セネガルで取り組む「日本式水産資源管理メソッド」の可能性

首都ダカールの北部、カヤールの水揚げ場の風景

 

1年を通して北から南へ流れるカナリア海流(寒流)の影響により湧昇流が発達することから、世界有数の漁場となるアフリカ西岸に位置するセネガル。かつてはイワシやマハタ、タコなど豊富な漁獲量を誇っていましたが1990年代以降、乱獲などの影響で水産資源が次第に減少しつつあるといいます。こうした背景で始まったのが、持続的な水産資源の維持管理を目的とするJICAの「広域水産資源共同管理能力強化プロジェクト(COPAO)」です。

 

セネガルという国名には馴染みがなくても、かつてパリ-ダカール・ラリーのゴールであったダカールが首都というと、だいたいアフリカのどの辺りに位置するか、イメージできる人もいるかもしれません。ダカールは水産業をはじめ、大西洋貿易の拠点として栄えています。

 

「水産物流通の拠点となるダカール中央卸売魚市場は、日本の支援で1989年に建設されました」と語るのは、アイ・シー・ネットのシニアコンサルタントとしてセネガルで漁村振興のための社会調査や資源調査を手掛け、これまでJICAの多くのプロジェクトに関わってきた北窓時男さんです。

現地の人々と。写真右中央が北窓さん

 

北窓時男さん●2001年アイ・シー・ネット入社。専門は海洋社会学、海民研究、零細漁村振興。1996年からセネガルの沿岸地域を幾度となく訪れ、現地の漁村社会・水産資源に係る調査やプロジェクト管理などを行う。

 

「セネガル沿岸部の漁業は、漁家単位でのいわゆる零細漁業が中心です。ピログと呼ばれる小型の木造船が用いられ、日本はピログ用の船外機を供与するなど、1970年代から水産分野の支援が行われています」

沿岸部での漁業に使用される小型船「ピログ」

 

ほかにも訓練船や漁法近代化のための漁具なども供与。1980年代には沿岸部の零細漁業振興のため、ファティック州のミシラに漁業センターを建設し、漁具漁法や水産物加工、養殖、医療など、さまざまな専門家や協力隊員が沿岸部の零細漁村開発と生活改善のために派遣されました。

 

「現地ではアジ、サバ、イワシ類など小型の浮魚のほか、タイやシタビラメなど単価の高い底魚も獲れます。カナリア海流という寒流が流れているので脂がのっているものが多いんです。獲れた魚は、仲買人が買い取って保冷車で運び、冷却したまま出荷できるコールドチェーンが確立されており、ヨーロッパ向けにも輸出されています」

 

コールドチェーン開発の端緒を開いたのも日本の支援でした。1978年に北部内陸地域に小型製氷機と冷蔵設備を供与。ダカール中央卸売魚市場もこの流れで建設されました。

 

その一方、1970年代以降、内陸部では降雨量の減少による干ばつが頻発し、農業生産が大きく減退。砂漠化のため、農地を放棄した多くの人々が都市部や海岸部へ流入。船を持つ漁民と一緒に漁に出れば、その日のうちに歩合給による現金収入が得られる漁業は、農業を放棄した人たちがその日の生活費を得るためのセーフティネットとして機能しました。

 

「1980年代ころまで、日本の支援は漁獲生産力向上の支援が中心でしたが、零細漁業従事者が急増するなどさまざまな要因から、水産資源の減少が危惧されるように。次第に水産資源管理に目が向けられるようになりました。1980年代に15万トンだった小規模漁業セクターの漁獲量は、2000年代には30万トンへ倍増。日本からは漁業海洋調査船が供与され、2003~06年には漁業資源の評価や管理計画調査も行っています」

 

もちろん、漁業資源の減少と、コールドチェーンが繋がったことで海外向けの輸出が増えたことは無縁ではありません。逆に言えば、水産資源の持続可能性を確保することで、今はまだ限られている日本向けの輸出を拡大するなどビジネスチャンスも生まれるでしょう。

 

