「言われたとおりにしたのにナゼ怒られる?」女心に戸惑う男の疑問をズバッと解決!

覗けば深い女のトンネルとは? 第53回「言われたことをやったのに、妻や彼女に怒られる謎」

 

言われたことをやったのに、妻や彼女に怒られる……。という経験がある男性はいませんか。

 

以前、こんな愚痴を言っていた男性がいました。

 

「彼女に『合コンに行っていい?』と聞いたら『いいよ』と許可をもらったので行ってきたら怒られた」

 

聞いた瞬間、爆笑してしまった。すみません。

 

「許可をもらったから行ってきたのに、なんで怒るんだ!」という気持ちもわかります。でもたぶん、彼女の心理はこうです。

 

「合コンに行っちゃダメなんて狭量なことは言いたくない。だからあなたも、私の気持ちを推し量って、行かないでほしい」

 

いま流行の、忖度しろってことです。

 

そもそも「合コンに行くのはマズい」と思うから確認したわけですよね。でも、行くか行かないかは最初から自分で判断すればいいんです。わざわざ聞くということは判断を彼女に委ねて、責任逃れをしようとしているんです。そんなの、返事しづらいに決まってるじゃないですか。例え「イヤだと言ったから断った」と言われても「だったら最初から断ればいいのに」ってモヤモヤしそう。

 

女は基本的に、男性にはこちらがとやかく言わなくても、自発的に自分を大切にする行動をとってほしいんです。だから、女に「もういいわよ、やらなくて」「帰ってよ」などと言われても、ぶれることなく誠意と愛情を示さなければいけません。

 

ところで、少女マンガと少年マンガの違いのひとつに「ト書き」があります。フキダシに入っていない、登場人物の心の声ですね。これが少女マンガにはやたら多いです。

 

フキダシ「もういい! 帰ってよ!」

ト書き(うそ……ホントは帰って欲しくないの。戻ってきて)

ト書き(いいの……? ホントに私でいいの……?)

 

みたいな。で、男性の方はト書きに返事したりします。

 

フキダシ「帰らないよ。僕には君しかいないんだから」

 

みたいな。

 

少女マンガの主人公は口では感情的になったり、相手が望むだろうと思う返事をすることが多いですが、本音は違う。この本音の部分が話の根幹なわけです。口でなにを言おうが、大事なのは行動だし、心の声です。で、普段から女子たちはこれを実践してるんですな。

 

そして女は、男性の行動をひとつひとつチェックして、心のなかでマル/バツのリストをつけてます。例えばこんな感じ。

 

合コンに行っていいか聞かれた・・・×

合コンに行った・・・×

 

で、結果バツ2つ、みたいな。合コンに行かなくても、聞いたこと自体がバツならプラマイゼロですね。

 

「合コンに行くこと」自体は、バツかどうかは関係次第だけど、マルであることはまあないでしょう。「合コンに行かない」は、マルかどうかは関係次第だけど、バツの可能性も低い。

 

じゃあ黙って合コンに行って、あとでバレたとしますよね。昔付き合ってた男性に「先週、先輩と飲みに行ってた」と言われたことがあります。が、聞いているうちにそこに女子がいたことがわかり、結局は合コンだったことがありました。「先輩だから断れないんだよ」と言われました。「断れないから」「本当は行きたくないんだけど」は、保身のつもりかもしれませんが、逆効果です。めちゃくちゃカッコ悪いし、バツがいっぱいつきます。こんな感じです。

 

「この人は、マズいと思うことは、隠れてやる人なんだな」・・・×

「自分の判断で行動したことなのに言い訳するんだな」・・・×

「浮気とか不倫とかも『仕方なかったんだ』って言って隠れてするかもな」・・・仮想×

 

「すべての行動は自分の決断の末に行うものなのに、『誘われたから』とか責任逃れするんだな」・・・×

「じゃあ私と付き合ったこともそのうち『断れなくて』とか言い出すかもな」・・・仮想×

 

隠し事って、静なるウソですよね。端的に言えば「信頼できない人」です。1番最悪な選択をしちゃいましたね。どんな理由であれ、合コンに行くなら、それ自体マルの可能性が低いのだから、あとはどれだけバツがつかない行動をするかが大事です。

 

バツを貯めて信頼を損なうと、相手はどんどん小うるさくなるだろうし、すぐ機嫌が悪くなって怒るようになるかもしれません。「彼女が面倒くさい」なんて思ってる方は、きっとあなたにバツがいっぱいたまってるんですよ。

 

女は、別れた男性に未練がないことが多いですが、それもこのバツのリストをしっかり保持しているからです。もちろんこのリスト化は、合コンに限った話じゃありません、念のため。

 

基本は「女に対する誠意は、自発的・積極的に見せる」です。どうすればいいか聞いたり、言われたからやると、バツの可能性が高いですよ。

 

 

ドラマや映画で女性が「ハッ」とするシーンとは? モテたいなら“生活力”を上げるべし!

