100万円台のVW車は本当にお得か? 「クルマ&カー用品」4製品をプロが○×チェック

価格が安い、安すぎてちょっと心配になってしまうくらいの格安アイテムを、プロ・専門家が徹底的にチェック! 独自機能やおすすめポイントなど、良いところも悪いところも含めて惜しみなくレビューをお伝えしていきます。

 

クルマというとどうしてもハードルの高い買い物と思いがちですが、今ではデザインと実用性にこだわった国産ミニバンと、上質なスタイリングと走りを両立する輸入ハッチバックはいずれもU-200万円と、意外とお手ごろな価格で手に入ります。話題のドラレコや電アシも含めて、専門家がシビアに〇✕判定しました。

 

【○×判定した人】

クルマ編集・ライター 安藤修也さん

元ゲットナビ編集部員。スーパーカーから軽自動車まで、幅広いジャンルのクルマに日々触れています。

軽より少し高いだけの価格ではるかに凌ぐ満足度を得る

近年の新車ランキング上位で多くを占めるのは軽自動車ですが、人気の理由はもちろんコスパの高さ。車両価格が安いだけでなく、燃料代や税金、保険料などの維持費も普通車に比べてリーズナブルです。

 

とはいえ、高速道路を走行するときなどは、軽自動車ののんびりとした加速感に不満を感じる人も多い。また、ボディ剛性にはどうしても不安が残る。これらを解消するためにターボエンジン搭載グレードを選んだり、安全装備をオプションで付けたりすると価格が大きく跳ね上がり、結局200万円を超えてしまうこともままあります。

 

ここで紹介するトヨタ シエンタとフォルクスワーゲン up!は、いずれも普通車ながらエントリーグレードなら100万円台で購入できる。前者は、ミニバンらしからぬスポーティなデザインと3列シート7人乗り、後者はVWらしい質感の高いスタイリングと走りが特徴です。最近の軽自動車は、全体に性能が高められているのも事実。とはいえ、それらに少し上乗せした価格で、はるかに凌ぐ満足度を手に入れられるクルマとしてオススメしたい。

 

【その1 トヨタ シエンタの場合】

スポーティなコンパクトボディに余裕のある3列シートを搭載

トヨタ

シエンタ

168万9709円〜

「ユニバーサルでクールなトヨタ最小ミニバン」をコンセプトとし、従来の“ハコ型”イメージを覆すスポーティな外観が特徴。小型ながら3列目までゆとりある室内空間や、高齢者や子どもにやさしい乗降性も備えています。SPEC【X“Vパッケージ”・FF】●全長×全幅×全高:4235×1695×1675㎜●車両重量:1310㎏●パワーユニット:1496cc直列4気筒DOHCエンジン●最高出力:109PS(80kW)/6000rpm●乗車定員:7人●JC08モード燃費:20.6㎞/ℓ

 

↑後方に絞ったキャビンと、コーナーが張り出したアンダーボディが特徴のリアデザイン。安定感のあるスタンスです

 

【Check!】

デザイン:〇

有機的でシトロエンのよう!

「まるでシトロエンのような有機的なデザインは、ミニバンのイメージとは一線を画します。カラーリングもアバンギャルド!」

 

走り:×

走りは凡庸だが燃費性能は高い

「走りは凡庸で高速走行には向きません。ただ、街乗りがメインなら問題なく、ハイブリッドでもガソリンでも燃費性能は◎」

 

快適性:〇

3列目シートは床下収納式

「このコンパクトボディに3列シートを収めたのは素晴らしい。3列目は床下収納式で、使わないときは室内をかなり広く使えます」

 

総評

「デザインに面白みの欠けるミニバンのなかではユニークな存在。最もリーズナブルな価格で買える7人乗りカーとして高く評価したいです」

【その2 フォルクスワーゲン up!の場合】

VWのエントリーモデルながら質感の高いスタイリングが魅力

ハッチバック

フォルクスワーゲン up!

159万9000円〜

スタイリッシュなデザインが人気の小型ハッチバック。軽自動車よりひと回り大きいほどのサイズで、大人4人が無理なく乗れる室内スペースを確保します。ユーロNCAPで最高評価5つ星の安全性能も魅力。SPEC【move up! 2ドア】●全長×全幅×全高:3610×1650×1495㎜●車両重量:930㎏●パワーユニット:999㏄直列3気筒DOHCエンジン●最高出力:75PS(50kW)/6200rpm●乗車定員:4人●JC08モード燃費:22.0㎞/ℓ

 

【Check!】

内外装の質感:〇

上質かつポップなスタイリングが魅力

「エントリーモデルといえども、内外装は輸入車らしく質感高い仕上がり。ドライバーを選ばないポップなスタイリングも魅力的です」

 

走り:〇

路面に吸いつくように走る!

「同クラスの国産車と比べて、シャーシ性能がかなり高いです。運転操作にリニアに反応するだけでなく、路面に吸いつくように走ります」

 

パワーユニット:×

パワーは物足りなさを感じる

「1ℓ3気筒エンジンに5速ASG(セミAT)の組み合わせ。先代からギクシャク感は改良されましたが、パワーに物足りなさを感じることも」

 

総評

「200万円以下で買える輸入車が少ないなか、本車はかなり割安感あり。トランスミッションも改善され、普通に乗れる良いクルマとなりました」

 

 

【その3 オウルテックのドライブレコーダーの場合】

証拠映像に使うのは厳しいが基本性能は必要十分

オウルテック

OWL-DR05-BK

実売価格6790円

W71×H69×D31㎜の小型サイズながら、視認性が高い2.4インチTFT液晶モニターを搭載。画質はHD/30fpsですが、LED信号対策や、地デジ放送受信時に影響を及ぼさないノイズ低減など、基本性能を押さえています。

 

【Check!】

操作性:〇

物理ボタンの操作が快適

「タッチ操作には非対応ですが、画面下部にまとめられた物理ボタンによる操作は快適。ボタンピッチも適度で誤操作が少なくなります」

 

画質:×

細かい文字は視認しづらい

「HD画質のため解像感は低く、ナンバープレートなどは読み取れないことも。サイズのわりに画面が大きくて見やすいのは好印象でした」

 

機能性:○

車上荒らしなども録画できる

「モーションセンサーが動くものを検知すると、自動で録画がスタート。いざというときの録り逃しを防げます」

 

総評

「画質の粗さやGPS非搭載など“省略点”は多いものの、ドラレコとしての機能性は及第点。『とりあえず付けたい』という人にオススメです」

 

 

【その4 電動アシスト自転車の場合】

各パーツにこだわって快適な走りを実現

21Technology

DA246

実売価格5万4800円

3段階のアシストモードを搭載し、走行環境によって使い分けて節電可能。CST製の高品質タイヤや、軽量アルミクランク、肉厚のU字型サドルなど、一つひとつのパーツにこだわった。カラバリは4色を用意します。

 

【Check!】

乗り心地:〇

シフトチェンジが滑らか

「シマノ製6段変速ギアが、滑らかなシフトチェンジを実現。街乗りなら快適な走りを楽しめます。グリップシフターもシマノ製です」

 

アシスト力:〇

バッテリーは小型でも高性能

「最新ではないものの、小型軽量のパナソニック製リチウムイオンバッテリーを採用。約3.5時間の充電で最長約60㎞走行可能です」

 

デザイン:×

ママチャリ感は否めない

「いかにもママチャリなデザイン。スーツスタイルでのライドも訴求していますが、スタイリッシュではないです」

 

総評

「子どもの送り迎えや買い物時などに乗る、実用車としての用途なら十分な性能。一般的な電アシの半額程度と考えればかなりお買い得に思えます」

 

 

【中年名車図鑑|オートザムAZ-1】あまりにマニアック…短命に終わった“軽自動車界のスーパーカー”

1989年に発売したオートザム・キャロルによって軽乗用車市場への復活を果たしたマツダは、その勢いを駆って新しい軽スポーツカーの企画を推し進める。そして、1992年に軽ミッドシップ2シータークーペの「オートザムAZ-1」を市場に放った――。

【Vol.81 オートザムAZ-1】

好景気を背景に車種設定の強化を目論んだ1980年代終盤のマツダは、1975年末から退いていた軽乗用車の本格生産に再び乗り出すための方策を鋭意検討する。最終的に決定した案は、他社との生産協力。当時のマツダにとって、一から軽乗用車を開発するのにはコストや時間などの制約の面で難があったからだ。首脳陣が提携先として選んだのは、直接のライバル関係にはない、つまり国内№3を競う自動車メーカーではないスズキ(当時の社名は鈴木自動車工業)だった。スズキ側にとっても、自社製品の販売量が無理なく増えるというメリットが生まれる。結果的に両社は、1987年12月に軽自動車生産の協力体制を構築する旨を発表した。

 

クルマそのものの供給、すなわちOEM供給については、まず軽商用車のカテゴリーで行われる。スズキ・エブリイ(バン)/キャリイ(トラック)をベースに専用エンブレムなどを装着したスクラムが、1989年6月にマツダのオートザムブランドを通して発売された。以後、スクラムはマツダの定番軽バン/トラックとしての地位を確立していく。また、スズキからは軽乗用車用のコンポーネント、具体的にはF5B型547cc直列3気筒OHCエンジンと駆動機構、2335mmのホイールベースを持つプラットフォームおよびシャシーなどの供給も受け、スズキの浜松工場で生産されたこれらの製品を広島に運び、独自のボディと内装パーツを組み付けて新型キャロル(AA型系)を完成させる。さらに、軽自動車が新規格に移行してからはF6A型657cc直列3気筒OHCやOHCターボなどを購入し、新しいキャロルを生み出した。

 

一方で開発現場では、マツダ製軽自動車のイメージをより向上させる目的で、オリジナルのスポーツモデルの企画を積極的に推し進める。1989年開催の第28回東京モーターショーでは、その具現作となるコンセプトカーの「AZ550 SPORTS」を発表。ガルウイング式ドアを採用したAタイプ、ノッチバッククーペボディのBタイプ、レースマシンのCカーを彷彿させるCタイプの3モデルを披露した。そして、市販化に向けては来場者から好評を博したAタイプの車両デザインをベースとすることに決定。設計統括には、初代ロードスターの主査を務めた平井敏彦氏が就任した。

 

■レースカーのような基本骨格で登場した「AZ-1」

トランスミッションは5速MT。パワー&トルクは64ps/6500rpm、8.7kg・m/4000rpm。44:56という前後重量配分(車両重量は720kg)と相まって俊敏なハンドリングと運動性能を実現

 

マツダ渾身の軽スポーツカーは、「オートザムAZ-1」(PG6SA型)の車名で1992年9月に発表、10月に発売される。ディーラー名のAutozamを略した「AZ」に、同ディーラーの設定車種内での車体の大きさを示す数値の「1」を組み合わせたAZ-1は、まずその基本骨格とデザインで注目を集めた。2シーターのミッドシップレイアウトで構成する基本骨格には、フロアの周囲にフレームを組み付けるペリメーター型をメインに、大断面サイドシルを有するスケルトンモノコックを採用。アウターパネルには軽量で成形自由度の高いFRP材を多用する。高剛性かつ軽量なボディ構造は、外装を取り外した状態でも走行が可能だった。一方、サイドシルが高くなることから、ドア形状には上ヒンジ式のガルウィングタイプを導入。ドアガラスは基本的に固定タイプで、チケットウィンドウと称する開閉式の小窓が組み込まれる。また、コクピット上部はグラスキャノピーで仕立て、ルーフ部には光の透過率を30%に抑えるセラミック処理を施した。ボディサイズは全長3295×全幅1395×全高1150mmに仕立てる。懸架機構にはアルト・ワークス用のフロントサス(ストラット/コイル)を専用チューニングで前後にセット。ホイールベースは2235mmに設定した。

2シーターのミッドシップレイアウトを採用。コクピット上部はグラスキャノピー仕立てで、ルーフ部には光の透過率を30%に抑えるセラミック処理を施した

 

ミッドシップ配置するエンジンは、アルト・ワークスから流用したF6A型657cc直列3気筒DOHC12Vインタークーラーターボで、パワー&トルクは64ps/6500rpm、8.7kg・m/4000rpmを発生する。トランスミッションには5速MTを採用。ラック&ピニオン式のステアリング機構はロック・トゥ・ロック2.2回転とクイックにセットし、44:56という前後重量配分(車両重量は720kg)と相まって俊敏なハンドリングと運動性能を実現していた。

 

少量生産を想定したために組み立てラインを協力会社のクラタ(当初からAZ-1の外板の生産を担当。現在は三浦工業と合併してキーレックスに移行)に設置し、量販を始めたAZ-1は、そのキャラクターから“軽自動車界のスーパーカー”“究極のハンドリングマシン”などと称され、市場から大きな注目を集める。デビュー翌年の1993年の1月からはスズキへのOEM供給も開始し、「キャラ(CARA)」の車名で販売された。

 

■販売はわずか3年強で終了

1994年5月に発売されたM2の限定車1015

 

平成ABCトリオのなかでもとりわけ異彩を放ったAZ-1は、そのマニアックな特性からユーザーは限定され、デビュー当初を除いて販売は低調に推移する。テコ入れ策としてマツダは、1993年1月に充実装備の特別仕様車となるTYPE L、1993年6月にエアロパーツを装備したマツダスピードバージョン、1994年5月にM2が企画した限定車の1015をリリースするが、成績の回復には至らなかった。そのうちにバブル景気の崩壊によるマツダ本体の経営逼迫が深刻化。結果的にAZ-1は車種整理の対象となり、1995年12月に販売を終了したのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

険路に鉄道を通す! 先人たちの熱意が伝わってくる「山岳路線」の旅【山形線・福島駅〜米沢駅間】

おもしろローカル線の旅〜〜山形線(福島県・山形県)

 

ステンレス車体の普通列車が険しい勾配をひたすら上る。せまる奥羽の山々、深い渓谷に架かる橋梁を渡る。スノーシェッド(雪囲い)に覆われた山のなかの小さな駅。駅の奥にはスイッチバック用の線路や、古いホームが残っている。駅を囲む山々、山を染める花木が一服の清涼剤となる。

JRの在来線のなかでトップクラスに険しい路線が、山形線(奥羽本線)の福島駅〜米沢駅間だ。福島県と山形県の県境近くにある板谷峠(いたやとうげ)を越えて走る。

 

いまから120年ほど前に開業したこの路線。立ちはだかる奥羽山脈を越える鉄道をなんとか開通させたい、当時の人たちの熱意が伝わってくる路線だ。

 

8時の電車の次は、なんと5時間後!

福島発、米沢行きの普通列車は5番・6番線ホームから出発する。5番線は在来線ホームの西の端、6番線は5番線ホームのさらにその先にある。この“片隅感”は半端ない。さらに普通列車の本数が少ない。2駅先の庭坂駅行きを除けば、米沢駅まで行く列車は日に6本しかない。

↑板谷駅の「奥羽本線発車時刻表」。この日中の普通列車の少なさは驚きだ。一方で山形新幹線「つばさ」はひっきりなしに通過していく *現在は本写真撮影時から時刻がやや変更されているので注意

 

上の写真は板谷駅の時刻表。光が反射して見づらく恐縮だが、朝は下り・上りとも7時、8時に各1本ずつ列車があるが、それ以降は13時台までない。さらにその後は、下りは16時台に1本あるが、上りにいたっては、13時の列車以降、5時間半近くも列車が来ない。

 

山形線の普通列車は、米沢駅〜山形駅間、山形駅〜新庄駅間も走っているが、こちらはだいたい1時間に1本という運転間隔だ。福島駅〜米沢駅間の列車本数の少なさが際立つ。沿線人口が少ない山岳路線ゆえの宿命といっていいかもしれない。

 

一方、線路を共有して運行される山形新幹線「つばさ」は、30分〜1時間間隔で板谷駅を通過していく。新幹線のみを見れば山形線は幹線路線そのものだ。

 

福島駅〜米沢駅間で普通列車に乗る際には、事前に時刻を確認して駅に行くことが必要だ。また途中駅で乗り降りするのも“ひと苦労”となる。新幹線の利便性に比べるとその差は著しい。

 

今回は、そんな異色の山岳路線、福島駅〜米沢駅間を走る普通列車に乗車、スイッチバックの遺構にも注目してみた。

 

【驚きの険路】 標高差550m、最大勾配は38パーミル!

上は福島駅〜米沢駅の路線マップと、各駅の標高を表した図だ。福島駅〜米沢駅間は40.1km(営業キロ数)。7つある途中駅のなかで峠駅の標高が1番高く海抜624mある。峠駅をピークにした勾配は最大で38パーミル(1000m走る間に38m高低差があること)で、前後に33パーミルの勾配が連続している。

 

一般的な鉄道の場合、30パーミル以上となれば、かなりの急勾配にあたる。ごく一部に40パーミルという急勾配がある路線もあるが、山形線のように、急勾配が続く路線は珍しい。

 

いまでこそ、強力なモーターを持った電車で山越えをするので、難なく走りきることができる。しかし、1990(平成2)年まで同区間では、赤岩駅、板谷駅、峠駅、大沢駅の計4駅でスイッチバック運転が行われ、普通列車は徐々に上り、また徐々に下るという“手間のかかる”運転を行っていた。

↑開業時から1990(平成2)年まで使われていた板谷駅の旧ホームはすっかり草むしていた。米沢行き普通列車は本線から折り返し線に入り、後進してこのホームに入ってきた

 

【山形線の歴史1】 難工事に加え、坂を逆行する事故も

さて、実際に乗車する前に、山形線(奥羽本線)福島駅〜米沢駅間の歴史をひも解いてみよう。

●1894(明治27)年2月 奥羽本線の福島側からの工事が始まる

●1899(明治32)年5月15日 福島駅〜米沢駅間が開業

当時の鉄道工事は突貫工事で、技術の不足を人海戦術で乗り切る工事だった。奥羽本線は北と南から工事を始めたが、青森駅〜弘前駅間は、わずか1年5か月という短期間で開業させている。一方で福島駅〜米沢駅間の5年3か月という工事期間を要した。この時代としては想定外の時間がかかっている。

 

特に難航したのが、庭坂駅〜赤岩駅間にある全長732mの松川橋梁だった。川底から高さ40mという当時としては異例ともいえる高所に橋が架けられた。開業後も苦闘の歴史が続く。

●1909(明治42)年6月12日 赤岩信号場(現・赤岩駅)で脱線転覆事故

下り混合列車が急勾配区間を進行中に蒸気機関車の動輪が空転。補助機関車の乗務員は蒸気とばい煙で意識を失ったまま、列車は下り勾配を逆走、脱線転覆して5人が死亡、26人が負傷した。

●1910(明治43)年8月 庭坂駅〜赤岩信号場間で風水害によりトンネルなどが崩落

休止した区間は徒歩連絡により仮復旧。翌年には崩落区間の復旧を諦め、別ルートに線路を敷き直して運転を再開させた。

●1948(昭和23)年4月27日 庭坂事件が発生、乗務員3名死亡

赤岩駅〜庭坂駅間で起きた脱線事故で、青森発上野行きの列車の蒸気機関車などが脱線し、高さ10mの土手から転落する事故が起きた。列車妨害事件とされるが、真相は不明。太平洋戦争終了後、原因不明の鉄道事故が各地で相次いだ。

 

当時の非力な蒸気機関車による動輪の空転・逆走事故、風水害の影響と険路ならではの問題が生じた。そこで同区間用の蒸気機関車の開発や、電化工事が矢継ぎ早に進められた。

●1947(昭和22)年 福島駅〜米沢駅間用にE10形蒸気機関車5両を製造

国鉄唯一の動輪5軸という珍しい蒸気機関車が、同路線用に開発された。急勾配用に開発されたが、思い通りの性能が出せず、同区間が電化されたこともあり、稼働は1年のみ。移った北陸本線でも走ったのは1963(昭和38)年まで。本来の機能を発揮することなく、稼働も15年のみという短命な機関車だった。

↑E10形蒸気機関車は国鉄最後の新製蒸気機関車とされ、福島駅〜米沢駅間の急勾配区間向けに開発された。登場は昭和23(1948)年で、1年のみ使われたのち他線へ移っていった

 

↑E10形は石炭や水を積む炭水車を連結しないタンク車。転車台で方向転換せずにバック運転を行った。現在は東京都青梅市の青梅鉄道公園に2号機が展示保存されている

 

●1949(昭和24)年4月29日 福島駅〜米沢駅間が直流電化

当時はまだ電化自体が珍しい時代でもあった。東海道本線ですら、全線電化されたのが1956(昭和31)年と後になる。いかに福島駅〜米沢駅間の電化を急がれたのかがよくわかる。

 

【山形線の歴史2】 新幹線開業後に「山形線」の愛称がつく

●1967(昭和43)年9月22日 福島駅〜米沢駅間を交流電化に変更

交流電化の変更に加えて路線が複線化されていく。1982(昭和57)年には福島駅〜関根駅間の複線化が完了している。

●平成4(1992)年7月1日 山形新幹線が開業(福島駅〜山形駅間)

線路を1067mmから1435mmに改軌し、山形新幹線「つばさ」が走り出す。それとともに、福島駅〜山形駅間に山形線の愛称がついた。

●平成11(1999)年12月4日 山形新幹線が新庄駅まで延伸

これ以降、福島駅〜新庄駅間を山形線と呼ぶようになった。

 

【所要時間の差は?】 新幹線で33分、普通列車ならば46分

さて福島駅〜米沢駅間の列車に乗車してみよう。同区間の所要時間は、山形新幹線「つばさ」が約33分。普通列車が約46分で着く。運賃は760円で、新幹線利用ならば運賃+特急券750円(自由席)がかかる。

 

所要時間は13分の違い。沿線の駅などや風景をじっくり楽しむならば、やはり列車の本数が少ないものの普通列車を選んで乗りたいものだ。

 

山形線の普通列車として使われるのは標準軌用の719系5000番代と701系5500番代。福島駅〜米沢駅間の普通列車はすべて719系5000番代2両で運行されている。

↑福島駅の5番線に停車する米沢駅行き電車。車両はJR東日本719系。2両編成でワンマン運転に対応している。ちなみに5番線からは観光列車「とれいゆつばさ」も発車する

 

車内は、窓を横にして座るクロスシートと、ドア近くのみ窓を背にしたロングシート。クロスシートとロングシートを組み合わせた、セミクロスシートというスタイルだ。

【山形線の車窓1】営業休止中の赤岩駅はどうなっている?

筆者は福島駅8時5分発の列車に乗った。乗車している人は定員の1割ぐらいで、座席にも余裕あり、のんびりとローカル線気分が楽しめた。同線を走る山形新幹線「つばさ」の高い乗車率との差が際立つ。

 

福島駅の先で、高架線から下りてくる山形新幹線の線路と合流、まもなく最初の笹木野駅へ到着する。次の庭坂駅までは沿線に住宅が連なる。

 

庭坂駅を発車すると、しばらくして線路は突堤を走り、右に大きくカーブを描き始める。ここは通称、庭坂カーブと呼ばれる大カーブで、ここから山形線はぐんぐんと標高をあげていく。ちょうど福島盆地の縁にあたる箇所だ。

↑庭坂駅から赤岩駅間の通称・庭坂カーブを走るE3系「つばさ」。同カーブ付近から列車は徐々に登り始める。福島盆地の雄大なパノラマが楽しめるのもこのあたりだ

 

庭坂駅から10分ほどで、眼下に流れを見下ろす松川橋梁をわたる。ほどなく赤岩駅へ。駅なのだが、普通列車もこの赤岩駅は通過してしまう。さてどうして?

↑赤岩駅は現在、通年通過駅となっている。普通列車も通過するので乗降できない。利用者がいない駅とはいうものの、ホーム上は雑草も無くきれいな状態になっていた

 

赤岩駅は廃駅になっていない。が、2016年秋以来、通過駅となっていて乗降できない。時刻表や車内の案内にも、赤岩駅が存在することになっているのだが、乗り降りできない不思議な駅となっている。営業していたころも長年、乗降客ゼロが続いてきた駅であり、このまま廃駅となってしまう可能性も高そうだ。

 

【山形線の車窓2】 スイッチバック施設が一部に残る板谷駅

板谷駅の手前で山形県へと入る。

 

板谷駅は巨大なスノーシェッド(雪囲い)に覆われた駅で、ホームもその中にある。おもしろいのは、旧スイッチバック線の先にある旧ホームだ。実際にスイッチバック施設が使われていた時代には、現在のホームの横に折り返し線があり、米沢方面行き列車は、この折り返し線に入り、バックしてホームへ入っていった。

 

特急などの優等列車は、このスイッチバックを行わず、そのまま通過していった。板谷駅は山間部にある同線の駅のなかでは、最も人家が多く、工場もある。が、列車の乗降客はいなかった。国道13号が近くを通るため、クルマ利用者が多いのかもしれない。

↑板谷駅は駅全体が頑丈なスノーシェッドに覆われている。駅舎はログハウスの洒落た造り。右側のホームが福島駅方面、左に米沢駅方面のホームがある

 

↑上写真の立ち位置で逆を写したのがこの写真。右の2本の線路が山形線の本線で、左の線路の先に古い板谷駅のホームがある。現在は保線用に使われている

 

↑上写真のスノーシェッドの先にある旧板谷駅のホーム。行き止まり式ホームで、列車は前進、または後進でホームに入線した。このホームの右手に板谷の集落がある。同駅は国道13号からも近くクルマでも行きやすい

 

【山形線の車窓3】雪囲いに覆われる峠駅、峠の力餅も楽しみ

板谷駅から5分ほどの乗車で、福島駅〜米沢駅間で最も標高が高い峠駅に到着した。

 

海抜624m。山あいにあるため冬の降雪量も尋常ではない。多いときには3mも積もるという。この峠駅の周辺には、滑川温泉などの秘境の温泉宿があり、若干ながら人の乗り降りがあった。

↑峠駅は巨大なスノーシェッド(雪囲い)に覆われている。標高624mと福島駅〜米沢駅間では最も高い位置にある駅で、冬の積雪はかなりの量になる

 

この峠駅、雪から駅を守るために、スノーシェッドが駅の施設をすっぽりと覆っている。この駅の改札口付近から、さらに別のスノーシェッドが200mほど延びている。

↑峠駅へと続くスノーシェッド。スイッチバックして旧峠駅へ進入するためのルートに使われた。複線分のスペースがあり非常に広く感じられる

 

こちらは現在、使われていない施設だが、複線の線路をすっぽりと覆う巨大な大きさだ。スノーシェッドは、200mぐらい間を空けて、さらに先の山側に入った地点にも残っている。このスノーシェッドの間に元の峠駅があったという。

 

駅近くの「峠の茶屋」で聞くと、「スノーシェッドですべて覆ってしまうと、蒸気機関車の煙の逃げ場がなくなる。あえて、スノーシェッドを空けた部分を設けていたんです」と教えてくれた。

 

現在の峠駅ホームをはさみ反対側には折り返し線用のトンネルがあった。福島方面行き列車は、この折り返し線に入り、バックして旧駅に入線していた。スイッチバックが行われた時代、さぞや楽しい光景が展開していたことだろう。

↑峠駅の目の前にある「峠の茶屋」。江戸時代は参勤交代が行われた羽州米沢街道の峠で茶屋を営んでいた歴史ある店だ。現在の「峠の茶屋」といえば、名物「峠の力餅」で有名

 

↑現在も峠駅のホームでの立売り(窓越し販売)が行われている。停車時間の短いのが難点だが、電話で事前予約しておくこともできる

 

↑峠の力餅10ヶ入り(926円)。餅米は山形置賜産のヒメノモチ、小豆は厳選した大納言、地元吾妻山系の伏流水を使用して製造する。ボリュームあり、お土産にも最適だ

 

峠駅近くの「峠の茶屋」。峠駅で下車した際には、昼食、小休止、そして次の列車待ちに利用するのも良いだろう。

 

【山形線の車窓4】関根駅〜米沢駅間は不思議に単線となる

峠駅から米沢駅側は、ひたすら下りとなる。峠駅の1つ先の大沢駅もスノーシェッド内の駅だ。峠駅や板谷駅のように明確ではないが、スイッチバックの遺構が残っている。

 

4駅に残るこうしたスイッチバックの遺構などは、1999(平成11)年5月に「奥羽本線板谷峠鉄道施設群」として産業考古学会の推薦産業遺産として認定された。

 

推薦理由は、「奥羽山脈の急峻な峠を越えるために、スイッチバック停車場を4カ所連続させ」、加えて「広大な防雪林を造営するなど、東北地方の日本海側地域開発にとって記念碑的な鉄道遺産である」こと。この路線が、歴史的に重要であり、国内の鉄道遺産としても貴重であるという、学会から“お墨付き”をもらったわけである。

 

大沢駅を過ぎると、右に左にカーブを描きつつ列車は下っていく。田畑が見え集落が広がると関根駅へ着く。

 

この関根駅の次が米沢駅。この区間は米沢盆地の開けた区間となり路線もほぼ直線となる。険しい福島駅〜関根駅間が複線なのに、関根駅〜米沢駅間のみ単線となる。

↑関根駅〜米沢駅間の単線区間を走る観光列車「とれいゆつばさ」。ほかの駅間と比べて平坦な同区間がなぜ複線とならなかったのだろうか

 

米沢駅の先、赤湯駅まで単線区間が続く。よってこの区間で列車に遅れが生じると、対向列車まで影響を受ける。米沢駅〜赤湯駅間も米沢盆地内の平坦な土地なのに、この米沢盆地内のみ単線区間が残ることに、少し疑問が残った。

 

終着の米沢駅に付くと、ちょうど向かいに観光列車「とれいゆつばさ」が停車していた。「とれいゆつばさ」の車内にある「足湯」を浸かりながらの旅も癒されるだろうな、とつい誘惑にかられてしまう。

↑米沢市の玄関口・米沢駅。江戸時代は上杉藩の城下町として栄えた。現在は人気ブランド米沢牛の生産地でもある。駅2階のおみやげ処でも米沢牛関連商品が販売されている

 

だが、今回はローカル線の旅なのだ。帰りにもこだわり、4時間ほど米沢周辺で時間をつぶして、福島行き普通列車に乗車した。逆からたどる山岳路線も味わい深い。峠駅を過ぎると、福島市内までひたすら下り続ける。普通列車とはいえ標準軌ならではの安定した走行ぶり、快適な乗り心地が心に残った。

【中年名車図鑑|スズキ・カプチーノ】ワゴンRのおかげで生き延びたスズキ初のリアルスポーツ

ホンダ・ビートの登場から5カ月ほどが経過した1991年10月、スズキ初のリアルスポーツ軽自動車が「カプチーノ」の名で市場デビューを果たす。開発陣が目指したのは、乗ることで心を解放してくれるオープンマインドの2シータースポーツだった――。

【Vol.80 スズキ・カプチーノ】

1990年1月に軽自動車の規格が改定されてエンジン排気量が660cc以内、ボディサイズが全長3300×全幅1400×全高2000mm以内になると、各メーカーはこぞって新規格に合わせた軽自動車をリリースする。当時はバブル景気真っ盛りのころ。豊富な開発資金を下支えに、まっさらなニューモデルが数多くデビューした。

 

軽自動車のトップメーカーであるスズキは、1989年10月開催の第28回東京モーターショーに出展した軽規格の試作スポーツカー「Cappuccino」を市販化する決定を下す。このころは軽自動車の高性能化が一気に加速した時代で、スズキのアルト・ワークス、ダイハツのミラ・ターボTR-XX、三菱自動車のミニカ・ダンガン、富士重工業のスバル・レックス・コンビ・スーパーチャージャーVXなどがハイパフォーマンス軽自動車の№1を目指して凌ぎを削っていた。ユーザー側にとっても安い価格と維持費で速いクルマを購入できるため、この流行を大いに支持する。軽自動車のピュアスポーツが造られる下地は、十分に熟成されていたのだ。

 

■軽FRスポーツカーのデビュー

ハードトップ、Tバールーフ、タルガトップ、フルオープンという4通りのバリエーションが楽しめるオープン2シーター

 

スズキの開発陣が目指した軽スポーツカーは、乗ることで心を解放してくれるオープンマインドの2シーターだった。開発に携わったあるエンジニアは、「当時の開発スタッフは英国のライトウェイトスポーツのファンが多かった。スポーツカーを造るなら、やっぱりオープン2シーターにしたいという意見が強かった」と、当時を振り返る。しかしそのルーフは、単なるソフトトップではなかった。頂上部は着脱が可能な3分割式のアルミ材パネルを採用し、外したパネルはトランク内に収納できる。リアガラスを組み込んだピラー部は、そのままの形でボディ後部に押し込むことができた。その結果、ハードトップ、Tバールーフ、タルガトップ、フルオープンという4通りもの走りが楽しめた。

駆動方式はFR。ロングノーズ&ショートデッキとスポーツカーの定石に則ったスタイルを持つ。前後重量配分は51対49と理想的

 

開発陣はメカニズムにもこだわった。エンジンはアルト・ワークス用のF6A型657cc直列3気筒DOHC12Vインタークーラーターボユニットを縦置きにして搭載し、後方に専用シャフトドライブを通してFR(フロントエンジン・リアドライブ)の駆動方式を構成する。パワー&トルクは64ps/6500rpm、8.7kg・m/4000rpmを発生。トランスミッションには専用セッティングの5速MTを組み合わせた。専用設計のプラットフォームおよびロングノーズ&ショートデッキのオープンモノコックボディ(全長3295×全幅1395×全高1185mm/ホイールベース2060mm)にフロントミッドシップ化したエンジン搭載位置は、前後重量配分51対49という好バランスを達成。エンジンフードや脱着式トップ、フロアトンネルカバーなどにはアルミ合金材を用い、車重は700kgと軽量に抑える。さらに、足回りには前後ダブルウィッシュボーンサスペンションと4輪ディスクブレーキ(フロントはベンチレーテッド式)、専用開発の165/65R14サイズのラジアルタイヤを奢った。

 

1991年10月、スズキ初のリアルスポーツ軽自動車が「カプチーノ」(EA11R型)の名で市場デビューを果たす。車名はイタリアのコーヒーの一種であるcappuccinoに由来。小さなカップに入ったちょっとクセのあるお洒落な飲物と小さなオープンカーのイメージを重ねて命名していた。車両価格は145万8000円~169万8000円と当時のリッターカー・クラスを上回る設定だったが、5カ月ほど前にデビューしたホンダ・ビートとともに、販売台数を大いに伸ばした。

 

■ライバルよりも長く生産された理由

ミッションは5MT(MC後に3ATが追加)。パワー&トルクは64ps/6500rpm、8.7kg・m/4000rpm

 

カプチーノは1995年5月にマイナーチェンジを受け(EA21R型)、オールアルミ製のK6A型658cc直列3気筒DOHC12Vインタークーラーターボエンジンに換装される。同時に5速MTに加えて3速ATを設定し、イージードライブを可能とした。

1998年まで7年あまり生産される。結果的にホンダ・ビート、マツダAZ-1に比べ長寿命となった

 

K6Aエンジンは、ヘッドカバーからロアケースまで本体部品すべてをアルミ合金材で仕立て、そのうえでシリンダーブロックのスカート部とロアケースを一体構造とする。また、シリンダーブロック自体には軽自動車用エンジン初の圧入セミウエットライナーを採用。さらに、ツインカム4バルブ(DOHC12V)のヘッド部には中空カムシャフトや直打式バルブ、ダイレクトチェーンドライブ・カムシャフト駆動を組み込み、メカニカルロスの低減や軽量化を図った。ほかにも、高回転までシャープに吹き上がるショートストローク設計(ボア68.0×ストローク60.4mm)や新タイプの複合センサーにより制御の精度を高めたEPIなどを採用する。もう1点、新オールアルミエンジンではトータルでのコンピュータ制御も試みられた。SHICと呼ぶこの制御機構では、コンピュータに当時最新の16ビットを採用。従来比で約5倍の処理速度を実現し、緻密で最適な燃料噴射&点火タイミングやターボ過給圧などを実現した。パワー&トルクは64ps/6500rpm、10.5kg・m/3500rpmを発生し、690kgあまりの車重を俊敏に加速させる。ユーザーからは「ノーズが軽くなったうえに、加速性能とレスポンスも向上した」と好評を博した。

 

カプチーノはその後、大きな変更を受けることもなく、1998年10月をもって販売を終了する。しかし、ライバルのホンダ・ビートやマツダ(オートザム)AZ-1と比べると生産期間は長かった。AT仕様を設定していた、ハードトップ時はトランクルームが使えた、ボディが丈夫だったなどのメリットもあったが、それよりも重要なのは、「ほかの大ヒット作が生まれたから」という事実だった。そのクルマとは、1993年9月にデビューしたワゴンRだ。バブル景気の崩壊で日本の自動車メーカーの多くは四苦八苦し、車種ラインアップの縮小を余儀なくされたが、スズキはワゴンRが大ヒットしたために車種の整理が少なくて済んだ。もちろん、同社独自の低コスト開発戦略なども効果をあげていた。スズキ渾身の軽リアルスポーツは、身内のクルマの助けを得ながら7年あまりの長寿を全うしたのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

東京方面行きが“下り”になる不思議ーー会津線はほのぼの旅に最高の路線

おもしろローカル線の旅〜〜会津鉄道会津線(福島県)~~

 

南会津の山あい、阿賀川(あががわ)の美しい渓谷に沿って走る会津鉄道会津線。2017年4月21日に東京浅草駅から会津鉄道の会津田島駅まで、特急「リバティ会津」が直通で運転されるようになり、山間のローカル線も変わりつつある。

 

さて、今回は1枚の写真から紹介しよう。次の写真は会津下郷駅で出会ったシーン。列車の外を何気なく撮影していた時の1枚だ。

↑会津下郷駅でのひとコマ。列車の発着時にスタッフの人たちがお出迎え&お見送りをしていた。さらに停車する列車の車掌さんも素敵な笑顔で見送ってくれた

 

これが会津鉄道会津線(以降、会津線と略)の、魅力そのものなのかもしれない。緑とともに鉄道を運行する人たち、そして会津の人たちの「素敵な笑顔」に出会い、心が洗われたように、ふと感じた。

 

ほのぼのした趣に包まれた会津線らしい途中駅でのひとこま。南会津のローカル線の旅は、この先も、期待が高まる。

 

【会津線の歴史】 開業してからすでに91年目を迎えた

会津線は、西若松駅〜会津高原尾瀬口駅間の57.4kmを走る。

 

その歴史は古い。およそ90年前の1927(昭和2)年11月1日に、国鉄が西若松駅〜上三寄駅(現・芦ノ牧温泉駅)間を開業させた。その後、路線が延伸されていき、1934(昭和9)年12月27日に会津田島駅まで延ばされている。

 

会津田島駅以南の開通は太平洋戦争後のことで、1953(昭和28)年11月8日に会津滝ノ原駅(現・会津高原尾瀬口駅)まで路線が延ばされた。

 

1986(昭和61)年には、野岩鉄道(やがんてつどう)の新藤原駅〜会津高原尾瀬口駅(当時の駅名は会津高原駅)間が開業した。この路線開通により、東武鉄道(鬼怒川線)、野岩鉄道、会津線(当時は国鉄)の線路が1本に結ばれた。

 

翌年の1987(昭和62)年4月1日には、国鉄が民営化され、会津線はJR東日本の路線になった。さらに同年7月16日に会津鉄道株式会社が設立され、会津線の運営がゆだねられた。

↑会津線ではディーゼルカーが入線するまでC11形蒸気機関車が主力機として活躍した。その1両である254号機が会津田島駅の駅舎横に保存・展示されている

 

【会津線の謎】ちょっと不思議? 東京方面行きが“下り”となる

会津線は西若松駅〜会津田島駅間が非電化、会津田島駅〜会津高原尾瀬口駅間が電化されている。

 

電化、非電化が会津田島駅を境にしているため、会津田島駅から北側、そして南側と別々に運行される列車が多い。北側は会津若松駅〜会津田島駅間、南側は会津田島駅〜新藤原駅・下今市駅間を結ぶ。さらに北はJR只見線に乗り入れ、南は野岩鉄道、東武鉄道と相互乗り入れを行う。

 

会津線全線を通して走るのは快速「AIZUマウントエクスプレス」のみで、会津若松駅〜東武日光駅(または鬼怒川温泉駅)間を日に3往復している。週末には、会津若松駅から北へ走り、ラーメンや「蔵のまち」として知られるJR喜多方駅までの乗り入れも行う。

 

昨年春から運行された特急「リバティ会津」は東京・浅草駅〜会津田島駅間を日に4往復、両駅を最短で3時間9分で結んでいる。以前は直通の快速列車が運行されていたが、最新の特急列車「リバティ会津」の登場で、より快適な鉄道の旅が楽しめるようになっている。

↑会津田島駅まで直通運転された特急「リバティ会津」。会津線内では、各駅に停まる列車と主要駅のみ停車する2パターンの特急「リバティ会津」が運行されている

 

↑快速「AIZUマウントエクスプレス」と、特急「リバティ会津」のすれ違い。会津田島駅〜東武日光駅間では、会津鉄道のディーゼルカーと東武特急とのすれ違いシーンが見られる

 

さて、一部の時刻表などで表記されているのだが、会津線にはちょっと不思議なルールが残っている。通常の鉄道路線では、東京方面行きが上り列車となるのだが、会津線内の西若松駅〜会津田島駅間では会津若松駅行きが上り列車となっている(会津田島駅から南は、会津高原尾瀬口駅方面行きが上り列車となる)。

走る列車番号にも、その習慣が残されていて、会津田島駅行きには下りということで末尾が奇数の数字、会津若松駅行きの上り列車には末尾に偶数の数字が付けられている。

 

この上り下りの基準が、通常と異なるのはなぜなのだろう。

 

【謎の答え】 国鉄時代の名残そのまま受け継がれている

国鉄時代、栃木県との県境を越える野岩鉄道の路線がまだできていなかった。会津線は福島県内だけを走る行き止まり路線だった。

 

行き止まり路線の場合は、ほとんどが起点側の駅へ走る列車が上りとなる。国鉄時代の会津線は、会津若松駅へ向かう列車がすべて上りだった。

 

野岩鉄道の開通により東京方面への線路が結びついたものの、会津田島駅を境にして、上り下り方向の逆転現象は残された。西若松駅〜会津若松駅間ではJR只見線の路線を走る。只見線の列車も、会津若松駅行きを上り列車としており、会津線の上り下りを以前のままにしておけば、同線内で列車番号の末尾を上りは偶数、下りは奇数に揃えられる利点もあった。

↑東武日光駅へ直通運転を行う「AIZUマウントエクスプレス」。漆をイメージした赤色のAT700形やAT750形と、AT600形・AT650形と連結、2両編成で運行される

 

↑2010年に導入されたAT700形やAT750形は、全席が回転式リクライニングシートで寛げる。その一部は1人用座席となっている

【人気の観光列車】 自然の風が楽しめる「お座トロ展望列車」

会津線には週末、観光列車も走っている。その名は「お座トロ展望列車」。2両編成で、1両はガラス窓がないトロッコ席(春〜秋の期間)、もう1両は展望席+お座敷(掘りごたつ式)席の組み合わせとなっている。

 

会津線の絶景スポットとされる3か所の鉄橋上で一時停車。絶景ビューが楽しめる。さらにトンネル内ではトロッコ席がシアターに早変わりする。

 

お座トロ展望列車は乗車券+トロッコ整理券310円(自由席)が必要になる。会津若松駅〜会津田島駅間の運転で、所要約1時間30分。のんびり旅にはうってつけの列車だ。

↑阿賀川を渡る「お座トロ展望列車」。左側のAT-351形がトロッコ席のある車両。右のAT-401形が展望席+お座敷席付きの車両だ。ちなみに阿賀川は福島県内の呼び方で、新潟県に入ると阿賀野川(あがのがわ)と名が改められる

 

↑湯野上温泉駅〜芦ノ牧温泉南駅間にある深沢橋梁。若郷湖(わかさとこ)の湖面から高さ60mを渡る橋で一時停止する。なお写真の黄色い車両AT-103形はすでに引退している

 

【歴史秘話】江戸時代の会津線沿線は繁華な街道筋だった

会津線の旅を始める前に、ここで会津、そして南会津の歴史について簡単に触れておこう。

 

まずは「会津西街道」の話から。会津西街道は会津線とほぼ平行して走る街道(現在の国道121号と一部が重複)のことを指す。会津藩の若松城下と今市(栃木県)を結ぶ街道として会津藩主・保科正之によって整備された。江戸時代には会津藩をはじめ、東北諸藩の参勤交代や物流ルートとして重用された。いわば東北本線と平行して延びる東北道とともに、東北諸藩には欠かせない重要な道路だったわけだ。

 

その栄えた面影は、大内宿(おおうちじゅく)で偲ぶことができる。すなわち、いまでこそ山深い印象がある南会津の里も、江戸時代までは華やかな表通りの時代があったということなのだ。

↑茅葺き屋根の家並みが残る大内宿。会津西街道の宿場として栄えた。会津線の湯野上温泉駅から乗り合いバス「猿游号」が利用可能。所要約20分(日に8往復あり)

 

あと忘れてならないのは、会津藩の歴史だろう。会津若松の鶴ヶ城を中心に3世紀にわたり栄えた会津藩。戊辰戦争により、西軍の目の敵とされた会津藩の歴史はいまでも、その悲惨さ、非情さが語り継がれる。会津藩の領地でもあった南会津や、会津西街道は戦乱の舞台となり、多くのエピソードが残されている。

 

【会津の人柄】朴訥な人柄を示す言葉「会津の三泣き」とは?

会津の人柄を示す言葉として「会津の三泣き」という言葉がある。

 

会津の人は山里に育ったせいか、朴訥な趣の人が多い。それはよそから来た人、とくに転勤族にとっては、時に“とっつきにくさ”を感じさせてしまう。そのとっつきにくさに、他所から来た人は「ひと泣き」する。

 

やがて暮らしに慣れると、その温かな心に触れて「二泣き」する。さらに会津を去るときに、情の深さに心を打たれ、離れがたく三度目の「三泣き」をするというのだ。

 

筆者は、個人的なことながら、会津とのつながりが深く、ひいき目につい見てしまうのだが、このような人々の純朴さは、訪れてみて、そこここで感じる。

 

先にあげたように列車に乗り降りする客人を迎え、見送る駅スタッフや乗務員の人たちの笑顔。こうした会津の人柄を知ると、旅がより楽しくなるだろう。

【車窓その1】まずは会津高原尾瀬口駅から会津田島駅を目指す

さて、会津鉄道会津線に乗車、見どころおよび途中下車したい駅などを、写真をメインに紹介していこう。

 

まずは野岩鉄道との境界駅でもある会津高原尾瀬口駅から。ここは、尾瀬沼への登山口でもある尾瀬桧枝岐方面へのバスが出発する駅でもある。

 

実際に野岩鉄道と会津鉄道の境界駅ではあるのだが、鉄道会社が変わったということはあまり感じられない。野岩鉄道方面から走ってきた電車は、ここでの乗務員交代は行わない。普通列車の大半が、東武鉄道6050型で、この車両は会津田島駅まで野岩鉄道の乗務員により運転、また乗客への対応が行われる。

↑会津高原尾瀬口駅は野岩鉄道との境界駅だが、駅案内には野岩鉄道の社章が付く。停まっているのは東武鉄道6050型電車。野岩鉄道、会津鉄道両社とも同形式を所有・運行させている

 

一方、ディーゼルカーにより運行される「AIZUマウントエクスプレス」は、野岩鉄道、東武鉄道線内も、会津鉄道の乗務員により運転、乗客への対応が行われる。

 

山深い会津高原尾瀬口駅からは、徐々に視界が開けていき、田園風景が広がり始め、20分ほどで会津田島駅へ到着する。

↑会津田島駅に停車する東武鉄道の特急「リバティ会津」。2017年4月に運行を開始した。東京の浅草駅〜会津田島駅間を日に4往復している

 

【車窓その2】「塔のへつり」とは、どのようなものなのか?

会津田島駅からは、非電化ということもあり、よりローカル色が強まる。

 

会津線の駅名表示。見ていると面白い仕掛けがある。田島高校前駅は高校生のイラストとともに「青春思い出の杜」とある。養鱒公園駅(ようそんこうえんえき)は、鱒のイラストとともに「那須の白けむりを望む」。会津下郷駅は昔話の主人公の力持ちのイラストと「会津のこころと自然をむすぶ」という、各駅それぞれ、キャッチフレーズが付けられている。こんなキャッチフレーズを探しつつの旅もおもしろい。

 

会津下郷駅を過ぎると、山が険しくなってくる。阿賀川も間近にせまって見えるようになる。そして塔のへつり駅に到着する。

 

「へつり」とは、どのようなものを指すのだろうか。「へつり」とは福島県または山形県の言葉で「がけ」や「断崖」のことを言う。駅から徒歩3分ほどの「塔のへつり」。阿賀川の流れが生み出した奇景が望める。

↑森のなかにある塔のへつり駅。独特の門が駅の入り口に立つ。景勝地・塔のへつりへは駅から徒歩3分の距離。塔のへつり入口には土産物屋が軒を並べ賑やかだ

 

↑100万年にもわたる阿賀川の侵食作用により造られた塔のへつり。対岸から吊橋が架かる。断崖絶壁に加えて人が歩行できるくぼみもできている

 

【車窓その3】 茅葺き屋根の駅やネコの名誉駅長がいる駅など

塔のへつり駅の隣りの駅が湯野上温泉駅。この駅は、時間に余裕があればぜひ途中下車したい。

 

ここは駅舎が茅葺きという珍しい駅だ。会津鉄道が発足した年に建て替えられた駅舎で、2005(平成17)年度には日本鉄道賞・特別賞も受賞している。

 

駅内には売店があり、また地元・湯野上温泉の観光ガイドも行われている。駅舎のすぐ横には足湯があってひと休みが可能だ。また駅から周遊バスに乗れば、会津西街道の宿場として知られる大内宿に行くこともできる。

↑湯野上温泉駅の駅舎は珍しい茅葺き屋根だ。駅舎内には観光案内所があり、南会津の特産品を中心に多くの土産品が販売される

 

↑湯野上温泉駅にある足湯「親子地蔵の湯」。列車を見送りながら“ひと風呂”が楽しめる。ちなみに駅から湯野上温泉へは徒歩2分〜15分の距離で、23軒の温泉宿や民宿がそろう

 

湯野上温泉駅の先はトンネルが多くなる。湯野上温泉駅〜芦ノ牧温泉駅間は、大川ダムが造られたことにより、1980(昭和55)年に建設された新線区間となっている。ダムにより生まれた湖を迂回するように長いトンネルが続く。

 

大川ダムにより生まれた若郷湖(わかさとこ)が芦ノ湖温泉南駅の手前、深沢橋梁から一望できる。会津若松駅行き列車の左手に注目だ。さらに大川ダム公園駅は、初夏ともなるとホームを彩るあじさいが美しい。

 

そして芦ノ牧温泉駅へ到着する。

 

この駅で良く知られているのが名物駅長の「らぶ」。2代目駅長で、芦ノ牧温泉駅の人気者となっている。施設長の「ぴーち」とともに働いているが、大人気のため営業活動(?)に出かけることも多い。ぜひ会いたいという方は、会津鉄道のホームページ上に“勤務日”が掲載されているので、確認してから訪れたほうが良さそうだ。

↑芦ノ牧温泉駅の名誉駅長「らぶ」がお座トロ展望列車をお見送り。施設長「ぴーち」とともに駅務に励んでいる/写真提供:芦ノ牧温泉駅(※写真撮影等はご遠慮ください)

 

【車窓その4】会津磐梯山が見えてきたら終点の会津若松駅も近い

芦ノ牧温泉駅あたりになると、両側に迫っていた山も徐々になだらかになっていき、沿うように流れていた阿賀川の流れも、路線から離れていく。

 

そして沿線に田園風景が広がっていく。このあたりが会津若松を中心とした会津盆地の南側の入口でもある。いくつか無人駅を通り過ぎると、右手に会津のシンボル、会津磐梯山が見えてくる。

 

南若松駅あたりからその姿はより間近になっていき、そして会津線の起点駅・西若松駅に到着する。

↑会津線の南若松駅付近は田園地帯も多く、好天の日には会津磐梯山の姿が楽しめる。秀麗な姿で、会津地方に伝えられた民謡では「宝の山よ」と唄われてきた

 

↑会津鉄道会津線の起点となる西若松駅。駅表示にJR東日本と会津鉄道の社章が掲げられている。鶴ヶ城の最寄り駅だが、城まで歩くと20分ほどかかる

 

西若松駅は会津線の起点駅だが、ここで終点となる列車はなく、全列車がこの先、JR只見線を走り会津若松駅まで乗り入れている。

 

会津若松駅は、会津若松市の玄関駅。会津藩にちなんだ史跡も多い。街の中心や主要な史跡は、会津若松駅からやや離れているので、まちなか周遊バス「ハイカラさん」を利用すると便利だ。

↑会津若松市の玄関口、JR会津若松駅。会津線の全列車は同駅からの発車となる。駅前に戊辰戦争の際に犠牲となった少年たちを讃えた「白虎隊士(びゃっこたいし)の像」が立つ

 

【超保存版】清水草一が「最新スーパーカー&パフォーマンスカー」28台をひらすら解説。フェラーリ、ランボから国産勢まで

 

 

【解説する人】

モータージャーナリスト

清水草一さん

「サーキットの狼」作者の池沢早人師先生から直接薫陶を受けた唯一の自動車評論家。これまで11台のフェラーリを乗り継いでいます。GetNaviの連載「クルマの神は細部に宿る」をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売。

 

【ブランド01:フェラーリ】

レース参戦のために存続する世界でただひとつのメーカー

創始者のエンツォ・フェラーリはレーシングチームを経営し、生涯をレース活動に捧げました。その資金稼ぎのために、レーシングカーを乗りやすく改良して販売したのが、同社の市販車部門の始まり。1988年のエンツォが亡くなって以降もF1参戦は継続し、世界中のクルマ好きの憧れとなっています。

 

【モデル01】フェラーリの長い歴史のなかで最もパワフルなV型12気筒エンジン

フェラーリ 

812スーパーファスト

3910万円

名の「812」は「800馬力の12気筒」を表し、FRのロードカーとしてはフェラーリ史上最強と称されるほどのハイパフォーマンスを誇ります。電子制御デバイスが多数盛り込まれ、超弩級の能力を危なげなく体感させてくれます。

SPEC●全長×全幅×全高: 4657×1971×1276㎜●パワーユニット: 6.5ℓV型12気筒エンジン●最高出力: 800PS(588kW)/8500rpm●最大トルク: 73.2㎏-m(718Nm)/7000rpm●トランスミッション: 7速AT●駆動方式: FR

 

【ココがスーパー】

F1をイメージさせるスポーティなインテリア

非日常性を感じさせるF1のようなコックピット。カラーも自由に選択できる。F1システムと呼ばれる独自のトランスミッション形式は、パドルシフト式セミATの先駆的存在です。

 

最新技術が盛り込まれた大柄ながら美しいボディ

ボディは先代のF12ベルリネッタとほぼ同サイズで、前後ともに20インチの大径ホイールが装着されます。ボディ下部にはディフューザーを採用し、高速走行時の空気の流れを調節。

 

最高馬力のエンジンは印象的な赤塗装が特徴

V型12気筒エンジンのヘッド部には赤い結晶塗装が施されています。6.5ℓの大排気量で、フェラーリの自然吸気式エンジンを積む市販車では史上最高となる800馬力を発揮します。

 

旗艦モデルのエンジンは12気筒でなくてはならない

フェラーリは、誰もが認める自動車の頂点、太陽神的存在。その立脚点は、F1グランプリにおける輝かしい戦績にあります。日本でフェラーリといえば市販のスーパーカーですが、海外では第一にレーシングチーム。その栄光を市販車に投影しているという文脈が、他社とは決定的に異なります。

 

すなわち、フェラーリにおけるスーパーカーの出発点は、レーシングカーをちょっと乗りやすくして一般販売したところ。そのため、同社が何よりも重視しているのは、常にエンジン。フェラーリのフラッグシップモデルは、最もパワフルで、最もエレガントな12気筒エンジンを積んでいなければなりません。現在のフラッグシップである812スーパーファストは、その12気筒エンジンをフロントに搭載し、後輪を駆動するFR方式。一般的にスーパーカーと言えば、エンジンをキャビン後方に置くミッドシップがイメージされます。しかし、フェラーリは元々FRからスタートしており、812スーパーファストは原点に回帰したモデルといえます。

 

フェラーリの名声はあまりにも高く、もはや性能は二の次と見る向きもあります。しかし、フェラーリの魂は常にエンジンであり、続いて重視されるのが美しさ。そのプライオリティは不変なのです。

 

【清水草一の目】

ほかでは味わえない官能的なV12エンジン

スーパーカーとしては車高が高く、FRなのでパワーを路面に伝えきれない面がありますが、V12の官能フィールは唯一無二。地上最高のブランド力を満喫できます!

 

【モデル02】ツーリングにも最適なハードトップオープン

ポルトフィーノ

2530万円

車体に収納できるリトラクタブルハードトップを備えたオープンモデルで、優雅な佇まいと優れた多用途性や快適性が特徴。スーパーカーの快楽を満喫できるうえに、日常使いでのストレスが皆無というのは大きな魅力です。

SPEC●全長×全幅×全高:4586×1938×1318㎜●パワーユニット:3.9ℓV型8気筒ターボエンジン●最高出力/最大トルク:600PS(441kW)/77.5㎏-m(760Nm)

 

【モデル03】コンパクトなボディにターボエンジンを搭載

488GTB/488スパイダー

3070万円〜3450万円

458イタリアの後継モデルとして登場し、2015年に日本へ導入されました。V8エンジンの排気量はそれまでの4.5ℓから3.9ℓへとダウンサイズされていますが、ターボの採用によって出力、トルクともに大幅な向上が図られています。

SPEC【488GTB】●全長×全幅×全高:4568×1952×1213㎜●パワーユニット:3.9ℓV型8気筒ターボエンジン●最高出力/最大トルク:670PS(492kW)/77.5㎏-m(760Nm)

 

【ブランド02:ランボルギーニ】

トラクターなどの製造や販売を手がけていたイタリアの富豪、フェルッチオ・ランボルギーニが、スーパーカー好きが高じて1963年に設立。ミウラやカウンタックなどの名車を生み出しました。99年にアウディ傘下となり、より高品質を追求する現代的メーカーとなっています。

 

伝統のポップアップドアを受け継ぐのは旗艦モデルのみ

巨大なエンジンをキャビン後方に置くミッドシップレイアウト、上方に跳ね上がるように開くポップアップドア……ランボルギーニならではのスタイルは、世界中の人々を虜にし続けています。

 

ポップアップドアは、スーパーカー史上最高のアイドル、カウンタック以来、ランボルギーニの伝統。ただし、それが採用されるのは、フラッグシップモデルのみで、現在はアヴェンタドールに受け継がれています。ドアを開けただけで周囲の空気を一変させてしまう“魔力”は凄まじいです。

 

かつては、クルマのとしての品質に問題があるとも言われていましたが、アウディ傘下となってからは劇的に改善。販売台数でも、フェラーリを猛追しています。

 

 

【モデル04】伝統の跳ね上げドアを受け継いだ“猛牛”

ランボルギーニ

アヴェンタドール

4490万4433円~4996万9107円

カウンタック、ディアブロ、ムルシエラゴと続く往年のモデルに通じる風格と性能を持つランボルギーニの旗艦であり、ブランドアイコン的一台。クーペボディのほか、オープントップ仕様のロードスターもラインナップされています。

SPEC【Sクーペ】●全長×全幅×全高: 4797×2030×1136㎜●パワーユニット: 6.5ℓV型12気筒エンジン●最高出力: 740PS(544kW)/8400rpm●最大トルク: 70.4㎏-m(690Nm)/5500rpm●トランスミッション: 7速AT●駆動方式: 4WD

 

【ココがスーパー!】

オープンモデルもポップアップドア

カーボン製の脱着式ハードトップを備えたSロードスターも発売間近。ドアは当然跳ね上げ式です。

 

最新機能も備えた伝統のV型12気筒

「S」モデルで最高出力が40馬力向上したV型12気筒エンジン。シリンダー休止機構も採用しています。

 

赤いフタを開ける「いかにも」な演出

センターコンソールにフタ付きのエンジンスタートボタンを配置。いかにもスーパーカーらしいです。

 

【清水草一の目】

周囲の注目を集める跳ね上げ式のドア

スーパーカーの象徴的一台。高い性能もさることながら、伝統の跳ね上げドアの威嚇力は無敵で、どこへ行っても子どもたちが集まる!

 

【モデル05】v10エンジンの最新モデル

ウラカン

2535840円〜38462614

クーペやスパイダー、後輪駆動仕様、ハイスペックなペルフォルマンテなど、バリエーションが多彩。いずれのモデルも圧巻の走りを楽しめます。

SPEC【クーペ】●全長×全幅×全高:4459×1924×1165㎜●パワーユニット:5.2ℓV型10気筒エンジン●最高出力/最大トルク:610PS(449kW)/57. 1㎏- m(560Nm)

 

 

【ブランド03:マセラティ】

「三叉の銛」で知られる高級スポーツカーブランド

トライデント(三叉の銛)のエンブレムで知られる、イタリアのラグジュアリースポーツブランド。一時期の経営難から、イタリア最大のメーカーであるフィアットの傘下となり、現在はエンジンなどをフェラーリと共有しています。4ドアGTのクアトロポルテも有名。

 

【モデル06】速さと同時に快適を味わえるGTスポーツ

マセラティ

グラントゥーリズモ

1890万円〜2216万円

タイトなドレスを纏った女性の曲線美を思わせる、エレガントで気品に溢れたフォルムが目を引くクーペモデル。スポーツ性に特化しすぎず、日常的な場面での扱いやすさや利便性、さらに快適性にも配慮したイタリアンGTです。

SPEC【スポーツ】●全長×全幅×全高: 4910×1915×1380㎜●パワーユニット: 4.7ℓV型8気筒エンジン●最高出力: 460PS(338kW)/7000rpm●最大トルク: 53.0㎏-m(520Nm)/4750rpm●トランスミッション: 6速AT●駆動方式: FR

 

【ココがスーパー!】

ハイブランドの哲学を味わえる内装

内装はアダルトかつ優美な印象。最新のインフォテインメントシステムを搭載するのも特徴です。

 

フェラーリと共同で開発したV8エンジン

昨年の改良以降、エンジンはフェラーリと共同開発したノンターボ式の4.7ℓV8のみとなっています。

 

センター2本出しでスポーティな印象

名匠・ピニンファリーナがベースデザインを手がけました。マフラーはセンター2本出しでスポーティ。

 

フェラーリ製エンジンを美しいクーペボディに搭載

戦前からの長い伝統を誇るマセラティは、これまで何度も厳しい経営危機に直面。その結果、フェラーリ製エンジンを搭載することになり、いまやそれが最大のウリです。

 

グラントゥーリズモのエンジンは、フェラーリF430用のV8を、ややジェントルにチューンしたもの。それをエレガンスの極致ともいえる美しいクーペボディに積むことで、圧倒的に優美な仕上がりになっています。ボディが重いため速さはそれほどでもありませんが、フェラーリさながらの“陶酔サウンド”を奏でつつ疾走します。

 

トランクを備えた4人乗りのため、フェラーリよりはるかに実用性が高いのもポイント。普段乗りに使えるスーパーカーとして、世界中の富裕層から支持されています。

 

【清水草一の目】

官能的エンジンのフィールは最高

フェラーリ製V8エンジン搭載のスーパースポーツクーペ。エンジンのフィール&サウンドをたっぷり堪能できる、超官能マシンです!

 

【モデル07】上品な佇まいでも走りは◎

グランカブリオ

2000万円〜2175万円

躍動感と優雅さを兼ね備えた4人乗りコンバーチブル。上品な佇まいが特徴ですが、自然吸気式の大排気量エンジンならではの、気持ち良い走りを実現します。

SPEC●全長×全幅×全高:4920×1915×1380㎜●パワーユニット:4.7ℓV型8気筒エンジン●最高出力/最大トルク:460PS(338kW)/53.0㎏-m(520Nm)

 

【ブランド04:アストンマーティン】

ボンドカー”で知られる英国のスポーツカーブランド

英国発祥のスポーツカーブランド。高性能であることはもちろん、高い質感を持つクルマ作りが伝統です。巷でよく知られたアストンマーティンのイメージといえば、映画「007」シリーズでのジェームズ・ボンドの愛車、いわゆる“ボンドカー”として活躍する姿です。

 

【モデル08】エンジンのフィーリングはジェントルにして大迫力

アストンマーティン

ヴァンキッシュ S

3457万9982円〜3691万1983

DBSの後継として2012年に登場したアストンマーティンの旗艦モデル。アルミとカーボンで構成されたスペースフレームに、フルカーボンのボディを組み合わせました。パワーユニットは588馬力を発揮するV12エンジンを搭載しています。

SPEC【クーペ】●全長×全幅×全高: 4730×1910×1295㎜●パワーユニット: 5.9ℓV型12気筒エンジン●最高出力: 588PS(433kW)/7000rpm●最大トルク: 64.2㎏-m(630Nm)/5500rpm●トランスミッション: 8速AT●駆動方式: FR

 

【ココがスーパー!】

圧倒的な存在感を放つエアロパーツ

走りを究極にまで高めたモデルでありながら、モダンなエアロを装着したスタイリングも高レベルです。

 

軽量なカーボンはスポーティな印象

ドアミラーのほか、外装パーツの様々な箇所に軽量なカーボンを使用。スポーティな印象を与えます。

 

室内はレザーを惜しまずに使用

室内空間は至るところにレザー素材を使用。キルティングレザーが用いられたシートも質感が高いです。

 

まるで英国紳士のように優雅な佇まいがシブすぎる

アストンマーティンといえば“ボンドカー”であり、英国を代表するスポーツカーメーカー。長い低迷時代を乗り越えて、現在は経営も絶好調。手作りの工芸品のようなクルマ作りに定評があります。

 

フラッグシップモデルであるヴァンキッシュは、同社オリジナルの5.9ℓV12エンジンをフロントに搭載。そのフィーリングは、ジェントルでいて獰猛です。

 

しかしながら、人々が目を奪われるのはその速さだけでなく、英国紳士然とした優雅なクーペボディの佇まい。このクルマが似合うのはジェームズ・ボンドをおいてほかにいないのでは——? そう思えるほどのシブすぎるカッコ良さが、アストンマーティンの本質ともいえます。

 

【清水草一の目】

クルマから高貴なオーラがにじみ出る

自然吸気式V12エンジンによる加速力は、いまや飛び抜けたものではありません。しかし、クルマ全体からにじみ出る気品はあまりにも高貴!

 

 

【モデル09】ラグジュアリーなスポーツGT

DB11/DB11ヴォランテ

2278万1177円〜2524万3177

5.2ℓV12ツインターボに、昨年4.0 ℓV8エンジン車が追加。クーペ(上)、オープントップのヴォランテ(下)ともに美しいプロポーションを誇ります。

SPEC【V8】●全長×全幅×全高:4750×1950×1290㎜●パワーユニット:4.0ℓV型8気筒ツインターボエンジン●最高出力/最大トルク:510PS(375kW)/68.8㎏-m(675Nm)

 

【モデル10】獰猛なデザインに刷新

ヴァンテージ

価格未定(2018年発売予定)

AMG製のV8ツインターボをはじめ、最先端技術が数多く搭載されたライトモデルの新型。“獰猛さ”を謳う大胆で斬新なニューデザインも特徴です。

SPEC●全長×全幅×全高:4465×1942×1273㎜●パワーユニット:4.0ℓV型8気筒ツインターボエンジン●最高出力/最大トルク:510PS(375kW)/69.9㎏-m(685Nm)

 

 

【ブランド05:マクラーレン】

メーカーの歴史は浅いが印象的なモデルを輩出

F1チーム「マクラーレン」の市販車部門として2009年に設立。ライバルと比べるとメーカーとしての歴史は浅いですが、印象的なスーパーカーを生み出してきました。なかでも、F1デザイナーが設計したマクラーレンF1は、センターシートを採用した、伝説に残るモデルでした。

 

【モデル11】扱いきれないほどの想像を絶する速さ

マクラーレン

720S

3338万3000円

世界最先端といわれるサスペンションシステムを採用。ワインディングやサーキットなど、高度なドライビングスキルが必要とされるシーンでも、驚異的な操作性を発揮する。限界領域でのコントロール性は群を抜いています。

●SPEC●全長×全幅×全高: 4543×1930×1196㎜●パワーユニット: 4.0ℓV型8気筒ツインターボエンジン●最高出力: 720PS(537kW)/7500rpm●最大トルク: 78.5㎏-m(770Nm)/5500rpm●トランスミッション: 7速AT●駆動方式: MR

 

加速性や操縦性を追求した硬派なクルマ作りを貫く

F1の名門チームがスーパーカー製造に乗り出したという経緯は、かつてのフェラーリを彷彿とさせます。しかも、マクラーレンのクルマ作りの哲学はレーシングカーそのもの。つまりゴージャス感よりも、加速性や操縦性など、絶対的な速さを何よりも重視する“超硬派”メーカーです。世界的トレンドであるSUV市場にも参入しないことを宣言しています。

 

エンジンは全モデルでほぼ同一のV8ターボをベースとし、チューンナップの違いでパワーが異なります。720Sはその名の通り720馬力を誇り、超軽量のカーボン製ボディと相まって想像を絶する速さを見せつけます。速すぎて、公道ではどうにも扱いきれません。さすがはレーシングカーです。

 

 

【清水草一の目】

ついに完成した芸術的フォルム

速さを追うあまり芸術性に欠けていたマクラーレンだが、720Sでついに完成形に。MRスーパーカーとして、究極の美しいフォルムを得た!

 

【ココがスーパー!】

スポーツカーらしい跳ね上げ式ドア

スーパースポーツMP4-12Cから受け継いだ、跳ね上げ式のドア。低目の車高は上げることもできます。

 

スピードに応じて姿を変えるウイング

停車時は格納されているリアウイング。走行速度が上がるにつれて立ち上がる設計となっています。

 

未来的な雰囲気の異形ヘッドライト

エアインテーク(空気取入口)と一体でデザインされたフロントライト。車高の低さが強調される。

 

【モデル12】エントリーでも走りは一流

540C

2242万円

エントリーモデルという位置付けながら、0〜100㎞/h加速が3.5秒、最高速は320㎞/h。上級モデルと比べても遜色のないパフォーマンスを誇ります。

SPEC●全長×全幅×全高:4530×2095×1202㎜●パワーユニット:3.8リッターV型8気筒ツインターボエンジン●最高出力/最大トルク:540PS(397kW)/55.1㎏-m(540Nm)

 

【モデル13】GTは快適さも重視した設計

570GT

2752万7000円

同社のスポーツシリーズ。GTはSよりソフトに味付けされたサスペンションや横開き式テールゲートなどを備えるのが特徴。快適性を重視しています。

SPEC【GT】●全長×全幅×全高:4530×2095×1201㎜●パワーユニット:3.8ℓV型8気筒ツインターボエンジン●最高出力/最大トルク:570PS(419kW)/600Nm(61.2㎏m)

 

 

【モデル14】基幹車もハイパフォーマンス

570S

2617万5000円〜2898万8000円

2016年、ベーシックライン「スポーツシリーズ」のなかで先陣を切ってデビュー。昨年にオープンモデルの570 Sスパイダーが追加されました。

SPEC【クーペ】●全長×全幅×全高:4530×2095×1202㎜●パワーユニット:3.8ℓV型8気筒ツインターボエンジン●最高出力/最大トルク:570PS(61.2kW)/61.2kg-m(600Nm)

 

【ブランド06:ロータス】

ロータスは英国人のコーリン・チャップマンが設立したレーシングチームで、後にF1の名門にまで成長。ヨーロッパは、マンガ「サーキットの狼」で主人公の愛車として知られています。市販車の開発も行っており、エランなどのライトウェイトモデルで人気を博しました。

 

【モデル15】汎用エンジンにチューンを施したスペシャルモデル

ロータス

エヴォーラ

1258万2000円〜1519万5600

ストイックに走りを極めたモデル。乗員の後方にエンジンを積むMR駆動方式を採用しながら後席シートが設置され、普段使いにも適した懐の深さを持ちます。フラッグシップとはいえ小型で扱いやすく、日本の交通環境でも持て余しません。

SPEC【400】●全長×全幅×全高: 4390×1850×1240㎜●パワーユニット: 3.5ℓV型6気筒スーパーチャージャーエンジン●最高出力: 406PS(298kW)/7000rpm●最大トルク: 41.8㎏-m(410Nm)/3000〜7000rpm●トランスミッション: 6速MT/6速AT●駆動方式: MR

 

【ココがスーパー!】

ロータス史上最もパワフル

エヴォーラは多彩なラインナップも特徴。昨年限定販売されたGT430(写真)は最もパワフルです。

 

V型6気筒エンジンはエスティマと共通!

ベースは何とトヨタ製V6エンジン。独自のチューニングを施すことでスポーティに仕立てています。

 

簡素なインテリアに高級感も漂う

必要なもの以外を省いたインテリアがロータス車の特徴。エヴォーラでは高級感が演出されています。

 

トヨタ製V6エンジンがレース的なフィーリングに

小さなエンジンを小型・超軽量のボディに乗せて、大パワーのスーパーカーを食う。ロータスは、そんな独自のスタンスを持つメーカーです。スーパーカーブームを象徴する一台であるヨーロッパはその典型。同社の哲学は、現行のエリーゼやエキシージに生きています。

 

フラッグシップモデルのエヴォーラは、それらよりもやや大きなボディを持ちます。エンジンは、なんとトヨタ製の3.5ℓV6を採用しています。ただし、そのエンジンフィールはトヨタ製とは到底思えないほどスポーティで、さすがはロータスチューンと唸らされる。同社としては大きめのボディのため、快適性も高いです。乗ればヒラリヒラリと、フィギュアスケーターのように路上を舞ってくれます。

 

【清水草一の目】

妥協を感じないコーナリング性能
ロータス車としてはやや大きく重いですが、公道走行ではこのあたりがベスト。同社の命であるコーナリング性能には妥協が感じられない!

 

【モデル16】爽快な走りの軽量モデル

エキシージ

880万円〜1366万2000

エントリー車のエリーゼをベースとした軽量スポーツモデル。クルマと一体になって走れる爽快感は、スーパーカーのなかでもすば抜けて高いです。

SPEC【スポーツ380】●全長×全幅×全高:4080×1800×1130㎜●パワーユニット:3.5ℓV型6気筒スーパーチャージャーエンジン●最高出力/最大トルク:380PS(280kW)/41.8㎏-m(410Nm)

 

【ブランド07:シボレー】

パワフルなスーパーカーが世界を魅了し続ける

シボレーは、アメリカ「BIG3」のひとつゼネラルモーターズの主要ブランドのひとつ。同ブランドのスーパーカーといえば、1954年にデビューしたコルベットです。パワフルな大排気量エンジンやマッチョなスタイリングで、北米だけでなく世界を魅了し続けています。

 

【モデル17】マッチョなアメ車の象徴が現代的でスタイリッシュに

シボレー

コルベット

1120万2500円〜1545万4800円

初代登場から約65年の歴史を持つ、アメリカンスーパーカーの代名詞モデル。多気筒、大排気量というアメ車の定石に則った作りが魅力です。欧州系スーパースポーツとも互角に渡り合える個性とパフォーマンスを持ち合わせています。

SPEC【グランスポーツ クーペ】●全長×全幅×全高: 4515×1970×1230㎜●パワーユニット: 6.2ℓV型8気筒エンジン●最高出力: 466PS(343kW)/6000rpm●最大トルク: 64.2㎏-m(630Nm)/4600rpm●トランスミッション: 7速MT/8速AT●駆動方式: FR

 

【ココがスーパー!】

大迫力の排気音が気持ちを高ぶらせる

4本のマフラーがリアバンパー下部中央に並びます。その排気音も大迫力で、気分を高めてくれます。

 

大ボンネット内のフロントエンジン

フロントの長大なボンネット内に収められた6.2ℓV8エンジン。次期型はミッドシップという噂も。

 

オープン仕様のコンバーチブル

オープン仕様のコンバーチブルも人気が高い。アメリカの西海岸を走る姿をイメージできます。

 

ワイドな車体に強力エンジンを搭載

グランスポーツが昨年に追加されました。さらにワイド化された車体に強力なエンジンを搭載しています。

 

アメ車らしいパワフルさと緻密なテクノロジーが融合

コルベットは、アメリカ唯一のスーパーカー。アメ車というと、大排気量のパワーだけで押す直線番長というイメージが一般的ですが、コルベットは違います。なかでも、Z06やZR1といったスペシャルモデルは、600馬力を超える大パワーを、レーシングテクノロジーを生かして見事に路面に伝えます。その緻密な設計には、「これがアメ車か?」と感嘆させられます。

 

ただし、いたずらにハイテクを追ってはいません。コルベットのエンジンは、古めかしいOHV(オーバーヘッドバルブ)方式を採用。バイクでいうハーレー・ダビッドソンのような、独特のアメリカンなフィーリングをしっかり感じられます。伝統を守ることもまた、スーパーカーの命なのです。

 

【清水草一の目】

十分な性能だがもっとマッチョに!

性能は文句なくアメ車の味わいも十分ですが、スタイルに「フェラーリコンプレックス」が色濃い。個人的にはさらなるマッチョ感を望む!

 

 

【ブランド08:ポルシェ】

超有名ブランドにしてスポーツカーの象徴でもある

フォルクスワーゲンの開発者だったフェルディナント・ポルシェ博士とその息子が創業した超有名ブランド・ポルシェは、マニア垂涎のスポーツカーメーカーだ。すでに50年以上販売され続けているフラッグシップモデル911の歴史は、スポーツカーの歴史です。

【モデル18】スポーツカーのベンチマーク的存在

ポルシェ

911

1244万円〜3656万円

長きにわたってRRの駆動方式を中心に採用している、スポーツカーのベンチマーク的存在。走行性能の高さはもちろん、カレラシリーズをはじめとするターボ系やGT3といった、多彩なバリエーションを揃えていることも人気の要因です。

SPEC【カレラ4 GTS】

●全長×全幅×全高: 4528×1852×1291㎜●パワーユニット: 3.0ℓ水平対向6気筒ターボエンジン●最高出力: 450PS(331kW)/6500rpm●最大トルク: 56.1㎏-m(550Nm)/2150〜5000rpm●トランスミッション: 7速AT●駆動方式: 4WD

 

【ココがスーパー!】

簡素ながらもスポーティな内装

内装はシンプルかつスポーティ。MT車もラインナップしますが、現在では販売のほとんどがATです。

 

伝統のRR駆動を継続して採用

911では、ボディ後方に水平対向エンジンを搭載し、後輪で駆動するRRが継続して採用されてきました。

 

レーシングカーと同等のエンジン

今年のジュネーブショーでデビューしたGT3 RS。歴代最高性能のノンターボエンジンを搭載します。

 

 

【清水草一の目】

スタンダードほど快適性が高い

グレード構成が幅広く、性能も大差がありますが、スタンダードクラスほど快適性が高いのが特徴。トップエンドはまるでレーシングカーです。

 

操縦性や快適性も備えた無敵のスポーツカー

ポルシェは以前より、4人乗りで前部にトランクを備える、“最低限の実用性”を持つスポーツカーとして支持されてきました。そのため、「ポルシェはスーパーカーではない」と見る向きもあります。ですが、少なくともトップエンドモデルでは、あらゆる性能が「スーパー」。GT3やターボSがそれです。

 

かつては「バババババ」と回る空冷エンジンがポルシェの代名詞でしたが、効率化のため水冷になってすでに20余年。快適性も大幅に向上し、“楽チンにブッ飛ばせる”無敵マシンとなっています。RRレイアウト車では、お尻が重すぎて操縦性がシビアだったのも昔の話。課題をすべて解決した現代のポルシェは、何ひとつ犠牲にしないオールマイティなスーパーカーです。

 

【モデル19】時代の声に応えるミッドシップコンパクト

718ケイマン

673万〜999万円

車名に「718」が追加されたコンパクトスポーツは、エンジンをダウンサイズするなど大幅改良。燃費性能もなおざりにせず、時代に合わせた進化を遂げています。

SPEC【GTS】●全長×全幅×全高:4393×1801×1286㎜●パワーユニット:2.5ℓ水平対向4気筒ターボエンジン●最高出力/最大トルク:365PS(269kW)/43.8㎏-m(430Nm)

 

【モデル20】開放感きわまるミッドシップオープンスポーツ

718ボクスター

712万〜1038万円

水平対向エンジンをミッドシップ搭載するオープンスポーツ。1996年に登場し、現行型で3代目となります。クーペ仕様のケイマンは、同車の2代目から派生しました。

SPEC【GTS】●全長×全幅×全高:4379×1801×1272㎜●パワーユニット:2.5ℓ水平対向4気筒ターボエンジン●最高出力/最大トルク:365PS(269kW)/42.8㎏-m(420Nm)

 

【ブランド09:メルセデス・ベンツ】

【モデル21】レーシング魂を感じられるスーパースポーツクーペ

メルセデス・ベンツ

AMG GT

1709万円〜2325万円

同社のスポーツブランドであるAMGのレーシングスピリットとテクノロジーが投入されたスーパークーペ。往年のレーシングカー300SLを彷彿させる「AMGパナメリカーナグリル」を採用した外観が、独特のキャラクターを構築します。

SPEC【R】●全長×全幅×全高: 4550×1995×1285㎜●パワーユニット: 4.0ℓV型8気筒ツインターボエンジン●最高出力: 585PS(430kW)/6250rpm●最大トルク: 71.4㎏-m(700Nm)/1900〜5500rpm●トランスミッション: 7速AT●駆動方式: FR

 

【ココがスーパー!】

強大なパワーを誇る4.0ℓエンジン

4.0ℓV型8気筒ツインターボエンジンに、7速のAMGスピードシフトDCTを組み合わせました。強力なパワーを後輪に伝えます。

 

軽量トップで高い静粛性を実現

オープンのロードスターは、マグネシウム、スチール、アルミを組み合わせたソフトトップを採用。軽量ながら静粛性も高いです。

 

存在感を主張するスタイリング

ワイドなボディ幅に超ロングノーズを備えた迫力のスタイリング。同ブランドの最高峰モデルであることをアピールしています。

 

ブランドの名に恥じない高級感

室内は適度にタイトで、同社らしく様々な高級素材が採用されているのが特徴。上質感にあふれた雰囲気が演出されています。

 

 

メルセデスらしからぬ危険な香りがプンプン漂う

AMGのコンセプトは、「ベンツの快適さはそのままに、戦車のごとく力強く、ミサイルのごとく速く移動するマシン」だ。しかし、AMG GTは少し異なります。何しろ、同車は専用設計のスーパーカー。FRレイアウトのため、あり余るパワーを路面に伝えきれず、簡単にホイールスピンをかます。雨の日に乗ろうものなら、メルセデスらしからぬ危険な香りがプンプンと漂うことでしょう。

 

しかし、さすがはメルセデス、実用性のことは忘れていませんでした。同車にはまもなく4ドアクーペが追加されます。そちらは4WDのみで、ハイブリッド車も用意されます。ハイパワー版は最高315㎞/hで、もちろんAMGらしく力強い走りも楽しめるはずです。

 

【清水草一の目】

伝統から脱却したキモカッコ良さ

目を引くのは、深海生物的なぬめっとしたフォルム。スーパーカーの伝統的なカッコよさとは一線を画した、キモカッコ良さがあるぞ!

 

 

【ブランド10:BMW】

「スーパーPHEV」で世界に衝撃を与えた

BMWは、M1やZ8など歴史に残るスーパーカーを発売してきました。同社ではZ8(2003年に販売終了)以来となるスーパーカーのi8は、なんとプラグインハイブリッド仕様。スーパーカーのイメージとは相反する高い環境性能を備えた同車の登場は、世界に衝撃を与えました。

 

【モデル22】BMWが歩む道を示す近未来スーパークーペ

 

BMW

i8

2093万円〜2231万円

エコカーとして注目されているプラグインハイブリッドカーを、スポーティなクーペスタイルで実現した次世代スーパーカー。コンパクトカーに匹敵する燃費性能と、他のスーパーカーに劣らない走行パフォーマンスを両立します。

SPEC【クーペ】●全長×全幅×全高: 4690×1940×1300㎜●パワーユニット: 1.5ℓ直列3気筒ターボエンジン+モーター●エンジン最高出力: 231PS(170kW)/5800rpm●エンジン最大トルク: 32.6㎏-m(320Nm)/3700rpm●トランスミッション: 6速AT●駆動方式: 4WD

 

【ココがスーパー!】

約15秒で開閉するオープン車が追加

最新の改良ではオープンモデルが追加されたのが目玉。スイッチを押せば約15秒で開閉できます。

 

上方へと開くバタフライドア

低くワイドなスタイリングはいかにもスーパーカー。上方開きのバタフライドアがそれを強調します。

 

出力がアップした電動パワートレイン

デビュー5年目にして改良されたパワートレインは出力が大幅に向上。バッテリー容量も拡大されました。

 

近未来デザインのインパネ回り

大画面を備えたインパネ回りは近未来的。「スポーツ」モードでモーターの機能が最大に発揮されます。

 

どんなスーパーカーより未来的なルックスと構造

走りの性能という点だけ見れば、i8をスーパーカーと呼ぶことに抵抗を感じる人もいるでしょう。しかし、そのルックスや構造は、どんなスーパーカーよりも未来的です。

 

アルミとカーボンの組み合わせによる超軽量ボディに積まれるのは、たった1.5ℓの3気筒エンジン+電気モーターのハイブリッドシステム。システム最高出力は374馬力と、600馬力が当たり前のスーパーカー界においては見劣りする。とはいえ、プラグインゆえにモーターのみで50㎞ほど走行することも可能で、新世代のサステナブルなスーパーカーとしてその地位を確立しつつあります。最新のマイナーチェンジでオープンモデルも登場。スーパーカーとしての価値をさらに高めています。

 

 

【清水草一の目】

スーパーカーの新境地を開いた

絶対的な速さを捨て、未来のデザインと抜群の環境性能で存在感を示しています。従来モデルにはないスーパーカーの新境地を開いた意欲作です!

 

【ブランド11:アウディ】

レース技術を満載するR8が初のスーパーカーとして成功

アウディはこれまでに数多くのスポーツモデルを手がけてきましたが、スーパーカーとして開発されたのは、2006年に登場したクーペ型のR8が初めて。レースで磨かれたテクノロジーを満載する同車の販売は成功し、16年には2代目へとモデルチェンジを果たしました。

 

【モデル23】インテリジェンス溢れるプレミアムスポーツ

アウディ

R8

2456万円〜2906万円

同車史上最高性能を誇るV10ユニットをミッドシップ搭載し、最高出力540PS/最大トルク540Nmを発揮。圧倒的なポテンシャルを持ちながらも日常的な場面で気難しさは皆無で、扱いやすいスーパーカーに仕上げられています。

SPEC【スパイダー】●全長×全幅×全高: 4425×1940×1240㎜●パワーユニット: 5.2ℓV型10気筒エンジン●最高出力: 540PS(397kW)/7800rpm●最大トルク: 55.1㎏-m(540Nm)/6500rpm●トランスミッション: 7速AT●駆動方式: 4WD

 

【ココがスーパー!】

日常的に使いやすいスマートな加速性能

デュアルクラッチトランスミッションの7速Sトロニックを搭載。加速はスマートでスムーズです。

 

コックピット風のスポーティな運転席

戦闘機のコックピットを思わせるスポーティな運転席。正面に大型ディスプレイも備えるのも特徴です。

 

最先端技術を用いて設計されたボディ

ボディ素材にはアルミやカーボンを採用。下面は空力性能に配慮してフラットな設計になっています。

 

クールで高級感のあるスタイリング

プレミアムブランドらしい上質感に満ちたデザイン。プラスグレード(左)のスポイラーは固定式です。

 

理知的でジェントル、それでいて官能的

アウディは1999年からランボルギーニの親会社となったことで、スーパーカー作りのノウハウを吸い上げてきました。そして、アウディならではのスーパーカーとして誕生したのがR8です。

 

現行型の2代目R8は、V10エンジンなどをランボルギーニ ウラカンと共有しますが、乗り味はまったく異なります。ひたすら獰猛なウラカンに比べると、R8は理知的でジェントル、それでいて官能的。アウディらしい、安心できるスーパーカーに仕上がっています。駆動方式はもちろん、アウディ伝統のクワトロ(フルタイム4WD)です。

 

ルックスでは、他のアウディ車と同様に、シングルフレームグリルを備えるのが特徴。“一族”であることをアピールしています。

 

 

【清水草一の目】

効率を求めずに官能性を追求

いたずらに効率性を追うことなく、あえて自然吸気式のV10エンジンを温存したのがポイント。官能性を追求しているのが素晴らしい!

 

 

【ブランド12:レクサス】

真の実力が垣間見れるトヨタの高級ブランド

レクサスはトヨタの高級ラインという位置づけ。2010年に500台限定のスーパーカーLFAを発売するなど、ブランドのスペシャルなイメージを構築してきました。昨年には、カタログモデルの大型クーペとしてLCが登場。LFA以来のレクサススーパーカー復活となりました。

 

【モデル24】ラグジュアリーなルックスに意欲的なメカニズムを搭載

レクサス

LC

1300万円〜1525万円

これ見よがしに主張するスーパーカーとは一線を画し、プレミアムブランドにふさわしい快適性を備えた、懐の深さを信条とするラグジュアリークーペ。大パワーを生かした攻めの走りというよりは、優雅にクルージングする姿が似合います。

SPEC【LC500 Sパッケージ】●全長×全幅×全高: 4770×1920×1345㎜●パワーユニット: 5.0ℓV型8気筒エンジン●最高出力: 477PS(351kW)/7100rpm●最大トルク: 55.1㎏-m(540Nm)/4800rpm●トランスミッション: 10速AT●駆動方式: FR

 

【ココがスーパー!】

2種類の最新パワートレインを用意

パワートレインは、加速感に趣のある5.0ℓV8エンジンと、環境性能に配慮したハイブリッドを設定。

 

スポーツ走行をサポートする機能

後輪自動操舵システムやギア比可変ステアリングなどの機能を搭載。最新テクノロジーを駆使します。

 

触感まで追求したプレミアムな内装

内装の素材や形状は、触れるところのフィット感まで計算し尽くされています。高級車らしさが光ります。

 

高出力エンジンの快音はまさにスーパーカーのそれ

一見するとラグジュアリークーペのLCだが、なにしろ5ℓのV8自然吸気エンジンを積んでいるのですから、スーパーカーと呼んでさしつかえはないでしょう。

 

実際に走ってみると、ボディは約2tあるため加速はそれほどでもありませんが、その快音はまさにスーパーカー。V6エンジン+電気モーターのハイブリッドモデルをラインナップしているところに、トヨタらしい気遣いが感じられます。

 

【清水草一の目】

実用性を含めて高い完成度を誇る

性格的には高級クーペですが、その完成度は驚くほど高く、メルセデス・ベンツ SLなどに対抗できます。スタイリッシュで快適性もピカイチ!

 

 

【モデル25】従順な操作感で安心・安全

RC F

982万4000円〜1059万4000

LCよりひとクラス小さいクーペ車のRCに設定されたハイパフォーマンスモデル。操作感は従順で、安全かつ安心して大パワーを堪能できます。

SPEC●全長×全幅×全高:4705×1850×1390㎜●パワーユニット:5.0ℓV型8気筒エンジン●最高出力/最大トルク:477PS(351kW)/54.0㎏-m(530Nm)

 

【ブランド13:ホンダ】

日本を代表するスーパーモデルが2016年に復活!

