動モードで約30分×バッテリー2個=約60分)。バッテリーパックは本体と離れた場所で充電が可能。サイクロン式の「EC-AS700」もあります。

 

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東芝

コードレスキャニスター VC-NXS1

実売価格10万9190円

独自開発のモーターにより、強力な吸引力を実現。自走式のパワーヘッドで、スイスイお掃除できます。標準モードで最長約60分の運転が可能。裏表のない二面式の本体も特徴。また、大容量のダストカップを装備したダストステーションが付属しているので、本体のダストカップのゴミ捨てが不要です。

 

――今回は普及すると思われますか?

 

安蔵 訴求の仕方次第ですね。コードレスキャニスターで裾野を広げるためには、新しモノ好きのユーザーに訴求するだけでなく、高齢者を含めたマジョリティに訴えねばなりません。そのためには、今までのキャニスターと同じ使い勝手を実現して、高齢者でも迷わず使えるようにし、なおかつ充電は「充電台に置くだけ」というシンプルさが求められます。シャープも東芝もここはクリアしているので、あとは「いかに認知を広げるか」ということではないでしょうか。

 

ロボット掃除機ではパナソニックのRULOが他社と差別化できていた

――ロボット掃除機市場はいかがでしょうか。

 

安蔵 色々と出ましたが、どれか1台を選ぶならパナソニックの「RULO(ルーロ)」を推します。

 

――あ、センサーを増やした新モデルでしたよね。

 

安蔵 はい。特に上位モデルのMC-RS800は、人工知能も搭載して、マッピングしながら間取りを学習して効率よく掃除します。このマッピングが面白いんですよ。一度間取りをマッピングすれば、スマートフォンの専用アプリから「エリア指定モード」を利用して、掃除してほしくない場所を指定できるんです。例えばペットがいる家庭なら、エサの置き場所を指定すれば、そこを避けて掃除してくれます。ルンバの場合はバーチャルウォールという機材を設置する必要がありますし、その他のメーカーでは、磁気テープを貼る必要があることも。磁気テープだと、さすがにリビングの見栄えがね……。その点、RULOならリビングに余計なモノを置くことなく、除外エリアを指定できます。これは、大きな差別化ができているポイントですね。

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パナソニック

RULO MC-RS800

実売価格12万9220円

独自の三角形状を採用し、部屋の隅のゴミにも強いのが特徴です。新機種ではレーザー、超音波、赤外線の3種類の障害物検知センサーを搭載し、壁や障害物にぶつからないようにお掃除。スマートフォンからの操作にも対応します。

 

エアコンではアイリスオーヤマのWi-Fi搭載が衝撃的

――空調関連ではいかがでしょう。印象的な製品はありましたか?

 

安蔵 ユニークさという意味では、日立の凍結洗浄エアコンは印象的ですね。なかなか真似できないだと思います。しかし、なんといってもエアコンで衝撃的だったのは、新規参入したアイリスオーヤマがWi-Fiを標準搭載したこと。パナソニックやシャープも最上位のシリーズでは無線LANを内蔵していますが、アイリスオーヤマは8万~10万円台の低価格帯でWi-Fi搭載を実現し、業界を震撼させました。

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日立

ステンレス・クリーン 白くまくん

プレミアムXシリーズ
実売価格税込30万230円(※14畳タイプRAS-X40H2)

熱交換器の自動お掃除機能「凍結洗浄」は、熱交換器をいったん凍らせて霜を蓄え、一気に溶かすことで、従来取り除くのが難しかったホコリやカビを洗い流す新方式。エアコン内部をキレイにして清潔な空気を送り出します。[くらしカメラ AI]で部屋を検知し、人がいない時間を選んで自動で洗浄するのも特徴。

 

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アイリスオーヤマ

IRW-2817C(10畳用)

実売価格10万7780円

Wi-Fiと人感センサーを標準搭載し、屋外からのスマートフォンでの遠隔操作を実現したルームエアコンです。低価格とWi-Fi搭載で大きな注目を集めましたが、現在は販売終了。

 

安蔵 エアコンを遠隔操作しようという動きは2012年ごろからあったのですが、当時は法律の問題で電源ONができず、普及に弾みがつきませんでした。法改正を受けて、各社とも電源オンに対応するようになったのですが、これまでずっと「オプション(別売)対応」でした。そこにアイリスオーヤマが先陣を切ってWi-Fiを標準搭載し、パナソニックとシャープが続いた形です。パナソニックとシャープは最上位モデルのみですが、来年は下位モデルにまで広げて欲しいところですね。もちろん、他のメーカーも追随してくるでしょう。

 

――遠隔操作とは、それほど便利なものなんですか?

