海外の自動車関連の雑誌やサイトではいわゆる“スーパーカー”の括りではなく“ライトウェイトスポーツカー”として定義されることが多いが、日本では間違いなく“スーパーカー”の代表格として位置づけられる稀有なモデルがある。日本のスーパーカー・ブームの中心的な役割を果たした池沢さとし(池沢 早人師)さん作の漫画『サーキットの狼』の主人公が駆る「ロータス・ヨーロッパ(LOTUS EUROPA)」(1966~1975年)だ。今回はロータス・カーズの創業者であるコーリン・チャップマンの商才が存分に発揮された軽量ミッドシップスポーツカーの話題で一席。
【Vol.9 ロータス・ヨーロッパ】
セブン(1957年デビュー)やエラン(1962年デビュー)というスポーツカーの発売によって、会社の業績を飛躍的に伸ばした英国の自動車メーカーのロータス・カーズ。しかし、創業者のコーリン・チャップマン(Anthony Colin Bruce Chapman)はこの状況に決して満足せず、次なる戦略に打って出る。スポーツカー本来の楽しさを維持しながら市場の志向に合わせて上級化を図り、しかも軽量で安価なミッドシップスポーツを創出しようとしたのだ。また、販売マーケットは欧州市場全体を見据えることとし、自国の英国は後回しにすることを決断。さらに、使用パーツは後々のメンテナンスやアフターサービスなどを踏まえて欧州大陸製を多く組み込む方針を打ち出した。
■欧州市場向けの量産スポーツカーを企画
全長4000×全幅1638×全高1080mm、車重は660kg。1594cc直列4気筒DOHCエンジンに5速MTを組み合わせた
セブンを引き継ぐロータス製の新型スポーツカーはコードナンバー46として開発され、1966年12月に「ヨーロッパ(EUROPA)」の車名で市場デビューを果たす。基本骨格には鋼板を溶接したボックス断面で構成するバックボーンフレームを採用。また、フロント部はボックスセクションにクロスメンバーを直角に溶接してT字型を形成し、一方のリア部はパワートレインをなるべく低い位置に搭載するためにY字型としたうえで左右に分かれたフレームを1本のチューブで結び、これにギアボックス後端を支持させた。架装するボディは軽量なFRP製で、強度を持たせるためにフレームへの接着工法を導入する。サスペンションはフロントにダブルウィッシュボーン/コイル、リアにラジアスアーム+ロアトランスバースリンク/コイルをセット。操舵機構にはトライアンフ・ヘラルドから流用したラック&ピニオン式を、制動機構にはガーリング製の前ディスク/後ドラムを装備した。
パワートレインに関しては、FF車のルノー16用を180度転置して使用する。Y字フレームに挟まるようにして搭載するエンジンはアルミ合金製のブロックとクランクケースを持つ5メインベアリングの1470cc直列4気筒OHVユニットで、圧縮比の引き上げ(8.5→10.25)やハイリフトカムの組み込み、ツインチョークキャブレター(ソレックス35DIDSA2)の採用などにより、82hp/6000rpmの最高出力を発生した。組み合わせるトランスミッションはアルミダイキャストのケースで覆ったフルシンクロの4速MT。最終減速比は3.56と低めに設定される。また、エミッションコントロールの厳しい地域に向けては、対策を施した1565cc直列4気筒OHVエンジン(80hp/6000rpm)を採用していた。
エクステリアに関しては、フォード出身のデザイナーであるジョン・フレイリング(John Frayling)が主導した低くて空力特性に優れる(Cd値0.29)2ドアクーペスタイルが訴求点となる。ボディサイズは全長4000×全幅1638×全高1080mm/ホイールベース2337mmで、車重は660kg。また、ミッドシップレイアウトを強調するリアクォーターパネルが窓なしで、しかも高く設定されていたことから、市場では“特急ブレッドバン(パン屋の配達バン)”というニックネームがついた。内包するインテリアは非常にシンプル。ドアの内張は省略され、シートやサイドウィンドウは固定式。前述のリアクォーターパネルの影響で、後方視界は狭かった。
ちなみに、コードナンバー46のヨーロッパのデビューとほぼ時を同じくして、46をベースにグループ4カテゴリーへのエントリーを目的にチューンアップしたコンペティションモデルの「47」が登場する。軽量化を果たしたバックボーンフレームには、ロータス・コスワース13Cの1594cc直列4気筒DOHCエンジン(165hp)+ヒューランド製FT200・5速MTのパワートレインを搭載。また、リアサスのラジアスアームおよびハブキャリア等の変更、リアブレーキのディスク化、軽合金製専用燃料タンクの装備、センターロック式マグネシム合金製ホイールの装着などを実施していた。
