2017年4月より社名を富士重工業株式会社から変更する株式会社SUBARU。今でこそ利益率が上がり、プレミアムブランドとしての道を歩んでいる同社だが、バブル景気真っ盛りの1980年代終盤は好調なライバルメーカーを傍目に深刻な業績不振に陥っていた。その状況を打開したのが、4WDワゴン・ブームを創出した新型車のレガシィだった。今回はスバル・ブランドの中興の祖、初代レガシィ(1989~1993年)で一席。

【Vol.7 初代スバル・レガシィ】
バブル景気が最高潮に達していた1980年代終盤の日本の自動車業界。ほとんどの自動車メーカーが大幅増益を記録するなか、富士重工業だけは業績が振るわなかった。高コストの生産体質やヒット作の欠如、そして北米市場への出遅れ……要因は色々とあげられた。打開策として首脳陣は、世界的に量販が見込める2リットルクラスの新型車を開発する方針を打ち出す。そして開発陣には、「造るのは世界に通用する国際戦略車。白紙状態から、すべて自由に設計せよ」という命題が与えられた。この“すべて”とはエンジンや駆動方式といったハード面も含まれており、すなわち伝統の水平対向エンジンや4WDを採用しなくてもいいという意味を持っていた。
■起死回生の新型車に“あえて”の水平対向4WD
すべてを自由に――。開発コード“44B”と名づけられたこのプランに対し、開発陣はあえて伝統の水平対向エンジンと4WDを使う決断を下す。完成度が高く、しかも他社とは違う世界戦略車に仕上げるためには、未知の機能やハードを追うのは得策ではない。開発でも生産技術でも多くのノウハウを持ち、しかも他社とは異なる個性を有する水平対向エンジンと4WDを受け継ぐのが最良の方法、と判断したわけだ。もちろん、既存の機構をちょっと手直ししただけで採用するわけではない。新型車には世界をリードする完全新設計の水平対向エンジンと4WD機構を搭載する旨を決定した。

1989年1月、富士重工業の新しい中核車が満を持してデビューする。車名は“伝承、遺産”の意味を込めて「レガシィ」と名づけられた。ボディタイプはサッシュレスの4ドアセダンと5ドアワゴン=ツーリングワゴンをラインアップ。2ボディともに基本フォルムをくさび形で仕立て、同時にセダンには6ライトウィンドウを、ワゴンには2段式ルーフを採用して個性を主張する。また、ブリスタータイプのフェンダーやブラックアウト化したピラー処理などで見た目のスポーティ感を盛り上げた。内包するインテリアに関しては、“安全・快適にクルマを操る歓び”の創出をテーマに造形を手がける。具体的には、ドライバーを囲むようにアレンジしたメーターおよびセンター部や空気流路の通気抵抗を低減させたベンチレーションシステム、触感がよくサポート性にも優れたシートなどを採用した。
注目の水平対向4気筒エンジンはEJ18型1820cc・OHC(110ps)、EJ20型1994cc・DOHC(150ps)、EJ20-T型1994cc・DOHCターボ(220ps)の3機種で、いずれも16バルブヘッドや各気筒独立点火コイル、センタープラグ配置などを導入する。駆動方式はツーリングワゴンが4WDのみで、セダンは4WDと2WD(FF)を用意。また4WD機構は5速MTがビスカスLSD付きのセンターデフ式、4速ATが電子制御多板クラッチを備えたトルクスプリット式をセットした。シャシーに関しては、フロントサスペンションにL型ロワアームのストラット、リアにパラレルリンクのストラットを採用する。また、加減速時の姿勢変化を抑える目的でアンチダイブおよびアンチリフトジオメトリーを取り入れた。最強グレードに据えられたのはEJ20-T型エンジンを搭載するセダンの「RS」で、キャッチフレーズは“ハンドリングセダン”を呼称。専用チューニングの足回りに4輪ベンチレーテッドディスクブレーキ、シックなデザインながら確実に効果を発揮するエアロパーツ群、MOMO製本革巻きステアリング、フロントスポーツシートなどを身にまとったRSは、大人の走り好きを中心に熱い支持を集めた。
■ブルース・ウィリスのCMで大ヒットした“ツーリング・ブルース”
富士重工業の新しい中核車は、RVブームの後押しもあって、とくにツーリングワゴンの人気が徐々に高まり始める。そして、1989年10月にターボチャージャーの変更などを実施して扱いやすさを増したEJ20-T型エンジン(200ps)を積むGTグレードが設定されると、その人気は爆発的なものとなった。

この勢いを維持しようと、富士重工業はレガシィのバリエーションを積極的に拡大していく。1991年6月のマイナーチェンジでは内外装の意匠変更を図るとともに、上級グレードの「ブライトン」を設定。1992年6月のマイナーチェンジでは、レガシィ初の3ナンバー車であるツーリングワゴン「ブライトン220」を追加する。また、モータースポーツ向けのモデルとして、1989年10月に「RS typeR」を、同年12月にSTIがエンジンチューニングを手がけた「RS typeRA」を発売した。
一方、初代レガシィの販売台数を伸ばすうえで大きな役割を果たしたのが、米国の俳優で、当時『ダイ・ハード』シリーズの主演などで高い人気を獲得していたブルース・ウィリスをイメージキャラクターに起用した広告戦略だった。ウィリスがレガシィの広告に登場したのは1991年6月のマイナーチェンジモデルから。テレビCMではケニー・ランキンの『ア・ハウス・オブ・ゴールド』(1992年6月以降はリッチー・サンボラの『ジ・アンサー』)のBGMとともにレガシィを楽しむ姿が、新聞・雑誌広告では“ツーリング・ブルース”というキャッチコピーを背景に渋くきめるカットが、クルマ好きのみならず映画ファンなどからも大注目を浴びた。ブルース・ウィリスを使った広告戦略は1993年まで続き、そのうちの1992年には毎日広告デザイン賞を授賞している。
レガシィのデビューを契機に、富士重工業の業績は急速に回復していく。1990年3月期決算では営業損益で200億円以上の赤字だったものが、1991年以降は大幅な黒字を計上した。この数字は、バブル景気の崩壊で苦しむ日本メーカーたちの羨望を集めた。もちろんレガシィ、とくにツーリングワゴンの大ヒットをライバルメーカーが黙って見過ごすはずがない。競合する新しいワゴンが、相次いで市場に投入される。しかし、レガシィの牙城は崩せなかった。レオーネから続くステーションワゴン造りのノウハウが商用車のバンの域を超えられないライバル車を凌駕し、さらに低重心で独特のフィーリングが味わえる水平対向エンジンや卓越した路面追従性を示す先進の4WD機構がクルマ好きのハートをがっちりと掴んでいたからだ。

首脳陣の英断と開発陣のこだわり、さらにRVブームの追い風にも乗った初代レガシィは、結果的に富士重工業の業績回復を担う牽引車となった。その意味で初代レガシィは、車名の通りに6連星の大いなる遺産=レガシィとなったのである。
【中年名車図鑑】
【著者プロフィール】
大貫直次郎
1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。