米農家に生まれパンに魅せられた!フランス仕込みの“幸せパン職人”が伝道する時短しないパン作り

焼きたてのパンからたちのぼる香りは、心をほっとゆるめてくれます。自宅で焼きたてのパンを食べたいとは、多くの人が抱く思いではないでしょうか。大野有里奈さんは、日本とフランスで修行し、現在はパン作りのオンラインスクールを主宰する「幸せを与えられるパンを作りたい」との強い思いから“幸せパン職人”として活動しています。

 

昨年出版した『フランス仕込みのパン』(KADOKAWA)が第5刷を突破するヒット中の今あらためて、大野さんが考える“楽しいパン作り”について教えていただきます。聞き手はブックセラピストの元木忍さんです。

 

『フランス仕込みのパン』(KADOKAWA)
4つの生地でハード系のパンからカンパーニュ、クロワッサンまで52種類ものパンが作れる、そのノウハウを惜しみなく教えてくれる本書。ポイントを押さえて作れば、フランスのベーカリーのようなパンが作れると支持されている。

 

4つの生地で52種類のパンがつくれる!?

元木忍さん(以下、元木):やっとお会いできました! 今日お話しできるのが本当に楽しみだったんです。インスタグラムで大野さんの投稿を拝見して『フランス仕込みのパン』を買ったのですが、たった4つの生地で52種類ものパンが作れてしまうことに驚きました。

 

大野有里奈さん(以下、大野):ありがとうございます。出版社から「初中級者向けのパン作りの本を」とお声がけいただいた時に、「そういえばフランスで働いていた時ってひとつの生地からいろんな種類のパンを作っていたな」と思い出したんです。本にするにあたって、わかりやすくまとめられるよう4つの生地に分類しなおしました。

 

『フランス仕込みのパン』の目次ページ。「こねないバゲット生地」「こねないカンパーニュ生地」「ヴィエノワ生地」「クロワッサン生地」の4種類に大別されている。

 

元木:「こねない」って書いてあって驚きました。パンはどれでもこねるものだと思っていたのですが。

 

大野:“手混ぜ”といって、容器の中で混ぜるだけでバゲットやカンパーニュが作れるんです。ただ、クロワッサンやヴィエノワという甘い生地のパンは、ある程度こねる必要があります。

 

元木:それぞれ特別な粉を使うのですか?

 

大野:いえ特別な材料は使っていません。この本では“準強力粉”だけで作っています。いろいろな種類の小麦粉がありますが、フランスでは基本的に薄力粉と強力粉の間に位置付けられている準強力粉を使うんですよ。

 

幸せパン職人として活躍する大野有里奈さん。

 

元木:この本のどのページを開いてもおいしそうなパンばかりなのですが、私自身はもともとハード系のパンが好きなので、冒頭に掲載されているバゲットに一目惚れしてしまいました。このバゲットとオリーブオイルと塩があれば、もう完璧!

 

大野:最高ですね! それに、ワインもほしいところですよね。

 

元木:そう! 初対面ながらお互いの雰囲気が似ている……と思ったんですけど、私たちの胃袋もいい相性していそうですね(笑) さて、大野さんが『フランス仕込みのパン』の中で読者の方に作ってほしいと思うパンはどれですか?

 

大野:バゲット類はどれもおすすめですね。この本の第1章では、ハード系パンの基本生地を「こねないバゲット生地」として紹介しているのですが、一次発酵では冷蔵庫を使っています。実はこの冷蔵室で発酵させる方法は、フランスのパン屋さんでも取り入れられているもの。低温でじっくり発酵させることで小麦の甘みを引き出すことができるんです。

 

基本の「こねないバゲット生地」の工程を説明するページ。冷蔵庫で12時間おき、ゆっくり発酵させる方法を解説している。

 

「こねないバゲット生地」に粒マスタードとベーコンを挟んで、240度のオーブンで16〜18分焼いたもの。仕上げに粗挽きの黒こしょうをふりかけて、大人なパンに。ピザ用チーズをのせて焼くのもおすすめだそう。

 

元木:「こねないバゲット生地」で作るベーコンフランスもおいしそうですよね!

 

大野:このベーコンフランスは初心者さんにおすすめです。夜のうちに少し作業をして「こねないバゲット生地」を冷蔵庫で12時間ほど発酵させておけば、朝起きて1時間もかからずに焼きあげることができます。粒マスタードがいい仕事してくれるんですよ! 私のお気に入りレシピです。

 

ちなみに、ふわふわのパンを作るためには充分な発酵が必要なんですが、ベーコンフランスのようなパリパリとした食感のパンなら、20分程度の二次発酵でOK。朝の支度をしながら、手軽に焼きたてのパンを食べられます。

 

元木:忙しい現代人にぴったりですね。

 

幼い頃に抱いた「パン屋さん」への憧れ

本の中でも作り方が紹介されている「チョコチップ入りヴィエノワスティック」。

 

元木:大野さんご自身のことも伺わせてください。どうしてパンの道へ?

 

大野:私の実家は米農家だったんです。幼い頃からパン屋さんに行くことが特別というか、楽しみでした。ジャンボくんってパン屋さんがあって、母に喜んでついて行っていました。

 

元木:ご実家はお米をつくっていらっしゃるんですね! パンへの憧れでしょうか?

 

大野:そうかもしれませんね。高校を卒業後、一度、スポーツインストラクターとして就職したのですが、料理の勉強をしたくて京都の専門学校に行くことに。元々料理が好きだったのもあるんですけど、通っているうちに「朝、温かいコーヒーと焼きたてのパンがあったなら、どんなに気分が乗らない日でも一日頑張ろうと思える。そんな些細な幸せ届ける仕事がしたい」と思うようになりました。卒業後はパン屋さんに就職しましたが、「日々、朝から晩まで工房に籠ってお客様の顔もあまり見ず淡々とパンを作り続ける毎日に何かが違う……。憧れていたパンの世界に入ったはずなのに、本当にこれでよかったのかな?」と思うようになりました。

 

元木:それでフランスへ?

 

大野:はい。世界のパンを見てみよう、パンの本場と言われるフランスの日常や、パンを食べる人の顔を実際自分で体験して見て触れて、それでも私の中でピンとこないなら、この業界から離れよう。そう思ってフランスへ行きました。

 

元木:ずいぶん思いきったんですね!

 

大野:はい。しかも英語もフランス語もできないのに、単身でパリへ渡ったんです(笑)。覚えたてのフランス語で書いた履歴書を渡して、「働かせてください」ってパン屋さんに就職活動。運良く修行させてもらえるところが見つかり、たくさんのことを学ぶことができました。帰国後は、パンの業界誌の会社で年間50軒以上のパン屋さんを取材し、パン屋さんの売り上げを上げるノウハウを届けていました。出産・育休を機に、2021年からはインスタグラムやYouTubeでパン作りの情報発信を始め、現在に至ります。

 

元木:パンへの憧れから、パンのことを幅広く経験して作る楽しさを伝える『幸せパン職人』へ。大野さんらしい経歴ですね。SNSの運営もご自身でされているんですか?

 

大野:企画から編集やデザインまで自分でやっています。カメラマンさんに撮影を頼むこともありますが、前職の雑誌編集者としての経験からデザインすること、何かを作ることがとにかく楽しいんです。

 

パン作りのコツは「焦らない」こと

大野さんが焼いてきて下さったパンを試食。自然と笑みがこぼれ、幸せな空間が広がりました。

 

元木:米農家からパンの道へ進まれた大野さんですが、なぜこの日本でパンが愛されていると思いますか?

 

大野:日本において、パンはまだ嗜好品に近いものだと思います。フランスで修行していて感じたのは、あちらはパンが日常食なんです。日本の日常食はお米ですよね。これは私が米農家だったことも影響しているかもしれませんが、パンには非日常の要素があるからこそ、好きな人が多いのかな? と思います。

 

それに、シンプルに小麦粉がおいしい。焼いた時の香り、焼き色、ほおばった瞬間の食感……。想像しただけでも幸せな気持ちになりますよね!

 

元木:フランス人がおにぎりに憧れを抱くように、日本人も心の底にはパンへの憧れがあるのかもしれませんね。最近では、自宅でパンを作る人も増えてきました。おいしいパンを作るための究極のコツを教えてください。

 

大野:とにかく焦らないこと! せっかちにならず、レシピに記載されている時間通りに作る。これがおいしくなるコツです。

 

元木:私、せっかちなんですよ(笑)。

 

大野:私もです(笑)。でも「これくらいまあいいか」っていう妥協をせずに、パンを“育てる”感覚で作っていけるといいと思います。最近は、10分でできるとか手軽なレシピも多く広まっていますが、パンって発酵食なので本来、時間がかかる食べ物なんですよ。時間を守って、焦らずに作ったパンを「おいしい」と思えれば、自然とまた作りたくなるんです。手間をかけることが楽しいと感じられるし、焼きたての香り、できた時の達成感、幸福感がパン作りをさらに楽しいものにしてくれますよ。

 

元木:コロナ禍で暮らし方や時間の使い方が変わりましたよね。パンを食べるだけでなく、作る過程も楽しめるようになったのは、素敵な変化なのかも。

 

聞き手となった元木忍さん。聞きたいことがたくさん! と大野さんの話に興味津々。

 

未来につなげるパン作りを

元木:大野さんがこれから挑戦してみたいことはありますか?

 

大野:実家の農地で小麦の栽培をしたいんです。

 

元木:さすが農家の娘さん。小麦から作るなんて、とても素敵なストーリーですね。

 

大野:子どもが毎朝パンを食べるんですが、市販のパンを食べる事もあって……その姿を見ていた時に、「大丈夫なのかな?」とふっと思ったんです。さらに、米農家も担い手不足。私の父ももうすぐ70代と高齢なので、これからどうするのか考えていた時、米の収穫が終わった農地で「小麦を作ろう!」とひらめきました。今年の秋からテスト的に栽培を開始する予定です。私が安心して届けられる小麦で子どもたちが笑顔になるパンを作っていけたらと思っています。

 

私の子ども、さらにはその子どもの世代……と、未来につなげること、そしていつまでも日本の農業を残せるようにしたい。まだまだ力及ばずですが、パン作りだけではなく、その原料となる小麦に関わっていくことで、いずれは地元の農業高校でパンを作るまでの授業をできるようになったり、たくさんの人にパン作りの楽しさや魅力を知っていただけるように頑張りたいです。

 

元木:大野さんならきっと大丈夫。応援しています!

 

 

Profile


幸せパン職人 / 大野有里奈

調理師専門学校卒業後、株式会社ドンクに入社しパン作りの基本を学ぶ。その後、単身フランス・パリに渡り、バゲットコンクール入賞店「ル・グルニエ・ア・パン」で勤務し、ハード系パンの基本とフランスの食文化を学ぶ。帰国後はパンの業界誌に携わり、年間50軒以上のベーカリーを取材・執筆。2021年より、SNSを中心に自身の経験を活かし「幸せになるパンレシピ」を発信し、オンラインスクールにてより奥深いパン作りの楽しさを届けている。
YouTube「幸せパン職人のパンレシピ」
Instagram
オンラインスクール「Ecole du pain」

 

ブックセラピスト / 元木 忍
学研ホールディングスからキャリアをスタート、常に出版流通の分野から本と向き合ってきたが、東日本大震災を契機に一念発起、退社。LIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。

カレー研究家 水野仁輔氏が構想11年で送り出した“カレーをシステムで理解する”本の中身とは?

