【中年名車図鑑】レガシィへとつながる「水平対向ターボ4WD・ツーリングワゴン」の歴史はここからはじまった

富士重工業(現SUBARU)ならではの高性能なクルマといえば、“ツーリングワゴン”“水平対向ターボエンジン”“4WD”というのが欠かせない要素だろう。これらの特徴を確立したのは、1979年にデビューして進化を遂げていった第2世代のレオーネだった。今回は歌手の岩崎宏美さんや野球選手の原辰徳さんをイメージキャラクターに据えて人気を博した「ザ・ニューレオーネ」の話で一席。

【Vol.60 2代目スバル・レオーネ】

段階的に厳しさを増していく排出ガス規制に対し、低公害技術のSEEC(Subaru Exhaust Emission Control)やSEEC-T(TはThermal&Thermodynamic systemの意)、さらにはEGRなどを組み込んで克服していった富士重工業は、1970年代終盤になると滞っていた新型車の開発を鋭意加速させる。屋台骨を支えるレオーネに関しては、多様化するユーザー志向を満足させるためのワイドバリエーション化を画策。同時に、車両デザインやメカニズムなどの面でもスバルならではの独自性を表現する方策に打って出た。

 

■80年代に向けた新世代レオーネのデビュー

80年代を見据えて登場した2代目レオーネ。デビュー当初は、写真の4ドアと2ドアハードトップの2ボディ構成

 

1979年6月、レオーネが約8年ぶりにフルモデルチェンジを実施し、2代目となる「ザ・ニューレオーネ」(AB型系)に移行する。搭載エンジンには新設定のEA81型1781cc水平対向4気筒OHV(100ps)と改良版のEA71型1595cc水平対向4気筒OHV(87ps)を用意。シャシーにはゼロスクラブ&フルフローティングの4輪独立懸架(前マクファーソンストラット/後セミトレーリングアーム)を採用する。

 

ボディは従来よりもひと回り大きくなり、そのうえで個性的な6ライトウィンドウを組み込む4ドアセダンとオペラウィンドウを取り入れた2ドアハードトップをラインアップした。注目の4WDシリーズ(FF⇔4WDのパートタイム式)は同年10月に発売。EA81エンジン車には高低2レンジを有したデュアルレンジ機構を内蔵する。また、リアボディを伸ばして広い荷室空間を創出したエステートバンとホイールベースを80mm短縮したうえでリアにハッチゲートを組み込んだスイングバックを追加。

 

さらに、ベーシックエンジンとしてEA65型1298cc水平対向4気筒OHVユニット(72ps)を設定した。ちなみに、スイングバックの北米仕様は1981年公開の『キャノンボール(The Cannonball Run)』に登場。乗員はジャッキー・チェンとマイケル・ホイが務めた。

セダンのインテリア。デビュー当初のセダン、ハードトップの2ボディタイプに加え、エステートバン、スイングバック、そしてツーリングワゴンを追加していく

 

後にスバル車のアイコンとなる“ツーリングワゴン”の登場

1981年6月になると、内外装の一部変更や装備の充実化などをメインメニューとしたマイナーチェンジが実施される。そして同年7月には、その後のスバル車の方向性を決定づける最初の“ツーリングワゴン”、レオーネ4WDツーリングワゴンがデビューした。エステートバンのBピラー付近からルーフを30mmほど高めた2段ルーフ(カタログなどではツーリングルーフと呼称)にフルトリムのカーゴスペース、2分割スプリットタイプのピロー付リアシート、専用セッティングの4輪独立懸架サス、カナリーイエローと称する鮮やかな黄色のボディカラーなどを採用してバンとの差異化を図ったツーリングワゴンは、アウトドア派ユーザーを中心に高い人気を獲得した。

81年のマイナーチェンジでツーリングワゴンが登場する。Bピラー付近から30ミリほど盛り上がる2段ルーフが特徴

 

同年11月には、国産車初の4WD+ATモデルがレオーネに設定される。パートタイム式4WD機構には新たに油圧多板クラッチが組み込まれ、走行中に、しかもボタン操作ひとつでFFと4WDの切り替えができる仕組みだった。

 

■4WDモデルで“TURBO”ブームに対応

矢継ぎ早に車種ラインアップの増強や中身の進化を果たしていったザ・ニューレオーネ。一方で1980年代初頭の自動車マーケットでは、ひとつの先進技術が脚光を浴びる。排気エネルギーを活用する“TURBO(ターボ)”機構だ。日本で先陣を切ったのは日産自動車で、1979年12月に430型系セドリック/グロリアのターボモデルを発売する。既存のエンジン排気量で、約1.5倍の排気量に匹敵するパワーが得られる――。こうしたターボの特性に、ユーザーは大いに惹かれる。メーカー側もターボ車を積極的にリリースし、やがて市場ではTURBOブームが巻き起こった。この流れに乗り遅れまいと、富士重工業の開発現場ではターボエンジンの企画を鋭意推し進める。そして、ターボ車の第1弾をレオーネに設定する旨を決定した。

 

