宴会だけじゃない! 日本人なら知っておきたいお花見の歴史と“大和言葉”を用いた現代ならではの楽しみ方

日本人にとって春の風物詩といえば「お花見」。昔から親しまれてきた行事だからこそ、特別な準備をせず、毎年なんとなく楽しんでいるという人も多いのではないでしょうか。しかし、お花見のルーツをたどると、江戸の庶民にとっては年に一度の特別な楽しみだったようです。

 

今回は、和文化研究家の三浦康子さんに、お花見の起源やその変遷、そして現代ならではの楽しみ方についてうかがいました。今年は先人の知恵を振り返りながら、新たな視点でお花見を楽しんでみませんか?

 

お花見の起源とは?
上流階級だけが楽しむ高尚な遊び

春の定番行事となっているお花見。その習慣はいつから始まったのでしょうか。三浦さんによると、お花見のルーツは2つあるそうです。

 

「1つは、奈良時代に遣唐使が中国から輸入した”梅を愛でる”文化に由来するものです。梅を鑑賞することが上流階級の教養の象徴とされ、梅の花見が盛んに行われました。しかし、平安時代に入り遣唐使が廃止されると、日本独自の文化を育むことが重んじられるようになり、梅ではなく桜を愛でるようになりました」(和文化研究家・三浦康子さん、以下同)

↑吉野山の桜。

 

「当時の都は京都にあり、貴族たちは吉野山の山桜を目当てに桜狩りに出かけ、宴を開いては歌を詠んだり、蹴鞠をしたりと、風雅なお花見を楽しんでいました。この時代のお花見は、貴族や武将といった特権階級が楽しむ高尚な遊びだったのです」

 

江戸幕府が“花見の宴”を解禁
庶民にとって年に一度の楽しみに

↑出典:農林水産省ウェブサイト。

 

江戸時代に入ると、お花見にも変化が生まれます。

 

「江戸幕府が、現在の花見の名所である上野公園や飛鳥山公園、隅田川のほとりなどに吉野を模して桜を植樹したのです。町の至るところに桜の名所を作り、庶民に春の娯楽として花見を奨励しました
江戸時代は、町中でのどんちゃん騒ぎは禁じられており、屋外でお酒を楽しむ風習はほとんどありませんでした。しかし、花見の時季だけは無礼講。幕府が 『騒いでもよい』 と特別に許可を与えたのです」

 

当時、庶民の間では幕府への不満が高まっていました。そのため幕府は、花見を公に認めることで人々の鬱憤をはらし、ガス抜きを図るねらいがあったといわれています。

こうしてお花見は、貴族のものから庶民のものへと変わったわけですが、三浦さんは、この文化が定着したのは、江戸のお花見に「気軽さ」と「特別感」があったからだと言います。

 

「これまで、花見の対象は山桜が中心だったので、桜を観賞するには遠出が必要でした。しかし、江戸幕府による桜の植樹によって、江戸の町にいながらにして花見を楽しめるようになったのです。
さらに、期間限定で宴会が解禁されたことで特別感も生まれ、瞬く間にお花見が庶民の間で大流行。町中で堂々とお酒を飲み、歌い、踊っても、誰にも咎められない。そんな非日常的な開放感が、多くの人を魅了しました」

 

あくまで桜が主役
江戸っ子の粋な楽しみ方

江戸っ子たちは、1年に1度の楽しみとして、気合いを入れて花見をしたそうです。

 

「たとえば、その日のために仲間と揃いの半被(はっぴ)や鉢巻きを作ったり、財力のある人は新しい衣装をあつらえたりと、準備そのものもお花見の一部として楽しみました。江戸っ子は粋を重んじる人々。彼らにとって、お花見の主役はあくまで桜でした」

「そのため、自分が目立つために派手な桜の衣装を着るのではなく、裏地や裾に桜の模様を忍ばせたり、桜に合わせ控えめな色を上品に着こなしたりと、さりげなさを大切にしていました
もちろんなかには、桜の絵柄を大胆に取り入れる人もいましたが、それはどちらかというと野暮なこととされていたのです」

 

衣服で季節を先取りすることも、粋な人びとの嗜みの1つ。桜が咲く前に桜柄をまとい、季節の訪れを感じさせる着こなしをするなど、タイミングにもこだわっていたようです。

 

花見にお弁当を持参する習慣が一般化したのも、この頃です。高貴な人は、手付きの塗りの重箱にお銚子やお刺身などを詰めていましたが、庶民はおにぎりやたくあん、卵焼きなど、素朴な料理を持ち寄って楽しんでいました」

 

もう1つの花見の起源
田の神様が宿る「さくら」

お花見のもう1つのルーツは、稲の豊作祈願だと言われています。冬の間、山ごもりをしていた田の神様は、春になると里に降りてきて桜に留まると考えられていたそうです。

 

「『早乙女(さおとめ:田植えをする女性のこと)』の『さ』にもあるように、『さくら』の『さ』は稲を象徴し、田の神様のことを表します。『くら』は神様の座る場所という意味があり、合わさって『さくら』の語源になったといわれています」

 

田の神様が宿った桜のもとで、その年の収穫を占う。開花時期には籾を撒き、農作業の準備を始める。桜の花がたわわに咲くと、「今年は豊作になるぞ。うれしいな!」と花を見て喜んだそうです。

 

「田の神様がいらっしゃるからこそ、お供えをし、おもてなしとして歌や踊りを奉納する。そして農作業は人々が集って行うものですから、お花見は単なる神事としてだけでなく、人々が親睦を深める場としても大切にされていました

今でもお正月に飾る 「餅花」は、桜の花を模して作られた豊作祈願の飾りです。

 

「紅白の餅を枝につけると、遠目では淡いピンク色に見えます。餅花は、神聖な柳の枝にたわわに咲いてしなだれる桜を表現した、まさに縁起のよい装飾なのです」

 

約2週間の桜の季節を新たな視点で楽しむ
スモールな楽しみ方

このように時代と共に変化をしながら、春の恒例行事として定着した花見。現代ならではのお花見の楽しみ方も教えていただきました。

 

「地域によって差はありますが、お花見の期間は約10日から2週間と意外と短いものです。もちろん友人や仲間と集まり、賑やかな宴を楽しむのもいいですが、たまには雅で“スモールなお花見”を楽しんでみるのもおすすめです。
そこでおすすめしたいのが、日本の風土に育まれてきた“大和言葉”を取り入れたお花見です。昔ながらの大和言葉をヒントにすると、毎年恒例のお花見も今の私たちの目には新鮮に映るはず。新しいお花見の楽しみ方が見つかると思いますよ」

 

1.朝桜(あさざくら)……静かな朝に楽しむ“桜のそぞろ歩き”

朝桜とは、朝露をまとい清らかに咲く桜のこと。ライトアップされた夜桜が華やかに賑わう一方で、誰もいない静かな朝に眺める桜にも、格別の美しさがあります。
桜の季節は、たんぽぽやつくし、菜の花など、さまざまな春の花が咲く季節でもあります。目的地を決めず、気の向くままに歩く“そぞろ歩き”を楽しめば、思いがけない景色との出会いに心が躍るかもしれません
お気に入りのベーカリーで買ったパンを、ベンチに座って桜を眺めながら味わう。澄み切った朝の空気のなか慌ただしさを忘れ、爽やかな時間を過ごしてみてはいかがでしょうか」

 

2.桜狩り(さくらがり)……名所以外の桜を眺める

桜狩りとは、桜の花を訪ね歩き観賞することを指します。そう聞くと桜の名所を訪ねることをイメージするかもしれませんが、桜が見えるお店を選ぶのも1つの楽しみ方。お店の庭の桜をゆっくりと眺めながら、お座敷で食事をとるのも贅沢な時間です。
お店以外にも、ビルの上から桜を見下ろす、船に乗って水上から桜を見上げるなど、場所を変えるだけで、いつものお花見がより特別な体験になります」

 

3.野立て(のだて)…… ポットを使って気軽にお茶会

「野外のお花見でぜひ取り入れていただきたいのが、“野立て”です。野立てとは、屋外でお茶を点(た)てること。『抹茶を点てなければ』と思われがちですが、形式にこだわる必要はありません。ポットにお湯を入れ、ティーバッグを使うだけでも十分に楽しめますし、道具を風呂敷に包むだけでぐっと風情が増しますよ
『じゃあ、ちょっと野立てをしてみましょう』と声をかけ、おしゃべりを楽しむ。自然のなかでゆったりとした時間を共有することで、親睦が深まるはずです。ほんの少しの準備や心遣いが、会話を弾ませてくれるでしょう」

 

4.初桜(はつざくら)・花の雲(はなのくも)・遅桜(おそざくら)・零れ桜(こぼれざくら)……“マイ桜”で桜の移ろいを堪能する

「日本人は、満開の桜だけでなく散りゆく桜にも美しさを感じ、その心情を歌に詠んできました。ぱっと咲いて、ぱっと散る。その潔さが、日本人の美意識にも影響を与え、桜の咲き具合や咲いた時期を表す大和言葉がいくつも生まれました」

 

・初桜……咲いて間もない桜の花
・花の雲……桜の花が一面に咲いているさまを雲と表現
・遅桜……花期に遅れて咲く桜
・零れ桜……満開になって、散りこぼれる桜の花

 

「お花見は満開の桜を愛でるだけではありません。生活圏内で“マイ桜”を見つけ毎日観察し、つぼみが膨らみ散りゆくまで、その移ろいを楽しむお花見もおすすめです。自分だけの開花宣言をしてみるのも一興ですね。
また、それをSNSに発信せず、心のなかにそっと留めておくのも風流。桜の成長を見守ることで、季節の移ろいをより深く感じられることでしょう」

 

5.仇桜(あだざくら)……自分だけの“歌を読む”

“明日ありと思う心の仇桜(あだざくら)夜半に嵐の吹かぬものかな”

 

「これは、鎌倉時代に活躍した浄土真宗の開祖、親鸞聖人が詠んだ和歌です。明日があると思って今日できることを先延ばしにすると、大切な機会を逃してしまう。世の無常を詠んだ歌にも通じる考え方です。
桜の季節は出会いと別れが交錯し、心に機微が生まれやすいとき。自分のために一句詠んでみてはいかがでしょう。自分のための句なので、季語がなくても大丈夫。その日の気分を詠むだけでもいい。俳句にこだわらず、川柳でも短歌でも構いません。自由な発想で詠めば、初心者でも気軽に楽しめるはずです。
寂しい気持ちやうれしい気持ちを、桜を眺めながら句にのせる。それを記録しておけば、『3年前は、こんな気持ちで桜を見ていたんだな』とふり返ることができ、心の整理にもつながることでしょう」

 

6.花明かり・花筏(はないかだ)・桜影……普段の言葉を桜にまつわる言葉に言い換える

「花明かりや、花筏、桜影など、桜を含めた景色を表す言葉をご存知でしょうか。たとえば花明かり。これは夜のライトアップを指すのではなく、夜に桜が咲いて、そこだけがふわっと明るく見える景色を指します」

 

・花筏……水面に散った花びらが連なっていかだのように見えること
・桜影……水辺に咲く桜が水面に映ること

 

『花明かりに誘われてちょっと散歩してみない』『花筏を見に行こうよ』など、誘い文句に使うと風情があって素敵です。開花中に雨が降ることを桜雨といいますが、『花散らしの雨』と言ってみるのもいいですね。桜の花に滴る雫を見て『花雫』を思い浮かべれば、雨の日でも桜を愛でる楽しみができるでしょう。
そしてお花見のあとの疲労感は、『疲れた~』ではなく『花疲れ』。それだけで疲労感が、晴れやかな疲れに変わるはずです。言葉を変えるだけで、同じ景色や心情もがらりと変わるもの。ぜひ使ってみてくださいね」

古くから日本の国花として愛されてきた桜。短い期間に一斉に咲き儚く散るその姿に、私たちは世の無常を重ねてきました。桜の楽しみ方も時とともに変わるもの。ですがこの春は、あえて古の言葉をヒントに、風流なお花見を楽しんでみてはいかがでしょうか。そこには新鮮な驚きがあるかもしれません。

 

Profile

和文化研究家 / 三浦康子

古を紐解きながら今の暮らしを楽しむ方法をテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、Web、講演などで提案しており、「行事育」提唱者としても注目されている。連載、レギュラー多数。All About「暮らしの歳時記」、私の根っこプロジェクト「暮らし歳時記」などを立ち上げ、大学で教鞭もとる。著書『子どもに伝えたい 春夏秋冬 和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)、監修書『季節を愉しむ366日』(朝日新聞出版)ほか多数。
HP

失敗しない2025年福袋の選び方…グルメガチャにアイドル体験まで、プロが選ぶおすすめ5選

年始の風物詩のひとつといえば「福袋」。初売りの行列に並んだり、オンラインストアでの販売開始に向けて待機をしたり、争奪戦に参加したことがある人も多いのではないでしょうか? 最近は、購入前に袋の中身がわかる公開型や、モノではなくコトを販売する体験型など、福袋も多様化しています。

 

そこで今回は、福袋研究会を主宰する恩田ひさとしさんに、福袋の歴史やその魅力とともに、福袋選びで失敗しないためのポイント、さらには2025年の注目福袋まで教えていただきました。

 

 

福袋の始まりは江戸時代。
中身は着物の端切れだった

 

恩田さんによると、福袋の歴史は江戸時代まで遡ります。

 

「諸説あるなかで、今のところもっとも信頼できるのが”大丸起源説”です。正確な年号までははっきりしていないのですが、江戸時代に福袋を販売していたことが、大丸の創業250年を記念して作られた社史(1967年発行)に記録されています。創業が1717年なので、福袋は江戸時代中期、徳川吉宗の時代以降に登場したといえそうです」(福袋研究会主宰・恩田ひさとしさん、以下同)

 

福袋が江戸時代から続くた文化だとは驚きです。当時の福袋にはいったいどのようなものが入っていたのでしょうか?

 

「大丸は今、百貨店として知られていますが、江戸時代には呉服店を営んでいて、福袋には着物の端切れが入れられていました。江戸時代の一般市民には、服が破れたとしてもすぐに新しいものに買い換える余裕がなかったため、福袋の端切れを継ぎあてに使ったり、端切れ自体を継ぎはぎして着物を作ったりしていたようです。
呉服店にとって着物の端切れは、そのままでは売り物にならないので、まとめてお得に販売することを考えたのでしょう。その結果、福袋は売り手と買い手双方にとってお得感のある商品になりました。これが福袋の原型です」

 

そんな江戸時代の福袋には、“福袋ならではの仕掛け”があったと恩田さんは言います。

 

「大丸は、福袋の中に時折、錦糸の帯を入れていたんです。全部に入っていたわけではないのがポイントで、これにより袋を開けたときに『当たった!』という驚きや喜びが生まれます。この驚きや喜びは、まさに今にも通じる福袋の魅力と言えるでしょう」

 

時代を作った名福袋でたどる!
福袋カルチャーの変遷

 

江戸時代を出発点として、令和の今日まで脈々と続いてきた福袋文化。その間、どのような変遷があったのでしょうか? 恩田さんによると、大きな変化は1980年以降に起きたようです。

 

1982年:“余り物の寄せ集め”という印象を一新

「最初の大きな転換点は、西武ライオンズが日本シリーズで悲願の初優勝を果たし、西武池袋本店がそれを記念して発売した1982年の福袋です。1万円の福袋だったのですが、なんと中にはニコルのダブルスーツが入っていたんです。当時、高校生だった僕も池袋まで買いに行きました。
それ以前の福袋の記憶といえば、小学生の頃に1000円程度で買ったもの。錆びた灰皿とか、アルミ製の半端なサイズの急須とか、余り物の寄せ集めみたいなもので、親に『お小遣いを無駄にするな』と怒られたものです」

 

福袋に対して“余り物の寄せ集め”という印象を抱いていたのは、恩田さんだけではありません。当時の福袋は買って後悔することも多く、この時代の人たちにとって福袋は必ずしも良い印象ばかりではなかったそうです。

 

「そのマイナスの印象を『お得なだけでなく良いものが入っている』というイメージに変えたのが西武池袋本店の福袋なんです。実際にこの福袋は、飛ぶように売れました」

 

1989年:有名画家の作品が入ったバブルな福袋

その後の1989年に、再びエポックメイキングな福袋が登場します。それが三越が発売した「5億円福袋」です。

 

「ピカソとルノワールの絵画が2点セットで5億円という、驚くべき内容でした。当時の日本はバブル真っただ中。この価格は、まさに時代の象徴とも言えるでしょう。マスコミにも大きく取り上げられ、『福袋はせいぜい5000円。高くても1万円』といった従来のイメージを刷新するきっかけになりました」

 

※:画像はイメージです。実際の福袋に使用された絵画ではありません

 

「また、これまでの福袋は『開けるまで何が入っているかわからないもの』として親しまれてきました。だからこそ購入した人は、よくも悪くも思いもよらない商品との出会いに驚いたのです。しかしこの福袋は、最初から中身が明らかにされていました。そういった点でも非常に斬新な福袋でしたね」

 

ちなみに5億円福袋の購入者がいたかどうかは、記録が残っておらず、わからないとのことです。

 

1992年:出店ブランドごとに福袋を発売するように

そして1992年、今度はプランタン銀座の福袋が話題をさらいます。

 

「それまでの福袋は、ざっくり言うと“ひとつの百貨店にひとつの福袋”という総合福袋が中心でした。ところがプランタン銀座は、百貨店に入っているブランド(ショップ)ごとに福袋を販売するという新しいスタイルを採用しました。
数年後、テレビ朝日がその販売スタイルを大きく報道したことで、プランタン銀座には福袋を求める人の大行列ができました。自分の好きなブランドの福袋であれば、はずれをひきにくいというメリットがあるので、たくさんの人が買いに走ったわけです」

 

写真は、2016年のプランタン銀座の様子。1992年以降も福袋販売前には店外に大行列ができていました。(撮影:恩田さん)

 

プランタン銀座の福袋をきっかけに1990年代後半は、恩田さん曰く「福袋文化の最も熱い時期」となったそう。初売りの2日前から泊まり込みで並ぶ人が現れたり、西武池袋本店で2万人が大行列を作ったりと、多くの人が福袋に熱狂したのです。

 

2000年以降:コアなファン層を意識した体験型福袋が登場

そして2000年代に入ってからは、体験型の福袋が登場し始めます。体験型福袋は、今も福袋の人気ジャンルのひとつとして定着しています。

 

「なかでも印象深かったのは、2016年に発売された『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』でおなじみの漫画家・松本零士先生が似顔絵を描いてくれるというものです。価格は100万円。当時、非常に注目を集めましたね。
僕の記憶に強く残っているのは、2017年にダンサーのSAMさんがプロデュースした『アクティブシニアダンスチーム結成プラン』。ほかにも、棋士の藤井聡太さんの活躍が目覚ましたかった2018年には、藤井彼の師匠・杉本昌隆八段と対局できる福袋が販売されました。このように福袋は、コアなファン層を意識した商品が作られるようになっていったのです」

 

福袋を失敗せずに
楽しむには?

 

さまざまな変遷をたどり、成熟していった福袋文化。ここまで読んで、実際に買いたくなった人も多いのではないでしょうか? 次に大切なのが福袋選びです。福袋で失敗しないためのポイントを教えていただきました。

 

・百貨店の食品系福袋を買う
「福袋で失敗したくないという方は、百貨店の食品系の福袋を選ぶとよいでしょう。百貨店のデパ地下の食品であれば味に間違いがないですし、普段よく行くお店となればなおのこと、はずれることは少ないです。1000〜2000円とリーズナブルなものがたくさんあり、通常価格よりも少なくとも3〜4割はお得なので、損をしたと感じることはほとんどないはずです」

 

・抽選型の福袋に応募する

「『新年の夢を買う!』という気持ちで抽選型の福袋に応募してみるのもいいと思います。そもそも福袋は、各百貨店の情熱が詰まった驚きやよろこびを届ける企画です。もしかしたら当たるかもしれないと、運試し感覚でワクワクしながら応募してみると抽選結果の発表を待つのも楽しいはず。
応募期間は百貨店ごとに変わりますが、だいたい12月上旬から1月3日くらいまで。価格帯はさまざまですが、来年でいえば2025円のように年号にちなんだ福袋も多数販売されます。気軽にチャレンジしてみてください」

 

それでも福袋の選定に迷ったら、毎年10月下旬ごろに開催される『福袋お披露目会』で取り上げられた福袋を選ぶのがおすすめとのこと。

 

「このお披露目会では、地下の食品街から最上階のレストラン街まで、百貨店全館をあげて作られた福袋が並びます。つまりお披露目会は、初売りに向けて全フロアのエネルギーが結集しないと実現できないイベントなんです。これに参加できるのは、一流が揃う百貨店のなかでも限られたブランドのみ。彼らの福袋販売にかける情熱には、並々ならぬものがあります。きっと想像を超えた商品が手に入るでしょう」

 

福袋研究家がセレクト
2025年注目の福袋 5選

知れば知るほど魅力的な福袋の世界。さて2025年にはどのようなな福袋が販売されるのでしょうか? 恩田さんにおすすめ商品をご紹介いただきました。

 

1.高品質な食が揃う毎年人気のグルメガチャ

松屋銀座「食の福ガチャ 〜『えん』を感じる福袋〜
5000円(税込) 【限定110袋】 1月3日の初売りで販売

「松屋銀座の初売りでは、7000円〜2万円相当の肉や魚、惣菜、冷凍食品などが当たるグルメガチャを1回5000円で回せます。
毎年大人気の福袋で、今年は『鮮魚専門店 山助』の『厳選本まぐろ入り刺身12点盛り合わせ+本まぐろ入りにぎり寿司52貫』や、洋惣菜や生ハムのテイクアウト専門店『シャルキュトリーコダマ』のイベリコ布巻きロースやアンガス牛ハンバーグなどが入った『コダマスペシャル』をはじめ、20種類以上の美食が揃い、最大2万円相当の賞品が当たります。食に自信のある松屋銀座ならではの素晴らしい中身。満足できること間違いなしです」

 

2.絶品和洋菓子4点に「お菓子すくい」の挑戦権をセット

松屋銀座「お菓子すくい 〜ご縁をつなげていこう〜
2025円(税込) 【限定30袋】 1月3日の初売りで販売

「こちらも松屋銀座の人気福袋。銀座の日本料理『Kuma3(クマサン)』がプロデュースし、誕生までに3年を費やしたという『銀座へしれブラウニー』、京都・御所南に工房を構えるショコラトリー『MUNIANKASSHOKU (ムニアンカッショク)』のころんとかわいい絶品フィナンシェ『カカオレーヌ』、西洋菓子の店『鹿鳴館』の見た目も美しいチョコレート菓子『ショコクル』、明治創業の老舗『銀座文明堂』のカステラにどらやき生地を巻いた『カステラ巻き』。これらの和洋菓子4点が入った福袋に、その場でチャレンジできる『お菓子すくい』の挑戦権が付いています。ゲーム感覚で楽しめますよ」

 

3.大丸グルメを味わい尽くせるお買い物券セット

大丸東京店「制覇福袋
5万円(税込)〜 【抽選でそれぞれ限定5袋】 応募受付は1月3日〜5日

「大丸東京店のお弁当、スイーツ、レストラン・喫茶を、それぞれ割安で楽しめるお買い物券の福袋です。24年はお弁当のみでしたが、好評を受けて25年は種類が増えました。
デパ地下40ブランドでそれぞれ2000円分使える買い物券をセットにした8万円相当の『弁当制覇福袋』(5万円)、和洋菓子売り場の48ブランドでそれぞれ2000円分使える買い物券をセットにした9万6000円相当の『菓子制覇福袋』(6万円)、3000円の買い物券を25ブランド分セットにした7万5000円相当の『レストラン喫茶制覇福袋』(5万円)の3種類がそれぞれ5袋ずつ販売されます。高額ではありますが、間違いなく損をしない福袋です」

 

4.昨年は倍率140 倍! 昭和のアイドル気分で写真撮影

東武百貨店 池袋本店「マルベル堂『私もアイドル!気分福袋』」
2025円(税込) 【抽選で限定3組】 2025年1月3日午後6時まで応募受付中

「昭和レトロな世界観が楽しめる大人気の写真撮影体験福袋です。オリジナルポスターや写真集、アクリルスタンドなどを作ることができ、アイドルの気分を体験できます。80年代風という設定が、昭和生まれの人たちにとっては懐かしく、平成生まれ以降の人たちにとってはエモく新鮮に映るでしょう。昨年の倍率は約140倍ととても人気の福袋ですが、もし当選したら忘れられない思い出になるはずです」

 

5.新世代特急列車を貸し切った日光ワンデイトリップ

東武百貨店「東武グループコラボレーション福袋『東武鉄道スペーシアX 特別運行FUNABASHI車両貸切で行く日光日帰りツアー』福袋
5万8000円〜7万8000円(税込) 【64組128名限定】 2025年1月3日午後6時まで応募受付中

「スペーシアXは『旅そのものを楽しむ空間』を提供する、移動手段を超えた新世代特急列車。これを貸し切り、日光へ日帰り旅行ができる新年ならではの豪華な福袋です。特製記念台紙付き記念乗車証のプレゼント、『コックピットスイート・コックピットラウンジ&コンパートメント&プレミアムシート』の見学、東武百貨店船橋店オリジナル『特別運行FUNABASHI』掛け紙が巻かれたお弁当付き。観光プランは4種類から選べます」

 

 

百貨店をはじめ、お店の情熱とアイデアが詰まった福袋。いままでチェックしていなかったという人もぜひ、2025年は自分にぴったりの商品を探してみてはいかがでしょう。きっと新年を迎える楽しみが、増えるはずです。

 

 

Profile


福袋研究会主宰・ライター / 恩田ひさとし

IT関連をメインとしたライターとして活動。その傍ら、仕事の企画ではじめた福袋の魅力に魅せられ、福袋研究会を主宰して約20年。年末年始は福袋コメンテーターとして、さまざまなメディアで活躍中。
HP

 

日本人のソウルフード“おにぎり”が世界を席巻!注目の専門店と、意外と深いおにぎり蘊蓄

2024年後期のNHK連続テレビ小説は『おむすび』。そして奇遇にも今、おにぎり(おむすび)が世界を巻き込み一大ブームとなっています。

 

日本人にとっておにぎりは、幼少期から慣れ親しんだソウルフードでしょう。しかし身近な存在すぎて、その歴史や地域ごとの違いを知らない人も多いのではないでしょうか? そこで、一般社団法人おにぎり協会で代表理事を務める中村祐介さんにおにぎりのいろはをお聞きしました。

 

 

日本初の駅弁にも、給食にも。
おにぎりの歴史

 

おにぎりの歴史を遡ると、形として残っている最も古いものは、約2000年前の弥生時代の遺跡にたどり着くといいます。

 

「石川県の旧鹿西町(現・中能登町)にある弥生時代中期の遺跡から、もち米を蒸して固めて焼かれたおにぎり状のチマキ炭化米塊(たんかまいかい)が発見されています」(おにぎり協会 代表理事・中村祐介さん、以下同)

 

文献として残っている最も古い記述は、奈良時代の初期。元明(げんめい)天皇の詔(みことのり)によって編纂された日本各地の『風土記』のひとつ、『常陸国風土記』に「握飯(にぎりいい)」の記述が残っています。

 

「握飯はいわば“にぎりめし”。当協会では、『常陸国風土記』の握飯をいまのところ現存する最古のおにぎりという言葉の初出としています。そのあとの平安時代には、蒸したもち米を握り固めた屯食(とんじき)というものがあり、これは『源氏物語』にも登場しています」

 

屯食が登場するのは、「源氏物語」の第一帖 桐壺 第三章 第六段 「源氏元服」です。

 

続く戦国時代には兵糧(武士の食糧)として重宝され、その後、江戸時代になり世の中が平和になると、旅の携行食や仕事(農作業)の合間の食事として食べられるようになりました。

 

「明治時代に宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売されましたが、それもやっぱりおにぎりでした。また、この時代には日本初の給食も登場し、献立はおにぎり、焼き魚、漬け物だったそうです」

 

戦後は銀座のおにぎり店でシメる
“銀おに”がブーム?

時代は大正を経て昭和に。戦後になるとおにぎり専門店が登場し、1960年前後には東京の繁華街を中心に存在していたという記録が残っています。ただし、いまとはそのニーズが異なっていたそう。

 

「お酒を飲んだあとに食べる、いわゆるシメのお店として使われていたようです。お店の数も、銀座などはそれなりに多かったとか。ちなみに、現存する東京最古の専門店は1954(昭和29)年創業の『おにぎり浅草宿六』です」

 

そして近現代史における最大級の転換点は、コンビニエンスストアの登場によりもたらされました。

 

「なかでも1978(昭和53)年にセブン-イレブンが考案した『パリッコフィルム』は、海苔がパリパリした手巻きおにぎりの先駆けです。その後コンビニおにぎりが拡大するきっかけにもなりました。なお、コンビニでツナマヨネーズおにぎりを初めて販売したのもセブン-イレブン。1983年のことです」

 

日本で1号店が開業した1974年当初から、セブン-イレブンではおにぎりを販売していたそうですが、当時、おにぎりといえば家庭で作って携帯するのが主流で、わざわざ買って食べるものではありませんでした。そんななか、パリパリ海苔の新食感おにぎりは、手作りの直巻きタイプと差別化されて人気に。

 

また、1985年には男女雇用機会均等法が制定(施行は1986年)されたうえ、時代とともに核家族化も進行。女性の社会進出とともに、おにぎりや弁当が“作る”から“買う”食べ物となっていったことも、コンビニおにぎりの拡大を後押ししました。

 

いま起きているのは、
”おにぎり専門店”ブーム

冒頭でも触れたように、いまは空前のおにぎりブーム。しかし中村さんは、ブームと呼ぶには違和感を感じるといいます。

 

「そもそも、おにぎり自体はずっと人気の料理なんです。なので、いま起きているのは『おにぎり専門店ブーム』ですね」とのこと。併せて、トレンドの背景も教えてくれました。

 

「2018年に『おにぎり浅草宿六』が、世界で初めて『ミシュランガイド東京2019』のビブグルマンに『おにぎり』として掲載されました。また、同店と双璧をなす有名店『おにぎりぼんご』が行列店として話題になるなど、2010年代後半から専門店の人気ぶりが一般層にも知れ渡っていきました」

 

東京・大塚にある、1960年創業の老舗「おにぎりぼんご」。あえて握らないことで生まれるふわふわの食感のおにぎりで愛されています。

 

2020年になり、世界はコロナ禍へ。テイクアウトやお取り寄せが礼賛されるとともに、外食をしなくなって浮いたお金をプチ贅沢に回すように。同時にコンビニ各社も、高級食材などを使ったプレミアムなごちそうおにぎりの商品点数を増やしていきました。

 

中村さんはこれによって、世間のおにぎりに対する価値観が大きく変わったといいます。

 

福島のご当地スーパー「マルト」は、「おにぎり浅草宿六」の3代目店主・三浦洋介さんの指導のもとおにぎりを発売。「お弁当・お惣菜大賞2021 おにぎり部門」で最優秀賞になりました。

 

「ごちそう系のおにぎりのおいしさに気付くとともに、『この値段なら専門店のおにぎりの価格とあまり変わらないよね』という考えが広がりました。
また各地で専門店が続々と開業。その多くはカウンターで提供するスタイルで、『職人による握りたてを食べたい』という未体験への好奇心が、いまのおにぎり専門店ブームにつながっていると思います」

 

その人気はいまや海外にも。たとえばフランスではチーズやトマトなどを使った「パリおにぎり」が流行っているそうですが、なぜいまになっておにぎりが世界へ広がっているのでしょうか。

 

「ひとつは、日本のマンガやアニメに登場するおにぎりを見た外国人が、『あれは何? 食べたい!』と興味をもったからです。そもそも黒い三角形の食べ物は世界では珍しく、彼らから見ると非常にアイコニック。『FENDI』がおにぎりをモチーフにしたミニバッグを発売しているくらいです」

 

イタリアを代表するラグジュアリーブランド『FENDI』の、2024年ウィンターホリデーメンズコレクションより。2023年に発売した際に好評を博し、再販されました。

 

ほかにも、グルテンフリーであることや、ウクライナ危機によって小麦が高騰しお米の価格的優位性が上がったことなども、その人気を後押ししました。また、海外でもコロナ禍が、おにぎりの浸透にとって追い風になったそうです。

 

「海外のデリバリーフードは、日本に比べてメニューのバリエーションが少ないので、そこに三角形のおにぎりがラインナップされているととても目立つんです。そしてコロナ禍以降は訪日外国人が増え、彼らがSNSを通じておにぎりの魅力を世界に発信してくれました」

 

日本各地にもおにぎりの名店が点在

おにぎり専門店というと、「浅草宿六」「おにぎりぼんご」が多く話題にのぼりますが、実は日本各地にもさまざまな名店があります。

 

「老舗の代表格は、長崎の『おにぎり専門店 かにや』です。1965(昭和40)年創業のお店で、営業時間が18時から深夜までと、まさに“シメのおにぎり”。広島の1958(昭和33)年創業の『むすび むさし』も名店で、広島駅ナカにもあるのでぜひ立ち寄っていただきたいです。

 

北の名店には、1980(昭和55)年に札幌で創業されたチェーン店『おにぎりのありんこ』があります。ここはおにぎりと豚汁のペアリングが楽しめます」

近年注目なのは、おにぎり居酒屋に人気店が現れてきたこと。岩手・盛岡には日本酒バーとしての顔ももつ『握り飯 銀香』、大阪・北新地にはボクシングの世界チャンプが店主の『おにぎり竜』があります。

「さらに各地域の個性派を挙げるなら、富山でジビエのおにぎりを販売する独立系コンビニ『立山サンダーバード』。おにぎり専門店ではないですが、見逃せない一軒ですね。また、おにぎりの価値を高めていく存在としては、佐賀・嬉野の温泉宿で会席スタイルのおにぎりを供する『おにぎり神谷』が注目株です」

 

「おにぎり神谷」は、嬉野温泉の「和多屋別荘」で完全予約制営業。

 

おにぎりには地域の風習・風土が現れる

各地域の話題が出たところで、意外と知られていない地域ごとの傾向も教えていただきました。そこにはその土地ならではの知恵も隠れています。

 

おにぎりの形

 

・俵型
「三角型のコンビニおにぎりが普及する前、つまり手作りおにぎりが主流だった時代までは、関西では俵型がメジャーだったようです。これは、江戸時代の大阪で芝居を見ながら幕の内弁当を食べるのが流行ったことの名残だと言われています。俵型なら弁当箱に収まりやすく、さらに小ぶりなので箸でつまみやすいですからね」

 

・三角形
「形の由来は諸説ありますが、三角形に富士山など山の神様をイメージし好意的に捉えている地方があります」

 

・ボール型
「お米が育ちにくい土地では、菜っ葉などを混ぜておにぎりをかさ増しする必要があり、米だけで握るおにぎりよりもまとまりにくいから、ぎゅっと握りやすい丸型が多いという話を聞いたことがあります」

 

・円盤型
「東北地方には平べったい円盤型のおにぎりが多いという傾向も。寒い地域はおにぎりを焼いて温めることが多く、円盤型のほうが内部まで熱が通りやすくなるからだと言われています」

 

おにぎりを包むもの

左が広島菜おにぎり。右がとろろ昆布おにぎり。

 

「江戸時代に北前船の中継地として栄えた富山では、とろろ昆布を巻いたおにぎりが昔から親しまれています。海苔以外で巻いたものでは、広島菜おにぎりも有名ですね。あとは、海苔を使わず表面に味噌を塗った、群馬の味噌おにぎりもユニークです。
また、海苔を巻く地域のなかにも違いがあります。代表例は関西の味付け海苔を巻く文化。ルーツは、明治天皇が京都へ行幸される際に東京土産として開発されたのが味付け海苔だったという説が有力。
だから関西では味付け海苔が好まれていて、京都や大阪などのコンビニでは、味付け海苔で巻いたおにぎりが並んでいることもあります」

 

おにぎりの人気具材と
専門家イチオシの海苔とお米

 

塩おにぎりにも体にしみるおいしさがありますが、具材選びもおにぎりを語るうえで欠かせない要素です。おにぎり協会主催の『おにぎりサミット』の第1回(2024年2月開催)で、コンビニ大手4の協力のもと発表された人気の具材ランキングでは、1位がツナマヨ、2位が鮭、3位が昆布でした。

 

「その一方で、専門店では個性的な具材が人気です。たとえば『おにぎりぼんご』では「卵黄+肉そぼろ」が人気メニューのひとつですし、新メニューではペペロンチーノなんていう個性派も。専門店は外国人のお客さんが多いというのもあって、ハワイのアヒポキ、韓国のヤンニョムチキンといった外国の料理を取り入れるケースも増えています」

 

左はチーズフォンデュおにぎり、右はフィッシュ&チップスおにぎり。「第1回 おにぎりサミット」にて。

 

おにぎりでは、基本となるお米と海苔選びも重要です。そこで中村さんにおすすめの銘柄をお聞きすると、「おすすめはたくさんありますよ。でもこれは各個人の好みなので、これが正解というのは難しいんですよね」と前置きをしたうえで、教えてくれました。

 

「海苔は、福岡・柳川市の有明海苔か、千葉県産の江戸前海苔が僕は好きですね。お米は、具材に合わせて選ぶのがおすすめです。濃厚系の具材なら『コシヒカリ』、よりもっちりした食感が好きなら『つや姫』や『ゆめぴりか』など。逆に繊細な味わいの具材なら、あっさりとした『まっしぐら』や『あいちのかおり』などはいかがでしょう。塩も同様に、産地や製法で甘味やうまみが異なりますから、ぜひいろいろ試してみてください」

 

基本の材料とは別に、中村さんがおすすめするのはかつお節やごまのトッピング。ひと手間加えるだけで、香りや食感が豊かになるとのことです。

 

徳川家康の好物だから発展した!? 日本の伝統食材「海苔(のり)」の意外に知らない話

 

サステナブルな活動が
おにぎりの未来のカギを“握る”

 

最後に、未来のおにぎりはどうなっていくのかをお聞きました。すると、より世界的な拡大へと希望がみえる一方、課題も山積みだといいます。

 

危機的な原材料のひとつは海苔。温暖化で海水温が上昇し、磯焼けによって海藻がとれなくなっています。まぐろや鮭、昆布などの海産物もおにぎりの人気具材ですから、『おにぎりサミット(2025年2月に第2回を開催予定)』などを通じて海の豊かさを守るための情報も発信していきたいと思っています」

 

 

Profile

おにぎり協会代表理事 / 中村祐介

2014年2月に一般社団法人おにぎり協会を設立し、翌年にはイタリアのミラノ国際博覧会(ミラノ万博)でおにぎりのデモンストレーションなどを実施。日本人にとっては既知のおにぎりを未知のものとして広め、海外の人には未知のおにぎりを伝えるなかで既知のものにするべく、魅力を発信している。2024年には東京で「おにぎりサミット」を初開催し、2025年には第2回を開催予定。
一般社団法人おにぎり協会

 

未経験・ひとりでも楽しめる! 将棋が10倍面白くなる豆知識と始め方

11月17日は将棋の日。江戸中期ごろ、将軍の前で将棋を指す「御城将棋(おしろしょうぎ)」が旧暦の11月17日に行われていたことから制定されました。将棋は今、藤井聡太さんの活躍や「観る将」と呼ばれる新たなファン層の増加によって、世代を超えた盛り上がりを見せています。何百年もの間、人々を魅了してきた将棋。その魅力から、今の時代に合った楽しみ方まで、将棋女流棋士の中倉彰子さんにうかがいました。

 

将棋は歴史とともに進化した?
日本の将棋の始まりとは

そもそも将棋はいつ、どのように生まれたものなのでしょうか?

 

「将棋は日本独自の遊びですが、将棋と同じように、盤上の駒を動かして王様を取るゲームは世界各国にあります。代表的なものだと、世界中で楽しまれているチェス。ほかには中国のシャンチーや韓国のチャンギなどがあります。こうしたゲームの起源は、古代インドのチャトランガにあるといわれています」(将棋女流棋士・中倉彰子さん、以下同)

 

古代インドのボードゲーム、チャトランガ。

 

では、日本で将棋が遊ばれるようになったのは、いつごろからなのでしょうか?

 

「それも諸説あるのですが、すでに平安時代には将棋で遊んでいたことが文献に残されています。将棋の駒が1枚2枚と数えられるのは当時も今も同じですが、現代の将棋が9×9の81マスの将棋盤、40枚の駒を使って指すのに対し、かつては将棋盤のマス目も多く、駒ももっとたくさんあったといわれています。次第に使う駒が減ってサイズもどんどん小さくなり、今の形になったそうです」

 

「俳句や短歌といった短い言葉による表現が生まれたように、日本文化には減らすことで何かを洗練させるという特徴があります。将棋も同様に、マス目を狭く、そして駒の数も少なくする形で洗練されていきました。
その際、単に駒を取り合うだけでは勝負がつかなくなることが多かったため、相手の駒を取ったら『持ち駒』として再利用できるというルールができたのです。持ち駒の再利用は日本独自のルールであり、これにより将棋はさらに複雑で奥深いものとなりました」

 

長年親しまれてきた将棋の魅力とは?

千年以上前から将棋が存在することはわかりましたが、形を変えながらも現在まで長く楽しまれている理由はどんなところにあるのでしょうか。中倉さんが考える、将棋の面白さとは?

 

・戦略を試す時のドキドキ感

「どう攻めようかと戦略を考えながら対局を進めていき、自分が考えていた読み通りになったときはとてもうれしくなりますね。もちろんうまくいかないこともたくさんありますが、その予想通りにいかないときのドキドキ感も魅力。自分なりに工夫してみたり、こう指したら相手はどうなるかなと考えたりするところに面白さがあります」

 

・対局相手とのコミュニケーション

「対局後には、感想を話し合う『感想戦』があり、相手と対局について語り合えるのも将棋の魅力です。将棋という共通の話題でコミュニケーションを取れるので、初対面の人とも話が盛り上がりますよ」

 

・日常から離れて没頭できる時間

「大人になると日々の仕事や生活に追われてしまい、自分の時間がなかなかとれないという人も多いでしょう。ですが、対局中は将棋のことだけを考えられるので、日々の忙しさを忘れて自分の好きなことに没頭する時間を作れます」

 

・日本の伝統文化との接点

「将棋を通し、日本ならではの考え方や礼儀作法が身につくのも将棋のよさです。対局をする際は、初めに背筋を伸ばして正座をし、お願いしますと一礼。さらに対局後は、勝っても喜ばず、最後まで謙虚な姿勢で対局相手と向き合います。また、負けたら『負けました』といい、必ず負けた人から投了(対局を終了させる)するルールがあるのも、武士然とした日本ならではの考え方だと思います」

 

負けた時は潔く投了するのが決まり。

 

基本のルールとひとりで将棋を楽しむ方法

将棋の魅力がわかったところで、基本的なルールを学んでみましょう。女流棋士であるとともに、子ども向けの将棋教室も運営している中倉さんにわかりやすく教えていただきました。

 

教室オリジナルのグッズや教本を使いながら、子どもたちが理解しやすいよう指導する中倉さん。

 

・基本の遊び方

「将棋は8種類20枚の駒を使い、自陣の王様を取られる前に相手の王様を取りに行くゲームです。先手後手を最初に決め、交互に指していきます。
駒はそれぞれ動かせる位置が決まっています。さらに相手の陣地に進むと駒が裏返り、8種類のうち6種類の駒は『成駒(なりごま)』といって動かせる位置が変わります。最初は動かし方を覚えなければならないので、それによりハードルが高いと感じる人も多いかもしれません。
そういった人のために、いきなり20枚の駒を使うのではなく、駒の数を減らして行う方法もあります。まずは次の画像を参考に、駒の動かし方に慣れるところから始めてみましょう」

 

基本の8種類の駒の動かし方はこちら。大きく見たい場合や、成駒の動き方を確認したい場合は、いつつのホームページからチェックしてみてください。

 

・対局する方法

ルールがわかったところで、いよいよ対局に挑戦してみましょう。といっても、身近に対局できる相手がいない場合はどうしたらよいでしょうか?

 

「今はスマホ用のアプリが充実しているので、アプリを使って対局してみるのがおすすめです。初心者向けのアプリには、どのマスに駒を動かせるかを伝えるガイドが表示されるものもあるので、最初はそれを頼りにAIと対局し、感覚を掴んでみてください」

 

アプリで対局し、もっとやってみたいと思ったら、実際に相手と向き合っての対局に挑戦してみましょう。

 

「対局ができる場所はさまざまありますが、昔からあるところでいうと、集まった人同士で対局ができる将棋道場ですね。初心者であれば初心者同士で組むなど、同じレベルの人同士で対局できるように振り分けてくれるんです。
もっと気軽に楽しみたいのであれば、将棋カフェや将棋バーボードゲームカフェなどがおすすめ。カフェやバーなのでコーヒーやお酒を飲みながら気楽に対局できます。
アプリでもオンラインで対局できますが、経験者が多くて少しレベルが高いかもしれないので、オンライン対局はある程度慣れてきてから挑戦してみるとよいと思います」

 

もっとうまくなりたいと思ったら?
上達のコツ

もっとうまく将棋が指せるようになりたいと思ったときに、上達するにはどのようなことが必要なのでしょうか?

 

「将棋教室に通ったり、オンライン教室を受講したりして、指導してもらうこともできますが、教室に通わなくても強くなることは可能です。おすすめは『詰将棋(つめしょうぎ)』
詰将棋とは、相手の王将(玉)がどうやっても取られてしまう状況(詰み)にするには、どのような手を指せばいいのか考えるパズルのようなものです。詰将棋には何手で詰めるかが提示されているので、その手数で詰む方法を考えます。駒をうまく使えるようになることで将棋は上達していくので、駒の使い方を身につける練習になりますよ」

 

株式会社いつつのホームページでは、毎年新春詰将棋を公開しています。こちらは2024年新春の詰将棋。

 

ほかにも、『棋譜並べ』をやってみるのもよいそうです。

 

「棋譜並べは、プロ棋士が指した将棋を自分で並べて再現する練習方法です。プロはどんな手筋で戦うのか、実際に並べてみることでプロの考え方を学ぶことができます」

 

そして「あとはやはり実戦あるのみですね」と中倉さん。さまざまな駒の使い方を学び、実戦を重ねていくことで上達を感じられるはずだといいます。

 

対局観戦を楽しむ「観る将」になろう!

最近はテレビだけでなく、YouTubeなどの配信を通してプロの対局を観ることができ、スポーツ観戦のように対局観戦を楽しむファン「観る将」も増えています。

 

「将棋の楽しみ方は多様化しています。将棋を指さないけれど、プロの対局は観るという人もけっこう多くいて、気軽に将棋を楽しむ人が増えてきた印象です。昔のテレビ番組ですと、プロ棋士が解説する『大盤解説』が主流でした。
ですが今は、どちらが優勢かパーセンテージで示す『評価値』と呼ばれるガイドや、次の候補手が表示されるなど、パッと見てもわかりやすいように番組の見せ方も変化しています。なので、家事や作業をしながら対局をラジオ感覚で流しているという人もいらっしゃいます。面白く解説するプロ棋士もいるので、耳を傾けるだけでも楽しめると思いますよ」

 

プロの対局中は、解説だけでなく、棋士が今日食べた「勝負飯」や「おやつ」の情報なども出るのだとか。そうした情報から棋士の人柄が見えてくるのもまた、プロの対局を観る理由になっているようです。

 

「とくにタイトル戦になると、開催地ではおやつコンテストが開かれます。コンテストでの協議を経て選ばれた8品程度のおやつが、プロ棋士に渡す『おやつ候補リスト』に載せられます。棋士はおやつ候補リストからその日のおやつを選ぶので、どれを食べるかというところにも注目が集まります。SNSでも毎回盛り上がっているんですよ」

 

タイトル戦や女流棋士の活躍に注目!
将棋のニュースが面白くなるポイント

タイトル戦の時期になると、勝敗などがニュースでも報道されています。そもそも、タイトル戦とはどのような試合なのでしょうか?