ミッドシップレイアウトやアルミモノコックボディなど、先進のスタイルとメカニズムで1990年に登場した初代NSXは、日本初のスーパーカー。一時生産中止となっていましたが、2016年に復活し、世界中のファンを歓喜させました。

 

【モデル26】高性能でモダンな現代的ハイパースポーツ

ホンダ

NSX

2370万円

パワーユニットは、V6ツインターボエンジンと3基のモーターによって構成される「SPORT HYBRID SH-AWD」を搭載。モーターとエンジンの協調によるパワフルな加速を実現しつつ、優れた環境性も発揮します。

SPEC●全長×全幅×全高:4490×1940×1215㎜●パワーユニット:3.5ℓV型6気筒ツインターボエンジン+モーター●エンジン最高出力:507PS(373kW)/6500〜7500rpm●最大トルク:56.1㎏-m(550Nm)/2000〜6000rpm●トランスミッション:9速AT●駆動方式:4WD

 

【ココがスーパー!】

4WDで洗練された走行フィーリング

モーターを用いた4WDが極めてスムーズな加速を実現。コーナリング中の挙動変化も抑えられます。

 

ターボが加えられた現代的なエンジン

3.5ℓV6エンジンにはターボが加えられました。独立制御される3基のモーターもスポーツ性能を高めます。

 

10年を経て登場した2代目は圧倒的な走りが健在!

日本初のスーパーカー・NSXの2代目は、初代が生産中止になってから10年を経てようやく登場しました。システム最高出力は581馬力を誇り、十分過ぎるほどに速いです。

 

しかもフロントのモーターのトルクを変化させることで、恐ろしいほど鋭く曲がります。スーパーカー日本代表の名に恥じない、卓越した走りを実現しています。

 

 

【清水草一の目】

最高クラスの走りを電子制御で実現

世界最高レベルの加速とコーナリングは、すべて緻密な電子制御の賜物です。一方で、スタイリングが凡庸で、何の特色もないのは残念。

 

 

【ブランド14:日産】

毎年のように改良されて性能がブラッシュアップ

2007年にデビューした日産初のスーパーカー・GT-Rは、同社がグローバル展開を視野に入れて開発した現代的なスーパースポーツ。ほぼ毎年のように改良モデルが登場し、走りを中心に性能がブラッシュアップされています。

 

【モデル27】走りが研ぎ澄まされた世界基準のジャパンスポーツ

日産 GT-R

1023万840円〜1870万200

スカイラインGT-Rの発展後継車で、圧倒的なパフォーマンスを誇る国産屈指のスーパースポーツカー。基本性能の高さはもちろんのこと、ハイテク装備による車両制御が実現する、異次元の操縦安定性は特筆ものです。

SPEC【NISMO】●全長×全幅×全高:4690×1895×1370㎜●パワーユニット:3.8ℓV型6気筒ツインターボエンジン●最高出力:600PS(441kW)/6800rpm●最大トルク:66.5㎏-m(652Nm)/3600〜5600rpm●トランスミッション:6速AT●駆動方式:4WD

 

ハイコスパな一台に世界中のファンが熱狂

初代GT-Rの登場から10年以上が経っているが、たゆまぬ進化により、いまでは実質的な世界最速車として認められています。その圧倒的な走行性能を考えれば、価格はかなりリーズナブルです。

 

海外に熱狂的なファンが多くいるのも同車の特徴。陸上100メートル世界記録保持者のウサイン・ボルトもそのひとりです。

 

【ココがスーパー!】

必要な情報を取捨選択して表示

インパネ中央にディスプレイを搭載。運転に必要な各種情報を任意で選んでデジタル表示できます。

 

ファンの郷愁を誘うテールランプ形状

丸目4灯式のテールランプは、唯一残されたスカイラインらしさ。ノスタルジーを感じさせます。

 

【清水草一の目】

チューニングで超パワーアップ

スペックを見るとそれほどでもありませんが、実際の速さは世界一。チューニングで1000馬力にすることもできるなど、ある意味で別格の存在です!

 

 

【連載をまとめたムックが好評発売中】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

 

20年ぶりにモデルチェンジしたジムニーの魅力とは?

スズキの軽自動車・ジムニーが、この度20年ぶりにフルモデルチェンジを行いました。ここでは、本格的なオフロード車として高い人気を誇るジムニーの新型の魅力に迫ります。

 

コンパクトな軽ながらプロも納得のオフロード性能を備える4WD

スズキ

ジムニー

145万8000円〜184万1400円

約20年ぶりのフルモデルチェンジとなった4代目。新開発ラダーフレームや、FRエンジンレイアウト、独自方式のサスペンションなどにより、高い悪路走破性を実現しています。

SPEC【XC・4AT】●全長×全幅×全高:3395×1475×1725㎜●車体重量:1040㎏●パワーユニット:658cc直列3気筒DOHC+ターボ●最高出力:64PS(47kW)/6000rpm●最大トルク:9.8㎏-m(96Nm)/3500rpm●WLTCモード燃費:13.2㎞/ℓ

 

↑同車伝統のラダーフレーム構造が進化。ねじり剛性を従来の約1.5倍に高めつつ、上下方向に柔らかくすることで乗り心地の良さも追求しました

 

↑シートは幅広のためオフロード走行でも乗り心地は良好。シート表皮には撥水ファブリックを採用するため、少々の水濡れなら問題ありません

 

↑リアシートを倒せば荷室容量は352ℓに。フロアは完全なフラットとなり、スクエアな室内空間と相まってスペースをムダなく使えます

 

本格オフローダーらしいスクエアなフォルムに回帰

ジムニーは軽自動車初の4WDとして1970年に登場。小型ボディならではの取り回しの良さと、それに見合わない悪路走破性の高さで人気となり、世界累計約285万台を販売するロングセラーです。

 

約20年ぶりとなる今回のフルモデルチェンジでは、スクエア型に回帰したボディに注目したいところ。近年のトレンドであるクロスオーバーSUV的な丸みを帯びたデザインとは一線を画し、メルセデス・ベンツ Gクラスのような本格オフローダーとしての風格をたたえています。新開発のラダーフレームなどを採用し、そのスタイリングに悖らない走行性能を備えるのも好印象。

 

衝突被害軽減ブレーキ「デュアルセンサーブレーキサポート」をはじめ、安全装備も最新機能を搭載。レジャー用途から山間部や積雪地などの交通手段に至るまで、あらゆるシーンで誰もが快適に使えるクルマに仕上げられています。

 

 

<LINE-UP>

1.5ℓエンジンで動力性能を高めた

ジムニーシエラ

176万400円〜201万9600円

ジムニーのデザインや使い勝手を踏襲しつつ、新開発の1.5ℓ「K15Bエンジン」を採用して動力性能を高めました。ジムニーと同じく、予防安全技術「スズキ セーフティ サポート」を搭載しています。

子鉄&ママ鉄必見!夏休みの締めくくりは、ドクターイエローに会いに行こう!――『スーパー特急のひみつ100』

男の子のママあるあるだと思うのだが、今まで電車になどまったくもって興味がなかったのに、我が子が電車に目覚め、プラレールにハマり、呪文のように列車名を唱え始めると、嫌でも電車の種類を覚えてしまう。

 

散歩コースとして、線路沿いの「電車がよく見えるスポット」をしっかりおさえている。ハッピーセットにトミカのおもちゃがつくとわかるや否や、息子を喜ばせたいがためにマックに通う。なんならコンプリートしたいので、同じく男の子を持つママ友とトレードしたり。いつのまにか自分自身が電車好きになっていた、なんてことは珍しくない。

 

そして、子どもも親も電車に夢中になると、おそらくこんな願いが心の中に生まれてくるのではないだろうか。

 

ドクターイエローを生で見たい!」と。

 

 

子鉄&ママ鉄の憧れ!「ドクターイエロー」とは

ご存じない方のために簡単に説明すると、「ドクターイエロー」とは線路の歪みや架線の状態などを走りながら調べる、いわば「電車のお医者さん」。輝く黄色のボディが印象的だ。

 

東京~博多間を10日に1回ほどの頻度で走っていて、運行予定などは公に発表されていない。そのため、見かけたら幸せになれるというジンクスがあるくらいである。

 

独身の頃、出張や帰省で東京~大阪間をかなり頻繁に移動していた私だったが、実は一度もお目にかかったことがなかった。そもそも「ドクターイエロー」という存在を知らなかったため、もし遭遇していたとしても視界に入っていなかったのかもしれないが。

 

今回は、そんな幸福の黄色い新幹線・ドクターイエローをなんとか生で見たいと思い、見事成功した私の記録をお伝えしたい。

 

 

ネットを駆使してドクターイエローに出会う!

確実にドクターイエローを見るためのポイントは2つ。

 

ネットで検測時刻をリサーチ

まずは、いつ走るかがわからないと始まらない。

 

JRに勤めている友人に聞いたらダイヤを教えてくれないかとも思ったが、さすがにそれ無理だろう。というわけで、ネットで検索しまくった結果、ドクターイエローに関する情報や今月の検測(走行、ではなく検測というのも、なんだか通っぽくていい)予想日をアップしているブログやHPにヒット!

 

なかには、ビックリするくらい細かい情報をアップしてくれているブログもあり、アメンバーであれば「○○駅は何時頃通過予定ですか?」などというコメントにも、親切に返答してくれていた。一体どこのどなたなのだろうか。ドクターイエローへの深い愛情を感じずにはいられない。

 

ひとつのブログで確認できればOKだが、複数のサイトの情報を見比べておくとさらに安心である。

 

当日は、ツイッターや掲示板などでリアルな運行状況をチェック

ドクターイエロー通の方の情報はほぼ間違いがないが、もちろん運行状況に乱れが起こることも有り得る。

 

そこで、当日はツイッターやドクターイエローマニアたちの掲示板をマメにチェックしておこう。「西の皆さん、東京駅をいま出発しました!」「○○駅、いま通過しました!」など、ドクターイエローが今どのあたりを走っているかがリアルタイムでわかるのだ。

 

自分が待機している駅近くの投稿や情報が得られれば、ドクターイエローはもう目の前だ。

 

私の場合は、ちょうど帰省とドクターイエローののぞみ検測日が重なることをキャッチしたため、岐阜羽島駅にて待機。予定時刻が近づくに連れて、ホームには少しずつ人が集まってくる。今日は通過するだけなのに。どうやら毎月来ている人もいるようだ。ドクターイエロー、半端ないって。

 

そして見事、ドクターイエローが通過していくところに遭遇できた。こだま検測であれば停車しているドクターイエローを拝めたのだが、致し方ない。ほんの数十秒だったが、そのかっこよさと言ったら…写真にもバッチリおさえることができた!

 

もう、とにかくカッコいいのだ。オーラが違う。息子も大喜びしていたが、私自身がめちゃめちゃ興奮してテンション上がりまくりだった。

 

 

見たい!乗りたい!特急列車が目白押し

あれから数年。最近は少し電車への熱が下がり気味だった息子と私だが、こんな本を見つけて、再びアツい想いが再燃! 『スーパー特急のひみつ100』(栗原 景・著/学研プラス・刊)は、見開きにドカンと迫力ある電車の写真が載っていて、文句なしにカッコいい!

 

息子と2人でページをめくるたび、「あ、これ乗ったことある!」「うわ、めちゃカッコいい!」と盛り上がる盛り上がる。

 

外観や車両の特徴、豆知識なども盛り込まれているので、「へーそうだったのかー!」という発見もあり、見ていて飽きない。

 

いろいろと気になる電車はあったが、「かっけー!」と声を揃えたのがラピート。なんばと関西国際空港を結ぶ南海電鉄のアクセス特急で、ロボットみたいな顔と発色の良いブルー、「レトロフューチャー」をテーマにした車両デザインに魅了されてしまった。客室の窓が楕円形なのもクールだ。

 

それから、車両のデザインだけでなく、内観や設備などがユニークなものも。阿蘇~別府間を走るJR九州の「あそぼーい!」は、木のボールのプールや図書館など、親子で楽しめる設備がたくさんあるとのこと。

 

東京~新庄間を走るJR東日本の「つばさ」には、なんと足湯や湯上がりラウンジつきの車両があるらしい。

 

鹿児島中央~指宿間を走るJR九州の「指宿のたまて箱」は、ドアが開くと、浦島太郎がたまて箱を開けた時の煙に見立てて、ミストが出るのだとか! いつか乗ってみたい。

 

 

お金がかからず、最高の想い出が作れること間違いなし!

これらの列車は、ドクターイエローと違って運行時刻が簡単にわかるので、乗車することはもちろん、お目当ての列車を見るために駅に行くだけでも楽しめる。

 

夏休みも残りわずか。テーマパークなどに遊びに行くのもいいが、どこも混雑しているだろう。何かとお金もかかる。ここはひとつ、駅へお好みの特急列車に会いに行くというプランはいかがだろうか。

 

そして、タイミングがあえば、ぜひドクターイエローとの遭遇にチャレンジしてみてほしい。我が家は、ラピート目的でなんばまで遊びに行こうかと計画中である。

 

 

【書籍紹介】

 

乗ってみたい! スーパー特急のひみつ100

著者:栗原景
発行:学研プラス

日本全国の特急列車のひみつを100紹介。新幹線からJR、私鉄の特急、観光特急から通勤特急まで、たくさんの列車を掲載する。迫力の写真と正面のイラスト、くわしいデータなど、乗りたくなる情報が満載のSG(スゴイ)100シリーズ第6巻。

kindlleストアで詳しく見る
楽天Koboで詳しく見る
bookbeyondで詳しく見る

【中年名車図鑑|ホンダ・ビート】豊富な開発資金を背景に生まれた斬新な軽スポーツカー

1990年代初頭に相次いで登場した軽自動車のスポーツカーたちは、その頭文字から“平成ABCトリオ”と呼ばれた。Aは1992年10月デビューの「マツダ(オートザム)AZ-1」、Bは1991年5月に発売した「ホンダ・ビート」、Cは1991年10月発表の「スズキ・カプチーノ」を指す。各車が主張するスポーツ性はさまざまで、ボディ形状やエンジンレイアウトなどを含めて非常に個性的だった。今回から3席に分けて、ABCモデルの名車ぶりを紹介していこう。トップバッターは最初にリリースされたホンダ・ビートだ。

【Vol.79 ホンダ・ビート】

1980年代後半は軽自動車の高性能化が一気に加速した時代だった。スズキのアルト・ワークスやダイハツのミラ・ターボTR-XX、三菱自動車のミニカ・ダンガン、富士重工業のスバル・レックス・コンビ・スーパーチャージャーVXなどがハイパフォーマンス軽自動車の№1を目指して凌ぎを削る。ユーザーにとっても安い価格と維持費で速いクルマが購入できるため、このムーブメントは歓迎された。

 

1990年1月に軽自動車の規格が改定されてエンジン排気量が660cc以内、ボディサイズが全長3300×全幅1400×全高2000mm以内になると、各自動車メーカーはこぞって新規格に合わせた軽自動車をリリースする。当時はバブル景気真っ盛りのころ。豊富な開発資金を背景に、まっさらなニューモデルが数多くデビューした。同時に、市場からはより高性能な軽自動車の登場を望む声が一気に高まる。これに応える形で、メーカー側は軽ピュアスポーツの企画を積極的に推し進めた。

 

■ミッドシップレイアウトを採用したホンダの軽スポーツ

軽自動車ながら、2シーターミッドシップオープンという趣味性の高いモデルに仕立てられた。専用設計のミッドシップ用プラットフォームと高剛性のオープンモノコックボディを採用

 

まず先陣を切ったのは、本田技研工業だった。1991年5月、軽自動車初の本格的な2シーターミッドシップオープンスポーツとなる「ビート」(PP1型)を市場に放つ。車名は英語で強いリズム、心臓の鼓動などを意味するBEATに由来。風を切るときめき、走らせる楽しさを響かせるクルマであること表していた。

 

“Midship Amusement”のキャッチを冠したビートは、基本骨格に専用設計のミッドシップ用プラットフォーム(ホイールベース2280mm)と高剛性のオープンモノコックボディを採用する。懸架機構にはフロントにマクファーソンストラット、リアにデュアルリンクストラットをセットし、タイヤには前後異形サイズ(前155/65R13、後165/60R14)を装着。各構成パーツのレイアウトにも工夫を凝らし、重心高は低めの440mm(空車時)、前後重量配分は理想的なバランスの43:57(1名乗車時)を実現した。

ソフトトップは手動開閉タイプ。全長3295×全幅1395×全高1175mm

 

スタイリングは固まり感のあるコンパクトなオープンボディを基本に、ミッドシップエンジンの証しであるサイドの大型エアインテークや手動開閉のソフトトップ、低くワイド感あふれるフロントノーズなどで個性を主張する。ボディサイズは全長3295×全幅1395×全高1175mm、車重は760kgに仕立てた。一方、2シーター構成のインテリアはドライバー中心のキャビンレイアウトで演出。同時に、モーターサイクルを思わせる3眼メーターやゼブラパターン表地のバケットシートなどを装備してスポーティ感を強調した。

 

肝心の動力源については「ハイパワーはもちろん、どこまでもドライバーの気持ちに直結した小気味よいレスポンス」を追求した新開発の“660 MTREC 12VALVE”エンジンをミッドに横置き搭載する。ベースとなったのは、既存のE07A型656cc直列3気筒OHC12V。ここに、ホンダF-1テクノロジーを応用した多連スロットルと2つの燃料噴射制御マップ切り換え方式によるハイレスポンス・エンジンコントロールシステムの“MTREC”(Multi Throttle Responsive Engine Control system)を組み込んだ。

インテリアはドライバー・オリエンテッドに仕上げられている。3眼メーターやゼブラパターン表地のバケットシートが印象的

 

多連スロットルに関しては、各気筒のインテークマニホールドにそれぞれスロットルバルブを設置し、そのうえでスロットル同調をシンプルな機構で正確に行なうために3ボアのバルブ作動を一体式とした3連スロットルボディを採用する。これにより、スロットルボア径をφ36mm×3と大幅に拡大するとともに、インテークマニホールドの直前にエアクリーナー兼用の大容量チャンバーを設けることで各気筒間の吸気干渉を抑え、吸入効率を飛躍的にアップさせた。

 

一方の燃料噴射制御については、アイドリング時のほかに定速時やゆるやかな加減速時、低負荷時に使用する「吸気圧力とエンジン回転数を基準にした燃料噴射制御マップ」と急加速・急減速時や高負荷時に使う「スロットル開度とエンジン回転数を基準にした燃料噴射制御マップ」の2タイプを設定。これをドライブ状況に応じて電子制御でマップを切り換え、パーシャル域から全開までの高精緻な燃料供給とレスポンスの向上を達成した。

 

ほかにも、クラス初の大気圧センサー内蔵ECUの採用や10.0の高圧縮比、ステンレス製トリプルエグゾーストマニホールドおよび大径エグゾーストパイプの装着、ピストン/コンロッド/メタル類の強化、オイルパン容量の拡大などを実施し、エンターテインメント性と信頼性のアップを図る。スペックに関しては最高出力が64ps/8100rpm、最大トルクが6.1kg・m/7000rpmを発生した。

 

■特別仕様車の設定のみでモデル末期まで基本は変えず

斬新なMRレイアウトに自然吸気の高回転型エンジン+5速MT、未来的かつスポーティな内外装に古典的なソフトトップを組み込んだビートは、「いかにもホンダらしい斬新な軽スポーツ」として多くのファンを獲得。発売とともに販売台数を大いに伸ばしていく。これに応える形で、メーカー側はビートの魅力度をより高める特別仕様車を相次いでリリースした。

 

まず1992年2月には、アズテックグリーンパールのボディカラーを纏った「バージョンF」を限定800台で発売。同年5月にはキャプティバブルーパールのボディ色やホワイトアルミホイールを採用した「バージョンC」を限定500台で市場に放つ。そして、1993年9月には専用色のエバーグレイドグリーンメタリックにリアスポイラーやマッドガード、エキパイフィニッシャーなどを装備した「バージョンZ」を設定し、後にこの仕様を標準グレード化した。

1992年2月に登場した限定800台の「バージョンF」

 

1990年代中盤になると、バブル景気の崩壊やレクリエーショナルビークル(RV)の隆盛もあって、ビートの販売は大きく落ち込んでいく。本田技研工業としても手薄なRVの開発に注力する必要があり、結果的にビートは1996年に生産を終了した。しかし、カタログ落ちした後もビートは一部ファンから熱い支持を受け続け、ユーズドカー市場で高い人気を博す。また、2010年5月にツインリンクもてぎで開催されたオーナーミーティングではパレードランに569台のビートが参加し、ホンダの同一車種による世界最大のランとしてギネス記録に認定。2011年11月には傘下のホンダアクセスがビート発売20周年を記念した専用純正アクセサリーを発売する。さらに、2017年8月にはホンダ自身がビートの一部純正パーツの生産再開および再販を発表し、後に再販パーツの展開を拡大。HONDAブランドの記念碑であるビートの長寿命化を下支えしたのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

そう簡単にはいかないでしょ… 「中央線グリーン車連結問題」に立ちはだかる壁

「ほんとに実現すんのかなぁ?」

炎天下の聖橋に立っているだけで、大汗といっしょに魂まで流れ出ちゃいそうな、酷暑。ここまで暑いと、こんな半信半疑で半ばあきらめモードな独り言が出てきてしまう。

 

聖橋でいろいろ思っていることは、「月曜から夜ふかし」的にいうと、「中央線グリーン車連結問題」。中央線といえば、混雑率200%超え、2分ヘッド過密ダイヤ、東京カウンターカルチャーの高円寺や吉祥寺といった人気の街を結ぶステータス抜群の「語れちゃう路線」……といったイメージ。

 

そんな中央線に、有料座席車両のグリーン車(下の写真がそのイメージ)を連結させるという計画が、静かに熱くすすめられている。

 

■グリーン車を2両プラスして12両編成に

JR東日本の首都圏を走る通勤電車には、グリーン車が組み込まれている路線がある。普通列車グリーン車というサービスで、湘南新宿ラインや上野東京ライン、東海道線、横須賀線、総武線快速、そして足立を貫き茨城へと誘う常磐線などの電車がグリーン車を連結して走っている。

 

この普通列車グリーン車がいま、めちゃめちゃ好評。平日朝ラッシュ時間帯の都心方面は、満席も続出。せっかくグリーン券を買ったのに、座れずにデッキで席が空くのを待つ人の姿も見かける。土休日になると、電車旅グループや親子、仲良し男女たちが、グリーン車を躊躇なく選ぶ。

 

この利用者増を受けてか、中央線のサービス向上計画の切り札か、JR東日本は突然、中央線にグリーン車を2両追加連結すると公表。ことし春には、2020年のサービス開始をめざしてきた計画を、2023年度末までに実現させるとプランを後ろ倒しした。

 

素人目で見ても、その実現はいろいろ難しいと感じる。車両導入、地上設備、人材確保、サービス展開、特急列車とのすみ分け……前途にはいろいろハードルが立ちはだかる。

 

■ホーム延長の壁

車両は、既存の普通列車グリーン車に似たモデルだから、そのままいけそう。ただ、中央線グリーン車計画では、両開きドアを採用したり、普通車にトイレを設置したりといった変更がある。

 

通勤や通学、仕事で中央線を使うとき、ちょっと視点を変えて見てみると興味深いのが、地上設備。グリーン車2両を増結することで、中央線は既存の10両から12両編成に変わる。車両が2両ぶん増える計画だけど、中央線の駅のほとんどが、ホームは10両ぶんの長さしかない。

 

たとえば御茶ノ水駅のホームは、東京・秋葉原方はけっこう急な勾配の途中にあって、黄色い総武線各駅停車とオレンジ色の中央線電車ののりばは、階段2段ぶんほどの大きな段差がある。さらにホーム端には詰め所もあったりで、東京方にホームを延ばすことは難しい。そうなると、新宿寄りのホームを延ばすことになるか。でも、こちらも急カーブやポイント(分岐器)がすぐ迫っていて、難工事確実。

 

■IoTのチカラを借りるか…

グリーン車を組み込む位置も気になる。車両の構造上、東京側から4両目と5両目、12両編成時の4号車・5号車がグリーン車になる計画。で、特急電車を使用した中央ライナー用のライナー券を買う場所と、グリーン車の位置も微妙に違う。グリーン券を購入できる端末は、新たにまた設置するスペースが要る。

 

ひょっとしたら、IoTのチカラを借りて、グリーン券 券売機の端末を省略するという作戦もあるか。利用者はスマホやSuicaを座席上スキャンにピッとかざすだけで、座席が確保できるという時代がくるかもしれない。

 

12両化で信号類の位置変更もあるだろうし、車両基地には車両トイレの地上処理施設もつける必要が出てくるし、グリーン車の車内サービスを担うグリーンアテンダントの人材も確保しなければならない。

 

クリアすべき課題がいろいろある中央線グリーン車連結問題。だけど、実現したらそれはまた、中央線ユーザーに好評を博すことは間違いない。中央線の競合路線のひとつ、京王線は「京王ライナー」という有料座席指定列車サービスで先手を打った。

 

中央線にグリーン車が走る日まで、あと5年。後手には後手のやり方がある。5年間で、中央線の風景が少しずつ変わっていく。実現すれば儲かることはわかっている。損益分岐点もすぐにきちゃいそう。

 

【著者プロフィール】

モビリティハッカー Gazin

GazinAirlines(ガジンエアラインズ)代表。1972年生まれ。浦和市立南高、島根大(中退)、東京学芸大を卒業。東北新社、鉄道ジャーナル社、CAR and DRIVER、TVガイドなどを経て独立。SNSなどをやってないせいか、人格の問題か、友だちゼロ&人脈ゼロ。著書に『ワケあり盲腸線探訪』(えい出版社)、『ひとり、ふらっと鉄道』(イースト・プレス)ほか。

街乗りするなら断然ミニベロ! 初心者にオススメの人気モデル5選

自転車の種類のなかでも、ここ最近人気なのがミニベロとよばれる小径車タイプのモデルです。一般的にはタイヤが20インチ以下のモデルを指し、折り畳みが可能なタイプも存在します。

 

タイヤが小さいので小回りが利き、ロードバイクなどに比べてこぎ出しからスピードに乗るまでの時間が短いため、ストップ&ゴーの多い街乗りや近距離の移動に適しています。また、ママチャリなどに比べて車体がコンパクトなので駐輪スペースを確保しやすく、玄関などの室内に持ち込むことも容易なことから、居住スペースの限られる都市部を中心に人気となっています。

 

そこで今回は、初めてのミニベロとしてオススメな5モデルを紹介します。

 

1.クロスバイクのような走行性

Bianch(ビアンキ)
PISA FLAT

楽天市場最安値価格:5万5080円

 

イタリアのなかでも非常に長い歴史を持つ自転車メーカー「ビアンキ」。日本でも「チェレステ」と呼ばれる水色のブランドカラーとともに。よく知られている自転車ブランドの1つです。この「PISA FLAT」は、初心者でも扱いやすいフラットハンドルバーを採用したスポーティーなミニベロ。アルミフレームに8段変速ギアを搭載しており、近所への買い物のほか、ちょっとした遠出にも使えます。ミニベロでもクロスバイクのような走行性を求める方にオススメ。

 

2.スポーティーに走れる本格派ミニベロ

Tern(ターン)
Surge

楽天市場最安値価格:7万6896円

 

Ternは自転車大国・台湾発のブランドで、折り畳みができる小型モデルに定評があります。このSurge(サージュ)は折り畳みには対応していませんが、スポーティーなホリゾンタルシルエットで、街乗りもロングライドもOKなクロスバイク的立ち位置のミニベロ。ロングブレードのフォークを採用することでステアリングのヘッド位置が高く、ミニベロ特有のハンドリング時のふらつきを解消して、より安定したコーナリングを行えます。こちらもスポーティーな走行性を求める方にオススメです。

 

3.気軽に乗れる「ご近所チャリ」

ブリヂストン
グリーンレーベル
VEGAS

楽天市場最安値価格:3万9744円(点灯虫・内装3段変速モデル)

 

流行を取り入れたオシャレなデザインの自転車が揃うブリヂストンのグリーンレーベルのミニベロ「VEGAS」は、ギヤ比の最適化により、コンパクトでも高い走行性を実現。太めのタイヤで安定した乗り心地です。また、汚れに強くサビにくいステンガードチェーンを採用。毎日の「ちょっとそこまで」に活躍する1台です。

4.クラシカルなデザインと軽快な走りを両立

ブリヂストン
グリーンレーベル
クエロ20F

楽天市場最安値価格:5万1224円(510mmフレーム・外装8段変速モデル)

 

同じくブリヂストン グリーンレーベルの「クエロ20F」は、レトロでクラシックな雰囲気のスリムフレームで、女性にオススメなミニベロ。サドルとグリップにはブラウンのレザーテイスト素材を使用し、シフトレバーやカンチブレーキ、真鍮ベルはこだわりのクラシカルテイストパーツを採用。オシャレなデザインと軽快な走りを両立した本格派で、休日の散策なども楽しめます。

 

5.買い物に便利なミッド・キャビン搭載

ドッペルギャンガー
ROADYACHT(ロードヨット)

楽天市場最安値価格:2万6136円

 

フレームの中央に荷室スペースを設けたミッド・キャビン形状で、お買い物にピッタリなミニベロ。荷物が中心にあるので、重い荷物を運んでもハンドルがふらつきにくく、安定して走行できます。また、オプションで前カゴをつければ、より多くの荷物を運ぶことも可能。毎日のお買い物に最適なモデルとなっています。

 

コンパクトなミニベロは街乗りや近所の散策用にピッタリ。毎日気軽に乗れる自転車を探している方は、ぜひチェックしてみて下さい。

実に「絵」になる鉄道路線!! フォトジェニックな信州ローカル線の旅【長野電鉄長野線】

おもしろローカル線の旅~~長野電鉄長野線(長野県)~~

 

信州の山々を背景に走る赤い電車は長野電鉄長野線の特急「ゆけむり」。最前部と最後部に展望席があり、列車に乗りながらにして迫力ある展望風景が楽しめる。

長野電鉄長野線は長野駅と湯田中駅間を結ぶ33.2kmの路線。起点となる長野駅はJR駅に隣接した地下にホームがあり、また長野市街は路線が地下を走っていることもあって、ローカル線というより都市路線だろう、という声も聞こえそうだ。

 

しかし、千曲川を越えた須坂市、小布施(おぶせ)町、中野市を走る姿は魅力あるローカル線そのもの。山々をバックに見ながら走る姿が実に絵になる。ここまで“写真映え”する鉄道路線も少ないのではないだろうか。今回は、絵になる長野電鉄の旅を、写真を中心にお届けしよう。

 

【写真映えポイント1】

赤い特急と山や草花、木の駅舎の組み合わせが絶妙!

なぜ、長野電鉄長野線は写真映えするのだろう。まず車体色が、赤が基本となっていることが大きいように思う。色鮮やかで写りがいい。

 

特急は、1000系「ゆけむり」(元小田急ロマンスカー10000形HiSE)と、2100系「スノーモンキー」(元JR東日本253系「成田エクスプレス」)の2タイプが走る。それぞれ赤ベースの車体が鮮やかで、青空、周囲の山々、花が咲く里の景色、そして木の駅舎と絶妙な対比を見せる。

 

普通電車の8500系(元東急8500系)や3500系(元営団地下鉄3000系)も、車体に赤い帯が入り華やかで、こちらも信州の風景と良く似合う。

↑特急「ゆけむり」が信濃竹原駅を通過する。1000系は、元小田急電鉄のロマンスカー10000形。赤い特急電車と古い駅舎とのコントラストが何とも長野電鉄らしい

 

↑桜沢駅付近を走る特急「ゆけむり」。4月末、ようやく信州に遅い春がやってくる。沿線は桜などの草花が一斉に花ひらき見事だ。車窓から望む北信五岳にはまだ雪が残る

 

【写真映えポイント2】

プラス100円で乗車可能な「ゆけむり」展望席がGOOD!

車内から撮った風景も写真映えしてしまう。

 

特に特急「ゆけむり」の前後の展望席から見た風景が素晴らしい。展望席は、広々した窓から迫力の展望が楽しめる特等席で、志賀高原や高社山など沿線の変わりゆく美景が存分に楽しめる。

↑夜間瀬駅〜上条駅付近からは志賀高原を列車の前面に望むことができる。ぜひ特急「ゆけむり」の展望席から山景色を楽しみたい

 

↑長野線の夜間瀬川橋梁から望む高社山(こうしゃさん)標高1351.5m。整った姿から高井富士とも呼ばれ、信州百名山にも上げられている

 

特急「ゆけむり」は、元は小田急ロマンスカー10000形として生まれた車両で、小田急当時のニックネームはHiSE。車内に段差があり、バリアフリー化が困難なため、登場からちょうど25年という2012年に小田急電鉄から姿を消した。この2編成が長野電鉄へやってきて大人気となっているのだ。

 

筆者が乗車した週末には、小布施人気のせいか、長野駅〜小布施駅間は混んでいた。その先の小布施駅→湯田中駅はそこそこの空き具合となった。湯田中駅発の上り「ゆけむり」にも乗車したが、湯田中→小布施間で、運良く後部展望席を独り占めという幸運に出会えた。

 

この美景が乗車券+特急券100円(乗車区間に関わらず)で楽しめるのが何よりもうれしい。指定席ではなく自由席なので、席が開いてればどこに座っても良い。

 

週末には「ゆけむり〜のんびり号〜」という、ビューポイントでスピードを落として走るなど、まさに写真撮影にぴったりの特急も走るので、ぜひチャレンジしていただきたい(列車情報は記事末尾を参照)。

 

【写真映えポイント3】

長野電鉄のレトロな駅舎が、また絵になる!

駅で撮った写真も絵になる。

 

長野電鉄の路線の開業は大正の終わりから昭和の初期にかけて。開業したころに建てられた木造駅舎が信濃竹原駅、村山駅、桐原駅、朝陽駅と、複数の駅に残っている。トタン屋根、ストーブの煙突、木の腰板。木の格子入りガラス窓といった、古い駅の姿を留めている。

↑須坂駅の跨線橋で写した1枚。長野電鉄の多くの駅ではいまも昭和の駅の懐かしい情景がそこかしこに残されている

 

↑先にも紹介した信濃竹原駅の駅舎。開業は1927(昭和2)年のこと。90年も前の昭和初期の駅舎がほぼ手付かずの状態というのがうれしい

 

↑こちらは村山駅。駅の開業は1926(大正15)年のこと。沿線ではほかに、桐原駅、朝陽駅に古い木造の駅舎が残っている

 

長い時間、そこに立ち続けてきた駅舎。日々、人々を見送り迎えてきたそんな多くのストーリーが透けて見えてきそうだ。この4駅ほど古くはないものの、ほかの駅で目に触れる風景もレトロ感たっぷりで、何気なく撮った風景が実に絵になるのだ。

 

【写真映えポイント4】

さりげなく置かれる古い車両や機器にも注目

停車中の保存車両や、古い機器も絵になる。

 

例えば、須坂駅には赤い帯を取った3500系06編成2両が停められている。同車両は元営団地下鉄日比谷線の3000系で、当時、珍しかったセミステンレス車体を採用、車体横はコルゲートと呼ばれる波形の板が使われている。

↑須坂駅構内の3500系。この車両はすでに引退した車両で、長野電鉄の赤い帯やNAGADENという表示も取られ、営団地下鉄当時のオリジナルの姿に戻されている

 

1961(昭和36)年に登場し、高度成長期に都心を走る日比谷線の輸送を支え、1994(平成6)年に、日比谷線の最終運転を終えている。同車両は、長野電鉄のみに計39両が譲渡され、現在も現役車両として活躍している。ちなみに2両は2007年に東京メトロに里帰りした。

 

日比谷線を走っていた往時の姿を知る人にとっては、この須坂駅にたたずむ古い車両に、胸がキュンとなってしまう人も多いのではないだろうか。

 

また、須坂駅のホームには、いまでは使われていない古い転轍器(てんてつき)が多く置かれ、保存されている。

↑ポイント変更用の転轍器(てんてつき)なども須坂駅のホームで保存されている。右側に発条転轍器が並ぶ。このような古い装置が特に説明もなく保存されていておもしろい

 

これらの保存車両や転轍器は、特に案内があるわけでなく、また乗客に見せるために保存展示されているわけではない。さりげなく置かれているといった様子である。そこに案内表示はなくとも、長野電鉄を守ってきたという誇りが伝わってくるようでほほ笑ましい。

【残る路線の謎】不自然なS字の姿をしているワケを探る

ここからは長野電鉄長野線の歴史と路線の概要を説明していこう。

上の路線図を見るとわかるように、路線は長野駅からSの字を描きつつ湯田中へ向かう。

 

まずは長野駅と東西に結ぶ路線が千曲川を越えて須坂駅へ向かう。須坂駅の手前で急カーブ、信州中野駅までではほぼ南北の路線が結ぶ。信州中野駅から先で急カーブ、路線が東に向かい回り込むようにして湯田中駅を目指している。

 

この路線、須坂駅と信州中野駅付近の曲がり方が極端に感じてしまう。どうしてなのだろう。

 

現在は長野線という1つの路線になっているが、開業時は千曲川東岸を走る路線が先に設けられた。その歴史を追うと、

1922(大正11)年6月 河東(かとう)鉄道により屋代駅〜須坂駅間が開業

1923(大正12)年3月 須坂駅〜信州中野駅間が開業

1925(大正14)年7月 信州中野駅〜木島駅間が開業 河東線全線開通

 

そのほかの路線は

1926(大正15)年6月 長野電気鉄道により権堂駅〜須坂駅間が開業。この年に河東鉄道が長野電気鉄道を合併、長野電鉄となる

1927(昭和2)年4月 平穏線の信州中野駅〜湯田中駅間が開業

1928(昭和3)年6月 長野駅〜権堂駅間が開業、現長野線が全線開通する

 

このように、長野電鉄は、元々、千曲川東岸の屋代駅と木島駅(長野県飯山市)を結ぶ鉄道が最初に造られ、その後に沿線の途中駅から長野駅へ、また湯田中駅へ路線が延ばされていった。

 

長年、この路線網が引き継がれていたが、利用者減少が著しくなり、まず2002(平成14)年3月末に木島駅〜信州中野駅間が、2012年3月末に屋代駅〜須坂駅間の路線が廃止された。南北に延びていた路線がそれぞれ廃線になり、S字の路線のみが長野線として残されたわけだ。

↑2012年3月まで運行していた長野電鉄屋代線(須坂駅〜屋代駅間)。真田松代藩の城下町・松代(まつしろ)を通る路線でもあった。写真は松代駅に入線する3500系電車

 

↑現在、須坂駅から屋代方面へ延びる線路の一部が残り河東線(かとうせん)記念公園として整備されている。例年、10月中旬の土曜日にイベントも開かれている

 

↑信州中野駅の先で湯田中方面へ線路が右にカーブしている。左の線路は木島駅へ向かった元河東線の線路跡。この分岐付近のみ線路が残されている

 

【輝かしい歴史】上野駅発、湯田中駅行き列車も走っていた!

長野電鉄が最も輝いていたのが1960年ごろから1980年ごろだった。1961(昭和36)年からは、長野電鉄への乗り入れる上野駅発の列車が運転された。国鉄の急行形車両を利用、信越本線の屋代駅から、屋代線経由で湯田中駅まで直通運転を行った。翌年には通年運転が行われるほど乗客も多かった。この直通運転は1982(昭和57)年11月まで続けられている。

 

自社製の車両導入も盛んで1957(昭和32)年には、地方の私鉄会社としては画期的な特急形車両2000系も登場させた。その後、1967(昭和42)年には鉄道友の会ローレル賞を受賞した0系や10系といった一般列車用電車も新製するなど、精力的に新車導入を続けた。

 

路線も長野駅〜善光寺下駅間の地下化工事が1981(昭和56)年3月に完了している。

↑かつての須坂駅構内の様子。中央が2000系特急形車両でツートン塗装車と、後ろにマルーン色の編成が見える。2006年に特急運用から離れ2012年3月をもって全車が引退した

 

そんな順調だった長野電鉄も1980年代から陰りが見えはじめた。先の国鉄からの直通列車も1982年に消えた。営業収入は1997年の35億2000万円をピークに、長野冬期五輪が開催された1998年から減収に転じ、2002年には24億6000万まで落ち込んでいる。

 

この2002年に信州中野駅〜木島駅間の河東線の路線を廃止した影響もあったが、急激な落ち込みは河東線と平行して走る上信越自動車道が、徐々に整備されていったのが大きかった。まず1993年に更埴JCT〜須坂長野東IC間を皮切りに2年ごとに北へ向けて延ばされていき、1999年には北陸自動車道まで全通している。高速道路網の充実で、クルマで移動する人が増え、また高速バスの路線網も充実していった。

 

長野電鉄では2002年と2012年に河東線を廃線にし、車両は首都圏の鉄道会社の譲渡車を主力にするなど、営業努力を続けてきた。同社の平成24年度から平成27年度の損益を見ると(鉄道統計年表による)、平成24年度の5億から平成27年度には8億円まで数字を上げ好転している。前述した古い駅舎が数多く残る理由は、駅舎を建て直すほどの余裕が、これまではなかったという理由もあるのだろう。

 

ただ、古いものが数多く残り、昭和と平成が混在する、まさに写真映えする状況が生まれているわけで、少し皮肉めいた現象とも言えるだろう。

【鉄道好き向け乗車記】長野駅から湯田中駅まで撮りどころは?

長野電鉄長野線の始発駅はJR長野駅西口の地下にある。JR駅を出てすぐのところにあり便利だ。行き止まり式のホームからは、朝夕が特急を含めて15分間隔、日中は20分間隔で列車が発車する。

 

特急は一部列車を除き湯田中駅行き、普通列車は須坂駅もしくは信州中野駅行きが出ている。

↑長野駅の西口を出てすぐ目の前にある長野電鉄長野駅の入り口。こうした造りは都市と近郊を結ぶ都市鉄道の起点駅といった趣だ

 

↑長野電鉄長野駅の地下ホーム。停まるのは2100系「スノーモンキー」と8500系。8500系はいまも東急田園都市線で現役として活躍する車両だ。長野電鉄では2005年から走る

 

長野市街は地下路線が続き、3つ先の善光寺下駅まで地下駅となる。善光寺下駅の先で始めて地上へ出る。長野駅から朝陽駅まで複線区間が続き、しなの鉄道の路線などと立体交差する。朝陽駅から先は、単線区間となり、柳原駅〜村山駅間で千曲川を越える。

↑長野駅〜朝陽駅間は複線区間となっている。2100系「スノーモンキー」と8500系がちょうどすれ違う。写真の桐原駅近くでは都市路線らしい光景が見られる

 

25分ほどで須坂駅に到着する。ここには車両基地があるので、ぜひとも降りて見ておきたい。先の3500系などの保存車両や、古い転轍器などにも出会える。

 

須坂駅からは、ローカル色が強まる。長野ならではリンゴ園も沿線に多く連なる。

 

須坂駅から乗車7分ほどで小布施駅(おぶせえき)に到着する。小布施といえば、名産の栗、そして江戸時代には地元の豪商、高井鴻山(たかいこうざん)が葛飾北斎や小林一茶が招いたことで、独自の文化が花開いたところでもある。

 

そうしたうんちくにうなずきつつも、鉄道好きならばホームの傍らにある「ながでん電車の広場」に足を向けたい。ここには現在、特急として活躍した長野電鉄2000系3両が保存展示されている。車内の見学もできる。

↑小布施駅の構内にある「ながでん電車の広場」。長野電鉄オリジナルの特急型電車2000系が保存展示される。傍らの腕器式信号機もいまとなっては貴重な存在を言えるだろう

 

信州中野駅から先は、長野線の閑散区間となる。長野駅から湯田中駅まで直通で走る普通列車はなく、途中の須坂駅か信州中野駅での乗り換えが必要となる。

 

信州中野駅〜湯田中駅間では、朝夕30分間隔、日中は特急を含めて1時間に1本の割合で電車が走っている。本数は少なくなるものの、信州中野駅〜湯田中駅間には絵になるポイントが多く集まっている。

 

まず夜間瀬川橋梁。左右に障害物のないガーダー橋で、橋を渡る車両が車輪まで良く見える。もちろん撮影地としても名高い。車内からは高井富士とも呼ばれる高社山が良く見えるポイントでもある。

↑夜間瀬川橋梁を渡る2100系「スノーモンキー」。元JR東日本253系で、特急「成田エクスプレス」として走った。長野電鉄では2編成が入線、4人掛け個室(有料)も用意される

 

夜間瀬川を渡ると、路線は右に左にカーブを切りつつ、勾配を登っていく。このあたりの沿線はリンゴ園や、モモ園などが多いところ。GWごろは薄ピンクのリンゴの花、桃色のモモの花が沿線を彩り見事だ。

↑夜間瀬駅〜上条駅間を走る1000系「ゆけむり」。GWごろ高社山を仰ぎ見る夜間瀬付近ではモモやリンゴの花が見ごろを迎える

 

リンゴ園を見つつ急坂を登れば、列車は程なく湯田中駅に到着する。

 

この駅の構造、少し不思議に感じる人がいるかもしれない。現在のホームと駅舎とともに、すぐ隣に古い駅舎とホームがある。実はかつて、普通列車よりも長い編成の特急列車などは駅の先にある県道を越えて引込線に入り、折り返してホームに入っていた。

 

駅構内でスイッチバックする複雑な姿の駅だったのだ。さすがに不便だということで、2006年に大改造、スイッチバック用の施設は取り外され、現在のホームと線路のみとなっている。

↑湯田中駅に到着した1000系「ゆけむり」。右側の駅舎がかつての駅舎で、現在は日帰り温泉施設として使われている。線路は右側ホームにも沿って敷かれていた

 

↑日帰り温泉施設「楓の湯」として使われる旧湯田中駅舎。この建物の前には足湯(写真円内)もあり、無料で湯田中温泉の湯を楽しむことができる

 

列車が到着すると「美(うるわ)しの志賀高原」という懐メロがホームに流れる。志賀高原、そして湯田中・渋温泉の玄関口である湯田中駅らしい演出でもあるのだが、この曲が作られたのは1956(昭和31)年だという。このタイムスリップ感は並ではない。これぞ世代を超えた永遠のリゾート、志賀高原! というところだろうか。

↑湯田中駅前のバス乗り場。奥志賀高原ホテル行きや白根火山行きのバスが出ている。こうした“高原行きバスと乗り場”の光景も昭和の面影が強く感じられ、懐かしく感じられた

 

【観光列車の情報】

毎週末、下り:長野駅13時6分発、上り:湯田中駅11時25分発の上下2本は特別な「ゆけむり〜のんびり号〜」として走る。普通列車のようにゆっくりと沿線を走る観光案内列車で、撮影スポットで徐行運転を行うサービスもあるので、期待したい。料金は通常の特急と同じで、乗車券プラス特急券100円が必要。一部の車両はワインバレー専用車両となる(要予約)。

ロシアは「カーナビの進化」も独自! とあるナビアプリが自由すぎる

日本では車内設置型のカーナビもよく見かけますが、ここロシアでは、車内に残すと盗まれる可能性が高いので、スマートフォンやタブレット内のカーナビアプリを使うのが一般的です。そんなロシアでとってもユニークな、大人気カーナビアプリが存在。遊び心溢れるサービスで、ロシア人の心をわし掴みしたカーナビアプリを紹介します。

 

戦車や戦闘機でドライブ

ユニークなアプリを提供しているのは、世界4位の検索件数を誇るロシアの大手検索エンジン・ポータルサイト「ヤンデックス」。そのヤンデックスが出している、「Яндекс.Навигатор(ヤンデックス・ナビゲーション)」というアプリが好評を博しているのです。

 

基本設定では、現在地を表すカーソルは矢印になっていますが、矢印をスポーツカーや戦車、戦闘機の表示に変更することが可能。自分のクルマが戦車となって、ナビ上を動く様子は運転しながらもワクワクしてしまいます。

 

有名人とドライブしているかのようなナビシステム

ヤンデックスナビはロシアで誰もが知る有名人の声をナビゲーターに起用し、まるでセレブと一緒にドライブしているかのように楽しくドライブをすることが可能。声の出演者は、日本でいう徳光さん的存在のワシリーをはじめ、ラッパーのバスタ(日本でいうZEEBRAさん)、ガーリク(くりぃむしちゅー上田さん)、ナギエフ(明石家さんまさん)、映画監督のフョードル(宮藤官九郎さん)、人気映画トランスフォーマーのコンボイの声、さらに、大手インターネット会社「ヤンデックス」の営業部長でキャリアウーマンの憧れアクサナです。

 

一人ひとりの話し方や誘導がとても特徴的で、どれを選んでもドライブが楽しくなること間違いなし! なかでも人気はコメディアンのガーリク。行き先を設定した途端「俺はいま飲んできちゃったから、お前が運転な!」と、なんだかガーリクを助手席に乗せたような気分にさせてくれます。曲がり角を間違えると「もー、ちゃんと見ろよなー」と愚痴をこぼされることも。コメディアンの彼らしく、ナビには至る所にユーモアが散りばめられています。

 

また、ロシア映画賞など複数の映画賞を受賞したフョードル監督では、行き先を設定すると、「さぁ、いまから俺が監督として導く! 一緒に新しいストーリーを創り出そう!」と言ってナビがスタート。フョードルは運転手を俳優に見立て、監督が指示するように目的地までナビしてくれます。

 

また「変わりネタ」として人気なのは、唯一女性として収録されているヤンデックスの敏腕営業部長アクサナです。ロシアメディアでも強気なキャラクターとして有名なのですが、ナビではそんな彼女にガンガン指示されます。「速度制限よ。私が言うのだから、必ず守りなさい」と、実際に彼女の部下になったような指示が。目的地に到着した暁には「あら、あなたでも到着できたじゃないの」と、お褒めの言葉をもらうことができます。

スターウォーズにオンラインゲーム! アップデートしたくなる仕掛け

本製品は2017年末にスターウォーズとのコラボレーションを発表。なんとヨーダかダース・ベイダーに道案内してもらえるのです。また、現在地を表す矢印もXウイングなどの宇宙船に変更が可能。

 

ひとつひとつの表現も期待通り、ユニークに仕上がっています。「ヨーダバージョン」では行き先を入れると「わしについてこい。若き者よ!」、オービスの前では「気をつけろ、帝国にスピードを見張られているぞ!」、道路工事については「シスたちが道を掘っているようだ」と言ってくれます。一方、ダース・ベイダーでは行き先を登録すると「ダース・ベイダーはお前を待っていたぞ」、「スーパースターデストロイヤーは軌道に乗った」という声が聞こえてきます。スターウォーズのファンにとってはたまらないでしょう。

最新のアップデートでは、戦車を扱った参加型オンラインゲーム「World of Tanks(ワールドオブタンクス)」とコラボレーション。現在地を表す矢印のカーソルの代わりにТ-34-85など、ゲーム上で人気の戦車5台が表示されます。道路工事に差しかかると「対戦車障害物を避けろ」オービスが近づくと「スナイパーに狙われているぞ! 気を付けろ!」など、ナビ上で「World of Tanks」の世界を楽しむことができます。

有名人やコメディアンの声を起用することだけでもユニークですが、それだけではなく、ひとつひとつの表現までもそのキャラクターや作品に合わせる徹底ぶりがユーザーを楽しませています。遊び心溢れるシステムアップデートもユーザーを飽きさせることはありません。オリジナリティ満載のアイデアで、ダウンロード数を着々と伸ばしています。

寺岡呼人×横山剣が語る「クルマと音楽」――横浜の産業道路を走ると思い出す「SUMMERBREEZE」

 

ドライブ中、ふと昔なじみの道を通ることがあります。そんなとき、当時聴いていた曲が無意識に頭の中で再生されることってないですか? バイトへ行くときやドライブデートのときにヘビーローテしていた曲が、「そういえばここで聴いていたなぁ」と思い出とともに蘇ること、ありますよね。

 

シンガーソングライター兼音楽プロデューサーの寺岡呼人さんがナビゲートする「クルマと音楽」、今回はクレイジーケンバンドを率いる横山剣さんをお迎えしました。誰しもが各々に抱いている特別な思い出の曲――横山剣さんの場合は「SUMMERBREEZE」、それもアイズレー・ブラザーズがカバーしたバージョンとのことです。いまでもクルマで横浜の産業道路を走ると思い出すそうですが、いったいどんな思い出があったのでしょう。

 

【横山剣】

クレイジーケンバンドのリーダー、そしてダブルジョイレコーズの代表取締役も務める。中学時代からバンド活動に勤しみ、1981年にクールスのローディーからメンバーへと抜擢。1983年に脱退してからは数多くのバンドを経て、1997年にクレイジーケンバンドを結成。また数多のアーティストに楽曲を提供している、作曲家・プロデューサーとしての姿もみせる。

クレイジーケンバンド オフィシャルサイト:http://www.crazykenband.com/

 

「GOING TO A GO-GO」 

クレイジーケンバンド

2018年8月1日発売

クレイジーケンバンドのデビュー20周年を記念した約3年ぶりのニューアルバムがリリース決定! アルバムのテーマは「支離滅裂」。「だって作曲中毒の僕が3年もオリジナル・アルバム出すの我慢してたんだから!」と横山剣さんが語るように、ソウル、ファンク、ジャ ズ、ボッサ、レゲエ、ガレーヂ、和モノ、亜モノ、モンド、あらゆる音楽が爆発しています!

 

【寺岡呼人】

シンガーソングライター兼音楽プロデューサー。1988年、JUN SKY WALKER(S)に加入。1993年にソロデビューし、1997年にはゆずのプロデュースを手がけるようになる。ライブイベントGoldenCircleを主催し、FMCOCOLOの番組「CIRCLEOFMUSIC」で、さまざまな音楽とアーティストをナビゲートしている。筋金入りのオーディオマニアであり、カーマニアでもある。

寺岡呼人オフィシャルサイト:http://www.yohito.com/

 

家からスタジオまで、クルマで移動し始めた瞬間からトップギア!

寺岡 今日のテーマはクルマと音楽なんですけど、まずは音楽のお話から聞かせてください。僕は1988年にデビューして、今年30周年になったんですが、剣さんは1981年でしたっけ。

 

横山 そうです20歳の時です。

 

寺岡 僕も20歳でした、一緒なんですね! クレイジーケンバンドは昨年で20周年を迎えられたそうですが、実際のプロミュージシャン活動としては。

 

横山 37年なりますね。

 

寺岡 先日の渋谷クラブクアトロで行われた「PUNCH!PUNCH!PUNCH!」を見てから、クレイジーケンバンドのファーストアルバム「PUNCH!PUNCH!PUNCH!」を改めて聴いたら、僕がいうのもあれなんですけどその進化っぷりがすごいなぁと思いまして。現在は、どのように曲を作られているのか不思議なんです。

 

横山 まずはデモテープ作りですね。自宅には録音設備がないので、スタジオで全部作業しています。スタジオまで、クルマで移動している間にアイデアが出てきたりするものでして。

 

寺岡 その前までは真っ白なんですか?

 

横山 真っ白です。頭のなかに、おぼろげなメロディがあったりはするんですけど。

 

クルマに乗り、スタジオに移動する時間からトップギアに入れるという横山さん。その間に脳内で煮詰めた最新のフレーズを持って、スタジオという現場に乗り込むのですね。

 

寺岡 クレイジーケンバンドのサイクルとしては、夏のツアーがあって、その前にレコーディングがあると思うのですが、その間の製作期間って、僕の想像だとかなり短いのではないかと。

 

横山 2月くらいからスタジオに入ってますね。とはいっても、ずっとスタジオに入れるわけではないんですが。

 

寺岡 曲そのものは、どのような作り方をしていますか?

 

横山 歌メロよりも先にベースラインから思いついてしまうことも多いですね。ベースラインから考えてそれにコードをつけていきます。それをメンバーに聴いてもらって直したりとか。

 

寺岡 じゃあ最初は剣さんお一人で!

 

横山 はい。鍵盤でなんですけど、それでベースを弾いています。で、僕が好きなタイプのベーシストの感じで「弾いてくれる?」とシンヤくん(クレイジーケンバンドのベーシスト洞口信也さん)に頼んだりして。ドラムはドラムループの音源を使ったりするんですが、何もないときは自分で叩いていますね。最後までは叩けないので、それでループを作ったりしています。

 

寺岡 そうやってイメージを固めていくのですね。

 

 

「みんなのうた」の「山鳩ワルツ」は構想50年!

寺岡 もっと不思議なのは歌詞なんですよね。何でこのトラックでこの歌詞なんだろうと思うことがあって(笑)。剣さんの頭の中はどうなっているのかと不思議で不思議で仕方がないんです。いま、かっこいいトラックって高校生でも作れるかもしれないけど、プロというか、音楽で個性を出すって最終的には歌詞かなと思うんです。「山鳩ワルツ」とかすごいじゃないですか。なんで山鳩が出てくるんだろうと。

 

横山 あれはですね、構想50年以上の曲なんですよ。

 

寺岡 本当ですか! 歌詞の通り、本当に親戚のおじさんとの思い出からですか!

 

横山 本当です。山鳩の鳴き声って、「クークー、ポーポー、」と三拍子で鳴っているという思い込みがずっとありまして。これは何だろうなと気になりながらツチャッチャチャー、ツチャッチャチャーとTAKE5っぽいリズムが思い浮かんだりして。「山鳩ワルツ」はNHKの「みんなのうた」が決まったときになにか良い題材がないかと考えて、そうだ山鳩だ! と。それまでタイトルと「クークー、ポーポー、」だけはずっとあったんだけど、そこから先に進んだことはなかった。今回初めてそこから進んだんですよね。だから構想50年以上です(笑)

 

情緒たっぷりの歌詞にジャジーなワルツが魅力の「山鳩ワルツ」に、そんなバックグラウンドがあっただなんて、びっくりですね。

 

横山 あと、踏切が開くのを待っているときに退屈だったから、「カーンカーンカーンカーン」の音に合わせてリズムを作ったりして、いつか曲にしようとか。電車の「ガタンゴトン」から曲にしてやろうとか。

 

寺岡 じゃあ「そうるとれいん」も、そういう鉄道のイメージがあったんですね。

 

横山 今回の「GOING TO A GO-GO」もそうです。生活音や擬音か何かから生まれたメロディやリズムが入っています。

 

クレイジーケンバンド20周年を象徴する「MIDNIGHT BLACK CADILLAC」

寺岡 「GOING TO A GO-GO」といえば過去アルバムで一度はボツになったという「MIDNIGHT BLACK CADILLAC」が入っていましたよね。あれも当時のデモテープみたいのがストックしてあったんですか。それとも頭の中にあったのでしょうか。

 

横山 あれは、当時「PUNCH!PUNCH!PUNCH!」のアルバムのためにレコーディングをしていたんですよ。だからドラム、ベースギター、ボーカルは、20年以上前の当時のまんまの音です。

 

寺岡 あ、だから声がお若い! なるほど!

 

横山 デッドストックです。そのサウンドにいまの音をトッピングして、20年かかって完成した曲なんですよ。

 

寺岡 じゃあ当時のマルチトラックのマスターがあって、それをコンバートしたんですね。でも、もう機器がないですよね。

 

当時、ヨンパチこと48トラックの録音ができるPCM-3348でレコーディングをしていた横山さん。このマルチレコーダーは現在メンテナンスサービスが終了しており、実働状態のものが少なくなってきているそうです。

 

横山 ダメ元でやってみたんだけどちゃんと再生できて、「よしっ!」って感じでしたね。クレイジーケンバンドにはその当時サックス一本しかなかったんです。でも「MIDNIGHT BLACK CADILLAC」はホーンセクションがないとダメだよなと思ってて。いやあ、あの時出さなくてよかった、いまこの編成でこそやってよかったですね。

 

寺岡 全部やり直そうとは思わなかった?

 

横山 やっぱり20周年を記念するアルバムなので、それを象徴するようなものってないのかなと考えたんですよ。ゼロから作るよりもその当時のデッドストックから仕上げるというのも一つの手だなと。

 

寺岡 あと今回は全体の音が柔らかくも研ぎ澄まされてる感じがしました。すごく音が良くて抜けていて、「ここに来てこういう音を出すんですか!」と落ち込むぐらいでした。

 

横山 結構好みの音ですね。ちょっとやりすぎちゃったかなという気もするけど。マスタリングはBernieGrundman Mastering Tokyoの前田さんにお願いしています。デジタルすぎると角が立って音が痛いと思ったから、アナログの機材でマスタリングするところじゃないとダメだと考えまして。

 

寺岡 そうなんです。アナログで録ったみたいな音ですよね。ある意味、剣さんがやってこられたことの集大成的なすごく良い音で本当によかったです。ところで、クレイジーケンバンドのライブって何度見てもまったく飽きないというのが不思議なんですよね。例えば同じオチがありますけど、あれもどっかで待っている感じがあるし。

 

横山 チャックベリーのダックウォークとかJBのマントショーとか。わかっているのに待っているところがありますよね。

 

寺岡 そういうときにクレイジーケンバンドのような大編成だからこそいい意味での「ドリフ感」があるというか、何回か見ると年齢を問わず病みつきになっちゃう要素がありますよね。

 

 

小学生時代は一人で東京モーターショー見学に行っていたほどのカーマニア

寺岡 クレイジーケンバンドにはクルマの曲も多いし、ファンの人たちにとってクルマと剣さんって切っても切れない関係だと思うんですけど、そもそもクルマに興味を持ったきっかけは何だったんですか?

 

横山 5歳のとき、幼稚園の同級生のお父さんがベレット1600GTに乗っていたんです。その子の家に遊びに行くとお父さんとクルマ話をするわけですよ。「これツインキャブですか」とか言うとエンジンかけてくれたり、「かっこいい!」と言うとその友だちをほっておいてクルマに乗せてくれたりして。同様に、友だちのお父さんが乗っている日野コンテッサとかプリンススカイライン54Bとか、そういったクルマに興味を持っていましたね。

そして6歳のとき、父親に「より特化したものを見せてやる」と言われて、三船敏郎さんが出てる「グラン・プリ」という映画を観に連れて行ってもらったんですよ。これはF1をテーマにした作品なんですけど、ここからモータースポーツに入りましたね。

 

「路面電車」「ベレット1600GT-CKB仕様」「アメ車と夜と本牧と」などなど、クルマがモチーフとなった曲が多いクレイジーケンバンド。横山さんご自身もクルマが好きだとは聞いていましたが、まさか5歳のときからハマっていたとは!

 

寺岡 日本だと18歳からしかクルマの免許は取れないじゃないですか。5歳からの18歳までの13年間はどうだったんでしょう。

 

横山 晴海の見本市会場でやっていた東京モーターショーに行っていました。友だちにもカーマニアはいたけど、一緒に行くと集中できないので一人で行ってました。

 

寺岡 小学生で! 会場には当時の新車が並んでいたんですか?

 

横山 あとコンセプトカーですね。東京モーターショーにコンセプトカーが出ると、翌年にその市販版が発売されるという時代でした。確か1970年のモーターショーでセリカとカリーナがデビューしたんですが、もうほんとにセンセーショナルでしたね。

 

気がつかずに買ってしまったアメ車は7500cc!

寺岡 ご自分で一番最初に乗ったクルマは?

 

横山 18歳のときに買ったサニー1200GXです。ただそれはレース用なので公道は走れなかったんですよ。あとオールズモビルのカトラスも買いました。これ7500ccでした。

 

寺岡 ななせんごひゃくしーしー!

 

横山 35万円くらいで売っていて、「これは俺、買える!」と思って買ったんですが、まさかそんなに排気量があるとは知らなくて、車検証を見て「え!? 7500cc!?」と。知らないで買っちゃったんですよ。そして1年経つと13万円弱の自動車税が(笑)

 

寺岡 だから人気がなく安かったのか…。ではその2台から始まってたくさん乗り換えてきたんですよね。

 

そうして教えていただいたクルマ遍歴のすごいこと、すごいこと。スカイライン2000GT、アルファロメオ1750GT、ベレットGTは3種類乗り継いだし、オールズモビルのカトラスも多数乗り換えてきています。

 

横山 急に気分が変わってアコードのエアロデッキとか、ワーゲンのタイプ3をフラット4に改造してもらってすごく速くしたり。

 

寺岡 目黒通り沿いのワーゲン専門店ですよね。

 

横山 そうです。「これちょっと速くしてほしいんですけど」って(笑)

 

寺岡 じゃあクルマの乗り換えは、10年とか3年毎といった周期的ではなかったと。

 

横山 もう次から次へでしたね。

 

寺岡 「MIDNIGHT BLACK CADILLAC」には、曲名にキャデラックの名前が使われていますけど、キャデラックも乗っていたんですか。

 

横山 最初に乗ったのはフリートウッドブロアムです。ローライダーにしようと思って買ったんですけど、フルノーマル状態で見たらこれはカスタムしたらもったいなと思いましたね。その次はコンコース。その次はCTS。いわゆる現代車ですね。今月にATS-Vという小さめのクルマが来ます。

 

 

ヨコハマの女子ウケがよかった曲はアイズレー・ブラザーズの「SUMMERBREEZE」

寺岡 クレイジーケンバンドの「中古車」という曲の、「カーステレオのなかに得体の知れないカセットテープが入っていた」っていう歌詞が面白いですよね。

 

日本の自動車メーカーの名前を羅列していますが、曲調はエスニックな雰囲気が濃厚の「中古車」。前のオーナーが残していったテープを聴いたら、得体が知れないけど懐かしくも美しいビートが流れる…という歌詞なのです。

 

横山 当時の横浜の港は、パキスタン人の車業者が多かったんですよ。その人たちはパキスタンの音楽が入ったカセットテープを聴いていたのですが、あるときその業者が扱う中古車を試乗したら、パキスタンの音楽が流れ出したんです。カセットテープを抜き忘れてていたと。で、「なんだこの曲は!」と、業者の方にカセットテープを譲ってもらいまして。

 

寺岡 ではあの歌も実話なんですね。クルマで聴く音楽って、最初はカセットテープだったと思うんですけど、こだわりの選曲をした思い出ってありますか。

 

横山 ありましたね。特にデートのときは気合い入れましたね。でもカセットテープはCDと違って、そのタイミングでその曲が来てくれるか、わからないじゃないですか。だから夕暮れ時にムーディな曲をかけたいと思って、気づかれないように巻き戻したりするんだけど、女の子はお喋りに夢中で、そのシチュエーションになっても曲に気づいてくれなかったりとか(笑)。いまでもデートコースだった場所を通ると、頭の中で鳴るんですよね、昔聞いた曲が。

 

寺岡 ありますあります!

 

横山 当時は毎年夏になると本牧市民プールにラジカセのでかいのを持って行ってたんです。そのときかけていた曲のなかでも、特に女の子が反応する曲があったんですよ。それがアイズレー・ブラザーズの「SUMMERBREEZE」。これかけてると結構釣れるといいますか(笑)

 

寺岡 じゃあ「タオル」の歌詞はまさに!

 

横山 その思い出を曲にしました。いまだに産業道路をクルマで走っていて、本牧市民プールの看板をみると、「サマーブリーズ~」と鳴るんですよ。

 

寺岡 そういう音楽との出会い方っていうのもいいですよね。音楽との接し方が変わってきている現在ですが、色々な音楽の聴き方をしてほしいなと思いますね。

 

ちょい聴きだったらオンラインサービス。本気で欲しくなったらパッケージ

寺岡 ところでクルマの中ではどのように音楽を慣らしていますか?

 

横山 いまのクルマにはCDプレーヤーがないので、iPodからBluetoothで飛ばして聴いています。でもCDの方が音がいいので、次に来るキャデラックにはCDプレーヤーをつけましたね。

 

寺岡 お、iPodですか。

 

横山 電話がガラケーなんで、音楽はiPodに任せてます。

 

寺岡 ご自宅で聴くときはどうでしょう。

 

横山 自宅はCDとアナログと、パソコンに保存した曲を聴くことが多いのですが…ボリューム上げるとうるさいと言われてしまう(笑)

 

寺岡 よくわかります(笑)。ところで、いわゆる音楽配信サービスについてはどう捉えていますか?

 

横山 娘はそれで聴いてます。僕はやり方が分からないので娘に教えてもらって。ちょい聴きしたいものにはいいですよね。その曲が気に入れば、CDやアナログのパッケージが欲しくなってきます。

 

寺岡 ほどよく利用しているわけですね!

 

横山 そういうことになります(笑)

 

↑実は音楽ストリーミングサービス大好きという寺岡さんは、愛車に装着したパイオニア・サイバーナビの「ミュージッククルーズチャンネル」をよく聴いています。音質もハイクオリティなサイバーナビだから、作成中の音源チェックを車内で行うこともしばしば

 

撮影/横山勝彦

 

避けられる? 予防できる? 渋滞との賢い付き合い方

「行楽シーズンは渋滞する」と分かっているはずなのに、渋滞にハマるとやっぱりイライラ……。そんな状況を打破する方法をお教えします。渋滞は、走り方次第で予防できたり、コツさえつかめば避けられるものです。渋滞予測が出ている日のお出かけ時に、ぜひ思い出してみてください。

 

■「高速道路の走行車線利用」で渋滞が予防できる!?

多くは追越車線から混みはじめるという。追越車線はその名のとおり、走行車線にいる遅いクルマを追い越すために使う。なので道路が混んできて前のクルマのスピードが落ちてくると、多くのドライバーは反射的に追越車線に移る。よってここに車両が集中し、こちらから渋滞が始まるそうだ。

 

前の車のスピードが落ちてきたときに反射的に追越車線に車線変更する人が増え、ここに車が集中することで渋滞がはじまるという仕組み。「渋滞予防のため走行車線をご利用ください」というメッセージを出している区間もあるのだそうです。

 

もっと詳しく知りたい方はコチラ>>なぜ「高速道路の走行車線利用」が渋滞予防につながるのか?

 

■そもそもなぜ渋滞するのか? 賢い付き合い方は?

なぜ渋滞するのか。これについてはテレビなどでも取り上げられるのでご存知の人もいるかもしれないが、クルマが多い、車線が減る、料金所があるなどの物理的な理由以上に、感覚的な理由もある。

よく使われるのが「サグ」という言葉。英語で書くとsagで、辞書を引くと「たるむ」「たわむ」「ゆがむ」「落ち込む」など、ネガな言葉ばかり出てきて、自分の肉体や精神まで気になってしまうけれど、道路関連でこの言葉を使うときは、下り坂から上り坂に切り替わる場所になる。

 

時間あたりの通過台数が減る、渋滞を敬遠して高速道路に乗らない人も出てくるなどの懸念から、高速道路会社にとっても渋滞はマイナスなのでさまざまな策が講じられていることは事実。それでも避けられない渋滞と賢く付き合うコツとは?

もっと詳しく知りたい方はコチラ>>連休前に知っておきたい! 高速道路が渋滞する理由と、渋滞との賢い付き合い方

 

■渋滞を避けることは可能なのか?

高速道路の場合、交通が集中すれば渋滞する場所は決まっているし、曜日と時間帯である程度は予測できる。また、GWにはサンデードライバーが大挙して高速道路に乗り出して来るので、事故による渋滞も覚悟しておいた方がいい。

 

ちなみに、NEXCOの渋滞予測はかなりおおざっぱである。たとえば「御殿場ICと厚木ICの間で、午前9~午後3時の間に5km以上の渋滞が予測される」という予測は、あまり参考にならない。渋滞予測を参考にするなら、距離は15~20km以上をチェックすべし。

 

高速道路も一般道もくまなく渋滞予測をチェックし、ときには小道にもトライしてみる価値があるという著者。それでも渋滞を避けられないなら、せめて渋滞によるドライバーのストレスを減らすのが賢明だとアドバイスしています。

もっと詳しく知りたい方はコチラ>>ゴールデンウィークの大渋滞を避けるコツ、乗り切るコツ

 

【著者プロフィール】

citrus 編集部

citrus(シトラス)は各界の専門家が監修する「SNS配信型ウェブメディア」。「カジュアルに知性をアップデート」をコンセプトに、単なる一次ニュースではない、専門家ならでは視点・解釈をプラスした有益で信頼感のある情報をお届けします

【中年名車図鑑|日産FIGARO(フィガロ)】いまや「右京の愛車」!? 20年以上愛される“最速パイクカー”

Be-1やPAO、S-Cargoと、いずれも成功裡に終えた日産自動車のパイクカー戦略。この余勢を駆って、同社は新しいパイクカーを1989年開催の東京モーターショーで発表した――。今回はパイクカー・シリーズで唯一のクーペ&オープンボディで、かつターボエンジンを搭載した「FIGARO(フィガロ)」の話で一席。

【Vol.78 日産FIGARO(フィガロ)】

1987年に発売したBe-1、1989年に発売したPAO(パオ)およびS-Cargo(エスカルゴ)というパイクカー・シリーズをヒット作に昇華させた日産自動車は、市場の要望に即して4作目となる新パイクカーを鋭意企画していく。商品テーマは“満足の新しいカタチ”の創出。既存の枠にとらわれない車両デザインを心がけながら、これからのライフスタイルにふさわしいクルマの具現化を目指した。

 

■パイクカー・シリーズの4作目はクーペボディで企画

使用するプラットフォームはBe-1やPAOと同じくK10型マーチをベースとする。ただし、そのスタイリングは従来と路線を大きく変えた。基本フォルムは2ドアクーペデザインで構成し、そのうえでルーフとリアウィンドウが一体で開いて後部の格納トランクに収納されるユニークなオープントップ機構を組み込む。オープン時に残るのはサイド部分やフロントのウィンドシールドのみで、横方向からのプライバシーを守りながら気軽にオープン走行が楽しめるようにアレンジした。また、リアウィンドウには視認性と耐久性を考慮して熱線入りガラスを採用。さらに、リアセクション下部にはトランクルームも用意する。ルックス自体はレトロ調を基本としながら都会の風景にお洒落になじむ造形に仕立て、同時にフロントエプロンやフェンダーの部材に熱可塑性樹脂パネルを、外板にスーパーファインコーティング(フッ素樹脂塗装)を導入した。

ルーフとリアウィンドウが一体で開いて後部の格納トランクに収納される

 

内包するインテリアは、前席重視(乗車定員は4名)のパーソナルな空間にふさわしい心地よいデザインと装備・素材で構成する。インパネは穏やかな曲線を基調として優美さを表現。丸形のメーターや上品な装飾を加えたステアリング、随所に配したメッキパーツ、専用の本革シートなどもアクセサリーを付けたときのようなテイストを醸し出した。また、内装色には明るいカラーリングを採用。インパネやピラートリム類には柔らかい質感のソフトフィール塗装材を施した。

乗車定員は4名だが、メインは前席。心地よいデザインと装備に囲まれたパーソナルな空間が広がる

 

搭載エンジンにはパイクカー初の過給器付きユニット、MA10ET型987cc直列4気筒OHCターボ(76ps/10.8kg・m)を採用する。組み合わせるトランスミッションは3速ATのみの設定で、駆動方式はFF。懸架機構には専用セッティングの前マクファーソンストラット/後4リンクを導入し、シューズには165/70R12タイヤ+専用デザインホイールを、制動機構には前ベンチレーテッドディスク/後リーディングトレーリングを装備した。

 

■限定2万台、3回に分けた抽選で販売

4作目のパイクカーは、まず1989年開催の第28回東京モーターショーに参考出品され、1991年2月に市販に移される。車名はモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』に登場する、機知に富んだ主人公の名前にちなんで「FIGARO(フィガロ)」と名乗った。型式はFK10で、ボディサイズは全長3740×全幅1630×全高1365mm/ホイールベース2300mmに設定。車体色はすべてツートンカラーで仕立て、上部をホワイト、下部をエメラルド/ペールアクア/ラピスグレイ/トパーズミストという4タイプで彩った。車両価格は187万円とし、生産台数は限定2万台。同年8月末まで3回に分けて抽選するという販売方法をとったため、Be-1のような大きな混乱は起こらなかった。また、製造については従来に引き続き高田工業が専用ラインで行った。

 

“東京ヌーベルバーグ”のキャッチを冠して発売されたフィガロは、従来とはちょっと異なる宣伝手法を展開した。同キャッチをコンセプトに据えながらフィガロをフィーチャーした3部作の短編映画『フィガロストーリー』を製作し、1991年4月から全国主要都市の映画館で上映したのだ。監督・脚本を務めたのは、アレハンドロ・アグレスティ、林海象、クレール・ドニという気鋭の人物のたち。バブル景気の最終盤ならではの、豪華なプロモーション活動だった。

フィガロをフィーチャーした3部作の短編映画『フィガロストーリー』が全国主要都市の映画館で上映された

 

■歴代パイクカーの中で最速の呼び声高し!?

市場に放たれたフィガロは、その個性的なスタイリングのほかに歴代パイクカーのなかで唯一、走りでも注目を集める。ターボエンジンによる俊足ぶりが、Be-1やパオとは一線を画していたのだ。また、2車に比べてやや固めの足回りや低い車高なども、印象が異なる要因となった。これでMTモデルの設定があれば、小型スポーティクーペの仲間入りを果たしたかも――とは当時のクルマ好きの評である。

 

2年近い歳月をかけて当初予定の生産台数をクリアしたフィガロは、Be-1やパオと同様、中古車市場でも高い人気を維持し続ける。一部は英国などにも流出し、オーナーズクラブができるほどの熱い支持を獲得した。また、人気TVドラマの『相棒』のシーズン11以降では水谷豊さん演じる杉下右京の愛車として、ボディカラーを黒く塗り替えたフィガロが登場。ネットなどではデビュー当時を知らない視聴者から「あのクルマの名前は?」という質問が、知っている人からは「いい意味で変人の右京っぽいクルマ選びだなぁ」といった感想が書かれる。発売から20年以上が経過しても人々の琴線に触れ、話題を提供するクルマ――それがフィガロ、延いてはパイクカーの身上なのだ。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

サッカー日本代表・吉田麻也選手がランドローバーの新アンバサダーに就任!! その理由は?

日本が2大会ぶりにベスト16に進んだサッカーワールドカップ。その興奮の余韻が残るなか、東京・銀座の「JAGUAR LAND ROVER STUDIO」に日本代表のセンターバック、吉田麻也選手が現れた。ランドローバーの新アンバサダー就任式典に出席するための登場だ。サッカー解説者の北澤 豪氏とのトークセッションも行われ、ワールドカップの裏話なども含め、式典は大いに盛り上がった。

↑ランドローバーの新ブランド・アンバサダーに就任したプロサッカー選手の吉田麻也氏。右は2018年に入って新たにラインナップされた「ヴェラール」

 

↑ランドローバーの歴代アンバサダーに加わり、パネルにサインをした吉田選手

 

イギリスと日本の架け橋に

式典の冒頭、ジャガー・ランドローバー・ジャパンのマグナス・ハンソン社長が登壇し、吉田選手をアンバサダーに起用した背景について説明した。

 

「吉田選手はイギリスのプレミアムリーグで7年目となり、日本人として初めて100試合以上のゲームに出場している。ランドローバーと同じように、イギリスと日本の架け橋になるべく就任していただいた。吉田選手は際限なく完璧を目指して頑張っており、それは“Above & Beyond”というランドローバーのフィロソフィーと同じ。ランドローバーに乗ってもらうことで、吉田選手が次なるチャレンジに邁進する助けができると思っている」(マグナス・ハンソン社長)

 

その後、ハンソン社長が吉田選手を招き入れると、「Welcome to Land Rover Family!」と吉田選手に声をかけながらランドローバーのビッグキーを手渡した。今後、吉田選手は「ランドローバー」のクルマに乗りながら、アンバサダーとしてランドローバーの魅力を発信していくことになる。

↑吉田選手を笑顔で迎え入れるジャガー・ランドローバー・ジャパン 代表取締役社長のマグナス・ハンソン社長(右)

 

あの激闘の裏側を語る

続いて、サッカー解説者の北澤 豪氏のMCによるトークセッションが開かれた。ワールドカップから間もないとあって、取材陣はあの激闘の裏側に興味津々。吉田選手にワールドカップを戦った感想を北澤氏が根掘り葉掘り聞いた。

↑就任会見では北澤 豪氏(左)と吉田選手によるトークショーが開かれた

 

北澤氏:ワールドカップを終えて、いまの感想はでどうですか?

吉田選手:最低限の目標だった予選突破ができたという安心感はちょっとありますが、個人的な目標は“次のところ”(ベスト8)だったので、正直、悔しさのほうが大きいですね。成田空港で多くの方から祝福されたのは驚きましたが、自分にとっては大きなギャップがありました。多くの方から「ありがとう」「おめでとう」と言ってもらえたのはもちろんうれしいですが。でも、選手は何が必要なのかを考えながら次のワールドカップまでの4年間を突き進んでいきたいと思ってます。

 

帰国した日、最初に行ったのは選手とスタッフを交えての焼肉パーティ。そこでは大いに飲んで笑って涙も分かち合ったという。

 

吉田選手:強化試合のパラグアイ戦のあとぐらいからチームの状態はよくなってきました。監督が替わってゴタゴタしているなかで、試合がうまくいっていない。これはやるしかないと追い込まれた状態になって覚悟ができたんだと思います。何より、ワールドカップでのコロンビア戦で勝てたのが大きかったですね。日本の皆さんの期待値も変わったでしょうし、僕らも勢いに乗るきっかけになりました。

 

北澤氏:ベルギー戦で2-0になったときに「いけるぞ」って感じはあったのでしょうか?

吉田選手:そう思ってしまったのがよくなかったんじゃないかなと思っています。2-0のままでOKという感覚になった瞬間、裏でボールをもらう回数が減り、セーフティな選択をするようになって相手が前に出てくるきっかけを作ってしまった。横パスなんかのミスからシュートまでいかれるシーンも出てきましたからね。本来ならDFは集中すべきなのに(これで)バタついてしまった。アンラッキーなところから失点し、そこから修正できなかったというのはやはり経験値が足りないんだなと思いました。

 

北澤氏:逆にヤバイと思ったのはいつ頃なのでしょうか?

吉田選手:フェライニ選手が入ってきたところですかね。フェライニ選手とシャドリ選手が入ってきたところから相手のリズムをなかなかこっちのリズムに持っていけなくなって。センタリングを上げられたとき、ルカク選手をマークしていてフェライニ選手がフリーになっているのが一瞬見えたんですが、そこをカバーに行けなかったし、コーナーキックをキャッチされてGKをブロックできなかった。これもサッカーですし、ここから学んでレンジローバーと同じように走り続けていかなくてはいけないと思います。

↑アンバサダーとして早くもランドローバーの魅力について語る吉田選手

 

サッカーの話から無理やりレンジローバーに結び付ける発言には北澤氏も思わず苦笑。吉田選手は早くもアンバサダーとしての自覚を持っているようだ。ただ、吉田選手は以前からランドローバーに対して憧れを強くしていたという。

 

北澤氏:ランドローバーの新ブランド・アンバサダーに就任した気持ちはどうですか?

吉田選手:ランドローバーはずっと憧れのブランドでしたし、イギリスでは国産車ですがみんなが憧れるブランドです。プロに入ったばかりの頃、先輩が乗っているのを見て羨ましく思ってました。そんなブランドにこうしたお話をいただけたのは光栄ですし、うれしく思います。

 

北澤氏:プレミアリーグの選手たちはレンジローバーをどう見ているんでしょうね。

吉田選手:レンジローバー、ランドローバーは家族用に1台は持っていて、特にイギリス人にとってこのブランドへの憧れは強いと思いますね。試合のとき、駐車場を見ると必ず6~7台は駐まっていますからね。

 

北澤氏:ここにあるヴェラールにも乗ったとのことですが、感想はいかがでしたか?

吉田選手:いやー、ホントに乗り心地が良かったです。運転もスムーズでしたし、安定感もあります。後ろもいいですね。

 

北澤氏:お、運転手付き?

吉田選手:あ、この言い方はよくなかったですね(笑)。後ろに子どもを乗せたシチュエーションでも安定して乗れると思いますし、(SUVなんで)奥さんから「荷物が入らない」なんてことも言われなくて済みます。インテリアも品の良さも半端ないです。リビングでソファに座っているような感覚で座れるのは、ある意味部屋みたいなもの。身体が大きいのでレンジローバーのサイズはとてもありがたいですね。

 

長谷部選手や本田選手の代表引退があり、監督も替わって、これから日本代表は新チームになっていく。そのなかで吉田選手はリーダーシップをとって若手を引っ張っていかなければならない存在となる。ここで吉田選手がパネルに記したのは、「Best 8」というシンプルなキーワード。もちろんこれは2022年のワールドカップでの目標であり、吉田選手も「これ以外考えられない」とコメントした。最後に吉田選手からは「今回のワールドカップでの悔しさをバネに、さらに上へと邁進していく」ことが宣言された。

↑次なる目標について「Best8」を掲げた吉田選手

 

なお、JAGUAR LAND ROVER STUDIOでは、吉田選手のランドローバー・アンバサダー就任を記念し、7月26日~8月26日までに吉田選手直筆のサインボールや目標を記したパネルなどが展示される予定となっている。

↑7月26日~8月26日までの期間、JAGUAR LAND ROVER STUDIOでは吉田選手がロシアワールドカップで着用したユニフォームやシューズ、目標を記したパネルなどが展示される

寺岡呼人×ABEDONが語る「クルマと音楽」――バッハとトランス・ミュージックがロングドライブには最高!

 

彼女とのドライブなら、ムーディなトラックを。家族とのドライブなら子どもたちが喜ぶ音楽を。ドライブにマッチする曲は、シチュエーションによって変わります。では一人で長距離を淡々と走るシーンであればどうでしょうか? それも通勤のような、定期的に同じコースを走る場合だと。

 

シンガーソングライター兼音楽プロデューサーの寺岡呼人さんがナビゲートする「クルマと音楽」、今回はユニコーンのキーボーディストとしてだけではなく、音楽業界でマルチに活躍するABEDON(阿部義晴)さんをお迎えしました。プライベートでも親交の深いお二人の対談中、その答えの1つとなりそうなキーワードが出てきましたが、それがびっくり、なんとトランス・ミュージックだというじゃないですか。いったいどのような理由でロングドライブとトランス・ミュージックがマッチするのでしょうか。

 

【ABEDON

1966年7月30日生まれ。山形県出身。A型しし座ペガサス〜遊び心満載の自由人! 2014年に阿部義晴からABEDONに改名し、2009年より再始動した「ユニコーン」と「ABEDON」としてのソロ活動を並行して活動中。作詞・作曲、演奏はもちろんのこと、MIXやマスタリングの幅広い領域まで対応。ユニコーンの「D3P.UC」(2017年リリース)では映像総監督としての新たな分野へも進出した。

1998年に自身のレーベル“abedon the company”を設立し、「氣志團」「グループ魂」「私立恵比寿中学」などさまざまなアーティストへのプロデュース並びに楽曲提供、CMソングやドラマ主題歌、映画音楽を手がける。

ABEDON オフィシャルサイト:https://www.abedon.jp/

 

【寺岡呼人】

シンガーソングライター兼音楽プロデューサー。1988年、JUN SKY WALKER(S)に加入。1993年にソロデビューし、1997年にはゆずのプロデュースを手がけるようになる。ライブイベント Golden Circleを主催し、FM COCOLOの番組「CIRCLE OF MUSIC」で、さまざまな音楽とアーティストをナビゲートしている。筋金入りのオーディオマニアであり、カーマニアでもある。

寺岡呼人オフィシャルサイト:http://www.yohito.com/

 

いろいろなクルマを乗り継いできたABEDONさん

寺岡 ABEDONくんが自分で一番最初に買ったクルマは何だったの?

 

ABEDON クルマを運転できるようになってからは機材の関係でほとんどハイエースに乗ってたかな。自分で買ってというのは…ホンダのプレリュードだね。

 

寺岡 それは中古だったの?

 

ABEDON うん中古。知り合いからほぼタダで譲ってもらったみたいな。でも楽器が載らないので、知り合いのカメラマンからスカイラインのバンを譲ってもらってさ。その後はフィアット500。でもあまりに非力なのでアバルトに乗り換えた。そこからは異常なほどに乗り継いでいったね。

 

 

一時期、寺岡さんはABEDONさんの影響を受けてメルセデス・ベンツのSクラスに乗っていたとのこと。ABEDONさん、スペシャリティカーにライトバン、可愛らしいコンパクトカーにゴツい1台まで、本当にいろんなクルマに乗っていたんですね!

 

 

寺岡 例えば、新車でボルボの240を買ったんだけど、これは結局18万km ぐらい乗ったよ。

 

ABEDON 結構持つねぇ。

 

寺岡 そう考えるとクルマも好きだけど、どっちかっていうと運転するのが好きだったのかも。ABEDONくんはどうだった?

 

ABEDON 若いときはクルマに乗るのも、クルマそのものにも興味を持ってたな。スピード感があるし、サウンドもあるし。バンドをやって入ってきたお金はこういうところで使っていこう、みたいのがあったし。

 

シンプルな4つ打ちだからロングドライブに合うトランス・ミュージック

寺岡 車内での音楽環境はどうだった?

 

ABEDON カーオーディオはMから始まる青く光るレシーバーを入れてたよ。

 

寺岡 マッキントッシュね!  音は良かったの?

 

ABEDON というかカッコ良かった(笑)

 

寺岡 確かにあれは当時一番カッコ良かったな。車内で聴く音楽にこだわりはあった?

 

ABEDON クルマってさ、録音した音をチェックする場所という意識が自分の中にあったのね。スタジオとは違ってどう聴こえるんだろうというのを、クルマの中で確認する感じ。

 

寺岡 あるある。ミックスダウンのバランスを確認するのはクルマの中だよね。

 

ABEDON わざわざスタジオから駐車場まで降りていったりしてね。

 

寺岡 クルマの中で確認してから戻って、もうちょっとベース上げてくださいと言ったりとか。僕らの場合、音楽は家よりもクルマの中で聴く時間の方が長かったからついついやってたね。

 

ABEDON フェラーリに乗り始めるまではずっとやってたね。それまでは音楽がかかってないと嫌だったし。でもああいったスポーツカーだとすぐに調子が悪くなるから、運転中はいつもエンジンの音を聞いてなきゃいけないんだよね。

 

寺岡 それで一巡して、今はまた聴くようになったんだっけ。

 

ABEDON そう。移動時間が長くなっちゃって、さすがにスポーツカーだと疲れるから楽ちんなラグジュアリーなクルマにしたわけだ。そうすると、またね。移動時間のあいだに何を聴くかとなっちゃって。 最近のクルマは最初からわりと上等な音だからカーオーディオはそのままで。あとは何をかけるかってところで悩んでた。そしてたどり着いたのが、トランスなんだよね。

 

寺岡 へえええ!

 

ABEDON 四つ打ちでシンプルな小節を繰り返してるジャンルじゃない。だから長距離でも、長時間聴き続けていても持つのよ。これはいいわと、もうノリノリ。

 

いつも同じコースを長時間走るとなると、時には集中力が途切れがち。でもメロディラインが象徴的ではなく、ループ的なリズム・パターンを持つトランス・ミュージックだからこそ、ドライブ中のBGMにぴったり、と。運転に集中したまま走れるということですか!

 

 

SDカードにクルマの中で聴きたい曲をコピーしておくテクニック

寺岡 いま、クルマの中ではどんな音楽ソースを使っているの?