 

安蔵 もちろん。できたほうが誰にとっても便利です。家に帰る前に部屋を涼しくしておきたい、あるいは暖かくしておきたいとは誰しも思うでしょう。ましてやペットを飼っていると、春先の気温が落ち着かない時期などは「暑くて苦しんでいないかな……」などと心配してしまいます。この心配がなくなるだけでも、導入する価値がありますね。個人宅だけでなく、アパートやマンションなどの集合住宅に導入すれば、賃貸物件のアピールポイントの1つになるはずです。ペット可の賃貸物件とは、特に相性がいいのではないでしょうか。

 

もうひとつ、遠隔操作といえば、洗剤と柔軟剤を自動投入するパナソニックの洗濯機が良かった。こちらもスマホとの連携が可能なうえ、洗剤の量を自動で計量してくれるので、帰宅時間に合わせて洗濯が終了するよう、スマホで設定できるようになっています。

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パナソニック

ななめドラム洗濯乾燥機 NA-VX9800

実売価格35万3620円

液体合成洗剤や柔軟剤をあらかじめ入れておけるタンクを搭載し、洗濯の際は最適な量を計算してタンクから自動で投入。手間が省けて洗剤の入れすぎなどもなくなります。外出先からスマートフォンで洗濯の仕上がり時間などを設定可能。

 

2017年は「見える化」の機運が高まった

――空気清浄機の分野ではいかがでしょう。

 

安蔵 これは、家電業界全体にも言えるのですが、2017年は「見える化」の機運が高まってきた印象があります。そもそも、空気清浄機というものは、本当に効いているのかがわかりづらい。メーカーもその点に配慮して、例えば運転状況が屋外からスマホで確認できるようにし、スマホアプリで空気の状況を示すことで、空気清浄機の効果を見せる……といった形で「見える化」を進めてきた印象ですね。ダイキン、シャープ、ダイソン、ブルーエアなどがこれに対応していますが、例えばダイキンの加湿空気清浄機「MCK70U」は、PM2.5、ホコリ、ニオイの3種類の汚れを6段階のレベルで「見える化」しています。今後はパナソニックなども当然対応してくるでしょう。

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ダイキン

MCK70U

実売価格5万7070円

独自のストリーマ技術を強化し、有害ガスの分解スピードや脱臭性能が2倍になりました。0.3μmの微小な粒子を99.97%除去するTAFUフィルターを新たに搭載。ルームエアコンと同じアプリで、スマートフォンから室内の空気を見える化。遠隔操作も可能です。

↑ダイキンのアプリ画面↑ダイキンのアプリ画面

 

安蔵 「見える化」という意味では、「部屋干し3Dムーブアイ」を搭載した三菱電機の衣類乾燥除湿機「サラリ」が抜群に良かった。衣類乾燥除湿機では「一択」と言っていいと思います。

 

――「一択」ですか! どこがそんなにいいんでしょうか?

 

安蔵 「光ガイド」という機能がいい。これは、濡れた部分だけ検知して緑色の光で照らし、重点的に温風を当ててくれる機能です。これがあるだけで、「ちゃんと働いてくれているな」と、確認できるので、安心感がまるで違います。発想が面白いうえに理に適っている、という極めて良いプロダクトですね。また、フィリップスの電動ハブラシは、スマホと連携して正しく磨けているか、コーチングできるものが出ています。こちらも「見える化」のひとつと言えるでしょう。

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三菱電機

サラリ MJ-120MX

実売価格4万3090円

経済的なコンプレッサー方式を採用する衣類乾燥除湿機。約180cmのワイド送風で、洗濯物を一気に乾燥できます。温度、湿度、赤外線センサーを用いて乾き残りを見つけ、緑色の「光ガイド」を照射しながら集中乾燥します。

↑除湿をスタートしてから約5分ほど経過すると、濡れた箇所だけ検知して重点的に送風するのが特徴だ↑除湿をスタートしてから約5分ほど経過すると、濡れた箇所だけ検知して緑色の光で照らし、重点的に送風します

 

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フィリップス

sonicare(ソニッケアー) HX9964/55

実売価格3万8880円

4種類の高性能ブラシヘッドを備えた電動ハブラシ。スマートフォンの専用アプリで歯磨きをリアルタイムに追跡し、きちんと磨けているかどうかをセンサーでチェックします。

 

メーカーで「勢いがあるな」と感じたのはパナソニックとシャープ

――ちなみに、2017年、安蔵さんが「勢いがあるな」と感じたメーカーはどこですか?

 

安蔵 まずはパナソニックですね。先述の「ロティーサリーグリル&スモーク」「洗剤を自動投入する洗濯機」をはじめ、創業100周年で気合いの入った商品が数多く発表されました。私は毎週、家電を紹介するラジオ番組をやっているんですが、面白いモノを立て続けに出すものだから、紹介したいのがパナばかりになってしまって。こんなに続けて大丈夫か……と思ったこともあります。

↑前編でも紹介したパナソニックのパナソニック ロティサリーグリル&スモーク NB-RDX100(実売価格5万1230円)↑前編でも紹介したパナソニックのパナソニックの「ロティサリーグリル&スモーク NB-RDX100」(実売価格5万1230円)。かたまり肉を回転させて焼くことができるほか、オーブン、トースター、燻製器としても使用可能

 

