【ムー妖怪図鑑】あなたは「びろーん」を知っていますか?――昭和の児童書に出現した妖怪たち

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第22回は、黒氏も親しんだ「昭和の子供向け妖怪本」に掲載されている思い出の妖怪を補遺々々しました。

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あの頃の妖怪本

妖怪が好きな人で、水木しげる氏の本を一度も読んだことがない人はいないのではないでしょうか。

 

私は子供のころに小学館入門百科シリーズの『妖怪100物語』『妖怪なんでも入門』『妖怪クイズ百科事典』と出会いました(このシリーズは新デザインになって現在も読まれつづけています)。

 

水木氏の描く妖怪はどこか親しみやすく、面白く、でもちょっと怖いものもいて、次はどんな妖怪が出るのかなとワクワクしながら頁をめくりました。

 

読み終えるともっと妖怪を知りたくて、書店や図書館へ走りました。

 

皆さんは、どんな本を読んで妖怪を好きになりましたか?

 

どんな妖怪がいちばん印象に残っていますか?

 

今回は趣向を変えまして「昭和の子供向け妖怪本」の中から、いくつか変わった妖怪をご紹介いたしましょう。

 

黒史郎の心に残る妖怪たち

昭和43年に秋田書店から発行された「世界怪奇スリラー全集」全6巻は、魔術、怪奇事件、空飛ぶ円盤と、ひじょうに充実した内容でした。奥付の頁を見ると小・中学生が対象年齢と書かれていますので子供向けに出された全集であることは間違いないのですが、大人が読んでもなかなか過激な内容でした。この全集の2巻目、山内重昭著の『世界のモンスター』は、タイトルどおり、世界中の妖怪たちを紹介しています。

 

私がとくに印象に残った妖怪は「みンな」です。この変わった名称の妖怪は、夜道をひとりで歩いていると出遭うもので、ずっと後ろからついてくるストーカーです。走って逃げても、走って追いついてきます。その姿はいろいろと変化をしますが、基本は人に近い形で、全身は真っ黒、顔の真ん中に赤いひとつ目が縦についています。こちらが怖がると、どんどん身を寄せてきて、「怖いから見るな、怖いから見ンな」と呟きます。「みンな」という名は、「見るな」という意味だったのです。後をつけてくる以外の悪さはしないのですが、人の不安感、恐怖心を絶妙に煽ってくる嫌な妖怪です。

 

嫌といえば「金ン縛り(かなンしばり)」も、かなり嫌な妖怪です。これは人に似た姿をしていますが、ネズミのような髭と手を持っています。就寝中に動けなくなる金縛りは、この「金ン縛り」が馬鹿力で胸を押さえ込むから起こる現象なんだそうです。

 

本の解説によると、金縛りにあったら無理に解こうとはせず、じっとしているほうがいいようです。無理に動こうとすると心臓が止まってしまうからです。なんと、「ポックリ死」の原因は、この「金ン縛り」のせいだというのです。

 

「米つき座頭」は、たいへん醜悪で残忍な性格の妖怪です。目の潰れたお坊さんの姿をしており、墓場から死体を掘りだします。そして臼と杵で死体を砕き、食べるのです。「米つき座頭」なんですから、米だけを搗いてほしいものです。

 

また、ゲームなどですっかり有名になった巨大骸骨妖怪「がしゃどくろ」も載っています。「がしゃどくろ」は歌川国芳『相馬の古内裏(そうまのふるだいり)』に描かれた大きな骸骨のイメージが強いですが、この本では人間の頭蓋骨を腹に溜め込んだ(巨大)骸骨として描かれています。

 

子供向けの妖怪本といえば、やはりこの本でしょう。昭和47年刊行の佐藤有文著『日本妖怪図鑑』。子供向け妖怪本の金字塔です。

 

多くの妖怪好きから愛される「びろーん」も、この本に載っています。

 

この気の抜けるような響きをもつ名前の妖怪は、別名を「ぬりぼとけ」といい、コンニャクのようにぶよぶよとしています。もともと化ける能力があったようで、「びろ・びろ・びろーん」と唱えて仏さまに化けようとしたところを失敗してしまい、名のとおり、びろーんとした、へんてこな姿になってしまったのです。目は腫れぼったく、ほうれい線はくっきり、すきっ歯に出っ歯とお世辞にも美形とはいえませんが、それが愛くるしくもあり、多くのファンを獲得しました。

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1970年代は、少年漫画雑誌でも多くの妖怪企画がありました。そこでしか見ることのできない妖怪もたくさんあります。

 

昭和43年発行『週刊少年マガジン』25号の「日本の怪異 大妖怪」には、「白骨大入道(はっこつおおにゅうどう)」なる妖怪が紹介されています。紹介といっても記事に解説はありません。その姿は先述した歌川国芳『相馬の古内裏(そうまのふるだいり)』に描かれた大きな骸骨とほぼ同じですが、こちらは目が血走っていて、より怖いです。

