地域経済の活性化を身近に!増える“地産地消EC”の仕組みと活用がもたらすこと

ECサイトでの買い物が当たり前になり、生鮮食品でさえも日常的にネットスーパーで調達する時代になりました。一方で、新鮮な地元産の食材を購入する、いわゆる”地産地消”をしようとすると、道の駅など地域に足を運んだり、生産者と生のコミュニケーションをとりながら買い物をしたり。そういったやや負担が増えることで、忙しい家事や仕事の合間をぬって通うとなると、選択肢から除外されてしまうこともあるでしょう。

 

今、地産地消をスマートフォンから手軽にでき、地域に貢献できる……そんな食品流通サービスが続々と登場しています。サービス登場により、消費者の暮らしはどう変わるのでしょうか?

 

農業経済学が専門で、地産地消にも詳しい千葉大学の櫻井清一教授に、そもそもの地産地消のメリットや現在抱えている課題、スマホで貢献できる地産地消について教えていただきました。

 

「地産地消」とは?
消費者・生産者・事業者の立場で見るメリット

まずは、地産地消の定義とは何か、整理しましょう。櫻井先生によると、「同じ地域でとれた農産物はじめ食品を、同じ地域の消費者が購入したり、食べたり、消費したり……いずれか1つでも当てはまれば地産地消といえます」とのこと。

 

「地産地消というと“直売所で地元の農作物を購入する”というシーンを思い浮かべる方は、多いかもしれません。このケースは「消費者」と「生産者」の2者間の関係性だけでなく、物流から販売を担当する「事業者」も含めた3者間の関係がうまく機能している例といえるでしょう。事業者というのは、広義では、消費者と生産者をつなぐ人全般のことで、もっと具体的に言うと、直売所のほか、レストランやホテル、食堂などを指します。
とはいえ、3者間すべてが機能していなくとも、2者間の組み合わせいずれかが機能している状態であれば、十分地産地消といえます。組み合わせには「消費者×生産者」「生産者×事業者」「事業者×消費者」があります」(国立大学法人 千葉大学・櫻井清一教授、以下同)

 

「消費者」のメリット

・身近な場所から新鮮な農産物を得ることができる
・消費者自らが生産状況等を確認でき、安心感が得られる
・食と農について親近感を得るとともに、生産と消費の関わりや伝統的な食文化について、理解を深める絶好の機会となる
・環境に優しい生活につながる

 

「生産者」のメリット

・消費者との顔が見える関係により、地域の消費者ニーズを的確にとらえた効率的な生産を行うことができる
・流通経費の節減により、生産者の手取りの増加が図られ、収益性の向上が期待できる
・生産者が直接販売することにより、少量な産品、加工・調理品もさらに場合によっては不揃い品や規格外品も販売可能となる
・対面販売により消費者の反応や評価が直接届き、生産者が品質改善や顧客サービスに前向きになる

 

「事業者」のメリット

・市町村や栄養士には、学校給食で地場農畜産物を利用することで、生徒等の食育の推進につながる
・スーパーマーケットには、地場農産物コーナーの設置で新鮮で安心な農産物を求める消費者を確保できる
・レストランやホテルには、地元食材を活用した特徴のあるメニューを提供することで、地元客や観光客を集めることができる
・食品製造業者には、地元食材を利用することで、流通経費や環境負荷の軽減につながる

 

引用=「地産地消って何がいいの?」農林水産省 東海農政局

 

そもそも、地産地消という言葉ができたのは1980年代のこと。農林水産省が1981年(昭和56年)から4カ年計画で実施した「地域内食生活向上対策事業」が始まりだといわれています。これは、地域内の農産物の自給率の低さを何とかしようとする計画で、同じ地域でつくられた農産物は同じ地域で消費することを活性化させることを目指していました。

 

野菜の国内生産量と輸入量の推移。野菜の生産量だけみても、高度経済成長期の1960年代から1980年代半ばにかけては、人口増加による需要の拡大や施設園芸の拡大を背景に増加していきますが、1980年代後半から農業者の高齢化や労働力不足、漬物をはじめとする需要の減少などを理由に減少の道をたどりました。

 

地産地消という言葉が生まれて、40年ほどの月日が流れましたが、令和5年8月に公表された、農林水産省による「食料需給表」によると、日本の現在の食料自給率は、カロリーベース(※1)で38%、生産額ベース(※2)で58%となっています。世界と比較すると、カロリーベースで53位、生産額ベースで29位と低迷していると言わざるをえません。そんな中で、令和3年度の東京都の食料自給率はなんと0%!(※3)。改善が求められている状況です。

 

※1 人が生きていくために必要なエネルギー量に換算する方法
※2 経済的な価値として金額に換算する方法
※3 小数点以下、四捨五入で切り捨て

 

地産地消の課題解決は
3者間のコミュニティ化にあり

地産地消は、消費者、事業者の「需要」と生産者の「供給」が釣り合うことでスムーズに機能します。では、地産地消の課題はいったいどこにあるのでしょう? ここからは、3者それぞれの視点に立った時の課題について確認していきます。

 

・消費者視点

「忙しい日々の中では、加工食品を買って食べる『中食』やレストランや食堂に出向いて食べる『外食』、これを食の外部化といいますが、現代では当たり前のようになっています。とはいえ、毎日そのような生活では、健康面、コスト面で無理が来るかもしれないので、地元の新鮮な食材を使って自炊したいもの。しかし、直売所に行こうと思っても、時間コストと移動コストを考えると、見合っていなかったり、そもそもどこで地産地消の食材を入手できるかわからなかったり……。地産地消のあり方が現代人の生活にマッチしていないこと、情報量不足が課題です」

 

・生産者視点

「地産地消を一層促進するためにはまず、地域内で農作物や食品の生産を安定的にさせることが大切です。しかし、作りすぎてしまえば、その分の労力と販売・廃棄コストがかかるうえ、食品ロスによる損失まで負わなければなりません。リスクとコスト面の兼ね合いから、既存の販路以外には販売しない選択をとる生産者も多いです。消費者と事業者の需要の見える化と確保が課題です」

 

・事業者視点

「ここでの事業者を、仮に、食材にこだわるレストランだとします。そんなレストランなら、流通コストも抑えられるし、地元の新鮮な食材を使いたい!というニーズがあるはずです。ところがレストラン側は地元の農家を知らないので、どこで入手すればいいのかわからない。そんななかで、知人の紹介などでたまたま知り合った農家と個別に知り合っているケースは実際のところ結構多いんです。しかし、いろいろなメニューを提供しようとすると、多品目の食材の入手は欠かせません。そうなると、1つの農家だけでまかなうことは非常に困難。結局、コストアップは免れませんが、様々な事業者からの取り寄せに頼らざる終えない事業者が多いのが現状です。また、複数の農家と運よく知り合った場合でも、必ずしも大量流通に対応していなかったり、物流システムが整備されていなかったりすることもあるため、ここでも品目数の確保と流通コストに悩まされる場合も。生産者と事業者の2者間のコミュニティを広げること、物流システムの整備が課題です」

 

スマホからできる!
地産地消を促進するサービス4選

地産地消の課題を解決するかのように、消費者、事業者、生産者、いずれかを繋ぐ仕組みが続々と登場しています。そのなかで今後注目されそうなのが、スマホから簡単に参加できる手軽さが魅力のアプリやサービスです。

 

・生産者に寄り添い事務処理の負担も軽減「食べる東京」

「食べる東京(食べるTOKYO)」
【生産者×事業者】

東京の生産者と東京の飲食店、小売店事業者をつなぐオンラインの直売所。必ずと言っていいほど課題になる、畑からの物流・配送システム・請求書やクレジットなどの決済機能も充実しており、事業者に寄り添います。生産者にとって負担となる野菜の登録も30秒で完了するシステム。物流に関しては、近くの集荷場に納品して完了とシンプルさを極めます。

 

「生産者と地元のレストランや小売店、ホテル(事業者)をつなげるというのは、地産地消の中でも、優先順位の高い取り組みだと思います。多忙を極める消費者たちの食生活は、すでに加工された食品を購入して食べる『中食化」、レストランや食堂といった飲食店に出向いて食べる『外食化」が進んでいます。そんなニーズに合わせるように、新鮮でコストも安い地元の食材を使いたい、という飲食店も増えている中で、速やかに食材を供給することができます。生産者の数をネットワーク化すると、当然その地元の農産物や食材が集まりますよね、事業者の選択肢が広がるのは、事業をするうえでかなりのメリットになりえるといえます。多品目の食材を欲しがっている飲食店とマッチングさせる仕組みとして面白いサービスです」

 

・マップで一目瞭然! 事業者の気軽な情報発信をサポート「ロカスタ」

「ロカスタ」
【消費者×事業者】

直売所や飲食店といった事業者が、食品情報や地産地消メニューを消費者に発信できるアプリです。情報を見た消費者は、直売所で購入したり、飲食店で食事することで新鮮な農林水産物を消費でき、地産地消につながる仕組みです。各自治体がサービスの導入元となっており、2024年7月時点では、東京都練馬区と東村山市で導入されています。アプリ開発元は、他のエリアにもサービスを拡大できるように精力的に活動中です。
例)
・練馬区「とれたてねりま」
・東村山市「ロカスタ」
※サービス名は、各自治体によって異名称が異なります。

 

「地方より、むしろ都市部でフィットするサービスだと感じました。生産者の数が多い地方では、直売所は大型化され、販売先の生産者の集約化が図られるのに対し、都市部のほうには、小規模な農家単位の直売施設が点在しています。そんな中で、消費者がどこの畑や路地に何が売っているのかをすべて把握するのは至難の業。それをたちどころにマップ上で示してくれるのは便利な情報源になりえると思います。アプリなら、情報の更新も容易ですし、時代に合ったサービスでしょう」

 

・食品ロスを減らしながら地産地消にも貢献!「タベスケ」

「タベスケ」
【消費者×事業者】

食品ロスの削減のため、消費者と事業者をつなぐフードシェアリングサービス。事業者は、あまった食材や料理をアプリ上に登録。消費者からオファーがあれば取り置きし、実店舗にてお会計と引渡しを行います。なお、サービスの導入元は自治体で、2024年7月時点で利用できるのは、全国で24の自治体となっています。
サービス提供エリア一覧
※サービス名は、各自治体によって名称が異なります。上記URLからサービス名を確認してください。

 

「このサービスは、賞味期限が近くなった商品を売り切りたい事業者とお得に買いたい消費者を繋ぐことが主目的と思われるので、食品ロスに貢献する意味合いが強くなります。ただ、実際に購入したり物流するのは、事業者と消費者です。消費者がお店に出向くスタイルなので、そこまで遠出することは想定していない。となると、協力してくれる消費者は近いところに住んでいるので、うまくマッチングできた結果としての地産地消になるでしょう」

 

・ECサイトで決済したら、あとは取りに行くだけ!「ハックツ!」

神奈川県藤沢市で活動する農家や飲食店の農産物や加工品を購入できるECサイトです。サイト上で注文から決済まで完了したら、商品は、藤沢市内の指定場所まで、消費者自ら取りに行く点がユニーク。この仕組みにより、消費者もおのずと地元民に限られてきます。地域に暮らす人たちが、よりよい暮らしのために何をするべきか考え、積極的に行動に移す「自律分散型社会」を目指す狙いがあります。

 

農家直送の野菜セット。普段の買い物では手にとらないような食材が組み合わさることで、どんな野菜に出会えるのかワクワクしたり、料理のレパートリーが増えたりと、日常生活がポジティブになったという声も。

 

「自宅の近くのスポットで多様な出荷者の産品をまとめて受け取れる点が、消費者からみれば便利なシステムだと思います。生鮮食品のバラエティもなかなか豊富です。単品での販売だけでなく、こだわりの地元野菜を組み合わせたボックス、セットの販売もみられます。こうした売り方は、アメリカやカナダでの地元野菜の販売スタイルに似ていますね」

 

 

一般の消費者が地産地消に貢献したい、と思った時に手軽なのは、まずは「ロカスタ」と「ハックツ!」。スマホ片手に地産地消を取り入れた生活にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

 

 

Profile


国立大学法人 千葉大学 教授 / 櫻井清一

1967年、群馬県生まれ。東京大学文学部社会学科卒。1989年より農水省中国農業試験場(現:近畿中国四国農業研究センター)にて農産物流通の調査研究に従事。2001年より千葉大学園芸学部助手。2003年千葉大学より博士(学術)。同年より園芸学部助教授。2010年より園芸学研究科教授。農業経営学会学術賞・農業市場学会学術賞・農村生活学会学術賞受賞(いずれも2008年)

【主な研究テーマ】
農産物および加工食品のマーケティング論。農産物直売活動(農産物直売所の組織運営、出荷者の行動、直売を介した生産者と消費者の交流など)。農村部における社会関係資本の分析(農村の伝統的集団と新たな組織の評価、住民意識の変化等)。農村経済の多角化(都市農村交流事業の評価、ローカル・フードシステム、中小食品企業の連携等)

遠野物語と河童の街から国産ホップの聖地へ。ビール好きが注目すべき現代“遠野”に加わったもうひとつの“伝説”

岩手県の遠野といえば、柳田国男の「遠野物語」でも知られるように民間伝承の聖地として有名。しかしいま、民話同様に盛り上がっているのが、ホップを中心としたまちおこしです。なぜ、東北の山里でこのようなムーブメントが起きているのでしょうか? ビールがおいしい季節に、その最前線に迫ります。

↑2016年開催時の遠野ビアツーリズムにて。左端はホップ博士として有名な村上敦司さん。(現、キリンホールディングス飲料未来研究所の技術アドバイザー)

 

雨にも風にも負けず、遠野とホップが歩んだ60余年

そもそもホップとはハーブの一種で、“ビールの魂”といわれるほど重要な素材。ビールの香り、苦み、泡立ちなどを左右するとともに、殺菌効果で腐敗から守る役目もあります。加えてホップは、近年のクラフトビール人気でいっそう注目が集まっており、新品種の開発も盛ん。ホップがなければ、あの多様的で個性あふれる味わいは生まれないともいえるでしょう。

↑収穫時季は晩夏。ちなみに岩手県はホップの生産量で日本一を誇ります。(シェア47.8%。2位は秋田県で28.6%/2022年)

 

そして、そのホップに長年心血を注いでいる企業がキリンビールです。日本産ホップに関しては、100年以上前から試験栽培に従事。購入量に関しても、日本産ホップの約7割は同社が仕入れています。

↑遠野市には随所に、キリングループが参画するホップ圃場(ほじょう)が点在しています。

 

他方、遠野とホップの歴史は約60年前までさかのぼります。とはいえ遠野はもともと雨風など冷災害が多く、農業をするにも作物を選ぶ地域。そのなかで目を付けたのが、隣の江刺(現・奥州市)で栽培されていたホップでした。その動きに賛同し、遠野がホップ栽培を開始した1963年に栽培契約を締結したのがキリンビール。互いに協力し合いながら、遠野で初めてとなる挑戦を推し進めていきました。

↑60周年を迎えた2023年には、地元のクラフトブルワリーである遠野麦酒ZUMONAが記念銘柄「IBUKI HOP IPA」を発売。遠野駅から徒歩数分のブルーパブ「遠野醸造タップルーム」にて。

 

しかし、世界的な品種の開発合戦とグローバル化のなかで日本産ホップは国際競争力を失っていくことに。高度経済成長期を迎えると、次第に広大な圃場をもつ外国産の安価なホップに押され、徐々に日本産は需要が減少。1983年をピークに、遠野のホップ農家も減少していきます。

↑近年の減少はよりダイナミックで、2008年に446tだった生産量は2022年には167tへと激減。

 

それでも受難のなか、キリンは2002年に遠野のフレッシュホップ(通常は乾燥ペレットにするところ、生のホップを凍結させて新鮮な香りをビールに凝縮させる)を使った「キリン 毱花一番搾り」を商品化。2004年にはいまも続く「一番搾り とれたてホップ生ビール」へと進化させ、秋冬の定番ビールへと成長させました。

↑発売20年目を迎えた、2023年版の「一番搾り とれたてホップ生ビール」。遠野で収穫したばかりの生ホップを収穫後24時間以内に凍結して使用した、フローラルな香りが魅力です。2024年はどんな味・香りになるでしょうか? 期待が高まります。

 

その後2007年には「ビールの里構想」を打ち立て、「TK(遠野×キリン)プロジェクト」を発足。遠野産ホップ使用ビールの推進、クラフトブルワリーの応援、ビールに合う遠野産食材の開発とPR、ホップ畑見学などビアツーリズムの展開、遠野ホップ収穫祭の開催など、ホップを中心にすえた企画を次々と打ち出していまに至ります。

↑遠野市で活動している、キリンビール社員の髙間陽佑さん。ホップ栽培のほか、ビアツーリズムや収穫祭のサポートなども行っています。

 

遠野が抱えるホップ生産の課題と対策

ホップ生産量の数値としては、遠野をはじめ全国的に低下していますが、近年のクラフトビール人気とともに日本産ホップの注目度はむしろ上昇中。土地の気候環境などを生かしたテロワール型ホップ作りに励む動きも盛んで、岩手以外の各地でも地元産ホップのクラフトビールが造られるようになっています。

↑キリンビールが品質向上を目的に、全国のクラフトブルワーを巻き込んで行う官能評価会にて。京都・与謝野産ホップで造られる、かけはしブルーイングの「ASOBI」(右端)など、テロワール型ホップのビールも。

 

また、遠野でも「ビールの里構想」を「ホップの里からビールの里へ」という新スローガンとともに広げ、クラフトブルワリーも誕生。前述の遠野麦酒ZUMONAは1999年に地元の老舗である上閉伊(かみへい)酒造が立ち上げたブルワリーですが、2017年には3人の移住者によって遠野醸造が設立されています。

↑遠野醸造の設立メンバーのひとりであり、ホップとビールによるまちづくりの推進など様々な企画をしている田村淳一さん。

 

田村さんは日本産ホップの盛り上がりを感じつつも、遠野の要でもあるホップ栽培は課題も山積みだと言います。特に大きいハードルが収益構造。ホップにおける新規就農を希望する人はいても、土地も農機具もない状態から経験を積みホップ栽培だけで生計を立てるのは簡単ではありません。

 

そこで、観光を起点とした地域経済の活性化と応援者の増加をはかり、ふるさと納税による寄付などによってホップ生産者の補助制度や収益構造の改善に取り組んでいます。

↑遠野におけるホップ収穫の重要拠点、遠野市農協ホップ加工処理センター。2023年には遠野市が中心となって大規模改修が始まり、施設利用料を下げることで収益構造を変えるべく計画が進行しています。

 

遠野へ行ったら妖怪はもちろん人と羊でもホッピングを!

