推し活やソロ活には“城めぐり”!ブームの裏側をシリーズ累計100万部突破『日本100名城公式ガイドブック』担当編集が語る

来たる4月6日の「城(しろ)の日」を前に、『日本100名城公式ガイドブック』がシリーズ累計100万部を突破。2007年に刊行して以来18年、コロナ禍でいったん落ち着いたかと思われたお城ブームが、いまパワーアップして戻ってきているようです。推し活やソロ活にもピッタリというお城めぐりの魅力を、担当編集の早川聡子さんに尋ねました。

 

■『日本100名城』って?


「日本100名城」は、公益財団法人日本城郭協会が全国のお城から選定した名城中の名城100選のことで、世界遺産や国宝天守があるような有名なお城が名を連ねています。さらに、日本100名城から10年後に選定された「続日本100名城」には、知る人ぞ知る名城や、縄張や石垣が見事な山城など、通好みのお城がピックアップされています。これら200城を紹介しているのが、『日本100名城公式ガイドブック』シリーズです。

 

18年間で100万部! 老若男女を魅了するお城のポテンシャルに迫る

―『日本100名城公式ガイドブック』シリーズが先日100万部を突破しました。いまの率直な気持ちをお聞かせください。

 

ようやくという感じで、ホッとしています。私が4代目の編集担当になった2015年は海外でテロが多発していたこともあり、国内旅行に注目が集まっていました。また、姫路城が平成の大改修を終えて真っ白な姿になったことも話題になって、TVなどでもお城を取り上げることが一気に増えたように思います。

 

さらに2016年からは、『お城EXPO』などの大きな城イベントが始まりました。お城の御朱印ともいえる「御城印」の盛り上がりや、お城に泊まれる「城泊」など新しい試みもどんどん増えて、これからさらにお城が注目されていくぞ! と思っていたら、コロナ禍で移動が難しくなってしまいました。

 

もともとお城好きな方たちは大丈夫だと思いましたが、お城めぐりを始めたばかりの方の情熱が冷めてしまうのでは……と心配していたんです。だからこそ、こうして100万部を迎えられて本当にうれしいですね。

 

―コロナ禍は部数も停滞していたのでしょうか?

 

やはり影響は受けましたね。ただ、完全に売れ行きが止まったわけではなく、「いつか行こう!」とコロナ後に思いを馳せていた方々が買ってくださっていたのかなという印象です。「100名城」のガイドブックを眺めているだけで、旅行している気分になれたという感想もいただきました。

 

2025年にこうして100万部に到達できたのは、人の移動が制限されていた期間中にも、復元や改修、リニューアル工事など、先を見据えた計画を進めていたお城が多かったからだと思います。事実、コロナ前と比べて、より見学しやすく楽しめるお城が増えています。従来のお城ファンだけでなく、より幅広い層に「お城に行ってみたい!」と思える魅力が伝わっていると強く感じます。

 

―それだけの人が戻ってきてくれたということは、やはりお城自体が持つ魅力が大きいのだと思います。担当編集としてお城の魅力はどこにあると感じていますか?

 

大きくわけて二つあると思っています。ひとつは、目で見てわかりやすい点。巨大な天守や高石垣は、実際に目の前で見ると思っていた以上に迫力があるのでテンションが上がりますよね。ビジュアルの美しさとカッコよさに、理屈は不要だと思います。

 

もうひとつは、年齢を問わず、いろいろな角度から楽しめる点です。じつはお城って、誰もが楽しめる要素を持っているんですよ。歴史が好きな方はもちろん、戦国武将好きな方は、推しの戦国武将つながりでお城を訪ねていると聞きます。一方で、歴史に詳しくなくても、城下町を歩くだけで楽しいじゃないですか。風情があるし、おいしいグルメ、名酒なんかもたくさんあるので、純粋に観光地として満喫できる点も人気の理由なのだと思います。

 

まるでテーマパーク! 全世代型・ジェンダーレス化する「城めぐり」

―ここ数年で、お城めぐりをする年代層に変化はありましたか?

 

日本城郭協会の方が、「かつては男性や年配の方の趣味という印象でしたが、いまでは全世代型・ジェンダーレス化しているイメージです」とおっしゃっていました。その通りだと思います。なかでも、お子さんの人気が高まっていると感じますね。

 

毎年年末にパシフィコ横浜で開催されている『お城EXPO』でも、年々小中学生のお子さんを連れたご家族連れが増えている印象です。お城の知識を試す『日本城郭検定』の受験者も、10歳以下と10代が全体の16%近くいるんですよ。

 

私の知り合いにも、お城好きな小学生のお子さんを持つご両親がいるのですが、現地でものすごく詳細に解説してくれるんですって。事前に知識をインプットして、お城めぐりをしながらアウトプットする。とても貴重な探究学習の機会になっているなと感じます。

↑天守閣から下界を見下ろす。ここから見張っていたのか……と戦国時代を妄想して楽しむのも一興。(筆者提供)

 

―私も数年前に姫路城に行ってきましたが、スマホをかざすと3Dで見えたり、プロジェクションマッピングが流れていたりと、大人も子どもも理解しやすい仕掛けがたくさんありました。歴史に疎くても楽しめたのが印象的でした。

 

石垣だけで天守などの建物が残っていない場合、QRコードを読みこめばVRでお城の全貌を楽しめる、というところもありますね。あとは、城って本来「戦う施設」なんですよ。だから、わざと迷路みたいな造りになっていたり、トラップが仕掛けてあったりするのも、リアルRPGみたいで子どもたちのテンションが上がる要因でしょうね。

 

そして忘れてはいけないのが、スタンプラリーの存在です。登城の記念にスタンプを押すというシンプルさが人気で、公式ガイドブックについているスタンプ帳を片手に、大人の一人旅、いわゆるソロ活でお城めぐりをされる方も増えているように思います。推し活の遠征とあわせてお城にも行っているという話もよく聞きますね。

 

全国から厳選された「100名城」をめぐると、おのずと47都道府県に行くことになります。お城がなかったら行かなかったかもしれない地域や土地を訪れる良いきっかけにもなるという理由で、お城めぐりを楽しんでいらっしゃる方も多いです。

 

「ブーム」を超えて「文化」に! お城めぐりの未来

―改めて、近年のお城ブームをどう感じていますか?

 

日本人は、昔から神社仏閣めぐりをしてきました。その流れで、お城めぐりをする人が増えてきているのではないかと思います。もはや一過性のトレンドやブームではなく、文化になりつつあるのかなというのが正直な想いです。

 

おもしろいのは、お城ファンという自覚がないまま、お城めぐりをされている方も多い点ですね。たとえば、松本に行ったら松本城にも行ってみようとか、気づいたらお城をいくつもめぐっていた、という人は意外に多いはず。行けば必ず何かしらの感動が得られますし、満足感もありますよね。何の気なしに訪れたことをきっかけに、歴史の学び直しを始めたという話もよく聞きます。

↑観光がてら立ち寄った姫路城。青空と白い城郭のコントラストが美しく、テンションMAXに!(筆者撮影)

 

―そういえば、私も地元の岐阜城や名古屋城をはじめ、姫路城、松本城、松山城……気づいたらいくつもお城をめぐっていました(笑)!

 

次はぜひスタンプ帳を持って行ってくださいね。これからのシーズンは桜が綺麗なので、お城をめぐるにはいい季節です。

 

普段よく行く公園や桜の名所が、じつは城跡(城址公園)だと気づくケースもあるんですよ。とはいえ、桜が植えられたのは戦後になってからなんですけどね。本来、お城は敵が攻め込んできたことにすぐ気づけるよう、見通しを良くする必要がありましたから。

 

―今後さらに200万部を目指して、どのような方にお城めぐりの魅力を伝えたいですか?

 

まずは、これから何か趣味を始めたいという方に勧めたいですね。最初は意図しないまま始めたとしても、一城、二城と訪れるごとに、自然とお城や歴史に詳しくなるので、どんどんおもしろくなっていくのが、お城めぐりの良いところです。レジャーでありながら、学ぶことの楽しさが実感できて、趣味としても大変お得感があります。

 

そして今後は、「〇〇城に行った」とする観光的な満足からさらに深掘りして、各城の「歴史の一端を担った史跡(歴史の証人)としての価値」や「遺構としての価値」「その城を築いた武将の戦術・戦略を実感する場」として認識してもらえるような広がりにすること。これこそが、日本城郭協会と私たち編集部の願いです。

「公爵」と「伯爵」はどう違う? イギリス貴族の過去と未来、そして生存戦略とは!?~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。ファンタジー小説を読んでいると中世ヨーロッパ風世界の「貴族」がしばしば登場します。しかし、なんとなく身分が高い、かなりのお金持ちというぼんやりとしたイメージで、貴族とは何かいまひとつピンとこないですよね。日本の貴族というと平安貴族が思い浮かびますが、ヨーロッパとはかなり違うでしょうし……。というわけで、今回は「貴族」とは何なのか、勉強したいと思います。

 

イギリス政治外交史の第一人者が明かす貴族

教養としてのイギリス貴族入門』(君塚直隆・著/新潮新書)の著者・君塚直隆さんは、歴史学者で関東学院大学国際文化学部教授。専攻はイギリス政治外交史、ヨーロッパ国際政治史。『立憲君主制の現在』(新潮選書)、『エリザベス女王-史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書)など著書多数です。

 

チャーチルが公爵位を拒否した理由とは?

今でも世界で唯一の「貴族院」が残るイギリス。第1章「イギリス貴族の源流と伝統」では、貴族が誕生した経緯や厳密な序列について解説されます。

 

「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」という5つの爵位。みなさんはこの区別がつきますか? 私はすぐごちゃごちゃになってしまいます。位がもっとも高いのは「公爵(duke)」。ローマ帝国の時代に各地に派遣された軍団の司令官(dux)に由来します。他の爵位とは別格扱いで、襲名すると必ず爵位名は地名になるという慣習があるそうです。

 

英国首相ウィンストン・チャーチルのエピソードは興味深いものがありました。マールバラ公爵家の家柄に生まれながらも、生涯を平民として過ごしたかった彼は、第二次世界大戦の英雄となった後、公爵の位を打診されるもきっぱり断ったのだとか。その理由は公爵になるとチャーチルという姓が消えてしまうからともささやかれたそうです。

 

そのほか、公爵と子男爵では所有する土地の面積が10倍ほど違う、イギリス宮中の席次は伯爵より公爵の長男のほうが上など、何かにつけて「公爵」が特別なことがわかります。

 

第3章「栄枯盛衰のイギリス貴族史」で披露される、有名貴族5家のエピソードは海外の貴族ドラマのダイジェストのようで読み応えあり。

 

現代イギリスに残る24の公爵家のひとつ、デヴォンシャ公爵家は、18世紀末に跡を継いだ5代公ウィリアムが奔放な夫婦生活を送り、6代公ウィリアム(父と同名)は庭園造りに熱中。イギリスを訪れた岩倉使節団の面々を圧倒した巨大噴水を造らせ、巨額の負債を抱える……。このあとデヴォンシャ公爵家はどうなってしまうのか? ロマンスあり、ビジネスでの成功ありと、まさに波乱万丈です。

 

現代の貴族がどのような生き方を選択したのかわかるラストの第5章も、したたかでしなやかな貴族の一面が見られて味わいがありました。「教養としての」というタイトル通り、イギリス貴族について網羅的にまとめられていて、知識の新しい領域が満たされる感覚。お金や結婚など私たちに身近なエピソードもちりばめられていて、読みやすくなっています。

 

「イギリス貴族には、現代にも生き残っていけるだけの柔軟性と伸縮性が備わっている」と君塚さん。「貴族」のイメージがかなりくっきりしました。

 

【書籍紹介】

教養としてのイギリス貴族入門

著者:君塚直隆
発行:新潮社

世界で唯一の貴族院が存続する国、イギリス。隣国から流れる革命の風、戦争による後継者不足、法外な相続税による財産減少――幾度もの危機に瀕しながらなお、大英帝国を支え続ける貴族たちのたくましさはどこから生まれたのか。「持てる者」の知られざる困難と苦悩を辿りながら、千年を超えて受け継がれるノブレス・オブリージュの本質に迫る。イギリス研究の第一人者が明かす、驚くべき生存戦略。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

「自動車は国家なり」歴代の名車も登場! 自動車産業が駆けてきた100年を振り返る~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。私は車に疎くて、ぱっと見ても車種がほとんどわかりません(笑)。近所のショッピングモールは2階のテラスから駐車場を見渡せるのですが、クルマ好きの友人は飽きずにずっと見ていられると言ってました。一方、私は色の違いくらいしかわからず、あそこに白が停まったら1列できる! なんて「パネルクイズ アタック25」のような楽しみ方をするのが精一杯です(笑)。

 

どの国のどういった車に乗っているかは、映画や小説でも登場人物のキャラクターを表す小道具として重要です。自動車の歴史、勉強してみようかと思います。

自動車という切り口から考える100年の歴史

今回紹介する新書は自動車の世界史 T型フォードからEV、自動運転まで』(鈴木均・著/中公新書)。著者の鈴木均さんは新潟県立大学国際地域学部准教授、外務省経済局経済連携課を経て、現在合同会社未来モビリT研究代表。単著に『サッチャーと日産英国工場』(吉田書店)があります。

 

BMWが「六本木のカローラ」だったバブル時代

自動車産業および自動車市場の盛衰は、その国の豊かさと安定の指標と、鈴木さんは言います。「鉄は国家なり」とは19世紀のプロイセン首相ビスマルクの言葉ですが、20世紀から21世紀にかけては「自動車は国家なり」といっていい状況だったようです。

 

序章「自動車産業の夜明け」では、1908年のT型フォードから第二次世界大戦までの自動車産業の勃興が解説されていきます。この章ではフォード、GM、クライスラーの「ビッグ3」やトヨタ、日産、ホンダの発祥が簡潔にまとめられ、非常にわかりやすい作り。

 

バブル期を記した第3章「狂乱の80年代 日本車の黄金時代と冷戦終結」は、車に疎い私でも懐かしいキーワードが満載でした。1985年のプラザ合意後の円高を契機に発生したバブル経済。円高に沸く日本人は、BMW3シリーズとベンツ190Eを買い漁り、陸揚げされるやすぐに売れたそうです。両車は「六本木のカローラ」「赤坂のサニー」と呼ばれるくらい都内に溢れたとか。著者の鈴木さんは、輸入車を身近な存在にしたバブル経済の功績は大きい、と振り返っています。

 

日本車は1989年に「国産車ビンテージ・イヤー」を迎えます。16年ぶりに復活しツインターボを搭載した日産スカイラインGT-R、世界初の車体総アルミ製だったホンダNSX、茶室のイメージでデザインされたマツダ・ロードスター。

 

日本車がF1の頂点に立ったのもこの時期。1988年、ホンダのエンジンを搭載し、アラン・プロストとアイルトン・セナの2人をドライバーに擁して16戦15勝と無敵の強さを誇ったマクラーレン・ホンダMP4/4。あのころは、F1がブームでしたね。

 

このあと、中国の台頭、そしてEV、自動運転……と、自動車100年の歴史を国際政治の流れとともに一気に俯瞰できる内容。

 

各章に各国首脳が乗る公用車についてのコラムが設けられているのも、国際関係を意識している本書らしいところ。GMのピックアップ・トラックの骨組みとエンジンを流用したアメリカの公用車、親会社が海外資本のフォードやタタになろうとも歴代ジャガーが指名されてきたイギリスなど、お国柄がよく出ています。

 

自動車産業を巡る国と国のぶつかり合い。自動車という視点で現代史を振り返ることで、見えてくるものもたくさんあります。メーカーや車種の解説よりは自動車史に焦点が当たっているため、ややお堅い内容ですが、「『ルパン三世カリオストロの城』にルパンの愛車として登場するイタリアのフィアット500ヌオヴァ」など、映画も例として挙げられ、詳しく車種を知らない私でもイメージしやすく書かれています。

 

今後、自動車の未来はどうなっていくのか。著者の鈴木さんは「自動車産業は座敷わらしのような存在」とユニークな例えをしています。日本の自動車産業にまだ座敷わらしはいるでしょうか?

 

【書籍紹介】

自動車の世界史 T型フォードからEV、自動運転まで

著者:鈴木 均
発行:中央公論新社

19世紀末、欧州で誕生した自動車。1908年にT型フォードがアメリカで爆発的に普及したのを機に、各国による開発競争が激化する。フォルクスワーゲン、トヨタ、日産、ルノー、GM、現代、テスラ、上海汽車――トップメーカーの栄枯盛衰には、国際政治の動向が色濃く反映している。本書は、自動車産業の黎明期から、日本車の躍進、低燃費・EV・自動運転の時代における中国の台頭まで、100年の激闘を活写する。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

古市憲寿さんが12人の専門家にズバリ聞く! 世界の宗教書・神話の謎~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。海外の小説を読んでいると、ときどき「ん?」と思うセリフに出くわすことがあります。その多くは日本には馴染みのない決まり文句がもじられているケース。また、その地に根付いた宗教や神話・伝承を下敷きにしている表現も日本語にするのは難しいですよね。

 

今、世界で何が起こっているのか。深く理解するためには宗教や神話を知ることも重要でしょう。それは人が生きるための土台なのだと思います。

社会学者の古市憲寿さんが研究者に宗教・神話を聞く

今回紹介する新書は『謎とき 世界の宗教・神話』(古市憲寿・著/講談社現代新書)。著者の古市憲寿さんはメディアでもおなじみの社会学者。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、『絶対に挫折しない日本史』(新潮新書)、小説『平成くん、さようなら』(文藝春秋)などがあります。

『聖書』はいい加減だから長持ちした!?

本書は2022年刊行の『10分で名著』(講談社現代新書)の続編にあたり、12人の研究者に古市さんが世界各地の宗教書や神話の読みどころを聞く対談になっています。面白いのが、各回の冒頭に各宗教書の内容を簡単にまとめたマンガが4ページ入っていること。特に予備知識がなくてもマンガによって、その要点がわかります。

 

第1回は、作家で元外交官の佐藤優さんに聞く「聖書 なぜキリスト教は「長持ち」したのか」。キリスト教神学を研究し『ゼロからわかるキリスト教』(新潮社)などの著書もある佐藤さん。ズバッと本質に切り込む両者の持ち味が炸裂しています。

 

『新約聖書』は神父や牧師の仕事がなくなるから簡単に読めてはいけない作り。『聖書』はいい加減だから、いろんなものを詰め込めるし長続きする……と明快。佐藤さんがそうしたキリスト教とどう向き合って来たかもわかります。

 

私が読み返してみたいと思ったのは『論語』。第7回「『論語』 孔子の人間臭い実像」では、中国古典学者で早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩さんが『論語』を解説。

 

聖人君子というイメージが強い孔子ですが、「実際の孔子はどんな人物だったと思いますか」という古市さんの問いに対して、古い注の読み方から浮かび上がる孔子は人間臭い常識人で、悪口だって言うし、人生に疲れて嘆いたり愚痴を言ったりする、いいおじさんです、と渡邉さん。一生懸命常識を説くも偉い人から相手にされない孔子の姿が浮かび上がってきます。

 

古市さんの鋭い質問と専門分野に愛がある研究者の方々の解説がうまく噛み合い、世界の宗教、神話の要点が見えてくる一冊。マンガ&対談の構成はカジュアルで、パラっと読んでみようという気にさせるのも上手いところ。

 

『マハーバーラタ』『エッダ』『アヴェスター』『論語』……。名前は知られていても、いきなり古典に挑戦するのはやはり難しいものです。世界を見渡す補助線としても役立ちそうな新書でした。

 

【書籍紹介】

謎とき 世界の宗教・神話

著者:古市 憲寿
発行:講談社

歴史を学ぶにも、現代を考えるにも、これだけはおさえておきたい知識がゼロからわかる!「聖書」、ゾロアスター教、北欧神話、『論語』……個性豊かな12人の専門家に、古市憲寿が読者に代わって理解の「ツボ」を聞いた!各宗教・神話の基礎がわかる解説マンガ付き!

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【プロフィール】
卯月 鮎
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「陰陽師」って何者? 意外と知らない本当の仕事と安倍晴明の実像

映画や小説、漫画などに数多く登場し、現代でもその名が知られる「陰陽師(おんみょうじ)」。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)が登場すると発表され、再び陰陽師へ注目が集まっています。

 

そんななか、国立歴史民俗博物館では、企画展示「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」が開催。陰陽師の実態に迫るこの企画展示の開催を機に、陰陽師の考え方や生き方、陰陽師が時代を超えて親しまれている理由、そしてこの展示会の見どころなどを、国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一教授に伺いました。

千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館。

 

最新の研究成果をもとに陰陽師の実態に迫る企画展示

2023年12月10日まで国立歴史民俗博物館で開催されている「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」は、陰陽師の歴史をたどりながら、そこから育まれた文化に迫る企画展示。これから学会で発表されるような最新の研究資料も展示されており、陰陽道や陰陽師、そして陰陽師がつくり続けてきた「暦」に関する文化を知る、貴重な内容となっています。

展示室内部。

 

本展示は、共同研究の成果の一部を一般向けに広く発信するというもの。「展示に向けての調査研究には、5年以上もの月日を費やした」と話すのは、本展示プロジェクトの代表を務める国立歴史民俗博物館 研究部の小池淳一さんです。

 

「本企画展示は、確かな史資料のもと、さまざまな側面から陰陽師のリアルな姿を探る内容です。映画や小説、漫画などを通して、陰陽師の存在を知っている人は多いと思いますが、本物の陰陽師がどういう存在だったのかはあまり知られていません。ですので、展示を通して実際の陰陽師の姿を感じ取ってもらえたらと思います」(国立歴史民俗博物館 研究部・小池淳一教授、以下同)

お話を伺った国立歴史民俗博物館・研究部の小池淳一教授。

 

平安京で活躍する陰陽師の姿

本展示は3部構成。第1部の「陰陽師のあしあと」では、古代から近世にいたるまでの陰陽道と陰陽師の歴史を紐解いていきます。

 

そもそも陰陽道とは、古代中国から伝わった陰陽五行説や道教などの知識をもとに生まれたもの。8世紀には、日本の律令国家成立とともに「陰陽寮」という役所が設置され、そこに所属する占い師として「陰陽師」が誕生しました。陰陽師は、天文や暦に関する書物や道具を研究。その知識は、方位や時間の吉凶に関する占いやまじないだけでなく、祈祷や暦づくりなど、さまざまな場面で活用されるようになっていきます。

 

安倍晴明が活躍した平安時代には、陰陽師は貴族社会にとってなくてはならない存在に。本企画展示では、その様子がわかる資料が多く展示されています。

「御堂関白記」(複製) 寛弘四年〔原品の年代〕 国立歴史民俗博物館所蔵(原品:公益財団法人陽明文庫所蔵)。

 

「この資料は、『御堂関白記』という藤原道長が記した日記帳です。上部に日付が書かれていて、2行ほど空いたスペースがあるのがわかると思いますが、道長はこの空いている部分に日記を書いています。平安貴族が使うこうした暦をつくることは、陰陽師の仕事のひとつでした。

 

赤字も陰陽師が書いたもので、暦注と呼ばれるものです。時間と方角を占った結果を記載して、『この日はこの方角に気を付けてくださいね』といったような内容を伝えています。平安貴族がどのように暦と付き合っていたのかよくわかる資料ですが、よく考えてみると、私たちもカレンダーや日記帳に予定やその日あったことを書き込んでいますよね。今と変わらない文化がこの時代からあったということも、この資料からわかると思います」

 

お坊さんの姿をした陰陽師も。
日本各所で活躍する、中世以降の陰陽師

メディアのイメージから、陰陽師は平安時代に活躍した存在であると認識している人も多いかもしれません。しかし実際は、陰陽師の活躍の場が広がったのは中世以降なのだといいます。

 

「武士の世の中になると、貴族だけでなく幕府をつくった武士たちも政治を行うなかで陰陽道を取り入れるようになっていきます。それは、平安京にしか仕事がなかった陰陽師にとってはありがたいことでした。戦国時代になると、日本各地で活躍する陰陽師の姿が見られるようになります」

 

全国に広がりを見せる陰陽師のなかには、官人でも民間でもない新しい陰陽師の姿も見受けられます。それが、九州で活躍した宇佐の陰陽師です。

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期、大楠神社蔵。

 

「大分県に宇佐神宮(八幡宇佐宮)という神社がありますが、その地域でも古くから陰陽師がいたということが研究のなかでわかってきました。宇佐の陰陽師の興味深い点は、お坊さんの姿をしているところです。陰陽師がなぜ僧の姿をしているのか、それは大きな問いかけであり今後もさらに研究を進めるべき分野でもあります」

「御杣始之儀絵図」江戸時代末期~明治初期 大楠神社蔵。一部抜粋。大楠の下に座る僧形の人物が陰陽師だ。

 

宇佐の陰陽師は、宇佐宮とその周辺地域における神事や仏事に参加し、占いやお祓いなどを行っていました。このような、地域社会に根ざして活動を行う陰陽師が他の地域にも存在していたという事実も確認されています。平安京で活躍していた陰陽師とは異なる陰陽師の姿を知ることで、”陰陽師のリアル”に近づくことができるはずです。

 

装束にまじない書……
陰陽師が使用した仕事道具とは

時代によってその役割が変容していく陰陽師ですが、その中には「占い」「祭祀」「まじない」「暦日と方位(時間と空間の吉凶を予測すること)」といった、共通する仕事内容がありました。展示では、こうした陰陽師の仕事で使用された道具や書物なども数多く展示されています。

「烏帽子」「装束(袴・帯等)」 江戸時代ヵ 国立歴史民俗博物館所蔵。年代は不確定だが近世から、奈良の暦師・陰陽師であった吉川家に伝えられてきた装束や烏帽子も展示されている。

 

実際に、陰陽師がまじない書を参考にして、まじないを行っていたことを示す資料も残されています。

 

「こちらは、栃木県で出土した呪符が描かれた土器(かわらけ)です。陰陽師がまじないのために土器に呪符を描いて土に埋めたものなのですが、その文様や円の形が愛知県の陰陽師に伝えられてきたまじないの書物の内容と同じではないか、ということがわかってきました。同様事例が各地の遺跡からも発掘されていることから、こうしたまじないが日本各地で広がりを見せ、実際に行われていたという痕跡をたどることができるのです」

「呪符かわらけ」16世紀頃 栃木県立博物館所蔵。

 

「盤法まじない書」(行法救呪) 大永5年写 豊根村教育委員会所蔵。栃木県で出土した「呪符かわらけ」と同様の文様が書かれていることがわかる。

 

シニア世代のヒーロー⁉
日本一有名な陰陽師・安倍晴明

平安時代を生きた実在の陰陽師・安倍晴明。その知名度は高く、日本で一番有名な陰陽師といっても過言ではありません。安倍晴明は、日本で陰陽道を継承し続けてきた安倍氏の事実上の始祖とされている人物です。式神を連れて悪霊を退治するといったミステリアスなイメージを持つ安倍晴明ですが、実際はどのような人物だったのでしょうか?

「安倍晴明公御神像」室町時代中期 晴明神社所蔵(京都国立博物館寄託)※11月7日(火)~12月10日(日)はパネル展示。

 

「実は、安倍晴明が活躍したのは歳をとってからなのです。小説や漫画では若くてかっこいい安倍晴明像が描かれていますが、あれはフィクション。実際の晴明は、歳をとってもしっかり仕事をしていた、シニア世代のヒーローだったのです」

 

歳をとってからもなお、藤原道長などの権力者に重用されていた晴明。実際に当時の日記の中には「安倍晴明が遅れてやってきた」といったような内容も残っています。そうした活躍が後年子孫によって語り継がれ、日本一有名な陰陽師として名を馳せるようになっていきます。

「泣不動縁起絵巻(不動利益縁起)」 室町時代 重要文化財 清浄華院所蔵(京都国立博物館寄託)黒い装束を身にまとい、祈祷を行っている人物が安倍晴明。背後に控える式神や、病をもたらしたであろう外道たちなど、実際には目に見えないはずの存在も描かれている。※11月7日(火)~11月12日(日)はパネル展示、11月14日(火)~12月10日(日)は同名の別所属資料を展示。

 

本企画展示では、そうした史実に基づいた実際の晴明像はもちろん、フィクションの中の晴明についても深く掘り下げています。

 

「中世以降、『安倍晴明は狐の母親から生まれた』という伝説が語り継がれていきます。室町時代の禅宗の僧が残した『臥雲日件録抜尤』という日記には『安倍晴明は父母がおらず怪しい者であるが、陰陽師としては優れていた』といった旨がつづられており、晴明の伝説上のイメージが広がっていく過程を示す貴重な資料です。そこから時代を経て、晴明の物語はどんどん変転していきます。つまり、現代で描かれるような晴明のイメージが生まれたルーツは、実は室町時代頃からあったということなのです」

 

現代にいたるまでさまざまな描かれ方をしてきた安倍晴明。2024年の紫式部を主人公とする大河ドラマ『光る君へ』にも登場することが発表されています。劇中で晴明がどのような人物として描かれていくのか、そこに注目しながら視聴すると新たな発見があるかもしれません。

会場には、「泣不動縁起絵巻」に登場する式神や外道たちと一緒に写真を撮れるスポットも。

 

2023年は明治の改暦から150年
陰陽師がつくり続けてきた「暦」

2023年は、日本が太陽暦を採用してから150年というアニバーサリーイヤー。最後は、陰陽師がつくり続けてきた「暦」に焦点を当てます。

 

陰陽師は、古来より暦づくりの担い手として活躍していましたが、近世になると、各地でつくられていた暦づくりに幕府が関与するようになっていきます。江戸時代前期には、天才的な天文学者であった渋川春海を中心に、日本独自の新しい暦『貞享暦』がつくられました。渋川春海は、貞享暦を完成させた功績により『天文方』という役職を命じられます。以後、陰陽師と幕府の天文方が協力して暦をつくっていくという体制に代わっていきました。

「天文図・世界図屏風」 元禄15年以前 個人蔵(大阪歴史博物館寄託)渋川春海の見た世界と星図の様子が見て取れる屏風。

 

そこから時は流れ、明治3年。陰陽師たちが所属していた陰陽寮が廃止となります。陰陽師のなかにはその後も暦師として活動する人たちもいましたが、明治6年の太陽暦への改暦を機にその役目も終わりを迎えます。その後、暦づくりは国が管理するようになり、事実上陰陽師は歴史の舞台から姿を消すこととなりました。

 

暦という時間、月や星、季節の移り変わりをとらえて未来を見据えてきた陰陽師たち。式神を用いて悪霊を成敗する、そんな現代の陰陽師のイメージとはまた違う姿を知ることができたのではないでしょうか。

 

「陰陽師の魅力は、未来を予測しようとする尽きることのない営みをしていた、というところにあると思います。暦づくりのために天体観測をするだけでなく、仏教や神道の知識や、キリスト教と一緒に入ってきたヨーロッパの天文の知識を得るためにキリシタンになる陰陽師もいたほどです。渋川春海のような天才が出てきた時も、仕事を奪う存在として敵視せず、一緒にやりましょうと研究をしていた人たちです。未来のため、暦のため、天体観測のためにと努力を重ねてきた存在であり、そこに惹かれるものがあるのだと思います」

 

 

陰陽師という存在は役目を終えたかもしれませんが、彼らが残したものは今もなお私たちの意識の中に根付いているはずです。例えば、良い方角や悪い日など、そうした伝統的な空間や時間の感覚は、陰陽道の考え方があったからこそ。日常的に意識することはあまりないかもしれませんが、カレンダーや日記帳を見る際などには、ぜひ古代から陰陽師たちが続けてきた営みに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

Profile

国立歴史民俗博物館 研究部 教授 / 小池淳一

1963年長野県生まれ。筑波大学大学院博士課程単位取得。博士(文学)。1992年、弘前大学講師。同助教授、愛知県立大学助教授を経て2003年に国立歴史民俗博物館助教授に就任、現在は同教授。専門は民俗学、伝承史。主な研究テーマは、民俗における文字文化の研究、陰陽道の展開過程の研究、地域史における民俗の研究など。著書に『陰陽道の歴史民俗学的研究』(角川学芸出版、2011年)、『季節のなかの神々―歳時民俗考―』(春秋社、2015年)などがある。

 

企画展示「陰陽師とは何者かーうらない、まじない、こよみをつくるー」

会場=国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B
所在地=千葉県佐倉市城内町117
会期:2023年12月10日(日)まで
料金:一般1000円、大学生500円、高校生以下無料
HP

藤原道長の裏日記を読み解く! 日記から見えてくる平安貴族のリアルな姿とは~注目の新書紹介~

2024年の大河ドラマ『光る君へ』の舞台は平安時代。紫式部と藤原道長の特別な絆を描くということで早くも話題になっています。新書は流行りに敏感で、朝ドラや大河ドラマのテーマに寄せて、各出版社から本が出ることもしばしば。あらかじめ新書で予習をしておけば知識も増える上に、ドラマをより一層楽しむことができるわけです。

大河ドラマの時代考証担当者が平安貴族の実像を語る

今回紹介する新書は、平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』(倉本一宏・著/NHK出版新書)。著者の倉本一宏さんは歴史学者で、国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代史、古記録学。2024年の大河ドラマ「光る君へ」の時代考証を担当しています。『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書)、『蘇我氏―古代豪族の興亡』(中公新書)など著書多数。本書は倉本さんが出演したNHKラジオ番組の内容がベースとなっています。

 

出席者をチェックする道長は心配性!?

日記というと『紫式部日記』など女性が仮名で書いたものをイメージしますが、本書は藤原道長『御堂関白記』、藤原行成『権記』、藤原実資『小右記』という、同時期に朝廷に仕えた3人の貴族が漢文で書いた日記を取り上げています。

 

これほど多くの階層の人々が日記をつけ、それが現存している国は日本だけです、と倉本さん。平安時代には天皇、皇族、貴族が日記をつけていました。日記の大きな目的は宮廷行事の内容や段取りを記録しておくため。子孫は先祖の日記を見て、行事や儀式の手順を紙に写し、手に持つ笏(しゃく)の裏に貼ってカンニングペーパーにしていたのだとか! 今でいう業務日報のような感覚かもしれませんが、もちろんそこには個人的な心情も綴られていて、人間関係や裏事情が透けて見えます。

 

第一部は「道長は常に未来を見ていた 藤原道長『御堂関白記』」。千年前に栄華を極めた藤原道長の日記『御堂関白記』は、一部が直筆で残っています。

 

直筆なので、特に墨の濃淡や誤字の消し方などから、わかることも多いのだそう。また、道長の日記は紙の表裏で内容が書き分けてあるのも特色、と倉本さん。表に出来事や行事の概要、裏には儀式に誰が来たか、どのようなお土産をあげたかなどが書かれているとのこと。

 

「この人はなぜ来なかったのか。俺に含むところがあるのか」と悩みが綴られていることもあるそうで、ちらっとSNSの裏垢を連想しました(笑)。

 

政権の座について5年目となる長保2年の元旦の日記には、「元旦の儀式で見参簿(出席簿)を一条天皇に奏上しようと思ったら、他の公卿たちは皆、帰ってしまった」とあり、「自分が儀式を主宰する人間としてふさわしくないのであろうか」と書き留めている道長。倉本さんは、まだ道長は35歳、政権トップという座に自信が持てずにいたようだと分析しています。藤原道長が身近に思えてきますね。

 

安倍晴明を呼んで占ってもらったり、娘の懐妊祈願のために参詣旅行をしたり、友人と歌を送り合ったり、平安貴族の生活スタイルが伝わってきます。

 

第二部は妻や子を亡くして悲しみにくれる心情を生々しく書き記した藤原行成、第三部は出世レースに敗れても道長にへつらわず、道長主催の儀式にもあまり参加しなかった藤原実資。いずれも直筆の日記の写真が多数掲載されていて、字からそれぞれの人柄が伺えます。

 

一冊読み終わると、今まで見えにくかった、平安時代に生きた人々の姿がくっきりと浮かび上がります。深い知識、見識に根ざした歴史本ですが、語り口は柔らかく重苦しさを感じさせないのが本書のいいところ。出世したライバルへの恨み言、マナーを守らない者への苦言など、今の時代にも普通に言われていることが、千年前にも記されていたという面白さ。平安時代の日記、気になりませんか?

 

【書籍紹介】

平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像

著:倉本 一宏
発行:NHK出版

歴史の主役としては光の当たらない平安貴族。だが、武士が台頭し不安定化する世情にあって、彼らは国のために周到に立ち回り、腐心しながら朝廷を支えていた。NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代考証も務める著者が、知られざる平安貴族の実像を、藤原道長『御堂関白記』、藤原行成『権記』、藤原実資『小右記』という三つの古記録から複合的に明らかにする。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

池上彰&パックンのコンビが歴史に残る名演説を解説!ここに耳を傾けよ!!~注目の新書紹介~

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「口は災いのもと」「キジも鳴かずば撃たれまい」。そんなことわざがあるように、日本では語らないことに重きを置く傾向があります。といっても、上に立つ者は自分の考えを表明しないと周りはなかなかついてこないもの。そういえば、説明不足と言われ降ろされた総理大臣もいたような……。

 

海外では演説が非常に重要視され、著名な政治家には専門のスピーチライターがいるというのはよく聞く話です。人の心を動かす演説は、ちょっとした魔法のようなもの。ファンタジー好きの私には、言葉で時代が変わるという現象にゾクゾクします(笑)。

 

説明力抜群のコンビが名演説を丸裸!

 

さて、今回紹介する新書は『世界を動かした名演説』(池上彰、パトリック・ハーラン著/ちくま新書)

 

著者の池上彰さんは、説明不要の人気ジャーナリスト。2005年にNHKを退職して以降、テレビ、新聞、雑誌、書籍、YouTubeなど幅広いメディアで活躍しています。

 

パトリック・ハーランさんは芸人、東京工業大学非常勤講師、流通経済大学客員教授。お笑いコンビ「パックンマックン」のパックンとしてもおなじみです。現在は「報道1930」「めざまし8」でコメンテータを務めるなど、報道・情報番組にも多数出演しています。

チャーチルが使ったテクニックとは?

本書は、20世紀半ば以降の15の名演説を著者の2人が対談形式で解説したもの。解説のあとには、演説の原文(英語の場合のみ、一部抜粋)と日本語訳の要約も掲載されています。

 

最初に取り上げられた演説は、1940年6月4日に英国下院議会で行われたウィンストン・チャーチルの「我々は戦う。岸辺で、上陸地点で、野原で、街路で、丘で」。第2次世界大戦時にイギリス軍の負け戦を勝ち戦に転換させた名演説です。

 

まず、池上さんが当時の英国の状況を説明してくれます。ナチス・ドイツ軍の侵攻がベルギー、フランスへと進み、フランス軍を支援するために大陸に送られたイギリス軍が屈辱的敗北を喫し、ヨーロッパ本土からの撤退を行う直前だそうです。この演説によって国民は鼓舞され、その後の長い空爆にも耐えられたといいます。

 

一方、パックンは英語を母語とする話者として、この演説のどこにグッとくるのかを解説してくれます。

 

演説の序盤で、ドイツが噴火した(eruption)という激しい表現に続けて、swept(押し流す)、sharp(鋭い)、scythe(鎌)と同じsの音が3回繰り返されます。「最初の音の韻を踏むアリタレーションという手法ですが、この響きの良さといったらないんです」とパックン。

 

英語のテクニックが駆使され、聞いているほうはワクワクしてくる、という感想も。日本語訳だけではわからない演説の技法と、それがもたらす魔力。内容以外に注目した解説はとても勉強になります。

 

池上さんもパックンもわかりやすく説明する力に長けているため、演説の要点がすっと掴めるのが本書のいいところ。それを頭に入れたうえで各演説を読めば、”世界が動いた”理由も納得できます。まさに、名演説のガイドブック!

 

演説内容はビジネスや日常会話のヒントにもなりそうですし、英語の勉強にもプラスになるでしょう。もちろん激動の20世紀を演説を中心に振り返る歴史本としても読み応えあり。それぞれの名演説の音声は動画サイトにアップされていることも多く、本書を読みながらチェックするとさらにわかりやすくなります。歴史を変えるのは、お金でも、武力でもなく、言葉なのかもしれません。

 

【書籍紹介】

世界を動かした名演説

著:池上彰、パトリック・ハーラン
発行:筑摩書房

そのとき歴史が動いた。時代を揺さぶった言葉とは。現代史に残る15本の演説を世界情勢、表現の妙とともに読み解く。知っておきたい珠玉の名言と時代の記録。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

地図に魅せられ50年余、地図研究家の激レアコレクションを見よ!~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。私はファンタジー小説をメインに書評をしているので、ほかの人よりもちょっと変わった地図を目にする機会が多いかもしれません。

 

たとえば、J.R.R.トールキンの『指輪物語』。トールキンは自ら地図を描いて、それをもとに執筆をしていました。「トールキン財団」のウェブサイトにも公開されている「中つ国」の地図は、執念を感じさせるほどの緻密さ。これだけで空想が広がります。地図は命が注がれる器なのかもしれません。

地図マニアのお宝コレクション

さて、今回紹介する新書は、小説のなかの地図ではなく、リアルな、それでいて衝撃的な地図を集めた地図バカ 地図好きの地図好きによる地図好きのための本』(今尾恵介・著/中公新書ラクレ)

 

 

著者の今尾恵介さんは地図研究家。日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査を務めています。主な著書は、『地図マニア 空想の旅』(集英社インターナショナル)、『今尾恵介責任編集 地図と鉄道』(洋泉社)など。今年1月に刊行された『地図記号のひみつ』(中公新書ラクレ)は、当コラムで紹介させていただきました。

これは地図と言えるのか!? 衝撃の珍品

本書は「中央公論」に連載されたコラムをまとめたもの。中学1年のときに授業で国土地理院の2万5000分の1の地形図と出会い、学校のプールや細い通学路まで再現されているのを見て、「その精緻さにすっかり参ってしまった」という今尾さん。

 

第1章「余は如何にして『地図バカ』となりしか」では、今尾さんが中学生のころに描いたという架空都市・敏道市の地形図が披露されています。起伏ある山地、大きなカーブを描く線路、田んぼに団地、製本工場……。記号や等高線が細かく描き込まれた地形図は壮観。今尾さんのピュアな情熱が伝わってきます。

 

そんな今尾さんが集めた地図のなかでも屈指の珍品が、3章「お宝地図コレクション」の、とある「切図」。切図とは全体の一部分を区切った地図のこと。

 

海が大部分を占めている「室蘭」の切図を買った今尾さんは、地球岬の先に広がる海を紙上で実感できて爽やかな気分になったそう。

 

これをきっかけに、海ばかり広がる切図に魅せられた今尾さんは、伊豆諸島・神津島の沖合に浮かぶ岩礁だけを点々と載せた切図「銭洲」を発見して購入。すべてまとめても数平方ミリの陸地しかない地図を見てはニヤついていたとか。そして、さらにその上をいく切図が!? カラー写真で掲載されている、ほぼ水色の切図には地図の概念を覆されること間違いなし!