 

同じく『週刊少年マガジン』の昭和42年発行、41号の企画「四谷怪談ウルトラ妖怪画報」には、「四谷怪談」の主人公・お岩の恨みをはらすべく、沼の主の「もうりょう」、内臓を食べる「かっぱ」、50年以上生きている「化けうなぎ」、山奥に住む獣が化けた地獄の「火車」、火事を起こしに井戸から現れる「井戸黒鳥(いどこくちょう)」、6人の「雪女」といった妖怪たちが伊右衛門を襲っています。お岩様の人望(妖望)の厚さがうかがえます。

 

昭和の子供たちを妖怪・オカルトの世界にどっぷり引き込んだ立役者、手の平サイズのぶ厚い「百科」系を忘れてはなりません。ケイブンシャ『妖怪・幽霊大百科』『日本の妖怪大百科』、小学館コロタン文庫『世界の妖怪全(オール)百科』など、素晴らしい本がたくさんありました。

 

その中でもわたしは昭和58年に秋田書店から発行された竹内義和・編『悪魔・オカルト大全科』が印象的でした。この本に紹介された妖怪はいずれも個性的で魅力的なのです。

 

「1ツ目おばあさん」は夕方になると現れる単眼のお婆さんで、人の家の前に長時間立ちつづけます。イラストを見ると「大安売」の文字の書かれた幟を持ってお店の宣伝をしているようにも見えますし、頭にかわいいリボンをつけているので、それほど怖くはありません。

 

「手だけがサソリ」という妖怪はその名のとおり、外見は人間のおじさんですが、手だけが大きなハサミです。大木をも簡単に切ることのできるこのハサミで、人間の首も切ったといいます。同じハサミでもカニやザリガニですと名前がカッコ悪いので、やはりサソリで正解でしょう。

 

「ケンケン男」は片足を縄で縛ってケンケンで移動する奇妙な妖怪です。「ケンケン男」についての情報はほとんど明記されておらず、解説に「首のないおとうさん」をおんぶしているとあるだけです。掲載されているイラストでは「ケンケン男」の後方に潰れて炎上している車が確認できます。路上には男性の生首が転がっています。背負っている「首のないおとうさん」は、被害に遭った人物の父親でしょうか。あるいは「ケンケン男」の父親なのでしょうか。謎の多い妖怪です。

 

今回紹介した妖怪はいずれも、民俗資料の中では見つけることができませんでした。

 

もしかしたら著者の完全な創作だったのかもしれませんし、一部だけ創作なのかもしれません。あるいは、まだ見つかっていないだけで、どこかの伝承・絵巻に名前や姿があるのかも――。

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文・絵=黒史郎

 

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【ムー妖怪図鑑】凶事を伝える不吉な犬の鳴き声

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」。新春のおだやかな雰囲気とは逆張り(?)に、凶事の兆しとなる怪異の数々を補遺々々しました。

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兆しをとらえる

私たちは、あらゆることを前もって知ることができます。なぜなら、多くの物事には前兆があるからです。

 

荒天の兆し、噴火の起こる前触れ、ミサイル発射の兆候。

 

それら「兆し」を見逃すことなくとらえられるのは、感知する技術が発展したからです。

 

そういった技術のなかった昔はどうだったのでしょう。なにかが起こる兆しを人々は見逃していたのでしょうか。

 

――いいえ。昔の人たちは現代人よりも鋭敏な感覚で、その兆しをしっかりととらえていました。

 

死と火の兆し

江戸時代、現在の高知県高岡郡佐川に、棚橋精庵(たなはしせいあん)という医者がいました。江戸で医学を学んだ名医で、その名は広く知れ渡っていました。

 

ある夜更けのことです。隣村の川ノ内というところから使いの者がやってきて、「重病人がいるので、ぜひおいで願いたい」と頼まれました。精庵はさっそく、おかかえの駕籠(かご)に乗って隣村へと向かいました。

 

その道中、鳥ノ巣村というところを通りました。その道は人里から離れた寂しい場所にあり、両側を山に挟まれていました。道の上の方には古寺があり、その近くを通りかかると奇妙な光景と出くわしました。

 

道の傍らに4、5人の女性が並んで腰を下ろしているのです。

 

みんな白装束を着て、菅笠(すげがさ)を被っています。

 

こんな場所で、こんな時間に何をしているのだろうと気になり、「あなたがたは何者か」と問いかけますが、だれも返事をしません。不思議に思いながら通り過ぎようとすると、後ろから声をかけられました。

 

「今から出かけても、どうにもならんじゃろう」

 

どういうことかと駕籠かき(籠を担ぐ者)が引き返すと、女たちはいっせいにケタケタと笑いだし、そして消え失せてしまいました。

 

ゾッとしながら病人の待つ隣村へと急ぎましたが、家へ着くと「今しがた死にました」といわれたといいます。

 