覗けば深い女のトンネルとは? 第52回「男性は“生活力”にもっと注目すべき」

 

男性はロマンチストだとか言いますが、本当だなあとよく思います。

 

女性にモテたいなら、家事能力を上げることだと思うんです。女は現実的だとか言いますが、和久井の恋愛基準は「ひとり暮らしをしていて家事能力の高い男性」だったりします。だけど、意外とそうした「生活力」に注目しない男性が多いことに驚かされます。

 

「家事のできない男性をどう思う?」と周囲の女性たちに聞いて回ったことがあります。すると、「うわっ嫌だ!」と汚いものを見るかのような人がけっこういました。

 

「生活する」って、日々の細やかなことに気を配るってことです。だから家事力なしに「気遣いのできる男性」になるのは不可能に近いんです。それは和久井が実家に暮らしていたころに、どれほど自分に家事力がなかったかを思い返すとわかります。

 

タオルが洗いたてなことも、冷蔵庫に食材が詰まっていることも、電気も水道もガスも、当たり前にあるだけで、深く考えたことがありませんでした。それが実家を出たとき、トイレがすぐに汚れることにも、すぐに洗濯物がいっぱいになることにも驚きました。洗濯物がどのくらいの時間で乾くものかも知らなかったし「久しぶりに晴れるから洗濯しなきゃ」なんて考えもしなかった。食材の相場も、冷蔵庫の食材を管理するのがどれだけ大変かも知らなかった。

 

以前、お見合いをしたときのこと。

 

相手は郊外にひとり暮らしをしている男性でしたが、そのお母さんが「週1で世話をしに行っているが、そろそろ結婚してくれると、家事から解放されて助かるわ」と言っていたんです。

 

仲介してくれたお見合いおばさんは「いまの時代、女性が働くのは当たり前」と言っていたので、ってことはその人と結婚したら、家事全部やって仕事して、フル回転しなきゃいけないってことですよね。ものすごく大変そう!

 

また、ドラマや映画もそういう視点で見ていくと、めちゃくちゃ気になるシーンが出てきます。

 

ご飯を食べ終わって、そのまんま席を立つ子どもたちや男性キャラの多いこと! 「皿を流しに持っていくくらいしようよ!」と思います。

 

「海街diary」の映画で、こんなシーンがありました。看護師の女性が、不倫中の医師の家で食事をする映画独自のシーンです。女性がガチャガチャご飯を作ってる最中、医師は手伝うどころか新聞かなんか読んでるんです。「不倫男が何を偉そうにしてるんだ!」と、イライラしてしまいました。で、当たり前のように作ってもらったご飯を食べながら、次のデートをキャンセルするとか言い出すんです。もう「なんでこんなクソ男と付き合ってるんだ?」という気持ちになってしまった。

 

日常的に家事をしていないと、小さな生活感のリアルに気がつかないのでしょう。でも見てる側としては、そこに引っかかっちゃって、話に集中できないことがよくあります。

 

一方で「仮面ライダー555」はよかった。半田健人くんが、貧血を起こして倒れた女子をお姫様だっこしてベッドへ連れて行き、スープを作ってきてフーフーしてから飲ませてくれるシーンがありました。これ、お母さん向けのサービスかもしれませんが、こういうさりげない啓蒙活動に幼少のころから親しんで育った少年は、将来有望なんじゃないかと心ふるえたものです。

 

少女マンガでも、家事一般できる男子がけっこう出てきます。そもそも少女マンガは生活感のない話も多いんで、相対的には家事力高い男性キャラが登場する比率は高くはないんですが、「君つくる人、僕食べる人」なんて言ってる男性キャラは、読者の反感を買うので否定的に描かれることが多いです。

 

「CIPHER」(成田 美名子)は、双子の兄弟の葛藤と自立を描いた作品ですが、彼らは2人暮らしをしていて、普通にご飯作って掃除して「生活」しています。「銀のスプーン」(小沢真理)は、母親の入院をきっかけに弟妹のために家事をすることになった大学生男子のお話。西村しのぶさんは、年下の気の利くカワユイ男子たちと自立した大人の女との恋愛を描いて90年代にブレイクした作家さんですが、この男子たちの家事力の高さは月にも届きそうなほどです。軽くご飯を作ってくれるのは当たり前、美味しい手作りドリンクを用意したり、彫金やら縫い物やらまでこなして、とにかく生産力が高い。「ここまでできなくても……」と思うほどです。でも「稼ぐのは女のほう、気を配るのは男のほう」という住み分けが、社会進出しはじめた女の読者をメロメロにしたんです。