 

旧制中学生の書き込みがある戦前の地図帳、未完に終わった幻の高速鉄道「東京山手急行電鉄」の路線図、謎の数字が多数印刷された東ドイツの秘密地形図……。新書ということもあり、モノクロでややサイズも小さいのが残念ですが、これらレアものは地図マニアでなくても興味をそそられます。

 

今尾さんの言葉の端々から地図に対する敬意とこだわりが溢れ出し、まさにコレクターの家に伺い、愛蔵品を見せてもらっている気分。「読めば読むほど味が出るのが地図の世界」。今尾さんの言葉に納得です。

 

【書籍紹介】

地図バカ 地図好きの地図好きによる地図好きのための本

著:今尾 恵介
発行:中央公論新社

「東が上」の京都市街地図/鳥瞰図絵師・吉田初三郎/アイヌ語地名の宝庫/職人技のトーマス・クック時刻表/非常事態の地図……著者は小学校の先生が授業に持参してきてくれた国土地理院の一枚の地形図に魅せられて以降、半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた。
その“お宝”から約100図版を厳選。ある時は超絶技巧に感嘆し、またある時はコレクターの熱意に共感する。身近な学校「地図帳」やグーグルマップを深読みするなど、「等高線が読めない」入門者も知って楽しい、めくるめく世界。

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【プロフィール】
卯月 鮎
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偉大な人類学者マリノフスキのトンデモ日記とは? 人類学者を知れば人間がわかる~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。私は大学では歴史学を専攻していましたが、ほかにも行きたい学科はいくつもありました。学問って名前を聞いてパッと研究内容が浮かぶものもあれば、いったい何をするんだろうという謎なものもありますよね。

 

そういった学問の真髄を1000円前後でさらっと掴めるのも新書の素晴らしさ。今回紹介する新書は、人類学に入門できる一冊です。

 

人類学者が解説する人類学100年の歩み

人類学というと、人里離れた村に滞在し、住民の文化を調査する学問というイメージが一般的かもしれません。しかし、今や研究対象によってその分野は、経済人類学、芸術人類学、観光人類学、医療人類学……と多岐にわたるとか。

 

それでも人類学が誕生して以来、追い続けてきた本質は何も変わらず、「人間とは何か」という問いである、と今回紹介する新書ははじめての人類学』(奥野克巳・著/講談社新書)の著者である奥野さんは言います。”人間がわかる”と聞けば、俄然興味が湧いてきますね。

 

著者の奥野克巳さんは、人類学者で立教大学異文化コミュニケーション学部教授。著書に『絡まり合う生命』(亜紀書房)、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(新潮文庫)などがあります。

 

赤裸々すぎるマリノフスキの日記とは?

「人類学の入門書」といっても、難しい人類学の講義が続くわけではありません。本書は人類学の巨人として名高い、マリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、インゴルドの4人を取り上げ、それぞれの業績と人生を追うことで人類学の歩みを一掴みにするという試み。人間を見つめ続けた賢人は一体どんな人間なのか。興味深いエピソードの数々に、人物伝としても楽しめるのが特徴です。

 

人間らしいドロドロとした感情の塊が研究として昇華された、そんな風に読めるのが2章「マリノフスキ――「生の全体」」。マリノフスキは、フィールドに出て現地に住み込み調査を進める「参与観察」という、現代でも非常に重要視される手法を編み出したことで知られる、近代人類学を切り拓いた研究者です。

 

しかし、死後に発見されたフィールドワーク中の日記には、とんでもない記述の数々が……!?「死ぬほど殴りつけてやりたい」、現地人への罵詈雑言に、周囲の女性への赤裸々な欲望。読んでいて笑ってしまうほどですが、この日記は偉大なマリノフスキという偶像を破壊する衝撃を各方面に与えたそうです。

 

とはいえ、清濁併せつつ他者を理解しようとする姿勢は、生、人間、ひいては世界を理解することへとつながったのではないでしょうか。

 

決して優等生ではなく芸術家肌で遅咲きだったレヴィ=ストロース、著名な菌類学者の息子ながら科学に懐疑心を抱いて人類学に進んだインゴルドなど、私たちと同じ悩み多き人間として紹介されていることで、親近感を持って読み進めていけます。人間が人間を観察するとはどういうことか、その難しさと面白さも見えてきます。

 

人類学が見つけ出した答えは、今を生きる私たちのものの見方を変え、現実を生き抜くための「武器」ともなる、と奥野さん。人間とは? 社会とは? 生きるとは? そうしたことに少しでも興味があるなら、本書から得られるものは大きいと言えそうです。

 

【書籍紹介】

はじめての人類学

著:奥野 克巳
発行:講談社

「人間の生」とは一体何なのか。今から100年前、人類学者たちはその答えを知ろうとしてフィールドワークに飛び出した。マリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、インゴルドという4人の最重要人物から浮かび上がる、人類学者たちの足跡とは。これを読めば人類学の真髄が掴める、いままでなかった新しい入門書!

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

1950年代のベストセラー『東京文学散歩』を今歩き直してみたら? 文学の聖地巡礼、昔と今~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。私は国立国会図書館のデジタルコレクションに収録された古い本を紹介するコラムを、かつて連載していました。

 

なかでも印象的だったのが昭和5年に出版された食べ歩きの本『東京名物食べある記』。銀座の資生堂パーラーや、今はなき喫茶レストランなどを新聞記者が食べ歩くという内容。お店を評価する基準の当時と現代の違いから、食文化の変遷が見えてきます。

 

ガイドブックは小説とは異なり情報の鮮度が重要になりますが、何十年もあとに読み返すとそれはそれでさまざまな発見があるものですね。

日本文学者が改めて歩く文学の聖地

今回紹介する新書は「東京文学散歩」を歩く』(藤井淑禎・著/ちくま新書)。著者の藤井淑禎さんは立教大学名誉教授で専門は近現代日本文学・文化です。『乱歩とモダン東京』(筑摩選書)、『純愛の精神誌』(新潮選書)、『清張 闘う作家』(ミネルヴァ書房)など著書が多数あります。

 

焼け野原の浅草寺はまるで羅生門!?

戦後の1950年代に「文学散歩」という言葉を作り出し、大ブームを巻き起こしたという野田宇太郎の『東京文学散歩』。当時はラジオやテレビの番組にもなり、貸切バスを仕立ててのツアーが企画されるほどだったとか。

 

本書は、加筆を重ねて20年にわたり改稿されていった『東京文学散歩』シリーズをもとに、著者の藤井さんが散歩コースを設定し、『東京文学散歩』の文章と比べながら歩くというもの。1950年代の東京と今の東京、果たして当時のような文学散歩は可能なのでしょうか?

 

第1章「浅草から向島へ」の出発点は、JR浅草橋駅近くの神田川にかかった柳橋。1950年代初頭の『東京文学散歩』では、この橋を渡って島崎藤村の旧居跡へ向かっています。この一帯は花街で、戦災で全滅したもののすでに復興している様子。野田宇太郎は細面で美人の芸者さんに道を訪ね、「もすこし向こうではなかったでしょうかしら」と教えてもらい、情に厚くて親切と感じ入っています。

 

しかし、この描写に対して藤井さんは、芸者さんとのやり取りはフィクションではないかと思っている、とコメント。最初の「日本読書新聞」の連載時にはこの描写はなかったことなどから、当時の東京人の冷たさを引き合いに出すため、後付けでこの芸者さんを出したのではないかと分析しています。こうした研究者ならではの鋭い視点も本書の読みどころです。

 

花街が復興しているのに対し、浅草は野田宇太郎が実際に歩いた1951年当時は荒廃したまま。雷門も仁王門(現在の宝蔵門)も跡形もなく、唯一残った二天門を見て、まるで『羅生門』のような鬼気を覚えた、という感想。今の浅草の賑わいから考えると信じられない光景ですね。

 

浅草を皮切りに、本書は全8章。永井荷風の偏奇館や文人たちが集った東京最古のフランス料理店・龍土軒を巡る「麻布を一周する」、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介らが住んだ本郷周辺を田端駅から日暮里駅まで歩く「王道の文学散歩」……など、どれも文学好きなら実際に回ってみたくなるコースの数々。

 

終戦後の復興もままならない状況を歯がゆく思いながら文学散歩する当時の野田宇太郎。さらに改稿を重ねて高度成長期に加筆された内容も解説され、現在のマンションや高層ビルに覆われた東京の景色が語られていく。文学という変わらないものを軸に、移りゆく時代を重層的にとらえているのが本書の真価でしょう。

 

散歩コースの地図や写真があればもっとイメージが湧きやすかったように思うのですが、次から次へと飛び出すこぼれ話からは知識の深さがにじみ出ており、まさに教授と一緒に文学散歩をしている気分になれます。

 

【書籍紹介】

「東京文学散歩」を歩く

著:藤井淑禎
発行:筑摩書房

戦前の作家の暮らしの跡や文学作品の舞台となった場所を訪ね歩き、往時を本の中に「復元」した野田宇太郎による『東京文学散歩』シリーズは、一九五〇~六〇年代に一大文学散歩ブームを引き起こした。本書は『東京文学散歩』から、往年と現在との比較が興味深い個所や、野田の主張が強く見て取れる個所などを紹介しつつ、実際にいまの東京を訪ね歩いて検証。さらに独自のコースも提唱し、新たな散歩の楽しみを提案する。昭和の文学散歩の時代を追体験できる文学ガイドブック。

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卯月 鮎
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実はソース焼きそばは戦前からあった!? 全国1000軒以上を食べ歩いた焼きそばマニアがそのルーツに迫る!~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。正直言って見た目は今ひとつ。高級な食材が入っているわけでもなく、食感もモグモグ。それでも夏祭りで無性に食べたくなるのが屋台の焼きそばでしょう。

 

プラスチック容器にギュウギュウに詰め込まれている焼きそばを見ると、自然とテンションが上がります。みんなで少しずつ分けて食べられるのもいいですね。長い間、姿形も変わらず、嫌いという人はほとんどいない。ソース焼きそばは国民食といえるかもしれません。

 

なぜソースで麺を炒めたのか?

今回紹介する新書はソース焼きそばの謎』(塩崎省吾・著/ハヤカワ新書)。なぜ麺を醤油ではなくソースで炒めるようになったのかを軸に、ソース焼きそばの歴史に迫ります。著者の塩崎省吾さんはブログ「焼きそば名店探訪録」の管理人。国内外1000軒以上の焼きそばを食べ歩き、テレビ、ラジオなどメディア出演も多数。本業は実名口コミグルメサービス「Retty」のITエンジニアで、「焼きそば」も担当しています。

 

 

最古のソース焼きそばは大正の浅草!?

本書は電子書籍『焼きそばの歴史』の上巻を加筆修正して新書版として改訂したもの。第1章は「ソース焼きそばの源流へ」。ソース焼きそばは長年、戦後の大阪・ヤミ市が発祥というのが通説でした。しかし、ここ10年ほどでその説に異が唱えられ、戦前にソース焼きそばが存在していたことが当時の小説や露天商売の指南本から明らかになったそうです。戦前から東京・浅草界隈ではソース焼きそばが食べられていたとは驚きですね。

 

焼きそばを食べ歩くのが趣味の塩崎さんは、その起源や伝播を解明するため、老舗を訪ねているそうです。戦前からソース焼きそばを提供しているという浅草周辺の老舗3軒「浅草染太郎」「大釜本店」「デンキヤホール」。当時から本当に”ソース焼きそば”は存在したのか? お店の方の証言と昔の文章、随筆などを検証していくと……。

 

実はお好み焼きから派生したというソース焼きそばの起源をたどる調査は、歴史ミステリーのような読み応えがあり、引き込まれます。さながら、塩崎さんは焼きそば探偵といったところでしょうか。

 

第2章は「ソース焼きそばの発祥に迫る」。浅草の老舗「デンキヤホール」では、大正初期からソース焼きそばのメニュー「オム焼き(ソース焼きそばを薄焼き玉子で巻いたもの)」を出していたという証言を得た塩崎さん。当時の中華麺の入手方法や仕入れ価格などを検証していると、明治時代以降の日本の近代化にまつわる裏側が見えてきました……。ソース焼きそばという切り口から話は意外な方向へ。

 

第3章は「戦後ヤミ市のソース焼きそば」、第4章は「全国に拡散するソースの香り」。小麦文化とソース文化の両面から日本のソース焼きそばを深掘りしていきます。

 

グルメガイドではなく、食文化史研究本の力作。新書としてはかなりの厚みで、屋台の大盛り焼きそばのような満足感がありました。戦前の資料にも丁寧に目を通していて、著者のソース焼きそばに対する熱々の愛情がよく伝わってきます。

 

「鉄板で焦げるソースにも似た、むせ返るほど濃密で刺激的な歴史探究の成果を、存分にご堪能いただきたい」と塩崎さん。ラーメンはすでに海外でも行列ができるほど人気ですが、ソース焼きそばも100年に及ぶ歴史がある日本のソウルフードなのですね。

 

【書籍紹介】

ソース焼きそばの謎

著:塩崎 省吾
発行:早川書房

焼きそばと聞いて誰もが思い浮かべる、ソースの香り。世代を超えて親しまれてきたソース焼きそばは、いつどこで生まれたのか? 本書は、近代の食文化史において詳述されてこなかった“ブラックホール”に光を当てる興奮の歴史ミステリー。ソース焼きそばの通説であった「戦後誕生説」よりさらに遡り、追究の対象は第二次大戦前、大正、明治期へと展開。そこでキーワードとして浮かび上がるのは、明治政府の悲願でもあった「関税自主権」の回復と、日清製粉の前身である館林製粉から消費地・東京への製品輸送に深く関わった「東武鉄道」の存在。
国内外の焼きそばを1000軒以上食べ歩いてきた著者が、多数の史料をひもとき、全国の名店を取材して焼きそばのルーツに迫る。

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卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

 

奇跡のゲーセン「ゲーセンミカド」の店長が語ったゲームセンターの歴史と人生~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。みなさんにとってゲームセンターはどのような場所ですか? 私はまだ不良が実在し、「カツアゲ」なんて言葉が現役だった時代にビクビクしながらゲームセンターの隅に座っていました。お化け屋敷と「狂ったお茶会」を足したようなイメージ。最近の、UFOキャッチャーがひしめき、音ゲーで賑わっている光景を見るとキラキラと眩しいですね。

「ゲーセンミカド」店長が語るゲーセン史

さて、今回紹介する新書は『ゲーセン戦記-ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀』(池田稔・著、ナカガワ ヒロユキ・聞き手・構成/中公新書ラクレ)。著者の池田稔さんは個性派ゲームセンター「ゲーセンミカド」の経営者兼店長。小学生のころからゲームセンターに通い、高校卒業後には店員として働き始め、2006年には自らが経営する「新宿ゲーセンミカド」を立ち上げました(現在同店は閉店)。2023年現在「高田馬場ゲーセンミカド IN オアシスプラザ」など3店舗を構えています。

 

聞き手・構成のナカガワヒロユキさんはライター。著書にバーチャファイターのプレイヤーレポ『TOKYOHEAD NONFIX』などがあります。『愛についての感じ』『キッズファイヤー・ドットコム』などで知られる小説家・海猫沢めろんさんの別名義でもあります。

「伝説のゲーセン」の興亡

ゲーセンミカドといえば「伝説のゲーセン」「ゲーセンの聖地」として、国内外問わずゲーマーに知られた存在。レトロゲームが並ぶマニアックなラインナップと、ゲーム大会やイベントを毎日開催し、配信を行うエネルギッシュな企画力で支持されています。

 

「まえがき」には「いま、個人経営のゲームセンターは存亡の危機にある」とあります。そんななか、独自路線を打ち出して異彩を放つ店を作り上げた池田さんが、自ら体験してきた“ゲーセン史”を語っていきます。

 

第1章は「始まりから成熟の時代 1974-1996」。ゲームセンターがもっとも熱かった時代です。「ゼビウス」(1983年)をきっかけに始まった池田さんのゲームセンター人生。1991年、対戦格闘ゲーム「ストリートファイターII」に強い衝撃を受けます。本物の格闘技のようなスピーディな展開と複雑で豊富な技にしびれ、地元以外の大会にも遠征したという池田さん。

 

「知らない人同士が対戦する風景は珍しいものでわざわざ見にいく価値があった」。こうした池田さんの述懐は、私も同感です。私は新宿の「ゲームスポット21」で、格ゲーに熱中する人たちを見るのが好きで、やりもしないのに通っていました。あのころのゲームセンターはローマのコロッセウムに通じる道でした。

 

ちなみに、2台の筐体を背中合わせに並べた「キャビネット型対戦台」という配置は、シャイな日本人のために相手が見えないようにして対戦のハードルを下げた工夫で、メーカーではなく福岡のゲームセンターが発明したのだそう。そんな知る人ぞ知る裏話も本書には数多く語られています。

 

第3章以降では、2006年に「ゲーセンミカド」を開店した池田さんの奮闘ぶりも披露されていきます。新規客を狙った最新ゲームがことごとく赤字、新宿店の立ち退きを強いられて土壇場で決まった高田馬場への移転、当初否定的だった大会の無料配信を続けたことで変わってきた空気……。泥臭くも熱いエピソードは、ドラマ化してもウケそうです。

 

「ゲーセンミカド」で一番稼いでいる意外なゲーム、メダルゲームの利益計算法、UFOキャッチャーの景品原価率の実態など、経営の内幕も明かされているのがゲーセン店長の本ならでは。

 

そして何よりも、レトロゲームの大会を日々配信し続けるという、リアルとネット、過去と現在を巻き込んだ「場」を作り出した「ゲーセンミカド」の稀有な生存戦略は読み応え抜群。個人史という小さな視点が広がって、ゲーセン史の全体像、さらにはその陰の部分も見えてくる、そんな構成も光ります。

 

ゲームセンターはつらい現実を忘れさせてくれるオアシスのような場所、と池田さん。明日、ゲーセンにふらっと行ってみようかと思います。

 

【書籍紹介】

ゲーセン戦記-ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀

著:池田 稔
聞き手・構成:ナカガワ ヒロユキ
発行:中央公論新社

「ゲーマーの聖地」として国内外で名を知られる「ゲーセンミカド」。中小店が苦境に立たされる中、多彩なラインナップと企画力で愛され続けている。同店の池田店長が、数々の名作を振り返りながら現場のリアルを語る。『ゼビウス』『グラディウス』などシューティングブームの流行から、『ストリートファイターⅡ』『バーチャファイター2』など格ゲーの隆盛、経営の試行錯誤や業界への提言まで、ゲーセンの歴史と未来を描いた一冊。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

“世界四大文明”はもう古い!? これまでの文明観を覆すマヤ文明のすごさ~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。最近は「ChatGPT」に聞けば何でもわかる時代ですが(実はそうでもないという話も……笑)、私が子どものころは地球はもっと謎やオカルトに満ちていて、徳川埋蔵金やヒランヤ、UMAやオーパーツにも興味津々でした。

 

マヤ文明も、オーパーツの「水晶ドクロ」や世界の終末を予言しているという「マヤ暦」などオカルト方面が有名で、よく考えてみると、実際のマヤ文明がどのような文明だったのかはぼんやり。「マヤ文明、名前は知っているけど……」という人は、この本がピッタリでしょう。

 

古代メソアメリカ文明がわかりやすく一冊に

今回紹介する新書はカラー版 マヤと古代メキシコ文明のすべて』(青山和夫・監修/宝島社新書)。監修の青山和夫さんは考古学者で茨城大学人文社会科学部教授。専門はマヤ文明学。古代アメリカ学会会長。『マヤ文明 密林に栄えた石器文化』(岩波新書)、『マヤ文明の戦争 神聖な争いから大虐殺へ』(京都大学学術出版会)など、マヤ文明に関する著書も多数です。

マヤ文明から文明の本質とは何かを考える

本書はマヤ文明を筆頭にアステカ文明など、メキシコを中心にした中央アメリカで栄えた「メソアメリカ文明」を紹介していきます。最近の教科書では、世界四大文明(メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明)とはあまり言わなくなったそうです。それはメソアメリカ文明とアンデス文明(インカ文明)が加わって世界六大文明という考え方が出てきたからだとか。

 

メソアメリカ文明は私たちの文明観を大きく揺り動かす新たな発見に満ちている、と「はじめに」に書かれているように、メソアメリカ文明とアンデス文明は、大河と鉄器がなくとも大文明になったというから驚き。昔、私たちが学校で教わった、文明は“大河の治水”により誕生したという常識を覆し、“豊富な食料”が重要というのは確かに納得です。

 

第2章は「マヤ文明」。メキシコ南東部とユカタン半島、グアテマラやホンジュラスにまたがるマヤ地域で栄えた文明です。

 

2020年にメキシコ・タバスコ州で発見された「アグアダ・フェニックス」遺跡は、マヤ文明最大かつ最古の公共建造物(南北約1400m、東西約400m)です。神殿ピラミッドや舗装道路、貯水池まで備えていたとか! 建造が始まったのは紀元前1100年ごろで、日本でいえば弥生時代ですから、これだけの施設が揃っているのはとんでもないことです。

 

「戦士の女王もいたマヤ」「空から神が舞い降りる劇場国家だったマヤ王朝」「日本語に近いマヤ文字」など、知らなかったトピックも盛りだくさん。

 

第3章は「サポテカ文明とティオティワカン文明」、第4章は「アステカ文明」と続き、これらをまとめてメソアメリカ文明が1冊でわかる仕組みです。

 

なんといっても本書のいいところは、アグアダ・フェニックス遺跡の3D画像や、サン・バルトロ遺跡(グアテマラ)のカラフルな壁画、チチェン・イツァ(メキシコ)のククルカン・ピラミッドなどが、各項目にカラー図版で掲載されている点。文字だけでは伝わりにくい遺跡や遺物の様子がよくわかります。

 

各見出しには読者の興味を引くようなキャッチーな文句がつけられていますが、下世話にならず、文章はプレーンで読みやすいのも好感が持てます。私もそうでしたが、マヤ文明とアステカ文明の違いがはっきりわかる人はほとんどいないでしょう。各文明を網羅的に把握できるのも本書の長所です。

 

鉄器が使われずとも、トウモロコシと黒曜石製の石器で栄華を誇ったメソアメリカ文明。文明の本質とは何かが見えてきます。

 

【書籍紹介】

カラー版 マヤと古代メキシコ文明のすべて

監修:青山和夫
発行:宝島社

6月16日から東京国立博物館で『古代メキシコ展』が開かれます。内容は「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」の古代文明展です。本書は、本展開催に合わせ、メキシコ文明の全貌を明らかにする新書です。展覧会では、マヤの赤の女王の遺構や、アステカの大神殿、テオティワカンの三大ピラミッドが紹介されます。しかし、多くの日本人は、各文明の名前は知っているけれども、どんな文明だったのか、どんな歴史だったのかを知りません。そこで本書では、マヤとメキシコ文明をわかりやすく、ビジュアルもたっぷりに紹介します。歴史にもスポットをあてた一からわかるカラー新書です。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

「エリーゼのために」は、本当は「テレーゼ」だった!? ベートーヴェンの名曲の裏事情とは?~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。オリジナルソングを作って告白した、告白された経験はありますか? これ、思っているよりも多いようで、私はないものの、女性の友だち2人は告白されたと言ってました。

 

ひとりは「自分の名前が歌に入っていて気持ち悪かった」とのことですが(笑)、もうひとりは「私のために一生懸命作ってくれてうれしかった」と好印象だったので、両極端の一か八かの作戦かもしれません。いずれにせよ、今回紹介する本を読んでいると、好きな人のために曲を作るという行為は定番なんだなと思います。

 

名曲のスキャンダラスな舞台裏を解説

名曲の裏側 クラシック音楽家のヤバすぎる人生』(渋谷ゆう子・著/ ポプラ新書)の著者は、音楽プロデューサー、音楽ジャーナリストの渋谷ゆう子さん。音楽ジャーナリストとして国内外で取材活動を行い、音楽雑誌やオーディオメディアでの執筆多数。著書に『ウィーン・フィルの哲学 至高の楽団はなぜ経営母体を持たないのか』(NHK出版)があります。

ベートーヴェンの曲に隠された失恋

本書は少し堅苦しい印象のあるクラシックを、作曲家のエピソードを通じて親しみを持ってもらおうというアプローチ。スキャンダラスなゴシップたっぷりで、あの偉大な作曲家も私たちと同じように(もしくはそれ以上に)、恋に悩み苦しんでいたことがわかります。

 

そして“ヤバいエピソード”を並べて終わりではなく、そこから生まれた名曲を聴けるSpotifyのQRコードが掲載されているのが本書の工夫。興味が湧いたらすぐにスマホで楽しめます。

 

第1章は「名曲はフラれ続けたからこそ生まれた!? 生涯独身、恋愛不遇のベートーヴェン」。「楽聖」とあだ名されるベートーヴェンですが、その性格は気難しく変わり者。愛する女性にことごとく振られた生涯だったそうです。

 

ベートーヴェンは恋に落ちると相手に手紙や曲を贈りまくり、友人にも「もうめちゃくちゃ可愛い子がいるんだがww(著者の渋谷さんによる意訳)」という手紙を書きまくっていたとか。

 

ベートーヴェンのエピソードのなかでも私が驚きだったのが、「エリーゼのために」について。40歳を過ぎたベートーヴェンが恋したのは、友人の紹介で出会ったテレーゼという女性。それがなぜ「エリーゼのために」という曲になったのかというと、彼女に贈った楽譜に書かれていたタイトルの字が汚すぎて「エリーゼ」にしか読めなかったから……。美しい曲でも、贈られた女性の気持ちを考えると女心に響かなかったのだと思う、とは渋谷さんの厳しい指摘。私も字が汚いのでこの失敗は身につまされます。

 

43歳で初めて授かった娘のために作られたドビュッシーの「子供の領分」、社交界の華アルマへの想いを交響曲に無理やりねじ込んだマーラーの「愛の楽章」、大富豪未亡人の推し活に支えられたチャイコフスキーの「白鳥の湖」……。女性にだらしなかったり、借金まみれだったりと、美しい旋律の裏に隠れた赤裸々な事情が明かされます。

 

こうした切り口は好き嫌いが分かれるかもしれませんが、クラシックへの扉を開けるきっかけになることは確か。名曲に対する渋谷さんの解釈や熱のこもったオススメコメントも読みどころで、多くの人に聴いてほしいという音楽への愛を感じます。

 

私は、リヒャルト・シュトラウスが鬼嫁との騒々しい生活を曲にしたという「家庭交響曲」が気になって、QRコードを読み込んで聴いてみました。なるほど、そういうことなんですね(笑)。

 

【書籍紹介】

名曲の裏側: クラシック音楽家のヤバすぎる人生

著:渋谷ゆう子
発行:ポプラ社

音楽家の人生を知ると、あの名曲がもっと深まる。読みながら楽曲を聞いて楽しめる、プレイリスト付き! ある者は女性問題に頭を抱え、ある者はお金の工面に泣き、またある者は鬼嫁に責め立てられ……。クラシック音楽という高尚で優美なイメージから程遠い一面に注目することで、偉大な音楽家たちがのこした名曲を、より味わい深く楽しむことができます。

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【プロフィール】
卯月 鮎
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湖池屋が一番最初に発売したポテトチップスの味は? 意外に知らない国民食・ポテトチップスの秘密~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。みなさんは何味のポテトチップスがお好きですか? 子どものころは、辛かったり、酸っぱかったり、ちょっと変わった味がお気に入りで、うすしおはなんとなく損な気がして敬遠していました。でも、大人になってうすしおの良さに気づいた感があります。

 

これと似たような例なのがアイスです。同じ値段なのにシンプルなバニラ味を買うのがもったいないと、チョコやストロベリーに目が行きがちでした。ところが、ある年齢からふとバニラが美味しいと思うように! といってもアイスクリームチェーンのサーティーワンに行って、バニラ味を頼む境地にはまだ至っていません(笑)。

 

ヒット本を連発する著者の新著

さて、今回の新書はポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生』(稲田豊史・著/朝日新書)。著者の稲田豊史さんはライター、コラムニスト、編集者。映画配給会社、出版社を経て独立。『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)、『オトメゴコロスタディーズ』(サイゾー)、『「こち亀」社会論 超一級の文化史料を読み解く』(イースト・プレス)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)など著書多数です。

日本独自の「のり塩」からすべては始まった!

スーパーのスナック菓子コーナーで一番いい場所に並び、日本人がこよなく愛するポテトチップス。本書では国産ポテトチップスの歴史を追っていきます。第1章は「ジャガイモを受け入れた戦後日本―日本食化するポテチ」。

 

そもそも国産ポテトチップスの元祖は1950年に発売されたアメリカンポテトチップ社(東京)の「フラ印アメリカンポテトチップ」。こちらは当時の価格で35g入りが36円。現在の物価に換算するとおよそ800円前後とか! 今で言う、フルーツタルトや高級チョコレートの立ち位置といったところでしょうか。しかし、ジャガイモは戦時中の代用食というイメージがあり、大苦戦を強いられたといいます。

 

それでも、ポテトチップスの可能性に目をつけたのが湖池屋の当時の社長・小池和夫さん。たまたま行った飲み屋でポテトチップスを食べてその美味しさに感動した小池さんは、もしお菓子ほどの値段で大量に作れたら売れるだろうと何年もかけて試行錯誤を始めたのだそうです。

 

その結果生まれたのが「ポテトチップス のり塩」(1962年発売)。なんと、湖池屋が最初に商品化したのは純和風ののり塩だったのです! しかも唐辛子を入れて味にキレを出し、日本人の舌に馴染み深い米油で揚げていたそうです。「日本におけるポテトチップスの運命はこの時点で決まっていた……最初から“和風”だったのだ」と著者の稲田さん。ポテトチップスが国民的おやつとなったのは、こののり塩味の開発が大きかったんですね。

 

ポテトチップスを切り口に、高度成長期から現在までの時代背景や、日本人の心の変遷までも映し出す一冊。社長をはじめ各メーカーへの取材も丁寧に行われ、裏話満載のポテトチップス史は読み応えたっぷり。それでいて読みやすい文章でうまくまとまっているのだから、ページはポテトチップスのように止まりません。アラフォー、アラフィフにはノスタルジーも隠し味。お好きなポテトチップスを用意してお楽しみ下さい。

 

【書籍紹介】

ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の誕生

著:稲田豊史
発行:朝日新聞出版

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卯月 鮎
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哲学者ソクラテスはワインの水割りがお好き!? 歴史の陰にはワインあり~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。最近はジンにハマっていますが、以前は赤ワインに夢中な時期がありました。赤ワインは飲み慣れてくると、深みのある重さがクセになります。ワイナリーごとの特徴や、ブドウの品種・ブレンドによる味の違いもわかってきて、自分の味覚が研ぎ澄まされていくような感覚になるのが楽しいんですよね。「ワインで歴史が動いた」というのも頷けるものがあります。

 

ワインと歴史の関わりを解き明かす

さて、今回紹介するのはワインと歴史の関わりを解き明かしていく新書世界史を動かしたワイン』(内藤博文・著/青春新書インテリジェンス)。著者の内藤博文さんは歴史ライター。西洋史から東アジア史、芸術、宗教まで幅広い分野で活躍しています。著書に『「ヨーロッパ王室」から見た世界史』『世界史で深まるクラシックの名曲』(いずれも青春新書インテリジェンス)、『「半島」の地政学』(河出書房新社)などがあります。

優れた哲学者はワインによって生まれた!?

第1章「古代ギリシャの民主政治とキリスト教を育てたワイン」では、古代世界でワインが果たした役割がわかります。ギリシャは暑く乾燥した気候と石灰岩でできた水はけのいい土壌により、ブドウ栽培には絶好の条件が整っていました。

 

古代ギリシャ人のワインの飲み方にはふたつの特徴があったそうです。ひとつは食後に水割りでワインを飲むこと。ワインをそのまま飲むのは下品だったとか。私も今度試しにワインの水割りをやってみようかと思いました。

 

またもうひとつは、車座になって大きな杯で回し飲みをしていたこと。この酒宴はギリシャでは「symposion」と呼ばれ、英語で討論会を意味する「シンポジウム」のルーツとなったそうです。

 

「ワインは理性に何ら害を与えず、快い歓喜の世界に気持ちよくわれらを誘ってくれる」とは哲学者ソクラテスは語ったとか。ワインを飲む場は知的な会話の場にもなりやすく、だからギリシャでは優れた哲学者が現れた、と著者の内藤さん。水割りワインでほどよく酔うことで政治に関する討論が盛り上がったことでしょう。

 

ワインが歴史の大きな転換点を担ったことが見えてくるのが、第5章「フランス革命とナポレオンの暴風が産み落としたワインの『伝説』」。フランス革命は1789年7月14日のバスティーユ監獄襲撃に始まるとされますが、実はその前に伏線がありました。

 

パリ市民がバスティーユ監獄襲撃の3日前に、「3スーのワイン万歳! 12スーのワインを打倒せよ!」を合言葉に入市税門を襲撃したいきさつとは……?

 

ワインという私たちにも身近な飲み物に焦点を当てることで、ヨーロッパの複雑で激動の歴史がわかりやすく鮮やかに伝わってきます。各章ごとにゆかりある有名ワインが写真とともに紹介されるコラムも、ワイン好きには嬉しいところ。お酒のうんちく、歴史のうんちくが上手いバランスで混ざり合っています。

 

読みやすい文章でぐいぐいいけるのに歴史の深さにも触れられる、本書はたとえるなら質のいいカジュアルな赤ワインのよう。タンニンの苦みは人を知的に、あるいは瞑想的にさせると内藤さん。ワインを飲みながら歴史本を開く、そのマリアージュは格別でしょう。

 

【書籍紹介】

世界史を動かしたワイン

著:内藤博文
発行:青春出版社

世界史、とくに西洋の歴史はワインとともに発展してきた。古代ギリシャの民主政治と哲学を育んだのはワインであり、ローマ帝国の版図拡大にワインは欠かせないものだった。フランス革命の直接の起因はワインの高い税金への恨みでもあった。そんな世界史とワインの切っても切り離せない関係を明らかにした、読むほどに教養と味わいが深まる魅惑のヒストリー。現在でも手に入る歴史を動かした名ワインも写真付きで紹介。

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【プロフィール】
卯月 鮎
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奈良にある正倉院で行われている仕事って何? どうすれば1200年前の宝物を守れるのか~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。私は動物園や水族館に行くと、まずバックヤードツアーが開催されていないか確認します。普段は立ち入ることのできない裏側を、ガイド付きで回れるのがなんとも楽しいんですよね。その後改めて表側を行くと、スタッフの方々の工夫もわかって面白さが倍増します。見えない仕事ほど重要なものです。

 

ちなみに私の仕事ぶりをバックヤードツアーで見せてくれと言われたら断固ノーです(笑)。散らかりすぎているので……。

正倉院のプロフェッショナルが語る宝物

今回紹介する新書は、奈良にある校倉造で有名な正倉院の“仕事”に焦点を当てた正倉院のしごと-宝物を守り伝える舞台裏』(西川明彦・著/中公新書)。著者の西川明彦さんは正倉院事務所前所長。1988年から正倉院事務所に勤務し、整理室長、調査室長、保存科学室長、保存課長などを歴任してきました。著書には『正倉院宝物の装飾技法』(中央公論美術出版)などがあります。

正倉院では何が行われているのか?

聖武天皇のゆかりの品を納めるため奈良時代に成立した正倉院は、今でも約9000件の宝物を納めています。本書では宝物そのものの説明ではなく、現在正倉院で行われている仕事を「保存」「修理」「調査」「模造」「公開」の5つの分野に分けて解説していきます。

 

正倉院のすごさがわかるのが、第2章「正倉院をまもる―保存」。およそ1200年もの長い年月、地中ではなく人の手によって守られてきた伝世の品は稀有、と西川さん。

 

壁である檜材にはそれ自体に高い吸放湿機能があり、さらに宝物を入れる杉製の容器「辛櫃(からびつ)」も優れた調湿性能を持ち、二重に過湿が防がれてきたのだそうです。

 

さらにカビ・害虫対策のため、正倉院では年に一度「曝涼(ばくりょう)」、いわゆる虫干しと点検を念入りに行っています。といってもカビの発生を完全にゼロにすることは不可能。現在は、カビが防ぎきれない宝物はポリエチレンフィルムのなかに入れて調湿剤とと防カビ剤を封入して保管しているのだとか。

 

第5章「宝物をつくる――模造」も驚きがありました。実は、正倉院では宝物の模造事業にも取り組んでいるのだそう。本家がわざわざ模造を作るには主に3つの理由があります。1つ目は展示するため。2つ目は破損したまま伝来した宝物を復元するため。そして私がなるほどと思ったのは、3つ目の危機管理のため。突然の災害に備えてデータを取っておくためだとか。

 

いずれにしろ宝物を模造することで古代技術の知見が得られ、長く途絶えていた技法の復元につながった例も多いと西川さん。宝物だけでなく、技法を未来につなげることも役割のひとつなんですね。

 

劣化していく宝物をいかにトリアージするか、科学調査のメリットと限界、正倉院展での職員の緊張感……。長年、保存と向き合ってきた著者ならではの深みのあるエピソードの数々。

 

時を超えるにはどうしたらいいのか。知恵と技術の試行錯誤は、現場での臨場感もあって読んでいてワクワクします。個人的には“静かなSF”、そんな感覚もありました。

 

正倉院のあり方は、「動物が生息する環境をまるごと保護区として守る方法に等しい」と西川さん。正倉院はタイムマシンといえるかもしれません。

 

【書籍紹介】

正倉院のしごと-宝物を守り伝える舞台裏

著:西川明彦
発行:中央公論新社

奈良時代、光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺大仏に献納したことに始まる正倉院宝物。落雷や台風、源平合戦や戦国時代の兵火、織田信長やGHQなど時の権力者による開扉要求といった数多くの危機を乗り越えてきた。古墳など土中から出土したのではなく、人々の手で保管されてきた伝世品は世界的にも珍しい。千三百年にわたり宝物を守り伝えてきた正倉院の営みを、保存・修理・調査・模造・公開に分けて紹介する。

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40代の住職が「四国遍路」八十八ヶ所を自ら歩いてみたら! 自然、人情、美味との出会い~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。一時期、よく利用する路線の駅をひとつひとつ降りて、駅前で美味しいパン屋さんやカフェを見つけるという遊びを散歩がてらしていました。全駅制覇などの目標があると達成感もひとしおですよね。

 

私の行き当たりばったりな各駅散歩とは比べ物にならないほど、由緒正しいのが四国八十八ヶ所巡り。真言宗の開祖・空海(弘法大師)ゆかりの寺院八十八ヶ所を巡礼する約1200キロの「四国遍路」は、終えると八十八の煩悩が消えるとも言われています。気力と体力があるうちに一度は挑戦してみたいという人も多いのではないでしょうか。ついお菓子を食べてしまう、その煩悩だけでも消えるとありがたいです(笑)。

お坊さんがリアルに歩き遍路を体験

 

今回の新書はマイ遍路―札所住職が歩いた四国八十八ヶ所―』(白川 密成・著/新潮新書)。著者の白川密成さんは1977年生まれ。四国八十八ヶ所・第五十七番札所の栄福寺(愛媛県今治市)住職。大学卒業後、地元の書店に勤務したあと、2001年に24歳で実家である永福寺の住職を継ぎました。著書には映画化もされた、「ほぼ日刊イトイ新聞」連載エッセイ『ボクは坊さん。』(ミシマ社)や、『坊さん、ぼーっとする。』(ミシマ社)、『空海さんに聞いてみよう。』(徳間文庫カレッジ)があります。

心温まるお遍路さんの旅

本書は、「遍路を歩くことで、八十八ヶ所の“全体像”を肌で感じたい」と考えた白川さんが、月に数日ずつ、計68日間をかけて歩いてお参りした記録。寺の住職という鎧を一旦はずし、肩書を持たないひとりの人間として巡礼を経験したいという気持ちもあったそうです。

 

第1章「歩き遍路が始まる」は2019年4月18日~26日、一番霊山寺(徳島県鳴門市)から二十二番平等寺(徳島県阿南市)までの出来事。

 

まずはひどい方向音痴ということで、一日中地図アプリを使えるようにiPhoneの外付けバッテリーを購入する白川さん。お遍路さんといえば杖が定番ですが、今はスマホがサポートしてくれる時代なんですね。

 

最初の目的地・霊山寺の最寄り駅である徳島県「坂東駅」に電車で到着……と思ったら、少し手前の「板野駅」だった!? というハプニングから開幕。一時間ほど歩いて霊山寺にたどりつきます。

 

九番札所・法輪寺の門前にある茶屋では、アメリカ人とデンマーク人のお遍路さん2人と相席に。鳴門金時(いも)の天ぷらを「これは食べられるの?」と聞いてきた2人に、「スイート・ポテトだよ。美味いよ」と返す白川さん。七味唐辛子を「セブン・フレーバー・チリ」と教えると、アメリカ人はスナップを効かせて盛大に振りかけたとか(笑)。こうした心がふっと通う旅先の交流も本書の読みどころです。

 

お遍路さんの立場になって寺をまわることで、改めて札所の住職という自らの仕事を見直す“お仕事もの”的な側面も共感できる部分。

 

人口減の日本で寺院や僧侶はどう生き残っていけばいいのか、悩みつつ歩く……。住職の本というとありがたい話が満載というイメージがありますが、私たちと同様に迷いながら進む等身大の姿が、この本のもっとも大きな魅力でしょう。

 

四国の厳しくも美しい自然、宿や宿坊での温かいおもてなし、山海の素材を活かした名物料理……。白川さんは、四国遍路を「“行く”ようであり、“帰る”ようでもあり、またそのどちらでもないような不思議な道のりが貴重であるからこそ、世界から人々が集まる」と語っています。人生を詰め込んだようなこの円環が、四国遍路の引力なのかもしれません。

 

【書籍紹介】

マイ遍路―札所住職が歩いた四国八十八ヶ所―

著:白川 密成
発行:新潮社

四国にある八十八の霊場を巡礼するお遍路。本書は、そのひとつ第五十七番札所・栄福寺の住職が、六十八日をかけてじっくりと歩いた記録である。四万十川や石鎚山など美しくも厳しい大自然、深奥幽玄なる寺院、弘法大師の見た風景、巡礼者を温かく迎える人々……。それらは人生観を大きく揺さぶる経験として、多くの人々を魅了する。装備やルートまで、お坊さんが身をもって案内する、日本が誇る文化遺産「四国遍路」の世界。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

 

羽柴秀吉は「ファシバフィデヨシ」!? 千年以上の時を経て日本語の発音はどう変わってきたか?~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。指先が冷え性の私は冬場キーボードを打つのが辛くて、どうにかできないかと悩んだ末にたどり着いた方法が音声入力。一昔前は音声入力というと目も当てられない怪文書が生まれていましたが、今は聞き取り能力もアップし、文脈に合わせて漢字への変換も上手にしてくれるので、そこまで崩れた文章にはなりません。

 

音声入力の利点は、手をこたつに入れたまま文章を書けること(笑)。あとは発音を意識するので、少しハキハキしゃべれるようになった気がすること。誰もいない部屋でひとりハキハキしゃべるのは、いまだに抵抗がありますが……。

古代語の真の発音とは?

