EXILEを総力特集!『Pen』“らしくない”雑誌作りの背景に何があったのか!?

アート・ファッション・旅など、あらゆるカルチャーを対象に、毎号まったく異なるテーマにスポットを当てるライフスタイル誌『Pen(ペン)』。1998年の創刊以来、この出版不況といわれるなかでも根強く支持され続ける雑誌です。

 

ブックセラピスト・元木 忍さんが、その編集長を約13年間にわたって務める、安藤貴之さんを直撃。取り上げるテーマへのこだわりなど制作の舞台裏や、読者へ情報を届けるツールの多様化など、支持され続ける理由を探りました。

左から『Pen+』1080円、『Pen』700円、『Pen Books』1620円 /すべてCCCメディアハウス

毎月1日・15日に発売されるカルチャー・ライフスタイル誌。デザインやアートだけでなく、食やファッション、旅など取り上げるテーマは多彩だ。根幹をなす定期誌『Pen』に加え、その人気特集をムックにまとめた『Pen+』、サイズダウンし書籍化した『Pen Books』をラインナップし、紙媒体として長く読まれる仕組みを作っている

 

さまざまに広がっていくメディアの発信の行く手

元木忍さん(以下、元木):『Pen』はとても特集が“濃い”雑誌なので、取材なども大変そうですが、まずは制作現場のことから聞かせてください。現在『Pen』は、何人で制作しているのですか?

 

安藤貴之さん(以下、安藤):本誌(雑誌)、オンライン(ウェブ)、国際版の雑誌とウェブ、と展開しているのですが、オンラインをメインで担当しながら、本誌の一部を担当している編集者もいたりして、複雑なチーム編成ではあるんですが……。全部で21人ですね。

 

元木:へえー! 海外にも発信されているんですね、知らなかったです! 国際版は、いつぐらいからあるんですか?

 

安藤:3年前からです。パリで、フランス人向けに作っています。当社には女性誌『フィガロジャポン』がありますが、ライセンス元の『Le Figaro(ル・フィガロ)』という高級紙に同梱されて、フリーマガジンとして宅配されています。フランス人は日本のカルチャーに関心が高いですし、インバウンドの需要も見据えながら。

 

元木:では、雑誌の取材に行くたびに「これは国際版にも載せよう!」と考えながら取材するわけですか?

 

安藤:そうですね。「これは国際版でも使えるね」なんて想定しながらやっています。本誌だけじゃなくオンラインも、国際版も、というように設計しながら作っているので、これまた複雑なんですよね。テーマと発信の仕方によって、取材の方法も変えていますし。

↑編集部は、雑誌を核として、ウェブ、国際版を手がけるほか、『Pen+(ペン・プラス)』などのムックでは別冊編集部と、単行本の『Pen Books』では書籍編集部と連携しながら、複合的に活動している

 

↑「動画班も、一緒に取材に行くことが増えました」と安藤編集長。従来の紙媒体・静止画に加えて、ウェブ・動画などと、取材の手法も発信方法も、時代とともに変わってきている

 

元木:『Pen』は、昔からインパクトがある雑誌として認識をしていましたが、常に変化していくメディアの先駆けとも言えるのではないでしょうか?

 

安藤:先駆け、というほどではないんですけど、たしかにずいぶんとメディアの形や手法は広がってきてはいますよね。『Pen』は、もともと表現するのが好きな編集者が多いから、そういう部分に積極的だとは思います。ただ、月に2回発行していますけど、基本的に特集は1号につき1本、多くて2本しかない。そうすると年間23本+αくらいしか、特集が組めないんですよね。

 

元木:なるほど。編集部での1回の企画会議で、どれぐらいの企画案が出されるわけですか?

 

安藤:1人当たりが約10本くらい持ち寄るので、200本近くになりますかね。でも採用されるのは数本。つまり、ほとんどがボツなんですよ。だから編集者たちは、僕に対してすごいフラストレーションを溜めていると思う(笑)。そのフラストレーションが、オンラインや国際版を作るモチベーションにつながっている、という面があるかもしれません。雑誌だと限られたページ数のなかでは載せられない、ということがあるけれど、オンラインならもっとスペースがあるので。

↑左がウェブ版「PenOnline」、右がその国際版である「Pen Magazine International」だ。ひとつの情報が、形を変えてさまざまに発信されていく

 

“旬”をキャッチし最高のタイミングで発信する

元木:企画は、どれくらいのスパンで考えられているのですか? 3年先、5年先を見越したりすることも?