だれが言ったか、「夏はカレー。」太平洋高気圧とともに、日本列島を“カレー熱”が覆い尽くすこの時季を前に、業界の第一人者が『システムカレー学』を上梓しました。帯には「もうレシピは要らない。全てのカレーはイメージ通りにデザインできる。」の一文。なんとも興味深いメッセージです。

 

著者は、1999年から四半世紀にわたって活躍する“カレーの人”、水野仁輔さん。本書をつくるにいたった理由や、同書に込めた思いなどに、ブックセラピストの元木忍さんが迫りました。

 


水野仁輔『システムカレー学』(NHK出版)
カレー界の第一人者として、レシピ本をはじめ多くのカレーバイブルを上梓してきた著者が「もうレシピは要らない」と世に問うた意欲作。四半世紀にわたってカレーを研究してきたからこそたどりついた、あらゆるカレーを思い通りに作るためのロジカルな羅針盤。

 

レシピに頼らずとも
自分好みのカレーは自由に操れる

元木忍さん(以下、元木):今回の新著は、2013年に上梓された『カレーの教科書』(NHK出版)にルーツがあるんですよね?

 

水野仁輔さん(以下、水野):はい。実はそのなかで、「システムカレー学」についても6ページにわたって書いているんです。ただ当時は、その程度しかアウトプットできるものがなくて。そこから約11年間で情報と経験が蓄積され、1冊にできるだけのイメージが固まりました。

 

水野仁輔さん。『カレーの教科書』は、本書でも書かれている独自の「ゴールデンルール」を基に、カレーの成り立ちや調理のハウツーなどが解説されている。

 

元木:「もうレシピは要らない」という一文が印象的です。これは「もうレシピを見なくてよくなるようにしましょうね」という提案ともいえますか?

 

水野:説明が難しいんですけど、レシピに従って作るカレーの発想転換ですね。僕自身が普通と逆といいますか、基本的にプロアマ問わず、カレーはレシピというルールに沿って作るもの。でも僕の場合、自分が作りたいカレーが先にあって、完成後に振り返って記録したものがレシピなんです。

 

元木:面白い考え方ですね!

 

水野:数年前にスパイスカレーの認知が広がったころ、僕と仲がいいシェフが何人もレシピ本を出したんですね。で、彼らは「自分のレパートリーを注ぎ込んだから、1冊で精一杯。水野は何冊も出してるけどよくそんなにレパートリーがあるね」なんて言うわけです。その理由も、僕の考え方にあるのかなって。

 

元木:そういえば、本書のはじめに「二度と同じカレーは作らない」がモットーだと書いてありました。ということは、レパートリー自体は作ったカレーの数だけあるということですね。だから、レシピ本もたくさん出せると。

 

聞き手となった、ブックセラピストの元木忍さん。

 

水野:そうなんです。ただレシピは要らないといいつつ、本書では基本から応用まで細かくグラムなどでレシピをのせていて。でもそれは、最終的にはレシピから脱却するための“型”みたいなものです。

 

元木:型を破るためには、まず型を熟知することで、レシピに頼らずとも自分好みのカレーが自由自在にコントロールできるようになるということですね。本書を出した理由は、もっと自由なカレーの作り方を提案したかったということですか?

 

根幹にあるのは、すべてのカレーに共通するGR(ゴールデンルール)。カレーの構造を理解するための普遍的な手順が1~7のステップで整理されていて、これさえ覚えれば空振りもファウルもなくヒットを打てる。また、各ステップを入れ替えるだけで味のアプローチが変わるとともに、各国カレーの概要設計も理解可能だ。

 

水野:カレーは嗜好品ですから、どうしても好き嫌いが出てくるはずなんです。なのでカレーの正解は、味わった人のなかにある。ですから、100点満点のおいしいカレーレシピを持ってるのは僕じゃなくて、あなたなんですよと。

 

元木:たしかにそうかもしれません。

 

水野:でも多くの人は、他人の正解に答えを求めようとしがち。でも僕はそれだと100点にはたどりつかないんじゃないかなと。他人のレシピを参考にするのではなく、自分の好みを知って、そのカレーを作るために何をすればいいのかを習得することが、徐々に90点から95点に近づき、やがて100点になるということを提案したいんです。これまで僕が書いたレシピ本でもスタンスは一緒ですが、その想いをマニアックに伝えているのが『システムカレー学』なのかなと思います。

 

「システムカレー学」をIT用語に例えるなら、プログラミング言語のオープンソース化。基本と応用を組み合わせることによって、イメージするカレーを多彩にデザインできる。本書ではその例として、11タイプのチキンカレーを紹介。

 

料理人・笠原将弘が“一汁一飯”を説く!おいしく負担なく、調理を楽しくする日常的な和食の真髄とは

 

第1章ではゴールデンルールによる基本のカレーを解説し、第2章でクリーミーやドライといった7種のチキンカレーを例にアレンジを紹介。そこに続くのが、カルチャーとサイエンスで、地域ごとに異なる調理法の特徴を解明している第3章。なかには、日本のカレーが世界一といえるほど玉ねぎの脱水にこだわっている……という驚きの事実も!? 水野さんの語りは続きます。

 

「カレー調理のなぜ」を
議論のテーブルにのせたい

元木:第1章ではゴールデンルールによる基本のカレーを解説し、第2章でクリーミーやドライといった7種のチキンカレーを例にアレンジを紹介しています。そのうえで興味深かったのは次の第3章。カルチャーとサイエンスで、地域ごとに異なる調理法の特徴を解明している点が面白いと思いました。

 

トップバッターの北インド編では「インド宮廷料理 マシャール」のフセイン氏、次の南インド編では「ヴェヌス サウス インディアン ダイニング」のヴェヌゴパール氏と、有名シェフのレシピとともに、各カレーの核となる調理法を紐解いている。

 

水野:カレーにはカルチャー(食文化)とサイエンス(食の科学)、2本の柱があります。前者はその地で育まれた伝統的なレシピが紐づき、後者は調理法から導かれる風味のメソッド。どちらも手に入れることで、おいしいカレーの理由にたどりつけると考えました。

 

インドのカレーが他国に比べて圧倒的に油を使う量が多い理由を、気候や風土の側面などを交えつつ考察し科学的にも解説。加えて、フセインシェフのスペシャリテ「カリムチキンカレー」のレシピも写真付きで紹介。

 

元木:日本編では「デリー」の名物、カシミールカレーが登場。玉ねぎの脱水とメイラード反応(加熱により糖とアミノ酸が褐色化する反応。香りやうまみも生成される)について書かれていますが、日本のカレーが世界一といえるほど玉ねぎの脱水にこだわっているとは知りませんでした。

 

水野:なぜそうなるか、というところが面白いんです。僕はこれまで、カレーのカルチャーに触れるたびにサイエンスの視点でも話を聞いてきました。例えば日本人はカレーに玉ねぎの甘みを求めるから、脱水してメイラード反応させて甘みを強めるんですよ。でもこれ、インドだとそこまでやらないんです。

 

元木:玉ねぎ炒めは大事だけど、褐色になるまで炒めるプロセスはないと書かれていましたね。

 

水野:日本で活躍してるインド人シェフに聞いてまわったところ、みなさん日本の玉ねぎは使いたくないって言うんです。なぜなら、甘すぎるから。実は、インド料理では玉ねぎの甘みは邪魔なんです。なので玉ねぎの切り方ひとつとっても、日本とは違うんですよ。

 

元木:そうだったんですね。

 

水野:ただし彼らは、その科学的根拠までは知りません。昔からその切り方が当たり前だったからとか、師匠や母親に教わったから、とか。つまり、カルチャーなんですよね。でもサイエンス視点で考えると、玉ねぎは包丁を入れる回数が増えれば増えるほど、甘みが減るぶん香りは立つ。だからインドでは、みじん切りとかスライスとか、地域によって切り方は多少違えど、香味や風味を立たせる切り方をするんです。

 

元木:そう聞くと、すごく腑に落ちます。ということは、甘みを求める日本のカレーは、玉ネギに包丁を入れる回数が少ないってことですよね?

 

水野:一概にはいえませんが、大きく切ったほうが日本人好みの甘み豊かなカレーを作りやすいです。また、香りに関しては、同じスパイスでも調理の途中と後半とでは香り方が変わるんですよね。これはどちらが正しいではなくそれぞれに意味があり、それを読者さんの好みや狙いによって選んでほしい。考えてほしいんです。正解は、各人のなかにあるんですから。

 

味と香りに関する言及はほかにも随所に。例えば写真のページでは、香りを生み出すスパイスの投入タイミングと加熱の関係性などについて解説。

 

元木:先ほどのお話にもつながりますね。

 

水野:まあでも、僕は科学者ではないですし、いまだに答えが出切っているわけじゃないんです。もしかしたら、10年、50年後には間違いだったという可能性もありますし。でもそれはそれで、カレーの作り方がそれだけ進化したってことですよね。とにかく僕は、そうやって一つひとつ「カレー調理のなぜ」を議論のテーブルにのせたいんです。

 

意思やビジョンをもったほうが
カレー作りもきっと上達する

元木:それだけ、まだ解明されてないナゾがあるってことですよね。でもこうしてお話を聞くと、目的をもってカレーを作ってほしいという思いをいっそう感じます。

 

ゴールのイメージに向かって調理を設計する際は、何をすべきか。ここでは、7つのゴールデンルール各ステップでどんなエッセンスを盛り込むか、どんな調理法を採用するかの特徴とポイントが書かれている。

 

水野:意思やビジョンをもっているほうが、カレーの調理技術もきっと上達すると思うんです。もちろん、手っ取り早く正解を知りたいという気持ちもわかるんですけどね。だれだって失敗したくはないですし。

 

元木:“コスパ”や“タイパ”が求められる世の中ですもんね。

 

水野:僕だって別の本では失敗しないコツとか、簡単本格スパイスカレーみたいなテーマでも書いています。でも、突き詰めて考えてみませんか? ってことも発信したいんですよ。それに僕自身、味の好みとは別に、作り手の意図が伝わるカレーが好きなんです。

 

元木:そういえば、水野さんが運営されている「AIR SPICE」にも小冊子が入ってますよね。70冊以上も本を出していて、noteもやられてるじゃないですか。やっぱり、カレーを作る以外にも発信することが好きなんですか?

 

「AIR SPICE」には『LOVE SPICE』という十数ページのミニマガジンが付いてくる。例えば写真の回は、北海道「スープカレー SOUL STORE」の清水元太シェフとの対談。

 

水野:発信も好きですし、それ以上に本をつくるのが大好きなんです。ウェブのほうが便利な側面もありますけど、僕は紙媒体で細かいところまで作り込むのが好きなんですよね。とにかく出版のご相談をいただくと前のめりになって、何冊も出しちゃってるから常連の読者の方には申し訳ないという思いもありますけど。

 

元木:いえいえ、素晴らしいバイタリティじゃないですか! こうしてお会いして、水野さんの熱い思いがすごくわかりましたし、私自身も本書を熟読のうえビジョンをもってカレーを作りたいと思います。今日はありがとうございました。

 

Profile


カレー研究家 / 水野仁輔

カレーの人。1999年に出張料理集団「東京カリ~番長」を結成し、全国各地で活動を開始。『カレーの教科書』をはじめ、これまでに著書は70冊以上におよぶほか、「カレーの学校」を主宰したり、レシピ付きスパイスセットの定期頒布サービス「AIR SPICE」を運営したりもしている。
note
「AIR SPICE」Instagram

 

ブックセラピスト / 元木 忍
学研ホールディングスからキャリアをスタート、常に出版流通の分野から本と向き合ってきたが、東日本大震災を契機に一念発起、退社。LIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。

dancyu元編集長が関西限定誌『あまから手帖』に移籍して再確認した、雑誌を作る意味

星の数ほどある飲食店のなかから、行きたいお店の情報をどうやって手にいれるでしょうか? SNSかグルメレビューサイト? インターネットに情報があふれ手段が多様化するなかで、ある雑誌が気を吐いています。

 

発行エリアが限定される“リージョナル誌”でありながら全国誌に引けを取らない部数を発行するグルメ誌『あまから手帖』(クリエテ関西)。ネットの時代でも、読者に支持される理由とは? 同誌の編集長、江部拓弥さんに、読者、さらに取材対象者を引きつけ続けるための工夫や、大切にしていることをうかがいました。聞き手は、ブックセラピストの元木忍さんです。

 

『あまから手帖』(クリエテ関西)
1984年創刊。毎月23日発売の月刊誌。大人の愉しい「食」マガジンをコンセプトに掲げ、大阪、京都、兵庫を中心とした豊かな関西の食を届けている。写真は2024年5月号。

 

作り手も読み手も楽しめるように
ルーティン化を避けて制作する

元木忍さん(以下、元木):江部さんは、2017年7月号まで『dancyu』(プレジデント社)の編集長をつとめていらっしゃいました。その頃は東京を拠点にしていたわけですが、『あまから手帖』の編集長就任にあたって、1年半前に大阪に移られたそうですね。雑誌作りの面で、東京と大阪では何か違いは感じましたか?

