「ナイトタイムエコノミー」はなじまない?日本で公共交通24時間運行が難しいワケ

最近耳にするようになった言葉のひとつに「ナイトタイムエコノミー」がある。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを前に、外国人旅行者が年々増加している中で、東京は海外のメガシティに比べてナイトライフを楽しむ環境が整っていない、具体的には深夜は鉄道もバスも止まってしまうのでナイトライフを楽しもうにも帰りの足がないことを不満に挙げる人がいる。

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ナイトタイムエコノミーが話題に上るとき、必ずといっていいほど登場するのがニューヨークだ。ニューヨークの地下鉄は年中無休で24時間休みなく走り続けるのが基本なのでナイトライフを満喫できる。東京もニューヨークのように地下鉄を24時間走らせよ!という主張を目にすることもある。

 

しかしバスならまだしも地下鉄が年中無休24時間営業している都市は、世界的に見ても数えるほどしかない。道路はもともと24時間営業なので深夜バスを走らせやすいのに対し、地下鉄は深夜時間帯は保線などインフラのチェックの時間に充てられるのが普通だからだ。

 

ニューヨークの地下鉄が24時間営業できるのは、異なる路線が線路でつながっている場所が多かったり、一部が複々線だったりして、保線をしながら列車を走らせることが可能というインフラの工夫のおかげもあるようだ。つまり東京の地下鉄を同レベルにするのは構造的に難しいのだが、それでも話題に上がるのはアメリカファーストならぬニューヨークファーストな人々がいるためではないかとも思っている。ニューヨークこそ世界のメガシティの頂点で東京やロンドンや上海は足元にも及ばないという声だ。

 

■日本人はマインド的にナイトライフと相性が悪い

一方の東京では、コンビニエンスストアが24時間営業を見直したり、デパートやスーパーマーケットが元旦営業を辞めたり、むしろ24時間年中無休からの脱却を目指している。こうした流れは個人的にも歓迎したいと思っている。そもそもニューヨークが未来のメガシティの姿として理想か?という疑問も湧く。

 

それにナイトタイムエコノミーが話題に挙がった理由は外国人観光客対応であり、年々増えてはいるものの日本人に比べればまだ少数派だ。そして日本人はマインド的にナイトライフになじみにくいと思っている。理由はしばしばデータでも証明されている労働生産性の低さだ。「24時間働けますか」を美徳とし、残業代目当てでユルユル仕事をするベテラン社員と、そういう上司を持つために帰りたくても帰れない若手社員。仮に早く仕事が上がっても社員同士で飲み歩く。これではナイトライフなど生まれようもない。

 

そもそも東京はバスについては、24時間の試験運行をしたことがある。猪瀬直樹都知事の時代に、東京メトロと都営地下鉄の一元化などと同時に、六本木〜渋谷間の都営バスの深夜運行を始めたのだ。猪瀬知事はこれに続いて、地下鉄の24時間運行も考えていたという。しかし深夜バスの利用者は低迷。猪瀬知事が辞任したこともあり、1年を待たずに終了となってしまった。その後の都知事が復活させていないところを見ると、財政面に問題がありそうな気がする。

 

過去にこのコラムで紹介したこともあるが、欧米と日本の都市交通では財政事情が大きく異なる。広島市などで公共交通を運行する広島電鉄の鉄軌道部門を見ると、収益の9割以上を旅客運輸収入で占めている。日本では一般的なパターンだ。ところが全米でもっとも住みたい街と言われるオレゴン州ポートランドの公共交通の資料を見ると、運賃収入は約2割に留まり、税金収入が半分以上を占める。

 

欧米の公共交通は税金主体で運行しており、黒字経営を目指すこと以上に、より良い公共サービスを提供することを重視している。公立学校や図書館は税金で運用され、道路も税金で作られているわけだから違和感はない。逆に儲かるかで判断する日本の考え方では、24時間運行は永遠に無理ではないだろうか。

 

