【中年名車図鑑】日本車で初めて「250km/hクラブ」に名を連ねた“刺激的な”Zカー

クルマのハイテク化が急速に進んだ1980年代初頭の日本の自動車市場。日産自動車は最新の技術を駆使しながら、同社のスポーツカーの代表格であるフェアレディZの全面改良に邁進する。開発ターゲットに据えたのは、欧州の高性能スポーツカーだった――。今回は「較べることの無意味さを教えてあげよう」という刺激的なキャッチを掲げて登場した3代目フェアレディZ(1983~1989年)で一席。

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【Vol.55 3代目 日産フェアレディZ】

2度のオイルショックと厳しい排出ガス規制を乗り越えた日産自動車は、1980年代に入るとクルマのハイテク化を一気に推し進めるようになる。とくに同社のフラッグシップスポーツカーであり、重要な輸出モデルでもあるフェアレディZ、通称Zカーの開発に関しては、先進の技術を目一杯に盛り込む方針を打ち出した。

 

■ターゲットは欧州製スポーツカー

20180209_suzuki_123代目となるZ31型は欧州の高性能スポーツカーをベンチマーク。ロングノーズ&ファストデッキのデザインを踏襲したうえで、エアロダイナミクスを徹底追求した

 

3代目を企画するに当たり、開発陣は欧州の高性能スポーツカーをベンチマークに据える。具体的には、ボディやシャシー、パワートレイン、さらに仕様・装備といった項目で、欧州製スポーツを凌駕する性能を目指した。

 

ボディに関してはロングノーズ&ファストデッキの伝統的な車両デザインを踏襲したうえで、エアロダイナミクスの向上を徹底追求する。世界初のパラレルライジングヘッドライトの装備、バンパーおよびエアダムスカート一体のフロントフェイシアの採用、ボディ全般のフラッシュサーフェス化、後端のダックテール化などを実施し、結果としてCd値(空気抵抗係数)は0.31と、当時の日本車の最高数値を達成した。一方でシャシーについてはS130型系の前マクファーソンストラット/後セミトレーリングアームの形式を基本的に踏襲しながら、全面的な設計変更がなされる。最大の注目は世界初の機構となる3ウェイアジャスタブルショックアブソーバーの装着で、これを組み込んだ仕様を“スーパーキャパシティサスペンション”と称した。同時に制動性能も強化し、大容量の8インチタンデムブレーキブースターをセットする前ベンチレーテッドディスク/後ディスクを採用した。

 

パワートレインはフェアレディZとしては初めてV型レイアウトの6気筒エンジンを搭載し、さらに先進のターボチャージャー機構を組み合わせる。絞り出す最高出力は3L仕様で230ps。Cd値と同様、当時の日本車の最高数値を実現した。ちなみにターボチャージャー付きV6ユニットの量産化は、当時の日本車では初の試みだった。

 

装備面ではメーター脇に配したクラスタースイッチや雨滴感知式オートワイパー、世界初のマイコン制御上下独立自動調整オートエアコン、高級オーディオといった新機構が訴求点で、新世代スポーツカーにふさわしい快適性と先進イメージを打ち出す。室内空間自体も広がり、さらにASCD(自動速度制御装置)などの採用で安全性も向上させた。

 

■刺激的なキャッチコピーを謳って登場

20180209_suzuki_11雨滴感知式オートワイパー、世界初のマイコン制御上下独立自動調整オートエアコン、高級オーディオなど豪華装備をおごる

 

第3世代となるフェアレディZは、Z31の型式をつけて1983年9月に市場デビューを果たす。ボディタイプは先代のS130型系と同様に2シーター(ホイールベース2320mm)と2by2(同2520mm)を用意。搭載エンジンはVG30ET型2960cc・V型6気筒OHCターボ(230ps)とVG20ET型1998cc・V型6気筒OHCターボ(170ps)を設定した。

 