 

江部拓弥さん(以下、江部):実際に移り住んで感じたことは、東京と比べるとフォトグラファーなど制作スタッフも印刷会社も絶対数が少ないので、選択肢が自然と少なくなる、ということです。つまり、同じ人と仕事することがおのずと多くなっていく。ですからルーティン化を避けるような雑誌づくりをしたい、と思うようになりましたね。

 

元木:定期刊行する月刊誌では、ある程度ルーティン化してしまいがちなものですよね。一号作るたびに、一度立ち止まって考えよう、ということ?

 

2022年9月から『あまから手帖』編集長を務める江部拓弥さん。経歴からグルメ一筋なようでいて“グルメ業界人”らしくないキャラクターに、スタッフなどからの信頼は厚い。

 

江部:そうですね。いろいろな選択肢から選べるほうが、そもそも制作していても楽しいし、面白いものができるよねってことを、編集部員と一緒に体験しています。

 

元木:たとえばどういったことに楽しさを感じますか?

 

江部:たとえば、書店に並んだ時に立ち読みした人の指紋が目立つ黒表紙は、書店から敬遠されやすいから選ばない、と今まで判断していたとしましょう。ですが、印刷加工を工夫することで、指紋がつきにくい黒表紙の装丁も可能になった、なんてこともありましたね。

 

2023年12月号。手で触れても指紋がつきにくい加工が施された黒表紙は、第一特集のテーマ「鮨」の写真を引き立たせている。

 

2023年12月号。

 

元木:妥協することなく、思い描いたものが作れるのは、作り手にとってこの上なく幸せなことなのではないでしょうか。読み手にとっても、技巧を凝らした雑誌を手に取れるというのは雑誌を読む楽しみにつながりますしね。

 

江部:そう感じてもらえていたらうれしいですね。

 

雑誌との出会いは一期一会。
読者にとっての”読む意味”を意識する

元木:反対に、「大阪から見た東京」という視点で気づいたことなどありますか?

 

インタビュアーをつとめる、ブックセラピストの元木忍さん。

 

江部:選択肢が限られる環境に身を置いたからこそ、どうしたら紙(雑誌などの紙媒体)ならではの魅力が伝わるんだろう? とあらためて考え始めましたね。選択肢が多い東京時代には気づかない視点だったかもしれません。

 

元木:本を読む意味や本の価値ってなんだろう、と気付かされた?

 

江部:そうです。本を取り巻く環境に思いを馳せてみると、昔は街中に書店がたくさんあったから、待ち合わせ場所に使うことがよくありましたよね。

 

元木:そうでしたね。相手を待っている間に本の方が気になったりして、書店から出られなくなってしまうこともよくありました(笑)

 

江部:そうそう。目の前にずらっと並ぶ本のなかから、一期一会の出会いが楽しめた。それは、パラパラとページをめくる体験であったり、見た目の美しさや、手に取った時の手触り感を楽しむ体験であったり。これこそが、紙ならではの魅力で、読む意味につながるのだと思っています。

 

2023年9月号、第一特集は「梅田にキタ」。たこ焼きソースの部分は、ハジキニス加工によって、周囲とは異なるつるっとした手触り。まさにソースの照りを触感で体験できる。「手触りが良い服だと心地よくなるのと同じで、雑誌でも触って気持ちよい、楽しい気分になってくれたらいいなと思っています」と江部さん。

 

2023年9月号。

 

2023年11月号。第一特集「奈良に行きたくなる。」に合わせて表紙左上に忍ばせたのは、奈良県マスコットキャラクターの“せんとくん”。凹凸のある手触りを感じられる、ハジキニスという加工を採用した。光の加減で加工部分が見えたり見えなかったりの仕掛けも、作り手の遊び心を垣間見られて楽しい。

 

2023年11月号。

 

元木:今はインターネットで本が簡単に買える時代。本との新しい出会いや編集側の伝えたい気持ちに出会いにくくなっているようにも感じます。

 

江部:時代が変わっても、本や雑誌は「そのままの状態で残る」「いつでも手に取って触れる」という特性は変わらないはず。ですから、残したいものをつくらなきゃっていう思いは常に強く感じています。皆さんには、もっと書店に立ち寄って欲しいですね。そして、生ビール中ジョッキをもう1杯飲むくらいなら、『あまから手帖』を買おうかなと思ってほしいです(笑)。

 

元木:書店には素敵な出会いがあり、宝物を探すような感じで『あまから手帖』を手に取って、感動してもらいたいですよね。

 

“濃い”関西グルメを伝えるには
店や常連客との関係性を大切に取材する

元木:『あまから手帖』を拝読したときに素敵だなと思ったのが、写真や文章からお店の雰囲気や店主の人柄までしっかりと伝わってくるところ。読者が実際に訪れたかのような臨場感があるんですね。どのような工夫をされていますか?

 

江部:お店との関係性を大切にしたやりとりを心がけています。関東と比べてもエリアごとの店舗数が少ないですし、短期間でいきなりお店が増えることもまれです。店と編集部の距離感が近いといえるでしょう。あと、お客さんとの距離も近いかな。

 

元木:お客さんとの関係性というと、取材中に仲良くなる、とか……?

 

江部:撮影中であっても、常連さんから声をかけられることがあります。お店のいいところを店主さんに代わって教えてくれたり、取材内容にダメだしされたりも(笑)。

 

元木:それは本物のマーケティングですね(笑)。話はお店との関係性に戻りますが、お店とのお付き合いがこの雑誌づくりにとって貴重な情報源ということでしょうか?

 

江部:はい。そういった事情があるので、取材の機会以外でも、できるだけ足を運ぶようにしています。まずは“ロケハン”で、お客として食べに行くことから始まり、取材依頼をする際も店舗に直接伺ってお願いする。原稿も、メールではなく持参が望ましいです。もちろん、遠方だったり時間的な余裕がない場合はなかなか難しいのですが……。読者と雑誌との関係と同じく、取材も一期一会。そのぶん、濃密なものにできたらという思いはいつもあります。

 

元木:とにかく、顔を出すこと=コニュニケーションこそが重要、ということですね?

 

江部:そうですね。取材時だけしか訪問しないとなると、お店としては、ロケハン時はこちらが誰であるのかわからないので、会ったのは取材の一度きりということになりますよね。ただでさえ距離感が近いのに、その場限りと捉えられては“いい話”も聞き出せないでしょう。ままならないこともありますが、掲載後にも食べに行ったり、呑みに行ったりしています。昭和的な考え方かもしれないので、若い店主などは鬱陶しいと思うかもしれませんけどね(笑)。

 

元木:温かみを感じる取材スタイルだと思います。これも関西ならではなのかもしれませんね。

 

 

取材内容をどう誌面に落し込むか
手本はポップミュージックの三原則!?

元木:取材内容を誌面に反映するために意識していることを教えてください。

 

江部:大学生の時に邦楽誌『ROCKIN’ON JAPAN』(ロッキング・オン)のインタビューでザ・ブルーハーツの真島昌利さん(現ザ・クロマニヨンズ)が、「難しいことはわかりやすく、わかりやすいことは面白く、面白いことは深く」と答えていて、それはポップミュージックの三原則である、と。作家の井上ひさしさんも同じことをおっしゃっています。雑誌つくりで迷ったら、その言葉を思い浮かべますね。

 

元木:素敵な話ですね! この三原則を意識して、編集を続けていらっしゃるのですね。最近制作した記事や特集はありますか?

 

江部:取材の前段階、特集内容を考えるときの話にはなりますが、2024年4月号の「名店特集」でしょうか。過去にも特集していたこともありましたが、あまり振るわなかったと聞いています。それはおそらく、雑誌をパッと開いた時に「“俺の”“私の”本じゃないや」、と読者が感じてしまったからなのでは、と思っています。

 

2024年4月号の第一特集「名店とは何か?」。表紙は文字だけで構成した。中央のグルメジャンルに混ざったピンク色の文字だけを拾っていくと、“ハ・ル・菓・キ・タ・ー”=春が来た。そんな仕掛けを探すのも楽しい。

 

元木:“名店”とは、ミシュランガイドで星を獲得した店や、ちょっと敷居が高く感じるとか価格そのものがちょっと高いところをイメージしてしまいますが、そういった理由でしょうか?

 

江部:そうかもしれませんね。“名店”の一般的なイメージは、作り手も書き手も同じでしょう。それなら、あえて別の視点から何かできないかなと思ったんです。今回の名店特集では、「名店とは何か」というテーマにして、掲載している店一つずつに答えがある作りにしました。何かしら響いてくれる記事があるといいなと思っています。

 

元木: 名店を一方向でなくまとめて特集にされたことは、新しい挑戦を感じる企画ですね。今後の江部さんは、どんな挑戦をしていきたいですか?

 

江部:情報媒体というメディアの特性上、どうしても新しいモノに価値を置かれやすいのですが、そんななかでも、古いモノをどう受け入れてもらえるか。どのように取り上げていけばいいのかを考えることが、今後の課題です。

 

元木:雑誌は、新しいモノを掲載することが価値基準のひとつでしたが、もっともっと老舗やいま既に存在しているものに光を当てられたら素敵ですね。2024年11月には、創刊40周年を迎えるとのこと。今後も江部さんの新しいチャレンジを応援しています。今日はありがとうございました。

 

Profile

雑誌『あまから雑誌』編集長 / 江部拓弥

大学卒業後にプレジデント社に入社し、雑誌『プレジデント』編集部を経て、2008年『dancyu』に異動。2013年9月から編集長に就任し2017年6月まで務める。2018年に「dancyu web」を立ち上げ。2022年9月から『あまから手帖』編集長を務めている。

 

ブックセラピスト / 元木 忍

学研ホールディングスからキャリアをスタート、常に出版流通の分野から本と向き合ってきたが、東日本大震災を契機に一念発起、退社。LIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。

苦痛が人を若返らせる! サイエンスジャーナリストが説く健康の新常識「不老長寿メソッド」とは

ベストセラーの著者として知られ、著作やブログを通じて健康や科学などの最新の知見を発信しているサイエンスジャーナリスト、鈴木祐さん。著書『不老長寿メソッド -死ぬまで若いは武器になる-』では、肉体、メンタルから快眠、美容など、科学的エビデンスに基づいた多角的な “不老長寿” 術を紹介しています。

 

そこで、私たちがすぐに始められるアンチエイジングや健康術について、鈴木さんにかいつまんで教えていただきました。聞き手は、ブックセラピストの元木忍さんです。

『不老長寿メソッド -死ぬまで若いは武器になる-』(かんき出版)
人類が抱える史上最大の難題ともいえる「不老」をテーマに、世界中から集めた、すぐに実践できる、科学的効果が証明されたメソッドだけを厳選して紹介。老いを感じやすい肌・髪・体・心のアンチエイジングをカバーするだけではなく、老化を乗り越えていくための思考法やライフプランのヒントも教えてくれる。

 

薄い毒による苦痛が人を若返らせる

元木忍さん(以下、元木):日本人の寿命が伸びて、今後は “人生100年時代” のライフプランが重要になってきました。「いつまでも元気で若々しくありたい」と考えはじめた矢先にこの本と出会い、ひとつひとつのメソッドを自分ゴトとしてとらえながら読ませていただきました。
アンチエイジングにとって、とても有意義な考え方として、 “適度な苦痛が肉体的にもメンタルでも人間の能力を高める” という「ホルミシス」をメインに取り上げていますが、わかりやすくいうとホルミシスとはどんなものなのでしょうか?