さて、今回紹介する新書は日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅』(釘貫 亨・著/中公新書)。著者の釘貫 亨さんは、国語学者で名古屋大学名誉教授。専門は日本語史です。『古代日本語の形態変化』(和泉書院)、『近世仮名遣い論の研究――五十音図と古代日本語音声の発見』(名古屋大学出版会)など著作多数です。

懐かしのCM「ちゃっぷい、ちゃっぷい」は古代日本語!?

日本語の発音の変化を歴史ごとに追っていく本書。当然、音声データなど残っていないため、各時代ごとにどのような資料を使って発音を推測していくか? という部分がポイントになっています。

 

第1章「奈良時代の音声を再建する」では、漢字の音読みを用いた万葉仮名と最後の遣唐使となった僧侶・円仁が記録した梵字の読みが手がかり。研究者たちが、奈良時代の発音をどう推測したかがわかります。

 

奈良時代のサ行は梵字の読みから、「ツァ」に近い音だったとか。万葉集の柿本人麻呂の句「小竹(ささ)の葉は~」は、「ツァツァノファファ」という発音だった可能性が高い、という説が挙げられています。なんだかフランス語のような響きですね(笑)。

 

また、ハ行の読みは「パピプペポ」だったという説も! 昭和のころ、金鳥の使い捨てカイロ「どんと」のCMで、「ちゃっぷい、ちゃっぷい。どんとぽっちい」というセリフがありましたが、CM制作スタッフが「学問的研究を踏まえている」と語っていたそうです。このセリフが流行したのは、太古の記憶が私たちに刷り込まれていたからかもしれません。

 

第4章「宣教師が記録した室町時代語」では、キリシタン資料による室町時代の発音研究に焦点が当たっています。帯にも大きく書かれていますが、「羽柴秀吉」は「ファシバフィデヨシ」と読まれていたそう。なぜわかったのかというと、そのカギは当時のなぞなぞの本に!? それにしてもファシバフィデヨシ、口に力が入らないですね(笑)。

 

本書はバラバラっとしたトピックスが並ぶ雑学本ではなく、日本語発音の変遷をたどっていく研究書寄りのテイストで歯ごたえは堅め。しかし、じっくり読んでいくと現在の日本語に覚えるちょっとした違和感の答えが歴史のなかから浮かび上がり、日本語の複雑さの源となっている重層性が見えてきます。専門的な学問の内容を気軽に知ることができるのも新書の真骨頂でしょう。

 

「銀行員の行雄は、修行のために全国行脚を行った」という、「行」の字が5つも入っている文章を例に挙げ、「日本漢字音の重層性」を説明する釘貫さん。漢字を母語とする中国人も驚くという複雑さ、その理由もわかります。

 

昔の人がどう発音していたか、読み解きはミステリー的な要素もあり、当時の会話が想像できるのも楽しいところ。わかっているつもりでも知らないことだらけの日本語の奥深さに心掴まれました。

 

【書籍紹介】

日本語の発音はどう変わってきたか 「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅

著:釘貫 亨
発行:中央公論新社

問題「母とは二度会ったが父とは一度も会わないもの、なーんだ?」(答・くちびる)。この室町時代のなぞなぞから、当時「ハハ」は「ファファ」のように発音されていたことがわかる。では日本語の発音はどのように変化してきたのか。奈良時代には母音が8つあった? 「行」を「コウ」と読んだり「ギョウ」と読んだり、なぜ漢字には複数の音読みがあるのか? 和歌の字余りからわかる古代語の真実とは? 千三百年に及ぶ音声の歴史を辿る。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

ことわざの裏にある各国の言語・歴史に迫る『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』

猫でテーブルを拭くおばあちゃんのイラストと、そのタイトルに惹きつけられて手にした『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』(金井真紀・著/岩波書店・刊)。電車に乗っていた30分間で全部読めてしまったが、とてもおもしろく、本棚の目立つ場所に入れ、ときどき読み返そうと思っている。

 

本書は、月刊誌『世界』で著者の金井さんが3年間連載した「ことわざの惑星」をベースに、世界ことわざ紀行として一冊にまとめたものだ。

 

おみやげより、ことわざを

イラストレーター兼文筆家の金井さんは、あらゆる場所で出会った人々の言葉や身振りを拾い集めた作品を生み出していて、著書には『世界はフムフムで満ちている』、『世界のおすもうさん』、『戦争とバスタオル』などがある。

 

この本を書くにあたり、彼女は自身のことを「闇ことわざ商」のようだったと記している。海外に出かければ必ずことわざを探すのはもちろんのこと、友だちが海外旅行と聞けば、お土産はいならいから、おもしろいことわざを見つけてきて、と頼んでいたそうだ。さらに、海外ルーツの人、翻訳家、人類学者、言語学者に会ったときも、知っていることわざを聞き出していたという。そうして採集し、まとめたのが本書で、フィンランド語、マオリ語、バスク語、ズールー語、アラビア語、台湾語などなど、36言語のことわざが収録されている。

 

ことわざ採集の過程で、いろんなことを知りました。宗主国が植民地の言語を力ずくで排除したこと、独裁者に禁じられた言語を亡命先で守った話、すでに消滅した言語について、小さな言語が消えないように奮闘している人のこと……。ことわざの向こうに、言語や文字をめぐるさまざまなドラマが見え隠れして、そのたびに胸を熱くしました。

(『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』から引用)

 

金井さんはそのように語っている。では、本の中からいくつかを紹介してみよう。

 

おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った

タイトルにもなっているフィンランド語のことわざだ。正確には、「やり方はいくらでもある」と、おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った。意味は、「意外なところに道がある、解決策はひとつではない」ということ。

 

おばあちゃんの大胆さに笑っちゃうけど、背景にはフィンランドに息づく「sisu(シス)」の精神がある。シスは困難な状況でも粘り強く進む勇敢さを言い、「フィンランド魂」と訳されることも。

(『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』から引用)

 

困ったときも、こんなユーモアのあることわざで乗り切ろうというフィンランドの人々の芯の強さを感じる。

 

チャペラをかぶって、世界を歩こう

バスク語のことわざで、チャペルとはベレー帽のことでバスク地方が発祥とされている。意味は、「自分のルーツを大事に世界に出ていこう」ということ。金井さんにこのことわざを教えたバスクの人は、マイノリティーならなおさらそれが大事です、と言ったそうだ。

 

バスク人はどんどん世界に出かけていった。船を操る技術を見込まれて探検家コロンブスの船員になった者もいる。日本にキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルも、フィリピンの初代総督も、ボリビアのポトシ銀山の開発者もバスク人だ。南米では今でもバスクにルーツをもつ人の割合が高い。

(『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』から引用)

 

ちなみにバスク語はほかのどの言語とも似ていないため、ヨーロッパでは一番ミステリアスな言語、と言われているそうだ。

 

タコのように死ぬな、シュモクザメのように死ね

マオリ語のことわざ。マオリはニュージーランドの先住民族だ。人に捕まったタコは歯向かうことなく死を受け入れ、シュモクザメは命が尽きるまで抵抗するという意味で勇敢さを尊ぶマオリらしいことわざだ

 

マオリといえば、ラグビーのニュージーランド代表「オールブラックス」が戦いの前に士気を高める”ハカ”が有名だ。これはマオリの舞踏歌で、力強く声を揃えて、大地を踏むのだ。

 

約1000年前に海を渡ってきたポリネシア人が定住し、マオリとなる。マオリ語には文字がなく、歴史や文化は話しことばで継承された。ハカもそのひとつ。19世紀半ばに大英帝国の植民地になると、マオリの土地は奪われ、人口も激減した。しかしマオリは根気強くデモや政府への働きかけを続けて、1987年マオリ語は公用語となった。

(『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』から引用)

 

良いことをしたら水に流せ

これはアルメニア語のことわざで、意味は、善行の見返りを求めるな、だそうだ。日本で「水に流す」のは過去のいざこざだから、まるで違う。アルメニアでは良い行いをしても、忘れることが大事と説いている。

 

一方で、アルメニア人は歴史を守ることには命がけだ。「ムーシュのトナカン」という1202年に完成した重さが28キロもある巨大な本がある。何人ものアルメニアの執筆者が宗教、哲学、歴史について書き、絵が添えられた美しい本で市民の宝物となった。

 

侵略してきたテュルク軍に本が奪われたときは、みんなでお金を出し合って買い戻した。20世紀、オスマン帝国が大量虐殺をおこなった際には、本を半分に分けて一方を地中に埋めて隠し、他方を人から人へ手渡しで避難させた。人々が命がけで守った本は現在、マテナダラン古文書館で大切に保存されている。

(『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』から引用)

 

この他にも世界のさまざまな民族の文化、そして歴史が垣間見れることわざが詰まったのが本書。素敵なイラストとともに絵本ような体裁なっているので、親子でページを開くのも楽しいだろう。

 

【書籍紹介】

おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った

著者:金井真紀
発行:岩波書店

好奇心とスケッチブックを手に、ことわざを集める旅に出発! マレーシアでは旅することを風を食べると言い、フィンランドではやり方はいくらでもあると猫を布巾に。エチオピアではヒョウの尻尾をつかんでサバイバル。発想にびっくり、教訓に納得。36言語の心が喜ぶことわざ、ステキな文字を、イラストとエッセイで紹介。

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おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った

日本最古の地図記号は何? あのマークはどうしてできたのか、地図記号の謎がわかる!~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。地図を見ながら歩くとなぜか道に迷ってしまう私ですが、部屋で地図を開いてあれこれ妄想するのは大の得意です(笑)。

 

もう20年ほど前、大航海時代を舞台にした「ネオアトラス」というゲームにハマっていました。航海して世界地図を完成させるという内容で、プレイヤーが何を信じるかによって地図も変わっていくのです。

 

地図を作るということは、この世界を定義すること。地図には奥深い魅力があります。

 

等高線に魅せられた地図研究家

さて、今回紹介する新書は地図記号のひみつ』(今尾 恵介・著/中公新書ラクレ)。著者の今尾 恵介さんは地図研究家! 日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査などを務めています。主な著書に『地図マニア 空想の旅』(集英社インターナショナル、第2回斎藤茂太賞受賞)、『今尾恵介責任編集 地図と鉄道』(洋泉社、第43回交通図書賞受賞)があります。

 

中学1年生の社会科で2万5千分の1の地形図の精緻さに魅せられたという今尾さん。買ってきた地図の等高線を眺めては、時間を忘れて現地の風景を想像していたのだとか。

ドイツにはホップ畑の記号がある!?

第1章「定番記号の学校で教わらない話」には、おなじみの地図記号に関するうんちくが満載。日本で初めて使われた地図記号は……「温泉」マーク! 江戸時代初期、土地争いに関する絵図に温泉を示す記号が2つ描かれていたのが始まりだそうです。湯壺から湯気が立っているデザインはほぼ今と同じ。江戸初期からあるんですね!

 

温泉マークを見ると、ほとんどの日本人がお風呂を思い浮かべるでしょう。ところが、国土地理院の調査によると海外の観光客からは「温かい料理を思わせる」という反応があった、と本書にはありました。なるほど、お皿に入った熱々のスープにも見えますね。山のなかにスープ屋さんがひしめく様子はちょっとシュールですが(笑)。

 

私の地元に桑畑が多かったこともあり、社会の授業で最初に私が教わったのがYの字に横棒を加えた「桑畑」でした。桑畑の地図記号は、日本の主要な輸出品だった絹を支える耕地ということで明治時代から地図に特別に記載されていたそうです。ただ、平成25年(2013年)に廃止になってしまいました。

 

ちなみにドイツにはホップ畑(×を並べたもの)、イタリアにはオリーブ畑(オリーブの木を図案化したもの)の記号があるとのこと。地図記号はその国の重要な構成要素を表しているんですね。

 

第4章「記号が映し出す歴史」では、軍事と深い関わりがある地図の歴史的背景が解説されていきます。なぜ病院のマークはワッペン形に十字なのか? なぜ大正時代に制作された橋の地図記号は8種類もあったのか? 単純に地図記号の解説を超えて、地図という存在を軸にした歴史の動きが見えてきます。

 

各節の頭には今尾さんが描いた味のある地図記号のイラストも掲載され、今尾さんの地図に対する愛と深い造詣が伺えます。ひとつひとつのトピックは短めですが、それが連なることで地図記号の本質、地図の存在意義が見えてくる一冊。廃れる地図記号あれば、新しく生まれる地図記号あり。瞬時に時空を超えていけるのが地図の面白さかもしれません。

 

【書籍紹介】

地図記号のひみつ

著:今尾 恵介
発行:中央公論新社

学校で習って、誰もが親しんでいる地図記号。だが、実はまだまだ知られていないことも多い。日本で初めての地図記号「温泉」、ナチス・ドイツを連想させるとして「卍」からの変更が検討された「寺院」、高齢化を反映して小中学生から公募した「老人ホーム」……。地図記号からは、明治から令和に至る日本社会の変貌が読み取れるのだ。中学生の頃から地形図に親しんできた地図研究家が、地図記号の奥深い世界を紹介する。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

『どうする家康』がさらに楽しくなる一冊! 家康の生涯がわかりやすく解説された『家康日記』

いよいよ始まった2023年の大河ドラマ『どうする家康』。松本潤さんが徳川家康を演じるということで、始まる前から注目されていましたよね。教科書レベルの徳川家康のイメージは、狸親父やホトトギスは鳴くまで待っている印象があるので、個人的には「松潤でいいの!?」なんて思ってしまいました(笑)。始まってみれば、ぴったりな配役で今から次回が楽しみです!

 

大河ドラマは歴史に基づいてお話が進んでいくので、ネタバレ上等! 大枠の流れを知っておけば、より楽しむことができるのも魅力でしょう。今回は、歴史が苦手という人でも読みやすい『家康日記』(ミスター武士道・著/エクシア出版・刊)をご紹介します。家康の生涯を知っておくと、ドラマのタイトルになぜ「どうする?」がついているか、松本潤さんが配役されたのかも知ることができますよ。

 

瀬名と結婚したのは、16歳

大河ドラマでは、初回から積み木遊びやかくれんぼをするちょっぴり幼い家康が出てきましたが、当時の年齢は14歳。8歳から今川家の人質として駿府にいた家康は、人質という身ではありましたが、不自由なく幸せに暮らせていたのかな? と感じましたよね。

 

実際はどうだったのか? というところはぜひ『家康日記』で確認してみましょう。この本では、幼少期から亡くなるまで家康が日記を書いていたというテイで年代と日付、そして当時の家康の年齢とともに、日記が綴られていきます。例えば、16歳で瀬名と結婚した日にはこんなことが書かれてありました。

 

彼女は義元様の姪にあたる。つまり、今後は私も今川一門に準ずる扱いを受けるということになる。義元様にはずいぶんと気に入られてしまったな。瀬名は気の強い女子と聞いている。うまくやっていけると良いが……。

(『家康日記』より引用)

 

ドラマでは、瀬名の役を有村架純さんが演じていますが、気の強さはドラマの中でも発揮されていましたよね(笑)。『家康日記』は、YouTubeでも人気のミスター武士道さんが、実存する家康の書状や研究を元に作ったもの。上記のようにわかりやすい言葉で綴られているので、有名人の日記を読んでいる感覚で歴史について知ることができます。中学生でも楽しく読めると思いますよ!

 

三河軍を率いて、大高城に米を届けたのは19歳

大河ドラマの初回では、金の鎧で米を届けていた家康。三河のものたちからは「殿! 殿!」と呼ばれていましたが、なんと当時は19歳でした。当時の日記にもこんなことが書かれてありました。

 

ヤバい、ヤバい、かなりヤバい。

義元様が討たれた。

嘘だろ。こっちは丸根砦も攻略して、全て順調にいっていたのに。

二万を超える大軍だぞ、どうしてこうなった?

(『家康日記』より引用)

 

今まで大事に育ててもらった親代わりのような今川義元が、織田信長に討たれてしまったのです。大河ドラマの中では、信長に必要以上に怯えていた家康ですが、実は幼少期の出来事が由来しています。ご存知の方も多いかもしれませんが、今川家の人質として仕える前は、織田家の人質として過ごしていたのです。当時の家康は6歳で、信長は14歳。大河ドラマでは、次回以降この辺りも描かれそうですよね! 詳しくは『家康日記』にも書かれてあるので、気になる方は先読みしちゃいましょう。

 

大河ドラマではどこまで描かれるのかも楽しみ!

『家康日記』を読んでいくと家康の生涯が丸っとわかるので、大河ドラマでどんな出来事がどこまで描かれるのか想像できるのも楽しみのひとつになるでしょう。

 

家康は、75歳でその生涯を終えます。戦乱の世を終わらせ、戦いのない江戸時代を作り、死後は「東照宮」で祀られるようになるまでどんな人生を歩んだのかは『家康日記』そして、大河ドラマで学んでいきましょう! 戦国時代に登場する武将の中では、どことなく地味な人と思われがちな家康ですが、その人生はまさに“どうする?”の連続でした。現代の中間管理職にも通じるような苦しみも抱えていた家康の生涯を知り、知識を深めていくことで、自分の人生にもプラスになることがたくさんあるはずです。大河ドラマを楽しみにしている人は、『家康日記』を読んでより知識を深めていきましょう。きっと家康への印象がガラリとかわるはずですよ!

 

【書籍情報】

家康日記

著者:ミスター武士道
発行:エクシア出版

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスー徳川家康の性格をあらわした言葉といわれています。とにかく忍耐強くて、信長、秀吉が死んだから天下人になれた人という印象ですが、はたして本当にそうだったのか?実は、独立を果たすために凄いがんばった人だった!家康の年齢をたどりながら、その生涯を語る日記物語。

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「咳をしても一人」放哉の句をピース・又吉直樹さんが厳選! 放浪の俳人が人間の弱さを露わにする~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。昔、英語の授業で「くしゃみをした人がいたら欧米では、“Bless you”と声をかけるのが決まり」と聞いて、「花粉症だったら大変だな、ずっと声をかけられっぱなしだ」と人見知りの私はおびえた覚えがあります(笑)。その一方で、同じころ「咳をしても一人」という尾崎放哉の自由律俳句を知り、図書室というシェルターでひとり読書していた私の心に刺さりました。やたらに声をかけられても困るけど、ひとりぼっちでは寂しい。人間ってわがままですね。

 

よりすぐりの自由律俳句110選

 

さて、今回紹介する新書は『孤独の俳句 「山頭火と放哉」名句110選』(金子 兜太、又吉 直樹・著/小学館新書)。2013年に刊行されたムック『人間 種田山頭火と尾崎放哉』(徳間書店)を底本とし、加筆・再編集されたものとなっています。

 

山頭火の選者は俳人の金子兜太さん。戦後、日銀勤務のかたわら俳句活動に入り、現代俳句協会会長などを歴任。テレビの俳句番組でもおなじみでした。

 

そして、今回の新書で新たに放哉の選者となったのは又吉直樹さん。お笑いコンビ「ピース」として活動しつつ、2015年に小説デビュー作『火花』(文藝春秋)で芥川賞を受賞。俳人のせきしろさんと共著で『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬舎)も上梓しています。

 

「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」

俳句界の重鎮だった金子さんと文学に造詣が深い又吉さん、それぞれがどこに着目し、どのような句を選んだのか。句を読んだだけではわからなかった発見や、解釈の余韻、余白も見えてきます。これが選者を立てている本書のいいところ。

 

さて、55句選ばれている山頭火の句のなかで私がもっとも気に入ったのは、「酔うてこほろぎと寝てゐたよ」。酒好きの放浪者だった山頭火らしい、情景が見えてくるような句。きっと、鳴いているコオロギも気にせず、地べたにゴロリと寝たのでしょう。心地よさもありながら、ひとりで酔いつぶれた秋の夜長という寂しさも漂ってきます。

 

選者の金子さんによると、2日前に詠んだ「酔うてこほろぎといつしょに寝てゐたよ」の訂正句だそう。「いつしょに」は気持ちを込めすぎているように感じ、さらっと書くほうが逆に印象が強いのではないかと金子さん。確かに短くなった分、「寝てゐたよ」がより効いている気がします。

 

続いて、放哉の句から一句選ぶなら、「漬物桶に塩ふれと母は産んだか」。東京帝国大学法学部を卒業しながら酒に溺れ、仕事も家族も捨てて各地を転々とした放哉が、神戸・須磨寺で寺男をしていたときの句です。

 

この句は又吉さんの選評とセットになることで味わいが増します。漫才師を目指していたはずがコンビを解散し、新しいコンビはコント中心で活動するように。劇場でコント衣装の大きなツノをつけた姿を鏡で見たとき、不安になったと明かす又吉さん。自分は何をしているのだろう?  この句の放哉と同じ気持ちだったのかもしれません。

 

金子さんの選評は山頭火の当時の状況や文学的背景に基づいた解説。一方、又吉さんはこれまでの人生や経験を切り取ったショートエッセイともいえる内容で、句の奥に見える人間の本質を汲み取っています。ふたりのアプローチの違いもよく出ています。

 

山頭火と放哉の略年譜、どこを放浪したかわかる日本地図、ゆかりある場所のガイドなどもまとめられ、自由律俳句の二大俳人の軌跡が一冊でつかめる構成。山頭火も放哉も人間の弱さ、だらしなさ、鬱屈、可笑しさを短い言葉でポンと提示しています。それはある種、表現することでの肯定。少し心が疲れたら手に取ってみるのもいいかもしれません。

 

【書籍紹介】


孤独の俳句 「山頭火と放哉」名句110選

著:金子 兜太、又吉 直樹
発行:小学館

「孤独」や「孤立」を感じる時代だからこそ、心に沁みる名句がある。漂泊・独居しながら句作を続け“放浪の俳人”と言われた種田山頭火と尾崎放哉の自由律俳句が今、再び脚光を浴びているという。厖大な作品群から、山頭火の句は現代俳句の泰斗・金子兜太が、放哉の句は芸人・芥川賞作家の又吉直樹が厳選・解説。名句を再発見する“奇跡の共著”。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

なぜ京都は湯豆腐が有名なのか? なぜ京都人はパンが好きなのか? 京都の食文化を農学者が語る~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。「そうだ 京都、行こう。」はコピーライターの太田恵美さんが生み出した、JR東海のCMでおなじみのキャッチコピー。まさに言い得て妙で、春でも秋でも冬でもふとしたときに「ああ、京都行きたいなあ」と思うことがよくあります。

 

清水寺や金閣寺といった歴史名所に加え、にしんそば、おばんざい、京野菜といったほかではなかなか食べられないグルメも魅力。私にとって京都は陸続きの場所というよりは、どこかにぽっかり浮かんだ異世界のようなイメージがあります。仕事に疲れて、ここではないどこかに行きたいとき浮かんでくるのが京都なのです。

 

京都の食文化を多彩な角度から分析

さて、今回紹介する新書は、京都の食文化について、風土、人柄、歴史、経済など多彩な切り口で迫る『京都の食文化-歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』(佐藤 洋一郎・著/中公新書)

 

著者の佐藤 洋一郎さんは農学者で京都府立大学和食文化学科特任教授・京都和食文化研究センター副センター長。主な研究テーマは、日本人の米食史・稲作史、食の人類史、作物の起源と伝播、農耕と環境の関係史。『米の日本史-稲作伝来、軍事物資から和食文化まで』(中公新書)、『知っておきたい和食の文化』(勉誠出版)など著書も多数です。

和歌山県出身で京都大学を卒業し、現在京都府立大学に勤務する佐藤さん。現地で調査・聞き取りを行う“フィールドワーカー”として外側から京都を見つめる視点はもちろん、京都の住民として行きつけの店の話題がふとこぼれるなど、京都を中から語る臨場感も出ています。

 

膨大な地下水が京都の食を育む

第1章「京の風土」では、京都グルメのひとつ、湯豆腐が取り上げられています。個人的になぜ京都で湯豆腐が有名なのか、大豆の名産地というわけでもないだろうに……と、私はずっと気になっていました。

 

本書によると、京都盆地の地下には琵琶湖の8割ともいわれる量の地下水が蓄えられ、豆腐や酒など良い水が必要な食品が古くから発達したとのこと。また、京都の水はミネラルの含有率が低い軟水で昆布のうまみを引き出しやすいのだとか。

 

ちなみに西陣にある料亭のご主人が硬水のエビアンとお店の井戸水で昆布だしを取り比べる実験をしたところ、エビアンを使って引いただしは色もうまみも非常に弱かったそうです。確かに水によって育まれる京都の日本酒も美味しいですよね。

 

第2章「京都と京都人」では、京都人の特徴から生まれた京都の食文化を分析しています。実は京都市民はパン好きで、2012年から2016年頃までは政令市・県庁所在地のなかでパンの消費量1位だったそうです。京都といえば和食のイメージが強かっただけに、本書で紹介されているデータには私も驚きました。なぜ、京都でパン、特にサンドイッチをはじめとするおかずパンの人気が高いのかというと……。京都で地元に親しまれているパンを食べてみたくなりました。

 

京都で鱧(はも)が重用されている理由は? 京都で和菓子に与えられた使命とは? 京野菜が今の地位を獲得した背景は?

 

一般的なグルメ雑学本とはひと味違い、食文化の奥にある歴史的・地理的背景をひもとく一冊。それぞれの項目は短めで、文章も親しみやすく読み味は軽めですが、随所に「なるほど!」と納得させられる考察がちりばめられています。京都に遊びに行く際は、あらかじめ読んでいくとご飯がもっと美味しくなるはずです!

 

【書籍紹介】

京都の食文化-歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」

著:佐藤洋一郎
発行:中央公論新社

三方を山に囲まれ、水に恵まれた京都。米や酒は上質で、野菜や川魚も豊かだ。それだけではない。長年、都だった京都には、瀬戸内のハモ、日本海のニシンをはじめ、各地から食材が運び込まれ、ちりめん山椒やにしんそば等、奇跡の組み合わせが誕生した。近代以降も、個性あふれるコーヒー文化、ラーメンやパン、イタリアンなど、新たな食文化が生まれている。風土にはぐくまれ、人々が創り守ってきた食文化を探訪する。

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もっとも危険な場所にある国宝は? 国宝にまつわる意外なエピソード100連発~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。人様のおうちにお呼ばれし、趣味で作ったという茶碗なんかが出てきたら、「いや~、これは国宝級ですね~」なんて持ち上げることがありますが、よくよく考えると国宝ってなんなのでしょうか(笑)。重要文化財とはどう違うのか、いったい誰が決めているのか、国宝になったら国が買い取ってくれるのか……。国宝ということは国の宝で、つまり私も日本国民なので私の宝でもあるわけです、たぶん。

 

馴染みがなかった国宝を知るための本

そんないろいろな疑問も解決してくれるのが、このカラー版 物語で読む国宝の謎100』(かみゆ歴史編集部・著/イースト新書Q)

 

著者のかみゆ歴史編集部は、「歴史はエンターテイメント」をモットーに、雑誌・ウェブから専門書までの編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。主な著書に『日本の神様と神社の謎100』、『日本の仏像とお寺の謎100』(イースト・プレス)、『日本刀ビジュアル名鑑』(廣済堂出版)などがあります。本書は2021年に発売された『物語で読む国宝の謎100』のカラー版です。

カビだらけになってしまった国宝とは?

100個のQ&A方式で国宝が見開き2ページほどで紹介され、パラパラ気軽に読める構成。「Q1 そもそも『国宝』とはどんな制度か?」「Q3 『国宝』『重要文化財』『重要芸術品』一体何が違うの?」など、第1章には基本的な知識が並んでいます。

 

国宝を審議するのは文化庁の「文化審議会(文化財分科会)」。1年に複数件登録されることもあれば、ゼロの年もあるとか。そもそも、文化財保護法に基づき、希少性が高い文化財を「重要文化財」と呼び、そのなかでもさらに価値があるものが「国宝」に指定されるのだそうです。

 

そして第2章以降は「絵画」「彫刻」「工芸品」「考古・古文書」「建造物」と、国宝が分野別にセレクトされています。たとえば第2章「絵画」の最初は「高松塚古墳壁画」。「Q11 世紀の大発見なのにどうしてカビだらけになっちゃったの?」という質問をフックに、その謎を解いていきます。

 

1972年に発見された古墳内の壁画は鮮やかな彩色が残り、特に西壁の女子群像は「飛鳥美人」と称されるほどでした。しかし、石室に短時間人が入るだけで温度や湿度が変化し、1980年にはカビが大量発生してしまったとか。

 

その後、薬品でカビが取り除かれ、今は古墳全体を覆う断熱覆屋と空調設備で温度と湿度が一定に管理されるようになっているそうです。ほかにも厳島神社、犬山城など国宝を維持管理するのも大変だなと思えるエピソードが多く、貴重な宝を次代につなぐのも国宝制度の役割なのでしょう。

 

紹介されているなかで、私ができれば直接現地に行って見てみたいと思ったのは、「Q76 世界一危険な場所にある国宝とは?」で紹介されている鳥取県の「投入堂」こと「三仏寺奥院」。

 

断崖絶壁に無理に押し込まれたかのような建築物で、修験道の創始者・役行者(えんのぎょうじゃ)が、法力で建物を手のひらに乗るほど小さくして岩壁のくぼみに投げ入れたという伝承があるそうです。なんと実際の建築方法はいまだ解明されておらず……。荒々しい自然と神秘の技術が一体になった貴重な遺物です。

 

カラー写真が掲載されているので、色味もはっきりとわかり、馴染みがなかった国宝にも興味がわいてきます。単なる羅列ではなく、人に教えたくなるような話題のタネがQ&A方式で連なっているのが本書の面白さ。カジュアルに国宝を学ぶならこの1冊です。

 

【書籍紹介】

カラー版 物語で読む国宝の謎100

著:かみゆ歴史編集部
発行:イースト・プレス

国宝はいったい誰が、なぜ、どのような基準で決めているのか。博物館や美術展で「国宝」と記載されている作品を見たことがあると思うが、国宝が指定されるようになった背景を説明できる人はあまり多くないだろう。本書では、「この文化財がなぜ国宝となったのか」「どこが貴重なのか」など、国宝にまつわる100の謎を厳選し、カラービジュアル・図解つきでわかりやすく解説。国宝一点一点の美術・資料的価値が、物語・エピソードとして読み解ける一冊。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

平安時代の結婚には聖火リレーのような儀式があった!『平安男子の元気な!生活』

江戸時代はだいぶ資料もあるので、人々がどのような暮らしをしていたか、かなり知られています。けれど、平安時代はまだまだ知らないことも多いはず。恋愛や結婚はどんな感じだったのでしょうか。

光源氏の世界

平安時代の恋愛や結婚と聞いて、多くの人が思い出すのは『源氏物語』ではないでしょうか。これはフィクションとはいえ、平安女性たちが続きを心待ちにしいた物語ですし、当時のトレンディドラマのようなイメージがあります。平安の恋愛模様をかなりリアルに描いていたかもしれないのです。

 

『源氏物語』では、顔も知らないまま姫と文を交わしたり、姫のお屋敷まで会いに行ったり、けれど、姫に面会を断られたりと、女性のほうが恋愛をリードしていたような感じがします。そして、男性は何人もの女性と結婚ができる一夫多妻制でした。これも現代日本と大きく異なるところです。

 

嫁入りではなく婿入りだった

女性が男性に対し交際を許可するかどうかがカギだったらしい平安時代の恋愛模様。それもそのはず、平安時代は嫁入りではなく婿入りをする文化だったのです。『平安男子の元気な!生活』(川村裕子・著/岩波書店・刊)によると、交際は、男性と女性だけの問題ではなく、家の問題であったようです。

 

女性の親は、通ってくる男性がうちの娘にふさわしい格を持っているかをチェックせずにはいられません。なぜなら彼が娘と結婚したら、自分の家に住み込み、家族となるからです。そして男性のほうも、通う女性の家柄や財力を事前に調べてもいたようです。今でいう逆玉の輿婚を狙っていた男性もいたかもしれません。

 

結婚の厳粛なしきたり

諸々乗り越え、お互いの家のお許しも出ると、いよいよ結婚のステップが進んでいきます。本によると、男性は女性の家に三日間通い続けるのだとか。そして第一日目に男性の従者が持っていた灯りを、女性の家の火と合わせるのです。この火は三日三晩消えずに灯され続けるそうです。

 

現代の結婚式でも、新郎新婦が各テーブルにキャンドルを灯して回るセレモニーがあります。これはアメリカで定番のものらしいのですが、平安の日本の結婚式でも似たようなことをしていたとは驚きです。火は、人々の心を温めると同時に、浄化する感じがするからなのでしょうか。

 

オリンピックにも聖火があり、前の開催地から次の開催地へと炎がリレーされます。そしてその火は大会終了までメインスタジアムで灯され続けています。オリンピックの聖火というととても厳粛な感じがありますが、平安の結婚の儀式も、当時の人々にとってとても神聖で特別なイベントだったのかもしれません。

 

男性の衣装が特別

本によると、平安時代も結婚披露宴のような宴も開かれていたそうです。その名は「露顕(ところあらわし)」。しかしここで注目なのは花嫁ではなく花婿の衣装。婿入り先の家で作られた帽子や表着を身に付けて現れるのです。

 

いつもとは違う衣装を身にまとった男性は、雰囲気も変わり、一気に大人びて見えたのではないでしょうか。女性の親御さんたちは、結婚の儀式の間、婿殿の沓(くつ)を抱いて寝たそうです。婿と末長く仲良くいられますようにと愛娘の幸せを願って目を閉じるご両親の心を思うと感動してしまいます。

 

最近は簡略化されることも多いウェディングセレモニーですが、お互いの家の絆を深めたり、両親に感謝を伝えたりすることは大切だなと改めて感じます。この『平安男子の元気な!生活』、現代風の言葉で平安の生活を伝えてくれるのでとても読みやすかったです。『平安女子の楽しい!生活』も出版されているので、そちらも併せて読めばよりこの時代が理解できそうです。

 

 

【書籍紹介】

 

平安男子の元気な!生活

著者:川村裕子
発行:岩波書店

まったりと優雅なイメージがある、平安貴族の男子たち。じつはハードワークな元祖ビジネスパーソンだった!?ゲームやサッカーもセレブのたしなみ?就活ノウハウに出世のヒケツ、バッチバチのライバル対決…。恋とファッションだけじゃない。意外とアクティブな彼らの生活、平安男子たちのがんばりをどうぞご覧あれ!

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江戸時代、お白洲のトホホな事情……お裁きよりも席順が大事!?~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月鮎です。私は大きな企業に勤めたことがないので上座・下座などのマナーには疎く、お店でも「奥の席が空いてるなら座っちゃおう」くらいのタイプです(笑)。でも、上下関係を気にする会社ではそうもいかないようで、上司とタクシーに同乗するときや、エレベーターに乗るときも、どこにポジションを取るか悩みは深いとか。

 

こうした役職による席次のようなものが、実は江戸時代の法廷「お白洲」にもあったと知って驚きました。どういった裁きが行われるかよりも、誰がどこに座るかに役人が心を砕いていたというから、これはある意味日本のお家芸なのかもしれません。

お白洲は裁判所にあらず!?

 

今回紹介する新書お白洲から見る江戸時代 「身分の上下」はどう可視化されたか』(尾脇 秀和・著/NHK新書)は、江戸時代の裁判が行われたお白洲の意外な真実に迫る一冊。

 

著者の尾脇 秀和さんは歴史学者で、神戸大学経済経営研究所研究員、花園大学・佛教大学非常勤講師。『刀の明治維新――「帯刀」は武士の特権か?』(吉川弘文館歴・歴史文化ライブラリー)、『壱人両名――江戸日本の知られざる二重身分』(NHKブックス)などの著書があります。

お白洲には階段はなかった!?

本書では、まず「お白洲」とは何かというところから入ります。『遠山の金さん』を筆頭に、時代劇では庭のような砂利引きの場所に民がひれ伏し、お奉行様が上の座敷で裁きを下す……というシーンが一般的です。

 

しかし、実はお白洲はそんなわかりやすい空間ではなかったようです。個人的には、庭だと思いこんでいた砂利部分が屋根に覆われた室内だった!? というのが意外でした。また、当時の様子を再現した絵も掲載されていますが、遠山の金さんが片肌を脱いで決め台詞を言う際に踏む階段もなかったようです。

 

当時のお白洲は、座敷・上縁(縁側の1段目)・下縁(縁側の2段目)・砂利の4段に分かれ、人々は身分の上下に応じて座る場所が明確に決められていたそうです。もちろん被告が武士で、訴える側が町人でもそれは変わらず。悪いことをした側が上にいて、被害を受けた者が砂利に正座というのは、現代の感覚だと少し違和感がありますね。

 

第3章「武士の世界を並べる――どこで線を引くのか?」では、武士の世界にあった細かいヒエラルキーとお白洲について詳しく触れられています。上級武士は「熨斗目(のしめ)」という腰のあたりに縞や格子模様がある絹の着物が許され、それがステータスシンボルとなっていました。お白洲では上縁に座るのがしきたり。

 

しかし、本来は砂利に座るべき「大名の家臣の家臣(又者)」のなかに、特別に熨斗目を着ることを許された者もいたからややこしい。着物は上級武士でも、幕府から見ると身分は低い。こうした特殊な格付けの武士が評定所(江戸にあった幕府の最高裁判所)に出廷したとき、どこに座らせるべきか? 評定所がきちんと判断を下した史料が引用されています。アルマーニのスーツをビシッと着た課長と、よれよれの一張羅を羽織った部長がいたら? ……みたいな感じでしょうか(笑)。

 

江戸後期になるとお白洲のどこに座るかはより複雑に。もともと神社の神職は下級なら砂利でしたが、時代が下るにつれて力を持ち、帯刀を許されるほどになると砂利ともいかないわけで……。安永七年(1778年)には「訴状を持っていれば上縁、ないと下縁」という内規が発せられたとか。「座席判断自体が、その人物の社会的地位の根拠」として利用される側面があったと尾脇さん。お白州は法廷ではありますが、社会の秩序を明確にする場所でもあったのでしょう。

 

1冊まるごと「お白洲」というワンテーマながら、わかりやすく丁寧な説明で、お白洲が持っていた社会的な意味が明かされていきます。知らなかったことも多く、驚きながら歴史の裏側の勉強にもなる1冊。身分の価値が移り変わっていく様子を、お白洲の史料から読み取るという着目点も非常に面白いところ。

 

また、イレギュラーな身分の民に四苦八苦する当時の役人たちの様子も想像できて、ユーモラスなお役所ものやお仕事ものの雰囲気も感じました。真実の究明よりも、席次のセッティングのほうが大事なんてコントみたいですね(笑)。

 

【書籍紹介】

お白洲から見る江戸時代 「身分の上下」はどう可視化されたか

著者:尾脇 秀和
発行:NHK出版

「これにて一件落着!」。決め台詞でおなじみの「江戸のお裁き」の舞台は、本当はどうなっていたのかー。奉行所の役人が開廷初日に直面したのは、裁判にやってきた人々を身分に応じた座席に振り分ける難事だった。百年以上にわたって記録を書き継ぎ、さまざまな身分の上下を見極めようとした役人たちの熱意の背後に、幕府が守ろうとした社会の秩序と正義のあり方を見出す。「身分制度」への思い込みが覆される快作!

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

鬼ブームのいま、マストアイテムの『日本の鬼図鑑』は読んで使って遊び倒せる最強の1冊だ!

鬼ブームが来ている。『鬼滅の刃』の歴史的ヒットによる波及効果であるのはまちがないだろうけれど、鬼という存在にここまでスポットライトが当てられることがあっただろうか。

 

鬼殺隊派? ひょっとして鬼派?

劇場映画『「鬼滅の刃」無限列車編』の公開から約1年半が経過した今、ブームの主役は竈炭治郎や我妻善逸、そして煉獄杏寿朗など鬼殺隊のメンバーから、鬼舞辻無惨や猗窩座といった鬼キャラに移行したようだ。ビジュアル系っぽかったり、パンクっぽかったりするルックスの鬼たちに、アンチヒーロー的な魅力を感じる人もいるのだろう。『スターウォーズ』のダース・ベイダーが不動の人気キャラであるのと全く同じ感覚かもしれない。こうした背景が追い風となっているのか、鬼にまつわる博物館の設立30周年記念を盛大に祝うための資金を集めるクラウドファンディングも立ち上げられた。鬼萌えしている人たちは、かなり多いのだ。

 

今、鬼にまつわる決してネガティブではないトレンドが顕著になっている。そんな時代ならではの、エポックメイキング的な『日本の鬼図鑑』(八木 透・監修/青幻舎・刊)という本を紹介したい。どんな性質の図鑑なのか。帯には、鬼萌え心をくすぐる文字が並んでいる。

 

人を喰い、都を荒らし、天災をもたらす。しかし、鬼は本当に悪なのか?