 

「プロ棋士が参加する大会には8つのタイトル戦とトーナメントがあります。上位タイトルである竜王戦や、名人戦はよく話題になりますよね。とくに名人戦の歴史は古く、江戸時代から続いています。初代は大橋宗桂名人で、そこから2代、3代と続き、現代に受け継がれている歴史あるタイトルです」

 

竜王戦は例年10月から12月にかけて行われ、もっとも注目される大会です。今まさに、藤井聡太竜王と挑戦者の佐々木勇気八段の勝負が報道されています。

 

そして名人戦は、例年春から初夏にかけて行われる大会。藤井聡太竜王は2023年の名人戦で勝利し、その後行われた王座戦にも勝利したことで、史上最年少で八冠達成を成し遂げ話題になりました。

 

現在は叡王以外のタイトルを藤井聡太竜王が保持しているので、今後のタイトルの行方に注目してみると面白いはず。

 

「タイトル戦だけでなく、女流棋士の活躍も目が離せません。現在は、西山朋佳女流三冠がプロ棋士になるために挑戦していて、女性初のプロ棋士誕生が期待されています。
なぜ女性のプロ棋士が今までいなかったかというと、そもそもプロ棋士は年に4名しか誕生しない狭き門。奨励会というプロ棋士養成機関に入会し、リーグ戦を勝ち抜いて一番上位の四段に昇段することでプロ棋士になれるのですが、そこは全国から強者が集う奨励会。そう簡単には勝ち進めません。また、26歳までに三段リーグに進まなければならないという年齢制限もあります。
西山朋佳女流三冠は、奨励会在籍中にプロになれなかったものの、公式戦で10勝以上し、よい成績を収めていたことから棋士編入試験受験資格を獲得しました。藤井聡太竜王のニュースはもちろんですが、厳しい将棋の世界で戦い続ける女流棋士にも、ぜひ注目してみてください」(2024年11月時点)

 

聖地巡礼から推し活まで!
広がる現在の将棋の楽しみ方

将棋を指したり対局を観たりする以外にも、将棋の楽しみ方は広がっていると中倉さんは話します。

 

「将棋にまつわる場所を『聖地巡礼』して楽しむ、という人も増えています。東京の聖地ですと、東京将棋会館のある千駄ヶ谷。将棋会館が2024年10月にリニューアルし、将棋カフェも併設されました。境内に将棋堂がある鳩森神社を参拝したり、将棋漫画『3月のライオン』のマンホールを探したりするのも楽しいですよ。
関西将棋会館も2024年11月17日に新しくなりました。大阪府高槻市に移転オープンするということで、高槻市を将棋の街にしていこうと盛り上がりを見せています。
あとは、将棋駒の生産高日本一である山形県天童市も将棋の聖地として知られています。春に行われるイベント『人間将棋』が有名ですね。天童駅前には詰将棋が描かれた歩道があり、解きながら歩けるのもユニーク。将棋の聖地を目的に旅してみるのもよいかもしれません」

 

天童市で行われる人間将棋。桜の時期に開催され、例年多くの人が訪れています。(写真提供=天童市)

 

イベント会場などを見ると女性の来場者が少しずつ増えているといいます。

 

「女性ファンのなかには、プロ棋士の推し活をされている人もいて、好きな棋士を観にイベントに参加しているという人も。推し活まではいかなくても、自分の好きな棋士の対局や勝敗をチェックしてみるだけでも楽しいかもしれません。さまざまな楽しみ方があるので、将棋を難しく捉えずに、自分の入りやすいところから将棋に親しみを持っていただけたらうれしいですね」

 

Profile


将棋女流棋士 / 中倉彰子
1991年・1992年女流アマ名人戦を連覇後、堀口弘治七段門下へ入門。1994年には高校3年生で女流棋士としてデビュー。2015年に株式会社いつつを設立し、代表取締役に就任。将棋グッズの制作や子ども向け将棋教室のプロデュースなどを行っている。著書に絵本『しょうぎのくにのだいぼうけん』(講談社)などがある。
株式会社いつつ HP

“仕事は全部選んでる!” 50年目のハローキティが世界130カ国で愛される理由

「ハローキティ」。日本に数あるキャラクターのなかでも、その代表格として、国内だけでなく世界中で愛される存在です。1974年に誕生し、2024年で50周年を迎えました。

 

50年の歴史を振り返りながら、幅広い世代から支持され続けるその魅力について、株式会社サンリオでハローキティ50周年のPRを担当する山本淳美さんにお話をうかがいました。

 

ハローキティ50周年仕様のエントランスでお出迎え。

 

エントランスの装飾は、山本さんが企画をしたそう。

 

女の子の永遠の憧れ
「ハローキティ」とは?

まずはハローキティがどんなキャラクターなのか、おさらいしておきましょう。

 

プロフィール

名前=キティ・ホワイト
誕生日=11月1日
生まれた場所=イギリス・ロンドンの郊外
明るくてやさしい女のコ。身長はりんご5個分、体重はりんご3個分。趣味はクッキーづくりやピアノを弾くことで、ピアニストか詩人になることが夢。家族はパパとママと、双子の妹ミミィ。好きな食べものはママが作ったアップルパイ。

 

プロフィールを見ると、“女の子”が憧れる要素がぎゅっと詰まったキャラクターであることがわかります。りんごで身長と体重を表現するところも、とってもキュート。子どもの頃、りんごを積み上げて、「キティちゃんはこれくらいかな」とイメージしていた人もいるのでは?

 

ハローキティ誕生の秘密!
1970~1980年代を振り返る

ハローキティが生まれたのは1974年。最初の商品が発売された時は、まだ名前がなかったといいます。

 

「ハローキティの最初の商品は、『プチパース』という小さなビニール製の小銭入れでした。ほかにもいくつかデザインがあるなかで、そのかわいらしさから大人気となり、売り上げも一番だったそうです。

人気が出たことから、名前をつけることになりました。名前のモデルにしたのが、ルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場するキティというネコ。そこにハローをつけて、『ハローキティ』となったのです」(株式会社サンリオ・山本淳美さん、以下同)

 

サンリオは創業当時からギフト商品を扱っていました。ハローキティも誕生後は、ギフト商品を中心にグッズ展開をしていきます。

 

「サンリオは『スモールギフト、ビッグスマイル』をスローガンに掲げ、『小さくてかわいい、贈って笑顔になれるもの』を販売していました。プチパースはそのスモールギフトのうちの一つでした」

 

当時発売されたプチパース。キティちゃんの上には「Hello!」の文字が。この頃は手書きでデザインされていました。

 

「1980年代に入ると、贈り物だけでなく、電話やドライヤー、カメラといった日用家電も販売するようになっていきました」

 

キティちゃんの家電グッズ。「見たことある!」という人もいるのでは?

 

1990年代は女子高校生を中心に
“キティラー”が続出!

1980年代後半~1990年代には、ファッショントレンドを意識したグッズ展開を開始します。

 

「1980年代後半は、ファッショントレンドとしてモノトーンやタータンチェックが流行った時期。ハローキティもそれに合わせたデザインが生まれました」

 

ちょっぴり大人な雰囲気のモノクロキティは、1987年にデザインされたもの。

 

その後もファッショントレンドをデザインに取り入れていき、1996年にハイビスカスを付けたハローキティが登場。結果、当時の女子高校生を中心にキティグッズの大流行が起こり、「キティラー」という言葉も生まれました。サンリオのキャラクターが若者のあいだで流行ったのは初めてだったといいます。

 

「入園・入学や進級のタイミングでキャラクターグッズのペンケースやノート、お弁当箱や水筒などを買ってもらって、そのキャラクターと一緒に育った、という方は少なくないと思います。
ですが、次第にキャラクターものを卒業する時期がやってきます。『自分が小さい頃に持っていたものは子どもっぽい』と思うようになる方もいたと思います。中高生になり、キャラクターものを卒業した後はファッションブランドなどのアイテムを持ち始めるという流れもあったなかで、当時のハローキティが『ファッショントレンド』を意識した商品開発をしていたことが、女子高校生や、その上の世代に支持された要因の一つだと考えています。『大人が持ってもかわいくて今っぽい』と思っていただけたのかなと」

 

ハイビスカスをつけたキティちゃん。30代~40代なら「懐かしい!」と感じるはず。

 

当時、たくさんの女子高校生がサンリオショップを訪れ、グッズを購入したり、ショップ内にあるハローキティのプリクラで撮影したりしていたそうです。また、携帯電話が一般に普及し始めていた時代ということで、携帯電話の関連グッズが大人気だったとか。

 

2000年代からは世界に進出!
海外ブランドやセレブたちが火付け役に

2000年代に入ると、キャラクター×キャラクターや、キャラクター×ブランドのコラボが盛んに。この頃から海外でもハローキティ人気が高まりました。

 

「2005年に、台湾のエバー航空とのコラボレーションで、ハローキティジェットが就航しました。航空機にハローキティが大きくプリントされたことが、海外への認知度拡大に一役買ったのかなと思っています。
ほかにもスワロフスキーなど、ワールドワイドに展開するブランドとのコラボ商品が生まれました。日本だけでなく海外で販売されたことも、世界的に人気が広がる要因だったと感じています。同じく2000年代以降、海外セレブたちがハローキティグッズを身に付け、その様子がメディアで報じられるという流れが起こったことも印象的な出来事でした」

 

今では130の国と地域で、年間約5万種類もの商品が展開されているといいます。イギリスでは英兵スタイル、ハワイでは日焼けしたデザインなど、それぞれの国を感じさせるハローキティグッズも。海外旅行の際は、その国や地域のハローキティグッズを探してみるのも楽しいですね。

 

かわいいのにどこかシュール?
ハローキティの変身スタイル

海外限定のハローキティもありますが、国内でも“ご当地キティ”を旅行先の至る所で見かけますよね。なかには山梨名物のほうとうから顔を出していたり、熊本の阿蘇山を背負っていたり……。一部のファンのあいだでは「キティちゃんは仕事を選ばない」なんて声も!? かわいいけれどどこかシュールなところに、大人も心を動かされるのかもしれません。

 

ハローキティは、いつからさまざまなものに“変身”するようになったのでしょうか?

 

「初めてハローキティが変身したものは、実は『ハチ』なんです(笑)。きっかけは、ハローキティの担当デザイナーがファンに向けてサイン会を行っていたときです。あるファンの女の子から『キティちゃんはハチになったらかわいいと思う』と言われたそうで。そこからハチになったハローキティをデザインしてみよう、ということで1998年に誕生しました」

 

ファンの声から生まれた、初めての変身キティ。ハチスタイル、たしかにとっても似合う!

 

「ほかのキャラクターだったらやらないようなデザインに変身するなど、常に新しいことにチャレンジし続けるのがハローキティかなと思います。多様なコラボレーションをして、みんなを驚かせたり、アップデートし続けたりするのが、ハローキティの魅力ですね。
サンリオのキャラクターたちは『みんななかよく』という言葉を届け、人と人とを繋ぐために生まれてきています。そのなかでもハローキティは、自身の活動やチャレンジを通して、『世界中のみんなとなかよくなりたい。みんなの笑顔が見たい』というメッセージを届け続けているんです。サンリオそのものが大切にしているメッセージを、ハローキティがたくさんの人に届けてくれています」

 

「キティちゃんは仕事を選ばない」という声に対し、「過去にキティ自身が「むしろ全部“選んで”る」と言っていましたよ(笑)」と山本さん。

 

過去も未来も想像できる
50周年のロゴをデザイン

50周年アニバーサリーのロゴは、赤いリボンに青のオーバーオールを着た、いつもの見慣れたハローキティのスタイルで描かれています。このデザインにした意図は?

 

「ハローキティ50周年アニバーサリー」の特設サイトでは、キティちゃんからのメッセージと共に、未来を予感させるキービジュアルを公開しています。

 

「デザイナーによると、『1人1人が抱いているハローキティ像はきっとさまざま。そのなかで、ポップカルチャーのアイコンとしてのハローキティを表すために、オーソドックスなデザインを選んだ』とのことでした。
このロゴマークを見たときに、例えばおばあちゃんにぬいぐるみを買ってもらったなという過去のハローキティとの記憶を思い出したり、これから先の未来に、自分の子どもにグッズを買ってあげたいなと思ったり……。キティとの思い出や未来を思い浮かべていただくきっかけになればうれしいですね」

 

サンリオのキャラクターたちも、キティちゃんになりきって50周年をお祝い!

 

また2024年は、50周年アニバーサリーを記念してさまざまなイベントを開催!

 

・全国のサンリオショップをキティが“巡業”?

 

50周年アニバーサリーイヤースタートとともに、ハローキティがファンに直接会うため、日本全国のサンリオショップ100店舗を回るチャレンジ企画。めざせ100店舗! だいすきなみんなに会いにいくよ!『ハローキティ50周年全国ツアー』

 

「『アニバーサリーイヤーに改めてありがとうを伝えたい』というキティの思いから、キティとお友達との出会いの原点でもあるサンリオショップを回ることを企画しました。グリーティングや撮影会、館内をキティが練り歩くなど、各ショップにより内容はさまざまです」

 

・ハローキティが「MAISONdes」に入居し楽曲をコラボ

“どこかにある六畳半アパートの、各部屋の住人の歌”をコンセプトに、楽曲ごとに「歌い手」「作り手」を替えて発表し、Z世代に絶大な人気を誇る「MAISONdes(メゾン・デ)」。音楽配信サービスでのストリーミング総再生回数6億回、SNSでの楽曲総再生回数50億回を超える、今もっとも注目されている音楽プロジェクトです。今回、なんとハローキティが新たな入居者に!

 

「3月22日に、キティがMAISONdes の1101号室へ入居し、新曲をリリースしました。作詞・作曲はトラックメイカーである原口沙輔さんが担当。ポップコーンの歌でお馴染みの『ハローキティ』をサンプリングした楽曲をお届けしますよ」

 

一度聴いたら耳に残る、あのポップコーンの歌が新鮮に響きます。

50周年となる2024年は、ほかにもさまざまなイベントが企画されているそう。そのほか、今しかゲットできないグッズもたくさん販売されています。昔好きだったという人も、今も大好きという人も、キティちゃんとの思い出に浸りながら、50周年をお祝いしてみてくださいね。

 

ハローキティ50周年アニバーサリーイヤー特設サイト

©’24 SANRIO 著作(株)サンリオ

春と秋の“彼岸”の意味とすべきことは?先祖供養に留まらない意外な向き合い方

もうすぐやってくる春分の日と、実りの秋に迎える秋分の日。それらを中日とした前後3日の7日間は、“お彼岸”と呼ばれています。お墓参りや仏壇の清掃など、ご先祖様を供養する日として認識している人も多いことでしょう。しかし本来のお彼岸をあらためて紐解くと、そこには私たちの人生にぜひ生かしたい、大切な意味が隠されていました。

 

お彼岸とは本来どんなもので、それはなぜ7日間に渡って行われるのか? まずは基本的なところから、和文化研究家の三浦康子さんに教えていただきます。

 

意味や由来は?
「お彼岸」の基礎知識

 

彼岸とは何を意味する言葉?

そもそも“彼岸”とは何を指している言葉なのでしょうか?

 

「彼岸とは、仏教用語で“あの世”を指す言葉です。対する私たちが生きている“この世”のことは、“此岸(しがん)”といいます。仏教の考えにおいて彼岸は西の方角にあり、対する此岸は東にあるとされています。つまり対岸の位置関係にあるわけです。
1年の中でも春分の日と秋分の日の頃は、昼夜の時間がほぼ同じになる時期。太陽がほぼ真東から昇り、ほぼ真西に沈みますから、仏教ではこの時期あの世とこの世がもっとも通じやすくなると考えられるようになりました。ですから、この時期にお墓参りなどをして、ご先祖様を供養する習わしが生まれたというわけです」(和文化研究家・三浦康子さん、以下同)

 

お彼岸の由来は?

お彼岸の行事は、いつ頃から行われているのでしょうか?

 

「歴史的に見ていきますと、だいたい平安時代のころから朝廷で“彼岸会(ひがんえ)”という仏教行事が行われるようになり、怨霊を鎮める読経などをしていたようです。これが庶民の文化として浸透していったのは、かなり後の江戸時代中期以降のことでした」

 

一説によると、彼岸には“日願(ひがん)”という意味もあると考えられているそう。

 

「“日”という漢字には太陽の意味があります。日本には天照大神に象徴される太陽信仰がありますから、“お天道様に願う”といった日本人特有の“日願”の心持ちが、お彼岸の習わしに結びついたという説もあります。現に、仏教国のなかでもお彼岸の習わしを持つのは日本だけです。そういった意味でも、太陽信仰とお彼岸には深い結びつきがあると考えられています」

 

お盆とお彼岸の違いとは?

日本の先祖供養には夏の“お盆”という行事もあります。お盆とお彼岸は何が違うのでしょうか?

 

「お盆というのは、あの世(極楽浄土)からこの世(現世)に帰ってくるご先祖様を家に迎えてともに過ごし、ご供養した後にまたあの世へと送り返すという行事。
対してお彼岸は、あの世とこの世が1年のなかでもっとも通じやすくなる期間のことをいいます。だからこの機会にお墓参りや仏壇の掃除をして、日頃の感謝を伝えるといったことをするわけです。また、お彼岸は自分自身も悟りの境地へ到達するために修行を行う期間といわれています」

 

和文化研究家が解説する「お盆」の意味と作法…「精霊馬」の意味から「盆棚」の作り方、帰省できないときの過ごし方まで

 

お彼岸の“六波羅蜜”とは?
自分と向き合う時間をつくる機会

 

ちなみに2024年の春は、3月17日が“彼岸入り”で、20日の春分の日をはさみ、23日で“彼岸明け”となります。なぜ7日間もの期間があるのでしょうか?

 

「仏教の教えの中に、“六波羅蜜(ろくはらみつ)”というものがあります。六波羅蜜は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目で、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)の6つです。本来のお彼岸の習わしには、中日にあたる春分の日と秋分の日に先祖供養を行い、残る6日間はこの六波羅蜜の6つの修行をすることで、悟りの境地を目指すという意味があるのです」

 

六波羅蜜の修行とは、わかりやすくいうと以下のような内容だそう。

 

・布施(ふせ)……他者に親切にする
・持戒(じかい)……言行一致、約束を守る
・忍辱(にんにく)……短気を起こさず忍耐強くいる
・精進(しょうじん)……努力をおしまず精進する
・禅定(ぜんじょう)……反省をする
・智慧(ちえ)……学び人格を高める

 

「この六波羅蜜を実践している人はどういう人かというと、親切で約束を守り、忍耐強く努力家で、失敗したら素直に反省し、知識を高めて人格形成につとめる人。だから周りの人に好かれます。逆にこの反対をやっている人というのは、ケチで約束を破り、短気で怠け者で飽きっぽく、嫉妬深くて人を恨んでばかりいるから、みんなから嫌われてしまうんですね。そうならないように精進しなさいというお釈迦さまの教えが、六波羅蜜なのです」

 

つまりお彼岸とは、今に生きる自分へと命を繋いでくれたご先祖様へ感謝をするのと同時に、自分自身とじっくり向き合う期間ともいえそうです。

 

「その通りです。お彼岸の期間は芽吹きの春と実りの秋ですから、季節の移り変わりを感じられるよき節目でもあるんですね。たとえば春のお彼岸なら、これから新たに始まる新年度、新生活などに対する誓いを立てたり、ご先祖様に“見守ってください”とお祈りするのもいいかもしれません。一方の秋のお彼岸は、それまでの振り返りや反省などにちょうどいい時期といえるでしょう」

 

お墓参りやお供物のルールは?
お彼岸に私たちがすべきこと

 

お墓参りはいつすればいい?

お彼岸と聞いてまず思い浮かべることといえば、お墓参りや仏壇の清掃、お寺での法要です。まず、お墓参りに行くタイミングはいつが正しいのでしょうか?

 

「行く日にちや回数に決まりはありません。最低限として、お彼岸の期間中に1回お参りできればいいと考えてください。祝日になっている春分の日と秋分の日に行く方も多いと思います。仏壇も同じで、期間中にお掃除をし、お線香を上げてお菓子や花などをお供えすると良いでしょう」

 

とはいえ、正月や夏の休暇と違って現代人の春は多忙なもの。帰省やお墓参りも容易ではないのが現実です。

 

「そもそもお墓がある故郷に住んでいない方も多いでしょう。もちろんお彼岸に帰郷してお墓参りができたら一番いいのですが、それが叶わないならば、ご自宅でご先祖様に手を合わせるだけでも十分だと思います」

 

そのとき、家に仏壇や故人の写真すらもない場合は……?

 

「お供え物の基本は、香・花・灯・水・食べ物の5つです。お線香やろうそくがなければアロマキャンドルで代用する、お庭の花を飾ってみるなど、できることをしてみてください」

 

ぼた餅とおはぎの違いは?
お彼岸に食べるもの

 

お彼岸の“お供え物”として、決まっている食べ物などはあるのでしょうか?

 

「とくに決まりはないのですが、故人がお好きだった食べ物や料理を供えてもいいでしょうし、定番としては“ぼた餅”があります。お餅は五穀豊穣、小豆は赤い色が魔除けに通じると考えられていることから、日本の行事で幅広く用いられてきました。今と違って昔は甘いものが貴重だったため、ぼた餅といえばごちそうで、大切なお客様のもてなしや寄り合いなどで振舞われ、ご先祖様にもお供えしてきました。お彼岸におなじみなのもそのためです」

 

ぼた餅ではなく、“おはぎ”をお供えしてもいいのでしょうか?

 

「おはぎでもいいですよ。ぼた餅とおはぎは基本的には同じもので、その季節の花に見立てて呼び名や形を変えていたからです。春のお彼岸には、牡丹の花のように丸くてぽってりとしたこしあんのぼた餅で、漢字で“牡丹餅(ぼたもち)”と書きます。そして秋のお彼岸には、萩のように小ぶりで小判型をした粒あんの“御萩(おはぎ)”をお供えしていました。今はこうした違いにこだわらないものが多くなりましたが、季節で区別していたわけです」

 

地域で異なる風習に対応するには?

お彼岸の習わしは、地域差はもちろん各家庭でも意識の違いがあるもの。「必ず何をしなければならない」といった明確なルールはあまりないのだそう。

 

「たとえば初彼岸(故人が亡くなって初めて迎えるお彼岸)で親族の家にお邪魔するなら、お供え物やご香典を包んでいく場合が多いですよね。でも、これから先もずっとそうすべきかどうかは、各々の家族の考え方や、関係性によるところが大きいと思います。心配なら、ご両親や他の親族の方がどうしているか、事前に確認してから訪問するといいでしょう」

 

彼岸の“ひと区切り”で
心がすっきりと整う

実際にお墓参りへ行けなくても、お彼岸の時期に先祖供養をちょっと意識するだけで、“心が整う”効果を感じられるそう。

 

「心で思うだけでももちろんいいのですが、仕事帰りにぼた餅を買ってきて、ご先祖様にお供えして思いを馳せてみる。そのようにお彼岸を意識すると良いかと思います。それだけでも、『お墓参りに行けず申し訳ない』といった後ろめたい気持ちが和らいだりするものです。
実は、私も忙しいときにはそうしているんです。やはりお彼岸の時期にはぼた餅を食べたい……という理由もありますけれど(笑)、実際にやってみることで、気持ちがすっきりと整う感じがします。ちなみに、お供えものは必ず下げて自分たちでおいしくいただきましょう。それも大切なことです」

 

 

肝心なのは形やルールではなく、ご先祖様を思い、感謝する心を持つこと。お彼岸という古来からの習わしが、忙しく過ぎていく日常の節目となり、子孫である私たちの人生や暮らしをより豊かにするきっかけとなったなら……。これ以上の“先祖供養”はないのかもしれません。

 

Profile


和文化研究家 / 三浦康子
古を紐解きながら今の暮らしを楽しむ方法をテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ウェブ、講演などで提案しており、「行事育」提唱者としても注目されている。連載、レギュラー多数。All About「暮らしの歳時記」、私の根っこプロジェクト「暮らし歳時記」などを立ち上げ、大学で教鞭もとる。著書『子どもに伝えたい 春夏秋冬 和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)、監修書『季節を愉しむ366日』(朝日新聞出版)ほか多数。
HP

雛人形をおしゃれに飾るには?インテリアのプロが教える部屋になじむ選び方と飾り方

桃の節句に、子どもの健康と幸せを願って飾る雛(ひな)人形。近年は洗練されたデザインが数多く登場し、季節のインテリアとして大人の女性が自宅に飾る機会も増えているといいます。

 

雛人形を現代のインテリアに合わせて飾るコツや、大人の女性があらためて手に入れたいインテリア性の高い雛人形について、インテリアコンサルタントの内藤怜さんに教えていただきました。

雛人形は、金屏風を背景にした男雛女雛を頂点とし人形や道具を並べた7段飾りが伝統的な形。美しく豪華ですが、現代の住宅事情では飾るのが難しくなっています。

 

雛人形を飾る意味とは?
大人の女性も飾っていい?

桃の節句・雛祭り(ひなまつり)とは、五節句のうちのひとつ「上巳(じょうし)の節句」のこと。そこに平安貴族の間で親しまれていた「ひいな遊び」が合わさって、雛人形の風習が生まれました。乳幼児の死亡率が高かった昔、穢れ(けがれ)を移す身代わりとして川へ流す「流し雛」として存在したのち、人形が豪華になるにつれ流すものから飾るものへと変化。形は変わっても、子どもが健康に育ち幸せになってほしいと願う気持ちが込められていることに変わりはありません。

 

インテリアコンサルタントの仕事を始めて以来、“大人の女性が雛人形を素敵に飾る方法”を伝えてきたという内藤さんは、大人の女性が雛人形を飾る意味について、次のように話します。

 

「インテリアと人の心は深くリンクしていると、私は考えています。雛人形は子どもの頃に親から贈られた大切なもので、子どもの幸せの象徴です。大人になってから雛人形を飾るということは、季節の移ろいを感じるだけでなく、子どもの頃に一身に受けた“幸せを願う気持ち”を思い出す時間にもなるのです。

また、家族が増えて日々の家事に追われたり、年齢を重ねて体の変化に悩んだりと、大人になって環境が変わるほど、充実した時間を持ちにくくなっている人は少なくないのではないでしょうか? そういった方にとっても、幸せな気持ちを思い起こさせてくれる雛飾りは、“心の栄養”になってくれることでしょう」(インテリアコンサルタント・内藤怜さん、以下同)

インテリアに合わせて
雛人形を飾る3つのコツ

雛人形を現代のインテリアに合わせて魅力的に飾るコツとは?

 

「現代の私たちが暮らす家のほとんどは“洋”の空間ですよね。そこに昔ながらのお雛様をそのまま飾ると、“和”の雰囲気が強くなりすぎて違和感が出てしまいます。どんなに素敵なお雛様でも、あまりにもインテリアから浮いて見えると残念です。

雛人形と周辺家具や雑貨類とに、素材、色、形などの“つながり”を持たせて統一感を出すとインテリアになじみ、子どもの頃に飾っていた何十年も前の雛人形でも、とても素敵に見えます。自宅のインテリアに合わせて、おしゃれに飾るコツを具体的にお伝えしますね」

1.背景を意識して飾る

「実際に私も、娘のために丸顔のかわいらしい雛人形を購入したのですが、毎年同じ飾り方をしているのが少しもったいなく感じていました。そこで当時はナチュラルアンティークなインテリアが好きだったこともあり、IKEAのドールハウスにリバティの布を貼ってお雛様を飾ってみたんです。写真でお分かりいただけるように、屏風を背景にしているときとはずいぶん印象が違いますよね。現代的なインテリアとも調和して、かわいい空間に仕上がりました。

この飾り方のポイントは、お雛様の着物に入っているカラーを背景にも取り入れて“つながり”を持たせたこと。カラーに統一感があるだけでまとまりが生まれ、空間が引き締まります。私は、雛人形のお着物に入っているカラーをひとつずつ選んで、毎年背景を変えて楽しんでいます」

 

・親王飾りは飾る場所がポイント

「大人になってからお雛様とお内裏様だけの『親王飾り』として飾る人も多いと思います。このときの注意点は飾る場所を意識すること。やはり背景が大事になってきます。伝統的な雰囲気を残す雛人形の背景が窓のサッシや、ごく一般的な壁では違和感が生まれます。そのような場所では、背景にきちんと屏風を立てて飾ってみてください。

もともと雛人形の飾りとしてセットになっていた屏風でもいいですし、屏風のみ買い換えるのもひとつの手です。ほかにも、インテリアに合うように、布や折り紙などを使って屏風を手作りするのもおすすめです。このときも、雛人形のお着物の色味と屏風の色を統一すると、グッと洗練された雰囲気になります」

 

2.素材にこだわった雛人形を飾る

「最近は、陶器や木製、ガラス製のおしゃれな雛人形もあり、大人になってからあらためて購入する方もいます。いずれの素材も、お皿やマグカップなど、自分の日常生活の中に当たり前にある素材ばかり。身近にある素材で作られた雛人形なら、自宅のインテリアとも調和しやすいですね。

素材感のある雛人形は、人形、というより最初からインテリア性が高いものが多いと思います。インテリアを意識して飾ることが最初から意図されてデザインされているので、玄関先や自分のお部屋の棚、出窓のスペースにちょっと飾っておくだけでも、素敵に見えます。ひとり暮らしのお部屋でも、取り入れやすいのではないでしょうか」

 

3.ほかの伝統工芸品と組み合わせて飾る

「素材感がある雛人形をもうちょっと素敵に飾るコツをお伝えします。私のお客様で、有田焼のお雛様をお気に入りの陶器のお皿と一緒にディスプレイされていた方がいます。人形では感じられない、陶器ならではのほっこり感・温もり・あたたかさ・なめらかさが感じられるのが何よりの魅力です。お雛様の着物の色と陶器の絵柄の色味が合っているのでまとまりもあり、心地よい空間に仕上がっています。

このように、伝統工芸品と組み合わせたり、ガラス製のお雛様であれば、ガラス瓶を横に置いて桃の花を1本飾ったりするだけでも、素敵な印象になります」

 

洋食器やガラスとの組み合わせは新鮮ですが、もちろん和のテイストと合わせてもOK。

 

「私は以前、いただいたお手玉を雛人形といっしょに飾ったことがありましたが、柄のテイストも似ているので違和感なく溶け込みました。このように、和のテイストを取り入れるのも素敵です。自宅にあるお気に入りのものと雛人形とをセットで飾ってみてはいかがでしょう」

 

節句のお祝いに作りたい、和ごはん研究家が教える「ちらし寿司」の正統派レシピ

 

インテリアのプロがおすすめする
雛人形 6選

インテリア性を重視したい大人の女性が雛人形を購入するなら、どのような雛人形がおすすめでしょうか?

 

「母として子どものために購入する場合と、大人になってから自分のために購入する場合とでは、お雛様選びの視点も変わってくると思います。

お子さんのために購入する場合は、現代的なインテリアと調和するデザインや色彩を意識した雛人形も増えているので、その中から素敵なものを選んでみてはいかがでしょうか。落ち着いた印象の雛飾りは、今のお住まいのインテリアにしっくりくるだけでなく、それこそ大人になっても飾れます」

 

雛人形の顔立ちにも変化があるといいます。

 

「昔はお顔が面長で知的な印象の雛人形が多かったと思いますが、最近は丸顔で柔らかい顔立ちのお雛様がたくさんあります。かわいらしい雰囲気なので、お子さんにも人気です。現代のインテリアにも合わせやすい佇まいがあると思います」

 

5,000円台から30万円台まで。子どものために選ぶ雛人形

・伝統美を受け継いだ、コンパクトで飾りやすい雛人形

五色「吉野雛」親王飾り
32万円(税込)

「ふっくらしたお顔がやさしくかわいらしい、原考洲が完成させた木目込みの美しいひな人形です。創業は明治44年。伝統的な雛人形の美意識を引き継ぎながら、現代のインテリアに合うよう自由にひな飾りのセットが選べる『HINAシリーズ』が人気です。

私のおすすめは『吉野雛』。こちらの雛人形はフォルムそのものがかわいく、存在感があります。基本的にひな人形は単体で飾るとこじんまりしてしまうものが多いので、屏風も含めて集合体で見せた方がしっくりくるですが、こちらの雛人形は、屏風がなくても素敵に見える点もおすすめです。屏風なしで飾る場合は、背景をスッキリと、余白を意識して飾ってみてください」

 

・現代インテリアと調和する木目調の屏風やお飾り

工房ひな雛「新春雛 栓木目飾り」
13万5399円(税込)

「木目が美しい栓の木製の屏風が飾られた、まさに現代的な雰囲気のお雛様です。ひな雛のコンセプトは『女の子から女性へと成長する日々を照らすお雛様』。お子さんはもちろんですが、大人の女性にとっても長く愛せる素敵な佇まいの雛人形です。洗練されたモダンな印象があるお雛様なので、現代のインテリアとも調和します。

とくに、ナチュラルなインテリアのご自宅にぴったり。雛人形を楽しみつつ、空間に馴染ませたいとお考えの方は、このような木の佇まいの雛人形がおすすめです」

 

・好きな柄の着物に着せ替えできる、我が家だけの雛人形

中川政七商店「季節のしつらい便 桃の節句(手作り雛人形)」
5170円(税込)

「日本の伝統行事を親子で気軽に楽しめるキットとして販売されている『桃の節句セット』です。好きな柄の着物に着せ替えたり、お雛様のお顔も自分で描くことができるなど、親子で手作りしながら桃の節句を楽しめるキットになっています。

こちらの雛人形のおすすめポイントは、生地やデザインなどがセレクトされているので、どんな作品になってもかならず空間になじむ、という点です。また手作りのよさが味となるのも何より魅力。『つくる』『しつらう』『つながる』という体験を通じて、季節を感じることができる素敵なキットです」

 

1〜2万円で手に入る、自分のために選ぶ雛人形

・まるでアート! 飾るだけで洗練された空間に

硝子屋PRATO PINO「雛人形 杉台 S・M・Lサイズ」
Sサイズ=1万1000円・Mサイズ=1万4300円・Lサイズ=1万7600円(すべて税込)

「ひとつひとつ手作りで作られているガラス素材のお雛様です。デザインのシンプルさも去ることながら、杉台の上に飾ることで趣を感じられる逸品。豪華なお飾りなどはありませんが、ひと目見てお雛様だとわかりますし、まるでアートのような、とても目を惹くデザインが素敵ですよね。

空間にガラスならではの透明感と高級感を生み出すので、雛人形を飾りたいけれど、さりげなく季節や女性の祝い事を感じたい方におすすめです。サイズもS・M・Lサイズまで3つ展開されており、ご自宅の状況によってちょうどいいサイズ感を選ぶことができるのもポイントです」

 

・落ち着いた雰囲気がやさしい時間を演出

北の小さな工房YS「木製雛人形」
2万3200円(税込)

「木で作ることにこだわって製作された雛人形です。着色されていないため、自然で落ち着いた色味が素敵です。上品な佇まいも、大人の雛飾りにぴったりと言えます。両手に乗る小ぶりサイズですが、なんとも言えない存在感がありますよね。また、丸い木のフォルムと木の温もりでほっこりやさしい気持ちになれます。飽きのこないデザインで、どのような場所でも飾りやすい点にも魅力を感じます」

 

・愛おしいお顔立ちの陶器の雛人形

薬師窯「錦彩典雅親王雛」
1万3200円(税込)

「千年以上の歴史があるやきものの街、愛知県瀬戸市の陶磁器工芸メーカー・中外陶園の商品ブランド『薬師窯』のお雛様です。余計な装飾がそぎ落とされ、お人形のふっくらと愛らしいお顔立ちと、存在感が引き立っていますよね。シンプルな空間にもなじみやすいお雛様です。また、お着物の色味にも春を感じます。リビングの一角、和室はもちろん、すっきりとした場所に飾ることで、よりお人形の美しさを楽しむことができます」

雛人形は、かつては子どものためのものであり、女性が成人して自立を果たすと、その役目を終えていました。しかし、近年は洗練されたおしゃれなデザインの雛人形が豊富に揃い、大人の女性も飾りやすくなっています。

 

「毎年の桃の節句に雛人形を飾ることが、女性としてのやさしさや幸せを振り返る時間になれば素敵だと思います」と語る内藤さん。お雛様をインテリアに上手に取り入れて、長くお付き合いを続けていけるといいですね。

 

Profile

インテリアコンサルタント / 内藤 怜

25歳よりインテリアコーディネーターとして10年間活動。結婚式場やホテルをはじめとした施設、カフェ、レストラン、サロンといった店舗のインテリアコーディネートを手がける。その後、インテリアコンサルタントとして独立。「ドアを開けた瞬間にキュンとする景色のあるお家づくり」をコンセプトに、500件以上の家のお部屋づくりをサポート。家庭を守り、家庭を支える女性たちが心から癒やされ、好きと感じるインテリアづくりための提案を行っている。近著に『ソファは部屋の真ん中に―買わない・捨てないで部屋は心地よくなる』(自由国民社)がある。
HP

 

銭湯大使が教える初心者が銭湯を楽しむ奥義と全国のこだわり3銭湯

冷えた体を温めるには、バスタイムにお湯に浸かるのが効果的。現代では自宅での入浴が当たり前になりましたが、かつて一般家庭にお風呂がさほど普及していなかった時代、銭湯は地域の公衆浴場として、なくてはならないものでした。家庭におけるお風呂の普及率が高まったことで、現在銭湯の数は減少しているものの、ここ数年のレトロブームやサウナブームも相まって、これまで銭湯を利用していなかった若い世代からの支持や関心は高まっています。

 

日本銭湯文化協会の銭湯大使として活動する「銭湯OLやすこさん」こと奥野靖子さんに、銭湯の魅力と楽しみ方を教えていただきました。

 

銭湯の大きな浴槽は
緊張をほぐし、リラックスできる場所

家庭に浴槽があることが当たり前となった今、銭湯を利用するメリットはどういったところにあるのでしょうか?

 

「やはりリラックスできることだと思います。私が銭湯に通うようになったきっかけは、仕事がとても忙しかった若手時代のこと。会社と家との往復で自分の時間が取れなかった際に、会社帰りにふと思い立って行ってみたのが銭湯でした。それまでは仕事でミスをすると家に帰って考え続けてしまい、オンオフの切り替えができなかったんです。それが、銭湯に行ったことで『明日も頑張ろう』と気持ちの切り替えができるようになりました」(奥野靖子さん、以下同)

 

銭湯に通うことで心の変化を感じたという奥野さん。またメンタル面だけでなく、肩こりや首のこわばりが楽になるなど、身体面でのリラックス効果も期待できるのだといいます。

 

「大きい浴槽は深さがある分、体に水圧がかかり血行が促進されるそうです。家庭用の浴槽でもある程度は気持ち良いのですが、浴槽が大きく深くなれば、その効果も高まります。また、浮力による効果もあります。例えば水中だと、うさぎ跳びのポーズをしてもしんどいと感じないですよね。浮力のおかげで体が軽くなるから。筋肉の緊張がほぐれることでリラックス効果が期待できるそうです。その浮力と水圧の効果が高まるのは、大きいお風呂ならではの魅力です」

 

若い世代や企業の力が加わり
時代とともに銭湯が変化

かつて利用者の年齢層は比較的高かった銭湯ですが、今は20〜30代の若い世代の利用が増えているといいます。客層が変化した背景には、どんな理由があるのでしょうか?

 

「施設がリニューアルすれば必然的に新しい顧客が増えることはあります。ですが、リニューアルしていない銭湯でも足を運ぶ若い世代は増えています。そうした銭湯は、貼り紙にこだわってみたりイベントを行ったりと、できることから工夫して『若い人も歓迎するよ』という意思表示をされているんです」

 

各銭湯だけでなく、業界全体で利用者が増えるよう組合でもさまざまな取り組みを行なっています。

 

「東京都浴場組合の例で言えば、都内の銭湯を巡るスタンプラリーを期限を設けずに行っています。区によっては期間限定の景品がもらえるなど、1度だけでなく、また次も来てみようと思えるような工夫がされていますね。ほかにも“ゆっポくん”という全国の浴場組合公認キャラクターの効果も。かわいいキャラクターがいることで、小さいお子さんからも注目される機会も増えました」

全国浴場組合のマスコットキャラクター「ゆっポくん」。

 

グッズで企業とのコラボやタイアップも増えたとか。

 

「例えば常連さんからTシャツやステッカーを作ろうという話があるなど、店主だけでなく周りの人たちと一緒にグッズを作る取り組みは多いですね。ほかにも銭湯映画とのコラボや、化粧品会社からのシャンプーのタイアップなど、高頻度で企業とのコラボの話を耳にします。また、店主のお子さんやご家族がSNSを担当されるなど、SNSで情報を発信する銭湯が増えたのも、ここ数年で変化した点だと思っています」

 

銭湯デビューのために
押さえておきたいポイントとマナー

銭湯は常連さんばかりで初めてでは入りにくい……そう感じる人もいるでしょう。そこで、初心者が銭湯ライフを楽しむためのポイントとマナーを奥野さんに伺いました。

 

銭湯を楽しむポイント

・まずは「挨拶」。会釈だけでもOK
「銭湯は間違いなく、挨拶をした方が良い場所です。大きな声での挨拶が緊張する場合は、会釈だけでも大丈夫。挨拶することで、『慣れていない子が来たから何かあったら教えてあげよう』と思ってくれる常連さんも多いんです。そのためにもまずは挨拶することが大切です」

 

・わからないことは遠慮なく聞く
「例えば、桶が置いてある場所や勝手がわからないことってありますよね。そんなときは『すみません、桶はどこにありますか?』って聞いてみる。聞かれて嫌だと思うよりも、むしろ教えてあげたいという気持ちの常連さんが多いので、わからないことは実は“聞いた者勝ち”です。周りにどんどん聞いてみてください」

 

・基本は手ぶらでOK
「必要なものはレンタルや販売品などで用意されているので、基本は手ぶらで行けるところがほとんどです。また、髪を洗わなくても、大きな湯船に浸かってリラックスするだけでも十分です」

 

・近所の銭湯から行ってみる
「どこの銭湯に行けばいいか迷った場合は、まずは近所の銭湯に行ってみることをおすすめします。馴染みのある地域であれば、常連さんと話すときも、ご近所の話などができて会話が弾みますよね。仲良くなったらおやつを交換したり、お風呂上がりに飲みに行ったり、なんてことも。年齢問わず繋がりができるので、ぜひ近所から行ってみてほしいです。自分の住んでいる地域に居場所ができるうれしさもありますよ」

 

銭湯を利用する際のマナー

・お風呂上がりは体を拭く
「それぞれの銭湯や地域によって、細かいマナーは異なると思いますが、お風呂上がりの濡れた体を脱衣場に入る前に拭くことは共通で抑えておきたいところ。濡れた体で脱衣場を歩いてしまうと、ほかのお客様に迷惑をかけることになるので、浴槽から上がったらその場でざっと体を拭く、ということだけ覚えておいていただけたらと思います」

 

・泡や湯が周りの人にかからないように
「ほかのお客様に、自身のシャワーや石鹸の泡などが飛んでしまわないように気にかけていただけたらと思います。ただ、気を付けすぎていても疲れてしまうと思うので、万が一かかってしまったときは『すみません』と言えることが大事です。ちょっとした周りへの気遣いも銭湯の醍醐味として、楽しむ気持ちでいていただければよいですね」

 

また、浴槽に入る前に洗い場で体を洗うか、掛け湯だけはすると、周囲の利用者も気分よく使えそうです。

 

銭湯がもっと好きになる!
一歩進んだ楽しみ方とは

銭湯に慣れてきたら、もっと踏み込んだ楽しみ方を見つけてみましょう。奥野さん流の銭湯を全力で楽しむためのアドバイスをうかがいました。

 

・交互浴で「ととのう」を体感する

「私は温かいお風呂と冷たいお風呂に交互に入る『交互浴』が好きなんです。体をじんわりと温めた後に冷たい水風呂に入ると、まるで自分の体がレタスのようにシャキッとする感じがします。この温度差によって生まれる心地よさは、家庭のお風呂では味わえないはず。先に述べたように、大きなお風呂に入るだけでももちろんメリットはありますが、温冷交互浴をセットで行うことで、何にも代えがたいリセット感が生まれますね」

 

・銭湯セットを数パターン用意する

「銭湯が好きになるとこだわりの銭湯道具も決まってくると思います。私は持っていく道具を何パターンか用意しているんです。試供品のシャンプーとリンス、薄めのタオルだけの超軽量セットもあれば、ヘアパックやシャンプーのボトルごと持っていくゴージャスなセットも。美顔ローラーを持っていかれる方もいます。時間がないときは軽量セットにし、しっかりとリラックスしたい日はゴージャスなフルセットで行くなど、いくつかのパターンで用意しておくと、銭湯を無理なく日常の一環として取り入れられるのではないでしょうか」

 

・グッズにこだわってみる

「銭湯グッズを軽量化するのであれば、手ぬぐいが軽くておすすめです。とはいえ髪や肌にやさしいのはやはりタオル。最近のお気に入りは三重県津市にある老舗タオルブランド『おぼろタオル』さんの商品。いくつか種類がありますが、中でも私が好きなのは『専身タオル』です。石鹸の泡立ちがよく、肌触りが心地よいのに、軽い! こうしたアイテムを探していくのも楽しみの一つです」

デリケートなお肌をやさしく洗い上げる。おぼろタオル「専身タオル」各1100円(税込)。

 

・銭湯で一気に打ち解けられるモテ台詞を言う

「最近、これは間違いないなと思っているモテ台詞がありまして。お風呂に入ったときに『あっつい!』などの感想を声に出してみると、近くにいる人と一気に打ち解けられるんです。『水で薄めようか』といってくださる方や、『熱いよね』と共感してくださる方、『こっちの方がぬるいよ』と教えてくださる方など反応はさまざまですが、この一言だけで話が広がります。そのあとは、『いつもこんなに熱いんですか?』と聞くと、常連さんは毎日のように入っているので張り切って教えてくれるはず。打ち解けやすい一言です」

 

・銭湯のチャームポイントを見つけてみる

「私は銭湯の内装やちょっとしたあしらいなど、アートな一面を観るのも好きなんです。有名なペンキ絵だけでなく、例えば小さな豆タイルでも、1枚だけ取り替えた部分がアクセントになっていてかわいいとか。『ここの銭湯のチャームポイントはなんだろう』と考えながら入るのが楽しみになっています」

 

銭湯大使がおすすめする
こだわり満載の銭湯 3選

最後に、奥野さんが愛してやまない銭湯の“名所”を、絞りに絞って3カ所、教えていただきました。

 

[東京]帝国湯 〜どこか懐かしい宮造りの銭湯〜

故早川利光絵師による富士山のペンキ絵が見事。そのほかのタイル絵にも注目を。

 

「“レトロ銭湯のドン”ともいえる銭湯神社仏閣のような建物の素晴らしさはもちろん、縁側から見える庭がとても素敵なんです。池では鯉が泳ぎ、四季折々の花が咲き、どの季節に行っても花やモミジが色づいています。熱めの湯でしっかり温まり、縁側でじっくりとクールダウンを。天井も高く広々とした洗い場はそれだけでも開放感がありますが、窓が開いている季節は風が抜けて心地良いですよ」

縁側は古き良き時代にタイムスリップしたような雰囲気。

 

帝国湯
所在地=東京都荒川区東日暮里3-22-3
TEL=03-3891-4637
入浴料=520円

HP

 

[神奈川]いやさか湯 〜露天風呂からの湯上がりメシが最高〜

洗練されたデザインで、神殿を訪仏とさせる女湯の露天風呂。

 

「浴室が広く、開放感があります。露天風呂もあり、男湯は岩風呂で女湯は洋風……私は『ローマ神殿風』と呼んでいます。湯だけじゃなく空にも癒されますし、サウナも人気です。また、おいしいごはんが食べられるのも魅力の一つ。2階の食堂では食事も可能です。おすすめは本格的な『深大寺そば』と、パウダースノーでできたかき氷。サウナ好きに人気の、オロナミンCとポカリスエットを割った『オロポ』のかき氷もあり、ふわふわの食感が楽しめます」