 

鈴木祐さん(以下、鈴木):世の中に存在する物質は、⼤量に使うと有害であっても、微量に⽤いれば逆に有益な作⽤を果たします。この現象がホルミシス(ギリシャ語の「刺激」に由来)です。

 

元木:例として、「毒性の弱い病原体や抗原を体内に送り、人間の防御システムを活性化させることで、同じ病原体に襲われても病気にならない体を作り上げる」、ワクチンの仕組みを上げていましたが、わかりやすかったですね。

 

鈴木:簡単にいえば「薄い毒は役に立つ」ということです。ところで、元木さんは「体を動かすとなぜ健康になれるか」、わかりますか?

 

元木:ひと言で説明するのはむずかしいですね……。とにかく、スポーツをして爽快感や達成感を得られた時に「なんか健康になったな」という気分になりますよね。

 

鈴木:そうだと思います。ただ仮説は大量にあっても、明確な答えはいまだ解明されていないんです。そのなかでもっとも有効的な謎解きのヒントが、このホルミシスです。

↑みずからも不老のメソッドを実践する鈴木さん。「体操、筋トレ、テコンドーをやっています。人によってストレス耐性が違うので、ズバリどれがいいとはいえないですね。とにかく継続できることが大事ではないでしょうか」

 

元木:スポーツが好きな人は大勢いますが、運動も “苦痛” だということですか?

 

鈴木:原始の時代から、人は食糧を得るために、いやいや体を動かしていて、食欲が満たされれば、それ以外に体を動かす意味はなかったわけです。その結果、人間の脳には「運動を嫌う仕組み」ができあがってしまい、体を動かすことが苦痛になりました。

 

元木:著書によれば、サウナもホルミシスのひとつなんですね。

 

鈴木:そうです。70℃以上の高温に身を置くことで、心拍数も一気に上がりますから、ある種の苦痛をともなっています。一方で、サウナは軽いジョギングに近い運動効果を疑似的に再現してくれるので、心臓や血管の改善に役立ちます。これはフィンランドのデータですが、週に4~7回サウナを利用するグループは、サウナを利用しないグループに比べ死亡リスクが50%下がり、認知症やアルツハイマー病の発症リスクが65%も減ることがわかっています。

 

元木:認知症にも!? さらに著書にあった、ふだん健康にいいと思って食べている野菜さえ苦痛を与えているのということも驚きです。

 

鈴木:野菜に含まれているポリフェノールには酸化ストレスを与え、肉体に軽度の炎症を起こし、人体の抑制システムを起動する役割があり、肉体のダメージを修復しています。植物から苦痛を取り込むことで間接的に肉体を若返らせているといえます。ただ、この炎症が長引くと感染症や成人病の原因となり老化の一因ともなりますから、その本質は毒物ということになります。

 

元木:まさに「薄い毒は役に立つ」。ホルミシスがアンチエイジングや健康のキーポイントですね。

 

鈴木:人がもつ機能は、使わないと衰えます。使い続けるには薄い刺激を与えないと使ったことにならないのです。ただし、あまりに負荷が大きいと潰れてしまうので、そこは注意が必要ですね。

 

↑メンタル面でも、「快いストレス」が有効だそう。自分に与えられている苦痛を計る「リスクメーター」。スタンフォード大学などで使われている人生改善テクニックです

 

ただボーっとしていても “休息” にはならない

元木:ストレスも老化の原因といわれていますよね。ストレスをどう解消したら良いか、さまざまな本が出版されています。ダラーッとソファに寝転んでいることでストレス解消をしている人も多いと思うのですが、鈴木さんの本を読んだら、これは間違った休息法だったのですね。

 

鈴木:私も、部屋にこもってネットをしながら「これは楽だな」と思い、ストレスが薄らいでいくと思っていた時期もありました。でも、そんな日常を続けていると次第にしんどくなるのです。そこには主体性がなく、人から与えられたものを消費する受け身の姿勢なので、前向きな気持ちが生まれにくくなります。自分で目的を決め、それを少しずつ達成していかないと前に進んだ気が起きず、モチベーションがわかないのです。ダラーっとしているだけでは、いわば “休まされている” だけで、メンタルを病ますことにもつながります。

 

休憩の3ステップ

1.休憩の目的を明確にする
2.目的の達成に必要な休憩法を決める
3.必ず決めたとおりに休む

 

↑苦痛による刺激が若返りのシステムを起動させ、回復が若返りシステムを実行するといいます

 

元木:“攻めの姿勢” こそ、効果的な休息なんですね。これは個人的な疑問なんですが……例えば「ハワイに行くぞ!」を自分の目標にして仕事をバリバリしても、いざ行ってしまうと3日で飽きてしまうのはなぜですか?(笑)

 

鈴木:ハワイに行くことに主体性はあっても、現地ですることを明確に決めてないからではないですか?(笑) やるべきことも決めたうえで、それをこなしていくと飽きることもなく達成感も得られると思います。それはメンタルだけではなく肉体的にもいえることで ちょっと歩くだけでも血流があがって回復のための栄養が体にいきわたるので、ホテルでダラーッと過ごすより、アクティブに過ごした方が本当の意味で休息になります。

 

元木:そこが「休み方を間違えない」ポイントですね。

 

鈴木:ボーっとするのが悪いわけではなく、あくまで主体性が大事なんです。最初から「ひたすらボーっとする」と決めてボーっとすれば、休息になり、ストレスの回復につながると思います。

↑私的(?)なお悩みも交えながら話を聞く、ブックセラピストの元木さん

 

運動以外の活動も自覚すれば役に立つ

元木:効果的な運動法では「プログレス・エクササイズ」を取り上げていました。

 

鈴木:プログレス・エクササイズは段階的に負荷を上げていく運動法のことです。少しずつ苦痛のレベルを高めてホルミシス効果を狙います。

 

元木:プログレス・エクササイズはひとつではなく、何種類も紹介されていますが、一番ラクにできそうだなと思ったのは「プラセボ・トレーニング」ですね。プラセボって、有効成分の入っていない「偽薬」のことですよね。効くはずがないのに、薬を飲んだという思い込みで症状が改善するとか。

 

鈴木:まさに思い込みの持つパワーを応用したテクニックです。例えば、散歩や、掃除、洗濯など運動以外でも体を動かすことってありますよね。日常のささいな活動を意識して「今日は駅まで10分歩いた」とか、「駅の階段を20段のぼった」とかを、思い返していくのがプラセボ・トレーニングです。「自分は体を動かしている」と自覚するのが要点で、ハーバード大学が行った実験では、調査に参加した女性に、ふだん仕事で消費するカロリー数を教えただけで、4週間後にはみな一様に体重と体脂肪が減り、血圧まで改善したという報告があります。

 

元木:それは興味深いデータですね。どれだけ体を動かしているかを自覚するだけで効果があるということですよね。しかも、今日からでも簡単にスタートできそう!

 

鈴木: プラセボ・トレーニングを含め、スポーツのような運動ではなく、日常的な活動で消費されるエネルギーはNEAT(非運動性熱産生)といわれます。肥満の人ほどこのNEATが低いので、エクササイズを始める前に日常的な活動量を増やすことを考えた方が賢明です。どこまでNEATを増やせばいいか。その目安として役立つのが診断テスト「NEATスコアリング」です。チェックリストを使って点数をだしてみてください。NEATの達成レベルが判断できますよ。

↑日常的な活動(NEAT)を計ることのできるチェックリスト。点数によってNEATレベルが判定されます

 

日常生活の中でラクに若返る方法

元木:食事でも体に適度な苦痛を与えることのできる「AMPK⾷事法」というのがありますね。

 

鈴木:「AMPK」とは燃料センサーのような役割をもつ酵素のひとつです。体に必要なエネルギーが不足すると活性化し、効率よく代謝を促す働きを持っています。AMPK食事法はこの燃料センサーを刺激するための食事法です。プログレス・エクササイズが体を動かすことで、外部から刺激を与えるのに対し、こちらは内側から刺激してホルミシスを起動させます。

 

元木:先ほどのポリフェノールも、薄い毒としてAMPKを刺激してホルミシスを活性させるのですか?

 

鈴木:AMPK⾷事法の大きなポイントのひとつです。もう一つがファスティング(断食)ですね。

 

元木:ファスティングは良いと⾔われていますが、どんな効果があるのでしょうか?

 

鈴木:体重を減らすだけではなく、体内の炎症をやわらげる作用や、アレルギー性の喘息、関節炎の改善、脳の情報処理スピードアップなどの効果があります。ファスティングには、食事の時間を前後に90分ずらすもの、特定の時間に食事を限定するものなどいくつか方法がありますから、自分の生活スタイルで続きそうなものを選んで実践してみるといいですね。

 

元木:鈴木さんも、どれか実践されていますか?

 

鈴木 朝食を抜いて約16~18時間の空腹時間をつくる方法を続けています。苦にならないので、自分には合っているようです。

 

元木:本書には「快眠の基礎がわかるスリープ・チェックリスト」がありますね。私はとても寝つきが悪く、ぐっすり眠れないことが多いんです。お酒を飲んでから寝ることも……。

 

鈴木:お酒を飲まないと眠れない入眠は、睡眠の質を下げるだけなので習慣化しない方がいいですね。本書では、「寝室の温度は18~19度にする」、「寝室には時計を置かない」などデータに基づく快眠の方法もいくつか紹介していますから、ぜひ片っ端から実践してみてください。ハードな運動をして寝落ちするとか、睡眠を最優先する考え方にもっていくというのも有効です。しっかり寝ると翌日のパフォーマンスがまったく違いますし、アンチエイジングメソッドとしてもとても重要です。有名な事例にアメリカのユニバーシティ・ホスピタルズが行った試験があります。60人の女性に紫外線をあてて意図的に肌バリアを破壊したところ、睡眠の質の低い人は30%も肌の回復力が遅く、3日経っても肌が元に戻らなかったといいます。

↑睡眠の質を判断する「スリープ・チェックリスト」。睡眠不足の改善で日常生活も驚くほど変わるといいます

 

元木:美肌を保つスキンケアについても書かれていますね。

 

鈴木:結論からいうと、美肌の保持にとにかく重要なのは保湿です。とはいってもあまりやるべきことはありません。面倒なことを考えたくなければワセリンを使えばいい。高級化粧品などを使わず、毎日、少量のワセリンを肌に塗っておけば、問題はありませんよ。

 

楽観的な人ほど、元気で長生き

元木:“脱洗脳” の章にある「幸福な⼈ほど、⻑⽣きする」という、アンチエイジング科学の金言は大好きです(笑)。

 

鈴木:楽観的な人ほど寿命が長いということは、いろいろな調査で認められています。楽観的な人は悲観的な人より50~70%長生きだという報告もあります。幸福な人ほど若々しく寿命が長い理由は実ははっきりしませんが、楽観思考がライフスタイルを整え、日々のストレスも癒してくれることで生物学的機能にまで良い影響が出るのだと考えています。

 

元木:私は楽観的なので、毎日を楽しく生きていますけど、ネガティブ思考の人はつらいところですね。

 

鈴木:現代社会では「エイジズム」も問題にあがっています。エイジズムとは老化に対するネガティブな印象を意味する言葉で、世間が高齢者を社会的弱者と見なしたり、高齢者自身が「自分は老いぼれだ」と卑下したり、逆に周囲が高齢者に過保護になるといったこともエイジズムの一種です。それが侮れないのは、「老化に対してポジティブな人の方が、認知症リスクが低い」というイエール大学の調査データもあるからです。エイジズムに立ち向かえる人が健康寿命も長くなります。

 

元木:脳をエイジズムから解放する方法も解説されていますね。外見のチェック回数を減らすというのもおもしろい。

 

鈴木:鏡を見ないことですね。自分の理想と現実のギャップに落ち込み、見た目の若さを他人と比べて無限に落ち込んでいきます。人のSNSにアップされた画像を見るのも落ち込みやすいので健康によくありません。

↑鈴木さんは次回作の「才能をみつける本」を執筆中。今夏には刊行予定だそう

 

科学の視点でアンチエイジングの要点を一冊に

元木:「不老」のメソッドがたっぷりつまっています。なぜこの本を出版しようと考えたのですか?