新しいフェアレディZの性能に関して、日産は相当に自信を持っていたのだろう。キャッチコピーには「較べることの無意味さを教えてあげよう」という刺激的な表現を掲げる。事実、VG30ET型エンジンの230ps/34.0kg・mのスペックは最大のライバルであるトヨタ・セリカXXの5M-GEU型2759cc直列6気筒DOHCエンジンの170ps/24.0kg・mを圧倒し、実際の最高速や加速性能も群を抜いていた。さらに欧州仕様ではポルシェ911などの最高速に迫り、自動車マスコミはこぞって「日本車で初めて“250km/hクラブ”へ仲間入り」と称賛した。

 

■マイナーチェンジで米国NDIのデザイン提案を採用

20180209_suzuki_10Z31にも人気のTバールーフ仕様が追加された。先代のS130型の標準ルーフと同じ剛性を確保したとアナウンス

 

大きな注目を集めてデビューしたZ31型系フェアレディZは、その新鮮味を失わないよう矢継ぎ早に新グレードを追加していく。1984年8月には先代で好評だったTバールーフ仕様をZ31型系にも設定。当時のプレスリリースでは、「新しいTバールーフは、S130型系の標準ルーフと同等の剛性を確保した」と豪語する。1985年10月には「走りがおとなしい」と言われた2Lモデルの評判を高めるために、RB20DET型1998cc直列6気筒DOHC24Vセラミックターボエンジン(ネット値180ps)を積む200ZRグレードを追加した。

 

1986年10月になると、Z31型系は大がかりなマイナーチェンジを受ける。最大のトピックはエクステリアの変更で、日産の米国デザインセンターであるNDI(日産デザインインターナショナル)が手がけた丸みを帯びたスタイリングは、“エアログラマラスフォルム”と称した。さらに、VG30DE型2960cc・V型6気筒DOHC24Vエンジン(ネット値190ps)を搭載する300ZRグレードを設定。同時にリアのディスクブレーキをベンチレーテッド化し、制動性能をより向上させた。

 

最大のマーケットである北米市場を意識しながら進化を続けたZ31型系フェアレディZは、1989年7月になるとフルモデルチェンジを実施して4代目のZ32型系へと移行する。その4代目は、Z31型系に輪をかけて高性能を謳うモデルに進化するのであった。

 

■グループCカーでも使われたフェアレディZのネーミング

当時のフェアレディZに関するトピックをもうひとつ。Z31型系の3代目フェアレディZが発表された1983年、サーキットの舞台でもフェアレディZの名を冠したモデルがデビューする。カテゴリーはグループC。日産自動車の支援を受け、セントラル20レーシングが造り上げた国産初の本格的なCカーは、「フェアレディZC」を名乗った。シャシーはル・マン設計のLM03Cで、エンジンは日産製LZ20Bターボを搭載する。ヘッドライトやリアランプのデザインには、市販モデルのZ31のイメージを取り入れた。1985年シーズンに入ると、フェアレディZCはローラT810シャシーにVG30ツインターボエンジンへと刷新。戦闘力をいっそう引き上げていた。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【中年名車図鑑】ユーズドカーになって認められた“あぶデカ・レパード”の実力

“高級スペシャルティ”の先駆車として1980年にデビューした日産レパード。しかし市場での人気や注目度の面では後発のトヨタ・ソアラに凌駕され、販売成績は伸び悩み続けた。忸怩たる状況を打破しようと、日産の開発スタッフはレパードの全面改良を鋭意、推し進める――。今回は「かぎりなく自由だ。かぎりなく豊かだ」のキャッチコピーを冠して1986年に登場した2代目レパードで一席。