日本独自の「ボトムアップ型資源管理」を活用

セネガルでの漁業資源の管理には、日本型の「ボトムアップ型資源管理」が向いていると北窓さんは話します。日本の沿岸漁業もセネガルと同様に、小規模の零細漁業が中心。地域の漁業協同組合単位で対象となる資源を管理し、乱獲を防いで持続的に利用する方式が採用されてきました。これは日本が海に囲まれ、政府が一元的に管理することが難しいという歴史的な背景のなかで生まれてきたものです。

 

一方で、ヨーロッパなどでは企業規模での漁業活動が多く、政府が総漁獲量(TAC:Total Allowable Catch)を定め、その漁獲枠を水産企業/漁業者に配分するクォータシステムがとられてきました。セネガルの漁業を取り巻く状況を考えると、日本型のボトムアップ型資源管理が適していると言うのです。

 

「セネガルで実施しているのは、漁業者がイニシアチブをとって対象資源の管理活動を計画・実施し、行政がその活動に法的な枠組みを整備する形で支援する方法です。もちろん、日本でも近年はボトムアップ型の限界から、TAC制度が導入されてきていますので、セネガルでも将来的にはボトムアップ型とヨーロッパ型資源管理方法との融合が必要になってくると考えられます」

 

セネガルではタコ漁について、コミュニティベースの資源管理システムを導入。地域の漁民コミュニティがタコの禁漁期を主体的に決めて、それに県などの行政が法的な枠組みを与える方式で成功を収めています。また、タコの輸出企業から協賛金を得て、漁民が産卵用のたこ壺を毎年海に沈め、資源を増やすといった広域での取り組みも行われています。

 

現在、進めているJICAのプロジェクトでは、シンビウムと呼ばれる大型巻貝の稚貝放流キャンペーンや、大西洋アワビの適正な資源管理手法を策定するための支援活動などを実施。移動漁民との紛争を回避するための夜間操業禁止キャンペーンの支援や、PCを活用して資源管理組織間の連携を強化するための支援活動も行っています。

シンビウムの稚貝を放流

 

「かつてセネガルのプティコートではシンビウムの水揚げ量が多く、シンビウムはセネガルの主要な水産資源の1つでした。ただ、近年は水揚げ量も落ち、サイズも小ぶりになっています。そこで、漁獲したシンビウムのお腹の中で成長した稚貝を沖合に戻して、資源の再生産を促進することに取り組んでいます。スタンプカードを発行し、稚貝を一定数回収・放流するごとに、貝加工作業に必要な手袋やバケツなどの道具を提供することでモチベーションを高め、キャンペーン期間中に40万貝の放流をめざしています」

 

過去にタコでは成功したものの、シンビウムは漁家経営にとって不可欠な水産資源であったことから、広域での禁漁期間を設定することが難しかったとのこと。かつて2000年代に禁漁期間の設定と稚貝放流の取り組みは行われましたが、上記の理由と稚貝放流に燃料費を要するなどの理由から、プロジェクト終了後にこれらの活動は停滞しました。地域コミュニティの特性に合わせた持続的な方法を探る必要があると北窓さんも強調します。

 

求められる水産資源の高付加価値化

零細漁民の持続的な生活水準向上を目指すには、水産資源に高い付加価値を与えることが必要であり、そのためには海外への輸出を視野に入れる必要があります。それは、日本企業から見ればセネガルでの新たなビジネスチャンスにもつながる話です。

 

日本への輸出が期待できる水産資源として、北窓さんはタコ、大西洋アワビ、そしてシンビウムの3つを挙げます。タコは同じ西アフリカに位置するモロッコやモーリタニアからは日本向け輸出が多く行われていますが、セネガル産のものはまだ限られているのが現状。その理由について、北窓さんは漁法と水揚げ後処理の違いによる品質の差にあると分析します。

 

「モーリタニアでは日本が紹介したタコ壺で獲っているのに対して、セネガルでは釣りで獲っている。釣り上げたタコを甲板にたたきつけて殺し、船底の溜水に浸かった状態で放置されていたので品質が良くありませんでした。過去のJICAプロジェクトによって、漁獲後に船上でプラスチック袋に入れ、氷蔵にして持ち帰る方法が導入され、現在は品質の改善が進みました。。資源の回復も徐々に進んでいる一方で、日本向けにはまだあまり輸出されていないので、参入の好機といえるかもしれません」