 

鈴木:100歳以上の人口が世界で一番多いイタリアのサルデーニャ島や、心臓病の人が皆無に近い南米ボリビアのチマネ族のように、常識を超えた若さを保ち続ける人々の肉体にはどんな秘密があるのか。科学の視点でアンチエイジングの要点をまとめてみようと思ったのがきっかけです。

 

元木:アンチエイジングに関する情報は数多く出回っていますよね。

 

鈴木:この本では、1970年代から現在までに発表されたアンチエイジングの文献から、エビデンスの確実性が高いGRADEシステムなどにもとづいて質が高いものを抽出し、3000超えのデータを参考にしました。つまり信頼できる手法だけを集めた不老長寿メソッドの “ベスト盤” といえます。

 

元木:データの裏付けのあるものだけを集めたということですね。

 

鈴木:その方が、実践するうえでもモチベーションが上がりますから。

 

元木:その通りですね。私自身も日常的に参考にさせていただきます!

 

プロフィール

サイエンスジャーナリスト / 鈴木 祐

1976年生まれ、慶應義塾大学SFC卒業後、出版社勤務を経て独立。10万本の科学論文の読破と600人を超える海外の学者や専門医へのインタビューを重ねながら、現在はヘルスケアや生産性向上をテーマとした書籍や雑誌の執筆を手がける。自身のブログ「パレオな男」で心理、健康、科学に関する最新の知見を紹介し続け、月間250万PVを達成。近年はヘルスケア企業などを中心に、科学的なエビデンスの見分け方などを伝える講演なども行っている。

 

ブックセラピスト / 元木 忍

学研ホールディングス、楽天ブックス、カルチュア・コンビニエンス・クラブに在籍し、常に本と向き合ってきたが、2011年3月11日の東日本大震災を契機に「ココロとカラダを整えることが今の自分がやりたいことだ」と一念発起。退社してLIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。本の選書は主に、ココロに訊く本や知の基盤になる本がモットー。

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

教育者・工藤勇一氏が大人にも伝えたい「自律」の意味と日本が変わるための教育

「宿題や定期テストがない学校」と聞いてどんな学校を思い浮かべるでしょうか? そんなことできるはずがない、規律が乱れて教育上良くない、などなど……否定的に思う人もいるかもしれません。ところがこの学校の “当たり前” をなくしたことで、子どもたちの学ぶ意欲が向上し偏差値もアップしたのが、東京都の千代田区立麹町中学校。この前代未聞の学校改革は多くのメディアに取り上げられ、当時の校長だった工藤勇一さんにも注目が集まりました。

 

現在は、横浜創英中学・高等学校校長を務める工藤先生。ブックセラピストの元木忍さんが横浜創英中学・高等学校に足を運び、工藤先生の著書『きみを強くする50のことば』を通して、これからの教育に大切なことを聞きました。

 


きみを強くする50のことば 』(かんき出版)
「どうしたら、すてきな大人になれるだろう?」___やさしい絵と、心に響く50の言葉が並ぶ本書は、絵本のようでいて、大人でもハッとするような人生のヒントが満載。「自分をきたえるヒント」「人とつながるヒント」「学ぶときのヒント」「挑戦するためのヒント」「楽しく生きるヒント」の5つの切り口から紹介されている。

 

これまでの当たり前をくつがえす、学びの大転換

元木忍さん(以下、元木):私が初めて『きみを強くする50のことば』を読んだ時、子ども向けだけじゃもったいない! と感じたんです。大人にも響く言葉がたくさんありました。まず、どのような経緯で出版されたのか教えてください。

 

工藤勇一さん(以下、工藤):出版社さんから「一緒に絵本をつくりませんか?」という依頼がありました。せっかく取り組むなら子どもだけじゃなく、大人にも伝わるような、本質をつく絵本にしたいと制作したのが始まりです。50ある言葉をどのような順番で掲載するかは、とくに意識しました。コロナ禍の緊急事態宣言中に、編集担当者とオンラインだけで制作進行した思い出深い一冊でもあります。

 

↑著者で、横浜創英中学・高等学校校長の工藤勇一さん。教育現場に身を置きつつ、各界のオピニオンリーダーをも巻き込みながら日本の教育に大きな変革を果たそうと奮闘している。

 

元木:そうだったんですね! 実は『きみを強くする50のことば』で工藤先生のことを知って、ほかの著書もたくさん読ませてもらいました。そもそも、工藤先生はどうして学校の先生を目指されたのでしょうか?

 

工藤:子どもの頃は、人に指示されるとやる気を失う子だったんです(笑)。教員なら誰かの影響を受けずに仕事ができるだろうと、山形県で教員生活をスタートさせました。でも教育現場に関わっていくうちに、今の教育は「失敗させない」ことに気をつかいすぎて、人生で重要な機会を失っていると考えるようになりました。東京都での教員経験や教育委員会の経験を経て、「現場からじゃないと教育は変えられない」と、2014年から6年間千代田区立麹町中学校の校長を務めました。2020年からは横浜創英中学・高等学校の校長に就任し、学びそのものを大転換し、自律型の学校に改革しているところです。

 

元木:学びの大転換、ですか? 工藤先生は「宿題なし」「定期テストなし」など、麹町中学校でこれまでの学校教育の “当たり前” を大きく変えてきました。麹町中学校でのノウハウをさらにバージョンアップさせるようなイメージなのでしょうか?

 

↑インタビュアーは、ブックセラピストとして、大人が読みたい絵本の情報発信にも意欲的な元木忍さん。

 

工藤:僕が目指していることを100とすると、麹町中学校で実現してきたことは実は10程度。まだまだこれからです。神奈川県は公立を目指す子どもが多いので、私立の学校というのは生徒の半数以上が第二志望で入ってきている。そのなかで横浜創英高等学校はもともと部活動が盛んで、吹奏楽部は200名を超える名門校、サッカー部もインターハイに出場するなど全国クラスで、私立ならではのきめ細やかで丁寧に生徒をサポートするような学校だったんです。私が就任してからは、自分で考えて行動する「自律型」、さらに「多様性」を尊重する風土に180度入れ替えているところです。修学旅行を自分たちで企業に掛け合って計画したり、社会とつながる「リアルな教育」を実施したり、子どもたちが自律して学んでいける仕組みをどんどん取り入れています。いずれかは、学年・学級の概念も取っ払えるような仕組みも作りたいですね。また生徒が職員会議に参加してくれたらいいな、なんて思っています。

 

元木:それは斬新ですね! 今の日本にはなぜ教育の大転換、大きな改革が必要なのでしょうか?

 

工藤:世の中は大きく変化しているのに、日本の教育が変わらないからです。ご存知の通り、日本の生産性は年々減少傾向にあります。人口減少が進む中で稼いでいくためには、付加価値をつけて高く売るか、海外など市場を変えるか、労働生産性を高めるしかありません。それなのに、日本の教育は経済成長していた時と同じことを進めている……。それでは子どもたちが大人になった頃、従来のビジネスモデルは通用しないことがたくさん出てくるでしょう。世の中のせいにしたり、誰かのせいにしたりするのではなく、「自分で考えて行動できる大人」になるために、教育現場から変えていく必要があると考えています。

 

↑この人口グラフは世界でも稀。日本は1900年代からたった100年で人口が急激に増大。2010年をピークにこの先100年で明治時代の頃に戻ると言われています。戦後日本を支えた経済成長の裏には、急激な人口増加がありました。「モノは作れば作るだけ売れる、なぜなら買う人がたくさんいたから」という大量生産・対象消費の時代だったのです。

 

上位の目的に立ち返れば、多くの問題は解決できる

元木:これまで教育の「当たり前」を変えてきた工藤先生ですが、改革のなかで各関係者からの抵抗はなかったのでしょうか?

 

工藤:それはもちろんありましたよ。「変化させたい教員」 vs 「今のままでいい教員」のような対立構造もよく起こるんですが、対立を嫌う日本では、根回しのように人間関係で折り合いをつけようとしてしまうんです。でも、そもそもの目的って何だろう? とフラットに考えれば、おのずとやるべきことは見えてきます。つい対立構造で考えたくなりますが、どの教員も「いい教育をしたい」という上位目的は一緒です。教員が対立するのではなく対話ができるようになると、職員会議は10分で終わるんです。校長としても、上位の目的に対してOKなものに許可を出すだけ。先ほどお話にも出た、麹町中学校での「宿題・テストなし」も、実は教員からの発案だったんですよ。

 

元木:そうだったのですね。

 

工藤:僕は「宿題多いよな〜」「テストもいらないよな〜」とブツブツ言っていただけです(笑)。一緒に働く教員たちが対話していく中で、やめるという結論を出しました。ちなみにこの結論に、全校生徒と中3の保護者は大喜び! 塾や習い事をしている生徒もいましたし、いろいろな時間の使い方をしている子が多かったので、自分で時間を選べるのはうれしかったのでしょう。でも中1の保護者の一部からは反発もあり、「学校で宿題を出してくれないから、まったく勉強しなくなりました」と予想どおりのクレームも出てきました。

 

元木:あら……。どのように説得されたのでしょうか?

 

工藤:「宿題を出しても子どもはもともとわかるところしかやりませんから、そんなに成績に影響はありません。宿題がないから勉強しないなんて、人のせいにする子にしちゃいけません」って伝えたんです。そんな保護者の方々も1年も経たずに落ち着いてきました。宿題・テストなしでも成績を上がることがわかったからだと思います。子どもたちには “学び方” を伝えるため、さまざまな思考ツールを共有したことで、子どもたち同士でも学び方をシェアするようになりました。

 

元木:お子さんに自律が身につくことで、親御さんも変わっていくでしょうね。大人が学ぶこともたくさんあっただろうなと想像します。昨年出版された『子どもたちに民主主義を教えよう』も拝読しましたが、学校はもちろん企業でも「自律」と「対話」は必要なんだと感じました。

 

工藤:公益資本主義なんて言葉もありますが、企業は「誰のため」にやっている事業なのかを理解しないと潰れてしまいます。目的に向かって対話を深め上位で合意できる組織を作り、正しい民主主義を理解できれば、20年で世の中は変わるでしょう。多くのメディアが報道されるのは賛成・反対の結果だけで、より良くするための主張やアイデアは出てきません。日本では意見を言えば批判と捉えられ、腰を据えて対話できる体制が整っていないからです。この根本の原因は、学校教育にあると僕は思っています。だからこそ、子どもの頃から自分で答えを導く「自律」の考え方と、「対話して上位で合意する」ことを理解しておく必要があるんです。

 

↑2022年に発売され、各界の著名人からも共感の声が続々と挙がっている『子どもたちに民主主義を教えよう』(あさま社)。対立を乗り越え、合意形成に至るプロセスを経験することの重要性を説く。教育哲学者・苫野一徳さんとの共著。

 

日本では「心の教育」を重視しすぎ?

元木:ここからは『きみを強くする50のことば』についてお話を聞かせてください。私が気に入っているのが『心なんて、そもそもわからない。』なんです。「わかりましょう」じゃなく、「わからない」って言い切るのが素敵というか、その通りだなと思いました。どうしてこの言葉を入れられたのでしょうか?

 

 

 

工藤:学校で「心が大切だ」って教育をしすぎなんですよね。海外では、行動の積み重ねがその人であって、他人に心の中なんて見えないよね、って考え方が浸透しています。しかし見えない心を慮ろうとするのが日本の教育。みんなで心を合わせようとしすぎることで「心が通じていない」「俺たちと違う」「いい子ぶっている」と、残酷に他人をいじめてしまうんです。これだけ多様性が求められている時代でもいじめがなくならないのは、心を大事にしすぎているとも言えるかもしれませんね。

 

元木:なるほど、心を大事にしすぎているからなんですね。時代とともにいじめの背景も変わっていると思いますが、どうしたらいじめは少なくできるのでしょうか?