 

ABEDON それがSDカードなんだよね。

 

寺岡 えー、そうなの! 自分はスマートフォンからBluetoothで飛ばして聴いているんだけど、そうかSDカードか。

 

ABEDON スマートフォンだと電話かかってきたり色々ややこしいことが起きるから、クルマ専用ということにしたSDカードにクルマで聴きたい音楽を入れているんだよね。

 

寺岡 自分のクルマのカーオーディオにもSDカードスロットはあるけど、使ったことはなかったな。そういう風に使うんだね。

 

SDカードをカセットテープやCD-Rなどのように使っている、ということなのですね。これはカーオーディオ環境のライフハックといえるワザかもしれません。

 

ABEDON あれね、結構いいよ。そして曲なんだけど、実は、いまはバッハしか聴かなくなっちゃった(笑)

 

寺岡 トランスからバッハって(笑)。なんでバッハなの?

 

ABEDON 余計な情報がないというか。キース・ジャレットが好きなんだけど、彼が演奏しているバッハのインヴェンションにはすべての基礎が詰まっていてね。それをずーっと聴いてる。ハイブリッドのクルマにしたからというのもあるかな。 ハイブリッドって静かなんだよね。だから車内でクラシックも聴けちゃう。

寺岡 フェラーリだとバッハは聴けないよね。

 

ABEDON 全然聴けないね(笑)

 

寺岡 バンドを始める前はクラシックをやってたの?

 

ABEDON やってた。

 

寺岡 じゃあ先祖返りってわけじゃないけど、原点に戻ってきたのかな。

 

ABEDON そうなのかな。さらにいうと、普段聴く音楽はレゲエしかないんだよ。ポップスなりロックなりを聴くと、仕事モードになっちゃう。資料でもらったCDとかも、考えながら聴いちゃうし。

 

寺岡 そういう耳で聴いちゃうのってあるよね。

 

ABEDON クラシックだとそれがないんだよね。 仕事と関係ないから頭が切り替わって純粋に音楽を楽しめるし。レゲエも自分でやりたいとは思わないジャンルだから(笑)

 

寺岡 なるほど、BGMで聴けちゃうってことか。

 

またベッドルームではブライアン・イーノの曲を聴くことが多いそうです。曰く、「音楽を聴きたいわけじゃないけど音がないと嫌」というときに、彼のゆったりとしたアンビエント・ミュージックがマッチするということなのでしょう。

 

寺岡 家で聴くときのオーディオ機器はどんなのを使っているの?

 

ABEDON BOSE M3っていう小さいスピーカーのプロトタイプにPCをつなげているね。なぜかというとうちのスタジオにも同じスピーカーがあってさ。

 

寺岡 ABEDON君のお家に2、3度お邪魔したことがあって。そのときはスタジオができる前だったから、地下に小さいスタジオを作ってたよね。今もそこで作業はしているのかな。

 

ABEDON いや、完全にスタジオの方に移行してる。地下はもう使ってないね。

 

寺岡 じゃあアイデアが浮かんできたときとかは、スタジオに通うんだ。絶対そっちの方がいいよね。前に誰かのインタビューで読んだんだけど、家にスタジオがあるとパジャマのままでやっちゃうと。生活と地続きだから仕事モードになかなか切り替わらない。だから10mでも20mでもいいから自宅からは離れたほうがいいと書いてて。

 

ABEDON 家だと風呂にも入っちゃうし(笑)

 

 

マスタリングも自分でやるしかない!

寺岡 最近マスタリングエンジニアをやってると聞いたんだけど、そのきっかけはなんだったの?

 

ABEDON 自分のソロアルバムのマスタリングを、ニューヨークのテッド・ジェンセン(STERLING SOUND)にお願いすることになったのね。そのとき、インターネット経由で戻ってきた音の感じがあまりにも衝撃的で。音を録ったのは自分のスタジオだけど洋楽に聴こえてね。これはなんかアプローチが違うんだなと思ったの。日本のマスタリング事情を話してしまうと、エンジニアが高年齢化していて普遍的な音になることが多く、なかなかクリエイティブな感じにならないところがあるし。

 

俺はこれだけ長く作曲も作詞もやっているし、アレンジもレコーディングもやってるし、やることがなくなってきてるわけ。もう残すところはマスタリングしかない! となってね。

 

寺岡 普通はそうはならないよね(笑)

 

マスタリングとはCDや配信用の音楽ファイルを作る際の、最終的な音質・音量のバランスをとる作業のことです。様々なトーンの曲が入っているアルバムでも、優れたマスタリングを行うと一貫性のある作品に仕上がります。この分野においてテッド・ジェンセンは巨匠といわれる存在で、日本のアーティストのアルバムも数多く手がけています。

 

寺岡 実際はどんな環境でやっているの? 特別なシステムみたいのを使ってるの?

 

ABEDON ニューヨークに行ったときにテッドが色々教えてくれたの。で、彼が使ってるのと同じシステムを買っちゃった。

 

寺岡 マジで!

 

ABEDON ジミー・ペイジに憧れたらレスポールを持ちましょうというのと同じで、同じ機材、同じルーティンにしてしまえば、 違いは自分の実力しかないじゃない。そこから研究が始まるわけ。

 

寺岡 ハードは全部そろえたの? STERLING SOUNDのスピーカーはB&Wだったよね。

 

ABEDON 基本的なものだけかな。だって高っっっかいんだもん! ひとつひとつが! スピーカーだけでもすごく探したよ。 新品だとエイジングされていないのですぐには使えないから中古で探すしかなくてね。でも、見つけてもみんな小さな音でしか鳴らしてないのよ。ガンガン鳴らしてるスピーカーじゃないとスピーカーの音がふっくらしないから。反応が硬いんだよね。だから結局、輸入会社のデモ機みたいなものをつけてもらったのよ。

 

寺岡 自分もSTERLING SOUNDに行ったときに、B&Wってこんなにいい音がするんだと思ったよ。でも日本のオーディオショップで聞いたB&Wはもっとカチカチの音でさ。なんであんな音なんだろうと。これは手を出しちゃいけないなと思っていたんだけど、ABEDONくんは手を出しちゃった派なんだ(笑)

 

ABEDON ユニコーンのベスト、全部のリマスターをそこでやったんだけどすごい勉強になったよ。

 

寺岡 当時出たものと比べてどんな感じだった?

 

ABEDON 直に聴くと、いいところもあるし未熟なところもあるし。

 

寺岡 恥ずかしいところもあるし。そういうの1枚1枚聴きながらマスタリングをすると(笑)。なかなかシビレる作業だね。

 

ABEDON 1枚目2枚目はサウンド的にも楽器的にも未熟だったから音が痛いんだよね。それで1枚やったら耳をやられちゃうから、作業後は1日海で過ごしてさ。海の音は低音から高音までフラットだから、そこで耳を癒して、また次の日にやるとか。

 

寺岡 マスタリングしたものはメンバーに聴かせるわけだよね。

 

ABEDON 全然聴きやしないよ(笑)。でも、ああみえて、民生君はちゃんと聴いてるんだけどね。

 

寺岡 やっぱり。はい任せるみたいな(笑)。しかしベストアルバムをメンバーがマスタリングするというのは、 ABEDONくんだけだと思うだよね。

 

ABEDON ニューヨークのマスタリングエンジニアのアーティスティックなところを見ていると、アプローチがすごく音楽的でそこがすごくいいなと思って。でも俺らは自分たちが鳴らしたのはどんな音だったか、目指した音はどんなんだったかとか、ライブでいいと思ったときの感触をどうやって出すかとか研究していけるから、そこは分があると思ってる。そこを俺は、握らなきゃいけないなと思ったのよ。

 

 

音楽ストリーミングは時代の流れ。問題は知的財産の守り方

寺岡 音楽ストリーミングってあるじゃない。自分は結構利用してる派なんだけど、ABEDONくんはどう?

 

ABEDON ちょっと迷ったけどね。最初は業界全体の流れがNGみたいな雰囲気もあったでしょ。だからハイレゾに行きますみたいな感じだったけど、俺アナログは興味あるけど、ハイレゾには興味がなくて。

 

寺岡 えー、そうなんだ。

 

ABEDON 俺らの子どものころって家にでっかいステレオコンポがあったじゃない。でもいまそういう環境がある家は少ない。聴きたい曲はその場で手に入れたいしヘッドホンで聴くし。だからわざわざハイレゾに行くことには興味がなかったんだよね。ストリーミングに関してはまだ問題はあるだろうけど、この流れは止めることができないし、行くしかないんじゃないかなと。

 

寺岡 昔はクルマに乗ってレンタルCDショップまで行ってCDを借りて、何日か後に返しに行くというのが普通だったけど、今は、なぜわざわざ借りに行かなければいけないんだろうという価値観になってきたよね。

 

ABEDON 人間の順応性はすごいよね(笑)。音楽を発信する媒体が変わってきてるというだけの話で、そこに目くじらを立てる必要はないと思ってる。ただミュージシャンはお金がないと音楽活動ができないので、知的財産をどうやって守るかっていうところが大事だよね。

 

気軽に好きな曲を聴けるし、今まで知らなかった曲もレコメンドしてくれる音楽ストリーミングは便利。という共通の見解を持っているお二人。同時に、好きな曲はパッケージで買いたい、物質として欲しいという声もありました。

 

50代からの展望

寺岡 我々も、もう50歳を超えたわけだけど、この先の10年、野望というか展望というか目標はある?

 

ABEDON 俺ね、10年ごとに節を区切っているのね。20代のときはバンドをやっていて散々色々なものを見てきた。いいこともいろんなこともあったけど、30代は業界に貢献しようと思っていたの。だからプロデュースをやって、氣志團を見つけてヒットさせることに10年を費やしたの。40代は自分の周りのためにも動こうと思ったの。それで、一番すごいのは再結成じゃないかと。自分の周りにいるスタッフ、バンドメンバー、みんながハッピーになると思って、それでもう一回バンドをやり始めたの。

 

さあそれで50代に入りました。40代の目標は、ほぼやり終えた。次は下の子たちを育てなきゃいけないと思ってて。今の音楽ビジネスはミニマムなものが多く、大規模な現場を体験できる機会がないんだよね。

 

寺岡 ミュージシャンだけじゃなくて音楽業界全体の、これからの人たちを育てる…。わかった専門学校の校長だ!

 

ABEDON ああ! そういえば俺ら両親がさ。

 

寺岡 教師だから(笑)

 

ABEDON その血はあるはず! それを呼人くんとかもやってくれたら(笑)。呼人くんは人を引き寄せて引っ張っていく魅力というか力があると思ってるんだけど。

 

寺岡 自分ではまったくそうは思ってないんだけど、結果そういう役回りをやることが多いかも。

 

ABEDON 向いてると思うんだよね。俺は気まぐれだからさ。

 

寺岡 じゃあ俺、理事長で。ABEDONくんが副理事長で(笑)

 

↑愛車ではパイオニア・サイバーナビの「ミュージッククルーズチャンネル」をよく聴いており、音楽ストリーミングサービスも積極的に活用しているという寺岡さん。サイバーナビが対応しているメディア・接続機器はCD、Bluetooth、SDカードなど14種類も。最新モデルはハイエンドホームオーディオ級のパーツや素材がふんだんに使われており、車の中でもハイクオリティな音楽再生が可能で、オーディオに一家言ある寺岡さんも大満足とのこと

 

[ABEDON 公演情報]

ABEDONのソリスト公演「リストなきソリスト」が開催決定! キーボード、ボーカルはもちろん、ギターやベースもマルチにこなすABEDONが、ソリストとしてどのような舞台を繰り広げるのか、ミュージシャンシップと遊び心に満ちあふれたステージにご期待ください。

ABEDONソリスト公演「リストなきソリスト」

2018年7月19日(木) 宮城 仙台retroBackPage

2018年7月25日(水) 東京 Billboard Live TOKYO

2018年7月30日(月) 大阪 Billboard Live OSAKA

✳7/30(月)大阪公演は、ABEDONの誕生日当日、バースデーライブです!

 

ABEDONソリスト追加公演「リストなきソリスト」

2018年7月24日(火) 東京 Billboard Live TOKYO

2018年7月31日(火) 愛知 名古屋ブルーノート

 

詳細はABEDON オフィシャルサイト:https://www.abedon.jp/をご覧ください。

 

憧れの「マイ・ガレージ」を低価格で。モスクワっ子のDIY欲を満たしまくる「時間制ガレージ」が人気

約2人に1人がクルマを所有しているというモスクワ。クルマを所有するということは当然、車検や定期点検などが必要となってきますが、予約を取って順番待ちするディーラーより、自分で点検や簡単な部品交換をしたいという意見や、「自宅にガレージがないけれど自由にいじってみたい」という声が多くあります。そんなニーズから生まれたのが「時間制ガレージ」。現在、モスクワっ子の間で人気が高まっています。

 

人気の時間制ガレージとは?

ロシアの修理屋についての記事でも述べましたが、ロシアには、もともと物が少なかったソビエト連邦時代から「自分のものは自分で直す」という文化が根付いています。ソ連時代の名残で、自分でクルマをいじったり、いまだに自分で点検や修理をする人々が多いのですが、大都市モスクワではアパート住まいが一般的。クルマをいじる場所がないというのが問題です。

 

そんななかで時間制ガレージが需要を伸ばしています。電話やオンラインで予約をすれば、自分だけのガレージを24時間使用することが可能。価格は、店舗によってある程度の差はあるものの、1時間あたり400ルーブル(約800円)ほどです。広々としたガレージと専用の工具が使いたい放題ということで一躍大人気に。

 

時間制ガレージでは、クルマごとにガレージが独立している場合もあれば、1つの大きなスペースに何台か入れるようになっていることもあります。チェーン展開をしている店舗はまだないものの、一つひとつの店舗が工夫を凝らしたサービスを提供。

人気店の1つ「сбой гаражスボイガラーシュ」には、486個もの工具が揃っており、しかも、それらすべてはプロが使用するレベルのもの。自宅での修理にありがちな「修理を始めたはいいが、必要な工具がない」ということもありません。また高い専門的な工具を購入する費用も節約できます。ドライバーに始まり2トン以上を持ち上げられるクレーンまで、なんでも揃うガレージ内。USB充電ポートを増設するのに必要な端子類セットや電工ペンチ、検電テスター、よく使う端子やコネクターなど、細々したものもしっかり揃っています。クルマにバックカメラを装着することも可能。

 

使用者の口コミには、「自分のお粗末な工具より断然作業しやすかった。また、どこかの駐車場でいじるより快適に作業できた」と前向きなコメントが寄せられています。

 

ガレージの使い方は無限大?

また、修理に限らないユニークな使い方を提案している時間制ガレージもあります。例えば、4台同時に入れる大きなスペースを友だち同士で使って、お互いのクルマをいじるという「改造愛好家の遊び場」として利用することができます。

 

さらに、冬はマイナス40度にもなるモスクワでは、放っておくとクルマのバッテリーが凍ってしまうことも多々あります。そんな寒い日や夜中だけ、愛車をガレージに避難させるという「時間制パーキング」サービスもあります。

日本やアメリカにも広がるガレージサービス

日本にもレンタルピットというサービスがあります。クルマユーザーが、クルマの整備やカスタマイズ、ドレスアップに必要なプロの「作業場所」や「設備」、「工具」などを自動車工場からレンタルできるというもの。このサービスでは既存の工場内に場所を借りるということで「自分のガレージ感」がないものの、同じスペースに専門家がいるというのは心強いかもしれません。

 

また、アメリカでは「U DO IT(ユードゥーイット)」というサービスが広く知られています。こちらはロシアと同じくガレージになっているうえ、専門の修理工が常駐。ただし、常駐の修理工はあくまで手助けが必要な時の「ヘルプ」だそうです。

 

場所とお金を節約できる都会の愛車ライフ

ディーラーでの定期点検の相場は約2万ルーブル。時間制ガレージなら、2時間ほどかかるとしても800ルーブル(約1600円)と価格の差は歴然です。また、自分の家で修理するよりも、専門工具が揃っているうえに、終わった後の片付けや掃除の手間が省けるのもとても便利ですよね。

 

安くすませられて、時間の融通もきく時間制ガレージは、忙しいモスクワの人々のライフスタイルに合わせやすくなっていることも人気の理由の一つかもしれません。

762mm幅が残った謎――三重県を走る2つのローカル線を乗り歩く【三岐鉄道北勢線/四日市あすなろう鉄道】

おもしろローカル線の旅~~三岐鉄道北勢線/四日市あすなろう鉄道(三重県)~~

 

今回のおもしろローカル線の旅は、線路の幅について注目してみたい。

 

日本の鉄道の線路幅は次の2タイプが多い。まずは国際的な標準サイズを元にした1435mmで、新幹線や私鉄の一部路線の線路幅がこのサイズだ。JRや私鉄など在来線には1067mmという線路幅が多い。ほかに1372mmという線路幅も、京王電鉄京王線や都営新宿線で使われている。

 

さて、そこで注目したいのが、今回紹介する、三重県を走る三岐(さんぎ)鉄道北勢(ほくせい)線と四日市あすなろう鉄道という2つの路線。この2つの路線は762mmという、ほかと比べるとかなり細い線路幅となっている。

↑三岐鉄道北勢線の線路。踏切を渡る軽自動車を比較してみても、762mmという線路幅の細さがよくわかる

 

↑コンパクトな車両に比べると集電用のパンタグラフがかなり大きく、ちょっとアンバランスに感じてしまう

 

↑三岐鉄道北勢線の車内。細い線路幅に合わせ車内の横幅もせまい。そのためシートに大人同士が座ると、このような状況になる

 

ちなみに762mmという線路幅はナローゲージとも言い、この線路幅の鉄道は軽便鉄道(けいべんてつどう)と呼ばれる。大正末期から昭和初期、全国さまざまなところに鉄道路線が敷かれていったころに、地方の鉄道や鉱山鉄道、森林鉄道などが採用したサイズだった。1435mmや1067mmといったサイズに比べて、小さいために建設費、車両費、維持費が抑えられるという利点がある。

 

一方で、ほかの鉄道路線と車両が共用できない、また貨車などの乗り入れできない、スピードが出せない、といった短所があり、鉄道が成熟するにしたがって、多くの軽便鉄道が線路幅を広げるなどの変更がなされ、あるいは廃線になるなどして消えていった。

 

現在、762mmという線路幅を採用している旅客線は、三重県内を走る三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道の2路線に加えて、富山県の黒部峡谷鉄道のみとなっている。黒部峡谷鉄道の場合は、山岳地帯、しかも峡谷沿いの険しい場所にダム工事用の鉄道を通すために、あえて軽便鉄道のサイズにした経緯がある。

 

では、三重県の平野部に、なぜ762mmという線路幅の鉄道が残ったのだろうか。

 

【762mm幅が残った謎】広げる機会を逸してしまった両路線

三岐鉄道北勢線と四日市あすなろう鉄道の両路線は、いまでこそ運行している会社が違うものの、生まれてからいままで、似た生い立ちをたどってきた。762mmの線路幅の路線が残った理由には、鉄道の利用者が多かった時代に、線路の幅を広げる機会を逸してしまったからにほかならない。

 

路線が開業したのは、四日市あすなろう鉄道が1912(大正元)年8月(日永駅〜伊勢八王子駅=1976年廃駅に)、三岐鉄道北勢線が1914(大正3)年4月(西桑名駅〜楚原駅間)と、ほぼ同時期だ。

 

開業させたのは三岐鉄道北勢線が北勢鉄道、四日市あすなろう鉄道が三重軌道(後に三重鉄道となる)という会社だった。太平洋戦争時の1944(昭和19)年に両社を含めて三重県内の複数の鉄道会社が三重交通として合併する。

 

その後に三重交通は、三重電気鉄道と名を変え、さらに近畿日本鉄道と合併(1965年)という経過をたどり、それぞれが近鉄北勢線と、近鉄内部線(うつべせん)・八王子線となった。

 

三重電気鉄道と近畿日本鉄道が合併した前年に、三重電気鉄道三重線(いまの近鉄湯の山線)が762mmから1067mmに改軌している。1960年代は鉄道需要が高まりを見せた時代であり、利用者が急増していたそんな時代でもあった。湯の山線は、沿線に温泉地があり、その観光客増加を見込んだため、改軌された。

 

その後の、モータリゼーションの高まりとともに、地方の鉄道路線は、その多くが利用者の減少に苦しんでいく。線路幅を変更するための工事は、新路線を開業させるくらいの資金が必要となる。近鉄湯の山線のように利用者が増加していた時代に改軌を実現した路線がある一方で、近鉄北勢線と、近鉄内部線・八王子線の路線は762mmという線路幅のまま残されてしまった。

 

40年以上にわたり、運行を続けてきた近鉄も、路線の維持が困難な状況に追いこまれていった。

 

2003(平成15)年4月に、近鉄北勢線が三岐鉄道に運営を譲渡、さらに2015(平成27)年4月に近鉄内部線と八王子線が四日市あすなろう鉄道へ運営が移管された。ちなみに四日市あすなろう鉄道は、近鉄と四日市市がそれぞれ出資して運営する公有民営方式の会社として生まれた。

【三岐鉄道北勢線】見どころ・乗りどころがふんだんに

前ふりが長くなったが、まずは路線距離20.4km、西桑名駅〜阿下喜駅(あげきえき)間、所要1時間の三岐鉄道北勢線の電車から乗ってみよう。

↑三岐鉄道北勢線の電車は一部を除き、車体はイエロー。車体の幅は2.1mで、JR在来線の車両幅、約3m弱に比べるとスリムで、コンパクトに感じる

 

北勢線の車両の幅は2.1m。車両の長さは15mが標準タイプとなっている。ちなみにJR山手線を走るE235系電車のサイズは幅が2.95m、長さは19.5mなので、幅はほぼ3分の2、長さは4分の3といったところだ。

 

乗ると感じるのは、そのコンパクトさ。先に紹介した車内の写真のように、大人がシートに対面して座ると、通路が隠れてしまうほどだ。

 

北勢線の起点はJR桑名駅に隣接する西桑名駅となる。列車は朝夕が15〜20分間隔、日中は30分間隔で運転される。そのうち、ほぼ半分が途中の楚原駅(そはらえき)止まりで、残りは終点の阿下喜駅行きとなる。

↑JR桑名駅に隣接する北勢線の西桑名駅。ホームは1本で、阿下喜行きか楚原行き電車(朝夕発車の一部電車は東員・大泉行きもあり)が15〜30分おきに出発している

 

↑北勢線の電車は正面が平たいスタイルの電車がほとんどだが、写真の200系は湘南タイプという形をしている。同編成のみ三重交通当時の深緑色とクリーム色に色分けされる

 

ほかの路線では経験することができない面白さ

さて762mmという線路幅の北勢線。床下からのモーター音が伝わってくる。かつての電車に多い吊り掛け式特有のけたたましい音だ。さらに乗ると独特な揺れ方をする。横幅がせまく、その割に車高があるせいか、横揺れを感じるのだ。クーラーの室外機も昨今のように天井ではなく、車内の隅に鎮座している。

 

ただこうした北勢線の音や揺れ、車内の狭さは、ほかの路線では経験することができない面白さでもある。

 

途中の楚原駅までは、ほぼ住宅地が連なる。楚原駅を過ぎると、次の駅の麻生田駅(おうだえき)までの駅間は3.7kmと離れている。この駅間が北勢線のハイライトでもある。車窓からは広々した田畑が望める。車内からは見えないが、コンクリートブロック製のアーチが特徴の「めがね橋」や、ねじれた構造がユニークな「ねじれ橋」を渡る。楚原駅から麻生田駅へは、傾斜も急で吊り掛け式モーターのうなり音が楽しめるポイントだ。

↑橋脚のアーチ部分が美しい「めがね橋」を北勢線140形が渡る。楚原駅からは1.2km、徒歩で15分ほどの距離で行くことができる

 

麻生田駅から終点の阿下喜駅へは員弁川(いなべがわ)沿いを下る。西桑名駅からちょうど1時間。乗りごたえありだ。運賃は全区間乗車で片道470円、1日乗り放題パスは1100円で販売されている。この1日乗り放題パスは、北勢線とほぼ平行して走る三岐線の乗車も可能だ。北勢線と三岐線を乗り歩きたい人向けと言えるだろう。

 

阿下喜駅には駅に隣接して軽便鉄道博物館もある。開館は第1・3日曜日の10〜16時なので、機会があれば訪れてみたい。

↑阿下喜駅に隣接する軽便鉄道博物館には、モニ226形という車両が保存されている。1931(昭和6)年に北勢線を開業させた北勢鉄道が導入した電車で荷物を積むスペースがある

 

さて北勢線の現状だが、順調に乗客数も推移してきている。2003年に三岐鉄道に移管され、運賃値上げの影響もあり一時期、落ち込んだ。その後に車両を冷房化、高速化、また曲線の改良工事などで徐々に乗客数も持ち直し、最近では近鉄当時の乗客数に匹敵するまで回復してきた。沿線の地元自治体からの支援が必要な状況に変わりはないが、明るい兆しが見え始めているように感じた。

【四日市あすなろう鉄道】車両リニューアルでイメージUP!

四日市あすなろう鉄道は全線が四日市市内を走る鉄道だ。

 

路線はあすなろう四日市駅〜内部駅間を走る内部線5.7kmと、日永駅〜西日野駅間の八王子線1.3kmと、2本の路線がある。西日野へ行く路線に八王子線という名が付く理由は、かつて同路線が伊勢八王子駅まで走っていたため。集中豪雨により西日野駅〜伊勢八王子駅間が1974(昭和49)年に不通となり、復旧されることなく、西日野駅が終着駅となった。

 

電車は起点のあすなろう四日市駅から内部駅行きと、西日野駅行きが出ている。それぞれ30分間隔、朝のみ20分間隔で走る。路線の距離が短いため、あすなろう四日市駅〜内部駅間で18〜20分ほど。あすなろう四日市駅〜西日野駅間にいたっては8分で着いてしまう。

 

四日市あすなろう鉄道になって、大きく変わったのが車両だ。近鉄時代の昭和50年代に造られた車両を徹底的にリニューアル。車内は、窓側に1人がけのクロスシートが並ぶ形に変更された。通路も広々していて、通勤通学も快適となった。同車両は、技術面で優れた車両に贈られる2016年のローレル賞(鉄道友の会が選出)にも輝いている。たとえ762mmと線路の幅は細くとも、居住性に優れた車両ができるということを示したわけだ。

↑四日市あすなろう鉄道となり、旧型車をリニューアル、新260系とした。同車両は車内環境の向上などが評価され、2016年に鉄道友の会ローレル賞を受賞している

 

↑リニューアルされた新260系は、ブルーの車両に続いて薄いグリーンの車両も登場。3両編成に加えて2両編成も用意され、輸送量に応じた運用が行われている

 

↑新260系の明るい車内。1人掛けクロスシートで、座り心地も良い。通路は広く造られていて、立っている乗客がいても圧迫感を感じることなく過ごすことができる

 

↑車内には吊り革(車内端にはあり)の代わりに座席にハート型の手すりが付けられている。車内が小さめなこともあり、吊り革よりこの手すりのほうが圧迫感なく感じる

 

まるで模型の世界のような可愛らしい駅や車両基地

近鉄四日市駅の高架下に同路線の起点、あすなろう四日市駅がある。ホームは1面、2本の線路から内部駅行き、西日野駅行きが出発する。
料金はあすなろう四日市駅から日永駅・南日永駅までが200円、それより先は260円となる。この200円と260円という料金以外はない。1dayフリーきっぷは550円。全線乗車する時や、また途中下車する場合には、フリーきっぷの方がおトクになる。

↑四日市あすなろう鉄道の車両の形をした1dayフリーきっぷ550円。あすなろう四日市駅の窓口で購入できる

 

↑内部行きと西日野行きが並ぶあすなろう四日市駅。朝は3両編成の新260系がフル回転で走っている

 

車両は現在、新260系が大半を占めている。新会社に移行したあとに、リニューアルされた車両だけに、きれいで快適。乗っても762mm幅ならではの狭さが感じられなかった。乗り心地も一般的な電車と差がない。

 

路線は内部線、八王子線ともに四日市の住宅街を走る。面白いのは内部線と八王子線が分岐する日永駅。駅の手前、四日市駅側で路線が分岐、八王子線用のホームはカーブの途中に設けられている。急カーブに車両が停車するため、ドアとホームの間に、やや隙間ができる。

 

ちなみにこの急カーブ、半径100mというもの。新260系などの車両の先頭部が、前にいくにしたがい、ややしぼむ形をしているが、この半径100mという急カーブで、車体がホームにこすらないようにするための工夫だ。

↑日永駅で内部線と八王子線の線路が分岐している。手前が内部行き電車。向かいが八王子線の電車。同駅で必ず内部線と八王子線の電車がすれ違うダイヤとなっている

 

ちなみに内部線は国道1号とほぼ平行して線路が敷かれている。途中、追分駅前を通る道は旧東海道そのものだ。古い町並みも一部に残っているので、時間に余裕があれば歩いてみてはいかがだろう。

 

八王子線の終点、西日野駅は日永駅から1つ目、行き止まりホームで駅舎もコンパクトだ。

 

内部線の終点は路線名のまま内部駅。この駅も味わいがある。駅の建物を出ると、すぐ右手に引込線があり、検修庫に電車が入っている場合は、駅のすぐ横まで先頭車が顔をのぞかせている。762mmという線路幅ならではの小さめの車両が顔をのぞかせるシーンは、普通サイズの車両のような威圧感もなく、見ていて何ともほほ笑ましい。それこそ鉄道模型のジオラマの世界が再現されているような、不思議な印象が感じられた。

↑内部駅を出たすぐの横にある検修庫。鉄道模型のジオラマの世界のような趣がただよう。普通サイズの電車ではとても味わえないサイズ感の違いが楽しめる

 

帰りは偶然だが、古くから走るパステル車両に乗り合わせた。3両編成のうち中間車両はロングシートで、乗るとナローゲージ特有の狭さが感じられた。昭和生まれの1編成(265・122・163号車)は何と2018年9月で引退する予定とされている。昔ながらの内部線・八王子線の雰囲気が味わえるのもあと少しとなった。

↑新260系が増えているなか、パステルカラーの旧車両の面影を残した車両も1編成3両のみ残っている。2018年9月には引退となる予定。乗るならいまのうちだ

【中年名車図鑑|4代目 トヨタ・ハイエース】15年にわたって愛された“1BOX界のハイソカー”

上級1BOXカテゴリーの代表格に君臨するトヨタ・ハイエースは、1989年になると全面改良が実施され、第4世代となるH100型系へと移行する。新エンジンの投入や新機構の採用に加え、内外装の徹底した高級化を図った4代目は、従来と同様にクラスのベンチマークに成長。ユーザー志向に合わせた改良も随時行われ、結果的に15年もの長きに渡って生産される人気の定番ロングセラー車に昇華した。今回は“トヨタの、もうひとつの最高級車”を謳った4代目ハイエースで一席。

【Vol.77 4代目 トヨタ・ハイエース】

後にバブル景気と呼ばれる未曾有の好景気に沸いていた1980年代終盤の日本の自動車市場。その最中にあって、レジャーユースで多く活用された多人数乗り車の1BOXワゴンも、ユーザーからより高級で利便性の高いモデルが求められていた。

 

このカテゴリーの旗艦としてハイエースを設定し、市場をリードしていたトヨタ自動車は、来るべき1990年代に向けた高級1BOXワゴンの姿を鋭意検討する。入念なユーザー調査を行い、得られた結論は、動力性能のさらなる向上とスタイリッシュな外観の構築、そして快適さと豪華さを実現した室内空間の演出などであった。

ステアリング角の変更、フロアシフト化などで乗用車感覚を向上。2列目席に90/180/270度の回転が可能な大型2人席ベンチシートを採用した。ダブルカーテン、3段階調光式蛍光灯、湯沸しポット&アイスメーカー付冷温蔵庫など、高級1BOXとしての装備も多数用意

 

まずエクステリアに関しては、未来を予感させる先進的で伸びやかな曲面フォルムを基調とし、上級モデルではフォグランプ組み込み型の大型異形ヘッドランプや大型PPバンパー、バックドア一体デザインの横長大型リアコンビネーションランプなどを装備して高級感を主張する。また、バンパーコーナー部にエアロスリットを配するとともに、サイドウィンドウのフラッシュサーフェス化を図って空力性能の向上と風切音の低減を実現した。従来型の特徴だったルーフ部のアレンジでは、新たにリアムーンルーフを追加した“トリプルムーンルーフ”を設定。乗員の開放感を引き上げると同時に、ルックスの個性化を成し遂げる。ボディサイズやホイールベースも従来型より延長し(ワゴン・スーパーカスタムで全長4615×全幅1690×全高1980mm/ホイールベース2330mm)、高級1BOXとしての存在感をいっそう高めた。

 

インテリアについては、質感の高い新形状のインパネを組み込むとともに、ステアリングポスト角の変更(52度→39度)やパーキングブレーキの移設(インパネ下ステッキ型→前席間レバー型)、全車フロアシフト化などを実施して乗用車感覚を向上させる。また、上級グレードの2列目席には90/180/270度の回転が可能な大型2人席ベンチシートを、3列目席には前後680mmも移動するスーパースライド機構を採用した。開発陣はエクイップメント面にもこだわり、電動スライドドアおよびイージークローザーやハンドフリーマイクとスピーカーを活用したジョイフルトーク、バックソナー&クリアランスソナー、電動チルト&マニュアルテレスコピックステアリング、ダブルカーテン、3段階調光式蛍光灯、湯沸しポット&アイスメーカー付冷温蔵庫、10スピーカー式高性能オーディオ、液晶6.5インチTVなど、豪華なアイテムを豊富に用意した。

ステアリング角の変更、フロアシフト化などで乗用車感覚を向上。2列目席に90/180/270度の回転が可能な大型2人席ベンチシートを採用した。ダブルカーテン、3段階調光式蛍光灯、湯沸しポット&アイスメーカー付冷温蔵庫など、高級1BOXとしての装備も多数用意

 

前席床下に搭載するエンジンでは、直接駆動カム式動弁系やクロスフロー吸排気系、EFIなどを組み込んだ新開発ガソリンユニットの2RZ-E型2438cc直列4気筒OHC(120ps)と1RZ-E型1998cc直列4気筒OHC(110ps)を採用したことがトピックとなる。さらに、大幅な改良を施した2L-Ⅱ型(2446cc直列4気筒ディーゼル。85ps)およびターボ付きの2L-TⅡ型(94ps)や3L型(2779cc直列4気筒ディーゼル。91ps)といったディーゼルユニットもラインアップ。3L型には副変速機付きのパートタイム4WDも設定した。操縦性や走行安定性の向上についても抜かりはない。動力性能の引き上げに合わせて、シャシーを大幅に改良。同時に、TEMS(Toyota Electric Modulated Suspension)やPPS(Progressive Power Steering)といった先進機構も積極的に盛り込んだ。

 

第4世代となる新型ハイエースは、1989年8月に市場デビューを果たす。乗用モデルのキャッチフレーズは“トヨタの、もうひとつの最高級車”。同社のクラウンなどに匹敵する豪華装備を満載した高級1BOXワゴンであることを、声高に主張していた。

 

■ユーザー志向に合わせた改良を続けて15年の長寿命車に発展

華やかなスタイリングや豪華な装備類などで、1BOX界の“ハイソカー”と呼ばれた4代目ハイエースは、デビュー後も市場の志向に即した様々な改良を着実に実施していく。1990年10月には4WD車のラインアップを拡充するとともに、積載性に優れるSW(スイッチワゴン)を設定。1993年8月にはマイナーチェンジを行い、内外装の刷新や4WDのフルタイム化、1KZ-TE型ディーゼルターボエンジン(2982cc直列4気筒ディーゼルターボ。130ps)への換装などを敢行した。4代目ハイエースの進化は、まだまだ続く。1996年8月には再度のマイナーチェンジを実施し、内外装に変更を加えると同時に安全性能を強化(前2席エアバッグおよびABSの標準装備化)。1999年7月には3度目のマイナーチェンジを行い、フロントマスクの変更やインパネ形状の刷新、1KZディーゼルターボエンジンへのインタークーラーの追加などを施した。

 

モデル進化の過程では、ノーズを伸ばして動力源をフロント部に置いたワゴン専用パッケージのグランビア(1995年8月デビュー)や実質的な後継モデルのアルファード(2002年5月デビュー)といった高級ミニバンが登場したものの、1BOXならではの使い勝手の良さや耐久性に富むシャシーなどがユーザーから根強く支持され、それに応える形でメーカー側も4代目ハイエースの生産を継続していく。結果的に全面改良を実施して第5世代に移行したのは、デビューから15年あまりも経過した2004年8月のことであった。

 

■ハイエースをベースに生み出された国産初の高規格救急車「ハイメディック」

最後に4代目ハイエースに関連したトピックをひとつ。1991年4月、日本で救急救命士法が制定(施行は同年8月)される。救急救命士とは救急車等で傷病者を病院へ搬送する途上に医師の指示のもと、救急救命措置を施す任にあたる有資格者だ。それまでは法律上、救急隊員が医療行為を行えなかったために、傷病者の救命率や社会復帰率などは欧米に比べて低かった。これを解消するために、前記の法律が生み出されたのである。一方、救急救命士が満足のできる仕事を行うためには、従来型以上に高規格な救急車が必要とされた。そこでトヨタ自動車のグループ企業であるトヨタテクノクラフトは、4代目ハイエースのバンモデル(スーパーロング・ハイルーフ)をベースとした高規格救急車の開発に着手。1992年5月になって、国産初の高規格救急車となる「トヨタ・ハイメディック」を誕生させた。ハイエースとパラメディック(救急医療隊員)を組み合わせた車名を冠する高規格救急車は、ボディ幅を広げるなどして救助器具等を配備。エンジンにはハイエースに設定のないセルシオ用の1UZ-FE型3968cc・V型8気筒DOHCを専用にチューニング(最高出力220ps)して搭載した。ハイメディックはデビュー後も細かな改良を施しながら生産され続け、1997年5月になってグランビアおよび欧州仕様ハイエース(セミキャブオーバー型ロング)をベースとする第2世代にバトンタッチしたのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

清水草一が最新フェラーリの魅力を語る! 「美しさ」と「エンジン」、重視されるのはどちら?

誰もが知っているスーパーカーの代名詞、フェラーリ。しかし、その魅力や特徴を実は細かく知らなかったという人も多いのではないでしょうか。ここでは、モータージャーナリストの清水草一さんがフェラーリの魅力を徹底的に語り尽くします。

 

【解説&採点】

モータージャーナリスト 清水草一さん

「サーキットの狼」作者の池沢早人師先生から直接薫陶を受けた唯一の自動車評論家。これまで11台のフェラーリを乗り継いでいます。GetNaviの連載「クルマの神は細部に宿る」をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

【そもそもフェラーリとは?】

レース参戦のために存続する世界でただひとつのメーカー

創始者のエンツォ・フェラーリはレーシングチームを経営し、生涯をレース活動に捧げました。その資金稼ぎのために、レーシングカーを乗りやすく改良して販売したのが、同社の市販車部門の始まり。1988年のエンツォが亡くなって以降もF1参戦は継続し、世界中のクルマ好きの憧れとなっています。

 

フェラーリの長い歴史のなかで最もパワフルなV型12気筒エンジン

フェラーリ

812スーパーファスト

3910万円

名の「812」は「800馬力の12気筒」を表し、FRのロードカーとしてはフェラーリ史上最強と称されるほどのハイパフォーマンスを誇ります。電子制御デバイスが多数盛り込まれ、超弩級の能力を危なげなく体感させてくれます。

SPEC●全長×全幅×全高: 4657×1971×1276㎜●パワーユニット: 6.5ℓV型12気筒エンジン●最高出力: 800PS(588kW)/8500rpm●最大トルク: 73.2㎏-m(718Nm)/7000rpm●トランスミッション: 7速AT●駆動方式: FR

 

【ココがスーパー】

F1をイメージさせるスポーティなインテリア

非日常性を感じさせるF1のようなコックピット。カラーも自由に選択できる。F1システムと呼ばれる独自のトランスミッション形式は、パドルシフト式セミATの先駆的存在です。

 

最新技術が盛り込まれた大柄ながら美しいボディ

ボディは先代のF12ベルリネッタとほぼ同サイズで、前後ともに20インチの大径ホイールが装着されます。ボディ下部にはディフューザーを採用し、高速走行時の空気の流れを調節。

 

最高馬力のエンジンは印象的な赤塗装が特徴

V型12気筒エンジンのヘッド部には赤い結晶塗装が施されています。6.5ℓの大排気量で、フェラーリの自然吸気式エンジンを積む市販車では史上最高となる800馬力を発揮します。

 

旗艦モデルのエンジンは12気筒でなくてはならない

フェラーリは、誰もが認める自動車の頂点、太陽神的存在。その立脚点は、F1グランプリにおける輝かしい戦績にあります。日本でフェラーリといえば市販のスーパーカーですが、海外では第一にレーシングチーム。その栄光を市販車に投影しているという文脈が、他社とは決定的に異なります。

 

すなわち、フェラーリにおけるスーパーカーの出発点は、レーシングカーをちょっと乗りやすくして一般販売したところ。そのため、同社が何よりも重視しているのは、常にエンジン。フェラーリのフラッグシップモデルは、最もパワフルで、最もエレガントな12気筒エンジンを積んでいなければなりません。現在のフラッグシップである812スーパーファストは、その12気筒エンジンをフロントに搭載し、後輪を駆動するFR方式。一般的にスーパーカーと言えば、エンジンをキャビン後方に置くミッドシップがイメージされます。しかし、フェラーリは元々FRからスタートしており、812スーパーファストは原点に回帰したモデルといえます。

 

フェラーリの名声はあまりにも高く、もはや性能は二の次と見る向きもあります。しかし、フェラーリの魂は常にエンジンであり、続いて重視されるのが美しさ。そのプライオリティは不変なのです。

 

【清水草一の目】

ほかでは味わえない官能的なV12エンジン

スーパーカーとしては車高が高く、FRなのでパワーを路面に伝えきれない面がありますが、V12の官能フィールは唯一無二。地上最高のブランド力を満喫できます!

 

【OTHER SUPER CAR】

ツーリングにも最適なハードトップオープン

ポルトフィーノ

2530万円

車体に収納できるリトラクタブルハードトップを備えたオープンモデルで、優雅な佇まいと優れた多用途性や快適性が特徴。スーパーカーの快楽を満喫できるうえに、日常使いでのストレスが皆無というのは大きな魅力です。

SPEC●全長×全幅×全高:4586×1938×1318㎜●パワーユニット:3.9ℓV型8気筒ターボエンジン●最高出力/最大トルク:600PS(441kW)/77.5㎏-m(760Nm)

 

 

コンパクトなボディにターボエンジンを搭載

488GTB/488スパイダー

3070万円〜3450万円

458イタリアの後継モデルとして登場し、2015年に日本へ導入されました。V8エンジンの排気量はそれまでの4.5ℓから3.9ℓへとダウンサイズされていますが、ターボの採用によって出力、トルクともに大幅な向上が図られています。

SPEC【488GTB】●全長×全幅×全高:4568×1952×1213㎜●パワーユニット:3.9ℓV型8気筒ターボエンジン●最高出力/最大トルク:670PS(492kW)/77.5㎏-m(760Nm)

 

【連載をまとめたムックが好評発売中】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

日本一短い地下鉄となぜか電化されない路線――名古屋の不思議2路線を乗り歩く【名古屋市営地下鉄上飯田線/東海交通事業城北線】

おもしろローカル線の旅~~名古屋市営地下鉄上飯田線・東海交通事業城北線(愛知県)~~

 

今回紹介する名古屋市営地下鉄上飯田線/東海交通事業城北線の2路線。東海地方にお住まいの方でも、あまりご存知ないのではないだろうか? 沿線に住む人以外には馴染みの薄い路線となっている。だが、2路線とも謎が多く、実に不思議な路線なのだ。

 

【地下鉄上飯田線の謎】なぜ路線距離が0.8kmと短いのか?

まずは名古屋市営地下鉄上飯田線(以降、上飯田線と略)から。こちらはローカル線とは言えないかもしれないものの、異色路線として紹介しよう。

 

上飯田線は平安通駅(へいあんどおりえき)と上飯田駅(かみいいだえき)を結ぶ路線で、その距離は0.8kmしかない。わずかひと駅区間しかなく、上飯田駅より北は、名古屋鉄道(以降、名鉄と略)小牧線となる。そのため、ほぼ全列車がひと駅区間のみ走るのではなく、小牧線との相互乗り入れを行っている。

 

ちなみに0.8kmという路線距離は日本の地下鉄路線のなかで、最も短い。まさか記録を作るために短くしたのではなかろうが、0.8kmという短さは極端だ。なぜこれほどまでに短い路線になってしまったのだろう。

↑路線図ではわずかひと駅区間のみラインカラーが変わっているのがおもしろい

 

当初は名古屋市の中央部まで延ばすプランがあった。しかし−−

上飯田線が誕生したのは2003(平成15)年のこと。開業してから今年でちょうど15年となる。上飯田線が造られた理由は、名古屋市中央部への連絡を良くするためだった。

 

かつては、上飯田駅からは名古屋市電御成通(おなりどおり)線が走り、その市電に乗れば平安通や大曽根へ行けて便利だった。ところが、高度成長期、路面電車がじゃまもの扱いとなり、御成通線も1971(昭和46)年に廃止されてしまった。

 

それ以降、小牧線の上飯田駅は起点駅でありながら、鉄道駅との接続がなく、“陸の孤島”となっていた。その不便さを解消すべく造られたのが上飯田線だった。最小限必要なひと駅区間のみを、先行して開業させた。

↑名古屋市営地下鉄上飯田線の起点となる平安通駅。この駅で名古屋市営地下鉄の名城線と連絡している。車両は名鉄の300系

 

↑上飯田線の終点・上飯田駅。終点でもあり名鉄小牧線との境界駅となる。駅の表示には名古屋市交通局のマークと名鉄の両マークが併記されている

 

利用者が伸びない将来を考えて延伸プランは白紙に

上飯田線の路線着工は1996(平成8)年のこと。当初は0.8km区間に留まらず、名古屋市営地下鉄東山線の新栄町駅、さらに南にある中区の旧丸太町付近まで延ばす計画だった(1992年に答申の「名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画」による)。

 

ところが、2000年以降、大都市圏の人口が増加から減少傾向に転じ、新線計画が疑問視されるようになった。そのため名古屋市は当初の計画を見直し、新たな路線開業は行わないとした。こうした経緯もあり、今後も上飯田線は0.8kmという路線距離のままの営業が続けられていきそうだ。

 

希少な名古屋市交通局7000形に乗るなら朝夕に訪れたい

上飯田線の電車はすべて平安通駅での折り返し運転。朝夕は10分間隔、日中でも15分間隔で、便利だ。平安通駅〜上飯田駅の乗車時間は、わずか1分あまり。

 

さすがにひと駅区間は短いので、乗車したら上飯田駅の隣駅、味鋺駅(あじまえき)、もしくは小牧駅や犬山駅まで足を伸ばしてみてはいかがだろう。

 

味鋺駅付近からは、地下を出て、外を走り始める。郊外電車の趣だ。小牧線の終点、犬山駅までは、平安通駅から片道30分ちょっと。犬山駅で接続する名鉄犬山線の電車で名古屋駅方面へ戻ってきてもいい。

↑上飯田線を走る電車のほとんどが名古屋鉄道の300系だ。電車は平安通駅発の小牧駅行きや犬山駅行きが多い。平安通駅から犬山駅までは所要時間30分ほど

 

上飯田線を走る電車は、ほとんどが名古屋鉄道の300系だ。ヘッドライトが正面中央部の高さにない不思議な顔立ちをしている。客席はロングシートとクロスシート併用タイプだ。

 

この上飯田線には名古屋市営地下鉄(運行する名古屋市交通局が所有)の電車も走っている。それが7000形だ。この7000形、4両編成×2本しか造られなかった車両で、この路線ではレアな存在となっている。切れ長のライトで、個性的な顔立ちをしている。

↑名古屋市交通局の7000形。2編成しか走っておらず、レアな存在。朝夕の時間帯のみを走ることが多い。フロントのピンク部分が色落ちしているのがちょっと残念だった

 

日中はあまり見かけることのない車両でもある。7000形に乗りたい、撮りたい場合は、朝夕に訪れることをオススメしたい。

【東海交通事業城北線の謎】なぜJR東海城北線ではないのか?

東海交通事業城北線(じょうほくせん・以下、城北線と略)は、中央本線の勝川駅(かちがわえき)と東海道本線の枇杷島駅(びわじまえき)間の11.2kmを結ぶ。

 

この路線には不思議な点が多い。まずはその運行形態について。

 

城北線は名古屋市の北側を縁取るように走る。起点となる勝川駅は、名古屋市に隣接する春日井市の主要駅で、JR中央本線の勝川駅は乗降客も多い。終点の枇杷島駅は、東海道本線に乗れば名古屋駅から1つめの駅だ。名古屋から近い両駅を結ぶこともあって、利用者は多いように思える。しかも全線が複線だ。

 

それにも関わらず非電化でディーゼルカーが使われている。しかも1両での運転だ。列車本数も朝夕で20〜30分に1本。日中は1時間に1本という、いわば閑散ローカル線そのものなのである。

↑東海交通事業城北線の車両はキハ11形のみ。朝夕を含め全時間帯、ディーゼルカー1両が高架橋を走る光景を見ることができる。正面に東海交通事業=TKTの社章が入る

 

↑枇杷島駅の駅舎にはJR東海と東海交通事業の社章が掲げられる。同駅の1・2番線が城北線の乗り場となっている

 

↑非電化にも関わらず、ほぼ全線が高架で複線という城北線。線路は名古屋第二環状自動車道の高架橋に沿って設けられている

 

JR東海の路線だが、列車を走らせるのは東海交通事業

城北線は運営方法も不思議だ。

 

路線を保有するのはJR東海で、JR東海が第一種鉄道事業者となっている。運行を行っているのはJR東海でなく、子会社の東海交通事業だ。城北線では、この東海交通事業が第二種鉄道事業者となっている。

 

さらに不思議なのは他線との接続。

 

終点の枇杷島駅のホームは東海道本線と併設され、乗り継ぎしやすい。

 

一方の勝川駅は、中央本線のJR勝川駅と離れている。JR勝川駅には城北線乗り入れ用のスペースが確保されているのだが、乗り入れていない。乗り入れをしていないどころか、両線の高架橋がぷっつり切れている。両鉄道の駅名は同じ勝川駅なのに、駅の場所は500mほど離れていて、7分ほど歩かなければならない。

 

JRの路線以外に、路線の途中で2本の名鉄路線とクロスしているが、接続はなく、最も近い城北線の小田井駅と名鉄犬山線の上小田井駅(かみおたいえき)でさえ約0.5kmの距離がある。

 

利用する立場から言えば、不便である。なぜこのような状況になっているのだろう。

↑手前はJR中央本線の高架橋。右奥が城北線の勝川駅がある高架橋。写真のようにぷっつりと両線の高架橋が切れている。さらにJR勝川駅と城北線勝川駅は500mほど離れている

 

↑城北線の勝川駅ホームから200m近く歩道が設けられている。その横に城北線用の留置線があり保線用の車両などが置かれている。先に見えるのがJR中央本線の高架橋

 

↑城北線ではICカードが使えず、車内清算のみ可能(一部駅では乗車券を販売)。枇杷島駅で下車するときは降車証明書が渡され、JR東海道本線へは一度ゲートを出て乗り換える

 

40年間にわたり必要となる路線のレンタル料

JR東海は現状、城北線を建設した鉄道建設・運輸施設整備支援機構(着工時は日本鉄道建設公団)から路線を借りて列車を走らせている。当然、そのための借損料を支払っている。借損料とは造った鉄道建設・運輸施設整備支援機構に対して払う賃借料のこと。「借りている路線の消耗分の賃料」という名目になっている。その金額は膨大で年間49億円とされている。この支払いは開業してから40年(城北線の全線開業は1993年)という長期にわたって行われる。

 

借損料は、現時点の設備にかかるもので、もし電化や路線延長など改良工事を“追加発注”してしまうと、支払う金額は、さらに上がってしまう。

 

投資金額に見合った収益が上がれば良いのだろうが、城北線の開業時点で、そこまでは見込めないと考えたのだろう。そのため、運営は子会社に任せ、運行も細々と続けられている。現状、駅の改良工事などの予定もなく、いわば塩漬け状態になっている。

 

路線の途中で上下線が大きくわかれる理由は?

城北線の路線は、不相応と思えるぐらい、立派な路線となっている。なぜこのような路線が造られたのだろう。小田井駅~尾張星の宮駅間にそのヒントがある。

↑小田井駅〜尾張星の宮駅間で上下線が大きく離れ、また高低差がある。ここから東海道本線の稲沢方面へ路線が分岐する予定だった

 

この駅間では上の写真のように上下線が離れ、また高低の差がある。ここから東海道本線の稲沢方面へ分岐線が設けられる予定だった。稲沢駅には旅客駅に加えてJR貨物の拠点駅がある。

 

下の地図を見ていただこう。名古屋周辺のJRの路線と、未成線の路線図だ。城北線と未成線の瀬戸線を結びつけることで、中央本線と東海道本線との間を走る貨物列車をスムーズに走らせたい計画だった。

 

かつて名古屋中心部を迂回する遠大な路線計画が存在した

JRとなる前の国鉄時代。輸送力増強を目指して、各地で新線計画が多く立てられた。城北線もその1つの路線だった。前述の地図を見てわかるように、城北線は中央本線と東海道本線を短絡する路線であることがわかる。

 

この地図には入っていないが、東側に東海道本線の岡崎駅〜中央本線の高蔵寺駅間を結ぶ岡多線・瀬戸線が同時期に計画され造られた。その路線は現在、愛知環状鉄道線として利用されている。

 

この愛知環状鉄道線と城北線をバイパス線として利用すれば、列車の運行本数が多い名古屋駅を通らず、東海道本線の貨物列車をスムーズに走らせることができると考えられた。

 

首都圏で言えば、東京都心を通る山手貨物線を走らずに貨物輸送ができるように計画されたJR武蔵野線のようなものである。

↑中央本線を走る石油輸送列車。四日市〜南松本間を走るが、名古屋近辺では一度、稲沢駅まで走り、そこでバックして中央本線、または関西本線へ向かうため不便だ

 

↑名古屋の東側を走る愛知環状鉄道線も名古屋のバイパスルートとして生まれた。同路線は国鉄清算事業団が賃借料を引き継ぎ開業、城北線のように借損料が発生しなかった

 

↑流通拠点、名古屋貨物ターミナル駅は名古屋臨海高速鉄道あおなみ線の荒子駅に隣接している。貨物列車は全列車があおなみ線経由で入線する(写真は稲沢駅行き貨物列車)

 

↑城北線や愛知環状鉄道線と同じ時期に造られた南港貨物線の跡。東海道本線から名古屋貨物ターミナル駅へ直接向かう路線として着工されたが、現在その跡が一部に残る

 

借損料の支払いが終了する2032年以降、城北線は変わるか

名古屋近辺では、東海道本線から名古屋貨物ターミナル駅へ直接乗り入れるために南港貨物線の工事も行われた。この南港貨物線も、当初に計画された貨物列車を走らせるというプランは頓挫し、一部の高架施設がいまも遺構として残っている。

 

貨物列車の需要は伸びず、また貨物列車もコンテナ列車が増え、高速化した。こうしたことですべての路線計画が立ち消えとなり、一部の路線が旅客線として形を変えて復活し、開業した。

 

さて城北線の話に戻ろう。城北線の借損料の支払いは、これから14年後の2032年まで続く。ここで終了、めでたくJR東海が所有する路線となる。

 

そこから城北線の新たな時代が始まることになるのだろう。複雑な経緯が絡む城北線の問題。せっかくの公共財なのだから、もっと生かす方法がなかったのだろうか。

 

国鉄時代の負の遺産にいまも苦しめられる構造に、ちょっと残念な思いがした。

【中年名車図鑑|初代 スズキ・カルタス】「オレ・タチ、カルタス」──ダジャレが印象的なFFリッターカー

軽自動車の先駆メーカーとしてその名を馳せていた鈴木自動車工業は、1981年に重要な決定を下す。米国の自動車会社、GMとの業務提携だ。その戦略の一環として、両社は小型乗用車の開発に乗り出した――。今回はスズキが小型乗用車カテゴリーへの復活を果たす端緒となった初代カルタス(1983年~)の話題で一席。

【Vol.76 初代 スズキ・カルタス】

1970年代後半の鈴木自動車工業(現スズキ)は、軽自動車のカテゴリーで確固たるリーダー的な地位を築き始めていた。とくに1979年5月に発表した軽ボンネットバンの初代アルトは、47万円~の低価格などが話題となり、軽自動車史上空前の大ヒット作に昇華する。1977年10月に登場した初代セルボも、軽自動車唯一のスペシャルティカーとして若者層を中心に人気を博していた。一方で鈴木自工の首脳陣は、この現状に決して満足していなかった。1978年6月に鈴木修氏が代表取締役社長に就任すると、小型乗用車市場への再参入や大規模な海外進出を本格的に画策するようになる。とはいえ、鈴木自工一社の力だけでは、資金面でも技術面でも心許ない。そこで首脳陣は、海外メーカーとの提携を模索した。

 

鈴木自工が提携先として選んだのは、世界最大の自動車メーカーとして君臨するゼネラル・モーターズ(GM)だった。GM側もアジア市場への進出や小型車を新開発するうえで、鈴木自工に魅力を感じていた。両社は1981年8月に業務提携を発表。さっそく共同プロジェクトを手がけるようになった。

カルタスはスズキ初の量産FFリッターカーとして誕生した。ワールドカーを目指して、エクステリアとインテリアは提携先のGMが主導で開発した

 

最初のプロジェクトは両社の念願である小型乗用車、通称“Mカー”の開発だった。エンジンやシャシーなどのメカニズム関連は鈴木自工が設計し、エクステリアとインテリアはGMが主導する。もともと鈴木自工は1970年代後半から小型車の開発を企画していたため、そのノウハウは十分に持ち合わせていた。そこにワールドカーとして仕立てることを目指してGMの意見を取り入れ、開発は鋭意進められた。

 

メカニズム面での最大の注目はエンジンだった。開発陣は“小型・軽量・低燃費”をコンセプトに新エンジンの設計図を描き、Gの型式を名乗る993cc直列3気筒OHCユニット(市販時の名称はG10型。最高出力は60ps)を完成させる。G型はコンセプト通りの性能を発揮し、しかも非常によく回った。後継のM型ユニットに変わるまで、G型は長いあいだ鈴木自工のメインエンジンとして活躍する。

 

一方でエクステリアに関しては、直線基調のボクシーなフォルムを採用する3ドアハッチバックに決定した。3ドアに絞ったのは、アメリカでの市場動向に配慮したためだ。インテリアはデジタルメーターを採用した点が特徴。これもアメリカ人の好みを反映した結果だった。FFレイアウトで企画したプラットフォームは新設計で、ここに軽量かつ剛性の高いモノコックボディをセット。ホイールベースは2245mmに設定する。懸架機構には軽自動車のコンポーネントを一部流用した前・マクファーソンストラット/後・縦置き半楕円リーフを採用した。

 

■ワールドカーとして世界市場で発展

デビュー当時はG10型エンジン+5速MTの3ドアハッチバックのみの設定。ボディサイズは全長3585×全幅1545×全高1350mm

 

1983年9月、鈴木自工初の量産FFリッターカーとなる「カルタス」が市場デビューを果たす。車名のCULTUSは造語で、“崇拝”を意味するラテン語が語源の英語CULT(カルト)およびこれを接頭辞とするCULTURE(カルチャー=文化)に由来。文化・教養に関係が深く「思想のあるクルマは文化だ」という主張と、現代のクルマ文化に貢献したいという鈴木自工の願いを込めて命名されていた。

 

カルタスのデビュー当初の車種展開はG10型“エクスター”エンジン+5速MTの3ドアハッチバックのみの設定で、ボディサイズは全長3585×全幅1545×全高1350mm。1984年5月にはターボ付きG10エンジン(80ps)搭載車と3速AT車を、8月にはホイールベースを100mm延長(2345mm。全長は3685mm)した5ドアハッチバックや新開発のG13A型1324cc直列4気筒OHCエンジン(75ps)搭載車をラインアップに加える。また、スイフトの車名で輸出も展開。さらに、米国市場ではGMがシボレー・スプリントの名でリリースし、ほかにもカナダ市場でポンティアック・ファイヤーフライ、オーストラリアおよびニュージーランド市場でホールデン・バリーナとして販売される。いずれの市場でも、使いやすく、しかも低燃費なサブコンパクトカーとして高い人気を獲得した。

 

カルタスのデビューと前後して、鈴木自工は待望の海外進出も果たす。1982年9月にはパキスタンのパックスズキモーター社で4輪車の生産を開始。1983年12月にはインド政府と合弁で立ち上げたマルチ・ウドヨグ社が4輪車の生産を始めた。もちろんアジア市場でもカルタスの現地仕様が大活躍。鈴木自工のさらなる発展の原動力として、重要なモデルに成長していった。

1984年5月にはターボモデルも登場。のちに5ドアハッチバックモデルもラインアップに加わる

 

日本市場におけるカルタスの改良も鋭意続けられる。1986年6月にはマイナーチェンジを敢行し、内外装の一部変更やリアサスペンションのアイソレーテッドトレーリングリンク(I.T.L.)化、G13B型1298cc直列4気筒DOHCエンジン(97ps)搭載車の設定、ターボ付きG10エンジンへのEPIの採用(82ps)などを行う。この時に新設定されたG13Bエンジン搭載の1300GT-iは、モータースポーツのシーンでも大健闘。軽量ボディと高性能エンジンの特性を活かして、ダートトライアルなどで数々のクラス優勝を成し遂げた。

 

SUZUKIブランドの小型乗用車として独自のポジションを築いていったカルタスは、1988年9月に全面改良を実施して第2世代に切り替わる。ただし、2代目が上級移行し、価格も上昇していたため、初代はラインアップを縮小しながらしばらくのあいだ販売が続けられた。デビューから5年あまりが経過しても、実用車としてのポテンシャルが色褪せなかった証である。

1984年5月にはターボモデルも登場。のちに5ドアハッチバックモデルもラインアップに加わる

 

■イメージキャラクターでも注目を集めた歴代カルタス

誕生の経緯や開発過程、販売戦略など、注目点の多い歴代カルタスだが、実はもうひとつ、大きな特徴があった。イメージキャラクターとして、数々の有名人を起用した事実だ。

 

今回ピックアップした初代モデルでは、1984年から俳優で歌手の舘ひろしさんを起用。「オレ・タチ、カルタス」や「Hard Touch, CULTUS.(ハード・タチ、カルタス)」のキャッチフレーズで、インパクトの強い広告展開を披露する。また、数回に渡って「TACHI VERSION」と称する特別仕様車もリリースした。2代目モデルでは1988年から米国俳優のロブ・ロウさんを、1991年以降はミュージシャンの大江千里さんを起用。大江さん時代のキャッチフレーズは、「カルタス、千里 走る」だった。舘さんといい、大江さんといい、歴代カルタスの宣伝担当者はダジャレが好きだったのかもしれない。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

Amazon限定の「自転車」は本当に買いか? ポチる前に読む「キャプテンスタッグ Oricle」の実力

“Amazonで売れている”激安チャリの実力を、ガチの自転車専門誌でも執筆するプロがレビュー。販路はAmazon限定ゆえ、ユーザーが購入前に試乗するのは難しいものです。ぜひ、本稿で納得してからポチっていただきたい!!

 

【レビューした人】

カメラマン/ライター 下條英悟さん

本業は雑誌や広告を中心に活動するカメラマン。趣味が高じて自転車を追い、“乗って撮って書く”。専門誌への寄稿も多数。

 

乗って、たたんで、安すぎる全部のせ自転車の決定版

キャプテンスタッグ

Oricle 20インチ

折りたたみ自転車 FDB206

1万3980

キャンプ用品でおなじみのブランド「キャプテンスタッグ」による、Amazon専売モデル。廉価版ながら、シマノ製6速の変速機を搭載。バッテリーライトやワイヤー錠なども付属します。

SPEC●タイヤサイズ:20×1.75●シフト段数:6段●全長×全幅:約1440×565㎜●質量:約15.5㎏

 

約15.5㎏と重いのが気になるが総合的にコスパは高い!!

キャンプ用品で名のあるキャプテンスタッグは、実は20種以上の自転車のラインナップも持つ。今回のOricleは、折りたたみ小径車のアマゾン専売モデル。1万3980円と、にわかには信用しがたい超低価格です。

 

半信半疑でパーツ類をチェックしてみます。まずは、安全を司るブレーキ。前キャリパー、後バンドブレーキで、レバーのフィール自体は悪くありません。車体は、中国製スチールフレーム。溶接の荒さがやや目立ちますが、代わりに補強パーツの数が多く、強度安全性には気を使っているように見えます。そのぶん、車体が約15.5㎏と重いです。

 

駆動部のキモ、変速機は廉価版ですが安心のシマノ製6速。

 

アップダウンのある100㎞のルートを実走しました。懸念した車体の重さは、逆に安定性という利点を生み、ペダリングに素直で思いのほか前に進む印象。変速性能も必要十分です。ただし、下り坂などで前ブレーキの効きが甘く、後は効きますが、キーキー音がかなり出ました。

 

走って50㎞超えるあたりから、若干車体のきしみ音が出始めました。多少のガタだろうか、走行自体には支障なし。念のため折りたたみ部を改めて締め直して走りました。

 

100㎞走ってみた結果。突然の雨で備え付けの泥除けも役立ってくれたし、総じて、日常使い用に購入検討の価値はありそうです!!

 

では、ここからは、ディテールの完成度の高さを紹介していきましょう。

 

【ポイント01】シンプルな梱包!組み立ては簡単で誰でもできる

カゴと右ペダルが外れた状態で、ダンボール箱入りで届く。付属の簡易工具で手軽に組み立て可能です。ただし、車体そのものが重いので箱から取り出すときは多少大変かも!

 

【ポイント02】いわゆる普通の折りたたみ手持ちよりも車載向きの印象

 

 

車体が軽量アルミではなくスチール製なので、約15.5㎏と重い。長時間の持ち運びにはかなり気合いが必要。車載などの用途が向きそうです。

 

【ポイント02】“おまけ”と侮れない機能・光量とも十分なライト

一般的な自転車では別売となるライトですが、Oricleでは付属。しかも光量が大きく、点滅機能も付いたなかなか有用なライトです。

 

【ポイント03】盗難防止用のワイヤー錠もついておトク

ライトと同じく、盗難防止ロックまで付いてくれます。キーロック方式でかなり太めのワイヤーロックが、あらかじめ車体に取り付けてあります。

 

【ポイント04】雨天時や未舗装路での泥ハネをガード

ママチャリなどではあって当たり前のマッドガードも採用。組み付けにアラはありますが、1万円台の自転車に付属するだけでありがたいです!

 

【ポイント05】使いやすいグリップシフターで快適サイクリングをサポート

走行中の変速は、ハンドル右手に配されたグリップ型のコントローラーを回すだけ。手の持ち替えなどの要らない自然な変速操作が可能です。

 

【ポイント06】信頼のジャパンブランド、シマノ製変速機採用

グローバルスタンダードたるシマノ製変速コンポーネントを採用。大量生産の廉価版とはいえ、信頼性は高いです。6速も必要十分な機能です。

 

【Color Variation】

低価格もさることながら、圧倒的なカラバリの豊富さも魅力。ブラックなど落ち着いたカラーのほか、イエローやピンクなども選べます

【このロード、バイクも激売れ!!】

クラシックなデザインにシマノ製21速を採用して2万円台!!

 

グランディール

ロードバイク 700C

2万3215円

日本企画・中国製造の超低価格ロードバイク。クラシックかつシンプルななスポルティーフ風デザインに、シマノ製の変速コンポーネントを採用しています。ロードバイクながら、サムシフター方式21速の珍しい仕様です。

SPEC●タイヤサイズ:700×28c●シフト段数:21段●全長×全幅:1690×440㎜●質量:14.6㎏

 

●実売価格やサービス内容、ランキングは、2018年6月13日現在、編集部調べの情報です。最新の価格やサービス内容はAmazon.co.jpでご確認ください

●AmazonおよびAmazon.co.jpは、Amazon.com,Inc.またはその関連会社の商標です

Amazon.co.jpの「カー用品」ベストバイはどれだ? 空気清浄機からドライブレコーダーまで色々紹介

話題のドライブレコーダーやコンパクトなクリーナーなどの通電アイテムから、スマホスタンドやクッションなどの小物まで、Amazon内の幅広いジャンルからセレクト。ドライバーと同乗者、両方の目線から、リアルな使い勝手をレビューします。

 

【レビューした人】

本誌クルマ担当 川内一史

趣味であるゴルフの行き帰りなどでロングドライブの機会が多い。ドラレコの導入を検討しています。

 

【その1】シガーソケットに挿し込むとマイナスイオンが車内の空気を浄化

Idealmuzik

JO-6281

1599円

シガーソケットに挿し込んで駆動する、車内用の空気清浄機。食べ物やタバコ、エアコンなどのイヤなニオイをカットできるほか、本機から発生するイオンの効果で花粉対策にもなる。超小型で邪魔にならず、香りでごまかさないので気分が悪くなることもありません。

 

↑駆動時は青色のLEDライトが点灯。省スペースで設置できて安価のため、導入して損はありません

 

【その02】フルHD対応&広角170°レンズで昼夜を問わずキレイに撮れる!

TOGUARD

CE65

3980円

300万画素CMOSセンサーと対角170°のレンズにより、高画質で広いエリアを撮影できます。Gセンサーを内蔵し、動きを検知すると自動で録画が始まるので安心。小型で運転中も視界を邪魔せず、しっかり固定できつつも、取り外しが楽チンな吸盤を採用しているのも良かったです。

 

↑かなり小さいため設置の自由度は高いです。モニターの両脇に備えたボタンは見やすく、直感的に操作できます

 

【その03】扱いやすい小型ハンディながら吸引力もまずまず!

HOTOR

乾湿両用カークリーナー

2630

シガーソケットから給電するタイプのハンディクリーナー。3種のアタッチメントを同梱し、ホコリやゴミ、髪の毛のほか、こぼした飲み物もパワフルに吸い込みます。電源コードは5mと長く、大型車でも隅々まで掃除可能です。

 

↑コードが長いためトランクも余裕で届く。LEDライトを備えるため、陰になっている箇所も掃除しやすいです

 

【その04】ダッシュボードにしっかり吸着されてワンタッチでロック&リリース!

Smart Tap Easy One Touch 2

2490

伸縮アームを備えたスマホホルダー。スマホを押し付けてホルダーのボタンを押すと挟み込まれます。ダッシュボードに取り付ける粘着ゲル吸盤の吸着力は抜群で、停車時に片手でスマホを操作してもブレにくい。

 

↑運転席から片手で快適に操作できました。カーナビアプリなどを利用している人にオススメです

 

【その05】ヘッドレストに取り付ければタブレットで動画鑑賞

iSmile

後部座席車載用タブレットホルダー

1480

前席のヘッドレストバーに取り付けて、後部座席で7〜11インチのタブレットを使用できる。好きな動画を存分に楽しめるため、渋滞時でも子どもが退屈しない。角度を細かく調整可能で、3人が見やすい位置にセットできました。

 

【その06】独自の立体構造と7つの突起で背中と腰をサポート

IKSTAR

低反発クッション ランバーサポート

3580

腰や背中への負担を軽減する、低反発ウレタンフォーム製クッション。7つの突起で背骨を伸ばし、独自の立体構造で体圧を分散することでリラックスできます。ロングドライブ後の疲労感がいつもより小さかったです。

 

↑圧迫感がなく、腰がゆっくりと沈み込む適度な柔らかさが絶妙。オフィス用としてもオススメです

 

【CHECK!】

Auto Parts Finderを使えば愛車の適合アイテムを絞り込める!

専用ページ(https://www.amazon.co.jp/adp-auto/garage)から自分の愛車の情報を登録するとAmazonでカー用品を検索した際に、愛車に適合する製品だけに絞り込める。いちいち確認する必要がないのがうれしいです。

 

↑メーカー名と車種、年式を登録。手入力ではなく選択できるようになっています

 

●実売価格やサービス内容、ランキングは、2018年6月13日現在、編集部調べの情報です。最新の価格やサービス内容はAmazon.co.jpでご確認ください

●AmazonおよびAmazon.co.jpは、Amazon.com,Inc.またはその関連会社の商標です

珍しいどんでん返し! 「Uber」のピーク料金規制を巡りホノルル市長が土壇場で待った!

世界のさまざまな都市と同じように、ハワイでもUberのほか、アメリカ発のLyftなどの配車サービスの利用者が急激に増えています。しかし、このたびハワイで問題として上がったのが、利用者が増加する時間帯に乗車料金も上がる「ピーク料金」のシステムについて。ホノルル市議会で、このピーク料金に上限を設けようとする法案が可決されました。しかし……

 

UberやLyftのピーク料金とその問題

一般の人がドライバーとして登録をしておき、利用者は専用アプリを使って、近くを走行する登録車をつかまえて乗車することができるというのがUberやLyftの配車サービス。従来のタクシー料金よりも割安で利用できるとあって、世界中の都市で利用が拡大しています(日本は違いますが)。

 

ただ気をつけておきたいのが、タクシーの料金とは違って、UberもLyftも乗車料金が高くなる時間帯があること。Uberは「ピーク料金」、Lyftは「プライムタイム」と呼び、ラッシュアワーのように、利用者が増える時間帯やドライバーが少ない時間帯など、需要が多いときに乗車料金も上昇するというもの。この料金の引き上げ率は数パーセントの場合もあれば、2倍、3倍と上昇することもあります。

 

年末やハロウィンなどのイベントが行われた日は、乗車希望の人は多いのにドライバーの数が極端に少なくなり、「数百ドル(数万円)を請求された」という不満の声がSNS上などであがることも少なくありません。この料金制度には上限が設定されていないため、結果として、タクシーよりも割安で利用できる配車サービスなのに、タクシー料金よりも高額を請求されることになったというケースがあるようなのです。

 

ホノルル市議会でピーク料金に上限設定を求める法案が可決

6月、ホノルル市議会で論じられたのが、UberやLyftの配車サービスの料金に上限を定める法案を作るというもの。ハワイではUberの料金は、タクシー料金のおおよそ40%と言われています。しかし、Uberのピーク料金が適用されたため、「タクシーで$44の区間を、Uberに$221請求された」というケースも過去にあるそう。そんなUberなどの配車サービスの料金高騰を防ぐことが、この法案制定の目的です。

 

一方、Uberはこの法案に反発。乗車料金を上げることで、需要があるエリアにドライバーを向かわせて、利用者の待ち時間を短くできると主張。さらにドライバーへのインセンティブとなり、ドライバーのモチベーションを高められるとしています。

しかし、ホノルル市長は自由競争を重視

この法案は議会を通過して、あとは市長の署名を待つのみとなっていました。アメリカで初めて、配車サービスに上限が設定される法案が制定すると思われたものの、ホノルル市長が出した結論は法案の承認ではなかったのです。その主な理由は、交通サービス各社の競争力を高めていきたいから。

 

その代わり、従来のタクシーで用いられていた、走行距離に応じた料金システムと、乗車前に支払料金が確認できるシステムのどちらかを、利用者が選択できるという立案を提案。タクシー会社への規制についても緩和することが検討されています。

交通渋滞がひどく、公共の交通機関はバスしかないオアフ島ホノルルでは、交通手段の選択肢が増えることは、観光で訪れた旅行客だけでなく地元民にとっても歓迎するべきことと捉えられているでしょう。議会の承認を得た法案に、現市長が異論を唱えることは比較的珍しいケースと言えるかもしれません。タクシーも配車サービスも競争力を高め、利用者にとってさらに便利なサービスを提供してもらえるよう、新しい仕組み作りに今後も期待していきたいところです。それはきっと日本にも遅かれ早かれ影響を与えるでしょう。

清水草一がホンダ N-BOX を徹底解剖!「機能に徹したこの雰囲気がイイ」

ベテラン自動車ライターの永福ランプとフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載。今回はいま日本で一番売れているクルマを取り上げます。

 

【登場人物】

永福ランプこと清水草一

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどで、クルマを一刀両断しまくっています。2018年になってペンネームを「MJブロンディ」から「永福ランプ」へ変更。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

安ド

元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。永福ランプを慕い「殿」と呼んでいます。

 

【今回のクルマ】ホンダ N-BOX

SPEC【G・L ホンダ センシング(FF)】●全長×全幅×全高:3395×1475×1790㎜●車両重量:890㎏●パワーユニット:658㏄直列3気筒DOHCエンジン●最高出力:58PS(43kW)/7300rpm●最大トルク:6.6㎏-m(65Nm)/4800rpm●カタログ燃費:27.0㎞/ℓ●138万5640円〜227万4480円

 

機能に徹したこの雰囲気がイイ!

安ド「殿! この連載も今回でついに150回(※)です!」※本誌掲載時

清水「そうか」

安ド「月刊誌で150回ということはえーと、12年半です!」

清水「まだそんなものか」

安ド「えっ! 12年ってすごいじゃないですか!」

清水「いや、もっと長く続いているような気がしてな。私が少年のころから」

安ド「まさか。まだ免許すら持ってないじゃないですか!」

清水「そうだった」

安ド「ところで今回は、連載150回を記念して、日本一売れているクルマを借りてきました!」

清水「ホンダのN-BOXだな」

安ド「そのなかでも、いま最も売れているグレードだそうです!」

清水「意外にもカスタムではないのだな」

安ド「はい。この『G・L ホンダセンシング』が、僅差ながら一番売れているそうです!」

清水「ノーマルのN-BOXは、何だかホッとするな」

安ド「殿はカスタムがお嫌いですか?」

清水「うむ。あのギラギラしたヤンキーテイストがダメだ。しかしノーマルは枯れた感じでイイ。機能に徹したこの雰囲気、ほとんど商用だ」

安ド「それは良い意味ですか?」

清水「もちろんだ。例えればシトロエンのHトラックのような」

安ド「〝アラレちゃん〟に出てきたトラックですね。僕もノーマルのほうがオシャレだし、センスが良いと思います! この黄色と白のツートンカラーも良いですね。ツートンカラーは6〜8万円くらい高いそうですが」

清水「それだけで遊び心が感じられる。N-BOXを買う人は、意外とそういったオプションをバンバン付けて、総額200万円オーバーも普通だと聞く」

安ド「そうなんですか!?」

清水「これも車両本体価格が約150万円と決して安くはない。普通車コンパクトのパッソやヴィッツのエントリーグレードよりむしろ高いが、売れまくっておる」

安ド「どうしてでしょう?」

清水「一般ユーザーは、車両価格より維持費の安さを優先する傾向がある。軽ならとにかく維持費が安い。そして、なるべく長く乗りたいから装備はケチらない。結果、総額200万円のN-BOXが売れまくる。そういう流れなのだろう」

安ド「さすが殿、慧眼です!」

清水「まったくのあてずっぽうだ」

安ド「ガクー! でもN-BOXが販売台数1位になる前は、ずっとプリウスやアクアが1位だったわけですよね」

清水「その通り。N-BOXはどれだけオプションを付けても、プリウスやアクアよりはかなり安い」

安ド「つまり、“日本一売れるクルマ”が、前より安いクルマになったわけですね?」

清水「うーむ。そう考えると、まだまだデフレマインドは続いておるのかもしれぬな……」

 

【注目パーツ01】2トーンカラー

多彩なカラーから選択可能

4種類のおしゃれな2トーンカラーが設定されていて、さらに単色も12色用意しています。売れているクルマは他の人と同じになってしまって嫌という人も多いようですが、これならオリジナリティを出せることでしょう。

 

【注目パーツ02】エンジン

街中の通常走行で不満なし

キープコンセプトの二代目モデルながら、プラットフォーム(車体骨格)とエンジンは新開発されました。ターボとノンターボの2種類がありますが、こちらはノンターボ。といっても動力性能に不満はなく、十分キビキビ走ります。

 

【注目パーツ03】タイヤ角度モニター表示

車庫入れ時の心強い味方

車庫入れなどの際、メーターディスプレイの左側にタイヤの状態がデジタル表示されます。何度か切り返しをしていると、いまタイヤがどちらを向いているかわからなくなってしまう人も多いようですが、これならすぐわかりますね。

 

【注目パーツ04】テールゲート

独自設計で荷室の広さを確保

燃料タンクを後席下に置かない設計により、開口部の高さが先代モデルと比べて低くなりました。一方で、先代と同様に床が低くて天井は高いので、リアシートを前方へ倒すだけで、自転車を折りたたまずに積載することができます。

 

【注目パーツ05】助手席スーパースライドシート

ファミリー目線でうれしい超便利機能

最量販グレードには設定されていませんが、助手席のロングスライド機能が便利です。助手席を目一杯後方へ下げれば、後席の子どもの世話ができますし、後席と運転席との間の車内移動も可能となるのです。

 

【注目パーツ06】運転席アッパーボックス

小物を入れる場所が豊富

新型ではメーター搭載位置が上方へ移動されました。運転時の目線移動距離が少なくなることは安全運転につながります。そして、空いた場所には小物入れを搭載。収納はほかにもたくさんあり、小物の受け入れ体制は盤石です。

 

【注目パーツ07】ヘッドライト

ライトが眩しくないか自動判断

まるで目のようなリング状の可愛いLEDライトが全グレードで標準装備。また「ホンダ センシング」の機能のひとつ、オートハイビームが搭載されているので、前方の状況を考慮して自動でハイ/ロービームを切り替えます。

 

【注目パーツ08】ハンズフリースライドドア

手が離せないときでも開けられる

いまや同クラスの軽自動車では当たり前の電動スライドドア。さらに、N-BOXにはキーさえ携帯していればドアの下に足を踏み出すだけで自動開閉する機能がオプション設定されています。最初は上手くできませんが、慣れれば簡単です。

 

【注目パーツ09】Aピラー

視界をさらに広くする工夫

Aピラー(フロントウインドウとサイドウインドウ間の柱部分)が極細化されたことで、運転席からの視界が良くなりました。もちろん堅牢なボディ構造が採用されているので、衝突安全性能にはさほど影響ありません。

 

【これぞ感動の細部だ】ホンダ センシング

突入事故にも歯止めをかける

安全運転支援システム「ホンダ センシング」が、軽としては初めて、しかも全グレードに標準搭載されました。さらに衝突軽減ブレーキや車線維持支援といった従来の機能に加え、後方誤発進抑制機能を追加。これは真後ろに障害物がある状態でアクセルを踏み込んだ場合に、後方への急発進を抑制します。コンビニなどへの突入事故が減るかもしれませんね。

 

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

清水草一がボルボ XC40を徹底解剖! 「日本の軽自動車のような使い勝手のいいインテリア」

ベテラン自動車ライターの永福ランプこと清水草一とフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載です。今回はボルボの新世代プラットフォーム(骨格)と先進安全装備が採用されたSUVをチェックしました!

 

【登場人物】

永福ランプ(清水草一)

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどで、クルマを一刀両断しまくっています。2018年になってペンネームを「MJブロンディ」から「永福ランプ」へ変更。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

安ド

元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。永福ランプを慕い「殿」と呼んでいます。

【今回のクルマ】ボルボ XC40

SPEC【T5 AWD Rデザイン】●全長×全幅×全高:4425×1875×1660㎜●車両重量:1690㎏●パワーユニット:1968㏄直列4気筒DOHCターボエンジン●最高出力:252PS(185kW)/5500rpm●最大トルク:35.7㎏-m(350Nm)/1800-4800rpm●カタログ燃費:12.4㎞/ℓ●389万〜549万円

 

「日本の軽自動車のような使い勝手のいいインテリア」

安ド「殿! 今回はボルボの最新コンパクトSUV、XC40です!」

清水「それにしても不思議だな」

安ド「なにがです?」

清水「ボルボはなぜこんな良いクルマが作れるのか」

安ド「と言うと?」

清水「ボルボは規模の小さいメーカーだ。グローバル販売台数は三菱自動車の約半分」

安ド「たった半分ですか!?」

清水「親会社は、中国の民族系自動車メーカー・吉利汽車」

安ド「そうでしたっけ!?」

清水「なのに、こんなに良いクルマを作っている。このクルマ、カッコ良いし乗っても実に良い」

安ド「確かに!」

清水「スタイルは凝縮感が高く、それでいて遊び心もある」

安ド「クールさとかわいさを両立していると思います!」

清水「逆スラントしたこのノーズなんて、いまどき特徴的でステキじゃないか」

安ド「力強いですね!」

清水「ボディはレンガのようにしっかりしていながら、乗り心地も快適だ」

安ド「SUVなので車高が高いのに、コーナーで不安定感がまったくなく、スイスイ曲がって気持ち良かったです!」

清水「エンジンもパワフルだな」

安ド「2ℓターボですが、アクセルを踏むと、モリモリ力が湧いてきますね!」

清水「そして私が何より感心したのは、インテリアだ」

安ド「さすが北欧のクルマですよね!」

清水「いや、私が感心したのは、北欧家具みたいだとかいうことよりも、日本の軽自動車みたいだったことだ」

安ド「は?」

清水「まず、小物入れが多い」

安ド「そう言えば」

清水「ボルボと言えば、フローティング・センタースタックなど、オシャレだけれど使いづらいインテリアで有名だったが、XC40は違う。その部分がドーンと大きな小物入れになっている」

安ド「ですね!」

清水「しかもセンターコンソールのヒジ置き内にはボックスティッシュが入り、その前にはゴミ箱も装備されている」

安ド「僕もティッシュが入るのにはビックリしました!」

清水「グローブボックスには、レジ袋掛けまであるから恐れ入った」

安ド「確かに日本の軽自動車みたいです!」

清水「それでいて生活臭はなくオシャレさん」

安ド「内装のフェルト生地なんかもステキでした!」

清水「ボルボがフォード傘下のときは、こんな良いクルマは作れていなかったぞ」

安ド「そう言えばそうですね……」

清水「なぜ中国資本傘下に入った途端、こんな良いクルマを作るようになったのだろう」

安ド「……人海戦術ですか?」

清水「んなわけないだろう」

 

 

【注目パーツ01】フロントフェイス

ブルドッグのような顔つき

2016年に発表された「40.1」というコンセプトカーほぼそのままという、エキセントリックなデザインです。特にグリルの上部がなんとなく前方に突き出ているブルドッグみたいな顔つきは、オリジナリティに溢れていてオシャレ!

 

【注目パーツ01】Cピラー

モダンさを感じさせるライン

車体側面のウエストラインが、サイドウインドウとリアウインドウ間のCピラー(柱)の部分で一気に上へ向かっています。このあたりは先行モデルのXC90やXC60とは印象が異なりますが、モダンで挑戦的なデザインに好感が持てます。

 

【注目パーツ03】グローブボックス・フック

まるで国産車のような親切装備

助手席前のグローブボックス中央には、袋などをぶら下げられるフックが付いています。国産の軽やコンパクトカーのような親切装備で、お買い物の際にとても便利です。フックは収納しておくこともできます。

 

【注目パーツ04】フェルト生地

素朴な雰囲気を醸し出す

オレンジ色の部分には、触るとふわふわのフェルト素材が採用されています。ちなみにフェルトの発祥は中央アジアらしく、ボルボの祖国・スウェーデンとはまったく関係ないようですが、素朴なオシャレ感が好印象です。

 

【注目パーツ05】カード挿し

懐かしくも新しい2つのカード用スリット

運転席右前にはカード保管用のスリットを備えています。ひと昔前にはカード挿しがあるクルマもよくあったものですが、最近はすっかり見なくなりました。一体何のカードを挿しておくべきか悩みますが、ひと回りして新しい感じがします。

 

【注目パーツ06】大容量ドアポケット

スピーカー移設でスペース確保

収納が多くて便利ですが、ドアポケットも前後に長く、タブレットも収納できます。なぜこんなに大きくできたかといえば、ドア前方下部にたいてい備わっているはずのスピーカーがダッシュボード奥に移設されているからです。

 

【注目パーツ07】デコレーションパネル

グレードごとに車内のイメージを演出

ダッシュボードにはグレードごとに見た目の異なるパネルが設定されています。写真はその名も「カッティングエッジ・アルミニウム」で、シャープな印象。ほかにもウッド調や地図柄などがあり、室内のイメージが変わってきます。

 

【注目パーツ08】ダストボックス

あると便利なゴミ箱を標準搭載

ゴミ箱っぽい収納があるクルマはあっても、こうやってわかりやすくフタ付きのゴミ箱が付いているクルマは珍しいですね。後方のヒジ置き内にはボックスティッシュも収納できます。外から見てわからないのが美点です。

 

【注目パーツ09】スマホワイヤレス充電器

これなら置き場に迷わない

センターディスプレイの下部には、一部の国産車で見られるスマートフォンの“置くだけ充電”機能が採用されています。同機能の対応機種でないとしても、スマホをしっかり固定しておける置き場として重宝します。

 

【これぞ感動の細部だ】ラゲッジスペース

便利で多彩なアレンジ

容量もそれなりですが、アレンジにアイデアが溢れていて便利です。後席の左右分割可倒はもちろん、床板を折り曲げれば便利なフックが使えます。さらにフタ部分のトノカバーは床下に収納することもできる設計になっています。両手がふさがっていてもバンパー下で足を動かすだけでゲートが開閉するハンズフリー機能も魅力です。

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

清水草一がトヨタ「ヴェルファイア」を徹底解剖!「マイホームのような安らぎを覚える一台」

ベテラン自動車ライターの永福ランプこと清水草一とフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載です。今回はトヨタの“フラッグシップミニバンブラザーズ”の弟分、ヴェルファイアに試乗しました。「なぜか心が安らぐ」というこの車の真価とは?