ニューヨークが素晴らしくて東京は遅れているとか、そういう問題ではない。日本の公共交通の問題はすべてここに帰結するのである。

 

【著者プロフィール】

ビリティジャーナリスト 森口将之

モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・講演などで発表するとともに、モビリティ問題解決のリサーチやコンサルティングも担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本デザイン機構理事、日本自動車ジャーナリスト協会・日仏メディア交流協会・日本福祉のまちづくり学会会員。著書に『パリ流環境社会への挑戦(鹿島出版会)』『富山から拡がる交通革命(交通新聞社)』『これでいいのか東京の交通(モビリシティ)』など。

THINK MOBILITY:http://mobility.blog.jp/

地下鉄日比谷線の「車内BGM」は本当に“心地よい”サービスなのか?

筆者の知人で「サウンドスケープ」を専門としている大学の先生がいる。建築業界などで一般的に使われるランドスケープを由来とするジャンルで、日本語に訳せば「音の風景」となるようだ。たしかに海辺にいるときの波の音、山に分け入ったときの川のせせらぎなどは、目を閉じていてもどんな場所かが分かる、その場所になくてはならない音の風景だ。

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筆者もこういう音は大切にしたいと思うひとりであるが、日本の観光地ではしばしば、自然の音をかき消してあまりあるぐらい大音量のBGMを流しまくる土産物店があったりして、ガッカリすることが多い。その点乗り物は、自家用車については好みの音楽を聞きながらドライブすることも多いが、公共交通は自分が乗った経験では、飛行機や船が到着直前にBGMを流すことはあるものの、鉄道やバスを含めて移動中ずっと音楽を流された経験はない。

 

鉄道で言えばガタンゴトンというローカル線の走行音に魅力を感じる人もいるし、そもそも公共交通はその名のとおり公共空間であるから、万人にとって満足できる音環境は静かであるという考えなのだろう。音楽が欲しい人は携帯音楽プレーヤーを持ち歩けば良いわけだし。

 

ところが最近、この常識に対抗するような電車が走りはじめた。東京メトロ日比谷線で、新型車両に導入された高音質の放送システムを活用するかたちで、車内BGMの試験運用を始めたという。もともとこの車両では放送システムのテストのためにBGMを使っていたそうだが、昨年間違って営業列車内でこれを流してしまった。ところが一部の利用者から「心地よかったのでこれからも続けてほしい」という意見があり、営業列車でのBGM試験運用につながったという。当面は日中時間帯の2往復のみBGMを流すとのことで、クラシック音楽とヒーリング音楽が流れる。もちろんボリュームは通常の車内放送より抑えられる。

 

ここまで読んできた方なら想像できるように、筆者は日比谷線のBGMには反対だ。理由は前に書いたように、公共交通の車内は公共の場だからである。公共空間は他人に迷惑を及ぼしたり器物を破損したりしなければ、基本的に過ごし方は自由だ。本を読んでも寝てもいい。音楽を聴きたい人がいれば聴きたくない人もいる。ゆえに聴きたい人は前述のように携帯音楽プレーヤーを持ち歩くことになる。

 

海外の公共交通には「次は〇〇」という案内さえしないところもある。これも公共性を重視しているからだろう。次の駅で降りる人や終点まで乗っていく人など、車内放送が不要な場合はたしかに存在する。そんな場で音楽を流し続けるというのは、押し付けがましいのではないかという感じがする。クラシック音楽やヒーリング音楽というと聞こえはいいけれど、電車に乗るすべての人がこれらの音楽を好むとは限らないし、車内で寝たい人や本を読みたい人にとっては耳障りになる可能性もある。

 

国際線エアラインのようなヘッドホンで聞くサービスをスマートフォンのアプリなどで提供したほうが、場にふさわしいのではないかという気がする。経路検索アプリと統合して、乗り換え駅や目的駅が近づいたらCAのアナウンスのようにメッセージが割り込んで入るようになれば、乗り過ごす心配もなくなる。

 

