『凪のお暇』――主人公の人生のリセットが、「普通」に疲れた女性たちの共感を呼ぶ

ドロップアウト女子を描いた漫画『凪のお暇』(コナリミサト・著/秋田書店・刊)が熱い支持を受けている。事務職として働いていた28歳のヒロイン・凪子が、過呼吸になったことをきっかけに会社を辞め、スマホも解約し、郊外の3畳のボロアパートに引越す。

 

苦境だらけに思えるこのマンガは、なぜ「ananコミック大賞」を受賞し、「マンガ大賞」でも3位を獲得したのだろうか。

 

「普通」に疲弊

退職するまでは、凪子は普通のおとなしい会社員だった。とはいえ損ばかりしている。おとなしいからと多くの人にナメられ、上司からは必要以上に叱られ、同僚からは仕事を押し付けられ、彼氏に勝手に部屋に上がり込まれる。しかも彼と付き合っていることは会社の人たちには秘密だ。それでも彼女が耐えていたのは、いつか寿退職をして大逆転ができると信じていたからである。

 

こういう女性は凪子だけではない。多くの人がたとえ理不尽なことがあってもなんとか辛抱して日々を耐え忍んでいるのだ。けれど、すがっていた希望を失った時にあっけなく崩壊が訪れることがある。凪子が求めていたのは彼との結婚で、それはごく普通の女としての幸せである。そして凪子が送っていた日常は、ごく普通の会社員としてのものである。けれど社会とズレないために彼女は神経をすり減らしていた。普通を続けるということは、人によってはえらく疲れるものなのである。

 

 

崩壊後の自由

彼女はマンガの中で日常を「なんだかなあ」とか「空気読んでいこう」などとぼやき続けている。本当はこんなことをしたくない、けれど、周囲に合わせないとお給料をもらえない。お給料をもらえなければ生きていけない。だから、働き続けなくてはならない。多くの人たちは、長いこと、このジレンマに苦しんでいた。「我慢して稼がないと暮らしていけない」という資本社会的な価値観に縛られていたのだ。そして、マンガは軽々とこの辛苦を飛び越えていった。

 

彼氏の裏切りにより、凪子は限界を超え、過呼吸になり、何もないアパートに無職の状態で引きこもる。貯金の残高はわずかに100万円のみだ。かなりのピンチだ。それなのに彼女はどこか楽しそうで、同じアパートのちょっと変わった住人たちと交流を深めていく。彼らは好きに生きている。人と自分を比べたりもしない。マウンティングしてくる同僚女子との見栄の張り合いのような会話に比べて、肩のこらない自然な関係を築いていく。

リセット疑似体験

凪子の潔いところは家具一切を捨て、身一つで暮らし始めるところだ。彼氏も友人も切り、ある意味究極の断捨離を実行してしまったところは、うらやましくさえある。そして何もないからこそ、スーパーで分けてもらったエノキや、上の階にすむ年配女性からもらったパン耳スイーツがまるで宝物のように輝いて見える。こんな風に一旦ゼロになりリセットすることは、普通の女性にはまずできない。だからこそマンガでリスタートを擬似体験する新鮮さがウケているのだろう。

 

先日、ハリの先生がダイエットしたいのなら、一旦24時間断食して胃をリセットすると早いと言っていた。そして余計なものが入っていないまっさらな胃袋に、まずは野菜スープ、次は豆腐、などと少しずつ食材を足していくと、断食しなかった人よりも効率的に痩せられるのだとか。凪子もこれと同じで、一旦部屋をからっぽにして、吟味し、少しずつ部屋に入れていくことで本当に必要なものはなんなのかがはっきり見えてくるのだろう。そのミニマリストぶりは、うらやましくなるほどに潔い。

 

 

スレスレのファンタジー

もちろんこれは女性向けマンガなので、モテというファンタジー要素がある。だからこのような状況に陥ってもなお凪子には男性が近づいてくる。元彼が追いかけてきたり、隣に音楽やってるイケメンが住んでいたりしてそれなりにリア充だし、絶望的なほどの日照りには見舞われていない。これもまた“もし私が何もかも捨てたら、どんな男性と出会えるのだろう?”と思い描きながら楽しく読み進められる一要素だ。そして多くの女性はこのマンガでこうした妄想をしてウサを晴らし、また理不尽な日常に戻っていくのだろう。

 

おそらくこのマンガはドラマ化され、多部未華子さんあたりがヒロインを演じられるのではないだろうか。ちなみに私の妄想の中では追いかけてくるイケメンの彼は坂口健太郎さんで、隣に住む音楽やってる彼は桐谷健太さんだ。脳内キャスティングできるくらい熱くなれるマンガは『東京タラレバ娘』以来(そういえばこれもプチドロップアウトコミック)なので、ドラマ化を心から願っているこのごろだ。

 

【書籍紹介】

凪のお暇

著者:コナリミサト
発行:秋田書店

場の空気を読みすぎて、他人にあわせて無理した結果、過呼吸で倒れた大島凪、28歳。仕事もやめて引っ越して、彼氏からも逃げ出したけど…。元手100万、人生リセットコメディ!!