 

【登場人物】

永福ランこと清水草一

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどで、クルマを一刀両断しまくっています。2018年になってペンネームを「MJブロンディ」から「永福ランプ」へ変更。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

安ド

元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。永福ランプを慕い「殿」と呼んでいます。

 

【今月のクルマ】トヨタ ヴェルファイア

SPEC【ハイブリッド・エグゼクティブ ラウンジZ】●全長×全幅×全高:4930×1850×1950㎜●車両重量:2220㎏●パワーユニット:2493㏄直列4気筒DOHCエンジン+2モーター●エンジン最高出力:152PS(112kW)/5700rpm●エンジン最大トルク:21.0㎏-m(206Nm)/4400〜4800rpm●カタログ燃費:18.4㎞/ℓ●335万4480円〜750万8160円

 

マイホームにいるような安らぎを覚える

安ド「殿! 今回はマイナーチェンジしたヴェルファイアです!」

清水「アルファードではないのか?」

安ド「弟分のヴェルファイアです!」

清水「アルファードのほうが好きなのだが」

安ド「な、なぜですか!?」

清水「それは、あの銀歯を剥き出したような顔が好きだからだ」

安ド「ええ〜〜〜〜っ! エレガントなフェラーリを愛する殿が、あんなイカツい顔が好きなんですかぁ!?」

清水「フェラーリはクルマ界の究極形だが、アルファードの顔もまた究極。何ごとも究極は尊い。一方、ヴェルファイアの顔は従来の延長線上にあり、斬新さはない」

安ド「すいません、取材車がヴェルファイアしか空いてなかったもので……」

清水「なら仕方ないな」

安ド「今回はヴェルファイアのなかでも、一番ゴージャスなグレードの“ハイブリッド・エグゼクティブ ラウンジZ”ですので、ご勘弁ください!」

清水「うむ。実にゴージャスな装備だった」

安ド「運転席での乗り心地が良くてビックリしましたが、2列目はさらに快適だったのでは?」

清水「いや、あまり快適ではなかった」

安ド「ええ〜〜〜っ!?」

清水「このクルマは重心が高すぎる。だから少しの段差を乗り越えるときでも、大きく揺れる。クルマは重心が高すぎると乗り心地が悪くなるのだ」

安ド「ま、そう言われれば」

清水「バカデカいスライドドアのせいで、ボディ剛性も低い。これも乗り心地に悪影響を及ぼす」

安ド「僕はメチャメチャ乗り心地が良いと思ったんですが……」

清水「平坦な道を走っているときは、フワフワ快適なのだが」

安ド「考えて見れば、このクルマ、フェラーリ好きの殿の好みに合うはずないですよね!」

清水「いや、2列目はともかく、運転するのはわりと楽しかった」

安ド「ええ〜〜〜っ! 2列目でふんぞり返るよりですか?」

清水「うむ。このクルマを運転していると、なぜか心が安らぐのだ」

安ド「デカすぎて、杉並区の狭い道では、あまり心が安らぎませんでしたが……」

清水「いや、ボディが四角いため見切りが良く、狭い道でも大きな問題はなかった。宅配便のトラックのような感覚だ」

安ド「見切りが良いから安らぐんですか?」

清水「言うなれば、このクルマはヤドカリなのだ。ヴェルファイアに乗っていると、家ごと移動しているような感覚があるだろう?」

安ド「確かに、部屋が動いているようです」

清水「どこか、マイホームにいるような安らぎを覚える。人気があるのもうなずけるな」

安ド「こんなゴージャスなマイホームが欲しいです……」

 

【注目パーツ01】ラゲッジ床下収納

床板をはがすと隠し収納が出現

 3列目シートの下には大容量(148ℓ)の床下収納が隠されています。これだけ広いと漬物でも貯蔵したくなりますね。スライドレールの下にあるので、収納を開けない時は3列目シートを後ろのほうまで下げることもできます。

 

【注目パーツ02】シルバー木目加飾

 新感覚のメタリックなウッドデザイン 

インテリアのパネルには3Dプリント技術によって立体の陰影を組み合わせたシルバーの木目加飾が施されています。樹木のような細かな紋様がありながら、光が当たると金属的な輝きをみせる見応えのあるデザインです。

 

【注目パーツ03】リアサスペンション

ラグジュアリーな乗り味を演出

 

高級セダンなどに採用される「ダブルウィッシュボーン」という形式のリアサスペンションが搭載されています。コストはかかりますが、優れた乗り心地と操縦安定性を実現します。新時代の高級ミニバンとして象徴的な装備ですね。

 

【注目パーツ04】LEDルーフカラーイルミネーション

 車内をムーディな雰囲気に

天井にはライン状のイルミネーションが搭載されており、夜の車内空間にムードのある雰囲気を生み出してくれます。カラーは16色から選ぶことができますが、あまり派手な色にしておくと周囲から怪しい人だと思われそうです。

 

【注目パーツ05】ヘッドランプ&グリル

 押し出し感をアピール

 

豪華さや重厚感を特徴としてきた歴代ヴェルファイアですが、最新型ではさらなるインパクトを生み出すべく、二段ヘッドライトの下にビローンと伸びた盾のようなパネルを採用しました。何かがぶつかってもはね返しそうです。

 

【注目パーツ06】アシストグリップ

 バリアフリー対応もバッチリ

2列目シートの乗降時に便利な“取っ手”が備えつけられています。先代よりグリップが大型化したそうで、子どもから高齢者までうれしい装備です。ちなみに乗降口のステップも低くなっていて、やはり乗り降りしやすくなっています。

 

【注目パーツ07】トヨタ・セーフティ・センス

ステアリング操作もアシストしてくれる

 

カメラやミリ波レーダーを用いた衝突回避支援システムで、自転車の運転者や夜間の歩行者回避にも対応します。車線逸脱を避けるためのステアリング操作アシスト機能も追加されており、超常現象のように自動でぐいぐいハンドルが動きます。

 

【注目パーツ08】ウェルカムパワースライドドア

 近づくだけで開く自動ドア

 

事前に設定しておけば、スマートキーを持ったまま車両に近づくだけで、スライドドアが自動開錠して開くという、まるで手品のような新機能が搭載されています。開くスピードはゆっくりですがリッチな気分が味わえます。

 

【注目パーツ09】サイド&リアウインドウ

 ボディサイズを感じさせないデザイン手法

 運転席&助手席後方のピラー(窓間の柱)より後方のピラーがすべてブラックアウトされているので、フロントウインドウ以外のすべてのウインドウがつながっているかのよう。重厚なボディをスマートに見せるアイデアです。

 

【これぞ感動の細部だ】エグゼクティブパワーシート

広く柔らかく乗り心地も最上級

 

上級グレードにのみ設定される、ラグジュアリー仕様のエグゼクティブなシートです。シート幅は通常のものより広く、クッション性も高いので座り心地は抜群です。そのうえ、電動式のオットマンや温熱機能、ベンチレーション機能、格納式テーブルまで備えています。車高の高さからくる揺れは気になりますが、くつろいで乗っていられます。

 

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

メリットや課題は? 「個人間カーシェアリングサービス」利用者の生の声を聞く

DeNAが提供している個人間カーシェアリングサービス「Anyca(エニカ)」の交流イベントが、2018年6月29日、「cafe 1886 at Bosch Cafe」(東京・渋谷)で開催された。このイベントは、クルマを貸し出すオーナーと、借りる利用者が定期的に交流する場としてAnycaを主宰するDeNAが企画しているもので、この日は約70人の利用者が集まって、交流を深め合った。

↑東京・渋谷にある「cafe 1886 at Bosch」で開催された個人間シェアリング「Anyca」の交流イベント

 

↑交流会には約70人が集まり、Anycaを主宰するDeNAやBoschのスタッフも紹介された

 

使わない時間を有効活用。愛車の貸し出しに抵抗はない?

自家用車を個人間で貸し借りするカーシェアリングサービスとするAnycaがスタートしたのは、2015年9月のこと。マイカーを所有者が実際に使う利用率は平均すると5%を下回ると言われるが、そのマイカーを使わない時間帯を第三者に有料で貸し出して有効活用しようというのがこのサービスの目的だ。ただ、見知らぬユーザー間でクルマの貸し借りをするのは不安も残る。そこで、交流会を通して互いの信頼関係を深めてもらうことが重要として、月に一度のペースでこのイベントは企画されているのだという。

 

個人間シェアリングで重要なことは、サービスはあくまで「個人間の共同使用契約であって、レンタカーのような営利を目的とするものではない」(DeNA)ということ。そのため、レンタカーよりも低料金で貸し出すことができ、同時にオーナーが持つ個性的なクルマを借りられるというレンタカーでは体験できないようなメリットがある。フェラーリなど“超”がつくような高級車は登録できないが、それでも高級スポーツカーから高級セダン、SUVなど約500種類が登録済み。普段ではまず乗れないようなクルマがリーズナブルな料金で借りられるのが最大の魅力と言えるだろう。

 

Anyca未体験者として気になるのは、愛車を貸し出すことに抵抗はないのだろうか、ということ。クルマ好きならなおさら愛車へのこだわりは強いはずだし、それを第三者へ貸し出すことなど個人的にはあり得ないとも思っていたからだ。

 

しかし、この日、参加したオーナー数人に話を聞いたところ、その抵抗はなかったという人ばかりだった。むしろ、「使っていないときに第三者が使うことでお小遣いが稼げる」ことへの期待感が強く、このサービスを知るきっかけも自らこのサービスを検索して探し当てたという人が多かったほどだ。

↑東京・神楽坂でAudi A3をオーナーとして貸し出している井口さん(仮名)。これまで大きなトラブルはなく、利用者との良い関係が築けていると話す

 

↑オーナーとして参加した豊川夫妻(左2人)、永田さん(中央)、半田さん(右)。豊川夫妻は4WDのトヨタ・プラドを所有し、この冬は毎日のように貸し出す日々が続いたという

 

↑上原さん(左)は交流会初参加。利用者として参加した金子さん(中央)、濱田さん(右)は利用者とオーナーの両体験を持つ

サービスの信頼性を高めるさまざまな工夫

その高い信頼性はどこにあるのか。

 

Anycaの利用方法は、まずクルマを借りる利用者と貸し出すオーナーそれぞれが、スマートフォンのAnycaアプリで会員登録を行うことから始まる。ここでオーナーはクルマの写真を掲載するほか、シェアする条件を細かく提示することができる。借りる側もオーナーも登録料は無料だ。登録を終えたら、次に利用者はアプリで貸出車両の検索や予約を行ってオーナーにリクエストを出し、リクエストが承認されればその時点で予約が確定する。

 

このサービスではアプリ内のチャット上で、貸出条件の設定や利用者との連絡が事前に行えるようになっている。貸出時には利用者とオーナーとが実際に会うことがほとんどで、これによって利用者側に「レンタカーではなく個人のクルマを借り受けるんだ」という意識が芽生えてくる。これがトラブル発生の抑止力となっているらしいのだ。

 

また、支払いの際、利用者とオーナー間で直接金銭を授受することはない。貸し出す料金はオーナーや車種によって異なるが、利用者はクレジットカード決済でDeNAに利用料金を支払い、DeNAは利用料金の10%を手数料として差し引き、翌月末にまとめてオーナーの銀行口座に振り込む。これは金銭上のトラブルを基本的に発生させないためだ。なお手数料はシェアが成立して初めて発生する仕組みとなっている。

 

このサービスは現状、登録台数の大半が東京23区に集中しているなど、主として都市部でのサービスとして成り立っている。これについてDeNAは「クルマの受け渡しをする利便性を踏まえるとやむを得ない面がある」とコメント。ただ、地域によっては、たとえば沖縄のような観光地ではすでに何台かの登録があり、旅行で那覇を訪れた人がAnycaのサービスを利用している例もあるという。この日の参加者のなかからも、実家のある群馬県で貸し出し、利用者はそこまで渋滞知らずの新幹線を利用し、軽井沢でのドライブを楽しんで帰るといった例も紹介されていた。

 

とはいえ、いくら気をつけてもクルマを走らせる以上、事故などのトラブルの発生はつきものだ。そこでAnycaでは、東京海上日動火災保険と提携し、専用の1日自動車保険を用意して利用者に保険の加入を義務付けている。さらにロードサービスが付帯されており、この日の交流会でもBoschによるクルマのトラブル相談会も開催された。Bosch側も、このサービスに対してどう参画していけばいいのかを模索中だという。こうしたサポートもサービスの下支えになっていくものと思われる。

↑この日の交流会はAnycaとBoschのコラボイベントとして開催。Boschとして今後どう参画していくか模索していくという

 

↑クルマのトラブルなどへの対応に関して、ボッシュのメカニックが相談に乗るコーナーも用意された

 

懸念材料はあるが、個人間カーシェアリングの動きは広がりそう

ただ、参加者の話を聞いていくなかで、懸念材料もいくつか見受けられた。

 

1つは十分な確認をしないままでクルマを受け渡し、オーナー側から傷の発生を指摘された例だ。互いに言い争いとなって最後には裁判へ発展するかもしれない事態となり、その時点でオーナー側が引き下がったのだという。

 

2つ目は、利用中に車両トラブルからエンジンの載せ替えを強いられた例。この事例ではオーナー側としては「計器上で警告が出ていたにもかかわらず走行を続けた」として利用者への責任を問い、利用者は「車両トラブルは考えもしないことで、きちんと整備していなかったのではないか」とオーナーを責める。結果としてオーナー側が自らの判断で修理を負担することになったという。

 

利用料金でも少なからず不安を覚えた。というのもオーナー側が稼働率を上げるために、周囲の相場より料金を下げて過当競争に陥りはしないかという懸念だ。さらに言えば、オーナーが貸すことを優先してしまい、オーナー自身がクルマの利用を制限してしまう事例もあるという。もちろん、これらはオーナー側の判断に委ねられるわけで、違反行為ではない。ただ、その話を聞いていると、Anyca本来の目的である「利用しない時間帯を有効活用する」ということから外れてしまってはいないだろうか、と思ったりもする。

 

とはいえ、日本は諸外国に比べてマイカーの維持費が桁違いに高い。そんな状況下で、車庫に眠っているマイカーを有効活用し、その負担を軽減していこうとする考え方が浸透していくのは時間の問題と思う。自動車メーカーもそうした動きには敏感になっており、ホンダは今年3月にAnycaを通して自社のクルマを知ってもらう目的で参画した。

 

こうした動きは、クルマ離れがささやかれる若者たちにとっては、関心のあるクルマに低価格で乗れる絶好のチャンスともなる。今後、サービスが全国規模へと広がっていくときに、信頼できるネットワークをどう構築できるかが、個人間カーシェアリングを定着させるカギとなっていくだろう。

↑交流会では、どうすれば利用率が上がるか、信頼性を獲得できるかなどの参考事例も数多く紹介された

 

 

清水草一がスズキ「スイフトスポーツ」を徹底解剖!「普通のスイフトとはまるで別モノだ!」

ベテラン自動車ライターの永福ランプこと清水草一とフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載。今回は、スイフトのスポーツ仕様で、新たにターボエンジンを搭載したコンパクトスポーツをチェック!

 

PROFILE

永福ランプこと清水草一

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。自動車評論家としてはもはやベテランの域で、様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどに寄稿し、独自の視点でクルマを一刀両断しまくっています。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

安ド

元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。MJブロンディを慕い「殿」と呼んでいる。

 

【今回のクルマ】スズキ スイフトスポーツ

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スズキ

スイフトスポーツ

183万6000円〜190万6200円

SPEC【6速MT】 ●全長×全幅×全高:3890×1735×1500mm ●車両重量:970kg ●パワーユニット:1371cc直列4気筒DOHCターボエンジン ●最高出力:140PS(103kW)/5500rpm ●最大トルク:23.4kg-m(230Nm)/2500〜3500rpm ●カタログ燃費:16.4㎞/リットル

 

安ド「殿!新型のスイフトスポーツ、いかがでしたか!」

清水「スバラシイな!」

安ド「えっ!確か殿は、新型スイフトの通常モデルに関しては、あまり評価は高くなかったのでは?」

清水「その通り。ボディを軽量化しすぎた影響で、ペナペナ感があった」

安ド「なのにスイフトスポーツはスバラシイのですか?」

清水「スバラシイ!普通のスイフトとはまるで別モノだ!」

安ド「確かに、ボディもしっかり感じましたが……」

清水「実はスイフトスポーツは、普通のスイフトに比べると100kg以上重い。それはボディを強化したためだ」

安ド「そうだったんですね!」

清水「重くはなったが、エンジンは1.4リットルターボ。パワーがまるで違うので、加速も段違いだ!」

安ド「ビックリするくらい速く感じました!」

清水「理由は、本車がハイオク仕様である点にある!」

安ド「そうなんですか!?」

清水「このエンジンは、いわゆる直噴ダウンサイジングターボ。低い回転からのぶ厚いトルクと低燃費が特徴だが、レギュラー仕様だとガックリ元気が出なくなる」

安ド「な、なぜですか!?」

清水「ガソリンのオクタン価が低いと、ダウンサイジングターボはすぐノッキングしてしまうのだ」

安ド「へぇ〜……」

清水「しかしハイオク仕様なら、それを防止できる。欧州製のダウンサイジングターボも、すべてハイオク仕様だろう?」

安ド「ですね」

清水「しかし日本では、ハイオク仕様はゼイタク仕様。それこそが、国産車にダウンサイジングターボが普及しない壁なのだ。普通のスイフトにも、RStという1.0リットルターボモデルがあるが、レギュラー仕様のため、パワーもトルクも物足りなかった」

安ド「そうだったんですか〜」

清水「しかし、本車のようなスポーツモデルなら、ハイオク仕様でも買ってもらえる。この1.4リットルターボエンジンは、ハイオク仕様にすることで、ビックリするくらいパワフルで気持ち良い加速をしてくれる」

安ド「本当にビックリしました! 先代までのスイスポとは、普通のゴルフとゴルフGTIくらいの違いを感じます!」

清水「スイスポの走りはスバラシイ! しかも6速MT仕様がある。実用性も十分!」

安ド「このクルマなら、家族もクルマ好きも納得だと思います!」

清水「価格も、安全装備をフルに付けて約200万円。決して安くはないが、性能を考えれば納得だ」

安ド「デザインもいいですし、輸入車を買う必要がない感じです!」

清水「うむ。お前ももうイタリア車かぶれはやめて、次はコレを狙え。もちろん中古でな!」

安ド「そんな〜!」

 

カーボン調パーツ:戦闘力のありそうなルックス

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フロントグリルやバンパー、サイドアンダースポイラーなどにはカーボン調パーツが用いられています。ここが通常のスイフトとの外観上の大きな違いです。リアルカーボンかどうかは問題ではなく、断然見た目がスポーティになります。

 

17インチアルミホイール:大きくてデザインも特別感あり

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スイフトは16インチ&15インチサイズですが、スイフトスポーツでは17インチサイズの大きなタイヤ&ホイールが採用されています。アルミを削ったようなデザインだったり、一部ブラックに塗られていたり、ワイルドな印象です。

 

マフラー:太く、大きく、男らしく

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排気ガスは嫌われますから、エコカーではマフラーを目立たないようにするのがトレンド。スイフトもそうです。しかし、スイフトスポーツではこんなに太くてたくましいのが2本も、まるで大砲のように備わっています。

フロントサイドウインドウ:オールドポルシェを彷彿させる

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窓を開けたときに初めて気づくこと。窓枠は写真のように曲線なのですが、中のガラスは角が立っています。これ、実は古いポルシェの窓も同じようなつくりで、それだけでもクルママニアの心を奮い立たせてくれます。

 

リアドアハンドル&Cピラー:存在しないかのように配置

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リアドアの取っ手(ハンドル)部分をドア後方上部に配置して、2ドアクーペのように見せる手法は、近年のクルマでよく採用されています。スイフトスポーツではさらにリアピラーからリアウインドウまで同化させています。

 

6速MT:スポーツモデルはやっぱりMTが楽しい

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いまやATのほうがMTよりシフト操作が早いということで、F1でさえAT化されていますが、やっぱりMTは楽しい。歴代モデル同様、スイフトスポーツにはしっかりMT仕様が設定されていて、赤いステッチなど心憎い演出もあります。

 

先進安全技術:充実装備でスポーツモデルでも安心

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オプション装備扱いになりますが、「セーフティパッケージ」を付ければ、ブレーキサポートや車線逸脱抑制機能、誤発進抑制機能など先進安全装備が全搭載されます。コンパクトカーでもスポーティモデルでも、もう安全面で妥協する必要のない時代です。

 

260㎞/hメーター:180㎞/hより上まで刻まれた表示

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スイフトスポーツはヨーロッパでも販売されているグローバルモデルですから、スピードメーターはなんと260km/hまで記載されています。果たしてこんなにスピード出るのでしょうか!?日本ではサーキットじゃないと試せません。

 

グラデーション柄オーナメント:まるで高級スポーツカーのよう

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インパネ正面(エアコン吹出口下)やコンソール(運転席と助手席間の仕切り)、ドアのアームレストにも、赤から黒へと変化するグラデーション柄のオーナメントが付けられています。スポーティなのに高級感があります。

 

これぞ 感動の細部だ!

ブースタージェットエンジン:ターボエンジンらしからぬトルク性能

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現行型に搭載されるエンジンは1.4リットルターボになりました。人によっては従来のスイフトスポーツのようにNA(自然吸気)が良かったと言う人もいます。しかしこのエンジンは、ターボといっても昔のような急加速する“ドッカンターボ”ではなく、低い回転域でも十分なトルクを発揮するので、扱いやすく気持ち良い走りを味わえます。

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

カラフルトレインと独特な路面電車が走る稀有な街――“元気印”のローカル線「豊橋鉄道」の旅

おもしろローカル線の旅~~豊橋鉄道渥美線(愛知県)~~

 

愛知県の東南端に位置する豊橋市。この豊橋市を中心に電車を走らせるのが豊橋鉄道だ。今回はまず、豊橋鉄道がらみのクイズから話をスタートさせたい。

【クイズ1】普通鉄道+路面電車を走らせる会社は全国に何社ある?

【答え1】全国で5社が普通鉄道+路面電車を走らせる

豊橋鉄道は渥美線という普通鉄道(新幹線を含むごく一般的な鉄道を意味する)の路線と、市内線(東田本線)という路面電車を走らせている。こうした普通鉄道と路面電車の両方を走らせている鉄道会社は5社しかない(公営の鉄道事業者を除く)。

 

ここで普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社を挙げておこう。

 

東京急行電鉄(東京都・神奈川県)、京阪電気鉄道(大阪府・京都府など)、富山地方鉄道(富山県)、伊予鉄道(愛媛県)に加えて、豊橋鉄道の計5社だ。東京急行電鉄が走らせる路面電車(世田谷線)は、道路上を走る併用軌道区間がほとんどなく、含めるかどうかは微妙なところなので、実際には4社と言っていいかもしれない。

 

このように豊橋鉄道は全国でも数少ない普通鉄道と路面電車を走らせる、数少ない鉄道会社なのだ。

↑豊橋市内を走る路面電車・豊橋鉄道市内線(東田本線)。写真はT1000形で、「ほっトラム」の愛称を持つ。低床構造の車両で2008年に導入された

 

【クイズ2】1の答えのなかで、県庁所在地でない街を走る鉄道は?

【答え2】県庁所在地でない街を走るのは豊橋鉄道のみ

前述した普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社は、ほとんどが都・府・県庁所在地を走る鉄道だ。

 

5社のうち唯一、豊橋鉄道が走る豊橋市のみ県庁所在地ではない。豊橋市の人口は約37万人で、首都圏で同規模の人口を持つ街をあげるとしたら川越市、所沢市(両市とも埼玉県)が近い。人口30万人台の都市で、普通鉄道と路面電車の両方が走る、というのは異色の存在と言うことができるだろう。

 

豊橋市は愛知県の中核都市とはいえ、豊橋鉄道を巡る環境は決して恵まれていない。にも関わらず豊橋鉄道は優良企業であり、年々、手堅く収益を上げ続けている元気な地方鉄道だ。

 

今回は、そうした“元気印”の豊橋鉄道渥美線と市内線を巡る旅を楽しもう。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべてが1800系。もと東京急行電鉄の7200系だ。電車は3両×10編成あり、すべての色が異なる。写真は1808号車で編成名は「椿」

 

渥美線、市内線ともに90年以上、豊橋を走り続けてきた

豊橋鉄道の歴史を簡単に振り返っておこう。

 

1924(大正13)年1月:渥美電鉄が高師駅(たかしえき)〜豊島駅間を開業

1925(大正14)年5月:新豊橋駅〜田原駅(現・三河田原駅)間が開業

1925(大正14年)7月:豊橋電気軌道が市内線を開業、以降、路線を延長

1940(昭和15)年:名古屋鉄道(以降、名鉄と略)が渥美電鉄を合併

1949(昭和24)年:豊橋電気軌道が豊橋交通に社名変更

1954(昭和29)年:豊橋交通が豊橋鉄道に社名を変更。同年に名鉄が渥美線を豊橋鉄道へ譲渡

 

歴史を見ると、太平洋戦争前までは、渥美線と市内線(東田本線)は別の歩みをしていた。その後に名鉄に吸収合併された渥美線が、名鉄の経営から離れ、市内線を走らせていた豊橋鉄道に合流した。ちなみに、現在も豊橋鉄道は名鉄の連結子会社となっている。

 

【豊橋鉄道渥美線】全10色の「カラフルトレイン」が沿線を彩る

豊橋鉄道は旅をする者にとって、乗って楽しめる鉄道でもある。

 

まずは豊橋鉄道渥美線の旅から。渥美線の電車は、その名もずばり「カラフルトレイン」の名が付く。

 

渥美線の電車は、とにかくカラフルだ。3両×10編成の電車が使われるが、すべての色が違う。1801号車は赤い「ばら」、1802号車は茶色の「はまぼう」、1803号車はピンクで「つつじ」、というように各編成には、沿線に咲く草花の愛称が付けられる。

↑赤い車両は1801号で編成名は「ばら」。渥美線の電車は沿線を彩る花や植物にちなんだカラーに正面やドアなどが塗られ、「カラフルトレイン」の名が付けられている

 

↑カラフルトレインの車体には写真のようにカラフルなイラストが描かれる。10編成ある車体の違いを見比べても楽しい

 

電車は元東京急行電鉄の7200系。1967(昭和42)年に誕生したステンレス車で東急では田園都市線、東横線などを長年、走り続けた。2000(平成12)年には全車両がすでに引退している。豊橋鉄道では、この東急を引退した年に計30両を譲り受けた。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべて1800系。元東急の7200系で、製造されたのは昭和42年から。東急車輌の銘板が掲げられる。車歴はほぼ50年だが大事に使われている

 

生まれた年を考慮すると、かなりの古参の車両ではあるが、豊橋鉄道では、古さを感じさせないカラフルなカラーに模様替えされている。

凝ったつくりの1日フリー乗車券。乗車記念にもぴったり

渥美線の起点となる新豊橋駅。駅名が違うものの、JR・名鉄の豊橋駅を出ればすぐ。アクセスも良く駅舎も快適だ。

↑渥美線はJR豊橋駅に隣接した新豊橋駅が起点となる。新豊橋駅は2009年に新装された駅舎で、豊橋駅東口・南口の連絡デッキ(自由通路階)とつながり利用しやすい

 

渥美線を旅するならば新豊橋駅で「1日フリー乗車券(1100円)」を購入したい。単に新豊橋駅と終点の三河田原駅を往復するだけならば、通常切符の方が割安だが(520円×2)、途中駅にも立ち寄るならばフリー乗車券のほうが断然におトクとなる。

 

さらに、この1日フリー乗車券。鉄道好きな人たちの心をくすぐる工夫がされている。ジャバラ状になっていて、広げると渥美線のカラフルトレイン10編成のイラストや解説を楽しむことができるのだ。使用後にも大事に保存してきたい、そんな乗車券だ。

↑豊橋鉄道の1日フリー乗車券。凝ったつくりで表裏に「カラフルトレイン」各色の車両説明とともに沿線の案内がプリントされる。記念に保存しておきたい乗車券だ

 

↑渥美線の新豊橋駅のホームには、フグなどの地元の産品のイラストが描かれる

 

乗車時間は片道40分弱。渥美半島の景色を楽しみながら走る

渥美線は新豊橋駅〜三河田原駅(みかわたはらえき)間の18.0kmを結ぶ。乗車時間は40分弱で、長くもなく、短くもなく、ほどほど楽しめる路線距離だ。

新豊橋駅から、しばらく東海道本線に並走して最初の駅、柳生橋駅へ到着。さらに東海道本線を越え、東海道新幹線の線路をくぐり南下する。

 

しばらく住宅街を見つつ愛知大学前駅へ。このあたりからは愛知大学のキャンパスや、高師緑地など沿線に緑が多く見られるようになる。

 

高師緑地の先にある高師駅(たかしえき)には渥美線の車庫があり、検修施設などをホームから見ることができる。

↑高師駅の南側に車両基地が設けられる。留置線に停まるのは1805号の「菖蒲」。菖蒲は梅雨の時期、豊橋市の賀茂しょうぶ園や田原市の初立池公園などで楽しめる

 

↑1807号「菜の花」の車内。シートは菜の花柄。吊り革も黄色と菜の花のイメージで統一されている。乗っても楽しめるのが豊橋鉄道渥美線の魅力だ

 

芦原駅(あしはらえき)を過ぎると沿線の周辺には畑を多く見かけるようになる。路線が通る渥美半島の産物はキャベツ、ブロッコリー、レタス、スイカ、露地メロンなど。渥美線の1810号車は「菊」が愛称となっているが、電照菊を栽培するビニールハウスの灯りも、この沿線の名物になっている。

 

そうした畑を見つつ乗車すれば、終点の三河田原駅へ到着する。同駅からは渥美半島の突端、伊良湖岬(いらこみさき)行きのバスが出ている。

↑渥美線の終点・三河田原駅。2013年10月に駅舎が改築された。1980年代まで貨物輸送に利用されていたため駅構内はいまも広々としている

【豊橋鉄道市内線】豊橋市内を走る路面電車も見どころいっぱい

豊橋鉄道では路面電車の路線を「豊鉄市内線」と案内している。路線名は東田(あずまだ)本線が正式な名前だ。ここでは市内線という通称名で呼ぶことにしよう。

 

ちなみに東海中部地方では、豊橋鉄道市内線が唯一の路面電車でもある。

 

市内線の路線は駅前〜赤岩口間の4.8kmと、井原〜運動公園前間の0.6kmの計5.4kmである。

 

路面電車は豊橋駅東口にある「駅前」停留場から発車する。行き先は「赤岩口(あかいわぐち)」と「運動公園前」がメインだ。途中の「競輪場前」止まりも走っている。

↑豊橋駅ビル(カルミア)の前に広がる連絡デッキを下りた1階部分に「駅前」停留場がある。写真は「赤岩口」行きの市内線電車。車輌はモ3500形で元都電荒川線7000形

 

名鉄や都電の譲渡車輌に加えて新製した低床車輌も走る

市内線で使われる車輌は5種類。

 

まず低床のLRV(Light Rail Vehicleの略)タイプのT1000形「ほっトラム」は、1925年以来、約83年ぶりとなる自社発注の新製車輌でもある。

 

ほか、モ3200形は名鉄岐阜市内線で使われていたモ580形3両を譲り受けたもの。モ3500形は東京都交通局の都電荒川線を走った7000形で、4両が走る。

 

モ780形は名鉄岐阜市内線を走ったモ780形で、市内線では7両が走り、主力車輌として活躍している。そのほか、モ800形という車輌も1両走る。こちらは名鉄美濃町線を走っていた車輌だ。

↑市内線の主力車輌となっているモ780形。地元信用金庫のラッピング広告が施された781号車など、華やかな姿の車輌が多い

 

↑元名鉄岐阜市内線を走った3203号車。クリーム地に赤帯のカラーは豊鉄標準カラーと呼ばれる。標準カラーだが、実際にはこの色の車輌は少なく希少性が高い

 

↑3201号車は「ブラックサンダー号」。豊橋で生まれ、現在、全国展開するお菓子のパッケージそのものの車体カラー。市内線の「黒い雷神」として人気者になっている

 

↑「おでんしゃ」は車内でおでんや飲み物を楽しみつつ走る、秋からのイベント電車だ。秋の9月24日までは納涼ビール電車が運行されて人気となっている

 

市内線を走る電車は、T1000形以外は、名鉄と都電として活躍した車両が多い。豊橋鉄道へやってきたこれらの電車たち。独特のラッピング広告をほどこされ、見ているだけでも楽しい電車に出会える。

 

日本一の急カーブに加えて、国道1号を堂々と走る姿も名物に

市内線は豊橋駅から、豊橋市街を通る旧東海道方面や、三河吉田藩の藩庁がおかれた吉田城趾方面へ行くのに便利な路線だ。

 

興味深いのは、市役所前から東八町(ひがしはっちょう)にかけて国道1号を走ること。国道1号を走る路面電車は、全国を走る路面電車でもこの豊橋鉄道市内線だけ。自動車や長距離トラックと並走する姿を目にすることができる。

↑豊橋公園前電停付近から東八町電停方面を望む。国道1号の中央部に設けられた市内線の線路を走るのはT1000形「ほっトラム」

 

国道1号を通るとともに、面白い光景を見ることができるのが井原電停付近。井原電停から運動公園前へ行く電車は、交差点内で急カーブを曲がる。このカーブの大きさは半径11mというもの。このカーブは日本の営業線のなかでは最も急なカーブとされている。

 

ちなみに普通鉄道のカーブは最も急なものでも半径60mぐらい。それでもかなりスピードを落として走ることが必要だ。

 

路面電車でも半径30mぐらいがかなり急とされているので、半径11mというカーブは極端だ。このカーブを曲がれるように、同市内線の電車は改造されている。

 

T1000形は、この急カーブを曲がり切れないため、運動公園前への運用は行われていないほどだ。日本で最も厳しいカーブを路面電車が曲がるその光景はぜひとも見ておきたい。

↑井原電停交差点の半径11mという急カーブを走るモ780形。見ているとほぼ横滑りするかのように、また台車もかなり曲げつつスピードを落として走り抜ける

 

赤岩口へ向かう電車は井原電停の先を直進する。赤岩口には同線の車輌基地がある。

 

この赤岩口も、同路線の見どころの1つ。車庫から出庫する電車は市内線に入る際に一度、道路上に設けられた折り返し線に入って、そこでスイッチバックして赤岩口電停へ入る。

 

折り返し線は道路中央にあり、通行する自動車の進入防止の柵もなく、何とも心もとない印象だが、通行するドライバーも慣れているのだろう。白線にそって電車の線路を避けて通る様子が見受けられる。

 

カラフルトレインと独特な路面電車が走る稀有な街――“元気印”のローカル線「豊橋鉄道」の旅

おもしろローカル線の旅~~豊橋鉄道渥美線(愛知県)~~

 

愛知県の東南端に位置する豊橋市。この豊橋市を中心に電車を走らせるのが豊橋鉄道だ。今回はまず、豊橋鉄道がらみのクイズから話をスタートさせたい。

【クイズ1】普通鉄道+路面電車を走らせる会社は全国に何社ある?

【答え1】全国で5社が普通鉄道+路面電車を走らせる

豊橋鉄道は渥美線という普通鉄道(新幹線を含むごく一般的な鉄道を意味する)の路線と、市内線(東田本線)という路面電車を走らせている。こうした普通鉄道と路面電車の両方を走らせている鉄道会社は5社しかない(公営の鉄道事業者を除く)。

 

ここで普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社を挙げておこう。

 

東京急行電鉄(東京都・神奈川県)、京阪電気鉄道(大阪府・京都府など)、富山地方鉄道(富山県)、伊予鉄道(愛媛県)に加えて、豊橋鉄道の計5社だ。東京急行電鉄が走らせる路面電車(世田谷線)は、道路上を走る併用軌道区間がほとんどなく、含めるかどうかは微妙なところなので、実際には4社と言っていいかもしれない。

 

このように豊橋鉄道は全国でも数少ない普通鉄道と路面電車を走らせる、数少ない鉄道会社なのだ。

↑豊橋市内を走る路面電車・豊橋鉄道市内線(東田本線)。写真はT1000形で、「ほっトラム」の愛称を持つ。低床構造の車両で2008年に導入された

 

【クイズ2】1の答えのなかで、県庁所在地でない街を走る鉄道は?

【答え2】県庁所在地でない街を走るのは豊橋鉄道のみ

前述した普通鉄道と路面電車の両方を走らせる鉄道会社は、ほとんどが都・府・県庁所在地を走る鉄道だ。

 

5社のうち唯一、豊橋鉄道が走る豊橋市のみ県庁所在地ではない。豊橋市の人口は約37万人で、首都圏で同規模の人口を持つ街をあげるとしたら川越市、所沢市(両市とも埼玉県)が近い。人口30万人台の都市で、普通鉄道と路面電車の両方が走る、というのは異色の存在と言うことができるだろう。

 

豊橋市は愛知県の中核都市とはいえ、豊橋鉄道を巡る環境は決して恵まれていない。にも関わらず豊橋鉄道は優良企業であり、年々、手堅く収益を上げ続けている元気な地方鉄道だ。

 

今回は、そうした“元気印”の豊橋鉄道渥美線と市内線を巡る旅を楽しもう。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべてが1800系。もと東京急行電鉄の7200系だ。電車は3両×10編成あり、すべての色が異なる。写真は1808号車で編成名は「椿」

 

渥美線、市内線ともに90年以上、豊橋を走り続けてきた

豊橋鉄道の歴史を簡単に振り返っておこう。

 

1924(大正13)年1月:渥美電鉄が高師駅(たかしえき)〜豊島駅間を開業

1925(大正14)年5月:新豊橋駅〜田原駅(現・三河田原駅)間が開業

1925(大正14年)7月:豊橋電気軌道が市内線を開業、以降、路線を延長

1940(昭和15)年:名古屋鉄道(以降、名鉄と略)が渥美電鉄を合併

1949(昭和24)年:豊橋電気軌道が豊橋交通に社名変更

1954(昭和29)年:豊橋交通が豊橋鉄道に社名を変更。同年に名鉄が渥美線を豊橋鉄道へ譲渡

 

歴史を見ると、太平洋戦争前までは、渥美線と市内線(東田本線)は別の歩みをしていた。その後に名鉄に吸収合併された渥美線が、名鉄の経営から離れ、市内線を走らせていた豊橋鉄道に合流した。ちなみに、現在も豊橋鉄道は名鉄の連結子会社となっている。

 

【豊橋鉄道渥美線】全10色の「カラフルトレイン」が沿線を彩る

豊橋鉄道は旅をする者にとって、乗って楽しめる鉄道でもある。

 

まずは豊橋鉄道渥美線の旅から。渥美線の電車は、その名もずばり「カラフルトレイン」の名が付く。

 

渥美線の電車は、とにかくカラフルだ。3両×10編成の電車が使われるが、すべての色が違う。1801号車は赤い「ばら」、1802号車は茶色の「はまぼう」、1803号車はピンクで「つつじ」、というように各編成には、沿線に咲く草花の愛称が付けられる。

↑赤い車両は1801号で編成名は「ばら」。渥美線の電車は沿線を彩る花や植物にちなんだカラーに正面やドアなどが塗られ、「カラフルトレイン」の名が付けられている

 

↑カラフルトレインの車体には写真のようにカラフルなイラストが描かれる。10編成ある車体の違いを見比べても楽しい

 

電車は元東京急行電鉄の7200系。1967(昭和42)年に誕生したステンレス車で東急では田園都市線、東横線などを長年、走り続けた。2000(平成12)年には全車両がすでに引退している。豊橋鉄道では、この東急を引退した年に計30両を譲り受けた。

↑豊橋鉄道渥美線の電車はすべて1800系。元東急の7200系で、製造されたのは昭和42年から。東急車輌の銘板が掲げられる。車歴はほぼ50年だが大事に使われている

 

生まれた年を考慮すると、かなりの古参の車両ではあるが、豊橋鉄道では、古さを感じさせないカラフルなカラーに模様替えされている。

凝ったつくりの1日フリー乗車券。乗車記念にもぴったり

渥美線の起点となる新豊橋駅。駅名が違うものの、JR・名鉄の豊橋駅を出ればすぐ。アクセスも良く駅舎も快適だ。

↑渥美線はJR豊橋駅に隣接した新豊橋駅が起点となる。新豊橋駅は2009年に新装された駅舎で、豊橋駅東口・南口の連絡デッキ(自由通路階)とつながり利用しやすい

 

渥美線を旅するならば新豊橋駅で「1日フリー乗車券(1100円)」を購入したい。単に新豊橋駅と終点の三河田原駅を往復するだけならば、通常切符の方が割安だが(520円×2)、途中駅にも立ち寄るならばフリー乗車券のほうが断然におトクとなる。

 

さらに、この1日フリー乗車券。鉄道好きな人たちの心をくすぐる工夫がされている。ジャバラ状になっていて、広げると渥美線のカラフルトレイン10編成のイラストや解説を楽しむことができるのだ。使用後にも大事に保存してきたい、そんな乗車券だ。

↑豊橋鉄道の1日フリー乗車券。凝ったつくりで表裏に「カラフルトレイン」各色の車両説明とともに沿線の案内がプリントされる。記念に保存しておきたい乗車券だ

 

↑渥美線の新豊橋駅のホームには、フグなどの地元の産品のイラストが描かれる

 

乗車時間は片道40分弱。渥美半島の景色を楽しみながら走る

渥美線は新豊橋駅〜三河田原駅(みかわたはらえき)間の18.0kmを結ぶ。乗車時間は40分弱で、長くもなく、短くもなく、ほどほど楽しめる路線距離だ。

新豊橋駅から、しばらく東海道本線に並走して最初の駅、柳生橋駅へ到着。さらに東海道本線を越え、東海道新幹線の線路をくぐり南下する。

 

しばらく住宅街を見つつ愛知大学前駅へ。このあたりからは愛知大学のキャンパスや、高師緑地など沿線に緑が多く見られるようになる。

 

高師緑地の先にある高師駅(たかしえき)には渥美線の車庫があり、検修施設などをホームから見ることができる。

↑高師駅の南側に車両基地が設けられる。留置線に停まるのは1805号の「菖蒲」。菖蒲は梅雨の時期、豊橋市の賀茂しょうぶ園や田原市の初立池公園などで楽しめる

 

↑1807号「菜の花」の車内。シートは菜の花柄。吊り革も黄色と菜の花のイメージで統一されている。乗っても楽しめるのが豊橋鉄道渥美線の魅力だ

 

芦原駅(あしはらえき)を過ぎると沿線の周辺には畑を多く見かけるようになる。路線が通る渥美半島の産物はキャベツ、ブロッコリー、レタス、スイカ、露地メロンなど。渥美線の1810号車は「菊」が愛称となっているが、電照菊を栽培するビニールハウスの灯りも、この沿線の名物になっている。

 

そうした畑を見つつ乗車すれば、終点の三河田原駅へ到着する。同駅からは渥美半島の突端、伊良湖岬(いらこみさき)行きのバスが出ている。

↑渥美線の終点・三河田原駅。2013年10月に駅舎が改築された。1980年代まで貨物輸送に利用されていたため駅構内はいまも広々としている

【豊橋鉄道市内線】豊橋市内を走る路面電車も見どころいっぱい

豊橋鉄道では路面電車の路線を「豊鉄市内線」と案内している。路線名は東田(あずまだ)本線が正式な名前だ。ここでは市内線という通称名で呼ぶことにしよう。

 

ちなみに東海中部地方では、豊橋鉄道市内線が唯一の路面電車でもある。

 

市内線の路線は駅前〜赤岩口間の4.8kmと、井原〜運動公園前間の0.6kmの計5.4kmである。

 

路面電車は豊橋駅東口にある「駅前」停留場から発車する。行き先は「赤岩口(あかいわぐち)」と「運動公園前」がメインだ。途中の「競輪場前」止まりも走っている。

↑豊橋駅ビル(カルミア)の前に広がる連絡デッキを下りた1階部分に「駅前」停留場がある。写真は「赤岩口」行きの市内線電車。車輌はモ3500形で元都電荒川線7000形

 

名鉄や都電の譲渡車輌に加えて新製した低床車輌も走る

市内線で使われる車輌は5種類。

 

まず低床のLRV(Light Rail Vehicleの略)タイプのT1000形「ほっトラム」は、1925年以来、約83年ぶりとなる自社発注の新製車輌でもある。

 

ほか、モ3200形は名鉄岐阜市内線で使われていたモ580形3両を譲り受けたもの。モ3500形は東京都交通局の都電荒川線を走った7000形で、4両が走る。

 

モ780形は名鉄岐阜市内線を走ったモ780形で、市内線では7両が走り、主力車輌として活躍している。そのほか、モ800形という車輌も1両走る。こちらは名鉄美濃町線を走っていた車輌だ。

↑市内線の主力車輌となっているモ780形。地元信用金庫のラッピング広告が施された781号車など、華やかな姿の車輌が多い

 

↑元名鉄岐阜市内線を走った3203号車。クリーム地に赤帯のカラーは豊鉄標準カラーと呼ばれる。標準カラーだが、実際にはこの色の車輌は少なく希少性が高い

 

↑3201号車は「ブラックサンダー号」。豊橋で生まれ、現在、全国展開するお菓子のパッケージそのものの車体カラー。市内線の「黒い雷神」として人気者になっている

 

↑「おでんしゃ」は車内でおでんや飲み物を楽しみつつ走る、秋からのイベント電車だ。秋の9月24日までは納涼ビール電車が運行されて人気となっている

 

市内線を走る電車は、T1000形以外は、名鉄と都電として活躍した車両が多い。豊橋鉄道へやってきたこれらの電車たち。独特のラッピング広告をほどこされ、見ているだけでも楽しい電車に出会える。

 

日本一の急カーブに加えて、国道1号を堂々と走る姿も名物に

市内線は豊橋駅から、豊橋市街を通る旧東海道方面や、三河吉田藩の藩庁がおかれた吉田城趾方面へ行くのに便利な路線だ。

 

興味深いのは、市役所前から東八町(ひがしはっちょう)にかけて国道1号を走ること。国道1号を走る路面電車は、全国を走る路面電車でもこの豊橋鉄道市内線だけ。自動車や長距離トラックと並走する姿を目にすることができる。

↑豊橋公園前電停付近から東八町電停方面を望む。国道1号の中央部に設けられた市内線の線路を走るのはT1000形「ほっトラム」

 

国道1号を通るとともに、面白い光景を見ることができるのが井原電停付近。井原電停から運動公園前へ行く電車は、交差点内で急カーブを曲がる。このカーブの大きさは半径11mというもの。このカーブは日本の営業線のなかでは最も急なカーブとされている。

 

ちなみに普通鉄道のカーブは最も急なものでも半径60mぐらい。それでもかなりスピードを落として走ることが必要だ。

 

路面電車でも半径30mぐらいがかなり急とされているので、半径11mというカーブは極端だ。このカーブを曲がれるように、同市内線の電車は改造されている。

 

T1000形は、この急カーブを曲がり切れないため、運動公園前への運用は行われていないほどだ。日本で最も厳しいカーブを路面電車が曲がるその光景はぜひとも見ておきたい。

↑井原電停交差点の半径11mという急カーブを走るモ780形。見ているとほぼ横滑りするかのように、また台車もかなり曲げつつスピードを落として走り抜ける

 

赤岩口へ向かう電車は井原電停の先を直進する。赤岩口には同線の車輌基地がある。

 

この赤岩口も、同路線の見どころの1つ。車庫から出庫する電車は市内線に入る際に一度、道路上に設けられた折り返し線に入って、そこでスイッチバックして赤岩口電停へ入る。

 

折り返し線は道路中央にあり、通行する自動車の進入防止の柵もなく、何とも心もとない印象だが、通行するドライバーも慣れているのだろう。白線にそって電車の線路を避けて通る様子が見受けられる。

 

【中年名車図鑑|初代 いすゞ・アスカ】GMのワールドカー戦略で生まれ、いすゞの独自戦略で成長した

いすゞ自動車は1971年に米国のGMと資本および業務提携を結び、GMのワールドカー戦略の一端を担うようになる。最初のプロジェクトは“Tカー”で、いすゞ版ではジェミニとして発表。1970年代終盤に入ると新たな“Jカー”構想が立ち上がり、いすゞ版では「アスカ」の車名で市販に移された。今回は“飛鳥時代”にちなんで命名されたいすゞのミディアムサルーンの話題で一席。

【Vol.74 初代いすゞ・アスカ】

いすゞ自動車においては1974年11月デビューの初代ジェミニ(Tカー)から始まったGM主導のワールドカー戦略は、その後も着々と拡大展開を遂げていく。そして1970年代終盤には80年代に向けた新しいミッドサイズカー、戦略コード“Jカー”の開発が本格化した。新しい国際戦略車で重視されたのは、何よりも広い居住空間だった。そのために開発陣はパッケージ効率に優れたFF(フロントエンジン・フロントドライブ)レイアウトの導入を決定し、プラットフォームを新規に企画する。足回りは路面追従性のいい前マクファーソンストラット/後ミニブロックコイル付きトレーリングアームの4輪独立懸架を新たに設計。ボディタイプはセダンをメインに、各国の市場動向に即したスタイリングを採用した。

 

こうして完成したJカーは、1980年代に入ると各ブランドから相次いでリリースされる。アメリカではシボレー・キャバリエやキャデラック・シマロン、欧州ではオペル・アスコナ(アスコナC)やボクスホール・キャバリエ(キャバリエMarkⅡ)、オーストラリアではホールデン・カミーラなどの名で販売。そして日本では、1983年3月にいすゞ「フローリアン・アスカ」のネーミングで市場に送り出された。

 

■フローリアンの後継車として登場

GMのワールドカー戦略で生まれたが、スタイリングはいすゞのオリジナル。シックで品のいいデザインが特徴

 

アスカは日本での販売戦略上、フローリアンの後継モデルとして位置づけられた。そのため車名にはフローリアンの名も加えられ、フローリアン・アスカを名乗る。ちなみに、アスカの車名は“飛鳥時代”に由来する。この時代は、外国から伝来した文化を日本ならではの解釈や情感を加えて独自の文化に発展させたのが大きな特徴だった。GM主導のワールドカーをいすゞが独自の解釈で発展させる――そんな意気込みが車名に込められていたのだ。

 

アスカのシャシーはもちろん他のJカーと基本的に共通だが、スタイリングはいすゞのオリジナルだった。ボディ形状は4ドアセダンのみで、シックで品のいいエクステリアと空力特性に優れたフォルムを実現する。ボディサイズは全長4440×全幅1670×全高1375mm/ホイールベース2580mm。安定感を狙ったタンブルホームとワイドトレッドの組み合わせも印象的だった。内包するインテリアにも独自のアレンジを施し、上質かつシックなキャビン空間を創出。また、上級グレードには世界初の車速感応型操舵力可変パワーステアリング(VSSS)を装備していた。

 

ボンネット下に収まるパワートレインには、星座の白鳥座を意味し、「白鳥のようにロングツアラーで快適にクルージングする」という目標を込めた“シグナス”と呼ぶいすゞの新世代エンジン群を採用する。シグナス・シリーズはガソリンエンジンとディーゼルエンジンの2タイプで構成。ガソリンエンジンは150psの最高出力を発生する4ZC1-T型1994cc直列4気筒OHCターボを筆頭に、4ZC1-E型1994cc直列4気筒OHC(トータル・エレクトロニック・コントロール・キャブレター=I-TEC-C付き)/4ZC1型1994cc直列4気筒OHC/4ZB1型1817cc直列4気筒OHCの4機種、ディーゼルエンジンは4FC1型1995cc直列4気筒OHCとそのターボ付きの4FC1-T型(1983年8月に追加)という2機種、計6機種を設定した。

 

シグナス・シリーズの主なトピックを列挙していこう。ガソリンエンジンは軽量ピストン/ショートスカートシリンダーボディ/軽量フライホイール/ビルトイン式オイル&ウォーターポンプなどの導入により、国産2Lクラスの最軽量を実現。また、世界初のターボ過給圧エレクトロニックコントロールやクラス最小(タービン径50mm)の高効率ターボチャージャー、ミックスチャージェット式急速乱流燃焼方式、日本初のオイルパンフローティングシステムといった先進機構を採用する。ディーゼルエンジンに関しては、新開発のインタークーラー付きターボ機構の導入やノイズおよびバイブレーションの低減などが特徴だった。組み合わせるトランスミッションには5速MTと3速ATを用意する。ちなみに、1983年10月にはJARI谷田部テストコースにてチューンアップした4FC1-Tエンジン(89ps→120ps)を積むアスカ2000ディーゼルターボが24時間&5000kmトライアルに挑戦し、平均205.38km/hの速度記録など、13のクラス新記録を樹立。また、同年開催のRACラリーには4ZC1-Tエンジンを搭載する2000ガソリンターボが参戦し、見事にクラス優勝(総合39位)を成し遂げた。

シックな雰囲気のインテリア。上級グレードは世界初の車速感応型操舵力可変パワーステアリング(VSSS)を装備

 

■いすゞ渾身の高性能バージョン「イルムシャー」を投入

デビュー当初はGMワールドカーの一車種としての印象が強かったアスカだが、そのイメージは時を経るに連れて変わっていく。いすゞオリジナルの技術や特異な車種を相次いで市場に投入したからだ。まず1984年9月には、NAVi5搭載車を発売する。MTとATのいいとこ取りを目指したNAVi5は、世界で初めて市販化された乾式クラッチ式電子制御オートマチックトランスミッションだった。5速のマニュアル変速を電子制御で自動変速するこのシステムは、MTと同じ機構でATの利便性を実現した新技術として脚光を浴びる。シフトパターンはMTと同様にH型で、1/2/D3/D5/Rを表示(後にD4ポジションを追加)。D5に入れれば、スロットル開度や車速などをコンピュータが感知し、1~5速のあいだの最適ギアを自動的に選択した。“第3のトランスミッション”と騒がれたNAVi5だったが、結果的にはラインアップから消えることとなる。当時の電子制御技術では変速が的確に行えず、アクセルワークなどにもコツを必要としたからだ。ただし、自動制御MTのコンセプトは後に発展を遂げ、世界中の自動車メーカーに採用される。また、いすゞではNAVi5の進化版が「スムーサー」シリーズとして同社のトラックに搭載されることとなった。

ドイツのイルムシャー社が足回りや内外装を手がけた「アスカ2000イルムシャー」

 

1985年7月になるとマイナーチェンジを実施し、内外装の意匠変更によって新鮮味をアップさせる。同時に、車名を「アスカ」の単独ネームに切り替えた。そして同年11月には、ドイツの有名チューナーのイルムシャー社が足回りや内外装を手がけた「アスカ2000イルムシャー」と称するスポーツモデルを設定する。イルムシャー社というとオペル車のチューナーとしても有名だが、いすゞ版を作るに当たっては「GMやオペルの仲介はなく、独自のルートで交渉した」と、当時のいすゞスタッフは語る。さらに、「ワールドカーがベースでも、アスカはいすゞのオリジナル車。独自性を打ち出すためにも、いすゞならではのスポーツモデルがほしかった」と付け加えた。搭載エンジンは4ZC1-Tユニットで、ボディカラーにはカメオホワイト/ビビッドレッド/ゲールウインドブルーの3タイプを設定。また、外装には専用デザインのエアロパーツやフルホイールカバー、角型4灯ハロゲンヘッドランプなどを、内装にはモモ製4本スポーク本革巻きステアリングやレカロ製バケットシートなどを組み込んでいた。

 

アスカはその後も独自性を強調するための仕様変更や新グレードを設定しながら、地道に販売を続けていく。そして、1989年3月には生産を終了。1年以上が経過した1990年6月に次世代の「アスカCX」へと移行する。しかしその2代目は、当時業務提携していた富士重工業からのOEM車(初代レガシィ・セダン)だった。オリジナリティの主張に力を注いだアスカは、2代目になってその余地を挟めないクルマに変わり、さらにいすゞの乗用車生産撤退のとば口ともなったのである。

 

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【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

清水草一がBMW「X3」を徹底解剖!「ディーゼルエンジンの静かさに感服」

ベテラン自動車ライターの永福ランプこと清水草一とフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載です。今回は、高級クロスオーバーSUVの先駆けとして10年以上前に誕生したパイオニア的モデルの最新型をチェック。清水さんが注目した「ディーゼルエンジンの静かさ」とは?

 

【登場人物】

 永福ランプこと清水草一

 日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。自動車評論家としてはもはやベテランの域で、様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどに寄稿し、独自の視点でクルマを一刀両断しまくっています。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 安ド

元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。MJブロンディを慕い「殿」と呼んでいます。

 

【今回のクルマ】BMW X3

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SPEC【xDrive 20d M Sport】●全長×全幅×全高:4720×1890×1675㎜●車両重量:1860㎏●パワーユニット:1995㏄直列4気筒DOHCディーゼルエンジン●最高出力:190PS(140kW)/4000rpm●最大トルク:40.8㎏-m(400Nm)/1750〜2500rpm●カタログ燃費:17.0㎞/ℓ●639万〜710万円

 

「ディーゼルエンジンの静かさに感服!」

安ド「殿! 世界的なSUVブームですね!」

清水「うむ。よきにはからえ」

安ド「それはどうでもいいという意味で?」

清水「個人的にはな」

安ド「これまで47台もクルマを購入されてきた殿ですが、SUVは1台も買われていないとか」

清水「オフロード趣味がないのでな。が、もうひとつ理由がある」

安ド「スポーツカー好きの殿ですから、重心が高い、ですか?」

清水「いや、現代のSUVは重心の高さをまったく感じさせぬ。このX3も走りは抜群。実に安定していたぞ」

安ド「では何が?」

清水「SUVは背が高いぶん、重い。そして空気抵抗が大きい。よって燃費が悪くなる。節約を何よりも重視する私としては、SUVは選択外となる」

安ド「47台も買ってて、節約もないと思いますが」

清水「それを言うでない」

安ド「ははっ。言われてみれば確かにこのX3、2ℓディーゼル搭載モデルでしたが、今回の燃費は実質11㎞/ℓにとどまりました」

清水「であろう。何を隠そう現在の我が愛車は、同じく2ℓディーゼルを積むBMW 320D。そちらは平均で17㎞/ℓ走っておる」

安ド「それはロングドライブが多いからでは?」

清水「それを言うではない」

安ド「失礼しました。節約を優先するならセダンやステーションワゴンが有利ですよね。ただ私としましては、SUVのカッコ良さは捨てがたいです!」

清水「いや、この顔はブサイクである。あまりにもキドニーグリルがデカすぎる。これではまるでダッジラムだ」

安ド「そんなことはありません!新型は新鮮でイマっぽいです!」

清水「見解の相違であるな。ただ今回、この新型X3に心底感じ入ったことがある」

安ド「ジェスチャーコントロールのレスポンスが良くなった、とかですか?」

清水「そんなものは知らぬ。私が感服したのは、ディーゼルエンジンの静かさだ」

安ド「そう言えば、ガラガラ音がほとんど聞こえませんでした」

清水「私の320dは3年前の中古車。アイドリングでそれなりにガラガラ音が出るが、短期間でこれほど進化するとは驚きだ」

安ド「ディーゼルも進化してるんですね!」

清水「世の論調としては、ディーゼルはオワコンでこれからはEV一本だが、まだまだどうして。最新のディーゼルは、この重いSUVをわずか2ℓの排気量で軽々と加速させ、静かさもほとんどガソリン車と変わらず、燃費では大きくリードする。これがそう簡単に死ぬはずがない!」

安ド「なるほど!」

清水「私が新型X3で確信したもの。それはディーゼルの存続だ」

安ド「肝に銘じます!」

 

 

【注目パーツ01】コネクテッド・ドライブ

クルマが世界とつながるサービス

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ニュースや天気などの各種情報収集、より正確なナビゲーションなどが実現でき、スマホからエアコンの起動やロックの解除などもできるようになります。似たような機能は各社がやってますが、輸入車ではBMWが初でした。

 

【注目パーツ02】キドニーグリル

大型化で大きく表情を変えた

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BMWのフロントデザインを象徴するのが、2つのグリルを横並びにした“キドニーグリル”。新型では大型化されて、その存在感を高めています。ダイナミックで立体的にはなりましたが、個人的には繊細さがなくなりガッカリです。

 

【注目パーツ03】ラゲージ・アンダートレイ

自立したまま便利に使える

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荷室の床下にスペースがあるのは、スペアタイヤを必要としなくなった近年のSUVでは当たり前のこと。が、X3では床下のフタ部分にダンパーが付いていて勝手に下がってきません! 高級車のボンネットと同じです。金かかってます。

 

【注目パーツ04】ジェスチャー・コントロール

 空間上の手の動きを感知

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ディスプレイの前で指をクルクル回したり、手首を動かしたりといった所作をするだけで、電話やボリュームなどを画面に触れずに操作することができます。ちなみに手がディスプレイから30㎝くらい離れていても操作可能でした。

 

【注目パーツ05】ウェルカム・ライト

光が便利さと雰囲気を演出

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夜暗いなかでX3に乗ろうとすると、便利な照明が自動で2か所に灯ります。ひとつはドアハンドル(上)で、もうひとつは地面(下)。後者は「ウェルカム・ライト・カーペット」と呼ばれるもので、独特な模様で乗員を車内に導いてくれます。

 

【注目パーツ06】アンビエント・ライト

 室内の高級感を高める照明

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インテリアは、まるでおしゃれなバーのように間接照明で照らされます。ライトカラーは11パターンが設定されていて、気分に合わせて選択することができます。が、そのうち面倒になって変えなくなってしまうでしょう。

 

【注目パーツ07】ステアリング

 高級感と使用感を両立

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“ウォークナッパ”と呼ばれるレザーを表面に使った高級感あふれるステアリングです。このMスポーツだけは10時10分の位置に、親指を引っ掛ける出っぱり「サムレスト」が付いています。握ってみるとすごく太くてたくましいです。

 

【注目パーツ08】エア・ブリーザー

 SUVのアクティブ感を強調

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いかにもSUVらしいアクティブでワイルドな雰囲気を演出するのが、このフロントタイヤ後方に彫られたスリットです。よく見てみると穴は空いてなくてただのダミーのようですが、これでも空気抵抗を低減させる効果があるそうです。

 

【注目パーツ09】バックモニター

2画面2方向表示で車庫入れを簡単に

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車両後方を確認できるバックモニターや、真上から見た図が表示されるトップビューモニターなどは多くのクルマに付いていますが、X3は両者を同時に表示できます。ディスプレイが横に長いって便利ですね。

 

【これぞ感動の細部だ】ディーゼルエンジン

パワーアップしつつ、静かに

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新型X3は、ディーゼルとガソリン2種類のモデルが展開されています。今回テストしたのは先行販売されているディーゼル。ディーゼル自体の特徴でもある強大なトルクを発揮し、この大きく重いボディをものともせずグイグイ押し出すように走ります。実は私の愛車もBMWのディーゼルですが、やはり最新型は音も断然静かで、弱点がありません。

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

【中年名車図鑑|日産180SX】なぜ“走り好き”はシルビアではなくワンエイティを選んだのか

1988年に発売され、たちまち大ヒットモデルとなった2ドアノッチバッククーペの5代目シルビア。しかし、3代目以降からラインアップされていた3ドアハッチバッククーペは、後継モデルが設定されなかった。販売店側などからの強い要請もあり、開発陣はシルビアのプラットフォームをベースとする次期型ハッチバッククーペを鋭意企画。1989年に市場に放った――。今回は“for FR Pilot”を謳って登場したスポーティハッチバックの「180SX」の話題で一席。

【Vol.75 日産180SX】

“ART FORCE”のキャッチフレーズを冠して1988年5月に市場デビューを果たしたS13型系シルビアは、その流麗なスタイリングとFR(フロントエンジン・リアドライブ)ならではの走りの良さが高い評価を受け、たちまち大ヒットモデルに昇華する。一方、シルビアを売らない販売網の日産プリンス系と日産チェリー系のディーラーからは、「シルビアのような小型FRスペシャルティを早く設定してほしい」という声が高まっていた。

 

実質的にガゼールの後継モデルとなるFRスペシャルティカーは、日産自動車の兄弟車戦略の見直しもあり、厳しい条件が開発陣につきつけられる。内外装の意匠のみで違いを打ち出していた従来のシルビア/ガゼールの路線は踏まず、一見すると共通シャシーのクルマには見えないまっさらな新型車に仕立てる方針が打ち出されたのだ。

 

新しいスペシャルティカーを企画するに当たり、開発陣はS13型系の輸出仕様である「240SX」をベースにした3ドアハッチバッククーペを造り出す決断をする。さらに、「クルマに対する強いこだわりを持ち、クルマを走らせることが好きで、しかも自分のセンスをアピールしたい」というユーザーをメインターゲットに設定した。

リトラクタブル式ヘッドライトを有する3ドアハッチバッククーペ。S13シルビアをベースにしているがエクステリアの印象は大きく異なる

 

エクステリアに関しては、空力特性の向上とスポーティ感の演出を最大限に重視する。フロント部はリトラクタブル式のヘッドライトとスラントしたノーズ、さらにダイナミックな造形の大型バンパーを装着してスポーティな顔を演出。ノーズからフード、ウエストライン、リアデッキにかけては、シルビアと同様に緩やかなS字のカーブを描く“エクストリームライン”を構築した。また、リアウィンドウからハッチゲートに至るボディ上部には大型のガラスを用いた“ラウンドグラスキャビン”を、リアフェンダーからリアエンドにかけては大きなカーブが緩やかに回り込む“ラップラウンドテール”を採用する。さらに各部のフラッシュサーフェス化なども図り、空気抵抗係数はクラストップレベルのCd値0.30(フロントおよびリアスポイラー装着時)を達成した。

 

一方でインテリアについては、基本的に“サラウンドインテリア”と称するシルビアのパーツを流用しながら、カラーリングや素材などに独自のアレンジを施す。2名掛けの後席には、可倒機構も盛り込んだ。また、シルビアの特徴的な装備であるフロントウィンドウディスプレイも上級仕様に設定した。

 

シャシーに関しては、シルビアと同様にFRレイアウトによるコントロール性の高さやリニアな操舵フィールを最大限に活かすため、前マクファーソンストラット/後マルチリンクのサスペンションを独自のセッティングで組み込む。複数のリンクの組み合わせによってタイヤの動きを最適に制御する専用設定の足回りは、シルビアとは一味違ったしなやかな乗り心地と忠実な操縦性を生み出した。さらに開発陣は、日産自慢の4輪操舵システムである“HICAS-Ⅱ”を新スペシャルティにも設定する。同時に、ハッチバックボディの採用に伴ってリアまわりの補強も入念に施した。動力源については、CA18DET型1809cc直列4気筒DOHC16Vインタークーラーターボエンジン(175ps/23.0kg・m)に一本化する。シルビアに用意する自然吸気版のCA18DEユニットを設定しなかったのは、ハッチバック化による重量増への対処、およびスポーティなキャラクターを前面に押し出すための方策だった。組み合わせるトランスミッションには5速MTとフルレンジ電子制御式4速ATを用意。さらに、リアビスカスLSDや4WAS(4輪アンチスキッド)も設定した。

 

■専用の車名とシンプルな車種展開で始動

インテリアは基本的にS13シルビアと同じ。カラーリングや素材でシルビアとの差別化を図る

 

シルビアに続く日産の新しい小型スペシャルティカーは、1989年3月に発表(発売は4月)される。車名は「180SX(ワンエイティ・エスエックス)」で、型式はRS13。車種展開は3ドアハッチバッククーペの1ボディ、CA18DET型の1エンジン、上級仕様のタイプⅡと標準グレードのタイプⅠというシンプルな構成でスタートした。販売ディーラーは前述の日産プリンス系と日産チェリー系。かつてガゼールを扱っていた日産モーター系は、シルビアの販売を担当した。

 

市場に送り出された180SXは、兄弟車のシルビアの陰に隠れがちだったものの、若者層を中心に地道な人気を獲得する。ただし、走りを重視する一部のマニアからは、シルビアに比べて70mmほど長いボディ(全長4540mm。全幅1690×全高1290mm/ホイールベース2475mmは共通)やリトラクタブル式ヘッドライトの採用によるフロントオーバーハングの重量増などがマイナスポイントとして指摘された。

 

兄弟車のシルビアとの明確な差異化を果たした180SXは、デビューから1年10カ月ほどが経過した1991年1月になるとマイナーチェンジを実施する。最大の注目ポイントは“エキサイティング・ランへ――”と称した搭載エンジンの換装で、従来のCA18DET型からギャレット製T25型ターボチャージャーに空冷式インタークーラーを備えたSR20DET型1998cc直列4気筒DOHC16Vターボ(205ps/28.0kg・m)に一新された。それに伴い、車両型式もRS13からRPS13へと変更される。ただし、車名に関しては「200SX」ではなく「180SX」のネーミングを継続した。また、この時の改良では従来のHICAS-Ⅱがコンピュータ制御によってより理想的なコントロールを果たす“Super HICAS”に進化。さらに、フロントマスクやアルミホイール、シート形状などのデザインもリファインされた。

 

1992年1月になると、充実装備の最上位グレードであるタイプⅢが設定される。デジタル表示式のオートエアコンやハイクオリティのオーディオといった快適アイテムを備えたタイプⅢは、180SXに新たな魅力を付加させていた。

 

■シルビアの全面改良を横目に――

当初は大ヒットモデルのS13型系シルビアに比べて存在感が薄かったRS13型/RPS13型系180SX。しかし、1993年10月にシルビアがフルモデルチェンジを実施してS14型系の第6世代に移行すると、状況は一変する。RPS13型系180SXの市場での人気が、にわかに高まり始めたのだ。理由はS14型系シルビアのキャラクターにあった。ボディ規格は全幅1730mmの3ナンバーサイズに変更。スタイリング自体も、洗練度はアップしたものの大人しい雰囲気に変わる。コクピットに関しても、従来のドライバー中心のスポーティなデザインから一般的なレイアウトに切り替わっていた。肥大化と凡庸化――そんな評価を下したS13型系のファンにとって、魅力的に映ったのが全面改良をせずにグレード体系の変更(タイプⅢ/タイプⅡ→タイプX/タイプR。タイプⅠは廃止)や装備の見直しなどで継続販売されたRPS13型系の180SXだったのである。

 

市場でのコアな人気に応えるように、日産の開発陣は180SXの地道な改良を行っていく。1995年5月には運転席SRSエアバッグの標準装備化や新ボディカラーおよびスーパーファインコートの設定などを実施。1996年8月になるとビッグマイナーチェンジが敢行され、前後バンパーはよりスタイリッシュに、リアコンビネーションランプはスカイライン風の丸型に、リアスポイラーはより大型のものに刷新される。さらに、リアブレーキの容量アップやリモコンドアロックの採用、自然吸気エンジンのSR20DE型1998cc直列4気筒DOHC16V(140ps/18.2kg・m)を搭載したタイプSの設定などを行った。また、SR20DEエンジン搭載車に関しては1997年10月に上位グレードのタイプGが追加され、自然吸気ファンから好評を博した。

 

走り好きを中心に人気を集めたRS13型/RPS13型系180SXは、1998年12月になるとついに生産が中止される。翌月の1999年1月には第7世代となるS15型系シルビアがデビュー。180SXはS15型系に吸収される形となり、後継モデルは設定されなかった。

 

モデルチェンジが激しい1990年代の自動車市場の中にあって、9年8カ月あまりもの長きに渡って販売が続けられた180SX。ロングセラーモデルに至ったのは、日産の経営悪化やレクリエーショナルビークルの車種強化という背景もあったのだが、それ以上にクルマ自体の持つ優れたキャラクター、すなわち走りのFRスペシャルティらしいスタイリングとディメンション、そして開発陣の地道な改良がユーザーから根強く支持されたからなのである。

 

シトラスのクルマ情報をInstagramで!
『car lovers by citrus』>>https://www.instagram.com/citrus_car/

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

清水草一が「シビック タイプR」を徹底解剖!「非日常のカタマリ。つまりフェラーリ的なのだ」

ベテラン自動車ライターの永福ランプこと清水草一とフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載。今回は、カーマニア垂涎の傑作スポーツモデル! シビック タイプRをチェックしました。

 

【PROFILE】

永福ランプこと清水草一:日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖です。自動車評論家としてはもはやベテランの域で、様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどに寄稿し、独自の視点でクルマを一刀両断しまくっています。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

安ド :元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。MJブロンディを慕い「殿」と呼んでいる。

 

【今回のクルマ】ホンダ シビック タイプR

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SPEC ●全長×全幅×全高:4560×1875×1435㎜ ●車両重量:1390㎏ ●パワーユニット:1995㏄直列4気筒DOHCターボエンジン ●最高出力:320PS(235kW)/6500rpm ●最大トルク:40.8㎏-m(400Nm)/2500〜4500rpm ●カタログ燃費:12.8㎞/ℓ  ●価格:450万360円

 

安ド「殿! このクルマ、まるでロボットアニメのマシンですね!」

清水「うむ。かつてランサーエボリューションが〝ガンダム系”の代表だったが、そのランエボもいまはない。ところがこのシビックタイプRは、かつてのランエボ以上のガンダム系デザインと言ってよかろう!」

安ド「顔もガンダムっぽいですけど、ルーフ後端についてるフィンがものスゴいです!」

清水「ものスゴいな!」

安ド「殿はこんな子どもっぽいデザインのクルマ、お嫌いですよね?」

清水「……いや、このクルマに関しては、決して嫌いではない。正確には、好きになってしまいそうだ」

安ド「マジですか!」

清水「なんだかんだいって、我々カーマニアは中身を重視する。どんなに『クルマはカッコ』と思っていてもな……」

安ド「つまり、中身がいいってことですか?」

清水「うむ。コイツの走りは本当にものスゴい。まさに非日常のカタマリ。つまりフェラーリ的なのだ」

安ド「えっ!美の化身であるフェラーリに似てるんですか!?」

清水「見た目は似ても似つかないが、中身の方向性は同じ。どこまでも速く、そして過剰に過激なのだ」

安ド「なるほど!」

清水「ボディのしっかり感、シャシー性能もとてつもないが、私が特に感じ入ったのは、2リットルターボエンジンのフィーリングだ」

安ド「乾いたいい音がしますね!」

清水「音も悪くないが、回せば回すほどターボパワーが高まる過激な特性にホレた。いまどきのダウンサイジングターボにはない、古典的なレーシングターボ。たとえれば、フェラーリF40のような」

安ド「殿!そんな神車の名前を口にしていいんですか!」

清水「低速トルクはたっぷりあり、実用性満点でありながら、本領を発揮するのは4000回転から上。そのまま7000回転まで、天井知らずにパワーが盛り上がる。思わず『このまま死んでもいい』と思ってしまうほどだ」

安ド「ええっ!フェラーリに命を賭けた殿が、ホンダ車で死んでもいいんですか!」

清水「ホンダはやはりエンジンメーカーだ。つまり、魂はフェラーリと同じ。ミニバンや軽では影を潜めたその本質が、このタイプRに込められている」

安ド「なるほど!ところで殿。限定モデルだった先代のタイプRのエンジンとは、かなり違いますか?」

清水「スペック的にはわずか10馬力アップなのだが、フィーリングは、はるかに澄んでいてピュア。フェラーリ的に感じたぞ」

安ド「スペックではなくフィーリングなんですね!そういえば6速MTも、ストロークが短くてコクコク入るし、メカニカルな感覚が心地良かったです!」

清水「まるでレーシングカーだな」

安ド「そうなんです。速すぎてアクセル全開にできません!」

 

【注目パーツ01】6速トランスミッション

回転数自動同期システム付き

歴代のタイプR同様、アルミ製シフトノブを備えた6速マニュアルです。変速時に回転数を自動で合わせてくれるので、ダウンシフトをカッコよく決められます。下部には、シリアルナンバー入りアルミ製エンブレム付きです。

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【注目パーツ02】カーゴエリアカバー

珍しく横から引っ張るタイプ

“トノカバー”と呼ばれる荷室上部のフタが、このクルマでは珍しく横からビヨヨーンと伸びてきます。おかげでハッチバックに連動して開閉はできませんが、ラッピングフィルムみたいで、出し入れすると楽しい気分になります。

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【注目パーツ03】3本出しマフラー&ディフューザー

見た目と実力を兼ね備えたリアまわり

高出力モデルというと左右2本出しマフラーが定番ですが、これは中央3本出し。フェラーリF40や458イタリアを髣髴とさせ、攻撃的で素敵です。両脇の黒いフィンは整流板で、車体の下を流れてきた空気を整えます。

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【注目パーツ04】スリット

空気の流れを整えるエアロパーツ

ボンネットの上に空気を取り入れるためのスリット(穴)があります。この空気でエンジンを冷やすのかと思いきや、どうもフロントタイヤ後方のスリットから抜ける構造のようです。空気の流れを大切にしているのですね。

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【注目パーツ05】20インチ30扁平タイヤ

大径サイズ化により高性能を発揮

ひと目見たときの違和感はなんだろうと思ってよく見ると、ものすごくタイヤが薄いです。「30扁平」というと、ひと昔前はスーパーカー用だった超扁平サイズ。見た目に違わずスーパーカー並みのパフォーマンスを実現してくれます。

20171226-yamauchi_3のコピー

 

【注目パーツ06】フロントフェイス

メカニカルな雰囲気のロボ顔

どちらかといえばさっぱり顔だった先代モデルと違い、今作は戦闘的で“ロボット感”溢れる雰囲気となりました。このロボ顔が嫌な人は先代型をおすすめしますが、先代型の中古車も人気が高く、価格はなかなか下がりません。

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【注目パーツ07】ドライブモードスイッチ

その日の気分でモードを変える

「タイプRでもたまには気を抜いて走りたい!」人向けにコンフォートモードを備えました。逆に、「もっと速く! 誰よりも速く!」と望む人には+Rモードもあります。ハンドリングや乗り心地などの味付けが変わります。

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【注目パーツ08】タイプRシート

高いホールド性を実現する形状

やはりタイプR伝統の赤いバケット型(体を包み込む形状の)シートを備えています。体の大きい人にとっては窮屈そうですが、体重80キロ超えのぽっちゃりな安ドでもすっぽり入りましたので、大丈夫だと思います。

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【注目パーツ09】大型リアスポイラー&ボルテックスジェネレータ

抵抗を抑えて空気の流れを整える

先代モデルもリアスポイラーは大型でしたが、このようなデコボコは付いていませんでした。このリアウインドウ上部についているデコボコが、走行時にルーフ上に流れる空気を整えて効果的にリアスポイラーに導くのです。

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[これぞ感動の細部だ! VTECターボエンジン]

レーシングカーのようなレスポンス

回せば回すほどパワーが溢れてくる超高回転型の高出力エンジンで、非常に官能的です。まるでピュアレーシングカーのような走りを実現しながら低速トルクもしっかりあって乗りやすい、近年まれに見る傑作エンジンであります。ちなみに北米では、モータースポーツに参戦する顧客向けに、このエンジンを単体で販売するのだとか。スゴい!20171226-yamauchi_12

 

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

清水草一がプジョー3008を徹底解剖! 「殿、珍しく絶賛ですね!」

ベテラン自動車ライターのMJブロンディとフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載です。SUVブームに先鞭をつけたプジョーの3008に試乗してみました!

 

[PROFILE]

永福ランプこと清水草一

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。自動車評論家としてはもはやベテランの域で、様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどに寄稿し、独自の視点でクルマを一刀両断しまくっています。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

安ド

元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。MJブロンディを慕い「殿」と呼んでいます。

 

【今月のクルマ】プジョー 3008

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SPEC【GTライン】●全長×全幅×全高:4450×1840×1630 ㎜●車両重量:1500㎏●総排気量:1598㏄●パワーユニット:直列4気筒DOHCターボ●最高出力:165PS(121kW)/6000 rpm●最大トルク:24.5㎏-m(240Nm)/1400〜3500rpm●カタログ燃費:14.5㎞/ℓ 357万〜429万円

 

「俺ならそれでもディーゼルにする」

安ド「殿! やっぱりフランス車はオシャレでカッコいいですね!」

清水「うむ。プジョーのデザインは長らく低迷していたが、この3008でかなり復活した印象だ」

安ド「どのあたりがいいですか?」

清水「デカすぎる『口』などの過度な小細工を廃し、適度に攻撃的なイメージを、こじゃれた細部で引き立てている」

安ド「インテリアもいいですね! 従来のプジョー車って、クオリティの足りなさをデザインでごまかしてた印象があったのですが(笑)、これは車格なりか、それ以上に質感が高いと思いました!」

清水「まさにドイツ車的なクオリティに近づいています。それでいてオシャレ感も高い」

安ド「特にステアリングやシフトまわりなどがいいです!」

清水「個人的には、楕円形の小径ハンドルがスバラシイ。車幅のあるSUVをクイクイと曲げてくれる」

安ド「メーターはハンドルの上から見えますね」

清水「近年のプジョー車の定番だな。これに違和感を覚える人も少なくないようだが、なにせハンドルが小さいので、ハンドルの中にメーターを収めるのはムリ。私は好きだぞ」

安ド「殿、珍しく絶賛ですね! 走りはどうですか」

清水「SUVを感じさせない軽快さがあり、乗り味も適度にフンワリしている。フランス車らしく、もう一段フンワリでもいいと思うが」

安ド「ボディも剛性感があって、いかにも力強いSUVという感じで、頼もしかったです。ドイツ車みたいでした!」

清水「世界中のクルマがドイツ車化しているからな。昔のプジョーとは似ても似つかぬ頼もしさだ」

安ド「エンジンはどうですか? 今回は1.6Lのガソリンターボモデルです」

清水「このエンジンは、愛車だったシトロエンC5で堪能したが、可もなし不可もなしだ」

安ド「燃費は約11㎞/Lでした!」

清水「うむ。SUVでそれだけ走れば問題なかろう」

安ド「きっとディーゼルはもっと速いと思いますが、これはこれで十分と言えます」

清水「ディーゼルは2L。断然速いし、燃費もいい。ただ価格がかなり高い」

安ド「429万円です」

清水「ガソリン車より30〜60万円高い。俺ならそれでもディーゼルにするが」

安ド「それとこのクルマ、プジョー車としては初めて、ドイツ車並みの高性能な自動ブレーキを搭載したんですよね!」

清水「しかも標準装備です。BMWなどと同様の単眼カメラ&ミリ波レーダーの組み合わせで、歩行者も検知できるのだから、これまでのフランス車とはまるで違うぞ」

安ド「ひょっとしてこのクルマ、フランス車の革命では?(笑)」

清水「それでいてオシャレ。オススメできる!」

 

【注目パーツ01】小径レザーステアリング

スポーティな走りを実現するハンドル

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近年のプジョー車のトレンドですが、径を小さくすることで握りやすくし、ドライバーがスポーティに運転できるよう設計されています。また、上下面をフラットにして、視界と足元スペースが広く取れるようにしているのも特徴です。

 

【注目パーツ02】パノラミックサンルーフ

開ければ圧倒的開放感! ボタンひとつで電動開閉

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この電動開閉機能付きの大型サンルーフは、プジョー初搭載の機能なんです。爽快な風を感じさせてくれるサンルーフをいままで開けずにいたとはもったいないかぎりです。サイドウインドウの面積が小さいだけに貴重な装備です。

 

【注目パーツ03】1.6リットルターボエンジン

トレンドを踏襲した小排気量仕様

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世界のトレンドは小排気量ターボ。3008も、ボディサイズのわりに小さ過ぎるんじゃないかと思わせる小排気量ターボエンジンを搭載しています。もちろん、想像以上にパワフルで軽快な走りを実現してくれます!

 

【注目パーツ04】ウエストライン

ワイルドな風合いを 醸し出すサイドライン

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ボディサイドの窓の下のライン、いわゆるウエストラインは、車高が低いわりに高い位置にデザインされています。ドライバーの見切りは多少悪くなりますが、マッチョな感じが増して、SUVとしては成功しているのではないでしょうか。

 

【注目パーツ05】デジタルヘッドアップインストルメントパネル

デジタル表示で近未来感をアピール

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全面デジタルディスプレイになっていることから、デザインの異なる4つのディスプレイモードを選べます。ちなみにそのメニュー表示は、なんと日本語に対応!  プジョーも親日的になったものです。

 

【注目パーツ06】ヘッドライト

明るく見やすくハイデザイン

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ヘッドライトの中央部分が、見てのとおりものすごくえぐれています。このような複雑な形状にするとコストがかかると思うのですが、デザインへのこだわりと先進性を感じさせます。もちろんフルLEDを採用しています。

 

【注目パーツ07】ATシフト

まるで飛行機のようなシフトノブ

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トランスミッションは高効率な6速ATが採用されていますが、それを操るシフトノブは飛行機の操縦桿のような形をしています。プジョーはこのインテリアを「i-Cockpit」と呼んでいるので、このような形状になったのでしょうか。

 

【注目パーツ07】大型フロントグリル

顔の中心でこだわりを見せつける

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プジョーは「大型グリル」と謳っておりますが、近年の大型グリルブームのなかでは比較的小型であります。特筆すべきはその独特な形状で、横から見るとえぐれており、このこだわりの造形がクルマファンを唸らせます。

 

【注目パーツ01】トグルスイッチ

ピアノの鍵盤のような美しさ

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「トグルスイッチ」とはつまみ状のレバーを上下に倒す構造のものですが、プジョーのトグルスイッチは、このように近未来的な形状です。実用的でありながら、整然としていて工業製品ならではの美しさも備えています。

 

これぞ 感動の細部だ!安全運転支援システム

最新の運転支援デバイスを網羅

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アクティブセーフティブレーキやレーンキープアシスト、アクティブブラインドスポットモニター、ドライバーアテンションアラート、アクティブクルーズコントロールなど、カメラ(写真左)とレーダー(写真右)をベースとした安全運転支援機能がてんこ盛り。もちろんその完成度は実用に値するレベルで、決して日本車やドイツ車にも負けてないです。

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

清水草一がプジョー3008を徹底解剖! 「殿、珍しく絶賛ですね!」

ベテラン自動車ライターのMJブロンディとフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をするクルマ連載です。SUVブームに先鞭をつけたプジョーの3008に試乗してみました!

 

[PROFILE]

永福ランプこと清水草一

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。自動車評論家としてはもはやベテランの域で、様々な自動車専門誌や一般誌、Webなどに寄稿し、独自の視点でクルマを一刀両断しまくっています。本連載をまとめた「清水草一の超偏愛クルマ語り」も先日発売に。

 

安ド

元ゲットナビ編集部員のフリーエディター。MJブロンディを慕い「殿」と呼んでいます。

 

【今月のクルマ】プジョー 3008

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SPEC【GTライン】●全長×全幅×全高:4450×1840×1630 ㎜●車両重量:1500㎏●総排気量:1598㏄●パワーユニット:直列4気筒DOHCターボ●最高出力:165PS(121kW)/6000 rpm●最大トルク:24.5㎏-m(240Nm)/1400〜3500rpm●カタログ燃費:14.5㎞/ℓ 357万〜429万円

 

「俺ならそれでもディーゼルにする」

安ド「殿! やっぱりフランス車はオシャレでカッコいいですね!」

清水「うむ。プジョーのデザインは長らく低迷していたが、この3008でかなり復活した印象だ」

安ド「どのあたりがいいですか?」

清水「デカすぎる『口』などの過度な小細工を廃し、適度に攻撃的なイメージを、こじゃれた細部で引き立てている」

安ド「インテリアもいいですね! 従来のプジョー車って、クオリティの足りなさをデザインでごまかしてた印象があったのですが(笑)、これは車格なりか、それ以上に質感が高いと思いました!」

清水「まさにドイツ車的なクオリティに近づいています。それでいてオシャレ感も高い」

安ド「特にステアリングやシフトまわりなどがいいです!」

清水「個人的には、楕円形の小径ハンドルがスバラシイ。車幅のあるSUVをクイクイと曲げてくれる」

安ド「メーターはハンドルの上から見えますね」

清水「近年のプジョー車の定番だな。これに違和感を覚える人も少なくないようだが、なにせハンドルが小さいので、ハンドルの中にメーターを収めるのはムリ。私は好きだぞ」

安ド「殿、珍しく絶賛ですね! 走りはどうですか」

清水「SUVを感じさせない軽快さがあり、乗り味も適度にフンワリしている。フランス車らしく、もう一段フンワリでもいいと思うが」

安ド「ボディも剛性感があって、いかにも力強いSUVという感じで、頼もしかったです。ドイツ車みたいでした!」

清水「世界中のクルマがドイツ車化しているからな。昔のプジョーとは似ても似つかぬ頼もしさだ」

安ド「エンジンはどうですか? 今回は1.6Lのガソリンターボモデルです」

清水「このエンジンは、愛車だったシトロエンC5で堪能したが、可もなし不可もなしだ」

安ド「燃費は約11㎞/Lでした!」

清水「うむ。SUVでそれだけ走れば問題なかろう」

安ド「きっとディーゼルはもっと速いと思いますが、これはこれで十分と言えます」

清水「ディーゼルは2L。断然速いし、燃費もいい。ただ価格がかなり高い」

安ド「429万円です」

清水「ガソリン車より30〜60万円高い。俺ならそれでもディーゼルにするが」

安ド「それとこのクルマ、プジョー車としては初めて、ドイツ車並みの高性能な自動ブレーキを搭載したんですよね!」

清水「しかも標準装備です。BMWなどと同様の単眼カメラ&ミリ波レーダーの組み合わせで、歩行者も検知できるのだから、これまでのフランス車とはまるで違うぞ」

安ド「ひょっとしてこのクルマ、フランス車の革命では?(笑)」

清水「それでいてオシャレ。オススメできる!」

 

【注目パーツ01】小径レザーステアリング

スポーティな走りを実現するハンドル

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近年のプジョー車のトレンドですが、径を小さくすることで握りやすくし、ドライバーがスポーティに運転できるよう設計されています。また、上下面をフラットにして、視界と足元スペースが広く取れるようにしているのも特徴です。

 

【注目パーツ02】パノラミックサンルーフ

開ければ圧倒的開放感! ボタンひとつで電動開閉

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この電動開閉機能付きの大型サンルーフは、プジョー初搭載の機能なんです。爽快な風を感じさせてくれるサンルーフをいままで開けずにいたとはもったいないかぎりです。サイドウインドウの面積が小さいだけに貴重な装備です。

 

【注目パーツ03】1.6リットルターボエンジン

トレンドを踏襲した小排気量仕様

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世界のトレンドは小排気量ターボ。3008も、ボディサイズのわりに小さ過ぎるんじゃないかと思わせる小排気量ターボエンジンを搭載しています。もちろん、想像以上にパワフルで軽快な走りを実現してくれます!

 

【注目パーツ04】ウエストライン

ワイルドな風合いを 醸し出すサイドライン

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ボディサイドの窓の下のライン、いわゆるウエストラインは、車高が低いわりに高い位置にデザインされています。ドライバーの見切りは多少悪くなりますが、マッチョな感じが増して、SUVとしては成功しているのではないでしょうか。

 

【注目パーツ05】デジタルヘッドアップインストルメントパネル

デジタル表示で近未来感をアピール

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全面デジタルディスプレイになっていることから、デザインの異なる4つのディスプレイモードを選べます。ちなみにそのメニュー表示は、なんと日本語に対応!  プジョーも親日的になったものです。

 

【注目パーツ06】ヘッドライト

明るく見やすくハイデザイン

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ヘッドライトの中央部分が、見てのとおりものすごくえぐれています。このような複雑な形状にするとコストがかかると思うのですが、デザインへのこだわりと先進性を感じさせます。もちろんフルLEDを採用しています。

 

【注目パーツ07】ATシフト

まるで飛行機のようなシフトノブ

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トランスミッションは高効率な6速ATが採用されていますが、それを操るシフトノブは飛行機の操縦桿のような形をしています。プジョーはこのインテリアを「i-Cockpit」と呼んでいるので、このような形状になったのでしょうか。

 

【注目パーツ07】大型フロントグリル

顔の中心でこだわりを見せつける

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プジョーは「大型グリル」と謳っておりますが、近年の大型グリルブームのなかでは比較的小型であります。特筆すべきはその独特な形状で、横から見るとえぐれており、このこだわりの造形がクルマファンを唸らせます。

 

【注目パーツ01】トグルスイッチ

ピアノの鍵盤のような美しさ

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「トグルスイッチ」とはつまみ状のレバーを上下に倒す構造のものですが、プジョーのトグルスイッチは、このように近未来的な形状です。実用的でありながら、整然としていて工業製品ならではの美しさも備えています。

 

これぞ 感動の細部だ!安全運転支援システム

最新の運転支援デバイスを網羅

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アクティブセーフティブレーキやレーンキープアシスト、アクティブブラインドスポットモニター、ドライバーアテンションアラート、アクティブクルーズコントロールなど、カメラ(写真左)とレーダー(写真右)をベースとした安全運転支援機能がてんこ盛り。もちろんその完成度は実用に値するレベルで、決して日本車やドイツ車にも負けてないです。

 

【参考にした本】

タイトル:清水草一の超偏愛クルマ語り

価格:926円+税

 

「全駅から富士山が望める鉄道」の見どころは富士山だけじゃない! おもしろローカル線「岳南電車」の旅

おもしろローカル線の旅~~岳南電車(静岡県)~~

 

富士山の南側、静岡県富士市を走る岳南電車(がくなんでんしゃ)。富士山を見上げつつ1両で走るカラフルな電車が名物となっている。「全駅から富士山が望める電車」が岳南電車のPR文句。だが、売りは富士山が見えるだけではない! 乗っていろいろ楽しめる岳南電車なのだ。

↑主力車両の7000形。元京王井の頭線の3000系で、中間車の両側に運転台を付ける工事を受けたあとに、岳南へやってきた。オレンジ色のほか水色の7000形も走る

 

奇々怪々―― カーブが続く路線

岳南電車、その名もずばり、岳(富士山)の南を走る電車である。東海道本線の吉原駅(よしわらえき)と岳南江尾駅(がくなんえのおえき)間の9.2kmを結ぶ。路線はすべてが静岡県富士市の市内を通る。富士市内線と言ってもいい。

上の路線図を見てわかるように、吉原駅から、ぐる~っとカーブして、吉原の繁華街を目指す。さらにその先もカーブ路線が続く。なぜこのようにカーブが多いのだろう?