遠野が「ホップの里からビールの里へ」を掲げたのが2015年。翌年には、ビールの里構想における地域おこし協力隊制度の導入が開始し、そのなかで移住したメンバーにはユニークに活躍している人も。そのひとりが、怪談師やライターなど多才に活動する小田切大輝(オダギリダイキ)さんです。

↑怪談師のときはオダギリダイキとして活動する小田切大輝さん。地元の人から現在約150話もの遠野怪談を集め、その他含め300ほどの噺(はなし)をもっているとか。

 

山梨県出身の小田切さんは大学卒業後、国立劇場・新国立劇場での広報宣伝・舞台制作業務を経て2020年に遠野へ移住。地域おこし協力隊から「ビールの里プロジェクト」のメンバーとして着任し、上記田村さんの下で寄付金の制度設計や取り組みなどを担当していました。

 

小田切さんが遠野にやってきた理由は、もともとビールが大好きで、民俗芸能や怪談にも興味があったから。その3つが揃っている遠野に惹かれて移住し、現在は様々な手法でこの地の魅力を発信しています。

↑小田切さんへのインタビューを行った「遠野ふるさと村」。この日は施設のイベントで舞踊を披露していたとのこと。

 

冒頭で述べたように、遠野は民間伝承の里として有名です。妖怪奇譚も数多いほか日本有数といえるカッパ伝説の地でもあり、最後の目撃情報は半世紀前の1974年。有名スポット「カッパ淵」を訪れる人は年間6万人を超えるそうで、観光地としても人気です。

↑遠野には民話を語る「語り部」も多く存在し、カッパのエキスパートといえば“カッパおじさん”として有名な運萬治男さん。運よく「カッパ淵」で会うことができました。

 

そんな遠野はホップとビールでも盛り上がっていますが、グルメも見逃せません。特に、昔から有名なのがジンギスカンです。ジンギスカンは北海道のイメージが強いかもしれませんが、実は遠野でも古くからソウルフードとして親しまれており、ここならではの特徴も。

↑遠野ジンギスカンの元祖といわれる「ジンギスカンのあんべ」と人気を二分する名店「遠野食肉センター」。写真は遠野本店。

 

ひとつは、ブリキのバケツに固形燃料を入れてジンギスカン鍋を熱するスタイル。これは、昔から盛んに行われてきた地域の祭事などで、屋外でも気軽に食べられるよう考案されたのだとか。

↑「遠野食肉センター 遠野本店」にて。店内は無煙ロースターで焼くスタイルが基本ですが、屋外の席ではバケツジンギスカンも楽しめ、売店で肉を買うとバケツや鍋を貸し出すサービスも。

 

そしてもうひとつの特徴が、肉を漬け込んだ味付けジンギスカンではなく、焼き上げた肉を各店自家製のタレにつける食べ方。昨今首都圏で人気のジンギスカン店はこのスタイルが主流ですが、当初からこの手法で食べていたのが遠野なのです。

↑冷凍ではなくチルドで仕入れたラム(仔羊)肉は厚切りでジューシー。タレも絶品で、白米やビールとの相性も抜群です。

 

遠野でジンギスカンが親しまれるようになった背景には、かつて軍需羊毛自給のため、めん羊が農家で飼育されていたという歴史も関係しています。しかし現在、遠野における羊飼いはいなくなってしまい、そもそも日本における羊飼い自体が希少な存在となっています。

↑日本の羊飼いを応援している、都内の超人気ジンギスカン店といえば「羊SUNRISE」。写真は同店オーナーの関澤波留人さん。

 

日本で羊飼いが少なくなった理由はいくつかありますが、高度経済成長期に羊肉、羊毛ともに輸入自由化の品目に指定され、外国産が増えたことが一大要因に挙げられます。この話、何かの悲劇に似ていませんか? そう、ホップです。

 

国内の羊生産者に目を向けると、少ないなかで飼育を始めようとする動きも。岩手では遠野にこそいない(試験羊畜の取り組みはあり)ものの、近年では江刺や滝沢市などで羊畜産農家が誕生しています。そこには食のグローバル化のほか、羊肉の美味しさに気付く日本人が増えていること、そこから転じて羊飼いを志す人も増えているという背景があります。遠野もいつか、“妖怪の里から羊(よう)飼いの里へ”と願ってなりません。

↑遠野麦酒ZUMONAは「ひつじとホップ」という銘柄も発売。遠野ジンギスカンとのベストペアリングを目指した、爽やかな白ビールです。

 

失われかけた里の恵みに光を当て、酒と食のイーハトーブ(岩手県出身の偉人・宮沢賢治が思い描いた理想郷)を目指そうとするエネルギッシュな息吹にあふれる遠野。妖怪好きはもちろんのこと、ビールや羊肉ラヴァーの人も、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?

ライドシェアが日本でも解禁!知っておくべき仕組みと安全で賢い活用法

2024年4月から、タクシー運転手ではない一般のドライバーが有償で客を送迎する「ライドシェア」が、日本国内で解禁となりました。現在は東京都や神奈川県など一部の地域で限られた時間帯のみ利用することができますが、今後も導入される地域は増えていく見込みです。

 

日本版ライドシェアの特徴や仕組みとは? 利用する際のポイントや海外のライドシェアとの違いも含め、モビリティジャーナリストの森口将之さんに教えていただきました。

 

「ライドシェア」の定義と、「カーシェア」との違い

 

最近、ニュースなどでもようやく耳にする機会が増えたライドシェアですが、海外ではすでに普及している国も。そもそもライドシェアとは何でしょうか? また普及し始めたきっかけについて教えていただきました。

 

「『ライドシェア』とは、タクシー運転手ではない一般のドライバーが有償でお客を送迎するサービスのことを言います。乗車予約から支払いまでを、すべてアプリ上で行うところが大きな特徴です」(モビリティジャーナリスト・森口将之さん、以下同)

 

ライドシェアと似た言葉に『カーシェア』があります。

 

「『カーシェア』はドライバーと車両をマッチングさせる、車の貸し出しを目的としたサービスのこと。一方、ライドシェアはタクシー配車アプリなどを活用し、ドライバーと乗客がマッチングすることでサービスを利用することができます」

 

ライドシェアに欠かせない“配車アプリ”として有名なのが、アメリカ発のサービス「Uber」。

 

「日本でも利用されているUberは、配車アプリを提供する企業の先駆けとも言える存在です。このような企業が出てきたことで、ライドシェアという新しい移動の形が誕生し、世界的にライドシェアが普及していきました」

 

日本版ライドシェアの特徴や仕組みは?

ライドシェアは現在さまざまな国で導入されていますが、国によって独自のルールが定められています。日本では、どのような仕組みで運用されているのでしょうか?

 

「日本には、『自家用車活用事業』と『自家用有償旅客運送』の大きく2種類のライドシェアの制度があります」

 

・自家用車活用事業(都市型ライドシェア)

「こちらが、2024年4月から一部の地域で解禁されたライドシェアの制度。タクシー会社の管理のもと、一般ドライバーが自家用車を使って有償で送迎するサービスが認められるというものです。走行しているのはタクシーが不足する時間帯のみで、ライドシェアのドライバーはタクシー会社が募集・管理しています。東京、神奈川、愛知、京都の一部地域から導入が始まり、都市部での導入が中心であることから、私はこのライドシェアを“都市型ライドシェア”と呼んでいます」

 

4月に解禁された地域でライドシェア導入の目安となった、タクシーが不足する曜日および時間帯はこちら。

 

東京都(23区、武蔵野市、三鷹市)
・月~金曜:7時~10時台
・金・土曜:16時~19時台
・土曜:0時~4時台
・日曜:10時~13時台

 

神奈川県(横浜市、川崎市、横須賀市など)
・金・土・日曜:0時~5時台
・金・土・日曜:16時~19時台

 

愛知県(名古屋市、瀬戸市、日進市など)
・金曜:16時~19時台
・土曜:0時~3時台

 

京都府(京都市、宇治市、長岡京市など)
・月・水・木曜:16時~19時台
・火~金曜:0時~4時台
・金・土・日曜:16時~翌日5時台

 

国土交通省の発表資料より

 

・自家用有償旅客運送(地方型ライドシェア)

過疎地における移動手段の確保などを目的に、市町村やNPO法人などが主体となり、自家用車を使って有償に運送できる制度です。制度自体は2006年に創設されましたが段階的にルールが改正されており、2023年末にも大幅な改革が行われました。ニュースなどでは『自治体ライドシェア』と呼ばれることもあり、都市型ライドシェアに対して“地方型ライドシェア”とも言えます」

 

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ライドシェア導入の背景にある、ドライバー不足

2024年4月から一部で解禁された都市型のライドシェアは、そもそもなぜ導入されることになったのでしょうか?

 

「導入された大きな理由は、ドライバー不足です。都市部に限った話ではありませんが、コロナ禍でタクシーの利用者が減少し、ドライバーが辞めたり、タクシー会社が廃業せざるを得なかったりという事態が起こりました。しかしコロナ禍が落ち着きインバウンドの観光客も戻ってきたため、今はドライバーが不足しているのです」

 

また現在、物流業界でドライバーの時間外労働の上限規制が設けられることで起こる『2024年問題』も懸念されていますが、タクシードライバーも同じ状況にあると言います。

 

「2024年4月から、タクシードライバーの拘束時間や休息期間も見直され、一人あたりが運転できる時間は短くなりました。そのためドライバー不足に拍車がかかることが懸念されています。これまでも国内でライドシェアの議論はたびたびあったものの、こうした社会的な背景や、菅義偉前首相がライドシェア導入を後押しする発言をしたことなどもあって、本格的に導入が進められることとなったのです」

 

ライドシェアのメリットとは?

都市型・地方型ライドシェアにはどのようなメリットがあるのでしょうか?

 

【都市型ライドシェア】

タクシーがつかまりにくい時間帯に、移動手段を確保できる
「4月からライドシェアが導入された地域では、タクシーが不足している時間帯に通常のタクシーに加えてライドシェアの車両が走行することになります。そのため今までタクシーがつかまりづらかった時間帯でも移動手段を確保しやすくなることが、利用者にとっては一番の利点だと思います」

 

【地方型ライドシェア】

タクシーより安く乗車できる
「都市型のライドシェアは通常のタクシーと同じ料金ですが、地方型のライドシェアはタクシーの約8割の価格で乗車することができます。また、自治体が主導する地方型のライドシェアならではの取り組みもあります。例えば石川県小松市が実施するライドシェアでは現在、能登半島地震で被災した二次避難者が無料で利用することができます。このように地域ごとに独自の取り組みができるところも、自治体主導のライドシェアならではのメリットと言えます」

 

また“ライドシェアドライバー”という仕事が生まれることによって、より多様な働き方ができるようになることもライドシェアを導入するメリットの一つと言えるでしょう。

 

「海外のライドシェアドライバーには、ドライバーの仕事だけで生計を立てている人と、副業として空いている時間に仕事をしている人の2パターンのドライバーがいます。日本でもライドシェアが導入されたことで、ドライバーになるための条件や時間の制限はあるものの、後者のような働き方が可能になりますよね。
また、地方でライドシェアドライバーが収入源の一つになるなら移住してみようと考える人も出てくるかもしれません。“ライドシェアドライバー”という仕事が、多様で柔軟な生き方、働き方をするための一つの手段にもなり得るのではないでしょうか」

 

ライドシェアを利用する際のポイント

 

実際にライドシェアを利用するときにはどのような準備が必要なのか、利用する前に知っておきたいポイントや注意点を教えていただきました。

 

・配車アプリをダウンロードしておく

「ライドシェアは配車アプリがなければ利用することができません。アプリ内で支払い登録などもしておく必要もあるため、乗車直前ではなく、あらかじめダウンロードしてすぐに利用できる状態にしておくことをおすすめします。
都市型ライドシェアが利用できるのは『GO』『Uber』『DiDi』などの配車アプリです。地方型のライドシェアは独自のアプリを用いているところもあるため、利用したい地域によって対応するアプリを確認してください」

 

・ライドシェアのタクシーに乗るための設定をしておく

「配車アプリでは、乗車できるタクシーを『通常のタクシーのみ』と『通常のタクシーとライドシェアの両方』のどちらかで設定することができます。都市型ライドシェアは今のところ、ライドシェアのみを選んで乗車することはできません。
またデフォルトは『通常タクシーのみ』の設定になっていることが多いので、ライドシェアを利用したい場合は設定し直しましょう」

 

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日本にはない仕組みも!
海外のライドシェア事情

 

国内での利用はまだという人も、海外でライドシェアを利用したことがある方は意外と多いかもしれません。日本のライドシェアとの違いも含めて、海外のライドシェア事情についても教えていただきました。

 

「ライドシェアは国によって仕組みや運用方法が異なります。たとえば、アメリカ、カナダ、ブラジル、メキシコなどのライドシェアは、Uberなどのプラットフォーム事業者が運転手管理や運行管理を行う形で導入されています。一方で、イギリス、フランス、ドイツといったヨーロッパでは、ドライバーに公的なライセンスが必要だったり国や地域が運行管理を行ったりする形で導入されている国が多くあります」

 

海外のライドシェアというと、犯罪やトラブルに巻き込まれた事例もメディアを通して耳にしたことがあるかもしれません。

 

「アメリカなどのライドシェアにまつわる犯罪の話題がメディアでも取り上げられますが、正直なところ、犯罪はどのようなシチュエーションでも起こり得るもの。ライドシェア乗車中の犯罪発生率は国の治安事情を反映しているというデータもあるため、ライドシェア=危険とは一概に言えないと考えています。逆に、乗車前に運転手情報を確認できたり乗車やGPSの情報が記録されたりするところに、安全性を感じるユーザーもいるようです」

 

森口さん自身も、通常のタクシーよりライドシェアのほうが安心して乗れると感じることもあるのだとか。

 

「ライドシェアは、あらかじめアプリで目的地を入力するので料金の目安がわかりますが、国によってはタクシーでわざと遠回りして料金を上乗せされてしまうなど、タクシーサービスの質があまり良いとは言えないこともあるためです。逆に言えば、今まで日本でライドシェアが導入されなかったのは、日本のタクシーのクオリティが高いことも一因かもしれませんね」

 

 

また、日本と海外のライドシェアの大きな違いとして森口さんが挙げたのが、「ダイナミックプライシング(変動価格制)」と呼ばれる仕組みです。

 

「ダイナミックプライシングは、需要と供給に応じて価格が変わる仕組みのこと。例えば人が多く集まるイベント終了後など、需要が増える時には、通常のタクシーよりライドシェアの料金の方が高くなることがあるのです。価格はドライバーではなく、アプリ提供側が設定しています。
ユーザー側が価格を見ながら、タクシーを利用するかライドシェアを利用するかを選べることは、個人的に良い仕組みだと思っています。日本でも導入することができれば、場所や時間によってタクシーよりライドシェアを安く利用できる可能性もあるため、ユーザー側のメリットもより大きくなるのではないでしょうか」

 

日本のライドシェアはこれからどうなる?

 

現在、利用にはさまざまな条件がある国内のライドシェアですが、今度はどうなっていくのでしょうか?