最初に紹介した先生によれば、日本をはじめとするアジアはランドスケープやサウンドスケープへの関心が薄いという。たしかに駅を筆頭に日本の多くの公共施設は案内と広告と注意書きであふれている。音についても例外ではなく、常になんかしらのアナウンスやBGMが流れている印象だ。ついでに言えば照明は明るすぎ、LEDのイルミネーションは色が派手すぎると感じる。

 

サービスは過剰なほど良い。昔はそういう考えが主流だったかもしれない。でもその結果、音を含めた景観面は確実にマイナスになっている。必要にして十分な、研ぎ澄まされたサービスのほうが心地よいと感じるのは筆者だけではないはずだ。

 

【著者プロフィール】

モビリティジャーナリスト 森口将之

モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・講演などで発表するとともに、モビリティ問題解決のリサーチやコンサルティングも担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本デザイン機構理事、日本自動車ジャーナリスト協会・日仏メディア交流協会・日本福祉のまちづくり学会会員。著書に『パリ流環境社会への挑戦(鹿島出版会)』『富山から拡がる交通革命(交通新聞社)』『これでいいのか東京の交通(モビリシティ)』など。

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変わり続ける東京の街並み――地下鉄に乗って“幻の駅”を巡る「銀座線タイムスリップ」後編

銀座線の警笛は“トロンボーン笛”と呼ばれる。低音の警笛が地下の線路に響くレトロな音色も銀座線ならでは魅力だ。そんな伝統ある警笛の音を楽しみつつ乗る地下鉄開通90周年イベント「銀座線タイムスリップ」の旅。師走の日曜日、レトロな銀座線の1000系特別仕様車を利用した臨時イベント列車が運行された。予備灯の点灯を中心にお届けした前回に引き続き、今回は、銀座線の幻の駅に迫ってみよう。

20171221-i03 (8)↑黄色の車体が目印の銀座線に乗ってイベントに参加

 

2年のみで消えてしまった萬世橋駅

今回のイベント列車でクローズアップされた2つの幻の駅。それが「萬世橋駅」と「神宮前駅(現・表参道駅)」だ。2駅の旧ホームは銀座線90周年のイベントにあわせライトアップされ(同企画は12月18日に終了)、イベント列車は参加者が確認できるように旧ホームの区間を徐行しつつ走った。

↑イベント列車の運転士も復刻版の制服を着用。旧萬世橋駅など幻の駅付近ではできるだけ速度を落として運転された↑イベント列車の運転士も復刻版の制服を着用。旧萬世橋駅など幻の駅付近ではできるだけ速度を落として運転された

 

まずは萬世橋駅。同駅は東京地下鐡道が1930年(昭和5年)1月1日に開業させた駅。この駅があった期間はわずかに23か月間のみ、という短命な駅だった。イベント列車は上野駅から2つ目の末広町を11時53分に通過。旧萬世橋駅が近づいたことがアナウンスされる。

 

ホーム通過! “うーん、見えた”かな。ほんの一瞬のことで車内からの確認が難しい旧萬世橋駅だった。

↑イベント列車からライトアップされた旧萬世橋駅を望む。旧駅ホームは資材置き場となっている↑イベント列車からライトアップされた旧萬世橋駅を望む。旧駅ホームは資材置き場となっている

 

なぜ萬世橋駅は短命だったのだろう

浅草駅〜上野駅間が1927年(昭和2年)12月30日に開業。のちに、新橋駅へ向けて地下鉄の路線が延ばされていった。まずは1930年(昭和5年)1月1日に上野駅〜萬世橋駅間に線路が開業した。この萬世橋駅の先には神田川が流れる。不慣れな川の下を通る地下鉄工事ということで、作業が慎重に進められた。先の神田駅までの工事終了はまだ先になる、ということで萬世橋まで先行して開業したのだった。

