混沌を深めるミャンマー経済。ドル高と輸入規制で国中が火の車!

2021年2月のクーデターによる軍事政権の復活、大規模民主化運動、民族・宗教紛争と政治的な混乱が続くミャンマー。日本の岸田文雄首相は東アジアサミットに出席した際、同国の情勢について深刻な憂慮を表明しましたが、ミャンマーの経済はどうなっているのでしょうか? 2022年10月中旬に同国を視察し、異様な景色を目の当たりにした、ミャンマーに詳しいシニアコンサルタントの小山敦史氏(株式会社アイ・シー・ネット)がレポートします。

 

著者紹介

小山敦史氏

通信社で勤務したのち、開発コンサルティング会社に転職。国際開発の仕事を続けながら、アメリカの大学院で熱帯農業を学び、帰国後に沖縄で農業を開始。4年間ほど野菜を生産したのちに畜産業も始め、現在は食肉の加工や販売、市場調査など、幅広く行っている。自身が実践してきたビジネス経験をコンサルティングの仕事でも常に活かしており、現在はバングラデシュで食品安全に関する仕事に取り組んでいる。

 

建設作業が止まったままの高層ビル(撮影/株式会社アイ・シー・ネット)

 

ミャンマーの首都・ヤンゴンの市民生活は、驚くほど静かに営まれていました。実際、街頭での市民の抗議行動や軍の鎮圧活動といったような「騒乱」めいた動きには1週間(10月10日〜16日)の滞在中、一つも遭遇しなかったほど。日中行き交うクルマの数はかつてより減り、夕暮れ時のダウンタウンの街の灯も寂しくなっていましたが、ASEAN(東南アジア諸国連合)でも有数の景色を誇るヤンゴンの緑は、よく手入れされており、美しさを保っています。バス乗り場には、雨季(4月〜10月)の終わりのにわか雨をよけようとするバス待ちの人々が、停留所の小さな屋根の下で身を寄せ合って佇む一方、外資駐在員御用達の高級スーパーの品揃えも意外なほど豊富です。 

 

しかし、街のところどころに、ただならぬ事態が起きていました。建設途中の高層ビルが、完全に作業が止まったまま、足場やクレーンもそのままに、いくつも放置されているのです。「輸入建設資材が入ってこなくなって、にっちもさっちもいかないらしいですよ」と現地の人が解説してくれました。これで何人の建設労働者が職を失ったことでしょう。

 

平穏に見えるヤンゴンの人々ですが、実は台所は火の車。軍事政権の信用失墜にドル高が加わり、ミャンマーの通貨チャットは下落。同国政府は1ドル2100チャット(約138円※)を公定レートとしましたが、市中価格は1ドル2800 チャット(約184円)以上でした。また、ヤンゴン市民によると、米や野菜などの生活物資の価格は、騒乱による作付不能や不作が重なったこともあり、以前に比べて2 倍以上になっているとのこと。

1チャット=約0.066円で換算(2022年11月15日現在)

 

外貨は流出傾向にあります。JETRO ヤンゴン事務所の専門家は、観光収入と出稼ぎ収入が落ち込み、外国直接投資(FDI)や援助も厳しい状況が続いているため、ミャンマーの外貨準備高は相当減少しているはずと見ています。

 

同政府は外貨流出を防ぐために、輸入を露骨に規制し始めました。例えば、原材料を輸入に依存している外資系食品メーカーA社は、これまで経験したことのない「難癖」を当局からつけられ、原材料の輸入が認められなかったと言います。前述の建設途中の高層ビルにまつわる輸入建材の話も同じ文脈で理解できるでしょう。国の台所も火の車なのです。 

 

一方、ミャンマー企業の多くはドル高のデメリットに苦しんでいるようでした。ミャンマーの場合、チャット安で輸入コストが上昇しますが、A社の場合、仮に原材料を輸入できたとしても、支払いはドル決済を迫られる一方、製品の売り上げは国内市場のみ。つまり、稼いだお金は100%チャットです。チャットはドルに転換すると目減りしますが、その分を売価にきっちり転嫁したら、国内での売り上げを大きく減らすことになります。「国産原料に置き換えられないか、真剣に検討を始めました」と同社の社長は話します。3年前にA 社を訪問したとき、国産原材料の可能性は話題にもなりませんでした。

