【中年名車図鑑】リトラクタブル&Hマークで「ホンダの顔」を打ち出した3ドアハッチバック

1980年代は本田技研工業からスポーツスピリットあふれるモデルが数多くリリースされた時代だった。4輪車進出時の原点回帰、F1イメージの拡大展開――自動車マスコミは様々な賛辞をおくる。そんな最中の1985年、クイントが「インテグラ」のサブネームを付けて第2世代に移行した。今回は“DOHCロマン”のキャッチフレーズを冠して市場に放たれた小型スペシャルティの「クイント・インテグラ」で一席。

【Vol.61 ホンダ・クイント・インテグラ】

1982年は本田技研工業にとって記念すべき年となった。アメリカのオハイオ州に建設していた乗用車工場がついに稼動したのだ。米国でのホンダ車の人気はいっそう高まり、それと合わせて連結ベースの純利益は上昇の一途をたどる。この流れはクルマの開発体制にも波及し、やがて首脳陣は海外ユーザーの志向を踏まえた新型車の企画を推し進める方針を打ち出した。

 

■日米共同で進められた車両デザイン

1985年2月、シビックとアコードの間を埋めるファミリーカーのクイントがフルモデルチェンジを遂げる。車名はサブネームにインテグラ(INTEGRA)を付けて「クイント・インテグラ」と名乗った。インテグラの語源は英語のIntegrateで、「統合する」「完全にする」という意味。ホンダが持つハイテクノロジーをひとつに統合したクルマということで命名していた。このモデルはアメリカの上級ディーラーであるアキュラ(ACURA)ブランドからも販売する予定だったため、デザインの企画は日米共同で進められる。最も大きな特徴はフロントマスクで、スポーティなリトラクタブルヘッドライトにホンダの頭文字である“H”マークを中央にあしらっていた。この顔は1982年11月にデビューした2代目プレリュード、そしてインテグラ登場の約3ヵ月後に日本デビューを果たす3代目アコードにも採用される。80年代前半は「日本車はメーカーごとの顔がない」といわれていた時代。その打開策としてホンダの開発陣が企画したのが、リトラクタブルヘッドライト&Hマークだったのだ。

 

■スポーティな3ドアモデルから販売を開始

スペシャルティカーのテイストを盛り込んだクーペ風3ドアハッチバック。デビュー当初、全車1.6L直列4気筒DOHC16Vユニットを採用。“DOHCロマン”のキャッチフレーズを冠した

 

クイント・インテグラは、最初に3ドアハッチバックが市販に移される。ハッチバックとはいっても、ラップラウンドウィンドウ+ノッチデッキハイテールで構成したリアの処理はクーペのように流麗で、初代クイントのファミリーカー的なスタイルとは一線を画していた。当時の開発スタッフによると、「スペシャルティカーが好きなアメリカ人の志向を重視した結果で生まれたデザイン」だったという。

 

メカニズムはインテグラの車名の通り、当時のホンダの技術を結集=インテグレーテッドしたものだった。エンジンは全車にZC型1590cc直列4気筒DOHC16Vユニットを搭載し、上級グレードにはPGM-FIを名乗る最新の電子制御式燃料噴射装置を装着する。パワー&トルクはPGM-FI仕様で135ps/15.5kg・m、キャブレター仕様で115ps/13.8kg・mを発生した。組み合わせるトランスミッションには5速MTとロックアップ機構付3速ATを設定。フロアパンは新設計で、そこに3代目“ワンダー”シビックで定評のある前トーションバー・ストラット/後トレーリングリンク・ビーム式の“スポルテック(SPORTEC)サスペンション”をチューニングし直して組み込んだ。

 

インテリアについては、2450mmのロングホイールベースを活かした前後に長いキャビンスペースや可倒式リアシートを備えた利便性の高いラゲッジスペース(VDA方式で最大431L)などが訴求点となる。また、ラップラウンドスラント形状のインパネと低位置に配したメーターバイザーによって、広く明るい前方視界を確保していた。

 

 

■国内外で人気モデルに昇華

前後に長いキャビンスペース、可倒式リアシートを備えたラゲッジスペースが相まって、日常での使い勝手は良好。計器類を低い位置に配しており、前方視界は広かった

 

“DOHCロマン”のキャッチフレーズを冠して市場に放たれたクイント・インテグラは、とくに走りの面で高い評価を得た。シビックよりも落ち着いた挙動で、プレリュードと比べると軽快に走る。しかも、ZC型エンジン+PGM-FIのパワーユニットが爽快な加速を味わわせてくれたのだ。

 

この好評に呼応するように、クイント・インテグラは車種バリエーションを鋭意増やしていく。1985年10月にはロックアップ付き4速ATを用意。その1カ月後には実用性の高い5ドアハッチバックがラインアップに加わる。1986年10月には“セダン深呼吸”のキャッチを謳った4ドアセダンがデビューし、同時に1.5Lエンジン仕様(EW型1488cc直列4気筒OHC12V)の廉価版も設定された。1987年10月にはマイナーチェンジを実施。内外装の一部デザイン変更やZCエンジンの出力アップなどを行う。「最初はアメリカで人気のある3ドアのクーペスタイルを、その後で日本や欧州市場に向けた実用ボディを設定した」と、当時のホンダ・スタッフはその戦略を振り返った。

 

結果的にクイント・インテグラは世界の市場で受け入れられ、人気の定番モデルに発展する。そして、開発陣にとっては「ホンダ車はスポーティなイメージを内包すべき」という事実を再認識させる一台となり、それに倣って1989年4月にはよりスポーティに仕立てたうえで単独ネームとなった“カッコ インテグラ”こと次世代の「インテグラ」を市場に放ったのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。