もうひとつ際立っていたのが、実はシャープだと感じています。もともと、どん底の時期に「蚊取空清」や「ロボホン」などのチャレンジングな商品を出していましたが、これは凄いことですよ。2017年も、そのチャレンジ精神は健在。先述のコードレスキャニスター掃除機のほか、冷蔵庫の分野では大容量の500Lクラスで左右どちらでも開く「どっちもドア」を実現したモデルや、AIoT(※)に対応したモデルを開発しています。どっちもドア&AIoTモデルが出なかったのはちょっと残念でしたが、いずれ開発されるでしょう。また、効果は床置きの方がいい部分もあるとは思いますが、発想の面では天井に取り付けることで邪魔にならないLEDシーリングライト付きの空気清浄機、「天井空清」も面白いですね。さらに勢いのあったメーカーの次点を挙げるとすれば、低価格でWi-Fi搭載エアコンを出したアイリスオーヤマでしょう。

AIoT……AI(人工知能)とIoT(モノがインターネットを通じてクラウドやサーバーに接続され、情報をやりとりすること)を組み合わせたシャープの造語。単なるIoTではなく、ユーザーの好みを学習して提案するなどが可能となります

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シャープ

SJ-GX50D

実売価格30万5680円

クラウドサービス「COCORO KITCHEN」に対応したAIoT冷蔵庫。献立や食品保存方法などを教えてくれます。チルドルーム内を清潔に保つ高密閉構造の「プラズマクラスターうるおいチルド」を新採用。

 

――では最後に、2018年の家電がどのように進化していくか、予想をお願いします!

 

安蔵 意外性に欠けると思いますが、やはり期待したいのは家電のスマート化。いま、スマートスピーカーは一部のギークが楽しんでいるだけですが、できることが増えると魅力も増していきます。メーカーには、他社が対応したら自社も……というのではなく、「何が何でも対応してやろう」くらいの意気込みで対応してほしいです。極端な話をすれば、情報をやりとりするインターフェイスさえしっかり作っておけば、アプリの開発やアップデートはある程度「後追い」でもできるはず。そんなイメージで、開発スピードをどんどん上げていってほしいですね。

 

――魅力的な調理家電が数多く登場し、「遠隔操作」「見える化」などがキーワードとなった2017年。2018年も、「何だコレ!」と、我々の度肝を抜くような、斬新な家電に登場してほしいところ。みなさんもぜひ、新たなアイテムの登場に期待してみてください!

 

2017年の注目の調理家電を紹介した前編はコチラ

創業者の問いかけに一人だけ手を挙げた若き天才時計師の告白ーーフレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏インタビュー【後編】

テンプの動きが文字盤側から楽しめる「オープンハート」の設計を世界で初めて考案するなど、フレデリック・コンスタントは創業30年ほどで数多くの偉業を成し遂げてきました。こうした躍進を2002年から支えてきたのが、“ブランドの頭脳”ピム・コースラグ氏。フレデリック・コンスタント躍進の原動力となっている彼が初来日したタイミングで、話を聞くことができました。

 

前編はこちら

 

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インスピレーションの源は「手の届くラグジュアリー」

−−フレデリック・コンスタント初の自社製ムーブメントCal.FC-910は、2004年に発表されました。その後も様々な自社製ムーブメントを手がけていますが、何があなたの意欲的な開発を支えているのでしょうか?

 

フレデリック・コンスタントの自社ムーブメントの開発は、常にブランドのコンセプトである「Accessible Luxury(手の届くラグジュアリー)」に基づいています。私たちの製品価格帯で自社製ムーブメントを搭載することは、それだけで価値あることだと思いますし、これをさらに発展させることもまた自然な流れでしょう。

 

↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏

 

 

FC-910や、その後に開発したFC-700は、発展させることを前提に設計したベースムーブとなっています。これらは、カレンダーウオッチからトゥールビヨン、永久カレンダーに、新作となるフライバック クロノグラフまで、様々な可能性を秘めているのです。

 

↑ムーンフェイズとポインターデイト、24時間計を備えたFC-945搭載のハートビート マニュファクチュール。文字盤とケースが完全に調和したデザインは、すべてピム氏の狙い通り↑ムーンフェイズとポインターデイト、24時間計を備えたFC-945搭載のハートビート マニュファクチュール。文字盤とケースが完全に調和したデザインは、すべてピム氏の狙い通り

 

 

開発に際して難しいことは、ただ一つ。どのようにしてフレデリック・コンスタントの価格帯に落とし込むか。という点だけですね。永久カレンダーをピーターからオーダーをされたときは、本当に途方にくれましたよ(笑)。

 

この難題に対して私が考えた解決策は、ムーブメントに永久カレンダーモジュールを加える設計でした。結果、価格を抑える(注:スリムライン パーペチュアルカレンダー マニュファクチュールは129万6000円)ことができただけでなく、合理的な設計で修理もしやすいというメリットも生まれました。これは他社製の永久カレンダーウオッチとは、一線を画す特徴だと言えます。

 

 

−−フライバック クロノグラフも、他ブランドの自社製ムーブメント搭載機と比べて現実的な価格となっています。これもやはりモジュール方式の設計のメリットなのでしょうか?

