映画監督・足立紳、シナリオ書けず不安で眠れない12月。最終回は夫婦共同作業で日記執筆

「足立 紳 後ろ向きで進む」最終回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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12月1日(日)

山口県から戻ってくる。東京駅からそのままいつもの喫茶店へ行き、ひたすら演劇の台本を書く。

 

1月22日から坂田聡さんと「6回の表を終わって7-0と苦しい展開が続いております(仮)」という題名の芝居をやるのだが、題名は決まっているものの、まだ台本は1文字も書けていない。本当に1文字もだ。今月16日から稽古が始まるというのに……。恐怖でしかない。

 

12月2日(月)

ドラマの編集。我が家で撮影しただけあって、リアリティがハンパない。これを狙っていたのだが、「このリアリティというか、我が家の再現度の高さに何か意味があるのですか?」と聞かれると、「そのほうが面白くなるような気がしたから……」と自信なさげに答えるしかない。自信なさげに答えるが、いい感じのロケセットで撮るよりははるかに面白くなっている自信はある。

 

妻からLINEがあり、息子が喧嘩した子と仲直りしたとのこと。先生が入って解決してくれてよかった。娘は今日から期末テスト。嫌だ嫌だと言いながら、根が真面目なので勉強をして毎日お腹が痛いと言っている。

 

夜、ファミレスに舞台の台本を書きに行く。夜に書き物をするのは何年ぶりだろうか。子どもが生まれてからは夜に仕事をしなくなったが、今回はそうもいかない。先月、韓国にシナハンに行っていた映画の台本も1月中には上げねばならない。

 

12月3日(火)

息子、家庭教師で来てくれている大学生のお兄ちゃん先生と和気あいあいで勉強。帰宅前には校庭解放で野球もしてきた様子。転校して元気な時間が増えてよかったと心底思う。

 

夜、ファミレスに舞台の台本を書きに行く。家から遠いがデニーズに行く。他のファミレスだとWi-Fiがつながってしまい仕事にならないのだ。もちろんスマホも家に置いていく。しかし、なかなか台本が進まず、憂鬱になる。

 

12月4日(水)

ドラマの編集の合間に「シコウヒンTV」に出演させていただいた。以前、NHKのラジオでご一緒した小宮山雄飛さんに呼んでいただいたのだ。

 

NHKのラジオのときはややよそ行きの会話だったのだが、その後に小宮山さんが『それでも俺は、妻としたい』を読んでくださって、私の正体を見抜き、呼んでいただいたのだ。「あの野郎、とんでもねえバカだったのか!?」と思ってくださったようでうれしかった。NHKのラジオではひたすら猫をかぶっていたのだ。お気に入りのぬいぐるみとフィギュアを紹介した。

第425回 足立紳さん 前編│シコウヒンTV

第425回 足立紳さん 後編│シコウヒンTV

 

12月5日(木)

終日、アフレコやMAなどドラマの仕上げ作業。その合間に舞台の台本を書く。しかし、なかなか書けずに悶々とする。間に合うのだろうか。不安で不安でしかたがない。夜、動悸が激しくなり眠れなくなる。

 

こういうプレッシャーを今まで感じたことがなかった。結局、朝まで眠れず、妻に不安や動悸を和らげる漢方薬を買ってきてもらうようお願いする。風邪気味で体調も良くない。ユンケルを3本飲むが、これは致死量かもなと思う。

 

12月6日(金)

昼から息子の学校で担任と面談。転校してひと月ちょっと。今のところは馴染んでいる様子とのこと。あと数か月、穏やかに卒業できればと願う。

 

夕方からグレーディング。終了後、本当は台本を書かねばならないのに、現実逃避でスタッフの方と飲みに行ってしまう。現実逃避が楽しいはずもなく、帰ってからまた眠れなくなる。妻が買ってきてくれた漢方薬を飲む。台本が書けない不安から薬を飲むのは初めてなので、このまま自分が壊れなければいいと思う。しかし、他人には仕事上の苦しみは伝わりづらい。私だって他人の仕事の苦しみは理解できないからだ。

 

12月7日(土)

午前中からデニーズに行き、台本に向かう。なかなか進まない。苦しい。昨晩、酒を飲んでしまったために体調もさらに悪化。

 

昼から『それでも俺は、妻としたい』の編集へ。ドラマの中の主人公を見ていると癒される。自分がモデルのドラマに癒されるってどういうことなんだろうか?私はバカなのだろうか?

 

妻は終日、娘の高校のPTA。40人×8クラスある高校で、すごい確率でPTAの本部の仕事のくじを引いてしまったとのこと。11時集合で、来年の合格者への書類作成、梱包、来年度の理事会、役員の選抜など、やることが山積みらしい。それを無報酬でやるってすごいな。

 

夜、またデニーズに舞台の台本を書きに行くも、美男美女(という書き方は今では問題があるのだろうが、見たままを書く)のカップルがとても楽しそうな会話をしていて、心の底から羨ましくなり、自分があの男だったらという妄想ばかりしていた。

 

12月8日(日)

【妻の日記】朝から夫がグロッキーを猛烈アピールしてくる。が、私は息子の体験入試会があるのでそんなアピールはスルーして、8時前には家を出る。寒すぎる。寒い朝は息子は動かなくなることが多いのだが、今日は学校の帰りに「藤子・F・不二雄ミュージアム」に行く約束をしているので、スムーズに出発できた。スムーズに家を出ることができるだけで、本当に助かる。

 

体験入試のあと、個人面談。この学校は教室の椅子と机の脚にテニスボールが付いていて、「これ、音がうるさくなくて良いですね。息子は聴覚過敏があって時々イヤーマフをするのですが、こうやってテニスボールがついていると助かります」などと話していたら、先生の顔つきが少し変わり、「あの、イヤーマフはどんな時に使うのですか? 当校はイヤーマフは許可制なんです。ヘッドホンと似ているので」と言われた。もちろん許可制でも全然良いのだが、イヤーマフに関してウェルカムではないようで、今の時代、インクルーシブ教育の必要性があるなか、自由な校風だけど全然インクルーシブじゃなさそう、と思う。

 

前にもこの学校で個人面談をしたときに、「息子がLD傾向があって、読めたり話せるんですけど、書くのは苦手なんです。端末活用などの配慮はありますか?」と聞いたら、「時代に逆行しているのかもしれませんが、当校は基本プリント学習で、とにかく書いて書いて書かせる授業です。かなり書かせます」と言われたこともあった。もし入学できても、苦労するかもしれないな。でも、生徒主体の自由な校風は息子に向いていそうだしな……とここにきてまた悩む。

 

終了後、藤子・F・不二雄ミュージアムで3時間ほど過ごし、お土産に『21エモン』愛蔵版を買って帰宅。
時おり夫から「もうダメかもしれない」「今回は書けない気がする」「風邪がつらい」などとLINEが入るがガン無視。台本の出来はどうなるか知らないが、ヤツはどうにか力づくで書くと思う。

 

12月11日(水)

大阪に行き、メッセンジャーの黒田さんがやってらっしゃる『おっさんぽ』という番組に出していただくためだ。しかし、体調が悪いにもほどがある。タイホドだ。黒田さんや近藤芳正さんと久しぶりにお会いできるというのに、ほとんど記憶もなく番組収録が終わってしまった。

 

12月12日(木)

【妻の日記】息子、本日の英語のスピーキングテストがどうしても嫌だ、ということで、朝、石のように動かず。こうなるともうどうやってもダメなので、家じゅうの電子機器を隠し、お弁当とお手紙を書いて家を出る。

 

「朝突然、君が動けなくなるのが、私はキツイです。君のテストの点が悪くっても私は全然平気です。でも、君はテストの点が悪いのが辛いんだよね。でも、そこを逃げても、違う辛さがあると思う。テストなんて『ま、いっか』の精神でうまく受け流せるようになって欲しい。この先の人生いろいろあるから、うまくかわしながら生きて行って欲しいです」

 

午前中、喫茶店で仕事して、13時に大阪帰りの夫と下北沢で待ち合わせして、城山羊の会『平和によるうしろめたさの為の』を鑑賞。中島歩の小嘘ばかりつく男も、岡部たかしのモラハラマザコン男も、古館寛治の優柔不断で常にその場しのぎの鈍感な男も妙にリアルだったから、なんか腹が立っておかしかった。あまりの面白さからか、劇が終わるころには夫の体調が戻っていた。

 

帰宅すると、私が息子に書いた手紙がびりびりに破かれていた。そして、習い事のキックボクシングも行っていなかった。反抗期、来やがったか……。ああ、面倒くせぇ。

 

後々聞くと、そのスピーキングテストが班ごとに動物になりきって英語で発表するやつだったらしく、テストの点というよりも、どう発表してよいかわからなすぎて皆の前で恥をかくのが嫌だったのかなと察した。多分テスト内容も聞いていなかったから不安だったのだろうと思う。

 

12月13日(金)

【妻の日記】朝から頭と関節が痛い、と息子が主張。夫も私も今、かなり風邪気味なので、息子も体調が本当に悪いのかもしれない。本日もお休み。娘が息子に「お前、終わってる。いい加減、仮病やめろ!」と怒鳴って出て行った。娘も少々体調が悪いようだが、小テストがあるから踏ん張って行くようだ。娘からしたら息子が甘ったれすぎに見えるのだろう……。娘は学校のあと、バイトもある。あいつは怠け者!と思い、弟に冷たく当たる気持ちもわかるが、それはそっとしておいてほしいなと思う。

 

私も調子がよくないので、一日中家で仕事。息子は『まんが道』愛蔵版を全巻読破。「あー面白かった」とのこと。体調は悪いんだか、大丈夫なんだかわからない。悪いといえば悪いし、まぁなんとかと言えばまぁなんとかなんだろう。将来働くようになったら、いろいろしんどくならない勤務体制で働いてほしいなと思う。

 

明後日から演劇の稽古が始まる夫はフラフラしながら台本を書きに出て行ったが、どうもあの絵に描いたようなフラフラ歩きが芝居じみていてイラッとしてしまい、優しくできない。

 

12月15日(日)

明日から稽古が始まるので、とにかく進められるだけ舞台の台本を書く。肩、肩甲骨だけでなく腕もものすごく痛い。どんなにマッサージに行っても治らない。

 

妻と娘は近所のシネコンに『正体』(監督:藤木道人)を観に行った。私はもうずいぶん映画館に行けていないが、芝居が終わるまできっと行けないだろう。先月、韓国にシナハンに行った映画のシナリオも来月半ばまでに書かねばならない。

 

すでに初稿に関しての締め切りを含めた契約書も結んでいる。契約書がないことを普段は嘆くのに、こういうときに日本の杜撰なシナリオの仕事もいいかも……なんて思ってしまうのがダメなんだろうな。契約書を結んで、その期日を守れなかったらどうなるのだろうか? それは契約書に書いてあるのかな? 妻がやっているからわからない。罰金100万円みたいなことだったらどうしよう。

 

夕方、家に帰ると、息子と保育園友達がワイワイ興奮しながらスタンディングでゲームをしていた。座ればいいのにと思ったけど、2人とも至極楽しそうだからそのままに。夜になって、息子が「頭痛い、関節が痛い」と、また始まった。明日休みたいことへの伏線なのだろうか……。どこまで本気の痛みなのかわからない。

 

12月16日(月)

起きると、息子、37.2度。微熱。仕方がない、お休みだ。頭が痛いのは本当だったのだな。疑ってごめん。娘がまた「お前、またズル休みかよ!」と叫んで学校に行った。私も体調があまりよくないが、稽古へ行かねばならない。どうなってしまうのだろうか? こんなことを書くと仕事を失ってしまいそうだが、演出プランはまだ何も決まっていない。

 

とりあえず、なんとなく書いてある第1場を読んでみた。皆さん不安そうだが、最初の本読みだから私も特に言うことは何もない。が、何か言わなければと思って何か言ったが、そんな感じで言った言葉だから何を言ったのかまったく覚えていない。

 

数日稽古を休んで台本に専念してくださいと、制作の佐々木さんに言われる。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、その気持ちを皆さんで分け合いたいくらいだが、そんなもの犬の糞よりいらないだろう。

 

12月17日(火)

朝、息子の熱を測ると38.5度。近所の病院は外まで列ができるほど混んでいるし、処方されても息子は頑なに薬を飲まないし、どうせ寝ているしかないなか、息子に病院へ行く必要性を納得させる気力も体力もない(息子は大の病院嫌い)。妻も私も体調が良くないが、息子の看病を妻に頼んで私は舞台の台本を書きにデニーズへ行く。もはや書けないとかどうとかではなく、書くしかない。

 

12月18日(水)

今日も稽古を休ませてもらって台本書き。もう本当に申し訳ない。息子、36.8度まで下がる。具合が悪くないのは娘だけ。なんとかもらわないでほしい。

 

12月19日(木)

息子、36.8度だが、まだ関節が痛いというので、今日も学校を休む。でも午後は元気すぎて妻とキャッチボールをしていた。本日は稽古に参加。書いたところまでを、皆さんに読んでいただく。それをボケっと私は見ているのだが、次から次にくだらないギャグとも呼べない冗談だけは思い浮かぶので、それを足していく。ああ、早く書かなければ……。

 

12月20日(金)

息子、熱は完全に下がったが、めでたく登校渋り。あと4日で学校も終わるのだから行きなさい!ということで、無理やり遅刻して登校させる。朝の動けない感じが鬱っぽくて、こちらも落ち込んでしまうが、行った方が午後から元気になるので、よほどのことがない限り行かせたい。

 

夜、『百円の恋』の10周年上映があるため、娘とテアトル新宿へ。娘は小学6年生のときに湯布院映画祭で『百円の恋』を初めて観たが、そのときはあまりピンときていなかったようだ。高校2年になった今はかなり響いたようで、立ち見だったが食い入るように見つめていた。編集と映像が素晴らしいと言っていた。上映後に妻と塾帰りの息子が合流してトークイベントだけ聞いていた。皆さんと一緒に飲みに行きたかったが、娘以外の家族全員体調が良くないのでおとなしく帰宅。

↑超満員御礼のテアトル新宿。うれしすぎます(by. 妻)

 

12月21日(土)

【妻の日記】夫は演劇の稽古。先日、台本の第1場だけを読ませてもらったが、「これはちょっとひどいと思う」と言って大喧嘩になってしまった。批判を受け止められないなら読ませないでほしい。それにしても、野球についてずっと無駄話だけしている台本で、私のように野球を知らない人間が楽しめるのか、とても不安。

 

私と息子は『それでも俺は、妻としたい』の撮影現場で仲良くなった子役の鉄太君とカイラちゃんと遊ぶ約束の日。撮影中は鉄太君とあんなに頻繁に会っていたのに、撮影が終わったら全然会えなくなってしまったので、カイラちゃんのいる横須賀の基地に遊びに行こう!ということで計画。

 

初めての基地に子どもだけでなく大人も興奮。アメリカンなフードコートで「Popeyes」というフライドチキンとピザを食べ、ボウリングをし、アメリカのスーパーで買い物をして帰ってくる。あっという間に時間が経過。夫と娘にもライム味のチップスやほうれん草のクリームディップ、シナモンロール、チキンをお土産に。楽しかった。

 

12月22日(日)

本日は稽古が休みのため、午前中から夕方までひたすら舞台の台本を書く。夕方から映画学校の同期の友人・高橋(青森在住)が飲みに来る。彼は今、青森でリンゴを作りながらいろいろと楽しそうなことをしている、いわゆる青年実業家という怪しい肩書きのやつだ。『百円の恋』の青森上映のイベントも仕切ってくれた。会うのは数年ぶりなので、積もる話で盛り上がった。

 

12月23日(月)

【妻の日記】夫は朝から喫茶店に台本を書きに行き、夕方からそのまま稽古に行くという。子どもたちは学校へ。私は粛々と仕事。息子、早退して2か月に1回の30分の療育へ。ソーシャルスキルトレーニングの時間だが、廊下には息子の大きな声でAmazonで配信中の『龍が如く』の解説が響き渡っている。先生から「説明が上手ですね!」とお褒めの言葉。それでも行かないよりはましか。

 

12月24日(火)

どうにかこうにか舞台の台本をラストまで書く。もう腕力で書いた。右腕の筋肉痛が激しすぎる。クリスマスイブだが今日も稽古だ。家族に申し訳ないが、本番が1月22日で年末年始に稽古ができないからやむを得ない。

 

【妻の日記】夫は朝から仕事。娘、身体がだるいとのことで学校を休む。高校でインフルエンザがすさまじく流行っているから無理しないほうがよいと判断。息子はもう復活し、「1か月に1日の休みは使えない」とブツブツ言いながら登校。帰宅後、大学生のレンタル先生が来る。勉強よりも今日もまた『龍が如く』の解説が始まった。

 

夕飯は鶏の丸焼きを作ったので食す。子どもたちがたくさんお代わりをして1匹ぺろりとなくなる。うれしい。最近は夫がいないのが当たり前になってきて、息子が「今日、父ちゃんは帰ってくるの?」と聞かなくなった。娘も何も言わないが、寂しいのかもしれない。

 

これだけずっと不在だと、子どもとの距離感ができるし、夫の家での居場所がなくなるから良くないとは思う。せっかくのクリスマスイブなので、夕飯後はケーキを食べながら娘と息子と昔のM-1を観る。パンクブーブーとミキが私は好きでした。

 

12月25日(水)

【妻の日記】夫、朝から仕事。舞台の台本はなんとか最後まで書ききったようだが、韓国にシナハンに行っていた脚本も年明けには書き上げねばならず、横から見ていてゲロが出そうになるが、こうしてたまたまいろんなものが重なってしまうこともあるのだろう。韓国のものは第1稿までの契約書もきちんと結んでしまったので、死んでも書いてもらわなければならない。

 

娘、本日もだるいということで学校を休む。息子は「今日で終わりだー!」と足取り軽く学校に向かう。私は洗濯、食器洗い、掃除機掛けなど朝のうちに済ませて粛々と仕事。11時からオンライン打ち合わせ。12時半に息子を迎えに行き、タブレット、習字鞄、給食当番の割烹着、体操着、図工バッグなど大量の荷物を自転車に入れて一緒に帰宅する。

 

以前の学校より成績表が爆上がりしていたため、息子のテンションが高い。なぜこんなに評価が違うのだろう……。そもそも小学校は絶対評価(子ども自身の成長を評価)なのだから、もっと緩くして自己評価を上げさせればよいのではないかと思う。そうすると、慢心して勉強しなくなる懸念があるのかもしれないが、LD(学習障害)のある子は、相対評価(学年全体から見た評価)だとオール1になって自己嫌悪に陥ってしまうだろうな……。

 

とりあえず、2学期お疲れ様ということでオムライスを作る。娘も食欲はかなりあるようで、家で作る焼き芋にバターを乗せて鬼のように食べている。

 

夕飯は昨日と違うバージョンのチキン。よく食べる。夕食後、娘と息子とお笑いを見て、大笑いする。年末感があり、のんびりとした時間を過ごせた。

 

12月26日(木)

年内の稽古は昨日で終わったが、妻が前日に書いているように韓国を舞台にしたホラー映画のシナリオを昨日から書き始めた。実はこれは私が15年くらい前に書いていたプロットが元になっている。それを妻が釜山映画祭で出会った人に読ませて、企画開発してみましょうかとなったものなので、正直この先どうなるのか全然わからない。

 

ただ、初稿のギャラの良さが日本映画とは比べ物にならない。これは面白いものを書かないとまずいぞというプレッシャーを感じるレベルだ。日本だと、まあ、安いしつまらなくてもいいやと思えるからプレッシャーはない。どちらが良いのだろうか? なんて言っていること自体、私の頭の中はおかしいのだと思う。
夜、妻が忘年会でいなかったので、遅い時間まで息子と『イカゲーム』を観てしまった。シーズン2への復習で。

 

12月27日(金)

娘と息子、朝から居間で『イカゲーム』シーズン2。その横で私はひたすらにホラー映画の台本を書きまくる。
昼過ぎ、息子を中野のまんだらけに連れて行く約束をしていたので連れて行く。息子へのプレゼントという名目で1万5000円のレザーフェイスのマスクを購入。そして帰りに地下で大量の刺身を購入。妻に怒られるだろうなと思ったらやはり怒られた。

↑家に不要なマスクが多数あり。今すぐ捨てたい(by.妻)

 

夜、デニーズへ行き深夜2時くらいまで脚本を書く。こんな時間にファミレスで書くのはいつ以来だろうか。かつて友人と住んでいた20代のころなど23時くらいにファミレスに行って夜明けまでだったが、そんなことをしていたのが信じられない。今なら3日はパーにしてしまうだろう。

 

12月28日(土)

昨夜、2時過ぎまで書いていたが、午前中から再びデニーズへ。夜に忘年会があるためだ。右腕の手首がちぎれそうなくらい痛いが、書きまくった。

 

夜の忘年会は高そうな焼き肉屋さんへ。プロデューサーと原作者の作家さんと私の3人だけのささやかで短い時間の忘年会。

 

12月29日(日)

家族で池袋のボーリング場とバッティングセンターをはしご。家族4人で出かけるのは久しぶりだ。ボーリングではすべての試合で私がダントツの1位で、久しぶりに娘と息子から尊敬の眼差しをもらった。「パパ、ボウリングうまいんだね!」と。つっても120点くらいなのだが……。

 

バッティングセンターで3ゲームほど打ち、自然食のブッフェを食べ散らかして帰宅。今日はこの日記にもちょくちょく登場する、長野在住の映画学校時代の友人の槇原が泊まりに来ているので、皆で一緒に銭湯へ行った。100度越えの高温サウナと38度の炭酸泉が心地よい。

 

12月30日(月)

『それでも俺は、妻としたい』の支度部屋として借りていた部屋が、今は編集室となっているが、そこで忘年会。『それ妻』のスタッフ以外にも様々な人が集まって賑やかだった。

 

12月31日(火)

午前中、脚本を書き、午後から妻の実家へ。寿司を食い散らかす。今年は大分県で映画を1本撮り、深夜連ドラを全話監督した。両作品とも自由度が高く、とても楽しい撮影だった。が、お金は儲けられなかった。これだけ自由度の高い作品で、あと少し儲けられたら言うことはないのだが……。

 

そしてこの日記の連載も今年で終わりです。2020年、コロナの3月から始まった日記ですが、皆さん、読んでくださってありがとうございました。日記は終わりますが、人生は続きます。2Fの難民申請中のSさんも、猫も、亀も、バカでかくなった金魚もみんな元気です。どうか我が家に良いことがたくさんありますように。もちろん皆さまにも。長い間、ありがとうございました。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳「忙しくて○ぬ!」と叫びつつラーメン屋に1時間並び、妻の怒りを盛大に買う11月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第56回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

今月も引き続き、足立監督が多忙につき、妻が代打ちです。

 

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11月1日(金)

10月末にクランクアップしたので、夫は滞りまくっていた舞台の台本執筆のため朝から喫茶店へ。私は元の家の片づけ。ずっとロフトに置いていたガラクタや本、VHS、DVDをひたすら片づける。

 

15時から浜松町で夫と共に、とあるドラマの打ち合わせへ。実現してほしいが、ハードルも高そう。次の予定まで1時間あったので、浜松町の焼きトン「秋田屋」で立ち飲み。久しぶりのホルモンが体に沁みる。体中煙臭いまま、私だけ18時半から東京国際映画祭関連のパーティーへ出席。外国圏の方々が多く、片言の英語でどうにかコミュニケーション。汗だくだく。

 

11月2日(土)

夫と朝から大ゲンカ。夫は捨て台詞を吐き散らかして別府短編映画の本編集作業に向かった。

 

朝から降雨で寒く、娘も息子も引きこもっていたので、パソコン作業をしながら『レッド・ノーティス』(監督:ローソン・マーシャル・サーバー)を観る。我々は皆ドウェイン・ジョンソンが好きなので、出てくるだけで笑ってしまう。14時に家を出発してクソ夫が本編集作業をしている半蔵門へ向かう。意見などを言って、夕方別府のプロデューサーの真帆さんと、娘と、最近知り合ったHさんと新大久保へ韓国料理を食べに行く。

 

クソ夫も来たそうだったが、絶対に誘わない。タコもエビもカニも肉もすべて美味しかった! ご飯のあとは4人でカフェ(私はチャミスル)。4人とも多分ADHDなので、ADHDあるあるや、生きづらいけどどうにかうまく乗り切って生きていく方法に花を咲かせる。

 

帰りにスマホを見るとママ友からLINEが。息子は本日友達の家にお泊りに行かせてもらっていたのだが、息子が友達の家に10キロのダンベルを持って行ったらしい。友達と筋トレしたかったとのこと……。息子の自転車にはカゴがないので、夕方暗い時間&雨の中、片手運転で10キロのダンベルを持って行ったかと思うと、頭が痛くなった。

 

11月3日(日)

娘、今日は一日引きこもり配信DAYにするとのこと。夫と両国へ行き、臼田あさみさんと川島小鳥さんの展覧会「ソウルメイト」を見に行く。臼田さんの透明感とソウルの空気感が感じられ、とても素敵な空間だった。

 

急いで帰ってたまった仕事をしなければならないのに、夫が「両国まで来たからには亀戸餃子が食べたい」と食い意地が発症してしまい、こうなると止まらないので仕方なく向かうも、長蛇の列。これは長すぎると話し、それでは錦糸町に向かい、「孤独のグルメ」で紹介していた町中華に行こうという話になり、45分近く歩いてその店に向かうも、これまたものすごい行列。ここまで来たら適当なお店で食事するのが嫌になり、夫が血眼になって食べログを検索。必死に検索した結果、昼からやっている「楓」というお店に入店。もつ焼き、もつ刺し、煮込みが美味しくて、焼酎の杯を重ねてしまう……夫が締めに食べた自家製ラーメンもさっぱりとして美味しかった……。これから仕事しなくちゃいけないのに、やれるのか……。

 

とりあえず急いで帰宅し、夕飯まで怒涛の仕事。でも全然終わるはずもない。子どもらにおでんとうどんを作って、夕飯後も仕事をしようとしていたのに、まんまと息子に本を読んでいてそのまま寝落ちしてしまった……。

 

11月4日(月)

朝、9時半に息子と娘を祖父母にあずけ、市ヶ谷にある都市センターホテルに向かう。先日、夫が鳥取県のフィルムコミッショナーのアドバイザーに任命されたので、鳥取県人会でご挨拶をさせていただくのだ。ホテルに着くなり物々しい雰囲気。なんでも本日鳥取一区の石破総理も来られるとのことで、我々もSPに全身くまなくチェックされる。夫がご挨拶に登壇すると、客層的に完全にアウェイ感丸出しで夫の緊張が伝わる。

 

なんとか20分ほどの挨拶を終え、そのままダッシュで東京駅へ。本日は岐阜県飛騨市で『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映イベントがあり、45分後の新幹線に乗らないと間に合わないのだ。ひたすら走る、なんとかセーフ。

 

富山駅からちょうどいい時間の在来線がなかったためタクシーで会場に向かい、無事登壇の30分前に到着。臼田あさみさんと、岐阜新聞社の後藤さんとつつがない45分のトーク。途中、質疑応答で客席からバンバン手が上がり、大変ありがたかった。

 

上映イベントのあとは、飛騨市の都築市長と、撮影でさんざんお世話になった観光課の方々と岐阜新聞社の方々、臼田さんとマネージャーさんと娘さん(撮影の時から背が伸びていて驚いた!)と坂井プロデューサーと会食。飛騨市神岡の地酒を散々飲んでから、神岡のディープなスナックへ。元炭鉱町の風情があって、趣ハンパなし。深い時間までいってしまった……。

 

11月5日(火)

朝イチで東京に戻る。子どもたちには富山の笹寿司、押し寿司のお土産。喜んでいた。

 

11月6日(水)

朝、オンライン打ち合わせ。その後、11時に家を出発し、12時から対面打合せ。韓国の方との打ち合わせなのだが皆さん日本語ペラペラ。私も最近Duolingoでハングルを勉強しているがなかなか身につかない。覚悟が違うのだろう。

 

打ち合わせ後、少ししか時間がないがここで逃すと食べる時間がないので、夫と有楽町のベトナム料理屋さんへ。薄味で野菜も取れて美味しかった。その後、夫はアフレコのスタジオへ。私は息子の習い事のお迎えへ。

 

11月7日(木)

午前中、赤坂で打ち合わせ。業界に長くいらっしゃる方。夫はその方と久しぶりに会ったようでうれしそう。次の打ち合わせまで少し時間があるとのことで、赤坂で昼食を食べようとぶらつき、偶然見つけた地下の小さいフレンチに入店。ランチ2000円で大満足。とても美味しかった。

 

その後、夫は打ち合わせへ。私はダッシュで帰り、仮住まいの引っ越しの見積もりを業者と打ち合わせ。あと4日で荷物を全て梱包しなければならないことにどっと疲れが押し寄せる。たった3か月の仮住まいだったが、物がとっ散らかっていて、片づけるのに苦戦しそう。

 

11月9日(土)

朝から仕事。11時から息子の転校先の最初で最後のイベントの音楽会があるので夫と行く。今までだったら絶対に行き渋っていた音楽会だったが、息子は今回スムーズに登校できた。

 

最初がリコーダーで「喜びの歌」。あんなにリコーダーが苦手だったのに、どうにか吹いている。そして合唱のあと、「スターウォーズ」の大合奏が始まると、息子はすかさずイヤーマフを付けた。と、同時に大太鼓、シンバルなど打楽器、大迫力。私と夫が目があい、息子がスムーズにイヤーマフを付けられたことに涙が出そうになる。というか夫は号泣。大きな音が苦手なりに、自分で対応ができていた。すごい成長を感じる。

 

家で待っていると、息子、はにかんで帰宅。自分でも頑張ったという自負があるようで見ていてうれしい。今日は矯正の日だが、いつものようにグズグズにならず、歯医者さんにもスムーズに行けた。

 

昼ご飯を食べていなかったため、歯医者のあと、近所のラーメン屋さんへ。チャーハンとチャーシュー麺大盛りを平らげる息子の姿を見て、喜びの焼酎を数杯飲む。

 

11月10日(日)

夫、朝から喫茶店。娘は明日の引っ越しに備えて部屋の片づけをするとのこと。私と息子は朝から入試体験会。朝が早いのでかなりぐずぐずしていたが、どうにか行けた。顔なじみ母子もできて、一緒の教室で体験入試をし、一緒に学食でご飯を食べ、練馬まで一緒に帰ってくる。今度練馬で飲みましょうと約束する。息子は新しい友達ができてうれしそう。

 

帰宅後、毎日「忙しい忙しい忙しい、もう無理だ無理だ無理だ」と言っている夫が、娘と娘がドはまっている池袋の麻辣麺屋に1時間も並び、その後、カフェでスイーツを食べていたことが発覚。

 

娘と過ごすことは全然いい。いいのだが、毎日毎日口を開けば「忙しい忙しい、死ぬ死ぬ」って言っていたくせに! 私は夫の忙しいアピールを真に受けて、家のこと(主に引っ越し)、育児、仕事、その他大半のことをめちゃくちゃ請け負って半ばパニックになっていたのに、オマエ全然余裕あるじゃねーか! と怒り心頭。でも、夫は夜まで編集で家にいないから直接言えないので、悶々としながらやけ酒。

 

もう夫の「大変」は真に受けないようにしようと誓う。優しくしてやって、いろいろやってやって損した気分。酒をがぶ飲みしながら、明日の引っ越し片づけをしていたが、荷物は半分も片づけられていない。でも心身ともに疲れすぎて、体が動かない。もうなるようになるしかないと思う。

 

※夫の一言

仕事の合間のわずかな隙間をぬって娘と昼食を食べにいっただけで、まさかあんなにも怒り狂われるとは思いませんでした……。

 

※妻の一言

娘とご飯食べることは全然いい。むしろ、大歓迎です。ただラーメン屋に1時間並ぶとか、その後スイーツ行くとか、そんな余裕があるのなら、少しは家のこともやって下さい!

 

11月11日(月)

朝6時起床。朝食を食べている娘と夫を傍に見て、ひたすら梱包作業。そうこうしているうちに息子起きるも、ご飯を食べたあとに「だめだ、疲れた、行きたくない」と動かなくなる。「おい! 転校して1か月も経っていないのに、またそれをやるのか‼」と朝から怒鳴りつけ、相手にせず片づけていたら、どうにか遅刻登校。

 

朝9時、引っ越し屋さん到着。8月の引っ越しの時と同じ方だったのでやりやすい。どんどん運んでもらい、元家で大物家具の場所を指定し、10時半には引っ越し完了。なんという力持ちか。しかし積み上げられた段ボールを見て途方に暮れる。これから、この荷物をほどいて片づけなければならない……そして明日から、夫の映画学校の同級生の太田さんが5日間泊まりに来る。このごみ屋敷にどうやって寝るのか……思考は一気に停止。

 

11月14日(木)

夫、朝からダビングで大泉のデジタルセンターへ。娘、1時間目の体育のあと、咳き込んで吐きそうになったということで10時半には早退帰宅。

 

私と息子は午後から中学校就学相談。11時、息子に出るよーと声かけるが(就学相談の話は1か月前から言っており、3日前から11時に出て、くら寿司食べてから就学相談に行こうね、と前向きな約束をしていたのだ)、就学相談が検査かなにかと思っているのか不安が勃発してしまい、トイレから出てこず全然動けない。

 

もし公立中学校に行った場合に、特別支援級を週に1コマでも受けさせたいのだが、そのためには就学相談を受けなければならない。日程が今日しか合わなかったからどうにか行かせたいのだが、一向に動かない。説得しても、怒っても、悲しんでも怒鳴ってもだめ。もうこれはダメだ……と思って、大変落ち込んでいたら、ようやくようやく、スローモーションに動き始めて、どうにか行けた。

 

こう書くとたいしたことない感じだけれど、1時間半の膠着戦はすごくエネルギーを消費する。私は息子が約束していたことで動けなくなることにとてもダメージを食らう(息子と約束するというのは学校関係、区関係とかかなり大事なことが多い。遊び系イベントは行けなくてもどうってことないので全く気にしない)。

 

どうにか手を引っ張って、光が丘の発達支援センターにギリギリ入る。医師面談、小集団の活動(読み書き、粗大運動)、校長面談の2時間だが、息子は楽しそうにこなし、帰りは達成感でご機嫌多弁だったが、私の気持ちは切り替えができず、優しく話を聞くことができなかった。

 

さっきまであんなに困らせたくせに、なんでそんなにご機嫌なんだよ……と悲しくなってしまい、無言で帰宅。息子、立ち読みして帰るというので、「どうぞ」と答え、家に帰るが心身の疲労感が半端なく、黙って居間に座っていたら、お昼の息子の出る出ないの1時間半をずっと聞いていた娘が自部屋から出てきて「あれはママしんどいよ」と言った。「そうなんだよね、私もうまく対処ができなくて……どうしていいかわからない」と言うと、「あれはどうにもできないよ」と娘が言ってくれた。息子のことを誰かに相談してもなかなかわかってもらえない、とても孤独な悲しみだったので、娘が一部始終を見て、話を聞いてくれたことに救われた。

 

夜は娘と息子のはまっているきのこトッポギと、チキンステーキを作り、刺身も付けた。

 

11月15日(金)

10時に新宿の喫茶店で打ち合わせ。企画実現に向けて、いろいろ話す。夫も違う場所で違う企画に向けて打ち合わせ。2つとも上手く行くとよいなと思う。

 

帰宅後、仕事。息子帰宅。塾に「行きたくない行きたくない、僕ができないと連帯責任で居残りさせられる」とまた、発作が始まったので、先生に「今日は脳調が悪いので居残りをやめてもらってもよいか」とLINEしたら先生が了承してくれて、息子渋々行けた。

 

夜、塾の先生からライン。息子がとても塾では楽しそうだった、連帯責任とかの話はしていないとのこと。

 

息子は話を聞いていないことが多く、聞いていないなかで聞こえたセンテンスで話を作るので(事実でないことも多い)、結果不安になり、パニックになることが多い。人が話しているときは全力で聞け! と百万回くらい言っているが、彼は無意識に違うワールドに飛んでいるから、気をつけようもないのだろうな……と思う。どうか自分の取説を早めにマスターして、パニックになって悲しむことが減るとよいなと思う。

 

娘は学校後、バイト。「年上のバイトの方々が優しくて面白い、私やっぱり同世代が苦手なんだわー」とのこと。バイトを楽しむようになってから、娘が少し明るくなった気がする。よかった。

 

息子が太田さんと『ジョーズ』(監督:スティーブン・スピルバーグ)を観たいというも、太田さんは今日遅いので一緒に『龍が如く』第2話を観る。最近毎日『龍が如く』を観ている。

 

11月16日(土)

娘、学校→バイト。

 

息子と私は午後からもう1つの志望校のミニ学校説明会。1時間で終わったので、途中の駅にある藤子・F・不二雄ミュージアムに行く。展覧物はあまり見ず、3時間マンガを読んでいた。そしてお土産に買うマンガを30分かけて選び、夕方帰宅。

 

夫は9月に亡くなった友人のお葬式を同期の仲間たちと。ちゃんとした葬儀は当然すでに終わっているのだが、同期で集まってやってもらったとのこと。

11月17日(日)

今日は別府短編に出演していただいた天野はなさんの芝居「太鼓たたいて笛ふいて」(こまつ座)に行く日。

 

1時間10分(休憩はさんで1時間40分)の演劇を、息子が最後まで観られるか心配したが、最後まで座ってちゃんと観られたのでよかった。娘も「面白かった!」とのこと。主人公・林芙美子の創作への強い意志に、背筋が伸びた。中途半端に仕事をしてはいけないな、身が引き締まる。

 

その後、一緒に観劇していた映画監督の武正晴さんと、新宿花園神社の酉の市へ。夫と息子がどうしても見世物小屋へ入りたいというので、みんなで見世物小屋へ。生のうじ? 巨大なミミズ? を食べるやもり女や、ろうそくの火を口で消す人や、暴れて奇声を出す野獣? や、ホチキスを刺しまくるOLさんを、ぎゅうぎゅう詰めのなかで見る。息子は最前列で見ていたので、ミミズをかみ切った時の飛び散る汁が顔にかかって興奮していた。

 

井上ひさしからの、見世物小屋のカオス。すごい経験だった。酉の市のあとは、着替え終わった天野さんと、偶然見に来ていた俳優の佐野弘樹さん(同じく別府短編映画に主演してもらっている)と、一緒にご飯を食べに行き、とても楽しい夜だった。

 

11月19日(火)

仮住まいの電気・ガス・水道すべて停止。そして、レンタル家具もすべて返却。仮住まいは空っぽ。3か月間、有難うございました。それにしても夫がずっとズボンを探している。引っ越し中に大のお気に入りのズボンが2本、行方不明になったようで、ずっと私のせいにしている。もちろん、私は全然知らない。夫の服以外はなくなっていないから、日ごろの行いが悪いというか、夫のポイ脱ぎのせいだと思う。

 

11月22日(金)

10月末まで撮影していたドラマ『それでも俺は、妻としたい』の情報解禁。

 

『喜劇 愛妻物語』の豪太&チカの、また別のお話。皆さんが、笑ったり、怒ったり、呆れたりしながら見守っていただければよいな思う。これ、足立は「ほぼ実話」って言っているが、豪太より足立のほうがかなりのクズだと思う。

 

※夫の一言

そして妻の言葉遣いはドラマのほうが数百倍ソフトになっています。

 

11月25日(月)

今日から韓国へシナハン。5時に娘と息子に挨拶して出発。祖父母が6時に来るからねと伝える。

 

昨晩の夫のいびきで完全不眠のため、空港でとりあえず酒を買い一気飲み。機内は爆睡できた。到着後、ソウルやカンナム付近の都市部をシナハン。都市部は東京と全然変わらない。

 

夜は韓国のフィルムコミッションの方と制作会社の方、夫の日本映画学校の後輩で、今韓国で映画監督をしているイ・ユンソクさんなどと食事。肉もうまいが、付け合わせのキムチの種類が多くて、興奮。

 

21時に会食を終え、そこから23時まで町で子どもたちの塾を町で取材。寒いなか22時過ぎると至るところのビルから子どもたちがわらわらと出てくる。スマホ片手に、バスやお迎えの親の車に無言で乗り込む。22時に子どもたちで埋め尽くされたぎゅうぎゅう詰めバスを見て、韓国の受験競争のすさまじさを感じる。月曜日からこの時間まで勉強して、土日は一体どうなっているんだろう。韓国の出生率が著しく下がっていると新聞で読んだが、これは子育て大変だと思う。金銭的にも心身的にも。

 

23時半、ホテルに戻る。フラフラで眠かったけど(いつもは21時には寝ている)大浴場があるホテルだったので、意地で入浴。寒いんだもの。爆睡。

 

11月26日(火)

韓国シナハン2日目。アンドン(安東)付近の河回村で伝統のお面の演劇を見る。まったく期待していなかったが、妙に面白くて、老婆の舞の真似をしたくなった。その後、村をひたすら歩く。

 

昼食は鯖焼きと鶏肉の煮物。鯖は驚くほど日本の干物に似ていた。鶏肉の煮物は日本とは少し風味が異なり、これまた美味しかった。夕方からプゴク(釜谷)に移動。温泉街なのだが、寂れ方が半端ない。道には人が歩いていない。ホテルも我々しか宿泊していなさそう。

 

最近娘と息子と『シャイニング』(監督:スタンリー・キューブリック)を観たばかりだったので、なんだか怖くって仕方がない。夕飯にホテル前のお店でカムジャタンを食べる。とても美味しかったが、お客さんは我々のみ。21時半解散。飲み足りなかったので、韓国の女性スタッフMさんと飲みに行くも、どこも店が閉まってしまったので、セブン-イレブンでチャミスルとビールを買って、Mさんの部屋で飲みなおし。

 

このホテルは各部屋に4メートル四方の浴場がある(昔の韓国の温泉は大浴場ではなく各部屋に大きな風呂が付いているような感じだったそうだ)。このまま飲んでいたらお風呂に入る時間が確実になくなると思ったので、Mさんの部屋の風呂に温泉を溜めて、2人で酒を飲みながら温泉に入る。コイバナやら韓国の撮影現場の話などがめちゃくちゃ楽しくて1時間以上お風呂に入ってしまった……。明日も朝早いので24時に解散にする。Mさんの部屋を出ると、廊下が薄暗く、人の気配がない。我々の部屋がみんなと違う階だったのだが、1人でエレベーターに乗るのが怖すぎて、Mさんに部屋まで送ってもらう。

 

11月27日(水)

6時帰宅。夫は1人で早朝ロケハン。私は朝風呂。オンドル(床暖房)が最高。朝食はホテルの人に教えてもらったもやしクッパの店へ。そこはなんと15人ほどのお客さんがいた。この町にも人がいたと驚く(昨晩は明らかに無人だった)。もやしクッパは酒が残っている身体に沁みた。付け合わせの豚ひき肉の乾いたやつが美味しくて、夫が店のおじいさんに「美味しい!これはスーパーとかに売ってるの?」と聞くと、「売ってない」とそっけなく言われた。食べ終えて、会計をしていると店の奥からおじいさんがタッパーに入れた豚ひき肉の乾いたやつを持ってきて「もってけ」と言ってくれた。そっけないのに温かい。たくさん「カムサムニダ」と言って、シナハンに向かう。

 

その後、プゴク温泉村の観光協会に取材、温泉村の閉館したスパランド、周辺のスーパー、小学校、などをシナハン。どこに行っても皆さん、質問に対してかなり多めの情報を答えてくれて話が弾む。その後、もう少し田舎の村に行き、シナハン。村でキムチの準備をしていた老婆に声をかけて(韓国ではこの時期に1年分のキムチを仕込むらしい)、雑談していたら、制作部のSさん、Mさんがお婆さんに交渉してくれて、2軒も家に上げていただけた。ドラマや映画では見たことがあるが、本物の民家に上がって、生活感を生で感じられてよかった。敏腕の制作部に感謝。

 

その後、プサン(釜山)に向かう。道中2時間ほど。

 

夕方17時釜山到着。18時に地元の映画館をシナハン。その後、ムーダンという祈祷師に取材をしつつ、足立を見てもらった。ムーダンが震えながら伝えたのは「あなたの妻は気持ちがとてつもなく広い。彼女の言うことを聞くべき! あなたはとても頑固だし、自分のペースが強すぎる。自分の好きに生きていたら上手く行かない。彼女の言うことに従いなさい」と言われていた!「ほらみたことか!」と思う。足立はとても頑固だし、私の話は頑なに聞かない(仕事仲間の話は多分に聞く)。私は最近言うのを諦めていたが(無駄に口論をしたくないので)、もう諦めるのをやめようと思った。あと、本当に体に気をつけろ!特に血管と内臓!と何回も言われていた。

 

その後、地下組織のアジトみたいなお店でコプチャンをいただく。「健康に気をつけろ!」と言われたばかりなのに、油たっぷりのホルモンを何度もお代わりして、お店のおばちゃんにも「そんなに食べたら血管詰まるよ!」と言われていたが、人生最後のホルモンにする!と言って、思う存分ホルモンとミノを食べていた。キムチが美味しい美味しいとみんなで食べていたら、帰りに店のおばちゃんがキムチを大量にくれた。ビニール袋を三重に巻いて。なんとありがたい!楽天で10キロ買ってすぐ消費する我が家には本当にうれしいお土産だ。

 

22時半解散。まだ飲み足りなかった私とMさんは、近所で腸詰(スンデ)やらおでん(魚のすり身)やら天ぷらを買って、また近所のセブン-イレブンでチャミスルを買って、Mさんの部屋で飲む。また韓国の制作現場の話をたくさん聞いているうちに2時を過ぎてしまう。Mさんが3時まで飲んでいけとおっしゃってくれたが、もう体がフラフラなので、申し訳ない!と断って部屋に戻る。夫がすごい音のいびきを出していたが、もう止める気力はなく、気絶するように眠った。

 

11月28日(木)

韓国シナハン4日目。釜山の市場をシナハン。市場には見たことのない肉の塊や、貝や、魚が売っていて興奮。その後、お寺を見ていたら、韓国のお寺は誰でも無料で食べられる食堂があって、そこで我々も精進料理やスープやフルーツをいただく。食事をした人は各自食器を洗うのだが、足立が食器洗いにはまってしまい、お寺の手伝いの方とかなり大量な食器を洗い始める。そして妙に感謝されて、またまた大量のお餅のお菓子をいただいた。ありがたや……。

 

その後、キムヘ(金海)付近をひたすら歩く。銀杏並木がきれいな坂が多い町だった。昼に食べたキンパがとても美味しかった。夕方、金海空港を出て、少し遅れて成田着、2100自宅着。娘も息子も寝ておらず、「お土産は?」と待ち構えている。

 

娘には化粧品、お菓子、K-POPアイドルみたいな洋服。息子にはお面とざくろと洋服。喜んでくれた。写真を見せると2人とも韓国料理が好きなので、いいなーいいなーと連呼。今度は家族で行きたいと思う。

 

息子の頬に結構深めのかさぶたがあり気になったが、聞いても何も答えないのでそのままにして、寝かせた。

 

11月29日(金)

夫、朝6時に山口県の周南市へ出発。本日は特別支援学校で講演。周南映画祭で知り合ったご縁だ。企画してくださった宮本さんから非常に充実したイベントだったとご報告をいただきホッとした。

 

息子は4日間我慢していたのか、朝甘えた感じが強く、「今日は月に1回のお休みデイにする!」というのでお休みさせた。先生へのアプリの欠席連絡と共に、「顔に結構深めの傷があるのですが何かありましたでしょうか? ここ4日間不在でしたので、様子に気づけなかったので何かありましたら教えてください」と入力。

 

仕事を溜めに溜めていたので、すぐにでも仕事に着手したかったが、息子がなんだか訳ありそうなので、仕事を諦めて一緒に韓国映画『無双の鉄拳』(監督:キム・ミンホ)を観て、16時ごろ、練馬の三の酉に行く。息子は学校休んでいるのに、同級生に何人か会ってしまったため、気まずそうだったが、射的だけはやった。帰り道、それとなく頬の傷を聞くと、「煽られたからどついた」と一言のみ。ちょうどその時、担任の先生から電話があり「下校中に他クラスの子とトラブルが発生したらしい、相手の子は木も金も休んでいるので状況がわからないから月曜に連絡します、見ていた子がいるのですが、足立君が一方的に手を出しているわけではなく、お互いやりあったようです」とのこと。

 

ようやく、話がわかったので、少し安心。息子も話せたことで少し気持ちが楽になったようだ。帰宅して、今度は『悪人伝』(監督:イ・ウォンテ)を見る。マ・ドンソク2本立て。

 

11月30日(土)

周南映画祭にて『百円の恋』と『百元の恋』の上映。2012年、周南映画祭の松田優作賞で受賞しなかったら、足立は今のように好きな仕事をできていないと思うと、感謝しかない。

 

娘は朝から友達と勉強しにファミレスへ。私は息子と部屋の大片づけ。10月の誕生日にベンチプレスや懸垂機を買ったのだが、クリスマスはルームランナーが欲しいそうで、物が多くて、狭く汚い部屋にはもう無理だと伝えたら「片づけるから手伝って!」とのこと。

 

鉄は熱いうちに打て!ってことで、ノリノリの音楽をかけながら部屋を片づけ、卒業したマンガを段ボールにひと箱詰めてBOOKOFFに売りに行った。全部で800円!お気に入りのチェンソーマンフィギュアももう飾ってないので売ったら開封済は一律100円です、と言われ、まぁ仕方がないと納得して売った(その後店頭で1900円で売られていたが……)。部屋が片づいてうれしかったのか、売ったお小遣いでまたマンガを8冊買っていた。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

『それでも俺は、妻としたい』クランクアップ! ひたすら撮影の足立紳に代わり、事務仕事も家事も日記もやりきった妻の10月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第55回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

今月も、足立監督が『それでも俺は、妻としたい』の撮影で多忙につき、妻が代打ちです。

 

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10月1日(火・都民の日)

撮休。学校が休みのため、娘は朝から友達とカラオケ。息子は午後から保育園友達と遊ぶとのこと。2人とも外出するならばと、昼に夫と『SUPER HAPPY FOREVER』(監督:五十嵐耕平)鑑賞。別府の映画で主演をしていただいた佐野弘樹さんが主演で、素晴らしかった。何か祈りみたいなものを感じた映画だった。仕事が残っていたため鑑賞後はすぐに帰りたかったが、「腹減った腹減った」と夫がうるさいので、新宿・思い出横丁の「岐阜屋」で木耳玉子炒めや餃子で一杯。夫とカメラワークについて話すも、2人とも馬鹿な感想しか出ないので笑ってしまう。

 

帰宅すると息子と友達が家で仲良く爆音YouTube鑑賞中。リモコンを置いて出てしまったことを軽く後悔。息子はリモコンがあると家から出ないので、友達を無理矢理家に連れ込んだのだろう……。

 

16時半からレンタル先生(今まで塾の先生にレンタル先生を頼んでいたのだが、息子に緊張感が一切出ないので新しく大学生の先生を頼む)。受験する学校の過去問対策。国語の問題で150文字の意見を書く欄があるが、息子は字を書かず、口頭で意見を沢山述べていた。大学生のお兄ちゃん先生が何度も「そうそう!」と褒めてくれるのがうれしい様子で、結構進んだようだ。

 

夜は鶏肉タッカルビと大根の煮物。

 

10月2日(水)

それでも俺は、妻としたい』撮影11日目。朝一で練馬のBARで撮影。近所なので見学に行く。その後公園に移動。大変蒸し暑くて体力消耗。その後、我が家に移動して室内撮影。撮影に見学に来てくださった脚本家/監督のホン・ソネさんと色々話せて私は楽しかったが、ホンさんは疲れたかも……。

 

10月3日(木)

撮休だが、ロケハン&諸準備のため夫は朝から外出。子どもたちも無事学校へ。ならばと、朝からポレポレ東中野で『荒野に希望の灯をともす』(監督:谷津賢二)、『あなたのおみとり』(監督:村上浩康)を鑑賞。急いで帰宅し、息子と娘に夕食作り。夫が夕方に帰ることが判明したため、子どものケアを頼み、小雨の降るなか、再度自転車で東中野に戻り『あみこ』(監督:山中陽子)鑑賞。行ける日に行かないと映画が全く観られないが、今日はエネルギー感じる3作品を鑑賞できて幸せだった。

 

10月4日(金)

息子、最近の寒暖差で風邪をひき、咳が止まらないので早退して病院へ。薬は頑なに飲まないのだが、咳を止めないと撮影現場で子役の鉄太君と会えないので「薬を飲む!」とのこと。病院の待合は満席で、皆ゲホゲホしているなか1時間待っていたら私も具合が悪くなる。気管支を拡張するテープと咳止めの薬をいただき、お薬を上手く飲めるゼリーを購入。夕飯後に息子は薬に挑戦したが、どんなに細かく砕いてアイス、ゼリーなどに混ぜても必ず吐き出してしまう。薬に関しては恐ろしいまでの味覚。難しい。気管支拡張テープだけ貼って早めに寝かせた。

 

10月5日(土)

撮休だがロケハンがあるため、夫は朝から外出。娘、本日だるいので学校休むとのこと。

 

息子と受験する学校の入試説明会。行き渋っていたが、帰りに途中の駅にある藤子・F・不二雄ミュージアムに寄る約束をしてどうにか連れ出す。無事説明会を終え、ダッシュで16時に入館。藤子・F・不二雄が大好きな息子はかなり興奮。閉館時間の18時までたっぷり満喫。お土産屋さんで分厚い愛蔵版を購入。今度この学校の説明会来たら、ここに寄ろうと約束する。

 

帰りにスーパーでお刺身やお肉を買って、20時帰宅。バイト帰りの娘と共に、遅い夕飯。

 

10月6日(日)

撮影12日目。息子、撮影を覗きに行きたがったが、咳が治まらない。狭い家の中の撮影なので自粛させる。咳以外は元気なので、引きこもっている娘と息子と共に家で『シャイニング』(監督:スタンリー・キューブリック)鑑賞。2回目の鑑賞だが相変わらずすごい映画。息子、興奮。

 

息子は観終わるとすぐに『シャイニング』の40年後を描いた『ドクター・スリープ』(監督:マイク・フラナガン)を観たいと言う。ただ、私と娘がシャイニング疲れをしてもう観られないので、今度観るという約束をする(1人では観られないようだ)。

 

10月7日(月)

撮休。夫、諸々準備のため外出。娘、「学校行きたくないーーでも行くんだよ、私すごいでしょ!! 褒めてよ!!」と叫んで家を出る。褒める。

 

午前中『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(監督:アレックス・ガーランド)鑑賞。ジェシー・プレモンス、キレてたな。映画を観終えると税理士さんから不在着信あり。折り返すと、滞っている帳簿入力の催促。そろそろ言われることはわかっていた。ずっと放っておいたが、もうやらねばならない。自宅に戻り粛々と経理作業。

 

10月8日(火)

撮影13日目。本日は千葉方面で人数多めの撮影とのこと。夫は時間が足りないことをしきりに気にしていたが無事何事もなく撮れますように。

 

朝からパソコンを持ってロケ地になっている自宅にて黙々と事務作業(猫が寂しがるため、撮影がない日は自宅で作業をしている。15年以上飼っていても全然なつかなかった猫が、最近は必ず膝に乗ってくる、よっぽど寂しいのかしら)。

 

お昼休憩の時に、先日ホンさんにお勧めされた『RAW〜少女のめざめ〜』(監督:ジュリア・デュクルノー)鑑賞。これが長編デビュー作なの!? と興奮。『TITAN』も観直そうと思う。興奮さめやらずだが、午後も粛々と事務作業。

 

夕方から大学生お兄ちゃんのレンタル先生。今日も「そうそう! そうそう!」と褒められて、楽しそうな息子。夕飯時、娘が学校での友人関係のもめごとを唐突に話し始める。限定的な高校の友人関係もなかなか大変だったよな、と聞きながら思う。意見を言うとものすごいキレ味を出すので、ひたすら傾聴。

 

10月9日(水)

撮休だが夫は諸準備。もはや撮休ではない。

 

私は息子を月に1回の療育へ。先生とソーシャルスキルトレーニングをしているはずが、廊下には息子が先生に一方的に「バイオハザード」の攻略法を話している声しか聞こえなかった。その中でも先生がちょいちょいメンタルな質問を投げかけているらしく、それに息子は答えているようなので、行かないより行ったほうがいいか、という感じ。

 

夕方16時半、駅の改札で今回のドラマのプロデューサーの息子さんK君と合流。プロデューサーのGさんはこのままポスター撮りに立ち合い。私と息子とK君は家でお留守番。4歳年下のK君と息子がキャッキャッとゲームをやっていて楽しい時間。無事ポスター撮りを終え、19時半頃、K君とバイバイ。

10月10日(木)

撮影14日目。朝から地元の公園で撮影後、調布のお寺に移動。公園のシーンだけ見学に行ったが、俳優陣も多く、見ていて楽しいシーだった。特にママ友のシーンは面白くなりそう。

 

お昼に戻り、またまたせっせと苦手な事務作業。昼休憩に『TITAN』(監督:ジュリア・デュクルノー)を見てしびれる。初めて見た時より細かいところも楽しめて、1回目より面白く感じた。

 

10月11日(金)

撮影15日目。朝から自宅にて撮影。

 

私は8時50分から学校のスクールカウンセラーと面談。この2年大変お世話になったが、来週から転校する経緯を話し、感謝の意を伝える。「学校として力が及ばずすみませんでした」と言われるが、全然そんなことない! 我々夫婦のまとまらない気持ちを聞いてくれただけでどれだけ助かったことか。転校が息子にとって吉と出るか凶と出るかわからないが、息子にとって良い経験になればよいと思う。

 

帰宅後、仕事。昼休憩中に『籠の中の乙女』(監督:ヨルゴス・ランティモス)鑑賞。ぶっ飛んでいて頭がガンガンする。ちょっとぼうっとしてたら15時半に。朝、息子が「いつもボッチで帰ってくるから最後の日だけお迎え来て」というので、近くの門で待っていたところ、友達数人と一緒に帰ってきた。私と目が合うと「先に帰ってて」と合図。先に帰って待っていたら、涙ぐんで息子帰宅。クラスメイトから「またな」「がんばれよ」などと言われた様子。ずっと無視されていたと言っていた級友は、わざわざ一度家に帰ってからお金を持ってきて、自動販売機でコーラを買ってくれたと感動していた。

 

息子が「今の学校が死ぬほど嫌だ、耐えられない」と言っていたが、転校するまでではなかったのではないか……とまた悶々。悩んだことの堂々巡り。正解などわからない。その後、息子はケロっとして撮影現場に顔を出して、休憩中の鉄太君と遊ぶ。私は息子のランドセルから転校書類を引っ張り出し、大慌てで17時ギリギリに区役所へダッシュ提出。

 

10月12日(土)

撮影16日目。朝から自宅にて撮影。

 

娘、朝からバイト。なんだか楽しそう。私は8時、息子の元学校に行き、段ボール2箱分の教科書やら習字バックやら音楽バックやらを持ち帰る。11時から、新しく行く学校の運動会に息子と顔を出す。元の学校より児童数も多く、騎馬戦、組体操、フラッグなど、見ごたえある競技を堪能。大変暑いなか子どもたちが頑張っている姿に胸が熱くなる。息子、感動しながらも、「俺、これだったらできなかった」と少々プレッシャーに感じている様子。

 

お昼休憩中に撮影現場に顔を出し、皆様に挨拶。息子は鉄太君と連日会えてうれしそう。13時半から地元の公立中学の説明会に参加。元気で前向きな生徒会の生徒4人の挨拶がまぶしかった。

 

終了後、ダッシュで仮住まいに帰宅、15時からママ友2人と打合せという名の飲み会。転校のこと、中学のこと、子どもたちの今の状態などつかの間の情報交換。言葉が追いつかないくらいしゃべり通し。ピッタリ18時に解散し、各自夕飯を作りに帰宅。

 

ママ友が帰宅すると、2階から娘も息子も居間に降りて来て「腹減った腹減った」の大合唱。つまみの残りをあてがいながら、大急ぎで鶏肉を大量に焼く。

 

10月13日(日)

撮影17日目。8時に練馬駅の料理屋「鳥ふじ」で撮影。店長に挨拶に伺う。撮影で出してくれた焼き鳥などをいただく。美味しい!今度、絶対来ようと思う。9時半に撮影が終わり、撮影隊は移動。私は息子と映画に行く約束をしていたため、帰宅。

 

帰宅と同時に、試験1週間前の娘が、勉強に向き合いたくなくて、しきりに「買い物行こー、なんか食べに行こー」と誘ってくる。息子と『ビートルジュース2』(監督:ティム・バートン)に行くけど、一緒に行く? と誘うがすぐに出られないから無理、とのことで息子と出発。

 

映画鑑賞後、息子と昼ごはんを食べていると、娘から「気分転換したい!」「美味しいもの食べたい!」とラインが何通も届く。「今、サイゼリアにいるけど来る?」と返信すると娘がすぐ来た。息子と楽しく食べていたが、娘が来るなり色々息子へのダメだしが始まり、息子は江古田のブックオフへ逃避。

 

その後、流れで娘と『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(監督:ドット・フィリップス)鑑賞。仕事がたくさん残っていたなか、映画2本鑑賞して心が落ち着かなかったが、子どもらと映画館に行ったのは久しぶりだし(だいたい映画は夫が連れて行く)、映画は面白かったのでまぁいいか。

 

帰宅し、夕飯を作っていたら夫帰宅。娘、息子、夫と昨日録画していた「キング・オブ・コント」を見始める。娘、勉強したくないモード全開。なんかバタバタとして、仕事は何一つできなかったが、まぁいい日でした。

 

10月14日(スポーツの日・月)

撮影18日目。本日は府中方面で撮影。私は娘と息子と買い物に行く。

 

10月15日(火)

カラッとした快晴。息子は新しい学校へ転校初日。不安と期待の入り混じった顔つき。新しい担任の先生は、25歳位の若い男性の先生。どうか、相性良く、いい関係性を保てますように。

 

娘は開校記念日のため、休み。朝から配信ドラマを見ている様子。どうにも勉強スイッチが入らない様子。

 

本日は撮休のため、夫は朝ジムに行った後に、スーパー銭湯で仕事をするとのこと。私は相変わらず、たまりまくっている経理系の仕事をやらねばならないため、パソコンを持って自宅へ。ラジオを聴きながら、ひたすら事務作業。進んだ気がする。昼ごはんを食べながら本日は『ロブスター』(監督:ヨルゴス・ランティモス)鑑賞。面白い。

 

15時半、仮住まいに戻ると顔を真っ赤にした息子帰宅(今日も9月並みに暑かった)。「新しい学校はどうだった?」と聞くと「昼休み、いつもだったら絶対やらない外遊びした」とのこと。息子なりに新しい環境に適応しようと一生懸命なのだな、と思う。どうか無理しないでほしいと願うが、友達が欲しいのだから仕方ない。

 

16時から大学生のレンタル先生が来て、過去問などをやってもらう。隣の部屋で仕事をしていたが、息子は勉強よりもいかに外遊びが疲れたか、という話をずっとしていた。もはや勉強ではなくカウンセリングになっている感じ。

 

レンタル先生が帰るなり、「腹減った」と娘が居間に。最近トッポギにはまっており、毎日キノコや鶏肉を入れたトッポギばかり作っている。

 

18時、スーパー銭湯からサウナ三昧の夫が帰宅。撮影に入ってからダイエットが成功しているようで8キロやせたらしくて、テンションが高い。夕飯も秋刀魚の塩焼きとぶりと貝の刺身のみ。突然意識が高くなりすぎて驚く(ちなみに痩せたら、いびきがかなり減りました)。

 

夜、息子と『ルーキーズ』鑑賞(最近、一話ずつ見ている)。もう何周も見ているだろうに、同じところで涙ぐむ。

 

10月16日(水)

撮影19日目。本日は清瀬市方面で撮影。

 

夫も娘も息子も無事、出発。私も本日は8時半に仕事開始‼ 色々と滞っているものを全て終わらせる勢いで自宅に来たが、猫たちがまとわりつき、かまってアピール甚だしく(パソコンの上からどかない、手足を甘噛みしまくる)、電話も多かったため、結局そこまで進まず(全て言い訳)。しかし、昼休憩はきちんととって、『聖なる鹿殺し』(監督:ヨルゴス・ランティモス)鑑賞。好きじゃないのになぜか観てしまう。午後も粛々と仕事していたが、別府映画の英語字幕を大至急作らねばならない連絡を受け、いろんな方に連絡。電話やメールに追われ、頭の中が大パニック。

 

そこへ息子が矯正の装置が取れたと言って、口から針金を出して帰宅。見た目がホラー映画のよう。今日は習い事が2コマあるが、当日キャンセルは受け付けてくれない。歯医者に電話したところ、今すぐ来るならできるが、今来れないと月曜の夜まで満杯で予約が取れないとのこと。

 

学校で疲れ果てて動けない息子をどうにか叱咤激励し、歯医者に放り込み、無事針金を切ってもらって、重い足取りの息子の手を引っ張って駅まで送る。どうにか1時間遅れで習い事に送りこめた。動かない小6男児は抱きかかえることもできず、全身から汗が噴き出る。

 

仮住まいに戻って仕事をしていると娘が帰宅。今晩もどうしてもトッポギが食べたいらしく、大変うるさいので、夕食の買い物もあるし、近くのOKストアでトッポギを大量購入して調理をしていると、息子も夫も帰宅し、夕飯やら一方的な話への相槌やらになんか疲労蓄積。またやりかけた仕事を放置したまま、気力なく本日終了……。なんて時間の使い方が下手なんだろう……。頭の中がとっちらかり過ぎている……。

 

10月17日(木)

撮影20日目。本日は足立区方面で撮影。朝5時出発なので娘のお弁当を作ろうか? というと「俺が作る!」と言い張り、インスタに上げている。すごいこだわり? 使命感? 相変わらず承認欲求が尋常じゃない。午前中は昨日の続きで英語字幕制作会社と連絡。無事データを納品し、作業に取り掛かっていただく。

 

午後、知り合いが撮影の見学にいらっしゃるので、練馬の公園に向かう。話しながら撮影見学。夕方撮影が終わった後、息子の元の学校に行き、元担任と元通級指導の先生と面談。「足立君が楽しんで行けているのであれば、それ以上望むことはない、あんまり頑張りすぎないと良いけど……」と言われる。さんざんお世話になったのでお礼を沢山言ってお別れした。

 

10月18日(金)

撮影21日目。本日は自宅にて撮影。長丁場になりそうとの事で7時前には夫、仮住まいを出発。

 

朝からシトシト小雨で、低気圧。息子、なかなか起きられず。7時半過ぎ、ふうふう言いながら「今日無理かも。1か月に1回のお休みデイを今日使いたい……」とのこと。「転校4日目でもう使うの? 朝はいつもダメだけど、10時位には復活するんだから遅刻して行ったら?」というも無反応。これはダメそうだ。

 

本日、私は朝から小輝日文さん(撮影機材のレンタル会社)で、元東京国際映画祭の久松猛朗さんが主宰するカメラやレンズの実地勉強会があったため8時20分には家を出なければならなかったので、まずは家じゅうのデジタル機器を隠し、昼ご飯&夜ご飯を用意して、「17時45分から塾だから行くんだよ」と塾バッグに手紙を貼って出発(口で言っても忘れてしまうため、メモは字で残している)。

 

16時過ぎまで実り多い勉強会を終え、スマホを確認すると夫からLINE。息子は撮影現場にいる様子。17時半に塾に送り出してよ、と夫にLINEするも既読にならないため、急いで帰宅。案の定、息子の塾バックは仮住まいに放置されたまま。塾バッグをもって撮影現場に向かう途中、超チンタラ自転車をこいでいる息子と遭遇。「もう完全遅刻だよ!! ダッシュで行きなよっ!」と言うと、「は? 完全余裕っしょ!」と馬鹿にした言い方をしたので、「お前、学校もいけねえくせにイキってんじゃねーよ‼」と吐き捨て、塾バッグを投げつけた。

 

あーーー、また塾行く前に脳調を悪くしてしまったと思ったが、私もイラついたので仕方がない。息子に「必ず行けよ!」とだけ言って、仮住まいに戻る。なんだか、どっと疲れて仕事をやる気がしなかったので、風呂に入りながら『小山田圭吾 炎上の嘘』を読む。

 

夜、撮影で余ったお弁当をいただく。疲れた身体に沁みた。塾後の息子に「私、言い過ぎたね、ごめん」と言ったら「ほんとだよ!」と言われた。

 

※夫の一言

撮影現場から塾に息子を送り出すのが今日は一番疲れた。

 

10月19日(土)

実景撮りのため、夫6時頃出発。

 

最近、夜中1時ごろ、夫のうめき声や息子の体をボリボリ貪りかく音で目が覚めてしまい、それ以降4時くらいまで眠れない日々が続いており寝不足。なのに本日早朝夫が準備している時に、わざわざ私の頭上で屁をかましたため、怒りでとび起きてしまった。なんで部屋が4つもあるのに、わざわざ人の頭上で屁をかますのか!「やめてよ‼」と言っても「だって出ちゃったんだもん」と、自分の緩み切ったケツの穴のせいにするため、余計頭にくる。奴は絶対に直さない。ハラスメントを訴えても平気で「だって仕方なかったんだもん」という輩だ、あいつは。

 

で、結局、早朝に起きてしまった。本日朝は19度だが、日中は30度の真夏日になるとのこと。洗濯機を回しつつ、たまっていた仕事に着手。

 

※夫の一言

どうしてこれがハラスメントを訴えても「だって仕方なかったんだもん」という想像につながるのか。しかも想像でしかないそのことで彼女は怒りを増幅させるからたまったものではない。

 

※妻より

日頃、溜まりに溜まりまくっているヘドロみたいなオリが、想像力をどんどん増幅させます。

 

10月20日(日)

撮休。息子志望校の体験授業。今日は塾友と一緒に行く約束をしていたのでスムーズに出発できて、ストレスがなかった。理科の体験授業をし、説明会を受け、個別相談。文字を読む、文字を書くことがこの学校に入ったら重要視されると言われる。息子は話は得意なのだが、文字の読み書きがとても苦手で苦戦していると伝えると、「慣れです。わからなくてもいいから、まずは文字を見ることを癖づけてみては?」などと言われる。

 

帰り道、とりあえず寝る前15分は本を読んでみない? と提案。息子「考えてみる」とのこと。とりあえず、Amazonでスティーブン・キングの『IT』を購入(息子の希望)。夕方、脚本家/監督のホン・ソネさんと、夫の伊藤さんが来て、飲む。2人ともゲーム好きなので、息子と話が合って楽しそうだった。

 

10月21日(月)

撮影22日目。昨日より気温差が激しい。朝は10度。とても寒い。息子、なかなか起きられないが、金曜日休んでしまったので、どうにか気力を振り絞って起きる。娘は今日から定期テスト。ぴりつく朝が過ぎ、私は無人の家で、仕事モード全開。でも13時には娘が帰宅し、いろんな怒りや愚痴を話すので手が止まってしまった……。その後、息子も帰宅。鉄太君に会いたいとのことで撮影現場に顔を出す。結局13時までしか仕事ができず……心がどんどん焦る。

 

10月22日(火)

撮休だが、編集があるため夫は朝から外出。お天気も良く、娘も息子も良い感じで学校へ行ける。送り出しと同時に、粛々と仕事。今日は捗った。夕方、スタッフの方々と中打ち上げ。本当にボリュームのある撮影のなか、皆様たいへん気持ちよく、丁寧にお仕事をしていただき、本当に感謝の一言だ。いつかビッグになって、必ずや恩返ししたい!

 

10月24日(木)

撮休。午後、息子の新しい学校の担任と面談。息子の取説を諸々伝える。大変親身になっていただき、とても心強く感じる。新しい小学校でも週に1回、通級に通えるそうで良かった。

 

※夫の一言

撮休だったのでようやく息子の転校のバタバタに少しだけ付き合えた。忙しさにかまけて子どもたちとの時間がなかなかとれず非常によくない状況。

 

10月25日(金)

撮影23日目。本日は江古田のライブハウスで撮影。エキストラさんも多く、武正晴監督や大崎章監督、上海国際映画祭の徐さん、中国から来日している俳優のタンタンさん、韓国のプロデューサー鄭さんがいらしてくれて、挨拶をする。沢山お話しできて楽しかった。

 

10月26日(土)

撮影24日目。本日は早朝駅前路上からの撮影。エキストラさん大勢のなか、私もエキストラで参加。主演のお2人の演技は迫力があって素晴らしかった。重機の上からの撮影は大掛かりで見ていて迫力もあった。どんな仕上がりになるのか楽しみ。その後、自宅付近と自宅で撮影。

 

テストが終わった娘が毎日「麻辣麺食べたい!」と言うので、バイト終わりに待ち合わせ。結局麻辣麺屋が見つからず、びゃんびゃん麺を食す。大変美味しかった。その後、また粛々と仕事。

 

10月27日(日)

撮影25日目。本日は東銀座→自宅にて撮影。午前中息子を新学校のPTAイベント(地域班での遊び)に送り出し、粛々と仕事。午後、息子と韓国映画『破墓 パミョ』(監督:チャン・ジェヒョン)鑑賞。息子、大興奮。

 

10月28日(月)

撮休。放課後、夫と息子は息子の誕生日プレゼントを買いに中野まんだらけへ。そのすきに『プリズナーズ』(監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)鑑賞。めちゃくちゃ面白い。夕方、息子と夫はゾンビTシャツとETを買ってきた。あとは祖父母から貰ったお祝い金でバカでかい筋トレグッズ(懸垂機とベンチプレス)をAmazonで注文。益々家が狭くなる。

10月30日(水)

撮影26日目。朝から自宅にて撮影。夜まで続く。本日のお昼はMEGUMIさん差し入れのケータリングカー。暖かいトムヤンクンスープとカオマンガイが美味しかった。追いパクチー! 昼過ぎに別府ブルーバード劇場の真帆さんと大樹さんが陣中見舞いに来てくれた。ありがたい……。夜遅くまで撮影は続く……。

 

10月31日(木)

撮影27日目。朝から公園で撮影。無事、クランクアップ! タイトなスケジュールのなか、皆様事故もなく無事撮影が終わって、ほっと一安心。これからは粛々と編集作業。

 

午後、私は家の美術バラシに立ち合い、夕方から東京国際映画祭のパーティーへ。いろんな方との出会いがあり行けて良かった。

 

それにしても怒涛の撮影が、終わった……明日からまた元の家に戻るために毎日1人片づけの日々が続く……。やらねばならないことが多すぎて、頭がいつも沸いている感じ。とりあえず、腰を壊さないようにだけ気をつけようと思う。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、撮影中のため今月も妻が代打ち。息子の転校、友人の死、猛暑で疲弊する9月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第54回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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9月1日(日)

夫、朝から喫茶店へ。台風接近中で一日中雨が降ったり止んだり。激しい暴風雨はないけれど、じめじめと低気圧。息子、一日中のんびり漫画三昧となるも、明日からの学校に行きたくないモード全開。娘は配信ドラマ三昧なるも息子同様に学校行きたくないモードに突入。私はバタバタ家の片づけ。あれが無くてこれも無い。自宅と仮住まいを何往復もするが色んなものが見つからない。ちょっと夫を恨みそうにもなってしまうが、それで作品がおもしろくなると言うのだから致し方ない。

 

9月2日(月)

始業式。娘は「だめだ、今日は学校休む」とのこと。息子はグダグダになりながらもなんとか行った。夫はクランクイン間近で打ち合わせ三昧。

 

息子、午前中だけの登校なのに顔を真っ赤にして汗をだらだらかいて帰宅。疲れたのか帰宅後ずっと私の近くでまとわりつく。学校を休んだ娘はメンタル好調。どうしてもトッポギが食べたいとのことで作る。粛々と事務仕事。

 

9月3日(火)

朝から霧雨。息子、朝は元気だったが8時が近づくと、どんどんどんよりしてきた。結局学校は行けず。娘も「だめだー」と本日もお休み。夫と私は10時から永田町で打ち合わせだったため、子どもたちを残し出発。子どもの雰囲気に飲み込まれ、かつ今後の仕事にまつわるいろいろな心配もあり我々のメンタルも一気に爆下がり。足取りが重い。打ち合わせ後、ランチでも食べる?と話していたが、子どもらが心配なので家へトンボ帰り。

 

夕方から自宅で打ち合わせ。この打ち合わせには、先方から娘と息子にも質問があったため、子どもたちも同席。大人の方々にはそれなりに礼儀正しい態度をとれるし、元気な様子なので、朝と同一人物に感じられない。この企画が実現すると、私も今まで以上に覚悟を決めなければならないし、どうなるのかまったくよくわからないけれど、実現するといいなと思う。

 

9月4日(水)

娘も息子も無事学校へ。が、息子は近づいてきた修学旅行への行きたくないモードが炸裂しつつある。行けたらいいのになと親としては思ってしまう。

 

夫は娘に作っているお弁当を今日からインスタにアップすると突然言い出して、ずっと放置していたインスタを再開した。弁当のアップなんて今さら感を通り越して、もはや始めるのに大きな勇気すらいりそうなのに、なぜこのクソ忙しいタイミングに始めるのかというと、「忙しい中に娘の弁当まで作ってるなんて良いお父さん!って気持ち悪いけど、それでも言われたいから」とのこと。どこまで承認欲求が強いのか。

 

午前中から撮影に使う本宅の片づけ。スタッフの方が8人ほど来てくださって撮影に不要な家じゅうのガラクタ、VHS、本、フィギュアなどを全員でロフトや2階に上げる。冷房マックスにしても、汗が滝のように流れる。そして劇中でお風呂も使うため、俳優さんがこんな汚い風呂に入りたくないと思わないように、プロデューサーのKさんが漂白剤まみれになりながら、業者さん並みにお風呂をきれいにしてくれた。ありがたい。

 

※夫の一言

撮影準備で慌ただしく、なかなか日記が書けませんが、溢れんばかりの承認欲求を満たすために、インスタで弁当日記を始めました! たしか湯山玲子さんも承認欲求は肯定すべきとおっしゃってましたし! その言葉を励みに頑張ります!

 

9月5日(木)

夫、朝からロケハン。私は、午前中打ち合わせ。その後会社の雑務があり、法務局に行ったり、青色申告会に行ったり。暑くて大汗かきながら自転車をかっ飛ばす。

 

夕方、娘に食事を作り、息子と息子の友達を習い事のあとラーメン屋へ連れていく(かねてより約束していた)。小6ともなると、ラーメン&チャーハンをペロッときれいに平らげる。食用旺盛な彼らを見ながら酒を飲む。

 

9月6日(金)

息子、学校から帰宅後、月曜からの修学旅行に行かない、ときっぱりと申し出る。1学期終わりから「行きたくないなー」と言ってはいたが、お泊りとか大好きなので行くだろうなと思っていた。最近も行きたくないとは言っていたが、それでも土壇場になれば行くだろうと私も夫も思っていたので、息子の本気モードにたじろぐ。

 

夕方スクールカウンセラーとの面談予定があったので、夫とともに赴きその旨を話す。とりあえず月曜の朝まで様子を見るしかないですね、担任にもフォローして貰えるよう伝えておきます、とのこと。

 

本人の気持ちがどこまでなのか(本気で行きたくないのか、背中を押してほしいのか)わからないから対応に迷いが出てしまう。

 

夕方から、元東京国際映画祭のフェスティバル・ディレクター、久松猛朗さんが主宰している勉強会に出席。夫にはロケハン後に飲みに行かずに子どものフォローをしてくれと伝える。

 

※夫の一言

ロケハン後、息子の学校に行き担任の先生と軽く話すと、「荷物を不安がっていたので行こうという意志は感じました」とのことで、なんだかんだ行くのではないかと思う。

 

9月7日(土)

娘、学校→バイト。夫と息子と3人で修学旅行のことについて軽く話す。「明日、結論を出そう」ということにする。どうなることやら。

 

9月8日(日)

朝、息子と夫と3人で修学旅行をどうするか話す。

 

息子「行きたくない。5年生の時に行ったけど、何ひとつ楽しいことがなかった。どうせ行ってもボッチになるのはわかっている。そんなところに僕は行きたくない」とのこと。泣き叫ぶでもなく、癇癪をおこすでもなく、冷静に話している。もうこれは物で釣るとか、「楽しいこともあるかもしれないよ」とか仮定の話で説得しても動かないだろう。息子の視野は限定的だが、それでも「修学旅行に行くのは嫌なんだ」という意思は伝わった。

 

「君の気持ちはわかった。ならば、パパとママは君の意思を尊重しようと思う」と話す。息子、少し安心した様子。

 

最近、戸塚ヨットスクールのドキュメンタリーを見たり、『不登校の9割は親が解決できる』という本を読んだせいか、子どもの意思、主張を全面的に尊重することが良いことなのかどうかはわからない。試行錯誤。親としてはただただ、子どもが人生を少しでも楽しく過ごしていけたらいいなとだけ願っている。

 

とても脳のカロリーを消費したので、落ち着きたくて映画を観に行く。近くの映画館で『ナミビアの砂漠』(監督:山中瑤子)。カメラも照明もかっこよくて、主人公のパワー&エネルギーの持て余し方がウチの娘を見ているようであった。夜は子どもらが大好きなチキンステーキとチゲ鍋。

 

※夫の一言

修学旅行に行かない選択をするってのもなかなかに勇気あるよなあと思った。同調圧力になんの違和感も覚えずに生きて来てしまった私にはできない選択だ。

 

9月9日(月)

朝6時半にアプリで修学旅行欠席の連絡をする。夫は朝から静岡にロケハン。とても暑いので、家にいても退屈するから息子と2人、古着屋や電機屋や本屋に行ったりして過ごす。息子、元気だが元気ない。修学旅行は行っても苦しいし、行かなくても苦しい。

 

お昼ご飯のときに、息子と話す。修学旅行のバスや部屋での皆の大きな声が苦手、運動会のソーラン節の音や先生の大声が苦手、苦手な音を聞いたときは胸がどきどきするということなので、「そういうことならイヤーマフで改善できる! 買ってみる?」と聞くと、「やってみる」とのことで、その場でネット購入。

 

前から地下鉄に乗ったり、救急車が来ると耳を抑えていたし、音楽の時間が嫌いだったから、イヤーマフ付けてみない? とずっと言っていたが、恥ずかしいと嫌がっていたのだ。ようやくイヤーマフを恥ずかしがらず、自分を落ち着かせるアイテムだということを納得してくれたので、一歩環境を変えられてよかったなと思う。

 

夜、娘が帰宅するなり、東京都でコロナの時に払っていた助成金を返せ!と怒っている。なんのことやらわからないうえに、ものすごい剣幕から、勢いに負けて通帳を調べたりしていると、どうやら小池百合子さんが発案した「018サポート」のことらしい。

 

え、それって子育てに使っているよと言うと、「みんな、親から貰っている! その給付金6万円は子どもに配っているものだ!」と大変なお怒り&泣き叫び&大暴れ。こういうときは息子のメンタルにも激しく影響するため、息子を連れて、今ロケセットを作っている元の家に逃げてそこで寝る。

 

9月10日(火)

夫からライン。娘、怒り狂って、家中の物をひっくり返して学校に行った様子。もしかしたら娘も弟が修学旅行に行けなかったことがショックで、それが怒りに結びついたのかもしれない。ただ、あまりの攻撃的な物言いに私も虚を突かれてしまった。

 

本日も、息子と家で映画を観たり、買い物に行ったりのんびり過ごす。自分の仕事が全然進まなくて内心焦りまくっているが、修学旅行期間中は寄り添おうと決めた。

 

昼間、ママ友3人にリサーチしたところ、「018サポートは普通に子育て費に使っている」とのこと。給付金の使い方は各家庭考えがあるだろうが、この給付金を申請したときに娘とちゃんと話をしなかったからいけなかったのかと少し反省。

 

給付金とか、市区町村や学校の手続きとか、特に受験や入学の時とかは、親がやることが多すぎてかなり頭がパンクする(夫がそういうこと一切できないので私が請け負うが、私も苦手なのだ……)。事務は結構大事。坂口恭平さんの『生きのびるための事務』を読もう読もうと思ってまだ読めていないが、ちゃんと読もうと心に誓う。

 

息子、夕方塾に行き、塾の先生にも修学旅行へ行かなかった色々な気持ちを吐露した様子。先生から長文のラインが来る。息子をケアしてくれる大人が多くて本当に助かる。

 

9月11日(水)

息子と髪を切りに行き、今はまっている筋トレグッズを買ったり、ブックオフで立ち読み&買い物をして、大好きな回転すしへ行く。この3日間、いろいろ思うことがあって息子とかなり話をする。

 

息子が「僕、転校したい」と申し出る。今まで何度も転校したいと言っており、その都度、「嫌なこと言う奴は無視してこーよ」とか「あと1年だからガンバローよ」とか「転校したって合わない人間はいるんだよ」と説得してきたが、今回は息子がかなり落ち着いており、強い意志も感じたので、転校について区役所に聞いてみると返す。夜、注文したイヤーマフが届き、息子喜ぶ。

 

9月12日(木)

夫、朝から美術打ち合わせ。娘、学園祭ウィークの始まり。本日が合唱コンクールとのこと。娘とはあの激高からまともに口をきいていない。

 

息子は修学旅行明けの登校。緊張していたが、ランドセルの中には届きたてのイヤーマフがあるから少し心強いようだ。

 

朝、息子を送ったその足で、近所に住む夫の友人宅に行き、玄関に挟んであった振込用紙を取ってコンビニで支払う。その夫の友人から、心身の不調で動けないとの旨が夫に連絡があったのだ。支払った後、カップラーメンとお手紙を玄関に置く。玄関越しに「大丈夫ですかー? なんか必要な物あったら連絡下さいね!」「はーい」と声のやり取りだけしたが、滑舌が悪く心配。夫にもその旨を伝える。

 

その後、私はたまりにたまっている事務仕事に全力。それにしても暑い。36度は体温だ。具合がドンドン悪くなる。

 

15時45分、小学校から頭から湯気を出して息子帰宅。いやなことは言われなかったとのこと。また先生からシャインマスカット饅頭と、ゆるきゃらのキーホルダーのお土産をもらい、うれしそうだった。

 

9月13日(金)

本日から自宅、美術の作りこみ。大勢でいろいろ片づけて運んでくださっている。それにしても暑い。息子、帰宅後、「バスケに誘われた!」と、暑い中公園に行ったが、公園が閉まっていたようで誰もいなかったとのこと。なじみのブックオフで立ち読み。

 

改めて転校について聞くが、やはり意思は変わらないとのこと。区役所に問い合わせると、引っ越しの伴わない転校は両校の校長同士で話し合って決めてほしいとのことで、息子の通っている学校と、行きたい学校に電話して、各校長に息子のことを話す。24日、面談の約束を取りつける。

 

夜は久松猛朗さんが主宰している勉強会へ参加。本日はカメラのアングルやレンズなどを勉強する。大変、面白い。前に一緒にお仕事した人や、お会いしたことがある方々もいらしており、また初めましての方々とも交流ができてうれしかった。

 

9月14日(土)

娘、本日から文化祭。フルーポンチを売るとかで楽しそう。

 

息子、学校。その後、歯の矯正。矯正の日は憂鬱だが、本日は保育園友達が泊まりに来るのでご機嫌。18時から夫が監督デビューした『14の夜』の時に見習いの助監督でついてくれた桜ちゃんが来て、息子と息子の友達とで夕飯を食べていたら、友達のママがキムチ鍋と韓国豚足を持ってきたところに娘も帰ってきて、わいわいした夕食になる。娘ともなし崩し的に仲直り。「なし崩し」というのは夫が勝手に決めた我が家のモットーらしいが、決めるまでもなくそうなっている。

 

9月15日(日)

朝、昨日やった歯の矯正が痛くてご飯が食べられないと息子半泣き。でも姉の文化祭を見に行きたい!と言うので息子と息子の友達を連れていく。私は暑いのも、人込みも苦手な上に、やらねばならならない仕事が全然終わっていないので、2人を高校まで送り届けて、最寄りのケンタッキーの片隅でひたすら仕事。夕方2人が帰ってきてチキンを食べながら(息子、歯が痛くて朝から何も食べれていなかったが、ちぎりながらならチキンはどうにか食す)、「友達がもう1泊するのはありか」と遠回しに聞いてくる。

 

明日は朝から息子が中学入試体験会なので、それがあるから難しいと言うと、2人とも「必ず起きるから! お願い!」ってことで、ま、いっか、となる。

 

夜またその友達のママが飲みに来て、子どもらとみんなでご飯。子どもらを寝かせて親は遅い時間まで飲む。

 

9月16日(月祝)

息子と友達は起きたものの、息子、入試体験会に行きたくない!と動かない。言い分はいろいろあるよう。昨晩、私がお粥を買うのを忘れたこと、友達に優しすぎること、お姉ちゃんが僕にひどいことを言ったのにお姉ちゃんを怒らなかったことなどをずーっとぐちぐち言っている。

 

8時には出ないと間に合わないのに全然動かない。この入試体験会は予約を取るもの大変だったし、本番で緊張しない為にも受けておいたほうがいいと思うと何度も説明したが動かない。私は修学旅行のこともあり、もうこの子は無理強いしても無理だとあきらめたが、夫が粘り強く説得して、どうにか自転車の後ろに乗せることができたので、練馬駅までダッシュで自転車を飛ばす。

 

駅から電車までの道中、電車の中でも(50分間)ずっと私に「謝って! 謝って!」と執拗に言っていた。気に入らないことに対して、それを相手に認めさせないと次に進めないのだろう。スーパーなどで、老いた母親や店員を執拗に叱責している初老の人をよく見かけるので、それが脳裏によぎり現状とフィットしてしまい、苦しくなって心が折れそうになる。

 

50分後、学校の最寄り駅に着いたら、塾の友達がいたので、息子の機嫌が直り、無事に体験入試を受けられた。が、私の気持ちは一切晴れない……。なんなんだろう、どうしたらよいのか……。答えはないが、非常にダメージがでかい。でも息子の気持ちは持ち直したので、私も表面上は機嫌が直ったように取り繕う。

 

入試体験後、息子は「個人面接は行きたくない! 塾友と駅で待っている」とのことで、私だけ学食でドライカレーを食べ、個人面談に臨む。ここ数年は人気が出て倍率が高くなっており、すべての教科をそれなりに取れないと難しいと言われ、ううむと唸る……。

 

9月17日(火)

本日最終的に家の片づけ、そして美術セット搬入。なんだか家がきれいになっている。学校から帰宅した息子がすかさず、「こっちの家のほうがいい!」と。そりゃそうでしょうよ。物が半分に減ったもの……。私もあのごみ屋敷は脳が疲れる。

 

9月18日(水)

祝!クランクイン!

 

めちゃくちゃ暑い中皆様、元気にクランクイン。家が狭すぎて、スタッフが溢れかえり、灼熱路上でひたすら待機。アパートの階段の下(扇風機なし)で、録音部さんが基地を作っていた。

 

9月19日(木)

撮影2日目。本当に暑いが、皆様元気に撮影に臨んで頂いている。どうか最後まで、怪我病気ないように祈るばかり(私と夫は毎日近所の神社にお参り行っている)。

 

本日から、10年前にドイツの映画祭で出会ったドイツ生まれドイツ育ちの日本人の女の子モモが1週間ホームステイ。仮住まいも全然片づいていないが、寝られる部屋があるので、東京滞在時はどうぞ勝手に使ってねと伝える。彼女は行動派で、ドイツで出会った日本人を訪ねて、バイオリンを担ぎながら沖縄、広島、福岡、京都、愛知を転々と滞在してから我が家に来た。大量のドイツのお土産を頂き、グミ好きの夫、娘、息子は喜び、私はコーヒーや美容パックに喜びました。

 

9月22日(日)

撮影5日目。朝ゆっくりモモと話してから、息子とモモと一緒に撮影見学(息子、モモとなら一緒に現場に行けるとのこと)。相変わらず外は灼熱地獄。家に入る場所もなく、路上でうろうろ。息子は5月の大分県の現場でお世話になった録音部の臼井さんがいたので、臼井さんの近くでうれしそうにちょこまかしてる。

 

子役のT君、フードコーディネーターの娘さんのRちゃんと仲良くなり、ずっとゲームをしながら話している。

 

9月23日(月祝)

本日撮影はないが、ロケハン他諸準備。早朝、夫出発。朝、息子、大学生のレンタル先生。その後、ちょっと達成感があったのか、元気になり、ホームステイしているモモからバイオリンのレクチャーを受ける。

 

去年、モモが来たときもモモのギター演奏のそばで歌を歌っていたが、音楽は好きなんだと思う。でも、学校のリコーダーはうまくできないようですこぶる苦手。ちょっと練習すればうまくなるのかもしれないが、そのちょっとの練習がやれない(頑張る気力が振り絞れない)から、苦しいのだよなと思う(それは勉強も同じ)。

 

最近読んだ柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』に大変わかりやすくこの現象が描かれていて、そういうタイプは人より報酬を受けている感じがないという説明が腑に落ちる。私は朝起きて掃除して部屋が片づいたらうれしいし、リコーダー練習してできるようになったり、テストで高得点をとれたらうれしいから頑張っちゃう単純型だが、息子はそもそもの報酬(喜び)を感じにくいというか、苦手なことを頑張るってことが私より千倍くらいハードルが高いのかなと思う。

 

バイオリンレッスンのあと、モモは友達に会いに、息子はいつものブックオフへ。今日は不安が強いのか近くにいて欲しいとのことだったので、私はパソコンを抱えて、ブックオフ近くの喫茶店で仕事。

 

家に帰ると、明日からの修学旅行の服で悩みに悩んでキレッキレの娘と遭遇。「どっちがいい?」と聞くので、「こっちがいいと思う」というと、「どうして!! 理由を言って! 私はそうは思わない!」とのこと。「え、なら、そっちにすればいいじゃん」というと、「そういうことじゃない!」と叫び、バッターン! と扉を力いっぱい閉められた。

 

9月24日(火)

本日、撮休。娘、本日から北海道に修学旅行。7時15分に羽田空港集合なのだが、心配だから始発で行くとのことで5時出発。三食食べなきゃ気が済まない子だから、機内で食べれるように夫がおにぎりをわたしていたが、色々不安なのか大声で文句を言って嵐のように出て行った。

 

息子の転校の意思が強いため、本日転校先の校長・副校長との面談。夫とともに9時に校長室で面談。状況を話す。そういう状態なら当校で受け入れますが、一度体験に来ますか?との申し出。息子に確認してまた連絡すると返事をする。

 

その後、息子の現在通っている小学校の校長とも面談。上記内容を話し、転校の手続きを進めてもらう。校長先生とのW面談は疲れた。

 

夜、先日カップラーメンを届けに行った夫の同級生が亡くなったと連絡が入る。そんなに具合が悪いとは思わなかった……。最後に声を聞いたのが自分なのかと思うと、もっと何か踏み込んでできなかったのかと大いに凹む。家にもよく飲みに来ていた方だ。言葉が出ない。

 

※夫の一言

両校との校長先生の面談が撮休中でよかった。修学旅行のときも思ったが転校という決断をした息子は凄いなとも思う。私ならとてもその決断はできず半年間我慢してしまうだろう。その決断を凄いとは思いつつも、現状通っている学校では何度も先生たちと面談し、息子への対処を話し合って来たし、理解も支援も手厚い。それがチャラになってしまうことを先生方もとても心配してくださっていた。妻も私もそれがもっとも心配だが、いずれにせよあと半年だから、転校先が思うような場所でなくとも流して生活していければいいなと思う。

 

そして近所に住んでいた同級生が死んでしまった。彼が辛い状況にあるのを私は知っていながらほとんど何もできなかった。というよりはしなかった。私は彼に助けてもらったことがある。食えなくて、彼が働く百円ショップでアルバイトをさせてもらったのだ。

 

こんなに近所なのに彼と最後に会ったのは多分10か月くらい前だ。半年に1度くらいは飲んでいたが、ここ2、3回は顔色が悪く、ビールを2杯くらい飲んだだけで道に倒れてしまったりしていた。身体も痩せこけて顔色も悪く、病院に行ったほうがいいと思った。でも、思っただけだった。

 

月に2、3度は「会おう会おう」とLINEが来ていたのに、忙しさにかまけて最近は会っていなかった。撮影が終わったら飲もうな、とこのあいだも約束したばかりだった。会えないほどの忙しさではなかった。動けないからスマホの代金を払ってきてほしいとLINEが来たときもロケハンを理由に妻に行ってもらった。「動けない」とはっきり書いてあったのだ。SOSどころではない。いつかこういう日が来てしまうかもしれないと私は心のどこかで思っていた。思うだけで何もしない。私にはそういうろくでもない面がある。私がもう少しだけでも彼のことを親身に思っていれば、彼はまだ生きていただろう。

 

彼は私と同郷で、医学部を目指して5年浪人したあげく映画学校に入ってきた。4歳年上だったが年上を感じさせない人だった。私の冗談によく笑ってくれる人だった。音楽に尋常でなく詳しかった。CDをたくさんくれた。彼が働いている百円ショップに私を入れてくれたから『百円の恋』という映画を作れて、私はギリギリでこの業界に残ることができた。彼はそのことをとても喜んでくれた。彼も何度も様々なシナリオコンクールで最終審査まで残り、受賞したこともある。50歳を過ぎても粘り強く書いていた。何とかデビューしようと頑張っていたが、ここ1、2年は心が折れているようだった。彼のデビューしようとする努力を私が助けたことはない。彼はとてもいい奴だった。

 

9月25日(水)

撮影6日目。本日も夫たちは朝から自宅にてロケ。私は経理の仕事が全くできていなかったので、粛々と仕事。

 

息子、習い事のあと、そのままロケ地に居座っていると連絡あり。寒暖差で風邪をひき、咳をし始めていたので、首根っこを捕まえて連れて帰る。

 

9月27日(金)

撮影8日目。本日も朝から自宅にて。息子、学校から帰宅するなり子役のT君と遊びたい!とのこと。ちょうど待ち時間だったので、待機部屋に行って息子たちはゲーム。T君の母と私は子育て悩みトークを繰り広げる。

 

夜、娘が北海道から大量のスイーツ土産を持って帰宅。美味しい物をたくさん食べれて楽しかったそうだ。でも、集団で4日間過ごすのは疲れたから、明日は1日寝るとのこと。

 

9月28日(土)

撮影9日目。本日は朝から板橋区でロケ。午後は自宅にてロケ。

 

息子は運動会。ずっと行かない行かないと言っていたが、イヤーマフを買い、転校の手続きも進めていることも知っているため、ずるずると重い足をひきずって登校した。

 

「絶対見に来ないでよ!」と言いながら目は見に来てよ、と言っている感じ。ハイハイと言いながら隠れて見に行く。夫も撮影の合間に見に来れた。家でロケをするとこういう良いところもあるのだな。ものすごく暑い中、かけっこも、ソーラン節も、よく頑張っていたと思う。終わった後は誇らしげだった。ママ友と一緒に帰り、仮住まいで打ち上げ。息子と友達は汚い床に寝そべってゲーム。

 

ひたすら寝ていた娘もママ友との宴会に参加し、将来何になりたいか、大学をどう選んでよいのか不安だ、という悩み相談などをする。私も高校時代は何になりたいか夢がなかったので、進路は悩んだなと懐かしい気持ちになる。うんと悩むといいと思う。

 

本日しか観に行けないので18時10分から『石がある』(監督:太田達成)を見に行く。

 

9月30日(月)

本日、撮休。息子、運動会の振替休みだったが、新しい転校先に体験入学で朝、夫とともに送る。校門前は生徒が多く、息子はとても緊張している様子。校長室で、本日体験するクラスの担任に連れられてクラスへ向かう。本日は体育館で学年朝礼がありそこで息子を紹介するので見学したらいかがですか?とのことなので見学する。朝礼の最後、息子が紹介され、学年全員の前で「足立〇〇といいます。よろしくお願いします」と挨拶。息子がこんなにちゃんと話せるんだと驚いて、隣を見ると夫が号泣していた。マジか。

 

その後、近所の公園に明日のためのロケハン。大変蒸し暑い。私を俳優に見立て立ったり、座ったり、ウロウロと。ロケハン後、近くの中華屋さんでランチ。目の前にロケをするバーがあって、そのロケハンのあとスタッフが入って美味しかった!と教えてくれたので初めて入る。確かにとても美味しかった。

 

そのまま14時30分に息子をお迎え。「どうだった?」と聞くと、「楽しかった。友達ができた。俺、やり直せるかも!」とのこと。「今日もう何もないから映画行く?」と聞くと、「家でゆっくりしていたい」とのことなので、息子を残し夫と『Cloud』(監督:黒沢清)を観に行く。

 

夜は久しぶりに4人で夕食。野菜とキノコたっぷりの鍋と鶏肉炒め。久しぶりに夫が食卓にいるからか、娘も息子もよく話していた。一瞬だけだったが。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、多忙すぎるので妻が代打ちで記す8月。夫の無茶振りに怒髪天の妻の苦闘が赤裸々に語られる

「足立 紳 後ろ向きで進む」第53回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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8月1日(木)

朝から仕事。夕方、中野の陸蒸気で、上海国際映画祭でお世話になった徐さん、顧さん、映画学校の同期で顧さんと同じコースだった石田と一献。なんと顧さんと石田と私は日本映画学校の同期でもある。顧さんと上海映画祭で出会ったときにそれが分かった。顧さんと石田は卒業以来30年近く振りの再会で話がはずみ楽しかったが、私は遅れている台本を書かねばならないので後ろ髪を引かれながら21時過ぎには退散した。石田に「ほんとに足立は自分が好きだなァ」とニヤニヤしながら言われたので、ニヤニヤしておいた。

私ももっと居たかったのですが、この日は息子1人でお留守番だったので、飲むだけ飲んで帰りました。大変楽しい時間でした(by.妻)

 

8月2日(金)

朝からひたすらに台本書き。学校の研修旅行のようなものでオーストラリアに行っている娘からホストファミリーの大豪邸写真が何枚も送られてくる。ホストファミリー家には5~12歳の子どもが3人いるにもかかわらず、日本から3人の高校生を受け入れて、1人1部屋与えてくれたらしい。ホテルのスイートルームのように広くて豪勢な部屋だ。正直私も行きたい。

 

いつもクーラーをつけて裸で寝ている息子が夏風邪をひいた。

 

8月3日(土)

午前中に台本を書いて、午後から別府短編映画の編集最終日。ようやくピクチャーロック。104分の普通の尺の映画になってしまったが、それを受け入れてくださった別府短編映画プロジェクトの皆さまには感謝しかない。ありがとうございます! しかしすぐに仕上げというわけにもならず、11月まで仕上げは持ち越しだ。

 

夜、映画学校同期の前嶌と、前嶌とよく仕事をされているドキュメンタリーの監督Uさんが来られて家で飲んだ。

 

風邪をひいた息子はひたすらに具合が悪そう。来週は毎年楽しみにしている塾のキャンプだというのに……。

 

8月4日(日)

昼過ぎ、ようやく台本の初稿を殴り書き上げて皆さんに送る。夜、妻の実家に息子を預け、『拾われた男』の井上剛監督夫妻と原作者の松尾諭さん夫妻と飯を食う。

 

良い作品作りができたらお付き合いが細々とでも長くなるのでうれしい。お2人ともとてもワクワクすることをされているようで羨ましい。私もワクワクすることを作り出さねばならない……。

 

祖母から息子が具合悪そうとLINEが来る。嘔吐と下痢が激しいとのこと。キャンプをめちゃくちゃ楽しみにしていたのに行けるのだろうか……。

 

8月5日(月)

息子、妻の実家から10時帰宅。まだ具合は悪そうだが、明日からのキャンプに行きたい一心で気合いで寝ている。嘔吐は止まったし、もともと熱はないので何とか行けるような気はするのだが……。ヤクルトを4本も飲んだ。

 

娘からは、数日間だけ通うオーストラリアの高校の様子がLINEでばんばん送られてきて、こちらは楽しそう。

 

※妻より

何も食べてないのに吐き気があり、熱はないが寝ているだけでも辛そう。ひたすら背中をさする。具合が悪いと静かでかわいそうになる。元気だとうるさくてげんなりするのに。

 

8月6日(火)

息子、気持ち良く目覚めてまた起き抜けにヤクルトを4本飲んで「俺、行ける!」とのことなので、キャンプの待ち合わせ場所に送る。数日間寝込んでいたせいもあるのか、かなりのはしゃっぎぷりを見せている……。皆に「俺ずっと吐いてて何も食べてない!」とバカでかい声で報告している。先生に体調を説明し見送る。楽しんで来てほしい。

 

息子を送ったその足で妻と渋谷に行き『マミー』(監督:二村真弘)鑑賞。久しぶりの映画なのでもう1本観たかったが、その後に9月に撮影するドラマのオーディションがあるので、私はそちらに向かい、妻はもう一本見ると言ってどこかに消えた。

 

※妻より

『墓泥棒と失われた女神』(監督:アリーチェ・ロルバケル)、面白かったです!

 

8月7日(水)

朝から新宿にて『密輸1970』(監督:リュ・スンワン)を観て、そのままシネマートで『コンセント/同意』(監督:バネッサ・フィロ)。感想で妻とケンカになりそうになったがすんでのところでとどまった。

 

娘も息子もいないので、夜は久しぶりに練馬の江戸銀というお店で寿司を食った。ここは値段も手ごろでめちゃくちゃ美味しいのでおすすめです。が、食べ終わると外は雷雨。

 

8月8日(木)

朝8時半、新宿で『メイ・ディセンバー ゆれる真実』(監督:トッド・ヘインズ)鑑賞。昨日と男女が入れ替わった関係性。またもや妻と口論になりながら歌舞伎町で韓国料理のホルモン鍋などを食べる。

 

すると、娘からLINE。本日の夜に飛行機に乗る予定なのだが、現地校での体育の授業中、ほつれた靴ひもを踏んで足を激しくひねり、右足首(中1の時に陸上のハードルでケガしてから癖になっている)が腫れあがったとのこと。今から空港行くが骨折していたら飛行機のれないかも!と泣いている。引率の教師の方に変わると、とりあえずフライトまでの時間がないから空港の医務室へむかうとのこと。

 

もし、飛行機に乗れなかったら、親が迎えに行くのだろうか……。みんなの前でやらかして落ち込んでいやしないか、それにしてもこの出来事はあまりにも我が娘っぽい……など、いろんなことを考えて悶々としてシナリオ作家協会の講座へ向かう。そして、今晩は息子もキャンプから戻って来る。

 

講座が終わりスマホを確認すると妻からLINE。娘、とりあえず飛行機には乗れたとのこと。よかった。

 

家に帰ると、妻が居間で爆睡しており、息子はゲームをしていた。「ママは酔っぱらって寝た」とのこと。キャンプ帰りのママ友とうちで飲んでいたらしい。

 

8月9日(金)

朝5時、妻は娘を迎えに空港へ行き、灼熱の中、片足を引きずる娘を抱きかかえて、空港から直接整形外科に向かうとのこと。私は午前中から打合わせが入っており行けなかった。

 

昼過ぎ、妻からLINE。靭帯が切れてはいたが、断裂ではなく、数日間固定していれば歩けるようにはなる。娘は動けないので、シャワーもトイレも妻に手伝ってもらいつつ、相変らず不機嫌。

 

ケガした上に空港へのバスに乗る間際にパスポートまでなくしたと大騒ぎになって(娘は歩けないので、行った場所を皆に伝え、学校中の生徒、先生とで探して頂き、パスポートは無事見つかった)、ホストファミリー家の小学生2年生の男の子に抱きしめられて「大丈夫だよ」と励ましてもらって号泣してしまったとのと。私の人生終わったでしょと言っていたとのこと。

 

にしても小2の男の子に抱きしめられて、ギャーギャー泣いているその光景が目に浮かびすぎる……。

 

そして夕方、私が急遽、鳥取から東京に戻る日時を変更したい(明後日、鳥取に帰るのだが早く東京に戻らなければならなくなった)と連絡したため、妻はすでに買っていた新幹線の切符変更で自転車をかっ飛ばして中野駅のみどりの窓口へ(今日しか動けない日だったらしい)。

 

19時ジャストに着いたらしいが、はぁはぁしている妻の目の前で締め切られたとのこと。スマホの時間をみせて、今1900ですよね? と言ったが、取り合ってもらえず、仕方がないから新宿のみどりの窓口にむかったら物凄い長蛇の列だったらしく22時ごろ、結局汗まみれで顔を真っ赤にして帰ってきたので寝たふりをした。

 

※妻より

大変長い一日でした……。

 

8月10日(日)

今日は妻外出のため、前から予約していた中学体験に早朝から息子を連れて行く。朝からお腹が痛いと言って行きたがらなかったのをなんとか連れていったのだが、体験授業が始まるなりトイレに行くと言って教室を出て行った。

 

私はトイレの前でイライライライラしながら待つ。たっぷり10分ちょっと息子はトイレに入ってニコニコして出てきた。

 

授業に復帰できるかな? と不安だったが、詩を作ってみようという授業で息子はたぶんいちばん最初に書き上げた。自分の子どものころを思い出すと、早いときはいいかげんなのではないかと思ってしまうのだが、息子は短いながらもとてもカワイイ詩を書いていてすごいなと思った。

 

昼食を食べたあとは説明会と親子面談。2人でクタクタになったが、私は息子を練馬でおろすとそのまま銀座に行って脚本会議になだれこむ。終電過ぎても終わらず久しぶりにタクシーで帰宅。

 

骨の髄まで疲れた1日だったが、明日は朝6時半に息子と家を出て鳥取に戻る。飛行機がとれずに久しぶりの新幹線だ。考えただけで疲れが倍増した。

 

8月11日(日)

朝6時半にぐずる息子と家を出て鳥取に向かう。妻と娘は妻の仕事の関係で4時間後の新幹線だ。私は夕方から同窓会があるので余裕を持って鳥取に着きたいのでこの時間に家を出た。

 

ところが、地震の影響で新幹線が遅れ、姫路で予約していた「スーパーはくと」に乗れなくなってしまった。みどりの窓口に並ぶも、次の「はくと」も完売でその次になってしまった。つまり妻と娘の乗る列車と同じになってしまったのだ。4時間も姫路で時間を潰さねばならない。姫路城にでも行ってみようかと思ったが地獄のように暑いので駅近くのマンガ喫茶に入る。息子は大喜び。私は仕事をしたりスマホで大社高校vs報徳学園を見ていた。

 

そして妻と娘と合流して「スーパーはくと」に乗って倉吉についたら父親が迎えに来てくれていたが、私はその足で同窓会へ。高校を卒業して以来会う人たちもいてとても楽しい時間だった。

息子、漫画喫茶デビュー。突然4時間時間を潰さねばならないなど、予想外の展開になると今までの息子ならパニックになっていたが、今回パニックは起こさなかった。凄い成長。漫画喫茶に感謝(by.妻)

 

8月12(月)

今日は倉吉市の市民ホールで『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映があるため、9時半に家を出る。同級生のI君とH君が企画してくれた。彼らは脚本を書いた『百円の恋』や『モンゴル野球青春記』などの上映も企画してくれていた。

 

今回の上映会には300人くらいのお客さんが来てくださってとても有難かった。上映後、同級生I君の司会で、プロデューサーでもある妻と登壇。広田市長ともトークをさせて頂いた。

 

その後、お手伝いをしてくれた中学や高校時代の友人たちと打ち上げ。私よりも妻のほうが同級生たちとしゃべっていた。そして私の同級生とともに妻だけが二次会に行き、私は疲れきっていたので帰宅した。

広田一恭倉吉市長(左)と

 

※妻より

Iさんの息子と友達に、『春よ来い、マジで来い』の販売を手伝っていただき、大変ありがたかったです。

打ち上げの二次会で地元の場末感満載スナックに連れて行って頂きました。皆さまお話が面白すぎてついつい飲み過ぎてしまいました。翌日、自分が余りに酒臭くて、辟易しました。

 

8月13日(火)

早朝仕事。朝食後、今日は朝から妻、娘、息子、I君の息子で私の息子と同級生の子を連れて東郷湖にある温浴施設へいき死ぬほどくつろぐ。

 

15時I君に迎えに来てもらい、私はI君のワーキングスペースを借りて再び仕事。妻と娘はI夫妻とBBQの買い出し&準備へ。18時からもう1家族集まってI君の家の庭でBBQ。高校生から小学生まで子どもたち6人は数年ぶりに会うのに、瞬く間にコミュニケションが取れている。BBQ後、真っ暗な田んぼの中で肝試ししていた。息子は昨日に続き、I君の家に泊まった。

なんか毎年恒例で家族全員でI邸にお邪魔してすみません。沢山の星の中のBBQ、とても気持ち良かったです(by.妻)

 

8月14日(水)

レンタカーを借りて、妻の(数年ぶりの)運転で倉吉散策へ(※超、緊張しましたが大丈夫でした! by.妻)まずは三徳山投げ入れ堂。かなり恐怖の壁面に久し振りに登るつもりだったが娘がスカートなのでダメとのこと(実際はキュロット型になっているし中にスパッツも履いていたが、それでもNGだった。男子は短パンでも毛むくじゃらでもOKなのに……)

 

靱帯損傷からだいぶ復活していた娘、大変悔しがる。悔し紛れに三徳山で食べた高級ふわりかき氷が美味しかった。かき氷を食べている間も、外国から来たと思われるスカート姿の旅行客がガンガン歩いている。あの人たちみんな受付で帰されるんだなーと思うと気の毒だ。タイの寺院でも似たようなことがあったが(確か露出の多い服は入場禁止)、タイでは無料で布を配ってくれていた。三徳山もそんな風にやればいいのに。

 

※妻より

ほんと、そう思います。せっかくあんな山奥まで来た人たちを“スカートを履いている”って理由だけでわざわざ帰すのはもったいないです。凄い建物ですし。

 

その後は関金温泉の温浴施設に行くことにした。ここは食堂もあるし、温泉も多いし、無料休憩所もあるし良かった。休憩所で息子と将棋をしたら、睡魔が襲ってきて爆睡。極寒冷房の中、身体を縮めて、ひたすら仮眠。

 

スーパーで買い出しして、地元では美味しいと噂の回転寿司屋さんでお寿司を受け取り、実家で晩餐。

 

8月15日(木)

朝ご飯を食べてから倉吉駅へ。11時40分倉吉発、姫路乗換、17時21分代々木着。娘、息子がお腹が空いたとのことで、昔、代々木駅でちょいちょい行っていた中華屋に入ろうとしたらなくなっていた。そのうち娘と息子が何を食べるかで小競り合いが始まり、ジャンケンで決めさせて息子が勝ってナポリタン専門店で夕食。意味もなくドカ食いしてしまった。

 

8月16日(金)

なにやらものすごい台風が来ていると大騒ぎしていた割にはまったくたいしたことがなかった。一日中仕事。

 

8月17日(土)

※今、夫が連ドラの撮影準備に入っており、物凄いバタバタなので今日から私(妻)が代わりに書きます。たまに夫も出てくるかもしれません

 

夫は朝からワークショップ。9月中旬から夫が脚本&監督で撮影に入るのですが、メインロケ地が我が家になったと先日決まったようで(夫が我が家で撮りたいと言い出した。自主映画かっ!)、慌てて仮住まいを見つけるべく、奔走しました。プロデューサーの方々が近所の物件を見つけてくれたので、灼熱地獄の中自転車で5か所内見に。頭が働かなくて、帽子もかぶらず、ノースリーブで回ったため、脳天は禿げそうに暑いし、二の腕はカンカンに赤くなってしまいました。

 

3か月の限定貸しということでかなり個性的な物件が多く、水道周りの空気が淀んでいたり、畳やじゅうたん張りの床が歩くと凹んだり……。湿気に弱い私は「ううむ……」と悩んでいたのですが、最後の5件目のお家が比較的新しく、湿り気も70%くらいだったので、そこに決めました。

 

家で撮りたいと言い出した夫のせいで今のバタバタに輪をかけたバタバタな日々が始まりそうな予感がします……。ロクでもない予感です。

 

8月18日(日)

夫は本日も朝からFさんのワークショップ。昨日頂いた塩水漬けにした梨がおいしかったとご機嫌で出発。娘は朝から自分の部屋で映画なのかドラマなのかをずっと見ている。毎夏恒例の配信見続け引きこもり状態。

 

10時から息子レンタル先生。普段は気のいい子なのですが、勉強をしなくちゃいけなくなると何かが憑依したように人格が変わり、エクソシストの子どものようになります。

 

公立の中学校に入ったら、皆と同じリズムで、同じように勉強に向き合わねばいけないのはかなり苦しむと思われ(あんなにユルい小学校でさえ、彼にとっては辛い場所になっているので)、そのためにも自由度の高い、皆と一緒にやることを強く求められない学校に進学したいのですが、そのためには大嫌いな勉強に向き合わねばいけないという……。難しいです。

 

レンタル先生が終わった後、予約していた初めて行くフリースクールの体験会へ。今、体験しまくっている中学校にご縁がなくて、近所の公立中学に行くことになった時、学校が合わなくても逃げられる先があるのであれば、息子も少しは不安を感じないかもしれないと思いまして。

 

体験会に来たのは我々1組だったため、息子は在校生と先生と理科の実験の授業をして、その間私は2人の先生と面談しました。集団生活に馴染みにくい発達に特性を持った子に理解がある先生方だな、という印象を受けました。息子は1歳年上の在学生とゲームの話をしたり学校の様子を聞いたりして「部活にゲーム部とかeスポーツ部があるんだって! 毎日5時間で終わるんだって!」と興奮(小学校でもほぼ6時間授業です)。

 

帰り、池袋のドン・キホーテに寄りました。息子の好きなYouTuberが食べている韓国の辛ラーメンやブルダックやタバスコやデスソースなど辛い系をたくさん買って帰宅。暑いのと、人込みが大嫌いな私はクタクタでしたが、息子がフリースク-ルという道があると知れて元気になっていたので行ってよかったと思います。

 

灼熱の1日の終わりにYouTuberを真似して動画を撮りながら、娘と息子と辛い韓国ラーメンを食べて、汗を沢山かいて風呂につかりました。

 

夜、ネットで引っ越し業者さんへの手配事務作業。冷蔵庫、洗濯機は置いてはいくものの、テーブル、椅子、ベットやテレビや子どもの学校道具一式、その他ごみと思われるガラクタ(でも、夫は絶対に捨てないで!と言い張る品々)の運送費を確認し、8月後半で予約が取れるかを確認。

 

それと共に、仮住まいでレンタルする洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなどの手配している最中に気絶。夫が家で撮影したいと言い出したもんだから、あー、大変だ大変だ。

 

8月19日(月)

夫は朝から仕事で喫茶店。でも、多分どっかで高校野球を見ているに違いありません。娘、バイト。息子、漫画三昧。

 

午後から9月撮影の美術部打合せのため、また家の片付け。美術の方が家の中を見つつ「なるほどねえ、なるほどねえーー」と繰り返し言っていた口癖が妙に面白かったです。こんなゴミ屋敷をロケ地にして、片付けるのが大変ではないんだろうか……。

 

8月20日(火)

夫、午前中仕事。午後は打合せ。娘、バイト。息子、友達と遊べなくて大変退屈そう。自宅にある漫画を何周かしているようで、テレビ、ゲームの時間が終ると、途端に息子はどう過ごしてよいか分からず執拗に絡んできます。

 

私は仕事が全然終わっていませんが、息子があまりに時間を持て余しているのが気の毒で、パソコンを持って、息子と漫画喫茶へ。息子は寝っ転がりながらマンガをかなり早いペースで貪り読んでいます。私はその横で猛烈に仕事。漫画喫茶は静かだし、薄暗いし、なんか仕事が捗った気がしました。気のせいかもしれませんが。

 

8月23日(金)

夫、朝から仕事とか言って出て行きましたが、どこかで甲子園を見ているに違いありません。今日は決勝だし。娘、バイト。息子、行きつけのブックオフに買い物&立ち読みしてくるとのこと。暑さに弱い息子が自ら家を出ることに喜んで追い出し、私もひたすら仕事。昨日の漫画喫茶のお蔭かもしれなません。

 

午後から田端の映画館CINEMA Chupki TABATAで『リッチランド』(監督:アイリーン・ルスティック)と『PLAY!~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』(監督:古厩智之)鑑賞。eスポーツという物を全然知らなかったのですが、娘も息子も興味を示していたので、勉強のために見ました。

 

なるほどこれは面白いし、身体の大きさや筋力、持久力や経済力も関係ないし、なんだかうちの子ども達でも楽しめるな、これが部活にあったら楽しいだろうな、などと好感を持ちました。劇場で去年お世話になった方と偶然再会。立ち話をしてから、表参道に向かい、一件打合せ。

 

19時、別府ブルーバード劇場の森田真帆さんと大樹さんに誘われた、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんの単独ライブへ。

 

外苑前の料理屋さんでお酒を飲みながら、お弁当を食べながら、生のスタンドアップコメディは大変面白かったです。放送できない話ばかりで笑えました。

 

ライブに付き合ってくれた大学の映画研究部友達のガメラと、ガメラの夫と、森田さんと大樹くんと外苑前の北海道居酒屋で打ち上げ。森田さんは大学の映画研究部の後輩で、ガメラとも共通の友達がいたので懐かしい名前が出て楽しかったです。

 

8月24日(土)

夫、ドラマの主役のお2人と本読み。場所は我が家とのことで朝から大掃除。大掃除したところで、床などはきれいになるが、物は捨てられないのでゴミ屋敷なのは変わりません。

 

夫も結構緊張している様子で、ファブリーズを部屋中に振りまいています。親が慌ただしくしているなか、娘はマイペースでバイトへ。バイトは楽しいらしいです。私は息子と8時に家を出発。今日は電車で1時間半ほどかかる中学校へ学校見学。

 

大変暑いし、朝も早いし息子は動けないかもな……と思っていましたが、家に居てもお客さんが大勢来ると分かったからか、今日はギリギリにのそりのそりと動けました。しかし食欲がないとのことで飲まず食わず。

 

本日行った学校は校則はほとんどなく、決めねばならぬことができたときは生徒と先生が話し合って決めるとのこと。子どもがとても生き生きとしていて好感を持ちましたが、個人面談で話した先生に「この学校は書く授業が多いです。もちろん入試も書かせます。作文が苦手だと難しいかも」と言われ凹む。息子は字を書くのがとても苦手なのです……。

 

本当にクソ暑い炎天下、バス停で20分ほどバスを待ち、最寄り駅に向かいます。あまりの暑さと空腹に倒れそうになりながら、駅前で一番最初に目に入ったサイゼリヤに入店。

 

朝からの遠出と暑さと緊張と空腹に疲れ、息子はパスタ&ピザをほおばり、私はワインをガブガブ一気飲み。2時間ほどおしゃべりして、かなり楽しい時間を過ごし、最後に「今日の学校どうだった?」と聞くと、「良いと思うけど、僕は試験受からないと思うよ」と即答。すぐにネガティブサイドに振り切るので、「言霊言霊!」と言って、それ以上のネガティブマインドは停止しました。

 

帰り、息子から珍しくお買い物しようと言うので(息子は人込みが大の苦手)、新宿ルミネを2時間フラフラ。あーでもない、こーでもないと話し、満喫。最近の息子のブームはプロテインシェーカーと、ハンチングの帽子。それらも探しましたが、ルミネにはありませんでした。まぁ、あったとしても息子のブームは1週間持続しないので、もちろん買いません。

 

8月25日(日)

夫、大阪心斎橋大学で講義のため8時半ごろ出発。娘、バイト。息子は保育園友達とそのママたちと池袋ナンジャタウンへ向かいました。

 

私は明日引っ越しのため、本日不動産屋さんから鍵を受け取り、仮住まいのガスの開栓の立会いへ。諸々終わると、その足で息子とママ友がいる池袋のナンジャタウンへ。本日も猛暑、汗だく。ナンジャタウンは涼しいし、ビールも飲めるから少しゆっくりできてよかったです。夜になるとゾンビやおばけがウロウロするらしいので、今度はその時間に行ってみたいと思いました。

 

池袋の人の多さに酔い、なんか疲れた身体に酒が染みてヘトヘトで帰宅。子ども達に飯を作って風呂入ってすぐにでも寝たかったのですが、明日が引っ越しなのに全然片付けられていないので、重い体を持ち上げて、焼酎片手にとりあえず、すぐに使うものを段ボールにボンボン詰める。そして案の定、途中で気絶。

 

8月26日(月)

夫、朝から仕事。午後打合せ。娘は友達と映画に行き、息子は暑さに負けて動けず、冷房部屋で漫画タイム。

 

私は引っ越し業者さんが12時ごろ来るとのことでとりあえず、ベットやダイニング机を解体し、布団などをまとめます。物の多さと埃とカビと、そしてなによりもあまりの暑さに弱りながら、どうにか引っ越しの荷造りが完了。そして、やはりというか身体の使い方が悪かったのか腰を痛めてしまいました。これからもっと作業が発生するのに……と焦りつつ、汗だくの身体に湿布を張る。

 

夕方色々片付けてから、18時過ぎに息子の習い事のお迎えにスポーツセンターへ。その後、センター内のプールに入るのが毎週月曜日の流れですが、今日はお迎えに行くとスポーツセンターの受付の人と息子が一緒に居り、息子の顔が強張っています。

 

話を聞くと「18時以降は子どもだけで施設内にいてはダメだという決まりなのにこの子はいる」とのことで怒られていたようです。「私がこの子の習い事が終わる18時過ぎに来る約束をしていたのですが、遅れてしまってすみません」と言うも、受付の方の気持ちが収まらないのか「規則ですから! 親御さんがいらっしゃらなかったら一度外に出る決まりになってます!」とのこと。

 

私が遅れたのは5分ほど……。施設の外は灼熱地獄だし、目の前の公園は薄暗い&蚊がものすごい。外に出されたら嫌だなーと思いつつ、丁寧にお詫び。

 

ソファーに座って長時間ゲームしていた訳でもなく、ダンスが終わった足でそのまま玄関の脇のドアのとこで外を見て立っていただけなのに……なんとも融通がきかないなと少し暗くなりました。

 

プール中、息子が「嫌な言われ方をして悲しかった」と話す。私もなんだかムシャクシャするのよ、というネガティブな気持ちを共有し、帰り娘にアイスと、息子にザバス(最近息子のブーム)、私に焼酎を買って帰りました。プールでバシャバシャしていたら、腰がちょっと復活しました。

 

8月28日(水)

夫、朝から仕事。午後、シナリオ作家協会にて脚本家の高田亮さんとの対談とのことで、緊張して出かけて行きました。私は高田亮さんのファンなので対談にこっそりついて行きたかったのですが、仮住まいに洗濯機や冷蔵庫、電子レンジなどの搬入立ち合いをしなければならなかったので行けませんでした。

 

レンタル家具が届いてから、引っ越しでは運べなかったこまごまとしたもの(仕事道具とか洋服とか)を自転車で5往復。自転車で8分ほどの距離なのですが、余りの暑さに心身共にダメージがデカくて、頭がまとまらなくて、何を運ぶべきなのか、今一番重要なのものが何かが分からなくなりました。挙句、全く必要ないものを運び、最も重要なものを忘れました。もう脳が溶けていると思います。

 

8月30日(金)

朝から片付け。仕事が全然終わらなくて、頭の中がパニックになっております。仮住まいは古い家なので、お風呂の排水がかなり遅く、毎回水たまりになるので、どうにか策を練りたいと思います。

 

歩くと凹む寝室の畳にはすのこを引いて、しのぎました。そんなことをしていると、息子が保育園友達の家にお泊りに行く時間になったので、近所まで送りました。いま、自分がかなりキャパオーバーのため、息子の相手が全然できないので、一晩預かってくれるだけで本当に助かります。

 

やるべきことは山ほどあるのですが、息子がいないのでレイトショーを観に行けるということに気づき、見逃していた『99%、いつも曇り』(監督:瑚海みどり)を観に、テアトル新宿に行きました。発達特性のあるあるが沢山描かれていて、近い人がいる私は「そうそう、それそれ」と楽しめました。主人公の夫のようなよき理解者が、娘にも息子にも見つかるといいな、と祈りながら観ました。

アフタートークでエンディング、音楽をやっていた方のライブがあり、お得な気分でした

 

8月31日(土)

夫、午前中本読み。その後、打合せ。

 

娘、台風で9月2日の始業式がなくなりますように、と朝からずっと言いながら配信ドラマ三昧。この夏休みでかなりの連ドラを網羅したよう。日本では野木亜紀子さんと堤幸彦さんのドラマが好きとのこと。父親の作品にはあまり興味はなさそうです。

 

夕方、友人宅から息子、元気に帰宅。帰るなり、「台風で始業式が休みになりますように」と娘と同じことを言っています。

 

夜はなんだか熱くて辛い物が食べたくて、大量のスンドゥブを作って、3人で食しました。またもやYouTubeごっこをしながら。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、締切間際の脚本執筆そっちのけで高校野球観戦にうつつを抜かす7月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第52回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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7月1日(月)

朝の10時から妻と共に打ち合わせに向かう。打ち合わせ後、私は予約していた歯医者へ。私は歯医者が大の苦手で、水をあてる超音波のクリーニングに毎度のこと発狂しそうになる。

 

その後、息子の習い事のお迎えに行き、そのまま同じ施設内にあるプールに行く。近ごろ毎週月曜日は習い事のあとに一緒にプールに行くことがルーティンになっている。

 

200メートル以上泳げたらマンガを1冊買ってあげることにしているのだ。物で釣るようなことはよくないのかもしれないと思いつつも、私はすぐにそうしてしまう。ちなみに自分は子どものころにご褒美で釣られていたというわけではないのだが……。

 

それにしても息子はとにかく水が好きで、海やプールに何時間でもいる。今日、息子がプールでプカリと浮いていたら、係のお兄さんが突然声をかけてきた。その浮き方のバランスがハンパなく素晴らしいとのこと。「こんな浮き方ができるのは100人に1人ですよ!」「スイミングやってないなんてもったいない!」と言われた。が、息子はスイミングはやっていた。なかなかのスピードでクラスをあげていき、やはり向いているのかと思ったが、一度きつめに叱られて、絶対に行かないとなってしまった。

 

息子は大きな声が極度に苦手だ。どんなに説得しても、もうスイミング教室には行ってくれなかった。もしかしたら、息子が自信が持てるものになったのかもしれないと思うとつくづく残念だ。しかし、もぐることも大好きなので海女さんとか向いているのではないかと私は思っている。

 

7月3日(水)

朝からひたすらに台本を書きまくる。一応、今月いっぱいを目処になかなかな分量の台本を書かねばならないのだが、今月は地方行きも何度かあるから不安だ。おまけにバーチャル高校野球で地方大会の観戦にもかなり時間をとられるだろう。こう見えても私は『野球小僧(現・野球太郎)』という雑誌で鳥取県のページを数年間書き続けていたことがあるくらいには高校野球が好きなのだ。

 

妻と息子は午後からI医院で40分ほどの療育。これがどのくらいの効果があるのかまったくわからないが、何もしないよりはマシだと思っている。すでに何もしていないわけではないが。

 

7月4日(木)

音楽の授業でリコーダーのテストのある息子が朝からグズグズしている。私も歌や楽器のテストが死ぬほど苦手だった。白紙で出そうが座っていればいい4教科のテストと違い、実技は晒し者になってしまう辛さがある。結局「逃げていてもいいことはない」などという、自分でもよくわからない言葉でどうにか息子を送り出す。が、行ったとてテストを受けたかどうかはわからない。

 

今日もひたすらに台本を書く。

 

夜、シナリオ講座の講師。以前は生徒さんとよく飲み会などしていたが、コロナもあり、また講師から飲み会に誘うことはハラスメントになっていく可能性もあり、そういうことはまったくなくなった。せっかく出会ったので教室という空間でなく、もう少しくだけた空間で皆さんと無駄話でもしたいなあと思う気持ちもあるのが正直なところではあるが。

 

7月5日(金)

息子、今日は学校を休むというので池袋に『ルックバック』(監督:押山清高)を一緒に観に行く。その後、安い寿司屋でランチをして帰り、私は台本書き。息子はゲーム。夜、妻がいなかったので、娘と息子と総菜祭りをした。妻にバレるとまずいちょっとばかり高いスーパーで。

 

※妻より

ゴミでバレてます。いうなれば江古田の成城石井です。高い。

 

7月6日(土)

午前中から自宅で編集作業。5月に大分で撮影していた作品だが、タイトルの入れどころがなかなか決まらない。

 

7月7日(日)

妻と息子、午前中から中学の学校見学へ。私は午前中は台本を書き、午後は娘と『フェラーリ』(監督:マイケル・マン)へ。映画を観る前から日常生活のいろんな不安事が浮かんできてしまい、ほとんど映画に集中できず。

 

7月9日(火)

午前中、ひたすらに台本を書く。午後、別企画のシナリオライターと打ち合わせ。普段は自分がライターとして打ち合わせに参加することが多いのだが、そのときの私はほとんど受け身の体勢だ。監督としてライターと打ち合わせをするときは、監督の自分が引っ張らなければいけないのかもしれないという変な先入観もあるのだが、元来、人を引っ張ることは苦手なのでそうはなっていない。ただ、シナリオライターは待ってもらう人、監督は待つ人だから、怠け者の私は脚本作りに関しては監督のほうが向いているかもしれないと言うと、監督の方々に怒られそうだ。

 

7月11日(木)

ひたすら台本を書き、合間に近所の銭湯でサウナ。台本を書く合間に行く銭湯・サウナは今の私にとって本当に至福の時間だ。夜、出版社の方々とオンラインで打ち合わせ。来年に出版することになりそうな書籍のこと。

 

7月12日(金)

朝から自宅で編集作業。昼飯はインドカレーを食し、途中、編集作業を抜けて15時半からスクールカウンセラーに行き、息子の話をする。スクールカウンセラーの方とはいつも笑いながら息子の話をしているので、前向きな気分で話し終われる。

 

帰宅したら息子も学校から帰っていた。が、なんだか少し様子がおかしい。いつも編集のHさんにまとわりついているのに、今日は自室から出てこない。しかし、編集の続きもあるのでやっていると、妻の携帯に息子の担任の先生から電話。どうやら修学旅行の班決めで少しトラブルがあった模様。

 

息子の学校は基本的に生徒に決めさせるという自主的な体制をとっているからトラブルは起こる(これは娘の時代も大いに揉めていた)。班が決まらない子も当然出て来る。クジで決めてくんねえかな……と思ったりするが、それはそれでトラブルも起きたりするのかもしれない。

 

※妻より

ママ友の学校は子どもたちに「友達になってみたい人、一緒の班になりたい人を2人書く」というアンケートを事前に取り、それを踏まえて担任が班を決めるという方法らしいのです。担任はクラスの状況もわかっているし、先生が決めた班だとあぶれる子が出ないのでそれがよいなと思って、去年も今年も年度初めの校長と担任との面談でその旨を伝えていましたが、結局去年も今年も生徒が班決めをする形になってしまい大いに揉めました。自主性を重んじるのも素晴らしいですが、傷つく生徒もいます。時に傷つくことも人生にとっては悪くない気もしますが、不必要な傷つくのはなるべく減らしたいのですが、難しいです。

 

 

結局、脳調を崩した息子は塾にも行けなかった。あまりに脳調が悪いので、妻と外に出る。こういうとき距離をとったほうが息子にも親にもいいのだ。近くにいれば根掘り葉掘り聞きたくなってしまい、さらに息子の脳調を悪くしてしまいかねないのだ。

 

帰宅後、少し落ち着いた息子と話す。負の感情をうまく吐き出せるようになって欲しいと思うが、大人でもそれは難しい。私もうまく吐き出せず、吐き出し方で妻を怒らせてしまうことがある。

 

本日は台本まったく進まず。これは7月いっぱいは無理な気がしてきた……。

 

7月13日(土)

朝、品川駅で武 正晴監督と合流して名古屋へ。『百元の恋』のトークイベントが名古屋のミッドランドスクエアであるのだ。名古屋駅で企画してくださった松岡ひとみさんと合流。

 

武監督とはいろんな作品でいろんな場所に一緒に行ったが、名古屋は初めてだ。武監督の地元である。いろんな場所の思い出話など聞きながら劇場へ。

 

トークイベントは大勢のお客様が来てくださり、時間も45分、松岡さんの愉快な司会ぶりもあって大変盛り上がるものだった。夜は武監督と松岡さんとで、武監督の同級生の方が営んでらっしゃる「おばんざい La Vie」へ。武監督の同級生の方々も大勢いらしていた。

 

武監督が名古屋でイベントがあるとこうして同級生が集まるようで、その方々とのふざけた会話の中で見せる幸せそうな表情というのは、やはり小中高の同級生というものは特別だよなあと思わせるものだった。

 

そして、お店の料理はなにもかも驚くほど美味しく、私は食べすぎた上にお土産にまでしていただいた。同級生の方の中にはプロ級の手品をできる方もいらして、手品好きの私としてはとても楽しい時間だった。そのまま宿泊したかったが、明日の朝から子どもの行事があるために最終の新幹線で帰京した。

 

7月14日(日)

雨のため子どもの行事が中止。なので、娘と神宮球場へ高校野球を観に行く。第1試合の帝京対淑徳巣鴨、第2試合の堀越対都立城東の2試合。堀越対都立城東は6対9で城東が勝ったが激戦で面白かった。その間に娘はうどんとカレーを食った。

 

私は暑さと湿気で熱中症気味になり、フラフラしながらの観戦。そのままフラフラしながら大江戸線国立競技場駅へと向かったが、ボーっとして道に迷い、娘からは「迷わないでよ」と言われた。家に戻って熱中症気味の頭で台本を書く。明日から鳥取に行くので少しでも進めねば。

 

※妻より

そんなにフラフラになるならこの暑い中に球場行くなよ、とも思いますし、そんなに仕事が終わっていないなら朝からバーチャル甲子園見るなよ、まず仕事しろよ、そして夜は寝ろよ、と思いますが、絶対に助言は聞かないので、勝手にくたびれてなさい、と思います。

もう52歳なんだし、毎日「疲れた疲れた」と言ってマッサージで散財してくるなら、少しは自分で体調管理して欲しいです!! そのうちぶっ倒れるよ!

 

7月16日(火)

朝イチで鳥取へ。鳥取県知事と市区町村の方々とフィルムコミッションなどの打合せ。鳥取県もこれからロケ誘致にもっと積極的になろうという趣旨で、担当の方々の熱い気持ちを感じる。私もいつか鳥取で映画を撮りたい気持ちがあるから、この動きに乗せてもらえたらとの思いもある。もしかしたら数年後には、ロケ誘致で鳥取が盛り上がっているかもしれない。

鳥取に何十回も来ているのに、砂の美術館初めて行きました。迫力!  同じく鳥取の会合にいらっしゃった「ロケーションジャパン」の山田編集長と(by.妻)

 

夜、両親と飯を食い、その後いつもの同級生たちと合流して飲んだ。家に戻って少しだけ台本を書く。とにかく毎日書くことが大切と『鬼の筆』(春日太一・著)にも書いてあったので、意地で書く。

 

7月17日(水)

鳥取から戻る飛行機の道中で、いろいろと立て込み始めた仕事のことでテンパってしまい、妻に愚痴を吐くが、気づいたら口論になっていた。飛行機を降り、山手線に乗り、地下鉄に乗り、赤坂見附の鳥取県東京本部を目前にするまで口論は続き、本部に入ったとたんに2人とも何事もなかったかのように笑顔で行動する。

 

人間なんてそんなもんだろうと思っていたが、どうやらそうでもないらしく、もっと皆さん立派なようで、これからの世の中、大いに期待できるのではないかと思った。

 

本部の方々と少し話して、本部を出たとたんに私と妻は距離を置き帰路に着く。帰宅後、バーチャル高校野球にて私の推しの倉吉北高校対境港総合高校の試合を観る。ケンカしたおかげで2階にこもってゆっくり観ることができた。ケンカしていなかったら家事をしなければならない。ほんとに私はロクでもない。ウヒヒ。

 

※妻より

足立は愚痴があまりに多い! そしてしつこい! 自分の心配事、選択ミスによる雑務は全て私に丸投げして、人のせいにするから質が悪くて仕方ないのです。そして明らかに、高校野球の見過ぎで寝不足&仕事が捗らないイラつきをぶつけています。終わってます。

足立と異なり、どんなにムカついても、仕事に追われていても、私は不潔で、ものに溢れた我が家の家事と、情緒不安定な子どもたちのケアをしなければなりません。酒を飲まずにはおられません!