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【Vol.48 2代目 日産レパード】

国産初の高級スペシャルティカーとして、1980年9月にデビューしたF30型の初代レパード。しかし、5カ月ほど後に市場に放たれた初代トヨタ・ソアラに市場の注目が集まり、結果的に初代レパードの影は薄くなってしまった。日本の自動車ユーザーの上級志向は1980年代後半に向けてますます高まり、高級スペシャルティカー市場もさらに活気づくはず――そう判断した日産の開発陣は、高級スペシャルティカー分野での覇権を目指して次期型レパードの企画を意欲的に推し進める。時代はバブル景気の助走期。開発資金や人員も豊富に投入された。

 

■高級スペシャルティカー分野でのシェア拡大を目指して――

1986年にデビューした2代目レパード。同じく86年に放送されたドラマ『あぶない刑事』の劇中車として知名度を上げた1986年にデビューした2代目レパード。同じく86年に放送されたドラマ『あぶない刑事』の劇中車として知名度を上げた

 

次期型を企画するに当たり、開発スタッフは「大人のライフスタイルをハイセンスに演出するプレステージ・スペシャルティカー」を創出するという基本テーマを掲げる。エクステリアに関してはCd値(空気抵抗係数)0.32の優れた空力特性を実現したうえで、ダイナミックで優雅なプロポーションやプレステージ性を強調した8連式マルチヘッドランプ、個性的で洒落たイメージの大型リアコンビネーションランプなどを採用する。ボディタイプはソアラと同様に2ドアクーペ(従来モデルは4ドアハードトップも用意)の1本に絞った。一方でインテリアについては、フロント部からドアトリム、リアシートに至るまでのラインを連続させ、乗員を包み込むようなラウンド形状の室内スペースを演出する。また、シートやトリム地にツイード調の上質な素材を多用し、高級スペシャルティらしい落ちつきと高品質感が漂う空間に仕立てた。さらに、助手席専用の“パートナーコンフォートシート”や全面一体カラー液晶表示の“グラフィカルデジタルメーター”、各種機能を組み込んだ“光通信ステアリング”、専用カードの携帯でドアのロック&アンロックおよびトランク解錠ができる“カードエントリーシステム”といった新技術を積極的に盛り込んだ。

 

搭載エンジンは気筒別燃料制御システムやNVCS(日産バルブタイミングコントロールシステム)を採用した新開発のVG30DE型2960cc・V型6気筒DOHC24V(185ps)を筆頭に、VG20ET型1998cc・V型6気筒OHCジェットターボ(155ps)、VG20E型1998cc・V型6気筒OHC(115ps)という計3機種のPLASMAユニットを設定する。組み合わせるトランスミッションはVG30DE型とVG20ET型が4速ATのみで、VG20E型は5速MTと4速ATを用意。ATは全車ともにパワー・エコノミー自動切り換え式スーパートルコンを組み込んだ。足回りはジオメトリーの最適化やロール剛性の強化などを図った改良版の前マクファーソンストラット/後セミトレーリングアームの4輪独立懸架で、最上級仕様には電子制御でダンパーの減衰力をソフト/ミディアム/ハードの3段階に自動的に切り換える“スーパーソニックサスペンション”を採用する。また同仕様では、ラック&ピニオン式のステアリング機構に車速感応油圧反力式パワーステを、4輪ベンチレーテッドディスクブレーキに4WAS(4輪アンチスキッド)を組み合わせた。

 

■キャッチコピーは「かぎりなく自由だ。かぎりなく豊かだ」

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シートやトリム地にツイード調の上質素材をあしらった高級感あふれるインテリア。全面一体カラー液晶表示、光通信ステアリングなど、新技術を惜しげもなく投入したシートやトリム地にツイード調の上質素材をあしらった高級感あふれるインテリア。全面一体カラー液晶表示、光通信ステアリングなど、新技術を惜しげもなく投入した

 