 

その通りです。フライバック クロノグラフではよりモジュールのパーツ点数を減らすことができました。その技術的成果で、特許も取得しています。

 

私たちが取得した特許技術は、リセットハンマーに関する事柄です。従来のコラムホイール式クロノグラフは、スタート・ストップ・リセットのすべてをコラムホイールを介して行っていました。対して新作のフライバック クロノグラフ マニュファクチュールが搭載するFC-760は、4時側のリセットボタンが直接リセットハンマーとクラッチギアに作用するようになっています。

 

↑スタート・ストップのみを制御するコラムホイールは、シンプルな星型を採用。このようにパーツの加工をシンプルにすることも、価格の抑制につながっている↑スタート・ストップのみを制御するコラムホイールは、シンプルな星型を採用。このようにパーツの加工をシンプルにすることも、価格の抑制につながっている

 

 

このムーブメントは60秒積算と30分積算の計測機能を持つクロノグラフですが、リセットハンマーは3股に分かれています。1つめは30分積算、2つめは60秒積算、そして3つめは動力を伝達するクラッチギアを切り離す役割を持っているのです。

 

この「ダイレクトフライバックハンマー」は、屈強な男性が押しても華奢な女性がリセットボタンを押しても壊れず正確に動作するようハンマーの設計を変え、トライ&エラーを繰り返しながらレバーの弾性の最適値を模索しました。壊してしまったプロトタイプは、30ぐらいはあるでしょうか(笑)。

 

無駄と思われるかもしれませんが、机上で計算を続けるより早いですし、信頼の置けるものが出来上がったと思います。

 

 

創業者の先見の明は時計師選びにも発揮されていた

創業者ピーター・スタース氏は、オープンハートからスイス初のスマートウオッチまで、様々な取り組みをいち早く行ってきた人物ですが、まさか人を見る目にまで優れていたとは驚きです。というのも実はピム・コースラグ氏は、フレデリック・コンスタントの価格では作りきれなかったムーブメントを、アトリエ ド モナコという別ブランドで発表しています。こちらはかなりの高級時計ですが、ピム氏がやりたいことを本気でやればジュネーブ・シールだって取得できてしまうわけです。

 

逆説的ですが、超高級時計を作るだけの知識と経験を持った人物が「手の届くラグジュアリー」というコンセプトを基に作り上げたものがフレデリック・コンスタントのマニュファクチュールコレクションというわけです。

 

フレデリック・コンスタントの時計が、ユニークでハイクオリティな理由も納得ですね。

 

フレデリック・コンスタント公式サイト https://frederiqueconstant.com/ja/

Ateliers deMonaco http://ateliers-demonaco.com/

 

 

 

スマートスピーカーとは何が違う? 人工知能を手にした「スマートホーム」がもたらす生活

ここ最近、「スマートスピーカー」と呼ばれる製品への注目が高まってきている。スマートスピーカーとは、音声で照明をコントロールしたり、楽曲やビデオを流してくれたり、天気予報や最新ニュースを教えてくれたりする“賢いスピーカー”のことを指す。もっとも、スピーカー自体が賢いというより、インターネットで接続した先にあるAI(人工知能)が、わたしたちの発する言葉を解析し、コマンドを出すのだ。

 

では、「スマートホーム」はどうだろうか。さらに、スマートホームが人工知能を手に入れると生活はどのように変わるのだろうか。2016年12月からスマートホームを手がけてきた投資不動産ディベロップメント事業会社インヴァランス代表取締役 小暮学氏と、米 Brain of Things(以下、BoT)CEO アシュトシュ・サクセナ氏に話をうかがった。

20171215_y-koba11 (1)↑Brain of Things アシュトシュ・アシュトシュ氏とインヴァランス 小暮学氏

 

完全なスマートホームが“不完全”だった理由

まず、スマートホームとはどのようなものなのだろうか。簡単にいえば、室内にある照明器具、エアコン、給湯器などのデバイスを、IoT技術によりスマートフォンでコントロールする仕組みを備えた家のことである。

 

インヴァランスでは、自社のそのIoTシステムを「alyssa.(アリッサ)」と名付け、同名のスマートフォンアプリで操作できるようにした。「これまでの家づくりは数百年もの間、地震や火事、水害などに持ちこたえられるように構造を強くしたり、お風呂やキッチン周りなどの設備を充実させたりと、ハード面での改良に重点を置いてきました。インヴァランスではその次の段階として、ユーザーエクスペリエンスの部分が重視されるべき、と考え、IoTを住まいに組み込むことにしました」と、システム開発の経緯を小暮氏は説明する。

20171215_y-koba11 (1)↑IoTを利用して外出先でもスマートフォンから室内の機器をコントロールできるようにした「alyssa.」システムの専用アプリ

