女体・書籍・不動産……偏愛の沼は至る所に存在する−– 歴史小説家が選ぶ「性癖」を刺激する5冊

毎日X(旧Twitter)で読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「性癖」。谷津さんの選んだ「癖の強い」5冊の中にあなたの「性癖」にピッタリな1冊があるかも!?

 

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この前、某所でのイベントの際に「性癖でもって小説を書いている」と発言し、主催者の方に苦い顔をされた小説家がわたしである。

 

ウケ狙いでもなんでもない。「物語を作る」という作業は、漫然とやるにはあまりにもやることが多すぎるし、選択肢の幅が広すぎる。心の内にあるパッションを燃やし、自らを奮い立たせ、ときに自らの視野を狭め、自分の作り上げた牢獄の中でもがき続けるのが作家なのである……とそれっぽいことを書き連ねたはいいものの、実際の処はそういう風に書くのが習いになっているだけだし、そもそも、お客さんの前でくらい、もう少し格好をつけてもよかったのではないか、と今になって反省しているところである。

 

皆様、勢いで物を言うのは止めましょう。

 

というわけで(どういうわけなのかはわたしが一番分かっていないけれども)、今回の選書テーマは「性癖」である。

 

クセが強すぎる物件への偏愛

まずご紹介するのは『クセがスゴい不動産』(あなたの理想不動産・著/宝島社・刊)である。皆さんはYouTubeをご覧になるだろうか。YouTubeは現在、様々なジャンルの専門家やタレント性を持った一般人の方が独自の切り口から情報発信をする面白い情報集積基地となっている感がある。

 

不動産関係もそれは例外ではない。本書は有名な不動産YouTuberによる、不動産物件紹介書籍である。普通の不動産書籍と違うのは、本書に収められている物件がどれもクセ強だということだろう。本書をパラパラ眺めると、世の中には色んなコンセプトの物件があるのだな、という新鮮な驚きがある。曲面で構成された物件、忍者屋敷のような作りの物件、恐ろしく狭い区画を三次元的に用いて住まいにした物件、掃き出し窓がそのまま出入り口になった物件……。

 

わたしからすると、住むには躊躇してしまうものばかりだが、こうした物件の存在は、こうした物件にニーズがあることを示している。クセがすごい物件たちは、誰かにとってはジャストミート物件なのである。人の数ほどクセがある。本書は、不動産を通じて人間のクセの一端を知ることの出来る一冊といえるのかもしれない。

 

少女たちを「愛でる」活劇

次に紹介するのは『あらしの白ばと』(西條 八十・著、芦辺 拓・編/河出書房新社・刊)である。西條八十といえば大正から戦後にかけての詩人として高名だが、小説家として活動していたことは案外知られていない。そんな西條八十の知られざる小説作品を復刊したのが本作である。

 

本作は、白ばと組の少女三人組、日高ゆかり、辻晴子、吉田武子の三人を主人公にした、戦後日本が舞台の探偵×冒険活劇である。しかし、この少女たち、ただ者ではない。敵方がマシンガンまで持ち出す中、彼女らは銃で応戦し、組織力を駆使し、さらにはステゴロで敵をちぎっては投げる。少女たちによる過激でスカッとする活劇が本作の肝である。本書、恐らく同時代的には主人公の白ばと組の活躍を同年代の少女たちが楽しむ少女小説だったのだろうが、本作、現代人の目から見ると、魔法少女ものであったり、戦う少女もののはしりとしても読むことができる。その観点から眺めると、(もちろん時代の制約はあるが)白ばと組の三人にはそれぞれにキャラクター性が付与されている。

 

現代、異性の登場人物の活躍を「愛でる」文化が漫画や小説の世界において市民権を得ている。これは、登場人物を非実在の「キャラクター」として咀嚼し、その上で楽しむというプロセスで成り立っているというのがわたしの考えだが、いずれにしても、現代の「愛でる」文化の目線で眺めると、また別の色が浮かび上がる作品なのではないかと考える次第である。

 

異類婚姻譚を真正面から描いた作品

次に紹介するのは漫画から『大蛇に嫁いだ娘』 (フシアシクモ・著/KADOKAWA・刊) である。現代以前の時代(明言されていないが、劇中の描写から近代の早い時期なのではないか推察される)、諸般の事情から村で疎まれていた少女ミヨが山神として崇められる大蛇の元に嫁ぐところから始まる物語である。当初、ミヨは大蛇を気味悪く思い、また心の内が分からずに戸惑っていたが、やがて、大蛇の内心に触れるにつれ、ミヨは少しずつ大蛇との距離を詰めていき、やがて欠くべからざる伴侶となっていく姿を描いている。

 

本作は、物語類形上「異類婚姻譚」に分類できるわけだが、よくよく考えると、異類婚姻譚とは不思議な物語である。なぜ人間にあらざる者と結婚する物語が形作られ、現代にまで命脈を保っているのか。実は本書にこそ、その答えが描かれている気がしないでもない。

 

本作主人公のミヨは、村というコミュニティの中で浮いた存在として描写され、山神の妻として差し出されるに至る。ミヨは徹底して居場所のない存在として描写されているのである。しかし、半ば追放されるようにしてやってきた新天地で、人としての幸せを取り戻していく。自己承認という人間の性癖(=性向)を満たす物語としての異類婚姻譚を真正面から描いた作品なのである。

 

本に魅せられた人のための「本」

次に紹介するのは『愛書狂の本棚 異能と夢想が生んだ奇書・偽書・稀覯本』(エドワード・ブルック゠ヒッチング ・著、ナショナル ジオグラフィック ・編、 高作自子・訳/日経ナショナルジオグラフィック・刊)である。本書は、現代の視点からは奇異なように見える様々な本のあり方を紹介する書籍である。

 

本は「(正しい)知識を説くモノ」「紙とインクで構成されているモノ」「大量生産するモノ」という暗黙の了解がある。だが、これはあくまで現代における本のあり方、もっといえばある種の努力目標とすら言える。では、昔はどうだったのか? 本書はタイトルの通り、執筆目的の不明な「奇書」、他人を欺すことを主眼とした「偽書」、少数の人にだけ配られる「稀覯本」など、現代の基準から外れた「不可思議な本たち」を紹介している。

 

この選書をご覧になっている皆様は、恐らく本好きであろうと思う。それもまた、ある意味で性癖(=性向)と呼びうるものだろう。本書は、「本」というフェティッシュなモノに魅せられた、わたしたち本読みの先人を描く書籍でもある。

 

「読書のフェチズム」の迷宮に迷い込む

最後に紹介するのは小説から『』(小田雅久仁・著/新潮社・刊)である。本作は『残月記』で知られる著者によるモダンホラー的な短編集である。今回の選書テーマである「性癖」は、どの作品にも裏打ちされているのだが、特にその色が強いのは「柔らかなところへ帰る」だろう。

 

バスに乗る主人公が、あるふくよかな女の蠱惑に導かれ、最後には肉感溢れる無限の「柔らかなところ」に導かれる様を描く本作は、エロスそのものではなく、エロスの奥底に存在する、薄暗くあっけらかんとした「こわさ」を描いている気がしてならない。そして、わたしたちが当たり前のモノとして眺めている光景がぐにゃりと歪み、イメージの世界へと閉じ込められるような錯覚に誘われていく。

 

本作だけに限らず、本書は「文字を読む」ことの官能が前面に出ているともいえる。読書は、驚くほどに身体的な行ないである。本書は読書の身体性を理解し、知悉した著者が、その身体性を逆手にとってフェティッシュなところにまで昇華した、そのような印象すら受ける。ぜひとも「読書のフェチズム」の迷宮に迷い込んでいただきたい。

 

 

ときに、わたしがイベントで用いた「性癖」の語は、性的なフェチシズムに近似した意味合いで用いていたが、実は誤用である。「性癖」とは、ヒトの持つ癖や性向のことを指す言葉である。つまりわたしはあのイベントにおいて、恥ずかしい発言をしでかした上、言葉の誤用までやらかしていたことになるのだ。

 

ちなみに、今回の選書テーマの「性癖」も、「フェチシズム」「癖や性向」二つの意味をあえて混用している。念のため記す。

 

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ぼっけもん 最後の軍師 伊地知正治』(幻冬舎)

みんな青春だ! 王道から新書まで—— 歴史小説家がオススメする「青春」を堪能し尽くす5冊

毎日X(Twitter)で読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「青春」。全力真っ只中か、はたまた遠い日の追憶か。それぞれに「青春」との距離感はありますが、谷津さんの選んだ5冊を読んで、「アオハル」な体験をしてみませんか?

 

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気づけば37歳になってしまい、慄然としている。

 

十年ほど前、40歳くらいの方が「大人になると、精神年齢は20くらいのままで止まる」と言っていたのを聞き、そんなわけあるかと鼻で笑っていた当時27のわたしだったが、いざ四十手前に至ってみると、確かに自分も20歳くらいの感覚で生きていることに気づく。とはいえ、最近白髪も増えてきたし、以前ほど無理も利かない体になってきた。人は体から老いていく生き物なのだなあとぼやく今日この頃である。

 

なぜかこの選書、いつも悲しい書き出しで始まっている気がするが、気にしないでほしい。

 

というわけで、もはやわたしにとっては遠い彼方になりつつある、「青春」が今回の選書テーマである。なにとぞお付き合いいただきたい。

 

主人公の成長と、その父のやり直しの物語で、2度美味しい王道青春小説

まずご紹介するのは、『14歳の水平線』(椰月美智子・著/双葉社・刊)である。親の離婚に伴い父、征人についていった加奈太だったが、親に相談せずサッカー部を辞め、反抗期まっしぐらの14歳となっていた。そんな加奈太は夏休み、征人の故郷の島へ帰省し、中二男子限定のキャンプに参加することになる。そして、この経験の中で、少しずつ加奈太は変化していく――、そんな枠組みを持った、王道青春小説である。

 

しかし、加奈太の青春小説という視座から眺めると、本作には異物が挿入されていることに気づく。父、征人の物語である。児童文学者の征人は、色々あって妻に愛想を尽かされ、息子との距離感を摑み損ねていたが、故郷に身を置く中で自らを省みるようになる。その過程で、征人の青春時代の光景も語られていくのである。加奈太の成長と、征人のやり直しの物語が同時に展開されることで、本書は「青春小説」という枠組みを有しながらそれ以上の広がりを持ち、異物の存在がまるでスイカにかける塩のように働き、青春小説の甘みを引き立てているのである。

 

加奈太の14歳の気づき、そして、征人の大人になってからの気づき。人はいつからでも変わることができる。読者の背中をぽんと押してくれる、優れた青春小説であると言えよう。

 

昭和初期を舞台にした、優しさが広がる青春物語

次にご紹介するのは漫画から。『うちのちいさな女中さん 』 (長田佳奈・著/コアミックス・刊) である。時は昭和初期、翻訳家として働く蓮実令子の元に、14歳の女の子、野中ハナが女中としてやってくる。女中としては完璧ながら四角四面なところがあるハナと、穏やかな性格で朗らかながら時に翳を背負った令子の心の交歓が主題となった昭和日常系漫画である。

 

本作の魅力で最初に挙げるべきは、なんといっても緻密な考証に裏打ちされた日常描写だろう。昭和初期のモダンな生活空間の中で働く女中の日常が、丁寧に切り取られている。また、ハナが田舎から出てきたという設定のために、東京の新しい文物にいちいち戸惑ったり驚いたりしているのもよい。

 

しかし、本書最大の魅力は、ハナの青春物語だということだろう。女中であるハナは、女中として完璧であるがために自分のために時間を使おうとしない。雇い主である令子はそれを汲み、ハナにできうる限りの青春を与えようとしている。そんなふたりの関係がじんわりと行間に滲み、優しい世界が読者の眼前に立ち現れている。少なくとも単行本掲載分では令子の過去がすべてつまびらかになっていない(この書き方をしているのはわたしが単行本派のため)のだが、もしかして令子にも過酷な青春があったのだろうか、そんなことを想像しながら読むのも楽しい。

 

「僕」から見えてくる、松下村塾の青春とは?

次にご紹介するのは新書から。『自称詞〈僕〉の歴史』 (友田健太郎・著/河出書房新社)である。皆さんは、「僕」という自称詞をお使いだろうか。わたしは書き言葉の場面での自称詞こそ「わたし」だが、日常の、やや改まった場では「僕」を用いている。男性にとっては割とポピュラーだろうし、一部の女性にとっても身近な自称詞といえる「僕」の歴史をつまびらかにしたのが本書である。

 

「僕」という自称詞がどこで生まれ、どのように日本語圏内で受け入れられ広がっていったのか。そしてその中で、どういう文脈を獲得、喪失しながら現代にまで至ったのかを総覧する本書には、かなりの読み応えがある。そんな本書の中でも特に紙幅が割かれているのは、自称詞「僕」を好んで使っていたとされる吉田松陰とその弟子たちについてである。吉田松陰が「僕」にある種の思想的な意味を付与し、弟子たちがその思想をどのように受け止めていったのかを「僕」の自称詞から描き出していくプロセスは、そのまま師匠と弟子の青春を描き出しているとも言えるのである。

 

大人世代と青春世代の調和/不調和を描く傑作漫画の新シリーズ

次にご紹介するのは漫画から。『るろうに剣心─明治剣客浪漫譚・北海道編』 (和月伸宏・著/集英社・刊)である。当時の子どもたちの人気をさらったジャンプ漫画の続編で、北海道の水面下で繰り広げられる〝大乱〟に、不殺を誓った伝説の人斬り緋村剣心を始めとした本作の人気キャラたちが挑むという筋書きの物語である。

 

わたしにとっては青春ど真ん中でぶち当たり、それこそ人生を変えてしまったとすら言える漫画(『るろうに剣心』のおかげで歴史小説を書いているといっても過言ではない)なのだが、これを理由に今回選書したわけではない。

 

本作は、主人公である剣心、人気キャラの斉藤一など、幕末をくぐり抜けた猛者たちが登場するのだが、彼らには意識的に「老い」の影が付与されている。本作の随所には、彼ら幕末組の思想や正義、あり方を相対化し、疑問符を投げかけるような展開がそこかしこで用意されている。

 

その一方で、旧時代の悪弊に引きずられながらも新しい時代を夢見る少年少女、長谷川明日郎、井上阿爛、久保田旭が剣心のパーティに加わっており、剣心たちの意のままにならない不安定な存在として、時に事態を打開し、ときに事態を混迷化させていく。実は本作は、大人世代と青春世代の調和/不調和を描いた作品であるとも言えるのである。

 

「青春との決別の仕方」を描く反青春小説

最後にご紹介するのは小説から。『青春をクビになって』 (額賀澪・著/文藝春秋・刊)である。35歳の若手万葉集研究ポストドクター、瀬川は、ある日、大学から非常勤講師の雇い止めを宣告される。そんな折、瀬川と似たような立場だった先輩研究者が、貴重な資料を持ったまま行方不明になる。先輩の足跡を探す瀬川は、自分の生活を立てるため、ひょんなことから紹介された人材派遣アルバイトに勤しむことになる……というのが本書の導入である。

 

既に降りている立場だからこそ言えるが、青春は呪いである。キラキラしなければならない。夢を持たねばならない。夢を叶えなくてはならない。あわよくば恋をしなければならない。誰でもない自分にならなければならない……そんな圧力に満ちている。いや、その真っ只中にいるときはなんだか凄く楽しい。だが、そんな楽しさに幻惑されてずっと青春という板の上に乗っているうちに、自分の大事にしていたはずのものが腐れ落ち、自分の足を縛る枷になっている……。

 

本書の著者は数々の青春小説を世に問うてきた青春小説家である。だからこそ、青春の持つ磁力をよくご存じなのだろう。本書は、「青春との決別の仕方」を描いた反青春小説でありつつ、青春の終わりを描いた青春小説なのである。

 

青春っていいよね、と思う。
あの、ハイウェイを時速百キロで飛ばしていくあの感じは、たぶん一生わたしの元にはやってこない。

 

わたしの目の前にあるのは、舗装すらされていない砂利道である。ゴトゴトと揺れながら、日々、少しずつ前進している。まあ別にそれはそれで楽しいから満足はしているのだけど、時折、ハイウェイを飛ばしていたころの自分を思い返したい日もある。

 

そういう日のために、きっと青春をモチーフにした本があるのだろう。というわけで、わたしは今の生活にちょっと疲れたら、青春の本を読むようにしている。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ぼっけもん 最後の軍師 伊地知正治』(幻冬舎)

どれも恐ろしい! 怪談から小説、ルポ、漫画まで—— 歴史小説家がオススメするこの夏の「ホラー」5冊

毎日X(Twitter)で読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「ホラー」。谷津さんが選んだ5冊は怪談・オカルトだけではありません。あなたの日常に「恐怖」を体験してみませんか?

 

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皆さんは、夏と聞いて何を連想するだろうか。

 

海。山。バーベキュー。川。スイカ。ひまわり。蝉……。人によって色々だろう。だが、小説家にとっての夏は、断然「ホラー」である。商売柄、書店さんに足を運ぶ機会も多く、その際、各社夏のフェアの横で展開されているのがホラーフェアだったりするので身近な存在としてインプットされちゃっている次第で、クーラーの効いた書店さんでホラーフェアを見かけると、「夏だなあ」と遠い目をしてしまう、それが小説家という生き物の生態なのである。

 

そんなわけで、今回の選書テーマは「ホラー」である。しばしお付き合い願いたい。

 

怪談の裏に潜む、東京の景色や心象風景

まずご紹介したいのは正当派の怪談ものから『中央線怪談』(吉田悠軌・著/竹書房・刊)である。本書は名前の通り、東京の中央線沿線で収集された怪談をまとめた一冊である。もちろん怪談集なので怖い話が収録されているのだが、本書の特徴として、著者が少し離れた視座から怪談を捉え直している風があることである。

 

この辺りの作りについて著者は自覚的で、「まえがき」において、「鉄道沿線怪談は、各地域のご当地怪談と比べ、個人史・郷土史のブレンド具合がひと味違うものになりそう」「全体として『中央線らしい』空気感もまた滲んでいる」と表明してもいる。

 

その結果、本作は、怪談集でありつつも、中央線沿線に対するある種の批評性を有した書籍になっているといえる。本書を読むことで、東京中央線沿線の歴史や今、町の様態やその下で暮らす人々の息づかい、町の構成員一人一人の現実が浮かび上がる仕組みになっているのである。おそらく、本書を読んで去来するものは、一人一人違うことだろう。怪談の裏に潜む、その人その人の東京の景色や心象風景を鏡映しにした本といえるのかもしれない。

 

「面白い」と「興味深い」と「怖い」が混在する迷宮

次に紹介するのは絶版本だが面白かったので。『定本 二笑亭綺譚』(式場隆三郎、式場隆成、岸武臣、赤瀬川原平、藤森照信・著/筑摩書房・刊)である。皆さんは二笑亭をご存じだろうか。昭和初期、東京深川に存在した家屋で、漫画家・藤田和日郎が『双亡亭壊すべし』の双亡亭のモデルとしたことでも知られる怪建築である。

 

取り壊し直前に調査に当たった式場隆三郎の記録『二笑亭綺譚』をはじめとした論考が掲載された本書は、二笑亭を知るための書籍としては最も内容のまとまった一冊となっている。是非皆さんも一度「二笑亭」でブラウザ検索をかけてみてほしい。周囲の町の風景に溶けることなくありつづける異様な姿、鉄骨と木造造りが混在する建物群、筋交いのようなものがかかっているせいで足を高く上げないと通ることも難しそうな裏門、暗い廊下に存在するガラスの嵌った覗き穴、和風洋風の風呂が並列された風呂場……と、なんとも不可解なのである。

 

実はこの特殊な作りについて、本書は説得力の高い建築意図を提示しているのだが、それに納得しつつも、いや、納得するがために、こんなおかしな建物を作った人物の心の迷宮に思いを致さざるを得なくなる。面白いと興味深いと怖いが混在する迷宮にあなたを誘う一冊。

 

地獄の門はいつでもあなたの側にある

次は小説から。『地獄の門』(モーリス・ルヴェル著、中川潤・訳/白水社・刊)である。モーリス・ルヴェルというと『夜鳥』などの代表作で知られるフランスの恐怖作家で、「フランスのポー」という渾名もある。その仕事ぶりは日本でも早くから紹介され、江戸川乱歩や夢野久作にも影響を与えたものの、死後、一時忘れられ、最近になって再評価が始まった作家である。

 

そんなルヴェルの掌編から短編を集めた本書は、ルヴェルの恐怖作家としての業前を楽しむことのできる一冊である。本書には、怪力乱心を語る場面はほとんどない。どのお話も、人間関係の間に潜むすれ違いや愛憎、不慮の事故により、登場人物が深い陥穽に落ちていく様が描かれている。

 

人間の力ではどうしようもない現実、そしてそれに翻弄される人々を眺めるうちに、読者は気づくことであろう。地獄の門は、わたしたちのすぐ側に佇んでいるのだと。そして、地獄の門を開いてしまうのは、常に、人の妄執や強い思いなのだと。読み終わった後、地獄の門が開いていないかと周囲を見回してしまいそうになる一冊である。

 

「父がネット右翼になっていた」どころではない根源的な問題とは?

次は新書から。『ネット右翼になった父』 (鈴木大介・著/講談社・刊) である。数年前から、「久々に田舎に帰ったら、自分の老親がYouTubeを見まくり、気づけばネット右翼になっていた」という体験談がある種の怪談として語られるようになった。本書の著者もその例に漏れず、父親のネット右翼的な変貌を目の当たりにし、ライターである著者はその様を記事に書いたのだが……。

 

後になり、著者は、自分の誤りに気づくことになる。著者が父親の周囲に取材を重ねる中で、父がネット右翼のような振る舞いをしていた理由、そして、著者の側のバイアスが明らかになっていく。そうして示された著者の答えは、「父がネット右翼になっていた」などというものより根深く、根源的な問題だったのであった……。

 

これは怖い。自分の認識していた現実が、実は別の形をしていたと知ったときのおぼつかなさは、これ以上ない恐怖だろう。本書は、読者に自省を促す本である。こうなる前に、手を打ってほしい――そんな著者の叫びが聞こえてきそうな本なのである。そろそろお盆休みも近い。実家に帰る前に、手に取ってみてはいかがだろうか。

 

青春ご飯もの微ラブコメ漫画の裏で進行している恐怖とは?

最後は漫画から。『裏の家の魔女先生』 (西川魯介・著/秋田書店・刊)である。男子高校生・石垣蛍太は、家の裏に引っ越してきた女性小説家の雨夜沙希子とひょんなことから往来を持つことになる。そしてそこに蛍太の幼なじみである深冬も加わり、手作りご飯を介したご近所付き合いの輪が広がっていく……というのが本作の大まかなあらすじである。

 

これだけ聞くと「どこがホラー?」となるのだが、実はこのあらすじ、間違ったことは書いていないが、大事な要素が抜け落ちてしまっている点に注意してもらいたい。本書は蛍太と深冬、沙希子を中心にした青春ご飯もの微ラブコメ漫画として読めるのだが、その一方、蛍太、深冬の見えないところで、もう一つのオカルティックな物語が進行しているのである。けれど、それらは危ういところで表出せず、蛍太たちの愉快な日常の奥底に沈殿している。危ういバランスを保ちながら、穏やかな世界が守られているのである。

 

刊を進めるごとに、本作は日常とオカルト世界がじりじりと広がりを見せ、新たな人間関係や緊張感を胚胎しながら展開され続けている。これから先の展開も楽しみである。

 

※本書の巻末には性描写を強く含んだ短編が掲載されている。そのため、同描写が苦手な方におかれては、手に取る際にはご留意いただきたい。

 

「ホラー」の選書は2回目らしい。だというのに、今回の選書も割とすっきりと挙げることができた。別にわたしがホラー読みというわけでもないのに……。

 

世にはホラーが溢れている。なぜかと言えば、みんな、怖い話が大好きだからである。しかし、怖い話がこうして楽しまれているということは、それだけこの社会が命の危険からほど遠いところにある平和な社会だという証左である。今は熱中症が怖い世の中になったけれども、少なくとも、熱中症がホラー人気を下火にすることはなさそうだ。

 

これからもホラーが隆盛を極めることを祈念して、筆を措くこととしよう。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ぼっけもん 最後の軍師 伊地知正治』(幻冬舎)

特殊設定ミステリから海外文学の名作まで—— 歴史小説家が「ある基準」でオススメする「歴史時代小説」の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「歴史小説」。ただし、①歴史時代小説家ではない作家による、②広義の歴史時代小説、という条件が。普段「歴史時代小説」を敬遠している人にもオススメできる5冊を参考にして、あなたも新しい読書の扉を開けてみませんか?