 

逆に生活のささやかな悩みを描いた作品もあります。「空の小鳥」(羽海野チカ)は、主人公が、家事をしてもらうことに疑問をもたない彼のことで悩む物語です。「カプチーノ」(吉住渉)は、家事をぜんぜんやらない同棲男が浮気をするというゲスな話です。家事労働の分担は社会問題でもありますが、女性向けの作品はこういうポイントをちゃんと取り上げているんですよね。

 

リアルなとこで言うと、先日、飲みに行った女性たちに夫婦円満の秘訣を聞いたところ、「やり過ぎないことですね」とバッサリでした。「世話を焼きすぎると相手はそれが当たり前だと思うもの。私は家事はほとんどやりません。いつ別れてもいいように、自分で働いて収入を確保しておくこと」だそうです。彼女たちは、家事をしないパートナーに悩むこともストレスもないのでしょう。

 

というわけで、女は稼ぐ力、男は家事力をつけることが、婚活成功、夫婦円満の鍵ということでしょうか。

「忖度する主人公」が少女マンガのトレンド――歴代の主人公たちから読み解く社会とメッセージ

覗けば深い女のトンネルとは? 第51回「少女マンガの主人公の変遷」

 

忖度って言葉が話題ですね。日本人らしく空気を読んで相手の気持ちを慮りましょうってことですか。たいへんだなあと思います。そんなのわかるわけないじゃないですか。

 

少女マンガは時代を細かに反映しているところがとても興味深いメディアです。

 

最近の少女マンガは、人付き合いのヘタな主人公がめちゃくちゃいっぱいいます。「凪のお暇」(コナリミサト)は会社で空気読みすぎて周囲からは嫌われ、恋人にはバカにされ、とうとう過呼吸になって会社を辞めて心機一転、新しい生活を始めようとしている女子の話です。

 

大人気漫画「君に届け」(椎名軽穂)も、人がいいのに見た目が恐いために周囲から恐れられてる女子高生の話。「きみが心に棲みついた」(天堂きりん)は、暴力的な彼氏の精神的支配から逃れようともがく女子の物語。

 

現在の少女マンガの主人公の多くは、自分に自信がなくて、人とうまく付き合うことができない女子の話です。いつも人の顔色をうかがってビクビクしているような、気の弱い女の子。

 

一方で70年代まで溯ると、少女マンガの主人公たちの元気なこと。

 

当時はフェミニズム運動が盛んなころです。男女雇用機会均等法もまだなく、セクハラは横行していて(セクハラなんて言葉すらなかった)「女に人権よこせ!」と叫んでいた時代。「ベルサイユのばら」(池田理代子)のオスカル様は男の格好をして男社会にズカズカ割って入る話だし、「キャンディ・キャンディ」(水木京子・いがらしゆみこ)は、みなしごのお転婆娘が自由気ままに生きる話です。「生徒諸君!」(庄司陽子)のナッキーなんて、いつでもセーラー服の襟が立っちゃう元気で強引な空気を読まない暴れん坊で、いまそこらへんにいたらめちゃくちゃどん引きされそう。

 

70年代、80年代までは女性性を否定するような風潮がありました。それが90年代に入るとようやく「女って楽しいね!」という女性が自分の人生を謳歌するような作品が出始めます。で、2000年代になるとオスカル様やナッキーのような女子たちの元気はどこへやら、モジモジドキドキ、人とろくに話もできない女子たちがメインストリームになったというわけです。

 

こうした作品が受け入れられるということは、友達作りに悩む、空気を読みすぎて辛い、不器用な女子像に共感する読者がたくさんいるということです。

 

若いころに読む作品って、思考形成にかなり影響を及ぼすものです。和久井は子どものころから「空気を読む」とかほとんどしたことありませんでした。「自分を理解できない人なんぞいらん」とか思ってたし。だって自分が読んで育った少女マンガの主人公たちは、みんな自信に満ちあふれた正義を貫く元気いっぱい女子だったんだもの。「自分が間違っているかも」なんて考えもしませんでした。

 

とは言ってもさすがにいろいろやらかしたので、最低限は周囲の雰囲気に合わせるようにはなりましたが、そこで気の合わない人とは深く付き合わないようになりました。自分と根本的に考え方の違う人や和久井を尊重しない人のことは、笑って応対はするけど懐に入れません。そうすると、自然と距離ができていきます。

 

結局、空気を読もうが読まなかろうが、「ありのままの自分でいられて、自分を受け入れてくれる人と付き合えばいいじゃん」ってことに落ち着くのかもしれません。だって、全員から好かれるなんてあり得ないわけで、空気読んで身を削って人から嫌われるなら、最初からそんなことしないほうがよっぽどラクじゃないですか。

 