 

7月18日(木)

前日にケンカをしていたが、本日は『ふくすけ』を観劇ために妻と歌舞伎町へ。前から決まっていた予定だ。タイミングなんてだいたいこんなものだと思う。

大変見ごたえありました。面白かったです!(by.妻)

 

どんなにケンカをしてもこうして観劇やら仕事で妻と一緒になるので、だったらケンカしないほうがマシなのだが、する。人間なんてそんなもんだろうと思っていたが、どうやらそうでもないらしく、もっと皆さん立派なようで、これからの世の中、大いに期待できるのではないかと思った。と、昨日も書いたこととまったく同じことを書きたい気分なのである、最近は。それで察していただきたいが、これで察しろというほうが無理なことは重々にわかっている。

 

その後妻は、ブルーバード劇場の森田真帆さんと娘がウロウロしている新大久保へ行き、私は息子の習い事を迎えに。夜、台本を書く。

久しぶりに会った映画ライターの真帆さんと、娘(2人は5月の別府短編映画の現場でご一緒しております)と、新大久保で韓国コスメを見て、チャミスルをガンガン飲みながら美味しい韓国ご飯を食べ、カラオケまで行って大いにはしゃいで帰ってきました。大変息抜きができて、有難かったです!(by.妻)

 

7月19日(金)

午前中、台本を書く。12時には切り上げて、パソコンの前へ。本日は高校野球鳥取大会の準々決勝を13時から観なければならない。倉吉北高校が優勝候補の米子松陰高校とあたるのだ。だが、本日は15時から打ち合わせもあるからおそらく、というか絶対に最後まで見ることができないだろう。

 

しかも予定より30分遅れてプレイボール。30分ほど観て妻と家を出るも、スマホを手から離せず電車内でもずっと観ていた。妻にはメールの返信をしている振りをして。

 

3回を終わって予想に反して倉吉北高校1点リード。私はそのまま打ち合わせに突入。一度トイレに立ち途中経過を確認すると、雨で中断していたがまだリードしていた。

 

そして、打ち合わせ後にまたスマホを確認すると継続試合となっていた。これで明日の予定も狂うというものだ。といっても台本を書くだけだからその時間配分のことなのだが。打ち合わせ後、妻は学生時代の友人に会いに、私は家に戻って娘と息子に晩飯を作った。

 

7月20日(土)

倉吉北高校対米子松陰高校の継続試合をバーチャル高校野球で観戦。開始直後に追加点を入れてリードを広げるが、どうにも試合運びに安定感がなく、いつ追いつかれるか、もしくは大量失点してしまうのではと冷や冷やしながら観ていると、案の定、小刻みに相手に加点されて逆転される。しかし、逆転されたあとも1点差でなんとか食い下がるのが今年のチームは一味違う気がする。

 

祈るような気持ちで見つめていたが、結局4対5で敗れた。しかし1、2年生主体の若いチームなので秋季大会は期待できるのではないかと思う。

 

その後、台本を書こうと思ったが激闘の末に敗れたあとだとどうにも力が湧いてこない。以前の私は、スポーツに尋常でない肩入れをする人を心のどこかでバカにしていた。たとえばサッカーの日本代表に熱狂している観客を見ては、「彼らは、他人の人生に感動を求めている」などとブツクサ言っていたものだが、私だって同類であった。

 

夕方、息子が保育園友達と夏祭りへ。途中、雷豪雨の中、2人は全身ずぶ濡れで帰ってきた。100円でやった射的で、『NARUTO』のフィギュアを3個GETしたらしく、恐ろしいハイテンションだった。でも楽しそうで良かった。

 

娘も友達と足立区の花火大会に行ったが、雷豪雨で中止になったとのこと。結局いつものファミレスで夜遅くまで喋って帰宅。

 

7月21日(日)

朝からずっと家で編集作業。ちょっと外に出ると息苦しいくらい暑い。

 

7月22日(月)

朝から台本を書き、午後、近所の銭湯でサウナ。知り合いのプロデューサーにばったりと会う。この方もこの銭湯の常連で、何度目かのばったりだ。

 

7月25日(木)

朝から台本を書く。明日から大分県に行くので少しでも進めたい思いはあるが、うまく進まない。夜は18時半から人形町のシナリオ作家協会にてシナリオ講座があるので、気分転換に早めに人形町に行ってシナリオを書こうと思い14時くらいに行く。どれだけ早いのか。

 

だが、執筆向きの喫茶店を見つけられずドトールへ。あまり集中できず、マッサージにでも行こうと思い、目ぼしいお店をスマホで見つけてドトールを出て電話するもまったくつながらない。直接お店に行ったらすでにお店をたたんでいるようであった。クソ暑い中途方に暮れていると、この暑さの中で60歳くらいの女性の方がマッサージのチラシを配ってらっしゃったので、「今からいいですか?」と聞くと、なぜかかなり驚いた様子で「は、はい!」と言われて、お店について行った。別に普通のマッサージ屋さんだったのだが、今までのマッサージ人生でもっとも力のない方だったので、ほとんど触られただけという印象だった。だからあんなに驚いておられたのかもしれない。

 

結局、台本はほとんど進まず、シナリオ講座が終わって自宅の最寄り駅に戻ってきたら疲れ果てていて、いつものマッサージ屋さんに行った。

 

※妻より

あまりに計画性がなく不毛な動きに腹が立ちます。今、こんなに時間がなくて仕事が終わってないのに、一体どういう思考でこんな動きをしているのか……あ、思考が停止しているのか。

 

7月26日(金)

朝、5時に家を出て成田へ。国内に飛行機で移動するときに羽田でなく成田だった場合、もうそれだけでなぜかクタクタに疲れてしまう。

 

※妻より

でも、日暮里から特急に乗るから、結局45分位しか変わらないと思います。多分。

 

8時発の飛行機で大分へ。5月に豊後大野市で撮影していたのだが、そのときお世話になった方々と打ち上げをするためだ。10時前に大分空港着。映画学校時代の友人で、大分の現場でも制作部で参加してくれた太田さんが迎えに来てくれて、車で竹田市へ向かう。

 

川をそのままプールとしている中島公園に向かう。川で泳ぐ前に近くのラーメン屋で食事。湧き水がハンパなくきれいなようで、ご近所の方々が汲みにきておられる。私もグビグビ飲んでみたが冷たくて美味しい。この水が流れ込んでいる川で泳ぐのだ。

 

ラーメンを食べたあとにさっそく息子と太田さんと妻とで川に入るが、あまりに冷たくて入っていられない。しかしみんなガンガン泳いで遊んでいるので、私もヤケになって泳いでいたらなんとか慣れた。

 

ツルツルの石でできた水の滑り台を息子や太田さんと一緒にアホほど滑った。この川のプールは身体を芯から冷やしてくれる。これだけ暑くても、ここにいれば涼しいと感じるくらいだ。素晴らしい。

 

夕方、撮影地である豊後大野市に移動してホテルで一風呂浴びて、豊後大野市役所の皆さまと会食。なぜか高校野球の話などで盛り上がってしまうも、皆さん撮影がとても楽しかったとおっしゃっていただき感激だ。当たり前だが完成を楽しみにしておられる。面白い映画にせねば。

 

ホテルでは太田さんが我々の部屋に泊まり、妻が太田さんの部屋で1人ゆっくり寝るという形になった。もちろんそれは妻からの提案。というか、「太田さん、私たちの部屋で寝てください。私、1人で寝たいんで」。

 

※妻より

だって、足立のいびきが本当にうるさくて眠れないんですもの……。最近、眠りが本当に浅いので、足立のいびきに起こされてその後眠れなくなると、この暑さの中死にそうになるんです……。

 

7月27日(土)

本日は別府に移動。ホテルソラージュのプールで遊ぶ。ここでも息子はスライダーを狂ったようにやる。

 

プールは海にも面していて、途中から海水浴。なんという名前の海なのか知らないが(糸ヶ浜でした。by.妻)、これでもかってくらいの遠浅だ。行けども行けども行けども深さは臍あたりまでにしかならない。息子と一緒にかなり遠くまで行った。このままどこまでも行ってしまいたい気分だった。

 

浜に戻ると別府の森田真帆さん、ヒロキ君も来ていた。真帆さんと妻はそのままホテルの温泉に行き、私とヒロキ君と太田さんは再びプールへ。息子はヒロキ君のことが大好きでロックオンしてまたもスライダー三昧。その後に私たちも温泉に行った。素晴らしきオーシャンビュー絶景の露天風呂。

息子はヒロキ君みたいなマッチョになりたいようです(by.妻)

 

夜、ブルーバード劇場に移動して『YOLO 百元の恋』の舞台挨拶。大勢のお客様に来ていただき感謝。

 

上映中、息子はブルーバード劇場の実紀さんとお祭りに行く予定だったが、ゲリラ豪雨で祭りが中止になってしまい、お散歩へ。人混みと大きな音が苦手で、突然不安スイッチが入ってしまう息子がうまく対応できるだろうかと心配だったが、むしろ我々口うるさい親がいないほうが良かったのか、「ようしゃべってくれたよ」と実紀さんから聞いてホッとした。ちゃっかりゲームを買ってもらっていた。ありがとうございます。息子は少し自信が出たのか、舞台挨拶後、売店で本の即売会も手伝った。

 

その後は今日来ていただいたお客様やブルーバード劇場の実紀さんたちも一緒に20人くらいの人が集まって飲み会。ブルーバード劇場で舞台挨拶をすると、その後にお客様と一緒に飲みながら映画の話やいろんな話ができるのがめっちゃ楽しい。深夜、真帆さんおススメのマッサージに連れて行ってもらいマッサージを受けながら5分で撃沈。

別府ブルーバード劇場の照さん、実紀さん、真帆さん、大樹さん、そして観に来てくれた全ての皆々様に感謝です。「『YOLO』のパンフないから、足立さんの本売る?」と声をかけてくれた実紀さん、そして足立の傑作(こういうところが私がバカと言われる)エロ青春小説を買ってくれた全ての皆さま、本当に有難うございました。皆さまとお話しするのは、本当に楽しかったです!(by.妻)

 

7月28日(日)

朝、別府の駅前市場で好物の助六弁当ととり天を買っていたら、ヒロキ君とばったり会う。ホラー映画のTシャツを持ってきてくれて、息子大喜び。

 

太田さんに大分空港まで送ってもらい帰京。大分滞在中も少しでも台本を書けたらと思って一応パソコンも持って行っていたが案の定書かなかった。というか書けなった。14時には住処の駅についたのでそのまま喫茶店に直行して書きまくる。俺、真面目だなと少し思ったが休んだのだから当たり前だった。

 

7月29日(月)

朝から夕方までひたすら喫茶店で台本を書く。夕方、息子と『温泉シャーク』(監督:井上森人)を見てハンバーガー食って帰る。

 

7月30日(火)

午前中、息子のレンタル先生。受験する中学も絞れてきたので特訓なのだ。それにしても、結局は息子のようなタイプに合いそうな中学でも最終的には学力で判断。受験者が多いから仕方がないが、厳しい戦いになりそうだなあ……。

 

夜、娘が明日から学校の研修旅行のようなものでオーストラリアに行くのだが、やはり準備が何もできず妻がイライラしながら手伝う。うちの子たちが準備ができないのは私に似たからで、流れ弾がバンバン飛んでくる。

 

7月31日(水)

朝から娘と妻の怒声。オーストラリア準備のことで大ゲンカ。準備が苦手な人間とそのフォローに激しいストレスを感じてしまう人間の最悪の取り合わせ。ほっとけという人もいるが、ほっといたことなど数百回はある。行くのに金もかかっているし、さすがにこれのドタキャンはあり得ないので妻と娘はケンカしながらなんとか準備をした。しかも現地で使うグロ-バルWiFi受取があるので、妻は娘を空港まで送らねばならない。どうしてこうなってしまうのか……。

 

が、私も怠けているわけではなく、夕方から息子の保育園時代の友達が3人泊りにくるのでその接待をせねばならない。

 

激しい夕立の中、友達たちがやって来て、飯を作り、銭湯に行ったら銭湯が臨時休業で、仕方なく我が家の狭い風呂に入ってから花火。書くと2行だがこの間、3時間はある。

 

蒲団を敷いてやり、遊んでいる子どもたちを見ていると猛烈に眠くなる。22時ごろ子どもたちよりも先に寝ようと思って寝室に行こうとしたら不機嫌極まりなく帰ってきた妻が「花火の片付け方が悪い!」と言ってくる。ちゃんとバケツに入れておいたのだが、それが汚いとのこと。完全に八つ当たりだと思うが、きっと娘を送る道中にもいろいろあったのだろうと思うからグッと我慢した。

 

今月締め切りの台本はやはり書けなかった。撮影は9月。頑張らなければ。

小6ですが、まだまだかわいい。1歳から付き合っていますが、ほんと皆、身体が大きくなりました。ほんとあっという間です(by.妻)

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、上海国際映画祭で役所広司に声をかけられビビり、ファンのサイン攻めに有頂天になる6月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第51回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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6月1日(土)

台風が過ぎ去り、快晴。昨日の大雨がウソのよう。昨日の体育祭が週明けの月曜に延期になり、その場合だと出られない娘が恨み節を言っている。

 

娘は今日からリスボンに行くのだ。子ども映画教室というのに参加していて、その発表会的なものがリスボンであり、各国の子どもたちが作った映画をみんなで観るらしい。羨ましい。

 

準備が下手な娘と妻が大ゲンカしながら出発前にまだ支度をしている。

 

妻「○○は入れた?」

娘「知らない」

妻「あんたの荷造りでしょ」

 

娘は「知らない」と言ってスマホから目を離さない。なかなかに緊張感のあるやり取りをしている。こういった場合、妻の怒りの矛先が娘と同じように準備が苦手な私に向いてくる可能性があるのでさっさと退散したいが、退散したらしたで「逃げやがって」とやっぱり矛先は向いてくるので、隣の部屋で「どうしようか、どうしようか……」とずっと考えているという究極に無駄な時間を過ごす。

 

夕方になり、妻と息子とともに日暮里まで娘を送る。電車に乗ってから枕を忘れたと娘が言い出す。なんでもその枕じゃないと眠れないらしい。妻と娘がまた一触即発となりかけ、私と息子は少し離れた。

 

スカイライナーに乗る娘を見届け、帰りに閉店間際の半額を狙って池袋西武で大量の刺身とお寿司を買って帰宅して食って寝た。

 

6月2日(日)

朝から雨。姉がいないので息子が普段は貸してもらえない姉のマンガをのびのびと読み散らかしている。片づけとけよと言っても息子も私と同じようにそれはできず、整頓好きの妻の機嫌が悪くなる。片づけながら溜まった自分の仕事と私が手伝ってと振った仕事もしているのでさらに機嫌が悪くなる。どうにか妻も散らかった部屋で平気な人間に変わってくれないだろうか……。そうすれば我が家は誰もギスギスしていない平和なゴミ屋敷になるのだが……。

 

※妻より

こんなに物が多くて汚い家を「心地よい」とは考えることができません。お互いの折り合いがつかなくて未だに苦戦しています。『春よ来い、マジで来い』のゴミ屋敷だけにはしたくないです。

 

16時ごろ、周南「絆」映画祭実行委員長の大橋広宣さん&妙子さんご夫妻が来て(妻が一生懸命片づけていたのは、来客もあったからかと大橋さんたちがいらっしゃる直前で気づいた)、家で宴会。途中、ちょうど上京されていた別府ブルーバード劇場の森田真帆さんも来て、宴会はさらに盛り上がる。皆さん自他ともに認める特性持ちなので話はあっちこっちに行きつつ、めちゃくちゃ楽しかった。息子も特性集団の中が居心地よかったのか珍しく一緒に居間で話を聞いていた。

 

6月3日(月)

キネマ旬報のKさんと恵比寿でお茶。Kさんにはめちゃくちゃお世話になり、私のキネ旬案件はすべてKさんが企んでくださったものだ。『春よ来い、マジで来い』の連載からその書籍化、関わった映画もすべて取材してくださった。感謝してもしきれない。新天地でもどうかその編集魂をさらに開花させつつ、私を贔屓の引き倒しくらいに扱っていただけたら幸いだ。

 

Kさんと別れたあと、初めてお目にかかる脚本家の方と打ち合わせ。まだ新人だが、彼女の書いたドラマがとてもよかったので、脚本を書いていただけないかとお願いしに伺ったのだ。書いてくださるとのことでまずはホッとした。その後、『ありふれた教室』(監督:イルカー・チャタク)を観て帰宅。

 

6月4日(火)

午前中仕事。12時にNHKに行き、NHKラジオ『まんまる』に出演。鳥取で映画を作りたいことやら鳥取県のことなどを話す。   

 

6月5日(水)

午前中、吉祥寺の映画館で『わたくしどもは』(監督:富名哲也)鑑賞。

 

観終わったあとネットで見つけたデカ盛りの寿司屋へ。不愛想な老人が2人でやっているちょっと変わったお店。寿司はマジに握りこぶしくらいにデカくて、下手したら2貫で満腹。それが10貫くらいあり大きな巻物もある(写真撮影厳禁なので、掲載できなくて残念です)。味はめちゃくちゃうまい。だが、あまりのデカさに大食いでならす私ですら胸やけ。寿司で胸やけなんて初めてだ。

 

その後、星のホールにて小松台東の舞台『デンギョー!』を鑑賞。

 

6月6日(木)

午後からハゲ病院。なんだか効果が止まっている気がする……。

 

夕方から現在編集中の映画の編集を担当してくれている平野さん、『ちゃわんやの話』(監督:松倉大夏)の松倉監督、俳優の松木さんと我が家で打ち合わせと称して飲んだ。

 

6月7日(金)

午前中仕事。午後、ポレポレ東中野にて『生きて、生きて、生きろ』(監督:島田陽磨)のトークイベント。島田監督、編集の前嶌氏と。前嶌は映画学校の同期でもある。その後、観に来てくれていた同じく同期の福島と3人で飲みに行った。同期と飲むのは楽しい。

 

6月8日(土)

妻、娘の高校のPTA会合。私はリスボンから帰って来る娘を迎えに成田まで。どこかの国の中学生くらいの男の子が作った映画がすごく面白かったと言っていた。なんでもたった1人で作ったらしい。その話をもっと聞きたかったが、イケメンのフランス人だかイギリス人の男の子とインスタを交換したとかいう話を興奮しながらずっとしていた。

 

6月9日(日)

『あんのこと』(監督:入江悠)、『胸騒ぎ』(監督:クリスチャン・タフドルップ)を観てから下北沢で『距ててて』(監督:加藤紗希)トークイベントに呼んでいただいたので向かう。

 

監督と主演を兼ねている加藤紗希さんは5月に大分県で撮影していた映画にも出演してもらい、そのご縁で呼んでいただいた。その映画のキャストスタッフも多く来てくれてうれしかった。

 

6月10日(月)

今日は私の誕生日だ。妻と『悪は存在しない』(監督:濱口竜介)、『チャレンジャーズ』(監督:ルカ・グァダニーノ)の2本立て。

 

夕方ダッシュで帰宅して息子の特別支援学級の面談。

 

ケ-キかプレゼントがいつ出てくるのかなと期待していたら出てこないまま夜になってしまったので、「ケーキかプレゼントない?」と聞いたら「ない」とのこと。

 

※妻より

家族全員から心のこもった誕生日カードを贈ったでしょ……娘息子にそれを書かせるのはとても大変だったのに……と思いますが、彼は“貰ったことへの感謝よりも、ない物への愚痴”の思考回路なので仕方ないですね……。

 

6月13日(木)

本日から上海に行く。上海国際映画祭でアジア新人部門の審査員をすることになったからだ。

 

正直、この話をいただいた時はびびった。映画祭の審査員なんて自主映画のものを一度やったことがあるだけだ。その時ですら大変だったのに、国際映画祭での審査員など務まるはずがないと思った。そもそも国際的な評価は皆無の私だ。だが、妻が「多分、この先の人生でこういうことは永遠にないからやれ」と言うのでやることにした。

 

私は英語が話せないし読めない。ついでに書けもしない。だから当然英語字幕は読めないが、同時通訳がつくという。そんな環境で映画を観ることもなかなかない体験だろうと、前向きに考えて引き受けることにしたのだ。

 

朝6時、まだ寝ている娘と息子に「行ってくるから、とりあえず今日は学校行きなさい」と言って家を出る。成田で妻が酒をガブガブ飲み、飛行機に乗り込んだ。人生初のビジネスクラスはとても快適で、これなら15時間でも乗っていたいと思ったが上海は近い。残念ながら3時間ほどで到着。通訳のクマさんと映画祭ボランティアの大学院生・キコさんが迎えに来てくれた。

 

ホテルに着くと、スターが同じ時間に着くのかと思うほど大勢の人が玄関前にいた。車から降りたらなんとその方々は私の出迎えだった。妻は大きな花束をいただく。スターでなくとも、ゲストは皆さんこうやって出迎えているとのこと。一瞬でもスター気分を味わった私はすっかり舞い上がって気をよくしてしまった。

 

部屋はスイートルームだった。新婚旅行は伊豆の民宿だったので、妻に少し恩返しができたかなと思った。ただ、明日からのスケジュールを聞くと、眩暈がしそうであり、またプレッシャーも襲ってきた。なので、美味いものでも食いに行こうとザリガニを食べに行く。他にもいろいろ食ったがどれも美味しかった。

 

夜、審査員の方々が集まって打ち合わせ。すでに私は緊張している。審査員という存在がいかにリスペクトをもって迎えられるのか、今日だけで十分すぎるくらいわかった。

 

審査員は中国の方が4人とメキシコの方が1人と私だ。1本観終わったら少しの時間でもディスカッションしましょうと審査員長の方がおっしゃった。

 

打ち合わせ後、まだ始まってもいないのにプレッシャーからくる疲れと、セレブな気持ちを少しでも味わっておこうと妻とホテルのマッサージに行って、死ぬほど癒される。

↑ザリガニ、初めて食べましたが美味しかったです。ベッドに花びらって雑誌の世界でしか見たことなかったです(by.妻)

 

6月14日(金)

朝、審査員用の写真撮影。いろんなポーズをして写真を撮っていただき、まるでモデルにでもなったような感じで死ぬほど恥ずかしかった。

↑これが、その写真です。皆さんカッコいい。なんか錯覚しちゃいます(by.妻)

 

今日からノミネートされた作品を観ていく。東京国際映画祭では審査員たちがQ&Aという上映でマスコミやら関係者やらと観たりしていることが多い印象だったが、上海国際映画祭は審査員だけでシアターを借し切って観る。大勢の人と観たいなあと思ったが仕方ない。むしろこういう形のほうが多いようだ。

 

今日は2本。イランとインドの映画を観た。試写室に籠って、こんなに真剣に映画を観たのはいつ以来かと思うほど、ちゃんと観た。いや、ちゃんと観ようと全身全霊で頑張った。

 

2本観て、審査員の皆さんと軽くディスカッションをして疲労困憊でいるところに妻のスマホに日本のママ友からLINE。息子が学校帰宅途中でケンカをした模様。妻がすぐ電話して確認すると、ママ友は細かく状況を教えてくれた(息子は電話を持っていないので連絡手段がなかった)。

 

疲れが新たな疲れで吹き飛ぶというのか、とにかくこういう時に息子のそばに居てやれないことで、不安で頭がいっぱいになる。私はマンガ『お父さんは心配性』ばりに不安症なのかもしれない。日本に帰るのは23日だが、今日は私の長野在住の友人Mが家に泊まることになっているので、彼に電話すると、息子は学校から帰って来るなり友人にケンカの経緯を話したようだ。だが、その内容を「父ちゃんと母ちゃんには絶対に言わないでくれ」と言ったそうで、その後に迎えに来た祖父とともに祖父母の家に行ったとのこと。

 

友人は「すまんが約束してしまったから言えない」とのこと。私は息子が私の友人に、いろいろと吐き出せたことと、その内容を友人が約束だからと私に言わなかったことの2つをうれしく思った。親よりも赤の他人のほうが負の気持ちを吐き出せることもあるだろう。夜、祖母に電話して息子と話す。少し落ち着いた様子だったので安心する。

 

その後、映画祭プログラマーの徐さんと中国のプロデューサーのグーさん(なんと日本映画学校の同期だった。内田けんじ監督の『鍵泥棒のメソッド』をリメイクされた方)と、東京国際映画祭の安藤チェアマン、プログラマーの市山さん、小西さんと食事。妻が50度のなんとかという酒をうまそうにガブガブ飲んでいた。

↑料理は全て美味しくて、会話も楽しくて最高でした。田鰻ってやつを初めて食べました。このお酒は53度あるのですが、めちゃくちゃ飲みやすくて素晴らしかったです! 元気が出る酒でした!(by.妻)

 

6月15日(土)

朝、オープニングセレモニーのリハーサル。午後、ノミネートされた映画を今日は1本だけ観る。日本映画だったのでリラックスして観ることができた。

 

夕方からレッドカーペットを審査員の皆さんと歩く。舞台袖には通訳も入れないとのことで、そこにいた日本人は私と役所広司さんのみという状況。役所広司さんはいろんな人に囲まれていらした。挨拶に伺うべきなのだろうが、当然向こうは私のことなど知るはずがない。それでも伺うべきと逡巡していると、なんと役所さんがつかつかとこちらに歩いて来て、「頑張って」と声をかけてくださった。自分からご挨拶にいけなかった私は死ぬほど恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちだった。

 

このことを妻に話したら「あんたには心底がっかりだわ……」と言われてしまった。自分が自分にがっかりしているのだから励ましてほしかったが、そんな甘えが通用する人ではなかった。

 

レッドカーペット、オープンニングセレモニー終了後の夜の10時くらいから中国フランスフィルムナイトというパーティーに出て、とにかく食べることだけに専念していた。妻は高そうなワインをここぞとばかりにガブ飲みしていた。深夜の2時くらいにホテルに戻り気絶した。

↑レッドカーペットと、フランスナイトの写真です(審査員の沈さんとリタさんと)。役所さんのお話を聞いたあと、「俺、これからは自分から話しかける!」って言っていたのに、結局その後も全然自分から話しかけに行きませんでした……(by.妻)

 

6月16日(日)

午前中、審査員の記者会見に出席。脚本についての質問を受け、私の答えをボランティアスタッフのキコさんが「クールだったわ」と褒めてくれてうれしかった。ボランティアスタッフがこうしたことをゲストに言う距離感が素敵だ。

↑ボランティアスタッフたちと。 我々に付いてくれたキコさん(左から2番目)は上海でもトップの大学院で脚本を勉強しているらしく、めちゃくちゃ気さくで、娘のようにかわいかったです。最後に娘と息子にも上海のお菓子までくれて、よくしてもらいました。また会いたいです(by.妻)

 

午後から中国映画を2本観る。その後ディスカッション。いつの間にか妻が他の審査員の方々ととても仲良しになっている。妻は少しばかり英語が話せるし、コミュニケーション能力が高いから自分からどんどん話しかける。そりゃ仲良しにもなるだろう。私は「なんだこれ?」と思いながら指をくわえてそんな様子を見ていた。

 

夕方、子どもたちとテレビ電話をする。娘はいたって元気。息子もあえてケンカの話には触れずにたが、元気そうであった。息子にはその後、喧嘩した友達のママとのやり取りを話し、向こうの子も謝っていると説明する。明日は学校を休まないとのこと。こうして話すと、連れてくればよかったと心底思うが、今回は遊んでいる暇がないのでいたしかたない。

↑前回のロケハンの時の反省があるので、今回は時間を見つけて毎晩テレビ電話をしました(by.妻)

 

取材を1本受けたのち、20時半から『百円の恋』を観客と一緒に鑑賞。中国リメイク版が大ヒットしたからというのもあるだろうが1000人の会場が満席。上映中もお客さんは大笑いしたり身を乗り出して観ていたりとかなりの熱気であった。上映後のQ&Aもたくさん質問が出たうえに、終了後にはステージに観客の一部が駆け上がって来てサイン攻めにあい、私を誰かと間違えているのではないかと思ったくらいだが、正直気分がとてもよかった……。

↑舞台を駆け上がってきたファンにもみくちゃにされて、SPにガードしてもらいながら、メチャクチャうれしそうでした。皆さんがどこで入手したかわかりませんが、日本版『百円の恋』『アンダードッグ』『喜劇 愛妻物語』のチラシを持ってサインを求めてくれて、上海の方の熱さを感じました(by.妻)

 

6月17日(月)

朝から中国映画を3本観る。3本観ると、終わったころには夕方になっていた。

 

夜、メインコンペの審査員の方々も会して審査員と映画祭のスタッフたちとのパーティーに行く途中、エレベーターで審査委員長のトラン・アン・ユン監督と妻と3人きりになってしまった。「アイ・ラブ・『ブルーパパイヤ』」とだけお伝えすすると、にっこりとほほ笑んで握手してくださった。

 

慣れぬパーティーが続き、私は疲労困憊していたが、妻はワインをおかわりしまくって楽しそうだ。

 

部屋に戻って「あー、俺、英語の勉強をまた始めるよ」と妻につぶやいたら(以前、フィリピン人のお姉さんに家庭教師に来てもらっていたのだが、半年ほど習ったところでコロナでなんとなく終了となってしまったのだ)、「お前は絶対やらねえよ。英語だけじゃねえ。お前は今まで言ったことを何ひとつやってない。吐いたツバ飲みまくり。お前が口だけ野郎ってことはよく知ってる」とベロンベロンに酔っぱらっている妻が言い出した。

 

カチンときた私は「娘の弁当も作っているし、何もやってないわけないだろ!」と言い返す。「出た。二言目には娘の弁当作ってる。お前、それしか言えないのかよ、ニワトリ野郎が」と返って来た。

 

そんなあまりにもくだらないことから、チョー大ゲンカに発展。酔っ払い相手にケンカしてもしょうがないのだが、ムカついてムカついて「わかった。じゃあもうコンビ解消だな。解散でいいんだな」と言うと、「心はとっくに解散してんだよ、バカヤロウ。会社も解散させるから、金のかからない解散の仕方調べやがれ!」と妻がのたまう。

 

「わかったよ! 調べてやるよ! 後悔すんじゃねえぞ!」と怒鳴って私はスマホで「会社の解散のさせかた 倒産のさせかた」などと検索しまくって、妻に「調べたぞ! 見ろよ! 早く読めよ!」とスマホを突き出すと、妻はベッドで爆睡していた。私は怒りの持って行き場が見当たらず叫んだが、どうしても腹立ちはおさまらず、妻が買いこんでいた酒を風呂にドバドバと流して復讐したつもりになったが、ただただ虚しいだけだった。明日も3本映画を観なければいけないのに何をしているのだろうか……。

 

※妻より

酔ったから言ったとかではないです。足立は私が怒ると、「酔ってるから」とか「生理だから」で片づけようとしますが、そういうことではなく、ただただ、ため込んでいたものが爆発するだけです(酒癖が悪いのは認めますが)。

夫が頑張っているのはわかるのですが、彼はひたすらにプレッシャーに弱く、口から出るのは弱気な言葉や後ろ向きな言葉(日記のタイトル通り!)、他人への甘えばかりなので聞いていられず怒りがわいてきてしまいます。

それに夫が口だけなのは確かで、有言不実行を絵に描いたようなところがあります。自主映画を撮る、家族のドキュメンタリーを撮る、ノンフィクションを書く、社会を知りたいからバイトを始める、2階にいる難民仮申請中のSさんのドキュメンタリーを撮る、偉そうなことは言うがすべてが「まあ、いつかそのうちね」という感じで何も行動に移さない姿を何十年も見続けていると(なんなら私にやってくれと振ってきます)、夫の「何かやる」という言葉がすごくカチンときてしまいます。そこにネガティブで後ろ向きな姿も重なって爆発してしまったのです。

 

6月18日(火)

朝、6時前には目覚める。怒りでほとんど眠れなかった。頭をすっきりさせるためにホテルのジムに行きサウナに入る。部屋に戻ると妻はいなかった。着替えて朝食を食べに行くと、妻が1人で食べていた。しょうがないので妻の向かいに座ると、妻は黙って食べている。互いに黙って朝食を食べた。

 

その後、インド、中国映画を3本観る。これですべてのノミネート作品を観終わった。身体の芯から疲れたが、得難い体験だった。夕方、子どもたちとテレビ電話。2人とも元気だ。

 

20時から審査委員会。受賞作を侃侃諤諤と話し合いながら決めていく。決められる側からすると、今後の人生に大きな励みになったりするから簡単には決められない。ピリピリとした空気も流れたりしたが、23時くらいにはなんとか決まった。部屋に戻ると妻はボランティアのキコさんと明日観光できる場所のリサーチ、車の手配などのやり取りをしていた。

 

受賞作に対するコメントをすぐに書いてほしいとのことで、私はそれから1時間くらいかけてコメントを書いて、先ほど会議をしていた部屋に持って行くと、映画祭のスタッフたちはまだ作業をしていた。規模の大小にかかわらずこうしたスタッフの方々のおかげで我々ゲストは楽しい時間を過ごせているのだと謙虚に謙虚に思った。

 

6月19日(水)

映画もすべて観終わり、この日は昼まで何もないので、うやむやのうちに妻と表面上の仲直りをして午前中はホテルの近くでマッサージを受けた。初めて中年男性に足の爪のケアをしてもらう。すこぶる気持ちがよい。午後から、中国の様々な媒体の方に取材していただき、自分の無知を曝け出す。

 

夕方近くにすべての取材が終わったので車を手配していただき、南京歩人街に降りて、上海に新しくできたという写真美術館フォトグラフィスカに向かう。私は極度の方向音痴なのだが、一昨日の夜、「お前は何もしない、口だけ野郎」と妻から言われたのがとてもとても癪だったので、俺がルートを調べるから何もしなくていいよと言って、グーグルマップで調べたところ、徒歩86分と出る。一瞬迷ったが、上海の街をブラブラ歩くのもよかろうと妻に「86分だけど散歩がてら歩かない?」と聞くと「いいよ」とのことで歩き出す。

 

途中シトシトと雨も降ってきたが、まあそれなりな会話をしつつ2時間半後、目的地に到着とスマホに出る。が、どう見ても目的地ではない。周囲の方に尋ねても要領を得ないが間違えた場所に到着していることは確実で、妻が通訳のクマさんに電話してやはり自分たちがまったく違う場所にいることがわかる。そして今いる場所がうまく伝わらず次第にイライラの矛先が私にくる。お迎えの車がフォトグラフィスカで待機中とのこと。一体我々がどこにいるのかもわからないので、お迎えの指示もできない。

 

18時から徐さん、グ-さんと食事の約束をしていたのに、タクシーも捕まらず今いる場所もどこだか全然わからず、とりあえず徐さんやクマさんにGoogle mapの位置情報と写真を送りまくって、今いる場所を当ててもらい、車の手配をしてもらうと私は耐えに耐えていたうんこをしに近くの建物に飛び込みトイレを借りた。

 

トイレから戻るとタクシーが到着しており乗り込むとドッと疲れが出たが、徐さんとグーさんに連れて行ってもらった『茂隆餐庁』が最高に美味しく疲れは吹っ飛んだ。

↑何もかも美味! いつかグーさん(いちばん左)とアニメの企画もやりたいです!(by.妻)

 

6月20日(木)

最終日。この日は夜のアジア新人部門の授賞式までオフだ。娘や息子の土産を買いにまた南京歩行路を散策。そして買い食い。

 

16時にホテルに戻り、取材を受けてから授賞式。

 

アジア新人部門というのは、自身の作品が2本までの監督の作品がノミネートされており、日本からはかつて小林聖太郎監督の『毎日かあさん』が作品賞を受賞していたり、安藤桃子監督や斎藤工監督が監督賞を受賞したりしている。

 

各作品の監督やプロデューサー、出演者が作品ごとのテーブルについており、私と妻も審査員のテーブルに座る。私は脚本賞のプレゼンターを中国の作家・朱文さんとすることになっており、何度も原稿を読み直しつつ、すでに受賞作を知っているので、テーブルで発表を待っている作り手の方々を複雑な思いで見つめていた。

 

自分もそうだが、賞をもらうということはとても励みになるし次につながる。何百本の応募作の中から11本しかノミネートされないので、ノミネートだけでもすごいのだが、ノミネートされたからには賞は欲しい。

 

名前を呼ばれ、歓喜の声をあげる受賞者の方々を見ていると、涙腺がゆるゆるになってしまうと同時に、私自身もこの舞台に立ちたいなあと心底思った。

 

授賞式後、映画祭スタッフやボランティアの人たちと労をねぎらいあった。妻は多くのボランティアの方々と一緒に写真を撮っていた。

 

6月21日(金)

映画祭は23日のコンペティションの発表まで続くが、残念ながら私と妻は今日で上海を離れる。

 

朝6時にホテルのロビーで通訳のクマさん、ボランティアのキコさんと待ち合わせたが2人とも来ない。おそらく疲れに疲れ切って寝坊しているものと思い、映画祭のスタッフの方に車を手配してもらい空港に向かう。空港でキコさんから電話がある。やはり寝坊してしまったとのこと。我々の何倍も疲れているだろうから当然だ。ほんとはクマさんとキコさんに最後に会いたかったが、また会えるように頑張って作品を作ろうと思った。

 

しかし、審査員なんてできるのだろうかと半信半疑で上海まで来たが、終わってみるとあっという間だし、とても楽しかったし、素晴らしい体験をさせていただいた。声をかけてくださった徐さんや関係者の皆さまには感謝しかない。ついてきてくれた妻にもだ。皆さんありがとうございました。

 

※妻より

あーあざとい……。対面では言わないくせに人目に触れるところでは書くんですよ、彼は……。

 

15時ごろ自宅到着。久しぶりに会う息子が学校から戻っておりニヤニヤしていた。たくさんのお土産を買ったが、銃のお土産がいちばん喜んでいたと思われる。

 

夜、娘がバイトから帰って来る。人形のお土産を気に入っていた。

 

妻も私も疲れていてすぐに爆睡。明日は私が息子の中学体験の付き添いだ。帰って来た翌日に入れるんじゃなかったと思ったが、その機会しかなかったので仕方がない。

 

6月22日(土)

息子と中学体験。息子が通う塾にいる場面緘黙の先輩が通っていることや、勉強が苦手という子が多く通っているイメージの中学だったのだが、個人面談で息子の特性を話すと「ウチでは厳しいかもしれない」と言われ、がっかりして帰った。ただでさえ映画祭の疲れがあるのに、疲れが倍増した感じだ。

 

6月25日(火)

大阪へ行き、「ブギウギ」に出演してくださったメッセンジャー黒田さんとトークイベント。黒田さんにほぼほぼしゃべっていただきなんとか乗り切る。その後、見に来てくださった「ブギウギ」の福井チーフディレクターと福岡プロデューサーも含めて4人で美味しいお好み焼きを食いに行った。

 

6月26日(水)

大阪から戻り、モダンスイマーズの舞台『雨とベンツと国道と私』を観に行く。そのままユーロスペースで二ノ宮隆太郎監督『若武者』を観て、二ノ宮監督とトーク。トーク後、来てくださったお客さんも含めて飲みに行く。

 

6月27日(木)

秋に撮影予定のドラマの俳優さんとお会いする。ファンなので緊張した。情報解禁はまだまだ先だがお楽しみにお待ちいただけたら幸いです。その後、紀伊国屋ホールにて劇団ラッパ屋『七人の墓友』鑑賞。

 

6月28日(金)

11時から下北沢で打ち合わせ。これは実現したら私的にはかなり驚きの企画だ。まさかこれを映像化したいという人が現れるとは思わなかった。企画が成立したわけではないが、楽しみにお待ちいただけたら幸いです。その後、本多劇場にてナイロン100℃『江戸時代の思い出』鑑賞。

 

6月29日(土)

午前中、息子と『マッドマックス フュリオサ』(監督:ジョージ・ミラー)鑑賞。2度目だが、毎度のこと2度目のほうが面白い。息子は150点とのこと。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、大分での映画撮影のため子どものほったらかしを反省する5月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第50回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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5月1日(水)

昨日に続き、豊後大野市ロケハン後、別府に移動。夜、別府ブルーバード劇場の照さん、実紀さん、スタッフと食事。別府駅前のステーキ屋さんに連れて行っていただいた。照さんは93歳とは思えない健啖家。大きなステーキをペロっと召し上がっておられ、まるで瀬戸内寂聴のようである。

 

照さんたちと別れたあと、宿泊しているホテルのロビーで少し会議をして、夜の11時から焼き肉を食いに行った。とても美味い店があると聞いて、次に別府に来るのは撮影のときで、そのときは絶対に行っている余裕はないだろうから、どうしても食べたくなり連れて行ってもらったのだ。ステーキのあとの焼き肉というのもこの先の人生で何度あるか分からないというのもあるし。すると行った甲斐がありまくりだった。人生いちばんの焼き肉を個人的には更新した。

 

※妻より

お元気な照さん、いつも気遣ってくれる実紀さんと久しぶりに会えて大変うれしかったです。お2人と別れたあと、またまた皆様で別府をロケハンして、その後ホテルのロビーで再度打合せ。作品の時間のこと、色々なご提案、予算内にはめるためにはどうすればよいか、皆さん積極的に発言して下さる。24時も過ぎたあたり、小腹を減らせたスタッフたちと一杯だけ行く? となり、一杯どころかご近所の焼肉屋で何杯も……。改めてスタッフ皆さまの体力に驚く。

 

↑ステーキ屋も焼肉屋も食べること、しゃべることに集中しすぎて写真撮り忘れてます……。これだけ……(By.妻)

 

5月2日(木)

朝から別府ロケハン。鉄輪温泉や地獄めぐりなど色々見て、昼食は名物のとり天をいただいたがこれも大変美味しかった。そして一緒に出て来た牛カツが大変どころではなく美味しかった。

 

食後、近くのショッピングモールの足湯につかって打ち合わせ。足湯につかりながらの打ち合わせというものは非常になごやかに進むことが分かった。大きな会社は会議室に足湯を作れば傑作がどんどんできあがるかもしれない。

↑散々歩いて、食べた後の、足湯に浸かりながらの打ち合わせは終始穏やかな雰囲気で良かったです。厳しいことを話さねばならない時も足湯効果? で乗り切れました(By.妻)

 

19時50大分空港発の飛行機で東京に戻る。22時過ぎ、自宅に戻り祖父母宅から帰宅していた娘息子に会う。3日会わなかっただけだが、2人ともなぜか非常に脳調が悪い……。

 

5月3日(金)

朝から仕事。息子、午後に1人で鳥取の私の実家へ。鳥取の友達に会いたい気持ちがメインだが、1人で飛行機に乗るのはまだまだ不安そう。妻と羽田に行く道中、ハイジャックの映画の話や、墜落の映画の話を延々話していたそうだ。

 

「それは話すことで気が紛れるの? 話していて不安が倍増しない?」と妻が聞くと、「話を聞いてもらえたら満足だから話させて」との事で結局ずっとハイジャックと墜落の話を聞き、妻まで心の調子まで悪くなってしまったとのこと。

 

羽田に着き、子ども1人で乗る手続きをし、搭乗ゲートまで送ると、優しそうな添乗員さんが付き添ってくれてたので見送ったとのこと。息子はとても不安そうだったらしいが、周囲の目もあるからか、ふざけながら気丈にバイバイをしたそうだ。1人で行けるなんてすごい! どうか楽しんできてねと祈るばかり。

 

5月4日(土)

朝から溜まりまくっていた仕事に没頭。

 

5月5日(日)

朝、オンライン打合せ。その後、仕事。

 

お昼に娘、妻と食事。娘が学校のことやバイトのことなどノンストップでしゃべりたおす。いろいろと溜まっていたのだろう。最近、親が家をあけることが多かったから吐き出せなかったのかもしれない。

 

夜、鳥取の祖父母から電話。息子は鳥取の友達とは元気に遊んでいるが、夜になると大変寂しがっているとのこと。鳥取に行きたいと何度も言っていたから行かせたが、ロケハンから戻った翌日に鳥取出発だったから、こちらもほとんど親と会わずに行ったからかもしれない。

 

娘も息子もタイプとしては親に不平不満をガンガン吐き散らかすタイプだから、会わない時間が長くなると脳調が崩れるのだ。これを人に話すと甘やかしているのではないかと言われることもあるが、単にそういうタイプなだけだと私は思っている。そのタイプとうまく折り合えるかは分からないが。

 

5月6日(月)

昼過ぎ、妻とともに羽田まで息子をお迎えに行く。息子の乗った米子発の飛行機はどうにか飛んだが、鳥取発の飛行機は強風のため運航停止になっていた。息子ははにかみながら、添乗員さんに付き添われて出てきた。

 

帰りの電車の中、鳥取の様子などを聞くも、いつも通りあまり話さない。「普通」「楽しかった」のみ。でも、楽しかったのだろうとは思う。

 

夜、色々疲れたため、マッサージへ。マッサージが終わると妻から長文LINEが入っていた。寝る前、息子の慟哭が激しかったとのこと。「僕はとても寂しかったんだ。じいちゃんばあちゃんちにも行けたし、鳥取の友達の家にも2泊できたけど、とても寂しかったんだ!」と大泣きに泣き散らしたとのこと。やはり今回は色々とスケジュールが上手くなかったと反省。

 

※妻より

色々反省しました。息子が鳥取の友達に会いたがっていることと、GWに都内で1人で暇な時間を過ごすよりは鳥取にいたほうが良いだろなと思い、自分の事務仕事も溜まっているしな、という自己中判断で、息子の1人鳥取行きに賛成しましたが、息子の行きたいという気持ちと、でも寂しいという気持ちの狭間を的確に察知できていませんでした。第六感で、「今回は寂しがりそうだからGWは家でゆっくり過ごしてもよいかな」とも思ったのですが、そのカンに従わず鳥取行きを決断してしまったのは、「今親もメチャクチャ忙しいから」という言い訳を掲げて、息子に寄り添って考えていなかった、息子をちゃんと観察ができていなかったからです。こういう言い訳をこの場に書くことによって自分の気持ちを楽にしているだけですが。

 

5月7日(火)

息子、昨晩大荒れだったせいかなかなか起きれず。朝はグズグズになり学校に行けず。大荒れでなくとも少し前から朝がかなり弱くなってきていて、これは起立性障害も少しあるかなとも思う。

 

こういうときは親が家にいてもしょうがないので、テレビのリモコンとゲームを隠して妻も私も家を出る。息子にはゲームやYouTubeなどの映像なしでゆっくりと休んでほしいと思うのだが、ゲームやYouTubeを心行くまでやらせてあげてもいいと書いてある本や意見もあるから迷うとこだが、あくまでも私や妻の場合、音や映像があると脳が休まらないので、息子もそこにあてはめてしまうところはある。まあ、正解なんてないのも頭では分かっているのだが……。

 

それにしてもふと思ってしまうのは、息子が育てやすい子ならば、もっと自分のことに時間を使えて映画を観たり本を読んだりのインプットができるのにな……ということだ。それだけでなくなにかの経験などにも時間を使える。やってみたいことは山ほどあるからだ。

 

だが、息子がこういうタイプでなければ私は恐ろしく不寛容な人間になっていたに違いないとも思う。例えば他人に対して「使えない」などという言葉を平気で使う人間になっていたかもしれないし、だらしないと言われる子に対してそのまんまだらしないと思ったり、その親にも育て方が悪いのではないかと思うような人間になっていただろう。自分のこともずっとだらしなくていいかげんな人間だと思っていたかもしれない。

 

そういう意味では、息子のようなタイプ(まあ娘もだが)と親子になり多くの時間を過ごせることには感謝したい。面倒くさいことばかり日記には書いているような気もするが、やつらはとびきりにかわいい。

 

昼過ぎ帰宅すると、その息子はケロッとしており、夕方からの塾には行けた。塾でも「1人で鳥取行けたのは良かったが、この1週間がいかに寂しかったか」を作文に書いたと連絡が来る。やはり今回のスケジュールは親のミスだった。

 

※妻より

息子が泣いて叫んで私に伝えたのと同じように、塾の先生にも「僕は寂しかった」と言えて良かったな、と思いました。

 

5月8日(水)

朝から自宅にて別府短編映画の衣装合わせと打合せ。今回は自前の衣装でやっていただくため、役者さんが沢山の衣装を持って来てくれる。その後、我が家にてリハーサルも行う。

 

5月9日(木)

6月に上海国際映画祭に行くため有明にビザ申請に行く。1つ記入項目を間違えたようで、妻がスマホを駆使して、必死の形相で作業している。私は睡眠不足がたたり、ビザセンターで爆睡。起きるとすべてが終わっていた。「テメエは本当にクソの役にも立たねえな、このポンコツ野郎!」のお言葉だけいただく。

 

せっかく有明にきたのだから、なにか美味しいものを食べよう! と言って散策するも、15時という時間だったため、どこもランチは終わっていた。朝からなにも食べておらず限界だったので池袋まで戻り、初めて行く中国東北部の中華料理屋へ。ここは通しで営業しているのだ。なにを食べても美味しかった。大急ぎで帰宅。

 

17時半帰宅すると腹を減らした子ども2人が待ち構えていたので、とりあえず肉を焼いた。

 

5月10日(金)

朝から仕事。14時から自宅にて地元の雑誌『とっとりNOW』の取材。遠路わざわざ鳥取から来ていただく。ありがたい。これまで故郷とは友達付き合いしかなかったが、今後は積極的に関わっていく所存だ。

 

5月11日(土)

朝、山口県周南市に向けて出発。周南「絆」映画祭春祭りで『雑魚どもよ、大志を抱け』を明日、上映していただくのだ。それに先駆けて本日は「こども昭和カラオケ選手権」の審査員も仰せつかった。

 

小中学生たちが舞台で一生懸命歌う昭和歌謡を聞いていると、なぜかそれだけで涙が出そうになる。『ラッパと娘』や『東京ブギウギ』も飛び出して楽しい歌合戦だった。夜は周南「絆」映画祭実行委員長の大橋さんたちと美味しいお肉を食べに行った。

 

5月12日(日)

今日は『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映会。上映会の前に、いつも寄るぬいぐるみ屋でお土産のぬいぐるみを買う。ここはへんてこなぬいぐるみを売っていてとても面白いのだ。ついつい買い過ぎてしまう。

↑左が今回買ったもの、右は前回買ったもの。もはや子どもたちは喜んでおらず、夫だけが嬉々としてぬいぐるみを飾ってます。邪魔で仕方がない(By.妻)

 

上映会は満席となった。ありがたい。質問も沢山でて盛況だった。今年の秋に本祭があるのだがそのときも是非来たい。映画祭の委員会も若者が増えて活気が増していた。普段は学校の先生をしていらっしゃる宮本さんや実行委員長の大橋さんともたくさん話ができて良かった。

 

5月14日(火)

夕方新宿で打合せ。打ち合わせの喫茶店で食した大きなかき氷が美味しかった。

 

5月15日(水)

9時からオンラインで別府短編映画の美打ち。昼から息子の担任と個人面談。6年生になった息子は「俺、英語も音楽も授業出ることにしたんだよ、すげえだろ」と言っていたので喜んでいたのだが、かわりに国語と社会と理科の授業に出なくなりましたと先生から言われて軽く落ち込む。

 

苦手な授業は廊下でウロウロしていたのだが、今は廊下にカーテンで仕切られた物置があり、そこが息子の居場所になっているとのこと。見せてもらうと、なるほど秘密基地風味な場所だ。落ち着くのだろう。だが、やはり中学になったらどうなるのかと少し心配にはなってしまう。

 

その後、妻が息子を連れて児童心療内科での療育30分。人の気持ち、表情が分かりづらいことを再度伺い、そこをケアしていこうと言う話になったとのこと。

 

20日から撮影で8日間夫婦で家を空けることになるので、息子の意志を確認したところ、はっきり言わないがどうやら撮影について行きたいとのことなので、悩んだが今回は撮影に同行させることにする。どうなることやらまったく予想がつかない。娘も行きたいとのことだが5月21日から中間テストのためテスト終わりの5月26日に合流することになった。

 

5月16日(木)

9時から有明、16時から門前仲町と意外な場所での衣装合わせを2連発。その後シナリオ作家協会のシナリオ講座。シナリオ作家協会は人形町にあるので歩いて行った。

 

5月17日(金)

朝から自宅にて別府短編映画の劇中劇の撮影。本日がクランクインだ。劇中劇の撮影は午前中で終わったので昼からリハーサルを我が家にて。『喜劇愛妻物語』に続いて、今回の別府短編映画でも我が家で撮影をするのだ。

 

5月18日(土)

娘と息子と『猿の惑星/キングダム』(監督:ウェス・ボール)を観に行く。夕方、事務仕事をしていた妻も合流して2日後に誕生日を控えた娘の誕生日ディナーでいつものステーキ屋に行く(2日後には撮影で大分県に旅立たねばならず前倒しで誕生会をやったのだ)。

 

娘は新しいスマホを欲しがっており、なにか部活に入れば(最近娘は部活をやめてしまった)それを買ってやると私が言うと、娘は「マジで!?」と喜ぶも、妻が「そういうのは勝手に決めないでよ。まずは相談してよ!」と怒る。確かに値段の高いものだし、スマホを買ってあげるかわりに部活に入れというような交換条件が妻は大嫌いなのだ。だが、私は娘の運動神経をもったいないと思うのだ。スポーツは見るのもやるのも大好きなのに、なにか人間関係のもつれがあると娘はやめてしまうので、スマホで釣りたかったのだ。

 

結局、私の考えに妻が反対し、娘が妻をケチ呼ばわりして(ケチはケチなのだ)もろもろ妻の逆鱗に触れて、ディナーには一気に暗雲がたちこめ険悪なものになってしまった。家族の険悪な雰囲気が苦手な息子の脳調も悪くなる。なんとか場を取りなそうとしたがすべてが遅すぎた。

 

※妻より

娘が新しい部活に入るなら、もろ手を挙げて応援致しますが(私も娘は運動に向いていると思います)、15万円近くするiPhoneを買ってあげるから部活に入ったら?と親が提案することに賛成できないと言ったら、2人して「ケチケチ」の連呼が始まったので「ケチとかそういうことじゃない、考え方が合わないだけ」と言っても話がかみ合わず……。せっかくのステーキの味が全然わからないものになりました。息子も途中で食欲がなくなったので、同じ気持ちだったのかもしれません。せっかくの誕生日ディナーが残念でした。

 

5月19日(日)

娘、バイト。息子、保育園友達と自宅にてゲーム。私と妻は明日から大分県のため準備に追われる。

 

※妻より

夜何度か息子に「明日行けそう?」と聞くも、小さい声で「分からない……」との事。見通しが立たない事が大の苦手な息子は、明日からの大分の撮影が不安で仕方ないのだと思います。大人が沢山いること、父と母が仕事なので息子の相手ができないことなどは分かっているようです。明日の早朝、あのフリーズが始まってしまったらどうしよう、そして今回衣装も担当しているので忘れ物があったらどうしよう、と不安爆発で全く眠れなくなりました……隣で夫は鼾をガーガーかいてました。

 

5月20日(月)

朝5時。息子もなんとか起きる。娘に挨拶をして、いざ出発。

 

撮影現場に子どもを連れて行くことには私は大賛成なのだが、自分の息子となると考えてしまう部分もあった。他のスタッフも気を使うかもしれないし、なれない場が苦手な息子の脳調がどうなってしまうのか予想がつかない。いや、つく。予想通りになればスタッフに迷惑をかけてしまうかもしれない。

 

「人は人に迷惑をかけて当たり前」などとキレイごとを言っているくせに、自分の息子となると途端にそう思えなくなるのが私のダメなところだ。できるだけ迷惑かけてほしくないと思ってしまう。連れて行くことを事前に何人かのスタッフやキャストには伝えていたが、息子の特性などもはっきり伝えるべきだったと出発の日に後悔したりする。が、とにかく息子が「ついて行きたい」と自分の意志を表明することは珍しかったので、その意志が一番大切だと思った。

 

08:20成田発、10:55大分着。息子は大人たちから話かけてもらってご機嫌でやっている。この日はスタッフ、キャスト全員で夕方までロケハンと現場リハをした。

 

夜、豊後大野市の市役所の方、別府短編プロジェクトの方と会食。魚も肉も野菜も美味しく、テンション上がる。息子もテンションがあがり、私が朝ドラ中はエゴサばかりしていたようなことを嬉々として人に話していた。宿でWiFiにつながらずゲームができないことで脳調が悪くなりそうだったがすんでのところで我慢できた。えらい!

 

5月21日(火)

本日から大分篇の撮影開始。しょっぱなから鍾乳洞の撮影で、今回の撮影の中でももっとも難しいと思っていた場所から。いろいろと仕掛けもあるし移動も多い。そして息子の動向も気にしながらだがやはり撮影は楽しい。途中、武 正晴監督が差し入れを持って撮影に来てくださった。小豆島、飛騨の山奥、そして豊後大野と思えばかなり来づらい場所での撮影にも毎回顔を出してくださるのでうれしい。ナイターを22時過ぎまでやってこの日は終了。

↑鍾乳洞の中はとても涼しく、地下水の水風呂は大変冷たい……俳優部、スタッフの皆さま、長時間本当に有難うございました…(By.妻)

 

5月22日(水)

2日目。朝、三重町駅から撮影。エキストラが多くて時間が押してしまう。この日も移動多し。今回はロードムービーなのでとにかく移動が多いのだ。

 

この日は唯一ナイター撮影がなく、撮影後の夕方に本日は豊後大野市の市役所で記者会見。主人公の佐野弘樹さん、そして天野はなさんのお2人はオーディションで出会った素晴らしく面白い俳優さんだ。そして剛力彩芽さんとは初めてお仕事をさせていただくがとても気さくで優しい方だ。他にも出演者の方はいらっしゃるのでまたの発表をお待ちください。

 

息子は出演者の方にも懐き過ぎて距離感がおかしなことになっているように見える。プロデューサーでもあり、今回は衣装部的な動きもしている妻が都度都度息子を出演者の方から離したりしているのが目に入る。

 

※妻より

息子が好きな人にべったりと離れなくなってしまったため、引っぺがすのに一苦労でした。言い方や言うタイミングを間違えると、途端に脳調が悪化してもっと大変なことになるのでとても気をもみましたが、全ての皆さまが本当に程よく息子に接して下さって大変助かりました。

 

5月23日(木)

怒涛の11現場移動。バタバタバタバタと移動して準備して片付けして車で別府の現場へ。武監督も別府の現場にも来てくれる。

 

この日は唯一の別府宿泊の日。撮影終了23時。温泉がありがたい。息子にも疲れがたまってきている様子がうかがえる。ご機嫌ななめだ。

 

5月24日(金)

この日はブルーバード劇場で撮影。朝から集まってくださったエキストラの皆さまに感謝。館主の照さんにも出演していただいた。

 

別府短編映画プロジェクトの釘宮プロデューサーおすすめのカレーの弁当がめちゃくちゃ美味しかった。そして、沢山の差し入れをいただき、別府名物のクリームパン、アンパン、カレーパン、今川焼、銘菓ざびえる、全て食らう。

 

ブルーバード撮影終了後、急いで豊後大野市に戻り、宿泊先の三国屋旅館で撮影。我々がバタバタしていると、おかみさんが握りたてのお握りやお新香を出してくださった。これもめちゃくちゃ美味しくて思わず3個一気食い。

 

5月25日(土)

再度三国屋旅館から、明尊寺で撮影。7分ほどの長回しの歩くシーン。日はカンカン照りだし蒸し暑い。皆さん疲労がたまってきているが今日から宿にもなるロッジ清川へ移動してナイター撮影。22時半ころ撮影終了。

 

各スタッフ片付けが終わった人から、ロッジ内のサウナへ。ロッジの方々のご配慮で、本来なら22時までのサウナを本日はスタッフが就寝するまで薪をくべてくれると言う。皆さん、早々に片付けていそいそとサウナへ。隣にある地下水の水風呂か、流れている川の水風呂に入るのだが両方とも最高だ。連日遅くまでの撮影で皆さん疲れも溜まっているというのに、夜中までサウナと水風呂にガンガンはいってとっても元気だ。私も東京から来てくれた出演者の横江君と岡野くんとたっぷり入った。

 

5月26日(日)

本日は終日ロッジ清川内での撮影。終了後に豊後大野市の方々と交流会もあるのでガンガン巻こうかと思っていたがこの日も22時くらいまでかかってしまった。そして本日からユキ役の加藤紗希さんと、娘が東京から参戦。

 

息子はロッジにいる犬と出会えたことがうれしくて、終始犬と一緒に川遊びをしていた。

 

23時ごろから、豊後大野市の方々と別府短編プロジェクトの皆さんが打ち上げの場を設けてくれて、皆さんで乾杯! まぁまぁタイトななか、酒を飲んだり、つまんだり、ケーキを食べたり……そして今晩もまた、スタッフのご厚意により、夜中までサウナ&地下水OR川遊び。

 

この日もキャストスタッフたちは深夜までサウナと川の水風呂で騒いだ。感覚的に30代までのはしゃぎ方に参加して私は身も心も若返ったような気になった。サウナは水着着用の混浴だから性別関係なくみんなで入ってはしゃいだ。まさか娘と一緒にサウナに入る日が来るとは思わなった。深夜3時に気絶。

 

5月27日(月)

撮影最終日。朝からロッジ清川内の撮影後、移動。この日も4か所ほど移動して最後は走るバスの車内で撮影。15時くらいにどうにか大分篇がクランクアップした。

 

キャストスタッフの皆さんは楽しんでくださっただろうか。監督というのはある意味では接客業のような一面もあると私は思っているから、面白い作品を作ると同時にキャストスタッフの方々には現場を楽しんでいただきたいなあという気持ちがある。

 

そして息子はよく頑張ったなと思う。録音の臼井さんから「K君はまったく迷惑をかけなかった」との言葉をいただきホッとした。息子は臼井さんにもかなり懐いていていたのだ。懐くと距離が急激に近くなるので親としては冷や冷やしながらその様子を見ていた。娘も妻に言われるままにいろいろ手伝っていたようだ。

 

※妻より

衣装の整理や、お弁当&飲み物の配布など手伝ってもらいました。コミュ障の娘も娘なりによく頑張ってくれたと思います。

 

本日このまま東京に戻るスタッフと別府に1泊していくスタッフに別れる。我々家族は別府に1泊。夜は双葉荘で若手スタッフや別府短編プロジェクトの森田さん、釘宮さん、吉野さんらと地獄蒸しを食らい、深夜1時前に解散。まさに怒涛。

 

5月28日(火)

朝10:55分の飛行機で帰宅。猫と金魚と亀は息子の同級生のママ友がしっかりと面倒見てくださっていたのでとても元気。妻と『関心領域』(監督:ジョナサン・グレイザー)を観に行くも、撮影明けで見る映画ではなくあえなく撃沈。

 

※妻より

事務仕事も溜まりまくっているし、今日は家で作業したいと再三言ったにもかかわらず、「今日しか行く日がない!一人だと寝ちゃうからついて来て!」といつもの執拗な拝み倒し(こちらがYESと言うまで止まらない)に根負けして付いて行きました。10回以上起こしましたが、結局熟睡してました。彼にとって一体なんの時間だったのでしょう……。足立は時間の使い方というか、意図的に脳を休ませるのが下手だなと思います。とても息子に似ています。それも特性だから仕方ないのでしょうが、付き合わされる方は疲労蓄積ハンパないです。

 

5月29日(水)

別府からフェリーで荷物を運んでくれた制作部の太田さんが到着。我が家に泊まる。太田さんとは『お盆の弟』や『雑魚どもよ、大志を抱け!』などの作品も一緒にやっているが、若いころは実は一緒に劇団を作っていた。劇団解散後、一緒に住むようになったのだがそのときの話は『春よ来い、マジで来い』に詳しい。と、ちゃっかり宣伝するのは忘れない。

 

夜、明日の撮影後の打ち上げで注文する寿司のことで妻とケンカ。スタッフが15人なので私は20人前の寿司が欲しいと言ったが妻は15人前でいいと。15人前をのむのでウニの入ったいちばんいい『雅』にしてくれと言ったら、珍しくそれをのんでくれた。

 

5月30日(木)

自宅にて朝から東京篇の撮影。そこまで分量はなかったので15時撮影終了。クランクアップ。そのまま我が家で打ち上げ。

 

注文していた寿司をとりに寿司屋に行ったらどうも料金が安い。尋ねると一つは『雅』でなくもうワンランク下の寿司になっていた。いつの間にか妻がすりかえたのだ。怒りで寿司屋で暴れそうになったが握ってしまったものはどうにもならない。

 

どうせ妻の一言のとこには「夫はええかっこしいだから一番いい寿司を振舞いたいだけ」とか書くつもりだろうがそんなわけない。皆さん安いギャラで参加してくださったからせめて打ち上げでは美味いものを食べてほしかっただけなのにまったくどこまでもケチにできてやがる。天誅したいくらいだ!

 

甚だ気分を害したので、皆さんの前でこの顛末を暴露してやったが話がうまく伝わらなかった。22時近くまで我が家で飲み、それから私は演出部の草場さんと成瀬くんと録音部の臼井さんと家の近所の居酒屋で飲み直した。

 

※妻より

いやいやケチというのではなく、「雅」には海苔巻きや茹でた海老とか玉子焼きが入っていなかったら、1つ違う種類にしただけです。中には生ものが食べれない方もいるかも知れないと思ったからです。という話も最初にして、「『雅』は2つね」と返事しました。怖い……。老年の物忘れ&怒りスイッチは恐ろしいです。

他にも馬刺しやローストビーフや唐揚げ、チーズやパン、ビール1ケース、ワイン、日本酒、焼酎などを用意していたから、十分かなと思いました。いっつも頼むだけ頼んで残しまくるから、気持ち的に残飯が嫌なのです。今回は残ったものを1人暮らしの若手のスタッフに持って帰ってもらったので罪悪感がなくて良かったです。そして皆さんとの写真を一切撮り忘れました……。

 

※夫の言い返し

馬刺しは大反対を押し切って買ってもらいました! ローストビーフは内密に買ったし……。

 

5月31日(金)

娘の体育祭の予定だったが台風直撃で残念ながら中止。娘はこの日をめちゃくちゃ楽しみにしていたので、めちゃくちゃ不機嫌に学校に向かう。運動会好きの私も楽しみにしていた。

 

娘がめちゃくちゃ不機嫌な理由は、延期になる週明けの月曜日だと参加できないからだ。娘は明日から国際映画教育プログラムというものに行けることになって、1週間リスボンに行くのだ。体育祭に劣らずそちらも素晴らしい経験ができるだろうに、そうは言ってもやはり高校生。目の前の体育祭も彼女にはとても重要なのだが、こればかりは致し方ないだろう。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、妻から結婚記念日のLINEは「虫唾が走る」と言われる4月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第49回

 

結婚22年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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4月1日(月)

月曜の朝なので、多動や癇癪の気のあるYちゃんの登校付き添いに行こうと思ったら、まだ春休みだったし、3月いっぱいで終わったのだった。

 

Yちゃんの送りボランティアは、曜日ごとに5人で担当していたが、Yちゃんが思うように動いてくれない時、私も含めた男性陣はイライラしてしまうことがあり、「あの子は私に対して嫌がらせをする」なんておっしゃる方もいた。しかし、ボランティアの中に1人だけいらした70代くらいの女性のメモを読むと「最初はYちゃんの態度に戸惑ったが、この子はこういう子なのねと思ってYちゃんのペースにあわせるようにした」などと書いてある。

 

こういう子として受け入れる姿勢がその女性はできているのだ。それにくらべて私を含めて男性ボランティアは、自分の思い通りにYちゃんをコントロールしようとし、その気持ちがYちゃんに伝わるから余計に動かなくなったのだろう。

 

分かっているのになかなか思い描いている行動ができなかった。4月から4年生になり、1人でYちゃんは登校するのだが、そのほうが彼女はうれしいかもしれないなとちょっと思った。その女性の方とはまだ一緒に通いたかったかもしれないが。

 

※妻より

いつもYちゃんに苦言を呈しているのは決まって高齢男性だけれど、それでも隙間時間にボランティアをしようとしているだけでもいいかな……と思います。

 

Yちゃんのようなある種の特性を持つ人のドラマが日本ではここ数年急激に増えた印象がある。撮影現場にもいろんなタイプの人がいたほうがいいのではないかと思う。いや、実際いろんなタイプの人がいて時に困ってしまうこともあるのだが、その時にそういうタイプの人を「もう来ないでくださいね」と排除するのではなく、その人がその場にいたいと思っているのなら、いられる方向で他の人間は考えるべきだと思うのだ。

 

じゃあ、どうすればいいのかと聞かれてもさっぱりわからないが、私の場合は無理やりにでもYちゃんのようなタイプの人と接する場を作って「世の中にはいろんなタイプの人がいる」という当たり前すぎることを実感する場を増やそうとだけ思っている。

 

4月2日(火)

家族全員で『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』(監督:ギル・キーナン)鑑賞。観る前に入ったハンバーガー屋で娘も息子も「学校行きたくない、学校行きたくない」の繰り返し。とりあえず黙って受け入れよとしていたが、25分も過ぎると黙っていられなくなり口をはさんで娘と息子をヒートアップさせてしまう。

 

※妻より

黙って見守るというのが、いかに難しいか……を毎日実感しております……。

 

4月3日(水)

石川県に行く。目的はうっすらとだが西村賢太の道筋をたどることだ。石川近代文学館で女性スタッフの方々のお話なども伺う。愛されていたことを強く実感する。

 

4月4日(木)

引き続き石川県にいる。西村賢太の墓のある西光寺に行くと、門や墓が激しく倒壊していて地震の激しさを物語っていた。

 

ご住職にも貴重なお話を伺う。小説にも登場されているご住職は、お人柄が素晴らしく距離を感じさせないというのか、初対面で良い意味で身体が硬くならずに接することができるお方だった。ついつい甘えしまってもいいかなあと思う方で、西村賢太もそうだったのではないかとちょっと思ったりもした。

 

夢は人に話すと実現しないと聞いたことがあるが、話さなくても実現しないのでこうして書いたり話したりするようにしているが、西村賢太作品を映像化したいのだ。何も決まってはいないのだが。

 

今日は結婚記念日だったので、妻に日ごろの感謝をLINEしたが既読スルーであった。深夜に帰宅。

 

※妻より

普段の態度はろくでもないのに、こういう日記とか人の目に触れる所ではサラっと書いて、愛妻家をアピールする姑息さに虫唾が走るのです。

 

4月5日(金)

午前中からオンライン打ち合わせ後、息子の通う小児心療内科に来ているインターン医師との30分の療育。テキストを使って色々やっていたが、息子はイラストで「うれしい」「驚いた」とかの表情は分かるが、「イライラしている」「困っている」などの表情シチュエーションが認知しづらい傾向があるとのこと(相手がマスクの場合は尚更認知しづらいとのこと)。それに対して言葉で説明して認知するトレーニングをした。2か月に1回、30分だけのトレーニングだがやらないよりはマシだろうと思って粛々と通っている。

 

4月6日(土)

妻と静岡へ行く。藤枝市のSさんに聞いたおススメの海鮮屋さんで昼食後(めちゃくちゃ美味しかった)、鯛焼きを貪り食いながらひばりBOOKSさんに伺う。今日はSさんが企画してくださったトークイベントに呼んでいただいたのだ。『ブギウギ』のことや、『春よ来い、マジで来い』などの話をする。今まで3回静岡の本屋さんでSさん企画のトークイベントに呼んでいただいたが、朝ドラ効果のおかげか、今回が一番お客様が多かった。質問も沢山していただき活気あるイベントになった。皆さまに感謝。

 

そのまま、静岡出身の落語家・三遊亭遊喜師匠(もう20年来の付き合い!)と師匠の高校の剣道部後輩のYさんと島田市へ向かい島田書店でサインをし、駅前の『磯舟』さんにて遊喜さんの後援会の方や、島田市の市役所の方、フィルムコミッションの方と共に一席を設けていただく。皆さまとっても気さくな方々で、大変楽しい時間だった。元校長先生が3人もおられた。

 

4月7日(日)

祖父母宅に泊まっていた娘息子と待ち合わせて、娘と私は『オッペンハイマー』(監督:クリストファー・ノーラン)を(娘は私よりもはるかに理解)、息子と妻は『ゴジラ-1.0』(監督:山崎貴)を鑑賞。息子は3回目のゴジラ。

 

夜、2人とも明日から始まる学校が「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」の連呼。

 

4月8日(月)

娘、息子嫌々ながらの始業式。娘は大声で文句を言いつつ、息子は亀の歩みで何とか行った。送り出すまででどっと疲れるが、その後、午前中はいつもの喫茶店で仕事。

 

午後、猫①が凄くかゆがっているので近所の病院に連れて行く。注射1本してもらいかなり楽になった様子。だが病院で2時間待った。うっかりスマホも本も持たずに行ってしまったので、無の境地になるしかない2時間を久しぶりに過ごした。いや、無ではない。「まだかなあ……」ということと「妻に冷たくされている理由、その理由を考えつつ反省と相手への怒り」を2時間ずっと考えていた。エゴサーチよりはマシだったかもしれない。

 

4月9日(火)

再来月、妻と一緒に中国に行くので麻疹風疹の抗体検査をする。1972年6月生まれの私は麻疹のワクチンを受けていないのだがなぜか私には抗体があり、ワクチンを受けている妻は抗体が極度に低かった。妻が近所の病院を手当たり次第電話したが、今、ワクチンが全然入らないとのこと。

 

とりあえず、高校の同級生の旦那さんが開業している病院で、ワクチンがきたらすぐに連絡をいただくということにする。

 

4月11日(木)

シナリオ作家協会の主催するシナリオ講座の開校式。今月から講師をさせていただくのだが、シナリオを教えるということにはさっぱり自信がない。だが生徒さんからは開校式でもばんばん質問が出る。質問には役に立つか立たないかは分からないがどうにか自分の経験だけをもとに答えることはできる。

 

4月13日(土)

午前中仕事。午後、息子と『オーメン:ザ・ファースト』(監督:アルカシャ・スティーヴンソン)を観に行く。その後、妻がいないので娘も合流して3人で寿司屋へ。私がいろんなものを注文していると娘と息子に注意される。2人はすっかり妻に洗脳されていて、あれこれ食べさせたい私は面白くない。

 

※妻より

娘も息子も良い子に育っているようで一安心です。

 

4月14日(日)

娘、バイトの説明会へ。その後、待ち合わせをして家族で浅草に向かう。暑いし、凄い人で、おまけにお祭りもやっていて太鼓などの音が響いたようで、だんだん息子の調子が悪くなる。娘は大学芋やらトッポギやら五平餅など凄い量を買い食いする。私は2500円もするオレンジのかき氷を買い食いして妻に怒鳴られる。

案の定途中から飽きたと言って残しました……(by.妻)

 

食べ歩きしながら「東洋館」へ向かう。お目当ては『漫才協会 the movie 舞台の上の懲りない面々』(監督:塙 亘之)で見た「はまこ・テラこ」さんだ。そして娘と息子にも生のお笑いを見せたかった。娘は大笑いして楽しんでいたが、大きな音が苦手な息子はマイクを通した漫才師さんたちの声が大きすぎると言い出して不調を訴え、途中からロビーに出てしまった。娘と妻と私は17時まで満喫してロビーに出ると息子はソファで寝そべっていたが脳調は復活していた。ソファに寝そべっていても係りの人に怒られるどころか声をかけてもらったことや、出番が終わって帰っていく漫才師の方にも声をかけてもらったようで喜んでいた。テラこさんにも声をかけてもらったようだ。

 

その後、浅草をぶらつきながら息子にTシャツを買って、「ヨシカミ」で食事。息子はミートボールスパゲティとビーフカツレツとエビフライとライス大盛りペロリ。昼は全く食欲がなかったので、多分暑さへの疲れと東洋館への緊張があったのだろう。短時間で復活できて良かった。息子の成長を感じた。

 

4月15日(月)

ずっと映像化したいと思っている小説の原作者と会って、こちらの気持ちをお伝えする場を設けていただいた。あとはうまく進むことを祈るのみ。

 

4月16日(火)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。ひたすらプロットを書く。午後、息子の保護者会に参加していた妻が戻ってくる。

 

6年生になりクラス替えがあり、また最近友人関係でトラブルも増えてきたので、妻が他の保護者の方々の前で息子の特性を話していたら、自分の意志とは裏腹になぜか声が震えて止められなくなってしまったとのこと。6年生になるプレッシャーがハンパなかった息子は春休み中ずっと脳調がおかしかったのだが、それが妻にもうつったのかもしれない。

 

※妻より

子どものことを初めましてのお母様方に理解してもらおうと思うと、思いのほか緊張してしまうのです……。

 

夕方、「はまこ・テラこ」さんと飲む。当然初めて一緒にお酒を飲ませていただいたのだが始終、他人を見ているような気がしなかった。正面に座ってらっしゃるお2人がまるで鏡に写っている我々夫婦のように見えていた(いや、お2人には大変失礼ですが)。にしても、はまこさんに話す隙すらあたえないテラこさんのトークが面白くて、なんだか寄席の客席にいるような気分になってしまった。いつかはまこさんとセックスレス話をさせていただきたいと思った。

セックスレストークは勝手にやってくれという感じですが、お2人とはとても初対面とは思えないほど、既視感があるというか、親近感があるというか話がはずみ楽しかったです! 生のテラこさんは本当に美しく魅力的でした。そしてはまこさんは高校時代ボクシングでインターハイに出られたようで、結構バッキバキのようでした!(by.妻)

 

4月17日(水)

午前中、ひたすらにプロット書き。

 

午後、私の書いた小説を気に入ってくださったプロデューサーの方とお会いする。映像化したいとおっしゃってくださった。『喜劇 愛妻物語』や『雑魚どもよ、大志を抱け!』などは自分から動いて映画化までこぎつけたが、これまで接点のなかった方が読んでくださって、映像化したいと言っていただけることがこんなにもうれしいものなのかと思った。形になるかどうかはいつものように未知数だが。

 

その後、超売れっ子のシナリオライターの方と、超売れっ子になるのが間違いない売れっ子のシナリオライターの方と飲んだ。お2人とも女性。超のつく方は私の監督した『14の夜』や『喜劇愛妻物語』なども見てくださっていて、それぞれ褒めてくださりながらもこれからやる企画のことなど話すと、あなたはこういう部分に気をつけなさいとアドバイスをくださり、もう1人の方は私の愚痴をずっと聞いてくださった。楽しくもありがたい時間だった。ちなみに2人とも年齢は私よりも下である。年齢は関係ないか……。

 

4月18日(木)

午前中~夕方までひたすらにプロット書き。

 

夜、シナリオ講座の最初の授業。といっても質問に答えながら経験談を話すのみ。私のようなタイプは本当に学校の教師には向いていないと思う。教えられないのに教壇に立つということは、何らかのハラスメントになってしまうのではないかとすら心配にすらなる。

 

4月19日(金)

朝。鎌倉へ遠足に行く娘が着ていく洋服がないとのことで騒いでいる。娘はあまり服に興味がなく、制服でいられればみんな一緒だから楽というタイプで私と同じだ(なんなら前日に準備ができないのも同じだ)。

 

私も中学までは遊びに行くときは学校の体操服で平気だったので、自分が私服を持っていないと気づいたのは高校生の時だった。みんなで遊びに行くこととなり、何を着ていけばいいのか分からなくてパニックになって母親に「どうすればいいの!」と当たり散らすと、母親が「これいいじゃない」と出してきたのが、母親が着ていたピンクの女性用ジャケットで肩パットの入ったやつだった。

 

それを着てみるとなんだかカッコよく見えたので「これ、いいじゃん」とご機嫌で着ていったら、友人たちに「お前、変だよ」と言われたのだ。ちなみにズボンは父親の作業着みたいなやつだったと思う。その大失敗からとにかく服装に関しては考えないことを決めて、当時友人が読んでいた『ホットドッグ・プレス』のマネだけをしておけばいいと言われて今でもそうしている。

 

娘は私のTシャツと古着屋で昔買ってあげた500円のどこのメーカーとも分からないジーンズをはいって行った。

 

この日もひたすらにプロット書き、昼にマッサージ。肩甲骨内部の凝り固まったトリガーポイントを全力の力でほぐしていただく。中国人の女性のマッサージの方に「あなた来ると疲れる!」と言われる。

 

4月20日(土)

一通り書いたプロットを、妻に渡し、「もう少しここをこう膨らまして、こういう視点入れて、今日中に直してほしい」と頼んだら、「その分量を今言ってできるわけないだろーが! 今日は午前中息子とプール行く約束していたし、午後はやらねばならないことが沢山あるんだよ! お前の突然の無茶ぶりに対応できるわけないだろ!」と叫ぶ。

 

だがあまり時間もないので「息子もプールに連れて行くし、買い出しも行くし、昼食も作るから、事務仕事以外はできるだけやるから、今日これやって!」と拝み倒す。

 

※妻より

拝み倒すのではなく、怒鳴って、叫んで、パニックになり、大騒ぎしているから仕方なく(夫と私の叫び声は息子の脳調を悪くさせます)、自分の仕事は後回しにして夫のプロットに手を付けました。何を求めているのかよく分からず、本当に苦労しました。

 

夕方帰宅。妻から直しを受け取る。が、今日は知り合いと飲む約束があったのをすっかり忘れていて、私はそのまま中野に向かう。

 

「はぁ!? お前がめちゃくちゃ焦ってるから私が朝から夕方まで直したんだろうが! ふざけんな!」と妻がまた叫ぶも、知り合いは大阪や名古屋からこの日のために出て来てくれているのでリスケするわけにはいかず、土下座して謝って家を出た。

 

※妻より

全く土下座なんかしやしません。ヘラヘラ笑って、金をせびって、さらさら〜っと出て行きました。こっちは家事も仕事も何も手付かずで(夫は片づけができないので家の中はぐちゃぐちゃ)、夜は脳調の悪い息子と、ヒステリックな娘の相手で、どっと疲れました。

 

4月21日(日)

朝、妻のプロット直しを読むとあまり面白くなっているように感じられない。私の意見の伝え方が悪かったのかもしれず、「こういうことじゃないんだよなあ……」と伝えると、見る見るうちに不機嫌になる。書いたものを面白くないと言われると私も不機嫌になってしまうからその気持ちはわかるのだが……。負のことを相手に伝えるのは難しい。直してほしかったが、妻と息子は保育園時代の友達やママ友たちとピクニック飲みでいないので、やむを得ず直してみる。が、どうもうまくいかない。

 

※妻より

あなたの伝え方じゃさっぱり分かりません。主語もないし端折り過ぎ。それで質問すると「皆まで言わすなよ! 想像力ないのかよ!」って「はぁ?」て感じなんですけど。普段の打ち合わせからそんな感じなんですか? 完全アウトなんですけど。てゆーか、普段の打ち合わせじゃ小さくなってるくせに。

 

4月22日(月)

朝、別府短編映画のオンライン打合せ。

 

午後、鳥取県の方々とお会いして、鳥取で作ってみたい映画のことなどお話させていただく。

 

夜、妻にプロットの直しをお願いする。妻、私からプロットをひったくるように奪うと、2階にこもってくれる。ありがたい。

 

4月23日(火)

午前中、妻の直したプロットを読む。面白くなったと思うが、「あともう少しこのあたりを……」と言うと「そのくらいは自分でやれ」と。

 

昼から別府短編映画のリハーサル。リハーサルと言っても世間話をしていただくだけだが、魅力的な俳優さんなので私は聞いているだけで楽しかった。

 

夜、キャストの方々とスタッフ数人と飲み会。懇親会のつもりでキャストの方に声がけしたが、こういう声掛けもどのようにしていいのか悩む。もしかしたら飲み会は苦手かもしれないし、だが誘われると断りづらいこともあるだろう。

 

4月24日(水)

午前中、プロットをひたすらに書く。

 

昼、マッサージに行き、ゴリゴリになっている右肩甲骨内部のトリガーポイントを力ずくでほぐしていただく。延長を願い出たら「疲れたよ! これ、病院いったほうがいいよ!」といつもの中国人の女性に怒られてしまった。

 

夜、別府短編映画オンライン打合せ。

 

4月25日(木)

午前中、プロットを直して送る。

 

夜、シナリオ講座。この日は私の書いたプロットメモやシナリオを読んでいただいて感想や意見をもらうということをしてみた。それが生徒さんのためになっているのかどうかは分からないが、シナリオやプロットを読んで疑問や思ったことを言うということも、何かの訓練になるような気がすると私は思う。

 

4月26日(金)

息子、今日を月に1回のお休みDAYにするということで、『ゴジラ×コング 新たなる帝国』(監督:アダム・ウィンガード)を観に行く。その後、ハンバーガー屋。息子、デカいハンバーガー2個、ポテト、コーラ。最近めちゃくちゃ腹が出ている。

 

その後ハゲ病院に行き(ハゲ薬が最近効かなくなっている気がする)、どうにか手に入った麻疹風疹のワクチンを打ちたての妻と待ち合わせをして『霧の淵』(監督:村瀬大智)鑑賞。

 

4月27日(土)

鹿児島へ。明日、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映会があるのだ。

 

着いてすぐ、鹿児島で撮影中の知り合いの現場にお邪魔する。差し入れも何も持たずに手ぶらで。監督されているKさんは東京でプロデューサーをされていたが10年近く前に地元に戻られて映像制作をされている。5年ほど前に宮崎県で『ひなたの佐和ちゃん、波に乗る!』というBSの単発ドラマを作った時にもメイキングで入ってくださって、それ以来の再会だ。この日は建て込みとリハーサルをされていて束の間の再会。

 

夕方から鹿児島在住の従兄と会う。実に20年振りの再会だ。従兄は私の2つ上で幼いころから熊本の祖父母(母方の親)の家で夏休みを一緒に過ごしていた。小学生の時などほとんど夏休みをまるっと祖母の家で過ごすことも多かった。

 

そのころは検察官を引退して法律事務所を構えていた酒好きで寡黙な祖父と読書や映画鑑賞を孫に口うるさくすすめてくる祖母と、東京の銀行をやめて熊本に戻り司法試験合格を目指していた30過ぎの叔父の3人が住んでいて、祖母には滞在中に必ず本を1冊は読むように言われ、従兄は『怒りの葡萄』を、私は『ドン松五郎の生活』などを読まされた。

 

それはとても嫌だったが祖父母は海だ山だと毎日のようにどこかに連れて行ってくれた。祖母は踊りや絵も習っていて、今思うと行動派な人だったのかもしれない。そんなところでホウ・シャオシェン作品のような夏休みを従兄と毎年過ごしていたから、従兄と私はまるで友だちのような感覚でずっと付き合いがあった。

 

従兄の実家は和菓子屋なのだが、大阪の大学を卒業した従兄は東京の和菓子屋に修行に入るために上京してきた。撮影が夜遅く終わって現場が従兄の家のほうが近かったりすると、たいていは従兄の家に泊まって「ああ、朝がこなければいいなあ」と思いながら愚痴をこぼしたりしていた。そのころは劇団を作ったりもしていて従兄はすべての公演を観にきてもくれた。だから実家を継ぐために鹿児島に戻ると聞いたときは寂しかった。鹿児島に戻る前日に従兄の家に泊まりに行き、最高に高いステーキを食いに行ってまたも「朝が来なければいいなあ」と話していた。

 

20年以上振りに会った従兄とそんな昔話で盛り上がりつつ、実は従兄が実家に帰る日の朝に2人でとある場所に遊びに行ったらしい。私はそれをまったく覚えていなかった。いや、2人でそこへ行ったのは覚えていたが、従兄が鹿児島に帰る朝だという記憶はなかった。

 

この日は夕方の5時半から2時まで飲んだ。次いつ会えるかも分からないので、別れ際は寂しかったのだが、そのときふと彼が鹿児島に帰る朝を思い出したのだ。そのときも我々2人はなんだか寂しくて照れ笑いのようなものを浮かべて、なんとなく別れた。

 

あの日の朝、従兄と私がどこへ行ったのかはここには書かないが、2人のささやかな思い出だ。

 

4月28日(日)

ガーデンズシネマにて『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映会。トークイベントの司会は声をかけてくださった小野宏一さんがやってくださった。その後に、小野さんやお仲間の方々と昼食を食べながらお話させていただく。続きは夜にということで、夜は美味しい鹿児島の黒豚料理を食べながら色々お話。小野さんはまるで映画が自分の友だちであるかのようにお話される大変面白い方だった。

 

4月29日(月)

朝、鹿児島のホテルでオンライン会議。先日提出したプロットに関していろいろと課題をいただく。その後、近所のサウナに行く。飛行機の時間は夜だったが、オンライン会議で出た課題を考えようと早めに鹿児島空港に移動して、ずっと仕事をしていた。

 

それにしても……どこにいても会議ができるようになってしまって便利なのに、どんどん時間はなくなるってどういうことなんだろう。

 

深夜に帰宅。

 

4月30日(火)

早朝、別府へロケハンに旅立つ。こういうスケジュールになってしまうのなら鹿児島から直接別府に入ればよかったと激しく後悔。移動が多くて疲れが抜けない。なので豊後大野市でロケハン後、サウナと天然地下水の水風呂で整えた。整えすぎて、何も考えられなくなりすぐに爆睡。

足湯につかりながら、打合せ。足の疲れが吹き飛びました(by.妻)

 

【妻の1枚】

 

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

「ブギウギ」 脚本家・足立紳、「朝ドラ」最終回でそのパワーをしみじみ感じた3月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第48回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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3月1日(金)

毎月1日は「映画の日」なのに、なぜか毎月バタバタしていて映画を観に行けない。今日も今日とて、息子が陰鬱な表情で学校から帰宅。クラスメイトと揉めたらしく凹んでいた。どうやら授業をさぼる息子に対して「お前はズルい」とか「ちゃんとやれ、サボり!」などと言われた模様。

 

サボっているのが気にくわない子ももちろんいるだろう。だが、息子にはサボっている自覚はなく、苦しいものには行きたくないという気持ちでしかない。それが世間ではサボっているとイコールなのだが、かわしながら参加しないと学校自体に行けなくなってしまう。

 

自分が居心地悪く苦しさを感じる授業は無理に出なくてもいいと言っているせいもあるのだが、結構簡単に図書室や廊下に逃げているらしい。いろんな人のいろんな見方があるし、息子もクラスメイトが委員会をサボるのを許せなかったりもする。他人から寛容にしてもらっている人が、その他人に対して不寛容なことはよくあることだし大人になってもこういうところは難しい。気分を変えるため『進撃の巨人』のアニメ鑑賞に付き合う。仕事は溜まっていて焦るが致し方ない。

 

夜、とある俳優さんと会う。背水の陣で映画を作りたいとのことで、プロデューサーにも自ら声をかけていた。協力したいが何ができるか。

 

3月2日(土)

朝から雨。娘の強い希望で家族でカラオケに行く予定だったのだが、出がけに息子がグズッてしまう。仕事や家庭のことなど多くが重なった妻の逆鱗にそのグズりが触れて、妻に一喝された息子は動かなくなる。

 

こうなるとテコでも動かないので、そもそもカラオケに行きたくなかった私が、息子と残って家で映画でも観ようと思ったら、息子が珍しく映画館に行きたいというのでシャレではないが『カラオケ行こ!』(監督:山下敦弘)を観に行った。

 

妻と娘は2人で5時間カラオケをして戻ってきた。歌いまくってご機嫌で戻って来るのかと思ったら2人とも不機嫌だったのでびびった。

 

※妻より

不機嫌というか……。朝「家族でカラオケ行く!」となって、土曜だからわざわざ4人で行ける時間と部屋を12時に予約を取ったのに、直前に「行かない!」と。仕方がないから娘とカラオケ行って、夕方家に帰ったら、悪びれもせず2人して平気でベラベラベラベラ映画の感想などぶちかましてきたので、息子と夫にこういう特性があるのは重々分かっていましたが、イラつきが止められませんでした。娘は娘で、家族でカラオケに行くのを何気に楽しみにしていたから、単に寂しい気持ちの裏返しで不機嫌になったのだと思います。

 

3月3日(日)

朝から「第4回SAITAMAなんとか映画祭」へ。第1回のときに『喜劇 愛妻物語』を上映していただき、ゲストとして呼ばれて行ったのだが、今年は自主映画の審査員として入江 悠監督と川越スカラ座編成担当の飯島千鶴さんと一緒に呼んでいただいたのだ。自主映画を観るのもかなり久しぶりだったが、その場で観てその場で感想を言うという大変緊張感あふれる一日だった。私は自主映画というものを一度も作ったことがないので、一度は作ってみたいとずっと思っている。

 

3月5日(火)

5月に撮影予定の別府短編映画のオーディションを終日。皆さんとても面白くてこちらも大変刺激を受けた一日だった。面白い俳優さんがほんとうに大勢いらっしゃるので、こちらもついていかねばらないと思う。

 

3月6日(水)

終日オーディション。今日も皆さんとても面白くて、時間があっという間に過ぎていく。

 

3月7日(木)

引き続きオーディション。できれば来てくださった方全員に出ていただきたく思うくらい悩む。

 

夜、娘と大ゲンカ。もともとは妻と娘の小競り合いが発端だったのだが、娘と距離を取った妻の代わりにしゃしゃり出た私に不機嫌な娘がひどい態度をとり、私がブチ切れてしまったという、なんだこりゃという状態。なんで俺がこんな状況にならないとならんのか。しゃしゃり出たからか。

 

※妻より

「しゃしゃり出たから」とかそういう単純なことではないと思います……。

 

3月8日(金)

午前中、月に一度のスク-ルカウンセラ-との面談。息子の様子を聞く。息子はカウンセラーの先生が好きで、その先生の部屋でゲームをしたりして遊ぶのを楽しみにしているのだが、その様子を聞くと頭が痛くなるようなことも。

 

先生からするとそういう子なら当たり前のことで、特段珍しそうに話されるわけではないのだが、我々親からすると「ああ、まだそういう部分が頻出してしまうんだよなあ……」と思ってしまうようなところもある。話を聞いていると、校内での居場所がいくつかあるそうだ(週1の特別支援教室、隔週のスク-ルカウンセラ-、辛い授業の時は図書室のT先生 ※週2しか来てない)。

 

ついつい、みんなと一緒に楽しそうに遊んでほしいなあなどといまだに思ってしまうところもあるのだが、これもやはり私のアップデートの問題で、誰ともでも仲良く遊んでいる姿は素晴らしいという刷り込みでしかないのだ。過ごしやすいように過ごしてくれたらそれが一番いいのは頭では理解しているのだが……。世の中、頭では理解しているのに行動が伴わないことだらけで嫌になるから、うまく目をそらす術も身につけたい。

 

夜、中学時代の友人と会う。彼が若者2人を連れて来たのだが、とても気持ちの良い青年で私もこんなふうに伸び伸び清々しく自分の考えや思いなどを他人に伝えられる人間になりたいなあと思った。妻も同席していたのだが、妻がこの若者たちに惚れてしまうのではないかと、思わずそんなことまで脳裏をよぎってしまうような2人だった。

 

※妻より

確かに素直で、正面体当たりなのに謙虚さも兼ね備えている方々でした。こういう若者は色々とチャンスに恵まれるだろうな……と眩しく感じました。

 

3月9日(土)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後、息子の中学校の候補に見学へ行く。この日記にも息子の中学校探しのことはちょいちょい書いているが、見学だとどの中学校も素晴らしいと思ってしまう。結局行ってみなけりゃ分からないというギャンブルにしかならないような気がする。

 

見学している中学校はどこも学力重視ではないから偏差値的にはとても入学しやすいのだが、競争率が高い。だから結局学力での判定となるのでそこをどう突破するか……。

 

3月13日(水)

高校時代の友人が紹介してくれた制作会社の方々とお会いする。何かできればうれしいが……。

 

最近は高校時代や中学時代の友人たちとの交流が盛んで、何かこれを機に故郷の鳥取で作品を作れないものだろうかと思っている。『14の夜』や『雑魚どもよ、大志を抱け』の2本は小説では鳥取県を舞台に描いていたのだが、両作とも鳥取でのロケはかなわなかった。

 

地元の倉吉が舞台である谷口ジローさんの『遥かな町へ』も大好きなマンガだから実写にしたい気持ちもあるし、地元を舞台にしたホラー映画のプロットもある。いつかいつかと言っているうちに気づけばもう……なんて年齢になってきたので、できるだけ多くの地元の方々に会おうと思っている。そういう地道な動きをずっとないがしろにしてきてしまったのだ。

 

3月14日(木)

新宿Fu-へ、はまこ・テラこさんのライブ『テラこがあまりしゃべらないネタをするライブ』を妻と見に行く。『漫才協会the movie』(監督:塙 宣之)ですっかりお2人に魅せられてしまったのだ。下ネタオンパレードで『月に一度はドバドバよ』という女性の生理のネタで妻が死ぬほど笑っていた。

 

もちろん私も大いに楽しませていただいたのだが、夫婦漫才を組んで離婚してもなお一緒に住みながら漫才を続けていらっしゃるお2人の人生そのものがなんと言うのか、新しい生き方を見せていただいているようで刺激的でたまらない。これからも追いかけていきたい。

 

帰りに近くのロシア料理屋「スンガリー」に閉店間際に飛び込んだのだが、大変美味しかった!

↑前菜の盛合せがボリューミーで美味しくてうれしかったです! 全ての料理を食べてみたいです。ウォッカにはラストオーダーがなかったので、クイクイ飲んで最高でした!(by.妻)

 

3月15日(金)

朝イチで羽田空港へ。明日、鳥取で『ブギウギ』のイベントがあるのだ。

 

空港の待合ゲートで『ブギウギ』を見て、その流れで『あさイチ』を見ていた。今日は趣里さんがゲストで、私も少しコメントしていたのだ。オンラインでコメント取材を受けたのだが、もしかしたらその模様も流れるかもしれないと言われていたのだ。すると、ピシッとされた草彅剛さんのあとにオンライン上でだらしないとしか言いようのない自分が画面に出てきてビビった、というか薄汚さに引いた。

 

オンラインだから寝起きでインタビューに答えていたのだ。当初は映像はなく私のコメントだけ欲しいとうことだったので寝起きでいいやと思ったのだが、インタビュー後に「このオンラインインタビューの様子を映像で使えれば使ってもいいですか?」と聞かれ「いいですよ」と答えてしまったのだが、まさかあんなに汚く映っているとは思わなかった。

 

そんな映像を茫然と眺めていると「足立さんじゃないですか! 何してるんですか!」と知り合いの脚本家の方に突然声をかけられ驚きまくってしまった。まさか、こんなところでこんな時間に知り合いに会うとは思わないし、自分が関わっている番組を見ている姿を見られて恥ずかしかったというのもあり、オタオタしてしまったのだ。逃げるようにその場を去った。

 

昼は両親と合流して何やら趣のありまくる重要文化財的な(本当にそうかも)建物の飯屋で昼飯を食って、ご利益のあると言われている大きな根をはった銀杏の木にお参りした。

 

そして、夜は相変わらずの地元の友達たちと盛り上がる。

 

3月16日(土)

『ブギウギ』のファンミーティングというものを催していただき、制作統括の福岡さんといろいろとお話させていただいた。地元の方々もとても喜んでくださったり、わずかばかりの親孝行にもなったりで、そういう意味でも朝ドラの仕事をやって良かったなと思った。

 

夜はまた地元の友達とスナックをはしごしまくった。

 

3月17日(日)

朝イチの飛行機で東京に戻り、昼過ぎから息子がどうしても観たいと言っていた『変な家』(監督:石川淳一)を家族で観に行く。

 

その後、近所の蕎麦屋でカツカレー、天丼と力うどん、刺身定食、妻は酒とつまみのみで、蕎麦屋で誰もそばを食べないという夕飯。でも、その蕎麦屋の蕎麦はとても美味しい。

 

3月19日(火)

午後、妻とともに校長先生に息子の取説を説明しに行く。息子は毎年学年の変わり目には調子がさらに悪くなる。特に6年生になることには「最高学年になる自覚と責任を」などという言葉を頻繁に聞くようになり圧を感じるのか不安が強い。

 

そんな言葉は私が小学生のころからあり、まともに考えたこともなかったが息子は文字通り真面目に受け止めてしまう。受け止めて文字通りの行動をするなら問題ないが、圧を感じて疲れて動けなくなるのだ。苦手な先生が担任になるかもという取り越し苦労も、もはや取り越し苦労を超えて妄想レベルに達して不安がっている。

 

なので校長先生にそんなことも伝えに行ったのだ。できれば担任の先生はこんな雰囲気な方を……というこちらの願望をニコニコと聞いてくださった。

 

夕方、周南映画祭実行委員長の大橋さんと奥様、私と妻の4人で夕飯を食べに行く。去年の周南映画祭で会った以来だが、映画のこと、子育てのこと、夫婦のことなどで話が尽きない。あっという間の4時間。大橋さんご夫婦の、というかご家族の物語は映画やドラマにするとかなり面白いものになると思う。大変楽しい時間だった。

 

3月20日(水/春分の日)

午前中オーディション。午後、鳥取から上京している私の幼なじみの家族に会いに池袋へ。彼の息子と私の息子は同学年で、帰省したときはよく一緒に遊んでいるので一足先に息子だけ合流していた。昨年の夏以来の再会に最初ははにかみあっていたが、すぐに打ち解けた。

 

夕方、息子はどうにか笑顔でバイバイしたが、別れたあとにボタボタ涙を流した。学校が楽しくないだけに、鳥取の友人と会ったことがよほどうれしかったのだろう。こちらまで目頭が熱くなりながらも、あの優しい友達も長い時間(例えば数日間)息子と過ごすと、いろんな特性に付き合いずらさを感じてしまうのだろうなあとも思ってしまう。そして、そんな思いを妻に吐露すると「すぐにそんな不安ばかり口に出すな!」と一喝される。

 

3月21日(木)

この日もオーディション。いよいよどなたに演じていただくのか決めねばならない。何かを決めることが苦手なのは、優柔不断というよりも、決めたら決まってしまうからだ。当たり前なのだが。

 

3月22日(金)

終業式。息子、成績表に落ち込んだのかあまり元気なく帰ってくる。ランドセルと手提げかばんに大量の荷物が入っていてめちゃくちゃ重い(もちろん息子は計画的に持ち帰ることは苦手)。かばんには電気を学べるプラモデルカーのようなものが丸々手つかずで入っている。

 

息子はこういうのを作るのは不得意中の不得意だ。私もプラモデルを完成までもっていけたことがない。設計図が読めないからだ。このプラモデルを作るのは多分4コマくらい時間をかけていると思うから、その時間息子はいったい何をしていたのだろう……とまた心配になる。

 

15時から妻とともに日本橋で山陰地方の方と打合せ。私が鳥取で作りたいものがあることを妻は知っているのに、「島根でも大丈夫です」なんて言うものだから、私は打ち合わせ中カリカリしていた。そして打ち合わせが終わり、エレベーターの前まで送っていただいて扉がしまった瞬間に「何、島根って。俺、鳥取でやりたいんだよ。勝手なこと言わないでよ」と妻に言ったら「は? 別にどっちでもできるじゃん。鳥取にこだわり過ぎなんだよ」と言われてそのままケンカに突入。

 

※妻より

話すと長くなるから省略しますが、最初のすり合わせができていなかっただけです。それでパニックになった夫がエレベーターで喚き散らしておりました。

 

最強に険悪な雰囲気のまま神保町の書泉グランデに移動して佐藤利明さんと『ブギウギ』についてのト-クイベントになだれ込む。妻は瞬時にニコやかになりご挨拶。私は瞬間的に切り替えることができない性分なのだが、そんな私のほうが妻からすると「外面だけ良い人間」となる。

 

だが、佐藤さんの明るい話ぶりと笠置シズ子さんや関連映画への博識ぶりが楽しくて、トークイベントは非常に充実したものになったような気がする。

 

先週も今週も帰宅が遅い日が多かったのでダッシュで帰宅。11時くらいに帰ると息子がベッドでぐったりしていて居間も寝室もゲロまみれ。布団にも床にもなかなか大量に吐き散らかしている。

 

思わず私も妻もパニックになりながらゲロの始末や息子を着替えさせ、なおかつ娘に「弟がこんな状態なんだから連絡くらいしろ!」と怒ってしまったら、なんと娘も具合が悪かったようでその15分後くらいに一気に吐き出した。いったいなんなのかよく分からない。作り置きしていた夕飯にあたったのか。

 

それから朝まで娘と息子は盛大に吐き続けた。我々はビニール袋を用意したりバスタオルを換えたり、背中をさすったりでほとんど眠ることもできず。

 

3月23日(土)

夜中からずっと雨のため、ゲロまみれになってしまった蒲団やらカーペットをかついで近所のコインランドリーへ朝から入り浸り。妻は高校のPTAの引き継ぎがあるとかで8時に出発してしまったため、1人で雨の中何往復もしながら。

 

吐きつくした子どもたちは死んだように眠っている。帰ってきた妻とバトンタッチして銀座に『骨と軽蔑』というお芝居を武 正晴監督と観に行く。7人の俳優さんたち皆さん素晴らしかった。

 

※妻より

午後、私が帰ると、ぐったり寝ている息子の脇で、婆さん猫がピタッと寄り添って見守っていた。こんなに嘔吐の処理をしたのは、娘息子が幼いころ、ノロかロタになった時以来だ。この大変さを忘れていた。

 

その後、四谷の「あぶさん」に移動して、武さん、坂田さん、芦川さん、ゆかわさんと延々と高校野球話。途中で武さんの明治大学の同級生で、野球部のキャプテンだった黒木さんも加わってくださり、明大野球部の楽しいお話をたくさん聞かせていただいた。しかし、明大野球部のキャプテンなんて聞くと凄まじい猛者を想像してしまうのだが、黒木さんは猛者の匂いをまったく感じさせないニコやかで穏やかな話しぶりが最高だった。

 

3月24日(日)

娘も息子も毒を出しきったのか、ケロッとして元気になり食欲も戻った。かわりに私が少々気分が良くない。だが今日は高崎映画祭の受賞式だ。

 

娘や息子のゲロを触ったことで菌をもらったのか、吐き気と熱っぽさを感じながら妻とともに高崎へ。最優秀監督賞をいただいたのだ。高崎映画祭は昔から憧れていた映画祭だっただけに喜びもひとしおだ。しかも受賞すると、次から次へと高崎の美味しい野菜やらお菓子やらが送られてくる。そんな特典は知らなかったのでなおこのことうれしい。

 

授賞式のときは緊張しすぎて気分の悪さも忘れていたのだが、壇上での挨拶がつまらなかったと妻からダメ出しされてまた具合が悪くなってくる。

 

具合が悪いのに食い意地はおさまらず、打ち上げ会場でうまいものをガンガン食べていたらいつの間には具合の悪さをおさまった。

 

他の受賞者の方々や司会の渋川清彦さんらと12時過ぎまで飲んで、この日は高崎に泊まった。

↑新人俳優賞に「雑魚ども一同」がノミネートされており、涙が出そうになりました。高崎映画祭の皆々様、スタッフ・キャストの皆さま、映画を観てくれた全ての皆さま、本当に有難うございます‼(by.妻)

 

3月25日(月)

朝8時には高崎を出発して帰宅。今日は卒業式で、小5の息子も出席する日だったのだが、どうしても出られないというので休ませたから早く帰りたかったのだ。卒業式の予行練習は何度もやっていたが、息子は最初から最後まで体育館に居続けることは難しかったようだ。

 

卒業式に出なくても全然いいんだけど、出たくない理由教えてくれる? と3択(①初めての行事で勝手がよく分からないから不安。②リコーダー演奏で失敗するのが怖い。③緊張感がある独特の雰囲気が怖いの中のどれ?)で聞くと、3つ全てとのこと。

 

息子はできないこと、苦手なことが多いのに、「ちゃんとやらなきゃダメなんだ」と根が真面目なので、その圧に負けて動けなくなったのだろう。予行練習や卒業式に出ないと、また同級生に「ズル!」とか「サボり魔」とか言われちゃうけど、流せる? と聞くと、「流す」というので休ませた。

 

妻と娘はこの日から1泊2日で温泉に行ったので、ここぞとばかりに息子と焼き肉を食いに行った。

 

※妻より

毎年行っている祖父母との春休み旅行は息子も一緒に行く予定でしたが、今回は直前で動けなくなりました。色々疲れてしまったんだと思います。最近読んだ本で当事者の気持ちが書いてあるこの2冊はとても参考になりました。

 

3月26日(火)

一日中雨。妻と娘は祖父母と旅行に行っているので不在。とても静かだ。ホラー映画の予告などを延々と観ている息子の横で仕事をした。夜、妻と娘が帰宅。

 

3月27日(水)

天気の良い日。息子は久しぶりに公園へ行ったようだが、娘は人間関係で悩んでいる部活を休むとのこと。じゃあ一緒に映画でも行くかと、池袋に『14歳の栞』(監督:竹林 亮)を観に行く。娘はいたく感動していた。私も感動した。

 

3月28日(木)

甥の大学受験が終わったので、妹の家に遊びに行く。ウチの家族4人、妹家族4人、あと先日偶然再会したS君とCちゃんで、昼から人狼やったり、大富豪やったりして21時までいる。途中、息子が甥をロックオンして多弁スイッチが入ったが、どんなに唾を浴びても優しく接してくれた甥はいいやつだ。

 

3月29日(金)

今日で半年間放送していた『ブギウギ』が最終回となる。あっという間だった。

 

私にとって『ブギウギ』とは何かと聞かれたら、趣里さんの魅力がすべてだと答える。輝いている俳優さんのお芝居を見ると、これは『ブギウギ』に限ったことではないが、もっと良い本を書きたかったと、いつも力不足を痛感するし、これは言い訳がましく聞こえるかもしれないが、いろんなことと戦えなかった自分の不甲斐なさを呪ってしまう。何度こういうことを繰り返していくのだろうか。

 

だが、蒼井優さん演じた大和礼子のセリフに書いたように「簡単には挫けないこと」だ。この言葉は私が日本映画学校の1年生のとき、学生ホールで入れ替わりに卒業した方々の卒業アルバムのようなものを偶然見つけてなんとなくめくっていたら、とある講師の方が卒業生に送る言葉として書いていたものだ。

 

別に珍しくもなんともない言葉なのに、なぜか映画学校に入学して1か月ほどしかたっていない私の胸に響き、それ以来たまにセリフとして使っている。今回は妻にも「使いどころが良かった」と誉められた。

 

『ほかげ』(監督:塚本晋也)ですでに世界に出ている趣里さんだが、アート系でもエンタメ系でも通用してしまうのではないだろうか。ご一緒できたことは私にとっては宝となっている。

 

しかし、これで半年間見続けてきた「#ブギウギ反省会」ともお別れだ。寂しい気がするのはやはりMだからか。

 

ただ、xよりも私がイライライライライライラしたのは、「え、朝ドラってこんなにたくさんのライターたちが至る所で(下手したら毎週)批評するの? しかも俺並みの見識眼で!?(私は映画やドラマを観る目にまったく自信がないから批評は書かないし、この日記にも感想も書かない)」と驚かざるを得なかった。朝ドラというのはそれだけ商売になるものなのだろう。ドラマライターへの文句を毎日のように妻に垂れ流していたから、妻のほうがノイローゼ気味になってしまった。

 

弱さは見せる! を家庭でもモットーにしている私は、娘や息子にも垂れ流し、娘からは「ほら、こんなこと言ってくれてる人もいるよ!」とネットの言葉をスクショして送ってくれたりもした。なんて優しいんだ、私の娘は!

 

なのに本日の夕方、その娘、私、妻と月に一度通っているカウンセリングに行く前に、娘の悩みごとをうまく聞いてあげられない私と、うまく話せない娘とでケンカのようになってしまった。娘は私の悪口というか私の接し方をカウンセラーの方にぶちまけたようで、いろいろとすっきりした顔をしていた。

 

いろいろと至らない父親で申し訳ないと思うが、「大人になってもこれでいいんだ」と思ってもらえたら幸いだ。

 

※妻より

いやぜんぜんよくねえから……私もよくねえけど……。

 

3月30日(土)

世間は水原一平氏のことでなにかと話題だが、依存症というのは薬であれ酒であれセックスであれ、それがどんなものでも本当に怖い。

 

いったいどんな心持ちでバレそうなここ最近をすごしていたのだろうかと思ってしまうのだが、それでも止められないのだろう。「私はおわりだ」という胴元とのメールのやり取りが生々しいが、終わっていちばんホッとしているのは自分かもしれない。怖くて怖くて自分でもやめたいと思ってもやめられないのだろう。きっと楽しいなんて気持ちはほぼないのではないかと想像する。それでもやめられないというのか、「かっぱえびせん」ではないが、やめられない止まらないのだろう。

 

スマホ依存やゲーム依存など今の世の中は簡単に依存できるものが子どものころから身近にありすぎて、息子がゲームをしているときの半端ない過集中を見ているとふと怖くなることもあるし、スマホばかり見ている娘にもついつい口うるさくなってしまう。と言いながら家でスマホを見ている時間は私がダントツで一番長い。

 

3月31日(日)

春休みだというのに娘も息子も家にずっといる。そこで私は突然アスレチックに行こうと思い立ち、半ば無理やり家族を連れ出して秩父のアスレチック「フォレストアドベンチャー・秩父」へ向かう。

 

私はアスレチックが大好きなのだ。が、これが生半可なアスレチックではなかった……。命綱はついているのだが高所恐怖症の人にはとても無理だろう。よくもまあこんな怖いアスレチックを作ったもので、気分はもう『賭博黙示録 カイジ』の罰ゲームのようだった。

 

全部で5コースあるのだが息子はひとつもクリアできず、私も足がすくみ早々に脱落。娘と妻も最大難所は無理とのことで、いったい何しに来たんだという家族の目が一気に私に向けられた。

 

その目を見ないようにしつつ、しかたがないので巨大トランポリンをして、秩父の温泉に入って帰宅した。温泉は楽しかった。

↑高所恐怖症なのであまりの高さに足がすくみ、金払って罰ゲームした気分でした。

 

【妻の1枚】

 

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。最新作は『雑魚どもよ、大志を抱け!』。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

「ブギウギ」脚本家・足立紳、新しい家族が加わり、大分のロケハンを存分に堪能する2月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第47回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々──それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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2月1日(木)

文化放送で『村上信五くんと経済クン』に出させていただく。ほとんど打合せはなかったが、村上さんの突っ込み上手さと聞き上手さで緊張せずに話せて良かった。そのまま虎ノ門に向かい、ネット媒体に取材していただく。

 

夜、日本シナリオ作家協会のお仲間に誘っていただき、協会近くの『川治』という魚のお店に行く。2年越しの予約の順番が来たとのことで、2年前のメンバーの誰かが来れずに私にお鉢が回ってきたのだ。

 

いや、すごいお店だった。出てくるものはなんでも美味しいのだが、その量もハンパではない。私はいまだに若いころの食欲が衰えないのだが、それでも途中でギブアップしてしまった。美味しいのにお腹がはち切れそうでもう食べられないという状況を久しぶりに味わった。2年後の予約をしてお店をあとにした。

 

2月2日(金)

朝イチで息子の学校のスクールカウンセリング。息子の家の様子、学校の困りごとなどを共有して、息子を上手くサポートする体勢を整える。カウンセラーの先生が、気さくなお兄ちゃんでとても話しやすい。気さく過ぎて、「おいおい!」と突っ込みたくなる瞬間もあるのだが、いつも笑いの絶えない時間となるから、こちらのメンタルもちょっと救われる。

 

息子は人懐っこく、知らない人間に対してのコミュ力は私から見ていても羨ましい限りなのだが、学校のような場では浮いてしまう。もちろん浮いてしまう要因はある。その要因となるものを、今はなんとなくではあるが、「直す」という方向で私も妻も学校の先生たちも接しているのだが、直すというよりは、やはり良い出会いに期待するしかないだろうと思う。その「要因」が息子の良いところでもあるからだ。

 

※妻より

最近授業で「自由に班を作ってグループ発表してみよう」と先生に指示を出された時、息子は「めんどくせ、つまらね」みたいな態度を取って教室から出てしまい、その後もその授業の時は何コマも孤立してしまったことがありました。

息子の態度は同級生には「なんだこいつ」と不快な気持ちを与えてしまったことでしょうし、先生も真意は分からずいつものように息子を放置してくれたのかもしれません。でも……多分……息子は死ぬほど誰かのグループに入りたかったのに入り方が分からず、僕が入ってもどうせ断られる……という不安からそういう尊大な態度をとってしまったのだと思うのです。

そういう時は最初のグループ分けの時点でどうか大人の先生に中に入って欲しいとお願いしました。これからは自主性を重んじて児童に行動を委ねる場面が多くあると思います。そのたびに息子は居場所をどう見つけてよいか分からず、孤立してしまいそうで、胸が苦しくなります。ただの心配性なだけなのですが……。

 

2月4日(日)

映画学校時代の同級生のMの家に行く。同じく同級生のFと彼の配偶者さん(他人の配偶者のしっくりくる言い方がいまだに分からない。『配偶者』でないことだけは確かなのだが、無難という意味では私の中で、今一番無難な言い方だ)もいらして、数年ぶりに会う気の置けない仲間との他愛のない話がとても楽しかった。みんな子どもの年齢も近くて、そういった悩み事も笑いながら話せる。

 

※妻より

10年振りくらいに会いましたが皆さんがあまりに変わってないのに、子どもがみんなもういっちょまえの高校生になってて、なんだかおかしかったです。

 

2月5日(月)

NHKのスタジオにて『あの日 あのとき あの番組』という番組の収録。テレビに「出てください」とお願いされて出るのは初めてだから(偶然『チコちゃんに叱られる!』に出たことはある)とても緊張した。気の利いたことは話せなかったが、一緒に出演した作曲家・服部隆之さんが終始ニコニコされていて私もその空気になじむことができた。

 

それにしても今日、いちばん驚いたのは番組のアシスタントディレクターなのかどうなのかは分からないが、私をスタジオまで案内してくださった方が、私の学生時代の大先輩で、面識はないのだが、その方が撮った映画に私はいたく感動したことがある。

 

しばらくお名前を耳にしないと思っていたが、食いぶちとしてこういう仕事もされているのだろう。素晴らしい作品を残されているだけに、そのアシスタント業務はきっと本意でないと思うのだが、この業界には自作を撮るために食いぶちとして別のことをされている方は多い。私だって42歳までアルバイトをしていた。

 

周囲からはとっくに映像の世界で食っていくことを諦めていると思われていただろうし、実際諦めていた。今はたまたま食えているがいつまたアルバイトをしながらの状況に戻るかは分からない。バイトは嫌だから専業主夫がいいが、それは妻が許してくれないだろう。バイトやアシスタント業務をこなしながら自作を撮るのは大変なことなのだが、その先輩はご自身の人生を切り取った映画も作られているので、また是非映画を撮ってほしいとなんだか上から目線で誤解を与えそうな物言いになってしまうが、その先輩の作られる映画を私は観たい。

 

2月6日(火)

朝から仕事。午後、渋谷のシアター・イメージフォーラムでリム・カーワイ監督の新作『すべて、至るところにある』を鑑賞後、トークイベント。リム監督とは北九州国際映画祭で出会って今回声をかけていただいたのだが、大変楽しい方で、映画祭のときはいつも愉快なお話をされていた。映画のあとのトークショーもそんな雰囲気になったような気がする。主演のアデラさんや、別府ブルーバード劇場の森田さん、田尻さん、それに三坂千絵子さんもいらしていて、近くの喫茶店でお茶をして楽しかった。

 

2月8日(木)

朝、10時から打合せ。今年撮影することになっているテレビドラマについて。テレビドラマを初めて演出することになる。企画はずっとやりたかったものだから楽しみでならない。その後、『コット、はじまりの夏』(監督:コルム・バイレッド)を観に行く。

 

夜、東かがわ市教育委員会のI先生が亀を届けに来てくれた。『ブギウギ』の中で六郎が飼っていたカメだ。劇用に4匹いたのだが、うち2匹が我が家に、もう2匹は東かがわ市に引き取られた。ずっと亀を飼いたいと言っていたウチのリアル六郎(息子のこと)が、六郎1号、2号と名付けた。

 

劇中で使った生き物を引き取ると、不思議とその作品に幸運をもたらす傾向があるから、私はひそかに『ブギウギ』の亀を狙っていたのだ。などと書くとこのご時世、本気でお怒りになる方もいるのだが、私のような邪な人間に引き取られるのも行き場がないよりはよっぽどましだろうし。我が家の六郎がきっとドラマの六郎のようにかわいがってくれるはずだ。

I先生に東かがわ特産の和三盆のジンを一瓶いただいた。めちゃくちゃ美味しかったです!!(by.妻)

 

2月9日(金)

朝から学校で息子の通級の面談。ようやく実現する。長かった……。何度も何度も申請を出していたのだがなかなか通らなかったのだ。支援クラスの先生方も息子の傾向に理解が有りそうだし、なにより息子が自ら行きたいと言い出したことなので実現してうれしい。学校での居場所が少しでも増えてくれたらと願う。

 

その後、都道府県会館で鳥取県の平井知事とお会いして、鳥取県フィルムコミッショナーという役割に任命していただいたが、鳥取県のフィルムコミッションの方々とはまだお会いしたことがない。にしても私はいつか故郷鳥取県で映画を撮りたい。鳥取を舞台にしたオリジナル企画もあるのだが、それはホラーなのでなかなか提案しづらいんだよなあ。私の故郷倉吉は偉大な漫画家・谷口ジローさんを輩出しているし、谷口ジローさんが倉吉を舞台に描かれたマンガ『遥かな町へ』をいつか映像化したい。

 

その後、大阪に移動して高校時代の同級生たちと飲んだ。浅野温子に激似の同級生の綱渡りな人生話がなかなかに楽しく、少し羨ましくもあった。それにしても敷かれたレールを最後まで歩ききれる人生を送れる人はどのくらいいるのだろうか。私なんか、レールを踏み外さないことばかり考えている。

 

2月10日(土)

朝から『ブギウギ』の撮影を見学に行く。今日がクランクアップなのだ。去年の3月24日にクランクインしたからかれこれ11か月撮影していたことになる。クランクインのときはまだ6週くらまでしか台本を書いていなかったような記憶がある。

 

いろいろと長丁場ではあったが、とにかく趣里さんは凄いという感想しかない。普段の朝ドラならばお芝居に集中していればいいのだろうが、今回はそれに加えて歌と踊りがある。その大変さは想像を絶するのだが、まさに全身エネルギーのかたまりのような方だ。

 

私はテリー・ガーというアメリカの女優さんの大ファンなのだが、趣里さんはそのテリー・ガーのような雰囲気もお持ちだと感じた。演技が素晴らしいのは言うまでもなく、コメディエンヌとしても最高だと思う。私は趣里さんとお仕事ができただけでも、この仕事に携われて良かったと思う。この日は久しぶりに朝まで飲んだ。

 

2月11日(日)

朝、大阪からそのまま鳥取まで移動。鳥取駅で打合せがあるため、妻と待ち合わせていたのだが、駅の壁によりかかって突っ立っていたら、黒ずくめの服装に黒マスクの若いおねえちゃんふたりが「あの、ちょっといいすか」と突然話しかけてきた。一瞬カツアゲされるのかとビビってしまい「はい!」とほとんど直立不動で返事をしてしまうと、「自分らが銭払いますんで、そこのコンビニで煙草買ってきてもらえんですか」とのこと。

 

「え……」

「タバコ」

「あ……や、やめて……」

 

と震えながら言うと、彼女たちは舌打ちして次の人を探しに行ってしまった。ホッと胸をなでおろしつつ、そうか、今どきの未成年はタバコを買うのも大変なんだなと思った。我々のころは下手したら制服姿でも煙草屋で買えていたからなあ。のどかだった…と思わず口から出てきそうになるが、それをのどかだったと思うのは良くないことなんですよね? 酷い時代だったと思わなければならない。

 

地元の方と打ち合わせ後、夜は両親と妻と4人で飯を食いに行った。倉吉にこんなお店があったのかと驚くほど美味しいお店だった。妻と母親が互いにジャブを繰り出しながらも、アハハオホホとどう解釈していいのか分からない笑い声の絶えぬ食事だった。

 

2月12日(月)

父親の運転する車で鳥取市まで送ってもらう。私の実家のある倉吉から鳥取までは車で一時間弱だ。

 

そば屋で両親と妻と飯を食っていると「紳さん!」と声。聞き覚えのあるその低い声に振り返ると、『ブギウギ』に出演中の黒田有さんご夫妻が入ってこられてチョー驚いた。

 

実はこの夜、黒田さん夫妻ともう一組、共通の知り合いのご夫妻と鳥取で合流してカニを食いに行く約束をしていたのだ。

 

私の母親が「あら、目の前で見るととっても良い男なのね」と今のご時世ではアウトな挨拶をするので焦った。アウトだから焦ったというより、すぐそんなふうに話しかけるので私は母親といると冷や冷やしっぱなしなのだ。(同じような傾向が妻にもある)。それにしてもなんという偶然なのだろうか。

 

そして夜、黒田さんのお知り合いの方が営んでおられるカニ屋で、向こう3年はカニを食わなくてもいいというくらいたらふくいただいた。めちゃくちゃ美味かった。それ以上の言葉は出てこない。

 

2軒目に行こうと真っ暗な鳥取の街をフラフラ。一軒だけ空いていてお店に飛び込んで、閉店時間を大幅に過ぎても飲ませていただいた。

 

2月13日(火)

東京に戻る。戻った途端、息子のクラスが明日から2月16日まで学級閉鎖の連絡。ああ、仕事が捗らない3日間になることが決定……。

 

「俺、うれしいよ! だってバレンタインの日に学校行かなくていいんだぜ! 俺、ゼッテーもらえないからさ! 地獄なんだよ!」と息子は言っていた。チョコレートがもらえないことがそんなにショックなのだろうか? これも何か息子の特性が発揮されているのかもしれない。運動会や音楽会と同じくらいこの日を嫌がっている。

 

2月14日(水)

夜、麻布台のラジオ日本へ。『真夜中のハーリー&レイス』という番組に呼んでいただいたのだ。早めに着いてしまったので、麻布台ヒルズのソファに座り、読まねばいけない資料を読みながら、妻とともに完全に爆睡していたら「紳さん!?」と声を掛けられて目覚める。ヨダレを拭って起きると15年以上も会っていなかったS君とCちゃんだった。

 

妻ともども完全に油断、弛緩しきった姿を見られてしまった。S君は私の妹と同じ格闘技雑誌で働いていて、いっとき妹の家でよく一緒に飲んでいたのだ。Cちゃんは当時S君の恋人で東京藝大の大学院で油絵だか日本画だかを学んでいる175センチ超えのモデルのような女性だった。「えー!?」と驚いてしまいその場で30分ほど立ち話をして再会の約束をした。それにしても私はだいぶ禿げて太ったが、ふたりはほとんど変わっていなかった。

 

その後、ラジオの収録。久しぶりにプロレスの話をたくさんしてとても楽しかった。

 

2月15日(木)

ロケーションジャパンの授賞式。『VIVANT』や『どうする家康』、『春が散る』など大型テレビドラマや映画の大作が受賞する中で、とても小さな『雑魚どもよ、大志を抱け!』がベストサポート賞を受賞したのだ。岐阜県飛騨市の皆さまのサポートを超えた並々ならぬ作品への愛情が受賞につながったのではないかと思った。ほんとにもうスタッフの一員というのか、一緒に映画を作った感覚だからだ。久しぶりに飛騨市の都竹市長、観光課の横山さんと再会し喜びを分かち合えてうれしかった。

 

授賞式には全国各地のフィルムコミッションの方々が美味しい物を持ち込んでくださっていて、私はひたすらに食べていた。

久しぶりに皆様と再会できてうれしかったです(by.妻)

 

2月16日(金)

学級閉鎖のため家でずーーーーーっとYouTubeを見ているすこぶる元気なのに何もできない息子を見てられなくて、ホントは外出禁止なのだがズルして銀座へ『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(監督:古賀豪)を息子と妻と観に行く。その後、仕事に行く妻と別れ、私と息子は寿司の食べ放題へ。映画を観る前から寿司が食いたい寿司が食いたいとのたまっていたから行ったのだが全然美味しくなかった。けっこういい値段してしまったのだが地元の練馬でよく行く安い寿司屋さんのほうが美味しい……。息子は大喜びで食べていたが。

 

2月18日(日)

夕方、娘のこども映画教室の発表会。この2か月、娘は土日に朝から夕方までこども映画教室というところに通っており、平日も学校を休まず、部活も行っていたから実質2か月間休みはなかった。よく頑張っていたなあと思う。

 

最近は編集がうまくいかないということを言っていたが、なんとか作品が出来上がり、その作品を観に渋谷まで行った。

 

子どもたちは全員が映画を作ってどうだったかなどをしゃべるのだが、中高生たちがあまりにしっかりしたことを言うのでかなりビビった。娘もしっかりと話していたので大変驚いた。こんなまともな事が言えるのか……。

 

最後に親からの感想を求められ、親たちは皆さんたじたじなのか誰も何も言わず。すると係の方が「じゃあ、指名します」とのことで何人かの親に無理矢理指名が。こういうときは昔から当てられる率が高いのだが案の定今回も。しどろもどろに小声で何か言った。

 

帰宅後、娘から「なに、あの小さな声。『えーと……』ばっか言っているし、内容めっちゃ浅いし」とダメだし連発。そうなのだ。私は浅くしか映画を観ることができないからトークイベントなどもとても苦手なのだ。娘はまだ高校生だし私が親だから「浅い」と本当のことを言う。でも、他の人だと「浅い」と思っても「こいつ、浅せぇな」と心の中で思うだけで言ってくれないし、言われても困るが怖くてしょうがないのだ。まあ、私のことはどうでもいい。

 

娘はこの13日間、これでもか、っていうくらい意見交換、対話を重ねて、作品を作り上げた。途中、険悪になることも何度もあったという。同調圧力、空気を読むことに重きを置いている今の若い子は学校などで自分の意見をとことん言うことも余りないと思う。とても良い経験ができただろうなと思う。

 

※妻より

上映会後、娘を待って、一緒にご飯を食べてから帰りましたが(夫は息子がお留守番しているのですぐ帰りました)、食事中も帰り道もずーーーっと映画の感想を聞かれました。15分位の作品にこれ以上感想は出ない、と言っても「ほかは? あれは?」などと感想くれくれ攻撃。これ、誰かに似てるなと思ったら、書きたてのシナリオを私に読ませたあとの足立でした。足立の場合は感想言え言えハラスメントですがね。にしても娘の感想くれくれ攻撃もなかなかに激しく、ネタが尽きました。でもこれだけ何かに一生懸命な娘を見たのは久しぶりだったので、うれしかったです。

 

2月20日(火)

下北沢で若い監督さんと飲む。一緒に映画を作りませんかと言われてうれしかったが、今の私には彼の作品の脚本を書く余裕がない。だが、若い人から声をかけてもらえたのは、少なくとも彼の視界に私は入ってるということでもあるのでそれがとてもうれしかった。

 

2月22日(木)

娘の高校が入学試験のため登校禁止なので、昼に近所の回転寿司に一緒に行く。途中、新しく始めようとしているバイト(まだ面接も受けていないのだが)のことで何やら言い争いになってしまった。バイトに対する姿勢が良くない的な説教を軽くかますと見る見る不機嫌に。言いがかりはやめろと。もう言うことなど聞きゃしない。

 

険悪な雰囲気で寿司を食い始めるも娘は相変わらず凄まじい食欲。ふたりで行ってこの値段は、娘がほとんど食ったと言っても妻は怒り狂うものになってしまった。その後、『夜明けのすべて』(監督:三宅 唱)を一緒に観に行く。

 

※妻より

回転寿司で、お酒も飲まないのに何であんな金額になるのか、本当に分かりません……。私が不機嫌になる色の皿を大量に食べたとしか考えられない。

 

2月23日(金)

朝6時出発で大分県の豊後大野市にロケハンに行く。豊後大野市は温泉県の大分には珍しく温泉のない街なのだが、そのかわりサウナに力を入れているとのこと。テントサウナから目の前の澄んだ川に直接飛び込める水風呂や鍾乳洞の水風呂など、ロケハンをほったらかして入りたくなる。

 

そうしたサウナや水風呂も最高なのだが、私が驚いたのは「原尻の滝」だ。滝と言えば何となく山奥とか自然の中にありそうなものだが、この滝は普通の車で道を走っていると突如として現れる感じなのだ。しかも、かなりでかい滝なのだが、滝の水が落下する間際まで行っても構わない。悲しい事故も起きているようだが、この状態にしておくというのが私はなんだかとても良いように感じた。

 

 

印象としてとても大きくてきれいな川とその川にかかる石でできた古い眼鏡橋の多い街で、川のほとんどの場所に自由に出入りできる。滝もそうだが、このレベルの川だと立ち入り禁止にして風景だけ見てねとしている場所も多いと思うが、自由度の高い街だなあと個人的にはとてもテンションがあがった。

 

地方で映画を撮るときは、「観光映画」にならないようにしようなんて思うことがしばしばだが、今回は思い切り楽しい「観光映画」にしたいと思っている。

 

この日は小学校を改築したという山奥の宿に泊まる。夕飯にジビエの火鍋をいただいたのだがひっくり返るくらい美味しかった。

 

その後にスタッフの太田さん(映画学校の同級生で『春よ来い、マジで来い』の中で私と同居している多田のモデルとなった人。とサラリと小説の宣伝をするのが私らしい)とサウナに入った。屋外にある大きな水風呂にも入りたかったが、さすがにこの時期で山奥にあるサウナなだけにサウナから出た瞬間の外気浴だけで一瞬にして凍った。

 

2月24日(土)

今日も引き続き豊後大野市をロケハン。美しい川を眺めながらの石焼きカレーは絶品だった。ちなみにこの石焼きカレーをいただいたカフェのベランダにもテントサウナがあり、目の前の川にそのまま飛び込むことができる。5月の撮影時には撮影をほったらかしてでもサウナと川の水風呂を慣行したい。

 

2月25日(日)

本日は別府をロケハン。撮影で使わせていただく予定のブルーバード劇場にもお邪魔して館主の照さん、娘さんの実紀さんとも久しぶりの再会。相変わらずおふたりともとてもお元気だ。「晃子さんがいないと伸び伸びして見える」と言われた。そのとおりだ。

 

夕方の特急で別府から小倉に出て新幹線に乗って東京に戻った。小倉駅のホームで食べた立ち食いうどんがとても美味しかった。トッピングの嵐。

 

2月27日(火)

夜、駒込で高校時代の同級生と飲む。高校時代に一度も話したことがなく、でも存在は知っていた方も来た。彼は水球でインターハイに出場しており、大学でも水球を続けていたとのこと。一度も話したことのない同級生と年月を経て話をするのはいろんな発見があって楽しい。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作『百円の恋』が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品『佐知とマユ』(第4回「市川森一脚本賞」受賞)『嘘八百』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』『こどもしょくどう』など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

「ブギウギ」脚本家・足立紳、憧れのプロ野球選手と会話し、よもやの教育委員会からの講演依頼にびびる1月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第46回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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1月1日(月)

タイで浮かれていると、日本で大きな地震があったことを知る。正月早々に……と思わずにいられない。今日は夕方までホテルでダラダラする日なので、ネットでずーっとそのニュースばかり見ていた。

 

妻と娘はマッサージに行き、息子はプールで仲良くなった中国人の少年とずっと遊んでいた。

 

夜、光のショーを観に行き、その帰りに息子と繁華街を歩き回って、そのまま1時間くらい歩いてホテルまで帰った。息子はすっかりタイを気に入ったようで、帰りたくないと言う。明日、帰らねばならいのだ。ここは日本よりもだんぜん息子にフィットしているだろうし、生きる場所は日本以外にも沢山あるってことを感じてほしくて来たのだが、どうにか生きやすい場所を見つけて逞しく生きていってほしい。もしも息子がこの国に住んだら大好きな海でガイドになればいいと思った(日本でも漁師募集とか検索してしまう)。そしたら私は毎年来る。とにかく息子は海につけておけばずっとご機嫌なのだ。

 

今まで外国に興味がなさそうだった娘まで外国に行きたいと言い出したのはうれしい誤算だった。

 

1月2日(火)

午前中、息子と海。昼、家族で市場に赴き肉と魚を購入し、市場の2階で調理してもらう。おばちゃんに「炒める? 焼く? 蒸す? 煮る? スープ?」と色々調理方法を聞かれ、魚はレモンとライムで炒め蒸しにしてもらい、軍鶏はスープにしてもらった。息子は小銭を握りしめて西瓜ジュースを買っていた。ここの汚くて、安い市場で食べたご飯が一番おいしかった気がする。

 

午後、ホテルに戻り、19時まで息子とプールに入り、送迎タクシーを頼んで空港へ。タクシーに乗った途端、私は爆睡。妻と娘と息子は大声で歌を歌いまくっていた。蒸し暑い空港に到着し、荷物を運んでいたら、タクシーの運転手が追いかけてきた。

 

車内にスマホを置き忘れたらしい。先月買い替えたばかりだったので、助かった。妻がここぞとばかりに私を責め立てる。確かにこの旅行中に3回くらいなくしたから怒り狂うのも分かるが、子どもの前での罵倒はかなりやめてほしい。

 

混みまくった空港のベンチで2時間ほど飛行機を待ち、夜11時の便に乗って飛び立つ。

 

1月3日(水)

香港に4時くらいについて乗り換えで5時間待つ(羽田空港の事故で大幅にダイヤが乱れたようだ)。空港が寒すぎて、ガタガタ震えていていたが(タイが真夏だったので、日本用の上着は全て飛行機に入れてしまったのだ)、娘と息子は縮こまって寝てしまったので、やむを得ず妻と私は着ていた薄い上着を脱いで彼らにかけてやる。

 

あたたかいラーメンを売っていたので食べたかったが、2000円くらいするということで妻が当然却下。この寒さにはたまらなく体に沁みただろうに。結局、私は震えながら西村賢太の『雨滴は続く』を読んだ。朝ドラ執筆でバタバタしていたので積読状態だったのだが、これは凄まじい傑作。2時間にはとてもおさまりきれないので5時間くらいの映画か配信で連続ドラマにすべきだ。

 

15時頃、成田着。空港から池袋までバスに乗る。降車後、バスの網棚? 頭上? に丸々自分のリュックを忘れ、妻が慌ててバスに戻った。色々入っていたので、無事戻ってきてよかったのに、妻はまたキレた。まったく趣味がキレる、特技は怒るだ。

 

※妻より

そこ、ポイントがちげーだろーが!

 

1月4日(木)

早起きして、娘のお弁当。8時半に娘を部活に送り出す。旅行から帰ったばかりで疲れているだろうに部活に行くのはえらい! と思ったら9時半ごろ娘から「部活、明日からだった。今から帰る」と連絡。おっちょこちょい度が私に似ていて気の毒になる。

 

夜、娘と息子と映画。『八つ墓村』(監督:野村芳太郎 ※渥美清版)。なぜか娘が見たいと言い出したのだ。予告編は目に焼き付いているが、実はちゃんと見たことがなかったのだ。が……あの殺戮シーンと小川真由美の尋常でない色気以外はなんだかよく分からなかった。でも、その2つの見せ場はそうとう強力なものだ。

 

1月5日(金)

妻は朝から婦人科へ。身体の調子がおかしくて仕方ないらしい。タイで悪化したとのことだが怒り過ぎるからだと思うが。

 

娘、部活へ。息子、立ち読みへ。私はいつもの喫茶店で仕事。

 

1月7日(日)

朝、チョコザップに行こうと家を出たら2階に住んでいるSさんとばったり出くわした。「Sさんはどうしたの?」と、この日記を読んでいる方からちょくちょく聞かれていた。日記にあまり出てこなくなったからだろう。知らない方のために簡単に説明すると、Sさんは難民申請をしていて、入管に入っていたのだが今は仮放免中だ。

 

Sさんは今も2階に住んでいるが、正直言ってかなり元気がない。飯に誘っても「すみません……」という返事ばかりだ。部屋の電気は夜中の2時を過ぎてもこうこうとついていることが多い。はっきり言えば引き籠りのような状態なのだろうと思う。隣りの部屋からは妻と私のケンカが頻繁に聞こえてくるのも彼のメンタルにはとても良くないのだとうは思うが……。

 

しかし、私も妻もSさんがやって来たころには難民の勉強など積極的にやろうと試みたりしたが、結局日常の忙しさにかまけて何もしていない。おそらく世界中にころがっている大半の問題は、こうして日常の忙しさに負けることで解決されないのだと思う。でも、負けてもいいと思う。と言うと語弊があるが、負けてしまう自分を責めてもしょうがない。

 

数少ない勝っている人たちが、いろんな問題を解決しようと自分の日常の大半を犠牲にして(こういう方々は、犠牲にしているという感覚はなくそれが自分の日常だということだと思うが)頑張っている人たちのおかげで何とか今くらいの状況が保てているのだろう。そういう人たちへの微力すぎる協力だけを忘れないようにしておけばいいのではないか。もちろん微力よりも多くできればそのほうがいいが。

 

1月11日(木)

午前中仕事、午後打合せ。その後、私の監督作品のスチールをやって頂いている内堀義之氏の個展を目黒の画廊へ観に行く。

 

解体工事現場の写真が圧巻。内堀氏はスチールの合間にこんな作品も撮っていたのか。彼の歴史でもある。画廊にいた内堀氏はいつもより少しカッコよく見えた。内堀氏のトークイベントも聞きたかったのだが、そのまま四谷の「あぶさん」へ。

 

『アンダードッグ』でお世話になった芦川誠さんと久しぶりにお会いしたのだが、まさかのビッグサプライズで加藤伸一選手と電話を繋いでいただき、めちゃくちゃ緊張した。なにせ私がもっとも好きな野球選手である。加藤伸一選手について書くとそれだけでこの日記が埋まってしまうが少し書く。

 

有名な話だが加藤伸一(敬称略)は倉吉北高校時代1年生のときと3年生のときに対外試合禁止で甲子園のかかった公式戦はほとんど投げていない。悲劇の高校時代を過ごしたのだが、それでもドラフト1位でプロ入り。これはかなりの出来事だと思う大きなニュースにもなった。私は倉吉北高校のすぐ近くに住んでおり、同校の大ファンだったので加藤のことも応援しまくっていた。加藤の対外試合禁止でなかった2年生の夏の鳥取県大会も観に行っている。

 

そのあたりの加藤や倉吉北高校について書くとものすごく長くなるのでここには書けないが、当時は加藤の控えでもあった石本龍臣投手も広島カープにドラフト5位で入ったから、このときの倉吉北高校が対外試合禁止でなかったら、鳥取県としては初の全国制覇も夢ではなかっただろう。

 

1月13日(土)

娘が「子供映画教室」というのに今日から2か月弱、毎週土日の13回、渋谷に通い始める。中1のとき以来の参加だ。あのときは陸上で足を骨折していて、撮影を一度見に行ったらギプスで固めた足でひょこひょこ歩きながら撮影している姿が妙に面白かった。

 

夕方、池袋で娘と待ち合わせをして買い物に付き合う。どうやら娘はフッションセンスが激ヤバと友人から指摘されたようで、何でもいいから恥ずかしくない程度の服を買いに行くということで、私がついて行ったのだ。

 

必死になって何か選んでいたが、私に聞かれても何でもいいとしか言えない。

 

その後、定食屋に寄って飯を食って帰った。ハンバーグ・エビフライ・クリームコロッケ定食と、生姜焼き・唐揚げ定食を注文。娘は白飯を3回おかわりした。

 

1月15日(月)

朝から家の片付け。11時自宅にて日刊スポーツの取材を受ける。お世話になっているM記者が取材してくださった。2015年に『お盆の弟』(監督:大﨑章)という小さな小さな小さな小さな映画の脚本を書いたのだが、М記者は『お盆の弟』をたいそう気に入ってくださって、そこからずっとM記者が本気で気に入ってくれた映画や小説のときは必ず取材をしてくださる。本当にありがたい。

↑1月28日の紙面でかなり大きく紹介していただけけました。感謝しかないです(by.妻)

 

その後、近所の映画館で『PERFECT DAYS』(監督:ヴィム・ヴェンダース)鑑賞。妻と真っ向から意見がぶつかった。どっちがどうかはここには書かない。

 

1月17日(水)

大好きな『本の雑誌』の、私の本棚コーナーの取材をしていただく。我が家の本棚は、スポーツ、ヤクザ、エロが主体なので慌てて数少ない真面目な本を(毎月送られてくる「月刊シナリオ」とか)本棚に混ぜ込んだが、砂糖に塩を混ぜたようなもんでまったく目立たなかった。

↑「本の雑誌」2024年3月号に掲載して頂きました。『哀愁の彼方に霧が降るのだ』(椎名誠・著)が好きだったので、めちゃくちゃうれしいです(by.妻)

 

夕方、久しぶりに武正晴監督と佐藤現プロデューサーと会う。この日記が公開されるころにはもう情報解禁されているだろうから書いてしまうが10年前に作った『百円の恋』という映画が中国でリメイクされてそれを観させていただいたのだ。去年の10月に中国に行っていたことは書いたが、実は撮影を見にいっていたのだ。原作者の先生扱いをされてえらく良い待遇を受けて、一瞬勘違いしそうになった体験だった。

 

リメイク版は、オリジナル版への愛を感じるものだった。よほど『百円の恋』がお好きなのだろうと感じた。もちろんそれは嬉しいことだ。

 

1月18日(木)

今日は息子が社会科見学なので、妻が2人分の弁当作り。息子リクエストのスパムおにぎりは妻が担当なのだ。チョコレート工場とどこかの博物館に行くようだが、やはり少しばかり不安が強いようだ。

 

行かなくてもいいと言おうかどうか悩んだが、チョコレート工場でお菓子がもらえることになってるからと悩んでいる姿を見て、余計なことを言うのはやめた。結果行った。

 

月に一度、どうしても行きたくない日は休む、嫌な授業(今も音楽だけは出席できない)は出なくてもいいなどと決めてから学校もほとんど行くようになったし、友達ときっちりケンカもしてくる。つまり嫌なことをされたら抵抗する。あと、親のケンカが一番嫌だとはっきり言うようになった。親がケンカをしていると学校に行く気を含め、いろんな気持ちが萎えるらしい。そういうことをちゃんと言える成長ぶりを頼もしく感じる。

 

なので、少なくとも子どもの前で私と妻が言い合いになるのを避けようと何度も妻と話しているが、なかなかそうできない。子どもより大人のほうが未熟な場合は多々あるが、我々夫婦はそれが多すぎるかもしれない。お前のせいでなという妻の声が聞こえてきそうではあるが。

 

※妻より

そうです。あなたのパニックと短気とすぐデカい声を出す特性と、諸々丸投げして、まだ締め切りの余裕あるのに追い立ててくるハラスメントの総合商社のような仕事のやり方、もういい加減、限界です。もう無理。ただ、子どもの前では喧嘩はしたくありません。

 

息子はチョコレート工場がやはり楽しかったようで、意気揚々と帰って来た。

 

夜寝る時も楽し気に話してくれた。その後、妻が小学校の読み聞かせボランティアのため絵本『泣いた赤おに』の読む練習していたら、全く聞いてない素振りで漫画を読んでいた息子がさめざめと泣きだす。こんなにも感受性が敏感なら、学校の先生の圧のある言い方やら、子どもたちの間で空気を読むとか同じことをしなければいけないプレッシャーとか、しんどいだろうな、と思う。

 

先日、NHKスペシャルの不登校の番組を見たが、現在の日本で不登校が30万人に増えている理由は、子どもが悪い訳では全くなく、みんなで同じことを足並みそろえることに重きを置いた公教育が限界にきていること、先生も子どももキャパオーバーに近いこと、などを思い出した。日本の子どもの自殺の人口比率が紛争下なみとの情報もある。子どもがこれだけ苦しんでいるということは、大人でも苦しんでいる人は多いだろうと思う。

 

発達障害は障害ではなく、環境とのミスマッチなだけだという発言もあるが、まさにそれで、娘も息子も環境がマッチすれば、思う存分楽しめるし、力も発揮できるんだろうな……もちろん、私も……などと思いながら、『泣いた、赤おに』を聞きながら眠りに落ちる。

 

夜中、鼾がうるさくて、妻から本やら鉄アレイやら飛んでくるが、寝ている時は不思議となにが当たってもまったく痛くない。

 

1月20日(土)

11時からTBSラジオ『ナイツのちゃきちゃき大放送』の生放送に出るために妻とキネマ旬報のKさんとTBSに向かう。私は昔からナイツが好きなので緊張していたが、ナイツのお2人と出水アナのおかげで、楽しくお話しできて良かった。

 

その後、みぞれが降る中で、妻とKさんと軽く昼飲み。銀座・泰明庵のセリ蕎麦と穴子天丼が美味しかった。(ナイツのラジオで鰻の話をしていて、頭の中は鰻一色だった)。

 

夜、娘と息子と『犬神家の一族』(監督:市川崑)を観る。先日に続き、横溝正史シリーズ。

 

1月21日(日)

朝6時に出発し、『ブギウギ』の終盤の大詰めシーンを見に行った。気楽な見学のつもりだったがそのシーンがかなり良くなりそうで、急遽そのシーンのある話を直すことになった。そういうことがあるほうがきっとドラマは良くなるだろうと思う。

 

1月23日(火)

昨日、学校で嫌なことがあったとのことで、今日は学校を休みたいと息子が言う。なので2人で『窓ぎわのトットちゃん』(監督:八鍬新之介)と『トーク・トゥー・ミー』(監督:ダニー・フィリッポウ/マイケル・フィリッポウ)2本立て。『トットちゃん』は大変楽しんでいたが(私も泣いた)、『トーク・トゥ・ミー』では息子は固く目をつぶって、両手で耳もふさいで、何をしているか分からない時間を過ごしていたが、私はたいそう面白かった。その後、漫画を買って2人で焼き肉食って帰った。

 

1月24日(水)

朝、別府短編映画のオンライン打合せ。まだ脚本はできていないが、5月下旬大分県別府市と豊後大野市で撮影する予定だ。別府は大好きなブルーバード劇場のある町だし、豊後大野市も大好きなサウナで有名な町だ。なによりこの短編企画にずっと参加したいと思っていたので、とてもうれしい。面白い映画を作りたい。

 

夜、19時から恵比寿で「寸劇の館」鑑賞。いやこんなに笑ったのは久しぶりだった。ブルーさんが最高だし、テニスコートさんは存じ上げてなかったのだが、もうただただ面白かった。

 

1月25日(木)

朝から仕事。夕方、長野在住のMが到着。Mは映画学校時代の同級生で、新著『春よ来い、マジで来い』にも蒔田として登場してる人物だ。小説家志望の青年として登場しているが、まだ小説家デビューの夢は諦めていないとのこと。

 

Mはここ数年、様々な事情が重なりはたから見ていて大丈夫かと言いたくなるようなハードボイルドな生活を送っているのだが、今はとある組織に戦いを挑むとのことで、そのハードボイルドさに拍車がかかるかもしれない。なんて、冗談めかして書いているが、健康だけには気をつけて生きていってもらいたいものだ。

 

我々大人が飲んで話している最中、娘と息子が顔を異性にするアプリで遊んでいて、Mや私や妻などを加工して楽しむ。

↑足立を女性にしたアプリ。面白くもなんともない(by.妻)

 

1月26日(金)

今日は娘の高校が推薦入試で休みとのこと。部活もないので『コンクリート・ユートピア』(監督:オム・テファ)を観に行く。娘は私よりもはるかに映画を理解しており、私も高校生の柔軟な頭がほしいと切に思う。

 

その後、私が舞台芸術学院に通っていたころによく食べていたABCという定食屋で昼飯。娘の食べる量がハンパない。オリエンタルライス大盛と、ハンバーグ&ポークジンジャー&若鶏のソテー3種が乗った特盛ABCのご飯大盛りを2人でシェアして食べた。

 

夜、中学時代の同級生が上京していたので東長崎の大好きな店「円蔵」で飲む。

 

1月27日(土)

今日は香川県東かがわ市の教育委員会に呼んでいただき講演をする。私が教育委員会に呼ばれるなど完全に世も末か、もしくは大改革時代の始まりと言っても過言ではないだろう。

 

朝4時半に家を出発。駅まで行って、スマホを忘れたことに気づき慌てて取りに帰る。結果、電車2本遅れる。妻が「飛行機に乗り遅れたら、あんたどーするつもり? 12時までに東かがわにつかなきゃないけないんだよ!」と酷くご立腹。

 

というのも、妻が成田発の安い飛行機を選んだからだ。もろもろ込みでギャランティの提示を受けたので、妻が特性を発揮してしまい、少しでも安くというルートを選ぶからこうなる。

 

ギリギリでスカイライナーの乗り込んで、9時半に高松空港に着き、そのまま東かがわ市の会場へ。

 

※妻より

普通のANAにしたら、12時までに現地入りするのが無理だから早朝便にしたんです。それも、あなたが「前泊嫌だ、当日泊がいい!」とか、主催者の方に神戸からのバスが早いと聞いたのに「バスは苦手!」とこだわった結果ですよね。特性多めなのはあなたの方です。

 

教育委員会の方と、地元のうどん屋さんへ行って昼飯食べながら軽く打ち合わせ。これがまためちゃくちゃ美味しかった。腹ごなしに白鳥神社に行き、『ブギウギ』の撮影で使われた場所で記念撮影。

 

13時から講演会スタート。「子育て」がテーマだ。映画やドラマで偉そうなセリフを書いているからいらぬ誤解を与えてしまうのだが、登場人物ができていることの10分の1も私はやれていないし、登場人物が言うことの1ミリくらいしか実践できていない。なので「自分は何もできないし、苦手なこともしたくない」というようなことだけをダラダラとお話というか、いつものようにトークの相手をしていただきながら話した。

↑東かがわ市の方が作った笠置シヅ子さん人形。ソックリでかわいらしかったです(by.妻)

 

ただ、その何もできないということが思のほか受けて、会場は温かい空気に包まれていたように思えた。なにもできない人=苦手なことが多い人が生きやすい世の中って、きっとできることが多い人も生きやすくなるような気がするのだが、それはできない側の勝手な理屈だろうか。

 

夜は東かがわ市の温浴施設がある宿にチェックイン。妻がまたもケチって近くのビジネスホテルに泊まろうと言っていたのだが(ちげーし。会場からの交通の便が一番よかったからだし。by.妻)、私は大浴場にこだわった。そしてこだわって良かったと思える大浴場と休憩所だった。

 

休憩所はなんだかお祭りのような雰囲気で楽しくなってしまった私は思わず妻と手をつなごうと手をとったらものすごい勢いではじかれて「やめろ、ハラスメント野郎」と言われた。妻とのセックスに同意が必要なのが当たり前のように、手をつなぐにも同意が必要なのは分かるが、手つなぎのハードルもブブカ並みに高いな……。

 

翌朝8時にはチェックアウトしなくてはならないとフロントの方につたえたら、特別に朝食を7時からにしてくれた(宿の朝食は8時からだった)。「朝食込みのお値段ですのでもったいないですもん」などと言われ、東かがわ市の方の優しさにまた触れる。この温かさが妻にほしい。「お前以外にはあるんだよ」と言うだろうけどな。

 

1月28日(日)

朝8時に教育委員会の方がお迎えに来てくれて、空港まで送っていただいた。最後に、Nさんから自宅の庭で取れた柑橘「ブンタン」と「スイートスプリング」を頂き、I先生(元生物の先生)から「ハエトリグサ」とをいただく。大きくなったらアリなどをムシャムシャ食べてくれるそうだ。息子のキャラを話したらきっと好きだろうと持ってきてくださったのだ。うれしい。

 

※妻より

我が家は夏になると、クサい金魚の水槽やカブトムシのケースからコバエやら、小蟻やらが大量発生するので、ハエトリグサ、大変うれしゅうございます。

 

うれしかったので、空港で3000円くらいする高級なオリーブオイルを購入したが、家に帰ったらどこにもなかった。妻の反対を押し切って買ったものだから、心が委縮してしまい空港のどこかに忘れたのだ。

 

※妻より

萎縮しなくてもいつも忘れてばかりでしょうが。

1月29日(月)

今日も娘が推薦入試の採点で学校も部活も休みなので、『カラオケ行こ!』(監督:山下敦弘)を見に行く。面白かった。そのまま娘とランチ。ローストビーフ丼と、ピザと、トマトとモッツァレラチーズをぺろりと食べていた。私は夕方から妻と健康診断の血液検査なので、青汁だけでぐっと我慢だ。

 

娘と別れ、妻とともに高校の同級生アラレさん(あだ名)の夫さんが開業した病院に向かう。まずは紹介状で脳のMRIを撮る。ずっと撮りたかったのでようやくだ。結果は異常なし。安心して、また病院に戻り、今度は血液検査やら心電図やら。

 

病院では同級生のアラレさんともう1人、高校時代の同級生リンリンさん(あだ名)が看護師としても勤務していて、私は2人の女性の同級生からいろいろと検査されてこれは何かのプレイのようで私の好む居心地だった。心電図のときに「おなか、ブヨブヨだが」と鳥取弁で言われたのは最高に気持ちの良い羞恥プレイだった。そのままみんなで飲みに行って楽しかった。

↑久しぶりに鳥取弁を沢山聞いた夜でした。お刺身も酢の物もポテトサラダも美味しかったが、締めのシマアジとハマグリの鍋は最高でした!(by.妻)

 

【妻の1枚】

 

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

「ブギウギ」脚本家・足立紳、小倉で暴飲暴食と、タイでのあまりの浮かれっぷりに妻が日記掲載を自粛する12月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第45回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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12月1日(金)

母校の鳥取中央育英高校(私が通っていた頃の名称は由良育英高校)に講演に呼んでいただいて、久しぶりに母校に足を踏み入れた。卒業以来だから32年振りだ。校内や外観は私が通っていたころとほぼ変わりはないが、生徒数は3分の1になっている。講演は小体育館で行ったのだが、我々の頃は全校生徒が入るとぎっしりになっていたのに、今回は「あれ? 3年生だけだっけ?」と一瞬感じてしまうくらいだった。

 

講演と言ってもひとりでしゃべると5分で話題の尽きてしまう私は、情けないことに3人の生徒さんに話し相手になっていただきながらの形式に。話した内容といえば、高校時代に軽犯罪(軽と書くところが言い訳がましい)を犯して停学になったことや、朝から夕方まで映画を観ては部活だけしに学校に行っていたこと、私でも生きていけたのだからあまり将来に不安を抱かないほうがいいことなど、高校生にとってはほぼ役に立ちそうもないことばかり。でもまあ、高校生に限らず人様の役に立つことなど言えないし、言えたとしても言う気もない。

 

夜はいつもの高校時代の悪友と集まって、高校時代とまったく変わらぬ、「だから、おじさんはダメなんだ」と言われる話ばかりしていた。しかも女性のいるお店で。本当に申し訳ないと思うが、でも楽しかった。ただ、こうして女性が我々のくだらない話を聞いてくださるお店の形式もアップデートされており、今は女性が男性の間に座るということはない。正面に座る。そして男性がバカなことをせぬようにママさん(という言い方も現代ではいかがなものなのだろうが)がきっちりと目を光らせている。良いことだと思う。

↑鳥取の義母から送られてきました「山陰抄」。同じ1972年生まれの51歳のコメントの違いが面白いです。取り上げて頂いて有難うございます(by.妻)

 

12月2日(土)

幼なじみとその息子、私と私の息子でプールに行く。私と幼なじみはほとんどサウナと寝湯にいて、子どもたちは勝手に遊ばせておく。

 

夜、中学時代の同窓会が行われたので参加。70人以上の同級生が集まり大変楽しく、日付が変わるまで飲み散らしていた。

 

12月3日(日)

両親に空港に送ってもらいがてら、鳥取砂丘に寄って息子と走り回った。木曜日から学校を休んで鳥取に行っていたので息子は大喜びの週末だった。

↑鳥取では至るところで犬のように走っていたそうです(by.妻)

 

12月4日(月)

朝からいつもの喫茶店で仕事。午後、筋肉マッチョのプロデューサーの方と筋トレに行く。取材の一環だ。普段はchocoZAP(チョコザップ)で自主的なしょぼくてユルユルな筋トレを週に1回か2回しているだけなので、今日は短時間ながらもなんだか本格感のあるトレーニングができた気がする。この企画が実現することを願う。

 

12月7日(水)

朝から家を必死に片付ける。週刊文春の方が「新・家の履歴書」のコーナーで取材に来てくださるのだ。10時から2時間以上、これまで住んできた場所についてしゃべり倒した。

 

午後からK’s CINEMAで『ホゾを咬む』(監督・髙橋 栄一)のトークイベント。妻をストーキングする話でまさに私好み。面白かった。

 

夜、池袋にて会食。会食という言葉にはなにか金品めいた響きを感じるのだが、「自分が会食をした」ということを書いてみたかった。

 

12月8日(金)

朝から仕事。昼、ずっとやりたかった企画の打ち合わせ。賛同はしていただけたが、この先どうなるか? いつ実現するのかしないのかは、さっぱり分からない。

 

12月9日(土)

学校公開。ガンダムのプラモデルを作る授業ということで楽しみにしていたが、3時間目を見に行ったら、ひたすら座学で「めあて」とか「目的」とか「学んだこと」とかを板書したりノートに書いたりしていて、退屈だった。やることなすことすべて「学び」に結び付けるのはまあ仕方のないことか……。

 

午後、『雑魚どもよ、大志を抱け!』TAMA映画祭最優秀作品賞受賞祝ということで、久しぶりに大勢のキャストスタッフが集まってお祝いの会。賞をもらうために映画を作るわけではもちろんないが、賞をもらうとこうして公開後だいぶ時間がたってからも集まれることがうれしい。

 

特殊造形の飯田さんから、映画で使ったオオサンショウウオのサンチャンをサプライズプレゼントをされて、めちゃくちゃうれしかった。ずっと欲しかったのだが、制作にはえらくお金がかかったようで言い出せなかったのだ。遠慮なくいただいた。ありがとうございます!