 

このように、ミャンマー経済は苦境に立たされており、一般市民の生活への影響が心配されます。国民の軍事政権への信頼は低いようで、「反国軍の市民感覚はいまだに強いと思う」と、ある日本人駐在員は語っていました。軍の弾圧によって2000人以上の人々が犠牲になっているのだから、それは当然かもしれません。しかし、経済が悪化する中で時間が経てば経つほど、ますます生活が苦しくなるのは、武力も資力もない一般市民にほかなりません。 

 

五里霧中の企業

灯りが少なく、寂しいヤンゴン

 

民間企業に勝機はあるのでしょうか? A社とは逆に、食品メーカーのB社は全て国産の原材料を使い、作った製品の一部を欧州に輸出しています。訪問時、社長はパリの国際展示会に出張中で、部長が対応してくれましたが、業績はそこそこ伸びているとのこと。チャット安の効果(製品を海外に売りやすい)があると思われます。

 

ただし、ミャンマー全体で見た場合、B社のようなビジネスをできる企業は多くはないでしょう。少なくとも3つの問題が挙げられます。まず、一定以上の品質の原材料が適切な価格で国内供給できるか? 次に、それを欧米などの市場で売れる品質の製品に加工できる技術と資金があるか? さらに、国際市場にマーケティングしていけるだけのノウハウや資金があるか? このような問題を自力で解決できるミャンマーの地場企業はまだ限られており、だからこそ、政変前はFDI が一定の役割を果たしていました。しかし、「果たしていました」と過去形で書かざるを得なくなりつつある現状こそが、ミャンマーにとって最も苦しい所です。

 

政変前に訪問した数多くの現地企業では、20 代や30代の若い経営者に何人も出会いました。 彼らは自分たちの夢を早口の英語で語っていましたが、いまはこの難局をどう切り開こうとしているのだろうか——。ミャンマー経済は今まで以上に、日本を含めた外国からの支援が必要なのかもしれません。

 

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日本とミャンマーを繋ぐ「食」の可能性! 発酵食品や食品加工技術などミャンマーの特性と現状を探る

ミャンマーは2011年以降、政治や経済の改革によって国が大きく発展し、現在「アジア最後のフロンティア」とも呼ばれています。それに伴い、人々の生活にもさまざまな変化が。食に対する考え方もその一つです。

 

そこで今回は、食品の生産、加工、マーケティングなどを自身で実践し、その経験を国際協力の場でも活かしている小山敦史氏に話を伺いました。変化するミャンマーの食生活や、日本への展開が期待できる食品、日本が支援できる食品加工技術などを解説しつつ、これからのミャンマーの「食」について考えます。

 

お話を聞いた人

小山敦史氏

通信社で勤務したのち、開発コンサルティング会社に転職。国際開発の仕事を続けながら、アメリカの大学院で熱帯農業を学び、帰国後に沖縄で農業を開始。4年間ほど野菜を生産したのちに畜産業も始め、現在は食肉の加工や販売、市場調査など、幅広く行っている。自身が実践してきたビジネス経験をコンサルティングの仕事でも常に活かしており、現在はバングラデシュで食品安全に関する仕事に取り組んでいる。

 

中間層が増え、人々のライフスタイルや食事が変化

2011年にそれまで30年以上続いていた軍政が終わり、民主化されたミャンマー。現在は再び不安定な政況になっていますが、この10年間でミャンマーの国内には、さまざまな情報やものが一気に入ってきました。経済が成長したことで、人々の所得が増え、中間層の割合も増加しています。

 

 

これに伴い、人々の生活も大きく変化しました。例えば食の分野では、欧米化が進んでいたり、それまでは贅沢だった食品が日常的に食べられるようになったりしています。2020年の食品分野における市場規模のランキングを見ると、1位がケーキやスナックなどのお菓子類で33億5600万ドル、2位がパン・シリアルで26億2900万ドル、3位が水産物で22億3100万ドルです。また2013年から2020年の間で市場の伸び率が最も高かったのはベビーフードで、140.1%も伸びたことが分かっています。