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「忖度する主人公」が少女マンガのトレンド――歴代の主人公たちから読み解く社会とメッセージ

覗けば深い女のトンネルとは? 第51回「少女マンガの主人公の変遷」

 

忖度って言葉が話題ですね。日本人らしく空気を読んで相手の気持ちを慮りましょうってことですか。たいへんだなあと思います。そんなのわかるわけないじゃないですか。

 

少女マンガは時代を細かに反映しているところがとても興味深いメディアです。

 

最近の少女マンガは、人付き合いのヘタな主人公がめちゃくちゃいっぱいいます。「凪のお暇」(コナリミサト)は会社で空気読みすぎて周囲からは嫌われ、恋人にはバカにされ、とうとう過呼吸になって会社を辞めて心機一転、新しい生活を始めようとしている女子の話です。

 

大人気漫画「君に届け」(椎名軽穂)も、人がいいのに見た目が恐いために周囲から恐れられてる女子高生の話。「きみが心に棲みついた」(天堂きりん)は、暴力的な彼氏の精神的支配から逃れようともがく女子の物語。

 

現在の少女マンガの主人公の多くは、自分に自信がなくて、人とうまく付き合うことができない女子の話です。いつも人の顔色をうかがってビクビクしているような、気の弱い女の子。

 

一方で70年代まで溯ると、少女マンガの主人公たちの元気なこと。

 

当時はフェミニズム運動が盛んなころです。男女雇用機会均等法もまだなく、セクハラは横行していて(セクハラなんて言葉すらなかった)「女に人権よこせ!」と叫んでいた時代。「ベルサイユのばら」(池田理代子)のオスカル様は男の格好をして男社会にズカズカ割って入る話だし、「キャンディ・キャンディ」(水木京子・いがらしゆみこ)は、みなしごのお転婆娘が自由気ままに生きる話です。「生徒諸君!」(庄司陽子)のナッキーなんて、いつでもセーラー服の襟が立っちゃう元気で強引な空気を読まない暴れん坊で、いまそこらへんにいたらめちゃくちゃどん引きされそう。

 

70年代、80年代までは女性性を否定するような風潮がありました。それが90年代に入るとようやく「女って楽しいね!」という女性が自分の人生を謳歌するような作品が出始めます。で、2000年代になるとオスカル様やナッキーのような女子たちの元気はどこへやら、モジモジドキドキ、人とろくに話もできない女子たちがメインストリームになったというわけです。

 

こうした作品が受け入れられるということは、友達作りに悩む、空気を読みすぎて辛い、不器用な女子像に共感する読者がたくさんいるということです。

 

若いころに読む作品って、思考形成にかなり影響を及ぼすものです。和久井は子どものころから「空気を読む」とかほとんどしたことありませんでした。「自分を理解できない人なんぞいらん」とか思ってたし。だって自分が読んで育った少女マンガの主人公たちは、みんな自信に満ちあふれた正義を貫く元気いっぱい女子だったんだもの。「自分が間違っているかも」なんて考えもしませんでした。

 

とは言ってもさすがにいろいろやらかしたので、最低限は周囲の雰囲気に合わせるようにはなりましたが、そこで気の合わない人とは深く付き合わないようになりました。自分と根本的に考え方の違う人や和久井を尊重しない人のことは、笑って応対はするけど懐に入れません。そうすると、自然と距離ができていきます。

 

結局、空気を読もうが読まなかろうが、「ありのままの自分でいられて、自分を受け入れてくれる人と付き合えばいいじゃん」ってことに落ち着くのかもしれません。だって、全員から好かれるなんてあり得ないわけで、空気読んで身を削って人から嫌われるなら、最初からそんなことしないほうがよっぽどラクじゃないですか。

 

昨今の人付き合いに悩む少女マンガの主人公たちも、結局は「自分出していこうよ」にたどり着く展開です。でもそれには、人に合わせてばかりいないで、自分の意見をハッキリ言わないといけないんですよね。だって相手に迎合しているだけじゃ、いつまで経っても周囲は自分の本音になんか気づいてくれないもの。人を不快にさせずに自分の意見を言うのには技術がいりますが、人と深い付き合いをするため、自分が心地よく過ごすために身につけたいものです。

 

しかし! なぜだか男性は「言わなくてもわかる」って思ってるみたいなんですよね。付き合ってる男性から何度「お前の考えてることはわかる」って言われたことか。「全部わかる」なんて言う人もいましたよ。

 

いやいやいや、いま和久井が「お前ホントクソ野郎だよな、早く次を見つけて縁を切りたいな」って思ってたこと、ぜんぜん気づいてなかったよね? 「こいつの言うことはくだらねえな」って思ってたことも気づかないで、延々と説教してたよね? 男性たちの人付き合い(恋愛づきあい?)に対する楽観的なことには「我が道を行く時代の少女マンガ」読者の和久井ですら本当に驚かされます。

 

というわけで、女性に言いたいのは「空気なんか読むな」、男性に言いたいのは「わかった気になるな」ってことですかね。バランスが難しそうです。