 

工藤:まず「みんな仲良くできるもんじゃない」って教えることでしょうか。『全員ちがってオーケー』ってことを伝えてあげると、「先生〜! 〇〇くんが変なことしてまーす」と茶化すようなこともなくなります。大人でも他人と仲良くするまでには時間がかかるし、全人類と仲良くなるのは難しいですから。性格の合う人・合わない人がいる、仲良くなるためには経験も訓練も必要なんだとわかれば、子どもたちも誰かを排除したり、嫌ったりすることもなくなると思いますよ。

 

 

従順な子どもじゃなく、自分で考えて自分の足で歩める子どもを

元木: 50のことばには、大人にも響くことばがたくさんありますよね。私もこんな先生のもとで勉強したかったって思いました。工藤先生から見て、今の子どもたちにはどんな特徴があると思いますか?

 

工藤:今の子どもたちって、従順な子たちが多いんですよ。大人もそうかもしれませんね。自分で答えを導けなくて、人に決めてもらおうとしちゃうんです。与えられることに慣れているとも言えるかもしれませんね。だから「もう先生の言うことを聞くな」、と(笑)。反抗するのではなく、これからの世の中はどうなるかわからないから、人のせいにするのではなく、君たちで決めなさいって。

 

元木:これは企業も一緒ですね。自分で考えて、決められない人が本当にたくさんいます。言われないと行動ができないとか、新しいチャレンジを拒んでしまう人も多くいますが、子どもの頃の教育が大切なのかもしれませんね。もっとたくさんお話を伺いたいんですが、最後に先生がこれからやっていきたいことを教えていただけますか?

 

工藤:10年以内に、日本中の学校を自律型の学校に変えていくことですね。そのために、日本中の教員に『子どもたちに民主主義を教えよう』の考え方を広めて、この学校で実践を重ねていく。そして、本当の学びを子どもたちに取り戻していきたいです。教育ってなんのためか? と考えたら、自分の足で歩んでいける人間を育むこと、より良く平和な社会をつくるためだと思うんです。日本では学校で問題が起こると「大人が悪い」と言われますよね? でも、問題を解決するのは当事者である「子ども」であって、大人たちはどうやったら解決できるか考えさせなければいけません。大人から正解を与えるのではなく、子どもたちが自力で考えて行動することが本当の学びにつながります。

 

元木:まさに「自律」ですよね。ついつい大人が「こうしなさい」と手助けしたくなりますが、ある程度放っておくことも教育にとって大切なのかもしれませんね。

 

工藤:2人の生徒が対立していた場合、教員は「2人の上位目的は〇〇なんだよね? 感情をいったん置いておいて、一番大事なことは何かを考えてごらん」と問いかけます。それだけで、子どもたちは自分で考え、行動し解決していきます。現代は、問題が起きないように防ぎすぎることで、子どもが考える機会を奪ってしまっているのです。わかりやすい例だと、公園で遊んでいる子どもがいても常にお母さんが横にいて「あら〜〇〇くんが■■を貸してくれたね、ありがとうは?」と、話したりします。これって、子どもが考えて行動する機会をすべて奪い取っているんですよ。

 

元木:日常でよく見ますね!

 

工藤:子どもだけなら「■■貸してよ!」「やだよっ!」って取り合いになるでしょう。大きなトラブルにならない限り、大人は見守っていればいいんです。次の日になれば「貸してもいいけど、返してくれるの?」「約束する!」と子ども同士でルールができるようになります。子ども同士で考え、解決できることを、先生や親が介入して機会を奪い取っていると自覚しなければいけません。まだまだ課題はありますが、確実に自律した子どもも増えていますから。そう遠くない未来で、教育はガラリと変わると思いますよ。

 

元木:「自分で考えることができる子どもたち」が大人になったら、社会全体も変わりそうですね。これからの新しい教育のあり方に期待しています! 今日は本当にありがとうございました。

 

プロフィール

横浜創英中学・高等学校校長 / 工藤 勇一

1960年山形県生まれ。山形県と東京都の公立中学校の教員を務め、東京都や目黒区、新宿区の教育委員会へ。2014年から千代田区立麹町中学校の校長になり、宿題なし・テストなしなど「学校の当たり前」を見直し、子どもたちの「自律」を育んでいくことに注力。これらの取り組みはさまざまなメディアでも紹介されている。2020年4月より横浜創英中学・高等学校校長に就任し、さらなる教育改革に取り組んでいる。

 

ブックセラピスト / 元木 忍

学研ホールディングス、楽天ブックス、カルチュア・コンビニエンス・クラブに在籍し、常に本と向き合ってきたが、2011年3月11日の東日本大震災を契機に「ココロとカラダを整えることが今の自分がやりたいことだ」と一念発起。退社してLIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。本の選書は主に、ココロに訊く本や知の基盤になる本がモットー。


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

読書も仕事後の一杯も!「まちライブラリー」が最高のコワーキングスペースだと断言できる理由

オンラインでの会議や商談、取材が主流となり、ネット環境さえあればどこででも仕事ができる時代になりました。自宅で仕事をするのは気軽でも、時には場所を変えて気分転換がしたくなるもの。

 

そこで筆者が最近、フリーランス仲間から「ココ、使えるよ!」と教えてもらった場所を訪れてみました。大阪・森ノ宮にある「まちライブラリー@もりのみやキューズモール」での1日をお伝えしましょう。

 

本が人と人を繋ぐ。全国に1000か所ある「まちライブラリー」とは?

「まちライブラリー」とは、誰でも始められる、いわば“私設図書館”のこと。自宅の玄関から大学、病院、カフェ、お寺など、さまざまな場所にあります。なかには、小学生が自分のクラスで思い入れのある本を持ち寄り、まちライブラリーを作ったケースもあるのだとか。

 

現在約1000か所あるまちライブラリーのなかでも、ここ大阪・森ノ宮の「まちライブラリー@もりのみやキューズモール」は、全国ナンバーワンの貸し出し数と利用者数を誇ります。食事ができるカフェも併設されており、訪れる人は思い思いに読書を楽しんだり、仕事をしたり、食事を楽しむのだそう。

 

これは、コワーキングスペースとしてうってつけ。はやる気持ちを抑えつつ、1日ここで過ごしてみました。

 

のんびりまったり過ごせる雰囲気の中で、仕事がはかどる!

館内にはさまざまなジャンルの本が約2万冊、そしてカウンターから4人掛けの席までが多数用意されています。早速、好きな場所を選んで、原稿書きをスタート。目覚めの一杯ということで、コーヒーを頼んでみました。

 

写真左のコーヒー「しっかりタイプ」は、通常のお店の2倍の豆の量を使っているとのこと。コクがあって濃い味わいが楽しめ、冷めても美味しいのが特徴だとか。のんびり本を読みながらコーヒーを楽しみたい人にピッタリですね。なお、ライトな味わいが好みという人には「スッキリタイプ」がおすすめ。

 

筆者はしっかりタイプをチョイス。一口飲んでみると、コーヒーの香ばしさや苦みが心地よし。いつもよりも筆が進む、気がします。

 

パソコンや携帯の充電をしたい場合は、入口を入って左手のエリアがおすすめ。自由に電源がとれるようになっているのは、ありがたい限り。

 

お昼は北海道のうまいものに舌鼓

お昼も近くなってきたので、ランチをいただくことにしましょう。先ほどコーヒーをオーダーしたCafe&Bar Sa Salu(サ サル)は、北海道のこだわり食材を使ったメニューが揃うお店です。

 

ランチメニューは、好きな丼物+十勝コロッケ+ドリンクのセット。豚の角煮丼とどろ豚メンチカツに水出しグリーンティーをチョイスしました。豚の角煮丼はスモールサイズとのことなので、食後のデザートにぴったりなフィナンシェも追加。

 

こちらが豚の角煮丼。とろとろの角煮の上には大きなゆで卵。半分ほどいただいたら、天然昆布と老舗店のサバ・カツオ節を使って店内でひかれた一番だしをかけて味変! 無添加の塩昆布や北海道産の山わさびを加えれば、さらに深い味わいに。

 

こちらは、十勝の広大な大地でのびのび育った「どろ豚」のメンチカツ。ジューシーで食べ応え十分。ここまでで、かなりお腹がいっぱいになったので、フィナンシェはおやつにいただくことにしました。ごちそうさまでした!

 

気分転換に読書……寄贈者のメッセージに胸アツ

お腹も満たされ、仕事を再開。なんとも居心地が良い空間、何より一般的な図書館と違う点は、おしゃべりしてもまったく問題ないということでしょう。館内には、小上がりになったキッズスペースもあり、日中は小さな子ども連れのママさんの憩いの場にもなっているようです。

 

たしかに、我が家の子どもたちが小さい頃、本が読みたくて図書館に行っても、つい騒いだり愚図ってしまって、早々に退出したことは一度や二度ではありません。お腹が空いたと言われたら、子連れで入りやすい飲食店を探すのも一苦労です。でもここなら、ゆっくり過ごせて、大人も子どもも本を読めて、食事も可能。そして、多少うるさくしても誰からも咎められる心配がありません。

 

そういった環境なので、オンライン会議をするのも問題ないとのこと。ただし、周りに会話を聞かれる可能性があるので、秘密の会議には不向きではありますが……。

 

予定していた原稿はほぼ書き終えたので、先ほど残しておいたフィナンシェと水出しグリーンティーをいただきながら、数多ある本の中から気になるものを探すことに。ふと目に留まったものを数冊持ってきて、読書開始。本を開くと、なにやらメッセージカードが挟まれています。

 

実は、まちライブラリーにある本は、すべて寄贈書。寄贈する際には、オーナーからのメッセージを書きこむことになっています。そして、本を借りた(読んだ)人は、自由にメッセージを加えていけるのです。

 

かつての手書き図書カードのような懐かしさ。本を媒介として、知らない誰かと自分が繋がっていることを実感できるのも、魅力のひとつではないでしょうか。

 

また、管理栄養士がおすすめの健康レシピをまとめたノートだったり、近所の子どもが作った手書きの地図だったり、お手製の絵手紙集だったり、なかには、まちライブラリーの創設者である礒井純充氏の論文まで。市販されているもの以外の本もおかれているのが面白いですね。

 

筆者も、家にある「誰かに読んでもらいたい、おすすめの本」を寄贈してみようか、と一考。

 

仕事後に軽く一杯も! 大満足の一日に

そろそろ子どもたちが帰宅する時間なので、名残惜しいがおいとますることに。その前に、おつかれさまの一杯を。Cafe&Bar SaSaluには、アルコールも豊富に揃えられています。

 

クラフトビールにワイン、スパークリング、ウイスキー、そしてつまみにはチーズやナッツ、生ハムなど。

 

仕事帰りに一杯飲んで帰るビジネスマンが多い、というのも頷けます。写真左端の「北海道産 インカのめざめ 揚げじゃがバター」は、これがお芋……!? と疑ってしまうほど、甘くて美味でした。いけない、つい長居をしてしまう!

 

誰かと繋がっているあたたかさ。自分の居場所が見つけられる「まちライブラリー」

こうして、まちライブラリーで一日を過ごしてみて、図書館でもない、本屋でもない、新しい「本がある場所」だったと感じました。午前中はリタイヤ後らしき方、午後は子連れのママ、夕方からは学校帰りの学生が課題や自主学習をし、夜は仕事帰りに立ち寄るビジネスマン。まさに、老若男女が楽しめる場所です。

 

何より、寄贈書から繋がる人と人のご縁が素敵。そして、筆者もまちライブラリーを作ってみようか……そんな思いにも駆られました。

 

館内では不定期でイベントも行われています。また、個人でもちょっとしたイベントスペースとしても利用できるようなので、気になる方は問い合わせしてみては。

 

なお、この日は悪天候だったため、終日座席に余裕があったものの、もしも満席になるような場合は、長時間の席取りは控えましょう。その点だけご了承を。

 

全国に点在するまちライブラリー。ぜひ近くのまちライブラリーを訪れてみてはいかがでしょうか?