↑大正期の国鉄萬世橋駅の絵葉書。駅舎は東京駅をデザインした辰野金吾の設計。同駅舎は関東大震災で消失し、その後の国鉄駅も1943年に廃止された(絵葉書は筆者所蔵)↑大正期の国鉄萬世橋駅の絵葉書。駅舎は東京駅をデザインした辰野金吾の設計。同駅舎は関東大震災で消失し、その後の国鉄駅も1943年に廃止された(絵葉書は筆者所蔵)

 

翌1931年(昭和6年)11月21日に萬世橋駅〜神田駅間が延長される。開業したその日に萬世橋駅は廃止されてしまった。旧萬世橋駅があった地点の線路は勾配に加え、カーブ区間で駅に向いていないということも、廃止された原因とされている。

 

筆者は短命だった萬世橋駅のことが気にかかり、後日、旧駅付近へ訪れてみた。やや寄り道になるが触れておこう。

 

旧駅は萬世橋というより秋葉原駅すぐそばにあった

銀座線の末広駅から500m、神田駅から500mの両駅の中間地点に旧萬世橋駅があった。そこは現在、JR秋葉原駅の西側を通る中央通りの地下部分。大型電器店が立つ一角だ。改めて銀座線が秋葉原駅すぐそばの地下を南北に走っていたことを知った。地下を通りながら、秋葉原駅そばに駅が造られなかった。萬世橋駅がいまもあったらすごく便利だったろうに、と思った。

↑旧萬世橋駅は秋葉原の中央通りの下にあった(写真の通気孔あたり)。後方に神田川にかかる万世橋とJR中央線の陸橋が見える↑旧萬世橋駅は秋葉原の中央通りの下にあった(写真の通気孔あたり)。後方に神田川にかかる万世橋とJR中央線の陸橋が見える

 

↑中央通りの歩道上に通気孔があり、下に旧萬世橋駅が眠る。通気孔の横には旧営団地下鉄の社章が入った消防用の送水口があった↑中央通りの歩道上に通気孔があり、下に旧萬世橋駅が眠る。通気孔の横には旧営団地下鉄の社章が入った消防用の送水口があった

 

東京にはまだ幻の駅がある

さて新橋駅にも実は幻の駅が残されている。今回は、その旧新橋駅ホームに電車は乗り入れなかったが、以前に一部公開され、また人気テレビ番組でも紹介されたのでご存知の方が多いかも知れない。

 

新橋駅は東京地下鐡道の駅が1934年(昭和9年)に誕生した。その後に、東京高速鐵道の駅が1939年(昭和14年)に造られた。当初、東京高速鐵道の駅は東京地下鐵道の駅とは別に設けられた。

 

現在の駅は東京地下鐵道が設けた新橋駅で、この駅ホームの上に東京高速鐵道の旧ホームがある。開業後、2社間の直通運転が始まったこともあり、東京高速鐵道の旧駅はわずか8か月という短命の駅となった。いまもその跡は残り、銀座線電車の留置線として旧駅の線路が生かされている。

 

神宮前駅の旧駅ホームでは表示やタイル壁がしっかり見えた!

12時過ぎ、イベント列車は溜池山王駅〜赤坂見附駅間へ。この駅間では予備灯が3度にわたり点灯する。

 

そして12時15分過ぎに表参道の駅に入り、いよいよ幻の駅、神宮前駅だ。車内では「表参道駅の遺構」とアナウンスされ、旧ホームにさしかかる。目をこらすと、ライトアップされた旧ホームの壁はピンク色のタイル貼り、千代田線の乗り換え案内と出口という文字がしっかりと見えた。

↑旧神宮前駅(現表参道駅)の旧ホーム。イベント列車からホーム上の乗り換え案内や出口という表示がチェックできた↑旧神宮前駅(現表参道駅)の旧ホーム。イベント列車からホーム上の乗り換え案内や出口という表示がチェックできた

 