 

高木彬光さんとか馳 星周さんのピカレスクロマン小説によく似た響きを感じてしまうのは、筆者だけではないだろう。

 

大人も子どもも楽しめる鬼エンサイクロペディア的図鑑

章立てを見てみよう。

 

序章 鬼とは

一章 鬼の故郷―大江山

二章 退治された鬼

三章 鬼になった人間

四章 広まった鬼

五章 仏教から生まれた鬼

 

そもそも図鑑なので、豊富に掲載されたカラフルな図版を楽しめることは言うまでもない。特筆すべきは、酒呑童子や牛鬼、安達原の鬼婆など代表的な鬼34体の能力がひと目でわかるパラメーターだ。力・頭脳・体格・技術・凶暴性・統率という資質で構成されるレーダーチャートになっている。

 

筆者はさっそく、桃太郎の鬼と金太郎の鬼が戦ったらどうなるかといった鬼同士の妄想マッチを楽しんだ。安倍晴明をはじめとする“鬼バスターズ”も数多く紹介されているので、こちらも対戦相手を変えて、たとえば安倍晴明が安達原の鬼婆と対峙したらどうなるか、といったオリジナルのマッチメーキングも面白いと思う。鬼バスターを組み合わせて最強ユニットの結成を試みるのもいいかもしれない。こうしたプロセスは、年代に関係なく楽しめるにちがいない。読んで使って、遊び倒せる図鑑なのだ。

 

エンタテインメントの向こう側に広がる学術性

もちろんそれだけではない。フォークロアの主人公としての鬼のとらえ方に独自な視線を感じる。民俗学的な検証と宗教学的見地からの解説も読みごたえ十分。エンタテインメントの向こう側に深く揺るぎない学術性が垣間見える構成だ。話の順番が逆になってしまったが、「はじめに」に次のような文章が記されている。

 

鬼は少なくとも悪の象徴であり、反人間的であり、反社会的、反道徳的な存在である。そこまでは間違いないのだが、しかしそれだけで説明できてしまえるほど、鬼は単純な存在ではない。鬼は、実にきわめて複雑で多種多様な顔を有している。本書では日本の鬼について、できる限り多角的な視点からとらえ、かつビジュアル的に理解していただくことを目指した。

 『日本の鬼図鑑』より引用

 

出発点をしっかり刷り込んでおかないと、この本が提供してくれる楽しみ方をあるべき形で受け入れられなくなるかもしれないので、ここは大切。

 

改めて、鬼という存在に思いを馳せてみる

鬼を媒体にして、歴史的・地理的知識がごく自然な形で刷り込まれることを感じた。映画や文学作品に出てきたシーンが甦る瞬間も確実に訪れる。「鬼を切った刀」をはじめとするコラムも魅力的。巻末資料の日本地図を見ると、日本はまさに鬼の国といっても過言ではない。

 

英語版を出したらかなりの話題になるんじゃないだろうか。欧米にも数多い『鬼滅の刃』ファンにアピールするはずだ。あとがきに次のような文章を見つけた。

 

鬼と向き合うことによって、人間が鬼に心を開き、弱さや醜さを抱きながらも、人間としてのあるべき姿に向かって歩み始めたとき、すばらしい善の世界が広がっていることだろう。

     『日本の鬼図鑑』より引用

 

確かにそうなのだろうけれど、筆者がこの本に何よりも感じたのは、高いエンタテインメント性だ。“〇〇の鬼”という表現がある。求道者とか、何かを極めた者というニュアンスで使われることが多い。そこでもう一度、この本の帯に書かれている言葉を思い出していただきたい。鬼は本当に悪なのか? 読み終わった後、改めてそう思う人たちが多いだろうことは、もうわかっている。

 

【書籍紹介】

日本の鬼図鑑

著者:八木 透(監修)
刊行:青幻舎

日本固有の存在で、人々を恐れさせた「鬼」はどうして生まれたのか? 忘れてはならない鬼から、鬼でもあった神、悲しい運命の鬼や愛すべき鬼まで。約150点のビジュアルを掲載し、鬼研究唯一の団体「鬼学会」の全面協力により第一人者が語り尽くす。これ一冊で鬼の全てがわかる。

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なぜ縄文の立体的な動物像は、弥生で平面的になったのか? 比べれば日本の原点が見えてくる~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。もしタイムマシンが完成して、好きな時代に旅行できるようになったらみなさんはどちらのツアーに行きたいですか? 「A:一泊二日縄文ツアー」「B:一泊二日弥生ツアー」。

 

縄文時代だったらイノシシ狩りをして、オリジナル土器を作るキャンプのような体験ツアー。弥生時代だったら米を収穫して、銅鐸を鳴らすお祭りを見物……。それぞれどちらも魅力的。遠い未来、世のお金持ちは宇宙旅行に飽きて時空旅行を目指すかもしれません。

縄文と弥生の比較から浮かび上がる日本の原点

 

そんな妄想はさておき、今回紹介する新書は縄文vs.弥生 先史時代を九つの視点で比較する』(設楽 博己・著/ちくま新書)。著者の設楽博己さんは、縄文・弥生時代を研究する考古学者で東京大学名誉教授。『弥生再葬墓と社会』(塙書房)、『縄文社会と弥生社会』(敬文舎)、『顔の考古学』(吉川弘文館)など著書も多数です。

 

稲作が日本にもたらした変化とは?

縄文時代と弥生時代の一番の違いは、大陸から水田稲作の技術が渡来したこと。これによって生活スタイルを含め、さまざまな面で変化が起こりました。

 

第2章では、労働としての漁「漁撈(ぎょろう)」に焦点が当てられています。稲作ばかりがクローズアップされますが、漁のやり方も縄文と弥生では異なるのですね。

 

縄文時代の漁はいわば「攻める漁撈」だとか。縄文後期に三陸海岸で発明された「燕形銛頭」は、その名の通りツバメのような形をしたカエシがついていて獲物から抜けにくくなっています。設楽さんいわく「ノーベル賞があったら受賞したに違いない」という傑作で、現在でも同じ形が引き継がれているそうです。この銛のおかげで、縄文人はサメやマグロ、クジラやトドまで仕留めていたというから驚きです。

 

一方で、弥生時代の漁は「待つ漁撈」。川から引いてきた水路に杭と横木を使って水をせき止め、すのこを置いて魚を自動的に捕獲するという作戦。水田が開発された弥生時代ならではの農業と一体になった手堅い漁のスタイルといえるでしょう。

 

本書のなかで私が一番関心を引かれたのは、第8章「立体と平面――動物表現に見る世界観」。縄文時代には粘土で立体的な動物の像が作られていましたが、弥生時代になると動物は土器や銅鐸の表面に線で描かれるようになります。

 

立体から平面へ。その理由を設楽さんは、縄文時代は森という立体的な空間から資源を得ていたのに対し、弥生時代は森を切り開き水田が広がる平板化した生活へ移行したから、と分析します。稲作の浸透によって世界の見え方も変わったという考察は新鮮に思えました。

 

死者に対する埋葬方法の変化、戦争や首長制社会が生んだ格差、土偶が伝える先史のジェンダー……。現代的な視点から縄文時代と弥生時代を比較することで、日本の“今”につながる原点が見えてきます。

 

その道の権威が、かみ砕いて研究内容を紹介してくれる一冊。専門用語が使われていてやや堅い印象もありますが、テーマ設定が具体的で図版も多く、当時の社会がイメージしやすくなっています。縄文と弥生の情報が詰まった専門書とガイドブックの中間といった雰囲気。この本でしっかり予習してからタイムトラベルに行きたいですね。

 

【書籍紹介】

縄文vs.弥生 先史時代を九つの視点で比較する

著者:設楽 博己
発行:筑摩書房

縄文から弥生へ人々の生活はどのように変化したのか。農耕、漁撈、狩猟、儀礼、祖先祭祀、格差、ジェンダー、動物表現、土器という九つの視点から比較する。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」中世軍事考証担当者が解き明かす、これまで語られなかった武家政権成立史!

『鎌倉草創 東国武士たちの革命戦争』は、頼朝の挙兵から幕府の創設、承久の乱で朝廷軍に勝利するまでの40年にわたる武家政権誕生の軌跡とその本質を、2022年のNHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で中世軍事考証を担当する著者が考察を交えつつ論じます。

 

さまざまなギモンが氷解! “腑に落ちる”鎌倉幕府成立史

 この年の十月七日、頼朝は伊豆・相模・武蔵と房総三国の武士たちを率いて、鎌倉に入った。石橋山での敗戦から二か月を経ずして、革命軍は南関東一円を実効支配下に置いたのである。かかる驚異的な勢力回復が、なぜ可能だったのだろうか。実は、この頼朝の驚異的な回復にこそ、鎌倉幕府成立のカギが隠されている。そのカギをさぐる上でもっとも大切なポイントは、武士たち――武を生業とする戦士階級――が結集してつくった軍事政権、という幕府の本質的な属性である。
(第一章「折れた革命」より)
歴史好きの方にとっても、戦国や幕末に比べると、深くは理解できていないであろう鎌倉幕府成立期。たとえば多くの方は以下のような疑問を抱いているのではないでしょうか。

・石橋山で惨敗した頼朝は、なぜ瞬く間に勢力を回復し、再び平氏打倒の軍を結集し、平氏打倒を実現できたのか?
・義経は天才と言われるが、具体的にどこがどのように天才だったのか?
・頼朝はなぜ、朝廷を打倒しなかったのか?
・幕府の実権を握った北条氏はなぜ、お飾りの将軍を担ぎつづけたのか?
・鎌倉幕府の成立は結局いつと考えればよいのか?

 

本書では、鎌倉幕府を、「武士たちがつくった軍事政権」との事実から読み説いていくことで、その本質に迫ります。また、その過程でこうしたギモンも解消していきます。

 

著者は戦国期の軍事と城の専門家。戦国史ファンにこそ読んで頂きたい武家政権成立の物語

著者は『戦国の軍隊』『東国武将たちの戦国史』『パーツから読み説く戦国期城郭論」など、中世の軍事と城郭に関する本を多数出しており、大河ドラマでは、2016年の『真田丸』では戦国軍事考証を、そして今年の『鎌倉殿の13人』では中世軍事考証を担当しています。

 

戦国時代と鎌倉時代は、同じ中世といはいえ400年もの隔たりがあります。武士たちが甲冑を着て弓矢や刀剣で戦うのは共通していても、戦い方も軍事力の構成もまるで別物。本書では当時の戦いや戦略・戦術についても考察しており、その点からは、戦国史ファンにぜひ読んで頂きたい1冊でもあります。

 

[商品概要]
鎌倉草創 東国武士たちの革命戦争
著者: 西股総生
定価: 1760円 (税込)【本書のご購入はコチラ】
・Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4651202012/
・楽天 https://books.rakuten.co.jp/rb/16980237/
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癒しじゃないの? 江戸時代「レンタル猫」の意外な仕事——『絵で見る江戸の女子図鑑』

江戸時代の人はリサイクルを考えたり、おしゃれに気を使っていたりと、現代に近いところがあります。そして江戸時代の女性の職業にも、現代とかなり通じるものがあったようです。

 

働く江戸の女性

江戸時代の女性の仕事と聞くと、ついつい思い浮かぶのは大奥でのおつとめや吉原の花魁など、華やかな世界です。しかし、庶民の世界でも女性は大活躍していました。

 

江戸時代の絵には、行商で、魚やアメなどさまざまなものを売り歩く女性の姿が多く描かれています。また、小間物屋や茶屋などで忙しく働く女性も大勢いました。時代劇にもよくお茶屋の娘さんが出てきますよね。

 

江戸時代のレンタルペット「猫屋」

絵で見る江戸の女子図鑑』(善養寺ススム・著/廣済堂出版・刊)の「女性の生業百姿」の項目には、江戸時代の女性の仕事がたくさん紹介されています。それを見ると、当時の賑やかさが垣間見えるようで、楽しくなります。

 

なかでも驚いたのは「猫屋」。猫を売ったり貸したりする仕事があったようなのです。当時はウサギをペットとして飼うのが大流行していて、かなりの高値で売買もされていたようですが、猫を売る女性もいたのですね。

 

現代でもレンタルペットという業種がありますが、これは寂しい現代人のひとときの心の癒しのために貸し出されているもの。しかし江戸時代は、猫はネズミよけに貸し出されていたそうで、また別のニーズがあったようです。

 

江戸時代のスタイリスト「すあい」

また、依頼を受けて着物や小物を仕入れ、コーディネートをして販売する「すあい」という仕事もありました。本には「セレクトショップのようなもの」とあるので、彼女が買い付けてくる品を楽しみにしている女性たちもいたのでしょう。

 

江戸時代の女性はアクセサリーは髪飾り以外はほとんど付けなかったというので、きっと素敵な櫛やかんざしなどもあったことでしょう。買い付けは国内に限られていたのかそれとも舶来品もあったのかも気になるところです。

 

江戸時代の結婚相談所「口入れ屋」

新鮮だったのは「口入れ屋」です。口入れ屋が職業紹介業だということは知っていたのですが、なんと結婚相手も紹介してくれていたそうなのです。ハローワークと結婚相談所の兼業は、考えようによってはとても合理的です。たとえば同業の人と結婚したいというニーズにもすぐに応じることができそうです。現代日本でもこうした形態の業種があってもいいのかもしれません。

 

さらに、長屋に入居する際の保証人にもなってくれていたそうなので、人を介するよろずのことに関わっている奥深い職業だったようです。転職、結婚、転居と人生のさまざまな転機に口入れ屋が寄り添っていたことが想像できます。

 

江戸時代のプロデューサー「御次」

大奥にも興味深い役職がありました。「御次(おつぎ)」という、大奥での宴会の準備をしたり、自らも芸を披露したりする係です。さまざまな芸をすることができ、さらに周囲の心をひとつにして場を盛り上げる技術なども必要とされたので、芸人としてだけでなく、イベントプロデューサーとしての業務も担っていたようです。

 

本によるとイベントは季節ごとに行われていたようなので、どのような演出にするか毎回趣向を凝らしていたのではないでしょうか。また、芸を行う様子を見初めた大名などからお声がかかることもあったそうで、大抜擢されるチャンスのある魅力的な地位だったようです。

 

江戸時代でも女性はさまざまな工夫をしながら仕事をこなしていたであろう様子が伝わってくると、こちらも頑張ろうという気持ちにさせられます。現代は江戸時代よりはずっと職業選択の幅も広がり、自分がやりたいことに挑戦する機会もたくさんあり、江戸時代の女性たちから見たらうらやましく思われるところもあるのかもしれません。

 

【書籍紹介】

絵で見る江戸の女子図鑑

著者:善養寺ススム
発行:廣済堂出版

錦絵のリメイクを中心に、江戸時代に生きた女性たちのくらしとファッションを解説。習い事いっぱいの江戸娘。三行半だけじゃ離婚できない!女性の仕事いろいろ。江戸時代に着物や髪型はいろいろ変わった!

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じつは化石の宝庫の沖縄で、旧石器時代のドラマとロマンに魅了される−−『島に生きた旧石器人 沖縄の洞穴遺跡と人骨化石』

今から30万年前、人間の祖先はアフリカで暮らしていたと言われています。その中の一部の人びとが故郷を離れ、移動を開始しました。その波は東アジアにまで及び、4万年前、もしくは3万年前ごろ、海を渡って沖縄の島々に到達したとのことです。学生のころにそれを知った時、いつかは沖縄に行き、遺跡を見てみようと決心しました。けれども、その後、結婚して息子が生まれると、子育てや育児に忙しく、沖縄の遺跡のことなどすっかり忘れてしまいました。人類の祖先より、目の前にいる赤ん坊の方が大切だったからです。

 

港川フィッシャー遺跡を探しあてた人

それからおよそ40年後、夫が退職記念に、沖縄の「港川フィッシャー遺跡」に行こうと言い出しました。旧石器時代を代表すると言われる遺跡を是非、見てみたいと言うのです。「港川人と言われてもねぇ、知らない人だし」と、ノリが悪い私に、夫はそこがどんなに大変なところか熱弁をふるい、録画してあったテレビ番組まで見せてくれました。こんな時、夫は旅行会社の営業マンのようです。人類学を教えていただけあって、授業するかのように情熱をこめて話します。単純な私は、次第にそんなに大切なものなら見ずになるものかという気持ちになってしまいました。

 

せっかく行くのだから、知識を仕入れておかねばと『島に生きた旧石器人 沖縄の洞穴遺跡と人骨化石』(山崎真治・著/新泉社・刊)を読みました。そして、心底驚きました。単に旅行の下調べをしようとして手に取っただけなのに、そこには驚きの内容が書かれていたのです。

 

まず、港川人を発見したのは、考古学の専門家ではなく、大山盛保(おおやま・せいほ)という一人の考古学ファンだったということに驚きました。彼は沖縄の北中城村に生まれ、15才のとき、家族とカナダに移住します。森林を切り開き、農場を経営するようになっていたのですが、日米の開戦によって、全財産を没収され、収容所での生活を余儀なくされます。そして、戦後、故郷である沖縄に帰ってきます。さぞや絶望していただろうと思いますが、彼は負けませんでした。カナダで培った英語力を生かし、通訳として活躍し、ガソリンスタンドなどを手広く経営する実業家として成功をおさめたのです。

 

ひたすらに商売に励む日々で、学問には縁のない日々を過ごしていました。ところが、1967年、55歳を目前にしたころ、大きな転機が訪れます。所有していた農園に溜め池をつくろうと買い取った石灰岩の中に、動物の化石があることに気づいたのです。興味を持った大山は、その石がどこから来たのか調べ、沖縄県具志頭村(現在の八重瀬町)で切り出された石だと突き止めます。それだけではありません。自ら発掘しようと決心するのでした。持ち前の好奇心に火がついたのでしょう。忙しい仕事の合間をぬって採石場に通い、ひたすらに発掘を続けます。そして、とうとう、のちに上部港川人とよばれる人骨の断片を発見します。

 

彼は誰かに頼まれて発掘したわけではありません。費用も自分でまかない、家族や社員の助けを借りて、ひたすらに地面を掘り続けました。何かがあるという勘が働いたのでしょうか? それとも、発掘が楽しくてたまらなくなったのでしょうか? 色々と考えを巡らせているうち、私は港川人の存在よりも、大山盛保という人物に魅了されていきました。

 

大山盛保という人物

考えてみると、考古学上、世紀の大発見を果たしたのは、専門家とは限りません。岩宿遺跡の発見者として名高い相沢忠洋も、もとは行商しながら、独学で考古学の研究を行っていました。ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターも、高等教育を受けてはいませんでした。彼らは一人で学び、自分の勘に従ってスコップをふるい、偉業を成し遂げたのです。

 

感心するのは、彼は発見を自分の手柄として独占することなく、東京大学の渡邊直經(わたなべ・なおつね)教授に知らせ、組織的な発掘調査を行うようにお願いしています。さらに、2年後の1970年には、慶應義塾大学で開催された九学会連合シンポジウムで、沖縄の旧石器人骨の調査結果が発表され、討議が行われました。残念ながら、そのときは、「まだ旧石器時代のものと断定することはできない」という評価がくだされます。それでも、大山はあきらめませんでした。さらに発掘を続け、シンポジウムの2か月後、再び採石場で人骨を、それも頭の骨を発見したのです。

 

島に生きた旧石器人 沖縄の洞穴遺跡と人骨化石』には、彼が頭の骨を発見したときの様子が書かれています。とくに興味深いのは、彼の手帳が掲載されていることでした。青いインクで細かく記されたメモを読むと、彼は、1970年8月10日、午後5時まで本業である給油所協会の役員会に出席していました。忙しい毎日を送っていたことが伝わってきます。しかし、会議が終わると港川遺跡に向かい、いつものようにスコップをふるいます。そして、地下約20メートルの地点で、完全な化石頭骨と人骨を発見したのです。その後、行われた木炭の放射性炭素年代測定によって、この骨が確かに2万年前の旧石器時代のものであると証明されました。

 

その後、さらに4体分の全身骨格を含む人骨が発見され、専門家による検証の結果、遺跡のある場所にちなんで港川人とよばれるようになりました。東京大学人類学教室を主宰した鈴木尚教授も、港川人は日本列島の旧石器人を代表するものと認めます。それだけではありません。大山へ次のような賛辞を送っています。

 

鈴木は大山の発見について、オランダの人類学者デュボアによるジャワ原人の発見(一八九一年)にも匹敵する「特記すべき成果」と最大限の賛辞を送っている

(『島に生きた旧石器人 沖縄の洞穴遺跡と人骨化石』より抜粋)

 

もはや素人の考古学者ではありません。

 

港川人の謎

港川人には、いまだいくつかの謎が残っています。旧石器時代の人骨であることは実証されたのですが、発見されたのは人骨だけで、彼らが使っていたであろう旧石器が発見されていません。

 

さらに、なぜ数体分の人骨が、まとまってフィッシャー(崖の割れ目)から発見されたかについても、意見が分かれています。鈴木は人骨に残された損傷から、港川人は「食人」の犠牲となったのではないかという考えを述べています。一方で、大山は港川周辺で暮らしていた人びとが、洪水などの天変地異によって、崖の割れ目に流し込まれてしまったのではないかと考えました。

 

いずれの説が正しいかは、今後の研究を待つ他ありません。けれども、『島に生きた旧石器人 沖縄の洞穴遺跡と人骨化石』のおかげで、私は沖縄が化石の宝庫であり、港川人とよばれる人びとが暮らしていたことを知りました。もちろん、いまだ謎は残ります。沖縄に最初に住むようになった人びとが、いったいどこから来て、どうして滅んでしまったのかについても、わかっていません。けれども、たくさんの人びとが、それぞれの立場からその謎を解こうと必死になっている様子を思い浮かべると、胸がワクワクしてきます。港川人をその手で発掘した大山盛保も、その思いに支えられ、炎天下のもとでもスコップをふるったに違いありません。

 

『島に生きた旧石器人 沖縄の洞穴遺跡と人骨化石』には、他にも興味深い遺跡が取り上げられています。石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡、そして、沖縄島南部のサキタリ洞窟遺跡です。どちらも、いずれ行ってみたいと思っています。いつかコロナの影響が収拾し、自由に旅ができるようになる日が来るまで、今から準備怠りなく過ごしたい、それが私の最近の楽しみとなりました。

 

【書籍紹介】

 

島に生きた旧石器人沖縄の洞穴遺跡と人骨化石

著者:山崎真治
発行:新泉社

アフリカを旅立ち、東アジアに拡散した現生人類は、四万~三万年前、海を渡って沖縄の島々へ到達した。石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡と沖縄島のサキタリ洞遺跡からみつかった人骨化石や貝器から沖縄人類史の謎に迫る。

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江戸で起きた旅行ブーム! 旅行ガイド片手にお買い物は今と同じ!?~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。みなさんが旅行するときの一番の楽しみは何ですか?  行く場所や時期によっても変わってきますが、私は温泉でしょうか。あとは、その土地の美味しい食べ物。これがあればほぼ満足です。次の日は御利益がありそうな由緒ある寺社を巡って、おみやげを買って帰る。心を満たしてくれる旅行っていいですね。

 

旅行は日常のスパイス!

思わず笑ってしまったのは、この旅行の目的が江戸時代の庶民と同じだったこと。温泉や寺社巡りが旅行の主目的で、江戸に来た女性たちは買い物も楽しんでいたとか! 人って変わらないものですね。

 

江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ』(安藤 優一郎・著/朝日新書)の著者・安藤優一郎さんは主に江戸をテーマに執筆・講演活動を行う歴史家。『大名庭園を楽しむ お江戸歴史探訪』(朝日新書)、『大名格差 江戸三百藩のリアル』(彩図社)など著書多数。今回は江戸時代の旅行ブームをわかりやすく紹介しています。

 

江戸の庶民のパックツアーとは?

泰平の世だった江戸時代は、武士も庶民も観光旅行を謳歌でき、日本史上初の旅行ブームが起きたそうです。その中心を担っていたのは寺社。第1章「庶民の旅の表と裏」では、ブームの秘密に迫ります。

 

江戸時代は寺社の信徒が集まる「講」という組織が発達し、講の代表メンバーがその寺社に参拝する団体旅行が盛んになりました。たとえば成田山新勝寺への参詣は江戸から片道一泊二日の日程。

 

成田山にとって講のメンバーは大切なお客様で、出される精進料理はかなり豪華だったとか。文政九年(1826年)の記録では、煮染め、吸物、大鉢、丼……などが振る舞われ、吸物の具は千本しめじ、白玉、貝割り菜、うど。大鉢にはブドウと梨が盛られていました。信徒の集まりといっても講の組織はゆるく、「いわばファンクラブ」だったと著者の安藤さん。きっと信仰は二の次で、旅行をしたくて入っていた庶民もいたような気がします。

 

こうした旅行を組織したのが寺社と信徒の仲介役である「御師(おし/おんし)」という神職で、今で言うところの旅行代理店のような存在。勧誘する際には海苔、鰹節などの日常品や女性にはおしろいがプレゼントされたそうで、寺社間でのツアー客獲得競争があったのを想像すると面白いですね。

 

本書で一番興味深かったのは第2章「買い物、芝居―したたかな女性の旅」。「入鉄砲に出女」という言葉があるように、“関所を越える女性はほとんどいなかった”という江戸時代のイメージが覆されました。

 

女性が関所を越えて移動する際に必要な「女手形」の発給は非常に面倒。しかも、関所では手形に記された容姿と照らし合わせ、着物を脱がせたり、髪を解かせたりして厳しい身体検査をします。そこで女性たちは「袖元金」という金銭(5~6000円くらい)を渡して、取り調べを簡単にパスしていたのだとか。

 

こうして江戸へ出てきた女性は芝居小屋や日本橋、神田明神など定番の観光コースを巡り、『江戸買物独案内』といった買い物ガイドをチェックしては呉服、錦絵、浅草海苔などをショッピングしていたそうです。感覚としては今の海外旅行に近かったかもしれないですね。

 

本書はテーマが身近で親しみやすく、江戸時代の人々の生活が色鮮やかに伝わってきます。現代の私たちが想像しやすい例えが多く使われていて、歴史本特有の堅さがないのも本書の良さ。2~300年前も旅行が日常の刺激だったことがわかり、ふと気持ちが晴れるような一冊でした。

 

 

【書籍紹介】

『江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ』

著者:安藤優一郎
発行:朝日新聞出版

日本人の旅行好きは江戸時代から始まった! 農民も町人も男も女も、こぞって観光旅行を楽しんだ。その知られざる実態と背景を詳述。土産物好きのワケ、関所通過の方法、飲食・名所巡りのお値段、武士や大名は…? 誰かに話したくなる一冊!

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

銀座はベッドタウン、渋谷は別荘地だった!?東京の意外な秘密に迫る~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。私は趣味でよく散歩をしているのですが、歩いているとたくさんの疑問が浮かんできます。「どうしてこんな地名が付いたんだろう?」「なぜこの街外れに飲食店が並んでいるのだろう?」。

 

街には謎が転がっている!

何年も住んでいる街でも、その成り立ちや発展の経緯は知らないことが多いですよね。今回の東京の謎(ミステリー) この街をつくった先駆者たち』(門井 慶喜・著/文春新書)は、関東圏に住んでいる読者なら「なるほど!」と膝を打つ新書です。

 

 

著者の門井慶喜さんは、『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞した作家。徳川家康の命を受けた家臣と職人たちが江戸の基礎を作り上げていく連作短篇『家康、江戸を建てる』でもおなじみです。本書はウェブ連載のコラムをまとめた一冊。広く深い知識によって、東京の謎が露わになっていきます。

 

渋谷は閑静な別荘地だった!?

「なぜ三菱・岩崎弥太郎は巣鴨を買ったのか」「なぜヱビスビールは目黒だったのか」「なぜ新宿に紀伊國屋書店があるのか」。タイトルだけでもそそられるものばかり。なかでも私が驚いたのは銀座について。「なぜ銀座は一時ベッドタウンになったか」。日本屈指のブランド街・銀座が、実は明治時代初期に一時期ベッドタウンになっていた事実とその理由が明かされます。

 

もともと銀座は、徳川幕府の銀貨鋳造所があった場所。しかし、明治政府によって、貨幣を製造する機関は「造幣寮(現在の造幣局)」として大阪に移転となりました。

 

役割を失い、真空地帯になった銀座。明治5年の大火災で街そのものが焼けたこともあり、時の政府がレンガ造りの住宅街をズラリと建て、いわば日本初のベッドタウンにしたのだとか。そもそもなぜ造幣寮が大阪に移ったのか、その背景も推理されていきます。今となっては銀座に住むなんて庶民にとっては夢のまた夢ですよね。

 

銀座と同じく、後に繁華街として東京の顔となる渋谷。「なぜ五島慶太は別荘地・渋谷に目をつけたのか」のコラムも、“街”とは何かを考えさせられました。もともと渋谷は大名の下屋敷や旗本の別邸が多かった、いわば別荘地。谷が多く起伏に富んだ地形で庭園内の築山が作りやすく、湧き水があり池も枯れないため、眺めを楽しむ別荘地向きだったというのは意外でした。

 

この静かな場所を今のような繁華街に変えたのが、東京急行電鉄(東急)の実質的な創業者である五島慶太。彼の人生と渋谷という街のあり方が重なっていく、その語り口に引き込まれます。

 

本書は東京に関する雑学コラムですが、小説のように各エピソードが生き生きと描かれ、物語が転がっていくような感覚があります。もちろん歴史事実もしっかり折り込まれ、読後の納得感も抜群。ひとつひとつの街に関わった人物のドラマが浮かび上がり、壮大な小説の一端を覗いた気分になります。

 

時代によって移り変わって行く街の役割。かつての名残(人の営み)が感じられるのが、街を観察する楽しみなのかもしれません。

 

【書籍紹介】

『東京の謎(ミステリー) この街をつくった先駆者たち』

著者:門井 慶喜
発行:文藝春秋

『家康、江戸を建てる』『東京、はじまる』など、江戸・東京に深い造詣をみせる筆者が、東京の21の地域について過去と現在とを結び、東京の「謎」を解き明かす。回ごとに東京と町を築き上げてきた巨人たちとの交差が描き出されます。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

 

100年前も今も変わらない? 芥川龍之介・与謝野晶子・菊池寛…文豪たちの遺した言葉から見る感染症

現在、世界中の人々は先の見えないコロナ禍で日常生活を一変させられ、不安な日々を送っているが、100年前も世界は同じような状況にあった。スペイン風邪は1918年から1920年にかけて世界を襲ったインフルエンザ・パンデミックで、世界人口の3割近くが感染し、死者は1億人を超えていたと推定されている。

 

文豪と感染症』(永江 朗・編/朝日新聞出版・刊)は、芥川龍之介、秋田雨雀、与謝野晶子、斎藤茂吉、永井荷風、志賀直哉、谷崎潤一郎、菊池寛、宮本百合子、佐々木邦、岸田國士という11人の文豪が、スペイン風邪のパンデミックに直面した際に感じた恐怖、それぞれの感染対策を小説やエッセイ、日記の中で綴ったものを集めた1冊。読んでいるとまるで現在を見ているようで、人間はあまり変わっていないことに驚いてしまう。

日本人の記憶から消えたスペイン風邪

編者の永江さんが調べたところ、日本ではスペイン風邪による死者はなんと関東大震災の4倍もあったそうだ。

 

日本国内だけでも患者数二三〇〇万人、死者三八万人。一九一八年から二〇年ごろの日本の人口は五五〇〇万人ぐらいですから、現代でいうと八〇万人ぐらいの人が亡くなっている感覚です。(中略)ところが不思議なことに、「スペイン風邪」はいまひとつ印象が薄いんですね。

(『文豪と感染症』から引用)

 

1923年に起こった関東大震災は視覚的な衝撃が大きいので写真などを見て人々の記憶に長く残ったが、スペイン風邪は目に見えない。ウイルスの存在は見えず、感染症に罹り衰弱していく人々も、外見上の変化はそれほどなかったことが印象を薄くしているのではないかと永江氏は言う。

 

けれども、スペイン風邪を扱った作家たちの文章を集めてみて、当時の人たちはけっして感染症に鈍感ではなかったし、恐ろしさについて無知ではなかったことをあらためて知ったそうだ。では、いくつかを紹介してみよう。

 

芥川龍之介の書簡

芥川龍之介は二度もスペイン風邪に感染し、その病状は深刻で、友人への書簡には辞世の句も書いていたそうだ。感染により、体調は最悪にもかかわらず、小説を書かなければかならない、療養に専念出来ない辛さが、知人たちに宛てた書簡から伝わってくるのだ。

 

僕は今スペイン風でねています うつるといけないから来ちゃ駄目です 熱があって咳が出て甚苦しい。

胸中の凩 咳となりにけり

 十一月三日 鎌倉から 小島政二郎宛(葉書)

スペイン風でねていますが熱が高くって甚よわった病中髣髴として夢あり退屈だから句にしてお目にかけます。

凩や大葬ひの町を錬る

まだ全快に至らずこれもねていて書くのです 頓首

 十一月五日 鎌倉から 小島政二郎宛(葉書)

(『文豪と感染症』から引用)

 

芥川が肺炎で苦しむ様子がひしひしと伝わってくる。本人は幸いにして治癒したが、実父はこの感染症で亡くなったそうだ。

 

与謝野晶子はありとあらゆる予防を徹底した

本書に収録されている「感冒の床から」「死の恐怖」という2篇は新聞に寄稿した与謝野晶子の文章だ。与謝野晶子と鉄幹夫妻は子だくさんだったため、感染への恐怖を感じ、万全の対策をしていたが、それでも小学生だった子どものひとりが伝染したことがきかっけで、家庭内感染を経験している。晶子は学校、さらには政府の対応の遅さを強く批判していた。

 

生徒が七分通り風邪に罹って仕舞って後に、漸く相談会などを開いて幾日かの休校を決しました。どの学校にも学校医と云う者がありながら、衛生上の予防や応急手段に就いて不親切も甚だしいと思います。

(『文豪と感染症』から引用)

 

また、スペイン風邪は高熱を放置しておくと肺炎を誘発するので、解熱剤を服用して進行を止める必要があるとも訴えていた。しかし、当時、最上であった解熱剤は薬価の関係から庶民はなかなか服用できなかったそうだ。

 

こう云う状態ですから患者も早く癒らず、風邪の流行も一層烈しいのでは無いでしょうか。官公私の衛生機関と富豪とが協力して、ミグレニンやピラミドンを中流以下の患者に廉売するような応急手段が、米の廉売と同じ意味から行われたら宜しかろうと思います。

(『文豪と感染症』から引用)

 

貧しいというだけで有効な薬を服すことができず、余計に苦しみ、危険を感じるということは不合理だと記している。

 

与謝野晶子の文章を読んでいると100年前と現在の状況が重なってくる。彼女がもし今生きていたら国の対応を強烈に批判したに違いない。

 

菊池寛の「マスク」

「マスク」はスペイン風邪の流行化での実体験を元に描かれた短編小説だ。主人公である”自分”は頑健に見えるが、実は心臓も肺も胃腸も弱い。さらに医者から、流行性感冒に罹って40度くらいの熱が3~4日続けばもう助かりっこありませんね、などと言われ、怯えてしまう。そこで自分は極力外出しないようにし、どうしても用事で出かけなくてはならないときはガーゼを沢山詰めたマスクを掛けた。感染のピークが過ぎ、マスク姿が減ってもなお自分はマスクを外すことができなかった。

 

「病気を怖れないで、伝染の危険を冒すなどと云うことは、それは野蛮人の勇気だよ。病気を怖れて伝染の危険を絶対に避けると云う方が、文明人としての勇気だよ。誰も、マスクを掛けて居ないときにマスクを掛けているのは変なものだよ。が、それは臆病ではなくして、文明人としての勇気だと思うよ」自分は、こんなことを云って友達に弁解した。

(『文豪と感染症』から引用)

 

そんなことを云っていた自分だったが、やがて季節が巡って陽気がよくなり、マスクを外すことになると、たまに目にする他人のマスク姿に逆に不快感を抱くようになってしまう。マスク着用に関する複雑な感情を菊池寛は見事に描いている。

 

本書には、この他にも読み応えのある小説、エッセイの数々が収録されている。文豪たちが書き残してくれた100年前の記憶を私たちはうまく受け継ぐことができなかったと読後に感じるかもしれない。ならば、今後、私たちは今の新型コロナウイルス感染症を未来にどう伝えていけるのだろうと編者の永江氏は皆に問いかけている。

 

いつかは訪れる感染症の収束を願いつつ、100年前と今を比べながら読みたい1冊だ。

 

 

【書籍紹介】

文豪と感染症

著者:永江 朗
発行:朝日新聞出版

100年前、日本の文豪たちは20世紀最大の感染症・スペイン風邪に直面していたー。病に暴された芥川龍之介は辞世の句を詠み、菊池寛はマスクを憎悪し、与謝野晶子はソーシャルディスタンスを訴える!? 現況と重なる感染症の記録を日記から小説まで収録。

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城好き必読! 舞台裏も公開! 城郭イラストの第一人者と城郭研究家が語る復元イラストの魅力

『歴史群像』の人気連載「戦国の城」の復元イラストを中心にまとめた香川元太郎氏の城郭イラスト集『ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 戦国の城』が8月下旬に発売になりました。

 

本書掲載の105城には、40名近くの監修者にご協力を頂いていますが、最多の18城を監修されているのが城郭研究家の中井 均氏です。香川氏とは20年以上にわたりタッグを組み、近年は城のイベントもよく一緒に登壇されていますが、本格的な対談は意外にも今回が初めてとのこと。

 

それぞれの立場でお城の楽しさを発信され続けておられるお二人に、復元イラストの魅力、意義、苦労、そして今後について伺いました。

※本対談は、『歴史群像』169号(2021年9月発売)よりタイトルを一部変更して転載したものです。

 

(取材・構成=歴史群像編集部)

 

最初は否定的だった?

――お二人が小誌の城郭再現イラストで初めてタッグを組まれたのは2000年秋冬号掲載の小谷<おだに>城ですね。

 

香川 はい、そうだと思います。まだ歴史群像(以下歴群)が季刊誌でした。

 

中井 しっかり記憶に残ってます。小谷城で初めて香川先生とお仕事したときに、お城を知っているイラストレーターの先生だと出来上がりが全く違うぞと、強く思いましたので。

 

――戦国期の山城の復元イラストについて、お二人の場合の制作過程を教えてください。

 

中井 私が一緒にお仕事をするときは、まず編集者を通じて縄張図をお渡しします。香川先生はその縄張図から、最初の下絵を起こされるんだろうと思います。

 

香川 そうですね。今回の本にも収録されている赤穴瀬戸山<あかなせとやま>城を例にすると、最初に中井先生から縄張図が送られてくる訳です。勿論、縄張図だけでなく、復元のポイントもいただきます。ここはこう描いてほしいとか、一番中心の曲輪<くるわ>についての捉え方は色々あるけど、全体を天守台と考えてもいいだろうとか。そういう要点も伺って図面を起こし始めます。具体的には、各曲輪の推定の標高を縄張図の上に赤で描き込んで、次に碁盤の目を描いて、城を見る方向を決めます(図1)。これは中井先生や編集部とも相談することもあります。それを今度は斜めから見たパースに起こして、立体化した下絵にします。さらに、そこに建物案を赤で描き込んだもの(図2)を、中井先生にお戻しします。

 

図1:赤穴瀬戸山城の縄張図に標高と碁盤の目を描いたもの

 

図2:碁盤の目を使って地形を立体化し、建物案を描き込んだもの

 

――ということは、最初は平面の縄張図と文字情報だけなんですね?

 

香川 そうですね。

 

中井 実は私、最初にこういう復元イラストを作りたいという依頼を受けたときは、わりと否定的だったんですよ。というのも、縄張図は曲輪と土塁<どるい>と堀切<ほりきり>はわかるけれど、建物はわからないので。地形を鳥瞰図に起こすのは賛成だけど、そこに描き込む建物までは保証できないし、完全なものにはならない。だけど、曲輪や土塁や堀切だけだと、一般の人はこれが戦国時代の城だと思って、建物がなかったというイメージを持ってしまう。それは困るなあと(笑)。なので、あくまでも建物については想定復元という理解で、香川先生の下絵に対して、なんとか他の城の発掘調査の事例なども参考にして、ここはやっぱり建物がなくて曲輪だけだったんじゃないかとか、そういうところをキャッチボールさせてもらってます。

 

香川 そして、いただいた指摘を反映させます。歴群の場合は〆切もありますし、中井先生とは何度もお仕事してるので、細かいところは私の方でお任せくださいという感じで、キャッチボールも簡単に、サクッと本画に取りかかります。その代わり、本画が仕上がった段階でもう一回見ていただいて、そのあと修正を加えるということもあります。出来上がるまで、だいたいひと月ぐらいでしょうか。

 

『ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 戦国の城』に掲載された中井先生監修の赤穴瀬戸山城。本書はこうした折込(A3サイズ)で80城、その他25城を掲載している

 

20年での変化

――長年復元イラストに関わってこられて、感じておられる変化などがあれば教えてください。

 

中井 基本的に私は、戦国時代の山城の面白さを、歴史好きの人だけでなく多くの人にわかってもらうことが大事だと思ってます。我々は現地に行けば、そこにどんな城が建っていたか、おおよその想定ができるけれど、一般の人は何かビジュアルがないと難しい。そこは、いまも昔も同じです。復元イラストの重要性は変わっていません。変わったのは、復元イラストのクオリティがより高くなってきていることですね。同じ城でも監修者が違えば香川先生の描き方も違ってくるように、何人もの人間が一つの城に挑んで、何度も描かれるうちに、クオリティが上がってきている。そして一番驚くのは、昔から知られている有名な城だけでなく、本当にマニアの人しか知らないような城まで、復元イラストが描かれるようになったことですね。雑誌だと紹介したことのない城を載せるという編集方針もあるでしょうけれど、やっぱり今までやってきた蓄積があるからこそ、どんどん新しい城にも挑めるのかと。もう、五大山城とか、十大山城とかの世界じゃない訳ですよ(笑)。

 

香川 けっこうマニアックな城も入ってきますよね。私も、依頼を受けた段階では全く知らない城が結構ありますからね(笑)。

 

中井 当然、監修の担当者は縄張図を描きに現地に行ってるだろうけど、それを受ける香川先生が、歴群の場合だとひと月ぐらいで描かれている。これまでの経験が名前も聞いたことのないような城でも描けることに繋がっているとは思いますが、すごいことですよ。

 

香川 いま思い返してみると、最初の頃の復元イラストって、もうちょっとざっくりやってましたね。縄張図は当時と今とでそんなに変わるものではないけど、そこにどんな建物が建っていたかは、わりとイメージでいいでしょうという雰囲気があったんですよ、最初の頃は(笑)。それが今は発掘調査も進んで、繰り返し復元イラストが描かれることで、この場所にこんなにいっぱい柵が回ってたらおかしいだろうというような意見も出てくるようになった。想像を含むとはいえ、根拠のない想像ではなく、その根拠が増えてきて、考証の精度が上がってきてます。

 

中井 その分、大変さは増してるでしょうね。

 

香川 より細かいところにまで気を遣うようになってますね。城の遺構<いこう>以外の部分、人物が持っている武器や旗印<はたじるし>などにも当然気を配って描いているので、本書では是非じっくりご覧いただきたいです(笑)。

 

塀を描くか、柵を描くか

――復元イラストの難しいところや監修のポイントを教えてください。

 

中井 私の場合はやっぱり建物ですね。我々監修者は調査に行って、現地の遺構から判断して縄張図は描ける。少しは自分も進歩していると思うので、縄張図については、もうこれでやってくださいと、ある意味自信があります。が、じゃあ、どこに何が建っていたかというと、毎回悩むところですね。香川先生から送られてきた下絵を見て、なるほどここに櫓<やぐら>を描かれたのはそういうことかと、教えられることもあります。もちろん、建物じゃなく土木がすごい城もあるので、建物と土木のさじ加減みたいなものは、監修するときのポイントになってますね。あと、例えば、虎口<こぐち>があって土塁があると、門があった可能性がある。で、その門は薬医<やくい>門(鏡柱と控え柱をまとめて一つの切妻造の屋根で覆った格式の高い門)なのか、土塁の上に櫓を渡した櫓門か。土木の図面である縄張図を描いているときにはあまりそこまで考えないけど、いざイラストになると思うと、ここは土塁が高いのでひょっとすると櫓門だったかもしれないと、考えが浮かぶことがあります。

 

香川 ある程度ポイントとなるところは、ここは櫓門でしょうと、きちんと指示していただけますが……。

 

中井 香川先生にお任せするところもあって、下絵は毎回楽しみです。そうした場合に、曲輪に何もない、要するに建物が描かれていないこともありますが、建物のあるなしは、どういうふうに判断されてるんですか?