1982年10月、スバル初のターボ車となるレオーネ4WDセダン/ツーリングワゴン ターボATが市場デビューを果たす。キャッチフレーズに“劇的な回答”を謳ったレオーネのターボモデルは、他社とはひと味違う凝ったメカニズムを採用していた。水平対向ターボエンジン+AT+4WDという独自の機構を組み込んでいたのだ。

 

まずエンジンについては、既存のEA81をベースに直径約50mmの小径タービンを組み込んだ小型軽量ターボチャージャーユニットをセット。同時に、燃料供給装置には同社初のEGI(電子制御燃料噴射装置)を採用する。

 

さらに、コンピュータが点火時期を自動的に制御するノックコントロールシステムやセルフコントロール機能のオンボード・ダイアグノーシスシステム、動弁系統のメンテナンスフリー化を図るハイドロリックバルブリフターといった先進機構を装備した。

 

圧縮比は自然吸気仕様より1.0低い7.7に設定。最高出力は120psを発生した。ターボエンジンに組み合わせるトランスミッションには、新開発のオールポジションロックアップ3速ATを導入する。最終減速比を自然吸気版用のATよりもハイギアードに設定し、燃費と高速性能を一段と向上させるとともに、低速域からロックアップの効いたレスポンスのいい走りが楽しめるようにセッティングした。

 

駆動機構は油圧多板クラッチを組み込んだ改良版のパートタイム式4WDを採用する。独自のパワートレインを支えるシャシーには、専用チューニングの4輪独立懸架サスをセット。フロントのマクファーソンストラットはスプリングレートの強化やスタビライザー径の拡大などを実施し、リアのセミトレーリングアームではダンパー減衰力のアップやスプリングの非線形化などを行った。また、制動機構には7インチの大径マスターバック付フロントディスクブレーキを採用。装備面では、過給圧が+50mmHg以上になると点灯するターボチャージインジケーターランプや全面ファブリック地のシート、ゴールド色のバンパー&サイドプロテクトモール、幅広ブラックのウィンドウモール、専用のボディストライプなどを盛り込んでいた。

ボディ後端に穿たれたオペラウィンドウが特徴的な2ドアハードトップ

 

一方、ターボATには未設定だったハードトップモデルでは、RXというスポーツバージョンが用意される。ツインキャブレターと組み合わせたEA81型エンジン(110ps)に専用セッティングの4速MTと副変速機付きの4WD、強化タイプのサスペンション、HRレンジのタイヤなどを装備したRXは、とくに走り好きからの熱い支持を集めた。

 

1983年10月になると、ターボATに油圧式車高調整機能を持たせたハイトコントロール車を設定する。これにより、ターボATの高速オールラウンドツアラーとしての実力がいっそう高まった。

 

“ツーリングワゴン”“水平対向ターボエンジン”“4WD”というオリジナリティあふれる機構を満載し、市場で独自のポジションを築いた2代目レオーネ。そのアイデンティティは、以後のレオーネ→レガシィにもしっかりと受け継がれていったのである。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。

【中年名車図鑑】メーカー、ユーザーから惜しまれつつ消えた、未来志向の高級スペシャルティ

バブル景気が絶頂期を迎えた1980年代末、日本の自動車メーカーは豊富な開発資金を背景に、イメージリーダーとなる高級スペシャルティの開発に力を入れるようになる。その最中、富士重工業はフラッグシップモデルであるアルシオーネのフルモデルチェンジを企画した――。今回は“SVX”のサブネームを付けて1991年にデビューした「アルシオーネSVX」の話題で一席。

20171219_suzuki9

【Vol.46 スバル・アルシオーネSVX】

後にバブル景気と呼ばれる未曾有の好況に沸いていた1980年代後半の日本の自動車市場。ユーザーの志向はハイソカーやスペシャルティカーなどの高級モデルに集中し、メーカー側もそれに対応した新型車を、豊富な開発資金をバックに鋭意企画していた。

 

■ジウジアーロの手になるグラマラスで未来的なデザイン

先代アルシオーネで不評だったスタイリングを刷新するため、ジウジアーロにデザインを依頼先代アルシオーネで不評だったスタイリングを刷新するため、ジウジアーロにデザインを依頼

 

そんな状況の中、富士重工業(現SUBARU)はフラッグシップモデルであるアルシオーネのフルモデルチェンジに邁進する。開発陣がまず手がけたのは、先代モデルで不評をかっていたスタイリングの案件だった。ユーザーの志向にマッチした、スポーティで先進性あふれるエクステリアを実現するためには――。最終的に開発陣は、外部の優秀な工業デザイナー、具体的にはイタルデザインを率いるジョルジエット・ジウジアーロ氏にエクステリアのスケッチを依頼する。その際の条件は、新型レガシィ用に開発していたプラットフォームとパワーユニットを使用し、さらにボディサイズは5ナンバー枠に収めることだった。

 

1980年代末になると、ジウジアーロのスケッチを基にした4分の1スケールモデルが完成する。当時の開発スタッフによると、「非常にシャープで未来的。純粋にカッコよかった」そうだ。しかし、ここでSOA(Subaru Of America,Inc.)やマーケット部門から意見が出る。「ボディをワイド化したほうが、北米市場では売れる」「国内でも、3ナンバーのほうが見栄えがいい」。国内の営業部門からは5ナンバーサイズを支持する声もあったが、結果的に首脳陣は“世界に通用するスバル”を目指すために3ナンバーボディを選択した。