 

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この書評に目を通してくださっている多くの方はご存じないでしょうが、と予防線を張りつつ申し上げるのだが、わたしは歴史時代小説家である。

 

歴史時代小説は、大衆文芸の母胎の一つとなった伝統ある小説ジャンルである。歴史小説は現代でこそ退潮傾向にあるものの、多くの書店さんに置かれている書き下ろし時代小説の棚は今でも隆盛を誇り、読書界を賑わしている。

 

とはいえ、よく他のジャンルの本をお読みの方から、「どの作品から歴史時代小説に手を出せばいいか分からない」というお問い合わせを頂くことがある。ジャンル小説の常で、なんとなく敷居が高そうに見えてしまうのだろう。

 

歴史時代小説の定義を煎じ詰めると「過去を舞台にした小説」でしかなく、インサイダーであるわたしなどはそんなに構えなくてもいいのに……と思ってしまうのだが、ジャンルの壁は分厚く高いのは間違いがなかろう。かくいうわたしだって、不案内なジャンルについては先達が欲しくなるところである。というわけで、今回はいつもと趣向を変え、①歴史時代小説家ではない作家による、②広義の歴史時代小説、を取り上げようと思う。

 

<昭和>と<現代>を往き来しながら紡がれる「女性」たちの物語

まず、ご紹介するのは『世はすべて美しい織物』(成田名璃子・著/新潮社・刊)である。桐生の養蚕農家の娘として生まれた芳乃と、東京でトリマーとして働く詩織、二人の一見すると無関係にも見える物語が並列されるこの物語は、昭和初期と現代を視点が行き来する中で、二つの時代それぞれの女性の戦い、二人の願いがやがて一つの糸に縒られていくところに読みどころがある。

 

過去パートで描かれる願いが現代パートにも影響を及ぼす仕掛けとなっていながら、本書は現代パートにすべてを背負わせることをしない。過去に過去の生活があったように、現代にも現代の生活がある。そんなシビアな現実を描きつつも、大事な何かが過去パートから現代パートに受け渡されていくラストは必見である。

 

かつて、E・H・カーという歴史家が歴史について「過去と現在の対話」と言った。本書もまた「過去と現在の対話」によって構成された、広義の歴史時代小説なのである。

 

ミステリファン必見! 江戸を舞台にした「特殊設定ミステリ」

次にご紹介するのは『煮売屋なびきの謎解き仕度』(汀こるもの・著/角川春樹事務所・刊)シリーズである。ミステリ作家を多数輩出しているメフィスト賞出身作家によるこの作品は、江戸の煮売り屋を切り盛りする十四歳の女将、なびきを主人公に据えた時代小説である。

 

そう書くと、時代小説にお詳しい方は、最近流行の「ごはんもの×人情小説」か、と早合点なさることだろう。2023年現在、食べ物をモチーフに、人と人の縁を描き出す人情作品が人気で、数多の人気シリーズがあるのである。しかし、本書はそういった作品とは一線を画している。なんと本作は、なびきやその周囲を探偵役にしたミステリーなのである。

 

本書で描かれる事件や謎はごくごく些細な、小首を傾げてしまうような性質のもので、謎の真相も江戸時代ならではの事象が深く絡んでいる。本作は、江戸を舞台にした特殊設定ミステリ(その名の通り、特殊な設定下で展開されるミステリのこと)として構築されている節があるのである。そのため、本書は普段ミステリを読んでおられる方が時代小説に手を出すに当たり、これ以上ない水先案内人を務めてくれるだろう作品なのである。現在二巻と書き下ろし時代小説としても手を出しやすい。その点においてもおすすめの一冊である。

 

男の供述から浮かび上がるファシスト政権下における時代の閉塞感

次にご紹介するのは、『供述によるとペレイラは…』 (アントニオ・タブッキ・著、 須賀敦子・訳/白水社・刊)である。ファシズムの嵐がじりじり近づくポルトガル、リスボンの小さな新聞社で働く中年記者ペレイラを主人公にした小説である。

 

本書は始終、ペレイラの供述により本文が形成された事実が示唆され続ける。しかし、読み始めの段階では、なぜペレイラが供述を受けるような立場に陥っているのか、読者には伏せられている。ペレイラは毒にも薬にもならないはずの文芸欄を担当している新聞記者だからであり、プライベートも寂しく、本書の記述によれば、心身共に健康そうではない。かつては社会部の記者だったようだが、劇中年間においてはのんびりと働いているように見受けられる人物なのである。

 

こんな人物がなぜ?−−この「なぜ」に突き動かされるようにページを繰るうちに、ペレイラの直面する人々、時代、そして閉塞感が浮き彫りになっていく。次々に失われていく日常の中で、ペレイラは何を選び取り、供述を取られる立場となってしまうのか。それは、本書を読んでご確認いただきたい。いつも海外文学、海外文芸をお読みの方に。

 

王妃と市井の女性、複眼的視点で描かれる日本の植民地支配

次にご紹介するのは 『李の花は散っても』(深沢潮・著/朝日新聞出版・刊)である。戦前期、朝鮮王家に嫁いだ梨本宮方子(のちの李方子王妃)を主人公に置いた歴史小説である。李王朝家の王太子妃、王妃としての視座から、日本の朝鮮併合史、戦後史を描き出し、日本の植民地支配という歴史を間近に描き出している。

 

また本書がユニークなのは、方子の視点の他に、諸般の事情から朝鮮に渡り、朝鮮人として生きねばならなかったマサという女性の視点が存在することである。このマサの視点によって、上流階級の物語である方子の物語を相対化し、当時の時代相を多面的に再構築し、読者に提示することに成功している。このまったく境遇の違う二人の人生がどのようにリンクしていくのか――。歴史小説においてもっとも大事な「歴史へのパース感」を損なうことなく、いや、それどころか増幅させつつ、小説としての雅趣、面白みに寄与する視点構築を果たしていると言えよう。

 

架空の町を舞台にしながらも歴史の趨勢を見事に描いた「歴史小説」

最後にご紹介するのは『地図と拳』(小川哲・著/集英社・刊)である。直木賞受賞作であるから既にお読みの方もおられるだろうが、この選書テーマにあっては是非とも紹介したい一冊であるため、あえて紹介する。

 

本作は中国東北部(当時の言葉に直せば満洲)の架空の町を舞台にした年代記である。寒村に過ぎなかった地が開け、帝国主義の波に巻き込まれ、急ピッチで姿を変えていく町を活写しつつ、その町に生きる人々の群像を描く本作は、「歴史時代小説」という軸から眺めた際、史実が物語に深く関わる「歴史小説」なのか、それとも過去を舞台にした架空の物語である「時代小説」なのか、判断に困る作品でもある。

 

わたしの見解を申し上げるなら、架空の町、架空の物語が展開されていつつも、本作の銃口はあくまで「帝国主義」ひいては「近代」に向いており、架空の存在を書くことで歴史の趨勢を描き出そうという野心に満ちていることから、歴史小説として紹介しておきたい。見事な歴史小説である。

 

わたしは、一応歴史時代小説のインサイダーである。インサイダーというのは往々にして厄介ファン、厄介作者になりがちである。そして「これは歴史時代小説ではない」とジャンルの純粋性を叫び、煙たがれるのである。もちろん、そういう風な老害ムーブをぶちかましたい時もなきにしもあらずだが、それでも、歴史時代小説というジャンルの外側から新たな書き手がやってくるということは、それだけ斯界に求心力があり、面白いジャンルなのだと思われているのだ、とも言える。

 

これだけ歴史時代小説のアウトサイダーたちが面白いものを書いておられるのだ。インサイダーの端くれであるわたしも、もっと面白いものを書かねば。今回ご紹介した書籍を拝読しつつ、わたしはそう決意を新たにしたのである。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ええじゃないか』(中央公論新社)

茶道、海獣学から思春期のじれじれのラブコメ漫画まで—— 歴史小説家が2023年にオススメする「スタート」の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは2023年の1本目として「スタート。紹介した5冊を参考にして、あなたも何か「スタート」してみませんか?

 

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なんということでしょう、新年がスタートしてしまいました。

 

と、妙に不穏な書き出しになってしまったのは、去年の仕事がまったく終わっていないからである。ほかの業界におられる方にお話しするとかなり驚かれるのだが、小説家の仕事のスパンは非常に長い。編集者と打ち合わせてお話の方向を決め、作品の設計図を作って第一稿を書き上げたのち手直しをして……とやっているうち数年が経過しているなどざらで、「その年の内に何かを終える」「仕事納め」の感覚が希薄になりがちだったりするのである。……というのは頭でこそ理解しているものの、情緒面で落ち着かないところがあるのもまた事実。今日も昨年から引き続き当たっている仕事を前にため息をついているところである。

 

が、世間は新年である。心機一転、頑張っていきたいなあという気持ちもあるっちゃある。というわけで、今回の選書テーマは「スタート」である。しばしお付き合い願いたい。

 

「茶道」を知るための最初の一歩

まずご紹介するのは、『茶の湯をはじめる本 改訂版 茶道文化検定公式テキスト4級』 (一般財団法人 今日庵 茶道資料館・監修/淡交社・刊)である。その名のとおり、茶道文化検定の公式テキストである。本稿をお読みの方の中には茶道を嗜んでおられる方もあるだろうが、圧倒的多数の方は茶道に触れたことすらないだろう(歴史小説家の肩書きを持っているにもかかわらず、わたしもそのクチである)。

 

本書はそういった初学者に向けたテキストで、茶道の成り立ちや歴史、基礎的な道具類、茶室や茶会の進行など、茶にまつわる知識が平易に紹介されている。本来の茶道文化検定の対策本として用いることができるのはもちろん、急に茶会に呼ばれた際の予習や、教養を深めたい、時代小説や歴史小説の副読本としても用いることもできる本である。

 

なお、本書には姉妹編(『茶の湯がわかる本 改訂版 茶道文化検定公式テキスト3級』『茶の湯をまなぶ本 改訂版 茶道文化検定公式テキスト 1級・2級』)が存在し、姉妹編を手に取ることでシームレスに知識を深めることができるというのも一押しポイントである。これから茶道を始めてみたい方にはマストバイな一冊である。

 

あなたの知らない海獣学の世界

次にご紹介するのは『海獣学者、クジラを解剖する。海の哺乳類の死体が教えてくれること』(田島木綿子・著/ 山と渓谷社・刊)。2023年1月9日、大阪湾の淀川河口付近で迷い鯨が発見され、結局死亡、その後紀伊水道沖に運ばれ沈められた一件は、皆さんもご存知だろう。

 

この一連のニュースで様々なメディアで情報発信をしていた研究者の一人が本書の著者であり、本書は著者の研究分野である海獣学と、その研究に欠かせない解剖について平易に紹介したエッセイである。それにしても、本書には驚きの事実が色々書かれている。鯨類の座礁、漂着に「ストランディング」という名前がついていること、日本ではこうしたストランディングが年に300件も起こっていること、海獣学者が関係各所と協議しつつそういったストランディング個体の調査がなされていること。そして、海獣学者たちが体力勝負で鯨の死体と格闘していること……。まったく想像だにしていなかった海獣学者たちの生活がそこに描かれている。

 

また、本書は「学術調査の意義」について自覚的に語っている節もあり、「なぜ漂着したクジラに学術調査が必要なのか」についても所々で見解が述べられている。普段あまり触れることのない海獣学の大切さを知ることができる一冊とも言えよう。

 

イメージとしての「江戸」を作り上げた男の戦いとは?

次にご紹介するのは小説から。『元の黙阿弥』(奥山景布子・著/エイチアンドアイ・刊)である。皆さんは河竹黙阿弥(1816-1893)をご存知だろうか。ご存知のあなたは歌舞伎ファン確定である。黙阿弥は幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者(脚本家)で、「日本の沙翁(シェイクスピア)」の異名で知られる当時の第一人者だ。

 

本書はその黙阿弥の戦いを描いた歴史小説。今、「戦い」と書いたが、まさに黙阿弥の歩みは「戦い」そのものだったのである。若いころは役者の引き立て役でしかなかった狂言作者の地位向上、壮年から老年に至っては近代化の波に端を発する劇界の変化と戦うことになる。そんな二つの戦いを背景に置くことで、若年期は先進的な仕事を果たし、老年期には円熟した仕事を遺した黙阿弥の像を描き出すことに成功しつつ、決して斯界にとって幸せとは言えなかった劇界の近代化の有様を描き出すことに成功している。

 

さて、そんな本書がどのように選書テーマに繋がるのかといえば……。河竹黙阿弥は、わたしたちの思い描く「江戸」の姿を作り上げた作家と言える。近代の中でもがき生きる黙阿弥の夢見た江戸の風景が、のちにあまたの時代小説家たちに引き継がれ、最終的にはテレビ時代劇の雛形となっていく。そう、黙阿弥の物語とは、「イメージとしての江戸」の始まりを描く物語でもあるのだ。

 

歴史学の“歴史”がよくわかる

次にご紹介するのは、『歴史学のトリセツ』(小田中直樹・著/筑摩書房・刊)。本書は現役の歴史学者である著者が、学校の歴史の授業がつまらないのはなぜか、という疑問から、教科書の歴史叙述、現代の歴史学の模索、過去に歴史家たちがどのように歴史学を構築してきたのかを丁寧に紹介している書籍である。

 

本書を読むと、わたしたちが自明のものとして受け止めている「国の歴史」という叙述法が歴史へのアプローチの一つに過ぎないこと、ある特定の叙述法の不自由性・限界から自由になるために歴史家たちが様々なアプローチを模索し続けていた様子が窺える。また、様々な時代の歴史家たちが、「歴史とは何か」という問いにぶつかり続け、自分なりの答えを出していった様子もまた本書から読み取ることができるだろう。

 

本書は、歴史学科への進学を考えておられる学生さんや、歴史学科の学部生にお勧めしたい。歴史学科の学生生活でスタートダッシュを切るために、是非とも読んでいただきたい一冊である(本書を読んだ際、「なんでわたしが学生だった時分に本書が刊行されていなかったんだ!」と憤慨したのはここだけの話)。

 

じれじれの恋愛漫画を堪能する

最後は漫画から。『好きな子がめがねを忘れた』(藤近小梅・著/スクウェア・エニックス・刊)。極度のど近眼……なのにめがねを忘れて学校にやってきがちな三重さんと、その三重さんに恋をしてしまった中学生・小村君が主人公のラブコメである。

 

当初こそ自分の恋に自覚している小村君との物理的距離を(ド近眼ゆえに)詰めてしまう三重さん、という図のおかしみを狙ったギャグ漫画の側面が強かったのだが、やがて二人の関係性が少しずつ変化していき、三重さんもまた小村君を意識するに至っていく。けれど、小村君は自信のなさをこじらせている厄介男子の側面を持っていて、新たな一歩を前にするたびに立ちすくんでしまう。読者としては「そんな卑屈にならなくていいんだよ! お前最高だよ!」と小村君の背中を押したくなってしまう、じれじれの恋愛漫画へと変貌を遂げていくのである。

 

本書は恋愛漫画であると同時に、小村君、三重さんが精神的な意味で大人になっていく様子をも描いていて、親戚の子の成長を見ているようなホッコリ感も同時に得られる。最新刊で二人の関係に変化が訪れ、新たな旅立ちの予感が膨らんでいるところである。是非この機会に手に取っていただきたい。

 

 

年の初め、皆さんも新たな年を前に気合い十分であろう。この選書がそのお手伝いになればなによりである。

以下私信。――いや、あの、はい。原稿が遅れて申し訳ありません……。とりあえず、2022年にお約束していた原稿は今年の3月には上げますので……。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ええじゃないか』(中央公論新社)

異世界転生の極北から国民的作家の評論まで—— 歴史小説家が今年紹介しそびれた「面白本」5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回は「選書しそびれていた面白本」。新書から、小説、マンガ、異世界転生ものまで、気になった一冊とともに正月休みを過ごしてはいかがでしょう?

 

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2022年も残すところ20日といったところである(執筆当時)。皆さんはいかがお過ごしだろうか。かくいうわたしは仕事がしっちゃかめっちゃかである。関係各所が正月休みに稼働できない分、そのしわ寄せが年末に来るのは作家も同じこと、特に年をまたぐ仕事の場合、なんとなく「年末までに提出してくださいね」と指定が入る場合が多い。わたしもこの原稿に当たりつつ、今年は年越しそばをのんびり食べる時間はあるかしらと心配している今日この頃である。師走の寒空の下、必死で働いている皆様にエールを送りたい。

 

年末といえば、「ベスト」企画が目白押しである。各小説系雑誌でもそうした企画が打たれているのをご覧になった方も多かろうと思う。というわけで、今月は2022年のベスト本をご紹介……といくのが正しい姿勢なのだが、残念なことにわたしはへそ曲がりである(そもそも作家であるわたしに素直さなんて期待しないでいただきたい)。

 

というわけで今回の選書テーマは、「谷津が選書しそびれていた面白本」である。選書の仕事をしていると、選書テーマの兼ね合いで、紹介したいのだけどできない本が出てくるものなのだ。というわけで、お付き合い願いたい。

 

「弔う」という行為を想う

まずご紹介するのはエッセイから。『親父の納棺』(柳瀬博一・著/幻冬舎・刊)である。東京の幹線道路である国道16号線を主軸にした首都圏の都市論、文明論『国道16号線「日本」を創った道』(新潮社・刊)で知られる著者の第2作目としてはやや意外の感があるエッセイで、著者の父親がコロナ禍の真っ只中で死に、その最中、派遣されてやってきた納棺師との対話の中で、父親のエンゼルケア(死化粧や湯灌、遺体の身だしなみといったケア全般のこと)に向かい合うことになる体験記である。

 

本書のキーワードは何と言ってもコロナ禍である。コロナ禍によって、一般的な会葬形式での弔いが難しくなっている中、むしろそのような特異な状況だからこそ、故人と著者、家族が向き合い、静謐な時間の中での弔いになったように感じる。また、本書を読むと、納棺師という生業がわたしたちのイメージと乖離している部分があることを教えてくれるし、家族の弔いの意味、そもそも、「弔う」という行ないについて思いを致すきっかけになるだろう。

 

普段、歴史時代小説を読まない人にこそ読んで欲しい

次は小説から『しろがねの葉』(千早茜・著/新潮社・刊)をご紹介。戦国時代末期から江戸時代初期にかけての石見銀山を舞台にした歴史時代小説であるが、本作はよい意味で歴史時代小説の〝磁場〟から自由である。本作において、時代小説的な人情や、歴史小説的な〝大文字の歴史〟は前面に出されることはない。本書が描き出すものは、主人公ウメの偏狭で過酷な生であり、そのように生きるように強いられる女という性の苦しみである。

 

才があるのに山に入ることができず男の帰りを待ち、女であるがゆえの理不尽に際することになるウメが、時代のうねりに押し流されそうになりながらも何を掴むのかが、本書の白眉であろう。そこに甘いフィクションは存在しない。ただ、力強くうねり、理不尽に立ち向かう人間の力が描かれる。もしかすると、コロナ禍で苦しむ中、それでも強かに生きているわたしたちにも必要な力なのかもしれない。本書は歴史時代小説が好きな方はもちろん、普段女性を主人公にした文芸小説をお読みの方にもお勧めできる懐を有している。普段歴史時代小説を読まない方にこそお読みいただきたい一冊である。

 

大正ロマン漂うラブコメ四コマ漫画

次は漫画から。『ベルと紫太郎』(伊田チヨ子・著/KADOKAWA・刊)である。時は大正、浅草の芝居小屋女優、大沢ベルと、ベルの第一のファンであり恋人でもある財閥三男坊の紫太郎の同棲生活を描いたラブコメ四コマ漫画である。

 

本書の特徴の第一に挙げるべきは、何と言っても大正風俗描写の細やかさだろう。当時の演劇作品や文学作品、大正風俗研究の成果を取り入れつつ、それをネタにした日常系の笑いを提供している。そのことによって、「年頃の男女(しかも社会階級の異なる二人)が同棲している」という大正時代にあっては成立させ難い嘘を読者に呑み込ませることに成功している。また、本作はなんといっても主人公格二人、大沢ベルと紫太郎の人物像がいい。貧乏生活が長かったからか食べ物に対する執着が強く、ズバズバとものを言う江戸っ子的な描写が随所にされているベル。お坊ちゃん育ちのためか紳士が板についていて、ベルと対等な関係を望む紫太郎。これが実にお似合いで、傍から見ていて応援したくなるような二人なのである。大正風俗に乗せて繰り広げられるベルと紫太郎の賑やかな恋路に、皆さんもようこそ。

 

司馬遼太郎は我々に何を与えたのか?

次は新書から、『司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義』(福間良明・著/中央公論新社)をご紹介。司馬遼太郎といえば昭和期を代表する小説家であり、現代においても本邦における代表的な小説家の一人として君臨している大作家である。その影響は小説界は元より言論空間にも及ぶ、小説家の枠を遙かに超えた文化人と言えよう。そんな司馬遼太郎を論じているのが本書だが、司馬を論じることで、司馬作品を受容した大衆をこそ描いており、そここそが本書の眼目といっていい。

 

大衆が司馬遼太郎というアイコンに見、彼の作品から受け取ったものを追ううちに、大衆は司馬の小説に含まれていたある要素については見て見ぬ振りをし、ある要素を拡大、前面に出して受容していたと本書は言う。司馬を通じて、昭和期の大衆の知的ニーズの在り方を浮かび上がらせているのである。また本書は、小説家としてはアウトサイダーだった(と規定される)司馬の作家としての在り方や、歴史学からの批判が司馬のイメージをどのように変えたのかにも紙幅を割いている。司馬遼太郎という不世出の小説家、そして一つの時代を創ってしまったアイコンを描き出した、優れた作家評論であるとも言える。

 

異世界転生/異世界転移ものの極北!?

最後にご紹介するのは、『プロレス棚橋弘至と! ビジネス木谷高明の!! 異世界タッグ無双!!!』(津田彷徨・著/星海社・刊)である。もはや説明をしなくても構わなくなったほど、異世界転生/転移ものは様々なメディアで採り上げられるモチーフとなった。それだけに、異世界転生/転移ものは新機軸が次々に発明、実験され、とてつもないスピード感で深化している感もある。そんな状況下で登場した本作は、名前の通り、プロレスラーの棚橋弘至と、ブシロード社長の木谷高明の二人が異世界に転移する物語、という相当攻めたアウトラインを有した一作である。

 

本作の良さは、プロレスラーの棚橋とビジネスマンの木谷の二人が転移することで、本作が魔王討伐の物語と、内政チート(転生、転移者が政治や経済、技術革新に寄与することで、転移先の文明レベルを上げる異世界転生/転移もののサブジャンル)の物語を同時展開していることだろう。しかし何より本書の面白さを支えるのは、作品全体に横溢するプロレス愛だ。実在のプロレスラーを登場させる以上、どうしても本作にはプロレスへの言及が必須になる。本書は異世界に棚橋を持ち込むのと同時に、プロレスのサーガを持ち込み、それが棚橋のファイトスタイルや矜持となって現れ、その熱い魂が他の登場人物に伝播している。プロレス愛によって、本作のコンセプトは貫徹されているのである。

 

 

2022年もお終いである。

皆さんは、今年もよい本に出会えただろうか。本は生活必需品ではない。だが、よい本はあなたの生活にちょっとした潤いを与えてくれるはずである。あるいは、来るべき2023年への活力になる本に出会うことだってあるかもしれない。年末年始は色々と忙しいことだろうが、是非、本のページを繰ってみていただきたい。もしかしたら、2023年のあなたを輝かせる何かが見つかるかもしれない。

皆さんの充実した読書ライフをご祈念して、よいお年を。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ええじゃないか』(中央公論新社)

切り裂きジャックから宇宙開発、古書店経営まで—— 歴史小説家が独自の視点で選ぶ「経済」を知るための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「経済」。新書から、世界的名作、マンガまで独自の視点で選んだ5冊を読んで、あたなも「経済」を身近に感じてみませんか?

 

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最近の物価高には驚かされっぱなしで、「えっ、牛乳1リットル、200円を超えるの?」と思わずスーパーの店先で悲鳴を上げてしまった。コーヒー豆もステルス値上げをしているし、カップ麺も「だったら安い弁当を買うわ」レベルにまで値が上がっている。余談までに、我が家では牛乳を低脂肪乳に切り替えるべきか、というみみっちい議論が発生しているところであることをここに報告しておきたい。

 

というわけで、今回の選書テーマは「経済」である。しばしお付き合い願いたい。

 

サラ金の歴史から見る「裏」日本経済史

まずご紹介するのは新書から、『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』 (小島庸平・著/中央公論新社・刊)である。皆さんはサラリーマン金融にどういうイメージを持っているだろうか。わたしは昭和61年生まれなので、平成期、ゴールデンタイムに多数CMが打たれていた様を見かけていたし、様々な事件によってどんどんサラリーマン金融に規制がかかっていく様もリアルタイムで見てきた。

 

一般には、少し後ろ暗いイメージと共に語られる存在だろう。本書はそうしたサラリーマン金融の黎明期から爛熟期、退潮期までを 一筆書きにした書籍である。ある時代には給料制の帳尻合わせに、またある時代にはサラリーマンの「資金」を前借りする金融機関としての側面もあった。こうしてサラリーマン金融の歴史を概観していく内に、サラリーマン金融という存在が、日本が現代化していく過程において一般庶民たちのニーズに合わせて立ち回り、裏で経済活動を支えていた金融業者であったという事実が明らかになっていくのだ。サラ金を描くことにより、本書は結果的に戦後日本の家計経済史を概観する一冊になっているのである。

 

世界的名作を「経済」から読んでみる

次は小説から、『朗読者』 (ベルンハルト・シュリンク・著、松永美穂 ・訳/新潮社・刊) である。戦後まもなくのドイツ、15歳のミヒャエルは出先で体調を崩し、たまたま介抱してくれた女性、ヒルダと知り合う。そして程なくして二人は体の関係を持つようになり、爛れた日々を過ごすようになるのだが、実はヒルダには隠された罪があり……。というのが、本書の序盤のストーリーである。ここから先については大いにネタバレを含んでしまうために内容は伏せさせて貰うが、ヒルダという人物の罪、そして彼女が抱える秘密には、本作においては示唆されるに留まる彼女の偏狭な人生遍歴が関係している気がしてならない。

 

なぜ、ヒルダはあのような生き方しか選べなかったのか、そして、なぜああしたことになってしまったのか。その背後には、ヒルダの生きた、戦前、戦中、戦後ドイツ社会が密接に関係している。そして彼女は、彼女がひた隠しにする秘密ゆえに、社会から取りこぼされたのだろう。彼女の遍歴を見ていると、資本主義社会の帰結である格差が尾を引いていることがわかるだろう。この上記の感想は本書のものとしてはやや穿った(というか脇道の)感想となる。本書が提示するものはあまりにショッキングであり、また、色々と考えさせるものがある。そして本書の問いは、日本人にとっても重大な意味を持つものだろう。ヒルダの罪を目の当たりにしたミヒャエルの動揺は、わたしたちにとっても他人事ではない。

 

殺人鬼の被害者女性の人生から見えてくるあたらしい経済とは?