 

香川 そこは、他の城の事例やこれまでの経験から考えます。その判断がいつも正しいとは限らないんで、いろいろ指示を受けることもあるんですけどね(笑)。あと、私が一番悩むのは、塀を描くか柵を描くかですね。曲輪があってもそこに建物がないケースはもちろんあると思いますが、それなりの広さがあったら、何かで囲ってるだろうと思うわけです。そのときに、曲輪の縁に柵を回すのが果たして正しいのか。そこは塀を回してもう一段下の帯曲輪<おびぐるわ>に柵を回すべきじゃないかとかね。塀や柵を描くことによって、これは城の曲輪なんだというイメージがはっきりするので、絵としてはかなり大事なところなんですが、その大事なところを想像でやるので、おおいに迷うところでもありますね。ここは削平<さくへい>されてるけど、捨て曲輪的なところなんじゃないかとか、形や全体から総合的に判断したりします。いつも試行錯誤がありますよ。

 

中井 なるほど、香川先生とのキャッチボールがやりやすいわけですね。情報提供する側の我々と、同じレベルの情報を持っていらっしゃるとは常々感じてましたが、納得です。

 

――監修されたなかで、特に印象に残っているイラストを教えてください。

 

中井 一つは佐和山<さわやま>城です。香川先生が描かれた佐和山城を初めて見たとき、これ、これなんだよ、僕が思ってたのはって思いました。で、もう一つは天王山山崎城(図3)。これは、城を見る方向が新しかった。天守を北側から描かれていて、今までの鳥瞰図とは全く違うイメージがありました。

図3:北から描かれた山崎城。本丸の北端部に一段高く天守台が配置されている

 

香川 山崎城の方向は、当時の編集者のアドバイスがあったと記憶してます。

 

中井 あとは彦根城。慶長の築城時を監修させてもらって、自分でも上出来だと思ってるんです(笑)。あと、彦根城は別の監修者の方で、違う時代を描かれたものもある。それを見ると、なるほどこういう見方もあるんだと思います。

 

――中井先生の監修の特徴を教えてください。

 

香川 中井先生が、ここが面白いでしょうと挙げられるポイントは、絵にしたときに見栄えがします。建物について難しいと仰るけど、例えば織豊<しょくほう>系の山城の鎌刃<かまは>城や宇佐山<うさやま>城なんかも、小さいけどここに織豊系の面白い建物が建っていたというご指示をいただき、それをクローズアップして描きました。

 

中井 そう言っていただけると嬉しいです。イラスト監修の仕事をするようになってからは、城に行って、これ歴群に使えるなって思うときがあるんですよ。その典型が先ほど例に出た赤穴瀬戸山城です。ここは戦国期の堀切がそのまま残ってる一方で、慶長期以降に富田<とだ>城の支城として改修されたときにつくられた石垣もあるという新旧時代が同居している国境の城です。

 

香川 私も描いていて楽しかったです。

 

中井 普通は〇〇城をお願いしますと言われて監修を引き受けるけど、赤穴瀬戸山城に関しては、編集者に自分から推薦して、何年越しかで取り上げてもらいました。城に行って、香川先生にイラストにしてほしいと思うことはよくあります。

 

自治体依頼の復元イラスト

――今回の本では、自治体から依頼されて描かれたイラストもあり、それらには中井先生の監修も多く含まれますが、その経緯を教えてください。

 

中井 まさに城の復元イラストが評価されたということだと思います。行政の方たちも地元の城跡を整備して、もっと多くの人に知ってもらうにはどうしたらいいかを真剣に考えている。私も色々な城の整備委員をやっている関係で相談を受けたときには、復元イラストがわかりやすいよと伝えてます。で、香川先生にお願いするという話に進んでいくのかと(笑)。

 

香川 ありがとうございます。

 

中井 いや、ただでさえお忙しいのに、申し訳ないと思ってます。

 

――歴群の場合と違いはありますか?

 

香川 基本は同じですが、実際は自治体の方が大変ですね(笑)。というのも、地元の多くの方が納得するものじゃなきゃいけないので、歴群のようにお一人の監修だけで済むというわけではなく、チェックする方が多くなる。下絵のやり取りも、何か月もかけて何度もやるということが非常に多いですね。中井先生のような方が中心になっていただける場合は早いのですが、復元のイメージは人によって違って、すごく立派なものを想像される方もいるし、逆にすごく簡素なものを想像される方もいる。そして、そのどちらも間違いではないわけです。

 

――城だけでなく城下も含めて広い範囲を描かれているものもありますね。

 

中井 これは調査研究の影響もあるでしょう。山城部分だけでなく山麓部分の地籍<ちせき>調査(一筆ごとの土地の所有者、地番、地目を調査し、境界の位置と面積を測量する調査)をすると、戦国期に城下があったという痕跡が残っている。江戸時代に城下町ごと別のところに移動したようだと。となると、戦国期のお城だけ描いてあったら、城しかないようにイメージされてしまう。実は城下も伴ってたことがわかるように、城と城下をセットで描いてほしいということになりますね。

 

香川 広い範囲を描くときは、縄張図だけでなく地形図を何種類も使うので、地形を起こすのも骨が折れます。そこに当時の景観を描くとなると、町の規模だとか、当時はここに寺があったとか、資料も多岐にわたります。私が最初に下絵を描いたら、それを見て担当の方が新たな資料を探してくることも、よくあります。実は、ここに道があったようです、とかね(笑)。そういうのが大変といえば大変ですね。でもそうすることによって、城だけでなく戦国期のその地域がどうだったかという全体的な景観が出来上がってくるので、非常に意味があることだと思ってます。

 

――最後に、今後やってみたいことを教えてください。

 

中井 私は失われた山城、つまり開発で山ごと住宅地や道路になってしまって、遺構が現存していない山城を復元したいですね。実はこうした理由で、開発前に山を丸ごと発掘調査してる山城が全国にいくつもあるんですよ。その発掘成果を、そっくりイラストで再現する。学問的にも価値があるし、香川先生とタッグを組んで一回やってみたいと思ってます。

 

香川 私は最初の頃に描いた城を、新しい視点や切り口で、いまもう一度描くのも面白いのではないかと思ってます。次号(歴史群像170号)に中井先生の監修で虎御前山<とらごぜやま>城を描く予定ですが、この城は小谷城の付城<つけじろ>なんですよ。だから小谷城も一緒に描く予定です。二十年経ってもう一度小谷城を、違う角度から再考証しようということになるかもしれませんね。じつは海外の方からもメールをいただくことがあって、中国のファンの方からは、戦国武将の本拠地のようなもっと有名な城を描いてくださいというリクエストが多いです(笑)。なので、これから、もう一度、有名な城を描いてみるのもいいと思ってます。

 

――次号がさらに楽しみになりました。本日はありがとうございました。

 

中井均(なかい・ひとし)

1955年、大阪府生まれ。城郭研究家、滋賀県立大学名誉教授、公益財団法人日本城郭協会評議員、織豊期城郭研究会代表。特に中世考古学・織豊系城郭が専門で、多くの山城の整備委員として指導もしている。

 

香川元太郎(かがわ・げんたろう)

1959年、愛媛県松山市生まれ。日本城郭史学会委員、イラストレーター。特に歴史考証イラストが専門で、歴史教科書、参考書などにも多くの作品が掲載されている。

 

【書誌情報】

ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 戦国の城

著者: 香川元太郎(イラスト)
発行:ワン・パブリッシング
定価: 3850円 (税込)

 

【本書のご購入はコチラ】
・Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4651201199/
・楽天 https://books.rakuten.co.jp/rb/16767934/
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日米空母はどのようにして激突したか?“日米空母決戦”、南太平洋海戦の実相に迫る!『歴史群像10月号』

『歴史群像10月号』が発売中。第1特集「実録 南太平洋海戦[前編]ガ島をめぐる「日米空母決戦」への道程」、第2特集「陸軍南方進攻航空作戦~菅原道大の統率と第三飛行集団の戦い」、第3特集「戦国大名 尼子氏の興亡」ほか、「図説・日本海軍艦艇の進水式」「虎と豹~戦車大国ドイツを支えた二種の猛獣」ほか企画満載です。

 

 

 

ガダルカナル島をめぐる日米空母2度目の激突はなぜ生じたのか?

第1特集では、「実録 南太平洋海戦」の前編として、1942年8月7日に米軍がガダルカナル島の日本軍飛行場を奪取して以降、同年10月25日に南太平洋海戦が生起するまでの2か月半の日米両軍の動きを追うとともに、両軍空母の激突がなぜ、どのようにして生起するに至ったかを考察します。

 

太平洋戦争開戦劈頭の“マレー電撃戦”

第2特集「陸軍南方進攻航空作戦」では、快進撃で大成功に終わったという印象の強い日本陸軍のマレー進攻作戦において、実は山下奉文(ともゆき)率いる地上部隊・第二十五軍と、菅原道大(みちおお)率いる航空部隊・第三飛行集団の間で、航空部隊の運用をめぐる対立が生じていました。この記事ではマレー・蘭印進攻作戦における航空作戦の推移とともに、作戦の主役たる両者の知られざる対立の実相にも迫ります。

 

このほか、第3特集「戦国大名・尼子氏の滅亡~「十一州太守」への軌跡と毛利元就の出雲侵攻」、その他「ベルリン空輸作戦1948-49~ソ連軍に封鎖された〝分断の都〟を救え」「五代友厚伝~首相の器と惜しまれる稀代の実業家」等の論考記事、カラー記事「図説・日本海軍艦艇の進水式~万単位の市民が参加したビッグイベントの歴史と実像」「 CG彩色でよみがえる! 虎と豹」ほか企画満載です。

 

[商品概要]

歴史群像10月号

定価: 1060円 (税込)

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オンライン廃線巡りで、家にいながら歴史鉄道散歩~注目の新書紹介~

こんにちは、書評家の卯月 鮎です。自宅から少し行ったところに、住宅街なのに突然だだっ広い道路がまっすぐ広がっている不思議な空間があります。調べてみると、そこは昔の花街で、その道は中心となる大通りだったと分かりました。

 

廃線跡から見えてくる風景

風景からふと昔の名残が見えると、「今、自分は長い歴史の上に立っているんだなぁ」と感慨が湧いてきますよね。それは廃線跡も同じでしょう。私は鉄道オタクではないですが、廃線巡りのロマンには惹かれるものがあります。

 

廃線跡巡りのすすめ』(栗原 景・著/交通新聞社新書)の著者・栗原景さんは、旅、鉄道、韓国をテーマに活動するフォトライター、ジャーナリスト。小学生のころからひとりで各地の鉄道を乗り歩いてきた強者です。『地図で読み解くJR中央線沿線』(三才ブックス)、『新幹線の車窓から~東海道新幹線編』(メディアファクトリー)、『アニメと鉄道ビジネス』(交通新聞社新書)など鉄道に関する著書も多数。

 

 

 

入門するなら名古屋鉄道美濃町線

序章「初めての廃線跡巡りに―名古屋鉄道美濃町線」では、入門編的な位置づけで、岐阜市~美濃市に残る名古屋鉄道美濃町線の廃路跡を訪れます。比較的最近(2005年)に廃止されたためか、線路跡がよく残っているうえ、危険な場所が少なく歩きやすいのがポイント。

 

鉄道が生きていた時代の地図をスマホに表示し、まずは起点の「徹明町駅」へ。元駅ビルは空き屋ですが、1階のきっぷ売り場はそのまま。アスファルトに入った斜めの亀裂は、レールを剥がして埋めた跡だとか。言われなければ見過ごしてしまう“遺跡”もあちこちに残っているんですね。

 

そうこうしていると年配の男性に「美濃町線を歩いているんですか」と話しかけられる著者の栗原さん……。単に廃線跡の情報だけでなく、地元の人々とのちょっとした交流も挟まり、読んでいて旅情感があります。

 

オンライン廃線巡りに役立つサイトは?

「そういう楽しみ方もあったのか!」と新鮮に感じたのが、第2章のオンライン廃線巡り。最初に「グーグルマップ」の航空写真で廃線跡をチェックするのが基本。そこを「ストリートビュー」でたどっていくと、撤去されていないコンクリート橋脚などがしっかり確認できるそうです。

 

昭和の戦前期から撮影されてきた航空写真が見られる国土地理院の「地理院地図」、全国49地域で明治期以降の地形図を閲覧できるサイト「今昔マップ」など、便利なサイト・アプリも具体的に紹介されていて、本書を手に取ったその日からオンライン廃線巡りに出発できます。

 

日本最後の非電化軽便だった石川の尾小屋鉄道、廃線跡の沿道にしだれ桜が植樹され新名所となっている福島・喜多方の日中線など「特徴的な廃線跡4例」、「廃線跡巡りの持ち物について」、「著者がおすすめする廃線跡」と各章で切り口もいろいろ。今よりもゆっくりと時間が流れていた時代、鉄道を中心に栄えていた風景を想像して、ノスタルジーに浸るのもいいですね。

 

【書籍紹介】

廃線跡巡りのすすめ

著者:栗原 景
発行:交通新聞社

在りし日の鉄道の姿を想像しながら歩く『廃線跡巡り』。やってみたいとは思っていても、そもそも下調べからして難しそう! たしかに昔はそうでした。それが今、劇的に始めやすくなっているのです。事前調査から実際に歩いてみるまで、数多くの廃線跡を巡った著者が豊富な実例と実体験をもとに新しい廃線跡巡りのHow Toと、廃線跡をもっと楽しむ方法を詰め込んだ実用の一冊です。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

 

ギリシャ正教の聖地。神秘に包まれた女人禁制の聖山・アトスとは?

ギリシャは憧れの国です。一生に一度でいいから旅してみたいと願う人は多いでしょう。まして、コロナのため、開催が危ぶまれた東京2020が開催されている今、近代オリンピック発祥の地に注目しないではいられません。

 

開会式の聖火リレーで、最終ランナーとして登場した大坂なおみさんが、ギリシャで採火された聖火を灯したシーンは胸に迫るものでした。ところが、よく考えてみると、私はギリシャのことをあまり知らないのではないかと不安になり、刊行されたばかりの『ギリシャ正教と聖山アトス』(パウエル中西裕一・著/幻冬舎・刊)を読みたくなりました。ギリシャを正しく理解するために必要な本だと思ったからです。

ギリシャ人の神々

予想した以上に、『ギリシャ正教と聖山アトス』は深い内容の本でした。これまでの私は、ギリシャといえば、まずはオリンピック発祥の地と考え、次に多くの偉大な哲学者を輩出した国ととらえてきました。ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、優れた哲学者を輩出した奇跡の場所として、ただなんとなく憧れていたのです。そのくせ、哲学書は難しく、細かく読んではいませんでした。自分では、ギリシャをそれなりに理解していると考えていたのですが、『ギリシャ正教と聖山アトス』を読むと、それは思い上がりだと知りました。ギリシャ人がキリスト教徒であることさえ把握していなかったのです。

 

ギリシャの神々と聞いて、私がまず思い浮かべるのは、ゼウス、アポロン、アフロデーテなど、ギリシャ神話に登場する多くの魅惑的な神々でした。けれども、それは古代ギリシャの神々であり、現在のギリシャの人びとはキリスト教徒として生活しているというのです。

 

日本においては、ギリシャ文化が古典古代に偏ったかたちで紹介されてきたからでしょう。近代国家としてのギリシャの独立は1830年です。それまで様々な国家の支配を受け続けるなか、多くのギリシャ人達の絆は、ギリシャ文字を用いギリシャ語を話すこと、そしてギリシャ正教徒であることだったのです。

(『ギリシャ正教と聖山アトス』より抜粋)

 

そ、そうだったのですね。わかったつもりでいながら、実はまったくわかっていなかった国、それがギリシャであることに、私は初めて気づいたのです。

 

著者・パウエル中西裕一について

『ギリシャ正教と聖山アトス』の著者・パウエル中西裕一は、日本ハリストス正教会教団に属する東京復活大聖堂教会の司祭です。

 

「日本ハリストス正教会? 何、それ?」と思う方もいるかもしれません。けれども、東京は神田にあるニコライ堂と聞けば「あぁ、あの立派な教会ね」と、合点がいくのではないでしょうか。

 

著者は生まれながらにギリシャ正教徒だったわけではありません。若いころからギリシャ正教の司祭として生きていたわけでもありません。彼は哲学者・プラトンが描くソクラテスの問答法にひかれて哲学を専攻し、古典ギリシャ語や西洋古代哲学を学び、その後は大学で古代ギリシャ哲学を教えていました。

 

そんな著者に転機が訪れたのは、海外で研究する機会を与えられ、古代哲学研究の源となるギリシャで学ぼうと決めたときでした。結果的にその選択が、著者の興味を哲学からギリシャ正教へ方向転換させます。ホームステイ先のギリシャ人家庭で出された硬く平たいパンが、ギリシャ正教と出会うきっかけとなったのです。それはキリスト教徒の断食の習慣に深く関わるものでした。

 

帰国後も、著者のギリシャ正教への興味は深まる一方でした。そして、とうとう日本で洗礼を受け、かねてより興味があった正教徒の聖地アトスを訪れる決心をします。この訪問が著者を再び、大きく変えます。聖山アトスに魅せられ、足繁く通うようになったのです。以来、20年もの間、巡礼をくり返し、修道士達と生活を共にしてきました。世俗と隔絶された環境で祈りの毎日を送っているうち、著者の思いはさらに深まっていきます。そして、アトスで司祭となり、2012年からは修道小屋で司祭として聖体礼儀(筆者註:カトリックでいう「ミサ」にあたる)を行うまでになります。ちなみに日本人としては初めての司祭叙階となります。

 

聖山アトス

著者を変えた聖山アトスとは、どういう場所なのでしょうか? 世界遺産に認定されたこともあり、今や世界的にその存在を知られています。けれども、その内情はというとあまりに神秘的で、一般の人が訪れることも簡単には許されない聖なる場所となっています。

 

聖山アトスは、ギリシャ国内にあって、同国の憲法によって外交以外の自治を認められている女人禁制の地域であり、963年にこの地に修道院が創設されて以来、現在も神に生涯を献げる人達が住まう楽園、天国のモデルです。

(『ギリシャ正教と聖山アトス』より抜粋)

 

アトスは、祈りの生活を貫くと決心した男性修道士だけが籍を置くことを許されます。巡礼が許されるのも男性に限られ、徹底した女人禁制を貫いています。いまどきそんなところがあるのかと驚きますが、聖山アトスは生神女(神を産んだ母)マリアを統治者としているため、家畜でさえ雄しか入山を許されないのです。例外として、猫だけが、ネズミを退治するのに必要だという理由で、繁殖を許されています。あまりの徹底ぶりに唖然としますが、この世には「なぜ?」と問うたところで、その答えが返ってこないところがあるのでしょう。著者の聖山アトスでの日々は次のようなものです。

 

ここで私は、修道士達と同じように祈り、歌い、食べ、与えられた仕事をし、思索し、文献を調べ、器物の写真を撮り、執筆し、恐ろしいほどの静寂に抱かれて、夜は深い眠りに落ちて日々を過ごしました。そして何より祈りに満たされた生活の中にあって、とりわけこころ穏やかな日々だったのです。

(『ギリシャ正教と聖山アトス』より抜粋)

 

著者はアトスで天国を見たのでしょう。『ギリシャ正教と聖山アトス』には、ギリシャ正教や聖山アトスについてだけではなく、聖地巡礼や祈り、そして、コロナ禍にどう対処しているかまで、驚きの内容が記されています。その一つ一つに驚きながら、この世には祈る、ただそれだけのために存在する場所があることに気づかされます。

 

巻末には付録として、アトス山に巡礼するためにはどうしたらよいのかについてのガイドが記されていますので、興味のある方は読んでみてください。たとえ、アトス山には行くことができなくても、心の巡礼を果たすことができるかもしれません。

 

ギリシャを知りたくて、『ギリシャ正教と聖山アトス』を手に取った私ですが、思いがけなく、あり得ないほど特殊な聖なる領域について触れることとなりました。けれども、アトスという不思議な聖地を思い描くと、心に風が吹き渡るような不思議なさわやかさを感じるのでした。

 

【書籍紹介】

ギリシャ正教と聖山アトス

著者:パウエル中西裕一
発行:幻冬舎

1054年、キリスト教は西方カトリック教会と東方(ギリシャ)正教会に分裂。その後カトリックは宗教改革を経てプロテスタントと袂を分かつが、正教はキリスト教の原点として、正統な信仰を守り続けている。ギリシャ北部にある正教の聖地アトスは、多くの修道院を擁し、現在も女人禁制の地。修道士たちは断食や節食により己の欲を律し、祈りにすべてを捧げてその地で生涯を終える。本書では日本人として初めてアトスで司祭となった著者が、聖地での暮らしを紹介しながら、欲望が肥大しきった現代にこそ輝きを放つ正教の教えを解説する。

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アートがグッと身近になる『ヘンタイ美術館』を読んで、美術館へ行こう!

先日、上野に用事があったのでそのついでに……と東京国立博物館へ初めて行ってきました。軽い気持ちで入館しましたが、あまりの面白さに閉館間近まで滞在。教科書で見たことのあるような日本美術のホンモノがたくさん展示されており、「友の会」に入会するか本気で悩んでいるところです!

 

もっと美術や歴史について学びたい! そしてその知識とともにアート作品を楽しみたい! でも難しい本は無理……と思い手にしたのが、『ヘンタイ美術館』(山田五郎、こやま淳子・著/ダイヤモンド社・刊)。西洋美術入門としても楽しめる一冊でした。

 

なんで「ヘンタイ」なの?

『ヘンタイ美術館』は、評論家の山田五郎さんとコピーライターのこやま淳子さんによるトークイベントをまとめ、2015年に書籍化されたもの。台湾、韓国、中国語にも翻訳され、アジアにも「ヘンタイ」の波が広がっているようです!

 

しかし、なぜ『ヘンタイ美術館』という名前になったのでしょうか? 冒頭にこんなことが書かれてありました。

 

こやま こむずかしく考えがちな西洋美術も、ヘンタイでどうかしちゃってる美術家たちの側面から見ていくと、とてもおもしろくわかってくる。当美術館は、そんなヘンタイ斬り口から西洋美術を見ていこうという、ちょっと変な美術館です。

 

山田 オレは最初、このネーミングには反対だったんですよ。ホンモノの変態に失礼だから。

 

こやま そう、もちろん性的倒錯など、ホンモノな方々も美術家にはいらっしゃいますが、ここではもっとライトに、ちょっと変わった美術家さんのキャラクターにスポットを当てていこう! という趣旨です。

(『ヘンタイ美術館』より引用)

 

美術作品って周りの評価や歴史が深すぎて「素人が簡単には立ち入ってはいけない感じ」となんとなく思っていましたが、ヘンタイと言われると「何?」と気になってしまう(笑)。そんな気になる部分から作品を紐解いていくと、ハードルが下がり美術作品を気軽に楽しめるようになるはずです。

 

そして何より『ヘンタイ美術館』は、わかりやすい! 知識豊富な山田五郎さんの解説と、読者目線で素直な疑問を投げかけてくれるこやま淳子さんとの掛け合いが最高なのです。クスクス笑いながら読み進めていくうちに、美術の知識も身についている! そんな一冊です。

 

合計12名のヘンタイが登場!

一言に「西洋美術」と言ってもその歴史は深く、どこから誰の作品を見始めたらいいのか、正直わかりません。超素人な私は「モナ・リザって、ダ・ヴィンチだよね?」「ムンク展は行ったよ!」くらいの知識しかありませんでした(汗)。

 

『ヘンタイ美術館』は私のような低レベルでも全然ウェルカムな一冊です。4つの時代にそれぞれ3名の芸術が登場し、歴史と作風が「ヘンタイ」目線で紹介されていきます。

 

CHAPTER1の「ルネサンス3大巨匠」には、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが登場。CHAPTER2の「やりすぎバロック」には、カラヴァッジオ、ルーベンス、レンブラントの3人。CHAPTER3では「理想と現実」というタイトルで新古典主義のアングル、ロマン主義のドラクロワ、写実主義のクールベが紹介され、最後のCHAPTER4「2文字ネーム印象派」に、マネ、モネ、ドガの3人、合計12名が登場します。

 

ちなみに、表紙で描かれている『グランド・オダリスク(1814年)』もこの12名の中にいるひとりの作品。この作品が登場した当時は「背中が長すぎる!」「腰椎が3つ多い」などと酷評だったそうですが、一体だれの作品だかわかりますか? ぜひどんなヘンタイだったのかは、本を読んで確かめてもらえればと思います。

 

「モナ・リザ」は、レオナルド・ダ・ヴィンチが常に持ち歩いて描いていた作品だった!

有名な「モナ・リザ」。どんな絵かは、頭の中にパッと思い浮かびますが、どうしてこれだけ評価されているか、そしてどれくらいの時間をかけて、どんな技法で描かれた作品かって実はあまり知られていないですよね。

 

この「モナ・リザ」を拡大してみると、どこからがまぶたの線なのか、輪郭なのか、色の境目が曖昧になっています。これは「スフマート」という技法だそうで、イタリア語で「煙らせる」という意味があるのだとか。何度も丁寧に絵の具で重ね塗りをして、ふわっともわっとした表情になっているところが評価されている理由のひとつになっているとのこと。

 

山田 科学調査してみたら、20回以上塗り重ねられていたそうですよ。油絵の具って乾くのに時間がかかるんです。だからダ・ヴィンチはこの作品をずーっと持ち歩き、暇を見ては塗り重ね続けていた。

 

こやま もはや趣味だったんですね。これを直すのが。

 

山田 そこまでやったからこそ、究極のスフマートが実現できた。『モナ・リザ』が名画と呼ばれる理由のひとつは謎の微笑にあるといった意味、わかったでしょ?

(『ヘンタイ美術館』より引用)

 

ちなみにこの「モナ・リザ」は未完説もあり、もしかするとまだ塗りたかったのかも……と思ってみるとレオナルド・ダ・ヴィンチのヘンタイっぷりも楽しめますね(笑)。他にも「モナ・リザ」がすごい理由や、ダ・ヴィンチのヘンタイエピソードが満載なので、続きは『ヘンタイ美術館』でお楽しみください!

 

この本を読んでいると、もっと美術のことを知りたくなります。今回紹介しているのは12名の美術家ですが、日本にもヘンタイな美術家はいたはず! ちょっとアートは苦手だな、と思っていた人も、新たな一面を知ることでもしかしたら美術が好きになれるかも。まだまだおうち時間も続きそうなので、新たな趣味のひとつとしてアート鑑賞を取り入れてみるのはいかがですか?

 

 

【書籍紹介】

ヘンタイ美術館

著者:山田五郎、こやま淳子
発行:ダイヤモンド社

この「ヘンタイ美術館」は、美術評論家・山田五郎さんを館長に見立てた架空の美術館。美術に興味はあるけれどよくわからなという方々に向けた西洋美術の超入門書。「ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ。一番のヘンタイは誰?」教科書的な知識より、こんな知識の方が実はビジネス会話でも使えたりするのです。

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超リアル!「歴史群像」8月号付録・戦艦『大和』超精密ペーパークラフトのクオリティーが高すぎる!

ペーパークラフトといえば、簡単に組み立てられるけど大幅にデフォルメされていて、本物とはだいぶ形状が違うと思っていませんか。そんな常識を覆す超リアルなペーパークラフトが雑誌の付録として登場しました。それが「歴史群像」8月号の付録、「戦艦『大和』超精密ペーパークラフト」です。

 

↑付録『大和』の全景。水面の部分でカットされているウォーターライン・モデル

 

↑就役前の昭和16年(1941)10月、高知県宿毛湾沖を全力航行中の『大和』(写真=National Archives)

 

専門家の考証を踏まえて誕生した、1/700スケール・全長37.6センチの本格派!

スケール(縮尺)は艦艇プラモデルでは一般的な1/700で、組み立てると全長37.6センチになります。船体下部は水面のラインでカットされたウォーターライン・モデル。『大和』の代名詞、46センチ主砲の砲身が上下動し、主砲塔も回転。当時の写真等、史料を踏まえて造形考証を行い、昭和20年(1945)4月6日に沖縄へ向けて最後の出撃をする直前の姿を再現しています。

 

たとえば、下の写真は沖縄に向けて出撃した大和が米軍機の攻撃を受けている場面ですが、写真の『大和』の甲板の縁にほぼ全周に及んで白い四角形のマーキングが施されているのが見えます。ペーパークラフトではこうした細部も再現しています(※一部、細かくなりすぎて作れなくなりうるパーツはデフォルメしています)。

 

↑昭和20年(1945)4月7日、米軍機の猛攻を受ける『大和』。こののち『大和』は撃沈された(写真=Naval History & Heritage Command)

 

↑主砲は砲身が動き、砲身も回転する

 

 

“史上最強の戦艦”『大和』とは?

『大和』といえば、世界最大の46センチ主砲を3門備えた砲塔3基を装備した「史上最強の戦艦」として知られています。この砲塔1基の重さは、なんと駆逐艦1隻分に相当する2779トン。主砲の最大射程は42キロメートルで、概ね東京駅から直線距離で大船駅までに相当します。全長は263メートル、最も高い艦橋の頂部の高さは喫水線から40メートルに達しました。

 

しかし、このように何もかもが破格の戦艦『大和』は、登場した時にはすでに海戦の主役の座を空母に奪われていました。日本軍は真珠湾攻撃に複数の空母を集中使用しましたが、それによって航空機の時代の幕があけ、その母艦たる空母が新時代の海の王者となったのです。そして『大和』はその力を発揮しきれないまま、昭和20年(1945)4月、米軍の猛攻を受ける沖縄に向けて出撃、同月7日、押し寄せる米軍機の攻撃により撃沈されました。

 

「ステイホーム」が続きそうなこの夏、あなたも『大和』を作ってみませんか?

本付録は全32ページの冊子になっていて、パーツが並んだ「展開図」のページと組み立ての手順や道具などの解説で構成。丁寧にわかりやすく解説されているので、初心者でも問題なく作れるはず。

↑付録冊子と完成状態

 

↑付録冊子の内容。左側が組み立て方説明、右側がパーツが並ぶ「展開図」

 

さらに本誌では、完成させたペーパークラフトを用いて『大和』の特徴や設備を解説。解説記事を読みながら完成品を見ることで、「立体的な教材」として『大和』の特徴をより深く理解できます。

 

↑本誌記事の付録解説ページ。組み立てた『大和』を使ってその構造と歴史を解説いているのでわかりやすい

 

歴史群像ホームページで無料でダウンロードできる「海面ジオラマシート」に載せた状態

 

まだしばらくは「ステイホーム」が続きそうですが、ペーパークラフトの『大和』の制作に没頭するのもよいのでは。

 

古今東西の「戦い」に関する記事も充実!

 

「歴史群像」8月号は、付録以外の記事も充実。今号の特集は「【作戦ドキュメント】インド洋作戦」「参謀 辻政信の生涯~その戦略・作戦の是非」「共産党軍vs.国民党軍 金門島の戦い1949」の3本。この他、「徳川慶喜と渋沢栄一」「近現代火砲講座」「北方世界の戦国史」「図説・佐世保要塞」「満鉄「あじあ」号」「独ソ開戦前夜、スターリンは何を考えていたのか」など、読み応え満載の内容です。

 

【書籍情報】

歴史群像8月号

特別定価:1150円 (税込)

【本書のご購入はコチラ】
・Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B097SQPXS9/
・セブンネット: https://7net.omni7.jp/detail/1228005713

まるでアイドルプロデューサー!? 引退した元お殿様はこんな生活をしていた~注目の新書紹介~

書評家・卯月鮎が選りすぐった最近刊行の新書をナビゲート。「こんな世界があったとは!?」「これを知って世界が広がった!」。そんな知的好奇心が満たされ、心が弾む1冊を紹介します。

 

ちっとも隠れていない隠居生活!?

「老後資金には2000万円必要」と金融庁の審議会の報告書にあったことが少し前に話題となりました。そんなに老後は大変なの? と心がザワザワしたのを覚えています。一昔前は、老後は悠々自適でのんびりなんてムードもあったのに今はどこへやら……。「老後の沙汰も金次第」とはシビアですね。

今回の新書『お殿様の定年後』(安藤優一郎・著/日本経済新聞出版・刊)は、大名5人の隠居後の生活を紹介した歴史本。現役時代よりも好き勝手に活動し、歴史書作りや歌舞伎見物に没頭する様子はうらやましい限りです。

 

著者は歴史家の安藤優一郎さん。『お殿様の人事異動』『相続の日本史』『河合継之助』など、日本史関連の著作が多数あります。今回は「定年後」という面白い切り口で、江戸時代の元お殿様の暮らしと江戸の文化に迫っています。

 

御老公の発案で藩の財政がひっ迫……

まず第1章は「大名のご公務―江戸と国元の二重生活」。お殿様は花のお江戸に出かけては、町娘をからかったり、悪を成敗したり……というのは時代劇だけのお話。現実には大変な思いで参勤交代をして江戸に着き、そこでも堅苦しい生活を送っていたそうです。江戸城登城に遅刻したら懲罰。毎日のタイムスケジュールも決められ、幕府の監視下にあるも同然の状態でした。これなら早く家督を譲って隠居したくなるのもうなずけます。

 

第2章「水戸藩主徳川光圀―水戸学を作った名君の実像と虚像」では、ご隠居の代表格、水戸黄門こと水戸藩主・徳川光圀のエピソードが語られます。正式ではない側室の子として堕胎を命じられながらも密かに育てられ、剛毅な性格から兄たちを差し置いて想定外の世継ぎとなり、30年以上藩政に従事しました。

 

隠居後は、若いころに改心するきっかけとなった中国の『史記』をお手本にした歴史書「大日本史」の編纂に注力。各地へ学者を調査に向かわせるなど、年間経費はなんと8万石! 水戸藩の石高は28万石(後に35万石)だったことを考えると、とんでもない出費と言えそうです。

 

隠居後、庭いじりと歌舞伎三昧という趣味の毎日を送ったのが大和郡山藩主の柳沢信鴻(のぶとき)。東京都内屈指の名園として知られる六義園(りくぎえん)に居を移し、自らの手で美しく整備しました。また、ときには江戸市中を歩き回って世間で評判の茶屋娘を訪ねていたとか。その様子は「宴遊日記」に事細かく記されています。芝居が好きなあまり、屋敷に舞台を作り自分で台本を書いて侍女たちに演じさせたという逸話にも驚きました。もちろん採用の際には歌舞音曲の腕前を信鴻がチェックしたというから、まるでアイドルプロデューサーですね(笑)。

 

そのほか、出世争いに挫折して隠居するも文章に生き甲斐を見出し、江戸の名随筆「甲子夜話」を書き上げた肥前平戸藩主・松浦静山。(有名な「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は静山の名言です)。幕政からの引退後、文化事業に力を入れた白河藩主・松平定信などが取り上げられています。

 

藩の舵取りから解き放たれて、やりたいことができるようになったお殿様は最強のオタクといったところでしょうか。そんな老後に憧れますね。

 

【書籍紹介】

お殿様の定年後

著者:安藤優一郎
発行:日本経済新聞出版

江戸時代は泰平の世。高齢化が急速に進む中、大名達は著述活動、文化振興、芝居見物などで隠居後の長い人生を謳歌した。権力に未練を残しつつもそれぞれの事情で藩主の座を降りた後、時に藩の財政を逼迫させながらもアクティブに活動した彼らの姿を通じ、知られざる歴史の一面を描き出す。

 

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。

南蛮奴隷から織田信長の家臣になった『黒き侍、ヤスケ』の数奇な運命

2月7日、NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回が放送されました。最後をしめくくる「本能寺の変」は、織田信長と明智光秀の関係について新たな解釈が加わり、驚きの内容でした。

 

黒き侍、その数奇な生涯

『麒麟がくる』の主人公は明智光秀ですが、織田信長の果たす役割は大きいものです。それにしても、織田信長を取り上げたドラマや映画、そして舞台の多いことといったら……。歴史上のキャラクターでこれほど激烈で、熱い人はいないのではないでしょうか。

 

今から400年以上前に生きた人だというのに、実に革新的です。生まれてくるのが早すぎたと言いたくなります。とりわけ、戦乱の世をおさめる必要な人材を選ぶ眼力には卓越したものがあります。前からそう感じていましたが、『黒き侍、ヤスケ』(浅倉 徹・著/原書房・刊)を読み、織田信長はやはりただものではないと確信しました。

 

弥助は、アフリカのモザンビークで生まれた黒人男性です。イタリア人の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが織田信長に謁見するため来日した折り、奴隷としてやって来ました。身の丈6尺(約180センチメートル)を超えるたくましい体に魅了されたのか、奴隷の身でありながらも誇りを失わない態度が信用されたのか、詳細はよくわかりませんが、信長は彼を気に入り、ヴァリニヤーノから譲り受けると、弥助と名付け、その後、侍に取り立てます。

 

そんなまさかと思うものの、信用できる歴史的史料にいくつかの記述があるので、確かに存在し、侍となったのは間違いがないようです。

 

著者の弥助への向き合い方

著者の浅倉 徹は、大学で講義をしながら、日本全国の史跡を取材しているといいます。日本史研究者として別名義での著書もあります。『黒き侍、ヤスケ』を執筆するにあたり、著者は考えました。史料が少ないだけに、フィクションとするか、史実をベースにした物語にするか、迷ったのです。そして、自分の立ち位置を定めます。

 

当初は娯楽小説として目一杯創作に振り切るかとも思ったが、折角実在の人物なのだから荒唐無稽な話にするのはもったいなくも思い、極力史実ベースで物語を創作することにした

(『黒き侍、ヤスケ』より抜粋)

 

史実に沿うと決めても、当時の話し言葉をそのまま再現することは不可能です。弥助が何をしたか、何を話したか、どんな性格だったかについては、推測するより他にありません。名前も最初から弥助と名付けられたわけではありません。かといって、本名もわかりません。『黒き侍、ヤスケ』では、最初は「モー」という名で登場し、信長によって「弥助」の名が与えられたことになっています。

 

こうして細かな工夫を凝らしてあるので、私たち読者は複雑な人間関係に混乱することはなく、面白い歴史活劇を堪能できます。

 

信長とヤスケの出会い

『黒き侍、ヤスケ』には、織田信長とヤスケの出会いが実に印象的に描かれています。初対面のとき、信長は弥助の黒い肌を見て、墨を塗ったのかと疑います。人生で初めて出会う黒人ですから無理もありません。

 

けれども、そこは信長……。それが本物の肌なのか強引に確かめることにします。御小姓頭の森蘭丸に、水にひたした布で弥助の体を洗い、こするように命じたのです。もちろん、布に墨はつくはずもなく、肌はますます黒く輝きます。

 

信長は、墨を塗ったわけではないと確認した後、「〜〜ふうむ。面白い」とつぶやくや、次は相撲を取るよう命じます。

 

それだけでも度肝を抜く対応ですが、信長はさらに驚きの行動に出ます。ヴァリニヤーノに向かって、「あの黒き者を予にくれぬか」と頼んだというのです。対するヴァリニヤーノも負けてはいません。布教と神学校の建設に助力を得ることを条件にして、弥助を手放すことに同意します。

 

この時です。弥助の運命が大きく変わったのは……。彼の希望など関係のないところで折衝が行われたわけで、残酷といえば残酷です。けれども、そのおかげで弥助は奴隷の身分から解放され、信長の家来として働くようになりました。

 

信長を魅了するだけあって、弥助には、他国の人の信頼を勝ち得る何か特別な力があったのかもしれません。日本語もできないというのに、周囲の人々に助けられ、彼は次第に信長の家来として力を発揮し、昇進していきます。信長の目に狂いはなかったということでしょう。

 

本能寺の変での二人

弥助にとって、信長は自分を奴隷の身分から解放してくれた有り難い存在でした。上様のためなら、この命を投げ出してもかまわない、そう思っていたかもしれません。明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺を取り囲んだときにも、弥助は信長を守るため必死の抵抗をこころみ、信長を守ろうとします。討ち死に覚悟だったのです。ところが、信長は弥助に共に死んでくれとは言いませんでした。

 

「是非もなし。光秀が相手ではもはや逃げられまい。弥助。そちのみならば、切り抜けられよう。急ぎ、妙覚寺の信忠のもとへ行き、謀反のことを伝えよ」

(『黒き侍、ヤスケ』より抜粋)

 

そう言い残して本能寺に火を放ち、そのまま果てたとされています。弥助が本能寺の変の後、どうなったかについては、はっきりしたことはわかっていません。『黒き侍、ヤスケ』では、日本を出て故郷アフリカをめざしたとあります。この世には、ときにあり得ないような不思議な人生を送る人物が出現しますが、弥助もその一人でしょう。

 

海外でも人気者

弥助の人生は、海外でも反響を呼んでいます。ハリウッドで映画化の話が進み、チャドウィック・ボーズマンが弥助を演じることが既に決まっていたといいます。ところが、彼は大腸癌のため43歳の若さで亡くなり、演じることはできませんでした。さぞや魅力的な作品となったでしょうに、残念です。

 

けれども、Netflixでは近々、アニメ作品の「YASUKE」が公開予定だというので、楽しみに待っているところです。

 

今から450年近く前、信長と弥助は偶然出会い、言葉をかわしました。果たしてそこに何が生まれたのでしょう。二人がどうやって心を通じ合わせたのかも気になるところです。そこには言葉や文化の違いを超えた何かがあったのでしょう。

 

日本史上、希な存在である黒人侍・弥助の一生は、私たちに何か特別な力を与えてくれるように思えてなりません。弥助を知ることは、信長を、光秀を知ることにもつながります。こんな面白い話を知ることができた幸運をかみしめているところです。

 

【書籍紹介】

黒き侍、ヤスケ

著者:浅倉 徹
発行:原書房

ハリウッドで映画化! イエズス会宣教師の奴隷として日本を訪れ、織田信長に見出されて戦功を上げ、侍「弥助」になる。極めて資料の少ない「ブラック・サムライ」のありえた半生を、専門家がわかりやすい物語形式で紹介。

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歌舞伎町に存在する厳然たるルールとは何か?−−『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』

初めての映画館。初めてのバイト先。そして、初めて通った英会話学校。筆者にとって、新宿・歌舞伎町は何かとお初の思い出がある街だ。およそ34万8000平方メートルの面積の中にたくさんの日常、そして非日常が詰まっている。

 

おじさんが頭から血を流しながらダッシュする街

三多摩地域のとある市に住んでいた筆者にとって、新宿は一番近い大都会だった。子どものころから使っていた西武新宿駅の階段をJR新宿駅方向に下りて行くと、左手に広がるのが歌舞伎町。日本最大の繁華街に昼の顔と夜の顔の差を感じた覚えはない。ただ最初に書いたように、ごく狭い範囲に日常と非日常が隣り合っている。

 

それは、たとえばこういうことだ。今はセントラルロードという名前になっている通りにあった牛丼屋でバイトをしていたある夜、シフト終わりにお店を出たら、50歳くらいのおじさんが、頭から血をほとばしらせて何かを叫びながらダッシュしていた。横にいた先輩は特に驚く様子も見せず、目で追うだけだった。後から考えれば、走って行った方向に大久保病院があったので、何らかの事情でケガをして向かっていたのかもしれない。

 

この原稿で紹介したいのは、筆者がかつて比較的長い時間を過ごした歌舞伎町の深いところまでを紹介してくれる本だ。内側で生きている人ならではの皮膚感覚を通して語られる話は、この街に行ったことがある人には独特な懐かしさ、そして行ったことがない人には新鮮な驚きと共に響くだろう。

 

インサイダー視点で語られる日本一の歓楽街

新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』(手塚マキ・著/幻冬舎・刊)の著者手塚マキさんは歌舞伎町でホストクラブやバー、飲食店、美容室など十数軒を構える「Smappa! Group」の会長を務める“歌舞伎町どっぷり”で生きてきた人物だ。1997年から歌舞伎町で働き始め、ナンバーワンホストを経て独立し、グループ企業を育て上げた。

 

プロローグで、コロナ禍の中“夜の街バッシング”が起きた2020年5~6月にかけて新宿区とホストクラブの連携体制が出来上がるまでのプロセスが語られている。とてもタイムリーだ。インサイダーであり当事者である手塚さんの視線から冷静な口調に乗せて紡がれるものごとの時系列は、ドキュメンタリーフィルムを見ているような感覚で読み進めることができる。

 

追体験とアップデート

プロローグから始まり、第一部で歌舞伎町の概要と歴史、第二部で歌舞伎町に生きる人たちについて詳しく触れていくこの本の構成についての説明が「はじめに」で綴られる。学術論文のアブストラクトに似た印象を受けるこの「はじめに」は、次のような文章でしめくくられる。

 

以上のように、歌舞伎町全体の雰囲気を摑んでいただいてから、その中で生きる1人1人の人間にスポットを当てることで、歌舞伎町で生きるということをリアルに感じていただけるかと思います。ようこそ歌舞伎町へ。

            『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

この本、筆者にとっては追体験であると同時にアップデートとなりそうだ。どのような形で懐かしさを埋め、どんな新情報をもたらしてくれるのか。

 

人が夜の街に求めるもの

社会派ドキュメンタリーのようなプロローグを抜けると、すぐに“歌舞伎町概論”が始まる。その冒頭に印象的な一文を見つけた。

 

歌舞伎町を去った人でも、隠す過去にしたり、武勇伝にしたり、ただ通り過ぎた一風景にする人は少ない。特別な何かがそこにはあるからだろう。だから私も語る。私の大好きな歌舞伎町を語る。

            『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

「はじめに」とはまったく違うリリカルな書き口の文章だ。人々が求めるのは、歌舞伎町という街自体がまとっている特別感なのかもしれない。

 

歌舞伎町のルールって?