 

そしてまさに今、資源管理に取り組んでいるのが大西洋アワビです。現地では直径5cmくらいのミニサイズで漁獲され、串焼きなどにして食べられており、価格も安いとのこと。資源管理を通して大型化や高品質化を進めることで、将来的に日本向けの需要につなげることができれば、付加価値化により、プロジェクトの狙いである水産資源の持続的利用と零細漁民の生活向上の両立に結びつけることができるでしょう。

ダカール市内のアルマディ岬で採集されたアワビ

 

「アワビの刺身の美味しさを知っている日本人からすれば、もったいない話です。サイズも徐々に小さくなっていて、地元でもこのままだと獲れなくなるという危機感があります。大きくなってから獲れば日本向けに高く売れる、というルートが確立すれば、資源管理にも積極的に取り組むようになりますし、漁民の現金収入も上がるというポジティブな連鎖につなげていけると考えています」

 

一方、大型巻貝のシンビウムの中でも「シンビウム・シンビウム」と呼ばれる種類は、味も良く、すでに韓国向けなどに輸出されているとのことです。今は資源的に減少していますが、その資源管理を通して資源増加が可能になるなら、日本向けの商材として可能性は高いと北窓さんも期待を寄せています。

 

現地の仲買人システムを尊重したビジネスを

シンビウムの刺し網漁

 

日本企業がセネガルの水産ビジネスへの参入を考えるとき、重要な意味を持つのが現地の仲買人との関係だと北窓さんは指摘します。いわゆる仲買人には、買い叩きなど搾取のイメージもありますが、セネガルではその限りではない関係が成立しているとのこと。

 

「漁民が網などの資材の購入や家族の病気などで現金が必要な際に、仲買人がお金を貸し、助けてもらったことで漁民は優先的にその仲買人に魚を売る、いわゆる“パトロン・クライアント”の関係が成り立っています。もちろん、行き過ぎれば仲買人に対する依存が大きくなるという問題もありますが、セネガルでは比較的対等な関係が構築されています。仲買人の存在が地域に埋め込まれた社会システムになっていると言うこともできるでしょう」

 

現地での水産ビジネスを進めるには、漁民・仲買人・企業がそれぞれウィン・ウィンな関係を築けるようにすること、そして持続的な水産資源の管理方法を確立することが鍵を握ると言えそうです。

 

また、水産資源の持続可能性を考えるとき、漁業だけにフォーカスするのではなく、俯瞰的な視点を持つことの重要性を北窓さんは指摘します。

 

「これまで、水産物の付加価値化やバリューチェーン構築の分野で、JICAの支援はそれなりの成果を上げてきたと思います。それに付け加えるとすれば、水産分野だけにこだわらない、生業の多様性を進めるための選択肢を増やすような施策が必要だと考えます。内陸部の砂漠化によって、農業や牧畜ができなくなったことで、漁業の専業化が進み、それが沿岸漁業資源の減少に拍車をかけました。生業の選択肢を増やすような施策によって、水産資源も守られますし、魚が獲れなくても生計が維持できるような仕掛けづくりが可能になるのではないでしょうか」

 

持続可能なビジネスを展開するには、現地の水産資源はもちろん、漁業従事者だけでなく社会そのものの持続可能性が確保されていることが不可欠。水産資源の管理と高付加価値化を進めることによって、企業はビジネスチャンスを拡大でき、現地の人々は生活水準の向上、そして持続可能な社会を構築することができる”三方良し”のビジネスを展開することが可能になるといえるでしょう。

 

 

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アフリカビジネスの大きなきっかけに!「ABEイニシアティブ」卒業生がこれからの日本企業に欠かせない理由とは?