 

まずは、岳南電車の歴史を簡単に触れておこう。

 

1936(昭和11)年:日産自動車の専用鉄道として路線が設けられる。

1949(昭和24)年:岳南鉄道により鈴川駅(現・吉原駅)〜吉原本町間が開業される。その後、徐々に路線が延長されていく。

1953(昭和28)年:岳南富士岡駅〜岳南江尾駅間が開業し、全線開業。

 

太平洋戦争後に誕生、ちょうど70周年を迎えた鉄道路線である。そして、

 

2013(昭和25)年:岳南鉄道から岳南電車に路線の運行を移管

 

現在は富士急行グループの一員になっている。2013年に岳南鉄道から岳南電車に名前を変更した理由は後述したい。

↑岳南電車の起点となる吉原駅。JR吉原駅のホームとは専用の跨線橋で結ばれる。武骨な駅舎ながら、それが岳南電車らしい味わいとなっている

 

↑終点の岳南江尾駅。レトロな駅表示に変更されている。駅のすぐ横を東海道新幹線が通る。2駅手前の須津駅(すごえき)の近くには新幹線の名撮影地もある(徒歩15分)

 

↑岳南唯一の2両編成8000形。こちらも元京王井の頭線の3000系だ。岳南では「がくちゃん かぐや富士」の名が付く。朝夕のラッシュ時や臨時列車に利用されている

 

工場をよけて路線を敷いた結果、カーブが多くなった

富士市は第二次産業が盛んな都市である。

 

岳南電車が走る地域で、最も大きな工場といえばジヤトコだ。ジヤトコ前駅という駅すらある。吉原駅の北側にジヤトコ本社富士事業所が大きく広がる。直線距離にして南北1kmという大きな工場だ。

 

ジヤトコの富士事業所は太平洋戦争前に、日産自動車の航空機部吉原工場として誕生した。現在、同社は日産自動車グループの一員として、主に変速機を生産。日産自動車や、国内外の自動車メーカーに納入している。

 

岳南電車の路線は、太平洋戦争以前にこの工場用に敷かれた専用線が元になっている。路線開業の際には、工場を縁取るように線路が延ばされていった。

 

さらにその先にも大規模な工場などがあり、この敷地をよけるように線路が敷かれている。こうして工場をよけるように線路が敷かれていった結果、カーブが多い路線となったのだ。

 

岳南原田駅〜比奈駅間では工場内を走る箇所もある。奇々怪々、電車の上を太いパイプ類が通るその風景は、この岳南電車ならではの車窓風景だ。日が落ちると工場のライトをくぐるように走り、幻想的な光景が楽しめる。

↑富士市は大規模工場が多い。この工場を縫うように路線が通る。岳南原田駅〜比奈駅間では、工場の内部を抜ける。上空をパイプが張り巡らされた不思議な光景と出会う

大規模な引込線、これはもしかして…?

比奈駅と岳南富士岡駅の間に大規模な引込線が残されている。旅客輸送のみを行う岳南電車が、これはもしかして……?

 

岳南電車の沿線には、かつて多くの引込線が敷かれ、2012年3月17日まで実際に貨物輸送が行われていた。沿線の工場へ向けての貨物輸送の比重がかなり高かった。

 

貨物輸送を取りやめた理由は、JR貨物が連絡貨物の引き受けを中止したため。その裏には、鉄道貨物輸送のなかで大きな割合を占めていた紙の輸送が急激に減っていった現状があった。沿線には豊富な水を利用して日本製紙などの製紙工場が多いが、ペーパーレス化の流れもあって紙の生産量が減り、鉄道を使った紙の輸送量が急減していた時代背景があったのだ。

↑比奈駅と岳南富士岡駅間に残る大規模な引込線の跡。多くの貨車が停まっていた時代があった。この先、使われることなく放置されるのには惜しいように思われる

 

↑岳南富士岡駅構内には当時の貨物用機関車が保存される。手前のED50形ED501号機は上田温泉電軌という会社が1928(昭和3)年、川崎造船所に発注した電気機関車だ

 

かつては珍しい「突放」も見られた

先の引込線跡は、鉄道貨物の輸送用に設けられた留置施設でもあった。

 

2012年3月まで行われた岳南電車での貨物輸送。この路線の貨物輸送ではほかで見ることのできないユニークな輸送風景が見られた。

 

まずは使われる貨車の多くがワム80000形という屋根付きの有蓋(ゆうがい)車だった。最終盤となった6年前、このワム80000形が使われていたのは、岳南へ乗り入れる貨物列車のみとなっていた。

↑貨物列車が運転された当時の比奈駅の構内。コンテナ貨車とともに有蓋車のワム80000形が紙の輸送に使われていた。現在は比奈駅構内の引込線はほとんどが取り外されている

 

↑岳南での輸送に使われたワム8000形。すでに有蓋車での貨物輸送は消滅してしまった。かつては一般的だった天井の無い無蓋車もごく一部で利用されるのみとなっている

 

さらに岳南では、「突放(とっぽう)」と呼ばれる貨車の入れ換え作業が最後まで行われていた。かつては、貨車からの荷卸し、貨車の組み換え作業が行われた駅では、ごく普通に見られた突放。だが、近年になり、この突放が行われていたのは岳南のみとなっていた。

 

機関車がバック運転し、走行中に貨車を切り離し、その惰性で貨車のみを走らせる。それこそ「突放」の字のごとく、機関車が貨車を突き放した。貨車には作業員が乗っていて、貨車に付いたブレーキをステップに乗って操作、巧みに停止位置に停めるという作業だった。

 

機関車の運転士、そしてポイントの切替え、ブレーキをかける作業員らの息のあった作業を必要とした。危険が多い作業でもあったが、所定の位置に上手く停止、またはほかの貨車と連結させる熟練のワザが見られた。

↑後ろに写る貨車と連結を試みる突放作業の様子。無線片手に機関車の運転士らと連絡を取り合い、ステップ操作でブレーキを利かせ、貨車のスピードを巧みにコントロールした

臨時電車や沿線マップといった取り組みも

貨物輸送の割合が大きかった当時の岳南鉄道にとって、輸送中止の痛手は大きかった。不動産業、ゴルフ場経営などを行う岳南鉄道への影響を小さくしようと、鉄道部門のみを切り離して、子会社へ移した。貨物輸送が終了した翌年にそうした移管が行われ、鉄道の名前も岳南鉄道から岳南電車に変えた。

 

岳南電車のなかでも注目された貨物輸送ではあるが、廃止されてからだいぶ日が経った。筆者は久々に現地を訪れて電車に乗ったが、鉄道会社の経営も順調に軌道に乗っているように感じられた。

 

「ビール電車」や「ジャズトレイン」が夏期限定で運行。ほかにも、お祭り用に臨時電車やラッピング電車を走らせたり、詳細な沿線マップを作ったり、グッズをふんだんに用意したり……と地道な営業活動を続けている。こうした細かい活動が少しずつ実を結びつつあるように見えた。

↑吉原の祇園祭(6月9日・10日開催)に合わせて走った「お祭り電車」。タイムリーなラッピング電車を走らせるなど小さな鉄道会社ならではの動きの良さが感じられる

 

↑吉原駅構内に並ぶグッズコーナー。ずらりと並ぶグッズ類に驚かされる

 

↑全線1日フリー乗車券は700円。こどもは300円。春・夏・冬休みのこども券は200円と割安に。駅で配布されている沿線MAPは飲食店や観光地情報も掲載され便利だ

 

沿線の隠れた見どころ

起点の吉原駅から終点の岳南江尾駅まで、乗車時間20分ほど。沿線の見どころを紹介しよう。

 

吉原駅から出発すると、しばらく東海道本線と並走する。その後、ジヤトコの工場にそってカーブを走り、しばらく走るとジヤトコ前駅に付く。そこから吉原の町並みのなかを走り、吉原本町通りが通る吉原本町駅へ。さらに本吉原と住宅街が続く。

 

岳南原田駅を過ぎ、大きな工場を見つつ、前述した工場内を走れば比奈駅へ到着する。

 

この比奈駅には駅舎内に鉄道模型専門店「FUJI Dream Studio501」がある。模型好きの方は立ち寄ってみてはいかがだろう。

 

さらに隣りの岳南富士岡駅には車両の検修庫があり、また貨物輸送に使われた電気機関車と貨車が保存されている。これらの保存車両は駅ホームからの見学に限られるが、昭和初期生まれの貴重な機関車も残されるので、じっくり見ておきたい。

 

須津駅(すどえき)から岳南江尾駅までは住宅街を走る。須津からは東海道新幹線と富士山が美しく撮れることで知られる名スポットが近い。
電車が走る富士市は小さな河川が多く、豊富な水が流れる地でもある。岳南電車は数多くの河川を跨いで走る。これらは富士山麓から豊富に湧き出る伏流水が生み出した河川でもある。

↑岳南富士岡駅近くの流れ。沿線には富士山の伏流水を集めた小河川が多く、豊富な水の流れが目にできる。春から初夏にかけてはカルガモ一家との出会い、なんてことも

 

筆者が撮影していたポイントでも、こうした河川に出会ったが、水が豊富で流れは澄んでいる。見ていてすがすがしい気持ちになった。カルガモ一家がのんびり泳ぐ、そんな川の流れに心も癒された旅であった。

【中年名車図鑑|5代目 スバル・サンバー】プロの道具感を追求した“軽商用車界のポルシェ911”

1990年に軽自動車の規格が改定されると、富士重工業(現SUBARU)はいち早く商用モデルの「サンバー」の全面改良を実施し、第5世代となる新型を市場に送り出す。リア搭載の4気筒エンジンに4輪独立懸架サス、そして4輪駆動を採用した5代目は、他社の軽バン/トラックを凌ぐハイパフォーマンスを発揮した――。今回は660ccエンジンを積み込み、レトロ調モデルの設定でも話題を集めた“軽商用車界のポルシェ911”こと5代目サンバーの話で一席。

【Vol.73 5代目スバル・サンバー】

日本独自のミニカー・カテゴリーである軽自動車は、1990年1月になると車両規格の大幅改定が実施された。エンジン排気量は550ccから660ccに拡大。ボディサイズは全長3200×全幅1400×全高2000mmから同3300×1400×2000mmに変更される。主に安全性の向上とそれに伴う車両重量増に対処した規格変更だが、実は新税制を踏まえたうえでの改定でもあった。従来の軽自動車はその性格上、物品税が最低限のレベルに抑えられていた。しかし、新しく導入された消費税は一律3%の課税。その結果、小型車クラスとの購入金額差が著しく接近してしまったのだ。購入諸経費および維持費の違いはあるものの、これでは軽自動車のメリットが希薄になる……。対応策として監督官庁は、エンジン排気量などを拡大して小型車との差を小さくしようとしたのである。

 

■660cc版の第5世代サンバーの開発

高性能と使いやすさ、そして丈夫さを追求した5代目サンバー。リアにエンジンを積むことから“軽商用車界のポルシェ911”と呼ばれた

 

軽自動車の規格改定に対して富士重工業は、まず同社の主力軽カーであり、リアエンジン構造を採用することから“軽商用車界のポルシェ911”と呼ばれる「サンバー」の全面改良を率先させる。目指したのは、他社の軽バン/トラックを圧倒する高性能と使いやすさ、そして丈夫さの実現だった。

 

肝心のエンジンについては、既存のレックス用EN05型系547cc直列4気筒OHCユニットをベースに排気量を拡大する旨を決定する。選択した方法はロングストローク化。エンジンブロックのスペースの関係上、ボアアップは困難だったからだ。最終的にボア×ストロークはEN05型系の56.0×55.6mmから56.0×66.8mmに変更し、排気量は658ccとする。エンジンのロングストローク化は、サンバー用エンジンにとって大きなメリットをもたらした。一般的に4気筒エンジンは、3気筒に対して熱効率が悪く、低中速域でのトルク値が低くなりがち。また、燃料消費率の面でも劣る。一方、エンジン回転のスムーズさや振動の少なさ、さらに耐久性の面では4気筒に軍配が上がった。新開発の4気筒ロングストロークエンジンは低中速トルクの不足を補い、同時にフリクションロスを低減させることによって燃費の引き上げも図ったのである。

トラックタイプは広くて低いフルフラットデッキを採用。“プロの道具”としての魅力を追求した

 

シャシーおよびボディに関しては、前マクファーソンストラット/後セミトレーリングアームの4輪独立懸架サスペンションに高剛性を誇るフレーム付きシャシー、亜鉛メッキ鋼板の多用と入念な防錆塗装、多彩に使えるマルチフラットデッキ(バン)、広くて低いフルフラットデッキ(トラック)などの機構を採用する。また、内外装はシンプルかつ機能的なデザインで仕立て、プロの道具としての魅力度をいっそう引き上げた。

 

■4気筒エンジン/4輪独立懸架/4輪駆動の高スペック

4気筒エンジンで4輪独立懸架、4輪駆動の高性能がウリだった。写真は乗用モデルの「サンバー・ディアス」

 

通算で5代目となる新規格のスバル・サンバーは、「サンバー660」シリーズとして1990年3月に市場に放たれる。リア部に搭載されたエンジンは“クローバー4”EN07型658cc直列4気筒OHCユニットで、EMPiの燃料供給装置にスーパーチャージャーの過給器を装備したEN07Y型と自然吸気(NA)仕様でキャブレターを組み合わせたEN07C型の2機種を設定。パワー&トルクはEN07Y型が55ps/7.1kg・m、EN07C型が40ps/5.5kg・mを発生した。組み合わせるトランスミッションは5速MTとEL(エクストラ・ロー)付5速MTのほかに、専用セッティングのECVTを用意。駆動方式はRRと4WD(セレクティブ4WD/ビスカスカップリング式フルタイム4WD)が選択できた。

 

4気筒エンジンで4輪独立懸架、そして4輪駆動の高性能を誇る第5世代サンバーは、デビュー後も着実に進化を図っていく。1992年9月にはマイナーチェンジを実施し、赤帽仕様を除く全車が丸型シールドビームヘッドランプから異形角型ヘッドランプに換装(それまでは乗用モデルの「サンバー・トライ・ディアス」→「サンバー・ディアス」のみが角型)して上質感をアップする。1995年4月になると、電気自動車の「サンバーEV」を発売。動力源は直流直巻モーター(25ps/7.1kg・m)で、バッテリーには12V×10個を積み込んだ。6カ月ほどが経過した1995年10月にはマイナーチェンジが敢行され、搭載エンジンに自然吸気のEMPi仕様となるEN07F型(46ps/5.6kg・m)が加わる。同時にトランスミッションでECVTが廃止され、耐久性と信頼性に優れる3速ATに切り替わった。

 

軽自動車は1998年10月になると、衝突安全性の向上を図る目的の規格改定が実施される。660ccのエンジン排気量はそのままながら、ボディサイズは全長3400×全幅1480×全高2000mmに拡大された。この変更に則して富士重工業はサンバーの全面改良を行い、1999年2月に第6世代をリリース。この時点で、高い人気を誇った5代目サンバーはその役割を終えたのである。

 

■レトロ調デザインの先駆けとなった「ディアス・クラシック」

レトロ軽自動車ジャンルに先鞭をつけた「サンバー・ディアス・クラシック」

 

最後にトピックをひとつ。軽自動車の新たな訴求ポイントを模索していた富士重工業は、1993年10月に発表したサンバーのスペシャルモデルによってひとつの回答策を披露する。クラシカルな装備アイテムを満載した「サンバー・ディアス・クラシック」で“レトロ調”デザインを提案したのだ。

 

ディアス・クラシックは1BOXサンバーの上級仕様であるディアスをベースに、外装ではクロームメッキグリル&ドアミラー/丸目2灯式ヘッドランプ/シルバー塗装スチールバンパーなどを、内装では専用カラー・トリコット地シート&ドアパネル/ホワイト地メーター(数字等レタリングはブラウン)&空調スイッチパネルなどを組み込み、ホビー感覚あふれる独自のクラシカルスタイルを創出する。また、専用ボディ色のクラシカルグリーンおよびツートンカラーや“SUBARU SAMBAR Dias CLASSIC”エンブレムなども所有欲を促した。市場に放たれたディアス・クラシックは予想以上に販売台数を伸ばし、たちまちヒット作に昇華する。レトロ調モデルには需要がある――そう結論づけた富士重工業のスタッフは、同社の軽乗用車であるヴィヴィオにもレトロ仕様を企画。1995年11月には「ヴィヴィオ・ビストロ」の名で世に送り出したのである。

 

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【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

子どもを乗せても軽々走れる! 使い勝手が進化した最新「電動アシスト自転車」5選

世界で最初の電動アシスト自転車、ヤマハの「PAS」が発売されてから、今年でちょうど25年。すっかりお馴染みの乗り物となりました。この自転車は、モーターによってペダルを踏む力をアシストしてくれるので、漕ぎ出しや坂道でもふらつくことなく、楽に走行できるのが最大の特徴です。買い物荷物を満載したうえに子どもまで乗せて走るお母さんたちを中心にユーザーが広がり、近年はバッテリー容量が大きくなって走行可能距離も格段に長くなり、非常に使い勝手が良いモデルが増えてきました。特に、坂道の多い町では、電動アシストがあるとないとでは、その快適さがまるで違ってきます。日々の買い物や子どもの送り迎えに加え、通勤・通学などの生活シーンでも、とても便利でエコな乗り物、電動アシスト自転車。オススメの5台を選んでみました。

 

1.小さいお子さんがいるママも安心「ギュット・ミニ・DX」

パナソニック
ギュット・ミニ・DX

楽天市場最安値価格:12万8002円

【SPEC】
タイヤサイズ:20インチ
変速:内装3段変速
重量:33.3kg
バッテリー容量:16.0Ah
カラー:パウダーイエロー/マットネイビー/マットブルーグレー/ロイヤルレッド/マットダークグリーン/マットブラック

 

パナソニックの「ギュット」シリーズは、子どもを乗せるために設計された低重心のアシスト自転車のシリーズで、そのうち「ギュット ミニ」は、子どもをフロントに乗せるタイプです。前乗せのタイプは常に子どもが視界にあり、小さな子どもでも安心して乗せられます。また後部も含めて2人を乗せることが可能な点もメリットとなるでしょう。タイヤは20インチと小さいタイプですから、乗せ降ろしも楽にできます。バッテリーも小型ながら十分な容量を持っており、近所の走行のみなら充電も月に1度でOK。基本性能が充実の子乗せアシスト自転車です。

 

2.通勤・通学や買い物用にオススメ「ビビ・SX」

パナソニック
ビビ・SX

楽天市場最安値価格:8万8800円

【SPEC】
タイヤサイズ:26インチ
変速:内装3段変速
重量:25.8kg
バッテリー容量:8.0Ah
カラー:チョコブラウン/モダンシルバー/ピスタチオ/マットブラック

 

同じパナソニックでもこちらの「ビビ」シリーズは、通常の26インチシティサイクルにバッテリーをつけたタイプの、ショッピングに最適な電動アシスト自転車のシリーズです。なかでも「SX」は、メーカー希望小売価格が8万5000円(税抜)という安さが魅力の1台。安心の日本製で基本機能も充実しています。バッテリー容量が現在の基準からするとやや小さく感じるかもしれませんが、電動アシストは多少あればOKという環境なら十分に使えるでしょう。毎日重い荷物を持ち運ぶ必要のある高校生や中学生の通学にも使えそうなので、入学のプレゼントにいかがでしょうか。

 

3.ベーシックな1台なら「PAS With」

ヤマハ
PAS With

楽天市場最安値価格:9万9799円

【SPEC】
タイヤサイズ:26インチ
変速:内装3段変速
重量:26kg
バッテリー容量:12.3Ah
カラー:アクアシアン/ライムグリーン/ピュアシルバー/ピュアパールホワイト/ダークメタリックブラウン/ダークメタリックブルー/ビビッドレッド

 

元祖電動アシスト自転車と言えば、ヤマハの「PAS」ですね。現在では子乗せ仕様からスポーツタイプまで様々な製品がラインナップされています。そんなPASの数あるシリーズモデルの中でも、「With」はスタンダードな性能をまとったシリーズ。この「With」は、シリーズ最軽量の取り回しやすさが特徴の電動アシスト自転車で、通学やショッピングに最適なモデルです。フル充電で56㎞走行可能(標準モードの場合)なバッテリーは必要十分な容量といえますが、もっと長い距離を走りたい、あるいは強力なアシストが欲しいという方には、より大きなバッテリーを搭載した「With SP」もあります。

 

4.お手ごろエントリーモデル「アシスタ・ファイン」

ブリヂストン
アシスタ・ファイン

楽天市場最安値価格:8万4799円

【SPEC】
タイヤサイズ:24/26インチ
変速:内装3段変速
重量:24.6kg/25.2kg
バッテリー容量:6.2Ah
カラー:E.Xモダンブルー/E.Xナチュラルオリーブ/E.Xフラミンゴオレンジ/E.Xマリノブルー/F.Xカラメルブラウン/M.XHスパークシルバー

 

ブリヂストンの「アシスタ」シリーズは、多様なラインナップを擁するブリヂストンのベーシックな電動アシスト自転車のモデル群です。「アシスタ・ファイン」は、そのなかでやや小さめのバッテリーを積む、電動アシスト自転車のエントリーモデルともいうべき存在。タイヤサイズは24インチと26インチを用意。スタンダードなデザインながら、またぎやすい低床フレームで楽に乗り降りでき、高齢者の方にもおすすめできます。安心のブリヂストン製品が、ご覧の価格から購入できることも、このモデルの大きな魅力の1つです。

 

5.子乗せタイプの定番「bikke・GRI(ビッケ・グリ)」

ブリヂストン
bikke・GRI(ビッケ・グリ)

楽天市場最安値価格:12万5480円

【SPEC】
タイヤサイズ:フロント24インチ/リア20インチ
変速:内装3段変速
重量:33.0kg
バッテリー容量:14.3Ah
カラー:E.Xランドベージュ/E.Xアンバーオレンジ/E.Xリバーブルー/T.Xディープグリーン/E.XBKダークグレー/E.XBKホワイト

 

「ビッケ」は、ブリヂストンの子ども乗せ電動アシスト自転車のシリーズモデル名で、「ビッケ・グリ」は、リアチャイルドシートを基本とするモデルです。ブリヂストン得意のベルトドライブ(チェーンではなく歯付きベルトで駆動する)に電動アシストが付いているこのモデルは、モーターパワーを前輪に与えており、「前から引っ張ってもらっている」感覚で力強い走行が期待できます。さらに後輪にブレーキをかけると自動的に前輪にモーターブレーキがかかり、いわゆる回生システムでバッテリーが充電されるという機構も備えています。後輪は乗せ降ろししやすい20インチタイヤを採用するなど、様々な工夫をこらした万能タイプの子乗せアシスト自転車です。

 

非常に便利な電動アシスト自転車ですが、モーターを積んでいるぶん車体は重くなり、さらにはスピードも出やすくなるわけですから、安全のためにも高いブレーキ性能が必要。タイヤにも通常以上の耐久性が求められます。ここに紹介した日本の3大メーカーの製品であれば安心して使用できるので、まずはメーカーで選んだうえで、自分にあったモデルを探してみてください。

ママチャリを卒業したい人にオススメ! お手ごろ価格の初心者向け「クロスバイク」5選

自転車に乗ることは、日頃の運動不足解消やダイエットにも最適なエクササイズです。とはいえ、いきなり本格的なロードバイクでは、値段は高いし維持も大変ですね。かといってママチャリでは快適な走りを楽しめません。そこでオススメしたいのが、「クロスバイク」です。「クロスバイク」とは、一般的にはマウンテンバイク(MTB)とロードバイクの長所を掛け合わせた、“クロスオーバー”な魅力を持った自転車のこと。通勤や買い物にも使える気軽さと、その気になればけっこうなスピードも出せて遠出も可能な、使い勝手の良さが魅力の自転車です。有名自転車ブランドの製品が、手頃な価格から購入可能なところもポイント高し! 今回はそんなクロスバイクのなかでも初心者にオススメのモデル紹介していきましょう。

 

1.イタリア名門ブランドのエントリーモデル

GIOS(ジオス)
MISTRAL(ミストラル)

楽天市場最安値価格:4万4100円

【SPEC】
・変速 24段(フロント3段・リア8段)
・タイヤサイズ 700×28C
・重量 10.8kg
・カラー  ジオスブルー / ホワイト / ブラック / グレー

 

イタリア・トリノを拠点とするロードバイクの名門ブランド「ジオス」。彼らの作るクロスバイクのベストセラーが、この「ミストラル」です。バランスの良いアルミのフレームに、自転車のパーツメーカーとして圧倒的なシェアを誇るジャパンブランド、シマノの24段変速機(前3段、後8段)を搭載します。そしてタイヤはロングライドもこなせる700×28C。ロードバイクほど細くはなく、それでいてしっかりスピードも出すことも可能な、絶妙なバランスのタイヤサイズです。重量も約11㎏と軽く、クロスバイクとして申し分のない作りでありながら、4万円台から購入可能なコスパの高さが、このモデルの最大の魅力です。伝統のジオスブルーが美しい、入門に最適なクロスバイクらしい1台と言えます。

 

2.人気ブランドの街乗りモデル

LOUIS GARNEAU(ルイガノ)
LGS-L8

楽天市場最安値価格:5万2488円

【SPEC】
・変速 24段(フロント3段・リア8段)
・タイヤサイズ 700×32C
・重量 12.1kg
・カラー  LG ホワイト/LG ブラック/LG オレンジ/チェリーピンク/グラスグリーン

 

カナダのケベック市で産声をあげたルイガノは、元はサイクルウェアのブランドだったこともあり、街で映えるファッション性の高さが魅力のブランドです。この「LGS-L8」は、ヴィヴィッドな5色のフレームカラーをそろえ、さらには小柄な方も安心のフレームサイズを設定するなど、女性にもオススメしやすいクロスバイクです。700×32Cのやや太めのタイヤのため安定性が高く、シティーサイクルからの乗り換えでも戸惑うことなく、安全に走ることができます。街乗りやポタリング(自転車散歩)に最適な1台ではないでしょうか。

 

3.ブランドカラーの水色が爽やかな人気モデル

Bianch(ビアンキ)
CAMALEONTE1(カメレオンテ1)

楽天市場最安値価格:6万3342円

【SPEC】
・変速  24段(フロント3段・リア8段)
・タイヤサイズ 700×28C
・重量 -(公式発表なし。約11~12㎏)
・カラー  マットブラック/マットCK16/マットグレイ/マットホワイト

 

自転車競技が盛んな国、イタリアの中でも非常に長い歴史を持つ「ビアンキ」。日本でも「チェレステ」と呼ばれる水色のブランドカラーとともに。よく知られている自転車ブランドの1つです。この「カメレオンテ1」は、やはりクロスバイクの基本的な性能に優れた人気モデルで、こちらも4つのフレームサイズから自分の身体の大きさに合ったものを選ぶことができます。タイヤサイズは700×28C。乗ってみると軽快な走行感を楽しめるので、週末はちょっと足を延ばしてロングライドを楽しんでみたいという方にオススメです。

 

4.スタンドやライトが標準装備された初心者向けモデル

BRIDGESTONE(ブリヂストン)
CYLVA F24(シルバ F24)

楽天市場最安値価格:4万8470円

【SPEC】
・変速  24段(フロント3段・リア8段)
・タイヤサイズ 700×32C
・重量 11.8kg
・カラー  マットグロスブラック/マット&グロスホワイト /E.Xコバルトグリーン /E.Xヨークオレンジ /F.Xソリッドブルー

 

日本の大手自転車メーカー、ブリヂストンが提案するシルバシリーズは、本格的な性能を手軽に楽しめることをうたったラインナップが特徴。その中でクロスバイク的な位置づけになるのが、「F24」です。大きな特徴といえるのが、必須でありながら他のモデルでは別売りとなっているカギやライト、スタンド等が標準装備されていて、非常にわかりやすい点。パンクリスクを低減した独自のタイヤもブリヂストンならでは。街乗りに加えて、手軽にスポーツ走行を楽しんでみたいという方には、最適なモデルと言えます。

 

5.自転車製造大国の人気ブランド

MERIDA(メリダ)
CROSSWAY 100-R(クロスウェイ 100-R)

楽天市場最安値価格:5万2390円

【SPEC】
・変速  24段(フロント3段・リア8段)
・タイヤサイズ 700×28C
・重量 11.9kg
・カラー  マットブルー/マットオリーブ /マットブラック /ダークシルバー

 

メリダは自転車製造大国、台湾第2の自転車メーカーで、特にMTBの世界では世界チャンピオンが使用するブランドとして知られていました。近年はロードレースでも世界的なレースに参戦し、人気が高まっているブランドです。「クロスウェイ 100-R」はそのメリダが送り出すクロスバイクのエントリーモデル。しっかり走ることのできる性能を持ちながら、このモデルもキックスタンドを標準装備しており、気軽に自転車生活が楽しめる1台となっています。

 

クロスバイクは一直線のハンドルなので、誰にでも乗りやすく、街中でも高い操作性を維持できます。タイヤはロードバイクほど細くはないものの径が少し大きいので、軽快かつ快適な走行を楽しむことが可能。また、各メーカーともしっかりとしたフレームを作り、安全な部品を使用してクロスバイクを製作しています。ママチャリしか乗ったことのなかった人がこれらのクロスバイクを乗ってみると、「自転車ってこんなに快適な乗り物だったんだ」と感じられるはず。ぜひあなたも快適かつ健康的な自転車生活を、クロスバイクで始めてみませんか?

中国でクルマを運転するなら必ず使え! 中国の交通事情を徹底的に網羅した「高徳地図」

中国の公道は国際ライセンスでは走れません。日本の道路とは異なり、クルマが多く取り締まりも厳しいため、難易度がかなり高いのです。特に、オービスの数は数え切れないほど。でも、そんな中国の道に特化したナビアプリ「高徳地図」を使えば、ドライブも一気に快適になります。このアプリは、もともと何の変哲もない地図アプリだったのですが、百度地図(中国版Googleマップのようなもの)と差別化を図るため、現在ではナビに特化しています。本稿では実際に使ってみた所感をレポートしたいと思います。

 

元祖を上回る地図アプリ

高徳地図は、元祖地図アプリであるバイドゥ地図より遅くできた後発組ではあるものの、ナビ機能強化を求めるユーザーのニーズへ的確に応え、ここ数年のバージョンアップで大きな進化を遂げてきました。中国では自動車の交通量が増えており、それに伴い交通規制も厳しくなっています。オービスの量も日本とは比較にならないほど多く、特に大都市内ではナビがないと走れません。

 

このような中国の現状に特化したアプリが「高徳地図」です。アプリダウンロードサイトでは評価も高く、バイドゥ地図を超えています。UI(ユーザーインターフェース)がシンプルかつ機能的で必要な機能がすべて揃っている、まさに完ぺきな地図アプリともいえるでしょう。

 

クルマだけでなくシェアバイクでも使える万能型アプリ

このアプリは、街歩きの際や交通手段の検索、レストラン、レジャースポットなどの周辺検索ができ、そのクオリティはGoogle Mapに迫ると言えます。2014年にアリババに買収された高徳地図は、アリペイを通してさまざまなサービスを利用することが可能。例えば、このアプリで滴滴タクシー(タクシー配車サービス)を呼んだり、レストランでの支払いを行ったりすることができます。

 

このアプリの本領が発揮されるのは、カーナビモードで使用するときです。GPS測位の誤差はほぼなく、交差点などでの車線案内も的確。また、オービスの種類や位置、速度超過などをこまめに教えてくれます(日本人にとってはうるさいくらい)。オービスによる交通違反の取り締まりが厳しい中国ではうれしい機能です。

 

また、中国ではナンバー制限があります。例えば、下1桁が1のナンバー車は月曜日に運転禁止など細かくルールが定められており、違反した場合は200元の罰金となりますが、高徳地図に自分のクルマのナンバーを登録しておけば、通行制限がかかっている道を避けてナビをしてくれるのです。

 

また、高徳地図にはAIのディープラーニング技術も応用されており、リアルタイムに変わる道路状況に応じて的確な情報を提供してくれるのも特徴の1つ。例えば、工事中の道路で車線が規制されている場合には、どの道を走ればいいかアナウンスしてくれます。

 

クルマの場合だけでなく、シェアバイクで移動する際にもシェアバイクアプリを開く必要はなく、高徳地図アプリのなかでシェアバイクの解錠を行えます。旅には必携のまさにオールマイティーアプリと言えるでしょう。

中国の街に徹底的にローカライズすることで支持獲得

複雑化する交通状況と、いくつもの交通手段がある中国都市部。徒歩、シェアバイク、自転車、路線バス、長距離バス、タクシー、滴滴タクシー、列車、高速鉄道、地下鉄、そしてマイカーなど、挙げればキリがありません。高徳地図はこれらすべての交通手段をカバーしており、誰にでも便利な地図アプリに設計されているのです。

 

高徳地図のナビ機能を使用する場合、アナウンスの声を有名人や歌手の声に変更することもできるので、ドライブ中のストレス軽減に一役買ってくれます。さらに標準語だけではなく、多くの方言をカバーしている点も評価したいポイントの一つ。

 

交通量やオービスが多い中国の道でも、高徳地図のような完璧なナビゲーターがいれば遠出も怖くありません。また、クルマに乗らずとも中国観光などにも十分使えます。中国に来たらまず高徳地図をダウンロードすることを頭の隅に入れておくとよいかもしれません。

 

クルマもオンラインで選ぶ時代――「マイカー賃貸」という新たな仕組みとその狙い

シェアリングサービスが盛況だ。複数人で共用することにより、「モノ」が使われていない時間をなくせるため、エコロジーかつエコノミックだと考えられているからだ。

 

そんななか、「誰もがマイカーを所有できるように」するサービスもはじまった。それが「マイカー賃貸カルモ」だ。立ち上げたのはデジタルマーケティングサービスの提供や、「Appliv」などのスマートフォンメディアの運営を手掛けるスタートアップ企業、ナイル。

 

「マイカー賃貸」とはどういったサービスなのか、なぜシェアリングではなく“マイカー”にこだわったのか、ナイルの代表取締役社長 高橋飛翔氏のインタビューを交えつつ、ご紹介する。

 

 

マイカー賃貸カルモとは?

通常、新車が欲しいと考えれば、カーディーラーに出かけていき、相談をする。どのような用途で、乗車人数は何人で、予算はこれくらいで、などといったことを店員に伝えれば、その人にマッチした車種を何種類か提案してくれる。気になるクルマがあれば、試乗して、フィーリングや予算が合えば購入、という流れになるだろう。

 

マイカー賃貸カルモの場合は、リアル店舗がない。オンラインで完結するため、人と対面することもない。

 

ユーザーは、マイカー賃貸カルモのサイトにアクセスし、好みのメーカーとボディタイプで選ぶか、月々に支払える料金を設定するかして検索する。そこで表示されたもののなかから吟味して車種を決定し、賃貸を申し込むのだ。

 

クルマの賃貸料金は、返却時に想定される残価を算定し、それを除いた部分を支払回数(賃貸期間月数)で割ったもの。含まれるのはクルマの本体価格だけでなく、自動車取得税、自動車税、自賠責保険料など。サポート料金も含まれる。

↑カルモの月額料金には、自動車税や自賠責保険料などが含まれる

 

そのため、頭金が必要だったりボーナス払いがあったりなど一時的に出費がかさむ、ということはなく、毎月同じ金額を負担するだけという安心感がある。

 

しかし、試乗せず、ましてや実際のクルマを見ることなくマイカーを決めてしまっても良いものなのだろうか。ナイルの代表取締役社長 高橋飛翔氏にサービスの詳細や狙いについて聞いてみた。

 

どの車種も安心して乗れる品質に――クルマもオンラインで選べる時代へ

「自動車がスマートフォン化してきているんですよね」と高橋氏は言う。「スマートフォンの性能は、ネットでちょっと調べればだいたいのことはわかるし、一定のレベルを保っている。それは自動車も同じで、最近のものであればどのクルマも性能がいい。燃費も良くなってきているし、先進安全設備があるので、どれを選んでも安心感がある。つまり、わざわざ実際のクルマを見に行ったり、ましてや試乗したりすることなく購入する人も増えてきているんですよ」と解説。「現に、わたしの父親もネットでクルマを買っていました」と付け足した。

↑ナイル代表取締役社長 高橋飛翔氏

 

「世の中がそういう流れになっていっているのであれば、店舗で販売するよりコスト構造を有利にできる方法があるのではないか。店舗を持たず、人を介さず、AIを使ってその人に最適な車種を提案する、徹底的なコストダウンをはかった販売方法があるのではないか、と考えてこのサービスを開始しました」(高橋氏)

 

その結果、正規ディーラーに比べ、5年間にかかる費用が数十万単位で抑えられることもあるという。その理由を高橋氏は、「マーケティングを合理化しているから」と説明する。「そもそも弊社はマーケティングとテクノロジーに強い会社。マーケティングの徹底的な合理化――AIを使ったクルマの提案なども含め、それをしていけば、販売費を下げられるんです」。(高橋氏)

 

とはいえ「いまはまだ、そこまでできていません。全部人力で、泥臭くやっていますが、ここで得られたさまざまなパターンや情報を自動化するための礎にしていきたいと考えています」と語っていた。

 

世の中から移動で困っている人をなくしたい

ナイルの掲げる企業の社会的使命は「新しきを生み出し、世に残す」こと。その解説には「インターネット通じて新たな付加価値を生み出し、より良い社会の実現に貢献する事」とある。また、企業理念にも「社会に強い影響力を与える事業、サービスを生み出し続ける事」という文言がある。

 

それらミッションやビジョンとカルモの関連性について高橋氏は、「世の中から金銭的な理由で交通手段に困っている人をなくし、“移動すること”の敷居が全くない世界をつくっていくことが、社会にインパクトをもたらし、より良い社会の実現へとつながる」と語る。なお、「移動で困っている人」には、地方に住む高齢者だけではなく家族を持ちはじめばかりの若い人たちも含まれると、高橋氏は話す。

 

「クルマの需要がない、クルマが売れない、という人もいますが、欲しくても“買えない”人が多いというのが現状。日本人の平均年収はどんどん下がってきており、子どもの13.9%は貧困家庭で育っている。親は、マイカーを持ちたくても、年収が低いからローンを組めない。そうなると、自転車や公共交通機関を組み合わせて、心身疲弊させながら移動するしかない。好きなときに好きな場所に移動して、そこで買い物したり観光したりできること、自由で平等な移動の権利を『カルモ』というサービスを通じて達成していきたいんです」(高橋氏)

 

マイカーの需要があることは、サービスリリースからわずか3か月強で、数百件単位の申し込みがあったことからも明らかだ。

 

それでは、なぜ「共有」ではなく個人の「所有」にこだわったのだろうか。高橋氏は、「シェアリリングはサービスとしての要素が強い。ユーザーは、使いたいときに使えるように予約をする。対するマイカーでは、好きなときに使える。空いているクルマを探したり、予約をしたり、その場所まで歩いていくという時間のコストなしに使える、というのはユーザーにとって大きなメリットになると感じています。現に、東京にしか住んだことのない方は実感しづらいかもしれませんが、地方ではマイカーがないとものすごく不便ですよ。シェアリングが新しくて便利だから全部シェアリングになる、というほど二元論で語れる話ではないんです」と説明する。

 

中古車ではなく、新車から事業を開始したことについては「新車には最新の安全技術が搭載されているから」というのが理由だという。「クルマの必要性を特に感じるのはファミリー層。自動ブレーキシステムのようなものが搭載されていれば、安心して自分の家族を乗せられますからね」と説明した。

↑「クルマを必要としているファミリー層に安心できる選択肢を与えたい」と高橋氏

 

高橋氏は、カルモを含む、自社のモビリティサービス事業のビジョンについて次のように語った。

 

「2025年から2040年の間に、自動運転を実装したクルマが、ユーザーの乗っていない時間にタクシーのように働いて稼ぎ、ユーザーは実質無料でクルマを所有できる、という世界が確実にやってくると思っています。わたしたち起業家の使命は、その時期をいかに早めるかということ。誰もが公共交通機関に頼らず、いつでも好きな場所に移動して観光や買い物といった経済活動ができるようになる――すべての人が移動の自由を得られる世の中を、カルモを通じて実現させたいですね」(高橋氏)

【1分解説】昨年カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した「ボルボ XC40」に乗る

注目モデルをコンパクトに紹介するこのコーナー。今回は昨年カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したボルボ  XC40をピックアップします。

 

洗練された走りが魅力のコンパクトSUV

ボルボ

XC40(SUV)

SPEC【T5 AWD Rデザイン】●全長×全幅×全高:4425×1875×1660㎜●車両重量:1690㎏●パワーユニット:1968㏄直列4気筒DOHC+ターボ●最高出力:252PS/5500rpm●最大トルク:35.7㎏-m/1800〜4800rpm●カタログ燃費:12.4㎞/ℓ

プレミアムSUVといえる乗り心地の良さを堪能

結論から言うと、XC40は、昨年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーの名に恥じることのない秀作。外観は、SUCらしい押し出しの強さと、ボルボの伝統ともいえるゴツさが感じられ、それでいて洗練されています。内装は、カジュアルな風味のなかに上質感があり、使い勝手を高めるためのギミックも満載。SUVとしてはコンパクトなサイズですが、居住空間や荷室の広さにも申し分がありません。

 

それ以上に印象的だったのは、走りが極めて洗練されていたこと。今回試乗したのは、高性能な2ℓターボエンジンを搭載する上級クラスのT5。環境を問わず軽快な走りを実現する動力性能は、圧巻の出来栄えでした。乗り心地の良さもプレミアムSUVと呼べる水準にあり、日常使いでも良さを感じられるでしょう。ボルボといえば、タフで安全な銘柄という評価が定着していますが、本車はそれだけではありません。走りや乗り心地、使い勝手、デザインなど、あらゆる点において高い満足感が得られました。

【注目ポイント01走りは軽快かつ上質

 

252PSを発揮する2ℓターボ+4WDの動力性能は、スピーディかつ軽快な印象。加えてボルボらしいプレミアム感のあるドライビングが楽しめました。300台限定車の1stエディションは即完売したといいます。

 

 

【注目ポイント02荷物に応じて多彩にアレンジ可能

荷室容量は通常時が586ℓで、リアシートを完全に畳むと最大1336ℓに拡大する。フロアボードは、荷物に応じて多彩なアレンジが可能なつくりとなっています。

 

 

【注目ポイント03インテリアに細やかな配慮

大胆な色使いや最新のボルボらしい上質感が印象的な室内は、細やかな配慮も行き届いています。グローブボックスに折りたたみ式フックが備わり、軽い荷物が掛けられるなど機能性が高いです。

東急の路線らしくない!? 「東急こどもの国線」の不思議と“大人の事情”

おもしろローカル線の旅~~東急こどもの国線~~

 

前回のおもしろローカル線の旅では、千葉県を走る流鉄流山線を紹介した。路線距離5.7km、乗車時間が11分の非常に短い路線だったが、今回取り上げる、神奈川県を走る東急こどもの国線は路線距離3.4km、乗車時間7分とさらに短い。そのみじか~い路線に秘められた謎について解き明かしていこう。

 

東急の路線らしくない!? 東急こどもの国線の謎

東急こどもの国線は、東急田園都市線の長津田駅からこどもの国駅まで3.7kmを結ぶ。

この路線、ちょっと不思議なことがある。東京急行電鉄(以下、東急と略)の純粋な路線とは言い難い事例が、いくつか見られるのだ。

 

例えば、電車は横浜高速鉄道が所有する車両で、シルバーに黄色と水色という東急のほかの電車とは異なる車体カラーとなっている。駅などの表示は、東急の社章とともに、横浜高速鉄道という会社の社章が掲示されている。さらに長津田駅のホームも、東急の改札口を出た外に設けられている。

 

なぜ、このように東急の路線を名乗っているのに、ちょっと異なる点が多いのだろうか?

↑こどもの国線では横浜高速鉄道Y000系電車が2両編成で走る。横浜高速鉄道の車両だが、車両の運行や整備などは、すべて東急の手で行われている

 

↑終点のこどもの国駅。駅の表示は東急とともに横浜高速鉄道の社章が付けられている。そこには、こどもの国へ行くために造られた路線ならではの事情が潜んでいた

 

こどもの国行き電車にからむ“大人の事情”

こどもの国線は、東京急行電鉄の路線のなかでは、やや複雑な「立場」となっている。実は路線の所有者は東急ではない。横浜高速鉄道という第三セクターの鉄道事業者が持つ路線なのだ。

 

横浜高速鉄道は、神奈川県内でみなとみらい線の運営を行う鉄道事業者。みなとみらい線では、自社の車両を走らせ、東急東横線や東京メトロ線などとの相互乗り入れを行っている。このみなとみらい線では横浜高速鉄道が第一種鉄道事業者といわれる立場。第一種鉄道事業者とは、自ら路線を持ち、自らの車両を運行させる鉄道事業者のことだ。

 

横浜高速鉄道のこどもの国線の立場は、みなとみらい線とは異なり「第三種鉄道事業者」となっている。第三種鉄道事業者とは、鉄道路線を敷設、運営する事業者のこと。別会社である第二種鉄道事業者にその線路での列車運行を任せている。こどもの国線では東急が、この第二種鉄道事業者となっている。

 

こどもの国線にこのような複雑な事情が絡んだ理由を簡単に触れておこう。

 

こどもの国は旧日本軍の弾薬庫跡地を利用した施設。もともと、この弾薬庫まで延びていた引込線をこどもの国線として活用した。そしてこどもの国開園の2年後の、1967(昭和42)年に路線が開業した。

↑1965(昭和40)年に開園したこどもの国。こどもの国へ行く専用の路線として1967(昭和42)年に造られた

 

路線開業や電車の運行には東急が協力したが、開業時に路線を所有したのは社会福祉法人こどもの国協会だった。当初はこどもの国へ行く専用路線という色合いが濃く、休園日には列車の本数が大幅に削減された。

 

その後、沿線は徐々に住宅地化していった。通勤路線として使う側にしてみれば、こどもの国の営業にあわせた列車運行が不便でもあった。途中駅がなく、列車の交換が途中でできないなど、増発もかなわなかった。

 

通勤路線化にあたり路線の所有者が横浜高速鉄道に変わった

そこで通勤路線化が進められたが、こどもの国協会という公益法人が鉄道事業に本格的に関わるのは問題がある、とされた。

 

そのため1997(平成9年)、こどもの国協会から横浜高速鉄道に路線の譲渡が行われた。ちなみに、みなとみらい線の開業が2004年のことだから、それよりもだいぶ前に横浜高速鉄道の鉄道路線が生まれていたことになる。

 

子ども向けのこどもの国行き専用線から、通勤路線化するにあたって、第二種、第三種という「大人の事情」がからむ話になっていたのである。

↑長津田駅にあるこどもの国線の案内。平日の朝夕は列車が増発され、また日中は20分間隔で運行される。所要時間は長津田駅からこどもの国駅まで7分

 

急カーブから路線がスタート。途中に東急の車両工場も

長津田駅から電車が発車すると、すぐに東急田園都市線と分かれるように急カーブが設けられる。このカーブの半径は165m。普通鉄道のカーブとしては、かなりの急カーブだ。

 

そのため、時速を30km程度に落として走る。実は通勤路線化を図るときに、地元から「騒音がひどくなる」と反対運動が起きた経緯もあり、いまも騒音対策のためにかなり徐行して走っているのだ。

 

ほどなく、畑地を左右に見て走ると唯一の途中駅、恩田(おんだ)駅へ。

↑長津田駅を発車したこどもの国駅行きY000系電車。すぐに半径165mという急カーブにさしかかる。この急カーブを徐行しつつ走り始める

 

↑横浜高速鉄道のY000系のシートは、このようにカラフル。こどもの国のシンボルマークの赤、緑、青、黄(シートでは同系のオレンジを使用)に合わせた色のシートが使われる

 

恩田駅の近くには東急の長津田車両工場がある。東急の全車両の大掛かりな検査や整備が行われる重要な車両工場だ。時に留置線には、興味深い車両が停められていることもあり、鉄道ファン必見のポイントでもある。

 

さらにナシが植えられる果樹園が連なるエリアを過ぎれば、ほどなく終点のこどもの国へ到着する。こどもの国へは駅から徒歩3分の距離だ。

 

長津田駅から7分と乗車時間は短いものの、注目したい急カーブがあり、車両工場あり、となかなか興味深い路線でもある。

 

子どものころ、東京都や神奈川県で育った方のなかには、遠足でこどもの国へ行った人も多いのではないだろうか。時には童心に戻ってこどもの国で遊んでみてはいかがだろう。

↑恩田駅に近い東急の長津田工場を敷地外から見る。写真に映る白い車体は伊豆急行2100系。この後に同工場でザ・ロイヤルエクスプレスへの改造工事が行われた

【1分解説】満を持して登場!「フォルクスワーゲン パサートTDI」ってどんなクルマ?

注目モデルをコンパクトに紹介するこのコーナー。今回は期待されながらも導入が遅れてしまい、ついに日本に上陸したフォルクスワーゲン ポロをピックアップします。

 

力強い走りで「汚名返上」の切り札に

フォルクスワーゲン

パサートTDI

(セダン/ワゴン)

SPEC【ヴァリアント ハイライン】●全長×全幅×全高:4775×1830×1510㎜●車両重量:1610㎏●パワーユニット:1968㏄直列4気筒DOHCディーゼル+ターボ●最高出力:190PS/3500〜4000rpm●最大トルク:40.8㎏-m/1900〜3300rpm●カタログ燃費:20.6㎞/ℓ

長距離のドライブであるほど走りの性能を満喫できる

約3年前に発覚した「不正事件」により、フォルクスワーゲンのディーゼル車は著しく信頼を失ってしまいました。本来はもっと早いタイミングで日本へ導入されるはずだったパサートTDIは、最高水準の排ガス浄化システムを備えるユニットを搭載し、満を持して登場。強豪ひしめくディーゼル乗用車のなかで、色々な意味で注目度の高いモデルとなっています。

 

元々堅実な走りが魅力のパサートはディーゼルとの相性がピッタリで、トルク感や力強さは期待通りでした。試乗したのはワゴンタイプのヴァリアントでしたが、荷物を多く積んでの長距離ドライブほど同車の良さを満喫できるでしょう。「汚名返上」の切り札として、十分な説得力が感じられました。

 

【注目ポイント01ワゴンとセダンを用意

ワゴンボディのヴァリアント(写真)に加え、セダンも選択できます。その走りは実用域の扱いやすさと経済性の高さが持ち味。

 

【注目ポイント02内装もエンジンも快適

グレードはハイラインとエレガンスラインの2種。上級のハイラインはレザーシートを標準装備します(写真上)。2ℓディーゼルは快適な走りを実現(写真下)。

クルマは第2の自宅だ! 充実したカーライフが送れる便利グッズ4選

通勤など日常生活でクルマを使う人は多いはず。移動時間を充実させるためには、車内空間を快適なものにしたいですね。そこで今回は、ドリンクホルダーに収まる空気清浄機や後部座席用のタブレットホルダーなどをご紹介。遠方へのドライブや子どもを乗せての移動などで役立つアイテムをピックアップしたので、ぜひチェックしてみて下さい。

 

出典画像:シャープ 公式サイトより

 

[その1]

狭い車内に有効な空間を生み出す「ワンタっちゃブル」

出典画像:SFJ 公式サイトより

SFJ
ワンタっちゃブル
車内で食事をする時に役立つのが、SFJの「ワンタっちゃブル」です。トレーには特殊なくぼみが施され、ハンドルの下部に固定可能。表面は飲食の時にうれしいドリンクスペースつきで、裏面は書類作成などに便利なA4サイズのフラット仕様です。

 

<注目ポイント>
・たった1秒でハンドルがテーブルに早変わり
・両面とも使える仕様
・普通車・軽自動車に対応
シートの位置を調整すればノートパソコンの操作も快適にできる上、書類の整理や伝票の作成も楽にできます。ハンドルの形状によって正面位置での取りつけができない場合、半回転させれば問題ナシ。トレーのくぼみ部分をハンドルに引っかけるだけなので、取りつけや取り外しも1秒程度しかかかりません。

 

[その2]

関節をしっかりロックして強い安定感を生み出すタブレットホルダー

出典画像:サンワダイレクト 公式サイトより

サンワサプライ
iPad・タブレット車載ヘッドレストアーム(後部座席向け・7~11インチ対応)
運転席や助手席のヘッドレストに取りつけられる後部座席向けのタブレットホルダーです。3つの関節がついたアームタイプなので、縦方向や横方向への動きも自由自在。タブレットを見やすい位置に細かく調節できます。

 

<注目ポイント>
・位置の調整が自由自在
・しっかり固定できる3つの関節
・付属の六角レンチのみで取りつけ可能
関節部分は歯車でがっちり噛み合い、ツマミでしっかりとロックできます。またタブレットを挟むツメ部分に付属の保護シールを貼っておけば、機器を傷つける心配もありません。取りつけに工具を準備する必要もなく、付属の六角レンチのみで簡単に設置できるのもポイント。

 

[その3]

“高濃度プラズマクラスター25000”でお肌もツヤツヤになる空気清浄機

出典画像:シャープ 公式サイトより

シャープ
プラズマクラスターイオン発生機 IG-HC15
ドリンクホルダーにすっぽり収まるコンパクトサイズの空気清浄機「プラズマクラスターイオン発生機」。“高濃度プラズマクラスター25000”を搭載し、手軽でパワフルに車内を消臭してくれます。本体の花粉キャッチフィルターは花粉や細かいホコリを約80%捕集するので、空気の汚れやすい車内環境も改善されるはず。

 

<注目ポイント>
・“高濃度プラズマクラスター25000”を搭載
・ドリンクホルダーに収まるコンパクトサイズ
・花粉や細かいホコリを約80%捕集
静かな車内で使うことを考慮した静音設計なので、ハイブリッドカーなどで使用しても音が気になりません。ちなみに高濃度プラズマクラスターイオンは、お肌にツヤを与える効果も発揮。通勤などでクルマを使う人は、少しずつ美肌になっていくかも。

 

[その4]

Bluetooth 4.2を搭載したハイテクなFMトランスミッター

出典画像:ジャパン・アヴェニュー 公式サイトより

ジャパン・アヴェニュー
JAPAN AVE. FMトランスミッター
FMトランスミッターといえば、ラジオの周波数を合わせて外部機器の音声を車のスピーカーから流すアイテム。「JAPAN AVE. FMトランスミッター」ならBluetooth 4.2を搭載しているので、ケーブルで繋がなくてもスマートフォンなどから音楽を楽しめます。もちろん付属の「AUXケーブル」を使えば、Bluetooth非対応の機器にも使用可能。

 

<注目ポイント>
・Bluetooth 4.2搭載
・スマートフォン専用アプリと連動可能
・3つのUSBポート
専用アプリをスマートフォンにインストールしておくと、音楽の入ったUSBメモリの曲名などを表示してくれます。さらにノイズの入らない周波数への切り替えもスマートフォンの画面からできるようになり、音楽再生に面倒な手間がかかりません。USBポートが3つついているので、マルチに活躍すること間違いナシ。

 

【1分解説】スポーティなイメージの強いジャガーの「E-PACE」ってどんなクルマ?

注目モデルをコンパクトに紹介するこのコーナー。今回はスポーティかつラグジュアリーなイメージの強いジャガーの「E-PACE」をピックアップします。

 

コンパクトSUVでもスポーティ&ラグジュアリー

ジャガー

E-PACE(SUV)

SPEC【RダイナミックSE P250】●全長×全幅×全高:4410×1900×1650㎜●車両重量:1890㎏●パワーユニット:1995㏄直列4気筒DOHC+ターボ●最高出力:249PS/5500rpm●最大トルク:37.2㎏-m/1300〜4500rpm●カタログ燃費:11.2㎞/ℓ

 

走りはスポーティな見た目のイメージ通り

ジャガーといえば、スポーティでラグジュアリー。そのイメージは、コンパクトSUVのE-PACEにも継承されています。内外装のデザインはクーペにも通じる上質さで満たされ、引き締まった風情はいかにも走りを楽しめるクルマという印象。それでいて、荷室の使い勝手などはSUVとして満足できる水準を備えています。

 

試乗したのは、2種類を用意するガソリン車では低出力の250PSですが、それでも走りは十分にスポーティ。約1.9tの車両重量を考慮すれば動力性能は高く、ハンドリング性も抜群でした。SUVには、使い勝手の良さだけでなく、走りに適度な刺激を求めるという人にオススメしたいです。

 

【注目ポイント01まずまずの広さを誇る荷室

荷室容量は577〜1234ℓとまずまずの広さを誇ります。ガソリン車は250PSと350PSを用意するが、前者でも荷物を満載した状態で十分な動力性能を発揮できます。

 

【注目ポイント02多彩なグレードから選べる

標準版とスポーティ仕立てのRダイナミックの2ラインがあり、それぞれに4つのグレードを用意します。写真は後者の最上級となるHSEです。

開業1世紀で5回の社名変更の謎――乗車時間11分のみじか〜い路線には波乱万丈のドラマがあった!

おもしろローカル線の旅~~流鉄流山線~~

 

千葉県を走る流鉄流山線の路線距離は5.7kmで、乗車時間は11分。起点の駅から終点まで、あっという間に着いてしまう。それこそ「みじか〜い」路線だが、侮ってはいけない。その歴史には波乱万丈のドラマが隠されていたのだ。

↑流鉄のダイヤは朝夕15分間隔、日中は20分間隔で運行している。全線単線のため、途中、小金城趾駅で上り下りの列車交換が行われている。写真は5000形「あかぎ」

 

【流鉄流山線】開業102年で5回も社名を変えた謎

千葉県の馬橋駅と流山駅を結ぶ流鉄流山線。流山線は流鉄株式会社が運営する唯一の鉄道路線で距離は前述したとおり5.7kmだ。

歴史は古い。1913(大正2)年の創立で、すでに100年以上の歴史を持つ。その1世紀の間に5回も社名を変更している。このような鉄道会社も珍しい。ざっとその歩みを見ていこう。

 

1916(大正5)年3月14日:流山軽便鉄道が馬橋〜流山間の営業を開始

1922(大正11)年11月15日:流山鉄道に改称

1951(昭和26)年11月28日:流山電気鉄道に社名変更

1967(昭和42)年6月20日:流山電鉄に社名変更

1971(昭和46)年1月20日:総武流山電鉄に社名変更

2008(平成20)年8月1日:流鉄に社名変更、路線名を流山線とする

 

改名の多さは時代の変化と、波にもまれたその証

流鉄が走る流山(ながれやま)は江戸川の水運で栄えた町である。味醂や酒づくりが長年にわたり営まれてきた。この物品を鉄道で運ぶべく、流山の有志が資金を出し合い、造られたのが流山軽便鉄道だった。

 

創業時から流山の町のための鉄道であり、町とのつながりが強かった。そのためか、ほかの鉄道会社のように、路線延長などは行われず創業時からずっと同じ区間での営業を続けてきた。

 

当初の線路幅は762mmと軽便鉄道サイズ。その後に、常磐線への乗り入れがスムーズにできるようにと、線路幅が1067mmに広げられた。このときに流山軽便鉄道から流山鉄道と名称が変更された。

 

太平洋戦争後、電化したあとは流山電気鉄道と名を変え、さらに流山電鉄へ。この流山電鉄の社名は、わずか4年で総武流山電鉄と名を改められている。これは経営に平和相互銀行が参画し、大株主となった総武都市開発(ゴルフ場事業会社)の「総武」が頭に付けられたためだった。

↑総武流山鉄道時代の主力車1300形。こちらは元西武鉄道の譲渡車両で、西武では551系、クハ1651形だった。「あかぎ」というように編成の愛称がこの当時から付けられた

 

しかし、平和相互銀行は1986年に不正経理が発覚、住友銀行に吸収合併されて消えた。さらに大株主の総武都市開発がバブル崩壊の影響を受け、2008年に清算の後に解散。小さな鉄道会社は、こうした企業間のマネーゲームに踊らされ、また投げ出された形となった。

 

2008年には現在の、鉄道事業を主体にした「流鉄株式会社」となっている。

 

つくばエクスプレスの開業で厳しい経営が続いているが――

時代の変転、また経営陣が変わることで社名が変わるという、なんとも小さな鉄道ならではの運命にさらされてきた。

 

さらに2005年8月には、つくばエクスプレスの路線が開業。流鉄が走る流山市と都心をダイレクトに結ぶために、この開業の影響は大きかった。流鉄の利用者減少がその後、続いている。

 

とはいえ、流鉄の決算報告を見ると、2016年3月期で、鉄道事業の営業収益は3億3093万円、2017年3月期で3億2822万円。純利益は2016年度が340万円、2017年度が286万円と少ないながらも純利益を確保し続けている。

 

一駅区間の運賃は120円、馬橋駅〜流山駅間の運賃は200円、1日フリー乗車券は500円と運賃は手ごろ。ICカードは使えず、乗車券を購入し、出口で駅員に渡すという昔ながらのスタイルをとっている。大資本の参画はないものの、5.7km区間を地道に守り続ける経営が続けられている。

↑流鉄の馬橋駅。総武緩行線や、総武本線の線路と並ぶように駅とホームがある。通常はJR側の1番線を利用する。手前は2番線で、通勤時間帯のみの利用となる

 

↑馬橋駅の自由通路の西側に「流山線」の小さな案内板が架かる。発車ベルは「ジリジリジリーン」という昔ながらのけたたましい音色。レトロ感たっぷりだ

 

鉄道ファンの心をくすぐる所沢車両工場の銘板

流鉄の車両は1980年ごろから、すべて西武鉄道から購入した車両が使われている。1979年から導入された1200形・1300形、1990年代から使われた2000形や3000形。そして2009年からは、5000形車両が順次、旧型車両と入れ替えて使用している。

 

現在走る車両の5000形は、赤、オレンジ、黄色、水色など6色に塗られ、それぞれ「あかぎ」「流馬」「流星」といった車両の愛称が付けられる。
これらの車両は、すべてが所沢車両工場製だ。2000年まで西武鉄道では、ほとんどの車両を所沢駅近くにあった自社工場で製造していた。そんな証でもある銘板が、いまも車内に掲げられている。 鉄道ファン、とくに西武好きにとっては心をくすぐるポイントといっていいだろう。

↑現在、流鉄を走る5000形電車は2両×6編成。そのすべてが西武鉄道から購入した車両だ。西武時代の元新101系で、車内には「西武所沢車両工場」という銘板が付けられる

 

↑2012年まで走っていた2000形「青空」。西武では801系(2000形の一部は701系)という高度経済成長期に造られた車両で、1994年から20年近く流鉄の輸送を支えた

 

↑終点の流山駅。駅の奥に車庫と検修施設が設けられている。駅から徒歩3分、流山街道を越えたところに近藤勇陣屋跡(近藤勇が官軍に捕縛された地とされる)がある

 

流山には味醂を積みだした廃線跡など興味深い史跡が残る

乗車時間は11分と短いが、沿線の見どころを簡単に紹介しよう。

 

馬橋駅〜幸谷駅付近は常磐線の沿線で住宅街が続く。小金城趾駅に近づくと農地が点在する。鰭ケ崎(ひれがさき)駅からは流山市内へ入る。大型ショッピングセンターすぐ近くにある平和台駅を過ぎたら、間もなく流山駅へ到着する。

↑難読駅名の「ひれがさき」。ここの地形が魚の背びれに似ていたから、または地元の東福寺に残る伝説、神竜が残したヒレ(鰭)から鰭ケ崎の地名となったとされる

 

流山の街は「江戸回廊」を名乗るように味わいのある街が残る。新選組の近藤 勇が官軍に捕縛されたとさる、近藤勇陣屋跡。18世紀から味醂製造を続けてきた流山キッコーマンの工場も、街中にある。ここで造られるのが万上(まんじょー)本味醂(みりん)だ。1890(明治23)年に建てられ、国登録有形文化財に指定される呉服新川屋店舗(いまでも営業を続けている)といった古い建物も残る。

↑流山駅前に立つ流鉄開業100年記念の案内板。歴代の車両が写真付きで紹介されている。蒸気機関車やディーゼル機関車で客車を牽いたころからの歴史がおよそわかる

 

↑かつて流山駅から流山キッコーマンの工場まで引込線(万上線)が敷かれていた。1969(昭和44)年に廃止されたあとは市道として使われ、かたわらに記念碑も立つ

 

↑万上(まんじょー)本味醂の製造を続ける流山キッコーマンの工場。レトロふうな塀には引込線があった当時の写真などが掲げられている

 

コンパクトにまとまった古い流山の街。わずか乗車11分ながら、街を歩いた余韻を感じつつ、帰りはオレンジ色の「流星」に身を任せた。

 

子どもにドヤ顔できる「最新消防車事情」

 

 

「働くクルマ」は子どもたちから羨望の眼差しを受けるものですが、特に消防車はその最たる存在と言って良いでしょう。しかし、一口に消防車と言っても消防ポンプ車、はしご車、キャビンの形状など様々あり、さらに最新技術が投入され、年々進化を遂げています。今回は消防車開発のトップメーカー、モリタの石橋正行さんの案内で、子どもにドヤ顔できる消防車の最新事情をご紹介します。

 

↑モリタホールディングス、広報室・石橋正行さん。幼少期から働くクルマが好きで、バキュームカー、はしご車などの設計開発チームを経て、現在は広報室にてモリタグループの製品PR担当

 

 

↑5月31日~6月3日まで開催された「東京国際消防防災展2018」を取材。5年に一度の消防防災展とだけあって、会場はプロアマ問わず大勢の人で賑わっていました

 

 

これからの消防車は「3.5t未満」で威力発揮がテーマ

――消防車と言っても、様々なタイプがありますよね。

 

石橋正行さん(以下、石橋) はい。大きく分けると、積載車と消防自動車の2つです。積載車は、トラックのエンジンとは別体で駆動させるポータブルの消防ポンプを搭載したもの。一方の消防自動車は、トラックの走行用のエンジンを使って消防ポンプを回すものです。

 

この2つが基本で、さらにはしごを取り付けたもの、破壊放水機能を取り付けたものなどがあります。

 

――特に近年、モリタで開発を進めている消防車のモデルはどんなものですか?

 

石橋 小型の消防車開発ですね。2017年3月12日の改正道路交通法の施行により、これから若い方が免許を取った場合、3.5t未満の消防車しか乗れなくなります。特に街の消防団というのは、一般市民で構成されていますから、そういった人は普段から3.5t以上の車を運転できる免許をわざわざ取ることは極めて少ないわけで、この問題を解消するために3.5t未満の消防車開発に力を注いでいます。

 

また、昨年、大型物流倉庫の火災がありましたが、消火活動が難航した要因は、窓などの開口部が少ないうえに、内部の面積が広いこともあり、消火活動が難航した立地なんです。窓がないような建物では、窓なり壁なりを突き破って消火活動を行えるような消防車の開発にも注力しています。

 

 

↑軽量&コンパクトをテーマに開発された3.5t未満の消防車「ミラクルライト」。コンパクトながら放水性能を落とさず、従来通りの消火活動が行えるそうです

 

 

↑住宅密集地や大型物流倉庫での火災に威力を発揮する最新モデル「Red Sky Lance」

 

↑窓のない倉庫などでの火災の場合は、壁を破壊し、消火活動をしやすくしないといけません。そういった場合にRed Sky Lanceの破壊器具をつけたブーム(アーム状で自在に伸びる柱)が大活躍します

 

多様化する災害現場を想定して、進化する消防車たち!

――多様化する災害現場を想定しているということですね。

 

石橋 そうです。はしご車にしても、どんな場所に車両を停められるかはわかりませんよね。ときには傾斜地にはしご車を停めないといけないこともあります。

 

そういった場合を想定して、地面が斜めであっても、はしご装置を水平に自動矯正するジャイロターンテーブルを搭載したはしご車「SUPER GYRO LADDER」という消防車もあります。従来からこのタイプはあったのですが、これまでは傾斜7度しか対応できなかったのが、最新モデルでは11度まで対応できるようになるなど、より便利になっているんですね。

 

また、はしご車のバスケットにしても、車いすでも乗り降りできるよう大きな物を搭載できるようにするなど、あらゆる状況を予測して、より細やかな開発を行っているところです。

 

↑日野自動車㈱と㈱モリタが共同開発したはしご車専用シャシの先端屈折式はしご付消防ポンプ自動車「SUPER GYRO LADDER」

 

↑バスケットスペースを大きく取り、車いすでも乗り降りできるようになっています

 

 

はしご車の価格、2億3千万円は安いか高いか?

――素朴な疑問ですが、はしご車は救助もでき、消火活動もできるものと考えて良いですか?

 

石橋 はい。はしご車は、高所での救助活動に加え、バスケットに取り付けられた放水銃から放水することも可能です。はしご車は、国内だけに留まらず、中国をはじめとするアジア諸国で活躍しています。

 

こちらにあるはしご車も実は中国市場向けなんですよ。こちらのはしご車は、メルセデス・ベンツのシャシを使用したはしご車です。はしごの下に伸縮水路が付いていて、バスケットの先端にある放水銃から、放水することが可能です。

 

――ちなみに、このはしご車は、価格はどれくらいですか?

 

石橋 2億3千万円くらいですね。

 

――2億3千万円! これは高いほうですか? 安いほうですか?

 

石橋 お客様の仕様によって異なるため一概には言えませんが、中国の「CCC」という検定試験を受験したモデルですので、適性な価格だと考えています。

 

 

【中国向けはしご車に実際に乗ってみた!】

↑これが中国向けはしご車。メルセデス・ベンツのトラックをベースに開発されたモデルです

 

 

↑はしご車に乗る前に、安全ベルトなどを装着

 

 

↑そしてバスケット内に入ります。バスケット内にある操縦機能により、はしごはどんどん上がっていきます

 

↑グングン上がること30メートル。しかし、バスケット内は揺れることもなく、安心安全に消火活動を行えそうに感じました。どれくらいの高さかは下の動画をご覧ください

 

 

 

 

 

水以外で消火活動を行う消防車も

――やはり消火活動は放水が基本なのでしょうか?

 

石橋 基本的には水か泡ですね。ただし、近年は水だけでなく、気体によって火を消すことができる消防車の開発も行っており、こういったモデルも注目されています。

 

我々人間が吸っている空気は約8割が窒素で、約2割が酸素ですが、この酸素濃度のバランスを調整し、窒素濃度の高い空気にしてあげると、火を消すことができます。ただし、現場で人が倒れてしまっては困りますから、人がギリギリ生存できる酸素濃度によって、水以外で火を消すということもやっています。

 

――こういった水以外を使って火を消すというのは、すでに現場でも使われているのですか?

 

石橋 東日本大震災以降、原子力関連施設で、既設消防設備の損傷時のバックアップ消火システムとして導入されています。こういった経験からも近年注目を浴びているタイプです。

 

原子力関連施設だけでなく、サーバールームや美術館といった場所で火災が起きた際は、できる限り水を使わずに消火したいですよね。このシステムを活用しあらかじめ

窒素富化空気を充填しておくことで発火しない環境を作ることもできるんですよ。こういった様々な状況を想定して、開発を進めています。

 

↑窒素を利用して消火を行うシステムを搭載した「MiracleN7」。一般的な消防車のボディが赤いのに対し、こちらは白を基調にしたペイント

 

 

 

進化し続けるモリタの消防車

――今回の「東京国際消防防災展2018」では数多くの消防車、消防用品が出展されていますが、このなかでモリタさんはどれくらいのシェアになるのですか?

 

石橋 消防車では全体の57%程度です。日本の消防技術とともに成長してきたモリタですが、それまでの業界になかった機能を開発し、提案をし続けてきたことで、徐々に受け入れてもらえるようになり今日に至っています。

 

これまでにお伝えした「多様化する災害現場での消火活動をどうすべきか」「水を使用できない現場ではどうすべきか」といった問題に対し、常に研究してきた成果だと自負していますが、これからもその姿勢を変えないばかりか、さらに強めていきたいと思っています。そのことで、より安全で住みよい豊かな社会に貢献できると考えています。

 

↑大勢の来場者が訪れた「東京国際消防防災展2018」のなかでも、モリタのブースは一際目立っていました

 

 

消防車も当然のことながら日進月歩で、より便利により細やかに進化を遂げていました。今回の「東京国際消防防災展2018」でお披露目した多くのモデルが現場で活躍するようになるのは、まだ少し先になりそうです。しかし、これら機能的な消防車たちに、これからも注目、知識を得るようにし、子どもたちにドヤ顔してみましょう!

【中年名車図鑑|3代目 マツダRX-7】弛まぬ進化を続けたピュアロータリースポーツ・FD

1990年代初頭のマツダは、5チャンネルの販売網を構築すると同時に先進の車両デザインを取り入れた新世代スポーツモデルを精力的に発表。1991年には3ナンバーボディに移行した「アンフィニRX-7」を市場に放った――。今回は“ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツカー”を目指して開発された第3世代のRX-7の話題で一席。

【Vol.72  3代目マツダRX-7】

 

1991年6月に開催された第59回ル・マン24時間レースにおいて、ロータリーエンジン(R26B型654cc×4ローター)を積む耐久レーシングカーの787Bで念願の初優勝を成し遂げたマツダ。ロータリーエンジンの優秀さを世界中に知らしめた同社は、その勢いを駆って、1991年12月に新しいロータリースポーツ車となるFD3S型「アンフィニRX-7」を市場に送り出した

 

■3ナンバー規格のワイド&ローボディを採用した3代目RX-7

FD(エフ・ディー)は1991年「アンフィニRX-7」としてデビュー。先代のFC(エフ・シー)と比べ全幅は拡大、全長と全高は短縮された

 

“ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツカー”を目指して開発された第3世代のRX-7は、基本骨格に高張力鋼板+制振鋼板による閉断面構造で仕立てた新設計のパワープラントフレームを採用する。懸架機構は前後ダブルウィッシュボーン/コイルで、FRらしい自然な操縦性をもたらす“4輪ダイナミック・ジオメトリー・コントロール”を導入した。

 

車両デザインに関しては全幅を1760mmにまで広げて前後トレッドを拡大し、逆に全長と全高を従来よりも短縮するとともに、ボディ表面の徹底したフラッシュサーフェス化を実施。さらに、プレスベント3次曲面フロントウィンドウやエアロウェイブルーフ、エアロアンダーカバーなどを設定し、空気抵抗係数(Cd値)0.30、前面投影面積(Cd×S)0.53という優秀な数値を実現した。また、入念なテストを繰り返して形状を決めたフロントスポイラーやフローティングリアウィングは、高速走行時に効果的なダウンフォースを発生する。内包するインテリアについてはクルマとの緊密な一体感を味わえるようにアレンジ。ドライバーを囲むように仕立てたインパネ造形に低めの着座位置、センターとサイドのクッション構造を分離させたバケットシートなどで運転に集中できるコクピットを創出した。

 

搭載されたエンジンは、13B-REWの型式を名乗る新世代の2ローターユニットだった。総排気量は従来の13B型と同様の654cc×2。ここに、低速域ではプライマリーターボだけが、4500rpm以上の回転域になるとセカンダリーターボの作動が加わる“シーケンシャルツインターボシステム”を装着する。冷却機構としてインタークーラーも組み込んだ。さらに、サージタンク内に配置した電気的な圧力センサーで吸気量をダイレクトに計測する“EGI-HS”や吸気管+サージタンクによる吸気経路の長さを最適化することで吸気の脈動をチューニングした“ダイナミック共鳴過給システム”などを新採用する。得られたパワー&トルクは255ps/6500rpm、30.0kg・m/5000rpm。車体のトータルでの軽量化と合わせて、パワーウエイトレシオは4.90kg/ps(タイプS・5速MT)という優秀な数値を達成した。

 

デビュー当初の車種展開はベーシックなタイプS、走りに特化したタイプR、豪華装備のタイプXという3種類で構成。とくに注目を集めたのはタイプRで、4.100のデファレンシャル・ファイナルギア比やハードサス、ツインオイールクーラーなどを組み込んで走行性能を引き上げていた。

 

■吸気系の改良などによりエンジン出力をアップ

コクピットは超タイト。シート位置は低く、センターコンソールは高い。“囲まれ感”はかなり強い

 

その型式から“エフ・ディー(FD)”の愛称で呼ばれた3代目RX-7は、従来の“エフ・シー(FC)”以上に頻繁な改良を繰り返していく。まず1993年8月にはボディ剛性の向上や足回りの改良、内装デザインの一部変更などを実施(通称2型。それまでのモデルは1型と呼ばれるようになる)。同時に、2シーターモデルのタイプR-2バサーストなどを追加設定する。1995年3月には通称3型に移行。タイプRZやバサーストRをシリーズ化するなど、車種設定の見直しを図った。

 

1996年1月になると4型に切り替わり、13B-REWエンジンの緻密な改良が実施される。吸気系ではインテークパイプの内径を拡大。同時に、ターボの最大過給圧を470mmHgにまで引き上げる。もちろん、燃料供給装置のEGI-HSのセッティングも徹底的に見直した。また、CPUのビット数は8ビットから16ビットに向上する。これらの結果、5MT仕様の最高出力は265ps/6500rpmにまでアップ。パワーウエイトレシオは4.72kg/ps(タイプRZ)に達した。また、1997年10月にはロータリーエンジン誕生30周年記念限定車となるタイプRS-Rを発売。この時、車名からアンフィニが省かれてRX-7の単独ネームに変更した。

 

■ついに自主規制値いっぱいの280psへ…

1997年、車名から「アンフィニ」が省かれ「RX-7」となる。その後も細かいブラッシュアップを続け、唯一のピュアロータリースポーツとして2002年まで11年にわたって生産された

 

1999年1月にはマイナーチェンジで5型となり、最高出力が280ps/6500rpm、最大トルクが32.0kg・m/5000rpmにまで引き上がった13B-REWエンジン仕様が設定される。チューニング変更は多岐に渡った。まず、シーケンシャルツインターボシステムの改良。主な技術ポイントは2点で、アブレーダブルシールとウルトラハイフロータービンが新採用される。アブレーダブルシールは、チップクリアランスを縮小させるためにコンプレッサーケース側に設けた樹脂製のシールパーツだ。過給時のエア漏れを最小限にとどめることを可能とした結果、コンプレッサー効率が大幅に向上する。一方のウルトラハイフロータービンは、タービン外径を縮小(φ51mm→φ50mm)した上でブレードを長くし、排気の流量面積を拡大した新パーツである。

 

タービンの大容量化によって、ターボ過給時の出力はさらにアップ。また、最高出力発生時の最大過給圧の引き上げ(470mmHg→560mmHg)やスロットルレスポンスの向上も達成した。開発陣はエグゾーストシステムについても手を加える。フロントパイプは約0.5~1mmの肉薄化を実施して排気流路断面積を拡大。さらに、メインサイレンサーの内部構造も徹底的に見直し、排気抵抗を低減させた。これらの改良の結果、排圧は従来比で約10%(約100mmHg)も低くなり、よりスムーズな排気のヌケを実現している。また、開発陣はエグゾーストサウンドのファインチューニングも同時に敢行。ドライで切れのいいロータリーサウンドをベースに、より深みのある音質に仕上げた。冷却性能の向上も、280psエンジン仕様のトピックとなる。ラジエターコアの厚さは既存の25mmから27mmにまでアップ。さらに、各エアインテーク面積を従来比でラジエター2.1倍/インタークーラー1.8倍/オイルクーラー1.75倍にまで拡大した。また、エンジンの高性能化に合わせてシャシーもリセッティングし、“操る楽しさ”をいっそう高める。空力性能の向上や内装のグレードアップも5型の訴求点だった。

 

2000年10月になると6型に移行し、ブレーキ性能の強化やダンパー減衰力の変更、パワーステアリングへのチェックバルブの追加、安全性の向上などを実施する。そして、2002年3月には同年8月でのFD3Sの生産終了を正式にアナウンスし、最後の限定車としてスピリットRシリーズを発売した。

 

弛まぬ進化の歩みを続け、約11年に渡って生産されたピュアロータリースポーツのFD3S。次に量産ロータリーエンジン車が工場ラインに乗るのは、翌2003年まで待たなければならなかった――。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【中年名車図鑑|3代目 マツダRX-7】弛まぬ進化を続けたピュアロータリースポーツ・FD

1990年代初頭のマツダは、5チャンネルの販売網を構築すると同時に先進の車両デザインを取り入れた新世代スポーツモデルを精力的に発表。1991年には3ナンバーボディに移行した「アンフィニRX-7」を市場に放った――。今回は“ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツカー”を目指して開発された第3世代のRX-7の話題で一席。

【Vol.72  3代目マツダRX-7】

 

1991年6月に開催された第59回ル・マン24時間レースにおいて、ロータリーエンジン(R26B型654cc×4ローター)を積む耐久レーシングカーの787Bで念願の初優勝を成し遂げたマツダ。ロータリーエンジンの優秀さを世界中に知らしめた同社は、その勢いを駆って、1991年12月に新しいロータリースポーツ車となるFD3S型「アンフィニRX-7」を市場に送り出した

 

■3ナンバー規格のワイド&ローボディを採用した3代目RX-7

FD(エフ・ディー)は1991年「アンフィニRX-7」としてデビュー。先代のFC(エフ・シー)と比べ全幅は拡大、全長と全高は短縮された

 

“ロータリーエンジン・ベスト・ピュア・スポーツカー”を目指して開発された第3世代のRX-7は、基本骨格に高張力鋼板+制振鋼板による閉断面構造で仕立てた新設計のパワープラントフレームを採用する。懸架機構は前後ダブルウィッシュボーン/コイルで、FRらしい自然な操縦性をもたらす“4輪ダイナミック・ジオメトリー・コントロール”を導入した。

 

車両デザインに関しては全幅を1760mmにまで広げて前後トレッドを拡大し、逆に全長と全高を従来よりも短縮するとともに、ボディ表面の徹底したフラッシュサーフェス化を実施。さらに、プレスベント3次曲面フロントウィンドウやエアロウェイブルーフ、エアロアンダーカバーなどを設定し、空気抵抗係数(Cd値)0.30、前面投影面積(Cd×S)0.53という優秀な数値を実現した。また、入念なテストを繰り返して形状を決めたフロントスポイラーやフローティングリアウィングは、高速走行時に効果的なダウンフォースを発生する。内包するインテリアについてはクルマとの緊密な一体感を味わえるようにアレンジ。ドライバーを囲むように仕立てたインパネ造形に低めの着座位置、センターとサイドのクッション構造を分離させたバケットシートなどで運転に集中できるコクピットを創出した。

 

搭載されたエンジンは、13B-REWの型式を名乗る新世代の2ローターユニットだった。総排気量は従来の13B型と同様の654cc×2。ここに、低速域ではプライマリーターボだけが、4500rpm以上の回転域になるとセカンダリーターボの作動が加わる“シーケンシャルツインターボシステム”を装着する。冷却機構としてインタークーラーも組み込んだ。さらに、サージタンク内に配置した電気的な圧力センサーで吸気量をダイレクトに計測する“EGI-HS”や吸気管+サージタンクによる吸気経路の長さを最適化することで吸気の脈動をチューニングした“ダイナミック共鳴過給システム”などを新採用する。得られたパワー&トルクは255ps/6500rpm、30.0kg・m/5000rpm。車体のトータルでの軽量化と合わせて、パワーウエイトレシオは4.90kg/ps(タイプS・5速MT)という優秀な数値を達成した。

 

デビュー当初の車種展開はベーシックなタイプS、走りに特化したタイプR、豪華装備のタイプXという3種類で構成。とくに注目を集めたのはタイプRで、4.100のデファレンシャル・ファイナルギア比やハードサス、ツインオイールクーラーなどを組み込んで走行性能を引き上げていた。

 

■吸気系の改良などによりエンジン出力をアップ

コクピットは超タイト。シート位置は低く、センターコンソールは高い。“囲まれ感”はかなり強い

 

その型式から“エフ・ディー(FD)”の愛称で呼ばれた3代目RX-7は、従来の“エフ・シー(FC)”以上に頻繁な改良を繰り返していく。まず1993年8月にはボディ剛性の向上や足回りの改良、内装デザインの一部変更などを実施(通称2型。それまでのモデルは1型と呼ばれるようになる)。同時に、2シーターモデルのタイプR-2バサーストなどを追加設定する。1995年3月には通称3型に移行。タイプRZやバサーストRをシリーズ化するなど、車種設定の見直しを図った。

 

1996年1月になると4型に切り替わり、13B-REWエンジンの緻密な改良が実施される。吸気系ではインテークパイプの内径を拡大。同時に、ターボの最大過給圧を470mmHgにまで引き上げる。もちろん、燃料供給装置のEGI-HSのセッティングも徹底的に見直した。また、CPUのビット数は8ビットから16ビットに向上する。これらの結果、5MT仕様の最高出力は265ps/6500rpmにまでアップ。パワーウエイトレシオは4.72kg/ps(タイプRZ)に達した。また、1997年10月にはロータリーエンジン誕生30周年記念限定車となるタイプRS-Rを発売。この時、車名からアンフィニが省かれてRX-7の単独ネームに変更した。

 

■ついに自主規制値いっぱいの280psへ…

1997年、車名から「アンフィニ」が省かれ「RX-7」となる。その後も細かいブラッシュアップを続け、唯一のピュアロータリースポーツとして2002年まで11年にわたって生産された

 

1999年1月にはマイナーチェンジで5型となり、最高出力が280ps/6500rpm、最大トルクが32.0kg・m/5000rpmにまで引き上がった13B-REWエンジン仕様が設定される。チューニング変更は多岐に渡った。まず、シーケンシャルツインターボシステムの改良。主な技術ポイントは2点で、アブレーダブルシールとウルトラハイフロータービンが新採用される。アブレーダブルシールは、チップクリアランスを縮小させるためにコンプレッサーケース側に設けた樹脂製のシールパーツだ。過給時のエア漏れを最小限にとどめることを可能とした結果、コンプレッサー効率が大幅に向上する。一方のウルトラハイフロータービンは、タービン外径を縮小(φ51mm→φ50mm)した上でブレードを長くし、排気の流量面積を拡大した新パーツである。

 

タービンの大容量化によって、ターボ過給時の出力はさらにアップ。また、最高出力発生時の最大過給圧の引き上げ(470mmHg→560mmHg)やスロットルレスポンスの向上も達成した。開発陣はエグゾーストシステムについても手を加える。フロントパイプは約0.5~1mmの肉薄化を実施して排気流路断面積を拡大。さらに、メインサイレンサーの内部構造も徹底的に見直し、排気抵抗を低減させた。これらの改良の結果、排圧は従来比で約10%(約100mmHg)も低くなり、よりスムーズな排気のヌケを実現している。また、開発陣はエグゾーストサウンドのファインチューニングも同時に敢行。ドライで切れのいいロータリーサウンドをベースに、より深みのある音質に仕上げた。冷却性能の向上も、280psエンジン仕様のトピックとなる。ラジエターコアの厚さは既存の25mmから27mmにまでアップ。さらに、各エアインテーク面積を従来比でラジエター2.1倍/インタークーラー1.8倍/オイルクーラー1.75倍にまで拡大した。また、エンジンの高性能化に合わせてシャシーもリセッティングし、“操る楽しさ”をいっそう高める。空力性能の向上や内装のグレードアップも5型の訴求点だった。

 

2000年10月になると6型に移行し、ブレーキ性能の強化やダンパー減衰力の変更、パワーステアリングへのチェックバルブの追加、安全性の向上などを実施する。そして、2002年3月には同年8月でのFD3Sの生産終了を正式にアナウンスし、最後の限定車としてスピリットRシリーズを発売した。

 

弛まぬ進化の歩みを続け、約11年に渡って生産されたピュアロータリースポーツのFD3S。次に量産ロータリーエンジン車が工場ラインに乗るのは、翌2003年まで待たなければならなかった――。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

「外環道」開通で首都高6号線の渋滞がウソのように減った理由

東京23区を取り巻くように走る高速道路・外環道(東京外郭環状道路)のうち、埼玉県の三郷南IC(インターチェンジ)と千葉県の高谷JCT(ジャンクション)の間約15.5kmが6月2日に開通した。SNSなどを見る限り効果は明確で、首都高速道路6号向島線および三郷線上りの慢性的な渋滞がウソのように減ったという書き込みが多く見られる。

出典:ツナガリ、ツナグ。GAIKAN

 

なぜここまで渋滞を減らすことができたのか。理由のひとつとして東京都のすぐ外側に、一挙に15km以上の高速道路が開通したことが大きいのではないかと思っている。外環ですでに開通済なのは東京都の大泉ICと三郷南ICの間で、その距離は33.8kmだから、今回の開通で1.5倍も距離が伸びたことになる。これは大きい。

 

東京周辺の環状高速道路というと、他に首都高速の都心環状線と中央環状線、そして圏央道(首都圏中央連絡自動車道)がある。しかし前者は都内にあるのでそれ自体が渋滞しているし、一方の圏央道は都心から50kmぐらい離れているので、東京の反対側に行く際にはかなり遠回りになる。外環道こそ「ちょうどいい」迂回路なのかもしれない。

出典:ツナガリ、ツナグ。GAIKAN

 

しかも今回の開通区間は、東京湾岸を走る東関東自動車道まで到達している。これもポイントだ。東北自動車道や常磐自動車道から横浜に向かう際にも、東関東道と首都高速湾岸線を使えば良く、都心を経由する必要がなくなったからである。

 

東京港や横浜港の周辺にある工場や市場や倉庫に向かう物流車両の多くが外環道経由に切り替われば、それだけで都心を通る交通量はかなり減る。首都高速6号線の渋滞緩和はこの点が大きいのではないだろうか。開通区間だけを見れば埼玉県と千葉県を結ぶ道路に見えるけれど、実際は東京都や神奈川県にも関連しているのだ。

 

■市川と松戸をつなぐ「松戸街道」が問題だった

もうひとつ、この地域を通過する車両が都心を経由していた理由に、周辺の一般道の状況があると、千葉県市川市と松戸市の間を一般道で移動した経験がある筆者は考えている。この地域の南北方向のメインルートは松戸街道と呼ばれる県道1号市川松戸線だが、ともに人口50万人近い大都市を結ぶのに、多くの区間が片側一車線だ。しかもこれ以外に目立った道路はなかった。松戸街道が混んでいるので脇道に入ると、しだいに道が細くなっていって、やがて行き止まりになってしまうパターンが多かった。

 

筆者はタイの首都バンコクを思い出した。チャオプラヤー川沿いに発展したバンコクは、かつては川や運河を使った水運がメインだった。道路が整備されたのは20世紀後半のこと。このとき政府は道路を川や運河のように考えたために、幹線道路から住宅地に伸びる細い道の多くが行き止まりになり、多くの自動車が幹線道路に集中。世界屈指の渋滞都市になってしまったのだ。

 

それが今回の外環道開通にともない、側道として国道298号線が整備されたので、市川と松戸の中心部を結ぶ道は一挙に3本に増えた。しかも外環道だけでなく、国道298号線も大泉IC付近まで通じている。これも首都高速の渋滞緩和に貢献しているはずだ。

 

こうなると外環道の残りの部分、つまり大泉ICから中央自動車道や東名高速道路につながる区間が気になる。この区間については以前のコラムで、計画当時の東京都政に遅れの原因があることを書いた。

 

2020年東京五輪パラリンピックで重要ルートになるはずだった築地付近の環状二号線トンネルが、築地市場の豊洲移転の遅れで期限内に開通できなくなるなど、東京都はしばしば交通に疎いリーダーを据えがちだけれど、先日中央自動車道を走っていたら、高井戸〜調布IC間で外環道と接続する中央JCTの工事が始まっていた。

 

計画当時と比べるとトンネル技術などが発達して、地域環境を悪化させずに道路を通すノウハウができつつあるのだろう。今回の外環道開通区間も、千葉県内の多くは地下に通している。日本の土木技術の進歩に感謝したい。

 

【著者プロフィール】

モビリティジャーナリスト 森口将之

モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・講演などで発表するとともに、モビリティ問題解決のリサーチやコンサルティングも担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本デザイン機構理事、日本自動車ジャーナリスト協会・日仏メディア交流協会・日本福祉のまちづくり学会会員。著書に『パリ流環境社会への挑戦(鹿島出版会)』『富山から拡がる交通革命(交通新聞社)』『これでいいのか東京の交通(モビリシティ)』など。

「外環道」開通で首都高6号線の渋滞がウソのように減った理由

東京23区を取り巻くように走る高速道路・外環道(東京外郭環状道路)のうち、埼玉県の三郷南IC(インターチェンジ)と千葉県の高谷JCT(ジャンクション)の間約15.5kmが6月2日に開通した。SNSなどを見る限り効果は明確で、首都高速道路6号向島線および三郷線上りの慢性的な渋滞がウソのように減ったという書き込みが多く見られる。

出典:ツナガリ、ツナグ。GAIKAN

 

なぜここまで渋滞を減らすことができたのか。理由のひとつとして東京都のすぐ外側に、一挙に15km以上の高速道路が開通したことが大きいのではないかと思っている。外環ですでに開通済なのは東京都の大泉ICと三郷南ICの間で、その距離は33.8kmだから、今回の開通で1.5倍も距離が伸びたことになる。これは大きい。

 

東京周辺の環状高速道路というと、他に首都高速の都心環状線と中央環状線、そして圏央道(首都圏中央連絡自動車道)がある。しかし前者は都内にあるのでそれ自体が渋滞しているし、一方の圏央道は都心から50kmぐらい離れているので、東京の反対側に行く際にはかなり遠回りになる。外環道こそ「ちょうどいい」迂回路なのかもしれない。

出典:ツナガリ、ツナグ。GAIKAN

 

しかも今回の開通区間は、東京湾岸を走る東関東自動車道まで到達している。これもポイントだ。東北自動車道や常磐自動車道から横浜に向かう際にも、東関東道と首都高速湾岸線を使えば良く、都心を経由する必要がなくなったからである。

 

東京港や横浜港の周辺にある工場や市場や倉庫に向かう物流車両の多くが外環道経由に切り替われば、それだけで都心を通る交通量はかなり減る。首都高速6号線の渋滞緩和はこの点が大きいのではないだろうか。開通区間だけを見れば埼玉県と千葉県を結ぶ道路に見えるけれど、実際は東京都や神奈川県にも関連しているのだ。

 

■市川と松戸をつなぐ「松戸街道」が問題だった

もうひとつ、この地域を通過する車両が都心を経由していた理由に、周辺の一般道の状況があると、千葉県市川市と松戸市の間を一般道で移動した経験がある筆者は考えている。この地域の南北方向のメインルートは松戸街道と呼ばれる県道1号市川松戸線だが、ともに人口50万人近い大都市を結ぶのに、多くの区間が片側一車線だ。しかもこれ以外に目立った道路はなかった。松戸街道が混んでいるので脇道に入ると、しだいに道が細くなっていって、やがて行き止まりになってしまうパターンが多かった。

 

筆者はタイの首都バンコクを思い出した。チャオプラヤー川沿いに発展したバンコクは、かつては川や運河を使った水運がメインだった。道路が整備されたのは20世紀後半のこと。このとき政府は道路を川や運河のように考えたために、幹線道路から住宅地に伸びる細い道の多くが行き止まりになり、多くの自動車が幹線道路に集中。世界屈指の渋滞都市になってしまったのだ。

 

それが今回の外環道開通にともない、側道として国道298号線が整備されたので、市川と松戸の中心部を結ぶ道は一挙に3本に増えた。しかも外環道だけでなく、国道298号線も大泉IC付近まで通じている。これも首都高速の渋滞緩和に貢献しているはずだ。

 

こうなると外環道の残りの部分、つまり大泉ICから中央自動車道や東名高速道路につながる区間が気になる。この区間については以前のコラムで、計画当時の東京都政に遅れの原因があることを書いた。

 

2020年東京五輪パラリンピックで重要ルートになるはずだった築地付近の環状二号線トンネルが、築地市場の豊洲移転の遅れで期限内に開通できなくなるなど、東京都はしばしば交通に疎いリーダーを据えがちだけれど、先日中央自動車道を走っていたら、高井戸〜調布IC間で外環道と接続する中央JCTの工事が始まっていた。

 

計画当時と比べるとトンネル技術などが発達して、地域環境を悪化させずに道路を通すノウハウができつつあるのだろう。今回の外環道開通区間も、千葉県内の多くは地下に通している。日本の土木技術の進歩に感謝したい。

 

【著者プロフィール】

モビリティジャーナリスト 森口将之

モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・講演などで発表するとともに、モビリティ問題解決のリサーチやコンサルティングも担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本デザイン機構理事、日本自動車ジャーナリスト協会・日仏メディア交流協会・日本福祉のまちづくり学会会員。著書に『パリ流環境社会への挑戦(鹿島出版会)』『富山から拡がる交通革命(交通新聞社)』『これでいいのか東京の交通(モビリシティ)』など。

都内を走る「忘れ去られた貨物路線」に再び栄光の時は来るか?――越中島支線/新金線の現状

おもしろローカル線の旅~~JR越中島支線/JR新金線~~

 

お江戸の中心といえば日本橋。その日本橋からわずか5kmのところに、都内で唯一となった、非電化路線が走っていることをご存知だろうか。JR越中島(えっちゅうじま)支線という名の貨物線がその路線。ディーゼル機関車が貨車を牽いてのんびり走っている。

今回は、JR越中島支線と、さらにその先の貨物専用線・JR新金(しんかね、もしくは、しんきん)線の2本の貨物専用線をご紹介しよう。両線とも貨物専用線のため、列車への乗車はできないが、路線にそってのんびり歩くことができる。新たな発見とともに、不思議さが十分に体験できる路線だ。

 

【謎その1】なぜ、都内唯一の非電化路線として残ったのか?