名物の「深大寺そば」は普通盛り600円。つるつるしこしこの喉越しが、風呂上がりに最適。

 

いやさか湯
所在地=神奈川県横浜市鶴見区馬場1-7-23
TEL=045-583-5161
入浴料=500円

HP

 

[北海道]まさご湯 〜旅先として行きたくなる銭湯〜

主浴槽のほか、バイブラジェットバス、薬湯の3つの湯が楽しめる。

 

「銭湯だけでなく、ラーメン店、さらにはゲストハウスという『食べて、泊まれる銭湯』です。所在地である浦河町は、太平洋と日高山脈に囲まれた自然豊かな町。サラブレッドの産地でもあります。代表の方は町内の自然ガイドツアーもされているので、長期滞在をしながら自然を楽しむ人も多いようです。
銭湯は多くの人の近所にある日常空間。だからこそ、知らない町の銭湯に行くことで、その町の日常にぐっと近づくことができるんです。札幌からバスで約3時間45分と移動時間はかかりますが、わざわざ目的地にしていきたい銭湯の一つです」

2階はゲストハウスに。地域の廃材をリユースした空間が心地良い。

 

まさご湯
所在地=北海道浦河郡浦河町堺町東1-11-1
TEL=0146-22-2645
入浴料=440円

HP

 

 

レトロな外観の銭湯にごはんが充実している銭湯など、どこも個性豊か。お気に入りの銭湯をぜひ探しに出かけてみませんか。

 

Profile

東京都浴場組合 銭湯大使 / 銭湯OLやすこ(奥野靖子)

東京都浴場組合および札幌浴場組合公認ライター。北海道出身で、東京都在住の会社員。「銭湯はもう一つの我が家」とし、銭湯での人とのかかわりを楽しみながら、日本各地の銭湯を巡っている。女性会社員視点でのブログ「銭湯OL日誌」を2013年に開設。以降、TV・雑誌・ラジオ・Webメディア等で銭湯の魅力を紹介している。
Instagram
X(Twitter)

 

「陰陽師」って何者? 意外と知らない本当の仕事と安倍晴明の実像

映画や小説、漫画などに数多く登場し、現代でもその名が知られる「陰陽師(おんみょうじ)」。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)が登場すると発表され、再び陰陽師へ注目が集まっています。

 

そんななか、国立歴史民俗博物館では、企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」が開催。陰陽師の実態に迫るこの企画展示の開催を機に、陰陽師の考え方や生き方、陰陽師が時代を超えて親しまれている理由、そしてこの展示会の見どころなどを、国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一教授に伺いました。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館。

 

最新の研究成果をもとに陰陽師の実態に迫る企画展示

2023年12月10日まで国立歴史民俗博物館で開催されている「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」は、陰陽師の歴史をたどりながら、そこから育まれた文化に迫る企画展示。これから学会で発表されるような最新の研究資料も展示されており、陰陽道や陰陽師、そして陰陽師がつくり続けてきた「暦」に関する文化を知る、貴重な内容となっています。

展示室内部。

 

本展示は、共同研究の成果の一部を一般向けに広く発信するというもの。「展示に向けての調査研究には、5年以上もの月日を費やした」と話すのは、本展示プロジェクトの代表を務める国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一さんです。

 

「本企画展示は、確かな史資料のもと、さまざまな側面から陰陽師のリアルな姿を探る内容です。映画や小説、漫画などを通して、陰陽師の存在を知っている人は多いと思いますが、本物の陰陽師がどういう存在だったのかはあまり知られていません。ですので、展示を通して実際の陰陽師の姿を感じ取ってもらえたらと思います」(国立歴史民俗博物館 研究部・小池淳一教授、以下同)

お話を伺った国立歴史民俗博物館・研究部の小池淳一教授。

 

平安京で活躍する陰陽師の姿

本展示は3部構成。第1部の「陰陽師のあしあと」では、古代から近世にいたるまでの陰陽道と陰陽師の歴史を紐解いていきます。

 

そもそも陰陽道とは、古代中国から伝わった陰陽五行説や道教などの知識をもとに生まれたもの。8世紀には、日本の律令国家成立とともに「陰陽寮」という役所が設置され、そこに所属する占い師として「陰陽師」が誕生しました。陰陽師は、天文や暦に関する書物や道具を研究。その知識は、方位や時間の吉凶に関する占いやまじないだけでなく、祈祷や暦づくりなど、さまざまな場面で活用されるようになっていきます。

 

安倍晴明が活躍した平安時代には、陰陽師は貴族社会にとってなくてはならない存在に。本企画展示では、その様子がわかる資料が多く展示されています。

「御堂関白記」(複製) 寛弘四年〔原品の年代〕 国立歴史民俗博物館所蔵(原品:公益財団法人陽明文庫所蔵)。

 

「この資料は、『御堂関白記』という藤原道長が記した日記帳です。上部に日付が書かれていて、2行ほど空いたスペースがあるのがわかると思いますが、道長はこの空いている部分に日記を書いています。平安貴族が使うこうした暦をつくることは、陰陽師の仕事のひとつでした。

 

赤字も陰陽師が書いたもので、暦注と呼ばれるものです。時間と方角を占った結果を記載して、『この日はこの方角に気を付けてくださいね』といったような内容を伝えています。平安貴族がどのように暦と付き合っていたのかよくわかる資料ですが、よく考えてみると、私たちもカレンダーや日記帳に予定やその日あったことを書き込んでいますよね。今と変わらない文化がこの時代からあったということも、この資料からわかると思います」

 

お坊さんの姿をした陰陽師も。
日本各所で活躍する、中世以降の陰陽師

メディアのイメージから、陰陽師は平安時代に活躍した存在であると認識している人も多いかもしれません。しかし実際は、陰陽師の活躍の場が広がったのは中世以降なのだといいます。

 

「武士の世の中になると、貴族だけでなく幕府をつくった武士たちも政治を行うなかで陰陽道を取り入れるようになっていきます。それは、平安京にしか仕事がなかった陰陽師にとってはありがたいことでした。戦国時代になると、日本各地で活躍する陰陽師の姿が見られるようになります」

 

全国に広がりを見せる陰陽師のなかには、官人でも民間でもない新しい陰陽師の姿も見受けられます。それが、九州で活躍した宇佐の陰陽師です。

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期、大楠神社蔵。

 

「大分県に宇佐神宮(八幡宇佐宮)という神社がありますが、その地域でも古くから陰陽師がいたということが研究のなかでわかってきました。宇佐の陰陽師の興味深い点は、お坊さんの姿をしているところです。陰陽師がなぜ僧の姿をしているのか、それは大きな問いかけであり今後もさらに研究を進めるべき分野でもあります」

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期 大楠神社蔵。一部抜粋。大楠の下に座る僧形の人物が陰陽師だ。

 

宇佐の陰陽師は、宇佐宮とその周辺地域における神事や仏事に参加し、占いやお祓いなどを行っていました。このような、地域社会に根ざして活動を行う陰陽師が他の地域にも存在していたという事実も確認されています。平安京で活躍していた陰陽師とは異なる陰陽師の姿を知ることで、”陰陽師のリアル”に近づくことができるはずです。

 

装束にまじない書……
陰陽師が使用した仕事道具とは

時代によってその役割が変容していく陰陽師ですが、その中には「占い」「祭祀」「まじない」「暦日と方位(時間と空間の吉凶を予測すること)」といった、共通する仕事内容がありました。展示では、こうした陰陽師の仕事で使用された道具や書物なども数多く展示されています。

「烏帽子」「装束(袴・帯等)」 江戸時代ヵ 国立歴史民俗博物館所蔵。年代は不確定だが近世から、奈良の暦師・陰陽師であった吉川家に伝えられてきた装束や烏帽子も展示されている。

 

実際に、陰陽師がまじない書を参考にして、まじないを行っていたことを示す資料も残されています。

 

「こちらは、栃木県で出土した呪符が描かれた土器(かわらけ)です。陰陽師がまじないのために土器に呪符を描いて土に埋めたものなのですが、その文様や円の形が愛知県の陰陽師に伝えられてきたまじないの書物の内容と同じではないか、ということがわかってきました。同様事例が各地の遺跡からも発掘されていることから、こうしたまじないが日本各地で広がりを見せ、実際に行われていたという痕跡をたどることができるのです」

「呪符かわらけ」16世紀頃 栃木県立博物館所蔵。

 

「盤法まじない書」(行法救呪) 大永5年写 豊根村教育委員会所蔵。栃木県で出土した「呪符かわらけ」と同様の文様が書かれていることがわかる。

 

シニア世代のヒーロー⁉
日本一有名な陰陽師・安倍晴明

平安時代を生きた実在の陰陽師・安倍晴明。その知名度は高く、日本で一番有名な陰陽師といっても過言ではありません。安倍晴明は、日本で陰陽道を継承し続けてきた安倍氏の事実上の始祖とされている人物です。式神を連れて悪霊を退治するといったミステリアスなイメージを持つ安倍晴明ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか?

「安倍晴明公御神像」室町時代中期 晴明神社所蔵(京都国立博物館寄託)※11月7日(火)~12月10日(日)はパネル展示。

 

「実は、安倍晴明が活躍したのは歳をとってからなのです。小説や漫画では若くてかっこいい安倍晴明像が描かれていますが、あれはフィクション。実際の晴明は、歳をとってもしっかり仕事をしていた、シニア世代のヒーローだったのです」

 

歳をとってからもなお、藤原道長などの権力者に重用されていた晴明。実際に当時の日記の中には「安倍晴明が遅れてやってきた」といったような内容も残っています。そうした活躍が後年子孫によって語り継がれ、日本一有名な陰陽師として名を馳せるようになっていきます。

「泣不動縁起絵巻(不動利益縁起)」 室町時代 重要文化財 清浄華院所蔵(京都国立博物館寄託)黒い装束を身にまとい、祈祷を行っている人物が安倍晴明。背後に控える式神や、病をもたらしたであろう外道たちなど、実際には目に見えないはずの存在も描かれている。※11月7日(火)~11月12日(日)はパネル展示、11月14日(火)~12月10日(日)は同名の別所属資料を展示。

 

本企画展示では、そうした史実に基づいた実際の晴明像はもちろん、フィクションの中の晴明についても深く掘り下げています。

 

「中世以降、『安倍晴明は狐の母親から生まれた』という伝説が語り継がれていきます。室町時代の禅宗の僧が残した『臥雲日件録抜尤』という日記には『安倍晴明は父母がおらず怪しい者であるが、陰陽師としては優れていた』といった旨がつづられており、晴明の伝説上のイメージが広がっていく過程を示す貴重な資料です。そこから時代を経て、晴明の物語はどんどん変転していきます。つまり、現代で描かれるような晴明のイメージが生まれたルーツは、実は室町時代頃からあったということなのです」

 

現代にいたるまでさまざまな描かれ方をしてきた安倍晴明。2024年の紫式部を主人公とする大河ドラマ『光る君へ』にも登場することが発表されています。劇中で晴明がどのような人物として描かれていくのか、そこに注目しながら視聴すると新たな発見があるかもしれません。

会場には、「泣不動縁起絵巻」に登場する式神や外道たちと一緒に写真を撮れるスポットも。

 

2023年は明治の改暦から150年
陰陽師がつくり続けてきた「暦」

2023年は、日本が太陽暦を採用してから150年というアニバーサリーイヤー。最後は、陰陽師がつくり続けてきた「暦」に焦点を当てます。

 

陰陽師は、古来より暦づくりの担い手として活躍していましたが、近世になると、各地でつくられていた暦づくりに幕府が関与するようになっていきます。江戸時代前期には、天才的な天文学者であった渋川春海を中心に、日本独自の新しい暦『貞享暦』がつくられました。渋川春海は、貞享暦を完成させた功績により『天文方』という役職を命じられます。以後、陰陽師と幕府の天文方が協力して暦をつくっていくという体制に代わっていきました。

「天文図・世界図屏風」 元禄15年以前 個人蔵(大阪歴史博物館寄託)渋川春海の見た世界と星図の様子が見て取れる屏風。

 

そこから時は流れ、明治3年。陰陽師たちが所属していた陰陽寮が廃止となります。陰陽師のなかにはその後も暦師として活動する人たちもいましたが、明治6年の太陽暦への改暦を機にその役目も終わりを迎えます。その後、暦づくりは国が管理するようになり、事実上陰陽師は歴史の舞台から姿を消すこととなりました。

 

暦という時間、月や星、季節の移り変わりをとらえて未来を見据えてきた陰陽師たち。式神を用いて悪霊を成敗する、そんな現代の陰陽師のイメージとはまた違う姿を知ることができたのではないでしょうか。

 

「陰陽師の魅力は、未来を予測しようとする尽きることのない営みをしていた、というところにあると思います。暦づくりのために天体観測をするだけでなく、仏教や神道の知識や、キリスト教と一緒に入ってきたヨーロッパの天文の知識を得るためにキリシタンになる陰陽師もいたほどです。渋川春海のような天才が出てきた時も、仕事を奪う存在として敵視せず、一緒にやりましょうと研究をしていた人たちです。未来のため、暦のため、天体観測のためにと努力を重ねてきた存在であり、そこに惹かれるものがあるのだと思います」

 

 

陰陽師という存在は役目を終えたかもしれませんが、彼らが残したものは今もなお私たちの意識の中に根付いているはずです。例えば、良い方角や悪い日など、そうした伝統的な空間や時間の感覚は、陰陽道の考え方があったからこそ。日常的に意識することはあまりないかもしれませんが、カレンダーや日記帳を見る際などには、ぜひ古代から陰陽師たちが続けてきた営みに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

Profile

国立歴史民俗博物館 研究部 教授 / 小池淳一

1963年長野県生まれ。筑波大学大学院博士課程単位取得。博士(文学)。1992年、弘前大学講師。同助教授、愛知県立大学助教授を経て2003年に国立歴史民俗博物館助教授に就任、現在は同教授。専門は民俗学、伝承史。主な研究テーマは、民俗における文字文化の研究、陰陽道の展開過程の研究、地域史における民俗の研究など。著書に『陰陽道の歴史民俗学的研究』(角川学芸出版、2011年)、『季節のなかの神々―歳時民俗考―』(春秋社、2015年)などがある。

 

企画展示「陰陽師とは何者かーうらない、まじない、こよみをつくるー」

会場=国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B
所在地=千葉県佐倉市城内町117
会期:2023年12月10日(日)まで
料金:一般1000円、大学生500円、高校生以下無料
HP

商売繁盛祈願の熊手はどう扱う?酉の市(とりのいち)の由来や初心者が楽しむ方法を和文化研究家が解説

毎年11月に関東を中心に開催される「酉の市」。大きく華やかな熊手を担ぎながら行き交う人たちや、熊手を買ったお客さんの福を願い三本締めをする光景を、ニュースなどで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。江戸時代から受け継がれてきただけに、酉の市には活気があり、神社とその周辺をそぞろ歩くだけでも楽しめます。でも、年によって開催日が異なるため、チェックが必要です。

 

酉の市に初めて行く人が楽しむには? 「酉の市」の魅力や歴史を、和文化研究家の三浦康子さんに教えていただきました。

 

酉の市はいつ、どこで開催される?
2023年開催日と関東三大酉の市

まずは、2023年の開催日と、有名な酉の市を教えていただきました。

 

「古来より日本では日付を十二支で表してきました。酉の市は、基本的には11月の酉の日に開催されます。12日周期で回ってくるため、11月に2回ある年(一の酉、二の酉)と、3回ある年(三の酉)があるほか、神社やお寺によっては12月に執り行われるところもあります」(和文化研究家・三浦康子さん、以下同)

 

2023年の酉の市

一の酉……11月11日(土)
二の酉……11月23日(木)

 

「基本的には、この2日が酉の日になり主な開催日になりますが、各所で日程が異なるため、詳しい日程はあらかじめ調べておくと安心です。

 

また、『関東三大酉の市』として有名なのが、東京都台東区の鷲(おおとり)神社と長國寺、新宿区の花園神社、府中市の大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)になります。土地柄によって雰囲気もまた違うので、そのエリアの良さを味わうことができます」

 

冬至(2023年12月22日)の「ゆず湯」の意味と「かぼちゃ」のおいしい調理法

 

酉の市の由来と歴史

 

酉の市はどこでどのように始まったのでしょうか?

 

「大鷲神社(おおとりじんじゃ)や大鳥神社は各地に多く存在しますが、発祥は東京都足立区にある花畑大鷲神社です。

 

酉の市の由来は諸説あり、神社やお寺によってそれこそまちまちです。一般的な話としては、神道に基づく大鷲神社のお祭りが起源とされています。大鷲神社にて祀られている神様が、日本武尊(やまとたけるのみこと)であり、日本武尊にまつわる日が11月の酉の日になります。日本武尊の命日という説、日本武尊が戦に勝ってお礼のお参りをした日という説など、さまざまな言い伝えがあります。

 

これにより、室町時代から安土・桃山時代の応永年間(1394年〜1428年)より11月の酉の日を“感謝のお祭り”としました。その後、お祭りに人が集まるようになると出店が軒を連ねるようになり、『酉の市』として発展していきました。そこで物の行き交いが行われ、農耕具も売られるようになりました。これが、酉の市を代表する“熊手”の原型となっています」

 

酉の市発祥の地・花畑大鷲神社。

 

「花畑大鷲神社で催されていた酉の市は、江戸時代の中期になると大変賑わいを見せました。その理由のひとつとして、その場では博打(ばくち)が解禁されていたことが挙げられます。しかし、時代の流れとともに博打が禁じられるようになると、酉の市の賑わいも徐々に衰退していきました。

 

さらに、吉原遊廓にほど近く人が集まりやすい立地である、台東区千束にある鷲神社に盛況ぶりが移行していきました。そして、その人気は現在まで続くこととなります」

 

火事が起きやすい「三の酉」とは?

 

三の酉まである年は火事が多い、との言い伝えがあります。

 

「こちらにも諸説ありますが、火事への注意を呼びかける意味合いがたいへん大きいです。というのも、江戸では火事が頻繁に起こり、大衆の多くが恐れていた災害だったのです」

 

・『宵に鳴かぬ鶏が鳴くと火事がでる』という言い伝えが起因となる説
当時、「宵に鳴かぬ鶏が鳴くと火事が出る」という言い伝えがあり、これと重なったという説があります。酉の市は夜中に行われていたこともあり、その賑わいで鶏が夜中に鳴いてしまう。また、大鷲神社の祭りでは鶏を奉納していましたが、その鶏を放すことによって威勢よく鳴く光景なども、この言い伝えと重なりました。

 

・明暦(めいれき)の大火が起因となる説
明暦3年(1657)1月18日に江戸で大火災が起こりました。奇しくも、その前年に、翌年の祈願をする酉の市が三の酉まであったことで噂として広がりました。

 

「いずれにせよ、空気が乾燥し、冬の寒さで火を使うことも増え始めたこの時期に火事が頻発したので、それを恐れた大衆心理があったことに間違いありません」

 

伝統的な「酉の市」が今もなお人気の理由とは?

商売繁盛祈願のイメージの強い酉の市ですが、近年では広く親しまれるようになっています。

 

「実際に酉の市に行ってみると、若い人が増えてきていると感じます。以前であれば街にポスターが貼ってあり、その近隣の方や商売をされている方が来ている印象がありました。しかし、今ではネットやSNS、レジャー関連のメディアの発信によって広く取り上げられるようになり、これまで縁がなかった世代の方も多く訪れるようになりました。熊手を買うだけではなく、屋台もたくさん出ていて、お祭りに行く感覚でデートに来る人も多く見かけます。

 

また、商売繁盛祈願だけではなく恋愛成就や家内安全、学業、健康祈願などさまざまな願い事に対応した熊手もあり、ニーズの裾野を広げています。主催者側も若い人たちの参加を積極的に呼びかけており、若い人向けの縁起物を用意し、熊手の意味や買い方などをわかりやすく説明してくれるなど、ずいぶんとハードルが下がってきた印象です。昔は、一種独特の雰囲気がありましたが、今はみんなが集まれる市へと進化してきており、そこが人気の理由ではないでしょうか」

 

予算は?お返しは必要?お中元・お歳暮の基本的マナーと品物の選び方

 

“熊手”の意味とは?

 

酉の市おなじみの熊手。そもそも、なぜ熊手が選ばれたのでしょうか?

 

「もともとは農耕具を売り買いしているなかに、熊手がありました。いつの頃からか、そこにお札や稲穂がつくようになり、『かっこめ』と呼ばれる熊手守りになりました。『かっこめ』には、運をかき込むといった意味合いがあります。また、大鷲神社の大鷲はワシのことを指すので、「わし掴み」にも由来しています。言うなれば、『運を掴む』ということになります。熊手の縁起の良さを理解することができますね」

 

粋な熊手の買い方から、部屋での飾り方まで

 

熊手の買いかたには粋(いき)な作法があり、そこが酉の市のハイライトであると三浦さんは話します。買い方から、飾り方まで熊手にまつわるお話を伺いました。

 

「酉の市の見どころとして一番にお伝えしたいのが、熊手を買い求める時の粋なやりとりです。売り手、買い手の本人たちだけではなく周りの人も一緒に楽しめるのが特徴です」

・熊手の買い方

「熊手は値切れば値切るほど縁起が良いとされています。熊手には値札がついていません。そのため、お目当ての熊手が見つかったら、まずは値段を聞きます。そこから値引き交渉のスタートです。値引きの掛け合いをし、ほどよい頃合いの値が決まります。例えば、1万円とされていた熊手が、7000円まで値引きされたとしましょう。そこで、面白いのが、客は1万円を出し、『お釣りはご祝儀として取っといて』と言って渡します。慣れた客はこのやりとりを気風(きっぷ)よくやってのけるのです。

 

こうして商談が成立すると手締めをします。店により掛け声や、手を打つ回数に違いがあります。買った熊手を客は体の中心に高く持ち上げ、その周りに店の人が集まり、口上を述べた後で『みなさん、ご一緒に!』と観衆を巻き込んで手締めを行います。その場にいるみんなで行う一体感が何とも魅力的で、手締めに参加するだけでも心が躍ります。これぞ、酉の市でしか味わえない粋な楽しみ方です」

 

・熊手を毎年購入する場合

「熊手は毎年ひと回り大きなものにすると良いと言われています。そのため、毎年買いに来る人も多くいます。2年か3年、同じ店で買って馴染み客になると、あらかじめ店側が名前を入れた木札を用意してくれるといった、うれしい対応もしてくれます」

 

・熊手の持ち帰り方

「帰る時も熊手を高々と持ち上げて帰るのがならわしです。買って出ていく客は、顔より高い位置に熊手をかかげて神社を出ます。この時期になると、電車の中でも熊手をかかげている人を見かけます」

 

・熊手を飾る場所

「神棚があるうちは神棚に置くのがもっとも良いでしょう。神棚がない場合には、玄関に向けて飾ることで、家に福や富をかきこむと言われています。玄関付近の目線よりも高い位置に、熊手が北に向かないようにして飾ってください」

 

・ミニ熊手と熊手守りとは

「熊手を手軽に楽しみたい人には、ミニ熊手や、社務所で授与していただける“熊手守り”がおすすめです。お札が中心のシンプルなデザインで、インテリアとしても馴染みやすいのが特徴です。このように、好みや、願い事にまつわる縁起物のついている熊手を選ぶなど、飾るスペースも考えながら選んでもらえたらと思います」

 

商売をされている方が大きな熊手を買うときは、その場がたいへん盛り上がります。その瞬間に立ち合えるのも酉の市の見どころです。

 

見て回るだけでも発見がある!
酉の市の楽しみ方や盛り上がる時間帯

 

熊手のほかにも、酉の市ならではの楽しみ方があると三浦さんは話します。

 

「よくお祭りで見かける、たこ焼きや綿菓子などの出店もたくさんありますが、酉の市ならではの出店が出るのも面白さの一つ。見かけたらぜひ立ち寄っていただきたいですね」

 

・八頭(やつがしら)

「八頭を昔は頭芋(かしらいも)と呼んでおり、人のトップに立てるようにと願う縁起物とされていました。また、八頭は小芋がたくさんつくので、子孫繁栄の意味合いもありました。残念ながら最近では、八頭を売っている出店を見かけることは少なくなりました」

 

・黄金餅(こがねもち)

「もち米と粟(あわ)で作った黄色い餅で、黄金色の小判に似ていることから金持ちになると縁起を担ぎました。こちらも最近では少なくなってきていますね」

 

・切山椒(きりさんしょう)

「正月の餅菓子として有名な切山椒。酉の市でも名物の一つです。山椒の粉やすり潰して出た汁を練り込んだ餅をのばして細くきったものです。山椒は、葉、花、実、幹すべて捨てることなく利用することができることから、『有益』の象徴として縁起の良い植物です。正月に向けた縁起物としていただく切山椒は格別です」

 

御朱印も人気

そのほかに、こんな楽しみ方も。

 

「酉の市限定の御朱印も人気があります。酉の市限定の文字が追加されていたり、オリジナルの判が押されていたりします。ただ、たいへん人気がありとても混んでいますので、ご希望の方は、早めに行かれたり、事前確認をしてから臨むと良いでしょう」

 

盛り上がりを見せる時間帯

どの時間帯に行くのがおすすめでしょうか?

 

「午後7時から9時頃に人が多く集まり、雰囲気も良いですね。提灯の明かりが灯って風情があり素敵です。神社によっては、お酒を飲めたり、お食事をとれるスペースが設けられています。
威勢の良い掛け声と、手締め。それを同じ空間にいるみんなで行っているのを見ているだけで心浮き立つというか、一緒に福をいただいた気持ちになりますよ」

 

見物する楽しさから、参加する楽しさ、お祭りとしての楽しさ、また日本の粋なやり取りを目の当たりにできるという楽しさは、他のお祭りにはない醍醐味です。ぜひ今年の酉の市に行ってみてはいかがでしょうか。

 

Profile

和文化研究家 / 三浦康子

古を紐解きながら今の暮らしを楽しむ方法をテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、Web、講演などで提案しており、「行事育」提唱者としても注目されている。連載、レギュラー多数。All About「暮らしの歳時記」、私の根っこプロジェクト「暮らし歳時記」などを立ち上げ、大学で教鞭もとる。著書『子どもに伝えたい 春夏秋冬 和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)、監修書『季節を愉しむ366日』(朝日新聞出版)ほか多数。
HP https://wa-bunka.com/

予算は?お返しは必要?お中元・お歳暮の基本的マナーと品物の選び方

6月に入り、百貨店などではお中元の特設会場が賑わいを見せ始めています。若い世代の間では、この習慣が風化しつつあるとはいえ、コロナ禍でしばらく顔を合わせていなかった人とのコミュニケーションのきっかけがほしいなら、この「お中元」「お歳暮」という感謝の贈り物は、ぴったりかもしれません。

 

とはいえ、お中元やお歳暮を贈る際、品物選びや、マナーに不安を感じる方も多いのではないでしょうか? また、いただいたときの感謝の気持ちの伝え方も心得ておきたいもの。お中元・お歳暮の基礎知識について、ギフトコーディネーターの冨田いずみさんに教えていただきました。

 

「お中元」と「お歳暮」に込められた意味

お中元(ちゅうげん)、お歳暮(せいぼ)は、どのように始まったのでしょうか?

 

「お中元の起源は、今からおよそ1800年前、古代中国の三元という道教の風習にまでさかのぼります。三元とは、1月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元の日と定めた総称です。この風習は、古墳時代、仏教伝来の際に日本に伝わりました。 もともと日本古来の御魂(霊)祭り(みたままつり)と、その伝来した仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ−7月15日)とが重なり結びつき、「お中元」が生まれたとされています。 室町時代に公家の間で広まり、江戸時代以降、盆礼として先祖を供養する時期に合わせ、親族やお世話になった方へ贈り物をする習慣へと発展し、庶民の間に広まりました。

 

お歳暮も日本古来の行事である御魂(霊)祭りに由来し、一年を2回に分けて先祖の霊を迎えお供え物をして祀った習わしが発祥とされています。お正月に年神様にお供えする物を年末に家族や親類縁者が本家や実家に持ち寄り集まって、共に無事に年を越し、新しい年を迎えられるよう、やはり商いの栄えた江戸時代から庶民の慣習となりました。

 

明治時代になると、さらに現在のように仕事や取引先、日頃お世話になった方々にも一年の締めくくりとして感謝を込め贈り物をすることが常習化され、百貨店で歳末大売り出しが毎年恒例となる頃には、お中元・お歳暮もすっかり暮らしに定着しました」(ギフトコーディネーター・冨田いずみさん、以下同)

 

なぜお中元・お歳暮を習慣にすべき?

若い世代には馴染みがなくなりつつあると言われていますが、お中元・お歳暮はいずれ消えてしまう習慣なのでしょうか?

 

「若年層が贈り物をしなくなったかというと、そういうわけではなく、むしろプチギフトとして細やかに贈る機会は増えているようです。情報社会の中で暮らす若い人たちのほうが贈り物に対し、高い意識を持っているようにも感じます。たくさんの良い商品を知っている若い方にこそ、お中元・お歳暮と上手に付き合っていただければと思います」

 

お中元・お歳暮の習慣がない人も、始めるきっかけづくりとなることを聞きました。

 

1.細やかに贈るプチギフトを年2回にまとめられる

「会うたびに贈り物を考え、用意するのも楽しいですが、毎回はお互いの負担になるという場合も。年に2回のお中元・お歳暮にまとめれば、予算も確保できるので、相手に贈るアイテムの幅が広がります。年に2回ということで、特別感もアップしそうです。2度でも多いと思うのであれば、お歳暮1回に1年の感謝の気持ちを込めると良いでしょう」

 

2.疎遠になっていた方と連絡をとるきっかけに

「しばらく連絡を取っていないけれど、またお会いしたいと思う方はいませんか? 突然連絡するのも……と抵抗を感じる場合は、お中元・お歳暮を贈ることが、再び交流を始めるきっかけになります」

 

3.お中元・お歳暮を始めるおすすめのタイミング

「結婚して義理のご両親にご挨拶を考える時期は、お中元・お歳暮を取り入れるタイミングとしておすすめです。最近では仕事関係の方に贈るよりも、親族に贈ることが圧倒的に増えてきました。親しい方とのご挨拶として、もっと気軽に取り入れてみてはいかがでしょうか」

 

社会人として知っておきたいお中元・お歳暮のマナー

続いて、お中元・お歳暮の基本的な常識や、控えたほうが良いことなど、心に留めておきたいマナーについて伺いました。

 

1.贈る相手

「贈る相手に決まりはありませんが、一般的にはお世話になった方に贈ることが多いですね。習い事の先生や会社の上司など、近頃とくにお世話になっているなと感じる人に贈るのが良いでしょう。若い世代では、両親や親しい友人、親戚に贈ることが増えています。まずは身近な人から送るのもおすすめです」

 

2.贈り物の予算

「一般的に、お中元・お歳暮は3000円が下限とされています。お世話になっている程度や親密さの度合いにより3000円から1万円の間で選ぶのがポイントです。また、別途送料がかかってくるので賢い選び方をしましょう。ネットストアでは、早割やまとめ買いによる送料割引、送料無しのサービスなどお得な店舗もあります。実店舗では通常の送料になることもあるため、こちらも考慮に入れて予算の計画を立てることをおすすめします」

 

3.贈る時期

「東日本と西日本により贈り物をする時期に違いがあります。この時期の差は、旧暦と新暦の差です。例えば、新暦のお中元が7月15日に対し、それを旧暦に直すと約1ヶ月後にずれ、8月の中旬となります。よって、新暦を使った東日本では、お中元は7月上旬から15日まで、お歳暮は11月下旬から12月20日前後までとなり、旧暦を使った西日本では、お中元は7月中旬から8月15日まで、お歳暮は12月13日から20日前後までとなります。

 

コロナ禍以降は、ネットストアでの購入もより盛んになりました。早割など、特典を設けているネット販売店もあるため、お中元は全体として早まる傾向にあります。お中元の発送を考えるのであれば、6月頃から計画することをおすすめします。

 

昔はお年賀などの吉日の午前中に風呂敷に包んで送り先のご自宅まで持参することもありましたが、最近では滅多に見かけなくなりました。ご実家へお中元・お歳暮を贈る場合は、お盆休みや夏季休暇また年末年始休暇のタイミングに合わせて帰省土産として持っていく方も増えています。新型コロナが5類感染症となり、帰省する機会が今後ますます増える中、感謝を伝える良いタイミングになるのではないでしょうか」

 

4.配送を利用する場合の注意点

「配送で贈る場合には注意が必要です。とくに生鮮食品を送る際には、相手の受け取れる時間帯をあらかじめ確認しておくことをおすすめします。家を不在にすることが多い方には、日持ちする食べ物や、日用品にするほうが適切です」

 

5.熨斗(のし)紙の付け方

お中元・お歳暮として送る場合には熨斗紙を付けるのがフォーマルです。熨斗紙を付けるときは、上中央に表書き『御中元(または御歳暮)』、下中央に名入れ『贈る側のフルネーム』を濃い黒で表記します。夫婦連名で出したい場合は、夫の名前をフルネームで書き、その左側に妻の名前のみを書きます。水引は5本ないし7本の蝶結びを選ぶようにしましょう」

 

6.熨斗(のし)を付けてはいけない場合

「魚介類や精肉を贈る際には熨斗は付けてはいけません。というのも、もともと熨斗の由来はアワビからきており、縁起の良い生モノの代用品であるからです。生モノを贈る場合には、熨斗のない水引のみの掛け紙をしましょう。鰹節や、ハムなどの加工肉にも熨斗は必要ありません。また、喪中の場合でもお中元・お歳暮を贈っても問題はないのですが、贈る側、受け取る側どちらかが喪中の場合は、水引や熨斗の印刷されていない白無地を使用します」

 

7.お中元を贈った場合はお歳暮も贈る必要があるのか

「基本的には、お中元を贈っている方にはその年のお歳暮も贈ることとなります。また、一度始めたお中元・お歳暮は少なくても3回、つまり3年は続けることが、しきたりとしてあります。今回だけの贈り物であれば、熨斗紙の上中央に『御礼』や『ほんの気持ち』『粗品』と表書を変更すると良いでしょう」

 

地域性など独自の習慣があったりするのでしょうか?

 

「贈り物の習慣は時代、地域性によって大きく左右されます。今は核家族が増えて、暮らしのなかで年配の方に地域の風習を聞く機会が少なくなりました。差し支えがないならば、義理のご両親に贈り物の習慣などを素直に聞いてみるのもコミュニケーションとしていいと思います。きっとその土地やご家族ならではの文化を知ることができますよ」

 

相手に喜ばれる贈り物選びのポイント

実際にどのようなものを贈ると喜ばれるのでしょうか?

 

・お中元・お歳暮のトレンド

「贈る品目は、半世紀以上前からほぼ変わっていません。代表的なのが石鹸・洗剤、タオル、調味料、食用オイル、飲料などです。ただ、近ごろは『量』よりも『質』を重要視するようになりました。核家族化した家庭や2人暮らし、一人暮らしも一般的となり高齢化も進み、消費できる少量でも質の良いものが重宝されるようになったためです。『自分では滅多に買わないけれど、いただいたらうれしい』、そんなギフトを選ぶといいですね」

 

・上質なもの

「例えば、食用オイルはエキストラバージンオリーブオイル、タオルであればオーガニックコットンなどを使った上質なものを選ぶと良いでしょう。雑貨や日用品を選びたい場合は、相手の好みを熟知している場合を除いて、どなたの生活にもなじむ白、黒、グレー、茶、ベージュなどのベーシックカラーを選びましょう」

 

・女性へ

「女性への贈り物であれば、原材料にこだわったコスメ(スキンケア)、ハンド&リップ、ボディをいたわるクリーム類や、美容液、シートマスク、入浴剤等のセットなども喜ばれます」

 

・昨今は防災グッズも人気

「最近では、災害時に備えるお水や非常食、防災セット、キャンプやアウトドアでも活用できるポータブルバッテリーなども贈り物として認識されるようになりました。コロナ禍から高機能でパッケージデザインも優れた除菌消臭スプレー類もギフトとして選ばれています」

 

・目上の人へ

「例えば勤務先の上司に贈ろうとする場合、社内で贈答が禁止されている会社もあります。あらかじめ社内規定を確認したり、先輩に先に確認をとってから贈るようにしましょう。お付き合いのある間柄であれば気軽に贈り合えるお中元・お歳暮ですが、学校の先生や政治家など公職についている方の場合は注意が必要です。立場によっては、ご辞退されるケースもあります。
ひと昔前は、目上の人に金品を贈るのは失礼とされていました。しかし、ものが豊富にある現在では、むしろ商品券や選べるカタログなどをもらったほうがうれしいという方もいらっしゃいます。また、スリッパや靴下、膝掛けなど、膝より下に扱うものを贈るのは失礼と言われていた時代もありますが、先方が古いしきたりなど気にしない方であれば、そのような贈り物も重宝がられる場合もあります。お互いの関係性や相手のライフスタイルにあった贈り物を検討しましょう」

 

また、ここ20年くらいで、贈り物の文化はカジュアルになってきているそうです。

 

「相手から欲しいものをSNSなどを介して伝えられることなども増えました。気心の知れている方でしたら、事前に聞いてみるのも一つの手ですね。普段あまりお会いしない目上の方でしたら、形の残るものよりも食したり使用してなくなる、いわゆる『消えもの』がいいですね。形のあるものは、贈られた後それを身につけたり使ったりとかえって相手に気を遣わせてしまうことがあるからです。
まずは、贈る相手のライフスタイルをよく知り、もらう側に立ったお品を考えてみましょう。贈った相手が喜んでくださる姿をイメージするだけでもギフト選びが楽しくなります」

 

お中元・お歳暮はどこで購入する?

1.ギフト専門のネットストアで買う

「ネットストアで購入するのは気軽ですが、実際に熨斗紙を付けてくれるのか、希望の時期に届くのかなど心配に思うこともありますので、お中元・お歳暮を贈る際には、ギフト専門のネットストアで買うのが安心です。まずは自分にサンプルとしてお試しサイズを購入し、使ってよければギフトとして注文できる便利なサービスなどもあります。また、オンラインでしか買えないスイーツや旬のフルーツなど、限定商品も充実展開しており、購入特典も多種多様、一見の価値があります。ネットストア注文の場合、購入履歴や送付先アドレスを一覧として確認できるのも便利なところです」

 

2.ソーシャルギフトを選ぶ

「最近は親しい友人であっても、住所を知らないことが多くなってきましたね。このような場合は、ソーシャルギフトが便利です。普段利用している会話アプリを通じてでも簡単にギフトを贈ることができます。近ごろ連絡をとっていなかった友人にぜひ『最近どうしていますか?』とメッセージを添えてギフトを贈ってみるのも素敵です。交流が再開するきっかけになりますよ」

 

【関連記事】住所不明でも贈れる「ソーシャルギフト」の活用法とおすすめギフトをギフトコーディネーターが解説

 

3.百貨店で買う

「お中元・お歳暮が初めてでどうしたら良いかわからない方は、百貨店に足を運んで購入するのが一番でしょう。対面であれば、心配なこともすぐに店員さんに聞けますし、専門知識も豊富でしっかりと対応していただけます。目利きのあるバイヤーさんが選んでいる、百貨店のネットストアも信頼できる品揃えなので、チェックしてみてはいかがでしょうか」

 

商品選びで注意すべきポイント

品選びの際に気をつけたいポイントを押さえておきましょう。

 

1.調理しないと食べられないものには注意

「簡単な調理なら良いのですが、魚をさばいたりなど手がかかるものは、相手の負担になることも。食べ物を贈る場合は、下処理をしてあり、加工済みですぐに食べられるものがいいですね」

 

2.会社に送る場合には切り分けが必要なものは選ばない

「メロンなど生モノの切り分けが必要になるものは避け、冷凍・冷蔵保存の設備有無の確認も大切です。賞味期限が長めの個別包装された焼き菓子などを選びましょう」

 

3.不特定の人が集まる場所に送る場合はアソートがおすすめ

「甘いものが苦手な方もいる場合を考え、甘いものとしょっぱいものが共に入ったアソートなど万人受けするものが喜ばれます」

 

4.贈る数は奇数にする

「日本人は昔から縁起をかつぎ、数にも吉凶を気にする習慣があります。奇数(苦となる九は例外)は吉数で、割り切れる偶数(末広がりの八は例外)は忌数となります。品数を決めるときに、配慮しましょう。2客の器なども1組1セットと捉え、12本も1ダースと表現されているのもこのような理由があるからです」

 

お中元とお歳暮をいただいたときには?

お中元・お歳暮を頂戴したときはどのようにお礼をしたら良いのでしょうか?

 

お中元・お歳暮は基本的に返礼のいらない贈り物です。お中元・お歳暮は冠婚葬祭の “祭” に当たる年中行事のひとつなので、通過儀礼やお祝い事、例えば結婚や出産祝い、またお香典などをいただいたときのように贈られた金品の半返しなどのお返しは必要ありません。あくまでも、季節のご挨拶で、日頃お世話になっている感謝の気持ちを表す贈答習慣です。
返礼品は不要とはいえ、感謝の気持ちはしっかりと伝えたいもの。お礼の連絡は早めにしましょう。どうしても返礼の品物を贈りたければ、もちろん送っても構いません。その際、早すぎても、相手にかえって気を遣わせてしまったのではと思われかねないので、受け取ってから1〜3週間程度を目安に考えておきましょう。生モノを頂いた場合には、食べた後に感想を添えて感謝をお伝えすると良いですね。
今の時代にあえてお手紙を書くのも素敵ですが、電話やメール、会話アプリからでもいいと思います。相手が目上の方でしたら、1本電話をしたのちお礼状をお送りするととても丁寧です」

 

お中元・お歳暮というと、形式ばった印象から、敬遠する人も少なくないでしょう。しかし、返礼の必要のない季節のご挨拶であり、日頃の感謝の気持ちを伝えるものということを知れば、もっと気軽に行えそうです。この機会に、日ごろお世話になっている方や、ちょっと連絡してみたい友人へ思いを届けてみてはいかがでしょうか。

 

プロフィール

ギフトコーディネーター / 冨田いずみ

長年、広告、映像および音楽制作プロダクション業界に従事したのち、コピーライター、作詞、構成、プランナー、プロデューサー業を経験しフリーへ転身。ライターという仕事の枠を越え、企画宣伝からスタイリングまで携わる。取り扱っていきた商材は、食品、ファッション、インテリアなど、多岐に渡る。それら商品をより魅力的に見せ、お伝えしていく中で、自分の目で見て、手に取って確かめ、本当に良いと思ったものだけのご紹介を信条とした姿勢で、メディアや企業・メーカーからのギフト需要に応える機会が増え、年間を通して季節のご挨拶や行事イベントまたプライベートな記念日や各種お祝い、手土産などまで、様々な場面・人にふさわしいギフトを選び提案するというギフトコーディネーターとしての仕事が定着する。
HP

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

和菓子が韓国で人気上昇中! 伝統的&モダンな和洋折衷「和菓子」のおすすめ6選

6月16日は和菓子の日。西暦848年、ご神託を受けた仁明天皇が、6月16日に16の数にちなんだお菓子やお餅を神前に供え、厄除けや健康招福を祈って「嘉祥(かじょう)」に改元したことが由来とされています。

 

日本の伝統的スイーツである和菓子ですが、最近ではモダンなデザインのものが登場したり、コーヒーやお酒とのペアリングが楽しめたりと、大きく進化。さらに、動物性由来の原料が使われていないものが多いところも、今の時代に再注目されるべきポイントです。そこで今回は、今あらためて知りたい和菓子の魅力やおすすめの和菓子について、和菓子コーディネーターのせせなおこさんに教えていただきました。

 

和菓子のトレンドを知るキーワード「和洋折衷」

ひとことで「和菓子」と言っても、その種類はさまざま。そのなかで今、トレンドとなっているのはどのような和菓子なのでしょうか? せせさんにうかがいました。

 

「昨今の和菓子のトレンドについて、キーワードを一つ挙げるとするなら『和洋折衷』です。これまでにも、和菓子屋さんがチョコレートやキャラメルといった洋の食材を取り入れた和菓子を作ることはありました。しかし、今トレンドとなっているのは、洋菓子屋さんなど和菓子業界以外の方たちが和菓子の製法を取り入れて作る、新しい和洋折衷のスイーツです。

 

そもそも和菓子に使われている原料はとてもシンプル。そのため和菓子屋さんのなかには、油分が含まれているナッツなど、洋の食材を扱うことに慣れていないお店も多くあります。その一方で、洋菓子屋さんは幅広い食材を扱うため、洋の食材を和菓子に取り入れることが得意なお店が多い印象があります。さらに、コロナ禍で新商品を開発したお店も多く、ここ最近で続々と新しいスイーツが生まれています。

 

例えば、ピスタチオやベリーなど洋菓子で人気の食材を取り入れたものや、洋酒や紅茶、チーズやスパイスといった、今まで和菓子にあまり使われなかった素材を活用したものなど。和と洋が調和した新しい和洋折衷のスイーツは、これまで以上に幅が広がってきていると感じます」(和菓子コーディネーター・せせなおこさん、以下同)

 

実は最先端!? 今こそ再注目したい、伝統的な和菓子

和と洋がマッチした新しいスイーツがトレンドになっている一方で、「伝統的な和菓子を今ほど推せる時代はない!」と、せせさん。その背景には、地球や体にやさしい食への関心が高まっていることがあります。

 

「私は今の時代にこそ、昔ながらの製法で作られる伝統的な和菓子にも注目すべきではないかと考えています。現在『ヴィーガンスイーツ』が注目されていますが、そもそも和菓子の定義の一つが、動物性由来の食材を使わずに作ることなんですよね。和菓子にはたくさんの種類がありますが、原料の多くは、米・あんこ・水などのシンプルなもので、それらが多様な製法で作られています。日本に昔からある原料ばかりなので、自然に近いものが多く、体にもやさしい。これが伝統的な和菓子の大きな魅力の一つだと思います」

 

さらに、そもそも “エコ” な考え方から生まれた和菓子も多いのだとか。

 

「例えば、飛鳥時代に中国から伝わったと言われているあんこ。もともとは饅頭の中の肉や野菜のことを指していましたが、当時の日本では肉食を避ける文化があり、代わりに小豆を使用したことが今のあんこの始まりだといわれています。これは代替肉の考え方と似ていますよね。江戸時代に生まれた桜餅も、もともとはたくさん落ちていた桜の葉を何かに活用できないかと考え、塩漬けにしてお餅を挟んで売り出したのが始まりだと言われています」

 

このように、昔ながらの和菓子のなかには、今の時代の最先端とも言える考え方から生まれたものも。

 

「新しい和菓子も魅力的ですが、昔ながらのシンプルな和菓子の良さも、もっと多くの人に知ってもらいたいです」

 

今こそ食べてほしい! せせさんおすすめの和菓子4選

ここからは、せせさんおすすめの和菓子を紹介。和菓子の魅力を再発見できるような、とっておきの和菓子を4つ挙げていただきました。

 

■ 伝統的なみそせんべいをキャラメリゼ

田中屋せんべい総本家「まつほ」
648円(税込・2枚入り)

 

「岐阜県にある『田中屋せんべい総本家』は、創業160年を誇る老舗のおせんべい屋さん。名物は、小麦粉・砂糖・味噌・ゴマ・水だけを原料に使った『みそ入大垣せんべい』です」

「私がおすすめしたい『まつほ』は、このみそせんべいにキャラメルペーストを塗り、オーブンでキャラメリゼしたもの。一口目はキャラメルの味をわりと強く感じるのですが、噛み応えのあるおせんべいなので噛めば噛むほどみその旨味も感じられて、甘じょっぱい味がくせになります。伝統を活かしながら今の時代に合わせた商品を作られているところが本当に素晴しくて、味も絶品なので、おすすめを聞かれたら必ず紹介しています!」

 

■ バターカステラを使い、洋菓子のケーキのような感覚

村岡総本舗「丸シベリア」
3240円(税込)

 

「羊羹やあんこをカステラに挟んだお菓子『シベリア』。羊羹とカステラは九州でなじみ深い銘菓ですが、これまで九州でシベリアを見かけることはほとんどありませんでした。そこに注目したのが、羊羹やカステラを長年つくり続けてきた佐賀県の和菓子店『村岡総本舗』。“令和のシベリア” として、2種類のシベリアが生まれました」

「私のおすすめは『ポルトガル風バターカステラ』を使用した『丸シベリア』。バターカステラの間には、自家製の粒あんと羊羹がサンドされていて、しっとりとした食感とやさしい甘さを感じられます。洋菓子のケーキのような感覚で食べられるので、和菓子をあまり食べ慣れていない方にもおすすめ。おしゃれでかわいらしいパッケージも魅力です」

 

■ 小豆の煮汁を再利用し卵白の代わりに

亀屋良長「吉村和菓子店 鳳瑞〈あづき茶〉」
袋入/桐箱入 1210円/1372円(税込・各9個)

 

「そもそも鳳瑞(ほうずい)とは、泡立てた卵白に砂糖を加えて、寒天で固めたお菓子のこと。しかし亀屋良長の『焼き鳳瑞〈あづき茶〉』は、卵白の代わりにあずき茶(小豆の煮汁)を、砂糖の代わりにココナッツシュガーを使用し、乾燥焼きして作られています。

 

小豆の煮汁は、ポリフェノールやカリウムなどの成分が含まれていますが、本来は捨てられてしまうことがほとんど。それをお菓子の原料として再利用しています。さらに、白砂糖の代わりに使われているココナッツシュガーは、血糖値が上がりにくいので、体にやさしいところもうれしいポイントです。いくつかフレーバーがある中で、私は特に抹茶といちごがお気に入り。メレンゲのようなサクッとした食感で口溶けがよく、コーヒーにもよく合います」

 

■ 素材の味を感じられる自然でやさしい甘み

甘納豆かわむら
「とら豆」390円(税込)
「能登大納言」440円 (税込)

 

「2001年に石川県の金沢西茶屋街で開業した、甘納豆かわむら。甘納豆と言えば、砂糖がたくさんまぶしてあるイメージですが、こちらのお店の甘納豆にはあまりかかっておらず、甘さは控えめです。しかし、しっかりと蜜漬けされているので、自然でやさしい甘みを感じることができます」

「どの甘納豆も本当においしいのですが、私が特に好きなのは『とら豆』と『能登大納言』。『とら豆』は虎のような模様をした豆で、ねっとりとした食感が特徴です。『能登大納言』は石川県産の高品質な大納言小豆です。さらに豆だけでなく、さつまいも、ブラッドオレンジ、栗、フランスオリーブなど、さまざまな種類の商品があります。パッケージもとてもおしゃれなので、ちょっとしたギフトにもぴったりです!」

 

食べるだけじゃない! 和菓子ならではの魅力と楽しみ方

スイーツを探そうとデパ地下やコンビニに行くと、和菓子以外にもたくさんの商品が並んでいます。その中で、和菓子ならではの魅力や楽しみ方はどのようなところにあるのでしょうか?