 

alyssa.がスマートスピーカーやほかのスマートホームと決定的に異なる点は、建物の建築設計から携わる会社が提供している、ということ。構造を無視して、ガス器具など火を扱う器具のコントロールシステムを後付けすることは建築基準法上難しいが、それを熟知しているデベロッパーのインヴァランスだからこそ、外出先からガス給湯器を扱うシステムも載せられるのだ。

 

このようにスマートホームとしては完璧ともいえるシステムを構築した小暮氏だが、「これでは不十分だ」と言う。「スマートホームともてはやしても、結局家の中にあるスイッチをスマホで持ち出せるようにしただけ。スマホと家をつなげた単なる“コネクティッドホーム”に過ぎず、自分たちで操作しないといけないためスマートとは言えない。それらを自動化した、本当の“スマートさ”のために、AIは必須なのです」。

 

そのように考えていたところ、AIにおける博士号を取得したアシュトシュ氏率いるAI開発ベンチャー企業BoTのプロダクトに触れ、BoTと提携。2015年に完成していた、居住者の生活パターンを学習してより快適に過ごせるAIスマートホームシステム「CASPAR(キャスパー)」を同社のスマートホームに組み込むことにしたのだ。

 

スマートホームがAIを手にすることで生じる変化とは?

アシュトシュ氏は、「CASPARを組み込んだスマートホームはインテリジェントパートナーになり得る」と言う。そして、なぜスマートスピーカーだけでは足りないのか? という質問に次のように答えた。

 

「自動車の自動運転のことを考えてほしい。実際に運転するには道路状況を確認しつつ、アクセルやブレーキ、ウィンカーやハンドルなどの操作をする必要がある。もし、これらをすべて音声でコントロールする必要があるとしたら、コマンドを出し切れるだろうか。その必要をなくすために開発されているのが自動運転のAIなのである。

同じように、家の中でコントロールしたいものは、オン/オフの切り替えだけでなく、明るさや温度など微妙に調整の必要なものがある。例えば、『映画を見たい』という場合、ディスプレイをオンにするだけでなく、カーテンを閉め、照明を少し暗くする、といった具合だ。『テレビつけて』『東側のカーテン閉めて』『少し暗くして』とすべて指示するのは大変だろう。自分だったらこうするだろう、というようなことをひとつの音声コントロールで、いわば行間を読んで先回りしてやってくれるのがCASPARのようなAI、インテリジェントパートナーなのだ」

20171215_y-koba11 (2)↑「CASPAR.AI」のマイク・スピーカー。住人は明確な指示がある場合、「CASPAR」と呼びかけるが、大抵の場合は室内各所に設置したセンサーが住人の行動を把握し、例えば、廊下を通ってトイレに行けば明かりをつけるなど、自動的に機器をコントロールする

 

最新技術を駆使したスマートホームが高齢者の自立を支援

来るべき高齢化社会に向けてもAIを組み込んだスマートホームは重要になってくる、とアシュトシュ氏は言う。

 

「もちろん、音声コントロールはスマートスピーカーやスマートホームにとって、なくてはならないものだが、それは機能の一部にすぎない。もしベッドから起き上がろうとしたとき、またはトイレに入ったときに意識を失い倒れてしまったら、声を出して助けを呼べるだろうか。CASPARなら、部屋の各所に設けたセンサーと連動しているため、住人の動作や発する音から状況を解析し、助けを呼ぶことができる。高齢者が介護施設ではなく、自分の力で生活するのに不安がないようにするのもインテリジェントパートナーの役割であるといえよう」

20171215_y-koba11 (3)↑CASPARを組み込んだ高齢者向け住まいの実験。実際にセンサーが感知するのは熱(人がどこにいるのか)や音声などだけだが、それでも行動は把握できる。ここでは住人がベッドの上で咳き込んでおり、音声センサー(右下)がそれを拾い、右上のグラフには「Coughing(咳)」と表示。咳が何度も続くようであれば、看護師が駆けつける仕組みになっている

 

実は、米国でも一人暮らしの高齢者をどのように支援するのか、といった課題を抱えているという。普通の人にとって簡単なことでも、高齢者にとっては就寝前に明かりやガスコンロの火を確認して消すといったことは難しい場合もある。そのため火災のリスクも高まっているのだ。

 

そのような課題に取り組むべくBoTは、2018年の完成に向けて米カリフォルニアに130棟の高齢者向けアパートを建設中。完成すれば、介護施設に移り住まずとも、一人暮らしをしていくことが可能になるという。

20171215_y-koba11 (4)↑部屋の各所に設置したセンサーが、住人の行動を把握。指定時刻に薬を飲む行動を取っていないようであれば、「まだ薬を飲んでいません」と服薬を促す

 

建設中の高齢者向け住宅には、異変が起きたときすぐ駆けつけられるよう担当者が24時間常駐するが、「将来的には『介護ロボット』がその役割を担えるよう、ロボティクス分野の開発もすでに行っている」とアシュトシュ氏。スタンフォード大学で博士号を取った際のロボティクス関連知識を生かし、6年後をめどに実現を目指しているという。

 