 

「地方では移動手段が限られる一方で、都市部ではタクシーが不足している今、どの地方自治体にとっても“移動”は切実な問題となっています。そのため現在進行形で規制緩和を求める声や、導入を検討する地域は多くあります。都市型のライドシェアは今後、仙台、大阪、福岡などの地域でもサービス提供が認められるようになる予定です。
とはいえ、今のところ国内でライドシェアを利用するには、ユーザー自らが配車アプリでライドシェアを利用できるように設定しなければならず、利用できる時間帯も限られています。そのため普及していくためには、ライドシェアを利用するための方法を周知していく必要もあると思います。さらに、ダイナミックプライシングの導入や時間帯の制限を撤廃するなど、少しずつ規制が緩和されていけば、利用者にとってのメリットも増えていくのではないでしょうか」

 

地方型のライドシェアについても、多くの地域で導入や規制緩和を求める声が上がっていると言います。

 

「地方型のライドシェアはこれまで自治体やNPO法人が主体となっていましたが、ルールが改正されて運行管理や車両の整備管理などをタクシー・バス事業者が協力して行うこともできるようになりました。今もさまざまな議論が行われているため、今後もさらなる改革が進んでより使いやすい形になることを期待したいですね」

 

 

まさに今、活発な議論が行われながら導入・普及が進められている国内のライドシェア。導入・普及が進めば、タクシーが捕まりにくかった時間帯や移動手段の少なかった場所での移動が、より便利になるはずです。導入の背景や利用の際のポイントを押さえた上で、かしこく上手に利用しましょう。

 

 

Profile


モビリティジャーナリスト / 森口将之
モビリティジャーナリストとして、移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。著書に『富山から拡がる交通革命』(交通新聞社新書)。

「亀齢酒造」の酒蔵で見た日本三大酒処・西条の日本酒がおいしい理由

インバウンドの増加で、昨今ますます人気が高まるSAKE=日本酒。観光面では蔵元を巡る酒蔵ツーリズムも人気です。

 

全国に数ある“酒のまち”のなかでもいま注目したいのは、東広島の西条(さいじょう)。理由は、「日本三大酒処」のひとつであるうえ、7つの蔵元が駅から徒歩圏内でアクセス至便だから。そこで、フードアナリストの中山秀明さんに現地に足を運んでいただき、造り手のひとつ「亀齢(きれい)酒造」を訪問して酒都・西条や同蔵が造る酒の特徴などをレポート・解説いただきました。

 

日本三大酒処の灘、伏見、西条
この地が“銘醸地”と呼ばれる理由

「酒処」とは、良酒の造り手として名高い蔵元が集まる銘醸地や、有名な酒販店や居酒屋が多い地域のこと。そして、銘醸地に関しては兵庫の灘、京都の伏見、広島の西条が日本三大酒処として知られています。各地にはどんな特徴があるかを、まずは解説しましょう。

 

・山田錦のふるさと、名水が湧き出る「灘」

灘は、神戸市の灘区から西宮市にかけての沿岸地域を指します。そのなかに、西から西郷(にしごう)、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷と5つの地区があり、総称として「灘五郷」とも呼ばれます。

 

銘醸地となった理由はいくつもあり、まず名水百選にも選ばれた六甲山からの「宮水」が湧き出る名水の地であること。加えて、兵庫は“酒米の王者”と称される「山田錦」のふるさとであり、原材料にも恵まれていました。

 

さらに沿岸部であるため港から米などの物資を運びやすく、酒を江戸に運ぶ樽廻船(たるかいせん)も発着しており、物流や経済面でも有利だったことがこの地の発展を支えました。

 

・安土桃山時代に酒処の基盤ができた「伏見」

伏見は、京都市南端の伏見区周辺を指し、蔵元は桂川、鴨川、宇治川の間に集まっています。日本の中心地だった京都は酒も古くから造られており、なかでも伏見には名水百選の「伏見の御香水」で知られ、「伏水(ふしみ)」と呼ばれていたほど良質な伏流水に恵まれた地域。

 

そんな伏見が酒の都になるルーツは安土桃山時代にあります。1594(文禄3)年に豊臣秀吉が伏見城を築いたことで城下町としてにぎわい、内陸の河川には伏見港も誕生。現在の大阪、奈良、滋賀といった都市との水陸交通の要衝となり、日本酒の生産量も消費量も増加する一大拠点となったのです。

 

明治時代にふたりの偉人が切り拓いた
酒都・西条の奥深い歴史

灘・伏見と並び、日本三大酒処である西条。酒都とも呼ばれる理由は、酒造りに適した環境に加え、美酒を醸造するための製法や技術を発明した歴史があるからです。

 

東広島は古くから、北部にある龍王山の伏流水が井戸水となって湧き出る名水の地。西条の各酒蔵はいまでもこの地下水を仕込みに使い、その井戸水は市民に開放されているほど親しまれています。

亀齢酒造の「万年亀(まねき)井戸」。酒造期以外は井戸を一般開放しています。

 

また、気候風土にも恵まれ、西条は標高400~700メートルの山々に囲まれた盆地。寒暖差が大きいので酒米の栽培に向いているうえ、酒を仕込む冬の平均気温が4~5℃と、日本酒造りに理想的な条件がそろっています。

西条のマンホールには、個性的なデザインが一部採用。しかもパターンは数種あります。

 

歴史をたどると奈良時代から酒造りが行われてきたといわれますが、より盛んになったのは明治以降。近代国家を目指した新政府は酒株(免許制度)を廃止し、規制緩和で西条にも新たな酒蔵が誕生するように。加えて1894(明治27)年には西条駅が開業したことで、鉄道による酒や物資の運搬が可能となり蔵元も栄えていきました。

亀齢酒造は1898(明治31)年に創業。

 

しかし西条をはじめ広島で新規参入した酒造家たちは、ある悩みを抱えるようになります。それは、軟らかい水質。灘や伏見の仕込み水はミネラル豊富な硬水や中硬水ですが、広島の多くはミネラルの少ない軟水。軟水は発酵が進みづらく、さらに当時は腐敗することも少なくありませんでした。

 

この解決に挑んだのが、東広島市の安芸津町三津(あきつちょうみつ)の酒造家・三浦仙三郎氏です。三浦氏は硬度によって酒質が変わることを突き止め、勘に頼る酒造りではなく、科学的な実測値に基づく研究によって新たな酒造理論を確立。ミネラル不足という軟水の弱点を、麹(こうじ)による糖化(※1)発酵の促進で利点に変える「軟水醸造法」を発明しました。

 

その後三浦氏は、研究成果をまとめ「改醸法実践録」として出版。業界に共有したことで、軟水の地域だった広島県全体の酒質も向上。1907年(明治40)年から始まった全国清酒品評会で広島の酒は、灘・伏見を抑えて最高賞の優等1、2位を獲得することに。また、この切磋琢磨のなかでフルーティーな吟醸造り(※2)が生まれ、後世で三浦氏は“吟醸酒の父”と呼ばれるようになりました。

こちらは1911(明治44)年に始まった全国新酒鑑評会において、1917(大正6)年に設けられた日本初の名誉賞に、亀齢酒造が輝いた際の賞状。

 

東広島の偉人はもうひとり、日本初の動力式精米機を発明した佐竹利市氏がいます。広島は高低差の大きな河川がなく、水車による精米が困難でした。精米は人力に頼らざるを得なかったところ、佐竹氏が酒造用の精米機開発に挑み、砥石で米を削る「研削式精米機」が完成。当時としては画期的だった精米歩合(せいまいぶあい/後述)60%も実現し、精米の効率化と前述の吟醸酒づくりに貢献したのです。

 

【日本酒の基礎用語】

・糖化……麹の酵素により、米のデンプンが糖へと分解される現象。(※1)
・吟醸造り……ぎんじょうづくり。国税庁の定義では「よりよく精米した白米を低温でゆっくり発酵させ、かすの割合を高くして、特有な芳香(吟香)を有するように醸造する」こと。(※2)

 

日本酒の種類は2つを押さえよう
ポイントは精米歩合と醸造アルコールの有無

日本酒は「本醸造酒」「純米酒」「吟醸酒」「純米大吟醸」などに分類されますが、その定義は“「醸造アルコール」の有無”と“精米歩合”が関係しています。

 

「醸造アルコール」はサトウキビなどを原料にした蒸留酒で、使い方によっては酒質をクリアにしたり、香り高くしたりする効果があります。一方「醸造アルコール」を添加せず、米、米麹、水だけで造るのが純米酒。

出典=日本酒を中心としたSAKEカルチャーを世界に伝えるWEBメディア「SAKETIMES」

 

お米は外側に近い部分に脂質やアミノ酸などを多く含んでおり、これらは旨みのもととなる反面、雑味の原因となります。そこで澄んだ酒質にするため、お米の外側を削るのが精米です。精米歩合は、精米した後に残った酒米をパーセンテージで表示したもの。

 

ラベルなどに記載される「精米歩合35%」とは、65%を削って残りの35%を原料にしたという意味です。精米歩合を高くする(削る部分を多くする)と、香り高く洗練された酒質、低くすると濃厚な味わいのお酒を造りやすくなります。

 

広島のなかでも水に恵まれた西条
やがて名実ともに酒の都へ

こうした2つの発明は、広島を銘醸地へと発展させる原動力に。なかでもとくに西条は広島でも珍しい中硬水が湧く地で、軟水醸造法の酒だけでなく硬水の銘酒も造れるという、奇跡的な地域でした。それゆえ多彩な美酒が生まれ、酒処としての地位を確立したのです。

 

やがて1929(昭和4)年には県醸造試験場の清酒醸造部門が広島市から西条へ移転。さらに近年でも、1995年には国税庁醸造試験場が東京都北区から東広島に移ってきました。また、1990年からは毎年10月に「酒まつり」が西条酒蔵通りで開催され、国内外から20万人以上も集まる国内屈指の日本酒イベントに成長するなど、名実ともに西条は酒都となっていったのです。

2023年からは、毎年春に現地の10蔵による「東広島蔵開き」が開催。4月の毎週土曜日に、エリア内の酒造が蔵開きを順に行います。

 

辛口の名手と呼ばれる亀齢
杜氏が語るその極意

では、今回訪れた亀齢酒造はどんな特徴をもった造り手なのでしょうか? とくに知られているのが、“淡麗辛口な酒の名手”であること。西条をはじめとした広島の酒造りは、軟水を生かしたやわらかい甘口が主流ですが、亀齢酒造はキレの鋭い辛口の酒に定評があります。

 

ただ、辛口に対するこだわりを杜氏(とうじ ※3)の西垣昌弘さんに聞くと、予想外の答えが返ってきました。それは、辛口は強く意図していないというもの。

西垣昌弘さん。名酒「悦凱陣(よろこびがいじん)」で知られる香川の丸尾本店で杜氏を務めていた父・西垣信道さんの下で修業し、その後親子で亀齢酒造へ。2001年に代替わりし、流儀である“手造りの酒”をいまも生み続けています。

 

「目指すのは味の方向性以上に、とにかくおいしい酒であること。ほかの造り手さんもそうだと思います。でも、造り方って環境や杜氏さんの考え方によっても変わるんですよね。私の場合、代々受け継いできた製法や酵母などが亀齢酒造らしい味を生み出していて、それが結果的に辛口の評価をいただいているのだと思います」(西垣さん)

 

なお、西垣さんは日本四大杜氏(南部、越後、但馬、能登)の一翼を担う、兵庫県の但馬杜氏。毎年寒仕込みの冬場になるとここで蔵人とともに酒造りをし、終わると地元の新温泉町に戻り、地元の特産品「はたがなる大根」を栽培しています。

 

「よそのことはわかりませんけど、きっとうちならではの造り方があるんだと思います。ぜひ見ていってください」と話す西垣さんの案内で、普段は見学などを行っていない貴重な酒蔵のなかへ。

 

【日本酒の基礎用語】

・杜氏(とうじ)……蔵元における酒造りの最高責任者のこと。「但馬杜氏」など、酒造りの職人集団という意味でも杜氏と呼びます。(※3)

 

独自の酵母や低温長期醸造が
亀齢酒造のエスプリ

日本酒は、精米した酒米を洗って蒸して冷まし、用途に応じてもろみ用の掛米、麹用の麹米、酒母(しゅぼ/後述)用の酒母米にわけます。その他、一連の醸造工程をイラストとともに解説しましょう。

蒸した酒米から製麹し、そこから酒母をもとにもろみを仕込み、発酵を終えたら搾って日本酒と酒粕に分け、貯蔵するという流れが概要。出典=「SAKETIMES」より

 

とくに重要な工程が、米麹を造るための製麹(せいきく)。亀齢酒造では狙ったクオリティの麹を安定的に造れる機械造りと、少量ずつ緻密なコントロールでより高品質な麹を造る手造りのふたつを採用しています。

機械造り用の設備。写真は製麹をしていない状態で、米麹は入っていません。

 

実際に見せてもらったのは、手造りによる製麹。これを行う麹室(こうじむろ)は冬でも温かく、麹菌を繁殖させるために35℃前後、湿度25%前後という環境。麹米に種麹(たねこうじ。「もやし」ともいいます)という黄麹菌(※4)の胞子をふりかけ、混ぜ込んで積み上げ、布を掛けて保温し寝かせる工程を行います。

小分けした麹箱内の麹米をほぐし、再度まとめて布を掛ける仲仕事(なかしごと)を行っているところ。手作業による製麹は緻密な温度管理のもと計3日かけて行い、最終的に麹米の温度は40℃を超えます。

 

次に案内してもらったのは酒母育成室。水と麹と蒸米に酵母を加えて酒母を仕込み、さらに14日間ほどかけて造り上げていきます。

こちらが酒母。亀齢酒造では温度管理を非常に重要視します。これ1本で、約2000リットルの日本酒の元になるとか。

 

「麹は酒質に大きく影響しますから、非常に重要。また、酵母も大切ですね。うちでは一般流通している『きょうかい酵母(※5)』を使うこともありますが、歴代の杜氏が受け継いできた独自の酵母を使う銘柄もあるんです。とくに昔からの定番にはよく使いますね。なので、亀齢酒造の味は伝統的な酵母や、蔵に浮遊している『蔵付き酵母』などが個性のひとつになっているんだと思います」(西垣さん)

 

次は、巨大なタンクが並ぶ醪(もろみ)発酵室へ。ここでも、亀齢酒造ならではの伝統製法が徹底されていました。

数千リットル級の巨大タンクが数十本。一日に数回、櫂(かい)入れを行うことで全体を混ぜ、酵母に酵素を送りつつ温度を一定になじませていきます。

 

「うちのもろみは、低温長期醸造が鉄則。最初は一般的な三段仕込み(※6)でもろみを造っていきますが、その後の発酵は温度を慎重に管理しながら低い温度でゆっくり発酵させていきます。こうすることによって、荒々しさがないクリアな味わいになるんですよ」(西垣さん)

 

亀齢酒造では、低温長期仕込みによる吟醸造りがベース。その理論を重んじつつ、歴代の杜氏によって培われてきた独自の酵母やロジックで、ほかにない西条の酒を醸しているのです。

醪圧搾室。発酵を終えたもろみは、この巨大な圧搾機で日本酒と酒粕に分ける上槽(じょうそう)を行い、その後適宜ろ過、火入れ(※7)、貯蔵、瓶詰めを経て出荷されていきます。

 

【日本酒の基礎用語】

・黄麹菌……きこうじきん。ニホンコウジカビとも呼ばれ、日本酒や味噌、醤油などを造る際に用いられます。なお、焼酎では白麹菌や黒麹菌を使うこともよくあります。(※4)
・きょうかい酵母……公益財団法人日本醸造協会が頒布している、日本酒、焼酎、ワインの酵母菌のこと。近年の日本酒では、秋田・新政酒造の「きょうかい6号」や、比較的新種の「1801酵母」などが有名です。(※5)
・三段仕込み……もろみを仕込む際、原料をタンクへ一度に投入するのではなく、3回に分けて行う手法のこと。四段、五段……十段といった仕込み方もありますが、三段仕込みが最も一般的です。(※6)
・火入れ……日本酒を腐敗から防いだり、品質を保ったりするために行われる加熱処理のこと。処理せず生の状態で出荷される日本酒のことを「生酒」と呼びます。(※7)

 

直近の西条品評会で優勝した
亀齢の味を飲み比べ

一連の流れを見学したあとは、利き酒も体験させてもらいました。こちらは西垣さんの後継者、東 健太郎さんと一緒に。

東さんは、広島県福山出身。亀齢酒造では西垣さんや東さんを含む総勢9名の蔵人で、今季の酒を造っています。

 

飲み比べたのは、機械で搾るのではなく酒袋に吊るして滴り落ちる雫を集めた希少な限定酒「亀齢 大吟醸 斗瓶採り(とびんとり)」の生酒と、火入れ後の2種類。

どちらも「亀齢 大吟醸 斗瓶採り」。奥が生酒で、手前が火入れです。

 

味わいは、どちらも大吟醸ならではの果実味が際立ち、ラムネを思わせるジューシー感が印象的。繊細でクリアな口当たりですが旨みの芯もあり、余韻はキリッとして上品なおいしさです。そのうえで、生酒のほうがやや酸を感じるフレッシュな味わい。火入れのほうは落ち着いたなめらかさがあり、濃い味付けの料理にはこちらのほうが合いそうだと感じました。

 

2023年開催の「西条清酒品評会」で、西垣さん率いる亀齢酒造は3度目の優勝を果たしました。「蔵人たちの輪を重視し、よりおいしい酒を造っていきたいです」と笑顔で抱負を語ります。

 

なお、亀齢酒造では蔵の一般見学はできないものの、万年亀舎(まねきや)という直売所が併設されています。ここだけでしか買えない限定酒もあるので、西条に来た際は足を運んでみてください。

万年亀舎の店内。日本酒や酒粕はもちろん、お酒を使った食品やオリジナルグッズなどが並んでいます。

 

左から「純米大吟醸 亀香」2530円、「大吟醸 創」2750円、「大吟醸」5500円。そして右端が蔵元限定品「吉田屋の酒」1650円(すべて720ml)

 

亀齢酒造
住所=広島県東広島市西条本町8-18
TEL=082-422-2171
万年亀舎営業時間:平日9:00~16:00(昼休憩あり)、土日祝10:30~16:00
定休日=不定休

 

駅周辺に7つの老舗蔵が点在し、各蔵元の酒を飲み比べられるお店や、その酒を使った料理やスイーツを扱うお店があるなど、まち歩き以外にもさまざまな楽しみ方がある西条。ぜひ、次の休みに訪れてみてはいかがでしょうか。

 

Profile

フードアナリスト / 中山秀明

フードアナリスト・ライター。内食・外食のトレンドに精通した、食情報の専門家。現場取材をモットーとし、全国各地へ赴いて、大手メーカーや大手小売りから小規模事業者まで、幅広く取材している。酒類に関する知識量も豊富で、日本酒にも詳しい。

日本三大酒処の東広島・西条は“美酒鍋”や酒チョコも楽しめる地酒のテーマパークだと断言したい

兵庫の灘、京都の伏見と並び“日本三大酒処”に数えられる、広島の西条(さいじょう)。酒都とも呼ばれる背景には、日本酒の醸造や商売に適した自然や立地に加え、酒質を向上させるために尽力した発明家がいたことなどが挙げられます。実際、訪れてみるとそこは地域一帯が、まるで地酒のテーマパークのようでした。蔵元のほかにショップや飲食店など、この街ならではの魅力をレポートします。

↑JR西条駅の南口を出ると、目の前には8銘柄が名を連ねる大きな看板が!