↑我が家の一員となっております(by.妻)

 

12月10日(日)

午後、娘を中野のまんだらけまで送りつつ、そのまま妻とともに三鷹へ。

 

庶民的な寿司屋で、握りセットとチラシセットと、鮪山かけセット(各サラダ、汁もの、デザート付き)を食すも、足りなくて、甘味が食べれる喫茶店を小1時間探し、ようやくかわいいかき氷屋さん発見。冬にかき氷が食べられるのはうれしい。かき氷はどんなに食べても太らなそうなので、迷わず「宇治金時・白玉・ソフトクリーム乗せ」の大を平らげる。妻はマンゴーの小。

 

快調にかき氷を食べていたのだが、案の定、途中で寒くなり暖かいほうじ茶をいただいた。

 

その後、城山羊の会『萎れた花の弁明』を鑑賞に向かう途中、俳優の水澤紳吾さんが奥様とお子様を連れて散歩をしているところに遭遇。久しぶりにお会いしたが、脚本で参加している「ブギウギ」に出演していただくことになっているのだ。その役は水澤さんにぴったりすぎるので今から楽しみなのだが、この日記がアップされるころには発表されているかもしれない。

 

そして会場でも偶然、新刊『春よ来い、マジで来い』を企画し連載させてくれたキネマ旬報のK女史と旦那さんと、『喜劇 愛妻物語』や『雑魚どもよ、大志を抱け!』に素敵な映画評を書いてくださった轟夕起夫さんとお会いした。帰りに一杯飲みたかったが、子どもと夕飯を食べる約束をしていたので後ろ髪を引かれながら帰宅。

 

お芝居はいつも通りすごく面白かった。

 

12月12日(火)

第1回北九州国際映画祭に向かうため、6時45分出発で一家で羽田空港に向かう。『喜劇愛妻物語』の上映があり、妻とトークをすることになっているのだ。

 

子どもたちも行きたいと言うので連れて行く。ふたりとも学校が休めるというのがついて行きたい大きな要因だろう。まあいい。

 

昼過ぎ、北九州空港に降り立ち、まずは小倉出身の息子の塾の先生に聞いた「資さんうどん」へ。こんなお店が24時間営業だなんて。飲んだ後には必ず寄ってしまいそうだ……。というかずっとここで飲んでいたい。

↑肉ごぼ天うどん、かしわうどん、カツカレー、かしわオニギリ、おでん盛合せ、唐揚げ、チキンカツ、ごぼ天単品、ぼた餅など地元のソウルフードを食べつくす。すっごくおいしかったです!!(by.妻)

 

その後、腹ごなしに門司港まで電車で移動して港や街を散策。はしゃいで展望台にも上る。焼きカレーが有名らしい。食べたかったが腹いっぱいだ……。

 

夕方、ホテルにチェックイン。家族4人で3泊するからと出費を抑えに抑えた妻が見つけてきた宿。部屋は広かったのだが、カーテンを開けると壁……。閉所恐怖症で圧迫感に弱い私は「え……この部屋やだ……」と声が出てしまった。すると娘も「タバコ臭い……。やだなー」と文句を言い出し、文句はないくせにふざけて「僕もヤダー!」と息子が笑顔で言うと妻がブチ切れた。

 

本当ならゲストは駅近くのリーガロイヤルホテルに皆さん宿泊されている。私もそちらに泊まりたかった……。

 

※妻より

リーガロイヤルに4人で三泊したら、一体いくらになると思ってるのでしょうか。

 

夜は夫と会合に参加することも多いため、ホテル内に漫画が何万冊もあり、24時間開いているロビーラウンジにはファミレスにあるドリンクバーがあり、セルフうどん機械があり(ネギ、揚げ玉、しょうが入れ放題)、焼き立てのパン(6種類くらい)とカレーとご飯と福神漬けが常時置いてあり、味噌汁、コーンスープ、オニオンスープも飲み放題(万が一子どもがお腹空かしても困らないように)なところを選んだのに、部屋に入るなり、夫「なんか暗い、窓小さい、大浴場無いの?最悪」、娘「タバコ臭い、お風呂狭すぎ」とまず文句。

 

予算内ではかなり広い床面積の部屋で、マッサージガンや、高そうなヘアアイロンなども借り放題。どうしてまず文句なのか……。夫は自分で旅をコーディネートしたことないから、こーいう苦労は分からないのだろう……。

 

腹たつが、怒ると疲れるので怒鳴って風呂入って汗と共に色々流します。

 

夜は美味しいものを食べたい!! と強く願い、「食べログ」ではなく、「ヒトサラ」というちょっと高級風なサイトで店を物色。これは! と思える、こだわりの個室居酒屋(北九州の郷土料理・鮮魚)と書いてあったところを妻に予約してもらい喜び勇んでいったら、ぜんぜん郷土料理でもなんでもなく、東京やどこにでもあるチェーン店風味な居酒屋。

 

妻はさらに不機嫌になり、不機嫌な娘とケンカをおっぱじめ、雰囲気も最悪に。私と息子は名物鮮魚刺身の盛り合わせ(薄っぺらい刺身が4切れ)と特選名物馬刺(うっすいのが3枚)というのを黙々と食べ、早々に店を出た。妻と娘は互いにそっぽを向いてさっさと帰ったので、私と息子は飲み屋街に売っていたりんご飴を買った。おいしかった。

 

※妻より

今まで色々なお店に入ってきましたが、なかなかここまでのお店には出会えません。お値段もかなり高かったので、残念でした。

 

12月13日(水)

朝、近くのスーパー銭湯に家族4人で行く。昨日の気まずい関係はサウナと温泉で洗い流して、旦過駅付近から旦過市場を散策。昭和な雰囲気の市場でめちゃめちゃ楽しく、すぐにお寿司のパックを買って息子と食べ歩き。娘はいちご大福とか芋のスイーツとかを買っていた。

 

昨日の夜をあまりに外したので、再び息子の塾の先生に妻がLINEでおススメのお店を聞き「ぎょらん亭」というラーメン屋さんへ。ここはメチャクチャうまかった。全部乗せの「どろ」というのを選んで、なおかつ、替え玉。スープまで飲み干してしまった。

 

息子も替え玉。娘は炒飯追加。そのたびにたった数百円ポッチなのにいちいち妻が舌打ちする。(※してねーし。by.妻)。

 

その後、映画祭のウェルカムセレモニーのある小倉城へプラプラと街歩き。小倉駅前の商店街は大変賑わっていて楽しい。

 

15時から小倉城内でレッドカーペット、JCOMホールでオープニングセレモニー。その後オープニング作品の『無法松の一生』の短編ドキュメンタリーと、『無法松の一生』(坂東妻三郎版)を鑑賞する。

 

夜は小倉城の天守閣でレセプションパーティー。子どもに夕飯を食べさせた妻も合流。

↑子どもたちと塾の先生に聞いた、鉄鍋餃子食べてきました。めちゃくちゃ美味しかったです(by.妻)

 

パーティーで人と話すのが苦手な私はひたすらに食べることに集中していた。

 

その後、22時過ぎから生ラムのお店でまたまた会食。リム・カーワイ監督や俳優の尚玄さん、別府の森田真帆さん、田尻大樹さん、福岡在住の旧友、太田さんや中川さんらと日付が変わるまで飲んでいた。

↑別府ブルバード劇場の森田さんと大樹さん。この度も大変お世話になりました!(by.妻)

 

深夜ホテルの部屋に帰ると、漫画がベットの上に30冊位積み上げられていて、電気がこうこうとついたまま、娘と息子が爆睡していた。

 

12月14日(金)

早朝に目が覚めてしまったため、小倉駅前のchocoZAPで少し運動をして付近を散策。新橋と歌舞伎町を足したような飲み屋街の早朝な感じがいい。

 

部屋で朝風呂に入っていると、もそもそ子どもたちが起き始め、黙ってマンガを読んでいる。凄いな、漫画。子どもたちが静かだ。ロビーで仕事をしていると、子どもたちと妻が起きてきたため、朝からカレーうどんとチョコデニッシュの朝食。

 

昼前からまたアーケード商店街をふらつき、息子に深海魚フィギュア、娘にジブリのタオルなどのお土産を購入。全く北九州らしくない。

 

11時45分、駅前のJCOM劇場中ホールで打合せ。バカでかい劇場で焦る。隣の小ホールでは二ノ宮隆太郎監督の『逃げきれた夢』が上映されており、まさに地元出身の光石研さん、吉本実憂さんの舞台挨拶があるのだ……。絶対みんなそっちに行ってしまう……。

 

私も、作品の『喜劇 愛妻物語』も北九州に縁もゆかりもないので、せめて小ホールにして欲しかったところだが(いや、なんなら復活した小倉昭和館でかけて欲しかった)、上映前に会場を見たら思ったより埋まっていて少し安心した。

 

お客さんと一緒に久しぶりに『喜劇 愛妻物語』を観たが、一番笑っていたのが妻だったのでビビった。というか少し引いた。娘も息子もこの映画をすでに観ているのだが、息子はときおり家でも見ているからお気に入りなのはわかっている。高校1年の娘は中1の劇場公開以来の鑑賞となるため、私はやや不安だった(なに自分の両親のセックスレスをテーマにした映画なのだから年ごろにはきついかなと)が、めっちゃ面白かった!とのこと。こいつもどうかしているのかもしれないと少し思ったが、うれしくもあった。

 

上映後、今回『喜劇 愛妻物語』を選んでくださったプログラマーの森田真帆さんと妻とトークイベント。森田さんにはこの映画をいろんなところで紹介していただいてるので感謝しかない。

 

最後に「北九州の感想は」と聞かれて、「ご飯が美味しい!」しか答えられなかったことが恥ずかしかった。

 

トークイベント後、娘、息子と合流し、またまた旦過市場散策へ。なにもかもが美味しそうで、ちょこちょこ食べ歩きしながら、息子の塾の先生に聞いた「旦過屋台寿し満天」に向かう。広いお店ではないが15時半過ぎていたので我々家族貸し切りだった。中途半端な時間に入れるってのがまたうれしい。

 

4人でべらぼうに食べても東京の半分以下の金額。おまけになにもかもが美味しい。娘が「つぶ貝レモン」とか「赤貝酢の物」とか「なまこ酢」とか「白子ポン酢」とか酒飲みみたいなアテを沢山食べるので、将来妻みたいな大酒飲みになりはしないかと心配になった。

 

夜は本日復活した昭和館にてリム・カーワイ監督のミニシアターへの愛に溢れるドキュメンタリ映画『ディス・マジック・モーメント』を観て、そのままロビ―にて打ち上げ。その後、また生ラム屋に移動して深夜まで飲んでしまった…。

 

※妻より

この4日間で4キロは太りました…本当によく食べました……。

 

↑昭和館のロビーのカウンターでおばあ様が作る生の果物を使ったカクテルが美味しすぎて浴びるように飲んでしまいました(普段カクテルなんて飲んだことありません)。元々は旦過市場にお店があったようです。グレープフルーツもミカンも美味しかったけど、柿のカクテルは最高でした!映画を観た後にこういうとことで1杯飲んだら最高だろうな……。昭和館は町の方々の居場所なんだな…と感じました(by.妻)

 

12月16日(土)

家族みんな映画祭の疲れで朝寝坊。

 

昼前に慌てて飛び起きて、妻と息子と家を出る。中学の体験会だったのだ。少人数で穏やかな校風でいい学校のようだが、息子はあまり楽しそうではなかった。

 

しかし、息子に合いそうな中学校をいろいろと探し回っているが、どこも偏差値はめっちゃ低いのに競争率が高いという状況……。同じような悩みを持った子どもやその親がとても多いのだなと痛感すると同時に、簡単に伸び伸びと通える中学校はないものだろうかと切に思う。

 

12月17日(日)

朝から妻と息子はママ友たちと公園ピクニックへ。私は渋谷のヒューマントラストでやっているカンヌ監督週間イベント上映で『In Our Day』(監督:ホン・サンス)『Riddle of fire』(監督:ウェストン・ラズーリ)2本立て。『In Our Day』はなんと英語字幕だった……。なので心置きなく睡眠時間にあてた。『Riddle of fire』は悪ガキたちと謎の集団の話でこちらは私の好みでとても面白かった。

 

12月18日(月)

朝から仕事。夕方、脚本家の横幕智裕さんと出版社の方々と飯を食った。横幕さんはマンガの原作も手掛けられており、『ラジエーションハウス』や『ゴールデンエッグ』は大ヒットしている。私もそのおこぼれにあずかろうというのだ。なんだかむちゃくちゃ美味しい物をご馳走していただいた。いつも横幕さんはこんなものを食べているのだろうか。

 

12月22日(金)

朝一で息子のスクールカウンセリング。カウンセラーの先生と息子について話す。私としては息子はかわいくてたまらないの一言ではあるが、彼の持つ様々な特性についていろいろと話を聞かせてもらったり、将来のことなども相談する。もちろんその短い時間でなにが解決するというわけでもないが、こういう短い時間を積み重ねていくしかないのだろうとも思う。

 

夜、私が相米慎二監督のところにいたときに、お世話になっていたおふたりの女性に誘われて食事。おひとりは相米さんのマネージャーをされていたTさん、もうひとりは私が相米さんにくっついていたときに相米さんが進めていた企画のプロデューサーのYさん。

 

お二方とも私の20代前半を知るこの業界では数少ないかただけに、正体がなにもかもバレている気がして恥ずかしくてたまらない。だが、時を経てこうして食事に誘っていただけることがとてもうれしい。この日に話したことは半分は冗談なのだろうと思うが、私としてはとてもうれしいことを言っていただけた。そっと胸にしまっておく。

 

12月23日(金)

再来年の1月に芝居をする予定がある。コロナ禍真っただ中の2020年にやる予定だったのだが、中止になったのでその時に主演する予定だった方とやる予定だ。再来年の1月と言っても1年後だから時間はそんなにない。その時にやる予定だった話は反故にして新しい話にするのだが、俳優さんだけ決まっていて話はなにも決まっていない。今日は出演したくださる俳優さんたちが我が家に来てくれて忘年会をした。ほかに『雑魚どもよ~』のスタッフや若い人たちも。

 

12月24日(土)

朝から仕事。息子は公園と立ち読みへ。娘は部活へ。妻も仕事へ。

 

各自、各々のやるべきことを全うして、クリスマスイブは特にクリスマスイブ的なこともせずに終える。というのは明日からタイに行くからだ。

 

去年と今年、映画と朝ドラが重なり自分史の中でもっとも忙しい年を過ごしたから、妻にご褒美がほしいとねだっていたのだ。で、私は20年くらい前にタイのどこなのかは忘れたがリゾート地に撮影で行ったことがあり、そのとき仕事なのに仕事のことはなにもかも忘れるくらい最高に楽しかったので、どうしてもまた行きたかったのだ。

 

12月25日

朝、4時に娘と息子を叩き起こして始発で成田に向かう。空港では旅行前にありがちな浮かれ気分になり、なんだかいきなり高いもんを食ってしまい、妻がさっそく超不機嫌になる。

 

9時の飛行機に乗り込んで、すぐに爆睡した。香港で乗り換えて、夜9時にプーケットにつき、私と娘と息子は完全に浮かれスイッチが入ってしまい、妻はずっと不機嫌なまま。とりあえず、年明けの3日まで滞在予定だ。

 

12月26日

※妻より

夫の浮かれぐあいが目に余り、人様に読ませるべきでないと判断し割愛します。

 

12月27日

同上

 

12月28日

同上

 

12月29日

※妻の日記

タイに来てようやくの休日。身体が悲鳴をあげて今日は1日中ひとりでいる宣言をした。ようやくようやくホテルでゆっくり過ごせる。娘も疲れて部屋で寝ている。夫と息子は海に行った。毎朝毎晩、海に行って、まるでバカとしか思えない。

 

浮かれた夫と娘と息子はすべての手配を私に任せて遊びまくっている。特に夫と息子は目に余るものがある。元来暑さと湿度と海が嫌いな私がここにいる理由がわからない。あまりの怒り、ストレスに不正出血まで始まる始末。

 

夜、夫は松本人志の文春砲についてなにか言っている。頭の悪いことを言っている。タイにまで来てやはりバカとしか思えない。私は具合が悪すぎて、酒ですら缶ビール2本しか身体に入らない。

 

12月30日

※妻の日記

夫、息子の浮かれ具合が目にあまり、割愛。夫は財布とスマホをぽい置きして何度も慌てふためてパニック怒声をあげている。知らない。口中の口内炎が全然治らない……

 

12月31日

※妻の日記。

夫、息子だけでなく、今日は多くの人が浮かれている。大晦日にこうなるのは日本だけではないのだな。我々がこうしているときにも、戦争は続いている。そのことも、自分が楽しむことも、両方とも忘れないようにしようと絶え間なく上がり続ける花火を見ながら思う。夫と娘と息子は爆睡している。イライラする家族ではあるが、私を存分に楽しくもさせてくれる。そのことも忘れないでいようと思う。

↑トラと夫。最初はチョービビりまくっていた(by.妻)

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

「ブギウギ」脚本家・足立紳、激混みのUSJで力尽き、TAMA映画賞受賞で感無量の11月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第44回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、2人の子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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11月2日(木)

息子の移動教室の振替休日。せっかく休みだから映画に行こうと誘うも、脳調悪く「行きたくない」とのこと。「せっかくの休みなのに!」と自分の思いが優先してしまい、私は軽く不機嫌になってしまう。説得しても今日は動かなそうだったので、いつもの喫茶店に向かう。妻はこういう時はさっさと2階に上がり仕事。

 

15時帰宅。息子がいないので2階の妻に「息子がいない」と報告に行く。「ほうっておけ」とだけ言われる。直後に息子が帰宅。ブックオフで立ち読みしていたとのことで、脳調も復活しており、一緒に『アンストッパブル』を観ていると、妻が2階から降りてくる。

 

「え! 帰ってたの? なんでいるの!」と我々を見ていきなりブチ切れる。意味が分からず息子と2人でキョトンとしていると「今日、キックボクシングの日でしょ! なんで送りださないの!」と怒っている。「学校が休みの息子はまだしも、あんたまで忘れるって、いつになったら子どもの習い事の曜日覚えるんだよ! いくよ!!」と大声でさけんで、息子を連れて行った。

 

仕方がないだろう。息子の学校も振替休日なのだから今日はてっきり日曜かと思っていたのだ。

 

それに私は昔から曜日の感覚がなく、もう10年もここに住んでいるのに未だにゴミの曜日が覚えられない。人間には得手不得手があるし、こんなことであんなにもキレなくていいだろう。ハラスメント野郎が!

 

※妻より

いつまでたっても、ゴミも子どもの習い事も自分事にしない夫に相変わらず腹が立ちます。基本、仕事のこと以外は他人任せなんだと思うのですが、夫に言うと「それは違う。任せてはいない」と言います。確かに任せてはいないのかもしれません。一人暮らしのころからゴミの日を覚えておらず、部屋にはゴミ袋に入れたまま捨てていないゴミの山でしたから。夫はきっとそれでいいのでしょうが、私は嫌。その違いなのでしょう。

 

11月3日(金・祝)

娘の高校入学時の春休みに連れて行く約束をしていたのに、約束を果たせていなかったUSJに向かう。早朝5時出発。6時台の新幹線に乗り、朝一番から入園する予定だ。

 

しかし予想はしていたが、連休中であり、ほとんどのアトラクションが2時間以上待ち。入園した瞬間に私と妻は疲れる。娘と息子は互いに並びたいアトラクションが違うから険悪な雰囲気に。

 

乗りたいものを順番に並ぶことにするが、並んでいる最中に娘と妻がケンカを始めたり、疲れて愚図る息子に私がイライラしたり、姉弟の公開マジゲンカが始まったりして、何回かグループに別れる。だいたい妻と息子、私と娘に分かれるのだが、まあそれでも2時間待ちながら娘といろんな話もできたし、説教してキレさせで1時間半無言で2人で並ぶなど普段ではなかなかできない体験もする。

 

18時半から「ゾンビ・デ・ダンス」を観られると言うことで、これは娘も息子も楽しみにしてたいのだが、私と妻は疲れがマックスまできていたので、娘と息子に2人で行ってこいと言うと、トム・サビーニばりのゾンビがわんさかといて息子はビビッて帰ってきてしまい、娘は1人ではイヤだと言うので、妻に行ってほしかったが、当然のように私が付き添うこととなり、まさかの閉園まで娘と「ゾンビ・デ・ダンス」を追いかけることとなってしまった……。

 

とてつもなく疲れたが、それでもゾンビのダンスはキレキレだし、チェーンソーやら、日野日出志もどきやらプレデターみたいのやら、チャッキーみたいなゾンビがウヨウヨしていて最高のエンターテインメントであった。

 

22時の閉園後、園から徒歩3分くらいの値段の高そうなホテルに悠々と帰って行く外国人の方々を尻目に(もちろん日本人もいる)、我々は身体の芯まで疲れた体を引きずりながら電車で15分の駅にあるカビ臭く埃っぽい古い激安民泊に宿泊。なんか風呂に虫の集団もいた。もちろんそこに泊まることを決めたのは妻。明日も入園から行くから寝るだけとはいえ、もう少しホテル感、もしくは旅館感のある、「あー、旅行来てる!」と思えるところに泊まりたかった。

 

※妻より

4人分の新幹線代、宿泊代、予定する飲食費で目が飛び出そうになったのだから仕方ないです。そして宿は足立がいうほどひどくありません。3階建ての一軒家だし、完全リノベーションされていて、ベッドも広かったです。風呂に虫など1匹もいませんでした……。足立はいったい何を見ているのか……。まったく大げさな。

 

11月4日(土)

開園前には並んでいたい、という子どもの要望により、7時半には出発し8時にUSJ到着。すでに激込み、長蛇の列。萎える。

 

その後の流れはほぼ昨日と同じ。2時間並び、姉弟ゲンカ、娘妻ゲンカ、夫婦ゲンカなどの合間に少しだけ仲良しの時間がある。せっかく仲の良い時間もあるのになぜこれを続けられないのだろうか……。

 

しかし、マリオカートにいたっては2時間待ちに並び、途中トラブルもあり、さらに待ち時間が増える。妻と息子は1時間並んで離脱、私と娘はその後さらに1時間ほど並んでいたが、ノロノロとしか動かない行列に痺れを切らして離脱。何をしているのか……。

 

その後は閉園まで昨日と同じようにゾンビたちを見て、骨の髄までクタクタになり宿に戻る。這うようにして風呂に入り、瞬時爆睡。

待ち時間足立はずっと寝ていました。(by妻)

 

11月5日(日)

15時の新幹線で東京に戻る前に天王寺動物園へ。その後、新世界で無理矢理ランチ。大阪にまで来て、息子はナポリタン、娘はオムライスだったが、大阪の味がする! と言っていた。

 

急いで新大阪駅に向かい新幹線に飛び乗る。爆睡しようと思っていたがあまりの疲れかなぜか眠れず。

 

11月6日(月)

朝から仕事。昼、妻が韓国でつなげてきてくれた方々とランチミーティング。初めての方との昼食はいつも緊張してしまい味がよく分からない。なのでミーティング後に妻と汁なし担々麺屋に入り、2回目の昼食。

 

11月7日(火)

夕方から新宿で、武正晴監督、俳優の坂田聡さん、清水伸さん、宇野祥平さん、眼鏡太郎さんと食事。同世代の気の置けない仲間との飲み会はとても楽しい。特に武正晴監督とは本当に久しぶりだ。2月に西村賢太さん追悼飲み会を信濃路でして以来だ。武さんはAmazonの連ドラ、私は朝ドラでバタバタしていてなかなか会えなかった。互いに仕事がなくて週に1度は会っていた2010年~11年あたりを思うと今の状況は信じられないが、仕事があることはありがたいし良いことだ。映画、本、現場、ハゲ、中性脂肪、下ネタ、昔話、愚痴、文句などでみんなで大いに盛り上がる。

 

11月10日(金)

新宿シアタートップスで『タットビ』(作・演出:黒川麻衣)を鑑賞。脚本家たちのお芝居。他人事でなく身につまされる。

 

その後、本日よりTAⅯA映画賞受賞を記念して『雑魚どもよ、大志を抱け!』の凱旋上映が始まる新宿武蔵野館へ行く。今日は臼田あさ美さんとのトークイベント。臼田さんは今回の母親役にぴったりだと思ってオファーさせていただいたのだが、もともとがファンなのでお会いしてもまともにお顔を見ることができない。しかも、自分の母親をモデルとした人物を演じていただくからなおさら恥ずかしい。きっと挙動不審な人間だと思われているだろう。

 

トークでは臼田さんが抱いていた母親像をお聞きしたり、原作も読んでくださっていたことなどを聞いてきっとお客さんよりも私のほうが楽しい時間を過ごしてしまったような気がする。

臼田さんの演じる肝っ玉母ちゃんは、とてもチャーミングで、あたたかくて、最高でした(by.妻)

 

11月11日(土)

夕方から家族で練馬の一の酉へ行く。毎年同じ熊手屋さんで、1000円ずつアップした熊手を買うのだが、去年がいくらの熊手を買ったのか忘れてしまい、今年は××円の熊手にした。

 

柏手を打ってもらい、息子と私は気合いを入れて金魚すくいへ。去年10匹近く釣った金魚たちは立派に成長し、もう2倍の大きさになっている。なので今年はデメキンに狙いを定め3匹ゲット。友達と合流した娘にお金をたかられる。

 

※妻より

狭い居間に1メートルくらいの水槽を置いているのですが、公園の沼のように深緑色に濁っています(水替えは夫と息子の担当だと飼う前に約束しました)。金魚って透明な水で鑑賞するものだと思っていたのですが、金魚の色も見えないくらいの緑色の水はとてつもなく臭いです。そしてデメキンはバカでかくなった金魚にいつも攻撃されてて可哀そうなので別水槽に移動させました。そしてやはりそれも臭いです。

 

11月12日(日)

朝から仕事。昼から見たい演劇に行くも、余りの睡魔で寝てしまう。妻から「そんなに寝るんだったら、もう二度と一緒に観劇したくない! いくら払ってると思ってんだ!」と怒られる。そう。確かに演劇は高い。寝てはいけないと思うと余計に寝てしまう。

 

夕方、3週間前の持ち越し息子の誕生日夕食会で焼き肉を食べに行く。とてもとても美味しかった。

 

11月13日(月)

息子を習い事に送迎。帰り道突然、息子が学校であった嫌なことを話し始めた。聞いているとかなり切ない。息子の話している内容の細部がよく分からなかったので妻が担任に確認すると、もう2週間以上も前のことだったらしい。息子はあったことを言語化するまでにとても時間がかかる。しかもいつも突発的にくるからこちらは心の準備ができておらず、こちらがくらうこともある。でも、話してくれてよかった。

 

11月15日(水)

午前中、久しぶりにいつもの喫茶店で仕事。午後、シナリオ作家協会の方々と会合。その後、飲みに行く。

 

娘から妻の変顔の写真が送られてくる。それを帰りの電車の中で見たのだが私は幸せな気持ちになった。この顔芸を有しているという一点でも私は妻と一緒になって良かったと思った。妻の顔芸写真集を出すのは私の夢の一つだ。

 

※妻より

娘があまりにうざいので、変顔で対応していたら盗撮されました。変顔を喜ぶ高校生娘と初老夫。ついでに息子も大喜びする。なにがそんなに面白いのか、3人とも精神年齢が3歳としか思えない。何度も嫌だと言ったのに、夫は日記にさらすと言ってききません……。せめて、シミが目立たないようにモノクロに加工させていただきました。でも目立つか……。

 

※夫より

こういう顔を日記に使わせてくれて、私がウケをとるためならその身をさらけ出してくれるところに妻のクリエイティビティを感じるし、尊敬しています。

 

11月16日(木)

夜、武蔵野館にて、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の凱旋上映最終日。

 

佐藤現プロデューサーと晃子プロデューサーと舞台挨拶。最終日、多くのお客さんが来てくださった。スタッフも来てくれて、その後飲みに行く。妻は息子の寝かしつけがあるとのことで、泣く泣く帰宅。

 

11月17日(金)

2年ぶりにワークショップを行う。私は演技を教えることはできないが、シナリオのことなら少しばかりは話せるので、何気ないセリフのようでも、この登場人物たちは、こういう関係性で生きてきたから、こういうセリフのやり取りになるんじゃないのか、とかそんなことを話す。それを肉体で表現しなければならない俳優という仕事はつくづくものすごい仕事だなあと思ってしまう。

 

夜、戻ってきたら娘がまだ起きており、今日から始まった初バイトの話など聞く。近所のファミレスで始めたのだが、厨房にすさまじいイケメンがいるということと、お盆をひっくり返して派手にグラスを割ったとのこと。

 

私の初バイトは上京してすぐ歌舞伎町の居酒屋で、ジョッキの持ち方を習って片手に5個ずつ両手で持って運びながら、あまりの重さに「ああ、もうダメだ」と思い、もういいやと諦めてあえて落としたことなど思い出した。ちなみにその店は辛くて無断でやめた。無断でやめることができてしまう特性の人間だったから、人が無断で仕事をやめるということにさほど怒りを感じない。俺と一緒だなと思うだけだ。でも、「それ、人としてどうなの?」とよく言われた。まだ恋人の状態だった妻に妹の振りをしてもらい「母が危篤で……急いで帰ってきて欲しいんですけど」的な電話をしてもらったこともある。

 

妻は「え、なんで……?」と言いながらもやってくれたから、妻もおかしな人だったのかもしれない。(電話してやらないと、足立はバイトぶっちして逃げるから、ブッチよりはマシだと思って協力しました。とりあえず逃足だけは早かった。ただ、私から見てもひどくブラックな職場だったのではやくやめたほうが良いとは思っていました。※by.妻)

 

娘には「辞めるときは必ずちゃんと店の人に言え」と言うと(そういう常識を身に着けておいたほうが、生きやすいからだ)「は? 当たり前じゃん」と普通に返された。

 

11月18日(土)

息子、学芸会。稽古の時に先生から「声が小さい」と注意されていて、それからずっと嫌だ嫌だと言い続けていたのだがなんとか行った。

 

セリフを言いながら、隠れるようにどんどん舞台の奥に下がって行く息子の動きは面白かったし、私は涙が出そうになってしまった。学芸会は最高に面白いと言っていたのは柄本明さんだったか記憶が定かではないが、まさに笑いと涙に包まれる。

 

その後、息子と『ゴジラ-1.0』(監督:山崎貴)を見に行く。こういったジャンルの映画がハリウッドのクオリティに追いつくことはないんじゃないかと思っていたが、とうとう追いついてしまったという感じだ。

 

私はゴジラには思い入れはないのだが、それでも今回のゴジラは今までに見たどのゴジラよりも人間に容赦がないように見えて怖かった。息子は5千点満点とのこと。小中学生の私がこの映画を観ていたら、俺も映画を作りたいと思ったかもしれない。そういう映画になっていた。

 

帰り、靴屋に寄って息子の靴を買いラーメンを食って帰宅。息子、2学期の心配イベント(運動会、修学旅行、学芸会)が全て終わって、「ああ、これで嫌なことが全部終わったよ!」と解放感に溢れた顔をしていた。

 

※妻より

息子、どうにか、どうにか、よく頑張ったと思います。

 

11月19日(日)

朝から埼玉県岡部市に向かう。7月に深谷シネマで『雑魚どもよ、大志を抱け!』の舞台挨拶をしたときに、声をかけていただいて、岡部市の読書会に参加。課題図書は『雑魚~』の原作、『弱虫日記』だ。最初はこんな少年の話を年配の方々が読んでも面白くないかも……と不安だったが、いざ蓋を開けると82歳から14歳までの方々に囲まれ、丁寧な感想や、なるほどという指摘をもらったり、質問もたくさん出てとても盛り上がった。

 

その後に連れて行っていただいた居酒屋でも話が盛り上がり、とても楽しかった。しかし、ずっと読書嫌いできた私がこういう会に呼ばれるといくのは、ちょっと信じられない思いもある。

皆さまに忌憚ないご意見を沢山言って頂き、有難くて、楽しかったです(by.妻)

 

11月20日(月)

学芸会の振替休日のため、息子と妻と共に葛西臨海水族館へ。水族館に入る前に昼食。が、昼飯を食べている最中に妻とくだらないことからケンカになる。息子は「もうやめてくれよ……」という顔をしていてかわいそうだった。子どもの前でケンカはぜったいにやめようと妻とは何度も話し合っているのに、なかなかそうできない。

 

気まずいまま水族館に入り、見て回る。息子は手でタコに触れたり、ペンギンの泳ぐ姿を見て喜んでいた。私と妻は、息子を介して会話をしながら、出るころには何とか仲直りした。

先日の池袋の水族館でもタコに惹かれ、今回もタコの場所から動きませんでした。お土産はタコ一択。毎晩タコと寝ています(by.妻)

 

11月21日(火)

午前中いつもの喫茶店で仕事。午後、打合せ。夕方からシネマ・チュプキ・タバタでトークイベントに参加するので、打合わせ後に田端に移動してコメダ珈琲でサンドイッチを食べながら仕事した。

 

『ボクらのホームパーティー』『虹色の朝が来るまで』の2本立て。それぞれの監督である川野辺修一監督、今井ミカ監督とお話しした。お2人ともこの日が初対面であったので緊張した。

 

『ボクらの~』はゲイの恋愛模様が最後にはグチャグチャのカオスなホームパーティーとなる模様を描き、これは人間のありのままの姿を描いた、私には喜劇に見えてとても面白かった。『虹色の~』はろう者の女性の同性愛を描いた映画で、こちらも俳優さんが生き生きとしていて素晴らしかった。主演2人の俳優さんはろう者で、ろう者でもある今井監督と手話のお芝居についてのお話もして、例えば声に出して言うセリフがクサくなるときがあるように、手話もクサいと感じることがあるなど、大変興味深く面白いお話をうかがい、あっという間のトークイベントだった。

 

11月22日(水)

いい夫婦の日なので、『喜劇 愛妻物語』を見てくださいと毎年恒例のつぶやきをする。

 

11月23日(木・祝日)

朝から、元アルコールと薬物依存症の渡邊洋次郎さんのお話を妻と聞きに行く。幼いころから生きづらさを抱えていたとおっしゃっていた渡邊さんの人生は壮絶だった。

 

渡邊さんは今現在、支援を求めているわけではないが、同じような状況にいる人はたくさんいるのだと思う。私にできることは今のところ、こういう会があれば参加して、そして「何か思う」ということしかできないが、以前に、捨てられた赤ちゃんを引き取っている施設の方のお話を聞いたとき、「思うだけでいいんです」と穏やかで小さな小さな声でおっしゃられていて、地獄絵図を目にされている方のとことんの優しさみたいなものを垣間見た気がして、その言葉を真に受け「思う」ことだけはしようと努めている。

 

渡邊さんはあまり眠れないのだとおっしゃっていて、妻がそんな渡邊さんに「ヤクルトが効くようですよ。この人も飲んでるんです」と言ったが、私のような甘々な眠れなさとは次元が違うだろう。渡邊さんは苦笑されていたが、そんなときに呑気にヤクルトをすすめてしまうのも妻の素晴らしいところだと私は思っている。質問を一番手にしたのも妻だったし。

 

※妻より

ヤクルトをすすめるのは素晴らしくないけど……。でも、なんか思わず言ってしまいました。眠れないのって辛いだろうから……。小さいころからずっと生きづらくて、寂しくて、いつも死にたいと思っていたと渡邊さんは仰っていました。小さい時って上手に自分の気持ちを説明できないし、誤解される言動もしてしまうからなかなか助けられることも気づかれることも難しいと思います。親自身も余裕がないと子どものそんな様子に気づけないこともあると思うし、親自身も溢れていることもあると思うし……。依存症はいつでも自分事になりうるなと思い、色々考えながら帰宅しました。

 

11月25日(土)

朝から仕事。昼打合せをして、15時頃、TAMA映画祭会場へ。『雑魚どもよ、大志を抱け!』が最優秀作品賞に選ばれたのだ。

 

私は、心の片隅で、実はこのTAMA映画賞が7人の少年たちに新人賞をくれないだろうかと密かに期待していた。というのは、TAMA映画賞は、1人の俳優に新人賞を与える場合もあれば、集団で表彰してくれたりすることもある。私が言うのは偉そうで申し訳ないのだが、そんな「粋な」選考をしてくれる映画祭なので、『雑魚ども~』の7人が新人賞をもらえたら最高の恩返しになるし、また彼らは選ばれてもおかしくないという自負もあった。

 

だが、私の想像を超えて最優秀作品賞に選んでもらえた。決して多くの人に観てもらえた映画ではないから、この作品を見つけてもらったような気持ちにすらなった。本当に心から感謝しかない。

 

会場には出演した少年たちをはじめ、何名かのスタッフも駆けつけてくれ、大変懐かしく、うれしく、思い出話に花が咲いた。みんなで舞台袖で緊張しながら順番を待っていたのは最高の思い出だ。

 

ただ、妻から授賞式のスピーチがくそつまらなさすぎたというダメ出しを受けて落ち込んだ。用意していたギャグが飛んでしまい、頭が真っ白になってしまっていたのだ。

 

※妻より

だって、こんな素晴らしい賞をいただけたんだもの。もう少し情熱的に、もう少しインパクト残すような、熱いスピーチをして欲しかったのです……緊張するのは分かるのですが……。

 

11月28日(火)

朝から仕事。夕方、紀伊国屋ホールで『扉座版 二代目はクリスチャン』(脚本・演出:横内謙介)観劇。その後、お世話になっている、同郷の中江先輩と会食。いろいろと話を聞いていただき楽しいひと時をすごした。

 

11月30日(木)

明日、鳥取の母校でトークイベントがあるので、鳥取に向かう。鳥取に友達ができた息子も学校を早退して一緒に鳥取へ。

 

夜、学校の大先輩たちと数人の同級生を交えて会食。先輩たちは、母校が我々のころよりはるかに優秀だったころの卒業生で、皆さんちゃんとしておられる。が、我々同級生はみんなかなりちゃんとしていない。しかし、まあでも、ちゃんとしていないなりの面白さはある。先輩たちと別れたあと、同級生5人で夜中なのに遊びに行った。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

「ブギウギ」脚本家・足立紳、朝ドラ放映初日から長期夫婦ゲンカに突入する10月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第43回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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10月1日(日)

会社のHPの更新で私の著作『春よ来い、マジで来い』情報が更新されていないことに腹が立ち、朝から起き抜けの妻に、「あのさー、わざとじゃないかもしれないけどさー。なんで俺の本の宣伝してくれないの? 今回自分が登場してないから? なんかいつもよりすごい他人事だよね」と妻に嫌味をいうと、猛烈なブチギレで反撃される。

 

「いろんなやらねばならないことが多すぎて手が回らないんだよ! 何だよわざとって! わざとなわけねーだろ! てめえの本が売れないのはてめえのそーいうところが原因だろーが! ケンカ売ってんのか!」と怒りに震えながら、家を出て行った。なにもそんなにキレなくても……。だいたい「わざと」と言ったわけではなく、「わざとじゃないだろうけど」と言ったのだ。この聞き間違えは大きいだろう。

 

※妻より

っていうか、こっちがアップアップでいろいろと手が回っていないことを分かった上で、頼むのではなく、嫌味を言うっていう卑屈なところが嫌なんです。

 

10月2日(月)

朝、妻がYちゃんの送迎ボランティアへ。パソコン、資料などリュックパンパンに詰め込んで、私のほうは見向きもしないで出て行ったので、このまま帰宅せずにどこかで仕事をするつもりだろう。昨日からの怒りが持続中なのだ。

 

ケータイの充電器がどこを探してもないから聞きたかったのだが、もしかしたら復讐で隠されているのかもしれない……。今日から朝ドラの『ブギウギ』がスタートするというのにまったくこんな不仲にならなくても……。

 

仕方なく息子と一緒にオンエアを見た。人生で初めて生で朝ドラを見たが、この番組を何年も毎日かかさず見ている人がいるのかあと思うと、その行為は間違いなく人格形成になんらかの影響を及ぼすだろうと思う。

 

息子を送り出して、エゴサーチをするととんでない量だ。私が普段作っている映画の何十倍もの(何百倍?)呟きで埋め尽くされている。わずか15分なのだが面白いという意見もあればつまらないという意見もある。噂の「#反省会」も見る。そもそも私は映画が公開されたときも批判的な意見も率先して拾いに行く。それは勉強のためというより、エゴサーチの延長だ。

 

そして妻は、案の定、送迎ボランティアから帰ってこない。妻の「あんた、そろそろ仕事に出れば?」の一言がないと動けない身体になっている私は、なんとそのまま2時間ほどエゴサーチをしていた。エゴサーチでメンタルをやられることはないが、やりながら、もしくはやり終わったときの「ああ、時間無駄にしたなあ……」という徒労感はハンパではない。なのにやめないのはなぜだろう。

 

すっかり首が疲れて仕事をする気が失せたし、夫婦ゲンカ中でむしゃくしゃもしていたのでそのままマッサージへ。昼の再放送でもエゴサーチしていたら、さらに沼にはまりそうになったので、スマホを家に置いていつもの喫茶店に行って仕事をした。スマホは毎朝置いて出てはいるのだが。

 

10月3日(火)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。夕方から妻と「アンパサンド」というかなり面白いと評判の劇団の公演を観に行く予定だったのだが、昨晩妻から「一緒に行きたくない。あんたが行くなら私は行かないし、あんたが行かないなら私が行く」とLINEが来ており、こちらも望むところだと応戦し、何通かの激しいラリーのやり取りの結果、私が行かないことになり妻が行った。ああ、観たかった。私の周囲ではめちゃくちゃ評判がいいのだ。いったい私は何をしているのだ。ムシャクシャしたので、ムシャクシャを発散できるところに行った。

 

※妻より

は? ムシャクシャを発散できるとこってなに? 私が行きたいくらいですけど。久しぶりの友達と観た劇は大変面白かったです!

 

10月4日(水)

夜、『喜劇 愛妻物語』で助監督についてくれた福嶋賢治君の長編監督デビュー作『フライガール』のトークイベントで下北沢へ。

 

福嶋君と初めて会ったのは『喜劇愛妻物語』のスタッフルームだ。彼はそのとき、『喜劇愛妻物語』の原作本をボンと私の前に投げるようにおいた。「なんだこいつ、怖い助監督か!?」と思ったが、現場ではなかなかにファンタジスタな演出部のなかでもユニークな人間であった。映画もそんな彼の一面が随所に垣間見られて面白かったのだが、なにより主人公を演じた岡田苑子さんという俳優さんがとても魅力的だった。

 

トークイベント後、福島君やその岡田さん、来場していた知り合いの俳優さんたちと楽しく飲ませていただいた。

 

10月5日(木)

早朝、妻が大きな荷物を持って出て行った。家出ではなく韓国の釜山映画祭へ行ったのだ。結局10月1日に怒らせてしまってからまともに口を聞いていない。

 

こっちも思い切り羽を伸ばそうと、近くに住んでいる学生時代の友人と練馬で生ガキとホルモンで昼飲み。酒に弱いふたりが昼からへべれけ。娘と息子も「部屋を片付けろ」「宿題やれ」とうるさい鬼がいないので、思いっきりいろんなことを怠けていた。

 

10月6日(金)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。妻がいないので蒲団は敷きっぱなし。

 

夜、娘・息子と近所のステーキ屋で思いっきり肉を食らう。娘が恋バナを始めると、息子も負けじと少し照れながら話し出す。子どもらの恋バナをニコニコしながら聞いている俺ってなんていい父親なんだ、誰かママ友でもこの姿見てないかなと思いながら肉を食っていると、韓国にいる妻から娘にLINEが入る。

 

「ママ、こんな美味しそうなもの食べてるよ!」と娘が写真を見せてくれたのだが、なにやら高そうなものを食べていた。クソッと私は反撃のつもりで肉を追加した。

 

帰宅後、一日にして汚部屋となった居間で、敷きっぱなしの蒲団の上にごろ寝しながら3人で連ドラの『クリープ・ショー』を見る。1話20分だがしっかりとB級ホラー映画になっていてとても面白い。それにしても蒲団の上で、カスをぶちまけながら食べるポテチはなぜこうも美味いのか。

 

10月7日(土)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後から『雑魚どもよ、大志を抱け!』に出演してくれた松木大輔君、ゆかわたかし君、横江泰宣君とTAMA映画賞受賞記念と称して池袋で羊肉をたらふく食らう。昼から飲むお酒と羊肉は本当に美味しい。

 

夜、娘と息子とまたまた『クリープ・ショー』を居間に敷きっぱなしの蒲団の上で見る。3人暮らし、とても良い! イイ! E!

 

10月8日(日)

朝8時出発で、息子を中学の体験会に連れて行く。息子のようにわりとフリーダム系の子が多く通っている中学。途中、同じ塾の子と会った。その子は体験7回目で、もう、ひとりで来ているとのこと(家から1時間以上はかかる)。「ボクさー、今の小学校で浮いててさー、友達いないからこの学校絶対来たいの!」とのこと。なんて逞しいのだろう。

 

息子は社会の体験だった(他に算数、理科、国語、英語などがある)。授業の貿易ごっこは見ていて大変に面白かった。いくつかの班に分かれて、それぞれ格差があるのだが、助け合ったり見捨てたり。息子も楽しそうに参加していたが、その後、全体の説明会で授業の感想を言うときにいきなりトップに指名されてしまい、「ない!」と答えていた。息子の中で一気にこの中学に対する印象が悪くなったような気がして不安だ……。私はなかなか良い雰囲気のところだなあと思っていただけに。

 

帰ってくると、妻が韓国から帰宅していた。たくさん聞きたいことはあるが、向こうが私を見もしないので、私も見ないようにした。娘と息子にはお土産があったのに、私にはなかった。

 

10月9日(月)

朝、今週は私が当番のYちゃんの送迎ボランティアから帰って来ると、妻はすでに家を出ていた。やはり長期戦に持ち込むつもりなのだ。まあ、いい。受けて立つしかない。夜、娘がバイトの面接へ行った。

 

10月12日(木)

朝、妻からメールが来る。妻が韓国で出会った人たちに私の仕事の営業をしてくれていたようで、その成果を長々と書いたものだった。長期戦になりそうな夫婦ゲンカを受けたばかりだし、素直に感謝の意を伝えられず、「俺、そっち系の企画なんにもないじゃん。いいの?」と返信してしまう。それに対する返信はなし。

 

※妻より

映画祭なのに映画を1本も観ず、スマホの翻訳機片手に必死で営業しまくってきたのに、せっかく繋がった人に対し、消極的で会おうとしない小心者の夫に改めて幻滅しました。一体私は何をしているんだろう……でも、韓国では浴びるほど酒を飲みましたし、美味しいものをたらふく食べましたし、会う人会う人に夫の悪口は言いましたので、ま、いっか。それにしても4日振りの我が家は場末の公衆トイレ並みに汚れていました…写真撮っておけばよかった……。

 

10月13日(金)

始発で成田空港へ。今日から15日までの2泊3日の弾丸だが中国に行く。なぜ行くのかはまだ書けない。なんて匂わせると、ものすごい大仕事で行くようだが、大仕事ではない。うれしい状況ではあるのだが。

 

今は中国に行くのはなかなかにやっかいで、とにかく揃える書類が多すぎて難儀した。と言ってもそれもすべて妻と一緒に行く会社の方々にやってもらったのだが……。この辺も感謝しなければならない。私ひとりだったら、「もういいや。今回行きません」と言っていただろう。

 

※妻より

じゃあ、感謝してくださいよ。一言でいいので。子どもでも言えますよ、それくらい。こういうところで書くのではなく……。

 

昼過ぎに中国に到着。向こうの会社の方々が出迎えてくださる。車で1時間、宿に到着。超豪華。夜は中国の会社の方々と飯。めちゃくちゃ美味しい物をたらふく食べさせていただいた。

 

10月14日(土)

中国の撮影所を見に行ったり、撮影の見学をさせていただく。我々が行った撮影所は中国ではこじんまりとしたほうらしいが、めちゃくちゃでかかった。日本にあれば一番大きい。

 

昼も夜もまた美味しいお店でたらふく食べさせていただいた。わずか1日で2キロは太った。食べたこと以外、何も書けない。

↑昔から夫はゲテモノ的な物が大好きです。頭とか内蔵とか孵化最中のアヒルの卵とか。大いに食べさせてもらってさぞ幸せだったと思います(BY 妻)

 

10月15日(日)

朝、ホテルのジムで走った。あっという間の帰国の日。何をしていたのかが書けないのがもどかしいが、とりあえず美味しいものだけはたくさん食べさせていただいた。せめて1週間はいたかった。

 

妻にはお酒を、娘には中国の怪物みたいな動く人形を、息子にはブルース・リーの置き物のお土産を買って帰国。と言っても空港で買った妻のお酒以外はすべて買っていただいたのだ。そう。まるで子どものように買ってもらった。ちょっとだけ恥ずかしかった。

 

夜、妻に酒を渡すと「フン。いくらしたのよ」と憎まれ口。憎まれ口が返ってくればケンカは終了だが、最近は互いに更年期なのか怒りっぽくもなり、ケンカの期間も長引いてしまう。ケンカが時間の無駄とは思わないが、仲良しのほうが楽しい。当たり前か。

 

10月19日(木)

午前中、妻とともに中学校の学校説明会に行く。授業見学、個別相談なども行い帰りに大昔に住んでいた高円寺で下車してトルコ料理屋で、ビリヤニ・Wカレー・シシカバブ的なトルコ料理のセット(恒例のランチセット3つ。全てにサラダとナンとデザートとラッシーが付く)をたいらげる。

 

自転車で帰宅途中、異性愛者だった人が40歳を過ぎてから同性に惚れてしまうことの話を妻としていたら、互いにヒートアップしてしまった。口泡を飛ばしてのみっともない論破合戦の真っ最中、「紳さん!」と声を掛けられて我に返る。と、娘の保育園時の同級生のお父さんだった。数年振りの再会に、相変わらずこちらは大声で夫婦ゲンカ寸前の口論をしている姿を見られて恥ずかしかったが、久しぶりに忘年会をしましょうという話にもなりうれしい再会だった。再会していなかったら、またも長期戦のケンカに突入していただろう。

 

夜、モモが家に来る。モモは2015年にドイツの映画祭で出会ったドイツ生まれドイツ育ちの日本人の女性だ。映画祭で通訳兼アテンドをしてくれたのだ。

 

毎年日本に来るときは我が家に滞在してくれていたのだが、この3年はコロナで来られなかった。だが今年はインターンとして日光江戸村で働いたあとに立ち寄るとのことで、3年ぶりの再会だった。

 

3年ぶりに会う彼女はとても大人びてとてもきれいになっていた。みたいなことは今時分書いたらアウトなのかもしれないが、語彙に乏しい私には他の表現が思い浮かばない。出会ったときはまだ高校生だったようで、そんなことを知らない私は「日本に来たらウチに泊まりにおいでよ」などと言っていたのだから、これも今なら、イヤ、当時でもアウトか。

 

ドイツのグミやサラミ、沢山のパックなどをいただき、久しぶりの近況報告に花が咲いた。

 

10月21日(土)

午前中、息子を療育へ引率。帰り、息子と寿司を食らう。息子は特上が食べたいと言ったが、息子と外食をするときは妻に食事の写メを送らなければならないので(何を食べているのか報告をせねばならない)上にしてもらった。

 

※妻より

写メ送れとは言ってませんし、今どき写メって……。「レシート見せて」というだけです。

 

10月22日(日)

朝、のんびり過ごしていると、モモがギターを弾いてくれた。息子大喜び。息子が曲をリクエストすると、モモがスマホのアプリでコードを出して引いてくれるので、息子は隣で歌っていた。

 

なんだ、このドラマのような場面は! と思った。モモのギターの音色も、息子の歌声もすさまじい幸福感を部屋に充満させた。ちなみにモモは自作で歌を作って歌っているのだが、プロ並みにうまい。

↑モモと色々話しました。将来のこと、ドイツのこと、ドイツにいる両親のこと、日本にいる祖父母のことなど。大学の学費が日本より格安で、学生証があればバスも電車も美術館もどこも格安だから、社会人の学生も多いとのこと。学びの機会が多い国なんだろうなと思いました。夏に息子が「ギター欲しい欲しい!」と騒いだのでメルカリで格安で購入して以来、誰も弾いてなかったのですが、ようやく弾かれてギターもうれしかったと思います(BY 妻)

 

10月23日(月)

朝5時に起き、モモを駅まで送る。今日、ドイツに帰るのだ。ちょっと寂しいけど、またすぐ会えると思う。

 

見送ることのできなかった息子は寂しがって涙ぐんだ。もっとギター弾いて欲しかった、また歌いたかった、と。人懐っこい息子は、仲良くなると別れの時がものすごくキツイようだ。下手したら学校行かないと言い出すかと思ったが、トボトボと登校。

 

10月24日(火)

妻は朝から打ち合わせへ。私は昼前にキネマ旬報社で新刊『春よ来い、マジで来い』の取材。その後、妻と合流し、ランチ場所について喧々諤々論議して、結果近所の寿司ランチにする。

 

15時10分から東京国際映画祭で『魔術』(監督:クリストファー・マレー)鑑賞。舞台は1880年のチリで、魔女裁判とか先住民と入植者との関係が客観的に描かれるが、これは現在も共通している問題だなと考えながら鑑賞。自分とは異なる人種・宗教への恐れ、共存の難しさ、絶対的な支配の元では魔術でしか対抗できないという事実。色々考えていたら寝不足だが、寝なかった。でも、実はもっとホラーがかった作品を期待していた……。

 

10月27日(金)

朝8時50分からの近所の映画館で妻と『SISU/シス 不死身の男』(監督:ヤルマリ・ヘランダー)を鑑賞。ツルハシ一本で闘いまくる主人公の姿が面白い。しかしこれがなぜR15なのか。『ジョン・ウィック』のスタジオ最新作とあったが、私は『ジョン・ウィック』より『SISU』のほうが好きだ。

 

鑑賞後、ずっと気になっていた町中華へ。定食、サラダ、点心2種、デザートが着いていて1500円くらい。とってもおいしかったが、残念ながら足りなかった。このままラーメンを食べに行きたい位だ。やはりランチは3セット頼まないと足りない……。

 

夜、息子と『SAW』を鑑賞。今日はいつもにましてオキシトシンを求めているのか、ずっと膝に乗られて疲れた。

 

10月29日(日)

息子、週明けからの2泊3日の移動教室への不安が少し見られるので、気分転換に池袋に『リゾートバイト』(監督:永江二朗)を観に行く。息子は家族で唯一『ブギウギ』をオンタイムで観てくれているのだが、秋山推しで伊原六花さんのファンなのだ。なので、この映画は息子がどうしても行きたいと言っていたのだが、面白いホラーコメディだった。

 

人間ふたりの入れ替わりは映画やドラマで何度も見たが、3人となると見たことがない。その混乱ぶりも笑った。

 

夕方、娘、妻と待ち合わせして、町中華でラーメン・餃子・炒飯の満腹セット。しかし、いまだにコロナ対策ばっちりの店で、テーブルの上のアクリル板を動かしてはダメとのこと。仕方なく『家族ゲーム』のように家族4人横並びで食べた。

 

帰宅後、息子と銭湯へ。最近週に3回は息子と銭湯に行く。息子の銭湯発作も『ブギウギ』を見てのことだ。私の下駄を履いてカラコロ歩きながら、銭湯に行く時間はとても幸せだ。だが2人ともカラスの行水なので湯船にいる時間は短く、共有スペースでテレビを見ている時間のほうが長い。番台のおばちゃんがいつもラムネをくれる。飲むやつじゃないほうの。

 

10月30日(月)

朝、息子を学校まで送る。今日からの移動教室に行き渋りを見せていたのだが、枕投げを楽しみたいと気持ちを切り替えられて元気に家を出た。きっと枕投げは許してもらえないだろうが……。

 

他にも十数人の親の方々が見送りに来ていたが、我々のころは見送りに来る親などいなかったような気がすると、見送りに行っているくせに私は思ったりしていた。しかも団結式のような場での先生の話にまで心の中でダメ出しをしていた。

 

その後、ぶっとおしで夕方まで仕事。今日は頑張った。原稿を7枚も書いた。自分で自分を褒めたい。妻も朝からずっと仕事をしていたので、ねぎらいを込めて「ふたりでマッサージ行かない?」と聞いたが、即却下された。夜、久々に娘と3人の夕食。娘の好きな蒸し鶏とポテトサラダを作った。

 

10月31日(火)

朝から妻と東京国際映画祭で3本。

 

1本目『家探し』(監督:アナト・マルツ/イスラエル映画)。妊娠中の不安定な気持ちの中で、クズな恋人への不満、母親へのわだかまりなどリアルな設定だが、ユーモアもふんだんで、かつ緊張感も途切れず面白かった。現在のイスラエルとガザの状況も現実だが、こちらもイスラエルの別の日常なのだといろいろと思う。

 

上映後のQ&Aに主演男優が登壇したのだが、椅子はブラブラするは、貧乏ゆすりはするは、かなり自由なお方。でも大変フレンドリーでかわいかった。三池崇史監督の新作が楽しみと言っていた。

 

2本目『ミス・シャンプー』(監督:ギデンズ・コー/台湾映画)。アクション・コメディ・任侠・ラブロマンス、すべてぶっこんで、そこに笑いの要素をふんだんに入れた、満腹感満点のザッツエンタテインメント映画だった。満席の会場内、笑いも何度も起こり、クレジットのあとは拍手が起こる。クレジットの最後の最後まで、笑わせるサービス精神は凄いなと思う。

 

退場で並んでいる時に、私の監督作全てにスチールで入ってくれている内堀義之氏と遭遇。次の映画まで1時間あるので有楽町のガード下で一杯飲む。

↑内堀氏が撮ってくれた写真です。「この店に入ろ―!」の図(BY妻)

 

3本目『野獣のゴスペル』(監督:シェロン・ダヨック/フィリピン映画)。イノセントな少年が周りの環境で、どんどん凶暴化するのを描いた作品だった。あの純粋な子が、最終的には笑いながら人を殴ってる……と悲惨な感情も。『CITY OF GOD』(監督:フェルナンド・メイレレス)を観た時のような気持ちだった。

 

その後、急遽、阿佐ヶ谷ロフトで行われているイベントに行った。息子が習っている中井祐樹先生と菊田早苗先生と堀江ガンツさん、本間キッドさんのトークイベント。

↑19時半から約3時間、プロレスや格闘技の濃い話に聞き入る

 

その後、中井先生、菊田先生、堀江ガンツさん、本間キッドさんと、阿佐ヶ谷に住んでいたころによく飲みに行ってお店に飲みに行き、イベントの話の続きのような飲み会に。それにしてもあえてここは呼び捨てで書かせていただくが(呼び捨てでこそスター)、私が中井祐樹や菊田早苗と飲む日が訪れるなんて夢にも思わなかった。

 

帰宅深夜。クタクタに疲れたが、息子のいない日でないと、こういった動きができないのでとても楽しい一日だった。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『春よ来い、マジで来い』(双葉社・刊)。

「ブギウギ」脚本家・足立紳、運動会に行きたくない息子の努力を薄目で見守る9月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第42回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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9月1日(金)

今日から2学期。息子、10メートル歩くのに5分かかる牛歩なれど学校に行く。家の前の道を渡るのにもかなりの時間を要してイライラしたが、ここで私が少しでもイライラを見せると動かなくなるのは分かっているので、薄目で息子を見送る。

 

9月2日(土)

午前中、仕事。午後、評判の高い演劇を見に行く。妻と2人で2万近く払って内容はわけわかめ。

 

9月3日(日)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後、娘と息子と『Gメン』(監督:瑠東東一郎)という映画を観に行く約束をしており、待ち合わせの場所に指定していたブックオフで待つも、息子は来なかった。きっと別のブックオフに行っていることは予想がつくのだが、そちらに迎えに行く時間的余裕はない。昨晩何度も確認したが、残念だ。ヤンキー映画好きの息子のために、この作品をチョイスしたのに……。仕方がないので娘と2人で観た。映画は面白かった。娘も大笑いしながら観ていた。

 

帰宅すると、息子は家でマンガを読んでいた。やはり待合せとは違う店舗のブックオフに居たらしい。「そっちのブックオフで約束した!」と息子は言い張るが、これはもう不毛な会話にしかならないので、今度から待ち合わせはお互いの手に書こうと話した。

 

その後、娘と息子の夕飯を作り、高田馬場へ。脚本家の松本稔さん作・演出の朗読劇を見に行く。『うだつの上がらない男、母校へ帰る』。売れない脚本家が母校の高校に呼ばれて講演会をするという苦みたっぷりの喜劇。本井博之さんが最高。笑わせていただき、打ち上げにも参加して楽しく飲んだ。

 

9月4日(月)

朝から雨。今日は近所のスーパー銭湯で仕事をしようと思い立ち、妻を誘う。どうせ断られるだろうなと思ったが「行ってやるよ」とのことなので、一緒に行き、混浴サウナで愚痴りたおす。

 

「だから一緒に来たくなかったんだよ。どうせお前の愚痴オンステージだから」と言われるも、雨がしとしと降る中の露天風呂は最高に気持ち良く、妻の私へのダメ出しもいつもにも増して軽やかだ。

 

妻は仮眠室に行くと秒で寝てしまったので、私は仕事をしていいスペースで仕事をしたのだが、下に見える円形の温水プールで仲良さげにウォーキングしているカップルをぼんやりと眺めていた。羨ましいと思いながら。

 

16時、妻が「あー、寝た! 帰ろう!」とすっきりした表情でやってきて帰宅し、私はそのまま宇賀那健一監督とのトークイベントへ。『Love Will Tear Us Apart』は私の大好きな80年代B級ホラー臭プンプンの作品で大変面白かった。

 

9月6日(水)

早朝に起きてしまったので、そのまま娘の弁当を作り自宅で仕事。4月に妻と娘がケンカしてからずっと作っているが、良い気分転換になる。10時からオンライン打合せ。午後、息子を療育に送迎。

 

9月7日(木)

朝から息子の脳調が良くない。9月30日にある運動会への不安が高まっており、「出たくない」「転校したい」のエンドレスリピートをどうにか聞こえない振りする。

 

今日から学園祭の始まる娘のほうは朝からテンションが高い。今日は合唱コンクールのみなのだが、出がけに「来てもいいから」と生意気な言い方をして出かけていった。このセリフは「来てよね」という意味だ。私も妻も、明日からの本祭は行くつもりだったが合唱コンクールに行くつもりは毛頭なく予定を入れていたのだが、こういうときは行かないと露骨にいじけるので身支度をして慌てて所沢のホールへ。コロナ禍で3年振りの合唱コンクール(観客あり)とのこと。

 

パイプオルガンや女神たちの像が沢山ある、大変ご立派なホールで高校生たちが一生懸命歌う姿を見て、軽く目頭が熱くなる。予定があったので1学年しか見れなかったが、3学年全クラス見てみたかったと思った。

 

※妻より

↑夫のこれ、本気なんです。運動会も開会式から閉会式まで本気で見たいらしい。なんなら、自分の子どもが出ていない地域の運動会もずっと見ていられる人間です。私は子どものクラスだけで十分です。

 

9月9日(土)

本日は息子の小学校の学校公開。実は昨年から学校公開には行けていない。息子が頑なに「見に来ないで!」と言うのだ。理由は分からない。教室の後ろに息子用の席ができているとか、廊下で過ごしている時間が長いとかそういった姿を見せたくないのかもしれない。

 

だが、やはり学校の姿は気になる。もうゴリ押しで「パパとママは行くからな」と有無を言わせず見に行った。学校公開は習字の時間だったが、廊下で寝そべったり、教室の一番後ろで漫画を読む、みたいな行為はしていなかった。しててもいいのだが、そこがうまく伝わらないし、息子からすればそういう姿を見られたくないということでもないのだろう。

 

「午後からねーちゃんの学園祭に行くから、パパとママは家にいないぞ」と言ったら、珍しく息子が「僕も行きたい」と言った。行ったことのない場所に自分から行きたいと言うのは大変珍しいこと。息子の成長を感じたような気がして嬉しくなる(『斉木楠雄のΨ難』や『うる星やつら』の映画で文化祭の話を観てから興味を持ったのかもしれないが)。

 

「姉の文化祭に連れて行きたいので早退してもいいですか?」と担任の先生に話したところ、笑顔で快諾。「そういう経験ってすごく良いと思います!」とのこと。今年の担任の先生もかなり息子に寄り添ってくれるお人柄で大変助かっている(親も子も)。

 

妻と息子と学祭に行くと、当たり前だが学校は非常に盛り上がっており、こういう雰囲気のところに来ると私と息子はすぐにはしゃぎモードになってしまうので、妻が急激に不機嫌になる。とにかく「夫のはしゃぐ姿」というものが一番イラっとするらしい。

 

※妻より

ただでさえ声がデカいのに、はしゃぐといつもの何倍もデカくて甲高い声で早口でまくしたてるから、すっごく頭が痛くなるのです。

 

さっそく娘のクラスのカジノに行き、ブラックジャックでバカ勝ちして息子から「とうちゃん、すごい!」と久しぶりに尊敬を勝ち取る。娘は「来ても話しかけるな」と言っていたので、様子を見たらこちらに顔を向けずに中指を立てていた。機嫌がいい証拠だ。なので娘がディーラーをしているポーカーの場にいて、さすがに「父です!」とは言わなかったが何ゲームかした。ただ、息子が「ねーちゃんだよ、ねーちゃんだよ」と言っていたのでバレバレだろう。

 

その後息子はお化け屋敷から、47都道府県クイズから、人力メリーゴーランドから、全校で逃走中の犯人捜しまで、遊び倒した。

 

初めての場所で息子がこんなに楽しむとは思わなかったので驚くと共に、うれしかったです(by.妻)

 

夕方まで文化祭をフルで満喫し、駅で軽く焼き鳥を食べ、息子を本日お泊りする友達の家に送る。小学校は皆と同じことを同じペースでやらなければならないことが多いけど、中学・高校はどんどん自由になるからね、自由でいいっていう学校に行こうね、などと話すも、「俺は高校には行きたくない」とのこと。

 

息子を送り届け、我々はそのまま、友人の三遊亭遊喜師匠がトリを務めている新宿末広亭へ。ボンボンブラザーズさんお馴染みの帽子を投げて頭でキャッチするやつに指名されて(寄席のこのような客参加型に指名されるのは初めて)桟敷席から帽子を投げまくったが、何度もやってもうまくできなかった。遊喜師匠の「紺谷高尾」を久しぶりに堪能し、打ち上げにも参加させていただいて深夜に帰宅。楽しかったが疲れた1日だった。

 

舞台裏から遊喜さんが写真を撮ってくれました!(by.妻)

 

9月10日(日)

本日は門前仲町のシアターで『雑魚どもよ、大志を抱け!』を上映していただいており、舞台挨拶のために脚本の松本稔さんと向かう。

 

こちらの劇場は普段は撮影スタジオとして使われているのだが、オーナーさんの計らいで8月から週末だけ映画も上映している。音声ガイドも字幕もあり、車いすも盲導犬もOKのユニバーサルな上映会。小さいお子さんもいらしていてとても嬉しかった。

 

9月11日(月)

息子、運動会への不安が日々募り、朝は毎日脳調悪し。足が痛い、首が痛いと言い出し、包帯でグルグル巻きにして学校へ行く。運動会に参加しなくてもいいように、奴なりに考えているのだろう。

 

廊下で過ごすも、後ろの席で過ごすもオッケーということで毎日学校へは行くようになり、それだけでも妻も私も満足はなずなのに、年1回の運動会くらい出てほしいと思ってしまう。種目も2つしかないし(かけっこと旗振り踊り)午前中で終わるのだ。出てほしいと思うのは、毎年息子は運動会前にこう不安定になるのだが、何とか参加して終わってみれば「たいしたことなかった!」と晴れがましい表情(乗り越えたことで自己肯定感も高まっている気がする)で帰って来るから、その小さな成功体験を積んでほしいと思うのだ。行かなかったら「僕、行けなかった……」みたいに落ち込み、自己嫌悪になる気もする…。だから行ってほしい。これが普通に学校に行けていて、運動会だけはどうしてもだったら迷わず休ませるのだが……。難しい。

 

どうにか息子を送り出し、12時から山口県のラジオにリモート出演。山口で公開中の『雑魚どもよ、大志を抱け!』について周南映画祭実行委員長の大橋さんが愛を持って紹介してくださり、その後に大橋さんとたくさんしゃべった。山口での公開は大橋さんが尽力してくださり、感謝しかない。

 

夜8月末の小学校の花火イベントで持ち帰った手持ち花火6本を自宅の狭いベランダで行う。息子が急にやりたいと言い出したのだ。PTAも頑張ったのか、そこらへんのスーパーで売っている花火とは異なり、持続時間が長く、炎の力も強かった。息子も娘も言葉は少なめだが、楽しそうだった。

 

※狭くて汚いベランダでの花火でしたが、なんだか綺麗でした(by.妻)

 

9月14日(木)

朝、9時10分の『福田村事件』(監督:森達也)を妻と観に行く。妻と私の感想が噛み合わず、口論に。妻に「アンタの言っていることが分からないし、なんかずっとずれてる」と言われてカチンカチンきて、大声で論破しようと努力する。「それってあなたの感想ですよね」などとヒロユキふうに言ってしまい一触即発。

 

今作られるべき映画だし、今の日本をも描いていると思うし見入ったが、それでもこれは本当に加害者を描いた映画なのだろうか? という疑問が少し残った。テアトル新宿からランチのために都庁前のシズラーへと歩いている最中、また店内での順番待ちの30分間ずーっと『福田村事件』のことで妻と口論になってしまったのだが、それだけいろいろと話すことがある映画だということだ。

 

シズラーの肉。ご立派。私は多国籍なサラダバーにはしゃいで腹がパンパンになってしまったため、残った肉は娘と息子にお持ち帰りしました。お店の人に頼むと快くテイクアウトしてくれてありがたかったです。夕飯に出したら娘息子、喜んでました。(by.妻)

 

夜、娘のまだ成就もしていない、告白すらもしていない恋バナを聞く。いや聞かされる。もういいかげん告白せーや!という感想しかない。そう言うと秒速の「ダルッ!」「キモッ!」が返ってくる。だがこうして話してくれることに感謝しなければならないだろう。

 

9月15日(金)

13時から教育支援センターで親だけのカウンセリング(息子はここで月に1回プレイセラピーをしていたが、担当者が異動になったため今回は行けなった)。夏休み、そして2学期の様子などを話す。

 

音楽や外国語の授業が苦手で廊下に出ていること、算数や漢字のテストが苦手でテストを受けずに教室の後ろの特別席で本を読んでいること、夏休みは大いに成長を感じたが、2学期が始まると疲れ始め、ずっと運動会に出ないと宣言してはひとりふさいでいる様子などを話す。

 

担当の方は息子の感覚過敏を気にしてくれ、「例えばなんですけど……ミカンの皮がむかれた状態で常にさらされているようなことだと思うんです、息子さんの感覚って。いろんな刺激を繊細な柔らかな肌で直にモロに受けている……つまり、常に大勢がいて、皆で同じことをしなければいけない圧力があって、そして机や椅子を引く音や、走り回る音、先生や児童の声など大きな音が常にある学校という場所が彼にとってとても感覚的に疲れてしまう場所なんでしょうね、投薬も彼を楽にする手段の一つではあると思うんです……」と言われる。

 

投薬に関しては、「風邪をひいたときなど薬を潰したり、アイス・ゼリーその他、諸々、ご飯と肉に混ぜ込むなど、様々な努力をしてきたが息子は薬は一切飲まない、動物的な感覚で的確に吐き出してしまう」と伝える。そこも含め感覚過敏なんだろうとのこと。投薬も難しそうだ。

 

50分間、ノンストップで我々の心配、不安を伝え、次回の予約を取ってそのままハゲ病院に向かう。先生は私の頭をチェックしながら「まだまだ!」とのこと。こちらとしては確かな手ごたえを感じているのだが……。

 

9月17日(土)

本日は息子に合いそうな中学の見学に行く予定だったのだが、息子は「今週は疲れた。1日家でのんびりしたい」との事で息子を置いて、猛暑の中、気合いを入れて家を出る。娘はこの暑さのなか部活へ。

 

妻と私とで中学見学へ。昨日の落雷の影響なのか、途中の駅で電車が止まってしまい、仕方がないのでタクシーで向かう。妻は待っていたら動くんじゃない? といったが、たとえ説明会であろうとも時間に遅れたくない私はタクシーを選んだ。

 

しかし……息子に合うかもと思った中学だったが、今は人気が出て、ある程度の成績がないと入るのは難しいとのこと。以前はフリーダム過ぎるような子たちが大勢いたとのことだったのだが……。息子が来なくて良かった。来ていたら間違いなく傷ついていただろう。

 

説明会後、福岡在住の芸術家・中川泰典さんが個展をしている下北沢のBARにいく。中川さんは、私が芝居をしていたときにチラシのデザインをしてくださっていたのだ。3年振りにお会いするが全然変わっていなかった。個展会場のBARはとても居心地がよく、身体に良さそうなドラゴンフルーツやなんやかんやのソフトドリンクをいただいた。妻は度数の高い白酒に高麗人参が漬け込まれたものを飲んでいた。効くらしい。BAR店内は常に良い匂いがする。そうだった、このBARは食事が美味しかったのだ…。他の客がカレーやパスタや何かを注文している。今度は空腹で来ようと決めた。来る前に下北沢の街中華で妻と飲んで食ってしまったのだ。

 

中川さんの素敵な作品と白酒にパワーをもらいました!また来年行きます!(by.妻)

 

9月17日(日)

飛行機で米子に向かう。明日、米子で『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映会あるのだ。地元の鳥取県では初めての上映だ。夜、高校時代の友人たちと飲んでバカ話。夏に会ったばかりだから、こんなに短期間の間に再会するというのがこれまたなぜかいい。

 

9月18日(月)

米子で『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映会。大勢の人が来てくださってありがたかった。質疑応答では質問もたくさんいただき楽しい上映会だった。夜は、上映会を企画してくださった米子シネマクラブの皆さんたちとお魚の美味しいお店でたくさん飲んで話して、とても楽しい時間をすごさせていただき、この日は米子に宿泊。

 

9月19日(火)

運動会に行きたくない息子が朝からグズグズで布団から出てこない。運動会にどうしても行きたくないという息子に、私は「そんなにイヤなら行かなくてもいいよ」の一言が言えない。

 

運動会の練習が始まってから2週間ほどたつが、息子は身体中に包帯を巻いて学校に通っている。奴なりに必死に仮病をつかっているのだ。もちろん親の私や妻の前でも身体が痛いから包帯を巻いてくれと言ってくる。

 

運動会を休むと、やはり悪目立ちしてしまう。「なんであいつ来ないんだよ」とか「なんであいつ、練習に参加しないんだよ」と思われてしまう。これは同調圧力に屈していることになるのだろうか? そんなふうに思われると、ただでさえ息苦しい学校生活が、さらに息苦しくなってしまうから、半日だけ(運動会は午前中で終わる)我慢してこいという思いと、我慢するというのは基本的に間違ったことだとは思いつつも、この世には我慢しなければならないことが山ほどある。その練習をしてくれという思いもある。そして、息子は保育園のころからずっと運動会は苦手ではあるが、今まで何とか参加して来ているのだ。そして運動会から帰って来ると「なんだかたいしたことなかった!ボク、頑張ってでしょ!」と少しだけ晴れやかな顔をしている。その「意外と大したことなかった」という経験を積んでほしいという思いもある。

 

近ごろの息子は塾にとても前向きな気持ちで通っている。公立中学はおそらく肌に合わないから私立の、息子のようなタイプに向いている中学を探して見学に行きまくっているが、偏差値がどんなに低かろうが入学試験はある。息子なりに、何とかそれを突破しなければと一生懸命、前向きに努力しているのだろう。不登校だったころと比べると、格段の成長と言っていいのか分からないが、一緒に過ごしていてこちらの苦しさは減った。不登校のころは、こちらも弱って「とにかく元気でいてさえくれればいい」と思っていたのに、運動会一つ休ませることができない。どこまで人間は、いや私は欲深くできているのだろうか。

 

9月20日(水)

息子が受けたウィスク検査のフィードバックを聞くために8時に家を出る。息子は足にうまく包帯が巻けないようで癇癪気味だが、私と妻は薄目で観ぬ振りして「学校、行けたら行きなよ」とだけ言って出る。病院で心理士さんから数値の説明を受けながら、息子の困りごとを具体的に聞く。前回受けたのは2年生のときだから3年振りのテストだったのだが、今回数値がかなり下がっていて、数値に一喜一憂はできないと知りつつ妻ともども軽くショックを受けていた。

 

息子はゲームの「バイオハザード」のことになると多弁が止まらないのだが、その他のことはあまり話さない。学校のことを聞いても話さないから、話したくないのだろうと思っていたのだが、心理士さんのお話を聞いて少し合点がいった。

 

話したくないのではなく、頭の中がグチャグチャになっていて、基本的に自分がいたくない場所での記憶は曖昧なものになっているのではということだ。そうか、だったら話せるはずがないと思った。毎夏行かせているキャンプも何も話さないから、イヤなことがあって話したくないと思っていたのだが、グチャグチャになっていて話せないというのはすごく腑に落ちた。そして年齢が上がるにつれ、周囲の精神年齢と合わないことも増えて来て、疎外感も感じやすくなっているのではとのこと。無理に話を聞くのはよそうと思った。

 

この後に病院近くの発達支援センターの面談も取っていたので、近くでビールを飲みながらランチ寿司を食べ、真っ赤な顔して発達支援センターへ。ここでも具体的な助言を頂けるのだが、病院の心理士さんの言葉とは正反対のところもある。どちらに傾くかはそのときの我々の精神状況で変わるが、今日は圧倒的に支援センターの方の言葉に励まされた。

 

帰宅すると、息子はなんと学校へ行っていた。以前なら絶対にこういうときは行っていない。そこに成長を感じて目頭が熱くなる。息子の帰宅後、療育へ送迎。今日は初めての2コマ。3Ⅾプリンタでいろんなものを作っているのが楽しいようで、2コマでもやれるとのこと。

 

いつもなら90分なので公園や喫茶店で仕事をして待つのだが、今日は180分あるので近くの気になっていたサウナに行ってみた。すごい良かった。

 

息子を迎えに行くと、今日は臨時で来ていた担当の先生がかなり息子にフィットしていたようで、運動会がいかにイヤかの話などもたくさん聞いてもらったあげく、行けばと言われたわけではないのに「わかった、俺、行くよ!」となっていた。やはり親の声掛けではこうはならなかったと思う。第三者の理解、声掛けに本当に助けられる(何度も言うが、親も子も)。

 

帰宅後、妻にサウナに行ったことがバレて妻激怒。妻は私の財布を勝手に開けて領収書をとるのだが、当然サウナの代金はレシートももらわず証拠隠滅をはかっていた。だがマッサージの次回割引券でバレてしまったのだ。

 

※妻より

少しでも経費になりそうなレシートはせっせと集めて帳簿に付けているのですが、サウナやマッサージや外食系はことごとく証拠隠滅するので質が悪いです。サウナは毎日、マッサージは週1~2、確実に行ってます。言動でバレバレなのに本人はバレていないと思っています。子供の送迎にすら必ず自分のご褒美ぶち込んで隠せた気になって悦に浸っているこざかしい夫に幻滅が止まりません。

 

9月21日(木)

朝、息子は「運動会の練習に出てみる」と言いながらも、包帯は巻いて登校した。私はいつもの喫茶店で仕事の後、15時45分から『エドワード・ヤンの恋愛時代』を妻と観に行く。登場人物も多く、情報量も多く、ついでに私の頭の中でも仕事のことでいろいろ考えてしまい、気づいたら映画からおいていかれていた。最近の情報量の多い映画では100%こうなる。『恋愛時代』は最近の映画ではないけれど。

 

映画館を出ると、妻の携帯に息子の担任の先生から電話。修学旅行班決めにて軽いトラブルがあったとのこと。息子の様子を気にして下さっていたのだが、まだ息子に会っていない。帰宅すると、格闘技教室から戻っていた息子はふだんと変わらぬ様子でゲームをしていた。

 

先日、ウィスクの結果を聞きに行った心理士さんに言われた「話したくないのではなく、頭の中がグチャグチャになっていて、自分がいたくない場所での記憶は曖昧なものになっているのでは」という言葉もあったので、深くは聞かない。

 

自分の気持ちを表す言葉を見つけて、それを伝えられたら少しは楽になるのだが、それが難しい息子は、一見普通に見えてもダメージを溜め込んで、ときに動けなくなってしまうのだ。

 

もう少しちゃんと子どもの表情・行動を観察しようと千回目くらの誓いを立てたが千一回目をどうせすぐに立てるだろう。これから成長してプライドも出てくるだろうから、なかなか弱音は吐きづらくなるとは思うが、ひとりで貯めこまないでほしいと思う。

 

9月22日(金)

夕方、数日前から肋骨付近を痛がっていた娘が「絶対肋骨にひびが入っている。間違いない。声を出しただけでも痛い」と言うので、私が通っていた整形外科に雨の中、連れて行く。高校生なのだからひとりで行ってほしいが……。しかも異常はなにもなし。「レントゲンがちゃんと撮れてなかったんじゃないか、あの先生絶対やぶ医者だ」とヘラヘラと言う娘は私とそっくりだ。

 

9月23日(土)

朝から息子に合うか合わないか分からない中学の学校説明会へ妻と。小規模のこじんまりとした学校で、先生方の感じは穏やかでとてもよかった。自由な学校、というよりはキリスト教の精神で「一人ひとり、すべてを受け入れる」というような温かい雰囲気だった。次回は息子も連れて来ようと思う。

 

帰りに練馬の昼から飲める店で生ガキと焼豚をあてにホッピーを1杯飲み、息子と待ち合わせしている図書館へ。娘の代から10年以上乗っている息子の自転車を買い替えに行くのだ。さすがに身長も140cmになったので、ちょっと大きめを買おうという話になり、妻と息子と自転車屋さんへ。

 

物欲が激しく、ほしいものがあるとアドレナリンが出まくる息子は自転車屋さんで狂喜乱舞。競技用のロードバイクをほしがるも、値段は高いし車輪もデカいので、もう少し身長が高くなってからと諦めさせる。

 

私と妻も、息子の自転車選びなのに趣味があわず、息子そっちのけでケンカになる。妻は少しでも長い期間乗れるように大きめの自転車を選ぶが(※足が着く車輪の大きさです、念のため。by.妻)、私は小学生のバカ男子の自転車がいかに危険か身を持って知っているので(周囲を見ないし信号無視当たり前)、余裕で足の届く自転車を選ぶ。でも、結局息子が選んで(当たり前だが)上機嫌で新車に乗って帰宅。

 

9月24日(日)

娘が開園前からTDLに行くのだ!と6時に家を出たため、起きてしまったので朝から仕事。息子と妻は午前中から保育園時代の友達&母親たちと公園ピクニックするとのことなので、私も家を出ていつもの喫茶店で仕事。

 

午後、山口県の劇場と中継してリモート舞台挨拶。またも周南映画祭実行委員長の大橋さんのお世話になる。30分ほどではあったが、楽しい話ができたような気はする。

 

21時から今井雅子さんのClubhouseに呼んでいただいて、10月から始まるドラマ「ブギウギ」と25日に発売される小説『春よ来い、マジで来い』のお話をする予定だったのだが、ドラマや本の宣伝よりも、ずっとAGA治療の話をしてしまった。でも、それが思いのほかウケていたようなので良かった。

 

『春よ来い、マジで来い』もお願い致します。才能もなく夢を見るのもあきらめ気味な4人の30歳間際の男子共同生活のお話です。

 

春よ来い、マジで来い

 

9月26日(火)

10時30分から『帰れない山』(監督:フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン、シャルロッテ・ファンデルメールシュを池袋文芸座で妻と観る。私は少年部分をもっと観たかったが、妻はあの塩梅でいいとのこと。大人の映画なのだからと。

 

昼、「楊」で汁なし担々麺と餃子と炒飯定食と羊肉のラーメンを食らう。2人でランチ3人前を食い散らかしながら、妻に「もっとプレゼン能力というのか、シナリオの面白さを説明する能力をつけるべき」と言われる。確かに私は自分の書いている脚本のここが面白いポイントですよと説明するのがすごく苦手だ。というか面白ポイントなどないと思っている。シナリオで書いたことが全てなんだ、それ以上でも以下でもない、だいたいポイントってなんだよ、と。

 

でも、それじゃダメなことは今までこの業界にいてよく分かっている。面白いシナリオが書けなくても、その前の能力で仕事の途切れていない人が大勢いるとありたっけの負け惜しみを込めて言わせていただく。

 

夜、帰宅した娘が珍しく恋愛話以外の話をしてくる。主には人間関係のことだ。極度に図太いところもあれば極度に繊細なところもある娘も、息子に負けず劣らず日常生活でかなりサバイバルしている。娘と息子を見ていると、私と妻は、今の日本に敷かれた価値観の中ではずいぶんと生きやすい人間なのだなと感じる。まあでも、娘が溜め込むタイプでなく話してくれるタイプで良かった。これは育て方でどうにかなるものではないと思う。そういう人間として生まれて来るかどうかがかなり大きい気がしている。もちろん人間は人との出会いによって人格が作られていく部分もあろうが、今の私は正直、ほぼほぼ生まれ持ったもので決まってしまうのではないかと感じている。ただ、そう感じているとドラマというものが必要ないようにも感じてしまう。そう感じた上でのキレイごとでないものを作ればいいのだが……。

 

9月28日(木)

夕方、犬飼直紀君の出演する舞台『ヒトラーを画家にする話』を観に行く。現代の日本の大学生がヒトラーがまだおかしくなる前の、絵を描くことが好きな青年だったころにタイムスリップする話で、犬飼君はヒトラー役だ。等身大だけで押し切るわけにはいかない難しい役どころを好演していた。いろいろと考えたに違いなく、その考えたことがちょっぴり溢れているところに私は好感を抱いた。私の初監督作品の『14の夜』のとき、15歳だった彼はそのころからよく考えるタイプで、私はそんなところを尊敬している。またいつか一緒に仕事がしたいが、そのためには私も彼と同じくらいかそれ以上に頑張らなければならない。

犬飼直紀君が演じた、繊細で、不器用で、尊大だけど常に不安げで、危なっかしい(でも時にかわいらしいところもある)人物から目が離せなかったです。お話し的にも色々考えさせられました(by.妻)

 

9月29日(金)

いよいよ明日が運動会で、息子の脳調が悪い。先日、療育のお兄さんと話してから運動会練習にも参加するようになり調子が良かったのだが、昨日のリハーサルの徒競走で、女子に負けたのが苦しかったようだ……。

 

夜、「行きたくなさすぎる」と涙をためながら、寝入る。半分聞こえない振りをしながら、「ご褒美にブギーマンのマスクを買ったでしょ」と話すも「まだ、届いてない」と言う息子。そりゃそうだ。ご褒美は運動会後に届くようにしてあるのだから。うーむ……どうなるか……。

 

9月30日(土)

息子、朝起きたらなぜか脳調バッチリになっており「しょーがねーなー、運動会行ってやるよ! でも、絶対に僕が見えるところにいないでよ!」と言って出て行った。もっとグダグダするだろうと思っていたからこの切り替えぶりにすら思わず涙しそうになる。

 

今年の運動会は数年ぶりに6学年でやるが(コロナの影響で去年までは3分割していた)、リレーもなく、徒競走とダンスだけの、かなり淡泊なプログラム構成であり、お弁当もいらず、午前中に終わるので朝もそんなにバタバタしなかった。しかし一日中やっていたのが当たり前の世の中で育った私には少しだけこの運動会は寂しい。

 

今年から運動会ではピストルも鳴らない。聴覚過敏の子もいるし(息子もそうだ)大きな音が苦手な子への配慮で、旗を振る静かなスタートとなっている。素晴らしい配慮と思うと同時に、このような配慮ってどこまで行き届いていくことができるのだろうかとも思う。苦手なものは人それぞれだ。我々世代は配慮のない世の中でゴロゴロの石の上を転がりながら、逃げる術や立ち向かう術を覚えてきた。配慮はすべてに行き届く訳ではないから、配慮のないところに出てしまったときに大きく傷つくことがなければいいがと余計なことまで思ってしまうのも事実だ。おそらくすべての人類に、それぞれの個性にあった配慮が届くまでにはあと100年以上はかかるだろう。いや、もしかしたら今の世の中のスピードでいけばもっと早いかもしれないが、永遠にそんな配慮はなされない可能性もある。分からない。

 

息子は走りながらズボンがずり落ちてきてしまい「おい、待てよ! ○○待てよ!」と前を走る友達の名前を叫び続けながら走っていた。そういうのも、息子なりに身に付けた傷つかない術なのかもしれない。息子が「地獄の時間」と言っていたダンスも、なんとか踊った。苦しかったろうがよくやった。

 

夜、ずっと行きたがっていた、池袋のサンシャイン水族館の「TERROR Night Aquarium」に息子を行く。娘も来たがったが、部活のため、泣く泣く断念。

 

館内入るなりおどろおどろしいBGMの中、赤や青の光でのホラー展示に息子だけでなく私も妻も興奮。エイリアンみたいなワラスボや、大タコ、ピラニア、マンボウ、マンタ、鮫にくぎ付け。ペンギンやアシカなど屋外エリアが観れなかったので、今度はお姉ちゃんも一緒に昼の水族館に来ようと話した。

 

運動会が終わって、息子だけでなく我々親もほっと一安心。明日からまた仕事にまい進しようと思う。

 

 

夜、運動会のご褒美のマスクが届きました。息子は喜んでマスク被って寝ていました…(by.妻)

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、娘の恋バナにモヤり、息子との帰省に涙する8月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第41回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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8月1日(火)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後『イノセンツ』(監督:エスキル・フォクト)を鑑賞。今年ナンバー1だ。自作を含めて今年は子どもの映画が多い気がしているのだが、その中でもっとも子どものリアルが描かれているような気がした。子どもって不思議な力も持っていたりする。後半はなんだか超能力の戦いみたいになってしまい、私は乗れなかったのだが、そこまではとにかく目が離せない。私も子どもの不思議な力というものを、日常生活を描いた作品の中に取り込んでみたいのだが、なかなか形にできていない。だが、とにかく大いに刺激を受けた。

 

8月2日(水)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。夕方、下北沢で演劇の打ち合わせ。無事にできるだろうか。まだ予断を許さない。台本は1ページもないし、内容も何も決まっていない。だが3年前にコロナで中止になってしまったので、今回は何としてもやりたい。

 

8月4日(金)

朝から仕事。夜、とある劇団のお芝居を観に行ったのだが、まったくの意味不明。

 

こういうときに劇団名や、映画なら作品名など書いたほうが面白いし、他人の文章にはそれを求めるくせに自分にはできない……。

 

8月5日(土)

息子、長野の山村留学から元気に帰宅。バスから降りてきた息子は大変いい顔をしていた。友達もできた様子で別れを惜しんでいた。が、帰路の電車内で山村での生活を色々聞いても「別に」「特に」と何も話さない。最後に配られた班ごとの写真もチラッと見るだけ。班写真に写っている子の名前を聞いても、面倒くさがって話してくれない……残念だ。なんでこんなに話してくれないのか……。照れ臭いのかなんなのかよく分からない。毎年キャンプから戻ってきたときはこうだ。

 

で、このキャンプの趣旨は「子どもたちからたっぷり話を聞いてください!」なので、主催側からは「こんな様子でした!」という報告は一切ない。毎年、息子がどんなふうに過ごしているのかまったく分からない。だったら事細かに様子を教えてくれる別のキャンプに変えればいいのだが、費用の問題もある……。

 

ゲームの話ならエンドレスなのだが……もっと聞きたかったなぁ、キャンプのこと。ゲームには勝てないな。

 

8月6日(日)

息子と妻、キャンプから戻ったばかりだが、保育園友達と母同士で西武園のプールに1泊2日の小旅行。

 

夜、娘と近所のイタリアンレストランでここぞとばかりに散財しまくる。食欲旺盛な高校生娘と高校生並みの食欲の50親父で食い散らかしながら、娘の恋バナを聞く。それにしても……人の恋バナって自分の娘のだとしても本当に面白くない……。が、話しているほうはめちゃくちゃ楽しそうなのだ。別れ話とかなら楽しいのだが、恋が充実している話って聞いててぜんぜん楽しくない。娘の場合は恋が充実しているわけでもなく、好きな人と目が合ったとかなんとかそんな話だから余計にだ。「もうその話、つまらなさすぎて苦痛だ」と言うと「ダルッ。親失格」とのこと。

 

8月9日(火)

本日から息子と私の実家の鳥取へ。3年振りの帰省だ。

 

娘は部活があるとのことで妻とお留守番。飛行機事故の映画を観てから頑なに飛行機に乗りたがらなかった息子だが、ゲームとマンガで釣ってなんとか乗せられた。ちなみに、私も飛行機は大の苦手。墜落するんじゃないかととても不安になる。

 

昼過ぎ、岡山空港まで父親に車で迎えに来てもらう。鳥取空港よりもだいぶ安いから岡山にするのだが、そろそろ父親に長距離を運転して迎えに来てもらうのはまずいな。

 

鳥取に向かう途中のラーメン屋に寄る。山間のラーメン屋さんなのだが、美味しいのだ。息子、人生初のインベーダーゲームにはまる。(店内にあった)

 

 

15時過ぎ、私の実家の倉吉に到着。庭の木に、なんの鳥かは知らないが、巣を作っていた。かわいい……。

 

夕方、近場の海に爺さん婆さんと行く。はしゃぐ息子に私の父もはしゃぎ、波に足をとられ、海にさらわれそうになっていた。怖かった……。

 

 

8月10日(木)

車の免許のない私は父に車を運転してもらい、朝から息子を青山剛昌記念館に連れて行き、そのあとはプールに連れて行く。午後からは市長さんにお会いしたりして、夜は高校の同級生と飲み会。バカ話に花が咲き乱れ、とても楽しかった。

 

8月11日(金)

私が日本一美しいと思っている浦富海岸に行く。鳥取の海の中でも息子の大好きな海水浴場だ。息子はとにかく海が好きなので、将来は漁師とか海女さんになるのもいいのではないかと思う。

 

父と母は浜の木陰にいたが、それでも80歳間近の年齢にはこたえる暑さだっただろう。ランチに海辺の美味しいイタリアンをご馳走したがまったく親不孝者であると思う。やはり車の免許が必要だ。

 

 

8月12日(土)

午前中、高校時代の友人のやっているコワーキングスペースにてオンライン会議。息子は友人の息子と同級生なので、2人で遊ばせる。3年振りの再会だが、小学5年生にとっての3年振りなど初対面に近い。

 

会議後、私と友人と息子たちの4人で海に行く。息子たちはあっという間に仲良しになり、小アジを死ぬほどつかまえていた。

夜、友人宅でそのアジを素揚げにして食ったのだが、大変美味しかった。息子はそのまま友人宅に泊まった。こうして田舎に友達ができる姿を見ているとグッとくるものはあるのだが、初対面に近い友達に息子のハチャメチャマイペースぶりが発揮されないかとハラハラしながらも、私は友人とともに、この日も高校時代の友人が集まり飲み会で深夜まで。

 

8月13日(日)

朝、息子を迎えに行き、そのまま父の運転で境港の水木しげるロードに行く。息子とお化け屋敷のようなものに入ったあと、ロードにあるほぼすべての店に息子が入店したいと言うので付き合う。鬼太郎のマンガと、砂でできた子泣きジジイの人形とお面を買う。

 

暑さで車の中に避難していた両親と合流して、せっかく境港に来ているので海鮮丼を食った。

 

 

8月14日(月)

午前中、オンライン会議。午後、友人と友人の息子と私の息子とで滝に行く。なかなかお目にかかれない遊び場に、私の息子は始終興奮して遊んでいた。

 

友人の息子はとても穏やかな子で、私の息子のようなタイプを柔軟に受け入れて遊んでくれるのでとても助かった。そして私の息子は楽しさや嬉しさを全身で表現するので、そんなところも友人の息子は気に入ってくれたのかもしれない。

 

夕飯は友人宅で食べる。息子は「こんな美味いもの、食ったことがねえ!」とがっつきながら、この日も友人宅に泊まった。

 

8月15日(火)

明日の朝、帰京するので、実質この日が最後の鳥取だというのに台風直撃。庭の小鳥たちが吹き飛ばされてしまって、庭のどこかで1匹だけずっとピーピー鳴いていて、その鳴き声を聞いているのも辛かった。母鳥も必死に鳴きながら小鳥を探している。

 

室内プールも閉まってしまったので、友人宅で昼過ぎまで遊んで帰宅した。この日がお別れの息子たちはとても寂しそうであった。その気持ちはよく分かる。私も幼少のころは母の実家のある熊本に夏休み中行っていたが、そこでできた友達と別れるのが寂しくてたまらなかった。

 

夕方、家に戻ると、鳥たちの鳴き声は消えていた。もちろん姿も見えぬまま……。

 

夜、息子は友人の息子とLINE電話をして、眠たくなるまでしゃべっていた。息子にとってこの夏の帰省は良い経験になっただろう。

 

8月16日(水)

朝、6時半に家を出たのだが、友人と友人の息子が見送りに来てくれた。どうしても見送りたいと友人の息子が言ったらしい。私の息子はとてつもなくうれしそうだった。

 

見送りたいと言ってくれた友人の息子にも、わずか数日の関係だったからスーパーマイペース振りを我慢してもらえただけかもしれないが、他人から見送りたいと思ってもらえた息子にも、私は泣きそうになってしまった。

 

私の父親の車に乗り、とうとうお別れ。息子は車の窓から顔を出して、ありったけの大声で「バイバーイ!」と何度も何度も叫んだ。それはまるでホウ・シャオシェンの映画の1シーンのようで(そんな場面があったのかどうかは知らないが)、かなりヤバかった。私の胸はいっぱいになってしまい、涙がちょちょぎれた。友達が見えなくなると息子は空港に着くまで、1時間ずっと無言だった。

 

夜、東京に戻った息子はさっそく友人の息子とLINE電話。この辺が現代は風情がない。次に会えるのがいつになるのか分からない関係性はもう現代では無理だ。直接ではなくとも、こうしてすぐに顔を付き合わせて話すことができてしまう。

 

それにしても今回の帰省は仕事に遊びに51歳の肉体には非常にきついものだった……。楽しかったけど。

 

8月19日(土)

部活(ハンドボール)の試合で6時出発の娘のために5時過ぎに起きて弁当を作る。7時に妻と私も家を出て、試合を観に行く。しかし朝からもう酷暑。

 

今日はリーグ戦で2試合ある。2試合とも勝てば来週の決勝トーナメントにすすめるとのこと。1試合目は9時開始で、スタメンは全員2年生。娘たち1年生はベンチ。試合は一進一退の攻防。1点差でからくも勝利。娘たち1年生に出番はなかった。

 

2試合目が悲劇の13時開始ということで、妻とアイスクリームを食べに行き、近くにあった古着屋で実物大のドクロの貯金箱を買うなどして時間をつぶしてから会場に戻る。

 

2試合目は序盤から大量リードをうばい楽な展開。10点差くらいついているのだから1年生も出せよと思いながらイライラして観ていたら、試合終了5分ほど前から1年生たちにチェンジ。ゴールキーパーの娘も出て来たが、わずか5分で2点取られてしまった。やはり2年生のキーパーの子と比べるとだいぶ素人くさい。なのに試合後、「私がキーパーになってから、相手が急にコースに決めてくるようになった」とビッグマウスをのたまっていたのでビビった。

 

めでたく来週の決勝トーナメントに進出を果たしたが、おそらく1年生の出番はないだろう。それにしてもハンドの試合というのは室内でやるものと思っていたが、高校生レベルだと外もあり得るのだな。ぶつかって倒れたりする場面もかなりあったが、硬い土の校庭で女の子にはざぞ痛かろう。

 

その後、男子の試合も始まったが、女子のあとに見ると、男子の試合は尋常でない迫力。高くジャンプしてシュートを投げ込む姿はかなりカッコ良かった。

 

それにしても選手も暑いだろうが、50過ぎの肉体にはこたえる炎天下だった。帰宅してシャワーを浴びて仕事。

 

8月20日(日)

朝からいつもの喫茶店で仕事。娘は部活。昼から息子と妻と『ブギーマン』(ロブ・サヴェージ)を観に行く。息子、ホラー映画は好きなくせに、聴覚過敏で劇場では耳を押さえ、目も半目で鑑賞。トイレに2回も行く。

 

 

夕方、妻が娘を祖父母宅に送り、息子をママ友宅に預けたのち(娘は明日から祖父母と飛騨へ、息子は明日から塾のメンバーと飯能へサマーキャンプに行く)、私と妻は21時に新宿のバスタへ。

 

明日、京都みなみ会館で『こどもしょくどう』と『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映&舞台挨拶があるため、深夜バスで京都へ向かうのだ。

 

妻に「一緒に行こうよ」、と誘ったところ、赤字になるからバスじゃなきゃ行かない、とのことで、泣く泣く苦手な深夜バスにしたのだが、私としてはせっかく京都に行く機会であるし、久しぶりに妻と2人でゆっくりしたかったのだが、妻からすると「せっかく娘と息子とあんたがいないという奇跡の時間を、あんたの京都行きに付き合ってやるのだから、行くなら深夜バスだ」ということなのだ。

 

私はバスが嫌いなのだ。酔う。でもまあ、妻と一緒ならと渋々深夜バスの条件を飲んだ。おしゃべりしていれば酔わないだろうと思ったのだが、乗車した瞬間に、妻はのび太のように寝てしまった。

 

私は眠れず1人悶々。深夜の二度のサービスエリアも降車した。当然お店はやっていなかったので、夜空を見上げるにとどめざる得ず。

 

8月21日(月)

5時10分、京都駅着。この後は舞台挨拶の時間までスーパー銭湯に行く予定なのだが、そっち方面に行く電車が6時過ぎまでない。私はタクシーでさっさと移動したかったが、当然妻は却下。電車の時間まで喫茶店に入ろうと言うが、こんな時間にやっている喫茶店などあるわけがない。

 

どうせ口を開けば怒られるので、黙っていたら「拗ねられたらあたしの心と身体がもたないから、タクシーで行ってやるよ」とタクシーでスーパー銭湯へ移動。

 

※妻より

いやいや、全然黙ってなかったでしょ。「時間がもったいない、早く風呂に入りたい!」と叫びまくって暴れていたでしょうが。

 

ホテル京都エミナースという、ホテルとスーパー銭湯が合体したようなところへ行ったのだが最高だった。妻のタガも壊れてしまったのか、朝食ブッフェとマッサージも付けてしまい、バスで来た意味はゼロに。

 

※妻より

東京から一人6300円の3列シートのバスで行ったのに、京都市内15分のタクシーで5000円超え。しかも朝食ビュッフェとマッサージ付けてしまい計2万3000円也。普通に新幹線で行ったほうが安かったという、節約した意味が全くないプランでした。

 

14時スーパー銭湯を出て、京都みなみ会館へ向かう。

 

みなみ会館に伺うのは『14の夜』の舞台挨拶以来で、新しくなってからは初めてなのだが、9月いっぱいで閉館される。『お盆の弟』のときにも舞台挨拶で行ったから今回で3回目だった。自分にとっては小さな作品をいつもかけていただいて感謝しかない。

 

『こどもしょくどう』と『雑魚どもよ、大志を抱け!』のトークイベント。久しぶりに『こどもしょくどう』も見たのが、この2作品、実はよく似ていてイジメを見て見ぬふりをしている主人公の初恋話であった。

 

『雑魚~』のトークイベントには声で出演の藤本幸利さんと警官役で出演の横江泰宣さんも会場にいらしたので、急遽舞台にも上がっていただいた。終了後、トークイベントに来てくださった皆さまと飲みにも行けて、とても楽しい時間だった。

 

左から出演者の藤本幸利さん、佐藤現プロデューサー、足立、出演者の横江泰宣さん

 

大阪から駆けつけてくれた皆様たち。38度超えの猛暑の中、感謝しかないです

 

8月22日(火)

朝9時出発。妻と京都駅で別れ、妻は帰路のバスに乗車。私はNHK大阪での打合せへ向かう。打ち合わせ後、10月から放送のドラマ『ブギウギ』の撮影を少し見学する。

 

今日は仲良しの俳優さんがたまたまクランクアップの日で(また情報解禁されていないので名前が出せない)、仮にSさんとしておくが、Sさんと昼間からおでん屋さんに飲みに行き、そのまま2人で酔っぱらって新幹線で東京に帰った。

 

代々木から大江戸線に乗り換えて、妻にLINEを入れると、バスで戻っていた妻も渋滞で遅れたらしくなんと次の新宿で私の乗車している大江戸線に乗るところだと言う。

 

「マジ!? なんか運命だね!」と付き合いはじめたばかりのカップルのようなLINEを送ると、電車が止まったのは国立競技場前だった。私はうっかり逆方向の電車に乗っており、奇跡を取り逃がしたのだった。

 

でも、この日は子どもが2人ともいないので家の近くの居酒屋に飲みに行って、チョーくだらない話をした。

 

8月23日(水)

朝からいつもの喫茶店で仕事。夕方、娘と息子、元気に帰宅。また楽しくもうるさい日々が始まる。

 

8月24日(木)

朝からいつもの喫茶店で仕事。夕方、シナリオ作家協会へ。メンバーの何人かとライターズチームを作れないかと画策している。うまくいくかどうかは分からない。ただ、自分たちからもどんどん企画を発信し、生き残りの道を模索せねばならない。

 

8月26日(土)

朝からいつもの喫茶店で仕事。午後、息子と『しん次元! クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 とべとべ手巻き寿司』(監督:大根仁)を観に行く。夏休みのイベントがすべて終わり、2学期が近づいて、鬱々とし始めた息子にとってかなり良い映画だったのではないか。

 

夜、小学校の花火大会に参加。このイベントは今年からだが、多分2学期が近づいて、イヤな空気につつまれている感じの子どもたちのためだろう。

 

やはり息子は久しぶりの学校の空気にかたまってしまい、本人が行きたがったから連れて行ったのだが、良かったのかどうか分からない。PTAから配られた花火は結局一本もやれず、そのまま家に持って帰った。

 

8月27日(日)

朝から仕事。夕方、家族で『MEG ザ・モンスターズ2」(監督:ベン・ウィートリー)観に行く。これはパート1より数段良くて、わりと楽しめたのだが、私はもうCGドバーの映画は胸やけもしてしまう……。息子と娘は楽しんだようだが、妻は寝ていた(※寝てねーし。by.妻)。

8月28日(月)

朝から仕事。午後、脚本家の今井雅子さんと、ご主人の杉田さん、地上げ屋のツヤさんと、昔からお世話になっているコピーライターの坂口さんと共に、神保町の学士会館のビアホールへ。ローストビーフと、ステーキと、ロールキャベツが美味しすぎて何度もおかわり。

 

 

今井さんとご飯に行くと、ケチ臭くなく食べまくるので楽しい。いつぞや一緒に函館の映画祭に行ったとき、回転寿司でえらい値段になったこともあるのだが、妻には今井さんのそういう姿を見習ってほしいのだ。

↑いやいや値段の話ではないです。スーパーで買い物し過ぎで冷蔵庫パンパンなのに外食してくるとか、注文し過ぎて平気で残すとか、ちょっといいとこ行くとすぐはしゃぐとか、そういうとこが激しくイラつくだけです。それにしても杉田さんと雅子さん夫妻。みんな50を超えたメンバーですが、本当によく食べ、よく飲みました!(by.妻)

 

8月30日(水)

家族で『春に散る』を観に行くためにネットでチケットをゲット。が、家を出る間際に息子の脳調が悪くなる。「僕は別にこの映画を観たいとは言ってない……」。いやいや昨晩話しただろうが……。 夏休みが終わるという不安が全力で出てしまったいるのはよく分かるし、こうなると動けないのも分かっているのに、またまた私は怒ってしまった……。

 

どうして私はこうも学べないのだろうか。どうして同じ失敗を繰り返してしまうのだろうか。昔、撮影現場で先輩に言われた。「同じ失敗を繰り返すやつをバカって言うんだよ」と。心の中でその先輩に「バーカ。バカはお前だよ」なんて思っていたが、この自分の習性はさすがに嫌になる。

 

映画を観ながらそんなことばかり考えつつ、自己嫌悪にも陥ってしまったのでなかなか集中できなかったが、窪田正孝扮するチャンピオンのキャラクターがとにかく面白かった。試合のシーンはグッと力が入り前のめり。

 

帰りにYouTubeで発見した家の近所の町中華へ。炎天下の中に行列。娘は百均に行き妻は日陰に行き、私が列に並んで待つこと30分。ようやく入店。待った甲斐のある美味しい定食だった。高校生並の肉厚チャーシュー定食にカレー丼と醤油ラーメンを食らう。さすがに現役高校生の娘はがんがん平らげるが私は途中でお腹パンパンになった。

帰宅すると、脳調の悪いままの息子が「今日療育も行かないからね」と宣言。私はもう心が折れていたが、映画と療育の2つの直前ドタキャンに今度は妻が激怒。

 

「毎回毎回どんな思いでドタキャン&リスケの連絡対応してると思ってんだ!! しかも今日の今日のドタキャンはリスケとか返金なしなんだぞ!!」と怒鳴り、息子ギャン泣き。妻は家を飛び出て仕事に向かい、息子も家を飛び出てどこかにいった。

 

私は火に油を注ぐとは思いながらも「あの声と言葉は息子にはアウトです」と妻にLINEを送る。妻から逆ギレLINEが来るだろうと思ったが、珍しく「どうしようもなかった。悪いと思っている」と返信が来る。そう。どうしようもないのだ。息子も妻も私も。そして、世のどうしようもある人たちが私たちのようなどうしようもない人たちに正論をかざしてくる。どうしようもある人たちは、きっと運がいいだけなのだが、そのことに気づいているどうしようもある人たちは案外に少ない。というのが私の実感だ。

 

8月31日(木)

朝からいつもの喫茶店で仕事。今日もどうしようもない人たちを書く。

 

午後から俳優の眼鏡太郎さんの個展へ行く。眼さんのイラストは私の家の玄関にも飾ってある。その優しい感じの絵は、風水的にも抜群の効力を発揮してくれそうな気がして、それを期待してのことだ。久しぶりにお会いする眼さんとしばし語らい、かわいい花のTシャツを購入して帰った。

 

夜、息子と娘とジャルジャルのコントをみる。娘は「早く学校始まれ!」と叫び、息子は静かに始業式に緊張していた。私は笑っていた。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、高校球児に感動して再びの青春に憧れるも、AGAの効果はいまだに出ない酷暑の7月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第40回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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7月1日(土)

午前中から息子は近所の公園へ、娘は部活に行ったので、仕事をしたあとに吉祥寺に『小説家の映画』(監督:ホン・サンス)を観にいったが、いつもどおり撃沈してしまった。

 

帰りにハモニカ横丁で寿司を食う。うまかった。大将は「タモリが東京に来た時、寿司を握った」という話をしていた。ホヤの塩辛もうまく、珍しく妻もご機嫌。

 

夕方、帰宅すると息子はまだ帰ってなかった。気にせず仕事したり、ジムに行ったりしたが、夜の7時を過ぎても帰って来ない。心配になって探しに出る。直感で最近よく行くブックオフではないかと思い行ってみると、地べたに座ってマンガを読んでいた。聞くと、14時ごろに友達とトラブルになり別れて、そのままブックオフで飲まず食わず5時間立ち読み(座り読みか)していたとのこと。

 

このブックオフは立ち読みを過度に注意しないので、息子には居心地がいいらしい。申し訳ないので本を数冊買って帰宅。息子はなんだかよくわからなホラーマンガを買っていた。

 

夜、息子と『最後まで行く』の韓国版を見る。(監督:キム・ソンフン)。

 

7月2日(日)

午前中、いつもの喫茶店で仕事をして、午後から息子がどうしても観たい!という『忌怪島』(監督:清水崇)を観にいく。どうして息子はこうもホラーが好きなのだろうか。ゲーム以外で唯一夢中になれているものだから、好きなだけ観せているが、私が息子くらいのころに観て感動していた映画なんかは「退屈」の一言で一刀両断される。

 

※妻より

1歳から夫が『ウォーキング・デッド』とか観せまくっていたのも要因の一つだと思います。怖いもの見たさもあるし、興奮すると変なドーパミンが出ちゃうんだと……。

 

息子は夢中で観ていたようだが、私は最近、暑いところから涼しい映画館に入ると強烈な睡魔に襲われて抗えず、この日もそのとおりに。

 

7月3日(月)

朝からいつもの喫茶店で仕事。昼、新宿で打ち合わせ。若い女性客の多い、原色キラキラのオシャレなカフェにて1500円の”バエそう”なかき氷を食べながら短編映画の打ち合わせ。最近、甘いものはかき氷しか食べていないのになぜか太る。

 

7月5日(水)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。その後、チョコザップで高校野球の地方大会を見ながらランニング。心なしか身体が締まったと思うのだが、体重は全然減らない。チョコザップ後、そこから徒歩1分の銭湯でサウナ。この流れが、今の私には最高に気分がいい。サウナのテレビがバーチャル高校野球ならなおいいのだが、「大下容子のワイド! スクランブル」や「徹子の部屋」も好きだ。

 

7月6日(木)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後、井出智さんのお別れ会に行く。井出さんは若くして子宮頸がんで亡くなられた。その予防の大切さやワクチン接種のことなどを死の間際まで伝えられていた。

 

■井出智 命の声~HPV・子宮頸がんを伝えたい~
https://podcast.1242.com/show/inochi-no-koe/

 

私は、生前の井出さんとすごく親しかったわけではないが、ちょくちょくメッセージをいただいたり、井出さんがマネージメントされていた俳優さんたちとは何度か仕事をさせてもらったりした。井出さんはこの仕事が心の底から好きそうに見えた。まだまだやりたいことはたくさんあったはずだから、とても無念だったと思う。ご冥福をお祈りします。

 

7月7日(金)

七夕。ひたすらに仕事。

 

7月8日(土)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。昼から息子と『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(監督:ジェームズ・マンゴールド)を鑑賞。息子、大笑いしながら最後に号泣。感度の良い人間と映画を観ていると釣られることはよくあるが、私も最高に面白かった。

 

その後、私はAGAの病院へ行く。薬を飲んで1か月でどのくらい効果があるのかわからないが、先生は私の頭をチェックしながら「うーん……まぁ、まだかな」とおっしゃった。

 

7月12日(水)

朝から仕事。息子は妻とWISK検査を受けにいった。帰って来た妻に聞くと、息子はそうとう脳調が悪く、WISK検査の結果も悪くなっているだろうとのこと。一喜一憂してはいけないと思いつつも、軽く落ちこむ。

 

夜、映画『命の満ち欠け』(監督:小関翔太・岸建太朗)のトークイベントに呼んでいただく。薬物依存をテーマとした非常に熱量の高い映画で、俳優部の皆さんが素晴らしい。薬物依存がテーマではあるが、薬物でなくとも何かで苦しんでいたり、そんな苦しんでいる人が身近にいたりして、どう接するべきかと思っている人には特に深く突き刺さるだろう。

 

7月13日(木)

息子、朝、宿題をやると言っていたができず、そのままグズグズとなってしまい学校は欠席。妻と私はそれぞれいつもの職場で粛々と仕事。息子、夕方の習い事は行った。

 

7月14日(金)

朝食時、娘が期末テストの成績を見せてきた。好結果だったので褒めていたら、息子が小さい声で「どうせ、俺バカだし。俺はダメだし」とズブズブとネガティブモードになってしまったので、「いや、お前は優しいし、お前は面白い! お前は最高だ!」と伝えたところで、復活せず。そして、褒めの途中で、弟に話題を持っていかれてしまった娘も、「どうせいつもパパとママは弟ばっかり!」と拗ねてしまった……。

 

夕方、息子の学校にて担任の先生と面談。息子は今、苦手な授業の時は廊下で寝転んでいるか、教室の一番後ろに息子専用の席があり、そこで本を読んで過ごしているらしい。

 

息子が過ごしやすくなるように、いろいろと相談する。週1で通級できる支援教室も定員が今のところパンパンだ。生きづらさを感じている子は本当に多い。

 

夜、『キネマ旬報』のKさんと打ち合わせがてらに飲む。酒飲みのKさんが勘で選んだ私の地元のお店がとても良くて、10年以上このあたりに住んでいるのにノーマークだった。油揚げに納豆を入れて焼いたものが美味しい。

 

7月16日(日)

娘、早朝に部活のキーパー講習会で、遠くの学校に向かう。娘はハンドボール部に入ったのだが、ゴールキーパーになったのだ。小学校はサッカー、中学はクラブチームで軟式野球、学校の部活ではソフトテニスをしていた。娘的に競技としては野球がいちばん面白いらしいのだが、娘の高校に女子野球部はなく、野球部のマネージャーかハンドボールかソフトボールで悩み、未知のハンドボールにしたらしい。ハンドボールのゴールキーパーってすごく怖そうだが、頑張ってほしい。

 

午後から息子と妻と『1秒先の彼』(監督:山下敦弘)を見に行く。外が38度超え? らしく、歩いていられない。冷たい物を飲み過ぎたのか、息子と私が15分おきにトイレに駆け込む事態に……。清原果耶さんがものすごく魅力的に映っていた。

 

7月17日(月・海の日)

朝から妻は外出。私は近所の映画館に娘・息子と『君たちはどう生きるか』(監督:宮崎駿)を観にいく。ジブリ好きの娘はいちばん好きな『風立ちぬ』と同じくらい好き!とのこと。息子は「俺は15点!」。私は疲労から寝落ちを繰り返してしまい、判断できずという卑怯者。

 

その後、3人で銚子丸に寿司を食いに行く。娘と息子、物凄くよく食べた。妻がいなくてよかった。帰り、古着屋で娘と息子、ついでに私にも服を買う。

 

7月18日(火)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後から妻と『To Leslie トゥ・レスリー』(監督:マイケル・モリス)を観にいく。演技はすごかったが、最後がやや安易なハッピーエンドになってしまったような……。なんで息子はあんなに簡単に許せるのか……。

 

外に出ると、物凄い暑さ。道玄坂にラーメンを食べに行こうと思ったが、歩けない暑さだったので、近くの「麗郷」に入る。大昔、貧乏時代に願掛けで入って以来だが美味しかった。

 

7月20日(木)

朝からいつもの喫茶店で仕事。昼、帰宅すると、娘と息子がすでに帰宅している。息子は通知表の成績が「父ちゃん、俺、思ったより良かったよ! だからマンガ買ってよね!」と目を輝かせていたから、見てみたら、今までで一番悪いようにしか私には見えず、こいつ何言ってんだとビビったが、1学期はまあまあ学校に行ったし、息子なりに頑張った感触あるのだろう。だからマンガは買ってあげることにした。

 

娘は高校に入って塾をやめたが、やめたなりに一人でよく頑張って勉強していて、私に似て勉強嫌いなのかなと思っていたが、私よりも断然自分で勉強をできる子だった。まあ私と同じくらいだったらかなりヤバイのだが。

 

夜、息子と『ビバリーヒルズ・コップ』(監督:マーティン・ブレスト)を見る。息子はなぜかこのシリーズが好きなのだ。

 

7月21日(金)

本日から夏休み。娘はほぼ毎日部活があるようだ。息子も今年はキャンプの連打や私と二人だけの帰省もあるから、忙しいだろう。

 

だが、そうは言っても、夏休みに入った瞬間に、「ああ、早く2学期始まらないかなあ」とは思ってしまうのだった。

 

夜、息子と『ビバリーヒルズ・コップ2』(監督:トニー・スコット)を鑑賞。息子はよくYouTubeで主題歌の「シェイクダウン」を聞いている。

 

7月22日(土)

朝からいつもの喫茶店で仕事。夜、妻は高校の同窓会で外出。娘と息子は近所の公園の盆踊りに行った。コロナでずっと中止だったので、息子は盆踊り自体を覚えていない様子で、出かける間際、なんだかソワソワしていた。

 

「俺は孤独のかき氷をやるから!」と誰も聞いてないのに大声でわめいているのは、一人ぼっちになってしまったときの奴なりの予防線なのかもしれない。リュックには一人ぼっちになった時用の漫画が5冊、ジェイソンのキーホルダーなども入れてメチャクチャ重い。これも奴なりのお守りだろう。

 

にしても、友達とまったく約束もしていないのに行くというのがどんな結果になるのか私はドキドキしてしまう。息子が傷つくことがなければいいがと思っていると、21時半過ぎても息子も娘も帰ってこない。高校生の娘はきっと幼なじみたちとだべっているのだろうが、息子はいったい何をしているのか?

 

私の頭に浮かんだのは、仲間外れにされて一人でブックオフでしゃがみ読みしている息子の姿だった。ありうる。十分すぎるくらいありうると思った私は家を出てブックオフへと向かったのだが、その途中で祭り帰りの息子と会った。息子は汗だくで真っ赤な顔をしており、友達と鬼ごっこをしていたと言った。最高に楽しかったとのことで、私の目頭もついつい熱くなったが、重いリュックは背負ったままである。「え、君、このリュック背負ったまま鬼ごっこしてたの?」と聞くと「うん」とのこと。軽くめまいがしたが、まぁ仕方ない。

 

全身砂まみれ&汗まみれなので、玄関からそのままシャワーへ直行。すぐ寝るかと思ったが、興奮しているのか全然寝ない。ようやく寝たかと思ったら、1時半ごろ、むくっと起き出して漫画を読み始めた。ドーパミンが出ているのか、薬をキメている人みたいでちょっと怖かった。

 

7月23日(日)

娘、練習試合のため5時起き6時出発。途中、試合のソックスが見つからないとブチギレ、それをあてつけられた妻も、娘の準備を手伝っていたのだがブチ切れ、私は娘の弁当を作りながら、どっちにつくべきか思案しつつ朝からカオス。睡眠不足の息子も耳を押さえて起きてしまい、真夏の早朝から家族全員ギスギス&イライラモード。

 

今日は娘の練習試合を観に行く予定にしていたのだが、「私は行かねえぞ!」と妻は宣言し、「くんな、くんな」と娘も応戦。私は楽しみにしていたのだが、娘は「パパもこないで!」とキレて出て行ったので、結局私も行けなかった。

 

息子もプールに行くと家を出たので、妻と「CLOSE/クロース」(監督:ルーカス・ドン)を観にいく。結構な満席具合。期待して見るが、事件が起こるのが予想外に早く、後半は喪失との向き合いだった。私的にはもっと前半を観たかった。

 

その後、妻と昼焼肉を食べ、池袋に来たからには中国食材を買いまくり(火鍋好き)家に戻る。夕方、息子を矯正歯科に連れていく。あと少しで矯正器具が取れるとのことで息子喜ぶ。

 

17時、昔いた婆さん猫のノラの墓参りに妻の友達が来る(北海道在住)。ノラは妻の友人の夫だった渡辺武監督が飼っていたのだ。なぜか息子がはしゃいで、ノラの墓まで激ハイテンションで案内する。

 

妻の友達が帰り、妻がPTAの手伝いで盆踊りに行くというので息子は本日も盆踊り。PTAの打ち上げまで参加し、妻と息子、汗&砂まみれで22時半帰宅。息子、本日もキマッテいた。

 

7月24日(月)

娘が祖父母と朝から旅行へ。息子と妻と新宿へ『ヴァチカンのエクソシスト』(監督:ジュリアス・エイヴァリー)を観る。恐ろしく満員で驚くと共に、70歳超えの先輩方の人数が多く、それにも驚く。映画はとても面白かった。

 

息子に「お昼何食べたい?」と聞いたら、「寿司!」と即答したので、新宿東宝ビル内にある寿司屋に入る。私たち以外の客は全員外国からの旅行客のように見受けた。みんな金持ちだなあ。

 

新宿東横近くを通ると、エヴァンゲリオンの乗り物があったので、ハマっている息子が喜んで激写。その後、昔バイトしていたミラノ座を冷やかしにいくと、あまりに近未来的になっていて驚く。息子はガチャガチャの多さや、ゲームセンターの雰囲気に興奮。30分悩んで、ヘビのガチャガチャをしていた。

 

 

娘が久しぶりにいないので、夕方から息子の保育園友達が泊まりに来る。夜、裏の山にカブトムシを捕獲しに向かうが、こういう日に限って1匹も捕れなかった。(毎日山に行くが、必ず1、2匹は捕れるのだ)

 

息子の友達Hは21時には爆睡したが、息子と、友達Tは23時過ぎてもなかなか寝ない。幽霊の振りをして脅かしたら、キャッキャ興奮してしまい、余計寝なくなり妻がキレた。私に。

 

夕食後のゲーム時間にマスク被って息子たちを驚かそうとするも、完全にスルーされている(by.妻)

 

7月25日(火)

息子のWISC検査の結果が出たので聞きに行く。予想どおり下がっていて少し凹む。やはり困りごとは増えているのだろう。中学選びは慎重にせねばならない。それにしても医者は「ま、問題難しくなってるしね」とか「支援とか薬、考えといて」と言うのみ。

 

なんなんだ、これ。親任せか? 妻がすかさず、「これ、見方がよくわからないので、検査した先生と面談とかできますか?」と聞くと、「はいはーい……」という感じで予約を取ってくれた。しかし2か月先。ダメだこりゃ。これじゃ支援にはなかなか繋がることができないなと痛感。

 

夜、渡辺兄弟の大田原愚豚舎さんのトークイベントに呼んでいただいて、久しぶりに渡辺紘文監督と弟の雄司さんと会う。私が観たのは『生きているのはひまつぶし』という大田原愚豚舎初のドキュメンタリーということだったが、良い意味でいつもの渡辺作品のようにも感じた。

 

ちょっとだけ欲を言えば、私は渡辺監督の創作の秘密を少しだけ知りたかったが、バン・ウヒョンさんとの電話のやり取りや、ご両親との部屋とのやり取りに、映画では垣間見ることのできない渡辺監督がいて、妙にドキドキした。ラストの「テクノブラザース」撮影風景の長回しは、渡辺兄弟独特の多幸感に溢れる場面となっていた。

 

その後に、久しぶりにお二人とお酒も飲んだとても楽しい時間だった。

 

 

7月26日(水)

朝からいつもの喫茶店で仕事。今朝は朝食を食べていなかったので、ホットケーキとココアを頼み、新聞を読んで、「いざ、仕事!」と思ったら、資料一式仕事道具すべて家に忘れていた。激暑の中、帰宅。最近、自分の忘れ物の多さにいらつく。

 

夜、『神回』の脚本・監督の中村貴一朗さん、佐藤現プロデューサーと、トークイベント。私は事前に台本を読む機会があったのだが、台本よりもさらに面白くなっていて、最後のエモショーナルな演出は完全に台本を超えていた。

 

7月28日(金)

娘と神宮球場に高校野球を観にいく。東東京大会の準決勝。第1試合が岩倉対共栄。すごい試合だった。完全に試合を支配していた岩倉だったが、最終回に信じられないエラーが続出してサヨナラ負け。いわゆる勝負に勝って試合に負けるというやつだ。岩倉のエースの投手は、創価高校からの転校生で、去年1年間は試合に出られなかった。2年生野手のエラーでの負けに心中はどうだろうか。第2試合は東亜学園が危なげなく勝った。

 

 

娘は夢中で観ていたが、こんなに野球が好きなら、本心は野球部のマネージャーをやりたかったのかもしれない。背中を押すべきだったかと少し思ったりもした。

 

それにしても両チームがやっていた「盛り上がりが足りないコール」が素晴らしく面白くて、検索したら2、3年ほど前から高校生の間では流行っているらしい。俺もこういうコールをしてみたいが、その機会は今後の人生にはないだろうなあ。青春したいと強く思った。

 

7月29日(土)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。

 

夕方から、息子が習っている格闘技ジムの中井祐樹先生と菊田早苗先生、菊田先生のジムに通っている今西さんがウチに来てくださって飲み会。プロレス格闘技好きの私からすると中井先生も菊田先生も大スター。息子を体験に連れて行ったときは「あ、中井祐樹がほんとにいる……」とか、「菊田早苗だ……」なんて思っていた。たくさん聞きたいことはあるのだが、ファンだと逆に簡単には触れられない。妻は酔っぱらって失礼な態度を取りまくっていたけれど。

 

お二人とも映画好きで(特に中井先生はマニアといっていいほどの映画通)、私の作品を観に来てくださって感激だった。

 

 

7月30日(日)

息子、今日から恒例のキャンプに行くので新宿の集合場所へ送る。日本全国から子供たちが集まって来るのだが、知らない子たちと1週間過ごす。毎年帰ってくるたびに、「もう二度と行かないからね」と言ってキャンプのことはほぼ話してくれないのだが、知らない子たちと触れ合って人間関係に揉まれてほしいので、フィギュアを買ってやることで毎年なんとか行かせている。

 

息子を送ってから深谷シネマに移動して、松本稔さんと舞台挨拶をさせていただいた。

 

※妻より

キャンプに送る時はいつも、息子のイヤイヤスイッチが入らないかかなり気を使いますが、今回は多少の動けなさがあったものの、今までよりは数倍もスムーズに行きました。息子の成長を感じました。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、ついにAGA治療を始め、誕生日に妻から邪険に扱われ拗ねる6月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第39回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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6月1日(木)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。

 

午後からAGA治療の無料カウンセリングに行く。とうとう私も治療をしてみようと思い立ったのだ。その理由としては周囲で治療している人たちのてき面な効果を目の当たりにしているのと、近ごろ急にまた「やっぱりハゲ、やだなあ……」と、このご時世にルッキズム丸出しの思いがニョキニョキと芽生えてきてしまったからだ。

 

私のハゲ歴は高校時代からなので、もうこの悩みと30年以上も付き合っていることになる。そりゃ若いころは嫌で嫌でたまらず、新聞の広告かなにかにあったカツラメーカーの相談みたいなやつに答えたら、もうバンバン電話がかかってくるようになって母親に怒られた。20歳くらいのころは1000円くらいの育毛剤を致死量なんじゃないかってくらい頭にふりつけて、3日で空にしていたが、30歳前くらいに急にどうでもよくなったというのか、まったく気にならなくなった。

 

そして2~3年周期で「やっぱり気になる……」「いやもうぜんぜん気にならない!」という気持ちの浮き沈みを繰り返し、5、6年前の気になる期に「AGAやってみようかなあ……」なんて思ったが、思っているうちにまた気にならなくなりやっぱいいやって感じでやめた。で、去年くらいから冒頭に書いたような気持ちにまたなってきたのは、妻が私を見て今さら「……なーんか禿げたねえ……」と呟きだし、今では普通に「おい、ハゲ」と呼ぶようにもなってきたので、見返してやりたい気持ちもあるのだ(※言ってねーし。ゲーハーだし。by.妻)。

 

で、今日、無料カウンセリングを予約していたのだ。クリニックに入って行くと、いきなり美しいおネエさんが出て来て「ウッ!」と思ったが、生来のМ気質のために、楽しんでカウンセリングを受けられた。「へぇー、ハゲの仕組みってそうなのか! うーん、すごい! いや知ってたけどね、こちとらベテランだから」なんて思いながらも、丁寧な説明に好感を抱きながら聞いていると、いくつかの治療コースを紹介され、結局は高いコースへと誘導される。そして今日この場で決めてくれたら30%OFFに加えて独自のシャンプー付き! と来ました。なんだこれ……と思いながら「奥さんに相談しなきゃで……」と言うと、「今電話できます?」とぐいぐい来るので、電話しますと言って、「怒鳴られました」と言ったら、もう用なしみたいな感じになった。

 

なんだかどよーんとした気分でクリニックを出て、コンビニでアイスを買って気持ちを立て直し、セカンドオピニオン(とは言わないが)に2つほどのクリニックを予約して帰宅した。

 

6月2日(金)

今日は娘の高校の運動会だったため、私は朝からギンギンに気合いが入ってしまい(毎回運動会にこうなるのだが)、無駄に早朝から弁当を作っていたが、作り終えたタイミングで「台風のため月曜日に延期」と連絡を受ける。せっかくなので、そのまま早朝から家で仕事をする。

 

台風はワクワクするらしく娘も息子もスムーズに登校(息子、台風なのに気圧関係ないのだろうか?)。早々にキリが良いところまで進んだので、最寄りの映画館で『怪物』(監督:是枝裕和)鑑賞。終わると大変な暴風雨だったので、徒歩1分の映画館脇のスーパー銭湯へ。妻と暴風雨の中、屋外サウナと屋外温泉に浸り(我々しか居なかった)、一方的に色んなことを喋り倒す。大雨の中の露天風呂になんだかワクワクした。しゃべり過ぎて腹が減り、仕方なくこのスーパー銭湯で腹ごしらえをする。このスーパー銭湯の食事処は何を食べても美味しくないのだ。その後、1時間ほど爆睡して、夕方家に戻る。

 

6月3日(土)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。仕事に行くときはスマホを置いて行くから、喫茶店に置いてあるスポーツ新聞を読むのだが、行きつけのところには私のもっとも信用している「日刊スポーツ」がないのが残念だ。ということは前にも書いたかもしれないが、「日刊スポーツ」の占いは本当によく当たるのだ。ということも前にも書いたかもしれないが、占い好きの同好の士は是非に試していただきたい。

 

午後、AGA治療セカンドオピニオンへ。と言ってもまだ治療を受けたわけではないのだが。しかし、本日伺ったところも、先日のクリニックと流れがほぼ一緒。こうなってくると「え、だいたいこうなの!?」と思わざるをえない。とりあえず、もう一件予約しているところはあるからそこには行ってみようと思う。

 

その後、田端に移動してCINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)で、『雑魚どもよ、大志を抱け!』のトークイベントを共同脚本の松本さんと。暴風雨のお足元の悪い中、満席のお客様。感謝しかない。

 

 

6月4日(日)

今日はレンタル先生だが、気圧がおかしいのか息子の脳調もよくない。息子をレンタル先生に託し、送りボランティアをしているYちゃんの運動会を見に行く。保護者ではないので校庭には入れないが、門にへばりついてみているとYちゃんの徒競走が始まった。若干フライング気味だったが、ぶっちぎりの1位。Yちゃんは勉強や集団生活は苦手なのだが、身体能力が高いので、この強みを活かせるとよいなと思う。

 

30分で帰宅すると、息子の調子すこぶる悪し。急遽、レンタル先生と面談。3桁の割り算と漢字に対し、著しい嫌悪感が出ている。気圧の影響もあるし、自我の芽生え、反抗期の入り口の兆しもあり、丁寧に対応していきましょうと話す。息子はひたすら腹ばいになって寝そべっていた。

 

午後から、劇団普通の『風景』を観に三鷹へ。茨城弁の独特のイントネーションの中で、妙に生々しい会話劇が面白かった。親戚付き合いの中で、踏み込んでいそうで、一線は踏み込まないリアルさ。多くの家庭や親族の集まりに見られる風景だろう。これが私の実家、親戚だったら、皆が一線をガンガン越えて踏み込みまくるので絶対にケンカになってしまうシチュエーションだ。しかし、そんな踏み込みまくりの会話劇というのも書いてみたいなあとは思う。

 

せっかく三鷹まで来たのでなにか美味しいものを食べたかったが、家に娘も息子も籠っているので急いで帰宅。

 

6月5日(月)

台風一過。めちゃくちゃ暑い中、娘の運動会へ。娘の出番に間に合えばいいじゃん、とダラダラ用意している妻にめちゃくちゃ腹が立つ。私は運動会には開会式から行きたい派なのだが、妻は全くの正反対。これは運動会に限らずほぼなんでもだ。私はそのイベントなりなんなりに参加するときは最初からいたい。が、妻はできれば参加時間を短くしたいと考えている。お互い歩み寄れない。

 

高校生にもなるとみんな体が大きいので、小学校中学校と違い、迫力があり見ごたえがある。全員リレーや棒倒し、騎馬戦などにかなり興奮してしまう。娘も相変わらず足は速く、全員リレーで2人抜いていた。走り方は美しくないのだが、迫力があるのだ。応援合戦はダンスバトルとお遊戯のコラボで、全国大会に出場するほどのダンス部の子たちの踊りはカッコよくて、「ああ、俺も踊れるようになりたいなあ」と思った。LL BROTHERSのファンだった妻に、「あんたも踊れるようになりなさいよ」と寒いこと言われた付き合い始めのころのことも思い出した。

 

※妻より

中学生時代にファンだった人をバラすのはやめて欲しい。少なくとも足立よりは断然かっこいいことは確かです。

 

6月7日(水)

朝から仕事。夕方AGAクリニック3つ目。いちばんやる気のなさそうなこのクリニックに決めた。過度な営業も特にはしてこない。治療法のコースも1つだけ。ただひたすらに薬を飲んでつける。

 

正直、クリニックの雰囲気はいちばん暗く、なんだかジトっとしていて、先生もとても暗い感じの方で、何人にも説明して沢山の線とか丸とかで訳が分からなくなっている用紙のさらにその上から書いて何やら説明するという状況であったが、とにかくここに決めた。効果が出るまでは半年かかるという。半年後、どうなっているか、ビフォー・アフターの写真を載せたいところだが、露悪的すぎる気もするので今回はやめておく。ただ、是非ともビフォー・アフターやってくれ! という声が届いたらやろうと思います。

 

※妻より

夫はこの期に及んでどこを目指しているのでしょうか……デブ禿げを気にするところは前からあったのですが、最近の気にし方は常軌を逸しています。ジムもサウナもよく行ってるし。何かのスイッチが入ったっぽいです。乞うご期待!?