表参道駅の歴史に触れておこう。まずは1938年(昭和13年)に東京高速鐡道が青山六丁目という駅を開業させた。当時から明治神宮への参拝客が多かったからだろうか。翌年には神宮前駅と変更された。その後、1972年(昭和47年)に千代田線の駅が開業した時に、駅名が現在の表参道駅となった。ちなみに神宮前という駅名は、この年に開業した千代田線の明治神宮前駅に引き継がれている。

 

さらに1978(昭和53)年には半蔵門線が開業、ホームの位置が青山一丁目側にずらされた。旧ホームが表参道駅と名乗った期間は短かった。34年にわたり神宮前駅だったわけで、当時を知る人には神宮前という駅名の方がなじみ深いかも知れない。

 

大きく変わる渋谷駅周辺

旧神宮前駅を過ぎて、まもなく渋谷駅へ。イベント列車は、同駅での乗り降りは無く、引き込み線へ入る。東急百貨店東横店の下に設けられた渋谷駅。ホームの先、道玄坂方面に引込線があり、ここで運転士と車掌が入れ替わり、浅草方面へ折り返す。

 

銀座線渋谷駅の開業は1938年(昭和13年)のこと。上野駅〜浅草駅間が開業してから10年以上あとのことだった。なお、渋谷駅のシンボルでもある東急百貨店(創業時は東横百貨店)は東館が1934年(昭和9年)の開業で、誕生は銀座線よりも古い。現在、東急百貨店の西館3階に銀座線の改札口が設けられる。

↑渋谷駅の道玄坂側に設けられた屋内にある引込線。ここで乗務員が交代し、浅草駅方面へ電車が折り返す↑渋谷駅の道玄坂側に設けられた屋内にある引込線。ここで乗務員が交代し、浅草駅方面へ電車が折り返す

 

↑浅草〜渋谷間で唯一、外を走る渋谷駅近くで。駅の再開発工事が進み、2021年には現在の渋谷駅よりも130mほど表参道駅側の、明治通りの上にホームがずれる予定だ↑浅草〜渋谷間で唯一、外を走る渋谷駅近くで。駅の再開発工事が進み、2021年には現在の渋谷駅よりも130mほど表参道駅側の、明治通りの上にホームがずれる予定だ

 

現在、渋谷駅は再開発が絶え間なく進む。駅上にあるデパートの老舗でもある東急百貨店東横店。その建物から黄色い銀座線の電車が出てきて陸橋を渡る姿は、渋谷のシンボルでもあった。新駅が誕生する2021年には、表参道駅側にホームがずれる予定で、渋谷を象徴する風景も大きく変わりそうだ。

 

銀座線90周年のイベント列車で変わる東京の地下鉄の姿をいくつか見てきたが、大きく変わりつつある渋谷駅を車内から目にしつつ上野駅へ戻る。

 

クイズ大会や記念撮影タイムなどファン感涙のイベントも

帰りの車内では、駅の発車メロディをテーマにしたクイズ大会が開かれた。銀座線の発車メロディはオリジナルの楽曲が多く、どこの駅か分かりにくかったが、二者択一、さらに銀座線のイベント列車だったこともあり、正解も多かったよう。クイズ正解者には東京メトロのオリジナルグッズがプレゼントされた。

↑クイズ大会の正解者には東京メトロのオリジナルグッズがプレゼントされた↑クイズ大会の正解者には東京メトロのオリジナルグッズがプレゼントされた

 

レトロ制服に身をつつんだ乗務員との記念撮影タイムも用意され、特製の額縁を持ちつつ記念撮影に興じる人も多く見られた。

↑復刻された開業当時の制服を着た乗務員と記念撮影。銀座線タイムスリップというワクも用意され盛り上がった↑復刻された開業当時の制服を着た乗務員と記念撮影

 

 ↑東京・東村山から参加した銀座線大好きのR.Uさん。ネイルは左の小指から路線が生まれた順にラインカラーが施されていた。バックほか地下鉄ファンらしき小物がすごい↑東京・東村山から参加した銀座線大好きのR.Uさん。ネイルは左の小指から路線が生まれた順にラインカラーが施されていた。バックほか地下鉄ファンらしき小物がすごい