アフリカにおける産業人材育成と日本企業のアフリカビジネスをサポートする「水先案内人」の育成を目的として、日本の大学での修士号取得と日本企業でのインターンシップの機会を提供するプログラム「アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ(African Business Education Initiative for Youth)」、通称:ABEイニシアティブをご存知でしょうか? 2014年から現在までで、ABEイニシアティブを通じて1286人ものアフリカ出身の留学生が来日。留学生のなかには、プログラム終了後の進路として、日本企業へ就職する人がいます。

 

本記事では、2019年より仙台を拠点とするラネックス社で活躍するセネガル出身のABEイニシアティブ卒業生、ブバカール ソウさんにABEイニシアティブでどのようなことが学んだのか、また日本企業で3年以上働いてみてどんな感想を抱いているのかを聞きました。

 

●ブバカール ソウ/セネガル出身。2012年には、JICA横浜で開催された短期研修に参加するために訪日した経験がある。日本の支援で設立されたセネガル日本職業訓練センター(Technical and Vocational Training Center Senegal-Japan)を卒業後、職業訓練・手工業省職員となり職業訓練センター・ジガンショール校にてコンピューター科学の教師をしていた。在職中にABEイニシアティブの選考を受け、宮城大学の事業構想学研究科の修士号を取得。卒業後2019年3月~10月のインターンを経て同年11月より仙台に本社のあるラネックス社に勤めている。

 

「ABEイニシアティブ」で学べることとは?

まずは「ABEイニシアティブ」がどういったプロジェクトなのか、その背景を紹介しましょう。

 

2013年6月に横浜市で開催された第5回アフリカ開発会議(TICAD Ⅴ)で発表されたABEイニシアティブ。当初の計画は、2014年からの5年間で、1000人のアフリカの青年を招聘し、日本各地の大学院で専門教育と、日本企業でのインターン研修の機会を設け、日本とアフリカの架け橋となる産業人材の育成を目的としていました。そのインターンでは、日本の企業文化、勤労精神まで学んでもらおうという狙いもあります。

 

2016年の第6回アフリカ開発会議(TICAD Ⅵ)で、2019年以降も継続して取り組んでいくことが表明されています。

 

2014年9月に初めてABEイニシアティブの研修員156人が8か国から来日し、2019年4月までにアフリカ54か国すべての国から1219人が来日しました。そのうち775人がプログラムを終えて帰国し、さまざまな分野で活躍しています。

 

ABEイニシアティブでは、JICAと、日本の大学がおよそ半年間かけて留学生の選考を行います。来日後は1年〜2年6か月間、大学院の修士課程で専門知識を習得し、夏季休暇や春季休暇で日本企業でのインターンが行われます。プログラム終了後は帰国する人もいれば、日本企業でインターンや就職をする人もいるといった感じです。

 

 

留学生が学ぶのは工学や農学、経済・経営、ICTなど多岐にわたります。彼らが学んだ後のインターン受入登録企業数は、2015年は217社だったのに対し、2019年には584社にまで増えました。しかし、帰国後の進路として日本企業に就職する人は前途多難となっており、全体の17%に留まっています。

 

【参考資料】

アフリカの若者のための産業人材育成イニシアティブ(ABEイニシアティブ)「修士課程およびインターンシップ」プログラム

 

超難関の試験をクリアして来日できる狭き門

今回、お話を聞いたソウさんは、もともとはジガンショール州の職業訓練センターでコンピューター科学の教師として働いていました。2012年には、JICA横浜で開催された短期研修に参加するために訪日し、日本の魅力に気付いたといいます。

 

ABEイニシアティブ当時、東京でインターンシップをしたときの送別会でのソウさん

 

「初めて来日したとき、日本はなんてきれいで安全な国なんだろうと思いました。JICAの研修では製造プロセスについて学んだのですが、そのときは日本ならではの“ものづくり”や“カイゼン”活動を知りました。また、私自身は大学でもITの勉強をしていたので、日本はIT化が進んでいて興味が湧きました」(ソウさん)

 

ABEイニシアティブの存在を知ったのは、セネガルで日本大使館のイベントに参加した際だといいます。このとき、セネガルにおける応募者は200〜300名ほどで、最終合格者はわずか15名ほどでした。それだけ狭き門を突破した人だけが、ABEイニシアティブのプログラムで日本に来ることが許されるのです。

 

「私はセネガルの現地語と母国語であるフランス語に加え、英語を勉強していました。日本語は来日してから覚えたので、まだまだうまくありません。今は仙台のラネックスという会社でシステムエンジニアとして働いています。働き始めて3年が経つので、既に5年半日本で暮らしていることになりますが、日本は差別も少ないので他の国よりも暮らしやすいと感じています。来日当初は大学の先生に買い物をする場所を教えてもらうなど、日常生活でも分からないことだらけでしたが、2か月ほどで日本の暮らしには慣れましたね」(ソウさん)