次はノンフィクションから『切り裂きジャックに殺されたのは誰か: 5人の女性たちの語られざる人生』(ハリー・ルーベンホールド・著、篠儀直子・訳/青土社・刊)をご紹介。

 

切り裂きジャック。シリアルキラーの祖と目される人物であり、現代でいう劇場型犯罪の走りともされる連続殺人鬼である。そのあまりに鮮烈なイメージや謎だらけの人物像ゆえに、ノンフィクション、フィクション問わず、様々な媒体で紹介され、現代においても「切り裂きジャック犯人捜しもの」とでも言うべき謎解きものは欧米では人気のジャンルとなっている。しかし、本書はそういった書籍とは一線を画している。

 

本書は切り裂きジャックに殺されたとされている5名の女性に焦点を当て、彼女らの人生遍歴を追っている。一般に、切り裂きジャックの被害者たちは「娼婦」だとされてきた。しかし本書は5人の女性に迫る内、彼女らが今日的な意味での「娼婦」ではなかったことを明らかにしていく。本書は、切り裂きジャック被害者の女性たちに迫ることで、彼女たちに貼り付けられたレッテルを剥がすのと同時に、ビクトリア朝時代のロンドンという新しい都市空間、新しい経済圏に登場した分類不能な女性たちの存在を剔抉した書籍なのである。

 

絵空事ではないリアルな「宇宙開発」の真実

お次は『宇宙開発の不都合な真実』(寺薗淳也・著/彩図社・刊)をご紹介。元JAXA職員である著者による、宇宙開発の真実を巡る書籍である。宇宙開発というと、どうしてもバラ色のイメージで語られがちである。宇宙開発が進めばイノベーションが進む、といった期待論や、「宇宙にはロマンがあるよね」式のほんわかとした憧れでもって修飾されがちで、わたしもそうした牧歌的な目で宇宙開発を見ていたところがある。しかし、本書はそうした思い込みを丁寧にほぐし、宇宙開発最前線で危惧されている問題や今後起こるかもしれない、あるいは現在進行形で起こっている宇宙開発の問題に触れている。

 

本書の中にはスペースデブリ(宇宙開発の際に発生するごみ)の問題や、宇宙開発技術の軍事利用に関わる問題などといったポピュラーな話題も大きく扱われているが、それと同時に指摘されているのが経済的な問題であったことにわたしは少し驚いた。詳しくは本書に譲りたいところだが、確かに、宇宙開発が進展すれば、経済的な問題は避けて通れない。来るべき宇宙時代にも、わたしたちは経済の輪から逃げ出すことはできないのだと思い知らされる一冊でもあるのである。

 

経済という行ないの原初の形–それが古書店経営

最後は漫画からご紹介。『百木田家の古書暮らし』(冬目景・著/集英社・刊)である。祖父の経営していた古書店を引き継ぐことになった三姉妹の物語である。本書は大人の恋愛ものであると同時に三姉妹の家族ものであり、かつ古本屋を舞台にしたお仕事漫画の側面もある。

 

今回の選書テーマに合わせてお話しするなら、次女の二実(つぐみ)の働きぶりがいい。彼女が古書店経営の核を担っているのだが、彼女の目から見た古書店の世界は、ギスギスした経済とは距離がある気がしてならず、作品のそこかしこで描かれる売り手と買い手の信頼や、商品であるはずの本への愛着に引き込まれていく。大量販売、大量消費から背を向け、静かに心を動かしながら本を売り買いしていく二実の在り方には、本来は三方よしであったはずの、経済という行ないの原初の形を見せつけられる心地がする。前述したとおり、本書には様々な読み筋が存在し、そのどれもが豊穣な味わいを備えている。現在2巻、今からでも追いやすい。神田古書店の片隅にいる三姉妹の日々を、皆さんも覗いてみてはいかがだろうか。

 

 

正直なところ、わたしは経済がよくわからない。

わたしもまた、ものの値上がりを目にして初めて経済の在り方を知る、市井の人間である。

だからこそ、もう少し、報酬が上がるか、物価が下がってくれると嬉しいのだけどなー、と素朴な感想を抱いている今日このごろである。物価高そのものは決して悪いわけではない。物価高以上にわたしたちの賃金・報酬が上がれば、物価高も経済成長と表現すべき事態となるのだし、何の問題にもならないのである。この物価高が日本の経済成長とは無関係な処で発生していることに問題があるのだから。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『ええじゃないか』(中央公論新社)

 

 

 

 

大ヒット漫画から怪談・雪の話まで—— 歴史小説家が選ぶ「涼」を得るための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「涼」。まだまだ、猛暑が続きますが、古今東西、硬軟織りまぜて谷津さんが選んだ5冊を眺めつつ、暑さをやり過ごしてみませんか?

 

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暑中お見舞いを申し上げます。

 

いやあ、暑い。実に暑い。去年の秋、都心から田舎に引っ込んだこともあり、「今年の夏は少しは涼しく過ごせるかしら」と甘く見ていた己の浅慮を深く羞じるものである。日々、お節介にも画面の左下で暴力的な数字を示し続けている温度計から目を背けつつ、扇風機で火照った体を冷やしてパソコンのキーボードを叩いている次第である。きっと皆様も相当難渋しておられよう。改めて、心よりお見舞い申し上げる。

 

織田信長に攻められた快川という僧侶が、兵火が迫った際「心頭滅却すれば火もまた涼し」と述べたとする逸話がある。どうやら後の世に作られたものらしいのだが、一方でわたしたちの心に生きた成語ともいえる。とはいえ、逸話の快川和尚のようにそこまでエキセントリックに割り切れぬのが凡夫の哀しさ。そこでわたしは別の手段を取る。暑いときだからこそ、涼しい話をしようではないか。

 

というわけで、今回の選書テーマは「涼」である。

 

目で見て「涼」を楽しむ一冊

まず、ご紹介するのは『雪と氷の図鑑』(武田康男・著/草思社・刊)。本書はその名の通り、世界中の変わった氷や雪をカメラに収めた写真集である。普段見慣れた霜柱から、諏訪湖の御神渡り(真冬、凍結した湖面に亀裂が走り、そこが凍りついて盛り上がる現象)といったメジャーなものや、バイカル湖のしぶき氷、氷の花、ジュエリーアイスといった見慣れないものまで網羅的に紹介している。

 

本書は写真を集めているだけではなく、一見しただけではどのように生成されたのか理解が及ばぬ氷、雪の現象に対するコラムも充実しているのが特徴の一つである。御神渡りのメカニズム、氷河生成や霜の発生、積もった雪の性質などについても平易に知ることができるのだ。もちろん知識を得るのにもいいが、少し手が空いた時にパラパラと眺めるのも面白い。自然の織りなす奇景、美に触れることのできる一冊である。

 

江戸時代・苛烈な越後の冬を愛でる本

お次に紹介するのは古典から。『北越雪譜』(鈴木牧之・著、岡田武松・監修/岩波書店・刊)。江戸時代後期に刊行された越後国(今の新潟県近辺)の地理書、風土書である。そう書くと、「読みづらそう」と尻込みする方もあるかもしれないがご安心いただきたい。江戸期の一般向け書籍はそこまで古語然としておらず、じっくり読めば案外読めてしまう上、当時の挿絵も復刻されていて、挿絵を眺めるだけでも面白い。

 

そうして本書に目を通してみると、あまりに苛烈な冬の有様が浮かび上がってくる。雪と共に生き、雪に苦しめられ、長い冬の中で生きる人々の雪との関わりが縦横無尽に記されている。最初の内は「大袈裟な」と思うかもしれないが、本書が刊行されたのは江戸時代後期。当然原動機や高性能の防寒具は存在しない。一見すると「盛っている」ようにも見える越後の生活がやがてリアルに立ち上ってくるに至り、人間のたくましさを再確認することができるはずだ。もっとも、本書は越後というワンダーランドを愛でる本として読むのが正道であろう。今でも新潟県は石油、天然ガスの産地だが、江戸期においても既にそれらの存在は広く知られていた。当然本書でもその存在が語られていたりする。新潟県を知る一冊としてもお勧めである。

 

物語は熱いが、舞台は寒い! 大ヒット漫画

お次は漫画から『ゴールデンカムイ』(野田サトル・著/集英社/刊)。日露戦争帰りの元軍人だった杉元が、ある儲け話を耳にすることから血みどろの黄金争奪戦に身を投じることになり、アイヌの少女、アシリパ(リは小文字)と共に駆け回り、ときに戦い、ときに当地の食材に舌鼓を打ち、ときにめくるめく変態に遭遇する、ノンストップアクション漫画である。いや、今更本作を紹介するのかよ! とツッコミが聞こえてきそうだがご寛恕頂きたい。

 

本作は愛するものの順番を巡る物語なのだとわたしは考えている。たとえば主人公の杉元は、愛した人のためにまとまった金を欲しつつも、アシリパや仲間たちとの日々を通じて人生の喜びを少しずつ取り戻しているように見える。そんな二つの愛するものの間で杉元は葛藤し、自分なりに優先順位をつけている。しかし、そんな順位は時と場合に応じて変わるモノだ。だからこそ葛藤するのである。本書の登場人物の多くは、様々な愛するものを抱え、どれを優先すべきかいつも葛藤し、その葛藤がストーリーを転がしていく。だからこそダイナミックな作品となってわたしたちの胸に迫り来るのである。

 

え? 今回の選書テーマ? ああ、本作は北海道から樺太(サハリン)の冬から春にかけての光景を描いているため、常に雪景色である。涼を得るにはもってこいの漫画であろう(お話そのものは大変熱いのだけれども)。

 

海を想い「涼」を得つつ、日本海を改めて知る一冊

夏で涼を得るといえば海。いや、海は暑いか。それはさておき。次にご紹介するのは『日本海 その深層で起こっていること』 (蒲生俊敬・著/講談社・刊) である。本書はその名の通り、科学的見地から日本海に迫った一般向け科学書籍である。本書によれば、日本海は閉鎖的な海なのだという。日本海から開かれているいくつかの海峡は地球規模で見れば非常に浅いくせに、海そのものは深い。そのため、他の海と比べても海水の循環が早く、他の海の雛形として観察することができるのだという。つまり、日本海を知るということは世界を知るということでもあるということだ。

 

そんな海が日本の西側にある(正確には日本列島によって東の境界が形作られている)とは、と驚きが隠せない。海は地球温暖化をはじめとした気候変動や気象変化にも重大な影響を与えていることがわかっている。つまり、日本海を知るということは、明日のわたしたちの運命を決めることでもあるのだ。皆さんも雄大にして小さな日本海の風景を思い浮かべつつ、本書を手に取っていただきたい。

 

夏の定番「怪談」で涼を求める

最後は小説から『短編アンソロジー 学校の怪談』 (集英社・刊)をご紹介。本書は気鋭の作家たちによる怪談小説集である。本書は「ホラー」ではなく、「怪談」なのがミソである。どういうことか。「ホラー」と「怪談」は同じようでいて、ちょっと違う意味空間を持っているものなのである。本書に参加する作家たちはその違いを知悉した上で、それぞれの「怪談」を語っている。

 

見慣れた通学路に這い出る怪異を描いた「いつもと違う通学路」(瀬川貴次)、少女の自意識の歪みと怪異の結節点を描く「Mさん」(渡辺優)、ジュブナイル的な子供の世界と少し不思議な怖さを描く「七番目の七不思議」(清水朔)、怪異の影に覗く演劇の魔を描く「軍服」(松澤くれは)、作中で設定づけられている前日譚をあえて語らないことで作品に奥行きを生んでいる「庵主の耳石」(櫛木理宇)、学校の怪談的な意味空間に寂寥と孤独の色味を追加した「旧校舎のキサコさん」(織守きょうや)。そのすべての作品にそれぞれの滋味と凄みがある。アンソロジーという性質上、新しい贔屓作家の発掘にももってこいである。怪談で涼を求める、クラシカルな夏を送りたいあなたに。

 

 

夏は暑い。

当たり前といえば当たり前である。

とはいえ、暑いからといってお天道様に水をかけるわけにもいかないし、お天道様のなさりようを恨んでも仕方がない。そういうときは大人しく、家に籠もって大人しく過ごすのが一番である。そう、そんなときには本を片手に過ごすのも、また一つの選択肢なのである。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『宗歩の角行』(光文社)

 

 

「観る将」入門から歴史、傑作漫画まで—— 歴史小説家が選ぶ「将棋」の沼にはまるための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「将棋」。ブームが続いてる将棋の世界に谷津さんが選んだ5冊を眺めつつ、足を踏み入れてみませんか?

 

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ここ数年にわたる将棋ブーム、一向に翳る気配がない。

 

一般には藤井聡太五冠の快進撃にその理由を求める論説が多いが、元々凄い存在であった将棋や棋士にニューヒーローの台頭でスポットライトが当たり、人気に火がついたという辺りがことの真相だろうとわたしは睨んでいる。この一件から教訓を得るとすれば、誰も見ていないところでも腐らず面白さや奥深さを追求し続ければ、いつか風向きが変わったときに報われる、という、王道極まりない楽観論であろう。ここのところちょっと勢いの弱い感のある文芸の世界にもそうした流れが来てくれないかな、と他力本願この上ない願掛けをわたしがしているのはここだけの話だ……と、景気の悪いことをつらつら書き連ねても仕方ない。今回の選書は将棋である。しばしお付き合い頂きたい。

 

クセが強めの新作将棋漫画

まずご紹介するのは新作漫画から。『花四段といっしょ』 (増村十七・著/朝日新聞出版・刊)である。前作『バクちゃん』でファンタジックな世界観のもと多様性社会のリアルを剔抉した著者の最新作は、なんと将棋。奨励会を突破した棋士花四段が主人公なのだが……この花四段、なにかおかしい。今まさに真剣勝負をしているというのに、花四段の思考はどんどん将棋からかけ離れていき、様々な情報が混線し、しっちゃかめっちゃかになっていく。

 

そうして読者は、勝負の場のそれからかけ離れた、一種不謹慎な空気に誘われるのである。本書は将棋ものでありつつも、そこまで将棋の内容に重きを置いた内容ではないのだが、それでも八十一マスの戦場に身を置く者たちの懊悩が垣間見える回(花四段の妹弟子、踊朝顔の回などはまさにそれ)もあったりして、ギャグマンガともユーモアマンガとも人情マンガとも将棋マンガともつかぬ、独特の作品世界が広がっている。この、どこかユルく、癖になるニヤニヤ笑いの世界に皆さんも是非お越し頂きたい。

 

「観る将」初心者にぴったりの入門書

次は『すごすぎる将棋の世界』(高橋 茂雄(サバンナ)・著/マイナビ出版・刊)をご紹介。本書は人気芸人の著者による将棋ガイド本である。一般にガイド本というと棋譜が付されているのが通例だが、本書には基本的な戦法を除き、将棋解説はほぼ存在しない。

 

ところで、皆さんは「観る将」という言葉を耳にしたことはおありだろうか。将棋観戦趣味を意味する語で、藤井旋風に端を発する将棋ブームの後に広く使われるようになった。勝負の内容はもちろん、棋士のキャラクターや周辺情報をこそ楽しもうとする態度が存在する点に特徴を見出すことができるだろう。本書はそうした「観る将」、あるいはこれから「観る将」になっていきたい人に向けた構成となっている。現役棋士たちのプロフィール、将棋観戦の楽しみ方、勘所、多様な「推し活」(聞き馴染みのない方は「ファン活動」くらいの意味だと思って頂ければいい)のヒントなどなど、「観る将」初心者、将棋にちょっと興味が出てきた人向けのハードルの低い書籍となっている。喩えるならプロ野球名鑑的な側面もあって、よりファン目線度の高い本になっていると言えるのではないだろうか。

 

400年の歴史から今の将棋を知る

お次は新書から『将棋400年史』 (野間俊克・著/マイナビ出版・刊)をご紹介。本書は名前の通り、日本の将棋史を概説した一般向け書籍である。今でこそ将棋の世界は実力だけが評価される場だが、それが定着したのは近代に入ってからのことである。江戸時代は将棋の家元である将棋三家が存在し、将棋三家出身でないとどんなに実力があっても名人に上る道がないという制度設計がなされていた(俗に言う、家元名人制)。近代に入ると一時廃れたかに見えた将棋が様々な人々の手によって復活を果たし、やがて現代に繋がる実力名人制として結実していく。その中で、スポンサーを集めて一種の興行としていった、現代将棋に繋がるビジネスモデルの構築史が語られていく。

 

そういった「ガワ」の話だけではなく、将棋の棋理がいかに深まっていったのか、どのように古い手が検討され、新しい棋理に上書きされていったのかを分かりやすく叙述している。本書もまた、将棋初心者のための恰好の書籍であろう。わたしが常々言っていることだが、歴史を知ることで今を知ることができる。迂遠なアプローチに見えるかもしれないが、特に将棋のように理屈、論理で成り立っているものを知る際には、歴史を知ることは有効なアプローチ法なのである。

 

「駒が泣いてるぜ」言わずと知れた将棋漫画の傑作

お次は漫画から『月下の棋士』(能條純一・著/小学館・刊) をご紹介。言わずと知れた名作将棋作品であるが、あえて、本作を取り上げたい。傲岸不遜を絵に描いたような氷室将介が伝説の棋士、御神三吉の推薦状を携え東京の将棋会館の敷居をくぐるところから始まる本作には、終始〝魔〟の気配が漂っている。ある種の技芸や業を持ちそれを磨き上げた人には、独特の鋭さや怖さが備わり、言動の端々に滲むものである。そうして醸し出された一種独特の気配こそが〝魔〟の正体なのだろうが、本作には濃厚な〝魔〟が満ち溢れ、本の行間から滲み、読む者をその時空に誘う。

 

次々に現われる変態的、偏執的極まりない棋士たちの群像、キャップにラガーシャツ、ジーパンという主人公氷室の姿は、現実の棋士のそれとはあまりにもかけ離れている。だが、そんな野暮なツッコミをものともしないほどの迫力と魅力を本作が有しているのは、本作に横溢する将棋の魔力ゆえのことだろう。氷室、そして氷室の前に立ちはだかる棋士たちとの名局の数々に酔いしれ、本作の〝魔〟に触れて頂きたい。

 

将棋とミステリのロジカルな融合

最後に紹介するのは小説から『神の悪手』(芦沢央・著/新潮社・刊)を。最注目の若手中堅ミステリ作家による将棋短編集である。この著者は元々ミステリ的なロジックをもって他のジャンルを包摂していきその都度秀作、傑作をものしている(例を挙げればホラーをミステリで包摂した『火のないところに煙は』(新潮文庫)だろうか)のだが、本書もその例に漏れず、将棋というロジカルな存在をミステリの作法によって咀嚼し、将棋小説、ミステリ小説どちらにも駒の利いた作品群を構築することに成功している。

 

わたしが特に本書で好きなのは詰め将棋を扱った「ミイラ」だ。将棋としての体裁を欠いている詰め将棋の裏にある作成者のロジック、そしてそのロジックを作り上げるに至ってしまった人生をあぶり出す本作は、ミステリ的発想と将棋の棋理が高いレベルで拮抗することなしには存在し得ないものである。もちろん、他の作品も棋理とミステリ的発想の融合した秀作揃い。将棋に興味があって、将棋にまつわる小説を読みたいというあなたに、まず手に取って頂きたい一冊である。

 

実は、わたしこと谷津矢車、四月に将棋小説を刊行している(『宗歩の角行』光文社)。今回の選書の何冊かは、わたしが将棋小説を書く際に参考にさせて頂いたり、執筆するに当たってイメージを掴むために拝読した書籍であったりする。この場をお借りして深く感謝申し上げたい。そして、ぜひ、これをご覧の皆様にも「観る将」になっていただき、さらに「読む将」(造語。将棋にまつわる本を読むのを趣味にする人)の道に迷い込んで頂きたいと願う次第である。

 

余談までに。今年は文芸書の世界でも、何作か有望な将棋小説が刊行される。先に『盤上に君はもういない』が話題となった綾崎隼が奨励会を描く『ぼくらに嘘がひとつだけ』(文藝春秋)と、『サラの柔らかな香車』『奨励会』などの将棋作品で知られ、本人も奨励会所属経験のある橋本長道の『覇王の譜』(新潮社)。どちらも話題作である。今、文芸では将棋が熱い。将棋小説秋の陣の予習にもどうぞ(そのついでに拙作もよろしく)。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『宗歩の角行』(光文社)

 

 

レジェンドの「まんがの描き方」から社会運動を知る絵本まで—— 歴史小説家が選ぶ「入門・スタート」のための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「入門・スタート」。谷津さんが選んだ5冊を眺めつつ、あなたもなにか新しいことを始めてみませんか?

 

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つい先日、お世話になっている編集者から人事異動のご連絡を頂いたばかりである。基本的に歳時記に影響を受けないのだが、取引先である出版社は一般企業、編集者のぼやきや報告から「そういえば、もう〇月か」と気づかされたりもする、世間に超然とした態度を取り切れないのが作家という稼業である。なんかふと、己の在り方が水槽の中をぐるぐる泳ぐ熱帯魚のようにも思えてきて、やるせない気分になり、じっと手を見る次第である。

 

さて、新生活の時期である。大きな変化があった方、なかった方、いろいろあるだろう。けれど、変化があった人たちに合わせ、なんとなく世の中全体が「新しいことを始めよう」みたいな殺気を帯びる季節もである。いっそ、風潮に乗ってみるのも一興かもしれない。

 

というわけで今月の選書テーマは「入門・スタート」である。

 

物語を書きたくなったあなたに

一冊目は漫画技法書から。『藤子・F・不二雄のまんが技法』 (藤子・F・不二雄・著/小学館・刊)である。『ドラえもん』『パーマン』『チンプイ』などなどの名作を生み出してきた国民的漫画家による漫画技法書である。さて、皆さん、いきなり面食らってはいないだろうか。「藤子F先生って子供向け作品ばっかり書いている方じゃないか、大人が読んで参考になるの?」と。

 

心配ご無用である。とにかく本書においては、「楽しく描くこと」、「物語作りの楽しさ」が前面に押し出されている。絵の練習が欠かせないことは前提として提示されているとしても、「好きこそものの上手なれ」を高らかに謳い上げた一冊になっている。

 

本書は漫画を描いてみたいという方はもちろん、広く「物語」を書きたい方にとって大いに参考になる本である。なので、生活の変化をきっかけに漫画や小説を書いてみたくなったという方や、物語作りを教える学校に進学なさった方の最初の一冊にもお勧め出来る一冊である。

 

社会運動について知りたいあなたに

お次は異色の絵本から。『プロテストってなに? 世界を変えたさまざまな社会運動』(アリス&エミリー・ハワース=ブース・著、糟野桃代・翻訳/青幻舎・刊)である。皆さんは社会運動についてどういうイメージをお持ちだろうか。たぶん世代によってもばらつきがあろうし、政治的スタンスによっても答えが変わってくるだろう。かくいうわたしも社会運動にはあまり関わっていない。

 

本書は、紀元前から現代まで起こり続けてきた社会運動を平易に紹介している。絵本形式で書かれていることもあって肩こりすることなく読め、人間の営みとしての社会運動に触れ、社会運動の役割について知ることができるだろう。もちろん、わたしには本書を通じて皆さんを特定の社会運動に誘導する意図は毛頭ない。だが、有史以来繰り返されてきた各社会運動がなにを願い、社会のなにを変えてきたのかを知ることは社会の成員として大事なことだ。その上で、今は関わっていないとしても、いつか、もしかしたらあなたにだって社会運動が必要になる日が来るかもしれない。その際の入門書になるだろう一冊である。

 

絵画鑑賞を趣味にしたいあなたに

お次は『名画BEST100』(山内舞子 ・監修/永岡書店・刊)である。本書はその名前の通り、世界の名画をベスト100形式で紹介する書籍である。わたしは絵をモチーフに小説を書くことがあり、それゆえに読者の方から「絵ってどうやって観たらいいかわからない」「絵を鑑賞する楽しさがわからない」というご意見を頂戴することがある。ぶっちゃけフィーリングでもいい(この絵は自分好み、自分好みじゃない、とジャッジしながら絵を鑑賞するのも決して悪いことではない)というのがわたしの基本スタンスなのだが、絵の持っている文脈を踏まえつつ鑑賞するのも楽しい。その際にお勧めできるのが本書である。

 

本書は作品や画家の来歴や生きた時代を紹介、その上で名画の位置づけを説明している。その上で要点を絞り、絵の見所を紹介しているのも特徴だ。これは一つの見方として、という但し書きのつく提案だが、画家の来歴を知ると、絵を観る楽しさが倍増する。「この作品、若書きなんだ」とか、「この絵、そんな大変な時期に描いてたんだ」と知ることで、絵を媒介にして、画家と向かい合っているような感覚に陥ることがある。

 

あんまり意識はされないが、日本人は美術好きである。毎年のように大都市では海外の画家をテーマにした大きな展覧会が開かれ、国宝級の名画が日本にやってくる。絵画鑑賞を趣味にしたい皆さんの入門書として、本書を手に取って頂ければ幸いである。

 

縄文時代を詳しく知りたいあなたに

お次は『縄文人も恋をする! ?』(山田 康弘・著/ビジネス社・刊)である。精力的に一般向け考古学書籍を上梓している考古学者による、縄文時代入門書である。副題に「54のQ&Aで読み解く縄文時代」とあるように、一般の人からやってきた縄文時代に関する質問に答えるQ&A形式となっているため、小学校の社会の授業で知識が止まっている人でも楽しく読めるハードルの低さが本書の特徴である。しかし、初心者向けの外装をしておきながらなかなかディープな知識をも扱う本であり、本書の内容をすべて理解できれば、考古学を専攻する大学二年生並の知識量になっているはずである。

 

何より本書は「考古学がどういう思考法で往時の人々の生活に肉薄しようとしているのか」を知ることができる。

 

今、世の中は幾度目かの縄文ブームである。かつて岡本太郎が縄文土器をアート的文脈で捉え直したように、ポップカルチャー的な文脈で縄文文化を捉え直し、「KAWAII」的文脈の中に取り込む動きが起こっている。いや、この動きは悪いことではないとわたし個人は考えている。文化をより豊かにする行ないだからだ。しかし、その立場に立ったとて、元ネタを知った上で取り組んだほうがより楽しいはずである。2022年現在の学問の成果を踏まえることで、昨今の縄文ブームもさらに光彩を増していくのではないか。という元考古学徒の呟きはさておき、縄文の入門書としてぜひぜひ。

 

古生物学の発展と19世紀英国の女性の社会的地位について知りたいあなたへ

最後は児童文学から。『ライトニング・メアリ 竜を発掘した少女』(アンシア・シモンズ・著、布施由紀子・翻訳/岩波書店・刊)である。本書は、イルカに似た海竜、イクチオザウルスの全身骨格を発見、発掘した実在のイギリス人女性化石採集者、メアリ・アニングを主人公にした小説である。本書、児童文学の括りの作品であるが、大人にも読んで欲しい一冊である。

 

ややネタバレになるかもしれないが、あえて書こう。本作の主人公であるメアリ・アニングは上流階級に属していない。19世紀のイギリスに男女同権の概念はない。そして、本書に描かれるイギリス社会は神学の影響が強く、進化や絶滅といった概念にも疑いの目が向けられている。父親の影響から化石を発掘し始めたメアリがその化石の正体に目を向けるようになると、様々な壁が彼女の前に立ちはだかってくるのである。

 

本書は古生物学の黎明期を描いた小説でありつつも、偏狭な時代に生まれついた一人の女性の戦いを描いた歴史小説であり、社会の軋轢に向かい合った女性のスタートラインを描いた小説ともいえるのである。

 

メアリがなにと戦い、なにに憤ったのか。本書を辿っていくうちに、現代のわたしたちにも通じる苦悩にも気づくことができるはずである。

 

 

四月は変化の季節である。

変化は常にしんどさを伴う。あまり変化のない仕事をしているわたしが言うのはなんだと思うが、それでもかつては勤め人だった経験もあり、皆さんのご苦労にある程度思いを致すことはできる。だからこそ、本というパラシュートを使ってソフトランディングをしていただきたいと心から願っている次第である。

皆さんの新生活に幸あれ。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『北斗の邦へ跳べ』(角川春樹事務所)

 