 

90周年を迎えた銀座線に乗って

さてイベント列車は、13時過ぎに上野駅に到着した。実は上野駅ホームは12月にリニューアルが完了したばかり。「駅自体が美術館」という発想を元に生まれ変わった。柱は美術館の列柱のイメージ、ホーム内のウインドウは銀座線の歴史を振り返る展示スペースとなっている。

↑リニューアルされた上野駅ホームには歴史的な展示物も。写真は銀座線開業当時から66年間にわたり使われた集電用のサードレール↑リニューアルされた上野駅ホームには歴史的な展示物も。写真は銀座線開業当時から66年間にわたり使われた集電用のサードレール

 

改札口には、90年前の木製回転式改札のレプリカが。こうしたリニューアルは上野駅以外にも行われ、浅草駅、上野広小路駅、神田駅のリニューアルも12月で終了している。

↑上野駅の改札口横には開業時に使われた木製の回転式改札口(レプリカ)が展示されている。木製バーを身体で押しつつ改札機にコインを投下して入場した↑上野駅の改札口横には開業時に使われた木製の回転式改札口(レプリカ)が展示されている。木製バーを身体で押しつつ改札機にコインを投下して入場した

 

開業以来90周年、今日まで徐々に姿を変えつつある銀座線の沿線。イベント列車のような特別な列車に乗らなくとも、上野駅などのレトロな装いの駅で、地下鉄の歴史を触れることができる。年末年始、レトロな銀座線にのんびり乗りつつ、きれいになった駅に降りてみる。そんな地下鉄の旅に出てみてはいかがだろうか。

 

取材協力:東京メトロ/2017年12月17日開催“地下鉄開通90周年記念イベント「TOKYO METRO 90 Days FES!」スペシャル企画『銀座線タイムスリップ』”

 

 

 

 

地下鉄の車内照明が真っ暗に? 懐かしき日々に思いを馳せる「銀座線タイムスリップ」の旅

駅に入る手前の、ポイントを通過する時に、車内の照明が消えて一瞬、真っ暗に。点いているのは車内の非常灯のみ。古い銀座線では“当たり前”だった光景が、四半世紀ぶり、2017年12月17日に運行された臨時イベント列車で再現された。

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“地下鉄開通90周年記念イベント「TOKYO METRO 90 Days FES!」スペシャル企画『銀座線タイムスリップ』”という、長〜いイベント名。2017年は銀座線が開業してからちょうど90周年にあたる。それに合わせて運行された特別な列車に乗りつつ、銀座線の歴史を振り返ってもらいましょうという催しだった。

↑運転士と車掌はレプリカ制服を着て乗務。臨時列車では当時の乗客の服装を再現した添乗員も同乗してイベントを盛り上げた↑運転士と車掌はレプリカ制服を着て乗務。臨時列車では当時の乗客の服装を再現した添乗員も同乗してイベントを盛り上げた

 

まずは銀座線の歴史をさらりと触れておこう

地下鉄銀座線はまず、1927年(昭和2年)12月30日、上野駅〜浅草駅2.2km間が開業した。これが日本で初めて誕生した地下鉄路線でもあった。

↑開通当時の銀座線浅草駅。東京地下鐵道によりまずは上野駅〜浅草駅間が開業、1000形電車が走った(昭和初期発行の絵葉書/筆者所蔵)↑開通当時の銀座線浅草駅。東京地下鐵道によりまずは上野駅〜浅草駅間が開業、1000形電車が走った(昭和初期発行の絵葉書/筆者所蔵)

 

地下鉄事業に乗り出したのは東京地下鐵道という会社だった。以降、路線を延長していき、1931年(昭和5年)に上野駅から萬世橋駅、さらに神田駅まで開業する。さらに翌年、京橋駅まで、1934年(昭和9年)6月21日に新橋駅までが開業する。

 