 

国際会議で発表するソウさん

 

ソウさん自身はすっかり日本での生活にも慣れ、あまり困った経験はないと話します。しかし、ABEイニシアティブの研修を経て、日本で就職をして長く定着する人はまだまだ少ない印象だとか。大きな壁となるのは言語の問題だけでなく、日本ならではの文化やルールの違いも大きいようです。

 

「一番大切なのは、日本語を勉強することです。あと日本の文化を理解して、ルールを守ることも日本での就職を目指す人にとっては欠かせません。日本で働きたいのであれば、日本の働き方に合わせるべきだというのが私の考えです。これは難しいことではありますが、決して不可能ではありません。私は他のどの国で働くよりも、日本で働くことが最も経験値が上がることだと思っています」(ソウさん)

 

日本で働く上で重要なのは「チームワーク」です。これはアフリカの企業にはなかなかない文化で、海外では個人主義な側面が多くなっています。もちろん、海外でもチームワークが求められる場面はありますが、日本のほうが求められることをソウさんは実感しているそうです。

 

「日本はチームワークを重視しながらも、1人ひとりを尊重している印象があります。また、問題が起こると“報連相”をする文化があり、これは私にとってプラスの経験になっています。イスラム教徒のため、豚肉を食べないので、同僚との飲み会の店選びのときには、異文化で生活していることを実感することもありますが(笑)、私は今の会社で働けていることにすごく満足しています」(ソウさん)

 

アフリカとの関係性を築きたい企業に有利

ソウさんはアプリやウェブシステムの開発をするのが主な仕事で、開発チームとの打ち合わせなどでは英語を話すそうです。日本語でなくて不便はないのかと気になりましたが、最近は日本語のシステムだけでなく、英語のシステムを構築してほしいという依頼も多く、ECサイトがその代表例なのだとか。

 

「私の勤め先には海外から来た人が私以外にも2人います。仙台の本社オフィスには18名のスタッフがいます。フィリピンにも支社があり、会社全体としては、アメリカ、オーストラリア、セネガルなど多様な国の出身者が働いています」(ソウさん)

 

そんなグローバルな企業で働くソウさんですが、日本だけでなくセネガルとの架け橋になるような仕事も手掛けているといいます。それは、セネガルにおける電子母子手帳アプリです。

 

「セネガルの病院では、産前・産後の検診でお母さんが長く待たされます。そこで、診察の予約、医師によるデータ入力、チャットによるオンライン診療のできる電子母子手帳アプリを開発しました。そのときに、セネガルの保健省の人に向けて私がプレゼンをしたんです。このアプリはJICAの民間連携事業を通じて1年間のトライアル期間を経て、今後リリースされる予定です」(ソウさん)

 

アストラゼネカで母子保健申請に関するスピーチをするソウさん

 

ソウさんはいずれはセネガルに帰国したいと考えており、帰国後は日本企業とアフリカをつなぐお手伝いがしたいと考えているそうです。まさにABEイニシアティブが目標に掲げる「アフリカの産業人材育成と日本企業のアフリカビジネスをサポートする水先案内人の育成」が成功していると言えるでしょう。

 

「ケニア、ルワンダなどの南アフリカには既にいろいろな日本企業が進出していますが、セネガルのある西アフリカにはまだ少ないのが現状です。その問題は言語だと思います。南アフリカは公用語が英語ですが、西アフリカの多くはフランス語。フランス語圏への進出は日本企業にとっては難しいのかもしれません。私はフランス語も得意なので、日本企業とセネガルの架け橋になれるといいなと思います」(ソウさん)

 

海外の人材を雇うことにハードルを感じる日本企業はまだまだ多いですが、現地とのコネクションがある人材を採用するのは大きなメリットになることを、今回ソウさんを取材して強く感じました。また、ABEイニシアティブというプロジェクトが言語能力の高さだけでなく、社会人としても優秀な人材を日本に多く送り込んでいるというのは心強い話題。また、JICAではABEイニシアティブだけでなく、開発途上国の人材を日本に招聘する本邦研修という事業で多くの開発途上国の人材を日本に招聘しています。本邦研修では毎年約1万人の研修員を受け入れており、研修が始まった1954年から2019年までで、38万8406人もの受け入れ実績があります。