 

「私が考える和菓子ならではの魅力は、和菓子一つ一つにその地域の歴史や文化を感じられるところです。例えば和菓子のなかには、戦の時に食料として持って行ったり、お殿様に献上したり、権力の象徴になったりした歴史をもつものがあります。一嗜好品にとどまらない、歴史や文化を感じられる和菓子のような存在は、他の国にはなかなかないものではないでしょうか。

 

だからこそ和菓子は、ただのスイーツではなく、地域の歴史や文化を知ったり、人と触れ合うきっかけをつくったりするツールにもなり得ると思います。例えば旅行をしたときに、その地域ならではの和菓子を探したり、和菓子をきっかけにお店の人や地元の人と話してみたりすることも楽しみ方の一つだと思います」

 

このように和菓子を通して『体験』を楽しめるお店は、都内にもたくさん。そのなかから、せせさんがお気に入りのお店を紹介していただきました。

 

「たいやき わかば」(東京・四谷)

「東京三大たい焼き店の一つとも呼ばれる名店。行列が絶えないお店ですが、その場で食べられる店内の小さなスペースは意外と空いていることもあり、穴場のスポットです。また、たい焼きが描かれた湯呑みでお茶を飲めるサービスも魅力。お昼休みにビジネスマンがおやつとして買いに来る姿を見かけることもあり、オフィス街の中でもどこか生活感が漂っている素敵なお店です」

 

「銀座若松」(東京・銀座)

「明治27年に創業した、あんみつ発祥のお店。私はもともと寒天と黒蜜があまり得意ではなかったのですが、ここのあんみつを食べて “本物のおいしさ” に出会えました。お店は銀座のど真ん中にありますが、ゆったりとした時間が流れているところも魅力。ここに来ると日々の忙しさを忘れられます。近くに行ったときには必ず立ち寄り、人にもよくおすすめしています」

 

まだまだ広がる、和菓子の可能性

最後に、せせさんが考えるこれからの和菓子の可能性についてうかがいました。

 

「最近、韓国で日本の和菓子が流行っていることを知り、とても驚きました。今いろいろとリサーチしているところなのですが、日本の上生菓子の作り方を教えたり、お店をやったりしている先生もいるようです。まだ実際に食べてはいないのですが、見た目はすごくおしゃれでセンスが良く、日本も負けていられないなと思っています(笑)。日本の和菓子に興味を持ってくれている方たちが韓国にもたくさんいると思うと、とてもうれしいです。韓国以外のアジアの地域でもお餅やあんこなどの食材に馴染みがあるところは多いので、これから日本の和菓子をもっと広めていくことができるのではと感じています」

 

また、もちろん国内でも、和菓子の魅力をもっと伝えていきたい、と話すせせさん。

 

「とくに若い世代の中には、和菓子に対してなんとなく敷居が高いと思っている方もいると思います。しかし和菓子は、コンビニやスーパーなど、食べたいと思ったときに買える場所で手に入れたらいいし、お茶ではなくコーヒーや紅茶と一緒に楽しんでもいいんです。日常的に食べる習慣がない方は、桜が咲いている時期には桜餅、子どもの日には柏餅など、季節や行事をきっかけに食べてみるのも良いと思います。そうやって少しずつ和菓子に触れる機会を増やし、『もっと食べてみたい』と思ったら、百貨店のデパ地下などを巡って、自分の好みの味を探してみるのもおすすめです。ぜひ、和菓子をもっと気軽で自由なものとして捉え、楽しみながら食べてもらえたらと思います」

 

プロフィール

和菓子コーディネーター / せせなおこ

あんこが大好きな和菓子女子。和菓子を好きになったきっかけはおばあちゃんとつくったおはぎ。日本の地域文化や歴史がつまっている和菓子に魅力を感じ、和菓子の研究を行う。その他、和菓子メディア「せせ日和」の運営、和菓子の商品開発や和菓子専用のコーヒーのプロデュースなど。
Instagram

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

“紅プリンセス” “ゆうばれ” など新品種続々! 日本の柑橘の魅力と最新事情

スーパーや百貨店で、さまざまな品種の柑橘(かんきつ)を見かけるようになりました。糖度が高いものやブランド化されたもの、贈答用の高級みかんなど、新品種の開発も各地で進んでいます。柑橘の生産がさかんな愛媛県では、2020年の冬に人気の品種「紅まどんな(ベニマドンナ)」と「甘平(カンペイ)」を掛け合わせた「紅プリンセス」という品種の栽培が本格的に始まりました。

 

今回は豊富な柑橘類のなかでもとくに注目の品種を紹介。解説してくれるのは、愛媛県・宇和島でニノファームを営み、2020年に「柑橘ソムリエ」という新しい資格を誕生させた二宮新治さんです。

 

「柑橘類」はいったい何種類ある?

日本国内には、柑橘がおよそ90種類も存在します。ただしこれは、「レモン」「温州みかん(うんしゅうみかん)」などと単純に種類を分けただけの数。「温州みかん」のなかにも、早生(わせ)品種や晩生(おくせ)品種があったり、「レモン」であれば、マイヤーやリスボンなどがあったりと、細分化すると数百種類はあるといいます。

 

「私でも見たことのないもの、食べたことのない種類の柑橘も存在するくらい、日本の柑橘の種類は豊富です。国内では、北海道や東北をのぞいてほとんどの場所で栽培されていますから、その土地それぞれに品種があります」(ニノファーム・二宮新治さん、以下同)

 

温州みかんだけでも80万トンの収穫量!

柑橘のなかで、やはりもっとも収穫量が多いのは温州みかん。温州みかんだけでも100種類以上が存在し、全国で毎年およそ80万トンもの収穫があります。

 

「皮が柔らかくて手でむきやすく、寒い季節の風物詩でもあるみかんは、甘みと酸味のバランスがちょうどよく、食べやすいのが特徴。比較的安価で、年齢を問わず愛されています。収穫期も長く、だいたい9月頃から極早生(ごくわせ)温州という種類が出回り、早生温州、中生温州、普通温州と続いて、2月頃まで旬を楽しめます」

 

場所を選ばない強い木だから、育てるのが簡単

これほどまでに柑橘の種類が豊富で全国区で栽培されている背景には、 “育てやすさ” があるといいます。柑橘は病気や害虫にも強く、庭木や家庭菜園で育てるのも比較的手間のかからない果樹なのです。

 

「現在、柑橘の収穫量が多いのは和歌山県と愛媛県です。階段状の段々畑で栽培されている様子を見たことがあるでしょうか。柑橘は温暖な地域のほとんどで作ることができますが、このような特殊な環境では米や野菜を作るのが難しく、もっとも作りやすい柑橘に力を注いだ結果、和歌山や愛媛が名産地となった、という経緯があるんです。畑が斜面になっているので農作業は非常に大変ですが、水捌けがよいのも特徴です。水分量が少ない土で育てると、糖度の高いみかんができるので、おいしい柑橘を作るのに適していたんですね」

 

今求められている「おいしい柑橘」とは?

柑橘の新しい品種は、それぞれの土地で独自に開発されています。近年話題になっている「不知火」(しらぬい / デコポン)や「せとか」などの柑橘は、ほとんどが人工的に開発した品種です。2023年で記憶に新しい品種といえば、熊本県の「ゆうばれ」でしょう。これは2023年の1月に発表されたもので、熊本県ではなんと32年ぶりの商標登録品種となりました。皮が薄くて果肉がジューシーな品種なのだそう。

↑熊本県の新品種「ゆうばれ」。(写真提供=熊本県)

 

「最近の傾向としては、きれいなオレンジ色をしていてみかんよりも一回り大きく、タネがなく手で皮がむけるくらいに柔らかいもの、さらに酸味よりも甘みのあるもの、という条件が人気の秘訣なんですよ」

 

また、二宮さんが鹿児島県へ行った際に知ったというブランドみかん「大将季(だいまさき)」は、不知火から突然変異で生まれたそうで、不知火らしいヘタが盛り上がった形と、酸味が少ないのが特徴です。やや収穫時期が早いため、旬は2月頃までとのことですが、来年は探してみたいものですね。

 

愛媛県でも、2022年の冬に商標登録名が決まった「紅プリンセス」という新品種が誕生しています。

 

「これは、ぷるぷるの果肉で人気の『紅まどんな』と、糖度が高くて濃厚な甘さの『甘平』をかけあわせたもの。そのままでもスイーツを食べたような満足感のある甘みです。まだ市場に出回るのは先になりますが、こちらも楽しみにしていてください」

↑愛媛県の新品種「紅プリンセス」。(写真提供=愛媛県)

 

人気品種は「不知火」「せとか」

そんなさまざまな品種の中でもロングセラーとなっていて、人気が絶えないのが「不知火」です。

 

「不知火は、近年人気のある品種です。『清見オレンジ』と『ポンカン』をかけ合わせた品種で、熊本県が『デコポン』の名で商標登録をしたことで人気が高まりました。果肉がしっかりして大きく、手でむくことができ、タネがなくジューシーで甘みが強いとあって、多くの方に愛されています」

 

ちなみにもうひとつの人気品種が「せとか」。こちらは2001年に発売された品種ですが、スーパーでよく見かけるようになったのはここ10年ほどのこと。糖度が13〜14度と高めで甘く、肉厚でとろりとした食感が特徴です。

 

長く楽しみたい! 柑橘の正しい保存法は?

冬場には箱買いすることもある柑橘ですが、どのように保存したら最後までおいしくいただけるのでしょうか? ポイントは「袋から出さないこと」なのだそうです。

 

「柑橘が入っている袋は、実は一般的なビニール袋ではありません。柑橘が呼吸しやすく、鮮度が保たれるように作られた専用の袋なのです。スーパーなどで購入する柑橘は、だいたいこの袋に入っています。ですから袋から出して保存したり、違う袋に入れ替えたりせず、食べる分だけを出して残りは袋に入れたままにしておく、というのがいちばんうまく保存できるんですよ。段ボール箱で購入した場合も、段ボールが湿気を調整してくれますから、箱の上の蓋だけ開けて新聞紙をのせ、そのままにしておきます」

 

カビが生えたらどうすればいい?

たくさん買った柑橘にカビが生えているのを見つけると、ショックですよね。一箇所がカビてしまっていたら、そこだけ取り除くのではなく、その果実は諦めた方がいいと二宮さんが教えてくれました。

 

「カビは柑橘の表面についた傷から起こります。柑橘も生き物ですから、たとえば収穫前についてしまった傷は、そのまま治癒していきます。黒くなっていたり傷跡があったりするかもしれませんが、かさぶたのようになっていたら問題ありません。カビにつながりやすいのは、収穫後や出荷時についてしまったもので、すでに収穫していますから傷も治らないです。表面的な傷であれば大丈夫なことが多いのですが、果肉に到達して水っぽくなってしまったところは、カビが生えやすくなるので、早めに食べましょう。また。デコポンなどくぼみのあるものはヘタのところから腐っていくので、購入するときや食べる前に、ヘタを確認するのがよいでしょう」

 

これから春夏にかけて、はっさくや河内晩柑、甘夏など、さまざまな品種が楽しめるようになります。新しい品種にもぜひトライしてみてください。

 

※「紅まどんな」「甘平」「紅プリンセス」は愛媛県、「デコポン」「ゆうばれ」は熊本県の登録商標です。

 

プロフィール

柑橘ソムリエ愛媛 理事長 / 二宮新治

アパレル業界へ就職したのちに、愛媛県宇和島へUターン就農。柑橘農家ニノファームを立ち上げる。2015年には仲間たちとともにNPO団体「柑橘ソムリエ愛媛」を立ち上げ、理事長を務める。実際に柑橘ソムリエという資格も立ち上げ、ライセンスを取得できる仕組みに。公式テキスト『柑橘の教科書』は、柑橘の基礎から生産・流通・目利き・歴史文化までをすみずみまで網羅するとともに、柑橘図鑑のようにもなっていて人気がある。
ニノファーム HP
柑橘ソムリエ HP

 

『柑橘の教科書』

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

日本独自の正月の風習「鏡餅・鏡開き」に秘められた意味とすべきこと

毎年正月に家庭で飾られている「鏡餅(かがみもち)」。近年はコンビニエンスストアでも手軽に入手できますが、なぜ「鏡」なのか、それをどうして家の中に飾るのか、本当の意味を知っているでしょうか?

 

「鏡餅」の由来や飾り方、その餅をいただく「鏡開き(かがみびらき)」の風習について、和文化研究家の三浦康子さんに詳しく解説していただきました。

 

「鏡餅」とは? 新年にお迎えする「年神様」の依代となる場所

「鏡餅」とは、丸餅を2段重ねにした正月飾りのひとつ。その由来は、日本の伝統的な正月行事の意味と密接に結びついています。

 

「日本の正月行事は、『年神様(としがみさま。歳神様、歳徳神ともいう)』という新年の神様をお迎えする行事です。新年を司る年神様は、農耕の神様でありご先祖様でもあると考えられていて、元旦に子孫の家々にやってきます。『鏡餅』はお迎えした年神様の居場所であり、その魂が宿る依代(よりしろ)なのです」(和文化研究家・三浦康子さん、以下同)

 

新年の「恵方(えほう)」からやってくるといわれる年神様。その年神様の魂が宿る鏡餅は、言い換えると新年の魂であり、人が生きる力そのものであると三浦さんはいいます。

 

「日本には古来、『人の魂は元日に更新されて、新たな1年を生きるための力が与えられる』といった考え方があります。つまり日本のお正月は、家族みんなで新たな魂=生きる力をいただくための行事なのです。そう考えると『鏡開き』の理屈もおのずとわかってきます。年神様が宿った『鏡餅』を『開いて食べる』ことによって、その力を身体に取り込み、ご加護を受けるという意味があるのです」

 

ところで、神様の依代をなぜ「鏡餅」と呼ぶのでしょうか? その由来は「鏡」という言葉にヒントがありました。

 

「伊勢神宮をはじめ、神社に鏡が祀られていることは広く知られていますが、それは鏡が『三種の神器』のひとつだからです。鏡は日の光を反射して輝くことから、太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の魂が宿る依代と考えられています。昔の鏡は銅鏡で、丸い形をしていました。同時に日本人は、古代からの主食であるお米を、霊力が宿る神聖な食べ物とみなしてきました。餅はその米を一生懸命について霊力を凝縮した食べ物ですから、丸い鏡を餅で表現した『鏡餅』は、年神様の依代としてふさわしいというわけです」

 

ちなみに、結婚式や企業のパーティなどお祝いの席でも、酒樽の蓋を叩き割る行為を「鏡開き」と呼びますが、これも関係があるのでしょうか?

 

「考え方は同じですね。清酒の原料もまたお米ですから、酒樽の丸い蓋を鏡に見立て、神様の力が宿ったお酒を皆で飲み交わして新たな門出を祝うのです」

鏡餅は、平安時代の時点ですでにその概念が存在していたそう。

 

「古くは『源氏物語』に鏡餅の記述があります。ちなみに2段重ねの形には、陰と陽、月と太陽を表しているという説があります。万物は相反する性質をもった陰と陽の相互作用によって成り立つという、古代中国伝来で日本文化に深く関わってきた陰陽思想に基づいていると解釈できます」

 

割ることで運を開く、「鏡開き」の意外なルーツ

では、なぜ鏡を「開く」と言うのでしょうか?

 

「『鏡開き』のルーツは武家(武士の家系)にあるとされています。武家では毎年お正月になると、武士の魂である鎧や兜にお餅を供え、1年の無事を祈る『具足祝い(ぐそくいわい)』をしていたそうです。正月が明けたら餅をおろし、皆で分け合っていただく『刃柄祝い(はつかいわい)』という風習がありました。これが『鏡開き』の起源です。

このとき、餅を切る行為は武士にとって『切腹』をイメージさせて縁起が悪いため、木槌で叩き割ることにしました。さらに縁起の良い『開く』という言葉が当てられ、『鏡開き』になったといわれています。当初は『はつか』にちなんで、毎年1月20日に行われていました」

 

現代では1月7日に松の内が明け、11日を鏡開きの日とする地域が多くを占めています。実はこの日にちを早めたのは、江戸幕府だったそう。

 

「徳川家の第三代将軍・家光が4月20日に死去したため、その月命日に被らないよう配慮したといわれています。ただし、京都など伝統を継承している地域では、現在でも1月15日までをお正月とし、20日に鏡開きを行うところもあります」

 

鏡餅は12月28日までにお供えするのがベター

由来がわかったところで、次に鏡餅の飾り方をおさらいします。毎年12月になると、しめ縄などのお正月飾りと一緒に店先に並ぶ鏡餅。いつごろ飾るのが “正解” なのかは気になるところです。

 

「12月13日を『正月事始め』といい、すす払いなど正月を迎える準備を始める日とされています。年神様という尊いお客さまをお迎えするわけですから、まずは家中をきれいに掃除し、場を清めておく必要があります。家が清浄な空間になったら、玄関に結界としての『しめ飾り』を施し、さらに年神様の案内役となる門松を立てて、床の間や神棚などに鏡餅をお供えするという流れです。

鏡餅をお供えする日に明確な決まりはないのですが、12月28日までを目安にするといいでしょう。28は末広がりで縁起のいい数字です」

 

とはいえ、現代人の師走は年の瀬ギリギリまで多忙なケースも珍しくはありません。

 

「そうですね。どんなに遅くとも、できれば12月30日には準備を終えたいところです。31日は一夜飾りで年神様に失礼なので避ける慣わしがありますし、余裕をもって準備をしたほうが、気持ちよく年が越せるのではないでしょうか。

ちなみに12月29日は、29が『二重苦』『苦持ち=苦餅』に通じるので縁起が悪いとする考えがあります。しかし、一方で29は『ふく=福』とも解釈できることから、12月29日についたお餅を『福餅』と呼び、福を呼ぶので縁起が良いととらえる家もあります。何が正解かはその家によってケース・バイ・ケースだと思います」

 

一般的には12月28日ごろを目安にお供えする鏡餅。供える場所や置き方などの作法についても、正解を知っておきましょう。

 

「昔はお客さまをお迎えする床の間や神棚にお供えするのが一般的でしたが、それらがない現代の家では、皆が集まるリビングにお供えするのがいいでしょう。ただしテレビや冷蔵庫の上のような騒がしい場所や、人が見下ろすような低い位置は避けてください。飾り棚など目線が高くて落ち着いた場所にお供えするようにしましょう」

 

餅の上の「橙」にはどんな意味がある?

鏡餅といえばお餅の上に乗せる「橙(だいだい)」もポイントですが、実はこの橙にもちゃんと意味があります。

 

「橙の実は木から落ちずに成長し、1本の木に代々の実がなります。そこから代々家が続く、子孫繁栄といった意味で用いられていますが、実が大きくお餅のサイズに合わないことも多いため、現代ではみかんも代用されています。そもそも柑橘類の『きつ』が『吉』に通じるので、おめでたいモチーフとして古くから着物や書画に描かれてきました」

 

鏡餅に乗せる橙は、先ほど出てきた「三種の神器」でいう「勾玉」にも見立てられているそうです。

 

「餅が『鏡』、餅の上に乗せる橙が『勾玉』。そして残る『剣』を表しているのが、西日本でよく用いられる串柿です。串柿は橙と同様、お餅の上に乗せて飾ります。また鏡餅は、『三方(さんぽう)』という供物を乗せる台に飾るとより丁寧です。そこに白い和紙か四辺を赤く染めた『四方紅(しほうべに)』という紙を敷き、さらに『裏に黒い心がない』といった意味を示す『裏白(うらじろ)』という常緑のシダ、神様の降臨を表す『紙垂』を敷いてから鏡餅を置き、『喜ぶ』という意味の『昆布』、橙を乗せれば、本格的なお飾りになります」

 

ただし、必ずしもすべてを揃える必要はないそう。

 

「大切なのは、お供えする場所を清浄に保つこと。気持ちさえこもっていれば、白い和紙などを敷いて鏡餅を置き、柑橘類を乗せるだけでもじゅうぶんです」

 

木槌で割り、神様の力をいただこう

松の内が明ける頃、お供えしてある鏡餅にはだんだんとヒビが入ってきます。11日になったらお供えを下げて、いよいよ「鏡開き」です。

 

「餅は刃物で切るのではなく、家族みんなで分け合って食べられる大きさになるまで木槌や手で割ります。木槌がなければ金槌でもいいでしょう。結構な力が必要なので、丈夫なテーブルや畳の上などに敷物を敷いて行ってください。どうしても割れない場合は、半日ほど水につけてふやかしてから、レンジで温めて手で千切ってもかまいません」

 

開いた餅は、ひとかけらも残さずいただくことが大切だそう。

 

「年神様が宿ったお餅ですから、残してはいけません。食べ方は、お雑煮はもちろん、お汁粉にしてもおいしくいただけ、細かいかけらも入れて煮ることができます。ちょっと気分を変えたいなら、さっと揚げて『かきもち』にするのもおすすめです。実は『かきもち』の名前の由来は、鏡餅を小さく欠いた『欠き餅』からきているんですよ」

日本人の多くは、幼いころから漠然と正月の風習と触れ合いながら育ちます。しかし、家に年神様をお迎えする、鏡餅に神様が宿るといった正月行事の意味合いは、あまり知らない人も多いのではないでしょうか。

 

「まずは、意味をきちんと知ることが大切だと思っています。たとえば年末の大掃除というと、現代ではその手法にばかり注目が集まりますよね。しかし、そもそも正月を迎えるためになぜ大掃除をするのかに目を向けてみると、年神様をお迎えして1年の健康や幸せを祈るという、古くから大切に受け継がれてきた日本人の精神性に触れることができます。コロナ禍によって家の中での過ごし方に関心が集まっているいま、こういった風習をあらためて学ぶことは、人生の豊かさにもつながるのではないでしょうか」

 

今時はコンビニや100円ショップでも手に入れられる鏡餅。この正月は、鏡餅から新年のパワーをいただいてはいかがでしょうか。

 

プロフィール

和文化研究家 / 三浦康子

古を紐解きながら今の暮らしを楽しむ方法をテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、Web、講演などで提案しており、「行事育」提唱者としても注目されている。連載、レギュラー多数。All About「暮らしの歳時記」、私の根っこプロジェクト「暮らし歳時記」などを立ち上げ、大学で教鞭もとる。著書『子どもに伝えたい 春夏秋冬 和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)、監修書『季節を愉しむ366日』(朝日新聞出版)ほか多数。
HP


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

初心者が挑戦すべきおせち「黒豆」の煮方と「数の子」の塩抜き〜漬け方とは

正月料理といえばおせち。毎年お母さんが作ってきた、という家庭が多いでしょう。そろそろ自身でも作れるようになりたいと思うなら、まずチャレンジすべきは「黒豆」と「数の子(かずのこ)」。初心者のために、シワなく艶やかに仕上げるのが難しいと言われる黒豆の煮方と、覚えてしまえばすぐにできるようになる数の子の漬け方を、料理家の吉川愛歩さんに教えていただきました。

 

【関連記事】年越し蕎麦や正月飾り、おせちに初詣……正月の縁起物・縁起事には全部意味があった!

 

おせち料理には欠かせない、「三ツ肴(みつざかな)」とは?

おせち料理は、手をかけて作られたさまざまなお料理がぎっしりとお重に詰められているもの。江戸時代以降、おせちは正月の祝いに欠かせないものとなりました。

 

「とはいえ、それだけのご馳走を用意することができた人ばかりではありませんでした。そんな時代にも、食材が安価で庶民でも準備ができた三つの祝い肴(お祝いの席で出る酒の肴のこと)とお餅さえあれば、正月を迎えられると言われてきたそうです。関東では黒豆、数の子、田作りの三つが “三ツ肴” で、関西では黒豆と数の子の他に、たたきごぼうが挙げられます。黒豆は乾物で、数の子は塩漬けになっていて保存がきくため、多くの地域に広まったとの説も。この季節になると、さまざまな地域の台所で、黒豆と数の子を仕込んでいたのでしょうね」(料理家・吉川愛歩さん、以下同)

 

黒豆にはどんな意味がこめられている?

黒豆には、真っ黒に日焼けするくらい健康でまめまめしく働けるように、という意味があり、「まめな人」や「まじめである」ことの象徴でもあります。おせちに入る蜜煮は、乾燥した豆を戻し、砂糖としょうゆを入れてふっくらと煮た料理です。

 

「昔は保存性を高めるためにも、たっぷりの砂糖で煮るものでしたが、今はそこまで保存のことは気にしなくてもいいので、控えめの甘さで仕上げていきましょう。できあがるまでに時間はかかりますが、慌てずじっくり作るのがおいしさのコツ。いつまででもパクパクと食べられて、やみつきになる黒豆ができあがります」

 

“錆びた釘” を入れるのはなぜ?

黒豆を煮るというと、必ず登場するのが「錆びた釘」。これは、黒豆に含まれるアントシアニンが鉄と反応して、黒豆の退色を防いでくれるから。鉄分と一緒に煮ることで黒豆がより黒く美しく仕上がるため、錆びた釘と一緒に煮るレシピが受け継がれてきたのです。

 

「でも、錆びた釘があるという家庭はあまりないですよね。鉄玉子というお料理専用の鉄の塊が売られているので、それを購入するのもひとつの手です。我が家では、写真のような鉄板を鍋の底に敷いて、一緒に煮ることもあります。つまりは、どんなものでも鉄といっしょに煮ればいいのです。ちなみにストウブのような鉄鍋はホーロー加工され、鉄分が溶け出さない仕組みになっています。加工されていない鉄鍋なら、そちらで煮ることもできます。ただ、無理して黒さを意識しなくても、ものすごく薄い色になってしまうことはないので、なければなくても大丈夫。充分きれいな黒豆になります。今回作ったものも、鉄製品を使わずに煮たものです」

 

甘さ控えめでちょっぴり塩気のある「黒豆の蜜煮」

黒豆の蜜煮は、二日かけて仕上げるお料理です。1日目はたっぷりの熱湯で乾燥した豆を戻し、2日目にじっくり煮ていきます。

 

「黒豆は、必ずその年に収穫された新豆を選びます。古くなった豆はどうしても硬くなりがちで、戻しきれないまま煮ることになってしまったり、煮上がるまでに時間がかかってしまったりします。できあがった蜜煮は、そのまま食べるほかパンケーキに入れて焼いたり、蒸しパンに混ぜたり、お菓子のアクセントとして使うのもおすすめです。冷凍することもできるので、食べきれなかったら保存容器や保存袋に入れて冷凍しましょう」

 

【材料】

・黒豆……250g
・重曹(食用)……小さじ1/2
・水(蜜用)……600ml
・砂糖……180g
・しょうゆ……小さじ1
・塩……ふたつまみ
・みりん……大さじ1

 

【作り方】

1.ボウルか鍋に黒豆と重曹を入れ、たっぷりの熱湯(分量外)を加える。

「黒豆は、重曹入りの熱湯で戻します。重曹を入れると豆が早くふっくらと煮える上に、皮が破けにくくなります。また、水で戻してしまうと、皮が戻るよりも実が膨らむほうが早くなり、皮が破けてしまいます。豆の3倍くらいの量の熱湯を加えて、膨らんでも豆がお湯から出ないよう、表面をラップやキッチンペーパーで覆っておきましょう」

 

2.一晩(8時間)置いて、豆を戻す。

「右が乾燥している豆、左が8時間浸しておいて戻った豆です。ふっくらと大きくなっていたら、次の工程にうつります」

 

3.戻した黒い水のまま、鍋で強火にかける。沸騰したら弱火にして1時間半煮る。

「戻したときの水のまま、鍋で加熱します。強火にかけるとモコモコと重曹の泡が出てくるので、出てくるたびに取りましょう。泡が落ちついたら、弱火でコトコトと煮ていきます」

 

4.豆が柔らかくなったら人肌まで冷まし、ぬるま湯で洗う。

「食べてみて、豆が簡単に舌でつぶれるくらいの柔らかさになったら、そのまま人肌になるくらいまで冷まします。手が入れられる温度になったらざるにあけ、ぬるま湯でそっと洗います。水を換えながら、重曹を洗い流しましょう。このとき、急に冷たい水に入れてしまうと、豆が破けやすくなります。豆の温度を急激に換えないように注意しましょう」

 

「丁寧に煮ていても、このように皮が破けてしまうものがありますが、気にせず一緒に煮ましょう」

 

5.鍋に水と砂糖、しょうゆを入れて沸かす。

「砂糖が溶けるまで加熱します。ちなみに砂糖は、上白糖でもきび糖でもお好みのもので構いません。白い砂糖を使うとすっきりとした甘さに、茶色い砂糖を使うとコクのある甘さに仕上がります」

 

6.黒豆を入れて1時間煮たら、しっかり冷ます。

「豆を入れたらキッチンペーパーを3枚くらい重ねて落とし蓋にします。木の落とし蓋は豆には重すぎるので、キッチンペーパーで。ただし1枚だと、豆が空気に触れてしまう可能性があり、皮にシワがよってしまうので、厚めに覆います。煮ている間に水分が飛んでしまったら、鍋の中の温度が変わらないようお湯を差し、常に黒豆がしっかり水に浸かっているようにします」

 

7.蜜だけを鍋に入れ、煮詰める。

「1時間煮たらしっかり冷まし、黒豆をざるにあけて、今度は蜜だけを1/3くらいの量になるまで煮詰めます」

 

8.蜜に黒豆を戻し、みりんをまわしかけてさっと混ぜて火を止める。

「蜜ができたら豆を戻して、最後に  “追いみりん”  をします。みりんをまとうと、ふくよかな香りがして、上品な味に仕上がります」

次のページでは、数の子の漬け方を、下ごしらえとして不可欠な塩抜きとともに解説していただきます。

数の子は子孫繁栄を祈る縁起の良い食べ物

続いては数の子です。数の子は、ニシンのたまごのこと。アイヌ語でニシンを「カドイワシ」と呼び、その子どもを「カドの子」と呼ぶようになったことが語源という説があります。正月料理として定着したのは江戸時代で、当時は今のように高価ではなく、もっと簡単に入手できる食材でした。

 

数の子の粒の多さが子孫繁栄を示し、縁起がよいと結納品としても活躍しました。ニシンには「二親」という漢字が当てられることがあり、ふたりの親からたくさんの子宝に恵まれるようにという意味が込められています。

 

「売られているものは、ほとんどが塩漬けになっているものか、すでに塩抜きして味付けされているもののどちらかです。塩漬けのものはそのまま食べられないので、塩抜きして漬け汁に漬けてからいただきます」

 

プチプチした音と食感を楽しむ「数の子のおだし漬け」

数の子を塩抜きしてだしに浸していただく、おせちの定番レシピ。塩抜きに一日かかるので、早めに準備しなくてはならないお料理のひとつです。

 

「数の子をおいしく仕上げるポイントのひとつは、しっかりと塩抜きすること。時間を守るというより、塩が抜けているかきちんと味見をして確かめてから、だしに漬けるようにします。もうひとつのポイントは、おいしい出汁(だし)をひくこと。昆布とかつおぶしでひいた一番だしを使います。このひと手間が、数の子をぐっと上品な味に仕上げます」

 

【関連記事】昆布・煮干し・鰹節のだしの取り方を徹底解説! レンチンや水出しなど手軽な出汁取り方法も

 

【材料】

・数の子……5本
・水……400ml
・塩……小さじ1/2
・だし……150ml
・うすくちしょうゆ……大さじ2
・酒……大さじ1
・かつおぶし……適宜

 

【作り方】

1.ボウルに水と塩を入れてよくかき混ぜて塩を溶かし、数の子を入れて丸一日置く。

「水から数の子が出ないよう、キッチンペーパーやラップを密着させて置いておきます。塩水で塩抜きするのは不思議かもしれませんが、呼び塩といって真水に漬けるよりも早く塩が抜け、数の子が水っぽくならずに塩抜きすることができます」

 

2.白い薄皮を指の腹でこすりながら剥く。

「薄皮は口に残るので、両面をよく見て丁寧に取り除きます」

 

3.鍋にだしを入れて沸かし、うすくちしょうゆと酒を入れて冷ましたら、数の子を入れる。

「キッチンペーパーで覆ったら、このまま一晩置いて味を含ませます。盛りつけるときに、かつおぶしをのせましょう」

 

今回は、黒豆の煮方と数の子の漬け方だけをご紹介しましたが、毎年1〜2品ずつでもレシピを覚えていけば、だんだんと作れる品数も増えていきます。手作りした分、特別なお正月に。ただでさえ慌ただしい年末ですが、家族や周りの人が健康でしあわせであるよう願いながら、おせちの用意ができたらいいですね。

 

プロフィール

料理家 / 吉川愛歩

出版社に勤務後、ライターとして独立。雑誌や書籍の出版に携わりながら茶懐石を学び、料理家・フードコーディネーターとして活動をはじめる。企業広告や雑誌等でレシピを制作するほか、趣味が高じて『メスティン自動BOOK』(山と渓谷社)や『キャンプでしたい100のこと』(西東社)などでアウトドア料理のレシピを考案。また、誰にとっても読みやすいバリアフリーレシピの書き方を研究中で、編集者・ライターとしても幅広く活動している。『1年生からのらくらくレシピ』(文研出版)や『糖質オフのやさしいお菓子』(ワン・パブリッシング)の制作に携わり、『日本一おいしいソロキャンプ』(KADOKAWA)では執筆とともに調理も担当している。

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

冬至(2022年12月22日)の「ゆず湯」の意味と「かぼちゃ」のおいしい調理法

すっかり日が短くなり、まだ早い時間なのに外を見ると真っ暗で驚くことも。もう少しで昼の時間が一年でもっとも短くなる「冬至(とうじ)」がやってきます。

 

冬至といえば「ゆず湯(柚子湯)に浸かって、かぼちゃを食べる日」。でもそもそもなぜゆず湯に浸かり、かぼちゃを食べるのでしょうか? さらにかぼちゃをおいしく調理するコツとは? 和ごはん研究家の麻生怜菜さんに教えていただきました。

 

冬至とはどんな日?

冬至とは、一年のうちで太陽が出ている時間がもっとも短く、夜が長い日のこと。立春や夏至、秋分などと同様に、太陽の動きをもとに1年を24等分してつくられた二十四節気のひとつです。

 

「もともとは古代中国で『太陽が生まれ変わる日』とされてきた文化が遣唐使とともに日本にやってきて根付いたもの。昔は真っ暗な時間は黄泉の世界とつながっているという感覚があったので、一番夜が長いというのは一番悪い日。そしてこの日を境にどんどん良くなっていくということから、別名『一陽来復(いちようらいふく)』とも呼ばれています。その境である日に邪気払いをしたり、良い方向に向かうことをしたりしようというのが、冬至の風習です」(和ごはん研究家 麻生怜菜さん、以下同)

 

ちなみに、冬至とは昼がもっとも短い日であり、日の出がもっとも遅いのは1月上旬(2022年度は東京で1月2日から13日の6時51分、)、日の入りがもっとも早いのは(同 11月29日から12月13日の16時28分)で、地域によって異なります。

 

冬至の日は毎年変わる! 2022年は12月22日

「冬至は必ずしも毎年同じ日ではなく、地球と太陽の位置関係から決定されます。12月20日から23日の間であるとされていますが、2022年の冬至は12月22日。この日から春分(3月21日)までが冬とされています」

 

また、クリスマスと冬至には、意外にも深いつながりがあるのだそう。

 

「北欧ではキリスト教が伝わる前の時代から、『ユール』と呼ばれる冬至のお祭りを行っていました。もっとも夜が長く、太陽が再び力を取り戻す日として、神々へお供えなどをして祝ったそう。北欧の国々にはその頃の風習の名残があって、クリスマスツリーやブッシュドノエルなどはユールの祝祭に由来します」

 

冬至に行うべき風習とは?

1.「ゆず湯」で無病息災を願う

冬至といえばゆず湯。古くから「この日にゆず湯に浸かると一年間風邪をひかない」という言い伝えがあります。この風習はなぜ始まったのでしょうか?

 

「ゆずは寿命が長い木。それにあやかって、ゆず湯で長寿や無病息災を願ったといわれています。また昔の人は、水で自分のけがれを払うという儀式を事あるごとに行っていました。運を呼び込む前に邪気払いをするという意味で湯につかる。その湯にゆずを入れることで、邪気払いと無病息災という二つの願いが込められているのでしょう」

 

丸ごとか、輪切りか。ゆず湯の楽しみ方

ゆず湯といって思い浮かべるのは、丸ごとのゆずが湯船にいくつもプカプカと浮かんでいるさま。色も鮮やかで風情を感じます。自宅でお風呂に入れるときは、どのようにするといいのでしょうか?

 

「後処理がもっとも楽なのは、丸ごと入れる方法。ただし、そのままだとあまり香りが出ないので、爪楊枝で何か所も穴を開けたり、包丁で切り込みを入れるのがおすすめ。ゆずを選ぶときは、ハリがあって押したときに実が締まっているものにすると香りも良いですよ。一人暮らしなどで、いくつもゆずを買うのはちょっと……という方は、ゆず1個を輪切りにして使いましょう。ただ、湯の中で果肉や種が出てきてボロボロになってしまうので、ネットやお茶パックなどに入れるとお掃除が楽です」

 

冷凍でストックすれば簡単。余ったゆずを普段の料理に取り入れるには

せっかく購入したゆずは、風呂に入れるだけでなく料理でも使いたいもの。

 

「我が家ではゆずを買ったらまずは搾って、お醤油や少しの出汁を入れて自家製ポン酢をつくります。皮は全部むいてわたの部分をそいだら、それを小分けにして、ラップに包んで冷凍庫へ。ゆず皮の冷凍ストックがあると、使う時に刻んでサラダの上にかけたり、炊き込みご飯の上に散らしたりと重宝します」

 

2.「かぼちゃ」を食べる

冬至が近づくとスーパーの目立つ位置にかぼちゃが置かれます。かぼちゃを食べる日というイメージは定着していますが、ではなぜかぼちゃを食べるのでしょうか?

 

「昔の人の知恵でしょうね。夏に収穫して冬まで備蓄できる食べ物は少なかった。その中でかぼちゃは長期保存できて栄養価も高い。冬を乗り切るための食べ物として重宝されていたんだと思います」

 

βカロテンが多く含まれていて、カリウムも豊富なかぼちゃ。鉄分や食物繊維も多いので、とくに女性にとっては今の時期に食べるのにもぴったりの野菜だそう。

 

かぼちゃのほかにも「ん」がつく食べ物で運気アップ!

「名前に『ん』がつくものを食べて運気を盛る『運盛り』という考え方があります。かぼちゃはもともと南京(なんきん)と呼ばれていたので、『ん』がつきます。『ん』が二つついてたくさんの運気を呼び込むことができるとされているのが、南京、れんこん、にんじん、銀杏(ぎんなん)、金柑(きんかん)、寒天(かんてん)、うどん。これらは『冬至の七種(とうじのななくさ)』と呼ばれています。このあたりの食材をかぼちゃに追加で食べるのもおすすめですよ」

 

冬至に作りたい、かぼちゃの「いとこ煮」

冬至にかぼちゃを食べるなら、邪気払いによく使われる小豆と一緒に煮る「いとこ煮」がおすすめ。小豆で邪気を払い、かぼちゃで運を上げる、冬至に作りたい料理の筆頭です。かぼちゃと小豆でなぜ「いとこ煮」というのかというと、これには諸説あるそう。

 

「小豆は煮るのに1時間ほどかかります。小豆が煮えたところに追ってかぼちゃを入れるとおいしくなるため、 “追々” 煮るからそれを “甥と甥” にかけたという説。それから、小豆とかぼちゃを同時ではなく、めいめいに煮るから “姪々” とかけたという節もあります」

 

かぼちゃの煮物をおいしく仕上げるひと手間とは?

「かぼちゃは一口大に切りますが、このとき包丁で角を浅く削る『面取り(めんとり)』をするのがおすすめ。これをすることで角がなくなり、まんべんなく火が通ります。また、かぼちゃ同士がぶつかった際に煮崩れするのを防ぐので、きれいに仕上がるという効果も」

 

いとこ煮は、かぼちゃが煮えたら別でゆでておいた小豆と醤油を加えて煮るというシンプルな料理。美味しく仕上げるには煮あがったあとが重要だそう。

 

「煮汁がほとんどなくなったときに火を止めてすぐに食べるのではなく、少し時間を置くことを『鍋止め(なべどめ)』といいます。これをすると味がしみて、ぐっと深まりますよ。それから、火をとめる直前にみりんとお醤油を入れると照りが出て、香りも残ります。下味とは別に、最後に追加でパッと入れて火を止めるのがポイントです」

 

慌ただしい時期だからこそ、ちょっと立ち止まって

年の瀬も押し迫り、何かとせわしない時期。だからこそ、冬至の日くらいはちょっと立ち止まり、ゆず湯にゆっくり浸かったり、かぼちゃを食べたりして季節に目を向けたいですね。

 

「今はスーパーがあるので、年中いろいろな食材が手に入ります。でも、その時期ならではの旬のものを食べて四季の移り変わりを感じるというのは、大切なこと。季節の行事とそれに関連した旬の食材は何かという知識は、身につけておいて損はありません」

 

あまり難しく考えず、できる範囲で気軽に取り入れてほしい、と麻生さん。

 

「今日は冬至だからゆずの香りの入浴剤を入れてみよう、かぼちゃのサラダを買ってみよう、くらいでもいいんです。ふと思い出して、そのとき自分のできることをちょっとやってみるだけで、暮らしが豊かになります。慌ただしく過ぎていく毎日だからこそ、少し立ち止まって季節のめぐりを感じてみてください」

 

プロフィール

和ごはん研究家 / 麻生怜菜

全国を転々とした幼少時代を過ごし、旅行好きの両親の影響もあり47都道府県すべての地域食材、郷土料理を食べて成長する。結婚後、夫の実家がお寺であったことをきっかけに、お寺の行事食に関わり、伝統的な和食(特に精進料理)に興味を持つ。日本食文化史に精通し、日本の伝統食、特に精進料理の考え方や調理法、食材を若い世代や子どもたちに継承していくことを決意。伝統的な調理法や食材を現代のトレンドと融合した食文化の発信する場として、2011年より「あそれい精進料理教室」主宰。生徒数はのべ2600人。今まで考案したレシピ数は5000を超える。食品のランキングや比較も得意とする。著書に『寺嫁ごはん 心と体がホッとする“ゆる精進料理”』(幻冬舎)、『おからパウダーでスッキリ腸活レシピ』(主婦の友社)などがある。
HP
Instagram
Manegement

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

SDGsの観点からも注目!「ジャパンディ」スタイルと初心者が取り入れるためのインテリアアイテム5

インテリアの世界で、昨今「ジャパンディ」というスタイルが人気。日本発ではない、ジャパニーズスタイルを取り入れた世界観は、SDGsの観点からも注目されているといいます。実際、どんなスタイルのこと? “和モダン”とはどう違う? インテリアトータルプロデューサーのMAKOさんに教えていただきました。

 

海外から見た “和” が新鮮!「ジャパンディ」とは?

ここ数年、おしゃれなインテリアスタイルとして人気が高まっているジャパンディ。

 

「ジャパンディ(Japandi)」とは、JapaneseとScandinavianをミックスしたインテリアスタイルを表す造語。日本と北欧のインテリアスタイルを融合させもので、海外で話題となり、日本には数年前に逆輸入の形で入ってきました。和モダンとは異なり、 “海外から見た日本らしいテイスト” を取り入れたスタイル、というのが特徴です。

 

「ジャパンディには、明確な定義づけがあるわけではありませんが、北欧要素が8割、日本要素が2割くらいのバランスというイメージです。そして、この2割の日本要素については、照明や窓周り、ポイントとなるような大物の家具ではない部分に和風のアイテムを取り入れる、そんなインテリアスタイルです」(インテリアトータルプロデューサー・MAKOさん、以下同)

 

具体的にどのような特徴があるのでしょうか?

 

「主な特徴としては、部屋の内装は白やグレーなどのニュアンスカラー。家具はアースカラーや自然素材のものでスタイリッシュなタイプ。室内のものは最小限にまとめる。ラタンのような自然素材や植物を入れる。カーテンやスクリーンで和テイストを表現。フロアスタンドやペンダントライトを多めに入れて、部屋の雰囲気を作るローテーブルや低めの家具を取り入れ、部屋の余白を多めに作る、などが挙げられます」

いつ頃から流行り始めたのでしょうか?