こちらも高岡郡に伝わる話です。

 

堀田権太夫という武芸に優れた武士がおりました。彼は泳ぎの達人でもあり、たいへん勇気のある人物だったそうです。

 

ある夏の夜でした。眠っていた権太夫が目を覚まし、ふと蚊帳の外を見ると、そこに小さな坊主が座っています。ひどく痩せ衰え、頭が長く、鼻は高く、青漆(あおうるし)を塗ったような色をしています。

 

「何者だ、こんな夜中に武士の寝所に来るとは」

 

家人も寝ているので静かに叱りますと、その坊主はひとことも返さず、ただニコニコとしながら座っています。

 

さて、どうしたものか。この坊主、明らかに化け物です。斬り捨ててしまうのは簡単ですが、騒ぎ立てて家族に知られるのも厄介ですし、血で部屋が汚れるのも困ります。

 

考えた末、権太夫は坊主を放っておくことにしました。

 

すると坊主は鶏の鳴くころには帰ったので、このことはだれにも話しませんでした。

 

ところが、この怪しい坊主は次の夜も同じ時刻に、蚊帳の外で同じように座っておりました。そして、鶏の鳴くころに音もなく去るのです。こんなことが毎晩、続きました。

 

7日目の夜。権太夫はとうとう、帰ろうとする坊主を呼び止め、厳しくとがめました。

 

すると坊主は泣くような声で「硫黄坊主(ゆおうぼうず)でございます」といい残し、帰ってしまったのです。

 

その翌日、堀田の屋敷では火事が起こり、何も残さず焼けてしまったそうです。

 

権太夫が臆病な性格で、この妖怪坊主をすぐに斬っていたら、運命は変わっていたかもしれません。

 

白装束の女たちはどうでしょう。病人が死ぬ先触れとして現れた彼女たちは、こういいました。「どうにもならん」と。死の運命はもう、確定していたのかもしれません。

 

犬が鳴く夜

今年は戌年ですから、犬にまつわる話もご紹介しておきましょう。

 

『犬が気味の悪い鳴き方をすると悪いことが起きる』、そんな俗信があります。

 

青森県下北郡脇野沢村では「犬の長吠え」は不吉であると考えられていました。これは夜中に犬が、気味が悪いくらい長く吠えることで、葬式が出る前兆といわれていました。この声が聞こえてきたら外に出て、どの方角を向いて鳴いているのかを確かめれば葬式の出る家の方角がわかるといいます。また、死期が近くなると魂が火玉のようになって飛んでいくので、それに向かって犬が吠えているのだともいいます。

 

福島県相馬市でも「犬がくぼえる」ときは近所に死人があるときだといいます。「くぼえる」とは、無気味に鳴くことです。長野県北安曇郡では、犬が人間の泣き真似をすると人が死ぬといいます。シクシク、メソメソというよりはウオォォンという慟哭でしょうか。

 

沖縄県では「犬のタカナチ」「犬の立ち鳴き」「犬(イン)のヤナナチ」といって、犬が遠吠えをすることは不吉であり、人死にや悪いことの起こる兆しとされています。また、このような鳴き方をするときは、犬が幽霊や化け物を見ているのだといいます。

 

犬が夜に鳴くことを不吉と考えるのは日本だけではありません。シェイクスピアの史劇でも語られているので、かなり古くからある俗信なのでしょう。

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文・絵=黒史郎

 

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妖怪に遭遇したらどうする⁉ 誰でもできる対処法

日本はもちろん、世界中に数多くいる妖怪。日本では河童や化け猫などがよく知られている。江戸時代には会談ブームが流行し、戦後には水木しげる氏の漫画でおなじみの存在だ。

姿は様々で、愛らしいものからグロテスクなものまで、バリエーションが豊富である。

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妖怪に出くわしてしまったら

さて、妖怪の目撃談はいつの時代も絶えない。漫画やイラストで見るだけでも怖いのに、実物に遭遇してしまったら震え上がり、腰を抜かしてしまうはずだ。

 

私のまわりにも、妖怪や幽霊が見えるという人がいる。しかし、いわゆる霊感の強い人でなくても、突如として不思議体験をすることは少なくない。万が一、道端で妖怪に遭遇してしまった場合、どのようにすればいいのだろうか。

 

世界の妖怪大百科』(学研教育出版・編/学研プラス・刊)は、各地でみられる妖怪をまとめたビジュアル的な図鑑だが、本書には妖怪と出会った時の対処法がまとめられている。内容を参考に、さっそく紹介したい。

 

 

慌てずに“狐の窓”をつくれ

もし、あなたが怪しい動物や現象に出くわしたとしよう。びっくりするのは当たり前だが、まずは慌てず、騒がず、冷静になってほしい。妖怪であるかどうかを確かめるためにできる簡単な方法があるのだ。

 