日本一の歓楽街を貫く絶対的なルールはあるのか。この本を読んで、厳然としたルールがあることがわかった。しかも、それはあっけないほど単純だ。でも、歌舞伎町で生きる大多数の人々はこの単純で厳然としたルールを遵守する。

 

決まったルールも線引きもない。だが歌舞伎町なりのモラルがある。自分のテリトリーを大事にするということは、他人のテリトリーに対しても敬意を持つということなのだ。

           『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>』より引用

 

考えてみればごく当たり前のことかもしれない。ただ、歌舞伎町が生活圏ではない人々は、非日常に満ちた街は非日常的なルールに司られていると考えがちではないだろうか。それはいかにもステレオタイプなのだ。ルールという言葉は、リスペクトというニュアンスでとらえるべきだろう。歌舞伎町全体を覆う共通のリスペクトが強力な表面張力として機能しているのだと思う。

 

歌舞伎町、そしてそこで生きる人たちを対象に繰り広げられるマクロ的視点とミクロ的視点の行き来が心地よい。今流行っているPC経由のオンラインツアーにドキュメンタリー要素を盛り込み、紙媒体で展開してくれているような一冊だ。読み終わって思った。42年前、頭から血をほとばしらせながら疾走していたあのおじさんは、結局どうなったのだろうか。

 

【書籍紹介】

 

新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街を求めるのか>

著者:手塚マキ
発行:幻冬舎

戦後、新宿駅周辺の闇市からあぶれた人々を受け止めた歌舞伎町は、アジア最大の歓楽街へと発展した。黒服のホストやしつこい客引きが跋扈し、あやしい風俗店が並ぶ不夜城は、コロナ禍では感染の震源地として攻撃の対象となった。しかし、この街ほど、懐の深い場所はない。職業も年齢も国籍も問わず、お金がない人も、居場所がない人も、誰の、どんな過去もすべて受け入れるのだ。十九歳でホストとして飛び込んで以来、カリスマホスト、経営者として二十三年間歌舞伎町で生きる著者が<夜の街>の倫理と醍醐味を明かす。

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もうコリアンタウンだけじゃない? 変化し続ける街・新大久保の今を切り取った『ルポ新大久保』

「え、新大久保ってコリアンタウンじゃないの?」

 

ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(室橋 裕和・著/辰巳出版・刊)を読んで最初に思った感想がこれでした。10年以上前、上京してきたばかりの私が母親を連れて、韓国人俳優のチョン・ウソンのグッズを買いに行った以来、縁のなかった街・新大久保。

 

情報番組でタピオカだ〜、ヤンニョムチキンだ〜、チーズダッカルビだ〜と聞いていたので「第二の原宿みたいな感じでしょ?」なんて思っていましたが、それはあくまで表面の新大久保だと思い知りました。今回は「新大久保ってコリアンタウンでしょ?」と思っている人にも知ってもらいたい、人口の35%が外国人の街・新大久保の「今」をお伝えします。

 

もちろんコリアンタウンだけど、それだけじゃない!

最初にお断りしておくと、新大久保はもちろんコリアンタウンです。注目を集めたところで言うとヨン様ブームに始まりますが、それだけじゃなくなっている……というのが2020年現在の新大久保。『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』によると、東京メトロの東新宿駅からJR山手線・新大久保駅までのあたりに韓流が密集しているのですが、山手線の高架をくぐって西側に行くと、世界が変わってくるのだとか。

 

同じ大久保通りでも、こちらに並んでいるのはネパール人やバングラディッシュ人の経営する雑貨屋や、ぜんぜん日本語表記のないあやしげな中華料理、ハラル食材店、国際送金の店、外国人向けの不動産屋……そこに広がっているのは、アジアの人たちの「生活の街」だった。なんだ、観光地よりもこっちのほうが面白いじゃないか。

 (『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』より引用)

 

しかも、2020年7月時点で大久保1・2丁目における人口の35%が外国人だというから驚き。小学校も様々な言語に翻訳された学級通信が掲示板に張り出され、インターナショナルスクール状態なんだとか!

 

著者の室橋裕和さんは、こんな多国籍化している新大久保で一体何が起きているのか? を体感したいと考え、お引越ししたという方。元々タイで10年ほど暮らしていたそうですが、その時の雰囲気とも似ているのだとか。

 

外食に出かけても同席しているのは外国人ばかり、近所を元気に走り回るのはベトナム人の女の子、日本食が食べたくてもお店がほとんどない、家具を買いに行って「14時に持っていくよ!」と言われたけど、連絡があったのは15時過ぎだったとか、とにかくエピソードが濃い。「新大久保は韓流好きの若い子たちが集まる場所だから」とどこかで決め付けていた自分もいたのですが、こんな話を読んだら行きたくなってきてしまった……!

 

でも、どうしてこんなことになったの?

コリアンタウンだけじゃなくなった背景には、2011年の東日本大震災があったといいます。震災を受け、母国に帰る中国人と韓国人が増えたそうなのですが、その穴を埋めるかのように、ベトナム人、ネパール人が増えていったのだとか。

 

東南アジア、南アジア系の人々に対し、留学ビザが下りやすくなったのだ。そして新宿区は日本語学校が乱立する地域だ。留学生はしぜんと外国人の多い新大久保に集まってくるようになる。人が増えれば店も増え、店がさかんに人を呼ぶ。震災後の10年足らずで、新大久保は一気に多国籍化していった……のではないかというのが、マッラさんの推測である。

 (『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』より引用)

 

このマッラさんは、1999年から発行されている『ネパリ・サマチャー』の編集長。新大久保にオフィスを構え、日々取材しながら在日ネパール人のためにネパール語の新聞を発行しています。元々、品川区の西小山で飲食店を経営する傍ら『ネパリ・サマチャー』を発行してきたそうですが、現在は『ネパリ・サマチャー』一本で、ウェブ版まで作っているというから驚き! ウェブ版をのぞいてみると、新聞には「03」から始まる電話番号のネパール料理のお店やカフェが広告を出していたり、資格取得について書かれている記事も発見。ネパール語なので読めませんが、母国から日本に移り住んでいる人にはどんなにかうれしい新聞だろう……としみじみしてしまいました。

 

日本人も住む街、新大久保

これだけ国際色豊かな街ですが、もちろん日本人も住んでいます。著者の室橋さんだって住んでいるし、ここで生まれ育った方もいらっしゃいます。100年近く代々この土地で商売をしてきた人だっていらっしゃいました。『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』には、2020年3月でお店を閉めてしまった靴屋のオーナーさんの声も掲載されています。

 

「100年、続きましたからね。そりゃあ残したいと思いましたよ」

街の観光地化、多国籍化にどうにか対応しようと苦心してきたが、ここ数年の韓流ブームの主役は10代の女の子たちだ。ヨンさまの頃にはお金のある40代から60代の女性が多かったが、いまは違う。まだ学生の若い韓流ファンにとって、例えば3000円の靴でも大きな買い物なのだ。日本人の住民は高齢化し、靴の需要はあまりない。東日本大震災以降に増えた東南アジア、南アジア系の外国人もときおり来店するが、どうしても客単価は低く、売り上げは年々下がるばかりだった。

 (『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』より引用)

 

わかってはいることですが、どこか悲しく感じてしまう部分もありますよね。

 

私はまだ自分の目で新大久保の街を確かめていないので、あくまで本を読んだ感想になってしまいますが、この変化し続ける新大久保の街から、未来の東京そして日本を知れるような気がしました。今年のうちに、この目でしっかり新大久保を確かめたい! そんな気持ちになっている、今日このごろです。

 

『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』には、新型コロナウイルスと戦う新大久保の姿も描かれています。また変わりゆく街の中で暮らす日本人はどんな気持ちなのだろう、未知の国である日本で暮らしながらコミュニティを築いていく人々にはどんな苦労があるのだろう、ブームを生み出す消費者は「ブーム」だけで終わらせていいのだろうか、など一冊読むだけで頭がパンクしそうなくらい考えることがたくさんありました。

 

ボリュームもたっぷりなので、秋の夜長にもおすすめです! 2〜3年後の新大久保は全く違う街になっているかもしれない……そんなことも考えながら、今いる日本、そして自分の住む街にも目を向けてみたくなる一冊になると思いますよ。

 

 

【書籍紹介】

ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く

著者:室橋裕和
発行:辰巳出版

“よそもの”によって作られ、常に変貌し続ける街・新大久保。気鋭のノンフィクションライターが活写した、多文化都市1年間の記録。

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雷を指揮する? 杖で指揮して死亡? 意外すぎる指揮者のハナシ――『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』

今年12月より取り壊されてしまう、吹奏楽の甲子園とも呼ばれる「普門館」。中学時代、吹奏楽部だった私も「いつかあの黒い床の舞台で演奏してみたい!」と夢見ていました。中学3年生では岩手県大会金賞を受賞したものの、東北大会へは出場できず、夢は叶わず。大人になってからもなんとなく普門館は気になっていて、「いつかそのうち行ってみよ〜」なんて軽い気持ちで過ごしていました。しかし、2011年の東日本大震災をきっかけに耐震調査を行ったところ、震度6以上でホールの天井が崩落する恐れがあるとして、今年11月のホール開放を最後に、12月から取り壊すことが決定しました。

(参考:http://www.kosei-kai.or.jp/fumonkan/

 

いつまでもあると思うな、親と金と普門館。

 

ということで、今回は『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』(藤野栄介・著/学研プラス・刊)より、吹奏楽やオーケストラには欠かせない指揮者について色々と探っていこうと思います。

 

 

指揮者のはじまりはバロック時代!

みなさんは、指揮者っていつ頃からいたのかご存知ですか?

 

管弦楽という、管楽器、弦楽器、打楽器を組み合わせたジャンルが登場したバロック時代に、「せーの」と合図を出したのが指揮の始まりと言われています。また当時は、作曲家が演奏者と指揮者を兼ねていたため、演奏しながらヴァイオリンの弓を動かしたりする人もいたそうです。そんな中に驚くようなエピソードがあったのでご紹介します。

 

ジャン・バティスト・リュリという作曲家は、演奏中に杖で床を叩いている際に誤って自分の足を叩いてしまい、破傷風で死んだというエピソードなどがよくクラシック史の中で語られていますが、この「杖で床を叩く」という行為が「指揮」のはしりとも言われます。

(『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』より引用)

 

え??  杖で指揮??  死ぬ??

 

このリュリさん、ルイ14世の病気快癒を祝した演奏会で指揮をしている最中だったそうですが、今のような軽い指揮棒ではなく、金属の重く長い指揮棒で床を叩くという方法で指揮をしていたそうです。快気祝いでテンションが上がっていたんでしょうね。

 

「ルイ14世おめでと〜〜! ドンドンドン……痛っ!」

 

と自分のつま先を叩いてしまいます。後日その傷が膿み、命を落としたそうなのですが、悲しすぎるよ!!  けれど、何かのコントか映画にでもなりそうなくらいなエピソードとも思ってしまいました。リュリさんに幸あれ!

 

 

指揮者に必要な4つの能力

現代において指揮棒で命を落とす……ということはなくなりましたが、あの軽い棒で指揮者はなにをやっているのか? と聞かれるといまいちピンとこない人が多いと思います。一般的に「右手で拍を刻んで、左手で表情を示す」とも言われますが、プロの指揮者も「指揮は教えられない」というほど、明確な定義や手法が固まっておらず、「朗読」に近いものだと「指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?」では語られています。また同じ楽曲でも、指揮者が変わると演奏が変わる理由を以下のように語っています。

 

・基礎的能力や指揮法などのアンサンブルを合わせる能力
・楽曲を読み取る力(スコアリーディング)
・オーケストラをエンロールする(巻き込む)力
・何がなんでも目指すレベルに導いていくという意思の強さ、実行力

(『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』より引用)

 

とは言ってもよくわからないなーという方のために、わかりやすい例を以下でご紹介します。

 

 

同じベートーベンの「運命」でも指揮者によって演奏時間が変わる

みなさんにお馴染みベートーベンの「運命」ですが、同じ「ンタタタ ターン」というフレーズのテンポによって、曲全体の印象を大きく変えてしまうそうなんです。

 

軽快に「タタターン!」とやると30分11秒で、重厚感がある「ダッ、ダッ、ダッ、ダーン!」と演奏すると38分38秒と、全部で4楽章ある演奏時間が8分も変わってくるというのです。

 

もちろん、「タタターン!」だけ早くしているわけではないのですが、指揮者がどんな「運命」と感じたかによって、同じ楽譜でも表現が変わるということなんですよね。自分なりの表現をしなければいけないので、プロが言う指揮は教えられないというのも納得! 演奏会で運命を聞く機会があったら、ぜひ指揮者にも注目してみましょう。

 

 

演奏も人生も止まれない! やり直せない

また、オーケストラだけでなく観客を巻き込む力をもっている指揮者のエピソードもご紹介します。

 

野外で演奏会をしていた時、突如雷が鳴り出し、観客は演奏に耳を傾けるどころではなくなっていたそうです。その際、指揮者(マエストロ)が行った行動で観客の雰囲気がほぐれたのですが、一体どんな指揮をしたのでしょうか?

 

そのとき、なんとマエストロは、突然、オーケストラではなく、雷に向かって指揮をし始めたのです。ステージ右側から雷が落ちる音が聞こえれば右に、左側から雷の落ちる音が聞こえればすぐさま左にタクトを振ります。観衆は彼のその滑稽な指揮姿にびっくりした様子でしたが、しばらくすると笑い声も聞こえてくるようになりました。

(『指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?』より引用)

 

 

演奏中に雷は鳴り止み、無事に演奏会は終了。終了後、指揮者のもとには喜びと感謝を伝えたい観客で列ができたそうです。なんだか心温まる〜♪

 

もう普門館で指揮者の姿を見ることはできませんが、これまでに普門館で演奏された楽曲の音源は聞くことができます。音源だけでは姿の見えない指揮者ですが、想像力を豊かにして、「この指揮者の性格は頑固そうだな」「こっちの指揮者はせっかちだな」などと、同じ楽曲で聴き比べてみるのも楽しいかもしれません。あぁ〜普門館言って見たかったなぁ。

 

【書籍紹介】

指揮者の知恵 なぜ指揮棒ひとつでオーケストラはまとまるのか?

著者:藤野栄介
発行:学研プラス

指揮者って、いったい何をやっているの? あの指揮棒で何を指示しているの? オーケストラは、個性あふれる専門家集団。その集団を、指揮棒ひとつでまとめ、美しい音楽を奏でるための方法を、現役指揮者が公開する。

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彼女はファッションで武装する――『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』

幸か不幸か、私は会社勤めをしたことがありません。大学を卒業する前に結婚し、専業主婦になったからです。当然のことながら、通勤のための洋服についてまったく知識がありません。就職活動もしなかったので、今で言うところのリクルート・スーツを着たこともないのです。

 

大学を卒業した後、周囲の友だちは就職し、スーツを身にまといバリバリ働いていました。私はそんな彼女たちを「かっこいいな~~」と思って、ただ見ていたのです。

 

 

エッセイストは何を着るべきか

私はといえば、ジーパンにトレーナーで過ごす毎日…。念願の息子も生まれ、それはそれで幸福だったのですが、一方で自分がどんどんくすんでいくようで、「なんとかしなくちゃ」と焦っていたのは確かです。

 

子育てが一段落した頃、私は自分のしたいことを見つけました。エッセイを書くようになったのです。最初は投稿するだけで満足でしたが、やがて原稿料をもらうようになりました。もっとも、服装は相変わらずで、ほとんどパジャマのような姿で一日を過ごしていました。エッセイストは在宅勤務ですから、通勤とは無縁です。むしろ、専業主婦の頃より、家にいる時間が増え、お出かけ着はさらに必要なくなりました。

 

しばらくすると、講演会や審議会などの仕事が転がり込むようになり、突如、服を買う必要に迫られました。急なことで何を着ていいかわからず、とりあえず紺や黒のパンツスーツを揃えました。そんなとき、紺のパンツスーツは鉄壁に思えました。とりあえず文句は言われません。

 

 

「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」

私自身は満足したまま、年月が過ぎていたのですが、7年ほど前のこと、大先輩の女性に「あなた、いつも紺色の上下ばかり着てるわね。エッセイストという職業は、華がないと駄目よ。それじゃ、まるで制服じゃないの」と、注意されました。

 

そして、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」という映画を観るよう、アドバイスされました。メリル・ストリープが英国首相を演じ、アカデミー主演女優賞を獲得した作品です。

 

政治家のドラマにはそれほど興味はない私ですが、すぐに観ることにしました。「彼女が身にまとう服は、女が社会で働くとき自分を守る鎧のように機能的で美しいから、参考になるわ」という彼女の言葉を信じたのです。

 

 

サッチャーのファッション

映画を観て納得しました。メリル・ストリープ演じる鉄の女・サッチャーは、側近のアドバイスを受け入れ、見事な金髪をセットし、綺麗な色のスーツを着ています。首には夫に贈られたパールのネックレスを忘れません。

 

私のように、背広のような服装などしません。ふーん、なるほど。私は感心しました。紺色のパンツ・スーツは変わらず好きでしたが、明るい色のスーツも着るようにしました。
パールのネックレスも、それまではお葬式用だと思っていましたが、仕事に行くときにしてみると、なかなかに上品に見えると知りました。

 

だからというわけでもないでしょうが、苦手だった会議や講演も、少しはましに発言できるようになったような気がします。スーツという名の鎧に守られていたのかもしれません。

 

 

誰もがレジェンドになり得る!!

映画でマーガレット・サッチャーのファッションを学んだことがきっかけで、私はサッチャーその人について、もっと知りたくなりました。そこで、“時代を切り開いた世界の10人シリーズ”から『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』(高木まさき、茅野政徳・監修、弦川琢司・文、黒曜燐・絵/学研プラス・刊)を選び、読んでみました。

 

このシリーズはレジェンドと呼ばれるようになった主人公を取り上げています。物語は、彼らが何かを成しとげた場面から始まります。なぜ偉業を成し遂げることができたのかという謎に迫るために、効果的な手法だからでしょう。レジェンドの一生をひもとくのは本当にワクワクする体験です。

 

前書きにも書いてあります。

“私たちはだれもがレジェンドとなり得る。本シリーズはそんな思いもいだかせてくれる”と。

(『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』より抜粋)

 

 

マーガレット・サッチャーという人生

マーガレット・サッチャーは、イギリスの田舎町で食料品店を営むアルフレッド・ロバーツの娘として生まれました。勤勉な両親のもとで、きびしく育てられた彼女は、お店を手伝いながら、勉学に励み、オックスフォード大学に進学します。そして、弁護士となって活躍を始めます。

 

それだけでも素晴らしいことなのに、彼女は政界入りを模索するようになりました。イギリスをもっと良い国にしたいという熱意を持っていたのです。夫となったデニスが会社を経営し、経済的に安定したことも助けとなりました。結婚生活は順調でマークとキャロルという双子の子どもも授かります。

 

けれども、彼女は貪欲でした。新人議員として活躍した後、その仕事ぶりが皆に認められ、ついに保守党の党首まで上りつめたのです。イギリスで初めての女性首相として行った政策は男性顔負けの徹底的なもので、やがて「鉄の女」と呼ばれるようになります。

 

 

鉄の女の政策

マーガレット・サッチャーは、当時、ストが続き経済的に破綻をきたしていたイギリスを誇りある国に立ち直らせようと、必死にたちむかいます。

 

さらには、アルゼンチン軍が領海侵犯を犯すと、迷うことなくフォークランドに軍隊を送ることを決断して宣戦布告しています。開戦から1か月の間、アメリカをはじめとする国々から、話し合いで解決しては」どうかという調停案を受けても、耳を貸さずに雄々しく攻撃を断行。とうとう敵を降伏に追い込んだのです。

 

彼女が戦いを挑んだのはアルゼンチンだけではありません。ストライキばかりする労働組合にも強硬な対策を断行したり、国営企業を民営化して競争力を高めたりしました。
今まで誰もがなしえなかった方法で、イギリスの内部に対しても容赦のない戦いを繰り広げたのです。

 

辞任は夫のアドバイスで

11年半もの間、首相をつとめてきた彼女でしたが、とうとう身を引くときがきました。党内に意見の不一致があることには気づいていたものの、腹心と信じていた副首相のハウが辞表を出すに至り、「見捨てられた」と感じたといいます。さらに、夫・デニスの「ぼくは君の屈辱的な姿を見たくないよ」の言葉が決定打となり、彼女は首相の座をおりたのです。

 

私は彼女の物語を軽い気持ちで読み始めました。服装の参考にしようと考えてのことでした。けれども、結果的には悩みながらも雄々しく挑む彼女の姿に感動しました。マーガレット・サッチャーは、ぶれない強さを持つと同時に、妻として母としての役割を果たしているのだろうかという苦しみを抱えた女性だとわかったからです。

 

男性にも女性にも何かを訴えかける本、それが『時代を切り開いた世界の10人 5巻 マーガレット・サッチャー』だと、思います。

 

【書籍紹介】

時代を切り開いた世界の10人  5巻 マーガレット・サッチャー

著者:高木まさき(監修)、茅野政徳(監修)、弦川琢司(文)、黒曜燐(絵)
発行:学研プラス

どん底のイギリス経済を立て直し、フォークランド紛争に勝利し、国民の自信と誇りを取り戻したイギリス初の女性首相。中流家庭に育つも、強いリーダーシップで「鉄の女」と呼ばれるに至るその素地は、父の教育によるものだった。リーダー教育に格好の教材。

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終戦記念日にカントの言葉から戦争と平和について考えてみる――『永遠平和のために』

8月15日、73回目の終戦記念日を迎えた。

 

今は亡き実家の母親は、ポツダム宣言受諾を申し入れ無条件降伏したこの日のことをいつもこう語った。「玉音放送を聞いてから、家に帰って布団を敷いて寝たの。もう空襲がないから安心して眠れるって思ったからね」と。

 

母にとって、平和とは空襲警報に怯えずに眠ることを指したのである。そういう経験を持たない私は、何を基準にして平和について考えるべきなのだろう? 終戦記念日を迎えるたびに私は悩む。

 

カントについて、あなたはどのくらい知っていますか?

永遠平和のために』(池内 紀・訳/集英社・刊)は、18世紀に生きた哲学者・カントの著作を、ドイツ文学者でエッセイストの池内 紀が翻訳したものだ。この本には、本文が始まる前にカントの言葉が写真と共に紹介されている。言葉のひとつひとつが実に力強く、乾いた土が水を吸い込むように心にしみこんでくる。

 

実は、私はカントのことをほとんど知らないまま今日まで来てしまった。知っているのは、有名な哲学者であること。時計のように正確に、規則正しく生きた人だというエピソード、そのくらいだ。

 

『純粋理性批判』という著作も知ってはいるが、わかっているのはタイトルだけ。きちんと読んだことはない。まして、71才のときに『永遠平和のために』という本は、出版されたことすら知らなかった。

 

 

名編集者がいきついた先はカントだった

そんな私が、なんだか難しそうなこの本『永遠平和のために』を読もうと思った理由は、ただひとつ。名編集者として知られた池孝 晃が、長い編集生活の最後にカントにいきつき、わかりやすい日本語にして若者に届けたいという情熱をこめて作った本だと知ったからだ。

 

なぜカントなのか? なぜ『永遠平和のために』なのか? その謎を解きたくて私は読み始めた。

 

『永遠平和のために』は2007年に出版された本だが、しばらく絶版のような状態にあったという。しかし、世の中が推移するうちにじわじわと読まれ始め、今も版を重ねている。良い本は時を越えて読み継がれていくものだということだろう。

最近の若者は駄目なのか?

ところで、最近日本の若者は政治にも外国の情勢にも平和にも興味を持とうとせず、ゲームばかりしていて本も読まないと多くの人が言う。海外旅行をして見聞を広めたいと願う人も減る一方で、授業にも反応しないと嘆く先生も多い。

 

私は人に何かを教えたことがないのでよくわからないが、そうなのだろうか? と、いぶかしく思う。一見したところは無気力に見えても、日本の若者は馬鹿じゃない。いい物を判別する力を持っている。

 

少なくとも、私が若いときよりはずっと物知りだし賢い。私がよくわからないパソコンのことや、音楽のことを聞くと、熱心に教えてくれる。自慢じゃないが、そして、本当に自慢などしている場合ではないが、若い頃の私は何も考えていなかった。年上の人に何かを教えたりもしなかった。ぼーーっと起きて、学校に行き、あぁ、何とかしなくちゃなあと思っているうちに、一日が終わった。

 

心優しき友だちは「アッコは、あぁ見えていろいろ考えているんだよ」とかばってくれたが、半ば昼寝しているかのように漂っていて本当に何も考えていなかったのである。

 

 

トライし、挫折したカント

そんな私だが、大学の頃、突如、哲学書を読んでみようと思いたちカントにトライしたことはある。しかし、その難解さに驚きすぐにギブアップして放り出した。内容が難しい以前の問題として、何がなんだかさっぱりわからなかった。これは果たして日本語だろうかと思った。翻訳が悪いというより、日本語になりにくい考え方が記してあるのではないかと感じた。だからといって原著で読む能力も気力もない。

 

振り返ってみれば、哲学書を読む訓練をしていなかったからかもしれない。そもそも、カントは1724年生まれであり、つまり294年前の人だ。こうなると、歴史の彼方におぼろげに存在するという感じだ。

 

故郷も東プロシアの首都ケーニヒスベルグで、ここは複雑な事情からもう存在せず、現在ではロシア領カリーニングラードにあたる。今やなくなってしまった町に、300年近く前に生まれた人の言葉にそれでなくてもぼーーっとしている私が反応するのは、やはり無理だったのだ。カントに私を導いてくれる水先案内人が必要だったのに、探そうともしなかった。

 

カントの几帳面ながら数奇な生涯

今回、カントの年譜を読み、やはりそこには人を惹きつける何かがあると確信した。年譜を読むのが大好きな私にとって、それは舌なめずりしたくなるような内容だ。

 

カントは1724年に革具職人の息子として生まれ、生涯を通じて東プロシアを出ずに暮らした。出不精だったのか、旅が嫌いだったのか、住んでいる町に満足していて外に出る必要を感じなかったのか。それとも、当時の人は生まれた町で育ち、生き、死んでいくものだったのか。それはよくわからないが、とにかく限られた地域の中で几帳面に生き、学ぶ。それがカントの暮らしだった。

 

当時、男は父親の職業を継ぐのが普通の生き方だった。しかし、カントは革具職人にはならず勉学の道を選び、31才頃から家庭教師で生計を立て、王立図書館の司書となった。やがて、46才でケーニヒスベルグ大学の講師となって、論理学や数学を教えたあと哲学教授となったという。

 

彼は哲学で生計を立てた最初の人なのである。そして、57才で『純粋理性批判』を著し、79才で「これでよい」という最期の言葉を残して息を引き取るまで、ただひたすらものを考え続けた。

カントの言葉 その1

『永遠平和のために』では、まさに納得と思う言葉が私にもわかるように示されているが、中でもすごいと私がうなったのは……。

 

いかなる国も、よその国の体制や政治に、武力でもって干渉してはならない。

内部抗争がまだ決着をみていないのに、よそから干渉するのは、国家の権利を侵害している。その国の国民は病んだ内部と闘っているだけで、よその国に依存しているわけではないからだ

(『永遠平和のために』より抜粋)

 

おそろしいほど、今に通じる考え方ではないか。

 

 

カントの言葉 その2

他にも

隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとってじつは「自然な状態」ではない。
戦争状態、つまり敵意がむき出しというのではないが、いつも敵意で脅かされているのが「自然な状態」である。だからこそ平和状態を根づかせなくてはならない。

(『永遠平和のために』より抜粋)

 

まったくもって、胸をえぐる言葉だ。

 

平和な世の中を享受し、ぼーっと生きていた若い頃の自分に、「ほら、ぼやぼやしていないで、この本を読みなさい。今すぐ」と差し出したくなる。けれども、それはできない。
私はすでにいたずらに年を取ってしまった。今まで、政治や戦争について、よくわからないからと目を背けて生きてきた。それが楽だったからだ。後悔しているが、もう遅い。

 

だからこそ、これから社会に出る若者たちに、気力がないと非難される彼らに、この本をプレゼントしたい。ここには、あなたたちの未来を変えてしまうような衝撃的な、しかし、予言に似た言葉が並んでいる。

 

それにしても、300年近く前に生まれた人が、すでに今の世を射通すような言葉を残していたなんて。やはり、カントはすごい。さらには、書物という媒体のすごさも改めて認識する。書物として残されていなかったら、私たちはカントの考えに触れることはできなかった。

 

もちろん、翻訳した池内紀も、写真家の野町和嘉・江成常夫も、銅板画家の山本容子も、そして、何より、この本を編んだ編集者・池孝晃がすごいと思う夏の午後である。

 

 

【書籍紹介】

 

永遠の平和のために

著者: イマヌエル・カント(著)、池内紀(訳)
発行:集英社

【「憲法9条」や「国連」の理念は、この小さな本から生まれた】「戦争状態とは、武力によって正義を主張するという悲しむべき非常手段にすぎない」「常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである」「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」。1795年、71歳のカントは、永い哲学教師人生の最後に、『永遠平和のために』を出版した。有史以来、戦争をやめない人間が永遠平和を築くために必要なこととは? 力強い平和のメッセージ。

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大阪で海老蔵に「にらまれた」話――『團十郎と海老蔵』

8月4日、小林麻耶アナウンサーが結婚を機に仕事を辞めて主婦業に専念すると発表しました。その時、私の頭をよぎったのはかつて大阪の松竹座で行われた市川海老蔵の舞踊会のシーンでした。

 

 

2009年 春

あれは、2009年の春のこと…。大阪で新型のインフルエンザが猛威をふるったことがあります。新型のためワクチンも効き目がないとのことで、皆が不安に陥っていました。大阪への出張を自粛する会社まであり、関西在住の私としては、鬱屈した思いになりました。

 

その頃、東京で大事な会議がありました。1年も前に決まっていたスケジュールでしたし、体調も良いので出かけたのですが、「関西から来たの? 休めばいいのに。移さないでよ」、言われました。冗談ではなく、本気で迷惑がられているのがわかり、ひそかに傷つきました。

 

 

海老蔵がにらみにやって来る!!

暗い気分で神戸の家に帰ると、友達から連絡がありました。「市川海老蔵が大阪の松竹座で特別舞踊公演に出演するわよ。そのとき、大阪の人をにらんでくれるらしいよ。行っておいでよ」というのです。

 

「にらんでくれる?」

 

訳がわからず煩悶する私に、歌舞伎通の彼女は教えてくれました。にらみとは、目をぐっと中央部に寄せ、より目の状態で客席をにらむことをさします。単なるポーズではなく、悪者や病気を祓うために行われる厄払いの儀式で、市川家に代々伝わるものだそうです。

 

人気者の市川海老蔵がインフルエンザ騒ぎの大阪にわざわざやってきて、予定になかったにらみを披露するというのですから、これは行かずにはいられません。

 

私はあわてて席を予約しいそいそと出かけ、海老蔵の「にらみ」をこの目で見ました。それが良かったのでしょうか。猛威をふるったインフルエンザに、かからずにすんだのです。

 

 

にらんでいたから、頑張ることができたのでは?

以来、ずっと勝手に恩義を感じていたのですが、小林真央さんが病気になったという報道があり、よけいなお世話と知りながら、お気の毒で仕方がありませんでした。ちょうど家族に病人がいたこともあって、胸に迫りました。とても他人事とは思えませんでした。

 

けれども、私は考え直しました。きっと市川海老蔵は毎日、愛妻をにらみににらんで、病気を撃退するよう頑張っているだろうと思ったからです。残念なことに、闘病の末、真央さんは亡くなりました。けれども、最期の最期まで頑張り周囲の人を励まし続けたといいます。これも一種の癒やし、言い換えればにらみの力ではないでしょうか。

 

 

市川宗家とは何なのか?

團十郎と海老蔵』(江宮隆之・著/学研プラス・刊)は、團十郎と海老蔵という歌舞伎界でも特別な大名跡について事細かに教えてくれる本です。おかげで私は、おぼろげにしかわからなかった團十郎と海老蔵の世界に踏み込んで、理解することができました。

 

市川家は歌舞伎界の最高権威の家として尊敬を集める特別な家です。「市川宗家」と呼ばれ、他に類を見ない存在として君臨しています。著者・江宮隆之は、尊敬をこめて團十郎と海老蔵を調べ上げ、代々の歴史について、詳しくわかりやすく解説しています。

 

江戸時代の初代から現代の十二代目まで、歌舞伎役者・市川團十郎(海老蔵)の歴史は、そのまま歌舞伎そのものの歴史であるといっても決して過言ではありません。

歌舞伎界の市川家では、市川團十郎と市川海老蔵という名前が最も大事な名前です。現代の市川家では、新之助、海老蔵、團十郎というように名前を変えていく方法を取っています。まるで成長する度に名前を変える出世魚のような世界ではありませんか。

(『團十郎と海老蔵』より抜粋)

 

 

初代から12代まで、そして、13代へつながる道

著者は豊富な資料にあたり、初代團十郎から十二代團十郎までを描ききりました。どの人が一番魅力的かは人によって違うでしょう。長命な人もいれば、若くして亡くなった方もいます。

 

それぞれの團十郎が極めて強い個性を持っていて、すべて紹介したいところですがかないません。『團十郎と海老蔵』を読んで、理解を深めていただきたいと思います。

 

私はといえば、初代・團十郎の人生に驚かされました。

 

「荒事」と呼ばれる芝居を得意とし、時代の寵児となった役者です。「にらみ」を開発したのも初代だとか…。ところが、あろうことか舞台に出演中、役者仲間に刺し殺されたというのです。あまりにも衝撃的な最期ではありませんか。

 

現在の市川海老蔵は、脈々と続くこうした先達の芸を継承しながら13代團十郎を襲名することになるのです。それも愛妻の助けなしに…。本当に大変だと思います。重責に押しつぶされそうなときもあるに違いありません。

 

けれども、彼はこれまで伝統を守りながらも新しい舞台を目指して、アメリカ公演やパリ公演にも挑戦し大成功をおさめています。13代の襲名披露がどんなものになるのか? そもそもどこでやるのか? いつやるのか? 考えただけでもワクワクします。13代團十郎の誕生を楽しみに待ちたいと思います。

 

【書籍紹介】

團十郎と海老蔵

著者:江宮隆之
発行:学研プラス

團十郎という名跡は海老蔵が襲名するものと思われがちだが、過去には團十郎引退後に海老蔵を名乗った人物も多い。初代から未来の13代まで、歴代の團十郎の数奇な運命と襲名の舞台裏を紐解きながら、なぜ團十郎は特別なのか? 大名跡のもつ数々の謎に迫る!

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自由研究にもってこい!「もし、戦国武将が○○だったら」――『戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート』

サッカーを題材にしたマンガやゲームなどは結構ある。それだけ人気のあるスポーツの証拠だろう。リアリティ重視のものもあれば、必殺技が飛び交うものまで、いろいろなパターンがある。

 

 

戦国武将の遺伝子を組み込まれたサッカーゲーム

戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート』(海藤つかさ・著/学研プラス・刊)は、サッカーを題材にした小説だ。

 

タイトルを見るとわかるのだが、戦国武将が登場する。ただし、戦国武将がサッカーをするわけではない。小説内に出てくる「戦国ストライカー」という戦国武将がサッカーをするというゲームから、武将たちが飛び出してサッカー少年に憑依し、サッカーをするというストーリー。なかなかファンタジー感あふれる内容だ。

 

この架空のゲーム「戦国ストライカー」には“ゲームクローン”という技術が使われているという設定。これは、戦国武将たちの「本物の遺伝子」を取り込んでいるということ。なので、ゲーム内でも各キャラクターがそれぞれ意思を持って動き回るようだ。

 

ちょっと未来の設定のようだが、2018年の世界ならAIを使って再現できるような気がしないでもない。遺伝子には叶わないと思うが。

 

 

戦国武将のサッカー選手としての能力は?

結構な数の戦国武将が登場するが、メインとなるのは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人だ。主人公のタケルに憑依するのは、織田信長。ゲーム内では、戦国武将としての能力(強さ)が、すべてサッカーの能力(攻撃力・守備力)に置き換えられており、以下のようになっている。

信長のポジションはフォワード。機動力がスゴくて、味方がボールを奪うと一気に敵陣までダッシュし、カウンターアタックを決める。おまけに突破力もスゴくて、少しくらい敵に囲まれても、得意のドリブルでディフェンダーを切りさいていく。(中略)ただ、信長は、闘志が強すぎて暴走したり、調子の波が激しくて安定感に欠けていたりする。

『戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート』

 

戦闘力は高いものの、熱くなると周りが見えなくなるという信長の性格がそのままサッカーに反映されているようだ。そこで重要になってくるのが、参謀役。そう、豊臣秀吉だ。

 

秀吉はミッドフィールダー。パワーはないもののスピードとテクニックに長けており、信長へパスをつなぐ重要な役目を担っている。ただ、女性への声援に弱い面がある。

 

ゴールキーパーの徳川家康は、守備力に優れ、リーダーシップが高い。ただし、成長速度が遅め。大器晩成タイプだ。

 

敵方として出てくるのは明智光秀や松永久秀、浅井長政など。明智光秀はオールマイティでどのポジションでもこなす。松永秀久はラフプレーが得意。浅井長政はイケメンという設定。信長、秀吉、家康と対立していた武将たちがライバルとなっているのも史実に基づいている。

 

 

夏休みの自由研究のテーマにいかが?

僕は、それほど日本史、というか戦国武将について詳しいほうではないが、この小説を読んでいるとそれぞれの戦国武将がどんな性格をしているのか、そしてどんな因縁があるのかがわかり、おもしろかった。

 

基本的には熱血サッカー小説なので、「努力・友情・勝利」的なストーリーも楽しめる。結構お得な感じだ。この小説はサッカーが題材だったが、野球やバスケットボール、バレーボールといったチームスポーツのメンバーを戦国武将で考えると、結構おもしろいかもしれない。歴史好きの小学生などの自由研究のテーマとして取り上げてもおもしろいかも。チームメンバーを決めるだけでなく、試合展開なども詳細に考えると、よりリアリティが出る。

 

歴史上の人物と現代をシンクロさせるというのは、創造力がポイント。それぞれの人物の性格をしっかり把握して、どんなプレイをするのか。そんなことを綴った自由研究、どうですか?

 

【書籍紹介】

 

戦国ストライカー! 織田信長の超高速無回転シュート

著者:海藤つかさ
発行:学研プラス

サッカー少年・タケルを危機から救うため、織田信長が現れた! タケルに同化した信長は、その驚異的なシュート力で点をとりまくる。さらに、豊臣秀吉、徳川家康も参戦して…。戦国のスター武将たちが現世に飛び出して、大サッカーバトルを繰り広げる!

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第二次大戦史もミリタリーも全然詳しくないライターが「歴史群像150号」の特別付録のボードゲームをやってみた

暑い日が続いて、クーラーで涼みながらお家でのんびりボードゲームをしたいけど、ひとりでできるものってなかなかないんだよなぁ〜なんて思っていたら、あった!!  しかもミリタリー・戦史マガジン『歴史群像』の特別付録…!

 

その名も「バルジの戦い」。

 

「バルジってどこ?」なんて言ってしまうほど、この戦いを知りませんでした(ごめんなさい)。とりあえず、世界史よりも日本史、ミリタリーよりもお家でヒキコモリーしていたい私が『歴史群像 2018年 08 月号』(歴史群像編集部・編/学研プラス・刊)の特別付録ボードゲームをやってみましたので、その様子をご覧ください(笑)。

 

 

付録の前に…本誌のドイツ軍特集がすごすぎる!

第二次世界大戦におけるドイツ軍と聞いて思い浮かぶのは、なんとなく冷酷で残虐なイメージが強いのですが、その裏側にはとてつもない「戦略」の数々がありました。戦争と聞くと、まず実際に戦いをする兵士たちに注目してしまいますが、戦いを指示し、戦略を考える人たちがいたわけですから、その戦略を知ることは驚きの数々でした。使う武器、敵陣に向かうルート、戦車…今の平和な日本に暮らしていては知らないことばかり。「本当にこんなことやってたの!?」と思ってしまいます。

 

 

ドイツの軍服もすごい

↑特集は「ドイツ陸軍」。作戦術から野戦服まで濃厚な記事が並んでいます!

 

すごいといえば、『歴史群像 2018年 08 月号』で図説されている36年型野戦服の記事も知らないことがたくさんでした。36年型野戦服とは、1936年11月15日付で制式化されたドイツの軍服で、1940年まで仕様が変更されず大量生産されたものです。

 

36年型野戦服は、製造期間と兵士の動員数からして、少なく見積もっても100万着単位で製造されているはずである。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

すごい数…! 今のように、一度に何着も作れるような時代でなかったことは容易に想像できますが、『歴史群像 2018年 08 月号』では写真付きで軍服ができるまでを知ることができます。ものすごい人数の人たちが一着一着丁寧に寸法をとり、ミシンで縫い付け、毎日500着が作られていたそうです。36年型ができるまでにも、28年型・33年型・35年型と過去に3デザインの軍服があったそうです。いやぁ、軍服ひとつにも、それぞれ歴史があるものなんですね!

 

その前に「バルジの戦い」って何?