 

ソウさんのように日本の組織文化を理解している人材は、世界中に多く存在し、それらの人材の中には日本での就職を希望する人もいます。このような人材の活用と、日本の企業で安心して働ける環境づくりがこれからの日本企業の課題になりそうです。

 

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途上国で新型コロナウイルスに感染したら? 現地スタッフの体験から見える渡航の際の留意点

【掲載日】2022年4月5日

いまだ収束したとは言い難い状況が続いている新型コロナウイルス。世界各地で感染者が出ていますが、感染状況や対策は国によって大きく異なります。そこで今回は、海外で事業に従事するアイ・シー・ネット社員のうち、現地で新型コロナウイルスに感染した社員3名にインタビューしました。バングラデシュ、カンボジア、セネガルの3か国それぞれの、現地でのリアルな体験談とともに、渡航の際に注意すべきことや備えておくべきことなどをお伝えします。

 

●バングラデシュ

感染者数が195万人超のバングラデシュ。2022年1月下旬頃から急激に感染者が増加し、新規感染者数が1日1万人を超える日もありましたが、2月下旬以降は感染状況が落ち着きつつあります。今回インタビューしたのは、感染者が急増した1月下旬に現地で新型コロナウイルスに感染した社員。自身の症状や療養施設の対応、国の政策などについて聞きました。

――陽性と診断されてから療養先が決まるまでの経緯を教えてください。

「のどに微かな違和感を覚えた翌日から次第に痛みがひどくなり、その後37.5度の熱が出ました。滞在していたホテルでPCR検査を受けたところ、翌朝に陽性と判明。医師に電話で相談したところ、軽症のため医療診察を受ける必要はないと言われ、そのままホテルで療養することになりました。旅行サポートサービスを利用し、日本語で日本の医師に相談できたことはとても安心できました」

 

――医療機関とのやりとりや発症してからの症状について教えてください。

「陽性と診断されて医師に電話した際に、日本から持参した解熱剤の成分などを伝え、服用して問題ないかを念のため確認しました。また、酸素飽和度や、息切れなどの症状で気を付けるべき点について説明を受けました。それ以降は発症してから6日目に経過確認の連絡があったくらいでした。

症状は、軽症とはいえ発熱してから3日間は熱が下がらず、最高で38.2度まで上がりました。4日目以降は平熱に戻りましたが、以降も倦怠感は続きました。咳もかなり出て辛かったです。解熱剤を十分に持っていたので、なんとか凌ぐことができましたが、額に貼る冷却のジェルシートや咳止めの薬などもあればもう少し早く楽になれていたかもしれません」

 

――療養していたホテルの対応について教えてください。

「ホテルのスタッフとは基本的に直接接触することはありませんでした。食事は朝と夜、タオル、シーツ、水、トイレットペーパーといった必要なものは必要なタイミングで連絡し、毎回、部屋の前に置いてもらっていました。食器や利用済みのタオル、シーツなどは部屋で保管するように言われ、ゴミも含めて隔離期間中は一切回収してもらえず……。洗濯サービスも停止されました。

バングラデシュでは陽性者への隔離や療養に関する明確な基準がないようで、私が滞在していたホテルではPCR検査で陰性と診断されることが、隔離対応解除の条件でした。私は発症してから10日後に再びPCR検査を受診しましたが、症状が出ていないにも関わらず結果は陽性。結局、陰性の結果が出たのは発症から19日後でした。他の利用客や従業員に感染させないようにというホテル側の対応はもちろん理解できるのですが、部屋から出られない期間が長く、なかなか辛かったです。ちなみに私が滞在していたホテルと同地区のホテルも隔離解除の条件は同じだったようです」

隔離期間中は外からサービスを受け取れるが、外に物を出せなかったためコップが25個、皿は30枚以上たまっていったという

 