■シリーズ2→ツインカムへと発展
ヨーロッパ・シリーズ2。ドア内張りと木目調パネル、ラジオなど、GTカーらしい装備をおごる
1968年になると、コードナンバー54のヨーロッパ・シリーズ2がデビューする。このモデルでは従来のウィークポイントが大きく解消されていた。まず、フレームとFRP製ボディの接合方法が接着式からボルト留め式に刷新され、修復およびメンテナンス性が向上。内装では2分割式ドアガラスの内の1枚の電動開閉化、アジャスタブル機構付きのバケットシートの装備、ドア内張りと木目調パネルの設定、ラジオの装着など、GTカーにふさわしいエクイップメントを備えた。また、1969年7月には右ハンドル仕様の英国向けモデルの販売がスタート。さらに、1970年中にはエミッションコントロールなどを施したコードナンバー65のアメリカ市場向けヨーロッパの輸出を開始する。一方で、1969年にはグループ6に準拠するコードナンバー62のプロトタイプ・ヨーロッパを開発。新設計のスペースフレームにマーティン・ウェイド(Martin Wade)がデザインした空力ワイドボディ、1気筒当たり4バルブの1973cc直列4気筒DOHC16Vエンジン(220hp)などで武装した新レーシングマシンは、ブランズハッチなどのレースシーンで大活躍し、ヨーロッパの高性能イメージをいっそう引き上げた。
1971年10月にはロータス製ツインカムエンジンの1558 cc直列4気筒DOHCユニット(105hp)を搭載したコードナンバー74のヨーロッパ・ツインカムが登場する。トランスミッションには専用のクラッチハウジングを組み込んだルノー製の4速MTをセット。航続距離の引き上げを目的に燃料タンク容量は7ガロンから12.5ガロンへとアップし、同時にフィーラーキャップをエンジンカバー左右の2カ所設定する。外装では後方視界の改善を狙ってフード両側のフィンを低く設定し、さらにフロントノーズ下にスポイラーを装着して空力特性を向上させた。
■日本のスーパーカー・ブームを牽引した「スペシャル」
日本のスーパーカーブームの中心的存在となったヨーロッパ・スペシャル。JPSカラーモデルが人気を博した
1972年9月になると、最終進化形となるヨーロッパ・スペシャルが市場に放たれる。搭載エンジンにはインテークバルブ径を大きくした通称“ビッグバルブ”エンジンの1558 cc直列4気筒DOHCユニットを採用。最高出力は126hp/6500rpmにまで引き上げられる。組み合わせるトランスミッションはルノー製の5速MTに換装。足回りも強化され、タイヤにはロープロファイルラジアル(サイズは前175/70R13、後185/70R13)をセットした。また、外装ではフロントフードやボディサイドなどに細いストライプを配して見た目の質感をアップ。とくに黒のボディカラーに金色のストライプを配したJPSカラー(当時のロータス製フォーミュラマシンのスポンサーである煙草ブランドのJohn Player Specialのパッケージカラー)仕様が高い人気を博した。そして、このスペシャルを最終モデルとして1975年には製造を終了。総生産台数は9230台だった。
ところで、日本でのロータス車の輸入・販売は、1972年までが東急商事→東急興産が、以後はアトランティック商事が手がける。私事で恐縮だが、東急時代は神奈川県大和市にファクトリーがあり、ここに実家で営むネジ屋がボルトやワッシャーなどを納めていた。配達についていった幼少時代、ファクトリーに収まるヨーロッパを見て、本当に低くてペッタンコなスタイルに驚いたものだった。横にエランやそのレースモデルの26Rなどもあったが、見た目のインパクトはヨーロッパが随一。メカニックのお兄さんがよく乗せてくれたのだが、そのタイトな室内や地を這うような走りはまさに異次元の世界だった(当時のウチの配達車は510ブルーバードのバンと10系ハイラックスだったので、その低さや狭さはなおさら)。多分、これが当方のスーパーカーの原初体験だったのだろう。自動車雑誌の編集に就いてからはシリーズ2やスペシャルを何度か試乗したが、そのインパクトは当時と変わらぬまま。むしろ、操舵角に即して俊敏に反応する運動特性を知って、それが増幅された。やっぱりヨーロッパは、紛うことなき“スーパーカー”だ――と思う(私見)。
【著者プロフィール】
大貫直次郎
1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。