【中年名車図鑑】格好は奇抜だが走りは…絶版後に再評価された小型スペシャルティ

好景気を謳歌する1980年代終盤の日本。トヨタ自動車は豊富な開発資金を背景に、新しい小型スペシャルティを鋭意企画する。若者のさまざまな嗜好を捉え、目一杯に詰め込んだその1台は、1990年3月に市場デビューを果たした――。今回は「日常生活の枠を超えた胸を躍らせるような体感」を狙いに開発された小型スペシャルティカーのセラ(1990~1995年)で一席。

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【Vol.40 トヨタ・セラ】

東京の晴海で開催される最後の年になった1987年の第27回東京モーターショー。後にバブルといわれる好景気を背景に、各自動車メーカーは華やかな演出と渾身の新型車を精力的に披露した。そのなかでトヨタ自動車は、斬新なFF小型スペシャルティのコンセプトカーを雛壇に乗せる。車名は「AXV-Ⅱ」。ガラスを多用したラウンディッシュなボディにガルウィングドアを装着したそのスタイリングは、“小型車クラスのスーパーカー”として来場者の熱い視線を集めた。

 

■新しいFF小型スペシャルティの提案

ルーフ部まで回りこむガルウィングドアとサイドガラス、大きな3次曲面リアガラスを組み込んだパノラミックハッチが特徴的ルーフ部まで回りこむガルウィングドアとサイドガラス、大きな3次曲面リアガラスを組み込んだパノラミックハッチが特徴的

 

コンセプトカーの企画内容を市販モデルに活かすトヨタの方針は、このAXV-Ⅱでもきちっと貫かれることになる。ショーの後、開発陣は早速市販化に向けての部品選定に乗り出した。プラットフォームについては開発の途中だった4代目スターレット用をベースとすることに決定。被せるボディはコンセプトカーの具現化を目指し、ルーフ部にまで回りこむガルウィングドアとサイドガラス、そして大きな3次曲面リアガラスを組み込んだパノラミックハッチを採用した。ドアの操作性やボディ剛性、さらに安全性といった項目も重視し、幾度となくテストを繰り返す。ガラス自体の遮熱性にもこだわった。また、全体のフォルムは曲面基調で構成し、スポーティなスタイリングに仕立てる。ボディサイズは全長3860×全幅1650×全高1265mm/ホイールベース2300mmとコンパクトに設定した。

 

横置き搭載するエンジンについては、スターレット用の4E-FE型1.3lユニットをそのまま流用するわけにはいかなかった。ガルウィングドアの剛性確保やガラス面を多用した結果、ボディが重くなってしまったのだ。外観はスタイリッシュでスポーティなのに、加速は悪い――。トータルでの高性能を重視するトヨタにとって、これは見過ごせないポイントだった。開発陣は鋭意、改良に着手し、4E-FE型の排気量アップを計画する。通常ならボアアップで対処するところだが、エンジニアが選んだ手法はロングストローク化(77.4mm→87.0mm)だった。低中速トルクを厚くしやすい、ブロック剛性を有効に確保できる、といった理由がピストン行程にこだわった理由である。新たに開発されたエンジンは5E-FHE型と名づけられ、1496cc直列4気筒DOHC16Vの第2世代ハイメカツインカムからは110ps/13.5kg・mのパワー&トルクが絞り出された。

 

■豪華でオリジナリティ性の高い装備群を採用

ベースグレードの5速MT車で160万円と、チャレンジングな価格設定だった。若者に乗ってほしいという開発陣の想いが伝わってくるベースグレードの5速MT車で160万円と、チャレンジングな価格設定だった。若者に乗ってほしいという開発陣の想いが伝わってくる

 

1990年3月、トヨタの新しい小型スペシャルティカーが満を持してデビューする。車名はフランス語のetre(~である)の未来形で、「未来に向けて羽ばたく夢のあるクルマ」の意を込めて「セラ(SERA)」と名乗った。

 

EXY10の型式をつけて市場に放たれたセラの注目ポイントは、軽飛行機のキャノピーを思わせるグラッシーキャビンやドア操作力温度補償ステーを組み込んだガルウィングドアだけではなかった。乗車定員4名のインテリアでは室内ルーフの形状やトリムに合わせて音響解析し、最適配置のスピーカーとオーディオユニットを装着したスーパーライブサウンドシステムや造形美豊かな専用アレンジの内装パーツなどを装備。エクステリアでは新開発のカラフルなボディカラー(全6色)やプロジェクターヘッドビーム等が話題を呼ぶ。ちなみに、イメージカラーのグリニッシュイエローマイカメタリックを纏った仕様は、曲面基調のスタイリングや羽のように開閉するガルウィングドアから、“コガネムシ”“カナブン”といったニックネームがついた。

 