 

6月8日(木)

この日もCINEMA Chupki TABATAにて松本稔さんとトークイベント。多くのお客さんに来ていただいて感謝。夜、帰宅すると娘がスマホを落として画面バリバリに壊してしまったと半狂乱パニック。部活の連絡も、学校の提出物も、はたまた友達とのコミュニケーションも取れないと泣き叫んでいた。

 

6月9日(金)

夕方、息子の担任の先生より電話をいただく。

「今週は廊下で過ごす時間が長かったです……。勉強への苦手意識がかなり強くなってますね……」とのこと。

 

廊下で過ごせるメンタルの強さはたいしたものだと思うが、社会に出てこれでは通用しないと、つまらないことを言う高校野球の監督みたいなことを思わず思ってしまった。しかし、「仕事イヤだから廊下に座ってまーす!」と言って笑って許して給料もくれる会社はそうそうはないだろう。

 

妻、いろいろと画策していたようだが、娘のスマホは買い替えないと無理という結論に至る。

 

6月10日(土)

私の51回目の誕生日。

 

朝起きて、トイレに行こうとすると、トイレの床に水たまりができていたとのことで、妻が半狂乱になって掃除していた。誕生日の私に「おめでとう」も言わず「お前がウォシュレットレットを長時間使っているからこうなってんだ!」といきなりくる。そんな訳はないと思うし、誕生日にいきなりそんなことを言われて腹も立ち、今日はオンライン会議もあるし、妻を無視することに決める。

 

午後、息子と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3』(監督:ジェームズ・ガン)を観に行く。キャラクターを1人も知らないにもかかわらず楽しかった。

 

夕方からオンライン打合せ。終わって階下の部屋におりると、妻が手作りのケーキを作ってくれていた。午前中の態度を少しは反省したのかもしれない。ここで食べるのが大人の対応なので、私はここぞとばかりに食べた。とても美味しくて正直びびった。だが24歳のときからずっとくれていたカードがついになしになった。

 

※妻より

反省なんかするわけないです。せっかくケーキの準備をしていたので、もったいないから作ったまでです。カルディのスポンジケーキに生クリーム塗りたくって果物を乗せただけですが

 

6月11日(日)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。日曜でもまったく混んでないのが素晴らしい。

 

妻は息子の中学校説明会&娘のスマホ買い替えの手続きで朝から横浜方面へたまたま横浜方面の中学校説明会を申し込んでいたら、妻の友達が横浜方面のソフトバンクSHOPで働いていることが判明し、わざわざ鴨居駅まで行ったらしい)。

 

午後、娘と息子と「M3GAN/ミーガン」(監督:ジェラード・ジョンストーン)鑑賞。面白かったが昔からこの手の映画はよくあったような気もして、もう少しだけ「ああ、もうこんな世の中になってしまっているのか……」というような怖さもほしかった。その後、中野のまんだらけへ行き、息子と娘はなにかマンガを買っていた。

 

17時から私の誕生会ということで、いつも行く中野の焼肉屋を予約していたが、妻は娘のスマホ手続きが遅れていて、予定通りには到着できないと連絡が来た。妻が来るまでに、上タン塩とか特上カルビとか上ミノとか特上ハラミとか5等級なんとか肉とか、とにかく「上」がつくものを徹底的に注文しまくる。

 

ガンガン食べていると妻が到着。息子が開口一番「ママー!ボク、特上タン塩が食べられるようになったよ!」とうれしそうに言う。偏食の息子はカルビ以外は食えなかったのだが(というか、食べてみようともしない)、今日はなぜか「僕もそのお姉ちゃんが好きなやつ食べてみたい」と言い出し、食べさせたら「おいしい!おいしい!」とペロっと食べてしまう、4皿くらいおかわりしてしまったのだ。(息子の特性はその場でおいしいと思ったら、ほぼその日はそれしか食わない)。

 

そんな息子に妻は「食べられるようにならなくていい!」と言いながら、娘にスマホのことを説明すると、途端に口論が始まった。

 

娘は「iPhoneSEなんてありえないから!最低13以上じゃなきゃ嫌だ。今すぐ返してきて!」と酷い態度を取り、妻はコーン茶ハイを一気飲みすると、「お前、アウト! アウトッ!!!! 明日解約!!!!」と大きな声で言って店を出て行った。この間、約10分。

 

「はいキレたー!」と娘も息子もなれたもので、私だけがこの後の展開を思うとドッと疲れてしまったのだが、とにかく3人で焼き肉を食い続ける。

 

※妻より

疲れているのはあなただけではありません。あーいう時は家族全員疲れているのです。

 

3人で帰宅しても妻はいなかった。「本当に解約されたらどうしよう。ママは本当にやるよね」と娘が言うので、まずはメールでいいからさっきの態度を謝れと言うも、娘もなかなかに頑なではあり(私とケンカになったときもそうだ)、「私も悪かったけど~~」みたいな出だしのメール。「そもそも自分がスマホを落として壊したくせにその態度はないだろ」という妻の言葉を娘も受け止め、妻もわりとすんなり娘を許して解約は免れた。

 

6月12日(月)

朝、送りボランティアでYちゃんを送っている途中に、Yちゃんが激しい癇癪。自分の思い通りにならなかったことが原因だ。Yちゃんのそんな様子を目の当たりにしたのは初めてだったから、やや驚いた。息子とはまた違った癇癪の出方だ。息子の場合は泣き叫び放心して動けなくなる(そう言えばもう泣き叫ぶことはほとんどなくなり、動けなくなるだけになった)のだが、Yちゃんは激しい怒りをこちらにぶつけてくる感じで、これは大人によっては、手が出てしまうのではないかと感じる。育て辛さからの虐待は、言葉としてはよく聞くようになったが久しぶりに実感した瞬間だった。こういうときに、自分自身のもっとも見たくない部分を見てしまう。

 

その後、喫茶店で仕事をして、昼飯を食いに家に戻ると、トイレの水漏れが直らないため、妻がネットで調べた業者さんが来ていた。一体型の便器のため、便器ごと交換しなければならないらしい。それしか方法がなかったのかは分からないが、17年使った便器なので寿命だそうだ。パッキンの交換で済むと思っていた妻は凹んでいる。便器交換16万5000円(工事費込み)。それだけあればなにができるのか思わず考えてしまった。便器のような必要不可欠なものは医療費のように保険がきけばいいのに。家と食べ物はこの世に生まれた瞬間から持つべきという考えに賛成だが、そこに便器も加えてほしい。

 

誕生日から2日遅れて、「渡し忘れていた」と言って、妻がカードを投げてよこしてきた。渡し忘れていたのか、書き忘れていたのかは妻のみぞ知るだが、うれしかった。内容的には例年以上に説教クサくなっていた。

 

6月13日(火)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後、シナリオ作家協会の会議に参加して、その後、何人かの方々と飲みに行った。久しぶりに同業者の方々と話すと楽しい。だが、これからシナリオライターがどのように生き残っていけばいいのかという話になると、途端に明るい未来は見えなくなる。映像を作る部署ではいち早くAIにとってかわられる部署でもあるし。

 

6月17日(土)

朝から猛暑の中(35度超え)、息子の中学校説明会へ(片道1時間半かかった)。授業も見学させてもらったがディベートや水泳の授業を見る限り、生徒個々のペースに寄り添った風景が見受けられたのと(このディベートの輪に息子が入れるのか? とは思ったが、見学したのは中学2年の授業だった)、外見もみんな私服で金髪や紫色の髪、腰までの長髪の子などもいてうるさいルールはなさそう。見た目だけでなく生徒の考え方や特性を先生方も受け入れているような雰囲気もあり、公立のような「皆と同じでなきゃダメ」という同調圧力はあまり感じない学校だった。

 

息子を集団生活できる子に変えるのは、息子も親の私たちも大いにストレスがかかるので、とにかく「うーん、君ねえ、5年生になって廊下に寝そべるのはちょっとあれだけどねえ、まあでも君みたいな子もぜんぜんありっちゃありだよ。うん、まあ多分」などと言ってくれるような中学を見つけたいなと思う。いろいろ調べてはいるが、なにか情報ありましたら是非いただけたら幸いです。

 

一度帰宅し、娘と息子にご飯を作り、夕方から妻と横浜シネマリンにて『にわのすなば』(監督:黒川幸則)鑑賞。

 

黒川幸則監督と、妻の黒川由美子さんが製作した映画で、そこはかとないユーモアに包まれた散歩とまどろみの映画というのか、なんだか心地の良い夢を観ているような感覚になる映画だった。前作の『ビレッジ・オン・ザ・ビレッジ』のときにも似たような感覚に陥ったことを思い出した。黒川夫妻と出演者の方々の舞台挨拶も楽しかった。大﨑章監督もいらしていた。

 

皆さんと一杯飲みたかったが、仕事も残っていたので泣く泣く帰宅。23時過ぎに家に着くと、娘は爆睡、息子はギンギンでYouTubeを観ていた。

 

私にとっては今までにあまり観たことがない雰囲気の映画でとっても面白かったです! 左から黒川幸則監督、カワシママリノさん、村上由規乃さん、黒川由美子さん(by.妻)

【映画 にわのすなば GARDEN SANDBOX (garden-sandbox.com)】

 

6月18日(日)

暑い。あまりに暑いので、今日は涼しい映画でも観に行こうと、息子が観たがっていた『ブラック・デーモン 絶体絶命』(監督:エイドリアン・グランバーグ)を観に行く。娘も誘ったが試験間際なので遠慮するとのこと。サメ映画好きの息子は楽しんだようだが私はイマイチだった。サメに迫力がなさ過ぎたのと、崩壊寸前の油田というワクワクするシチュエーションがいきてなかった。

 

観終わり、「昼はなに食べたい?」と聞くと即答で「寿司!」と答えたため、寿司屋に入る。飲み込むように寿司を食べる息子の姿が可愛い。

 

帰宅すると、妻と娘が銭湯に行っていたため、私と息子も銭湯へ。近所の銭湯のロビーには、常連のおじいちゃん達がいつも5、6人で酒盛りしているのだが、息子はその場が好きで、ニコニコしながらおじいちゃんたちとテレビを見て、ジュースを飲んで、つまみをもらっている。私は早く帰りたいのだが……。

 

6月19日(月)

苦手な月曜日にくわえて曇り空低気圧のダブルパンチで息子は起きられず学校はお休み。我々親がいると、どんどん攻撃的になってしまうため(多分、自分でも学校に行けないことが嫌なのだろう)、私と妻も早々に家を出て、いつもの喫茶店で仕事。

 

夕方帰宅すると、息子の調子は回復していた。習い事の柔術にも行って、ゲームの攻略を聞いてきたとのことで機嫌よくベラベラ喋っている。「明日は学校行くから」とのこと。

 

それにしても、現代が不寛容になった感覚もあれば、息子のように学校を休んでも外で遊んだり、習い事に行くのはぜんぜんOKな世の中にもなっているのはうれしい。ただ、「お前、学校休んでたのに、遊んでんじゃねえよ」という同年代の子たちはいるが、親世代でそれを言う人はほとんどいない感覚だ。

 

息子は朝に不調なことが多いのだが、夕方になると元気になるのが、鬱病っぽい症状でちょっと心配になる。とりあえず、夏休みに発達支援センターの予約が取れたので、行って相談してみようと思っているが、発達支援センターといえばあの時の悪夢が蘇らないでもない。(2021年12月7日の日記

 

息子は学校休んでも元気になるわけではなく、鬱々とどんよりしている。でも、そんな息子の近くにはいつも婆さん猫たちがいるので頼もしい(by.妻)

 

6月21日(水)

朝から仕事。久々に息子の療育に付きそう。息子は療育の一環で3Dプリンターで作品を作っているのだが、なんだかよくわからないもの作ったなと見ていると、なんとかいうマンガのキャラクターらしい。

 

夜、娘の好きな人へのLINE返信文面に時間をとられる。「パパはセンスがない」とまで言われる。さっさと告白しちまえばいいのに……と思うが、告白はあり得ないとのこと。かくいう私も、いわゆる告白というものをしたことがなく、それはこれまでの人生でかなり大きな後悔として残っている。

 

6月22日(木)

朝から仕事。その後『aftersun/アフターサン』(監督・脚本:シャーロット・ウェルズ)鑑賞。すごく良かった。内容とは関係ないが、まだ娘が小さかったころに、2人で岡山県にシナハンに行ったことがある。そのころはまったく仕事がなくて、瀬戸内を舞台とすることが条件のシナリオコンクールに応募しようと思ったのだ。自転車のカゴに娘を乗せてブラブラとしていたのだが、この子を幸せにできるだろうかと川沿いの土手を走っているときに泣いてしまったことを思い出した。4歳くらいだった娘は記憶にないだろうが、もう少し記憶に残るような年齢にときに行っておけば、「あの時のパパってなんだったんだろう」などと少しは思ったりすることもあったかもしれないなどと思ったりした。

 

それにしてもこういうバカンス映画が欧米には多いが、どんなジャンルにせよバカンス映画はなぜか好きだ。

 

6月23日(金)

朝から仕事。夕方、仕事でお世話になったI監督夫妻と夫婦で会食。飲んだりするのは初めてに近いのだが、あっという間に時間も過ぎ、終電間際までとても楽しく過ごさせてもらい、運転免許を取る約束だけはした。

 

6月24日(土)

早朝の5時から仕事。本日は茨城県のあまや座さんに舞台挨拶に行くためなのだが、疲れも溜まっていたので10時にいつも行くマッサージに行ってしまった。90分、ひたすらに右肩甲骨の身をほぐしまくっていただく。私は疲れの90%が右の肩甲骨にたまるのだ。

 

マッサージが終わりスマホを観ると妻より「JRのサイトがダウンしてるから、池袋のみどりの窓口並んでくる」とのLINEあり。本日行く「あまや座」の最寄りの瓜連駅が無人駅だから紙の切符を取る必要があり、ネット予約していたが発券できないかも、とのこと。それは妻に任せ、家で青汁とユンケルを飲んで駅に向かう。無事、チケットが取れたとのことで、上野駅構内で寿司を食べ、特急に乗車。瞬間爆睡。

 

2時間後、あまや座に着き、松本稔さんとトークイベントを。あまや座は「スーパーあまや」の跡地に作ったミニシアターだ。事務所は廃バスを改装した秘密基地のような雰囲気で、そこに住みたくなるようなところだった。若い大内支配人が1人で立ち上げたらしい。素敵な作品のラインナップの中に、『雑魚〜』を入れていただき大変ありがたい。その後、大内支配人と司会をしてくれたタポシさん、いつもいろんな映画祭でお会いする小薗夫妻たちと共に、酒蔵がやっている蕎麦屋さんで蕎麦をいただき、閉店まで話して帰宅。今日は終電前に帰れた。

素敵な映画館でした!お客様も温かくて嬉しかったです。是非また来たいです(by.妻)

 

左から脚本の松本稔さん、司会の山田タポシさん、大内支配人です(by.妻)

 

6月25日(日)

今日は息子と映画に行く約束をしていたのだが、昨晩泊まらせていただいていたママ友から「映画やめて遊びたいって」とLINEが来たので、午前中は仕事をして、午後から『私、オルガ・へプナロヴァー』(監督:トマーシュ・ヴァインレプ、ペトル・カズダ)鑑賞。

 

対人関係の築き方が苦手な主人公の若い女性が、どんどん孤立していき、最終的には「復讐してやる」と言ってトラックで集団殺人をする実話。どうすればその人を孤立させずに済むのかが大変難しい。本人が人付き合いが苦手で、攻撃的に出てしまいがちだから、周囲も関わらないように避けてしまう。でも、放っておくと、本人はどんどん孤立し、被害者意識も増幅し、恨みや怒りの感情に発展してしまう。とにかく暗澹たる気持ちになる映画で、私はやはり映画というのはこういった現実をこのくらいきつく描きながら、でも、なにか希望という言葉を使うと安易だが、とにかく絶望と現実を見せつけるだけでは、人に響かないような気がするのだ。

 

「それを誰が観たいの?」とプロデューサーから言われかねない(しかし、この「誰が観たいの?」って死ぬほど嫌いな言葉だ。その企画を出した本人が観たいに決まっている)。

 

今、私も「イヤな人」(仮)というタイトルの物語を考えている。(こうしてこの場に書けば、書ききらないと恥ずかしいから書く)。「あの人って、どうしてあんなにイヤな人なんだろう? 人に対してなんであんなに攻撃的なんだろう? しかも弱い人に」という人が人生の周囲にいたことがある。当時は「なんだこいつ? ただのバカで最低の奴かな」などと思っていた(ざっくりとだがアメリカンニューシネマの主人公たちは、このような人間をちょっとヒロイックに書き換えていたものが多いと思う)。だが、いろんなことが解明されてきて、もはや人間を正体不明のなにかで描くことは無理だと思うし、したくない。そのスタート地点から、ではイヤな人がどう生きているのか、生きていくのかという話を書きたくて、モヤモヤと悩んでいるのだが、なかなかエンターテインメントとして書くのが私の脳では難しい。でも、今やるテーマなのではないかと思っているからどうにか、最低でもシナリオの形にしたいと思っている。

 

帰りにスーパーでタイムセールになったホタテとマグロと鯛と青ソイとヒラメなどのお刺身を大量に買って帰った。娘と息子も大喜び。夜、息子のおすすめの韓国ホラー映画『第8日の夜』(監督:キム・テヒョン)を鑑賞。

 

6月26日(月)

昨晩はご機嫌な息子だったが、やはり月曜の朝は不調で鬱モード。仕方がないので学校は休み。なので、妻も私も終日、外で仕事。とにかく脳が不調なときは妻も私も、息子と距離を置くようにしている。お互いが傷つけあってしまいそうで。それが正解かどうかは分からないが。

 

6月27日(火)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後、近所のチョコザップに行き、YouTubeで高校野球を見ながら30分走って、チョコザップの近くの銭湯でサウナ。その後、再度違う喫茶店で仕事。バナナジュースを飲む。

 

夜、坂田聡さん、宇野祥平さん、清水伸さんと飲む。話題はエロ、ハゲ、愚痴、たまに熱き語り。皆さんだいたい同年代なので話もはずむ。とても楽しいひと時でした。

 

【妻の1枚】

意中の人へのLINEの返信相談が長すぎる娘に、「もうあきらめちゃいなよ」と余計なことを言い、その後フルボッコされた息子。 私と夫は返信のネタが尽きました。 暑くて猫達は溶けてます(by.妻)

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳JKの娘の「恋バナ」に耳を傾け、息子の告白に涙する5月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第38回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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5月1日(月)

GW中ということもあるのだろうが、息子の行き渋りがなかなかに激しい。とにかく、またすぐに休みになるからと説得して学校まで送って行く。学校近くで同じように遅刻をしている同級生を発見した息子は、彼の名前を呼びながら走って行ったが、その子から全く反応はなかった。やがて息子は声をかけるのをやめて、その子のうしろを2メートルほどの距離をあけてトボトボと歩いて校門の中に消えて行った。

 

見たい光景ではなかった。気分は沈んだが、上げる術を知らないのでそのままいつのも喫茶店に行って仕事。昼過ぎ、家に戻り朝の光景を妻に話す。解決のしようがないから、ただただ胸に残る痛みを二人分にして薄めた。

 

息子が帰って来るのを迎えて、朝のことを聞こうかどうか迷ったが、聞いた。すると、息子のほうはさして落ち込んでいる様子はなく、最近、彼のやっているオンラインゲームの「フォートナイト」にずっと入ってない僕にムカついてるんじゃない? と言う。

 

落ち込んでいる様子が見られないのは、親にカッコ悪い姿を指摘されたくなかったからなのかもしれないが、真意は分からない。ただ、こういうときは夜に荒れることもある。そんなときに家を空けるのがちょっとばかり憚られるが、夜は横浜シネマリンにて上映中の映画『タスカー』の鎌田義孝監督、大﨑章監督とのトークイベントがあったので行く。

 

イベント後、来てくださっていた何人かの知り合いも含めて近くで飲む。こうやって私は気分転換できるからいいが、家の様子は気になる。ただ、もし息子が荒れたとしてもこの時間から帰っても確実に寝ているので、結局私は終電ギリギリまで飲んでしまった。

 

5月2日(火)

昨日、息子は特に荒れる様子はなかったとのことでホッとした。今日行けば、明日から休みということで踏ん張って学校へ行った。

 

いつもの喫茶店で仕事ののち、夕方近くから我が家で打ち合わせ。まだ海のものとも山のものとも分からない企画に関して、二人の若手ライターのY君、Kさんにプロットを書いていただく。うまく進むといいなと思う。

 

5月3日(水)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。午後、妻の知り合いのはちみつ・亜紀子さんの家でBBQ。

 

私ははちみつさんとお会いするのははじめてなのだが、妻が何度かはちみつさんの作ったケーキやら料理やらをお土産に持って帰って来たことがあり、それがあまりにも美味しかったので、今日のBBQには絶対にくっついて行こうと思っていたのだ。

 

妻がはちみつさんに出会ったのは、映画『嘘八百』シリーズをご一緒している今井雅子さんを介してであり、私は人見知りなのだが、今井さんも、今井さんの夫の杉田さんもいらっしゃるとのことだったので、私も息子とくっついて行ったのだが、大正解であった。

 

焼き肉のタレ2種類からドレッシングからすべて手作りでどれも大変美味しく、私は高校生のように貪り食った。そしてドカーンと作られていた2種類の大きなケーキも大量に食してしまった。

 

そしてなんと言っても、そこにいらしていた女性陣の方々が皆さん大変に魅力的で楽しい方ばかりで、人見知りな私もついつい調子に乗ってペラペラ話してしまい、「なんかママ友みたいだよね?」と言われてとてもうれしかったのだが、妻はそんな私にイラついていたらしい。

 

※妻より

いらついてはいないです。ただ、私のことをケチだとか、家のご飯は全て僕が作ってます! とか間違ったアピールばかりする姿が鼻についただけです。

写真は麻布十番の日進ハムのソーセージ(偶然にも足立が昔バイトしてました)と、亜紀子さんが作ってくれたノルウェーの「世界一のケーキ」だそうです。他、何もかも美味しかったです!

 

5月4日(木)

妻と息子は公園で保育園時代の友達やママ友たちとピクニック。私は一日中仕事をした。息子は途中から友達と遊ばず、ずっと母たちのところでマンガを読んでいたとのこと。きっと脳調が悪かったのだろう。

 

5月5日(金)

娘と息子と『ザ・スーパー・マリオブラザーズ・ムービー』(監督:アーロン・ホーバス、 マイケル・イェレニック)を観に行った。まったく期待していなかったけれど、面白かった。妻は私の妹と井の頭公園でピクニック。子育て相談、私の実家の親のことなどを話していたらしい。

 

5月6日(土)

午前中仕事。午後から大阪に行く。夜、マテリアルカフェというところで『喜劇 愛妻物語』の上映があるのでそれに妻と参加するためだ。

 

夕方くらいに到着して鶴橋で焼き肉を食べた。美味しかったが、以前も来たことのある店に入ってしまい、なぜ違う店にしなかったのかと思った。

 

その後、マテリアルカフェに行き、『喜劇 愛妻物語』の上映後、にトークイベントと懇親会。満席になりうれしい。いつも声の出演でお世話になっている藤本幸利さんが奥様と一緒に来てくださったり、『喜劇 愛妻物語』にも出演している俳優の石垣登さんも来てくださったりして、旧交をあたためた。

 

 

5月7日(日)

7時起床。8時ホテル出発。新大阪駅で駅弁と551を購入し、新幹線乗車。18時間しか滞在しない大阪だった。

 

昼、自宅到着。そのまま夕方まで仕事をしてから近所のステーキ屋さんに久し振りに家族4人で夕食を食べに行く。娘400グラム、息子350グラムのステーキ、飯大盛り(お代わりも)を食らう。うちの子どもらは身体はでかくないが本当によく食う。子どもの誕生祝いはだいたいこの店に行く。牛のたたきもうまい。

 

5月9日(火)

午前中仕事。16時から娘の塾の面談。週一なんだし続ければいいじゃねえかと思うが、辞める意思固し。致し方ない。しかし、この勉強嫌いは本当に私に似た。

 

5月10日(水)

朝から仕事。夕方息子を療育に連れて行く。帰りに二人でケバブサンドを買い食いしてしまい、夕飯が食べられなかった。

 

夜、娘の恋バナをひたすらに聞く。恋バナと言ってもまだ付き合っているわけではなく、自分の好きな相手とLINEだけで会話をしており、いちいち気の利いたかわいい返信をしたいというので、私や妻にその返信内容を考えろと言うのだ。そして、気の利いた返答を考えて伝えても「……それ、かわいくない。『○○だもん』の語尾が可愛いんだって」というようなダメ出しが3回ほど続くのでイライラすることもある。

 

それにしても、好きな人の話をこれほどまでに親にするってどういうことなのか? 私は好きな人ができても親にはまったく話さなかったから娘の感覚はよく分からない。「いいじゃん、そんな話をしてくれるなんて」と言う人も周囲にいるが、ずっと同じ話を聞いているのもかなり疲れる。「親父だから娘の好きな人の話が面白くないんでしょ?」と言う人もいるが、妻も疲れると言っている。

 

まあでも、娘はその恋がとても楽しそうなのでそれが一番良い。もしも付き合うことになれば、その男の子が私のような嫌なやつでなければいいなと思う。私より嫌なやつであれば、そこに加わるのは暴力なので本当に最悪だ。私は私を基準にして男という生き物を考えてしまうから、どうしてもロクでもないやつしか浮かばないのである。

 

5月11日(木)

朝からオンライン打合せ。夜、息子が格闘技教室で好きだった二つ年上の子がウチに来てくれた(3月30日の日記参照)。

 

息子は大喜び。彼は中学に行って早くもケンカをし、彼女もできたらしい。彼女の写真を見せてくれた。息子が「いいなあ。俺も彼女ほしいなあ」と言うと、「お前もちゃんと生きれば彼女できるよ」とその子は応えたが、息子は「それは無理だな」と言った。

 

妻はその子に「あんた、彼女できて良かったねえ!」と抱きついて喜んでいたが、正直ちょっとキモかった。なんで中学生に抱きついてんだ。まあ、とにかく彼と会って、息子がうれしそうだったのが何よりだ。

 

※妻より

彼女ができて喜んで抱きついたのではありません。彼とLINEのやり取りもしていたし、その日色々話していて、あまりに急激に大人びたから感動しただけです。そして、息子にとても優しい言葉をかけてくれた感激もありました。まぁ、少し酔ってはいましたが。

 

5月12日(金)

朝からいつもの喫茶店でひたすら書き続ける。

 

夕方、映画学校時代の友人Ⅿが長野から来る。彼は今、行政書士をしているのだが、教員免許資格取得のスクリーニング受講のため上京して、我が家に宿泊。オンラインで年に一度は飲んでいたが、対面で会うのは6、7年振りだ。

 

彼は今、家族に関していくつかの大きな問題を抱えながら生きているのだが、50歳にもなればたいていの人が大小様々な問題を抱えながら日常生活を送っているだろう。そのことにどのくらい耐えられるのか、耐えられないのかは、生まれ持った脳の資質のような気がするのだが、まあとにかくその問題を抱えながら解決することもなく、それに脳と身体が慣れながら、人はいつの間にか死んでいくのかもしれない。

 

出版社トゥーバジンズさんのnoteで連載が始まりました。なんとテーマは脚本です。生業にしておきながら、私にとってはハードルの高いテーマです。良かったら是非読んでください。

 

とある脚本家の言い訳と御託

 

5月13日(土)

夜、昨日から泊まっている友人Ⅿとともに30年振りに会う友人Sさんが営んでいるお店に行く。

 

Mとは映画学校の同級生だが、そのころ、我々は池袋にある舞台芸術学院という俳優学校にも週に3回、夜間に通っていた。Sさんはそこの同級生だ。舞台芸術学院の夜間部は様々な年代の人が通っていて、Sさんは当時23歳くらいで大学を出て働き始めたばかりだった。私は日本映画学校の1年生だったから社会人であるSさんのことがずいぶん大人に見えた。(ちなみにSさんのお爺さんは日本を代表する映画監督だ)。

 

舞台芸術学院を卒業後、私やⅯはSさんとともに劇団を作ってしばし活動していた時期もあり、私の初舞台はSさんが作・演出の芝居で、漫才師の役だった。

 

そのSさんが今はイタリアン居酒屋を営んでいて、行こう行こうと思っているうちに年月はどんどん過ぎて、結局30年振りの再会となったわけだ。もう一人、舞台芸術学院の同級生で、当時はまだ高校生だった女性のTさんも店に来ていて昔話に大いに花が咲きとても楽しいひと時だった。

 

Tさんは当時は高校生というだけでずいぶん幼く見えたが、二つ年下でしかない。Sさんも三つ年上なだけだし、この年になると実はほぼ同年代と言ってもいいのに、なぜかあのころの感覚になってしまう。先輩後輩のような関係のある日本特有のものだろうが、それもまた悪くないよなあと思うのだ。それを嫌いだという人も大勢いらっしゃるし、場合によっては私も嫌いにはなるのだが。

 

5月14日(日)

朝から仕事。午後、家族4人で『名探偵コナン 黒鉄の魚影』(監督:立川譲)を観に行く。私は人生初コナンで、実はコナンが本当は高校生であることすら知らなかったのだが、それでも面白く観られた。

 

原作者の青山剛昌先生は、私の高校の先輩であり、当然面識はないのだが、先輩であることを多分100回以上は口に出している。

 

5月16日(火)

朝から仕事。15時から息子の小学校の面談に妻と共に行く。

 

トイレ閉じ込められ事件、教室のドアが外れて大勢に責められた事件、係に一人だけ入っていない事件、授業中にマンガを読んでいる事件、算数と外国語の授業はほぼ廊下で過ごしている事件など、息子が家では口に出していない様々な出来事を先生から聞き、軽く頭痛。

 

特に係に一人だけ入っていない事件は、クラス全員がまずは入りたい係のところに名前を書くらしく、息子はお笑い係に名前を書いたら、それまで名前を書いていた数人の子たちが他の係に移動してしまったらしい。みんな悩みながらいろんなところに名前を書いたり、移動したりするから、それがわざとかどうかは分からないが、とにかくそのことに傷ついた息子は、「俺はどの係にも入らない」と宣言し、現在無所属とのこと。

 

こういう無所属って小学生のころは悪目立ちするんだよなあ……と思いつつ、うまく集団生活をできていない息子の様子がどんどんくっきりしてきて聞いていて胸が苦しくなる。だが、基本的にはそれでも明るさはあり、学校への完全なる拒否反応は見られないので(勉強はかなり嫌なのだが)、様子を見ながら連携を密にしましょうということを先生と話す。

 

5月17日(水)

朝から仕事。夕方からオンライン打合せ。

 

オロポ(オロナミンCをポカリスエットで割ったもの)をどうしても飲みたくなって、私が近所のスギ薬局に買い物に行こうとすると、息子がついて来ると言う。こういうことは滅多にないのだが、なんだろうと思ったら、帰りに近くの児童公園でキャッチボールがしたいという。息子は野球チームに入っていたこともあるが、練習時間の長さが肌に合わずやめた。だが、たまにこうしてキャッチボールをしたがることがある。薄暗い電燈の下でキャッチボールして、そろそろ帰ろうかというとき、急に息子が学校生活のことを吐露しはじめた。

 

昨日、面談のあとには先生からいろいろと聞いたことは息子にはあえて言わなかったのだが、あまりにタイミングが絶妙で驚く。息子が言うには、今、とにかく学校がイヤであると。3年生のころの不登校時よりもイヤであると。なにがイヤかというと「ボッチ」がものすごくイヤなのだと。

 

学校に行ってから帰るまで、一日中ほぼ誰とも話さない、昼休みは友達が楽しそうに遊んでいるのを見るのが辛いから、給食を食べたらダッシュで図書室に行くのだという。

 

「誰も話し相手がいない僕の気持ちがわかる!? すごい辛いんだよ! 給食終わったら、走って図書室に行くんだよ! なんでかわかる!? みんなが楽しそうに遊んでるのを見るのが辛いんだよ! すごいでしょ! とにかく僕は今、『運命の巻戻士』しか友達がいないんだよ!」

 

と、なにか大発見でもしたかのように熱弁を奮う息子の様子は、持って生まれた明るさを備えつつ話すものだから、こんなときですら可愛く見えるのと、いつの間にこんなにも自分の思いをくっきりと説明できるようになったのだという成長を感じるのと、空気が読めず余計なことを言って場をしらけさせたり、自分のしたいことだけしかしないから友達とうまくやれないのに友達を欲してしまう切なさで、聞いていて私は涙が滲んできてしまった。

 

すると息子は「パパ、まさか泣いてるの?」と言った。「そりゃ泣くよ」と私は答えた。「なんで? 僕が可愛そうだから?」「そうだよ」「パパ、良い人だね」などという会話をした。

 

息子は今、とてもマンガが好きで『運命の巻戻士』(木村風太・著)、日野日出志や楳図かずおの作品をはじめ、いろんなマンガを読んでいるから、そういうやり方は良くないのだろうが、学校に1週間行けたらご褒美として漫画を1冊買ってあげる。それでも、どうしても学校が嫌なら別の居場所を考えようなどと言ったら、息子は「じゃあ『運命の巻戻士』の3巻を買ってよ!絶対だよ」と言った。

 

家に戻り、家の前で私は息子に「パパが泣いたってママに言いなよ」とこんなときでも、そんなことを言うと、かわいい息子は「分かってるよ! パパ、良いところをアピールしたんでしょ!」とうれしそうに言った。だが妻は特に反応しなかった。

 

5月18日(木)

昨晩、あんなに素直だった息子だが今朝は朝から通常通りに不機嫌。

 

休んでもいいぞと言ったが、マンガを買ってもらえることがエサになっており、「行くよ」と出て行った。妻はこういうやり方を良しとしないから、複雑そうに見ていた。なにかエサがなければ動かない子になってしまうのでは? という思いが妻にはあるからだが、それは私もそう思う。

 

だが、なにかモチベーションがあれば行けるのなら学校に行ったほうがいいと思うし、マンガが好きだからと言って、ただ闇蜘蛛に買い与えているよりは、なにかハードルを一つ越えたら買ってあげたほうがいいような気もして……。分からないけれど、正解はないというのがその道のプロの方たちの本にも書いてあるし、その子にあったやり方があるはずとのことらしい。どのやり方が息子に合っているのかも分からないが。

 

その後、今日は休養日にしようと妻と『TAR』(監督:トッド・フィールド)を観に行く。いろいろと分からないことがたくさんあり、映画を観終わったら妻に聞こうと考えていたのだが、観終わるとスマホに実家から、車がとうとう廃車になったので新しいのを買おうと思うと連絡が来ていた。

 

父親ももう80歳だ。これだけ老人の事故が増えているときに、新しく車を買うなんておいおいとも思うが、両親の住んでいる鳥取の片田舎では「車がなくなる=ほぼ死」のような状況に陥るから買ったほうがいいとは思いながらも、とにかく事故だけには気をつけてほしいと何度も念を押してしまう。

 

妻と羊の焼き肉屋に入り、『TAR』の話をしようと思っていたが、実家の車買う(私がいくらか出資する)話から、息子の話などに展開してしまい、結局映画の話はほとんどできなかった。

 

そんな色々悩み多き中でも、夫の食欲は目を見張るものがありました。羊の丸焼き、ほぼ一人で食しました。私は焼酎がぶ飲みするにとどめました。(by妻)
いや、けっこう食ってましたけどね……(by夫)

 

5月20日(土)

朝から仕事。午後、練馬駅前でやっていた難民フェスにいく。ウチの2階にいるSさんのような難民申請中の仮放免の方々が、バッグや料理を作って売るので支援するお祭り。入管法が変わろうとしている今、皆さんの怒りのようなものがダイレクトに伝わってくる場面もあった。

 

物販を購入すれば代金は寄付されるとのことで、それくらいしかする術のない私はTシャツを購入した。

 

5月21日(日)

朝から仕事。昼から息子をわんぱく相撲に連れて行く。家で相撲の練習をしているときは私に思い切りぶつかってこれるのだが、いざ試合となると、自分からはいけない。相手がぶつかってくるまで待つし、相手が攻めてきたら自分もようやく力を入れる。常に受け身なのだが、それは息子の優しさなのだろうと思うことにする。1回戦で負けたから、さぞ悔しがっているかと思ったが、同じく1回戦で負けた別の学校の子と仲良くなっていた。人懐っこいのも息子の良いところだ。それが過ぎるから特性ではあるのだが。

 

 

5月23日(火)

朝から雨。登校前の息子の脳調はあまりよくない。学校行く前にテンションをあげるため、大好きな『インディ・ジョーンズ』を観ていると、ちょくちょく呼びに来てくれる友達が来てくれた。が、息子は『インディ・ジョーンズ』を観たくて動かない(そもそも脳調も悪いが)。妻も忙しくて、朝から2階で仕事をしていたから、1階には私しかいなかったのだが、せっかく友達が来ているのに、そして友達がほしいと毎日言っているのにグズグズしている息子に私も少々イライラしてしまい、「せっかく来てくれてんだから早く行け!」と怒ると、しぶしぶ息子はダラ~~~っと動き出す。そんな息子のノロノロ動作に待っていた友達もイライラ。

 

その友達とは何度もケンカしては仲直りを繰り返しているからいつものことなのだが、友達も今朝は機嫌が悪かったのか、息子に対してやや当たりがきつい。彼の気持ちも分かるよなあと思いながら、二人を家の近所まで送って、妻に「今日は息子もグズグズになって友達もイライラして良くない雰囲気で学校行ったよ。俺があなたに怒られるような感じで息子も言われてた」「え、なんて言われたの?」「お前○○だとか」と報告すると、妻は「それであんたどうしたの?」と聞いてくる。「いや、別にそこまで送って、仲良く行けよって言った」と言うと妻は「お前、バカかよ。そういう発言を目の前で言われて流すなよ。ことなかれ主義野郎が! 息子もダメだけど、そんなことを言った友達のことも叱りなさいよね!友達も息子もそれはダメでしょう!」と言うと、雨の中、ひどいジャージ姿、ひどい髪型で飛び出して行った。

 

そして息を切らせて戻って来た妻は、息子の友人に「私も息子もあんたのことが大好きなんだから、そんなヤなことは言わないでよ! 私、悲しいよ!」と叱りつつ伝えたとのこと。そして彼のお母さんにもLINEしてことの次第を説明すると、母親同士はただちに連携して素早く問題の対処にあたっていた。

 

素晴らしいなと思う。父親はこういう動きが鈍い。いや、父親と言うと性別の問題のようにしているからよくない。私個人がこういった動きがとてつもなく鈍いのだ。見習うようにすると殊勝に妻に言うと、「お前にはできっこねえよ。こっちは子どものケアだけじゃなく、子どもの周りにも常に気を配ってんだよ!」と言われてしまった。「そのタウリ。タウリン飲みます」と自分の不甲斐なさを隠すようなギャグを言ってみたが、当然無視された。

 

5月25日(木)

朝から仕事。夕方から地元鳥取県倉吉市出身の方々と飲む。一人だけ米子出身の方もいる。鳥取県は人口が日本一少ないからなかなか同郷の方と出会うことはないのだが、倉吉市となるとまたさらに少ない。しかも4人中3人が同じ高校。私は違う高校だったのだが、とにかく市内話で盛り上がれるのは楽しい。

 

5月26日(金)

2階にいる難民申請をして仮放免中のSさんから、揃えたい書類があるとのことで相談を受ける。区役所に問い合わせたところ、要領を得ず困ってらっしゃるのだが、Sさんのような状態だと本来は簡単に手にすることのできる書類でもなかなか揃えることができない。かと言って簡単に大使館に行くわけにもいかない。妻と私で役所に電話して揃えられるところまでいったが、先方も面倒なこと頼むんじゃねえよという匂いがプンプンだ。

 

Sさんは入管法が変わることにも当然大きな不安をかかえてらっしゃるが、それに関しては私にできることは何もない。デモに行くくらいで指をくわえて見ているしかできないのがもどかしい。

 

夜、先々週泊まった長野の友人Mが、今週末も土日スクリーニング受講とのことで泊まりに来る。野沢菜のごま油炒めをお土産に買って来てくれたので、夕飯で食った。美味い。

 

5月27日(土)

朝から仕事。夜、長野の友人Mとまたも舞台芸術学院時代の友人Sさんのお店に行く。先日もいた同じ舞芸仲間の当時高校生だったTさんが、舞芸時代の写真をたくさん持ってきてくれてまたも大いに盛り上がる。みんな若い。細い。そして髪がある。

 

5月31日(水)

若手シナリオライターのY君、Kさんと我が家で打ち合わせ。この企画は実現してほしいが、どうなるのかさっぱり分からない。しかし、実現すればきちんと地に足のついた生活を送っている人間の、彼らにとっての普通の生活を描けるドラマになるのではないかと思う。

 

人は生きていればいろんな問題を同時に抱えて生きていかざるを得ないだろう。『メア・オブ・イーストタウン』(監督:クレイグ・ゾベル)がとても面白いのは、主人公はもちろんのこと、登場人物たちがメインストーリーの中だけでは生きておらず、当たり前のように(当たり前なのだが)いろんなことを抱えながら生きている様が描かれているからだ。ミステリーという引っ張りはありつつも、出てくる人間たちを見ているだけで面白くてたまらないのだと思う。『ブレイキング・バッド』(製作総指揮・企画:ヴィンス・ギリガン)だってそうだ。そういうドラマを作りたい。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、妻の会社に就職。しかし給料はナシ! 家族揃って新生活が始まる4月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第37回

 

結婚21年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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4月1日(土)

「映画遠足」というイベントで大勢のお客さんが『雑魚どもよ、大志を抱け!』を観に来てくださった。鑑賞後、参加者と懇親会。皆さん、いろんな意見や感想をたくさん言ってくださり大いに盛り上がった。観た直後の方々とこうして直接お話できる機会はそうないので非常に楽しく時間はあっという間に過ぎてしまい、もっと交流したかったので二次会へ。終電間際まで久しぶりに飲んだ。

 

4月3日(月)

午前中、仕事。午後から息子と中野のまんだらけに行く。春休み中の娘にも声をかけるが、娘は朝からスマホで『新世紀エヴァンゲリオン』にロックオン。大ハマり。

 

ウチになぜか2巻まであった『漂流教室』の続きを息子が読みたいというので買いに行ったのだが、まんだらけに行くとついつい息子も私もハイテンションになり余計なものも買ってしまう。レクター博士のマスクとフレディの爪が欲しくてたまらなくなったが、買って帰ると妻が激怒するのは分かっているので、今回は何とか『漂流教室』の続きと『チェンソーマン』の2巻だけで耐えて、ラーメンを食って帰った。

 

夜、子どもたちの夕飯の準備をして妻と私は仕事の打ち合わせで新大久保へ。韓国料理をバクバク食いながら打ち合わせというか、まだ全くどうなるのか、海のものとも山のものともは分からない企画のうっすらとした話し合い。というか食事会。

 

新大久保まで自転車で行った。街は以前の若者でごった返していた竹下通りの様相。自転車で通行できず、引いて歩いた。まさか大久保にこれだけ若い女の子たちがたむろす日が来るとは思わなかった。そう言えば娘は韓国アイドルも韓国ドラマも見ていないが、服やメイクは韓国系を好んでいる。そして息子は、韓国ブームと関係あるのかないのか分からないが、マ・ドンソクと韓国ゾンビものが大好きだ。

 

4月4日(火)

21回目の結婚記念日。それを記念はしていないが、妻が会社を立ち上げたので私はそこの社員になった。

 

若いころ、いろんなアルバイトをした(というか8年前の42歳までアルバイトしていたから若いころでもないのだが)。そのころはとにかく正社員という言葉に憧れていた。なにかと言うと「正社員にしてあげようか?」とか「それじゃ正社員になれないよ」などと言われ続けたし、そのころはなによりも安定が欲しかったのだ(今も欲しいが)。なので、念願の正社員なのだが、給料はもらえないらしい。

 

※妻より

夫が「正社員にしてあげようか?」などと言われたことは皆無だと思います。「それじゃ正社員になれないよ」は百回くらい言われたことがあると思いますが。単なる見栄ですね。日記でさえも。毎回この日記で「いや、そーじゃねえだろ!」と突っ込みたい事は多々ありますが、下手に突っ込むと、これを読んでいる人から「愛を感じる」とか「のろけてる」などと言われることがあり(そう思われるのは大変心外)、またそれを聞いてニヤついている夫を見るとイラつきがおさまりません。だったら突っ込みなんか書かなきゃいいだろと思うのですが、突っ込まないと足立特有の解釈で有る事無い事好き勝手に書かれるのが癪で、結局突っ込んでしまいます……。

 

息子をレンタル先生宅へのお泊りに送りがてら、妻は法務局に会社設立の登記申請に行った。私はこういうことが一切できないので、全て妻に委託。なかなかに大変な作業のようで、妻は不機嫌だ。午前中で手続きが終わるとのことなので、午後は妻と娘と3人で昨日行ったばかりの大久保に娘のコスメグッズを買いに行く。

 

とりあえず「松屋」に入り安定のサムギョプサルを大量に食らう。昼食後、「イケメン通り」なる通りにて、韓国コスメと韓国厚底スニーカーを購入。娘は偉くご機嫌。その後、チーズボールやら、かき氷やら(このかき氷かなり豪華でフルーツもアイスも美味しかったし、かき氷は粉雪状だった。かき氷には一過言ある私も大満足)、抹茶タピオカなどを買い食いし、15時半に娘を帰らせ、私と妻は仕事に向かった。

 

4月5日(水)

午前中仕事。午後、娘と『シン・仮面ライダー』(監督:庵野秀明)を観に行く。娘は大いに楽しんだようだ。エヴァにハマっているので、監督が同じ庵野秀明だということで、帰りに寄ったハンバーガー屋で何やら語っていたが、『エヴァ』を観ていない私にはよく分からない。だが映画自体は私も楽しかった。

 

※妻より

二人して買ったばかりのパーカーにソース肉汁を垂らして帰ってきました…。全く落ちない。

 

夕方、息子がレンタル先生宅への一泊二日のお泊りから帰宅。勉強は疲れたようだが、妙に達成感を感じている様子。脳調がよい。明日から始まる新学期への不安感への吐露もいつもより少ない。

 

夜、家族4人で大富豪をやる。息子がトランプの輪に入れたこと、新しいゲームのルールを覚えようとしたことに感激。大富豪で泣きそうになってしまった。

 

4月6日(木)

始業式。息子はわずかな行き渋りを見せたがまあまあ順調に学校へ行った。昨晩の大富豪効果かもしれぬ。そういえば、いっときは朝に錦鯉やジャルジャルの漫才を見ると行けるときもあった。その時々で、背中を押してくれるものは違うが、やはり「笑」の力は強いように感じる。

 

4月7日(金)

娘の高校の入学式に妻と行った。1年8組の娘が入場してくるまでにはけっこうな時間を要した。

 

面白かったのは、各クラスによってマスク率が違うところだ。全員マスクのクラスもあれば、ほとんど全員マスクをしていないクラスもあった。

 

娘のクラスは全員マスクだった。娘はマスクをしていると何だか不機嫌そうな表情に見えてしまうので、新しい友達がすぐにできるか親としてはそんな小さなことでも不安になる。とにかく楽しい高校生活を送れるようにと願う。

 

4月8日(土)

朝からいつもの喫茶店で仕事。昼過ぎに家に戻ると朝一緒に出た息子がもう帰っていた。息子は友達と遊ぶと出て行ったのだが、会ってすぐに野球のルールのことでケンカになり、相容れずそのまま帰宅したらしい……。

 

4月9日(日)

朗読劇『したいとか、したくないとかの話じゃない』の記者会見に向かうため10時に家を出る。

 

出演者の方々と私も一緒に記者会見というものに出た。こういうものに出るのは初めてだったのでとても緊張してうまく話せなかった。まあこういうときでなくてもうまく話せないのだが。

 

その後、新宿武蔵野館で『雑魚どもよ、大志を抱け!』の主題歌を作って歌ってくださったインナージャーニーのカモシタサラさんと一緒に、主には主題歌についての取材を受けた。カモシタさんはまだ20代前半の女性で、私の娘でもおかしくない年だ。決して子ども扱いするわけではないが、「ほんとにめちゃくちゃいい子!」と言いたくなる人で、娘の姉にいてくれたらなんて思ってしまうのだが、これは気色の悪い発言なのだろうか? もうそんなことも分からない私にものを作る資格はあるのだろうか? まあそれはいいとして(良くない! と怒られそうだが)、カモシタさんと私が気に入った歌詞の部分が同じなのが嬉しかった。

 

「君の痛みは君だけのもの、美しい鱗になる」という箇所だ。

 

近ごろの世の中はとかく傷つかないように、傷つけないようにということでことが運んでいるように感じる。自分の子どもにしても、とにかく手厚い支援やサポートを受けさせたいと思ってしまうし、人間は人それぞれなのだから、そのそれぞれに合ったやり方、接し方をしようとかなりの理想論を私自身ができもしていないのに言うこともある。が、そう言いながら、心のどこかに「もう少し雑でもいいのでは?」という思いもなくはない。その「雑さ」でこれまでに傷ついてきた人がいて、当然変わるべきところは変わっていかねばならないと思いながらも、生きることはどうしたって傷つくこととイコールだとも思う。そうならない世の中は素晴らしいと思うが。

 

本日は映画の上映後にカモシタさんが弾き語りで主題歌を歌ってくださった。ジーンとした。

 

4月14(金)

今日から2泊3日で別府ブルーバード劇場に『雑魚どもよ、大志を抱け!』の舞台挨拶にいくために、早朝から仕事。15時過ぎの飛行機で羽田から大分空港に向かう。

 

大分空港では3年振りにお会いする映画ライターの森田真帆さんと、パートナーの田尻大樹君がお迎えに来てくれた。お二人ともブルーバード劇場に深く関わっていらっしゃる。1時間もかからず、別府ブルーバード劇場へ。92歳の支配人岡村照さんも、娘の実紀さんも相変お元気だ。

別府ブルーバード劇場の照さん(右から2人目)と実紀さん(いちばん左)

 

みなさんと近所のお店で一杯飲んで(照さん、生ビールは飲むし、ご飯もモリモリ食べるし、本当にお元気!)、上映後の劇場へ挨拶に行く。映画学校の同期で、『雑魚どもよ~』の制作部の太田さん(福岡在住)も観に来ていた。別府ブルーバード劇場のお客様は大変反応が良くて嬉しくなる。

 

その後、またお店に戻り、食事続行。23時ごろ、真帆さん、大樹君、太田さん、妻とホテルに行き、みなさんとお風呂からあがっても色々な話が止まらない。途中アメリカ人だかイギリス人だかのおじさんも入ってきた。午前4時前、体力の限界で倒れるように眠る。(真帆さんは朝一で沖縄映画祭に向かうとの事で、5時の電車で福岡に出発しました。タフ過ぎる)

 

4月15日(土)

寝たのは4時過ぎだが、8時には起きて、太田さん、妻、私の3人で鉄輪温泉の「蒸湯」に入る。野草の上に寝そべって10分蒸されるのだが、滝のように汗と毒素が排出され、野草のお陰で体中から良い匂いもする。週に三日は入りたい。

 

その後、GWに『雑魚どもよ~』を上映していただける日田リベルテ劇場に挨拶に。途中、『進撃の巨人』の壁のモデルになった大山ダムへ向かう。娘と息子は大の進撃ファンなので、写真を送ってやる。というか娘と息子を連れてこない我々はいかがなものかともちょっと思う。

 

大山ダムにて

 

その後、日田リベルテの原支配人にご挨拶し(映画館がカフェのようで、ミュージアムのようで、とても居心地がよかった)、映画館ブレンドのコーヒーをいただきながらいろんなお話を聞かせていただいた。地方でこういう劇場(というか空間)をやっているからこそ、むしろ目は世界に向いているという姿がとても印象的だった。家族と自分にTシャツとアロマを購入。

 

原支配人と

 

日田リベルテの館内

 

夕方、別府に戻り、ホテルのお湯につかってから60分のマッサージを受ける。妻は風呂の後、宿のマンガ(大量!)を読み漁っている。

 

20時ごろ、劇場に向かい、舞台挨拶。また後半30分ほどを、客席の一番後ろで見ていたのだが、ズビズビ鼻をすする音や、笑い声がしてとてもうれしかった。上映後に大樹君の司会で妻と私とで話したのだが、『喜劇 愛妻物語』で来たときもそう感じたが、この劇場のお客様は本当に反応が良くてうれしい。

 

別府ブルーバード劇場。ブルバのお客様は本当に温かくて、フレンドリーで、大変うれしく思います(by妻)

 

別府生まれの俳優、岩永丞威君(いちばん左)は、足立が脚本を書いた『デメキン』に出演してくれました。ちょうど別府にいらっしゃったとのことで、照さんが呼んでくれました。感謝です(by妻)

 

そのまま近所のお店で、大勢のお客様方と交流会。皆さまにご感想を一言ずついただいたり、他の映画の話もしたりして大変楽しい時間だった。そして、刺身、地鶏から、ピザまで何もかも美味しかった。ダイエットが完全に決壊した。

 

23時、ホテルに戻り、また大樹君と太田さんと風呂に入り、上がった後、妻も来て3時過ぎまでくっちゃべっていた。二日連続でこの時間まで起きていたのなんて何年ぶりだろう。とにかく楽しい二日間だった。

 

4月16日(日)

6時半にホテルのロビーで太田さんと待ち合わせして、空港まで送ってもらう。空港で地元の卵かけごはん定食を頂き(美味しかった)、太田さんと別れて8時半の飛行機に乗って帰京。

 

昼過ぎ、家に着くと、友達の家に泊まっていた息子が「喧嘩した」ということで家でテレビに没頭している。娘もスマホでアニメを見ている。これは家に居ても良くない時間が流れると直感が働く。

 

妻と私はそのまま家を出て、日曜はいつもの喫茶店が混んでいるので、かつてよく仕事場にしていた近所の高級マンションのロビーというのか、広い共有スペースで黙々と仕事をした。

 

4月17日(月)

今日は長野県の上田映劇の「うえだ子どもシネマクラブ」で『雑魚どもよ~』を上映していただくので私も少し話に行く。なので早朝から仕事をし、午後13時過ぎ大宮発の新幹線で長野県上田市へ。

 

高校生以下500円、声をだして笑っても泣いてもOK。学校に行けない子も映画を観に来ると出席扱いになるという素晴らしい試み。PG12が付いたこの作品をよく選んでいただけたとうれしくなる。息子も連れて来たかった。

 

4月18日(火)

息子の新しい担任の先生と面談して息子の特性を伝える。4年生のときの担任の先生からも引継ぎがなされていて、スムーズに話が進んで良かった。しかも今回の先生は、2年生のときに息子がほとんど行き渋りもなく学校に行っていたときと同様に優しい女性の先生だ。とにかく息子は男性の大声が苦手なのだ。それは家庭でもそうで、私が怒り狂った時は当然のこと、特に怒っているわけではなく、例えば「おーい、そのマンガ片付けろ」と少しの命令形になっただけで、メンタルを崩すこともある。最初は「なぜに!?」と私もイライラしていたが、今はようやくトリセツが少しずつ分かってきた。親でもそうなのだから、それを周囲に求めるのはなかなかなハードルだが、でも、言っておかないとならない……。

 

4月19日(水)

夜、武蔵野館で永瀬正敏さんとのトークイベント。

 

どうしてもこの役は永瀬さんに演じていただきたかっただけに、引き受けていただいたときはうれしかった。出番はさほど多くないが、自分の幼少期の記憶の中にいる人物を、とても魅力的に演じてくださった。池川君と永瀬さんが釣りをしながら話すシーンはこの映画の中でも大好きな場面の一つとなった。

 

トークイベントは非常に緊張したが、永瀬さんがボソボソとした物言いの中に時折りギャグをぶっこんでくださって客席から笑いもおこる非常にあたたかいイベントになった気がする。

 

そしてこの日は1年前に、『雑魚どもよ、大志を抱け!』がクランクアップした日でもあり、佐藤現プロデューサーの誕生日でもあったり、小学生のときの同級生が観に来てくれたりと(実に38年ぶりの再会!)いろいろと感慨深い日となった。

 

4月20日(木)

本日から朗読劇『したいとか、したくないとかの話じゃない』の公演が始まった。本日は篠原涼子さんと荒木宏文さんのコンビ。私は仕事で行けなかったが、盛況だったらしい。

 

4月22日(土)

佐藤仁美さんと山崎樹範さんのコンビの朗読劇を拝見。山崎さんのマザコンぶりに笑い、佐藤さんのラスト近くの夫へ向けた励ましの言葉のところで、自分で原作を書いておきながら、思わず胸にせまってしまった。

 

4月23日(日)

篠原涼子さんと山崎樹範さんのコンビの朗読劇を拝見。篠原さんの、何が飛び出してくるのか予想できない妻にハラハラしながら大笑いした。終了後、出演者の方と演出の新井優香さんらと軽く打ち上げ。篠原さんが、「こういう女性を演じてみたかった」というようなことをおっしゃってくれて(良いふうに解釈しすぎかもしれないが)、とてもうれしかった。

 

4月27日(木)

朝から夕方までひたすら執筆。

 

夜、キネマ旬報のKさんと飲む。わざわざ私の地元まで来ていただき、愚痴やら何やらいろいろと聞いていただく。Kさんにはこれまでたくさん応援していただいたのに、あまり期待に応えられていない自信がすごくある。いつかなにか恩返しできれば……と思うがその自信があまりないのが申し訳ない……。

 

4月28日(金)

朝から仕事。昼、気分転換に映画。『聖地には蜘蛛が巣をはる』(監督:アリ・アッバシ)。胸糞悪くも素晴らしく面白い映画だった。夜、息子がハマっているドラマ『ルーキーズ』を横からチラチラと観る。

 

4月29日(土)

本日、横浜ジャック&ベティにて『雑魚どもよ、大志を抱け!』の共同脚本の松本稔さんと舞台挨拶。観にてくれていた正太郎役の松藤史恩君も、無茶ぶりにも関わらず急遽登壇してくれて盛り上げてくれた。ありがとう!

 

昨日は初めて音声ガイド付きで観て、その後に視覚障害のあるお客様たちとも映画談義をさせていただきました! 臼田あさ美さんの演じるお母さんがとにかく好評で嬉しかった。

 

共同脚本の松本稔さんもおっしゃっていたが、音声ガイドというのは作品の一部なのだと今さらながらに改めて認識。ト書きよりも、ついつい文学的な(文学のことなど知りもしないのに)表現を私は求めてしまいがちだが、それは想像力を働かせるには邪魔なものなのかもしれない。これは、普段のシナリオ作りでもよく行われる議論だ。ガイドを作られている方も、映像系の大学や専門学校で一日だけでもいいから特別授業みたいなことはできないだろうかとおっしゃっていたが、それがないというのがもはやおかしいのではないかと感じた。

 

4月30日(日)

妻が逗子映画祭に明日まで行っていて留守にしているので、今日は娘と息子を連れて近所の回転ずしに行き、妻がいては食えないものを散々食って、その後に古着屋に寄って、娘と息子に服を買って帰宅。3人で楽しく過ごしたが、きっと妻はこう言うに違いない。

「お前は金と物でしか子どもの心をつかめない。それ、全くつかめてねえからな」

だが、私には私のやり方がある。

 

※妻より

「ハレ」状態でしか子どもの相手をできないのは、もったいないなと思います。ほぼ95%の「ケ」の日常を子どもと共に過ごしているからこそ、外食や服や漫画など、その場の欲だけで子どもを釣ることは意図的に止めています。もちろん私も子どもと外食も買い物も行きますよ。ただ、これは頻度の問題だけではない気もします……。

 

 

夜、録画していたEテレの西村賢太追悼番組『魂を継ぐもの〜破滅の無頼派・西村賢太〜』を観た。正直あまり面白くなかった。理由としては、なんだか余裕を感じるあのナレーションの文言と演出だ。「やれやれですね」と言った他人事というのか、ともすると上から目線のようにも感じたからだ。あの番組に出演されていた何人かの西村賢太に救われた方の目線で作ってほしかったなと思った。

 

中学生のときのクラス写真は良かった。不機嫌極まりない表情のようにも、どこか後ろめたいような表情にも見える俯いたままの中学2年生西村賢太に、カメラマンは声をかけなかったのか、あるいは何かかけたがあのままだったのか。ものすごいインパクトのある集合写真だなと思った。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』公開で、芸能人なみのスケジュールをこなす3月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第36回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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3月1日(水)

朝8時、ネット上にて娘の都立高校の合格発表。私立のときと同様に1人で見るという。1分後、合格したと部屋から出て来た娘とハイタッチした。

 

偏差値的には先に合格していた私立のほうが高いが、部活が豊富でいろいろと選べそうな都立に行くとのこと。中学時代は野球のクラブチームでいろいろあった。嫌なことのほうが断然多かった。私としても、監督のことは思い出したくもない。高校では存分に部活や友人との遊びを楽しんでほしい。

 

合格した日に手続き諸々をせねばらないようで、妻と娘は高校に向かう。受験の日について行っても、こういう面倒な手続きは妻に任せてしまうから怒りを買う。申し訳ないです……。私は喫茶店に仕事をしに行く。

 

※妻より

リアルの発言では「俺、そーいうの無理だから!」の一言丸投げのくせに、日記とかSNSでは「申し訳ないです」とか好感度アップ狙って書くから、あざといなーと毎度、ハラワタぐつぐつします。

 

夕方、高校に行っていた妻に様子を聞くと、帰宅時に娘が通う高校の生徒らしき声の大きい陽キャのリア充を何人か目撃し、娘はなんだかちょっと複雑そうな表情になったとのこと。きっと本人はリア充にはなりたいのだと思う。高校生のリア充というのがどういうものかは私は知らないのだが。

 

3月3日(金)

朝から夕方までぶっ通しで仕事。夜、渋谷でトークイベントがあるためだ。

 

どうせ渋谷に行くからには1本くらいは映画を観たいと思い、寝不足のまま劇場に飛び込むも3秒で気絶。もはやウトウトどころではない。最近は映画館で寝てしまう確率が高いのだが、寒い外から暖かい映画館に入るこの時期はその確率もぐっと上がる。

 

夜は公開中の映画『タスカー』の鎌田義孝監督にお呼ばれして、大﨑章監督も含めて上映後に3人で少し話した。

 

鎌田さんは16年ぶりの新作だ。私も10年くらい前に、この『タスカー』の元となる企画を少しだけお手伝いさせてもらったことがあるが、戦力にはならなかった。

 

映画には鎌田さんの念が色濃く出ていた。でも、軽やかに映っていて、主演の金子清文さんのまさに怪演としかいいようのない演技も相まって、シリアスなのにどこか間抜けな、ちょっとカウリスマキの作品を思い起こさせるような作品になっていて私は楽しく拝見した。

 

トーク後、金子さんも交えて少し飲んだのだが、その風貌とは真逆の爽やかというとちょっと違うかもしれないが、とても穏やかで優しい雰囲気をたずさえた方だった。

 

12時過ぎに帰宅すると誰もいない。電気を点けると、水面にきて口をパクパクしている金魚とデメキンが迎えてくれて、猫は寝ている。明日、明後日と『雑魚どもよ、大志を抱け!』の撮影地である飛騨で先行上映があるのだが、妻と娘は深夜、坂井Pの運転する車で飛騨に向かっており、息子は友人宅へお泊りさせてもらっているのだ。

 

私も朝早い新幹線で向かうために5時起きなのだが、絶対に寝坊はできないときに限って眠れない。坂井Pと妻に「5時にスマホを鳴らしてもらえませんか?」とLINEを送ったが、それでもなかなか寝付けなかった。

 

3月4日(土)

朝5時、坂井Pから電話があった10分前に、一応かけておいた目覚ましで目を覚ましたが、30分ウトウトしては「ヤバい!」と目覚める睡眠を繰り返して、結局ほとんど寝ていない。

 

新幹線の中で寝ようと思ったが、これまたなぜか眠れず(加齢だろうなあ……)だるーい感じのまま名古屋に到着。そこで佐藤Pと出演者の田代君と合流して、撮影地の古川駅まで田代君といろいろお話をした。30歳近く年の離れた大人と隣同士になるのはさぞや疲れただろう。私が中学生の時はそんなことは絶対に無理だった。

 

11時ごろ飛騨市に到着。前日の夜から車で前乗りしていた坂井Pと、今回物販を手伝う娘が駅まで迎えに来てくれて少々気恥ずかしい。立派な飛騨文化交流センターで映画を2回上映していただく。

 

会場にはたくさんの人が来てくださった。都竹飛騨市長はじめ市役所の方々もお見えになっている。皆さんには撮影中にものすごくお世話になったので、まずはこの飛騨の方々に心の底から面白かったと言ってもらわねばならないので緊張した。

 

上映中は笑いも起こり、反応も良かったと中で観ていた娘が言ってくれたので嬉しかった。撮影中に宿泊していたみどり館、修斗館の方々が来てくださっていて、懐かしく嬉しかった。質疑応答でも質問や感想を述べてくださる人が多くいて嬉しい。

 

 

夜は佐藤Pや坂井P、田代君のメイクで同行してくれたメイクの大宅さんや岐阜新聞の方々、妻たちと飲んだ。

 

撮影中はコロナ増加のころであったし、最寄りのコンビニまで車で30分みたいな山間の民宿に合宿していたので、飲みに繰り出すことなどなかったが(宿では毎晩飲んでいたが)、この日、ようやく飲んだ。たまたま入ったお店ではあったが、ご主人がサービス好きでうまいものをたくさん出してくださった。後半には都竹市長まで顔を出してくださり楽しい宴だった。

 

3月5日(日)

本日は飛騨古川駅から車で30分山に入り、神岡町公民館で2回先行上映。昨日の上映が口コミされたのか、かなりの方が集まってくれる。会場の反応もよく、特に年配の方にはウケていた。若い方には届いていないのかもと不安になるが、いずれにせよ少しでも反応があると、作り手側としては大変嬉しい。

 

2回目の上映後、挨拶もそこそこに、急いで飛騨古川駅に向かい18時27分の電車に飛び乗り、22時新大阪着。ホテルにサウナがついていたので、久々のサウナを堪能する。すぐ寝てしまおうと思ったのに眠れず。移動が多すぎて疲れて眠れないのかもしれない。

 

「全部屋の寝具が高級シモンズ」という触れ込みのホテルなのだが、家の煎餅布団で寝相の悪い息子に蹴られながら寝ることが染みついている私には寝心地が悪い。マッサージでもお願いしようと思ったら混雑していて無理とのことで、外でウロウロする気力も寝る体力もなくただただ深夜までボケーっと放心していた。

 

3月6日(月)

昨晩何時に寝たのか分からないが、朝5時過ぎには目覚めてしまい、早朝サウナへ。寝起きからこの高温はなんだか身体に悪そうだった。夜は大阪在住の高校時代の友人2人と会うので、それまでホテル近くのファミレスで台本を書く。

 

隣りの席にすごく派手なメイクの女性とその女性の祖母が座って、祖母はずっと女性にお説教をしていた。生き方を変えなさいと。女性はうざったそうに聞いていたが、きっとおばあちゃん子なのだろう。そして、どういう生き方をしているのかは知る由もないが、その生き方を変えるのは難しいだろう(盗み聞きしていると、肉親だったら心配しまくりな生き方だ)。でも、映画やドラマでは奇跡的な出会いなりなんなりがあって、生き方が変わる。出会いなりなんなりがないのが現実だから、奇跡のような映画やドラマはあまり好みではない。

 

夜、男友達と女友達と合流して3人でホルモンを食べに行く。とても美味しかった。そして女友達のなかなかに香ばしい人生話を聞きつつ、50歳ともなれば誰でもが2、3本はドラマができそうな人生を過ごしている。そういう人のドラマこそ私は見たいが、どうも世間はそうではないらしい。

 

3月7日(火)

大阪先行上映。大勢のお客さんが来てくださり感謝。池川君と舞台挨拶したのだが、私が言うことをいちいち噛みしめながら頷くものだから、いい加減なことは言えないなという気持ちになる。だが、いい加減なことしか言ってないかもしれない。

 

とにかく壇上にあがると『侑希弥』という色とりどりのウチワが壮観。その中に1人だけ『足立』というウチワを用意してくださった方がいて、池川君が発見してくれた。嬉しかった。舞台挨拶後、帰京。

 

3月8日(水)

朝から仕事。15時半Tokyo FMに向かい、坂本美雨さんの『ディアフレンズ』というラジオ番組に出る。坂本美雨さんとは当然初対面であり、フレンドではないが、とてもフレンドリーにお話してくださった。だが、私はロクに話せなかった。

 

控え室で聞いていた妻に「なんであんた、話広げられないの? いろいろ話題振ってくれてんのに!」とダメ出しをされイラつく。そのまま丸の内東映に移動して、本日は東京先行上映の舞台挨拶。久しぶりに少年6人に会う(松藤君はお仕事のため、欠席)。みんな大きくなっていてびっくりだ。そしてこの日も客席は『侑希弥』のウチワだらけだけだった。

 

3月9日(木)

朝から晩まで仕事した。晩まですることはめったにないのだが、明日から周南映画祭で『喜劇愛妻物語』を上映していただくために、妻と山口県に行くからだ。

 

3月10日(金)

朝、娘と息子を送り出し、家で仕事。少しでも進めなければならない。10:30に家を出て羽田空港から岩国空港へ。岩国空港で1時間ほど待ち合わせをして、山陽本線で徳山駅へ。

 

本日は徳山駅の構内にある洒落た図書館で映画祭の前夜祭的にトークイベントに出た。周南映画祭実行委員長の大橋さんが司会をしてくださったのだが、ほとんど2人で無駄話をしているような感覚で話していた。

 

大橋さんは2012年に周南映画祭に松田優作賞というシナリオの賞を立ち上げて、私の応募した『百円の恋』のシナリオが受賞作に選ばれたのだが、それ以来の付き合いだ。『百円の恋』を世に出してくれた恩人の1人であり、勝手に友人だとも思っているし、脚本家とプロデューサーという関係になったこともある。

 

自身が発達障害であることを公言され、講演などもさている大橋さんには息子のことなどもたまに相談させていただいている。

 

イベントのあと、大橋さんの奥様も合流して妻と私の4人で飲んだ。奥様はものすごく素敵な方だった。こちらが何を話しても楽しそうに笑っていらした。息子にも大橋さんご夫妻のような出会いがあればいいなあと早くも願いたくなる。

 

楽しく飲んでいたのだが、疲れが溜まりすぎていたのか、途中で少し気分が悪くなってしまったのが残念だった。

 

3月11日(土)

早朝、宿の大浴場で風呂に入り、10時にチェックアウトして映画祭の開場に向かう。

 

途中、妙なぬいぐるみや人形を売っている店を発見し、娘と息子にカエルの人形をそれぞれ買った。喜ぶかどうかは一か八かだが、私はこういう人形とかゴムでできたやつが好きなので、子どもが欲しがらなければ私の物にして金魚の水槽の上に飾ろうと思う。

 

 

映画祭の会場に到着し、『喜劇愛妻物語』の上映後に夫婦でトーク。司会はもちろん大橋さんだ。

 

今年12回目の周南映画祭なのだが、初参加した松田優作賞の受賞式も含めるとなんと私は6回目の参加らしい。半分も呼んでいただいているとは思わなかった。どうりで徳山の街に詳しくなるわけだ。

 

トークイベントは1時間だったが、そんな初参加の時の話から、夫婦の様々な話、最新作の話などしているとあっという間の1時間だった。

 

トーク後、飛行機の時間があるため急ぎで山口宇部空港に向かう。今晩、東京の新文芸坐で『雑魚どもよ、大志を抱け!』のオールナイト上映イベントがあるのだ。

 

ここ1週間ほどのスケジュールはたぶん芸能人並みだろう。私の場合はこの1週間で終わりだが、これが1年続いたら身体を壊さないほうがどうかしている。

 

17時羽田到着。一度家に帰り、仕事をし(俺、偉すぎる)、23時に家を出る。息子は友人宅に泊めてもらい、娘は祖父母の家へ。

 

22時から『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映後、24時半過ぎから映画評論家の森直人さんの司会で、出演していただいた河合青葉さん、坂田聡さんと30分ほど話す。お三方ともこんな深夜の時間帯に来てくださって感謝の言葉もない。本当にありがとうございます。

 

トークイベント終了後、妻とタクシーで帰宅。妻はバタンキューで寝てしまったが、私は神経が昂っているのかどうしても寝付けず、妻をゆすり「眠れないんだけど、どうしよう」と連呼していたらすさまじい勢いでキレられてしまった。

 

3月12日(日)

疲れているのに朝は5時に目覚めてしまう。せっかく起きたのならもったいないので5時から仕事。妻が朝からバタバタ洗濯機を2回まわし、掃除機かけている。

 

帰宅した娘は友達と味の素スタジアムにサッカーを観に行った。昼過ぎに息子が友人宅から帰宅。昼からもその友達と遊ぶ約束をしていたのに、トラブってしまったとのことで、息子も私も妻も落ち込む。が、そのまま私は家を出て新大阪に向かう。さすがに新幹線の中では爆睡だった。

 

3月13日(月)

ドラマ『ブギウギ』の顔合わせ。こういう顔合わせもコロナで久しくなかったのでとても緊張した。その後、本読みとリハーサル。久しぶりに水川あさみさんにお会いした。ヒロインのお母さんを演じていただくのだが、相変わらずお元気でよく笑っていらして、そこが今回の役柄にぴったりなのだ。夜、数人の出演者の方と飲みに行った。

 

3月14日(火)

ドラマの撮影を少し見学してから東京に戻る。これでここ10日ほど続いた移動は終わりだ。こんなにも身体の芯から疲れを感じたのは、24歳くらいの時に一番下っ端の助監督として現場に出ていたとある2時間もののアクションドラマ以来だ。あれもかなり辛かった。

 

3月15日(水)

粛々と朝から仕事。娘と息子は私がいることが心なしか嬉しそうだが、妻に言わせれば気のせいとのこと。

 

3月16日(木)

朝から仕事。夕方から妻とともに取材を受けるために、15時に上野で待ち合わせしていたのに、駅まで来て財布がないことに気が付いて、一度家に戻る。最近、このパターンが多い。財布だけでなく、沢山の忘れ物のオンパレードだ。頭がクラッシュしているのかもしれない。

 

上野なんぞに行くのは10年振りくらいだから、洋服を買ってほしいと妻に頼んでいたのに財布を忘れたせいで30分しか時間がない。でもアメ横で良さげなズボンとパーカーと靴下をゲット。

 

その後、この日記の担当でもあるA氏とライターのNさんと合流して映画の取材をしていただく。A氏、Nさんとはかれこれ20年くらい前に『架空世界の悪党図鑑』という本を作った時以来のお付き合いだが、Nさんとは久しぶりにお会いした。同い年なのだが、数年前に会った時と1ミリも容姿が変わっておらず驚いた。取材が終わってから御徒町の中華屋で懇親会。

 

※妻より

このお店、紹興酒注ぎ放題で1時間1100円でした! しかも私の後ろにピッチャーがある。1時間しか私は入れなかったので、マグカップで並々7杯は飲みました!これは嬉しい!

 

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3月17日(金)

娘、中学卒業式。卒業証書授与で娘は3年A組の「アダチ」でトップバッターで名前を呼ばれる。昨夜から緊張していたが、「はい!」ととても大きな声で返事をしていて、思わず泣きそうになった。

 

その後、先生やらPTAの話やらはコロナ体制に戻してほしいと思うくらい長くて退屈だったが、優秀だったのであろう3人の生徒がかわりばんこにするスピーチは感動的で、これまた思わず泣きそうになった。だが、隣の同年代のおじさんが引くほど号泣している姿が目に入り、なぜか急激に笑いが込み上げて来て、泣きそうになりながら笑ってしまうと「ヘンゴッ!」とおかしな声が出てしまう。横にいた妻が必死で笑いをこらえていて、私は余計に笑ってしまったのだが、当然でかい声で笑える場ではないので、正直死ぬかと思った。でも、とても良い式だった。

 

思えば3年前、入学式の前日の17時に延期連絡が来た。そして入学式予定の日に、老猫ノラが死んでしまったのだった。その後2か月は、一斉休校で、娘も息子も引きこもって、我々もまあまあ引きこもって、家の中につねに緊張感が漂っていたことなどを思い出す。娘は1年の文化祭は中止、運動会は学年別、親観戦禁止、2年の2泊のスキー教室・文化祭も中止で、3年間給食は前見て黙食、マスク生活……いろいろと窮屈だった中学校生活だろうなと思う。野球のクラブチームでは辛いこともあったし、高校では存分に楽しんでほしい。

 

帰宅後、3人で寿司を食いに行った。うまかった。

 

3月18日(土)

今日は息子の皮膚科、眼科、療育が入っていたのだが、息子のコップがいつのまにか溢れていたようで、断固として行きたくない!のいつもの発作が始まる。

 

病院はまあ、春休みに延期すればよいから全然よいのだが、療育は当日キャンセルが不可なのでどうにか行って欲しく、褒めたり、なだめたり、諭したり……を繰り返し、禁断の「マンガ1冊買ってやる」(これでいつも夫婦ゲンカ)でようやく着地。

 

今、療育では3Ⅾプリンターでいろいろ作っているのだが、行けば楽しむのだが、それまでがなあ。……疲れる。

 

※妻より

息子を約束の時間にどこかに連れて行くのは、本当に大変で、遊びではなく、ちゃんとした約束はかなりのストレスとなっております……突然、「無理!」宣言が発令するので……。

 

 

そして、去年書いた『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)という小説が朗読劇になることになった。キャストの方々も豪華だ。脚本・演出は新井友香さん。新井さんにはまだ実現していない映像作品のシナリオも書いていただいている(なんとか実現せねばだが)だから、私としては今回の演出に非常に安心感がある。4月20日から俳優座劇場で上演しますので是非観に来てください!

 

朗読劇 したいとか、したくないとかの話じゃない

 

3月19日(日)

息子、久しぶりのレンタル先生。先生が来る前は愚図っていたが、先生が来たらちゃんと気持ちの切り替えが出来た。その後、そのレンタル先生の塾で一緒の子3人と遊ぶために出て行った。

 

私は『雑魚どもよ、大志を抱け!』の共同脚本、松本稔さん作・演出の朗読劇を観に早稲田に行く。

 

『ハンチングの男 そのパッとしない世界』。すごく良いタイトルだ。そして、ずいぶん前に松本さんから聞いていた、「俺の親父さあ、○○(有名な俳優)を殴ったことがあるって言ってんだよね……」という最高に面白いエピソードを使った劇で、ユーモアとペーソスに溢れた良い話だった。コーヒー屋でコーヒーを飲みながらのこういう朗読会もいいものだなあと思った。

 

朗読が終わり、スマホを見ると妻からLINE。

 

「○太(息子)が17時半の夕べの鐘がなっても帰って来ないからまた1人で公園でポツンとしてないかと探しに行ったら、まだ公園にいて、3人の塾友と鬼ごっこしてた。〇太だけものすごい楽しそうな声を張り上げて走りまわってた。涙が滲みそうになったからほったらかして帰った」

 

その文面を読んで私も目頭が熱くなった。息子は楽しいとき、身体で目一杯に楽しいということを表現するので、見ていて感動すらしてしまうことがある。きっと妻もそんな心境だったのだろう。

 

松本さんや学生時代の同級生、知り合いの俳優さんと羊をたらふく食べて帰宅した。

 

3月20日(月)

午前中、家からオンラインでラジオ出演。映画の宣伝をさせていただく。その後、いつもの喫茶店で仕事をし、夕方から本の編集者と会う。SNSではつながっていたのだが、お会いするのは初めて。その方とは同郷で住んだ街もかなり近いことはSNS上で知っていたのだが、まさかの小学校中学校が同じ!

 

仕事の話はそっちのけで、地元話で盛り上がった。東京でこんなにも地元が近い方と会うことがあるとは夢にも思わなかった。

 

3月21日(火)

夕方、妻とともに映画のポスターを貼ってもらうため、地元、練馬の街を練り歩く。今まで貼ってくださっていたお店はいつものように貼ってくださるが、妻が新規開発すると言いながら、いろんなお店にどんどん入って行く。

 

こういう馬力はすごいなあと尊敬する。さすがにプロレス団体の営業でメチャクチャ優秀な成績を残しただけのことはある。

 

私は店の外で佇んでいるのだが、貼ってもらえるときに妻が貼るのを手伝えと呼びに来るのがどうにも恥ずかしい。かと言って手伝わないと怒り狂われるので手伝う。お店の人は、「なんだもう1 人いたのか」という表情をされるから余計に恥ずかしい。

 

夜、息子と『ノーカントリー』(監督:ジョエル・コーエン)を観た。

 

3月22日(水)

息子、「学校無理」とのことで休ませる。今日はWBCの決勝もあったので、すんなりと休ませた。休んだ息子と春休み中の娘と3人で決勝を見た。点差は1点だったが、日本が力でねじ伏せたような試合に感じた。危なげなかったというのか、アメリカが勝つ雰囲気がまったく感じられなかったと、野球をしていた娘も言っていた。

 

息子は大谷の帽子とグローブ投げをえらく気に入りマネしていた。

 

3月23日(木)

明日、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の初日なのだが、脚本家の今井雅子さんが応援clubhouseを開いてくださり、妻や佐藤現プロデューサーとお話させてもらいつつ、「月刊シナリオ3月号」に松本稔さんが寄稿してくださった作者ノートを藤本幸利さんに、同じ号に掲載されている木崎加奈子さんの書かれたシナリオの論評を今井雅子さんが朗読してくださった。2つとも名文なので、是非そちらをお読みになられてから映画をご覧いただけると、いっそう楽しめること請け合いです!

 

3月24日(金)

『雑魚どもよ、大志を抱け!』いよいよ、初日。大ヒットしますように……!

 

我々夫婦は、関わった映画の初日の初回を観に行くことをジンクスにしている。今回は、息子が昨晩「僕も行く!」といきなり言い出したので、オンラインで席を取っていた。しかし、妻は反対した。

 

息子がこのように急に行くと言い出す時は、その時が来ると発言を撤回することが大半なのだ。特に朝早いのは苦手だ。「どうせ舞台挨拶の回に姉ちゃんと来るんだからいいじゃん。もしくは朝、本当に行くとなればその時取ればいいじゃん」と妻は昨晩言っていた。だが、私は初回に行くと言う息子の発言が嬉しくて「いや、席取ろう! 息子の分も取ろう! 今すぐ取ろう!」と反対する妻を押し切っていたのだ。

 

そして迎えた今朝だったのだが……やはり息子は予想通りとうのか想像通りというのか、朝動けなくなりグズグズに。私はなんとかおだてたりなだめたりもしたが、こういう状態になった息子はもう動けない。そして最悪なことに私は「遅れるから早くしろ!」と声を荒げてしまった。大きな声とせかされることが嫌いな息子はそこで完全にシャットダウン。ああ、こういう失敗を私は何千回繰り返せば気が済むのか。トライ&エラーではすまない。私の場合はエラー&エラーだ……と我ながら落ち込む。

 

結局妻と2人で行くことになったのだが、道中で妻は私のエラー&エラーを厳しく厳しく厳しく叱責してくる。私だってモーレツな自己嫌悪状態だし、妻だって同じ失敗を何度も繰り返しているのに、こうも叱責されると私もついついこういう時に最も言ってはいけない一言を言ってしまう。

 

「アキだって、出来てないじゃん」妻の怒りにはさらに火が付き、神聖な初日は最悪の状態になる。でも、新宿武蔵野館につくと、思い切りの笑顔を作って劇場の方々にご挨拶し、初日初回に来てくださった知り合いの方々にも挨拶した。

 

妻と並んで鑑賞したが、時おり妻の怒りのような鼻息がまだ聞こえる。鑑賞後、丸の内東映で舞台挨拶があるので移動。

 

今日は松藤君も来れたので、久しぶりに7人の少年たちがそろい、とても嬉しかった。私は舞台上で1人ひとりに花束を渡すことになっており、その言葉は昨夜のうちに考えていた。

 

こういう時に泣きそうになることは私の場合はまったくない。けれど、少年たちが真剣な表情で私の言葉を聞くものだから、その表情に思わず涙しそうになり、すんでのところで耐えた。

 

その後、また新宿武蔵野館に移動してまた舞台挨拶。息子も無事に姉とやって来た。

 

夜は映画を観に来てくれた妹家族と食事。映画の中に出て来た登場人物を妹も知っているのだが、「あの人、もっと悪かったでしょ」とのこと。このご時世、子どものいたずらを描くのにも気を使うのだ。私たちが本当にしていたいたずらを描けば炎上必至だし、あのころに動画サイトがあれば我々は間違いなくそのいたずらを動画に撮ってアップしていたと思う。と、そんな仮定のことを書いても叱れるのではないかと思ってしまう世の中だ。

 

世の中がどんどんクリーン志向になるのは、それまでの雑な世の中でたくさん傷ついた人がいたからで、世の中を良くしていこうというクリーン志向のはずなのに、人のわずかな失敗も許さない風潮も感じる。今は価値観が変化していっている過渡期なのかもしれず、未来には間違った人間はいなくなっている可能性もあるだろうが、雑な世の中に良かった部分はなかっただろうか? というのも今回の映画を作った動機の一つだ。

 

3月25日(土)

朝5時に起きて大阪へ。今日は大阪、名古屋、岐阜で舞台挨拶のハードスケジュール。池川君との舞台挨拶も今日の大阪でひとまず最後だ。またみんなで集合できるくらい大ヒットしてほしいが……。

 

夜、岐阜での舞台挨拶とトークイベント後、岐阜新聞映画部の方々と会食。岐阜新聞映画部の方々には『喜劇愛妻物語』の時にも呼んでいただいたのだが、もうハンパではない映画バカの方々の集まりだ。私などとても会話につていけないが、皆さんとお話している時間は無上に楽しい。私が作っているようなマイナーな作品はこういう人たちに支えていただいていることを痛感する。

 

3月26日(日)

東京に戻って来て、たまりにたまった仕事をこなす1日。

 

3月27日(月)

今日から妻と娘と息子が2泊3日で祖父母と旅行に行ったので、布団を敷いたまま飯を食い、夜遅くまでDVDを観て、昼過ぎに起きても誰も文句を言わないという学生時代のような自由な生活を謳歌する予定。

 

3月29日(水)

わずか2日でゴミ溜めと化した家の中。様々の証拠の隠滅と、帰ってきた時に散らかっていると妻が不機嫌になるので大掃除。

 

3月30日(木)

息子の格闘技教室で、息子をよくかわいがってくれた6年生の子が中学進学を機にやめてしまうので、その子と妻と息子と私の4人で夕飯を食べに行った。

 

その子は6年生にしてすでに私よりも背が高い。息子に「お前、学校でいじめられたら言えよ。俺がそいつらぶっ飛ばしてやる」とか「父ちゃんと母ちゃんの言うことよく聞けよ」とか「せっかく塾に行かせてもらってんだから頑張れよ」とかホントによく息子に声をかけてくれた。

 

同じ話をハイテンションでループしまくる息子の話も苦笑いしながら「どんだけテンションたけーんだよ」などと言いながら、相手にしてくれたりいなしてくれたりしていた。彼が私の息子に対して優しいのは、彼の家庭環境の影響もあるのかもしれない。なかなかにヘビーな中で育っている子なのだ。

 

息子はその子にとても安心しているように見えたし、週に2度の短時間とはいえ、その子に「守ってやる」と言われたりしたことが、どれほど勇気づけられていたかは見ていれば分かる。自分は1人ではないと心から思えると、人は勇気づけられると私は思うが、息子にとって彼はそういう存在だったと思う。だから息子はとても寂しそうだった。

 

中学で部活を引退したら、また戻ってくるよとその子が言ってくれたようで、息子は「オレ、それまでに筋肉マッチョになるって約束したんだよ!」と言っていたが、まあこれは数時間後には忘れるだろう。

 

あの子がやめて、息子が「もう行かない」と言い出さないことを祈るばかりだ。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、バレンタインのチョコがもらえないと嘆く息子に「パパは19歳で初チョコだ」と諭す2月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第35回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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1日(水)

朝8時からいつもの喫茶店で仕事。14時に近所の銭湯に行く。年配のヤクザの方に「よう会いますねえ」とサウナで声をかけられ、少し会話。「○○組は今、ウクライナに義援金送ってるんですわ。日本はどっこも受け取ってくれへんからねえ」とのこと。私は曖昧な笑みだけをお返しした。

 

「ヤクザの方」とか「お返しした」と書いたが、文章を書く人がヤクザや暴力団の人が文章内に出てくると、特に軽めのエッセイなんかだと「その筋の方」とか私の書いたような「お返しした」とか変にへりくだったというのか、なんというのかよくわからないけど、そういう書き方がほとんどであるように思う。

 

実は少しだけ違和感があった。ヤクザや暴力団からひどい目にあわされた人からすると、そういう書き方をしている人を嫌いにもなるだろう。これがサラリーマンとか自衛官とか八百屋さんとか本屋さんとか高校生とか大学生とか無職の人とかであればそういう書き方はしないはずで、あの人たちをこう書くのはどういう気持ちの構造なのか。悪い人じゃない人もいるよということなのか、扱い方がわからないのか、つまらないギャグみたいなものかよくわからないが、なにか違う表現はないものかと思ってしまう。私はきっと今まで通りのような書き方をしていくのだろうが。

 

夜、後輩のシナリオライターのY君、Kさん、Mさん、N君が家に来る。彼らはちょくちょく家に来てくれる。というか私が呼ぶのだが、もしかしたらこれはハラスメントなのかもしれない。先輩が後輩を飯に誘ってはいけないと聞くし、その場に一緒にいる妻によると「あんた、なに先輩面してんの? 寒い、恥ずかしい、醜い」とのことであるし。

 

だが、若手の話を聞けることは滅多にないし、昨今の日本の映画やドラマに対して人間関係を無視して本音で感想を語り合えたりもするので、その時間はとても貴重で楽しい。あと、自分の作った飯を人に食べてもらうのも楽しいが、これは押し付けかもしれない。

 

2日(木)

朝起きると息子が学校に行きたくないオーラを全開にさせている。まあ、ほぼ毎朝こうなので珍しいことではないが、やっぱり慣れない。消耗してしまう。一応「なんだよ、どうしたんだよ」と聞くと「国語の教科書がないから」とのこと。それは新学期に入ってからずっと言っている。まだ見つかってなかったのか……。話を聞いていると、他にも理科の実験で火を扱ったらしいのだが、そのとき火が消えなくなってしまい友達に強く注意されて頭をぶたれて傷ついたとのこと。目に浮かぶが、きっとはしゃいだのだろう。息子ははしゃぎだすと止まらないところもある。親世代から見ると、そこがかわいいと言ってくれる人もたくさんいるし、実際私も息子のそんなところがとてもかわいくあるのだが、同世代からは「うぜー……」と思われてしまうかもしれない。

 

とりあえず、学校を休んだらゲーム、YouTubeは2週間取り上げとしているのだが、それでも休むというので休んだ。私は仕事に出たが、午後に戻ってくると、息子が退屈そうにフィギュアで遊んでいたので、そんなことをしているよりはと映画を観せてしまった。『ビースト』(監督:バルタザール・コルマウクル)という少し前に映画館でやっていたライオンと戦う映画なのだが息子は面白かったとのこと。

 

休むとこうして家で映画を観たりマンガを読んだりできると思われるのもイヤなので、そうしていなかったのだが、やはり無駄な時間を過ごしているとしか思えない光景を目の当たりにすると、「まだ映画でも観ているほうがマシか……」と思ってしまい、それで夫婦ゲンカにもなってしまう。

 

学校ってなんのために行くのか否が応でも考えてしまうが、今のところ「将来、仕事についたときに、行きたくねえなあと思っても、頻繁に休むわけにはいかないからその訓練として。あと、苦手な人や物事にぶち当たったときにどうすればいいのかトライ&エラーのため」と考えている。我ながら後ろ向きで行きたくなる理由ゼロだなあとは思うが、「友達と遊びに行くところ!」とか「先生と話しに行くところ!」なんてのは息子にとってはウソでしかない。行かないのはそれはそれで息子も不安なようだが、どこか一つ楽しい場所が見つかって欲しい。それを見つけるのは親だが。

 

3日(金)

朝、妻がブットい恵方巻を作ってくれたので、息子と娘と願い事をしながら黙って3人で食った。3人ともかなり真剣だ。娘は受験のこと、息子はゲームがたくさんできますように、私はいろんなことを願った。

 

その後、妻は「雑魚どもよ、大志を抱け!」のバリアフリー試写へ。今回の映画は、音声ガイドも、字幕も無料のアプリで見られるので、この機会に是非そちらも体験していただけると嬉しいです。

 

4日(土)

夜、シナリオ作家協会のYouTubeチャンネル「BAN’S BAR」に出演。脚本家の伴一彦さんがホストになり毎週土曜日に脚本家を中心としたゲストを招いて2時間お話するという番組。自分の動画はのちのち見返すと、自分の醜い見てくれ、傲慢な話しぶり、その話の浅はかな内容、すべてにおいてショックを受けるから見返さないことにしている。でも、少しでも自分の顔を売りたいのと映画の宣伝をしたいので、お誘いがあれば出ることにしている。

 

5日(日)

受験間近な娘は日曜日も午前中から塾、私は仕事。夕方、妻と2人で中野の「味楽来(ミラクル)」に行く。息子も誘ったが、「今日は外に出たくない」とのことで、(漫画『はだしのゲン』に没頭している)、夫婦だけで行った。ここはとにかく安くて美味い。焼き肉のときはウチはたいていここだ。2人で大学生のカップルのようにバカ食いした。

 

6日(月)

インプットDAYと決めて、映画を2本観る。『FALL/フォール』(監督:スコット・マン)−−初めて眠気ではなく、恐怖で気絶しそうになった、高所恐怖症なもので。『離ればなれになっても』(監督:ガブリエレ・ムッチーノ)−−特別じゃない人の、特別じゃない日常だからこそ面白い。両作ともにとても見ごたえがあった。

 

7日(火)

息子、本日も休むとのことなので、今日は漫画という漫画、フィギュアというフィギュアをすべて隠した。すると息子はそんな私と妻にむかって「『カラダ探し』の2巻がそこにあるけどいいの?」とか言ってくる。そういうときの心境はどんな感じなのだろうか? 結局この日はすでに8回目くらいになる『ターミネーター3』(監督:ジョナサン・モストウ)を観ていた。

 

9日(木)

息子、大いに渋りまくりながらも今日は行った。なので私の仕事もいつもより捗った。夜、鶯谷の「信濃路」にて武正晴監督と俳優の清水伸さん、坂田聡さんと飲む。

 

「信濃路」は昨年の2月5日に亡くなった西村賢太さんの行きつけの安居酒屋だ。4人ともに西村作品を愛読しているので、そこで飲もうと清水さんが企画してくださった。下ネタ、病気ネタ、ハゲネタ、不満、愚痴、ロクでもないことばかり話している大変楽しい会だった。

 

私は西村作品というのは、文章として傑出して面白いと思うと同時に、映像にしてもものすごく面白いと思っている。これを両立している小説はそうはないと思う。そもそも両立させる必要なんかないし、昨今はなんだか映像化されることが小説の評価の一つになっているような気もするが、たいていの小説やマンガを映像化した作品は元の文字作品よりもつまらない。理由としては小説家やマンガ家は映像化されることを前提で書いて(描いて)いないから(書いている人もいるかもしれないが)。そこに我々のようなシナリオライターが登場して、映像向きに脚本として書いていくのだが、そもそも映像化を前提にしていない書き物を、映像用に書くのは至難の業なので、そこに追いつける脚本家がものすごく少ない。

 

だが、西村作品は登場人物に血が通っているので、そのまま映像に置き換えらえると思うのだ。あんなに文章も面白く、同時に映像がくっきり浮かんでくる小説はそうそうないと思う。

 

そんなふうに西村作品について語っていたら、妻からメール。帰りにコンパスを買って来てくれとのこと。明日、娘が受験する私立高校の受験票の当日の持ち物のところにコンパスと書いてあったらしいのだが、娘はコンパスを学校に忘れたことに今気が付いたとのこと。

 

「はぁ?」と思うが、私は「忘れたお前が悪いから持って行かなくていい!」と一喝できるタイプの人間ではない。時間は22時をすぎていたし、文房具屋さんがあいているはずもない。妻は「多分100円ショップか、コンビニか、大型の薬局にある」と書いているが、私はコンビニでコンパスを見たことがない。

 

清水さんがすかさず近くに100円ショップがあるか検索してくださったがない。ドン・キホーテならあるのではないか、と皆さんこの時間ならどこで手に入りそうか考えてくださる。

 

ドン・キホーテなら池袋にあるから途中下車して買えばいいかと思い、それからまた少し飲んで解散となったのだが、どうにも途中下車するのが面倒だし、「コンビニにある」と妻のメールに書いてあったし、仮になくても、「なーにコンパスを使う問題が解けないくらいだ、併願だし受かるだろ」なんて思いつつ、家の最寄りの駅で降りて、いくつかコンビニを回るもどこにもコンパスは置いてない。

 

するとさっきはへっちゃらだろなんて思っていたのに急に不安になってくる。この極寒の深夜、1時間以上もかけて10店舗以上のコンビニを回り、東の空も明るくなりなってきて精も根も尽き果てかけたとき、ふと目にはいった24時間営業のドラッグストアに足を踏み入れ、小さな小さな文房具コーナーを目指した。コンビニレベルの文具コーナーだったので、きっとコンパスなんか置いてないだろうと9割がた諦めていたが、売り場の片隅にキラキラと輝くコンパスが目に飛び込んできた。本当にキラキラと輝いていた。私はどえらい宝物を見つけたかのような興奮を覚えて、コンパスを購入して家に戻った。当然誰も起きてはいなかったので、一人大きな仕事を果たした気分を噛みしめながら、ビールを一本だけ飲んだ。

 

10日(金)

朝、娘にコンパスを差し出すと「ありがとう」の一言だけだった。

 

雪がシンシンと降っていてとても寒い中、娘とともに受験する高校へ向かう。本番当日ということもありピリピリしている娘が、面接の練習をしたいと高校へ向かって歩いている道中に言い出す。

 

『これだけは聞かれる7つの質問』というのを中学からもらって来ていて、「高校に入学したら何に頑張りたいですか?」とか「将来の夢は?」みたいなことを聞くなかで、「最近気になっているニュースは?」という質問に、「なんて言えばいい? スシローの動画でいい?」と言ってくるので、「いやもう少し社会問題に関心あるっぽいやつにしろ」と私は言った。スシローの事件だって掘っていけばいろいろ見えてくるものはあるだろうに、中学生が中学生のイタズラ動画のことを言ってもなあ……と思い、「ウクライナかオリンピックにしろ」と私が言うと、「パパもロクに知らないじゃん、ウソつきたくない」と娘が言い、そこからやや口論に。

 

「じゃあもういいよ、オリンピックがヤバイやつで」と娘は最終的に言ったので、ヤバいのはオリンピックじゃなくてその周辺のことだぞ! と言おうとしたが、高校についてしまい、娘はさっさと行ってしまった。

 

私は近くのファミレスに入り、娘の試験が終わるまで仕事をした。学科試験が終わり、面接が始まったなあくらいの時間に娘の高校に行ったのだが、待つこと1時間半。いつまで待つんだとイライラしはじめたくらいで娘が出て来た。面接の順番が最後のほうだったとのこと。

 

「どうだった?」と私が聞くと、娘は「まあまあ」と答えた。

「コンパスは?」

「使わなかった」

「はぁ!?……最近気になっているニュースはなんて答えたの?」

「聞かれなかった」

「……」

 

解放感のある娘は帰り道にある古着屋さんで、ご機嫌な様子で服を物色してなにか買っていた。

 

夜、息子の格闘技教室にお迎えに行った妻が1人で帰って来る。「息子は?」と聞くと、「雨と雪にまみれて遊んでる。怒鳴り散らしても完無視して遊んでるから置いてきた」と不機嫌に答える。私が迎えに行くと、近くの児童公園で、雨でビチャビチャになっている雪の中、Tシャツ姿で息子が何やら言いながら1人で遊んでいたので、引きずって連れて帰った。

 

11日(土)

息子、案の定発熱。昨夜、ビチャビチャになって遊んでいたからだろう。

 

※妻より

息子は夏は必ず熱中症になるし、冬は必ず風邪ひきます。温度や自分の体調に鈍感なのでしょうか?「遊びたい!」と思った時の衝動が強すぎるのでしょうか?…そろそろ自分の取説を認識して欲しいです。

 

翌日には結果の出る私立高校の合格発表を娘がネットで1人で確認し、受かったとのこと。併願だし多分受かると思っていたが、私もホッとした。

 

12日(日)

娘、私立に合格して息つく暇もなく、この日は都立の受験直前勉強会12時間耐久レース。かわいそうだが仕方がないだろう。

 

13日(月)

今朝も息子が絶好調に学校に行きたくないと言うが、いつもの理由に上乗せがあり、「だってどうせ俺、チョコレートもらえないんだよ! わかる!? この気持ちが! 世界はⅯやY(ⅯやYも男子クラスメイト)で回ってるんだからね!」と目ん玉ひんむいて、口泡を飛ばしてまくし立てる。どこまで本気なのかと思ってしまうが、ヤツなりに本気なのだ。

 

「パパなんか19歳になって彼女ができてから初めてもらったぞ。お前もそのタイプだ」となだめると、「僕は絶対に一生もらえない!」と言う。

 

これも自己肯定感の低さの一つなのかもしれないと思うと切なくなってしまう。だが、さすがにメインがその理由で学校を休ませるわけにはいかない。「お前はかわいい! 絶対に高校以降でかわいいを売りにモテるから!」というと「僕はかわいいって言われるのは嫌なんだよ!」と言うので、「女の人は最終的にかわいい男の人を好きになるんだよ!」となんだかもうアップデートまったくできてないようなことを言うと、「もらえなかったらパパのせいだからね!」とよくわからないことを言いつつ学校に行った。

 

それにしても妻も私も一日のうちでもっとも疲れるのが、朝、息子を学校に送り出す時間だ。行きたくないがベースにあるので、なんとか気持ちを前向きに持って行くために、いろんな手を使うが、そこで疲れてしまうのだ。挙句、行かないとなると、こちらの気持ちもへこみ、仕事に支障も出るが、ちょくちょく休むことにはもう慣れた。3年生のころの不登校に比べたらまだマシだと思うからだが、こういう慣れって良いのか悪いのかよくわからない。良し悪しだけの話でもないだろうが。

 

14日(火)

バレンタイン本番の本日、なぜか息子は朝起きると、「言っとくけど絶対にもらえないからね! これだけはわかってよ!」とよくわからない宣言をしはじめる。

 

妻が「ママがとびきり美味しいケーキを作ってるから楽しみに帰っておいで!」と言うと、「僕が甘いの嫌いなの知ってるでしょ!」と言いながら、いつもより何倍もスムーズに学校に行った。

 

息子は心のどこかに「……もしかしたら貰えるかも?」という気持ちがあるのだろうなと思った。となると、これは落ち込んで帰宅するのは決まった。息子は良い言葉で言えばピュア、悪い言葉で言えばバカなところがあり、チョコを貰える貰えないで本気で喜んだり落ち込んだりするのだ。

 

息子は姉のことが大好きだから(というか姉が一番怖いし認められたい)、姉である娘が「ほらよ」とチョコの一つでもやれば「いいの!? 僕にくれるの!?」と目を爛々と輝かせる姿は容易に浮かぶのだが、娘は絶対にそういうことをしてくれない。

 

案の定、息子は意気消沈で帰宅。妻が「ママが焼いたチョコケーキ美味しいよ!」と出したが食べない。「Yはもらっていた!」だの「ほんとはチョコを学校に持って来ちゃダメなんだよ!」などとグズグズ言うのみ。せっかく作ったものを食べてもらえない妻は、これも大人げないと私は思うのだが本気で怒る。「だからお前、もらえないんだよ」と子どものケンカのような言葉を息子に言うので、これはヤバいと思い「俺が食べるからいいじゃん!」と妻に言うと、「お前は食うな」と言いながら部屋から出て行った。

 

「ね、僕、やっぱりもらえなかったでしょ! でしょ! なんでパパはウソをつくの!?」と別にウソなんかついていないのに息子はしつこい。いつまで続くんだとそろそろイライラしてきたところに娘が帰宅し、中学のバレンタイン事情を話しはじめ、息子が興味津々で聞いているので、私が「中学になったらもらえるぞ」と再度言うと、「いや、無理だな」と娘が冷たく言い捨てた。「ほら、やっぱり僕なんか無理だよ!」とまた息子がギャンギャン半泣きでまくしたてはじめ、ついつい私は「うるさい、もう黙れ!!!」と怒鳴ってしまい、結局はいつもの光景に……。

 

15日(水)

連続ドラマのプレゼンのために海外の方に会う。妻と一緒に行く。私は確信をもってやりたい2本の企画しか出したくないと言ったのだが、妻が4本出せと言うので無理矢理4本出した。が、やはりどうにも頭の中でかたまっていないものについては熱を持って話せない。で、イライラしてしまって、「これはこの人がやりたい企画なので」と途中で妻に振ってしまった。先方は苦笑していた。プレゼンとしては多分最悪の形なのだろうなと思った。

 

16日(木)

疲れがたまり風邪気味。トマトと豚肉とショウガがたっぷり入った落合鍋をしこたま食べ、早く眠る。娘の受験が間近なのでうつしでもしたらきっと一生恨まれる。

 

17日(金)

落合鍋がガン効きして体調がずいぶん回復した。が、仕事をするような体調ではなかったのでインプットDAYとして。『ベネデッタ』(監督:ポール・バーホーベン)『シャドウ・プレイ完全版』(監督:ロウ・イエ)『別れる決心』(監督:パク・チャヌク)をハシゴ。今年から高校教師の日のランチがなくなったので、1か月に1回、ご褒美食事会をしようと妻と決めていて、練馬にある「あわび亭」に行く。めちゃくちゃ美味しかったが、まだなにも見えぬ将来のことで(互いの老両親の介護問題、息子の中学校選び、息子が満員電車に乗れないためそれに伴う引っ越し、2拠点生活の可能性など)激しい口論……と言うのか妻が一方的に怒り狂いだし、最悪のディナーとなる。お店の方も若干引き気味だった。

 

すっごく軽く、すっごく簡単に、9割9分私に任せた! のような発言をしたので、さすがの私も怒髪天でした。なんでそんなに人任せの思考回路なのか……。料理の味、一切覚えてません(by妻)

 

18日(土)

朝8時から夜の7時までぶっ通しで仕事をした。誰も褒めてくれないから自分で自分を褒めて、行く予定のない風俗店のサイトをご褒美代わりに見て回った。

 

21時から初めてのclubhouse参戦。『嘘八百』シリーズをご一緒している脚本家の今井雅子さんがルームを開いてくださった。『雑魚どもよ、大志を抱け!』の原作小説『弱虫日記』を、大阪在住のナレーターでありラジオのパーソナリティであり、私の映画にも『14の夜』と今回の『雑魚ども~』に声で出演してくださっている藤本幸利さんが朗読してくれた。自作が朗読されるとうのは、まるで脚本の本読みのときのように欠点が次々に露わになるようで、聞いていて発狂しそうになりつつも、藤本さんの優しいお声にいつしか聞き入っていた。隣で息子が嬉しそうに聞きながら、本をめくっていた。

『雑魚~』を読んでいる息子

 

19日(日)

朝8時から15時まで仕事。その後、三遊亭遊喜師匠がトリをつとめる池袋演芸場に久しぶりに落語を聞きに行く。遊喜師匠とは同い年で、出会ったのはまだ20代のころだ。そのころ、私は落語映画の企画に関わっていて、監督さんの命を受けとある落語会の取材に行った。その打ち上げで二つ目だった遊喜師匠と出会い、打ち上げ後に朝まで飲んだ。その映画は実現しなかったが、そこからちょくちょくと遊喜さんの勉強会なども観に行くようになり、遊喜さんが師匠になったとき、つまり真打昇進披露も池袋演芸場に観に行った。当時私はどん底だったから真打になった遊喜さんの姿に励まされたりもした(これが同業者なら苦しいところなのだが)。

 

この日は「居残り佐平次」をたっぷりと堪能して、久しぶりに飲みに行き楽しい夜だった。

 

21日(火)

朝、娘を都立高校の受験会場まで送る。緊張しているのだろうが、私立のときと同様にピリピリしている。「落ちてもいいじゃん、私立に受かってんだから」と言うと、「落ちる」という言葉に反応してさらにピリピリモードへ。「ホントに落ちたら全部パパのせいだからっっっ」と怒り狂ってる。しかし、娘は変な受験の仕方というのか、滑り止めで受けた私立のほうが、本命の都立よりも偏差値は高い。なので私はこの都立に落ちるわけがないと思っているのだ。

 

結局、それから一言も話さず校門まで送り届けて帰って仕事をしたが、なんだかモヤモヤというのか、いやモヤモヤではないな、はっきりとイライラして(なんであんな言われ方をされなければならないのか)、あまり仕事も手につかなかった。それに私はまったく関係ないがどうもこの「モヤモヤ」という表現が苦手だ。「おかしいと思う」とはっきり言ってもいいのではないか? どうも「モヤモヤ」には、するほうも若干の逃げのようなものを感じる。一億総モヤモヤ状態もそう遠くはないだろう。昔『ぬくぬく』という妖怪の絵本があり、妖怪ぬくぬくはずーっと「ぬくぬくぬくぬくぬくぬくぬく」と言いながら歩き続けているのだが、日本人はそのうち「モヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤ」と言いながら歩き続けるかもしれない。言いたいことはモヤモヤさせずに言いたい。

 

受験から戻って来た娘は理科と国語が相当な高得点が期待できるとすこぶるご機嫌だった。「だから不安がるなって言っただろ」とは言わなかった。

 

22日(水)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。今日から妻と息子は保育園時代の友人3組とキャンプに行く。学校を休めるので息子もすこぶるご機嫌だ。

 

それにしてもウチの息子はめちゃくちゃかわいいのだが、かわいいだけで将来お金をもらえないだろうかと思う。こいつはとにかく一緒にいると親以外の大人をなごませる。鬱々とされている方がいたら、一度息子を一日貸し出してもいい。親バカで申し訳ないが、とても癒されると思う。

 

午後、活弁シネマ倶楽部の収録で『雑魚どもよ、大志を抱け!』について映画評論家の森直人さんとお話した。こちらは映画の公開にあわせてYouTubeにあがると思いますので映画とあわせて見ていただけたらとても嬉しいです。

 

夜、娘と2人で近所のイタリアンに飯を食い行った。妻と一緒だと大っぴらに注文できないので、今日は普段は食わないようなものも注文すると、娘は「おいしい! おいしい!」とものすごい量を食べた。受験も終わり解放感もあるのだろう。そして私は「3年後には大学受験だぞ」と我ながら最高につまらない一言を言った。

 

25日(土)

朝8時から15時までいつもの喫茶店にて仕事。いつも書いていなかったが、私は毎日ホットココアの生クリーム入りを飲んでいる。

 

夕方、私が脚本を書いたり監督したりした映画の音楽を何本も担当してくださっている海田庄吾さんのお宅にお邪魔する。もちろん今回の『雑魚どもよ、大志を抱け!』の音楽も海田さんだ。

 

一足先に妻、娘、息子が行っており、盛り上がっていた。海田さんとは年も同じで観て来た映画も似ているからお話していても楽しい。でも、「足立さんはケッコー頑固ですよ」と言われたのは意外だった。私は基本的には相手がワルツでくればワルツ、ジルバでくればジルバを踊っているつもりだったが、そう言えば私は日本舞踊しかできないから誰がどんなダンスできても日本舞踊で押し通しているのかもしれない。

 

音楽に明るくない私はいつも海田さんには、的確な説明ができないが、あがってくる音楽を聞かせていただくと、ワクワクする。今日は色々と励ましてもいただいた。

 

海田さんの奥様が作られたお手製のハムがめちゃくちゃ美味しくてほとんど私と息子とで食べてしまった。ついつい遅い時間までお邪魔してしまい、妻はワインをがぶ飲み。醜態がチラつきはじめたところでお暇した。

 

帰りの電車で妻は大口をあけて爆睡、息子はずっとゲームの話、娘は色々と将来の不安を吐露していた。私は海田さんに愚痴っていた仕事のやり方、進め方などについてクヨクヨと思いを巡らしながら、娘と息子に心ない相槌を打っていた。

 

26日(日)

妹家族の家に行く。毎年正月に行くのだが、妹の娘、つまり私の姪っ子も高校受験だったので今年は行かなかった。

 

行くといつもUNO! やらトランプやら人狼やらのカードゲームをする。負けることが極端に嫌でゲームのやり方なども覚えられない息子はその輪に入らずに一人でテレビゲームをしているのが常だったのだが、今回、人狼は入った。これは大きな成長だなと嬉しかった。

 

素直でちょっとお花畑な息子は人狼カードが来ると、思いっきり「俺、人狼じゃないよ! 人狼じゃないよ!」と大声で言うからなかなかゲームとしては成立しないが、それでも最後は一度だけ騙しとおした。そのときの誇らしそうな顔が嬉しくもあり切なくもあり。でも、ひたすらにかわいい。

 

27日(月)

夕方から我が家で打合せ。大量の韓国料理の差し入れを頂き、控えていた炭水化物が決壊した。すべてを無駄にするどころか、ダイエットは始めたとき以上の体重に今日一日でリバウンド確定。が、美味くて食うのを止められない。キンパ・トンソク・ジョン(タラや牛肉に卵を絡めて焼く)その他韓国総菜祭り。ひたすらに貪り食うと、私の場合はどんどん力が漲って来るのだが……やはり50歳からのダイエットは並々ならぬ意志力が必要だ。

 

毎日ジムに通っている妻も「まったく落ちない!」と嘆いているが、ジムから戻るなり駆けつけ焼酎ガブガブやってりゃ、そりゃ落ちねーだろ。「2人で頑張って落とそう! アキは35キロ痩せたらキレイになるよ!」ととても良くない言い方をしてしまったが、健康のために互いに痩せたほうがいいのは確かだ。

 

我ながらひどい顔……。それにしてもこの打合わせ? 差入れ、全てが美味しく、皆様よく食べ、よく飲みました。35キロ減は難しいけど、35キロ増ならできる気がします…(by妻)

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年3月24日に公開。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、妻とは年またぎ、娘とは長期戦のケンカではじまる2023年に少し凹む

「足立 紳 後ろ向きで進む」第34回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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1日(元旦)

朝から西武遊園地に家族で行く。妻はやはり昨晩からの不機嫌を引きずっていて、家族間の空気が大変に良くない。

 

そんなギスギスしたなか、到着早々に「ゴジラ・ザ・ライド」に乗って私は三半規管をやられる。その後、ティーカップやその他くるくる回るやつを乗り続け完全にグロッキー。

 

「俺たち、もうこういうのは無理だね」などと笑顔で妻に話しかけるも妻は一言も口をきいてこないから、そっちがその気ならと受けて立つことにして私も無視することにした。子どもたちはすでに慣れっこなのか、そんな両親はほったらかしだ。

 

『喜劇 愛妻物語』を観た多くのお客様から「子どもの前でケンカをしてはいけない」とお叱りの言葉を受けたが、そんなこと分かっている。でも、それがうまくできないから苦労しているのだ。考えてみれば、私の両親もよく私の目の前でケンカをしていた。でも、我が家と同じでどちらかと言うと、母親が父親に怒りをぶつけていた記憶がある。だからなのかどうなのか分からないが、二人のケンカがものすごく嫌だという記憶は私にはない。そして、どこの家庭でもお母さんはお父さんに対して厳しいのだと思っていた。言いたいことは言うのだと思っていた。

 

西武遊園地は今、昭和の街並みのセットが売りなのだが、園の広場で行われている歌や踊りなどのパフォーマンスも狙ってなのかどうなのか昭和っぽい。歌手が「東京ブギウギ」を歌っていた。

 

私は今、笠置シズ子さんをモデルにしたドラマ『ブギウギ』のシナリオを書いているから縁起が良いと思った。夕暮れのなか、「東京ブギウギ」をぼんやりと聞いていると、妻が突如、立ち上がって踊りだした。私は驚いた。娘は踊る妻を恥ずかしがってどこかに消えた。息子もどこに行っているのかすでに姿が見えなかった。

 

夕日の中で踊る妻の背中は壮絶なものがなしさに包まれていた。ふと、この光景をどこかで見たことがあると思ったが、深田晃司監督の『LOⅤE LIFE』という映画で木村文乃さんが踊っていたダンスだった。

 

妻の踊りを見ながら、どうしてこの人と私は一緒にいるのだろうかと不思議な気持ちになった。小学生のころ、妹に対しても、どうしてこいつが俺の妹なんだろうかと不思議な気持ちになったことがあるが、あれとよく似た感覚だ。

 

一年の計は元旦にありというが、もしもその言葉が当たるなら我が家は今年最悪の年になるだろう。

 

 

※妻より

なんでも後ろ向きに考えるのは足立の特性です。言うほど悪くない。皆さま、今年も宜しくお願い致します。「ゴジラ・ザ・ミッション」(謎解き脱出ゲーム)は大変良い運動になりました。息子のトランシーバーの持ち方が、面白かったです。

 

2日(月)

箱根駅伝の一区だけを見て(学連選抜の選手の飛び出しがカッコ良かった)、いつもの喫茶店が正月休みなので、ファミレスで仕事。帰宅すると、娘と息子と妻が書き初めや冬休みの宿題をしていた。

 

「初詣はどうする?」と私が聞くと、みんな面倒くさそうに「寒いし、別に行かなくてもいい」と言うので腹が立った。初詣好きの私としては2か所くらい神社を梯子したい気分だったのだが、妻娘息子が3人で結託しているときはなにを言っても最高の悪者に仕立て上げられるので、暴れまわりたい気持ちをグッとおさえた。

 

夜、学生時代の友人たちとオンライン飲み会。北海道、福岡、長野、東京と場所はバラバラだ。50年生きていると当然、身の上にいろいろと起こる。苦しい状況のなかを生きている友人もいる。去年もほとんど同じメンバーでオンライン飲み会を正月にしたが、去年も苦しそうだった友人は今年もまた苦しそうだった。来年また元気に話せたらいいなと思う。元気じゃなかったけど。

 

3日(火)

箱根駅伝の山下りのみを見て、ファミレスで仕事。午後、娘と息子と『THE FIRST SLAM DUNK』(監督・脚本・原作:井上雄彦)を鑑賞。私がたいして原作を知らないからか、世間の同年代の人たちがおしっこちびらんばかりに騒いでいる理由がよく分からなかった。ただ、試合が無音で続くところは残り数秒で逆転劇が起こることもあるバスケットボールというスポーツの持つ興奮のようなものがよく表れていて、身を乗り出した。

 

帰りにブックオフに寄り、息子とレジに並んでいたところ、息子がウロウロして前の人に割り込むような形になったので、「お姉さんの後ろにちゃんと並びなさい!」と大声を出したら、「お姉さんじゃないから~」と振り返った方が、なんと娘の保育園時代のママ友だった。

 

卒園以来の10年振りにお会いしたが、ぜんぜん変わってなかった。娘が保育園時代はお迎えのあとの西友やオオゼキでばったりお会いすることが多かった。息子を怒鳴り飛ばさなくて、そして鼻くそをほじっていなくて、本当によかった。

 

夕方、ようやく家族で初詣に行った。三が日中に行かなければそれは私のなかでは初詣にならないのでギリギリ間に合った。

 

10年前は、生まれたての息子を連れてラグビー見に行ってました……寒かった……。このころは毎年お正月、無理矢理ラグビー観戦に連れて行かされてたな。行かないと文字通り暴れるから。(by妻)

 

5日(木)

朝から仕事。いつもの喫茶店もようやく営業が始まった。「あけましておめでとうございます」という挨拶はなく、いつものように「おはようございます」なのが居心地がよい。

 

昼すぎに仕事を切り上げ、息子と娘を連れて中野まで自転車で行く。3人でパスタ屋で昼飯を食べたあと、まんだらけに。

 

元旦「ゴジラ・ザ・ライド」に乗ってから、キングギドラが欲しくて欲しくてたまらなくなった息子がお年玉でキングギドラを買いたいと言うので連れて行ったのだ。私はどなたかの手作りのグレムリンが凶暴化したときのフィギュアを、娘は『ブルーロック』何巻かとジブリのフィギュアを買っていた。帰りにドン・キホーテに寄って娘が美肌用品を買っていた。

 

今日から『雑魚どもよ、大志を抱け!』の原作が新しいカバーで発売。映画も原作も、どうかよろしくお願いします。ちなみにこの小説に書いた前書きだけはすごく褒められることが多い。本文も褒めてほしい。

 

7日(土)

大阪でドラマの打ち合わせ。その後に、『嘘八百 なにわ夢の陣』の大阪舞台挨拶に顔を出す。佐々木蔵之介さん、友近さん、森川葵さんの舞台挨拶だったのだが、中井貴一さんがサプライズで登壇。スタッフも誰も知らなかった正真正銘のサプライズ。かっこいいサービス精神だと思った。

 

8日(日)

朝から喫茶店で仕事。息子と娘がもう一回まんだらけに行きたいと言うので連れて行く。娘、お年玉で漫画を大量購入。

 

受験は来月だが、大丈夫なのだろうか。というか、この散財は受験からの逃げ、あるいはストレス発散なのかもしれない。そう言えば近ごろ娘の部屋が目を見張らんばかりにきれいなのも受験のせいかもしれない。私に似て片付けがものすごく苦手だったはずだなのに急にやり出すのはどう考えても変だ。

 

10日(火)

始業式。息子、少しグズったが登校出来た。

 

早稲田松竹に『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(監督・脚本:シャンタル・アケルマン)を観に行く(しかし私が知る限りの最長タイトルかと思う。それまでは『死んでしまったら、私のことなんか誰も話さない』これも傑作)。DVDを購入していたのだが、バカな私は字幕なしのものを買っていた。が、観てみるとこれは字幕なしでもぜんぜん問題のない映画だった。

 

近ごろ私は映画を観ていると、日常生活で抱える些細な悩み事だったり問題をふと思い出してしまい、気づくと映画に戻れなくなっていることが多々あるのだが、この映画は戻れる。というのは、この映画自体が我々の日常生活と地続きになっているからだ。

 

わずか3日ほどの日常が3時間以上の尺で丁寧に描かれる。普段、映画やドラマが省略してしまうような場面で埋め尽くされている。誰もが映画やドラマを観ていて、省略されたその時間が実は一番辛いとこなんだよなあなどと思ったことがあるはずだ。例えば大切な誰かが死んでしまったとして、映画やドラマは死んでから次のシーンが10日後だったり、1か月後だったり、1年後だったりするが、その省略された時間も、人は息をして飯を食い、うんこをしているわけで、この映画はほとんどそういう時間が描かれている。観ていると、日常ってここまで絶望か……? と思わなくもないが、人の数だけ日常があり、誰の日常を描いてもきっと同じくらい面白いはずだ。

 

それにしても……この映画のセックスシーンはなんというかすごい。今までに見たことのないようなセックスシーンである意味すごくリアル(ハードではないです)。

 

11日(水)

聞きたくなかった報告を受ける。1週間もすれば立ち直れることは分かっているのだが、人生においてあと何回こういうことがあるのだろうか。立ち直るまでの一週間が本当に辛い。

 

13日(金)

朝から喫茶店で仕事。昼、サウナに行く。サウナのテレビが映っておらず、何とかというカードを差し込んでくださいという案内が画面にずっと出ている。誰も番台に文句を言いに行かないので、しびれを切らして私が言いに行ったら、番台のおばちゃんと客のじいさんが壮絶なケンカをしていたので、下半身をタオルで隠してしばしケンカが終わるのを待って、おばちゃんに言うと、おばちゃんは不機嫌な感じで男性サウナにどかどかと入って来て、テレビを直してくれた。

 

夕方、2階に住んでいる難民仮放免中のSさんを呼んで夕食。我々家族にものすごく気を使っている。お国柄がどんな気質なのか分からないが、まるで日本人のような気の使い方だ。

 

私が手料理をふんだんに作って振舞ったが(※私もいろいろ作ってるじゃん。なんでも自分だけの仕事にするところが嫌いです。BY妻)、あまり食欲はなさそうであった。そしていつ聞いても変わり映えのしようのない日常の話を聞く。

 

息子が「Sさんの国では『こんにちわ!』ってなんて言うの?」とか、「肉はなに食べるの?」とかいろいろ聞くので、そういうときにはSさんも笑顔を見せていらした。

 

14日(土)

午前中、息子の学校公開へ行く。私は授業中の息子よりも、休憩時間中の息子の動きがとても気になる。気になるのは、友達とうまく遊べているかな? というところだけだ。

 

中休みというちょっとした休憩時間があるのだが、息子がどうするのか見ていると、教室から出て来て校舎と校舎をつなぐ橋?(渡り廊下というのか?)で横になって寝はじめた。

 

「いつもそうしているのか?」と聞くと、いつもは違う場所で横になっているとのことだった。昼休みもそうしているらしい。それが落ち着くのなら、そうしていればいいと思うが、息子の心の中はどうなのか分からない。ものすごい悲しみに満ち溢れているのかもしれないし、ものすごく楽しいのかもしれない。

 

16日(月)

朝から喫茶店で仕事。

 

夕方、息子の眼科へ。眼鏡の度が進んだらしく、よく見えないとのこと。裸眼で0.1も見えていないみたいだと言われびびった。目薬をさして視力を測る流れだったが、息子は目薬に恐怖を覚え、大声のおたけび。私も苦手なのだが、指で目を無理やり開かれるのが怖くてたまらないのだ。

 

先生と看護師さんが、なだめ、しかり、説得などありとあらゆることをするも、結局ダメ。45分粘ったが、目薬はさせないとのことなので、目薬をささずに検査する。

 

帰り、息子が「ごめんね」と言うのが切ない。不安パニックが来た時は本人もどうすることもできないのだろう……今まではなんで息子はみんなが普通にやっていることができないのだろうと落ち込んだが、もうなんとなくトリセツが分かったきたので「大丈夫だよ」とだけ答えた。でも、大癇癪で大泣きしてしまったあとは、息子も私もどっと疲れる。

 

17日(火曜)

朝から大阪打合せなのだが、出がけに娘と大ゲンカ。ケンカの理由は書かないが「ほんと性格サイテーだよね」という捨て台詞を吐かれる。ブチ切れそうになったが新幹線の時間があるので気持ちを押し殺して家を出る。

 

だが、どうにもムシャクシャしていたので、東京駅で超豪勢な寿司の弁当を買った。まだ新横浜も過ぎていないのに、食い散らかしてやろうと思ったら、あけた瞬間に寿司を落としてしまった。怒りをコントロールできないとえてしてこういうことがある。ただ泣くしかなかった。

 

18日(水)

今日は自宅を事務所とされている方との打ち合わせ。妻がお土産にこれを持って行けと家にあるいろんなお菓子などを袋に入れてくれたのだが、ポテチとかエビセンとか家にある余り物がなんだかゴミみたいに見えたので「こんなゴミみたいなの持って行けないよ」と言ったら恐ろしく怒り狂ってしまった……。めちゃくちゃ怖かった。

 

※妻より

「ゴミ」って言葉が嫌でした。なんだよ、「ゴミ」って……。そもそも、足立が次から次へとお菓子を買うから(しかも最後まで食べない。全て食べかけで放置)、家がお菓子の山になります。それを、私がママ友や色んな人に配りまくる(もちろん未開封のものを)のを、足立は恥ずかしがる? のです。もっと高級なものなら配れ!とかぬかすのが腹立たしい。イワシせんべいとかイチゴポッキーとかでも、おすそ分けをもらったら私は嬉しいですけど。自意識過剰だがら家にあるものを持って行ったら恥ずかしい、って気持ちなんでしょうね……。相容れないことの一つです。

 

19日(木)

朝、出かける時に娘が妻に「昨日、学校でDVの講座受けた」という話をしていた。「え!DV?」詳しく聞いてみたいが、私は娘とケンカ中なので聞けない。耳をすましていると、「デートDV」とのこと。LINEの返信が遅いとか、他の異性と話すなというような行動制限をかけるのはなぜか男のほうが多い気がする。

 

その他に良かれと思って(心配して)やったこと、はずみで言ったことが相手を傷つけたりする。そしてそれが他人には分かりにくかったり、言いづらかったりして当事者は孤立しがちになる、みたいなプリントも貰ってきた。

 

幼い時から自尊心を大切にするためにも、こういう教えは必要だと思う。自分のことよりも、他人に対しての接し方を無理して頑張ったり我慢したりし続けていると心が壊れやすくなるのではないかと思う。なによりも自分の事を大切にしないと、他人のことも大切にできないのだ。

 

23日(月)

いまだ娘とケンカの継続中。

 

妻と娘が受験のことなど話しており、その会話に入りたいが入れない。なんだか妻もグルになって私を無視しているように感じるのは完全に被害妄想だろう。いや、先日のお菓子をゴミ扱いした件があるからあながち被害妄想ではなく本当に無視されているのかもしれない。

 

娘はケンカしても、2年ほど前ならば「パパごめん。こういう状態イヤだから仲直りしよう」などという素直な言葉を言ってきていたが、中3ともなると「もうこのオヤジと縁切れてもいいや」という感じにも思えて焦る。だが、なかなか仲直りをするきっかけをつかめない……。これは夫婦ゲンカも同じだ。年を食えば食うほど修復に時間がかかっている。積もり積もったものもあるからだろうが、私もいいかげんに「余計な一言」というのをやめねばらない。

 

24日(火)

息子とディズニープラスの『ガンニバル』を観ていたら娘がちょっと入って来た。娘も夢中になって見ているのだが、怖くて一人では観られないのだ。これをきっかけに普段通りとはまだいかないが、少し修復した。『ガンニバル』に感謝だ。

 

それにしても、『ガンニバル』も劇場だったらR-15指定がついて子どもとは観られなかっただろう。息子は『キラー・カブトガニ』(監督:ピアス・ベロルツハイマー)という映画を楽しみにしていたのだが、R-15指定と分かって非常にがっかりしている。「多分、カブトガニが人間の顔食ってるからだよ!」と大きな声で力説していた。

 

昔と比べるのはあまり意味がないのかもしれないが、私は小学3年で『食人族』(監督 ルッジェロ・デオダート)を映画館で観た。父親が私と友達数人を連れていってくれたのだ。ああいう映画を家族や友人でキャーキャー言いながら観るというのはなかなかに楽しいものなのだが……。どうせ、今はもっと酷いグロテスクな映像をネットで見られてしまうのに……と身も蓋もないことも思ってしまう。

 

26日(木)

10年に一度の寒波到来。めちゃくちゃ寒い。が、話題の映画が今日までと知り、やらねばならないことが沢山あるにもかかわらず、寒いのは大嫌いだが今日を逃したら一生後悔すると思い、朝一番満員電車に揺られて映画を見に新宿に行くも、新宿のみ明日からの上映だった。

 

このまま家に帰るのも癪だから、巷で評判になっている演劇を当日券で見に行く。6000円もしたのに全く面白くなかった。というか、私はまったく理解できなかった。面白さが理解できないということではなく、話がまったく分からなかった。ただ、会場はどっかんどっかんウケていたから、大いに自信を失くした。最近はこういうことがとても多く、自分の鑑賞能力を疑わざるを得ない。

 

諸々凹んで帰宅すると息子が帰っていた。最近息子の不安がまた少し強め。前からトイレには1時間に1回行くのだが、最近はその頻発トイレのあと、アライグマのように入念に手を洗っている。以前は泥水も飲むような野生児だったが、今では口に芝生が入っただけで「死ぬかも」と泣いている。

 

夜、家の守り神のダルマ(私の願い事が10個くらい書いてある)に「どうか死にませんように」と「どうか彼女ができますように」と真剣な表情で追加で書いていた。そして一番端に、小さい文字で「とうちゃんのゆめがかないますように」と書いていた。息子を抱きしめたくなった(嫌がるのでもうだいぶ抱きしめていない。同じ布団で週に5日は寝ているが)。

 

映画『お盆の弟』の時に群馬出身のプロデューサー狩野さんに頂いた高崎ダルマは今も大事に飾ってあります(by妻)

 

27日(金)

今日は朝から『雑魚どもよ、大志を抱け!』の取材日だった。たくさん取材をしていただいたが、どうしても終わってから、「ああ、なんであんなにつまらないことを言ってしまったんだろ……」と落ち込む。終わった帰り道に、面白い受け答えがどんどん浮かぶ。こういう取材をしていただく機会が私はあまりないから、たまにあるといつも同じ過ちを繰り返してしまう。事前に言いたいことを準備すればいいのだろうが、どうしてもそれは面倒くさくてできない。

 

29日(日)

妻ととある演劇を観に行った。数日前の演劇は意味不明だったが、こちらは大ファンの方が作・演出なので文句なく楽しかった。

 

作・演出の方がいらしたが面識はないので、会場の外に出た後、「作・演出の〇〇さんがいたね」と妻に言うと、妻は「え、ウソ!? 挨拶してこよ! ついでに『雑魚~』のムビチケ渡そうよ!」と言い出した。

 

私は、「えー……いいよ、面識もないし、恥ずかしい……」とモゴモゴしていたら、妻は「私、渡してくる!」とシャレのようなことを言いつつ、劇場に戻って行った。私はこういうことがまったくできないから、妻のこの行動力はすごく尊敬している。

 

「奥様もいたから挨拶してきた!」と戻ってきた上機嫌の妻が、思い出したように「……あんたさぁ、なんでそんなチキンなの? 挨拶するだけじゃん! だからチャンス逃すんだよ!」と言うので、「でも、俺のこういう控えめなところがもしかしたら逆に好印象持ってもらえたかもしれないよ」と私は言った。妻は「……あんた、それ、本気で言ってるでしょ」というので、私は「まあ、6割くらいは…」と答えたが、9割くらい本気でそう思っている。だからやっぱりチャンスを逃すのだろう。

 

30日(月)

朝、妻が「お礼のメールを送ったら返事がもらえたよ!」と昨日のお芝居の演出家の方から来たメールを私に見せてくれた。私も嬉しくなったが、よく読むと妻はその方の作品を2作もタイトルを間違えて「大好きです!」などとメールをしている。

 

「こういうのってさぁ、ものすっげーーーウソ臭く感じるんだよね。なんでちゃんと確認しないの?」と言うと、妻はキレてしまった。すべてはあんたがチキンなせいだとくる。これって俺が悪いのでしょうか? 「クイズ100人に聞きました」をしたいくらいだ。

 

夜、お友達のWさんの家で鍋を振舞っていただく。S監督とか俳優のYさんなどがいらっしゃり、ダラダラダラダラと過ごす。なんというか久しぶりに学生時代のような感覚に戻り、帰りたくなくなる。ダラダラしたままその家に泊まってしまうという懐かしい感覚だ。どのくらいダラダラしていたのかというと、「もしも人生で『どこでもドア』を一回だけ使えるとしたら、今、家に帰るのに使ってしまう」というくらい、ダラダラとそこを動きたくなく、でも帰らねばならないという情況だった。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年に公開予定。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

映画監督・足立紳、年に一度の豪華な食い散らかしを妻になじられ2022年最後のケンカに突入する12月

「足立 紳 後ろ向きで進む」第33回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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12月1日(木)

朝、息子を学校まで送りそのままいつもの喫茶店にて仕事。まったく進まない。

 

シナリオを書いていると、自分の構成力のなさを呪う。次にどんなシーンがくれば効果的なのかというのが毎度毎度わからない。脚本は国語力よりも数学力が必要と聞いたことがあるが、私は国語も数学も苦手だ。というか得意な教科はない。

 

それにしても、シナリオを書いている人はなにが楽しくて書いているのだろうか。構成なのかセリフなのか? 人それぞれだろうが私は面白いシーンを思いついたときが一番幸せだ。今、書いているとあるシナリオに、夫と妻と小学校低学年の娘が「赤あげて、白あげて」ゲーム(そんな名前ではないだろうが)をやっている場面がある。

 

娘が「赤あげて、白あげて、赤さげないで、白さげない」などと言い、いつもは不機嫌な妻がムキになって旦那に勝とうとするがぜんぜんダメで、娘がバカ笑い、旦那がニタニタしていることから夫婦ゲンカになるのだ。書いているだけで私はすごく笑えるのだが、こうして日記に書くと面白くもなんともない場面に思える。

 

いずれにせよ私は、見ている人にはどうでもいいような場面とか、あるいは低俗な会話を書いているときが一番楽しい。が、近ごろはそういうシーンなり会話なりは不快なだけと思われがちな気がしてならない。ますます私の出番は減るような気がする。

 

夜、近所にお住いの俳優Uさんと飲んだ。飲みましょう、飲みましょうと会うたびに言いながら、そういう口約束を実現する能力がゼロの私にかわって誘っていただいたのだ。とても楽しい時間だった。

 

会えば「今度、飲みましょうよ」という口約束だけして、その今度は永遠にない生き方をしてきたが、考えてみればそれは「ない」よりは「ある」ほうがいいから、「今度って約束、いつにしましょうか」と私も少しは積極的に生きてみようと思った。

 

12月2日(金)

朝、息子の行き渋りがいつもよりややひどい。来週、社会科見学で浅草に行くのだが、その不安が今から発生しているのだ。今日は同級生の友達が迎えに来てくれたのでなんとか行った。

 

12月4日(日)

日曜は喫茶店が混んでいてうるさいので、家で仕事をすることが多いのだが、やはり家だと、今日もYouTubeを見ながらその合間にわずかに仕事をする感じだ。

 

野球の乱闘シーンや野生動物のケンカや古いプロレスの試合、AV女優さんたちのトークや世間の評価は高いが私としては理解できなかった映画(たくさんある)の解説をしてくれているチャンネルなど見ながら、その合間にわずかに仕事をすすめる。

 

夕方、家族で近所の回転寿司に行くために、保育園時代の友だちと公園に遊びに行った息子を迎えに行くと、息子が一人、公園で怒り狂っていた。なんでも他校の子に「クズ扱いされた!」とのことで興奮している。

 

「なんで?」と聞いてもよく分からない。興奮していと眉毛が八の字になってかわいい息子は「クズ扱いされたんだよ!」の一点張りだ。「今度クズ扱いされたらやり返しちまえ」などと言いながら、妻と娘の待つ回転寿司に行った。

 

今日は娘と息子が行きたいというから来たのだが、妻は相変わらず外食に来ると不機嫌になり(ちげーし。外食は好きだし。食い意地張ってるアンタを見るのが嫌なだけだし。by妻)、中トロを頼もうとすると息子には「マグロでいい」。私がなにか注文しようとすると「ほら、パパがきっと金のお皿頼むよ、よく見ときなさい」などと言ってこちらの食欲をそいでくる。その甲斐あってか娘も「パパ、また金のお皿?」などとつまらぬことを言ってくる。彼氏ができたときにどんなデートになるのか、私は今から心配している。

 

12月6日(火)

今日は息子の社会科見学の日だ。昨晩から脳調がすこぶる悪くなり、行きたくない行きたくないと連呼していたが、今朝はブツブツと文句を言いつつも行った。これはすごいことだ。絶対に無理だと思っていた。私も気分よく仕事場にしている喫茶店に行けた。

 

昼に妻と合流して、中華を食べた。ニラソバと餃子とイカとセロリの炒め物を食べながら、最近私がクヨクヨしているとある事柄に関して、妻にそのクヨクヨを漏らしたのだが、「どうしようもないじゃん。考えてもどうにもならないことをなんで考えるの。時間の無駄じゃん」と言われてしまう。クヨクヨするとは、どうにもならないことや終わってしまったことをいつまでも悩み続けることだが、その性分でない妻がうらやましい。時間の無駄なことは私だって重々わかっている。でも、どうにもならない。

 

※妻より

私だってクヨクヨしまくります。でも、それを他人に垂れ流して、ダークサイドに引きずり込んだりはしません。一人でクヨクヨクヨクヨして、どうにか抜けられるように生きるしかないのです。夫は巻き込み型なので質が悪いです。案の定、私もクヨクヨに引き込まれてしまい復活に時間がかかりました。

 

夕方、息子が社会科見学から帰って来る。浅草は楽しかったようだ。が、疲労と頭痛を訴え、格闘技教室と塾を休みたいとのこと。もしかしてこの引き換え条件を考えて、朝は必死に出て行ったのかもしれないと思った。

 

12月8日(木)

昨日の疲れが残っている息子が学校に行かないことで、娘が不機嫌になる。自分は学校でいろいろあっても頑張って行ってると娘は言う。なのに弟は行きたくなければ行かないでいいとなっているのがズルい、と。娘の気持ちもわかるのだが、ここで上手な言葉を娘にかけることができない。「弟は行けなくてかわいそうだろ」とか「行きたくなければお前も休めばいい」とかの言葉はなんだか違う気がする。

 

昔の親なら「だったら行かなくていい」の一言だったかもしれない。親の中での優先順位が子どもが一番ではなかったのだ。子どもは宝だと思うが、今の世の中、子どもに気をつかいすぎではないだろうかと思ったりする。やつらはもう少し荒っぽく扱ってもいいような気がするのだが。といっても私は荒っぽくも扱えず、かといって細やかにも扱えず、自分の機嫌に左右されながら子どもと接しているという有り様だ……。

 

12月10日(土)

娘と息子、テレビのチャンネル権争いで大ゲンカ。ちょっと前まで息子は姉に合わせていたが、近ごろは自我が出てきて、自分の見たいものを主張する。『チェンソーマン』は2人で仲良く見てくれていたのだが……。

 

12月11日(日)

娘は朝からV模擬へ。その後に、妻と合流してランチして買い物に行くというので、私は息子と『ブラックアダム』(監督:ジャウム・コレット=セラ)を見る。今の子にとって、というか、私の息子にとってはドウェイン・ジョンソンとか、ジェイソン・ステイサム、あるいはマ・ドンソクが、私にとってのスタローン、シュワルツェネッガー、ジャッキー・チェンなのかもしれない。

 

息子はドウェイン・ジョンソンの眉毛の動かし方(上下になるやつ)をマスターしたいようで一生懸命練習している。そしてドウェイン・ジョンソンが出ているだけでその映画は息子の中で傑作となる。私もスタローンの映画を親が否定するとムキになって怒っていたのだが、そんなことをと書いていると、ふと「映画少年」と「映画青年」の違いについて書かれていたとある文章を思い出した。

 

「映画少年」とは幼少期に映画が好きになって、そのまま止まっている人、「映画青年」とは青年期に映画の魅力に取りつかれた人で、そこから映画について深く考え抜いて生きていく人だそうで、だから「映画少年」はダメなのだと。実際にそう書かれてはいないが、私にはそう感じた。

 

私は思いっきり「映画少年」のほうだ。そして、今の世界の映画界をけん引するのは「映画青年」たちだと思う。が、そこに一矢報いたい気持ちは沸々とある。

 

12月15日(木)

妻と朝一で近所のPCR検査場に行って久しぶりの検査。17日から長崎に行く予定があるのだが、そのための陰性証明が必要なのだ。

 

こういう街場というのか、簡易的な場所で検査するのは初めてなのだが(まったくすっぱくなさそうなレモンと梅干しの絵がたくさん貼ってあった)、どこでそういったバイトの募集をしているのか知らないが、金髪のお兄ちゃんとか、大学生のような女の子とか、やたら若い子たちが仕切って楽しそうにやっていた。若いころに散々やっていた日雇いバイトを思い出した。

 

2階に住むSさんが家賃を持ってきた。仕事をすることもできず、寄付で生活する中からわずかばかりでも払いたいとのこと。Sさんの誇りを尊重していただくことにする。

 

12月16日(金)

午前中、仕事。午後から我が家にて打ち合わせで、14時半スタートくらいだったから、14時10分くらいから神業的に掃除をしようと思っていたら、その14時10分くらいにお客さんたちは到着してしまい、妻が私に「なぜ掃除していないのか!」とキレた。

 

※妻より

私は銀行と区役所の用事で外出していたのでギリギリの帰宅になると事前に夫に言ってあったのにもかかわらず、夫はごみ部屋で、ハナクソほじりながらテレビ見ていたのでした……信じられん……。

 

おまけに今日は息子が学校に行っていない。散らかった部屋にお客さんを招き入れ、息子にはとりあえずゲームを持たせて自分の部屋に行かせたのだが、なぜか息子はこういときに限って「ボクねー、今日学校行ってないんだけど、今から外に遊びにいっていいー?」などとヘラヘラとやって来る。打ち合わせに来ていた方たちのお子さんも、それぞれに不登校気味で、理解がおありで良かった。

 

12月17日(土)

8時15分発の飛行機で長崎へ。私の数少ない自慢の一つに、市川森一脚本賞受賞というのがあるのだが、その市川森一脚本賞を主催している市川森一財団が解散し、市川森一脚本賞もなくなることになった。最後のシンポジウム的なものを市川森一さんの故郷である長崎で催すこととなり、なぜか私が受賞者を代表して(おそらくもっとも声をかけやすかったのかと)行くことになったのだ。

 

到着した長崎は東京よりもだんぜん寒かった。中華街で妻と腹ごしらえをしたのち、近くだったのでグラバー園へ路面電車で行く。ウロウロするも私はとにかく歴史に疎いのでよくわからない。しかもめちゃくちゃ寒い。妻と写真を撮っていただく。しかし園の真っただ中のようなところに普通の民家もあったりして、こんなところに住んでいるとどんな気分なのだろうか。

 

帰りの坂をおりていると、お土産物屋などがたくさん並んでいて、なぜか長崎まで来て息子に『マッドマックス』のようなゴーグルを買い、娘には妻の選んだ手作りネックレスを買った。(息子は大変気に入り、習い事にしていくようになった)

 

 

夕方、軽く明日の打ち合わせをして(私は少し挨拶程度の言葉を述べるだけなのだが)、夜は妻と寿司を食いに行った。久しぶりに夫婦仲良くすごし、かなう確率3%未満の夢を私が大口で語り、妻が「絶対いけるよ、それ」(※そんな風には言っていないが、夢物語に思わずうつつを抜かしてしまうのは私のダメなところだ by妻)などとまるで『喜劇 愛妻物語』の寿司屋のようなバカなシーンを演じていることにはたと気づく。何年たっても変わらないというのか、成長がない。映画のようにろくでもない電話がかかってこなくてよかった(ご覧になっていない方はまったくわからない内容ですみません)。

 

12月18日(日)

朝起きると雪が降っていた。しかも大降りだ。まだ真っ暗な6時前にのこのこ起き出した私は雪の中、ウォーキングに行った。10分も歩いていると、靴の中までビショビショになってしまった。もう何年もはいていてボロボロの靴だから雨の日などすぐ中まで濡れてしまう。濡れた靴で挨拶したくないと妻にダダをこねて、宿の近くにあったABCマートで靴を買ってもらう約束をして、私は昼まで宿で仕事。妻はどこかにブラブラと雪の中を出かけて行った。

 

昼、ABCマート前で待ち合わせて靴を買っていただき、すぐ近くにある「吉宗」というお店で昼飯を食った。東京にもある茶碗蒸しが有名なお店だが茶碗蒸しがバカでかい。私は卓袱定食、茶わん蒸し好きの妻は茶碗蒸しと刺身定食。美味しくてバッテラも8個追加して妻と食べた。

 

注文したらお店の人に「え?」と聞き返されました(多分、量が多すぎて)。

 

その後にシンポジウムの会場に移動。私はシンポジウム前に市川森一脚本賞をいただいたころの話(そのころ、まったく仕事がなかった)などをさせていただいたのだが、その後のシンポジウムはとても面白かった。

 

以下は私のSNSからの転用。

 

市川森一財団は、市川森一さんが亡くなられたとき、大河ドラマ『黄金の日日』の演出部の方々の語らいから発足した。

 

解散式のシンポジウムを聞いていると、市川森一の脚本というのは演出家や俳優にものすごく愛されていたのだなあとしみじみ思った。

 

これをどうやって撮るんだ? どう演じるんだ? と挑発してくるような脚本を演出家や俳優、プロデューサー、評論家の方々が予定時間を大幅にオーバーしながら嬉々として語り合っている姿を見ると、ああそういう脚本を自分も書きたいなあと心から思った。

 

日曜劇場で放映された『バースディ・カード』という作品は、札幌のジャンプ台を舞台になにかドラマを作れないかと思った北海道の製作スタッフが市川森一さんをジャンプ台に連れて行き、飛距離は出るがいつも着地に成功しない選手の話をしたところ、それでいこう! となり、あがってきたシナリオを読んで度肝を抜かれた。刑務所から脱走してきた男がジャンプ台から飛ぶ話だったらしい。私なら安易にスポ根モノを書きそうだ。なぜこんな話があがってくるんだと演出された方がすごく嬉しそうに話されていた。

 

ちなみに、市川森一脚本賞をいただいた私は、長崎を舞台になにか書いてほしいと言われ、数年前に3泊4日で長崎をシナハンした。バカな私はその旅に家族を同行させ、当時4、5歳だった息子がシナハンを案内してくれた方の膝の上からおりなくなり、行く先々で裸になって走り回ってしまい、妻はブチ切れ、娘は不貞腐れ、私は思考停止に陥るという、史上最悪のシナハンになってしまった。連れて行っていただいた海水浴では、我々家族は水着を忘れてきてしまい、海の家で買おうとしたのだが、妻が持ち前の節約根性を発揮して、海の家の人に、「忘れ物の水着はありませんか?」と聞いたのは人生で五指に入る恥ずかしい瞬間だった。

 

そんな長崎だったのだが、不勉強な私は市川森一作品をほとんど見ていない。

 

真っ先に思い浮かぶ作品も、『異人たちとの夏』(監督:大林宣彦)だ。大好きな映画で何度も見たが、原作が山田太一だから、市川森一のオリジナリティが存分に発揮されているのかどうか私にはわからない。シンポジウム前に3本ほど市川森一作品の上映があったというのに、私は1本も見ずに仕事をしていた。一日くらい仕事を休んで(どうせ半分以上はボケっとしているのだから)どっぷりとつかるべきだったとシンポジウムを拝聴して大後悔した。

 

市川森一作品の上映会場に行けばよかったと本当に後悔でした。写真は5年前の長崎五島列島のシナハン。息子は下半身マッパ by妻

 

12月19日(月)

朝一で東京に戻り、そのままいつもの喫茶店で仕事。

 

12月20日(火)

朝から仕事、午後Zoom会議。歯が痛い。

 

12月22日(木)

大阪にて仕事。帰りに武正晴監督から、「iPadで書いていたシナリオがすべて消えてしまいました。絶望的な気持ちになったので連絡しました。それだけです」とメールが来て、申し訳ないが笑ってしまった。

 

武監督も私と同じ機械音痴だ。iPadの文面をコンビニのコピー機でコピーして、真っ黒にしかならないと言っていたことがあった。どういう事情で消えてしまったのかわからないが、その様子を想像すると笑うしかない。

 

かくいう私も、妻に打ち込んでもらったシナリオをパソコン上で直しているときに、理由はわからないがすべて消えてしまったことがある。慌てて妻がパソコン屋に持って行ったが、もうどうやっても消えた文書は帰ってこないと言われた。

 

私は悔しさのあまり、パソコンを叩きつけそうになったが、それは踏みとどまってパソコンを罵倒した。「お前、バカだね。賢い振りしてさっきのシナリオもう出せないんだ。なくしちゃったんだ。ほんとバカだね。バーカ! バーカ!」と思いっきり言ってやった。別にすっきりはしなかったが、こちらのちょっとミスで二度と文書を戻せないなんてポンコツもいいとこだろう。人間は、思い出しながらそれを書くことができるのだ。その時も思い出しながら書いたが、あまりの絶望で書いていたものの十分の一くらいのクオリティになってしまった。

 

12月23日(金)

『雑魚どもよ、大志を抱け!』の予告編が今日からご覧になれます。

 

公開は来年の3月24日です。出演者は無名の子どもたち、作り手も無名の大人たちでとにかく後ろ盾がない。厳しい勝負になりますがどうか一人でも多くの人に観ていただきたいです。まずは映画の存在を知っていただけたらと!