人体の不思議からツアーナースの日常、そして新型コロナウイルスまで—— 歴史小説家が選ぶ「医療」を知るための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「医療」。新型コロナウイルスの最前線に立つ医療従事者の方々に感謝しつつ、改めて「医療」について考え直す5冊となっています。

 

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風邪を引いたり、怪我をした際、皆さんはどうするだろうか。

 

薬局に行って市販薬を買う? それも一つだろう。わたしは、間髪入れずにお医者さんに駆け込むようにしている。

 

親不知の痛みの際に痛感したことだが、体調の悪化を我慢しても何もメリットがない。早い内に根治してしまったほうが、結局クオリティ・オブ・ライフが高まることに気づいてからは、体調の不調を感じたらかかりつけ医の元に相談に向かうようにしている。わたくしごとで恐縮だが、この前腰を痛めた折には即座に医者の助言を受け、大事になる前に痛みが引いたりしている。

 

お医者さんには頭が上がらない。というわけで、今回の選書テーマは「医療」である。

 

傷をつけた武器に軟膏を塗る? 不可思議すぎる「奇書」の世界

まずご紹介するのは『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』(三崎律日・著/KADOKAWA・刊)である。皆さんは「ゆっくり動画」をご存知だろうか。ニコニコ動画やYouTubeなどの動画投稿サイトに投稿される、音声読み上げソフトの声を当てられた同人ゲーム『東方シリーズ』の登場人物が、解説や説明役に当たることを特徴とした動画ジャンルのこと。本書は「ゆっくり動画」発書籍の一つである。

 

本書(そして本ゆっくり動画)が扱うのは、ずばり「奇書」である。なぜこんな本が存在するのだろう? と首を傾げたくなるような本を取り上げ、奇書成立の史的経緯や逸話を紹介している。その手の好事家には広く知られる『ヴォイニッチ手稿』や『台湾誌』、明治期のトンデモ野球害悪論『野球と其害毒』などなど、ラインナップも充実している。

 

今回の選書に本書を選んだのは、武器軟膏に関するくだりが存在するからである。

 

武器軟膏とは、16~7世紀のヨーロッパで唱えられた学説で、傷を治す際、傷口ではなく、傷をつけた武器に軟膏を塗る治療法である。――こう書くと、皆さんの頭の上には「?」が浮かぶことだろうが、書き間違いではない。本当に武器に軟膏を塗る治療法なのである。

 

現代から見れば奇異なこと極まりないが、本書はその治療が受け入れられた経緯から、この説が克服された経緯までを追っている。

 

医療行為――ひいては人間の智そのものが現代と比べれば未発達だった時代。だからこそ浮かび上がる人々の試行錯誤を平易に紹介し、ことほぐ1冊である。

 

なかなか聞けないツアーナースの日常

お次に紹介するのは漫画から。『漫画家しながらツアーナースしています。 こどもの病気別“役立ち”セレクション』(明・著/集英社・刊)である。漫画家兼ツアーナース(修学旅行などの際に同行し児童の健康管理を行なう看護師)である著者のエッセイ漫画で、ツアーナースとして直面した様々な事件や日々の業務を紹介した書籍である。

 

本書を読んで、まず「そんな仕事があったのか」という驚きがあった。わたしも児童時代にはお世話になっていたはずだろうが、さっぱり記憶からすっ飛んでいた。多くの方はわたしと似たような感覚だろうと思う。しかし、ツアーナースの重要性は、本書を読むうちに心から理解できる。アトピー、喘息、怪我に熱中症、体調の激変。子どもの周りには常に危険が佇んでいる。そんな中、適切な応急処置を施す人の存在は、子どもたちの学校生活、楽しい思い出をも守ってくれている。

 

そして本書、子どもが直面しがちな怪我や病気などの知識や応急処置法についても細かな記載があるので、お子さんのおられる方や、お子さんを引率する立場の方にもお勧めである。そして、広い意味での医療がわたしたちの生活を守ってくれていて、多くの医療従事者が胃を痛くしながら身体を張ってくれていることを知ることのできる書籍でもある。

 

雑学的に読めるも志の高さを感じる1冊

お次は『すばらしい人体――あなたの体をめぐる知的冒険』(山本健人・著/ダイヤモンド社・刊)をご紹介。〝外科医けいゆう〟の名前で情報発信を続けている著者による、人体を巡るサイエンス書である。

 

それにしても、本書はフックのかけ方が上手い書籍である。本書の惹句で引用されている文章に、こんな一文がある。

 

汚い例になってしまうが、私たちが「おなら」ができるのは、肛門に降りてき物質が固体か液体か気体かを瞬時に見分けて、「気体の場合のみ気体だけを排出する」というすごい芸当ができるからである。 

 

この引用文には雑学本的な匂いがするのだが、いざ本書を読んでみると、人体のふしぎだけに留まらず、古代から現代に亘る医療史や、医学は何を目指す学問なのかという命題をも包括しつつ平易に読める1冊になっている。それどころか、学びを深めるためのブックガイドまでついた、志の高さを感じる1冊でもある。

 

もちろん、雑学本的な読まれ方を想定する作りになってもいて、この引用文で興味を持ってお読みになっても一向に構わない。実はわたしもこの引用文に釣られて買ったクチである。

 

というわけで、皆さんもぜひ釣られていただきたい。医学の入り口にもってこいの1冊である。

 

優れたオウム小説であり、優れた医療小説

次にご紹介するのは小説から。『沙林 偽りの王国』(帚木蓬生・著/新潮社・刊)である。いわゆるオウム事件を扱っており、松本サリン事件発生当時、農薬による中毒症ではないかと疑われていた時分から治療に当たっていた医師たちの視点から描かれるという、少し変わった視点で繰り広げられる小説である。

 

本書を読み解くにおいて、なぜ医師の視点から描かれるのかという命題はかなり重要である。オウム事件全体を主題に置いた場合、松本サリン事件の治療に当たった医師は主役になり得ない立ち位置の人物で、素直に考えれば、一章の視点人物、あるいは脇役に収まるのが自然である。しかし、本書において医師たちが主役となったのは、本書を貫くテーマが、「医学(という学問)」だからなのである。

 

人を癒やす術である医学は、裏返すと人を壊す術になる。そして、現代、多くの人を救っている医学は、多くの人の犠牲や、理不尽な実験の上に成り立っている。本書において731部隊に関する言及があるのも、化学兵器が詳述されているのも、医学という学問の負の面も浮かび上がらせたからに他ならない。

 

本作は、優れたオウム小説であり、優れた医療小説なのである。

 

ワクチン接種前の世情を後世に残すための物語

最後にご紹介するのも小説から。『臨床の砦』(夏川草介・著/小学館・刊)である。本書は2021年の1月から2月ごろの長野を舞台にした医療小説である。当然、この時期を舞台にしているということは……。そう、本書の主人公たちは、未知のウイルスといっても過言ではない新型コロナウイルス対応に当たる医師の奮闘を描いた小説である。

 

本書に描かれる光景には、胃の痛くなる思いがする。後手後手に回る行政、毎日のように感染者が担ぎ込まれる病院、家族と会えぬ日々、偏見や差別に晒されるのではないかという恐怖、医療従事者である自分たちが社会を分断してはならぬという危機意識……。まさしく、地域医療最後の砦である病院で戦う医者たちも、一個の人として逡巡し、懊悩し、それでも医師としての責任を果たすべく働く姿を描いている。

 

そうした読み方とは別に、本書はワクチン接種前の雰囲気を残す小説であるともいえ、その点でも興味深い。2021年夏の接種により風向きが変わる前の殺伐とした雰囲気は、5年もすれば忘れられてしまうことだろう。その雰囲気を物語る語り部となりうる1冊でもあるのである。

 

新型コロナウイルスによる社会の混乱が長引いている。

 

明るいニュースがないのは何処の業界も一緒。出版業界は好況に湧いているという報道もあるが、その中にいる一個人としては横ばいないし少々状況が悪化しているように思える。よくある話だが、マクロとミクロの動向は往々にして食い違うものである(種明かしをすると、学習書籍や漫画などの分野の好況が出版業界そのものを底上げしているとされている)。恐らく、これをお読みの皆さんも大変な思いをなさっていることだろうと思う。

 

だからこそ、今、最も大変な役割を担ってくださっている人たちの一角である、医療関係者の皆様に厚く御礼を申し上げる次第である。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『北斗の邦へ跳べ』(角川春樹事務所)

 

哲学からジェンダー問題、名作マンガから大河の予習まで—— 歴史小説家が選ぶ2022年スタートダッシュのための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。2022年のお正月の今回は、スタートダッシュを切るための5冊を選んでもらいました。硬軟取り合わせた5作品の中から気になったものを、この正月休みに手に取ってみてはいかがでしょうか?

 

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いつもこの選書をお読みくださっている皆様、今年もよろしくお願いいたします。本年のご多幸とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

 

と、正月らしいことを書き連ねてみたものの、作家に盆暮れ正月はないのである。作家業は精神労働である反面、文章を紡ぐ肉体労働者であり、日々の鍛錬が欠かせない。従い、多少暇な日があっても、なんらかの書き物はしているし、もし執筆関係の業務がなかったとしたら、次回作の下準備や勉強、企画書の作成に追われることになる。かく言うわたしも、元日であってもいつも通りに目覚め、いつもとちょっと違う朝ご飯(餅入りお雑煮)を食べた後はパソコン、あるいは仕事机に向かい、ああでもないこうでもないと頭をひねっている。

 

まあ、これは娯楽産業に身を置く人間あるあるというもの。皆様におかれましては、是非とものんびり羽を伸ばしていただきつつ、箱根駅伝に熱くなっていただきたい。

 

さて、新年というと、やはり仕切り直しの雰囲気がある。皆さんも「今年の抱負は?」と誰かに聞かれたり、あるいは問い質したりしているかもしれない。人間、区切りをつけ、そこに向かって走ったほうが、案外頑張れる生き物である。

 

というわけで、新年、スタートダッシュを切るための5冊、紹介していこう。

 

男の望む物語をねじ曲げた女の物語

まず1冊目は小説から。らんたん』(柚木麻子・著/小学館・刊)である。のちに恵泉女学園を設立した女性教育者、河合道を主人公にした歴史小説作品である……と説明すると、地味そう、という感想を持つ方もいらっしゃるかもしれないがさにあらず。慶応、明治、大正、昭和の四時代に跨がり活躍した河合道の周りには、数多くの歴史上の人物が登場し、彼女の前に現われる。有名どころだけ列挙するだけでも、津田梅子、山川捨松(のちの大山巌夫人)、有島武郎、平塚らいてう、マッカーサー……。戦前日本社会の〝狭さ〟ゆえに存在する人間関係の華やかさも本書の楽しさの一つである。

 

本作には様々な要素がちりばめられている。だが、この選書においては、河合道という女性が選び取った戦いについて述べておきたい。河合道は〝女が非業の死を遂げねば絵にならぬ〟という、明治期の文豪たちの物語に怒りを表明する。そして彼女は自らの理想のために戦い続け、見事なまでに非業の死から背を向ける。そう、本作は自らの生き様でもって男の望む物語をねじ曲げた女の物語なのである。

 

男、女に限らず、人は〝こうあるべき〟という規範に縛られ生きている。もちろん、それらの規範は個人や社会を守る側面もある。しかし、その規範が自分にとって限りなく邪魔なものであったり、不都合だったときにどうしたらいいのか――。本書は、そんな事態に直面した際のヒントを与えてくれるだろう。

 

アウティングがなぜ問題なのかを説く1冊

2冊目はあいつゲイだって』(松岡宗嗣・著/柏書房・刊)である。本書はアウティングをテーマにした一般向け書籍である。

 

アウティングってなに? と呟いたあなたにこそ読んでいただきたい。

 

本書に成り代わり、意味をお話ししよう。アウティングとは、ある人物の公にしていない性自認や性的志向について、本人の了解なしに公開することを指す。と書くと、「何が問題なの?」とお思いの方もいるだろう。性的志向はともかく、性自認について、他人に明かすことって悪いことなの? と。

 

本書はアウティングがなぜ問題なのか、それによって何が起こるのかを実例を交えつつ紹介している。きっと、こうした疑問を持たれた方にも、一定の答えを出してくれることだろう。

 

わたしたちは普段、社会の中で生きている。だからこそ、社会から離れて羽を伸ばしている正月休みの今、自分の振る舞いについて考え直す時間を持つのも大事だと思うのだが、いかがだろうか。

 

能力主義の正義を解体する

さて、3冊目に行こう。実力も運のうち 能力主義は正義か?』(マイケル・サンデル ・著/早川書房・刊)である。本書は『これから正義の話をしよう』のベストセラーで知られる著者の最新作である。

 

本書は世界、ことに旧西側諸国の間では美徳とすらされる能力主義に切り込んでいる。なぜ能力主義が尊ばれるのか。それは、皆が頑張れば身につくはずである能力に高低が生まれるのは、そのまま個々人の努力の差であるという建前が存在するからである。しかし本書はその建前を次々に分解してゆく。

 

本書を読んで、怒る人も多いと思う。この著者は、自分が努力して積み上げたものを否定するのか、と。だが、それは違う。きっと、そうやって怒りを表明するあなたは、誰よりも努力してきた人なのだ。だからこそ、少し冷静に本書に示されている光景に目を向けて欲しい。努力というのは、努力が報われる場にいるからこそ積み上げることができるものなのかもしれない。そう気づいたとき、また違った世界が見えてくるかもしれない。

 

新作アニメ始動にあわせて読み返す名作コミック

さて、3冊、かなりシリアスな紹介が続いてしまったので、少しのんびりとした方向に引き戻そう。次は漫画から。るろうに剣心』(和月伸宏・著/集英社・刊)である。本作は明治11年、東京に流浪れやってきた優男が幕末の京都を震撼させた伝説の人斬りだった……、という、導入から始まる明治剣客浪漫譚である。

 

と、なぜ今この作品を? と首を傾げる方も多いかもしれない。本作、わたしは小学6年生くらいのころ読んでいた記憶があるので、おおよそ20年以上前の作品である。

 

なのだが。

 

なんと、まさかのアニメ化計画が始動したのである。

 

まさかの、とは書いたが、ここのところ、わたしたちの世代を狙い撃ちにしたようなアニメ化が次々に実現しているのを皆さんもご存知かもしれない。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズや『ダイの大冒険』完全アニメ化などがその代表作であろう。上記2作は既にかなり進行しており、原作未読の方が追いかけるのは大変かもしれない。だが、『るろうに剣心』は全28巻、連載作品としては極めて追いやすい。アニメ化発表を機に先回りして読んでおけば、アニメ版をより深く楽しむことができるだろう。

 

大河の前に読んでおくべきガイドブック

年の始まりといえば、そう、大河ドラマである。今年は三谷幸喜脚本の鎌倉時代作品『鎌倉殿の13人』だが、鎌倉時代なんて何があったか知らない! という人がほとんどであろう。そんな貴方にお勧めしたいのが最後にご紹介する北条義時と鎌倉幕府がよくわかる本』 (歴史の謎を探る会 ・編/河出書房新社) である。

 

現代は本当に素晴らしい世の中で、本職の学者の著した論文や、実際の史料まで閲覧することができる。逆に言えば情報が氾濫しすぎており、何から手に取っていいのかわからない、という事態が出来しているように思う。

 

その点本作は優れたガイドブックとして機能している1冊である。名前の通り、『鎌倉殿の13人』の主人公である北条義時と、その周囲、彼の生きた時代と事件を平易に解説した書籍となっている。本書を片手に大河ドラマを見るも良し、本書の内容を理解したのち、もう少し難しい本を手に取るも良し(参考文献も充実しているのでそこを辿るのもいいだろう)、とまさに鎌倉時代初期の入り口にもってこいである。

 

ろくに休みのない、メリハリに欠ける仕事をしておいて何だが、やはり正月になると晴れがましい気持ちにもなるものである。しかし、わたしは今年の抱負をここで書くような愚は犯さない。そんなこと書こうものなら、今年の年末、これをお読みの方に答え合わせされてしまいかねない。そうした芽は最初から摘んでおくに限る。

 

そんなわけで、わたしの抱負はとりあえず脇に置き、皆さんのご多幸とご健康を改めてお祈り申し上げる次第である。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『北斗の邦へ跳べ』(角川春樹事務所)

 

少女ギャング団から東海林さだおの軽妙エッセイ、そして地図帳まで—— 歴史小説家が選ぶ「東京」を深掘りする5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「東京」。400年近く日本の首都であり続けた世界有数の都市——しかし、私たちは「東京」について 実はなにも分かっていないのかもしれません……。谷津さんが多角的に選んだ5冊を参考にして、あなたも東京を再発見してみませんか?

 

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わたしは生まれも育ちも東京、なんなら現在も東京に住んでいる。

 

とはいえ、わたしの生まれ育った地は東京西部。東京都ではあるけれど、文化としては〝東京〟の周辺部であったりする(どういうことかというと、東京西部は水源確保の名目で東京に編入された地域で元々は今の神奈川県に属しており、東京二十三区とはちょっと文化圏が異なるのである。そのため、わたしの生まれた地域では新宿より東に行くことを指して「東京に行く」と言い表していた。閑話休題)。

 

さらに私事を申し上げるなら、ごくごく最近まで東京二十三区で暮らしていた。とにかく便利な場所で、打ち合わせに出かけるにも、催し物に参加するのも、美術館や劇を観に行くのも散歩に行くようなノリだった。同じ東京でも、やっぱり二十三区は違うなあと住み始めのころは興奮したものである。もっとも、人が多く、空気が悪く、物価が高いのには辟易したのだが。

 

わたしにとって東京は、近くて遠い場所だ。そしてきっと永遠の憧れであると当時に、なんだか怖いところ、という印象も持ち続けることだろう。

 

今回の選書テーマは「東京」である。しばしお付き合い願いたい。

 

江戸から東京への変転に必要だった「大火」の物語

まずご紹介するのは明暦の大火 「都市改造」という神話(岩本 馨・著/吉川弘文館・刊)である。

 

皆さんも、「明暦の大火」を一度は耳にしたことがあるだろう。

 

江戸時代初期に発生した江戸の火災である。歴史に詳しくない方でも、「振袖火事」と聞けば、もしかしたらピンとくるものがあるかもしれない。

 

さて、この明暦の大火について、こんな言説がある。「明暦の大火の後、徳川幕府は江戸の都市改造を行なった」。歴史好きの方なら一度は聞いたことがあろうし、お詳しい方ほど自明のものとして受け入れている言説だろう。だが、本書は一次史料の検討と整理によって、従来言われていた明暦の大火の虚像を廃し、その実像に迫っていくのである。

 

なぜ、選書テーマが東京なのに江戸の話を? 本書は明暦の大火を巡るフォークロアが発生した理由にまで筆を伸ばしているのだが、その結果見えてきたものは、江戸時代が終わり、近代に入った東京が、「明暦の大火を受けて都市改造を行なった」江戸のイメージを欲したのではないかという指摘だった。本書は「禍転じて福をなす」明暦の大火以後の江戸の町のイメージが、近代都市東京の必要とした〝物語〟でもあったことを指摘しているのである。

 

江戸〜東京の狭間で生きる者たちを描く伝奇時代漫画

次にご紹介するのは勇気あるものより散れ(相田 裕・著/白泉社・刊)である。時は明治初期、戊辰戦争で死ぬに死ねず、死に場所を探していた春安の前に、不死者の少女シノが現われたことに端を発する伝奇時代漫画である。

 

東京は近世、近代、そして現代に至るまで、事実上の首都として君臨してきた町である。江戸時代から徳川の影としてその身を挺して戦ってきたシノの一族が、時代が変わって明治政府の盾となることも、ある意味でその象徴と言える。江戸、東京という同じ街の上で、変わるもの、変わらぬもの、変わってゆきたい者、変わりたくない者の思惑が絡み合う様は、十年前まで江戸であった東京という舞台によく映える。

 

そういったことを抜きにしても、史実の隙間をぐいと広げてそこに奇想を盛り込む伝奇時代物としての魅力を堪能できると共に、漫画だからこそできるアクションや外連を楽しむことも出来る、優れたエンタメ作品でもある。わたしとしても続きを楽しみにしているところである。

 

「大正の闇」を映し出す『少女ギャング団』たちの物語

お次にご紹介するのは、くれなゐの紐 (須賀しのぶ・著/光文社・刊) である。

 

時は大正、帝都東京に消えた姉を追い上京してきた仙太郎が、色々あって女装の上、少女ギャング団に入団する処から始まる大正ロマン×ピカレスク小説である。

 

少女ギャング団? そんなのあったの? と疑問に思われる向きもあるだろう。しかし、実在の事実なのである。大正期、都市部にあって、女性のつける仕事はそんなに多くなかった。そこからあぶれてしまった女性たちにはアウトロー、あるいは限りなくそれに近いところで口に糊するしかなかった。「暗い昭和」のイメージに引きずられ、殊更に大正モダン、大正デモクラシーが喧伝されるきらいのある大正期は、実はなかなかに闇が深いのである。本書は華やかな表の大正から背を向け、より暗い側、より弱き側の世界を描いた作品なのである。「闇」に身を置くしかない人々、「闇」から逃れんと必死でもがく人々、そして、「闇」であるがゆえに見逃されたある事実……。これら大正の風景がない交ぜとなり、ストーリーがうねりを上げてゆき……。

 

そして本書において見逃せないのは、都市というシステムに呑み込まれていく人々の姿である気がしてならない。都市が活性化するためには競争が欠かせない。現代日本という都市を支えるわたしたちもまた、競争に晒されている。ギャング団の少女たちが対峙していたものは、案外現代のわたしたちにとっっても間近にあるものなのかもしれない。

 

東京の「時層」を感じさせてくれる洒脱なエッセイ

お次はエッセイから。『さらば東京タワー』 (東海林 さだお・著/文藝春秋・刊)である。

 

言わずと知れたユーモア漫画、ユーモアエッセイの雄による著作であるが、身構えていてもついつい笑わされてしまう。東京スカイツリーがお目見えしたタイミングで東京タワー見物に向かう表題作の他、天ぷら屋さんの大将をめぐる謎(『狂宴? 天ぷらフルコース』)や、自由気ままに振る舞い、なんとなく不合理なことをしているように見える掃除機ルンバを会社の部下に見立てて上司への同情心を吐露する(ロボット掃除機ルンバを雇う)などなど、笑い所満載である。個人的には、投げ売りが常態化している缶詰に同情して同志と慰労会を行ない様々な缶詰に舌鼓を打つ話(缶詰フルコースの宴)も好きである。

 

個人的に、東海林さだお作品は異文化コミュニケーションのつもりで読んでいる。

 

それはそうだ。著者さんは1937年生まれ。わたしが1986年生まれだから約半世紀も見ている景色が違う。東海林さだお作品を読んでいると、わたしが肌で味わうことの出来なかった日本社会の姿が見える気がするのである……というのはやや大袈裟だろうか。たぶん、わたしと同世代の方は似たような感想をお持ちになることだろう。

 

本書を読むと、なくしてしまった東京の幻景が見えてくるかもしれない。

 

東京の凸凹を目で見て楽しむ地図帳

最後は、多分この選書では初であろう、地図帳からのご紹介。『東京23区凸凹地図 (高低差散策を楽しむバイブル)(昭文社 地図 編集部 (編集) 昭文社)である。

 

東京にお住まいの方なら首肯していただけるだろうが、東京二十三区はアップダウンの激しい地域である。大小様々な川が流れて数多くの谷が生まれ、その上に町を広げてきた、それが東京という町の姿なのである。

 

本書は地図を眺めていただけではわかりづらい町の高低を描き込み、さらには坂や暗渠、地形に関係するランドマークの豆知識を記載した異色の地図帳となっている。個人的には大田区丸子橋の近くにある浅間神社のキャプションに、『シンゴジラ』のタバ作戦の舞台になった旨の記載があったことに思わず噴き出してしまった。とにかく色々と細かく、ぱらぱら眺めているだけでも発見がある。東京にお住まいの方はもちろん、そうでない方も、坂の町東京の魅力を味わって頂ければ幸甚である。

 

 

東京生まれの東京育ち、つまりわたしにとって東京は故郷といっても過言ではない。いや、正確には東京西部生まれだから「過言だろ」と怒られそうではあるが……。いずれにしても、己の近くにあるものほど、その特質を捉えがたいものだ。

 

日本の全人口の十パーセントが暮らす東京。それだけに無個性に思えるかもしれないが、一皮剥いてみると、町としての個性が見えてくる。この選書を通じて東京の持つ顔にお気づき頂けたなら、選書者としてはこれ以上ない喜びである。

 

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『北斗の邦へ跳べ』(角川春樹事務所)

 

『チェーンソーマン』『逃げ上手の若君』から『文豪たちの関東大震災体験記』まで—— 歴史小説家が選ぶ「陰謀」をめぐる5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「陰謀」。玉石混交の多量な情報の海の中で、真実が何か見えづらくなっている今日。自らのリテラシーを高め「陰謀」に踊らされないためにも、谷津さんの選ぶ5冊を参考にしてみてはいかがでしょうか?

 

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きな臭い時代ですなあ、と、ついため息をつきたくもなる日々である。

 

インターネットブラウザを開いてみれば不確かな情報がこだまとなってねじ曲がり、また違った方向に響きゆく。そしてもはや元の音と無関係の雑音となってわたしたちの耳を苛むようになる。

 

コロナ禍の長期化、それに伴う社会の行き詰まりや先行き不透明からくる不安が噂を生み、やがて虚報となって文字化される。現在の苦しみが裏打ちされた情報は時に犯人捜しに人を駆り立て、「この状況は誰かが仕組んだものなのだ」という陰謀論へと成長を遂げることになる。アメリカのQアノン(アメリカの上流社会が悪魔崇拝を旨とする秘密結社に乗っ取られており、ドナルド・トランプ氏はそれら勢力と戦っていたのだとする陰謀論)も、決して対岸の火事ではない。

 

というわけで、今回の選書テーマは「陰謀」である。

 

主人公を待つ壮大な「陰謀」とは?

まずご紹介するのは漫画から。チェンソーマン (藤本タツキ・著/集英社・刊)である。悪魔の存在する世界、悪魔のポチタとともにデビルハンターをしながら底辺生活を送っていた少年デンジがある事件で死にかけ、ポチタと同化することで命を永らえることに端を発する暗黒少年漫画である。教養、規範意識に乏しく、己の本能に忠実なデンジだが、そんな彼の肖像は様々な人間関係が希薄化しつつある現代においては、逆にリアルな印象さえ受ける。ジャンプ漫画としては異色かもしれないが、時代のスタンダードといえる主人公像と言えるだろう。

 

実は本作、事態が進行するごとに、ある陰謀が明らかになる。その陰謀によって、デンジがようやく得た小さな日常が破壊されることになるのだが――。すべてを失ったデンジが結局何を得たのか。そして、何を以て本作は一区切りを迎えるのか。デンジの選んだ衝撃的な結末は、ぜひ、皆さんご自身でご確認いただきたい。

 

関東大震災の「デマ」を文豪たちはどう見たのか?