まず、指で“狐の窓”を作ろう。両手の指を組み合わせて、小さな四角い窓を作る方法である。窓の間から、対象物をのぞいてみてほしい。仮に、人に化けている妖怪であったりすれば、その姿が見えるというのだ。

 

ちなみに、狐の窓の作り方は結構面倒なのだが、ネットで調べてみたら、狐の窓が開けられた団扇を販売しているサイトがあった。防御用に持ち歩くのもアリかもしれない。

 

では、本当に妖怪だった場合にはどうすればいいのか。興味本位で近づくことだけは避けたい。妖怪の中には、人間にとりつくなどの危害を加える存在もいるためだ。黙ってその場を離れるようにしよう。間違っても、こちらから石を投げるなどの攻撃を加えないようにしたい。

 

 

普段からの心掛けが大切

妖怪に遭遇しないようにする方法はいろいろある。田舎にも、はたまた都会の公園などにも、小さな祠があるケースが多い。こうした祠は、由来がわからなくなっているものも多いが、その土地の神様が祭られていることが少なくない。

 

ところが、年月が経つにつれてこうした神様が“祟り神”になっている例もある。こうした祠を見かけたら、こまめに手を合わせるようにしておきたい。

 

なお、妖怪に出会いたいからといって、逆に、祠を破壊するなどの行為は厳禁だ。それこそ、祟りに遭ってしまう可能性がある。好奇心だけで安易な行動をとるのはくれぐれも慎んでほしい。

 

 

街の歴史を知っておく

霊感が強い人は、引っ越しをするときも大変だ。もし、幽霊や妖怪がめちゃくちゃ多く出没する場所に引っ越してしまったら、たまったものではない。

 

その地域にどんな妖怪がいるのか、具体的に知っておくことも大切だ。図書館の郷土資料室には、昔話や伝承が整理されているので、目を通しておくのがいいだろう。

 

また、郷土の歴史に詳しいおじいさん、おばあさんに話を聞いてみるのもアリだろう。語り部的な高齢者は、妖怪に出くわした時のより具体的な対処法を知っていることも多かったりするのだ。

 

 

妖怪の最大の弱点とは

本書には、妖怪の意外過ぎる弱点が紹介されている。

 

人に忘れられてしまうことなのだ。忘れられると、妖怪は死んでしまうのである。

『世界の妖怪大百科』より引用

 

しかし、妖怪は恐ろしい反面、ユニークな存在でもある。結構、極端な存在なのだ。そういった存在が完全にいなくなってしまうのも、なんだかさみしい気がする。だからこそ、妖怪について最低限の知識を持っておくことが、大切なのだ。

 

これは、自然界の動物たちの付き合い方とも似ている。相手を知ることで、共存共栄の関係をつくることが大切なのかもしれない。

 

【著書紹介】

GKNB_BKB0000405914789_75_COVERl

 

世界の妖怪大百科

著者:学研教育出版(編)
出版社:学研プラス

九尾の狐、雪女、鵺、化け猫、雷獣などの日本の妖怪をはじめ、龍、ゴーレム、クラーケン、狼男など世界の幻獣・妖怪をオールカラーのイラストレーションで一挙紹介。人気妖怪の伝承や出没地、奇奇怪怪な姿が楽しくわかる!

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妖怪に遭遇したらどうする⁉ 誰でもできる対処法

日本はもちろん、世界中に数多くいる妖怪。日本では河童や化け猫などがよく知られている。江戸時代には会談ブームが流行し、戦後には水木しげる氏の漫画でおなじみの存在だ。

姿は様々で、愛らしいものからグロテスクなものまで、バリエーションが豊富である。

41652643 - zombie head hand drawn. vector illustration

 

妖怪に出くわしてしまったら

さて、妖怪の目撃談はいつの時代も絶えない。漫画やイラストで見るだけでも怖いのに、実物に遭遇してしまったら震え上がり、腰を抜かしてしまうはずだ。

 

私のまわりにも、妖怪や幽霊が見えるという人がいる。しかし、いわゆる霊感の強い人でなくても、突如として不思議体験をすることは少なくない。万が一、道端で妖怪に遭遇してしまった場合、どのようにすればいいのだろうか。

 

世界の妖怪大百科』(学研教育出版・編/学研プラス・刊)は、各地でみられる妖怪をまとめたビジュアル的な図鑑だが、本書には妖怪と出会った時の対処法がまとめられている。内容を参考に、さっそく紹介したい。

 

 

慌てずに“狐の窓”をつくれ

もし、あなたが怪しい動物や現象に出くわしたとしよう。びっくりするのは当たり前だが、まずは慌てず、騒がず、冷静になってほしい。妖怪であるかどうかを確かめるためにできる簡単な方法があるのだ。

 

まず、指で“狐の窓”を作ろう。両手の指を組み合わせて、小さな四角い窓を作る方法である。窓の間から、対象物をのぞいてみてほしい。仮に、人に化けている妖怪であったりすれば、その姿が見えるというのだ。