 

 

こういった傾向について、小山氏は以下のようにコメントしています。

 

「ミャンマーの人たちは、これまであまり触れてこなかった食品に対する素朴な好奇心や憧れを持っていて、それが市場規模の数字にも表れているのだと思います。水産物やベビーフードのように決して安くはない食品の市場が伸びていることからも、人々の生活が豊かになってきていることがうかがえます。さらにヤンゴンなどの都市部では現在、寿司などの日本食レストランが出てきていて、日本の食べ物に対する興味関心が強くなっていることも実感しました」

 

ミャンマー独自の「お茶の漬物」は、日本での展開も期待できる食品

さまざまな食べ物が海外から入ってきているミャンマーですが、今後、日本への展開が期待できる現地の食品もあります。その一つが、お茶の漬物「ラペッソー」。ラペッソーは、生のお茶の葉を蒸して揉みこみ、ビニール袋などに詰めて、上から重石をのせた状態で1~2カ月、長ければ1年ほどの間、漬け込んでつくられます。ミャンマーをはじめASEAN各国では漬物がよく食べられていますが、お茶の漬物はミャンマー独自のもの。ミャンマーではピーナッツや油と混ぜ合わせてお茶請けとして食べることが多く、特に地方では毎日のように食べられています。「ラペッソーは日本でも好まれるのでは」と考える小山氏に、その理由や魅力を聞きました。

ミャンマーで日常的に食べられているお茶の漬物「ラペッソー」

 

「ラペッソーは、日本の漬物と同じように乳酸発酵でつくられています。そのため私たちが普段から親しんでいる漬物に近い味わい。日本人の口にも合うはずです。日本の『柴漬け』とよく似た風味です。製造時には塩を使わず、食べる際に塩加減をするものなので、塩分が気になる健康志向の人にも手に取ってもらいやすい。さらにラペッソーには発酵のうま味があるので、調味料的に使うことも可能です。キムチのようにチャーハンと混ぜたり肉と一緒に炒めたりしてもおいしく食べることができて、その汎用性の高さも魅力だと考えています」

 

ミャンマーのお茶は多くが北東部のシャン州山間部で生産されていて、ラペッソーもそのエリアでつくられています。そこからミャンマー全土に流通しており、ヤンゴンなどの都市部ではコンビニなどでも購入することが可能です。また、常温で持ち運びができるびん入り製品なども販売されていて、海外旅行客のお土産としての需要もあります。

レモン風味のペースト状ラペッソー

 

「私が支援した現地の企業の中には、ラペッソーを欧米のレストランなどに業務用として輸出しているところもありました。日本でも販売することは可能だと思いますが、ミャンマーで食べられているものを最初からそのまま販売するのは、少しハードルが高いかもしれません。マーケティングには工夫が必要です。

 

マーケティング方法の一つとして考えられるのは、日本国内で人気のあるシェフや料理家にラペッソーを使ってメニューを考えてもらい、新たな食べ方を提案していくこと。例えばミャンマーでは現在、お茶の葉をすりつぶしてペースト状にした商品が販売されています。パンに塗ったりパスタと絡めたりして使用することを想定した商品ですが、これはミャンマー人たちにとってもかなり新しいもの。しかし日本に輸出する場合はむしろ、このような調味料に使える商品から展開したほうが、幅広い使い方をイメージしやすいのではないでしょうか」

 

「ニーズだらけ」のミャンマー市場 日本の技術が活かせるところが多くある

現在ミャンマーでは、日本への関心が高まっていることを受け、そこに新たなビジネスチャンスを見出す現地企業も出てきています。例えば今、小山氏がJICAのプロジェクトで技術支援を行っているのが、日本式しょうゆの製造にチャレンジしている企業です。ここはもともと酢をつくっている企業ですが、これから人口が極端に増えない限り、酢の市場を大きく伸ばすことは難しいと考えた社長が、何か新しいものをつくろうと、日本式しょうゆに目をつけたそう。最初は自分たちで研究開発をしていましたが、なかなかうまくいかず、JICAで技術支援を行うことになったのだと言います。

 