これだけの豪華&専用装備を実現しながら、セラの車両価格は非常にリーズナブルだった。ベースグレードの5速MT車で160万円、最上級のスーパーライブサウンド付き4速AT車でも188万1000円に抑える(いずれも東京標準価格)。渾身の小型スペシャルティカーをひとりでも多くの若者に楽しんでほしい――開発陣のそんな願いが、この価格設定には込められていたのだ。

 

■特異なキャラクターは生産中止後に再評価

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20171110_suzuki8航空機のガラスキャノピーを連想させる開放感あふれるインテリア。反面、夏場の温度上昇が問題となった

 

“未知への翼”のキャッチコピーを冠して華々しくデビューしたセラ。しかし、販売成績は予想外に伸び悩む。当時の若者は高性能のスポーツモデルやハイソカー、クロカン4WDなどに興味を抱くユーザーが多く、格好は奇抜だが走りは平凡だったセラにあまり触手が動かなかったのだ。また、真夏に走行した際の室内の過度な温度上昇なども、ウィークポイントとして指摘された。

 

販売の打開策として開発陣は、セラに細かな改良を施していく。1991年5月にはボディカラーの見直しや新シート表地の採用、熱線反射金属薄膜コーティング付きドアガラスの設定などを実施。1992年6月には再びボディカラーを見直し、同時に電気式ドアロックの標準装備化などを敢行する。1993年12月には新冷媒エアコンの採用やリア3点式シートベルトの標準装備化などを行った。

 

さまざまな改良を加えて完成度をアップさせていったセラ。しかし、販売成績は改善しなかった。さらにバブル景気も崩壊し、トヨタは業績回復のために不採算車種の整理を余儀なくされる。そして1995年12月、ついにセラの生産は中止となった。

 

絶版車となってしまったセラだが、そのユニークで特異なキャラクターは後に再評価され、結果的に中古車市場で熱い支持を受け続ける。トヨタのチャレンジングな小型スペシャルティカーは、その車名にふさわしい存在価値を生産中止後に誇示したのだ。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【中年名車図鑑】「かっとび」「韋駄天」「辛口」…さまざまなキャッチを冠したFFハッチバック

コンパクトカーのFF化の流れに抗い、FRの駆動システムで販売され続けたKP61型系スターレットは、1984年になるとついにFFレイアウトに刷新した3代目のEP71型系へと切り替わる――。今回は“かっとび”や“韋駄天”のキャッチフレーズで人気を集めた第3世代のスターレット(1984~1989年)で一席。

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【Vol.38 3代目 トヨタ・スターレット】

トヨタ自動車のエントリーカーに位置する“小さな星”ことスターレットは、続々とFF(フロントエンジン・フロントドライブ)化するコンパクトカー群のなかにあって、FR(フロントエンジン・リアドライブ)の駆動レイアウトを貫いていた。メカニズムの信頼性や開発スタッフの豊富な経験値などがFRを踏襲してきた理由だったのだが、1980年代が進むとパッケージ効率に優れる2ボックスのFFコンパクトカーが人気を集めるようになり、FRのままでは市場の多様化に対応しきれなくなっていた。こうした市場の動きを鑑みたトヨタの開発陣は、次期型スターレットのFF化を決断する。開発テーマは新時代をリードする“ハイコンパクト&スポーティ”の創出。これを具現化するために、プラットフォームからシャシー、ボディ、エンジンなど、すべてを新規に開発する方針を打ち出した。

 

■“ハイコンパクト&スポーティ”をテーマにエントリーカーを全面改良

3代目は“かっとびスターレット”のキャッチフレーズで登場した。3ドアと5ドアの2タイプのボディ構成。スポーツグレードには「12VALVE」のステッカーを装備する。3代目は“かっとびスターレット”のキャッチフレーズで登場した。3ドアと5ドアの2タイプのボディ構成。スポーツグレードには「12VALVE」のステッカーを装備する。

 

FF化した3代目スターレットは、EP71の型式をつけて1984年10月に市場デビューを果たす。キャッチフレーズは“かっとびスターレット”。スポーティで軽快な走りが楽しめる新世代コンパクトカーに仕立てたことを、この刺激的な言葉に込めていた。ボディタイプは3ドアハッチバックと5ドアハッチバックの2タイプを設定。グレード展開は3ドアにスポーティ系のSiリミテッド/Si/Riと上級および標準仕様のXLリセ/XL/DX/DX-A/STDを、5ドアにスポーティ系のSiと上級および標準仕様のSE/XLリセ/XL/DX/DX-Aを、バンモデル(3ドアハッチバック)にCD-L/CD/CSをラインアップした。ちなみに、3代目スターレットはCMでも注目を集める。藤山一郎が歌う『丘を越えて』をBGMに、アメリカの伝説的な喜劇俳優のバスター・キートンが出演した映画シーンを絡ませてスターレットの躍動的な走りを見せる映像は、“かっとび”ぶりが見事に表現されていた。

 