 

12月24日(土)

妻が実家からかっぱらってきたオーブンでチキンの丸焼きを作った。娘と息子と食い散らかした。とても美味しかった。

 

寝る間際になって、サンタへの手紙を書き直すと息子が言い出して聞かなくなる。丁寧に書かないと伝わらないぞと私が言ったからだ。余計なことを言うなと妻から言われる。

 

息子のサンタへの手紙は自分の名字以外は漢字がない。アルジャーノン状態でとても読みにくい。

 

「さんたさんへ。ぼくのクリスマスプレゼントはだいらんとうすまっしゅぶらざーすのかせっとです。まえにもっていたけどなくしてしまいました。りゆうはかぞくみんなでやりたいからです。とくにともだちです。ぼくのすきなことはゲームとほんです。とくにからださがしです。きらいなことはおこられることです。あしたをたのしみにしています。4ねん2くみ 足立〇た。あしたからしゅくだいやります。かんじでかいてなくてすみません」

 

※妻より

ようやく宿題やる気になったのか…それにしても字が汚くて読めない……。

 

12月25日(日)

朝、枕元にあるクリスマスプレゼントを息子はなかなか発見できず、やはり来なかったとパニックを起こしかけたので、そこにあるだろうと教えたら、私と妻がサンタになりかわって書いた手紙には目もくれず、置いてあったスマブラをはじめた。

 

昼から妻と娘が特殊造形の飯田さんの工房でケーキとクッキーを焼いてきて、私と息子で食い散らかした。手作りピザもとても美味しかった。

 

 

12月26日(月)

喫茶店で仕事をしていると冬休み中の娘が昼飯を食いに来る。私が仕事をしている喫茶店の隣の隣が娘の通う塾で、高校受験を控えた娘は今、冬期講習中なのだ。なのでたびたび昼飯を食いに来るのだが、中3の娘にとっては純喫茶というのがちょっと珍しくて楽しいようだ。

 

サンドイッチのメニューも豊富なので、いつも違うものを注文しては「いいなあ、パパはこんなとこで美味しい物を食べながら仕事して。私はクソ勉強だよ」などと言っている。

 

私はここぞとばかりに父親ぶって「こういうところで仕事したければ、パパみたいになれ」などと意味もなくエバりくさって言うと、娘は「高校生になったらこういうとこでバイトしようかな」と成り立っていない受け答え。

 

そして食ったあとは突っ伏して昼寝して、「あーあ、イヤだなあ」と言いながらまた塾に戻って行く。偉いなあと私はそんな娘の姿を見て思う。

 

私が中3の冬休みはなにをしていただろうか。行きたかった私立高校があったのだが(新設だったので一期生になれるということだけが志望理由だった)まったく勉強はしていなかった。結果その私立は落ち、公立高校も志望校には手が届かずだった。

 

12月29日(木)

我が家で忘年会。『雑魚どもよ、大志を抱け!』に出演した俳優さんたちが集まってくださった。そして私の大先輩の方が、素敵な恋人を連れてきてくださった。昼から楽しく飲んでいたが、私は夕方に一度中座して、今年最後の打ち合わせに行く。打ち合わせは軽めで終わり、その近くでやっていた知り合いの忘年会に30分ほど顔を出す。その後、『拾われた男』チームの忘年会にも顔を出す。なかなかできていなかった忘年会が今年はぐっと増えた。

 

長居はせずに自宅に戻らなければと思っていたのだが、その忘年会が楽しく、しかも打ち上げ的な様相も呈して、結局終電過ぎまで残ってしまい、帰宅したときには当たり前だが誰もいなかった。

 

12月30日(金)

今日は今井雅子さん宅にて忘年会。私が『嘘八百』でご一緒してできた縁だが、今では妻がすっかり今井さんと仲良しになってしまっていて、時おり度を越した私への文句などをぶちまけているし、私の娘も今井さんの娘さんの1学年下で名前も一文字違いで仲良しだから、ほぼ毎年末家族で伺って私は食い散らかし、妻は飲み散らかしている。

 

ちなみに今年は、映画狂の地上げ屋であるTさんが差し入れてくれた最高級牛肉のステーキが死ぬほどうまくて、お腹がびっくりしてしまい、帰りの電車で地獄を見そうになったが、途中下車した駅でズボンを脱ぎながらほとんどフルチン状態でトイレに駆け込みギリギリセーフだった。

 

12月31日(土)

朝、少しだけ掃除。その後、最後の仕事。それから、近所の簡易施設で家族4人でPCR検査。

 

明日の元旦に西武遊園地に行き「ゴジラ・ザ・ライド」に乗る予定なのだが、陰性証明書を出せば一人1000円引きになるという情報を妻がゲットしてきて検査に行ったのだ。検査場で息子が興奮して走り回った。

 

検査後、家族で銭湯に行く。私がいつも行っているサウナ付きのところだが、そこは反社会的勢力らしきお客さんも多く、以前息子を連れて行ったときに、「ねえ、背中に絵描いてるねえ」と話しかけるものだから、連れて行くのを避けていたのだ。

 

だが、今日はそこにした。近ごろ息子は、理由はわからないが入れ墨にモーレツに興味を持っており自分も入れたいなどと言っているから、入れ墨だらけの人がいたら興味津々だろうなあと思ったら、入れ墨だらけの人が2人ほどいて、息子はさすがにもう話しかけるようなことはなかったがガン見。そして私のところに来て普通にその人たちに聞こえる声で「ねえ、今日は手下の人もいるよ。ねえ、ほら。オチンチン以外、全部入れ墨だねー」とうるさい。やはりここの銭湯には息子と来るべきではない。

 

銭湯を出たあとにオオゼキで買い物。大晦日だから豪勢なものがたくさん売っている。私はついつい年の瀬にハメを外したくなるタイプだから、普段は買わないようなものをガンガン買った。妻は見る見る不機嫌になったが、年末くらいはいいだろうとそんな妻を見て見ぬ振りして、娘や息子にも好きなものを選ばせた。

 

それらを食い散らかしながらダラダラとお笑い番組など見ていたが、妻の機嫌は戻らず、(年に一度の)飽食極まりない私たちに嫌味を言うものだから、ついつい口論に。妻は食べおわるとさっさと2階へあがってしまった。このケンカは明日に持ち越すことはもう間違いない。西武遊園地が今から憂鬱だ。

 

※妻より

だって一人でウニやら牛やら大量の寿司やら食い散らかしてるんですもの。もうブクブク太って、病気にでもなんでもなってしまえばいいと思います。

 

息子は妻にくっついて行ってしまったため、娘とお笑いを見ていたが、娘も11時には「寝る」と言って自室に戻り、私は録画していた『未解決事件 松本清張と帝銀事件』を一人で見ながら年を越すという訳のわからない年越しになってしまった。

 

やっぱり大晦日には「笑ってはいけない」を見ながら、だらだらと年を越したい。

 

今年1年もご愛読ありがとうございました。これがアップされるのはきっと正月気分もまったくなくなったころでしょうが、良いお年をお迎えください。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年に公開予定。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

安田忠夫の映画を夢想し、金魚すくいにハッスルしてしまう映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第32回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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11月4日(金)

近所の酉の市(一の酉)に久しぶりに家族で行く。去年一昨年は出店がなかったが、今年は復活したので息子も娘もついて来た。4人で神社に並んで去年の熊手を奉納し、いつもの業者さんから熊手を買う。柏手を打ってもらい、息子は大喜び。娘は照れている。我が家はゲン担ぎに最も力を入れているので、これは毎年大切な行事だ。

 

その後、娘と私と息子は出店で買い食い祭り。妻は私たちの散財に激しくストレスを感じるようでずっと文句を言い続けている。大盛ヤキソバに喜んでいると、「入れ物が小さいだけだ」、娘がたこ焼きを欲しがると「私が作ったほうが絶対美味しいから家まで我慢しろ」、息子がお面を欲しがると「そんなものすぐに壊れる」、私が牛串を買うと「あんな冷凍肉の塊、まずいに決まってる」とイチイチうるさい。祭りを楽しむ気は1ミリもない妻の言動にこちらもゲンナリしてくる。

 

楽しかったのは息子がやった金魚すくいだけだ。1回300円で2回、私は見ていただけだが息子はすいすいと8匹すくった。もしかしたら金魚すくいの才能があるのかもしれない。家に帰って、メダカの水槽に金魚をいれた。私は金魚を飼うのは初めてだが、見ていてまったくあきない。熱帯魚にはまる人たちの気持ちも少し分かった。「魚 睡眠」などと検索までしてしまった。

 

11月5日(土)

とある都立高校の学校見学に娘と。受験生の娘がいくつかピックアップしてきた中では偏差値が高めの学校なのだが、自由な校風で化粧もオッケー。こういう文章を書くと「キモイ親父」と言われるのは覚悟だし、正真正銘のキモイ親父なのだが、その高校の女生徒はいわゆる「ケバい」子が多いように見受けた。私のような古い価値観のキモイ親父としては、偏差値が高くてケバいというのは二刀流のような気もして、いいじゃんこの学校などと思ったのだが、陰キャの娘はいまいちこの学校に乗らないようだった。

 

しかし、もう何度も書いているが都内は高校が多い。学校見学だけでも大変に疲れる。基本的に学校見学は行ける限り私が行くことにしている。それはなぜかというと、今現在ややバタバタしており、妻と比べて私は子どもと過ごす時間が少ない。あとになってからいろいろと知らなかったと言いたくないから、なるべくついて行けるときは行きたいと思うのだ。帰りに夕飯の材料(羊とたまねぎ)を買って帰る。

 

11月6日(日)

息子の誕生日の夕食会が延期につぐ延期になっていて、今日行った。息子が選ぶのは焼き肉か近所のステーキ屋さんなのだが、今日は焼き肉とのことで行ったのだが、とにかく「上」とつくものを注文すると妻がすぐに不機嫌になるので子どもたちが不憫でならない。たまにのことなんだから好きなものを食わせろと思う。「食い意地だけはりやがって」と妻は言うのだが、そういう妻は「飲み意地」がものすごい。

 

※妻より

結局いつも食べ切れない量を注文して、子どもが残すのが嫌なんです。それを「もったいない、もったいない」と食べて、私一人がブクブク太る……。私は頼んだ酒は1ミリも残さずに飲み切りますから。

 

11月7日(月)

昼、娘の中学に3者面談に行く。進路の話。それにしても、高校受験など学校側が手続きとかやってくれるのかと思っていたが、面倒な事務作業がいろいろとある。事務作業が極度に苦手な私は説明を受けてもまったく頭に入って来ない(それで何度もバイトや仕事を逃げた)。妻に行ってもらうべきだった。

 

その後、夜に外出する予定があったので、新宿の喫茶店で仕事をした。そういう時に限って、その喫茶店に資料を忘れたことを帰宅してから気づいた。明日、取りに行かねばならないが、めちゃくちゃ面倒くさい。

 

11月8日(火)

こみずとうさんのお店に昼飯を買いに行く。久しぶりのとうたりんぐ祭り。ついつい食べ過ぎてしまう。唐揚げ好きの私だが、とうたりんぐの唐揚げが一番好きだ。味付けから肉の部位から最高なのだ。娘と息子も大好きなので、彼らのぶんも買ってきてやる。

唐揚げも、カレーもハヤシも本当に美味しかったです!!

 

その後、忘れ物を新宿の喫茶店に取りに行ったついでに、その喫茶店で夕方まで仕事をする。私よりちょっと年下くらいの40代半ばあたりの男性ふたりが、子どもに英語を習わせるタイミングのことで熱く語っていらした。ひとりが、娘が2歳になったら習わせようと思うと言うと、もうひとりは、ウチは3歳から習わせてインターナショナルスクールにも通わせたが、その結果、日本語も英語も中途半端なコミュニケーションしか取れなくなったと話していた。その娘はまだ5歳とのこと。

 

帰りに夕飯の材料(牛肉とサンマと刺身)を買って帰る。

 

11月10日(木)

妻とケンカ。理由は私が書いた脚本を読んだ妻が、「ここ、わからない。ここ、いらない。ここ、つまらない」と正直に意見を言ったからだ。

 

正直に言ってほしいと頼んだのは私なのだが、批判を受け止めることができず、私はムキになって「え、なに? じゃ、どう直せばいいの? じゃ、アキが書いてよ! そんだけ言うなら、アキが解決してよ!」と言ってしまった。

 

開き直るつもりはまったくないのだが、これは立派なパワハラである。他人からの指摘を受けきれず、ムキになって唾を飛ばして反論してくる人が皆さんの周囲にもいると思う。 私はいつもそういう人を見ては、「ああはならないようにしよう」と思っていたのだが、意外と(でもないか)私もそっち系の人間なのである。

 

妻はそんな私に鬼の表情で「ファーック!! おめえファーック!!! 死ねよ! 今すぐに死ねー!!!!!」とおきて破りの逆パワハラで返してくるのでまだいいのだが(よくない)。

 

最近、私が書いているシナリオにお寺の和尚さんの登場があったので、勉強のために和尚さんのありがたい言葉を聞くYouTubeを見ることが多くなっていたのだが、YouTubeを見ている間は和尚さんの言葉に私も改心を誓ったりした。しかし、その誓いは3秒と持たない。やはり永平寺あたりにせめて一泊修行にでも行かないと私という人間は変わらないのかも知れない。

 

妻に「出て行け! パワハラ野郎とは一秒たりともいたくない!吐き気がする!」と言われ、そのまま私は脚本を書いていた映画の撮影現場に陣中見舞いに行き、先日NHKのシナリオチームに200倍の競争率を突破して受かり、一緒に脚本を書いた山口智之君と酒を飲んで帰った。

 

11月11日(金)

朝、一応、妻に謝る。が、この「一応」というのを完全に見抜かれている。

 

妻に「あんたはイライラの矛先を間違えている。外で言いたいことは飲み込んで、その苛立ちや怒りを家で八つ当たりするのは人間失格だ。DVだ。パワハラでモラハラだ。本当に弱すぎる! どこまでも天までも弱くみっともなく情けない人間だ! 気持ちが悪い!」と言われ、またも途中で受けきれなくなり、言い返してしまい、口論へ。

 

今日は妻が出て行き、この日、帰宅せず。娘と息子に豪勢な夕飯を作ってやると、ふたりとも「うますぎる!」と言いながらバクバクと食べた。

 

※妻より

喧嘩の詳細は書きませんが、こーいうことをいちいち書くところが腹立ちます。子どもらは「うますぎる!」なんて思ってやしません。不穏な家庭内の空気に気を使っただけです。そーいうところに気が付かないと……。

 

11月12日(土)

息子の小学校の音楽発表会。息子は常日頃から非常に緊張しいの上に不器用なので楽器を弾くことが大嫌いで、毎年音楽発表会のこの時期はいつもに増して「絶対に休む!」と言っていた。だが、今回は合奏する「オブラディ・オブラダ」を理由は分からないがいたく気に入ったようで、家の誰も使っていないピアノで弾いたりもしていて、楽しみにしていた。そんな息子の姿を夫婦で仲良く観に行きたかったが、妻は昨日出て行ったまま帰って来ず。

 

今日は映画『あなたの微笑みに』(監督:リム・カーワイ)を一緒に観に行く約束を前々からしており、初日舞台挨拶のチケットも取っていたので、まあ、どうなるのかな今日は…みたいに思いながら息子の学校へ行くと、妻も音楽発表会の片隅にいた。

 

しょうがないので、妻の横にヘラっと行く(しょうがないってなんだよ! BY妻)が、妻は見向きもしない。

 

息子たちはマスク越しにまずは合唱。なぜか息子はずっとニタニタとしている。その笑顔はとてもかわいい。笑顔のまま「レッツゴー・タマゴ」を歌う。続いてマスクを外し「オブラディ・オブラダ」の合奏。一生懸命ピアニカを吹いていた。終わるとまた笑顔になった。いろいろと生きづらさを抱える息子ではあるが、基本的に日常生活では笑顔が多い。その笑顔をうっすらとでもいいから浮かべ続けて生きていける人生を歩んでほしい。それがなにかを誤魔化す笑顔だったとしても、私はしかめっ面よりは息子に似合っていると思う。ただし、笑顔よりもしかめっ面のほうが似合っている人もいる。

 

合奏が終わると、妻がさっさと会場から出て行くので私もそのあとを追う。とりあえず、学校から駅までダッシュ、駅の乗り換えでダッシュ。駅から劇場までダッシュしまくった。ダッシュしながら「昼食何食べようか?」と聞くも、「お前とは食べたくない」と即答。返事をしてくれただけでも、この喧嘩を続ける気がないのがわかった。

 

『あなたの微笑みに』はとても面白かった。渡辺紘文さん扮する主人公の映画監督が(渡辺さん自身が映画監督でもあり俳優でもある。私の『喜劇愛妻物語』にも出演してくださった)自作の映画をかけてもらえないかと全国のミニシアターを回る物語だ。映画監督版『男はつらいよ』といった趣で爆笑しつつ、その自由な作り方も心底羨ましくなる。

 

見終わったあと、私は思わず妻に「『喜劇愛妻物語』の続編は自分たちでやろう! もともとそういうつもりだったでしょ?」と言ったら、妻は「まあ、それもありか……」とつぶやいた。そのつぶやきを、私は自分のSNSに「映画を観終わったあとに妻が『喜劇愛妻物語』の続編は私たちでやるしかない!と言った」と書いたら、これが妻の逆鱗にまたも触れてしまい、せっかく仲直りできていたのがまたオジャンになってしまった。

 

※妻より

こーいう、適当なウソの積み重ねが本当にムカつきます……。

 

夜、俳優の眼鏡太郎さんとマネージャーのWさんと久しぶりにお会いして少し飲む。おふたりの話を聞く予定だったのに、我々夫婦の話しを聞いていただいてしまった。というか無理やり聞かせてしまった。

 

眼鏡太郎さんから絵を頂きました! 我が家の縁起物がまた増えて嬉しい!

 

11月13日(日)

息子と妻が保育園のころからの友達たちとピクニックに行ったので、久しぶりに日曜日を丸まる仕事にあてた。

 

夕方、疲れたので近所のいつものサウナに行くと、「え!?」と引くくらい激混み。日曜はこういう状態なのか……。入店せずにそのままこれもよく行く近所のマッサージ屋さんへ。いつものパクさんに予約が入っていて空いておらず、代わりに女性の方にやっていただいたのだが……かなりご年配の方。もっと強く! 強く! と何度もお願いするが、まったく強くならない……。「もう……これ以上無理……」と死にそうな声でおっしゃるので私も諦めた。

 

11月17日(木)

昼まで仕事をして、その後にシナリオ作家協会のシナリオ倶楽部に久しぶりに顔を出した。チームライティングを考える的なテーマで先日、NHKのシナリオチームに受かった山口智之君が話すということで、数年ぶりに参加した。

 

正直、連続ドラマなど長い物はチームで書いたほうが私もいいと思う。だがそのためには企画の芽の段階からライティングチームとディレクションチームとプロデュースチームががっちりスクラムを組んでいく必要はあるかと思う。そういうプロジェクトに私も参加してみたいと思うし、そういう企画を考えてもみたい。

 

とりあえず今、私は元大相撲力士でのちにプロレスに転向した安田忠夫さんをモデルにしたドラマを作ってみたい。安田忠夫さんはギャンブルにはまり、大相撲をやめてプロレスに転向、その後総合格闘技を何試合かして、自殺未遂などもしたあげく、後輩のレスラー(ケンドー・カシン)の実家の養豚場で働くもそこもやめてしまう……。相撲やプロレスなどの今まであまり描かれることのなかったコアな部分を描くことができるのと、安田さんの人間性を描くことで現代社会が抱えているハラスメントの構造や、人が人を見捨てる問題なども描けると思うのだ。もちろんすごいエンターテイメントにもなると思う。西村賢太作品と同様に「いつかは……」と思っている企画だ。

 

11月19日(土)

今日も娘と高校の説明会。先日の偏差値高いけどケバい高校よりも、偏差値は少し低いけど落ち着いた雰囲気みたいな高校の見学だ。女子サッカー部とかソフトボール部とかの見学もできて、娘的にはかなりテンションがあがり「この学校を第一志望としたい」とのこと。中学時代は(今も中学生だけど)野球のことや部活のことでも大いに悩んだりしたから、高校時代はひたすら楽しいといいなあと願う。帰りに学校近くの商店街の焼き鳥屋で10本焼き鳥を買って私が6本、娘が4本食べた。

 

家に戻ると、妻が息子含めて何人かの男の子たちを怒鳴りつけて家から追い出していた。大人が家にいないときは、家には入らないという約束を破り(各家庭でお母さんたちがそういう協定をしている。そういうところでも父親はダメだ、世間話はするがそういうコミュニケーションは取らない)息子が友達を入れていたのだ。

 

「そんな怒鳴らくても」と言うと、猫を追いかけまわしたり子どもたち同士もうまくやっていなかったりで騒がしく、仕事が出来なくなりブチ切れてしまったとのこと。私が子どものころには近所に怖いおばさんがいたが、近ごろはいなくなったから妻がそうなってもいいかもしれないと思った。私だけに怖いのはどうかと思うし。

 

11月21日(月)

1か月ぶりの教育支援センター。近ごろの息子の様子を相談するも、ほとんど我々親の心の持ちようの相談と化す。話の流れから、支援センターの先生が格闘技好きと分かって、20年くらい前の格闘技界の話でも盛り上がった。

 

11月23日(水)

息子、2か月振りのマンツーマンの療育へ(先月は行く途中で癇癪が出てしまい、牛歩したり、コンビニに隠れたり、挙げ句動けなくなり、お休みしてしまったのだ)。

 

久しぶりで緊張したのか、気恥ずかしかったのか、先生のPCを抱え込んで返さなかったり、時計を隠したり、漫画から顔をあげず先生の顔を見なかったり明らかにいつもと違う行動。見ていられない……。

 

先生から「最近学校どう?」と聞かれると「話したくない」とのこと。学校はやはりあまり(と言うかまったく)楽しくないのだろう。

 

そう言えば、近ごろはランドセルからものを出した形跡もない。想像するに、ずーっと心を無にして6時間椅子に座っているのだと思う。それは面白くないだろう。帰りに夕飯の材料(豚肉とサンマ)を買って帰る。

 

11月24日(木)

午前中から昼すぎまで脚本のオンライン打合せ。

 

その後、夕方から映画『わたしのお母さん』の杉田真一監督と渋谷ユーロスペースにて上映後にトーク。渋谷駅が分からなさ過ぎて、いつもと違う出口から出たら迷いに迷いまくってユーロスペースまで全力疾走。

 

作品は、うっすらとうっすらと娘の心を無意識に削り続けた母親とその娘の話。実はこういう重苦しいのに、なんとなくそれを重いと言うのはちょっと憚れるかも……というような関係の親子、兄弟、姉妹は多そうな気がする。これが赤の他人ならば距離を置けばいいのだが、肉親だと「距離を取れ」と言われても、うまくそうできない人もいる。そういう人たちに寄り添いに寄り添った映画だと思う。

 

11月25日(金)

午前中、いつもの喫茶店で仕事。この喫茶店を仕事場にしてから1か月くらいたった。私はいつも同じ場所に座っているし、そろそろ私のあだ名がついていそうな気がする。

 

「ハナクソ」「スポニチ」「ハゲ」「ヒゲ」あたりか。どう考えてもポジティブ系は思い浮かばない。あ、「トマトジュース」というのが一番マシか。

 

夜、「城山羊の会」、鑑賞。相変わらずの面白さ。来年放送の『ブギウギ』でご一緒させていただく趣里さんも出演されていて、やはりとても面白いお芝居をされていた。

 

11月26日(土)

本日も朝から娘と高校の説明会。もう毎週末怒涛の説明会だ。昼飯を高校周辺のハンバーガー屋で食べた。ハンバーガーにしてはやや高い店だが、寿司ならば「え、こんなに安いの!?」という値段だ。娘は「美味しい!!!!! こんな美味しいハンバーガは食べたことがない!!!」と感動していたので、久しぶりに父親気分に浸った。

 

午後から、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の取材。久しぶりに主演の池川侑希弥君と会った。会うたびに大人びて行く。私はどう思われているだろうか。「会うたびに禿げていくな」と思われてはいないだろうか。周囲はAGA治療でフサフサになっている人が何人かいるので私も行ってみようと思っているのだが、面倒くささと性欲減退の副作用があるという説に負けて今のところ先送りしている。私から性欲を奪ったらなにも残らない。が、この日記のネタのためにも年内には行ってみようと思う。

 

11月28日(月)

5時間授業だったので、息子の友達が3人きて、居間でホラー映画鑑賞会。私が2階で仕事をしていると、キャーキャー悲鳴が聞こえる。それはとても心なごむ音だった。

 

夜、妻が筋トレのジムに行くので息子とふたりで三の酉へ。息子とともに出店で大いに食う。すると友達と来ていた娘と出会い、まだ一口も食べていなかったチーズ揚げを巻き上げられた上に、1000円もかつあげされた。「だってママが400円しかくれなかったんだもん」とのこと。確かに中3娘が祭りに行くのに400円はあんまりだろう。

 

※妻より

前日に2000円渡してます。当日も「金クレ」と来ましたが、手持ちが400円しかなかっただけです。あげ過ぎ。

 

そして一の酉同様に金魚すくいへゴー。なぜか100円値上げされており400円になっている。妻が来ていたら絶対に店員さんというのかテキヤのお兄さんに文句を言っていたであろう。

 

今日は私も数年ぶりに挑戦したのだが、え、金魚すくいってこんなに面白かったっけ!? と思うほどで、息子4回、私3回で計2800円使ってしまった。

 

が、前回よりもゲットした獲物数はへった。デメキン2匹、金魚4匹をゲット。息子は念願のデメキンをゲットしたので興奮しているが、私的には数が少なく残念だったねと息子と話していると、前を歩いていた高校生のカップルが突然振り返り「あの、すいません」と話しかけて来た。

 

私は咄嗟に、やばいカツアゲされるのか!? とビビったが、カツアゲする相手に敬語を使うわけはなく、そのカップルは「よかったら、これどうぞ。うち飼えないから」と金魚を5匹くれた。息子は大喜びで、「あの子かわいかったね」と言った。確かに可愛かった。

 

家に帰ると、息子が妻に金魚すくいですごいお金を使ったと報告してしまい、私は「領収書をもらって来い」と妻から言われた。「出店でも領収書はくれる、私はもらったことがある」と言うのだが、本当だろうか……(貰えるはず by妻)。

 

そしてウチの猫が金魚の水槽からしか水を飲まなくなった。

 

11月30日(水)

朝8時半から喫茶店で仕事。ひたすらに書きまくる。右の肩甲骨の菱形筋(りょうけいきん)というところがもう何年もこりつづけているのだが、今日はそこが痛くてたまらず2時間も机に向かっていると我慢できなくなった。右腕まで冷えて痺れたような感覚になってくるのだ。たまらずいつものマッサージに駆け込んだ。今日は無事パクさんにほぐしていただける。2時間のコースで1時間50分はひたすらに菱形筋をグリグリしていただいて、涎を垂らして寝た。

 

それにしてもなぜに右だけなのか。パクさんがおっしゃるには鉛筆を持っているからだとのことだが、鉛筆なら小学生のころから持っている。なのに45歳くらいまではなんともなかった。たまにバランスをとるために左手にペンを持って書いてみることがあるが、良いセリフが思い浮かぶことがたまーにある。

 

夕飯の材料(鶏肉)を買って帰る。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』は2023年に公開予定。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

東京国際映画祭のレッドカーペットを、怒り狂うと「Fワード」を口にしだした妻と歩く映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第31回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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10月1日(土)

息子の運動会。ソーラン節と積み木積み上げみたいな遊戯のみ。運動会好きとしては、あまりにもあまりにも物足りなさすぎる。せめてクラス対抗リレーくらいは見たい。遅かろうが早かろうがムキになってしまうのが運動会の面白さ。遅い子が傷つくという理由で今のような形にしていれば、同じような理由で音楽会や学芸会、絵の展覧会もなくなるだろう。傷つくというのはそんなにいけないことだろうか。もちろん尊厳を破壊するようなことはあってはならないが、傷つかないように生きて行くなんて不可能だ。だが、実生活でもフィクションの世界でも「目指せ誰も傷つかない世界!」に向かっている。そこに理想を掲げることまで悪いとは言わないが、凄く胡散臭く感じてもしまう。

 

カケッコで異常なまでに緊張する息子は去年、真下を見て走った。笑いながら泣きそうになった。そんな経験をさせたいとも思うのだ。

 

夜、『雑魚どもよ、大志を抱け!』の主題歌を作ってくださったバンド、インナージャーニーのライブに。映画の主題歌も今日が初披露であった。やっぱりいい歌だなあとしみじみ聞いた。他のどの歌もとても良かった。こういったライブに来るのはいったい何年振りか分からないので、とても楽しかった。ライブ後にはプロデューサーの佐藤氏、チーフ助監督の松倉氏、スチールの内堀氏と飲みに行った。

 

10月2日(日)

息子、朝の7時から友達とオンラインゲーム。9時半にレンタル先生が来るので、それまでメンタルを整えるために、朝からでもやらせることにしている。のだが……先生が来ても気持ちの切り替えができずにかなりのグズグズになる。運動会の疲れが出たのかもしれない(息子は保育園時代から運動会前後は疲れが溜まるのかメンタルが不安定になる)

 

レンタル先生とも授業にならなかったようで、急遽道徳の時間となったようだ(レンタル先生中にここまで不調になったのは初めて)。いつもより45分早くその授業も切り上げて、妻と私とレンタル先生で話す。自我が出てきてこれから反抗期にも入っていくであろう息子の相談。反抗期は娘でこりごりなのだが(いまだ薄っすらと継続中。時に大爆発もあり)、息子にも同じように来るのだろうか……。

 

はぁ~~~、それを考えると憂鬱だ。娘とはまた違う男子の反抗期とはどんなものなのだろうか……。私には反抗期というものがなかったので想像がつかない。

 

息子は昼になっても気持ちがグズグズしているようであったが、ゲームとテレビのリモコンは取り上げた。ゲームやYouTubeなしでこのグズグズから脱出する術を考えてほしかった。

 

息子はしばしグズグズしていたが、外に出て行った。15分ほどして「ただいま!」と明るい声で帰って来た。公園で学校の友達が数人ゲームをしていたようだ。「公園で友達とやるなら、ゲームしてもいい?」ということで、家で一人でやっているよりははるかにマシなのでゲームを渡したら、嬉しそうに飛び出して行った。友達とやれる!ということもとても嬉しかったのだろう。

 

が、30分後、息子はしょんぼりしながら帰宅。様子がおかしいが聞いてもあまり話したがらないし、要領を得ない。しつこく聞いていると、どうやら友達たちに撒かれたようだと分かった。私の胸にも痛みが走り、それ以上の追及はやめた。友達と久しぶりに遊べた息子は撒かれたことを認めたくはないようだった。そんな息子の姿を見て、私も激しく落ち込んだ。俺でよければ全力で息子の友達になってやろうと何度目かの決心をしたが、目の前の仕事にそちらを優先させてしまうこともある……。ああ、本当に今、身体が二つほしい。子ども不調休暇というものも、あって当然のものではないだろうか。もちろん妻不調休暇、夫不調休暇もだ。

 

10月3日(月)

息子、運動会の振替休日で休み。私は仕事をせねばならないが、月曜日の出だしはなかなかやる気がおきないうえに、息子が家にいるのでさらにエンジンがかからない。なのでそれを理由に仕事を切り上げて、近所の映画館に息子が楽しみにしていた『“それ”がいる森』(監督:中田秀夫)を観に行く。だが私は近ごろの寝不足がたたり、予告から撃沈。

 

「ねえ、父ちゃん、起きてよ!怖いよ!」と息子に起こされたときは、始まってけっこうな時間が経過していたような気がする。息子は期待通りだったと言っていた。

 

帰り道、「公園に寄ってみるか? 友達いるかもよ」と息子に言うと、息子は先日撒かれたことが頭にあるようで、返事が鈍い。なのに私はもしかしたら息子が友達と遊べるかもと思い、その公園の横を通る。

 

公園には昨日と同じようなメンバーがいて、息子は寂しそうな表情を見せただけで、公園には入っていけなかった。息子が多くの友達と楽しく遊んでほしいという自分の願いと安心のためだけに息子を傷つけてしまったと、これで何度目の自己嫌悪だろうか(こういう傷つきはいらない)。自分の安心を最優先させてしまうこの思考回路は一生直らないかもしれない。

 

10月4日(火)

朝7時からファミレスで仕事。昼、近所の銭湯のサウナ。最近、サウナに入るとなぜかモーレツに疲れる。昼休憩のつもりなのだが、昼休憩どころかそこで一日の仕事が終了になってしまうこともある。今日はそのあとに夕方までぐっすりと眠り、盗作がバレてネットで袋叩きとなる悪夢を見る。目覚めたときに、心からホッとした。

 

盗作というのか、映画を観たり本を読んだりして、「これ、やってみたい!」からスタートして考えて考えてなんとなく自分のオリジナリティが加わって来て、またさらに煮詰めて煮詰めて、「あれ? いつの間にか自分の作品になっている……」というのが、なんだかおこがましいが、だいたいの私の創作パターンだ。

 

夜、『拾われた男』チームの方々と久しぶりにお会いして、ご馳走していただいた。原作も大好きだったが、この仕事は本当に楽しかった。ディズニープラスでは全話配信中ですので良かったら是非見てください。

 

10月5日(水)

朝から妻とくだらないことでケンカ。私たち夫婦は高尚なことが原因でケンカをしたことがない。犬も食わないを地で行っているのだが、今朝のケンカも息子にウォシュレットを使わせるかどうかということだ。

 

私は使わせたい。嫌がる息子が使えるように苦労したのだ。なのに、ここ最近使っていないから(怖いからということでドアを開けっぱなしでトイレに入るから、使っているのか使っていないか分かるのだ。で、あれ? そういえばあいつ最近使ってないな……と気づいたのだ)、「なんで使わないの?」と聞くと「これを使ったら病気になるって母ちゃんが言った」とのこと。

 

「なんだそりゃ? ならないから使え」と言っても、一度その情報が刷り込まれた息子は「イヤだ、イヤだ、イヤだ!」と叫ぶのみ。「なんでそんなこと言うんだ」と妻に聞くと、「新聞に10万人の肛門をみた医者が『よほど汚れた時じゃない限りウォシュレットの頻発使用はよくない』と書いていた」とのこと。

 

ネットで検索すると、確かに使い過ぎはよくないという記事も出てくるが、使いすぎなければいいのだ。適度ならばいいだろう。だいたい妻は以前からウォシュレットに反対派なのだ。その理由はよく分からないが、きっと水道代がもったいないというものだろう。

 

※妻より

ちげーし。なんか水が飛び散ってそうで嫌なだけだし。

 

我が家でも一人だけ使っていなかった。おそらくは新聞の記事を見て、息子を洗脳したのだと思う。と考えると、使用派の私としてはなんとしてもその洗脳を解いてやりたくなる。だが、こだわりの強い特性のある息子の思い込みを解くのは大変だ。

 

「余計なことしやがって!」と思った私は妻に口論を挑むも、なぜか「お前は常にお前の価値観を押し付けているだけだ、相手のことなぞ考えてもない、ただの自己顕示欲なだけだ!」とウォシュレット一つでこうまで責め立てられることとなり、激しい怒りを覚えた私は応戦しまくって、結果この日、妻は帰って来なかった。

 

ケンカはロクなことがないのになぜするのだろうか。戦争がなくならない理由と同じなのだろうか。それは違うな。にしても……最近妻はケンカの時、というのか怒り狂うと英語が混じるようになった。

 

今日も私の言葉を「ファーック! ファーーック!! ファーーッキュー!!!」と叫びながら両手の中指を立てさえぎるのだが、その姿はもはやDJオズマならぬDJ汚妻だ。これは一体なんの、もしくは誰の影響なのだろうか?

 

※妻より

どんなに丁寧な日本語で言ってもあなたに通じないからです。

 

10月6日(木)

朝7時からファミレスで仕事。その後に疲れるのにまた近所の銭湯へ。サウナの中に設置されているテレビのチャンネルがずーっと日テレになったままだ。私が行く時間は「ヒルナンデス!」を放映しているが、正直あまり興味が持てない。

 

14時に行けば「情報ライブ ミヤネ屋」なのだが、こちらは朝の7時から仕事をしているから、どうしてもそれまでは待てないし、14時だとサウナから戻ってきたらもう息子の帰って来る時間だ。「ヒルナンデス!」はあまり見たくはないが、この時間に行くしかないだろう。「チャンネルの変更には応じかねます」という張り紙があるために、私はなにも言えない。入れ墨のおじさまたちが番台の人に「たまには違うチャンネルにしろ」とお願いしてくれないだろうかと思ったりするが、今のところそういうことはない。

 

夕方から、小学生の子どもたちとオンラインワークショップ。オンラインのワークショップというのは初めてで、しかもそれが子どもたちを相手にするものだったのでどうなるかと思ったが、今の子たちはオンラインにあまり抵抗がないのか、画面の向こうで完全に自由人となっており、そんな様子を見ているだけでもとても楽しかった。また機会があればやらせていただきたい。

 

夜、娘の塾の塾長と、これもオンラインで3者面談(妻もいたから4者面談か)。受験生なのだから1日2時間は勉強しようと約束させられていたが、果たしてその誓いを守ってくれるだろうか。

 

10月7日(金)

嘘八百 なにわの夢の陣』の初号試写。シリーズ3作目で、安定の面白さ。今井雅子さんと共同脚本といっても、特に今回は自分の映画の準備や撮影とかさなり大部分を今井さんが書いてくださった。

 

それにしてもオリジナル企画のコメディ映画で3作もシリーズが続くなんて、今の邦画界では奇跡だ。私も『喜劇愛妻物語』の続編を作りたくてたまらないのだが、なかなかうまく事が進んでくれない。今度は妻の罵倒に英語も混じるので、これはマジで抱腹絶倒の傑作になるのだが……。

 

10月8日(土)

猫の口内が不調なので獣医に連れて行く。ウチの猫は、近ごろ奥歯にものがつまっているかのように顔をしかめて、必死になにかを取ろうとしているのだ。なにか詰まっているのかなと、抵抗する猫を押さえつけて口の中を覗くもよく分からない。

 

獣医さんに行くと、歯周病じゃないか? とのことでぶっとい注射を一発。「じゃないか?」ってなんだよと思いながらも、ひとまずウェットフードではやめろと言われ、ドライフードに変更。でも、ウチの猫は2匹ともドライフードは死ぬほど腹が減っているときしか食べないんだよな……。

 

多分9歳と11歳の猫は2匹とも食欲は旺盛なのですが、入れ歯の人みたいな食べ方をします。猫用減塩鰹節をかけたらドライフードも食べるようになりました(by妻)

 

その後、娘の私立高校の説明会へ行く。娘はその高校を気に入ったようだった。今の調子でいくと、チョーギリギリ合格圏と個人説明の場で言われ、娘は喜んでいた。チョーギリギリなのに。

 

気分が良くなった娘は帰りに古着屋に行きたいと言いだしたので寄る。息子と私の洋服も買い、クレープやジェラートトリプルを食べ歩きして楽しかった。帰宅してそれらを妻に報告すると「何しに行ったたんだよ、ファッキュー、ハウマッチ」と冷たく言われる。説明会に行く前に、沖縄料理屋で飯も食ったし、服も3人分大量に買ったからけっこう散財していた。

 

10月9日(日)

最近の寒暖差の激しさに、息子がばっちり風邪をひく。なにせ息子は小学4年になっても基本的に裸族なので、風呂上がりも特に下半身はすっぽんぽんでいることが多い。かつ、夜中に布団をすべて蹴る。お尻がぷりんと出てかわいいのだが、いつまで裸族でいる気だろうか。まぁ、妻も裸で歩いていることが多く、息子がニタニタと妻のそんな姿を見ると妻は「見てんじゃねえ」と言うが、私からすると「着ろよ」と言いたくなる。

 

10月10日(月・スポーツの日)

朝から息子が通っているキックボクシング教室の友達がウチに来てゲーム開始。13時からそのキックボクシングの道場で、大人の練習生のスパーリング大会があるというのでそこに行く約束をしていたのだが、息子は突如行きたくないと言い出す。

 

どんなに怒ってもなだめても岩のように動かない。仕方なく妻が息子の友達を連れてスパーリング大会を観に行く。私は怒りで息子を放置して家を出た。

 

きっといつも通っている曜日と違うから不安が発生したのだろうが、友達もいるのに動けなくなってしまったのがちょっとショックだった。最近また不安感が強そうで苦しそうだ。

 

10月11日(火)

息子、昨日のメンタルを引きずっているのか学校に行けず。今日はもう距離を置こうと私も妻も、テレビのリモコンとゲームを隠して家を出る。外は秋晴れのメチャクチャいい天気。息子は家でふとんにもぐって、何千回も読んだ『ドラえもん』を読んでいる。いまだ読んでいないマンガが家にはたくさんあるのだから、せめてそっちを読んでほしい。それなら欠席も少しは無駄ではない……などとついつい無駄かどうかで私は判断してしまいがちなのだが、息子のような子は休むことでエネルギーを充電しているのですと教育支援センターの方に言われた。せめて充電器を『ドラえもん』からほかの漫画にしてくれとやはり私は思ってしまうのだ……。

 

10月16日(日)

朝7時からファミレスで仕事。昼過ぎに娘と息子と飯を食いに行き、その後に『カラダ探し』(監督:羽住英一郎)を観に行った。これも息子が楽しみにしていたのだが、息子はいたく気に入ったようだった。娘は原作との違いをなんやかや言っていた。息子は「次はマ・ドンソクの『犯罪都市』!」と叫んでいた。

 

10月18日(火)

朝食時、妻と娘が大ゲンカ。理由は紺色のハイソックスが乾いてないとかそんなこと。娘がキレて箸を投げる。それにキレた妻が「もうお前のご飯は一生作らねえ!勝手にしろ!」と怒鳴る。すると妻の影響か娘が「ファック!」とわめく。息子、耳をふさぐ。私はそそくさと息子と家を出てそのまま大阪へとむかった。

 

10月21日(金)

朝7時からファミレスで仕事。

 

夕方、2階に住んでいる難民仮放免中のSさんと、Sさんを支えているNPO法人の方と、ボランティア協会の方と妻と私で話し合い。RHQ(難民事業本部)の支援も打ち切られ、教会からの寄付などでSさんは生きているが、どう節約しても普通に生きるのは難しい様子。どうしたらよいものか……と頭を抱えるも、「働いてはいけない」という規則がある限りどうにもならないしかもSさん自身、寄付や施しで生きるのがとても辛いと言う。

 

とりあえず、映画『ワタシタチハニンゲンダ!』の自主上映の時に寄付を募り、冬を越せるように支援するとのこと。

 

 

Sさんは毎日起きるのが辛いと言う。そりゃそうだ。朝起きて、今日も一日なにもすることがない。そんな日が続くとどうなるか。私ならおかしくなる。その結果、ロクな行動に出ないだろう。そう考えると、世のロクでもない行動をしてしまう人というのは、やはり困っている人が大半なのだろうなと思う。というか全員かもしれない。

 

10月22日(土)

仕事場をファミレスから純喫茶にかえる。ファミレスでネット環境につなげてしまい、まったく仕事が捗らなくなったからだ。見つけた喫茶店は“ワイハイ”もないから仕事をするしかない。もうこういう環境にいないと私は書けない。ちょっとでもセリフにつまったりすると、すぐにネットサーフィンしてしまうのだ。結果、数行のセリフのやり取りに2時間くらいかかったりする。

 

家に戻ると、表でSさんとばったり。寄付でいただいたのだが食べきれないという食べ物をたくさんいただいた。難民の方から食べ物をいただいている私。

 

10月24日(月)

朝8時から喫茶店で仕事。通い始めた喫茶店は営業が8時からだ。

 

15時、銀座に向かう。今日から始まる東京国際映画祭のレッドカーペットを、映画に出てくれた少年たちと歩くのだ。この日の為に毎朝YouTubeを聞きながらウォーキングし、体重を5キロ落とす予定だったが、3キロしか落ちなかった。

 

おめかしした少年たちはみんな初々しく、かわいく、カッコイイ。彼らが喜んでくれたのがなにより嬉しかった。その後、パンフレットの座談会を彼らと、撮影のときの思い出話など。私の印象を聞かれた子どもたちが「優しい」と言ってくれたとき、背後で妻が鼻で笑うのが聞こえた。この子たちには一生私の腹黒さは隠し通したい。

 

10月25日(火)

息子を塾の体験に連れて行く。毎週日曜日来ていただいているレンタル先生がやっている塾だ。

 

息子は激しく抵抗したのだが、ゲームと引き換えに行かせた。火曜日と木曜日をゲームなしデーにしているのだが、塾に行ければ火曜もゲームありとする条件だ。あくまで体験の今日は楽しく過ごしていたように見える。が、見学していると気が散るので、私は外で待った。今晩は冷えるので塾近くのスーパーマーケットに入ったのだが、ここも寒かった。なので何の意味もなく、一時間以上もブラブラと散歩をした。

 

塾、行きたくないだろうなあ……とは思うのだが、ワーキングメモリの容量が小さい息子は習ったことをポロポロと忘れて行く。それでもいいじゃん。という判断は今の私にはできない。

 

今後なにかのきっかけで、息子自身が「それでもいいじゃん。俺はこうして生きるから」という生き方さえ見つけてくれたら、今習っているような勉強はしなくてもいいのだが……なんてことをつらつらと考えながら時間をつぶして塾に迎えに行くと、勉強が終わってテンションのあがっていた息子が寒空の中、半そでで走り回っていた。

 

※妻より

きっと友達ができて嬉しかったのだと思います。勉強よりもなによりも子ども同士の付き合いを学んでほしいと思っています。

 

その後、息子と二人で飯を食いに。「パパ、こういうとこで(普通の定食屋)ご飯食べたらまたママに怒られるよ」などと生意気いいながらバクバクとご飯を食べていた。しかし、以前は外食もなかなか厳しかった息子が(見通しの立たないことは癇癪を起こすので外食は難しかった)、誘うと5回に3回は外で飯を食えるようになったのは大きな成長だ。あとは旅行に普通に行けるようになるといいなあ。

 

10月26日(水)

朝8時から喫茶店で仕事。夕方から東京国際映画祭『雑魚どもよ、大志を抱け!』の上映のために銀座へ。今日が一般のお客様への初披露。いつもこの時はとても緊張する。私は一番後ろで立って見ていたが、お客さんたちがグッとスクリーンに集中してくれているのを感じ取れた。上映後のQ&Aでもたくさんの質問をいただき嬉しかった。

 

その後は撮影地の飛騨からかけつてくれた方々と、また思い出話に花を咲かしながら飲む。心地よい疲労感とともに帰宅した。ちなみに、今日は息子の誕生日で、息子も娘も映画を観に来ていたのだが、珍しく二人とも面白かったと言ってくれた。

 

10月28日(金)

朝8時から喫茶店で仕事。昼から若手監督のシンポジウムに参加した。シンポジウムではたいしたことは話せなかったが、その後に、一緒に参加した監督さんたちにいろんなことを聞けて、私としては有意義なひと時を過ごせた。もはや皆さん海外で制作費用を回収するということに目が向いてらっしゃる。それはもちろんハードルの高いことであろうが、より多くの人に観てもらえると言う意味でもそうしたいと思う作り手が増えるのは当たり前だ。

 

夕方から『第三次世界大戦』(監督:ホーマン・セイエディ)という映画を観る。なんの予備知識もなく観たのだが、まさかの展開にびっくり。公開されたらまた観たい。

 

10月29日(土)

朝8時から喫茶店で仕事。昼、娘の文化発表会の合唱を聞きに中学に行く。

 

私たち保護者は視聴覚室にて、体育館で歌う生徒たちの歌をモニターで見るという形。正直、合唱を聞いたという感覚はなかった。学年曲が「大地讃頌」で、クラス曲がスピッツの「空も飛べるはず」の替え歌だった。替え歌ってのが意外だった。どんなふうに替えたのかちゃんと聞き取りたかったが、モニターがそんなに大きくなく、音響設備も良いと言えるものではなかったので、あまり聞き取れなかったのが残念。

 

10月30日(日)

海外の映画祭関係者の方々が来ているパーティーに参加する。そこで自分の映画を売り込んだりするのだが、英語がまったく話せない私はこういう場がとても苦手だ。苦手でも慣れろとよく言われるが、今回は妻と佐藤現プロデューサーに丸投げしていた(と言っても二人とも英語が話せるわけではないが、私よりははるかにマシ)。

 

それにしても、英語圏でない人間がどうして英語を学んで話さなければならないのだろう。人類共通の分かりやすい言語を誰か考えてくれないだろうか。全人類が一からそれを学べば、会話力にとてつもない差がつくとは思えないからボディランゲージなども増えるし、必死に意志を伝えようとするから楽しいとも思う。などと言ってもどうにもならない。とにかくスマホの能力がさらにアップして、通訳スピード100倍アップを願うだけだ。あと2年くらいでそうなってほしいのだが。

 

ちなみに妻はたいした英語力がなくてもこういう場がわりと平気で、映画祭で観た『カイマック』(監督:ミルチョ・マンチェフスキ)という北マケドニアの映画のプロデューサーとずっとしゃべっており、私のことをほったらかしにしていた。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!!』は2023年に公開予定。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。最新作『』

息子への癇癪に1億回目の自己嫌悪に陥り、妻の失態を心の底から嘲る映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第30回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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9月1日(木)

今日から新学期。案の定というのかやはり、息子は朝からグズグズ。「学校に行きたくない」の連呼。

 

その声を聞こえない振りをする。受け答えると、息子の脳調はどんどん悪化していき、「絶対に嫌だ!!!!」となってしまうのだ。とりあえず、息子の大好きな「プレデター」(監督:ジョン・マクティアナン)を見せて気持ちの安定を図る。

 

家を出る間際の時間まで見せて、「じゃ、行くか」とそれとなく言うと(いつも学校近くのコンビニまで送るのだ)「あー、ヤダヤダヤダヤダヤダ……」とゴロゴロと転がり始めたが、なんとか行った。

 

息子が学校に行くか行かないで仕事の捗りがぜんぜん違う、と書くと、私の一番大切なことは何なのかとふと思う。息子を学校に行かせて自分は仕事をすることなのか? どう考えてもそれは違うような気がするが……私はそうしている。とにかく私は視野が狭い。価値観も変えられない。

 

息子は今、YouTuberになりたいのだが、その夢をどう応援していいのか分からない。YouTuberになるための習い事とかもある。しかし、その夢はその場しのぎで言っているようにも思える(ゲームが好きだからゲームを作る人になりたい! と言うので夏休みにゲームプログラミング教室に通ったが、2か月で飽きた)。

 

そもそも何かになりたいときに、すぐにその習い事をさせようという考えがすでにダメなのかもしれない。でも、息子に居心地の良い居場所、同じ趣味(話の合う)友達ができれば、息子も私たち家族もグッと楽になるのは確かだ。

 

価値観と言えば、学生時代の同級生が教えてくれたのだが、「人はみんな無価値」らしい。宗教の考え方だったのか何かは忘れたが、そう考えると非常に楽になる。「人はみんな無価値」。素晴らしい。

 

9月3日(土)

朝7時からファミレスで仕事。

 

息子は保育園時代の友達の家に遊びに行ったので(妻がセッティングしたのだが)、午後から妻と映画を見に行く。「さかなのこ」(監督:沖田修一)鑑賞。息子も連れてくれば良かったと思った。ホラー映画好きだからもしかしたら退屈するかもしれないが……。息子にも「さかな」は見つかるだろうか。そして、さかなくんのお芝居というのか、存在感がとても良かった。

 

保育園時代のママ友が「良かったら泊めるよ」と言ってくれたので、息子は大喜びでお泊り。息子の特性を理解して、子ども同士が何度衝突しても息子を快くサポートしてくれるママ友さんには感謝しかない。そして私にはこういうコミュニティを作る能力はないから、妻にも感謝しかない。

 

時間がぽっかり空いたので、妻と私は飲みに行くことに。どうせならはじめての店に行こうと近所へ繰り出し、食べログ片手に昔から見かけてはいたが入りづらかった店に入店。

 

カウンターで60歳くらいの女性が1人で飲んでいた。途中、妻に電話が入り、妻が店を出ると、その60歳くらいの女性が、「あの人、愛人? 愛人でしょ?」としつこく話しかけてくる。私は初対面の人と話すことが大の苦手な上に、「違う」と何度言ってもなぜか異様にしつこいので、「バレました? 今、旦那と別れろって電話させてるんですよ」とまったく意味のないウソをついたら「悪いねえ」と言われた。妻が戻ってくる前に会計をして店を出たのだが、今度は1人でこの店に来てみようと、なぜか思った。

 

9月4日(日)

朝、友達宅から息子が帰宅。息子はお泊りが楽しかったようで、なかなか「普通の状態」に戻って来られない。9時半からレンタル先生が来るから勉強もイヤなのだろう。グダグダになりながらもなんとかレンタル先生をこなし、また友達の家に戻って行った。

 

夕方、妻が酒を片手に友達宅にお迎えに行く。妻がママ友と飲んで話していたら、長時間友達と一緒にいた息子は甘え&疲れ&ゲームやめなきゃからの癇癪兆候が出たので慌てて友達宅を出たところで、本格的な癇癪勃発。路上で泣き叫びはじめ、にっちもさっちも動かないとの連絡が入る。

 

執筆中ではあったが、迎えに行くと、息子はスーパーの2階の休憩所で、すでにひと暴れしたのか、すっきりとニタニタした顔でいて、その横のベンチに疲れ切った妻の姿があった。

 

「……どうした?」と息子に聞くとヘラッと「どうもしないよ!」と言う。その感じは最高に可愛いのだが、一緒にいた妻は大変だっただろう。とりあえず、妻を先に帰して、私は息子とアイスを食ってから帰った。

 

9月5日(月)

朝7時からファミレスで仕事。その後、池袋の「楊」で昼食。汁なし担々麺と普通の担々麺と水餃子と焼き餃子と炒飯。2人でならいけるかと思ったが、食い過ぎて死ぬかと思った。その後、文芸座に「人斬り」(監督:五社英雄)を見に行く。楽しみにしていた映画だったのに、食い過ぎで撃沈。妻は勝新の魅力にはまっていた。戻って来てまたファミレスで仕事。

 

 

※妻より

あれだけ食べれば映画は寝ると思ったが、案の定。というか、最近は食べなくても寝ているけど……。

「人斬り」のコピーに魅せられた。

 

9月11日(日)

朝7時からファミレスで仕事。

 

昼、入管から仮放免中のSさんが2階に引っ越してくるので立ち会う。2階といっても私のウチは総部屋数6部屋のビンボー学生が住むような小さなアパートで、我が家はその1階部分と2階の2部屋だ。2階の2部屋のうち1つが私と妻の仕事部屋で、もう1つを子どもの遊び部屋兼編集室としていた。Sさんはその編集室に越してきたのだ。なにぶん隣の私と妻の部屋とは薄い壁一枚隔てただけだから、もう大っぴらに夫婦ゲンカはできない。ボランティアの方々がかき集めておられた家具などで部屋はみるみる人が住む空間になった。

 

その後、シネマロサで「LOVE LIFE」(監督:深田晃司)鑑賞。子どもが死んでからの数日に少し違和感があったが、人はいろんなことを抱えながら生きている。悩みも喜びも1つじゃない。気持ちの良くなる映画だった。戻って来て家で仕事。

 

9月13日(火)

Sさんを誘って妻と3人で夕飯を食いに行く。近所の高級マンションのロビーのような空間にある食堂に行ってピザを食べたのだが、正直まずかった。Sさんは私たちに自分のピザをどんどんすすめてきたが、それはまずいからではなく、好意からだろう。

 

Sさんは仕事もできず、特別な事情(病気とか)がない限り東京からも出られないという規則があるから(「マイスモールランド」をご覧の方はお分かりだろう)、我々が少しでも暇つぶし要員になればとは思うが、今は私も妻もけっこう仕事がバタバタしているから暇つぶし要員も無理かもしれない……。

 

そんな状態のSさんと我々だから話すこともすぐに無くなる。日がな一日スマホを見ていらっしゃるらしい。もしや今晩のこの食事の時間は単に気をつかわせているだけかもしれないと思ったりもした……。

 

9月14日(水)

14時半から息子の療育のペアレントトレーニングがあるので、今日も7時からファミレスで仕事。その後にペアレントトレーニングへ。

 

到達点を低く設定して、多くを求めずできたことを肯定してほしいとのこと。そうしてるつもりなんだけどなあ。つもりだけなのか……。

 

褒めポイントを増やし、「朝『行ってきます』が言えた」「21時に布団に入れた」「自分からシャワーを浴びられた」「歯を磨けた」などできたことを褒めて、自己肯定感ポイントをゲットさせて欲しいと言われる。そうしてるつもりなんだけどなあ……。

 

夜、シナリオ講座時代の教え子が2人と若手ライター1人がウチに来る。彼らのなかなか食っていけないという現状を聞きつつ、なぜか羨ましい気持ちにもなる。

 

9月16日(金)

今週末、先日とはまた別の保育園ママ友さんが息子にお泊りどうぞ! と言ってくれたので、息子はまたまた大はしゃぎ。学校も元気よく行けた。柔術の習い事のあと、妻が息子を友人宅まで送る。

 

息子がいなかったので、妻と軽く飲みに行くも会話がまったくかみ合わず全然楽しくない。ただ、息子のママ友さんから夏の残りの花火を楽しんでいる様子や、部屋にテントを作ってキャンプごっこしている様子の写真が届き、目頭が熱くなる。家に戻って珍しく夜も仕事をした。

 

9月17日(土)

早朝から仕事をしていると、息子が10時くらいに早々帰宅。友人と絶交宣言のケンカをしたらしい。昨日あんなに楽しそうな写真だったのに……。

 

理由を聞いてもよく分からない。ひたすら「ケンカしたんだ! もうイヤだ!」と泣きじゃくるのみ。話が全然わからないので妻がママ友に確認すると、お互い言い分はあるだろうが、独自のこだわりがある息子がマイペースな行動を積み重ねた結果、ずっと我慢を重ねて耐えていた相手の子が最終的に爆発してしまった様子との事。だが、息子は友達がなぜ怒ったのかはまったく分かっていない。「ものすごく怒らせてしまった!」と言うことだけは頭に残っていて、結果「だから俺なんか死んだほうがマシだ」のループに陥る。こうなるとどんな声掛けも息子の耳に届かない。戻って来るのを待つしかない。それでも戻って来るまでの時間は以前よりもだいぶ短くなっている。本人が自覚していないので、この類のケンカはきっと繰り返すだろう。

 

ここ数年、息子を慎重に観察しているが、息子は不安感とこだわりが強く、独自のマイルールを頻発させるのだが、これがきっかけで友達から疎まれることが多い。この特性を受け入れてくれる優しい友達もいるのだが、その友達が我慢を重ねた結果、堪忍袋の緒が切れるというパターンも多いように感じる。

 

そして、息子はなぜ友達がキレたのか分かっていないのだが、怒らせたことで落ち込みはする。今日も落ち込んでいる感じだったので、仕事を切り上げて近所の映画館に息子が見たがっていた「ヘルドッグス」(監督:原田眞人)を一緒に見に行く。しかし、なかなかに話が複雑で、息子はおろか私すらあまり理解できず気分転換は難しかった。

 

9月19日(月・敬老の日)

今日も息子を映画に連れて行くので、朝7時からファミレスで仕事。午後から息子がずっと楽しみにしていた「シャーク 覚醒」(監督:チェ・ヨジュン)を見に行く。

 

新宿の映画館は久しぶりだったので、見通しの立たない息子がどうなるか多少心配だったが、無事行けた。鑑賞中、「あ、この人『イカゲーム』出てた!」と大きな声をあげる(→ウィ・ハジュンのこと)。息子は顔の認知能力が高い。映画を見ていると、この人〇〇に出ていた!とすぐ気づく。正直すげぇと思う。この特性を上手く生かせられないだろうか。

 

そう言えば以前、見当たり捜査官のドラマを作ったことがあるが(街中にたってひたすら人の顔を見て指名手配犯を見つける)、ああいうことをやれば、息子はガンガン見つけ出しそうな気がする。帰りにラーメンを食って帰宅。気に入った映画を見られて、息子は終始ご機嫌であった。

 

9月20日(火)

息子、学校を休むという。連休明けはこうなることが多いし、まぁ、いいやと思い休ませることに。こういうとき、息子を置いて私も妻も仕事に出てしまうこともあるが、ファミレスで原稿を書いていても何か気がかりで集中できないから、今日は家で仕事をすることにした。

 

息子はずっとマンガを読んでいる。休んだ日はゲームをさせないようにしていて、一応それは守っている。だが何もしていないのもなんだか時間の無駄のような気がして、一時は休んだ日は私の指定した作品という条件付きで映画を見せていた。指定しないと延々と同じ作品をループするからこちらの気が狂いそうになるのだ。

 

あと、何だかさもしい考えのような気がするのだが、良い映画を見れば、人生の何かのきっかけになるのでは? などとも思ったりした。しかし、やっぱり何かのきっかけにして欲しいとすすめるような映画選びはなんだかなぁという気がしてならない。まあそれはいいとして、休んだ日に映画を見せていると、暇もつぶれてどんどん学校に行かなくなるので見せるのをやめたのだ。すると今度はマンガを読み始めるが、マンガは途中で退屈になるのか、「……やっぱり行こうかなあ」と言い出すこともある。今日もずっとマンガを読んでいたが、結局昼前に学校へ行った。

 

遅れて学校に行くときは、保護者が同伴せねばならないのだが、昼前とか昼過ぎとか、ほとんど人通りのない微妙な時間を息子と一緒に学校に歩いていく時間がどういうわけか私は好きだ。きっと息子がポツポツと素直な気持ちを吐露するからだろう。聞いていて悲しくなるようなこともあるが、息子は普段なかなか自分の気持ちを話さないから聞ける時間がちょっと貴重なのだ。

 

学校に着くと、ちょうど授業と授業の間の休憩時間だった。遅れてきた息子に声をかけてくれる子もいれば、ちょっと冷たいことを言う子もいて、私も少しメンタルをやられるが、息子はその何倍もやられているのだろう。あのような場面を見ると、帰ってきたら思いっきり甘やかしてやろうと思うのに、帰ってくる時間になるとその気持ちも薄れていて、なかなかうまくできない。

 

息子を学校に送ったあとは、昼から営業している近所の銭湯に行き、サウナに入って気分転換した。気分は転換できたが、転換しただけで仕事やら何やらが捗るわけでもなく、あっと言う間に息子が帰ってくる時間になる。息子を習い事に送り、待っている間の1時間、近所の喫茶店で仕事。

 

夜は仕事仲間と「ラーメン会」。数か月に1度くらのペースだが、私とこみずとうたさんの家がわりと近所なので、とうたさんの行きつけのめちゃ美味しい居酒屋で飲んでから、近くのラーメン屋でラーメン食って帰るだけのシンプルな会。皆さん年代が近いので映画の話なんかも弾むし、私としてはものすごくストレス発散になる。

 

9月22日(木)

息子、朝から不調。今日はどうにもこうにも行けないとのこと。というのも明日からの3連休、息子は「こども映画教室」的なものに参加する。娘が中1のときに参加して楽しんでいた。

 

息子はとりあえず映画を見るのは好きだから、「作るのも楽しいよ。みんなで作るの、参加してみる?」と聞いたら、モジモジしているので、とりあえず申し込むだけ申し込んでおいたのだ。楽しめれば嬉しいし、私としては「共同作業」というものに少しでも親しみを覚えて欲しいと思った。

 

その映画教室が明日から始まるということで、息子は緊張して学校を休みたいと言い出したのだ。だからまあ、今日は休ませた。

 

見通しの立てられないはじめての場所に連れて行くのは大変なのだが、私は明日から岡山に行かねばならない。なので明日の午前中は少しでも仕事をしたい。だが、妻からすれば東京駅に行く途中に私が息子を映画教室に連れていってくれてもいいじゃないかと。岡山では仕事もままならないから、その日だけは無理だという私と、「自分のことしか考えられないお前に心底がっかりした」という妻とで数日前から悶着もしている。

 

とりあえず、息子はマンガを読ませていればまた行くと言い出すかと思ったが、今日は言い出さない感じだったので、じゃあもう映画見ていいよと言ったら「スター・ウォーズ」を見始めた。何かのゲームでダース・ベイダーのスキンというのかなんというのかよく知らないが、とにかくダースベイダーにはまっていて、それで「スター・ウォーズ」を見るとのこと。楽しんで見ていたのはいいが、私も思わず「帝国の逆襲」は見てしまい仕事進まず。

 

新作映画「雑魚どもよ、大志を抱け!」が東京国際映画祭で上映されることが発表された。7人の子どもたちとレッドカーペットを歩く予定だ。彼らにわずかながら恩返しができた。上映は10月26日ですので良かったら見に来てください。10月15日からチケット発売です。

 

※妻より

3日間の映画教室でしたが、夫に頼んだのは『初日の送り』のみでした。それも「東京駅に行くんだから、恵比寿で途中下車して送って」だけの頼みだったのですが(その他の送迎と、全3日間弁当含め全ての家事育児をワンオペでするんだから1回くらい送ってくれてもと思い)、それに対し夫は……。

「仕事をさせて下さい!」ですって……。

は? なんだそりゃ。いつもファミレスで仕事してるんだから、東京駅付近の喫茶店でも新幹線内でも岡山のホテルでもいつでもどこでも仕事はできるはずなのに、決まったファミレスでないとできないとのたまう。朝1回息子を送るだけのこともできないのか? 私が夫に頼むことなんて私がやっていることの1万分の1なのに……。と。久しぶりにがっかりしました。

でも、「雑魚どもよ、大志を抱け!」は是非観に来てください! どうしてこの男からこんなにも爽やかな映画ができるのか!? と思うくらいに爽やかな映画です。

9月23日(金・秋分の日)

今日から映画教室の息子は朝からすこぶる調子が悪い。その息子を連れて行かねばならない妻もすこぶる不機嫌だ。

 

私はそんな2人を見ないように、7時には家を出てファミレスで仕事。妻に大変な状況の息子をワンオペさせるのだから、今日は仕事を捗らせねば罰があたる。

 

新幹線まで短時間ではあるが、異様な集中力を発揮し仕事は捗った。昼過ぎの新幹線に乗る。息子は行きの電車ですでに大暴れとのこと。

 

岡山では「全国映連 第49回映画大学 in 岡山」に参加する。明日の朝からなので今日から岡山入りしたのだ。両親が来ていたので、一緒に夕飯を食べつつ、50歳になっても説教を浴びる。息子は映画教室に行くまでは大変だったが、行けば楽しんでいたようだとのこと。ちょっとホッとした。

 

 

9月24日(土)

朝10時から、イベントでいろいろとお話させていただく。私は話すことが苦手なので、進行はすべて司会の方にお任せした。司会の方とは別に、呼び込みの紹介をしてくださった方が、何度も「今日はお父様とお母さまもお見えになっていますからね。晴れ姿ですね!」とおっしゃるのでかなり恥ずかしかった。

 

トークイベントは2時間ほどしゃべるのだが、けっこうウケていたので良かった。とても話しやすかったのだが、その要因はなんとすごい偶然で、司会の女性の方が、私の小中高の先輩だったのである。面識はなかったのだが、その方もその偶然にかなり驚いていらっしゃった。当たり前か。

 

事前打ち合わせでそのことが発覚したのだが、実家も隣町だったりしたので、地元ネタでたくさん話せてグッと打ち解けることができたのだ。いやー、それにしてもこんなことがあるのだなあ。

 

イベントはとても楽しいものとなったが、私はその日のうちに帰京せねばならない。映画教室の初日を妻に任せたのだから、2日目の迎えは私が行く約束をしていた。だが、台風で新幹線が動いていない。この時点で迎えは間に合わないことが確定したが、数時間後に動き出すとのことで、動き出した最初の新幹線に飛び乗った。

 

夜に息子と合流。妻と娘は祖父母宅に行くため、今晩は私と息子の2人だ。息子は映画教室2日目の今日、映画に出演するしないで揉め事があったらしく(息子は絶対に出演だけはイヤだと参加前から言っていたのだが、なんとかなるだろうと思っていた。結果、出たくないという息子が激しい拒絶(これがこだわり)をして場の空気を壊したのだろうと推察する)、明日は絶対に行かないと息巻いている。

 

こりゃ明日の朝は苦労するだろうなと思いながら、説得するも「ぜーったいに! いーかーない!」と腹立つ言い方の息子に、ああやっちまったバカ父親の癇癪。「いけー!!!!」。

 

息子は泣いて耳をふさいで寝た。そして私は人生1億回目の自己嫌悪の夜。

 

 

9月25日(日)

息子朝から、すこぶる調子が悪い。私は昨日の態度を反省(なのだろうか?)して、いろんなもので釣って説き伏せて(どう考えても反省ではないな……)どうにか映画教室に連れて行った。3日間やり通せば小さな成功体験になるかなと思ったから途中退場だけはさせたくなかった。

 

私は夕方からオンライン会議があったので、お迎えは妻に任せる。息子は今日の最終日、あまり参加できなかったらしい(子どもの引き渡しの時に、妻がスタッフさんから聞いたとのこと)。どうしていたのか想像すると、胸と頭が痛くなるので想像するのをやめた。まあ仕方ない。3日間行けただけで良しだ。きっとほとぼりが冷めれば、映画教室でなくても何かに行くと言ってくるだろうと期待して……。撮影は面白かったようだし。多分だけど(息子は頑なに話さないのでスタッフさんの話を聞き、そう想像した)。Facebookに公開されていた写真を見たら、集合写真で息子だけ帽子で顔を隠していた……。

 

9月28日(水)

昨日から大阪で仕事。熱量の激しい現場に立ち会うこととなり、クタクタに疲れた2日間だった。

 

そして今日は、『それでも俺は、妻としたい』の文庫本が発売された。9月1日の日記に「人はみな無価値」と友人から聞いたことを書いたが、これこそ無価値な人間の最高峰近くに位置する人間を描いた話だろうと自負する。なにしろ主人公は少しばかりの家事育児と多くのオナニーと嫉妬くらいしかしていない。つまり私のことだが、単行本が発売されたときにエゴサーチしながら感想を貪るように読んでいたら「得るものなし!」という意見がとても多かった。何かを得るために読書をするのはとても良いことだとは思うが、だとしたらこのタイトルの小説から何を得ようとしたのか。

 

小説も何冊か書く機会をもらったが、この作品は私の作品では唯一重版がかかった。文庫本も是非重版がかかってほしいと思い、大阪から帰る新幹線の中でSNSを駆使して宣伝活動した。

 

疲れて帰宅すると、娘は入れ替わりに京都・奈良に修学旅行に行っていた。コロナで中1中2と宿泊系の学校イベントがすべて中止となり、今回の修学旅行をすごく楽しみにしていたから、行けて良かった。

 

9月30日(金)

早朝から仕事。昼過ぎに近所の銭湯のサウナに行く。その後、自宅で打ち合わせ。打ち合わせをしていると、娘が修学旅行から帰宅。旅行はとても楽しかったようで、こちらも嬉しい。

 

娘がお土産を出すと、妻が「持って帰って、持って帰って!」と箱ごと打ち合わせに来ていた人にあげてしまい、その人が帰ると娘がじわりと涙ぐむ。家族にも食べてほしかったと。

 

私はここぞとばかりに「せっかく買って来たんだから、家族にも食べさせたいでしょう。どうしてそういう気持ちが分からないかなあ」と言ってやった。勝てるケンカはふっかけるのが私の流儀かもしれない。

 

私のその言葉に、妻は舌打ちというにはあまりに大きな音の舌打ちをして、今しがたお土産を渡した相手に電話して、お土産を返してもらうというカッコ悪い事態に。私は心の中で「いっひっひっー!」。その後、妻は当然、筆舌に尽くしがたい不機嫌になった。

 

※妻より

なんでこんな書き方になるのでしょう。打ち合せした方がお菓子を大量にくれたので、それを娘に伝えたら「私も京都のお土産あるからどうぞ!」と小箱をくれたので、それを渡したまでです。8000円渡していたので他にお土産があるのだろうなと思いましたし、まさか『中の個装のお饅頭2、3粒を先方に渡す』と言う意味とは思いませんでした。箱ごと渡した私も悪いですが、↑の書き方には悪意を感じます。

心底、性根悪いなーと再確認しました。

今月は改めてがっかりすることが多かったです。忙しいとはいえ。お互い言い分はありますが、子どもも大きくなっているし、共に家庭を築いていくパートナーに対しこういう感情が積もり続けると良くないんでしょうね……。毒素排出しないと……。

 

※夫より

どう考えても箱ごと渡すほうがどうかしている。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

親子4人それぞれに「濃厚」で「密」な夏を過ごした映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第29回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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8月1日(月)

昨日、キャンプから帰宅した息子の熱は下がったものの、住んでいる練馬は気温38度超えで息子はまだぐったり。この暑さの中、外に出ると息苦しいが9時に教育支援センターへ。息子のプレイセラピーのフィードバックを妻と共に受ける。

 

「不全感がある、友達に相手にされていないことを感じている様子、テンションが高くなると社会的なルールが守れなくなる(相応しくない大きな声を出しはしゃぐ、ハナクソをほじる、トランプなどで負けると泣いてしまう)などが課題」とのこと。

 

なんとなくだが、かすかに息子の成長を感じていたので、もう少し前向きな言葉を聞けると思っていた私と妻は少々落ち込む。が、カウンセラーの方もウソを言うわけにいかないだろう。こちらとしても気休めみたいな言葉は聞きたくないが、でも、ついつい耳触りのいい言葉を期待してしまう。分かっちゃるけどなかなかに難しい。

 

8月2日(火)

今日は娘の高校説明会に私が付き添うはずだったが、塾の先生に「その学校、口コミヤバいよ」と言われたとかで、ドタキャン。塾の先生が本当に「やばいよ」と言ったか言ってないかは分からないが、とりあえずは行ってみないと分からないだろうに。しかし、ここで無理やり連れて行っても大ゲンカになるだけなのでグッと我慢して仕事をするも、イライラして捗らず。受験生の娘もなかなか机に向かえない。親子で机に向かえずイライラしているのみ。

 

熱の下がった息子がゲームをしたいとぐずりさらにイライラがつのる。夏休み中は、家に一日中いるときはゲームは3時間以内と普段の倍以上の時間にしているのだが、「みんなもっとやっている!」とうるさい。妻のパソコンでホラー映画(『ミスト』(2008年公開・監督フランク・ダラボン)を見せてどうにか黙らせる。

 

8月5日(金)

早朝から仕事。通っているファミレスの空調が調子悪く、汗だくになるが、冷たいスイーツを爆食いしながら仕事はとても捗った。

 

夜、出版社の方と妻と慰労会。考えてみると、今回の担当編集者の方とお酒を一緒に飲むのは初めてだし、これまで打ち合わせで話すだけだったので、ほとんど仕事の話しかしていなかった。だからこうして仕事以外のいろんな話ができた今晩はとても楽しい時間だった。

 

22時ごろ、息子を預けていたママ友の家に迎えに行くと「今日は泊まりたい! 泊まらせて!」と主張。ママ友が「うちは全然いいよ~」と言ってくれたので、お言葉に甘えて息子を泊まらせる。ポッと夜の時間が空き、せっかくだからもう一軒行こうかと思い妻を誘うも、もう眠いとつれないので、ひとりで近所のサウナに行った。金曜夜は激混みであり、しかも入れ墨兄ちゃんたちの大集合で少し萎えた。

 

8月7日(日)

息子を工作教室へ送り、Zoom打ち合わせ。

 

本日は妻が娘と学校見学に行く日だったが、母娘大ゲンカのために今日も見学はドタキャンだ。娘は暑さがこたえて体調も悪い。息子も娘も汗をかきにくい体質だから、毎年夏はすぐ顔を真っ赤にしてふうふう言っている。それにしても高校受験はどうなることやら……。受験が終われば娘のギスギスも終わるのかよく分からない。

 

そういえば、中学受験させていた何人かのママ友たちが、「思春期と受験が重なるなんて、最悪な状況になるのは目に見えているから中学受験させるのさ」なんて言っていたのを思い出す。私自身は高校受験のときにイライラした記憶がほとんどないから(ド田舎育ちだから3校くらいの選択肢しかなかったし、学校見学などというものもなかった。どの高校に対しても地元の中学生たちは明確なイメージを持っており、それはだいたいその通りだった。勉強ができる。勉強は普通だけど運動が強い。勉強ができない。の3校だ)。受験生の心の持ちようというのをなめていたのかもしれない。

 

夕方、息子を工作教室に迎えに行く。レザーフェイスのチェーンソーを作ると張り切っていたが、よくできていると思った。

 

8月8日(月)

『雑魚どもよ、大志を抱け!』の初号試写。初号試写を観るのはほとんどスタッフキャストたちだがそれでも緊張する。今回は7人の少年たちの話だが、キャストの少年たちも忙しいのか7人中3人しか来られず。喜んでくれたかどうか彼らの表情からは分からない。だが彼らのご両親たちは喜んでくれているようでホッとした。公開は来年の3月だからまだ先だがぜひとも多くの方に観ていただきたい。

 

ようやく初号試写を迎えられました。これから宣伝活動に頑張ります!(by妻)

 

8月9日(火)

朝から仕事。妻も打ち合わせで外出。息子の保育園友達T君のパパが、息子とT君、ほかふたりの友達をプールに連れて行ってくれた。大変助かる。ありがたい。が、息子は沈めあいの遊びで友達とケンカになってしまったとのこと……。

 

8月10日(水)

朝から仕事。息子は昨日、プールで友達とケンカになってしまったとはいえ、久しぶりに友達と遊べたことがうれしかったようで、「今日も遊びたい遊びたい」と連呼。だが、15時というハンパな時間から療育がある。「今日は遊べたとしても少ししか遊べないよ」と言っても聞き入れられず、妻があちこちに連絡を取り、友達のひとりがウチに3時間だけゲームしに来てくれる。が、せっかく友達が来てくれたのに、息子は延々と自分の興味のある話をし続ける。見ていて苦しくなるが仕方がない。

 

その後に療育に行く。帰りにいつも通るドン・キホーテで物欲が大発生。こういう時、こちらの気分の問題で、買ってあげることもあれば買わないこともある。その中途半端さもよくないのだろうとは思うのだが、自分の中途半端さというのもなかなか直らない。

 

8月11日(木・山の日)

練馬38度。暑い。もうそれしか言えないし言いたくない。

 

8月13日(土)

久しぶりにワークショップをする。1日だけ私が書いた台本を読んで演じていただくという形。1日しかないと、もうこの形以外に思いつかないのだが、もしも今後ワークショップをさせてもらう機会があれば、なにか別の形を考えたい。

 

8月14日(日)

早朝から仕事。昼過ぎ、息子と焼き肉を食べ、『トップガン マーヴェリック』(監督:ジョセフ・コシンスキー)鑑賞。

 

大ヒットした前作を私は公開時に劇場で観ているが、中学生の私でも「これ、面白いかな……?」という感じだったから、今回の作品も評判がいいとはいえ不安だったのだが、どういうわけかこの続編はとても面白く観た。息子と一緒に観たからかもしれない。息子に限らず子どもは反応がいいから、よく笑い、よく驚き、よく泣く。そういう人と映画を観ているとそのマインドが移ってくるのか、こちらも面白くなってくることがよくある。そのおかげだったのかもしれないし、そうでないのかもしれないが、考える体力はなかった。

 

8月17日(水)

娘が本日から福島県双葉市で行われる中高生の映画作りキャンプに参加する。勉強もしたくなく、家でアニメを見ているかスマホを見ているかの時間を過ごしているので「映画キャンプ、行くか?」と聞いたら「行く」と言ったので、行かせることにした。

 

とりあえず娘を上野駅まで送ったのだが、おそらくは緊張と不安からだろうがめちゃくちゃ不機嫌。こちらも不機嫌モードになってしまったが、駅で娘の好物のフルーツサンドとサバの押し寿司を買ってやると少しだけ笑顔を見せて電車に乗って行った。

 

この間に、妻は息子を歯の矯正に無理やり連れて行く。現在矯正中の息子は、器具の味と感触が嫌ですぐに壊してしまうのだ。歯医者でも嫌がりまくったあげく、派手に嘔吐したとのこと。その後、妻と合流して息子を療育と同じところがやっているプログラミング教室に連れて行く。モグラ叩きのようなゲームを嬉々として作っている。なんでもいいから夢中になれることを見つけてほしいと切に思う。

 

夜は娘がいないせいか、息子が伸び伸びとしている。息子は姉が大好きなのだが、思春期&反抗期&受験&人間関係などでピリピリしている姉の機嫌に左右され、「姉ちゃん、大丈夫?」などと気を遣うのだが、その気遣いが失敗し、余計に姉の逆鱗に触れ怒られるということも多々ある。そんなプレッシャーから解放されて息子ものびのびとしているのだろう。

 

8月19日(金)

入管から仮放免されている難民申請中のSさんの「現状を語る会」に参加するため、近所の教会に行く。Sさんは現在、労働ができないから寄付で暮らしていくしかない。日中もなにもすることがなく、使えるお金もないから一日中部屋にいるらしい。精神的にも鬱状態のようにみえる。当たり前だ。異国の地で(しかも日本に憧れて来たとかいう理由ではない、母国に居たら身の危険を感じたから逃げたかっただけ)こんなことになれば、私なら生きているのが嫌になり死を選ぶかもしれない。人として扱われていないのだ。ただただ、息をしているだけだ。

 

私と妻にできることは、編集室に使っていた2階の空き部屋に9月からひとまず来ていただくことくらいだが、勉強不足でなにからはじめていいのかよく分からない。Sさんがボランティアなど日中にできることがあったら是非ご連絡いただきたいです。

 

夜、息子と『IT』(2017年公開:監督アンディ・ムスキエティ)を見る。ホラー映画とはいえ、子どもたちが主人公の青春映画でもあるこの作品がなぜにR15なのか理解できない。手を食いちぎられるシーンがあるからか?

 

子どもたちは、いまやネットでエログロなんでもありのひどい映像を浴びるように見ている。だからこそ厳しくしていかなきゃ! というのも理解できるのだが、今の世の中は見せたくないものに透明な蓋を何重にもしまくっているだけの世の中な気もして、(一番見てはならない大人のシャレになっていないみっともない部分というものが、インターネットの世の中になってモロバレになってしまった)とても虚しい。

 

娘から映画合宿が楽しいとLINEが来る。それだけでうれしくて鼻の奥がツンとする。

 

なかなか素直になれずいつも怒っているけれど、誰一人知っている人がいない環境に飛び込める勇気は凄いと思います(by妻)

 

8月20日(土)

早朝から仕事。昼から近所の銭湯でサウナ。帰って来て仕事の続き……はできずに爆睡。夜、息子の友達が泊りにくる。

 

8月21日(日)

妻が6時出発で双葉に向かう。娘の映画合宿の発表会があるのだが、どうせ双葉に行くならその前の犬童一心監督と本広克行監督の講演会も見たいということで朝一番で出て行った。

 

息子たちに朝ごはんを作ってやるも、朝からゲームに夢中な息子と友達はロクに食べてくれず。その後、息子はレンタル先生をぐずぐずでこなし、午後はプログラミング教室。教室に放り込むと、今日は見学をやめて近くのファミレスで仕事。

 

プログラミング教室の後、息子と『SABAKAN』(監督:金沢知樹)鑑賞。2人の小学生がとてもよかった。息子は映画を観ながらひたすら大笑い。だが中年男性のお客に「うるさい」と注意される。

 

確かに笑い声はでかすぎたかもしれないが、日本は映画館で爆笑するお客に冷たいと思う。「俺、この映画分かってるから」アピールをしていると捉えられることもある。劇場内で裸踊りをするわけでもないのだから、大声で笑うくらい許せと言いたい。

 

夜、娘が映画キャンプから帰ってくる。イケメン男子と知り合い仲良くなったとのことで、すこぶるご機嫌だった。こんな笑顔を浮かべるのも久しぶりのことなので、こちらも行かせてよかったと心底思った。

 

8月22日(月)

映画キャンプから戻った娘は、今日から祖父母と2泊3日の温泉旅行、息子はレンタル先生の塾チームとこれも2泊3日のサマーキャンプに出発した。

 

子どものいない2泊3日なんて大天国だから「ナインハーフ」は無理でも「ツーハーフ」みたいな時間を過ごそうと妻に提案するも、そのニタニタ笑いがまず圧倒的に気持ち悪すぎて不愉快と即却下される。それでも一緒に映画を観に行き、夜は火鍋を食いに行った。

 

『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』(監督:イルディコー・エニェデイ)を観たのだが、よく分からなかった私と楽しんだ妻とで意見が合わず、火鍋屋で一色触発となりかけたが、ここは大人になろうとすんでのところで踏みとどまり、夜は家で『喜劇愛妻物語』ごっこの悲劇編をして寝た。

 

※妻より

なんだよ、『喜劇愛妻物語~悲劇編』って。余計な言動で私を怒らせて罵倒されただけだろうが。あ、その罵倒を喜ぶ体質だから罵倒の意味ないか。っていうか、気持ち悪いですね、こーいうの……。

 

8月23日(火)

早朝からファミレスで仕事。今日も娘と息子がいないので、仕事の合間に『キングメーカー 大統領を作った男』(監督:ビョン・ソンヒョン)と『みんなのバカンス』(監督:ギョーム・ブラック)を見る。これは両方とも分かりやすく面白くて、妻と意見が別れることもなかった。

 

夜は妻がずっと行きたがっていた高円寺の貝料理屋「あぶさん」に自転車で行った。私は暑さにやられて食欲がなかったのだが、店内に入って香ばしい貝の焼いた香りに俄然食欲が出てきて、貝刺身盛合せだの貝焼盛合せだの肝味噌のホイル焼き、煮貝、生カキなどを頼んで、これでもかというほど貝を食った。うまかった。いくらでも食べれそうだ。シメに貝のパスタや雑炊があるのだが、それはグッと我慢して近所の行きたかった寿司屋に移動し腹を固めた。なんだか妻が横で文句を言っていたような気もするが聞こえないふりをした。

 

8月24日(水)

朝から大阪で打ち合わせ。行きの新幹線の中で、仕事の予習をしようと資料を開くとスマホに電話がかかってくる。来年以降のために仕込んでいる仕事のことで聞きたくない報告を受けてしまい激しく凹むも、気力を振り絞って打ち合わせにのぞむ。打ち合わせは新幹線の最終間際まで続いたが前向きな時間で、なんとか気分を取り戻す。新大阪駅で缶ビールを買い新幹線内で一口飲むと新横浜まで気絶。クタクタになった一日だった。

 

8月25日(木)

妻と坂井プロデューサーが映画の製作費の精算をしているのを横で聞きながら仕事。何度も計算をやり直したり、監督である私の知らぬところにいろんな書類を提出すべく作っている。プロデューサーは企画の立ち上げのド頭から、最後の最後まで細かい仕事があるのだなあ……とものすごく他人事のように思いながら、シナリオを書く。

 

8月26日(金)

老猫が、ここ数日毎食後、激しくえずくので近所の動物病院へ連れて行く。特に問題はないとのことだが、はじめて行ったその動物病院は触診をたくさんしてくれて、色々と説明してくださる獣医さんでとても頼もしかった。その後、娘の勉強を今井雅子さんの娘さんが見てくれるというので今井さん宅へ。

 

今井さんご夫婦のご友人であり、凄まじい映画マニアであり(いつも私の作品にうれしい感想を丁寧にくださる!)地上げ屋でもあるTさんが買って来てくれたインド料理「デリー」のテイクアウトのカレーに感激する。なんでもTさんはかなりの「デリー」好きらしく、週に2回このテイクアウトを食べるために、その日以外のランチは抜いているという。恐るべしデリー愛だ。でも、それぐらい美味しかった。満腹。気温も暑いが、新陳代謝が爆上がりし、帰りに家の近所のサウナにも寄る。毛穴から香辛料の香ばしい香りが出てしまい、サウナがデリー臭になるようだった。

 

このテイクアウトのカリー、大変美味しゅうございました(by妻)

 

今井さんの夫の杉田さんは「みんなの選挙」という番組にも出演しており、選挙のバリアフリーを考え、私と妻のような政治音痴に大変分かりやすく解説してくださる。今回は自民党がなぜ地方で強いのかとか投票率がなぜ上がらないのか、などの話を短い時間ではあるが分かりやすく話して下さってためになった。それにしてもなぜに政治ってこんなに分かりづらいのだろうか? それは私がこの国でちゃんと生きていないからなのだろうか? 知ったこっちゃねえやと思っているから分からないのだろうか? それとも単に言葉が難しすぎるのか。

 

それと無知な人間として一番言いたいのは、「勉強不足の者は黙ってろ」という雰囲気だ。これは政治に限らずどの分野でも感じられるが、なにかを言ったら、「まずは勉強してきてください」と言われそうで怖いという思いから発言を控えてしまい、どんどん分からなくなるというのもある。

 

8月28日(日)

娘、模擬試験。朝、友達と最寄りの駅で待ち合わせしていたようだが、家でのんびりしているのでまだ出る時間ではないのだろうと思っていると、友達から電話があり慌てて出て行った。かと思うとその10分後に「受験票忘れた!」と電話がかかってきたので、私は寝巻のまま慌てて届ける。そして模試から帰宅後、「定規とコンパス忘れた! 数学半分だめ! 終わった!」とのこと。

 

この物忘れの多い特性は私も一緒だが、自分で自分のトリセツを把握しないと今後の人生において、他人からかなり怒られやすくなってしまう。物忘れで怒られて落ち込むよりは、自分でどうにか対処できたほうが楽だ。私はというと「すべて持っていく」という方針だ。だから下っ端の助監督をしていたとき、私は多くの物をガチ袋に入れていた。そのおかげで多くの物を現場に取り残してきた。意味がない…こともなく、とりあえず最初の現場への忘れ物はない。一度小道具のライフルを忘れてから私はこの方針になったのだ。

 

夜、娘息子と『NOPE』(監督:ジョーダン・ピエール)を観に近所の映画へ行く。自転車で10分のところに映画館があると思い立ってすぐに行けるのがいい。娘はこの映画をとても楽しんでいた。息子は思ったのと違ったと言っていた。私はめちゃくちゃ面白かった。

 

8月29日(月)

夏休みが終わるのを肌でビシビシと感じ始めたのか、息子のメンタルが不安定になってきている。朝から「学校嫌だ」の連呼が始まり、不安や緊張と戦っているのが見てとれる。解消してあげたいが、どんな声掛けをしても届かないことは分かっているので、ひたすら「嫌だよなあ。あ、ホラー映画でも観るか」などと学校から気を逸らせようと試みるがうまくいかない。ふと気を許すと「学校行きたくない、俺はついてない、友達なんかいないんだ」とネガティブ・ループに入ってしまう。このループを浅めで止めないと、とことん落ちてしまうので要注意だ。仕方なく、とことん落ちるよりはマシだとゲームをさせるとピタッとその間だけ不安がとまり機嫌もよくなる。まるで麻薬のようでそれを見ているのも正直嫌だが、今はほかに上手い手だてを考えられない。

 

8月31日(水)

9時から教育支援センターへ。息子はプレイセラピー。妻と私は明日からの不安をカウンセラーに聞いてもらう。

 

その後、昼からオンライン打合せをして、夕方から息子の療育へ。いつもの挨拶「今日は何日ですか?」の質問に頑なに応えない息子。先生が「8月31日って言いたくないの?」と聞くと、涙目で「うん」と答えていた。明日が嫌で嫌でたまらないのだろう。気持ちの切り替えができないのは仕方ないとして、その嫌さというのがどの程度のものなのかうまく想像できない。書きたくもないシナリオを書かなければならないくらいだろうか? 私も以前、ノイローゼになるんじゃないかと思うほど不向きな企画と向き合う羽目になったことがあるが、きっとあんなものではないだろう。なにより年を取れば手を抜くことを覚えられる。

 

帰宅後、息子の不安感を少しでも和らげるために、お腹に息子を抱っこしながら息子の大好きな『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年・監督:ロバート・ゼメキス)を観る。

 

息子はその特性から、小学4年になってもすぐに人の膝にいく。療育でもレンタル先生でも、なんなら私のお客さんの膝に行くこともある。幼いころはかわいいですんだが、小学4年ともなればでかいし、かなり重いから近ごろは膝に来てもすぐにおろしていたが、今日は耐えて映画が終わるまで座らせた。明日、無事に行けるといいのだが……。

 

※妻より

今年の夏は、例年以上に家の人口密度が高かった。部活を引退、野球を退団した受験生娘も、外遊びが苦手になった息子も、常に仕事でパニックになっている夫も、基本的に一日中家にいる。このクソ狭い2DKに。そして4人が4人ともイライラしている。異常に暑いし……。なんか記憶にないくらい疲れた夏だった……。事件が起きなくてよかった……。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

「お前は精子からやり直せ!」怒髪天の妻から、ただただ罵倒される映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第28回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。2023年のNHKの連続テレビ小説『ブギウギ』の脚本も担当。ドラいま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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7月2日(土)

息子をママ友に預け、アフレコ(映像に合わせて声だけ録ること)へ。

 

約3か月ぶりに会う少年たちは雰囲気も声もかなり変わっていた。みんなどこか大人びた感じになっているのは頼もしいが、声がこれほどまでに変わっているのにはビビった。というかマイッタ。この年代はわずか数か月でこんなに変わるのだな。あの可愛かった高いキンキン声はどこかへ行き、早くもオッサンへの第一歩を踏み出したダミ声がかすかに混じっている。みんな永遠にかわいくいてほしいなどと親目線のようなことを思う。アフレコしようと思っていたいくつかの部分は、やはり現場の声を使うことにした。もはやつながらないレベルだったからだ。

 

しかし、私の息子も間もなくこういう声になり、私とじゃれあってくれることもなくなるのだろう。それは我慢するが、「おい、オヤジィ! てめえムカつくんだよ!」などと言って殴らないでほしい。

 

7 月3 日(日)

朝から灼熱地獄。午前中、息子を友達と遊ぶ公園へ送り、娘は友達と区民プールへ向かった。今日は久しぶりに『喜劇 愛妻物語』の上映。柏にあるキネマ旬報シアターへ妻と向かう。上映後に妻とトークをするのだ。多くのお客様に見に来ていただき、質問の挙手もバンバンあがり、とても楽しい時間を過ごせた。

 

江崎支配人はアップリンク渋谷の上映の時もお世話になったのだが、込み入った質問が面白く、また客席から司会をしてくださるので自然と目線は客席に向かうため、このやり方はとても素晴らしいのではないかと思う。おのずとお客さんからの質疑も増える。

 

その後、私と妻はキネマ旬報のKさん、江崎支配人と劇場近くの居酒屋で一杯飲む。こういう飲みの場も久しぶりでとても楽しい時間だった。

質問がこんなに出たトークイベントは初めてかも知れません。大変楽しかったです。足立の書いたしょーもない原作本も皆様に買っていただき、感謝しかありません!(BY妻)

 

7月4日(月)

台風接近。朝から低気圧で雨模様。そして息子の脳調も不調。起きるなり「学校行きたくない……」とのこと。ほっとけば行くと言うかなと思ったが、結局休んだ。

 

私が仕事をしている横で、ヘッドフォンをつけて、パソコンでホラー映画を観ている。時々笑ったり、「うわ、これは痛い……これは酷いよ。ねえ父ちゃん、斧でかち割ったよ」などと誰かが惨殺されているであろう場面などで言葉を発したりはするが、やはり休んでしまったことへの罪悪感、自己嫌悪の空気が見え隠れする。これもきっと、「体調が悪くないのに休むことは良くない」という価値観を我々親が植え付けてしまっているからだ。

 

価値観を変えたり、知らない生き方を受け入れるのはなかなかに難しい。それをできない人を世間では「おっさん」というらしい。私もばりばりの「おっさん」だ。

 

7月6日(水)

難民認定の下りない外国人の方とお会いする。日本でのはっきりした立場もなく、どうにも身動きがとれずとても困っていらっしゃる。母国には宗教上の理由で帰ることはできない。編集室に使っていた2階の部屋が空いたのでそこに住んでいただくかもしれない。これからの話し合いを重ねるが。

 

私がこういったボランティアに関わろうと思うのは、こういったことを全然知らないし、知る上での勉強がとても苦手で、どうしてこうなっているのかが分からない。ましてやそうなってしまった方の苦しみを想像はできても実感できないからだ。関わったからと言って実感できるとは思わないが、とにかく困っているのだし、少しでも助けになりながら何かを知ることができるかもしれない。それに映画やドラマのネタにいつかなるかもしれないという邪な考えも大いにある。

 

2016年のドイツ映画『はじめてのおもてなし』(監督:サイモン・バーホーベン)は面白かった。私は勉強が苦手だし(ナマケモノではない)動きや考えの鈍い人間なので、機会があれば実践していくしか世の中を知るすべはない。

 

 

7月8日(金)

午前中、ファミレスで仕事をしてそのまま近所の銭湯のサウナへ。私はファミレスへはスマホを持って行かない。なのでサウナの中にガラス越しに設置してあるテレビのニュースを見て驚いた。というか動揺に近い感覚になったのだが、元首相の安倍晋三氏が撃たれた。いつも頭の中は空白な私だが、いつもとは違う空白な感覚で、テレビ画面を見続けていた。

 

なんとなくだが、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいる映像とか、東日本大震災の映像を思い出す。あのときも、ただただ頭が空白になりつつ、心臓がバクバクしていた。起こるはずがないと思っていたことが、こうも短いスパンで起きてくると、もう次は戦争か……と思ってしまう。

 

夕方、「亡くなった」とテレビで知った。どうなってしまうのだろうと思った。それはやっぱり9月11日や3月11日のときにも思った。それぞれが後の世の中に影響を当然及ぼしていると思うが、特に9月11日は憎しみと悲しみがより人を分断して、そのまま世の中が継続している状態のような気がする。けど、それはそのもっともっと前からずっとそうなのかもしれない。7月8日というこの日も、これから先しばらくはずっと報道され続けるだろう。ニュースではさっそくこの事件をテロだとか民主主義への挑戦だとか言っている人がいる。その感覚は、実は私と同じくらいこの事件をあまり実感できていないのではないかと感じてしまう。

 

7月9日(土)

ただただ繰り返される昨日の映像に、「見過ぎないように」みたいな注意のテロップが出てくるが、その通り具合が悪くなるので、見るのをやめる。子どもにも見せたくない。

 

娘の中学の保護者会へ行く。9月の修学旅行の説明。行けるのだろうか……。娘は1年生のときも2年生のときも宿泊系のイベントは全部コロナで中止になった。1年のサマーキャンプも、2年のスキー教室もとても楽しみにしていた。今回も中止になったらとても可哀そうだ。春に修学旅行に行った中学は良かったが、このタイミングでまた感染者が激増しているだけに秋の予定の娘たちは心配だ。

 

娘の中学は全員私服で修学旅行に行くとの事。その服装規定が細かいしうるさい。9月中旬なのに男女ともひざ上禁止(長スカートや長ズボンしか許されない)。袖なしの服も、襟ぐりが深い服も、派手な色も禁止、つまり「中学生らしくない服」は一切ダメなのである。いつの時代の話だろう。「自由」「生徒への信頼」と言いながら全然自由でもないし、信頼もしていない。だったら制服で良いのでは?

 

7月15日(金)

本日もアフレコ。その後、先輩のO監督が、映画評論家の女性と男性の俳優さんとトリオを組んで「キングオブコント」の予選に出るというので、急遽応援に行く。女子高生の制服を着て弾けていた還暦越えのO監督の姿は神々しいものがあった。私は妻と漫才をしたことがあるが、来年はこれに妻と挑戦してみようかと思いながら、O監督たちと軽く飲んでいたら、妻からLINE。

 

息子が明日から行くプログラミング教室への不安から癇癪が発生したらしい(ゲームやYouTubeへの執着が激しい息子がもしかしたらハマるかもと夏休みの間だけ体験してみることにしたのだ)。見通しの立たないもの(初めての場所、初めての事)への不安が強いから、こうなる予想はあった。

 

加えて、娘も野球のGMとの電話で不安とイライラが噴出しているらしい。野球チームの監督とまったく馴染めない娘は引退まで残り1か月ではあるが、退団の決意が固まり、この日GMに話すと決めてアポを取っていたのだが、強い引き留めにあってしまったのだ。女性のGMは娘の気持ちをよく考えてくださる人ではあるのだが、小学校の女子チームを兼任していることもあり大変多忙で、実質的なケアにまで及んでいない。

 

退団の決意は固まっていたが、引き留めにあったことで娘のイライラは妻に及び、明日の不安が強く癇癪を起こしている息子との間でなかなかのカオスになっているとのこと。

 

「今晩、こうなる予想はついていたはずだ。なのにお前はO監督のお笑い見学に逃げた。アフレコが長引いている振りをして、分かってて逃げた。絶対に許さない」というLINEの文面を見て私は震えあがり、その場で一気にテンションも沈んでしまった。その後、O監督は「今、こんな企画考えてるんだけど」と話してくださったが、ほとんど頭に入ってこなかった。

 

夜中に戻ると、家族は寝入っていた。今晩は帰るべきだった。

 

7月16日(土)

息子、妻が付き添い初めてのプログラミング教室にどうにかこうにか行けたようだ。行ったら水を得た魚のごとく、生き生きとパソコンをいじりまくってゲーム作りに没頭し、だが終了後、過集中のせいか「頭痛い……」とどっぷり疲れ果てて、フラフラで帰宅し、パタンと寝てしまったらしい。楽しめると良いなと、心底思う。

 

7月18日(月・海の日)

娘と息子と3人で『キャメラを止めるな!』(監督・ミシェル・アザナヴィシウス)を観に行くはずが(娘も息子も『カメラを止めるな!』(監督・上田慎一郎)の大ファン)、直前に息子の突発的イヤイヤモード発生。絶対に行かないと。中3娘はもはや私と2人で映画など行きたくもないだろうと思ったが、珍しく行くと言うので娘と2人で観に行った。娘と2人の映画は久しぶりなので正直緊張したが、娘は映画を観ながらゲラゲラ笑っていた。

 

その後ピザ屋に入り、娘はピザ2枚とレモンクリームパスタをペロっとたいらげ、学校のことや友達のことなどいろいろ話してくれた。「なんだ、俺、けっこういいオヤジできてんじゃん」とまた自己評価が高くなってしまったが、普段は反抗的な娘も言いたいことが溜まっていたのかもしれない。ムカつく態度を取られると、こっちも大人げなく振る舞ってしまうから、距離ができてしまうのだが、どうすれば常にとは言わないまでも、こういう良好な関係でいられるのだろう。

 

その後に修学旅行用の服を探しに古着屋を回り、娘の分と私の分をたくさん買って帰宅。とても楽しかった。私と娘が楽しそうに帰宅したからか、古着を買いまくったからか、妻は「ランチ食いすぎだ、どんだけ服買ってんだ」とカラんでくる。娘もご機嫌なんだしいいじゃねえかと思うのだが、先日の大変だった夜には帰ってこずに、映画とピザと服で娘を釣って楽していると思われたのだろう。逆だったら確かに私も嫌だ。

 

7月19日(火)

本日は映画のダビング(音を整えたり、効果音を入れたりすること)。プロデューサーでもある妻と向かうが、妻、不機嫌。昨日のことや先日の夜のこともあるのだろう。そんな不機嫌な妻に、ダビング前にあれ食べたいこれ食べたいなどと言っていたら、「1人で食え。食い意地はったお前の姿なんか見たくもない」と断られ、私もムカついたが、結局コンビニでパンを買ってダビングに向かう。皆さんには微妙な夫婦仲をさとられないように。

 

※妻より

仕事行く前に、こっちは洗濯物干して、子どもの弁当作って、置き手紙書いてってバタバタしているのに、その横でスマホで食べログチェックしながら「食べログ高い寿司あるよ!いや行く途中の高級バーガーでもいいか、あ、でもこってりラーメンでもいいよ」と食うことばかりで家事の戦力外ぶりにイライラしていたのでした。一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど、それに比例してイライラします。

 

7月20日(水)

本日もダビング。

 

7月21日(木)

深夜、ダビング終了。

 

良い映画ができたと思う。多くの人に観て欲しいが、いつも「面白いのは俺だけかもしれない」と思ってしまう。いついかなるときも自信はまったくない。映画の中で生きてくれた子どもたちが、この映画をずっと宝物のように思ってくれたらうれしい。そして多くのお客さんにもそう思っていただいて、映画が大ヒットしてくれたらもっとうれしい。

 

7月22日(金)

夏休みが始まった。今日は妻が、息子と息子の友達J君を連れて、朝から区民プール~昼食~映画『ゴーストブック』~習い事に連れて行くという、暑いときの外出が大嫌いな妻にとってのハードな日。

 

私はここ1週間で、ダビングしつつ突発的にやらなければならなくなった仕事がいくつか発生するという非常事態であったために、今日は完全に妻に任せた。息子にとってはとても楽しい日になるだろうと思っていたが、帰宅すると息子も妻も不機嫌(妻が不機嫌なのはこれだけハードな日だとそうなるだろうとは予想していた)。

 

不機嫌な妻に様子を聞くと、プールの最中から、友達と会ったのでゲームをしたくなった息子は「昼メシはいらないから一度家に帰ってゲームをしたい」と妻に交渉するも(癇癪を起こさないために交渉する術を療育で学んでいる)、「映画の時間がもうすぐだから、一度家に帰る時間はない、映画を観終わったら友達とバイバイするまで1時間半あるからその時間でゲームをやろう」と断られた。

 

そこで気持ちの切り替えができなくなった息子は、プール終わりから、映画館へ向かう道中ずっと、灼熱地獄の路上でグズグズ癇癪を起こしたらしいのだ。自転車こぐのを止めて「もう帰る」とか「昼ごはんは食べない!」とか「ママは今すぐいなくなれ!」とかグズグズメソメソ言い続けること30分。妻は湯気が立っている路上で、大汗をかきながら息子を説得し、失敗し、最終的に友達の面前で大声で怒鳴って映画館に連れて行ったらしい。

 

想像するだけで地獄だ。私は妻を労わったつもりで「大変だったね」と言ったが、実際、その言葉をかける以外にほかにできることもなく、急な仕事の締め切りは目前で、しかも本業の映像関係ではない仕事であり、なかなか進まず焦っていた。今は話を聞くことができないし、育児をバトンタッチすることもできない。

 

私は「あとでゆっくり聞かせて。ちょっと仕事片付けちゃうね」と言って、2階に行った。「はぁ? なにがゆっくりだよ」という妻の言葉は流した。夕飯の支度はしておいたし、それだけでも「俺、家事も分担してる」と勘違いしていたのだ。

 

が、仕事は思うように進まず、なんでこんな仕事受けてしまったのかと後悔とイライラとで、なんだか誰かに優しくしてもらいたいという甘えモードになって下に降りて行くと、妻はようやく1日の終わりに酒を飲みながら新聞を読んでいた。

 

妻が疲れていることやここ数日はイライラしていることを失念したわけでもないが、「ああ、疲れた。なんか思うように進まなくてさぁ……」と私は妻にぼした。すると妻は「思うようにいかないのはお前だけじゃねえんだよ」と、新聞から目を離さずに冷たく言った。

 

「まぁ、そうだけどさ……。でも、ちょっとここ10日ほど、俺ハードすぎたよね……」と私は同意を求めるように言った。「ハードなのはお前だけじゃねえんだよ。私も息子も娘もみんなハードななか生きてんだよ、自分だけが忙しいアピールすんな。お前、仕事しかしてないじゃん。仕事してっから敬えってか。醜いなお前は。女の腐った奴以下の男の腐った奴だな」

 

ここで私は妻の言葉にカチンと来てしまった。「お互い疲れたね。ひと段落ついたら美味しい物でも食べに行こうね」というところに話を落としたかっただけなのだが、もう無理だ。私はやや棘のある声で「あのさぁ、みんなハードなのは分かってるけど、だから俺もハードだからさ、分かるでしょ、こんだけ仕事してたら。ねぎらい合いたいだけだよ」

「お前なんかねぎらいたくもない。だいたい仕事相手に自分の都合も言えない、お前がダメなだけだろ。交渉能力ねえのかよ。こうなることくらい予想ついただろ」

「つかないよ。だっていきなりが重なってくるわけだから」

「だから考えて仕事受けろつってんだよ。重なることなんて予想できただろーが!」妻の声はどんどんヒートアップしてくる。

 

「いや考えてるよ。ていうか、アキにも相談したじゃん。この仕事やったほうがいいかなって。そしたらやったほうがいいって言ったじゃん。俺、あんまり気乗りしなかったんだよ、これ。ただでさえ脚本とかの仕事じゃないのにさぁ。なにかにつながるかもしれないからやってみろって言ったのアキだよね? いいよ、じゃあ、もうやめるよ。これ、できませんって明日言うから。俺、もう今後仕事おりまくって、今まで通り主夫やるから、だからアキも仕事に復帰してよ」と言ってしまった。

 

言っている途中から<ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。やめろ、俺やめろ。間違ってる、完全に間違ってる>とは思っていたのだが、口は止まってくれなかった。妻は黙って聞いていた。言い終わって私はすぐに部屋を出ると、一度外に出て、13秒後にまた戻って、「ごめん。今のは俺が悪い」と妻に謝った。が、すでに時遅しだ。

 

「今の? はぁ? お前はバカか。今だけじゃねえんだよ、お前は!!!!!!!!!!」

 

その後、ここには書けない怒髪天を浴び、脳髄までダメージが残り具合が悪くなった。今回は9割がた私が悪い。と思う。

 

※妻より

なんで9割? 残り1割はなに? そーいうとこだよ!!

 

7 月23日(土)

この日はシアタートップスに、妻と落語を聞きに行くことが数か月前から決まっており、チケットも取っていた。朝、仕事に出るときに、妻に恐る恐る「今日の昼、何時に帰ってくればいい? 落語何時からだっけ?」と聞く。この落語でなし崩しに仲直りできないものかと思ったのだが、犬のように手で払われる。

 

ファミレスで仕事をしていると、妻からLINEが入り、「落語14時開始、現地集合、現地解散」との連絡。それでも私は「落語を一緒に聞けばどうせ仲直りだ。そのあとに新宿で美味い物で食おう」と考えながら、新宿に向かうとなんとJRの改札を出たところで妻とばったり会った。

 

ここで会う!? となんだかうれしくなった私は「よう!」と思わず手を振った。妻は「ゲッ」という顔をして逃げて行ったが、やはりこれは仲直りしろという運命だと思い、小走りに妻の横に並び「ここでバッタリっていうタイミングの悪さが俺たちっぽいよね」とヘラヘラしながら言ってみたが、妻は完全無視。

 

そして落語中もいっさい笑いもせず、終わる間際に席を立って出て行き、終演後も戻ってこなかったので、私は1人で劇場をあとにした。これは相当に怒っている。

 

7月25日(月)

妻は娘を連れて映画『嘘八百』シリーズでお世話になっている今井雅子さんに、娘の英語を見ていただくために今井さん宅へ。娘は英語が苦手で、京都大学出身の今井さんに相談して見ていただくことにしたのだ。

 

娘と今井さんはそれまでにも面識はあり、今井さんの娘さんも一緒に函館の映画祭に行ったり、今井さん宅での飲み会に娘もついてきたりしていたが、久しぶりに会うということで緊張していた。その緊張から私の前では露骨に不機嫌になっていたから心配だったが、妻が今井家近くの喫茶店のモーニングに連れて行き、どうにか機嫌は持ち直してそのまま今井家に送り込んだとの事。

 

今井塾から帰ってきた娘は充実した時間を過ごせたようで、機嫌はかなり良かったらしい。ちなみに、私は今井さんの夫杉田さんの政治塾に参加したいのだが(杉田さんは政治記者をしていらっしゃるので、私が勝手に政治塾してくださいと言っているだけなのだが)、なかなか実現できていない。いつも今井さん宅にお邪魔すると、私のレベルに合わせた話題となってしまうからだ。

 

妻が娘のそんな話を少ししてくれたので、ここぞとばかり私は先日の不祥事を「ほんとごめん。俺、どうかしてた」と謝ると「あんたは常にどうかしてるじゃん」と言いながらも、お前でなくあんたと呼んでくれた妻は、ここ最近、なににそんなに腹を立てているのか話してくれた。

 

ひとえに私が傲慢であると。話の主語や状況が妻には分からないのにベラベラ話し続け、妻がそれに対し質問すると「察しろ!」と烈火のごとくキレる、と(確かに私は主語がないし、察して欲しいと思うが、「察しろ!」なんて言ったことはないのだが……)。

 

「他人に分かるように話さないくせに俺の話は分かって当たり前、分からないお前がバカだ、みたいな姿勢は物凄く傲慢だし、クソハラスメント野郎だ! 似たような上司がいたけど、お前、あのバカ上司と一緒だよ。ちょっと早く会社入ったんだから私よりできるの当たり前だろ!(上司への怒りの思い出が私に)。お前ら何様なんだよ! こっちがお前の状況把握してて当然とか思うな! はしょらずちゃんと説明しろ! じゃなきゃわかんねーだろ! 説明はしょって『分かんないお前が悪い』ってバカか! タコか! タコのほうがマシだわ!

こっちは自分の事ぜんぶ後回しで、お前の仕事のフォローして、スケジュールを把握して、受験勉強したくねえ受験生娘の塾やら夏期講習やらサマキャンやらのスケジュール管理と、繊細で複雑なイカ息子の落ち込みを受け入れて友達関係のフォローと習い事のスケジュール把握でパンパンなんだよ!! 私のケアは誰がすんだよ!」

 

と、結局またも怒りモードになってしまった。

 

「お前は家庭を共に経営するパートナーとして未熟過ぎる。失格。ぜんぜんダメ。お前の甘え、幼稚さにほとほと嫌気がさした。私はお前のなんだよ。ジャーマネか? ママか? 付き人か? 弟子か? お前、精子から人間やり直せ」

 

途中、何度か反論しそうになったが、得策ではないと瞬時に脳が判断し、その脳を石灰化させて(そういう技術を身につけた)妻の言葉を頂戴した。

 

7月26日(火)

映画プロデューサー・佐々木史朗さんのお別れ会に出席。史朗さんとの思い出のようなことは、4月の日記に書かせていただいたので、よろしければ読んでください。(4月26日の日記参照https://getnavi.jp/life/736211/

 

その後、一緒に出席した武正晴監督と、『嘘八百 第3弾』の「編集ラッシュ」を観に行く。この段階でもとても面白い作品に仕上がっていると思ったが、脚本の大半は今井雅子さんの力によるものだ。

 

7月27日(水)

娘と高校説明会へ。道中、今日の説明会に行くであろう親と中学生たちが沢山歩いている。みんな制服だ。夏休みだし、みんな私服で来ると思っていたので、私は娘に「夏休みに制服で来るバカがいるか。私服でいい」と言ってしまっていた。

 

1人だけ私服の娘が見る見る不機嫌になり、最悪、行かないと言い出すかもしれないと思ったが、行った。体育館で話を聞き、校内を見て回る。実際に肌で高校を感じ娘のやる気がアップしたように見える。

 

こうしている間に息子は今日からサマーキャンプ。昨年の冬キャンプの出発時は思い出したくもない。(12月22日の日記参照 https://getnavi.jp/life/691537/)。あの悪夢を繰り返さないために、今回は息子の友達J君も一緒に行く。果たしてうまく行けるか気なっていたが、妻からLINE。

 

『何とか行ったが、やはり極度の緊張で、5分に1回トイレに行ったり、爪を噛んだり、「行ってあげるんだから、ママ感謝しろよ!それか今すぐここで謝って!」と意味不明癇癪が少し出た』とのこと。でも何とか行けたのなら良かった。

 

その後、娘は家に帰り、私は妻と合流し、息子が通っている療育のペアレントトレーニング。息子はゆっくりではあるが、成長してきているようで、それはこちらも実感している。だが、普通(ってなんだろうという議論は長くなるので書かないが大ざっぱには大多数ということ)に近づいてくればくるほど、普通になるべきところはもっと普通になって、ならなくていいところはそのまま伸び伸びと育ってほしいと思ってしまうのは、親の欲張りだろうか。

 

7月28日(木)

息子の学校の担任の先生と面談。「友達とのトラブルをゼロにはできないが、トラブルが発生したらすぐに間に入るようにしているし、傷は浅めにするよう心掛けている。無傷はなかなか無理ですが、足立さんは(年配の男性教諭の方で、常に生徒をさん付けで呼ぶ)色々敏感なのに毎日学校に来て、着席して6時間授業を受けているだけでとても頑張っていると思います、大人でもしんどいと思います」と言われる。

 

7月29日(金)

今日は完全にオフの日にしようと決めて、妻と映画を観に行く。というか、映画に行く妻のあとについて行った。『ボイリング・ポイント/沸騰』(監督:フィリップ・バランティーニ)を観る。家庭でも仕事でも色々重なり、パニックに陥るコックさんの主人公の開店から倒れるまでの90分を描いた映画。「あの主人公、あんただったな。人を大切にしないとああやって野垂れ死ぬぞ」とのこと。面白い映画だったけど、お客さんたちがやや類型的かなと思った。

 

その後、渋谷に移動して『WANDA』(監督:バーバラ・ローデン)。1971年の映画だが、今観てもそのまんまというのか、ワンダのような人は今も世界中のそこかしこにいる。これだけ多様性が叫ばれても受け入れてはもらえていない。などと感想をベラベラ話しながらヒカリエを通ったら、夏物の短パンが40%引き(現品限り)が目に入り、素材も良かったので、先日までがりがりに喧嘩していたが拝み倒して妻に買ってもらう。映画も面白かったし、かわいい短パンも買ってもらったし、上機嫌で熱風が停滞している渋谷駅に着くと、そこではたと財布がないことに気づく。

 

基本私は手ぶらなので、ペットボトルやメガネや財布はすべて妻のリュックにいれてもらうから、瞬間的に妻のせいにしてしまう。妻は「はぁ? 預かってないけど」とみるみる不機嫌に。確か7234円くらいは入っていたはずだ。

 

妻は慌てて、映画館に電話したが、特に財布は届いてないとのこと。短パンを試着した店、ランチした店、お茶した店に片っ端から電話をかけるもどこにも届いてないとの事。妻はギロッと私を睨むと「お前、ほんとクソだな」と一言。

 

そのままハチ公口の交番に遺失届を出しに向かうと、署内で指名手配の写真を見ながらベラベラ喋っている初老のお婆さんがいる。なにかを落としておまわりさんに文句を言っているようだ。「このご時世だから、大きな声で私語は……」とおまわりさんに注意されると、「それなら安倍さん死なせないでよ!」とさらに大きな声で言っていた。奈良県警だけでなく、日本中の警察官はこういう文句を言われることが増えたのだろう。

 

「財布を落としたことで、なにか悪い厄が落ちて、良いことあるかもよ」と私は気持ちを切り替えたが、妻は怒っている。Suicaとか妻から持たせてもらっている妻名義のクレジットカードとかも入っているから、止める手続きが面倒なのだとか。だが2時間後、映画館から電話があり、財布は出て来た。厄が落ちたと気持ちを切り替えていた私は少しがっかりした。

 

※妻より

お前はバカか……

 

22時ごろ、知らない番号からスマホに着信。知らない番号でかけてくる人は留守電も残さないのが大半だが、珍しく留守電が入る。聞いてみると、息子のキャンプの方だった。その瞬間、心臓がバクバクする。折り返し電話がほしいとのこと。

 

キャンプ先で息子の特性が爆発してしまったか、大癇癪が出てしまったか、胸がドキドキし、震えながら折り返す。川遊びあとの発熱とのことでホッとした。コロナだったとしても、息子が不安感を募らせて爆発してしまうよりはぜんぜんマシだ。抗原検査をしたら陰性だったので、様子を見るとのこと。

 

少し安心したが、今日は息子が楽しみにしていたテントキャンプだったのだ。五右衛門風呂ってどんなの? とか、夜のうちに川に罠を仕掛けるんだ! とか、キャンプファイヤーに向けて、家でマッチすりの練習をしていた姿などが思い出され、可哀そうになり、すると熱を出して保健室で寂しく過ごしていないかとかいろいろ考えると心配で眠れず。

 

 

7月30日(土)

15時ごろ、息子のキャンプから電話。熱が39度まで上がったとのことだが、今日の抗原検査も陰性ではあった。どうします? 戻りは明日なので預かってもいいですが、お迎えに来られてもいいですよとのこと。

 

慌ててスマホで行き方を調べると、今すぐダッシュで迎えに行っても特急あずさで長野につくのは19時ごろ、戻ってくるのは23時ごろになりそう。行くなら明日の始発の方がよいのか悩む。妻は明日娘の野球の引率で長野に迎えに行くことはできない。

 

とりあえず、行けてもそんな状況だと伝えると、夜か朝の体温でみんなと一緒にバスで帰れるか検討するとのことで、今日は迎えに行かず。こういうとき、車があればすっ飛んで行くのだが、そう言えば免許も持ってなかった。

 

7月31日(日)

妻が朝5時にキャンプ場に電話した。私は電話が大の苦手なのだ。息子の様子を尋ねる。息子の熱が高かったら、不安な気持ちだと思うので始発で迎えに行くと伝える。すると「37度台まで下がったし、抗原検査で3回とも陰性だったので、発熱者だけをみんなとは違う中型のバスで新宿まで送ります」との事(発熱者は4名いたようだった)。

 

私は電話が苦手なので筆談で「いや息子はとても不安だと思うんです、ボク迎えに行けますから! 息子に迎えに来て欲しいか聞いてもらえますか?」と妻に紙を渡す。

 

妻は「字が読めねーよ! 第一、新宿までバス一本で連れて送って来てもらった方が、あんたが長野に行って乗り換えして電車で帰るより息子の身体は楽でしょうが! 帰宅も早いからすぐ横になって寝れるし、息子の事を考えたら新宿まで別バスで送ってもらった方が絶対良いと思う」と言うが、私は熱を出している息子が不憫で仕方がない。「私はこんなに心配しているのに、どうしてサマーキャンプの人も妻もそんなに冷静なんだ!? 心配してないのか!? 冷たすぎる!」とパニックになり、また一人空回りして紙に字を書き連ねていると、妻が見る見る不機嫌に。

 

「夫が迎えに行きたいとわめいているんですが、息子にどっちがいいか聞いてもらっていいですか?」と妻は電話の向こうに言う。こうやってすぐに人を巻き込むような言い方をするから私もついつい腹が立ってしまうのだ。結局、キャンプの人が息子に聞いたところ「皆と一緒に帰る」との事なので、私は早朝癇癪を起こしかけたが済んでのところで留まった。妻が大きな舌打ちをしながら大変冷たい目で見ていたが、そっちの方向を見ないようにした。

 

そして今日は娘が野球のクラブチームを退団する日だ。昨年9月の一件があり(9月26日の日記参照https://getnavi.jp/life/658604/)、今年の3月からは2週間に一度のペースで練習に参加してきたが、そのペースで参加すると監督からの風当たりが強いらしく、行って嫌味を言われたり、完全に無視されるらしい。あんなことをしといて嫌味をいうなんてどんな監督かと思うが、女性のGMは熱心な方で「部活も遊びも楽しんで、その上でマイペースで野球を楽しんでくれたらいい」と何度も何度も娘を引き留めてくれた。だが、監督とGMの意思疎通は全くできていない。娘がそれだけ苦しいのであれば辞めるべきだと伝え、娘は勇気を出して本日退団する。

 

最後の挨拶ということで、妻が娘を引率し皆様に配るお菓子を大量に持って最後の練習場に向かったが、熱中症・コロナで参加人数は少なく、GMは小学生女子チームの試合でおらず、娘は監督に挨拶するつもりだったが、監督は煙草を吸うとさっさと1,2年生の待つ別会場に移動してしまったらしい。

 

「逃げたな」と私は思った。自分の思い通りにならない中学生からあのおっさんは逃げたのだ。挨拶もしてやらない、そして娘の挨拶のチャンスも奪うというのは、自分が思うように練習に参加しない娘への最後の復讐のつもりだったのかもしれない。せっかく野球を好きになったが、この先の人生で娘がグローブをはめることはあるだろか。散々ノックした日々など思い出す。キャッチボールくらいはまたしたいなと思う。

 

妻からそんな報告を受けつつ、私は新宿へ息子を迎えに行く。少し具合の悪そうな顔をしている息子に、「キャンプ、楽しかったか? 熱は残念だったけど」と言うと、「最悪のキャンプだった」と言った。

 

それ以上キャンプのことを聞くのはやめた。息子は家に戻るなりゲームをした。1時間くらいすると、息子はポツリと「今回、班長した」と言った。私は驚いて「自分からするって言ったの!?」と聞くと「そう」とゲームをしたまま言う。息子が自分からそんなことを言うなんて驚愕だ。私はうれしかった。きっと息子は冬の苦い思い出のキャンプのリベンジをしたかったのだろうなと思った。それで意気込んで発熱したのかもしれない。とりあえず、息子がまたキャンプに参加してくれるといいなと思う。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

NHKの朝ドラ脚本執筆で多忙な50歳を迎えるも、家族に祝われずすねる映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第27回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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6月2日(木)

録音部の臼井さんと、アフレコ・効果音などの打ち合わせ。効果音を担当している方とはリモートで。普段は沖縄にお住まいで、仕事のときに各現場に行かれるとのこと。羨ましい……。そういう生き方に憧れているがなかなか一歩が踏み出せない。子どもの環境に配慮しつつ、夏は北、冬は南、みたいな遊牧民生活をしたい。リモートが普及したおかげで地方にいても仕事をやりやすい環境になったのだが、私の腰の重さだと「まぁ、そのうちね」と言っているうちに人生が終わるのだろう。そう言えば演劇をやるやるといいながら「まぁ、そのうち……」と言っている間に50歳が目の前になってしまったが、こちらは52歳までには絶対にしたい。

 

6月5日(日)

今日は娘の野球の試合があったため、朝の6時半から妻と娘不在。息子は毎週日曜日の午前中、レンタル先生(今は家庭教師のことをこう言ったりもする)が来てくれるので、その間に少しでも溜まっている仕事をこなそうとしたが、積読していた西村賢太の遺作「雨滴は続く」をこのタイミングで開いてしまい没頭してしまう。やらなくてはならないことが山積みの時の西村賢太はまた格別に良くて、ついでに「本の雑誌」や「文学界」の西村賢太追悼号まで読み始めてしまって、心は物凄く焦っているのに仕事にはまったく手が付けられない。

 

夜に頑張ろうと思っていたが、心が逃げているこのような時は無駄なことをしてしまう。夜は夜で25年前の妻と付き合い始めたころのアルバムなんぞを見始めてしまい、これまた止まらなくなり、ついでに昔の手紙やらプレゼントやらの思い出の品なども引っ張り出してきて眺めては色々思い出して胸が痛くなったりしてとても疲れてしまって、やはり何もできなかった……。

 

思い出の品の中でも一番心が痛くなったのは、仕事がなさすぎて二人で夫婦漫画家になろうとして応募した4コマ漫画の原稿だ。私が話を考えて妻が絵を担当したのだがよくもまあこれを応募したものだ。男に誘われたOLがトイレで下着チェックして、パンツにうんこがついてるという話。これの何を面白いと思っていたのかが分からない。というかこの流れにもう一つ何かネタを乗せていたような気もするのだが……。これじゃあまりに酷すぎる。

 

しかしまあ、試験前とか試合前とか、子どものころからやらなければならないことが目の前に迫ってくると、どうしてもそのための準備をする気になれず別のことに逃げていたのだが、この性分は一生変わらないのだろう。

 

↑その漫画の下書きです。確かにひどい……。この時はどうにか仕事に結び付けたいと必死にもがいておりました。なけなしのお金を持って世界堂で画材を買って、旦那の書くマンガのネタが面白いと思ってしまっていた……。今、そのころのことを思い出して猛烈に気分が落ち込んでいます。夫婦ともども病んでたんだな……。(BY 妻)

 

6月7日(火)

朝一番で大阪にドラマの脚本打ち合わせに向かう。

 

吟味した駅弁を購入し、新幹線の改札を通ろうと思ったら切符がない。服、鞄、ズボンすべてのポケットにもない。慌てて妻に連絡すると、妻は「なんであたしに連絡してくるんだよ、バカか? バカだなお前は。まず駅員さんとこ行って来い」と言われる。そう言われると思ったが、なぜか妻に連絡していた。こういう私の依存体質に妻は疲れ切っているのだろう。

 

駅員さんに事情を話したが、もうどうしようもないと言われる。見つかれば払い戻すと言われ、慌てて代わりの切符を買う。落ち込んだ。
(※2月の小豆島の時はバカでかいスーツケースを電車の中にポイ置きしてきました:BY妻)。

 

新幹線の中でやろうと思っていたメールの返信や読まなければならない資料などが頭の中でグルグル回っていたが、回っていただけで何もせず。切符を落としたのがショック過ぎた。

 

6月9日(木)

名古屋にてアフレコ。繁華街のホテルに泊まり、その繁華街を夜中に一人でウロウロする。ウロウロするだけで何もしないのだが、ウロウロせずにいられない。何かを期待しているし、何かしたいと思うのだが、いつも何もしない。一人で地方の繁華街に来ると、私はほぼ必ずこういう行動をしてしまう。

 

6月10日(金)

今日は私の50回目の誕生日だ。まさか自分が50歳になる日が来るとは思いもしなかったし、まだ実感はない。50歳にはなりたくなかったが、なってしまったものはもうどうにもならない。とにかく50歳というのは問答無用に「大人」であると思う。(今さら何を言っているのか……)。もう言い訳は出来ない年齢だと思うのだ(昔の人が聞いたら呆れて泡吹くだろうな)。

 

毎年、誕生日には説教のたっぷり書かれたバースデーカードを妻がくれるのだが、今年はない。妻に「パパに書いてやれ。すねるから」と言われ、子どもたちも毎年面倒くさそうに書いてくれていたが、それもない。

 

朝、妻に「カードは?」と言うと、「50にもなってもういらねーだろ」とのこと。いや欲しい。50になったからこそ余計に欲しい。まだ大丈夫だと励ましてほしいし、なんなら抱きしめてもほしい。そんなようなことを妻のケツを追い回しながらグジグジと言っていると、舌打ち一発しぶしぶカードを書いてくれたので、キッチンに貼った。

 

カードには書き殴った文字で「これ以上私に嫌われたら、お前死ぬぞ」と書いてあった。私には友達もいないし、妻のことを唯一の友達だと思っているので、確かに妻に嫌われたら死ぬしかない。

 

6月11日(土)

息子が4年生になってから初めての学校公開日。息子のクラスは大変静かで落ち着いていた(3年生までは大声私語も、うろつきも何でもありだった)。何が違うんだろうと思っていたら、先生の声のボリュームと話し方だった。先生の声が穏やかでとても小さい。そして子どもたちに対して敬語だ。今までの先生は子どもがうるさいと、それに負けないほどの大声を張り上げるし、子どもに命令形か、友達口調だった。先生が静かだと、子どもも静かになるのだろうか? 新鮮な光景だった。

 

その後、近所にある娘の中学校へ行き、進路説明会に参加。東京は高校が多く、志望校を考えるのが本当に大変なことを実感していることは先月書いたが、私立に関しては単願推薦とか併願推薦とかよくわからない方法もあり、聞いているだけで頭が痛くなってくる。

 

その後、42歳くらいまでアルバイトをしていた近所のスーパーに夕飯のおかずを買い行く。このスーパーには「お客様からの声」なる紙が貼り出されており、お客さんからの文句や苦情に社員が回答するのだが、アルバイトしていたころからこの紙を見るのが私は大好きであった。

 

「レジが遅い」「目を見て挨拶しない」など、ただのストレス解消のイチャモンも多い。私もこのスーパーではないが、かつて百円コンビニでアルバイトしていた時に、レジでよく文句を言われた。若いチンピラに「お前、釣りの渡し方が悪い。手のひらに落とすな。手を握って渡せ。俺の手が汚ねえってのか!」と文句を言われた時はマジで命の危険を感じたし、若い女性客のレジ袋に商品を入れた後に、その女性が深いため息一発無言ですべての商品を袋から出して、アゴでやり直しを命じられたときも命の危険を感じた。深夜のコンビニのレジはマジで命がけだった。

 

それにしてもクレームをつける人というのは、明らかに相手を選んでクレームをつけていると思う。私などどう見ても柔道の有段者には見えないだろうし、総合格闘家にも見えないだろうし、ならず者にも見えないだろう。こいつならクレームをつけてもひれ伏して謝るとみられているのだ。現にひれ伏して謝っていたし。だが、「もしかしてこいつ、ものすごく強い奴だったら……」という想像力がちっとは働かないものだろうか。

 

クレームをつけてケンカを売って来た相手を、返り討ちにする妄想はとても楽しかったな。バイト中はたいていその妄想で時間をつぶしていた。

 

夕方、Wさんの自宅で美味しいもつ鍋を振舞っていただいた。仕事とは無関係の食事は格別に楽しかった。

 

6月12日(日)

仕事の資料探しのため、朝からちょっと遠めの図書館へ妻と共に自転車で行く。図書館のカウンターでもモーレツに怒鳴っている人がいた。検索が出来ないとかで。言い方が大変高圧的で恐ろしかったが、私を含めその場の全員が見て見ぬふり……。それだけはやめようと何年も前から誓っていたはずなのに、足が動かなった……。

 

6月16日(木)

午前中、健康診断の経過観察で妻と保健師さんと面談。私は体重も落ち、脚の筋肉量もアップしていて褒められた。妻も筋肉量は増えていたが、体重が変わっていなかったので禁酒と有酸素運動をすすめられる。私が「週に2回禁酒しろ、ここで誓え」などやいのやいの口を挟んだら案の定、その場でキレた。その後、グレーディング作業(画面の色や色調のトーンを作っていく作業)をしているスタジオへ行く。

 

6月17日(金)

息子の担任の先生と面談。毎年進級したらすぐに担任の先生と面談を取り付けるのだが、映画の撮影や仕上げ作業などがあり、面談がこの時期までずれ込んでしまった。

 

学校側には息子のトリセツと言うか特性を新担任に引き継ぎして頂くよう頼んでいたのだが、新担任は全然聞いていなかったらしく、「そんな事があったのですか」と驚いていた。今年度、校長が変わったとは言え、学校において情報を連携するのはなかなかに難しい。でも新担任の先生が息子の様子を大変気にしてくれて「毎日大勢の教室で6時間勉強しているだけで偉い。宿題も無理しなくてよいし、疲れたら学校を休んでよい」と明確にしてくれたので、こちらも一安心した。息子も今のところ、4年生になってから一度も休んでいない(行き渋りはあるが)。

 

ところで、最近、この日記を読んでいる読者の方から「子どものことを書いていいのか? 子どもに許可を得ているのか?」と聞かれた。西原理恵子さんの娘さん問題が浮上しているので、私も大丈夫か?ということだろう。

 

正直に言うと、子どもに許可は得ていない。日記に「君たちのことも書いている」とは言っているが、「いいよ」とも「ダメだ」とも言われていない(「全く興味ないから」と冷たく言われただけだ)。ならば書くべきではないと思う人もいるだろう。描いていらした西原さんはきっと描くことでいろいろある子育ての苦しみからも逃れられていたのだと思う。そのことで周囲の誰かが傷ついたとしたら、咎めることが出来るのは傷ついた本人だけだと今までの私は思っていたが、書き手の意識の変化だけでなく、読み手の意識も単に受け身ではいけない時代になったということだろう。バランスが大切なのだとは思うが、いつか娘や息子がこの日記を目にすることがあった場合、傷つくことを書くのはよくない。

 

ただ、読み手が書き手を咎める時に、「自分はどうなのだ?」という視点だけは忘れてはならないのではないか。たいていの人は自分のことは棚に上げるものだ。近ごろは棚に上げた自分のことには気づいていなくて、自分以外の人に異様に厳しい世の中になっている。自分を棚に上げている視点さえ忘れなければ、少しは優しい世の中でいられるはずだ。というのは書き手の甘えだろうか。

 

この潔癖で厳しい世の中の行きつく先は、「人類全員が人格者」なのかもしれないが(嫌味半分)、そうなった時の「面白いもの」というものがなんなのか? 生きているうちには見られないだろう。

 

西原理恵子さんの「毎日かあさん」に励まされ、勇気づけられた子育て中の人は(子育て中でなくとも)とても多かっただろうと思う。その陰で娘さんが傷ついていたことに、励まされていた読者の方は傷つくかもしれないが、励まされたことは事実だし、傷ついたことも事実なのだし、読者の方はそれで騙されたとは思わずに、「娘さん、傷ついていたのか……でも、私、励まされてしまったよな……」と苦しみながら、それでも励まされるしかないと思う。

 

6月22日(水)

大阪へ向かう。今日から1週間家に戻れない。大阪に2泊、静岡に1泊、その後また大阪に1泊してから香川に2泊して東京に戻る予定だ。

 

大阪にて夜までドラマの脚本打ち合わせ。少ない脳みそをフルに使ったせいかホテルに戻った後、眠れなくなり、YouTubeを見ていたら、世間的に知名度の高い大人たちがアホなことをアホな口調でしゃべっていた。なんだか酔っぱらっているようにも見えた。SNSは顔の見えないことをいいことに、人間の嫌な本性を丸出しにした場所だと思っていたが、YouTubeは顔を丸出しにして、なおかつ嫌な本性も丸出しにする場所にもなりつつある気がする(もちろん一方では大変面白いものもあるが)。

 

これじゃあ、世の中が極端なクリーン思考に走るのも分からないでもない。そうでもしないと人間はとことん醜いということを、「だってしょうがないじゃん、それが人間なんだから」といつか開き直るような世の中になってしまうだろう。

 

6月23日(木)

今日も大阪にて朝から夕方まで打ち合わせ。

 

6月24日(金)

大阪から静岡に移動。今日は静岡市鷹匠の「HIBARI BOOKS」という書店でトークイベントがあるのだ。

 

静岡に向かっている最中、来秋放映予定の朝ドラの発表があり、知り合いからLINEやらメールがたくさんきた。正直こんなに反響があるとは思わなかったからちょっとビビった。どうにか面白い作品にしたいと思う。

NHK 連続テレビ小説『ブギウギ』

 

14時、バスで到着した妻と合流。朝からソフトクリームしか食べていない私はお腹が減り過ぎて、「何か美味しいもの食べたい! 静岡に来たのだから寿司を食いたい! イベント終了時間を確認して食べログ3.5以上の寿司屋を予約して!」とまくしたてたところ、妻がみるみる不機嫌に。

 

「イベント終わるの夜の9時だぞ! そんな時間に寿司など食べたくない、今の時間にちゃんと食べて夜はつまむだけにしたい!」「いや、イベント終わった後に食べたいんだ! ほっと一息の寿司が食べたい!」と大ゲンカに。

 

結局お腹が減り過ぎて、街を彷徨うも15時過ぎだと空いている店もなく、限界を通り越してしまったため、汗だくの妻はコンビニで酒を買って飲み始めた。私は歩き生クリームどら焼きをして、もうなんかどうでもよくなって、アーケード街にあるラーメン屋に入店。普段ラーメンを食べない妻は、ビールと餃子とかの小皿を頼もうと思っていたらしいが、ものの見事にラーメンしかないこだわりのお店で、妻の不機嫌はさらに上昇。私は思わず「ザマミロ、バーカ」と心の中で舌を出した。

 

酒が飲めなくて、でも私にあたることもできず不機嫌な妻を見て、俄然気分が良くなり、私は煮干しラーメン大盛り(チャーシューと玉ねぎも大盛り)を完食。大変美味しかった。

 

妻は無言でラーメンをすすっていた。「喜劇 愛妻物語」のワンシーンみたいだったので思わず笑ってしまったら、妻が凄まじい目つきで睨んで来て、完全に映画と同じシーンになったので、そう言ったら「は? あんなつまんねー映画忘れたわ」と言った。

 

ラーメン完食後、裏通りを歩いていると、お茶専門店やワインバーなど小じゃれたお店をたくさん発見。鷹匠は静岡の代官山と聞いた。こういう店に入りたかった……。

 

寝不足のせいか、暑さのせいか、頭がぼうっとして眩暈がしてきたので、近くにあったかき氷屋で宇治金時ミルクをテイクアウト。大変美味しかったのだが、時間はもう18時。これをすべて食べたら18時半からのトークイベント中に絶対、ウンコを漏らすと思ったので、半分残した。妻に食ってくれと言っても、妻は冷たいものを頑なに食べない(酒なら冷たいものもガンガン飲むのに)。無残にも超美味な宇治金時ミルクはトイレに流されてしまった。