 

安藤:5年後、というのは長いかもしれないですけど……。企画会議は、1年に3回くらいしかやらないんですよ。だから1回の会議で、半年ぐらい先のことを決めていきます。そういう意味では常に企画は半年先のことを考えていますね。先のことをある意味“予見”していくのも、編集者の仕事かなと思います。

 

元木:では、今流行っていることを、今書くのではないんですね。

 

安藤:流行っていることを特集するのではなく、過去に流行ったもの、あるいはすでに流行っていることの中の見過ごされてきたところに、スポットライトを当てることもあります。“再発見する”というようなことです。『Pen』っていうのは、そういう雑誌なのかなと思っていて。

 

元木:では、安藤さんは“『Pen』らしさ”を、どういう風に捉えていますか?

 

安藤:そうですね……では、『Pen』という媒体のスタンスから説明しますね。そもそもライフスタイル誌だから「新しいライフスタイルを提案する」、カルチャーという部分もあるから「今、面白いカルチャーは何か」、「今、クリエイティビティを感じるものは何か」など、そういったところを雑誌にして発信していくのが、『Pen』らしさだと思っています。

 

元木:今のご説明にあった“クリエイティビティ”って、具体的に言うと?

 

安藤:いろいろな形がありますよね。新しい力でものづくりをしているクリエイターや、新しい組織を実現している人も、クリエイティビティのひとつだと思います。それってつまり、“世の中を進化させてきたもの”だと思うんですね。単に日常を普通に生きているのではなく、新しい視点で新しい価値観を見いだすことが、クリエイティビティではないかと思います。

 

媒体の“らしさ”をどうやって作っていくのか

元木:『Pen』でEXILEの特集をやるって聞いたときに、まずは驚きました。でも「『Pen』でやるのなら、そろそろ私もEXILEを知っておかないと!」とあらためて思いました(笑)。取り残されてしまうー、と感じちゃって。

 

安藤:それはうれしいですね! 『Pen』の真骨頂というか、さきほどお話しした“『Pen』らしさ”って何かというと、僕は実はこのEXILE特集だと思っているんですよ。

 

元木:え? ……と、おっしゃいますと?

 

安藤:『Pen』でEXILE特集と聞いて、最初にどう思いました? 違和感を感じませんでしたか?

 

元木:……ええ、かなり。

 

安藤:2年間温めてきたEXILE特集を、ついにやると発表したとき、最初に「え!?」って言ったのは、実は編集者たちなんですよ。どちらかというと、ネガティブな印象を持っている人さえいました。でも僕は、それをやっていくのが『Pen』の役割だと。世の中に何らかの“違和感”を与えていくこと。良い意味での“裏切り”、みたいのをやっていきたいと思っています。

↑EXILE特集号では、チャレンジングな表紙に。「これこそ編集長の仕事だと思います」と力を込めた

 

↑特集内には、観音開きの体裁を採用し、EXILEファミリーを網羅したページも

 

元木:その「違和感を与えるのが大事」ということを、編集部員さんにも教えられたりもするんですか?

 

安藤:もう四百数十冊も出しているので、作っている側が“『Pen』らしいもの”を作ろうとすると、ある種のマンネリになるんです。ベテランもベテランで、自分が作ってきたものに自信を持っているし、「こうなったらこうだよね」っていう方法論を持つ。若い子も若い子で、まだ慣れていないからバックナンバーを見て構成案を作るんですよ、「これだったらこういう風に作ればいいんだな」という風に。

そうなると、“『Pen』らしいもの”はできるかもしれないけれども、“新しいもの”は絶対にできない。『Pen』らしいものを作るということは、良いことだと思うんだけど、そうなるとメディアは死んでいきます。だから僕は、みんなに「マジですか!?」って言われ続ける編集長でありたいなと思う。

メディアは生き物だから、常に更新していかなくてはならない。バージョンアップしていかないといけない。僕は船長みたいなものだから、「どっちの方向に向いていくか」という時に、常に生まれ変わっていかないといけない……。そういう時に“違和感”を持たれるくらいのもので、変えていかなければならないと思います。

 

発する言葉に熱を帯びてきた安藤編集長。話題は続いて、自身のもっとも重大な仕事とは何か、について。ここでもEXILE号表紙制作秘話が飛び出しました。Penアーカイブからの、編集長おすすめの5冊も注目です。

編集長として最大の仕事はいかに“いい表紙”を作るか

元木:編集長としての最大の仕事は何だと思われますか?

