1987年に登場した日産のBe-1は、ハイテク技術に重きが置かれた当時の日本の自動車市場にあって、一大“パイクカー”ブームを巻き起こす。確かな手応えをつかんだ日産自動車は、その後継作に乗用車だけではなく、商用モデルのパイクカーも企画した。今回は“新感覚マルチパーパスカー”として開発され、PAO(パオ)と同時期にデビューした「S-Cargo(エスカルゴ)」の話題で一席。
【Vol.52 日産S-Cargo(エスカルゴ)】
1987年1月に限定1万台で発売され、日本の自動車マーケットにパイクカー(大量生産を前提としない“とんがった=pike”クルマの意)ブームを巻き起こした日産自動車のBe-1。高性能一辺倒でクルマを企画していた当時の開発傾向に一石を投じ、その後も継続される“レトロ調”好きの需要を掘り起こした同車のキャラクターを重視した開発陣は、すぐさま次期型パイクカーの開発を決定する。しかもBe-1のような乗用車モデルだけではなく、商用車カテゴリーにも拡大展開する方策を打ち出した。
ちなみに、当時の日産スタッフによると「商用車のパイクカー化はBe-1の開発時にはすでに企画として持ち上がっていた」という。第1弾が成功したら、商用車のパイクカーも造ろう――そうした考えが、開発現場にはあったのである。
■“新感覚マルチパーパスカー”の開発
フランス語でかたつむりを意味するescargotと貨物を表すcargoを掛け合わせたネーミング。ボンネットなどは職人の手叩きで仕上げられた
商用モデルのパイクカーを企画するにあたり、日産のスタッフは「ファッショナブルでユニークな新感覚のマルチパーパスカー」を創出するという開発テーマを掲げる。具体的には、ブティックやフラワーショップなどの店先に停めて絵になるお洒落なクルマ、街を行く人々の視線を集めて人気者となるクルマ――に仕上げることを念頭に置いた。
商用パイクカーを造るうえで、開発陣が最も力を入れたのは内外装の演出だった。前マクファーソンストラット/後トレーリングアームのシャシーやFF方式のE15S型1487cc直列4気筒OHCエンジン(73ps)+3速ATなどの基本コンポーネントは同社のパルサー・バンやADバンから流用。その上に被せるボディは、丸目2灯式のユニークなヘッドランプになだらかな孤を描くボンネット、同じく孤でアレンジしたルーフ、広告ボードとして自由に使えるようにデザインしたフラットなリアサイドパネル(市販時は丸型リアクォーターウィンドウ仕様も用意)などで構成する。また、パイクカーの象徴的アイテムともいえるキャンバストップ(電動・手動併用式)も装備した。内装については、テーブルタイプのダッシュボードにセンター配置の大型スピードメーター、インパネ中央付近にレイアウトしたATシフトレバーなど、専用デザインのパーツを満載する。シートはメイン素材に平織の生地を用いたセパレート式のベンチタイプで、助手席にはウォークイン機構を内蔵。サイドウィンドウは開閉部の全開を実現するために2分割式でアレンジした。
センター配置の大型メーター、インパネ中央のシフトなど独創的なデザインが目を引く。室内空間は開放的
商用車版のパイクカーはその性格上、実用性も最大限に考慮された。荷室高は1230mmを確保し、そのうえでフラットな床面や可倒式のリアシート、ルーフ近くから床面まで開く上ヒンジ式の大型リアゲートなどを設ける。耐久性も重視し、前後バンパーやフロントフェンダー、ヘッドランプフィニッシャー、リアフィレットプロテクターには錆びにくくて軽量な高剛性PP(ポリプロビレン)材を採用した。
■姿かたちがそのまま車名に――
リアサイドパネルは広告として使えるようにフラットな造形
商用モデルのパイクカーは、1987年に開催された第27回東京モーターショーで参考出品車として初披露される。車名は「S-Cargo(エスカルゴ)」。フランス語でかたつむりを意味し、スタイリングも似ているescargotと貨物を表すcargoを掛け合わせたネーミングを冠していた。
市販版のエスカルゴはPAO(パオ)と同時期の1989年1月に発表され、2年間限定の形で受注生産される。型式はR-G20。量産ラインを担当したのは関連会社の日産車体で、ボンネットなどの一部パーツは職人の手叩きで仕上げられた。ボディサイズは全長3480×全幅1595×全高1835~1860mm/ホイールベース2260mmで、最小回転半径は4.7m。最大積載量は300kgを確保する。標準ボディ色はホワイト/グレー/ベージュ/オリーブの4タイプを設定し、オプションとしてレッド/イエロー/ブルー/ブラックも選択できた。
エスカルゴの車両価格は122.0~133.0万円と同クラスの商用車より高めの設定だったが、販売は好調に推移する。走りの面でも予想以上の好評を博し、とくに乗り心地のよさ(4輪独立懸架サスペンションに155R13-6PRLTサイズのミシュラン製商用車用タイヤを装着)がユーザーから高く評価された。一方、ユニークなスタイリングで脚光を浴びたエスカルゴは国内外での様々なイベント会場でも披露される。1989年7月には英国のロンドン美術館にてS-Cargoを展示。また、アーティストの池田満寿夫氏が外装ペイントを手がけたアートカーモデルも製作される。日産自動車のお膝元である神奈川県では、横浜スタジアムのリリーフカーとして特別仕様のエスカルゴが造られ、2000年のシーズンまで活躍した。
結果的にエスカルゴは予定通りの2年間、1990年12月まで生産され、累計台数は1万650台あまりにのぼる。また生産中止後もコアな人気を保ち続け、21世紀に入ってもレストアやドレスアップが施されたユーズドカーが市場に並ぶこととなった。ちなみに、知己の板金職人によるとエスカルゴをレストアする際は「意外な発見がある」という。最も印象的なのは緩やかな弧を描くボンネットで、ひとつひとつ手叩きで仕上げられていたため、個体によってプロでしかわからない微妙な違いがあるそうだ。一般的にはスタイリングのユニークさばかりが強調されるエスカルゴだが、一皮むけば職人さんの技術が存分に発揮された通好みの逸品なのである。
【著者プロフィール】
大貫直次郎
1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。