次にご紹介するのは新書から。文豪たちの関東大震災体験記 (石井正己・著/小学館・刊) である。1923年に起こった関東大震災においては多数の文筆家が被災し、出版社の求めに応じて様々な手記を書き残している。それに着目し、当時の文豪たちの声を拾い上げ、その上で関東大震災の有様を提示する一般向け書籍である。

 

なぜ関東大震災の本が「陰謀」の選書に?

 

皆さんもご存知だろう。関東大震災発生後、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「朝鮮人と主義者が掠奪強姦をなす」といったデマが横行、やがて被災者の一部が自警団を結成し、怪しい者たちを独自に取り締まり、中国人、朝鮮人、ろうあ者など、当時の日本社会におけるマイノリティが殺害される痛ましい事件が起こっている。

 

本書を読むと、文豪たちの遺した文章の中に、これらデマの横行を示唆するような記述が多々あることに気づかされる。被災者として苦しむ文豪が書き残した風聞を並べ比べていくうちに、これらのデマが陰謀論に育ち、暴挙に駆り立ててゆく過程が浮かび上がってくるのだ。

 

本書は関東大震災とともに、デマが陰謀論に育ち、社会にダメージを与えるまでの姿を間接的に描いているのである。

 

生々しくない「陰謀論」をめぐるツッコミ

次に紹介するのはこちら。と学会レポート人類の月面着陸はあったんだ論(山本 弘、江藤 巌、皆神龍太郎、植木不等式、志水一夫・著/楽工舎・刊)である。

 

2000年代初頭、「アポロは月に行っていない」という与太話がメディアで大々的に紹介されていた時期があった。

 

第二次世界大戦後、アメリカとソ連は世界の覇権国家目指して鎬を削り合っていた。特に宇宙開発競争は過熱の度を深め、アポロ計画でアメリカが月面に到達したことで一応の決着がついたのだった……。が、これらの経緯から、「アメリカが技術開発競争に負けたくない一心で、月に行ったと捏造したのではないか」という陰謀論が発生、どうしたわけか2000年代初頭の日本で再燃したという経緯なのであった。

 

本書はそんな「アポロは月に行ってない(ムーンホークス)説」の主張に歯切れのいいツッコミを入れていく本である。本書を一読するだけでムーンホークス側の荒唐無稽な主張が理解できようし、冷戦下の宇宙開発史や、ムーンホークスが生まれたアメリカのお国柄など、さまざまな知識を得ることができるだろう。

 

そして何より、数ある陰謀論の中でも生々しくないというのもいい点だろう。次また来るかも知れない陰謀論のパンデミックに備えるワクチンとして読むのも一興である。

 

 

日本史上屈指の「陰謀」はびこる時代を逃げ切れるのか?

お次はまた漫画から。逃げ上手の若君(松井優征・著/集英社・刊)である。

 

本書は鎌倉北条氏の得宗家御子であり、南北朝動乱の時代に独特の光彩を与えた北条時行(ほうじょう ときゆき)を主人公にした歴史漫画である。鎌倉幕府を足利尊氏らに滅ぼされ庇護者を失った時行は、人並み外れた「逃げ上手」の特性を諏訪領主・諏訪頼重(すわ よりしげ)に見出され、諏訪の地で雌伏、足利尊氏の喉元を切り裂く刃となるべく、修行を重ねる……というのが大まかなストーリーラインである。こう書くと硬派な歴史物に聞こえるかもしれないが、少年漫画の文法にきっちりと物語が乗せられている上、前述の諏訪頼重がほんの少しだけ未来が見えるという設定から、ボケ役や注釈役、現代の読者との橋渡し役を兼ねているあたり、現代のエンタメとしての打ち出しに成功している。

 

本書の描く時代は、日本史上でも屈指の陰謀はびこる時代である。この後、時行は様々な陰謀にかちあっていくことだろう(し、既にある種の陰謀に乗せられているのかもしれない)。この「逃げ上手」を武器にする前代未聞の主人公がどうこの時代の陰謀に立ち向かっていくのか、今から楽しみである。

 

個人レベルで繰り広げられる陰謀の哀しさ

最後は小説から。仮面家族(悠木 シュン・著/双葉社・刊)である。

 

妻の言いなりに振る舞う「新しい父親」、娘に詳細な日記を書かせ提出させる上、隣に住む女子高生に近づくよう命じたり、またその女子高生と喧嘩するようにと指示するとにかくヤバい母親、そしてその娘の不可解な日々を描いたミステリ小説である。

 

本書を読み進めるごとに、当然読者の疑問の目は母親へと向かう。この母親は一体何がしたいのか。一体何を企んでいるのか……、この不気味極まりない母親についてあれこれと想像が広がり、思いあぐねながらページをたぐっているうちは、著者の仕掛けた罠にしっかり嵌っている。是非とも本書が明らかにする歪なる真実に驚いて欲しい。

 

そして全体像が露わになったその時、個人レベルで繰り広げられる陰謀の哀しさと、そこに浴びせられる冷徹な結末に肝を冷やすことになる。一気読み、寝不足必至のサスペンスである。

 

 

現代においても、陰謀ははびこっていると見るべきだ。きっと、世の中のどこかで、わたしたちの目の届かないところで数々の謀がなされているのだろう。だが、それらの多くは陰湿な形で、しかも露見せぬように行なわれているものがほとんどのはずだ。

 

わたしたちは、今、誰からも確度が保証されぬ言葉の渦に囲まれて生きている。耳に飛び込んできた言葉が、果たして事実なのか、それともフェイクなのかをいちいちジャッジする必要がある。

 

そのためにこそ、過去の陰謀論を学んだり、フィクションの描く陰謀の在り方を〝接種〟しておくとよい。常日頃からそうしたものに触れていれば、設定の甘いフェイクならば見破ることができるようになるだろうからだ。

 

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『雲州下屋敷の幽霊』(文藝春秋)

『盆の国』から『お盆本 – obonbon -』『精霊流し』まで—— 歴史小説家が選ぶ「お盆」について少し考えてみる5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「お盆」。遠出が制限され、ステイホームを余儀なくされる今年、谷津さんの選ぶ5冊を参考にして、本来の「お盆」について、じっくり考えてみてはいかがでしょうか?

 

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お盆休みである。

 

作家にとっては締め切りに影響があるほかは、本を読んで原稿を書く、いつもの日々である。違いといえば、編集者からのメールやお電話がなく、割と落ち着いて仕事ができることくらいである。とはいえ、実家に帰省して仏壇に線香の一つも上げようか、というのが人情というものだが、どうやら今年は死者を偲ぶことすら難しい年になってしまったらしい。

 

今年、例のウイルス感染拡大防止の観点から、県をまたいだ移動をしないよう、全国知事会が異例の声明を発表している。これをお読みの皆様の中にも、お盆休み帰省を諦めた方もいらしたことだろう。

 

というわけで、今回の選書テーマは「お盆」である。しばしお付き合い願いたい。

 

ループし続ける「終わらない夏」

まずご紹介するのは漫画から。『盆の国』 (スケラッコ・著/リイド社・刊)である。お盆の時期になるとあの世から戻ってきた幽霊の姿が見える中学生少女の秋が、ずっと八月十五日を繰り返す時空に取り込まれ、そこから脱却するべく夏夫というミステリアスな青年と一緒に駆け回る……という筋のファンタジー作品である。

 

触りを書いただけでも本作の空気感はご理解いただけたと思う。お盆の時期特有のしめやかな雰囲気と生と死の交錯、夏と秋の同居する明るくももの哀しげなお盆の雰囲気を上記の設定が増幅し、わたしたちの眼前に立ち現れる。「ループし続ける」ことが肝となる本作は、逆説的に「変わりゆくもの」が強調される仕組みになっている。

 

何が変わっていくのか。そして、この物語がどこに向かっていくのか。是非、本作を手に取って確認していただきたい。漫画作品としては短編に分類できるだろう、全一冊の作品である。

 

名曲とのリンクも深まる自伝的小説

お盆といえば――。

 

音楽がお好きなら、グレープの「精霊流し」を思い浮かべる方もおられるだろう。わたしにとっては世代の音楽ではない(わたしの親が聴いていたはずである)が、八月のカレンダーを眺めると、あの哀感溢れるバイオリンと儚げなアルペジオの響くイントロが頭を掠める。

 

と、ここまで書いたらわたしが何を紹介したいのか、想像つく方もおられるだろう。

 

本曲の作詞作曲を務めたシンガーソングライターのさだまさしは、小説家としての顔を持っている。本日ご紹介したいのは、そのものずばり『精霊流し』(さだまさし・著/幻冬舎・刊)である。

 

本書はさだの自伝的小説と位置づけ出来る一冊である。長崎に生まれたミュージシャンの雅彦が、様々な挫折や失敗を重ねながら、ポピュラーミュージックの世界で成功を収めてゆくのと同時に、様々な知り合いや仲間たちとの別れを織り込んだ甘くも苦い青春物語である。そんな中、タイトルにもなっている精霊流しの光景が特段の存在感を放っている。

 

曲のイメージが先行しているせいで、しめやかなお祭りと誤解されがちな精霊流しの実際の様子もうかがうことができると同時に、さだが精霊流しに仮託した感情の在処にも迫ることが出来る一冊でもあり、本書を読むと、名曲の世界観理解を深める助けになることだろう。

 

甲子園がなかった君たちへ

お盆といえば甲子園、という方もいらっしゃることだろう。

 

だが、件のウイルスは甲子園にも暗い影を落とした。2020年、甲子園大会は中止となり、多くの球児が戦わずして涙を呑むことになった。

 

そんなイレギュラーな夏だからこそ世に出た一冊をご紹介しよう。『監督からのラストレター 甲子園を奪われた君たちへ』(タイムリー編集部・編/インプレス・刊)である。

 

本書は名前の通り、甲子園に出場するはずだった高校の監督が、不本意な形で夏を終えた球児に向け書いた手紙をまとめた書籍である。

 

わたしは野球オンチである。守備のポジションを数え上げると、どうしても八人までしか思い出すことができず、ああ、ショートがあったわ、と二時間後くらいに気付くくらいには野球に疎い(ショートを守っている全世界の皆様、本当にすみません)。そんなわたしが読んでも、本書には心を捉える何かがある。それは、長い間、一つの目的に向かい一緒に戦った師と弟子の紐帯を文章の端々に感じることが出来るからだろう。

 

無論、本書は指導者側から生徒に向けた一方的な書簡集であるからして、本書に横溢する〝美しさ〟を鵜呑みにするわけにはいかないのだが、一方で無視することも難しい。

 

ある種の留保はお勧めしながらも、本書の一文字一文字に籠もった力強さは唯一無二である。

 

アイスランドと日本を「お盆」でつなぐ

次は奇書といってもいい本かもしれない。

 

お盆本 – obonbon –』(お盆研究会・著/to know・発行)である。有志メンバーにより結成されたお盆研究会によるお盆調査報告書――と書くと、「なんだ、珍しくもなんともないじゃないか」とお思いの方もいるだろう。いやいや、様々な地域のお盆的な習慣を比較しているんです、とわたしが説明を重ねても、なおも「いや、よくあるコンセプトだろう」といぶかしむことだろう。

 

本書の凄さは、比較対象のぶっ飛びぶりである。岩手県遠野、岐阜県郡上。うん、ここまではわかる。だが、なんとこの二つと共に比較対象の俎上に載せられるのが、アイスランドのお盆的習慣なのである! 日本とアイスランド。ほとんど文化的交流はなく、互いが影響したはずはなかろう。だが、遠野、郡上、アイスランドのお盆的習慣を四つのキーワードから読み解いてみると、不思議な一致、というか、共通の心象風景が見えてくるような気がするから不思議だ。そして、見慣れないアイスランドの祭りを通じ、わたしたちの側であるお盆を相対視することにも繋がり、自分たちの側にあるはずの風景が別の色彩でもって立ち上がってくる。

 

そんな頭でっかちな所感は抜きにしても、本書は写真が多く、パラパラ眺めているだけでも幻想的な風景を楽しむことができる。見慣れないアイスランドの祭りはもちろんのこと、お盆というわたしたちが既知であるはずの風景をも、未知の側に寄せられてしまったかのような心地を残す本である。

 

沖縄・日本・アメリカ・お盆

最後は小説から。『宝島』(真藤順丈・著/講談社・刊)である。

 

山田風太郎賞、直木三十五賞、沖縄書店大賞を獲得した本作は、冷戦という時代の枠組みによって収奪されてきた現代の沖縄を舞台にした小説である。

 

アメリカと日本の狭間に揺れる沖縄を舞台にした本作は、時に大胆にエンターテインメントの文脈を用い、その下に生きる沖縄の精神性をあぶり出している。とともに、半ば無関心、無自覚に沖縄から収奪し続けている本土人のわたしたちにとっても、本作の問いはあまりに大きいと言わざるを得ない。実に堂々たる沖縄文学作品であると言えよう(そしてやや楽屋裏的な話ではあるが、本作のスタンスは実に歴史小説的であり、若手歴史小説家の間でもすごい歴史小説が出た、と戦慄が走った一作でもある。歴史小説ファンにもお勧めである)。

 

さて、沖縄を舞台にしている本作をなぜ「お盆」のテーマで紹介するのか――。きっと、本書をすべてお読みになった時、わたしの意図をご理解いただけるのではないかと思う。この選書を通じて手に取られた方は楽しみにしていてほしい。

 

 

季節感が失われた、と嘆く声は根強い。

特に今年はイレギュラーである。なおのこと、季節を感じづらいかもしれない。

だが、わたしたちは言葉を持っている。そして、言葉を通じて季節を感じることが出来る。

ステイホームの夏だからこそ、言葉で季節を感じようではないか。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『雲州下屋敷の幽霊』(文藝春秋)

筋トレ、怪談、水族館—— 歴史小説家が選ぶ、今年の「夏」をひと味違うモノにするための5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「夏」。引きこもりを余儀なくされる今年の夏。谷津さんの選ぶ5冊を片手に特別なものにしてみるのはいかがでしょうか?

 

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今年も夏がやってくる……のである。

 

あれ、この前夏の終わりに立ち会ったばっかりじゃなかったっけ? そんな感慨に襲われているのは、なにもわたしだけではあるまい。大人になってから、とみに時の流れが速くなっている気がする。このまま体感時間が速くなっていき、ついには月の運行まで目視できるようになるのだろうか……って、これ、藤子・F・不二雄のSF短編そのまんま(「光陰」)である。

 

とにかく、夏である。コロナが蔓延してようが、とてつもないビッグイベントが開催されようが、刻々と時を刻むのが自然なのである。

 

というわけで、今回の選書テーマは「夏」である。

 

古典のみに許された入れ子構造の「エモさ」

夏と言えば花火。花火といえば――。まずご紹介するのはこちら。『花火・来訪者 他十一篇』 (永井荷風・著/岩波書店・刊) である。

 

表題作を紹介したい。東京市欧州戦争講和記念祭の花火の音を聞いた永井荷風が、ふとそれまで自分が経験してきた新しい祭りの光景を思い出す、そんな随想である。その中で描かれるのは、前近代から近代へと少しずつ作り替えられていく世の中の諸相であり、その変化を前に立ちすくみ哀悼を捧げる一人の物書きの後ろ姿である。現代語に「エモい」なる言葉があるが、表題作の目指すそれは、まさしく「エモい」なのである。永井の詳細な筆によって切り取られた当時の風俗こそがこの「エモさ」の正体である。

 

そして、現代の我々からすれば、本作は著者にとっては想定外の「エモさ」が付与されているといえるかもしれない。永井荷風が佇む憂いの「今」もまた、わたしたちにとってはノスタルジアの対象となっている。現代人にとって本作は、ノスタルジアの時代に生きる人間の抱くノスタルジア、という入れ子構造になっているのである。これは読み継がれた古典のみに許された味であるといえよう。

 

水族館の「推し」が探せるガイドブック

夏と言えば海。海と言えば水族館。というわけで、お次にはこれを紹介しよう。『水族館めぐり』(GB・刊)である。

 

本書は日本中にある人気水族館の看板動物を紹介する本である。水族館案内と一線を画しているのは、各水族館の人気個体を名前と共に紹介していることだろう。

 

昔からそういう側面はあったが、ここのところ、動物園や水族館においても「推し」の概念が浸透したように思う。特定の個体に愛情を向け、一日中その個体に張りついているファンや、動物園・水族館の動物をある種のキャラクターと見なし愛でる鑑賞法が徐々に一般化してきているのだ。

 

本書はそんな風潮に合わせ、「推し海獣・推し魚」を見つけやすいよう、より個体それぞれの魅力に迫った一冊になっている。本書を読んでいると、実際に動いているところを見たくなること請け合いだ。

 

コロナ禍の今、なかなか水族館にも足を運びにくい。だが、コロナ禍もいつかは終わる。コロナ明けに水族館推し活をしたいあなたに。あるいは、デートプランや家族サービスプランを練るための一冊としてもお勧めである。

 

引きこもらざるを得ない夏だからこそ「筋トレ」を

夏と言えば男女問わず薄着になって露出が増える。そうなると気になるのは体型である。とはいえ、食事制限などしようものならストレスは溜まるし、最悪夏バテで倒れかねない……。

 

というわけで、こんな本はいかがだろうか。『筋肉を最速で太くする』(広瀬統一・著/エクスナレッジ・刊)。本書はなんといってもパンチある表紙と直截極まりないタイトルが目を引くが、実際に、めちゃくちゃ実用的な筋トレ本である。なにを隠そう、わたしも去年辺りから肉体改造に勤しんでいるのだが(小説家もPC前で長い間同じ姿勢を取るため、腹筋や背筋は必要不可欠である)、本書は非常に助けになった。

 

本書は筋肉のつくメカニズムや体型に関する基礎知識から話を始め、筋肥大を促すために大事なこと、効率のよい運動法など、理論面からの解説がなされモチベーションアップ。その後、様々なトレーニング法に従いステップアップしてゆけば、最終的にはバッキバキの筋肉が手に入る寸法である。

 

なお、わたしはあまり筋肉がつきやすい性質ではない上、諸般の事情で自重トレーニングしかできないのだが、それでも本書を参考に筋トレを続けた結果、筋力が着々とついてきていると付言しておこう。

 

今年はまだ、水着姿を披露する夏とはならないだろう。だが、引きこもらざるを得ない夏だからこそ、体型維持、肉体改造に目を向けてみてはいかがだろうか。

 

夏の終わりのアンニュイさが漂う傑作SF漫画

夏にはなんとなくもの悲しさがある気がする。そんなわたしの感覚に頷けるあなたにお勧めなのが『ヨコハマ買い出し紀行』 (芦奈野ひとし・著/講談社・刊) である。えっ、今更こんな有名作品を紹介するのか、とお叱りを食らいそうであるが、いい本なのだから仕方あるまい。

 

本書は人類文明が滅びに向かっている時代(本書においては「のちに夕凪の時代と言われるてろてろの時間」と称呼される)に生きる人々の姿を、女性型ロボット・アルファの目から活写したSF漫画である。

 

誤解ないように言っておきたい。本書は夏の光景ばかりが描かれているわけではない。アルファの目を通じて描かれるのは、滅び行く時代の四季折々を「てろてろ」生きる人々の姿だ。だが、一読者としてのわたしは、本書に夏の気配を感じてしまう。

 

本書に描かれる「滅び」は破局的なものではなく、言うなればそれは老衰のような、いや、あるいは線香花火がぽっと下に落ちるかのような、穏やかなるものと示唆されている。その有様が、夏の終わりに漂うアンニュイさに似ている気がするのである。

 

そんなわたし個人の読みはさておき、破局直前の寂寥と、そんな時代にあっても存在する人間の普遍とが入り交じる傑作SF漫画である。未読の方は是非是非。

 

怪談の裏にある闇を顕現させるホラー作品

夏と言えばホラー。ホラーと言えば怪談――。というわけで、こちらを紹介しよう。『カイタン 怪談師りん』 (最東対地・著/集英社・刊) である。本作は怪談を大きなモチーフに置いた新感覚ホラー作品である。

 

著者である最東対地はサスペンスホラーと現代的な作劇技法を組み合わせたスピード感溢れる作品群で知られるホラー作家だが、一方で『異世怪症候群』(星海社)のような「語り物・テキストとしてのホラー」にも強い興味を有している。本作は、そんな著者の二つの作家性を閉じ込めた一冊と言えそうである。

 

本書は妹を神隠しで失った少女、りんが怪談師の馬代 融と出会い、妹の神隠しの真相に迫っていくというサスペンス的な味も強い一冊でもあるが、その一方で、「怪談とは何か」「怪談というフィクションの裏側にある真実」に対する思索が見え隠れしている。怪談というフィクションの裏側に存在するノンフィクション性を作品の中で解いてみせることで、作中の恐怖をわたしたちのすぐ側まで拡張しているのである。

 

わたしたちが何気なく聞いている怪談、実はその裏側にはとてつもない闇が広がっているのかもしれない。本書の提示する怖さは、それまでは少しも感じることのなかった闇を殊更に色濃く見せること、なのかもしれない。

 

 

わたし個人、あまり夏は好きではなかった。

 

まあ、皆さんもお気づきの通りの陰キャ街道まっしぐらな青春を送ってきたわたしが夏を好きになれる道理はないのだが、齢三十五を重ね、嫌いではない、くらいの距離感にはなってきた。それもこれも、本を通じて夏の歳時記に触れてきたがゆえのことだろう。

 

夏が好きなあなたも、そうでないあなたも、本で夏を感じるというのも乙なので是非、と元夏嫌いとしては申し上げる次第である。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『吉宗の星』(実業之日本社)

池波正太郎のファンタジーから数学オリンピックまで—— 歴史小説家が選ぶ「オリンピック」の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「オリンピック」。開催か中止か、はたまた延期か。世界を巻き込んだ論争となっていますが、こんな時だからこそ「オリンピック」についてじっくり考えてみませんか?

 

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今年の夏、オリンピック、パラリンピックが開催されるらしい。ほんまかいな、と慣れない大阪弁でツッコミをしたくなるのは、なにもわたしだけではあるまい。

 

わたし個人としてはオリンピック種目の中に好きなスポーツがいくつもあるし、できることなら観戦したいところなのだが、現状を思うと気が重くなる。オリンピック、パラリンピックを推し進めたい人々の気持ちも分からないではない。人はウイルスでも死ぬが、経済的な困窮でも死ぬ。オリンピック、パラリンピックを巡る混乱の多くは、煎じ詰めると異なる価値観、異なる人生観の衝突なのだろう。

 

人が不安や不快を感じるのは、目の前にあるものが未知の存在であったり、不可解なものだからである。それらの負の感情を取り除くためには、「知る」ことが何よりの処方箋となる。

 

というわけで、今回の選書テーマは「オリンピック」である。

 

古代と近代——2つの五輪の相違と相似

オリンピックと聞いてわたしたちの多くが思い浮かべるのは、いわゆる近代オリンピックである。このスポーツの祭典に元ネタがあるのをご存じの方も多いことだろう。そう、古代オリンピックである。では、その古代オリンピックがどんなイベントであったのか、おぼろげにしかご存じでない方もいらっしゃることだろう。

 

そうした方にお勧めしたいのが、『古代オリンピック 全裸の祭典』 (トニー・ペロテット・著、矢羽野薫 ・訳/河出書房新書・刊)である。本書は文学作品や考古資料、史書などから古代オリンピックの記述や痕跡を拾い上げ、古代オリンピックの諸相に迫った本である。

 

本書の描き出す古代オリンピックの姿は、驚きの連続である。古代オリンピックは近代オリンピックとは精神の在り方がまったく違う(詳しくは本書を手に取っていただこう)。一方で、片やギリシア世界における世紀の祭典であり、片や全世界における空前の祭典となった二つのオリンピックにはあまりにも相似点が多い。

 

繰り返しになるが、古代オリンピックと近代オリンピックは立脚点がまるで異なる。にも拘わらず、なぜこんなにも鏡写しなのか――。同じイベント名を冠したことによるものなのか、それとも――? そんな感慨に襲われる本である。

 

“いだてん”金栗四三の実像に迫る

次に行こう。皆さんは金栗四三(かなくりしそう/かなぐり・しぞうとも)をご存じだろうか。大河ドラマ『いだてん』をご覧になった方は中村勘九郎の好演を覚えておられる方も多いかも知れない。一般には、1912年のオリンピックストックホルム大会のフルマラソンに出場したものの行方不明扱いとされ、戦後になってストックホルム大会55年式典の際に金栗にゴールテープを切らせる企画が催され、54年8か月6日5時間32分20秒3という前人未踏のマラソン〝記録〟を打ち立てた、という、トリビア的な逸話で知られていよう(わたしもこの逸話で知ったくちである)。

 

だが、逸話は往々にしてその人物の実像を覆い隠してしまう。だからこそ、この本をおすすめしたい。『金栗四三 消えたオリンピック走者』 (佐山和夫・著/潮出版社・刊)である。本書は名前の通り金栗四三を主人公においたノンフィクションであり、ストックホルム大会とその後の55年式典に焦点を置いて語られがちな金栗の人生を丁寧に追っている。本書は金栗だけではなく、彼が生きた時代や当時の近代オリンピックの在り方、今でも金栗を顕彰し記憶に留め続けるストックホルムの街、彼と同時代に生きながら忘れ去られた選手にまで筆を伸ばし、金栗四三という一人のスポーツ選手・スポーツ教育者のみならず、近代オリンピズムの在処にまで迫っている。

 

池波正太郎のファンタジー小説!?

次は、こちらをご紹介しよう。『緑のオリンピア』 (池波正太郎・著/講談社・刊) である。池波正太郎といえば『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』などの代表作を持ち、歴史時代小説の黄金期を支えた一平二太郎の一角を占める作家として有名であるが、実は現代小説も上梓している。本書はそんな現代小説作品で、しかも、表題作はファンタジー作品である。

 

三段跳びの選手である「僕」が、昭和28年、18歳で迎えた全日本インターハイ大会で妖精(フェアリ)のセリナ・マネットと出会うところからこの話は始まる。……いや、嘘ではない。本当にこんな導入なのである!