 

安藤:編集長としての仕事、っていろいろあるんですけど、最大の仕事は何かというと「いかにいい表紙を作るか」だと思っています。

僕の好きな「The Rolling Stones」のアルバムに『Exile on Main St.』という名盤があるんですね。そのジャケットが、有名なスイス出身のフォトグラファー、ロバート・フランクが撮ったモノクロのスナップ写真をコラージュしているんです。今回の特集はEXILEだし(笑)、そういう風にしたいなと思ってアートディレクターに相談して……最終的に上がってきたのが、これです。いい表紙になったと思います。

 

元木:モノクロのネガフィルムのような……素敵ですね。カッコいい!

 

安藤:雑誌って、人と人がコラボレーションしながら作っていける、すごく面白いメディアなんだなって、あらためて感じました。良い表紙を作ることが、自分の一番大事な仕事なんだけど、そこにもやっぱり、いろんな人の“クリエイティビティ”が詰まっているんですよ。

 

元木:ありがとうございました。これからも『Pen』らしく新しい誌面と、編集長が力を注ぐ表紙に、期待しています!

 

安藤編集長が選ぶ、思い出の5冊

・「1冊まるごと佐藤可士和。」2006年6/15号

「現役のクリエイティブ・ディレクターをまるごと大特集したのは、『Pen』として初めての試みでした。佐藤可士和さんは、まだ一般的には、知名度は高くなかったのですが、予想を覆して発売後に即完売した号に。以来、吉岡徳仁、森本千絵、nendo、チームラボといった日本のクリエイターを1冊まるごと総力を挙げて特集するのが、『Pen』の十八番となりました」(安藤さん、以下同)

 

・「茶の湯デザイン」2007年1/1・1/15合併号

「怖そうな和装の先生が教える女性の習い事のイメージが強かった茶の湯を、当時、30代前半だった気鋭の茶人・木村宗慎氏を監修に迎え、“日本が誇るべき伝統文化”として再発見しました。『お茶のイメージが完全に変わった』と、アートやカルチャーに対して意識の高い男性たちの間で、ふたたび茶の湯ブームが巻き起こりました」

 

・「キリスト教とは何か。」2010年3/1号

「日本人にとって知っているようで知らないキリスト教にまつわる基礎知識を、アート作品や建築を通して解説。意味がよくわからない宗教画や教会建築、旧約聖書と新約聖書の違いなど、人物相関図等を駆使して徹底解説。『こんな特集が読みたかった』という多くの読者からの反響とともに数日で完売したため、大幅増補版ムックを緊急出版したほどの売れ行きでした」

 

・「1冊まるごと、コム デ ギャルソン」2012年2/15号

「1973年のデビュー以来、いまも世界中から注目を浴びるコム デ ギャルソン。男性誌で大きく取り上げられた例がほとんどないこともあって、すぐに評判に。当時のPen副編集長=現フィガロジャポン編集長・上野留美が担当した川久保玲へのインタビュー記事が特筆すべき出来栄えです。書籍化されていないので、古書店等でしか手に入らないのが残念!」

 

・「写真家ヨシダナギが案内する、美しいアフリカ」2017年5/15号

「辺境に住む少数民族をまるでファッションモデルのように鮮やかに写し取る、フォトグラファーのヨシダナギ。彼女をアフリカ・ニジェールへ派遣して、少数民族のひとつであるボロロ族の撮り下ろし写真が話題に。特集はテレビ等でも取り上げられ、ヨシダナギ人気を決定づけました。8/1に発売された『最後の秘境、アマゾンへ。』特集でも、色鮮やかな衣装を纏ったアマゾン少数民族の写真を撮影しています」

『ヨシダナギの拾われる力』(CCCメディアハウス)。「ヨシダナギさん初のエッセイも発売され、大きな反響を呼んでいます」

 

【プロフィール】

Pen 編集長 / 安藤貴之(左)
1965年、東京生まれ。明治大学政治経済学部を卒業したのち、新聞記者などを経て、1995年にTBSブリタニカ入社。当時、同社が版元だった『Pen』に創刊から携わり、副編集長を経て2005年に編集長就任。プライベートではブリティッシュロックを愛し、ギブソンのアコースティックギターをかき鳴らす。
Pen Online https://www.pen-online.jp/
Pen Magazine International https://pen-online.com/