新橋駅の先、新橋駅〜渋谷駅間は、東京地下鐵道とは異なる東京高速鐵道という会社が開発を行った。1938年(昭和13年)12月に青山六丁目(現・表参道駅)駅〜虎ノ門駅が開業、1939年に渋谷駅〜新橋駅間が開業、同じ年に東京地下鐵道との直通運転が開始された。その後、1941年(昭和16年)に帝都高速度交通営団が発足、東京地下鐵道と東京高速鐵道は統合された。

 

イベント列車には1000系特別仕様車が使われた

90周年を記念した「銀座線タイムスリップ」の臨時イベント列車。使われたのは1000系特別仕様車だった。現在、銀座線には1000系6両編成40本が走っている。そのうち39編成と40編成の2本のみが、特別な造りとなっている。

↑銀座線1000系特別仕様車。ヘッドライトが一灯のほか、車内外ともレトロなイメージを強調して造られている(写真提供:東京メトロ)↑銀座線1000系特別仕様車。ヘッドライトが一灯のほか、車内外ともレトロなイメージを強調して造られている(写真提供:東京メトロ)

 

1000系特別仕様車は地下鉄90周年に合わせてレトロなイメージを強め造られた車両だ。通常車両と異なり、前照灯を2灯から1灯に、内装は木製色を強調、銀座線を最初に走った1000形をイメージした造りが各所に取り入れられた。また天井灯はLED照明ながら、光の色が変更できるようになっている。さらにほかの1000系には無い予備灯(非常灯)があえて付けられた。今回のイベント列車では、この予備灯が生かされたのである。

↑車内の内装は木製色の化粧板をメインに。座席も通常車両の煉瓦柄に対して緑色のシートモケット、手すりは真鍮色とされている↑車内の内装は木製色の化粧板をメインに。座席も通常車両の煉瓦柄に対して緑色のシートモケット、手すりは真鍮色とされている

 

↑車内の車両番号表示。「日本車両会社」が旧字で、しかも右から記されている。なんともレトロ感満載の車両だった↑車内の車両番号表示。「日本車両会社」が旧字で、しかも右から記されている。なんともレトロ感満載の車両だった

 

↑各車両を隔てるガラス戸にはパンダや雷門など、銀座線に縁が深いイラストシールが貼られていた↑各車両を隔てるガラス戸にはパンダや雷門など、銀座線に縁が深いイラストシールが貼られていた

 

ビルに囲まれた上野検車区を出発、地下鉄唯一の踏切を通過!

今回のイベント列車への一般の応募者数は4090人。その中の45組90名が晴れて乗車できた。倍率はなんと45倍強! 人気の高さがうかがえた。きっと熱心な鉄道ファンが多いのだろう、と思って乗車してみると、女性の参加者がかなり多かった。やはり銀座線好きな人には男女、また鉄道ファンに関わらず、ということなのかも知れない。

↑イベント列車として使われる1000系特別仕様車が検修庫内に停まる。ふだんは使われない階段と先頭部の非常用トビラから入るという“旅の始まり”も参加者の心をくすぐった↑イベント列車として使われる1000系特別仕様車が検修庫内に停まる。ふだんは使われない階段と先頭部の非常用トビラから入るという“旅の始まり”も参加者の心をくすぐった

 

イベント列車の行程は次の通り。

「上野検車区を出発→上野駅を通過→浅草駅を通過→(折り返し線を利用)→旧萬世橋駅を通過→旧表参道駅を通過→渋谷駅→(引込線をで折り返し)→上野駅ホーム着」

 

今回のイベント列車が注目を浴びたのは、乗客がふだんは乗る事ができない区間を乗車できたこと。出発は上野駅近くにある上野検車区からだった。上野検車区は台東区東上野4丁目にある銀座線の車両基地。ビルが取り囲む車両基地で、本線へ向かう出入り口には国内の地下鉄路線で唯一という踏切があることでも知られている。普段、一般の人たちが立ち入ることができない検修区内と、踏切を車内から見ることができたのだった。