越中島支線や新金線という路線名を聞いて、すぐにどこを走っているのかを思い浮かべられた方は、かなりの鉄道通と言っていいだろう。それこそ、長年、忘れられてきた路線と言ってもいい。

 

走る列車の本数も少ない、いわば“ローカル貨物線”だが、なんとか旅客線にできないか、という地元自治体の話もあり、近年にわかに脚光をあびるようにもなっている。

 

まずは両路線のデータをおよび路線図を見ていこう。

◆越中島支線(運営:東日本旅客鉄道)
路線:小岩駅 〜 越中島貨物駅
距離:11.7km
開業:1929(昭和4)年3月20日

◆新金線(運営:東日本旅客鉄道)
路線:小岩駅 〜 金町駅
距離:8.9km
開業:1926(大正15)年7月1日(新小岩操車場〜金町駅間)

まずは越中島支線から見ていこう。なぜ都内で唯一の非電化路線として残されたのだろうか。電化される計画はなかったのだろうか。

 

【謎解き1】輸送量が少なく非電化のままが賢明だとの判断か

現在、越中島支線の列車は新小岩信号場と越中島貨物駅の間を走っている。日曜日を除いて日に3往復の列車が走り、JR東日本管内で使われるレール輸送やバラスト輸送が行われている。ちなみに貨物時刻表で紹介されているダイヤは、

9295列車 新小岩信号場12時10分発 → 越中島貨物駅12時22分着
9294列車 越中島貨物駅13時42分発 → 新小岩信号場13時55分着

という1往復のみだ。ほか2往復も走っているが、全便が臨時列車扱いで、実際に沿線で待っていても、上記の時刻を含め列車が走らない日がある。

↑新小岩信号場12時10分発の9295列車。この日はJR東日本のDE10形ディーゼル機関車が1両のみで走る。列車の早発、遅発はこの路線ではごく普通なのでご注意を

 

越中島駅にはJR東日本のレールやバラストを管理する東京レールセンターがある。現在、越中島支線にはこの東京レールセンターから、JR東日本管内へ運ばれるレールや、バラストの輸送列車が走る。ただ、前述の通り列車の本数は日に3本で、それすら走らない日もある。わざわざ電化して列車を走らせるほどの輸送量ではない。ゆえに、都内唯一の非電化路線として残ったのだろう。

↑越中島支線の終点、越中島駅には東京レールセンターがあって、JR東日本のレールやバラストの基地として使われている。最寄り駅は京葉線の潮見駅だ(徒歩約15分)

 

↑越中島駅から新小岩信号場へ向かう上り列車。大半が写真のようにレール輸送用の貨車(長物車)や、バラストを積んだホッパ車を連ねた列車が運行される

 

いまでこそ列車の本数が非常に少ない越中島支線だが、かつては多くの貨物列車が行き交い、賑わいを見せた時代もあった。ここからは、そんな時代を振り返っていこう。

 

【補足情報その1】かつては東京湾岸の鉄道輸送に欠かせない路線だった

昭和の初期に開業した越中島支線だが、この路線が1番、輝いたのが、太平洋戦争後の1950〜60年代のことだった。越中島駅から先、1953年に深川線が豊洲まで開業。さらに晴海まで晴海線が1957年に開業した。さらに1959年には豊洲物揚場線と、次々に路線が新設された。

 

豊洲といえば現在、築地市場の移転で話題になっている場所だが、かつて豊洲には石炭埠頭や鉄鉱埠頭があり、ほか様々な物資の陸揚げ基地として賑わっていた。

 

それらの物資の多くは貨物列車を使って都内および首都圏各地へ輸送されていった。それは路線をさらに汐留駅まで延ばす計画が立てられるほどの盛況だった。こうした逸話を聞くだけでも、多くの貨物列車が走った往時の様子が彷彿される。

↑いまも、越中島駅から豊洲方面へ数100mほど線路が延びている。線路が途切れた先の線路跡地は駐車場などに使われている

 

↑往時の姿を残す元晴海線の鉄道橋。橋の遺構は晴海通り・春海橋に沿うように残っている。線路も残り、いまにも貨物列車が走ってきそうな趣がある

 

貨物輸送に湧いた越中島支線だったが、1980年代になると物流の主役はトラック輸送となり、鉄道による貨物輸送が激減する。越中島駅から先の路線が徐々に廃止されていき、1989年の晴海線の廃止を最後に路線がすべて消滅した。

 

以降、越中島支線は、新小岩信号場と越中島駅間のレールとバラスト輸送のみが行われる路線となっている。

 

【補足情報その2】路線沿いには線路スペースを使った公園や、路面軌道の跡も

越中島支線の一部を線路に沿って歩いてみた。

 

今回、スタート地点としたのは都営地下鉄新宿線の西大島駅。まず明治通りを南へ向かった先に小名木川(おなぎがわ)が流れる。この小名木川は水運用につくられた人工河川で、川沿いには陸揚げした物資を積み込むための駅・小名木川駅が設けられていた。

↑小名木川に架かる越中島支線の小名木川橋梁。この左手にかつて小名木川駅があった。橋梁はワーレントラス橋で、見てのとおり重厚な構造の橋となっている

 

現在、駅の跡地には巨大なショッピングセンターが立っている。ちなみに同センター前の交差点名が「小名木川駅前」となっている。駅はすでにないものの、交差点名にのみ、その名残があるわけだ。

 

小名木川駅があった付近を線路ぞいにさらに歩いていくと、南砂線路公園がある。線路の跡地を歩道と自転車道にした公園で、江東区が設けた公園案内も立てられる。列車を待ちながらの一休みに最適だ。

↑越中島支線沿いに設けられた南砂線路公園(写真右)。複線区間の線路が敷かれていたスペースを利用。歩行者と自転車用のルートが設けられている

 

この先、線路沿いの道がいったん途切れるので、明治通りへ。南砂三丁目の交差点を過ぎたあたりで、不思議な遊歩道(南砂緑道公園)を発見した。この遊歩道は、横幅もあり、明らかに線路の跡のよう。越中島支線をくぐるように立体交差している。地元の人に聞くと、「ここは昔、チンチン電車が走っていたところなんですよ」とのこと。

 

遊歩道をしばらく歩くと説明があり、城東電気軌道(地元では城東電車の名で親しまれた)の砂町州崎線の跡だった。この城東電車はその後、都電となり都電砂町線(水神森=亀戸駅近く〜州崎間)として1972(昭和47)年まで走り続けた。

↑南町緑道公園はもと都電砂町線の路線跡。越中島支線と立体交差している。南側にはかつて汽車製造会社東京製作所があり、造られた鉄道車両が越中島支線を使って運ばれた

 

汽車製造会社東京製作所があったその先に永代通りが通る。平面交差するため、永代通りには踏切が設けられている。しかも信号機付き。列車が近づくと、通りの信号が赤になる。列車が少ないこともあり、通常の踏切では危険という判断からか、このようにドライバーに注意を促す造りとなっているのだろう。

↑永代通りと交差する越中島支線。列車の本数が少なく廃線と思うドライバーが多いためか、信号機付きの踏切となっている。この踏切から日本橋へ5kmの案内が架かる

 

永代通りを越え、明治通りを南に向かえば、終点の越中島駅も近い。帰りは東京メトロ南砂町駅か、JR京葉線の潮見駅を目指したい。

【謎その2】複線用の敷地がしっかりと残る新金線の謎

新金線は、誕生の経緯がなかなかおもしろい。そこから見ていこう。

 

千葉県の産物を、総武本線を使って輸送するにあたって問題になったのが、隅田川を越える橋がなかったこと。長年、総武本線は両国止まりだった。そのため、当時の貨物輸送は東武鉄道の路線経由で常磐線の北千住駅まで運ばれていた。この問題を打開すべく1926(大正15)年に誕生したのが新金線だった。

 

その後の1932(昭和7)年に総武本線の隅田川橋梁が完成したが、両国駅〜御茶ノ水駅間が旅客営業のみに造られた路線だったため、その後も総武本線の貨物列車は、新金線経由で走り続けている。

 

この路線を訪れてみて、奇異に感じるのは、ほとんど全線にわたり複線用の用地が確保されていることだ。下の写真のように、敷地はゆったりとしていて、さらに架線を吊る鉄塔も複線用に造られている。

↑新金線の線路は、ほとんどが複線化できるよう広いスペースが確保されている。将来、複線にして旅客路線に使えないか、地元の葛飾区などでは検討を続けている

 

【謎解き2】列車本数の減少で複線化が実現しなかった

1970年ごろまで新金線は、千葉方面と都心を結ぶ物流の大動脈でもあった。さらに越中島支線を走る貨物列車も、この路線を通って各地へ向かった。最盛期は、さぞや過密ダイヤとなっていたに違いない。

 

複線用のスペースを確保しておいた理由は、路線開業時に、将来の列車本数の増加を見越してのものだったのだろう。

 

ところが、1980年以降となると、新金線の列車本数は激減する。現在は、定期運行している貨物列車が日に3往復(うち1往復は日曜日運休)、ほか数便が臨時運行という状態だ。こうなると、とても複線にする意味がないと思われる。結局、新金線の複線化計画は夢物語に終わってしまい、確保した用地もそのまま塩漬け状態になってしまったわけだ。

↑金町駅から新小岩信号場へ向かう下り列車。高砂付近で京成本線の下をくぐって走る。写真の1093列車はEF65形式直流電気機関車での運用が行われている

 

【補足情報その1】貨物列車で必須の「機回し」作業に注目

現在、新金線を走る定期列車は次の3往復だ。

◆下り列車(金町駅 → 新小岩信号場)
1091列車:隅田川駅発 → 千葉貨物ターミナル駅行き
金町駅10時49分発 → 新小岩信号場11時00分着
1093列車:越谷貨物ターミナル駅発 → 鹿島サッカースタジアム駅行き
金町駅6時24分発 → 新小岩信号場6時35分着
1095列車:東京貨物ターミナル駅発 → 鹿島サッカースタジアム駅行き
金町駅0時27分発 → 新小岩信号場0時38分着(日曜運休)

◆上り列車(新小岩信号場 → 金町駅)
1090列車:千葉貨物ターミナル駅発 → 隅田川駅発行き
新小岩信号場19時20分発 → 金町駅19時30分着
1092列車:鹿島サッカースタジアム駅発 → 越谷貨物ターミナル駅行き
新小岩信号場19時52分発 → 金町駅20時02分着
1094列車:鹿島サッカースタジアム駅発 → 東京貨物ターミナル駅行き
新小岩信号場15時23分発 → 金町駅15時33分着(日曜運休)

 

貨物列車は電車のように、前後、進行方向をすぐに変えて走り出すことができない。進む方向を変える時には、機関車を切り離して併設された線路を逆方向へ走り、先頭となる側に機関車を連結させる「機回し」作業が必要となる。

 

地図上、Z字形の路線になっているこの新金線の路線。どの駅で機回しが行われているのだろうか。

 

まず金町駅では隅田川駅発の1091列車と、戻りの隅田川駅行きの1090列車の機回しが行われる。

 

新小岩信号場では、前述した3往復の列車がすべて機回し作業を行う。この機回しには地上の補助要員が必要なうえ、時間は最低でも15分程度は見ておかなければいけないとあって、各列車とも機回しのための時間に余裕を持たせている。

↑新小岩信号場へ到着したら、千葉方面へ機関車を付け替えるために、機回し作業が行われる。写真の1093列車で6時35分到着後に機回し、11時35分まで同信号所で待機する

 

ちなみにこうした作業は新小岩信号場に沿った遊歩道から見ることができる。貨物列車好きな方は一度、訪れてみてはいかがだろう。

 

【補足情報その2】国鉄形電気機関車の宝庫、新金線。撮影できるポイントも多い

前述した定期的に走る3列車だが、鉄道ファンにとってうれしいのは、すべての列車に、いまや貴重となりつつある国鉄形電気機関車が使われていること。

 

下り1091列車・上り1090列車、そして下り1093列車・上り1092列車にはEF65形式直流電気機関車が使われる。また下り1095列車と上り1094列車には、EF64形式直流電気機関車が使われている。

 

両形式とも、国鉄当時の原色に戻されつつある車両が増えているだけに、鉄道ファンにとって気になるところだ。新金線は、撮影ポイントが多く、国鉄形電気機関車が貨物列車を牽くとあって、鉄道ファンにとっては見逃せない路線にもなっている。

↑新金線では関東エリアでは少なくなったEF64形式の運用が見られる。上り列車は夜の運行が多いが、写真の1094列車のみ新小岩信号所15時23分発と理想的な時間帯に走る

 

【補足情報その3】新金線を訪れるとしたら小岩駅か京成高砂駅からがおすすめ

新金線は、金町駅から中川沿いに南下、路線のほとんどが、住宅の建ち並ぶなかを走る。踏切が数多いこともあり、撮影しようとするときには、この踏切が生かせる。複線化用に用意されたスペースを、列車との適度な“間”として生かせることもうれしい。

 

新金線を訪れるならば、京成高砂駅や、JR小岩駅から歩くことをおすすめしたい。京成高砂駅から中川方面に向かい、新金線に並走する道や中川の土手を歩けば、快い散策も楽しめる。

 

また小岩駅からは、徒歩15分ほどで、この路線の最大のポイントでもある中川橋梁へ行くことができる。

↑1091列車が新金線の中川橋梁を渡る。EF65形式が牽引、同橋梁を10時55分前後に通過する。中川の土手は広く、散歩がてらに訪れて撮影できる

 

新小岩信号場へは、JR新小岩駅からJR小岩駅方面へ徒歩で10分ほど。信号場内に停まる貨物列車や総武本線の列車がよく見えて、鉄道ファンにとっては魅力的なポイントにもなっている。ベンチもあり、小休止の場所にも利用できる。

↑新金線の新小岩信号場近くでみかけた花々。フェンスが花壇がわりに使われていた。新金線らしい何とものんびりした光景が沿線のそこかしこで見られる

 

↑新小岩信号場に停まる長物車(チキ車)。信号場沿いの道は遊歩道になっていて、行き交う列車が気軽に楽しめる。ただ遊歩道を走る自転車の通行には注意

 

葛飾区の新金線旅客化計画のその後を追う

今回、紹介した越中島支線と新金線には、長年にわたり、旅客路線とするプランが立てられてきた。

 

両路線が走る江東区、葛飾区を南北に結ぶ公共交通機関といえば、バスのみだ。バスはどうしても道路の渋滞に悩まされる。特に朝夕のラッシュ時には、運行が思い通りいかない。

↑JR新小岩駅と京成電鉄の青砥駅、JR亀有駅を結ぶ路線バスが運行されている。15分おきに走るバスで、新金線とほぼ平行して走るバスとしては最も便数が多く便利だ

 

こうした現状から江東区も葛飾区も、越中島支線や新金線を、旅客化できないか長年にわたり検討を続けてきた。

 

2017年に、さらに具体的に旅客化できないかを検討したのが葛飾区。新金線をLRT(ライトレールトランジットの略)の路線として生かせないかというものだった。低床で、高齢者にもやさしい乗り物として見直されつつあるLRT。国も導入支援を行い、実際に宇都宮市では、新たなLRT路線の建設に乗り出している。

 

新金線はすでに複線化できる用地があり、まっさらの新線を造るよりは、建設費も安くできる。

 

さてその検討結果が、2018年6月11日に葛飾区のホームページで発表された。

 

新金線のLRT案は、国道6号との平面交差や、需要予測に基づく採算性、貨物線のダイヤとの共存などの課題があるとしたうえで、「周辺の動向を見守りながら、南北交通の充実を図るストック材として活用方法を検討していく」としている。

 

新金線旅客化案はまったく消えたわけではないが、まずは地下鉄の延伸計画などのプランの促進に力を入れていくことになりそうだ。

古き良き時代にタイムスリップできる「英国式保存鉄道」の魅力

保存鉄道とは、英語では「Heritage Railway(ヘリテージ・レイルウェイ)」、または「Preserved Railway(プリザーブド・レイルウェイ)」などと呼ばれ、その名の通り昔活躍していた車両を復元、維持して乗客を乗せる私有鉄道のことだ。私有鉄道といっても民営会社ではなく保存団体が運営していることが多く、従業員の大部分はボランティアが支えている。イギリス人の鉄道遺産に対する情熱があってこその存在だ。

 

基本的には観光客向けに運行されており、公共交通機関としての地元客による利用は基本的に想定されていない。値段も同じ距離を走行する一般の旅客鉄道と比べると割高で運行日も限定されている。

↑保存鉄道の目玉である蒸気機関車。写真の8572号機は1920年代に製造された古参で木造客車も同年代のものだ

 

保存鉄道と一口に言っても規模は大小様々で、普通の旅客鉄道と同じ「標準軌」と呼ばれる線路幅を有し、全長36kmに及ぶ長大なものもあれば路線長が1kmにも満たない小さな場所もある。「ナローゲージ」と呼ばれる線路幅が小さいものも存在し、その種類は様々だ。

↑ディーゼル機関車なども保存鉄道で動態保存されている。写真は客車を牽引するClass 50ディーゼル機関車

 

純粋な「観光鉄道」とは異なり、保存鉄道はある特定の時代を車両だけではなく駅舎の装飾や乗務員の服装まで再現している。1番多く見受けられるのが、20世紀初頭の雰囲気を残し、蒸気機関車と当時の古い客車を走らせている鉄道だ。

 

ほかにも蒸気機関車が廃止され、1960~70年代の気動車やディーゼル機関車を主に走らせる鉄道もあれば、鉱山鉄道や湾港鉄道などで現役時代のように貨物列車を走らせたり、さらには旧型の路面電車を野外博物館で運行したりとバラエティに富んでいる。現在ではおよそ150種類もの保存鉄道がイギリス中で営業しており、世界的に見ても保存鉄道大国と言える。

↑セバーン・バレー鉄道のハイリー駅(Highley station)に入線する列車と到着を待っていた乗客たち

 

保存鉄道の発端と成り立ち

イギリスでの保存鉄道運動は、1951年にイギリス初の保存鉄道となったウェールズのタリスリン鉄道から始まったといえる。ここは1866年開業し、採掘場のスレート石を運ぶ鉱山鉄道と地元民の脚を兼任したナローゲージ鉄道であった。しかし採掘場の閉鎖とそれに伴う地元住民の減少で廃線の危機を迎えていたが、ボランティアの手によって列車の運行が継続され、いまとなってはウェールズ指折りの保存鉄道、そして有名観光地となっている。

↑タリスリン鉄道と同様にウェールズのナローゲージ鉄道の1つであるヴェール・オブ・ライドル鉄道。「標準軌」の路線は線路幅が1435 mmだがここは603 mmと狭く作られている

 

タリスリン鉄道のようにほとんどの保存鉄道はそのためだけに新しい路線を建設したのではない。例えば1960年代には「ビーチング・アックス」と呼ばれるイギリス国鉄による不採算路線の大規模閉鎖が行われ、現在営業している標準軌の保存鉄道もこのときに廃線となった線区を転用しているものが多い。以後多くの保存鉄道が発足していき、一般の旅客鉄道では廃止になった車両に行き場を与えた。そしてかつての鉄道産業遺産の動く姿が見られ、後世にその技術と魅力を伝える貴重な場として成長していく。

↑一時期は廃線になったが、セバーン・バレー鉄道で保存鉄道の一部として復活したアーリー駅(Arley station)

保存鉄道の楽しみ方

上記のように保存鉄道は大小様々だが、ここでは基本的に1番メジャーな標準軌の蒸気機関車を主に扱う保存鉄道を基準に紹介していく。

 

まず訪問することを決めたら運行日を確かめておく必要がある。5月~8月の繁忙期では毎日運行しているところもあるが、基本的に土日と祝日の運転となる。12月~2月頃は冬季メンテナンスを行い、その間は運休となるので要注意だ。

↑蒸気機関車は人気の的だが、ほかにも地味だが歴史的に重要な車両も動態保存されている。写真は国鉄時代に製造されたレールバスで安価な製造コストと運行費用で採算の悪い地方路線を救った

 

保存鉄道の楽しみ方といっても様々な方法がある。昔ながらのコンパートメントでゆっくり揺られながら汽車旅そのものを楽しむのもよし。鉄道を移動手段として使い沿線の街を観光したり、海辺や田舎でハイキングを堪能したりするのもよい。保存鉄道側も来客を呼び込むのに力を入れており、様々なイベントを年中企画している。以下ではその魅力的なイベントを簡単に紹介する。

↑ゆったりとしたレトロな内装でふかふかの座席で汽車旅が楽しめる

 

多種多様の保存車両が活躍する「ガーラ」

鉄道ファンにとってやはり保存鉄道の1番魅力は動態保存されている車両だろう。かつて本線で現役だった蒸気機関車などが動き、生きている姿を目の当たりするのは非常に喜ばしいことだ。そのようなファンのために多くの保存鉄道では年に数回「Gala(ガーラ)」と呼ばれる祭典が行われる。その保存鉄道に在籍する機関車や車両のみならず、ほかの鉄道からもゲストとして機関車などが招集され、数日間高頻度で運転が行われる。

↑セバーン・バレー鉄道の2018年春のSLガーラでゲストとして登場した60163号機「Tornado」。この機関車は2008年に新しく製造されたことで一目置かれている

 

↑ガーラでは旅客列車だけでなく貨物列車などの展示走行も見られる

 

例えばイングランド中部に位置するセバーン・バレー鉄道の2018年春のSLガーラでは3月中旬の3日間にわたって開催され、ゲスト機関車4機を含めた総勢8機体制で毎日45分置きに列車を走らせていた。列車を撮影する目的の「撮り鉄」や乗るためやってきた「乗り鉄」、SLが好きな子どもと一緒の家族連れなどで大いに賑わった。ガーラは一度に多くの車両と触れ合える機会なので、鉄道ファンにはぜひおすすめしたいイベントだ。

↑保存鉄道はボランティアの方の協力が必要不可鉄だ。車掌の制服に身を包み、乗客の乗降を見守る

 

大人も子どもも楽しめる様々なイベント

鉄道ファンももちろん大事な保存鉄道の顧客だが、一般のマニアでない人が訪問するのも大切な収入源だ。子どもに保存鉄道に興味を持ってもらい、新しいことを学んでほしいという意味で特に家族連れを意識したイベントが多くみられる。既存のSLをかの有名なキャラクター「機関車トーマス」として仮装させて列車を走らせるトーマスイベントや、クリスマスのときにサンタさんからプレゼントがもらえるクリスマスイベントなどが開催される。

↑イングランド中部に位置するグレート・セントラル鉄道の列車。ここはイギリスで唯一複線区間を保有している保存鉄道で注目を浴びている

 

もちろん大人だけで楽しめるものもあり、なかでも人気なのが「Murder Mystery(マーダー・ミステリー)」、つまり殺人事件の犯人当てゲームだ。主な概要としては役者たちがストーリーの登場人物たちを演じ、乗客に演劇のように話を展開する。しかしあるとき悲鳴が響きわたり、そのうちの1人が死体で発見されてしまう。その後の登場人物たちの証言などから本当の犯人を当てる参加型のゲームなのだ。これがかなり好評で、いつも満員御礼の保存鉄道も少なくない。

 

ほかにも1940年代の戦時中を再現したものもあり、当時の軍服を着た方や戦線へ派遣される兵士のコスプレをした方なども参加する。さらに大規模な保存鉄道だとクラシックカーの展示会や第二次世界大戦で活躍した戦闘機によるデモ飛行も行われ、当時にタイムスリップしたような気分になる。

↑セバーン・バレー鉄道の1940年代テーマの運行日では当時の英首相、ウィンストン・チャーチルの仮装をする方も現れた

レトロな空間で豪華な食事「ディナートレイン」

保存鉄道のもう1つの大きな魅力は車内での食事だ。レトロな装飾をまとった客車の中でふかふかの椅子に座りながら、ゴトゴトと蒸気機関車が牽く列車でフルコースの食事が堪能できる。イギリスと日本から昔ながらの食堂車がほぼ消えてしまったいま、このように再び旅情あふれる体験ができるのが売りだ。ドレスコードがありスーツやドレスを着用しなければならない高級なディナーから、カジュアルな服装でリーズナブルな値段で参加できるランチなど幅広い種類がある。

↑ウェスト・サマーセット鉄道の食堂車の様子。通常は予約が必要だが、この食堂車は一般の列車についており、気軽に食事が楽しめる

 

↑保存鉄道のディナー列車で提供されるメニューの一例。ラムロースにポテトと旬の野菜

 

このほかにも伝統的なイギリスと紅茶とお菓子を堪能できるアフタヌーンティーが提供される列車や、地ビールやエールなどが生で飲める「Ale Train(エール・トレイン)」なども頻繁に運行されており、保存鉄道を訪問した際には食事も楽しむことをおすすめする。

↑一部の列車ではビュッフェカウンターがあり、ドラフトビールや地元のエール酒などが堪能できる

 

このようにイギリスの保存鉄道は様々な楽しみ方があり、列車が特別好きな人でなくても十分に満足できるだろう。もし一度イギリスを訪問する機会があれば近くの保存鉄道へ寄ってみてほしい。そこにはきっとほかでは味わえない世界が広がっている。

↑ノース・ヨークシャー・ムーア鉄道のゴースランド駅で発車を待つSL。ここの駅は「ハリー・ポッター」シリーズの映画で登場し、人気スポットとなっている

 

オススメの保存鉄道8選

魅力的な場所はイギリス全土に広まっているが、こちらでは筆者のオススメの保存鉄道8選を紹介する。

1- セバーン・バレー鉄道(Severn Valley Railway):その名の通りイギリス最長のセバーン川の中流に沿って線路が引かれている。豊富な客車類と大規模なガーラが魅力。途中のハイリー駅の博物館も必見。http://www.svr.co.uk/

2- スワネッジ鉄道(Swanage Railway):海岸のリゾート、スワネッジを起点とする保存鉄道。近くの海岸線は恐竜の化石がよく見つかるため「ジュラシック・コースト」と呼ばれており、様々な興味深い地形や地層が観測できる。https://www.swanagerailway.co.uk/

3- グレート・セントラル鉄道(Great Central Railway):一部複線区間を保有する大規模な保存鉄道。せわしなく蒸気機関車が動き回り、まるで現役当時の様子を見ているよう。ここのダイニング列車はお手頃な値段で楽しめる。http://www.gcrailway.co.uk/

4- ブルーベル鉄道(Bluebell Railway):イングランド南部に位置し、ロンドンから気楽に日帰りで訪問できる。19世紀に製造され未だに乗客を運ぶ蒸気機関車と客車は必見。https://www.bluebell-railway.com/

5- ノース・ヨークシャー・ムーア鉄道(North Yorkshire Moor Railway):ヨークシャーの丘陵地帯の国立公園の中を通る鉄道。素晴らしい眺めが拝める他、夏季にはフィッシュ・アンド・チップスが有名な港町、ウィットビーに乗り入れる。「ハリー・ポッター」シリーズの撮影に使用されたゴースランド駅も人気。https://www.nymr.co.uk/

6- ダートマス蒸気鉄道(Dartmouth Steam Railway):イングランド南西のダート川の河口を目指す鉄道。汽船などにも乗れて一日満喫できる。https://www.dartmouthrailriver.co.uk/explore

7- ウェルシュ・ハイランド鉄道(Welsh Highland Railway):ウェールズのナローゲージ鉄道の一つ。可愛らしい客車に揺られて眺めるウェールズの山々は絶景。展望車の一等席にも追加料金で乗れる。http://www.festrail.co.uk/

8- ビーミッシュ博物館(Beamish Museum):北イングランドに位置する20世紀初頭の街を再現した野外博物館。街中には保存された昔ながらの二階建ての路面電車やバスが走っており、タイムスリップした気分になれる。上記の保存鉄道とは異なるが訪問をおすすめする。http://www.beamish.org.uk/

西武鉄道の路線網にひそむ2つの謎――愛すべき「おもしろローカル線」の旅【西武国分寺線/西武多摩湖線/西武多摩川線】

おもしろローカル線の旅~~西武国分寺線/西武多摩湖線/西武多摩川線~~

 

東京都と埼玉県に路線網を持つ西武鉄道。その路線を地図で見ると、ごく一部に路線が集中して設けられている地域がある。一方で、ポツンと孤立して設けられた路線も。これらの路線網のいきさつを調べ、また訪ねてみると、「おもしろローカル線」の旅ならではの発見があった。

 

今回は、西武鉄道の路線網の謎解きの旅に出かけてみよう。

 

【謎その1】国分寺駅のホームは、なぜ路線で場所がちがうのか

下の地図は、西武鉄道の東京都下の路線図である。都心と郊外を結ぶ西武新宿線と西武池袋線、西武拝島線の路線が設けられる。東西にのびる路線と垂直に交わるように、南北に西武国分寺線と西武多摩湖線という2本の路線が走っている。

起点となる駅は国分寺駅で同じだが、国分寺線は東村山駅へ。その先、西武園線に乗り継げば西武園駅へ向かうことができる。一方の多摩湖線は萩山駅を経て、西武遊園地駅へ向かう。両路線はほぼ平行に、しかも互いに付かず離れず線路が敷かれている。途中、国分寺線と多摩湖線は八坂駅付近で立体交差しているが、接続する駅はなく、乗継ぎができない。

↑西武国分寺線とJR中央線の電車が並走する国分寺駅付近。路線を開業した川越鉄道は中央線の前身、甲武鉄道の子会社だった。以前は連絡線があり貨車の受け渡しも行われた

 

さらに、不思議なことに国分寺線と多摩湖線が発着する国分寺駅は、それぞれのホームが別のところにあり線路がつながっていない。国分寺線のホームはJR中央線のホームと並んで設けられているのに対し、多摩湖線の国分寺駅は、やや高い場所にある。同じ西武鉄道の駅なのに、だ。どうしてこのように違うところにあるのだろうか。

↑西武多摩湖線は、西武国分寺線よりも一段高い位置に設けられる。4両編成用のホームが1面のみでシンプルだ。駅に停まっているのは多摩湖線の主力車両、新101系

 

【謎解き】路線開発を競った歴史が複雑な路線網を生み出した

謎めく路線が生まれた理由は、ずばり2つの鉄道会社が、それぞれ路線を設け、延長していったから、だった。

 

国分寺線と多摩湖線の2本の路線の歴史を簡単にひも解こう。

◆西武国分寺線の歴史
1894(明治27)年 川越鉄道川越線の国分寺駅〜久米川(仮)駅間が開業
1895(明治28)年 川越線久米川(仮)駅〜川越(現:本川越)駅間が開業
*川越鉄道は後に旧・西武鉄道となり、1927(昭和2)年に東村山駅〜高田馬場駅間に村山線(現・西武新宿線)を開業させた。

◆西武多摩湖線の歴史
1928(昭和3)年 多摩湖鉄道多摩湖線の国分寺駅〜萩山駅間が開業
1930(昭和5)年 萩山駅〜村山貯水池(現・武蔵大和)駅間が開業
*多摩湖鉄道の母体は、堤康次郎氏(西武グループの創始者であり衆議院議員も務めた)が率いた箱根土地。経営危機に陥った武蔵野鉄道(現・西武池袋線)の再建に乗り出し、株を取得。1940(昭和15)年、武蔵野鉄道が多摩湖鉄道を吸収合併し、同じ会社となった。

 

川越線(現・国分寺線)を運営していた旧・西武鉄道陣営と、多摩湖線を含む武蔵野鉄道陣営の競り合いはすさまじかった。

 

武蔵野鉄道が1929(昭和4)年に山口線(現・西武狭山線)の西所沢駅〜村山公園駅(のちに村山貯水池際駅と改称)間を開業、また1930(昭和5)年1月23日に多摩湖鉄道が多摩湖線の村山貯水池(仮)駅まで路線を延ばした。すると1930年4月5日には旧・西武鉄道が東村山駅〜村山貯水池前(現・西武園)駅間に村山線を延伸、開業させた(現在の西武園線)。1936(昭和11)年には、多摩湖鉄道が0.8kmほど路線を延ばし、村山貯水池により近い駅を設けている。

↑1930(昭和10)年ごろの旧・西武鉄道の路線案内。すでに多摩湖線が開業していたが、熾烈なライバル関係にあったせいか多摩湖線や武蔵野鉄道の路線が描かれていない

 

村山貯水池(多摩湖)の付近には、似たような名前の駅が3つもあり、さぞかし当時の利用者たちは、面食らったことだろう。両陣営の競り合いは過熱し、路線が連絡していた所沢駅では乗客の奪い合いにまで発展したそうだ。

↑東京市民の水がめとして1927(昭和2)年に設けられた村山貯水池(多摩湖)。誕生当時は、東京市民の憩いの場にもなったこともあり路線の延長が白熱化した

 

村山貯水池を目指した激しい戦いの痕跡が、いまも複雑な路線網として残っていたわけである。

 

そんなライバル関係だった両陣営も、1945(昭和20)年に合併してしまう。会社名も西武農業鉄道と改め、さらに現在の西武鉄道となっていった。

 

【補足情報その1】両路線とも本線系統とは異なる古参車両が運用される

筆者は、西武鉄道の路線が通る東村山市の出身であり、国分寺線や多摩湖線は毎日のようにお世話になった。いまもそうだが、国分寺線や多摩湖線は、西武鉄道のなかではローカル線の趣が強い。西武池袋線や西武新宿線といった本線の運用から離れた、やや古めの車両が多かった。

 

子ども心に、新しい電車に乗りたいと思っていたものだが、やや古い車両に乗り続けた思い出は、いまとなっては宝物となって心に残っている。そのころに撮影したのが下の写真2枚だ。

↑国分寺線を走る351系(1970年ごろ)。同車両は西武鉄道としては戦後初の新製車両として誕生した。晩年には大井川鐵道に譲渡され、長年にわたり活躍した

 

↑西武園線を走るクハ1334。西武鉄道では急速に増える沿線人口に対応するため、国鉄から戦災車両の払い下げを受け再生して使った。クハ1334もそんな戦災車両を生かした一両

 

現在、多摩湖線を走るのが新101系。西武鉄道の車両のなかで唯一残る3扉車で、1979(昭和54)年に登場した車両だ。40年近く走り続ける、いわば古参といえるだろう。

↑多摩湖線の車両は新101系のみ。写真のような黄色一色、先頭車がダブルパンタグラフという新101系や、グループ企業の伊豆箱根鉄道カラーの車両も走っていて楽しめる

 

一方の国分寺線や西武園線は2000系。西武初の4扉車として登場し、こちらも40年にわたり走り続けてきた。国分寺線には2000系のなかでも角張ったスタイルの初期型の2000系も走っている。古参とは言っても、それぞれ内部はリニューアルされ、乗り心地は快適だ。

↑国分寺線の主力車両は2000系。写真は初期の2000系で、角張った正面に特徴がある。この初期型も最近になって廃車が進みつつある

 

多摩湖線には、レトロな塗装車も走っているので、そんな車両に乗りに訪れるも楽しい。

 

【補足情報その2】国分寺線と多摩湖線のおすすめの巡り方は?

昭和初期に生まれた国分寺線と多摩湖線をどう乗り継げば楽しめるだろうか。手軽に楽しめるルートを2パターン紹介しよう。

 

◆ルート例1
国分寺駅(多摩湖線) → 萩山駅 → 西武遊園地駅 →(西武レオライナーを利用)→ 西武球場前駅 → 所沢駅 → 東村山駅 → 国分寺駅
*多摩湖線の電車は国分寺〜西武遊園地間を直通する電車と、国分寺〜萩山間を走る電車がある。

◆ルート例2
国分寺駅(多摩湖線) → 萩山駅 → 西武遊園地駅 →(徒歩10分)→ 西武園駅 → 東村山駅 → 国分寺駅
*西武園〜国分寺間は、直通電車の本数が少ないので、東村山駅での乗換えが必要となる。

 

ちなみに西武園駅から徒歩約10分の北山公園では6月17日まで菖蒲まつりが開かれている。駅からは八国山緑地などを散策しつつ歩けるので、訪ねてみてはいかがだろう。

↑西武遊園地駅と西武球場前駅を結ぶ西武レオライナー(西武山口線)。大手私鉄で唯一の案内軌条式鉄道(AGT)が走っている。古くはこの路線をSLや、おとぎ電車が結んでいた

 

↑北山公園は狭山丘陵すぐそばにある自然公園で、初夏には200種類8000株(約10万本)の花菖蒲が咲き誇る。6月17日までは菖蒲まつりが開かれ多くの人で賑わう

【謎その2】西武鉄道の路線網とは離れた「孤立路線」はなぜ生まれたのか

西武鉄道の路線図を見るとJR中央線の北側にほとんどの路線が広がっている。そんななか、唯一、JR中央線から南に延びる線がある。それが西武鉄道多摩川線だ。

路線距離は8km、駅数は6駅と路線は短い。西武鉄道の本体と離れた「孤立路線」がどうして生まれたのか、また孤立している路線ならでは、手間がかかる実情を見ていこう。

↑西武多摩川線を走る電車はすべてが新101系。標準色のホワイトだけでなく、写真のようにレトロなカラー(赤電と呼ぶ塗装)も走っていて西武鉄道のファンに人気だ

 

【謎解き】西武鉄道が計画してこの路線を開業させたわけではない

西武多摩川線の元となる路線が開業したのは、境(現・武蔵境)駅〜北多磨駅間が1917(大正6)年のこと。1922(大正11)年には是政駅まで線路が延ばされた。路線を造ったのは多摩鉄道という鉄道会社だった。

 

その後、1927(昭和2)年に旧・西武鉄道が多摩鉄道を合併した。1945(昭和20)年の、武蔵野鉄道と、旧・西武鉄道の合併後は、西武鉄道の路線となり、いまに至っている。要は西武鉄道が計画してこの路線を開業させたわけでなく、鉄道会社同士が合併を進めたなかに、この路線が含まれていたというわけだ。

 

この路線は多摩川の砂利の採取が主な目的として造られたが、すでに西武多摩川線での貨物輸送はなくなり旅客輸送のみ。沿線に競艇場や複数の公園が点在することもあり、レジャー目的で利用する人も多い。

 

【補足情報その1】赤や黄色いレトロカラーの電車がファンの心をくすぐる

西武多摩川線を走る車両は新101系のみ。多摩湖線と同じ車両だ。新101系はホワイトが標準色となっている。この標準色に加えて、西武多摩川線では、鉄道ファンに「赤電」の名で親しまれた赤いレトロカラー(1980年ごろまで多くの車両がこのカラーだった)と、新101系が登場したころの黄色いレトロカラーというレアな色の2編成も走っている(2018年6月現在)。

↑新101系のレトロ塗装車。同車両が登場した当時の色に塗り直され、赤電塗装の車両とともに西武多摩川線の人気車両になっている

 

この2編成のカラーは、西武鉄道のオールドファンに特に人気で、懐かしいレトロカラーの電車をひとめ見ようと沿線に訪れる鉄道ファンも目立っている。

 

【補足情報その2】JR中央線との接続は便利だが、京王線との乗換えはやや不便

西武多摩川線の起点駅は武蔵境駅。JR武蔵境駅と同じ高架路線の駅となっている。乗継ぎ改札口を利用すれば、JR中央線との乗換えは便利だ。

↑西武多摩川線の起点となる武蔵境駅。JRの駅と並ぶように高架下に設けられている。こちらは自由通路側の改札口だがJR中央線との乗換え口がほかにある

 

電車は平日、休日に関わらず10分間隔で発車している。武蔵境駅から終点の是政駅まで12分あまりだ。車窓からは、武蔵野らしく畑地のほか、野川公園など三多摩地区を代表する公園も点在し、四季を通じて楽しめる。

 

途中、白糸台駅が京王線の武蔵野台駅との乗換駅になる。ただし、乗換えはやや不便で、徒歩6分ほどかかる。白糸台駅の駅舎が京王線の武蔵野台駅側とは逆側のみのためだが、この位置関係がちょっと残念に感じる。ちなみに白糸台駅には車両基地があり、仕業点検など簡単な整備や清掃はここで行われる。

 

そして終点の是政駅へ。この駅は多摩川のすぐ近くにあり、裏手に土手があり、のぼればすぐに多摩川河畔となる。

↑終点の是政駅の先にはバラスト用の砂利や、レールの置き場があり、その区間のみ線路が延びている。かつてこの先が多摩川まで延び砂利運搬用に利用されていたのだろうか

 

↑是政駅を出たすぐ裏手に多摩川があり、土手からはJR南武線や、武蔵野貨物線の橋梁が見える。長い間、河畔では砂利採集が行われ西武鉄道多摩川線で運搬されていた

 

【補足情報その3】鉄道ファンにとっては隠れた人気イベント!? 孤立路線ならではの苦労

西武多摩川線には白糸台に車両基地があるが、この基地では本格的な整備を行っていない。そのため、西武鉄道の路線内にある車両検修場まで運び、検査や整備をしなければいけない。そのあたりが孤立路線のために厄介だ。

 

武蔵境駅には、JR中央線との連絡線がある。車両は通ることはできるが、西武鉄道の電車がJRの路線を自走することはできない。そこで「甲種輸送」という方法で、輸送が行われる。JR貨物に輸送を委託、JR貨物の電気機関車が西武鉄道の電車を牽引して運ぶのだ。

 

そのルートは、武蔵境駅 →(中央線を走行)→ 八王子駅(進行方向を変える) →(中央線・武蔵野線を走行)→ 新秋津駅付近 →(西武池袋線への連絡線を走行)→ 所沢駅 → 武蔵丘車両検修場 という行程になる。
また、整備を終えた車両や交代する車両は、その逆で西武多摩川線へ戻される。

 

約3か月に1回の頻度で行われるこの「甲種輸送」。JR貨物の電気機関車が西武鉄道の電車を牽くシーンが見られるとあって、鉄道ファンには隠れた人気“イベント”にもなっている。

↑武蔵境駅の先でJR中央線への連絡線が設けられている。検査や整備が必要になった車両は連絡線を通りJRの路線経由で西武鉄道の車両基地へ「甲種輸送」されている

 

↑西武多摩川線用の新101系の「甲種輸送」の様子。JR路線内では西武鉄道の電車は自走できないため、JR貨物の機関車に牽かれて運ばれる

 

明るすぎるLED看板から動画まで… 高速道路沿いの「看板」にはどんな規制がある?

高速道路を通過する車に向けて掲出される屋外広告物にはどのような規制があるのだろうか?最近増えてきた、LED看板の中にはかなり明るかったり、動画が表示されるものがあったりと、高速で運転中にちょっと気になるものもある。

■首都高速沿線では、掲示できる広告にはどんな規制がある?

東京都都市整備局都市づくり政策部緑地景観課が作製した「屋外広告物のしおり」には、都市高速道路(首都高速道路)の沿道における屋外広告物を以下のように規制している。

 

★都市高速道路沿道の規制~一般的な規制
道路境界線から両側 50m以内で、道路の路面高から高さ 15m以下の空間が禁止区域となっている(下図参照)。高速道路が上下線等で二段以上の場合は、各路面高から 15m以下の空間が禁止区域となるそうだ。

上記のような規制があるが、実際は以下の写真のように道路境界線から20-30m程度の距離でも数多くの広告物が掲出されている。これは、商業地域など許可区域に相当するエリアであれば50m以内でもOKということらしい。

上の写真を上記の図に照らし合わせると、桜十字、日立物流の看板がビルの屋上に設置されているので「B」、「患者優先の医療」を目指して~という看板がビルの途中に掲げられているので「A」となる。また、路面より15m以上のエリアということであれば、下の写真が分かりやすい。確かにどの広告看板も上の方に掲げられている。

ちなみに、首都高速の中でも、湾岸線に関しては湾岸線道路(本線)境界線から両側 100m以内が禁止区域となっている。

 

■低層住居専用地域の場合は?

首都高速沿線でも、広告が出せない場所がある。それは、沿道や第1種・第2種低層住居専用地域などに設定されているエリアだ。さらに、中高層住居専用地域、旧美観地区、風致地区等、第1種文教地区等の周辺 50mの区域(商業地域にかかる部分を除く。)では、路面高より上の空間がすべて禁止区域になるケースもある。広告看板を出すことで美観を損なうようなエリアでは首都高速沿線であっても掲示が禁止されている。しかし、例外もある。「自家用広告物」(自己の住所や事業所に店名や商標などを表示する)に関しては、光源を使用せず規定の面積以下に収まっていれば、申請なしで広告を出すことが可能となっている。

 

■2~3年前から増えてきた、デジタルLED看板に関する規制はある?

近年、LED光源を使ったデジタル看板を良く見かける。首都高速の沿線にも明るく巨大な看板が増えてきたように思う。中には、かなり明るい看板もあり、それにストレスを感じるドライバーもいるのではないだろうか?光量や明るさに関しての規制はあるのだろうか?前述した東京都の「屋外広告物のしおり」をざっと読んでみても、光源を使った看板については、

 

・赤や黄色の光はNG
・光源が点滅するものはNG

 

などの規制があるだけで、光量についての規制を見つけることができなかった。もしかして光量に対する規制はない?都内でLED看板を扱う会社に聞いてみたところ……

 

「屋外広告物条例には光量に関する規定はありませんが、当社が掲出しているLED看板につきましては、周りの明るさに応じて輝度を自動調整する輝度センサーがすべてについていますので、ドライバーの方に対して明るすぎないよう調整されています。ですが、中には日にちや時間などに合わせて一律に輝度が調整されるものもあります。天気や周囲の明るさには関係なく輝度が調整されるので、昼間でも雨や曇りの日などは明るすぎると感じることがあるかもしれませんね。」(LED看板を扱う会社)

 

ちなみに、以下の広告は首都高速3号線沿線に掲出されているLED看板である。筆者は同じ日の13時頃と21時頃にこの場所を通過し(助手席乗員が撮影)したのだが、実際に見て明るいなとは思っても、不快になるまぶしさは感じなかった。周囲の明るさに合わせて輝度調整されるタイプなのだろう。

しかし、同じ日の20時45分頃通過した首都高都心環状線沿いにあるLED看板は非常にまぶしく感じた。周囲に明るいビルや照明がない場所だったからか、幻惑するくらいの明るさだった。こちらは輝度の自動調整ができないタイプの看板だったのだろうか。思わず目をそむけたくなるほどのまぶしさだ。

 

「明るければ確かに目立ちますし、印象に残るかもしれませんが、その広告がまぶしすぎて不快と感じてしまうほどになると、広告のイメージも、広告を出す企業に対してもイメージが悪くなります。それはクライアント様にとっても良くないことです。首都高を走る車をターゲットとした広告であれば、運転に支障がないよう、不快感を与えないよう細心の注意を払ってLED看板を作ることが大切だと思っています」(同)

 

なお、同じ高速道路でも都市高速と東名高速などのいわゆる高速道路とではまた規制が異なってくる。

 

東京都内の中央高速道路を例に挙げると
「起点から調布市内まで→道路(本線)の中心線から両側 200m以内」
「調布市内から日野市内まで(用途地域指定のある地域)→道路(本線)の中心線から両側 300m以内」
「調布市内から日野市内まで(用途地域指定のない地域)→道路(本線)の中心線から両側 500m以内」
は屋外広告物の掲出は禁止されている。

 

広告物の設置場所については意外と細かく規定がある模様。今はまだ、規制のない「広告物の明るさ」についても、LED看板が増えてくれば何らかの規制が掛かってくる可能性も大きい。首都高を走行中、いやでも視界に飛び込んで来るLED看板がまぶしすぎるのは大変困るし、「目をそむけたくなる」看板なら広告としての効果も半減しそうだ。

 

【著者プロフィール】

自動車生活ジャーナリスト 加藤久美子

山口県生まれ 学生時代は某トヨタディーラーで納車引取のバイトに明け暮れ運転技術と洗車技術を磨く。日刊自動車新聞社に入社後は自動車年鑑、輸入車ガイドブックなどの編集に携わる。その後フリーランスへ。一般誌、女性誌、ウェブ媒体、育児雑誌などへの寄稿のほか、テレビやラジオの情報番組などにも出演多数。公認チャイルドシート指導員として、車と子供の安全に関する啓発活動も行う。愛車は新車から19年&24万キロ超乗っているアルファスパイダー。

「モンキー」の復活が待ちきれない人のための基本情報おさらい

半世紀近く愛され続け、昨年8月にその歴史に一度幕を下ろした「ホンダ モンキー」。伝説の名機が、7月12日に125ccへとパワーアップを遂げて復活します。ここでは、そんな大注目のモデルを改めて紹介します。

 

遊び心のあるデザインはそのままで125ccにパワーアップして復活!

ホンダ

モンキー 125

39万9600円〜43万2000円

遊び心のあるデザインを踏襲しつつ、パワフルかつ扱いやすい125㏄エンジンを搭載したことで利便性と快適性がアップ。バネ下重量を軽減する倒立フロントフォークやディスクブレーキを採用し、安全性も確保されています。

SPEC●全長×全幅×全高:1710×755×1030㎜●車両重量:105㎏●パワーユニット:124㏄空冷4ストロークOHC単気筒エンジン●最高出力:9.4PS/7000rpm●最大トルク:1.1㎏-m/5250rpm●カタログ燃費:67.1㎞/ℓ

 

スタイルを踏襲しながら走行性能は革新的に進化

1967年に国内向け市販モデルが登場して以来、ホンダ・モンキーはクラシカルでキュートなフォルムと高い機動力で、若者を中心にヒット。原動機付き自転車の先駆けとして、約50年にわたって愛されてきました。昨年8月にその歴史に幕を下ろし、いまだ余韻も残るなか、125㏄にパワーアップしたモンキー 125が発表されました。

 

注目は、革新的に進化した走行性能。エンジンは空冷式の4ストローク単気筒に4速マニュアルトランスミッションを組み合わせ、痛快な走りを楽しめます。また、電子制御により理想的な燃焼をアシストする技術を採用し、効率の良いエンジンのパフォーマンスを実現。さらに、上位モデルのブレーキシステムには、高精度な制動を実現するABSを装備しています。

 

↑パールネビュラレッドとバナナイエローの2色展開。125ccとなりましたがレトロポップなデザインはそのままです

 

一方で、車両はやや大型化したものの、元々の魅力であるクラシカルなデザインを踏襲。ヘッドライトやフューエルタンク、サイドカバー、シートなどに見られる「モンキーらしさ」は健在で、オールドファンも納得できる仕上がりです。

 

運転には小型二輪免許が必要となりましたが、原付のように時速30㎞の速度制限や二段階右折を必要としない点は、特に都市部において大きなメリット。また、自家用車を所有する人なら「ファミリーバイク特約」を使えば、125㏄以下のバイクは格安の保険料で済むことも購入への追い風となります。

■今回のモンキーはここが進化!

その1「ヘッドライト」

クラシックスタイルでも最新のLEDを採用

独立した小型のヘッドライトケースはクラシカルなスタイルですが、LEDはロー/ハイビームの切り替えに対応する最新のものを採用。視認性を確保しています。

 

その2「タイヤ&ホイール」

快適さとキビキビとした走りを両立

“モンキーらしい”12インチの極太タイヤを、Y字スポークデザインのアルミキャストホイールにセット。快適な乗り心地でリラックスしながらも、キビキビした走りを楽しめます。

 

その3「フューエルタンク」

定番の台形デザインは容量を確保

丸みを帯びたユニークな台形デザインは、1967年のZ50Mから続く定番スタイル。ウイングマークをあしらったエンブレムが特徴です。容量は5.6ℓで、カタログ上は約376㎞走行可能となっています。

 

その4「シート」

厚さと広さを確保して座り心地は快適

125㏄となりましたが乗車定員は1名のままとしてデザインをキープ。タックロールデザインで厚みのあるクッションは座り心地が良く、座面の広さも魅力です。

 

その5「サスペンション」

最新技術の採用で快適な走りを実現

スチール製モノバックボーンフレームを基本に、倒立式のフロントフォークとツインリアショックを採用。路面への優れた追従性を実現し、様々なシーンで快適な走りを楽しめます。

 

その6「ブレーキ」

安心感のある安定した制動フィール

フロント・リアともに油圧式のディスクブレーキ。上級モデルでは、フロントのみABS(アンチロック・ブレーキ・システム)を採用し、より安心感のある制動力を発揮できます。

 

その7「エンジン」

ストレスのない加速を実現する

125㏄となった空冷式4ストロークOHCエンジンは、単気筒ならではの広域に渡るトルクフルな出力特性で、ストレスのない加速を実現。痛快な走りと、経済性・環境性を両立します。

■知られザル、モンキーの進化の歴史

モンキーのルーツは、かつてホンダ系列の企業が運営していた遊園地・多摩テックの遊具にあります。60年近くにおよぶ進化の歴史をたどりました。

 

【1961年発売】子どもから人気を博した“始祖”

Z100

テーマパークの遊具として製造されたモンキーの“始祖”。5インチのタイヤをリジットフレームに搭載しています。子どもたちから絶大な人気を誇りました。

 

【1963年発売】道走行仕様は海外でヒット

CZ100

公道での走行に対応させたモデルチェンジ版。翌64年から行った海外への輸出販売が好評だったことから、国内向け仕様の開発が始まりました。

 

【1967年発売】国内向け初の市販モデル

Z50M

国内の公道向けとして登場した初代市販モデル。初めて「モンキー」と名付けられました。5インチタイヤにリジッドサスという構成で、エンジンは50㏄です。

 

【1969年発売】車体が大型化しパワーアップ

Z50A

ハンドルの折りたたみ機構を継続しつつ、車体を大型化。タイヤサイズも8インチに拡大され、エンジン最高出力は2.6PSへとパワーアップしました。

 

【1970年発売】フロントフォークが脱着可能に

Z50Z

Z50Aがベースのマイナーチェンジモデル。フロントフォークが脱着式となり、リアブレーキが右ペダルへと変更されました。マフラーはアップタイプに。

 

【1978年発売】約30年に渡るロングセラーに

Z50J-I

ティアドロップ型5ℓ燃料タンクを搭載。発売以降、約30年に渡ってロングセラーモデルとして活躍します。同時期に兄弟モデルのゴリラが登場しました。

 

【2009年発売】排出ガス規制に対応した最後の小猿

JBH-AB27

07年に施行された排出ガス規制に適合させるため、約30年ぶりにフルモデルチェンジを果たした最後の“小猿”。17年夏に惜しまれつつ生産終了しました。

ヤマハが1億5000万円のボートを発売、レクサスも市場参入! 「高級ボート」市場が盛り上がる理由

ボート市場が活性化している。一般社団法人日本マリン事業協会によると、2017年のモーターボート、船外機メーカーの合計出荷額は2007年のリーマンショック前を上回る約1926億円であった。国内市場だけを見ても、モーターボート、水上バイク、船外機の国内出荷金額は約266億円、前年比約108%の伸びを見せている。その中でもモーターボートは前年比約112%と伸び率が大きく、特に10m以上の大型モーターボートの伸び率が大きい。

ヤマハ発動機が発表した高級ボート「EXULT43(イグザルト43)」。メーカー希望小売価格は1億4936万4600円

 

ボート市場が活性化している理由は一つではない。その理由を見ていくと、混沌とした「今」という時代を生きる企業や消費者の姿が見えてくる。

EXULT43のメインサロン。これとは別にキングサイズベッドを備えたオーナーズルームも用意。定員は15名。出典:ヤマハ発動機「EXULT43」HP

 

■ボート市場活性化の理由1〜日本経済の現状〜

なぜボート市場が活性化したのかを知るためには、購入者層を見てみるとわかるだろう。この点についてヤマハ発動機に話を伺った。大型ボートは、製造業や建設業、サービス業などの企業が購入するケースが増えてきており、数年前に比べると、現金支払いの割合が増加してきているそうだ。いわば、昨今の日本経済で好調と呼ばれる企業を中心にボートが購入されているということだ。

 

企業の景況感を示す業況判断指数(日本銀行 全国短期経済観測調査より)は、2017年12月まで5四半期連続で上昇していたように、企業の業績は改善傾向が続いていた。その中で製造業や建設業などの業種の業績も良かったのだ。売上や利益が当初の計画以上に良かった企業が、ボートを購入しているシーンが見えてくる。

 

■ボート市場活性化の理由2〜日本人の意識とライフスタイルの変化〜

ではなぜボートが選ばれるようになったのだろうか。そこから見えるのは、単に大きな費用を使えるようになったという「お金」の話だけではない。日本人の意識とライフスタイルのゆるやかな変化も背景に見えてくる。その一つが”自然”を生活に取り入れたいという傾向の増加だろう。

 

例えば、昨今のグランピングやキャンプのブームは、その一例であろう。平日は都市部で仕事や生活をしながら、休日はグランピングやキャンプで”自然”を楽しむというひとが増えている。手軽に”自然”を生活の中に取り入れている。

 

また都市部を離れて自然ある生活を選択する人も増えてきた。例えば、徳島県の神山町では、2000年頃から光ファイバーを整備したことにより、ITベンチャー企業などがオフィスを構えるようなり、神山町で働く人が増加した。また岡山県の西粟倉村では、地元の林や川など自然と関わる企業が多く誕生したことで、多くの人が移住し、働いている。移住してきた人の中には、日本を代表する大企業を退職し、働いている人たちもいる。

 

また普段は東京で生活しているが、夏は避暑地である軽井沢などを生活の拠点とし、新幹線で通勤するスタイルを選ぶ人たちや、海を感じながら暮らすために逗子や葉山に引越し、そこから東京へ出勤しているという人の話を聞くことも多くなった。

 

ボートは海に出て”自然”を全身で満喫することができる。ボートの売上が増加した背景には、”自然”の素晴らしさを、より身近に感じたいという人たちが増えていることがあるのだ。企業で購入したボートは、取引先などとの関係性向上に使われるだけでなく、社員の福利厚生としても有効だろう。

 

現在、政府が推進する「働き方改革」により、働き方の多様化が認められる空気が、これからますます社会、企業に浸透していけば、仕事以外の時間を充実させようという人がますます増えていくことだろう。そうなれば、もっと多くの人が”自然”を取り入れる生活をすることにも繋がるだろう。

 

■ボート市場活性化の理由3〜ブランド価値を高めたいメーカー〜

2019年、トヨタ自動車が展開している自動車ブランドのレクサスは、米国で約20mのボートを発売すると発表している。日本では2020年に発売される予定だ。なぜ、自動車ブランドであるレクサスがボート市場に参入するのだろうか。その裏には、ブランド価値を向上させたいレクサスの意向がある。

 

1989年に誕生したレクサスは世界の高級車市場では歴史が浅い。誕生以来、一貫してブランディングには力を入れてきたが、世界の高級車市場で選ばれるためのブランドを作ることは、そう簡単ではない。一時期、アメリカを中心に人気は高まり、売上も増加したものの、100年を超える歴史を持つヨーロッパの高級車のブランドのような存在には、すぐになることはできなかった。レクサスがボート事業に進出したのは、ブランド価値を高め、確固たるものにする目的が強い。

 

自動車ブランドでは、アストン・マーチンやブガッティなど多くの高級車ブランドがボート事業を手がけている。また、世界を代表するラグジュアリーブランドであるルイ・ヴィトンは世界的なヨットレース、アメリカズカップをスポンサードしており、船とラグジュアリーブランドの関係作りに影響を及ぼしているだろう。このように、さまざまな形で、船とラグジュアリーブランドの関連性は強く、だからこそレクサスはボート事業に参入したと言えるのだ。

 

こうした背景を元に、大型ボート市場のトップシェアを持つヤマハ発動機も、従来よりもさらに高級ボートにあたるEXULT43の発売を開始した。ブランドイメージを高めたい企業、売上を増加させたい企業、企業ごとに目的は異なるものの、ボート市場に魅力を感じている企業は増加している。消費者意識の変化もあり、今後ますます注目が必要な市場になりそうだ

 

【著者プロフィール】

マーケティングコンサルタント 新井 庸志

マーケティングコンサルタント。「ワールドビジネスサテライト」「スーパーJチャンネル」などのニュース、情報番組や「日本経済新聞」「日経ビジネス」「財界」「宣伝会議」など、新聞、雑誌での執筆多数。経営から広告・PR、営業、現場を知り抜いた幅広い知識と経験に裏打ちされたマーケティング視点でニュースやトレンドをわかりやすく解説。その他、各種団体、イベント、クライアント企業、広告会社などでセミナーや講演も行っている。 株式会社アサツーディ・ケイにて国際的なエレクトロニクス企業のアカウントを統括し、アジアパシフィック地区のディレクターを経験。数々の競合コンペによるアカウント獲得により、最高賞を含む社内表彰多数受賞。約15年の勤務後、外資系メディア企業にて広報関連のコンサルティングサービス業務のマネージャーに就任。2007年株式会社ホワイトナイトを設立。 企業への戦略立案、経営、PR、ソーシャルメディアまで、マーケティングに関するあらゆる側面からのサポートを提供し、確実に成果が出るコンサルティングは人気を博している。

 

Twitterアカウントは@yasushiarai

 

マーケティングの現状と未来を語る:http://yasushiarai.hatenablog.com/

【中年名車図鑑|初代 トヨタ・エスティマ】世界に類を見ない斬新で未来的なミニバン

北米市場で巻き起こった“ミニバン”ブームに対し、トヨタ自動車はプラットフォームからパワートレイン、内外装デザインに至るまですべてを新しくした次世代ミニバンを企画し、1989年開催の東京モーターショーで参考出品車として披露する。そして、翌年に市販モデルのアメリカでのリリースを開始し、やや遅れて日本での販売をスタートさせた――。今回は“新世代マルチサルーン”のキャッチを掲げて1990年に登場した新世代の国産ミニバン、「エスティマ」の話題で一席。

【Vol.71 初代 トヨタ・エスティマ】

1980年代後半の北米市場では、クルマの新しいムーブメントが出現していた。多人数が乗車できて、シートをたためば大容量の荷物が積載できる多機能なクルマ――いわゆる“ミニバン”の流行である。クライスラー・グループのダッジ・キャラバン/プリマス・ボイジャーを火付け役に、GMやフォードなども多様なミニバンをリリースしていた。この状況に目をつけ、北米だけではなく日本市場でもミニバンを展開しようと画策したのが、市場の動向を最重要視するトヨタ自動車だった。同社の開発陣は80年代中盤からオリジナルミニバンの企画を立ち上げ、北米市場のモデルのほか、欧州のルノー・エスパスなどを研究しながら開発を進めていった。

北米でのミニバンブームを受けて開発、日本でも発売すべく企画された次世代ミニバン。レイアウトもさることながら、丸みを帯びたデザインはエスティマの大きな特徴となった

 

■平床化のためにエンジンを横に75度寝かせる

従来の1BOXバンのワゴン化ではなく、ミニバン専用のシャシーを新設計するにあたり、開発陣は「可能な限り広くて使いやすい居住空間を構築する」さらに「乗用車と同レベルの走る楽しさを確保する」ことを目標に掲げる。これらを成し遂げるために編み出した手法は、床下に、しかもセカンドシート下部付近にエンジンをレイアウトするアンダーフロア型ミッドシップの車両レイアウトだった。さらにエンジン自体も横に75度寝かせて配置し、室内の平床化を実現した。

 

世界に類を見ないミニバンレイアウトの斬新さは、内外装でも表現された。アメリカのデザインスタジオであるCALTYが主導した基本スタイルは、ボンネットからAピラー、そしてルーフラインにかけてなだらかな弧を描き、さらにフロントマスクやサイドパネルにも丸みを持たせる。内装は鳥が羽根を広げたようなインパネデザインに連続性を持たせたドアトリムを構築して、未来的な造形と優しい包まれ感を創出した。全身で新世代ミニバンのオリジナリティを表現する――そんな開発陣の意気込みが、開発過程で随所に発揮されたのである。

広くて使いやすい居住空間、乗用車レベルの走りの楽しさを実現するため、シート下部にエンジンを75度寝かせて配置

 

■ミニバンではなく“新世代マルチサルーン”

トヨタの新世代ミニバンは、1989年に開催された第28回東京モーターショーで初陣を飾る。「プレビア」の名で参考出品されたミニバンは、その斬新なレイアウトを観客に披露するために、動くカットモデルまでも用意された。

 

1990年に入ると、まずアメリカ市場でミニバンの販売を開始する。同年5月には、「エスティマ」の車名で日本でのリリースも始まった。ちなみに、エスティマ(ESTIMA)の車名は英語で「尊敬すべき」を意味するESTIMABLEに由来。また、キャッチフレーズは当時の日本でまだミニバンの呼称が浸透していなかったことから、“新世代マルチサルーン”を謳っていた。

コクピットデザインも個性的だった。インパネからドアトリムへとつながるラインはあたかも鳥が羽を広げたような、伸びやかなデザイン

 

デビュー当初のエスティマは、2列目に独立式シートを装着した7人乗りだけをラインアップする。搭載エンジンは2TZ-FE型2438cc直列4気筒DOHC16Vユニットで、パワー&トルクは135ps/21.0kg・mを発生。トランスミッションにはウォークスルー性を重視してコラム式の電子制御式4速ATを組み合わせる。駆動方式はMRとなる2WD(車両型式はTCR11W)とビスカスカップリング付きフルタイム4WD(同TCR21W)が選択できた。ボディサイズは全長4750×全幅1800×全高1780~1790mm/ホイールベース2860mmの3ナンバー規格。サスペンションは前マクファーソンストラット/後ダブルウィッシュボーンの4輪独立懸架で仕立てる。また、2分割式サンルーフの“ツインムーンルーフ”やオーバーヘッドデュアルオートエアコン、CDプレーヤー付9スピーカー・5アンプの“エスティマ・ライブサウンドシステム”といった装備アイテムも話題を呼んだ。

 

■5ナンバーサイズのルシーダ/エミーナ投入

斬新なコンセプトで登場した新世代ミニバンのエスティマ。しかし、販売成績はデビュー当初を除いて予想外に伸び悩んだ。当時は一般ユーザーの注目が高性能なスポーツカーやステーションワゴン、クロカン4WDに集中しており、ミニバンの利便性はあまり理解されなかったのだ。また、日本市場では大柄なボディが、北米市場では2.4Lエンジンの非力さがウィークポイントとして指摘された。

 

開発陣は早速、エスティマのテコ入れ策を実施する。1992年1月には日本向けに5ナンバーのボディサイズ(全長を60mm、全幅を110mm短縮)とした「エスティマ・ルシーダ/エミーナ」を発売。1993年2月になると、ユーザーからの要望が多かった8人乗り(セカンドシートはベンチ式)のXグレードを追加する。同時にXグレードはリアサスを4リンク化するなど機能装備の一部を簡略化し、車両価格を安めに設定した。1994年8月にはスーパーチャージャー付エンジン(2TZ-FZE型。160ps)搭載車をラインアップ。1996年8月になると安全装備の拡充とグレード体系の見直しを図る。そして、1998年1月にはマイナーチェンジを敢行。スタイリングの変更や新グレードのアエラスの設定などで魅力度を高め、また新キャッチフレーズに“TOYOTAの天才タマゴ”と掲げた。

アンダーフロア型ミッドシップという凝ったメカニズムを採用したエスティマは、2000年1月にフルモデルチェンジを実施し、カムリ用のFFシャシーをベースとした第2世代に移行する。しかし、FFになっても先進ミニバンの地位は崩さず、ハイブリッドシステムの搭載など新機構を積極的に導入した。初代モデルのコンセプトから始まったトヨタ自動車の「先進ミニバン=エスティマ」の図式は、以後も着実に継承されていったのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【中年名車図鑑|初代 日産セフィーロ】「くうねるあそぶ」「お元気ですか~」CMで一世を風靡したハイソカー

“ハイソカー”と呼ぶ上級パーソナルカーが一世を風靡していた1980年代後半の日本。その最中に日産自動車は、スカイラインとローレルに続く第3のミドルサルーンを企画。1988年に「セフィーロ(CEFIRO)」の車名を冠して発売した――。今回はCMで井上陽水さんが発する「お元気ですか~」で一躍有名になったA31型の初代セフィーロで一席。

【Vol.70 初代 日産セフィーロ】

後にバブル景気と呼ばれる好況に沸いていた1980年代後半の日本の自動車市場。その状況下で高い人気を誇っていたのは、ミドルクラスに位置する上級パーソナルサルーン群、いわゆる“ハイソカー”といわれるクルマたちだった。このカテゴリーにスカイラインとローレルを投入していた日産自動車は、さらなるシェア拡大を狙って第3のミドルサルーンを企画する。意識したのは、最大のライバルであるトヨタ自動車のマークⅡ/チェイサー/クレスタの3兄弟。それぞれに固有のキャラクターを持たせてユーザーの熱い支持を集めていたトヨタの戦略に、真っ向から対抗しようとしたのだ。

マークⅡ3兄弟の競合車として誕生した“スタイリッシュ”なハイソカー。基本シャシーはスカイライン/ローレルと共用

 

新しいパーソナルサルーンのキャラクターについては、スカイラインのスポーティ、ローレルのラグジュアリーに対して、“スタイリッシュ”をキーワードに掲げる。エクステリアは「気分のよい時間を演出する美しく優しい“ナチュラルフォルム”」の創出がテーマ。ボディタイプは4ドアセダンに1本化し、そのうえでフロントバンパーからキャビン、リアバンパーに至るまで、豊かで流れの美しい面を個性ある表情でまとめあげた。空気抵抗係数(Cd値)についても、0.32というクラストップレベルの数値を実現する。さらに、ヘッドランプに4灯式プロジェクター、フロントグリルにクリスタル製カバー、ドアハンドルに流線型タイプを採用するなど、各部のアクセントにも大いにこだわった。一方でインテリアに関しては「くつろぎを感じさせる温かみのある室内」をテーマに、ダッシュボードやドアトリムなどを滑らかな曲線基調で構成する。また、前後シートには身体にフィットする一体成形のエルゴノミックシートを装着。スイッチやパッド類についても、人に優しい形状と触感に仕立てた。さらに、開発陣は内装素材の演出にも工夫を凝らし、モール糸を使用した洗練されたイメージの“モダン”、ホームスパン織物を使ったトラッドな“ダンディ”、ベロア調シンカーパイル編物を採用した“エレガント”という3種類の仕様を設定する。装備面では、世界初採用となる自動防眩ドアミラーなどを新たに組み込んだ。

 

走りについては、「走り、曲り、止まる」という基本性能を高次元でバランスさせることを主眼に置く。基本シャシーと駆動レイアウト(フロントエンジン・リアドライブ)は、スカイライン/ローレル系と基本的に共通。搭載エンジンはRB20DET型1998cc直列6気筒DOHC24Vインタークーラー付きセラミックターボ(205ps)を筆頭に、RB20DE型1998cc直列6気筒DOHC24V(155ps)、RB20E型1998cc直列6気筒OHC(125ps)という計3ユニットを用意した。組み合わせるトランスミッションは5速MTとE-AT(4速)の2タイプで、AT仕様には統合制御システムのDUET-EAを備える。サスペンション形式はフロントがマクファーソンストラット式で、リアがマルチリンク式。進化版4輪操舵システムのHICAS-Ⅱやスーパーソニックサスペンション+車速感応式電子制御パワーステアリングのDUET-SSといった先進機構も積極的に盛り込んだ。

 

■多彩な仕様が選べた「セフィーロ・コーディネーション」

エンジン、トランスミッション、サスから内装までさまざまなパーツを自由に選べる「セフィーロ・コーディネーション」を採用。内装素材は3種類、内装色は2種類からセレクト

 

日産の新しい上級パーソナルサルーンは、1988年9月に市場デビューを果たす。型式はA31。車名は“そよ風”“地中海に春をもたらす西風”を意味するスペイン語のCefiroにちなんで「セフィーロ」と名乗った。

 

A31型セフィーロの車種構成は、非常に凝っていた。一人ひとりのテイストにマッチした1台とするために、「セフィーロ・コーディネーション」と呼ぶオーダーメイド感覚のシステムを展開したのだ。ユーザーは3機種のエンジン、2機種のトランスミッション、3タイプのサスペンション(マルチリンク式リアサスペンション/同+DUET-SS/同+HICAS-Ⅱ)、3種類の内装素材、2種類の内装色、9種類の外装色のなかから自由に組み合わせを選択できた。グレード名としては一応、RB20DETエンジン搭載車がクルージング、RB20DEエンジン搭載車がツーリング、RB20Eエンジン搭載車がタウンライドを名乗り、DUET-SS仕様にはコンフォート、HICAS-Ⅱ仕様にはスポーツのサブネームがついたが、グレードを表すエンブレムなどは装備されなかった(室内のコンソールボックス内にのみグレードの表示ステッカーを貼付)。当時の日産スタッフによると「あまりにも選択肢が多く、ユーザーが迷うことが多かったため、スポーツなどの志向に分けた推奨コーディネーションを設定した」そうだ。

 

ちなみに、セフィーロはそのキャラクターを強調する手段として広告展開に力が入れられた。まず、発売のひと月ほど前からティーザーキャンペーンを実施。宗教学者の中沢新一さんや演出家の和田勉さんが「新しい日産を見るまでは、クルマは買えないね」、さらにシンガーソングライターの井上陽水さんが「どうもキーワードは“くうねるあそぶ”らしいですよ」というセリフを発する。市場デビューを果たしてからのメインキャラクターは井上陽水さんが務め、「お元気ですか~」のフレーズが一世を風靡した。

 

■マイナーチェンジで仕様展開を絞り込み

1990年1月に「オーテックバージョン」が加わる。PIAA製アルミホイール、エアロパーツ、本革シート等を装備していた

 

個性的なスタイリングや凝った車種構成、さらに「お元気ですか~」のCMなどで大注目を浴びたA31型セフィーロ。しかし、デビュー当初を除いて販売成績は予想外に伸び悩んだ。社会現象ともなったFPY31型セドリック/グロリア・シーマの人気の影に隠れた、ほぼ同時期に全面改良したX80型系マークⅡ兄弟の販売攻勢にかなわなかった、ボディタイプがハイソカーの定番である4ドアハードトップではなく4ドアセダンだった、セフィーロ・コーディネーションをフルに活用すると納期が長くかかった――要因は色々と指摘された。

 

テコ入れ策として日産のスタッフは、セフィーロの改良や車種設定の見直しを相次いで実施していく。1989年8月には、上級仕様の「エクセーヌ・セレクション」を設定。1990年1月には、子会社のオーテック・ジャパンがカスタマイズした「オーテックバージョン」をラインアップに加える。同年8月になると、力を入れたマイナーチェンジを実施。内外装の意匠変更や電装系のバージョンアップ、アテーサE-TS(4WD)仕様の設定、5速ATの追加などを敢行し、同時に納期のかかるコーディネーションの選択幅を縮小させた。

 

セフィーロの改良は、さらに続く。1991年8月には、安全装備の充実化やSVシリーズの新規設定を実施。1992年5月になると再度のマイナーチェンジが図られ、前後バンパーの大型化等による3ナンバーボディの採用やRB25DE型2498cc直列6気筒DOHC24Vエンジン(180ps)搭載車の設定などが行われる。このころになるとオーダーメイド感覚の路線は影を潜め、固定グレードの設定やグレードエンブレムの装着が施されるようになった。

 

内外装の演出から車種設定、さらに広告展開まで、様々な方策が試みられたセフィーロは、結果的に販売成績が回復しないまま、1994年8月にフルモデルチェンジが行われ、2代目となるA32型に移行する。その第2世代は、同社のマキシマを吸収合併する形のオーソドックスなFF(フロントエンジン・フロントドライブ)上級セダンに変身していた。パイクカーやシーマなどのムーブメントを巻き起こした日産の勢いとバブル景気の波が生み出したパーソナルサルーンの意欲作――。それが自動車史から見た初代セフィーロの真価なのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆

吊り革にコロッケ!? 愛すべき「おもしろローカル線」の旅【関東鉄道竜ケ崎線/東武小泉線】

おもしろローカル線の旅~~関東鉄道竜ケ崎線/東武小泉線~~

 

全国を走るローカル線のなかには、沿線に住む人以外に、ほとんど知られていない路線も多い。そうした路線に乗ってみたら、予想外に面白い発見がある。そんな「おもしろローカル線」を旅する企画、今回は北関東を走る2つの路線を訪れた。まずは茨城県龍ケ崎市内を走る関東鉄道竜ケ崎線から紹介しよう。

 

〈1〉関東鉄道竜ケ崎線(茨城県)の旅

路線距離わずか4.5km!! 街は「龍」ケ崎市、路線は「竜」ケ崎線という不思議

関東鉄道竜ケ崎線は、その距離わずか4.5kmという短い路線だ。関東鉄道といえば、取手駅〜下館駅を結ぶ常総線がよく知られている。あちらは51.1kmの路線距離があり、最近は、都心へのアクセスに優れたつくばエクスプレスが、途中の守谷駅を通ることから、沿線の住宅化が著しい。

 

一方の竜ケ崎線は、始点となる駅が、JR常磐線の佐貫駅。常総線の始発駅・取手駅とはずいぶん離れている。路線距離は短く、駅数が始点・終点あわせても3駅のみである。どうして離れたこの場所に、このような短い路線が走っているのだろう。

↑路線は常磐線の佐貫駅からほぼ一直線に終着駅の竜ケ崎駅へ向かう。終点の竜ケ崎駅から、さらに400mぐらい先に龍ケ崎市の中心部がある

 

龍ケ崎は、古くは陸前浜街道(旧国道6号にあたる)の要衝でもあり、木綿の生産地だった。しかし、常磐線(開業時は日本鉄道土浦線)が、街から遠い佐貫に駅が設けられることになった。そのため佐貫と龍ケ崎を結ぶ鉄道路線を、と1900(明治33)年に造られたのが前身となる竜崎(りゅうがさき)鉄道だった。開業当時は762mmという線路幅だった。

 

その後に改軌され、1944(昭和19)年に鹿島参宮鉄道に吸収された。路線は1965(昭和40)年、鹿島参宮鉄道と常総鉄道が合併して生まれた関東鉄道に引き継がれ、現在の関東鉄道竜ケ崎線となっている。

 

面白いのは地元の自治体名は龍ケ崎市と書くのに、路線は竜ケ崎線と書くところ。市の名前に「龍」が使われているのは、龍ケ崎市が生まれた際の官報に載った表記を元にしている。一方の竜ケ崎線は関東鉄道が合併した当時から「竜」の字が使われている。公文書に使われる常用漢字が「竜」の字だったため、この字が路線名として定着したようだ。

 

乗ったらエッ—−? 吊り革にコロッケが付いている

竜ケ崎線の始発駅・佐貫に降り立つ。JRの橋上駅を下りた先に関東鉄道の佐貫駅があった。この竜ケ崎線、路線距離は前述したように、わずか4.5km。乗車時間は7分だ。途中に入地(いれじ)駅という駅があるのみで、乗ったらすぐに着いてしまう。だが、乗車したときのインパクトは特大。なんと、車内がコロッケだらけなのだ!

 

車両はディーゼルカー。訪れた日は主力車両のキハ2000形1両のみの運行だった。淡い水色ボディにブルーの帯とブルーの天井、オレンジ色の細い帯がはいる関東鉄道特有の車体カラーだ。

 

車内には「コロッケがキタ−−」とネームが入るシール式のポスターが貼られる。ほかに「コロッケ アゲアゲ」などさまざまなイラスト入りのポスターが車内を飾る。それら貼り紙よりもさらにインパクト大なのが吊り革だ。なんと、吊り革にコロッケが付いていたのだ。

↑関東鉄道のキハ2000形の車内をさまざまな「コロッケ」のシールポスターが彩る。ほかに「コロッケ、地球に生まれて良かった−!」などの文句が踊るポスターも貼られていた

 

↑車内の吊り革のほとんどにコロッケが付く。もちろん本物ではなく、プラスチック製の食品サンプルを利用したもの。小判型や俵型など、コロッケの形にもこだわりが垣間見える

 

↑JR佐貫駅の駅前にあるそば店「四季蕎麦 佐貫駅前店」でも揚げたてコロッケが販売されている。市内の複数の店で販売されるが、竜ケ崎駅そばに販売店が無いのは惜しい

 

このコロッケは何なのだろうか。

 

実は龍ケ崎市の名物グルメが「コロッケ」なのだ。2003年に「コロッケクラブ龍ケ崎」が生まれ、全国のイベントに参加。2014年には、ご当地メシ決定戦で見事に優勝したという輝かしい経歴を誇る。いまも市内ではコロッケイベントが随時、開かれている。

 

竜ケ崎線の車内の装いも、市外から訪れた人たちに、そんな龍ケ崎名物を伝えよう、という意図があったわけだ。当初は短期間で終了の予定だったらしいのだが、好評なので現在もこの装いで列車が運行されている。

 

竜ケ崎沿線では、佐貫駅のそば店や、関東鉄道佐貫駅に隣接する観光物産センター「まいりゅうショップ」(冷凍もののみ用意)でも龍ケ崎コロッケが販売されている。筆者もひとついただいたが、ほくほくしていて懐かしの味だった。

↑JR常磐線の佐貫駅に隣接して関東鉄道佐貫駅が設けられる。入口には龍ケ崎市観光物産センターの「まいりゅうショップ」がある

 

レトロふうな途中駅、そして終点の竜ケ崎駅へ

ついコロッケだけに目を奪われがちだが、そのほかの沿線の様子もお伝えしよう。沿線には龍ケ崎市の住宅地が点在する。そして田畑も広がり、北関東らしい風景が広がる。

 

途中の駅は入地(いれじ)駅の1駅のみ。駅の待合室は最近、きれいに模様替えされ、駅名表示などレトロな文字が入る案内に変更されていた。

↑レトロな造りに変わった入地駅。ホーム1つの小さな駅だが、つい降りてみたくなるような趣がある。駅近くの道にキジが歩いているのを発見、そんなのんびりした駅だった

 

起点の佐貫駅から乗車7分で終着駅、竜ケ崎駅へ到着する。街の中心は400〜500m先にあるため、駅周辺は閑散としている。とはいえ、鉄道好きならば、すぐ近くにある車両基地は見ておきたい。留置された予備車両をすぐ近くで見ることができる。

↑竜ケ崎線の終着駅・竜ケ崎駅に到着したキハ2000形。この先、線路は行き止まりの頭端式のホームとなっている。すぐ裏手に竜ケ崎線の車両基地がある

 

↑竜ケ崎駅の外観。路線や駅の開業は古く、すでに120年近い歴史を持つ。駅舎は近年、改修され、きれいになっている

 

↑車両基地にとまるキハ532形。基地の建物が撤去されたこともあり、周囲の道路からでも車両がよく見える。写真のキハ532形は予備車両として週末に走ることが多い

 

〈2〉東武小泉線(群馬県)の旅

不思議な“盲腸線”がある路線。日本離れした景色がおもしろい

今回、紹介するもう1本の路線は東武鉄道の小泉線。下の地図を見ていただくとわかるように、東武小泉線は館林(たてばやし)駅と太田駅を結ぶ路線である。途中の東小泉駅から西小泉駅までの2駅区間の路線もある。

↑群馬県内を走る東武小泉線の路線。東武鉄道の特急「りょうもう」は全列車が足利市駅経由のため伊勢崎線を走る。東武小泉線の方が距離は短いものの走るのは普通列車のみだ

 

都心と群馬県の赤城や伊勢崎を結ぶ特急「りょうもう」は東武伊勢崎線を通り、この東武小泉線を通らない。足利市駅を通るため、大きく北をまわっているのだ。特急が通る路線よりも短い “短絡路線(距離は東武小泉線経由の方が約4km短い)”であり、行き止まりの“盲腸線”がある。

 

東武小泉線では、どのように列車が運転されているのか、気になって訪ねてみた。

 

東武小泉線は館林駅〜西小泉駅間12.0kmと、太田駅〜東小泉駅間6.4kmの計18.4km区間を指す。歴史は古く1917(大正6)年に営業を始めた中原(ちゅうげん)鉄道小泉線(館林〜小泉町)が元となる。1937(昭和12)年には東武鉄道に買収されたあと、1941(昭和16)年に太田〜東小泉間と小泉町〜西小泉間が開業、現在の小泉線の路線ができあがった。

 

その当時、西小泉駅近くには中島飛行機小泉製作所があり、西小泉駅から利根川河畔まで貨物線の仙石河岸(せんごくがし)線が敷かれていた。その先、利根川を越えて熊谷まで路線延長の計画があったという(旧東武熊谷線と接続を計画)。1976年に仙石河岸線は廃止されたが、路線の草創期は東洋最大の飛行機メーカーだった中島飛行機との縁が深かった。

 

ちなみに中島飛行機といえば、陸軍の「隼」、「鍾馗(しょうき)」、「疾風」。海軍の「月光」、「天山」といった名戦闘機を生み出している。戦後に、中島飛行機は解体され、自動車メーカーのSUBARUにその技術が引き継がれた。

 

東武で最大車両数を誇った8000系が2両編成で走る

やや前置きが長くなったが、いまは軍需産業にかわり、自動車、さらにパナソニックなどの工場がある地域でもある。そんな予備知識を持ちつつ、東武小泉線の起点駅、館林駅に降りる。

 

館林駅の東武小泉線用ホームは3番線、5番線ホームの先、伊勢崎方面側にある。2両編成の運転に対応した4番線ホームで、スペースは小さい。このホームから列車が出発する。使われるのは8000系で、乗務員1人のワンマン運転で走る。

↑東武鉄道の代表的な電車として活躍した8000系。現在、東武小泉線を走る電車はすべて8000系で、2両編成となり、ワンマン運転用に改造されている

 

↑館林駅の伊勢崎駅側の一角にある4番線が東武小泉線の乗り場。このホームから2両編成の西小泉駅行き電車のみが出発する

 

館林駅からは西小泉駅行きの電車しか走っていない!?