 

ブックセラピスト / 元木 忍(右)
ココロとカラダを整えることをコンセプトにした「brisa libreria」代表取締役。大学卒業後、学研ホールディングス、楽天ブックス、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)とつねに出版に関わり、現在はブックセラピストとして活躍。「brisa libreria」は書店、エステサロン、ヘアサロンを複合した“癒し”の場所として注目されている。

 

聞き手=三宅 隆 撮影=泉山 美代子

 

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平成時代はあと1年! 知るほど面白い歴史学者が語る「元号」のハナシ

今上天皇の退位が2019年4月30日と決まり、平成時代の終わりまで、あと1年となりました。天皇の生前退位は、江戸後期以来約200年ぶりとなります。新元号の発表はまだ少し先ですが、元号を通して歴史を辿ると、当時の時代背景や人々の思いと密接に関わっていることがわかります。

 

これまでの日本の元号は、平成を含めて247個。時代によって元号の重みや天皇の地位の高さも異なり、当時の時代背景を理解するのに、元号はとても重要な役割を果たしています。今回は、そんな元号の成り立ちからあらゆる時代の改元の流れまで、歴史学者の山本博文さんに話を聞きました。

 

中国発祥の元号は文明国の証。日本も独自の元号を使用

「元号はもともと中国発祥で、紀元前115年頃に前漢の武帝が『建元』という元号を定めたのが始まりです。その当時、日本は干支を使っていましたが、645年の第36代孝徳天皇の時代に、初めて『大化』という元号を使うようになりました。この年は中大兄皇子らが蘇我氏を滅亡させ、『大化の改新』を始めようという年。そこで中国の制度を取り入れ、“文明国の象徴”として元号を使うようになったのでしょう。中国の元号ではなく、日本独自の元号を定めたことに、日本が自立しているという意識が表れていますね」(山本博文先生、以下同)

 

「大化」を起点とする日本の元号。その後、江戸最後の元号「慶応」まで、実に243回も改元されています。

 

「平均すると、ひとつの元号あたりわずか5年ほどで、庶民にとっては縁遠く、干支を使うことが多かったようです。しかし改元は、天皇の代替わりといった慶事があった際はもちろん、国の繁栄や人々の平安を願って行うものでもありました。めでたいことがあったとき(瑞祥改元)、大地震や大火、疫病の流行などに見舞われたとき(変異改元)、厄災が起こりやすい干支の“辛酉”“甲子”の年など、人心を一新したいときに改元を繰り返してきました。さらに江戸時代には、将軍の代替わりでも改元しています」

↑平成2年に皇居で執り行われた、今上天皇の「即位礼正殿の儀」。31年目を迎える来年、2019年4月30日に退位され、翌5月1日より文字通り、新しい時代が始まる

 

元号は中国の古典を出典とし、吉兆の漢字から選ばれる

そもそも改元は、誰がどのように担っていたのでしょうか?

 

「元号制定手続きが完成されたのは平安時代で、大臣が天皇の命を受け、文章博士らに元号案の『勘申』を命じるようになります。新しい元号を考案する者を“勘申者”と言い、彼らは四書五経などの中国の文献から元号の候補を考案しました。その後、鎌倉時代は武家が介入し朝廷が決定、江戸時代は幕府が決定していました。ちなみに日本の元号はすべて中国の古典を出典としており、これまでの247個の元号で使われている漢字はわずか72文字。元号には吉兆の漢字を選ばなくてはならず、自ずと重複してしまうのです。平成も『史記』の“内平外成”と『書経』の“地平天成”を出典としています」

 

当時の竹下 登首相も「平成」に対し「国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められている」と述べていました。

 

「平成は、国民主権を明記した日本国憲法のもとで初めて制定された元号です。昭和54年に大平正芳内閣が定めた要項によると、元号は①国民の理想としてふさわしい良い意味を持つ、②漢字2字、③書きやすい、④読みやすい、⑤これまでに元号またはおくり名として用いられていない、⑥俗用されていない、以上に留意するものとあります。次の新元号も同様のことが求められるので、何に決まるか期待したいですね」

↑皇居で毎年、天皇誕生日の12月23日と正月の1月2日に行われる一般参賀。2018年正月には、退位を前に、平成時代で最多の12万人超が詰め掛けた

 