 

 

酒都の歴史や文化を五感で楽しめる酒蔵の施設へ

西条は、街歩きを楽しむ観光スポットとしても秀逸。それは、地域を代表する7つの酒蔵が駅から徒歩圏内にあり、古くは江戸時代の建造物も残る伝統的な町並みであること。また、各酒蔵では見学施設や直売所がにぎわっていることも魅力です。

↑西条酒蔵通りにて。銘柄名が記されたレンガの煙突や、なまこ壁が目を惹く蔵造りの建物が軒を連ね、この景観は街のシンボルにもなっています

 

数ある酒蔵のなかから訪れたのは、1873(明治6)年創業の賀茂鶴(かもつる)酒造。冒頭で述べた発明家のひとりに、日本初の動力式精米機を生み出した佐竹利市氏がいますが、この精米機の開発を依頼したのが賀茂鶴酒造の創業者、木村和平氏です。

↑賀茂鶴酒造の構内。内部は杜氏による酒蔵案内の日(不定期開催・要予約・有料)に見学でき、その日以外でも後述する見学室直売所では入場無料で酒造りや歴史を学べます

 

当初から評価は高く、賀茂鶴は1900(明治33)年のパリ万国博覧会で名誉大賞を受賞。さらに1917(大正6)年の全国酒類品評会では日本初の名誉賞受賞、1921(大正10)年には同品評会で全4222点の出品中1~3位を独占するなど、古くから広島における造り手のトップランナーとして有名です。

↑2019年、賀茂鶴酒造の一号蔵を改装し見学室直売所に。例えば、酵母の優秀性が日本醸造協会認められて全国へ配布された、賀茂鶴の「協会5号酵母」などについても学べます

 

見学室直売所となっている一号蔵は、国の史跡にも指定された明治時代初期の建造物。館内には酒造り解説ムービーの上映や、醸造を身近に体感できる展示コーナー、日本酒や関連グッズなどを販売するショップなどがあり、そこでは試飲も楽しめます。

↑こちらは酒造りにおいて最も重要な製麹(せいぎく)が行われる、麹室(こうじむろ)を再現した部屋。どのようにして日本酒が醸されていくのかを体感できるのもポイントです

 

賀茂鶴酒造における近年の有名なトピックスが、2014年に来日したオバマ大統領が安倍晋三首相(ともに肩書は当時)と会食した際、銀座の有名鮨店「すきやばし次郎」で飲んだ日本酒が「特製ゴールド賀茂鶴」だったというエピソード。直売所ではこの名酒のほか、蔵元限定酒の購入もできます。

↑売り場にはプレミアムBARも設置。100円から試飲ができるうえ、500円でプレミアムな3銘柄の飲み比べも可能

 

その蔵元限定酒が「蔵出し原酒」。色艶淡麗にしておだやかな香りの先に、濃厚な風味と軽快ななめらかさがあって飲み飽きない。そんな、賀茂鶴酒造の伝統的な味わいを表現した一本となっています。

↑「蔵出し原酒」は720mlで1700円。西条土産にもオススメです

 

【SHOP DATA】
賀茂鶴酒造 見学室直売所
住所:広島県東広島市西条本町9-7
営業時間:10:00~18:00(入場17:45まで)
休業日:お盆、年末年始。その他酒まつり前など臨時休業あり
アクセス:JR「西条駅」南口徒歩3分

 

酒を贅沢に使った西条ならではのご当地グルメ「美酒鍋」

その賀茂鶴酒造が2005年、酒蔵のすぐ近くにオープンしたのが数寄屋造りのレストラン「佛蘭西屋(ふらんすや)」です。西条には酒都らしく、日本酒を贅沢に使った「美酒鍋(びしゅなべ)」というご当地グルメがあり、その元祖もまた賀茂鶴酒造。終戦間もない、食糧難の時代に生まれたといわれるこの料理を名物に、同店では多彩な和洋食を提供しています。

↑京都の町屋をイメージした意匠は、内外観ともに情緒にあふれています。訪れた日の夜の部は、平日でも予約で満席という人気ぶりでした

 

いまや東広島市内の10店を超える飲食店で提供されている美酒鍋。生み出したのは、賀茂鶴酒造の当時の役員が「蔵人にも腹いっぱいの料理を食べてほしい」との想いで考案したのだとか。つまり、まかない料理がルーツ。その後、1990年から西条で毎年10月に開催されるようになった「酒まつり」で振る舞われ、地元の名物として浸透していきました。

↑元祖の名物をはじめ、お造りやデザートなども楽しめる「美酒鍋御膳」(1990円)。御膳はランチ限定で、夜は単体の「美酒鍋小鍋」(1310円)などが提供されています

 

日本酒仕込みの本番は冬で、厳しい寒さのなかで作業が行われます。この鍋には、そんな酒造り期間を乗り越えるためのレシピが凝縮。肉は栄養価が高い鶏のホルモン(やがて現在の砂肝に)を主体に、野菜は冬に旬を迎える白菜やネギなどを入れていたそうです。

↑味付けは自慢の日本酒をベースに、利き酒に影響が出ないようにするため塩と胡椒でシンプルに

 

現在の美酒鍋は、日本酒と塩胡椒のほかニンニクも効かせるなど、現代的な味付けへと進化。具材にも鶏モモ肉や豚肉が加わり、よりコク深いおいしさに。実際に食べてみると、どこか塩こうじで味付けしたような、素材のうまみが凝縮したようなふくよかな味わいに感じました。添えられた卵を溶いて、すき焼きのように浸していただくと、いっそうリッチな芳醇さが楽しめます。

↑水は使わず、ベースは日本酒100%。ほんのり甘みがあり、和ダシのような滋味深い風味を感じるのは、きっと日本酒が醸し出す底力でしょう

 

なお、2024年3月には文化庁が主催の、地域に根付く食文化を応援する「100年フード」の新たな認定料理が発表され、広島ではかきの土手鍋などとともに美酒鍋が加わりました。今後、知名度はいっそう高くなっていくことでしょう。

↑「佛蘭西屋」では見学室直売所で2000円以上買い物をすると、「蔵出し原酒」の1杯(30ml)試飲無料サービスが。逆に「佛蘭西屋」で2000円以上飲食すると、見学室直売所で同じサービスが受けられます

 

ほかにも同店には、日本酒との相性を考慮した様々な料理がラインナップ。西条で贅沢なフードペアリングの体験を満喫したいときは、ぜひ「佛蘭西屋」へ。

↑「佛蘭西屋」の1階。上品で温かみのある大人な空間です(写真提供:賀茂鶴酒造)

 

【SHOP DATA】
佛蘭西屋
住所:広島県東広島市西条本町9-11
営業時間:11:30~14:30(L.O.14:00)、17:00~22:00(L.O.21:00)
休業日:第2第4月曜、木曜、年末年始
アクセス:JR「西条駅」南口徒歩3分

 

全酒蔵の酒を使った8種のトリュフを供する洋菓子店

もう一軒紹介したい、ここならではの個性あふれる店が「御饌cacao(ミケカカオ)」。西条町のパティスリー「菓子工房mike」が、開業10周年を機に駅から近い場所に新規オープンしたショコラトリーです。

↑「御饌cacao」は2019年開業。古民家を改装した空間で、西条のまちに溶け込む風情たっぷりのお店です

 

「御饌」とは、神社や神棚に献上するお供物のこと。カカオの学名、テオブロマ カカオの「テオブロマ」がギリシャ語で“神様の食べ物”を指す、その共通点から店名に採用されました。他方、日本酒もお清めに使わるなど、神事と深い関わりがあります。そこに込められたのは、「『御饌cacao』の名にふさわしいチョコレート店を目指したい」という店主の決意。その思いはやがて結実し、ほかにはないスペシャリテを生み出しました。

↑写真の人物が、オーナーシェフパティシエ ショコラティエの三宅 崇さん。広島県最東部に位置する福山市出身で、地元に新天地を求めて東広島に開業しました

 

その傑作が「西条酒8蔵の日本酒トリュフ」。西条が誇る全8蔵元の日本酒と酒粕をそれぞれの中心に練り込んだ、各酒の個性を楽しめるオンリーワンのトリュフチョコレートになっています。2022年度には、市のお墨付き土産「東広島マイスター」に認定されました。

↑店頭のショーケースに並ぶ「西条酒8蔵の日本酒トリュフ」。ひとつ378円で、3個入り、5個入り、8個入りで詰め合わせることもできます

 

具体的には日本酒と酒粕をガナッシュに練り込み、薄い4層のチョコレートでコーティング。このレイヤーによって食べた瞬間にチョコが砕け、なめらかなガナッシュと一緒に溶け出す“口福”なハーモニーに。各日本酒の味が最も引き立つよう、それでいてアルコールの風味が出すぎてチョコレートの邪魔をしないよう、ひとつずつ素材との組み合わせや配合を変えているので、香りとうまみが口のなかで絶妙に調和します。

↑各酒蔵のオリジナルお猪口に1粒ずつ入ったタイプも(1個708円)。すべて味が異なるので、利き酒ならぬ「利きショコラ」をお猪口とチョコで楽しむのも一興です

 

三宅シェフは本店にあたる「菓子工房mike」にいるため、取材では奥様のゆり子さんが開発秘話などを教えてくれました。例えば、各社から協力を得るまでの経緯。「西条を盛り上げたいという思いがあるので、一社も欠けることなく全蔵元様から許諾をいただくことが私たちの絶対条件でした」と話します。

↑三宅ゆり子さん。全日本ヴァンドゥーズ(お菓子を専門に販売をする女性の専門職)の認定ヴァンドーズ、またチョコレートエキスパートの資格ももっています

 

「西条に『菓子工房mike』をオープンした当初より、この地から世界へ発信できるスイーツを商品化したいと考えていました。となればやはり西条は銘醸地ですから、地元の蔵元様の協力がいただけたら一番だなと。そこで一社ずつお声がけし、『御饌cacao』の開業時には全8蔵様とのコラボトリュフを完成させることができました」(三宅さん)

↑「西条酒全8蔵元とのコラボトリュフチョコ8種セット箱」

 

もちろん同店には、その他のスイーツも種類豊富にラインナップ。人気商品の例を挙げれば、「チョコレイトディスコ」がオススメです。このネーミングにピンと来た人はご名答。こちらは、シェフが世界的音楽ユニットPerfume(パフューム)のファンであることから商品化されたスイーツ。名曲「チョコレイト・ディスコ」は、いまやバレンタインデーの新定番ソングとしても有名です。

↑左が「チョコレイトディスコ」で、右が春限定の「ホワイトディスコ」(各464円)。当人らからは非公認であるものの、ファンなら見逃せない逸品でしょう。ちなみにPerfumeの3人は広島県出身

 

ほかにも同店には「甘酒たると」(300円)や「酒蔵通りの日本酒ケーキ」(270円)といった、西条ならではのスイーツをはじめ、ビーントゥバー(カカオ豆の産地の違いを楽しめる板チョコレート)やチョコレートドリンクなども。さらに、カカオを使ったメキシコの「モーレ」風カレー(1100円)や、パフェにカクテルといった個性派メニューも盛りだくさん。イートインでくつろげる座敷も併設されているので、ひと休みスポットとしての利用にもオススメです。

↑古民家の内装を生かし、和モダンな雰囲気に設えられた座敷。まったりとしたひとときを過ごせること間違いなしです

 

【SHOP DATA】
御饌cacao
住所:広島県東広島市西条本町15-25
営業時間:水~金曜11:00~18:00、土・日曜祝日11:00~17:00
休業日:月・火曜
アクセス:JR「西条駅」南口徒歩4分

 

西条では前述の「酒まつり」が毎年10月に開催されるうえ、4月にも毎週土曜に現地の10蔵による「東広島蔵開き」が開催。この日はエリア内の酒造が蔵開きを順に行い、新酒を味わえたり杜氏から酒造りの話を直接聞けたりできます。ぜひ今度の休みは、この地へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

※価格表記はすべて税込みです。
※「御饌cacao」の価格表記はテイクアウト時のものです。
※情報は2024年3月末日のものです。

 

撮影/鈴木謙介

 

薬草調合師が受け継ぐ先人の知恵…「薬草のちから」を気軽に暮らしに取り入れるには

近年、自然由来のものの価値や、自然のままであることの大切さが再評価されるようになっています。それにともなって、私たちの身近に存在する植物の一種である “薬草” にも、あらためて注目が集まっていると話すのは、10年ほど前から薬草を研究している “薬草調合師” で『薬草のちから -野山に眠る、自然の癒し-』を出版した新田理恵さん。そこで、そもそも薬草とは何か? ハーブとは何が違う? など基本的な情報から、薬草がもたらす効果などを教えていただきました。

 

聞き手は、@Livingでもおなじみのブックセラピストで、キャンプやハイキングを楽しむうちに薬草にも興味をもつようになったという元木忍さんです。

『薬草のちから -野山に眠る、自然の癒し-』(晶文社)
ドクダミ、ヨモギ、ナツメ、葛(くず)、当帰など、海辺から山里まで最適な場所に根づいてきた薬草。古来、医食同源といわれもっとも身近で暮らしと健康を支えた植物の “ちから” を、薬草調合師であり食卓研究家である著者が自ら当地に足を運んで得た知見をもとに解き明かす。

 

身近なようで意外と知られていない “薬草” という存在

元木忍さん(以下、元木):コロナ禍をきっかけとしたアウトドアブームやナチュラル思考の高まりによって、野に咲く薬草にあらためて注目が集まっているように感じます。そんななかで、新田さんが薬草に注目し、研究するようになったきっかけは何だったのですか?

 

新田理恵さん(以下、新田):私が薬草と出会ったのは、かれこれ10年以上前のことになります。家族の一人が糖尿病を患い、食生活の大切さを痛感したのがきっかけです。体に負担をかけずに、少量できちんと体をケアしてくれる “スーパーフード” のようなものがないかと薬膳の勉強をしているうちに、どうやら身近な薬草が近いのでは? と気づきました。

↑『薬草のちから -野山に眠る、自然の癒し-』の著者である新田理恵さん

 

元木:薬草といえば、なんとなく口に苦いものというイメージがありますが、そもそも薬草とは何なのでしょう? ハーブとの違いも気になります。

 

新田:薬草は “薬用に用いる植物の総称” とされています。自分の体を整えるための “薬になる植物” ですね。草という漢字が使われていますが、葉っぱも枝も実も使います。主に草の部分のみを使うハーブと比べると、植物の使用する部位は多いかもしれません。

 

元木:なるほど。かなり広義に解釈していいわけですね。それにしても、薬膳のことならともかく薬草についての専門書も少なそうですし、どうやって学べばいいか想像がつきません。

 

新田:薬草の使い方は、民間療法の一種として口伝されていることが多いように思います。私の場合は全国各地に足を運び、その地域の薬草の使い手に手ほどきを受けました。

 

元木:おじいちゃんおばあちゃんの “生活の知恵” みたいな形で言い伝えられているわけですか?

 

新田:そうなんです。なかには生業としていらっしゃる方もいます。各地で学んだこと、経験したことを元に薬草を取り入れてみると、きちんと身体の変化を感じられて面白いですよ。

 

元木:例えばどのような変化を感じましたか?

 

新田:薬草をおすすめした友人によく言われるのは、肌荒れや関節痛が和らいだというものです。なかには不妊が改善したという声も……。薬草のちからってすごいなと思っています。

 

元木:口伝が多い薬草の知見をまとめたとなると、あらためて貴重な本ですね。

 

野山に生きる薬草は、地域のアイデンティティそのもの

元木:新田さんは普段、薬草をどこで手に入れていますか?

 

新田:私は山野草を扱う園芸店か、インターネットで購入することが多いです。ただ、本来もっともおすすめなのは、野山に自生する薬草ですね。

 

元木:野山の薬草は、パワーが違う?

 

新田:そうですね。畑で栽培されている薬草よりも環境が過酷なぶん、含まれる有効成分が多かったり、密度も高いと感じます。水も雨に恵んでもらうしかないし、他にもライバルみたいな植物がたくさんいる中で育っているので。地域の特性が反映されるのも興味深いです。例えば、風が強く吹くところでは、根をしっかり張ることで栄養をたっぷり蓄えた薬草が育つとか。それぞれの地域の魅力をその身をもって表現してくれていると考えると尊い存在だなぁと思います。

 

元木:その土地でしか育たないわけだから、ある意味では繊細だし、とても貴重ですよね。

↑ブックセラピストの元木忍さん

 

新田:はい。地域性が強く現れるので、その地域で暮らす人のアイデンティティともなり得るのではないでしょうか。野山の野草を特産品のように考えると、私たち外部の人間からすれば、旅をする理由にもなりますし。

 

元木:こんなに面白いものがこの地域にあったんだ! という発見に繋がりますね。

 

新田:地元ならではの薬草を知ることで、地元を、ひいては日本を好きになるきっかけになると思います。ただし、野外で薬草を採る際は、絶滅危惧種などの採取してはいけない植物や、どなたかの土地や国定公園など採ってはいけない場所を事前に調べておきましょう。

 

薬草文化を持続させるには、消費者のニーズが必要不可欠

元木:地域の魅力が詰まった薬草ですが、西洋のハーブと比べると、まだまだ知られていない気がします。

 

新田:そうなんです。これには少なからず、歴史的な背景があると思います。明治政府の西洋化政策によって、鍼灸や漢方などの日本の伝統的な医学は隅に追いやられてしまったところがあるので。そういった歴史的ハンデを負いながらも、何とか受け継がれている状態です。

 

元木:さきほどもお話されていた、地方のおじいちゃんおばあちゃんの口伝だったり、生業として薬草づくりをしている人が頼みの綱ということですね。

 

新田:そうですね。飛騨に足を運んだ時に、アルコールの消化を助けてくれるという「葛の花の丸薬」づくりを見せてもらって、実際に飲ませてもらいました。手作業で正露丸サイズに丸めて固められたものをお酒の前に飲むと、いつもより多めに飲んでいるのに全然酔わないんです。材料が調達しやすく家庭でも作れて、体の調子を整えてくれる薬草は、家庭の知恵の結晶だと実感しています。

 

元木:今では、近代西洋医学と伝統医学を組み合わせて行う統合医療も注目されるようになってきましたから、薬草文化もこれから取り入れる人が増えてくるかもしれませんね。

 

新田:消費者のニーズが高まれば、文化として紡いでいける機運もあると考えています。そのためにも、各地の薬草づくりをお手伝いしたり、薬草づくりのワークショップを開催したり、薬草文化にふれられるような仕組みづくりが大切です。草の根的な活動を続けていけば、ゆっくりですが、着実に薬草を使用する人は増えていくと思いますし、使える人が周りの人を癒やすと、健やかな連鎖が生まれていいなと思います。

 

薬草を「楽しく、おいしく飲むこと」

元木:薬草を日常生活に取り入れるためには、どういった方法がありますか?

 

新田:私のおすすめは薬草茶です。薬草を乾燥させるだけで簡単に作れますよ。カップとお湯があれば手軽に淹れられますし、特別な道具も必要ありません。お食事と合わせたり、ちょっと一息をつく時の楽しみになります。

 

元木:生活習慣に取り入れやすく、朝昼晩問わず飲めるお茶はぴったりですね。まずは、気軽に市販の薬草茶から試そうと思った場合、どの薬草から選べばいいですか?