「ミャンマーでは一般的にとろみと甘みが強い中国式しょうゆが使われることはありますが、さらっとした日本式しょうゆはまだほとんど出回っていません。現在、日本の食品に対する関心が高まっているので、ミャンマー国内でもヒットするのではと社長は期待しているようです。日本と同じように一から醸造してつくることができれば、おそらくミャンマーで初となる、日本式しょうゆの現地生産の成功例になると思います」

 

 

発酵食品をつくる技術以外にも、食の分野で「日本から技術支援投資できることはいくらでもある」と小山氏。その一つが、衛生管理を含めた食品加工技術です。小山氏自身、食肉の加工を行っている現地企業に訪問した際、製造現場に菌などの混入を防ぐための囲いがなかったり、雑菌の繫殖を抑えるための低い室温が保たれていなかったりと、衛生管理がきちんとなされていない状況をいくつも目の当たりにしたと言います。

 

そのほかにも、例えば牛乳をつくるとき、乳を搾る段階からパッケージして店頭に並べるまでの一連の過程の中で「菌の管理」は非常に大切です。どこかの工程で菌が入ってしまえば、賞味期限が短くなったり、店頭に並んだ商品のうちいくつかの中身が腐っていたりすることにもなりかねません。小山氏は「ミャンマーでは、まだこのようなサプライチェーン全体で菌の管理をする技術が発達していないため、日本の衛生管理技術を活かして支援することができるのでは」と話します。

 

「衛生管理を含む食品加工技術はもちろん、クオリティの高い日本の食品や日本食レストランなど、ニーズはたくさんあると思います。課題の一つになるのが、外国企業に対する『投資規制』です。これはミャンマー以外の国にもあるものですが、現在、政況が不安定なミャンマーでは特に事前によく調べる必要があります。しかし経済は今後も確実に伸びていくので、日本企業が進出するチャンスは十分にあるのではないかと考えています」

 

強い起業家精神を持つ若い経営者たちが増加し、進出のチャンスも拡大

現在ミャンマーでは、祖父や父親が創業世代である、第2世代・第3世代の若手経営者たちの活躍が目立つようになってきています。彼らの強みは、「軍政時代に苦労してきた創業世代とは違って、自由な発想でビジネスができることではないか」と小山氏。さらに金銭的なゆとりがでてきたことで留学する人も増え、語学力やグローバルな視点を身に付けている人が多いことも特徴の一つだと言います。

 

 

「私はこれまで30社ほどの現地の有力企業を回りましたが、印象としてはその3分の1ほどの企業に、情報感度やグローバルへの意識が非常に高い若手経営者たちがいたように思います。例えば、欧米にお茶を出荷している企業では、事前に欧米のマーケットのあり様や食の好みなどを入念に調査して、ミャンマー国内とは異なる市場でどう展開していくのか、試行錯誤を重ねていました。また、世界的に健康志向が高まっていることを受け、お茶をすべてオーガニックでつくり、国際認証を取って海外へ輸出をしている企業もありましたね」

 

さらに小山氏は、ミャンマーにいる2世・3世の若手経営者たちには強い「起業家精神」があり、熱量を持って新しいことをやっていこうとする気持ちが感じられると言います。

 

「例えば私が出会った中で印象的だったのは、パッケージ米を売り始めた、精米所の2代目社長です。きれいにパッケージされた海外の米を見た30代の彼女は、米の量り売りが普通のミャンマーでもパッケージ米を販売したいと考え、チャレンジを始めました。パッケージ米を置くディスプレイ台を作成してお店に置いてもらえるよう頼んでまわるなど、地道なマーケティング方法ではありますが、付加価値がとれ、衛生管理レベルや輸送効率の向上も期待できるパッケージ米を広めるべく、熱心に取り組んでいます。このようにグローバルな視点を持ち、新しいことに積極的にチャレンジする経営者たちが増えてきているように感じています」

 

これからミャンマー進出を考えている日本企業は、「起業家精神が強く、情報感度の高い『新しい感覚』を持つ経営者がいる企業を、パートナーとして探すのがいいのではないでしょうか。ミャンマーへの投資は、今の政治状況では『逆張り』と言えるかもしれませんが、市場が大きく伸びる中で、魅力的な若い企業経営者が育ちつつあるのは確かです」と小山氏。経済発展が期待されるミャンマーへの進出において、「パートナー探し」も一つの大きなポイントと言えそうです。