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると閲覧できます)】

 

ヨコよりタテにほめる!? ほめる達人に聞いた人も自分も伸ばす言葉とは

たった一言、ちょっとした言葉の言いかえで、人生がもっと楽しくなるかもしれません。

 

コロナをきっかけに人と会うケースが減っていき、リモートワークなどワーキングスタイルも変化したことで、会社では上司や同僚、部下と、家庭では親と子の人間関係の構築やコミュニケーションが難しくなっています。こうした悩みを “ほめて” 解決しているのが、 “ほめ達” の第一人者である松本秀男さん。著書である『できる大人は「ひと言」加える』と『できる大人のことばの選び方』には、 “ほめる” をベースに、人と人とのコミュニケーションを円滑にするためのノウハウがたっぷりつまっています。ブックセラピストとして活動する元木忍さんが聞き手となり、 “ほめる” 術とその効果を、松本さんに直接伝授していただきました。

『できる大人は「ひと言」加える』
『できる大人のことばの選び方』
(青春出版社)

 

さだまさしさんから学んだ、言葉を大切にする姿勢が “ほめ達” の原点

元木忍さん(以下、元木):松本さんが、 “ほめる” ことをビジネスやコミュニケーションスキルとして意識された理由から教えていただけますか?

 

松本秀男さん(以下、松本):私は30代で家業を継ぎ、ガソリンスタンドの経営者をしていました。ところがセルフスタンドの登場などもあって徐々に価格競争の激しさが増し、10年後には経営に行き詰まりまして。45歳の時、完全歩合の契約社員として、まったく経験のない外資系保険会社の営業に飛び込んだんです。この転職が “ほめる” ことに目を向けさせ、私の人生を180度変える大きなきっかけになりました。

 

元木:まったく別の世界への挑戦ですね。

 

松本:法人向けの個人情報漏洩保険や賠償責任保険などを売っていたのですが、それまでの10年、ネクタイもせずガソリンスタンドを走り回っていた人間でしたから、はじめのうちはまったく契約が取れませんでした。毎日70社回って2000円という月もありました。

 

元木:基本給にプラス2000円ですか?

 

松本:いえいえ。基本給が出るのは最初だけで、徐々になくなっていきます。45歳で子どもがいて、月給2000円ですよ! これはさすがにまずいなと思い、営業に取り入れたのが “ほめる” 技術です。とはいえそれ以前も、「すごいですね、社長!」とかけっこうヨイショをしてみていたんですが、まったく効果なし(笑)。そこで、社長さんと初めてお会いした時、「その会社のよさ」や「取り扱っている商品やサービスの良さ」「経営者の素晴らしさ」を質問しながら、まず私自身がしっかり理解して「なるほど、だから御社はすばらしいのですね!」とお伝えしたところ、驚くほどコミュニケーションが円滑に回り始めました。こちらからお願いしなくても契約が取れるようになり、営業成績も一気に上がっていったんです。

 

↑著者の松本秀男さん。月給2000円から、ほめる技術をみがくことによってトップ営業マン、そして伝説のトレーナーへと駆け上っていった。

元木: “ほめる” を具体的にするだけで、そうも成績が変わるものなんですね。

 

松本:私自身も驚きました。その後は社内でも、相手の良さを先に探すという “ほめるコミュニケーション” を心がけてみたら、やはり効果が出ました。それが認められて、50歳の時に契約社員から正社員となり営業トレーナーをまかされ……2年半後には、本社の中枢である経営企画部に引き抜かれました。外資系ですから、私以外の経営企画部のメンバーは全員バイリンガル。私は英語がしゃべれない代わりに、“ほめる”がスキルとして役立ったんですね。

 

元木:『できる大人は「ひと言」加える』の中に、ガソリンスタンド時代、「雨の日にボンネットで雨粒が躍る。ポリマー洗車!」の一言をチラシに書き、1日に185台の洗車記録を作ったというエピソードが出てきますね。もともと言葉を使ったコミュニケーション術の素質をおもちで、松本さんの言葉がいいかたちで、人々の心に染みたのかなと思っていますが、ほめ達(ほめる達人)の基本はいったいどこで身についたのでしょうか?

 

松本:私は歌手のさだまさしさんと同じ高校に通い、同じ落研(おちけん・落語研究会)のOBと現役という縁で、高校時代から交流が始まり、大学卒業後はさださんのプロダクションの社員となりました。そこから8年半、制作担当マネージャーとしてサポートをしていたなかで、さださんから大きな影響を受け多くを学びましたが、とくに言葉と本気で向き合う姿をずっと見せていただいたことが、その後も教えとして残ってきたと思っています。

 

ひと言つけくわえるだけでコミュニケーションは一気に回り出す

↑著書『できる大人のことばの選び方』より。

 

元木:『できる大人は「ひと言」加える』と『できる大人のことばの選び方』を拝読しました。この中にはさまざまな “ほめる達人” テクニックがあり、コミュニケーション術のヒントもたくさんありますね。『できる大人は「ひと言」加える』に書かれた<言葉は自分と誰かをつなぐ接点であり、自分と社会をつなぐ接点である>という言葉には唸りました。

 

松本:ほんの一言プラスするだけで、人間関係、自分自身の評価や未来も大きく変わることをお伝えしたいという思いで本書を書きました。身近なところでは仕事相手との何気ないメールのやり取りに「どんな結果になるのか、いまからワクワクしています」などと一文加えると、相手のやる気も変わってきます。

 

元木:コロナ禍でメールの重要度が増してきましたけれども、言葉足らずだと冷たい印象を与えがちですよね。私はワクワクという言葉が口癖で、自分で自分のモチベーションを上げたい時によく使っているんですが、メールにも一言添えてあるだけで、ポジティブな気持ちになれます。

 

↑聞き手は元木忍さん。

 

松本:上司が部下にメールを送る際にも使えると思いますよ。

 

元木:<できる上司は「ダメ出し」ではなく「惜しい!」を使う>、<「間違いもほめる」で勇気づける>は、うちの上司もぜひやってほしい!(笑)と思っているビジネスパーソンがたくさんいそうですね。

 

松本:ダメ出しが仕事と思っている上司の方はけっこういらっしゃいます。課題解決という意味では間違っていません。ですが否定だけでは部下は育ちません。「惜しいなあ、もう一息だよ」と言われたらどうでしょう。相手を応援し勇気づける言葉にもなります。

 

元木:<誰でも今日から「ほめる達人」になれる3つの言葉>は、コミュニケーション下手の人でもすぐにできるテクニックですね。

 

ほめ達3S

・すごい
・さすが
・素晴らしい

 

松本:「すごい」「さすが」「素晴らしい」は、私が専務理事を務める「日本ほめる達人協会」の基本メソッドであり「ほめ達3S(スリーエス)」と呼んでいます。シンプルですが感情を素直に言葉にすることで相手に気持ちが伝わりやすく、ちょっと小声でも言うだけでも効果があります。

 

元木:『できる大人のことばの選び方』の中にも金言がいろいろありますね。「相手のスキルではなく存在価値を認める」「マイナスをプラスに変換する」「減点法より加点法で見る」「ヨコではなくタテでほめる」の4つの言いかえはとても勉強になりました。

 

言葉選びをすることで45歳で飛び込んだ保険会社のトップ営業に

松本:下町のガソリンスタンドのおやじにすぎなかった私が、外資系保険会社のトップ営業になれたのも、この「小さな言葉選び」にあったからだと思います。ちょっとした言葉の言いかえが、大きな仕事につながったり、人生を変えてしまったりすることもあります。『できる大人のことばの選び方』は、そこにスポットをあて一冊にまとめました。

 

元木:とくに「ヨコではなくタテでほめる」はグッときますね。

 

松本:ヨコでほめるは、人と比較してほめることで、例えば営業成績の棒グラフの高さをヨコ並びにして比べるようなほめ方です。この方法だと、ほめられる回数が少なく、人によっては一度もほめられないケースもでてきます。タテにほめるとは、棒グラフでいうと他と比べず、当人のタテに伸びた分をほめる方法です。これだと何度もほめられますし、ほんの少しの成長でもほめられます。

 

元木:タテでほめるは他との比較にならない点もいいですね。

 

松本: “ほめる” は他人と比較して評価することだけではないんです。今の社会では、 “ほめる” 基準を会社や上司が作ってその基準を超えたらほめるとか、周りより結果が良かったらほめるとか、すべて他の基準との比較だけになってるんですよ。そうでなくて、ほめる相手自身の中での比較にできたらいいですね。人には成長欲求がありますから、「成長しているよね」「がんばってるね」を伝えてあげるだけで、本人が成長を実感することができ、心の報酬にもなります。

 

元木:先ほどの「ほめ達3S」に加えて、「あなたらしい」というほめ方も、言われたらとてもうれしい気持ちになりますね。私も一度は言われたいなぁ(笑)。

 

松本:「あなたらしい」には、3Sが込められているだけではなく、「もともとあなたの素晴らしさは知っているけれども、今回もすばらしい」というようなメッセージも入っています。自分を認めてもらったという承認欲求も満たされますから、気持ちのよくなるほめ言葉になるのです。

 

元木:この本の中には、さだまさしさんとのエピソードもまじえた、大人の言葉の選び方がいくつか書かれていますが、さださんの<生まれ変わることはできないが、生きなおすことはできる>は心に響く名言ですね。

 

松本:コンサートのトークでさらっと言われた一言です。生き方や人生の見方、周囲との向き合い方を変えるなどの意味が含まれた“生きなおす”はさださんらしい言葉だと思います。私もこれまでの人生で何度も生きなおしを繰り返してきましたが、読者のみなさんもこれから壁にぶつかるたびに生きなおしを思いだしていただければと思います。

 

元木:松本さんは本だけではなく、「日本ほめる達人協会」の専務理事でもありますが、ここではどのような活動をなされているのでしょうか。

 

松本:メインは「ほめる達人検定」ですね。検定には3級、2級、1級があり、これを通して “ほめる” ことを自身で再整理してもらいます。「このぐらいだったら自分でもやれる」というふうに勇気を持っていただき、ちょっとでも “ほめる” ことで、周りの人といい関係を築き、幸せな人生を送っていただきたいと思っています。あとは大手企業をはじめとした社員研修や、講演も積極的に行っています。講演では、ビジネスのことだけではなく家庭の悩みごとの相談も “ほめて解決” する方法をお教えしています。

 

元木: “ほめる” はいろいろなシーンで役に立つのですね。最後に、松本さんにお会いしたらぜひともお伺いしたかったのですが、「できる大人」はどういう人だとお考えですか。

 

松本:2冊書いてみて思うのは、もちろん仕事ができることも大切ではあるんですけど、もう少し広い意味として「自分にとっていてほしい人」が「できる大人」なんだと思います。この人にそばにいてほしいなとか、この人と仕事したいなとか、話を聞いて欲しいなとか。私自身のゴールもそこにありますね。

 

プロフィール

日本ほめる達人協会 専務理事 / 松本秀男

東京生まれ。国学院大学文学部卒業後、歌手さだまさし氏のプロダクションで8年半勤め、制作担当マネージャーとしてアーティスト活動をサポート。その後、家業のガソリンスタンド経営を経て、45歳で外資系大手損害保険会社に転職。トップ営業経験の後、伝説のトレーナーとして部門実績を前年比130%に。さらに本社・経営企画部のマネージャーとなり社長賞を受賞するなど、数々の成果と感動エピソードを生み出し続けた。現在は「日本ほめる達人協会」の専務理事。「ほめ達」として、リーダーシップやコミュニケーション、チームビルディング研修、子育て講演などでも活躍する。

 

ブックセラピスト / 元木 忍

学研ホールディングス、楽天ブックス、カルチュア・コンビニエンス・クラブに在籍し、常に本と向き合ってきたが、2011年3月11日の東日本大震災を契機に「ココロとカラダを整えることが今の自分がやりたいことだ」と一念発起。退社してLIBRERIA(リブレリア)代表となり、企業コンサルティングやブックセラピストとしてのほか、食やマインドに関するアドバイスなども届けている。本の選書は主に、ココロに訊く本や知の基盤になる本がモットー。

 


提供元:心地よい暮らしをサポートするウェブマガジン「@Living」

「ブックカフェ」とどう違う?「fuzkue」店主に聞く、本当に読書を楽しめる空間を再定義した結果

家の中、通勤中の電車やベッドの上……どんな場所でも本を開けば、その世界へと入り込むことができる……はず。ところが、家にいれば宅急便が届いたり、電車の中では窮屈な姿勢になってしまったり、ベッドの上ではうっかり寝落ちしていたり。“読書に集中できない”ことも、多いのではないでしょうか?