元号にまつわる知っ得&おもしろエピソード5選

ここでは247個の元号のなかから、9個の元号をピックアップ。元号の知識をもっと深めたくなる、知っ得&おもしろエピソードを紹介します。

 

【養老(ようろう)】奈良時代・717〜724年

手がスベスベになったため瑞祥の改元を実施
当時の元正天皇は霊亀3年(717年)に近江・美濃国に行幸。その途中、当耆郡多度山の美泉(現在の岐阜県養老町)を訪れた際、「手面は皮膚が滑らかになった。痛い箇所につけると痛みがとれた」という。そこで帰京後、「霊亀」から「養老」に瑞祥の改元が実施されました。

 

【天平感宝(てんぴょうかんぽう)、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)、天平宝字(てんぴょうほうじ)、天平神護(てんぴょうじんご)、神護景雲(じんごけいうん)】奈良時代・749〜770年

日本の歴史上で唯一元号が4文字だった時代
「天平」の後、「天平感宝」〜「神護景雲」の間は4文字の元号が用いられました。これは聖武天皇の皇后の光明子が、690年に中国で武周朝を建てた則天武后にならったもの。天智天皇(中大兄皇子)の孫の光仁天皇が即位した際に「宝亀」に改元し、それ以後は2文字で定着しました。

 

【建武(けんむ)】南北朝時代・北1334〜1338年/南1334〜1336年

後醍醐天皇の強い意向で光武帝時代の元号をそのまま使用

この改元は後醍醐天皇によって行われ、光武帝が新の王莽を滅ぼして後漢を復興させたときの元号「建武」にちなんでいます。「武」は争いを連想させる不吉な字として元号にはあまり使用されませんが、この時代は軍事力を誇示するために敢えてこの字を入れたとされます。

 

【応永(おうえい)】室町時代・1394〜1428年

使用期間は33年10か月。昭和、明治に次ぐ3番目の長さ
「一世一元の詔」が出される以前では最も長く続いた元号。応永ほどでなくても、室町時代は比較的長く続いた元号が多いです。というのも戦国時代には公家たちが戦乱を避けて地方に避難しており、勘申の適任者がおらず、改元しようにもなかなかできなかったため。

 

【明和(めいわ)】江戸時代・1764〜1772年

大火は「迷惑な年」のせい? 縁起担ぎのための改元
明和9年(1772)、江戸は大火に見舞われ、死者が1万5000人近く出るほどの大きな被害を受けました。そのため「安永」へと改元を実施。これは明和9年=「迷惑年」に通じるという噂が流れていたなかで大火が起こったことにより、縁起担ぎのための改元でした。

 

さて、来年に迫った改元。新元号はいったい何になるのでしょう? 元号の決定方法や新元号予想のコツなど、現代の元号に関する疑問を、山本先生にぶつけてみました。

 

↑「平成」に言及する際、もっとも多く目にするのが小渕恵三官房長官(当時)が新元号を掲げる姿。日本中がこの会見を見守った、時代を象徴するワンシーンだ

 

新元号は何になる? 現代の元号Q&A

最後に、現在の元号に関するギモンを山本先生に聞きました。

 

Q.現在、元号はどのように決めている?

A有識者が考案した案を元に首相らが閣議で協議し決める

「首相が数名の有識者に委任し、それぞれに複数の候補を提出してもらいます。官房長官がその候補を整理・検討し首相に報告後、首相が総務大臣、官房長官、内閣法制局長官などに精査させて数個の原案を選定。閣議で協議し決定した元号が政令で公布されます」

 

Q.いまでも和暦と西暦の両方が使われているのはなぜ?

A.一度元号廃止案が上がったが、元号肯定派が多数だったため

「昭和25年に参議院で『元号の廃止』が議題に上がったものの廃止の必要性は認められず。その後も公的文書などでは慣例的に元号が使われていましたが、元号法制化を求める声が多くなり、昭和54年に元号法が成立。反対派に考慮して『元号の使用を強制しない』と定めました」

 

Q.新元号はどう予想したら良い?