車両デザインについては空力特性に優れたオーバルフラッシュフォルムとワイドトレッドを基本に、端正かつ親しみやすい2ボックススタイルを構築。スポーティグレードにはエアロパーツ類やサイドマッドガード、テープストライプなどを装備する。ボディサイズは従来比でホイールベースが同寸法(2300mm)ながら55~120mm短く(3700mm)、55mm幅広く(1590mm)なった。FF化によって広さが増したインテリアは、余裕のある居住空間を確保するとともに質感をアップ。また、スポーティグレードの前席にはホールド性の良い新開発シートを、女性向け仕様のリセにはカーブスライド式ドライバーズシートを装着した。

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20171027_suzuki7FF化したことで居住スペースの快適性は大幅に向上。スポーツグレードのフロントシートはホールド性に優れていた。

 

搭載エンジンにはOHCクロスフローやデュアルインテークの3バルブ(吸気バルブ×2/排気バルブ×1)、ツインスキッシュ型の燃焼室といった新技術を組み込んだ新設計のレーザー2E-12VALVEユニットの3タイプを設定する。スポーティグレードにはEFI-D(電子制御燃料噴射装置)およびマイコン制御方式のTCCSをセットした2E-ELU型1295cc直列4気筒OHC12Vエンジン(93ps/11.3kg・m)を搭載。上級および標準仕様には2E-LU型1295cc直列4気筒OHC12Vエンジン(81ps/11.0kg・m)を採用し、燃費志向ユニットとしてパーシャルリーンシステム付き(76ps/10.7kg・m。10モード走行燃費23.0km/l)を設定する。バンには2E-LJ型1295cc直列4気筒OHC12Vエンジン(81ps/11.0kg・m)を積み込んだ。組み合わせるトランスミッションには、2E-ELU型ユニットに5速MT、2E-LU型ユニットに5速MT/4速MT/3速AT、2E-LJ型ユニットに4速MTをセット。懸架機構は新世代のPEGASUSサスペンションで、フロントにL型ロアアームを配したマアクファーソンストラット式を、リアにトレーリングツイストビーム式を採用する。操舵機構はラック&ピニオン式で、スポーティグレードにはクイックなギア比を、SEおよびリセにはエンジン回転数感応型パワーステアリングを導入。スポーティグレードの足回りには、前ベンチレーテッドディスクブレーキや60扁平タイヤなどを奢っていた。

 

■“韋駄天ターボ”の登場でさらに人気がアップ

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スターレットの人気を決定づけたターボモデル。キャッチフレーズは“韋駄天ターボ”。写真のターボSとターボRを用意する。スターレットの人気を決定づけたターボモデル。キャッチフレーズは“韋駄天ターボ”。写真のターボSとターボRを用意する。

 

デビュー当初から好調なセールスを続けたかっとびスターレットは、1986年1月になるとその人気をさらに高めるスポーツモデルを追加する。2E-ELU型ユニットにインタークーラー付きターボチャージャーを組み込んだ2E-TELU型1295cc直列4気筒OHC12Vターボエンジンを搭載するターボS/ターボRだ。キャッチフレーズは“韋駄天ターボ”。過給圧が2段階に切り替えられる2モード・ターボシステムを採用し、パワー&トルクは標準モードで105ps/15.2kg・m、ローモードで91ps/13.4kg・mを発生した。また、外装には大型ルーフエンドスポイラー等のエアロパーツやINTERCOOLER turboデカールなどを、足回りにはストラット頂部パフォーマンスロッドや強化ダンパー&コイルスプリングなどをセット。ターボSには5速MTのほかに2ウェイOD付4速ATを用意した。

 

1986年12月にはマイナーチェンジを行い、内外装の一部変更とともに1N型1453cc直列4気筒OHCディーゼルエンジン(55ps/9.3kg・m)搭載車のNP70型を追加する。1987年12月になると再度のマイナーチェンジを実施。ターボモデルはエンジンのセッティング変更によって最高出力が標準モード110ps/ローモード97psにまでアップし、同時にグリル一体フォグランプやリアツインスポイラーなどを装備してホットハッチ感を引き上げる。また、キャッチフレーズは“辛口ターボ”に刷新された。さらに、1988年4月にはキャンバストップ仕様を追加。キャッチフレーズは辛口ターボとの対比で“甘口キャンバストップ”と称した。そして、1989年12月になってフルモデルチェンジが行われ、第4世代のEP82/NP80型“青春のスターレット”に移行したのである。

 

ところで、3代目スターレットは車歴を通してモータースポーツで活躍したモデルでもあった。ベース車は自然吸気のRiと過給器付きのターボR。参加カテゴリーは多岐に渡り、ラリーやダートラ、ジムカーナ、サーキットレースなどで活用される。また、TRD(Toyota Racing Development)の企画開催によるワンメイクレースも行われた。当時のモータースポーツ界では、「FFの基本を覚えるなら、まずK10(マーチ)かEP71(スターレット)に乗れ!」というのが定説だったのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる!日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。