――国の政策や方針について教えてください。

「国の政策としては、2022年1月13日から、マスク着用義務、公共交通機関定員半数制限、集会・行事の開催禁止、ホテル・レストラン利用時のワクチン接種証明書の提示などの行動規制がスタート。同月21日からは、学校・大学閉鎖(2月6日まで)、政府や民間のオフィス、工場の従業員は、ワクチン接種証明書を取得しなければならないなど、新たな行動規制が追加されました。これらの行動規制措置の期限は2月22日までで、それ以降の延長発表などは特にありませんでした。

行動規制があった時期は、オフィスへの出勤を控える人が増えたのか、いつもより朝夕の交通渋滞が少なくなったとも聞いています。その一方で新聞の1面では、市場などの不特定多数の人が集まる場所でマスクをしていない人がいることが連日のように報じられていました。

隔離や療養に関する明確な基準がないバングラデシュでは、感染しても国からの指示やサポートを受けることがなかなかできません。今回の経験を通して、いざというときのために薬など必要なものを一通り用意しておくことが大切だと痛感しました」

 

●カンボジア

続いて、感染者数13万人を超えるカンボジアで、2022年1月に新型コロナウイルスに感染した社員にインタビューしました。1日の新規感染者が500人を超える日もあった2月下旬をピークに、現在は減少傾向にあるというカンボジア。国の政策や、現地の人々の様子などもあわせてお聞きしました。

 

――陽性と診断されるまでの経緯や、その後の療養先について教えてください。

「症状は特にありませんでしたが、帰国前検査を受診したところ陽性と診断されました。自宅に戻って待機していると、その日のうちに保健省が手配したと思われる救急車が迎えに来て、7~10日分の衣服などを準備するように言われました。その後、保健省指定の隔離施設へ移動。詳しい説明はありませんでしたが、主に空港検査で陽性となった外国人と国外から帰国したカンボジア人を収容している施設だったと思われます」

隔離施設の中庭。右奥が職員滞在施設。左手前のテーブルに食事と水が置かれる

 

――隔離施設の対応や、医療機関とのやりとりについて教えてください。

「施設に来た翌日に、パスポートや保険証の提示を求められました。また同日に体調に関する簡単な問診があり、血液採取、体重や血圧の測定なども行いました。施設に来た翌日から出所する前日まで、3、4種類の飲み薬を渡され、朝と夜に服用していましたが、陽性と診断されてからも症状は特にありませんでした。

施設に来て5日目くらいのタイミングで、保健省関連の組織から過去の滞在履歴に関する確認の電話がありました。確認の対象となる期間は、陽性と診断された日から数えて14日前から4日前まで。あわせて私が現地で関わっている事業の担当者についても聞かれました。その際に、仕事で訪問していたところにも自身が陽性になったことを報告。しかし今思えば施設に収容された時点で報告しておくべきだったと反省しています。

出所できたのは、施設に入っておよそ10日後。陽性の診断を受けてから7日目に1回目のPCR検査、さらにその48時間後に2回目の検査を受け、両方とも陰性であったことが分かると、施設から“出所して良い”と言われました」

 

――隔離施設での生活はいかがでしたか? 

「私が療養していたのは8名分の病床がある部屋で、同室者には中国系の男性1名と、私と同じタイミングで入所したパキスタン人の男性2名がいました。同室になった人たちとコミュニケーションを取ったり、英語が話せる施設の職員たちと会話したりすることで、精神的に少し楽になりましたね」

「療養していた大部屋。カーテンで仕切られていて、半個室になっていました」

 

「ただ個室ではなく共同生活になるため、衛生面などでは気になるところもありました。例えば、石鹸が洗面台とユニットバスに1個ずつしかなく……。タオルや歯磨きセットなども支給がなかったため、こうした衛生用品は事前に準備しておいたほうがいいと思いました。さらに貴重品の管理なども注意が必要です。私は持って行きませんでしたが、トイレやお風呂場に持ち込めないPCなどは、鍵付きの小さなスーツケースなどで保管すると安心だと思います。またパスポートや保険証は原本ではなく、スクリーンショットの提示でも問題ありませんでした」

「半個室には扇風機とエアコンが各1台設置されていました。緑色のブランケット1枚は貸与されたもの。私はシーツ代わりに使用していました。オレンジのタオルは職員に貸してほしいと伝えたところ、借りることができました」