さらに、朝起きる時刻や自宅での学習時間、歯磨きなど子どもが達成すべき目標をサポートするサービスも開発中だという。「毎朝、決まった時刻に子どもたちを起こし、もちろんスヌーズ機能もつけ、歯を磨いたり勉強したりしなかったら親にレポートするといった機能もつけます」とアシュトシュ氏は笑う。
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わたしたちが子どものころに思い描いていたマンガの世界のような未来が、もうすぐそこまでやって来ているのかもしれない。

プロレスラー内藤哲也「カラ回りの人」から「人気沸騰」に至ったワケ「リスクを考えなくなった瞬間、流れが変わった」

内藤哲也選手は、新日本プロレスでいま大ブレイク中のプロレスラー。新日本のトップスター、棚橋弘至選手と対戦した際も、棚橋コールをかき消すほどの大声援を集めるまでに成長。リーダーを務めるユニット、「LOS INGOBERNABLES de JAPON」(ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン)はプロレスファンの絶大な支持を集めており、試合後に観客と行う「デ・ハポン」の大合唱は、その日、もっとも盛り上がるポイントのひとつとなりました。

 

同ユニットのグッズもバカ売れで、その勢いは、かつて大ブームを巻き起こしたユニット「nWo」に匹敵すると言われるほど。内藤選手自身、8月の「G1 CLIMAX 27」で優勝し、新日本プロレス最大のイベント、1月4日の東京ドーム大会で、IWGPヘビー級王座に挑戦することも決定しています。

↑挑戦権利書を手にする内藤選手↑挑戦権利書を手にする内藤選手

 

と、いま人気絶頂の内藤選手ですが、11月5日放映のアメトーク「プロレス大好き芸人」でも触れられていた通り、かつてベビーフェイス(※)だったころはブーイングの嵐だったそう。それがいま、なぜこれほどまでに人気を集めるに至ったのでしょうか。1.4東京ドーム大会への意気込みとともに、本人にじっくり聞いていきましょう!

※ベビーフェイス…善玉レスラーのこと。ヒール(悪役)に対応する存在。

 

PROFILE

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内藤哲也(ないとう・てつや)

1982年6月22日生まれ、東京都足立区出身。身長180cm、体重102kg。00年より5年間、アニマル浜口ジムにて基礎を学ぶ。05年、新日本プロレス公開入門テストに合格し、06年に宇和野貴史戦でデビュー。08年、裕次郎(現:高橋裕二郎)とNO LIMITを結成。第22代IWGP Jr.タッグ王者に就く。その後はヘビー級に転向し、10年にIWGPタッグ王者。12年には右膝前十字靱帯断裂の大ケガを負い、長期欠場を余儀なくされる。13年「G1 CLIMAX 23」にてG1初優勝を果たすも、ファン投票の結果、翌年の1.4東京ドーム大会メインイベンターの座を明け渡す屈辱を味わう。15年5月のメキシコ遠征の際、現地でラ・ソンブラやルーシュらのユニット“LOS INGOBERNABLES”(ロス・インゴベルナブレス)に加入。メキシコから帰国後の同年11月、ユニット“ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン”を結成する。17年8月、東京・両国国技館大会「G1 CLIMAX 27」優勝決定戦で、ケニー・オメガを撃破。4年ぶり2度目の優勝を果たし、18年1.4東京ドーム大会メインイベントでのIWGPヘビー級王座挑戦権を獲得。宿敵のオカダ・カズチカに挑む。得意技は「デスティーノ」。決めゼリフは「トランキーロ」。

内藤選手のツイッターはコチラ

 

メキシコに行くまでは自分の人気の無さを実感していた

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――現在、圧倒的な支持を得ている内藤選手ですが、ここ1年の人気の高まりはご自身でも感じますか?

 

内藤 それは感じますね。会場でも、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのグッズを身につけてるお客様が、全国どこの会場に行っても多いですし。いま、新日本プロレスで入場時に、名前のコールが起きるのは僕だけです。それが東京だけじゃなくて、地方に行っても起こるんです。だから「支持されてるんだな」というのは毎試合、感じています。

 

――人気に火が付いたと実感されたのはいつ頃ですか?

 

内藤 僕の転機はメキシコでロス・インゴベルナブレスというユニットに加入した2015年5月ですね。それまでは自分でいうのもなんですけど、まあ人気がなかった(笑)。

 

――当時、ご自身でも実感されていたんですか?

