創業者の問いかけに一人だけ手を挙げた若き天才時計師の告白ーーフレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏インタビュー【後編】

テンプの動きが文字盤側から楽しめる「オープンハート」の設計を世界で初めて考案するなど、フレデリック・コンスタントは創業30年ほどで数多くの偉業を成し遂げてきました。こうした躍進を2002年から支えてきたのが、“ブランドの頭脳”ピム・コースラグ氏。フレデリック・コンスタント躍進の原動力となっている彼が初来日したタイミングで、話を聞くことができました。

 

前編はこちら

 

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インスピレーションの源は「手の届くラグジュアリー」

−−フレデリック・コンスタント初の自社製ムーブメントCal.FC-910は、2004年に発表されました。その後も様々な自社製ムーブメントを手がけていますが、何があなたの意欲的な開発を支えているのでしょうか?

 

フレデリック・コンスタントの自社ムーブメントの開発は、常にブランドのコンセプトである「Accessible Luxury(手の届くラグジュアリー)」に基づいています。私たちの製品価格帯で自社製ムーブメントを搭載することは、それだけで価値あることだと思いますし、これをさらに発展させることもまた自然な流れでしょう。

 

↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏

 

 

FC-910や、その後に開発したFC-700は、発展させることを前提に設計したベースムーブとなっています。これらは、カレンダーウオッチからトゥールビヨン、永久カレンダーに、新作となるフライバック クロノグラフまで、様々な可能性を秘めているのです。

 

↑ムーンフェイズとポインターデイト、24時間計を備えたFC-945搭載のハートビート マニュファクチュール。文字盤とケースが完全に調和したデザインは、すべてピム氏の狙い通り↑ムーンフェイズとポインターデイト、24時間計を備えたFC-945搭載のハートビート マニュファクチュール。文字盤とケースが完全に調和したデザインは、すべてピム氏の狙い通り

 

 

開発に際して難しいことは、ただ一つ。どのようにしてフレデリック・コンスタントの価格帯に落とし込むか。という点だけですね。永久カレンダーをピーターからオーダーをされたときは、本当に途方にくれましたよ(笑)。

 

この難題に対して私が考えた解決策は、ムーブメントに永久カレンダーモジュールを加える設計でした。結果、価格を抑える(注:スリムライン パーペチュアルカレンダー マニュファクチュールは129万6000円)ことができただけでなく、合理的な設計で修理もしやすいというメリットも生まれました。これは他社製の永久カレンダーウオッチとは、一線を画す特徴だと言えます。

 

 

−−フライバック クロノグラフも、他ブランドの自社製ムーブメント搭載機と比べて現実的な価格となっています。これもやはりモジュール方式の設計のメリットなのでしょうか?

 

その通りです。フライバック クロノグラフではよりモジュールのパーツ点数を減らすことができました。その技術的成果で、特許も取得しています。

 

私たちが取得した特許技術は、リセットハンマーに関する事柄です。従来のコラムホイール式クロノグラフは、スタート・ストップ・リセットのすべてをコラムホイールを介して行っていました。対して新作のフライバック クロノグラフ マニュファクチュールが搭載するFC-760は、4時側のリセットボタンが直接リセットハンマーとクラッチギアに作用するようになっています。

 

↑スタート・ストップのみを制御するコラムホイールは、シンプルな星型を採用。このようにパーツの加工をシンプルにすることも、価格の抑制につながっている↑スタート・ストップのみを制御するコラムホイールは、シンプルな星型を採用。このようにパーツの加工をシンプルにすることも、価格の抑制につながっている

 

 

このムーブメントは60秒積算と30分積算の計測機能を持つクロノグラフですが、リセットハンマーは3股に分かれています。1つめは30分積算、2つめは60秒積算、そして3つめは動力を伝達するクラッチギアを切り離す役割を持っているのです。

 

この「ダイレクトフライバックハンマー」は、屈強な男性が押しても華奢な女性がリセットボタンを押しても壊れず正確に動作するようハンマーの設計を変え、トライ&エラーを繰り返しながらレバーの弾性の最適値を模索しました。壊してしまったプロトタイプは、30ぐらいはあるでしょうか(笑)。

 

無駄と思われるかもしれませんが、机上で計算を続けるより早いですし、信頼の置けるものが出来上がったと思います。

 

 

創業者の先見の明は時計師選びにも発揮されていた

創業者ピーター・スタース氏は、オープンハートからスイス初のスマートウオッチまで、様々な取り組みをいち早く行ってきた人物ですが、まさか人を見る目にまで優れていたとは驚きです。というのも実はピム・コースラグ氏は、フレデリック・コンスタントの価格では作りきれなかったムーブメントを、アトリエ ド モナコという別ブランドで発表しています。こちらはかなりの高級時計ですが、ピム氏がやりたいことを本気でやればジュネーブ・シールだって取得できてしまうわけです。

 

逆説的ですが、超高級時計を作るだけの知識と経験を持った人物が「手の届くラグジュアリー」というコンセプトを基に作り上げたものがフレデリック・コンスタントのマニュファクチュールコレクションというわけです。