 

ちなみに、狐の窓の作り方は結構面倒なのだが、ネットで調べてみたら、狐の窓が開けられた団扇を販売しているサイトがあった。防御用に持ち歩くのもアリかもしれない。

 

では、本当に妖怪だった場合にはどうすればいいのか。興味本位で近づくことだけは避けたい。妖怪の中には、人間にとりつくなどの危害を加える存在もいるためだ。黙ってその場を離れるようにしよう。間違っても、こちらから石を投げるなどの攻撃を加えないようにしたい。

 

 

普段からの心掛けが大切

妖怪に遭遇しないようにする方法はいろいろある。田舎にも、はたまた都会の公園などにも、小さな祠があるケースが多い。こうした祠は、由来がわからなくなっているものも多いが、その土地の神様が祭られていることが少なくない。

 

ところが、年月が経つにつれてこうした神様が“祟り神”になっている例もある。こうした祠を見かけたら、こまめに手を合わせるようにしておきたい。

 

なお、妖怪に出会いたいからといって、逆に、祠を破壊するなどの行為は厳禁だ。それこそ、祟りに遭ってしまう可能性がある。好奇心だけで安易な行動をとるのはくれぐれも慎んでほしい。

 

 

街の歴史を知っておく

霊感が強い人は、引っ越しをするときも大変だ。もし、幽霊や妖怪がめちゃくちゃ多く出没する場所に引っ越してしまったら、たまったものではない。

 

その地域にどんな妖怪がいるのか、具体的に知っておくことも大切だ。図書館の郷土資料室には、昔話や伝承が整理されているので、目を通しておくのがいいだろう。

 

また、郷土の歴史に詳しいおじいさん、おばあさんに話を聞いてみるのもアリだろう。語り部的な高齢者は、妖怪に出くわした時のより具体的な対処法を知っていることも多かったりするのだ。

 

 

妖怪の最大の弱点とは

本書には、妖怪の意外過ぎる弱点が紹介されている。

 

人に忘れられてしまうことなのだ。忘れられると、妖怪は死んでしまうのである。

『世界の妖怪大百科』より引用

 

しかし、妖怪は恐ろしい反面、ユニークな存在でもある。結構、極端な存在なのだ。そういった存在が完全にいなくなってしまうのも、なんだかさみしい気がする。だからこそ、妖怪について最低限の知識を持っておくことが、大切なのだ。

 

これは、自然界の動物たちの付き合い方とも似ている。相手を知ることで、共存共栄の関係をつくることが大切なのかもしれない。

 

【著書紹介】

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世界の妖怪大百科

著者:学研教育出版(編)
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【ムー妖怪図鑑】見た目はかわいい豚の妖怪は危険!

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第20回は、鹿児島県に伝わる豚妖怪を補遺々々しました。

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見た目はかわいい、でも、こわい

馬、鳥、猫、蛇と、動物の妖怪はいろいろありますが、沖縄や鹿児島にはなぜか、豚の妖怪が多いです。豚というとどうしてもピンクの鼻で、尻尾がクルンとなった愛らしい姿を想像してしまいますが、南島の豚妖怪はけっして愛らしい存在ではありません。

 

とても怖い豚なのです。

 

妖怪には「転がるだけ」「洗うだけ」「砂をかけるだけ」といった、ほとんど無害なものも多いですが、この豚たちはその無害そうな見た目に反して、人の命を奪う恐ろしい妖怪です。

 

今回はそういった豚妖怪の中から鹿児島県に伝わるものをいくつかご紹介いたします。

 

夜の豚

鹿児島県大島郡徳之島町尾母には「ユナウワ」という妖怪が伝わっています。

 

名前の意味は「夜の豚」。その名のとおり、夜(あるいは夕方)に現れました。

 

尾母にある「クラシミチ(暗い道)」と呼ばれる小道は、道の両側に竹が密生し、雀榕(アコウ)や榕樹(ガジュマル)といった樹木も育ち放題になっているので昼間でも夜とさほど変わらないくらい暗い場所でした。この道に「ユナウワ」は現れました。

 

これはチョロチョロと小走りしながら、人に近づいたり、遠ざかったりします。機敏な動きで逃げ隠れしながら、時には地面をころころと転がって人を惑わすのです。この地面を転がるという動きから「ジンモラ(地回り)」とも呼ばれていました。

 

他にも「ジンムン(地の物)」「クビキリウワ(首切り豚)」といった別称があり、後者の別称から「ユナウワ」の姿は「首のない豚」、あるいは、そのように見えるものであったと考えられます。首がないなんてなかなかショッキングな外見ですが、この「ユナウワ」が恐れられるのはその姿ではありません。人の股の間を潜ろうとする行動です。

 

この行動は「マタグィリ」といって、これをされた人は命を奪われてしまいます。「マタグィリ」は南島の妖怪に多く見られる特徴で、このような性質をもつ妖怪と出遭ってしまったときの対処法として、足を交差させ、股の間をくぐらせないようにするというのがあります。