 

内藤 感じていました。元々、棚橋(弘至)選手、中邑(真輔)選手がいて、次は内藤だと言われていた時代があって、僕もそうなると思ってたんです。でも2012年の1月、オカダ(・カズチカ)が帰国して、一気に抜かれてしまった。そこから2015年までの3年間は、この状況がどうしたら覆えせるのか、自分でもわからないまま、なんとなくプロレスをしていた時期ですね。

↑第65代IWGPヘビー級王者、オカダ・カズチカ選手  ©新日本プロレス↑現IWGPヘビー級王者、オカダ・カズチカ選手  ©新日本プロレス

 

ファンの反応を気にしすぎてカラ回りする悪循環に陥る

――2014年の1.4東京ドーム大会では、ファン投票によるメインイベンター降格という悔しさも味わいました。そんななか、2015年にメキシコへ行かれたんですよね。

 

内藤 思い悩んでメキシコに渡ったんです。向こうで当時、すごく勢いのあった「ロス・インゴベルナブレス」というユニットに誘われて。彼らがやっていたプロレスは、まわりの目を一切気にせず、自分たちが表現したいことをそのままリング上で表現するというスタイル。そのイキイキとした姿を見たときに、「せっかく海外に来たんだし、自分もまわりを気にせず、やりたいプロレスを表現してみよう」と思ったんです。

 

――それまでは、やりたいプロレスができていなかったんですか?

 

内藤 僕はずっと、まわりの目を気にしながらプロレスをしていました。「いま、これが求められてるから、こうしたらウケるだろう」と考えて、動きやマイクパフォーマンスをやっていました。お客様ありきというか、いつもお客様の反応を気にしながらプロレスをした結果、逆にウケないという悪循環に陥ってたんです。

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――気持ちだけがカラ回りしていて、お客さんがついてこなかったというか……。

 

内藤 はい。それがメキシコで、彼らに混ざって気にせずにやってみたら、歓声も起きるし、ブーイングも起きる。そこにすごく充実感を感じて。

 

――ちなみに、内藤選手がよく口にする「トランキーロ」も、現地の経験からきているんですよね。

 

内藤 そうなんです。メキシコで彼らのスタイルに合わせて試合したときに、とにかく楽しくて楽しくて。僕がどんどん前に出ていっちゃうんで、仲間に「内藤、トランキーロ!」ってよく言われてて。「落ち着いて」とか、「冷静に」という意味の言葉なんですけどね。その言葉が頭にずっと残っていて、日本に帰ってきてから、ぽろっと出たのが始まりなんです。

 

メキシコで掴んだプロレスを貫いたらビックリするぐらい伝わった

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――なるほど。「トランキーロ」は、「プロレスが楽しくてたまらない」という経験から生まれた言葉なんですね。

 

内藤 はい。僕はメキシコでプロレスの楽しさを再認識して、「これをメキシコだけで終わせるのはもったいない」と思ったんです。「これを日本でもやってみよう。伝わらなかったら、もうプロレスラーとして終わるかも知れないけど、試してみよう」という覚悟で帰国しました。

 

――日本に戻って来られてからは、メキシコで掴んだやり方を日本で貫いたんですか。

 

内藤 はい。やりたいようにやって、思っていることを言うことにしました。そうすると、ビックリするぐらい伝わったんです。いままで僕の思いなんか、ぜんぜん伝わらなかったのに。「表現の仕方、伝え方をちょっと変えただけで、こんなにも反応が違うのか」と思いました。15年の6月に帰ってきて、その年の10月に両国で棚橋選手と戦ったころからお客様の反応も変わった。そのあと、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを結成して、そこからですね。日本で「プロレスが楽しいな」と感じるようになったのは。

↑ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバー。後方左からSANADA選手、BUSHI選手、EVIL選手、手前左から髙橋ヒロム選手、内藤選手 ©新日本プロレス↑ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのメンバー。後方左からSANADA選手、BUSHI選手、EVIL選手、手前左から髙橋ヒロム選手、内藤選手 ©新日本プロレス

 

「手のひら返しかよ!」ファンを「お客様」と呼ぶ複雑な心境とは?

――ちなみに、内藤選手はいつもインタビューなどでファンを「お客様」と呼びますよね。それはどうしてなんですか?

 

内藤 メキシコに行く以前はいつもブーイングを受けてたんですけど、それが15年の10月ごろからいきなり歓声に変わったんです。だから、最初は「手のひら返しかよ!」と思いました(笑)。そういう皮肉も込めて「お客様」と言い始めたんです。でも、それだけじゃないのもわかっていて。僕も昔からプロレスファンでしたから、「いい試合を作り上げるのは、リング上のレスラーだけではムリだ」ということを知っています。プロレスの雰囲気は会場に来ていただいている方、全員で作るものだと思うので、その感謝の意味も込めて。皮肉半分、感謝の気持ち半分で、「お客様」と言うようにしているんです。

 

――内藤選手といえば、会社批判だったり、オーナー批判だったりと、歯に衣着せない発言も注目されていますが、メキシコのロス・インゴベルナブレスもそういった部分があるんですか?

 

内藤 いいえ。その辺りは、僕のオリジナルですね。

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――振り返ってみると、ご自身でも「言い過ぎたかな」と思うこともありますか?

 

内藤 結構、ギリギリでしたね(笑)。でも、思ってることをため込んでもしょうがないですから。言ってよかったと思うし、そのときの自分があったから、いま、これだけの支持につながっているのかな、と。

 

――とはいえ、物事をはっきり言うことって、なかなか難しいですよね。上の人に睨まれるかもしれないし、言ったからには責任を持ってやらなきゃいけない、とか……。その辺りはいかがでしょうか?