 

海外で流行し始めたのは2020年くらいからだと思います。インテリアの雰囲気も大きく変えることなく、家具もなるべく買い替えず長く使い続けられる、というSDGsの考え方にマッチしたインテリアといえます。職人の手によるこだわりの家具を取り入れ、色味を控えめにしてすっきりとさせ、そして飽きのこない洗練された雰囲気を作っていく上で、日本っぽさがしっくりきたのだと思います。ジャパンディスタイルという世界観が北欧を中心に広まっていくなかで、日本にも逆輸入の形で広まってきたように感じます」

 

「ジャパンディ」のポイント

・部屋の内装材は白やグレーのニュアンスカラー
・家具はアースカラーや自然素材のものでスタイリッシュに
・室内は物を最小限にする
・ラタンなどの自然素材、植物を取り入れる
・カーテンで和柄やスクリーンを演出
・フロアスタンドやペンダントライトを多めに入れる
・家具はロータイプを選び、部屋の余白を多めにする

 

“和” を取り入れるさじ加減がポイント! ジャパンディスタイルのインテリア実例

では、実際のインテリアを見せていただきながら、ジャパンディスタイルのポイントをチェックしていきましょう。

「上の写真は、ジャパンディを少し意識したインテリアの実例です。まず、窓際のロールスクリーンや白ベースのリネンのカーテンは、北欧発の和アイテムで、和紙を連想させます。テレビの横にあるフロアライトも、麻の混じった折笠シェードが和テイストと言えます。ほかには、少し大きめの観葉植物ですね。鉢を黒一色にすることで洗練された雰囲気を演出しており、どこか “侘び寂び(わびさび)” の雰囲気も出ていると思います。

全体的に色味は抑え、余計なものが目立たないすっきりした空間にしています。ソファの脚が細いことで、いっそうすっきりとした雰囲気になります」

 

窓際のロールスクリーンは、北欧製。

 

「素材がペーパーヤーンという紙からできていて、ジャパンディが流行する前から、北欧らしいデザインとして浸透しています。布製だとややしなってしまうものですが、これはパリッとした張りが特徴。この直線感が空間をシャープにして、和の雰囲気を演出してくれます。
床に敷くラグなどを和テイストのものや畳を思わせる素材にすると、部屋の雰囲気が和モダンに偏りがちに。ジャパンディは、あくまで和要素を2割以内に留めたいので、窓際や壁、照明などで取り入れる方がそれらしくまとまります」

こちらは、寝室の例です。

 

「色味は白と黒をベースに、空間に余計なものを置かないすっきりとした状態がジャパンディスタイル。ベッドフレームの木目や花器、ペンダントライトがジャパンテイストになっています。ベッドの脚が細いことでスタイリッシュさを演出。床がオフホワイトの木目で、北欧らしい雰囲気にまとまっています。また、壁紙をアースカラーにすることで、部屋全体はやさしい雰囲気になりつつも落ち着いたトーンで飽きのこない空間になっています」

 

ジャパンディを取り入れるならここから! おすすめのアイテムは?

大々的に模様替えをするのではなく、無理なく気軽にジャパンディスタイルを楽しみたい。そんなときにまず取り入れたい5アイテムをピックアップしていただきました。

 

1.ペンダントライト

レ・クリント「ペンダントライト <ラメラシリーズ>」9万1300円(税込)〜

「紙を規則的に折り上げて手作りで作り出したシェードで、美しいフォルムとやさしい光が特徴のデンマークのブランド。居心地のいい空間を表すデンマーク語の『ヒュッゲ(Hygge)』を象徴するフロアライトです」

 

2.観葉植物

アンドプランツ「ドラセナ・コンシンネ M」 1万2850円(税込)

「観葉植物の種類はお好みのものを選べば大丈夫です。葉の形状や高さは変えつつも、グリーンの色味は揃えて複数置きをすると、こなれた雰囲気に仕上がります」

 

3.ペーパーヤーン(紙糸)のロールスクリーン

ウッドノーツ「ロールスクリーン 1800×2000」2万4530円(税込)(販売店=REZONANCE)

「ウッドノーツはフィンランドのテキスタイルカンパニーで、フィンランド産のパルプを原料にしたペーパーヤーンを開発し、ロールスクリーンやラグなどの製品化をしています。シンプルで美しいフォルムはジャパンディスタイルでもかなり人気の高いアイテムです」

 

4.チェア

フライミー「ノル アトム チェア」2万4200円(税込)

「深みのあるアッシュ材の背もたれにスチール脚をミニマルなバランスで組み合わせたチェア。北欧スタイルのモダンなチェアの象徴的なデザインです。造形的なカーブの美しさと繊細さ、座り心地の良さを追求した職人によるチェアを取り入れるとジャパンディスタイルらしい雰囲気になります」

 

5.剥がせる壁紙

NLXL「MRV-20」(販売店=壁紙屋本舗)3万5200円(税込) / 1ロール

こちらはラタンデザインの剥がせる壁紙。「壁全体ではなく、一部をジャパンディスタイルにすれば、部屋の雰囲気が簡単に変えられます。わたしはインテリアをアレンジするときに、この壁紙のアクセントクロスを導入するのが好きですね。ラタンタイプ以外にもテラコッタ色などもジャパンデイスタイルに合います」

 

洗練された美しさと居心地のよさ、飽きのこないインテリアが楽しめるジャパンディ。最近は北欧ブランドのECサイトから購入しても数週間もあれば届くので、個人輸入でジャパンディスタイルの家具やアイテムを買い付ける方も増えているそう。居心地がよくおしゃれなジャパンディスタイルを、 “本家” である日本でも、積極的に取り入れたいですね。

 

【プロフィール】

インテリアトータルプロデューサー / MAKO

Laugh style代表。モデルハウスやサロン、オフィス、ホテル、個人宅のインテリアコーディネート・スタイリングをベースに、近年では法人企業とコラボレーションして商品や店舗のプロデュースを行う。日テレ『ヒルナンデス』、TBS『Nスタ』、フジテレビ『めざましテレビ』他、ラジオ・雑誌・WEB等数多くのメディアに出演。また、大手住宅メーカーでのセミナーや、日本経済新聞など活字メディアへの寄稿など、幅広く活動中。
HP
YouTube


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

糠の準備から発酵・本漬けまで。家庭の冷蔵庫で「ぬか床」作りに成功する方法

ぬか床(ぬかどこ・糠床)を仕込むのに適した時期は、一般的に気温が20度~25度くらいの春や夏前などと言われています。ところが、昨今は気温が上がりすぎたり、夏前に仕込むと気温が高くなる夏の間に発酵が進みすぎてしまったりして、管理がうまくできなかったりすることも。となると、気温が落ち着いてきてじっくりと発酵を待てる秋こそ、ぬか床を仕込む好機かもしれません。料理家で菌カウンセラーの清水みのりさんに、家庭におけるぬか床の仕込み方を教えていただきました。

 

ぬか床作りの準備

ぬか床作りに必要な材料は、ぬか、水、塩、そして捨て漬け野菜の4つ。好みで昆布や唐辛子を入れたり、山椒の実や柑橘の皮で味つけを変えたりすることができますが、基本はぬかと水と塩があれば、ぬか床を作ることができます

 

「ぬかは、できるだけ無農薬のものがおすすめです。“炒り糠(煎り糠・いりぬか)”ではなく“生糠(なまぬか)”を使うといいでしょう。はじめの2週間ほどは、野菜の不要な部分を使って“捨て漬け”を繰り返しますが、これはぬかの発酵を促すためにする工程です。ここで漬けたものは食べずに捨ててしまうので、野菜の皮やヘタなどを取っておいて使うと無駄が少なくてすみますよ。捨て漬けに使う野菜は、大根やにんじんなどアクの少ない種類を選びましょう」(料理家・清水みのりさん、以下同)

 

ぬか床作りの容器は深めのものがおすすめ

ぬか床には、水分や塩分がたっぷり含まれています。そのため、使う容器はそれらによるサビに強いものを選ぶ必要があります。一般的には、ホーローやプラスチックが適していると言われていて、清水さんも野田琺瑯の「糠漬け美人」というホーロー容器を使っていました。

「ぬか床を定期的にかき混ぜるので、深めの容器だとぬかがまわりにこぼれず使いやすいんです。プラスチックでも構いませんが、においがうつってしまうのこともあるので気をつけましょう」

 

Step1.ぬか床を整える

【材料(糠1 kg分)】

・ぬか:1kg
・水:900ml〜1L
・塩:110g
・赤唐辛子:1本
・昆布:20cm1枚
・捨て漬け用の野菜:100g

 

【作り方】

1. ぬかに塩をよく混ぜる

「ぬか床を作るのとは別の容器にぬかと塩を入れ、手でよく混ぜ合わせます」

 

2. 混ざり具合を見ながら水を少しずつ加え、さらに混ぜていく

「ぬかにしっかり水分が行き渡るよう、しっかりと混ぜていきます」

 

「手でぎゅっと握ったとき、むにゅっと手の間から出てくるくらいの柔らかさにします」

 

3. 容器にできあがったぬか床を入れる

「容器にぬか床を入れて平らにならしていきます」

 

4. 昆布と赤唐辛子、捨て漬けする野菜を入れる

「ぬか床の上に捨て漬け野菜を入れたら、さらにぬか床でフタをしていきます。さらにその上に捨て漬け野菜を乗せて、いわゆるミルフィーユ状に重ねていきます。こうすることで、まとめて埋めるよりも発酵をしっかり促すことができます」

 

5. 表面を平らにならす

「ぬか床が全部入れ終わったら、平らになるように表面をきれいに手のひらで押さえて整えましょう」

 

6. 容器の側面をきれいに拭き取る

「ぬか床がまだできあがっていないときは、カビが繁殖しやすくなっていますので、容器の側面についたぬかをキッチンペーパーやティッシュできれいに拭き取るようにしましょう。ぬか床が発酵した後には、必要ありません」

 

「とはいっても、普段のお手入れのときにも、側面を指でなぞりながらぬかを落として、容器を清潔に保つようにしてください」

 

Step2.ぬか床を発酵させる

1. ぬか床を涼しい場所に保管する

作ったぬか床は、まだ発酵していないため野菜を漬けることができません。ここから2週間ほど発酵させることで、おいしいぬか床に育っていくのです。

 

「夏場は発酵の進みがとても早いので、涼しくなって来た秋の方が安心して漬けられると思います。発泡スチロールや保冷バッグなどにぬか床を入れ、温度が均一に保たれるようにしてから、玄関や食料庫などの涼しい場所で保存していきます」

 

2. 2〜3日経ったら捨て漬けの野菜を交換し、天地返しする

ぬか床の中に入っていた捨て漬け用の野菜を取り出したら、奥側のぬか床を一気に持ち上げ、手前へとひっくり返します。その後、容器を180度回転させてから同様に繰り返しましょう。これを「天地返し」と言います。

 

「天地返しの際には、かき混ぜるのではなく、裏表を入れ替えるように混ぜるだけで大丈夫です。この後は、新しい捨て漬け用の野菜を埋めて周囲を掃除し、保冷バッグなどに入れて引き続き発酵させていきます。この作業は、シンクで行うとぬかが落ちても後から掃除しやすいですよ」

 

3. ぬかの味見をしておいしくなっていたらできあがり

「2週間ほど経つと、少しずつ酸味も出て来てぬかの味が変わってきます。発酵させる前にも味見をしておいて、味の変化を見るようにするとわかりやすいですよ。冬場は3週間ほどかかるかもしれませんが、いい香りになってきたら、本漬けにうつりましょう」

発酵したらいよいよ本漬け。次のページで、その方法と、ぬか漬けにしたいおすすめの食材を解説していただきます。

Step3.本漬けを行う

おいしいぬか床ができたら、いよいよ本漬けです。漬けるものはどんなものでもお好みで構いませんが、種類によって漬け上がりまでの時間が変わるので、事前に調べるなどして、食べるタイミングに気をつけるようにしましょう。

 

「きゅうりや大根など、水分の多いものは比較的早く漬かり、1〜2日ほどで食べられるようになります。にんじんは5日くらい見てください。私は毎日食べたいので、いろいろな野菜を漬けておいて、できあがった順番に取り出して、また新しいものに入れて……というふうに循環させています。こうすると毎日食べられるだけでなく、必然的に毎日ぬか床に触るようになりますから、わざわざお手入れをするという感覚ではなく毎日の習慣になっていって、とても楽にぬか床とおつきあいができるな、と思っています」

 

1. 野菜に塩をふって下準備をする

「味が均等になるので、野菜には塩を振ってから漬けるのがおすすめ。きゅうりはアクがあるので、ヘタを取って漬けましょう。にんじんは浸かりづらいので、丸ごとではなく、切ってから漬けると早く仕上がりますよ」

 

2. ぬか床に漬けたいものを埋める

「ぬか床のちょうど真ん中くらいまで掘り、お好みの野菜を入れてぬか床で閉じます」

 

3. 冷蔵庫で保存する

「発酵したあとのぬか床は、冷蔵庫の野菜室で保存しましょう。温度が一定に保たれているので、常温での保存に比べて格段に管理しやすくなります」

「作りはじめは、どのくらい漬かっているか感覚でわからないかもしれませんが、味見をして浅ければ戻し、漬けすぎてしまったときは細かく刻んでお茶漬けや別の材料と和えて使うなど、いろいろな食べ方をぜひ楽しんでみてください。というのも、漬かり過ぎてしまったからといって塩抜きをしてしまうと、せっかく含まれている栄養素も流れてしまうのでもったいないのです」

 

清水さん流・ぬか漬けのおすすめ食材

毎日ぬか漬けを食べているという清水さんに、おすすめの食材を教えていただきました。実際に漬けてもらったのは、きゅうりやにんじん、大根といった基本的な食材のほかに、アボカド、ビーツ、とうもろこし、エリンギ、高野豆腐、こんにゃく、パプリカ、みょうがといった、実に多彩な食材。

 

また、変わり種の食材の漬け方についても、清水さんにコツを教えていただきました。

「高野豆腐は水で戻したものを1分ほど茹でてから入れています。エリンギやアボカドなど、ひだが細かくてぬかが入り込んでしまうものや、色をきれいに仕上げたいものは、ガーゼに包んでからぬか床に入れるといいですよ。魚やお肉をぬか漬けにしたいときは、ぬか床を魚やお肉の表面に塗って漬けます」

 

ぬか床は、漬けないときでも2〜3日に一度天地返しをして管理する必要があります。天地返しができない場合でも1週間程度であれば大丈夫ですが、長期の旅行をするときなどはぬか床を保存バッグに入れて空気をしっかり抜き、冷凍しておきましょう。帰宅後にはそのまま容器に戻して、これまでと同じように使うことができます。

ぬか床といえば毎日のお手入れが必須、というイメージがあった人も多いのではないでしょうか。それが旅行や忙しいときには冷凍しておけるのなら、気楽に仕込めそうですね。涼しくなってきて過発酵しにくいこの時季に、ぜひぬか床作りにチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

 

【プロフィール】

料理家・菌カウンセラー / 清水みのり

祖父母の自然派ライフスタイルに影響されて育つ。一般企業に就職したのち、菌の魅力に気づき、製パンの専門学校へ入学。パン職人として働き、その後2004年よりパンや発酵食の料理教室をはじめる。著書に『身体が喜ぶ発酵調味料メソッド』(方丈社)がある。

排泄物まで徹底的にリサイクル! 究極のサステナブル社会「江戸時代」に学ぶ現代日本で実践すべきSDGsとは?

年々加速するSDGsの目標達成に向けた取り組み。しかしその一方では、Z世代を中心に「サステナブル疲れ」という言葉が広がるなど、過度にサステナブルな行動を求める風潮にどこか違和感や疲労感を抱く人も出てきています。

 

SDGsへの向き合い方が問いただされるなか、昨今あらためて見直されているのがなんと「江戸時代」! 高度な「循環型社会」で、人々は極めてサステナブルな暮らしを送っていました。それも社会的な義務感や倫理観の下ではなかったため、誰一人 “無理” をしていなかったといいます。

 

江戸時代が循環型社会だった理由や、現代に活かすべきポイントについて、法政大学名誉教授・前総長の田中優子さんにお話を伺いました。

 

循環型社会とは?

そもそも循環型社会とは「できるだけゴミの発生をおさえ、もし出てしまったら別の形で再利用する社会」を言います。江戸時代に循環させていた物のうち、もっとも代表的なものが木材です。

 

「一度木を切ると、再び生えてくるまでに長い時間がかかります。また、木を切りすぎると、雨が降った時に雨粒が直接地面に落ちるため、洪水が起こりやすくなります。そこで江戸時代には、過剰伐採を防ぐために『川の両側の木を切ってはいけない』『この山の木は切ってはいけない』『根から掘り返さない』などのさまざまな制限令が出されていました。ただ、建築には木材が必要不可欠なため、制限令の範囲内で木材の量が足りなくなると、今度は『切ったら植えましょう』という植林政策が行われるように。

また、過剰伐採を防ぐ策としては『天守閣の再建をしない』という幕府の方針も挙げられます。江戸城天守閣は1657年に火事で焼失してしまいましたが、建築をしなければ木を切ることもないため、再建の必要はないと判断されたのです。この考えは江戸以外にも広まっていき、当時、他のいくつかの城も天守閣の再建をしませんでした。

そして、過剰伐採の防止と合わせて行われていたのが、木材の再利用です。取り壊した建物の木材は、そのまま新築の建物に使い回されていました。老朽化して建築に使用できなくなった場合は小さく切って燃料にするなど、小さな破片さえも再利用されていたんです」(田中優子さん、以下同)

 

紙や着物、わらなど、木材以外のものも形を変えて使い回され、最後には必ず肥料として土に戻っていきました。江戸時代の日本には、一つとして無駄になるものはなかったのです。

 

江戸のリサイクル文化が成功した秘訣は “経済的メリット”

手間を掛けて物を使い続けていた江戸時代。令和の感覚では「手間をかけて使い回すなんて大変だ」と感じる人もいるはずです。一体なぜ、当時の人々は循環型社会に抵抗感を抱かなかったのでしょうか?

 

「循環型社会が実現した一番の要因は、“倫理観ではなく経済の仕組みの一部としてリサイクルが行われていた”ということです。

排泄物を例に考えてみましょう。江戸には厠(かわや)という、川の上に設置されるトイレがありました。参勤交代で江戸に人が集まると厠を使う人も増え、次第に排泄物によって川が汚れていき、1649年に厠の取り壊し令が出されます。すると今度は町中に厠が設置されたのですが、溜まった排泄物を川に捨てる人が現れ、1655年には川へ排泄物・ゴミを投棄することを禁じる御触れが出されました。

町に排泄物が溜まっていくなか、自分たちの排泄物を肥料として再利用していた農民たちが『江戸にある排泄物も持って帰ってきて、肥料として使えばよいのではないか』と気が付きます。そこで江戸まで排泄物を回収にいくと、より良いものを食べている武士たちの排泄物は、肥料としての質も高いことが分かり、江戸で排泄物を買って余剰分を周りの農民に売り始めました。

するとこの商売がとても上手くいったため、本格的に排泄物の売買を生業としようと考える人が増加。江戸まで向かう船の船頭や排泄物の回収を行う汲み取り屋を雇い、江戸の排泄物を売り買いする『下肥問屋』が誕生しました。江戸時代には他にも、紙くず買い、灰買い、蝋燭の流れ買い、鋳掛屋など、さまざまな商人が生まれ、使い古したものの修理・買取が盛んに行われていました。

つまり、幕府や藩主による命令や、『もったいないから、リサイクルしましょう』といった社会倫理から再利用をしていたのではなく、禁止令を逆手に取り、町人や農民が『自分たちの生活が上手く回る』ように、能動的に再利用をしていたわけです。持続的なリサイクルは、お金の動きと連動させることで実現するのです」

 

循環型社会を実現させた4つの価値観

もちろん江戸時代の循環型社会を支えたのは、社会の仕組みだけではありません。江戸の人々に根付いていたさまざまな価値観も、循環型社会の成立に大きく影響していました。

 

・廃りをやめる

「廃り(すたり)とは『捨てる』からきた言葉で“無駄”を意味します。つまり廃りをしない=無駄をしないということ。江戸時代の人々には質素倹約の価値観が根付いていました。また、『もったいない』という言葉も、“ものの本来の存在価値(もったい)が失われる”という意味でした」

 

・経済=人を救うこと

「現代では、経済=金銭のやりくりといった意味で使われていますが、江戸時代は違います。経済とは経世済民の略で『世の中を営むことによって人々を救うこと』を言います。つまり、経済活動の目的は、儲けることではなく人々を救うことだったんです。そのため、江戸時代の豪商たちは橋を作るなど、自分たちのお金で公共事業を担っていました。

また、現代の企業は儲けて会社の規模を大きくしようとしますが、江戸時代は儲けすぎずに現状を継続することが良しとされていました。儲けすぎていない証明として、商人たちはあえて汚れた暖簾を使っていたんですよ」

 

・1年サイクルで循環する時間感覚

「現代の人の多くが、時間を未来に向かって一直線に伸びていくようなイメージで捉えていると思います。しかし江戸時代の人々は、時間は1年で一周すると考えていました。そのため、秋に何かを収穫すると同時に、来年の秋にも収穫するにはどうすればよいのかを考えていました。木を切りすぎない、漁をしすぎない、山で狩りをしたらその場で解体して動物が食べる分の肉を残していく、それらが未来の自分たちのためになることを理解していたのです」

 

・限りある資源に合わせた暮らし

「現代の価値観で捉えると、江戸時代は決して暮らしやすくはありませんでした。例えば、江戸時代の夜はとても暗く、行燈(江戸の人々が日常的に使っていた、綿花の油を用いた照明)は60w電球の1/100ほどの明るさだったと言われています。しかし江戸時代の絵には行燈の明かりで読書や裁縫をしている様子が描かれており、不思議に思った私は行燈の明るさを再現して読書ができるか実験をしてみたんです。

すると現代の本はまったく読めないのですが、和紙に墨で印刷された江戸時代の書物はハッキリと読めました。また、画集の浮世絵は部分的に光って見えなくなる一方で、江戸時代と同じ印刷技術で刷られた浮世絵は色や立体感が素晴らしく美しかったのです。つまり必要以上にエネルギーを消費するのではなく、少ないエネルギー(行燈)に暮らしを合わせていた(わずかな光で読める本や浮世絵を作っていた)ということです」

 

当時の暮らしを真似することは難しくとも、「無駄をしない」「必要以上に欲に走らない」「常に1年後のことを考える」「限りある資源に暮らしを合わせる」といった考え方は、十分今に活かせます。一度自分の生活に置き換えて、考えてみてはいかがでしょうか。

 

現代の暮らしにおける3つの問題点

最後に、江戸時代の暮らしを踏まえ、現代の暮らしにおける3つの問題点を教えていただきました。

 

問題点1.自給率の低さ

「一番の問題点は自給率の低さです。鉱物資源が少なくなり輸入を控えるようになった江戸時代は、食糧はもちろんのこと、木綿や絹織物、時計などは自分たちで作っていました。一方現代では、食料品も日用品も輸入に頼っています。中でも食料自給率が低いため、一刻も早く農村の復興をすべきではないでしょうか。島国だからこそ、いつ輸入できない状態に陥るか分かりません。自分たちの食べ物は自分たちで確保できるように、これからは生産技術の向上に注力していかねばなりません

 

問題点2.リサイクルに要するコスト・エネルギー量の増加

「江戸時代は、大抵のモノが燃やして灰にするだけで肥料となり、太陽や土の中にいる微生物によって分解されていました。しかし今は化学物質を使った製品が多いため、単に土に返すわけにはいかず、電力などを利用した処理が必要となりました。地球に優しいはずのリサイクルにも、膨大なコストとエネルギーがかかるようになったのです。よりエコにリサイクルを行うために、自然エネルギーの開発が必要なのではないでしょうか

 

問題点3.より楽な方法で済ませること

「江戸時代は手間を掛けてでも長く使うことを大切にしていました。着物がその良い例です。江戸の人々にとってはとても高価なものだったため、夏は裏地を取り、冬は裏地と表地の間に綿を入れることで一年中着ていました。また、ほつれたら自分で縫い直すなどして、長く着続けていました。

しかし高度経済成長期以降、労働時間ばかりが増え、身の回りのことに費やす時間は徐々に減っていきました。そして時短家電などが次々と誕生するなど、身の回りのことは楽できればできるほど良いという傾向に陥っています。その結果、手間をかけてモノを使い続けるという意識が薄れてきているのではないでしょうか。

今後は働く時間を減らし、身の回りのことに使える時間を増やしていくべきです。最近はこの重要性に気付き、仕事をやめて地方に移住する人も現れ始めています。江戸時代に下肥問屋が生まれたように、サステナブルな社会に則した新しい仕事を見つけていく時代に入っていると思います」

 

「しきりにSDGsが叫ばれる昨今ですが、今までと同じ働き方をしながら社会的な倫理だけで状況を変えることは困難です。繰り返しにはなりますが、江戸時代の人々も倫理観で循環型社会を実現していたわけではありません。サステナブルな行動に経済が絡み、全員にメリットをもたらしたから、実現できていたのです。これからはSDGsを意識したアクションと同時に、新しい生き方についても考えてみてください。

また、SDGsには17項目ありますが、日本だけで見るとすでに達成目前の目標もあると思います。今後、日本は一体どの項目に向き合うべきだと思いますか。意味のあるアクションを起こすためにも、日本に必要な項目を整理した『ジャパニーズSDGs』について考えてみてはいかがでしょうか」

 

【プロフィール】

法政大学名誉教授・前総長 江戸東京研究センター特任教授 / 田中優子

法政大学社会学部教授、国際日本学インスティテュート(大学院)運営委員長、社会学部長、総長を歴任。専門は日本近世文化・アジア比較文化。研究領域は、江戸時代の文学、美術、生活文化。『江戸の想像力』で芸術選奨文部大臣新人賞、『江戸百夢』で芸術選奨文部科学大臣賞・サントリー学芸賞。その他多数の著書がある。江戸時代の価値観、視点、持続可能社会のシステムから、現代の問題に言及することも多い。2005年度紫綬褒章。現在、東京都男女平等参画審議会会長、一般社団法人日本オープンオンライン教育推進協議会副理事長、人間文化研究機構教育研究評議会評議員、サントリー芸術財団理事、『週刊金曜日』編集委員、TBS「サンデーモーニング」のコメンテーターもつとめる。

 

和文化研究家が解説する「お盆」の意味と作法…「精霊馬」の意味から「盆棚」の作り方、帰省できないときの過ごし方まで

夏に迎える「お盆」。大切な家族が集まるこの機会に、日本独自の夏の風習であるお盆をおさらいしてみませんか? 和文化研究家の三浦康子さんに、お盆の一般的な過ごし方やその興味深い由来についてうかがいました。

 

お盆の起源は?
お釈迦様の教えに由来する「盂蘭盆会」だった

日本の夏に親しまれるお盆とは、ご先祖さまの霊を家に迎えて供養し、感謝を伝えるための行事とされています。ではそもそも、お盆という名の由来は何なのでしょうか?

 

「お盆の正式名称は『盂蘭盆会(うらぼんえ)』といいます。一説によると、インドのサンスクリット語の『ウラバンナ(逆さ吊り)』、あるいはペルシャ語の『ウラヴァン(霊魂)』からきた言葉だといわれています。そしてこの『盂蘭盆会』は、仏教教典の中に出てくる目連のお話に由来します」(和文化研究家・三浦康子さん、以下同)

 

それは要約するとこんなお話だそう———。

 

お釈迦様の弟子のひとりで神通力の使い手であった『目連尊者(もくれんそうじゃ)』が、あるとき亡き母が常に飢えと渇きに苦しむ『餓鬼道』に落ち、逆さ吊りで苦しんでいることを知ります。母をなんとか助けたい目連に、お釈迦様は教えを説きました。この母親は生前、人に施しをしない自分勝手な人間だったから、餓鬼道に落ちてしまった。だから夏の修行が終わる7月15日に、たっぷりの供物を盆に盛り、僧侶たちを招いて読経し心から供養をしなさいと。目連が教えの通りにすると、母親は餓鬼の苦しみから救われたといいます。

 

「お盆の起源には諸説あってはっきりしない点も多いのですが、お釈迦様の教えを元に中国で餓鬼道に落ちた者を供養する『盂蘭盆会』という行事が生まれ、それが7世紀ごろ日本にも伝わってきたようです。当時は宮中行事の扱いでしたが、盂蘭盆会が広がるにつれ日本古来の祖霊信仰と結びつき、江戸時代に現在のようなお盆の風習が形成されていったと考えられています」

 

7月? 8月? お盆の時期が地域で異なる理由

盂蘭盆会において、亡くなった人々の精霊は7月15日にこの世へ帰ってくると考えられてきました。しかし現在、お盆の行事が行われる時期は7月、あるいは8月と地域によって違いがあります。

 

「旧暦を使っていた頃のお盆は、7月15日(現在の新暦でいう8月半ばごろ)に行われていました。それが明治時代に入って新暦になると、7月15日は多くの地域で農繁期に入っていて、行事をするのに支障があったのです。そこで、ひと月遅らせた8月15日をお盆とする地域が増えました。これを『8月盆』『月遅れの盆』と呼びます。

一方で、今でも7月15日にお盆を行う地域も少なからずあります。それが東京や横浜、金沢、札幌といった地域の一部で、昔から代々その地に暮らしている家では7月に行うお宅が多いようです。こちらを『7月盆』と呼びます」

 

さらに沖縄や奄美地方では「旧盆」で行われているそう。

 

「『旧盆』は旧暦の7月15日を新暦に当てはめてお盆を行う風習で、毎年日付が異なるのが特徴です。旧盆の時期に沖縄・奄美地方で有名な行事といえば、祖先の霊を供養するエイサーという踊り。いわゆる『盆踊り』の一種です」

ちなみに、たまに聞く「新盆」や「初盆」という言葉は意味を間違えないように注意が必要です。

 

「ちょっと紛らわしいのですが、『新盆』と『初盆』はいずれも時期的な意味を指す言葉ではなく、故人の忌明け、つまり四十九日を終えて初めて迎えるお盆のことを表しています」

 

案外、手軽に作れる……? お盆の準備は「盆棚」から

一般的にお盆の期間といえば、8月盆の場合は8月13日から16日の間です。ご先祖さまの霊をお招きするために、どんな準備をするのかおさらいしてみましょう。

 

「大前提として、お盆の風習は地域や宗派、さらに個々の家によって異なる点が多いので、ここではあくまで一般的とされる慣わしをご説明します。

まずやることは、家にお迎えした霊をお祀りする『盆棚』の用意です。盆棚には位牌と基本の五供をお供えします。基本の五供とは、香(お線香)・花(お盆では菊や禊萩など)・灯(蝋燭)・水・食べ物の5つ。さらにキュウリやナスで作った精霊馬を並べれば、略式ではありますが盆棚とすることができます」

 

盆棚は精霊棚、供物棚などの名称で仏具店でも販売していますが、供物をお供えできる台であればどんな棚やテーブルでも構いません。

 

「食べ物は季節の野菜や果物、精進料理、故人の好物などをお供えするのが一般的です。お盆用のお団子を作って供える地域もあります。お盆特有のお供物としては『水の子』が有名ですね。これはナスやキュウリを賽の目に細かく刻んで洗米を混ぜたものを、蓮の葉に載せたお供物のこと。お盆の時期はご先祖さま以外にも、たくさんの無縁仏が帰ってくるといわれており、そういった無縁仏にも食べ物をお供えして供養しようという考えから生まれました」

 

お盆の風物詩、キュウリの馬とナスの牛は、子供の頃に作ったという人も多いはず。

 

「精霊馬はいずれもご先祖さまの乗り物を表していますが、解釈は二通りに大別されます。ひとつは、行きはキュウリの馬で早く帰ってきて、帰りはナスの牛でゆっくり戻るという説。もうひとつは、馬にはご先祖さまが乗り、牛には荷物を載せるという説です。キュウリとナス以外に、乾燥させた真菰(まこも)で馬や牛を編んだものを用いる地域もあります」

 

迎え盆・盆中日・送り盆…先祖や家族に感謝を伝える4日間

いよいよ迎える8月13日。ご先祖さまを家にお迎えする日です。

 

「13日は『迎え盆』といい、盆棚をしつらえて墓参りへ行き、迎え火で霊をお迎えします。迎え火は13日の夕方に自宅の門や玄関先で焚くもので、ほうろくと呼ばれる素焼きの器に、麻の皮をはいで茎を乾燥させた『おがら』を入れて燃やすのが一般的な慣わしです。この火を目印にご先祖さまの霊がやってくるといわれているんですね。ちなみに迎え火には別のやり方もあります。お墓参りに提灯を持っていき、そこで火を入れて持ち帰り、盆棚の蝋燭や盆提灯に火を移すことで霊をお迎えするやり方です」

 

続いて15日に、お盆のメインイベントとなる『盆中日』を迎えます。

 

「『盆中日』は家族や親族が集まりご先祖さまを供養する日。家によっては僧侶を呼んで読経をお願いしたり、新盆の場合は親族のみならず縁の深い友人などを呼んでさらに手厚くご供養をすることも多いです。この日は精進料理や故人の好きだったものを作り、みんなで食事をしながら、思い出を語ったりするのが慣わし。家族が仲睦まじく過ごす姿を見ていただくことで、ご先祖さまに安心してもらい感謝の気持ちを伝えるという意味があります」

 

帰省して両親や祖父母と過ごすときには、こんな考え方を知っておくのもいいかもしれません。

 

「日本には生きているご両親や祖父母などを『生き御霊』と呼んでもてなす考え方もあります。つまり、実家に帰ってご両親に元気な姿を見せて一緒に過ごすことも、ご先祖さまに感謝を伝えるのと同じような意味になるのです」

 

そしてお盆の最終日となる16日は、送り火でご先祖さまを送ります。

 

「16日は『送り盆』といい、迎え火のときと同様に玄関先で送り火を焚いたり、お墓まで提灯で火を運んだりすることで、ご先祖さまの霊を送ります。ちなみに京都で行う五山の送り火や、長崎の精霊流し、各地で行われる灯籠流しもすべて送り火の一種。15・16 日の夜に行うことが多い盆踊りや花火にも慰霊の意味があり、これらはすべてお盆にまつわる供養の行事になります」

お盆の期間に帰省するなら、親族との親睦を深めることも大切だと三浦さん。

 

「日本の行事や風習には、人々の絆を結んだり深めたりする役目があります。家庭で迎えるお盆のようにご先祖さまや家族といったタテの絆を強くする行事もあれば、地域のお祭りのようにヨコの絆を深めてくれる行事もありますよね。そうやってタテとヨコの絆をしっかり結んでいくことで、暮らしの基盤を整えていくわけです」

 

そう考えると、タテとヨコどちらの行事も体験できるお盆は貴重な機会なのかもしれません。

 

「普段交流のない親戚や従兄弟たちと親睦を深めたり、自分のご先祖さまについて知らないことを聞いたりする、絶好の機会ですよね」

 

諸事情で帰省できなくても、お盆を迎えることはできる

一連のお盆の行事を故郷で楽しむ人々がいる一方で、事情があり帰省が叶わない人や、そもそもお盆の行事に縁遠い人はどうすればいいのでしょうか?

 

「故郷に行けなかったり、実家でお盆を行う習慣がなかった人でも、お盆を実践することは可能です。たとえば今の自分が在るのは、両親や祖父母、曾祖父母といった存在のお陰なので、感謝の気持ちを自分なりに表現してみてはいかがでしょうか?

身の回りにある小さなテーブルや棚を使って、できる範囲でいいから盆棚を作ってみるのがおすすめです。故人の写真を飾り、基本の五供と精霊馬をお供えすれば簡易的な盆棚ができます。香炉や燭台がないなら、お香やアロマキャンドルで代用してもいいでしょう。

もし旅行に出かけるなら、旅先からご両親に手紙を書いたり、電話をかけるだけでも気持ちを表すことはできます」

こういった行事は形式の正しさ以上に、気持ちが大切であると三浦さん。

 

「人の心や気持ちは見えません。見えない心をモノやコトに託して行うのが日本の行事の本質なのです。実際にやってみると楽しいと思いますし、自分の心も満たされていきます。『盆と正月』という言葉があるように、これらは日本の行事文化の大黒柱です。家族の絆を強くしたり、命のつながりに感謝したり、次世代へつなぐ土台にもなっていくので、大切にしてほしいと思います」

 

【プロフィール】

和文化研究家 / 三浦康子

古を紐解きながら今の暮らしを楽しむ方法をテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、Web、講演などで提案しており、「行事育」提唱者としても注目されている。連載、レギュラー多数。All About「暮らしの歳時記」、私の根っこプロジェクト「暮らし歳時記」などを立ち上げ、大学で教鞭もとる。著書『子どもに伝えたい 春夏秋冬 和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)、監修書『季節を愉しむ366日』(朝日新聞出版)ほか多数。
HP https://wa-bunka.com/

床座生活が再評価! インテリアのプロが実践する「和室」暮らしとおしゃれな和空間の作り方

「和室」に対して、どんなイメージを抱いていますか?「古臭い」「野暮ったくておしゃれに見えない」「築年数が古い物件に残っているもの」など、ちょっとネガティブな印象を持っている人も多いはず。なかには「自宅に和室があるけれど、どうやって活かしたらいいのかわからない」という人もいるのではないでしょうか。

 

そこで、二級建築士でインテリアコーディネーターの久保貴美さんに、再評価したい“和室の魅力”と、誰でも真似できる和室のインテリアコーディネート術を伺いました。自宅にも和室を持つ久保さん。おしゃれ空間に変貌を遂げたマイ和室もたっぷり紹介いただきます。

 

そもそも「和室」とは?

日本の古き良き文化の一つである和室。最近は、小上がりのモダンな和空間や、より簡易的に“和”を取り入れられる置き畳などもありますが、一体どのような部屋を「和室」と呼ぶのか、基本的な要素を整理しておきましょう。

 

「時代とともに変化した部分もありますが、今も昔も変わらない和室の要素は5つ。『畳』『襖(ふすま)』『障子』『長押(なげし)』『押入れ』です。マンションでも一戸建てでも、和室と呼ばれる部屋には大体これらがあります」(久保貴美さん、以下同)

 

和室を構成する要素の一つ「長押」とは、部屋の壁面上部に取り付けられた横木のこと。部屋を一周するようにぐるりと取り付けられており、柱と柱をつなぐ補強の役割などがある。

 

“暮らしやすさ”を高める、
和室がもつ4つのメリット

奥行が深いだけではなく、上下段に分かれていたり、上部に枕棚という小さな棚があったりと、スペースごとに収納するものを分けられる点が魅力。

 

和室が古くから受け継がれているのには、それなりの理由があります。久保さんに、再評価したい機能面のメリットについて教えていただきました。

 

1.部屋が広く感じられる

和室の一番の特長は、畳にごろんと寝転がれること。地べたにそのまま座ることができる分、目線が低くなり、天井が高く感じられます。昨今話題の“床座(とこざ)生活”などの暮らしにもピッタリです。

 

2.癒し効果がある

“すぐに寝転がれる環境”という点が、心をふっと緩ませてくれるのだとか。

 

「私も普段、和室で仕事をしているのですが『なんだか疲れたな、行き詰まったな』と感じたら、そのまま横になってリラックスします。すぐに横になれる環境があるからこそ、根詰めすぎずに作業できていると感じます」

 

また、木や草、和紙などを使って作られる和室では、目、鼻、肌で自然を感じることができるそう。

 

3.調湿・防音効果がある

自然素材が多く使われているため、調湿効果が抜群。なかでも畳に使われるイグサが、部屋の湿度に応じて、湿気を吸ったり出したりしてくれます。また、畳にはクッション性があるので、音が響きづらく防音効果も期待できます。

 

4.収納力がある

一般的に、和室の収納は引き戸の押入れになっています。押入れは寝具一式を入れることが想定されているため、洋室のクローゼットよりも奥行きが深く、より多くのものを収納できます。

 

最近の和室はデメリットが解消されている⁉

「掃除がしづらい」「客間以外にどう使ったらいいのか分からない」など、和室=使い勝手が悪いもの、と思っている人も少なくないでしょう。でも、もうその考えは古いかもしれません。久保さんによると、最近の和室は洋室にはない良さを残しつつ、どんどんと使いやすくなっているのだとか。久保さんに、勘違いを解消していただきましょう。

 

勘違い1.メンテナンスに手間が掛かる

畳と言えば、使っていくうちにイグサが擦り切れ、定期的に張替えが必要なものとされてきました。しかし、最近の和室の主流はイグサ畳ではなく和紙や樹脂の畳。(和紙畳は)より耐久性に優れているため、メンテナンスの手間も格段に軽減されています。

 

勘違い2.使い道がない

実は久保さんのもとにも「客間にはしたものの、あまりお客さんが来ない……。でも違う使い方も思い付かない」という相談がよく寄せられるのだそう。

 

「使い方に困っている方の多くが、“あまり畳の上に家具を置いてはいけない”という先入観を持っています。しかしそんな決まりはありません。チェアでもテーブルでもベッドでも、好きな家具を置いていいんです! 脚の太い家具を選んだり、下にラグを敷いたりすれば、畳が凹む心配もありません。家具を置いて良いという発想さえあれば、ぐっと活用の幅が広がるはずです。

また、畳のクッション性によって、フローリングよりも安全に暮らすことができるのも大きな特長です。子ども部屋にも、お年寄りの寝室にも使える汎用性の高さが魅力です」

 

勘違い3.野暮ったく見える

畳や襖の古風な雰囲気のせいで、インテリアが野暮ったくなってしまいそうな和室。ところが、久保さんは「コーディネート次第でいくらでもおしゃれに見せることはできる」と話します。

 

「最近は半畳のフチなし畳やカラーバリエーション豊富な襖紙なども出てきています。いずれも洋風に寄った和室に仕上がるため、隣接する洋室やおしゃれな家具とも馴染みやすいんです」

最近の和室によく使われている半畳のフチなし畳。床面がチェックのようなモダンな見た目になるのが特徴。

 

野暮ったく見えない!
和室のインテリアコーディネート

ここからは、和室の魅力を最大限に活かすインテリアコーディネートについて紹介します。和室のコーディネートというとダークな家具でまとめた「和モダン」が代表的ですが、久保さんによると、今のトレンドはナチュラルカラー(白)やベージュなど、明るい色でまとめるコーディネートなのだとか。

 

「ポイントは“和と洋の掛け合わせ”です。和は畳や襖、障子など、和室にある要素で十分足りているので、家具やファブリックなどで追加する必要はありません。むしろ和を意識してしまうと古風な印象に寄りすぎてしまうため、洋の家具やファブリックを選ぶようにしましょう」

 

では、一体どんな洋の家具を足し、どういったテイストにまとめれば良いのでしょうか? 久保さんに、自室のお写真とこだわりポイントを交えながら、詳しく教えていただきました。

 

1.ベースはナチュラルに

無垢材の天板にアイアンの脚の付いたデスク。「メインが自然素材であれば、部分的に違う素材が使われている家具でもOK」

 

「木や草などが多く使われている和室は、ラタンなどの自然素材との相性がバッチリ。シンプル且つナチュラルな雰囲気の家具をインテリアのベースに据えるのがおすすめです。

 

それから、和室に使う家具を選ぶ際に気を付けてほしいのが高さです。天井を高く感じられる点が和室の特徴ですが、背の高い家具があるだけで一気に圧迫感が……。どうしても背の高い家具を使いたい場合には、入口から死角になる位置に置き、できるだけ圧迫感が出ないようにしましょう

 

ラタンの鉢カバー。「観葉植物があるだけでなんだかおしゃれに見えるので、メインの家具の一つとしてグリーンを取り入れるのもおすすめです」

 

2.アクセントとして好みのテイストを加える

ラタンチェアとキリムのクッション。「アクセントとなる小物類は、色のトーンを合わせるのがポイントです。インテリアに一体感が出ます」

 

「すべてをナチュラルな雰囲気にすると地味になりすぎてしまうので、アクセントとして小物などで色を入れるのがおすすめです。その際、自分の好みのテイストを取り入れることで、ぐっと自分らしいお部屋になるはずです。和室と相性が良いのは、アジアン、ハワイアン、アフリカン、北欧など、自然を感じられるテイスト。逆に、ヨーロピアンなどのクラシカルなテイストはバランスが取りづらいため、控えたほうが良いかもしれません」

 

部屋の一角にマスキングテープで貼られた壁紙のサンプルやポストカード。「和室とは縁遠いと思われがちなアートも、アクセントとして取り入れればまったく問題ありません」

 

3.自然を感じられる空間をつくる

あえて短めに取り付けられたカーテン。「家の前を通る人の視線を遮りつつも、外に置いた植物は隠さない、まさに雪見障子のようなカーテンです! 障子を残し、和洋折衷のような雰囲気にしているのもポイントです」

 

「和室の多くは、窓が掃き出し窓になっています。掃き出し窓は、光がたっぷり入って明るくなる上、外の自然をめいっぱい感じられる点が大きな魅力です。お部屋の内外にある自然と生きる、というのが和の基本の考え方なので、大きな窓を活かすことで、より和室の魅力が引き立つお部屋になるはずです。

 

また、和室の窓には障子が使われていますが、『洋風の家具の中にあると、なんだか違和感がある』という方は、カーテンやブラインドなどに付け替えても良いと思います」

 

窓向きに配置された作業用デスク。「作業中も外の景色が感じられる配置にしています」

 

最後に、久保さんは「子供部屋や旦那さんの書斎部屋はあるけれど、なぜか自分の部屋はないという女性が多いと思います。そういう方にこそ、和室を活かしてほしい」と話します。

 

「使い道が分からない、という理由で和室が空き部屋になっているのは本当にもったいないです。和室の古典的なイメージを一旦捨て、趣味や仕事、リラックス空間など、自由に活用してみてくださいね」

 

【プロフィール】

二級建築士・インテリアコーディネーター / 久保貴美

ハウスメーカーでの設計アシスタント、マンションの専属インテリアコーディネーター、不動産会社を経て、2009年フリーランスとなる。個人邸やモデルルームのコーディネート、店舗の装飾&ディスプレイなど、空間づくりに関わるあらゆる分野で活動中。大阪芸術大学短期大学部 空間演出デザインコースにて、非常勤講師も務めている。
HP https://inspi55.com/

 

7月7日「七夕」の本当の意味と過ごし方は? 和文化研究家が解説する七夕の正しい知識と新行事「夏詣」

誰もがよく知る日本の夏の行事「七夕」。とはいえ、七夕の起源や由来まで知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。そこで、和文化研究家の三浦康子さんに、七夕の基礎知識や楽しみ方、さらに近年“新しい夏の行事”として全国に広まりつつある「夏詣」と、古今の夏の行事について解説していただきました。

 

織姫と彦星の伝説は悲恋の物語ではなかった!?
「七夕」の始まりを解説

そもそも日本の七夕は、いつどのように始まったのでしょうか? まずは七夕の起源について、三浦さんに教えていただきました。

 

「日本の七夕は、中国の『七夕伝説』と『乞巧奠(きっこうでん)』という行事が、奈良時代の日本に伝わったことが始まりとされています。そこに日本古来の『棚機つ女(たなばたつめ)伝説』や、お盆前に水辺で穢れ(けがれ)を祓う風習などが結びつき、現在の七夕になっていきました」(和文化研究家・三浦康子さん、以下同)

 

『七夕伝説』は別名『星伝説』とも呼ばれる、織姫と彦星の物語。そのあらすじを明確に知っているでしょうか?

 

———機織りが上手な織姫と働き者の牛使いである彦星は、織姫の父親・天帝のすすめで結婚しました。しかし結婚後、二人は仲良く遊んでばかりで働かなくなったため、それに怒った天帝は、二人を天の川の両岸に別れさせてしまいます。離れ離れになった二人は、今度は悲しむばかりで働こうとしなかったため、天帝は仕事に励むことを条件に、7月7日だけ二人の再会を許すことにしました。こうして二人はまた一生懸命に働くようになり、年に一度の再会を楽しむようになりました———

 

「七夕伝説は悲恋物語だと思われがちですが、このあらすじからもわかるように、本来は技芸を磨いて働くことの大切さを説いたお話です。そしてこの『七夕伝説』から中国で始まったのが『乞巧奠』と呼ばれる行事。機織りの上手な織姫にちなんで、手習い事の上達を願うための行事です。

『乞巧奠』が『七夕伝説』とともに日本に伝わると、日本の貴族たちも手習い事の上達を願って、雅な行事を行うようになりました。また、日本古来の『棚機つ女(たなばたつめ)伝説』に登場する、神様に捧げる衣を織る女性が織姫と同一視されるようになり、昔は「しちせき」と読んでいた七夕を「たなばた」と読むようになりました。さらにお盆前の習わしや収穫祝いなどさまざまな要素が結びついて、日本の七夕は成り立っています」

 

七夕は、江戸幕府が定めた「五節句」の一つでもある

さまざまな要素が結びついて生まれた七夕は、日本の「五節句」の一つでもあります。そもそも五節句とは何か、その意味や由来から解説していただきます。

 

「五節句は中国から入ってきた節句の中から、江戸幕府が祝日として制定した5つの節句のことを言います」

 

1月7日 人日(じんじつ)の節句(七草の節句
3月3日 上巳(じょうし)の節句(桃の節句
5月5日 端午の節句(菖蒲の節句)
7月7日 七夕の節句(笹の節句)
9月9日 重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句)

 

「五節句の月日を見てみると、いずれも奇数が並んでいることがわかります。1月1日は、年が始まる特別な日なので別格として扱われていますが、どの節句でも奇数が並んでいるのは、中国から入ってきた「陰陽五行説」思想が関係しています。陰陽五行説では、何事にも陰と陽がある、つまりマイナスとプラスがあると考えられていて、数字の場合は、偶数が陰、奇数が陽とされています。ただし、陽の数字が並ぶ日は大変縁起がいい反面、陰に転じやすいと考えられています。そのため五節句は、お祝いをするだけではなく、邪気を祓うための行事が行われる日でもあるのです」

 

七夕の笹飾りにはどんな意味が込められている?