昨今の人付き合いに悩む少女マンガの主人公たちも、結局は「自分出していこうよ」にたどり着く展開です。でもそれには、人に合わせてばかりいないで、自分の意見をハッキリ言わないといけないんですよね。だって相手に迎合しているだけじゃ、いつまで経っても周囲は自分の本音になんか気づいてくれないもの。人を不快にさせずに自分の意見を言うのには技術がいりますが、人と深い付き合いをするため、自分が心地よく過ごすために身につけたいものです。

 

しかし! なぜだか男性は「言わなくてもわかる」って思ってるみたいなんですよね。付き合ってる男性から何度「お前の考えてることはわかる」って言われたことか。「全部わかる」なんて言う人もいましたよ。

 

いやいやいや、いま和久井が「お前ホントクソ野郎だよな、早く次を見つけて縁を切りたいな」って思ってたこと、ぜんぜん気づいてなかったよね? 「こいつの言うことはくだらねえな」って思ってたことも気づかないで、延々と説教してたよね? 男性たちの人付き合い(恋愛づきあい?)に対する楽観的なことには「我が道を行く時代の少女マンガ」読者の和久井ですら本当に驚かされます。

 

というわけで、女性に言いたいのは「空気なんか読むな」、男性に言いたいのは「わかった気になるな」ってことですかね。バランスが難しそうです。

「いまはそっとしておこう……」その気遣いがアダとなる!? 女性のホンネはこうだった!

覗けば深い女のトンネルとは? 第50回「放置しないで追いかけて!」

 

辛いことがあってめちゃくちゃ機嫌が悪いときや、落ち込んでいるとき、パートナーの男性にはめちゃくちゃ慰めてほしいです。「どうしたの? そうか、たいへんだったね」なんて言って話を聞いてほしい。

 

でもたいてい放置されてイライラが倍増します。

 

確かに、怒ってる女の相手をするのは面倒ですよね、でもそれって優しくない! 愛がない! ……と思ってました。

 

『ベスト・パートナーになるために―――男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール 男は火星から、女は金星からやってきた』という奇妙なタイトルの本があります。マレーシアの書店に英語版だけでも3種類くらい置いてあって、めちゃくちゃ人気のようでした。試しに英語版を買って帰り、案の定10ページ読んで放置してたんですが、このほど日本語版を買って読んでみました。

 

そこには「いかに男女の感覚が異なり、言葉を発していてもすれ違うか」ということが書いてあります。そしてこんなことも……。

 

「男性は、ストレスがたまると自分の心の穴の中に引きこもり、問題を解決することに全神経を集中する」のだとか。だから同じように、女性が何かに悩んでいたり、辛そうにしているときには、そっとしておくことが気遣いだと思ってるってこと……?

 

付き合っていた彼に「今日は家に泊まりに行くね」と言われて待っていたら、飲んだくれて深夜に来たのでぶち切れたことがあります。怒ったらションボリされてそのまま帰られたことがあったけど、あれも「機嫌が悪いからそっとしておこう」っていう気遣いだったんですか……!?

 

会社をクビになって泣いていたら、そのまま訳も聞かずに放置されて、あっちからもこっちからも見放された気がしてますます悲しくなったことがあったけど、あれも気遣いだったんですか……!?

 

一方、女性の場合、ストレスは話をして相手に共感してもらうことで解消するそうです。よくわかります。

 

少女マンガでも、男女がケンカしたあと、男性が追いかけもせず帰ろうとするシーンがあります。そこでは必ず「いいから追え!」「帰らないで戻って来い!」という主人公のモノローグまたは周囲からのツッコミが入るものです。

 

ケンカしたあとや、ストレスで女が参っているとき、放置されると多くの女は「もう愛されてないんだな」と感じてしまうんです。男性にはいつでも自分のことを見ていてほしいし、共感してほしい。

 

「Paradise Kiss」(矢沢あい)というアラサー狂乱の名作があります。そこでももちろん「怒った女を男が追ってくる」シーンがあります。

 

いやー、ホンット、「別れるつもりがないなら追ってこい!」ですよね。でも和久井は有事に男性から追いかけてもらった記憶がありません。彼の家でケンカして「もう帰る!」と言って終電もない時間に家を出たのに、そのまま追いかけられもせずにどこにも行けなくて、途方に暮れたこともあったなあ……。

 

「もう会わない」「帰って!」なんて言葉も、もしかしたら本音と裏腹かもしれません。そこは付き合っている最中ならちょっと粘ってみてもいいかも。

 

というわけで、意地や見栄を張らない女なら話は別ですが、基本的に「放置」は愛情ではありません。女は話もせずに自己解決して心が切り替わることはないのです。言葉にして、誰かに聞いてもらって共感されて、初めて心が安らぐんです。

 

気を遣ってか面倒臭いからか、どちらにせよ放置されたらずっと根に持ちますよ。それで3年後とかに「あのとき放置したわね」って言われるかもしれません。女はタヌキのように執念深いのです。

 

目の前の火事に気付いたら、見ないフリをしないでちゃんと都度火消ししてくださいね。

 

 

マンガ好きなら共感必至! 「アンニュイな人が好き」その理由とは?