 

だが、「僕」は決して恵まれた選手生活を送ったわけではなかった。家が貧しかったことや諸般の事情もあり、「僕」はデパートの店員に就職し、社会人の立場でメルボルンオリンピックを目指すことになる。しかし、仕事との両立に悩み、肝心の記録も伸びない。なのだが――。

 

この作品を読むと、妖精という怪力乱神が語られているにも拘わらず、いや、そうであるがゆえに、ディテール部分の土臭さが目立つ。「僕」の社会人としての苦衷などは、今、ビジネスパーソンとして過ごしている皆さんにも刺さるところがあるのではないだろうか。だからこそ、唯一のファンタジー要素である妖精セリナの存在が大きくクローズアップされる仕掛けになっている。

 

本作は、かつての日本人が抱いていたオリンピックの夢を閉じ込めた作品のようにも思える。現代っ子であるわたしにとっても、本作に描かれている「僕」のひたむきな夢は、実に眩しい。

 

「知のスポーツ」チェスを巡る冒険

皆さんは、オリンピックに選ばれそうで選ばれていない種目の一つに、チェスがあることをご存じだろうか。

 

日本においては盤上遊技と認識されているチェスだが、西洋においては知的スポーツとして扱われており、それゆえに、オリンピック種目化の議論が時折なされるようである。2018年の平昌冬期五輪においてデモ種目として採用されるという憶測が流れたこともあり、2024年のパリ夏季五輪でもデモ種目としての採用が一部で取り沙汰されているという。

 

新たな五輪種目となるかもしれないチェスを、やや内角攻めで知ることのできる一冊といえば本書だろう。『謎のチェス指し人形「ターク」』(トム・スタンデージ ・著、服部 桂 ・訳/NTT出版・刊)である。本書は18世紀、突如として西洋社交界に現われたチェス〝ロボット〟タークを扱った本である。

 

自ら手筋を計算してチェスを指すという触れ込みのこのターク、途轍もなく強かったらしい。西洋社交界を飛び回り、数々のデモンストレーションや勝負を繰り広げた。しかも、種も仕掛けもありません、とばかりに、タークの下にあった机を開けて見せ、中に人が入っていないことを証明してみせるのが常であったという。

 

無論、現代人であればこれがいかさまであることは想像がつくところであろう(本書の著者も中に人間が入って操作していたのだろうと推測している)。しかし、本書はこのタークの存在が、人間にあらざるものがチェスを指すというコンセプトを形作り、のちのチェスAIに結びついたと論じる。

 

18世紀に生まれた大きな嘘が、21世紀に夢として結実する。想像と夢を巡る一冊とも言えよう。

 

天才達が集う「数学オリンピック」に挑む秀才

最後は漫画から。『数学ゴールデン』(藏丸竜彦・著/白泉社・刊)である。本書は数学オリンピックを目指す高校生たちの群像を描いた青春漫画である。

 

若者たちが自分の能力や才能を燃やし、コンプレックスや無力に囚われながらも、それでも見えない壁に挑み続ける姿のなんと美しいことよ。本書は「高等数学を解く」という絵的に地味になりがちなモチーフを魅力的に、かつ大胆に描き出すことに成功している。

 

この作品には様々なタイプの人々が登場する。だが、主人公である小野田春一が、天才とは程遠い秀才として描かれているのが何よりもいい。春一は高校の学年総代になることができるくらいの学力は有しているが、数学オリンピックに必要とされる天才性には恵まれない不器用な人物として描写されながら、数学の楽しさを知っている。だからこそ、本作の主役なり得る魅力を有した人物となっているのである。

 

2021年5月現在2巻まで刊行と、非常に追いやすい。手を出すなら今である。

 

 

オリンピック、パラリンピックは、夢と結びつけられることが多い。

事実、オリンピック、パラリンピックは夢であり、希望だ。それは否定できない。

だが、世の中には人の数だけ夢があり、希望があることもまた忘れてはならない。

 

いや、それをもってオリンピックやパラリンピックを否定するつもりはない。わたしが言いたいのは、自らの立場で以て誰かの夢を頭から否定してはならないということだ。それを是とすれば、己の夢も誰かに踏みにじられても文句が言えなくなってしまう。

 

相手の夢を尊重した上での議論。これからわたしたちに求められているのは、そうしたしなやかな態度なのだろう。いずれにしても、気が重い話ではあるのだが。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『吉宗の星』(実業之日本社)

『銀河英雄伝説』から『風光る』まで—— 歴史小説家が選ぶ「ゴールデンウィークに読む長編」5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「ゴールデンウィークに読む長編」。20年の連載を経て完結した歴史少女漫画、日本SFの金字塔であるスペースオペラ、そして(1冊で完結する)ミステリーやファンタジーなど、谷津さんが選んだ5冊で、あなたもステイホームの連休を楽しみませんか。

 

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世間は春の大型連休である。

 

とはいえ、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発出された地域もあり、該当外の地域でもおおっぴらに出歩く雰囲気ではなくなっている。かくして、日本社会全体が地盤沈下に呑み込まれようとしている。

 

出版業界も同様である。人の流れが止まって購買行動が鈍化すれば、わたしたちの首を絞まっていく……と、暗い話ばかりしてもしようがない。例年のように行楽に出ることが難しい。それならば、家でのんびり過ごす皆さんが多いということになる。そんなときこそ本の出番である。

 

というわけで、本日のテーマは「ゴールデンウィークに読む長編」である。お付き合い願いたい。

 

 

ついに完結した新撰組×少女漫画

まずは漫画からご紹介しよう。『風光る 』 (渡辺多恵子・著/小学館・刊)である。

 

幕末の動乱に巻き込まれた少女・富永セイが様々な事情で男装して、男所帯の新撰組に入隊、唯一その事実を知る沖田総司と交流を深めていく、という恋愛漫画的な側面もある新撰組漫画である。1997年から連載が始まり、なんと今年(2021年)完結を迎えた大河漫画でもある。

 

本作の魅力は、歴史的事実と少女漫画的なストーリーの噛み合いだろう。

 

本作は主人公セイと沖田総司の恋愛(途中からこの二人だけの関係だけではなくなるのだが)が主軸となっていくとともに、新撰組が直面した様々な歴史的事実にセイたちが振り回される物語でもある。そんなストーリーを下から支えるのは、徹底的にリサーチされた歴史考証である。たとえば、本作における沖田総司は池田屋で喀血しない。新撰組の物語において、沖田総司が池田屋事件の際に喀血するのは、後の彼の人生を暗示させる伏線であるが、本作においては沖田総司がこの時期に血を吐くのはおかしいということで、喀血エピソードが割愛されている。

 

この例のように本作は怪しげな巷説(こうせつ)を退け、蓋然性の高い歴史を描こうという意欲に満ちているのだが、これはあくまで「女が新撰組に入隊している」という大嘘を成立させるためのリアリティ確保、つまり、物語に貢献するための工夫なのである。

 

こんな堅苦しい話は抜きとしても、皆さんには是非、セイと総司の物語の行方をチェックしていただきたい。

 

和製スペースオペラの大傑作

次は大長編小説から紹介しよう。『銀河英雄伝説』(田中芳樹・著/複数版あり)である。

 

言わずと知れた人気SF・スペースオペラ作品であり、幾度となくメディアミックスされてきた有名作品である。なぜ今更本書を? そういぶかしむ向きもあるだろうが、どんな素晴らしい作品・売れた作品でも、未読の人も数多くいるはずである。その一点において、この選書で触れる意味があると確信している。

 

本作は遠い未来の宇宙で繰り広げられている、銀河を股にかけた国家の攻防を描いたスペースオペラ作品である。そのスケール感は確かにSF的であるが、実は本作、読み進めていくとむしろ戦記・歴史小説的な読み味であることに気づかされていく。

 

古き専制国家の銀河帝国、腐敗しかけた民主国家である自由惑星同盟、そして二者の間に立ち上手く独立を維持しているフェザーン自治領、そして人類の母星である地球への帰依を説く地球教……。これらの勢力が、時に軍略、時に政略、また時に交易、さらにはテロリズムと様々な手段を以て戦いを繰り広げていく様は、さながら中国の史書を読んでいるような胸のすきを覚える。

 

これは何といっても、本作に登場する人物たちの魅力によるものだろう。主役級とされる銀河帝国のラインハルト、自由惑星同盟のヤン・ウェンリーを始め、本作には知将、猛将、謀将、政将、愚将……様々な将星が輝き、所々で強い光彩を残す。軍人だけではない。政治家や役人、民間人たちもまた、その時々で強烈な印象を読者に残し、銀河の歴史を鮮やかに染めていく。

 

(版によりばらつきはあるが)本伝で全十巻。一日に一冊読むとすれば十日である。これまでなんとなく本作に手を伸ばしそびれていた皆様、ぜひ、この休みを機に銀河の英雄たちの群像に浸っていただけたら幸いである。

 

人の願いや思いが未来に連なる物語

次にご紹介するのは『ジュリーの世界』(増山 実・著/ポプラ社・刊)である。

 

かつて京都にいた、河原町のジュリーと呼ばれたホームレスを描いた小説である、と書くと語弊があるかもしれない。というのも、本作において河原町のジュリーはほとんど登場せず、同じ町に生きている人々の視点から僅かにその姿が描かれるに過ぎないからだ。

 

だというのに、本作は河原町のジュリーを描いた小説となっている。なぜか。それは、河原町のジュリーが存在する/存在したことを肯定していた人々の姿をそこに描いているからである。

 

本作の登場人物たちの多くは河原町のジュリーが町に存在することを了解し、日々、生きている。本作においてメインの視点人物といっても過言ではない人物が、本来はホームレスを取り締まる立場の警察官であるのは、象徴的であるといえる。

 

河原町のジュリーはそこにいるだけではない。町の人々にわずかばかり影響を与えている。そして、河原町のジュリーもまた、町に影響を受けて生きている。あくまで些細な関係、潮汐力に過ぎない。だが、そんな密やかな何かが積み重なり、未来へつながる力学が生まれる。

 

本作は、河原町のジュリーという一個の人間にフォーカスすることで、人の願いや思いが未来に連なっていく姿を描いた小説であると言えるのである。

 

江戸の同心が戦国で探偵に!?

次にご紹介するのは『鷹の城』(山本巧次・著/光文社・刊)である。現代と過去を行き来することのできる女性、優佳(おゆう)を探偵役にした『八丁堀のおゆう』(宝島社・刊)、明治初期の鉄道事情を下敷きにした『開化鐵道探偵』 (東京創元社・刊)などの時代ミステリー作品で知られる著者の最新作である。

 

戦国時代の天正六年、織田信長による播磨攻めの最中、織田に圧迫されていた小領主の城で殺人が起こり、その謎を追うミステリ作品になっている。

 

本作の工夫は、何と言っても探偵役である。なんと、江戸時代に江戸の町を駆け回っていた、町奉行所の同心が探偵役なのである。

 

どういうことか。南町奉行所の役人である瀬波新九郎が、ひょんなことからタイムスリップをし、天正六年の播磨に飛ばされてしまうのである。つまり本作、江戸時代人が戦国時代に飛ばされる、という、変格タイムスリップものなのである。

 

江戸期の人物の視点が入ることによって、戦国時代の特殊性や江戸期までに廃れた作法、戦の時代の空気感を体感的に提示することに成功している。作品の臨場感を高めると共に、探偵役としての特殊性をも担保する、鋭い奇手である。

 

普段ミステリや時代小説をお読みでひねった作品を読みたいという方はもちろん、純粋にエンターテイメントをお求めの皆さんにも。

 

現代日本でマルコ・ポーロと旅に出る!?

最後はこちらを。『大江いずこは何処へ旅に』 (尼野 ゆたか・著/二見書房・刊) である。

 

彼氏に振られて傷心の中にある大江いずこが、ひょんなことから怪しげなネックレスを売りつけられ、その中に閉じ込められていたマルコ・ポーロと共に旅に出る、ファンタジックな設定を有した小説である。

 

本作の魅力は、とにかく「旅」にこそある。

 

マルコ・ポーロといえば『東方見聞録』を著したことでも知られる、世界を股にかけた旅人である。そんなマルコ・ポーロをどこかすっとぼけていて、親しい友人のような愛嬌ある人物として造形したのは、本作の成功であろう。そんなマルコとの珍道中がつまらないはずはなく、インタラスティング(=興味深い)で、ファニー(=おかしみ)がサンドイッチになった旅が描かれる。まさにこれは、気のおけない仲間たちとの旅の光景そのものである。

 

大型連休といえば旅がつきものだが、今、旅行も難しい情勢だ。仮に旅行に行ったとしても、食べ歩きやちょっとした触れ合いなどの場面で躊躇があったりするかもしれない。だが、本作は実際に旅に行った気にさせてくれる、そんな力に満ちている。なかなか外出の難しい今だからこそ、お勧めしたい。

 

今年の大型連休は、例年とはまったく様相が異なる。

はっきり言って、誰にとっても好ましからざる事態である。

だが、いついかなる時にも、本はある。本の魅力は、その普遍性にもあるのだとわたしは思う。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『小説 西海屋騒動』(二見書房)

『戦争は女の顔をしていない』から『呪術廻戦』まで—— 歴史小説家が選ぶ「ジェンダー」を学ぶ5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「ジェンダー」。谷津さんが選んだ硬軟取り混ぜた5冊で、あなたも、この問題にしっかり向き合ってみませんか。

 

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ジェンダーバイアスを巡る話題が、止まらない。連日のように報道される有名人によるミソジニー(女性嫌悪)的な言動、インビジブルな男女間格差、そして、この話題を政治・思想の問題と限定して語る人々……。

 

わたしにも無論、思いや考えはある。とはいえ、わたしは小説家である。小説家であるわたしが何かを発信する時には、テキストで語るのが常。というわけで、今回の選書テーマは「ジェンダー」である。

 

ただ、今回はテーマがセンシティブなため、一つ、注意を述べておきたい。

 

わたしの選書は、あくまで「ジェンダーにまつわる何かがモチーフとなっている」本を取り上げている。主題が別のところにある書籍を選んでいる場合があるが、ジェンダーという論点が、身近なものに含まれていることの裏返しであると捉えて頂ければ幸いである。

 

常に主体的な、新たなエンタメの女性像

まずご紹介するのは漫画から。『呪術廻戦』 (芥見下々・著/集英社・刊) である。本書は言わずと知れた呪術・呪力がモチーフの異能バトル漫画であり、既に社会現象的な人気を博している作品である。今更本書を紹介するのも気が引けるのだが、ジェンダーを巡る本、という視点から眺めると、また違った様相が見えてくる。

 

本作の女性陣の描かれ方は色々だが、常に主体的であり、トロフィーワイフ的な描かれ方はしていない。一番わかりやすいのは、主人公虎杖悠仁(いたどり ゆうじ)の傍にいる釘崎野薔薇(くぎさき のばら)であろう。この登場人物は決して「男たちの帰りを待つ女」ではない。自らの目的の元に戦場に立ち、体を張って戦っている。そんな野薔薇にはいわゆる「女の子っぽいもの」が好きという設定があるが、それすらも、「自分のために」選び取った志向であることが作中で明言され、様々な行動の動機に連動している。そしてジャンプ読者はその野薔薇のあり様を支持しているのである。

 

エンタメにおける女性表象の在り方として、現代的な落ち着き処の一つを体現した漫画であると言えよう。

 

 

「女性の献身」その美談の裏にあるもの

次は歴史小説作品から。『華岡青洲の妻』(有吉佐和子・著/新潮社・刊)である。『悪女について』『紀ノ川』『連舞』などの傑作小説で知られる作家の代表作である。

 

華岡青洲をご存じだろうか。江戸時代後期の医者で、西洋に先んじること40年、全身麻酔「通仙散」の開発、これを使用した乳がんの摘出手術に成功した人物である。華岡青洲には、一つの〝美談〟がある。全身麻酔薬「通仙散」の開発中、動物実験までは上手くいったものの、臨床実験を行なうことが難しかった。これを見かねた青洲の妻と実母が自ら実験台になることを申し出て、臨床データを得ることに成功、その上で「通仙散」の開発にこぎつけたというものである。本書はその〝美談〟をモチーフにしているのだが……。

 

本書で表面的に描かれるのは、女たちの献身、そして、意地の張り合いである。息子・夫のために身を捧げる女の戦いが紙幅の多くを占め、華岡青洲その人の印象はむしろ薄いといってもいい。だが、嫁姑の愛憎の末、作品も終局に至ろうとする場面になって、華岡青洲の存在感がいや増してくる。

 

詳しくは本書に譲るが、女というジェンダーに縛りつけられた女性たちの思いや、エネルギーを収奪することで成立する江戸社会――あるいは現代社会――の姿を告発しているのではないか、とも読めるのである。

 

 

男性もまた、「男らしさ」の檻に囲まれている

さて、次はこちらを。『男らしさの終焉』(グレイソン・ペリー ・著、小磯洋光 ・訳/フィルムアート社・刊)である。

 

本稿をお読みの男性読者の方は、こう考えてはおられないだろうか。ジェンダー問題っていうけど、結局男には関係ない話題なんじゃないの? ジェンダー問題は女性が割を食って男性が得をするシステムだから、男の自分からすれば得だよ、と。そんな思い込みを粉々に粉砕するのが本書である。

 

社会が求める女性像が女性を縛りつけるように、社会が求める男性像もまた、男性を苦しめる面があるのである。

 

男性もまた、「男らしさ」の檻に囲まれている。

男性にとっても、ジェンダーは他人事ではない。

 

もしかすると、男性のあなたが今、生きづらさを感じているとするなら、それは制度化・形式化された男らしさについて行くために必死だからかもしれないのだ。本書は、今ある枠組みを疑う大切さを教えてくれる本でもあろう。実は、わたしが「男性のジェンダー」について考えるきっかけをくれたのが本書である。感謝を込めてご紹介。

 

 

ジェンダーと戦争

次は古典作品を。『戦争は女の顔をしていない』 (スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ・著、三浦みどり・訳/岩波書店・刊)である。最近漫画化もされている(小梅けいと・作画/KADOKAWA・刊)ので、そちらを手に取っておられる方も多いだろう。

 

本作は、第二次世界大戦中の東部戦線を巡るルポルタージュ作品である。ナチス・ドイツとソビエトとの戦争である東部戦線において、防御に回ったソビエトは、多くの女性を戦争に動員した。工場勤務や後方支援は元より、前線での狙撃任務や破壊活動に当たった女性たちもあった。そうしたひとびとにフォーカスを当てた作品である。

 

本書が剔抉(てっけつ)するものはあまりに多岐に亘っており、一口で述べることは難しい。国家総動員戦争の悲惨さであり、大きなものに蹂躙される小さなものたちの記録であり、苦しい局面にあってもなお存在する人間らしいひとときの輝きであり……。読み返す度に発見がある。

 

だが、本書において強く浮かび上がるモチーフの一つは、やはりジェンダーであろう。現代でこそ払拭が進んでいるとはいえ、軍隊は古今東西、男の園でありつづけた。第二次世界大戦中も、もちろんそうである。そんななかに、女性という異なるジェンダーのグループが入ったらどうなるか――。本書はそんな現場の混乱や困惑、そして戦争遂行という大義と軍内の秩序のために否応なくジェンダーを凍結させられてゆく女性たちを描いているようにも見える。

 

 

「普通」からはずれて生きること

最後にご紹介するのはこちら。『水を縫う』(寺地はるな・著/集英社・刊)である。この著者は「普通であること」「人並み」から外れた人々の群像をモチーフにしてきた作家だが、本作もその一冊で、「普通であること」からちょっと外れた一家の、危うくもしなやかな繋がりを描いた連作短編集である。

 

普通。この二文字ほど危険な言葉はないかもしれない。この言葉の裏には、「正しいとされるロールモデル」が顔をのぞかせる。そしてそれは往々にしてわたしたちの個性とバッティングし、摩擦を起こす。その摩擦熱を駆動力に物語を紡いできたこの著者が、ジェンダーをテーマに取るのは当然の成り行きといえる。

 

本作主人公格である清澄は裁縫を趣味としており、それゆえに「男らしさ」のジェンダーモデルからはみ出している。その姉の水青は過去の体験から「かわいい」という価値観――「女らしさ」のジェンダーモデルに違和感を抱いている。そんな水青のために清澄がウエディングドレスを縫おうというのだから、軋轢が起こらないはずはない。この姉と弟の衝突に、方向性の違う生きづらさを抱えた家族が関わっていくことで、物語は加速していく。やがて、この物語は、異なる生きづらさを抱えた人々がどうやって共生していくのかを描き出しているのだが、その答えは、ぜひ自らの手で確認していただきたい。

 

 

歴史上、ジェンダーは変化してきた。二十一世紀の現代、わたしたちは高度なテクノロジーによって肉体的な性差をある程度埋めることができるようになった。

 

現代を生きるわたしたちは、数世代に亘って既存のジェンダーを疑い、更新してゆく必要があるのだろう。昨日より今日、今日よりも明日がよい日になることを願いながら。

 

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『小説 西海屋騒動』(二見書房)

『少女は卒業しない』から『忍者と極道』まで!! 歴史小説家が選ぶ「卒業」の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「卒業」。谷津さんが選んだ硬軟取り混ぜた5冊で、あなたも久しく忘れていた卒業気分にひたれるかもしれません。

 

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卒業シーズンである。

 

とはいえ、昨年から引き続き、新型コロナウイルスのせいで、例年と異なる様相を呈してしまいそうである。卒業式も三密を避ける工夫がなされることだろうし、会食や追いコンなどのイベントは延期あるいは中止、卒業旅行も表立ってできる空気ではあるまい。心から、今年の卒業生の皆様にはご同情申し上げる次第である。

 

三十四の今、ひしひしと思い知っていることだが、大人になると「卒業」の機会は滅多にないし、なかなか「卒業」の語にプラスの意味を見出しづらいところがある。大人になると、晴れがましく希望に満ち溢れたゴールはやってこず、大抵は「終わってほっとした」「重い荷物を下ろすことができた」という安堵が強かったりするのである。……って、いったいわたしは何を書いているのだ。

 

というわけで、今回の選書のテーマは三月らしく「卒業」である。

 

卒業後でも情報整理法の基礎が学べる

まずご紹介する一冊はこちら。『歴史学で卒業論文を書くために』 (村上紀夫・著/創元社・刊)である。

 

卒業論文。その四文字に、大学三年生、特に人文科学系の学生さんは震えていることだろう。人文科学系の学部における最終試験であり、それゆえに大関門とされる卒業論文。本書は歴史学の研究者で大学で教鞭を執る著者が、歴史学分野での卒業論文の書き方を平易にレクチャーする本である。

 

こう書くと、「歴史学科の学生じゃないと読んでも意味がなさそうだし、社会人が読んでも益するところがなさそう」とお思いの方もいらっしゃることだろうがさにあらず。本書は「卒業論文を執筆する」というミッションを通じ、資料収集法や問いの構築法、スケジューリングや情報整理法の基礎をすべて一通り教えてくれる本なのである。

 

例えば、皆さんの中にはご自分の趣味をネタにブログを書いておられる方もいるかもしれない。あるいは、YouTubeに動画を投稿しておられる方もいるかもしれない。そういう、「何かを集めて作る」タイプの趣味、仕事をやっておられる方にはなにがしかの気づきがある本である。

 

そして、この選書が公開される2021年3月現在の大学三年生諸君。そろそろ、卒論に手をつけ始めた方がいいぞ、しくじると卒業できなくなるぞ、と釘を刺す意味もあって、本書を紹介する次第である。

 

誰でも「わがこと」として読める青春小説

 

次にご紹介するのはこちら、『少女は卒業しない』 (朝井リョウ・著/集英社・刊) である。青春小説の旗手による真っ正面、ド直球の青春小説作品である。取り壊しの決まった高校で開かれる最後の卒業式、その日に起こった様々な人間ドラマを描いた連作短編集となっている。

 

それにしても――。どの短編も、読んでいて「わがこと」と読めるのが不思議なんである。

 

念のため断っておくが、学生時代のわたしは教室において空気のようなキャラクターで、同窓生の多くはわたしの存在を覚えておるまい。高校の時など、卒業アルバムを作ることになった際、「あれ、(ほぼ皆勤で学校に来ているはずなのに)谷津の写真がない!」と騒ぎになったくらい影が薄かった(実話)。

 

何が言いたいのかというと、本書に出てくるいかなる登場人物とも隔絶したパーソナリティを持つわたしでも、すべての短編を己の体験として読んでいた。登場人物たちの思いに共鳴し、「そういえばわたしも昔、こんなことがあった気がする」と己の過去を改編してしまいそうになるほどに。月並みな言葉となってしまうが、優れた作家は読者を人生の檻から解き放ち、自らの世界へと誘うものなのだ。

 

青春小説の名手の紡ぐ卒業式独特の風景と香りに、是非耽溺して頂きたい。

 

なぜ、日本人は卒業式で「泣く」のか?