 

新田:薬効を調べて選んでいただいてもいいのですが、やはり、自分がおいしい! と思ったお茶を選ぶ方法をおすすめしています。ワークショップで名前や効能がわからない状態で、いくつかのお茶を飲み比べてみていただくこともあるのですが、 その中で一番しっくりくるものこそ、体が欲しているお茶です。これはブラインドテイスティングといって、体質に合うものは自分の直感が知っているという考え方を元にしています。

↑新田さんが経営するお茶ブランド「伝統茶{tabel}」がラインナップする薬草茶

 

↑夏に蓄積した疲れを吹き飛ばすのにうってつけな薬草茶がグァバ茶。鹿児島県徳之島で栽培されるグァバの葉を使ったビタミンCたっぷりの茶葉で、夏の厳しい日差しを浴びた肌、お酒をたくさん飲んだ後にもおすすめだそう。糖質の吸収を抑えてくれるので、地元の人からはダイエットティーとして親しまれているといいます

 

元木:自分に必要なものを認識していなくても、本能的に選びとれるのは、面白いですね。

 

新田:また、もう少しスケールを広げて、自然界の理(ことわり)を人間の体に結びつけてお茶を選んでみてください。薬膳の基礎にあたる中医学では、木、火、土、金、水といった自然界のエレメンツを “五行” と呼び、人間の五つの臓器(肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓)に当てはめて働きを捉えます。不調の出やすい体の部位や臓器に対して必要な食材は何なのか、その時の感情から季節までまとめた表が「五行色体表」です。

↑五行色体表(書籍『薬草のちから -野山に眠る、自然の癒し-』より)

 

新田:表には、パッと見て症状が現れやすい部分、つまり五行の不調が出る部分をまとめてあります。自分の姿や状態と照らし合わせながら薬草を選ぶと効果的です。

 

■ 目、爪のトラブル
爪に縦の線が入ったり脆かったり、目が疲れやすいなど。もしくは、涙もろい、怒りっぽいなどの時は、トマトやニラなどの肝に良い食材、薬草をとるのがおすすめ。ストレスが溜まってないかも一緒にチェックしましょう。

 

■ 顔色
ほんのり赤みがかった健康的な顔色をしているか? 顔色が悪いなと感じたら、心に良いとされる食材(小麦やゴーヤなど)、薬草をとる。気になるなら、貧血になっていないかもチェック。目の下を指で引き下げ、下まぶたの裏が赤くなっているかを見ます。白っぽかったりしたら血液が少なめになっている証拠。
山芋類は、おなかが疲れている時の特効薬。粘り成分のムチンが胃腸の働きのサポートをしてくれます。特に大和芋(生薬名は山薬)は、胃腸系の漢方薬の材料になるほど。日持ちもするので、冷蔵庫にストックしておくと便利です。

 

■ 唇のトラブル
唇が乾燥している時は、体温が上がっているか、疲れているケースが多いもの。脾に良いものをとり、お粥などの消化にやさしい料理で働きっぱなしのお腹を少し休めましょう。

 

■ 肌のトラブル
乾燥しがちな肌や皮膚の代謝がうまくいかずフケなどが出やすい時、肺が潤う食材(大根や梨など)を積極的に取るのがおすすめ。肺は唯一外気に触れている五臓なので、肌と同じグループに分類。肺を潤すことで肌の力を引き出すことができます。

 

■ 髪のトラブル
毛先が裂ける、白髪が増える、抜け毛が増えたなどの髪のトラブルは、腎臓が疲れている可能性が。もしかして、睡眠不足になっていませんか? 睡眠によってしか回復できないからだのエネルギー(後天の気)もあり、腎臓も影響を受けるので、睡眠はきちんととれるように。薬膳の世界では黒い食べ物が良いとされ、黒胡麻、黒豆、黒きくらげがおすすめ。クコの実も手軽に腎の元気を補給できます。

 

元木:ブラインドテイスティングがある一方で、そういった五行をベースにして自分の体にあった薬草を選び取る方法も、おぼえておきたいですね。

 

新田:人間も自然の一部として考えれば、自然界で起こりうることは、応用できるということですね。こういった考え方を「天人相応」といいます。効能から選ぶにせよ、ブラインドテイスティングや五行を活用するにせよ、楽しく選ぶのが一番! 習慣として定着するのも早い気がします。これからも、薬草の魅力をもっと多くの人へ届けられるように、そして作り手と買い手の懸け橋になれるように、薬草茶の商品化やワークショップなど、双方の拠り所を作っていきたいです。

 

元木:期待しています! 今日はありがとうございました。

 

プロフィール

薬草調合師 / 新田理恵

TABEL株式会社代表。管理栄養士と国際中医薬膳調理師の資格を持ち、古今東西のハーブやスパイスを研究しながら “日本の食卓のアップデート” を目指す。近年はとくに薬草に注目し、日本各地からときに海外まで足をのばしてリサーチを行ってはワークショップを開いている。
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ブックセラピスト / 元木 忍

学研ホールディングス、楽天ブックス、カルチュア・コンビニエンス・クラブに在籍し、常に本と向き合ってきたが、2011年3月11日の東日本大震災を契機に「ココロとカラダを整えることが今の自分がやりたいことだ」と一念発起。退社してLIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。本の選書は主に、ココロに訊く本や知の基盤になる本がモットー。

“住みたい街”博多に暮らすように泊まる!「CROSS Life」ホテルが旅行や出張のベースキャンプ化しそうなワケ

福岡がいま熱い。昨年末発表された、令和2年の国勢調査(5年に一度行われる)の結果によれば、福岡県は昭和45年の国勢調査以降、人口が増加し続けている。とくに福岡市は政令指定都市のなかでトップの増加数・増加率。県内の北九州市が全市町村で最大の人口減を記録したのと対照的である。

 

自治体は国際会議の誘致やスタートアップへの支援などが功を奏していると胸を張るが、大東建託による2022年の「住みたい街 自治体ランキング(全国)」でも福岡市が3年連続で1位。ビジネスのしやすさだけでなく、交通機関や飲食店の充実ぶりなど暮らしやすさも評価されている。

↑博多名物の屋台は、令和になっても健在だ

 

もとより歴史と文化、庶民の暮らしとビジネス、そして買い物やアクティビティなどの遊び場を、2.5km四方にミニマムパッケージ化したような街なのだ。

 

そんな福岡、とくに文化の色濃い博多区を拠点に滞在するのに、うってつけの場所が生まれた。2022年10月1日に天神地区と春吉地区に同時開業したホテル、「CROSS Life(クロスライフ)」だ。繁華街やオフィス街に近いエリアにあり、観光にもビジネスにも立地はいかにも便利そうだ。

↑クロスライフのサイン。写真はクロスライフ博多柳橋

 

クロスライフの客室と大浴場、食事などのサービスは?

まずは、気になる客室と共用部から見てみよう。

 

↑アートとネオンサインが点在するソリッドな「クロスライフ博多天神」のロビーラウンジ

 

↑こちらは博多の伝統と現代らしいカジュアルさが共存し、あたたかみを感じさせる「クロスライフ博多柳橋」

 

↑客室。クロスライフ博多天神は「コンフォートツイン」(定員2名)、クロスライフ博多柳橋はソファベッド付きの「コンフォートツイン」(定員3名)がボリュームゾーン。写真はクロスライフ博多天神の「ユニバーサルキング」

 

↑クロスライフ博多天神には、4名を収容できる「ロフトツイン」が11室あるのが特徴

 

↑クロスライフ博多柳橋には、2段ベッドを備える客室がベッドのサイズ違いで4室(各定員4名)

 

↑客室備え付けの備品の一部。モノトーンにそろえられミニマルな印象

 

↑大浴場には「NATURAL HEALING」をテーマにしたデジタルアートを設置。時間と共に刻々と変化する。浴場内にはサウナも完備する

 

↑提供される朝食(ビュッフェスタイル)の一例。博多らしい食材も堪能できるのがうれしい

 

↑チェックインはフロント、あるいは自動チェックイン機でも行える

 

↑アメニティはフロントに用意されており、必要な分だけゲストがピックアップするスタイル。また、館内にはランドリールームも。このあたりはカジュアルホテルらしい

 

オリックス ホテルズ&リゾーツの新ブランドが提案する滞在スタイルとは?

さて、このクロスライフ博多天神、クロスライフ博多柳橋を擁する「クロスライフ」は、オリックス・ホテルマネジメントが展開するORIX HOTELS & RESORTS(オリックス ホテルズ&リゾーツ)が新たに手がけたホテルブランド。

 

現在、札幌・京都・大阪の3都市に展開する「CROSS HOTEL」のシスター(妹)ブランドと位置付け、「地域とのつながり」というコンセプトを踏襲しながら、20〜30代向けのカジュアルラインとして誕生した。

↑国内全15軒、約3500室を展開するオリックス ホテルズ&リゾーツのブランドポートフォリオ。運営会社のオリックス・ホテルマネジメント執行役員で営業本部長の森直樹氏は、「人生におけるさまざまなステージに寄り添うブランドでありたい」と意気込む

 

上のポートフォリオを見ると“カジュアル”に位置付けられる「クロスライフ」だが、筆者が実際に宿泊して感じたのは、ただのカジュアルホテルにとどまらない存在だということ。なぜなら、博多カルチャーの断片を違和感なく点在させ、宿泊者を館内で思い思いにくつろがせる、むしろ出かけたくなくなりそうな一風変わったホテルなのだ。

 

その背景には「Play with Local 〜地域と一緒に〜」「My 3rd Place 〜自分らしい居場所〜」「360°Life 〜自由なライフスタイル〜」という、3つのコンセプトがある。

 

カジュアルホテルらしくない3つの体験とは?

日本のホテルブランドとしては珍しいコンセプト型のホテル。3つのコンセプトに呼応したそれぞれの“体験”を、前出のオリックス・ホテルマネジメント執行役員・森直樹氏のコメントとともに見ていこう。

 

1.地域の文化を“知る”入り口がある

 

「Play with Local 〜地域と一緒に〜」をもっともわかりやすく体現するのが、クロスライフ博多柳橋に導入された小石原焼(こいしわらやき)の数々。小石原焼とは、ろくろを回しながら器に幾何学的な模様をつけていくのが特徴の、博多織や久留米絣と並ぶ福岡の伝統工芸だ。50軒ほどの窯元が現存しているという。

↑写真のように刷毛を使って釉薬に模様をつけたり、刀で彫り込みをいれたりして独特の模様と風合いを生み出す

 

↑こちらは刀で模様をつけたもの

 

クロスライフではこの小石原焼を、博多柳橋の各階のサインに使用している。同じ小石原焼でも作家によって作風はまったく異なり、各階で違う作家の作品が階数を表示したり部屋番号を彩ったりしている。ただしセキュリティ上、宿泊階以外には行けないのが残念。ここに一部を紹介しよう。

 

↑クロスライフ博多柳橋のエントランスに鎮座するのは、福岡県在住の彫刻家によるもの。江戸時代に北九州で生まれた木綿織「小倉織」の端材を活用しており、ゲストはチェックイン時に渡される紐を自ら結んで完成に関われる

 

伝統から打って変わり、現代のカルチャーとの入り口も設けている。例えば「My Favorite Coffee by CROSS Life」の取り組み。ユニークなカフェが多い福岡のカフェ文化の一端を、クロスライフのカフェにおいてリレー形式で提供することで、味わい知ってもらおうというものだ。

↑クロスライフのカフェで提供中の「manucoffee(マヌコーヒー)」。独自焙煎による風味豊かな味わいに加え、コーヒーかすを活用した有機肥料の開発や、イラストレーターの支援など、コーヒーショップにとどまらない活動でも支持されている

 

↑コーヒーのおいしさに、マヌコーヒーの実店舗を訪れた。サイケデリックなコーヒーを目指す、と内装にも世界観が表れている

 

クロスライフ博多天神には、地元のアーティストたちによる現代アートが館内の目立つところに飾られ、まるでギャラリーのように鑑賞できる。こちらも一部をチェックしてみよう。

 

大事にしたのは、「ここで体験して終わりにしないこと」だという。「クロスライフですべてを体験できるわけではありません。クロスライフで関心をもち、実際のお店や工房へ足を運んでいただき地域を盛り上げる、その動線を作りたいと思っています」(森氏)

 

2.地域の人と“つながる”伝言板がある

↑ロビーに設置されたコネクトボード

 

地域との接点をつくるという点では、両ホテルともロビーに設置された伝言板「コネクトボード」も大事な役割を果たす。地域のいいものを気づいた人から気軽にシェアしていこう、という提案だ。

 

「観光客だけでなく、地元の人にも『こんな素敵な場所が身近にあった』と気づいていただくきっかけにしたいです」(森氏)

 

ちなみに伝言板ではないが、変化を続ける博多に残った“下町”感を間近に感じられるのも、ギャップがあっておもしろい。クロスライフ博多柳橋は、発祥は昭和初期、今にいたるまで“博多の台所”と呼ばれ親しまれている「柳橋連合市場」に隣接している。

↑ホテルの窓から隣接する「柳橋連合市場」を望める。昔ながらの情緒を色濃く残す場所だ

 

↑実際に訪れ、店主とコミュニケーションをとりながら買い物したり食堂に立ち寄ったりできる。夕方には続々と店じまいするので、早めの訪問がおすすめ

 

3.一日中“自由に過ごせる”多機能型コミュニティスペースがある

↑クロスライフ博多柳橋の2階に位置する「360°Hub」

 

「360°Hub(スリーシックスティーハブ」と名付けられたのは、ラウンジ。朝食営業が終わったあとは、終日カフェとして開放される。極端にいえば、コーヒー1杯で夜まで過ごせてしまう。そこには、“ハブ”としたとおり、ひとりでノマドワークするだけでなく、訪れるさまざまな人との接点にもなってほしい、という思いが込められている。

 

「“コワーキングスペース”と限定せず、読書をする、絵を描くなど自分らしく時間を過ごせる空間にしたい。自宅、職場、そしてもうひとつの居場所として使って欲しいと思います」(森氏)

↑クロスライフ博多天神のカフェ&バーの奥に位置する「360°Hub」

 

ゲストがそれぞれの都合や好みに合わせて過ごしながら、自然と地域と接点をもてる。そんな仕組み作りが試みられている。

 

森氏は、「ホテルとは従来、宿泊するための場所にすぎず、気軽に足を運べる場所ではありませんでした。クロスライフでは、宿泊者だけでなく、通りすがりの人や地元の人にも気軽に来て、思い思いに時間を過ごしていただきたい」と話す。

 

文化も、遊びも、ビジネスも、活気あふれる今の福岡・博多を、各々の時間軸にしたがって体験するなら、いわば“ベースキャンプ”にしたくなる「クロスライフ」は、選択として大いにアリだろう。

 

クロスライフ博多天神
福岡市中央区春吉三丁目26番30号

クロスライフ博多柳橋
福岡市中央区春吉一丁目6番5号

 

カジュアル滞在を極めるなら
東京=博多間をつなぐ「ジェットスター」がお得!

最後に、“足”の選択肢は? 九州の玄関口である福岡へは交通手段が豊富だが、首都圏からよりお得に向かうなら、LCC「ジェットスター」がおすすめだ。2022年7月に日本就航10周年を迎え、現在は国内15都市・17路線を運航している。

 

ジェットスターを使えば、成田空港第3ターミナルが発着地となるが、LCC最大のメリットである運賃は、最安運賃片道5580円(エコノミークラス「Starter」の片道運賃。支払手数料、空港使用料等別途。諸条件適用)。競合他社でジェットスターを下回る価格のフライトがあれば、その価格より10%引きとなる「最低価格保証」のサービスもある。

 

しかも朝イチの便なら、最新機材「エアバス A321LR」に乗れるのだ。

↑ジェットスターの最新機材「エアバス A321neo(LR)」

 

↑CFMインターナショナル社の新型エンジンによって燃費効率が向上、環境負荷軽減にも一役買う

 

↑座席背面。モバイル端末ホルダーやUSBポートが設置され、目的地まで自分のスマホやタブレットを充電しながら使用できる(“機内モード”に設定要)

 

快適さを我慢することなく、気軽な旅を楽しめるはず。年末年始、春休み、ゴールデンウィークと今後半年で続く大型連休に活用してはいかがだろうか。

 

 

取材・文・撮影=GetNavi web編集部

失敗してもお試しでもいい! 無理しない「移住」の極意を里山ライフ雑誌『Soil mag.』編集長に聞く

パンデミックに起因するテレワークの普及によって、いま若者や子育て世代における地方移住の動きが加速しているといわれます。なかでも@Livingが注目しているのは、都心部から電車で1〜2時間圏内で実現する、“背伸びしない移住”という選択肢。都市の利便性も田舎暮らしの良さも手放さず、その両方を自分に合った形で享受する。そんな昨今の移住トレンドについて、移住と里山ライフをテーマに2021年10月に創刊した雑誌『Soil mag.』編集長の曽田夕紀子さんにうかがいました。

 

テレワークの普及を機に、地方移住へのハードルが下がった

ここ10年くらいの間によく目にするようになった「地方移住」というキーワード。テレワークの普及をきっかけに、地方へ移住を決める若い世代がさらに増えているといわれています。

 

「もちろんコロナ禍も理由のひとつだと思いますが、大きなきっかけは2011年の東日本大震災だったと思います。既存の社会システムが、実は絶対的なものではなかったことに気づかされたあのとき、多くの人々が人生における大切なものは何かを見直したと思うんですよね。その結果、いざというときに自分の力で生きていけること、たとえば地方の里山で土を耕し、自力で作物を作れるような生活に価値を見出す人が増えてきた。それが移住者の増加を促した根本的な理由だと思っています」

 

そう語るのは、移住と里山ライフのカルチャーマガジン『Soil mag.』編集長の曽田夕紀子さん。

 

「もっと以前の地方移住というと、リタイア後の高齢者や、本格派のナチュラリストなど、限られた人だけの選択肢というイメージが強かったと思います。それが今は、人生をより豊かにする当たり前の選択として移住があるという感覚です。中高年や子育て世代はもちろん、単身の若者でも地方移住しやすい環境が整ってきたと思います。

各地方自治体が実施している支援制度も年々手厚くなっていますし、テレワークの普及もそれを後押しした形。特に国が支給している地方創生推進交付金は、2021年度から移住先でのテレワークも支援の対象になりました。

これはどういうことかというと、移住先で起業や就職をせずとも、今の仕事を続けたままで移住支援金が支給されるようになったんです。週に何回かは東京のオフィスへ出社しなければいけないとか、都市から離れすぎないところで移住したい人にとってみれば、引っ越しするだけで最大100万円の支給を受けられるようなもの。これは大きいと思いますね」(『Soil mag.』編集長・曽田夕紀子さん、以下同)

 

浅草から奥多摩へ移住。都心まで2時間の田舎暮らし

曽田さんのご自宅はすぐ下に清流が流れる。

 

実は曽田さん自身も、2015年に東京・浅草から同じく東京の奥多摩町に夫婦で移住しています。釣りやキャンプでも人気の緑豊かな奥多摩町は、都心から電車で約2時間とアクセスも良好。

 

「以前は浅草の自宅兼事務所を拠点に、夫とふたりで雑誌や本を作る仕事をしていました。当初、田舎暮らしに興味があったのは私だけで、夫は反対だったんですね。たしかに編集者は人と会う機会が多いから、いきなり遠い田舎に移住するのは現実的ではない。でも奥多摩だったら今の仕事を続けながら移住できるんじゃないかと考えました。それから夫婦でちょくちょく遊びに通うようになり、夫もだんだんその気になってきた……(笑)、といういきさつです」

 

普段は自然豊かな奥多摩町に拠点を置き、2時間で都心に出ることも可能。まさにいいとこ取りの移住生活

 

「当初は都心部のマンションに事務所を借りていましたが、いざ引っ越してみたら全然使わない(笑)。むしろその後のパンデミックで都心に出かける用事も減り、2年前に解約しました。ただ、私の場合は都会が嫌いなわけではないんです。行きたいときに気軽に都心へ出て都会の文化に触れられるというのも、精神的な安心感につながっているかもしれません」

自宅には憧れの薪ストーブも。

 

いま地方移住を目指す人々が本当に求めている情報とは?