乗り場で知ったのだが、館林駅発の東武小泉線の列車はすべてが“盲腸線”の終わりにあたる西小泉駅行きだった。館林駅と太田駅を直接に結ぶ列車が無いのだ。館林駅から東武小泉線経由で太田駅へ向かう場合は、分岐する東小泉駅での乗換えが必要になる。

 

つまり東武小泉線の列車の運用は館林駅〜西小泉駅間と、東小泉駅〜太田駅(多くが桐生線赤城駅まで直通運行)間の2系統に分けられていた。

 

東小泉駅〜西小泉駅間は、小泉線にとっては盲腸線区間ではあるが、列車の運用はこの区間を切り分けているわけでなく、館林駅〜西小泉駅間が東武小泉線のメイン区間という形で電車が走っているわけだ。

↑館林駅〜西小泉駅間を走る列車すべてが、東小泉駅で太田駅方面の電車と接続して発車している

 

終着・西小泉駅は数か国語が飛び交い異国の地に来たよう

東武小泉線の電車に乗ると気づくのが、日系の人たちの乗車が多いこと。ブラジルやペルーなどへ日系移民として渡った子孫が、日本へ多く戻り沿線にある工場で働いているようだ。車内では日本語以外の言葉が飛び交い、まるであちらの電車に乗っているかのように感じる。

 

ちなみに、沿線では西小泉駅、小泉町駅、東小泉駅がある大泉町に多くの日系人が暮らしている。大泉町は人口が4万1845人(2018年4月30日現在)で、そのうち18%を外国人が占めている。群馬県内で最も人口の多い町で、人口密度も北関東3県の市町村のなかで最も高い。

 

実際に西小泉駅へ降りてみる。すると駅は新しく模様替えされ、案内表示はポルトガル語、スペイン語、などさまざまな言語で表示されている。地図も同様だ。

↑2017年から2018年2月にかけて工事が行われ、駅舎とともに屋外の公共トイレもリニューアルされ、きれいになった。大泉町の玄関口にふさわしい造りとなっている

 

↑このとおり駅の案内はインターナショナル。英語、ポルトガル語、スペイン語、中国語などで表記されている

 

↑街の地図もおしゃれな雰囲気。これならば日本語が読めなくとも心配なさそうだ

 

街中に出てみる。日本のお店に混じって、日系の人たち向けのお店も目立つ。駅前のブティックにはドレスで着飾ったマネキン。ポルトガル語・スペイン語の看板が目を引く。さらにブラジル料理の店などが点在する。公園ではラテン音楽に合わせて踊りを練習する子どもたち……。まるで南米の街を歩いているかのように感じる。

↑国内で英語の看板は見かけるものの、スペイン語、ポルトガル語の看板となるとそうは無いのではないだろうか。大泉町ではこれが当たり前の光景だ

 

↑ブラジル料理店やブラジリアバーなどが西小泉駅近くには多く並ぶ。街にはシュラスコや、フェジョアーダといったブラジル料理が楽しめる店もある

 

西小泉駅の留置線や廃線跡を利用したいずみ公園にも注目!

西小泉駅は1970年代まで貨物輸送が盛んに行われていた駅でもある。そんな面影が駅周辺に残るので、こちらも注目しておきたい。

 

西小泉駅自体の開業は1941(昭和16)年12月で、中島飛行機の玄関口として当時は立派な駅が設けられたそうだ。残念ながら、太平洋戦争開始直前のことで、当時の写真や資料は残っていない。だが、面影は偲べる。現在のプラットホームは一面ながら、引込線などのスペースが大きく残る。

↑西小泉駅を発車する館林駅行き電車。駅は線路の配置もゆったりしていて、以前に貨物用に使われた線路やホームの跡もいずみ緑道側に残されている

 

さらに利根川方面へ延びていた仙石河岸(せんごくがし)線の廃線跡が、いずみ緑道としてきれいに整備されている。群馬の街で異国情緒を楽しんだあとに、廃線の面影を偲びつつ公園散歩をしてみるのも楽しい。

↑貨物線だった仙石河岸線の廃線跡がいずみ緑道となっている。同緑道は日本の道100選や、日本街路樹100景、美しい日本の歩きたくなるみち500選にも選ばれている

 

次回以降も、全国各地のユニークなローカル線を紹介していこう。

【1分解説】フォルクスワーゲン ポロの最新のやつってどんなクルマ?

注目モデルをコンパクトに紹介するこのコーナー。今回は輸入コンパクトハッチバックの注目車・フォルクスワーゲン ポロをピックアップします。

 

スモールカーの“お手本”がさらに進化

 

フォルクスワーゲン

ポロ

SPEC【1.0TSIハイライン】●全長×全幅×全高:4060×1750×1450㎜●車両重量:1160㎏●パワーユニット:999㏄直列3気筒DOHC+ターボ●最高出力:95PS/5000〜5500rpm●最大トルク:17.9㎏-m/2000〜3500rpm●カタログ燃費:19.1㎞/ℓ

 

小さなクルマだと忘れるほど走りの質感が大きく向上!

ポロは初代が1975年に登場して以来、これまでに1400万台以上が生産されている世界的なヒットカー。約8年ぶりのモデルチェンジとなった6代目にあたる新型は、フォルクスワーゲンが「MQB」と呼ぶ新世代骨格を採用。このクラスの〝お手本〟といわれてきた作りが格段に進化しています。

 

ボディは先代よりひと回り大型化。日本では3ナンバー扱いになりますが、そのぶん室内空間、特に後席や荷室は劇的に広くなりました。また、ゴルフでも採用されている新しい骨格は、走りの質感の向上にも大きく貢献。ドイツ車らしい剛性感の高さやフラットな乗り心地は、小さなクルマに乗っていることを忘れさせるほどの出来映えです。

 

エンジンは1ℓターボで、組み合わせるギアボックスは新世代ATの7速DCT。動力性能は必要にして十分ですが、静粛性が高いため日常域では扱いやすい。堅実かつ上質という新型のキャラクターにマッチする性能でした。

 

【注目ポイント01】荷室容量は大幅に拡大

荷室容量は後席を使用する際は351Lで、倒すと最大1125Lとなる。先代比でそれぞれ71L、173Lぶん拡大されました。

【注目ポイント02】運転支援システムも充実

駐車支援の「パークアシスト」(写真)や歩行者検知機能付きの衝突回避&被害軽減ブレーキなど、運転支援システムも充実。

 

【注目ポイント03】大型化しながらも外観はシャープで上質に

シャープなキャラクターラインが印象的な外観は、最新世代のフォルクスワーゲンらしく質感が高い。全長と全幅は先代比でそれぞれ65㎜拡大されました。

 

【注目ポイント04】装備はゴルフ並に充実

外観だけでなく室内の質感もハイレベルです。新世代のインフォテインメントシステムやテレマティクス機能を採用。装備の充実度は、兄貴分のゴルフに匹敵する水準になりました。

トヨタのジャパンタクシーが美しい!「モビリティカラー」の統一、日本でもようやく進むか?

東京都内に限った話かもしれないが、昨年秋に発表されたトヨタ自動車のジャパンタクシー(JPN TAXI)を見る機会が増えてきた。トヨタは発表時、東京五輪パラリンピックが開催される2020年に都内のタクシーの5分の1、具体的には1万台を新型に置き換えたいという希望を述べていたけれど、それ以上のペースで増備が進んでいるような感じを受ける。

出典:「トヨタ ジャパンタクシー」公式サイトより

 

筆者も2~3度ジャパンタクシーに乗ったことがある。乗り降りのしやすさなど、感心する部分はいくつかあるが、もっとも気に入っているのは色だ。日本の伝統色である深藍(こいあい)と呼ばれるシックなカラーに好感を抱いている。インターネットを見ても同様の感想を持つ人は多いようだ。

 

それまでの日本のタクシーと言えば対照的に、はっきりした原色の塗り分けが多かった。自分が見た海外のタクシーでは中国の上海、タイのバンコクなどが似た状況だったから、アジア独自の文化なのかもしれないが、都市景観面から考えればマイナスだと考えていた。

 

欧米は逆に、都市ごとにタクシーの色が決まっていることが多い。ニューヨークの黄色、ロンドンの黒は有名だ。個人的に印象的だったのはスペインのバルセロナで、車体が黒、ドアが黄色という出で立ちだった。かなり派手だけれど、南欧の強い陽射しが作り出すコントラスト、ガウディの前衛的な作品に合っていると思った。

 

欧米は他の公共交通車両も色を統一することが多い。 たとえばパリは地下鉄もLRT(路面電車)もバスも、車両はすべて白地にライトグリーンとブルーのストライプをまとっている。この面で好感を抱いたのはスイスのチューリッヒやオーストリアのウィーンで、市の旗の色に揃えてあった。

スイス・チューリッヒの路面電車のカラーリングは市の旗の色に合わせている

 

欧州でも統一していない都市はある。同じスイスのバーゼルでは、バーゼル・シュタット準州が運行する車両は緑、南側のバーゼル・ラント準州まで乗り入れる車両は黄色に赤のストライプという出で立ちだ。ただし戸惑ったこともあった。どちらでもない紫色の車両が入ってきたからだ。

 

日本の地方鉄道でも見かける広告ラッピング車両だった。紫はバーゼルの銀行のコーポレートカラーだった。チューリッヒのようにひとつの都市がひとつの色なら問題なかったけれど、色によって行き先が異なると、パッと見ただけではどちらへ向かう車両か分からず戸惑う。広告は一部にとどめ、シンボルカラーを生かしてほしかった。

 

一方の日本はラッピング車両でなくても、同じ車両がさまざまな色をまとっていたり、同じバス路線にさまざまな会社がさまざまな色で走ったりしていることが多い。カラーマネジメントという観点ではなんとかしてほしいと思っていた。

宇都宮市・芳賀町のLRTのデザイン候補。3候補すべて黄色をシンボルカラーに採用している

 

その点で好ましいのが、かつてこのコラムでも取り上げた栃木県宇都宮市・芳賀町のLRT計画だ。2022年3月の開業を目指し、5月28日に起工式が行われる予定で、それを前に20日から車両デザインアンケートが始まった。そこで候補に挙がっている3案すべてが黄色をシンボルカラーとしているのだ。

 

宇都宮周辺は昔から落雷が多かったことから雷都と呼ばれていた。雷というとネガティブなイメージを持つ方が多いかもしれないが、稲をはじめ植物の生育には窒素が重要であり、雷によって窒素と酸素が結び付いて窒素酸化物が作られ、その後の雨でこの窒素酸化物が地中にしみ込むことで育ちがよくなるという。つまり地域に由来する色というわけで、欧米の水準から見ても高い評価を与えられる。

阪急電鉄は「阪急マルーン」と呼ばれる茶色のボディカラーが特徴的

 

会社レベルのコーポレートカラーでは阪急電鉄のマルーンをはじめ、伝統を継承した鉄道が多い。でも理想を言えば、ひとつの都市のモビリティをひとつの色で統一したほうが、人にとっても街にとっても好ましい。JPN TAXIや宇都宮市・芳賀町LRTのようなカラーマネジメントが増えていくことを期待したい。

 

【著者プロフィール】

モビリティジャーナリスト 森口将之

 

モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・講演などで発表するとともに、モビリティ問題解決のリサーチやコンサルティングも担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本デザイン機構理事、日本自動車ジャーナリスト協会・日仏メディア交流協会・日本福祉のまちづくり学会会員。著書に『パリ流環境社会への挑戦(鹿島出版会)』『富山から拡がる交通革命(交通新聞社)』『これでいいのか東京の交通(モビリシティ)』など。

THINK MOBILITY:http://mobility.blog.jp/

世界最高の時速350キロ!! 中国での移動には「高速鉄道」を使うべき?

地図を見れば一目瞭然ですが、中国の広さは日本の比ではありません。実際に住んでみると身をもって分かります。例えば、中国では「寝台列車」は当たり前。列車泊をしながら旅をするのは日常茶飯事です。そんな中国ではいま、日本の新幹線にあたる「高速鉄道」が建設ラッシュ。広い中国を効率よく旅をするならこの「ガオティエ(高速鉄道の現地の呼び名)」がおすすめです。筆者が自信を持っておススメする理由を4つご説明しましょう。

 

1:国内2万5000キロを超える路線距離

中国の高速鉄道は路線距離が世界一。いまこの瞬間でさえ、レールの敷設作業が着々と進んでいますから、これから先はさらに距離が延びるはずです。地元メディアの報道によると、中国鉄道の総距離は12.7万キロで、そのうち高速鉄道が「2万5000キロ」を占めているとのこと。2017年だけでも約8000億元(日本円で約14兆円)という巨額の費用をかけて開発が行われていました 。

 

2:時速350キロの最高速度も世界一

以前は安全性の観点から速度制限が設けられていたものの、現在の一部区間では「最高時速350キロ」での走行が許可されています。ちなみに日本の新幹線の最高速度は、東北新幹線の宇都宮〜盛岡区間で時速320キロ。中国の高速鉄道より速い新幹線はこの世にありません。

 

3:乗り心地最高! 川崎重工業の鉄道車両を使用

中国の高速鉄道に利用されている車両は、実は日本の新幹線をベースに設計されているのです。使用されている「CRH2車両」は、中国が川崎重工業 車両カンパニーから購入したもので、乗り心地もなかなか。中国鉄道の種類には「G」もしくは「D」で始まる高速鉄道と、「T」や「Z」で始まるいわゆる鈍行列車があります。車内の防音効果やシートの座り心地など、高速鉄道と鈍行列車ではまさに雲泥の差。

 

4:高速鉄道専用の駅は新設備でサービスも充実

「G○○○」のようにアルファベットの「G」から始まる高速鉄道は専用の駅から発着します。高速鉄道に乗る人たちはスマートな人々が多く、何が入っているのかわからない巨大な荷物を背負って乗り込んでくる人もいなければ、プラットホームから車両につばを吐いたり、駅のプラットホームでたばこをスパスパ吸ったりするマナーの悪い人もいません。

 

また、駅内のサービスが充実していることも高速鉄道の魅力の1つ。広い駅構内には、おいしいレストランや気軽に入れるファストフード店、コンビニなどがいっぱいあります(駅内で食べ物を買い損ねても、車内でお弁当などのサービスを利用可能)。フリーWi-Fiが利用できるのも高速鉄道の駅ならでは。

速さだけじゃない! 比べ物にならない快適さ

単純に速さだけではなく、車両の「快適さ」も高速鉄道をおすすめする理由の一つです。ゆったりとしたシートの足元には電源プラグがあり、手持ちのデバイスを充電可能。シートの背もたれは鈍行列車と違ってリクライニングできるので、仮眠する際にも腰が楽です。広々としたシートで、気分はまるでファーストキャビン(さすが日本製車両!)。周りも静かなので、すやすや眠れます。

 

鈍行列車と比べて3倍ほどの価格とチケットが割高なため(北京-上海間で約500元) 、客層は中流階級以上が多く、マナーをわきまえた乗客が大半。怒鳴るような大声でおしゃべりする乗客もいないので、快適な乗車時間を過ごせるのです。また、おしゃべりしている人が少ないのは、鈍行列車のように座席が向かい合っておらず、相手の顔が見えないからかもしれません。

 

主要都市間は飛行機の便も多いものの、地方部になると高速鉄道のほうが飛行機よりも本数が多いのも事実です。例えば、武漢-上海間だと、飛行機は1日平均20本ほどですが、高速鉄道なら30本近くあります。天候などに左右されにくい、新しい交通手段のガオディエ。中国にお越しの際は高速鉄道をぜひお試しください。

 

 

電動スクーターのシェアリングがわずか1週間で利用中止!「Lime」に一体何が起こった?

2018年5月、オアフ島ホノルルで電動スクーターのシェアリングサービスが始まりました。ホノルルでは約1年前に自転車シェアリングサービスが始まり、利用者が着実に増加しており、電動スクーターも自転車と同じように人々の間に定着するかと思われました。しかし、サービス開始から1週間たらずで、ホノルル市長が電動スクーターの利用者に罰金または拘留の罰則を課すことを発表したのです。

 

アメリカで拡大中のドックレスシェアリング「Lime」

今回、ホノルルで電動スクーターのシェアリングサービスを開始したのは、アメリカ生まれの「Lime(ライム)」。Limeは自転車と電動スクーターのシェアリングサービスを行っており、「ドックレス」であることが特徴。一般的な自転車シェアリングは、街中に自転車ステーションが設けられていて、利用者はそこで自転車を貸りたり返却したりします。

 

しかしLimeの場合は、借りるときのロックの解除も、返却時のロックも、専用アプリで行えるため、自転車ステーション(英語ではDock)がないのです。利用したいときは、アプリを使って自分の近くで空いている自転車がどこにあるかチェックして、乗り終わったら自分の好きな場所に駐車するだけというシステムです。

2017年に設立されたばかりの同社ですが、ロサンゼルス、シアトル、ワシントンDC、マイアミなど30以上の都市に進出。さらに大学のキャンパス内でも次々と採用され、アメリカのなかで一気に拡大しています。

 

サービス開始後すぐに利用中止へ

Limeがハワイで導入したのは、自転車ではなく電動スクーター。しかし、このサービスは、始まってからたった1週間ほどで「利用中止」に。その理由は、電動スクーターはモペッド(原付自動車)とみなされ、歩道に駐車することが法律で禁止されているからというものでした。

 

そのため、ホノルル市はすでに街中で利用されている約200台の電動スクーターのうち、100台あまりを没収。同社に対して、電動スクーターを歩道に停めた場合、所有者であるLimeであろうと、一般利用者であろうと、最大1000ドルの罰金または30日間拘留の罰則を課す考えであることを通達したのです。これを受けて、同社は電動スクーターのサービスを中止することを発表しました。

ホノルルのシェアリングサービスは今後どうなる?

ホノルルでは、ちょうど1年前に自転車シェアリングサービス「Biki(ビキ)」が始まったところ。30分3.50ドルの利用料金で、順調に利用者が増え、自転車ステーションの増設が計画されています。一方、Limeの電動スクーターの利用料金は、ロックを解除するのに1ドルで、1分あたり15セントが加算される仕組み。Bikiより安く、コンパクトな大きさで気軽に乗れるLimeの電動スクーターは、Bikiと同程度に利用者が拡大する可能性は十分あると言えるでしょう。

 

歩道などに停められているLimeの電動スクーターや自転車については、ホノルル以外の都市でも問題となっている場所があるようです。今回の中止は「一時的なもの」と発表したLimeは、市と協力しながらこの電動スクーターにそった規則の制定に期待しているようです。規制緩和とロビー活動が同社の今後の大きな課題と言えるかもしれません。

意外に知られていない「踏切」の安全対策。「踏切の安全確認のために停車いたしました」はどんなとき?

国土交通省が平成28年度に行った調査によると、踏切事故は20年前に比べて58%減、10年前に比べて40%減となり、死亡者数も平成8年度142人、平成18年度124人、平成28年度97人と確実に減ってきている(鉄軌道輸送の安全に関わる情報)。一方で、70歳代以上の高齢者が巻き込まれる事故が34.5%と目立っており、60歳代まで含めると49.7%にもなる。

踏切には安全対策のためにさまざまな機器が取り付けられている。こうした安全装置を知ることにより、クルマや高齢者が踏切内に取り残されたときなど、もしものときに遭遇したらどのように対応すればいいのか知っておきたい。今回は、首都圏に路線網を持つ京王電鉄の踏切の安全対策を中心に見ていこう。

 

「踏切の安全確認のために停車いたしました」はどんなとき?

駅はまだ先だというのに、電車が駅と駅の間で停車。「踏切の安全確認のために停車いたしました」という車掌のアナウンスが車内に流されることがある。踏切でどのようなトラブルが起こると、電車が停止するのか、整理しておこう。停止となる要素は次のことがあげられる。

 

①非常停止ボタン(踏切支障報知装置)が押されたとき

②踏切障害物検知装置が、踏切内に残されたクルマなどを検知したとき

③踏切警報装置の電源が停電したとき

 

それぞれについての詳細は後述するが、これらのことが起こると以下のような対応が行われる。

「特殊信号発光機が作動して運転士に知らせるとともに、当該踏切の手前で停まるように信号が発信されます。さらに万が一、運転士のブレーキ操作を行わなかった場合でも、自動的にブレーキが作動します(停止距離に余裕がない場合は非常ブレーキが作動)」(京王電鉄)

ちなみに、踏切障害物検知装置で人が検知されることはあまりなく、数秒間、同じ場所に留まってはじめて検知されるとのこと。つまり通行する人が遮断機が閉まりかけている踏切を無理に渡ろうとした場合、こういった事例を運転士が発見し危険だと思いブレーキをかけたときをのぞき、電車が急停車するまでには至らないようだ。

 

もちろん、そのような行為は大変危険であり、絶対に行ってはならない。踏切内で転んだり、もしものときは取り返しがつかない。直前横断が踏切事故の原因のなかでもっとも多いことを忘れないようにしたい。

 

非常押ボタンが押されたら、係員や乗務員による復帰操作が必要

さて踏切の安全確認のために電車が停車したとき、運転再開の手続きはどのように行われるのだろう。

「駅係員または乗務員により、目視で当該踏切道の異常の有無を確認します。非常押ボタンによる発光信号の作動については、安全確認後に係員が同装置の復帰操作を行います。運転再開は踏切道内の安全確認後に、そのむねを運輸指令所へ報告してから行います」(京王電鉄)

特に非常ボタンが押されて一度停まってしまうと、運転再開まではなかなか大変なのである。このことにより、列車の遅れ、または前後の踏切が開かなくなるなどの影響が生じてしまう。

 

踏切の警報が鳴りだして遮断動作が終了するまでの時間は15秒が標準。また遮断動作が終了してから電車の到達までの時間は標準で20秒あるそうだ。警報器が鳴り始めて、少なくとも電車到着までに35秒以上の時間があるわけだ。閉まりかけた踏切には無理して進入しない。さらに、もしもの時も慌てずに対応したい。

↑警報が鳴ってから電車が到達するまで約35秒。ただこの数字はあくまで標準時間で、踏切を渡り切る時間を考慮しつつ、長時間、遮断させないなどの設計が行われている

「踏切警報灯」は視認性を考えて場所ごとに使い分けされていた

ここからは、踏み切りに施された安全対策を見ていこう。これらを把握しておくことで、いざというときに落ち着いて行動できるようになるだろう。まずは赤く点滅する踏切警報灯の話題から。

 

京王電鉄の場合、踏切警報灯には次の写真のようなタイプが使われている。大きく分けて、片面形と全方向形、両面形の3種類だ。古くからある片面形だが、「老朽化に伴う更新では片面形から全方向形へ、もしくは両面形への変更を基本としています」と京王電鉄では話す。

片面形は片側のみ、全方向形はその名前のとおり360度、どこからでも点滅していることが確認できる。両面形は表裏の両側から見える形だ。古くから使われてきた片面形に比べて、視認性というポイントでは全方向形と両面形の2タイプのほうが優れていることは言うまでもない。

 

さらに京王電鉄の踏切では、視認性を向上させるために、形の違う踏切警報灯を併存させている箇所がある(上の写真の右下がそれにあたる)。この場所では、線路と交差する道に加えて、線路沿いに側道がある。ちょうど街路灯の柱があり、側道から踏切警報灯が見難いことから、全方向形と片面形を併存させている。

↑京王電鉄をはじめ、鉄道会社の踏切は、写真の全方向形の踏切警報灯が増えつつある

 

筆者が京王電鉄京王線の高幡不動駅 → 笹塚駅の間にある70か所の踏切警報灯を調べたところ(踏切北側のみ)、全方向形が50%近くと圧倒的に多く、従来からある片面形が38%と減りつつあることがわかった。なお、両面形は10%と数は少なめだった。

 

遮断機のトラブルで多い「遮断かん」の破損を防ぐ工夫

次の写真は、東海地方のある路線で見られた踏切のトラブル例だ。遮断機がしまりつつあるのに、クルマが無理に渡ってしまったらしく、踏切を遮断する棒「遮断かん」が完全に折れ曲がっていた。このような状態になると、保安要員が現地へ出向き、修理をしない限り、電車は踏切の手前で停車、さらに踏切前後で徐行運転をせざるをえない。実際にこの路線では列車が大幅に遅れ、また付近の踏切がなかなか開かない状態になっていた。

↑踏切を遮断する棒「遮断かん」が折れてしまった事例。こうなってしまうと、保安要員が到着して遮断かんを交換するまでは、電車は徐行運転を余儀なくされる

 

鉄道会社ではこのような遮断機のトラブルに、どのように対応しているのだろうか。

 

まずは遮断かんを動かしている電気踏切遮断機と、遮断かんをつなぐ部分に「遮断かん折損防止器」という機器を取り付けていることが多い。この防止器を付けることで、多少の角度の折れ曲がりには耐えられる仕組みとなっている。

 

とはいえ限界を越えると上の例のように鉄道の運行に支障をきたし、ほかのクルマや歩行者に迷惑をかけることになってしまう。踏切事故の原因のなかでもっとも多いのが直前横断で、全体の56.5%を占めている(国土交通省調査)。クルマの運転をしているときは、当たり前だが閉まりかけた踏切の無理な横断は慎みたい。

↑電気踏切遮断機(左のボックス部分)と遮断かんの間に付く遮断かん折損防止器。この装置で、一定の角度までは遮断かんが折れないような仕組みとなっている

 

一方、高齢者が(踏切の内側で)遮断かんを前にして立ち往生しているような場合は、手で遮断かんを上にあげて、高齢者を踏切の外へサポートしたい。筆者も自転車を押す高齢者が遮断かんの手前で動けなくなっていた際に、遮断かんを持ち上げて外に出られるよう手助けしたことがあった。人が通るために遮断かんを持ち上げるぐらいならば、大概の踏切には遮断かん折損防止器がついていて、折れることはまずないといっていい。

 

京王電鉄の場合は、まず遮断かん折損防止器の装着に加えて、FRP(繊維強化プラスチック)という、かたい素材の遮断かんを使っている。それでも、クルマが遮断かんに引っかかったりして、折れることがある。折れた場合は、すぐに保守要員が現場に急行して予備品と交換するそうだ。

 

さらに最近ではスリット形遮断かん、屈折ユニットといった、折れ曲がりの衝撃を緩和する遮断かんの導入を進めているということだった。

 

踏切の動作状況を運転士に知らせる「踏切動作反応灯」

踏切がしっかり閉まっているかどうか、これを運転士に知らせるのが踏切動作反応灯だ(京王電鉄社内では「踏切遮断表示灯」と呼んでいる)。踏切動作反応灯の点灯によって、踏切が正常に作動していることがわかる。万が一、停電や故障で踏切が可動していない場合には、この表示が消えたままとなる。

 

ちなみに、この踏切動作反応灯は、鉄道会社により形が違っている。

↑踏切の手前に設けられた京王電鉄の踏切動作反応灯(×印が付いた側)。踏切がしっかり閉まっているかどうかをこの反応灯で運転士に知らせている

 

↑西武鉄道の踏切動作反応灯。上下のランプが点滅して、踏切が正常に作動しているかどうかを運転士に知らせる

 

ところで、上の京王電鉄の踏切動作反応灯の写真に写り込むランプ(踏切動作反応灯の上)は何だろうか?

 

これは踏切の安全を守るために欠かせない特殊信号発光機というもの。踏切に設置された非常ボタン(正式には踏切支障報知装置と呼ばれる)が押されたとき、または踏切障害物検知装置(詳細は後述)が障害物を検知したときに、この発光機が赤く光る。鉄道会社によっては、棒状のもので知らせる例もあるが、いずれのタイプも、赤い光がぱっと輝き、遠くからでもよく見える。

 

非常ボタンを押されたら、この特殊信号発光機が発光して運転士に通知、さらにATC装置(自動列車制御装置)が作動、走る電車の減速が自動的に行われる。2重の安全対策が施されているわけだ。

↑踏切に設置されている非常ボタン(踏切支障報知装置)。このボタンが押されると、特殊信号発光機が点灯、さらにATC(自動列車制御装置)が作動し、電車が減速される

 

↑特殊信号発光機の点灯の様子。点灯時の様子はなかなか目にできないが、点灯時は赤く輝き、遠くからでもすぐわかる(非常ボタンの仕組みを伝える鉄道イベントでの1コマ)

 

踏切内でクルマが立ち往生、または高齢者が踏切内で立ち往生していて動けない、といったトラブルが生じたときには、いち早く非常ボタンを押して、運転士や鉄道会社へ知らせることが大切だ。

 

非常ボタン以外にも障害物を検知して知らせる仕組みが

利用者のあまり目に触れないところで、踏切の安全を守っている装置が踏切障害物検知装置(以下、障検・しょうけんと略)だ。障検のなかでもっとも普及しているのが、光センサー式の検知装置だ。踏切の左右両側に、銀色の柱が数本、立っている姿を目にしたことのある人もいるのではないだろうか。これがその検知装置だ。

↑踏切の脇に立つ踏切障害物検知装置。発光器から赤外線、またはレーザー光線を発光し、受光器でその情報を得て、踏切内の障害物の有無を検知している

 

赤外線やレーザー光線を発光器から出し、もう一方の側に立つ受光器でこの信号を受ける。赤外線やレーザー光線が途中で遮られ、踏切内にクルマなどの障害物があることが検知されると、非常ボタンが押されたときと同じように特殊信号発光機が光り、さらにATC装置が作動して、車両が減速される。

 

光センサー式の検知装置は、複数の装置を立てて、障害物を検知する。とはいえ、赤外線やレーザー光線を照射する部分が限られている。元々、クルマなどの障害物の検知を前提にした装置のため、踏切内に人がいたとしても、その検知は難しい。

 

この検知装置に比べて高度な検知が可能にしたのが「三次元レーザーレーダ式(3DLR)」と呼ばれるシステム。踏切脇の支柱上に箱形の装置が設置されていて、この箱からレーザー光が照射され、踏切内の障害物を検知しようというものだ。障害物が踏切内に留まっている場合、クルマだけでなく、条件によっては人まで感知できるように検知の精度が高まっている。

↑三次元レーザーレーダ式の踏切障害物検知装置。京王電鉄では芦花公園駅に隣接する踏切などに設置される。同踏切がカーブ途中にあり視界が悪いため設置されたと思われる

 

ちなみに京王電鉄では踏切障害物検知装置の設置割合は踏切全体の63%だとされる。歩行者専用の踏切もかなりあるので、クルマが通行できる踏切のうち、多くが何らかの装置を備えているわけだ。ちなみに検知方式は光センサー式の検知装置(HB形と呼ばれるものやレーザー式)を多く使用しているが、一部に三次元レーザーレーダ式も設置されている。

 

踏切の保安設備がない「第4種踏切の事故」が目立つ

ここまでさまざまな安全対策について見てきたが、踏切は、その保安設備により第1種、第2種、第3種、第4種の全4種類に分けられている。踏切警報器や自動遮断機が付いている踏切は第1種踏切とされる。第2種踏切は踏切保安係が遮断機を操作する踏切で、現在はすでに国内にない。第3種踏切は自動遮断機がなく、踏切警報器のみの踏切だ。

 

そして第4種踏切は踏切警報器などの保安設備がなく、足元に踏み板が設けられ渡れるようになっている形のものだ。ちなみに大手私鉄の踏切は、第4種は非常に少なく、今回紹介した京王電鉄はすべての踏切が第1種で、第4種は1つもない。第4種は、列車の運行本数の少ない地方の鉄道路線に多い。

↑踏切警報器や自動遮断機がない第4種踏切。地方路線に多く残り、事故率も高いことか問題視されている

 

数で言えば全国の3万3432箇所(国土交通省平成27年度調査・路面電車の路線も含む)ある踏切のうち、第4種は2864箇所で、0.085%でしかない。

 

ところが、第4種踏切で起きた事故が、踏切事故全体の13.9%を占める。今後、どのような対策を施していけばいいのか。近隣の人たちにとって、欠かせない第4種踏切もあり、安全対策が模索されている。

 

井原慶子が日産取締役!? レーシングドライバーの第二の人生はさまざまなようで…

引退したプロ野球選手がコーチや監督に就任するのは、第2の人生としては王道だろう。テレビやラジオの解説者を務めるのもよくある話だ。レーシングドライバーも似たようなもので、チーム監督など運営側に回る例は多い。若手の育成に努めるケースもある。国内外と問わず、テレビで解説を務める例も多い。

では、一部上場企業の取締役はどうだろう。日産自動車は4月20日、社外取締役にレーシングドライバーの井原慶子氏を起用すると発表した。正式には6月末開催予定の定時株主総会での承認を経て選任されるが、選任されれば同社初の女性取締役となり、最年少(1973年7月生まれ)での就任となる。

 

井原氏はレースクイーンだったが、仕事で訪れたサーキットでレースに目覚め、レーシングドライバーになりたいと思った。思っただけではなく行動に移し、レーシングドライバーになった。レースを始めて2年目の2000年に単身イギリスに渡り、現地で活きのいい若者と一緒になって腕を磨き、コース上でのスキルだけなく、レーシングドライバーとして生きていくためのマネージメント術を学んだ。

 

イギリス・フォーミュラ・ルノー、フランスF3、フォーミュラBMWアジアシリーズ、イギリスF3とキャリアを積み重ね、入賞、表彰台、優勝の実績を残した。2012年にはWEC(FIA世界耐久選手権)のLMP2クラスで、女性ドライバーとして初めてレギュラーシートを獲得。2014年には、アジアン・ル・マン・シリーズで女性ドライバーとして初めて総合優勝を果たした。

日産は4月20日、元レーシングドライバーの井原慶子氏を社外取締役に起用すると発表。井原氏は、レースクイーン⇒レーシングドライバー⇒一部上場企業取締役という超異色経歴の持ち主となる

 

その一方、2013年にはF1やWECなどを統括するFIA(国際自動車連盟)でWomen in Motorsport評議会アジア代表評議員・ドライバーズ評議会女性代表委員に就任するなど、女性のモータースポーツへの進出を後押しする活動を続けている。2012年には内閣・国家戦略大臣より「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」に選出され、表彰された。

 

こうした活動が評価されての、取締役就任だろう。井原氏が日産自動車でどのような舵取り(いや、ステアリングさばきか)をするのか、注目していきたい。

 

■ワイナリー経営が王道?

デイトナ24時間で総合優勝5回の最多勝記録を持つスコット・プルエットは、カリフォルニア州ナパバレーでワイナリーを経営

 

企業経営に携わる元レーシングドライバーとして真っ先に思い浮かぶのは(個人差があるのは重々承知です)、ニキ・ラウダだ。1974年、77年、84年のF1チャンピオンである。ラウダは現役F1ドライバー時代に「ラウダ航空」を創業し、出身国オーストリアのウイーン国際空港をハブに、主に観光客のための航空路線をアフリカやヨーロッパ、東南アジアなどへ運航していた。

 

ラウダ航空は2012年にオーストリア航空に譲渡。この年、ラウダは強豪メルセデスAMGペトロナス・モータースポーツのノンエグゼクティブチェアマンに就任した。レース中にテレビカメラがエグゼクティブディレクター(事実上のボス)のトト・ウルフを捉えると、必ず近くにラウダがいる。

 

F1の現場に戻ってきたのかと思いきや、ラウダは2018年にオーストリアの航空会社を買収。現在はラウダモーション(Laudamotion)の名称でビジネスジェットを中心に運航している。空のビジネスからは離れがたいらしい。

 

F1ドライバーのサイドビジネスとして思い浮かぶのは、ワイナリー経営だ。5月13日には息子のジュリアーノがF1スペインGPと併催だったGP3で優勝したが、その父、ジャン・アレジは故郷の仏アビニヨン近郊にぶどう畑を所有している。モナコGPウイナーのヤルノ・トゥルーリも現役当時から地元イタリアでワインの生産を手がけていた。

 

アメリカでもワイナリー経営に乗り出した例がある。デイトナ24時間で総合優勝5回の最多勝記録を持つスコット・プルエットだ。カリフォルニア州のナパバレーでワイナリーを経営。その名も「プルエット・ヴィンヤード」である。2018年のデイトナ24時間を最後に現役から退き、所属していたレクサスのアンバサダーを務めるかたわら、というか、本業(?)のワイン製造業に専念している。スピードに命を懸ける生活をしていると、自然を相手にした生活に心の安らぎを求めるようになるのだろうか。

 

■ミュージシャン(?)になった例も…

貴重なジャック・ビルヌーブのCD。2006年に自作曲を収録したシングルCDを発売。翌2007年にはアルバムをリリースした

 

変わり種(?)として思い出すのは、アメリカのCARTでチャンピオン(1995年)を獲ってF1に転向し、そこでもチャンピオン(1997年)になったカナダ人ドライバーのジャック・ビルヌーブである。2006年に自作曲を収録したシングルCDを発売。翌2007年にはアルバムをリリースした。

ジャック・ビルヌーブは「New Town」(仏語Villeneuveの英語訳)というレストランも経営

 

筆者は2006年のF1カナダGPを取材でモントリオールを訪れた際、帰り際にビルヌーブが経営するレストラン「New Town」(仏語Villeneuveの英語訳)で発売になったばかりのシングルCDを買った覚えがある(レストランの経営者でもあったわけだ)。F1デビューを果たした1996年にギターを買い、こつこつと曲作りに興じていたものの、そうこうするうちにスタジオを借りて録音してみたくなり、挙げ句の果てにアルバムを発売するに至ったそう。残念ながら、セールスは芳しくなかったようで……。

 

現役F1チャンピオンのサイドビジネスの例として、ファッションブランドを挙げておこう。2005年、2006年F1チャンピオンにしてインディ500とル・マン24時間の優勝も狙っているフェルナンド・アロンソは2017年、ファッションブランドのKimoaを立ち上げた。ハワイの言葉で「一緒に座って夕日を眺めよう」という意味だそう。

アロンソは2017年、ファッションブランドのKimoaを立ち上げた。車体やウエア、ヘルメットにKimoaのロゴが確認できる

 

Kimoaは 2018年から所属チームであるマクラーレンと複数年のオフィシャルパートナー契約を結んだ。つまり、ドライバー個人のブランドがチームのスポンサーになった格好である。最新型マクラーレンの車体やウエア、ヘルメットにKimoaのロゴが確認できる。さて、こちらのビジネスはうまくいくだろうか。

 

【著者プロフィール】

モータリングライター&エディター 世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など

世良耕太のときどきF1その他いろいろな日々:http://serakota.blog.so-net.ne.jp/

【中年名車図鑑】世界中にライトSUVムーブメントを巻き起こした都会派4WD

後にバブル景気と呼ばれる好況に沸いていた1980年代終盤の日本の自動車市場。各メーカーは豊富な資金を背景に、相次いで新ジャンルのクルマを開発する。その最中に鈴木自動車工業は、新感覚の都会派4WDを1988年にリリースした――。今回は国産ライトSUVのパイオニアとして名高い「エスクード」の話題で一席。

【Vol.69 初代 スズキ・エスクード】

軽ボンバンの大ヒットなどで軽自動車カテゴリーのトップメーカーに成長していた1980年代の鈴木自動車工業(現スズキ)。同社はさらなる躍進を目指して、1981年8月にGMおよびいすゞ自動車との資本提携を実施する。さらにGMとは小型車の共同開発業務の契約も結び、1983年9月には量産リッターカーとなるカルタスを市場に放った。

 

資本強化と小型車市場への参入を果たした鈴木自工の次の一手は、小型車の効率的なラインアップ拡充だった。日本での販売シェアを拡大できる、さらにそのまま海外市場へ投入できる――そんな小型車の開発を志向したのである。

 

新しい小型車を企画するにあたり、開発陣は海外マーケットでの動向を念入りに検討する。参考車種に据えたのは、同社の主力車種であるジムニーだった。ジムニーの輸出モデルはSJ20のF8A型エンジン(797cc直列4気筒OHC)以来、SJ410のF10A型エンジン(970cc直列4気筒OHC)、SJ413のG13A型エンジン(1324cc直列4気筒OHC)と、海外ユーザーの要望に合わせて徐々に排気量を拡大していた。コンパクト4WDの潜在需要は、世界中で確実に存在する。しかも彼らの使用パターンは舗装路やフラットダートがメイン――。結果的に開発陣は、ジムニーの1クラス上の4WD車、しかも都市部の走行も快適にこなせる小型SUVを製作する方針を打ち出した。

 

■クロカン4WDと小型乗用車の融合

エスクードは1988年5月デビューした。ボディタイプは3ドアのハードトップとコンバーチブル。フラッシュサーフェス化したボディラインに前後に配置したブリスターフェンダーが特徴的だった

 

新ジャンルの4WD車プロジェクトは、ジムニーの製作で得た経験を活用したうえで全面的に新開発された。骨格となるフレームは軽量・高剛性を高次元で両立するために3分割の閉断面サイドフレームと最適配置のクロスメンバーからなるハシゴ形を採用。サスペンションはフロントがマクファーソンストラット、リアがトレーリングリンクにセンターウィッシュボーンを組み合わせる。都会の風景にも似合うスマートなルックスを持つボディ(全長3560×全幅1635×全高1665mm/ホイールベース2200mm)には、徹底した防錆処理を実施。内包するインテリアは、従来の4WD車とは一線を画す乗用車ライクなアレンジで仕立てた。搭載エンジンは新設計のG16A型1590cc直列4気筒OHC(82ps)で、ボア75.0×ストローク90.0mmのロングストロークのディメンションに、アルミ製のシリンダーヘッド&ブロック/ピストン/ラジエター、中空式のカムシャフトやクランクピンなどを組み込んで軽量化を図る。注目の4WD機構は、トランスミッションとトランスファーを一体構造とするシンプルなセンタースルー方式を導入した。

エスクード・コンバーチブルモデル。都会派4WDのイメージが強いが悪路走破性も高かった

 

1988年5月、渾身の新4WD車が市場デビューを果たす。車名は「エスクード(ESCUDO)」。ボディタイプは3ドアのハードトップとコンバーチブルを用意し、廉価版として商用車登録のバン仕様も設定した。ちなみに、車名のエスクードは昔のスペインとスペイン語圏の中南米諸国とポルトガルで使用されていた通貨単位に由来。古スペイン金貨のイメージとそうした時代の男のロマン・冒険心等の雰囲気をクルマのイメージと重ねて命名していた。

 

フラッシュサーフェス化したボディラインに前後に配置したブリスターフェンダー、そして扱いやすいボディサイズを持つエスクードは、そのスタイリングや使い勝手のよさが大いに支持され、たちまちヒットモデルに昇華する。海外での評価も高く、北米では「サイドキック(SIDEKICK)」、欧州では「ビターラ(VITARA)」のネーミングで販売された。

都会的なエクステリアに合わせ、インテリアも従来の4WD車とは一線を画す乗用車ライクなアレンジ

 

市場に放たれたエスクードは都会派4WDとしてのキャラクターを強調していたが、実はオフロードの走破性も想像以上に高かった。エスクードでクロカン走行を楽しむユーザーによると、「リアアクスルの位置決めにレンジローバーのようなAアームを使っているので、足がよく動いて丈夫」、さらに「センタースルー方式の4×4がシンプルで耐久性に富んでいる」という。このあたりは、ジムニーで培った技術的ノウハウが活かされたところだろう。

 

■バリエーションの積極的な拡充

1990年9月には5ドアの「エスクード・ノマド」が登場する

 

堅調な販売成績を記録するエスクードは、1990年8月になるとマイナーチェンジを行い、エンジンヘッドのOHC16V化(100ps)やATの4速化などを実施する。翌9月にはホイールベースを280mm伸ばして5ドアワゴンに仕立てた「エスクード・ノマド(NOMADE。遊牧民の意)」を発売し、ユーザー層を拡大。さらに10月には、コンバーチブルをベースとするレジントップをリリースした。

 

1994年12月になると、2機種のエンジンが新設される。ひとつはVの角度を60度に設定したうえでシリンダーブロック/シリンダーヘッド/ヘッドカバー/アッパーオイルパンにアルミ材を採用したH20A型1998cc・V型6気筒DOHC24Vユニットで、最高出力は140psを発生。もうひとつは業務提携を結ぶマツダから供給を受けるRF型1998cc直列4気筒OHC渦流室式ディーゼルターボで、最高出力は76psを絞り出した。エンジンの出力アップに即してトレッドを拡大したオーバーフェンダー付きのワイドボディ(全幅1695mm)も設定。内外装の一部デザインも変更する。また、1995年2月からはマツダにOEM供給され、「プロシード レバンテ(PROCEED LEVANTE)」の車名で販売された。

 

1990年代中盤以降はライバル車の追撃もあり、販売成績は徐々に低迷していく。打開策として開発陣は、1996年10月に渾身のマイナーチェンジを敢行。パワートレインのラインアップを刷新し、3機種の新エンジンを採用した。ひとつめはフラッグシップユニットとなるガソリンのH25A型2493cc・V型6気筒DOHC24V。従来のH20A型のボア×ストロークを78.0×69.7mmから84.0×75.0mmにまで拡大し、加えてマイクログルーブドベアリングなどの新技術も採用したH25A型は、160psの最高出力を発生する。2つめは高効率インタークーラーとセラミックタイプ・グロープラグを新採用したRF型1998cc直列4気筒OHC渦流室式ディーゼルターボで、最高出力は92psにまで向上する。3つめは新開発のオールアルミ製J20A型1995cc直列4気筒DOHC16Vのガソリンユニット。16ビットマイコン制御やマルチポイント式EPI、ダイレクト・アクティング・バルブなどを組み込んだJ20A型は、140psの最高出力を絞り出した。また、駆動システムは走行中でも2Hと4Hが切り替えられるドライブセレクト4×4に改良。さらに、内外装デザインのさらなる上質化やグレード名の変更(ハードトップ系は3ドア、ノマド系は5ドアに改称)などを図った。そして、デビューから9年半あまりが経過した1997年11月になるとフルモデルチェンジを実施。GM色の濃いスタイリングを持つ第2世代に移行した。

 

都会派4WDというコンセプトを確立し、世界中にライトSUVのムーブメントを巻き起こすきっかけをつくった初代エスクード。スマートなスタイリングにオールラウンドの走行性能を有した意欲作は、それまでの4WD車のイメージを大きく変えるエポックメイキングとなったのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【1分理解】限定車からカタログモデルへルノー「トゥインゴGT」ってどんなクルマ?

注目モデルをコンパクトに紹介するこのコーナー。今回は卓越した走りが魅力のルノー トゥインゴGTを取り上げます。

 

即完売した限定車がカタログモデルに昇格 

ルノー

トゥインゴGT

SPEC【MT】●全長×全幅×全高:3630×1660×1545㎜●車両重量:1010㎏●パワーユニット:897㏄直列3気筒DOHC+ターボ●最高出力:109PS/5750rpm●最大トルク:17.3㎏-m/2000rpm●カタログ燃費:非公表

 

AT車とは思えないほどの痛快な走りを堪能できる

トゥインゴGTは、昨年MT仕様の200台限定モデルとして登場し、あっという間に完売したことで話題となりました。この人気を受けてカタログモデルへと昇格を果たし、それに伴い新世代ATである6速EDC仕様が追加。持ち前のスポーティな走りを、より気軽に楽しめるようになりました。

 

ルノーの「武闘派集団」と言われるルノー・スポールがチューニングを手がけただけあって、その走りは痛快そのもの。RR駆動(リアエンジン・リアドライブ)ゆえに鼻先が軽く、ハンドリング性が抜群でした。少し走っただけで実感できる“身のこなし”の良さは、まさにスポーツカーのそれです。エンジンの味付けも絶妙で、AT車でもMT派も納得できる仕上がりでした。

 

【注目ポイント01】随所にオレンジのアクセント

室内の随所にオレンジのアクセントを入れたスポーティな仕立て。MTのシフトノブは適度な重さがある合金(ZAMAC)製で操作感は上々です。

 

 

【注目ポイント02】左側のインテークとホイールがGTの目印

リアエンジンを強調するサイドインテークや、ショーモデルに通じる17インチホイールなどがGT独自のパーツ。ボディカラーは2色を用意しています。

バッテリー約28%増強でより長く乗れる! 初めての1台にぴったりな子ども乗せ電動アシスト自転車「ビッケポーラーe」

ブリヂストンサイクルは、バッテリー容量を約28%増加して走行距離を伸ばした子ども乗せ電動アシスト自転車「ビッケポーラーe」の2019年早期モデルを6月上旬に発売します。価格は13万7800円(税抜)。

↑ビッケポーラーe(E.BKブルーグレー)

 

ビッケポーラーeは、フロントチャイルドシートを標準装備している子ども乗せ電動アシスト自転車。最低サドル高は70cm、全高は103.5cmで、フロントチャイルドシートを標準装備しているタイプの電動アシスト自転車としては、最も視界良好のフレーム設計となっており、「久しぶりに自転車に乗る」「運転に自信がない」「安定感を重視したい」という方に最適なモデルとなっています。

 

今回の新モデルでは、電池容量を従来モデルの12Ahから約28%増の15.4Ahとし、エコモード時の走行距離を78kmに伸長。さらに、自転車本体の軽量は維持し、広くてゆったり乗れる幅広チャイルドシート「スマートシート」も採用しています。

 

このほか、数字でバッテリー残量を表示する「デジタル3ファンクションメーター」や、雨の日でもしっかり止まる「スマートコントロールブレーキⅡ」などうれしい機能も搭載。アシストモードは、強・標準・オートエコ・アシストオフの4モードから選択できます。

 

カラーは、T.レトロブルー(ツヤ消しカラー)、E.BKブルーグレー、E.BKダークグレー、E.BKホワイト、T.レトログレージュ(ツヤ消しカラー)、T.レトロレッド(ツヤ消しカラー)、T.レトログリーン(ツヤ消しカラー)の全7色をラインナップ。

 

初めての子ども乗せ電動アシスト自転車にピッタリなモデルですので、購入を検討されている方はチェックしてみてはいかがですか?

「踏切」は着実に進化していた!! 意外と知らない「踏切」の豆知識

私たちが日ごろ、何気なく通る踏切。鉄道の安全を守るために必要不可欠な設備だが、実は調べてみると、いろいろな機器が取り付けられ、形もいろいろあることがわかった。そこで、2回にわたり鉄道の安全運行に欠かせない踏切を紹介していこう。

 

こんなにいろいろあったとは!! 踏切の機器一覧

まずは踏切を使う側が、知っておきたい踏切の基礎知識から。

 

次の写真は東京北区にあるJR東北本線の井頭踏切。京浜東北線、東北本線、湘南新宿ラインなどの電車が絶え間なく走る。列車の通過本数は多いが、踏切施設としてはごく一般的な形だ。とはいえ、ご覧のように、細部を見ると、さまざまな機器が取り付けられていることが分かる。

踏切には、鉄道の安全運行を守るため、これだけの設備が必要ということなのだ。まずは踏切には黄色と黒で色分けされた柱が付く。この柱は「踏切警報器柱」という名称で、1番上に黄色と黒に色分けされた×印が付いている。これは「踏切警標」と呼ばれている。そしてその下に「踏切警報灯」が付く。これが大半の踏切にある基本的な設備だ。

 

なかでも利用者が目を向けることが多いのが、赤く点滅する「踏切警報灯」ではないだろうか。形もいろいろ。そんな踏切警報灯に、まず注目した。

 

形いろいろ「踏切警報灯」。省エネタイプも登場

踏切を利用する人やクルマへ注意を促すために、赤く点滅。踏切の機器のなかでも最も目立つ存在なのが、踏切警報灯だ。この踏切警報灯、実はいろいろな形がある。まとめたのが下の写真だ。

長く使われてきて、おなじみな形が片面形だろう。赤い警報灯を取り囲むように黒い円形の鉄板が付く。警報灯の上に傘が付くものも多い。筆者も踏切の警報灯は、いまもこの片面形が一般的なのだろうと、思っていた。だが、実際に巡ってみると、形の違う警報灯がすでに多く普及していることがわかった。

 

それが全方向形、またぼんぼりの形のような全方位形と呼ばれるタイプ。前後の両面が点滅する両面形もある。片面形をのぞき、近年になって使われるようになった形のものだ。これらの新しいタイプの良さは、片面形と比べると、見る角度に関係なしに点滅していることが見える点だろう。

 

片面形の場合、線路と交わる道路が1本の場合は良いが、数本の道路が交差しつつ線路をまたぐ場合にやっかいだ。片面形の場合には、角度が異なる道路ごとに警報灯を装着する必要があり、経費がそれだけかさむ。片面形でなく全方向形で対応すれば、2灯の装着で済む。最近はLEDライトを利用した警報灯も生まれ、省エネの効果も期待できるようになっている。

↑踏切に交わる道路の角度にあわせて片面形の警報灯を付けた例。道路にあわせて4灯の警報灯が付く。これが全方向形であれば、2灯で済むので設置費用も割安となる

 

古くから使われる片面形の警報灯だが、鉄道会社で異なる形のものを使っている例もあった。愛知と、岐阜両県に路線を持つ名古屋鉄道(名鉄)だ。この名鉄の踏切はほとんどが、取り囲む黒い板が四角。全国的にも珍しい形だと思われる。

↑名古屋鉄道(名鉄)の踏切は写真のような黒い板の中に丸い警告灯が納まる形。あくまで筆者が確認した範囲だが、名鉄の踏切のみの特徴かと思われる

「遮断かん」は折れにくいカーボンファイバー製が主流に

通常、私たちが遮断機と呼んでいる、踏切を遮断するシステム。実は遮断機は、踏切を遮るさおを下ろす機械「電気踏切遮断機」と、遮るさお「踏切遮断かん」(「かん」は漢字ならば「桿」)で構成されている。

 

この踏切遮断かんには、以前は竹ざおが利用されることが多かったが、いまはFRP(繊維強化プラスチック)が広く普及するようになっている。カーボンファイバーとも呼ばれる素材で、軽くて強い。

 

強いとはいえ、踏切内に閉じこめられたクルマが脱出しようとしたときには折れることもある。そのために踏切遮断かんと電気踏切遮断機の間に、遮断かん折損防止器という装置が付けられることが多い。これで、多少の角度までならば、遮断かんが折れないように工夫されている。

↑遮断機は、動作する部分の電気踏切遮断機と、遮断かん折損防止器、遮断かんで構成される。遮断かんには、のれんのような注意喚起用のパーツが付けられた踏切もある

 

↑竹ざおを使った遮断かんも一部の踏切では残っている。また、注意喚起用にリフレクター(反射板)を付ける鉄道会社もある

 

電子音が主体の「警報音発生器」。珍しい音色が聞ける路線も

踏切では踏切警報灯と、音で電車や列車の接近を伝えている。この音を発生させる装置は「警報音発生器」と呼ばれる。

 

いま、全国の多くの踏切の警報音は「電子音式」になっている。カンカンカンカン……という良く耳にするあの音だ。踏切警報器柱の上に取り付けられたスピーカーで、この音が流されている。

 

いまや電子音が大半を占めるなか、レトロな音色が聞ける線区がまだ残っている。例えば千葉県内を走る小湊鐵道。始発・五井駅すぐそばの踏切・五井踏切では「電鈴(でんれい)式」とよばれる警報音を聞くことができる。柱の上に鐘がついていて、この鐘を鳴らすことで警報音が生まれる。「チンチンチンチン……」という郷愁あふれる音色が楽しめる。

 

この鐘を鳴らす方式には、「電鐘(でんしょう)式」とタイプもある。鐘を鳴らす方式はおなじだが、電鐘式のほうが柱の上にのる鐘が大きく、音はやや重め。三重県内を走る三岐鉄道三岐線の踏切などで見ることができる。

↑小湊鐵道の五井踏切。電鈴式というレトロな警報音を聞くことができる。柱の上にのる鐘を鳴らして音を出される仕組みだ

 

↑三岐鉄道の山城8号踏切では電鐘式と呼ばれる警報音が聞ける。柱の上に音を奏でる鐘が付けられている

 

警報音は電子音だが、近づく電車の動きに合わせて音のスピードが変わる踏切がある。それは京成電鉄の踏切。上りか下り、どちらかの一方の電車が通過するときは、通常の電子音での警報のみ。一方の電車が通過、さらに逆側からの電車が近づいたときは、電子音のスピードが早まる。まだ電車は来ますよ、という注意をうながし、また切迫感が伝わるように工夫されている。

↑京成電鉄の踏切では、上下電車が通るときのみ、通常とは違う早さの警報音を聞くことができる

 

踏切に欠かせない標識、そして線路部分の説明

踏切部分の設備ではないものの、踏切になくてはならないのが踏切標識。踏切の50〜120m手前に立つ標識で、この先に「踏切あり」ということを示している。この標識、1986(昭和61)年よりも前と後で、立てられた標識の絵が違うことをご存知だろうか。

 

次の写真が古いものと新しいものの違い。左は1986年以前のもので、右が以降に立てられた標識だ。蒸気機関車の運行が減ったことで、描かれた絵が電車に変更された。電車が走らない地域では、気動車の絵も使われている。

↑左が1986年までの「踏切あり」の標識。いまも残されている路線もある(写真は小湊鐵道)。右は1986年以降に立てられた標識。電車がデザインされている

 

最後に踏切の足元にも目を向けておこう。踏切を通る道路上には特別な仕組みが用意されている。レールの内側に踏切ガードレールというレールが付けられているのだ。レールと踏切ガードレールの間にはすき間がある。このすき間は車輪のフチにある出っぱり部分、フランジを通すためのものだ。踏切ガードレールがあり、その中には踏み板が付けられていて、人やクルマの通行に支障が生まれないように工夫されている。

↑人やクルマが通る踏切の足元の構造物にも名前が付いている。電車の車輪が通り抜けられるように、レールと踏切ガードレールの間には、すき間が設けられている

 

このように、踏切には必要不可欠な機器や設備が多く用意されている。次回は、安全への備え、さらに、走行中の電車への情報の伝わり方、そしてもしものことに出くわしたらどうしたら良いかなど、踏切をめぐる安全に関して目を向けていきたい。

【中年名車図鑑】国産ミニバンの草分け的モデルが、発売当時“ミニバン”を名乗らなかった理由

ミニバンと呼ばれるカテゴリーがすっかり定着した現代の日本の自動車市場。その先駆けとなる1台が、1982年に登場した日産プレーリーだ。センターピラーレスのドアに開放的な室内、多彩なアレンジを可能とした3列式シートなど、実用的かつ利便性に優れるそのキャラクターは、後の自動車シーンに大きな影響を与えた。今回は国産ミニバンの草分け的なモデルの話題で一席。

【Vol.68 初代 日産プレーリー】

厳しい排出ガス規制やオイルショックの混乱を持ち前の創意工夫で乗り越えた日本の自動車メーカーは、1980年代に入るとクルマの性能向上や新ジャンルの開拓に力を入れ始める。そんな状況のなか、日産自動車は“世界初のニュー・コンセプトカー”というキャッチフレーズを冠した新ジャンルのモデルを1982年8月にリリースする。ビッグキャビンにショートノーズの1.5ボックスボディ、従来は商用車だけに使われていたリアスライドドアを採用するそのクルマは、「プレーリー」(M10型)と名乗った。

 

車名のプレーリー(PRAIRIE)は大草原を意味する英語である。当時のプレスリリースによると、「このクルマの持つ広がりや無限の可能性を象徴するネーミングとして採用した」という。大型レジャーや大容量の荷物の運搬など、ユーザーのさまざまな使い方に広く対応するクルマ、という開発意図を車名に込めたわけだ。ちなみにプレーリーの開発主管を務めたのは、旧プリンス自動車工業のエンジニアで櫻井眞一郎氏のもと歴代スカイラインの開発に参画し、後に8代目のR32型スカイラインの開発主管、さらにはGT-R(BNR32型)の復活を実現した伊藤修令氏だった。

 

プレーリーは一見すると背の高い小型クラスのワゴンボディ(全長4090×全幅1655×全高1600mm/ホイールベース2510mm)だが、その中身は新しさに満ちあふれていた。まず驚かされたのがセンターピラーレスのドアだ。フロントの前ヒンジドアとリアのスライドドアを全開すると、広大な開口部が現れる。しかも左右のドアともにフルオープンを採用していた。フロア面もフラットで低い。T11型系スタンザのFFコンポーネントやVN10型系パルサーバンのリアサスを流用し、キャビン部に余計な突起物を設けなかったことが効果を発揮している。広いガラスエリアも、室内の開放感アップに大きく貢献していた。

JWシリーズのインテリア。フルフラット機構や2列目の回転対座機構を有する3列式シートの設定も

 

シート配列はグレードによって異なる。JWシリーズは3列式シートで、3/3/2名乗車の8人乗り。1/2列目のフルフラット機構や2列目の回転対座機構(JW-Gグレードに設定)など、現代のミニバンに共通する機能装備を盛り込んでいた。RVとSSシリーズは5人乗車の2列式シートで、後席の居住性とラゲッジスペースの使い勝手を重視している。さらにビジネスモデルのNVシリーズもラインアップした。シリーズ名のアルファベットは、それぞれ意味を持っている。JWはジョイフル・ワゴン、RVはレクリエーショナル・ビークル、SSはスペース・セダン、NVはナイス・ビークルの略だった。

 

搭載エンジンにはCA18型1809cc直列4気筒OHC(100ps)とE15型1487cc直列4気筒OHC(85ps)の2機種を設定し、駆動方式にはFFを採用。懸架機構には専用セッティングの前マクファーソンストラット/後トレーリングアームを組み込む。車重が1トン前後に収まっていたため、加速性能は思いのほか良好。しかも低重心のボディ構造の恩恵で、ハンドリングの不安感も小さかった。一般的な2ボックス車の感覚で運転できたことが、初代プレーリーの走りの特徴といえた。

 

■国産マルチパーパスビークルの礎の1台に昇華

ビッグキャビンにショートノーズの1.5ボックスボディ。従来は商用車だけに使われていたリアスライドドアを採用する

 

新しいジャンルを開拓したプレーリーのコンセプトは、他メーカーでも大いに注目された。三菱自動車工業ではシャリオなどが追随。また、米国ではほぼ同時期に元祖ミニバンと称されるクライスラー・グループのダッジ・キャラバン/プリマス・ボイジャーが、欧州ではフランスのルノーによるモノスペース車のエスパスが登場し、マルチパーパスビークルのカテゴリーに参入してきた。

 

自動車業界では脚光を浴びたプレーリーだが、販売成績はデビュー当初を除いてそれほど振るわなかった。当時はハイテク満載の高性能スポーツモデルが脚光を浴びていたからである。テコ入れ策として日産は、プレーリーの車種展開の拡大や機構面の改良を精力的に実施していった。

 

まず1983年中には、装備を充実させた特別仕様車の「50スペシャル」や「エクストラ」を発売。1984年1月にはエクストラJWおよびエクストラJW-Gを追加する。1985年1月になるとマイナーチェンジを行い、バンパーごと開口していたリアハッチゲートをバンパー上端から開口するタイプに変更してリア剛性を高め、さらにリアクォーターウィンドウを上方へと拡大して開放感をアップさせる。同時に、内外装デザインの一部変更やパワートレインの改良なども実施した。同年9月にはC20S型1973cc直列4気筒OHCエンジン(ネット値91ps)を搭載するパートタイム4WDモデルを設定。リア懸架にはリバースAアーム式ストラットサスペンションを組み込む。また、翌10月には4WDモデルの特別仕様車となる「ウィンタースペースワゴン」をリリースした。

 

多様なリファインを図っていったプレーリーは、販売台数こそ大きく伸びなかったものの、アウトドアレジャー好きを中心に熱心な固定ファンを獲得する。この種のマルチパーパスビークルの潜在ユーザーを確認した開発陣は、より利便性が高くて高性能な次期型の開発に邁進。1988年9月には第2世代のM11型を市場に放つこととなった。

 

■デビュー当時のプレーリーはミニバンではなかった!?

「大型レジャーや大容量の荷物の運搬など、ユーザーのさまざまな使い方に広く対応するクルマ」を狙った。まさに現代のミニバンのコンセプトだ

 

ちなみに、発売当初のプレーリーは後に乗用車の1カテゴリーとして定着する“ミニバン”の名称は使わなかった。当時はバン=商用車というイメージが強く、ユーザーが限定されると予想したからである。プレーリーもJW、RV、SSがセダン、NVがエステートと称していた。ミニバンの呼称が一般に普及し始めたのは1980年代終盤に入ってから。北米市場でクライスラー・グループのミニバンが大人気を博し、競合他社も追随。日本でも多くのメーカーが新型ミニバンをリリースした。余談だが、日本ではかつてミニバンを車名に使ったクルマが存在した。富士自動車が1961年に発表した軽商用車が「ガスデン ミニバン」を名乗っている。

 

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著者プロフィール

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

パナ、電動アシストMTB「XM2」発表! サイクリングツアーなど“コト体験”も提供でいよいよスポーツ電アシ時代到来か

パナソニックサイクルテックは、スポーツタイプの電動アシスト自転車の新製品として、電動アシストマウンテンバイク「XM2」、「XM1」および電動アシストクロスバイク「XU1」の3モデルを7月2日に発売します。価格はXM2が38万円、XM1が33万円、XU1が22万5000円。

 

パナソニック サイクルテックの片山栄一 代表取締役社長によれば、同社が2017年9月に発売した国内初の電動アシストマウンテンバイク「XM1」は、発売から約1か月で当初の年間販売予定台数をクリアし、年度末までに目標台数の約8倍を販売。17年度は過去最高売上を更新し、なかでもXM1が利益率を押し上げる要因になったとのこと。そこで同社ではスポーツタイプの電動アシスト自転車のラインナップを増強し、18年度は前年比2.5倍の売上を目指すとしています。

 

今回登場する電動アシストマウンテンバイク「XM2」は国内初となる「内装2段変速マルチスピードドライブユニット」を搭載し、より幅広いギヤレシオで高い走破性を実現。また、従来比1.5倍となる12Ahの大容量バッテリーを搭載することで、さらなる長距離走行を可能にしています。カラーはマットチャコールブラックと、初回20台限定の特別色モデルとしてフラットアクアブルーが用意されます。

↑XM2(マットチャコールブラック)

 

↑大容量12Ahのバッテリーを搭載

 

↑20台限定となるXM2 フラットアクアブルー

 

また、昨年発売された「XM1」はハンドル幅を680mmに変更し、安定性をさらに向上させるとともに、前照灯をバッテリ給電式に変更することでライド中の電池切れの不安を解消しています。

↑XM1(マットチャコールブラック)

 

新たにラインナップに追加された電動アシストクロスバイク「XU1」は、都市を軽快に移動するアーバンコミューターとしての位置づけ。クロスバイクとしては異例の、幅50mmのワイドタイヤで快適な走行を実現。また雨天に対応したアルミフェンダー、日常使いに便利なアルミリヤキャリヤも標準装備しています。カラーはシャインパールホワイトとマットロイヤルブルーの2色。

↑XU1(シャインパールホワイト)

 

↑XU1(マットロイヤルブルー) ※パニアバッグは別売

 

“コト体験”を重視したサイクリングツアー事業も

同社では、電動アシスト自転車を販売するだけでなく、サイクリングツアーによる“コト体験”を提供するサービスや、観光地やリゾート地などでレンタルサービスなどもも今年度中に開始予定。4年後には、こうしたサービス事業による売上を全体の1割、利益額で全体の2割程度にまで成長させたいとしています。

 

そうしたツーリング事業に協力するビジネスパートナーとして、多くのサイクリングツアーを企画してきたサイクリングインストラクターの平野由香里さんが登場。平野さんによれば、これまでサイクリングツアーの参加者は30~40代の男性が多かったそうですが、年々参加者の年代層が拡大しており、60代のアクティブシニア層や女性の参加者も増えているようです。

↑サイクリングインストラクターの平野由香里さん

 

平野さんの思うサイクリングの魅力は、「自動車などと違いフルオープンで広大な景色を楽しめ、季節の空気を全身で体感できること。いつもと目線の高さや移動スピードが違うので、非日常を体験できること。仲間と一緒に楽しめること」だそう。

 

パナソニックでは、平野さんのようなインストラクターの協力を受け、電動アシスト自転車に乗る楽しさを体験できるサービスを提供し、新たなユーザーを呼び込むとしています。

↑全日本実業団自転車競技連盟の理事長を務める片山右京さん(右)も登場

 

【1分でわかる】日産 セレナ e-POWERってどんなクルマ?

注目モデルをコンパクトに紹介するこのコーナー。今回は独自の電動パワートレインを積んだ人気ミニバン、日産 セレナ e-POWERを紹介します。

 

最長で約2.7㎞ながらフルEVとしても走行可能

SPEC【ハイウェイスターV】●全長×全幅×全高:4770×1740×1865㎜●車両重量:1760㎏●パワーユニット:1198㏄直列4気筒DOHC●最高出力:84PS/6000rpm●最大トルク:10.5㎏-m/3200〜5200rpm●モーター出力:136PS●モータートルク:32.6㎏-m●カタログ燃費:26.2㎞/ℓ

 

大人気ミニバンに「e-POWER」を搭載!

トヨタのノア&ヴォクシーや、ホンダのステップワゴンなどと熾烈なミニバンシェア争いを繰り広げるセレナに、日産独自の電動パワートレイン「e-POWER」仕様が追加されました。これは発電専用のガソリンエンジンに駆動/充電用電気モーターとリチウムイオンバッテリーを組み合わせたシリーズ式ハイブリッドで、ノートでも導入済み。セレナでも、電気モーターならではのスムーズな加速と静粛性の高さが実感できます。

 

また、最長で約2.7㎞とはいえ「マナーモード」を選択すれば完全なEV走行も可能。持ち前のユーティリティの高さはそのままに、“未来のクルマ”感覚が楽しめます。ライバルに対する大きなアドバンテージとなりそう。

 

【注目ポイント01】専用装備を配置して先進性もアピール 

室内の作りは、基本的に従来からのセレナと変わらない。しかし、電子制御のシフトセレクターやモニターの表示を変更して独自性をアピールしています。

 

【注目ポイント02】外観もさりげなくオリジナル仕立てに

サイドスポイラーやLEDのコンビランプ、ブルーのアクセントが入るフロントグリルなどがe-POWERの専用装備。グレードは5タイプを用意しています。

伊豆半島が「E-BIKE」の聖地に!! 第1回 伊豆E−BIKEフェスティバルが5月26日に開催!

5月26日、道の駅「伊豆ゲートウェイ函南」(静岡県田方郡函南町)で新しいサイクルツーリズムの可能性と来るE-BIKEブームに先駆け、E-BIKEの魅力をどこよりも早く、比べて楽しめるイベント「第1回 伊豆E-BIKEフェスティバル」が開催されます。

 

 

伊豆半島E−BIKE革命の舞台は、年間131万人の人々が集まる「道の駅」!

道の駅「伊豆ゲートウェイ函南」は、2017年5月1日にオープンした道の駅。同施設は3つの飲食施設に物産販売所、伊豆半島の観光情報をリアルタイムに伝えるコンシェルジュが常駐する観光案内所や専用オープンスタジオを用意し、伊豆地方の「玄関口(ゲートウェイ)」をテーマに多種多様な展開を行っています。開駅から1年間で約131万人(当初想定の1.87倍)の人々が来場しました。

国内でE−BIKEの販売を行なう7ブランドが大集合!

イベント当日は各ブランドの最新E-BIKEの展示だけでなく、場内での無料試乗体験が実施されます。電動ユニットサプライヤー主要3社のユニットを搭載したE−BIKEが揃うのは国内で初めての試み。各ブランドそれぞれのE−BIKEの特徴を、実際に見て、触って、乗って、比べることができるスペシャルイベントです。

 

【出展ブランド(★マークは試乗できます)

【SHIMANO電動ユニット搭載】
★MIYATA

 

【BOSCH電動ユニット搭載】
★TREK/★CORRATEC/★TERN/MERIDA

 

【YAMAHA電動ユニット搭載】
★YAMAHA

 

【オリジナル電動ユニット、SHIMANO電動ユニット搭載】
★BESV

ほか

*出展ブランドは、フェスティバル当日までに追加される可能性があります。詳しくはフェスティバル公式サイトまで。

 

 

E-BIKE試乗用ショートコース&ビギナーに向けた講習会

試乗用のショートコースとE-BIKE初心者向けの安全講習を実施。誰でも安心してE−BIKEを楽しめる会場も用意されています。最新モデルの試乗体験では一部のモデルを短時間貸し出し。E−BIKEならではの加速感や坂道でのアシスト能力を、伊豆半島の自然のなかで十分に感じることができるはずです。

 

(当日のコースは30分程度で往復できる距離を想定。会場外での試乗には免許証などの身分証明書の預かりが必要となります。会場外で試乗可能なモデルには限りがあります)

 

 

E-BIKEが変える未来の移動手段をテーマにした各トークセッション!

今回のイベントは実車を体験してみるだけではなく、「E-BIKEが変える未来の移動手段」をテーマにE-BIKEの魅力を深く知るためのスぺシャルトークセッションも開催。出演者は20年以上世界のE-BIKE業界の動向に注目してきた自転車ジャーナリスト・難波賢二さんと、2017−2018日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員でもあるモータージャーナリストで、自身もE-BIKEオーナーである島下泰久さんのお二人。「モビリティの電動化とE-BIKE」をテーマに語り、E-BIKEだけでなく、未来のモビリティについて考察します。さらにサイクルスポーツ編集部・江里口恭平さんがE-BIKEで走る伊豆半島の魅力を紹介する予定です。

 

 

■タイムスケジュール5月26日(土)(予定)

10時00分 開場、試乗受付開始

10時00分 「E-BIKEでの伊豆半島の走り方」セルフツアールートガイダンス

11時00分  スペシャルトークショー「モビリティの電動化とE-BIKE」(1回目)

13時40分  スペシャルトークショー「モビリティの電動化とE-BIKE」(2回目)

14時00分 出展ブランド各社による商品紹介プレゼンテーション

15時00分 スペシャルトークショー「E-BIKEで走る伊豆半島」

E-BIKE初心者向け講習会(10時、11時、12時、14時、15時、16時 定員各8名)

18時00分 閉場

 

【開催概要】

名称:第一回 伊豆E-BIKEフェスティバル
会期:2018年5月26日(土) 10:00〜18:00
会場:道の駅 伊豆ゲートウェイ函南
〒419-0124 静岡県田方郡函南町塚本887-1

公式サイト:http://izu-ebike.jp
主催:加和太建設株式会社
後援:函南町、狩野川周辺サイクル事業推進協議会、静岡県東部地域スポーツ産業振興協議会

“電動カー祭り”だった北京モーターショー、その理由は? 欧州/日本/中国の動向を探る

年間販売台数は約2900万台と、9年連続で世界一の自動車市場となっている中国。それだけに中国で開催されるモーターショーは半端じゃない盛り上がりを見せる。なかでも1年ごとに交互開催される北京と上海で開かれるモーターショーは、世界中のブランドが集まることでも知られている。今年は北京での開催年。その北京モーターショーについてレポートする。

↑会場は北京国際空港にほど近い「北京中国国際展覧センター」。上海と違って多少老朽化は進んでいたが、会場はとにかく広い!

 

“電動車祭り”の背景にあるのは中国の新政策!?

北京モーターショー2018は、2年前の前回と同様、北京市郊外にある「北京中国国際展覧センター」で開催された。展示エリアは22万㎡で、これは2017年に開催された東京モーターショーの2.5倍以上の規模。出展企業は部品メーカーを含めると1800社にも及び、105台の世界初公開車を含む計1022台を展示した巨大イベントなのだ。

↑会場はどこへ行っても多くの来場者であふれ、取材も思うようにできないほど

 

世界中から大半の自動車ブランドが出展していると見られ、いまや世界の自動車業界で最も影響力のあるイベントと言っていいだろう。その中国でいま最も注目されているのが、電気自動車(EV)を中心とした電動車両の動向である。

↑EVコーナーは特に中国系メーカーに目立って多かった

 

中国では長い間、化石燃料を原因とするPM2.5に悩まされてきた。その切り札として打ち出された政策が、2019年からスタートする「NEV(新エネルギー車)規制」だ。これは各自動車メーカーに対して大量のEVの販売と生産を義務付けるもので、しかも、その車両はすべて中国製バッテリーを使うことを条件とする。

 

その背景には経済的な事情がある。EVといえどもクルマとしての性能を高めるには一朝一夕には行かないが、電動車両が増えればバッテリーの需要は増え、それが中国国内の産業にとってメリットが大きいというわけだ。

 

そんななかで行われた今年の北京モーターショー、会場はまさにEV、プラグインハイブリッド車(PHEV)、そして燃料電池車(FCV)など、“電動車祭り”といった状況だった。

 

中国で強い存在感を誇るドイツブランド各社の動向は?

中国で強い存在感を誇るドイツのブランドもその例外ではない。輸入車勢でもっともシェアが高いフォルクスワーゲンは、今年3月のスイス・ジュネーブショーで公開したEVの最上位モデル「I.D.VIZZION」を2022年までに中国で発売すると発表。プラットフォームはEV向けの「MEB」を採用し、最新の自動運転機能を搭載する。

↑フォルクスワーゲンのEVコンセプト「I.D.VIZZION」(写真上)。会場では、乗車した気分を写真で体験できる合成写真コーナーもあった(写真下)

 

BMWは初のピュアEV「コンセプトiX3」のワールドプレミアを行った。現行では「X5」にPHVの設定があるが、完全なEVパワートレインは今回が初。そのスペックは、最高出力200kW(約272ps)以上を生み出すというモーターを備え、400km以上の航続距離を誇る。

↑BMWは初のピュアEV「コンセプトiX3」のワールドプレミア

 

圧巻だったのは、メルセデスベンツがワールドプレミアしたマイバッハのEVコンセプト「アルティメット ラグジュアリー」だ。「SUVとサルーンのDNAを融合させた、3ボックスデザインの極めてモダンなSUV」とされ、最上級の贅沢が体感できるインテリアはクリスタルホワイトで統一されつつも、伝統の高い着座位置が確保されている。最高出力は550kW(748ps)で、1回の充電あたりの航続可能距離は欧州基準のNEDCモードで500km以上。5分間で走行100km分に相当する充電が可能という。

↑マイバッハのEVコンセプト「アルティメット ラグジュアリー」

 

また、中国の吉利汽車(ジーリー)の資本参加を受けるスウェーデンのボルボも電動化へ急速にシフトしている。北京モーターショー2018でボルボは2025年までに世界で販売する車両の半数をEVとすることを宣言。すでに昨年、同社は2019年以降に投入する新型車はすべて電動化(PHV含む)することを発表しており、ボルボの電動化戦略は着々と進んでいるようだ。会場では発売して間もない小型SUV「XC40 」にPHEV「T5ツイン・エンジン」を搭載したモデルを出展して注目を浴びた。このエンジンはジーリーと共同開発したもので、1.5ℓ3気筒エンジンにモーターが組み合わされる。

↑ボルボは、親会社ジーリーと共同開発したPHEV「T5ツイン・エンジン」をXC40に搭載した

日産、トヨタ、ホンダら日本勢の戦略は?

日本勢はどうか。

 

もっとも電動化に向けて力が入っていたのが日産だ。中国市場で日産がシルフィをベースにEV化した「シルフィ ゼロ・エミッション」を公開。2018年後半にも中国市場で販売する計画だ。根幹となっているのは日本でも販売されているEVである「リーフ」で、その技術やプラットフォームを流用。航続距離は338kmとした。

 

電池は中国製だが、モーターやインバーターは日本製となる。日産グループとしては、グループの「ヴェヌーシア」ブランドでコンパクトカーEVを投入済みだが、販売はいまひとつ。そこで最も売れているシルフィ(昨年の販売実績は約42万台)をEV化して実績をさらに伸ばしていきたい考えだ。

↑日本勢で大きな話題となったのが、日産の新型EV「シルフィ ゼロ・エミッション」。中国国内で2018年中に発売を予定する

 

↑中国初公開となる「ニッサンIMx KURO」。将来の「ニッサン インテリジェント モビリティ」を体現するクルマとして発表された

 

日産は今年2月、中国における日産の合弁会社「東風汽車」の中期計画を発表。それによると2022年までに年間販売台数を現在の150万台から100万台以上も上乗せするという、極めて野心的な計画だ。4月より東風汽車の総裁に就任した内田 誠氏は、「中国は変化がとにかく早い。そのニーズに合わせてタイミング良く出していく必要がある」とし、すべてのブランドに渡って20以上の電動化モデル(ゼロエミッションとe-Power※)投入を計画。2018年と2019年には日産、ヴェヌーシア、東風で6車種の電気自動車の投入する予定だ。※現時点でe-PowerはNEV規制対象外

↑「変化が早い中国にタイミング良く出していく」と話す東風汽車総裁の内田 誠氏

 

トヨタが北京モーターショーで投入したのは「C-HR」と、兄弟車の「IZOA」だ。新世代プラットフォーム「TNGA」を採用し、中国市場への投入は昨年11月に投入したカムリに続く2車種目となる。トヨタはこの2車種をベースとしたEVを2020年に投入すると宣言。さらに初のPHVとして「カローラ」と「レビン」も発表した。中国のNEV規制ではPHVは含むものの、トヨタが強みとするHVは含まれない。今後はモーターやインバータ、電池という電動車に必要な基幹部品の現地化を急ぎ、NEV規制に対応していく。

↑中国市場第2弾となるTNGAを採用した「C-HR」を投入。写真はその兄弟車「IZOA」

 

↑トヨタが中国で初めて発売するPHV「カローラ」。「レビン」はその兄弟車

 

ホンダは、中国専用EVのコンセプトカー「理念EVコンセプト」をワールドプレミア。中国の本田技研科技有限公司と広汽本田汽車有限公司(広汽ホンダ)との共同開発によるもので、詳細なスペックは不明だが、広汽ホンダの自主ブランド「理念」のラインナップとして2018年中の発売を予定する。そのほかホンダでは、中国国内で2018年後半に発売を予定している「アコード ハイブリッド」を広汽ホンダで、同じ時期に東風ホンダから発売を予定する新型セダンのコンセプトモデルとして「インスパイア コンセプト」を出展した。

↑ホンダがワールドプレミアした中国専用EVのコンセプトカー「理念EVコンセプト」

 

↑新型セダンのコンセプトモデルとして東風ホンダが発表した「インスパイア コンセプト」

 

中国メーカーのブースにも大勢の人だかり

最後に中国メーカーに話を移そう。最も際立つ存在だったのが、中国を代表する高級車メーカー「紅旗(ホンチー)」が発表した「E境GTコンセプト」である。フロントマスク両端の切り立ったエッジだけでなく、フロントグリルからボンネットに走る赤いラインは、明らかに紅旗の一族であることを誇示。これまでセダンを主にラインナップしてきた同社だが、このコンセプトモデルでは大胆なクーペデザインを採用している。輸入車が常識だった中国のラグジュアリークーペ市場に一石を投じるモデルとなったことは間違いない。

↑圧倒的存在感を放っていた紅旗のラグジュアリークーペ「E境GTコンセプト」

 

中国のEVメーカーの代表格といえば「BYD」だ。もともとはバッテリー製造メーカーであるが、現在では3年連続でNEVの量産メーカー世界一にまでなった。今年の主役はSUV「唐」のニューモデルだ。PHVは後輪をモーターで駆動する四輪駆動で、100kmを2リットル以内で走行できる。インフォテインメント「DiLink」は、縦横回転可能な14.6インチのスクリーンや、OTA(オンデマンド・アップデート)、緊急時通報機能など、多くの機能を備える。価格は約25万元(日本円換算:430万円)から。中国ではナンバーが取得しやすいNEVに含まれ、BYDブースは大変な人混みとなっていた。

↑BYDの人気SUV「唐」のニューモデル。PHV以外にガソリン車も用意された。ディスプレイは先進のインフォテイメント「DiLink」

 

中国では2025年時点での生産販売台数を3500万台と見込んでおり、そのうちの約20%をNEV規制対象車とする計画を立てている。これは単純計算で700万台に相当し、そのハードルは極めて高い。というのも、現状ではその占有率は2.4%、約12万台にとどまっているからだ。

 

しかし、自動車メーカーにとっては、たとえ数%のシェアしかなくても分母が大きい中国市場だけに、その方針に従っても十分旨味があるということだろう。折しも欧州を中心に電動化への動きが急展開している最中。今後も中国を軸として自動車の電動化は着時に、かつ急速に進んでいくことになるだろう。

 

 

【中年名車図鑑】RVと稀代のスポーツカーたちに翻弄された5代目セリカ

“流面形”というキャッチとともに、ヒットモデルに昇華した4代目セリカ。開発陣は次期モデルを企画するに当たり、基本コンセプトを維持しながらさらなるスタイリングの進化や新技術の積極的な導入を画策する――。今回はイメージキャラクターに米国の俳優のエディ・マーフィを起用し、WRC(世界ラリー選手権)の舞台ではGT-FOURを駆って念願のダブルタイトルを獲得した5代目セリカ(1989~1993年)の話題で一席。

【Vol.65 5代目 トヨタ・セリカ】

“流面形”というキャッチフレーズを掲げ、1985年8月にデビューしたST160型系の4代目セリカは、そのスタイリッシュなルックスと卓越したパフォーマンスで大好評を得る。市場での注目度の高さという点では、初代セリカ以来の人気車に昇華していた。

 

ヒット作のフルモデルチェンジは、あまり基本コンセプトを変えない――。マーケティングを最重要視するトヨタ自動車にとって、それは規定路線だった。ただし、セリカは斬新なスペシャルティ感覚を前面に打ち出したモデル。次期型はより洗練されたエクステリアを持ち、しかも先進のメカニズムを組み込むことが必須条件とされた。さらに、セリカはWRC(世界ラリー選手権)参戦のベースマシンとしての使命も帯びていたため、高性能エンジンの搭載を前提にしたレベルの高いシャシー性能と耐久性を確保することも課題となった。

 

エクステリアに関しては、“未来感覚”をテーマに曲線および曲面を拡大展開して抑揚のあるニューエアロフォルムのスタイリングを構築する。外観と同様、インテリアについても曲面ラインを多用し、適度な囲まれ感と上質感、さらにはオシャレ感を演出した。

洗練されたエクステリアと先進のメカニズムを組み込むことを必須条件として開発。とくに曲線と曲面を多用した斬新なエクステリアは話題に

 

搭載エンジンは2Lクラスに一本化し、ツインエントリーセラミックターボや空冷式インタークーラーを組み込んだ3S-GTE型1998cc直列4気筒DOHC16Vのツインカムターボ(225ps)を筆頭に、スポーティツインカムの3S-GE型1998cc直列4気筒DOHC16V(165ps)とハイメカツインカムの3S-FE型1998cc直列4気筒DOHC16V(125ps)をラインアップする。懸架機構には各部のジオメトリーや取り付け剛性を大幅に見直した進化版の前マクファーソンストラット/後ストラットを採用。さらに、世界初の新機構となるデュアルモード4WSや電子制御式のハイドロニューマチックアクティブサスペンション、メカニカルセンシングSRSエアバッグも設定した。

 

■“WANTED New CELICA”のキャッチを冠して市場デビュー

エディ・マーフィをキャラクターに起用し、1989年にリリースされた5代目セリカ。コンバーチブルは1年後に登場する

 

1989年9月、第5世代となるST180型系セリカが市場デビューを果たす。キャッチフレーズは“WANTED New CELICA”。イメージキャラクターに映画『ビバリーヒルズ・コップ』のアクセル・フォーリー刑事役で一世を風靡していたエディ・マーフィを起用し、その役柄を活かしたキャッチを新型セリカに冠した。

 

ST180型系セリカの車種展開は、3ドアハッチバッククーペのボディ(全長4420×全幅1690×全高1295~1305mm/ホイールベース2525mm)に3S-GE型/3S-FE型/GT-FOUR専用3S-GTE型の3エンジンを設定する。電子制御式ハイドロニューマチックアクティブサスペンションに4WSやABSなどの先進メカを搭載した「アクティブスポーツ」は、受注生産の形で用意。最強モデルのGT-FOURには、フルタイム4WDの駆動機構に加えて国産車初のトルセンLSDをリアディファレンシャルに組み込んでいた。

 

1990年8月になると、オープン仕様の「コンバーチブル」がラインアップに加わる。さらに、本革シートを標準装備した豪華版のタイプG、GT-FOURをベースに前後ブリスターフェンダーを組み込んでワイドボディ化(全幅1745mm)した「GT-FOUR A」(Aはアドバンスの意味)なども発売された。

 

■WRC参戦のベースモデルが登場

インテリアもエクステリア同様に曲線と曲面を多用。適度な囲まれ感と上質感が持ち味だった

 

意欲的な車種追加を実施したST180型系セリカ。その真打ちといえるモデルが、1991年8月のマイナーチェンジからひと月遅れでデビューする。WRC参戦のためのホモロゲーションモデルとなる「GT-FOUR RC」(RCはラリー・コンペティションの意味)が登場したのだ。ST185Hの型式を持つセリカGT-FOUR RCは、3S-GTEエンジンに耐久性の高い水冷式インタークーラーとメタルタービンを装備し、最高出力は235psを発生。サスペンションやブレーキなども強化タイプに変更する。専用デザインの外装パーツなども注目を集めた。

 

セリカGT-FOUR RCはグループA規定の5000台を生産し、日本では1800台あまりが販売される。残りは当時のトヨタのWRCエースドライバーにちなんで「カルロス・サインツ・リミテッドエディション」のネーミングなどで輸出され、大人気を博した。

 

ちなみに、セリカGT-FOURのワークスマシンは1992年シーズンからWRCの実戦舞台に投入される。この年、エースドライバーのカルロス・サインツ選手が年間4勝を挙げ、ドライバーズタイトルを獲得した。翌93年シーズンはディディエ・オリオール選手とユハ・カンクネン選手をドライバーに迎え、進化版のセリカGT-FOURを走らせる。宿敵のフォード・エスコートRSコスワースやランチア・デルタHFインテグラーレなどを相手に、チームが獲得した勝利は全13戦中7勝。圧倒的な成績でメイクスタイトルを制覇した。また、カンクネン選手がドライバーズタイトルを獲得。トヨタは日本メーカー初のダブルタイトル制覇という偉業を果たした。

 

先進メカを満載し、魅力的な限定車も多数リリースしたST180型系セリカだったが、トータルで見た注目度は先代モデルを下回る。1990年代初頭はステーションワゴンやクロカンなどの4WDモデル、いわゆる“ヨンク”のRVが若者のあいだでブームとなり、従来のスペシャルティカー・カテゴリーの人気はやや低迷していた。さらに、スポーツカーの分野でもBNR32スカイラインGT-RやNSX、ユーノス・ロードスターなどが脚光を浴びていたため、セリカの影は薄くならざるを得なかった。市場の志向に翻弄された5代目セリカ。しかし、そのポテンシャル、とくにGT-FOURの実力は販売実績に関係なく高く評価できるものだったのである。

 

著者プロフィール

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【中年名車図鑑】史上最速のパルサー「アイ・アール」はなぜ誕生したのか?