覗けば深い女のトンネルとは? 第49回「アンニュイな人が好き」

 

和久井の知り合いに、めちゃくちゃマンガに詳しい男性がいます。イケメンなのにとてつもないオタクで、もったいないようなそうでもないような、でもめちゃくちゃ気の利く人です。

 

彼が以前こんなことを言ってました。

 

「ちょっと心に傷を負っているアンニュイな女子が好き。元気いっぱいの女性は『ああ、俺がいなくても生きていけるよね、俺の知らないところでがんばって』と思う」

 

これ、すっごいわかります!

 

少女マンガに登場する男性は、十中八九、トラウマを抱えてます。俺様もクールもしもべ系も、たいてい過去に囚われているんです。まあだいたい、なんの悩みもない俺様とか単なる勘違いですからね。俺様代表の「花より男子」の道明寺だって心に傷を負ってます。あ、そういやF4は全員辛そうな過去がありますね、さすが人気マンガ。

 

和久井も、アンニュイな男子がそうとう好みです。

 

以前付き合っていた男性で、とても家庭の複雑な人がいたんですよ。感情を表に出さない人で、いつもクールでした。この人に和久井は本当に弱い。別れたあともなんだかんだ会ってます。

 

普段笑わないから、ふとしたことでニコってすると、めっちゃくちゃズキュンときます。「あ、笑った!」みたいな。

 

それがあまりに嬉しくて、もっと楽しんでほしい、もっと一緒にいて笑ってほしいと思ってしまう。

 

甘え上手なので、もう何でもしてあげたくなってしまう。

 

「こいつ、ぜったいわかってやってるだろ!」って思います。

 

自分がラクをするためとか、優位に立つための甘えはフツーにスルーだけど、「手つないで」とかならウェルカムです、ああ甘いなあ。

 

和久井の知り合いの女性も、結婚しただんな様が家庭を知らない人だそうで、「私があたたかい家庭をつくってあげる!」と燃えてました。よくわかります。

 

そして和久井は「うちの実家は円満だ」と言っている人とはあんまりうまくいきません。安穏としている姿勢に、ちょっとついていけなくなってしまうんです。家庭にはそれぞれ常識や文化があるから、そこが1番居心地のいい人は、よそに気持ちが向かえない気がするんですよね。誰かとパートナーシップを結ぶって、その人のもつ異文化を尊重しないとやってられないですもん。マザコンとかシスコンだと、パートナーよりも家族を大事にしそうだし。

 

とはいえ家庭で孤独感を味わっている男性に魅力を感じるのは、かなり少女マンガの影響が強そうです。

 

「彼の心の傷や孤独を自分が埋めたら、自分が唯一無二の存在になれる」という刷り込みがあるんです。

 

冬森雪湖さんという大人気ティーンズ・ラブコミックの作家さんの作品に登場するイケメンは必ず家庭に問題がある人です。その心の穴を埋めるために、主人公を求めてしまう……みたいな。単に性欲ゆえの所業じゃないんですよ。おまけに絶対浮気しないので「それならむしろいい!」って感じです。

 

だけど現実世界では、その孤独を埋めるのに女の妄想通りに男性が自分を求めてくれるとは限らないとも思います。淋しさを相手に押しつけてひっきりなしに連絡がくるとか、ものすごく束縛されるとか、けっこう面倒くさそう。

 

結局は淋しさや孤独感って、自分で対応するしかないんです。なくなるものではないかもしれないし。

 

同性の友達と遊びに行くときもついてきたがったり、絶対に外食を許さなかったりするパートナーにヘトヘトになった人の話も聞いたことがあります。

 

つねづね、「ごめん、迷惑だってわかってるんだけど……諦めきれなくて」なんて家で待ち伏せされたいよとか言ってる和久井は、心底少女マンガ脳なんだなと思いました。

 

 

「わあ、すごーい!」でも内心はホラッチョ認定!? 何気ないウソが招くデメリット

覗けば深い女のトンネルとは? 第48回「見栄のためのウソが招くデメリット」

 

昔、「俺、スパイだったんだ」という男性に会ったことがあります。

 

彼には「アメリカ海軍に顔が利くから、行きたいところに連れてってあげるよ」とも言われました。言われただけで実行されませんでしたが。

 