 

「ユナウワ」にも同様の方法が効果的で、足を交差させて立っていれば、くぐるのを諦めるのだそうです。諦めるまで待っていられなければ、両脚を交差させたまま、ぴょんぴょんと跳ねながらその場から去るという方法もあり、また、足を交差させなくても、土手や石などに腰をかけてじっくり通り過ぎるのを待つというのも有効だったようです。

 

この「ユナウワ」に股の間をくぐられてしまった人がいました。

 

その人は竹籠にいっぱいのサツマイモを背負って帰る途中に出遭ってしまい、暗さと背中の荷物の重さでとっさの判断ができず、股の間をくぐられてしまったのです。この人は翌朝に高熱を出し、2日目の晩に死んでしまったといいます。

 

その村では、こういうモノに出遭って高熱が出ることを「カディオーティ(風に遭った、邪神に出遭った)」といって諦めたそうです。

 

殺人豚とイタズラ豚

徳之島町の井之川には、フーシンコと呼ばれる大きな珊瑚岩があり、ここには「ワンクワグワ」という神様がいます。これも怖い豚なのです。

 

こんな実話があります。

 

月夜の晩、フーシンコのあたりを中学生たちが歩いていると、フーシンコから畦道に沿って、子豚のようなものが何匹もピョンピョンと飛びだすのを見ました。

 

「大人がいたら見せるのにね」

 

そう話しているところにMさんという方の奥さんが通りがかったので、中学生たちは彼女をフーシンコまで連れていって不思議な豚たちを見せました。Mさんの奥さんはその年に亡くなってしまったといいます。

 

この岩神様は「ミンキラワー(耳切れ豚)」ともいわれています。

 

龍郷町には「ミンキラウワックワ」という黒い子豚のような妖怪が伝わっています。ふつうの人は視ることができないもので、これに股をくぐられてはいけないといわれています。

 

同町には「ウワッグワ」というものもいて、これも黒い子豚の姿をしており、股をくぐられると死ぬといわれています。

 

「ミンキラウワックワ」と「ウワッグワ」は姿も行動も同じですし、名前も似ているので、同じものなのかもしれません。

 

物騒な豚ばかりを紹介しましたが、最後はそんなに悪いことをしない豚も紹介します。

 

「クビキリャウワ(首切り豚)」です。

 

こちらも龍郷町に伝わるもので、その名のとおり首のない豚の姿をしており、子豚くらいの大きさで色は黒かったといいます。トネンジョという場所のあたりに現れ、前に行ったり後ろに行ったりして人の足にまとわりつき、同じ道を何度も巡らせるといった悪戯をします。朝まで同じ木の周りを回らせられた人もいました。まるで狐に化かされたみたいです。

 

だれにでも視えるというわけではなく、視える人と視えない人がいたそうです。

 

徳之島町の「ユナウワ」の別称も「クビキリウワ」ですが、こちらのほうは道に迷わせるだけで「マタグィリ」をしないところをみると、どうも同じものではないようです。

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文・絵=黒史郎
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人か妖怪か みつめ入道と徳利の又吉/黒史郎の妖怪補遺々々

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第19回は、人とも妖怪とも考えられる、ボーダーラインの妖怪を補遺々々しました。

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妖怪は一歩違えば迷惑な人

もし今、みなさんが住んでいる家の近くに「小豆洗い」が現れたらどうでしょうか。

 

一般的な「小豆洗い」は、夜間に小豆を洗うような音がし、「小豆洗おか人取って喰おか」と物騒な歌が聞こえてくるという音や声のみの怪異です。昔なら「わっ、小豆洗いだ、怖い!」となったのでしょうが、現代日本でこれをやっても、きっと「妖怪」の仕業とはなりません。近所の住人が出す迷惑な騒音とされるでしょう。ある意味、妖怪より怖いかもしれませんが……。

 

妖怪には、実はただの「迷惑な人」だったのではないか、そう考えられるものがあります。

 

例えば、第7回でご紹介した「にっしいぎりぎり」は、僧の姿をした大男が民家の前で「にっしいぎりぎり、にっしいぎりぎり」と不気味な言葉を唱えるという、ひじょうに迷惑な妖怪でした。しかし、この迷惑行為以外はとくに妖怪らしい部分がありません。人と同じ姿で、人でもできるようなことをしているだけなのですが、そこにあらゆる背景、状況が重なって「妖怪になった」のです。

 

今回も「人か妖怪か」の境界が際どいものを捜してみました。

 

見た目は人、でも中身は――

神奈川県相模原市に「みつめ入道」という妖怪が伝わっています。

 

これは鳩川という川に架かる、いま橋に現れました。

 