ブルーバードやフェアレディZ、バイオレットなどを送り込み、世界のラリーの舞台で大活躍したかつての日産自動車。同社は“ラリーの日産”の復権を賭け、N14型系の4代目パルサーをベースにしたWRC(世界ラリー選手権)参戦モデルを企画する――。今回はWRC制覇を目指して1990年に市販デビューを果たした“史上最速のパルサー”こと「GTI-R」の話題で一席。

【Vol.66 日産パルサーGTI-R】

1960~70年代にかけてはブルーバードやフェアレディ240Z、バイオレット160Jなどが、1980年代にはバイオレットGTやシルビア・ベースの240RSおよび200SXなどが大活躍した日産自動車のラリー活動。かつては“ラリーの日産”と謳われるほどの強さを見せていた同社だったが、WRCがグループAの時代に入ってからは目立った成績を残せない状況に陥っていた。市販車の出来がダイレクトに反映され、しかも会社のイメージ向上や販売の伸びにつながる国際ラリーの舞台で、ぜひ復権を果たしたい――。そんな決意を固めた日産のスタッフおよびモータースポーツ部隊は、WRCグループAに本格参戦するラリーマシンの開発に鋭意取り組み始める。社内の啓蒙策として推進されていた「90年代には技術の世界一を目指す」という“901運動”も、この機運を大いに盛り上げた。

 

ベース車を選択する際、開発陣はグループAの特性を詳細に検討し、「コンパクトで機動性に優れる」という理由から次期型パルサー(4代目のN14型系)の3ドアハッチバックをチョイスする。ここに2Lクラスの高性能エンジンを積み込み、確実な駆動力を発揮する4輪駆動システムと組み合わせれば、最高のラリーマシンに仕上がると判断したのだ。

“史上最速のパルサー”と称されたGTI-R。WRC仕様では300ps以上の出力を想定していた

 

搭載エンジンに関しては、アルミ製シリンダーブロックや4バルブDOHCのヘッド機構、スイングアーム式のバルブロッカー、ローラーチェーン駆動のカムシャフトなどを採用するボア86.0×ストローク86.0mm/排気量1998ccのSR20DEユニットをピックアップする。ここに大型のギャレット製ターボチャージャーと大容量インタークーラー(コアサイズW350×H295×T60mm)、さらに4連スロットルチャンバーや大口径インテークマニホールド、ナトリウム封入中空エグゾーストバルブ、クーリングチャンネル付きピストンなどを組み込み、専用チューニングのSR20DETユニット(1998cc直列4気筒DOHC16Vインタークーラーターボ)を完成させた。

 

パワー&トルクはストック状態で230ps/6400rpm、29.0kg・m/4800rpmを発生。WRC仕様では300ps以上の出力を想定していた。組み合わせるトランスミッションは専用セッティングの5速MTで、シンクロ容量のアップやクラッチの強化などを実施する。ギア比は第1速3.285/第2速1.850/第3速1.272/第4速0.954/第5速0.740/後退3.266に設定。さらに、ラリー競技用に同3.067/2.095/1.653/1.272/0.911/3.153のクロスレシオ仕様も用意する。またWRC用には、6速の専用クロスレシオミッションを新規に開発した。駆動メカについては、ビスカスカップリング付きセンターデフ式フルタイム4WDであるアテーサ(ATTESA。Advanced Total Traction Engineering System for All)を、独自のチューニングを施して採用する。リア側にはビスカスLSDも装備した。前マクファーソンストラット/後パラレルリンクストラットのサスペンションも専用セッティング。ショックアブソーバーの減衰力はフロントが伸び側150/縮み側50kg、リアが同80/40kgに設定し、コイルスプリングのばね定数は前2.2/後2.4kg/mmに仕立てた。前ベンチレーテッドディスク/後ディスクのブレーキ機構も強化され、ローター径の拡大やキャリパー剛性のアップ、タンデム倍力装置および冷却エアダクトの装着などを施す。もちろん、ボディ本体やパーツ取付部も入念に補強された。

 

開発陣は内外装についても様々な工夫を凝らす。エクステリアでとくに重視したのはエンジンの冷却性を高めるための機構で、バンパー部やグリルのほか、ボンネットにもエアインテーク&ルーバーを設ける。また、ボディ各部に専用デザインのエアロパーツを装着した。インテリアに関しては操作性の向上に重きを置き、3本スポークの本革巻きステアリングや前席フルバケットシート、3連スポーツメーター(油圧計/油温計/ブースト計)などを奢る。エアコンやオーディオといった快適アイテムも装着できたが、ラリーのベース仕様ではこれらが省略された。

 

■「GTI-R」のグレード名を冠して市場デビュー

操作性の向上に重きを置き、3本スポークの本革巻きステアリングや前席フルバケットシート、3連スポーツメーター(油圧計/油温計/ブースト計)などを装備

 

日産の新しいWRCウェポンは、N14型系パルサーのデビューと同時期の1990年8月に発表される。型式はRNN14で、グレード名は「GTI-R」。車種展開は標準仕様のGTI-Rとラリーのベース仕様という2タイプで構成した。

 

市場に放たれたパルサーGTI-Rは、日産の久々の本格ラリーマシンであることに加え、WRC出場前から多数のCMを打つなどの広告戦略を取ったこともあり、クルマ好きから大注目を浴びる。また、ハニカムグリルのプリントに“PULSAR GTI-R”のロゴを刻んだ表紙で始まる全12ページのカタログは、メカのイラストや写真、それに付随する解説文でぎっしりと埋められ、マニア心を大いに刺激した。

 

市場での大きな話題を集め、販売の出足も好調に推移したパルサーGTI-R。しかし、肝心のWRCグループAでは大苦戦を強いられる。パルサーGTI-R(現地名サニーGTI-R)によるWRCグループAでのワークス活動は、1991年開催のサファリ・ラリーからスタート。このレースでは総合5位と7位を獲得し、上々の滑り出しとなる。しかしその後は、アクロポリス・ラリーで総合9位、1000湖ラリーで総合9位と11位、RACラリーで全車リタイアと、満足する結果は得られなかった。翌92年シーズンになると、モンテカルロ・ラリーで総合7位と9位に入り、スウェディッシュ・ラリーではついに総合3位を獲得する。実はこの順位が、パルサーGTI-Rの最高位となった。その後はポルトガル・ラリーで総合6位、アクロポリス・ラリーで総合9位(ワークス不参加。プライベーターの結果)、ニュージーランド・ラリーで総合6位(同)、アルゼンチン・ラリーで総合9位(同)、アイボリーコースト・ラリーで総合4位(同)に入る。最終戦のRACラリーではワークス参戦を果たしたものの、総合8位に入るのがやっと。小さすぎたボディとホイールベース(標準仕様で全長3975×全幅1690×全高1400mm/ホイールベース2430mm)によるピーキーな運動特性、ホイールストロークとトラクションの不足、さらにエンジン冷却性能の悪さなどが、満足のいく成績が残せない要因だった。

 

■WRCグループAでは活躍できなかったものの――

ラリーのベース仕様も用意された。エアコンやオーディオといった快適アイテムが省略されている

 

苦戦を強いられるWRCグループAでのパルサーGTI-R。その一方で、ベースとなる市販モデルでは細かな改良が続けられた。1991年10月にはトランスミッションのシンクロ容量のアップやクラッチペダルの支持強化板の追加などを実施。さらに1992年8月には、内外装デザインの一部変更やインテークマニホールドサポートの支持強化、オルタネーターステーの追加、リザーブタンクの改良などを敢行する。また、当初は日産栃木工場が製造を担っていたが、1991年5月より当時提携関係にあった富士重工業に移管された。様々なリファインが行われたGTI-Rだが、WRCグループAの舞台では好転が見られず、結果的に1992年シーズンを持ってワークス活動は中止される。この背景には、バブル景気崩壊による日産の急激な業績悪化もあった。

 

WRCのグループAマシンとしては失敗作に終わったパルサーGTI-R。しかし、グループNや国内ラリーのカテゴリーでは多くのプライベーターに高く支持され、成績面でもWRCグループAをはるかに凌ぐ好結果を残す。また市場では、専用パーツを満載した至極のメカニズムがクルマ好きの心を惹きつけ、“アイ・アール(I・R)”の愛称で親しまれながら4代目のモデル末期まで堅実な販売を維持し続けたのである。

 

著者プロフィール

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

まもなく見られなくなる? 終焉近づく「国鉄形電車」のいまと今後【2018年春 保存版】

1987年4月のJRグループ発足前の、国鉄時代に開発され、製造された電車(車両)を国鉄形電車(車両)と呼ぶ。やや武骨な出で立ち。走行音や乗り心地も、現在の静かで乗り心地の良い電車とは、ちょっと差がある。だが、その姿に親しみを感じ、郷愁を覚える人も多いことだろう。

 

長年走り続け、日本の経済発展にも寄与してきた国鉄形電車も、誕生してから30年以上の年月が経ち、終焉も近づきつつある。2018年の3月から5月にかけてそうした車両の著しい動きを見ることができた。

 

いまや残り少ない国鉄形電車のうち、動向が注目される車両と、さらにそうした車両に乗ることができる、また撮影できる路線に注目した。なお、今回は国鉄形電車のオリジナルな姿をなるべく留めた車両を中心に紹介したい。

 

いよいよ見納めか? 関西地区の103系

103系といえば、国鉄形の通勤電車を代表する存在。1963(昭和38)年から1984(昭和59)年まで3500両近い車両が製造され、首都圏を始め、近畿圏の多くの路線で通勤用に使われてきた。この103系が急激に車両数を減らしている。JR西日本が103系の最後の“牙城”となっていたが、大阪環状線や、大和路線(関西本線)、阪和線から、相次いで姿を消した。

 

近畿の都市部路線で残るのは奈良線、さらに朝夕しか運行のない和田岬線(兵庫駅〜和田岬駅間)のみとなっている。奈良線の103系は運行本数も減り、廃車の情報がちらほら見られるようになっている。早々に消えるのは避けられないようだ。最後まで残りそうなのが和田岬線。そのほか、更新され形を変えているが、播但線、加古川線、JR九州の筑肥線といった路線の103系が残りそうだ。

↑奈良線を走るウグイス色の103系。各駅停車用に使われてきたが、阪和線の205系が奈良線に移ってきたことで、103系の運用が急激に減ってきている

 

↑和田岬線の103系。前面窓ガラスのワクが黒ゴムと、鉄道ファンにはたまらないレトロ感を保つ。検査時には207系が代用されることがあり、訪れる際は注意したい

 

近郊形電車113系・115系の行く末は?

103系と同じ時期に造られたのが113系。近郊路線用に開発された直流電車で、この113系を寒冷地区用、急勾配路線用にした115系が造られた。

 

この113系、115系も活躍の場が狭められつつある。JR東日本に残っていた115系はこの春に、高崎地区での運用がなくなり、新潟地区のみの運行となった。その姿も貴重になりつつある。

 

JR西日本では湖西線、草津線で113系の運用が、また山陽本線を中心に113系、115系が多く使われている。新車両の導入が急速に進んでいるものの、あと数年は活躍ぶりを見ることができそうだ。とはいえ、深緑色、また濃黄色といった独自カラーに塗られた姿に、一抹の寂しさを覚える人も多いのではないだろうか。

↑越後線を走る115系。JR東日本で115系が走る地区は新潟地区のみとなっている。新型E129系の増備が進み、ここ数年で115系の姿は見られなくなりそうだ

 

↑湖西線・草津線を走る113系。深緑一色という出で立ちで京都〜近江路を走る

 

↑山陽本線の115系は濃黄色。広島地区では新型227系の進出が著しいが、まだまだ主力として活躍中。連結部側を先頭車としたユニークの姿の115系も走っている

 

↑JR四国にも113系が4両×3編成が残っている。とはいえ前面の姿は大きく変わり、113系の面影を留めていないのが残念だ

 

新快速として活躍した117系が最後の輝きを放つ

117系といえば、国鉄時代に生まれた近郊形電車のなかでは異色の存在。1979(昭和54)年からの製造で、そのころ私鉄の車両にくらべ見劣りした、京阪神地区の車両のレベルを高めるべく開発された。東海道本線を走る新快速列車に投入、速くて快適と沿線の人たちに愛された。そんな華やかな活躍もすでに過去のものとなり、JR東海で走っていた117系はすべて引退、残るはJR西日本の117系のみとなっている。

 

深緑色の117系が湖西線・草津線を、濃黄色の117系が山陽本線などを、オーシャンブルーの117系が和歌山地区を走る。山陽本線、和歌山地区での117系の運用は少なめだが、湖西線・草津線では頻繁に走っている。京都駅まで乗り入れていて、いましばらくは両路線や京都駅で目にすることができそうだ。

 

JR西日本では新車両導入を各路線で進めている。湖西線・草津線の113系や117系も、ここ数年で代わることが十分に考えられる。

↑湖西線・草津線を走る117系。同地区の113系・117系は数年前にほぼ深緑色に統一された。東海道本線・京都駅付近でも、その姿を頻繁に見ることができる

 

↑山陽本線を走る117系は、115系などと同じで濃黄色に塗られている

 

大阪環状線や大和路線が201系の最後の活躍の場所に?

201系が開発されたのは1979(昭和54)年のこと。「省エネルギー形電車」として生まれた。首都圏では中央快速線、中央・総武緩行線などで201系が使われていたが、すでに引退。残るは関西地区のみとなっている。

 

この関西地区でも201系の活躍の場が狭まっている。多く走っていた大阪環状線やゆめ咲線では新型323系の導入が進み、先輩格の103系が先に引退、201系も運用が減りつつある。残りは大和路線(関西本線)・おおさか東線のみとなっている。新型車両の増備で、先に大阪環状線用のオレンジ色車両が消えていきそう。ゆめ咲線用のラッピング電車と、ウグイス色の大和路線用の車両が最後に残りそうな気配だ。

↑大阪環状線を走るオレンジ色の201系。新型323系の増備で、日中、森ノ宮の電車区内に停められていることが多いようだ

 

↑大和路線の普通列車として走るウグイス色の201系。同路線でも後進の221系が増えつつあるが、ここ数年は主力電車として走り続けそうだ

国鉄形の特急電車189系・381系の動向は?

2018年の春、首都圏でその動向が最も注目された車両が、特急形電車の189系だった。1975(昭和50)年、国鉄が信越本線用に造った車両で、近年は中央本線の多くの臨時列車に使われてきた。国鉄時代に生まれた特急らしい姿を保った車両で人気も高かった。

 

189系は6両×4編成が残っていたが、この春に3編成がほぼ同時期に引退となった。まだ走るだろうと思われていた車両だっただけに、多くの鉄道ファンを驚かせることに。残るは長野総合車両センターに配置されるN102編成のみとなっている。一編成のみとなった車両の今後の動向が注目される。

↑長野総合車両センターに配置される189系のN102編成。あずさ色で塗られる。この5月19〜20日には「桔梗ヶ原ワイナリー号」として長野駅〜塩尻駅間を走る予定だ

 

国鉄時代に生まれた特急用の電車には、あと2種類、国鉄形電車が残っている。381系と185系電車だ。

 

1973(昭和48)年に登場したのが381系電車。カーブが多い路線のスピードアップを図るため振子装置が組み込まれた初の車両だった。中央本線などで活躍したが、すでにJR東海に受け継がれた381系は、全車が引退、JR西日本に残る車両のみとなっている。

 

そのうち、紀勢本線、福知山線などを走った381系は、すでに消えて、残るは岡山駅〜出雲市駅間を結ぶ特急「やくも」のみとなった。振子装置の動きに違和感を覚える利用者も多く、人気薄なのがちょっと残念だ。

↑特急「やくも」として走る381系電車。車両はすべてが「ゆったりやくも」カラーで塗られる。JR西日本の381系の運用は、すでにこの「やくも」のみとなっている

 

さて、特急形電車の残り一車両、185系の動向。現在は、東京と伊豆半島を結ぶ特急「踊り子」として多くの車両が使われている。この185系も、今後は中央本線などを走るE257系との入れ換えが予想されている。

 

この185系や、381系の運用が終わるとき(2018年5月時点で両車両とも車両変更の発表は行われていない)に、本当に国鉄形の特急電車が終焉の時を迎えることになりそうだ。

↑特急「踊り子」以外にも首都圏を走る臨時列車として使われる185系。この車両もすでに生まれてから30年以上たっている

 

そのほか今後の動向が気になる車両をいくつか−−

国鉄の最晩年に生まれた車両も徐々にだが、引退する車両が出始めている。そんな晩年生まれで気になる車両をいくつかここで見ておこう。

 

まずは105系。この電車は地方路線用に造られた電車で2両編成が基本。1両が電動車、もう1両は付随車という構成だ。輸送密度の低い路線にはうってつけの電車で、現在はJR西日本管内のみに残る。運行される路線は近畿地方では和歌山線や桜井線など、中国地方では、宇部線、小野田線などだ。

 

そんな105系が走る和歌山線、桜井線に新車を導入することが2018年3月に発表された。広島地区にも導入されている227系で、2両編成×28本が造られる。車載型IC改札機を搭載した車両で、2019年春に登場、2020年春には105系が全車置き換えとなる予定だ。

↑和歌山線を走る105系。オーシャンブルーの和歌山色で塗られる。和歌山線には103系を改造した105系も走る。103系の改造車は写真のようにかつての姿を色濃く残す

 

205系も一部の路線では動向が注目される存在になりつつある。205系は国鉄の1985年に登場した通勤形電車。JRになったあとも増備された。軽量ステンレス製の車体で、最初に山手線に導入されるなど、首都圏ではおなじみになった電車だった。

 

いまでも郊外の路線を走り続けているが、多くが正面の形を変更した更新車両が多くなっている。そんななかで、オリジナルの形をした205系が走っていたのが、武蔵野線だ。この武蔵野線でも、205系の後に造られた209系や、E231系といった車両との置き換えが進められつつある。

 

2018年2月にはJR東日本から武蔵野線を走っていた205系の全車両がインドネシア通勤鉄道会社に譲渡されることが発表された。オリジナル色が強い武蔵野線の205系も近日中に見納めとなりそうだ。

↑長年、活躍してきた武蔵野線の205系だが、全車両がインドネシア・ジャカルタの鉄道会社への譲渡が発表された。ここ1〜2年で209系やE231系に置き換えられそうだ

 

希少な車両ゆえに生き延びている国鉄形電車もある

国鉄時代に生まれた電車のなかで、希少な存在なだけに、いまも重宝される電車がある。そんな国鉄形電車の話題にふれておこう。

 

まずは123系。この123系、荷物用電車として生まれた。1両の前後に運転席があり、1両で運行できるように造られている。鉄道での手荷物・郵便輸送が、廃止されたこともあり、国鉄時代の最晩年に、13両が一般乗客向けの電車に改造された。現在、残るのはJR西日本の5両のみ。宇部線、小野田線といった路線で使われている。

 

JR西日本では1両で運行できる125系をすでに開発していて、小浜線、加古川線で利用している。とはいえ、やはり都市部向け新車両の増備が優先されそう。宇野線や小野田線では、今後しばらくの間は123系が走り続けそうだ。

↑荷物車を改造して造られたJR西日本の123系。1両で走ることができ、利用者の少ないローカル路線では重宝される存在でもある。まだまだその活躍を見ることができそうだ

 

JR九州の415系も希少がゆえに生き延びている国鉄形電車といっていいだろう。JR九州の電車は、ほとんどが交流電車。筑肥線など一部に直流電車が使われる。両電化方式に対応した交直流両用電車は、国鉄時代に生まれた415系のみだ。JR九州の在来線は、ほとんどが交流電化区間だが、関門トンネルをはさんで下関駅まで走る場合は、下関側が直流電化区間となるため、交直両用電車が必要となる。唯一の交直流両用電車である415系が欠かせないわけだ。

↑415系はJR九州では唯一となる交直流両用電車。関門トンネルを越えて下関駅まで電車を走らせるために、必要不可欠な存在となっている

 

415系は1971(昭和46)年からの製造とかなりの古参車両でもある。すでにJR東日本に引き継がれた415系は全車が引退したが、JR九州では先の事情があり、JR東日本からの譲渡された車両を含め150両以上の大所帯が残存する。

 

JR九州では将来に備え、新交直流電車の新造では無く、蓄電池形ディーゼルエレクトリック車両を開発中。関門区間での運用も検討されているようだが、415系の置き換えは、だいぶ先の話となりそうだ。

 

求むクルマ好き! 111周年を迎えたダイハツ工業に関する10のクイズ

ダイハツ工業が1907年に「発動機製造株式会社」として創業してから今年で111年。これを記念して、ダイハツに関わるクイズを10題作成しました! クルマ好きのあなた、全問わかりますか?

毎月約1万5000円お得! ハワイから考える「リースで高級車に乗る」という選択肢

最近はカーシェアリングの利用が少しずつ増えてきていますが、日本で自家用車を持つ場合、「クルマを購入する」ということがまだ一般的でしょう。でも、筆者が住むハワイで広く利用されているのは、「リース」という選択肢。高級車もリースにすれば、購入する場合に比べて安い価格で利用できるのです。一体リースはどれくらいお得なのでしょうか? 本稿ではハワイにおけるリースのメリットとデメリットをご説明します。

 

購入派とリース派は半々

ハワイでクルマを所有しようと思い、クルマのディーラーに出向くと、「購入かリースか、どっちを考えている?」と聞かれます。日本のようにリース専門業者に出向く必要はなく、クルマを購入する場合もリースの場合も、車の各ディーラーを通して行えるのです。ハワイなら、トヨタ、日産、ホンダといった日本車のほか、BMW、ベンツといった海外ブランドのディーラーがありますが、そのほとんどでリースが可能。

 

筆者も最初は「クルマは購入するもの」という方法しかないものと思っていたので、リースという選択肢がそれほど一般的だなんて思いもしませんでした。ディーラーによって差はあるかと思いますが、筆者が話したディーラーの担当者によると、購入派とリース派は半々程度なんだとか。

 

では、リースのメリットとデメリットは何なのでしょうか?

 

リースのメリット

リースを選ぶ最大のメリットは、同じ頭金と同じ期間でローンを組んだ場合に比べて、リースのほうが月々の支払金額が安くなることにあります。ハワイでは一般的なリース期間は3年間。年間の予定走行距離などに応じて、毎月の支払金額がいくらになるかディーラーが算出してくれるのですが、同じ頭金でローンを組んで購入し3年ですべてを返済していく場合に比べて、毎月のリース代金のほうが安いのです。

 

筆者があるディーラーで見積もりをとったときのことを例に出すと、購入なら毎月のローン返済額が553ドルになるのに対し、まったく同じクルマを同じ頭金でリースした場合、毎月のリース料金は408ドルになると言われました。その差は約145ドル(約1万5000円)。そのため、購入を考えるのなら予算をオーバーしてしまう高級車でも、リースなら乗れる可能性が高くなるのです。

 

また、リースは頭金が比較的少なくてもOKという場合が多く、それもメリットのひとつ。例えば駐在員のように、現地の滞在期間が限られている方や、ひとつのクルマを長く乗り続けるよりもたくさんの種類のクルマに乗りたいという方にとってはリースのほうが最適なのです。

リースのデメリット

リースのデメリットは、リース期間の途中で解約ができないこと。仮に、3年のリース期間より早くクルマを戻すことになったとしたら、残りの期間の支払を求められるなどペナルティが発生します。また、リースする場合は、年間の走行距離を最初に設定しますが、リース期間終了後にその設定距離を超えてしまうと、同様にペナルティが発生する仕組みです。

ハワイもアメリカ本土と同じように完全なクルマ社会で、クルマは日常生活になくてはならないものです。クルマにこだわり、少しでもいいものに乗りたいと思う人にとって、リースという選択肢はとても価値があるものなのかもしれません。

【1分でわかる】スズキ スペーシアってどんなクルマ?

注目モデルをコンパクトに紹介するこのコーナー。今回は軽ハイトワゴンの人気車種スズキ スペーシアをピックアップします。

 

群雄割拠の軽ハイトワゴン市場でダークホースに

スズキ 

スペーシア/スペーシア・カスタム

SPEC【スペーシア・カスタム ハイブリッドXSターボ2WD】●全長×全幅×全高:3395×1475×1785㎜ ●車両重量:900㎏ ●パワーユニット:658㏄ ●直列3気筒DOHC+ターボ ●最高出力:64PS/6000rpm ●最大トルク:10.0㎏-m/3000rpm ●カタログ燃費:25.6㎞/リットル

 

 

後退時ブレーキサポートは軽で初採用となる安全装備

軽ハイトワゴンの国内市場は、まさに群雄割拠。使い勝手も走りも、かなり高いレベルで各モデルがひしめき合っています。スズキの新型スペーシア/スペーシア・カスタムも、ご多分に漏れず仕上がりは上々。大人4人に十分過ぎるほどの室内空間を確保し、荷室の使い勝手も抜群。自然吸気エンジン仕様でも、日常使いなら不満のない動力性能を誇ります。ターボ仕様なら、高速クルーズも余裕です。

 

さらに、安全性能の充実ぶりも光ります。軽自動車として初採用となる後退時ブレーキサポートをはじめとして、運転支援装備は普通車の上級モデル並み。ダイハツ タントやホンダ N-BOXなどのライバルがひしめく同クラスで、一層熾烈な競争が生まれそうです。

【注目ポイント01】荷室は自転車の積載にも配慮

リアシートは素早くたためるダブルフォールディング式で、荷室の使い勝手は秀逸。リアゲート下段のトリムには自転車を積みやすくするガイドも設けられます。

【注目ポイント02】マイルドHVを標準化

写真はカジュアルな装いとなるスペーシア。新型では、スペーシア・カスタムも含めて全車に、モーターのみでの走行が可能なマイルドHVシステムを搭載します。

感情論では解決しない…ローカル線廃止後、地元に求められる“マネジメント”とは?

ここまで話題になるとは思わなかった。3月31日で廃止されたJR西日本三江線のことだ。営業が終了する1か月ぐらい前から、NHKの全国向けニュースを筆頭に、さまざまなテレビ番組がこのローカル線を取り上げた。中でも天空の駅と呼ばれる高架橋上の宇津井駅にスポットが当たることが多かった。

多くのローカル線と同じように、三江線にも地元自治体などが中心となった存続運動はあったが、結果的には廃止となり、バスに置き換わる。ただし国土交通省が発表した代替バスの資料によれば、線名の由来になった広島県の三次と島根県の江津との間を走破するには最低でも2度の乗り換えが必要になり、所要時間は増え、運賃は高くなっている。こうした状況は他の代替バスにも多く見られる。さらにバスは渋滞の影響を受けるので、時間どおりの運行が難しい。つまりバスへの転換によって不便さが増し、乗客離れが進んで減便や廃止に至り、地域そのものを衰退させると指摘する専門家もいる。

 

鉄道の線路は鉄道車両しか走らないので、線路がある以上何とかして存続させようという動きが生まれやすいのに対し、道路は乗用車やトラックも走っていて固有のインフラではないし、バス停のコストは駅と比べるまでもなく、車両価格も鉄道よりかなり安い。それに鉄道より参入や撤退の自由度が高い。つまり鉄道より廃止しやすいのは確かである。

 

でも多くの沿線住民がバスへの転換を不満と感じていたら、廃止にはならないはずである。住民が存続のために知恵を絞り、行動を起こしたことがきっかけで廃止をまぬがれた鉄道もいくつかある。ネコ駅長の「たま」で世界的に有名になった和歌山電鐵はその代表だ。

■鉄道にこだわらなければ選択肢はふえてくる

一方で鉄道に頼らないまちづくりを推進している地方都市もある。今年1月に訪れた石川県輪島市がそうだった。輪島市にはかつてJR西日本七尾線が走っていた。しかし多くのローカル線がそうだったように、自動車交通への移行に伴う乗客減によって赤字が嵩み、1991年に途中の七尾駅以北が第3セクターの「のと鉄道」に転換されたが、乗客の減少は止まらず、10年後に穴水駅から先が廃止された。

 

ただし2003年には能登空港が開港したことで東京とダイレクトに結ばれ、3年後には能越自動車道がこの能登空港まで開通して金沢まで高速バスが走りはじめており、東京はもちろん金沢への到達時間も短縮している。

 

では地域輸送はどうか。こちらは旧輪島駅と市立病院を拠点とすることで、北陸鉄道が路線バス、輪島市がコミュニティバスや乗り合いバスを走らせている。今年3月いっぱいで北陸鉄道バスの1路線が廃止となったが、同じルートを市営乗り合いバスが引き継いでいる。さらに2014年からは輪島商工会議所が、ゴルフ場などで使っている電動カートを中心市街地の移動に活用しはじめた。しかも2年後には自動運転にも挑戦。昨年末からは遠隔管理によって運転手が乗らない無人走行の実証実験も始めている。

 

輪島市が周辺の町との合併で現代の姿になったのは2006年。その年4月1日の人口は3万4511人だった。これが2016年には2万8426人と3万人を切った。1986年には同じ地域に4万4993人が住んでいたというから、30年間で3分の2以下になったことになる。つまり輪島の場合は鉄道の廃止で人口が減少したのではなく、人口の減少に合わせて鉄道の廃止を含めた交通再編を行なったというほうが適切だろう。同市がモビリティマネジメントに積極的なことは、将来を見据えて自動運転に挑戦していることからも明らかだ。

 

現在残っている地方鉄道は、多くが第二次世界大戦前に開業した。当然ながら現在とは人々の暮らしは大きく異なる。暮らしが変わればモビリティも変わってしかるべきだ。長い間地域の生活を支えてきた鉄道の廃止に際しては「ありがとう」という言葉を掛けたいけれど、一方で今の時代に見合ったモビリティの提供については、感情論に引っ張られない冷静な判断が必要だとも思っている。

 

著者プロフィール

モビリティジャーナリスト・森口将之

モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・講演などで発表するとともに、モビリティ問題解決のリサーチやコンサルティングも担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本デザイン機構理事、日本自動車ジャーナリスト協会・日仏メディア交流協会・日本福祉のまちづくり学会会員。著書に『パリ流環境社会への挑戦(鹿島出版会)』『富山から拡がる交通革命(交通新聞社)』『これでいいのか東京の交通(モビリシティ)』など。

THINK MOBILITY:http://mobility.blog.jp/

【中年名車図鑑】世が世なら、ファミリアもランエボ、インプのような存在になっていた⁉

マツダは1989年2月に7代目となるファミリア(BG型系)を市場に放つ。開発当初から世界ラリー選手権(WRC)への参戦を意図し、1989年8月にはそのベースモデルとなるフルタイム4WD車の「GT-X」をリリース。そして1992年1月には大型ターボを組み込んで最高出力を210psとしたホモロゲートモデルを発売した――。今回は “史上最強のファミリア”と称されるファミリア「GT-R」をメインに一席。

【Vol.64 7代目 マツダ・ファミリア】

元号が昭和から平成に改められた翌月の1989年2月、マツダは2台のシンボリックな新型車を発表した。1台は米国シカゴ・オートショーでワールドプレミアを飾ったMX-5ミアータ(ユーノス・ロードスター)で、後に大ヒット作に昇華してライトウェイトスポーツの世界的なブームを創出する。そしてもう1台が、“ついに、楽しいクルマです”のキャッチコピーを冠して7代目に移行した中核モデルの新型ファミリアだ。

 

BGの型式をつけた7代目ファミリアは、3ドアハッチバックと4ドアセダンはそのままに、5ドアハッチバックを別展開の「ファミリア・アスティナ」としてラインアップする(発売は同年4月)。低くて流麗なクーペ風のフォルムにリトラクタブルライトを組み込むスポーティなフロントマスクを採用したアスティナは、それまで実用車然としていた5ドアハッチバック車とは一線を画していた。アスティナのコンセプトをとくに高く評価したのは、ハッチバック人気が高いヨーロッパだった。欧州市場には「323F」として輸出され、販売台数を大きく伸ばす。一方、安定感のある台形フォルムに力強いCピラーとブリスター形フェンダーを採用した3ドアハッチバックと4ドアセダンもその質感の高さやスポーティなアレンジなどが好評を博し、とくに4ドアセダンを「プロテジェ」のネーミングで販売したアメリカ市場では、BP型系1.8Lエンジンの高性能さと各部の信頼性の高さも相まって、ユーザーから高評価を獲得。やがて同市場での基幹車種に成長した。

 

翻って日本市場では、従来型に設定されていたファミリアの4WDスポーツモデル、「GT-X」のモデルチェンジが待ち望まれていた。その期待は、1989年8月に具現化される。3ドアハッチバックボディに180ps/24.2kg・mのパワー&トルクを発生するインタークーラーターボ付きBP型1839cc直列4気筒DOHC16Vエンジン、そしてスポーツ走行に最適な前後駆動力配分43:57というフルタイム4WDシステムを採用した、新しいGT-Xが登場したのだ。新型GT-Xは早速、マツダのラリーチームに持ち込まれ、テストを重ねながらWRC(世界ラリー選手権)参戦に向けたグループA仕様に仕立てられる。ファミリアの欧州名323のGT-Xが初陣を飾ったのは、1990年シーズンの1000湖ラリー。ここでティモ・サロネン選手が総合6位に入るという健闘を果たした。

 

その後も323GT-XはWRCで好成績をあげるものの、グループAでの総合優勝はなかなか実現できなかった。2Lターボエンジンを積むライバル車に対して、どうしてもエンジン出力の面で劣っていたからである。ただし、シャシー性能は非常に高く、改造範囲が小さいグループNでは1991年シーズンにドライバーズチャンピオン(グレゴワール・ド・メビウス選手)を輩出するほどの実力を有していた。グループAを制覇するためには、もっとエンジンパワーが必要だ――。マツダの開発陣は、知恵を絞ってBPエンジンの改良に勤しむこととなった。ちなみにエンジンの排気量アップで対処しなかったのは、当時のマツダ・スタッフによると「せっかくの高いシャシー性能が活かしきれない可能性があった」からだという。ラリー仕様GT-Xのハンドリング性能は、ドライバーから極めて評判が高かった。その特性を崩すことは、マシンの戦闘力アップには決してつながらない、それに耐久性を損なう恐れも大きい――そんな判断が、既存のBPエンジンの改良という方策を選ばせたのである。

 

■WRC制覇を目指した究極のファミリアの開発

ファミリアGT-Rは92年に登場。3連バルジを設けたエンジンフード、大型フォグを埋め込んだ専用バンパーが特徴的だ

 

BPエンジンの改良は、「実質的な排気量アップに相当する過給システムの進化」という手法で行われる。ターボチャージャーはタービン径を従来のΦ52.5mmからΦ62mmへ、コンプレッサー径をΦ52.5mmからΦ65mmへと大型化。同時に、メタル製タービンや大径デューティバルブを備えたウェストゲートなどを組み込んで耐久性を引き上げる。結果として、最大熱効率時の空気流量は従来比で約1.8倍に達した。一方、組み合わせるインタークーラーは横置きからフロント前部への縦置きに変更。そのうえでコアサイズを約70%拡大する。また、インナーフィン配列はオフセットとし、冷却効率を高めた。これに合わせて、フロントバンバーは大型化したうえでエアインテーク部を拡大。同時に、フロントフードにも3連バルジを設けて、発熱量の多い実戦での耐ノッキング対策を担うエアアウトレットとしての機能を持たせた。出力アップに即して、エンジン本体にも改良を加える。ピストンにはクーリングチャンネル付きアルミハイキャストタイプを採用。また、トップリングの溝にニッケルセルメット発泡体を溶融結合させ、耐摩耗性の向上を図った。コネクティングロッドについては、従来のグループAマシンにも導入するケルメットメタルを用いる。耐圧性が極めて高い同素材は、過酷な走行条件でも抜群の耐久性を発揮した。一方、排気バルブはステム内を中空で仕立て、内部に金属ソジュームを封入した専用品を装備する。ほかにも、排気抵抗の低減を図ったフェライト系鋳鋼エグゾーストマニホールドや放熱量を高めたオイルフィルター一体型の水冷式オイルクーラーなどを組み込んだ強化版BPユニットは、市販モデルで210ps/25.5kg・mのパワー&トルクを発生。WRC参戦時でのグループAチューニングでは300psオーバーを絞り出した。

ファミリアGT-Rはホモロゲーション取得のための少数生産モデル。ラックススウェード&ケミカルレザー表地GTタイプシート、MOMO製本革巻きステアリングなどのスポーツアイテムをおごる

 

開発陣はエンジンの高出力化に合わせて、シャシー性能にも磨きをかける。フロントサスはロアのA型アームのフロント側取り付け点をホイールセンターの真横に置き、有効な高剛性を確保。リアサスは台形に配置した2本のラテラルリンクとトレーリングリンクで構成した。また、リアに入る駆動力を積極的に活用し、後輪のトーとコントロールするSSサスペンションを導入する。さらに、前後サスともにダンパーとコイルスプリング、各ジョイントのブッシュを固め、スタビライザー径もアップさせた。一方、操舵機構に関してはラック&ピニオン式のステアリングギア比を15.4(ロック・トゥ・ロック2.5)へと速め、剛性を引き上げたサスペンションとの相乗効果でハンドリングへの応答性と限界でのコントロール性を高める。制動性能の向上にも抜かりはない。ブレーキはローターの有効半径および厚みを拡大したうえで、耐フェード性に優れるノンアスベストのケブラー/アラミド繊維系のパッドを採用した大径4輪ディスクブレーキ(フロントはベンチレーテッドタイプ)を装備。ブレーキの大径化に伴い、ホイールサイズは15インチ(15×5.5JJ)にアップし、タイヤは195/50R15 81Vサイズを組み合わせた。駆動方式は前後不均等トルク配分43:57のフルタイム4WDで、センターデファレンシャルにはバリアブルトルクスプリットを自動的に行う(43:57~60:40)ビスカスLSDを組み込む。また、リアのデファンレシャルにもビスカスLSDを配して有効な駆動力を確保した。

 

■WRCグループAでは実力を示せなかったものの――

GT-Rをベースにしたコンペティションモデル「GT-Ae」も限定生産。ダートトライアルなどの競技会へのエントリーユーザーをターゲットにしていた

 

GT-Xの進化版は、「GT-R」のグレード名を冠して1992年1月に登場する。専用装備としてバンパー埋め込み式大径フォグランプや前後スカート付き大型バンパー、フェンダーモールアーチ、ラックススウェード&ケミカルレザー表地GTタイプシート、MOMO製本革巻きステアリングなどのスポーツアイテムで武装したGT-Rは、ホモロゲーション取得のための少数生産モデルとして販売された。また、ダートトライアルなどの競技会へのエントリーユーザーに向けたGT-Rベースのコンペティションモデル「GT-Ae」も限定生産でリリースした。

 

マツダの技術の推移を結集して開発したファミリアGT-Rは、早々にラリーチームがグループA仕様に仕立て、入念なテストを重ねていく。そして、1992年は熟成および改良のために費やし、1993年シーズンから本格的に勝負をかける計画を立てた。しかし、その計画は外的要因によって頓挫する。日本における急激な景気の悪化、いわゆるバブル景気の崩壊だ。販売網と車種の増強のために過大な投資を行っていたマツダは、この影響をもろに被り、決算は膨大な赤字に転落していく。対応策として首脳陣は、販売網の縮小やコスト削減などを相次いで実施。その一環としてWRCでのワークス活動も中止され、GT-Rでの本格参戦はお蔵入りとなってしまった。WRCの舞台でその速さを披露しないまま車歴を終えるかに見えたGT-R。しかし、欧州のプライベートチームがその悲運な状況から同車を救った。グループN仕様の323GT-Rが1993年シーズンのWRCで大活躍し、ポルトガルとアクロポリス、カタルニアでクラス優勝を成し遂げたアレックス・ファッシーナ選手がグループNのドライバーズチャンピオンに輝いたのである。

本格的にWRCにワークス参戦するプランだったが、バブル景気崩壊により計画は頓挫する

 

グループNマシンによって、ポテンシャルの高さの一端を披露することができたファミリアGT-R。それだけに、マツダのワークス参戦が続いてグループAモデルが熟成と進化を重ねていたら、そして三菱ランサーやスバル・インプレッサ、ランチア・インテグラーレなどと同様にエボリューションモデルが開発されていたら――。きっとファミリアおよび323GT-Rは、WRCの舞台で輝く足跡を残し、市販版エボリューションモデルも伝説的な人気を獲得していたに違いない。

 

著者プロフィール

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

あの線路はどこへ行く? 相鉄車内から見える“謎の廃線”を探索!

横浜駅から相模鉄道に乗り、相模大塚駅を過ぎたあたり。外を何気なく眺めていたら、引込線らしき線路が住宅街へと延びていた。あれっ?こんなところに線路があるぞ。相模鉄道(以下、相鉄と略)は貨物輸送はやっていないし。乗るたびに、疑問に思った。

しかもその引込線、車内から見る限り、線路や架線がしっかりと残っている。一般的に、貨物輸送に使われなくなった引込線は、線路や架線は早々と撤去されることが多い。なのに、その気配すら感じられない。実際に現場を歩いてみよう、と最寄りの相模大塚駅に降り立った。

↑相鉄本線から延びる引込線のMAP。写真で紹介する①〜⑧のポイントをMAP上で示した

 

相模大塚〜さがみ野間の踏切から線路は南へと向かう

相模大塚駅からさがみ野駅方面へ歩くこと5分。「相模大塚2号踏切道」という警報器付き踏切がある。この踏切内から引込線が始まる。相鉄本線と引込線は、相鉄本線に平行して造られた折り返し線(引上げ線)を通して、いまも線路がつながっている。

↑相模大塚駅〜さがみ野駅間にある相模大塚2号踏切道。この踏切付近から引込線が設けられている。写真の右側に写るのが今回、探索した引込線だ(MAP① ※冒頭の地図内の番号と対応。以下、同様)

 

↑踏切があいているときに撮影した引込線。木が生い茂っているが、線路はしっかりと残っている。踏切の先へ行き来を防ぐように柵が設けられている(MAP①)

 

やや回り道をして、引込線の先を目指す。柵の先にあったのは、まさにノスタルジーを感じる廃線跡の世界。線路内の雑草は茂り、脇の樹木が線路側に出ばり、一部は線路にかぶさるように生える。レールは赤錆びているが、枕木や架線柱、架線はしっかりと残されている。整備すればいまでも十分に列車を走らせることができそうだった。

 

その先、踏切がいくつかあり、警報器も残されている。だが、現在は、走る列車がないため稼動せず、通行するクルマも、停車せずに通り過ぎていく。

↑家々の庭のすぐ裏を通る引込線。雑草は茂り、また木々も線路側にせり出して生えていた。とはいえ線路や枕木、架線柱などの鉄道施設はしっかりと残されている(MAP②)

 

謎の引込線は高速道路を越えて意外な場所へと行き着く

県道40号線を越え、住宅地の裏手を抜ければ、まもなく東名高速道路をまたぐ大和6号橋へ着く。橋を越えればカーブとなり、厚木基地が目の前に広がる。線路は厚木基地へ向かい敷かれている。そう、この引込線は相鉄本線と厚木基地を結ぶ線路だったのである。

 

現在の引込線の沿線風景を写真で見ていこう。

↑引込線の途中、数箇所に警報器付きの踏切がある。列車が来ないため停まる車両はほとんどいない(MAP③)

 

↑列車は走っていない。それなのに警報器がない踏切には、いまも「STOPでんしゃにちゅうい」の看板が残る(MAP④)

 

↑警報器や信号などの設備は現在も使えそうな形できれいに残されている(MAP⑤)

 

↑東名高速道路をまたぐ大和6号橋の上を引込線が通る。しっかり造られた橋で、子どもたちが通学途中、遊び半分で渡っていたが、危険性はほぼ感じられなかった(MAP⑥)

 

引込線は軍用だったせいか、橋などを含めて、しっかり造られている。地元の子どもたちが橋の上を渡っていたが安全そのもの。鉄道橋で良く見かけるすき間が多い構造ではない。引込線に沿った側道を歩くもよし、また列車が走らないために、引込線の敷地内を歩くこともできる。通行するクルマなどに気をつければ、危険な場所はほぼない廃線跡だった。

 

引込線の線路は厚木基地の柵の前まで延びる。柵を越えた厚木基地内は、すでに線路が取り外され、芝生広場になっていた。ちなみに、引込線が残るのは相模大塚第2号踏切道のスタート地点から約800m。

↑高速道路を渡った先はカーブがあり、隣接する公園には春先、桜が咲く。もし列車が走っていたら、さぞや絵になったポイントだろう(MAP⑦)

 

↑「なんで勝手に撮るんニャー」とばかりに、線路を渡るネコににらまれる(MAP⑦)

 

↑引込線の線路はここが途絶える。柵の先は厚木基地で、すでに線路はない。以前はこの先にも線路が延びタンク車による貨物輸送が行われていた(MAP⑧)

80年にわたる厚木基地の歴史を振り返る

ここで少し、厚木基地の歴史を振り返っておこう。厚木基地の正式な名前は「厚木海軍飛行場」だ。太平洋戦争前の1938(昭和13)年に着工し、開戦後の1942(昭和17)年に飛行場が完成。首都東京の防衛のための海軍基地として造られた。引込線に関しての史料は探し当てることができなかったが、鉄道輸送が主流な時代のため、当然のごとくこの引込線も一緒に造られたと推測される。

↑厚木基地への石油輸送はJR相模線の厚木駅(左手前)から渡り線を通り、相模鉄道へバトンタッチされていた。現在も厚木駅に隣接して相模鉄道の操車場が広がる(右側)

 

↑相鉄の相模大塚駅の北側に広がる車庫線。ここで石油列車は折り返して、相鉄本線に平行した引上げ線に、機関車が貨車を後押しして入る。引込線を走り厚木基地を目指した

 

太平洋戦争終了後に武装解除された厚木基地は連合国軍に接収され、アメリカ陸海軍の基地として使用されることになる。戦後、アメリカのダグラス・マッカーサー連合軍総合司令官が、最初に下り立ったのが厚木基地だった。あのコーンパイプを片手にタラップを下りるマッカーサーの姿は、歴史の教科書に掲載されているので、覚えておられる方も多いのではなかろうか。

 

現在、厚木基地はアメリカ海軍と、海上自衛隊の航空隊が共用する飛行場となっている。

 

石油輸送列車は自転車ぐらいのスピートで引込線を走った

相鉄本線と厚木基地を結んだ引込線は厚木航空隊線、または相鉄厚木基地専用線と呼ばれていた。タンク列車の走行ルートは、東海道本線・茅ヶ崎駅 → 相模線・厚木駅 → 相鉄・厚木操車場 → 相鉄・相模大塚駅 → 厚木基地というルートをたどり運ばれた。そして1998(平成10)年9月をもってこの石油輸送は終了した。

↑相鉄のED10形電気機関車が2両連なり石油輸送列車を牽引した。写真は東名高速道路の上を走る石油輸送列車(写真提供:益子真治)

 

石油輸送が行われた当時を知る益子真治さんは次のように話す。

 

「列車を牽く機関車のモーターは、戦中戦後に造られた国鉄63型電車の物を使い回していました。それだけに、厚木操車場〜相模大塚間では古い電車独特の、雄叫びのようなモーターの大音響を発しながら走っていましたね」(益子さん)

 

茶色い電気機関車ED10形を2両連ねた重連スタイル+タンク貨車の運行だっただけに、さぞや豪快だったことだろう。

↑相模大塚駅からはデッキに係員が乗り込み列車を先導した。踏切には警報器があったものの、前方の障害物に注意しながらの慎重な運行が行われた(写真提供:益子真治)

 

一方で、相模大塚駅からの運行はゆっくりしたものだったようだ。益子さんは「自転車並みの速度で最徐行して走っていました」と話す。

 

輸送の頻度はばらつきがあり、横須賀港に米海軍の空母が入港したときは、演習用の燃料が必要になるためか、毎日のように輸送があったようだ。一方で週に1回程度ということもあり、「結構、列車の撮影が空振りすることもありました」と、益子さんは当時を懐かしみつつ話してくれました。

 

この引込線は今後は線路が外され更地となり所有者に返還の予定

長い間、使われていなかった厚木基地への引込線。実は2017年6月30日に大きな動きがあった。日米合同委員会で、厚木海軍飛行場の「軌道及びその他雑工作物」が日本へ返還されることが決まったのである。

 

石油輸送列車の運行が終了してから、ほぼ20年という年月を経て戻されることになったわけだ。引込線の土地は約13000㎡にも及ぶ。

 

返還業務を行う防衛省南関東防衛局によると、この土地は国有地と民有地に分けられると言う。今後は更地にしたうえで、国有地は財務省へ、また民有地は所有者に戻される。現在はまだ調査の段階で、具体的な工事計画やその期間は未定とのことだった。

 

80年前に着工され、厚木への石油輸送を長年担ってきた厚木航空隊線。その面影を見聞きしたい方は、線路が残るいまのうち、早めに訪ねておいたほうがよいかもしれない。

↑引込線を歩いていると、しばしば離発着する軍用機を見ることができる

 

↑引込線は春ともなるとお花畑になる。廃線跡ならではの趣が色濃く感じられる

 

いまのF1パワーユニットはプリウスと同じ!?  かつてのV12、V10時代から何が変わったのか

F1は2014年から、1.6L・V6直噴ターボエンジンにハイブリッドシステムを組み合わせたパワーユニットを搭載している。ハイブリッドシステムは2種類で、1つは運動エネルギー回生システムだ。トヨタ・プリウスなど、量産ハイブリッド車が積むのと同様のシステムと思えばいい。

運動エネルギー回生システムを構成するモーター/ジェネレーターユニット(MGU-K)の出力は、レギュレーションで約160馬力に規制されている。エンジンの方は2018年現在、800馬力は出ている(熱効率は50%前後だ)。開発サイドは数字を少なめに公表する(活動を止めた途端に、いやぁ、あの頃はもっと出ていて……と大きなことを言う)のが常なので、もっと出ているメーカーもあるだろう。エンジンとMGU-K合わせてざっと1000馬力出ていると見積もっていい。

 

さらにF1のパワーユニットは、排気の熱を電気エネルギーに変換する熱エネルギー回生システムを搭載している。量産化への期待がかかる技術だが、4月17日に発表された2021年のレギュレーション変更で廃止が議論されていることが明らかになった。提案どおりになると、2021年のF1のパワーユニットは、現行システムから熱エネルギー回生システムを取り除いたシステムになる。

 

純技術的な視点で見れば、明らかに後退だ。技術開発のハードルを下げることで、新規参入メーカーを呼び込む狙いだろう。

 

■かつては3.0リッターV10エンジンもあったが…

2002年のBMWエンジンはV10

 

F1はさまざまな背景から、エンジンの排気量を変更してきた。富士スピードウェイで日本初のF1が開催された1976年の時点では、最大排気量は3.0L(自然吸気の場合)に規定されていた。「F-1世界選手権イン・ジャパン」のエントリーリストに並んだ27台のうち、22台がV型8気筒(V8)のフォード・コスワースDFVを搭載していた。フェラーリの2 台とアルファロメオの2台は水平対向12気筒を搭載。残り1台はマトラで、V型12気筒(V12)を搭載していた。

 

このように、当時は排気量の上限は定められても、気筒数やシリンダーのレイアウトに縛りはなかった。転機が訪れたのは1977年だ。ルノーがターボエンジンを引っ提げてF1に参戦を始めたのである。レギュレーション上はターボチャージャー付きエンジンの参戦も認められてはいたが、ルノーが乗り込んでくるまで、挑戦するメーカーはいなかった。

 

ターボに限らず過給機付きエンジンを選択した場合、排気量は最大1.5Lに定められていた。ルノーは当初、1.5L・V6のシングルターボで臨んでいたが、1979年からツインターボに変更。この年の地元フランスGPで、ターボエンジンによる初めての勝利を手に入れた。

ルノーのV6ツインターボ(1980年)

 

ターボは急速に進化して出力を高め、3.0L自然吸気(NA)エンジンを駆逐していった。1987年にはターボエンジンとNAエンジンの出力差を是正しようと、NAエンジンの最大排気量を3.5Lに引き上げた。それでもターボエンジン優位の状況が変わることはなく、1988年限りでターボエンジンは禁止され(84年から段階的にターボエンジンの出力抑制策を打ち出していた)、1989年から3.5L・NAエンジンに一本化されることになった。

 

ターボ最終年の1988年シーズンを席巻したのはアイルトン・セナとアラン・プロストがドライブしたマクラーレンMP4/4で、その心臓部には1.5L・V6ツインターボエンジンのホンダRA168Eが収まっていた。1986年、87年のチャンピオンエンジンもホンダ(ウイリアムズ)であり、ターボ時代を支配した(終焉に追い込んだとも言える)。

 

1994年に相次いだドライバーの死亡事故を受け、1995年にレギュレーションが変更され、エンジンの最大排気量は 3.0Lに引き下げられた。スピード抑制が狙いである。当時はV8/V10/V12のシリンダー形式が存在したが、1998年には事実上V10エンジンに統一された。高回転化による高出力化と小型・軽量化による運動性能向上のバランスの点で、V10に収束していったのだ。この流れを追いかける格好で、2000年には最大気筒数を「10」とする規則がレギュレーションに盛り込まれた。

 

2006年には2.4L・V8エンジン規定が導入された。3.0L・V10から2.4L・V8への変更なので、数字的には単純に2気筒切り落とした格好になる(そう簡単な話ではないのだけれど)。排気量を減らしたのは3.5Lから3.0Lに変更した際と同様、スピードの抑制だ。さらに、Vバンク角を90度に固定したり、最低重量を95kgに設定したり(3.0L・V10の方が軽かった)、高価な材料の使用を禁止するなど、コスト抑制を狙っていた。

2016年のホンダエンジン。1.6L・V6直噴ター

 

2014年に1.6L・V6直噴ターボエンジンに規定を変更したのは、当時の流行りで現在ではあたり前の「過給ダウンサイジング」のコンセプトを取り入れたからだった。当初は直列4気筒(直4)で検討が進んでいたが、「そんなしょぼいの積めるか!」という旨の意見をフェラーリが押し通し(たと、ルノーは証言した)、V6になった経緯がある。

 

同時に、2種類のエネルギー回生システムを組み合わせることになったのは、冒頭に記したとおり。2013年までの高回転エンジンから、高効率のパワーユニットに切り替わったわけだ。2021年には一歩後退することになりそうだが……。

 

著者プロフィール

モータリングライター&エディター・世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など

世良耕太のときどきF1その他いろいろな日々:http://serakota.blog.so-net.ne.jp/

話題のドラレコ、 使ってみたらこうだった!―― オウルテックOWL-DR06-BK

「あおり運転」による事故やトラブルが多発するなか、ドライブレコーダーのニーズがこれまでにないほど高まっている。リーズナブルな価格ながら高い性能を誇る、オウルテックの最新モデルを試してみた!

 

 

設置も操作もすこぶる簡単なので“ドラレコビギナー”にもってこい!

“ドラレコビギナー”がまず気になるのは、設置と操作のしやすさである。カーナビやスマホと連動するモデルも出ているが、正直使いこなす自信がない。その点、スタンドアローンで使える本機は安心だ。同梱する東芝製microSDカード(16GB)を本体に挿し込み、シガーソケットに接続して電源を入れるだけですぐ使える。エンジンのオン/オフと連動して記録開始/終了となるため、操作はほぼ不要だった。今回はお世話にならなかったが、事故発生時に役立つ同社独自の「プライバシーオート録音」にも注目だ。これは、内蔵するGセンサーが衝撃を検知して、自動で録音を開始する機能。突然の場面でも録り逃しを防げるのだ。

 

ひとしきりドライブを楽しんでから、記録した映像を取り出して再生。するとまず、画面左下に撮影時刻と位置(緯度・経度)が表示されていることに気づいた。GPS搭載のため、設定しなくても情報を自動で取得しているのだ。事故やトラブルが起こったときに、有効な証拠映像となるだろう。映像の解像度はスーパーHD(2304×1296)で、細かい文字でもしっかり描写でき、安心だ。

 

使ってみたら、スゴかった。
【使った人】

「GetNavi」本誌クルマ&AV担当・川内一史

実は今回ドライブレコーダーを初めて使用。あおり運転対策だけでなく、衝突事故や駐車場トラブルが発生した際などの記録用として、導入を検討していた。

 

 

死角になりがちなゾーンも高画質映像で記録できる

対角135°(水平113°/垂直60°)の超広角レンズにより、視認が難しい両サイドのゾーンもしっかりカバー。スーパーHD画質のため、ナンバープレートの数字も十分に読み取れる。LED信号機の表示も撮影できていた。

↑高画質かつ広視野角の映像。歩行者が横から飛び出して来た際などもしっかり記録できる

衝突事故時の映像は上書きされないよう保護

内蔵するG(加速度)センサーが、事故が起きた際などにクルマへかかった衝撃を検出。そのときに記録された映像は、上書き禁止ファイルとして保護される。万一の事態でも、証拠映像を残しておけるので安心だ。

↑フロント、サイド、リアどこでも衝撃を検出。ただし、軽くこすった程度では検出されないこともある

 

 

駐車時でも最大5日間は待機モードで監視できる

本体には130mAhのバッテリーを内蔵し、フル充電であれば電源オフの状態で最大5日間は待機モードとなる。センサーが振動を検知すると自動で録画をスタートするので、駐車時の車上荒らし対策としても有効だ。

↑-10℃~50℃の環境で動作確認済み。夏の駐車時などに車内温度が上がった場合でも問題なく使える

 

オウルテック
OWL-DR06-BK
実売価格1万5800円

フルHDを超える解像度(2304×1296)での録画に対応する、GPS搭載のハイエンドモデル。F1.8の明るいレンズを採用し、夜間でもノイズの少ない映像を記録可能だ。●サイズ/質量:W88×H48×D36㎜/74g

 

 

【結論!】

画質 ★★★★★
操作性 ★★★★★
機能性 ★★★★
コスパ ★★★★★

Wi-Fi接続やスマホ連携などには対応せず機能はシンプルだが、そのぶん使いやすさは抜群。価格を考えれば、かなりお買い得といえる性能だ。

 

オウルテック公式ホームページ:https://www.owltech.co.jp/

【大特集】家族旅行にもおすすめ!! GWの鉄道イベント&臨時列車情報まとめ【東海&西日本編】

GWになると、普段は行われないようなイベントが開催される。また珍しい臨時列車が走る。鉄道好きにとってはたまらない期間でもある。そこで、GWに行われる西日本の鉄道イベントや運転される臨時列車のなかから、おすすめのイベント&臨時列車を、やや筆者の独断気味ながら選んでみた。

【東日本編はコチラ】

【大特集】家族旅行にもぴったり!! GWの鉄道イベント&臨時列車情報まとめ【東日本編】

 

【東海地方】

大井川鐵道のSLに乗る前に整備工場を見学!

古くからSL列車の運行を行ってきた大井川鐵道。GWにはSL列車の本数が増えて活況を見せる。さらにうれしいことに、通常は非公開の新金谷駅のSL整備工場が見学可能だ。出発に備えて進められるSLの整備作業。石炭を燃やして走る蒸気機関車らしく、整備工場内ではボイラーの熱が身体に伝わってくる。石炭のにおいがする。蒸気機関車のひと味ちがった魅力が感じられそうだ。

↑見学スペースから見た整備工場。以前筆者が訪れた際はちょうどC10形が整備の真っ最中だった。火室への燃料投入や水タンクへの注水、可動部への油さしなどの作業を見ることができる

 

◆新金谷SL整備工場見学会
●公開日時:4月28〜5月6日、9:00〜11:30
●料金:小学生以上500円(記念缶バッチ、専用パンフレット付き)。新金谷駅構内転車台横に臨時テントで受付
※GW期間中は1〜3往復運行。新金谷10:00☆、10:38★、11:52○発、千頭13:39☆、14:10★、14:53○発。○印は毎日運行、☆印は4月29日、5月3日〜5日運行、★印は4月28日〜30日、5月3日〜5日に運行。なお2018年のトーマス号、ジェームス号の運行は6月9日(土曜日)以降となる予定

 

遠州鉄道の希少編成30形が4月末にラストランを迎える

静岡県の浜松と西鹿島を結ぶ遠州鉄道。電車のほとんどが赤い色で塗られていることから“赤電”とも呼ばれている。そんななかで唯一の丸みを帯び、湘南スタイルの形で親しまれてきた30形【モハ25号】が4月末にラストランを迎える。4月28日〜30日の3日間のみ浜松〜西鹿島間を2往復する。乗車は事前応募制ですでに締め切られたが、その雄姿が撮影できる最後のチャンスだ。

↑1958〜1980年にかけて生まれた30形。当時に流行した湘南スタイルの形を踏襲している。モハ25号は遠州鉄道として最後の30形として残った編成だった

 

◆遠州鉄道30形勇退記念特別列車
●運行日時:4月28日〜30日、10:28新浜松発→11:04西鹿島着、11:40西鹿島発→12:16浜松着、13:28新浜松発→14:04西鹿島着、14:40西鹿島発→15:16浜松着
※特別列車への乗車はすでに受付終了

 

【北陸地方】

福井に行ったらぜひ乗りたいドイツ生まれの路面電車「レトラム」

福井の街中を走る福井鉄道の「レトラム」。元シュツットガルド市電だった車両で、土佐電気鉄道を経て、2014年から福井鉄道の車両として走り始めた。ドイツ生まれらしいスタイリッシュな風貌で、走っている姿を見ると、ヨーロッパの街中だと錯覚してしまいそう。GW期間中も田原町〜越前武生間、さらに福井駅〜田原町間それぞれを1往復するので、ぜひ乗ってみたい。

↑福井鉄道の「レトラム」。元ドイツのシュツットガルド市電だった車両で、日本語の看板が後ろになければ、まるでヨーロッパの街中のように感じてしまう

 

◆「レトラム」運行
●運転日時:GW期間中の土・日曜・祝日に運行、9:30越前武生発→10:40田原町着、10:45田原町発→10:55福井駅着、11:13福井駅発→11:26田原町着、12:32田原町発→14:47越前武生着
※臨時の急行電車として走行、通常車両と同じ運賃で利用できる。6月3日までの土・日曜・祝日に運行予定

 

こどもの日に行われる「ポートラム運転体験会」

富山駅と日本海に面した岩瀬浜駅と結ぶ富山ライトレール。電車はポートラムの愛称で親しまれている。そんな路面電車のポートラムの運転体験会がこどもの日に開かれる。城川原(じょうがわら)駅に隣接する車両基地内で車両を運転、さらに車両基地の見学も楽しめる。対象は小・中学生限定で保護者同伴が必要となる。

↑2006年に元JR富山港線を路面電車路線に変更して誕生した富山ライトレール。車両はTLR0600形で、色が異なる7編成が導入されている

 

◆ポートラム運転体験会
●実施日時:5月5日、午前の部10:00〜11:30、午後の部13:30〜15:00
●参加費:3000円(参加者にはポートラムグッズをプレゼント)
●備考:応募方法は富山ライトレールのホームページを参照(E-mail応募可能)。4月22日(日曜)必着

 

【近畿地方】

のせでんレールフェスティバルのイベント電車に注目!

能勢電鉄といえば阪急電鉄の子会社で、車両はすべてが阪急マルーンと呼ばれる茶色で塗られる。鉄道ファンには隠れた人気を持つ鉄道会社で、春秋に開かれるイベントを楽しみにしている人も多い。

 

GW期間中の4月29日に春の「のせでんレールフェスティバル」が開かれる。ミニ電車の運行やプラレール運転会が行われるほか、運転シミュレーションなども楽しめる。特に人気なのはイベント電車。平野〜日生中央間を運行、軽妙な語り口の車掌の話を聞きつつ、洗車機に入る様子を車内から楽しむことができる。

↑能勢電鉄を走る電車はすべてが阪急マルーンで塗られる。使われる電車はすべてが元阪急で活躍していた電車だ。写真は5100系(元阪急の5100系)

 

◆「のせでんレールフェスティバル」
●開催日時:4月29日、10:00〜15:00(雨天決行)
●会場:平野車庫(平野駅から徒歩3分)
●入場料:無料
※イベント電車は午前の部10:42発、午後の部12:42発。10:30から会場で整理券を配付(先着順)

【中国地方】

「津山まなびの鉄道館」では急行用ディーゼルカーに注目!

岡山県津山市にある「津山まなびの鉄道館」。かつての蒸気機関車の基地だった津山扇形機関車庫を利用した鉄道館で、国鉄時代に生まれたディーゼル機関車やディーゼルカーを中心に13両、展示保存される。GWには収蔵されるキハ28、DF50、DD51の3両の頭出しやキハ28の車内見学、5月3日〜5日にはキハ58を転車台に載せての実演が行われる。

↑転車台の後ろに扇形機関車庫が広がる「津山まなびの鉄道館」。GW期間中には写真右側の急行用ディーゼルカー・キハ28形、キハ58形を中心にしたイベントが開催される

 

◆「ゴールデンウィークイベント(扇形こどもまつり)」
●開催日時:4月28日〜5月6日、9:00〜16:00(入館受付15:30まで)
●入館料300円、小中学生100円、幼児無料
●休館日:毎週月曜(祝日の場合は翌日。5月1日は開館)
●アクセス:JR津山駅から徒歩約10分(駐車場あり)
※開館時間、休業日、入館料は通常期も同じ
※キハ28車内見学は9:00〜15:50、転車台実演は5月3日〜6日の12時、15時

 

若桜鉄道の名物C12形がピンクに染まる

鳥取県の東部を走る若桜鉄道。最近、観光ディーゼルカーの「昭和」を走らせるなど元気の良い鉄道会社でもある。この鉄道の名物となっているのが、若桜駅構内に停まるC12形蒸気機関車。圧縮空気の利用で走行も可能で、一部の週末には体験運転が実施される。GWにはこのC12形がピンク色に塗られ、4月30日に行われるイベント「ピンクSLフェスタ」でお披露目される予定だ。

↑若桜駅に停まるC12形167号機。兵庫県の多可町の公園に保存されていた車両が、2007年に若桜鉄道へやってきた。将来は本線での運行も考えられている

 

◆「ピンクSLフェスタ」
●開催日時:4月30日、11:10〜20:00
●会場:若桜駅、若桜駅前広場
●備考:鉄道写真家の中井精也氏や、大の鉄道ファン・ダーリンハニーの吉川正洋氏、ホリプロマネージャーの南田裕介氏らがスペシャルゲストとして登場、夜には花火も打ち上げられる。
※C12形のピンク塗装期間は4月30日〜5月27日

 

山口線での最後のお勤めとなるJR西日本のC56形

後部に石炭と水を積む炭水車を連結するテンダー式蒸気機関車のC56。高原のポニーなどの愛称で親しまれてきた。現在はJR西日本と大井川鐵道にそれぞれ1両が残るのみとなっている。

 

JR西日本のC56は160号機、長年、SL北びわこや、SLやまぐち号の牽引機として活躍してきたが、とうとう引退が近づいてきた。GWには山口線での最後の走行を迎える。

↑写真は「SL北びわこ」として走るC56。160号機はC56のラストナンバーでもある。GWに山口線を走ったあと、5月27日の「SL北びわこ」運転で本当のラストランを迎える

 

◆SL「やまぐち号」運行
●運転日時:5月5日(D51との重連運行)、10:50新山口発→12:59津和野着、15:45津和野発→17:30新山口着。5月6日(ありがとうC56号として運行)、10:32津和野発→13:10新山口着(途中、篠目駅で通常運転のSL「やまぐち号(D51牽引)」と行き違う。11:44〜12:12篠目駅停車予定
※全車指定席で運行

 

【四国地方】

GWこそJR四国のトロッコ3列車を満喫したい!

JR四国ではトロッコ列車が3列車も走っている。「しまんトロッコ」が窪川(高知県)〜宇和島(愛媛県)間を、「志国高知 幕末維新号」が高知〜窪川間を、また「瀬戸大橋アンパンマントロッコ」が岡山〜高松・琴平(ともに香川県)間を走る。自然の風を受けつつ爽快な鉄道の旅を楽しみたい。

↑窪川〜宇和島間を走る「しまんトロッコ」。四万十川に沿った予土線の名物列車として走る。予土線には鉄道ホビートレインなども走っていて、乗って楽しい路線だ

 

◆JR四国のトロッコ列車運行
●「しまんトロッコ」運転日時:4月28日〜30日、5月2日〜6日。10:29宇和島発→13:16窪川着、14:14窪川発→16:46宇和島着
●「志国高知 幕末維新号」運転日時:4月28日〜30日、5月1日〜6日。10:14高知発→12:39窪川着、14:15窪川発→16:18高知着
●「瀬戸大橋アンパンマントロッコ」運転日時:4月28日〜5月6日。9:10高松発→10:44岡山着、11:18岡山発→13:09琴平着、13:16琴平発→14:53岡山着、15:21岡山発→17:19高松着。
※全車指定席で運行(「瀬戸大橋アンパンマントロッコ」は全車グリーン席)

 

“ことでん”のレトロ電車が4両連結で走る

香川県の高松市を中心に走る高松琴平電気鉄道。“ことでん”の愛称で親しまれる。この私鉄の名物がレトロ電車だ。大正末期から昭和頭に造られた4両の電車がいまも立派に動く状態で整備されている。このレトロ電車が、全車両を連結して5月4日と6日に走ることになった。これは必見の価値あり、できれば乗りたい電車だ。

 

さらに5月4日の午前中には仏生山駅工場で車両展示会、きっぷ販売会が開かれる。運転前のレトロ電車4両に加えて、元京浜急行の1070形や、事業用車のデカなどの撮影が楽しめる。

↑通常1か月に1度行われることでんのレトロ電車の運行。普段は2両で走る。GWの運行のみ全車両4両を連結した特別編成となる

 

◆高松琴平電気鉄道「GWのイベント」
●レトロ電車特別運行日時:5月4日、12:49仏生山発→13:06高松築港着、13:06高松築港発→14:25琴電琴平着、15:19琴電琴平発→16:36高松築港着、16:39高松築港発→16:54仏生山着。5月6日、時刻7:39高松築港発→8:55琴電琴平着、9:19琴電琴平発→10:15仏生山着、11:06高松築港発→12:25琴電琴平着、(13:19琴電琴平発→13:41滝宮着・14:02滝宮発→14:25琴電琴平着・同区間は2両で運行)、15:19琴電琴平発→16:36高松築港着、16:39高松築港発→16:54仏生山着
●備考:5月4日に仏生山工場で車両展示会、きっぷ販売会を開催。時間は8:00〜11:30で、入場無料。仏生山工場は仏生山駅の裏手にある(駐車場無し)

 

【九州地方】

熊本電気鉄道5000形“青ガエル”の雄姿を再び

東急電鉄の5000系といえば1950年代に製造され、その後の日本の電車づくりに大きな影響を与えた車両でもある。その容姿から「青ガエル」と鉄道ファンから呼ばれた。そんな青ガエルは東急で活躍したのちに、地方の鉄道会社に多数が譲渡されたが、そのほとんどがすでに引退となっている。

 

熊本電気鉄道で2016まで走り続けた5000系ラストとなった5101A車。この5101A車がクラウドファンディングにより多くのファンの支援を受け、再塗装された。この車両がGW期間の5月6日まで北熊本駅構内にとめられ、ホームから撮影ができる。ごく最近まで走り続けた旧東急5000系の雄姿を目に焼き付けておきたいところだ。

↑現役当時の熊本電気鉄道の5000形。右が2015年に運用離脱した5102A。左が今回、再塗装された5101A。東急時代と異なり1両となり、反対側にも運転席が設けられた

 

◆「5101A号車の再塗装完了と車両展示」
●期間:5月6日まで(日中の時間のみ)
●備考:熊本電気鉄道・北熊本駅のホームから見える位置に留置される。駅ホームへの入場券(120円)が必要。
※留置線・車庫内は立入禁止

グローバルで広がる「自転車シェアリング」。ハワイとの相性は抜群!

「日本人が行きたい海外旅行先」の上位にいつもランクインしているハワイ。ニューヨークやロンドン、シンガポールなど、世界各国の有名観光地と同じように、ハワイにも自転車シェアリングのトレンドが訪れ、2017年6月より、ワイキキを中心にオアフ島ホノルルで自転車シェアリングサービスがスタート。利用者数も順調に増え、ハワイ観光の新しいスタイルとして定着しつつあります。

 

世界の観光地で進む自転車シェアリング

いま世界中の多くの観光地で導入されているのが、自転車シェアリングのサービスです。街中に設けられた“貸し出しスポット”で、自分が使いたいときに自転車を借り、使い終わったら戻すという仕組みで、“貸し出しスポット”ならばどこでも貸し出しと返却が可能な点が魅力です。

 

ニューヨークでは「シティバンク」がスポンサーとなった自転車シェアリングサービスが導入され、サンフランシスコでは配車サービスの「Uber」が自転車シェアリングの実験を開始。他にも、ロンドンやシンガポールなど世界各地で自転車シェアリングが行われ、観光客の足となっているんです。

 

ワイキキなどで観光客の利用が増加

ハワイで始まった自転車シェアリングサービスは「Biki(ビキ)」と呼ばれ、オアフ島ホノルルで2017年6月から開始となりました。ワイキキなどホノルルの市街地を中心に、貸し出しスポットは100か所。約1000台の自転車が用意され、30分間$3.50(30分超過ごとに$3.50加算)で利用することができます。

 

ハワイを旅行で訪れる多くの人が滞在するワイキキでは、貸し出しスポットが数多く設置されていて、ビキに乗っている観光客の姿をよく見かけます。

 

観光旅行中、街中に点在する観光スポットを順にまわっていくと、かなりの距離を歩き回ることになってとても疲れた、ということも少なくないでしょう。そんなときに効率的に観光地をめぐることができるのが、自転車シェアリング。特にハワイのようにビーチなど美しい景色を望める場所は、気軽にサイクリングを楽しめると人気が高いようです。

また、ハワイの自転車シェアリング開始目的には、交通渋滞緩和という側面もあります。日本にはあまり知られていないことですが、ハワイは交通渋滞がとてもひどい街。朝夕のラッシュアワーのほか、ガソリン価格や車のメンテナンス費用などをもとにした「運転するのに最悪な州」ランキングで、ハワイはアメリカ50州の中でワースト1位に選ばれたこともあるほど。そのため、交通渋滞緩和への期待もあり、始まった自転車シェアリングです。今では1日約2000人が利用し、そのうち約65%の利用者が地元住民だそうです。現在貸し出しスポットの増加が計画されており、車社会が当たり前だったハワイで、自転車を使うという選択肢が浸透してきています。

 

観光客にとっても、タクシーやレンタカーといった交通手段の他に、自転車シェアリングという選択肢が一つ増えたので便利です。ハワイを訪れた際は、気軽に自転車シェアリングを利用してみてはいかがでしょうか?

【あおり運転に屈しないドラレコ選び07】全方位撮影により 前後左右に死角なし――ユピテル Q-02cの場合

「あおり運転」とは、前方の車両に対して車間を極端に詰めたり、並走しながら幅寄せしたりする迷惑行為のこと。これによる事故やトラブルが多発し、社会問題となっています。もし被害者となったときに証拠として利用できる可能性があるのが、ドライブレコーダーの映像です。万一の事態に備えて、ドラレコの導入を検討してみましょう。

ユピテル
Q-02c
実売価格6万4800円

【録画:約680万画素/画面:非搭載/レンズ画角:全方位720°/GPS:搭載】

全方位撮影に対応する初のドラレコとして話題となったシリーズの第2弾。ソニー製裏面照射CMOSセンサー「STARVIS」を搭載し、高解像度撮影を可能にしました。専用ビューアソフトでは、録画した全方位の映像と走行情報などを同時に確認できます。

 

ドラレコとしての性能がブラッシュアップされた

全方位で撮影できるQシリーズの第2弾となる本機は、ドラレコとしての使い勝手を磨き上げました。例えば、衝撃を検知して記録しているあいだに新たな衝撃が加わった場合、2回目以降の衝撃もひとつのファイルとして続けて記録可能に。また、GPS機能を搭載したことで日時・速度・走行軌跡など多彩な情報も同時に記録。別売の電源ユニットを追加すれば、最大約12時間に渡って駐車監視も行えます。モニターは非搭載ですが、PC用ソフトで映像を再生可能。映像の拡大や縮小、スロー再生やコマ送りなどにも対応しています。

 

【設置イメージ】

■フロント

↑360°撮影するためフロントウインドウのルームミラーを避けた位置に取り付け。ここでは運転席側

 

↑専用ソフトを使えば希望のアングルで映像をチェックできる。解像感は甘めだが、周囲の状況は十分に確認可能だ

 

■夜間

↑やや荒れ気味だが、状況を把握するぶんには問題ない。高性能センサー「STARVIS」搭載の効果を発揮していた

 

↑カメラアングルを上下に90°調節可能。設置する場所に応じて自由に取り付けられる

 

 

↑PC専用ソフト「PC Viewer」で再生。Gセンサーによるクルマの動きなどもチェックできる

 

 

【AV&自動車評論家・会田 肇さんの評価】

自動車雑誌編集者を経てフリーに。カーエレクトロニクス全般に精通し、ドラレコも数多く試用する

 

画質:4
機能性:4
操作性:4
コスパ:2

総合評価:B

全方位撮影だけでなく総合的な能力も優秀

全方位撮影のユニークさだけでなく、画質や使い勝手も十分優れている点は評価したい。ただ、価格はかなり高いです。

 

【あおり運転に屈しないドラレコ選び06】最大5日間にわたって駐車監視が行える――オウルテック OWL-DR06-BKの場合

「あおり運転」とは、前方の車両に対して車間を極端に詰めたり、並走しながら幅寄せしたりする迷惑行為のこと。これによる事故やトラブルが多発し、社会問題となっています。もし被害者となったときに証拠として利用できる可能性があるのが、ドライブレコーダーの映像です。万一の事態に備えて、ドラレコの導入を検討してみましょう。

オウルテック
OWL-DR06-BK
実売価格1万5800円

【録画:約310万画素/画面:2.7インチ液晶/レンズ画角:水平113°/GPS:搭載】

310万画素のCMOSセンサーとF1.8の明るいレンズを搭載し、昼夜を問わず鮮明な映像を記録可能。GPSを搭載したことで正確な記録位置を特定しやすくなり、日付や時刻も自動で設定されます。最大5日間にわたって行える、動体検知機能も秀逸です。

 

GPSをマウントに搭載し本体のコンパクト化を実現

本機のGPSレシーバーとバッテリーは、カメラではなく取り付け用のマウントに内蔵するのがポイント。操作系統は、本体上部と左側面に配置しました。これらにより、本体のコンパクト化に成功しています。

スーパーHD撮影に対応するセンサーと明るいレンズを組み合わせることにより、映像の解像度は十分。コントラストも上々で、見やすい画質に仕上がっています。内蔵バッテリーフル充電で最大5日間まで待機して対応する、駐車監視機能も装備。センサーが衝撃や動体を検知すると、自動で記録が始まるので安心です。

 

【設置イメージ】

■フロント

■リアにつけた場合

↑GPSアンテナとバッテリーをマウントに内蔵して小型化。ケーブルの処理もスッキリとしている

 

↑コントラストが高く輪郭もクッキリとした映像は、状況把握に最適。前方を広範囲に捉える画角の広さも併せ持つ

 

■夜間

↑輝度は低くなるが、色合いが浅くなったり映像が甘くなったりすることはほとんどない。レンズの明るさが効いている

 

【動画はこちらから】

↑フレームレートは27.5fps。LED信号と周期が重なることで起きる“消滅”問題を解消した

 

↑電源オフの状態でも最大5日間待機。センサーが振動を検出すると自動で録画を開始する

 

【AV&自動車評論家・会田 肇さんの評価】

自動車雑誌編集者を経てフリーに。カーエレクトロニクス全般に精通し、ドラレコも数多く試用する

画質:5
機能性:4
操作性:3
コスパ:5

【総合評価:A+】操作にわかりにくさもあるが全体に優秀でコスパが高い

「この価格では画質も機能もかなり優秀。ボタン操作にわかりにくさもありますが、重要なところはシンプルです」(会田さん)

【あおり運転に屈しないドラレコ選び05】高性能センサー&レンズでクリアで歪みのない映像に――データシステム DVR3000 の場合

「あおり運転」とは、前方の車両に対して車間を極端に詰めたり、並走しながら幅寄せしたりする迷惑行為のこと。これによる事故やトラブルが多発し、社会問題となっています。もし被害者となったときに証拠として利用できる可能性があるのが、ドライブレコーダーの映像です。万一の事態に備えて、ドラレコの導入を検討してみましょう。

データシステム
DVR3000
実売価格1万3859円

【録画:約350万画素/画面:3.0インチ液晶/レンズ画角:水平125°/GPS:搭載】

約350万画素の高性能センサーと、透過率が高い6層ガラスレンズの組み合わせにより画質を追求。クリアで歪みのない映像を実現しています。画面を180°回転させられるため、接地部を下にした状態でダッシュボードに備え付けることも可能です。

 

テレビに映しても粗さが気にならない高精細映像

本機最大のウリは、高画質な映像。スーパーHD(2304×1296)画質で記録でき、対向車のナンバープレートはもちろん、遠めにある道路標識や看板なども鮮明に表示されます。映像を大画面テレビで出力しても、粗さはさほど気にならないほど。HDR機能により、トンネルを出た瞬間のように明暗差の激しいシーンでも、白トビすることはありませんでした。

広角6層ガラスレンズを採用したカメラは、画角がかなり広め。走行中のシーンを隅々まで高精細に映し出せるので、アクシデント時の証拠映像としても安心です。

 

【設置イメージ】

■フロント

■リアにつけた場合

↑電源ケーブル端子が目に入るが、本体は薄型で設置性も高い。操作スイッチも押しやすい位置に

 

【動画はこちら】

 

↑解像度が高くメリハリの効いた画質で、周囲の状況を鮮明に記録。明暗差の激しいシーンも落ち着いた映像に

 

■夜間

↑店の看板など、ライトを照射した範囲以外も文字をしっかりと読み取れた。ノイズも少なく映像の品位が高い

 

↑表示画面を180°回転させられる。ダッシュボードなどに逆位置で設置することが可能だ

 

↑テレビに直接つないで映し出せるHDMI出力端子を装備。ドライブの思い出としても映像を楽しめる

 

【AV&自動車評論家・会田 肇さんの評価】

自動車雑誌編集者を経てフリーに。カーエレクトロニクス全般に精通し、ドラレコも数多く試用する

画質:5
機能性:4
操作性:4
コスパ:5

【総合評価:S】トータルで能力が高くかなりお買い得!

「画質は申し分なく、機能性や操作性も目立った不満はありません。この性能で1万円台はかなりお買い得でしょう」(会田さん)

【あおり運転に屈しないドラレコ選び04】夜間には感度を高め キレイな映像を撮れる――インバイト FineVu CR-3000Sの場合

「あおり運転」とは、前方の車両に対して車間を極端に詰めたり、並走しながら幅寄せしたりする迷惑行為のこと。これによる事故やトラブルが多発し、社会問題となっています。もし被害者となったときに証拠として利用できる可能性があるのが、ドライブレコーダーの映像です。万一の事態に備えて、ドラレコの導入を検討してみましょう。

インバイト
FineVu CR-3000S
実売価格5万5530円

前方と後方を同時に録画できる2カメラ式を採用。前後ともにフルHD/30fpsの高画質で記録できます。夜間撮影時の感度を高める「ナイトモード」を搭載したほか、前方衝突、車線逸脱、先行車発進をアラートしてくれる3つの運転支援システムも備えています。

【録画:約400万画素/画面:3.5インチ液晶/レンズ画角:水平107°/GPS:搭載(外付け)】

 

タッチ式モニターを採用し、誰でも手軽に操作できる

本機は、フロント用カメラには3.5インチの大型液晶モニターを搭載するため、本体はかなり大きめ。設置場所によっては走行中に多少気になることがあるかもしれません。とはいえ、この大型モニターはタッチパネル方式を採用。わかりやすく表示されているアイコンをタッチしながら設定が行えるので、ドラレコを初めて使う人でも、迷わず操作できるでしょう。

ヒューズボックスから電源を取れる常時電源コードが付属しているのもメリット。これを使えば、エンジンオフ時に発生したアクシデントもしっかり記録できます。

 

【設置イメージ】

■フロント

↑フロントはまるでデジカメがぶら下がっているようだが、リアカメラはコンパクト。GPSは外付け

 

■リア

 

↑解像感はそれほど高くないものの、メリハリがあって見やすい映像。逆光でも鮮明に撮影できていた

 

■夜間

↑光が少ない場所でも、映像が甘くなることなく鮮明に撮れる。ノイズもうまく抑えられていて見やすい映像

 

【動画はこちらから】

 

↑モニターが非常に大きく、走行時の視認性も高い。画質も良好で、映像もキレイに描写する

 

↑メニュー構成がわかりやすくアイコンで表示。タッチ操作の反応も良好で、操作性は抜群だ

 

【AV&自動車評論家・会田 肇さんの評価】

自動車雑誌編集者を経てフリーに。カーエレクトロニクス全般に精通し、ドラレコも数多く試用する

画質:4
機能性:5
操作性:5
コスパ:3

【総合評価:A】タッチパネルを生かした操作性の高さは抜群

「タッチ操作の快適さに加えて、前後カメラの切り替えをワンタッチで行えるのも便利。そのぶん価格は高いです」(会田さん)

【あおり運転に屈しないドラレコ選び03】セパレートタイプで設置の自由度が高い――セルスター CSD-610FHRの場合

「あおり運転」とは、前方の車両に対して車間を極端に詰めたり、並走しながら幅寄せしたりする迷惑行為のこと。これによる事故やトラブルが多発し、社会問題となっています。もし被害者となったときに証拠として利用できる可能性があるのが、ドライブレコーダーの映像です。万一の事態に備えて、ドラレコの導入を検討してみましょう。

 

セルスター
CSD-610FHR
実売価格3万610円

カメラ部とレコーダー&モニター部を別体とするモデルで、カメラ部をフロントだけでなくリアにも簡単に取り付け可能。ソニー製のセンサーを採用し、画質を高めています。別売のレーダー探知機を併用することでGPS受信も行えるように。

【録画:約200万画素/画面:2.4インチ液晶/レンズ画角:水平107°/GPS:オプション対応】

 

9mのケーブルが付属しリアへの設置も行える

本機はセパレートタイプを採用したことで、カメラ部が小さいのが特徴。フロントウインドウのどこに設置しても走行時に邪魔と感じることはないのはメリットです。また、9mのカメラ接続ケーブルが付属するのもうれしいポイント。これにより、リアにもカメラを手軽に取り付け可能で、「あおり運転」対策としては、かなり有効なモデルといえます。

センサーには、ビデオカメラに広く使われているソニー製Exmor CMOSを採用。暗所での撮影を得意とするセンサーなので画質に期待しましたが、いまひとつ性能を生かせていないのが残念です。

 

【設置イメージ】

■フロント(モニター)

↑モニターを見やすい位置に設置できるのはうれしい。カメラ部は小さいためほとんど目立たない

 

■リア

 

↑走行シーンでは、若干映像が流れる印象。フルHDのわりに解像度が低く感じたものの、対向車のナンバーは確認できる

 

■夜間

↑夜間に撮影すると全体に荒れた画質となる。大きめの看板が判別できる程度で、証拠映像で使うには少し不安だ

 

【動画はこちらから】

 

↑暗所特性に優れるソニー製Exmor CMOSを採用。夜間でも鮮明な映像の撮影を目指した

 

↑レコーダー部をフロントに設置しても、リアまでケーブルが余裕で届く。設置性は抜群だ

 

 

【AV&自動車評論家・会田 肇さんの評価】

自動車雑誌編集者を経てフリーに。カーエレクトロニクス全般に精通し、ドラレコも数多く試用する

画質:2
機能性:3
操作性:4
コスパ:3

総合評価:B】設置性の高さは魅力だが画質には課題がある

「設置性の高さがメリットですが、それ以外に見るべきものはありませんでした。特に画質はお世辞にも良いとは言えません」(会田さん)

【あおり運転に屈しないドラレコ選び02】高画質と長時間録画を両立する最上位モデル――ケンウッドDRV-830の場合

「あおり運転」とは、前方の車両に対して車間を極端に詰めたり、並走しながら幅寄せしたりする迷惑行為のこと。これによる事故やトラブルが多発し、社会問題となっています。もし被害者となったときに証拠として利用できる可能性があるのが、ドライブレコーダーの映像です。万一の事態に備えて、ドラレコの導入を検討してみましょう。

ケンウッド
DRV-830
実売価格3万2830円

【録画:約400万画素/画面:3.0インチ液晶/レンズ画角:水平132°/GPS:搭載】

同社の最上位モデル。3.0V型の大型液晶モニターを搭載し、走行映像が見やすいのが特徴です。microSDカードスロットを2基備え、フルHDの約1.8倍の情報量を持つ高精細なWQHD映像でも、最長約21時間記録できます。前方衝突警告など3つの安全運転支援機能も備えています。

 

メニューガイド表示など使い勝手を高める配慮

本機の特徴は、高画質映像のデータを長時間録画するためにmicroSDカードスロットを2基備えている点。両方にカードを挿しておけば、一方がいっぱいになったとき、自動でもう一方への記録に切り替わる「リレー録画」にも対応しています。HDRによる画質補正が高精度に行われ、昼夜を通してバランスの良い映像が得られます。

 

操作系でも、使い勝手を高める配慮が随所に。メニュー操作画面におけるわかりやすいガイド表示や、静止画記録や緊急時のイベント記録などをワンタッチで行える点が好印象です。

 

【設置イメージ】

■フロント

■リアにつけた場合

↑画面が大きいため、走行中に見えるところに設置したい。視界確保を優先するならルームミラー裏側に

 

 

↑映像は高精細で、道路標識や対向車のナンバーも鮮明に読み取れる。水平132°の広角レンズのため撮影範囲も十分に広い

 

■夜間

↑全体に明るく撮影されている印象。浮き気味になりがちなノイズもうまく抑えられていて、映像は十分クリアだ

 

 

↑ボタンワンタッチでマイクのオン/オフを切り替え。会話の内容を記録したくないとき便利

 

↑リレー録画対応のmicroSDXCダブルスロット。HD画質なら最長約53時間も記録可能だ

 

【AV&自動車評論家・会田 肇さんの評価】

自動車雑誌編集者を経てフリーに。カーエレクトロニクス全般に精通し、ドラレコも数多く試用する

画質:4
機能性:5
操作性:5
コスパ:4

【総合評価:A】操作性が洗練されていてストレスなく使える!

「必要な機能を必要なときに操作できて、ストレスなく使えるのが魅力。画質もバランスの良い仕上がりです」(会田)