違う男性から「タレントの××が好きなの? 俺、知り合いだから今度会わせてあげるよ」も言われたことがあります。でもその日は永久にやってこなさそうです。本当に知り合いだけど約束を守る気がないのか、そもそも知り合いじゃないのか、どちらにしてもウソですね。

 

「ウソつきの心理学 人はなぜウソをつくのか」(渋谷昌三)によると、男性は「見栄」「利害」などで相手よりも優位に立とうとしつつ「予防線」のウソで人間関係を上手く保っていこうとするそうです(女性の場合は「予防線」「合理化」で相手との関係を保つのだとか)。

 

確かに上記2つは、自分をより大きく見せて「すごーい」って言わせたい、見栄のウソっぽいですよね。

 

だけど男性のウソってわかりやすいので、たいてい相手に見抜かれていそうです。

 

その場では「わあ、ホント? すごーい!」くらいは言いますよ、正直者の和久井でも。それでいて心のなかでは「今後は話半分で聞いておくか」ってなります。

 

それほど大きなウソじゃなくても、プロフィールを盛るのもウソの一種ですよね。実例で言うと「実家暮らしなのにひとり暮らしと偽る」「二流大学卒だけど実は一流大学も合格していたと言い張る」とか。ぜんぜんプライベートなのに「仕事のメールが来た」「週末は仕事だ」とか、英語ぜんぜんできないのに「これは俺が読んでる英語の書類だ」なんて見せてくる人もいました。

 

これらのウソも見栄っぽいです。でも、見栄のためにウソをつくのは、自分が弱いからではないでしょうか。

 

ひとり暮らしのほうが評価が高いと思うならすればいいし、二流大学でも自分の過去なら胸を張ればいい、恥ずかしいならリベンジすればいい。やるべきことがわかっていながらそれをしなかったり、自分の非や弱さを認められずにウソをついて逃れようとするのは、「弱さ」です。

 

ついウソをついて、その場をうまくしのぎたいのでしょうか。和久井はウソばっかりつく男子のことをホラッチョと呼んでいますが、「こいつホラッチョだな」と判断されることのデメリットは山ほどあります。

 

まず、ウソは残念な人にしか通用しません。ということは、ホラッチョの周りの人たちのレベルもたかが知れている、もしくはそれなりの関係だってことです。どちらにしろ、周りに相談できる人や、大人の意見を述べる人はいないんだろうなと想像します。

 

言っていることがウソかもしれないので、こちらも用心して「どうせウソだろ」ってスタンスで話を聞くようになります。

 

そもそも自分の弱さを隠すためにウソをつく人です。これが一番怖い。他人に不利益が生じることも「自分は仕方がなかった」と言い訳やウソでその場を取り繕うかもしれません。例えば、結婚したあとに不倫するとかね。端的に言えば「信用ならない人」です。

 

ひとつふたつ、何気なくウソをついただけで、これだけイメージダウンするんです。

 

遠い昔、和久井は当時付き合っていた人から「お前は自分がそれなりの人間だって自覚しろ」と言われたことがあります。自分の弱さと向き合うのが怖くて、そして完璧な人間じゃないと世間に認められないと思って虚勢を張ってました。お恥ずかしい。

 

自分のしたことや自分の人としてのレベルを客観視するのは辛いことです。でも自分が完璧じゃないこと、足りないことが山ほどあることを自覚するのが、大人への第一歩です。

 

「負の暗示」(山岸凉子)という恐ろしい作品があります。津山30人殺し事件の犯人の心理を描いた短編です。本書によれば、彼は弱い自分、世間的に認められない自分を、とうとう直視することができなかったというのです。ひとつのことに目を背け後回しにすると、後回しにしたぶんだけ、大きくなって返ってきます。彼はその負のサイクルに飲み込まれてしまったと作者は言います。

 

ホラッチョのウソは自分のリアルから目をそらすためのものです。ウソをついて自分を繕っていたら、いつまで経っても心の底からつながれる相手は見つからないのに。

 

でもウソって習慣化するみたいで、反射神経的にウソをつくようになると直しにくいようです。見栄を張るよりも本当の自分の弱さをさらけ出したほうが、よっぽど評価が高いことに気づけないんです。

 

「わあ、すごーい!」と言いながら、ウソに騙されたフリをしながら女たちは「こいつホラッチョだな」「胡散臭いな」と心のなかで見下してるかもしれません。ウソで塗り固めたって、どうせボロがいっぱい出るから意味ないですよ。

 

第一印象を取り繕ったら、あとは落ちるだけ。自分自身の本当のレベルで勝負しましょうよ。それが一番幸せです。

 

少女マンガにおけるヒーローを見習え! “らしさ”に不安を抱く女性たち

覗けば深い女のトンネルとは? 第47回「女らしさが苦手な女性たち」

 