次にご紹介するのは、『卒業式の歴史学』 (有本真紀・著/講談社・刊) である。

 

皆さんは、卒業式と聞いて何をイメージするだろうか。桜? 校歌? 卒業証書? 制服の第二ボタン? 本書は「涙」をとっかかりに卒業式を解剖していく。なぜ卒業式と涙は密接不可分なのか? そして、なぜ卒業式で涙を流すことをよしとされるのか? かくして、本書は日本独自の「泣き」の卒業式が誕生した経緯を追っていく。

 

終わりは、日常の延長でもある。卒業式の歴史を追う本書も、「卒業式」という終わりから、日本教育史を眺める一冊になっている。本書を読むと、わたしたちが「卒業」という言葉に覚えるなんとない郷愁や胸を締め付けられる気持ちの正体にも気づくことができるかもしれない。

 

感動すること、涙を流すこと。これらのことを冷笑するつもりはさらさらない。しかし、それらの感情の動きは高度に制度化されたセレモニーの「泣きの文法」の上に乗っかった行ないということだってある。感情は自分だけのものであると我々は認識しているが、一方で我々は制度化された感動の装置の中で生かされている。そのことに気づかされる一冊でもある。

 

現代の学校教育からの卒業

次にご紹介する本は、ぜひ『卒業式の歴史学』と一緒に読んで欲しい。『学校、行かなきゃいけないの? これからの不登校ガイド』 (雨宮処凛・著/河出書房新社・刊) である。

 

日本の学校は、概して対面方式の一斉教授というやり方で行なわれてきた。たぶんこれをお読みの皆様も体験しているだろう。学校の先生が黒板の前に立ち、壇上から生徒に向かってものを教える指導スタイルのことである。この教授法は、よい人材を効率よく発掘するという戦前日本の方針、人材を画一的に教育するという戦後日本の方針とも合致したやり方であった。だが、一斉教授を成立させるには強烈な規律を子どもたちに強いる必要がある。結果として、そこから弾かれてしまう子どもや、逆にその方式に順応しすぎる子どもが出てきてしまう。

 

本書は、現代の学校制度の歪みの被害者である子どもたちのために居場所を作る大人や、現代の学校制度を変えようとしている人々、かつて学校制度の枠から弾かれた後活躍している人たちへの取材集となっている。

 

本書はまさしく、「これまでの教育の在り方からの卒業」を読者に提示しているのである。

 

いつまでも「卒業」したくない者たちへ

最後はこちらを。『忍者と極道』(近藤信輔・著/講談社・刊) である。

 

三百年に亘り忍者と極道が争っているという世界線の現代、極道の領袖である極道(きわみ)が忍者側を刺激することで一大戦争が勃発、忍者側の少年忍者(しのは)も戦いに身を投じるのだが、実はこの二人はある特定の趣味を通じた、歳の離れた友人で……。ああだめだ、このあらすじ紹介では本書の魅力が伝わらない。

 

本書の魅力は、反吐が出るほどに極悪な登場人物たちの狂った思考回路が高次のレベルで整合が取られていてそれがそのままキャラ立ちに直結している点、マシンガンのごとく差し込まれるルビ芸の数々、そしてシリアスとギャグの間を突く、強烈なネタの絨毯爆撃ぶりにこそある。

 

さて、なぜわたしは「卒業」テーマで本書を紹介せんとしているのか。それは、3〜4巻で展開された首都高速激闘篇のゆえである。色々あって緒戦を終えた極道(きわみ)は伝説の暴走族集団暴走族神(ゾクガミ)を招集し、忍者たちと戦わせるのだが、ここに出てくる暴走族神の幹部たちが実にいい。皆、色々な意味で子どもから卒業できずにいる大人の群像なのである。もちろん、破壊活動に身を染める人々の気持ちはわたしには分からない。しかし、彼らの奥底にある「卒業できない・したくない」感情に、ある種の大人は胸を掴まれるのではないだろうか。

 

大人になっちゃいるけれど、大人であることを投げ捨てたい、そんなあなたに。

 

 

大人になってから晴れがましい卒業はあまりない、と冒頭で書いた。

うん、それは間違いない。

だからこそ、大人は晴れがましい「卒業」にノスタルジアを感じる。

これから卒業が控えている若人たちには、ぜひ、何の気なしに卒業気分を味わって欲しい。

それが十年後、あなたの中で不思議な輝きを放っているかもしれない。

ざっと言えば、これこそが人生経験と呼ばれるものの正体なのである。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『小説 西海屋騒動』(二見書房)

歴史小説家が選ぶ! 2021年をサバイブするための「読み初め」5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回は「2021年 読み初めの5冊」。波乱の2020年が過ぎ、新たな年をどのように過ごすべきか−−。谷津さんが選んだ硬軟取り混ぜた5冊にヒントがあるかもしれません。

 

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明けましておめでとうございます。

 

と言いたいところなのだが、申し訳ないことにあんまり実感がない。もちろんこの原稿を書いているのが師走のまっただ中だからということもあるが、そもそも、小説家に休みはないのである。例年、ほんのちょっとおせちやお雑煮をつまんだ後は、相も変わらずパソコン画面とにらめっこしている。きっとこの原稿がUPされる日も、わたしはうんうん唸りながらキーボードを叩いているはずである。

 

とはいえ、正月っぽいことも一応している。「読み初め」である。年頭に森鴎外の歴史小説家としての懊悩が吐露された『歴史其儘と歴史離れ』、個人的に好きな短編、岡本綺堂『番町皿屋敷』を読んで気持ちをリセットしているのである。

 

「読み初め」の習慣を日本の伝統にねじこみたく色々な方に提案して回っているのだが、世間の反応は冷たい。「正月はだらだらテレビを観るのが楽しいんじゃないか」「酒飲んで過ごすよ」「そもそも起きないよ」……。

 

うーん、まあそのなんだ、テレビとか酒とか眠るのに飽きたら、本を手に取っていただけたら幸いである。今回は、年始休みに読みたい5冊という名目で選んでいる。というわけで、今年もよろしく。

 

正月の演芸番組を深く味わうための1冊

まずご紹介したいのは、『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』 (塙 宣之・著/集英社・刊)である。ヤホー漫才で知られる東京芸人による、国内最大(つまり世界最大)の漫才コンテストであるM-1を縦横無尽に語った本である。

 

なぜ正月向けの選書で年末の風物詩であるM-1を? といぶかしむ向きもあるだろう。確かに、本書はサブタイトルの通り、M-1を巡る状況、M-1が芸人にもたらしてきた影響、審査員の審査基準などなどの話題がメインだが、いや、そうした話題がメインだからこそ、お笑い芸人とはなんなのか、現代のお笑いの特質が浮かび上がる仕組みになっている。

 

関東芸人はM-1において不利と著者は喝破している。M-1を関西由来の「しゃべくり漫才」のコンテストであるとした上で、しゃべくり漫才の母語である関西方言を使いこなせない非関西勢の弱さや、しゃべくり漫才の持つ可塑性の高さ(言い換えるならハプニングへの対応力の高さ)など、第一線で活躍する著者ならではの芸談が展開されているのである。

 

正月はしゃべくり漫才だけでなく、関東演芸系の芸人の出演機会も多い。本書を片手に彼らの活躍を観ていただけると、芸人という特殊技能者たちの苦闘や息吹を感じることができるかもしれない。

 

自宅でホテルの醍醐味を知る1冊

年末年始は毎年どこかに旅行、という方も多いだろうが、今回はあの憎たらしいウイルスのせいで断念なさった方が大半であろう。そんなあなたにおすすめの本がある。『夢のホテルのつくりかた』(稲葉なおと・著/エクスナレッジ・刊)である。

 

日本は幕末期に西洋世界に門戸を開き、積極的に西洋文明を取り入れてきた。その歴史の中で、西洋式の宿泊施設である「ホテル」も発展を遂げてきた。本書はそんなホテルたちの建築を巡るドラマに光を当てた書籍である。

 

本書には、「ホテル」という特殊な建築物の醍醐味が溢れている。旅人を泊めるための宿であるホテルは、イベントや都市計画、観光業、場合によっては国策と関わっていることさえある。そんな発注主の遠大な思惑の下、設計者が己の知識や美意識、発注者のイメージを具体化してゆき、図面を元に現場の施工者がそれを形にする。そう、ホテル作りは様々な立場の人間が一堂に会する大事業なのだ。

 

発注主、設計者、施工者のドラマはもちろんのこと、本書は題材に挙げられたホテルの写真、図版も多数掲載されており、家に居ながらにして名だたるホテルの雰囲気を味わうことができる。優雅な正月旅行を断念したあなたは是非とも本書で溜飲を下げていただきたい。

 

改めて新型コロナウイルスについて考えてみる1冊

お次はこちらを。『マスク スペイン風邪をめぐる小説集』(菊池 寛・著/文藝春秋・刊)である。

 

皆さんはスペイン風邪をご存じだろうか。インフルエンザウイルスを病原とし、1918年から20年ごろまで世界中で猛威を振るい、一説には「第一次世界大戦を早期で終わらせるきっかけになった」とまで言われる流行病である。(「スペイン風邪」の呼称については見直すべきとする意見があるとは承知しているが、今回は紹介する本の表記に合わせる。念のため注記。)

 

本書はちょうど100年前に生きていた文豪の菊池 寛の短編集であり、中にはスペイン風邪に関係のない小説も結構含まれているのだが(笑)、表題作である「マスク」は是非読んでいただきたいのである。

 

スペイン風邪流行当時、政府の奨励によってマスクの着用が叫ばれていた。だが、やがて周囲がスペイン風邪に慣れ皆がマスクを外したのに従い、主人公もマスクを手放してしまう。そんなある日、野球の試合があるというので、マスクをせずに球場に向かったところ……。

 

昔も今も変わらないなあと思うことしきりなのである。

わたしたちが恐れているのは、果たして病原菌なのだろうか。

もしかして、もっと別の何かを恐れているのではないだろうか。

 

そんな気づきを与えてくれる作品である。

 

新選組ファンの夢を叶える1冊

お次はこちら。『賊軍 土方歳三』(赤名 修・著/講談社・刊)である。

 

新選組といえば、戦国時代の三英傑と並び、歴史創作の世界における大看板である。歴史があまり好きではないという人でも、近藤 勇、沖田総司、斎藤 一といった人物の名前をそらんじることができる人も多いはずである。そして、本作の主人公である土方歳三のことも。

 

本作は、近藤と死に別れた直後の土方が、病床の沖田総司を訪ねるところから始まる。史実において沖田総司は病床についたまま、そこで死んでいる。しかし本作においては土方がそんな沖田を誘い、市村鉄之助の偽名を与えて連れ出す。そう、本作は新選組ファンの「そうだったらいいのにな」展開が描かれるのである!

 

新選組末期は物悲しい。仲間たちと袂を分かち、次々に仲間が脱落してゆき、最後、蝦夷地に至った土方を待つ運命も決して明るいものではない。そしてその中で、「たぶん土方にはああした心残りがあったろう」「あの人物にはやり残しがあったろう」という憐憫が湧く。

 

だが、本書は史実の隙を突いて「やり残し」を果たす、エネルギッシュなカタルシスがあるのである。2020年にやり残しがある方にとっても救いとなる……かもしれない。現在2巻なので追いかけやすい。正月休みを利用して読んでいただけると幸いである。

 

現代のデス・ゾーンを描き出す1冊

最後はこちら、『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(河野 啓・著/集英社・刊)である。

 

皆さんは、栗城史多という人物をご存じだろうか。「冒険の共有」、「七大陸最高峰単独無酸素登頂」を掲げ活動していたものの、2018年、エベレストで滑落死した登山家である。本書はこの人物を巡るノンフィクション作品である。

 

さて、事情に詳しい方なら、栗城氏が山岳の世界においてはアマチュア扱いだったことはご存じだろう。彼の標榜していた「七大陸最高峰単独無酸素登頂」という言葉にも幾重の欺瞞があり、無意味な修辞が含まれていることも。そう、本書はメディアに担がれ、ある種のアイコンとなってしまった非プロ登山家の彷徨を描いたノンフィクションなのである。

 

現在、有名になるための手段が増えた。SNSや動画サイトを通じて世に知られるようになった人は枚挙に暇がない。あなただって、明日突如とんでもない有名人になる可能性のある時代なのである。

 

本書は、メディアを利用して高いところまで登り、降りられなくなってしまったある登山家の記録であると同時に、わたしたちのすぐ側にある、現代のデス・ゾーンを描き出した一冊なのかもしれない。

 

 

2021年はどういう年になるだろう。わたしたちは去年、人間の意志などより遙かに強大な自然の脅威に触れてしまった。そして今年も半分はその脅威に晒され続けるのだろう。だが、それでも人間は意志を持ってそこにあるしかない。そのためのよすがの一つとして本を読んでいただけたなら、本を書く人間の端くれとしてはうれしい。

 

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谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)

歴史小説家が選ぶ! 日本人なら知っておきたい「忠臣蔵」の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「忠臣蔵」。かつての冬の代名詞であり、今でも12月14日の討ち入りの日には四十七士の墓がある泉岳寺には多くの人が訪れます。そんな「忠臣蔵」谷津さんはどんな5冊を選ぶのか?

 

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「ここのところ、忠臣蔵が忘れ去られつつある」

 

歴史、時代小説家が集まると口の端に上るのが、この話題である。歴史小説は、二次創作物的な側面もある。商業で歴史小説を書く際にはネタの面白さやテーマ性なども勘案されるが、扱う事件や人物の知名度がものをいう。それがため、信長、秀吉、家康の三英傑に近い人物を描いた歴史小説が書店さんに溢れているわけである。

 

昔、忠臣蔵は戦国三英傑、新撰組などと並ぶ、歴史創作のドル箱ジャンルだった。それどころか、かつての日本では、クリスマスと並ぶ師走の風物詩だったのである。ところが今はどうだろう。数年に一回、映画が封切られたり地上波でドラマが放送されるのがせいぜいといったところだ。もちろん、マスメディアの動向だけで文化を論じるべきではないが、マスメディアは今日においても国民的な知名度を形作っている。

 

その結果、「吉良上野介って誰ですか?」という三十代の声に際してしまい、「ああ、これじゃ企画が通らないや」と歴史小説家が肩を落とすことになるのである。だが、あえて言いたい。

 

忠臣蔵は面白い。

 

江戸城松之廊下(本当に松之廊下が現場だったかは議論の余地があるようだが)で白昼起こった浅野内匠頭による刃傷事件。喧嘩両成敗が武士の祖法にもかかわらず、もう一方の吉良上野介にはなんのお咎めもなかった。これを不服とした浅野家家臣による吉良邸討ち入り。冷静に見ればとんでもない話であるが、江戸時代、近現代に至るまで、日本の人々にある種のエモさを与えてきたことは否定できない。

 

というわけで、今回は復権を祈っての「忠臣蔵」選書である。

 

昭和の国民作家の「忠臣蔵」

 

まずご紹介するのは新編忠臣蔵(一・二) (吉川英治・著/KADOKAWA・刊) である。言わずとしれた昭和の国民作家による忠臣蔵作品である。さて、皆さんは吉川英治にどういう印象をお持ちだろうか。戦前から戦後にかけて活躍した作家ということもあって、読みづらいんじゃないかとお思いの方もいらっしゃるのでは? しかし安心してほしい。吉川英治作品は時々難しい言葉が出てくるが、少し読むうちに慣れてくる。それどころか、独特の躍動感、リズム感が文体に存在し、結局はするすると読むことができるはずである。

 

そして、最初に紹介する作品でありながら、本作、かなり『仮名手本忠臣蔵』の印象を躱している作品である。一般的なイメージでは意地悪な老人として描かれる吉良上野介の名君としての面を取り上げたり、ただの復仇譚ではない陰影を、様々な視点から複眼的に浮かび上がらせていることに特徴がある。

 

また、この作品は戦中期に描かれた作品であるため、皇室の描き方にも特徴がある。どう特徴があるのかと言えば……ここは皆さんの楽しみのために取っておこう。

 

吉良視点で描かれた「忠臣蔵」

 

次にご紹介するのは、吉良忠臣蔵 (森村誠一・著/KADOKAWA・刊) である。

 

忠臣蔵ものは大抵、討ち入り側、すなわち浅野家臣団から描かれることが多い。その方が知られたエピソードも多いからである。だが本作は従来の図式である浅野方――善玉、吉良方――悪玉の図式を逆転させたところに新しさがある。その結果何が起こったか。浅野方、吉良方、さらにはある第三勢力による三つ巴の謀略戦が始まるのである! そしてその結果、従来の忠臣蔵作品においてはちょい役、斬られ役にすぎなかった人物たちが躍動感を持って動き始め、それぞれのドラマが展開し始める。群像の人となりや立場、人としての懊悩が鮮やかに描かれてゆき、破局(討ち入り)に向かって収束していく様には舌を巻くよりほかない。

 

忠臣蔵のストーリーと第一級のエンターテイメントが両立した、とんでもない作品である。

 

お金から見た「忠臣蔵」

 

お次に紹介するのは、「忠臣蔵」の決算書 (山本博文・著/新潮社・刊)である。2019年封切り映画『決算! 忠臣蔵』の原作といえばピンとくる方も多いかもしれない。

 

本書は忠臣蔵(正確には忠臣蔵の元ネタとなったいわゆる赤穂事件)に迫った歴史系一般書籍であるが、その観点が面白い。史料『預置候金銀請払帳』という、浅野方の頭領だった大石内蔵助の会計報告書がある。これを縦横に用い、討ち入り方の苦闘を浮かび上がらせている。

 

わたしたち現代人は、浅野内匠頭切腹から二年弱で吉良邸討ち入りが行なわれたことを知っている(あるいはご存じなくとも調べることができる)。そのためにその歴史的な行動が必然のことのように思われるが、討ち入りに至った人々はそれぞれに人生があり、それぞれ飯を食ってどこかに泊まり、銭を払っていた――つまりは生活を営んでいたのである。本書は芝居の登場人物のようにさえ思える四十七士を、経済というアングルを導入することにより、実在の人間としての横顔を浮かび上がらせることに成功したといえるのである。

 

吉良は影武者だった!? 奇想で描く「忠臣蔵」

 

続いてはこちら。『身代わり忠臣蔵』(土橋章宏・著/幻冬舎・刊)。『超高速! 参勤交代』などのユーモア時代小説で知られる作家の忠臣蔵ものであるからして、当然ただの忠臣蔵ではない。本書を他の忠臣蔵ものと差別化しているものは、「吉良上野介は松之廊下事件で死に、それからの上野介は別人の影武者だった」という奇想である。また、この影武者もいい。影武者を吉良上野介の弟にして放蕩者であった破戒僧・孝証(ちなみにこの人物の来歴はほぼ知られていないが、実在の人物である)としたことで、お話に膨らみが生まれ、出会うはずのない人物との出逢いや、起こるはずのない出来事が出来する。

 

本作の面白さは、従来の忠臣蔵からたった一人、重要人物をすげ替えたことにより発生する意外性にこそある。忠臣蔵のストーリーなのに、まるでわたしたちの知らないストーリーが用意されている。その大胆な換骨奪胎に、ぜひ驚いて頂きたい。

 

『仮名手本忠臣蔵』をモチーフにした本格ミステリー

最後はこちら。『仮名手本殺人事件』 (稲羽白菟・著/ 原書房・刊)である。本書は、史実の赤穂事件ではなく、芝居である『仮名手本忠臣蔵』をモチーフにしたミステリー小説である。

 

時は現代、衆人環視の中、血を吐いて倒れた人間国宝の歌舞伎役者の死を受け、劇評家の海神惣右介、冨澤弦二郎の二人が独自に捜査を始めるところから話が始まる。本作のミステリー的な工夫は、謎の提示と解決の鮮やかさである。一つの謎が解決したかと思ったらさらに謎が深まっていき……という具合に、読者をどんどん深みに引きずり込んでいく。それだけに、解決編の満足度も高い。

 

そうしたミステリーとしての面白さとは別に、本書は『仮名手本忠臣蔵』、そして赤穂事件のガイドブックとしても楽しめる。どうしても歌舞伎の演目というと二の足を踏まれる向きもあろうかと思うが、本作ではそうした読者がいることも想定し、作中、無理なく『仮名手本忠臣蔵』と事件としての赤穂事件の違いについても丁寧に語られている。そして、物語の『仮名手本忠臣蔵』と史実の赤穂事件、この虚実のあわいが本作の肝なのだが……。ネタバレはここまでにしよう。

 

忠臣蔵が忘れ去られようとしているのに対し、それでもいいじゃないか、というご意見もある。封建的な内容が現代にそぐわない、とのことだが、わたしはそのご意見には与しない。

 

忠臣蔵は、理不尽に際した人々の物語である。理不尽を前に意志を通したり、通せなかったり、逃げ出してしまったり、仲間を裏切ってしまったり、ドンキホーテ的な行動に意気を感じて協力したりする。忠臣蔵に出てくる登場人物たちは、常に理不尽と戦っているのである。

 

わたしたち人間が理不尽のない世界を実現しない限り、忠臣蔵は古びない。これが、忠臣蔵に対するわたしのざっとした思いなのだが、これをお読みの皆様、いかがなものであろうか。

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)

「浮世絵師列伝」から「最後の秘境 東京藝大」まで歴史小説家が選ぶ「芸術を深く知るための」5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「芸術を読む」。デビュー作より絵師小説の新境地を開拓してきた(新作『絵ことば又兵衛』も発売中)谷津さんが選ぶ「芸術を深く知るための5冊」とは?

 

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芸術の秋がやってきた。作家になってからというもの、諸般の事情でこの時期は色々と忙しい。諸般の事情とは何か。

 

この選書でわたしのことを知った人は「本をむやみに読んでいるおじさん」と思っておいでであろうが(そしてわたし自身、そうした称号がほしいクチである)、 わたしこと谷津矢車はデビュー作(『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』)で絵師の狩野永徳を書いて以来、芸術家を主人公にした歴史小説を数多く書いており、秋になると、美術館の展示に合わせて旧作の紹介に勤しんでいる次第である。

 

そして今年は、戦国から江戸期にかけての絵師・岩佐又兵衛を主人公にした『絵ことば又兵衛』を単行本で、2017年に単行本で刊行した『おもちゃ絵芳藤』を文庫で刊行する運びになっており、さらにそうした地道な活動に拍車がかかっているのである……。

 

と、思い切りダイマをかましてしまったが、今回の選書も芸術の秋に関わっている。というわけで、今回は芸術家小説そのもの、あるいは芸術家小説を読むに当たって参考になる書籍が選書テーマである。

 

まさに「知識ゼロ」からの入門書

まずご紹介したいのは『知識ゼロからの日本絵画入門』(安河内眞美 幻冬舎)である。

 

『開運! なんでも鑑定団』でもおなじみの著者による日本絵画の入門書である。本書に謳われた『知識ゼロからの』の看板に偽りはない。美術や歴史の教科書に出てくる有名な絵師・日本画家たちの人生や画風、後世への影響などが要領よくまとまっている。実を言うと、わたしも美術館に行くときに必ず持って行き、「ふむふむ、この人はこの絵師さんの弟子なのか」などと確認しながら絵を拝見しているくらいである。日本画は様々な流派や流れが存在するため、とっかかりがないと親しむのも難しいのではないだろうか。そうした意味では本書は間口の広さ、平易さ、どれを取っても最初の一冊に持ってこいである。なお、このシリーズには『西洋絵画入門』も存在し、こちらも興味がある方はチェックしてみていただきたい。

 

浮世絵を知るための水先案内人

お次に紹介するのはこちら。『浮世絵師列伝』(小林 忠・監修/平凡社・刊)である。本書は先に日本画家のうちの浮世絵師にフォーカスを当て、ややマニアックな人物までも網羅した一冊である。

 

菱川師宣から明治期の浮世絵までを一望でき、浮世絵の作業工程や鑑賞法のコラムも充実している。また、全ページカラーで、図版も数多く収録されている。もし、あなたが浮世絵師に興味があり、『知識ゼロから~』を読んでさらに深く知りたいと思われたなら、手に取って損のない書籍である。むしろ積極的に手に取っていただきたい。ただ、本書はいわゆる大判本であり、美術展などに持って行くにはやや重い点、古い本なので入手に難があるなどの点での問題はあるが、どこかでお見かけの際には是非手に取っていただきたい。また、美術を飛び出して、ある種のポップアートとしての浮世絵が取り上げられるようになってしばらく経った。もしかすると、現代のわたしたちに必要な教養の一つに浮世絵があるのかも知れない。その水先案内にもってこいの一冊とも言えよう。

 

古代から近世までの日本の「音楽史」をさらう

お次は少し趣向を変える。『図解 日本音楽史 増補改訂版』(田中健次・著/東京堂出版・刊)である。

 

本書は古代から培われ、多様な展開を見せた日本の音楽史を俯瞰した本である。東アジアで育った音楽が日本に流入、受容されたのち様々な展開を見せ、時に混交や交流、新楽器との出会いを経て変化し続けた近世までの日本音楽史が一冊にまとまっている。

 

恥ずかしながらわたしは流派としての「○○節」「××節」といったものがよく分かっていなかったのだが、本書と出会ったことで、どういう経緯でさまざまな「節」が成立し、分派していったのか、大まかな図を描くことができるようになった。

 

本書は日本の音楽を巡る歴史を浚った本であるため、もちろん芸術家小説を読む際の参考書籍となりえるが、それ以前に、歴史小説、時代小説を読む際にもヒントになる一冊かも知れない。歴史・時代小説を読んでいると、音楽を扱う場面が存外に多い。歴史・時代小説の奥行きを味わいたいあなたにも。

 

東京藝大という秘境

お次にご紹介するのはノンフィクションから。『最後の秘境 東京藝大』(二宮敦人・著/新潮社・刊)である。執筆当時奥様が現役藝大生だった人気作家の著者が、奥様の背中の向こうに見える謎の芸術家空間・東京藝術大学のリアルを描いた本である。

 

東京藝術大学という大学が存在することはご存じの方も多いだろう。東京の上野の近辺にあることも、なんかすごそうな芸術を爆発させていそうなのも、イメージとしてご存じな方もいらっしゃることだろう。だが、実態を何も知らない。そんな思考の間隙を埋めてくれる書籍が本書である。

 

本書に登場する人々はやはり想像の通りのエキセントリックぶりを誇っている。本書の美点は、ただそれを列挙するだけにとどまらず、彼/彼女が一般の尺を当てはめてしまえば変人というレッテルを貼らざるを得ないその行動の根源にあるものに迫ろうとしているところである。

 

多くの方は、自分を枠にはめて生きている。それはそうだ。枠はわたしたちを守る鎧でもあるからだ。だが、彼/彼女らは自らその鎧を脱ぎ捨て、一本独鈷で戦っている。一体彼/彼女が何と戦っているのか。そしてどこに行こうというのか。それは是非、本書をめくって見届けていただきたい。

 

水墨画×青春=芸術家小説の新境地!

最後は昨年の芸術家小説の成果作をご紹介しよう。『線は、僕を描く』(砥上裕將・著/講談社・刊)である。本書は2020年本屋大賞にもノミネートしており、作品の力は折り紙付きであるが、あえてここで紹介したい。

 

本書は大学生である主人公の青山霜介がたまたま入った展覧会で日本画の巨匠である篠田湖山に見初められ、内弟子となるところから始まる。そして霜介はそれから水墨画を学ぶことになり、兄弟子、姉弟子にもまれて筆を握るようになるのだが――。

 

取り合わせが清新である。本書の基底には青春小説が根を張っている。青春小説と言えば動的なもの(たとえばスポーツとか)と掛け合わせるのが常道なのだが、本書は一見すると静的である水墨画をそのモチーフに選んだわけだ。だが、本書を読むと、静的であるはずの水墨画のシーンが、驚くほどの熱気と緊張感に満ちていることにお気づきになるだろう。心の動きや有り様を描くのに秀でた小説というメディアならではの演出により、花を描く、姉弟子と絵を競う、ただそれだけのシーンが息詰まるほどの迫真に満ちているのである。

 

本書は是非、水墨画をご覧になってから手に取っていただきたい。優れた青春小説にして、水墨画という芸術家小説の新境地を開いた一冊である。

 

 

この稿を書きながら、芸術家の良さとはなにか、という問いに襲われた。

 

いろいろあるかも知れない。数百年にわたって残るものを作り上げた才能に惹かれているのだろうか。それとも、エキセントリックな人物像にキャラクター的な楽しみを見いだしているのだろうか。否、どちらも違うと思う。皆さんがご存じないだけで、芸術作品とラベリングされたものの多くは誰の目にもとまらず消えていき、作者も忘れ去られる。また、芸術家とされる人たちの中にも常識人はたくさんいる。

 

思うに、芸術家の魅力とは、「なんか作っちまったこと」、それに尽きるのだとわたしは思う。

 

評価されるかどうかは分からない。

正解なんてない。

己を突き詰めたとて、それが受け入れられるわけではない。

 

だが、それでも、芸術家たちは現在進行形で「作っちまう」ものであり、彼/彼女らの後ろには「作っちまった」ものが山をなしているのである。その名状しがたき謎のパワーにこそ、わたしたち一般人の頭を垂れさせる秘密が隠されているのかもしれない。

 

それはそうと、戦国から江戸を生きた奇想の絵師・岩佐又兵衛を描いた『絵ことば又兵衛』、江戸から明治にかけての浮世絵師事情を描いた『おもちゃ絵芳藤』文庫版、発売中ですのでなにとぞ。

 

 

【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は『絵ことば又兵衛』(文藝春秋)

祝! 生誕50年!! ドラえもんを愛して止まない歴史小説家が選ぶ「大長編ドラえもん」シリーズ珠玉の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは谷津さんが偏愛してやまない『ドラえもん』です。今年は生誕50周年の記念すべき年。そして最新作『ドラえもん のび太の新恐竜』も公開中。40作ある「大長編」シリーズの中から谷津さんが選んだ珠玉の5冊とは?