「五節句ではそれぞれ、季節の植物を使ったさまざまな行事が行われます。七夕は、別名『笹の節句』とも呼ばれ、笹竹に願いを書いた短冊などを吊るす『笹飾り』がつくられます。笹竹には天の神様がよりつくと考えられているため、願いごとをつるした笹飾りを天の神様に届くよう空に向かって立てるようになりました。

笹飾りは本来、七夕の前日に飾りつけをして、七夕の夜が明けたら片付けるものでしたが、今はもっと早くから用意して楽しまれるようになりました。また、昔は笹飾りを川などに流していましたが、今ではそれも一般的ではなくなっています。そのため、願いを込めてつくった飾りものをそのまま捨てるのは気が引けるという場合には、お焚き上げをしてくれる神社に持って行ったり、白い紙に包んで他のゴミと分けて処分したりするといいと思います」

 

【関連記事】日本の暮らしの豆知識を伝える、中川政七商店のものづくり

 

七夕に食べるべき「行事食」があった!

「五節句にはそれぞれ行事食もあります。七夕の行事食は『そうめん』で、無病息災を願う意味があります。もともとはそうめんではなく、『索餅(さくべい)』と呼ばれる小麦粉でつくられたお菓子のような食べ物でした。古代中国で7月7日に亡くなった子どもが悪霊となって熱病を流行らせたため、その子の好物だった索餅を供えて怒りを鎮めたことが起源とされ、この索餅がそうめんのルーツだと考えられています」

 

七夕をもっと楽しむための方法は?

これまで何気なく過ごしていた七夕も、由来や意味を知ったことでより楽しむことができるはず。そこで、七夕を家で簡単に楽しむための具体的なアイデアを、三浦さんに教えていただきました。

 

1.願い事を考えて、自分の手で書いてみる

「大人になった今こそ、あらためて願い事を考えてみてほしい」と三浦さん。短冊に書くべき願い事の内容についてもうかがいました。

 

「そもそも七夕は技芸上達を願うための行事なので、短冊に書く願い事は『自分の努力で叶えられる内容』を書くのが筋です。上達したいと思っていること、こうなりたいと思う理想の姿など、『今の自分は何を願っているのか』と真剣に考える機会は意外と少ないはず。自分自身を見つめることにもつながるので、ぜひやってみてほしいと思います。

また、最近では花屋さんで1メートルほどの小ぶりの笹も売っているので、マンションなどでも笹飾りができます。笹に短冊を吊るせない時は、願い事を考え、自分の手で書いた短冊を部屋に飾るだけでも十分。飾り方を考えるのも楽しいですよ」

 

2.七夕ならではの方法でそうめんを食べる

気軽に食べられるそうめんだからこそ、いつもとは少し違った方法で食べてみるのもおすすめです。文化的にも意味がある、そうめんと一緒に食べるといい料理や食材も教えていただきました。

 

「旧暦では7月15日がお盆だったため、昔の七夕はお盆前の行事でもありました。今でも7月にお盆の行事をするところがあるので、お盆にお供えする精進料理と一緒にそうめんを食べるのは、文化的にも意味があっていいと思います。特に野菜の天ぷらは、そうめんとの相性も抜群です。また、七夕は夏の収穫をお祝いする日でもあるので、キュウリ、ナス、スイカなど、旬の野菜と一緒に食べるのもおすすめです。そうめんを天の川に見立てて盛り付けをしても楽しいでしょう。さらに、調理する前のそうめんを、紙を敷いたお盆や皿にのせ、窓辺にお供えするというワンクッションを挟むだけでも、心が豊かになると思います」

 

【関連記事】これがそうめん!? “ソーメン二郎”に教わる驚きのそうめん事情とアレンジレシピ

 

浅草神社が始めた新しい夏の行事「夏詣」

七夕のように日本で古くから親しまれている行事がある一方で、新たな行事も誕生しています。その一つである「夏詣(なつもうで)」についても、三浦さんに解説していただきました。

 

『夏詣』とは、7月1日以降に寺社仏閣にお参りして、半年間の無事に感謝し、残りの半年間の平穏を願うための行事のこと。2014年から浅草神社が提唱している、とても新しい行事です。

夏詣が誕生した背景には、『年越しの祓(としこしのはらえ)』と『夏越しの祓(なごしのはらえ)』が深く関係しています。『年越しの祓』とは、大晦日に神社の境内にある茅の輪をくぐって、一年間の罪や穢れを祓う行事のこと。その翌日の元日には、新しい一年の平穏を願って、神社仏閣にお参りする『初詣』を行います。そして半年後の6月30日にも同じように、半年間の穢れを祓うための『夏越の祓』という行事があります。

そこで、『年越しの祓』の後に『初詣』をするのと同じように、『夏越の祓』の後に神社仏閣にお参りすることを『夏詣』と名付け、提唱されるようになりました。

現在『夏詣』は少しずつ広がっており、今後『日本の風習』として定着させることを目指しているようです。参画する神社仏閣は全国各地にあるので、近くの社寺を調べて行ってみるのもいいと思います。夏越の祓、夏詣、七夕は時期が近いので、一度にさまざまな夏の行事を楽しめる機会にもなるのではないでしょうか」

 

「日本の夏の行事はそのほかにも、土用の丑の日、夏祭りや花火大会、お盆など、さまざまなものがあります。行事の意味ややり方は一つ一つ異なりますが、日本の行事に共通しているのは、幸せを願うものだということ。それぞれの意味を知って、行事に参加してみたり、家でやってみたりすると、心豊かに過ごせます。自分達の幸せのためにできること・やりたいことを、ぜひ楽しんでみてください」

 

【関連記事】その由来と意味とは?「土用の丑の日」に考える、うなぎの食文化と取り巻く諸問題

 

【プロフィール】

和文化研究家 / 三浦康子

古を紐解きながら今の暮らしを楽しむ方法をテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、Web、講演などで提案しており、「行事育」提唱者としても注目されている。連載、レギュラー多数。All About「暮らしの歳時記」、私の根っこプロジェクト「暮らし歳時記」などを立ち上げ、大学で教鞭もとる。著書『子どもに伝えたい 春夏秋冬 和の行事を楽しむ絵本』(永岡書店)、監修書『季節を愉しむ366日』(朝日新聞出版)ほか多数。
HP https://wa-bunka.com/

生誕500年。「千利休」から学ぶ、現代を豊かに暮らすためのヒントとは?

2022年に生誕500年を迎えた千利休(せんのりきゅう)。茶の湯の大成者として知られます。自らの感性を注ぎ込み“趣向”を凝らした茶会を、生涯で1000回以上開いたという利休。その感性と生き方は、究極のミニマリズムととらえることもでき、現代を生きる私たちが豊かに暮らすためのヒントにもなるはずです。

 

茶道研究家の筒井紘一さんに、利休独自の茶会が誕生した経緯や、利休の美意識が感じられるエピソード、私たちが今こそ学ぶべきことなどを教えていただきました。

 

道具を持っていないコンプレックスから、利休の“趣向”が生まれた

歴史の教科書などにも掲載され、広く知られている茶人、千利休。ところが「皆さんによく知られているのは、亡くなるまでの約20年間の利休。利休のことを深く知るためには、彼の出自から知るべきだと思います」と、筒井さんは話します。

 

「千利休は、1522年に堺で生まれました。当時の堺は南蛮貿易などによって発展し、“東洋のヴェニス”とも呼ばれていた都市。商売が盛んなこの場所で、利休の家は祖父の代から魚屋を営んでいました。

利休は10代後半から茶を習い始めますが、ライバルとなる同世代の茶人が2人いました。それが今井宗久(いまいそうきゅう)と津田宗及(つだそうぎゅう)です。利休も含めたこの3人は、のちに『天下三宗匠』と呼ばれ、偉大な茶人として名をはせることになります。ライバルである今井と津田も、利休と同じく商家の出身でしたが、この2人と利休の家柄には大きな違いがありました。今井宗久は、日本ではつくれない黒火薬や鉄砲の商売を成功させ、一代で成り上がった人物。さらに千利休の師である茶人・武野紹鴎(たけのじょうおう)の娘婿でもありました。武野紹鴎は豪商でもあったため、今井は茶の道具を手に入れるのに困らなかったでしょう。そして津田宗及は、古くから中国との貿易で財を築いてきた、伝統ある家の生まれでした。津田家では代々お茶をやってきたこともあり、今井と同じく道具に不自由しなかったと考えられます。

しかし、利休はどうでしょうか? 魚屋は、武器を売る商売と比べると利益は少ないでしょうし、他と比べると伝統ある家とも言えません。さらに、利休の父親は利休が19歳のときに亡くなっており、茶をやっていたかどうか定かではありませんが、おそらく家には茶の道具がなかったと思われます。利休はこれに対して当初は相当なコンプレックスを抱いていたはずです。しかし、道具がないからこそ、利休は茶に対する“発想力”で勝負をしようと考えた。こうして利休は、誰にも真似することができない趣向(工夫と、それによって生まれる趣き)を凝らした茶を極めていくことになるのです」(茶道研究家・筒井紘一さん、以下同)

 

“2幕のドラマ”である茶会で、利休が客に見せたものとは?

家柄に恵まれず、茶の道具を自由に手に入れることができなかった利休。だからこそ、当時の常識にとらわれない、発想力を活かした茶会を行うことができました。利休が茶会で見せた具体的な趣向について聞く前に、そもそも茶会とはどのようなものなのか、筒井さんに教えていただきました。

 

「茶会とは、約4時間かかる“2幕のドラマ”だと思ってください。1幕目では、食事(懐石料理)をいただきます。その後はいったん休憩をはさみますが、このときに茶会の主人は、演劇で舞台のセットを変えるのと同じように、茶席を少し変化させます。そして2幕目で、いよいよお茶をいただきます。出されるお茶は濃茶と薄茶の2種類。ちなみに1幕目と2幕目は、だいたい同じくらいの時間がかかります。これが基本的な茶会です。

言ってしまえば茶会は、食事をしてお茶を飲むだけの会。『日常茶飯事』という言葉があるように、食べることもお茶を飲むことも日常の出来事です。しかし約4時間の茶会の中で、日常とは離れた『別世界』を感じられるのが、茶の面白さ。日頃から命をかけて戦っている武将たちは、茶会を通して一瞬の心の安らぎを得ようとしていたのかもしれません。私は利休が開いた茶会には、参加した客がこれまで感じたことのない安らかな気持ちを得たり、『また行きたい』と思わせたりするような魅力があったのではないかと考えています」

 

「利休が開いた茶会の中で、彼の趣向がうかがえるエピソードを紹介します。利休は40歳くらいのときに、初めて“花入れ”(花を生ける器)を購入しました。その花入れは、口が細い『鶴首』と呼ばれる形で、かねでできた高級なものでした。ある茶会で利休は、この花入れを床に飾っていましたが、花は生けられていなかった。招かれた客はこれを見て、『花を忘れていますよ』と利休に伝えたことでしょう。しかし利休は、忘れていたわけではありません。花入れに水だけを入れ、『花はお客様の心の中で入れてもらおう』と考えていたのです。

この出来事は、利休の茶会の様子を残した茶会記の中に記されています。利休はこの趣向をとても気に入っていたようで、この後も茶会に招いたさまざまな客に対して行っていたようです。今のようにSNSで拡散されるようなこともありませんから、利休の茶会を知らない客たちは皆、この趣向にとても驚いたと思います。利休はその他にも、漁師たちが持っていた魚籠や、水筒代わりに使われていたひょうたんなどに着目し、花入れとして使ったこともありました。

これらのエピソードからは、利休は自分の花入れではなく、自分の趣向を客たちに見せたかったこともうかがえます。茶会記を読んでいると、利休のライバルである今井や津田の茶会は、『いかに良い茶碗や茶入れを使っていたか』という道具の顔が見えるのですが、利休の茶会では利休自身の顔が見える。私はそこが、利休のすごさのひとつだと感じています」

 

権力者に仕えても変わらなかった利休の美意識

さまざまな趣向を凝らして茶会を開いてきた利休は、50歳頃から織田信長や豊臣秀吉といった時の権力者に仕え、重用されるようになります。利休はこの頃から、中国製の最高級の茶入れを使うようになるなど、使用する道具が大きく変わっていきました。

 

しかし「利休の生き方はずっと変わらず、生涯ぶれることはありませんでした」と筒井さん。利休が、晩年も一貫して自分の美意識を貫いていたことがわかるエピソードがあります。

利休が小田原城攻めの際につくったとされている竹の花入れの一つ。東京国立博物館所蔵 伝千利休作「竹一重切花入 銘 園城寺」画像出典=「国立文化財機構所蔵品統合検索システム ColBase」

 

「1590年、利休は小田原城に攻め入る秀吉に同行します。秀吉は何か月もかけて敵を追い込むため、戦の間でも暇な時間がありました。そのため秀吉は、利休のような茶人をはじめ、能楽師や踊り子などを戦に連れて行ったといいます。利休も茶会を開かなければなりませんでしたが、戦にたくさんの茶道具を持って行くわけにもいきませんでした。そこで利休は秀吉のために、竹を切って3つの花入れをつくるという趣向を行ったとされています。しかしその中には秀吉が気に入らず、投げ捨てられてしまった花入れもありました。

この一年後、利休は秀吉に切腹を命じられたと言われています。真相はわかりませんが、小田原城に攻め入ったときにはすでに、秀吉と利休の間には埋めることができない溝があったのだと思います。しかし利休は、最後まで自分の美意識を貫き、趣向を続けたのです」

 

物を“持たない”より、物を選び抜き、工夫して使うこと

堺市博物館所蔵

私たちは今、利休の生き方からどのようなことを学ぶべきなのでしょうか? 最後に、筒井さんにお聞きしました。

 

「利休はけっして、『茶の道具がなくてもいい』と考えていたわけではありません。なぜなら、茶碗や茶入れなど、必要最低限の道具がなければ、そもそも茶道はできないからです。たんに物を持たないことをよしとするのではなく、自分が『面白い』と思う道具を選んだり、誰も思いつかないような使い方をしたりする。そうやって“趣向をする”ことこそが、利休の茶のあり方であり、生き方でした。

今の時代を生きる私たちも、日常生活の中でさまざまな道具を使っています。その中で、例えば、色のついたガラスを店で見つけたときに、『これは夏にぴったりだな。何かに使えないかな』と思うのか、何も感じずにスルーしてしまうのか。前者のように考えられるほうが、豊かに生きることにつながるのではないでしょうか。自分が日々使う道具を、金額で選ぶのか、人から言われたものを選ぶのか、それとも自分の感性にしたがって選ぶのか。それによって私たちの暮らしは変わってくると思います。

感性を磨くために私が大切だと考えるのは、古くからある日本の文化を学ぶことです。日本の四季や風景を詠んだ歌、心の機微を描いた物語などから、日本人がこれまでずっと大事にしてきた感性を知ることができると思います。文学だけでなく、能楽、狂言、歌舞伎、伝統行事など、日本の文化はたくさんあります。もちろん茶道もそのひとつです。利休が生誕500年を迎えた今こそ、『故きを温ねる(ふるきをたずねる)』ことを思い出してほしい。先を見るばかりではなく一度立ち止まって、日本で古くから大切にされてきた感性に触れてみてほしいと思います」

 

【プロフィール】

茶道研究家 / 筒井紘一

茶道研究家、文学博士。今日庵文庫長、茶書研究会会長、一般社団法人文化継承機構代表理事などを務める。『利休の茶会』『利休の懐石』(KADOKAWA)、『茶書の研究』(淡交社)など著書多数。

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

徳川家康の好物だから発展した!? 日本の伝統食材「海苔(のり)」の意外に知らない話

日本人にとって身近な食材のひとつである海苔(のり)。一年を通じて市場に出回っており、乾物の姿をしているため気がつきにくいですが、実は旬があることをご存知でしょうか? また、その見た目からは想像できないほどに、栄養も豊富。今回はそんな海苔の知られざる魅力をお届けします。

 

教えてくれたのは、海苔にまつわる正しい知識の普及に努める「海苔で健康推進委員会」の関東ブロック代表で専門実行委員の斉藤 徹さんです。

 

1300年前にはすでに海苔を食べていた

海苔は日本人にとって伝統的な食材のひとつ。和食を代表する料理、寿司にも欠かせない食材です。では、私たち日本人はいったいいつから海苔を食べているのでしょうか? まずは歴史から紐解いていきましょう。

 

「いまから1300年前、飛鳥時代に作られた日本初の法律書『大宝律令』には、海苔についての記述があり、税のひとつとして朝廷に収められていたことがわかります。当時の海苔は、現在のような四角い海苔ではなく、海から摘み取ってきたばかりの生海苔だったそうです。そして、平安時代にも海苔が市場で売られていたという記録が残っています。ただ、当時は高価で、貴族の食卓に上がる食材でした」(「海苔で健康推進委員会」の関東ブロック代表および専門実行委員・斉藤 徹さん、以下同)

 

そして時代は下り、江戸時代。ここで海苔の養殖や海苔巻きといった食べ方が誕生。現在の海苔文化の基礎が築かれました。

 

「『徳川家康が海苔好きだったため、江戸時代に海苔文化が発展した』という説があります。幕府においしい海苔を献上するために、品川や大森を中心とする東京湾で海苔の養殖が始まりました。とはいえ、まだ海苔の生態は明らかにされておらず、漁師の経験と勘だけが頼りだったため、生産量は不安定。運に左右される草という意味で、『運草(うんくさ)』と呼ばれていました」

 

やがて昭和に入り、海苔の養殖に革命が起こります。

 

「昭和24年に、イギリスのドリュー博士が海苔のライフサイクルを解明したのです。それにより養殖技術が全国に普及。時代とともに機械化が進み、昭和48年には初めて年間生産量100億枚を達成しました」

 

海苔はどうやって作られる?

身近ゆえに、海苔がどのようにして作られているのか、考えたことのない人は多いのではないでしょうか? 海苔の歴史がわかったところで、次は海苔の作り方について学びましょう。

 

「海苔ができてから店頭に並ぶまでの流れを見るときに、勘違いしやすいポイントがあるので最初に説明しておきます。“海苔屋さん”と聞いて海苔を作っている人を思い浮かべる方が多いのですが、海苔屋は海苔を作っていません。海苔をタネの状態から育て収穫し、皆さんが良く知っている四角い形に成型しているのは“海苔漁師”さんです。海苔屋は、その四角く成型された海苔を仕入れ、焼いたり包装したりして販売しています。海苔屋には海苔の問屋やメーカーなどが含まれます」

では、海苔の生育を順に追ってみましょう。

 

「現在市販されている海苔の大半は、養殖で作られています。前年の養殖が終わる春ごろ、海苔の胞子が受精し、できた果胞子が水中に放出されカキ殻(カキの殻のこと)の中に潜り込んでいきます」

 

カキ殻の中で成長した果胞子は、9月中旬から10月ごろの海の水温が下がったころに、分裂して殻胞子という胞子を放出します。

 

「10月の下旬ごろ、殻胞子を海苔網に付けて(採苗)海の中で育てていきます。この時期は台風がやってきたり急に気温が高くなったりして、海苔が病気にかかりやすい季節でもあります」

 

この時期が、海苔漁師がもっとも気を遣う時期だそう。

 

「海苔は採苗してからすぐに成長が始まり、1か月ほどで15〜20cmぐらい伸びます。そこまで伸びたら収穫がスタート。伸びた芽の先をカットしたら、また20cmほど伸びるのを待ちまたカット。収穫は11月ごろに始まり4月中旬あたりまで続きます。ひとつの網から多いと7-8回ほど収穫できますね」

 

収穫した生海苔は大変傷みやすく、その日のうちに海で混入したゴミなどの異物を除去し、細かく切って抄いて乾燥させます。手漉き和紙を作る工程を想像するとわかりやすいかもしれません。これで乾(ほし)海苔の完成です(現在はすべて機械化されています)。乾海苔はこのあと、各漁業協同組合に出荷されていきます。

 

「漁業協同組合では、乾海苔を金属探知機で検査し、色やツヤ、味などをチェックしてランク付けしていきます。それが入札会にかけられ、問屋やメーカーなど海苔の流通に関わる会社が落札してくのです。落札された海苔はまだ水分を10%程度含んだ状態。焼いたり味を付けたりするには水分が多すぎるため、落札した会社で水分がほとんどない状態まで乾かし、商品に合わせて焼いてカットしたり加工を施していきます。包装まで終えたら小売店に出荷し、商品として店頭に並びます」

 

海苔のサイズや単位を知ろう!

海苔の袋に「3切」や「8切」など、「●切」という言葉が書かれているのを見たことはないでしょうか?

 

「海苔の大きさは、昭和40年代に全国で統一されました。統一規格は縦21cm、横19cm。これを『全型』と呼びます。そして全型のものを10枚束ねたものを『1帖(じょう)』という単位で表します。袋などで見かける『切』は、全型を何枚に切り分けたかということ。例えば『3切』というのは、全型の海苔を3等分にしたという意味です。各メーカーが全型の海苔を食べやすい大きさにカットして販売しています。もちろん全型の海苔を購入し、自分で好きなサイズにカットしてもOKです」

 

海苔のサイズと特徴

・半切
全型の海苔を半分にカットしたもの。お寿司や三角形のおにぎりに使うのに最適なサイズで、コンビニのおにぎりは、このサイズの海苔を使っているものが多いです。

 

・3切
全型を3等分した大きさ。おにぎりを俵巻きにするときや、おもちを巻くときに使い勝手が良い大きさです。

 

・4切
全型の4分の1のサイズ。十字に切る場合と横に4等分にする場合があります。

 

・8切
全型を8分割した大きさ。「おかず海苔」などの名前を付けて販売している場合も。

 

・12切
全型を12等分した大きさ。旅館やホテルなどの朝食に登場することが多いサイズ。

 

・もみ海苔、きざみ海苔
丼ものやそばなどのトッピングに使いやすいよう細かくカットされているもの。

 

海苔の主要な産地はどこ?

海苔と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは有明海苔でしょうか。それ以外にも日本では、北は宮城から南は鹿児島まで、全国各地で海苔を生産しています。

 

「海苔は、10℃以上18℃以下の水温の中で育ち、適温は大体11〜13℃です。穏やかで遠浅な海であること、大きな河川があり海苔が育つのに必要な栄養が運ばれてくること、潮の流れによって適度な水の入れ替わりがあることが、海苔の生育に必要な条件。つまり、日本の風土は海苔の栽培に適しているのです」

 

せっかくなので、特に生産量の多い産地を海苔の特徴とともに教えてもらいました。

 

海苔の産地とその特徴

・松島湾産
色が濃く、しっかりとした歯応えがある。

 

・東京湾産(千葉県)、伊勢湾(三重県、愛知県)
草芽がしっかりしており、味が濃く比較的香りが強い。

 

・瀬戸内海産
松島湾産と特徴が似ており、色が濃くしっかりとした歯応えがある。

 

・有明海産
焼く前の状態で若干赤みが強い。甘味が強く歯切れが良い。

 

「おにぎりなどに巻いてすぐ食べるのであれば、有明産など歯切れ良く柔らかいタイプがオススメ。おにぎりなどに巻いて時間をおいてから食べるときは、海苔の硬さはさほど気にならなくなります。ですので、松島湾や瀬戸内海産の色が濃いものを使うと、時間が経っても美しい見た目を楽しめます。ただ、どの地域でも柔らかい海苔を味わえる旬の時期があるので、あくまでこれらの特徴は傾向に過ぎず、購入する時期によって特徴は若干異なってきます」

 

また、斉藤さんによると海苔の厚みと歯切れの良さには相関関係はないとのこと。

 

海苔の歯切れは厚みではなく、使われている海苔の草質によって決まります。なぜなら新芽を使えば口溶けの良い物になりますが、何度も刈り取ったあとの部分で作れば口の中にゴワゴワと残る食感になります。ですので厚みではなく、どんな草質の海苔を使って成型されたかで食感が決まるのです。もちろん同じ柔らかい海苔で作るなら、厚みがある方が味は濃くなりますよ」

 

産地以外にはどんな違いがある?

海苔とひと口にいっても価格はピンキリ。500円以下で買えるものもあれば数千円するものもあります。その違いはいったい何なのでしょう?

 

「等級検査で付けられたランクによって価格は決まります。ただ、等級の基準や名前は地域によって異なり、統一されていません。場所によっては100種類以上もの等級があることも。また、パッケージに等級が書かれていないことのほうが多いです。

 

ただ、総じて言えるのは、色が濃く、ツヤがあって曇りがないものほど品格があるとして価格が高くなるということ。海苔のおいしさは、如実に価格に比例します。手巻きで使うのであれば600円以上のものを買っていただくと柔らかく歯切れの良いものが手に入ると思います。また、中身が見えるパッケージに入っている海苔あれば色が濃いかどうかを見てみてください。極端に価格が低いものは鶯色のような色をしています」

 

斉藤さんが営む「中川海苔店」には、現在(2022年3月6日時点)千葉県産の「重重特」(右/2000円)という肉厚の海苔が並んでいます。

 

「海苔との出会いは一期一会。いまは『令和3海苔年度 第一回 富津 重重特』が並んでいますが、来シーズンは何が並ぶかわかりません。自然が作るものなので、常に同じものが手に入るとは限らないからです。また、スーパーなどに並ぶ海苔に等級が書かれていないのは、このためでもあります」

 

おいしい海苔を見極めるうえでもっともわかりやすい目印に「初摘み」や「一番摘み」があります。

 

「『初摘み』も『一番摘み』も意味は同じ。海に張った網から最初に摘採した新芽で作られた海苔のことです。新茶や一番茶と同じですね。大体11月ごろから市場に出回るのですが、生産量が少なく価格は高め。そのぶん柔らかくて、香り高い風味を楽しめるとして人気です。そのままはもちろん、巻いてすぐ食べるならおにぎりなどにもオススメですよ」

 

「また、貴重という意味では『青まぜ』という海苔もあります。これは青海苔が混ざった海苔のことで、まだ水温が少し高い秋と春に向かうわずかな期間にしか採れません。香りが特徴的で好みは分かれますが、青まぜしか食べないと言う人もいるほど、ハマる人はハマる海苔です」

 

1mm以下の薄さでも栄養はたっぷり!

10枚(全型)食べても60kcal前後と低カロリー。さらには紙のような薄さ。正直海苔はお腹が膨れるとは言い難い食材ですが、実は1枚に26種類もの栄養成分を含まれています。どのような栄養を摂れるのでしょうか?

 

「海苔は『海の緑黄色野菜』とも呼ばれる食材です。大別するとタンパク質、ミネラル、ビタミン、食物繊維が含まれています」

 

海苔に含まれる栄養成分

・タンパク質

海苔の約40%はタンパク質。タンパク質を構成するアミノ酸が海苔のうまみを生み出しています。そして「うまみ成分」は、一般的に昆布に含まれるグルタミン酸、かつお節に含まれるイノシン酸、しいたけに含まれるグアニル酸の3つに分けられますが、海苔には3種類すべてのうまみ成分が入っていて、 3種すべてが入っている自然食品は海苔だけと言われています。

 

・ミネラル

ミネラルにはカリウムやナトリウム、鉄、亜鉛などさまざまな種類がありますが、海苔にはそのほとんどが含まれています。とくにカルシウム、亜鉛、ヨウ素、鉄が他の食品よりも豊富です。

 

・ビタミン

海苔には11種類のビタミンが含まれています。なかでも葉酸の量はすべての食品のなかでもトップクラス。また、海苔に含まれているビタミンB2には、ごはんを効率良くエネルギーに変える働きがあるので、おにぎりに海苔を巻くのは理に適っています。

 

・食物繊維

海苔の約3分の1は食物繊維でできています。食物繊維には水溶性のものと非水溶性のものがありますが、海苔に含まれるのは水溶性。そのため野菜の食物繊維よりも、穏やかに体内の不要なものを体外に排出できます。

 

湿気を含んだ海苔はうまみの抜け殻!?
市販のチャック付き袋での保存はNGだった

紹介した以外にも、海苔にはEPAやタウリンなどさまざまな栄養素が含まれていて、栄養面を考えると、全型の焼き海苔を1日に2枚食べるのがオススメなのだそう。せっかくなので、よりおいしく食べるために正しい保存方法を教えていただきました。

 

「多くの方がご存知かとは思いますが、海苔にとって湿気は大敵です。海苔には赤、青、緑、黄色の4つの色素があるんですが、これらはうまみ成分でもあります。先ほど色が濃いほど質が高いと言ったのはこのためで、色が濃いものほどうまみ成分がしっかりあるということなんです。そして、そのなかで緑色と黄色のうまみ成分は水分に弱く、湿気ると失われてしまいます。結果、赤と青の色素だけが残るので、湿気った海苔は紫色に見えるんですよ。うまみの抜け殻のような状態ですね」

 

パリパリ食感だけでなくうまみを味わうためにも湿気が大敵ということはわかりました。では、湿気を防ぐにはどのような保存方法が最適なのでしょう?

 

「海苔を市販のチャック付き袋に移す方がいますが、あれはNG。チャック付き袋の大半はポリエチレン(PE)で作られており、切断面には目に見えない小さな穴がたくさん空いています。分子が大きい水は通りませんが、水蒸気は通ってしまうんです。元々の海苔の袋にチャックが付いているならその袋のまま保管するのがベスト。もし、チャックがなければキャニスターやフードコンテナなど密閉式容器に移し、海苔の袋に入っていた乾燥剤を入れましょう。ちなみに容器は横長で開口部の大きい物よりも縦長のものがオススメです。フタを開けると湿気のある外気と乾いた中の空気が入れ替わるのですが、入口が狭いほうが、入れ替わる量が少なくて済むからです。食べるときは一枚取り出したらすぐにフタを閉めるようにしてくださいね」

 

「海苔で健康推進委員会」が開発した「2本指で開けられる四切サイズ海苔の密閉保存容器密閉保存容器」(税込660円)

 

「容器は食卓など目につく場所に常に置いておくのがオススメです。目につく場所においしいものが置いてあれば、自然と手が伸びますよね。どこかにしまい込んでしまうと食べ忘れ、気がつけば湿気っていた……なんていうことに。海苔をもっともおいしく食べる方法は、開封したらできるだけ早く食べきること。それに尽きます」

 

海苔を冷蔵庫で保存している人も多くいますが、正しい保存方法なのでしょうか?

 

「結露しやすいのでNGですね。冷蔵庫に入れたならば、食べる1日前に冷蔵庫から取り出し、密閉状態のまま常温になるまで待ってから開けるようにしてください」

 

また、食べる前に海苔を火などで炙るという人もいます。問題ないのでしょうか?

 

「炙ることで、海苔本来の香りとうまみが増すという声もあります。ただ、時間が経つと熱に弱い性質を持つ赤と青のうまみ成分が失われてしまうので、炙るならすぐに食べるのが吉。未開封でも海苔は焼海苔になった時点から時間とともに風味が落ちていくものです。なのでお得だからとまとめ買いをするのではなく、食べられる量を買ってどんどん新しいものを食べていくことが、海苔を無駄なくおいしく食べるコツです。海苔の生産は、海苔漁師さんたちが真冬の冷たい海という過酷な環境下で、厳しい自然を相手に行われています。そんな苦労の末に作られた海苔ですから、正しい保存方法で保存しておいしい状態を味わってくださいね」

 

最後に海苔についての素朴な疑問をぶつけてみました。

 

Q.海苔の語源は?

「ぬるぬるするという意味の『ぬら』がなまって『のり』になったと言われています。平安時代には『紫菜』と書いて『のり』と呼んでいましたが、その後地方によって呼び名が変わり、江戸時代になっていまの『海苔』という文字が当てられたそうです」

 

Q. 日本以外に海苔を食べるのはどんな国?

「以前は、『ブラックペーパー』と呼ばれ、欧米では敬遠されていた海苔ですが、最近の日本食ブームと栄養豊富なことが注目され、いまではさまざまな国で食べられています。ただ、輸入する国がほとんど。海苔を生産しているのは日本以外だと気候条件が当てはまる韓国や中国が主ですね。他の地域で作られているという話は聞いたことがありません」

 

【プロフィール】

「海苔で健康推進委員会」 関東ブロック代表および専門実行委員 / 斉藤 徹

「海苔で健康推進委員会」に所属し、海苔にまつわる正しい知識の普及に努める。千葉県にて「より良い海苔をお求めやすい価格でのお客様への提供」がモットーの焼きのり専門店「中川海苔店」も運営。

 

絵本作家おーなり由子さんが366日の歳時記に込めた、日々身近に感じられる“豊かさ”とは?

空の色や風のにおいから感じる、季節のうつろい。そのときしか味わえない旬の食べ物のことや、日常のあちこちに根付く昔ながらの美しい習慣のこと。

 

世の中がコロナ禍に巻き込まれ2年が経過したいま、これまでの人生に対する価値観を見直し、あらためて「日々の生活」を大切に、丁寧に営もうと意識する日本人が増えているといいます。

 

絵本作家・漫画家としても知られるおーなり由子さんの『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記』は、そんな日本で暮らす日常の豊かさを伝えている知る人ぞ知るベストセラー。これを以前から愛読していたブックセラピスト・元木忍さんが、同書の誕生秘話に迫ります。

 

おーなり由子『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記』(新潮社)

季節のうつろいについて感じたことや、日常の小さな物語を綴ったイラストつきのエッセイを1日1ページ、366日分収録。各地の行事やお祭り、旬のレシピから季節の動植物についての知識まで、なんでもない日常にある楽しさや喜びを見つけるヒントもたっぷりと詰まっている。2006年の発売以来、新旧幅広いファンの支持を集めて着実に版を重ねるベストセラー。

 

いま再び見えるようになった、当たり前の日常の美しさ

元木忍さん(以下、元木):私は長年、本に関わる仕事をしていますが、コロナ禍以降、人々が読みたいと思う本の内容が変わってきたように感じているんです。そんななか個人的によく読み返すようになったのが、おーなりさんのこの本でした。今日も私物を持ってきたのですが、もう何年も読んでいるから、あちこちに付箋を貼ったり、美味しそうなレシピにマーキングしたりしています(笑)。

 

おーなり由子さん(以下、おーなり):ふふふ。そうでしたか、ありがとうございます。

 

本の中で紹介されている和菓子をお取り寄せしたこともあるくらい、本書をプライベートで活用している元木さん。季節の食べ物やレシピを思い出すツールとして重宝しているそう。

 

元木:15年以上も前の本なのに、全然古さを感じません。この本を何気なくめくっていると、旬の野菜やお魚のことが書いてあったり、「小さなころこんな行事があったな」なんて思い出したりして、もっと1日1日をゆっくり大切に生きてみたくなるんですよね。これってまさに、いま多くの日本人が求めている感覚じゃないかと思って、今回は取り上げさせていただきました。だいぶ前のお仕事ではありますが、この本を作った当時の思いを聞かせてください。

 

おーなり:小さいときから、よく新聞とかに載っている小さな歳時記の欄を読むのが好きだったんです。たとえば、「立春」とか「啓蟄※」とかいう漢字にわくわくしたり。小学生の頃は、こういう季節の言葉があるってことを知らなくて、すごく新鮮で。季節を感じるって楽しいな、と思って。スケッチブックに絵日記を書いたりしてました。いつか、季節をテーマにした本を作ってみたいなあ、とずっと思っていたので、編集の方に打ち明けて。やっと書くことができてうれしかったです。(※けいちつ)

 

手前に写っているのが、今回快くお話をしてくださったおーなりさん。今回の取材は、都内にあるおーなりさんのご自宅で、庭木に集まる鳥たちの声をBGMに行われました。

 

元木:当初から、1日ごとに絵と文を綴るという形式にしたかったんですか?

 

おーなり:そうなんです。毎日1ページ、という形で書きたくて。知識とか情報というより、エッセイを読みながら、その季節の感覚の中にスッと入ってもらえるような、そんな本にしたかったんです。

 

イラスト付きのエッセイは1日につき1本。ページの下段に、その時期の旬の食べ物、地方の行事やお祭り、著名人の誕生日や二十四節気のことなど、おーなりさん自身がチョイスした小さな情報を添えています。

 

元木:制作は何年越しだったのでしょうか?

 

おーなり:実はこれを作っていた途中で子どもが生まれて、思っていたよりすごく時間がかかってしまったんです(笑)。妊娠前から始めて、産後に仕上げて……という感じで、だいたい5年くらいですね。文章や絵を描くだけでなく、書かれている事柄についての事実確認にも意外と時間がかかって。

 

元木:地方の小さな行事とか和菓子屋さんのお菓子、著名人の誕生日まで、なかなか幅広い情報が書いてありますものね。

 

おーなり:いろいろなことを書いたので、校閲の方から毎週のように質問がありました。市町村の合併が各地であった頃で、校正をしている間に街の名前が変わったり、合わせてお祭りの名前も変わっていたり。編集さんの横で赤ちゃんを抱っこしながら、調べたり、答えたりしていました。長く読んでもらえることになったので、巻末付録の二十四節気表は、10年目で更新しています。

 

元木:366日は順番通りに埋めていったんですか? 1日で1日分を書くとか?

 

おーなり:いいえ。書きたいことからです。自分でレイアウトするので、上にエッセイとイラスト、下に季節の情報を書こうと決めて、まずその「ひらがな暦」用の原稿用紙をつくってから、そのスペースに書いていきました。それぞれの季節で、食べ物の話が続いたら、次は星の話、取り上げたい記念日があるから、それにまつわる思い出を書こうとか、れんげ畑の記憶はどの日に入れよう、とか。パズルみたいに、季節を行ったり来たりしながら書いていったんです。

 

つい試してみたくなる、小さなスイーツのレシピなども盛り沢山。ご自身も料理好きですが、そこも肩肘張らずに、普段は冷蔵庫にあるものでさっと作れるような料理をすることが多いそう。

 

こちらは担当編集者が鋭意制作したという巻末付録の索引。キーワードがあいうえお順で記されており、「あの行事は何日だったっけ……?」といった疑問がすぐ解消できるようになっています。

 

日常のすぐそばにある季節の楽しみ方を教えてくれる本

元木:あらためて読んで思ったのは、私たちって「本当は知っているのに忘れてしまっていること」がよくあるじゃないですか。今までは毎日があまりにも忙しすぎて、夜にお月様をゆっくり見るなんてあまりなかったけれど、最近は「今日は満月か、じゃあ空を見てみよう」って感じる余裕が出てきたというか。これって多分私だけではなく、みんなになんとなく起きている心境の変化だと思うんですよね。『ひらがな暦』に書かれているようなことの大切さ、豊かさを、今になってやっと人々が欲しがるようになってきたんじゃないかと思っていて。

 

おーなり:家にいる時間が増えて、すぐそばの楽しみを見つけた人が多いのかもしれないです。近すぎて何もないと思っていた足もとに、いろんな面白さがあった。というか。
当時はそんなに気負って書いたつもりはなくて。もともと日常のちょっとしたことが一番楽しいと思っているので、この本は、本当に個人的な季節の感じ方、楽しみ方を集めるように書いています。たとえば、さくらの花びらが、道の端っこにたまってたら、さわりたくなるとか。そういう(笑)。わたしが好きな、季節のかわいいものや、面白いと思うものを、読んだ方が私とは違う形で楽しんだり、ふくらましたりしてくれているとしたら、すごくうれしいです。

 

いわし雲が出る時期は、いわしが食べごろ…。そんな風に、季節を味わうための豆知識を、エッセイを楽しみながら吸収できる作りになっています。もちろん、好きなページをランダムにぱらぱらめくって読むのもアリです。

 

11月17日のエッセイは、風邪を予防する「蓮根療法」について。その昔、自然療法の大家・東城百合子さんの本に影響を受けて以来、民間療法を「試す」のが大好きというおーなりさんらしい内容です。

 

元木:私は気に入ったページにマーキングするだけじゃなくて、家族の誕生日とかも書き込んでしまってます(笑)。

 

おーなり:うれしいです。そんな風にメモしながら使ってくれたらいいなという思いもあったんです。その人の歳時記になって、繰り返し開いてもらえたら、本も幸せだと思います。

 

元木:お正月だけ買える花びら餅、クリスマスのガレットとか、うっかり忘れてしまいそうなことを思い出すツールとしても役立ちますよね。ほら、9月16日の「いわし雲」のページは、「いわしが食べごろ」にマーカーをしていたり(笑)。

 

おーなり:そうそう(笑)、この本にはそもそも、自分用に覚書をしておきたいという思いもありました。

 

元木さんのように家族の誕生日を記入したり、覚書としてイベントや出来事をメモしておいたりする読者もいるのだとか。自分色の一冊に染めていくのも、この本の楽しみ方のひとつです。

 

日本人であることを「気に入っている」

元木:好きな季節ってあるんですか?

 

おーなり:どの季節も好きなのですが、特に季節の変わり目が好きです。ちょっと涼しくなったり、風や匂いが変わっていくときの新鮮な気持ち、なんとも言えない気持ちになります。

 

元木:けっして華やかではないけれど、日本人なりの豊かな生き方とか、当たり前にあるものの尊さっていうのを、私はこの本からすごく学んだ気がしています。おーなりさんはそもそも、日本人であることとか、日本の文化といったものを普段から意識しているタイプですか?

 

おーなり:特別に意識しているわけではないですが、これは、日本独特の感性なんだな、と思うことはよくあります。育ったのが、大阪の郊外で、田んぼがあったり、森があったり。北摂というエリアなのですが、子どもの頃、住んでいた家が、神社のある山のふもとにあって、鳥居をくぐってから家に帰るような面白い場所でした。目に見えないちいさい神さまが、そばにいるような感覚とか、お祭りのニュースや太鼓のひびきにわくわくしてしまうのは、そのあたりが影響しているかもしれません。

 

元木:じゃあ、地方のお祭りなんかは良く出かけるのですか?

 

おーなり:有名なお祭りにわざわざ行くことは少なくて、出かけるのは身近なところ。近くの神社の「茅の輪くぐり」とか「朝顔市」とか……楽しいです。こんなお祭りしてたんだ! と発見するのも楽しいし、自分の住んでいる場所が好きになります。

 

元木:でも、日本人であるというルーツをとても大切にされている感じがします。

 

おーなり:日本人に生まれたことは、気に入っています。よかったなあ、と思う。四季があるって、ほんとに、幸せやなあ、と思います。田んぼのお祭りが神さまへの祈りや感謝につながってたり、「いただきます」といって、ごはんを食べることとか。でも、見えるものと見えないものが重なっている感覚って、日本人は生活の中に染みこんでいて、言葉にしなくても、普通に持っている気がします。

 

エッセイにはおーなりさんの記憶や体験に基づいた個人的なことも書かれていますが、自分の思い出や体験とシンクロしてグッときてしまうことも……。添えてある優しい絵柄にも心が癒されます。

 

キッチンに。ひとつひとつ表情が違う味わい深いフォルムのガラス瓶。小物や雑貨のひとつひとつが、大切にチョイスされていることが伝わってきます。

 

日々を幸せに生きるコツは、「できない」を受け入れること

元木:おーなりさんはそもそも漫画家としてデビューされた経歴をお持ちですよね。

 

おーなり:はい。高校生の時に『りぼん』でデビューしました。メジャーな作品の横で、童話のような短編を描いていました。雑誌の中では、ちょっと浮いてましたが、ありがたいことに、それをずっと読んでくださっている方々がいて。

 

元木:こういった「絵と文」を描くようになったきっかけは?

 

おーなり:最初は、漫画を読んだ大和書房の編集の方が「エッセイを書いてみませんか」と、声をかけてくださって。私の文章を「味があっていいね」と面白がってくれたので、書くのが楽しくなりました。それから絵本などの仕事につながっていったんです。

 

元木:漫画の形にこだわりはなかったのですか?

 

おーなり:絵を描くのが好きなので、絵本はずっと描いてみたかったんです。いろんな本を作りますが、漫画でページの作り方を学んだので、自分では、形が変わってもそれがベースになっているな、思っています。

 

元木:おーなりさんの絵って、線がちょっとゆるかったり、丸もきれいな形ではなくいびつだったり、そういう「キチッとしていない感じ」が、すごく自然で素敵だと思っています。自分が好きなことをしながら、日常の中にある豊かさを味わって生きているおーなりさんの生き方に憧れを感じるのですが、そんな風に日々を生きていくためのコツって何かありますか?