『Soil mag.』(ワン・パブリッシング刊)2021年10月創刊。1号目の特集は『“耕す暮らし”の創りかた。』。農的暮らしを実践する移住者へのインタビューから、自給菜園や新規就農のノウハウ、各地の地方自治体が実施している移住支援策など、すぐに使える具体的な情報がしっかりと網羅されている。

 

曽田さんはその後子どもも授かり、現在は築150年の古民家に暮らしています。そんな移住生活を送る中で生まれたのが、自身が編纂する雑誌『Soil mag.』でした。日本唯一のDIY専門誌『ドゥーパ!』から2021年10月に創刊されたこの新雑誌には、地方移住によって自分たちなりの豊かな暮らしを実現する人々のエピソードや、その具体的なノウハウがたっぷりと紹介されています。

 

「これは地方移住あるあるだと思うのですが、田舎で暮らしを営んでいると、野菜を自家栽培してみるとか、家の修繕をDIYするとか、自分たちの手で暮らしを作っていくことへどんどん興味が深まっていくんです。そんな中で、私も自然とそういうことをテーマに媒体を作ってみたいと考えるようになりました」

 

誌名に使った“Soil”という言葉には、ふたつの思いが込められているそう。

 

「ひとつは土。いま地方移住を考える人々が本質的に求めているものは何かを考えたとき、自分の手で作物を作るとか、やっぱり土のある暮らしなのではないかと思いました。もうひとつは、サステナブル、オーガニック、イノベーティブ、ローカルという4つの言葉で、この頭文字を合わせると“soil”になります。移住者の事例を紹介する媒体ってこれまでにもあったけれど、実際にその暮らしを実現するための具体的なノウハウまで落とし込めている媒体ってあまりなかったと思うんです。若い世代の移住者が増えている今こそ、その道標になるような情報とワクワクを一冊でしっかり見せられる雑誌にしたいと考えました」

自分たちで食べる分だけ栽培する自給菜園の作り方や、農業と他の仕事を両立する働き方の事例など、土のある暮らしを実践するさまざまなノウハウは、読んでいるだけでも面白く多くの気づきを与えてくれる。(『Soil mag.』より)

 

住居から仕事まで何でもサポート。国や地方自治体の支援制度が充実

移住者が増えている背景には、国や各地方自治体が実施している支援制度の充実もあります。

 

「たとえば私が暮らす奥多摩町では、住宅を購入する際に最大220万円まで補助してもらえます。内容は自治体によってさまざまですが、移住者へのサポートは年々手厚くなっているのが現状ですね」

 

生き方の選択肢が増えている昨今、支援を受けられる年齢層や条件も幅広くなっているそう。子育てと仕事を両立したいシングルマザーや、20代の単身者、新規就農を目指す中高年夫婦、地方で起業したいフリーランスまで、誰にとっても地方移住への道は開かれていると曽田さんはいいます。

 

「最近は、移住者が地域コミュニティにスムーズに入っていけるようなサポートも充実しています。自治体によっては移住相談の窓口に移住コンシェルジュという専門家を入れて、就職から住居探しまで親身にサポートしてくれるというケースもある。たとえば物件探しって移住における大きなハードルのひとつですよね。でもそういったシステムを活用すれば、賃貸情報サイトでは見つけられないような、地域に根ざした情報にもアクセスしやすくなったりするんです」

妊活や子育て、新規就農、住宅、起業と、地方自治体が設けているさまざまな移住支援制度を紹介しているページ。地方の特色に合わせた、個性豊かなサポートが充実している。(『Soil mag.』より)

 

やり直しも失敗もOK! 背伸びしない地方移住とは?

どこを移住先に選ぶかは人それぞれ。こればかりはご縁としかいいようがないと曽田さん。

 

「あちこちの移住先を吟味して情報を調べ尽くしてから移住を決める人って、実はあまりいないというのが、多くの移住者を取材している私の実感です。たまたま旅行で訪れて気に入ったとか、知り合いが近くにいたとか、わりと直感的に決めている人も多い。……というのも、これだけ移住へのハードルが下がっているいま、仮に住んでみてもし自分に合わなかったり、うまくいかなかったら帰ってきたっていいんです。逆にそのくらいの考えでいた方が、地方移住ってうまくいくのかなと感じていて」

 

1回で何が何でも成功させなければならない……地方移住はそんな風に “思い詰めて決める”ような片道切符のものではないというのが、曽田さんの考え。

 

「できれば、家はいきなり購入しない方がいいですね。最初は町営住宅などを借りて地域の人と関係性を深めていけば、その先で耳寄りな物件情報を得られたりしますから。あとは、東京など大都市からの移住に不安があるなら、私のようにその利便性を完全に手放さないという選択肢もある」

 

曽田さん自身、地域コミュニティにはすぐになじめたのでしょうか?

 

「東京ではご近所付き合いというのがほぼなかったので、奥多摩に来てから地域社会というものを初めて体験したような感じです。ただ、その心配はまったくなかったですね。今はどこの自治体も移住者を歓迎してくれる傾向がありますから、人間関係でがんじがらめになるということはあまりないのではないでしょうか。自分なりに距離感をもってお付き合いを楽しめばいいと思います。逆に従来の東京の友人たちは、リフレッシュがてら奥多摩に遊びに来てくれるようになりました。移住前に築いてきた人間関係も、いい距離感でキープできる安心感は大きい。これは都市近郊へ移住するメリットのひとつだと思います」

 

リゾート地などで働きながら、同時に休暇を取れる仕組み、ワーケーション。ロングステイで地域の魅力をじっくり味わえるため、移住のお試しとしても有効です。(『Soil mag.』より)

 

自分を表現する手段として地方移住を考えてみる

一方で、若い世代の移住者同士がつながって、新たなムーブメントを起こすといった動きも、日本全国で活性化しているといいます。

 

「同じ移住者同士というだけで、価値観が合う人も多かったりするんです。そこで新しい仕事やモノ創りなどが生まれている事例は本当に多いですし、今後の田舎暮らしはダブルワーク、トリプルワークがスタンダードになっていくのではないかと感じています。田舎って閉鎖的に思えるかもしれませんが実は“隙間”も多いというか、場合によっては移住者が新しいことを始めやすい環境だったりもするんですよね。たとえば東京で起業してそこで戦おうとすると、たくさんの資金や綿密なブランディングも必要になります。でも人が少ない田舎だったら、自分の得意なことで看板を掲げていると、周りからちょっとした仕事がもらえたり、声をかけてもらえたりすることが実際によくある。都市で活動するよりも、実は田舎の方が自分を表現しやすい環境だったりするんです」

 

これまでの仕事や人間関係は継続させながら、新たなことにも挑戦してみたい。そんな人にとっても、都市と田舎暮らしのいいとこ取りができる“背伸びをしない”地方移住は、ひとつのきっかけになるのかもしれません。

 

「地方移住は今後ますます当たり前の選択肢として定着していくと思っています。これは個人的な願望でもありますが、それぞれに特色を持ったいろいろな地域が活性化していけば、個性的で豊かな暮らしをより多くの人が実現できるようになるし、日本という国の発展にもつながっていくはず。実際世の中は、そのような未来へ向けて少しずつ動き出していると感じています」

 

【プロフィール】

Soil mag.編集長 / 曽田 夕紀子

2021年10月に創刊した、移住と里山ライフのカルチャーマガジン『Soil mag.』の編集長を務める。自身も23区内から奥多摩に家族で移住し、都市部へのアクセスを確保しながら自然を満喫できる里山ライフを実践している。

 

南野がお好み焼きを紹介! リヴァプール公式SNSが公開したローカルフード動画が面白いと話題

各国の助っ人たちが紹介する、一風変わったグルメ動画が話題となっている。SNS上で人気を集めているのは、プレミアリーグのリヴァプールFC公式アカウントが投稿した1本の動画。

 

 

「NH Foods/日本ハム」プレゼンツで制作されたというこの動画には、日本代表の南野拓実、セネガル代表のサディオ・マネ、ギニア代表のナビ・ケイタの3選手が出演。各国の郷土料理の紹介と、そのフードについての思い出エピソードが語られている。

 

 

まず「リヴァプールで好きな食べ物は?」という質問に対しては、南野がフィッシュ・アンド・チップス、マネとケイタはパスタと回答。続いて、各国の料理として南野が紹介したのはお好み焼きだ。

 

「日本のおかずパンケーキ」として提供されたこの料理に対して、「お母さんがこういうお好み焼きを作ってくれたんだ」と語る南野。「家族や友人と食べるのは僕にとってとても特別なことだよ」という彼の説明に興味津々の2人。南野が「10点中9点」をつけると2人も「美味しいよ」「9点だね」「もう少し食べたい」と大絶賛した。

 

続いて、サディオがセネガルの揚餃子「ファタヤ」、ナビが伝統的な煮込み料理「イェティセ」を紹介。和やかな雰囲気で、各国の料理に舌鼓を打った。

 

 

「タキ(南野)はとても良いやつだ」などと語る2人の様子に、南野がチームに溶け込んでいる雰囲気がわかるこの動画。普段とは違う彼らの様子を楽しむためにも、サッカーファンはぜひチェックしてみてほしい。

仕事に集中するか新体験を楽しむか? 実践者が教える「ワーケーション」成功の秘訣とは

オフィスを離れて仕事をする“リモートワーク”が進むなか、なかには自宅や普段の行動圏からも離れて仕事をする人も。観光地やリゾート地で過ごしながら、のびのびと仕事をする「ワーケーション」が、新しいワークスタイルとして昨今注目されています。

 

ワーケーションがコロナ禍をきっかけに注目される以前から実践し、現在は「ワーケーションコンシェルジュ」として活動する山本裕介さんに、ワーケーションのメリットや注意点などを教えていただきました。

 

【関連記事】家をもたない暮らしから、多拠点居住へ。“旅”とともに生きていくための家探し

 

「ワーケーション」には2種類がある

ワーケーションとは、「work(仕事)」と「vacation(遊び)」をあわせた造語。通勤など日々のルーティンから解放され、豊かな自然の中で働くことで、生産性を上げたりリフレッシュしたりするメリットがあります。ワーケーションという言葉が流行するよりいち早く、この働き方を始めていたのが、一般企業に勤めながらワーケーションコンシェルジュとしても活躍している山本裕介さんです。全国各地でワーケーションを実践してきた山本さんによると、ワーケーションには2種類があるそう。

 

1. リゾート地や地方などで新しい体験をすることを目的にしながら、仕事ができる環境を確保する

「プライベートを充実させるだけでなく、仕事にも役立てるためにマーケティングも兼ねてワーケーションしてみる、というタイプです。地方の暮らしに触れたい方や、発見や気づきを得たい企画系・クリエーター系の方などは、その土地に触れることや新しい刺激を受けることが仕事である、とも言えますよね」(ワーケーションコンシェルジュ・山本裕介さん、以下同)

 

↑徳島県上勝町でのワーケーションの風景。現地の方の暮らしを見せてもらいに行ったそう

 

2. 自然のある静かな場所で仕事し、生産性を上げる

「こちらは遊びや交流をするというよりは、むしろガッツリと仕事と向き合うために、環境を変え、仕事の効率化を図るというものです。企業では、研修も交えた合宿を行ったり、リゾートホテルやコワーキングスペースが招致したりしています」

 

合宿タイプのワーケーションでは、仕事をしたあとにリゾート地でリラックスしたり遊んだりすることができるので、ストレスや疲れを軽減させる効果があるという研究結果も(※)。合宿という“公私混同”の企画でありながら、きっちりと時間を区切って行うことで、仕事とプライベートのメリハリを感じる人も多いようです。

※出典=株式会社NTTデータ経営研究所「ワーケーションの効果検証実験」

 

↑山本さんがはじめてワーケーションで訪れた知床半島。船の上でもPCが使用でき、ちょっとした合間も作業時間に当てられます

 

「ただ、本質的には前者の“都会で普段暮らしていると出会えない人々や生活、価値観に触れられる”ことが本来のワーケーションではないかと感じています。わたしが行っているのは前者の方で、その土地でしかできないことを子どもと体験しながら、ぎゅっとコアタイムを作って仕事をする、という働き方をしています。コロナ禍でリモートワークができるようになった方が多くなり、これから地方への移動制限が解除されていけば、多くの人がワーケーションを楽しめるようになるのではないでしょうか」

 

山本さんがはじめてワーケーションを経験したのは、2016年。北海道の知床半島でテレワークをしませんかという企画があり、「別に東京にいなくても仕事はできる」と気づいて実践したのだと言います。

 

「当時はワーケーションという言葉ではなく、『テレワーク』という方が一般的でしたよね。テレワークマネジメントという会社がさまざまな企画を仕掛けていたひとつが、知床半島でのワーケーションでした。わたしの働いているIT企業では、当時から全員が対面して会議するわけではなく、オンラインの方がいたり会議室にいる方がいたりという社風でした。ですから、企画に応募するとき上司には相談しましたが、仕事ができるなら場所はどこでもいい、という返事をもらえたのです。昔と違って、“会社に長くいる人がいちばん偉い”という風潮もなくなってきていますし、仕事でのアウトプットやパフォーマンスが変わらないのであれば、働く場所にこだわる必要はない、という良い方向に、日本全体が変わってきているように思います」

 

ワーケーションのメリットと注意点

ワーケーションを成功させるためには、実践する際の注意点を知っておくことが大切です。一番はもちろん、仕事がきちんとできるように努めること、でしょう。遊びの方が楽しくなってしまい、生産性が下がったり、会議に出られなかったりということがあれば、当然周囲からは歓迎されなくなります。

 

↑奄美大島へ行ったときは、地元の方に島唄を教わったりもしたそう

 

1. 仕事はするが、囚われすぎないこと

「ただし、それに気を取られるがあまり、せっかく遠くに行ったのにずっとPCの前にいた……という失敗にもつながりがちです。交通費をかけてわざわざ行ったのに、遊ぶ時間もとれず、仕事の生産性も上がらなかった、では悲しいですよね」

 

2. 機会を逃さないよう計画に余裕を作ること

「また、反対にあれこれ計画しすぎてしまうのも、ゆとりを失くしてしまいます。たとえば現地での交流が広がっていくと、『明日、川に鮭が戻ってくるから見に行かない?』などと、その土地・その季節にしかないものを体験できるようなお誘いを受けることがあったりします。そんな機会は滅多にないし、行きたいじゃないですか。だから仕事の予定も現地での行動も準備しすぎず、ゆとりを持っていた方が楽しめると思います。

そして、メリットばかりを求めないこと。誰かがお膳立てしてくれるのを待つのではなく、好奇心を持って自分から切り開いていくと、きっと忘れられない出会いやかけがえないものを目にする機会に恵まれますよ」

 

3. 移住との違いを意識して現地交流を楽しむこと

「最後に、“移住”と“ワーケーション”を分けて考えること。移住希望者だと思われて、移住前提でお話をされるケースもあり、ワーケーションで伺ったのに移住希望者だと思われて、バスツアーに参加することになってしまった、ということもあります。移住するための下見ならばそれでいいのですが、そうでないなら、そこを切り分けた方が地元の方との交流もうまくいきます」

 

観光ではなく、日常と地続きの“生活”をする目的で行くと、地元の人にも“お客さま”としてではなく、親しみを持って受け入れてもらえたそう。観光ではわからない、その地域の魅力や地元の人たちとの交流を持てることが、ワーケーションの最大の魅力といえるでしょう。

 

ワーケーションでの過ごし方

実際に、山本さんはどのようにワーケーションの日々を過ごしていたのでしょうか? 成功のポイントとともに伺いました。

 

「まず一日の中で、仕事すべき時間を決めておくのがおすすめです。わたしの場合は、早朝、お昼、夕方、夜の1日4回、1〜2時間のフォーカスタイムを設けて、同僚とメールやチャットで連絡する時間にあてていました。メンバーもわたしとどの時間帯に話せるかがわかっているので、そのときまでに用件をお互いにまとめておき、スムーズで効率のよい連絡ができていましたね。

作業時間は、やるべきことのボリュームによっても違いますが、地域の方との交流や遊びを日中にすることが多いので、朝早めに起きて作業したり、午前中は遊んでお昼過ぎから仕事したり、あるいは夜の時間を使っていました。仕事に取りかかる時間が少ないように感じるかもしれませんが、一日中会社にいたって、集中できる時間は限られていますよね。ワーケーション中は、その時間内にしっかりとパフォーマンスを出さなくてはという思いがあるので、作業時間をぎゅっと凝縮させることで集中力が上がりました」