A.頭文字の制限と、これまでの頻出漢字に注目

「『M(明治)』、『T(大正)』、『S(昭和)』、『H(平成)』とは頭文字が異なるものになるでしょう。また、日本の元号は中国の古典から吉兆の漢字を選んでいるので、何度も同じ漢字が使われています。以下の漢字がよく使われますが、最近の元号になければ選ばれる可能性が高いですね」

【よく使われる漢字】
永:29回 元:27回 天:27回 治:21回 応:20回 正:19回 長:19回 文:19回、和:19回 安:17回 延:16回 暦:16回 など

 

↑西暦で記す機会が多くなった現代において、私たちがもっとも親しんだのは硬貨の発行年表示ではないだろうか。4ヶ月間の「平成三十一年」硬貨が発行されるなら、「昭和六十四年」ほどではないにせよ、プレミアがつきそうだ

 

一時は廃止の可能性もあったという元号。とはいっても、山本先生の解説をうかがってみれば、日本の歴史とは切っても切れないものだったことがわかります。ぜひ新元号予想にもチャレンジしてみて!

 

写真提供=Kyodo/Getty Images

東京五輪は是非このバンドに!? 地上波露出増加の「和楽器バンド」に注目の声続出

日々新しいスターが生まれて大活躍を繰り広げているが、次は一体誰がメディアを騒がすことになるのだろうか。この記事では、次にキそうなブレイク間近の有名人を紹介! 今回紹介するのは、8人組ロックバンド・和楽器バンド。

出典画像:和楽器バンド Official Siteより出典画像:和楽器バンド Official Siteより

 

世界中で人気を誇る日本の伝統芸能を広めるバンド

出典画像:和楽器バンド Official Siteより出典画像:和楽器バンド Official Siteより

 

詩吟、和楽器とロックバンドを融合させた新感覚ロックエンタテインメントを生み出す和楽器バンド。2013年3月に、ボーカルの鈴華ゆう子が伝統芸能をポップに世界に広げたいという思いを掲げてメンバーを集め、2014年4月にアルバム「ボカロ三昧」でデビュー。「ボカロ三昧」は初週に1.5万枚を売り上げてオリコン週間ランキング初登場5位に。

 

デビューからわずか3か月で海外進出も果たした和楽器バンドは、2015年に発売した2ndアルバム「八奏絵巻」が、初週3.6万枚の売り上げでオリコン週間ランキング初登場1位を獲得した。その後も第57回「輝く! 日本レコード大賞 企画賞」を受賞したり、2016年1月に日本武道館ライブを成功させるなど順調にファンを増やし、ネット動画の影響で世界中に多数のファンを持つまでに成長。


そして2017年、ネットを中心に絶大な人気を誇っていた和楽器バンドが地上波に出演する機会が増え、一般層からの注目度が急上昇している。

 

2017年1月に「スッキリ」(日本テレビ系)に生出演して演奏すると、MCの加藤浩次が「凄い独特の世界観ですね」「三味線の方がブーツで、ギターの方が裸足で…」と感想を口に。アメリカ出身の日本文学研究者であるロバート・キャンベルも「凄くグローバルで、みんながグッと食いつくのがわかる」と称賛していた。

 

11月に「とくダネ!」(フジテレビ系)で生演奏を披露した際には、MCの小倉智昭が「僕は和楽器バンドをスタジオに呼ぶのに足掛け4年かかりました」と、結成当初からのファンだったことを告白。「大好きでね。初めて見た時にとんでもない連中がでてきたと思った」と大絶賛すると、ネット上でも「外国人受け良さそう」「これ見て和楽器を習いたくなる外国人が出るくらいカッコ良さが出てる」「ボーカル美人過ぎるでしょ」と反響が続出することに。

 

そして12月6日放送の「2017FNS歌謡祭」(フジテレビ系)では、倉木麻衣と和楽器バンドの4人がコラボして「渡月橋 ~君想ふ~」を演奏。元々が和テイストだった楽曲をさらに和の雰囲気にアレンジし、「すごく幻想的で素敵だった」「このコラボは神過ぎる!」「鳥肌立ったわ」といった絶賛の声が殺到。


2020年の東京オリンピック開会式に推す声も増え始めている和楽器バンド。さらなる飛躍に注目していきたい!

 

 

【プロフィール】
名称:和楽器バンド(わがっきバンド)

Vocal:鈴華ゆう子(すずはなゆうこ)

箏:いぶくろ聖志(いぶくろきよし)

尺八:神永大輔(かみながだいすけ)

津軽三味線:蜷川べに(にながわべに)

和太鼓:黒流(くろな)

Guitar:町屋(まちや)

Bass:亜沙(あさ)

Drums:山葵(わさび)