 

おーなり:コツとは言えないかもしれませんが、無理できない性分なんです。ただ、できないからしないだけですが(笑)。暮らすことも、描くことも大事だから、心のどこかにぽかんとした場所があるようにしておきたい、と思っています。

 

元木:「できないことはしない」という線引きがしっかりできるからこそ、目の前にある季節の移ろいや、日常の中の豊かさ、楽しさに意識を留めることができるのかもしれませんね。

 

おーなり:自分がいるところから、愛しいものを探したいです。現実には、悲しい出来事も多いから、ちょっとしたことに、幸福を感じることが、わたしにとっては大切なんだと思います。

 

【プロフィール】

絵本作家・漫画家 / おーなり由子

1965年大阪生まれ。絵本作家、漫画家。夫は絵本作家のはたこうしろう氏。1982年に少女漫画雑誌で漫画家としてデビューし、その後は絵本作家としても活躍。近著として「こどもスケッチ」(白泉社)、「あかちゃんがわらうから」(ブロンズ新社)、「ことばのかたち」(講談社)などがある。ペンネームの「おーなり由子」は、漫画雑誌に投稿していたとき何となく付けた名前を編集者に気に入られ、そのまま使っているそう。2022年夏に偕成社より、ワニと女の子の童話絵本を出版予定。
http://www10.plala.or.jp/Blanco/

日本伝統のファブリックで部屋を飾る!「風呂敷」と「手ぬぐい」の意外な使い道

2月23日は「風呂敷の日」。日本の伝統的な道具として誰もが知る存在である一方、日常的に使う機会は少ないかもしれません。とはいえ、レジ袋が有料化されエコバッグを持ち歩くことが当たり前になった昨今、風呂敷は代わりに使えるエコなアイテムとしても、注目を集めています。

 

そこで今回は、普段使いはもちろん、インテリアを盛り上げるアイテムにもなる「風呂敷」と、風呂敷同様古くから日本人の暮らしに寄り添ってきた「手ぬぐい」の魅力に迫ります。風呂敷や手ぬぐいを中心に取り扱うショップ「JIKAN STYLE KITTE丸の内店」を訪ね、店長・小寺千春さんに、風呂敷と手ぬぐいの歴史から、生活シーンに寄り添う活用法まで、詳しく教えていただきました。

 

奈良・室町時代から愛される、日本人の生活必需品!
意外と知らない風呂敷・手ぬぐいの話

風呂敷と手ぬぐいの使い方を知る前に、そもそもなぜ「風呂敷」という名前で呼ばれているのか、手ぬぐいはいつ頃から使われていたのかなど、歴史的な背景を小寺さんに伺ってみました。

 

「諸説ありますが、風呂敷が『風呂敷』という名前で呼ばれるようになったのは、室町時代。名前の通り、お風呂場で使われていたことが由来となっています。お風呂道具を公衆浴場に持って行ったり、他人のものと紛れないように着物を包んでおいたり、さらに、風呂上がりにはその布を足元に敷いて身支度をしていたという文化があったそうです」(小寺千春さん、以下同)

 

「手ぬぐいも諸説あるのですが、その起源は奈良時代にさかのぼります。神事の時に装身具として使われていたのが、手ぬぐいの原型なのだとか。江戸時代になると、綿花の栽培が盛んになり、綿織物で仕立てた着物がたくさん作られるようになりました。その仕立ての過程で出た端切れが、『手ぬぐい』として庶民の生活に浸透していったと言われています。当時から手拭きに使ったり、ほこり除けに使ったりと万能だったそうですよ」

 

SDGsや防災の観点からも注目を集める、
風呂敷・手ぬぐいの魅力

日本人の日常生活のなかで、便利な道具として活躍してきた風呂敷と手ぬぐい。その魅力は現・令和の時代になってもけっして失われていません。さらに最近では、SDGsや防災の観点からも注目が。そんな風呂敷と手ぬぐいのメリットや、便利な使い方を教えていただきました。

 

風呂敷の魅力

・包む物の大きさに捉われない

「かばんは容量が決まっているのに対して、風呂敷は包む物の大きさに捉われることなくさまざまな物を包めるというのが、大きな魅力だと思います。また、お弁当を包むのにぴったりな50cm巾(はば)や、エコバックやインテリアファブリックにも使える大判の105cm巾のものなどサイズも豊富なので、包みたいものに応じて使い分けることができます」

 

・使い方も自由にアレンジできる

「包むだけでなく、さまざまな用途で使用できるのも魅力のひとつ。包むのはもちろん、ソファやテーブルに敷くなど、インテリアグッズとしても楽しめます。洗う度に生地が柔らかくなってくるので、スカーフとして首に巻いてもかわいいですよ。
また、最近はレジ袋の有料化やSDGsの高まりから、エコバッグとしての活用法が見直されています。洗濯して繰り返し使えるだけでなく、使わないときは小さく畳めてかさばらないので、かばんにひとつ入れておくだけでも便利です」

 

手ぬぐいの魅力

・緊急時にも活躍する、汎用性の高さ

「手ぬぐいの使い方に決まりはありません。名前の通り、手を拭うハンカチやタオルとして使ってもいいですし、パソコンや姿見鏡のほこり除けとして使ったり、掃除のふきんとして使ったり。さらに、風呂敷と同じくいろんなものを包むこともできます。
また、防災の観点からも注目されています。三角巾としての使用や、ハサミで少し切れ目を入れればすぐに裂くこともできるので、緊急時の包帯として使うことも可能です。日常生活だけでなく、緊急時にも役に立つ汎用性の高さは、手ぬぐいの大きな魅力ですね」

 

・雑菌が溜まりにくく、衛生的

「手ぬぐいの端が切りっぱなしになっているのにも、きちんと理由があるんです。通常のハンカチなどは、生地がほつれないように端を折り曲げて縫製しているのですが、手ぬぐいはあえて縫製しないことで、生地がフラットな状態になっています。それにより、水はけがよくすぐ乾くので、雑菌が溜まりにくいというメリットがあります。
ほつれて出てきた余分な糸は、はさみで切ってしまいましょう。ある程度のところでほつれが収まるようになっていますので、安心してくださいね」

 

好きな絵柄を選び、視覚的に楽しめる豊富なデザイン

使い道が豊富な風呂敷や手ぬぐいですが、「デザインの豊富さ」も注目のポイントです。今回取材をした「JIKAN STYLE」も、日本の伝統的なモチーフをあしらったものやモダンな幾何学模様、キャラクターのコラボレーション商品など、何百種類ものデザイン商品を取り扱っています。

昨年12月にデビューした新ブランド「kenema+(ケネマプラス)」。より日常生活での使いやすさを追求したシンプルなデザインが魅力。注染手ぬぐいが5種、風呂敷(100cm/50cm)も5種の絵柄がある。

 

「ただ販売するだけでなく、商品から楽しさや感動など、何かを感じ取ってほしいという想いから、オリジナルのデザインを幅広く展開しています。一枚絵のデザインや、日常で使いやすいシンプルなデザインなど、みなさんの好みの一枚がきっと見つかると思います。普段使いもいいですが、飾って視覚的に楽しむことができるのも、風呂敷や手ぬぐいの魅力です」

気(美しい気配)・音(美しい音色)・間(美しい間合い)という意味合いを込めたブランド「kenema」は、一枚絵としても楽しめるデザインが豊富。注染ならではの、色と色が混じり合う独特の柔らかい表現が特徴。

 

さらに、JIKAN STYLEの手ぬぐいには、「染めの技術」に大きなこだわりがある、と小寺さん。「わが社で取り扱っている手ぬぐいは、明治初期から続く『注染(ちゅうせん)』という染め技法で作られています。いわば職人の手作業でひとつひとつ丁寧に作られた、伝統品です。そんな手ぬぐいから、日本文化や伝統技術の面白さを知ってもらえたらうれしいですね」

手ぬぐいを飾るタペストリー素材や額など。季節に合わせて手ぬぐいを変えながら、アートとして楽しめます。

 

楽しみ方は無限大! 風呂敷・手ぬぐいの活用法

いろいろな使い方ができる風呂敷や手ぬぐい。でも、実際の包み方まで知らない方が多いのではないでしょうか? 今回は、インテリアシーンで活用できる包み方を中心に、その手順を小寺さんに教えていただきました。

 

1.花瓶

50cm小風呂敷「ブラインド」
600円(税別)

インテリアを華やかに彩る、花瓶。今回は、高さ20cmほどの花瓶を風呂敷でかわいくアレンジします。風呂敷のデザイン次第で、自分の部屋のイメージや飾る花を変えてみるのも楽しそうです。今回は、50cmの小風呂敷を使用します。包みたい花瓶の高さや幅に合わせて風呂敷のサイズを変えるのがポイントです。

 

【手順】

1.風呂敷の裏面を上にして敷き、包みたいサイズに合わせて天地の布を折り込む。(今回は、花瓶のくびれ部分に合わせています)

 

2.そのまま下部の布を、くびれの部分まで折り上げる。

 

3.左右の余った布を持って、クロスさせながらしっかりと巻き付ける。

 

4.そのまま左右の布を花瓶の背面まで巻き付け、後ろで結んで完成。

「真結びというリボンのような結び方が一般的ですが、今回は少し瓶の幅が太めだったので、結んだ後にくるくるとねじって仕上げてみました。お酒の瓶など包むときにもねじって仕上げることが多いです。一度跡が付いてしまった風呂敷や手ぬぐいは、洗濯してアイロンをかけてもOKですので、いろいろな花瓶でチャレンジしてみてください」

 

2.クッション

90cm大風呂敷「七転八起 黒」
2000円(税別)

お気に入りのデザインの風呂敷を使って、クッションを包んでみましょう。お弁当を包むのと同じ要領で、とっても簡単に仕上げることができますよ。今回は、だるまの絵柄がかわいい90cmの風呂敷で包みます。

 

【手順】

1.風呂敷の裏面を上にして敷き、クッションを対角線上の中央に置く。

 

2.天地の布を、クッションにかぶせるようにして包む。

 

3.左右も同様に、中心に向けて包み込む。

「この時はただ折り込むのではなく、三角形に折ってから中心に向かって包むと、すっきりとした仕上がりになるのでおすすめです」

 

4.上部持ってきた左右の布を、真結びして完成。

「真結びとは、ほどけにくい風呂敷や手ぬぐいの基本の結び方です。立て結びにならないよう注意しながら結び、最後にリボンの形をふんわり整えてあげるとよりかわいく仕上がりますよ」

 

3.消毒液ボトル

50cm小風呂敷「目覚め」
600円(税別)

今や家庭にひとつはかかせない、消毒液のボトル。風呂敷で包めば、インテリアのワンポイントにもなりそうです。50cm角の風呂敷を使って、アレンジしてみましょう。

 

【手順】

1.花瓶を包むのと同じ要領で、ボトルの高さに合わせて天地を折る。

「ボトルは、すこし斜めを向いた状態で中央に置いてください」

 

2.天地の布をそのまま上に持って行き、ボトルにテープなどで固定する。

「滑りやすいので、折り込む際はテープで固定するのをおすすめします」

 

3.左右の余った布を、ボトルに合わせて上に持ち上げる。

 

4.ボトルのくびれ部分に合わせ、後ろで一度クロスさせる。

 

5.クロスさせた布を前に持って行き、真結びで仕上げて完成。

 

4.ティッシュボックス

手ぬぐい「万象の幸福」
1600円(税別)

手ぬぐいを使えば、ティッシュボックスも簡単に包むことができます。お好みのデザインでティッシュボックスまでおしゃれにアレンジ。ぜひお試しあれ。

 

【手順】

1.二つ折りにした手ぬぐいの中心に、ティッシュボックスを置く。

「半分に折って使うのが一番簡単ですが、もし見せたい絵柄があるのであれば、大体手ぬぐい半分サイズになるように、左右の布を折って使うのもいいかもしれません」

 

2.左右の両端を箱に沿って折り上げ、テープなどで固定する。

 

3.残った長辺の布も、同じように箱に沿って折り上げる。

「この時に、一般的なティッシュボックスのサイズであれば、ちょうどティッシュのスリットが見えるくらいになります」

 

4.四隅をそれぞれ真結びして、完成。

「風呂敷も、手ぬぐいのサイズに折り込めば、ティッシュボックスを包むことができますよ」

 

「風呂敷や手ぬぐいと聞くと、和装をする人のためのものだと思う人も多いかもしれません。しかし、生活のあらゆる場面で活用できる、どんな人にとっても便利なアイテムなんです。使ったことがない方も、まずは一枚、ぜひ手に取ってみてください。そこから、使い方の幅広さや伝統的な染めの技術など、風呂敷・手ぬぐいの奥深さに気付いていただけたらうれしいですね」

 

【プロフィール】

JIKAN STYLE KITTE丸の内店 店長 小寺千春(こでら・ちはる)

宮本株式会社のマネージャー兼同店の店長として、手ぬぐい・風呂敷の魅力を発信。お客様の用途や生活スタイルにピッタリのアイテムを提案している。

 

【店舗情報】

JIKAN STYLE KITTE丸の内店

所在地=東京都千代田区丸の内2-7-2 KITTE丸の内4階
TEL=03-6273-4580
営業時間=午前11時~午後8時まで
※2022年2月現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため営業時間短縮中

オンラインショップ https://www.jikan-style.net/
Instagram https://www.instagram.com/jikan_style/

年越し蕎麦や正月飾り、おせちに初詣……正月の縁起物・縁起事には全部意味があった!

古くからのしきたりに触れる機会が多い年末年始。一年の締めくくりや、年始早々から「縁起の悪いこと」はしたくないですよね。そこで今回は「現代礼法研究所」の主宰を務める岩下宣子さんに、気持ちよく新年を迎えるために知っておきたい、大晦日から正月にかけての“縁起もの”や“縁起ごと”にまつわる、いわれとマナーについて教えていただきました。

 

【大晦日】一年を締めくくる大切な一日

そもそも正月とは、健康と幸せをもたらす「年神(歳神)様」を家に迎えてお祝いをする行事。昔の大晦日は年神様をお迎えするために神社に参拝し、寝ずに過ごす日とされていて「寝ると白髪になる」とも言われていたそう。そういう習慣はなくなっても、現代でも変わらず大晦日は、一年を締めくくる大切な日です。そんな大晦日にまつわる縁起ごとや縁起ものについて、岩下さんに教えていただきました。

 

・年越しそば

「年越しに食べる料理と言えば、『年越しそば』ですよね。しかし東北など、地域によっては『年越し膳』と呼ばれるおせち料理を食べるところもあります。その理由は、江戸時代までは日没が一日の始まりとされていたから。当時は、大晦日の夜はすでにお正月と考えられていました。

年越しそばを食べる理由は、大きく3つあります。1つは、細く長くのびることから『末永く健康に過ごすため』。2つ目は、麺がちぎれやすいことから『悪運との縁を断ち切るため』。3つ目は、金粉を集めるときにそば粉を使っていたことから『金運を強めるため』。毎年なんとなく年越しそばを食べていた人も、『なぜ食べるのか』を少し意識して、来年が良い年になることを祈りながら味わってみてください」(岩下さん、以下同)

 

・除夜の鐘

「大晦日の夜には、除夜の鐘を108回鳴らします。この『108』という数字は、人間の煩悩の数を表しています。そもそも煩悩とは、怒り、苦しみ、欲望といった心の乱れのこと。一年の最後の日に、煩悩と同じ数だけ鐘を鳴らすことで、それを消すことができると考えられています。また、107回は年内に、108回目は年が明けた瞬間に鳴らすのがルールです」

 

【お正月飾り】年神様を迎えるための大切なしきたり

昔は12月13日が「お正月事始め」とされていて、この日から、家の内外を掃除する「すす払い」など、新年を迎えるための準備が行われていました。中でも、年神様を迎えるために欠かせない「お正月飾り」の準備はとても大切です。これらは、いつ、どのように飾るのが正しいのでしょうか? 理由とともに教えていただきました。

 

お正月飾りはいつから準備する?

お正月飾りを飾るのは『すす払い』が終わってから。しかし、29日は『二重苦』、31日はお葬式を連想させる『一夜飾り』になってしまうため、この2日間に飾るのは縁起が悪いと考えられています。最近ではクリスマスが終わってから準備をする家も多いと思うので、26、27、28、30日のいずれかに飾るのが良いのではないでしょうか」

 

・注連飾り(しめかざり)

「そもそも注連縄(しめなわ)とは、神様の世界と下界を隔て、『ここから先は神聖な領域である』ということを示すもの。注連縄を張ることで神様を招く力が強くなるとも言われています。お正月の注連飾りも、より強い力で年神様を招くために飾られます。また、注連飾りは『すす払い』が終わったことを年神様に知らせるためのサインでもあります」

 

・門松

「門松は、年神様が迷わず降りて来られるようにするための大事な目印。玄関に左右一つずつ並べるのが一般的です。門松がない家には年神様は降りて来られません。松のリースや盆栽などでもいいので飾ってくださいね」

 

・鏡餅

「門松を目印にして家に入って来られた年神様が鎮座するのが、鏡餅です。鏡は、神社などでご神体とされているところが多く、重ねた餅を鏡に見立てて『鏡餅』と呼ぶようになりました。また鏡餅の上に乗せる『橙(だいだい)』には、家が『代々』続くようにという意味が込められています。鏡餅は、神様へのお供物であり鎮座される場所なので、床の間やサイドボードなどの高いところに置くのが良いと思います」

 

片付ける時期や家庭での処分方法は?

「お正月飾りを片付けるのは、一般的には1月7日の『松の内』が終わってから。どんど焼きやお炊き上げをするのがベストですが、私は家庭で処分することもあります。その際は、お正月飾りを包装紙に包んで塩と酒を撒き、清めてからゴミ袋に入れるようにしています。ちょっとした心遣いや感謝の気持ちを持って処分するようにしましょう」

 

【お正月料理】すべての食べ物に意味がある

華やかな料理が並ぶ、お正月の食卓。たくさんの料理がありますが、その一つ一つには、きちんと意味が込められています。その中でも良く食べられている料理について、縁起の良い理由や食べられるようになった由来をうかがいました。

 

・御節(おせち)料理

「おせち料理は、年神様を迎えてお祝いし、幸せを祈るためのものです。関東では黒豆・数の子・ごまめ、関西では黒豆・数の子・たたきごぼうを『三つ肴』または『祝い肴』と呼び、おせち料理に欠かせない3種とされています」

 

・黒豆
「黒豆には、語呂合わせで「まめ」に暮らせるようにという願いが込められています。また、黒はもともと魔除けの色でもあります」

 

・数の子(かずのこ)
「ニシンの卵である数の子。小さな卵がたくさん集まっていることから、『子孫繁栄』を願う意味が込められています」

 

・五万米(ごまめ
「五万米とは、片口鰯を炒って甘辛く煮詰めたもの。田植えの際に肥料にすると米が多く取れたことから、漢字で『五万米』と書くようになりました。おせち料理では、新年の豊作を祈るために食べられています」

 

・たたきごぼう
「ごぼうは、豊年のときに飛んでくる黒い鳥『瑞鶏(ずいちょう)』に似ていることから、豊作や息災を願う縁起の良い食べ物とされています。また、ごぼうは地中深くまで根を張るため、『地に足がついて安定する』という意味もあります」

 

続いて、「三つ肴」以外のおせち料理の意味や由来についても教えていただきました。

 

・海老
「腰が曲がっている海老は『長寿』への願望を表しています。また、海老が脱皮して成長していく様子は『新しく生まれ変わる』というイメージを与えるため、祝い事には欠かせない縁起の良い食材とされています」

 

・蒲鉾(かまぼこ)
「かまぼこは半月型の形が日の出に似ていることから、新しい門出を祝う日に食べられるようになりました。また、お正月によく食べられるのは赤と白のかまぼこ。赤は魔除け、白は清らかさを表しています」

 

・伊達巻(だてまき)
「伊達巻は、卵と魚のすり身と砂糖を混ぜて焼き、渦巻のように巻いてつくられたもの。巻物のような形が書物に似ていることから知性の象徴とされ、『学業成就』などの願いが込められています。また『伊達』には『粋』という意味もあり、かっこよく“粋”に生きられるようにという意味もあるようです」

 

【関連記事】“年取り魚”とは? 境目はどこ? 正月に知りたい鮭と鰤の話

 

・お雑煮

「地域によってさまざまな特色があるお雑煮。もともとは、神様へのお供物を下げて、それと餅を一緒に煮たものでした。餅自体にも神様が宿っていると考えられていて、昔から縁起のよい食べ物とされています」

 

・祝箸

「お正月の食事には『祝箸』を使います。めでたい日に箸が折れてしまうと縁起が悪いため、祝箸には丈夫で折れにくい柳の木が使用されています。また祝箸は、真ん中がふくらんでいて両端が細くなっているのも特徴です。真ん中のふくらみは妊婦を連想させ、『子孫繁栄』の意味があります。両端が細くなっている理由は、片方は神様用、もう片方は人間用と考えられているからです。そのため祝箸は逆さにして使わず、どちらか片方だけを使うようにしてください。また祝箸は三が日の朝に使うのが一般的なルール。袋に名前を書くなどして、この期間は他の人の箸は使わないようにしましょう」

 

【初詣】正しく参拝して、新しい一年をスタート!

新年を迎えて初めてお参りする「初詣(はつもうで)」。毎年お参りにいくものの、意外と正しいルールを知らない方も多いのではないでしょうか? 初詣に行く前に知っておきたい参拝の仕方や、おみくじ・おまもりに関するマナーを教えていただきました。

 

・神社への参拝

「初詣はもともと元旦にするものでしたが、今は1日から3日までの三が日に参拝すれば良いと考えられています。また昔から祝い事は、魔物が出る夕方~夜を避け、午前中に行うのが良いとされているため、初詣もできるだけ日没までに参拝するのが良いと思います。

また初詣は本来、家から一番近い『氏神詣』と、その年の縁起の良い方角にある寺社に『恵方参り』の2か所に参拝するのが一般的でした。しかし今は、有名な神社に参拝する人も大勢います。日本には八百万の神様がいますが、どの神様もとても寛容なので、好きなところに好きなように参拝しても罰当たりにはなりません。それぞれの神様に感謝の気持ちを持つことを忘れないようにしてくださいね」

 

参拝のルール

1.鳥居の前で一礼する。
2.鳥居をくぐるときには、中央を通らずに端を通る。……鳥居の正面から見て左側に手水舎(ちょうずや)がある場合は左側を、右側にある場合は右端を通る。
3.手水舎でお浄めをする。……お浄めのときは、左手、右手の順に水をかけ、左の手のひらに水をためて口をすすぐ。最後に柄杓を立て、残った水を柄にかけて流す。柄杓に水をためるのは一回だけ。
4.拝殿へ行き、鈴があれば鳴らして賽銭を入れる
5.二礼、二拍手、一礼の順で参拝する

 

【関連記事】知らないと恥ずかしい!年末年始、特に注意したい暮らしのマナー

 

・おみくじ

「おみくじに書かれているのは、神様からのお言葉です。おみくじを引いて受け取るときや紙を開くときは、両手で丁寧に行いましょう。また、読み終わったおみくじを、境内の木の枝に結び付ける人も多いですが、私は持ち帰って財布や大切な引き出しの中に入れておくのも良いのではないかと思います。何かに悩んだときや迷ったときに読み返せば、神様からのお言葉が支えになったりヒントになったりするかもしれません。もちろん、神社に置いて帰るのも『縁起が悪いこと』ではないので、自分が良いと思った方法で最後まで大切に扱ってくださいね」

 

・お守り

「お守りはいわば、持ち運べるようにコンパクトにした『ご神体』。粗末にせず、大切に扱ってください。また、お守りの有効期限は基本的に一年間と考えられています。有効期限が過ぎてしまったお守りをずっと持っていても問題はありませんが、お正月には神社でお炊き上げなどをすることも多いので、そのときに持って行くのが良いと思います。お炊き上げができない場合は、神社に納めるのも一つの方法。感謝の気持ちを持って手放せば、罰当たりにはならないはずです」

 

「年神様を迎えるお正月があることで、また新たな希望を持って一年間を生きることができます。新しいことを始めたり目標を考えたりするのにもぴったりな機会ではないでしょうか。ぜひ、家族や大切な人と互いの健康や幸せを祈りながら、和やかに過ごしてくださいね」

 

【プロフィール】

現代礼法研究所 主宰 / 岩下宣子

NPOマナー教育サポート協会 理事・相談役。30歳からマナーの勉強を始め、全日本作法会の故・内田宗輝氏、小笠原流・故小笠原清信氏のもとで学ぶ。1985年に現代礼法研究所を設立。マナーデザイナーとして、企業、学校、商工会議所、公共団体などでマナーの指導、研修、講演と執筆活動を行う。著書に『知っておきたいビジネスマナーの基本』(ナツメ社)、『ビジネスマナーまる覚えBOOK』(成美堂出版)、『好感度アップのためのマナーブック』(有楽出版社)、『図解 マナー以前の社会人常識』『図解 マナー以前の社会人の基本』『図解 社会人の基本 マナー大全』(講談社)『<カラー版>これ一冊で完ぺき!マナーのすべてがわかる便利手帳』(ナツメ社)などがある。新刊『相手のことを思いやるちょっとした心くばり』が2021年11月に発売。

江戸時代の蒲焼はぶつ切りだった!?「土用の丑の日」に知りたいうなぎの食文化と諸問題

2021年の「土用の丑の日(どようのうしのひ)」は、7月28日水曜日。“うなぎを食べる日”として知られていますが、なぜ「土用の丑の日」と呼ばれているのか、そしてそもそも、なぜうなぎなのでしょうか? 今回は、数多くの料理本を手掛ける編集者であり、食文化研究家としても活躍する畑中三応子さんに、「土用の丑の日」とは何か、そして日本人とうなぎの深い関係についてお話を伺いました。

 

そもそも「土用の丑の日」とはどういう意味?

「土用の丑の日」という言葉は知っていても、意味までは知らない人が多いのではないでしょうか。まずは、その言葉の意味を教えていただきました。

 

「“土用”とは暦のひとつで、季節の始まりの日である立春・立夏・立秋・立冬の前の約18日間をいいます。夏の土用が有名になっていますが、本当は年に4回あるんですよ。そして、丑の日の“丑”とは、十二支の丑のこと。日本では、子・丑・寅と、日にちを十二支に当てはめて数えることがあります。つまり『土用の丑の日』とは、土用の約18日間の中でめぐって来る丑の日のことを指しているのです。

また、土用は約18日間なのに対し、十二支は12種類。13日目で、また初めの“子”に戻るため、年によっては丑の日が2回めぐってくることがあります。そのような場合は、1度目の丑の日を「一の丑」、2度目の丑の日を「二の丑」と呼んでいます」(畑中三応子さん、以下同)

 

古代から続く日本の食文化「土用丑の日」にうなぎを食べる理由とは?

うなぎは、ビタミン・ミネラルが豊富で、疲労回復に効果的な栄養食。日本では古くから、夏バテを避けるためにうなぎを食べる習慣があったと、畑中さんはいいます。

 

「日本でうなぎの食用が始まったのは、縄文時代。当時の貝塚からうなぎの骨が発見されていることから、古来より日本でうなぎが食べられていたことがわかっています。また、有名な古事として、奈良時代末期に編纂された『万葉集』にもうなぎに関する歌が残っています。これは、歌人の大伴家持が友人に詠った『夏痩せにはうなぎを食べると良い』という内容のもの。つまり、この頃からうなぎは栄養価が高く、夏にはぴったりだと認識されていたのです」

 

それでは、なぜ「土用の丑の日」が「うなぎを食べる日」としてピンポイントに知られるようになったのでしょうか?

 

「『土用の丑の日』にうなぎを食べる習慣が広まったのは、江戸時代後期。所説あるのですが、蘭学者の平賀源内が『本日土用丑の日』というキャッチコピーを作って、友人のうなぎ屋さんの店頭に張り出したという話が有名です。そのうなぎ屋が大繁盛したことから、他のうなぎ屋もこぞって真似るようになり、土用丑の日がうなぎ屋を食べる日として定着していったといわれています」

 

うなぎを食べるだけじゃない!? 夏の「土用丑の日」の過ごし方

今でこそ「土用丑の日」=「うなぎを食べる日」というイメージが強いですが、本来はそれ以外にも「土用丑の日」ならではの食文化や風習があるのだとか。

 

「土用丑の日には、うなぎ以外にも『う』のつくものを食べると良いとされていました。例えば、うどんやウリ、梅干しなど。それ以外にも、ドジョウ汁やにんにく、“土用餅”と呼ばれるあんころ餅を食べる地域もあるそうです。どれも栄養価が高く、夏バテによる疲労回復を助ける食材ばかりです」

 

夏の土用には、食べ物以外にも『土用干し』や『丑湯』という風習がある、と畑中さん。

 

「『土用干し』というのは、夏の土用の時期に本や衣類を陰干しすること。カビや虫がつかないようにと、今でも行われている習慣のひとつです。また、夏バテ防止のためにと薬草を入れた『丑湯』に入る習慣がある地域もあるそう。つまり、うなぎを食べる以外にも、一年で一番暑いといわれるこの時期ならではの風習が、日本には根付いているのです」

 

江戸で人気のファーストフード「うなぎ」、実は冬の方が美味しい!?

香ばしいたれの匂いが食欲をそそる、うなぎの蒲焼き。しかし、現在のように、ひらいて食べるようになったのは、江戸中期の元禄時代頃になってから。それ以前は、ひとえに「蒲焼き」といっても、調理方法がまったく異なっていたといいます。

 

元禄時代以前の『蒲焼き』といえば、うなぎをぶつ切りにして、串に刺したもの。これも所説ありますが、『蒲焼き』という名前は、その姿が植物の蒲(がま)の穂に似ていることから名付けられたといわれています。味付けも今のようなたれではなく、山椒味噌やたまり醬油を付けて食べていたそうです。金額も手ごろで、江戸のファーストフードとして庶民に親しまれていました。

江戸中期に入り、ひらいて焼き上げるスタイルが確立してからは、だんだんと高級化。江戸後期には、今の値段で換算すると、うな丼1つで4000円ほどしたそうです。手が届かないわけじゃないけど、なかなかのごちそうですよね。だからこそ、一年に一度、『土用の丑の日』にうなぎを食べようという習慣が広まっていったのではないかと思います」

 

平賀源内が活躍していた江戸後期は、空前のグルメブーム。当時のうなぎのグルメガイド「江戸前大蒲焼番附」には、江戸市中だけで約220件ものうなぎ屋が掲載されており、人気の高い食べ物であったことがうかがえます。

 

さらに面白いのが、当時の食通は「夏のうなぎ」よりも「冬のうなぎ」を好んで食べていたということ。夏にうなぎを食べる習慣が広まっていた中で、なぜ冬のうなぎを好んでいたのでしょうか?

 

天然うなぎの旬は、実は冬。冬眠や産卵のために栄養を蓄えた冬のうなぎの方が、脂がのっていておいしいといわれています。当時の食通のエッセイを読むと、逆に夏のうなぎはさっぱりとして淡白だったと書かれています。しかし、それはあくまでも天然うなぎの話。現在は、年間を通して品質が安定するように育てられている養殖うなぎがほとんどなので、いつでも美味しく食べることができますよ」

 

うなぎの個体数は減少している…その理由とは?

古くから土用の丑の日に美味しく食べているうなぎですが、絶滅危惧種として指定されていることを知っている人も多いのではないでしょうか。うなぎ減少の主な原因についても、教えていただきました。

 

理由1. 過剰な漁獲・密漁

「うなぎの養殖は、天然のシラスウナギ(うなぎの稚魚)を漁獲し、飼育することで成り立っているのですが、そのシラスウナギを過剰に漁獲していたことが減少の理由として挙げられます。コンビニエンスストアやファーストフード店でも安価でうなぎが食べられるようになるなど、近年うなぎの消費量が急速に増加。その大量消費に応えるためにと乱獲されてきた現実があります。

 

さらに、天然のシラスウナギは『泳ぐダイヤ』と呼ばれるほど、高額で取引されているもの。違法な密漁が横行していることも、減少の理由だと考えられています」

 

理由2. 河川環境の悪化

「うなぎが育つ河川の水質汚染も深刻な問題です。ダムの建設やコンクリート護岸など、私たちが行ってきた開発は、生態系に大きな影響を与えてきました。そうした人為的な要因も大きく関わっているのです」

 

理由3. 地球規模の気候変動

「さらに、地球温暖化による気候変動も大きな原因のひとつです。例えばニホンウナギは、マリアナ諸島に近い深い海で産卵し、その後海流にのって日本の河川にやってきて成長します。しかし、気候変動によって海流が変化してしまうと、日本にやってくることすら困難。そうした理由から、そもそもの繁殖数が減ってしまっているのです」

 

私たちがうなぎ食と向き合っていくために

さまざまな要因によって、絶滅の危機に瀕しているうなぎ。古くから日本に根付いている『うなぎを食べる』という食文化を継承しながらも、うなぎを守っていくにはどうすればいいのでしょうか?

 

「そもそものうなぎの生息数を取り戻すためには、河川環境を良くしたり、地球温暖化を食い止めたりする必要がありますが、私たちがすぐに解決できる問題ではありません。しかし、そうしたさまざまな要因が、うなぎの減少に直結しているのだと知るだけでも、うなぎに対する考え方が変わると思いませんか?

 

また最近では、大手小売店がトレーサビリティ(商品の生産から消費までの過程を追跡すること)のはっきりとしたうなぎを発売して話題になりました。そうした密漁ではない、クリーンなうなぎを選ぶという意識をもつことも、うなぎと食文化を守ることにつながっていくと信じています」

 

 

毎年やってくる土用の丑の日。何気なく食べているうなぎですが、この日だけでも、うなぎの取り巻く諸問題に目を向けてみませんか。

 

【プロフィール】

食文化研究家 / 畑中三応子

食文化研究家、編集者。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。『シェフ・シリーズ』『暮しの設計』編集長をつとめるなど多数の料理書を手がけ、流行食を中心に近現代の食文化を研究・執筆。第3回「食生活ジャーナリスト大賞」ジャーナリズム部門の大賞受賞。著書に『ファッションフード、あります。−−はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史』『カリスマフード−−肉・乳・米と日本人』(ともに春秋社)など。

 

「モダン神棚」で心を整えられる空間作り。神棚マイスターが語る、神棚のある暮らしとは

仏壇はあるけれど神棚は置いていない、そんな家は多いでしょう。とくに実家を離れてひとり暮らしをしている人に「神棚」は、縁遠い存在かもしれません。それが最近では、3万円ほどで一式が揃う手軽でコンパクトなタイプや、洋室中心のインテリアにも合うデザインで、マンションにもまつりやすい“モダン神棚”と呼ばれる神棚が登場。2021年には、東京・日本橋の商業施設「COREDO室町」に専門店がオープンするなど、いよいよ神棚が、現代の暮らしに溶け込む存在となるかもしれません。

 

デジタルが暮らしの中心になり便利さが優先される時代に、神棚がもつ意味とは? 「神棚マイスター」の窪寺伸浩さんに、まつり方などとともに教えていただきました。まずは、神棚をまつる際の、基本的なルールから。

 

神棚の基本ルール1. まつる場所と必要なもの

神棚をまつるには、基本となるルールがあります。

 

「まず、神棚をまつる場所は南向きか東向きが好ましく、北向きは避けるようにします。そして、神棚にお供えするのは、お皿3枚、徳利1対、セトモノ1対、鏡(神鏡)の、『セトモノセット』。お皿には日本人が生きていく中で欠かせない存在である米・水・塩の3種をお供えし、徳利には酔うほどに神との一体化を感じさせてくれる存在であり、本来はハレの日のみにいただくお酒(御神酒)を、セトモノには、“栄える木”や“境の木”が語源となり、神聖な場所であることを意味する榊(さかき)の木を立てます。も、神棚に欠かせないものです。『鏡に写る姿に神がいる』ことを意味し、神様の前に進む自分の姿をチェックする存在です。

 

榊の水やお供えした食物は基本的に毎日取り替え、榊の木は毎月1日と15日に新しいものにするのが好ましいです。このほかに、神棚にはお燈明(とうみょう)と言って、ろうそくの火を対に灯してお祈りします。火は繁栄を意味します。火は扱いに注意が必要なので、電池式を用意してもいいでしょう」(神棚マイスター・窪寺伸浩さん、以下同)

 

【ポイント】
・神棚をまつる場所は北向きを避ける。
・お供物や榊の木の水は、毎日取り替えるように心がける。
・榊の木は毎月1日と15日に取り替えるのが本来の流れ。

 

神棚の基本ルール2. 祈り方

日々のお祈りにも決まった流れがあります。

 

「拝礼の仕方は神社と同じく『二礼、二拍手、一礼』です。まずは、神棚に向かって2回お辞儀をして手を2回叩き、お祈りをします。そして最後にもう1回お辞儀をしましょう。祈る内容は自由ですが、『給料が上がりますように』とか『恋人ができますように』というような個人的な願いではなく、今日も元気でいられる感謝をお伝えするのが好ましいです。そして、家族や世の中の平和や幸福を祈ることを心がけてみましょう。神棚に手を合わせる行為自体は、わずか15秒ほど。1日1回、神様に感謝や祈りをお伝えすることが習慣になれば、平穏な日常へのありがたみを感じるようになり、他人を思いやる行動へとつながるはずです」

 

【ポイント】
・神棚には毎日手を合わせる。
・神社の拝礼と同様に、二礼、二拍手、一礼をする。
・神様
にお願いごとをするのではなく、感謝と祈りを捧げる。

 

正しいまつり方やお手入れを怠るとバチが当たる?

↑キットを使えば、神棚は自分で作ることもできます

 

神棚の存在はとても神聖なもの。以上の神棚のルールに反する行為をしてしまったり、お手入れを怠ってしまったりすることで、バチが当たるのではないかと心配になります。

 

「神棚にまつるのは天照大御神で、私たちの大いなる親だとお伝えしました。親が子どもを不幸に陥れようとすることがないように、バチを与えるということはありません。もちろん、神棚をまつるためのルールやしきたりはありますが、すべてを正しくできなくても、3日坊主で終わってしまうことがあっても、災いが起きることはありません。昔から神棚は一家の主が祀る存在だと捉えられがちですが、女性や子どもが触れたりお手入れをしたりするのも、まったく問題ありません。会社の神棚ならば、社員が触れるのももちろんOK。

 

私の会社では神棚キットを販売しているのですが、これは小学生でも作れるような簡単なものにしています。神棚は神様をまつるお部屋。気持ちを込めて手作りをするのもオススメです。神棚をまつろう、1日に1回手を合わせようと思う姿勢に意味があるのです」

 

 

続いて、正統派から、ひとり暮らしの家にも取り入れられそうなコンパクトタイプ、マンションなどにも違和感なく馴染みそうなモダンタイプなど、実際に購入できる神棚を紹介します。

 

正統派からモダンタイプまで、豊富な神棚ラインナップ

↑クボデラ株式会社ではオフィスに神棚をまつっています。会議室には、こちらを圧倒するような天狗の面が

 

窪寺さんの会社の神棚を見てみると、とても大きな天狗様がまつられていました。

 

「かなりのインパクトがありますよね(笑)。『あいつは天狗になった』という言葉には“高慢”などの意味がありますよね。天狗様のお面を“自分を写す鏡”代わりにし、高慢にならないよう自戒するためのもの、と見ることもできるんです。毎日、手を合わせていると背筋がピンとしますよ。

正統派の神棚は長さ1100ミリ、幅360ミリで、使われている木は樹齢数百年の節のない無垢の一枚板です。神棚は“志の大きさを表す”とも考えられているので、会社にまつるときには、存在感のある標準サイズのものが好ましいですが、自宅にまつるのは、無理なくまつれるサイズのものを選べばいいでしょう。とはいえ、とても神聖な場になるので、小さな神社が自宅の中にあると感じられるくらいの存在感があるといいですね」

 

・会社にまつるなら古来の正統派神棚

クボデラ「正統本格セット しめ縄付き」
9万3280円(税込)

「幅1100×奥行き360×厚さ34mmの桧無垢板に、屋根の異なる三社造です。中央の社に天照大御神、向かって右に住む地域の氏神様である産土神社、左に生まれ故郷やつながりを大切にしたい崇敬神社のお神札をまつります」

 

・省スペースで存在感のある神棚を飾るならコンパクトな三社造タイプ

クボデラ「ありがとうセットA」
3万4100円(税込)

「幅1100×奥行き360×厚さ34mmの桧無垢板に、屋根の異なる三社造です。中央の社に天照大御神、向かって右に住む地域の氏神様である産土神社、左に生まれ故郷やつながりを大切にしたい崇敬神社のお神札をまつります」

 

・予算をおさえて本格的な神棚をまつるならシンプルな一社造タイプ

クボデラ「ありがとうセットB」
3万1944円(税込)

「幅500×奥行き300×厚さ30mmのハギ合わせの無垢板に、一社造のお宮がセットになったタイプです。お神札は3枚まで重ねてまつることが可能で、手前から天照大御神、産土神社、崇敬神社の順にお神札を重ねます」

 

・子どもと一緒に「神棚」を考えるのにぴったりの手作りキット

クボデラ「手作り神棚キット」
3850円(税込)

「実際の木に触れながら、自分だけのオリジナルのモダン神棚が作れるキットです。国産の間伐材を使用しているので、環境保護にも貢献できます。お子さんがいる方は一緒に作ってみるのはいかがでしょうか」

 

・おしゃれでインテリア映えする「モダン神棚」も注目!

神棚専門店のオンラインショップなどでも購入することができます。新しいデザイン性で注目されているモダン神棚は、洋風のインテリアやマンションでもまつりやすいことで注目されています。

 

・グッドデザイン賞受賞の、オブジェのようなモダン神棚

神棚の里 「かみさまの線 SANSHA NF フルセット」
5万50円(税込)

※榊・米・塩は付属しない
細い桧材を頑丈に組む「三方留め」という木工細工の技法で作られています。繊細な線のようなデザインが洋風のインテリアにも馴染みます。

 

・今の暮らしに合うミニマルな神棚

神棚の里「かみさまのたな かみさまのおみや」
1万9800円(税込)

石のような丸みの「かみさまのたな」シリーズ。やさしい印象で、洋風のお部屋にも溶け込みます。小さな穴を空けて壁にまつるほか、棚の上に置いてまつることもできます。

 

以上のように、現代の家にも違和感なく取り入れられる神棚が増えていますが、そもそも神棚にまつわる歴史や、今なぜ求められているのかなど最新事情をうかがってみました。

 

戦後、神棚は急速に姿を消した

戦前の日本では、住宅だけではなく、お店や会社、学校や役所などの公的な場所にも、当たり前のように神棚があったという窪寺さん。

 

「神棚にまつるのは、天を照らす神様である天照大御神。天照大御神は私たち日本人の総本家とも言える天皇家の神様です。『お天道様のおかげ』という言葉がありますが、これは日本人の謙虚さや信仰心を表した表現ですね。日本人にとって神様は、御先祖様と同様につながりのある存在で、神棚に手を合わせることは先祖代々続いてきた日本人の風習でした。

神棚が急激に減ったのは、1945年第二次世界大戦に敗戦したことが要因です。この年の12月15日にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が『神道指令』を出し、公的な場に神棚をまつることを禁止してしまいます。今でもこの影響は残っており、公的機関では神棚を購入してまつることができません。警察署や学校などに神棚がまつってあるところもありますが、それはOBや有志が寄付したものなんです」

 

神棚は“小さな神社”として感謝と祈りを捧げる場所

そもそも神棚は、いつから日本人の生活に取り入れられるようになったのでしょうか?

 

「おそらく室町時代の頃から、自宅に神様をまつるという風習はあったと思います。庶民に定着したのは江戸時代頃で、明治以降の日本の住まいには欠かせない存在になりました。住居を建てるときに地鎮祭をしますが、これはその土地の氏神さまに家を建てることを報告して、見守ってもらえるように祈る儀式です。そして神棚は、大工さんから新築のお祝いとして施主さんに贈られるものでした。

2011年の東日本大震災が起きたときは、世界中から祈りが届けられましたね。あのとき、日本人の助け合いや譲り合う精神が注目されましたが、私たちには大いなる存在の神や先祖とのつながりを大事にする精神性が血肉に刻まれています。私は震災の3か月後に岩手の被災地に行きましたが、たしかにそこには、苦しい状況でも明るく、笑顔を交わしながら助け合う人々の姿がありました。無事に生きていられることへの感謝と、亡くなった方々や先祖を思う気持ち、復興に向けた祈りのある風景を見て、日本人の信仰心の尊さを感じました」

 

私たちの心が神棚を求めている?

神社へ行き、神様に手を合わせることは心が清められる行為です。近年、自宅の小さな神社とも言える神棚への関心が高まっているのはなぜでしょう?

 

「コロナ禍で気軽に神社へ足を運べない今、自宅で神様に手を合わせられる神棚を、日本人の遺伝子が求めているのかもしれませんね。GHQの政策により公の場から神棚がなくなってから70年ほど経過しましたが、日本人の暮らしに神棚が存在している2000年以上の歴史を思えば、一瞬とも言える年月であり、簡単に神棚が廃れることはないのではないでしょうか。

2013年には、20年に一度の伊勢の式年遷宮と出雲大社60年の節目が重なりました。この大きな出来事は、現代の日本人が神社への思いを強めたきっかけのように感じます。また、パワースポットブームも影響がありそうです。神社はパワースポットの代表的な存在だと認識されていますし、神社巡りはとても人気があります。神社が日本人にとってかけがえのない存在であることから、“自宅の中のパワースポット”とも言える神棚をまつりたいという気持ちにつながっているのではないでしょうか」

 

神棚のある会社は「儲かる」?

最後に、窪寺さんは『なぜ成功する人は神棚と神社を大切にするのか』(あさ出版)という本の著者でもありますが、神棚はビジネスに好影響を与えるというのは本当なのでしょうか?

 

「会社に神棚をまつったことでビジネスが成功したという事例が数多くあります。もちろん、神棚を取り付けたことで、神様が魔法をかけてくれて成功するというわけではありません。神棚の手入れを怠ることなく、毎日手を合わせる心がけが事業を好転させているのです。銀行の融資担当者が融資をするかどうかを決めるポイントの一つに、会社に神棚があるかどうかを挙げているという事実もあります。神棚をまつることは特定の宗教を信仰するものではなく、『おかげさま』と『ありがとうございます』の精神を持ち、大いなる存在への敬意と感謝を大切にする行為です。そのような信仰心を重んじる経営者は、志が高く、世のため人のために事業を発展させていくことができます。朝から襟を正して神棚に手を合わせる社長の姿勢は、社員にも好影響を与えます。社長の思いが社員に広がり、みなが謙虚な心を持ち、仕事に真心を込めて取り組めるようになっていくのです」

 

 

神棚には、正統派、省スペースタイプ、モダン神棚など、さまざまなタイプがあります。自身にぴったりの神棚を選び、神棚のある暮らしをはじめてみてはいかがでしょうか。目には見えないけれど、いつも見守ってくださっている神様や氏神様に手を合わせ、感謝しながら日々を過ごしたいですね。

 

【プロフィール】

神棚マイスター / 窪寺伸浩

クボデラ株式会社 代表取締役社長、東京神棚神具事業協同組合理事長。東洋大学文学部哲学科卒業。昭和21年創業の老舗木材問屋の3代目として、台湾や中国などからの社寺用材の特殊材の輸入卸を行う。昭和47年から台湾桧を使った神棚の販売を開始。神棚の見識を深める中で、神棚マイスターとしての活動にも力を注ぐように。『なぜ儲かる会社には神棚があるのか』『なせ成功する人は神棚と神社を大切にするのか?』(あさ出版)、『見えない力を味方にして成功する方法 すごい神棚』(宝島社)など、神棚にまつわる著書も多数。
HP=http://www.kubodera.jp

 

『あなたの部屋に神様のお家を作りませんか』(牧野出版)
1430円

神棚についての知識を深めたい初心者にオススメの本です。ひとり暮らし中の若い女性がふとしたきっかけで神棚を自宅に祀ることにした流れに沿って、わかりやすく解説されています。

 

世界に広がる「emoji」生みの親・栗田穣崇氏が語る、絵文字が果たした役割と課題

メールやSNSなどで、誰もが一度は使用したことのある絵文字。今や世界中で愛される存在となりましたが、元はといえば日本が生んだ文化であることを知っていましたか? 1999年にドコモが発売したiモードをきっかけに、国内外へと広まっていったのです。そこで今回は、iモード発売時に絵文字開発に携わった栗田穣崇さんを取材。生みの親である栗田さんならではの視点から、当時の裏話や現在の絵文字事情などについて語っていただきました。

 

無機質メールの冷たさを和らげたい!
絵文字開発が始まった経緯とは

絵文字開発が始まったのは1998年。当時、栗田さんはiモード(携帯電話によるインターネット接続サービス)開発チームの一員でした。同サービスの機能の一つ、iモードメールに、他社にはない特徴を加えられないか考えていたところ、ポケベルユーザ時代に感じていたとある経験を思い出し、「絵文字」を提案したといいます。

 

「皆さんは、突然『ナニシテルノ?』というメッセージが届いたらどう感じますか? 仮名文字だけの無機質なメッセージでは、相手がどんな温度感で送ってきたのかが分からず、『もしかして怒ってる!?』『なんて返したらいいんだろう』などと一瞬戸惑うのではないでしょうか。しかし『ナニシテルノ?♥』であればどうでしょう。同じ内容でも♥が付くだけで一気にポジティブな印象となり、戸惑いもなくなるはずです。

テキストメッセージの難しさと♥の偉大さ。僕はいちポケベルユーザとして、これらを強く感じていました。そのため、相手の温度感を伝える絵文字を充実させれば、よりコミュニケーションがスムーズになると考えたんです」(栗田穣崇さん)

 

熱い思いは実を結び、無事、絵文字機能の搭載が決定。その後も栗田さんは、絵文字の企画担当を務めることとなりました。

 

日本生まれの絵文字・漫画・ピクトグラム
共通点は、表意文字との類似性

絵文字を作るにあたり、まずは必要な絵柄のリストアップが行われました。その際インスパイアを受けたというのが、これまた日本生まれの漫画とピクトグラム。一体どういった点を参考にしたのでしょうか?

 

「利用シーンを想定すると、絵文字の種類は大きく2つに分けられました。ユーザーのやり取りに必要な『感情』を表す絵文字と、iモードで天気・ニュース・タウン情報などを伝えるのに必要な『情報』を表す絵文字です。そこで前者は、汗や怒りなどの誰もが分かる感情表現を記号で多用している『漫画』を。後者は、実際で街で使われている記号=『ピクトグラム』を参考に、具体的にリスト化していきました」(栗田さん)

 

絵文字と漫画とピクトグラム。いずれも日本を起点に普及していった背景について、栗田さんは「日本人は表意文字に馴染み深い点が関係している」といいます。

 

「僕たちが普段使っている漢字は、表意文字にあたります。『僕』『使』という字を見たら『自分自身』『用いる』などの意味が思い浮かぶように、一字一字に意味が込められているんです。形から意味を連想させることに馴染みのある日本人は、記号から感情・情報を受け取る文化との親和性が高かった。これこそが、絵文字・漫画・ピクトグラムが日本発である理由と言えます」(栗田さん)

 

日本生まれの街の記号「ピクトグラム」とは?