たまに男性から「女に見られないよりはいいでしょ」と言われることがあります。女として見られて嬉しい女性もいるようだけど、和久井はかなり気持ち悪いと思ってしまいます。

 

例えば先日、精神科医の性的搾取に関する文春砲が話題になっていましたが、この被害者の女性たちにも同じことを言えるんでしょうか。これは極論ぽくなっちゃうけど、好きでもない男性から性的な目を向けられたり、自分の好意を利用されたりすることが、大きな損害につながることもあるんです。

 

少女マンガには、女っぽいことが苦手な主人公がたくさん登場します。古くは「キャンディ・キャンディ」や「つらいぜ!ボクちゃん」、現代なら「アシガール」など、枚挙にいとまがありません。女らしいことがとことん苦手で、ボーイッシュな主人公のお話です。そして女であることを全面的に主張しているお色気キャラは、悪役であることが多いです。

 

数年前、雨宮まみさんの「こじらせ女子」という言葉が一世を風靡しました。それまで、ボンヤリしていた自分たちの思いにピシャッと名前がついて、「そうだ、これだったんだ!」と多くの女子が共感したのでしょう。

 

和久井も下ネタは平気なのにけっこうこじらせているほうで、男性から「初対面のときからしたいと思った」「これ以上一緒にいるとしたくなっちゃう」などと言われて「ウゲ……」と思ったことがあります。

 

そうした「女として見られること」への嫌悪感は、何も知らない思春期のころから経験する、セクハラめいた事柄によるところが大きいのではと思います。もちろん、それらを悠々とやり過ごし、逆手に取る人もたくさんいますが。

 

「BLACK BIRD」や「愛と欲望の螺旋」といったエロ表現に積極的なマンガですら、途中で主人公がなんども「この人は、私の身体が目的なんじゃないかしら……?」と不安になります。ヒーローがこれでもかこれでもかと精神的な愛情表現を繰り広げるにもかかわらず、です。そしてそのたびに、ヒーローたちは「俺はお前の身体だけじゃなくてすべてを愛しているんだ!」と身を挺して主人公を守り、行動で示します。そうしてようやく主人公は少しずつですが安心していきます。そのヒーローの心の砕きようったら、女目線で読んでいる和久井ですら「大変そうだなあ」と思うほどです。

 

男友達から、付き合っている女性に「あなたは私の身体が目当てなの?」と怒られたという話をなんどか聞いたことがあります。身体を求めることそのものは愛情表現ではありません。毎度毎度サカられたら、そりゃ女性は不安にもなるでしょう。デートもなし、会話もなしで毎度会うたびならなおさらです。

 

以前、好きな男性がいるという女友達に「あれからどうなったの?」と何気なく聞いたら「胸くそ悪い展開だったので話したくない」と言われたことがあります。彼女は深夜に呼び出されたりしていたので、どんなことが起きたのか、なんとなく想像がつきました。

 

和久井の女友達で、めちゃくちゃカワユイ女子がいます。でも彼女はとことん女性的な魅力を排除してる感があります。常々もったいないと思っていたのだけど、先日こんなことを言っていました。

 

「男性からチヤホヤされるたびに上司から『いい気になるな』と怒られた。女らしさを捨てて女扱いを受けなくなってから、上司に怒られることも、人間関係でこじれることもなく良好。とても仕事がやりやすい」

 

「女らしい」「女扱いされる」ことがマイナスになることもあるんです。仕事に真剣な女性ほどそう感じることが多いのかもしれません。

 

和久井は以前、ビジネスで知り合った男性から、仕事を紹介してもらったことがあります。とても大きな仕事だったのでウキウキがんばっていたのですが、その会社では和久井とその男性がなにか関係があるんじゃないかと噂になっていたそうです。ホント勘弁してほしいですが、フリーランスやってるとこの手の話はよくあります。引き換えババア然としていると痴漢にも遭わないし、おっさんからセクハラもされないし、たいへん生活が楽ちんになりました。

 

「AVはファンタジーだ。当たり前だろ」という男性たちは多いですが、ホントにわかってるのかな? と思うこともしばしばあります。なんか、すごく性に関して楽観的というか……。そもそも楽観的に作られているのが男性向けのエロだそうですが、一方の女性向け媒体では、それほど安易に性を捉えていない場合が圧倒的です。

 

「少女マンガに抵抗がなく、読む習慣がある男性はモテる」は和久井の持論ですが、パートナーが女性であるなら、その女性目線をきちんと仕入れてほしいなあと思っています。

ワガママをきいてくれるのは「相手にとって自分が特別だから」ではない

覗けば深い女のトンネルとは? 第46回「他人を大事にすることは自分の幸せにつながる」

 