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内藤 もちろんリスクはあるんですけど、思っているだけじゃ、なにも伝わらないですからね。「踏み出す勇気」こそ、共感してもらえるいちばんの方法だと思うんです。口に出したり、行動で示さないと。迷っている人には、「伝えたいならリスクは恐れずに踏み出せよ」と言いたいです。

 

――内藤選手はそうすることで変わることができた、と……。

 

内藤 そうですね。僕もそれまでは自分の本音をさらけ出せず、リスクを考えながら動いていました。だからやることなすこと全部ダメだったんですが、最後の最後の賭けでうまく流れを掴むことができた。リスクを考えなくなった瞬間、流れが変わったんです。

 

オカダ選手には「焦らせてみろよ」と言いたい

――さて、新日本プロレス最大のイベント、1.4東京ドーム大会が近づいてきました。対戦相手であるIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ選手についてはどんな印象をお持ちですか?

 

内藤 僕は一度、IWGPヘビー級王座を巻きましたけど、彼はもう1年以上、ベルトを巻き続けているわけで。偶然で防衛できるほど簡単なベルトではないので、力がある選手なのは間違いない。でも、かつて、オカダ・カズチカは、僕にとって、どうしたら彼と並べられるのか、考えても考えても答えが出ないほど巨大な存在だった。それが今は、彼の姿を見てもなにも焦らなくなってしまった。彼が小さくなったのか、僕が大きくなったのかわかりませんが。ムリだとは思うんですけど、かつての僕が焦らされたオカダ・カズチカが、1月4日、僕の前に立っていてくれたらうれしいですね。

20171129-s2-(10)↑オカダ・カズチカ選手(左)と内藤選手による1.4東京ドーム大会の記者会見 ©新日本プロレス

 

――「焦んなよ」ではなく「焦らせてみろよ」というわけですね(笑)。ちなみに、これまで内藤選手は、インターコンチネンタル王座のベルトを破壊するなど、ベルトを雑に扱うイメージがあるんですが、IWGPヘビー級王座のベルトを奪取できたら、どのように扱いますか?

 

内藤 …逆に、僕がベルトを取ったらどうすると思いますか?

 

――うーん、どうでしょう……。やっぱり今回も雑に扱うような気が…いや、意外に大切にするかもしれないし……。

 

内藤 そう、それ! いまの時間ですよ! その「考える時間」がプロレスファンにとって最も楽しい時間であり、最も贅沢な時間ですよね。1月4日までまだ時間がありますから、それまで「内藤がベルトを取ったら、どうするんだろう?」ってことを予想しながら楽しんでほしいです。その答えは、もちろん…「トランキーロ! あっせんなよ」

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メキシコ遠征を機に、周囲を気にせず、リスクを恐れないことで人生が変わったという内藤選手。1.4東京ドーム大会では、ついに夢に見たメインイベンターを務めます。きっとこの大舞台でも、やりたい放題の試合を見せてくれるはず。みなさんもぜひ「お客様」として参加し、内藤選手とともに、忘れられない試合を作ってみてはいかがでしょう。

撮影/黒飛光樹(TK.c)

 

【内藤選手がメインを務める試合情報はコチラ】

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WRESTLE KINGDOM 12 in 東京ドーム

2018年1月4日(木)@東京ドーム
OPEN 15:30/START 17:00

特設サイトはコチラ

毎年恒例、国内最大のプロレス興行 イッテンヨン東京ドーム大会の開催が今年も決定! メインカードは、王者のオカダ・カズチカに『G1 CLIMAX 27』覇者の内藤哲也が挑戦するIWGPヘビー級選手権。

 

東京ドームにおけるオカダvs内藤戦といえば、2014年1月4日にもIWGPヘビー級選手権が実現しているが、当時行われた“ファン投票”によって中邑真輔vs棚橋弘至のIWGPインターコンチネンタル選手権に敗れて、実質的なセミファイナルに降格した経緯がある。

 

そこから、4年。
両国のメイン終了後に、内藤が「2018年1月4日東京ドーム大会のメインイベント、IWGPヘビー級選手権試合は、オカダ・カズチカvs内藤哲也でよろしいでしょうか?」とファンにアピールすると大歓声が巻き起こったように、新日本プロレスの雌雄を決する両者による“ビッグカード”となって、オカダvs内藤によるタイトル戦が再び激突する。

 

オカダは昨年6月に大阪城ホールで内藤からIWGPヘビー王座を奪還して以来、なんと破竹の8連続防衛を記録中。どの試合でも壮絶な好勝負を残してきた“超人”オカダにとって、“最大の挑戦者”となる内藤をどう迎え撃つのか?

 

一方の内藤は、昨年6月のIWGPヘビーから陥落以降は、IWGPインターコンチネンタル王座を保持していたものの、常にIWGPヘビーを意識した発言を繰り返しており、今回は待望の再挑戦となる。因縁の両者による、因縁の舞台での再激突。新日本プロレスの流れを左右する大注目の一戦となりそうだ。