ちなみに「ピクトグラム」とは、公共施設に多くみられるトイレや非常口などといったマークのこと。言葉を使わないシンプルな案内表示があることで、年齢や国籍を問わず、誰もが簡単に目的地へとたどり着けます。企業ロゴについて解説してくださった、グラフィックデザイナーの佐藤浩二さんによると、ピクトグラムは「おもてなしの精神がある日本だからこそ、生まれた文化」なのだとか。

 

「外国人が多数来日する1964年の東京オリンピックを前に、当時の著名若手デザイナーらによって作られました。英語が話せない日本人が多い中、来日した外国人観光客たちが困らないようにと思いついたアイデアであり、もしその年が他国での開催だったら、未だに存在していなかったかもしれません。

また、ピクトグラムが完成した際、デザイナーが著作権を放棄し、誰もが自由に使えるようにしたんです。それこそが、瞬く間に世界へと普及していった所以であり、今もなお当時のデザインがベーシックとして使われている要因ともいえます」(グラフィックデザイナー・佐藤浩二さん)

【関連記事】ロゴ=2Dの時代はもうおしまい!? グラフィックデザイナーが解説する、企業ロゴの話

 

iモード時代からぶれない
「絵文字=文字の一部」という考え方

リストアップの後、建築家・青木淳さんによってデザインに起こされ、世界初の絵文字が完成しました。当時を振り返っていただき、思い出深い絵文字について教えていただきました。

 

「ポケベル時代にその偉大さを感じていたので、絵文字を作る上でも♥は特に力を入れましたね。全部で200個しかないのに、5種類ものハートマークを用意したんです。すると発売後、女子高生の間で『本命の人に送る♥はどれだ』との議論が始まって(笑)。そんな意図はなかったのですが、ユーザー同士で盛り上がってくれたのはとても嬉しかったです。ちなみに当時の女子高生が本命用として使っていたのは、赤くて一番プリッとしたハートマークだったみたいですよ。

あとは僕がリストアップした絵文字の中で、唯一「うんち💩」だけが採用されなかったという裏話もあります。絶対に人気が出ると確信していたのですが、社内の猛反対を受けてあえなく諦めることとなりました」(栗田さん)

 

本命ハート論争が繰り広げられるなど、発売間もなく一般の人々へと普及していった絵文字。当然、他社もこぞって絵文字機能を搭載し始め、KDDIは可愛さを重視した絵文字を、ボーダフォンはアニメーションを取り入れた絵文字を売りにしていました。しかしドコモは他社に影響されることなく、ごくごくシンプルな絵文字のテイストを貫きます。

 

「僕の開発ポリシーとして、“絵文字は文字の一部”という考え方があります。文字に好き嫌いがないのと同じように、絵文字も好き嫌いがあってはいけないと思うんです。つまり『このデザインは嫌い』と感じる絵文字は、絵文字ではなく絵なんです。そのため、他社と比べるとシンプルなデザインではありましたが、その後もテイストは一切変えず、バリエーションを増やすにとどまりました」(栗田さん)

© NTT DOCOMO, INC.

 

世界中のコミュニケーションを豊かにしたemoji

絵文字は国内だけではなく、世界にも広まっていきました。そのきっかけとなったのが、2010年のUnicode採択です。Unicodeとは、世界中のあらゆる文字・記号を収録する文字コード規格のこと。同規格に採択されたということは、絵文字が文字として国際的に認められたともいえます。さらに、2016年にはニューヨーク近代美術館(NY MoMA)に絵文字が収蔵され、瞬く間に世界の「emoji」へと成長していきました。

 

「元々は国内向けサービスとして開発したため、海外で使われることは想定していませんでした。表意文字を使う日本人だからこそ馴染める文化だと思っていたので、正直驚きましたね」と栗田さん。さらに、日本と海外での使い方の違いについても、驚いたことがあるのだとか。

 

「海外に普及し始めたばかりの頃は、意味もなく大量の絵文字を付けるという使い方がされていました。ひらがな・カタカナ・漢字・英字を組み合わせて一文を作る日本語と違い、外国語は基本英字しか使用しないため、文の中に英字以外の文字が入ってくること自体が新鮮だったみたいです」(栗田さん)

 

スムーズなコミュニケーションを実現するために開発された絵文字は、海外の人々のコミュニケーションを豊かに、楽しいものへと変えていきました。栗田さんの元には、時に「絵文字を作ってくれてありがとう」という手紙や、「こういう絵文字を作って欲しい!」というSNSのメッセージが届くそうです。

 

「最近驚いたのが、海外で僕の名前をタイトルにした曲が作られていたことです! 絵文字について歌った曲で、思わず笑ってしまいましたね。嫌な気持ちは全くしないのですが、さすがにちょっと恥ずかしかったです(笑)」(栗田さん)

↑MoMAには、iモード発売時の絵文字が展示されている

 

“文字”から“絵”へ。
現在の絵文字が抱える課題

文字の一部として絵文字を開発した栗田さん。現在の絵文字について「文字から絵になってしまっており、だからこそさまざまな課題が出てきている」と話します。

 

「現在の絵文字はカラフル且つバリエーション豊かな点が一番の特徴と言えるでしょう。しかし僕からすると、それはもはや絵。肌や髪に色を付けたがために、多様性に応じたバリエーション展開が求められたり、各国のローカルフードなどといったニッチな絵柄を追加したがために、あれもこれもとキリがなくなってしまったりしているのです。

 

また、2016年にiOSの拳銃の絵文字が水鉄砲に変わりましたが、これも妙な話だと思います。『銃』という漢字は禁止しないのに、なぜ『銃の絵文字』は差し替えられるのか……。文字の一部として捉えていれば、起こりえないことですよね。他人が見て不快に感じる絵文字の使い方をしている場合には批判されるべきですが、あくまでそれはユーザー側の問題。絵文字に罪はないので、もっと自由であってほしいです。

 

もちろん絵になったからこそ、コミュニケーションが更に豊かなものになったなどの良い面もあると思います! 僕自身、考える人の絵文字🤔をデザイン自体の面白さに惹かれて使っていたり、『好物である鰻の絵文字が追加されたらいいな』と考えてみたり、絵としての絵文字を楽しんでいますしね。どちらが正しいとかはないのですが、少なくとも先のような課題についてはクリアにする必要があると思います」(栗田さん)

 

「おじさん構文」はiモード時代の名残!?
世代間で異なる絵文字の使い方

時代で変化してきたものといえば、ユーザーの絵文字の使い方もその一つ。最近よく耳にする「おじさん構文」も、使い方の変化が大きく関係しているのだとか。

 

「iモードの誕生を直に感じた世代と、使い始めた時には既に絵文字が普及していた世代とでは、絵文字に対する依存度が全く異なります。

前者の場合、iモード時代の『限られた文字数の中で、いかに絵文字を多用するか』という意識が残っている人が多くいます。それ故に、ここぞとばかりに絵文字を散りばめたメール、いわゆるおじさん構文になってしまいがちなんです。反対に、後者は『絵文字が使えるのは当たり前』という認識のため、依存度はかなり低め。1センテンスに0~2個など比較的あっさりとした絵文字の使い方をする人が多いので、上の世代が絵文字を多用することに対して敏感なのかもしれません」(栗田さん)

 

「色々とお話させていただきましたが、正直僕自身はそんなに頻繁には絵文字を使いません(笑)。ただ、絵文字を使ってメッセージを送ってくださった方には、できる限り絵文字の入った文で返すようにしています。絵文字を付ける時って、『この内容にはどれが良いかな』と一瞬考えるじゃないですか。その労力に応えたいという気持ちがあるんです。

もちろんこれは個人的なこだわりなので、皆さんは自由に、好きに、絵文字を使ってください! コロナ禍で対面コミュニケーションが難しくなった今は、ビジネスの場で絵文字を使うなんてことがあって良いのではないでしょうか。コミュニケーションを円滑にする手段として、存分に活かしてもらえれば、生みの親としては嬉しい限りです。これからも子どもを見守るような感覚で、絵文字の活躍を見守っていきたいと思います!」(栗田さん)

 

【プロフィール】

株式会社ドワンゴ 専務取締役COO / 栗田 穣崇

専修大学経済学部卒業後、株式会社NTTドコモへ入社。1997年からiモード開発チームに参加し、絵文字開発に携わる。その後、株式会社ドコモ・ドットコムやぴあ株式会社などを経て、2015年に株式会社ドワンゴへ入社。現在は同社の専務取締役COO・「niconico」運営代表・カスタムキャスト取締役などを務めている。
Twitter https://twitter.com/sigekun

 

※「iモード」は、株式会社NTTドコモの登録商標です。

 

享保元年の創業から変化しつづける“老舗ベンチャー”「中川政七商店」のものづくり

この一年、家族と過ごす時間の大切さを実感する機会が多くなりました。慌ただしく過ぎていく日々のなかで一歩立ち止まり、一日一日を大切に過ごしたい……そんな暮らしを豊かにするコツや知恵にも注目されるようになりました。

 

全国で「中川政七商店」や「日本市」「遊 中川」など60店舗を展開する、中川政七商店が編集・著者として出版した『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』には、暮らしを楽しむヒントがいろいろ。「読んでいるだけでも勉強になる」と愛読するブックセラピスト、元木忍さんが、日本工芸の楽しさとこれからのものづくりについて、同社に話を聞きました。

 

『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』(PHP研究所)

 

創業三百年以上を誇る『中川政七商店』の暮らしを楽しむ“知恵”と、美しく機能的な道具たちがギュッと濃縮された一冊。「日本の工芸を元気にする!」を企業ビジョンに掲げる同社らしく、ものづくりしている人、その道具を使う人どちらもが元気になるアイテムが1月~12月まで季節ごとに紹介されている。

 

日本の工芸は「守る」より、「使う」ことで広がる

元木忍さん(以下、元木):全国にたくさんの店舗を展開されている「中川政七商店」ですが、まずはその歴史から教えていただけますか?

 

木原芽生さん(以下、木原):享保元年(1716年)に、「奈良晒(ならさらし)」の商いを始めたところまで遡ります。江戸、明治、大正と卸業を中心に発展し、昭和60年(1985年)にオープンした「遊 中川」から麻小物の小売をスタートさせました。2000年を過ぎた頃から直営店の出店が加速し、会社名である「中川政七商店」をブランド名として店舗展開し始めたのは2010年のことです。現在では、本社、直営店やECサイト運営に関わる人を含めると500名以上のスタッフが働いています。

 

↑2頭の鹿が「七」の文字を囲む中川政七商店のロゴ。クリエイティブディレクターの水野学氏がデザインしたこのロゴは、2008年に敢行したリブランディングから採用されています

 

元木:老舗ですね。ここで働いている皆さんは、この300年の歴史をどのように捉えているのでしょうか?

 

木原:300年と聞くとお堅い老舗なイメージがあるかもしれませんが、とても変化に前向きな会社で、時代に合わせて変わっていく考え方を大切にしていると感じます。

 

羽田えりなさん(以下、羽田):中川政七商店 奈良本店(旧 遊中川 奈良本店)には、1925年のパリ万博に出展した“麻のハンカチーフ”が展示されているのですが、その展示を見た時には「これだけの歴史を重ねて、今に繋がっているのか」という実感を得られました。この会社で働き始めて12年ほどになりますが、常に新鮮で、古いものを扱っている老舗という感覚はほとんどありません。周りからも「老舗ベンチャー」なんて言われています(笑)

 

元木:老舗の看板を守るとか、歴史を守るというよりも、スクラップ&ビルドしながら300年という歴史を紡いできた会社なんですね。会社のモットーやビジョンについても教えていただけますか?

 

↑「暮らすように働く」をコンセプトに、町屋のようなデザインで設計された本社の外観。カラフルな色味も素敵で、奈良の街に溶け込むように建てられています

 

木原:私たちは「日本の工芸を元気にする!」をビジョンに掲げています。このビジョンがあることで、どの取り組みに対しても「これは日本の工芸を元気にできるかな?」とジャッジできるように感じます。工芸と聞くとガラスケースの中に入った展示品や、鍵をかけて慎重に守られているイメージを抱く方も多いかもしれませんが、私たちは「日常生活の中で使われる」ことで、工芸を残していきたいと考えています。どこまでが工芸に含まれるかとても難しい部分ではありますが、漆や陶器のような高級品だけじゃなく、もっと広い意味で「ものづくり」を捉え、展示品だけじゃない工芸品・ものづくりの素晴らしさを伝えたいと考えています。

 

↑入社6年目の広報担当・木原芽生さん。店舗スタッフや生産管理担当を経て、現在は広報として活躍中。実家に60年ものの臼があるのを発見し、お正月に親戚が集まり「餅つき」をしたことで、行事の楽しさや大切さをあらためて実感したそう

 

元木:最近では、ものづくりに対しても日本全体で関心が高くなっているように感じますが、実際に商品を企画する中で意識されていることはありますか?

 

羽田:私は商品企画・デザイナーとして、加工先から卸値の交渉、デザインまでのすべてを担当しています。入社した当時よりも、一般的に「モノ」や「コト」を大切にしたいと考える人が増えたかもしれませんね。デザインする際には、そんな時代背景も踏まえて“長く使っていただくこと”を意識しながら、質にこだわり、経年劣化も楽しんでいただける商品企画を心がけています。

実際に自分が企画し、デザインした商品が店頭に並び、その商品を手にとってくれたお客様がいると後ろから拝みたくなっちゃいます(笑)。私たちは職人さんたちと直で繋がっているので、「この前の商品がとても人気ですよー!」とか「次は〇〇を作りませんか?」とダイレクトに商品のお話をお伝えできるのも、働いていて楽しく感じる部分です。

 

↑商品企画・デザイナーの羽田えりなさん。新卒からデザイナーとして入社し、お子さんが生まれたことで新しい視点を商品企画に取り入れられるようになったそう。昨年リリースされた親子向け体験キット「季節のしつらい便」にも、彼女のアイデアが詰まっています

 

全国800以上の職人さんたちと二人三脚でものづくりに取り組む

元木:とてもやりがいのあるお仕事ですよね。どれくらいの職人さんと一緒にものづくりされているのでしょうか?

 

羽田:お付き合いしている職人さんの数で言うと、全国に800以上いらっしゃいます。

 

元木:すごく多いですね! すべて、ゼロから開拓されたのですか?

 

羽田:発掘するのは商品開発担当の仕事なので、自分たちからアプローチをかけていきます。商材によってはご紹介いただくこともありますし、本やホームページを見て惚れ込んでご連絡させていただくこともあります。中にはホームページがない! メールアドレスがない! となかなか連絡を取るのが難しい工房もあるので、お手紙を送ってお返事を待つ……なんてこともありますよ。

 

元木:結構アナログな方法ですね。最近ではテレビなどでも若い職人さんが取り上げられ、ものづくり業界が若返っているようにも思うのですが、羽田さんから見て近年の職人さんに変化を感じる部分はありますか?

 

↑本に何か所も付箋をして取材していた、ブックセラピストの元木忍さん。この1年で大きく変化した暮らし方の中でも「変わらない部分」がこの本には詰まっていると語ります

 

羽田:若い人がたくさん増えているという感覚は、そんなにないかもしれませんね。「息子が継ぎました」とお知らせいただく方がいる一方で、「自分の代でたたみます」というお知らせも、残念ながらあります。危機的な状況だからなんとかしなければ! というフェーズではまだないかもしれませんが、どこもかしこもものづくりの市場は安泰、と言えるほどでもありません。新規でお取引させていただく職人さんの中にも、まだ弊社のことを知らない方もいらっしゃるので、会社の歴史や取り組みについても丁寧にご説明し、賛同いただいた方と関係性を深めていきながら、お付き合いさせてもらっています。

 

元木:私が職人さんだったら「待ってました!」って言いたくなるくらいうれしいかも(笑)。ちなみに『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』の中では3つの工房を訪れていますが、作っている現場を知ることで商品への愛着も深まりますよね。

 

木原:そうですね。ものづくりの背景を知っていただくことで、何かしらの“気づき”は得られると思っています。『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』は、季節ごとの道具や工芸品を紹介するだけの本ではなく、ものづくりの歴史や背景、豆知識など私たちが持っている思いも一緒に伝えたいと企画、出版させていただいた一冊です。「○月には、絶対にこの行事をしてください」と指南する本ではないので、読んでいただいた中で、「面白そうだな〜」とか「作ってみたいな〜」と、気になったものからお試しいただければうれしいです。

 

元木:私が一番作ってみたいと思ったのは、「ソックモンキー」です! クリスマスに関わることだけど、今すぐ作りたいくらい(笑)。

 

↑世界恐慌下のアメリカで生まれた「ソックモンキー」は、孫にクリスマスプレゼントを買えないおばあさんが、炭鉱で働く夫の古い靴下を使って作ったことが始まりなんだとか。『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』では、「ソックモンキー協会」主宰の武井健次さんが作り方を紹介しています

 

木原:ありがとうございます(笑)。ここで紹介しているしましまの靴下は、弊社の靴下ブランド「2&9」のものを使用しています。靴下一足からこの「ソックモンキー」が作れるので、おうちにある履き古した靴下を使って作るのもおすすめですよ。

 

元木:早速「2&9」の靴下で作りたいと思います! あとお正月や節句など季節のイベントについての知識だけでなく、「包丁の研ぎ方」や「ハンカチの活用方法」など、暮らしのアイデアが詰まっていて、普段の生活に役立つ“豆知識”が一緒に掲載されているのは、ちょっぴり得した気分になれました。「そういえば!」とか「なるほど!」と思えるところがたくさんありましたから。

 

↑『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』には、知っているようで知らなかった暮らしの知恵が満載。機能性の高い雑貨や工芸品を紹介するだけでなく、それらを実際に活用する方法も丁寧に解説されています

 

木原:忘れていたことを思い出したり、新たな知識を増やすことで、暮らしを楽しむ余裕や機会が増えたら、なんだか心まで豊かになれる気がしますよね。日本に昔からある風習の歴史や、ものづくりの背景を知ってもらいながら、実際に工芸品を「使って」いただけるきっかけになれば、私たちもうれしいです。

 

好きなものを好きなだけ、好きなように楽しむ暮らしを

元木:昨年になりますが、親子向け体験キット「季節のしつらい便」が発売されましたよね。これまでに7つのアイテムが販売されていますが、こちらを制作した経緯を教えてください。

 

羽田:昨年からこれまでに、お月見・クリスマス・お正月・節分・桃の節句・端午の節句・七夕の、7つの商品を展開してきました。これらの年中行事について子どもから「どうしてこの行事をするの?」と由来を聞かれても、なんとなくでしか答えられなかった経験がありまして(笑)。親子で一緒に年中行事の由来や意味を理解しながら、心から年中行事を楽しめるキットを企画させてもらいました。

 

↑中川政七商店「季節のしつらい便 七夕」(3850円・税込)は、「つくる」「しつらう」「つながる」体験を通じて、自然と歳時記や文化を学ぶことができるキットになっています

 

元木:たしかに、七夕の由来を聞かれても、子どもにも理解できるように説明するって難しいかもしれませんね。こちらに「七夕」のしつらい便がありますが、どのような内容か教えていただけますか?

 

羽田:箱を開けていただくと、笹の絵柄がついた手ぬぐい素材のタペストリーと、さまざまな色と形の七夕飾りを作れる和紙、解説冊子が入っています。七夕ってなんでもお願い事を書いてもいいと思われているのですが、実は「物事が上達するように」とお願い事を書くことが慣わしなんですよ。

 

元木:知りませんでした! 「きれいな文字を書けるようになりたい」とか上達の願いを込める行事だったんですね。

 

羽田:意外と知らない部分ですよね。七夕で使う笹をご家庭で準備するのって大変だと思うのですが、この「季節のしつらい便」は、手ぬぐいの笹の葉部分に13か所、和紙の紐をかけられる「引っ掛け」をつけています。毎年繰り返し使っていただけますし、短冊ごと取っておけば、「去年はこんな願いを書いたね」と振り返ることもできるので、毎年の行事としてご家族みんなで楽しんでいただけると思います。

 

↑色とりどりの短冊がかわいくて、ついつい欲張ってたくさんの願い事を書いてしまいそう。てぬぐい素材のタペストリーは洗うことも可能なので、毎年繰り返し使えるのもうれしいですね

 

↑江戸時代から親しまれている切り紙の作り方や、立体的な七夕飾りの「でんぐりシート」もついています

 

元木:知れば知るほど素敵なキットですね。親子はもちろんですが、会社の行事などでもコミュニケーションのきっかけになりそうですね。

 

羽田:うれしいです……! 年中行事って、義務的にやるコトではないと思うんですよね。用意するのが大変だったり、片付けるのが面倒だったり、行事をやるコトが目的になって気持ちが窮屈になってしまっては、楽しくない、残念な思い出になってしまうかもしれません。自分が好きだと思えること、楽しいと思えることを、好きなように気軽に楽しみながらやってもらえたら、それでもう十分。やってみたら、意外と楽しかったね! でもいいですし、どの年中行事に関しても「こうしなさい」というルールはありませんから。

 

元木:本当にその通りですね。最後になりますが、『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』では紹介されていない、おふたりがおすすめする中川政七商店の商品をひとつずつ教えていただけますか?

 

 

木原:わ~難しいですね(笑)。これからの時期のおすすめで言うと、私も愛用しているのですが「もんぺパンツ」を紹介したいですね。これは、その名の通り農作業の時などに履かれていた「もんぺ」のデザインをもとに作られたパンツなのですが、足首の部分がゴムでキュッと締まっているので、雨の時期でも裾が濡れなくて快適です。あと裏地にガーゼ素材を使っているので、夏でも吸水性が良く涼しくて、カジュアルな服装から少しおしゃれなお出かけ着とも相性抜群です。

 

元木:自転車乗る人もズボンの裾が引っ掛からなくて良さそうですよね。羽田さんはいかがですか?

 

羽田:「季節のしつらい便」もおすすめしたいのですが、自分がずっと欲しかった商品で商品化されたもので言うと、「二重軍手の鍋つかみ」です。私、夜中にシフォンケーキをよく焼くんですよ(笑)。この商品が出る前の話なのですが、いつものようにシフォンケーキを作っていたら、片手しか鍋つかみがなかったので、うまくひっくり返すことができずにせっかく焼いたシフォンケーキを流し台にドバーッと……(涙)。

 

元木:わかります! 鍋つかみって片手分しかないのがほとんどですし、もう片方をタオルとかでやろうとすると上手にできないですよね。

 

羽田:そうなんですよ。これは両手で手袋のように使えるものが必要だ! とずっと思っていまして(笑)。鍋つかみの商品企画は別の人が担当していたのですが、この商品の企画会議の時に「片手でいいんじゃない?」という意見も出たんですが、「絶対両手セットがいいです!」とゴリ推ししまして(笑)、両手の商品として販売されるようになったんです。

 

元木:熱い思いが伝わってきます(笑)。『中川政七商店が伝えたい、日本の暮らしの豆知識』に掲載されている商品はもちろん、おふたりに紹介していただいた商品も注目ですね。本日はどうもありがとうございました!

 

中川政七商店 ブランドマネジメント室・広報 / 木原 芽生
中川政七商店 商品三課・デザイナー / 羽田えりな

1716 年(享保元年)に創業し、高級麻織物「奈良晒(ならさらし)」を代々扱ってきた奈良の老舗。時代の変化とともに麻生地を中心とした雑貨の企画製造・販売を始め、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げ、工芸業界初のSPA(製造小売り)業態を確立。「中川政七商店」「遊 中川」「日本市」などのブランドで、全国に60の直営店を展開するほか、業界特化型の経営コンサルティング・教育事業など多岐に渡り拡大。2016年からは産業革命と産業観光をキーワードに、産地単位での地域振興にも取り組む。

中川政七商店 https://nakagawa-masashichi.jp/

 

ひな祭りに食べたい正統派「ちらし寿司」のレシピと「上巳(じょうし)の節句」の意味

関東では立春が終わると、次の節句に向けて雛人形を出すのが恒例となっています。旧暦の3月3日は桃の花が咲く季節であることから、一般的には「桃の節句」と呼ばれることも多い「上巳(じょうし)の節句」、つまり雛祭り。“女の子の成長を祝う”と言われていますが、いったいなぜこの行事が生まれたのでしょうか。

 

ここでは雛祭りのルーツを紐解くとともに、この日にいただく「ちらし寿司」の作り方をまとめました。江戸時代に食べられていた昔ながらのちらし寿司を基本に、和ごはん研究家・麻生怜菜さんのレシピを紹介します。

 

雛祭りは中国から“遣隋使”が持ち帰った行事とも

上巳の節句(※)のルーツは諸説ありますが、中国の漢の時代にさかのぼる説を紹介しましょう。当時、3人の娘をもうけた夫婦がその3人ともを3日以内に亡くしてしまったことを受け、川に亡骸を流す“水葬”をしたのがはじまりとされています。

 

「3月3日に女の子の健やかな成長を願うという習慣は、そこから繋がっているという説があります。飛鳥時代以降、遣隋使や遣唐使がさまざまな文化を日本に持ち帰ったのですが、上巳の節句のルーツは、中国文化を真似たところから始まっています。そののち、平安時代中期ごろには、“紙人形に穢れ(けがれ)をうつして川に流す”という厄除けの儀である“上巳の祓い”を行っていた記録が残っています。また、女の子は紙などで作った人形と、御殿や身の回りの道具を真似たおもちゃで遊ぶ“ひいな遊び”をしていたようです。これらのことが重なって、女の子の成長を願って雛人形を飾るという風習に発展していきました。

上巳の節句が3月3日に定まったのは、室町時代のこと。江戸中期には、女の赤ちゃん誕生を祝う初節句の風習が五節句(※)のひとつになり、現在の形になっています」(和ごはん研究家・麻生怜菜さん、以下同)

※じょうしのせっく。五節句のひとつ。五節句とは、1月7日(人日)、3月3日(上巳)、5月5日(端午)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽)の5つの節句。それぞれに祝いの儀を行う日として、今も生活に根づいている。

 

雛人形は左右どちらが正解!? 正しい飾り方

雛人形の飾り方には、関東と関西で違いがあります。関西では、正面から見て男雛を右に、女雛を左に飾りますが、関東では反対に飾るのが正しいとされています。

 

「そもそも日本では、左側を上座とする文化があります。たとえばごはんとお汁であれば、ごはんを左側に置くのがマナーですよね。同じように男性が上位の左側(正面から見ると逆なので右に配置する=関西の置き方)とされてきました。一方、西洋文化では“右手上位”。大正天皇が即位なさったとき、西洋の衣装で右上位の考え方で立たれたので、この時以降、右上位の考え方が基準となりました。現在も天皇が立たれるときは右側(正面から見ると逆なので、左に配置)になり、以降関東では、男雛を正面から見て左に飾ります。

ちなみに飾る日も、関東では2月初旬にくる立春が終わったら飾り、3月3日の夜、または翌日にはしまうのですが、関西では3月3日に雛人形を飾ります。そこから1か月ほど飾ってからしまうのです」

 

雛人形へのお供えものは「菱餅」「雛あられ」「白酒」

雛人形とともに準備したいのは、お供えものです。それぞれのお供えものについて、麻生さんに解説していただきましょう。

 

・菱餅(ひしもち)

「もともとは、魔除けの意味を持つ菱の実でついた餅一種類で、白いお餅だったそうですが、江戸時代を境に三色に。雪が溶けて草が育ち、花が咲く、という意味があるので、本来は下から白・緑・赤なのですが、最近では白を中心にした彩り重視のものがよく見られます」

 

・雛あられ

「こちらも関東と関西で違いがあり、関東ではお米で作ったポン菓子に砂糖でコーティングしたものを雛あられとしています。関西では丸いおかきで、味は塩っぱいんです。どちらにも共通しているのは、色付けされていること。三色の場合は、菱餅同様の魔除や健康の意味を継承しているそうですが、四色の場合もあり、こちらは春夏秋冬の四季を表していると言われています」

 

・白酒(しろざけ)

「酒を三方に乗せ、献供する神事が古事記のころの文献に残っています。平安時代以降の上巳の節句では、邪気を払い長寿をもたらすと言われていた桃の花を浸した清酒・桃花酒が飲まれていたようです。現在では一般的に『白酒』が知られていますが、こちらは米・こうじ・みりん(焼酎)を熟成して作られています。江戸時代中期以降に製造方法が現在の形に定まったようです」

 

ほかにも、桃の花を飾ったり、蛤のお吸い物を用意したり、雛祭りを祝うためのものはたくさんあります。好みに合わせて飾りやお供えをして楽しみましょう。

 

雛祭りにちらし寿司をいただくのはなぜ?

ここからは、雛祭りにいただくちらし寿司の作り方をご紹介します。

 

「ちらし寿司は雛祭りのものとして発展したわけではありませんが、おせち料理と同様に、見通しのよいレンコンや出世の意味を持つ筍など、縁起のよい食材を飾ることで、お祝いごとや宴の席を華やかにすると親しまれてきました。今では刺身をのせたちらし寿司もよく見かけますが、江戸時代には冷蔵庫がありませんから、乾物や山菜などをじょうずに使ってご馳走を作ったそうです」

 

次のページでは、そのちらし寿司のレシピを解説していただきます。

昔ながらの味にホッとする! 正統派「ちらし寿司」の作り方

それではここからは、ちらし寿司の作り方を見ていきましょう。こういった飯台(はんだい)を持っていなくても、お皿に盛り付けることで、見栄えよく美しく仕上げられます。

 

【材料】

[酢飯に混ぜる具]
・蒸しエビ…5尾
・にんじん…30ℊ
・しいたけ…2枚
・たけのこ…20g
・だし汁…100ml
・きび糖(砂糖でも可)…大さじ1
・酒…大さじ1
・しょう油…大さじ1

[飾りつける具:調理が必要なもの]
①蓮根の酢漬け
・蓮根…30ℊ
・すし酢…蓮根がかぶるくらい
②錦糸卵
・卵…1個
・きび糖(砂糖でも可)…小さじ1/3
③青菜のお浸し
・菜の花…20g
・こごみ…10g
・煮切りみりん…小さじ1
・うすくちしょう油…小さじ1
・だし汁…小さじ1

[飾りつける具:調理が必要ないもの]
・煮穴子(刻んでおく)…20
・きざみ海苔…適量
・桜でんぶ…10g

[酢飯]
・米…1合
・すし酢…大さじ2(ボウルで作る場合は少なめから)

 

[酢飯に混ぜる具]を作る

甘じょっぱく煮つけた野菜は、保存もききます。「たくさん作って冷凍庫に小分けして保存しておけば、普段でも手軽にちらし寿司が楽しめます。また、煮つけた汁が残ったときは、白米を炊くときに入れて炊き込みご飯にしましょう」

 

1. 野菜を切る

にんじん・しいたけ・たけのこをそれぞれ千切りにし、たけのこの穂だけは飾り用に大きめにスライスしておきます。

 

2. 野菜を煮る

にんじん・しいたけ・たけのこを鍋に入れ、すべての調味料を入れて10分ほど煮ましょう。火を止めてからもこのまましばらく置いておくと、味が馴染みます。

 

[飾りつける具]を作る

たくさんの具材を準備するのは大変ですが、ひとつずつの工程は少ないので、トライしてみてくださいね。「蓮根の酢漬けは冷蔵庫で一週間くらい持ちますから、普段のつけあわせ用に作り置きしておくのもおすすめです。すし酢で漬けるので、ちょっとしょう油をたらして炒めれば、おいしいきんぴらにもなりますよ」

 

①蓮根の酢漬け……蓮根を花蓮根にして下茹でし、すし酢に浸けておく

皮をむきながら蓮根の穴に沿って花形に切っていきます。「薄くスライスしてからではやりづらいので、太めに切ってから花形に飾り切りをして、最後に薄くスライスしてみましょう」

 

②錦糸卵……錦糸卵を焼く

たまごにきび糖をよく溶き、フライパンに薄く卵液を広げて両面を焼きます。「大きなフライパンで作るよりも一人用の卵焼き鍋などで焼き、小さく何枚も焼くと失敗がありません」

 

小さく焼けたものを重ねて、細かく千切りにしていきます。「必ず冷めてから行いましょう。温かいまま重ねてしまうと、卵がくっついてしまったり、きれいに切れなかったりしてしまうんです」

 

③青菜のお浸しを作る

青菜はいずれも1分ほど茹でてから、調味料に浸しておきます。「春の香りのする山菜を用意すると、季節感のあるちらし寿司に仕上がります。今回は、アク抜きなどが必要なく、茹でるだけで食べられる菜の花とこごみを使いました」

 

[酢飯]を作る

酢飯を飯台で作ると、ごはんの水分が適度に飛び、おいしく仕上げることができます。「飯台がない場合は、水気のおおい酢飯になってしまう可能性があるので、酢の量を調節しながらボウルで作りましょう」

 

1. 炊いたごはんにすし酢を混ぜる

ごはんが熱いうちに、すし酢を入れてよく返して混ぜます。「ごはん粒が潰れてしまわないよう、切るようにしゃもじを動かして混ぜていきましょう。うちわであおぐとよいのですが、少量(2合くらい)なら、あおがなくてもすぐに冷めるので大丈夫です」

 

ちらし寿司を作る

1. 酢飯に〔ちらし寿司の具〕を混ぜる

酢飯と具材が準備できたら、合わせていきましょう。まずはちらし寿司の具を酢飯にさっくりと混ぜ合わせます。

 

2. [飾りつける具]をのせる

穴子→海苔→錦糸卵→海老→青菜→れんこん→桜でんぶの順番で、色が濃く地味なものから盛りつけていき、最後に華やかな色のものを飾っていきましょう。

 

錦糸卵は塊にならないよう、ほぐしながら錦糸のように飾っていきます。

 

桜でんぶは散らすのではなく、小さなスプーンなどで山にして飾っていきましょう。

 

黄色とグリーンが映える、春らしい華やかなちらし寿司ができあがりました。「今ではお刺身を飾ることも多いちらし寿司ですが、冷蔵の技術がなかった江戸時代は、山や海から材料を集め、乾物をじょうずに使ってちらし寿司を仕上げたそうです。昔ながらのおいしさを味わってみてください」

 

2021年の雛祭りは水曜日。週の中日でちらし寿司の準備が大変だなと感じた方は、ぜひ余裕があるときに“ちらし寿司の具”を作り置きしてみてください。冷凍しておけば、当日は酢飯に混ぜるだけで食卓を彩ることができますよ。

 

【プロフィール】

和ごはん研究家 / 麻生怜菜

全国を転々とした幼少時代を過ごし、旅行好きの両親の影響もあり47都道府県全ての地域食材、郷土料理を食べて成長する。結婚後、夫の実家がお寺であったことをきっかけに、お寺の行事食に関わり、伝統的な和食(特に精進料理)に興味をもつ。日本の伝統食、特に精進料理の考え方や調理法、食材などに感銘を受け、伝統的な調理法や食材を、現代のトレンドと融合した食文化の発信する場として、2011年より「あそれい精進料理教室」主宰。日本大学生物資源科学部非常勤講師(日本食文化史/おいしさの科学)に就任。全国の厳選のオススメお料理教室を紹介するサイト「全国料理教室協会」代表理事や、女性支援団体「Welle Me」のアドバイザーも務める。また、2019年からは、寺社振興・地方創成を目的に宿坊・体験プログラムを展開する「和空」の宿坊施設の食事アドバイザーとして活動。レシピ本に『寺嫁ごはん』(幻冬舎)『おからパウダーでスッキリ腸活レシピ』(主婦の友社)などがある。
http://shojinryori.jp/
https://www.instagram.com/reinaasou/

『寺嫁ごはん』(幻冬舎)
『おからパウダーでスッキリ腸活レシピ』(主婦の友社)

 

往復13万3096回!? 世界最高峰のスタジオがストップモーション・アニメに込めた“クロサワ”の世界

アカデミー賞にもノミネートされた映画「コララインとボタンの魔女」で、一躍世界に名を馳せた制作スタジオ「ライカ」。“ストップモーション・アニメ”と呼ばれる映像表現における、世界最高峰のテクニックをもつ彼らが今回挑んだのは、古き日本の美や精神性を宿す圧巻の“旅絵巻”「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」だ。

 

去る10月末、映画の公開に先駆け本作でアニメーション・スーパーバイザーを務めるブラッド・シフ氏が初来日。スタジオ・ライカの精鋭アニメーターたちを統率する彼に、最新作の見どころと、気になる制作現場の舞台裏をインタビューした。

↑スタジオライカのアニメーターであり、本作ではアニメーション・スーパーバイザーを務めるブラッド・シフ氏。さまざまなスキルを持つ数十人のアニメーターを統括し、監督とともに各シーンでどんなアニメーションを使用するかを決めたり、VFXチームと連携してパペットと背景が自然になじむように調整したりするなどの重要な役割を果たす↑スタジオ・ライカのアニメーターであり、本作ではアニメーション・スーパーバイザーを務めるブラッド・シフ氏。さまざまなスキルを持つ数十人のアニメーターを統括し、監督とともに各シーンでどんなアニメーションを使用するかを決めたり、VFXチームと連携してパペットと背景が自然になじむように調整したりするなどの重要な役割を果たす

 

全世界公開の最新作は中世の日本が舞台

ストップモーション・アニメーションとは、パペットや美術セットなどの静止画を1秒につき24コマつなぎ合わせ、映像として紡いでいく古典的な表現法だ。現在、その世界最高技術をもつライカの最新作「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」では、舞台設定のイメージとして江戸時代ごろの日本が選ばれている。

 

「『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』の物語は、前作『コララインとボタンの魔女』からの付き合いである脚本家シャノン・ティンドル氏が持ち込んだ、いくつかの企画のなかのひとつでした。そもそもライカには、日本の映画やアニメが好きな人間が多いんです。監督のトラヴィス(・ナイト)は、黒澤映画やジブリ作品を敬愛しているし、僕も少年のころから『ウルトラマン』の大ファンだった。そんな僕らが、いまの最新技術で古の日本の美を表現したらどうなるか? これは非常にパワフルな作品になるという確信がありました」(ブラッド・シフ氏 以下同)

↑舞台となっている中世日本の世界観は、江戸時代から続く伝統文化や、“わびさび”といった美意識を綿密にリサーチして作り上げていった。作中では、盆踊りや灯籠流しといった日本古来の風習が描かれている↑舞台となっている古の日本の世界観は、江戸時代から続く伝統文化や、“わびさび”といった美意識を綿密にリサーチして作り上げていった。作中では、盆踊りや灯籠流しといった日本古来の風習が描かれている

 

「世界観を作るにあたっては、日本文化にまつわる膨大な文献や美術品などをリサーチしました。絵作り全体のイメージとして特に意識したのは、葛飾北斎などが描いた木版画の質感です。また、衣装は日本の皇室の歴史を研究したほか、着物独自の“生地の折り重ね”を徹底的に観察してデザインしています」

↑美術や背景の大きなヒントとなったのは葛飾北斎、歌川国芳などに代表される木版画の質感↑美術や背景の大きなヒントとなったのは葛飾北斎、歌川国芳などに代表される木版画の質感だ

 

↑本作の主人公は、三味線の音色で折り紙に命を与えるという不思議な能力を持つ少年、クボ↑本作の主人公は、三味線の音色で折り紙に命を与えるという不思議な能力を持つ少年、クボ

 

人形のアクションひとつにも日本文化をリスペクト

「僕が統括したアニメーションは、キャラクターの“動き”の管轄になります。特に三味線の弾き方や踊り方、先祖の墓の前で祈りを捧げる姿といったアクションは、入念な研究をしています。いずれも歴史をしっかりとふまえ、日本文化をリスペクトした表現となるよう気をつけました」

↑ブラッド・シフ氏が来日に際して持参した、主人公クボのパペット。体のあらゆる部位がなめらかに可動する↑ブラッド・シフ氏が来日に際して持参した、主人公クボのパペット。体のあらゆる部位がなめらかに可動する

 

作中にはサムライ風のキャラクターも登場するが、これは黒澤映画を入念に観て研究したものだという。

「そう。サムライの闘い方は、黒澤映画を何度もコマ送りして学んだんです。そもそもストップモーションのアニメーターというのは、1秒24コマの世界に生き続けているので、そういった細かい作業が苦にならない。ビデオのコマ数でもある1秒24コマという世界は、むしろ我々にとっては自然な時間の感覚なんですよ(笑)」

 

これがストップモーション・アニメの職人技だ

表情豊かなキャラクターたちの人形や、布や紙、ガラスなどあらゆる材料を用いて表現された背景。現実にある“モノ”を少しずつ動かしながら撮影していくストップモーション・アニメは、いわば職人の手仕事の集大成だ。

↑美術セットに人形を置き、ポーズや表情を少しずつ変えながら無数のシャッターを切り映像としてつなぎ合わせていくのが、ストップモーション・アニメ。使われる写真の枚数は1秒につき24カットになる↑美術セットに人形を置き、ポーズや表情を少しずつ変えながら無数のシャッターを切り映像としてつなぎ合わせていくのが、ストップモーション・アニメ。使われる写真の枚数は1秒につき24カットになる

 

↑1週間で制作される尺の平均は、なんとわずか3.31秒。クボの表情の数だけでも4800万通り(!)があり、ひとつのカットで使われた顔の模型の最大個数は408個にもなった↑1週間で制作される尺の平均は、なんとわずか3.31秒。クボの表情の数だけでも4800万通り(!)があり、ひとつのカットで使われた顔の模型の最大個数は408個にもなった

 

↑今回の主人公、クボの人形は全部で30体作られたが、顔のパーツはまた別に製作されており、これを写真のように人形本体に付け替えることで表情を変えていく↑今回の主人公、クボの人形は全部で30体作られたが、顔のパーツはまた別に製作されており、これを写真のように人形本体に付け替えることで表情を変えていく

 

↑特に本作では顔のパーツを上下に分けて作っているため、より微細な表情の動きをつけることが可能に。実際にモノを見てみると、まるで理科室の人体解剖模型のよう!↑特に本作では顔のパーツを上下に分けて作っているため、より微細な表情の動きをつけることが可能に。実際にモノを見てみると、まるで理科室の人体解剖模型のよう!

 

↑撮影時はピンセットのような専用の道具を使い、小さなパペットを人の手で少しずつ動かしていく。船や嵐でうねる海面、巨大なモンスターなども3DCGではなくすべて模型だ↑撮影時はピンセットのような専用の道具を使い、小さなパペットを人の手で少しずつ動かしていく。船や嵐でうねる海面、巨大なモンスターなども3DCGではなくすべて模型だ

 

↑キャラクターの衣装ひとつとっても、織りや染め、刺繍などディテールを忠実に再現している↑キャラクターの衣装ひとつとっても、織りや染め、刺繍などディテールを忠実に再現している

 

総作業時間114万9015時間、総コマ数13万3096コマという、気の遠くなるような手間をかけて紡がれた映像は、一見すると3DCGで描かれたグラフィックと見紛うほどになめらか。それでいて、人形だからこそのリアルな陰影や質感はどこか生々しく、観る者の心を痛いほど揺さぶってくる。

↑主要キャラクターのパペットたち。動きのリアルさを追求するためにダンスとアクションの振り付け師を採用し、彼らの動きを人形で再現するという試みもなされている。物語の重要なカギを握る「サル」の豊かな毛並みやしなやかな動きは、パペットであることを忘れるほど自然だ↑主要キャラクターのパペットたち。動きのリアルさを追求するためにダンスとアクションの振り付け師を採用し、彼らの動きを人形で再現するという試みもなされている。物語の重要なカギを握る「サル」の豊かな毛並みやしなやかな動きは、パペットであることを忘れるほど自然だ

 

「今回特に苦心したシーンのひとつが、中盤に出てくる巨大な骸骨との闘いでした。人間の何倍も大きなモンスターなので、実は当初、CGで合成しようと考えていたのですが、それでは仕上がりのインパクトがどうしても弱くなってしまう。そこで監督から、『実物大でいこう!』という恐ろしい(笑)意見が出ました。結果的に全高16フィート(4.9m)のパペットになりましたが、これはストップモーション・アニメで使われたパペットとして史上最大です。全体をワイヤーで吊り、後ろに砂袋で重りをつけて立たせるといったさまざまな工夫をしているのですが、スタッフはひとコマ撮る度に梯子を上り下りするのだから体力勝負。そのうえ骸骨の頭部で小さなクボが走り回ったりするのですから(笑)、あのシーンは僕らにとってすべてが初めての試みだったといえます」

↑ストップモーション・アニメのパペットとしては史上最大! 全高約5mの巨大な骸骨は、1コマ撮影するたびにアニメーターが梯子を上り下り。胴体が約250kg、腕だけでも約20kgの重さをもち、劇中でもその巨大さゆえのリアルな恐怖感が伝わってくる↑ストップモーション・アニメのパペットとしては史上最大! 全高約5mの巨大な骸骨は、1コマ撮影するたびにアニメーターが梯子を上り下り。胴体が約250kg、腕だけでも約20kgの重さをもち、劇中でもその巨大さゆえのリアルな恐怖感が伝わってくる

 

「そんな骸骨のように足場を組んで動かす巨大パペットもあれば、逆に眉毛を抜くようなピンセットでポーズをつけなければならない小さな小さなパペットもあるんです。折り紙の『ハンゾウ』というキャラクターがそのひとつで、彼は単体で映っているシーンでは全高70cmのパペットを撮影に用いますが、クボとの対比が見えるシーンではより小さくなる。そうやってパペットも、シーンに合わせて大小さまざまなものを用意するのです」

 

迫りくる巨大骸骨のシーンは、本作のハイライトのひとつ。その醜悪な表情や途方もない重量感は、大の大人でさえもドキドキ・ハラハラしてしまうほどだ。

「その恐怖感が自然に伝わる……それこそ、僕らにとって何より誇らしいことですね」

 

20171113wadafumiko014

 

最先端をひた走る原動力は挑戦し続けること

今回はそれ以外にも、ライカ初の完全3Dプリンター人形が登場するなど、各シーンで新しい試みがなされている。しかし、制作に入る段階でその具体的な手法がすべて決まっているかというと、実はそうでもないようだ。むしろ骸骨のシーンのように、やりながらより効果的な方法を見出し、試行錯誤していくケースの方が圧倒的に多いという。

 

「いかにパワフルで意味のある作品を作っていくか。いかに自然で繊細なアニメーションをストップモーションで実現できるか。これが、我々が目指していること。ライカの原動力は、そんな風にまだ誰も観たことのないものや、他で経験のない表現に挑戦しようというスタッフたちの姿勢にあると思っています」

 

映画の公開は11月18日。キャラクターの動きはもちろん、背景のひとつひとつにいたるまで、それがどんな素材や手法で描かれているかを想像してみるのも本作の楽しみのひとつだ。

 

【作品情報】

KUBO_MC_001のコピー

『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』

11月18日全国公開

配給:ギャガ

三味線の音色で折り紙に命を与え、意のままに操るという才能をもつ独眼の少年・クボ。村の外れで暮らしていた彼はある日、父を亡き者にし、自分の片目を奪ったという祖父「月の帝」の刺客に襲われ、最愛の母までを失くした。父母の仇討ちを決意し旅に出たクボは、その道中で面倒見の良い「サル」と、「クワガタ」という名の弓の名手に出会い、やがて愛する母が過去に犯した悲しい罪を知る……。監督のトラヴィス・ナイトは、黒澤 明や宮崎 駿を敬愛する根っからの日本マニア。古き日本の美や風習を圧巻のストップモーションで描き、声の出演は大ヒットTVシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のアート・パーキンソンほか、シャーリーズ・セロン、マシュー・マコノヒーら豪華キャストが集結した。日本の寓話を思わせる、大人のためのアニメーション傑作だ。

 

©2016 TWO STRINGS, LLC. All Rights Reserved.