 

【関連記事】
『死役所』から『絶滅できない動物たち』まで−−年1000冊の読書量を誇る作家が薦める「生と死」について考える5冊

 


 

諸君、わたしはドラえもんが好きだ。

ドラえもんが好きだ。

のび太君が好きだ。

しずかちゃんのお風呂シーンが好きだ。

スネ夫が好きだ。

ジャイアンが好きだ。

出木杉君が好きだ。

この地上で紡がれたすべてのドラえもん作品が大好きだ。

よろしい、ならばドラえもんだ。

そしてドラえもんは、今年誕生五十周年である。

 

かくいうわたしは何を隠そうドラえもんファンであり、居ても立ってもいられず「大長編ドラえもん」で選書させてくれないかと編集部に頼み込み、こうして選書が成った次第である。

 

というわけで、今回はコロコロコミックに掲載され、後に「大長編ドラえもん」作品として単行本化されている映画原作作品を五作紹介しよう。

 

出来杉くんの活躍がうれしいシリーズ第3弾!

まずご紹介するのは、ドラえもん のび太の大魔境である。

 

本作は、春休みにペコという犬を拾ったのび太たちが、ひょんなことからアフリカ奥地を探検する(余談だが、大長編ドラえもんの良さは、日常の風景から一気に大スペクタクルへと飛び出すその跳躍力にもあると考えている)お話なのだが、本作は大長編ドラえもんとしては少し特殊な特徴を有している。「ドラえもん映画から締め出されている」とネタにされる出木杉君が登場するのである!

 

出木杉君はのび太たちが冒険することになる魔境をのび太たちや読者に紹介する役割を有しているのだが、そこでの説明が実におどろおどろしく、読者をわくわくさせてくること請け合いである。「ヘビー・スモーカーズ・フォレスト」といういかにもなネーミングセンスも併せ、ここでの出木杉君の熱弁は一ドラえもんファンとして、なかなか忘れることのできない、渋い名シーンとなっているのである。

 

藤子・F・不二雄先生のクリエイターとしての外連味を味わえる一冊といえるだろう。

 

東西冷戦をベースにしたシリーズ第4弾!

お次にご紹介したいのは、『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』である。

 

夏休み、のび太たちがキャンプの行き先で紛糾する中、海も山もあるというドラえもんの提案で海底にキャンプすることに決まる(繰り返しだが、この跳躍力が大長編ドラえもんの良さなのである)のだが、やがて、のび太たちが海底に住む人々の事情に巻き込まれることになり……という作品である。

 

当時話題であった人気オカルトネタ「バミューダトライアングル」(バミューダ海域で海難事故が多発しているというフェイクニュースを前提としたオカルトネタで、バミューダ海一帯に霊的な力が働いているとか、海底に何かがあって船を沈没させているのではないかなどという“議論”がなされていた)と海底への興味を織り交ぜることで独特の雰囲気が漂っている。

 

そして何より、本書は東西冷戦の雰囲気を色濃く描き出している点において、お勧めしておきたい。

 

ややネタバレだが、作中で出会う海底人たちの抱える事情は、互いの国土に核ミサイルを向けていた東西冷戦下の世界情勢をモチーフにしている。

 

だが、世界の存亡を人質に取った超大国の対立はもはや過去のものとなってしまった。1986年生まれのわたしとて、東西冷戦の空気感をほとんど知らずに育った世代であるから、わたしより下の世代にとっては、もはや歴史の教科書に記された出来事であろう。

 

だからこそ、本書はわたしたち人類のバカげた歴史を後世に伝える一冊になりえるのではなかろうか。

 

作者に「失敗作」と言わせた異色のシリーズ第14弾!

お次にご紹介するのは『ドラえもん のび太の夢幻三剣士』である。

 

あっ、ドラえもんファンの皆さん、石を投げないで!

 

実は本作、藤子・F・不二雄先生自身が「一種の失敗作」と述懐しておられる珍しい作品である。確かに、大長編ドラえもん作品としてはお約束のいくつかが崩壊している上、ややプロット(ストーリーの構造)にも乱れが見受けられる。

 

あえて言おう。そこがいい。

 

カセットを差すことで任意に夢を見、その夢の登場人物として活躍できる「気ままに夢見る機」をドラえもんに出してもらったのび太の前に奇妙な老人が現れ、「夢幻三剣士」のカセットを示唆し去っていき、結局その老人の勧めるがままに「夢幻三剣士」で遊ぶことから始まる本作なのだが――。

 

とにかく不気味なのである。そもそも本作は「夢」がメインモチーフになっており、「夢」が現実に滲出してくる怖さや、フィクション側の物事が現実にまで影響を及ぼす不条理が提示されている。さらに、藤子・F先生の言う「一種の失敗作」――いつもの藤子・F先生らしからぬストーリー運びが、読者を「ドラえもん」という予定調和の世界から引き剥がす。本作はいつもの藤子・F作品と比べると、随所に破調が見られる。だがそれゆえに、妙にリアルな「夢幻」の世界が広がっているのである。

 

作者絶筆! シリーズ最大の危機を乗り越えた第17弾!!

お次に紹介するのは『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』である。

 

本書はひみつ道具「生命のねじ」で馬のぬいぐるみ「パカポコ」に命を与えたのび太たちが、色々あって他の地球型惑星にぬいぐるみたちの国を作り、発展させていく……というストーリーなのだが、本作もまた、これまでの大長編ドラえもんにはない特徴を有している。大長編ドラえもんにおける敵役は他種族であったり、宇宙人であったりと「のび太たちから遠い存在」に設定されることがしばしばである。しかし本作における敵役は、のび太たちの世界における悪党、熊虎鬼五郎なのである。また、のび太たちと熊虎鬼五郎の対立に割って入るように「種まく者」なる第三勢力が現れる点なども、本書に独特の光彩を投げかけている。

 

なぜ異色作なのか――。本作は、藤子・F・不二雄先生の絶筆作品である。正確には本作の執筆途中でお亡くなりとなり、それ以降は藤子プロが藤子・F先生の覚書や構想ノートなどを参考に最後まで書き継いだ経緯がある。

 

やや大げさな話になるかもしれないが、恐らく本作は大長編ドラえもん、そして映画ドラえもん最大の危機であったことだろう。それまで藤子・F先生が体調不良で連載を全うできなかったことはあったが、『ねじ巻き都市冒険記』の危機はまるでレベルの違う出来事である。だが、藤子プロの皆さんがこの作品を完成させてくれたおかげで、本作は完結し、映画も無事公開されたのである。本作はドラえもん最大の危機を救った作品であったといっても過言ではないのではなかろうか。

 

原作者の絶筆という目で眺めると、本作はかなり意味深な描写も存在する。藤子・F先生の遺書であると同時に、藤子・F先生の思いを継ぐ、新たなるドラえもんの到来を告げた記念碑的一作であると言える。

 

「ひみつ道具」使いまくり! 新たな地平へと進むシリーズ第19弾!!

最後にご紹介するのは『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』である。

 

藤子・F・不二雄先生の死後に制作された大長編ドラえもんの一作であるが、ある意味で、ドラえもんのメディアミックスの在り方を示す、一つの好例といえるだろう。

 

広大な宇宙での対立をモチーフとした本作のありようは『宇宙開拓史』(1980-81)、『小宇宙戦争』(1984-85)、『アニマル惑星』(1989-90)、『銀河超特急』(1995-96)などで描かれてきた光景の延長であり、オカルト要素を作品のモチーフとして利用する態度は先にご紹介した『海底鬼岩城』を思わせる。

 

しかしながら、本書は旧来の大長編ドラえもんにはあまり見られなかった要素も存在する。あえて一つ挙げるなら、「ひみつ道具」のふんだんな使用である。

 

これまでの大長編ドラえもんは、四次元ポケットをなくしたり、ドラえもんが行方不明になったり、あるいは故障したりしてひみつ道具が使えない状況に追いやられることが多かった。だが本作においては敵方を強大なものとすることで、作劇上、ひみつ道具を湯水のごとく使う状況を作り上げたのである。かくして本作では、複数のひみつ道具を組み合わせて使用して切り抜けるシーンが出てきたのである。

 

藤子・F先生の遺産を大事にしながら、挑戦も欠かさない。ドラえもんが愛される裏には藤子・F作品へのリスペクトと、その時々で作品に係わったクリエイターの創意工夫が隠されているのである。

 

 

【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は「桔梗の旗」(潮出版社)。

明智光秀の息子、十五郎(光慶)と女婿・左馬助(秀満)から見た、知られざる光秀の大義とは。明智家二代の父子の物語。

祝! 生誕50年!! ドラえもんを愛して止まない歴史小説家が選ぶ「大長編ドラえもん」シリーズ珠玉の5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは谷津さんが偏愛してやまない『ドラえもん』です。今年は生誕50周年の記念すべき年。そして最新作『ドラえもん のび太の新恐竜』も公開中。40作ある「大長編」シリーズの中から谷津さんが選んだ珠玉の5冊とは?

 

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諸君、わたしはドラえもんが好きだ。

ドラえもんが好きだ。

のび太君が好きだ。

しずかちゃんのお風呂シーンが好きだ。

スネ夫が好きだ。

ジャイアンが好きだ。

出木杉君が好きだ。

この地上で紡がれたすべてのドラえもん作品が大好きだ。

よろしい、ならばドラえもんだ。

そしてドラえもんは、今年誕生五十周年である。

 

かくいうわたしは何を隠そうドラえもんファンであり、居ても立ってもいられず「大長編ドラえもん」で選書させてくれないかと編集部に頼み込み、こうして選書が成った次第である。

 

というわけで、今回はコロコロコミックに掲載され、後に「大長編ドラえもん」作品として単行本化されている映画原作作品を五作紹介しよう。

 

出来杉くんの活躍がうれしいシリーズ第3弾!

まずご紹介するのは、ドラえもん のび太の大魔境である。

 

本作は、春休みにペコという犬を拾ったのび太たちが、ひょんなことからアフリカ奥地を探検する(余談だが、大長編ドラえもんの良さは、日常の風景から一気に大スペクタクルへと飛び出すその跳躍力にもあると考えている)お話なのだが、本作は大長編ドラえもんとしては少し特殊な特徴を有している。「ドラえもん映画から締め出されている」とネタにされる出木杉君が登場するのである!

 

出木杉君はのび太たちが冒険することになる魔境をのび太たちや読者に紹介する役割を有しているのだが、そこでの説明が実におどろおどろしく、読者をわくわくさせてくること請け合いである。「ヘビー・スモーカーズ・フォレスト」といういかにもなネーミングセンスも併せ、ここでの出木杉君の熱弁は一ドラえもんファンとして、なかなか忘れることのできない、渋い名シーンとなっているのである。

 

藤子・F・不二雄先生のクリエイターとしての外連味を味わえる一冊といえるだろう。

 

東西冷戦をベースにしたシリーズ第4弾!

お次にご紹介したいのは、『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』である。

 

夏休み、のび太たちがキャンプの行き先で紛糾する中、海も山もあるというドラえもんの提案で海底にキャンプすることに決まる(繰り返しだが、この跳躍力が大長編ドラえもんの良さなのである)のだが、やがて、のび太たちが海底に住む人々の事情に巻き込まれることになり……という作品である。

 

当時話題であった人気オカルトネタ「バミューダトライアングル」(バミューダ海域で海難事故が多発しているというフェイクニュースを前提としたオカルトネタで、バミューダ海一帯に霊的な力が働いているとか、海底に何かがあって船を沈没させているのではないかなどという“議論”がなされていた)と海底への興味を織り交ぜることで独特の雰囲気が漂っている。

 

そして何より、本書は東西冷戦の雰囲気を色濃く描き出している点において、お勧めしておきたい。

 

ややネタバレだが、作中で出会う海底人たちの抱える事情は、互いの国土に核ミサイルを向けていた東西冷戦下の世界情勢をモチーフにしている。

 

だが、世界の存亡を人質に取った超大国の対立はもはや過去のものとなってしまった。1986年生まれのわたしとて、東西冷戦の空気感をほとんど知らずに育った世代であるから、わたしより下の世代にとっては、もはや歴史の教科書に記された出来事であろう。

 

だからこそ、本書はわたしたち人類のバカげた歴史を後世に伝える一冊になりえるのではなかろうか。

 

作者に「失敗作」と言わせた異色のシリーズ第14弾!

お次にご紹介するのは『ドラえもん のび太の夢幻三剣士』である。

 

あっ、ドラえもんファンの皆さん、石を投げないで!

 

実は本作、藤子・F・不二雄先生自身が「一種の失敗作」と述懐しておられる珍しい作品である。確かに、大長編ドラえもん作品としてはお約束のいくつかが崩壊している上、ややプロット(ストーリーの構造)にも乱れが見受けられる。

 

あえて言おう。そこがいい。

 

カセットを差すことで任意に夢を見、その夢の登場人物として活躍できる「気ままに夢見る機」をドラえもんに出してもらったのび太の前に奇妙な老人が現れ、「夢幻三剣士」のカセットを示唆し去っていき、結局その老人の勧めるがままに「夢幻三剣士」で遊ぶことから始まる本作なのだが――。

 

とにかく不気味なのである。そもそも本作は「夢」がメインモチーフになっており、「夢」が現実に滲出してくる怖さや、フィクション側の物事が現実にまで影響を及ぼす不条理が提示されている。さらに、藤子・F先生の言う「一種の失敗作」――いつもの藤子・F先生らしからぬストーリー運びが、読者を「ドラえもん」という予定調和の世界から引き剥がす。本作はいつもの藤子・F作品と比べると、随所に破調が見られる。だがそれゆえに、妙にリアルな「夢幻」の世界が広がっているのである。

 

作者絶筆! シリーズ最大の危機を乗り越えた第17弾!!

お次に紹介するのは『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』である。

 

本書はひみつ道具「生命のねじ」で馬のぬいぐるみ「パカポコ」に命を与えたのび太たちが、色々あって他の地球型惑星にぬいぐるみたちの国を作り、発展させていく……というストーリーなのだが、本作もまた、これまでの大長編ドラえもんにはない特徴を有している。大長編ドラえもんにおける敵役は他種族であったり、宇宙人であったりと「のび太たちから遠い存在」に設定されることがしばしばである。しかし本作における敵役は、のび太たちの世界における悪党、熊虎鬼五郎なのである。また、のび太たちと熊虎鬼五郎の対立に割って入るように「種まく者」なる第三勢力が現れる点なども、本書に独特の光彩を投げかけている。

 

なぜ異色作なのか――。本作は、藤子・F・不二雄先生の絶筆作品である。正確には本作の執筆途中でお亡くなりとなり、それ以降は藤子プロが藤子・F先生の覚書や構想ノートなどを参考に最後まで書き継いだ経緯がある。

 

やや大げさな話になるかもしれないが、恐らく本作は大長編ドラえもん、そして映画ドラえもん最大の危機であったことだろう。それまで藤子・F先生が体調不良で連載を全うできなかったことはあったが、『ねじ巻き都市冒険記』の危機はまるでレベルの違う出来事である。だが、藤子プロの皆さんがこの作品を完成させてくれたおかげで、本作は完結し、映画も無事公開されたのである。本作はドラえもん最大の危機を救った作品であったといっても過言ではないのではなかろうか。

 

原作者の絶筆という目で眺めると、本作はかなり意味深な描写も存在する。藤子・F先生の遺書であると同時に、藤子・F先生の思いを継ぐ、新たなるドラえもんの到来を告げた記念碑的一作であると言える。

 

「ひみつ道具」使いまくり! 新たな地平へと進むシリーズ第19弾!!

最後にご紹介するのは『ドラえもん のび太の宇宙漂流記』である。

 

藤子・F・不二雄先生の死後に制作された大長編ドラえもんの一作であるが、ある意味で、ドラえもんのメディアミックスの在り方を示す、一つの好例といえるだろう。

 

広大な宇宙での対立をモチーフとした本作のありようは『宇宙開拓史』(1980-81)、『小宇宙戦争』(1984-85)、『アニマル惑星』(1989-90)、『銀河超特急』(1995-96)などで描かれてきた光景の延長であり、オカルト要素を作品のモチーフとして利用する態度は先にご紹介した『海底鬼岩城』を思わせる。

 

しかしながら、本書は旧来の大長編ドラえもんにはあまり見られなかった要素も存在する。あえて一つ挙げるなら、「ひみつ道具」のふんだんな使用である。

 

これまでの大長編ドラえもんは、四次元ポケットをなくしたり、ドラえもんが行方不明になったり、あるいは故障したりしてひみつ道具が使えない状況に追いやられることが多かった。だが本作においては敵方を強大なものとすることで、作劇上、ひみつ道具を湯水のごとく使う状況を作り上げたのである。かくして本作では、複数のひみつ道具を組み合わせて使用して切り抜けるシーンが出てきたのである。

 

藤子・F先生の遺産を大事にしながら、挑戦も欠かさない。ドラえもんが愛される裏には藤子・F作品へのリスペクトと、その時々で作品に係わったクリエイターの創意工夫が隠されているのである。

 

 

【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は「桔梗の旗」(潮出版社)。

明智光秀の息子、十五郎(光慶)と女婿・左馬助(秀満)から見た、知られざる光秀の大義とは。明智家二代の父子の物語。

『銭形平次』から『人体冷凍 不死販売財団の恐怖』まで−−年1000冊の読書量を誇る作家が薦める「お金の使い方」についての5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「お金の使い方」です。特別給付金の10万円を何に使うか考えている方も多いかと思いますが、今回紹介する5冊の中にそのヒントがあるかもしれません。

 

【関連記事】
『BLUE GIANT』から『ハーレクイン・ロマンス』まで――年1000冊の読書量を誇る作家が薦める「対話」についての5冊

 


 

この選書連載を追ってくださっている方は薄々勘づいておられるだろうが、わたしは本を買いまくっている。いや、仕方ないのである。そもそも小説家は小説界の動向にアンテナを張っておかなくてはならないし、歴史小説家はさらに歴史的なトピックスに興味を持っておく必要がある。それゆえ、気になった本は片っ端から手に入れ、読むのである。かくしてわたしの家の本棚(金属製)は地震の度に軋み、わたしの後ろで妙な存在感を放っているのである。

 

買い物は個性の発露である。その人の仕事や嗜好、生き方とも連動している。その人の買い物レシートを見れば、その人の心象風景を復元することだって可能なのだ。

 

というわけで、今回の選書テーマは「お金の使い道」である。

 

 

コミュニケーションとしてのお金の使い方

まずご紹介したいのはこちら。『お金さま、いらっしゃい!』(高田かや・著/文藝春秋・刊)である。諸般の事情で大量消費文化に接してこなかった著者(その辺の事情は同著者『カルト村で生まれました。』『さよなら、カルト村。』に詳しい)が、少しずつお金との付き合い方を覚えてきた道程を描いたコミックエッセイである。

 

本書の主人公である著者は大人になるまでまとまったお金を持ったことがほとんどないという変わった経歴の持ち主ゆえに、大人になってから大量消費文化の洗礼を受けるという得難い体験をしている。多くの方が子供のうちに当たり前のこととして受け入れてきた様々な当たり前が、著者にとっては新鮮な体験なのである。

 

彼女は、堅実でありながら、お金を使うこと、お金を通じて人と繋がることを楽しんでらっしゃる風がある。これは、お金のやり取りが当たり前であるわたしたちにはあまり持ちえない視点かもしれない。コミュニケーションのかすがいとしてのお金の使い道を教えてくれる一冊である。

 

 

中世日本のお金の使い方

次にご紹介するのはこちら。『買い物の日本史』(本郷恵子・著/KADOKAWA・刊)である。

 

本書は中世に的を絞り、貨幣経済が浸透しつつある日本列島でどのような消費行動がなされていたかを追う人文書である。しかし、本書を読んでいただくと、中世の人々の「買い物」は、わたしたちの思うそれとはずいぶん意を異にすることに気づいていただけるはずである。

 

日本史に詳しい方だと、成功(じょうごう)をご存じかもしれない。平たく言うと、朝廷から金で官位を買う行為であるが、本書はこの成功の様々なありようについて詳述している。また、寺社への寄進というお金の使い道についても紙幅を割き、彼らの(広義での)消費活動に目を向けている。

 

本書を読んで、形のないものを買うなんて中世人はおかしな人々だ、と考える方もいるかもしれない。だが、ちょっと待ってほしい。我々現代人だって、形なきものを買ってはいないだろうか。例えば、保険はどうだろう。保険は形あるモノを売買しているわけではない。保険の契約によってわたしたちが得るのは、安心という無形のものなのである。わたしたちは今も昔もそんなに変わっていないのかもしれない。そんな気づきが得られる一冊と言えよう。

 

 

「モノ」の価値とはいったい何なのか?

お次に紹介するのは、『世界一高価な切手の物語  なぜ1セントの切手は950万ドルになったのか』(ジェームズ・バロン・著、髙山祥子・訳/東京創元社・刊)である。

 

皆さんの中には切手収集趣味をお持ちの方もいらっしゃると思う。プリントミスやかすれが見逃されて世に出た切手がファンの間で珍重され、時に高値で取引されることは広く知られているだろう。では、世界最高額で取引された切手にどれほどの価値がついたか、ご存じの方はいらっしゃるだろうか。

 

驚くなかれ、なんと、948万ドルである。

 

本書は日本円にして約十億円の値がついた一枚の切手(英国領ギアナ一セント・マゼンタ)を巡るノンフィクション作品である。

 

それにつけても、たった一枚の(しかも一セントの価値を保証するための)紙ぺら一枚に付加価値がつけられ、持ち主が変わるごとに値が吊り上がってゆくなりゆきは奇々怪々の一言である。本書の後ろの方には切手蒐集家の心理について考察がなされているが、それでも読者の多くはなおも疑問に苛まれることだろう。かくいうわたしもそうである。

 

だが、本書は、価値の本質を浮かび上がらせている。商品があり、そしてそれを欲しがる買い手がいる。市場での希少性や需要の高まりにより値段が上がってゆく。需要の高まりを決めるのは、商品を欲しがる買い手の数と、買い手の懐具合である。そして、売り手、買い手が共に納得した上で成立したならば、その商品の価値は目に見える形で確定すると、価値が価値を呼び、うなぎ上りに価値が高まってゆく。

 

英国領ギアナ一セント・マゼンタ。それが売買行為のバグといえるのかもしれない。今回の選書テーマで紹介する所以である。

 

 

唯一無二の「お金の使い方」

お次は『銭形平次捕物控 傑作集(1)陰謀・仇討篇』 (野村胡堂・著/双葉社・刊)はどうだろう。言わずと知れた時代劇のヒーロー銭形平次を主人公にした捕物帖であるが、案外、原作をお読みになったことのない方も結構おられるのではないだろうか。

 

それもそのはず、野村胡堂が銭形平次シリーズを書き始めたのは昭和六年のことである。もはや古典作品といって差し支えあるまい。

 

しかし、現代の目で本書を読んでみると、新鮮な驚きに包まれることだろう。まず気づくのが、時代小説なのに外来語を多用していることだ。これは講談のように地の文の語り手を著者と重ね合わせているからこそ可能なのであるが、要所要所で使われた外来語が軽やかさを演出しているのである。そして何より気が付くことは、銭形平次とその手下八五郎をはじめとする面々のキャラ立ちである。若く才気のある平次とちょっと間抜けた八五郎の掛け合いはまるで現代のライトミステリのような趣さえある。

 

本書を読むうち、現代の時代小説は格調を追い求めるあまり、何か大事なものを失っているのかもしれない、そんなことを思わされる一冊である。

 

えっ? 今回の選書テーマとの整合性? 決まっているじゃないですか。銭形平次といえば銭投げですよ。ユニークなお金の使い道として、これ以上のものはありますまい。

 

 

人類普遍のお金の使い方

最後はノンフィクションから。『人体冷凍 不死販売財団の恐怖』(ラリー・ジョンソン、スコット・バルディガ・著、渡会圭子・訳/講談社/刊)である。

 

皆さんは、人体を冷凍保存している団体が存在することをご存じだろうか。医療目的ではない。未来の技術が発展し、難病治療や不死が実現するのを期待して人体を冷凍保存することで対価を得て運営されている組織が存在するのである。本書は“業界”最大手の人体冷凍保存財団に勤めていた著者がその内実を明かす暴露本である。本書によれば、この財団の遺体の扱いは途轍もなくぞんざいで、遺体に係わるであろう医学などの専門家もほとんどいないらしい。それこそ、未来にここで冷凍保存されている人々が蘇生することなどないと高をくくっているがごとく……。

 

わたしとしては、蘇生目的の人体冷凍保存については「自分はやらない、知り合いがやると言ったら止めない、友人や家族がやると言ったら再考を促す」程度のスタンスである。そんなわたしがなぜ本書を紹介するのかといえば、「未来の技術に期待して自らの遺体を冷凍保存する」というお金の使い道に人間臭さを感じてならないからだ。

 

エジプトの人々は永遠の生命を願いミイラを作り、秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて徐福を蓬莱の地に遣わした。人体冷凍保存は、より洗練され(ているように見え)、資本主義的なフレーバーが振りかけられた“不死”に値札をつけている。やや逆説的かもしれないが、“不死”が見果てぬ夢であるために、今も昔もお金の使い道なりうるのである。

 

 

作家の山内マリコは『買い物とわたし お伊勢丹より愛を込めて』(文春文庫)でこう書いている。

 

買い物へのスタンスは、そのまま生き方に直結する。

 

と。お金の使い道はその人の心象風景やライフサイクルを如実に映す鏡なのである。だからこそ、そこには悲喜こもごもがあり、ドラマがあるのだと、今のわたしは考えている。

 

 

【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新作は「桔梗の旗」(潮出版社)。

明智光秀の息子、十五郎(光慶)と女婿・左馬助(秀満)から見た、知られざる光秀の大義とは。明智家二代の父子の物語。