 

 

18時半からのトークイベントにはたくさんのお客さんに来て頂いた。主催の鈴木さんには2年前にも「水曜文庫」さんという書店で「それでも俺は、妻としたい」のトークイベントを仕切って頂いたのだが、今回はお客さんも増えてくれてなんとか鈴木さんの顔をたてられた。質問も沢山頂いた。2時間あると色んな話が中途半端にならずちゃんと話せるから、こちらとしてもとても楽しかった。

 

↑オーナーさんのご配慮で、足立が大ファンの西村賢太氏の著作の近くに足立の本を並べて頂き、本人大変感激しておりました。今回のイベントには、夫の本を読んでない方も沢山来てくださったのですが、どうして来てくれたのでしょう……。映画を見て頂いていたのかしら。それをお聞きすればよかったなーと思いました。皆さま、帰りに本を買って帰ってくださってとてもうれしかったです。(BY妻)

 

6月25日(土)

朝6時半に静岡のホテルを出発し再び大阪へ向かう。脚本で参加した映画「嘘八百 なにわ夢の陣」の陣中見舞いだ。

嘘八百 なにわ夢の陣 公式サイト

 

大阪で女性車両に乗ってしまった。30秒ほどで異様な空気に気づいたのだが、金縛りにあったように動けなくなってしまい、一駅分、微動だにせずずっと俯いていた(大阪は通勤ラッシュ時だけでなく、一日中女性車両があるようだ)。

 

夜は坂田聡さんの出演されているお芝居「奇人たちの晩餐会」を見た。大阪でお芝居を見るのは初めての経験だったので、なんだか新鮮だった。芝居もとても面白かった。晩餐会のお芝居を観た後に、鶴橋で晩餐会。Sプロデューサーに焼き肉をご馳走していただいた。とても美味しかった。

 

6月26日(日)

早朝高松に向かう。3年前、「喜劇 愛妻物語」の撮影で小豆島、高松に3週間ほど滞在していたから、とても懐かしい。今回はまた別作品のシナハンと取材だが、「喜劇 愛妻物語」撮影中に足しげく通った「しるの店」に絶対に行こうと思っていたのに、閉店していた。ショックだった……。

 

 

この日、仕事はなかったので、日中は温泉に行き、夜はまたウロウロウロウロと街を彷徨いに彷徨い、ちょっとばかり怖い目にあったのだが、ここに書くといろいろとお叱りを受けそうなので書かない。というようなもったいつけた言い方が普段は大嫌いなのだが……しょうがない。

 

今日からドラマ「拾われた男」の放送と配信も始まった。とても面白いドラマになっていますので、ご覧いただけたら嬉しです。

拾われた男 公式サイト

 

6月27日(月)

朝からシナハンと取材。「喜劇 愛妻物語」の撮影で散々お世話になった香川フィルムコミッションのKさんに再会。Kさんはものすごく頼りになる女性で、私は頼りになる方には思いっきり甘えるタイプなので、今回も大いに甘えようと思う。

 

6月28日(火)

この日は取材をして夕方の電車で東京に戻る。岡山でビールを一口飲んだ瞬間に寝てしまい、起きたら小田原あたりだった。

 

6月29日(水)

昨日まで一週間の旅だったが、思った以上に身体にダメージが残っていて、使い物にならない一日だった。やはり、年だな……。

 

 

【妻の1枚】

 

【過去の日記はコチラ

 

【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

誰よりもTDSではしゃぎ過ぎ、子どもたちに引かれる映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第26回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

【過去の日記はコチラ

 

5月2日(月)

今朝はめちゃくちゃ緊張している。いよいよ編集部さんがつないでくれたラッシュを見るのだ。脚本の第一稿を読んでもらうときよりも百倍緊張する。脚本はこれから書き直しがきくがラッシュはもうほぼ撮り直しはきかない。私だけでなく編集部さんも緊張している(ように見受ける)。どんなふうにつなげたのかスタッフに見せるのだからそれは緊張するだろう。

 

第1回目のラッシュは2時間36分。台本が141ページあったから2時間をゆうに超えることは予想していたので、この尺(長さ)にはさほど驚きはない。問題は面白いかどうかだ。もちろん撮ってるときは面白いと思って撮っているのだが、ある種お祭り気分のようにハイテンションになっている現場から、数週間の時間を置くと冷静さを取り戻している。ラッシュを見て「あの時の俺はどうかしてた……」そんなふうにだけは思いたくない。

 

「……面白いのかどうか分からない」

 

2時間36分後、ラッシュを見終わった私はやっぱりそう思っていた。「やっぱり」というのはいつもそう思うからだ。監督したときも脚本だけのときも、最初のラッシュなどとても冷静に見られないから「……分からない」となる。

 

一緒に見ていたスタッフたちは私から逃げるようトイレに駆け込んでいく。いや別に逃げているわけではないだろうし、初老のスタッフには2時間半超えはおもらしの心配もあるだろうが、私には逃げてしまったように見える。こんなときくらい「最高でした!」と言ってほしいが、誰もそんなことは言わない。と言うか、この業界に入って1回目のラッシュを見て「最高でした!」という言葉は聞いたことがないからそれが普通なのだが、でもやっぱりウソでもいいから言ってほしい。とても不安なのだ。

 

トイレから戻ってきたスタッフたちはポツポツと感想を言い始める。彼らの話を聞きながら、これからひと月の編集でこの映画がどう生まれ変わるか。傑作に生まれ変わらせてほしいと切に思う。自分の力量は棚に上げて。

 

激烈に集中して2時間半超えの映画を見たからか、頭がものすごく痛くなり、夜はマッサージ120分コースに行く。だがものの10分で撃沈。自分の鼾で目が覚めた。せっかくマッサージを受けているのにものすごくもったいないことをした気分になる。

 

5月3日(火)

ウチの2階に編集室を作り、そこに編集部さんに来ていただいて朝から晩までずーっと編集作業。楽しみは飯のみ。近所のちょくちょく行く定食屋さんがお弁当も作ってくれるので、昼飯はそこのものを食べ、夜は中華系にした。ひと月後にどのくらい太ってしまっているだろうか……。

 

5月4日(水)

ジョビジョバの公演を見るために妻と新宿へ行く。

 

復活したシアタートップスに来るのは初めて。20代のころはカクスコをよく見に来ていた。カクスコを初めて見たのは多分20歳くらいだったと思うが衝撃的に面白かった。高校生のころからジョビジョバが好きだった妻も、芝居を見ながら大笑いしていた。私と年が変わらない6人のオッサンが、ワイワイと楽しそうに舞台をやっている姿は羨ましくて眩しかった。

 

舞台が終わると妻の携帯に息子から何度も着信があった(もちろん私の携帯には着信はない)。すぐに私が折り返す。息子は9時から友達と遊んでいたのだが、行きたい公園の食い違い(多分それは原因の一つに過ぎないが)で、友達とケンカしてしまったとのこと。家に帰ってもうまく遊べなかったことを私たちから説教されると思ったようで、図書館で漫画を読み、公園で一人お弁当を食べ、その後ケンカをしてしまった友達を探したが見つからないから、もう帰ってもいいか……? とのことだった。

 

もちろん帰ってきていいに決まっている。聞くまでもないことだ。だがしかし、いままでそういうつもりは全くなかったが、息子が友達とトラブルを起こして家に帰ってきてしまったときに、もしかしたら息子を責めたり怒ったするような口調になっていたのかもしれない。いやきっとなっていたのだろう。なんだか気分が凹み、反省して新宿駅で期間限定販売していた大阪の高級ロールケーキを買って帰った。が、甘味が苦手な息子は結局一切口を付けず、私と娘で貪り食った。

 

5月5日(木)

朝から晩まで編集作業。昼はタイ料理、夜はピザ。

 

5月6日(金)

下北沢で「ケダモノ」鑑賞。アメクミチコさんの独身熟女の熱を帯びたお芝居がとても良かった。

 

斜め前の席に、私が脚本を書いたドラマの原作者の方が座っていらした。ご挨拶し、終演後にその原作者の方と妻と町中華で軽く飲んだ。楽しい時間だった。こういうとき、この日記に原作者の方のお名前を出してしまっていいものかどうか私はよく分からない。もしかしたらその方は、その日その時間にそこにいてはいけないことになっているのかもしれないなどとも思う。私はウソつきだから、よくそういう状況がある。

 

帰宅後、編集ラッシュの確認。

 

5月7日(土)

娘、午前中部活。息子、朝から友達と公園。

 

明日はディズニーシーに行く。本当は今年の1月6日に行く予定だったが大雪でキャンセルしていたのだ。

最近あまりに疲れているし、撮影準備や撮影などで家族と過ごす時間も少なかったから、妻に懇願してディズニーシー近辺のホテルに前泊する許可を得た。子どもたちも大喜びであったが、妻のケチスイッチが入ってしまい(私や子どもがはしゃぎモードになると妻は途端にケチケチモードになる)ホテルは4人で2万円以内の制限が課せられた。だが、私は最近検索能力が爆上がりしているので、朝食ビュッフェ付き・温泉大浴場ありのホテル4人で2万5000円のホテルを難なく発見。なぜか舌打ちする妻の許諾を無事獲得。

 

※妻より

夫は私が舌打ちした理由が分からないようですが、まず、「2万円以内」と言っているのに「2万5000円」で交渉してくる姿勢に呆れます。そして、予算オーバーしているのに「検索能力爆上がり」とはどういうことでしょう? 本当にため息が出ます。

 

14時に我が家を出発し、ホテルへ向かう。途中のイオンで寿司やらピザやらスイカやらハーゲンダッツやらホテルで食べるものを買いあさる。ホテルに到着するなり娘はキレイな部屋にテンションが上がるも、息子は「なんだかゾンビが出そうな気がする。多分出る! 怖い、帰りたい!」と泣きながら連呼し始める。これはまずいパターンになるかも、と思ったが、偶然にも息子の好きな「スポンジボム」がテレビで放送したので、どうにか持ち直した。

 

娘は部屋の風呂をプリティウーマン張りの泡ぶろにしてご機嫌にはいっているので、私は妻を誘い大浴場へ。すると大浴場はまさかの別料金。「なんで大浴場に金払わなきゃならないんだ」と妻は一気に不機嫌になり、入らないと言う。そして私を一瞥し「あんた、どうせ入るんでしょ。お好きにどうぞ」と言い捨てて部屋に戻って行った。数百円なんだからいいじゃないかと思うのだが(※妻からの注:1800円です)、まあ今回は気持ちも分からなくはない。なので妻の分も2時間存分にサウナと温泉にゆっくりつかり、撮影と編集と疲れを癒す。

 

部屋に戻ると、妻は日本酒飲みちらかして爆睡。息子はテレビで「ミッションインポッシブル」を見ていて、娘はスマホ。いつもと変わらない我が家の光景だ。仕事熱心な私は持ってきた資料を読みつつ、5分で寝落ちした。

 

5月8日(日)

多分入場制限されていたはずだが、ディズニーシーは予想外に混んでいた。ファストパス的なものもなくなっていたので、人気アトラクションはどれも1時間は並ぶ。最初はたいして乗りたくない「海底200万マイル」という潜水艦に乗る。加齢で三半規管をすぐやられてしまう私は乗ったそばから気持ち悪くなるのだが、息子がいつも乗りたがるので仕方なく乗っている。次は娘が一番楽しみにしていた「インディ・ジョーンズ」に70分待ちで乗って、こちらも揺れに揺れ、ますます気持ち悪くなる。息子も酔って、船や列車とかで休憩したいと言い始めたが、私はたとえ酔っていても来たからにはどうしても絶叫系に乗りたい。

 

娘も息子も絶叫系が大の苦手なので、私が乗りたいものと意見が一致せず、「センター・オブ・ジ・アース」に乗るか乗らないかで大ゲンカに発展(妻はどちらでもよい)。こういうときに、私はついつい無理に乗せる方向に話を持って行くから、乗りたくない娘が不機嫌になり険悪になってしまうのだ。娘は乗らず嫌いだから、きっと一度乗れば絶対に好きになるはずなのだ。その第一歩を踏み出させるのが本当に難しい。「人生はチャレンジだ」とか「一歩を踏み出す勇気を持て」とかいい加減なことを言っていると、娘は父親のマイペースぶりにどんどん不機嫌になり、妻からも「あんたはなんでもかんでも自分の思いを押し付ける」などと腹の立つことを言われて、私まで不機嫌になり、せっかくの家族でディズニーも最悪の雰囲気になっていく。誰が悪いのかアンケートをとればきっと私がぶっちぎりの1位なのは分かっている。

 

結局息子と娘は妻のスマホを持たせてなんとかという海の中の子ども向けのような場所に行き、私は険悪な妻とともに「センター・オブ・ジ・アース」に80分並ぶ。その間、会話はない。その後、また子どもたちと合流するも私は直下型の「タワー・オブ・テラー」と360度回転型の「レイジングスピリッツ」に乗りたくて頭の中はそれでいっぱいで、「乗ろう乗ろう! 乗ったらお小遣い上げる! 好きなもの買ってあげる!」とあの手この手を使い、物で釣ろうとするが、子どもは断固拒否。子どもたちはやっぱりユルいものばかり乗ると言うから、私も意地になって子どもに説得を試みる。またも雰囲気が悪くなっていく。

 

「お前が我慢すればすべて解決なんだよ!」と、妻がとうとう他のお客の目を気にせずに私を怒鳴り始めたので慌てて私は折れて、「レイジングスピリッツ」のみで我慢した。あとはこんなダメな私も少しは大人になり、ひたすら子どもたちの乗りたいものに付き合った。結果、子どもたちが一番楽しみにしていた2時間並んで乗った「ソアリン・ファンタスティック・フライト」というやつが一番面白かった。

 

朝9時に入って、結局閉園の21時までいた。ものすごく疲れた。おかげで昨日の温泉&サウナ2時間で癒した心身が、元に戻ったどころか疲労3倍増くらいで帰宅。

 

娘が撮ってくれた写真

 

※妻より

「乗りたいものは意地でも乗りたい!でも一人じゃ乗りたくない、皆で乗りたい! 絶対乗ろう! 皆で乗ろう!」という夫の異常な押し付けハイテンションに振り回され、子どもも私も大変疲れました。「ちょっとのんびり系で休憩したい」などと言っても我々の意見には一切耳を傾けず、何が何でも己の欲望は貫き通すので本当に困ります。夫が誰よりもはしゃいで、最後まで帰りたがりませんでした。

 

5月9日(月)

7時20分に出発して児童養護施設のXちゃんの送迎ボランティア。なんと今日はXちゃんの誕生日だった。知っていればカードくらい書いたのに(物をあげるのは禁止だし、なんなら、引いた自転車の後ろに乗せるのもキシリトールガムをあげるのも禁止)。プレゼントは何をもらうの? と聞くとキティちゃんとマイメロちゃんのぬいぐるみとのこと。そのぬいぐるみたちと一緒に寝たいんだと言っていた。Xちゃんは幼いころからずっと一人で寝ているらしい。うちの小4の息子などいまだに妻にしがみついて寝ている。しかもフルチンで。

 

その後、夕方まで編集作業。

 

5月10日(火)

朝10時より編集プレビュー。皆さん、いろいろ意見を言ってくれる。人によって同じシーンをいいと思ったり、ダメだと思ったりするのはもちろんあることなのだが、私も「こっちのほうが絶対によい!」という確信がないから、いろんな人の意見に迷い悩む。

5月11日(水)

音楽打ち合わせ。「14の夜」でも「喜劇愛妻物語」でもお世話になった音楽家の海田庄吾さんに久々に会うと、かなり痩せて若返っていらして驚いた。顔色も良いし、胸板も厚くなっている。なんでも海田さんは夜な夜な5キロのランニングをし、筋トレもしているとのこと。海田さんと私は同い年だ。私もまた走り始める決意が固まった。夏までに5キロ落としてTシャツを堂々と着られる夏を過ごしたい。

 

5月12日(木)

朝から編集作業。今日もいろいろ悩む。悩みながらひたすらにチョコレートとカラムーチョを交互に爆食いしてしまう。昨日、ダイエットを誓ったばかりだというのに……。

 

夜、重くなり過ぎた頭と身体をすっきりさせるために近所の銭湯でサウナ。

 

5月13日(金)

今日もひたすらに編集作業。そしてお菓子だけでなく焼肉弁当ご飯大盛りで爆食い。

 

5月14日(土)

映画とは別件で大阪にて打ち合せ。新幹線内で資料を読もうと思っていたのに、駅弁で満腹になって気絶してしまった。そして頭の中で映画の編集をしていた。

 

喧々諤々打ち合わせをし、また新幹線で帰宅。551の肉まんと焼売を買って帰った。2年前も大阪での仕事が多く、そのときも551の肉まんをよく買って帰ったが、新幹線の棚に置くと85%の確率で忘れて来るから、今は足元に置くようにしている。

 

5月15日(日)

息子の出場するわんぱく相撲を見に行く。

 

去年だったら絶対にこういう大会には出なかったと思われるが、先月、通っている柔術の先生が声をかけてくださり、「出てみる」と息子が言ったのだ。一緒に参加してくれる友達もいたお蔭で、ドタキャンには至らなかった。

 

それにしても同じ4年生だというのに体格差が凄い。小さな子たちから順番に取り組みが始まったが、小柄な息子は二番手だ。すさまじく緊張しているのが分かる。息子は「青木みたいになったら、ボク恥ずかしくて死んだほうがマシだよ!」と朝から喚いていたが、青木とは映画「シコふんじゃった。」で竹中直人さんが演じていた役だ。相撲部員で試合前はいつも緊張のあまり下痢になってしまうというキャラクターだが、息子はこの映画が大好きで、たまに見返しては「アオキー! てめえ根性見せろよ!」と言いながら爆笑しているのだが、まさに今の息子が青木状態でカチコチだ。見ている私も緊張してしまう。

 

「はっけよい」のタイミングも分からず、息子はオロオロしていたが、相手が勝手にこけてくれて「自動的はたき込み」でなんと1回戦勝利。ものすごく喜んでいる。

 

2回戦目も立ち合いは緊張している。相手の子も同じくらい緊張しているようで、二人はゆっくりとぶつかりそのまま静止。行事の掛け声でなんとか動き出す。息子は相手に胸をつけて押していき、土俵際で押し倒したが、最初に息子の足が土俵を割っていたようで負けてしまった。私は熱くなり一瞬物言いをつけそうになった。

 

体勢的には勝っていた息子も納得がいかないようでしばし土俵に残っていた。息子がこういう悔しさを少しでも表に出すのは珍しいのでちょっとばかりの成長を感じ、思わず目頭が熱くなった。

 

ふと妻を見ると、すでに息子の惜敗は頭にないのか夢中で他の試合に声援を送っている。なんで息子の成長を感じないのかと腹立たしくなり、咎めると無言で私を一瞥し席を移っていった。

 

5月17日(火)

10時より編集プレビュー。だいぶ固まってきたが、そうなると細かいことも気になりだして、まだまだ思考錯誤。

 

5月18日(水)

息子の療育。4年生になって、息子のメンタルはとても安定している。この療育のおかげもあるだろうし、やらせていなかった「フォートナイト」をやらせているおかげもあるかもしれないし(「フォートナイト」がきっかけで友達と共通の話ができるようだ)、4年生の担任の先生がとにかく理解があるし、怒らないし無理させない方針だからかもしれない(おまけに何度も書くが、置勉推奨先生なのでランドセルが大変軽い! 冗談抜きで鉛筆一本だけランドセルに入れて通学している。ランドセルが重いだけで行き渋る気持ちが倍増すると思う)。

 

療育の先生と話す息子の様子も明らかに変化した気がする(時間中、親は別部屋でモニタリングしているのだ)。学校であったイヤなことなどをちゃんと会話として話せるようになったし、一方的に自分の話ばかりするのではなく、先生の話もかなり聞けるようになり会話が成立している。コミュニケーション能力が上げっていると思えるのだ。

 

話は少し変わるが、ハラスメント大爆発の映像業過で最近導入されているリスペクトトレーニングというものを(「相手に尊敬の念を持って接しているか」を自問し考えるトレーニングらしい)、私も受けてみたいと思っている。

 

「誰一人、取り残さない」という言葉を近ごろよく聞くが、空気が読めず場から浮いてしまいがちな人、ハラスメントをしてしまう人も当たり前だが取り残さない人に含まれている。ナチュラルボーンなサイコパスの人だって含まれる。むしろそういう人たちのほうが疎まれ取り残されやすい。取り残された結果、悲惨な事件も起きたりする。「誰一人、取り残さない」ことが可能なのかどうかは分からないが、リスペクトトレーニングというものが、そういうものであればいいなとも思う。そしてそれは、おそらくは幼少の頃から受けねばならぬもので、きっと最も大切な教育の一つなのだろうと思う。

 

5月19日(木)

映画の撮影に多大な協力をいただいた飛騨市観光課の方2人と、現場を手伝ってくれたスタッフ(名古屋在住)が我が家まで来てくれ編集ラッシュを見てくれる。リモートにて他のスタッフからも続々と意見が届く。ありがたい。

 

ドラマ「拾われた男」のキャストが発表された。今まで発表されていたのは仲野太賀さん、伊藤沙莉さん、草彅 剛さんの3名だったが、その他の方々も素敵な俳優さんばかりだ。石野真子さん、薬師丸ひろ子さんは子どものころから大ファンだった。6月26日からディズニープラスで配信、NHKBSプレミアムで放送開始なのでご覧いただけたら嬉しいです。

 

5月20日(金)

朝から編集作業。今日は早めに18時くらいに終わる。というのは娘の誕生日なので、夕飯を家族で食べることにしていたのだ。しかも私が腕を奮って料理を作る予定だった。

 

が、スマホと勉強時間のことで大ゲンカになってしまう。挙句の果てに私が「もうスマホのお金は一切払わないから、自分のお金でやるぶんには勝手に何時間でもやれ!」と売り言葉に買い言葉的にそう言ってしまった。

 

が、まったく知らなかったのだが娘のスマホ代は月々3000円くらいらしく(そもそもスマホでないようだが、なんなのかよく知らない。我が家のケータイ電話はすべて妻名義で妻が契約してきている)娘は「じゃあ自分で払って自由に使う」とのこと。

 

※妻より
スマホです。夫はiPhoneしかスマホじゃないと思っているようですが、娘のは子どもの安全見守りスマホです

 

確かに「自分で払うなら勝手にしろ!」とは言ったが、それは先にも書いたように売り言葉に買い言葉だ。本当にそう思っているわけはない。しかも3000円だなんて知らなかったし。私はなんとか撤回しようとしたが、ケンカしたばかりの娘になんと言っていいのか分からない。こちらも頭に血がのぼっているのでうまい言葉など見つかりようもない。というか、ぶっちゃけ振り上げたコブシを納めなければならないのに、幼稚な私は納められない。ここはもう妻にまとめてもらうしかないと思い、「どうするんだ、この状況を!」と言ったら、「過干渉クソ野郎。売り言葉に買い言葉でそういうことを言ったお前が悪いから、(妻は私が妻のことをお前と呼ぶことを絶対に許さないのに私のことは頻繁にお前と言う)スマホをフリーにしたくないのなら自分の失言を潔く認め娘に謝れ」と言う。

 

頭では私もそうするしかないと分かっているのだが、妻のその言い草にも猛然と腹が立ち、でも、返す言葉が見つからず悶絶するしかない。15分後、深呼吸やら鼻呼吸やら横受け身やら前回り受け身でどうにかこうにか心を整えた私は、娘に「さっきの言い方は悪かった」と謝った(でも、かなり高圧的な言い方だった)。それからまたスマホの話をしようと思ったのだが、高圧的に謝っても当然娘は聞く耳など持ってはくれない(きっと低姿勢で謝ってもだが)。自分が娘の年くらいのことを思い出すと、意味不明な理由で怒り狂っている大人ほどヒク存在のものはなかった。

 

「子どもとは薄目で接しろ」とか「距離をとれ」とか他人からアドバイスをもらったり、物の本には書いてあり、もちろんその言葉はよーーく分かるのだが、頭では理解していても行動がまったく伴わない。それができる人ってのは多分……いやこの先はもう言うまい。

 

いずれにせよ誕生日を台無しにしてしまったのは本当に申し訳なかった。

5月21日(土)

朝から編集。疲れて夕方から近所の銭湯のサウナに向かう。土曜だから激混み。全く整わず。

 

5月22日(日)

娘の部活(テニス部)の試合を妻と見に行く。と言っても一昨日ケンカをしてしまい、まだ気まずい状態だから、娘にはバレないようにそっと会場に向かう。行く途中、部活の母親LINEグループに「〇〇ちゃん(娘)と××ちゃんのコンビ、校内唯一の2回戦突破! 3回戦進出したよ!」と引率保護者の方からメッセージがきたので、自転車を漕ぐ足にも力が入り、「早く漕いでよ、おそいな!」と妻に文句を言いつつ、会場に全力疾走で向かった。三回戦を突破すれば目標にしていた都大会進出だ。親バカだが娘は運動能力が高い。野球のクラブチームに入っているので、学校の部活はイラスト部に入っていたのだが(絵もなかなかに上手い)、中学2年進級時にイラスト部が廃部になってしまった為、友人が多かったテニス部に入ったのだが、すぐに頭角を現し、初めての大会のときも3回戦まで進出していた。野球のクラブチームでは人間関係にかなり悩んでいたが(いるが)、学校の部活は楽しくやっている。

 

今日の大会で都大会に進出できなければ引退となるので、コロナ禍で本当は応援禁止ではある上に娘とはケンカ中だが見に来たのだ。

 

だがせっかく会場の中学校に到着しても、学校の周囲にかなり厳重な目隠しの網が張り巡らされていてテニスコートが良く見えない。でも、なんとか3回戦は見たいと思い、妻と校庭の周りをウロウロしてピーピングスポットを探していたところ(妻は帽子、マスク、サングラス、日焼け防止の長袖長ズボンでかなり怪しい見た目)、試合が終わって帰宅最中の娘たちがぞろぞろと歩いてきた。慌てて隠れようとしたが、娘たちはすでに私と妻から5メートルほどしか離れておらず、私と妻は、思わず中学校の壁にへばりついたりと挙動不審な動きをしてしまった。娘はそんな親には一瞥もくれずに私と妻の前を通過していった。どうやら都大会進出はならなかったようだ。

 

夕方、帰宅した娘は機嫌が直っており、3回戦の戦いがいかに惜敗だったのかを悔しそうに語ってくれた。そして「はい」と言って、突然どら焼きをくれた。浅草雷門前の亀十のどら焼きだ。そういえば娘は昨日、部活のあとに友人たちと浅草に行っていた。あんなに大ゲンカした翌日だったにも関わらず私の大好物甘味を買って来てくれたのに、バカな私は素直にありがとうと言えず(ものすごくうれしかったのに)、どら焼きを見ながら「なんだっけこれ?」などとよく分からない言葉を発していた。

 

5月23日(月)

音楽の海田さんのお宅にて打ち合わせ。ラストシーンにつける音楽のデモを海田さんに作っていただいた。とても良い音楽を作っていただけたと思う。

 

音楽家の人は、監督が仮当てしている音楽にいつも悩まされると笑いながらおっしゃっていた。それはそうだろう。こちらは何百年も歴史に残るような音楽を勝手にあてたりもしている。監督や脚本でいえば、つねに黒澤明とか山田太一みたいな作品を「こんなのにしてください」と渡されてもたまったものではない。

 

5月26日(木)

セミオールラッシュを大きなスクリーンで見る。スクリーンで見ると当たり前だがゾクゾク感がぜんぜん違う。スクリーンに映るものを見て、高揚して「鳥肌が立つ」ことはしばしばあるが、これが自分の作品だからということでなければいいが……。しかしその感覚があるから映画や演劇、スポーツ観戦などの非日常系の見世物は「ああ……やっぱりいいなあ……」と思う。

 

5月27日(金)

セミオールで気になった部分や、その他もろもろ問題も出てきて今日も朝から編集作業。

 

20時より娘の塾の三者面談に私が行く。私は妻と比べると子どもと接する時間が短いから、こういう面談など行けるようであれば行くようにしている(※期待値が高く過干渉なだけだと思う BY妻)。

 

娘もようやく少しずつ受験生スイッチが入ってきたのか、都立の高校に関しては自分でいくつかピックアップしている。私立に関してはまだだが、東京は高校の数が尋常でなく多いから、そこから選ぶのも大変だ。私など高校が片手とちょっとで数えるくらいしかない田舎だったから迷いようもなかった。ただ、一期生というものに憧れており、私が高校受験するときに一期生になれる私立高校が県内にできたので、そこが第一志望だったが落ちた。

 

東京は何百とある選択肢の中から選ぶのは本当に大変だろう。私もネットや受験案内の本で高校選びを手伝っているつもりだが、目が行くのは口コミの点数だ。食べログの影響かなにか知らないが、口コミ3.7以上は欲しいと思ってしまう。しかし、こうして在校生や卒業生から口コミ欄になんでも書かれてしまう今は大変だなあと思う。

 

面談ではまだどこを希望しても狙っていける、夢を語っていても大丈夫な時期というようなことだったが、夏期講習費用の払い方、揃えなければならない書類、模試のWEB申込みの話などになると、私はまったく理解できず、妻も連れてくればよかったと思った。コロナの影響で保護者の付き添いは一人までとなっているのだが、そこを何とかお願いできませんかとか言って。

 

5月28日(土)

娘の運動会。中学3年にしてようやく保護者の観戦許可が出た。娘は100メートルと選抜リレーに出た。100メートルはぶっちぎりの1位。選抜リレーも第一走者でぶっちぎりの1位。走るフォームはゴツゴツしているのだが、足は昔からずっと速い。運動会とはいえ我が子が活躍する姿を見るのはとてもうれしいし、他のお母さんたちから「〇〇ちゃん、かっこいい!」などと言われると、自分が言われているかのように嬉しくて、思わず「でしょう」などと言ってしまう。

 

運動会は嫌いな人は大嫌いで、なくなってしまえばいいと言う人もいるが、私は見るのも参加するのも大好きだ。笑って泣けるエンターテイメントだと思っている。だが、きっとその「笑う」という部分が問題なのだろう。ちなみに、私は音楽会が大嫌いで、なくなってしまえばいいと思っていたが、以前に音痴の人たちの合唱大会のようなものをテレビかなにかで見た記憶がある。それは運動会を見るような楽しさがあった。下手な人が一生懸命やる、やらざるを得ないという姿が、笑えて泣けたのだが、そういう笑いはきっと今は厳しいのだろうと思う。

 

夜は先日台無しにしてしまった誕生日の替りに、近くのイタリアンにディナーに行った。娘は運動会の話を興奮気味にしながら前菜からパンをお代わりしまくり、パスタは妻の分も平らげ、メインが来るころには腹はパンパンで、目はトロトロ。帰宅するとバタンキューで寝てしまった。

 

5月30日(月)

午前中、初めての出版社の方とお会いする。小説を書きませんかとお誘いをいただく。私ごときに本当にありがたい。と心から思う。今まで何冊か本を書かせてもらったがロクに売れたこともないのだ。午後から、今日はプロデューサー陣も来て編集作業。大詰めで最後の粘り。

 

5月31日(火)

朝9時から編集。ようやくピクチャーロック(文字通り「画を施錠する」、つまり画に対してこれ以上変更を行わないこと)。最後まで粘ってくれた編集部さんには感謝しかない。

 

午後からとある組織の会議に出る。評議員というものを仰せつかったのだが、そのような立場、会議にはまったく不慣れのため、ただ黙って座っていただけではあったが、極度に緊張し、会議の間中なんだか意識が朦朧とするといのか妙な眩暈と頭痛に覆われていた。慣れていけるといいのだが。

 

何度も何度も試しては換えて、試しては戻して…の作業を、嫌な顔一つせずいつも穏やかに朗らかに編集してくれた堀さん、そしていつも明るくにこやかで礼儀正しく、「クレヨンしんちゃん」や「テルマエ・ロマエ」の靴下を履いていた助手の小野寺さん、本当に有難うございました!!

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

撮影現場で20年目の結婚記念日。愛をつぶやくも「すぐ削除しろ」と妻に怒鳴られる映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第25回

 

結婚20年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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4月1日(金)

撮影6日目。今日は主人公の家で撮影。底冷えする。私は極端に寒がりだ。だがスタッフの皆様は皆薄着。動いているからか?それじゃ私は動いていないみたいだが。

 

主人公の両親役の俳優さんは私の望み通りの方々で、私の演出力は皆無だが、面白い家族に見える。家族の雰囲気を出せるかどうかは、実は演出よりも脚本の時点でほぼ決まっているのではないかと感じる。活躍されている俳優さんは、ほぼどなたも演技力はおありだ。あとはその俳優さんにどれだけの脚本を提供できるかにかかっていると思う。どんなに素晴らしい俳優さんでも、つまらない脚本をとても面白いシーンに生まれ変わらせるのは不可能だ。つまり、今回の作品はとりあえず脚本の段階では面白いと私は自画自賛しているのだ。自己愛だけは深い。

 

4月2日(土)

撮影7日目。本日は終日学校の撮影。特に体育館の撮影は寒くて死にそうだったが、宿に戻ると飛騨市からラーメンの差し入れ。温まる。2杯ぺろりと食べてしまった。やばい。

 

4月3日(日)

撮影8日目。本日も終日学校での撮影。この日もとても寒かったが、昼に薬草ビレッジ構想推進プロジェクト「山水女」の皆さまから参鶏湯の差し入れをいただく。あまりに美味しくてがぶ飲みしてしまい、午後からの撮影で頻尿になる。

 

夕方、いったん帰京していた妻が再び飛騨に到着。歩きながら飲んでいたみそ汁のカップを廊下にポイ置きしていたら開口一番、「おい、ゴミ捨てんな!」と怒られた。捨てたわけではなく一時的に置いただけなのだが、現場で誰かに怒られるというのは久しぶりだ。

 

学校での撮影では地元のお子さんたちに何日もエキストラで協力していただいたのだが、みんな楽しそうに演じているどころか演技もとても上手で驚いた。出演者の子どもたちとも仲良くなって楽しそうにおしゃべりしていたから本当に良かった。もしかしたら恥ずかしがってしまうかも?と思っていたが完全に取り越し苦労だった。皆さま、本当にありがとうございました。

 

4月4日(月)

撮影9日目。本日も終日学校での撮影。この日も寒さに震える。

 

今日は飛騨市の都竹市長が陣中見舞いに来てくださり、その都竹市長と高校の同級生でもある「喜劇 愛妻物語」の代情プロデューサーも一緒に来てくださった。代情さんからは高級な飛騨牛ステーキ弁当の差し入れをいただいた。その弁当が2個余った為、仁義なきジャンケン争奪戦が繰り広げられた。私はもう49歳だが、この弁当ならもう1個は楽勝で行けるので若手に譲ることなく参戦したが、初戦敗退。悔しい。その悔しさを晴らすかのように岐阜新聞映画部の方からいただいた差し入れのお菓子を貪り食っていたら、急激な血糖値の上昇のせいか、麻酔銃に打たれたかのような睡魔に襲われ、午後の撮影が大変だった。

 

ちなみに、今日は20回目の結婚記念日だ。妻とは26年前に映画の撮影現場で出会ったのだが(私は助監督で大学生だった妻はお手伝いで来ていた。私の『使える助監督』の振りに妻がコロっとまいってしまったのが付き合いの始まりだ)、20回目の結婚記念日にもこうして一緒に撮影していることができてうれしくて、その旨をツイッターで呟いたら、私の呟きをつぶさに確認している妻から「お前、気持ち悪い呟き大至急削除しろ」とLINEが来たので削除した。

 

※妻より

つぶさに確認などしてるわけありません! たまたま見たらアホなことを呟いていたので。

 

 

4月5日(火)

撮影10日目。本日は電車のシーンの撮影だ。実際に電車を動かして撮影できるのは貴重だ。出演者はほとんど子どもたちだから撮影の終わる時間はマックスで20時と決まっている。テキパキと撮らねばならないのを本当にテキパキと撮ってどうにか19時くらいに終わる。

 

宿舎に帰って子どもたちと明日の撮影の打ち合わせを少しだけする。明日撮影するシーンがめちゃくちゃ泣けるシーンになるような気がして15分ほどだがリハーサルをさせてもらった。このリハも含め20時までに終わらなければならない。子どもたちは私の意図を瞬時に理解したようだった。みんな賢く、そしてかわいい。

 

その後、自分の宿にもどり(子どもたちとは別の宿なのだ)、気絶するように眠った。2日くらい前から宿に戻ってくるとほとんど気絶状態で、夜中の1時くらいにふと眼ざめ、風呂に入って、その日に撮るシーンの予習をするという日が続いている。宿の大浴場は24時間いつでも入れるので本当にありがたい。

 

4月6日(水)

今日も線路、電車の撮影。本日は電車を追いかけたり、並んで走ったりと今回の撮影でもっとも大変な撮影だ。カットもたくさんある。正直「これ、どうやって撮るのだろうか……?」と思っていたが、チーフ助監督の松倉君の準備と仕切り、そしてスタッフキャストの頑張りによってなんとか撮り切った。そして、昨夜15分だけリハーサルしたシーンは案の定、良いシーンになったと自画自賛しておく。いや子どもたちのおかげだ。ああ、早く見たい。

 

にしても今日の撮影はあまりにも大変で、正直後半はほとんど記憶にはない。とにかくひとつの山場は終わった。

 

4月7日(木)

撮影12日目。今日は朝が遅いので、少しゆっくり過ごした。昼は武正晴監督からの差し入れ飛騨牛朴葉焼き定食だった。暖かい食事が身に染みる。朴葉焼き、うまいなー。今回の撮影はある意味武正晴監督の差し入れ祭りのような状態になっており、昼飯だけであと2回ある。本当にありがたい。

 

昼食後、4時間の中空き。今回はふたりの19歳を筆頭に若いスタッフも多いのだが(各部署に大学生もしくはこの3月に大学を卒業したという人たちがいる)、彼らがこの撮影中に良い感じにカップルになっており、まるで修学旅行のように楽しんでいる(ように見える)。

 

自分が19歳のころのことを思うと、彼らの足元にも及ばないから修学旅行気分だろうがなんだろうが現場にいればそれでいいんじゃね? と思うが、直属の上司となるとやはりそうはいかないようで、何度か叱られている姿も目にした。叱ることは決してパワハラではないと思う(もちろん暴力は論外だが)。叱る姿も叱られる姿も私には眩しく見えた。それにしても、私のようにまったく叱らないというのもある種のパワハラかもしれない。あなたは冷たい人間だと妻から言われた。なぜ叱らないかを考えるとその通りだと思う。

 

そんな私も中空きに、妻にデートを申し込んだが秒で断られたのでマッサージに行った。撮影に猫を貸して下さった方がマッサージ店を営んでいらっしゃるので、お礼がてらに疲れた身体をほぐしていただきに行く。私がマッサージをされている間、出演してくれた猫のテンちゃんがずっと私の足元で寝ており大変癒された。マッサージもとても気持ち良かった!

 

その後、町をウロウロしていると、妻が女性スタッフと歩いているのを発見して、音をたてずに30センチ真後ろを歩いていたら、ふと振り返った妻がものすごい悲鳴をあげた。

 

中空き後、中華料理屋さんで撮影。ロケハンの時にいただいたのだが、かなり美味しいお店だ。こちらでの撮影は地元の強烈なエキストラさんのおかげで面白いシーンになり、笑ってカットがかけられなかった。よく撮影中に「奇跡が起きた」みたいな話を聞いたりするが、まさに今日は奇跡だったのではないか。きっと他の方の奇跡とは大きく意味合いが違うだろうが。

 

撮影後、消え物として作っていただいた中華料理の品々を若いスタッフたちが仕事そっちのけでたいらげている姿が美しく、頼もしいものだった。

 

妻が明日、帰京してしまうので寂しい。子ども担当の妻とは宿も別々なのだが、夜ごと地酒の一升瓶を持ち廊下をウロウロしていたという噂もある。

 

 

※妻より

夫は生き生きと楽しそうに撮影に臨んでおりました。ドカ雪やコロナなど問題てんこ盛りでしたが、無事撮影ができて良かったです

エキストラ出演してくれた大きなヒキガエルさんを連れて(夫から「絶対、絶対死なせないでね!」と願掛け扱いの無駄にプレッシャーあるミッション)、バカでかいスーツケースとバカでかいリュックで帰宅すると、最初はカエルに興奮していた息子が、数分で我に返り、力づくて私をトイレに押し込め、トイレの外には脚立、スーツケース、椅子などの要塞を作り、「トイレから一生出るな!」と泣き叫ぶこと3時間。

鳥取のおじいちゃんとおばあちゃんが居てくれましたが、新学期の緊張感が爆発したのかと思います。飛騨から自宅に戻って一瞬で現実に引き戻され、これもなかなかに大変でした。

そしてこの日から毎朝毎晩近所を徘徊しミミズとダンゴムシを捕獲しつつ、ネットで生きたコオロギを注文し、カエルさんたちにせっせと生餌を与えています。買ったコオロギも死なせないように一生懸命飼育しています。でも彼らの愛で方が、夫の愛で方同様にわかりません……。

 

4月9日(土)

撮休。のんびりする予定だったがそれどころではなかった。大きな出来事があり激しく動揺した。

 

4月10日(日)

臨時の撮休。いろいろと対策会議。

 

4月12日(火)

撮影14日目。またまた山場の撮影に緊張するが、どうにか無事に終わって良かった。数日前から毎晩撮影から戻ると、宿の方が温かい野菜スープやら、餃子やらを差し入れしてくれる。毎日寒い現場で冷たいお弁当なので(コロナ対策で蓋つき個食となる)、心から有難い。

 

4月13日(水)

撮影15日目。主人公ふたりのクライマックスシーン。長台詞だったし、感情が爆発するシーンだったので敢えてリハーサルをせずに臨んだが、ふたりは最高のお芝居を見せてくれた。飛騨に来てから役の人間として生きているのを目の当たりにしていたので、お芝居に関してはきっとうまくいくだろうと感じていたが、素晴らしかった。ふたりには直接言えなかったので、この場を借りてお礼を言いたい。ありがとうございます。

 

そんないい気分だったのだが、妻からのLINEで現実に引き戻される。4年生になった息子が絶賛行き渋り中とのこと。新しい学年になったときは毎度のことだが、やっぱりかぁ……と思うとやや気が重くなる。

 

4月14日(木)

撮影16日目。電車のトンネルの中や石だらけの線路を、スタッフが何往復も走る。サード助監督の小西君(25歳)は靴の底がすり減って、足への負担がハンパなかったのだろうが、先輩スタッフたちにむかって「いったいぜんたい僕が何往復したと思ってるんですか!」と言ったのには腹を抱えて笑った。初老に近い先輩たちは小西君以上に走っていたからだ。歩いているだけの私ですら腰と膝にきた。宿に戻ってまた温かい野菜スープをいただきながら、宿の若女将も我々のバカ話に付き合ってくださる。この若女将のお子さん(5歳の男の子)が宿内をチョロチョロ走り回っているのだが、その姿がとてもかわいくて癒される。

 

そして、若女将のなかなかに苦い人生の一端などもお聞かせいただいて、なんだか少し良い夜だったような気がする。写真は学生時代の同級生(だけど3つか4つ年上)の太田ちん。彼とは30歳前後のころに数年同居をしていたのだが、今回久しぶりに一緒に仕事をした。相変わらずの仕事ぶりに私は可笑しくて癒されたが、他のスタッフはどうだったかは知らない(笑)。

にしても宿のロビーは居心地が良く、毎夜ここで気絶してしまうスタッフもいる。東京の喧騒や家庭の悩みからも少し解放された気分になってしまう。間もなく飛騨の撮影も終わりを迎えるが、東京に帰りたくないなあ……とちょっとだけ思う。

 

4月16日(土)

撮影18日目。今日はまたまた山場の子どもの対決シーン。出演者も多いし、アクション部もいらっしゃるしで賑やかな現場に。対決シーンの最後がまさかこんな感じになるとは思わなった。撮影してみるまでわからないものだ。

 

夜、息子から電話。この1か月弱の飛騨生活の中で息子から電話がかかって来たのは初めてだ(妻には毎日何十回も電話していたらしいが)。母親に怒鳴り散らされた、死んだほうがマシだと言って泣きながらかけてきた。そんな内容でも向こうからかかってきたことはうれしかった。ちょっと東京に帰りたくなった。

 

それにしても、撮影をしていると毎度のことだが世の中の情勢がほとんどわからなくなる。ふと思い出したようにネットニュースなど見ると、ロシアが化学兵器を使ったかもだの、禁じ手などと出てくるが、戦争に禁じ手って……。戦争自体が禁じ手なのに、まるでイジメにもルールがあるみたいな感じで気持ち悪い。あとは映像業界ハラスメント大爆発のタイムラインをぼんやりと見つめたりもする……。

 

4月17日(日)

撮影19日目。飛騨は最終日。朝早くから支度して、またも線路・トンネルの撮影へ。子どもたちは元気に走るが、撮影にくたびれ果てたオッサン集団は、まぁまぁ死にそうになりながらデコボコの線路を今日も走りに走った。皆さんの足腰がマジに心配だ。

 

深夜の3時、眠い目をこすりながらマイクロバスで東京に向けて出発しなければならない。そして着いたらその足で撮影しなければならない。飛騨の余韻に浸っている暇はまったくなし……。

 

4月18日(月)

朝3時に飛騨出発。そのまま埼玉県の撮影現場へ。私は車酔いが激しいので酔い止めを年の数だけ流し込んで、鬼門の山越えのときはぐっすりと眠れていた。

 

6時にどっかのサービスエリアで朝食。9時に現場に到着。諸々準備して12時より撮影開始。主人公家族は本日クランクアップ。あっという間だった。

 

夜、約1か月振りに家に帰ると、いつもは寄って来ない娘と息子が寄って来てベラベラ話し始めた。うれしかった。でも30分ほどで漫画とスマホに戻っていった。

 

4月19日(火)

撮影21日目。朝7時集合、池袋シネマロサで撮影。多くのエキストラの方に来ていただき助かる。初めて息子と娘もエキストラで私の映画に参加した。ここはカッコいいところを見せねばといつもは2度ほどしかしないテストを4回くらいした。

 

10時にロサを完全撤収して、都内のスタジオへ。色々あったが、どうにかクランクアップ。

 

主人公の子ども7人には、飛騨市の名産の升と、造形の飯田さんが作ってくれてたオオサンショウウオのマグネットをプレゼントした。いつか一緒にお酒を飲めるとよいなと思う。その時は「あの映画がきっかけで僕はブレイクしました!」と言ってほしい……。

 

それにしても彼らは3月23日から飛騨入りして1か月近く親元を離れて本当によく頑張ってくれて、その姿に私も頑張らなければと励まされた。そして病気もケガもせずに乗り切ってくれた。感謝しかない。本当にすごい。ありがとうございました。

 

スタッフの方々も4日に一度の抗原検査をよく切り抜けてくださった。皆さんどんな手を使ったのだろうか。私は陰性の写真を様々な角度から撮ったものをプロデューサーに送って切り抜けた。というのはもちろん冗談だが、冗談抜きで毎回ロシアンルーレットをしているような気分だった。

 

あと、今回は何人かのスタッフから「いつも股間触ってますね」と指摘されてしまった。まったくその意識はないが、オーディションのときにも妻に指摘されていたから私は本当によく触っているのかもしれない。いずれセクハラ行為になる可能性があるとも指摘された。

 

股間が痒いとか違和感があるとかでもないのだが、癖なのかもしれない。息子もよく触っているし。女性スタッフもきっと気づいていたのだろうな……。それはまあいいとして(よくないけど)出演者の子どもたちに気づかれていなければいい。

 

4月20日(水)

疲れはまったく取れていないが朝、娘と息子を途中まで送る。しばらく家を空けたからふたりとも私を慕う。うれしい。

 

家に戻って次の仕事の資料を読もうとしたが、3ページほど読んで気絶。目覚めると息子が帰ってきたので、民間療育に連れて行く。クランクアップの翌日からまたこの日常が始まる。療育帰りにドン・キホーテによって、ホラー映画のマスクを買ってやる。

 

4月21日(木)

疲れはまったく取れないが妻と町中華でランチ。が、くれぐれもこれは打ち上げではなく、ただのランチだ! と何度も念を押す。そうでないと、町中華のランチが打ち上げになってしまう。私は打ち上げでは普段は行かないような値の張るお店に行って心行くまで贅を尽くしたいタイプだが、妻は私の真逆で、普段行かないところには一生行きたくないという考えだ。

 

しかし、この店は前菜の盛り合わせも、紫蘇とチーズと海老の春巻きも、小籠包も、黒酢豚も、何もかも美味しい。そしていつも通りそれだけでは足りず、濃厚担々麺を追加注文し、平らげてしまった……。撮影で3キロ太ったというのにまだまだ太りそうだ。

 

4月22日(金)

疲れはまったく取れないが午後から新しい仕事の打ち合わせに行く。資料も読めていないし頭がまったく追い付いていない。早く切り替えねば。

 

帰宅後、息子と「ドント・ブリーズ2」(監督:ロド・サヤゲス)を見る。

 

4月23日(土)

疲れはまったく取れないが久しぶりに妻と映画を見に行く。「チタン」(監督:ジュリア・デュクルノー)。撮影していたから1か月以上劇場で映画を観ていない。

 

映画は面白かった。疲労から寝てしまうかもしれないと思ったが、撮影明けにはぴったりの作品で、目をそむけたくなるシーンが多々あるが大変面白い映画だった。

 

久しぶりの映画に気持ちがあがったのでションベン横丁の「朝起」で、子宮とキンタマのポン酢和え、サメの心臓刺身、なんかの脳天とサーモンのユッケを食らい、最後はとなりの「岐阜屋」でラーメンと炒飯と餃子を食べ17時帰宅。夜、息子と「エルム街の悪夢」2010年度版を見る。

 

4月24日(日)

朝、坂井プロデューサーが編集機材をウチに持ってきて、編集助手さんと編集部屋を2階に作る。その後時間があまったので、坂井Pと一緒にカエル小屋の屋根を作る。

 

午後、顔合わせもかねて編集助手さんと坂井Pと妻と私で近所のイタリアンへ。編集助手さんは3月に東北芸術工科大学を卒業したばかりの女性だ。よく食べよく笑う素敵な女性……と書くのもセクハラかもしれないが、そういう第一印象だ。今回の作品には東北芸術工科大学の学生さんが、この編集助手の方も含めて3人いた。3年生の女性が撮影部の見習いに、中退予定の1年生男性が衣装部の見習いにいた。かつては石を投げれば日本映画学校の学生ばかりだったが、今は東北芸術工科大学が多いのだろうか。

 

カエルさん達、めちゃくちゃ元気でして、そして力も強くて、すぐ脱出を企てます。で、隙間に挟まって身動き取れなくなると切ない声でキューキュー鳴くので、ごめんねと言って檻に戻します。カエルがこんなに鳴くのは知りませんでした(BY妻)

 

4月25日(月)

疲れはまったく取れていないがロケハンやら撮影のために全然できなかった送迎ボランティアを2か月ぶりに。2年生になったXちゃんが「そろそろ来ると思ったよ」とはにかんでくれた。

 

Xちゃんを学校まで送り、家に戻ってくると息子がまだいる。月曜日は行き渋りが週の中でいちばん激しい。今日は無理かもしれないと思ったがどうにか遅刻すれすれの8時20分に家を出てくれた。朝の7時から30分だけ友達とフォートナイトをして気持ちを上げたのだが、こんなやり方だとどんどんゲーム漬けになっていく気がしなくもないのだが……。

 

その後、6月に撮影予定の映画のシナリオ会議。こちらは共同脚本なのだが、先日まで撮影していた自分は一緒に書いている方にほとんどお任せ状態だ。いない間に進んでいた改稿を読ませていただいたが面白くなっていた。

 

4月26日(火)

今日も疲れはまったく取れていないが(疲れからの復活の遅さに年を感じる)、日中はひたすら資料を読む。

 

夜は演出部打ち上げ。衣装メイク部さんも。皆さん、とても頑張ってくださったのでささやかながらのお礼。撮影が悪い思い出にはなっていないようなので良かった。良い作品を作ることは当たり前だが、参加してくれたスタッフが現場を楽しんでくれたかどうかは私にとっては良い作品を作ることと同じくらい大切だ。

 

羊と兎を食いまくって帰宅した夜中、佐々木史朗さんが亡くなったことを知る。佐々木史朗さんは、映画学校の先生以外では私が初めてお会いした映画業界の人だ。

 

地下鉄サリン事件の起きた数日後の1995年3月、私は日本映画学校を卒業してすぐ、恩師の武重邦夫さんに、その時はまだ赤坂見附にあったオフィス・シロウズに連れて行かれた。

 

佐々木史朗さんのお名前は当然、私のような小僧でも知っていたので、「佐々木史朗のもとで働けるのか!?」と内心喜んでいたがそうは甘くなく「君はどうしたいんだい?」とニコニコした笑顔で聞かれ「助監督がしたいです」と答えた。「誰につきたい?」と聞かれ、史朗さん(私は周囲の先輩のマネをして史朗さんと呼ばせていただいていたが、とても身近な方々には佐々木さんと呼ばれる人も多くいらした)とよく仕事をされていた大森一樹監督のファンだったので、「大森一樹さんです」と答えた。すると史朗さんはその場で大森監督に電話してくださった。

 

大森監督は新作のクランクインを3日後に控えていた。「3日前だとさすがに勉強にならないから、少し待ってろよ」と言われ、2週間後くらだったかまた電話をいただいた。「君は相米慎二という監督を知っているかね」と言われ、「はい」と答えた。「相米が若い奴を探しているから一度会ってみないか」と言われ、またオフィス・シロウズに行った。史朗さんと相米さんが囲碁をしていて、私は相米慎二監督のもとでとりあえずお世話になることになった。相米さんが映画を撮っていない時期で、次に撮る映画も決まっていなかった。

 

相米さんのもとに1年間ほどいて、自分は映画を作ることなど到底できない、と元々なかった自信を完全に失くした。その後、私はしばし映画業界を去った。

 

史朗さんともずいぶんお会いすることもなかったが、またこの世界で仕事をできるようになってくると、理事長をされていた日本映画大学の特別授業に呼んでくださったり、私のデビュー作の「14の夜」をご覧になった後、食事に連れて行ってくれて感想をいただいたり、「喜劇愛妻物語」の原作となった「乳房に蚊」を読んで「いや、笑った。切なさとおかしさ」と言ってくださったりして、とてもうれしかった。史朗さんの口からは「切なさ」と言う言葉をよく聞いた気がする。

 

そして去年、「監督してみないか? 読んでほしい原作があるんだよ」と電話をいただいたとき、私は「ああ、俺ももしかしたらこの世界で少しはいっちょ前になれたのかもしれない」とウソ偽りなく、この業界に入って初めてそう思った。残念ながらその原作は権利を押さえることができなかったが、私は史朗さんに認めてもらえたと思った。以前、ちょっとした思い出話をしている時に、「若者を相米に売り払うなんてそんなひどいこと俺はしないよ」とニコニコとおっしゃっていたが、売り払ってよかったかもなと思ってもらえたのかもしれない。認めてもらいた人だったのだ。

 

先日まで撮影していた映画の台本も読んでいただいていた。完成品を見てほしかった。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

4月27日(水)

息子、今日はとうとう遅刻。朝のゲーム後に癇癪が出てしまい、ついつい私も「じゃあお前はもうなにもしなくていい!学校に行くな!」と言ってしまった。ゲームを30分したら文句を言わずに学校に行くという約束をしていたからだ。

 

しかし、私の吐いたようなセリフは絶対に言ってはいけないと療育のペアレントトレーニングなどでも何度も言われているのに、なんと私は未熟なのだろうか。約束を反故にされ、癇癪を目の当たりしてしまうと、ついついこんな言葉が口から出てきてしまう。

 

妻は仕事で出ねばならず、私と息子の気まずい時間だけが過ぎて行ったが、私も頭を冷やすために、2階へ行き息子と距離をとった。

 

9時半くらいに下に降りて行くと、息子は漢字の練習帳のような本を読んでいた。もしかしたら「学校に行かなきゃ」と思っているのかもしれないと思い、「行こうぜ」と言うと「……わかったよ」と答えたので学校まで送って行く。

 

教室に行くと、担任の先生が出てきてくれた。4月から新しく赴任してこられた年配の男性の先生だ。先日まで撮影していたためにまだ新しい先生とは息子のことを話せていないのだが、息子は新しい先生のことは好きだ。まず、まったく怒らないらしい。そして金曜日は宿題を出さない。ランドセルを軽くする為に積極的に置き勉させてくれる。なので息子のランドセルは1、2、3年生のころと違ってとても軽い。ほぼ何も入っていない。今までは体を壊すのではと心配になるくらい重かった。

 

新しい先生はある程度引き継ぎもできているのか「4年生になってどうですか? 忘れ物や遅刻はどんどんしてください。大丈夫ですから」と言ってくださり、気持ちがとても楽になる。春休みの習字の提出物などもでてきていなくても「絶賛準備中!」などと書いて廊下に貼ってくれていたりする。息子にとっては先生に恵まれた4年生の生活を送れるのではないかと思った。

 

とりあえず近日中に面談する約束をする。1年生の時に同じような年配の女性の先生から宿題や忘れ物、漢字の書き取りのことでこっぴどくやられて、不登校になった時期もあったので、正直、年配の先生方は発達障害にも詳しくなく、息子のような子は、単に「しつけのできていない甘やかされた子」にしか見えないかもという偏見があったのだが、私も見方を変えねばならない。

 

昼にほぼ新品のビデオデッキが届く。『通販生活』という雑誌の非断捨離特集でVHSテープを片手に無駄口をたたき、ビデオデッキも壊れそうだと語ったところ、読者の方から新品同様のデッキを譲っていただけたのだ。断捨離派の妻は顔をしかめたがありがたく頂戴した。大切に使わせていただきます。

 

4月28日(木)

久しぶりに妻と国会図書館へ行き、朝一番から資料を漁りまくる。が、案の定そうなると思ったが、ここへ来ると目的とは関係のない資料ばかり漁りだし、倉吉北高校野球部の歴戦の戦いを延々と調べていた。12時過ぎ「ランチは半蔵門のイタリアンにする?」と妻に聞きに行くも(エリオという美味しいお店があるのだ)、「資料集め、半分も終わってない!」とのことですぐに却下された。仕方がないので国会図書館のカフェに赴く(食堂は休みだった)。釧路名物のスパカツが推されていたのでそれを注文。熱い鉄皿の上で、カツレツとミートソースが絶妙なコラボ。なぜゆえ釧路名物なのか知らないが、とても美味しかった。

 

満腹になった私は新聞部屋へ戻り、いつのまにか気絶。16時過ぎ、鬼の形相の妻に起こされる。とりあえずの目的の資料のプリントアウトが終わったのでダッシュで帰宅し、妻は息子を習い事に連れて行き、その間に私が夕飯の支度をして、お迎えは私が行く。本来は迎えも妻に行ってほしいところだが、妻はその間にジム。ジムから戻るなり缶ビールを2本は立て続けにあけるから、ジムは何の意味もない。というか、ジムに行かなければそのビールはないから、ジムに行っているほうが太る。それを指摘すると激怒するのだがあまりに意味がない……。

 

4月29日(金・昭和の日)

日中、資料を読み漁る。

 

夕方、息子の友達が4人泊りに来る。足の踏み場がない。良き父親をアピールすべく、小雨の中、乗り気でない子どもたちを無理やり銭湯に連れて行ったら休みだった。

 

夜、シナリオ講座の講師をしていた時の生徒さんと若手のライターさん3人が飲みに来る。昨今のパワハラ・セクハラ話で盛り上がる。ただ、自分も彼らに手伝ってもらったりした仕事や紹介した仕事で、まっとうな対価を払えているのか、貰えているのかを思うと大ブーメランな部分もある。

 

彼らのひとりと書いた数年前のプロットが未払いだったので、思い出したようにプロデューサーに連絡をとり、挙句電話で非常に後味の悪い話をしてしまう。

 

この件、私に非はないのだが、明らかに非がある相手と話す時のパワーバランスを自分で感じながら話している自分自身の態度がものすごく嫌だった。

 

私はそういう醜い部分のある人間なのだとわかってはいるが、自分の嫌いな部分なので直したい。が、プロットで止まってしまった時のギャランティというのは先輩脚本家の方々もさんざん辛酸をなめてきた大きな問題だ。プロットというのは書くのに非常に苦労する(色んな人に理解できるように分かりやすく書かねばならない)。できればプロットとシナリオでギャラはわけてほしいというのが私の希望だが、プロット料の相場というのがないし、プロットは商品ではないので、あやふやになってしまっている。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

 

 

ついにクランク・イン! 撮影準備に奔走し、映画業界の未来を憂う映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第24回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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3月2日(水)

2年間講師をした高校の最後の授業。この街での毎週のランチ納めが少々寂しい。今日ばかりは最後だからとなんとか妻を言いくるめて安いランチではなく、ちょっと値の張る店にした。

 

店は大変高級感あふれるのに、給仕されている方は皆フレンドリーで気さくな感じだった。妻が普段は絶対頼まない値段のグラスワインを頼むと(それでも2番目に安いやつ)、ワインに向かって「飲んでもらってよかったねー。このワインちゃん「本気のブルゴーニュ」って仇名なんですよ」と話してくれる。妻がテンションあがって「わー!スゴイ!『サイドウェイ』みたい!」と呟いたら「あの映画面白かったですよねー」なんて話が弾む。妻がチビチビケチケチそのワインを飲んでいたら「サービスです」となみなみお代わりを入れてくれた。

 

こんなに美味しいそうにワインを飲んでくれる人はあまりいませんからとおっしゃっていたが、あまりに妻がチビチビ飲んでいるのを見かねたのだと思う。妻はなんの遠慮もなく、「きゃーありがとうございますー!いただきまーす!」と言って今度はゴクゴク飲んでいた。

 

その後、ちょっとばかり赤い顔をして最後の授業。みんなに書いて貰ったシナリオの合評会。去年もそうだったが、合評会の日は出席者が少ない。去年も受講してくれた生徒に聞くと「みんなの前で読まれたくないし、みんなからの感想も恥ずかしいんです」と。私もいまだに作品を誰かに読んでもらう時は緊張する。

 

60分位の中編のシナリオの予定だったが、1時間半くらいの作品を書いてくれた子も数名おり、かなり読み応えのあるシナリオ文集が出来上がった。

 

授業が終わると、「楽しかったです」とか「就職先のレストランに食べに来てください」と言われ、お手紙なんかももらったりして、ちょっと鼻の奥がツンとした。

 

そんな気分も名残惜しく、そのまま夕方から打ち合わせ。その後「稽古場」をレイトショーで上映中の池袋シネマロサに向かう。

 

3月3日(木)

朝から今月クランクインの映画のスタッフと我が家で打ち合わせ。コロナやドカ雪などで予算が膨らんだり、スケジュールがはまらなかったり、いろいろな問題についてスタッフと喧々諤々。お金で解決するしかないのだが、お金はない。

 

3月4日(金)

池袋シネマロサにて「稽古場」の千秋楽。たくさん人お客さんが入っていてうれしかったが、マンボウ期間中でレイトだと上映後にお店も空いてなく、軽くいっぱいだけの打ち上げもできず残念。

 

3月5日(土)

息子が図工の時間に「悪魔のいけにえ」のチェーンソーを作ってきて、それをもっと完璧にしたいとのことで、近所の工具店に行き、ノコギリとトンカチと釘を購入。私はこうした作業が死ぬほど苦手だが、息子も得意ではない。

 

それでも息子なり、ここにこれをつけたいとか、ここをこうしたいとかあるようで、時にイライラしながらも不器用な親子でなんとかチェーンソーを完成させた。

 

至るところに釘が出まくっていて本当に危険なチェーンソー。息子はこれをもって公園に行くと言い出しました。絶対本人、もしくは他人が血だらけになると思い、必死で説得。すると次はのこぎりを公園に持って行ってツリーハウスを作りたいと言い出し、ギャン泣き。「枝を沢山集めてきて、家でのこぎりを使おうよ! 家に基地を作るのはどう?」とどうにか説得するも、すぐに興味が別のことにうつり、その後一切のこぎりは使いませんでした…なんだったんだ、あのギャン泣き時間……(BY妻)

 

3月7日(月)

衣装・メイク打ち合わせ。

 

3月9日(水)

飛騨にロケハン。雪もずいぶん溶けてきてくれて少しホッとした。今回は3月〜6月までの話だから、雪があるのは冒頭をのぞいてはやはり苦しい。地元の役場の方々も雪かきをしてくださっている。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

今年は例年より雪が多いらしく、コロナにくわえて雪という敵は予期せぬものだった。予算も人員もそれに割かねばならなくなってくる。映画界も来年から働き方改革が始まる。すると、私のフィールドである小規模の作品はほぼ作られなくなってしまうかもしれない。完全なる自主制作で作るしかないか。

 

改革は良いことだが、居場所を失うかもというよく分からない状況になりそうなのは私の思考停止が招いたことなのか、それとも違う要因があるのかは分からない。

 

ただ、綺麗事を言うようだが、私が日本映画界に入ろうとした時、ほとんどの業界の先輩が「やめとけ」と言ったが、そうは言わなくてもすむような業界にはなってほしい。

 

そんな時に、とある監督の性行為強要問題で、俄に映画業界がざわめき立ちはじめた。性行為の強要って=レイプにはならないのだろうか。レイプだとしたら一発アウトどころか、まず逮捕されるべきだろう。

 

しかし、これは人間性の問題以外に、今、乱立しているワークショップの場というのも大いに問題があるのではないだろうか。そこは演技を学ぶ場というよりは、嫌なパワーバランスの単なる出会い系サイトのような場にもなっている気がする。そこのことに関してはまたいつか書きたい。

 

3月11日(金)

都内、関東近郊のロケハン。エキストラの打ち合わせなど。

 

3月12日(土)

子どもたちのクランクイン最後のリハーサルとカメラテスト。とにかく出てくれる子たちが、この映画に出て良かったなとは思う映画に最低でもしたい。

 

帰りの電車の中で、映画のことを考えていて駅を乗り過ごした。俺にもまだこういう部分があったのだなあと少しうれしくなった。いつもはスマホで何やら見ていて乗り過ごしたりして、その時はとても落ち込むからだ。

 

3月13日(日)

朝から大人を含めた主人公家族のリハーサル。初リハーサルのお父さん、お母さん、妹も、期待以上の家族的雰囲気を醸し出していてうれしかった。お父さんの愛情はあるのに他人事感、お母さんのキーキー感、妹の小生意気感、が良い相乗効果を醸し出していた。

 

3月14日(月)

昼から美打ち。飛騨市にいる制作部や観光課の方もリモートで参加。便利な世の中になったなーと思う。

 

3月16日(水)

朝から自宅での作業。息子が先日から「なんか足が痛いかなー」などと言っていたので、念のため整形外科に連れて行きレントゲンを撮る。まぁまぁの腫れと内出血があったので先生は驚いていたが、息子は痛みに強い? 鈍い? のであまり痛いと言わない。

 

発達障害の特性に「感覚鈍麻」というものがあり、痛みをあまり感じないから骨折していても気づかないというようなこともあるらしい。

 

息子は以前も花火をしていて足に火傷をおったのだが、その時も平気な顔をしているので応急処置をして病院に連れて行かなかったら、翌日に大変な爛れ方になり慌てたこともある。

 

私がこの「感覚鈍麻」で怖いのは、他人から激しい暴力を加えられる可能性が高くなるのではないか、もしくは他人に激しい暴力を加えてしまう可能性が高くはならないかということだ。痛みに鈍いとそういう可能性が高くなってしまいそうで、とても心配していることの一つだ。そうならなければいいなと思うしかないのだが。

 

3月17日(木)

終日衣装合わせ。はじめましての俳優の方々に少々緊張する。衣装合わせの場というのは役の説明や擦り合わせをする場でもあるのだが、上手く話せない。つくづくコミュニケーションが苦手だ。

 

3月18日(金)

衣装合わせ2日目。今日はずっとリハーサルをしていた子どもたちが多い日なので少しリラックスできた。

 

3月19日(土)

朝から飛騨へ。雪が大分解けてきていて安心した。あと、もう少し溶けて欲しい。

 

3月20日(日)

朝から一日飛騨市内のロケハン。へとへとに疲れ果てて帰宅したら、息子の友達3人が泊まっていた。足の踏み場はなかったが、4人の小僧たちがひっついて寝ている姿はめちゃくちゃ可愛かった。風呂に入ってすぐ爆睡。

 

3月21日(月・春分の日)

衣装合わせ3日目。その後、横浜方面にロケハン。

 

3月22日(火)

カメラテストのラッシュを見に、東映デジタルセンターへ。監督作「14の夜」「喜劇 愛妻物語」に続き、今回も猪本雅三カメラマンにお願いします。猪本さんのカメラは人物が生き生き撮れていてとても好きです。今回もよろしくお願い致します。

 

3月23日(水)

飛騨へ出発の日。本日一緒に飛騨入りする妻と、ずっと通っている近所の神社へ撮影の安全祈願をしに向かう。

 

出発まで2時間あったので、近所の回転寿司へ。私も妻もまぁまぁ気分は高ぶって緊張している。珍しく言葉数の少ない食事だった。妻はガンガン酒を飲んでいたが。

 

14時半に新宿を出発し、飛騨へ。私はスタッフ車で、妻は子ども5人とでかい車に乗車。お母様やお父様たちが見送りに来てくださっている。大切なお子さんを3週間も預かるのだから、とにかく怪我と病気にだけは気をつけねばならない。

 

3月24日(木)

朝から飛騨のロケ地で子供たちと終日リハーサル。

 

3月25日(金)

子どもたちを連れてロケ地を回る。夕方、ロケ場所でもあるお堂で、キャストスタッフと撮影の安全祈願。ここにはボケを封じる長寿の神様があるのだが、ついでにボケのほうも祈る。

 

ボケ封じの仏像。耳たぶ、バカでかかったです。ご利益あるかしら。一貫性のない仏像?銅像?彫刻?などが乱立していて面白いお堂でした。どうかどうか、最後まで事故・怪我なく撮影が終わりますように!!!!(BY 妻)

 

夕方オールスタッフをして明日からクランクイン。宿の部屋が学生時代に住んでいたような雰囲気でなごむ。

 

3月26日(土)

本日よりクランクイン。

 

撮影日誌など書きたいが多分無理だろう。とにかく撮影が事故なくうまく進み、面白い映画ができることを祈るのみ。どうかうまく行きますように。

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

 

 

妻の断捨離に怒り、心療内科ではしゃぎ、サウナで心のヘドロを洗い流す映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第23回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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2月2日(水)

「通販生活」という雑誌で「反断捨離」生活に関してのインタビューを受けた。どこから嗅ぎつけていただいたのか知らないが、私がVHSや幼少時の絵本や小学生のころの連絡帳やらを捨てられないという情報を得た編集部の方から取材依頼をいただいたのだ。ウチのボロ家まで来て、ガラクタたちと写真を撮ったりした。

 

断捨離ブーム(ブームはとっくに終わって定着?)には迷惑をこうむっている。ただでさえ物をどんどん捨てる妻は、断捨離ブームに乗っかって私の服から靴から本、台本、眼鏡、パンツや靴下、猫にいたるまで許可なくがんがん捨てる。一度私のはく靴がなくなり、足のサイズが同じなので新しいものを買ってもらうまでの1か月ほど、妻の靴をはいていた時期があるくらいだ。有無を言わせず何でも洗濯してしまう「せんたくかあちゃん」という絵本があったが、妻の場合は「断捨離かあちゃん」だ。

 

捨てる理由は「だって邪魔だから」という信じられぬものだ。え、猫も!? まあ、猫の場合は勝手に人にあげていたのだが、私は三日三晩泣き明かした。

 

取材ではアンチ断捨離を語りまくってやろうと思ったが、五木寛之のようにそれに対するちゃんとした思想もないので、ただの妻の悪口になってしまった。

 

ちなみに私がVHSを捨てられないのは、中学生のころにどうしても見たかった「わらの犬」(監督:サム・ペキンパー)を、中学生にしては高額な1万5000円ほどの大金を出して通信販売で買った記憶が忘れられないからだ。当時VHSは高価だったのだ。

 

「激しい暴力描写……」という謳い文句に中学生の私はいったいどんな暴力映像が見られるのだろうかと現金書留の封筒を送って2週間、首を長くして待った(そのころはやたらと暴力が売りの映画を見たい願望が強かった)。ようやく届いて見た「わらの犬」は正直よく分からなかったが、あのときの商品が届くまでのワクワク感、再生するときのドキドキ感、見終わったあとの、理解できなかったけど面白かったと思おうと自分に嘘をついた小さな背徳感、そんな感覚を身体が覚えていてどうしてもVHSを捨てられなくなっている。

 

ほかの捨てられぬ品々もだいたい思い出がらみだ。だが、私が断捨離をしないもっとも大きな理由は、断捨離をしている妻を見ていて、どういう効果があるのかまったく分からないところだ。妻はいくら断捨離しても、イライラや怒りの沸点の低さなど何も変わっていないし(むしろ怒りながら捨てているから身体に悪い気もする)、部屋はすぐに散らかりまくる。「断捨離、意味ないじゃん!」などと言おうものなら、お決まりの最高につまらない、脚本家が寒すぎて絶対に書かないセリフが返ってくる。「お前を断捨離するぞ」と。

 

※妻の一言

確かに何でも捨てます。否定しませんが、猫に関しては第一子の産後直後の髪の毛逆立ちまくりの大変な時期に、旦那が生後間もない猫を二匹拾ってきたので、自分の子どもと猫たちに四六時中ミルクをあげて、寝不足で死にかけていたところ、二匹の避妊手術をしてくれた近所の優しい獣医さんに「里親募集」の貼り紙を頼んだら、素敵なお嬢さんに二匹を引き取ってもらったのです(その人は今でも二匹の写真を送ってくれます)。捨てたわけじゃない!

 

2月3日(木)

朝から来月撮影予定の映画のロケハンで都内近郊を回る。昼過ぎには終わったので、うまいラーメンを食って、昼からビールを飲んでしまう。帰宅し、妻が作っていた極太恵方巻を、恵方角を向いて無言で食した(心の中ではありとあらゆる望みを伝えた)。

 

2月4日(金)

自宅にて「週刊大衆」さんに取材していただき「したいとか、したくないとかの話じゃない」について話した。大ベテランのカメラマンの方が、非常にユニークな方で、どんどん話に入っておいでになり、話下手な自分は大変助かった。

 

夜、オンラインにて娘の塾の三者面談。私も妻も参加したから四者面談になって、塾の先生が苦笑いされていた。

 

娘が塾の先生からの質問に何も答えられないことにイラつく。先生が「志望校を目指すためにも家での勉強時間をもう少しだけ増やしてみよう。せめて90分はしよう」というも、娘は小声で即「絶対無理」などと言う。

 

何かというと即「それ、無理」と言うのは、今どきの子どもにも大人にも感じる。もちろん自分自身も含めだ。「無理!」と言えるのは素晴らしいことでもあるのだが、無理のハードルがすごーく下がってしまっているような気もする。

 

とりあえず自分のことは棚に上げ、「少しでも頑張ってみよう!」という姿勢を見せない娘にがっかりする。親の欲目で見て、もしかしたら内心では「頑張ろう」と思っていても、気恥ずかしくて表には出せない性格なのかもしれない…とも考えたが、塾の先生がこれだけ全力で応援しているのに、即「無理」といとも簡単にのたまえるメンタルに驚いてしまう。

 

オンライン面談後、イライラして親子ゲンカが勃発しそうになったので、目をそらすためにすぐに娘の部屋から出て、「メア・オブ・イーストタウン」(監督・クレイグ・ゾベル)を見る。めちゃくちゃ面白い。ケイト・ウィンスレット主演&製作総指揮。ストーリーとは関係ないが、もはや定型の人だけをドラマの登場人物とするのは無理があるとも感じる。世の中にはいろんなタイプの人がいるのが当然で、このドラマはその当然のことを当然としてやっている。

 

2月5日(土)

昼から夕方まで、来月撮影の映画のリハーサル。途中、私小説家の西村賢太さんが亡くなったことを知る。新作が出れば読んでいた作家は西村賢太さんくらいだったので、ショックというのか一瞬動揺してしまった。

 

西村さんの書かれる「秋恵もの」と言われるシリーズが大好きで、いつか映画にするのが夢だ。だが、きっと私とは無関係なところで映像化されるだろう。自分からやってみたい! と営業してきた原作ではほぼ企画が通らず、競合になると負けてきた。もし西村さんの秋恵ものが映像化されたら、見にいった私は「何でこんなふうにしちゃうかなぁ……」と文句を言っている姿がものすごく目に浮かぶ。でもその作品の評価は高い。そのことも気にくわなくグジグジグジグジとずっと文句を言っているだろう。

 

2月9日(水)

午前中、映画を見てから高校の授業に向かう。授業も残すところあと3回だ。今日も生徒ひとりひとりと話す。

 

この高校は、普通の都立高校(単位制)ではあるのだが、小中学校時代に不登校だった子や、今の社会には少し馴染みづらい子が多く通っている(あくまで今の形の社会に馴染めないだけ)。そんな子たちを積極的に受け入れる学校にしようという立ち上げに、妻の高校時代のバスケ部顧問が関わってらっしゃって、話のネタに妻と学校を取材させていただいたときに、「どうせなら講師をやってみませんか?」とお誘いを受けたのが、講師をすることになった始まりだ。

 

正直お誘いを受けたときは「えー、それは面倒クサいな……」と思った。シナリオ学校の講師ですら、ロクな授業ができないし、普通の高校ともなれば授業のために用意せねばならないものや授業計画表みたいなものの作成とかあるような気がしたから「面倒くさい」と思ったのだ。そういう準備が私はとてつもなく苦手で、激しいストレスを感じてしまう。「レジュメ」なんて単語聞いただけで、その場から逃げ出したくなる。だが、妻が「話のネタにやれ」と言うので、私ができない所をあなたが怒らずに(怒らずにが大事)全部引き受けてくれるならということで、妻が「そうしてやるよ」と言うからやり始めたのだ。(妻はその言葉を2回目くらいで覆し、私の一般常識のなさを激しく糾弾し、正直かなり疲弊している)。

 

そういう学校であるからして、私にはこの学校の生徒たちはいわゆる「普通の学校」の生徒たちよりも、大人のウソや欺瞞を見抜く力に長けているのではないかという先入観があった。不登校だったり、社会には馴染めず生きづらさを感じている子たちは、散々ぱら口当たりの良い言葉を大人たちから浴びて来たのではないかという印象もあるからだ。

 

なので、話していてもどこかでこちらのことを見透かされているような気がした。生徒との話がちょっとでも弾まないと、「あ、この子はあまり話したくないんだな」と私は判断してしまう。

 

私自身が小中高時代、先生と話している時間は気を使うし、どうせ互いに本心など話さないのだから早く解放してほしいとだけ思っていた。その経験に当てはめて、この子もさっさと話を終えて解放してほしいのだろうなと思い、そうしようとする。だが、妻は話を延ばす。しかもひどくつまらなくて無駄なことを言って延ばしているように私には感じる。「生徒もそれを見抜いているぞ、分からないのか! 空気読めよ!」と妻にイライラすることがあるのだが、終わってみると生徒は「話せてよかったです。もっと話したかったです」と言うこともあり、今さらながらに人はひとりひとり違うのだから、自分のちっぽけな経験だけにあてはめられるわけがないのだと、自分の浅はかさに気づく。

 

せっかく気づいて、謙虚に自分自身を見つめ直しているのに、妻から「生徒はあんたじゃないから」などと指摘されるのでムッとして、授業中、生徒の執筆タイムなどに、前のほうでこそこそ(でもなく普通にか)ケンカになってしまうこともある。教師という職業は、限られた数年しか子どもを見られないから、その間に多くの絶望と数少ない希望とにもみくちゃにされてしまうタフな職業なのだろうなあと感じる。

 

2月11日(金・建国記念日)

息子と中野のブロードウェイにフィギュアを買いに行く。娘もまんだらけに行きたいとついてくる。昼飯にパスタ店に入って、娘が息子のパスタを一口よこせだのなんだの言って、一口以上食べたとか食べないとかで姉弟ゲンカをしていた。うるせえなと思った。

 

その後に、息子はジェイソンかレザーフェイスのフィギュアを探すが見つからない。完全に執着が始まっているのだ。メルカリでは待てずに今日来たのだが、ない物はない。

 

数時間ウロウロしたあげく、ブギーマンを見つけてようやく大はしゃぎで買った。ホラー映画ばかり見ている息子は今、ホラーのキャラクターの人形がほしくしょうがないのだ。

 

↑息子のお宝たち

 

我が家の風呂は毎晩クリスタル・レイク。ブギーマンとジェイソンが夜な夜な死闘を繰り広げます(by 妻)

 

2月12日(土)

土曜登校で学校に行っていた息子がやったー!!学級閉鎖になったよー!!」とバカでかい声で帰宅クラスに欠席者4人のため今日から火曜まで休みだそうで、家から出ちゃダメ!と言われたとのこと。家で仕事が全然できなくなると思うと、軽くめまい……。

 

2月14日(月)

学級閉鎖で家にいる息子とずっと映画を見ながら、仕事。妻が家にいると息子の妻執着がはじまり、常に妻が隣にいないと癇癪が出てしまうので、こういうときは妻はさっさと家を出る。

 

「悪魔のいけにえ2」と「13日の金曜日」と「ドント・ブリーズ」を見た。いっときホラー映画ばかり見ていると殺人鬼だかサイコパスだかになるとされる風潮があったような気がするし、今もあるのか知らないが、そういう人はほぼ生まれつきなのではないかと思う。もうどん底に不幸だ。

 

私は生まれつきだと思うが、後天的なこともあると考える妻は、息子にホラー映画を見せることをよしとしない。すごいエログロの描写を見たとき(馬が縦に割れるとか)脳内から変な麻薬のような興奮物質が分泌され、それの快楽がハンパなく、結果依存に至るというのだ。それもホントかよと思うが、とにかく今、息子はホラーしか見ないのだからしょうがない(あとはたまに冒険ものやアクションもの)。

 

それに私が息子の相手をして、妻はどこかに出かけるのだから、エロ動画を見せるわけじゃなし別にいいじゃねえかと軽くケンカモードになってしまう。

 

「悪魔のいけにえ2」はもう何度も見ているが「13日の金曜日」も改めて見ると怖かった(ジェイソンのお母さんがめっちゃ怖いし、映像も生々しい)。小学生のころに見て、最後まで生き残るおねえさんに恋をしたのだが、今見てもやっぱりとてもかわいい俳優さんだった。ウィキペディアによると、エイドリアン・キングという名の俳優さんで、映画公開後にストーカーに狙われて、俳優業をやめてしまったらしい。

 

息子はずっと私の膝に座って見ていたが(もう小3なのでなかなか重い……)心拍数が半端なく、あのラスト付近の湖からジェイソンでどんな反応がくるかのと期待していたら、案の定飛び上がった。その反応がめちゃくちゃうれしい。人を笑わせるのと同じくらい、怖がらせるのもクセになるのだろうな、きっと。

 

夜、娘が学校支給のタブレットを自部屋に持ち込んでずーっと何かしている。「何してるんだ?」と聞くと「学校の課題。いちいち聞いてこないでよ、うるさいな」と不貞腐れて答えるので、ムカつく。

 

娘は普段、家では一切タブレット学習などやらないのに、定期テスト1週間前のスマホ禁止期間に限って、必ずタブレット学習をする。絶対に勉強なんかしているとは思えない。私自身が一切勉強しなかったので、こういうときに子どものことが信じられないのだが、証拠がつかめないのでイライラする。なんとか尻尾をつかみたいのだが、機械に弱い私は履歴の見方も分からない。

 

息子の部屋で寝落ちしていた妻の横に行き(息子の部屋は私たち夫婦と息子の寝室)、「娘が怪しい。絶対に怪しい」とぶつぶつ言いまくっていたら、「お前うるさい! この過干渉野郎! すっこんでろ!」とものすごい勢いで怒られた。妻は睡眠を邪魔されるとものすごく不機嫌になるのだが、過干渉の度合いが分からない。

 

妻の暴言に横でマンガを読んでいた息子がケタケタと笑いだす。夫婦ゲンカが始まるといつも息子はケタケタ笑う。笑ってやり過ごすしかないと思っているのだが、いくら寝入りを邪魔されたと言ってもそんな息子のことはお構いなしで妻が怒るものだから、いろいろ溜まっていた私もカーッ!となり、意地でも出て行くかモードにめでたく突入。怒っている妻の声に負けじと、横に寝そべってそれまで以上に大声でベラベラまくしたてると、妻が「お前、今すぐこの家から出て行け!! お前は家族全員に嫌われてんだよ!!!!!!!!」とブチギレて私を布団から追い出そうとした。

 

そのとき、偶然にも裏拳的に妻の手首が私の高い鼻をとらえた。それがかなり効いたのと、私もいろんな不満を抱えているため、もれなく爆発し、妻の枕元にあった週刊文春を壁に投げつけた。痛む鼻を片手でかばいながら7回くらい叩きつけた。以前、妻が私と子どもたち3人に同時でキレたとき、何枚もの皿を叩きつけて割ったことがあり、なぜかそれを思い出して、私はその復讐もかねて週刊文春を壁に投げつけてしまったのだ。普段、激高することのない私の豹変ぶりに、息子は一瞬キョトンとしていたが、目をつぶり、耳を抑えて泣きだしてしまった。

 

「あ、やってしまった……」と思ったときは手遅れだ。妻は心底私を軽蔑したような目つきで見ると「この面前DV野郎が。どんだけ子どもを傷つけたら気が済むんだよ、死ねよ」と吐き捨てた。

 

その言葉にしたって面前DVだろうし、そういう意味では今まで通算するとどっちがDV野郎だとは思うのだが私はこれ以上の抵抗は試みず、黙って部屋を出た。

 

もしかしたらこれが更年期障害というやつなのだろうか。怒りのコントロールができずに、悪霊が憑依したようなエクソシスト状態になってしまったのだ。

 

そんな自分に激しく自己嫌悪しながらも、被害者意識のぬぐい切れない私は、(以前どこかで被害者意識の使い方が日本ではネガティブな方向になっているとどなたかが書かれていたがまったく私もそう思う。今日の私の場合は悪い方の被害者意識かもしれないが)

 

「俺が悪いのか……? これは俺だけのせいなのか……! 確かに週刊文春は投げたが。鼻に裏拳入れたお前とどっちがDV野郎だ!?」と心の中で叫んでいた。

 

でも、誰も私の心の叫びは聞いてくれないし、誰にも届かない。孤独に打ちひしがれて、ひとり泣きながら寝る。鼻血は出なかったが、まったくもって血のバレンタインだ。

 

2月16日(水)

妻と高校教師。その前にいつもふたりでランチをするので、一昨日の血のバレンタインからの険悪な雰囲気でランチは嫌だなと思いつつも、早く仲直りはしたいので何事もなかったかのように「今日は授業とランチの前に、午前中に映画でも見に行かない?」と誘うと一刀両断のもとに断られ、「でも、ランチは行ってやる。お前とは行きたくないけど、どうせひとりで行くだろうし、お前だけうまいものを食ってるとハラワタが煮えくり返るから」と言った。

 

そこまで私のせいにして、うまいものを食いたいのかと思ったが、それは言わなかった。

 

私はひとりで「三度目の、正直」(監督:野原位)を見に行く。俺たち男ってこんなにバカなのか!? こんなふうに描かれなきゃダメなのか! と思ったが、一昨日の言動を思うとダメなのかもしれない。

 

その後に妻が先に入っていた店に行く。ランチ中、妻は一言も口を聞かなかった。それでも食うのだからすごいというかなんというか……。

 

店を出たあとに一言だけ、「お前を心療内科に連れて行く」とだけ言った。自分はしょっちゅう激高しているくせに、なぜに私が一度だけそうなっただけで、連れて行かれねばならないのか!と思ったが、どうせならそこで妻への不満もぶちまけてやろうと密かに思い、「分かった」とだけ答えた。

 

2月18日(金)

9時半から妻とメンタルクリニックへ。1時間待ち、30分先生と夫婦問診。

 

まずは妻が「この人、先日、夜中に本を壁に10分間投げ続けるという今までに見せたことないような怒りを見せたんです。しかも眠ろうとしている子どもの前で。子どもは情緒不安定なんです。それまでも怒ることはあってもあんな感じで怒りを出す人じゃなかったし、子どもの前ではしませんでした。仕事や育児に追い込まれてるとは思うのですが、さすがにこれはまずいなと思いまして、私ひとりではもう受け止めきれないので連れてきました」などと、夫を心配する良妻ぶった言い方をするので、すかさず私は「以前、妻が何枚も皿を叩き割って、その方法は怒りを鎮める特集の雑誌にあったとかで、それの真似を思わずしてしまったのと、その前に罵倒されて妻の裏拳が鼻に入って、ほんとにそれが存外に痛かったので思わず激高してしまったのです」と言うと、妻は私を見つめ「お前、そうきたか……」みたいな顔をした。結果互いに不満をぶつける形となった。

 

結局、「うちは心療内科ですので、足立さんの場合は夫婦カウンセラーに行かれたほうがいいかと」と言われた。私は大満足で「思った通りだよ! 夫婦カウンセリングに行きたいな! もしも全世界で、パートナーや子どもを月に一度かえなければならないなんて決まりができたら、世界は平和になって、戦争もなくなりそうな気がするんだよ」と千回くらい妻に話していることを、なぜかまた話しだしてしまったのだが、妻は私を無視してさっさと帰ってしまった。

 

※妻より

異議ありまくり。開いた口がふさがらない。

寝入る直前の息子の前で、要約すると「俺をいたわれ!俺を認めろ!俺にもっと優しくしろ!」というような旨を大声で叫び、私の愛読書「週刊文春」を壁に投げ続けるというDV行為をし、聴覚過敏で繊細な息子はひたすら耳を押さえ、涙をポロポロ流す始末。

仕事が忙しい、家族が自分の思うようにならない、ということであそこまでキレられても、私じゃもう無理。受け止めきれません。心療内科に行かせるしかないでしょう。

でも、行ったら行ったで楽しんでいるようで、「次は夫婦カウンセリングに行ってまいります!!」と敬礼せんばかりに元気にのたまいやがった。まさに西村賢太氏の描く、リアル貫多になりつつあります。貫多にならなくていいから、西村氏になれと言いたい。あ、一緒か。でも、私も西村賢太氏の小説を好きでした。あ、だからこんな夫と一緒になったのか……合掌。

 

2月19日(土)

早朝から息子がYouTubeで「おぱっい」と発音しにくい言葉を検索しているのを発見。もちろん「おっぱい」のことだ。私に見つかり恥ずかしそうにヘラヘラしながら「ママがいいって言った」と無理矢理な言い訳をしてくる。

 

小3にしてすさまじい動画を見ていると嘆いてらっしゃる息子と同級生のお母さまお父さまもいらっしゃるが、もう本当にネット上は性の無法地帯だ。家でセキュリティをかけても、教会などの溜まり場で中学生たちからさらにひどい動画を見せてもらったりしている。もう家庭と学校の性教育で対応するしかないのだが、ロクな性教育を学校からも家庭からも受けてこなかった私としてはどうしていいのか分からないのが正直なところだ。

 

とりあえず子どものころに母親に読み聞かされた「ぼく、どこからきたの?」を慌てて読み聞かせた。セックスに関しての説明と、相手がイヤだと言ったらしないこと、大切なゾーンの話などはしていたが、それ以外の何をどう伝えていいのか正直分からない。

 

「おぱっい検索」について少々注意すると、息子は「父ちゃんだってエロい本を書いているの、知ってるからね」と言われた。

 

その後、銀座に向かい、小中学生たちとリハーサル。途中の雑談のときに、息子のエロ相談をしようかと思ったが、バレンタインの話になって盛り上がる。リハーサルには小5から中2の男子7人が来ているが、みんななかなかの美男子で、性格も良い。だが、チョコをもらった子は2人しかいなくて、みんな悶絶していた。

 

ちなみに、中二の娘が毎日学校支給のタブレットを自分の部屋にこもって2時間やっていると相談したら「それ、絶対セキュリティ外してYouTubeとか見てますよ~(笑)」と言われ、「やっぱり」と腑に落ちる。

 

2月23日(水・天皇誕生日)

昨晩から妻と8時50分の「アンチャーテッド」(監督・ルーベン・フライシャー)を見に行く約束していた息子だが、急遽私も行けることになり(予定が飛んだので「俺も行く!」と妻に頼んで予約してもらったのだ)、朝、起き抜けに「『アンチャーテッド』、楽しみだね~パパも行くからね~」と息子のほっぺをなでなですると「え!! ママとふたりがいい!」と始まり、たちまち不機嫌に。

 

挙げ句、「父ちゃん行くなら、僕行かない!」となった。息子は妻とふたりで映画行く気持ちでいたのに、私が一緒に行くことが予想外すぎて気持ちをコントロールできなくなったのかもしれない。だが妻は「毎晩夜居ないのに朝トップスピードで距離詰めようとするからこうなるんだよ!」と不機嫌になってしまった。

 

仕方なく8時15分に妻と家を出て、「アンチャーテッド」を見る。息子は映画を見ながらペラペラ話してしまうため、周囲に迷惑がかからないように前から2列目の一番はじの席を予約していたので、見づらくて仕方がない。しかも吹き替えだ。

 

息子に合わせて選んだ映画を、険悪な私と妻のふたりだけで見ると言うのも虚しい気持ちになる。映画が終わると、外は天気が良かったので、「このまま散歩でもしてランチでも食べに行く?」と優しく妻を誘うと、「いい。私はスーパー銭湯に行く」とのこと。「え、ひとりで?」「当たり前じゃん。ついてこないでよ」「いや、俺も行きたいし、ちょうど行こうと思ってたから」と意味不明なことを言うと、大きな舌打ちが聞こえたが、聞こえない振りしてついて行った。

 

映画館の近くにあるスーパー銭湯は映画の半券を持っていくと、割引になるし、水着も無料貸与してくれるのだ。妻と仲が良かったころは映画のあとにちょくちょく来ていた。

 

水着を借りると、混浴露天風呂と混サウナも一緒に入れるので、それにしようと提案したら、嫌だと言われたが、粘って何とかそうした。混浴と混サウナで、ここ最近の互いの不満や子どものことなどドロドロとした部分を話しまくり、汗とともに流し切れはしないが、少しだけすっきりした。体重も1.5キロ落ちていた。

 

が、その後に久々に飲んだ黒ビールやハーフ&ハーフが思いのほか美味しくてたがが外れ、結局天ぷら定食やとんかつ定食(両方ともご飯大盛り)を食べてしまう。妻だけ夜まで残って日ごろの疲れをとってもらい、私は子どもたちの夕飯を作りに一足先に帰った。いい夫でしょ? と言いたいところを我慢した。

 

※妻より

黙浴が推奨されている露天風呂とサウナで、夫は甲高い声でずーっと喋っていました。周囲の視線が痛かったですが、夫のヘドロは垂れ流しまくりでスッキリしたようです。逆に私は蓄積されました。

 

2月24日(木)

早朝出発でスタッフの皆さんとともに車で飛騨にロケハンに行く。だが大雪で、飛騨市の雪もハンパない、2メートル超えている。映画は春の設定の話だし、この雪がどのくらい残ってしまうのかとても不安だ。

 

岐阜県もまん防期間中で、飲みにもいけず、夜も静かにすごした。そしてロシアとウクライナの戦争が始まってしまったが、私は自分の仕事と家族のことに手一杯だ。きっとそんな人は多いだろう。それは戦争をしている国でもそうかもしれない。

 

前にタモリが「人間に『好き』という感情がある限り、戦争はなくならないんじゃないか」みたいなことを言っていた。なくならない理由はいろいろあるだろうが、ほとんどすべての人が戦争はなくならないと思っているだろう。

 

私は仕事と家族のことに手一杯だからこそ、「死ぬのは嫌だ。怖い。戦争反対」(スネークマンショー)。

 

近年まれにみるドカ雪とのこと。3月に映画は撮れるのか、めちゃくちゃ不安です。また酒断ちして、神頼みする日々になるかも……(BY妻)

 

2月26日(土)

昨夜遅くに飛騨からもどり、今日は午前中から夕方までリハーサル。疲れた。

 

夜は池袋シネマ・ロサに向かう。今日から「稽古場」の公開だ。1週間の限定レイトショーで、この日記が公開されるころには、上映が終了していると思うが、ひとりでも多くの方に見に来ていただけるとうれしいです。

↑初日は中村義洋組の舞台挨拶でした。いつも足立の映画のスチールをやっていただいている内堀義之さんが撮ってくれました(by 妻)

 

2月27日(日)

娘がこの日から野球に復活した。今までクラブチームの野球で人間関係に悩んでいたが、今は学校の部活で人間関係に悩んでいる。どこに行っても人間関係からは逃れられないのだから、逞しさを身に着けてほしい。野球に関しては丸々2か月休んで、2週間に一度の参加、試合は出ないという条件で復活するというのは、「はぁ? 何だそりゃ。だったらやめろ!」と言いたくなるが、もしかしたらある意味では逞しいのかもしれないが。

 

今月劇場で見たその他の映画は「ノイズ」「大怪獣のあとしまつ」「ブルー・バイユー」「スタンド・バイ・ミー」「ウエスト・サイド・ストーリー」「誰かの花」「ちょっと思い出しただけ」「ゴーストバスターズ/アフターライフ」「夢見る小学校」

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

 

 

撮影用の入れ墨に浮かれ、近所で道に迷い、娘と本気でケンカしてしまう映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第22回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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1月1日(土)元旦

朝、ランニングをした。昼過ぎに家族で近所の氷川神社へ初詣に行く。子どもたちの保育園送迎時代、毎朝通って神頼みしていた神社だ。

 

久しぶりに神主さんにお会いできたのでご挨拶したら、赤子の時から知っている娘・息子の成長した様子に喜んでくださり、なんとお年玉までいただいた。私がほぼ毎朝10年以上コツコツと通っていた結果のお年玉だろう。子どもたちには感謝して欲しい。

 

私も毎朝の神頼みの結果、仕事も少しずつ来るようになったし、やはり継続は力なりだ。何事も続けることが一番難しい。神頼みもそうだ。

 

その後、妻の実家に顔を出して年始の挨拶。夜は映画学校時代の仲間ふたりとLINEビデオ通話をした。ふたりとも27、8歳の第一次暗黒時代(四次まである)にルームシェアしていた悪友だ。久しぶりの身の上話や身の下話で盛り上がる。ほとんどが身の下話か。皆、当然あのころと状況は変わっているが中身は全然変わっていない。大変な状況の中を力弱くフラフラと生きている。それでも己の性欲を満たすことはまだ忘れていない。それは私にとっては力強いと言いたくなるのだが、今のご時世では真面目に生きろと言われてしまうのだろう。

 

1月2日(日)

国立に住む妹家族に会いに行く。去年、一昨年とコロナの影響で会わなかったが、今年はもういいやということで集まった。

 

甥と姪も高校2年、中学2年となり、この年代は2年会わなかっただけでグッと大人びてくるから、対面すると妙に緊張した。そして私も老けるはずだ。

 

正月は皆でトランプやUNO、「人狼ゲーム」や「ナンジャモンジャ」などする。小3の息子だけはやはりゲームに入らない。負けることも苦手だし、知らないゲームのルールを覚えることも苦手なのだ。一度だけババ抜きに入ったが、ジョーカーをひいてしまったときの取り乱しようと言ったらなかった。きっと友達たちとトランプするときもこんな様子なのだろうと思うと、そりゃ仲間に入れないよなと思う。

 

結局息子はひとりでずっとYouTubeとゲーム。それで息子が楽ならばそれでいいのだが、友達とは遊びたがるから辛いのだ……。私の心境としては、友達とうまく遊ぶことはハードルが高いから、ひとり遊びが平気になれる子になって欲しいと今は思っている。

 

1月3日(月)

息子、今日はテンション高く保育園時代の友達のところに遊びに行く(まだ自分で約束することができないから妻が取り付ける)。娘も友達と買い物にいくとの事。

 

なので、妻と「偶然と想像」(監督:濱口竜介)を見に行く。とても面白かった。私は2話目が好きだ。その後、池袋の中華屋「楊」で汁なし担々麺や水餃子、焼き餃子、とてつもなく辛い鍋など食べていると息子からメール。

 

「突然だけど、家出するね」

 

え……。友達とうまく遊べているのか気がかりではあったが、予想外のメールに驚いて電話をすると、前にお姉ちゃんとケンカしたときに「出て行け」と言われたとのこと。また以前の負の記憶が強烈に蘇っているのだろう。さらに詳しく事情を聞くと、姉に出て行けと言われたことを友達に話したら「お前、かわいそうだ」と言ってくれたとのこと。「すげえいいやつだよ!」と興奮している。そしてお年玉があるからそれで生きて行くとのこと。

 

10月に誕生日のお祝いをもらった時と全く同じ流れだ(※10月30日の日記をご参照ください)……。

 

息子はお金を持つと気が大きくなり、家出したくなってしまうのか……。せっかく美味しい物をたべていたのに一気に味が分からなくなり、喉に流し込んで息子が居座っている友達の家の前に迎えに行く。こういう時に妻も一緒に行くと、息子は妻に異常な執着を見せて、結果妻もブチ切れるという悪循環を何度も経験しているので、私がひとりで迎えに行くことに。

 

息子はこの寒空の下、水風船爆破ごっこをして遊んでいたとのことで全身ずぶ濡れ。その姿を見ただけで凍えそうになった。

 

「帰るぞ」と息子に言っても、息子はいつものように「絶対帰らない!」と踏ん張る。友達が心配そうに見ている。「泊ってもいいよ」と言ってくれるが、ここで簡単に息子に自由を与えるのはよくないと判断し、「今日は連れて帰るね」と友達に言い、友達には家に帰ってもらった。

 

息子は「イヤだ―! 帰らない! 絶対に帰らない!」と叫ぶ。だがガタガタ震えている。普段ならかついで帰るところだが、家まで遠いし今日は(も?)私もキレてしまい、その場に息子を置いたまま「だったらもうずっとここにいろ!」と言って自転車をひいて早足で歩きだした。

 

すると、息子は泣きながら走ってついてきた。しかし、口から出る言葉は「父ちゃんのバカヤロー! 死んじまえ!」などという罵詈雑言だ。私はその言葉を背中に浴びながらモーレツに腹が立ってきてずんずん歩いていると、怒りに任せて歩いていたからか、気づくと見慣れぬ住宅街に迷い込んでいた。あたりも暗くなっていたので完全に道に迷ってしまった。私は極度の方向音痴でもある。(以前、駅から徒歩2分という場所に行くのに、迷いに迷って30分歩いたあげくタクシーを使ったこともある。スマホの機能は役に立たなかった。それを使いこなせない私が役立たずなのだが)。

 

ずぶ濡れの息子は文句を言いながらも私についてきている。そんな息子を連れて1時間近く迷ってしまった。優しい私は上着を脱いで息子に着させたが、怒りにまかせて物事を進めると本当にロクなことがない。

 

1月4日(火)

息子、案の定風邪をひく。朝からくしゃみ、咳、鼻水。コロナのこともあるというのに、この状況でびしょ濡れの息子を夜空に晒したことを妻に咎められ、大ゲンカ。晒したくて晒したのではない。ただただ、私のヒステリーと方向音痴と息子の特性のせいだ。

 

1月6日(木)

昨晩から大雪。今日は家族で東京ディズニーシーに行く予定で予約もしていたが(娘の定期テストが終わったら行こうと約束していた)、さすがにこの大雪と風邪気味の息子を連れ歩くのは気が引け、TDSは延期にした。

 

こういう時、少しでも妻には自分の時間を過ごしてもらおうと思い(ここで良い旦那アピールをすると妻の逆鱗に触れるのだが……)、雪ではあるが自由に外出していただき、私と娘と息子は宅配ピザを大量にとって「デス・レース」を見ながら、豚のように食った。

 

夜、積もった雪を見てどうしても外に行きたいという息子を連れて出て雪だるまを作った。そして、まだ風邪気味の息子を雪だるま作りに外に出したことで、帰ってきた妻が激怒。息子も裏切り「父ちゃんが雪遊びしたいって言うから」と言った。

 

↑息子は病み上がりなのに、全身汗びっしょり、手袋も長靴の中もぐっしょりになって遊んでいました。夫も同様。もちろん風邪はぶり返し。正月から手がかかりすぎます。(by妻)

 

1月8日(土)

今日から学校開始。息子は昨晩行きたくなくてぐずりまくっていたが、今日は始業式だけなのだからと説得してどうにかこうにか行けた。

 

学校終了後、友達と帰宅し、そのままマイクラ(マインクラフト)三昧。友達のお母さんも夕方来て、妻とママ友は新年会を始めたので、私は映画を見に行った。

 

1月9日(日)

息子と息子の友達を「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」(監督:ジョン・ワッツ)に連れて行く。映画の間ずっと息子が友達に話しかけ続けている。息子は友達にすべて解説してしまうのだ。

 

「シーッ!」と何度も友達に言われている。私も何度も注意するがおさまらない。巷では評判が良い映画らしいが、その良さも分からないくらい映画には集中できなかった。

 

1月10日(月)成人の日

木下ほうかさんがMCを担当されているラジオに出演した。

 

木下ほうかさんには、脚本を書いた映画やドラマにはたくさん出ていただいているが、こうしてちゃんと(ちゃんとでもないか)お話しするのははじめてだった。非常にゆったりとした独特のテンポで話される。それが妙に面白い。マネしてみたくなる話し方なのだ。

 

ラジオでは主には2月26日から池袋シネマ・ロサで公開する短編映画「稽古場」の話をした。良かったら見に来てください。この日は出演者の中野 歩さんも一緒にラジオに出演した。

 

ラジオの前に、昔住んでいた両国へ行き、「亀戸餃子」で腹ごしらえ。私は餃子が大好きで、半永久的に食べられる。これだけ美味しい餃子が一皿270円! 炒飯580円だ。両国に住んでいたころは通いに通いまくっていた。

 

1月11日(火)

三連休明け、息子はやはり学校に行けないと言う。

 

「分かった。じゃあ行かなくていいよ」と言うと、1時間目の途中くらいから「やっぱり行こうかな…」と言い出したので送って行く。

 

息子の学校は、遅刻する場合、基本的に保護者が教室まで送って行かなければならないという規則があるので、私はいつも教室まで送る。すっかり子どもたちに顔を覚えられていてちょっとした有名人だが、こんな形で有名人にはなりたくなかった。

 

1月12日(水)

今日も息子は、昨日と同じくらいの時間に「やっぱり学校に行こうかな…」と言い出したので、送って行く。行き渋りながらも何とか行けるようになってきている。

 

送って行く道中に、息子は学校のなにが嫌なのかポツリポツリと話す。級友に意地悪をされているとか、勉強が分からないとか、リコーダーが嫌だとか体育で仲間外れにされるとか……。

 

「そうか……ヤだよなあ、学校も友達も」としか言えない。「なにもかも嫌だよ! 分かる? 僕の気持ち!」と息子はムキになって言う。かわいそうだなと思う。意地悪をされているという子に有効な言葉があれば教えて欲しいと心の底から思う。

 

嫌なことはしなくていいという意見も読んだりするが、私はそうは思わない。楽しいことの前には嫌なことがたくさんある。好きで映画を作っているのに、私は字を書くことが大嫌いだ。嫌だけど、脚本を書かないと映画は作れない。したいことをするには、嫌なことも少しは付随してくるのだということは分からせたい。とはいえ、嫌なことをすると息子のような発達障害児は定型の子よりも何倍も疲れるというから難しい。その疲れの度合いを想像するのも難しい。

 

息子を送って家に戻ったあと、自宅で「月刊シナリオ」の取材を受ける。「脚本とはなにか?」というような取材ではなく、私に聞かれることといえば「食えない時期をどう乗り越えるのか?」の一点。

 

まあ、「脚本とはなにか?」と聞かれてもなにも答えられないのを見抜かれているのだろう。しかし、苦労の乗り越え方も分からない。私の場合はただのなし崩しだ。今はありがたいことにちょいちょい仕事はあるが、いつかまたなくなる日もくるだろう。想像したくないが、そんな日がくるのはわりとリアルに想像できる。

 

その日を何とか先延ばしにしながら生きて行くしかない。シナリオライターは作家であると言いたいところだが、職人としての重きの方がはるかに大きい。仕事がなくても自分は自分の好きなものを書いていく! ということはできない。書いてもいいが、シナリオはそれひとつでは未完成品だ。監督や小説家ならば、誰も見なくても読まなくても撮りたい、書きたいならそうすればいいが、シナリオライターは誰かに作品にしてもらわなければならないのが辛いところだ。

 

1月13日(木)

今日は昼から豊洲に演劇を見に行く予定だったので、妻とともに朝早めに駅に向かったのだが、コロナ感染者がでたとの事で急遽中止になったと連絡。周囲ももう濃厚接触者だらけになってきた。せっかく駅まで来てしまったから時間の合う「マクベス」(監督:ジョエル・コーエン)を鑑賞。

 

が、ただでさえ顔の認知能力が衰えている上に、白黒映像のため、家来や味方、裏切者などの人物がよく分からなくて、ひたすらに睡魔との闘い。すごく評判の良い映画だから、そんな自分に落ち込んだ。落ち込んだので、以前から池袋に来たときに行きたいと思っていた海鮮丼屋さん「みなと」に入る。酢の物盛り合わせと白子ポン酢から、北海丼を食し、大満足。うまい! しかもリーズナブル。落ち込んだ気分も少し戻った。

 

↑溢れる北海丼。どんなに医者に止められても、白子やウニやいくらをやめられません。こんなんをチビチビやりながら、芋焼酎お湯割り、最高です。(by妻)

 

1月14日(金)

朝から来春撮影作品のため、特殊造形の飯田さんの工房で打ち合わせ。俳優さんに施す入れ墨を、テストで私に入れてもらいテンションが上がる。

 

その後、その入れ墨をしたまま息子の療育へ行く。パーカーの袖からちらりと見えている入れ墨に息子は興奮し、「すげえ! かっこいい! じゃあ今日の歯医者には行かない!」と言い出した。思考回路が分からない。

 

今日は息子が療育を受けている間、夫婦面談。「お父様お母様が、息子さんのこと以外で感じているストレスはありますか? その解消法はありますか?」と聞かれ、妻が間髪入れず「私の最大のストレスはこの男です。余裕で息子の100倍のです!」と言いやがった。

 

先生も苦笑していたが、そこから妻の私への不満の大演説が始まり、正直私は泣きそうになった。いや泣かされた。俺だっていろいろやってるんじゃん!と声を大にして言いたくなったが、妻をこの場で逆上させても先生も困るだろうから黙っていた。ああ、私もストレス解消法がほしい。優しくされたい。それは妻も同じ気持ちなのだが。

 

療育後、息子は本当に歯医者に行きやがらなかった。歯医者の前で地面から足を上げなかった。予約をキャンセルし、別日を予約。本当に本当に本当に面倒くさい。

 

夜、家の近所のシネコンに映画を見に行く。こうして映画を見ることがストレス解消……にはたいしてならない。

↑旦那は胸にも錦鯉の入れ墨シールがあり、療育教室で服をめくってだらしない腹を露出させながら入れ墨を息子に見せていました。ついでに療育教室の女性の先生にも見せたりしていたので(結構うれしそうに)かなり引きました。そして先生から「奥さんの長湯くらいは、させてあげましょうよ」とお説教されていましたよね。まったく風呂時間まで時間指定しないで欲しいです。まあ2時間は入りすぎかもしれませんが……(by妻)

 

1月18日(火)

息子が今日から塾に通う。毎週火曜と木曜日の夜、キックボクシング教室のあとだ。1日に2つの用事の掛け持ちはやめたほうがいいと療育の先生などから言われていたが、勉強ができないことを極端に嫌がり、でも勉強することも極端に嫌がるその息子が行くと言うのだから行かせることにした。

 

塾は昭和の一軒家風味の先生の自宅を開放している形で、襖や仏壇や黒電話が珍しくて息子は色々触る。先生は発達障害のお子さんを育てられて(もう社会人)、息子のような子にもとても理解がおありなのだ。だから「最初は30分、ここで宿題するだけの感じにしましょうか」ということでぬるくスタート。

 

しかし、30分というのも待っている私からすると微妙な時間で、息子を塾に送り届け、家に戻っていては、すぐにUターンせねばならない。なので私はこの時間を利用してウォーキングをすることにした。

 

息子を待っている間、イヤホンでお笑いなど聞きながらそこらじゅうを歩いていると、やはりというか、アホな私は気づくと道に迷っていて、どうにかこうにか塾の前まで戻ってくると、すでに息子の勉強は終了。他の生徒さんも見なければならないのに、先生は、外で息子と待ってくださっていた。本当に申し訳ないと思った。次から塾近くの道だけをウロウロしよう。どうせ夜で暗いから風景など分からないのだ。

 

1月19日(水)

午後、高校教師。現在生徒たちは中編作品に励んでいる。授業中に生徒を一人ひとり呼んでシナリオについて話すのだが、ほぼシナリオとは関係のない無駄話をしている。それがとても楽しい(生徒にとってはいい迷惑だろうが)。

 

ほとんどの生徒は3年生だから、この3月で卒業だ。進路が決まっている子もいれば、決まっていない子もいる。私は高校卒業時も、映画学校卒業時も進路が決まっていなかったので、決まっていない不安感、焦燥感が自分のことのように分かるつもりではいる。アドバイスはなにもできないが。

 

彼らが直面している悩みを聞くと、その年齢でそんな生きづらさを抱えて社会に出て行かなければならないのか!? と愕然とすることもある。なにもできないがどうか頑張って欲しい。というか、頑張れなくても幸せになって欲しい。なにかあれば相談にはのるつもりで、「僕の連絡先は学校に聞けば教えてもらえるよ」などと言うと、妻が「お前、逮捕されるのも時間の問題だぞ。ぜってー大学なんかで教えるなよ。あ、教えられないか、知識ないし」と言った。当然変なつもりで言ったのではないが、誤解を生じさせるような言葉だったのかもしれない。

 

ひとまず今春で妻と私は授業を退くこととなるが、いつも授業前に近くの飯屋を色々と探して昼飯を食っていたことも含めて、この毎週水曜日の授業がなくなってしまうのがとても寂しく感じている。

 

授業のあと、池袋でモダンスイマーズ「だからビリーは東京で」を見た。高校生たちと話して感傷的な気持ちになっていたが、ここにはその高校生たちが5年から10年後に味わうことになるかもしれない、ちょっと厳しくてちょっと優しい未来が描かれていた。今、いろいろと不安を抱えているあの子たちに見て欲しいなあと思った。

 

 

1月21日(金)

昨日から発売された拙著「したいとか、したくないとかの話じゃない」の件で、ラジオ局に向かう。宣伝でラジオに出演させていただくのだ。

 

放送は来月だからどんな番組に出るのか書いていいのかどうかよく分からないが、とりあえず2月のどこかの週で短い時間ではあるが、月曜日から金曜日まで私の声が聴ける週があるはずだ。放送時期が近くなればSNSなどで宣伝しようと思うので、皆さん是非聞いてください。聞くだけでなく本も買っていただけたらうれしいです。

 

1月22日(土)

今日は息子のはじめての家庭教師の日。塾にくわえて家庭教師も始めるのだ。

 

先日の学校公開の時にLD(学習障害)ママ友から近所に発達障害児に理解ある優しく厳しい家庭教師のお兄さん先生がいるとの情報をゲットした。息子に聞いたら「したい!」というので本日初体験するのだ。

 

授業が2時間というのがハードル高いかなと思ったが、息子の特性をうまくサポート&ナビゲートしてくれて、最後は家庭教師の先生の膝に座りながら勉強していた。

 

息子はグイグイ来る人は極端に苦手なのだが、淡々と距離をとる人には異常な距離の詰め方をする。どうやらこの先生とは相性が合いそうだ。いや合ってほしい!と切に思う。

 

息子が家庭教師の先生と勉強している間、妻と娘と私の三者で娘の野球をどうするかの会議。現在休部中の娘だが、明日、監督とチームのGMと会って話すことになっているのだ。

 

娘自身はもう野球はやめたい気持ちが強いようだが、仲の良いチームメイトからのやめないでという言葉や、GMの「あと半年で引退だから頑張ろう」という言葉に悩んでいる。でも、どうにもあの件以来(くどいようですが、9月26日の日記をご参照ください)監督を苦手になってしまったようだ。

 

いずれにせよ休部という形で時間をもらったのだから、なにか結論は出しているのだろうと思い、「明日はどうするんだ?」と聞くと、娘は「さぁ、分かんない、決まってない」と不貞腐れたような態度で言う。

 

そこに私と妻はカチンと来てしまい、ついつい娘を咎めて激しい口論に発展してしまう。はじめての家庭教師の先生に、妻、私、娘の怒声を聞かせてしまうこととなった。

 

それにしても、娘は中2にもなってなにかを決めることがとても苦手だ。悩んだ時は「ママはどう思う? パパは?」と聞いてきて、意見を言うと、「ならそれでいい。どうせそうして欲しいんでしょ」となることが多い。よく言えば親の期待に応えたい気持ちが強いのか。悪く言えば考えられない思考停止状態なのか。しかしながら、自分で考えずして環境を与えられた人間は、その環境への文句を言いがちな印象がある。それはモーレツにカッコ悪いから、せめて野球と高校の進路は自分でのたうち回って考えて決めて欲しい。

 

1月23日(日)

娘の野球チームの監督とGMとの話し合い。「グランドまでひとりで行けない」という娘に妻がついていく。そして、ぶち切れまくって不貞腐れるであろう娘をひとりで相手にするのは冗談じゃないからお前も来いと妻から言われるも、娘が「パパは来ないでほしい」と言い、私はグランドのある最寄り駅で待つという形に。

 

娘は行く道中、案の定ずっと不貞腐れている。確かにこれとふたりでは、妻と娘は電車の中で大ゲンカになっていただろう。

 

グランドに行く妻と娘を最寄り駅でボケっと待っていると、妻から電話。娘が泣き出したとのこと。グランドまで入って来いと監督に言われ、泣いて動けなくなってしまったとのことで、娘の態度に私はカッと頭に血がのぼってしまう。なぜ堂々と自分の意見が言えないのか(私も大の苦手なことだけど)。戻ってきた娘に怒ってしまうと「だからパパには来てほしくなかったんだよ!」と娘はさらに泣き出した。

 

とりあえずグランドには入らずGMとだけ少し話して結論を2月中旬まで持ち越すことになったらしい。その持ち越しに何の意味があるのか。

 

GMは女性の方で、男性の監督よりも細かいところによく気づくように私には見える。と言うと「はぁ? そんなの個人の違いで性別の違いじゃねえよ、性差別野郎」と言われてしまいそうだが、GMはここまで頑張ってきたのだし、引退まであと半年なのだから頑張ってみようよ優しく寄り添ってくださる。「グランドに入って来い」と言う監督とは真反対だ。どちらが良いとか悪いとか決めつけるべきではないのかもしれないが、私はやはりGMのような人の方が好きではある。

 

で、その夜、スマホのことで娘とケンカ。昼間の野球のことで互いにムシャクシャしていたから大ゲンカに発展。6年間サッカーをしていた娘が思いっきり蹴りを繰り出してきたが、空振って転んで余計にヒス起こしやがった。大人げないが、私も「なに転んでんだ、ダッセ」と妻のような言い方をしてしまい、娘はさらに激怒。息子は耳を押さえ、目を閉じ、風呂に入っていた妻を呼びに行くも出てきてくれず、亀のように丸くなっていた。療育の先生からは、息子さんは大きな声が苦手だから「なるべくケンカは目の前でしないであげてくださいね」と言われているのに、本当に私はどうしようもない。

 

1月24日(月)

朝から学校教育支援センターへ。息子は年明けからたとえ遅刻しながらであっても、毎日学校に行けているのは凄く頑張っているのだと言われる。いじめなどはもってのほかだが、漠然とした不安や、腹痛や頭痛などの体調の不調、一生懸命みんなに合わせようとして疲れちゃう気持ちや級友の些細な一言への傷つきなど、人に説明できないことを抱え、とても疲れているとは思うと言われ、そう言われると休ませてあげたくはなる。

 

だが、息子は教育支援センターでのプレイセラピーが終わると気分が良くなったのか学校に行くと言うので送り届けた。

 

1月29日(土)

3月撮影の映画のはじめてのリハーサル。午前中は子どもたちだけで勝手にしゃべってもらって、午後に本読みだけする。その帰り、本読みを見ていた妻がいろいろと意見を言ってきた。それはもちろんありがたいのだが、今日がはじめての本読みだし、こちらもいろいろと様子を見ている部分があるのだから、いきなりうまくいくわけもないだろうなどと言い返していると、案の定ケンカになってしまった。しかしながら、率直な意見を聞く機会はなかなかないので耳は痛いがありがたい。

 

これからクランクインまで週に一度は集まる予定でいるが、とにかくオミクロン、もはや罹らないのが奇跡みたいなレベルになっていることが頭が痛い。

 

夜、近所のシネコンに映画を見に行った。家の近くに映画館があるのは本当にうれしい。

 

見た映画の感想も日記に書きたいが、感想を書くのはなかなかに労力がいるのと、特に邦画でつまらなかったりしたら、付き合いもあるし正直に書けない弱腰だからここに書く勇気はない。私を筆頭に、正直に「つまらなかった」と言われると、謙虚に受け止めきれないから人間関係が悪くなる。

 

そのくせ人の感想など読みながら、その感想が単なる持ち上げだったりすると文句を言っているのだから始末が悪い。ただ、近ごろ見た映画を片っ端から忘れて行くのでなにを見たのかはここにメモしておこうと思う。

 

日記に出てきていない作品で今月劇場で観たのは「コーダ あいのうた」「ライダーズ・オブ・ジャスティス」「クライ・マッチョ」「水俣曼荼羅」「さがす」「声もなく」「リバー・オブ・グラス」「ミークス・カットオフ」「呪術廻旋0」「ドント・ルック・アップ」「HOUCE OF GUCCI」。

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

 

 

妻の号泣にうろたえ、息子に「誘拐犯!」と叫ばれてしまう映画監督の日常【後編】

「足立 紳 後ろ向きで進む」第21回(後編)

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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12月17日(木)

午前中から区の検診センターへ夫婦で行く。夏に受診した健康診断の結果が夫婦ともにあまり良くないので呼び出された。というか、いつも呼び出されている。

 

妻は酒の飲み過ぎ、私は甘い物の食べ過ぎ。いつも検診センターで助言をくれる女性の保健師の方には夫婦で覚えられてしまい、「あなたたち、いいかげんこっちの言うこと聞いて」とお叱りを受ける。とにかく1日2回食べているアイスを1回にしようと誓う。妻は週に一度は飲まない日を作ると宣言したが、きっと守らないだろう。なんせ「私が毎日飲むのはあんたのせいだ」と信じられない理由をつけて飲んでいるのだ。

 

その後、息子を民間療育サービスに連れて行くために学校に迎えに行く(にしても民間は高い。一刻も早く公的な支援をつながらないと我が家は破産だ)。

 

ちょうど息子たちは昼休み中だった。私を見つけた息子の友達が「あ、足立のお父さんだ」と近寄ってきたので、息子の所在を聞くと、今は「逃走中」をして遊んでいるようで「あいつは絶対に見つからないよ。隠れまくってるから」とのこと。

 

鬼ごっこで捕まることが苦手な息子は、鬼ごっこになると絶対見つからないところに隠れて出てこないのだ。やがて昼休み終了のチャイムがなると、不安そうな顔で息子が出て来た。ガキ大将チックな子に「俺、捕まってないよね? 捕まってないよね?」と真顔で聞いている。ガキ大将チックな子は「はぁ、何言ってんの?」みたいな顔をしてスルーしていた。見たくない姿だった……。

 

12月18日(土)

今日も一日中オーディションのため、朝7時半に妻と出発。電車で銀座に向かっている最中、30回くらい妻の電話がなる。息子からだ。

 

「お姉ちゃんが怒る、お姉ちゃんがゲームさせないって言ってる」と泣いている。その後、娘から「弟が嫌なことを言う、弟ばかりテレビ見てる」みたいなことが繰り返し妻の携帯にかかってくる。

 

息子を預ける予定だった子の家からも、急遽発熱して無理になったと連絡があり、妻は途中下車していったん帰宅。息子の新しい預け先を探し、姉弟が近距離にいないようにしてから遅刻して参加となった。まったく大変だ。でも、オーディションは大変実りあるものだった。

 

12月19日(日)

今日は娘が野球にどうしても行きたくないと言う。

 

定期試験が終わったら“お菓子を買いに行く、美白化粧品を買いに行く、漫画喫茶に行く、LUSHに行く、スタバに行く”と妻と約束していたのに、全然行けなかったのだ。

 

かなりヒステリーに怒っているため、仕方なく急遽娘を買い物に連れて行くことになった。息子も連れて行こうとしたが、案の定拒否(買い物などという見通しが立たない予定は絶対に無理だと思っていたが)。なので息子を残して娘と3人で買い物へ。最近息子にばかりに目が行ってしまい、娘のことがほったらかしになっていたので、今日は娘を甘えさせようと心に決めた。

 

久しぶりに、キレイなチョコレートを買ったり、服を買ったり、美白化粧品やハンドクリームを買ったりしてテンションが上がった娘は初のスターバックスでキャラメルマキアートを飲んでご機嫌にもなり、今後のこと(受験や将来のことなども)や息子のことなどざっくりと話した。

 

娘も分かっちゃいるけど、「私だって勉強も部活も野球も人間関係も大変なんだよ! 弟ばっかり贔屓しないでよ!」ってことを言いたかったみたいだ。とりあえず、娘は部活を頑張っているし、あの事件(9/26参照以来、監督のことを好きになれない野球は休部させることにした。というか辞めてもいいのだが、なぜか娘は休部すると言う。この辺がよく分からない。

 

早めに帰宅し、久しぶりに夕飯を4人で食べながらM-1を見る。インディアンスと錦鯉に息子も娘も大爆笑し、久々に子どものメンタルが安定し穏やかに眠れた。

 

※妻より

娘は「パパ来なくていいよ」と言い、私も「二人でゆっくり買い物するから来ないでいいよ、あんたが来ると『まだ?まだ?』ってうるさいし」と何度も言いましたが、「いや、俺も行く!!」と言い張って夫はついてきました。そして誰よりも夫のテンションが高く、チョコを爆買いしてました。おまけにパーカーも。同じようなパーカーが腐るほどあります。

 

 

12月20日(月)

朝、「学校に行きたくない」と言う息子の気分を上げようと朝食時に昨日のM-1の決勝を流すと、娘も息子もケタケタ笑い、渋りながらも遅刻せず学校に行けた。笑いの力は凄い。今日は気持ちよく朝から仕事ができた。

 

夕方、吉祥寺UPLINKにて渡辺紘文・雄司兄弟「大田原愚豚舎」の新作を武 正晴監督と2作品鑑賞する。とにかく大田原愚豚舎の作品は劇場公開を見逃すと、なかなか見られないので公開時が貴重なのだ。今、日本で唯一無二の作品を作っているのはこの渡辺兄弟以外にいないのではないか? 作品の作り方も含めて羨ましい気持ちで一杯になるが、私には真似はできないだろう。

 

↑左から武正晴監督、渡辺雄司・紘文兄弟、足立

 

12月22日(水)

今日は息子の長野への山村留学出発日だ。この日ために、ここ3週間ほど、まるで開幕試合にむけて調整する投手のごとく息子の気分と脳調を調整しつづけていた。(まったく成功していないけど)。

 

夏(8/5参照)はこの山村留学に行き、めちゃくちゃ楽しんだ。すこしだけ自信をつけて帰ってきたように親の目には見えた。だから親としては今回も行かせたい気持ちでいっぱいだ。

 

前回は息子も「もっと長野に居たかった。長野に戻りたい」と泣いていたので、申し込みが開始された10月初旬「どうする? 冬も行く?」と聞いたら「行く!!」と答えたから申し込んでいたのだが、近ごろの不登校や癇癪など、メンタルが悪化していたので今回は難しいかなと思っていた。

 

だが、なんとか息子に小さな成功体験とか楽しい体験を積んでほしいので、妻とともに夏の楽しかった思い出の写真を見せたり、冬の雪遊びをしている楽しそうなパンフレットの写真を見せたり、夏に友達になった子たちもまた来ているかもよ、などと話しながらどうにか行ってくれるように誘導していた。

 

息子は「分かんない」とか「考える」とか言うだけで結論が出なかったが、締め切りもあるし、一か八かお金は払い込んだ。

 

キャンプで使うためのかっこいい腕時計も買って(300円)息子のテンションを上げた。息子も「夜が怖くて行きたくないけど、だったら行くよ。まったくしょうがないなあ」と言い出すまでにはなってくれて、あとは当日が勝負だなと思っていた。

 

集合は都庁前のバス乗り場に14時半なので、家を出る間際までお笑いを見せたりゲームをさせたりして息子の脳調を誤魔化しつつ、だが、ちょっと気を許すと不安が爆発しそうな感じはあるので、恐る恐る集合場所に向かった。

 

最近息子は外貨通貨に興味をしめしている(というか執着している)ので、都庁前の外国為替両替所で韓国ウォン(映画「新感染」で韓国が好き)と香港ドル(かつての香港でのジャッキー・チェン映画が大好き。かつてと書かなければならないのが悲しい)にお小遣いを両替し、近くのファミレスでパフェなど食べさせギリギリまでゲームをさせて、さぁ集合まであと15分のところで店を出ようとしたら……始まってしまった。

 

「行きたくない…………」

 

そうつぶやいた息子は身体中の力が抜けたかのように、ファミレスの床に寝そべってしまった。そして石のように固まった。こうなるともう何を言っても耳に入らない。

 

あれだけ前もって見通しも立てて、本人も途中まで行く気だったのに、やはり直前でダメか…と思い、私は思わず放心しそうになったところ、ふと気づくと妻は完全に放心していた。

 

そんな妻を見て、私は何とか息子を説得しようと試みた。しかし、息子は「行かない」の一点張り。振り込んだお金もパーになるが、そんなことはどうでもよかった。ただ悲しかった。「もうダメだ」と諦めた。そして「諦めよう」と妻に告げたとたんに、妻の涙腺が決壊。泣き出してしまった。

 

びっくりした。まさか泣くとは思わなった。15年くらい前、アルバイトをしながら3年くらい必死にシナリオ直しを続けた(続けさせられた?)映画がダメになった報告をした時に、妻がワッと泣き出したことがあったが、あの時のことを思い出した。

 

妻は私の何倍も、今日、息子にキャンプに行ってほしかったのだろう。妻は息子に対しての向き合い方が私の比ではない。私が仕事で遅くなったりすれば、その日に向き合うのはすべて妻だ。息子の特性を私の何倍も目の当たりにしている。だから妻は、この日のために、小さく小さく息子をキャンプに対して前向きにさせようと必死だった。それは泣きたくもなるだろう。

 

泣く妻を見て、私は恥ずかしながら息子に腹を立て、言ってはいけないセリフを言ってしまった。

 

「お前、行かないならもうずっとゲームはなしだ」

 

言葉通りに受け取ってしまう息子はそこで大癇癪。だが、私も怒りに任せて息子を抱え上げるとファミレスから連れ出した。妻は泣きながら、当日キャンセルの旨を伝えに集合場所に行った。

 

私は暴れる息子を京王プラザの前あたりまで連れていくと、「お前はもうこっから一人で帰れ!」と完全に虐待になるが言ってしまった。息子は「じゃあ帰るよ!」と地下への階段を下りていった。数分後、頭の冷えた私は息子を追ったが、都庁前の広い地下で完全に見失った。

 

テンパって探し回っていると、妻から電話。息子以外にも泣いて嫌がっている子が数人いるとのこと。キャンプの人もそんな子の親御さんに「経験上、無理にでもバスに乗せてしまえば30分くらいでケロッとしてますよ」とのこと。妻はその言葉に最後の望みをかけたのか、とにかくバス乗り場まで息子を連れてきてくれと言う。しかし息子を見失った私はテンパっていたので、「あいつが見つからないんだよ!」とさっきまで泣いていたくせに連れて来いとうるさい妻に大きな声を出してしまった。すると息子が私の真後ろに立っていた。

 

「父ちゃんのあとをずっとついて来てたからね」と睨みながら言う息子を問答無用に抱き上げると、あとは泣こうがわめこうが私はバス乗り場まで走った。

 

バス乗り場では、妻が2名のキャンプのスタッフの方と待っていた。スタッフの方は当然最初は優しく「夏も楽しかったじゃん、行こうよ」と言ってくださったが、息子は「嫌だ! 絶対に行かない! 父ちゃんに騙された! 行くなら死んだほうがマシだ!」とわめくのみ。

 

正直、私はこれで行かせても強烈に恨まれるだけのような気がして(発達障害の特性として、自分に起こった嫌なことを常に昨日のことのように思い出して怒りを爆発させることもあり、息子はそれが顕著)、一応抱えてバス乗り場まで連れてきたはいいが完全に諦めていた。

 

「どうします? あとはお父さんとお母さんのご判断にお任せしますが、お二人がここにいたら絶対に動かないですよ」と貫禄十分な雰囲気の女性スタッフの方に言われる。

 

私は何も決められなかったが、妻はまたブワッと涙を溢れさせ「この子、夏のキャンプ凄く楽しんだので、行けばきっと楽しめると思います。行く直前だけ不安を爆発させてしまうんです。きっと大暴れすると思うけど連れて行って下さい。リュックの外側に酔い止めドロップ入っているからあとで舐めさせてください、宜しくお願い致します。○太、大丈夫!楽しんでおいで! 紳、行くよ」と言って私をつかみ、その場から離れた。

 

「裏切者―!! 殺してやるー!!」という息子の叫び声が背中に突き刺さるどころではなく、貫通した。息子から離れ、柱の陰に隠れて様子を見ていると、息子の「離せ―! 離せー!」という叫び声とギャン泣きが響き渡り、先ほどの貫禄十分な女性スタッフの方が、バッタバタに暴れて泣き叫んでいる息子をかついで走りながらバスに飛び乗る姿が見えた。その光景に、正直私は死ぬかと思った。幼い頃に見た戸塚ヨットスクールの恐怖の映像を思い出さずにはいられず、本当に胸が張り裂けてしまったし、正直今この瞬間、自分のしでかしたことは短い子育て人生の中でも最大の失敗なのではないかと思ったからだ。

 

妻は唇を噛みしめ、「……行けばきっと楽しむよ。楽しめる子だよ、あの子は……」と自分を納得させるように頷きながら言う。私は「恨みだけが残ってずっとその記憶が払しょくできなかったら地獄だ」とぶつぶつと繰り返していた。

 

息子が無事に行けることを願って(行けると信じて)、げんを担ぐつもりでこのあと「パーフェクト・ケア」(監督・J・ブレイクソン)を予約していたのだが、正直映画など楽しめる気分ではまったくなく、夫婦二人で朦朧としながら新宿を徘徊していた。が、「もう考えてもどうしようもない。殺されるわけじゃないし、どうしてもダメだったら電話がかかってくるから長野に迎えに行けばいいだけ」との妻の言葉に、映画館に入った。映画は面白かった。こんな時じゃなかったらめちゃくちゃ楽しめただろうに、ロザムンド・パイクがとても良かった。

 

その後、高田馬場の「蒙古肉餅」で羊肉と火鍋をやけ食いした。帰宅すると、娘がのびのびと居間でお笑いを見ていた。

 

※妻より

私も夫同様に失敗した…と思いましたが、子育ては何が正解か分からないし、人生は賭けみたいなとこもあるし(じゃないと足立と結婚しない)、何も地獄の矯正施設に送り込むわけでもないし……。 行けばきっと楽めるだろうと思い、行かせました…… ですが、数日は胸が苦しくて苦しくて一気に禿げました……。

 

12月23日(木)

昨晩、息子がキャンプで泣いている夢を見てほぼ一睡もできなかった。溜まらず朝起きてすぐ、宿舎に電話してくれと妻にお願いする。妻は連絡が来るまで待つべきだと言ったが、押し切って電話をしてもらった。このキャンプは外部からのコンタクトは余程の緊急案件でない限り取らない方針なのだが、東京事務所の方に昨日の息子の大癇癪を伝え、現地スタッフの方に息子の様子を聞いてもらった。

 

「落ち着いているし、食事も取れている、何かあれば連絡する」と返事があった。「落ち着いているし、食事も取れている」という返事にまた心配になる。息子が落ち着くってことは、寂しい想いをしているのではないか、元気がないんじゃないか?と気が気じゃない。事務所に人に念のため息子の特性や取説などを伝えた。

 

妻は「大丈夫だよ、今晩はクリスマス会があるし、明日は山散策があるし、明後日は川散策とお楽しみ会がある。きっと楽しめるよ、多分」と、昨日の息子の様子をもう忘れたかのように言うので、無責任なことを言いやがって! と腹が立った。「息子にトラウマができたら、全部お前のせいだからな」というセリフは、すんでのところで飲み込んだ。それを言ってしまっては離婚必至だ。ここに書いてるけど。

 

今日は民間療育のペアレンツトレーニングのため、14時半に出発。ペアレンツトレーニングの前に昨日の惨状を私よりも20歳以上も若い先生に「この女が無理やり行かせたんです!僕はイヤだったんです!」と伝えると「それは賭けでしたね…トラウマになるか、楽しんで自信につながるか、どっちになるか分からないですね」と正直な感想を頂く。そしてその若い先生から息子の特性分析と、対応方法などを学ぶ。

 

16時半に終わる。このまま帰っても中途半端なので(何が中途半端なのか分からないがいつもそんな理由をつけて)またも外食。「ジンギスカン楽太郎」に飛び込み2日連続の羊。お店のお姉さんが木下優樹菜そっくりの話し方で、反抗期の娘の対応などを助言してくれて楽しかった。

 

その後、娘が欲しいと言っていた自然派スキンケアブランド「LUSH」に入店。あまりに女子ばかりだったので私は近くで待っていた。妻が店員さんに中学生に人気の商品を聞いて購入。

 

夜帰宅し、LUSHを渡すと娘は喜んだが、一緒に渡した我々からのクリスマスカードには完無視。「読め!」と言うが、絶対説教が書いてあるからイヤだ、と。確かに書いてある。

 

夜になると息子の雄たけびが聞こえてきて、今日も眠れなかった。

 

12月24日(金)

脚本を書いたドラマ、「拾われた男」の撮影を見学に行った。

 

主演の仲野太賀さんはこの役のために14キロ増。原作者の松尾 諭さんと並んでいる写真を見せてもらったが、もう本当の兄弟にしか見えなかった。このドラマはきっと面白いものになるだろうと思う。そして、私も早く撮影したいと久しぶりに前向きな気持ちになった。

 

その後、妻と娘と天ぷら屋に行った。本当は妻とちょいちょい行く寿司屋に娘を連れて行ってやりたかったが、妻の「14歳にはまだ早い」という言葉で、天ぷら屋になった。

 

80歳越えのおじいちゃんが一人でやっている、地元の老舗の天ぷら屋だ。その天ぷら屋もとても美味しい。カウンターしかなく今は完全予約制で、今日は我々しか客はいなかった。

 

しめさばも、ミンククジラも自家製塩辛も最高だった。娘はそれらと天ぷらでどんぶり三杯のご飯を食べながら、好きな人に告白するべきか否かを延々とマシンガントークしていた。中二にもなって好きな人の話を親にベラベラする幼さにビビる。

 

その後、娘だけ家に帰して妻とBARに一杯飲みに行く予定だったが(私は酒が好きではないが、BARの雰囲気は好きなのだ)、かつて妻が映画館でするめを食べて、前の席に座っていた男性に怒られた話を天ぷら屋でしたら妻が不機嫌になり、BARは中止になった。なぜにそれで不機嫌になるのか私にはまったく理解できない。

 

※妻より

「娘が寂しい思いしているから、クリスマスくらいは娘ファーストで外食したい」と夫は言いましたが、夫のセレクトはいつも自分が食べたいものです(娘はイタリアンに行きたいのに毎回却下)。私も鮨は大大大好きですが、夫が「高い鮨食いたい、ペアリングで酒がコロコロ変わる店行きたい!」とか、娘の事など1ミリも考えずミーハーなことを言うから死ぬほど腹が立つんです。

 

12月25日(土)

朝からオーディション。娘は部活後に塾なのでお弁当を作り手紙を書いて出かける。今日もまた面白い子が沢山いて、良き出会いもあった。

 

今日のオーディションは早めに終わった為に、オーディション後にスタッフの皆さんと軽く飲んで、20時に妻とともに娘の塾にお迎えに行く。娘を迎えてから今日こそBARに行こうかと話していたのだが、娘を待っている最中に、今日のオーディションのことで妻と口論になる。私が股間を何度も掻いて、そのたびにその手の匂いを嗅いでいたというのだ。誓って言うが断じてそんなことはしていない。したとしても一度か二度だろう。

 

いつの間にか塾から出て来た娘が「こんなとこでケンカやめてよ」と言い、正気に戻る。そして今日もまためでたくBARには行けなかった。

 

※妻の一言

15回は掻いてましたね。

 

12月26日(日)

今日はとうとう息子がキャンプから帰宅する日だ。息子がどんな様子で帰ってくるのか、ものすごく緊張して集合場所だったバス乗り場で待った。

 

数日前、この場所であんな行かせ方をしてしまったが、連絡がなかったということは、悪い事は起きていないはずだ。そして、あんな行かせ方をした限りは、息子が普通に帰ってきたらそれを利用して、今後はいろいろと一人でやらせようと妻と話した。

 

ドキドキしながら息子を待っていると、息子はヘラヘラとした顔でバスから降りてきた。我々を見ると、ちょっと照れくさそうな顔をして、プイっと横を向いた。とりあえず激しい恨みはないのが分かり、ホッとした。

 

担当のスタッフの方に息子の様子を聞きに行くと、山歩きでは先頭に立ってリーダーになり、下の子を凄く気遣ってくれて助かった(息子はその班で最年長だった)とか、川の探検はめちゃくちゃ大声を出して楽しんでいたとか、最終日の出し物会ではM-1ばりの司会をして盛り上げてくれた、とか教えてくれて、妻号泣。私も目頭が熱くなり、これを書いている今も、なんなら涙が滲む。

 

帰りの電車内で「楽しかったか?」と聞いても息子は「普通」としか言わないし、「司会やったのか?」と聞いても「分かんない」しか言わなかったが、長野の写真を見ながら「川が楽しかった」とは言った。あとは「新感染」や「13日の金曜日」の話ばかりだったが、元気そうで何よりだし、妻が言うようにやはり息子はそこそこは楽しかったのだと思う。

 

夕飯時、いつもなら「お茶取って」というのに「お茶、僕いれるね」と自分で動いたことに驚いた。多分、こういうのは3日ももたないのだが、それでもそんな小さな変化が嬉しい。ついでに「言っとくけど、僕、二度とキャンプには行かないからね。騙されたんだから」とニコニコしながら言った。

 

不安と楽しさがごちゃ混ぜになっているのだろう。今後キャンプに行けようが行けまいが、あんな形ではあったが今回行かせて良かったと思った。

 

とにかく今年は息子のことを含め、いろいろあって疲れた一年だった。来年もきっと同じような年になると思う。

 

皆さま、今年もお世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

【喜劇 愛妻物語公式サイトはコチラ】

 

妻の号泣にうろたえ、息子に「誘拐犯!」と叫ばれてしまう映画監督の日常【前編】

「足立 紳 後ろ向きで進む」第21回(前編)

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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12月3日(金)

朝から来春撮る予定の美術の方と打ち合せ。その後、子役のオーディションへ。今日から3日間怒涛のオーディション。良き出会いがありますように。今回の映画は、登場人物がほとんど子どもたちなのでこのオーディションに映画の運命がかかっているといっても過言ではない。同じ年頃の子を持つ親としても、子どもたちのオーディションでは思わずこちらの子育ての悩みを言ってしまったりして会話も面白いし、思いもよらぬ個性との出会いも多いからワクワクする。

 

12月4日(土)

本日も朝9時半から夕方までぶっ通しで子役のオーディション。どんな俳優さんになりたいですかと聞くと、たいていの子たちが「菅田将暉さんです!」と答える。凄まじい人気。

 

18時、オーデション終了後、ダッシュで横浜のシネマリンに向かい、今日から公開の「稽古場」の舞台挨拶。このご時世ではあるが総勢15人での舞台挨拶だ。お客さんもほぼ満席まで入ってくださり、久しぶりのその光景がうれしかった。

 

↑初日舞台挨拶の集合写真

 

12月5日(日)

今日も朝からオーディション。面白い子が多くて楽しいがヘトヘトになる。

 

オーディション後、本日も横浜シネマリンに向かい、今日は中村義洋監督、窪田将治監督と「稽古場」トーク。その後、見に来てくださった方と飲みに行った。こういうのも久しぶりでとても楽しい時間だった。

 

12月6日(月)

朝から台本を書く。その後、学校を早退する息子を迎えに行く。初めて学校教育支援センターに連れて行くためだ。

 

現在、息子は「初めてのこと」がとても苦手だ。初めての食べ物、初めての本、初めての映画、初めてのチュー、すべての初めてが大の大の大の苦手で、映画など「新感染 ファイナルエクスプレス」(監督・ヨン・サンホ)しか見ない。もう3か月くらい毎日見ていてセリフも完全に頭に入っている。他の映画も見せたいが今は無理だ。続編の「半島」ですら無理だ。理由? 理由なんかない。

 

数ある初めての中でもっとも苦手な初めてが「初めて行く場所」だ。だから、今日も連れて行くのにメチャクチャ苦労するだろうと覚悟していたが、学校教育支援センターは息子が週2回通っているキックボクシングジムの隣のビルなので、少しぐずったがどうにか行けた。

 

だが、我々が心理士とカウンセリングしている間、息子は「絶対にこの場から動かない!」と言ってソファにへばりついてしまった。でも、優しそうな女性の先生がうまく誘導してくれて何とかプレイセラピールームへ行った。その間、我々夫婦はセキを切ったように不登校気味な件や、見通しが立たない事への癇癪などを相談する。いつものことではあるが、話を聞いていただくだけでも少しすっきりした気持ちになる。

 

結局息子は予定時間を過ぎてまでプレイセラピーを楽しんだ。ギターを弾いたらしい。

 

トライ&エラーを繰り返すしかないが、息子の場合はトライ&エラー、エラー、エラーなので、何でもいいから小さな成功体験を積んでほしい。初めての場所が苦手でも行けば楽しめることが多いのだが、行く直前に不安が爆発してしまい、どうしても動けなくなる。今日は行けただけでもすごいと思う。それをもちろん褒めるのだが、親が褒めると今度は極度に恥ずかしがって「ウソつくな! ウソつくな! そんなこと思ってないでしょ!」と言う。悲しくなるし、ため息も出てしまう。

 

12月7日(火)

今日は朝から発達支援センターへ。まったくこうも「なんとかかんとか支援センター」ばかりに通っていると、どこが何の支援センターかよく分からなくなる。今日はWISC検査(言語理解、知覚推理、処理速度、ワーキングメモリ―とIQを数値化して、得意な部分と苦手な部分を把握し、よりよい支援の手がかりを得る目的)を受けに行く予定だ。

 

初めてWISCを受けたのは最初の緊急事態宣言の時だ。あの時は学校も休校になり、息子の癇癪が絶好調で、これはヤバいなと思い小児心療内科に行き(緊急事態宣言中で検査してくれるところを探すのが本当に大変だった……)、WISCと医者の診断から自閉スペクトラム症と診断されたのだが、何だかそのころより気難しくなっているように感じるし、どうにか公的支援に繋がりたいので今回再び受けることにしたのだ。

 

見通しが立たないと不安が爆発してしまう特性のため、1週間前から我々夫婦は息子にちょっとした検査を受けること、痛いことも怒られることも悲しいこともない場所だよと伝えてはいた。

 

朝は普段と変わらない様子だったが、駅に向かう道中から「今すぐ8ミリカメラを買って!」のしつこい執着が始まった。息子の見ている「ちびまる子ちゃん」の中に、レトロな8ミリカメラが出てきたようで、それをやたらとほしがって、毎日メルカリやらAmazonを検索しまくっている。不安なことが起きると物への執着を発動させて身体が動かなくなってしまうのだ。気分を逸らそうとスマホを与え、ゲームでも動画でもなんでもして良いよと渡すもダメ。

 

今日は「初めてのところへ行く」という緊張感に加えて、電車で行くというのが緊張感にさらに拍車をかけているようだ。いつも以上に執着が執拗で「8ミリ買ってくれなきゃ行かない!」から始まり「分かった、分かった」と流していると、「そう言ってパパはいつも買ってくれない!今すぐ買って!!!!」と叫び始めた。さすがにイラっとして「今すぐは無理だ!」と言うと、走って逃げ出そうとする。時間も迫っていたので、追いかけて抱っこしようとしたが、体重ももう30キロ近くあるし、全力で暴れるのでなかなか抱っこできない。しかも、駅に向かう人たちで周囲はごった返している。皆さん黙々と通勤していく中、妻に荷物を持ってもらって私は老体にムチ打ち、マックスの力を発揮して暴れわめく息子を抱え上げた。息子は「誘拐だー!! 誘拐される!!」と叫ぶ。こうなるともう人の目なんか知ったこっちゃない。心を無にしてどうにかこうにか駅のホームまで行く。

 

幸いにも向かう電車は都心方面とは逆のため空いている。電車内で暴れる息子を押さえつけるが、時折蹴りが金玉なんかに入ると一瞬殺意すらわく。

 

降車駅に到着しても、息子は電車の中を逃げまくり、ホームに出てからもダッシュで逃げる。そのたびに私はラグビーのように息子を追いかけて、低く鋭いタックルで捕まえる。

 

再び息子を抱え上げて、先にタクシーを捕まえている妻のもとに行き、タクシーの中に放り込む。運転手さんもびっくり仰天だ。タクシーの中でも息子は釣り上げたばかりのマグロのようにはねる。どうにか支援センターに到着したときには、もう私は滝のように汗びっしょりになっていた。

 

息子は支援センター内でも逃げまわったが、無理やり心理士さんに預けて、妻と私も別室で面談。だが30分を過ぎたころ、息子が部屋に入ってきた。

 

「もう終わった」とのことだが、心理士さんは「今日はちょっと無理ですね……」とのこと。息子は「騙された!」とプンプン怒っている。

 

どうにか公的な支援と結びつきたくて半年前からこの日を予約していたのに、それが水の泡となる。誰のせいでもないのだが、まるで、ずっと準備してきた映画がクランクイン直前で「ダメになりました」と言われたような脱力感と絶望感だ。「ふざけんじゃねえぞ、このタコーッ!」とわめき散らしたくなるも、正直そんな気力もない。

 

私と妻はもう口をひらく気力もなく、トボトボと歩いていると、うしろから息子が「父ちゃんが悪いんだぞ!」とか「母ちゃん謝れ!」と言って、我々の背中をパンチしたり蹴ってきたりする。だが、その力加減は往路の暴れ方の十分の一だ。息子も「やっちまった……」と思っているのである。悪いとも思っているのだろうが、どうにも感情をコントロールできない様子を見ていると、こちらの思考も停止してしまう。どうすればこいつは「普通」になってくれるのだろうか。

 

「普通」って何? なんて屁理屈をよく聞くが、普通とは「大多数」のことだ。「大多数」のほうにいればこの世を生きて行くのは楽だ。この世には色んな形の「マイノリティ」の人がいて、それぞれに生きづらさを抱えていて、映画ではそういう人たちの苦しさや、周囲の多数派はどうすべきかなんてことが描かれるものがたくさんあり、私だってそういう作品に感動してきたりもしたが、今こうして息子と接していると、「多数派」にいてくれりゃこっちも楽だったのにななんて思いしか出てこないのが本当に情けない。

 

「小さな声に耳を傾ける映画」なんて言葉もしばしば聞くし、すごく良いことと思うが、社会に適応できず小さな声しか出せない者を「あいつ、使えない。仕事できない」と制作の現場から排除するような場面だって見たことがある。人間なんてほんと身勝手だ。そして私はその最たる部類だ。と開き直る自分も嫌いだ。

 

10時半ごろ帰宅。この状態では息子は当然学校に行かないと思うから、息子を家に残して私も妻も外で仕事をしようと(する気になんかまったくなれないが)家を出る準備をしていたところ、「学校行く……」と言った。やはり悪いと思っているのだと思う。

 

私も息子もほとんど精も根も尽き果てていたので、無言で学校に行った。その後、気力を振り絞ってそのままファミレスに向かい仕事……はせずにひたすら負の妄想をしていた。

 

12月8日(水)

昨日の大癇癪の後遺症か、朝から息子の調子が悪い。「学校に行きたくない行きたくない」と連呼。

 

今日は毎週水曜の高校の授業が休講のため、随分前に予約していた、城山羊の会の「ワクチンの夜」に行く予定だったので「学校は休んでも良いけど、ママもパパも今日は11時半には家を出るからな」と話し、家で仕事をしている。息子はずっとぐずぐずしながら、「ドラえもん」で現実逃避していたが、昼前になったら「やっぱり学校に行く」と言ったので送る。

 

下駄箱で聞いたのだが、今日は算数のテストがあったので行きたくなかったらしい。どんなに「テストなんて気にするな!」と言っても、息子はテストの点にこだわるものだから(点は取れないのに)、テストの度に非常に苦しんでいる。ある意味理想が高いのだろう(できてないけど)。0点取っても全然平気な子が羨ましい。どうしてこんなに毎回傷つくのか……。でも、そんな繊細な息子も、教室に入るときは「ちーっす! 遅刻しやしたー!!」みたいなキャラクターになるから、この繊細さはなかなかに伝わらない。虚勢の張り方が尋常でない。

 

凹みながら演劇を見に妻と三鷹に向かう。こういう時の貴重なランチは絶対にハズしたくない。食べログを凝視して、行った店「餃子のハルピン」。小皿も餃子も小籠包も美味しくて、これは無限に食べられると思った。

 

14時半から観劇。自由席だったので最前列で鑑賞。ワクチンを接種した日のとある一家のちょいエロなカオスの夜。とても面白かった。あー、私も演劇やりたい……。

↑帰りに近くの墓参りに行こうとしましたが、日没過ぎて入れませんでした

 

12月9日(木)

今日も朝から息子は「学校、行きたくない行きたくない」の連呼。先日、発達支援センターに連れて行くまでは、グズグズながらもなんとか学校に通えるようになっていたのだが、あの大癇癪でまた行き渋りが始まってしまったのかもしれない。

 

今日は朝から機嫌の悪い娘が、弟のその態度にさらに機嫌を悪くする。

 

「お前、ふざけんなよ! この怠け者! こいつゲームなしにしてよ、不公平だよ!」とキレる。「弟は怠けているのではない」とたしなめると娘はますますヒートアップ。「弟ばっかり贔屓してる! ずるい!私はいろんなことに耐えている!」と泣き出し、ものすごい音を立てて家を飛び出て学校に行った。娘も何か嫌なことが学校であったのかもしれないが(家庭ではしょっちゅうだろう)、とにかく娘の呪詛を聞いた息子の脳調はますます悪くなっている。

 

「今日は昼からお仕事の人が家に来るから、その間は違う部屋にいろよ」と言うと、「分かった」と言ってまた「ドラえもん」に没頭。目が死んでいる。心を無にして、仕事の資料を読む。

 

昼前に息子が「学校行く」と言い出したので送って行く。道中、今日は漢字50問テストがあるとの事。「そうか」とだけ反応。教室には昨日と同じ「チーッス!!」のテンションで入って行った。軽い頭痛がする。

 

気を取り直して、家まで来てくれた造形の飯田さんとプロデューサーの坂井さんと打ち合わせ。飛騨のふるさと納税で取り寄せたピザやアイスがめちゃくちゃ美味しく、昼からビールを飲んで、ほとんど飲み会のような打ち合わせになったが楽しかった。

 

12月10日(金)

朝、仕事の参考にしようと映画「ディア・エヴァン・ハンセン」(監督:スティーブン・チョボスキー)鑑賞。主人公だけでなく、偽友人、偽友人の妹、偽友人の両親、同級生、母親など、丁寧に人間が描かれていて見入った。

 

夕方から横浜シネマリンで「稽古場」の最終日の舞台挨拶。「稽古場」は来年の2月26日から池袋シネマロサでも公開されますのでよろしくお願いします。

 

映画「稽古場」池袋シネマロサで2022226日より公開予定
https://tokushu.eiga-log.com/new/112665.html

 

↑「稽古場」の足立組のキャストたち

 

12月11日(土)

朝から静岡に仕事の参考のため演劇を見に行く。お寺でやっていた一人芝居は無料だったが、往復の新幹線&タクシー代がバカにならない。妻が猛烈に不機嫌になる。しかし、もしかしたら参考になるかも? と思うとどうしても見ないと気が済まない。もしかしたら息子と同じような特性なのかもしれない。

 

鑑賞後ダッシュで帰宅。今日は息子のキックボクシングジムの忘年会があり、忘年会前に道場生同士で試合をすると急遽決まったので見に行くのだ。

 

息子はずっと試合を楽しみにしていたが、結論から言うと試合をしなかった。この日はプログラミングの体験も入っていたのだが、特性を発揮して「二つも初めてのことができる訳ないでしょ!」と、試合場に行く途中で動けなくなってしまったのだ。で、結局試合もプログラミングも行けないという最悪の結果。

 

息子は大人の人たちのスパーリングを見ると言って道場には行った。その間に、何の意味があるのかプログラミング体験には我々が夫婦で行って、説明だけボケッと聞いていた。だが、体験にこなくて正解だったかもしれない。

 

代表者は「私は同じことは二度聞かせません」とか「自分で考えられるようにします!」とかおっしゃっており、いまだに私もできていないこれらのことは息子もできないと思われる。この教室は息子には難しそうだ。

 

その後、妻と近所の焼きトン屋で一杯飲み、お互い子育ての弱音を吐いた後、私は19時からオンライン会議のため帰宅。妻は息子とともにキックボクシングの忘年会に行く。忘年会には子どもたちも何人か参加していて、息子は楽しかったらしく、妻と共に0時過ぎに帰宅したが、きっと楽しかったのは妻なのではないかと思う。泥酔していたから。

 

12月12日(日)

娘は朝から野球の試合。妻も用事があるため、一日息子と一緒。息子は朝から脳調が悪くグズグズだったが、なんとか「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」(監督・アンディ・サーキス)に行くテンションになり、久々に二人で映画鑑賞。だが私は日ごろの疲れが出て、始まって10分で撃沈。

 

その後に古着屋に行き、服を買ってやる。息子はなぜか服が好きで、古着屋とかユニクロに連れて行くと嬉々として服を選び、私の服まで選ぶ。そして気に入った服をほぼ毎日のように着る。

 

12月14日(火)

今日は朝の10時から出版社の編集者さんと宣伝部の方とライターさんとカメラマンの方が来る。

 

来年早々に出す「したいとか、したくないとかの話じゃない」という小説のことで妻と取材を受けるためだ。取材時に「セックス」という単語が頻出するのは分かり切っているので、息子にはどうしても時間通りに登校してほしかったが、案の定「行かない」が始まる。

 

そんな息子を横目に朝から妻と家を大掃除し、いよいよ息子は隣の部屋に閉じ込めるしかないとかと諦めた矢先、「学校行く」と言った。こっちのバタバタが分かったのか、何か聞きたくない話をするのを悟ったのか(発達障害の子どもの育てづらさも話す予定だった)息子も頑張ったようだった。

 

妻との取材がうまく話せたのかどうか分からないが、妻はエンジンをかけるため朝から酒を飲んでおり、いきなり「妻の自慰シーンは私が書きました!」と飛ばしたことを言い出す。妻もそんなことを言うつもりは毛頭なかったのだが、こういうときはヤバイ。そして横にいる私のテンションは激下がりする。結果、サービストークと言うか、盛り上げるようなエピソードは何ひとつ話せなかった気がする。反省……。

 

今回出す本は今までの夫婦ものとちょっと違い、自分たち夫婦をモデルとはしていないし(発達障害児の育てにくさなどモデルのところもあるが)、初めて妻からの視点も織り込んで、妻と夫の視点を交互に書いてみた。「マリッジストーリー」のような作品を目指したから映像化もしたい。

 

現在予約受け付け中なので良かったら是非ポチっとしてください!

したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)

 

12月15日(水)

今日も高校の授業が休講のため、朝からワークショップ。今回のワークショップは、「したいとか、したくないとかの話じゃない」からセリフを抜粋して行った。参加者の大半の方が40歳以上という、人生において熟練された方が多数だったため、今回の脚本への意見交換や感想などが思いのほか白熱して、メチャクチャ楽しかった。

(後編へ続く)

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。

【喜劇 愛妻物語公式サイトはコチラ】

 

愚痴れる先輩に焼肉をおごってもらい、息子との喧嘩で4日間家に帰れない映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第20回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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11月1日(月曜日)

家出から戻ってきた息子が今日は開校記念日で休校。ひたすら家出をしたことを自慢している。持って出た1万円は当たり前だが、どこかに落としている。

 

「俺、家出したんだぜ! なんかイヤなことがあったらまたすぐに家出するぞ!」と息巻く息子。

 

こんな家出でも、息子にとってはもしかしたら小さな成功体験だったのかもしれない。「僕も家出ができた!」なんて。こういうことが深夜徘徊などにつながるのだろうかと思いつつも、自慢してくる息子がかわいいのと、人から褒められることが圧倒的に少ないから「すげえな、家出。パパは怖くてできない!」と誉めておいた。妻は私とは違う意見で、息子は平然としているように見えるが、実は1万円を失くしたことがショックで、それをなんとか薄めようとして、あんなことを言っているのだと思うと言う。

 

言われてみれば、普段は電話なんかしない鳥取の祖母に自ら電話をして「1万円がねー、こんなウチ大嫌いだって言って、家出しちゃったんだよー」と、自分と1万円を入れ替えて落としたことをうっすらと報告していた。祖母はそんな息子を「凄い才能だ! あんたの文章は子どものころから私の口述筆記だったんだから、今度は息子の文章をメモしてパクれ!」とのこと。

 

11月3日(水曜日・文化の日)

休日。息子を朝の9時に友人宅に送る途中、自転車に乗りながら、後ろからついて行く私に、ペラペラとしゃべり続ける息子に前を向けと注意。その直後に案の定、人とぶつかった。カッとした私はぶつかった方に謝ったあと、息子をその場で怒鳴りつけた。が、ぶつかってしまった息子もびっくりして動揺しており、その上に私からも怒鳴られたものだから特性を発揮。急に「もう行きたくない!」と言い出した。ヤバイと思ったが、友達の家はもうすぐだし、何とか息子の言葉を流して到着。が、友達が出迎えてくれても息子は「帰りたい、帰りたい、パパが悪い!」と半ベソ状態。私はまた沸々と怒りがわいてくる。友達とそのお母さんが息子をなだめてくれるのを横目に、娘の野球の練習試合に行くべく妻と合流。

 

試合に出られないことで、野球へのモチベーションが著しく低下中の娘の様子を見に行ったのだ。もちろんスタメンではないが、練習試合は3試合の予定だから、どこかで出られるだろうと思いながらぼんやりと見物していたら、息子の友達のお母さんから電話。息子がどうしても帰ると言っているとのこと。その上、友達に「○○(友達の名前)とは一生遊ばない」と口走ったらしい。一気に気分が凹んだが、今日はうまく遊べないかもという懸念はあったので、しかたなく迎えに行く。妻は娘の試合に残る。

 

家に戻ると、息子は学校から支給されているタブレットをいじっていた。そして「ぜんぶパパのせいだ!」と叫びまくる。このままではまた怒鳴りつけてしまいそうなので、私も頭を冷やそうと息子と離れる。15分後、「ほんとにもう遊ばなくていいのか? みんなまだ公園にいるってよ」と言うと、息子は黙った。当たり前だが遊びたくてしょうがないのだ。でも、遊んでいる最中はもちろんのこと、その前後に少しでも嫌なことがあると――今日で言えば自転車のことで私に怒られた――もうその瞬間に脳調がおかしくなり平常に戻ってこられない。

 

私はそのまま2階に行って仕事を始めたが、1時間後に下に降りて「どうするんだ?」と聞くと、「やっぱり行きたい」と言う。だがひとりでは行けないというので、公園まで送ってやることにした。

 

到着間際に「やっぱりやめようかな……」とモゴモゴ言い出したので、遊んで来いと背中を押すが、うまく友人たちの間に入っていくことができずウロウロしている。

 

離れたところでピクニックをしている友人たちのお母さんたちに挨拶に行くと、皆さん「ああ、戻ってこられたんだ!」と言ってくださったが、新事実も分かった。

 

息子のリュックの外ポケットにあるグシャグシャのティッシュの中身はネズミの死体だという。ネズミの死体を見つけた息子が興奮して頑なに離さず、友達や友達の母から「死体だから触っちゃだめだよ」と何度言われても「持って帰る!」と貫き通したのもトラブルの一因のようで、うーん眩暈。去年の春に仲の良かった婆さん猫が死んだ時も「埋めて埋葬する!」 とこだわっていたのを思い出した。

 

小学生のころ、机に給食のパンを入れ続けている友人がいて、どうしてこいつはこんなに嫌われることをするのだろうと理解できずにいたが、今なら少し分かる。きっとパンが大嫌いで、残して机に入れていた。それをひたすら持って帰るのを忘れて悪臭が漂ってきてしまった。ただそれだけのことなのだ。

 

そして、そういう子を叱ってもしょうがない。そういう特性の子だと分かれば、彼の残したパンを誰かが袋に入れてやり、下校時にちゃんと手に持たせればいいだけだ。たいして面倒な作業ではなさそうだが、彼は卒業するまでパンを机に入れ続けていた。そういえば彼は、数年前に鳥取県の米子で私の映画の上映会があったときに来てくれた。中学時代の男子の友達で来てくれたのは彼ひとりだった(私の人望がないんじゃなくて、いつも来てくれている連中が何人かいるのだが、その日はみんなどうしても都合がつかなかったのです!)。

 

「僕が誰か分かるかい?」とすっかり太った彼は、満面の笑みで名乗り、私は彼を思い出した。彼が来てくれてうれしかった。もう少しきれいごとのように言うと、彼がこうして中学時代の仲間に会いに来るというメンタルを持っていたことがうれしかった。少しだけだが立ち話をした。不幸そうではなかった。息子も大人になったときに、彼くらいの笑みを浮かべながら生きていてくれたらと切に願う。と、キレイにまとめたいところだが、彼は小学生のころからぼんやりしているか、あとは薄ら笑いを浮かべていたように思う。その笑顔の下には多くの苦しいことがあったのだろうと、今は想像がつく。

 

11月4日(木曜日)

娘の塾の体験日。終了後に迎えに行く。「この塾は気に入った」とのこと。今回は塾を3つほど体験させてから(親が色々調べた2つと娘が希望した今回の塾)、最終的には娘自身に決めさせることにしていたのだが、あっけなくここに決定した。体験に行く前からおそらくここになるだろうと思っていた。なぜなら同じ部活の仲の良い友達が通っているからだ。そういう理由で決めるところが私の娘っぽいなあぁとつくづく思うが、頑張って欲しい。

 

11月6日(土曜日)

妻と小豆島に行く。一昨年、小豆島で撮影した「喜劇 愛妻物語」を二十四の瞳映画村で行われる小豆島回想映画祭で上映してもらえることになり、夫婦で呼んでいただいたのだ。明日は夫婦でトークをする予定だ。

 

近ごろは夫婦ともに、主に息子のことで疲弊気味であったので、この小旅行は楽しみにしていた。

 

小豆島は11年前に妻とまだ3歳だった娘と訪れた。さぬき映画祭で募集していたプロットコンペを見つけてきた妻が、そのコンペに応募しろと言ってきたのだが、私は香川県に行ったことがなかったので家族でシナハンに来たのだ。そのとき小豆島にも立ち寄った。

 

妻がレンタカー代をケチり、レンタサイクルで島内を移動したものだからひどい目にあったのだが(なにせ無知な私と妻はチャリだと2時間くらいで島を1周できると思っていた)、その体験を「喜劇 愛妻物語」で描いたのだ。あのときプロットコンペは一次審査も通らず落選したが、11年後にこうして妻と来られるのは感慨深い。

 

11年後のこの日の夜は、映画の撮影時にもお世話になった二十四の瞳映画村を切り盛りする有本裕之さんに美味しい物をたらふくご馳走になった。妻がここぞとばかりに凄まじいピッチで酒を飲んでいるのが気になったというか、少々腹立たしかったが、私や息子のことでストレスもずいぶんたまっていたことだろうから、呼んでくれた有本さんには感謝しかない。

 

食事から宿に戻ると、妻は巨象のようにベッドに倒れ込みすぐに寝てしまった。せっかく久しぶりの夫婦ふたり旅だから少しは甘い雰囲気を味わいたかったのだが、11年前もそう言えば妻は安酒をかっくらって寝ていた。

 

※妻より

フェリーで「ふたりの旅行なんて久しぶりだね」とすっごい気色悪い声と引きつった笑顔で夫が話しかけてきたので、すかさず聞こえないふりをしました。

毎朝毎晩「もっともっと愛して欲しい、もっともっと支えて欲しい」と夫が叫ぶ度に、どんどん具合が悪くなります。

 

大変大変かわいかった3歳の娘は、今はかなり面倒くさい反抗娘になりましたが、それでもまぁかわいいです。かわいいけど、面倒くさいです(by妻)

 

11月7日(日曜日)

起床して妻とともにホテルの窓から見えるエンジェルロードに行く。こちらも以前、エンジェルロード脚本賞というものに応募したことがある。東日本大震災のあった年だからちょうど10年前だ。あのとき、原発事故で放射能がどうなるか想像もつかなかったから、娘を鳥取の実家に避難させた。1か月後に娘を迎えに鳥取まで行き、その帰りに岡山で下車して当時4歳の娘をレンタサイクルの前かごに入れてシナハンをした。エンジェルロードまで行きたかったが、なにせ金がなかったので岡山でシナハンをしたのだ。というのは、エンジェルロード脚本賞の応募要項に「瀬戸内を舞台としたもの」という条件があり、なら岡山でもいいだろうと思ったのだ。こちらも落選したが、そのシナリオを元にした映画を来年撮る予定だ。こうして振り返ると、私の映画人生は落選とリベンジの繰り返しのような気がする。

 

二十四の瞳映画村でのトークイベントは1時間あったが、あっという間に終わった。お客さんもよく笑ってくださったので、少しは有本さんへの恩返しになっていればうれしい。お土産もたくさんいただいて、昨日も書いたが本当に感謝しかない。

 

フェリー乗り場まで送っていただき、高松から岡山に出て私はそのまま岐阜県にロケハンに向かうのだが、岡山駅でキャリーバッグがないことに気づいた。妻の機嫌が瞬時に悪くなり、フェリー会社とか鉄道会社とかいろんな場所に電話をかけはじめた。私はボケっと岡山駅で買ったままかりの押鮨をひたすら食していた。名古屋で私は岐阜に向かうために乗り換えたが、荷物の行方は分からず、妻の機嫌は悪いままだった。

 

23時過ぎに飛騨に到着し、バタンキューだった。

 

小豆島のトークは相変わらずゲスな話ばかりでしたが、お客様が笑ってくれたので良かったです。キャリーバックはその後、高松駅で見つかり、後日着払いで発送して頂きました。たくさんのお酒や醤油やオリーブオイルが入っていたので良かったです! 顛末をFacebookに書いてしまったので複数の方からLINE頂きました。ご心配おかけしました&ありがとうございました!(by妻)

 

11月8日(月曜日)

ひたすらに飛騨をロケハン。この日、初めて万歩計が3万5000歩を超えた。とくに午前中は5時間近くひとりで歩き回り、なんとなく登場人物たちが住んでいる町のイメージがつかめた。

 

朝、息子から電話。何事かと思ったら「僕の財布がない! 父ちゃん、どこ置いた!」と突然にお金への執着。たまに息子はお金、文房具、フィギュアへの執着発作が起こることがあり、その時はそれらが満足のいく形で手元にくるまで癇癪を起こす。なんとか財布は見つかり、先生が迎えに来てくれて学校へは行ったとのこと。

 

夜、妻から娘のことでLINE。娘がキャッチボールの相手をしてくれと言ってきて、妻は相手をしたのだが、娘は独自に覚えようとしている変化球ばかり投げてきて、ボールを取れない妻に娘がキレて妻もキレ返し、大ゲンカになったとのこと。ウケる。と言いたいところだが、こういうLINEも確実に心にダメージが残る。

 

11月9日(火曜日)

朝から冷たい雨。ロケハンに出る時間を遅らせて、宿でぼんやりしていると、妻からLINE。今日息子は学校に行けなかったとのこと。先生が迎えに来てくれたが、どうしても動けず、立ちすくんでボロボロ泣いていたとのこと。息子は学校へ行くのも辛く、学校へ行けないのも辛い。かわいそうなので妻と息子あてに優しさにあふれたようなLINEを送ったら、慣れぬことをしたからか仕事のグループLINEに送ってしまっていた。恥ずかしい。

 

この日もひたすらにロケハン。昼くらいに妻からまたもLINE。ラーメン食ってる息子の写真とともに、息子に今の気持ちを話させ、口述筆記した文章の写真が送られてくる(息子は字を書くのが苦手なので書けない)。

 

「学校に行けないです。保健室にも校長室にも行けないです。理由はどこに行っても勉強から逃げられないからです。ボクは勉強が嫌いです。でも頭は良くなりたいです」

 

切ない。息子は勉強をするのは死ぬほど嫌だが、みんなより点数が取れないことをとても恥ずかしがってしまう。0点でいいんだよと何度言っても、息子は0点をイヤがる。でも、勉強するのもイヤ。苦しいだろうなと思う。

 

夕方に飛騨をたち、富山でスタッフとともに黒ラーメンを食して帰京。疲れた。

 

11月10日(水曜日)

息子、今日は友達に迎えに来てもらい(妻が母仲間に頼んだ)、どうにか学校に行けた。友達は静かな子だが、その子相手にずっと自分しか知らないゲームの話をし続けていた。9歳の友達も辛いだろうに。

 

夜、ゲームをやめられない息子を叱ってしまう。無理やりゲームを取り上げると息子が大癇癪を起こし「だから父ちゃんは大嫌いだ! もう僕の前に一生こないで! ウチから出て行って!」とわめきだして「出て行け! 出て行け!」と30分くらいわめき続け、このままではヤバイと思い、家を出た。かなり凹んだ。

 

11月12日(金曜日)

息子は今日も学校に行けず(昨日も友達のお迎えで行けたから、今日はお迎えなしで行って見ようと昨晩話していたのだが、やはり友達のお迎えがないと行けなかった。ボロボロ涙を流す)。そんな息子を残して妻とともに区の発達支援センターに相談に行く。ほとんど我々の疲弊の相談に乗ってもらいながら、息子のことでももちろん多くの助言をいただく。こんなことを書くのはセクハラになるのかどうか判断できないが、相談員の女性の方が以前私の好きだったタニア・ロバーツの若いころのような潤んだ瞳の美しい方で、ぼんやりと見惚れていた。その後、妻に「あんたの好きなタイプでしょ」と言われた。

 

こんな状況でも、見惚れることができるのだから、俺はまだ大丈夫かなと思えた。

 

11月13日(土曜日)

土曜登校。友達に迎えに来てもらえ、かつ今日は3時間で帰れるので、息子は脳調がおかしくなることもなくすんなりと学校へ行った。この日はコロナでずっと休止していた学校公開が開催されたので、久しぶりに学校での息子の様子を見た。

 

授業中は多分ぶっ飛んでいたのだろう、ずっと天井を見ており微動だにしなかった。休み時間、息子はいろんな友達に一方的に自分の興味のあることをベラベラと話していた。友達たちはほぼノーリアクション。すると息子は次のグループに行くが、またノーリアクションをいただく。その繰り返し。自分の興味のあることだけを一方的に話し続ける息子にリアクションしろと言われても、小学3年生は困ってしまうだろう。息子は久しぶりに普通に登校できてハイテンションにもなっていたのだろうが、見ていて辛かった。

 

その後、家で仕事をしていると、さらにハイテンションになった息子が友達を5人くらい連れてやってきた。

 

「俺んちここ! 狭いでしょ!」などと言っている。「お邪魔します」と言う友達に「いいんだよ、俺んちはお邪魔しますなんて言わなくて」とも言う。これも自己肯定感の低さゆえの言葉なのだろうか。妻が慌てて、いろんな荷物を片付けた。

 

みんなで「イカゲーム」を見るのだと言う。悪い予感がしたが、案の定、息子は「イカゲーム」のネタバレを凄まじい勢いで話しだし、友人たちはみんな引いている。我が家だから、息子を真ん中にしてソファにギュウギュウ詰めになって見ていたのだが、友達に囲まれることなど少ない息子は、それだけでテンション激上がりしているのが分かる。正直目がトンでいるようにすら見える。

 

「先を言ったら見てない人がつまらないでしょ」と言っても息子は止まらない。あまりに言うと、その場で癇癪が起きるので途中で諦めた。友達の前で癇癪を起こさせたくない。が、ネタバレが止まらない息子の姿を見ているのもなかなかに辛く、私は部屋から出た。30分後、案の定「イカゲーム」を見る会は中止され、息子たちは外に出て行った。息子はサッカーや鬼ごっこでうまく遊べないから心配だったが、考えても何も解決しないので、心を無にして仕事をしようと思ったけど、できなかった。

 

16時ごろ、また友達5人を引き連れて帰宅。今度は居間でゲームが始まる。でもコントローラーが3台しかないため、同じ遊びができない。息子は相変わらず、自分の好きな遊びしかできない。みんなと一緒には遊べない。ゲームで遊べない子は退屈そうに恐竜のおもちゃで遊び始めた。「あの子の遊び方を見守るのは心臓への負荷が高い」と具合が悪そうに妻が言っていた。

 

この日の夜は、息子のことでストレスがたまっているであろう私を武 正晴監督が呼び出してくれて、たらふく肉を食わせてくれた。

 

久しぶりに会ったこともあり、5時間以上もベラベラとしゃべりまくって、だいぶ気が楽になった。先輩が後輩を飲みに誘ってはいけないという世の中になりつつあるが、悩んだ時に呼び出してくれる先輩がいるというのは幸せなことだとも思う。

 

11月14日(日曜日)

うえだ城下町映画祭で「喜劇愛妻物語」を上映してもらえるので、この日も妻とトーク。本来ならば1泊してゆっくりしたいところだが、息子の情緒が絶好調に不安定なので、日帰りにした。

 

上田劇場は築百年以上の趣のある劇場で今年の2月にもトークイベントで来ていた。そのときに映画を見てくれた城下町映画祭のスタッフの方が、今回呼んでくださったのだ。先週の小豆島同様に、この日も夫婦漫才がちょっとばかりウケて、我々夫婦としては非常に楽しいトークだった。

 

イベント後、無言館に立ち寄り、戦死した画学生たちの絵を見ていると、息子から電話。預けていた保育園の友達宅で、その友達とトラブルになり「帰りたい」とのこと。こうなるともう帰らせるしかない。「家にいても退屈だぞ」と言ってもそのスイッチが入ると息子は聞けない。1時間後、小学校のママ友から妻にLINEがくる。息子がサツマイモを持って訪ねてきたから、うちで遊ばせとくね! とのこと。きっと息子なりに、何かを考えてサツマイモを持って訪ねて行ったのだろう。そのバカな姿を想像すると、夫婦で鼻の奥がツンとしてしまう。優しい子ではあるのだ。

 

そんな息子の姿に夫婦でちょっぴり感動して長野から帰宅したというのに、大惨事になる。

 

娘と息子がストーブやヒーターを入れて、部屋中に菓子などを食べ散らかしてアニメを見ていたことに、鼻の奥をツンとさせていたことを妻がすぐに忘れて激怒。それに娘がキレ返した。アニメを見ているときにうるさくされると癇癪を起こす息子が案の定、激怒し始め、なぜか私のせいにしてくる。「やっぱり父ちゃんがいるとアニメが見れない! 父ちゃんのせいだ! 出て行け!」が始まり、妻と娘のケンカにいらいらしていた私は「うるさい!」と怒鳴ってテレビを消した。すると息子はさらに激怒。その瞬間に娘が妻に投げつけた硬くて分厚いダイエットスリッパが私の側頭部に命中。

 

「イテーッ!!!!!」という私の大声に家族が静まり返り、娘が「……ごめん」と謝った。大爆発寸前だったが、ここで私がグッと我慢すればこのカオスもおさまるかもしれないとうつむいて耐えた。が、次の瞬間、息子が「ほーら、罰があたった。早く出てけ!」と言ったのでプツッときてしまった。

 

「ほんとにいいのか! 父ちゃんいなくなっていいのか! 父ちゃんほんとに出て行くぞ! 何日いなくなればいいんだ!」と大人げなく怒鳴り散らすと「いなくなれ! 早くいなくなれ! 4日は帰ってくるな!」と息子が言い、私は妻に「子どもにこんなこと言わせていいのか!」と詰め寄ると、妻はフンと鼻で笑い「この子が言葉通り受け取るの、分かってて言ってんでしょ。どうせ『やっぱり出て行かないで』とか言われたかっただけでしょうが。この子に試すような質問するほうが悪い。すぐに頭に血がのぼって大声を出すあんたが悪いよ」と言うので、私は出て行った。というか2階に行った。その夜は息子への接し方を間違った後悔でまったく眠れなかった。

 

 

※妻より

我が家のケンカネタはもう飽き飽きですよね。怒鳴り散らして夫が出て行った後、息子は物凄く落ち着いて、ストンと寝ました。どういう心理状況にあるのか全然分かりません。

 

上田劇場は本当に歴史ある建物で、とっても素敵でした。来場者の皆様、スタッフの皆様、ありがとうございました!

 

無言館、凄かったです。言葉にならない気持ちが押し寄せて、呼吸が苦しくなりました。そこへ息子の電話です。情緒不安定になりそうです。新幹線まであまり時間がなかったのですが、朝から飲まず食わずだったので、旬の新蕎麦を食べようと蕎麦屋さんを何店か探しましたが、軒並み営業終了でした。駆け込みダッシュで入った店は駅横の「からあげセンター」。夫は唐揚げとラーメン完食……凄いボリュームで残りをお土産に持って帰りましたが、余りの部屋の散らかりぶりにブチンときてしまった私は娘を怒鳴りつけそのまま夫の書いているようなカオスに突入。唐揚げのことは頭から吹き飛びました。私は上田駅キオスクで買ったカップ酒の真澄を飲んでふて寝

11月15日(月曜日)

朝、あまり眠れぬまま2階から妻にLINE「俺のこと、子どもたち心配してた? 俺、帰って大丈夫そう?」と聞く。それに対し妻から「登校時に『父ちゃんを絶対にこの家に入れないで!』と念押ししてたくらいだから、中途半端に帰ってこないほうがいいかも。あの子が4日と言ったら絶対に聞かないから4日は耐えた方がよい。自分が短気出して子どもと同じ土俵に降りて、『出てく!』って啖呵切ったんだからナメられることすんな」とのこと。息子への態度を一晩中後悔していた私としては凹むLINEだ。息子にバレぬよう朝からコソコソと家を出た。

 

今日は来年撮る予定の映画の打ち合わせがあり、その後にプロデューサーにご馳走になった。息子のことで思わず弱音など吐いてしまったが、吐きながら、なんだか懐かしい気持ちでもあった。それは、かつて失恋したときに友人に慰めてもらっていような気持ちだ。息子に嫌われるのは恋人を失う感覚と似ている。

 

妻が言うには、息子がここまで私を嫌悪してしまったのは、私が野球の朝練などを無理にさせたことや「朝練ができないならゲーム取り上げ! アニメ禁止!」を連発したのが原因だろうと言う。息子が野球チームに入ってから、週に3日ほど学校に行く前にキャッチボールをしていたのだが、確かに息子はキャッチボールをするまでは「嫌だ嫌だ」とぐずる。だが、公園に行ってしまえば気持ちよくキャッチボールをして、気分良く学校に行っているように見えた。だから無理に連れ出してしまったのだが、息子の特性がそこまでとは理解できていなかった。息子から嫌われたのは悲しいが、発達障害を持った子を育てた経験などあるわけがないから、仕方がないことではある。でもやっぱり落ち込む。

 

だが、先日の武 正晴監督といい、本日のプロデューサー(武監督と一緒に「百円の恋」を作った佐藤 現さんだ)といい、この年になって弱音を吐ける相手がいるのはうれしいことだ。

 

11月16日(火曜日)

俳優さんたちとワークショップ。今回、面白い俳優さんに多く出会えた。本来なら、その後に飲みにでも行きたいし、店は営業もしているのだから行ける状況ではあるのだが、今日はワークショップ後に息子の通う小学校に行って、担任の先生と校長先生と私と妻とで息子についての話し合いなのだ。

 

息子が自閉症スペクトラムであるという診断書を持って行くと、担任の先生も校長も、「え、そうだったの!?」という感じになった。今まで何度も説明してきていると思ったが、診断書一発のほうが通じるのだな。その上でこちらからの要望(合理的配慮のことや支援の話)は色々と出したが、すぐには対応が難しいようだ。それを受け入れてもらうには学校内だけでなく、教育委員会も含めていくつかの会議をへねばならないようだ。困っているのは今なのだが……。

 

11月17日(水曜日)

午前中から息子のことで妻と長時間話す。お互い感情的になってしまう。今日は高校前のランチなし。高校授業中に息子から妻に電話。「4日たったから父ちゃん、帰ってきてもいいよと父ちゃんに伝えて」とのこと。高校授業後、息子の習い事のお迎えに行き、3日ぶりに息子の顔を見る。撮影などで3週間くらい見なかったこともあるが、今回は会うのにやや緊張した。息子も緊張したのかほとんど私の顔を見ず、ぎこちない時間だけが流れた。もう何があっても息子を怒鳴りつけることはやめようと心に誓いながら、その自信はまったくない。

 

11月19日(金曜日)

明日から始まる周南映画祭で「百円の恋」が上映されるので、1日早く山口県に行き、両親と落ち合って飯を食った。映画祭実行委員長の大橋さんに予約していただいたフグ屋さんがめちゃくちゃ美味しかったのだが、私は延々と両親に息子の悩みをぶつけていた。両親も困っただろうが、40歳まで無職だった私のような子を持って、考えてみれば両親はかなり心配だったかもしれない。

 

途中、大橋さんも顔を出してくださり、私の両親を安心させるようなことも言っていただき、楽しい食事となった。

 

11月21日(日曜日)

今日は「百円の恋」の上映がある。「百円の恋」は周南映画祭が立ち上げた松田優作賞というシナリオの賞をもらったことで何とか映画化にこぎつけられたから、周南映画祭から生まれた作品だ。

 

松田優作賞を受賞したのは2012年の暮れに行われた第4回周南映画祭だった。

 

そのころ、私は映画業界から足を洗っており、百円ショップでのアルバイトやスーパーで早朝品出ししたりしながらの専業主夫生活が4年目に入っていた。

 

「百円の恋」のシナリオが松田優作賞の最終審査に残り、結果は映画祭の最終日に発表されるとのことで、私を含めて最終審査に残った3人が映画祭に招待された。

 

「もうこれが映画業界との本当の最後の別れになるかもしれないから、初日から行っといでよ」と、そのころは優しかった妻が送り出してくれた。

 

2日目、宿の風呂で、審査員の丸山昇一さんをお見掛けし、そっと丸山さんの背中に祈った。だが、こういう賞というのは受賞者には前もって連絡があるのが常なので、正直ダメだろうなと思っていた。でも、心のどこかに諦めきれぬものはあった。

 

最終日、審査に残った3人が壇上に呼ばれたときの緊張感は昨日のように覚えている。ダメだと思いながらも、ここまで来たらどうしても欲しいという気持ちになっていた。ダメだったとき、俺はどうなってしまうのだろうかと怖かった。ここまで来ての落選という結果に心が耐えきれるだろうかと怖かった。

 

受賞者として名前が呼ばれたときは、それまでの人生で最もうれしかった瞬間だった。妻に電話をすると、電話の向こうで悲鳴をあげて号泣し始めた。5歳の娘の「パパ、取ったの!?」と事を理解しているような声もはっきりと覚えている。きっと妻が話していたのだろう。生まれたばかりの息子の雄叫びも聞こえた。

 

映画化された「百円の恋」は、松田優作賞をもらったときのうれしさと同じくらいのうれしさを次々と運んできてくれた。私にとっては文字通り起死回生の作品だ。だから見返すこともほとんどない。通過点にしなければという思いがあるからだ。でも、今回は発祥の地であるし、上映後に武監督や佐藤プロデューサーとも話すので、見返した。

 

久しぶりに見たら思わず涙が滲んでしまった。必死になって生きているヒロインがスクリーンの中から「お前、ちゃんと生きてるのか」と問いただしてくるようだった。一緒に観ていた武  正晴監督や佐藤 現プロデューサーも同じような感想を持ったようだ。そのことがまたうれしかった。

 

帰りの新幹線で妻よりLINE。今日は週に1回の児童ダンス演劇教室で、電車とバスを乗り継ぎ、会場まで行ったのだが、エレベーターでフロア階まで行くと、顔が真っ青になり、一歩も動けなくなったとの事。先生や友達がエレベーターまで迎えに来てくれて「一緒に行こう!」と言ってくれたが、ボロボロ涙を流しながら「帰る! 帰る!」を連呼し、結局帰ってきた、とのこと。

 

「もうどうしていいか分からない、息子も自分自身をコントロールできなくなって困り果てている。いろんなことがキャパオーバーになってしまったようだ」と言う。妻と息子の帰宅の電車バスの暗い様子が目に浮かび、また気分が落ち込んだ。

 

11月22日(月曜日)

息子、日曜の展覧会の振替休日で学校は休み。友達と遊びたいとうるさいが、もちろん誰とも約束などしていない。妻がママ友に連絡を取り、ママ友の子が遊びにきてくれる。なのに息子はずっと自分の好きなゲームをひとりでやり続けている。遊びに来てくれた子は仕方がないからユーチューブを見ている。途中、何度か息子に「ふたりでできる遊びをやれ」と声をかけたが、ゲームから離れられず、声をかけるのも諦めた。

 

来てくれた子が帰るとき、息子は「あー、楽しかった! ○○(友人の名前)も楽しかったか?」と上から目線で声をかけていた。悲しくなった。

 

11月26日(金曜日)

今日は息子が新たに通う予定の療育の体験。今回は公的支援の空きがひとつも見つからず、企業による療育だ。一人ひとりじっくりと見てくれる教室を選んだ。

 

息子と先生がどんなことをしているのかを、別室からモニターで見ることもできたのだが、やはりほとんど会話は成立していない。相手の話をほぼ聞いていなくて、自分の思いだけを一方的に話し続け、ときおり先生が「今、どんな気持ちだった?」と質問すると「普通」とだけ答える。これは家でもそうでほとんど何を聞いても「普通」としか言わない。

 

息子が終わると今度は我々夫婦と先生の面談。息子さんは極度に不安感が強いようですねと言われる。先生のおっしゃる通りで、最近の息子は初めてのことが異様に苦手だ。初めてのマンガが読めない、初めての映画が見られない、初めて食べる物も絶対に無理、行ったところのないところに行くのも無理。

 

実は今日も、駅まで行ったところで、息子が突然、「行かない! 行きたくない! 絶対に嫌だ!」と座り込んでしまったため、ほとんどひっぺがすようにして連れて来たのだった。その強い不安感から、ひっきりなしにしゃべりつづけてしまうのかもしれないとのこと。息子のようなASⅮでも、ひとりでいるのが平気というのか、むしろひとりでマンガや本を読んでいたいというようなタイプの子もいて、それならばどれほど良かったろうと思うのだが、息子は強烈に友達を欲している。欲しているのにうまく付き合えない。結果傷つき、苦しみ、失敗を重ねて自己肯定感も低くなり、できないことがどんどん増えてしまう。

 

療育ですべてが解決するわけではないし、期待しすぎてはいけないと思うが、息子が楽になる場がひとつでも増えるならやはり通わせたいと思う。だが正直値が張る。今日のところに通うのなら、その療育代は冗談抜きでアルバイトに出ねばならぬレベルだ。多くの面接に落ち、多くの履歴書を書くあの日々がまたやって来るのかと思うとかなり気が滅入る。

 

あー、それにしても2年生まで通っていた療育をやめさせるのが早すぎた。落ち着いてきていたし、あのころは息子も積極性があって、多くのことを「やってみたい、やってみたい」と言っていたから、こういうタイプはとにかく夢中になれるものを見つけてやらねばと多くの習い事をさせたあげく、療育に通う時間もなくなり(息子ももう辞めたいと言っており)療育をやめたのだ。

 

まったく浅はかだった。こういうときに「やっぱり続けといたほうが良かったんじゃないの? あなたがもうやめさせてもいいなんて言うからやめさせたけどさ」なんて妻に言うのは死んでもタブーである。逆にやめさせようと言っていたのが私だったら、今ごろものすごい勢い妻から批判されているだろう。

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。

【喜劇 愛妻物語公式サイトはコチラ】

 

 

お尻の痒みに耐えきれず七転八倒し、息子の行動に夫婦で頭を悩ます映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第19回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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10月2日(日)

娘、先週の辛い出来事があり(9月26日の日記を参照ください)野球の練習は行かないかもしれないなと思ったが行った。

 

前日の夜、娘は野球ノートに珍しく抗議文というのか、「試合に出れなくて悔しかったし、悲しかった。でも、頑張ってファウルボールを追いかけた」と素直な気持ちを吐露していた(こういうことを書いたのは初めてだ)。私としては「よく書いた!」と思い、娘を誉めたのだが、監督からの返信はサインだけで絶句した。

 

勇気を振り絞って書いた娘の気持ちを思うと、ぶち殺してやりたくなるが、もしかしたら、この監督は人の気持ちをうまく想像できないタイプかもしれない。だとしたら嫌味でなく、どんなにこちらが腹を立ててもしかたがない。中学生女子を怒鳴ることもなく、楽しそうに練習させてくれているという良い面だけを見るか、娘がチームを変えるかだ。無理に理解しあおうとしたり、こちらの考えだけを押し付けても、断絶が起こるだけだ。こんな書き方をすると上から目線のように思われてしまうが、愛のある放置という人間関係が一番だろう。娘がいよいよいたくないとなれば、辞めるかチームを変えるかで解決することだ。未熟な私は今後もイチイチ腹を立てる姿が目に浮かぶが。

 

『ベイビーわるきゅーれ』(監督・阪元裕吾)鑑賞。

 

10月7日(木)

健康診断。区の無料のやつだ。去年よりも身長が2センチほど縮み、体重は2キロほど増えた。尿酸値と中性脂肪、減っていてほしいがたぶん横ばいだろう。なんの対策もとっていないのだから。

 

ドイツのモモちゃんからチョコレートやグミや入浴剤やキャットフードが届く。6年前、ドイツの映画祭でボランティアをしていた彼女と知り合った。生まれも育ちもドイツの日本人だ。来日するときはこの狭い我が家に泊まるのが恒例となっていたが、コロナ禍でもう2年会っていない。彼女が描いてくれた絵が我が家の特徴を捉えていて面白い。こんなふうに見てくれているのもうれしい。

 

そして毎度のことだが、いただいたチョコが美味しすぎて一気食い。日本のチョコレートより濃厚で鼻血が出そうになるが、止まらない。

 

↑バイオリンを奏で、写真を撮り、絵を描くのが好きなモモちゃんのバイタリティとフットワークの軽さは本当にすごいと思う。またいつでも泊まりに来てね。相変わらず狭くて汚いけど(by妻)

 

10月9日(土)

息子の運動会。去年と同じ2学年ごとのミニ運動会。運動会大好き人間の私としてはこの形の運動会は寂しいが、大嫌い派の生徒や親にとってはこの形が良いだろう。たとえコロナ禍が終わったとしても、運動会の形がすんなりと元に戻ることはないような気がする。それは運動会だけではないだろうが。

 

息子も運動会はあまり好きではないが、最近ようやく全力で走れるようになり(今までは身体に力を入れられなかった。体幹がしっかりしていないのも発達障害の特性だ)、徒競走はギリギリの1位でゴール。でも、走るときは真下を向いてしまう。前を見て走ればもっと早く走れるよとアドバイスするのだが、「怖くて前は向けない」と言うのだ。

 

自分が1位になるわけなどないと思っている息子はゴール後、2位のところに行こうか3位のところに行こうか(3人で走った)迷っているようだったので、「1位だったぞ!」と声を出さずに見てくださいという禁を破って声をかけたが聞こえておらず、2位と3位の間の中途半端なところでずっと佇んでいた。

 

その後、かけっこよりも苦手なダンスも一応クリア。毎年運動会前はダンスの振り付けを覚えることがストレスでまぁまぁ荒れる。普段より先生がピリピリして、大声も出すし、怖いと言うのだ。息子は聴覚過敏でもあり、大きな声や音が大の苦手だ。家でも私や妻が少しでも怒るとすぐに両手で耳をふさいでいる。

 

息子はダンス自体は好きで、ダンス教室にも通っているが、毎年運動会のダンス練習が始まるころになると、ダンス教室のほうへも行かなくなってしまう。

 

何年か前に運動会の組体操を中止にする動きが一気に加速したことがあったが、こういう息子を持つ私としては、ダンスは自由参加とさせてほしいと思ってしまう。もしくは親も参加のものすごくゆる~い「マイムマイム」で十分なのだが。

 

『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』(監督・豊島圭介)鑑賞。

 

10月14日(火曜日)

今日は『拾われた男』というドラマの制作発表があった。今年は映像関係の仕事はほぼこれしかやっていない。原作は松尾 諭さんが書かれた同名のエッセイだ。

 

原作からしてとても面白かったが、ドラマもかなり面白いものになるのではないかという手ごたえがある。NHKとディズニープラスの共同制作で、見られるのは来年になってしまうが、全世界にも配信もされる。流行のゲームっぽいドラマではなく、バリバリの人間ドラマコメディだ。これが世界で通用すれば、私としては大きな自信になる。ご期待ください。まだ書いてるけど……。

 

 

そして、ちょっと恥ずかしい話なのだが、ここ数日、いや数週間、いや数か月、お尻が痒くてたまらず、搔きむしっていたらお尻の皮膚がボロボロになったので皮膚科に行った。

 

実はこの痒みは昨年からだ。昨年の夏前くらいから「あれ? なんかケツが痒いなあ」と思っていたところ、真夏になるころには痒くてたまらず妻や娘からも「ねえ、なんでお尻ばっかかいてんの? 見たくないのに目に入るし、そのボリボリ音、とてつもなく不愉快なんだけど」と言われていた。ウナとかムヒとかそんなクスリでごまかしつつ、寒くなってきたらいつしか痒みは消えていたので忘れていた。

 

ところが、今年も夏前くらいからもぞもぞと痒くなってきて、真夏にはその痒さがやはり増してきて、しかも、ウナとかムヒではもはやしのぎきれず、薬局で売っているあらゆる痒み止めを買ってきては塗りたくり、もう市販の痒み止めで使っていないものはないということころまできて、キンカンをこすりつけて部屋中のたうち回るほどの痛みに耐えていた。それでも1時間もすると痒みが復活してくる。夏が過ぎても痒みがまったくおさまらないどころか夜も眠れなくなってきて、妻にお尻の写真を撮ってもらい、その写真を見てドン引きした私はようやく病院に行くことにしたのだ。

 

いつもどこかしら具合が悪くなると、行く病院を探すのは妻に任せきりなので、今回は絶対に男性の医者選んでくれと強くお願いした。

 

そして本日、妻が探し出してくれた男性医院長先生の皮膚科(お尻の痒みに対して権威っぽいと妻は言っていた)に行ってきた。しゃれたビルの中にあるその病院に入ると、5、6人ほどの若くて美しい受付嬢の方々に迎えられ、何だか妙にゴージャスな雰囲気で照明も目が潰れるくらい明るい。待合室と言うよりはこじゃれたホテルのロビーのような場所で、待っている患者さんもすべて若い女性だ。なんとそこは美容系の皮膚科だったのである。正直この時点でかなりキョドッてしまい、逃げようかと思ったが、ここで引き返したら完全に変人なので、心を無にしてロビーの片隅で佇んだ。

 

スピーカーを通して「○○さん、3番の診察室へどうぞ」などと患者さんを呼ぶ声が聞こえてくる。男性の声と女性の声がかわるがわるだ。つまり、女性のお医者さんもいらっしゃるのだ。どうか男性のお医者さんに呼ばれますようにと手を合わせて祈り続けたが、鈴のような美しい女性の声で「足立さーん、2番の診察室へどうぞー」と呼ばれてしまった。その瞬間に目の前にシャッターがおりたが、もうこれは風俗だと思い込むしかないと気持ちを切り替えて「こんにちはー」と明るく診察室に入って行った。

 

年のころは30代半ばだろうか、一見して「う、できる」という聡明な雰囲気を醸し出したその女性の医師は、微笑を浮かべながら、「どうされました?」と聞いてきた。

 

「いやー、なんかお尻がすごく痒くて、妻にヤバイ色になってるから医者行って来いって言われちゃって。ヒヒヒ」

「あらー。じゃあちょっと見せてください」

「えーと、このベッドに寝そべればいいですか?」

「寝そべんなくていいです。クルッと回って見せてください」

私は言われた通りにクルッと無駄に大きな動きでもって回って、お尻を向けるとべりっとズボンとパンツを同時に脱いだ。

「あー、これは……」と言いながらお医者さんは私のお尻をさわさわとさわり皮膚を削り取った。

 

そのあとのことは食事中の方もいらっしゃるだろうし、私のプライドにかけても言いたくないが、とりあえず診断がおりてクスリをいただいた。

 

『姫君を喰う話』(宇能鴻一郎・著)読了。

 

10月20日(水)

妻と高校教師。今日は前回の授業で書いてもらった「私の良いところ、嫌なところ」を発表し感想やら意見を述べ合う。

 

授業を進めているとスーツの男性がふたり入って来たので「ん?」と不思議に思いながら生徒たちと話していると、1限が終わったところで、本日は研究授業で校長と教頭が来ていたことが判明。なんの挨拶もしていない。『14の夜』を見せていた授業でなくてよかった。

 

今日は授業前のランチに行けなかったので、授業後に高校近くの焼きトン屋に軽く一杯飲みに行く。飲み屋でお酒を飲めるようにもなり、私は久しぶりの焼きトン&サッポロラガーでテンションも上がるが、なぜか妻の機嫌が悪い。聞くと、授業中の私の態度が良くないと怒り出す。

 

妻の発言中に、私がパワハラを発動し、高圧的な態度で妻の言葉を遮ったらしいのだが、そんな態度を取れば妻は場所もわきまえずにキレるから気をつけているし、かわいい生徒たちの前でそんな醜態をさらさない程度の常識は私にもあるつもりだ。

 

あ、常識という言葉は使いたくないな。きっとこの言葉は数年後には使えなくなるだろう。なぜなら非常識な人というのは、そうなりたくてなっている訳ではないことが分かってくるはずだ。だからパワハラはしている側は、していることに気づいていないことも多いのだ。もしかしたら、私も知らず知らずのうちにそんな態度になっていたのかもしれない。

 

そこから派生して「アンタの外面の良さと、私への虐待のギャップにいい加減うんざりだ」と妻はヒートアップ。パワハラにパワハラで返されているような気になってくるが、外面が良いのはお互い様だ。止まらない妻の罵詈雑言を聞いているとあっという間に息子の習い事の迎えの時間になる。妻の罵詈雑言が酒の肴という究極の無駄飲みをしてしまった。

 

帰り際、罰でも当たったのか、妻のおろしたての秋物コートがハンガーにないことが判明。コートの特徴をお店の人に言うと、30分ほど前に退店した我々の隣の席に座っていた泥酔中年オヤジ2人組が着て帰ったと教えてくれた。普段ならザマミロと思うところだが、あのコートは妻に良く似合っていたので私も残念無念だ。

 

『相米慎二 最低な日々』(相米慎二・著)を読む。

 

10月21日木曜日

友人のAが大変な状況に置かれている。Aとは映画学校時代からの友達でいろいろと苦楽を共にした仲だ。8年ほど前に結婚し、いきなり20歳の引きこもり気味の長男と大学受験を控えた高3長女の父親となった。Aは6年前に縁もゆかりもない長野に移住して、それからは連絡をあまり取り合っていなかったが、来月、長野のうえだ城下町映画祭に行くので、妻がAに連絡を取ったのだ。それでAの近況が分かった。

 

彼の状況を一言で言うと、親の介護と離婚問題を同時に抱えている状態だ。今、奥様は家を出てしまっており、Aは意思疎通のできない寝たきりのお母さんの胃ろうをしながらひとりで在宅介護をしているとのこと(お父さんは長野に呼び寄せ、施設に入れ、週一で面会に行っているらしい)。妻とAのLINEのやり取りを見せてもらったが、「うわ、ものすごく大変そうだ……」というアホな言葉しか出てこない。私なら耐えられず鬱になってしまいそうだ。幸いにして私の両親はまだ元気だし、妻とはケンカも多いが今のところ離婚話は出ていない。だが、いつ降りかかってきてもおかしくない問題だ。

 

周囲にはいろいろな苦労をしょいこみながら生活している人が多くいるが、そういう人を見ていると、人間の生命力というのはかなり強靭なものだなと私は思う。もちろん、これだけ自殺率の高い国なのだから、生命力があるとは簡単には言えないのかもしれないが、それでもそう思う。よく生きているよなと。

 

私は49歳になるここまで苦労というものを知らずに生きてきた気がする。強いて苦労と言えば20代後半で撮影現場の仕事をやめて、脚本で食っていこうと思ってから41歳になるまでほとんど仕事がなかったことくらいか。それとてアルバイトでしのげたし、怒声を浴びせながらも一緒にいてくれた妻がいたから、眠れない夜もたまにはあったが、わりに平気だった。たいした苦労ではない。だから、これから来るであろう苦労が怖くてたまらないという取り越し苦労をしている。

 

でも、もしかしたら私の仕事が全然ない41歳までの状況を苦労というか、悲惨な状況と見る人もいるかもしれない。

 

人それぞれ「苦労」とか「大変」と感じる状況は違うだろう。介護と離婚をダブルで抱えてしまったAの問題は、私にとっては問答無用に大苦労と感じる。でも、そこに子どもの引きこもりも加わる人も世の中にはいるだろう。それでも何となく元気に生きる人も多くいる。そういう生き抜く力というものは、どうすれば育つのかと考えると、やはり自己肯定感を持つことなのだろうなと思う。

 

私の場合は20代後半から41歳までのヒモのような時期にも、ことあるごとに「あんたにはそうやってヤドカリみたいに生きる才能があるのよ」と母から言われた。横で聞いていた妻はテーブルをひっくり返しそうな顔をしていたが、そんな妻に「ねえ、アキコちゃん、面白いでしょ、この子。アキコちゃんもなかなか味わえないわよ、こういう状況は。紳と結婚できてラッキーよ!」などと言っていた。つまり、否定されなかった。あのときの私の状況を見れば、「いいかげんに働きなさい」と説教をする親のほうが多いのではないか?

 

考えてみれば、私は親に否定された経験がない。「だからお前みたいな人間ができたんだよ」と妻からは言われるが、もしかしたらそれは大きなことだったのかもしれないと今は思う。妻だって、ストレス解消のために罵詈雑言は浴びせてくるが、本気で私のことを否定していれば出て行くだろう。

 

Aにも私と同じような匂いを感じるのだ。妻とのLINEのやり取りの最後のほうで、「辛いから電話で話させてもらっていい?」と書いてあり、「おい、相談すんのは俺じゃねえのかよ!」と思った。普通、友達を通り越してその奥さんに相談するか!? と思ったけれど、Aからしたら妻のほうが話しやすいのだろう。私には友人を通り越して、友人の妻にものごとを相談するというメンタルはないから、そういうメンタルを持っているAが羨ましくもある。

 

小説家を目指していたAは過去形ではなく今でも目指していた。毎年新人賞に応募しているとのこと。やはり強い生命力を感じる。

 

妻とAは、この晩4時間半話していた。

 

10月24日(日曜日)

夜、息子の誕生日の夕飯を家族で食べに行く。息子が好きなステーキ店だ。

 

本当の誕生日は来週だが、私が来週はほとんど家にいられないために、今日行くことにしたのだ。

 

店に行くまでに、息子は明日までの宿題を終えていなかった。金曜の晩も土曜日も今朝も暇な時間にやってしまえと言っていたのだが、宿題が地獄の時間の息子は先延ばしにし、「お店で宿題をやる」と言い出して、店に宿題の道具を持って行った。嫌な予感がしたが、案の定、店で癇癪が出てしまった。自分の宿題が終わるまで私も妻も姉も一切口を開くなと言うのだ。だから私と妻と娘は黙った。少しでも口を開けば息子が「口を開かないで!」と目に涙をためて睨みながら大声で言う。30分以上は黙っていたかもしれない。もし、我々がお構いなしに話せば息子は満員の店内で泣き叫び暴れるだろう。

 

宿題がやれていないこと以外にもこうなる予兆はあった。食事に行く直前に野球から帰ってきた娘が、練習試合とはいえフル出場し3打数2安打の結果を出してハイテンションでそのことをベラベラと話し出した。私と妻も当然よくやったとその話を聞きながら娘をほめちぎる。すると、宿題ができていない息子が、必死に姉の話を遮ろうとする。野球の練習に行けなくなった息子は(好きではなく姉がやっているからやりたいと言い出しただけだから、そうなることは分かっていたが)、姉の野球話を聞くのがイヤなのだ。「どうせ自分だけがダメ人間」という思考に陥ってしまい、案の定、脳調(脳の調子)がおかしくなり、そのまま店に行ってしまった。

 

娘はお店でも今日の様子をいろいろと話したそうだったが、店内で暴れる弟の姿が想像できるので、じっと我慢して黙る。そして妻と私も我慢して黙るしかない。

 

今、これを読んでいる方の中には息子のことを「甘やかし過ぎだ」とか「ガツンと怒れ」と思う方も多いかもしれない。私だって1年前まではそう思っていて、こんな状態になった息子を怒鳴り、時にはカッとなって手を出したこともある。だが効き目はなかった。どうして怒られているのか息子は理解できない。そういう態度を取るべきではないというところには想像が及ばないのだ。ただただ「僕なんか死ねばいいってことでしょ!」と泣き散らし、最後に残るのは恨みだけだ。

 

息子のこの症状は近ごろどんどんひどくなっていて、気持ちのコントロールがほぼできない。通っていた療育をやめるのが早過ぎたかと、また通わせてほしいと電話をしたが、すでにいっぱいで順番待ちだ。同じような子を通わせたい親御さんもものすごく多いのだ。

 

手先が不器用な息子は鉛筆を持って漢字の宿題に向き合うだけでも癇癪を起こすし、リコーダーの練習でも同様だ。将来はパソコンかスマホ入力さえできればいい時代になるだろうし、漢字もリコーダーもやらなくても構わないと私と妻は言うが、やらないということも息子はできない(先生に怒られるという恐怖に結びついてしまう。強迫観念が恐ろしく強いのだ)。だから嫌なことをしなければならない時、癇癪につながりやすい。そして、癇癪起した後は自己嫌悪になり「僕なんかいなければいい、死ねばいいんだ!」という自己否定と「パパとママは世界一嫌いだ!」という親否定が始まり、それが終わると、放心したように鬱状態になる。そして最後にはヘトヘトに疲れて寝てしまう。

 

寝ているその顔は天使のようでかわいくてたまらないが、癇癪中は悪魔に見える。悪魔の時の息子はそうとう苦しいだろうと思う。一見、普通の子なので余計に生きづらいだろう。他人の気持ちを考えられない言動は悪目立ちもしてしまうし、親の我々でも対応に困り、激しくムカついてしまうのだから、小学3年の同級生は言うに及ばず、「そんな態度は許せない、ちゃんと叱らないと!」と言う周囲の大人や先生もいる。今後、社会に出た時に許容される場は少ないだろう。怒りや落ち込みのコントロールができないままに年を重ねていくと、家庭内暴力や自傷行為が始まる可能性だった大いにある(その前兆も感じられる)。

 

発達障害を持った人の二次障害では自殺率も高いと聞くし、きっと自殺率だけでなく、他人を傷つけたり、傷つけられたりする率だって高いはずだ。正直ものすごく不安になることもある。

 

ステーキ店でなんとか宿題をやり切った息子は、自分の癇癪などなかったかのように満面の笑みで今度は自分の好きなアニメのことをペラペラと話し続けた。そんな弟に娘が腹を立てるのもよく分かる。だが息子は本当はものすごい自己嫌悪にも陥っているのだ。

 

自己嫌悪のないパターンの発達障害もあるらしいのだが、我が道を行く系のそちらのほうがはるかに良かった。

 

家に戻って、明日の学校の用意をしようと言うと「明日は学校に行かない」と言い、『プレデター』を見ながら寝てしまった。弱っちくて同級生たちからバカにされているところもあるから、シュワルツェネッガーへの憧れも強いのだ。

 

10月25日(月)

昨日の宣言通り、息子は学校に行かなかった。「明日は行かない」なんて言葉は今まで何度も出てきているし、行き渋りだって何度もある。そんなときはほったらかしにしておくと、「やっぱり行こうかな……」と言い出して、遅刻して行くのが息子のパターンだったのだが、今日は行かなかった。もちろん今までもズル休みはしたことがあるが、今までのズル休みとちょっと違うなと感じてはいた。「行かない」という言葉に今までにない強い意志が感じられ、その言葉を発したあとは、ボーっとしていた。

 

それでもほっとけば「やっぱり行く……」と言い出すかなと思ったが、結局息子は布団にくるまって、猫を抱きながら窓外の児童公園で遊んでいる幼稚園児をぼんやり眺めたり、学校から配られたタブレットをボケっと眺めていた。

 

そんな息子を眺めながら仕事をするのは精神的に激しく追い込まれるので、2階で仕事をしたが、下で息子はどうしているかなと思うとほとんど手につかない。自宅での仕事中は暇さえあれば見てしまうエロ動画や「さっchannel」も見る気にならなかった。

 

途中、アンケートのおばちゃんが来たので、ハゲとか男性化粧品についてのアンケートに答えて2000円の図書カードをゲット。

 

アンケートのおばちゃんとは10年来のお付き合い。いろいろと悩みの尽きない私ではあるが、顔がちょっと明るくなったと言われた。10年前はどんな顔をしていたのだろうか。

10月26日(火)

息子、今日も学校行けず。私は昼から打ち合わせがありどうしても外出せねばならず、家を出る時間に外で仕事をしている妻に帰ってきてもらう。

 

仕事に出るときに「送ってくから学校行くか?」と聞いたら「僕は学校が大嫌いなんだ!」とわめいた。

 

足取り重く打ち合わせに向かう。夕方近くまで、同じ会社で別の企画の打ち合わせを2件こなすが、頭の片隅には息子のことがチラついてしまう。

 

夕方までの打ち合わせ後、家に戻り、期日前投票に行ってから、今度は娘の塾の面談。落ちるところまで英語の成績の落ちた娘をついに塾に通わせようと思うのだ。

 

体験授業を受けている娘を待ちつつ、私よりも20歳くらいは若そうな塾の室長と、私よりも15歳くらい若そうなその上司(本部の人間)と話す。

 

「娘さんが特にやりたいことが現段階でなければ偏差値の高い学校に行っといたほうがいいですよ。そのほうが選択肢広がりますから」と綺麗ごとではない言葉を平然と言う様子に好感を持ったが、体験授業を終えた娘は「ここの塾は嫌だ」と言った。理由はその若者たちの話し方にカチンときたかららしい。なかなか親と意見は合わない。

 

その後、22時半発の深夜バスでロケハンに行くために21時過ぎに家を出る。

 

仕事や子どものことで激しく消耗した1日のラストが苦手な深夜バスなので、乗る前からもう車酔いのような状態で気分がすぐれない。バスの中ではイヤホンつけて落語を聞いていたが、あまり耳に入ってこなかった。

 

10月27日(水)

初老には骨身にこたえる車中泊をへて早朝5時過ぎに富山着。そのまま鈍行に乗って岐阜県に入る。

 

来春、飛騨市で映画を撮影するのでそのロケハンだ。朝の6時半に市役所の方が迎えに来てくれる。申し訳ないとしかいいようのない時間だ。

 

そのままロケハンに突入。探してもらった物件や風景を見ていると、早く撮りたくてウズウズしてくるし、気分も高揚してくる。一時、息子の状況のことを忘れるが、妻からLINE。「今朝は学校に行こうかどうか迷っていたが、結局動けなかった…鬱の人みたい。布団にくるまってご飯も食べない」とのこと。

 

3日連続丸休みは初めてだ。このまま行けなくなってしまうのだろうかと重い気持ちになってしまうが、世の中には家に不登校の子を残して外で働かざるを得ない人は多くいるだろう。すっきりしない気分のまま働くというのは非常に疲れるが、それでも頑張っている人も多くいる。私も逞しく生きねばとは思いつつ、49歳にしての「逞しデビュー」などできるのだろうか。自信は全くない。

 

夜、宿で横になっていると、妻から息子に関しての長い長いLINEがくる。そうするしかないと言葉では私も分かっている内容だ。妻だって、すぐにそうできるとは思っていないだろうが、自分自身に言い聞かせているところもあるのだろう。

 

結局、私は息子の立場に立てていないのだ。息子が不登校だと私は疲れる。だが、息子は私の何百倍も疲れているのだ。それを私は想像してやれない。思いやれない。もちろん想像し、思いやろうとはしているが、たいして思いやれていないのは自分が一番よく分かっている。息子すらも思いやれないのだから、他人を思いやることなど微塵もできないだろう。

 

世の中には、本気で他人を思いやることのできる人がいる。そういう人がいるから、地球は今のところなんとか滅亡せずにすんでいるのだろう。

 

眠れなくなり、スマホで落語を聞くが、頭にまったく入って来ない。気づくと「不登校 小学3年生」などというキーワードで検索している。最近はエゴサーチよりもこの検索のほうが多い。

 

検索にも疲れ果てるが、寝付けない。少しでも眠ろうと、これまでバカにしまくっていた心を癒すヒーリング音楽というものを聞いてみた。不妊治療時に見た私の弱々しい精子をさらに弱々しくしたようなものが動いている動画もついていて、いつしか眠りに落ちた。

 

家庭の話は色々ありますが、書くと長くなるからそれはさておき! 来春、飛騨市で撮影いたします! 飛騨市の都竹淳也市長にご協力いただいて、ふるさと納税のところに「足立紳監督映画化応援プロジェクト」欄を作っていただきました。 もし良かったら今年のふるさと納税は、飛騨牛・飛騨ジビエ・飛騨ラーメン・飛騨日本酒を、よろしくお願いいたします!!!(by妻)

 

10月28日(木)

ロケハン2日目。眠ったのは夜中の3時を過ぎていたが、ヒーリング音楽のおかげか心穏やかに6時過ぎに目が覚めた。

 

6時半くらいに散歩に出て、街を歩き回る。どこかいいロケ地はないかとひとりでウロウロするこういう時間が私は大好きだ。8時過ぎまでウロウロして良き場所をいくつか見つけた。

 

そして妻からLINEが入る。今朝は先生が迎えに来てくれたとのこと。息子に「先生が来る」と言ったら泣いて激しく抵抗したが、玄関前で先生に抱きしめられたら少し落ち着いて、結局肩を落として涙目で学校に行ったとのこと。そういうやり方が正解なのか不正解なのかは分からない。不登校で検索していると、休みたいだけ休ませてもいいとか、休みすぎると行けるタイミングを失ってしまうとか、様々な意見がある。それでも「行った」という事実に私はまた息子の状態を忘れ、自分だけが安心している。

 

14時近くまでいろんな場所を見て回り、15時過ぎの電車で帰京。帰りの新幹線内はほぼ気絶していた。

 

品川で妻のLINEに気づく。息子は4時間目で早退してきたとのこと。それでも「校長室入っちゃった! ソファに座らせてもらったんだぜ!」と大声でハイテンションだったらしい。少しだけ気が楽になる。

 

20時、家に着くと息子が「あ、僕の嫌いな人が帰ってきた」とうれしそうに言った。3分の2は本気、3分の1はうれしいのだろう。

 

前述のように、今日は先生が迎えにきてくれて学校には行けたのだが早退した。早退後のことを妻から詳しく聞くと、「校長室に入った!」とハイテンションで帰るなり、ゲームを持って家を出て、校門前にしゃがみこんでゲームをしながら学校が終わるのを待っていたらしい。そして下校してくる友達に「遊ぼうぜ」と声をかけたが、誰にも相手にされなかったらしい。

 

「なぜだと思う? 3日休んだあとに早退したくせに、すぐに校門で待っているのはおかしいよね? みんなは6時間授業頑張ってるんだから『ズルいな』と思っちゃうよね?」と話して聞かせるが、すぐに息子は両手で耳をふさぎ「どうせ僕がダメなんでしょ! 死ねばいいんでしょ!」が始まる。

 

息子が感じている辛さや苦労をうまく想像はできないが、もらえるものならもらってやりたい。

 

10月29日(金)

福岡インディペンデント映画祭に参加するために朝の5時45分に家を出た。私は飛行機が嫌いなので、極力国内の移動は新幹線でする。

 

昨日戻って来たばかりのロケハンの疲れはまったく抜けていないが、映画祭は楽しみだ。楽しみなのだが、息子のことがやっぱり気になる。

 

新幹線の中で仕事をしていると、妻からLINEが入る。今日も先生が迎えに来てくれて、とりあえず行くには行ったようだ。

 

昼過ぎに博多に着く。キャストの松木大輔君とスタッフの小山修平君と合流し、写真撮影が禁止のなんとかという名前のうどん屋で長蛇の列に並んでうどんを食べてから、映画祭の会場に向かう。

 

会場で映画祭実行委員の太田ちんと1年ぶりに再会。太田ちんは学生時代の同級生で、3年間ほど一緒に住んでいたことがある。彼が我々の稽古場という作品を映画祭に呼んでくれたのだ。

 

『稽古場』の上映は明日だが、今日は他の作品などを観たりして、夜はその作品の関係者たちと食事をした。こういう場は久しぶりだったので大変楽しかったが、ロケハンからの疲れもドッと出て、早い時間に撃沈してしまった。

 

10月30日(土)

午前中は宿で仕事。太田ちんの宿泊している民泊に一緒に泊めてもらっている。

 

仕事をしていると、妻から息子のことでLINEが入る。息子が朝から大癇癪(土曜も日曜も遊ぶ約束があるから、土曜の午前中に宿題終わらせちゃおう、と声をかけたら癇癪が出て、その息子の態度に娘が「うるさいよ、なまけもの!」とキレたら、息子が爆発した、とのこと。野球も部活も学校も頑張っている娘には息子が我がままにしか見えず娘も耐えられなかったのは察せられる)。

 

息子は「家族全員ぶっ殺してやる!」という暴言を吐いて、祖母から誕生日にもらった一万円札を握りしめて家を飛び出してしまったらしい。お金だけは取り返そうとしたら、キレまくって諦めたとのこと。あの妻が諦めるのだからこれはよほどの癇癪を見せたのだろうと想像すると、一気に憂鬱になり、とりあえず妻に電話。詳細を聞くがどうしようもできない。悪魔祓いをしたいくらいだと妻は嘆いていた。

 

話を聞いてへこんだ私は、完全に仕事をする気は失せたが、締め切りがあるので脳を空白にして書く。笑える状況や言葉を書いているときだけ、一瞬、息子の状況を忘れることができる。この一瞬を積み重ねていく日々が続くのかと思うと気が重い。

 

昼過ぎに『稽古場』のもうひとりの監督、窪田将治監督と合流(『稽古場』は窪田将治監督、中村義洋監督、私のオムニバス映画だ。12月4日より横浜シネマリンにて公開)。

 

キャストの松木大輔君も含めて3人でラーメンを食い、会場に向かう。

 

『稽古場』の上映まで他の作品を見ていると、妻から「娘の野球送迎を終えて色々探し回ったが夕方になっても息子が帰って来ない」というLINEが入り、心配でたまらない。

 

そして『稽古場』の上映10分前(18時過ぎ)に妻から息子が見つかったとLINE。この夏によく遊んだ保育園時代の友達の家に行っていたようだ。友達のお母さんから妻に送られてきた写真も添付されていて、公園のベンチで息子がカップラーメンとファンタを持って満面の笑み。ベンチの周囲には小銭と千円札が散乱しているとのこと。おそらく持ち出した1万円で買ったのだろう。頭が痛くなる。

 

続けて妻から「今、電話で話せるか?」とLINE。上映まで残り5分を切っていたが、私からかけた。妻の話によると「息子は絶対に家に帰りたくない」と友達のお母さんに言っているとのこと。頭痛が増す。ここ1週間の息子の壊れっぷりのスピードに追いつけない。だが私はロケハンやら映画祭やらで今週はほとんど家にいられていない。目の前でそんな息子と対峙している妻はもっと苦しいだろう。息子は結局友人宅に泊まらせてもらうことに。

 

しかし、これはれっきとした家出ではないか……。小学3年でこれでは先が思いやられる。これはもう明らかに二次障害が出はじめているのだろう。二次障害とは自分では一生懸命やっているつもりなのに、学校や職場などで叱責されたり注意されたりして自己嫌悪に陥ったり、大きなストレスを抱えたりすることだ。例として、不登校、非行、暴力・うつ・反抗挑戦障害、ひきこもり、強迫性障害、依存症、などが引き起こされる。

 

電話を切り、暗い気持ちになりながら『稽古場』を観た。関係者以外の目に触れるのは今日が初めてだ。こんな気持ちで観たくはなかったというのが正直なところだが、客席からは笑い声がよく聞こえていた。

 

上映が終わりトークになだれ込む。福岡に来られなかった中村義洋監督や他のキャストもオンラインでトークに参加。時間もたっぷりととっていただき大変ありがたかったが、私の頭の片隅には息子の影がチラついていた。

 

この夜は最近のストレスから少しばかり弾けてしまい、12時過ぎまで中洲の屋台で窪田監督らと飲み、下痢になり、中洲の街を青くなってトイレを探してさまよい、宿に戻って太田ちんと太田ちんの幼馴染で、これまた旧友でもある中川さんと3時過ぎまで飲んでしまった。

 

私は11月の後半まで、こうした地方映画祭やロケハン、ワークショップなどが重なり、かなり忙しい。こんなときに息子から目を離したくないという思いもあるし、妻にも娘にもかかる負担もかなり大きくなる。申し訳ないと思うし、目の前で息子の状況を見られないことのストレスというのもある(見ていても見ていなくてもストレスがかかるのだ)。

 

息子のことは大好きだし、愛しているし、とてつもなくかわいいと思っているが、正直かなり育てづらい。一昔前なら、私のような親は「子育てを失敗している」と言われることもあったと思うし、なんなら今でもそう言う人はいる。だが、私は失敗しているとは思わない。発達障害を持った子はどうしたって育てづらいし、支援もない。もちろんうまく育てられる有能な親もいるのだろうが、やれない親がほとんどだろう。

 

不幸なのは、それが虐待などにつながってしまうことだ。そして二次障害が引き起こる。私だって息子に何度も手をあげたことはあるが、それがまったく意味がないことに、1年ほど前に気づいた。ものすごい恨みとしてしか残っていないのだ。

 

戸塚ヨットスクールのように、度を越した暴力で治ったという報告やヨットスクールに感謝している言葉もあるのだから、詳しくは知らないが戸塚 宏校長の言うように、激しい暴力は脳幹に訴えて、それでどうたらこうたらで何らかの効果があるのかもしれない。しかし、人に対して度を越した暴力をふるえるというのも、私からすると、発達障害とはまた違ったものかもしれないが、なにか脳機能の構造に偏りを抱えている人なのではないかと思う。

 

いずれにせよ二次障害がひどくなっていくと、親も疲れ果てて、見放すこともある。見放された子はどんどん自己肯定力を喪失し、居場所を失っていく。

 

昨年公開された映画に長澤まさみ主演の『マザー』という作品があったが、自分の子どもを使って自分の親を殺すあの長澤まさみはまさに二次障害だろう。我が子にそんな可能性など感じたくもないが、脳裏をかすめないかと言えばウソになる。今、息子への接し方を間違えると、ガタガタガタと一気に崩れそうな気がしてならない。愛だけじゃどうしようもない。

 

とりあえず、ケツの痒みはクスリがきいておさまり、元通りのきれいなお尻に戻ったことが最近では一番うれしいことだ。

 

妻より

31日の日曜日、私の心配をよそに恐ろしいハイテンションで息子は帰宅しましたが、案の定1万円は落としてきました。泣き叫びの癇癪を起こしている時は本当にどうしてよいか頭を抱えて、怒りもわきますし、すさまじく落ち込んでしまいますが、息子がその後自己嫌悪になり、猫を抱きしめながら窓の外をずっと見て放心している姿を見ると、切なくて苦しくてどうしようもなくなります。

夜、戻ってきた父親に息子は「すげぇ嫌なことがあったから家出した! またあったらすぐに家出する! ホームレスになる!」と訴えていました。

とにかく頼れるところには頼りまくって、頭も下げまくって、息子が穏やかに生きていける場所を見つけてやりたいと思っています。

今回の日記もたくさん異議をとなえたい箇所はありましたが、多分めちゃくちゃ長文になるので控えました。

いつも読んでくださり、ありがとうございます!

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。

【喜劇 愛妻物語公式サイトはコチラ】

 

 

ウーロン茶で頭皮を火傷し、家族の中の居場所について考える映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第18回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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9月1日(水)

今日から親にとって(我が家にとって?)は待望の2学期が始まる。感染者急増でオンラインでも登校でもどちらでも構わないとのことだが、うちは迷わず登校だ。だが、息子は数日前から休み明け恒例の学校行きたくない病が発生しており、覚悟していたとはいえ、やっぱり今朝は放り出すのに時間がかかった。

 

時間ギリギリまで「ドラえもん」を読んでグズグズしていたが、学校に遅刻するのも嫌な息子は、行く行かないで激しくのたうち回る。ほったらかしにしておくと、ようやく「じゃあ、行くからファミマまで送って」と言い出した。「ファミマまで送って」は息子のバロメーターで、これを言うときは脳調(脳の調子)があまりよろしくなく、漠然とした不安感があるときなのだ。

 

自転車のうしろにのっけて近所のファミリーマートまで送り、ノロノロと学校に行く息子の小さな背中を見ていると切ない気持ちになる。

 

背中が見えなくなってから、そのままジョナサンに行って脚本を書く。こういうとき、息子の状態をもらってしまうのか、いろいろと負の妄想をしてしまい仕事が手につかなくなることがある。今日はまさにそうだった。

 

昼過ぎに早々に帰宅。娘も息子も緊急事態宣言が明けるまでは午前授業となっているのですぐに帰ってきた。

 

朝とは打って変わってご機嫌で帰宅した息子は「E君と遊ぶ約束した! 区民館行ってくる!」と言って元気に出て行った。それはとてもうれしいのだが、30分後「会えなかった」と言ってしょんぼりと帰宅。案の定だ。遊ぶ約束がちゃんとできていないのか、破られているのかは分からない。ただ、気落ちしたように「ドラえもん」を読んで現実逃避している息子の姿は、登校時の小さな背中を見るときよりも切ない。

 

9月5日(日曜日)

起床時から「なんか腰が変」と言っていた妻が、娘の野球の弁当を作っているときに突然悲鳴をあげて四つん這いになった。動けないらしい。キッチンの床で四つん這いのまま、あと20分で出発しなければならない娘の弁当や水筒の指示を大声で出すので、布団の中でスマホをいじっていた私も仕方なく起きた。

 

7時に娘が家を出て行くと、妻は腹ばいで娘の部屋に行き、うつ伏せのまま微動だにせず。

 

寝違いなのだろうと思っていたが、それにしては痛そうだ。だが病院に行けと言うも、「うごけねーんだよ!」しか言わない。

 

9時ごろ、息子の友達が家に来る。私は仕事へ向かったが、サウナにも寄らず14時ごろに早めに帰宅。妻は娘の部屋で、朝と同じうつ伏せのままで、「イタタタタタタタ…」と言っている。「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫な訳ねーだろーが」と一言。

 

動けぬ妻の監視もなく、息子と友達はのびのびと遊んでいる。お菓子の食べかすやLEGOやウルトラマンが、文字通り足の踏み場がないくらい散らかっている中、ふたりは妻の隣で寝そべってゲームをしていた。

 

その後は妻に代わり、家事育児に精を出す。などと書けば、妻から50倍返しの異論がくるだろう。

 

※妻より。

50倍どころじゃないですね。でも、何も言いませんし言いたくありません。

まったく夫は誰へのアピールか分かりませんが、そこかしこで育メンアピールだけは抜かりなくて反吐が出そうです。いえ、実際はかなりの反吐を吐き散らかしています。

さて腰ですが、今までの人生で腰が痛いことなど皆無だったので突然の激痛に驚きました。病院に行っても、電気当てられて、湿布と痛み止めを処方されるだけだと思ったので、すり足で近所の整体へ行きました。すると「普段腰痛が全くない人が突然こんな酷いぎっくり腰になるなんて、相当ストレス溜め込んだんですね。背中も腰も肩も全身がガチガチです」と、夫がいつもマッサージ店で言われて喜んでいるフレーズを頂きました。きっと誰にでも言うのでしょうが、ストレスだけは本当です。

 

9月6日(月曜日)

夏休み明け、一発目の朝のボランティアが今日からだったのだが、案の定忘れた。Xちゃんをお迎えに行く時間になって、「今日だ!」と思い出し、慌てて妻が詫び電話(私は電話が苦手だ。とくに何かを断る電話と何らかの詫びの電話は)。遅れてもいいから来てくれとのことで、着の身着のまま家を飛び出して(妻はとても書けない恰好をしていた為すぐに出られない)、自転車をかっ飛ばしXちゃんの住むグループホームに迎えに行く。

 

反則なのだが今日ばかりは近くに停めておいた自転車の後ろに乗っけて学校に連れて行った。いつも登校途中にいろんな寄り道をして遊んでしまい、遅刻ギリギリで学校に着いているのだが、今日は自転車の後ろがうれしかったようで、どこにも寄らずに、むしろ普段よりも早く学校に着いた。

 

その後、ジョナサンで昼過ぎまで脚本を書き、午後から近所の銭湯サウナに行き、家で昼めしを作って食って寝て、3時ごろに起きて5時まで書いた。

 

今年に入ってほぼこの仕事しかしていないという、とあるドラマの台本を執筆中なのだが、終わりが見えてきた。そうなると、このキャラクターとサヨナラするのが寂しくなる。それくらい主人公に魅力があると思う。原作ものなので私の手柄ではありませんが。

 

9月8日(水曜日)

今日から高校の授業が始まった。妻には「休んだら?」と言ったが、痛み止めをガブガブ飲んで来るのはもちろん責任感もあろうが、授業のある日はいつもこの日記で書いているように、高校のある街で妻とランチをする。それを貪り食うためもきっとあるだろう。

 

今週のランチはイタリアン。サラダ、前菜の盛り合わせ、パン3種類、パスタにメインの料理、デザートまでついて、ひとり2000円くらいだ。私の食べたしらすのパスタがシンプルでチョーうまかった! 家でも作ってみようと思った。デザートは、睨みつけてくる妻のぶんまでタルトとアイスを(ダイエット中だからと私に食えと押し付けておきながら、食うと睨む)平らげ、大満足。今日は成城石井30%off甘味に寄らずに済んだ。

 

授業では私の監督デビュー作である「14の夜」を生徒さんたちに見てもらったのだが、こんなに下ネタが多かったっけと思うくらい多く、見せながら若干イヤな汗も出た。来週は続きを見てもらって、感想をもらう予定だ。

 

「南木顕生遺稿集」を読み終わった。

 

9月10日(金曜日)

朝早く家を出て、山口県下松へ向かう。「こどもしょくどう」の上映で呼んでいただき、トークも少しだけさせていただく。

 

お相手をしてくださったのは周南映画祭実行委員長のマニィ大橋こと大橋広宣さん。

 

大橋さんには恩があり、周南映画祭が立ち上げた松田優作賞という脚本賞に「百円の恋」を応募した際、下読みをしていた大橋さんが最終審査に残してくださり受賞につながったのだ。あれは2012年の暮れだった。あのときのことは一生忘れないだろう。それまで6、7年は無職が続き、映像業界からも完全に足を洗って専業主夫をしていたが、もう一度この世界で仕事をする機会をもらえたと思った。受賞したことを妻に電話で知らせると悲鳴をあげて喜び、次の瞬間号泣していた。後ろで娘への報告のおたけびと、生まれたての息子のギャン泣きも聞こえた。妻は1週間くらい優しかったが、「百円の恋」はなかなかお金も集まらずすぐに映画化されることはなかった。あっという間に2年の月日が流れて、2014年にようやくクランクインにこぎつけた。と、このあたりのことを書いていると止まらなくなるのだが、だから大橋さんには恩があるのだ。

 

大橋さんは、ご自身の発達障害のこともSNSなどでどんどん発信されていて、息子のことも何度か電話で話を聞いてもらったこともある。この日もお会いして車の中ではずっとそんな話をしていた。発達障害をあまり理解してもらえない人に話しても「考えすぎだよ」とか「甘えてるだけでしょ」とか「甘やかしすぎでしょ」とか「発達障害でくくるのもよくないんじゃない?」(じゃなかったら何?)などと言われ、苦しくなったりするが、大橋さんと話していると勇気づけられるし何より楽しい。

 

映画もバカみたいに大好きな方で、今は実際に作られてもいる。大橋さんの初プロデュース作品「恋」(監督:長澤雅彦)は私が脚本を書かせていただいた。この日は大橋さん原案、長澤雅彦監督作品の陣中見舞いにも行った。新津ちせちゃんが主演である。半年ぶりくらいにちせちゃんに会ったら大きくなっていて驚いた。

 

夜は両親が来ていたので(コロナ禍で2年帰省していない。今回両親は鳥取から車で来た)自作ではあるが一緒に映画を観た。悲しいお話の映画だが母親はいちいち子どもたちの表情に笑う。涙もろい父親は泣いている。笑い上戸の母はそんな父の姿を見て、私の肩を突いて必死で笑いをこらえている。そんな母に気づいた父が「なんだいや、お前は」と声を出して不機嫌になる。劇場で両親と並んで映画を観たのは高校生以来だが、そう言えばいつもこうだった。父親の反応にいちいち母親は声を殺して爆笑し、そして父親が不機嫌になるのだ。

 

せっかく山口県まで来ているので何か美味しいものを食べたかったが、この状況でお店はどこも8時で閉まっている。しょうがないのでスーパーで総菜を買って両親の泊まっているホテルの部屋で食べて、夜中に自分の宿泊先へ戻った。

 

山口県には11月の周南映画祭でまた行く予定だ。

 

このようなご時世の中、オンラインではなく集客イベントを開催していただき、関係者の皆々様、ご来場していただいた皆々様には本当に感謝です。コロナ対策の徹底、ありがとうございました! 初めてネットでPCR検査&陰性証明書の発行をしましたが、かなり簡単でした。修学旅行とか帰省とか普通にできるようになるとよいのですが……まだまだ先かなあ(by.妻)

 

9月13日(月)~17日(金)

まだ腰が本調子ではない妻に代わり、ひたすら家事育児と執筆。子どもたちに「パパのご飯美味しい! ずっとパパが作って!」とリクエストされ、最近毎晩夕飯を作っている。健康に良いからと毎日酒粕とか麹入りのものを食わされている子どもと私が不憫になる。

 

それにしても近ごろの私の家庭での働きぶりには、誰も褒めてくれないので自分で自分を誉めるしかない。本当によくやっている。

 

「弧狼の血 LEVEL2」(監督:白石和彌)鑑賞。

 

※妻より

あーあ。

言いたくないが、異議あり。

自己肯定感の高い夫は「俺の家事育児のスキルは最高級!」と自画自賛しているのですが、よくもまぁ事実をここまで捻じ曲げることができるものだと、驚きを通り越して関心すらしてしまいます。アナタは立派な政治家になれます。「パパ作って!」なんて誰が言ったんだ!

私がぎっくりで動けなくなって初めて、ようやく夫は「あ、夕飯作ろうか。俺の料理の方が子ども喜ぶし」とクソむかつく言葉を吐きました。ハラワタ煮えました。

1か月に1度は、マグマのような怒りを夫にぶつけるのですが、今回はぎっくりもあり、いつもの倍はぶつけました。私の怒髪天の言葉を夫はしおらしく伏し目がちに聞いていましたが、その大根芝居にも虫唾が走ります。50夫を褒めて伸ばすなど、私には糞くらえです。普段、自分の事しか考えておらず家庭のことなど目に入っていないから、少しでもやるとすぐに「俺、すげーやってる! 他のお父さんよりやってる!」と謎の比較から自己満足に至るのでしょう。

まぁ色々と流せない私も面倒だとは思いますが。

 

9月15日(水曜日)

朝一で「恋の病~潔癖なふたりのビフォーアフター~」(監督:リャオ・ミンイー)鑑賞。

 

その後、高校教師まで時間がないのでサクッとうどんランチの予定だったが、うどん屋さんに向かう道の途中にあった焼き肉屋さんの前で珍しく妻が立ち止まる。

 

「どうした?」と聞くと「無性に肉が食いたくなった」とのことで、急遽焼肉に変更した。妻はよほど肉を欲していたのか、ランチだけでは飽き足らず、時間もないのにミノだのギャラだのマルチョウだのとホルモンをガツ食い。でもダイエットをしているのでご飯は私に押し付けてくる。私は私で焼き肉定食の他に単品冷麺も頼んだりしていたので、嫌だな~と思いながら炭水化物を大量に摂取し、ふたりして猛烈に焼肉臭くなりながら学校へ行った。

 

※妻より

異議あり。ほんとよく言うわー……。なんか、異議があり過ぎて禿げそうです。

ミノだのギャラだのマルチョウだの、なんならタンモトだの、追加でガンガン頼んだのは夫です。ついでに1日限定5食という牛の角煮も2人前頼んでいたし…。

私は牛タン2切れとハラミ3切れしか食べてないです……。まぁ同じ身長の北斗 晶より体重あるんだから、こんなところで小食アピールしてもしょうがないけど。

それにしても久々の焼き肉美味しかったです。こういう当たりランチだと、マッコリをせめて1杯か2杯。いや、3杯か4杯くらいは飲みたかった……。

 

9月17日(金曜日)

頭皮を火傷した。

 

熱いウーロン茶をぶっかけてしまったのだ。なぜにこういうことになったのかと言えば、以前もこの日記に書いたが息子の同級生のⅯ君のお父さんが、AGA治療で髪の毛がフサフサになって、それを見た私はまたムクムクと「ハゲから脱皮したい」という気持ちが湧き上がってきた。そんなときに、とある方のネット配信番組というのか、お金払った人だけが見られて、内容はなるべく口外しないでくださいねというような番組? を妻とパソコンで見ていたのだ。

 

そのとある方もAGA治療をされているとのことで、明らかに髪の毛が増えていた。そして私の気持ちは「ハゲから脱皮したい」が「ハゲから脱皮できるんじゃん!」に変わり、近くのAGA治療院を検索したのだが、医院長先生が美しい女性のお医者さんだったので、行くのを臆した。「あー、この人、この年になってもまだハゲたくないんだぁ。カッコ悪!」とか思われはしないだろうかと自意識過剰が発動してしまったのだ。で、そのままハゲにまつわるいろんなことを検索していると、ウーロン茶での洗髪が非常に良い!という記述を見つけ、試そうとしたところ、冒頭のような大惨事になってしまったのだ(やかんで黒ウーロン茶を温めたのだが、指先の温度ではOKだったが、頭皮にかけたら飛び上がるほど熱かった)。

 

ショックだった。多分その火傷したところは毛穴が死滅してしまったのではないだろうか。

 

だがウーロン茶洗髪はAGA治療よりは断然安いし(AGA治療もそんなに高値ではない)、続けてみようかとは思う。

 

それにしても「ハゲ」ってどうでもいいやとか、やっぱり嫌だなとか、私の場合は周期的に考え方が変わる。それはプロレスをアホのように見たり、まったく見なくなったりするのに似ている。

 

9月19日(日曜日)

本来なら今日から始まる3連休は地方で仕事の予定だったが、土壇場で中止となってしまった。実はこの仕事は去年も緊急事態宣言で中止になり1年延期されていた。それが今年も緊急事態宣言で正式に中止となった。1年延期の挙げ句の中止はきつい。この他に、去年の夏にクランクイン予定だった映画が今年の夏撮影に延期されていたのだが、それも正式に中止となった。このやり切れない気持ちのぶつけどころはどこにもない。

 

だが、中止になったおかげで娘の部活(テニス)の試合は観に行けた。娘は学校部活でテニス、クラブチームで野球をしているのだが、土日は基本的に野球の練習があるから、今日のように試合が重なるとどちらかを休まざるを得ない。

 

日本ではいまだにひとつのスポーツに精進することが美徳というような雰囲気があるが、子どものうちはやりたければやりたいだけスポーツが(スポーツだけでなくても)やれる環境にならないものかと思う。

 

試合が重なれば行きたいほう、もしくは行かないと試合が成立しないほうに行けばいいと思うのだ。ダブルスの試合に出ることになっている娘は当然、補欠である野球を休む。だが、野球を休むことで監督コーチからの心象がどうなるかを気にしている。そういう気遣いを子どもたちが感じることがなくなればいいと思うのだ。

 

娘たちは3回戦まで進出したが惜しくもそこで敗れた。娘たちに勝ったチームはそのまま勝ち進み都大会進出を決めたから強いチームだったのだろう。というか強かった。

 

娘は中学1年まで学校の部活はイラスト部だったのだが、廃部になってしまいテニス部に移った。野球と掛け持ちはきついだろうと思ったが、野球チームの人間関係に悩みまくっているからテニス部の活動は楽しくてしょうがないようだ。それにしてもテニスを始めてまだ5か月だ。それでここまでくるのだからやはり運動神経は妻に似て良いのだと思う。なのにメンタルが私に似てどうにもガッツと覇気に欠ける。もったいないなあと思う。

 

どうでもいいが、中学生女子のテニスの試合をスマホで撮っていると、どうにも不審者丸出しのようで辛かった。

 

灼熱の中、初のテニスの試合。不審者扱いを気にしてか、めちゃくちゃ遠くからの写真でよく分からない(by.妻)

 

9月20日(月曜日)敬老の日

朝7時、開店と同時にジョナサンで仕事。昼過ぎまで書き13時半から息子を野球に連れて行く。

 

息子のチームは年長さんから5年生までいて、コーチが“怒らない、怒鳴らない、無理はさせない”をモットーとしている。

 

試合形式のゲームではキャプテンを毎回その場で決めるのだが、キャプテンをやっていないのはもう息子だけだ。年長さんの子もやっているが息子は頑なに断る。それでも「やってみればいいじゃない」ということもコーチたちは言わない。自発性を待つでもなく、できない子・したくない子にはさせないというだけの雰囲気が息子には合っているようだが、見ている私としては複雑な気持ちになってしまう。みんながやってるんだからやれよと思ってしまうのだ。

 

「みんながやってるんだから」という言葉は人から言われるとウザい言葉の上位に入るだろう。私も散々言われてきた「社会じゃ通用しないぞ」という言葉が喉まで出かかってしまう。そういう言葉を吐く人の見えている社会で通用しないだけで、通用する社会を見つければいいだけのことだが、今の社会ではそれはなかなか大変なことのような気もする。私も自分の見えている社会だけで息子のことを見ているからそう思うのだ。息子のおかげでもしかしたら見ることもなかったようなものを見ることができたり、考えなくてもよかったことを考える機会を与えられている。と思わなくもないが、ああ、こんなこと考えたくないなあ、面倒くさいなあと思うこともまた事実だ。

 

9月21日(火曜日)

私が夕飯を準備していると、2階から妻、娘、息子のキャッキャと楽しそうな声が聞こえた。天体望遠鏡で満月を見ているようだ。普段なら大声で夕飯できた告知をするが、楽しそうなので「夕飯できたよー」と2階まで上がって行くと、すぐに3人は「あー、お腹減った」と下に降りてしまった。

 

夕飯後、2階で仕事をしていると、今度は階下から我が家でブームのチェスをしている3人の声が聞こえる。大きな笑い声も聞こえてくる。そのうちチェスが終わり、ピアニカの音ともに3人で楽しく歌を歌っているのが聞こえてくる。私がその場にいるとなかなかこのようにはならない。なぜなのか? 妻に言わせると「子どもの話を遮って、自分の話ばかりするからだ。子どもへの興味より、俺の話を聞け! って雰囲気丸出しだから」と言うが、私も子どもの話を聞くのは好きだし、子どもに自分の話をしているつもりはあまりない(確かにチェスでマジになってしまうところはあるが……)。休みの日はほとんど子どものために過ごしていると言っても過言ではないのに、うまく伝わらないし、邪険にされている気すらする。階下に降りていきたいが、部屋に入った途端、招かれざる客になるのは確実なので、2階の窓から満月を見て、誰かに会いたいなあなんて思ったりした。

 

9月22日(水曜日)

本日は高校の授業がない。

 

朝一で「ドライブ・マイ・カー」(監督:濱口竜介)を観に行く。すごく良い映画だった。私は批評・分析的なことはまったくできないが、私にとっては包容力があり、活力の漲ってくる映画だった。そして、普段の日常生活からペラペラとしゃべりまくるのはよそうと思わされた。声という音がないほうが通じることもあるのだな、なんて思いつつ、ラスト近辺、北海道で主人公が吐露する本心なのかどうか分からないが、そのように思える言葉にはやや違和感というのか、こういうことだけなのかな? と思ったりもした。同じ夫婦の映画でも身もふたもない本心をぶつけあう夫婦の映画を私は作っているからそう感じたのかもしれない。

 

いずれにせよ大変面白く刺激的な映画で、2駅分歩いて、その間に妻に感想をベラベラとしゃべり続けた。

 

そして高田馬場の「蒙古肉餅」で羊を食いまくった。大好きなお店だ。面白い映画を観たあとは食欲もわく。

 

9月25日(土曜日)

娘は朝から野球へ。息子は友達と公園へ。

 

朝10時、湯船に浸かっている妻と脱衣所にいる私とで大ゲンカ(仕事の事)。映画の一場面にしたいくらいみっともなく滑稽な構図(一緒に風呂に入っていたわけではない)。

 

隣にできた新築の家が内覧中だったが、不動産屋さんにも内覧中の若夫婦にもかなり迷惑をかけてしまった。隣との距離が近すぎるので(しかも風呂場の窓は全開)、内覧中の声も丸聞こえだったが、ヒートアップしたこちらのケンカの声はもっと筒抜けだ。きっとあの夫婦は隣の家を買わないだろう。いずれにせよ、誰かが隣に引っ越して来たら、ほとんどくっついていると言っても過言ではない状態の隣の家への配慮は大変だろう。ひとり暮らしのアパートは別として、今まで隣家とこれだけ近い距離に住んだことがないからどんな感じなのかうまく想像ができない。

 

昼から、来春撮影予定の映画でチーフ助監督をつとめてくれる松倉君家族がいらっしゃる。午前中のケンカなどみじんも感じさせず、映画の打ち合わせをしながらビールを4本、ワインを3本、ウイスキー1本が空いていた。

 

3歳の松倉息子と9歳の足立息子がほぼ同年齢のように話していて、かわいい。松倉妻が毎回必ず寝るのが大変おかしい。

 

9月26日(日曜日)

娘の野球の試合(3年生が引退するのでチーム内紅白戦)。その後、保護者会があるとのことで妻と朝8時に球場へ向かう。

 

Aチーム(2、3年10人)対Bチーム(1年13人)の試合で、和気あいあいと試合が始まった。Aチームにいた娘は最初ベンチだった。10人しかいないからたったひとりのベンチだ。これは私も経験があるが、なかなかに辛い。

 

でも、途中から出られるだろうと思って気楽にフェンス越しから見ていた。1回からAチームがガンガン点数を入れ、途中10点以上差がつき、回も4回を超えたあたりから私は不安になってきた。娘はいっこうに出る気配がない。対するBチームはどんどん選手が代わるし、ポジションも普段は守らないようなところを守ったりして楽しそうだ。

 

ずっとひとりでファウルボールを追いかけたりしていた娘は、それでも我々の近くに来るとニコッと笑って手を振ったりしていたが、私は見ていて辛かった。そして監督さんに対して怒りが込み上げてきた。なんでこんな飼い殺しのようなことをするのだと。

 

最終回を迎えたときは試合を正視できなかった。そしてまさかとは思ったが、娘は試合に出なかった。3年生の引退試合であり、両チームで出場しなかったのは娘だけだ。レベルの高いチームで、みんな小学生から野球をしている中、娘だけが中学から始めたから実力は追いついてないだろうが、それでも納得はできなかった。懲罰的な意味合いがあるとしか思えない。何度も書くが、たかだかチーム内紅白戦で、大差で圧勝なのだ。後半からはファウルボールを取りに行く娘の表情もこわばっているように見えた。

 

試合終了の挨拶も、娘だけ俯いていた。そしてグランドから出てきた娘は、妻と私を見るとワッと泣き出した(野球のメンバーには見られない場所で)。妻がすかさずトイレに娘を連れて行ったが、誰も娘のその様子には気づかなった。3年生の引退で、選手たちはキャッキャッとはしゃいでいる。1年生の途中からチームに入った娘は確かに引退する3年生たちとは関わり合いは浅い。トイレから出て来た娘は帽子を深くかぶり、目を真っ赤にして、俯くようにして、チーム全員の記念撮影に加わった。この状態で、「はい、すしざんまい!」の決めポーズはさぞや辛かったであろう。かわりに私がそのポーズをしてあげてもいいと思ったほどだ。

 

いったいAチームの監督さんは何の意図があって、娘だけを出さなかったのか。

 

どんなに勝ちにこだわるチームとは言え、チーム内紅白戦でかつ大差なのだ(何度も書くが)。先日テニスの試合で3連休の練習に行けなかったからか? 夏に山村留学に参加して何度か練習を休んだからか? 普段から積極的な姿勢が見えず、声も出さないからか? 単に下手くそだからか? 干して何かを感じて欲しかったのか?

 

こういう指導者のチームに入れていると思うと、頭がぐらぐらする。こういうことで、好きな野球を嫌いにはならないで欲しい。

 

指導の方針をとやかく言う気はないが(でも言うが)、下手くそでも試合に出れば楽しいし、1試合出ただけで1か月分の練習よりも成長したりする。試合の楽しさや緊張感を味合わせて欲しい。何度も書くが、たかだかチーム内の紅白戦だし、大差なんだからそれこそ普段は出られない子に機会を与えて欲しい。

 

試合後、娘と一緒に帰宅。途中のスーパーで「なんでも好きなものを買って食え」と言うと、特上寿司、お稲荷さん、生ハム、サーモンの刺身、しめ鯖、まぁまぁ高いチョコレート、2000円もする美白パックもどさくさに紛れてかごに入れてきた。

 

帰宅後、娘はそれらを貪り食って美白パックして、ふて寝。

 

夜になってもグチグチ文句を言い続けている私に、ついに妻が「お前、もういい加減うるせえわ」とキレたが私はそんな妻に頼み込んで、監督ではなくチームのGMに「今日の試合はどういうつもりですか?」とクレームのようなLINEを送らせた。

 

「自分で送れ」と言われたが、そういうのが私は大の苦手だから、長々とした文章を下書きして妻に送ってもらった。

 

GMは女性で、すぐに返信が来た。別件があり(小学生の女子野球も見ている)試合に遅れて来た為、娘の状態に気づかなかったようだが、よくぞこういう意見を伝えて下さいましたとのこと。娘の辛さをとても分かってくださり、同じような悩みを持っている子が他にもいるから、監督にGMの意見として進言するとの返信をいただく。私は妻に「な、メールして良かっただろ、俺、こういう仕打ちは流せないから」と要らぬ一言を言ってしまい、「いい加減、自分で対応してみろよ! いっつも矢面に立っているのは私だろーがっっ!!!!!」と結局は怒らせた。

 

※妻より

LINEという連絡手段ができてから本当にこういうやり取りに疲れ果てます。娘、息子の野球や格闘技教室、その他の習い事に学校、部活、療育、友人関係(トラブル多し)でLINEグループは多数。スマホは震えっぱなしです。正直気が狂いそうになることもあります。夫も野球のLINEに加わってはいますが、スケジュール管理、返信は今のところ全部私の役割。

夫は「だって俺、苦手なんだもん、そういうの」で逃げてしまう。こればかりは無理やり振っても「忘れてた」となるのは目に見えているので、私がやるしかない……となるからストレスが溜まるのかも知れません。何せ夫は不得手なことが多すぎます。相手の性根を変えるしかない、と若いときは思っていましたが、人間が変わるのは難しい……、身に染みて理解したつもりです。そして我慢すると心身共にぶっ壊れるので、月に一度の激怒スケジュールが発生します。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。

【喜劇 愛妻物語公式サイトはコチラ】

 

 

キャンプ帰りの子どもの成長に涙し、睡眠用BGMに「喘ぎ声」を聞く映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第17回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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8月1日(日曜日)

キャンプから戻ってきた娘を迎えに新宿まで行く。そして入れ替わりでキャンプに行く息子を送る。

 

野球チームの人間関係で悩み、勉強をする気がまったく起きない娘の今の楽しみは動画編集なのだが、親としては外でパーッと体を動かしてきてほしいという思いがある。また家ではソファにドカッと座ったっきり、口ばっかり達者で全く動かず、家の事など一切しないスタンスなので少しでも自立してほしいという期待もあり、わずか10日間ではあるが、サマーキャンプに行かせた。

 

反抗期の娘が家にいないとこうも快適かと伸び伸びと過ごしていた私と妻だが、頭の片隅には、人と馴染むことが苦手な娘はもしかしたらキャンプの10日間ほぼ誰とも口をきかず、ひたすらつまらない時間を過ごしているかもしれないとの不安もあった。どんな様子で帰って来るだろうかと思っていたが、開口一番「めっちゃ楽しかった。あと10日間は居たかった」と言った。正直、それだけのことで目頭が熱くなってしまった。

 

恋人や家族ができることに苦しみが伴うのは、自分よりも大切な存在ができてしまうからだろうが、我が子がなにかを楽しかったと言うだけで、こうも嬉しいものだろうか。久しくこの喜びを味わっていなかったような気がする。それは私たち親のせいでもあるのだろうが。

 

キャンプでは同級生のイケメン男子とも住所交換をしたとニタニタしながら言っていた。これで少しはいろんなことに前向きに取り組んでくれたらいいなと思う。家に戻るなりイケメン男子にハガキを書いていたのはいいが、その後は10日間離れていたスマホ三昧。なかなか親の思うようにはいかない。

 

↑今日からサマーキャンプスタートの息子はメチャクチャ不安そうな顔。終始無言でバスに乗り込んで行った。娘の表情とは雲泥の差。車酔いしやすいので、我々もかなり不安。行きのバスからゲロ全開でぶちまけないといいが(by妻)

 

8月4日

昨年の秋に受けた健康診断で私も妻もいろいろと数値の悪いところがあり、この日、半年間でどれだけ改善されているのかという再検査を妻と共に受けに行く。

 

すると、私だけすこーし数値が改善されていた。私は保健師さんの前で喜びいさみ、妻の酒量が全く減っていないことだけでなく、

「ジムに行っているくせに全然体重が減ってないんですよ! ていうか、むしろ2キロ増えてるんです! 信じられないですよ! ボクはこうして減ったのに! ボク、週2の妻のジム日に大好きなアイスを絶つから、妻もジムの日だけは酒をやめてほしいんですけど、絶対にやめないんです! ジムが終わった瞬間に缶ビール2本です!」

などと絶好調で唾を飛ばしまくって大声で訴えていると、そのような場でも自分のことを貶められると(これ、貶めてるのかな?)容赦なくキレる妻が案の定ブチ切れて、「おまえ、マジ、だまれ。調子ブチこくんじゃねえ! ぶっ殺すぞ!」と大声を出し、保健師さんをドン引きさせてしまった。

 

更年期障害って、M-1グランプリでの芸人の舌禍事件以来、それまで以上に揶揄的な意味合いになってしまっているような気がして使いづらいが、もしかしたらそのような症状が出始めているのかもしれないとも思う。私も労わらなければと思うのだが、未熟さゆえについつい要らぬ一言二言、時には三言を言わなければ気が済まない。その要らぬ一言というのはほとんど妻への何らかの復讐のために吐いてるような言葉がほとんどだから、言わないように我慢できないことはないはずなのだが、我慢できない。

 

(※)妻より

異議あり。聞いてください。

私をよく知る母仲間から「アキコさんは更年期障害でイライラしてるのではなく『カサンドラ症候群』なんじゃない?」と指摘されました。調べてみると症状がバッチリ私に当てはまりました。パートナーや家族に発達障害を持つ人が陥りがちな症状で、抑うつ、不眠、イラつき、不安、自己肯定感の低下などがあるらしいです。そうなる傾向としては真面目、面倒見が良い、忍耐強い性格などと記載があり、はっきり言って私まんまだと思います。あれ? 自己肯定感は高い?

でも、あなたに振り回されまくっている私も辛いということをちょっとでも自覚してほしいのです。せめて、「俺のパンツが一枚もない、靴下がない、着ていく服がない」とか子どもみたいなことを毎日言うのをやめてくれるだけでも、ストレスが少しは軽減されると思うのです。

 

8月5日(木曜日)

本日、息子4泊のサマーキャンプから帰宅予定。仕事は押していたが新宿まで迎えに行く。時間通りバスターミナルに大型バス到着。車酔いしやすい息子が心配で目を皿のようにして探していると、ニヤニヤしている息子を発見。開口一番、「あー帰りたくない! まだ長野にいたい!」と言った。娘で免疫ができていたのか、目頭が熱くなることはなかったが、嬉しかった。

 

解散してすぐに近くのロイヤルホストに入った。息子はちょっぴり静かで、バス降車時に渡されたサマーキャンプの写真をずっと眺め、美味しいカレーにもクリームソーダにも目もくれず、無言で涙ぐんでいる。色々質問すると「川遊びが楽しかった…。テントに一生泊まっていたかった…。マッチを擦ったんだ、初めてなのに成功したんだ…」とポツポツと話し出し、最終的に「今すぐ長野に帰りたい」と涙をポロポロ流し始めた。

 

息子は楽しい時間からのバイバイがとっても苦手な特性を持っており、本当に寂しそうで私まで悲しくなったが、ロイホのカレーがとても美味しくて息子の分と自分の分を飲むように食べた。

 

ちなみに息子は行きの服で帰ってきた。着の身着のままで4泊過ごした。リュックの中にはジップロックに畳んで入れた3泊分の下着と服と使っていない歯ブラシがまんまの形で入っていた。灼熱の中、風呂も1回しか入らなかったらしい。よほど楽しかったのだろう。妻は「たくましいなー、この子は。山中とか無人島とかで生きていけるタイプかもな」と言った。将来、そういう自分に向いた仕事につけるといいなーと切に思う。

 

8月7日(土曜日)

サマーキャンプに参加していたために、娘はこの日が2週間ぶりの野球の練習となる。

 

チーム内の人間関係に悩み、うまく馴染めていない娘に2週間というブランクはかなりキツイようで、前日から「あーあ、行きたくないな…」とこぼしていた。たかだか10日のキャンプで人間が変わるわけもないが、親としては少しだけでも物事に積極的になってほしいと思っていた。野球チームの人間関係もしかりだ。だが、やはりなかなか思い通りにはいかない。

 

酷暑の中、朝7時に家を出て19時半にヘトヘトで帰宅した娘の表情は暗かった。玄関で靴を脱ぐなり「もう辞めたい」とシクシク泣き始めた。久しぶりに練習に参加した今日は一日中誰からも話しかけられず、弁当もひとりで食べたらしい(珍しく弁当も残してきた)。今の子の言葉で言えば、娘は野球チーム内では「ぼっち」なのだ。

 

本当に「ぼっち」なのかどうは分からない。練習などそう頻繁には見に行けないから「ぼっち」の姿を目撃したわけではない。

 

誰かひとりくらいは話しかけてくれる子もいるのではないかと、口にはできないが思ったりもする。だがもしも本当に「ぼっち」ならば辛いだろう。チーム内で中学から野球をやり始めたのは娘だけだし(しかも中1の3月入部)、去年は東京都でベスト8にも入っているチームだ。そんな本格的なチームの中で、素人の娘が慣れない野球の練習をこなし、ひとりで弁当を食べている姿を想像すると、胸が張り裂けそうになり、もう辞めてもいいんじゃないかと思ってしまう。どんな言葉をかけていいのか分からず、私も途方にくれてしまった。

 

そしてキャンプ中に出会ったイケメン男子に出したハガキの返事を、首を長くして待っているが来ない。これも落ち込む原因になっている。頼むから返事来てほしい。

 

8月8日(日曜日)

テレビで男子マラソンを見ながら仕事。当たり前だが捗らない。そして、こうなるだろうとは思っていたが、私はテレビでかなりオリンピックを見ていた。今回は日本でやっているから寝不足になることなくオンタイムでいろんな試合が見られる。でも、嬉しくはない。

 

私にとって、オリンピックは深夜にゆっくりと「へえ、この競技、こんなに面白いんだ」と発見しながら見るのが楽しいのだとはっきり分かった。そしてそれは、あまりにもどうでもいいことだ。そんなどうでもいいことを思っている場合ではない。

 

コロナ感染者も爆発的に増えている。オリンピックは関係ないという言葉も聞こえてくるが、関係ないわけはない。きっとない。エビデンスはない。今、人生で初めてエビデンスという言葉を使った。正直最近までエビデンスと聞いても「海老」を思い浮かべていたし、ダイバーシティと聞いても何となく街の計画かなにかだと思っていたくらいバカだが、それもどうでもいい。

 

それにしても有言実行というのか、言葉通りに結果を出す大迫 傑は文句なくかっこいい。あと、女子バスケにも燃えさせていただいた。

 

閉会式は見なかった。開会式も見ていない。今までオリンピックの開会式と閉会式を一度も見たことがない。オリンピックには興味はなくても開会式だけは見るという人もいるが、私は自分の身内でもいない限り、オリンピックに限らずいろんなイベントの開会式というものはまったく見たいと思わない。

 

娘にイケメン男子から返事は来ない。毎日ポストを気にしている娘がそろそろ不憫になってきた。

 

8月10日(火曜日)

台本を書きまくる日々。そして不眠。夜1時ごろ寝て、朝の4時ごろには起きてしまう。昼間、猛烈に眠い。最近は寝るときにナイツやオードリーの漫才とか、誰でもいいので落語さんの睡眠用落語というのを聞いて寝ていたのだが、2時間くらいあるそれらを最後まで聞いてしまい、まったく睡眠用にならない。無音だと眠れないのだが、妻の聞いている文学の朗読は聞く気になれない。なにかないかと探していて、我ながら恥ずかしいが「喘ぎ声」というのを見つけてそれを聞いてみたら、これが意外に眠れた。のだが、それはその日だけだった。翌日も同じことをしたらまったく寝付けなかった。どなたかこれは必ず眠れるというものがあれば教えていただけたら嬉しい。

 

そして、イケメン男子から娘に返事がない。そして、この日の日記だけは娘に読まれたくない。

 

8月14日(土曜日)

娘の様子が気になり野球の練習を妻と見に行く。練習後にいつもシクシクとされて心配だからだ。私はジェラートトリプルを、妻はストロングゼロを2本買ってコソコソと隠れて見ていた。この日、娘は特守。フラフラになりながら猛ノック150本を受けていた。そんな娘に声をかけてくれるチームメイトたち。「頑張れ!」「しっかり!」「もう少しだよ!」「ナイスキャッチ!」などなど。正直涙が滲む。表面上にはどう見てもうまくいっているようにしか見えない。しかも私と妻に気づいた娘は、特守終了後わざわざやってきて「ねえ、私、うまかったでしょ」と言った。私なら自分の親がこっそり練習を見に来ているのに気づいても親のところへなど行かない。むしろ「くんなよ」と思ってしまう。娘は妙なところでメンタルが強いというのかバカなのかよく分からない。

 

ただ、練習合間の休憩時や練習終了のダウン時など、皆が雑談する時間がある時は、娘は確かにひとりぼっちであり、ポツンと所在なげにグローブをいじったりしているように見えた。

 

日陰を求めてウロウロと移動していた我々を見つけては、胸の前で小さく手を振る姿を見ると、やっぱり孤独で寂しいのだろうな、とは思う。娘にはどうかタフになってほしいと思うが、どうしても無理なら続けているのも時間の無駄な気はする。どう考えていいのかよく分からないまま、帰路につき、美味しい手づくりスコーン屋を発見したので、娘に買ってやるかと3つ買ってひとつ食べたらあまりにうまかったので全部食べてしまった。

 

そして娘にイケメン男子から返事は来ない。

 

「母影」(著・尾崎世界観)読了。

 

8月19日(木曜日)

この日は1日休むと決めた。

 

最近は仕事で通っている渋谷以外の街に行くことはなかったのだが、この日は久しぶりに違う街に行って、「モロッコ、彼女たちの朝」(監督:マリヤニ・トウザニ)と「返校」(監督:ジョン・スー)を見て、夜は俳優の坂田 聡さんと一緒に、「アンダードッグ」でご一緒した清水 伸さんが出演されている「道産子と越後人」を観に行った。3本のオムニバスでそれぞれ良かったが、私は3本目の「不毛ドライブ」が最も好みだった。

 

去年、坂田さんとお芝居をする予定でいたが、中止になってしまった。やっぱりなにかやりたいなあと刺激を受けた日だった。

 

そして娘にイケメン男子から返事は来ない。心が折れたのかポストを気にすることもなくなった。

 

8月21日(土曜日)

妻と共にワクチン2回目。夫婦で同日接種は避けた方が良いとネットに書かれていたが、申し込んだ時には副反応がこんなにひどいとは言われていなかった気がする。

 

1回目は左腕に打ったのだが、3週間たった今でもまだ痛いので2回目は右腕にしてもらったところ、何時間たっても筋肉痛的な痛みもほとんどなく、1回目のときに襲われた倦怠感とか頭痛もない。それだけで嬉しくなる。なのでそのまま妻とランチに行った。そしてそのまま、この日も娘の野球の練習を見に行った。今日の休憩中は、少しだが、チームメイトと雑談している雰囲気はあった。安心したと共に、ちょっとだるくなってきた。ポカリスエットと知り合いに聞いた「牛黄(ごおう)」という漢方と解熱剤を購入して帰宅。

 

「ヤクザと東京五輪2020」(著・竹垣悟×宮崎学)読了。

 

8月22日(日曜日)

やはり副反応で発熱してしまったが、筋肉痛的な痛みや強い倦怠感はなく、風邪よりは楽な気がした。少々朦朧としながらシナリオを書いていたが、たまらずダウン。冷えピタを貼ってNetflixの「ハイパーハードボイルドグルメリポート」をひたすら見ていた。

 

8月24日(火曜日)

息子と息子の友達と水鉄砲をしていたら、妻が日傘さしてやってきて「珍しく子どもの相手してんじゃん」と腹の立つことを言いつつ、スマホで写真を撮りやがるので、息子の友達が持ってきていたバズーカ砲のような水鉄砲で妻のケツめがけて攻撃したら、まぁまぁの威力の水に、妻がなかなかのキレ方を見せて「テメェ殺すぞ!」と怒鳴り、息子の友達がフリーズした。

 

「子どもの前でお尻とかオッパイを狙って水鉄砲撃つことを悪ふざけだというお前のような男がいるから、いつまでたってもバカな男が減らねぇーんだよ!」と怒鳴られ、がっちり謝罪をすることに。

 

↑連日の猛暑。近所の区民プールも、学校のプール開放も閉鎖中。息子も息子友達もパワーを持て余している。灼熱地獄の中、近所の無人の児童公園で水鉄砲祭(日中はベンチで肌を焼いている常連おじさんしかいない)&自宅極小風呂でダイビング(by妻)

 

8月26日(木曜日)

雨上がり決死隊の解散報告会を見た。出川哲朗の涙とFUJIWARAの藤本の号泣には、雨上がり決死隊とはぜんぜん関係のないことをたくさん思い出し、もらい泣きした。

 

2年前、映画の撮影中に宮迫とロンドンブーツ1号2号の田村 亮が闇営業問題の記者会見をして、その日ちょうど撮休だった私は香川県のスーパー銭湯でずっとその会見を見ていた。見ていて思ったのは、宮迫という人と私がそっくりだということだ。まるで自分を見ているかのようだった。自分の保身を一番に考え、それがもろに裏目に出る。そして裏目に出た時に激しく落ち込みながらも、同じ過ちを繰り返す。この解散報告会でも、正直その同じ過ちを繰り返しているように見えてしまった。逆に蛍原は男を上げた気がする。男を上げたという言い方は、今はダメかもしれない。人間を上げた。

 

こうした宮迫とか私のような、人間のみっともない部分が真っ先に出てしまう人間には、今という時代は生きづらいかもしれない。私は叩かれるような知名度がないだけのことだ。

 

人は誰もがそういうみっともなさを持って生きていると私は思っている。みんなそのみっともなさをひた隠しに隠して隠しきって生きているのだと思っていたが(それはそれで素晴らしい生き方だと思う)、もしかしたら違うのかもしれない。そんなみっともなさを露呈してしまう場面に遭遇することなく生きていられる人が多いから、自分はみっともなくないと思い込んでいる人が多いのではないか。だからみっともなさを露呈させてしまった人がこんなに叩かれるのではないか。

 

しかし、露呈させない生き方は幸福なことなのだろうか? 叩く前に、かすかながらの共感というのか、「あいたたた……」と自分を見てしまうような感覚はないのだろうか。どおりで立派な人やちゃんとした人、不幸な境遇ながらも必死で生きている人が出てくる映画が好かれるわけだ。そういう映画を悪いとは言わないが、そうじゃないものを見た時に「こいつ、頑張ってないだけじゃん。自業自得っしょ」みたいな気持ちの悪い感想なんかが出てくるのだろうと思う。

 

人のみっともない部分を、人間味として面白く描くことを目指している私としては、今後仕事の出番がますます減っていきそうな気配を感じる

 

(※)妻より

夫が自分と宮迫氏とそっくりだと自覚し、保身が裏目に出るのを分かっているのに何回も繰り返してしまう、と書いてありますが、そこまで分かっているのにどうして夫は「保身裏目」を繰り返してしまうのでしょうか。私には理解できません。人として弱すぎます。まぁ休肝日を1日も作れない私に言われたくないでしょうが。
 
雨上がりさんに関しては、もう少し「気持ちを伝える努力」をお互いしていれば違った結果になったかもしれない、とは思いましたが、私も夫とコミュニケーションを取る(会話する)のがもの凄く苦手で避けているので、偉そうには言えません。
まぁ、人気芸人の宮迫氏と夫とでは保身する立ち位置が全然違うとは思いますが。もし夫が宮迫氏のようにYouTube始めたとしても多分フォロワーは5、6人だと思われますし、その5.、6人を私全員当てられると思います。

 

8月27日(金曜日)

もうすぐ夏休みが終わる。子どもの感染も増え、夏休みを延長するところもある。息子はそろそろ恒例の学校行きたいくないモードが出始めて、毎朝毎晩ウチの神棚やダルマやキツネやエミューの羽などの開運グッズに「一生夏休みが終わりませんように」とお祈りを始めた。冗談ではなく真剣にお願いしている。

 

妻のママ友仲間から、子どもが感染した場合の重篤化もハンパないから学校休ませようかと思うんだと連絡きたという。我々も息子を小学校に行かせるべきか、また中学生の娘に予防接種を受けさせるべきか悩んでいる。分からないことが多く、夫婦でも家族でも考え方は一致しないし、その考え方もコロコロと変わる。

 

修学旅行・部活・夏祭りやイベントの中止、黙食の徹底、休み時間でも無駄な会話禁止などの決まり事に対し、子どもがけなげに、そして律儀に守る姿を見るとせつなくなる。

 

なるのだが、区の小学校、中学校が9月12日の緊急事態宣言明けまで午前中授業にすると通達がくると、デルタ株が猛威を奮っていて、やむを得ない判断なのは分かるが憂鬱にもなる。きっと部活もなくなるだろうし、時間を持て余した子どもたちと衝突は必至だ。

 

「命には代えられない!」という方もいらっしゃるが、私は今この瞬間、残念ながらそこまでの危機感と想像力を持ち合わせていない。何とか落としどころ見つけてやってくしかないんじゃないのと今は思っている。あくまで今だから明日には変わっているかもしれないと言い訳のようなことも一応書いておく。

 

とにかく休校だろうが夏休み延長だろうが、去年の春先の放置休校のような地獄だけは、子のためにも、親のためにも勘弁願いたい。

 

8月29日(日曜日)

今日は息子の野球。息子は野球のルールがなかなか覚えられない。次回までにフォースプレイと駆け抜けて良い塁、いけない塁を覚えなくてはならない。息子にフォースプレイを理解させるのは、私になにか医学とかどっかの国の文学とかの難しい論文を読んでまとめてこいというくらい、途方にくれるものになるだろう。

 

帰宅後、息子は妻と自由研究。名前を付けてかわいがっていた3代目のザリガニも元気に脱走してしまったが、とりあえずザリガニへの愛を図に描き、文字を書くのが苦手な息子の手を背後から妻が持って、どうにか完成させた。それでも息子は「こんなんじゃダメって怒られるよ!」と不安で泣き叫ぶ。

 

ちなみに私は数日前に、娘の読書感想文を手伝った。

 

自称ストレスフルで不眠の妻が夜な夜な聞いているラジオの朗読で、娘(昼間は大変な呪詛を吐き散らすのに夜は妻と一緒に寝たがる)は妻と一緒に太宰 治を何本か聞いたため、読書感想文の宿題に「人間失格」を選んでいた。ちょいちょい響くところがあったようだ。

 

娘は「思い出」や「ヴィヨンの妻」を聴いたときに、「なんかパパみたい」と言っていたらしい。そして妻は「太宰とパパ、変わらないよ」と返したらしい。いくら妻とはいえ、この発言はかなり恥ずかしすぎるので「それはない」と咎めたところ、「だから私もお前は終わってんだよ」と意味不明なことを吐き捨てるように言われた。私は「まだ始まってねえよ」と「キッズ・リターン」風に返した。

 

ところで「キッズ・リターン」は好きな映画であるとともに、なんだか北野 武がつまらなくなってしまった映画だとも思っている。のちに「アウトレイジ」で私的には大復活したのだが、「キッズ・リターン」は北野 武が普通になってしまったと感じた映画だった。なんて偉そうなんだろう俺は。

 

8月31日

夏休み最後の日ということで、家族で焼き肉を食べに行ったのだが、娘と息子はあらかた食べ終わると、近くのブックオフに行ってくると言って店を出て行き、理由は分からぬが朝から鬼のように不機嫌だった妻とふたりきりになってしまった。なにを話しかけても目も見てくれない。不機嫌の理由はさっぱり分からないが、なにか妻の気に食わぬことを私がしでかしたのだろうが、それはきっと咎める方が人間の小ささを露呈するようなことで私を咎めることもできないからただただ不機嫌という、妻にとってはよくあるパターンの不機嫌さなのだと思う。

 

それに加えて店で酒が飲めないということへの怒りのとばっちりが私にきているのだ。子どもたちがいなくなると、妻は無言で生焼けのホルモンを口に運び続け、出て行った。ひとり取り残された私は頭を空っぽにして粛々と肉を食い、会計をし、子どもたちのいるブックオフへと行ってみた。息子がひとりでいた。姉は先に帰ったとのこと。「明日学校行きたくないな…」と言う息子が不憫なのと、漫画を買ってもらいたいからなのは見え見えだが、それでも私を待ってくれていたことが嬉しくて「はじめの一歩」11巻(分厚いやつ)と「ONE PIECE」の映画版のマンガを買ってやり、家に帰った。

 

そして、とうとう娘にイケメン男子からハガキの返事は来なかった。

 

「小説8050」(著・林真理子)を読む。

 

(※)妻より

異議あり。聞いてください。

不機嫌な理由は30個以上あります。話しても激しい口論となり、結果お互い全人格を否定しまくって消耗するだけなのであまり話したくありません。夫が怒鳴り、その三倍返しで私が怒鳴るが、その結果なにも解決しないという負のループです。バカですね。でも、最近夫婦というこの無理やりな制度そのものがバカなんじゃないかともちょっと思ったりします。ふたりの人間が長いこといれば、よほど「できた人」でない限り、きっとこの繰り返しなのではないか、と……。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。

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連載終了後の生活に戦慄し、家族からの誕生日プレゼントに文句を言う映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第15回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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5月31日(月曜日)

朝一で「茜色に焼かれる」(石井裕也・監督)鑑賞。後、高田馬場で羊ランチ。羊人参炒飯が大変美味。この味を家でも作りたい。羊の睾丸や腎臓の串刺しもうまい。元気が出たので、帰宅して執筆作業に取り掛かろうとするが、満腹感からか強烈な眠気。少し横になったらそのまま気絶してしまった。夕方飛び起きて、焦りまくってダッシュでジョナサンへ向かう。

 

6月2日(水曜日)

午前中、小説を書く。

 

忙しい自慢をすると、今、自分史上もっとも仕事が忙しい。とにかく今は「小説推理」に書いている「したいとか、したくないとかの話じゃない」の最終回を書かねばならない。同時に連ドラも書かねばならない。他にこの日記も含めると連載が3つある。たったそれだけで? とも言われるが、キャパシティの小さい私にはきつい。8年前、早朝のスーパーで品出しのアルバイトをしていたころからすると、夢のような状況ではあるのだが、きついものはきつい。だが6月いっぱいで、偶然にもこの日記以外すべての連載が終わる。それはそれで定期収入がなくなるからきつい。毎月の収入があるということが、やったことはないけど、これほどまでに麻薬的だとは思わなかった。「もうそれなしでは生きられない」と言う妻が、今、毎日のように私のアルバイトを探している。

 

「アンタはバイトして、社会と家族にキチンと向き合って、ようやく少しはマシなものが書ける」とも言われているから、本当にまたアルバイトに放り出されるかもしれない。

 

午後は妻と高校教師。その日だけの週一ランチ、今日はイタリアンだ。前菜3種・ジャガイモの冷製スープ・ピザのランチコースを食すも、物足りず、追加でラザニアとパスタを注文。ようやく腹7分になったので、2種類のドルチェと紅茶を頼んでフィナーレ。

 

そして授業中に猛烈な睡魔。最近、満腹になると、もれなくメチャクチャ強烈な睡魔がついてくる。若いころは昼飯を食い散らかして映画を見ても絶対に寝なかったが、今は間違いなく気絶する。

 

6月3日(木曜日)

午前中、書く。

 

昼から対面会議。対面は移動が面倒だが、私にとってはその場で出るアイデアが、オンラインの4倍から13倍くらいはあるような気がする。帰りにとある評判の映画を見たが、あまり面白いとは思えなかった。

 

ここ数年、SNSなどで「面白かった!」「凄かった!」「刺さった!」などと感想があがってくる映画を見ても、なかなかピンとくることが少なくなった。もともと私の脳は劣化気味だが、さらに劣化が進んだのか、今の作品についていけていないと思うことがしばしばある。それも怖いし、もともとない自信はさらになくなり、憂鬱になる。ただ、皆さんあまりに簡単に刺さり過ぎ、感動しすぎじゃなかろうか。

 

「鬼才 伝説の編集人 齋藤十一」(森功・著)読了。

 

6月4日

午前中、書く。午後、オンライン会議。

 

終了後トイレに行くと、妻が娘の部屋で上半身ブラジャーで下半身は私のトランクスをはいてゴザを敷いて爆睡していた。最近、色々調べ物や打ち込みを頼んでいたので力尽きたのだろうか、半目を開けていたので一瞬死んでいるのかとすら思った。

 

息子が帰宅する間まであと30分しかないので、私もつかの間の休憩を取ろうと、息子の部屋で横になった。眠たかったので、すぐに落ちたのだが、直後に「やべえよ! やべえよ!」というバカでかい声で起きた。

 

息子と友達のM君が一緒に帰宅し、あられもない姿で寝ている妻を直視してしまったのだ。妻は寝ぼけ眼で「入ってくんな! 公園行け!」とタオルケットをまいてわめいていたが、また横になった。

 

ドアから覗いていたM君が「クジラみたいだ」と言った。息子が「恐竜なんだよ」と言った。

 

6月5日(土曜日)

朝7時からジョナサンへ。ひたすら書く。

 

15時ごろ家に戻り16時から息子の野球を覗きに行く。息子たちのチームは「怒らない、無理はさせない」をモットーとするチームで、息子のように野球はほぼできないが、なんだか来ているというような子も多い。しかも低学年だけなので、もう完全にリアル「がんばれ! ベアーズ」だ。

 

試合形式の練習をしても、そもそもルールがわかっていないから、あっちに行ったりこっちに行ったり、みんなでボールを追いかけていたりと、とにかく見ていて面白い。

 

早口でベラベラ野球知識を披露する子(だが、下手)がいたり、無口で穏やかだがめちゃくちゃ上手い子がいたり、親に対して尋常でなく生意気な口をきいている子がいたり、巨漢メガネの大声の子がいたりと、キャラが立った子も多い。これは映画やドラマにしたくなるなあと見ていて思う。そこに加えて親たちのキャラも面白い。息子のプレーにムキになって口を出してしまうのは、なぜか圧倒的にお父さんが多いが、元ヤン丸出しのお母さんもなかなか熱い。ただ、ほとんどのお母さんたちは、「子どもが元気にやってくれてりゃいい」のノリで、家庭内不和話とか、お受験話などで盛り上がっていて、それを聞いているのも楽しい。

 

「がんばれ! ベアーズ」は野球そのものの魅力をゴロっと描いた傑作だが(野球というよりベースボールか)、日本ではそこに、このような大人たちのこともうまくまぜて面白いドラマは作れないものだろうかと、いつも練習を見ながら思うのだが、帰ってきたらコロッと忘れている。

 

夜、「どの口が愛を語るんだ」(東山彰良・著)読了。

 

6月10日(木曜日)

本日は私の誕生日だが、何も変わらず。妻と子どもたちがカードをくれたが、心がこもっていない気がする、と言ったら「出た出た、カマチョ」と流された。

 

誕生日だから外食したいと申し出て、近所の中華料理店へ向かうも、娘と息子がケンカをはじめ、叱った妻も不機嫌になり、全くゆっくりできない夕食だった。久々に飲んだノンアルビールが本当のビールみたいで、酒に弱い私は想像泥酔してかなりフラフラになった。

 

6月11日(金曜日)

夜、居間で執筆をしていると、定期テストまで一週間を切った中二の娘が問題を出してくれと話しかけてきてまったく仕事にならない。娘は相変わらず勉強にまったくやる気が出ないようで、テスト前のこういう時期だけ、1日10分ほど勉強している。私に雲の種類の問題を出せと言ってきた。積乱雲とか高層雲とか雲の特徴を私が読み、娘が当てるのだがまったく覚えていないのでやるだけ無駄だ。覚えていないくせに問題を出せというのもよくわからない。イライラして仕事どころではなくなる。ちなみに、私は娘の教科書にある雲の名前をひとつも知らなかった。そんなことを知らなくてもこうして生きていけるだろうとは思わない。きっと知っていたほうが、楽しいことが増える可能性がわずかながらもあるのだろうと思う。

 

6月13日(日曜日)

早朝から娘は野球の試合。妻と息子は習い事ダブルヘッダー。良いお天気の中、ひたすら重い体を引きずってジョナサンへ。最近週2回マッサージに行っているが、肩甲骨の凝り・痺れはしぶとく絶好調だ。それに加えて今は右腕(肘~手首)が痛い。さすっても、手をブラブラしても痛い。妻に話しても「生島ヒロシの痛散湯飲め」しか言わない。

 

ついでにハゲもここ数年、猛スピードで進行している。完全なるハゲから、突っ込みどころのないハゲになってしまった。数年前まではハゲ上等で特に何も思わなかったのだが、なぜかここに来て色んな髪型をしてみたい欲求にかられている。堂々とカツラにしようかなと思っているが、意外と高額なのがネックだ。近ごろは入れ墨というのもあるようだが、それだと丸ボウズしかできない。後頭部の髪型だけで遊べばいいと妻は言うが、それって伸ばすか切るかしかないだろう。息子の同級生のⅯ君のお父さんが、AGAの薬で見事にふさふさになっているからそれも試そうかとは思っているが、性欲が減退するらしいという噂もあり、迷っている。しかし、ハゲにハゲと言ってはいけない空気が世の中に出てきて、正直私としては触れられないのは生きづらい。「このハゲー」と言っていた豊田(真由子)元衆議院議員の言葉さえ、清々しく感じられるような気がしないでもない。

 

6月17日(木曜日)

シナハン(シナリオ・ハンティング)のため、朝から新幹線で甲子園に向かう。シナハンと言えばご当地の美味しい物を食べるのが楽しみだが、昼にお好み焼きを食べられただけで(美味しかったが)、夜は「餃子の王将」で総菜を買い込んで、原作者の方や助監督さんと部屋飲み。原作のタイトルを原作者の方の前で言い間違えてしまい焦った。しかし「餃子の王将」も東京より関西の方が美味しい気がする。

 

6月18日(金曜日)

今日も一日中歩き回り、スマホの万歩計は2日連続で1万5000歩を超えた。帰りの新幹線に乗る直前に、家族みんなが好きな551蓬莱を購入。

 

贅沢駅弁と贅沢アイスを食し、ひとりお疲れ様会をしていたら、ものの20分で爆睡。あっという間の品川アナウンスで慌てて飛び下りる。案の定、頭上の棚に置いた551蓬莱を忘れてきた。もうこれを何十回とやっている。

 

6月19日(土曜日)

朝から雨。娘も息子も野球が中止になったため、ふたりとも家に引きこもるとのこと。カオス間違いないので早々に家を脱出。

 

夕方待ち合わせして「キャラクター」(永井 聡・監督)を見に行く。途中息子が「なら、犯人が漫画家を襲う話を書いたら捕まえられるのにね」とでっかい声で言い、結果そういうオチになったので、驚いた。娘は小栗 旬の演技の物まねばかりしていた。雨も小雨になったので、そのまま近所のバッティングセンターへ。珍しく機嫌よくバッティングしていた娘だったが、途中娘の空振りに妻が「ヘイヘイヘイ、どうしたどうした」と言ったことから、怒髪天。「許せない! 絶対許さない!」と震えながらブチ切れた。

 

余計なこと言ってんなーと思っていた私は、妻に「今のはよくないよ」と言うと、「はぁ!? なんでこんなことでここまで怒るわけ!? それこそヤバいでしょ?」と妻も怒りだし、バッティングセンターで娘と妻のケンカが始まった。最終的に「お前、子どもに気に入られようとして味方してんじゃねえよ!」と妻が私にもキレ出したので、息子困惑。

 

その後、バッティングセンターの隣のうどん屋で夕食を食すも、最悪の雰囲気。

 

6月20日(日曜日)

朝からジョナサンで執筆。娘は野球、息子はザリガニ釣り。妻は筋トレ。今日は父の日だ。幼少のころから父の日や母の日を両親もスルーで、父の日母の日に贈り物はおろか、お礼の言葉すら言ったことがなかったからか、ウチの子どもたちも完全スルー。だがSNS上にてこんなカードやあんな手紙を子ども達からもらっているというのを見ると羨ましくてたまらない。

 

↑最近、息子がドはまりしているザリガニ釣り。なぜかザリガニ釣りのときはいつも裸。捕獲したザリガニを1日1匹だけ、という約束で連れて帰る。水槽だらけの玄関が生臭くて仕方がない。(by 妻)

 

6月22日(火曜日)

朝から仕事。夕方帰宅すると、不機嫌な娘がテレビ前にドデンと座り「TRICK」を見ている。ドラマ版も映画版もスピンオフ版も全て網羅するらしい。夕食後、娘は再度「TRICK」。息子は1日30分のゲーム時間。妻が仕事のけりがついたから、図書館で予約本を取りに行ってくると言ったので、居場所のない私は自分も図書館に用事があると理由を付けて、妻について行く。図書館の往復、ずっと自分の近況がいかにハードかの話をするが、完全にスルーされる。あー、愛情が欲しい。人に優しくされたい。真綿でくるまれるように優しくされたい。そんな49歳は我ながら気色悪い。