グラマラスなデザインと戦闘機のそれを彷彿させるガラスキャノピーが特徴的グラマラスなデザインと戦闘機のそれを彷彿させるガラスキャノピーが特徴的

 

エクステリアは大幅に見直され、フェンダーやボディラインなどはグラマラスな形状に変化する。ボディサイズは全長4625×全幅1770×全高1300mm、ホイールベース2610mmに設定した。一方のキャビン部は、ジウジアーロの提案に即してグラス・トゥ・グラスのラウンドキャノピーで構成する。加工が難しい3次曲面ガラスは、日本板硝子に生産を依頼した。エンジンに関しては、従来のフラット4をベースに新たに6気筒化したEG33型3318cc水平対向6気筒DOHC24V(240ps/31.5kg・m)を搭載。駆動システムには不等&可変トルク配分のVTD-4WDを組み込み、加えて4輪操舵システムの4WSを導入する。懸架機構はフロントにL型ロワアームを組み込んだストラットを、リアにパラレルリンク式のストラットを採用した。

 

■キャッチフレーズは“500miles a day”

20171219_suzuki6

“500miles a day”と称し、500マイルを一気に、しかも快適に走れる性能を標榜した。搭載ユニットは水平対向6気筒、ミッションは4AT“500miles a day”と称し、500マイルを一気に、しかも快適に走れる性能を標榜した。搭載ユニットは水平対向6気筒、ミッションは4AT

 

富士重工業の新しい高級スペシャルティは、1989年開催の第28回東京モーターショーでコンセプトモデルが披露される。その後、開発途中で同社の経営再建プランが実施されて市販計画の見直しを余儀なくされたものの、1991年8月には何とか北米デビューにこぎつけ、その1カ月後には日本でも市販モデルが発表された。

 

新型は「アルシオーネSVX」のネーミングを冠する(北米版はSVXのみ)。SVXはSubaru Vehicle Xの略で、富士重工業の未来に向けた車=ビークルX、具体的には新世代のグランドツーリングカーを意味していた。また、この車名に合わせるようにキャッチフレーズは“500miles a day”と称し、500マイルを一気に、しかも快適に走れる性能を有していることを声高に主張した。

徐々にグレードを増やして売り上げのテコ入れを図ったが、好転せず。1996年に惜しまれながら生産を終了した徐々にグレードを増やして売り上げのテコ入れを図ったが、好転せず。1996年に惜しまれながら生産を終了した

 

デビュー当初は上級仕様のバージョンLと標準モデルのバージョンEという2グレード構成で展開したアルシオーネSVXは、その後、限定車や廉価グレードの販売などで車種ラインアップを拡充していく。1993年11月には富士重工業40周年記念モデルとしてS40を300台限定でリリース。バージョンEをベースに、ピーコックブルーメタリックの専用色、ブルーガラスのウィンドウ、モノトーン基調のインパネなどを採用し、車両価格はバージョンEより50万円近く安い283万6000円(東京標準価格)に抑えた。翌94年7月には、好評だったS40の2世代目となるS40Ⅱを限定300台で販売。さらに同年11月には、BBS製アルミホイールを装着したS3を登場させる。1995年7月には、アルシオーネSVXの最終型となるS4を発売した。

 

限定車や廉価モデルの設定で販売拡大を狙った富士重工業。しかし、バブル景気の崩壊によって高級スペシャルティ市場は急速に冷え込み、アルシオーネSVXの販売成績も伸び悩む。そのうちに日本市場ではレクリエーショナルビークル、いわゆるRVブームが巻き起こり、同社の販売の主力はレガシィへと移っていった。結果的にアルシオーネSVXは1996年末に生産が中止され、同社の新車カタログから落とされることとなる。総生産台数は2万4379台。このうちの国内登録台数は、わずか5884台だった。ちなみにアルシオーネSVXの生産終了時には、富士重工業が把握していたアルシオーネSVXの国内オーナーに向けて社長名の挨拶状が発送された。紙面には、アルシオーネSVXに対する同社のこだわりと愛用への感謝、そして以後のアフターサービスを約束する旨が記載される。個性あふれる高級スペシャルティカーの生産終了に対しては、ユーザーだけではなく富士重工業自身にも惜別の情があったのだ。

 

【著者プロフィール】

大貫直次郎

1966年型。自動車専門誌や一般誌などの編集記者を経て、クルマ関連を中心としたフリーランスのエディトリアル・ライターに。愛車はポルシェ911カレラ(930)やスバル・サンバー(TT2)のほか、レストア待ちの不動バイク数台。趣味はジャンク屋巡り。著書に光文社刊『クルマでわかる! 日本の現代史』など。クルマの歴史に関しては、アシェット・コレクションズ・ジャパン刊『国産名車コレクション』『日産名車コレクション』『NISSANスカイライン2000GT-R KPGC10』などで執筆。