 

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「視察ビジネスマン」が水上バスで観光?? ミャンマー・ヤンゴン港の異様な風景

ミャンマーは「アジア最後のフロンティア」と言われる国。中国やインド、タイなどと隣接するこの国は、現在、日本の産業界から熱いまなざしを受けています。そんななか、同国最大の都市・ヤンゴンでは少し変わった風景が見られるとのこと。現地ライターのレポートで解き明かしていきます。

 

渋滞解消の切り札として登場した「水上バス」が今回の主役

民主化が進むミャンマーでは、自動車輸入の規制を緩和してから乗用車が急増。特に人口が集中するヤンゴンでは、深刻な渋滞が社会問題になっています。その解決のために、政府はバス路線の大幅な見直しや高架道路の建造、イギリス植民地時代に敷設した鉄道「ヤンゴン環状線」のスピードアップなどに努めてきました。そこへ、さらなる一手として導入したのが水上バスです。

 

ヤンゴンは市街中心部の南側と西側にヤンゴン川が流れています。ここに水上バスを運行させ、郊外の住宅街からオフィスが多いダウンタウンへ通勤の足にしてもらおうというのが、その主な目的。水上バスは2017年10月に就航しました。

ダウンタウンの南東端にあるボータタウン埠頭を出発し、市街北西はずれにあるインセイン埠頭まで計6つの埠頭に停まります。所要時間は普通艇なら2時間近くかかりますが、高速艇ならわずか40分。対照的に路線バスなら1時間かかることはざらで、渋滞がひどい通勤時間帯なら2時間以上になることも。しかし、水上バスなら必ず座って移動できます。

船の定員は60~200名で一般層が乗りやすいようにと、運賃は路線バスと同じ200チャット(約16円)に設定。ただしインセイン埠頭からの始発が6時40分発、ダウンタウンからの最終が18時50分発と運行時間が限られているうえ、本数も計15本と少なく利便性はそれほど高くありません。そのせいか、通勤客の利用率はあまり順調とはいえない状況です。

 

観光に加え、なんとビジネスにオススメ!

しかし、この水上バスは意外なところで評判を呼んでいます。それは観光利用。ダウンタウンからインセインまでの川岸には、魚の卸売市場や造船場などが点在。安価な運賃でクルーズ気分を楽しめるのです。朝夕には対岸から通勤客を満載した小舟が往来し、なかなか情緒ある風景を写真に収めることもできます。

 

さらに、密かにこの水上バスに注目しているのが世界のビジネスパーソンたちなのです。というのも航路からはヤンゴン港の全容を見渡せるからです。

 

軍事政権が長く続いたミャンマーでは、基本的には空港や港、橋などは撮影禁止。視察ツアーがヤンゴン港を見学する場合は事前に許可を取る必要があり、これがなかなか面倒なのです。しかし水上バスなら、何キロにもわたって岸辺にドックが点在するヤンゴン港をたっぷり見学することが可能。そのうえ、写真も撮り放題なのです。

乾季ならティラワ港見学も可能

さらに10月頃から3月頃までの乾季の週末には、1日1便のみですが、ボータタウン埠頭から通常航路と反対方向の市街南東郊外に位置する、水上パゴダへのツアーボートを走らせています。こちらのコースなら、ティラワ港をじっくり見学できます。

 

ティラワ港は日本とミャンマーが官民一体で協力して開発した、最も注目を集めるティラワ工業団地に至近の立地。同工業団地への進出を検討する企業ならぜひ視察しておきたい港です。その全容を川側から見ることができるのはかなり大きなメリットといえるでしょう。

 

水上バスは往復sw乗るもよし、行きだけ乗って帰りはタクシーで戻るもよし。ヤンゴン環状線と組み合わせて、陸と海からヤンゴンの町を概観するという方法もおすすめです。また夕方なら、川向こうに沈む真っ赤な夕日も鑑賞可能。ヤンゴンに来ることがあれば、観光やビジネスの移動には、この都市の新しい公共交通機関である水上バスをぜひ利用してみてください。