「みつめ入道」と書くと3つの目がある妖怪を想像してしまいますが、これは「三つ目入道」ではなく、「見つめ入道」です。橋を渡る通行人をジッと睨みつけるだけの妖怪で、狸の悪戯とされていました。

 

「入道」は坊主頭の人ですから、この橋では夜な夜な、坊主頭の人が睨んでくることがあったのでしょう。妖怪といわれなければ、ただの怖い人です。

 

どうして、この「みつめ入道」は妖怪とされたのでしょうか。

 

怪談ではよく、「こんな深夜に子供がひとりでいるはずがない」「夜の山道を女性がひとりきりで歩いているはずがない」といったシチュエーションがあります。この「~はずがない」が重要なのです。そこに存在している「はずがない」ものを見ると「普通ではない」となり、人は恐怖をおぼえるようです。妖怪にも同じ理由で誕生したものがたくさんありそうです。

 

今は夜が明るく、遅い時間まで開いている居酒屋や24時間営業のコンビニもあるので、深夜に外で人を見かけても「妖怪だ」とはなりません。ですが昔は街灯もコンビニもなく、火を灯さなければ夜は目を塞がれたように真っ暗でした。そんな暗い場所で提灯も持たず、黙ってこちらを睨んでくるという行動の異常性が妖怪「らしい」のです。

 

(※ 民俗資料などに記述のある伝承にはブランク(空白)部分も当然あります。伝承されていくうちに情報の欠けが生じるのです。肝心の「妖怪らしい」特徴の情報が欠けている場合もあるかもしれません)

 

また、そういう妖怪じみた異常な行動をとる人を、狐や狸が「化けている」、あるいは、「化かされている」と考える人もいたようです。

 

東京都大田区で採録された、こんな話があります。

 

おばあさんがイワシを買って帰っていますと、頬かむりをした男が話しかけてきました。

 

男の動きは奇妙でした。おばあさんが右手にイワシを持つと右側にきて、左手に持ちかえると左側にくるので、とても気味が悪いのです。小走りで離れても後ろからずっとついてきます。

 

やがて、村が見えてきたので安心したおばあさんが少し歩みを緩めますと、男は後ろから「たいらの稲荷様はどこだ」と話しかけてきました。

 

「おまえさんがさっき立ち小便した辻の左だよ」とおばあさんが返すと、男は「そうか」といって、おばあさんに向いたまま後退しながら歩いて戻っていきます。奇妙な歩き方をするので気になって見ていると、辻を曲がった途端、男は狐になって走っていきました。

 

後退しながら歩いていたのは、尻尾を見られないためだったようです。イワシを狙って近づいたけれど、おばあさんがまったく隙を見せないので諦めて去ったのでしょう。

 

この話は最後に狐の姿が出てくるので笑い話として聞けますが、狐のシーンがなければ、たいへん気味の悪い話です。

 

徳利の又吉

新潟県佐渡郡相川町(現在は佐渡市)には、不思議な芸を見せる人物が伝わっています。

 

鉱山で働いていた又吉(またきち)という男は、よく不思議な芸を見せて仕事仲間を笑わせたり、困らせたりしていました。ある時は鉄砲玉を取りだし、「酒の肴にはこれがいちばんうまい」とガリガリ食べて見せ、またあるときは「ろくろ首の真似をやって見せる」といって、首をくるんと回したり、伸ばしたり、縮めたりしました。皆が気味悪がって「やめろ」というと、又吉は喜んだ様子で、「これには種があるんだ」とその種を見せるのですが、これがいくら見てもさっぱりわかりません。

 

そんな芸の中でも、もっとも不思議だったのは、徳利を使ったものでした。彼はなんと、自分の身体を小さな徳利の中に隠すことができたのです。この芸の種だけはだれにも明かさなかったそうで、彼は「徳利の又吉」と呼ばれて怖がられていました。

 

このころ、「二つ岩の団三郎狢(だんざぶろうむじな)」という化け狸が鉱山で働いている人たちを化かすという噂があったので、又吉はその狸が化けたものではないかといわれたそうです。

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文・絵=黒史郎

 

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【ムー妖怪図鑑】災いあるところに妖怪あり!?

ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」(隔週水曜日更新)! 連載第18回は、あらゆる災害時に語られる怪しきものを補遺々々しました。

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災と妖怪の親和性

地震、津波、台風、噴火、火事、旱魃――人類はさまざまな災いに見舞われ、そのたびに多くの大切なものを失っていきました。空、海、大地といった自然の起こす災禍を前にし、無力な人間は成す術もありません。

 

そうした自然災害の起こるメカニズムは今でこそ解明されつつありますが、昔は超常的な存在により引き起こされるものだと信じられておりました。

 

自然の起こす災いに限りません。人の不注意などで引き起こされる災い、いわゆる人災も未知なる存在の仕業とされることもあります。

 

今回はこうした、あらゆる災いの陰で暗躍する怪しきものに触れてみたいと思います。

 