↑イベント列車内から見た上野検車区内の留置線。ビルに囲まれた車両基地であることがよくわかる。1000系には90周年のステッカーが貼られている↑イベント列車内から見た上野検車区内の留置線。ビルに囲まれた車両基地であることがよくわかる。1000系には90周年のステッカーが貼られている

 

↑上野検車区の出入口にある踏切(イベント開催日以前に撮影したもの)。ビルにはさまれた小さな踏切で目立たない。出庫・入庫は朝や夕方に行われることが多い↑上野検車区の出入口にある踏切(イベント開催日以前に撮影したもの)。ビルにはさまれた小さな踏切で目立たない。出庫・入庫は朝や夕方に行われることが多い

 

↑車内から見た踏切の様子。貴重なイベント列車の姿を撮影しようという鉄道ファンの姿も見受けられた↑車内から見た踏切の様子。貴重なイベント列車の姿を撮影しようという鉄道ファンの姿も見受けられた

 

<スケジュール>

○11時9分 上野検修区をゆっくりと発車する。検修区を出庫前にやや停車
○11時21分 地下鉄唯一の踏切を通過。地下路線へと入っていく
○11時29分 本線に入る前やや停車、その後、本線へ入り上野駅を通過する
○11時35分 浅草駅を通過、折り返し線へ

 

懐かしい気持ちを呼び起こすレトロな照明

前述したように1000系特別仕様車は車内に予備灯が付けられている。イベント列車では、この予備灯を生かしての、古い銀座線車両のイメージが再現された。

↑浅草駅〜渋谷駅間は照明がLEDモードから、やや赤みがかったレトロモードとされた↑浅草駅〜渋谷駅間は照明がLEDモードから、やや赤みがかったレトロモードに切り替えられた

 

さて今回のイベント列車内の催しとして注目されたのが「予備灯の点灯」。1984(昭和59)年に走り始めた01系電車が登場するまでは、車内の照明が消え予備灯(非常灯)が一定の箇所で点灯した。銀座線の車両がすべて01系となる1990年代までは銀座線に乗ったならば、いつでもこの一瞬、室内灯が消え、予備灯が付くという現象を体験できたわけだ。なぜ、01系以前の車両は予備灯がついたのだろうか。

↑浅草駅から渋谷駅にかけて予備灯が計14回、点灯された。点灯した場所は、ほぼ古い車両と同じ場所で起こるように“設定”された↑浅草駅から渋谷駅にかけて予備灯が計14回点灯された。点灯した場所は、ほぼ古い車両と同じ場所で起こるように“設定”された

 

東京メトロの路線の中で銀座線と丸ノ内線のみサードレール方式(第三軌条集電方式)を採用している。サードレール方式とは、レールに平行した3本目のレールに電気を流し、そこからコレクターシューによって、集電して電車を動かす方式のこと。このサードレールは、ポイントなどで、途切れる区間が一部にあり、集電ができないところでは、バッテリーの電源を生かして予備灯(非常灯)が点灯する仕組みになっていた。01系以降は、集電できない区間も、室内灯が切れないシステムに変更されている。

↑銀座線1000系の台車に付くコレクターシュー(矢印部分)。この装置でサードレールから集電して電車が走る↑銀座線1000系の台車に付くコレクターシュー(矢印部分)。この装置でサードレールから集電して電車が走る

 

↑レールに平行して設けられるサードレール(矢印のレール)。ここに電気が流されていて、コレクターシューをすって集電する↑レールに平行して設けられるサードレール(矢印のレール)。ここに電気が流されていて、コレクターシューをすって集電する

 

今回のイベント列車では、古いシステムに車両を戻したわけでなく、集電できない箇所で消灯するような仕組みにした “擬似対応”であったとのこと。とはいえ、十分にちょっと昔の感覚を楽しむことができた。

 

そんな感慨に浸っているうちに、イベント列車は銀座線タイムスリップの最大の“お楽しみ”区間へ向かうのであった。

 

後編「銀座線の“幻の駅”だ!の巻」に続く。