 

↑長野県諏訪郡富士見町にある「富士見 森のオフィス」。宿泊施設も兼ね備えたコワーキングスペースで、環境が変わるだけで作業も捗りそう

 

同じ作業をしていても、場所や環境が変わるだけで、心の軽さや時間の使い方が変わるもの。自分の仕事や働き方を見つめ、どのようなプランならワーケーションが楽しめるかを考えてみてはいかがでしょうか。はじめからまとまった期間で計画しなくても、2~3日だけの小さな旅のように“移動”してみるのもいいかもしれません。

 

最後に、編集部が見つけたおすすめのワーケーションプラン3選を紹介します。

 

〈編集部選〉体験してみたいワーケーションプラン

続いて、さまざまな土地で行われているワーケーションプランを紹介します。緊急事態宣言が発令されたり解除されたり、時々で事情が変わることも想定しながら、柔軟にプランニングしてみましょう。

 

1. 夏の暑い時期にぴったり!「北海道型ワーケーション」

リモートワークタイムに仕事をしながら、アイヌの文化を学んだり、グルメを堪能したり、北海道を身近に感じられるプランがさまざまあります。涼しい中で仕事をすれば生産性もあがり、大自然に体も心も癒されそうです。農業や漁業体験の他にも、環境・エネルギー産業の取り組みを視察したり、地元の方々と新規ビジネスを練ったりするプランもあります。ただ自分の仕事を持って行くだけでなく、ディスカッションやワークショップを通じて成長できる機会にもなりそうですね。

https://hokkaido-work-vacation.com/

 

2. 優雅な気分にさせてくれるロケーション「ハウステンボスワーケーション」

物語の世界に入ったようなハウステンボスの一角にあるコテージタイプのホテルに宿泊しながら、仕事ができるプラン。テラスや外のベンチなどでも作業ができ、のんびりとした空間でいいアイデアも生まれそうです。景色が変わるだけで頭が柔らかくなり、リラックスして仕事に打ち込めるかもしれません。温泉やおいしいレストランもたくさんあり、場内をサイクリングしたりお散歩したりも楽しめるので、ここから出たくなくなりそう。

https://www.huistenbosch.co.jp/hotels/workation/

 

3. 都心からロマンスカーであっという間の移動!「湯本富士屋ホテル」

ワーケーションで遠い地まで行くのが心配なら、緊急時にも自宅に戻りやすい場所でトライしてみては。箱根湯本から徒歩3分のホテルなら、箱根の町を散策したり、温泉に入ったり、リフレッシュできること機会がたくさんあります。7月22日からはプール営業もはじまるので、頭をすっきりさせるのに泳ぐのがちょうどよいかも。すぐそばを流れる早川の河原や広々としたロビーなど、作業をお部屋以外の場所でするのもおすすめです。

https://www.yumotofujiya.jp/recommend/21.html

 

【プロフィール】

ワーケーションコンシェルジュ / 山本裕介

東京⼤学で社会学を学んだ後、広告代理店を経て現在はIT企業でマーケティングを担当。ワーケーションという言葉が一般的でなかった2016年から北海道・オホーツクエリア、⻑崎・五島列島、⿅児島・奄美⼤島、徳島・神山町/上勝町、和歌山・南紀白浜、福岡・糸島、群馬・みなかみ、長野・八ヶ岳エリアなど、5年間で全国15ヶ所以上で⼦連れリモートワークを実践し、情報発信を行う。FBグループ Local Remote Work Network を立ち上げるなど各地域のネットワークづくりをサポート。

カレーパンや牛タン、ワサビに炭酸⁉︎「ご当地サイダー」で巡る日本各地の自慢の味

北海道から沖縄まで、全国各地にはその土地の名産や特産を生かした「ご当地サイダー」があります。サイダーは柑橘類やフルーツ全般との相性がいいので、味覚の秋には、旬のフルーツを使ったサイダーの製造が増える時期なのだとか。

 

このご当地サイダーのなかには、仙台の「牛タンサイダー」や静岡の「うなぎコーラ」など、飲むことで“ご当地グルメ”を味わえる楽しいラインナップも。全国各地のメーカーがこだわりの材料で生み出したサイダーを調べる、さらに取り寄せて楽しむ……それだけでも、ちょっとした旅気分が味わえるかもしれません。

 

全国ラムネ協会の会長で、多くの地サイダーを手がけている木村飲料株式会社社長の木村英文さんに、ご当地サイダーの魅力を語っていただきました。

 

日本人の職人技がサイダーづくりにマッチ

昔からあるサイダー飲料といえば、瓶のラムネをイメージするのではないでしょうか? ビー玉入りの瓶のラムネは古来の日本文化のようなイメージですが、実は元々イギリスで開発されたものなのだとか。

 

「日本にサイダーが入ってきたのは、江戸時代の終わりです。1853年、ペリーが浦賀に来航したとき、船内に積んでいた飲み物のひとつにあった『レモネード』でした。『レモネード』という言葉が日本人には『ラムネ』と聞こえたことから、ラムネという名称が定着したようです。今では、ビー玉入りの瓶の飲料全般をラムネと言い、それ以外の炭酸飲料をサイダーと言います。

ラムネが誕生した初期の頃は、シャンパンのようにコルクを針金で止めたような形でしたが、1872年にイギリスのハイラム・ゴッド氏が、ビー玉で栓をするラムネ瓶を開発してからは、ビー玉式が定着しています。本国ではこのビー玉の形を統一するのに苦労したようですが、日本人は手先が器用なので、すぐに瓶入りラムネは普及していきました。

昭和初期には全国に2300社ものサイダー会社がありましたが、現在は、全国に34社という状況です。“絶滅危惧種のトキよりも少ない”ということは、非常に危機感があります。地サイダー、地ラムネを盛り上げていきたいですね」(木村飲料株式会社社長・木村英文さん、以下同)

 

ご当地サイダーの発祥ストーリーが興味深い!

全国ラムネ協会の会長の木村社長は、地サイダーや地ラムネが廃番しないよう、精力的に活動をされています。

 

「中小企業が作るサイダーは、大量販売の大手メーカーには価格や生産量で歯が立ちません。しかし、特産品を使ってこだわりの味を生み出すことができます。今、日本で作られている地サイダーや地ラムネの種類は、約250種類ありますが、古くからあるものには、発売当時のエピソードに興味深いものも少なくありません。例えば、山形はパインサイダーが有名なのですが、昭和30年代の開発当時、南国・沖縄のフルーツであるパイナップルはなかなか口にできるフルーツではなく、パイナップルへの憧れから誕生したと言われています。山形にはおいしいフルーツがたくさんあるにも関わらず、山形のソウルフードとしてパインサイダーが根強い人気を持っているというのも、地サイダーへの愛を感じますね」

 

山形食品「山形パインサイダー」250ml 108円(税込)

 

全国縦断! ご当地サイダーの注目ラインナップ

木村社長は自社商品だけではなく、全国各地の地サイダー、地ラムネの普及活動に精を出しています。オススメのラインナップをお聞きしたところ、「すべてです!」とのご回答が。そこで、全国各地の地サイダーや地ラムネの中からほんの一部ですが、ピックアップしてみました。

 

【北海道・東北地方】

・北海道のスーパーやコンビニでも手に入るソウルドリンク

小原「コアップガラナ」230ml 120円(税込)

北海道には、夕張メロンやハスカップ、ぶどうや焼きとうきびなど、さまざまな地元の名産品を使ったサイダーがあります。中でも注目したいのが、コーラに似ているけれど、独特な甘味と薬草感が特徴のガラナ。ガラナはブラジルの植物で、北海道が産地ではありませんが、北海道限定で販売されています。

「北海道だけに定着した『コアップガラナ』は、コカ・コーラが本州よりも3年後に上陸したからです。道民のソウルドリンクの地位を確立し、北海道内のスーパーやコンビニでも手に入る定番商品です」

 

・青森・八戸の漁港から広まった大正10年創業の強炭酸フレーバー

八戸製氷冷蔵
「三島シトロン」330ml 130円(税込)
「みしまバナナサイダー」330ml 130円(税込)

青森県を代表する老舗サイダーといえば「みしまサイダー」。1921年創業の八戸製氷冷蔵で作られています。地元の三島湧水を使った、昔ながらの機械と製法で作られている瓶入りサイダーは、シトロン(プレーン)とバナナ味が人気です。バナナ味は発売当時に高級品だったバナナを、少しでも多くの人が味わえるようにという思いで生まれました。強炭酸の爽快感は、地元の漁師から子どもまで多くのファンに愛されています。

「近頃発売した『イカスミサイダー』は、焼酎で割るのもおいしいとか。こちらも注目のサイダーですよ」

 

・勇気ある挑戦が功を奏した!? 仙台を代表するパワフル商品

トレボン食品「牛タンサイダー」340ml 250円(税込)

仙台名物・牛タンをモチーフにした炭火焼牛タン風味のサイダーは、2011年の東日本大震災後に、ユーモアで被災地を元気づけようとトレボン食品の社長が開発したものです。シュワっとほのかに甘いサイダーに、炭火焼牛の風味がマッチ? 1本あたりコラーゲンが1000mg入っているのは、女性にうれしいポイントと言えそうです。昭和25年創業のトレボン食品は、プレーン、いちご、コーラ、ブルーハワイなどの瓶ラムネやユニークな地サイダーのラインナップが注目です。

「トレボン食品の鶴戸社長は、伊達政宗のような破天荒さを持つ方です。今後の商品開発にも大いに注目したいですね」

 

【関東地方】

・栃木発のなつかしいラムネはスッキリパッケージがおしゃれ!

マルキヨーラムネ「アソートセットB」200ml×12本 1800円(税込)

栃木県足利市島田町、県道152号沿いにある1951年創業のマルキヨーラムネ。昔ながらの味を守り続けながらも、どこか新しく感じる商品のラインナップです。瓶入りのラムネの味は創業当時と変わらず、シトラス味の無色、ピーチ味のピンク、ブルー・ハワイ味のブルーに青りんご味のグリーンの4種類。どれもがかき氷のシロップを連想させる色と味わいです。

「マルキヨーさんはワイン作りの専門家でもあるので、ワインのラインナップもぜひ、チェックしてくださいね」

 

・神奈川の老舗がプロデュース、冬はホットでビール割りも

川崎飲料「ドルチェポップレモネード」340ml 200円(税込)

厳選したシチリア産レモン果汁を使用した微炭酸レモネード。寒い時期には温めてホットレモネードにしたり、ビールで割ったりするのもおいしいので、季節を問わず楽しめます。1952年創業の川崎飲料では、ほかにも「湘南ゴールド」という希少フルーツを使った「湘南ゴールドサイダー」や「塩レモンサイダー」「みかんサイダー」「横浜サイダー」などのラインナップがあります。

「川崎飲料さんは神奈川県を代表する地サイダー・地ラムネのメーカーです。魅力的なラインナップに注目です」

 

【中部地方】

・石川県の地元産業を盛り上げるこだわりのサイダー

DENEN「いしかわ地サイダー」340ml ×18本セット 4806円(税込)

石川県らしい魅力が詰まった4種類の地サイダーです。能登の海水塩を使った「奥能登地サイダー しおサイダー」、湯桶温泉ゆかりの芸術家・竹久夢二が描いた美人画が目を惹く「金沢湯桶サイダー 柚子乙女」、金沢すいかと塩の味がさわやかな「金沢砂丘サイダー すいか姫」、北陸最大級産地である能登のブルーベリーを使用した「能登の里山サイダー 青のしずく」。どれもが地元の特産品を使い、地域活性化への思いを込めて作られている地サイダーです。

「石川県のラムネ・サイダーメーカーは、残念ながら衰退してしまいましたが、こうやって石川県の地サイダーが開発されているのがうれしいですね」

 

・静岡名産のわさび漬け×ジンジャーエール、ピリッとドライな大人テイスト

木村飲料「WASABIジンジャーエール」240ml×20本 3700円(税込)

静岡のサイダーと言えば、木村飲料。こちらでは、静岡の名産品であるお茶やみかん、富士山の湧水、うなぎ、桜エキスや近隣県で採れるフレッシュなフルーツを使ったもの、メロンパンやカレーパンなど、バリエーション豊かな地サイダーや地ラムネが豊富に並びます。たくさんあって悩ましい中、ピックアップしたのは、わさび漬けの老舗「田丸屋本舗」との静岡コラボで生まれたジンジャーエール。焼酎のジンジャー割りなどにもよく合いそうです。

「『ジンジャーエール』と『わさび』のピリ辛な両者が合わさることで、パンチのあるハードな味わいに仕上げました。うなぎエキス入りの『うなぎコーラ』もお試しください」

 

・福井県大野の水と特産品を生かした上品なフレーバー

大野商工会議所「越前おおの名水すこサイダー」250ml 270円(税込)

大野商工会議所がある福井県大野市は、日本の名水の町。2017年にこの土地の湧水を使ったご当地サイダーの開発が企画され、2年の時を経て誕生したのが「すこサイダー」です。「すこ」とは、サトイモの一種であるヤツガシラの茎を甘酢漬けにした郷土料理で、やさしいピンク色と甘酸っぱさが特徴。ほのかに香る米酢とレモン風味が上品な味わいで、里芋の葉をモチーフにしたハートのマークのパッケージが、シャンパンのよう。ツイッター用語で好きを「すこ」と表現することから話題を集め、恋愛成就のサイダーとして注目されています。

「福井県には『北陸ローヤルボトリング』という老舗メーカーがあります。こちらのさわやかラムネもオススメです」

 

【近畿・中国・四国地方】

・サイダーの起源を大切にした大阪の歴史的復刻版

大川食品工業「大阪サイダー」330ml 130円(税込)

1951年創業のラムネ・サイダー専門店である大川食品工業は、大阪の銭湯でなじみの飲料として親しまれた、りんご味の「パレード」やメロンフレーバーの「シーホープ」を製造する老舗メーカーです。2010年に四半世紀ぶりに復活させた「大阪サイダー」は、メロン風味の昔ながらのソーダの風味をキープしつつも、レモンライムの香料で大人好みのすっきりとした味わいに。昭和のレトロ感あるパッケージがおしゃれです。

「大阪を代表するメーカーです。昔親しまれた『大阪サイダー』の復刻はうれしいことです」

 

・ポリフェノールたっぷり! 香川県小豆島のヘルシーソーダ

谷元商会「オリーブサイダー」200ml 200円(税込)

瀬戸内海に浮かぶ小豆島と言えば、オリーブオイルの名産地。オリーブの実を絞ると、2割ほどがオイルに、残りは果汁となり、果汁の方がポリフェノールは豊富です。しかし、果汁は苦味や渋みが強いことから食用の人気が低く、多くの果汁が捨てられていました。オリーブ植樹から100年を迎えた2008年、この果汁を有効活用する商品開発が進められ、誕生したのがオリーブサイダーです。青りんごのようなフレッシュな味わいで飲みやすく、果汁を有効利用できる商品ということもあり、県産品コンクールで知事賞を受賞しています。

「香川県の地サイダー・地ラムネメーカーは衰退してしまいましたが、こうやって、地元の食材をサイダーで味わえる商品開発が成功しているのはうれしいですね」

 

【九州・沖縄地方】

・佐賀県の老舗・友桝飲料の斬新な果実サイダー

友桝飲料「果実サイダー詰め合わせ」300ml ×24本 3110円(税込)

1902年創業の友桝飲料は、清涼飲料水の商品開発数日本一! 木村飲料と並び、地サイダーや地ラムネの普及に大きく貢献しているサイダー業界きっての元気な企業です。上品なパッケージのロングセラー「スワンサイダー」から始まり、「こどもびいる」やラムネ、お風呂上がりに飲みたい「湯あがり堂」など、遊び心あるラインナップが充実しています。コロンとした容器がかわいい果実サイダーは、ドリアン、マスクメロン、スイカ、豊潤白桃、完熟マンゴー、パインの6種類。それ以外にも、おしゃれなパッケージのラインナップも見逃せません。

「九州最大の地サイダー・地ラムネメーカーです。大手企業の下請けも引き受け、急成長している会社。今後の新商品開発にも注目です」

 

・宮崎のマンゴー果汁入りのトロピカルな炭酸水

「宮崎マンゴー地サイダー」245ml 270円(税込)

宮崎を代表するフルーツと言えば、マンゴー。マンゴー果汁入りサイダーをピックアップしました。同じメーカーの「日向夏サイダー」はさっぱりとした酸味で、ウイスキーや焼酎などのアルコール割りにも合いそうです。ほかにも、九州には名産品を使った魅力的なラインナップがたくさんあります。スイカ生産量日本一の熊本県の「スイカサイダー」、大分県の「かぼすサイダー」、鹿児島県の「屋久島たんかんサイダー」は、絶品まちがいなし!

「宮崎県のメーカーは衰退してしまいましたが、地元の食材を生かしたラインナップが出ていることがうれしいですね」

 

・沖縄・伊江島のイエソーダは「言えそうだ」が由来の告白飲料

伊江島物産センター「イエソーダ4本入り オリジナルBOXセット」200ml×4本 1100円(税込)

沖縄本島の本部港からフェリーで30分のところにある伊江島の、断崖絶壁の波打ち際「湧出(わじー)」に湧き出る湧き水を使用したソーダです。100%伊江島のサトウキビで作られた黒糖入りの「ブラックケインコーラ」が一番人気で、ほかにも、村花テッポウユリをイメージした乳酸系の「ホワイトソーダ」、真っ赤なドラゴンフルーツ入りの「ピンクドラゴン」、シークゥワーサーと湧出の塩「荒波」入りの「グリーンマース」の4種類があり、発売から2年で30万本を販売している人気商品です。

「こちらは沖縄県にある唯一の地サイダー・地ラムネのメーカーです。お取り寄せして旅気分を味わいたいですね」

 

全国各地のご当地サイダーはココをチェック!

