筆者の知人で「サウンドスケープ」を専門としている大学の先生がいる。建築業界などで一般的に使われるランドスケープを由来とするジャンルで、日本語に訳せば「音の風景」となるようだ。たしかに海辺にいるときの波の音、山に分け入ったときの川のせせらぎなどは、目を閉じていてもどんな場所かが分かる、その場所になくてはならない音の風景だ。
筆者もこういう音は大切にしたいと思うひとりであるが、日本の観光地ではしばしば、自然の音をかき消してあまりあるぐらい大音量のBGMを流しまくる土産物店があったりして、ガッカリすることが多い。その点乗り物は、自家用車については好みの音楽を聞きながらドライブすることも多いが、公共交通は自分が乗った経験では、飛行機や船が到着直前にBGMを流すことはあるものの、鉄道やバスを含めて移動中ずっと音楽を流された経験はない。
鉄道で言えばガタンゴトンというローカル線の走行音に魅力を感じる人もいるし、そもそも公共交通はその名のとおり公共空間であるから、万人にとって満足できる音環境は静かであるという考えなのだろう。音楽が欲しい人は携帯音楽プレーヤーを持ち歩けば良いわけだし。
ところが最近、この常識に対抗するような電車が走りはじめた。東京メトロ日比谷線で、新型車両に導入された高音質の放送システムを活用するかたちで、車内BGMの試験運用を始めたという。もともとこの車両では放送システムのテストのためにBGMを使っていたそうだが、昨年間違って営業列車内でこれを流してしまった。ところが一部の利用者から「心地よかったのでこれからも続けてほしい」という意見があり、営業列車でのBGM試験運用につながったという。当面は日中時間帯の2往復のみBGMを流すとのことで、クラシック音楽とヒーリング音楽が流れる。もちろんボリュームは通常の車内放送より抑えられる。
ここまで読んできた方なら想像できるように、筆者は日比谷線のBGMには反対だ。理由は前に書いたように、公共交通の車内は公共の場だからである。公共空間は他人に迷惑を及ぼしたり器物を破損したりしなければ、基本的に過ごし方は自由だ。本を読んでも寝てもいい。音楽を聴きたい人がいれば聴きたくない人もいる。ゆえに聴きたい人は前述のように携帯音楽プレーヤーを持ち歩くことになる。
海外の公共交通には「次は〇〇」という案内さえしないところもある。これも公共性を重視しているからだろう。次の駅で降りる人や終点まで乗っていく人など、車内放送が不要な場合はたしかに存在する。そんな場で音楽を流し続けるというのは、押し付けがましいのではないかという感じがする。クラシック音楽やヒーリング音楽というと聞こえはいいけれど、電車に乗るすべての人がこれらの音楽を好むとは限らないし、車内で寝たい人や本を読みたい人にとっては耳障りになる可能性もある。
国際線エアラインのようなヘッドホンで聞くサービスをスマートフォンのアプリなどで提供したほうが、場にふさわしいのではないかという気がする。経路検索アプリと統合して、乗り換え駅や目的駅が近づいたらCAのアナウンスのようにメッセージが割り込んで入るようになれば、乗り過ごす心配もなくなる。
最初に紹介した先生によれば、日本をはじめとするアジアはランドスケープやサウンドスケープへの関心が薄いという。たしかに駅を筆頭に日本の多くの公共施設は案内と広告と注意書きであふれている。音についても例外ではなく、常になんかしらのアナウンスやBGMが流れている印象だ。ついでに言えば照明は明るすぎ、LEDのイルミネーションは色が派手すぎると感じる。
サービスは過剰なほど良い。昔はそういう考えが主流だったかもしれない。でもその結果、音を含めた景観面は確実にマイナスになっている。必要にして十分な、研ぎ澄まされたサービスのほうが心地よいと感じるのは筆者だけではないはずだ。
【著者プロフィール】
モビリティジャーナリスト 森口将之
モータージャーナリスト&モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材し、雑誌・インターネット・講演などで発表するとともに、モビリティ問題解決のリサーチやコンサルティングも担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本デザイン機構理事、日本自動車ジャーナリスト協会・日仏メディア交流協会・日本福祉のまちづくり学会会員。著書に『パリ流環境社会への挑戦(鹿島出版会)』『富山から拡がる交通革命(交通新聞社)』『これでいいのか東京の交通(モビリシティ)』など。
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