「●●の戦い」と聞くと、ついつい場所と思ってしまいますが、このバルジは地名ではありません。

 

ベルギー北部の要港アントワープを目指して行われたこの作戦では、戦線が西に向かって大きく張り出したため、当時のイギリス首相のチャーチルは「バルジ(張り出し)の戦い」と表現しました。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

ちなみに、戦いが行われたのは1944年12月16日から翌年の1月25日までの寒い日で、場所もなんと森の中! 雪が積もった山の中を、戦車や飛行機部隊を使って、連合軍のアメリカ軍と、ヒトラー率いるドイツ軍が戦いました。最初はドイツ軍がどんどん進撃し、バルジを作りましたが、結果としてそのバルジはアメリカ軍によって元の戦線まで戻されてしまい、連合軍の勝利で幕を閉じます。アメリカ軍はこの戦いで8万名もの戦死者を出しており、勝利とは言っても…という気もしちゃいますよね。

 

 

戦場に入り込んで戦っているような感覚に…

↑こちらが「バルジの戦い」のボードとコマと説明書。こ、細かい……

 

ということで、バルジの戦いについて知識がついたところで、いざゲーム開始です! 準備をして、ルールブックを見ながらいざ!  と思ったのですが、なんだかんだで終了まで5時間かかりました(笑)。どんなルールかを簡単にご説明いたします。

 

このゲームは、野球の「回」と同じような「ターン」という手順を計5回繰り返すことで進行します。1回のターンは、実際の3日間を表しています。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

と、これだけみると「なーんだ、簡単じゃん」と思うのですが、使うコマが59個あったり、コマそれぞれに意味があったり、ルールブックの説明だけでも15ページ近くあるためまずこれを理解するのに時間がかかる!

 

ただ、基本はサイコロを振ってコマを進め、敵とぶつかったらそこでもサイコロを振って勝敗を判定するというもの。このゲームの場合、どれだけ西に向かって進撃できるかでゲーム自体の勝敗が判定されますが、戦場には川が何本も流れていて、橋がかかっていますが、そこを守る米軍をいかに早くやっつけられるかがカギとなります。ここでもたもた戦いを続けていると、前進することができないからです。

 

後半は「とりあえずバルジ作るか!」と謎の気合いが入り、細かな戦法よりも、とにかくゲームの目的である、いかに西に向かって前進するかの一点に集中することに切り替えて、良い目が出ることを祈って、ひたすらサイコロを振り続けました。

 

まさに自分自身が戦場に入り込み、コマたちと一緒に戦っているような、そんな5時間を過ごしたのでした。(闘志を高めるBGMがあるとさらに良いかもしれません!)

 

このタイプのゲームは、初心者でも、ルールブックを見ながら何回かやると自然にルールを覚えていくそうです。覚えてしまえば、この付録では1~2時間で終わるように設計されているとのこと。

 

 

もうひとつの付録「モスクワ攻防戦」

↑こちらは2人用の「モスクワ攻防戦」のボード

 

時間はかかったものの、とても勉強になったこちらのボードゲーム。なんともうひとつ2人でプレイするボードゲームも付いてます。歴史群像の編集部の人たち凄まじい! 2人用のボードゲームは「モスクワ攻防戦」。

 

モスクワ攻防戦は、1941年の秋から冬にかけて、第二次世界大戦の東部戦線(独ソ戦)の最初の決戦であったモスクワ攻防戦を再現する、2人用ボードゲームです。一方のプレイヤーがドイツ軍を、もう一方のプレイヤーがソ連軍を担当します。

このゲームは、独ソ両軍の地上部隊の行動に焦点を当てており、各プレイヤーは定められたルールに基づいて、自分部隊の移動や行動を決断し、モスクワ攻防戦の勝者となることを目指します。

(『歴史群像 2018年 08 月号』より引用)

 

ちなみにこちらの戦いは、3か月ほど続いた戦いで、結果的にソ連軍が勝利を収めています。このゲームでも終盤に訪れる「冬将軍」とどう戦うかなどしっかり史実も盛り込まれているので、「もしドイツ軍が勝っていたら」と思いを馳せながら楽しんでみると良いかもしれませんね。

 

ミリタリーよりヒキコモリーな生活を送っている私が、5時間のゲームを通じて今まで怖いと思って避けていた戦争映画を見なければと、謎な使命感に駆られるようになりました。当たり前ですが、私は戦争体験をしていません。これからもできればしたくありませんが、「どんなことであれ、これまでの歴史があったから私がいる」ということを深く感じられました。

 

【書籍紹介】

歴史群像 8月号(№150)

著者:歴史群像編集部
発行:学研プラス

太平洋戦争、戦国合戦、西洋戦史、現代紛争。古今東西の「戦い」をテーマに歴史の真相に鋭く切り込むナンバー1戦史マガジン! 読み応え満点の特集記事を4本(通常号では異なる時代、ジャンルから厳選した3本。今月号は記念号のためドイツ陸軍大特集号となっており、構成が異なります)。を始め、独自の切り口で「発見」のある記事満載。オリジナルなビジュアルにこだわったカラー記事も充実!

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【朝の1冊】「壬生浪士組」に「甲陽鎮撫隊」と名前が変わった幕末の団体とは?

団体名というのは、最初に付けたときから変わらない場合と、さまざまな状況により変更していく場合がある。

 

プロ野球チームの場合、オーナー企業が変わると球団名も変更される。バンドもメンバーの脱退や、再デビューの際にバンド名を変えるということもよくあることだ。イギリスのバンド、カジャグーグーからボーカルのリマールが抜けて「カジャ」に改名したときは、「リマールはグーグーだったのか」と思ったものだ。

 

 

「壬生浪士組」結成

「壬生浪士組」(みぶろうしぐみ)、「甲陽鎮撫隊」(こうようちんぶたい)。実はこの2つの団体名は、日本の歴史上において有名な団体の変更前、そして変更後の名前だ。わかるだろうか。

 

正解は「新選組」だ。

 

歴史に詳しい人ならばすぐにわかることかもしれない。しかし、歴史にとても弱い僕は、今回マンガで読める日本の伝記『新選組』(大石 学・監修、ひのみち・絵、こざきゆう・脚本/学研プラス・刊)を読んで、新撰組が3回名前が変わっていることを初めて知った。

 

1862年(文久2年)、当時の政治の中心地であった京都は、周囲の藩から尊王攘夷、倒幕運動の志士が集結。その結果、京都所司代と京都町奉行では防ぎきれないと判断。清河八郎が、徳川家茂将軍の上洛の際に、将軍警護の名目で江戸において浪士を募集した。

 

1863年(文久3年)2月8日に「浪士組」として200人あまりの浪士が江戸を出発。2月23日の京の壬生村に入ったところ、清河八郎は浪士組を天皇配下の兵にしようと画策。それに反発した近藤勇、土方歳三、沖田総司などが京都に残ることを決意。このとき、会津藩主の松平容保の下、京の警護を任される。このとき付けられた名前が「壬生浪士組」だ。

 

 

「新選組」? 「新撰組」?

同年8月18日、会津・薩摩両藩の「公武合体派」が、「尊王攘夷派」の長州藩と公家の一部を京から追放。俗に言う「八月十八日の政変」の歳に、松平容保より「新撰組」の名前をいただく。

 

ちなみに「新撰組」と書く場合と「新選組」と書く場合があるが、どちらも実際に使われていたようだ。

新選組の隊名には「選」と「撰」の字の両方が使われていた。局長の近藤自身が両方を使っており、会津側に提出した書面には「新選組惣代 近藤勇」と書いていた。なお、会津藩側が組に送った書状には「撰」が多用されていたといわれる。

(『新選組』より引用)

以前から、どちらが正解なんだろうと思っていたが、結局どちらでも正解だったようだ。

 

 

戊辰戦争で「甲陽鎮撫隊」に

1867年(慶応3年)10月、徳川慶喜将軍が大政奉還を行う。新選組は戊辰戦争で新政府軍に敗北。戦力が低下した結果、新政府軍の甲府進軍を阻止する任務に就く。そのとき「甲陽鎮撫隊」となる。

 

ほどなくして、近藤勇は新政府軍にとらわれ処刑、沖田総司は結核で死亡、土方歳三は蝦夷地へ向かい新政府軍と対立。最後は弁天台場での戦いで戦死。ほどなく降伏。これが箱館戦争だ。

 

 

命をかけて己を貫くのはすごいことだ

幕府のためにつくすという一心で、急変する時代の波に翻弄されながらも、それぞれの武士道をただただつらぬき通した新選組。

(『新選組』より引用)

新選組の歴史を追ってみると、愚直なまでに自分たちの信念を貫いたんだということがわかった。時代の移り変わりにより、周囲が寝返ったり思想を変えたりするなか、新選組のメンバーは常に幕府に尽くしてきた。その忠誠心は「誠」という旗に記された文字にも見て取れる。

 

命をかけて己を貫く。そんな生き方には憧れるが、心身ともに軟弱な僕には新選組は荷が重すぎる。やはり、彼らはすごいとただただ感心するばかりだ。

 

【書籍紹介】

新選組

著者:大石 学(監修)、ひのみち(作画)、こざき ゆう(脚本)
発行:学研プラス

伝記まんがシリーズに、大人気の剣豪集団・新選組が登場。幕末の世を高き志に忠実に生きた熱き男たちの姿を描く。

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【今日の1冊】「強敵」と書いて「とも」と読む。人生にはライバルが必要だ――『最強ライバルビジュアル大百科』

「お友達と仲よくするのよ」

 

多くの子供達は、そう言われて育つものだろう。 人間というのは一人では生きていくにはあまりに弱い。私自身、辛いとき、悲しいとき、家族や友達に助けてもらいながらなんとか毎日を乗り越えてきた。たった一人で荒野に立ち尽くしているような気持ちでいるとき、そっと背中に手を当ててくれる味方ほど有り難いものはない。

 

 

ライバルも大切な人間関係だ!

しかし、味方だけが貴重な存在というわけではない。人間同士は激しくぶつかり合う必要もある。たとえ望んではいなくても、敵と味方に分かれて戦わざるをえない状況に陥ってしまうときも多い。

 

歴史をひもといてみても、ライバル関係にある人々が古今東西を問わずに激突していることがよくわかる。『最強ライバルビジュアル大百科』(入澤宣幸、田代脩・著/学研プラス・刊)は、そんなライバル関係を考察した本だ。

 

埼玉大学名誉教授である田代修の監修を得て作成されたものだが、扱う時代も卑弥呼の時代から水木しげるまでと、まさに古代から現在までと長きにわたり、ライバルが数珠つながりで歩いているようだ。

 

 

ずらりと続くライバルたち

取り上げられているライバルがあまりに膨大なので最初は圧倒されてしまうかもしれない。それでも『最強ライバルビジュアル大百科』は活躍した時代ごとにライバル関係がくっきりと分けてあるから、順を追って読んでいけば挫折することはないだろう。章ごとにごく簡単に説明すると、以下のようになる。

 

第1部 古代
卑弥弓呼VS卑弥呼から始まり、聖徳太子VS蘇我馬子、最澄VS空海などを経て、平清盛VS後白河上皇まで。

第2部 中世 
源義経VS平教経から始まり、北条時宗VSフビライ、一休VS蓮如、織田信長VS足利義昭などを経て、北政所VS淀殿VS初VS江まで。

第3部 近世
真田昌幸VS徳川家康から始まり、徳川家光VS天草四郎、篤姫VS和宮を経て、坂本龍馬VS新撰組まで

第4部 近代・現代
西郷隆盛VS徳川慶喜から始まり、伊藤博文VS板垣退助、山本五十六VS東条英機を経て、水木しげるVS手塚治虫まで

 

多くのライバルたちが、歴史という巻物の上で対峙しているようで、ページを繰る手が早くなることだろう。

 

索引+数々の工夫が嬉しい

巻末に便利な索引がついているため、見たい人物をたやすく逆引きできるのも魅力だ。それだけではない。他にも、数々の工夫が凝らされている。いくつかあげてみよう。

 

1.ライバルのグループ分け:日本の歴史の中で、ライバル関係にあったと思われる、主な人物やグループを選び、時代ごとに分けてある。

2.人物の想像画がある:必ずしも歴史的に正確ではないと但し書きはついてはいるが、劇画調のイラストは胸に響くし、難しい名前の人物も、ビジュアルで示されるとわかりやすい。

3.人物の名前:呼び名がいくつかある場合は、代表的な名を用いているので、混乱を防ぐことができる。

4.勝敗が示される:ライバル関係であるからには、勝敗はつきものだ。しかし、勝ったのか、負けたのか、判断が難しい場合もある。その場合は「不明」とするのも納得できる。「引き分け」も多い。人間関係は、そうは簡単に勝ち負けで判断できないものだということだろう。

 

 

時代劇にも便利な一冊

時代劇を見ていると、物語に集中したいのに人間関係がわからなくなり、「えーっと、これは誰だっけ」となることがある。そんなときも、『最強ライバルビジュアル大百科』があれば「あ、そうだった!」と、気づくことができる。頭の中にある記憶の断片をつなぐのに役立つのだ。

 

歴史の暗記が苦手な人でもこの本を眺めてさえいれば、ウンウンうならずとも自然とライバルたちの人生が頭に入っていくだろう。歴史の試験が苦手な学生にはぴったりかもしれない。暗記しようと張り切らなくても、大河ドラマが頭に流れ込んでくるようなものだからだ。

 

たとえば、現在、大河ドラマで話題の西郷隆盛については、3組ものライバル関係が取り上げられている。

 

まずは、西郷隆盛VS徳川慶喜のライバル関係。これは、新政府軍を指導した西郷隆盛の勝利に終わっている。徳川慶喜も戦いを受けてたったものの、結局は戦意を失い、静岡で静かな生活を送ることとなった。

 

次に、勝海舟VS西郷隆盛のライバル関係。これは引き分けのまま終わったとされている。勝海舟は西郷隆盛に直接会い、江戸城の無血開城を成し遂げたからだ。

 

最後に、大久保利通VS西郷隆盛のライバル関係。彼らは同じ新政府のリーダーとして友好な関係を築いていたが、やがて対立。西郷隆盛は故郷の鹿児島で政府に対して西南戦争を起こすも敗れて自害。二人の戦いは大久保利通の勝利で終わった。

 

 

あなたのライバルはどんな人?

多くのライバル達が対立したり和解したりする様は、現在にも通じる関係である。時代が変わっても人間関係は、その根底のところでは変わらないということだろうか。

 

ライバル関係とは相手を意識することであり、敵対視しつつも、なくてはならぬ人間だと認めていることでもある。勝ち負けではっきり決めることができない関係も多く存在する。時に激突し、また時に歩み合う、それがライバル同士の姿であり、人が生きてる限り続く、人間関係だと言えるだろう。

 

あなたにもライバルがいるだろうか? それはどんな人だろう。
ライバルと良い関係を築いているだろうか? 自分で自分に聞いてみよう。

 

ライバル、それはあなたと対立しながらも、あなたを支えるものでもあるだろう。

 

【書籍紹介】

最強ライバルビジュアル大百科

著者:入澤宣幸、田代脩
発行:学研プラス

古代から現代に至るまで、80以上の日本史の重要人物とそのライバルの対決を迫力満点のイラストとエピソード、人間関係や社会情勢などがよくわかるコラムで紹介。時代を超えた人物同士の夢のライバル対決ページや、勢力同士のライバル関係なども掲載。

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【今日の1冊】漫画家・谷口ジローが教えてくれるガイドブックにはないルーヴル美術館の魅力――『千年の翼、百年の夢』

フランスでは“漫画”が芸術として高く評価されているのをご存じだろうか? 近頃は図書館、大手書店ではMANGAのコーナーはどんどん拡張している。そもそもベルギー、フランスなどフランス語圏にはB.D.(バンド・デジネ)と呼ばれる独自の漫画文化があり、代表的な作品には『タンタンの冒険』がある。

 

日本の漫画家も彼の地では大人気で、中でもレジェンドと呼ばれ、高く評価されているのが谷口ジロー氏だ。2011年にはフランス政府芸術文化勲章シュヴァリエも受章していて、昨年、逝去の際はフランスのどのメディアも大きなニュースとして扱っていた。

 

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ルーヴル美術館のBDプロジェクト

さて、パリの美術の殿堂といえばルーヴル美術館。かつては歴代フランス王の宮殿だったが、これをそのまま利用し、1793年に美術館として公開された。収蔵品も多く、開館以来、世界中の人々を魅了し続けている。

 

そのルーヴル美術館に“ルーヴルBDプロジェクト”というものがある。漫画を芸術として認め、その漫画を通じてルーヴル美術館の魅力を世界に発信しようと近年にはじまった企画だ。

 

ルーヴル側が必要な資料を提供し、作家たちにはルーヴル美術館をテーマにした作品を自由に描いてもらうという新しい試みだ。著名な漫画家たちがコラボしてきたが、その中でも、絶賛されたのが、谷口ジロー氏の『Les Gardiens du Louvre』(ルーヴル宮の守り人)という作品。『千年の翼、百年の夢』(谷口ジロー・著/小学館・刊)はその日本語版だ。

 

豪華版とコミック版が出ているが、谷口氏が描く、パリの風景、ルーヴル宮、そして名画の“モナ・リザ”や“モルトフォンテーヌの思い出”などをじっくりと鑑賞するには、やはりオールカラーの豪華版をおすすめしたい。

夢と現の間にあるもの

誰でもそうだと思うが、美術館に足を踏み入れると時間が止まったように感じるものだ。そして作品を鑑賞しているとその感覚はさらに過去へ過去へと遡っていく。本書で谷口氏が描いたのも、そんな夢想の中の時空、夢よりもずっと現実によりそった次元の物語だ。

 

主人公の作家は、ヨーロッパの出張帰りにパリを訪れるが体調を崩し、ホテルで寝込んでしまう。なんとか回復し、ルーヴル美術館に行ったものの、その広さと、入場者の多さに酔ってしまい、気を失ってしまう。そこに「ムッシュー、どうしました? 大丈夫ですか?」と現れたのが、ルーヴルの守り人だった。不思議と人ごみが消え、静まり返った館内。守り人に導かれ、作家はひとり“モナ・リザ”と対面することができた。普段、モナ・リザの部屋はあまりにも人が多く、絵を鑑賞できる雰囲気ではないのだ。

 

「でも、なぜ? 僕は……」と作家が問うと、守り人は言った。

 

ルーヴル宮は、夢の迷宮、夢と現の間にあります。気の遠くなるほど長い歴史の中、古代から19世紀までの多くの美術品が収集されてきました。それらひとつひとつのものには魂が宿ります。展示されるもの、されないものすべてのものに。何百年も私はここでとても多くのものを見てきました。そして私たちは守り続けているのです。

このルーヴル宮を訪れるたび、あなたは夢の続きを見ることでしょう。

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

そして、「あなたは誰?」に、守り人は応える「サモトラケのニケよ」と。

 

サモトラケのニケはギリシャ文明の大理石の彫像。ルーブルのドゥノン翼とシュリー翼の間、ダリュの階段の踊り場に、この「勝利の女神」は翼を広げて立っている。実物には頭部はないが、谷口氏の漫画では顔まで丁寧に描かれている。

 

 

コロー、ゴッホなど巨匠たちもよみがえる

主人公の奇妙な体験は、さらに続く。フランス絵画の数々を鑑賞し、19世紀フランスの画家カミーユ・コローによる名画“モルトフォンテーヌの思い出”に見入っていると、いつの間にか隣にひとりの日本人が立っていた。それは浅井忠、1900年のパリ万博にあわせてフランスに留学していた明治時代の画家だ。浅井氏が最も尊敬した画家がコローだったのだ。

 

そこに再びルーヴルの守り人が現れ、作家はいつの間にか森の中に浅井氏とともに去っていた。

 

素描の森ですよ。コローの。(中略)自然の中に、自然を越えた美の秩序をとらえなければならない。素描は画家にとっては大切な仕事です。素描がなければ絵画は成り立ちません。

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

そして視線の先にはデッサンをするコローがいて、こちらを振り返り微笑み返すという、読み手にとってワクワクする展開が続く。

 

さらに、本書には私たち日本人が大好きな画家ゴッホも登場する。主人公がゴッホの最期の地、オーヴェル・シュル・オワーズを訪ねると、過去の世界に紛れ込みそこにゴッホが現れ、会話をし、なんと部屋にまで案内されるのだ。そして一枚のデッサンに目が留まる。

 

これは今とりかかっている絵だ。『ドービニーの庭』だよ。まだスケッチだけど。色はね、こんな風にイメージしている。前景は緑とピンクの草地、左手には緑と薄紫の木の茂み。真ん中はバラの花壇

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

と熱く語るゴッホ。谷口氏は漫画の中でゴッホを見事によみがえらせているのだ。

 

 

ルーヴルは不思議の迷宮

本書では、第二次世界大戦中にドイツ軍の侵攻から美術品を守る作戦中にタイムスリップし、モナ・リザやサモトラケのニケなどをパリから安全な地方へと搬送した様子も克明に描かれている。

 

また、ラストのクライマックスでは主人公が震災で失った妻とルーヴル美術館の中でつかの間の再会を果たす、という展開にも感動させられる。守り人は言った。

 

記憶です。それは現のなかの識閾が覚醒させたものです。あなたに喜びを感じてもらいたかった。光を…生きるということ生きてここにあるということ。ささやかなほんの小さなものにも”生”の時があり、物語がある。ものに宿る魂への鎮魂…、あなたはそれらの間を見ることができたのです。

(『千年の翼、百年の夢』から引用)

 

この漫画を読み終えると、ルーヴル美術館にたまらなく行きたくなる。私もその中のひとりだ。

 

【書籍紹介】

千年の翼、百年の夢

著者:谷口ジロー
発行:小学館

『孤独のグルメ』の谷口ジローが描く“孤独のルーヴル”!! ルーヴル美術館&オリジナル誌の共同企画。ヨーロッパで絶大な人気を誇る谷口ジローが挑む美術史の迷宮。ゴッホやコローなど巨匠たちが麗筆で蘇る!! 芸術家たちの魂が集う、美の迷宮ルーヴル美術館を訪れた作家は、ルーヴルの守り人に導かれ、美術史の旅に出る。ゴッホ、コロー、など巨匠たちと出会い、言葉を交わした作家が、最後に出会う人とは…!?

 

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【今日の1冊】高杉晋作の愛人おうのに見る、男に愛される3つのポイント――『高杉晋作』

『SIDOOH(士道)』(髙橋ツトム・著/集英社・刊)というマンガを勧められて読み、高杉晋作にすっかり惚れてしまった。勝つのが困難だと言われた幕府との戦いを、深夜の奇襲で一気に有利に運んだり、三味線弾きながらレヴォリューション! と叫んだりと、何をするにもドラマチックな人だったのだ。そんな高杉晋作が惚れ抜いた女がいるというのだからうらやましくなり、名将に愛される女の条件について探ってしまった。

 

 

ひたすら好き

時代小説『高杉晋作』(三好徹・著/学研プラス・刊)によると、幕末の武士で、女を連れて旅先にまで出向いたのは、坂本龍馬と高杉晋作だけだったという。龍馬が連れていたのは妻のお龍であったが、晋作が連れていたのは妾である、おうのだった。もともとは芸者だった彼女を水揚げし、自分の女としたのである。晋作は彼女と逃避行をしたり、金比羅参りに出向いたりもしている。

 

この、おうのという女性、どの本を読んでも、デキた女だとは書かれていない。文字も読めないだとか、ひどいものだとちょっと鈍いとかのろいとまで書かれている。『高杉晋作』でも、おうののことは「おっとりしている」と記されている。お龍は龍馬に危機を知らせにいくような機転の利く女性だったが、おうのはそうではなかったようだ。では、なぜ晋作は彼女を愛したのか。それはおうのが一心に晋作を慕っていたかららしい。一途に愛されると男は弱いのだろう。

 

 

黙っている

おうのは余計なことは言わず、黙って晋作に従っていたという。時代小説『晋作 蒼き烈日』(秋山香乃・著/NHK出版・刊)では「こちらが話しかけねば、おうのはいつまででも黙っているから、好きなだけ黙考できる」と書かれているし、『高杉晋作』のほうでは「本当は、かなりの苦労をしたらしいが、それを決して表にあらわさない」とそのおとなしいさまを高く評価している。

 

幕末の女なので、惚れた男に何か言われたらそれに従うしかないのかもしれないけれど、おうのの場合、誰に何を言われても逆らわないような気質だったという。けなげに晋作に惚れ抜いていた彼女の姿からは、裏切りなど微塵も見えない。常に裏切りや報復などの話に満ちていたであろう時代で、晋作がほっとできる唯一の人がおうので、だからこそ側から離したがらなかったのかもしれない。

 

 

死後も愛する

高杉晋作は27歳という若さで肺結核で亡くなってしまったのだが、おうのは彼の死後は尼となり、67歳で亡くなるまで彼の墓をずっと守って生きたという。晋作は自分が死んだ後に身寄りがなくなってしまう彼女の身を案じ、支援者に「おうのを頼む」と頭まで下げている。なので周辺の人々も、その思いを引き継ぎ、墓守りになった彼女を支え続けたのかもしれない。

 

晋作とおうのは、死の間際には引き裂かれる。本妻が晋作のもとにやってきて、世話をするようになったからだ。『高杉晋作』によると、それでも彼女に会いたい晋作は、病の身をおしてカゴを出し、おうののところへ向かう。けれど道中で苦しみだし、たどり着くことはかなわなかったそうだ。自分を心底慕ってくれた女性のことを、晋作も最期まで求めていたのだろうとわかる、感涙のエピソードだ。

 

かしましく忙しい現代の女性に、おうののようであれと言うのは難しいことかもしれない。男女平等の現代、自由になるお金が増えたせいもあるのか、男遊びや不倫に耽る女性も増え、貞淑という概念は遠くなりつつあるかのようだ。

 

とはいえ、とある女優の姿浮かぶ。綾瀬はるかさんだ。彼女はおっとりとしていて、あまりしゃべりすぎず、人を裏切るようなこともしなそうなイメージだ。優しく温かい雰囲気の彼女は、結婚したい芸能人ランキングでも常に上位にいる。古くから日本男児が惚れる女というのは、こういうタイプなのかもしれない、と思うと彼女の人気も納得がいくのである。

 

【書籍紹介】

高杉晋作

著者:三好徹
発行:学研プラス

一口に維新回天の大業というが、長州藩が窒息死寸前の状態から息を吹き返し、討幕を成しとげることができたのは、晋作の功山寺決起が成功したからだった。高杉晋作に心を惹かれ、萩、山口、下関、博多などを再度たずねて余すことなく描き切る渾身の一作。

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【今日の1冊】じつは空海はいまも生きている――「最強! 日本の歴史人物100人のひみつ」

私は旅行が大好きだ。雑誌の取材はもちろん、プライベートでもあちこちに旅行にでかけている。今年のゴールデンウィークに、関西のとある温泉地に行ったとき、その温泉に「弘法大師が発見した」という伝説があることを知った。

 

 

ゆかりの温泉が各地にあるワケ

弘法大師とは、空海のことだ。実は、「弘法大師が見つけた温泉」は「武田信玄の隠し湯」と並んで、全国各地にある伝説なのである。これほどの温泉を見つけている空海、なかなかの温泉マニアである。「マツコの知らない世界」にゲスト出演してもいいレベルだろう。

 

もちろん、これらの伝説はあくまでも創作だろう。空海は中国から密教を日本に伝え、真言宗の開祖となった高僧だ。伝説がたくさんあるということは、それだけ尊敬されているという証拠でもある。

 

 

空海は超能力者!?

そんな空海だが、超能力者として描写されることも多い人物なのだ。「最強! 日本の歴史人物100人のひみつ」(大石学・監修/学研プラス・刊)から興味深いエピソードを紹介しよう。

 

空海が遣唐使として、中国に渡ったときのことだ。子供に言われるがまま、空海が流れる水の上に“龍”という字を書いた。最後の一画を書き終えると、なんと、文字が本物の龍になったというものだ。

 

空海にまつわる神秘的なエピソードは事欠かない。超能力者であったのならば、温泉をどんどん発見したという伝説にも納得がいくというものだ。

 

 

筆を投げつけて文字を直す

こうした伝説が生まれたのは、空海が万能人だったことが背景にある。僧としての業績は言わずもがなだが、学校の建設を行ったり、田んぼや畑の整備をすすめたり、さらには文字の上手さでも抜きんでていた。

 

“弘法にも筆の誤り”という言葉がある。弘法とはもちろん空海のことだが、どんな達人でも誤りを犯してしまうということの例えだ。

 

空海は平安京の応天門の額に字を書いたとき、間違って点をひとつ書き忘れてしまった。空海は下から筆を投げつけて完成させたといわれる。それにしても、門の下から筆を投げて命中させるなど、やはり超能力者としか思えない!

 

 

空海は今も生きている!?

さて、真言宗の聖地といえば、高野山だ。世界遺産にも登録されている高野山は、山全体が霊場である。ここにある「奥の院」は、日本屈指のパワースポットのひとつとして有名だ。

 

奥の院を訪れると、鬱蒼とした木々に囲まれ、静かな雰囲気が漂っている。訪れた誰しもが、明らかにここは空気が違うと感じることだろう。

 

空海は835年に亡くなったとされる。しかし、この奥の院では今も空海が生きて、生身のままで瞑想を続けているというのだ。そのため、1日2回、僧が食事を用意する光景が毎日続いている。高野山の奥地で、空海は今もなお私たちを見守ってくれているのである。

 

 

【書籍紹介】

最強! 日本の歴史人物100人のひみつ

著者:大石 学(監修)
発行:学研プラス

小学生の興味が強いテーマを、よりわかりやすく・より楽しく見られるように情報を精選して紹介する「SG100」シリーズ。第5弾は日本の歴史人物。古代から明治時代にかけて100人を厳選。人物像がわかるエピソードと大迫力のイラストのビジュアル百科。

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【今日の1冊】あの偉人達もじつはポンコツだった!?――『しくじり歴史人物事典』

ポンコツと決めつけるほどの理由にはならないとしても、欠点は誰にでもある。ただし、決定的な場面で出てしまうと強いインパクトが残り、“そういう人”というレッテルを貼られがちだ。ほかがいかに立派であっても、ポンコツな部分にまつわるネガティブな刷り込みが消えることはない。むしろその人の本質として認識されるようになる。

 

 

『しくじり先生 俺みたいになるな!!』

テレビ朝日系で放送されていた『しくじり先生 俺みたいになるな!!』という番組が好きだった。アスリートでは村主章枝さんや亀田興毅さん、芸能人ではルー大柴さんや斉藤こず恵さん、そして文化人なら茂木健一郎さんや堀江貴文さんといった面々が出演し、大成功の後にやってきた大失敗について語り、そこから何かを学ぼうという内容だ。

 

番組で取り上げられたのは、上で紹介したような現代日本の有名人だけではない。アインシュタインやエジソン、そして日本人なら伊能忠敬など歴史に名を残す偉人たちの見事なまでのしくじりっぷりも紹介されていた。冒頭で触れたように、偉大な業績を残している人に限って、ほんの少しのしくじりがクローズアップされがちな傾向は否めない。結果として、何百年という信じられないほど長い時間にわたっていじられ続けることになる。

 

 

ポップな歴史書

日本史を彩る数多くの偉人たちの知られざる一面を掘り下げていく『しくじり歴史人物事典』(大石学・監修/学研プラス・刊)は、ポップな歴史書といった趣の一冊だ。構成を見てみよう。

 

第1章 作戦でしくじった! (織田信長はじめ5人)

第2章 能力足りずにしくじった! (蘇我入鹿はじめ5人)

第3章 極端すぎてしくじった! (平清盛はじめ7人)

 

また、それぞれの人物についての解説が以下のような同じ項目で展開されていく。

 

・人生すごろく(一生をすごろく風に紹介する簡単な年表)

・しくじりでござる(“しくじりポイント”を偉人自らが解説)

・みんなのコメント(偉人の関係者から集めたコメント集)

 

児童書なのだが、大人もニヤリとしてしまう。そのニヤリとしてしまうポイントを中心にして、まずは第1章に収録されている織田信長についての項目に触れていこう。

大人がニヤリとする作り

まずは「人生すごろく」。ちょっと気の利いたキャッチフレーズに続き、人生がすごろくになぞらえて説明されていく。ところどころに大きな出来事がちりばめられているので、全体を漠然と眺めるだけで、特に意識して覚えようとしなくても重要な点は頭に入るはずだ。

 

しくじりに関しては、やはり本能寺の変がクライマックス。文章だけでは頭に入りにくいかもしれない情報も、この本のように切り口や角度を変えた形で示されると抵抗がない。締めくくりとして記されるのが、本人による反省の言葉だ。

 

「小さな心のスキが大きな失敗をまねく」

『しくじり歴史人物事典』より引用

 

筆者が一番ニヤリとさせられたのは、3つ目の項目「みんなのコメント」。織田信長その人を評する関係者のみなさんはルイス・フロイス(宣教師)、豊臣秀吉、そして徳川家康。それぞれの立場からそれぞれの言葉を語る。ちなみに、コメントの内容には史実として残されているものにひとひねりアレンジが加えられている。特に刺さったのは、ルイス・フロイスの次のようなひと言だ。

 

「自信過剰で、人の意見を聞かないんです」

『しくじり歴史人物事典』より引用

 

多くの戦国武将たちと交流のあったフロイスは、信長について「傲慢で名誉心が強く、家臣の言うことをほとんど聞かない」という文章を実際に残しているようだ。指導者としてネガティブな要素であることは間違いない。でも、筆者はこのひとことで、信長という人間にさらなる魅力を感じた。古き良きアメリカのロックスターみたいだ。フロイスのコメントには、こんなものもある。

 

「とても清潔でキレイ好き。屋しき内も整とんされていました」

『しくじり歴史人物事典』より引用

 

誰の言うことにも耳を貸さないイケイケ戦国武将が、実は清潔でキレイ好き。家の中もせっせと整理整頓してました。想像すらできないギャップである。歴女と呼ばれる人たちはこういうところに萌えるのかな、なんて思いながら読み進む。

 

 

歴史って、あえて勉強するものじゃないのかも

2022年、高校の歴史教育のカリキュラムが見直されることが決まっている。「歴史総合」という新科目が必修科目として導入される方向性は既定路線だ。

 

「歴史総合」という科目はこれまで別の科目だった日本史と世界史を融合したものになるらしい。その結果、ひとつの科目の中でカバーするべき領域からあふれてしまうものが出てくる。受験のための情報としてのプライオリティを軸にすると、坂本龍馬や大岡忠相、武田信玄、上杉謙信、吉田松陰といった大スター級の人々が漏れてしまう可能性が大きいことが明らかになった。

 

偉人の人間らしさは、受験には直接関係ない。そうだけれども、歴史の面白さの核となるのはまさにその部分に関するエピソードではないだろうか。人間らしさという要素をピックアップして見せる『しくじり歴史人物事典』のアプローチこそが、実は歴史の学習メソッドとして王道なのかもしれない。興味が持つことができれば、さらに知りたいという気持ちも芽生える。

 

何十年か後の時代、「歴史総合」という新科目の導入が“しくじり”として認識されていないことを祈るばかりだ。

 

【書籍紹介】

しくじり歴史人物事典

著者:大石 学(監修)
発行:学研プラス

日本の歴史を動かした“すごい”偉人たち。そんな彼らの思わずツッコミたくなる“しくじり”にスポットをあて、ゆるいイラストとともにゆるく紹介。読めば読むほど、愛すべき人物に見えてくるから不思議です。笑えてじつはタメになる人物事典。

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モーツァルトは下ネタばかり、アンデルセンは豚肉恐怖症――『ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々』

子どものころ、いわゆる歴史上の偉人の伝記を数多く読んでいた。湯川秀樹、キュリー夫人、野口英世、夏目漱石などなど、確かうちに全集のようなものがあったので、それを片っ端から読んでいた。

 

やはり、後世に名前を残すような人たちは、とても努力をし、逆境を乗り越え、普通の人にはできないようなことを成し遂げたんだ。偉いなー。そう思っていた。

 

偉人はちょっと変わった人が多い?

大人になると、偉人と呼ばれている人たちも、実はお金や女性にだらしないといった面があったり、それほどいい人ではなかったというようなこともわかってきた。まあ、聖人君子というのはそうそういないだろうし、何か大きなことを成し遂げるには、多少逸脱した思考回路みたいなものが必要なのかもしれない。

 

ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々』(真山知幸・著/学研プラス・刊)という書籍は、偉人の残念なエピソードが満載だ。

 

たとえば、モーツァルトがおしりとかうんちのことばかり書いた手紙を大量に書いていたりとか(小学生か!)、豚肉恐怖症やデンマーク風果実スープ恐怖症、広場恐怖症、旅券恐怖症など、とにかく恐怖症のデパートだったアンデルセン、清貧のイメージがあるが実は割と俗っぽい宮沢賢治とか、残念極まりないエピソードが目白押しだ。

 

でもまあ、才能のある人というのはどこか常人とは違うところがあると思うので、多少のことはしょうがないのではないだろうか。

 

天才画家・ダリの無銭飲食テクニック

そんな残念エピソードのなかで、僕がおもしろいなと思ったのが、画家のサルバドール・ダリだ。彼は自己プロデュースに長け、マスコミへの露出も多かったという。かなりの売れっ子でお金持ちだったようだが、セコい一面もあったという。

 

レストランに友人らを呼んでごちそうをすることもあったというが、支払いには必ず小切手を使っていたそうだ。しかし、そこがポイント。

 

ダリは、その小切手の裏に、ウェイターの目の前で落書きをするようにしていた。落書きとはいえ、天才画家のスケッチである。たいていのレストランの支配人は、小切手を額に入れて飾るため、換金されることはない。

(『ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々』より引用)

小切手も換金されなければ支払いが発生しない。ゆえに支払いが無料になるということだ。

 

真似しようと思っても、小切手が使えないし、有名人でも天才画家でもない。ダリならではのテクニックといえる。

 

偉人は変わり者が多いようで、この書籍には65人の国内外の偉人が登場する。こういうのを読むと、僕のようなだらしない人間はとても安心する。

 

ただし、真似しようと思ってはいけない。時代が違うし、そもそも豪快で極端なエピソードが多いので、現代で同じようなことを一般人がやったら、すぐ社会から抹殺されるかもしれない。

 

あくまでも、「昔の偉い人はおもしろいなー」くらいでとどめておくのが一番だ。

 

 

【書籍紹介】

ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々

著者:真山知幸
発行:学研プラス

エジソン、野口英世、アインシュタインら、歴史を変え、時代を作った天才たち。しかし、彼らの素顔は、失敗を繰り返し、トンデモ行動のオンパレードの超変わり者だった。それでも、彼らが時代を超えて愛される理由とは?驚きながら楽しく読める、新しい伝記。

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『世界遺産の街を歩こう』――GW、家にいながら「世界遺産」をバーチャル・トリップしてみませんか?

世界遺産の街を歩こう』(学研パブリッシング・編/学研プラス・刊)は、街や地域全体が世界遺産に登録されている場所を49ヵ所厳選し、紹介した本。もし、このGWどこにも出掛けられず家でため息をついている方がいたら、ぜひおすすめしたい。美しい写真を眺めているだけで旅した気分に浸れること間違いなしの一冊だ。もちろん、これから旅に出掛ける方にはガイドブックとしても使える。

 

 

 

意外と知らない世界遺産の基本とは?

2017年の時点で、世界遺産総数は1073件。「祝!○○が世界遺産に登録!」というニュースが毎年のように飛び込んでくるが、そもそも「世界遺産って何?」と聞かれて、あなたはそれを明確に答えられるだろうか? 本書ではこの基本を詳しく解説している。

 

世界遺産誕生のきっかけとなったのが、1960年に着工されたエジプト・ナイル川のアスワン・ハイ・ダムの建設だ。これによってヌビア遺跡が水没する恐れがあったため、遺跡内のアブ・シンベル神殿を移築することとなった。その後、歴史的価値のある遺跡や建築物を、国際的な組織によって守ろうという機運が生まれたのだ。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

世界遺産とは、自然と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれ、次世代に受け継ぐべき貴重な文化財や自然環境のことを指す。1972年のUNESCO総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき、世界中の顕著で普遍的な価値のある文化遺産、自然遺産が選ばれることとなった。

 

ちなみに記念すべき世界遺産第1号は、アメリカのイエローストーン国立公園やエクアドルのガラパゴス諸島など12件だった。

 

 

街全体が世界遺産とは?

この本で厳選し紹介している世界遺産49件は、街やエリア全体が世界遺産として登録されているところだ。

 

「旧市街」、「歴史地区」、「古都」といった名称で呼ばれ、古くからの建物が密集している地域一体を指す。その地域のなかでも、特に重要とされる宮殿や寺院などの建物はリストのなかに記載されているが、ベンチや公衆トイレ、電話ボックスはどうかといえば、厳密な定義は成されていない。いずれにせよ、世界遺産の街では景観を壊すことがないようにさまざまな工夫が成されており、そうした努力の痕跡を見つけ出すのも、旅の楽しみの一つといえよう。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

本書では、さらに世界遺産に登録されるための“登録基準”についても詳しく解説している。

何度でも行きたくなるヨーロッパの歴史散歩

本書ではヨーロッパで34件の世界遺産の街が紹介されているが、私が何度も訪れているにもかかわらず、また行きたいと思うのが、「北のヴェネツィア」と呼ばれるベルギーの“ブルージュ歴史地区”だ。

 

私たち家族は長年パリで暮らしていたが、日本からのお客が来るとパリ案内をしたあとは、必ずブルージュに連れて行った。パリから車で北に向かって2時間半走るとブルージュに着く。

 

ベルギーの北西部にあるこの街は「水の都」、「北のヴェネツィア」など、さまざまな異名で美しさを称えられる古都で、運河では白鳥が戯れるとてもロマンティックな街。連れて行った親族や友人たちは皆、ここが気に入り「わぁ~、素敵な街ね。さすが世界遺産」と言っていたものだ。

 

ブルージュの起源は、九世紀に初代フランドル伯のボードゥアン一世が築いた城塞とされる。切り妻屋根のフランドル地方特有の家々と、教会や鐘楼が建ち並び、街中には運河が流れている。そんな中世にタイムスリップしたような街並みは、「屋根のない美術館」とも称されている。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

ブルージュでは観光用のボートに乗って街中を流れる運河をクルーズすると、この街の美しさを堪能できる。この他に厳選されているのが、北・西ヨーロッパ編では、イギリス・エディンバラ市街、フランス・パリのセーヌ河岸、スイス・ベルン旧市街、オーストリア・ウィーン歴史地区など8ヵ所。

 

南ヨーロッパ編では、バチカン市国、イタリア・ヴェネツィア、イタリア・フェレンツェ歴史地区、ギリシャ・コルフ旧市街、スペイン・古都トレド、スペイン・グラナダ、トルコ・イスタンブール歴史地区など18ヵ所。

 

東ヨーロッパ編では、チェコ・プラハ歴史地区、ハンガリー・ブダペストのドナウ河岸、ポーランド・ワルシャワ歴史地区、ロシア・サンクトぺテルブルグ歴史地区など8ヵ所。それぞれの街並みが、うっとりするような美しい写真とともに紹介されている。

 

 

アジア、中南米、アフリカの世界遺産の街も行ってみたい

私は”水”のあるところが好きなのかもしれない。アジア編のページをめくっていて「あっ、ここ素敵!行ってみたい」と思ったのが、中国の麗江旧市街だ。雲南省西北部の標高2400mに位置する麗江は、かつて少数民族ナシ族の王都として栄えた高原の都市。

 

旧市街には、水路や石畳が敷かれた通り、延々と連なるいぶし銀の瓦屋根の木造建築など、800年以上の時を経た今も当時の面影が残されており、ナシ族をはじめとして少数民族が昔ながらの暮らしを営んでいる。

(『世界遺産の街を歩こう』から引用)

 

アジアならではの情緒ある景観がとても美しい! アジア編ではこの他に、ネパール・カトマンズ谷、ベトナム・古都ホイアン、ウズベキスタン・ブハラ歴史地区など7ヵ所が選ばれている。

 

さらに中南米編では、メキシコ・メキシコシティ歴史地区、キューバ・オールド・ハバナ、ペルー・クスコ市街、ブラジル・サルヴァドール・デ・バイア歴史地区の4ヵ所。

 

アフリカ編では、モロッコ・マラケシ旧市街、チュニジア・チュニス旧市街、エジプト・カイロ歴史地区、マリ・ジェネン旧市街の4ヵ所が紹介されている。

 

さぁ、あなたならどこの世界遺産の街を歩きたいと思うだろうか? また、実際に訪ねることはできなくても、この本が私たちを日本にいながら世界遺産の街へと連れて行ってくれる。

 

 

【書籍紹介】

世界遺産の街を歩こう

著者:学研パブリッシング(編)
発行:学研プラス

世界遺産のなかで150カ所近くある歴史地区、旧市街、およびそれに相当する地域から、ヴェネツィア、フィレンツェ、ドゥブロヴニク、パリなど特に若い女性に人気のあるエリアを厳選!豊富なビジュアルでいながらにして世界遺産の街歩きが楽しめる!