 

フレデリック・コンスタントの時計が、ユニークでハイクオリティな理由も納得ですね。

 

フレデリック・コンスタント公式サイト https://frederiqueconstant.com/ja/

Ateliers deMonaco http://ateliers-demonaco.com/

 

 

 

創業者の問いかけに一人だけ手を挙げた若き天才時計師の告白ーーフレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏インタビュー【前編】

テンプの動きが文字盤側から楽しめる「オープンハート」の設計を世界で初めて考案するなど、フレデリック・コンスタントは創業30年ほどで数多くの偉業を成し遂げてきました。こうした躍進を2002年から支えてきたのが、“ブランドの頭脳”ピム・コースラグ氏。フレデリック・コンスタント躍進の原動力となっている彼が初来日したタイミングで、話を聞くことができました。

 

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「自社製ムーブメントを作れるか?」その問いかけに彼だけが手を挙げた

フレデリック・コンスタントは、以前にも述べた通り、新興ブランドとは思えないスピード感をもってユニークな時計を開発し続けてきました。なかでも時計界におけるブランドの地位を一気に引き上げたのが、ハートビート マニュファクチュールです。このムーブメントを設計した人物こそ、ピム・コースラグ氏。意外にも初来日という彼に、初の自社ムーブメントを開発するに至った経緯から、最新作のフライバック クロノグラフの製作秘話まで、詳しく話を聞きました。

 

 

−−フレデリック・コンスタントの最初の自社製ムーブメントは、あなたが設計したものですよね? どのような経緯で任されることになったのですか?

 

私が時計学校に通っていた2001年、フレデリック・コンスタントに訪れた際に、創業者のピーターにこう問いかけられました。

 

「誰かうちで自社製ムーブメントを作ってみないか?」

 

と。そこには15名ほどの学生がいましたが、唯一手を挙げたのが私だったんです。正直なところ、できるかどうか不安はありました。それでも「やってみたい」という気持ちの方が強かったんです。

 

在学中から構想を練り、卒業間もなくフレデリック・コンスタントに入社しました。

 

↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏。17 歳でアルメロのクリエイティブ・アート・スクールに通い、18 歳でアムステルダムの時計エンジニア学校に入学。校内にてベストウォッチメーカー賞を受賞したことがきっかけとなり、ジュネーブのパテック フィリップにてインターンシップの機会を得る。当時、学生でありながら、2001 年にはジュネーブの著名な時計メーカー(ロレックス、パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンタンタンなど)を訪れる中で、フレデリック・コンスタントも来訪。2003 年、卒業後わずか3 週間でジュネーブに移住し、小さな時計メーカーでまだ知名度も高くなかったフレデリック・コンスタントに就職。以来12 年以上にわたり、自由で新技術も試せる環境で開発を続けている↑フレデリック・コンスタント社マスターウォッチメーカー/ピム・コースラグ氏。17 歳でアルメロのクリエイティブ・アート・スクールに通い、18 歳でアムステルダムの時計エンジニア学校に入学。校内にてベストウォッチメーカー賞を受賞したことがきっかけとなり、ジュネーブのパテック フィリップにてインターンシップの機会を得る。当時、学生でありながら、2001 年にはジュネーブの著名な時計メーカー(ロレックス、パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンタンタンなど)を訪れる中で、フレデリック・コンスタントも来訪。2003 年、卒業後わずか3 週間でジュネーブに移住し、小さな時計メーカーでまだ知名度も高くなかったフレデリック・コンスタントに就職。以来12 年以上にわたり、自由で新技術も試せる環境で開発を続けている

 

 

−−新規設計に際して、創業者ピーター・スタース氏から具体的な指示や注文はあったのですか?

 

ピーターから受けた注文は、「6時位置にハートビートを持ってくること」でした。これは、汎用ムーブメントをベースにしていたハートビートのテンプが12時位置にあることに由来しています。

 

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ハートビートのデザインは1994年にフレデリック・コンスタントが世界で初めて考案したものですが、惜しいことに特許を取らなかったんですね。その後、似通ったデザインの製品が多く世に出てきたことは、皆さんご存知の通り(笑)。これを自社ムーブメントではガラッと変えたい、ということで6時位置にテンプがくるような設計が必要だったわけです。
また、汎用ムーブメントではテンプの位置がどうしても裏蓋側に近くなってしまっていたため、テンプを輪列が挟み込むような設計にして文字盤側に近くなるような工夫も施しました。

 

20171220_hayashi_WN_04↑ピム氏が身に着けていたのは、FC-910を搭載するハートビート マニュファクチュールの第一弾。世界限定500本で製造された本機のムーブメントは、すべてピム氏が一人で組み上げたもので、2本目に組み上げたモデルを愛用している

 

 

フレデリック・コンスタント公式サイト https://frederiqueconstant.com/ja/

Ateliers deMonaco http://ateliers-demonaco.com/