 

「食事は、朝・昼・夜、毎食クメール料理でした。毎回メニューが違ったので飽きることはありませんでしたが、外部からの持ち込みが自由だったので、カップ麺やスナック菓子などがあると、より快適に過ごせたかもしれません」

「昼食の一例。白米と炒め物とスープが、昼も夜も定番でした。左上に映っている小袋が、朝7時過ぎに支給される朝と夜の飲み薬です」

 

――カンボジアの人々や街の様子、国の対策や方針について教えてください。

「現在カンボジアでは、小さなスーパーマーケットや飲食店でもアルコール消毒と体温計が設置されています。また、屋外では基本的にマスクを着用している人がほとんどで、感染対策に対する意識は比較的高いと思います。しかし現在進められている3、4回目のワクチン接種は、1、2回目と比べると接種率はまだ低く、政府は追加接種を頻繁に奨励しているところです」

 

●セネガル

最後は、オミクロン株によりピーク時の感染者数が8万5000人を超えるセネガルで、2022年1月に新型コロナウイルスに感染した社員にインタビューしました。昨年の4月から6月まで、緊急事態宣言および夜間外出禁止発令が出されて空港も閉鎖され、1日の新規感染者数が500人を超える日もあったセネガルですが、現在は減少傾向にあります。感染した当時の現地の様子や、療養時の過ごし方などを聞きました。

 

――陽性と診断されるまでの経緯や、当時の病院の様子を教えてください。

「セネガルへの出張中に体調を崩し、次第に自力で立つのがやっとという状態まで悪化しました。直近まで海外出張が続いていたこともあって、最初は時差の関係で疲れているのかなと思っていたのですが、熱も出始めて38度まで上がったため病院へ。簡易検査では陰性と判断されましたが、PCR検査では陽性と診断されました。

病院は新型コロナウイルスに感染したと思われる患者たちで混み合っていました。そのため人手が足りておらず、往診などはできていないようでした。また、診察を受けてビタミン剤と頭痛薬を処方されたのですが、処方薬は自分で薬局まで買いに行かなければなりませんでした」

 

――療養先や陽性と診断されてからの症状について教えてください。

「療養していたのは、現地で滞在していたアパートです。医者からは“スーパーなどであれば出歩いてもいい”と言われていましたが、政府の方針に従って外出は控えていました。同じアパートに同僚が滞在していたため、買い物のついでに私の分の食材も買ってきてもらえたのはありがたかったです。アパートにはキッチンや洗濯機もあったので、身の回りのことは全て自分で行っていました」

「療養中は食欲がない日が続きましたが、同僚が果物や野菜を買ってきてくれてドアの前まで届けてくれました。その中でもスイカは良く食べていました」

 

「熱は1日で下がりましたが、その後も激しい頭痛と吐き気、食欲不振がしばらく続きました。特に頭痛がひどかったため、頭痛薬は日本から持参しておくべきだったと思います。療養中は、このまま症状が悪化したらどうなってしまうんだろうと不安と孤独でいっぱいでしたが、2週間ほどで無事に回復することができました」

 

――国の政策や街の様子などを教えてください。

「現地セネガルの水産局や現地JICA事務所からは、テレワークの推進や、集会・イベント開催の制限などが行われており、マスク着用・消毒・体温チェックなどを行うように説明を受けました。しかし店はほぼ通常通りに営業しており、ホテルやレストランを利用する際にワクチン接種証明書の提示を求められることはありませんでした。現在の新規感染者数は平均1日5人程度で、感染状況は落ち着きつつあると言えると思います」

 

今回お伝えしたバングラデシュ、カンボジア、セネガルの3か国それぞれの体験談からも、新型コロナウイルスの感染状況や政府の対応は、国によって異なっていることがうかがえます。さらに各国の状況は日々変化しているため、渡航する際には情報収集や備えをすることが非常に重要だと言えるでしょう。特に日本国内で報道されることの少ない途上国などの状況は、渡航前に外務省のホームページなどで必ず最新の情報を確認するようにしてください。

※感染状況は3月17日までのものです。

 

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