まだまだほかにも全国には、たくさんの地ソーダや地ラムネがあります。

 

「一般社団法人『全国清涼飲料連合会』のホームページでは、全国の地サイダーや地ラムネのラインナップを紹介しています。販売元も記載しているので、ぜひ見ていただきたいですね。コロナ禍が続く中で、花火大会やお祭りが軒並み中止となっている今、販路が減って、中小の飲料メーカーは大きな打撃を受けています。ですが、日本の職人技が光る瓶入りラムネや丁寧に作られている地サイダーは、後世に伝え続けていくべきものです。フランスやイタリアなどの世界中から愛されているワインのような存在に、日本のラムネや地サイダーを育てていくのが私の夢です」

「2021年地サイダー&地ラムネカタログ」

 

ご当地サイダーはアレンジも楽しい!

そのまま飲むだけでも充分においしいけれど、アイスを乗せてアレンジしたり、凍らせたアイスやフルーツゼリーを入れたりしてソーダ割ドリンクにする楽しみ方もできます。

 

「塩系サイダーや柑橘系サイダーでウイスキーを割ってハイボールにしたり、焼酎やウォッカなどを地サイダーで割ったりするのもよく合いますよ」

 

↑こちらは木村さんの会社のスタッフが考案したアレンジだそう

 

インターネットにアクセスすれば、お取り寄せが簡単にできる時代です。自宅にいながら全国各地の地サイダーや地ラムネを味わってみるのはいかがでしょうか。フルーツやハーブ、アイスを加えたアレンジや、お酒で割ってオリジナルの味を楽しんでみましょう。

 

【プロフィール】

木村飲料 社長 / 木村英文

1956年静岡県島田市生まれ。大学卒業後、祖父が起業した木村飲料に入社し、1999年に3代目取締役社長に就任。「必勝合格ダルマサイダー」「わさびらむね」「カレーラムネ」「うなぎコーラ」などのユニーク飲料を発売し、ヒットさせる。全国清涼飲料工業会理事、静岡県清涼飲料工業組合理事長、全国ラムネ協会会長、島田関税会会長も務める。
http://www.kimura-drink.net

 

 

高層ビルと下町…玉袋筋太郎が語る、変化し続ける街「西新宿」の2つの顔と変わらない魅力

東京都庁舎や高級ホテル、オフィスビルなど、超高層ビルが軒を連ねる東京都新宿区・西新宿エリア。今では信じられないかもしれませんが、50年前にはノスタルジックな下町の風景が広がっており、戦後の日本の発展を象徴するエリアとも言えます。

 

今回は、そんなかつての姿を知る、生まれも育ちも西新宿のお笑い芸人・玉袋筋太郎さんと、西新宿再開発の先陣を切った「京王プラザホテル」にインタビュー。50年間で目覚ましい発展を遂げた「西新宿」という街の思い出と現在、その未来について熱く語ってくれました。

 

3階建てのビルから街全体が見渡せた、50年前の西新宿

お笑い芸人/玉袋筋太郎

1967年東京都新宿区西新宿生まれ。大ファンであったビートたけしに高校時代より弟子入りを志願し、のちに現在の芸名を襲名。1987年に水道橋博士とともに漫才コンビ「浅草キッド」を結成し、バラエティ番組などでブレイクする。現在はお笑い芸人として活動する傍ら、演劇の監修やエッセイの執筆、「一般社団法人全日本スナック連盟」の設立や、スナック店「スナック玉ちゃん」の運営など、活動の幅を広げ続けている。
https://www.snaren.jp/

 

———1967年、西新宿に生まれた玉袋筋太郎さん。1971年に「京王プラザホテル」が建設されたのを皮切りに超高層ビル群が建ち並ぶ以前、西新宿はどのような街だったのでしょうか?

 

俺は当時西新宿1丁目にあるおじいちゃんの持ちビルに住んでたんだ。3階建てのビルで、下の階で親父が雀荘をやってたから、家族は3階で暮らしてたんだけどさ。まだ高層ビルなんてひとつもなかったから、家の屋上から街全体が見渡せたよ。

 

小学校も俺が通ってたところを含めて7校くらいあったし、酒屋とか味噌屋とか魚屋とか、銭湯も普通にあった。今みたいにビジネスマンとか観光客が集まる場所じゃなかったよ。休日になると、地元の人以外誰も歩いてなかったしね。

 

———今では、西新宿は日本有数の治安のいい街ですが、当時はどのような雰囲気でしたか?

 

今とは全く違う雰囲気だったよ。現在の「ルミネエスト」から「髙島屋」まで抜けていく線路脇の道なんて、治安は最悪だった。今じゃ信じられないだろうけど、いわば“青線地帯”(※)だったんだよね。怖い人や危ない人がウロウロしてて、大人からは「子どもは近づいちゃいけません!」って言われてた。

※“青線地帯”とは、非合法で売春が行われていた地域。上記の旧旭町(現在の新宿4丁目)については、“準青線”に分類されていたという説もある。

でも遊びに行くときにどうしても通らなきゃいけないもんだから、怖いけど毎日のようにそういう場所も通ってたよ。毎日見ていれば耐性がつくっていうか、慣れていくからね(笑)。だから、俺たち子どもたちはすごく鍛えられたと思う。大人になっても怖い人に絡まれたり、悪い人に騙されたりしたことないからね!

 

高層ビルが最高の遊び場!わんぱくな西新宿の子どもたち

↑1971年、建設当初の京王プラザホテル ※写真提供/京王プラザホテル

 

———当時子どもたちは、どんな場所で遊んでいたのでしょう?

 

俺が4歳の頃、通ってた幼稚園の目の前に京王プラザホテルが建って、小学校に上がる頃には「新宿住友ビル」とか「新宿三井ビルディング」とか、高層ビルがニョキニョキ建ち始めた。そういうビル全部が、俺たちの遊び場だったんだよ。「今日は『京王百貨店』ね!」とか言い合って集まるんだ。

 

高層ビルって大体、低層階がショップやレストランで、中層階がオフィス、高層階が展望レストランになってるから、子どもでも普通に出入りできるでしょ。よく京王百貨店の本屋で立ち読みしたり、非常階段使って駆けっこしたりして、お腹が空いたら地下の食品売り場で試食品食べたりしてた。楽しかったなあ。

 

夏なんて暑いからビルの中で涼みたくて、いつもオープン前に並んで一番乗りで入店してた。そうすると、入り口の前にズラーっと並んでる従業員たちが、「いらっしゃいませ」って頭下げてくるんだよ、俺たちみたいな子どもに。笑っちゃうよね。

 

———1980年代に入ると、西新宿には一気にゲームセンターが増えた印象がありますが、やはり夢中になりましたか?

 

『スペースインベーダー』が流行りだしてからは、もうゲーセン漬けの毎日だったよ。でも近所のゲームセンターとかには、俺たちよりも上の学年の偉そうなやつらが入り浸ってたから行きたくなかった。

 

それでどうしたかっていうと、京王プラザホテルの47階にもゲーセンがあったから、そこで遊んでたんだ。入園料を払わないと入れないゲーセンで、まわりの子どもたちはほとんどいなかったんだけど、幸い俺たちは商人の子どもでお小遣いもあったから、誰にも邪魔されず遊べたわけ。悪ガキたちは入ってこられない場所だからね!

 

———なんだかラグジュアリーな遊び方ですね! 高層ビルを遊び場の拠点とする子どもたちというのは、なんだか新鮮に感じられます。

 

そうでしょ。京王プラザホテルなんか、後からできたんだもん、俺は自分の“弟”だと思ってるよ! お母さんがいつも幼稚園の迎えの後に、京王プラザホテルの喫茶店に連れてってくれてさ、そのあと俺が駄々こねると、47階の展望ルームにも連れてってくれるの。あの当時日本で一番高い建物だったから、いわば山頂からの眺めみたいなものを楽しめるわけだけど、あんなに標高のあるところに立ってた幼稚園児なんか俺だけだと思うよ!(笑)

 

その後、西新宿以外にも高層ビルは増えていったけど、1978年に池袋に「サンシャイン60」が建ったときなんか、悔しくてたまらなかったもんね。やっぱり、西新宿の高層ビル群に誇りみたいなものがあるんだよ。

 

変化していく、それが西新宿という街の運命

———玉袋さんが成長するにつれて、西新宿の街もどんどん発展を遂げていきましたが、当時変わりゆく景色をどのように受け止めていましたか?

 

俺は1歳から6歳まで西新宿一丁目に住んでて、そのあと親父が西新宿八丁目にマンションを買ったんで引っ越したんだけどさ。「職安通り」から続く「新宿税務署通り」の道幅を拡張するっていう動きがあって、その車線沿いに住んでるやつらはみんな引っ越さなくちゃいけなくなった。もちろん国からお金もらえるから、もっといいところに引っ越したやつもいるけどね。

 

そうやって世帯がどんどん減っていくから、学校もどんどん廃校になっていった。俺が通ってた幼稚園、保育園、小学校、中学校……もう全部ないよ! やっぱり、母校がなくなるっていうのはちょっと切ないよね。

 

でもさ、言い方悪いかもしれないけど、新宿は元から侵略されていく街なんだよ。だって昔から、日本で一番乗降客の多い駅だったんだからさ。いわば超でっかい“人間交差点”だよ。変化していくのがこの街の運命で、もう昔から受け入れ態勢はできてたかな、俺の中で。

 

———当時通われていたお店で、今も営業されているお店はありますか?

 

かなり少なくなってるけど、あるよ。思い出横丁(新宿西口商店街)にある中華料理屋の「岐阜屋」、それに焼肉屋の「明月館」とか。新宿駅西口の近くにあるもつ焼き屋の「ぼるが」もそうかな。

 

明月館は子どもの頃から家族で通ってて、よくランチに食べに行ってたよ。当時ハラミって人気ないから安くてさ、信じられない値段でハラミ定食食べてたの。いい時代だったな〜(笑)。あのあたりは、まだかすかに当時の雰囲気が残ってる感じがするね。

 

心に残る故郷の景色は、高層ビル群

———現在は玉袋さんも西新宿の街を離れていますよね。現在も訪れることはありますか?

 

俺は今中野・杉並あたりに住んでるんだけど、なんでそこに住んでるのかっていったら、一日一回、西新宿を通るためなんだよ。今も毎日車で通り過ぎては「ああ、ここも変わっちゃったんだ」なんて観察してるよ。

 

おじいちゃんが亡くなった後、俺たち家族が住んでたビルも相続税がとんでもない額になって、仕方なく手放すことになったんだけどさ。築50年以上のビルだけど、今もリノベーションとかして取り壊されずにそこにあって、中には居酒屋とかのテナントが入ってるんだけど、見かけるとキュンキュンしちゃうよ。

 

やっぱり、あの西新宿の景色を見ないと落ち着かないんだよなあ。不思議なもんで、ちゃんと俺の故郷の景色になってるんだよ。

 

———地方出身の人々にとっての故郷の景色とは異なるものの、玉袋さんにとっては高層ビル群が思い出の景色となっているのでしょうか?

 

そうそう! みんなの故郷の景色といえば山とか海とか、自然の中にある美しい景色とかなのかもしれないけどさ、俺にとってはそれが高層ビルなんだよ。標高も山と同じくらいあるしね。街の開発で地方に引っ越していった知り合いなんか、今は山に囲まれたところに住んでるけど、高層ビルが恋しくて涙流したらしいよ。普通、逆なんだろうけど(笑)

 

 

今回は、玉袋さんが自身の弟のような存在とも語る、京王プラザホテルを直撃。次のページでは、32年に渡り“ゲストリレーション”として活躍する吉城亜紀さんが、ホテルの歴史と街の発展について語ります。

“下町”だった西新宿に、突如登場した高層ホテル

↑1971年、建設当初の京王プラザホテル ※写真提供/京王プラザホテル

 

———1971年当時、下町だった西新宿の街に、突如として登場した京王プラザホテル。日本一高い建設物として、東京だけでなく日本全国から注目を集めていたそうですが、当時地元の人々からはどのような反応があったのでしょうか?

 

当時を知るお客様からは、「今で言う『ディズニーランド』と『東京スカイツリー』が組み合わさったような衝撃があった」というお言葉をいただきました。建設中から「一体何が建つんだろう?」と皆さん思われていたそうなのですが、それがご自身が利用されるかもしれないホテルだということを知り、とても期待してくださっていたようです。

↑ゲストリレーションズの吉城亜紀さん

 

私が伺った中でとても印象的だったのは、近隣に住む子どもたちが、自転車で京王プラザホテルを目指して走って来たというエピソードです。西新宿よりももっと遠く、杉並周辺に住んでいた子たちだったらしいのですが、「あのホテルを目印にして走ろう!」と出発したそうなんです。

 

しかし、いざ到着して来た道を振り返ってみると、帰り方がわからなくなってしまったそう。これは京王プラザホテルが建設された当時、周囲に高い建物がなかったということがわかる象徴的なエピソードだと思います。

 

西新宿の発展の一端を担うという、ホテルの使命

———2021年で50周年を迎えられるということですが、この50年間の街の変化は、ホテルにどのような影響を与えましたか?

 

そもそもホテルが建つとき、創業社長の井上定雄には「街の発展にはホテルが必要」という想いがあったんです。この新宿という街、そして東京というエリアが発展していくには、人が集うホテルという広場が必要不可欠、というのが彼の考えでした。「新宿新都心開発協議会」とのミーティングにも我々ホテルのメンバーが参加していましたし、街の変化に影響されるというよりは、街の発展の一端を担うという思いが強かったと思います。

 

———街の発展を、自ら手伝っていたというわけですね。

 

その通りです。設立前にはヨーロッパやアメリカなど、海外のホテルの視察も積極的に行なっていたのですが、とくに米国・ロサンゼルスのセンチュリーシティにある「センチュリープラザホテル」を研究したときに、やはりホテルは街の核となっていると、確信したといいます。

 

京王プラザホテルにも広場という意味の“プラザ”という言葉が入っていますが、そこには人々が集い、憩い、人と人との交流が行われる中心部になってほしいという想いが込められています。

 

実際、ホテルは新宿という街だけでなく、東京の入り口のような存在になれたと思っています。今や最寄駅も増えてどこへでも電車で行き来できるようになりましたし、ホテル発着のバスも多いので、ホテルを拠点にさまざまな観光地へお出かけなさる方も多くいらっしゃいます。まさに、人々が集まる中心部になれているのではないでしょうか。

 

これからも西新宿のシンボルであり続けるために

↑現在の京王プラザホテル ※写真提供/京王プラザホテル

 

———50年間変わらず人々に愛され、西新宿のシンボルであり続ける京王プラザホテル。愛されるホテルであり続ける秘訣とは何でしょうか?

 

私どものホテルには“接客のプリンシプル(原則)”というものがいくつかあるんですが、その中に“親しみやすさ”という言葉がありまして、社員一同心がけております。

 

もちろんホテルですから、ゴージャスさや高級感も大切だとは思いますし、お召し上がりいただくものやお使いいただくアメニティには、最上級のものを選んでいます。しかし、提供する空間として、お客様を緊張させてしまったり、おくつろぎいただけないホテルではいけないと思っているんです。

 

たとえば、できるだけ多くの人が利用しやすい“ユニバーサルデザイン”というのを心がけていて、サインひとつとっても、スタイリッシュにデザインするよりも、文字をなるべく大きくしたりして、読みやすさにこだわっています。室内の照明に関しましても、雰囲気よりも過ごしやすさを重視して、明るめに設定しています。

 

接客においても、もちろん従業員の服装や髪型など身だしなみを整えることは当然必要ですが、お声がけさせていただくときのトーンですとか、表情ですとか、お客様に親しみやすさを持っていただけるよう心がけております。リピーターの方々には、そういった親しみやすさや過ごしやすさを支持していただけているのかな、と感じています。

 

———2020年は、コロナ禍によりホテル業界もこれまでにない変化を強いられることになったと思います。50周年を迎えるにあたり、今後の展望をお聞かせいただけますでしょうか?

 

今年は私どもだけでなく、皆さまにとって本当に大変な年だったと思います。私たちホテルマンにとって、マスクを装着してお客様の前に立つのはこれまでご法度でしたが、現在ではお客様をお守りするために必要なものとなりました。32年間ホテルに勤めてきた私にとって、これは初めてのことです。

 

これまで大切にしてきたことも、“お客様の心に寄り添うサービス”でしたので、そこは忘れないでいきたいと思います。それに加えて、これからはお客様に安心していただける環境をご提供することが重要だと考えております。

 

救急車などで採用されている強力な空気清浄機を導入したりなど、徹底した感染対策はもちろんですが、ホテルでの移動時にエレベーターなども貸切にできる『キレイプラン』というサービスもご好評いただいております。今後とも、お客様の心に寄り添うサービスを展開してまいります。

 

ゲストリレーションズ/吉城亜紀

1988年、京王プラザホテルに入社。社内のさまざまな部署を経験しつつも、ベテランゲストリレーションズとして現在も最前線で活躍している。
https://www.keioplaza.co.jp/

 

こうして50年間、発展を続けてきた西新宿の街。生まれも育ちも西新宿の玉袋さんは、現在の西新宿について何を思うのでしょうか?

 

西新宿という街の運命に、身を投じてみてほしい

———ほかの街にはなく、西新宿にしかない魅力とは何だと思いますか?

 

これから入ってくる人にとっては、交通の便もいいし、治安もいいし、言うことなしの住みやすい街でしょ。過去の景色を覚えてたりとか、街を出なきゃいけなくなった人たちとは違って、何のしがらみもないしね。

 

でもさ、西新宿には、街としての運命があるからね。たとえ今から更地になったとしても、きっとまた何か建設される。その運命を背負い続けている街なんだよ。だから、この街がどんなところなのか知りたいって人には「運命の中に身を投じてみな!」って言いたい。そしたら多分、「こういうことだったのか」ってわかると思うよ。「人の出入りが多いってこういうことなのか」ってね。

 

それにさ、東京駅の周りなんかは、もうほとんど人住んでないでしょ? 品川駅なんかも、もうバンバン新しいものが建っちゃって、当時のニオイを感じられるものはほとんどない。でも、新宿はこれだけ発展しても、まだ当時のニオイがかすかに残ってるんだよ。

 

「こんなキレイな街に、そんなものないだろ」と思ってても、自分のセンサーを研ぎ澄ませてると見つけられるよ、芳しいニオイがね(笑) 「かつてこんなところだったのか」って思いながら住んでみるのも、またおもしろいかもしれないよ。

 

取材・文/藤間紗花 写真/柴崎まどか