恋人と別れた理由や離婚について聞くと、「彼を甘やかしすぎた」と語る女友達がけっこういます。Belindaの「あたしゃあんたの母親でもフロイトでもねえんだよ」という曲もあることだし(詳しくは連載第40回を参照)、少なくない話なんだろうな、と思います。

 

パートナーを甘やかした友人たちによると、浮気をされたり、電話がひっきりなしにくるようになったり、働かなくなって金銭を要求されるようになったりと、いろんなことが起こるようです。

 

浮気の場合は、心がよそに移ったというわけではなく、ホントに「浮気」で、バレたり自発的にゲロッたりしても「許してくれると思った」と言うのだとか。

 

……甘えてますね。

 

でも和久井にも身に覚えがあります。まだ人との付き合い方がわからなかったころ、人付き合いが不安で仕方がなかった。そして友達にワガママを言うことで、自分の価値を確認しようとしていたところがあります。やたらお願い事をしたり、愚痴を言ったり。心を許せば許すほどワガママになり、大きなワガママを聞いてくれればくれるほど、彼女たちにとって自分は「それでも付き合う価値のある人間なんだろう」と自信を保とうとしました。

 

でも、そうじゃない。人の価値って「どれだけ自分を大切にしてくれるか」ですよね。どんなに見た目がチャーミングでも、社会的に立派でも、愚痴ばっかりだったり、自分を見下したり、ないがしろにする人を大事にしようとは思いません。

 

和久井は一方で人に嫌われて、一方では大事にしてもらい自信がついて、ようやく「他人を大事にすることは自分の幸せにつながるんだ」と思うようになりました。

 

自分を押しつけて相手を怒らせたり、距離を置かれたりしたあとの自己嫌悪ったらありません。謝ろうにも、もう遅い。「ごめんなさいを言えるうちは幸せなんだ」と痛感したこともあります。相手を否定せずに自分の意志はちゃんと伝える、という深いコミュニケーションにはスキルが必要ですが、それを手に入れさえすれば不安は吹き飛びます。

 

パートナーに尽くす人も、そんなふうに考えているのかもしれません。縁があって時間をともにすることになった相手には、自分と一緒にいることで成長してほしいし、辛いなら楽になってほしい。

 

でも自分の幸せも大事です。相手を思いやりたいけれど、あまりに自分に負荷がかかったり、ないがしろにされるようなら、相手への誠意と自分の幸せとのバランスに悩みます。落としどころはどこだろうって。でも、やれることはやったと思えば、相手に未練は残りません。

 

いつもパートナーに優しくするのは、すべてを許しているからではなく、自分が後悔しないためかもしれません。

 

「アロマチック・ビターズ」(桜沢エリカ)というマンガ作品があります。40代のセレブ主婦・英(はな)と30代女子・小優美の恋愛模様を通して、男と女、恋愛の不条理、結婚、離婚、仕事といった女性の人生を考えさせる物語です。

 

英さんは家庭内離婚状態ともいえる夫のために毎日朝食を作り、夫に隙を見せません。しかし夫は若い女性を妊娠させ、離婚を切り出してきます。そのとき英さんは「女の影を見て見ぬ振りするのも、食べない朝食を作り続けるのも、すべて愛情だと思ってた」と泣きました。だけど「オレたちの間に愛情なんてもうなかっただろ?」と言っていた夫は、若い女性との関係にストレスを感じ、英さんのところへちょくちょく戻るようになるのです。

 

そうして「オレたち20年一緒にいてほとんどケンカしなかっただろ? オレにとっておまえは誰よりも気が合う親友なんだよ」と悪びれもなく言います。それに対し英さんは「それは私が耐えていたから。自分のことしか考えないあなたに合わせて暮らすほうがラクだと思ってたからよ」と思うのです。未練たっぷりの夫に引き換え、英さんの心はカケラも夫にありません。結局、別れを切り出したのは夫だけど、捨てられたのも夫です。

 

人から「お前なんかイラネ」って判断されるのは悲しいことです。言われてからじゃ遅い。自分の要求ばかりしていないか、ちゃんと「ありがとう」「ごめんなさい」を言っているか、自分勝手をしていないか、相手を尊重しているか、ちょっと振り返ってみるのは、相手のためではなく自分の幸せのために大事だと思うのです。

 

パートナーを甘やかしちゃった女友達に「そんなダメンズに最後まで誠意を尽くしたのはどうして?」と聞きました。答えは「意地かな」です。とことん大人になって、一段上のステージに居続けるため。最終的な進路を決めるのは、自分自身で居続けるためです(見限られたら受動的にならざるを得ないからね)。

 

ちなみにダメンズ経験のある女友達は、みんなめちゃくちゃステキなパートナーを見つけたり、仕事で活躍したりしてキラッキラしてます。苦労から学ぶことは幸せへの第一歩なんだなあ。まだまだ苦労が足りないと思う和久井です。