 

読書に本当に没頭できる場所を探し求めた結果、本の読める店「fuzkue(フヅクエ)」をオープン。そして著書『本の読める場所を求めて』を上梓した、阿久津 隆さんを訪ねます。知人を通じ、阿久津さんの店と著書を知ったというブックセラピストの元木忍さんが、開店前のお店で読書について、本について、話を聞きました。

 

阿久津 隆『本の読める場所を求めて』(朝日出版社)

読書好きなら「あるある!」と頷きながら、また時にクスリと笑いながら読み進められること必至の、阿久津さんの読書体験や本を読むことへの思い入れがたっぷりと詰まった同書。本を読むとは? 読書とは? どんな場所なら本に没頭できる? 阿久津さんが試行錯誤してきたことを追体験しながら、自分自身にとっての“本の読める場所”とはどんなところなのか、考えるきっかけをくれる。

 

映画館のような場所を目指して

元木忍さん(以下、元木):私も出版社の立場でブックカフェを見守って来ましたし、以前は青山でも本が読めるブックカフェの運営をしていました。でも、この『本の読める場所を求めて』を読んで、たくさんの共感と自分への反省と(笑)、いろいろな感情を持ちながらも凄く新しい発見がありました。まず、本日お邪魔している「fuzkue」は、“どういったお店”と呼んだらいいでしょうか?

 

阿久津 隆さん(以下、阿久津): ありがとうございます。このお店は「本の読める店」と呼んでいただければ。映画のために映画館が存在しているように、読書に没頭できるお店、読書をする人が主役になる、そんなお店が「fuzkue」です。

 

↑『本の読める場所を求めて』著者で、「fuzkue」店主の阿久津 隆さん。2016年から毎日綴られているブログ『読書日記』は、メールマガジン(月額880円)で読むことができます

 

元木:本を読むって、ある種どこでもできてしまうように思いますが、没頭できる場所って実はあまりないですよね。阿久津さんはもともと「いつかこういうお店を開きたい!」と考えられていたのでしょうか?

 

阿久津:僕自身も本の読める場所を探していました。だから「fuzkue」は、個人的な欲求から始まった場所とも言えるかもしれませんね。それから、『本の読める場所を求めて』でもそのまま掲載しましたが、岡山でカフェをやっていた時に、「どれだけ長居してもらってもうれしいですよ」ということをブログで書いたんです。「限られた時間を僕たちの店で過ごすことに費やしてもらえるのはうれしいことです。遠慮せず長居していってください」と。その記事がやたらバズってしまって。

 

元木:注目を集めるのは良いことのように思いますが……。とおっしゃると、批判的なコメントが多かったのでしょうか?

 

阿久津:いえ、ほとんどは肯定的なリアクションだったのでいい宣伝になったと思ったのですが、「現実は甘くない」とか「キレイごとだ」とか、中には「勘違いした客を生むからそんなことを書かれると迷惑だ」とコメントを書いてくる同業の方もいて。別に「カフェはこうあるべき!」なんて書いていないんですけどね。そういう否定的な反応を見ていたら、「コーヒー1杯での長居を許容していたら店なんて成り立たない」というのはたしかにもっともらしい言い草だけど、本当はみんな真面目にその可能性を考えたこともないんじゃないかな、ただ思考停止しているだけなんじゃないかな、と思うようになって。

 

元木:なるほど。世論に対する挑戦状が、この「fuzkue」になったと?

 

阿久津:そうですね。心のなかで中指を立てていた感覚がありましたね。

 

元木:さきほど申したように、私も青山でブックカフェを開いていたことがあったんです。個人としては「何時間でもゆっくりしてもらいたい」と思っていたけれど、経営者として考えたら客単価や回転率を上げなければという焦りもありました。でも「fuzkue」は7年も続いている、それがひとつの答えになっていると思います。本当に素晴らしい! あらためてお店の仕組みを教えてください。

 

↑ある日、自身の書店に来店した青年から「この本屋さんは『fuzkue』のようですね」と言われたことをきっかけに、「fuzkue」と阿久津さんの本に出会ったという元木さん。『本の読める場所を求めて』での最初の一節「本を読んでいる人の姿は美しい」には、鳥肌が立ったそう

 

阿久津:簡単にはお伝えしにくい部分もあるんですけれど(笑)、料金体系は、「ゆっくりゆっくり過ごす」と「1時間フヅクエを楽しむ」の2パターン準備しています。ゆっくりの方の予算は2000円前後。基本のお席料が設定されていて、オーダーに応じて席料が割引されていきます。それによって、コーヒー1杯の方も、食事とビールを頼んだ方も、どちらの場合も2000円前後に収まるようになっています。また4時間以上の場合には1時間あたりプラスの席料をいただいていて、例えば6時間いたら全部で3500〜4000円あたりに着地するようなイメージですね。もうひとつの1時間だけ読書したい方向けのパターンでは基準のお席料がぐっと小さくなっていて、大体1000円ちょっとになります。

 

元木:その“大体”が、すごく好きです(笑)。その対価は、お客様の価値ですから、その大体な考え方はとても新しく、そして気持ちがいいですね。

 

阿久津:ありがとうございます(笑)。

 

本を読む人にとって、最適な空間を増やしたい

元木:知らずに「カフェ」と思って入ってくるお客さんもいらっしゃったのではないですか?

 

阿久津:最初の頃はたくさんおられましたね。

 

元木:「あれ? 違うな〜」と帰ってしまう人もいませんでしたか?

 

阿久津:もちろんいますね。むしろ「違うな」と思ったらそこで帰っていただけるほうがホッとしますね。無理して過ごして嫌な印象を持たれても、互いにとっていいこともないので。「本読みたくなったときにまたぜひ」と言って明るく見送れますし。

 

↑本を読む、それだけのための空間が広がる店内。余計な装飾物やメニュー看板などはなく、「fuzkue」のルールに則った時間が流れていくようです

 

元木:私が以前お邪魔した時には、美味しい定食のランチをいただいて。定食もコーヒーもとても美味しかったんです。食事やドリンクメニューでのこだわりはありますか?

 

阿久津:どのメニューもかなり真面目につくっているつもりですが、「これをぜひ食べてほしい」というのはまったくなくて。映画館でポップコーンを食べたりするじゃないですか。極端な言い方をすると、フヅクエにおける飲食物はそれと同じ感覚ですね。提供しているのは「気持ちよく本を読む時間」であって、飲食物はあくまでその時間を彩るためのひとつの手段です。そして大事な手段だと位置づけているから、真面目においしいものをお出しする、というだけですね。めったにおられないですが、最後までオーダーなしで過ごしてもらうことも大丈夫です。

 

元木:飲食を目的としたカフェや飲食店とは違うよ、と。

 

阿久津:「本の読める店」ですよ、と。ただ、「本の読める店」と言っても今はまだ「何それ?」というものなので、伝えるための言葉数は必要だなと考えています。だからメニュー表も冊子にして、どんな店で、どんな仕組みで、どんな考えでやっているのか、たくさん説明しています。映画館と言ったときに誰もがどういう過ごし方をすればいいのかわかるように、「本の読める店」もいつかそうなったら、役目のひとつを果たしたと言えるような気がします。

 

↑入店すると渡される「案内書きとメニュー」。2020年12月までに24刷りされており、「fuzkue」での過ごし方が丁寧に記載されています。『本の読める場所を求めて』にもありますが改訂箇所もあるため、最新版はこちらでチェック

 

元木:このメニューですが、奥付(最後にある、制作スタッフや本の“スペック”をまとめたページ)をみたら何版も改訂しながら作られていますね。

 

阿久津:そうですね。少しずつブラッシュアップを繰り返しています。昨年末のバージョンから、これまでずっと後半に記載していたメニューを案内書きの前に持ってきました。「1時間フヅクエ」を導入したことが転機になったのですが、双方にとって不幸なミスマッチが起こる余地はもうあまりなくなったなと自分自身が感じられるようになったことが大きいかもしれません。すべて理解してもらえるように十分な説明は用意しているけれど、一方で、たとえ仕組みを理解されていなくても、本を読みたいと思って来てもらえさえしたらもう満足してもらえるんじゃないかな、という自信がやっとできたのかもしれません。

 

読書体験の楽しさを、たくさんの人に伝播させたい

元木:「案内書きとメニュー」は私も初めて来た時、じっくり読み込んでしまいました。阿久津さんにとっても居心地のよい場所になっているからこそ、ここまでのルールがしっかり記載されているのでしょうか?

 

阿久津:僕自身がというより、「本を読むぞ!」って楽しみに来てくれた人たちにとって、最高というか安心していられる環境を考えていった結果が、この案内書きとメニューです。最初は、継続的なおしゃべりはやめてね、というくらいしか書いていませんでしたが、少しずつ会話や仕事、勉強をNGにしていく形になりました。本を読みたくて来てくれたお客さんにとってカチカチとしたペンの音が耳障りにならないか、タイピングの音が本に没頭するのを妨げないか、猛スピードで勉強している人が隣にいたらどうかなど、気になることがあったらお帰りの際に外でヒアリングさせていただくことも何度もありました。とにかく本を読みたい人を守ること、本を読みたい人を脅かす要素をなくしていくこと、そのためにルールを整えること、その作業の繰り返しですね。

 

元木:守り人のようですね。

 

阿久津:そうかもしれないですね。守り人だし、サッカーの審判のような。ゲームがフェアに進むようにコントロールする感じでしょうか。

 

↑来店客は自身が読みたい本を持ち込んで読み耽っていいのですが、店内にもさまざまなジャンルの本が並んでいます

 

元木:なるほど。2020年4月には下北沢に、2021年6月には西荻窪に新しい「fuzkue」もできましたね。これから取り組んでみたいことはありますか?

 

阿久津:実は先日、お店のウェブサイトをリニューアルしました。モノトーンで文字びっしりで、緊張感のある感じというか、「本を読みたい人以外はやめたほうがいいですよ」という感じを出していたのですが、今回はデザイナーさんに入っていただいて、写真やイラストもふんだんに使ったカラフルなサイトにしました。

 

元木:「fuzkue」の根本は変わらないけれど、少し門戸が広がったような印象がありますね!

 

https://fuzkue.com/

 

阿久津:現在僕たちが持っている、「より軽やかに外に開く」という意識を表現してもらったのが今回のリニューアルだったので、そう言っていただけてうれしいです。本を読む人を守るための根幹はがっちり作り込むことができたので、次のフェーズとして、ある種の事故を起こしていきたいという感覚があります。「あれ? 本読む時間、思ってたよりも楽しいじゃん」みたいな。

 

元木:本を読む体験やきっかけを作りたい?

 

阿久津:そうですね。今までは「がっつりゆっくり読みたい人たちに応える」という、すごく小さな的に向かってボールを投げていたわけですが、今はそこに「読書の時間に手招きをする」ということを加えた感じですね。これからはより多くの人に「本の読める場所」を味わってもらって、その結果として読書の文化の裾野を広げていくことに与(くみ)することができたらなと思っています。

 

元木:ありがとうございました! また本を読みに、お店にお邪魔させてください。

 

【店舗情報】

fuzkue(フヅクエ) 初台店

所在地=東京都渋谷区初台1-38-10 二名ビル2F
営業時間=12:00~24:00
定休日=無休

ほかに、下北沢店、西荻窪店がある。