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「ファッションビルのひみつ」――日本で初めてルイ・ヴィトンを買ったのは板垣退助!

今年は明治維新150周年の節目の年です。幕末~明治時代には、現代の私たちの生活に身近なものがたくさん発明されたり、広まったりしています。

 

 

例えば、牛丼やあんパンなどの食べ物は、明治時代に生まれた和洋折衷の食べ物の代表です。そして、明治時代は都市の人々の間では洋服が流行するなど、ファッションの西洋化が大きく進んだ時代でもあるのです。

 

龍馬のファッションセンスは凄い

ファッションビルのひみつ」(まさやようこ他・著/学研プラス・刊)には、ファッションに関する雑学が満載です。なかなかマニアックな豆知識が紹介されていますが、本書や最近の話題の中から、明治維新に関するファッションのお話をいくつか紹介してみたいと思います。

 

幕末に活躍した維新志士と言えば、新しい時代を切り開くため、強い志を持って集まった若者たちです。そんな幕末のヒーローたちは、意外にもおしゃれ好きでした。

 

坂本龍馬はブーツを愛用していました。しかも、ブーツを履き、写真まで撮影しているのです。誰もが知る、有名な龍馬の写真がそれです。よく見ると、はかま姿でブーツを履いているのがわかります。和服にブーツを合わせるなんて、龍馬のファッションへのこだわりもなかなかのものです。

 

 

幕末に日本に伝わったネクタイ

クールビズがどんなに盛んになっても、ビジネスパーソンに必携なファッションアイテムと言えば、ネクタイですよね。初めて日本に伝わったのも、幕末の頃です。日本に持ち帰ったのは、ジョン万次郎といわれています。

 

漁師だった万次郎は、漁をしているときに遭難してしまい、アメリカの船に助けられました。彼はそのままアメリカへと渡り、10年間を異国の地で過ごして、1851年にようやく日本に帰国するのです。

 

その帰国時の所持品のなかに、ネクタイが3個あったと伝わっているのです。万次郎はその後、通訳者として活躍し、海外の文化を日本に紹介する橋渡し役をしたのです。

 

 

ルイ・ヴィトンの日本初の愛用者は?

電車に乗っていると、見かけないことはないルイ・ヴィトンのバッグ。では、ヴィトンの製品を、日本で初めて所有したのは誰か、ご存じですか?

 

その人物は、板垣退助といわれています。教科書でお馴染みの、白いおひげが立派な人物です。これまでは、土佐藩出身の後藤象二郎とする説が有力でしたが、板垣は後藤よりも3週間早く、ヴィトンのトランクを買ったことが顧客名簿からわかっています。

 

板垣が愛用したヴィトンのトランクは現存しています。当時はまだ、今のようなファッションブランドというよりは、旅行鞄メーカーとして有名だったヴィトンですが、それを選んだ板垣の目は確かなものだったといえるでしょう。

 

 

大久保利通は写真とファッションが大好き

最後に、写真の話題を紹介します。西郷隆盛は写真が大嫌いで、写真がいまだに発見されていません。一方で、大久保利通は大の写真好きで、その数たるや維新志士の中でもトップクラスの量が残っています。

 

大久保の写真は、はかま姿だったり、蝶ネクタイでびしっと決めたものまで、服装だけでもいろいろあります。相当のファッション好きで、新しいもの好きだったといえます。

 

明治維新で活躍した人々の多くは20~30歳の若者でした。「ファッションビルのひみつ」で紹介されている「ルミネ」などのファッションビルに集まる人々と、年齢層が同じといえます。時代は変われど、そしてどんな動乱の時代であっても、やはり若者はファッションが大好きなのです。

 

 

【書籍紹介】

ファッションビルのひみつ

著者:まさやようこ(イラスト)、WILLこども知育研究所(構成/文)
発行:学研プラス

洋服のショップや、カフェ、書店などいろいろなショップがはいっているファッションビル。そこにはお客さまが心地よく買い物ができる工夫や、おもてなしがいっぱい! そんなファッションビルで働く人たちは、どんな仕事をしているのかな? さあ、探ってみよう!

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文字から見えてくる天下人の人柄――伊集院 静が語る偉人たちの書

綺麗な文字を書く人を私は無条件で尊敬してしまう。なぜなら私の書く文字は時として自分でも何と書いたのがわからなくなってしまうほどの乱筆だからだ。ある編集者から「ワープロやパソコンは君のような人のために生まれたようなものだな」としみじみ言われたこともあるくらいだ。

 

だからこそ他人の書いた文字にはとても興味がある。『文字に美はありや』(伊集院 静・著/文藝春秋・刊)を思わず手に取ったのもそのような理由からだ。本書は歴史上の偉大な人物たちが書いた文字を一挙に紹介し、伊集院氏がわかりやすく解説した一冊。文字の誕生から現代のロボットによる書まで、すべてを教えてくれる。

 

 

 

龍馬の恋は「龍」の一文字からはじまった

人の手が書く文字、書というものは、そこにその人の気持ちがあらわれるものだという。

 

幕末の英雄、坂本龍馬は生涯に多くの手紙を書いたが、現存するものは130通あまりだそうだ。龍馬の文字の特徴は躍動感があり、ひらがなは特に自由奔放だと伊集院氏は解説している。本書には龍馬の手による「龍」が載っている。

文字の勢いは義之の書の勢いを感じさせる。龍馬が幼少で学んだ手本の文字が義之の書であったかは定かではない。定かではないが、『千字文』(子供が書を学ぶために作られた異なる千字の漢字で構成された手習い文)を見て書いていれば、その基本は遣唐使たちが持ち帰った王義之の文字である。

(『文字に美はありや』から引用)

 

さらに、お龍との恋も「龍」の一字からはじまったらしい。お龍が茶を運んできた折、龍馬が彼女に名前をたずねると、お龍は龍馬の手のひらに”龍”の文字を書いたとの逸話があるそうだ。

 

英雄はくすぐったくも嬉しくもあったろう。「そいはわしの”龍”と同じじゃきい」龍馬が叫んだかどうかは知らぬが、 義之の”龍”を医者の娘である龍も手習っていたことは十分考えられる。

(『文字に美はありや』から引用)

 

さて、龍馬もお龍も手本としたらしいのが王義之の書。“書聖”と呼ばれている人は、今も昔もこの王義之ただ一人だそうだ。

 

 

王義之の前にも後にも彼を超える書家はあらず

今、私たちが目にする高級料理店のメニューの文字、仕舞ってある卒業証書の文字、麻雀牌の“九萬”の字……、などなどの手本になっているのが王義之が書いた文字と言われている。

 

“書聖”と呼ばれるのは世界で彼一人。西暦303年に生まれた人だからおよそ1700年後の今日まで彼の文字は峰の頂にいるのだ。音楽、絵画、小説などの創作分野で一人の作品が範であり続ける例は他にはない。王義之の生きた時代が書の草創期だったこともあるが、楷書、行書、草書のすべての字を残し、以後、現代に至るまで皆がこれにならってきたのだ。

 

ところが、その真筆は世界中のどこにも存在しないという。それは中国の歴代皇帝が彼の書を欲しがり、唐の太宗などは中国全土に散在していた義之の書の収集を命じ、手に入った名品を宮中の奥でかたときも離さず、没すると陵墓に副葬させてしまったのだそうだ。このような愚行が王義之の書を幻にしてしまったというわけだ。

 

しかし、その模写は残った。唐時代の初期、模写専門の職人が素晴らしい模本技術を開発、髪の毛1本の細さを重ねて書の筆の勢い、カスレまでを再現したのだそうだ。これが大評判となり、日本からやって来ていた遣唐使たちも持ち帰った。こうして王義之の文字が海を渡り、日本における書、字体の手本となったというわけだ。

 

この本では王義之の最高傑作と呼ばれる『蘭亭序』についても詳しく解説されている。

信長、秀吉、家康。天下人の書とは?

伊集院氏は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の自筆の書を比較し、独自の解説をしているのだが、この項もとてもおもしろい。それぞれの一部分を引用してみよう。

 

信長は書というものを自分らしいかたちで書くことを本望としていたのかもしれない。伝信長所用の陣羽織同様に、デザインというものが、当時、理解できていた唯一の武将かもしれない。それが秀吉、家康との違いとも言える。自筆の書から見えるのは、信長のモダニズムと言ってもいいだろう。

(『文字に美はありや』から引用)

 

秀吉の書は自由でおおらか。当時はすでに書には流派、手習いの風習があったが秀吉の書にはその形跡がないという。おそらく独学で書のトレーニングをしたのだろうと伊集院氏は見ている。

 

天下人まであとわずかとなった秀吉の書は、実に堂々としているし、あきらかに筆遣いが達者になっている。紙質も上質になったであろうが、墨の入れ方も修練をしている。ここに秀吉の生きざまがうかがえる。

(『文字に美はありや』から引用)

 

家康の自筆は、孫娘、千姫に送った手紙が取り上げられている。

 

家康の他の書状の字を見ると、文脈も簡素で要点をまぎれがないように伝えてあり、正直、固い文字が多い。ところが千姫に宛てた書はまことに丁寧で、思いが込もる。

(『文字に美はありや』から引用)

 

さて、天下を取ったこの三人の戦国大名に共通するのは、書は重要なものではなかったことと、伊集院氏は結論づけている。その証拠に書が達者であったと言われる武田信玄、上杉謙信は天下を取ることができなかった、と。

 

本書では、この他にも、“弘法も筆のあやまり”の空海、スペインの画家ジョアン・ミロの書を題材にした絵画、水戸黄門、大石内蔵助、近藤勇、西郷隆盛、松尾芭蕉、夏目漱石、井伏鱒二、太宰治、高村光太郎、立川談志、ビートたけし、など偉大な人々の書いた文字を取り上げている。

 

また、巻末では伊集院氏が書道ロボット“筆雄”と対面したエピソードもあり、これもとてもおもしろい。

 

書、文字は何であるのかを深く掘り下げた読み応えのある一冊だ。

 

 

【著書紹介】

文字に美はありや。

著者:伊集院 静
発行:文藝春秋

歴史上の偉大な人物たちは、どのような文字を書いてきたのか。1700年間ずっと手本であり続けている”書聖”の王羲之、三筆に数えられる空海から、天下人の織田信長、豊臣秀吉や徳川家康、坂本龍馬や西郷隆盛など明治維新の立役者たち、夏目漱石や谷崎潤一郎、井伏鱒二や太宰治といった文豪、そして古今亭志ん生や立川談志、ビートたけしら芸人まで。彼らの作品(写真を百点以上掲載)と生涯を独自の視点で読み解いていく。2000年にわたる書と人類の歴史を旅して、見えてきたものとは――。この一冊を読めば、文字のすべてがわかります。「大人の流儀」シリーズでもおなじみの著者が、書について初めて本格的に描いたエッセイ。

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わが国の将軍様は、なにを食べていたのか? グルメな時代小説『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』

金正恩氏による米朝首脳会談の申し入れ。電撃訪中による習近平氏との首脳会談。近ごろの北朝鮮情勢からは目が離せません。

 

正恩氏のお父さんである金正日氏、すなわち「北の将軍様」の専属料理人を務めていた日本人が、テレビのワイドショーで話題になったことがあります。

 

わが国の将軍様にも、専属の料理人がいました。『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』(小早川涼・著/学研プラス・刊)という時代小説を読むと、江戸時代や徳川将軍家の食文化を知ることができます。

 

 

 

包丁人・鮎川惣介

『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』は、江戸城のキッチンである「御膳所」につとめる料理人が、するどい嗅覚と食材知識を活かして、殺人事件の謎解きをするミステリ小説です。

 

最高権力者の生死を任される役職なのに、包丁人(正式には台所人)の地位は高くありません。

 

『包丁人侍事件帖』本編によれば、鮎川惣介は「50俵高の御家人」です。「30俵2人扶持」が江戸時代における下級武士の代名詞ですから、将軍の食事係というプレッシャーが強い役職のわりには、報酬は多くありません。ただし、惣介には「御役金10両と残った食材を持ち帰れる」という役得があったそうです。

 

将軍家の食卓

朝餉は鯉の細作りの酢の物を向う付けに、汁は豆腐としらが牛蒡(ごぼう)。二の膳には、はんぺんの吸い物と鰡(ぼら)の味噌付け焼きに青のりを振ったもの。
昼餉は小蕪(こかぶ)の汁に鯛の刺身、蒲鉾(かまぼこ)や玉子焼きを添えて、焼き肴は鱚(きす)。吸い物は、つぶ椎茸。お壺には海鼠腸(このわた)がついて、銚子に入った酒も膳に載った。

(『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』から引用)

 

将軍様の台所は、御膳所(ごぜんしょ)であって、御台所(おだいどころ)ではありません。江戸城のなかでは御台所といえば、それは「みだいどころ」という読み方になって、将軍の正室(正妻)を意味します。

 

『包丁人侍事件帖』は、十一代将軍・徳川家斉(いえなり)が治めていた時代のはなしです。文化文政期といわれ、徳川家の権威と経済力が盛んな時代だけあって、おいしそうなものを食べています。

 

鮎川惣介は、御家人(ごけにん)です。いわゆる御目見以下(おめみえいか)と呼ばれる立場であり、本来ならば将軍と面会することはできません。徳川家斉が、一介の料理人を呼びつけるのには理由がありました。

家斉と御庭番(おにわばん)

最初は料理にお褒めのことばを賜ったのがきっかけだった。以来、家斉からの呼び出しは、月に一度か二度の割でもう一年近くつづいている。
(中略)
御目見得以下の惣介が、台所組頭はもちろんのこと、御膳奉行さえ飛び越えるのだから、とてつもない仕来り破りだ。

(『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』から引用)

 

上役である「御膳奉行」や「若年寄」を飛び越えて、一介の料理人が将軍となにやら話しているらしい。城内の者たちは、惣介のことを「台所人に身をやつした御庭番」と見なします。

 

御庭番とは、徳川将軍家の諜報員(スパイ)です。特に、徳川家斉は「御庭番」をよく活用したと言われています。グルメな時代小説『包丁人侍事件帖』シリーズはフィクションですが、惣介との雑談を通して、家斉が江戸市中や城内の様子について探りを入れています。まさに「御庭番」と同じような役目を果たしています。

 

 

将軍家の食事制限

家斉は雑炊をゆっくり食べた。
「葱を口にしたのは、一橋家を出て以来だ。味噌にも醤油にもよく合う薬味でありながら、なにゆえ御膳所では使われんのだろうな」

(『包丁人侍事件帖 将軍の料理番』から引用)

 

徳川家斉といえば、子だくさんの将軍としても有名です。家斉の正室と側室が産んだ子は、男女合わせて50名以上を数えます。さぞや「精力増進の食事」を心がけていたと思いきや……。じつは、徳川家のしきたりでは、精のつきそうな食材を避ける風習があったようです。

 

絶対に禁止というわけではありませんが、「葱(ねぎ)、にら、らっきょう」などのニオイが強いものや、魚のイワシやサンマなどの脂が強いものは、なるべく避けていたようです。

 

ただし、将軍がどうしても食べたいときには、好きなものを食べることができました。本来であれば、肉は「鶴(つる)、雁(がん)、鴨(かも)、兎(うさぎ)」以外はもちいられませんでしたが……。十五代将軍・徳川慶喜は「豚肉」が大好きだったので、ときどき食べていたそうです。

 

ちなみに、慶喜の実父である水戸藩主の徳川斉昭は「牛肉好き」で有名でした。慶喜は一橋家へ養子に出たので、豚肉を好むようになってからは「豚一さま」と呼ばれていたとか。俗説かもしれませんが、歴史ゴシップ好きのあいだでは知られた話です。

 

豚肉好きだけあって、「ブーブー」と文句を言いながらも、大政奉還を決断しました。豚一さま、アンタはえらい!

 

 

【著書紹介】

包丁人侍事件帖 将軍の料理番

著者:小早川涼
発行:学研プラス

将軍の料理人・鮎川惣介の勤める江戸城の御膳所に、京から謎の料理人桜井雪之丞がやって来た。大奥での盗難、夜鷹殺し、放火など、事件の陰には必ず雪之丞の姿が…。惣介が自慢の嗅覚で解決する事件の背後には、将軍家斉公の継嗣にからむ闇の手が働いていた!

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屏風の裏に潜む「魔」に魅せられる――屏風絵と狩野派の深遠なる世界

屏風が好きでたまりません。そのくせ、改めて考えてみると、屏風とはいったい何なのか? わかっていないような気がします。

 

百科事典をひいてみると、「室内調度の一つで、風を防ぎ視界をさえぎる目的から起こった」と、あります。風を屏(ふせ)ぐという言葉に由来するというのです。

 

けれども、私にとっての屏風はあくまでも室内で使う物で、風に吹かれたら倒れてしまいそうな気がします。

屏風、その様々な使い方

屏風は、広げると壁全体を覆う大きな一枚の絵になります。美しく描かれた屏風は観るものを圧倒し、壮大な美術品として私たちの目の前に独特の世界を広げます。

 

一方で、金一色の屏風もそれはそれで美しい。芸能人が婚約発表の記者会見で用いる定番です。あでやかな大振り袖に身を包んだ女性の背景として、金屏風ほどふさわしいものはないと思います。

 

さらに、着替えをするときに衝立として視界を遮るために使われることもあります。実用的ながらなんとなく艶っぽい雰囲気を醸し出します。

 

私は屏風の裏も好きです。美しい彩色とはうって変わった地味な彩色。けれども、裏に潜んでこっそりと華やかな世界を垣間見ることができたら、それこそ至福の時だといえましょう。

 

 

屏風と言えば狩野派

昨年、九州国立博物館で「新桃山展」という興味深い展覧会が行われました。大航海時代の日本美術が数多く集められ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら、そうそうたる人々が愛した桃山美術が勢揃いし、有名な「南蛮人渡来図屏風」や「泰西王侯騎馬図屏風」、そして、メキシコからやってきた本邦初公開の「大洪水図屏風」など、度肝を抜くような逸品ぞろいでした。

 

中でも目を見張ったのは「檜図屏風」と「唐獅子図屏風」です。豪勢な桃山美術そのものといったこれらの屏風は、狩野永徳の筆によるものです。

狩野永徳に痺れる人へ

狩野永徳は桃山時代に活躍した絵師です。祖父の狩野元信の指導のもと、幼い頃から画才を発揮して織田信長や豊臣秀吉に重用されました。安土城や聚楽第の障壁画を製作し、見事な作品を残した天才絵師だと言われていますが、残念なことにそれらは失われてしまいました。

けれども、災いを逃れ、生き延びた作品が、その圧倒的な表現を今に伝えています。日本美術史の上で、狩野永徳ほど天才の名を欲しいままにした人はいないのではないでしょうか?

 

素晴らしい屏風を観た後、私は狩野永徳のことを知りたくてたまらず、いくつかの研究書や小説を読みました。

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳』(谷津矢車・著/学研プラス・刊)は、狩野永徳の半生を描いた物語です。上下巻に別れた長い小説でしたが、面白くて、あっという間に読み終わりました。歴史的事実に裏打ちされた物語が目の前にあるスクリーンで上映されているようでした。

 

 

著者・谷津矢車が語る歴史にハマった理由

著者の谷津矢車は1986年生まれだといいます。ということは『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』を書いたとき、まだ27才だったことになります。その若さで、これほどの歴史小説を書くことができるとは!と、驚かないではいられません。

 

大学で歴史学を学んだとのことで、史料の扱い方をこころえているのでしょう。それになにより、昔語りが大好きなことが、作品に力を与えているのでしょう。

 

彼はインタビューで、「歴史にハマったきっかけ」について、以下のように述べています。

 

歴史にハマったきっかけを思い返すと、祖父母と一緒に見ていた「大岡越前」や「水戸黄門」が最初です。小学校3年生ぐらいで、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」にハマり、その後、いま映画化でも話題のマンガ『るろうに剣心』に5年生ぐらいで出会っています。そこで幕末に思いっきり入り込んでしまったんです。

 

思いっきり…。そう、思いっきり入り込むところに、著者の魅力があると思います。

 

 

物語の始まりは…

『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』は、その冒頭から不吉な波乱を暗示しています。物語は、まだ狩野永徳になる前、狩野家の若総領・狩野源四郎であった彼が、織田信長に出会うシーンから始まります。

 

天下人になるのに一番近い人物と言われる織田信長。その激しい気性によって「うつけ殿」と呼ばれた信長が、思わず「異形、よな」と、呟かないではいられなかったのが、この本の主人公・狩野源四郎です。

 

源四郎はその衣装からして異様です。右半身が白、左半身が黒の片身合わせでやってきたというのですから…。陰陽が交差し、まるで弔い装束ではありませんか。信長が怒りを覚えたのも当然でしょう。まして、その態度はふてぶてしく、謎に満ちています。

 

それだけではありません。屏風絵を献上する条件として、源四郎は長い長い物語を聞いて欲しいと、言い放つのですから、命知らずとしか言いようがありません。

 

しかし、そこは信長。「――聞いてやる。話してみい」と答え、源四郎の言葉に耳を傾けるのでした。

 

 

信長が聞いた物語

信長は約束通り、長い話をただ聞いてくれました。質問を浴びせることもなく、目を閉じたまま、言葉の流れるままを、ただ耳で追っていたといいます。

 

語り終えた後、源四郎も約束通り、まだ名前もついていない屏風を差し出します。
「金で縁取りされた京の町の六曲一双」が、それです。

 

この後、何が起こったか? については、言わぬが花でしょう。ただ、屏風には美しさ、残酷さ、そして、未来をも写し取る力があることを感じたことだけはご報告しておきたいと思います。

 

屏風にまつわる物語を、歴史の彼方から蘇らせ、表面からも裏面からも描ききったところに、『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』の魅力があると思います。

 

あなたも屏風の裏にもぐりこんで、物語を味わってみてはいかがでしょう。

 

【著書紹介】

 

洛中洛外画狂伝 狩野永徳

著者:谷津矢車
発行:学研プラス

その絵は、誰のために、何のために、描かれたのか? 狩野派の若き天才が挑んだのは、一筆の力で天下を狙う壮大な企てだった――。天才絵師・狩野永徳が「洛中洛外図屏風」完成に至るまでの苦悩と成長を描いた話題作文庫化。下巻に特別描き下ろし短編を収録。

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「NINJA」こそが、インバウンド需要拡大のためのキラーコンテンツだ!

世界各国から多くの観光客が集まり、2か月間連続で毎日満席というお店が赤坂にある。席数が極端に少ない、隠れ家的なお寿司屋さん? それとも、カリスマシェフが経営するリストランテ? 違う。忍者屋敷をコンセプトにしたテーマレストラン「NINJA AKASAKA」だ。新宿にある同じ系列のお店も、かなりの時間的余裕を持って予約しなければならないらしい。

 

日本の特撮ヒーローものが大好きなアメリカ人の話

“ニンジャ”という日本語は、“シアツ”とか“アニメ”と同じく、日本語のまま通じる英語になっている。こうした傾向は、アメリカに限って言えば、1984年に出版されて後にアニメや映画にもなった『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』(TMNT)というアメリカン・コミックスがきっかけだったんじゃないかと思っていた。

 

なんていう話を日本の特撮ヒーローものが大好きなアメリカ人の友人――筆者と同じ1962年生まれ――としていたら、こう言われた。「TMNTのそもそものコンセプトは、アカカゲにあると思う」

 

彼は、『ウルトラ』シリーズから始まって、ちょっと渋めの『ミラーマン』とか『シルバー仮面』、さらには『スーパーロボット・マッハバロン』など実写ロボットもの、そして昭和『仮面ライダー』シリーズを全エピソード揃えているほどのマニアだ。

 

 

燃えよNINJA

日系人社会がしっかり根ざしているホノルルで生まれ育ったせいか、本当に詳しい。大学に入った頃に一番ハマったのは『変身忍者嵐』だったという。そしてこの頃、シンクロニシティーめいたことが起きた。

 

ショー・コスギ(不動産会社のCMでおなじみのケインのお父さん)が主演した『Enter the Ninja』(日本語タイトル『燃えよNINJA』)という1981年製作のアクション映画を見た彼は、嵐の件もあって、一気に持って行かれたようだ。この映画、筆者も見たことがある。ごく簡単に言えば、カオスなカルトムービーだ。

 

『Enter the Ninja』を見た彼は忍者に関する資料を徹底的に調べ、やがて行き当たったのが日系の貸しビデオ屋で見つけた『仮面の忍者赤影』だったということらしい。

 

ニンジャという言葉はとても響きがいいようで、アメリカではミキサーとかコーヒーメーカーのブランド名にもなっている。そう言えば、『サスケ』のアメリカ版タイトルも『American Ninja Warrior』だ。世代に関係なく、多くの人々がこのワードに惹きつけられる理由は何だろうか。

“忍びの者”を立体的にとらえる

そういう疑問に対する答えのヒントとなるかもしれない『忍者・忍術ビジュアル大百科』(山田雄司・監修/学研プラス・刊)という本を紹介したい。構成を見てみよう。

 

第1部:忍者の姿・道具

第2部:心・技・体

第3部:闇の激闘

第4部:忍者列伝

 

ビジュアルとうたっているだけにイラストや図表が豊富だ。第1部では装束とか武器が豊富に紹介されていて、図鑑のような楽しみ方ができる。手裏剣と言えば十文字のシンプルなタイプしか見たことがなかったので、こんなに種類があるとは驚いた。

 

第2部では、さまざまな忍びの術について触れられている。このパートは一見派手に感じられる忍術に対し、科学的なファクトに基づく冷静な解説が加えられていて、納得させられる。そうかと思うと“不動心”とか“非情の心”、また“人の心を理解する”など、忍者の心得についての文章がコラム的にちりばめられていて、精神面からの考察も面白い。

 

第3部では伊賀忍者VS甲賀忍者といった対決基軸、それに風魔党や三ツ者など初心者にはわかりにくいグループの特色と任務について触れられている。ここで示されている忍者屋敷の詳細なイラストに心惹かれる人は多いはずだ。

 

第4部は歴史に名を残す忍者たちの紳士録だ。源義経、伊勢三郎義盛、加藤段蔵、果心居士……。 石川五右衛門が大泥棒になる前は伊賀忍者だったこと、知ってましたか? 全部で17人紹介されているのだが、恥ずかしながらまったく知らない名前がいくつもあった。

 

 

待たれる英訳

全編にルビがふってあるので、分類は児童書ということになるだろう。でも、50半ばの筆者でも読み進むスピードは全然落ちなかった。そして、読み進めていて気づいたことがある。

 

欧米にニンジャファンが多い理由は『スターウォーズ』シリーズとか、HBOの『ゲーム・オブ・スローンズ』のような大河ドラマ的な話のキャラクターを忍者に重ね合わせるからじゃないだろうか。共通しているのは、大義とか忠義といった概念だ。

 

そして今、忍者という言葉はただキャッチーなだけではなくなった。実際、日本各地の忍術道場を訪れる外国人の数は年々増加している。響きのよさだけに飛びつくだけではなく、“不動心”とか“人の心を理解する”ことを自ら体験し、学び取ろうとする人たちの数は、筆者の想像よりもはるかに多いに違いない。だからこの本、英訳したらかなり売れるだろう。

 

忍者が引っ張っていく日本のポップカルチャーシーン。そんな妄想も楽しいと思いませんか?

 

【著書紹介】

忍者・忍術ビジュアル大百科

著者:山田雄司、入澤宣幸
発行:学研プラス

驚異的な身体能力と技、豊富な知識と経験、卓越したコミュニケーション能力を持つ超人的な存在、それが忍者だ! 様々な忍術や忍具を駆使して、彼らは歴史の影で活躍していた。迫力満点なイラストと豊富な写真資料で、いまだ謎に満ちた忍者の真の姿に迫る!

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勝麟太郎は「ホラ吹きおじさん」? それとも「幕末の英雄」? 学習まんが『人物日本史 勝海舟』を読めばわかる!

勝海舟といえば、「世渡り上手」「口八丁」という印象があります。

 

なぜなら、徳川政権の末期において「軍艦奉行」「陸軍総裁」を務めた上級官僚であったにもかかわらず、明治維新後には、かつては敵対していたはずの新政府で要職(元老院議官・枢密顧問官)に就いているからです。

 

勝海舟は、厚顔無恥で節操のない人物だったのでしょうか? 『人物日本史 勝海舟』(樋口清之・監修、ムロタニツネ象・漫画/学研プラス・刊)という本でおさらいしてみましょう。
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勝海舟はインチキ野郎なのか?

もちろん違います。新政府に迎え入れられたのは、勝海舟のすぐれた手腕や知見が必要とされたからです。

 

貧乏御家人から有力幕臣への大出世、近代的な海軍の立ち上げ、坂本龍馬の抜擢、江戸城の無血開城など。歴史的偉業を成しとげる原動力を培ったのは、勝海舟が「麟太郎(りんたろう)」を名乗っていた青年時代のことでした。

 

 

出世の秘訣は…立ち読み!?

勝麟太郎 は、外国語を自由に読み書きできる幕臣のひとりでした。実家は「小普請」という役職を代々受け継いでいましたが、無役(むやく)だったので何もすることがありませんでした。砲術に興味をもった青年時代の麟太郎は、オランダ語を学び始めます。

 

外国語がわかるということは、海外情勢について「伝聞」ではなく、外国語で報じられた一次情報を理解できるということです。低い身分の出身でありながら、時流を察知して、頭角をあらわすことができた理由のひとつです。

 

海外の最新技術を学ぶためには、原語で書かれた専門書が必要です。当時の蘭書(オランダ語の技術書)はとても高価でした。貧乏な麟太郎は、本屋でよく立ち読みをしていたそうです。この「立ち読み」が、麟太郎にとって人生の転機になりました。

 

 

転機は「翻訳のアルバイト」だった!

あるとき、麟太郎の立ち読みっぷりを見かけたお金持ちが、麟太郎に翻訳の仕事を持ちかけました。渋谷利右衛門という人物です。商人にとっては、海外情勢に通じることは将来を見通すことにつながり、利益を得ることに役立つからです。

 

洋書をタダで読めて、しかも翻訳料までもらえる。「芸は身を助ける」の格言どおり、暇をもてあまして好奇心ではじめた蘭学研究は、麟太郎の立身出世を大いに助けました。

 

この時期に、麟太郎は「ある大物」と知り合いになります。この人物との出会いが、のちに「江戸城の無血開城」を成功させたといっても過言ではありません。その人物とは……

 

 

運命の出会い

翻訳を注文していたのは、のちの薩摩藩主・島津斉彬(しまづ・なりあきら)です。低い身分だった西郷隆盛や大久保利通などの資質を見抜いて重用した人物です。

 

当時の斉彬は、藩主を継がせてもらえず、世子という身分に甘んじていましたが、将来のことを見据えて海外情報の収集をおこなっていました。

 

海舟研究の決定版である『勝海舟』(松浦玲・著/筑摩書房・刊)という本によれば、はじめは匿名注文だったので、麟太郎は気づかなかったそうです。斉彬は江戸住まいだったので、若き日の麟太郎と面会しています。このときの印象を、斉彬は「なかかなの人物である」と評しており、そのことを西郷隆盛はよく覚えていたそうです。

 

ご存じのとおり、勝海舟と西郷隆盛は、新政府軍による徳川慶喜追討をめぐる交渉の当事者です。西郷の独断によって江戸総攻撃は回避されました。まさに「信頼は一日して成らず」です。

 

 

結論:勝海舟は偉人である

斉彬が「汝のことは伊勢に頼み置けり」と何度も言う、その「伊勢」が初めのうちは誰のことか解らなかったというのがリアリティーがあって面白い。

権力中枢に近ければ「伊勢殿」「伊勢守様」が常用されており「伊勢」は筆頭老中阿部伊勢守正弘以外ではありえない。

しかし四十俵の無役小普請では雲の上のことだからピンとこない。また斉彬が阿部正弘を「伊勢」と呼捨てにする仲だとは想像もつかなかった。

(松浦玲・著『勝海舟』から引用)

阿部正弘は、大久保忠寛(一翁)という人物を重用していました。その大久保忠寛が、小普請組にすぎなかった青年時代の勝麟太郎を抜擢します。長崎海軍伝習所で操船技術を学んだあと、麟太郎みずからも軍艦奉行として、日本の近代海軍の立ち上げに関わっていきます。

 

脱藩浪人だった坂本龍馬を見出して、神戸海軍操練所(勝塾)に加えたのは勝海舟です。龍馬が操船技術を身に着けていなければ、薩長同盟は成立しなかったかもしれません。敵対していた長州藩のために、どの藩にも属しない中立の立場だった龍馬が、薩摩藩の船で薩摩藩が購入した武器弾薬を運んだからこそ、不倶戴天の敵同士が手を結ぶことができました。

 

日記の記述ミスが多いこと、座談における記憶違いにもとづいたリップサービスなどから「ホラ吹きおじさん」とも言われる勝海舟ですが、先述した学習まんが『人物日本史 勝海舟』や『勝海舟』(松浦玲・著/筑摩書房・刊)を読むかぎりでは、私心を捨てて公共のことを考え尽くした偉人だったことが理解できます。お試しください。

 

【著書紹介】

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人物日本史 勝海舟

著者:樋口清之(監修)、ムロタニツネ象(漫画)
出版社:学研プラス

江戸幕府重臣・勝海舟は、咸臨丸を指揮してアメリカに行き、進んだ文明にふれた。そして新しい日本をきずくため、新政府軍と話し合って江戸城の明けわたしを実現させた。まんがで楽しく学べる一冊。

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侮るなかれ⁉ 小学校の日本史の問題、あなたはできますか?

日本史の教科書に坂本龍馬が登場しなくなる――? 最近、日本史にまつわるこんなニュースが話題になった。

 

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暗記中心の教科書を改革する一環で、教科書に登場する用語を半分くらいに減らすという案が出されたのだ。それによると、龍馬だけでなく上杉謙信や吉田松陰も消える可能性があるのだとか。

 

もちろん、まだ決定事項ではないものの、誰もが知る人物が登場しなくなるのはかなり違和感がある。

 

 

小学校の日本史は意外に難しい

最近、日本史の本を執筆する機会があり、小学生~中学生の日本史の教科書を読んでみた。私の時代よりもカラーになっていて、写真もきれいで読んでいて楽しかった。

 

そして、驚いたのが、難しい用語、単語のオンパレードだったことだ。「こんなの習ったっけ?」と思うようなものばかりだった。

 

答えられますか? 小学校の社会科』(学研教育出版・編/学研プラス・刊)には、小学校の教科書に載っている用語を中心に、中学受験などにも役立つ問題がたくさん掲載されている。腕試しのつもりで解いてみたら、意外にこれがわからなかった。

 

簡単なものからすぐには出てこないものまで、10問を抜粋してみた。ぜひやってみていただきたい。あなたは何問解けるだろうか?

 

 

さっそく問題にチャレンジ!

Q:以下の●●にあてはまる用語を答えなさい。なお、漢字もしくはカタカナで書いたとき、文字数が●の数に当てはまるようにしてください。

(1)旧石器時代~縄文時代、人々は地面を掘って柱を立てた●●住居に住んだ。

(2)奈良時代、戸籍に登録された6歳以上の男女に●●●が与えられた。

(3)1192年、源頼朝は●●●●●に任じられ、鎌倉幕府を開いた。

(4)栄西は●●宗、道元は曹洞宗を広めた。

(5)桃山時代、●●●が茶の湯からわび茶の作法を大成した。

(6)江戸幕府は1641年にオランダ商館を長崎の●●に移した。オランダと清だけに貿易を許した。

(7)8代将軍・徳川吉宗が行ったのは●●の改革。

(8)江戸時代末期、大老の●●●●が、1858年、アメリカ合衆国と日米修好通商条約を結んだ。

(9)1867年、徳川慶喜が政権を朝廷に返したできごとを●●●●という。

(10)1919年、●●講和会議でベルサイユ条約が結ばれた。

 

 

あなたはいくつできただろうか?

答えは以下の通りだ。

 

(1)竪穴 (2)口分田 (3)征夷大将軍 (4)臨済 (5)千利休 (6)出島(7)享保 (8)井伊直弼 (9)大政奉還 (10)パリ

 

源頼朝が鎌倉幕府を開いた年は「いいくに(1192)つくろう」のゴロ合わせで覚えているが、征夷大将軍という言葉がパッと出てこない。出島は、この前、長崎に旅行に行ったので答えられた。井伊直弼、名前は知っているが漢字で書けと言われたら苦戦しそうだ。

 

 

日本史の教科書は変化している

現在の日本史の教科書から消えている言葉に、「士農工商」「鎖国」などがある。

 

士農工商は江戸時代の身分制度を指す言葉だが、実際はこのような区分の身分制度は存在しなかったことが、研究でわかってしまったのだ。また、江戸幕府は決して海外と外交の扉を閉ざしていたわけではなく、先ほどの(6)の問題にあるように、出島で一部の国と貿易を行っていたのだ。

 

ちなみに、源頼朝と聞いて思い浮かべるあの有名な肖像画は、どうやら源頼朝を描いたものではないらしい。現在、教科書には掲載されないか、載っても「伝源頼朝像」と書かれている。

 

日本人は歴史好き

歴史離れが進んでいるという割には、戦国武将をテーマにしたゲームが流行っているし、大河ドラマの舞台には観光客が押し寄せている。

 

来年は明治維新150周年の記念すべき年ということで、書店には特集した本がたくさん並んでいる。教科書の用語ひとつでこれほど話題になるのだから、やはり日本人は潜在的に日本史が大好きなのだ。

 

【著書紹介】

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答えられますか? 小学校の社会科

著者:学研教育出版(編)
出版社:学研プラス

小学校で習った社会科をこの一冊でクイズ形式で楽しくおさらいできる。都道府県、歴史人物・年号、地図記号、国会や憲法のことなど、今さら聞きづらい「社会の常識」を、豊富なビジュアルで自然に頭に入りやすい問題に。中学入試レベルのチャレンジ問題も。

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日本の歴史が変わる!? ランキング急上昇の歴史本に注目の声が集まったAmazon「本」ランキング(11月2日付け)

現在世間で注目を浴びている商品が一目で分かるAmazon「人気度ランキング」。今回は「本」のランキングを紹介していこう。(集計日:11月2日、夕方)

 

縄文人はタネをまいていた!? 斬新な切り口の書籍が注目度急上昇

1位『Lis Oeuf♪』vol.7(エムオン・エンタテインメント・刊/1,296円)

 

2位『シニア ビューティメイク』(えがお写真館、赤坂渉・著/扶桑社・刊/1,080円)

 

3位『身の丈にあった勉強法』(菅広文・著/幻冬舎・刊/1,404円)

 

4位『ブルーム スクイーズ コレクションブック – 限定! 「レインボー牛乳ひたしパン」つき』(株式会社ブルーム・著/ワニブックス・刊/3,240円)

 

5位『タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源』(小畑弘己・著/吉川弘文館・刊/1,836円)

出典画像:Amazonより出典画像:Amazonより

 

同書は、狩猟・採集で生計を立てていたとされる縄文人が、実は栽培もしていたのではないかと論じている。発売されたのは一昨年だが、ここにきて「売れ筋ランキング」が急上昇。

 

11月1日に古代歴史文化に関する優れた書籍を表彰する「第5回古代歴史文化賞」が行われ、同書が大賞に選ばれたことから売上が急に伸びたよう。ネット上では「図書館のは貸出中だったよ」「これまた斬新な学説が出てきたな(笑)興味深い!」「面白そうなので是非読んでみたい。大きい書店に行けばあるかな?」「タネをまく縄文人が本当なら大事件だよ!」「まとめられた方に感謝」といった反響が起こっている。

 

「育児に悩むパパママにオススメの一冊」って? ニュースサイトに掲載されて大反響

6位『これからの日本、これからの教育』(前川喜平、寺脇研・著/筑摩書房/929円)

 

7位『大逆転裁判 -成歩堂龍ノ介の冒險- 公式原画集』(電撃攻略本編集部・編/KADOKAWA/アスキー・メディアワークス・刊/3,240円)

 

8位『フツーのサラリーマンですが、不動産投資の儲け方を教えてください!』(寺尾恵介・著/ぱる出版/1,620円)

 

9位『幸せの神様に愛される生き方』(白駒妃登美・著/扶桑社/1,620円)

 

10位『ママは悪くない! 子育ては“科学の知恵”でラクになる』(ふじいまさこ・著、NHKスペシャル「ママたちが非常事態!?」取材班・監修/主婦と生活社・刊/1,080円)

出典画像:Amazonより出典画像:Amazonより

 

産後の“イライラ”や夫に対する“不満”、子育て中の“孤独感”などを取り上げ大反響を呼んだ、2016年放送のNHKスペシャル番組「ママたちが非常事態!?」。同書はこの番組を漫画化した一冊になっている。

 

発売されたのは2016年12月だが、IT系総合ニュースサイト「Impress Watch」の記事によって再注目されたよう。11月2日の朝に、「Impress Watch」が「育児に悩むパパママにオススメの一冊」として同書を紹介する記事を掲載したため売上が伸びたとみられる。

 

Amazonランキングを見ると、自分からは手に取らないようなジャンルの面白そうな本がてんこ盛り。「タネをまく縄文人」が事実だと実証されると、歴史の教科書の記述が変わるかも!? 今後の動向に注目したい。