震災・水災・火災の陰に……

地震は地下にいる大きな鯰(なまず)が引き起こす、そんないい伝えがありました。

 

江戸時代には大地震後、大きな鯰の化け物や擬人化された鯰などが描かれた「鯰絵」が流行しました。この鯰ですが、地震を起こせるほどの大きさなのだとすると、間違いなく日本一大きく、日本一厄介な化け物ということになります。ですが、そこに「待った」をかける俗信がありました。

 

【地中の金魚】

大阪府三島郡豊川村宿久庄には、地震を起こすのは大きな鯰ではなく、地中に住む大きな金魚のせいだという俗信があります。地震とは、この金魚が動くために引き起こされるものであり、大阪のあたりは金魚の尾の部分なのでとくによく揺れるのだといいます。金魚の頭があるあたりは東京だそうです。関東から近畿ぐらいまでのサイズの金魚が暴れたら、それは日本にとって大変なことです。鯰と比べると見た目の迫力はありませんが、金魚としては間違いなく最強でしょう。

 

ここ数年、私たちがとくに恐ろしさを思い知ったのは水による災いです。水は俄かに性格を変え、圧倒的な量と勢いですべてをなぎ倒し、押し流し、さらっていきます。この災いを察知して逃れる術は決して多くありません。そんな絶望的な自然の猛威の陰にも妖(あやかし)の存在はありました。

 

【笛吹田(ふえふきだ)】

群馬県勢多郡には「笛吹田」と呼ばれる田がありました。このあたりでは夜な夜な怪しい者が現れ、笛を吹きながら歩いたといわれています。この田にさしかかると笛の音は止み、怪しいものは消えたそうで、こういうことが7日間続いた後、赤城山で大洪水が起こったといいます。洪水の被害は大きいものでしたが、どういうわけかこの田のあるところで水は止まったそうです。笛を吹く者の出現は、災いの兆しなのでしょうか、それとも救いだったのでしょうか……。

 

【白髭の翁】

福島県南会津郡檜枝岐村には、とても迷惑な爺さんの話が伝わっています。この地域は明治のころに大洪水があり、たくさんの橋が押し流されてしまいました。村の中央にある橋だけは高さもあって造りも丈夫だったので、洪水で流されずにしばらく残っていましたが……川上から巨大なボコテイ(暴風などで倒れた大木)に乗った白髭の老人がやってきて、ボコテイから下りると手にした鉄の斧で橋を打ち壊して去ってしまったといいます。この爺さんの正体や目的はわかりません。

 

大水の次は大火に現れた怪しいものです。

 

【火を呼ぶ児】

岐阜県揖斐郡徳山村の櫨原(はぜはら)という地は、7度の大火に見舞われています。その火災は、この地で村人によって殺された新田義貞の祟りによるものだったという伝説があり、新田義貞がこの地に落ち伸びたとき、彼を匿ってあげた1軒の家だけは7度の火災からの被害を免れたといわれています。この火事のときに、謎めいた児(ちご)が村に現れたと伝えられています。この児が川下から悲しげな声でホウイホウイと呼ぶと火が出て、村が全焼してしまったのだそうです。この児は何者なのでしょうか。

 

戦前、戦中にあらわれたもの

震災、水災、火災も怖いですが、私たちが今もっとも恐れるべきは戦災でしょう。人によって引き起こされる最大の災いです。

 

最後は戦争にまつわる変わった妖怪的事例をふたつご紹介いたします。

 

【北山神社の神様火】

鹿児島県河辺郡知覧町では戦時中、北山神社から火玉が尾を引いて飛んでいくのを何人もの人が見たといいます。神社から「ピラピラピラー」と火玉が上がると「北山どんがまた戦争に行くところだ」といい、また何日かして「ピラピラピラー」と光る火玉を見ると、「今、戻ってきたところだ」といったそうです。また、大火が起きたときには、この神社の神様が火の玉になって火を消しに向かったといいます。人々が困っているときに加勢にいくなんて、ありがたい存在です。

 

【日の丸山羊】

沖縄県具志川市(現在のうるま市)上江洲では、日の丸模様のある山羊が見つかっています。

 

戦前のころです。あるお婆さんの飼っている家畜の中に、背中に日の丸の型がついた山羊が見つかりました。これが見つかったころ、田場という場所の井戸(チンガー)や下水から、水が溢れるということがあり、それからすぐに戦争が起こったといいます。この山羊の日の丸は凶兆だったのでしょうか。

 

また戦時中にも、腹に日の丸模様のある山羊を飼っている家があると話題になりました。そのころは敵兵の目を「山羊の目」といっていたことから、山羊の身体に国旗の印があるのは戦争に勝つ徴(しるし)だといわれ、新聞社も取材に来たといいます。こちらでは、良い兆しとして扱われています。

 

このように昔の人々は、良いことや悪いことの兆しである徴(しるし)を、身近なものから見つけていたのです。

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文・絵=黒史郎

 

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