最大のライバルであるトヨタ・ソアラが2代目に移行してから1カ月ほどが経過した1986年2月、F31の型式を付けた第2世代のレパードが満を持して市場デビューを果たす。キャッチコピーは新プレステージ・スペシャルティカーの特徴を表す「かぎりなく自由だ。かぎりなく豊かだ」。グレード展開はVG30DE型エンジンを搭載する最上級仕様のアルティマ(英語で究極を意味する“ultimate”からとった造語)、VG20ET型エンジンを積むXS系、VG20E型エンジンを採用するXJ系で構成した。また、従来型で用意していたチェリー店系列向けのレパードTR-Xは廃止し、レパードの1モデルに統一された。

 

新しいレパードは、“世界初”または“わが国初”の技術の採用をカタログや広告などで声高に謳っていた。世界初は気筒別燃料制御システムやパートナーコンフォートシート、日本初はNVCSやNICS(日産インダクションコントロールシステム)/ツインスロットルチャンバーなど。ほかにもスーパーソニックサスペンションや車速感応油圧反力式パワーステ、4WAS、高品位4コート塗装、デュラスチール(新防錆処理鋼板)といった新機構をユーザーにアピールした。

1988年にマイナーチェンジを実施。バンパー形状、インテリアの刷新を行った1988年にマイナーチェンジを実施。バンパー形状、インテリアの刷新を行った

 

高級スペシャルティカー・カテゴリーでのシェア拡大を目指して、意気揚々とデビューしたF31型系レパード。しかし、2954cc直列6気筒DOHC24Vターボエンジン(7M-GTEU型)仕様をイメージリーダーとする2代目ソアラの牙城は崩せず、さらに本来は格下であるはずの2代目ホンダ・プレリュードにも人気や販売成績の面で大きく遅れをとった。この状況を打開しようと、開発陣はレパードの改良を相次いで実施する。1987年6月にはモケット地シートやAVシステムなどの快適アイテムを備えた“グランドセレクション”を追加。1988年8月には「若いというだけでは、手に負えないクルマがある」というキャッチを冠したマイナーチェンジを敢行し、内外装に新鮮味を与える。同時にVG30DET型2960cc・V型6気筒DOHC24Vターボ(255ps)やVG20DET型1998cc・V型6気筒DOHC24Vターボ(210ps)といった新エンジンの設定も行った。

 

■中古車市場で再評価されたF31レパード

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後期型のキャッチコピーは「若いというだけでは、手に負えないクルマがある」。インテリアはより成熟した大人の雰囲気に進化した後期型のキャッチコピーは「若いというだけでは、手に負えないクルマがある」。インテリアはより成熟した大人の雰囲気に進化した

 

内外装のリファインやエンジンのラインアップ強化でソアラの追撃体制を整えた2代目レパード。しかし、時すでに遅く、販売成績はソアラの後塵を拝し続ける。そのうちにユーザーの興味は大型4ドアハードトップの“ハイソカー”やRV(レクリエーショナルビークル)に移り、高級スペシャルティ市場そのものが衰退してしまった。結果的にF31型系レパードは思うような売り上げを記録できないまま、1992年半ばに販売が中止される。実質的な後継を担ったのは、2ドアクーペではなく、4ドアセダンのボディを纏った高級パーソナルカーのJY32型系レパードJ.フェリーだった。

 

販売成績の面では失敗に終わった第2世代のレパード。しかし、1990年代末に入ると、意外なところで注目を集めるようになる。いわゆる中古車市場だ。VIPカー・ブームの最中、ソアラなどに比べて割安だった2代目レパードは、ユーザーから想定外の人気を博す。価格以外にも、TVドラマの『あぶない刑事』で使用された、過剰品質とまでいわれた高品位4コート塗装やデュラスチールによってボディがいい状態に保たれていた、ハイパワーエンジンのFR車が少なくなっていた、個性的な2ドアクーペのデザインがドレスアップでよく栄えた、といった特徴も人気を集めた要因だった。

 

1980年代後半における日産自動車の技術の推移を結集して造られたF31型系の2代目レパードは、皮肉にもユーズドカーになってから真の実力がユーザーに認められたのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。