 

「Mr.ノーバディ」(イリヤ・ナイシュラー・監督)鑑賞。

 

6月26日(土曜日)

招致活動のころから日本でのオリンピックには反対だったが(どこならいいのかはわからないし、どんな形で開催していけばいいのかを考えたこともないのだが)、昨日、陸上の代表選考会である日本選手権男子100メートルを、固唾を飲んでテレビの前で見た。

 

世間的に勝負弱いと言われている桐生選手を私は応援していた。もちろん私も勝負弱いから感情移入してのことだ。世評通りなどと言うと大変に失礼な物言いなのだが、桐生選手は5着で、オリンピックへの切符を取れなかった。日本人で初めて9秒台を出し、ずっと東京オリンピックを目指していただけに、どのように自分の気持ちに落とし前をつけるのだろうかと考えてしまうが、「一区切りついた」というサバサバとしたコメントを出していた。本気の努力というものをした人は、その結果が出なかったときに、吹っ切れた気持ちになれるのだろうか。私など中途半端な努力とも呼べないような努力しかしたことがないからか、求める結果が出なかったときはグズグズウジウジと落ち込み、何ならその落ち込みに妻を引きずり込んでブチ切れさせてしまうこともある。

 

それにしても、こうしてオリンピック予選など見ながら、一方ではこれまでの飲食店を筆頭に我慢に我慢を強いられている人たちのことも考える。やはり、オリンピックのために今この瞬間も我慢を強いられるのだなと思うと腸が煮えくり返っているに違いないと思う。オリンピックが終わったあとに、もしかしたら本当に全世界が「がんばれニッポン」などと言っているかもしれない。さすがにオリンピック開催がコロナに勝った証というあまりにバカげた物言いは聞かれなくなったような気がするが、オリンピックを開催すれば確実に感染者が増えることは私でもわかる。オリンピック中に身内がコロナで亡くなる人もいるだろう。それがオリンピックのせいかどうかはわからなくても、オリンピックがなければ死ななかったかもしれないのに……とは思うだろう。そして開催することに対して「安心、安全」だけを繰り返す人のことを一生恨んだりするようなことにもなるだろう。そう思うと、やはりこの状況での開催はないほうがいいのではと思う。思いながら、きっと私はテレビで放映される競技のいくつかを見るだろう。

 

6月27日(日曜日)

朝7時に家を出てジョナサンで書く。ようやく近所のサウナが解禁されたので、久しぶりに行く。そして案の定、整う(前は頑なに「整う」フレーズは使わなかったが、このフレーズはやはり使いやすい)。サウナ後、アイスを食べながら息子とサボテンを買いに行く。息子は「クレヨンしんちゃん オラの引越し物語 サボテン大襲撃」(橋本昌和・監督)を数日前に見てから、1日千回くらいサボテンが欲しいと連呼していた。

 

小さいサボテンを2個購入。棘が邪気を払うとのことで、さっそくトイレに飾った。が、良い気も払うとのことで、扱いには気を付けねばらない。

 

↑どうかどうか、邪気を払いまくって頂きたい!(by 妻)

 

「開運」という言葉が大好きな私は、家中を開運グッズで埋め尽くしたいと常々思っている。家にはお守りやお札やダルマやエミューの羽や旅行先で買った開運グッズ、魔除けグッズを沢山飾ってあるが、今のところ一番効果があったのは招き猫として拾ってきて飼ってる2匹の猫だ。

 

↑7年一緒にいるのにずっと仲が悪い2匹。いまだに本気の喧嘩をしている(by 妻)

 

6月27日

午前中、書く。午後、娘の野球の試合を見に行く。

 

今日は男子チームとの練習試合。練習試合だからか娘はセカンドでスタメン出場。親としては一気に緊張する。が、中学生ともなると男子との体力差はいかんともしがたく、1回表の男子たちの攻撃が終わる気配がない。退屈になってきた私はスマホを見たりしていた。すると歓声があがり、娘がハイタッチしている。どうやら好守備を見せたようだが見事に見逃した。ようやくチェンジとなり娘たちのチームの攻撃は男子チームのスピードボールにあっという間に三者凡退。そしてまた男子の長い攻撃が終わって、娘に打順が回る。初球から振っていくが空振り。これは三球三振かもなと思った瞬間、見事にライト前にライナーで打球を飛ばした。思わず「お!」と腰を浮かしたが、ライトゴロになってしまった。

 

試合は結局コールド負け(当たり前だ)。私のころは男子と女子が試合をするなど中学生ではありえなかったが、これも少子化が原因なのだろうか。

 

帰宅後、グダグダとした野球談議をしていたら、ついつい熱くなってしまい、野球をやめるやめないまでの大ゲンカを娘とやらかし、「だったらやめちまえ!」と捨て台詞を吐いて、言った瞬間から大後悔。子どものことは見て見ぬ振りするくらいがちょうどいいのかもしれない。他人の子にはそれができるのに、自分の子にはできない。当たり前か。

 

以前、妻がポロッと「生んだ瞬間から誰の子かわからなくして、1か月ごとに赤ちゃんをとっかえひっかえして育てると地球上で決めれば、平和が訪れるかもしれない」と言っていた。実現することはないだろうが、一理あるかもしれないと思った。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。

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妻がなんですぐキレるのか、娘が何を考えているのか、ちっとも分からない映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第14回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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4月29日(昭和の日・木曜日)

昨晩は娘の号泣&スマホ・iPad・ヘッドホン殴打粉々事件で眠れなかった。早朝、妻と話す。私がイラっとして「即ケータイ解約だっ!」と怒鳴り散らさなければ、娘もあそこまでキレるには至らなかったと、とがめられた。一応、反省し朝6時に娘の部屋に行き謝った。普段は起きているはずのない娘も何故か今日は起きており、また驚くことに娘も素直に謝った。最初はもうスマホは要らないと言っていた娘だが、朝食後、妻との3人の話し合いで冷静になり、スマホは娘が、iPadは私が弁償することになった。

 

その後、野球休みの娘は朝一番でTSUTAYAに行き、漫画20冊借りて引きこもった。妻は先日から息子の保育園時代の友達と約束を取り付けており、久しぶりに幼馴染と会えるご機嫌な息子と共に9時には出かけて行った。

 

私は昨晩ほぼ眠れなかったこともあり、朝食後の8時の時点で全力で疲労困憊。激しい睡魔に襲われていたが、そもそも昨晩パニックになったのは仕事の締め切りがタイトであったせいもあるため、ここで休憩など出来る訳もなく、萎えている老体と折れている心に鞭を打ちまくってファミレスへ向かった。休日のファミレスは人が多く騒がしいが、こういう時に家に居たら絶対現実逃避するか惰眠を貪ってしまうので、どうにか踏ん張ってファミレスの広い机にかじりつく。野菜を取らねばとローストビーフとケールのサラダを馬のごとく食べて、皆無な気力を奮い立たせてシナリオを書いた。

 

18時、先日お土産で購入した飛騨の日本酒を2本すべて空けて妻、帰宅(私は一滴も飲んでいない!)。妻が志村けんのコントみたいな酔っ払いの活舌でイライラするが、18時半からその妻も交えてのオンライン打ち合わせ。どんなに酔っていても打ち合わせ中は普通の話し方になるから不思議だ。

 

5月1日(土曜日)

本来なら多摩市のベルブ永山で「喜劇 愛妻物語」の上映があり、舞台挨拶もあったので観客の皆様とお会いできるのをものすごく楽しみにしていたのに、緊急事態宣言で中止になりものすごく悲しい。大好きだった老夫婦でやっていた定食屋もコロナで廃業してしまい、これも悲しい。天気は最高だが、朝の7時からファミレスへ。

 

午後3時、ようやく区切りがついたので妻と息子の遊んでいる公園にサプライズで行ったが、息子が喜ぶどころか「パパ、いいー(要らないの意味)」と嫌がった。

 

こんなに一生懸命仕事をしているのに……、そして寸暇を縫って遊ぼうとしているのに……。怒りとともに、切なさ、疎外感を感じる。公園で説得しまくって、なんとか父親ぶろうと無理矢理息子を銭湯に連れて行き、ジュースを買ってやる。

 

夜、Amazonで「行き止まりの世界に生まれて」(監督:ビン・リュー)鑑賞。

 

5月5日(こどもの日・水曜日)

世間ではGWだが、私は仕事が全然終わらず、このGW中、毎朝7時にはファミレスに向かっているが、今日はOFFにしようと前から決めており、いつもお世話になっている助監督の松倉一家とスチールの内堀氏と自宅で昼食会を行った。久々に対面で人と無駄話をしてストレスを発散させた。

 

そして、なぜかこの日は娘(野球帰り)がずっと我々と同じ部屋にいた。普段は不機嫌丸出しですぐに自室に引きこもる娘だが、今日はなぜ? 過剰な人見知りで自意識過剰なのだが、何時間も居間に居続ける不思議。娘の考えていることが分からない。だが楽しい一日だった。

 

5月8日(土曜日)

娘、野球OFF DAY。GW中、1回も家族で出かけていないため、今日くらいは家族みんなで出かけよう! と意気込んで井の頭公園に出かける。久しぶりにボートに乗ると、娘のボート漕ぎが上手くなっていて驚いた。ボートに乗っているリア充のカップルにもれなく突っ込みまくっていたが、それはそれで楽しそう。興奮した息子は何度か池にダイブしかけた。

 

ボートを漕いだ後は(本当は動物園に行きたいがやってない)、公園のベンチで子どもの大好きなピザ(バカの一つ覚えでマルゲリータとクアトロ・フォルマッジ)、我々は「いせや」でレバー・タン・ハツ・シロ・ガツ・ナンコツ・カシラ・ボンジリ等々を購入し、無言で貪り食う。うますぎる。また後先考えず、注意されている代物をたらふく食ってしまった……。

 

その後、吉祥寺プラザ(以前「14の夜」を上映していただいた)の上のバッティングセンターへ。ついつい娘と息子の打撃に注文をつけすぎてしまい、家族全員からウザがられ総スカンを食う。

 

夕方帰宅し、子どもたちにお弁当を作ってから、妻と新文芸坐へ。「PASSION」(監督:濱口竜介)を観る。

 

5月10日(月曜日)

長かったGWが終わった。娘は野球、妻と息子はご近所公園徘徊にて昆虫採集、3人とも無駄に日焼けしていた。

 

今日からようやく子ども達も学校なので、午前中自宅で仕事。煮詰まったらすぐに横になれるので身体が楽だ。午後、対面の打ち合わせで渋谷へ。街に人が少ない。

 

夜、「#離婚して車中泊になりました」読む。やはり今後のために車の免許くらいはとったほうがよいかもしれないと思った。

↑ 車中泊のリアルな話は確かに面白かったが、それ以上に18年同棲して結婚して3年の奥様と何で離婚したのかに俄然興味津々。何があったのだろう……(by妻)

 

5月12日(水曜日)

久しぶりに妻と高校教師。相変わらず肩甲骨の違和感が酷いので(もう痛いとか痛くないとかのレベルではなく、常に痺れている感覚だ)、以前から目をつけていた高校に行く道中の肩甲骨剥がしが看板のマッサージ店へ。

 

マッサージ代が7700円もするんだからランチはなし!  と言われ、泣く泣くランチを我慢。代わりに学校近くの成城石井で30%オフ弁当を買っておいてもらうことに。

 

肩甲骨剥がしを70分やって頂いたところ(途中2回、自分のデカイいびきで目が覚めた)、両腕も上がるから四十肩でもないし、肩回りも柔らかいから肩甲骨が張っているという事でもなく、とにかく肩甲骨の中にゴリゴリのコリがこびりついているから、週に1回はマッサージで散らすしかないとかわいいお姉さんに言われ、ついつい来週の分も予約してしまい、妻激怒。成城石井の店長の超おすすめというトマトとチーズのパスタ弁当を買っていてくれたのに、お前にはやらねえと言って妻が高校の門の前で開けて、2分で食べてしまった。あまりに短気というか、もはや人間とは思えない。

 

授業では映画のシナリオを1本読んでもらった。ほとんどの皆さんが初めてシナリオを読んだみたいだが、読むのも早いし、積極的に意見も書いてくれる。私が17、18の時とは雲泥の差だ。

 

帰り道、子ども達に鯛焼きとドーナツラスクのお土産を買って帰宅。喜ぶかと思ったが、薄い反応でがっかり。「真説 佐山サトル」読了。

 

5月14日(金曜日)

最近また足の親指の先がピリつく。尿酸値が「9」ある私はいつ発作がきてもおかしくない。ファミレスから帰宅時、もずくと生わかめを購入。夕食を作っている妻に「海藻を使って美味しいスープ作って、今日は」と言ったら、「『今日は』ってなんだよ!『今日は』ってっ!」と怒鳴られた。「いや、だって、美味しく作ってくれれば食べられるから」とゴニョゴニョ答えると、「まずく狙って料理したことねえんだよ! お前は唐揚げ食ってりゃ喜ぶ馬鹿舌野郎だろうが!!」から発展し、「ったく、どいつもこいつも、黙ってれば料理が出てきて、食器が洗われて、家が片付けられて、洗濯ものが片付けられているとか思ってんだろうが! このクソきたねえゴミ屋敷をどうにか整理してるのは私だけだろうが!! お前らには感謝って気持ちがねーのかよ!」とめちゃくちゃキレて、娘が「はい、またキレ始めた」と煽るものだから、妻は何やら大きな音を立てて部屋から出て行ってしまい、私が夕飯を作ることに。

 

確かに居間はランドセルの中身が散らかり放題、娘の脱ぎっぱなしのジャージやドライヤーやコンタクトレンズグッズが散らかり放題、ソファには洗濯物の山で足の踏み場もなかった。しかし、私はこういうのが全く気にならない。

 

床に散らかっているモノを足で蹴とばし、3人で平和に仲良くご飯を食べ(だいたい私の作る夕飯のほうが子ども受けは良い)、21時になったので、その荒れた部屋に布団を敷き、食後のアイスを食べながら娘が選んだ「シコふんじゃった。」(監督:周防正行)を見た(妻なら21時に子供を寝かせるからざまあみろという気分だ)。

 

息子はバカ受けし「アオキ~!(竹中直人さんの役)、テメエ根性見せろよ!」などと言いながら見ていた。

 

しかし、妻はなぜあんなに怒るのだろうか。知り合いの脚本家の今井雅子さん(「嘘八百」シリーズを一緒に書いた)はいつお宅に遊びに行っても怒っていないから、今井さんを見習ってほしいと何度か言ったが、「旦那がお前みたいにネチネチうるさくねーんだよ! だいたい人前で怒り狂ってたら病人だろうが!」と怒る。

 

「あー、人の夫のこと旦那って言った。良くないよそれ」と言ったらさらに怒った。もう少し怒るのをやめればみんなハッピーになるのにな、と息子の歯も磨かせず、矯正のマウスピースを付けさせることも忘れて寝落ち。

 

5月15日(土曜日)

朝から良いお天気。だが、仕事が押しているため7時にはファミレスへ。娘は野球、息子と妻は息子友達とザリガニ公園へ行ったらしい。

 

17時ごろ帰宅すると、息子と息子の友達がゲーム、妻と息子友達母が床に寝っ転がりながらベロベロに酔っ払い、ヘドロを吐いている。疲れた身体に鞭打って、誰にも感謝されず、賃金も支払われない家事労働の不毛さ、惨めさ、孤独さを嘆いていたが聞こえない振りをした。19時、そろそろ息子たちが腹減ったかなと思い、白米を大量に炊いて半額売りのA4牛肉を焼いてやったらバクバク食った。友達の母も「パパさんスゴイ、スゴイ」とおだてるものだから、私も調子に乗って「料理は僕の方が上手いんですよねー」なんて話していたら妻の顔が引きつり始めたのでやめた。

 

5月20日(木曜日)

午前中、ポレポレ東中野で「海辺の彼女たち」(監督:藤元明緒)鑑賞。

 

今日は娘の誕生日。ささくれまくっている娘だが、誕生日くらいは無条件にお祝いしようとメッセージカードと本を用意。妻も絵を書き、ケーキを作っていた。

 

夕食時、「誕生日おめでとう」と言ってカードと本を渡すと、娘は「こーいう本、興味なし」と言ってカウンターにポイっと投げた。妻のケーキにも「何このしょぼいケーキ。あーもっと高級なケーキが食べたい」と言い放ちながらも、ムシャムシャ食う。

 

まったく、手塩にかけて育てたつもりの娘だが、どこでこうなったのか……。それとも、今はただただ反抗したいだけで、根っこは素直な良い子のままなのだろうか……? 分からない。投げた本は寝る時、自部屋に持って行って読んでいた。

 

5月23日(日曜日)

娘も息子も朝から野球。私はひたすらファミレスで仕事。いい天気なのに白い肌。

 

↑娘、野球を始めて3か月。どうにか楽しんでやっている様子(by妻)

 

仕事のあと、ファミレスの駐車場でスマホをいじっていたら、後ろから物凄い勢いで人にぶつかられた。不意打ちだったので転倒する一歩手前だった。ぶつかってきたのは60代男性。

 

「こんなとこでスマホいじってるな! 邪魔だ!」と怒られた。あっけにとられたが、もし私がとても怖い人だったらどうするのか?というような想像力は働かないのだろうか? あとになってジワジワと怒りが湧いてきて、脳内でぶつかってきたオヤジを泣くまでこらしめまくった。

 

スーパーマーケットや銭湯や路上で怒鳴っている老人をよく見かけるが、どこにもぶつけようのない怒りの蓄積が瞬間的に爆発するのだろうか? 先日も、銭湯で息子が水をぶちまけてじいさんにかけてしまい怒鳴られたのだった。まあそれは水をぶっかけるほうが悪いが。命にもかかわるし。

 

夕方、文化村にて「FATHER」(監督:フロリアン・ゼレール)鑑賞。

 

5月26日(水曜日)

高校教師。午前中に出来るだけ仕事を進めようとパンツ一丁で仕事に向き合う。どの家もそうか分からないが、我が家はジメジメしてくると、在宅時基本全員パンツ一丁だ(さすがに中二の娘は半ズボン)。だから学校帰り突然息子の友達が来たりすると妻はものすごく慌てる。

 

今日はマッサージを諦め、激安フレンチ。豚足とエスカルゴのコロッケと牛肉のブルーチーズソースがめちゃくちゃ美味しかった。隣の席の謎の中年3人組の会話が気になって仕方なかった。年間200日ホテルに泊って公演なのか講演をしているらしい。ジャージみたいなラフな格好の3人組だったのが、リーダー格の男性がずっと今年の夏に流行る短パンの形を熱弁していたので、私も安ければそれを買おうと思った。

 

プリンとケーキのデザートもしっかり食べたが、あと一歩甘いものが欲しかったので、店を出てから大好物のかき氷(小豆ミルク)を歩きながら堪能していたら、いらないと言ったくせに妻が何口も食べるものだから口論になった。買えばいいのにと思う。授業中ものすごい睡魔に襲われたが、今日もどうにか耐えた。

 

↑短編のシナリオを書き始めた。皆さん、黙々と書き進めていて、すごいなと感心(by妻)

 

夜、24年ぶりの皆既月食との事で、20時ごろ、裏山に向かう。真っ暗闇の中、多くの人がワラワラとゾンビのように集まっていた。息子のテンションが無駄に上がり、雄たけびを上げながら裸足で走り回っていた。肝心の月は見えなかった。寒かった。

 

「乳房のくにで」読了。

 

↑なんか「E.T.」の世界に紛れ込んだような景色で、ワクワクしてしまった。場所が悪くてあいにく皆既月食を見ることは出来なかったが来年の11月も皆既月食があるらしいのでリベンジしようと思う(by妻)

 

5月29日(土曜日)

娘の運動会。保護者は一切見学禁止と事前メールがあったため、運動会大好き人間の私はテンションが下がった。妻は朝から弁当作り。今日はクラスで食べるので茶色一色の野球用ドカ弁とは異なり、可愛い二段弁当で彩りにも気を使っている。運動会に尋常じゃなく緊張する娘は朝から殺気立っている。選抜リレーでアンカーを走るのが嫌でたまらないらしい。

 

10時に娘の運動会を通行人の振りをして覗きに行く。中学校の前について驚く。PTAや先生方が、私達夫婦のような路上から覗き観する不届き者が来ないように巡回警備をしていた。もちろん事前に観覧不可と連絡がきていたのだから規則は規則だ。しかし、学年ごとに時間を分けた運動会で、広い校庭には1学年3クラスの生徒しかおらずガラガラなのだ。学年ごとの観客者を入れ替えて、マスクと消毒とディスタンスを徹底して観覧すれば全然大丈夫なのではないだろうか? 息子の小学校はそうしていた。頭を使わず観覧禁止の一点張りなんて、なんと思考停止の対策なのだろうか。

 

1学年たった45分の小規模運動会くらい覗かせてくれてもいいんじゃないか? と憤りが治まらない妻が、死角(学校前の駐車場2階)を発見。そこに行ってみると、私達のような親が何人かいらして、まるでレジスタンスのような気分で車の影から運動会を見学した。

 

帰宅すると留守番していた息子が泣きそうな顔で「ミヤマクワガタがどうしても欲しい」と言ってきた。うちにはカブト虫の幼虫しかいないのに友達に見栄を張ってミヤマクワガタを飼っていると言ったので、明日友達が来る約束になった事を突然思い出したのだ。

 

グレーゾーンの息子は周囲の友達よりやや幼いところがあり、近ごろちょっぴり友達にバカにされることもある。その反動でマウントをとってしまったのだろう。その気持ちはとてもよく分かるし、その嘘が判明した時の小学生男児の残酷さも想像がつく。なので私は「息子に惨めな思いはさせたくない。今からダッシュで中野の昆虫屋に行ってクワガタを買ってくる!」と言った。すると妻は「バカか、お前は。それで解決する問題か! お前は息子が見栄を張るたびにそうやって必死に尻ぬぐいするつもりか」と冷たく私を見た。そのまま激しい口論となったが、結局妻から友達のお母さん達に「カブトムシの幼虫しかいなくて、ミヤマクワガタはいないの。ごめんね」と友達たちに伝えて頂く、という対処で何とか事なきを得た……ように見えるが、本当に得たのかは分からない。

 

そんな午前中だけでどっぷり疲れてしまったが、這うようにして仕事に向かった。

 

 

【妻の1枚】

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』(新潮社・刊)。

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19年目の結婚記念日は何もせず。毎夜、妻にグーパンチで殴られる映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第13回

 

結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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4月3日(土曜日)

娘、朝から野球の練習。午後、チームの交流会ということで、監督さんとチームメイトたちと後楽園遊園地へ行った。チームの保護者や監督などとコミュニケーションを図る為、妻が重い腰を持ち上げて引率。

 

その間、私は息子と「モンスター・ハンター」を観に行く。隣・前後の人が驚くくらい息子の悲鳴がでかくてひやひやした。

 

その後、息子を野球の体験に連れて行く。娘に感化されてか、息子も野球をしてみたいと言い出したのだ。が、自分の息子にたいしてこんな言い方はしたくないのだが、チームプレーをやれる気がしない。なおかつ息子は「怒られる」ということが非常に苦手だ。そんなことが得意な子はいないだろうが、はたで見ていると息子の怒られることへの恐怖・不安は尋常ではない気がする。

 

そんな息子でもやれそうなチームを、妻が得意の検索で探しまくった結果(そもそもこれ以上習い事を増やしたくないが、息子はやりたいと言いだしたらかなりしつこいし、1つくらいチームスポーツをさせるのも良いかもと思い)、今年出来たばかりの「怒鳴らない、無理はさせない、アンチ勝利至上主義」がモットーのチームを探し出し、そこならなんとか楽しめるかもしれないと体験に申し込んでいたのだ。

 

野球初心者ながら、息子は楽しそうに野球をしていたが、コーチの「このマシン、すごい高いから丁寧に使ってよ~。壊したら弁償になっちゃうぞ~」という冗談に、冗談の通じない息子は一気に不安爆発。

 

「ボク弁償は出来ない。絶対にできない」と泣きそうになりパニックになってしまった。

「大丈夫だよ、冗談だよ」と言ってもなかなか通じない。

 

これは息子の特性なのだが、言葉を額面通りに受け取るから、やはり友人との間にもトラブルが多発する。療育の先生によると、グレーゾーンの子にわりと多い特性とのことなのだが、これもまた生きづらいだろうし、小学3年生のほかの友達に「冗談が通じないから、分かってあげてね」などと言ってもそれこそ通じないだろう。

 

こうして、たまに集団生活の中にいる様子を見ているとハラハラして、それだけでクタクタに疲れるが、当の息子はその何倍も疲れていることだろう。

 

↑初めての野球体験。思った以上に楽しんでいた。コーチの方が皆さん優しく穏やかで安心した。勝つこと、強くなることよりもまずは野球を楽しんでほしい(by妻)

  

夜は一緒にジャッキー・チェンの映画を観た。息子は今「拳精」にハマっている。同じものばかり繰り返して観るのも息子の特性で、もう毎晩「拳精」だ。以前は無理やり違うものを見せて癇癪を起こさせてしまっていたが、今はもうほっとく。数日もぶっ続けで観れば、どうせ飽きるのだ。

 

4月4日(日曜日)

19回目の結婚記念日。特に何もなし。

 

4月7日(水曜日)

午前中仕事。肩甲骨の内側にずっと鈍痛が続くので、シックスオピニオンくらいになるが、どこか良いマッサージなり整体はないかと「肩甲骨 内側 痛み 練馬」で検索して、なんとなく良さげな整体を選んで行ってみた(もう何百回とこのワードで検索している)。が、行った整体は「さとうきび畑」の歌が聞こえてこんばかりに、サワ~サワ~と患部を撫でるだけだ。ものすごーーく、物足りない。むしろ肩甲骨内側の鈍痛と違和感が増した気がする。

 

その先生曰く「無理なストレッチや強い指圧は絶対にしちゃだめだ」と主張されていたが、私は指が埋まるくらいに肩甲骨の奥の奥まで強く、グリグリ押してもらわないとどうにも気持ち良くない。

 

なかなかしっくりくる整体やマッサージに出会えず、結局いつもの中国人のおばさんがやってくれるマッサージ店に向かった。そこはとにかく強く押してくれることにかけては、頼んだ分だけ押してくれる。「押しすぎだよ、あたし!」と、変な怒られ方をすることもあるのだが、施術が終わったあとに、「冷たい茶をください」と言うと「あったかいのにしな!」と怒ってくれたりするのが少しうれしい。うれしいのだが、翌日にはもう肩甲骨の内側の鈍痛が戻っているのが困りものだ。

 

その後、15時くらいからぶっ続けで書きものをし、23時ごろ精魂尽きて寝室へ。寝室に入るや否や「うるさい!」と妻に怒鳴られる。ドアの開閉音と私の足音がうるさかったらしい。こちらとしては最大限に気を使って、泥棒並みの抜き足差し足忍び足なのだが、妻には違うらしい。

 

妻は「良い睡眠」へのこだわりが強いので、私のいびきや足音やドアの開閉が腹立たしくて仕方ないらしい。特に いびきに関してはかなり嫌なようで、毎晩必ず3回はグーでパンチされる。

 

妻がAmazonで購入したマウスピースをしてみたが、寝ている途中で吐き出してしまい全然いびき防止にならない。口に張るテープも購入したがこちらも効果はない。

 

それにしても寝ているときというのは、グーパンで殴られてもぜんぜん痛くない。私は殴られてもモゴモゴ言っているだけのようで、妻としてはそこがまた腹立たしいらしい。それを聞いて、私はなぜかザマァミロという気持ちになった。

↑あんなに夫のいびきがうるさいのに、猫と息子は完全爆睡で朝までまったく起きない。羨ましい(by妻)

 

4月8日(木曜日)

新学期が始まって2日目にして、息子は学校に行きたくないモード全開。さっそく宿題カードを失くしたとのことで(配られたものはすぐになくす)、それで世界の終りかのような不安感に覆われている。

 

息子はとにかく新しい環境が苦手なので、新学期の時期は毎度こうなる(息子の小学校は毎年クラス替えがあり、毎年担任が変わるのだ)。忘れ物も多く、それを先生に怒られるのがやっぱりとても苦手なので、怒られるくらいなら学校に行きたくないとなってしまうのだ。

 

私もかなり忘れ物は多かったが、先生に怒られることを全く気にしなかった。というか、怒られても聞いていない子だった。それも困ったものだが、気にして学校に行かないとなるよりはマシだろう(行きたくない学校に行くべきかどうかという議論もあるだろうが)。

 

結局、半べその息子を安心させるために、息子の目の前で妻が担任の先生に電話して、宿題カードを再発行して欲しいと頼み、ようやく息子は安心して学校に行った。

 

息子が登校したあと、電話をした妻に「担任の先生、どんな感じ?」と聞いたら「んー。一言で言うとすごく真面目そう。間違ったことは間違っていると言われちゃいそう。はやく先生に一度会いにいかないと」と暗い顔。

 

息子は1年生の時に、「忘れ物が多い、だらしない、字が汚い、筆圧が弱い」と言うことで怒られ続けた挙句、丸1週間ほどだが完全に登校を拒否した。またそうならなければいいが。

 

2年生にあがるときは、コロナで学校がなかったので、休校期間中に新担任と面談を設けてもらい、息子の特性やトリセツなどを説明したりもした。今年の担任の先生とも話す機会を設けなければならないが、先生によって対応には当然個人差があるから、新学期は毎年憂鬱だ。

 

4月9日(金曜日)

青山スパイラルホールで「私がこれまでに体験したセックスのすべて」という朗読劇のようなお芝居を観劇。俳優ではなく、一般の方5人が各々のセックス人生を赤裸々に語る。その話にグッと引き込まれ、思わず自分も出演してみたいと思った。

 

途中、観客にもいろんな質問が入る。見知らぬ人とセックスしたことはあるか? という質問が来たとき、条件反射のように隣の妻を見てしまったが、妻は私を見てすらいなかった。私はどうしてもこういうときに顔がニヤケてしまうのだが、そんなニヤケ顔だけは妻の視界の片隅に入ってるようで、「なんだこいつ、気持ちワリ」と正面を向いたまま言っていた。

 

鑑賞後、一杯行こうと思っていたのだが、軒並み営業終了だった。仕方がないから紀ノ国屋で半額の高級フルーツサンドと究極のおはぎを購入し、3秒で食す。観劇後にゆっくり話す時間がないことが辛い。妻は全く辛くなさそうだが。

 

↑ワークショップみたいな演劇で面白かった。60歳超えの方々がセックスをフラットに語るのが斬新に感じる。手話あり、字幕あり、音声ガイドありのバリアフリーの環境もいいなと思えた。自慰とかワンナイトラブとかの質問にガンガン挙手する皆さんの勇気に驚嘆(by妻)

 

4月12日(月曜日)

今日の朝から1年ぶりのボランティアを再開の予定だったのだが、見事に妻も私も忘れていた。

 

近所の児童養護施設にいる軽度の知的障がいのある子を、私か妻のどちらか手の空いているほうが小学校まで送るだけの、わずかな時間のボランティアだ。私はほうっておくと、心の内にある醜い差別心や身勝手さ不寛容さが溢れ出るような未熟な人間だから、それを理性で少しでも抑えて生きている。ボランティアをするのも、その一環というと言い過ぎかもしれないが、少しでも世間に役立つことを、無理やりにでも自分に課さねばやらない人間だから、やっているようなところもある。こういうことを書くと、「そんな人間が、そんな理由でボランティアをするな」とお叱りの言葉を受けることもあるのだが、少しでも何かに役立ちたいと思う気持ちも事実だ。

 

4月15日(木曜日)

夕方、妻とともに息子を少林寺拳法の道場に連れて行く。ジャッキー・チェンやブルース・リーの影響と、自分が同学年の子と比べてケンカが弱いということを、最近身を持って体感している息子は、強くなりたい願望が本当に強い。もはや「不安感」の塊であるようにすら見える。

 

半年くらい前に「少林寺木人拳」を観てから、少林寺拳法をやりたいとずっとうるさかった(木人拳はもちろん少林寺拳法ではないけれど)。キックボクシングと柔術をやっているのだし、野球も体験中なのだからもういいだろうと言っていたのだが、息子は体験だけでも行きたいというので、しかたなく検索したら近所に道場があった。

 

しぶしぶ連れて行くと、私と妻まで体験することになってしまった。息子と妻は楽しそうだったが、私は疲れた。息子がやるとなると、送迎が私になるから、密かにやらなければいいなと親失格なことを思ってしまったが、習い事でほぼ毎日がうまってしまうのも、本人がやりたいとは言えどうなのかとも思う。だが月謝がすべて安いのは助かる。

 

4月16日(金曜日)

午前中~15時まで打ち合わせ。今、携わっている作品は、無事に最後までいけば相当面白い作品になる気がする。何とか最後まで無事に書ければいいなと思う。

 

その後、妻と合流して息子の小学校へ。担任の先生に面談の機会を作ってもらい、息子の凹凸を伝えに行く。大きい音が苦手、漢字が書けない、怒られるとものすごく落ち込んでしまう、特にみんなの前で何度も怒られてしまうとズタズタになってしまうので怒るときは陰に呼び出して怒ってほしい、他の子が易々と出来る事が息子は物凄いエネルギーを出さないと出来ない、字がもの凄く汚いし、黒板を写すのが死ぬほど苦手(黒板からノートに写す間に忘れてしまう)なので少し大目に見てほしい、というような内容だ。

 

息子を特別扱いしてほしいという事ではないのだが、一見普通に見えるがゆえに、「なんでみんなと同じことを出来ないのか」と怒らないでほしいという事を、言葉を選びつつお願いする。この言葉選びが本当に難しい。相手の仕事を否定するような物言いにならないようにしなければならない。もちろん否定する気などないのだし。

 

とにかく「一見普通」というのがかなり大きな壁だ。長い時間一緒に過ごすようになると、「単に甘えているだけ、だらしがないだけ」と見てしまう人は大勢いる。かくいう私も極端に漢字が書けないのだが、もしかしたら息子と同じ症状なのでは? と思ったりもする。息子は斜めの線がよく見えていない可能性があると言われた。テストで×にはされるが、漢字の書き順やトメハネなどは覚えなくともよいと家では言っているということも、先生にどう伝えようか悩みどころでもある。

 

間違えた漢字を10回書くというような作業も、それを普通に出来る人には想像もつかないような疲労感を息子は覚えてしまうようだ。私もそういうことは苦手だったが、やれと言われても平気でやらないでいられるメンタルがあった。息子は、やらないとものすごく叱られると思っているから(1年生のときのトラウマだ)、「もうやんなくていいよ」と言っても、それはそれで「やだやだやだやだ!」となるから面倒くさい。書くのも嫌、でも書かないで行くのも嫌、のジレンマで泣き叫ぶ。

 

先生も色々話を聴いてくださり、スクールカウンセラーにも相談したらどうかと言われたため、帰りにスクールカウンセラーの先生の予約を取る。

 

↑左:48歳の夫の字。 右:8歳の息子の字。私はこの夫の字を元に、プロットなどを打ち込む。未だに苦戦している(by妻)

 

4月19日(月曜日)

朝、ボランティア。先週、夫婦そろって忘れてしまったので、今日は意地でも忘れないように手に書いておいた。今日は私が行くことに。

 

去年は2年生の男の子と一緒だった通学が、今年は新1年生の女の子と一緒だ。学校までは大人の足でも20分はかかりそうな道だ。7時35分に迎えに行くと、人懐っこくてかわいい笑顔の女の子Xちゃんが出てきた。Xちゃんは、道行くすべての物に興味津々で、その剝き出しの好奇心のなすがままに歩いていたら50分くらいかかってしまい、あやうく遅刻するところだった。

 

昼、Zoomにて打ち合わせ。その後サウナ。露天風呂で唾吐きまくっているおじさんがいて、かつそのおじさんが怖すぎて注意もできず、全く整わなかった。

 

4月21日(水曜日)

今日からまた妻と一緒の高校教師が始まった。授業の前は恒例の週に一回の外食ランチ。今日はイタリアン。サルシッチャというソーセージがめちゃくちゃ美味しかった。前菜も大盛パスタもメイン料理も平らげ、食後にデザートまでばっちり食べてしまったので、これも恒例にしている成城石井に寄って割引されているスイーツを買うのはグッと我慢した。

 

学校に行ったら、去年の受講してくれていた生徒さんが手を振ってくれてうれしかった。そして、教室に入ったら去年よりも断然多くの生徒さんがいたので、びびってしまった。

 

初回授業は自己紹介とペンネーム決め。生徒の皆さんが興味持っている本やゲームやアニメなどをたくさん教えてもらう。ほとんど知らないものなので、あとで観てみようと思う。

 

4月22日(木曜日)

朝からファミレスで仕事。14時ごろ店を出ると強風のため自転車が10台くらい倒れていた。普段なら完全に見て見ぬ振りなのだが、今日は気が向いたので一台ずつ起こして、なぜかラストの2台だけ起こさないという意味不明なことをしてみようと思っていたら、ファミレスから出てきた中年女性が手伝ってくれたので、すべて起こした。たぶんその女性はすべてのチャリを私が倒したと思ったかもしれないが、違うんです奥さん、聞いてください。と言いたかったが、ありがとうございますとだけ言った。

 

それにしても、男性とか女性とかその人の見た目で性別を判断して書いているが、きっとこういう書き方は近い将来すべきでなくなるだろう。「人」という言い方書き方になるのか、どうなのかは分からないが、そのふたつの性別だけで書くのはもはや無理がある。

 

夜、息子の少林寺拳法。今日は娘の用事があったため、妻は不在。前回に続き、今日もなし崩しで私も体験に参加してしまった。嫌な予感がする……。

 

4月24日(土曜日)

三度目の緊急事態宣言前に、どうしても観たかった「21ブリッジ」を。最高だった。子どものころに散々見ていたアメリカのアクション映画の匂いはこういうものだったような気がする。やっぱり走りに走りまくる肉体のアクションは、見ているこちらの心拍数があがる。欲を言えば、ラストは母親と2人で何かをしているような、この主人公が送っているであろう日常の一コマで終わってほしかったが、久しぶりに映画を観て大満足した。

 

CGバリバリもいいけど、あり得ない映像の雨あられは、私の場合、もうただ受け身で浴びているだけになってしまい、途中でボンヤリとしてしまうのだ。

 

4月25日(日曜日)

息子を野球に連れて行く。なんかもうほとんど仕事の合間に息子の送迎関係しかしていないような気がする。と妻に言ったら「アホンダラ! お前がやってんのは送迎じゃない! 私にくっ付いて来てるだけだろーが! 1回くらい1人で送ってみろ! 持ち物を用意して、何時にどこに行って、誰に預けるかまで自分でやってから送迎してるって言いやがれ!」とすごい剣幕で怒られた。何かしらの理由で機嫌が悪かったのかもしれないが、最近妻がものすごく怖い。

 

子どもたちの野球の練習をみながらエゴサーチしていると、私が日経新聞に書いた夫婦の話のことを取り上げて、この旦那はサイテーだと書いている人のつぶやきがちょっと盛り上がっていた。私のいびきのために夫婦の寝室が別々にされてしまい、そのことが悲しいということと、娘の幼いころの毎晩の夜泣きは夫婦で乗り越えたのだから、俺のいびきも夫婦で乗り越えてくれ!みたいなことを書いていたのだが、「妻の心身のことをまったく考えない夫」としてやり玉にあがっていた。

 

それを妻に見せたら「あー、うれしい。お前がロクデナシだとどんどん世に広がればいい」と悪魔のような笑顔で言った。

 

4月28日(水曜日)

朝から某所で長い会議。途中、妻からLINE。「息子、またも泣きながら帰宅」。凹む。

 

夕方、打ち合わせ終了。GW明けにいくつかの締め切りが重なり、どうさばけばいいのかテンパりながら帰路についていると再び妻からLINE。「今晩、息子とトラブっている子たちの親と直接会うことになった。娘、どチンピラのように絡んでくる。マジでキレそう」。

 

そのLINEを読みつつ、締め切りの中にはどう書いていいのかすら分からない原稿もあるので、さらに倍でテンパりながら帰宅すると、娘、大不機嫌オーラをまき散らしながらスマホ。思わず八つ当たり気味にスマホを取り上げると、娘、逆ギレ。取っ組み合い。その様子に聴覚過敏の息子は泣きわめく。娘、私から奪い返したスマホを自ら叩きつけ大破させておきながら自室に飛び込んで号泣。風呂から飛び出してきた妻が何事かとまた怒鳴ると同時に息子とトラブっている子のお母さんたちが来た。私は呆然自失。

 

詳しくは(そんな大層なもんではないが)5月15日の日経新聞夕刊に書く予定(ボツにならなければ……)。

 

明日よりグレートなウィークが始まる……。

 

↑娘が破壊したスマホ・iPad・ヘッドフォン。短気で衝動的な似たもの親子。ホントに滅入る…。日々修行(by妻)

 

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

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初対面の若者に「夫婦生活」を語り、余計な一言で妻を激怒させる映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第12回

 

結婚18年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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2月23日

天皇誕生日で学校は休みだが、娘の野球の為、朝5時から妻が騒がしく弁当を作り始める。眠りの浅い私も起きてしまう。弁当を作っている妻に、昨晩中に読んでおいてと頼んだシナリオの感想を聞いたら、「眠くなったので読まずに寝た」と言うので、いきなり早朝から怒りに火が付く。

 

「弁当作り終わったら大至急読んで!なんなら弁当は俺が作るからいますぐ読んで! 俺が作ったほうが美味しいし」と言うと、妻はかなりイラっとしていた。「俺が作ったほうが美味しい」というのは余計な一言だったが、読んでいないことに腹が立ったからついつい言ってしまったのだ。こちらはすぐに感想を聞いて修正作業に入らねばならないのだ。

 

弁当を作って娘を送り出し、少し横になっていると読み終わった妻がやってきてあれこれ感想を言う。正直「そんなことも気づかないのか」「そんなこともわからないのか、ちゃんと読んでいるのか」とイラつき、シナリオを読んでもらうときにそれらの言葉は禁句なのだが、これもついつい言ってしまい、ついにブチ切れた妻とものすごい口論へ。

 

これはプロの監督やプロデューサーと仕事をするときにも感じるストレスだが、先方に読む力がないのか、私に書く力がないのかはわからない。その両方だったとき、作品は悲劇となるのだが、それが意外と「良かった」という感想をもらうことがある。なぜかというと、赤ちゃんが見てもわかるものにしようという、赤ちゃんにとってはなはだ失礼な作品作りに無意識になるからだ。

 

例えば、セリフにその言葉以外の意味がなく、ただただ受け身で眺めているだけのような作品だ。食器を洗いながらとかスマホをいじりながらとか「何かをしながらでもわかるものを」という言い方がよくされるが、その何かの手が止まってしまうものをせめて作りたい。

 

妻とのケンカで最悪の気分になり、仕事が手につかなくなったので、息子と2人でNintendo Switchの「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」をやりながらポテトチップスとチョコレートを貪り食っているうちに貴重な1日が終わってしまった。何度過ごせば、こういう後悔しかない1日を過ごさないようになるのだろうか。

 

2月26日

午前中、家で仕事をしていると、定期テスト中の娘が昼の12時過ぎに帰宅。不機嫌。娘は中一最後の定期テスト期間中だが、全く勉強していない。試験前から勉強していないが、結局試験中も一切やっていない。「1分1秒たりとも勉強したくない」と宣言しやがって、はっきり言ってもう手の施しようがない。

 

試験中は今日のようにだいたい12時過ぎには帰ってくるのだが、いつも不機嫌オーラ全開で部屋にこもってスライムを作っている。もしくは部屋の模様替えをしている。普段はやらないことを、試験中はやりたくなるらしい。

 

私も勉強は全くしないほうだったが、さすがにここまでではなかった。1日15分くらいだが、週に3日~4日くらいは机に向かう振りでもしていたような気がする。

 

娘は勉強するのも嫌だが、成績が下がるのも嫌らしい。どっちも嫌の中で生きるのだからそりゃ苦しいだろう。周囲の人は「いいじゃん、別に。生きてくれていれば」とか「楽しく毎日学校行ってるんだから、それだけでオッケー」と言う方もいるが、現段階では娘の「一切勉強したくない宣言」を受け入れる腹の括り方ができない。なぜ括れないか?

 

娘自身が勉強をしたくないということで苦しんでいるからだ。子どもが苦しんでいると、私も苦しい。結局、私は自分が苦しいのが嫌なのだ。自分が苦しくなりたくないから、子どもを苦しみから逃してやりたいと思うのだが、その方法がわからない。しかもこの地球上では、勉強する人間としない人間では、ツブシが効くのは勉強する人間のほうだろう。

 

仕事をしながら娘にキリキリしていると、今度は息子が泣きながら学童から帰宅。またもや友達とトラブったらしい。ワーキングメモリの少ない息子は状況を聞いてもあまり説明できないのだが、断片のワードから想像すると、何かをして遊んでいたらしいが、息子として許せないことが発生。それを注意したが、聞き入れてもらえず殴る。すると殴り返され、取っ組みあい。仲裁に入って来た子とも取っ組みあいになったとのこと。

 

想像するに、息子が許せないことというのは、普通の子なら(あえて普通と書くが)何とも思わない程度のものだろう。息子は、のび太がしでかすことにも本気で怒ることがある。状況はわからないが、息子なりの正義が発動されてしまったのだろう。

 

正義ではないのだが、息子はジャンケンで物事を決めることも受け入れられない。例えば何かの順番を決めるとき、息子はほぼ「一番」を選ぶ。すると別の「一番」をやりたい子と揉める。「じゃあ、ジャンケンしよう」となるのが普通だろうが、それを受け入れられないからケンカになる。「ジャンケンだと負ける予感しかしない。だから絶対に嫌だ」と真顔で言う。

 

息子に「ジャンケンを受け入れろ」ということ必死に説いていると、泣きたくなることもある。自分の正義から外れた些事への「スルー力」も含めて、口で説明してもなかなか身に着くものでもないから厄介だ。

 

似たような部分は私にもあり、小学生や中学生のころに嫌いだった先生を、ずっと嫌いなままでいてしまう。故郷で映画の上映会などがあり、その先生が来てくれても、私はひどい態度をとってしまう。世に言う「大人げない態度」というやつだ。老人になった先生は、教え子の作品を見たいだけだろう。そこで私はニコニコした笑顔で「来てくれてありがとうございます」と言わず、えらく冷たい態度で接してしまう。こっちは色々な嫌なことを詳細に覚えているからそんな態度になってしまうのだが、ちっとも覚えていない相手は困惑するので、私はその場から黙って離れる。すると相手は余計に困惑する。どうして自分はこんな行動をとってしまうのかよくわからないのだが、息子もきっとわかっていないのだろう。

 

2月27日

娘、野球のボールが見えないとの事でコンタクトを作りに行く。葉加瀬太郎似の眼科医から、「今の眼鏡で両目で0.1しか見えていないのですぐにコンタクトは処方できない、新しい度数の眼鏡で1か月かけてから処方する」と説明を受けた。

 

娘の目がそこまで目が悪くなっていたのかと唖然。凹む。布団で隠れスマホしていたせいか……。毎晩横になって漫画を読んでいるせいか……。幼少の時からタブレットなどを見ていたせいか……。

 

目と歯は一生使うから大事にしろ! と口を酸っぱく言い続けてきたが、これは娘のせいというより、親の責任だろう。仕方なく新しい眼鏡を作りに行く。面倒くさくてたまらない。娘は、今見ているドラマの浜辺美波風の丸眼鏡を選び「どう? どう?」と聞いてくるが、度数が強すぎて顔の輪郭が歪み、正直のび太みたいだと思ったが、スンでのところでその言葉を飲み込んだ。のび太のようだと言えば、店内でも喚き散らしかねない。ああ、もう本当に面倒くさい。

 

3月3日

昨晩は春の嵐が激しく、風音がひどすぎて、ただでさえ眠りが浅いが私は全く眠れなかった。不眠と気圧のせいか身体がむくんだ感じがして、ただただダルイ。

 

今日は最後の高校教師の日。生徒たちに何か贈る言葉を考えようとしていたが、結局思いつかず。恒例の週に1回のランチだが、今回は妻セレクトの昔ながらのこぢんまりとした和定食屋に行った。私はマグロ頬肉定食、妻は刺身定食。更にポテトサラダと冷ややっこと卵焼きを追加して注文。美味しいが、いつも通り足りず……。追加で大山地鶏の親子丼大盛を頼み2人で完食。そのまま恒例の成城石井へ。今日は30%オフのバスクチーズケーキを3秒で食す。パッケージを見たら1個300カロリー超えだったので落ち込んだ。

 

最後の授業は生徒が書いたシナリオの合評会。感傷的になるかと思ったが、そうでもなく淡々と進んだ。 途中からトイレに行きたくて、気が気じゃなかったが、行けなかった。唯一の2年生である女子生徒さんが「授業、チョー面白かった。3年になったらまた取るね。友達連れてくる~」と言ってくれてうれしかったが、妻と馬が合っていた感じだから、妻のおかげだろう。

 

それにしても生徒のみなさん、長いシナリオを最後まで書き上げて素晴らしかった。3年生のみなさんは、春からの新しい人生に楽しいことも辛いこともあると思うが、元気でやってもらいたい。

 

3月5日

午前中仕事。13時、「週刊SPA!」の取材のため、ライターさん、編集部さん、カメラマンさんが自宅に。「妻を抱く」というテーマを妻と話すという、なかなかにハードルの高い取材。目新しい事も面白い事も一切言えず。しかも「喜劇 愛妻物語」の女性プロデューサーのお二人も同席していたので、私は余計に恥ずかしかった。DVDが少しでも回ってくれたらうれしいが……。3月26日発売&レンタル開始です。

 

↑真っ昼間のシラフで、しかも独身男子2人の前で、赤裸々な夫婦生活の話なんてできるわけがない! まるで羞恥プレイのようだった(by 妻)

 

3月6日

娘、府中まで練習試合。息子、学童。私は午前中に仕事。午後、帰宅した息子とともに中野ブロードウェイへ。

 

昨夜、突然息子が「誕生日プレゼント決まった、進撃の巨人のフィギュア!」と言い出した。息子の誕生日からは半年以上経過しているが、プレゼントがずっと決まらず、決まったら言うと言っていたのだが、こちらはそんなことすっかり忘れているので、今さらなにを言っているんだという気分だ。

 

めちゃくちゃ面倒くさいが、「また今度」などと言っても絶対に受け入れられないだろうから、行くしかない。ブロードウェイのフィギュア屋などを数時間歩き回るも、息子の気に入る進撃フィギュアは見つからず、結局以前ハマっていた「ウォーキング・デッド」のキャラクターのフィギュアになった。

 

帰り、地下で三段ソフトクリームを食べ帰宅。さつまいもとかりん糖とラムネ。息子とどっちが多く食べているかマジゲンカになってしまったが美味し。帰宅すると、娘も野球から帰宅していた。試合に1回も出られなかったとグズグズ言っている。そりゃ初心者で下手くそなんだからそうだろう。いったいどんな脳内になっているのか。

 

↑毎日「ウォーキング・デッド」と日野日出志と鮫を戦わせている(by 妻)

 

3月8日

午前中、Zoomでの打ち合わせ会議。終了後、横になる。午後「とよはし映画祭」のZoomインタビュー。武 正晴監督、佐藤 現プロデューサーと久しぶりに「百円の恋」の話をし、盛り上がる。終了後、またすぐに横になる。Zoomでの打ち合わせは、デメリットもあるが、終わった後すぐに横になれるのは良い。

 

夜、息子と「アウトレイジ」を鑑賞。一体何百回見ているかわからないが、仕事が立て込んできたり、ストレスがたまると見てしまう。私の中の北野映画としては「3-4X10月」に次ぐ傑作であり、坂田 聡さんのお芝居が何度見ても素晴らしい。

 

3月11日

午前中仕事。午後、震災10年の日だからというわけではないが、ポレポレ東中野で妻と「二重のまち」を鑑賞。寝不足がたたったのと、民話を聞いているような心地よさに不覚にも気絶。

 

帰り、どこかでランチに入ろうとするもどこもランチ時間終了で入れず(14時半ごろ)。朝食を食べていなかったのでめちゃくちゃ腹が減っているが、食い意地の張った夫婦はどこでもいいというわけにはいかず、ウロウロと探し回り、結局昼からやっている焼きトン屋に入ってしまう。尿酸値上昇のため、ずっと耐えていたホルモンを後悔しながら、10本とホルモン刺しを食べる。後悔しながらでも美味かった。代わりと言ってはなんだが、キャベツも一応3回お代わりした。

 

3月14日

娘、朝から野球。息子は6月より通った児童演劇ダンス教室の発表会。つかこうへいイズムを引き継ぐ劇団員の若い方々が講師をしてくれていた。

 

息子は新しい環境がとても苦手なので、最初は妻の脚に張り付いて、ダンスも踊らなければ、発声やストレッチもしなかった。この教室のいいところは、そういった子を無理やりさせるようなことはせず、気が向くまで待ってくれているところだ。息子は行くたびに妻の足にしがみついていたが、3か月くらい経過したら少しずつ楽しんでいるような雰囲気になり、半年ほどすると行くのが楽しみになった。

 

今日はその集大成となる発表会で、劇は40分近くあり、途中ダンスが2つ。セリフも多いし振り付けも複雑だったのでできるのか心配だったが、オチンチンをずっと握りながら何とかやり通した。息子は緊張すると、ずっとオチンチンを握ってしまう癖があるのだ。先生たちも涙を流しており、こういう場面で涙と無縁の私も、今日はあやうくもらい泣きをするところだった。

 

発表会後、妻はダッシュで娘野球の入団式&保護者会へ向かう。私は妻がいないのをいいことに、息子と池袋で寿司を食って帰った。

 

3月17日

午前中仕事。気合を入れるため午後から近所のサウナ。常連の紋々入りのおじさんと、見知らぬ紋々入りおじさんが、聞いていてやや気が滅入る話をしていて、ちっとも整わず帰宅。その後Zoom会議。

 

夕方、本読み。武 正晴監督や撮影の西村博光さんらいつものメンバーの方々と、短編映画を作るのだ。素敵な俳優さんたちの本読みをニタニタして聞いていた。お土産でいただいた大福が美味しすぎて、飲むように3個食べてしまう。

 

丸山正樹「ワンダフル・ライフ」読了。素晴らしい。構成のための構成ではなく、人間を、世界を描くためにこの構成しかなかったのだと思う。そういう意味で「ビフォア・ザ・レイン」を思い出す。

 

3月21日

朝からSAITAMAなんとか映画祭へ。「喜劇 愛妻物語」を上映していただいた。妻と私は映画祭の方々からの計らいで、タキシードとウェディングドレスでトーク。娘役の新津ちせちゃんも一緒に。久しぶりに会ったちせちゃんは背が伸びて、少し大人っぽくなっていた。

 

自分のタキシード姿も似合っていなかったが、妻のウェディングドレス姿が正司敏江にそっくりだと言ったら、たちまち不機嫌になり、「ダセェ男、ほんとダセェ男だわお前。終わってる。マジ、ダセェわ」と何度も言われた。

 

体一つで大宮・清水園へ入り、ほんの1時間で着付け&化粧完了。さすが皆様スペシャリスト!しかし恥ずかしかった……(by 妻)

 

3月26日

午前中、仕事。今年は年頭から時間のかかる企画に携わらせてもらっていて、楽しい企画で書き甲斐もあるのだが、劇場に行く時間がほとんど取れない。普段は週に3度くらいは行くが、今は月に3度くらいか。「ロード・オブ・カオス」は噂にたがわぬ傑作だった。これが実話を元にしているというのだからすごいな。

 

3月27日

「喜劇 愛妻物語」のDVD発売記念で、私の過去の著作なども含めて代官山TSUTAYAさんにてコーナー展開をしていただいているので、妻の手書きのポップを持参してご挨拶に。以前、新宿の紀伊国屋書店にも妻が手書きポップを持って行ってくれたが、そのときへたれな私は恥ずかしくなって逃げてしまった。

 

「お前ごときがポップなぞ持ってくるんじゃねえ。時間の無駄だ」と思われはしないかと怖くてたまらないからだが、今回は自分で挨拶に行けと妻に言われ、気分的には万引きを親と謝りに行く中学生のような気分でご挨拶させていただいたが、とても丁寧に接してもらえてありがたかったし、何より映画が面白かったと言われてうれしかった。フェアは4月21日までなので、良かったら借りるか、買っていただけたらすごくうれしいです。

 

↑代官山TSUTAYAさんで「喜劇 愛妻物語」特集をして頂きました!嬉しすぎます!朝慌ててポップを書き、持参いたしました(by 妻)

 

3月28日

娘の試合を見に行く。当然出られず。ベンチの前で、ひたすら声を出し続けている姿を見ると、35年前の自分を見ているようで辛い。

 

それにしても、娘のチームはさすがに全国大会出場を目指しているだけあってレベルが高い。これでは絶対に試合には出られないだろう。初心者がこんなチームに入ってしまい、野球なんてつまらない……とは思わないで欲しいが、試合に出ずしてその楽しみを感じることのできるスポーツなどないだろう。一点気になったのは、試合中、ベンチにいる選手が娘のチームも相手チームもみんな立っていることだ。いつまで日本は子どもたちにこんな野球をさせるのだろうか。

 

3月29日~30日

プロデューサー、シナリオライターとともに岐阜県へシナハン(※シナリオハンティング)。昭和の雰囲気を残す町、風景、鉄道などを見て回っていると、早く撮りたいと気持ちがはやる。

 

うまく進めば来年の今ごろに撮れる。うまく進んでもチョー低予算は決定しているが、すでに書いてあるシナリオは面白いものになっていると思う。今回ロケハンした場所に合わせてシナリオを修正する必要があるのだが、とにかく来年の今ごろ、「新作クランクイン!」という日記が書けていることを祈るばかりだ(この日記が続いていればだが)。

 

一泊二日の短いロケハンだったが、案内してくださった方々のおかげで、とても充実したものになった。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

【喜劇 愛妻物語公式サイトはコチラ】

 

 

死に物狂いで野菜を食べて尿酸値を下げ、息子の涙に心乱れる映画監督の憂鬱

「足立 紳 後ろ向きで進む」第11回

 

結婚18年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』(全国公開中)で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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1月24日

朝5時半に妻が起き出し娘の弁当作り。眠りの浅い私も起きてしまう。6時半に娘を起こし7時出発。雨の中、野球の会場に娘を送るのだ。寒い。死にそうなくらい寒い。そんな極寒の中、送るというのに娘はまだチームに入るとは決めておらず、体験中だ。

 

自転車で20分かけてバス停へ向かい、10分雨に降られながらバスを待ち、いざバスに乗り込んだら一駅目で雨天中止連絡あり。娘を朝起こすのに毎回ものすごく消耗するので、できればあと45分早く連絡を頂きたかったところだが、仕方がない。9時くらいには家に戻ったが、非常に疲れた。

 

午後からオンラインでの取材兼打ち合わせ。同時に話してしまったり、突然音声が切れたり、私だけ突然入れなくなったりして未だに慣れない。不具合が生じると、慌てて妻に連絡する。妻は、子どもの送迎や買い物などをしている時でも怒鳴り散らしながらもマッハで帰宅してくれるので助かる。それにしてもウチのパソコンはよく壊れる。基本的にさわるのは妻だが、シナリオのわずかな直しや、短文の仕事ならば私も自分で入力する。その際のキーボードの打ち方が、妻から言わせると親の仇のように叩いているらしく、それで壊れているとのことだが、そんなことで壊れるのだろうか。ハンマーで叩いているわけではないのだ。

 

1月29日

妻は毎朝、ワールドニュースとかいうBSで放送しているいろんな国のニュース番組を早朝から見ているのだが、同時通訳の言葉って、なぜか私の耳にはほとんど入って来ない。

 

イギリスのジョンソン首相の乱れまくった髪型については多くの人が言及しているようだが、髪型だけでなくその表情も、いつもお疲れになっているように見える。あの表情で一生懸命テレビカメラにむかって何かを訴えかけている姿をちょいちょい見るが、聞いてあげたくなるような気がする。確かけっこう早い段階でコロナにも罹っていたかと思うが、そういう不運(と言っていいのかどうか分からないが)な感じもよく似合う。

 

前に何かのニュース番組で見た時、キャスターの方にものすごい勢いで攻め込まれていたが、あれほど攻め込まれる姿が似合う政治家も珍しいかもしれないと思いつつ、日本でもテレビ番組でこんな風景が見られるといいなあとも思う。それにしても菅総理大臣の下の名前がいつも読めない。

 

1月31日

朝から娘の野球送迎。夕方まで6時間の待ち時間があるので、すかさず妻に球場近くのファミレスを遠隔で探してもらい(私はスマホの地図が読めない)、もがきながら執筆。行ったファミレスがジョナサンだった。最近ジョナサンではケールサラダを毎回頼むようにしている。去年の健康診断の結果で尿酸の値が高く「死に物狂いで野菜を食べて下さい」と注意を受けてから、嫌いな野菜を無理して食べているのだ。

 

仕事にはあまり集中できず、隣の仲悪い夫婦の会話を延々と聞いていて気が遠くなった。

 

夕方、娘を迎えに行くと野球チームのコーチに、「こんな遠くまでこなくても、そちらのご近所にも中学生の女子野球チームありますよ」と教えてもらう。「ええ、そうなの!?」と自分の調査不足を呪った。娘に言うと、すでにこっちのチームに慣れてきているから今さら変更は嫌だとのこと。それはもっともだが、毎回こんなに遠くまで来るのはきっと辛くなるだろう。夜、何とか娘を説き伏せて、来週は同じ区内にある女子野球チームの見学に行くことにする。

 

2月3日

妻と一緒に高校教師。最近はほとんど外食もできないので、この高校教師の週に1回だけランチを食べることにしている。

 

現在、私は外食でも肉を止め、野菜を食べるようにしているのだが、今日も野菜専門店を探して行った。その店には有機野菜サラダバーもあるのでケールや淡路島の玉ねぎを牛のようにモサモサとたらふく食べた。

 

メインのグリーンカレーはご飯が少なかった。もちろんそれでは足りないので、近くにあった成城石井でロールケーキを買い、恵方巻を食うかの如く1本丸々歩き食べしてしまった。甘いものを口にすると、止まらなくなってしまう体質を改善しなければならない。意味はないと分かりながらも、帰宅後にサウナに行った。

 

生徒たちには卒業までひたすらに中編シナリオを書いてもらっている。これを授業と呼んでいいのか不安だが、書くのは楽しそうだ。

 

2月4日

キネマ旬報ベストテンの授賞式。今年は無観客&配信で行うとのことだったが、私が脚本を書いた「アンダードッグ」で森山未來さんが主演男優賞、「喜劇 愛妻物語」で水川あさみさんが主演女優賞を獲得したのでお祝いに駆け付けた。森山さんは舞台の本番と重なってしまい来場できなかったが、水川さんのスピーチにグッときてしまった。お2人が表紙になったキネマ旬報は我が家の家宝となるだろう。

 

↑この「キネマ旬報」は孫の孫の代までキープします!(by 妻)

 

2月6日

昼間仕事。午後、下高井戸シネマにて「喜劇 愛妻物語」のトークショー。息子の預け先もなかったので連れて行く。

 

多くのお客さんが観にきてくださっていて、中には5回目という方もいて感激した。高校の同級生も来てくれていた。彼とは数年ぶりの再会だったのでうれしかった。おそらくこれで都内は最終上映だろう。これから配信やDVDでご覧いただけるが、やはり映画は劇場で多くの方と一緒に見てもらいたい。とくにこういう喜劇は一人でコソコソ笑うよりは、他人と笑いあってこそ相乗効果もあるのでなおさらだ。

 

今日から毎週土曜21時、NHKで脚本を書いた「六畳間のピアノマン」というドラマの放送が始まる。すかさずのエゴサーチ。シナリオにかなり苦戦した作品だったが号泣という感想が多い。評判が良いのはうれしいが、やはり人は笑うより泣きたいのだろうか。それはどういう心理なのだろうか。

 

2月7日

今日は娘が同じ区内にある野球チームの体験日だ。朝7時出発なのに何度起こしても起きず、6時40分くらいにようやく起きてきて準備を始めていた娘が練習着がない! とキレ始めた。

 

娘が今日着ようと脱衣所に置いていた練習着を、昨日深夜に入浴した私が良かれと思って洗濯機に入れて、妻が早朝に洗濯機を回したので着る予定だった練習着がずぶぬれ状態だったのだ。

 

なにか代わりの服で行け! と言うも代わりの練習着はない。サッカー時代のものを着ていけ! と怒鳴ると、だいぶ小さくなっている。もしくは薄くて寒い。「だから練習行かない!」と泣き叫びだした。初めてのチームの初めての練習だというのに、娘はてこでも動かない。こうなるともうダメなのは分かっている。妻とともにしばらく怒鳴り飛ばしてはみたが、能面のような顔で「絶対に行かない」と言うだけだ。

 

昔から娘は朝起きられず、前日からの用意もできないため、朝の準備が間に合わずヒステリック泣き叫んでパニックになることが多い。夜遅くまで漫画を読まない、とか前日に準備を終わらせる、と何度も何度も約束してはいるのだが、どうしても用意ができないのだ(これは私にそっくりなところだ。毎回出かける前に色々なものが見つからず軽いパニックになり、大声で「ないない!」とわめいているのを妻に冷めた目で見られて逆上してまたパニックになる、負のループ)。

 

呆然としている娘にもうなす術もなく、「自分でコーチに欠席連絡しろよ!」と言うが返事もせず、抜け殻のようになっている。

 

9時、息子の習い事で妻と息子は出かけて行った。私も負のオーラだらけの娘と同じ家で仕事はできないと思い、ファミレスへ。しかし、娘の態度の酷さがフラッシュバックしまくり、全く仕事がはかどらない。この日は大変暖かく、野球の練習に行っていれば気持ちよく動けただろうし、友達も出来ていたのではないか……などと、考えても仕方のないことを考えてしまう。

 

どうにもこうにも仕事に集中できないので新宿に行き、「アメリカン・サイコ」と「ザ・モンスター」を見た。「ザ・モンスター」は初めて観たのだが最高に面白かった。

 

2月10日

妻と高校教師へ。大変寒かったため、温まろうと純豆腐屋でランチ。純豆腐と参鶏湯の大盛り定食を頼んだが足りず、結局烏賊炒め丼(大盛)も追加する。我々は本当によく食べるような気がする。他の人とあまり比べたことはないがランチの一人前はほとんど腹5分だ。二品頼んでようやく足りる。店から高校までの道を恒例の成城石井で今日はチーズケーキをむさぼりながら向かう。

 

今日は中編の課題を提出し終わった生徒らが妻と私の講師席へ来て、4月からの新生活への不安感を話し出した。去年の大学新1年生たちの生活ぶりを目の当たりにすると、気楽に楽しみとは思えないだろう。もちろん理由はそれだけではないだろうが。

 

生徒の素直な気持ちを聞けるこういう機会を大切にしたい。頼りない人生相談のサロンみたいになってしまったが、自分の高校3年生の時より今の高校3年生の方が将来に不安や恐れを感じている気がする。18歳が他人に迷惑かけるくらいなら何もしないほうがいいなどと言っているのが切ない。これは自分たち中年以上の不甲斐なさのせいなのだろうか。

 

私は高校3年生の卒業間近、すべての大学受験に失敗したが、ほとんど暗い気持ちにはならなかった。第二次ベビーブームで受験生は200万人を超え、一浪偶然、二浪平然、三浪当然などと言われていたが、「何とかなるんでしょ? 誰かどうにかしてくれるんでしょ?」と思いながら生きられた時代のような気もする。それは人が多いせいだったからかバブル全盛期だったからなのかは分からないが、いつも親とか妻とか周囲の大人の誰かがどうにかしてくれた。今は周囲にそういう甘えや期待感を持てないのかもしれない。

 

とにかく助けてくれる人と出会うのが重要だ。そして、助けてくれそうな人に思い切り甘えられるメンタルを持てるように、幼少期のころに親は子どもに伝えなければと思った。ただ、どうしても人と接しているのが苦痛な人もいる。一人で生きていける経済力があれば問題ないだろうが、そういう人が孤立しないようにするにはどうすればいいのだろうか……などということを彼らと話していると感じる。

 

帰宅後息子と風呂。最近はまっている「はじめの一歩」のセリフ「男はフリチンよ、フリチン! 俺のパンチはダイナマイト―♪ ぶんぶんぶん♪」と大声で歌いながら風呂のへりに立つので危なくて仕方がない。明日の建国記念日は初めて息子が友達と公園遊びの約束をしてきたので、それがうれしくて(待合せの時間・場所を明確に約束出来たのは初めて)夜遅くまでテンションが恐ろしく高かった。

 

2月11日

息子は友達との約束がうれしくたまらず、朝からワクワクが止まらない。9時になるのを待ちきれず、8時45分には「いってきまーす!」と走って飛び出て行った。今日は娘も無事に野球に行き、私もホッとしたような気持ちで仕事に取り掛かった。

 

が、しかし。20分後に息子が泣きながら帰宅。何度理由を聞いてもよく分からない。とりあえず、「もう公園は行かない、家でドラえもんみる」と言うので、それ以上は問い詰めなかった。息子はドラえもんを見ながらいつものように笑いもせず、放心していた。正直胸が張り裂けそうな気持だった。

 

午後、その息子を連れて娘の野球の練習試合を観に行く。素人は娘だけでみんな上手だ。よくこんなメンツの中で野球をやれるなと思う。メンタルが強いのかただのバカなのかよく分からない。

 

監督さんは野球素人の娘を途中から試合に出してくれた。するとなんと初打席でセンター前ヒット。打点1。守備ではエラーしまくっていたが、1回だけフライを獲れた。いつも無表情の娘が少しだけうれしそうだったが、息子はやはりボーっとしている。

 

夜、息子を近所の銭湯に連れて行く。銭湯が大好きでいつもはしゃぎまくるのだが今日は大人しい。番台にいるおじいちゃんがよく駄菓子をくれるのだが、それにもあまりリアクションをしなかった。

 

妻が母仲間に公園の様子を聞いたところ、やはり息子はうまく遊べなかったようだ。療育に通い、空気を読む(人の気持ちを理解する)訓練は続けているが、きっとこれからも苦しむだろう。

 

「俺の家の話」というドラマに学習障害の設定の子が出て来るが、ドラマではそういう設定の人物が、学習障害という言葉とともにもう頻繁に出ているのだろうか。日本映画ではまだ観たことがない。この人、そうなんじゃないかと思っても発達障害とかAⅮHⅮといったような設定はついていないような気がする。それともあえてその言葉を使っていないだけなのか? もう生きづらさとか狂気ということではなく、発達障害とかAⅮHⅮだと明言化してしまう設定や、そうだと分かっている周囲の登場人物が出てきてもいいように思うのだが。

 

2月12日

チェルフィッチュ「消しゴム山」観劇。ガラクタの山のような舞台美術、音声ガイドや字幕スーパーもあり、客席も明るい。なんともバリアフリーな環境。人間とモノ、時間、いろいろとどうでもよくなってくるというのか、観ているこちらもモノになったような感覚に陥るというのか、正直よく分からないが、見入ってしまう。最後に俳優さんたちがお辞儀をしなければいいのにと思った。

 

偶然、前席に知り合いが座っていて驚いた。しかし、帽子・眼鏡・マスクだと、本当に誰だか分からず認識するのに1分ほど要してしまう。そして自分も気づかれないことが多々ある。楽なのか楽じゃないのかよく分からない。

 

2月13日

夜、オンライン打ち合わせ。オンラインの打ち合わせは非常に疲れる。まるで撮影中に俳優さんのお芝居をみているような感覚になるから、数時間を超えてくると、ドッと疲れる。そして、途中で無駄話をはさんでいるとき、大きく揺れた。画面にいる4人全員が一瞬止まり、その場から消えた。東日本大震災を思い出さずにはいられない揺れだった。

 

慌てて寝室に入ると、妻と息子は爆睡。遅くまで起きていた娘は「怖い」と言って出てきた。おさまってパソコンに戻ると、打ち合わせを続けるような雰囲気でもなく終了した。

 

2月14日

午前中仕事。午後から野球帰りの娘と合流して、家族4人で「花束みたいな恋をした」を観に行く。自分が観たいと言っていたくせに、娘は見事にこじらせており、観ている間中ずっとスクリーンの中の二人に突っ込んでいた(特に娘言うところのリア充状態のとき)。その声の大きさにヒク。

 

帰りに二人のイチャイチャシーンが良いねと妻に言ったら、「お前、最高に気持ち悪い」と吐き捨てられた。

 

2月17日

本日は毎日映画コンクールの授賞式。森山未來さんと水川あさみさんがまたも男優主演賞と女優主演賞をとった。(しかしなぜに主演男優賞という言い方ではないのだろうか)「アンダードッグ」はほかにも日本映画優秀賞、撮影賞、録音賞を頂き、本当にうれしい。ちょうど1年前、コロナが大流行する前に「アンダードッグ」は撮影していた。

 

↑「アンダードッグ」のスタッフの皆々様!ヤクザ映画みたいで面白い!(by 妻)

 

この1年は色々なことが目まぐるしく変化し、生活も変わったが、1年後にこうしてみんなと喜びを分かち合えたのはまさに感無量。また脚本賞をとった丸山昇一さんに久々にお会いできたのもうれしかった。8年前に丸山昇一さん、黒沢 満さん、松田美由紀さんが山口県の周南映画祭で第1回松田優作賞として「百円の恋」の脚本を選んでくれなかったら、私は今、間違いなく映画を作れていないだろう。あの時、授賞式のあとの打ち上げで、「今以上の地獄が待っているかもしれないけど書き続けてね」と丸山さんにお言葉をいただいた。

 

数年ぶりの再会で「よく頑張ってるね」と言われて心からうれしかった。

↑映画界に居させてくれた恩人・丸山昇一氏と、長くお世話になっている武 正晴監督

 

2月20日

長野県、上田映劇にて「喜劇 愛妻物語」のトークショー。築104年の劇場は趣がありまくりだ。午前中に地元のラジオの収録に参加させていただいたあと、トークまでの時間、上田の街をぶらつく。信州に来たからには蕎麦を食おうと、池波正太郎推薦のお店に入ったら、とても美味しかったのだが量がすさまじく多く、食いしん坊の私でも食べきるとお腹がはちきれそうになった。写真を撮れば良かったと後悔。店を出てブラブラ歩いていると、知り合いの俳優さんが二人歩いていた。なんとここまで私の映画を観にきてくれたのだ。うれしかった。

 

トークでは「ミッドナイトスワン」のプロデューサーの森谷 雄さんが聞き手をつとめてくださって45分間、楽しく話せて、お客さんもあたたかく笑ってくれた。良い時間を過ごさせていただき感謝しかない。その後、来てくれた俳優さん二人と一杯飲んで、東京に戻った。楽しい日だった。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

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妻の肝機能低下を祈り、娘との関係に悩み、トークショーに遅刻する映画監督の哀愁

「足立 紳 後ろ向きで進む」第10回

 

結婚18年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』(全国公開中)で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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1月1日

昨日、夜更かししたので子どもと妻は朝寝坊しているが、私は駅伝を見るために7時くらいに起きてテレビをつけた。そのとたんに、妻が「うるさい!」と怒鳴った。私としては気を遣った音量なのだが、妻にしてみれば怒りで震えるくらい爆音らしい。その妻の声は聞こえないふりをして駅伝を見続ける。

 

家族全員で午後から近所の2つの神社に初詣。当たり前だが例年より人出がかなり少ない。保育園に行く前に、毎朝通っていた神社で息子の友達とその両親に会う。私は目も悪い上になかなか人の顔を覚えるのが苦手だ。ましてや、帽子でマスクなどされていたら、はっきり言って十中八九認識していない事が多いので曖昧な会釈をしてしまった。

 

帰宅途中、電気屋でコントローラーと、Chromecastなるものを買う。前者は娘息子とサンタさんがくれたNintendo Switchを一緒にやるため。一筋縄ではいかない子ども達とどうにかしてコミュニケ―ションを取ろうと努力しているがすでに「あつまれ どうぶつの森」は飽きてしまったらしい。ゾンビゲームにしようと言うが、息子は頑なに嫌がる。

 

後者は本日から始まるAbemaTVでの「アンダードッグ」をテレビ画面で見るため。スマホやタブレットで映画を見ることにまだ慣れない私はTVで見られる方法を探ったのだがよく分からず、妻に調べてもらった。息子と昼風呂に入っている間に妻に設定してもらい、風呂上がりアイスを食べながら息子、娘と「アンダードッグ」鑑賞。R15なのでエロシーンは目と耳をふさいで。

 

素晴らしいボクシングシーンに息子、くぎ付けになる。格闘技を習っている息子は「アンダードッグ」をずっと楽しみにしていたのだ。今年は私の実家にも妻の実家にも帰らずひたすらダラダラの元日。これが本来の正月の過ごし方のような気もする。

 

1月2日

年末年始、親戚にも会えず、外出も出来ないため、娘の友達が3人泊まりに来た。クソ狭い我が家に中学生の女子が4人いるというのはなかなかの事だ。

 

昼間はとりあえず家を女子たちに開放し、私と妻は息子と遊びに出かけ、夕方順番にお風呂に入ってもらい、一斉に食事。私が張り切って肉料理を作った(※もちろん私も色々作っているのに、必ず自分だけが作ったみたいに姑息にアピールするせこさが死ぬほど嫌いだ by 妻)。

 

皆さんさすがに食い盛りでよく食べるし、よくしゃべる。そのおしゃべりに「おじさん、料理すごく上手でしょ」などとニタニタして入っていくと、娘が「いいから、入って来なくて」と言った。妻は「お前、『アメリカン・ビューティー』のケビン・スペイシーなみに気持ち悪い」と言った。その後、娘たちは2階に行ったが、深夜の1時過ぎまで何をしているのかドタンバタン暴れている音が聞こえた。

 

1月3日

深夜までおしゃべりしていたらしい娘たちが10時ごろに降りてきたので、私は得意のトマトクリームパスタを朝食兼昼食に振舞った。朝から生クリームたっぷりでヘビーかな? と思ったが結局ぺろりと平らげて、彼女たちは『約束のネバーランド』を観に映画館に行った。

 

娘の友達を見ているとどの子も素直で朗らかで溌剌とした良い子に見えるが、あの子たちも家では私の娘のようにクソビッチになるのだろうか? まったく想像がつかない。

 

1月6日

11月に撮影した短編映画の合評会。中村義洋監督、窪田将治監督と私とでワークショップをして3つの短編映画を作ったのだ。それぞれに面白い作品になったと思うので、出てくれた俳優さんのためにも何とか人目に触れる形にもっていけるといいなと思う。

 

それぞれの作品の俳優さんやスタッフと話していると、撮影の西村さんに毎日映画コンクール撮影賞受賞の電話がかかってきた。「アンダードッグ」での受賞だ。普段は寡黙な西村さんが静かに昂っている様子が伝わってきて、他人の幸福にはめっぽう厳しい私ですら、珍しく嬉しくなり心の底から「おめでとうございます」と言った。

 

とその時、そう言えば私も「アンダードッグ」「喜劇 愛妻物語」と2本も脚本賞にノミネートされていたことを思い出した。

 

今、西村さんに連絡が来たということはもしや私にも! と勇んでカバンの中のスマホを探した。ノミネート作はぜんぶで5本だから、うち2本も(としつこく自慢はしておく)ノミネートされている私が確率的に言えば受賞する率が一番高い。これは期待するだろう。

 

スマホを見ると知らない番号から着信が残っていた。その瞬間心臓がドキン!と縮みあがった。まさか事務局から受賞の電話か!? そうに違いない! 高鳴る胸に手を当てつつ留守電を確認したら、息子の習い事の先生からでひどくがっかりした。先生にかけ直すこともしなかった。

 

しかし、毎日映画コンクールに関しては「アンダードッグ」で森山未來さん主演男優賞、「喜劇 愛妻物語」で水川あさみさんが主演女優賞を受賞したので大満足だ。しかも「アンダードッグ」は優秀作品賞、録音賞なども受賞した。水川さんにいたってはこれまで発表されてきている主演女優賞をほぼ総なめ状態だ。これは本当にうれしい。

 

1月7日

午前中仕事。なかなかに捗らず。集中力が枯渇している。午後、立川談春の落語を聞きに行く。本日緊急事態宣言が出るし、仕事も全然進んでいないので行くのを悩んだが、随分前からチケットを取っていたし、5千円もするんだからドタキャンするなよと何日も前から妻にクドクド言われていたので、行くことにした。するとやはり面白く、全日程通いたくなってしまった。笑って免疫力が上がった気がする。

 

1月9日

息子と娘は学校へ。 今日は本当にドタバタだった。 詳細は早くウケたくてFBにも書いてしまったのだが、それをまんま転用する。

 

今日は「喜劇 愛妻物語」の舞台挨拶を横浜ジャック&ベティと川越スカラ座でさせてもらったのだが、両方とも強烈に思い出に残るものになった。

 

まずジャック&ベティではサプライズでヨコハマ映画祭実行委員長の北見秋満さんが、「今年は表彰式が中止になってしまったから」と賞状とトロフィーを持って来てくださり(主演女優賞と脚本賞をいただきベストテンでも2位だったのです!)トークイベントの最後に即席の表彰式をしてくださったのだ! このはからいには正直感激して泣きそうになった。

 

北見さん、ほんとにありがとうございました!

↑北見秋満実行委員長、粋な計らい有難うございます! これを励みに今後も日々精進していきます(by 妻)

 

お客様もこの状況の中、たくさん来てくださりうれしかった! ジャック&ベティでは11日にもジャック&ベティ恒例の大崎章監督とのトークもやりますので是非に。

 

終了後に電車に飛び乗り川越スカラ座に向ったのだが、ここで我々夫婦は映画の中の夫婦さながらに電車を乗り間違えた。

 

妻は家で留守番をしている子どもたちに夕飯のことや荷物の受け取りのことなど様々な指示をラインで出していたし、私は上映後には大切な大切な仕事であるエゴサーチをしていて、なんと鎌倉に着くまで逆方向の電車に乗っていたことに夫婦ともに気づかなかったのだ! もう頭の中は「新感染」なみのパニックだ。

 

窓を開けて飛びおりんばかりに電車を乗り換えて、新幹線どころか飛行機も含めてもっとも早く川越に着ける時間を調べた。

 

川越でのトークイベントは18時スタートなのに、どんなに早くても18時23分に川越着。そこから車で10分。トークイベントは18時からだいたい30分くらいの予定で、緊急事態宣言中にも関わらず前売り当日ともにチケットは完売していた……。

 

私の頭の中は、この時点でパニックを通り越して完全思考停止した。妻が川越で待つ配給会社の方に電車内から爆声で電話をし状況を説明。10分後に配給会社の人から妻のもとに折り返し電話があり、とりあえず上映後にお客様に事情を説明して、トークイベント後に他の作品の上映がないから待てる方には待っていただくので向かってくれとのこと。

 

妻はその間も、少しでも早く到着できる方法を検索したり、待ってくださったお客様にパンフレットを買い上げてプレゼントできないかなどまた車内から配給会社の方に電話して相談したりしていた。

 

私はずっと意識不明だったがこの状況は10年ほど前に、もう映画の仕事は諦めてお笑い芸人になろうとして、妻と夫婦漫才を組んでオーディションを受けに行き、まったくウケないので私は漫才中にテンションただ落ちからの思考停止となり横で妻だけが汗びっしょりになってネタをわめいていた忌まわしい事件を思い出させるものだった。

 

途中で意識を取り戻した私は電車を間違えた妻を戦犯だと責め、妻は「お前は脳内空白でついてきてるだけだろうが、カカシ野郎!」と電車内で怒鳴り出した。

 

結局、川越に着いたのは18時23分。劇場には18時40くらいに到着。お客様を40分以上お待たせしてしまったがスカラ座さんのはからいで、お客様たちはもう一度頭から映画をご覧になっていた。

 

スタジアムに戻ってきたマラソンランナーのごとく我々夫婦が劇場に駆け込んだときは、ちょうど映画の中の夫婦がヒーヒー言いながら高松に着いた場面だった。なんとほとんどのお客様が帰らずに待っていてくださった。そして劇場スタッフの方々も笑って迎えてくださった。

 

トークイベントで司会をしてくださったスカラ座のスタッフ飯島さんは映画の中の水川さんさながらに気風の良い女性で我々夫婦の失態をすべて笑いに変えてくださり、むしろ普通に到着していたよりも遅刻して良かったんじゃないか(イイワケナイ)くらいイベントを盛り上げてくださった。

 

スカラ座さんにも飯島さんにも、そして待ってくださっていたお客様にももう本当に感謝しかない。そしてご迷惑をおかけしてすみませんでした。いつか何かのネタにして、今回の失敗を無駄にしないようにいたします(ちなみに帰りの電車でまた妻にグジグジ言ってしまい逆ギレくらった)。

 

↑お客様が暖かく、沢山の質問をして頂き本当に感謝! サイン会でも皆様が必ず一声かけてくれて感激! いじってくれたスタッフさんにも感涙。怒涛の汗と涙の川越スカラ座でした。 上の写真は4年前「14の夜」舞台挨拶時(大崎 章監督とのスカラ座私物の特攻服姿!)(BY 妻)

 

1月12日

昨日、反抗期クソビッチ娘の陸上競技の計測会があった。我々親は、昨日も横浜ジャック&ベティで大崎 章監督とのトークがあったために計測会に行けなかったから、今朝、「昨日の陸上の計測会どうだった?」と聞いたら「すっごい良かったよ!新記録出た!」と言っていたので私は「そうか、良かった良かった!」と思った。最近、陸上がいやだとグジグジ言い出していたのだが、これで少しはやる気を出してくれたら親としてはうれしい。

 

「よし! じゃあ今晩は肉を焼いていやる!」と子どもに甘い私は、そんなことでもすぐにご褒美あげたくなってしまい肉を買いに出た。すると妻から「コーチから連絡有。昨日の陸上計測会。サボっていた」とのLINE。え、さっきのは全て演技だったのか……! と思うと逆にすげーなと怒りを通り越して感心してしまった……。

 

夜、複雑な思いを抱えたまま、でかい肉を焼いてやり、食べさせた後に「なんか嘘ついていることない?」と聞いてみたところあっさり白状。

 

「陸上行ってないし、今後二度と行かない」と平然と言い放った。今後一切やる気はないとの事。「お前がやりたいって言いだしたんだろうが!」とたまらず私はキレたが、もう陸上は絶対やめたいの一点張りで話にならず。理由は「勝てないから恥ずかしい」。カッと頭に血がのぼり、怒鳴り散らして最悪な終わり方をした。

 

1月13日

夜、終始不機嫌な娘と妻と話し合い、とにかく何かスポーツは続けろと言った。やりたくないと言う子にやれというのは親のエゴだが、でもどうしても娘が心底スポーツをやりたくないと言っているようには感じないのだ。ただの親への反抗として「運動なんてやりたくない」と言っているように感じたので、四の五の言わずにやれと言ったところ「野球にする」とのこと。

 

また初心者にはずいぶんハードルの高いスポーツを……。確かに昔からよくキャッチボールをしていたし、小学生のころ、投てき競技の大会で区で2位にはいるくらいには強肩だったので「野球向いているぞ」と私が何回か言った責任はあるかもしれないが、なぜ野球なのだと理由を聞くと「ドカベンが面白かったから」と萎える理由を言ってきた。いやドカベンは私も大好きだが、それで野球が続くとは思えない。だが自ら電話して体験の申し込みをしたので、体験だけでも行くだけ行ってみることにする。

 

1月16日

久しぶりに4月並みの暖かい陽気。娘の野球体験の日だ。私は地図も読めないし、知らない大人とコミュニケーションが取るのが苦手なため、妻にも付き添ってもらう。場所は戸田のほうなので朝7時半には出なくてはいけない。面倒くさくてたまらない。

 

息子は連れて行っても「退屈だ! 帰りたい!」とわめきだすのは目に見えているので学童に預けることにした。だが、息子よりも我々の方が先に家を出ることになる。誰かに頼もうか悩んだが、もう2年生だし、息子に「カギ閉めて行けるか?」と聞いたら「行けるよ! なめてんのか!」というので息子を信じて 「お握り食べて8時50分に出ろ!」と伝え出発した(そもそも地図も読めず、野球部の大人と話せない夫がダメ過ぎると思う by妻)。

 

池袋から埼京線に乗り、荒川河川敷に向かう。娘は終始不貞腐れている。8時40分に娘をグランドに届け、我々は離れたところから見ていた。ふと息子のことを思い出し、9時過ぎに息子の子どもケータイに電話すると、案の定と言うかがっかりというかまだ家にいやがった。「なにしてんだ、さっさと行け!」と怒鳴る。

 

しばし娘の野球体験を離れた場所から見ていたが、夕方まであるのでファミレスを探して妻も私も仕事をした。隣の大学生カップルの男が、そこそこ偏差値の高い大学に通っていることと、その男のバイト先のおばちゃんが、その大学をあまり認めていないことと、女のほうがそのおばちゃんにムカついていることが分かった。

 

16時に娘を迎えに行く。妻がコーチや監督に挨拶に行くのを私はかなり離れた場所から見ていた。2人が戻ってくると、娘が久しぶりに見る笑顔で「楽しかった!」と言った。暖かい陽気の中、広いグランドで伸び伸びと身体を動かせて、少しはすっきりできたかもしれない。「で、やるのか?」と聞くと、それはまだ分からないが、来週も引き続き練習には行きたいと言った。

 

1月18日

年末、スマホを自分の部屋に持ち込んで隠してやっていたので、1か月娘のスマホを取り上げていたのだが、野球の体験も頑張ったしそろそろ返すかと思い、隠し場所となっているところを見たが、ない。カンパニー松尾作品とか極私的なセンスの塊の類のものを妻が勝手に一つの汚い段ボールにまとめてクローゼットの奥に入れているのだが、よりによって妻は娘のスマホをそこに隠していた。

 

まさかと思った妻が娘を問い詰めると、根性で家中を探索してスマホを探し出しており、またもや自分の部屋に隠し持っていた。妻は激怒したのだが、私は妻に激怒した。「なんでそんなところに隠すんだ! あんなDVD見られたら全人格を否定されるだろ!」と。すると妻は「もう十分否定されてんだろ!」とキレ返してきた。

 

妻は「あと一か月スマホを取り上げる」と言うが、私としてはもう問題はそこではない。「見てたらどうすんだよ!」と言うと、「あんな映画作って見せてんだから、今さらなに言ってんの。バカじゃないの」と言う。確かに自分の両親がセックスするかしないかで揉める映画を見て笑っているのだから、問題ないかもしれないし、今のところ私に対する態度に反抗は大いにあるが嫌悪は見られていない(ような気がする)から、何とか私も何もなかったかのように娘に接していくしかないだろう。

 

それにしても、親が自分の持っているエロ本やエロビデオを子どもたちに発見されるというのは、もしかしたら自然の摂理なのかもしれない。が、どうせなら息子に発見されたかった。いや、多分されるか。息子はこのまま育てば間違いなく「ねえ、パパがこんなの見てるよ」とニタニタしながら家族の前に持ってくるだろう。やはり空気を読む訓練はある程度はさせねばならない(療育に通わせてはいるが)。空気を読むという言い方はネガティブだが、つまりは人の気持ちを考えるということだ。それが将来、パワハラやモラハラ、セクハラなどしないということにもつながる。

 

1月21日

年末、区の検診を受けて、要問診だったため区役所の検診センターへ行く(※これも一人では行けないからついてきてついてきて、と粘って粘って粘りまくったので面倒くさくなり初老夫婦二人で検診に行った。センターの先生も引いたと思う by 妻)。

最近ずっと足の先がピリピリしていたが、やはり尿酸値が9で「いつ発作が起きてもおかしくない」と言われた。当分、大好きな内蔵系は我慢しなくて行けない。あと、大好きな脂も。妻は毎日酒を飲んでいるのだが、ものすごい丈夫な肝臓らしくガンマの値が良かった。悪くなることを祈りたい。

 

1月23日

雨。野球の練習が中止になったので娘をバッティングセンターに誘ったら来た。来るということは、先日のエロDVDがあるところでスマホを発見したことは、無事になかったことにできているような気がする。

 

そういえば今年に入ってから毎週土曜日に日経新聞夕刊のプロムナードというコーナーで連載が始まった。僕以外の書き手が凄い方ばかりなので大丈夫かなと心配だ。なにせここに書いていることとほとんど変わらない内容だ。娘にエロDVDを発見されたこともネタにするかもしれない。

 

↑雨の日のバッティングセンターは激混みだった。娘は結構バットに当たっていて楽しそうだった。(by 妻)

 

夜、娘、息子と「マッドマックス」の1、2を見た。私はもう百回目くらいだ。トゥーカッターだとかヒューマンガスだとか悪役の名付け方がとにかくいい。この日からずっと息子はトゥーカッターの真似ばかりしている。ハァー! と威嚇するところ。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

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薬を投げ合うケンカと妻の二日酔いの醜態をほくそ笑む映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第9回

 

結婚18年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』(全国公開中)で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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12月1日

3日から別府に行く。Beppuブルーバード映画祭に参加するためだ。こういう状況ではあるが家族で行くことにする。毎回旅行に行くたびに困るのが2匹の猫の世話だが、今回は息子の同級生のお母さんに来ていただけることに。こういうとき、私のようなコミュ障人間は近所付き合いもなければ、子どもたちの親との親密な付き合いもないから誰にもお願いできない。女性のほうが−−と書くと女性だけに括るな、個人の問題だという声も聞こえてきそうだが−−逞しく人付き合いもするからコミュニティも作るし、こういうちょっとした困りごとでもすぐに相談するから孤独になっていく率も少ないような気はする。

 

で、そのお母さんに妻がエサの場所やらウンコの捨て方など説明していると風呂上りの息子が素っ裸で外に出て行き(同級生がいつの間にか来ていたことに興奮したのだ)、極寒の路上を走り回って遊びだしたので妻が近所に響き渡る大声で怒鳴った。にもかかわらずずーっと走り回っているので、本当にあいつはバカ野郎だと思って私も怒鳴ってしまった。

 

12月2日

水川あさみさんが「喜劇 愛妻物語」でTAMA映画賞に続いて報知映画賞主演女優賞を獲得した。あまりにうれしい! というニュースを抱えつつ、妻と高校の授業。1時間もののシナリオに挑戦中。と言っても1時間は長いので書けるだけ書いてみようということでやっている。みんな今のところは楽しそうに書いているように見える。

 

夜、息子は案の定鼻水タラタラ。明日から別府なので妻も私も怒り爆発。真冬に素っ裸で外に出る馬鹿がいるか! と妻とともに再度説教しながら一応風邪薬を飲ませようとしたら「まじぃ!」と吐き出したので、カッとして「飲め!」と怒鳴り無理にでも飲ませようとした。すると妻が「怒鳴るな、うるせえ!」と怒鳴るので「子どもを裸で遊ばせるな!」と言い返して夫婦ゲンカに発展。

 

妻が息子に飲ませていた薬を箱で私に投げつけてきて、錠剤の薬が散らばり、またもカッとした私は散らばった錠剤を一粒だけ拾い上げるとそれを思い切り妻に投げつけた。箱を投げつけてきた妻、錠剤を投げ返した私、罪が重いのがどちらかは一目瞭然だ。嘔吐まみれのシーツの上で息子はシクシクと泣き出し、最悪の旅立ち前の夜になってしまった。

 

12月3日

最悪の夜が明け、5時半始発で家を出る。東京から新幹線で小倉へ。私は夫婦ゲンカを長引かせることは嫌いなので、何事もなかったかのように妻に話しかけ、妻も不本意ながらという感じで応じる。が、私が1500円の牡蠣の駅弁を買ったことでまた不機嫌になってしまった。

 

小倉の乗り換え時にうまそうな立ち食いうどん屋があった。帰り必ず食べようと誓う。妻は芋焼酎、娘と息子は西日本限定のカールを買い込み、特急「ソニック」に乗り込む。

 

ソニックはレトロな内装で、かつカーブの角度が激しく子どもが興奮する。妻は芋焼酎2本飲んで爆睡。別府に13時半着。列車時からずっとチェックしていた「いづつ」という海鮮丼屋さんに向かう。海鮮丼と小エビの唐揚げが最高に美味かった。

 

15時、映画学校時代の友人で元ルームメートの太田ちんと合流して(キネマ旬報に連載中の「春よ来い、マジで来い」はこの人との同居生活を中心に書いている)、格安ホテルへ向かう。

 

チェックインし、海を眺める露天風呂に入るも、あまりの寒さにすぐに内湯へ。その後、娘と息子、太田ちんと卓球2時間。かなり疲れる。夕食後、もうひとっぷろ浴びようと思ったが、21時には気絶してしまった。

 

12月4日

朝から別府の地獄めぐり。19年前くらいに臼杵で撮影していたことがあって、妻と別府で合流し地獄めぐりをした楽しい記憶があったので子どもたちと太田ちんと地獄を巡りに巡った。息子は終始はしゃぎっぱなし、娘は相変わらずむっつりしていたが、ワニ地獄ではかなりのハイテンションになる。だが19年前はワニがもっといた気がしたが気のせいだろうか。ワニの池の近くで息子を押して脅かしたらマジギレした。その後、山の奥へ行き泥湯。19年前に妻と来たときは混浴だったが、今は木の杭で別浴になっていた。混浴の時は女性が移動すると男性が民族大移動のようにぞろぞろと無言でついていっていた風景を思い出した。

 

21時半別府ブルーバード劇場へ。明日「喜劇 愛妻物語」を上映して頂けるため、トークショーの打ち合わせ。支配人の照さん、娘さんのミキさんにご挨拶、夜は映画ライターの森田真帆さんや劇場に勤務しているヒロキさんたちと飲んだ。皆様とってもいい人でめちゃくちゃ楽しかった。

 

今夜は妻が見つけてきた一軒家の宿舎。豪華なマンションみたいで子どもたちが大いにはしゃぐ。

↑地獄めぐりの写真。全然地獄っぽくないところで記念撮影してしまった(by妻)

 

12月5日

12時、森田さんと待ち合わせして旅館で地獄蒸を頂く! スーパーで根菜やら丸鶏やらアサリやホタテを買って、そのまま温泉の蒸気で蒸して大量のカボスをしぼって食う。めちゃくちゃシンプルな料理だが最高に美味い!!

 

↑地獄蒸の写真。温泉の湯気であっという間に地獄蒸完成! なにもかも美味しい!(by妻)

 

趣のありすぎる旅館に子どもたちが興奮してずーっと探検していたが、旅館の方が全然気にせず、「自由に遊んでねー」という感じで最高だった。途中、渋川清彦さんも来て久しぶりにお会いした。

 

↑趣ありすぎる旅館。今度は泊まってみたい(by妻)

 

13時15分から「喜劇 愛妻物語」上映。その後、森田さんとアマゾンプライムで放映していたバチェラーに出ていたくらたまみさんとトーク。お客さんの反応がすこぶる良くて涙が出た。この映画は傑作なのではないかと勘違いしてしまうほどだ。(個人的にはもちろん傑作だと思っているが)。

 

その後一度宿に戻り、ひとっぷろ浴びる。18時30分から「一度も撃ってません」鑑賞。石橋蓮司さんは最高だし桃井かおりさんは歌うし、とにかく見ていて幸せな気持ちになる映画だった。丸山昇一さんの脚本作品をもっともっと観たい。夜は余興で阪本順治監督の面前で「顔」の1シーンを夫婦で演じなければならなくなった。咄嗟に中村勘三郎さん(当時・勘九郎)が藤山直美さんをレイプするシーンを演じてしまった。

 

気分の良かったこの日は、ヨコハマ映画祭で「喜劇 愛妻物語」がベストテンの2位に入ったことを知り、飛び上がるほど嬉しかった。しかも水川あさみさんがまたも主演女優賞! これで3冠だ。私も「アンダードッグ」との合わせ技で脚本賞をいただいた。

 

12月7日

東京に戻ってくる。別府でハメをはずし、4日間一切仕事をしていなかったので、身体を椅子に縛り付けて原稿に向き合う。別府で気にならなった肩甲骨がすぐにうずき出し、右腕も痺れてくる。気分転換と言うか逃げるようにサウナへ。

 

12月11日

翌週行うワークショップの為、初のPCR検査。ここ最近、人と会うことがとても多かったので大変心配である。唾液も意外と多く出せねばならず、苦労した。後半、必死にレモンや梅干を思い浮かべたが出なかった。

 

昼から打ち合わせ。その後、一緒に打ち合わせていた脚本家の松本 稔さんと「佐々木、イン、マイマイン」鑑賞。面白かった。私もずっと脱ぎ癖のある人間だったが、ただ脱ぐだけで佐々木のように良いことは何一つ言えなかった。

 

12月12日

11月に中村義洋監督、窪田将治監督と合同でワークショップをやり、3人で1作ずつ短編映画も撮ったのだが、今日はその作品の編集。私はパソコンがいじれないので窪田監督に編集してもらった。マウスシールド越しのキスシーンを撮ってみたのだが、妙に切なくて、甘酸っぱい気持ちになって、ニタニタしてしまった(前回の撮影日記にも全く同じことを書いているから余程このシーンが好きなのだろう)。観た人もそんな気持ちになれるのかどうかは分からないが、なってくれたらうれしいし、出来が良いということだ。

 

12月13日

14時から深谷シネマにて妻とトークショー。妻とのトークショーではほとんど彼女に引っ張ってもらっていて、トーク力がどんどん上がっているような気がする。息子が劇場の方から頂いたミカンを美味しい、美味しいと4つも食べていた。

 

12月15日

午前中、新宿にて「燃ゆる女の肖像」鑑賞。セリフも少なく目線や表情でドキドキワクワクしながら見られる女性同士の恋愛もの。とても面白かった。その後、妻と高田馬場まで歩く。行こうと思っていた羊肉の店が定休日でショックだったが、先日受けたPCR検査が陰性だったとの連絡がきて、すごくうれしかった。

 

花房観音著「京都に女王と呼ばれた作家がいた」を読んでいるがとても面白い。あんなに売れまくっていた山村美紗も賞を取れなかったことがコンプレックスで自分に自信がなかったのではと書いてある。私が自分の書くものにまったく自信がもてないのも仕方ないだろう。

 

12月17日

今日から2日間のワークショップの初日。20歳から65歳まで幅広い方々が参加されていた。最年長の65歳の方は60歳を超えてから本格的にお芝居を始めたそうで、話しているうちに5年前にも私のワークショップに参加されていたことを思い出した。

 

で、こういうところが私の本当にダメなところなのだが、そのとき私は「60歳超えてからとか正直無理でしょ」と思ってちゃんと向き合っていなかったと思う。それが5年の時を経てものすごく上手くなられていて驚いた。ご本人の努力と、ちゃんと向き合ってくれる方との出会いがあったのだろうと思うと自分が恥ずかしくなったが、私のそういうダメなところは直るでしょうか。尊敬という感覚を久しぶりに覚えた。

 

12月18日

ワークショップ終了後、渋谷シネクイントで「アンダードッグ」のトークイベント。武 正晴監督、渡辺紘文監督、二ノ宮隆太郎監督と話す。渡辺監督と二ノ宮監督は「アンダードッグ」の殺し合いのシーンで共演している。この2人の若手監督は、今、日本の若手監督の中でも1、2を争うとんがり具合を見せていると思うのだが、2人とも腰だけは異様に低く、ウソか本当かは分からないが、「参加させてもらっただけでもうれしかった」とおっしゃっていた。その言葉を真に受けておいたほうが幸せなので、そうさせてもらった。

 

12月19日

8歳上の従兄に妻とともにあう。今年従兄の母上(私の伯母)が亡くなったのだが、このご時世お線香もあげられずにいたので久しぶりに会うことになったのだ。

 

従兄は小学生の私や妹に「13日の金曜日」や「ゾンビ」などホラー映画を見せまくり、妹はかなりトラウマになっているが、私のホラー映画好きはもしかしたらこの従兄の影響かも知れない。日野日出志のマンガや弓月 光のマンガなどを従兄の部屋で読んだ。

 

従兄は食いしん坊の飲ん兵衛で、今は医者になっているから金もあるので、鰻と肉を梯子したあとに、ハブ酒などの強い酒を飲みに行き、私はほとんど飲めないから妻ががんがん飲んでいた。亡くなった伯母さんの話のたくさんした。伯母さんも食いしん坊で雰囲気は岸朝子にそっくりで、80歳を過ぎても肉や生クリーム系のパスタなどをガンガン食べていて、私も可愛がってもらった。明るい性格で大きな病院の娘で交流関係も多かったから、もし葬式ができたら賑やかなものになっていただろう。

 

12月20日

昨晩飲み過ぎた妻が朝から「ゲボドボゴボボボ!!!!」と20回くらい吐いている。腹立たしい。妻が吐く時の轟音が私は世界で最も嫌いな音だ。だがこの醜態でしばらくは私が怒られることも少なくなるし、何なら責める材料にもなる。しかも今日は2人で渋谷のUPLINK渋谷でトークイベントもあるのだ。そんな日にこの体たらくは何かあったときのこちらの切り札にするしかないだろう。

 

トークベント前に、今、企画を進めている作品の打ち合わせのためにプロデューサーが我が家まで来てくれて妻も入れて3人で打ち合わせをしたが、妻の酒臭さにプロデューサーも苦笑いしていた。

 

その後のトークイベントではUPLINK渋谷の江崎支配人に絶妙な司会をして頂き、かつ、この日記にも「映画の続きのよう」と触れていただき、大変ありがたかった。お客様の反応も良くてとてもうれしかった。

 

12月25日

クリスマスプレゼントが楽しみでならない息子が5時半に起きやがって枕元にプレゼントがないと大騒ぎ。慌ててクローゼットから出して渡したら、「なんでサンタはそこに置いたの?」と聞くので「知らん」と言ってもう一度寝た。

 

12月26日

午前中仕事。本日発売の「小説推理 2月号」から「したいとか、したくないとかの話じゃない」という下ネタ満載の小説の連載が始まっているので良かったら読んでください。

 

下北沢で城山羊の会「石橋けいのあたしに触らないで!」鑑賞。こちらも下ネタ満載の艶笑話でめちゃくちゃ面白かった。私も今年は下ネタ話の演劇をする予定だったが中止になってしまった。下ネタの見せ方やコロナ対策も含めてこういう風にすればいいんだなと思えて久しぶりに前向きな気分になりテンションが上がった。

 

12月27日

娘が今日から陸上の合宿に行くのだが、今朝、スマホを自分の部屋に持っていっていた事が判明(我が家のルールではスマホは居間でしか使ってはいけない)。どうりで最近すぐに「寝る!」と言って20時には自分の部屋に行っていた訳だ。一昨日の土曜も朝から「眠い!」と言って一歩も部屋から出てこなかったが、きっとずっとスマホを見ていたのであろう。怒りで血管が切れかけた。

 

スマホを取り上げられた腹いせか、合宿の集合場所まで1人で行けないと泣き叫ぶので、仕方がないので送っていく。途中「どーせ私だけ友達とゲーム出来ない人なんだから。スマホ9時までとか部屋で使うなとか私だけだから」と拗ねた態度でまた腹が立つが無言で流した。

 

別れ際「楽しんでおいで」と言ったら「は? 私だけスマホなくて楽しめるわけないじゃん。何考えてんの?」と捨て台詞をはいた。またも怒りで血管が切れかけたが、結局帰りのバスが渋滞するかもしれなく、連絡手段がないとこちらも迎えが不便なので不本意ながらもスマホを返した。持ってきている時点で返そうとは思っていたのだ。

 

12月28日

小2年の息子の友達が泊まりに来る。友達とうまくコミュニケ―ションが取れない息子が一緒に風呂に入りながら、格闘技の話をずっとしていた。当然、息子の友達は格闘技など知らない。まったく噛み合っていない会話を聞いているのは微笑ましいが、このまま自分の話だけしかしない人間でいけば苦労するだろうなと思う。夜は2人で延々とゲームをしていたが、9時過ぎに取り上げると2人で寝袋に入って12時過ぎまでよく分からない遊びを延々としていた。楽しそうだった。

 

 

12月31日

夕方まで仕事。

 

大掃除もせずお節も作らず、「絶対に笑ってはいけない大貧民 GoToラスベガス24時!」を見て寝落ち。世界中が大変だった2020年だったが、来年はさらに大変になるのだろうか。様々なシステムの変化についていく自信はまったくない。敷かれたレールを生きてきてしまっているから物事を自分で考え抜く能力も人一倍ない。だが、その敷かれたレールから一生懸命、目は凝らしつつ、新しいことは何一つできないが、見れば分かるくらい困っている人を見て見ぬ振りをしないことくらいはできるはずだから、意識してそう生きようと思う。それでもきっと見て見ぬ振りをしてしまうだろうから。

 

 

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

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「ウルフギャング」で興奮しまくり妻に蔑みの目で見られた映画監督の悲哀

「足立 紳 後ろ向きで進む」第8回

 

結婚18年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』(全国公開中)で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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10月31日

東京国際映画祭(TIFF)が始まる。今年は海外ゲストが呼べずにコンペも行わないこととなり小規模な開催だ。脚本を書いた「アンダードッグ」(前後篇)がオープニング作品に選ばれているのは光栄だ。

 

東京国際映画祭は開催されるたびにいつも批判にさらされている印象がある。コンペ作品の質が悪いとか、国や街がまったく盛り上がっていないとか、映画人たちの交流がないとかいろいろな批判だ。

 

私は本業が脚本家だから海外の映画祭に参加したことはほとんどない。昨年、東京国際映画祭のコンペティションに呼んでいただいた監督作の「喜劇 愛妻物語」はいくつかの海外映画祭にも招待されたが、新型コロナの状況で一つも参加できなかった。だから東京国際映画祭と他の海外映画祭を比べることはできない。が、映画祭は作り手を発見して育てていく役割もあるとはよく言われることで、そういう意味では私は東京国際映画祭に育ててもらった自覚がある。

 

2006年、駆け出しのころに書いた「キャッチボール屋」という映画を今の「スプラッシュ部門」の前身である「日本映画・ある視点」部門で上映してもらい、そこから8年の間が空き(仕事がまったくなく映画を作れなかった人生の暗黒期で、これ以上の暗黒が来る可能性もあるが耐えきれるかどうか不安だ)、次は2014年の「百円の恋」だった。「百円の恋」は日本映画スプラッシュ部門で作品賞をいただき、東京国際映画祭をきっかけに多くの海外映画祭に呼ばれ、私もドイツの映画祭に行った。その次は初監督の「14の夜」で呼んでもらい、昨年「喜劇 愛妻物語」でコンペティションに呼ばれたときは素直にうれしかったし誇りに思った。

 

そして今回の「アンダードッグ」はオープニングだ。映画祭側が「アンダードッグ」を映画祭の顔として選んでくれたのだと思うと光栄だった。お前の映画なんかやってるからレベルの低い映画祭って言われんだよ、と言われれば、今後はもっと面白い映画を作って恩返ししていくしかない。

 

とりあえず今日は12時から「ノマドランド」を観てその後、オープニングセレモニーに出席。17時半より「アンダードッグ」上映。5時間近い作品ながら観客の皆さんは熱心に観てくださっていた気がする。上映後に武 正晴監督とQ&Aに登壇。今年はお客さんとのやり取りも少なくなってしまっているのでこういう触れ合いに飢えていた身としてはとても楽しくもっと語らいたかった。こういう場を用意していただいたことにも感謝しかない。

 

↑「アンダードッグ」上映後の深夜。左から佐藤 現プロデューサー、武 正晴監督

 

11月1日

間もなく撮影が始まるドラマの打ち合わせで大阪に行く。新幹線内で絶対に寝ようと思っていたのに、昨日の「アンダードッグ」の上映反応エゴサーチで一睡もせず目と首と腕を酷使する。もう右腕が痺れて動かない。

 

ドラマの台本はもう一息だ。コロナがここまで(国内での)猛威を振るう前の、今年の3月くらいから企画が始まり、4月5月くらいに一度止まって、それからいろいろと世相を見ながら内容を練り直してきたが、何とかここまで来た感じだ。大阪に何度来たのか忘れたが、すっかり新大阪駅で肉まんの551HORAIを買って帰るのが習慣になった。だが、そのうち3回くらいは新幹線内に忘れている。網棚に置くとアウトなのは分かっているのだが、足元に置くと邪魔だし冷蔵ものだから網棚に置いてしまうのだ。いやあれは網棚ではないけれど、それにしてもこの忘れっぷりは我ながら脳のどこかがおかしいのかと思う。たいていは丸の内線の改札あたりで忘れたことに気づくのだが、取りに戻るのは面倒くさいのでそのまま帰ってしまう。

 

「お前の頭がおかしいのはそこでそのまま帰ってきてしまうところだ。忘れることよりも気づいて取りに行かないお前の人間性が死ぬほど嫌いだ」と妻は言うが、丸ノ内線一歩手前まできて、財布ならまだしも肉まんでまた新幹線のホームに戻るのはとてつもなく面倒くさい。取りに行かない人のほうが多いのでは?

 

11月2日

朝10時半から東京国際映画祭にてインド映画「遺灰との旅」鑑賞。ジェンダーやカーストなどの身分差別への風刺の効いたコメディ映画でなかなか面白かった。鑑賞後、場内でばったり武 正晴監督と会う。映画祭のときはこうして偶然同じ映画を観ていたりもするから楽しい。

 

昼からオーストリア・ドイツ映画「トラブル・ウィズ・ビーイング・ボーン」を鑑賞。詩的な映像美がどうのこうのと紹介文にあったからヤバいかもなと思ったが、やはりあえなく気絶。妻に何度か起こされたがそれでも目を開けていられなかった。でも、きっと良い映画なんだと思う。

 

17時から「アンダードッグ」の上映まで時間があるため、「オープニングに選ばれてお祝いだから行こう。お祝いがないと映画なんかやってる意味がない」と妻を泣き落とし、前から行きたかったウルフギャングに妻と入店。まさに今にもギャングが乱入してきてマシンガン撃ちまくりそうな店内の雰囲気に私のテンションは急上昇。が、テンションが上がれば上がるほど妻が不機嫌さを露にするので、腹が立ってもう一つ二つテンションのギアをあげ、ランチで一番高いやつを注文すると、店員さんの前だというのに「はぁ!? 何考えてのあんた!」と妻が阿呆みたいに大きな声を出し、結局2番目に高いやつとなった。

 

15時ごろに入店したので他の客はほぼなし(IT系の金持ちっぽい男とめちゃくちゃケバイ彼女と、何かは分からないが、何だかおしゃれな仕事をしていそうな3人組はいたが)でゆっくりできた。

 

不機嫌さを隠さず肉にがっつく妻に、飲みきれなかったギネスビールをあげたがそんなもんで機嫌は直らなかった。でもステーキは最高においしく、また店内にスコセッシやデ・ニーロとかの写真も貼ってあってさらにはしゃいでしまった。食後に温かいアップルパイに濃厚なバニラアイスを乗せたやつを私が追加注文すると妻は「豚野郎!」と罵ってきたが、聞こえないふりして食った。美味かった。ダイエット中だが多分太っただろう。

 

↑飄々とした店員さんが、他にもたくさんデザートをオススメしてくれたが、結局無難なアップルパイにした。あっつあつのアップルパイに、クリームとバニラアイス乗せはすさまじい破壊力で2秒で完食(by妻)

 

17時より「アンダードッグ」上映。前篇上映後、武監督と森山未來さんと勝地 涼さんの舞台挨拶。しかしこの映画、前篇だけ見ると、森山さんはボロ雑巾のようにボロボロ、勝地さんは泥臭くも光輝く。だからこのタイミングでのお2人の舞台挨拶はどっちが主役だよと突っ込みたくなる感じで面白かった。

 

後篇後、お三方と共に私も登壇させてもらい観客の皆さんとQ&A。質問もたくさん頂いた。上映後は久しぶりに会うキャストやスタッフの方々も楽屋に来てくださったが、こういうご時世で打ち上げなどが出来ないのは寂しい。それでも喜びを分かち合えて、短くもよい時間だった。

 

11月4日

午前中、脚本執筆。右肩甲骨および右腕痛しは変わらないのだが、以前から日記で肩甲骨と腕のコリを執拗にアピールしていたところ、読んでくださった方から「ファイテンのこりとりくんが効くかもしれませんよ」との情報をいただき使っていた。妻は3000円以上のものに対しては余程のことがない限り買ってくれないのだが、毎日マッサージに行かれるよりはまし、と言うことですぐに買ってくれたのだ。夜な夜な肩甲骨の下に置いて寝ており、おかげで何もしていない時は楽になったのだが、ペンを持って書き始めると次第に痛くなる。妻の機嫌が悪くワープロ打ちを自分でしなければならないと10分もたたずに痛くなってきてしまう。仕事に集中できないくらいの鈍痛なのでほとほと困る。

 

昼から東京国際映画祭でメキシコ・スペイン映画「息子の面影」を見て(メチャクチャ怖かった。あまりに残酷な人生。でも、あのゲリラのような人たちがどんな人たちなのかはよく分からなかった)、妻とともにダッシュで高校の授業へ。生徒たちは中編のシナリオを書き始めたのだが、思ったより集中して楽しんで書いている。すごい。

 

帰宅後、息子と風呂。このところ息子は毎日のように「のび太がカンニングした!」とチクってくる。カンニング出来たのび太が心底羨ましいようで(なぜかは要領を得ない)、うるさいから「じゃあ、お前もカンニングしろ」と言うと、「それはダメなんだよ!」とムキになって否定する。悪いことと羨ましいことの間の板挟みで毎日毎日この話を繰り返している。そして、同級生の空手少女と姉に勝つために、日々腹筋だけは怠らない。

 

↑「アンダードッグ」の予告を観てから、毎日上半身裸とマウスピースで、「地獄の筋トレ!」と騒いで腹筋と腕立てしてます。クラスで一番のチビなので、背も伸ばしたいらしく毎日牛乳がぶ飲みです(by妻)

 

11月5日

東京国際映画祭にて「老人スパイ」鑑賞。もう一本観る予定だったが余りに身体がだるいので帰宅し、息子と銭湯へ。私がよく行く銭湯は入れ墨の入った方がよくいるのだが(今どき珍しくお断りの看板はないのだ)、空気の全く読めない息子は以前からその方々へ「ねえ、背中に絵、描いてるねえ」などと平気で話しかけるので焦る。今日は年配の入れ墨の方がいて、息子に「絶対に妙なことを言うな」と言ったら、「知ってるよ、ヤンキーなんだよ、あの人たち」と何かで少しは事情を知ったようだ。

 

だが、その年配の入れ墨おじさんが露天に行けば息子も露天について行き、炭酸風呂に入れば一緒に入り、ずっと入れ墨を観察している。しかもかなりの至近距離。知らん顔も出来ず、疲れが一切取れない銭湯タイムだった。

 

最近、若い人は背中だけでなく表にも入れ墨を全身入れている人もいて、それはものすごい迫力だ。首から足首まで身体の裏表全身くまなく墨入りはやはりちょっと怖いというか、一瞬スパイダーマンのようにも見えてしまう。息子が一緒だときっと今日以上の凝視状態になるだろう。

 

11月7日

故郷の鳥取にて「喜劇 愛妻物語」のトークイベント。司会は同郷の先輩で「喜劇 愛妻物語」に企画から携わっていただいた中江康人さんがやってくださり(そもそも今回の鳥取舞台挨拶は中江さんの企画だ)和んだ雰囲気のイベントとなった。お客さんもたくさん来てくださってほぼ満員での上映はうれしかった。上映後も多くの友人知人とも話せて、やはり故郷での上映はうれしさや恥ずかしさなどいろんな思いが混じり、他の場所とは一味違う。

 

夜は久しぶりに地元の同級生と飲みに行く。いくつになっても話す内容は頭の悪いことばかりでとてもここには書けないような品性下劣なことばかりなのだが、そういう話のできる同級生がいるのは本当にありがたい。

 

11月9日

東京国際映画祭にて朝からイラン映画の「荒地」鑑賞。全編白黒でセリフが極端に少ない。鳥取での疲れが出てこれも撃沈。妻は面白いと言っていた。ロビーに出るとまたも武 正晴監督と遭遇。武さんはロシア映画「親愛なる同志たちへ」を見ていた。83歳アンドレイ・コンチャロフスキー監督作品。一緒に昼飯を食いながら物凄いものを観た! と興奮していた。

 

その後フランスの恋愛映画「ラヴ・アフェアズ」鑑賞。フランスに生まれて恋愛をとことん楽しんでみたかったなあと思う。今、こんな恋愛状態になれば即メンタルぶち壊れだろう。だが最後は予想外に保守的な展開だった。日記に書いた以外にも映画祭ではいろいろと観たが個人的にはフランス・ベルギー映画「デリート・ヒストリー」がお気に入りだ。日本公開されたら皆様是非!

 

11月11日

午前中から執筆。集中力がないのと肩甲骨右腕の痛みのためすぐやめた。午後、妻と高校教師へ。その後、息子を闘い教室に迎えに行き、18時帰宅。

 

今日は週に一度、家庭教師の女子大生のおねえさんが娘に勉強を教えにきてくれる日なのだが、そのおねえさんを息子は大好きで、帰ると必ず娘の部屋に入って「こんにちは」と挨拶をする。娘はそれが強烈にうざいようなのだが、今日もいつものように挨拶をし、なおかつその後、私と一緒に風呂に入っていた息子が、何を思ったか風呂上がりの全裸で娘の部屋に入ってしまったようで(私はまだ風呂にいたから声しかきこえなかったのだが)、「ボク、今、風呂入ってたんす」と言って再度挨拶。

 

娘から怒鳴り飛ばされていた。

 

11月14日

浜松のシネマイーラさんにて「喜劇 愛妻物語」のトークイベント。毎週末のように地方回りをしているが、こういう状況の中でも呼んでくださる各劇場の支配人の方々には本当に感謝しかない。

 

シネマイーラの榎本さんは以前、東映の劇場で勤務をされていたとのことで、私も上京したばかりのころに渋谷東映でバイトしていたことや、歌舞伎町のミラノ座でバイトしていたこともあったりで、私がお世話になった方々ともお知り合いで、当時の話なども懐かしくさせていただいた。ご馳走になったうなぎも大変美味しく、特に初めて食べたウナギの肝刺しは最高だった。

 

11月16日

午前中執筆。右肩甲骨、右腕痛し。

 

午後、サウナ。最近サウナのTVはずっとアメリカの大統領選挙だ。サウナを見ている親父達が口々に色んなことを言う。しかしこの大統領選のやり合いはプロレス的で見ていて面白い。どちらが勝っても日本にはそんなに優しくないだろうが。そしてこの場合、優しきゃいいってものではないが。

 

反抗期の娘はテレビや映画を観ながら「マジ、ワラ、クサ」「ないわー」「つえぇ、こいつメンタルつぇぇ」など突っ込みまくっており、かなりうざい。だが「お前、うざい」などと言おうものなら烈火のごとく怒って不機嫌になり、挙句泣き出したりするので、感受性むき出しの思春期は本当に厄介だ。

 

そんな娘は大統領選にも「バイデンって何気にクソなんでしょ?」とかどこで何を読んだり見たりしたのか知らないが突っ込んでいる。何がクソで何がクソじゃないか、子どもたちにきちんと説明できる大人になりたかった。

 

11月17日

今日から3日間ワークショップだ。今回のワークショップは中村義洋監督、窪田将治監督と共に総勢16人の俳優さんと3日間ずつ計9日間のワークショップをし、最後に各監督で短編映画を作ることになっている。

 

新型コロナの状況で、今年は各ワークショップもほとんど開催されておらず、私自身も久しぶりのワークショップだ。今回は最初の設定だけ作ってワークショップをしながら台本を書いていったのだが、お芝居を作っていくのはやはりめちゃくちゃ楽しかった。

 

11月22日

3日間のワークショップで台本を作ったものを本日撮影。一日だけの撮影だったが、ワークショップしながら作った台本が撮影をしながらさらに変わっていき、どんな仕上がりになるのか楽しみだ。

 

マウスシールド越しのキスシーンを撮ったのだが、妙に胸が切なくなりキュンキュンした。

 

ユニークな俳優さんたちとも出会えて、私にとってはとても充実したワークショップとなった。俳優さんたちにとってはどうだったのかは分からないが。

 

11月26日

午前中執筆。肩甲骨、腕、手首も痛い。

 

夕方息子を闘い教室に連れて行く。今日は娘も体験入門する。その後に妻と待ち合わせて地元の酉の市に行く予定のはずだった。

 

「闘い教室終わったら連絡して。近くの本屋とかにいるから」と妻から言われていたが、闘い教室の間、練習している息子や娘を見ながらエゴサーチしていたらスマホの電源がなくなってしまった。なので妻と連絡が取れなくなり、闘い教室後、周辺を少し探したが妻の姿がないので、仕方なく酉の市の会場の神社前で待つことにした。勘が良ければ連絡が取りあえないのは私のスマホの電源が落ちたと気づいてくれると思ったのだが、待てど暮らせど妻は来ない。娘と息子をここから動くなと置いて周辺を探しに行っても見つからない。

 

「いったん家に戻ってスマホ充電してからママに連絡とればいいじゃん」と機嫌が悪くなり始めた娘の言う通り、私だけ一度家に戻ってみたが(自転車で10分)、鍵がかかっていて入れず、スマホも充電できなかった。この時点で闘い教室が終わってから90分くらいたっていたので、娘も息子も「おなかすいた」とうるさくなってくる。

 

とりあえず何か腹に入れさせようと、近く中華に入り、から揚げやチャーハン、ラーメンをむさぼり食い、また神社付近をかるく探したが見当たらず、プラプラして帰宅すると妻が真っ暗闇の中風呂に入っていた。

 

「なんだいたんだ?」と言うと、妻は不機嫌極まりない声で「いたんだじゃねえよ、どこで何してたんだよ!」とめちゃくちゃ不機嫌だ。

 

「ずっと探してたよ。バッテリーなくなっちゃったし」と言うと、妻は2時間半ずーっと闘い教室の道はさんだ向かいのマンションのベンチで本を読んで待っていたらしく心底冷えたらしい。道を挟んでしまっては見つかるものも見つからないだろうと言うと、「なんでバッテリーが切れる前に、そろそろバッテリー無くなりそうとか連絡一本できねえんだよ、どうせエゴサーチでもしてたんだろうがこのタコ!」と風呂で絶叫。すると息子が来て悪くないのに「ママ、ごめんね」と謝りながら、おもむろに服を脱いで裸になると、「来るな。ママ今日は一人で入りたいの」と言われたがかまわず湯船に飛び込んだ。

 

私は決して悪くない。こんなに怒鳴られる筋合いはないはずだ。悪いのはすぐになくなるバッテリーだろう。

 

11月28日

5時半起床後、すかさずエゴサーチ。昨日から「アンダードッグ」が公開されたからだ。今日は舞台挨拶もあるが、私は「喜劇 愛妻物語」もトークイベントが岐阜でありそちらに参加。司会の岐阜新聞映画部の後藤さんが夫婦のセックスというネタにこれでもかと切り込んでくださり、個人的にはうれしかったが、会場の皆さんが静かで、もしかしたらセックスという言葉の連打にやや引かせているのかと気になったがどうだっただろうか。でも、代情プロデューサーとともに映画の話をたっぷりできて私としては楽しい時間だった。

 

11月29日

今日はTAMA映画賞の授賞式だ。濱田 岳さんと水川あさみさんが「喜劇 愛妻物語」で主演男優賞と主演女優賞をもらったのだ。本当にうれしかった。よくぞ二人を選んでくださったと私から逆にTAMA映画賞の皆さんに賞をあげたいくらいの気持ちだがいらないだろう。

 

この受賞で濱田さんと水川さん、そして一緒に映画を作ってくれたスタッフにも少しは恩返しができたかなと私にしては珍しく殊勝な気持ちにもなっていた。それにこの状況の中でも、大きな会場に人を集めて、感染症対策を講じながら授賞式を開いてくれたTAMA映画祭の皆さんにも感謝しかない。やはり人がいるといないとでは盛り上がり方がぜんぜん違うのだ。

 

福山雅治さんが登壇したときなど黄色い声の一つもあげたいだろうに、皆さん静かに見守り、でも受賞者の皆さんのジョークなどにはきちんと反応もして、とても雰囲気の良い受賞式だった。私と妻も濱田さんと水川さんに花束を渡す係で登壇したが、夫婦にとっても最高の思い出となった。これで20年間苦労をかけてきた妻への慰労はチャラになったかと思うと(全くチャラになってません!!! by 妻)肩の荷もおりた。式後、家に戻って「ご褒美に寿司を食いに行こう」と提案したが瞬間で却下された。

 

 

【妻の1枚】

 

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【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

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9月30日

今日は妻と映画を2本観に行くので朝4時に起きて連ドラの脚本執筆。朝4時と言っても通常より1時間ほど早いだけだ。相変わらず右腕及び右肩甲骨痛し。

 

11時から渋谷で「ブックスマート」を観た。痛い本筋と笑い。ジョン・ヒューズ風な青春映画。子どもたちのキャラクターが妙にリアルで面白かった。俳優のオリヴィア・ワイルドが監督なのだが、最近見た「mid90s」もジョナ・ヒルの監督作で、俳優さんというのはなぜにこうも演出が上手いのだろう。その後、恵比寿ガーデンシネマに徒歩でむかったのだが、私が歩きスマホをしていて妻を見失い、20分ほど時間をロスした(私がいないことに妻は気づかずかなり先まで歩き進めていたらしい。いかに私のことが目に入っていないかだ)。

 

日頃から私の歩きスマホを嫌悪していた妻は激怒。だが道中適当に入った明治通り沿いのカオマンガイ屋が美味しくて、なおかつパクチーお代わり無料で機嫌は少し持ち直した。その後ガーデンシネマ に上映10分前に到着。残席わずかで最前列の1番端にて「マーティン・エデン」鑑賞。前半から中盤までなぜか80年代くらいの日本のアイドル映画のような雰囲気を感じながらこちらも面白かった。が、鑑賞後首が痛くなった。最近色んな所が痛くなる。

 

10月1日

午前中、連ドラの脚本執筆。右腕及び右肩甲骨痛し。書きながら気分が悪くなるほどにチョコレートを大量に食べ過ぎたので、なかったことにするためにサウナへ。サウナに行ったところでチョコのせいであげた血糖値やら何やらが下がるわけもないのは百も承知だが。

 

夜、近所の劇場にお芝居を観に行く。コンプソンズの「WATCH THE WATCHMEN」。コンプソンズは2回目だが、さらけ芸&笑いと社会批判を織り交ぜたお芝居は面白かった。客席は一席ずつ空いているのだが、空席に「庵野秀明様ご招待席」とか「益子直美様ご招待席」とか書いてあり、最初は信じてしまい、庵野監督の横で観るのは緊張するなあとウロウロと席を探していたが、「王 貞治様」などもありようやく冗談と分かった。

 

10月3日

息子の運動会。コロナの影響で今年は2学年ずつ3ブロックに分けて、1ブロック1時間15分で全員入れ替え制の声援禁止で応援は拍手のみだが、声援はけっこうあった。我が子が走っていれば自然に声も出てしまうだろう。2年生の息子は昨年に続いて女子たちと走った。足が速くないからだ。

 

数日前から「女子と走るのに本気出せねーよ!」「オレ、ガチで足が痛いから全力疾走は無理だぜ!」などと言い訳ばかりしていた。何かをやる前に言い訳から入るところは本当に私にそっくりで、妻は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。見に行くと案の定スタートラインで身体にまったく力が入っておらず、ダラーっとした姿でニヤニヤしていた。女の子たちの中でも圧倒的にチビだ。だが、本気を出せているのか出せていないのか分からないような走りながらも2位になったことが望外の喜びだったようで、「俺、本気じゃないのに2位だよ!」と学友たちにでかい声でしつこく何度も何度も言っていた。もちろん相手にされない。グレーゾーンの息子はその辺の空気がまったく読めないのだ。そういう姿を見ていると切なくなる。

 

当然、2年生男子に世の中にはそういう人もいるなどという認識などできないからひたすらうざがられる。いや、大人でも「あいつ、空気読めないから」の一言で切って捨てる人が大半だ。そこに私のようにパソコンが使えない、地図が読めない、運転免許がないなどのオプションがつけばあっという間にクズ扱いだ。何か好きなことを見つけて生きてくれたらと思うが、今のところ「荒野行動」くらいか。

 

10月5日

朝6時出発で大阪までドラマの打ち合わせに行く。夜までびっちりと打ち合わせて20時くらいの新幹線で帰る。疲れたのでご褒美に2800円くらいの神戸牛のステーキ駅弁を買った。当然レシートはいらないと言う。ポケットとかにねじ込んでいると、後に98%の確率で妻にバレるのだ。駅弁は850円までと決められているが、駅弁は基本的に高いからそんな値段のものはどこにも売っていない。罰は当たらないだろう。3万円の弁当にしなかっただけでも感謝して欲しいくらいだ。買う勇気はないけれど。

 

10月6日

東映試写室にて「アンダードック」初号鑑賞。大画面の中での俳優さんたちの熱演と最高の音響環境にしびれながら鑑賞。試写後、みんなニコニコしていた。作品に満足している証拠だ。その後、数人のスタッフと飲みに行ったが、満足した作品の初号のあとのお酒は、ほとんど飲めない私でも美味しく感じる。頭の悪い会話をたくさんして最高の気分だった。こういう時間を過ごすのはものすごく久しぶりだ。「アンダードッグ」は11月27日より公開。2021年1月1日よりAbema TVにて配信です。

 

10月10日

午前中、息子の学校公開。コロナの影響で時間ごとの交代制。うちは1時間目の授業が割り振られた。コロナ休校以来、初めての学校公開である。教室に入ると、息子は最前席のど真ん中で、机と一体化するような姿勢でダラ~っと突っ伏している。授業中、心は常にどこかにぶっ飛び気味なので、先生にお願いして一番前の席にしてもらったのだが、あまり効果はなさそうだ。

 

見たのは国語の時間で先生が音読をしており、他の子たちは教科書を広げて目で追っているのだが、息子は教科書すら広げていない。思いっきり灯台下暗しだ。

 

先生が音読されていたのはアーノルド・ローベルの「おてがみ」という話で、『今まで一度も手紙をもらったことのなかったガマ君にカエル君が手紙を出す』というお話なのだが、「この話を読んでどう思ったかノートに書きましょう」と言われ、積極的な子はどんどん挙手し「カエル君は優しい」「二人は親友だ」などと発言する。当然息子は一切発言なしで時折何が可笑しいのかニヤついていた。

 

ただ、ノートには何かをようやく書き始め、担任の優しいお姉さんのような先生が「足立君、いい感想書いてるじゃん。発表してよ」と振ってくれた。が、息子は恥ずかしがって突っ伏す。すると先生が息子のノートを取り「じゃあ先生が代わりに読むね。足立君は『どうしてガマ君は一度も手紙を貰った事がないのかな』と書いています」と読み上げてくれた。何も考えていないように見えて、何か考えているのだなとうれしくなったし、足立君、足立君と呼ばれているのが、なぜか自分を呼ばれているような気になってきて、私までうれしくなった。

 

午後から私の監督作でいつも助監督をしてくれる松倉氏が奥さんともうすぐ2歳になる息子を連れて遊びに来る。生まれてから一度も髪を切っていないというロン毛の息子がとてもブスかわいい。途中から「嘘八百」のシナリオを一緒に書かせてもらった今井雅子さんのご夫婦とそのご友人で映画電車オタクの地上げ屋さんも来て大いに飲んだ。こういう家飲みも本当に久しぶりだ。

 

10月13日

早朝、妻と散歩。最近は散歩がおっくうになり、週に2回くらいになってきている。数日前に辻村深月さんの「朝が来る」を読んだのだが、この小説を映画化した作品が間もなく公開される。一読、シナリオにするのはものすごく難しそうだと思った。

 

一体どうシナリオ化されるのだろうかということと、内容のことで妻と意見が合わずに散歩中にケンカになる。私は小説にやや違和感を覚える箇所があり、そのことを言うと、妻が「それはあんたの映画を観て、「あんな男はクソだ、不快」とか「あんなキレ妻、生理的に受け付けない」という感情移入できないと言うだけの感想を書いている人と同じだ!」とキレてきたのだ。そういう事ではない、と何度も説明したがどうしても二人とも感情的になって話が本筋からそれていき、最後はお互いの人格を否定し合うまでに。理解しあうのは難しい。

 

「あんたの感じたその違和感とやらを日記にさらしてみろ。そして世間と意見を交わしてみろ。そんな度胸もないくせに。私にばっかりピント外れの評論ぶちかますな」と言われた。確かにこれに限らず自分の意見を世間に問う勇気はない。勉強不足で無知蒙昧の大人に世の中は不寛容だからだ。ただし、自作で問うているとは思っている。

 

夜、横浜シネマリンにていまおかしんじ監督の「れいこいるか」鑑賞。ラスト近くのラブシーンがとても良かった。横浜在住の大崎 章監督とも久しぶりに会って中華屋さんで軽く飲んで帰った。大崎さんは相変わらず元気だった。

 

10月16日

午前中、連ドラの脚本執筆。右腕及び右肩甲骨激痛に変わる。寝ている間に鉛のゴルフボールを肩甲骨の裏に埋め込まれたみたいな違和感がある。夕方、息子を格闘技教室に迎えに行く。私はまったく気づかなかったが、どうやら上級生にイジメられている雰囲気を妻が察知し、「お前もたまには間近で子どもの様子を見て来い」と言われたためだ。

 

久々に見に行くと妻の言う通り息子は上級生から執拗にいじられていた。当たり前だが自分の息子が思いっきりコケにされている姿を見るのは辛いものがあった。そして息子もそんなことはないかのように明るく振舞う。辞めてもいいぞ、他に教室はあるからと言うと「カンフーマスターになりたいからやめない」(カンフーは習っていないが)と言う。よくよく話すとコケにされていることをあまり自覚していないようだ。

 

格闘技は私と一緒にジャッキー・チェンやブルース・リーの映画を観ていて、唯一息子からやりたいと言い出したものだし、どうにか楽しい環境で続けられたらと願う。にしても自分からやりたいと言ったし、辞めないという割には家での努力は一切しない。

 

10月17日

熊本のⅮenkikanという映画館にて「喜劇 愛妻物語」のトークイベント。熊本は母の実家があったため、小中学生のころは夏休みになると一か月近く滞在していた。

 

Ⅾenkikanにもまだ電気館だったころに従兄と一緒に何度も行ったことがあり、「フルメタル・ジャケット」や「エルム街の悪夢3/惨劇の館」など観た。前作「14の夜」のときもトークイベントをさせていただいたし思い出深い映画館だ。

 

上映後に劇場に入った瞬間に、お客さんの反応は良かったんだなということが雰囲気で分かった。私は「喜劇 愛妻物語」を万人が楽しめる艶笑話のつもりで作ったのだが、公開後は思いのほか賛否両論だ。この夫婦はダメだ。やってることが犯罪だ。子どもの前での喧嘩は虐待だ、セックスの求め方が気色悪いなどという感想もとても多い。

 

今日は質疑応答も盛り上がり、お客さんと直接対話できるということはやはりとても幸福な時間なのだなと実感した。

 

夜、21時くらいに帰宅すると、妻とママ友が酒瓶に囲まれてひっくり返って爆睡していた。子ども4人はゲームしたり、YouTubeを見ていたり、マンガ読んでいたりかなり伸び伸びくつろいでいた。平和な風景だなあと思いつつ、妻が起きる前にそそくさとマッサージに行った。

↑これでもかと顔をくっつけて、一つのiPadを見ている男児達。基本的に身動きしない。虫かごのなかのヤモリ数匹は家の中を脱走。その中で爆睡していた自分を呪う(by妻)

 

10月18日

最悪な日になった。

 

朝から息子と妻はダンス教室に行き、私は近くの喫茶店で仕事。12時半に妻・息子と待ち合わせして、原宿駅の織田フィールドでやっている娘の陸上クラブの練習に向かう。いつもは一人で往復している娘だが、ものすごい反抗期ながらも、かまちょアピールするので、今日は久しぶりに天気も良かったので3人で娘の練習を遊びがてらに見に行き、帰りに夕飯でも食べて帰宅しようという、平和家族やろうぜという日にしたのだ。

 

早めに原宿に到着したため、8年ぶりに明治神宮へ(息子が妻の腹に居た時、あまりに仕事がなかった為、清正井に来た時以来だ)。厳かな空気に身が清められてひたすら祈る。

 

↑夫と同じフォルムで息子も祈っていた。何かにつけ、すぐに本気の神頼みするところは本当に瓜二つで腹立たしい(by妻)

 

織田フィールドに到着すると、フィールドの前あたりで同じ袴をきた女子高校生が50人位舞の練習をしていた(幹部に男子が二人いた気がする)。この子たちは夏くらいからよく見かけるが、部活なのだろうか? 不思議なダンスだ。

 

それを見てテンションのあがった息子が「お姫様だっこグルグルして!」と何度もせがむので仕方なくやるが、年を取って三半規管が異常にダメになってしまった私は10回回転すると吐きそうになる。妻も交代でやったが、同じような感じだ。

 

あと30分で娘の練習も終わる時間になったころから息子と妻で戦いごっこが始まった。私は携帯をいじっていたのだが、なんだか楽しそうだし、私だけのけ者の気分になったのでその闘いごっこに乱入。すると妻と息子が組んで私を攻撃してきた。妻のけっこう痛いパンチなどは笑って受けてやっていたのだが、調子に乗って放ってきたミドルキックは思いのほか痛く、二発目のキックの足を掴んだら、バランスを崩し妻が倒れてしまい、運悪く後頭部をデコボコのコンクリートにぶつけた。「ゴッ」と鈍い音と共に妻は「あっ」と低い声を発しそのまま頭を抱えて動かなくなった。ヤバいとは思ったが、周囲がわりと驚きの視線を向けてきていたので、「なんでもありませんよ、大丈夫ですよ~」とアピールするために、息子に「今だやれ!」と言うと、息子は妻に乗りかかって笑いながらパンチ。

 

「イテェんだよ!」と妻は完ギレして息子を突き飛ばす。突き飛ばされた息子はキョトン。いつの間にか練習の終わっていた娘は少し離れたところから不機嫌極まりない表情で我々を見ている。踊っていた女子高校生たちや遊んでいた家族連れの方たちもざわざわしてこっちを見ているのがわかる。

 

私は視線に耐えられず、いそいそと「起きて向こうのベンチで休みなよ」と言うが、妻は横になったままだ。息子は本気で心配しだすし、娘は不機嫌だし、最悪だと思っていると、妻が「お前、後頭部触ってみろ」と尋常じゃない低い声を発す。触るとかなりでかいタンコブができていてギョッとしたところに娘が近づいてきて「ねえ、いい加減にしてよ。恥ずかしいから私先帰る」と言うと、妻が「勝手に帰れ、こっちはお前のオヤジに殺されそうになってそれどころじゃねえんだよ!」と怒鳴ると、「殺されてないじゃん、何言ってんの」と吐き捨てて帰ってしまった。

 

私はとにかくこの場から去りたいのと、これは病院に行ったほうがいいと思うのと、これで今晩の外食はないなと思うのと色んな感情が混ざり合ってどうすればいいのかわからなくなった。

 

妻はその後、公衆トイレに入ってなかなか出てこなくなり、息子に見に行かせると、ハンカチで冷やしながら恐ろしい形相で出てきて、「一人で病院行く。お前とはいたくない」と私に言い、息子には「人の足を取るとか危ないことしちゃダメだよ。一歩間違えば死ぬからね。ママが死んだら警察の人にパパが殺したって言うんだよ」と先に蹴ってきたくせに言う。そして一人で負のオーラを背負いまくり行ってしまった。

 

息子と家に戻ると娘はゲームをしていた。一応妻に「病院どうだった?」とLINEすると、「DV野郎のいる家には帰りたくない」とだけ返信が来て、この日は帰ってこなかった。

 

10月19日

朝お迎えに来たM君に息子が「昨日パパとママがケンカしてママが血だらけになったんだぜ! だからママ今日いねえの!」とはしゃいで報告。M君が「まじかよ! すげーじゃん!」とめちゃくちゃうれしそうに言った。今日は妻が私も関係している仕事の打ち合わせに行くのだが(私は行けない)、まあ約束をすっぽかすことはないだろうと思いつつも昨日のあの怒りっぷりを見ると万が一ぶっちぎるということも考えられて心配だった。が、その仕事のグループLINEに別の人から報告があり、やはり妻は打ち合わせには行ったようだ。死んでなくてとりあえずホッとする。

 

夜になっても妻は帰ってこないので、ホッとしつつも、こちらも沸々と怒りが湧いてきて、娘息子を引き連れ近所のステーキ屋に行った。ここはちょっとお高めなので子どもの誕生日とか、何かの腹いせとかにしか行かないのだが、今日は腹いせだ。和牛サーロイン250gと牛のたたき(L)を私は怒りに任せて腹に流し込み、娘は300gのステーキをバクバク食い、息子はハンバーグ300gを食べた。ここの肉はいつ食べてもうまい! 元気が出た!「ママに言うなよ」と一応念押しすると、もう子どもたちはすっかり理解しており、「言うわけないじゃん。怒り狂うでしょ」と言った。

 

そして、今晩も妻は帰宅せず。ムカつきながらもまさか本気で離婚を考えているのか? と思うと少々不安になる。「愛妻物語」なんてタイトルの映画を作ったくせに公開と同時に離婚など恥ずかしすぎる。いやもしかしたら逆にウケるか? などとくだらない思考に脳内を支配されながら、「コブラ会」を再生していたから内容がまったく頭に入ってこなかった。こういうときはもう何度も見て、細部まで頭に叩き込まれている「アウトレイジ」シリーズを流しておくに限る。

 

10月20日

本日も妻、帰宅せず。もしかしたら浮気かもしれぬとも思ってきてしまう。最近妻は加圧トレーニングなどにも通い始めたのだが、それは誰かのためなのか、もしくはそのトレーニングの先生と何かなってしまったのか? そんな8流エロドラマのようなこともあり得るかもしれないと思った。なので、一応、謝罪のLINEを送ったが、既読になる気配はなし。

 

10月21日

今日は妻と一緒にやっている高校の授業がある。日月火と帰ってこなかったが、もし今日、高校の授業まですっぽかしたらどうなるのか? 万が一を考えながら高校に向かうと、校門の前で妻が不機嫌極まりない顔をして立っていた。私は思わず頬がゆるんでしまい、「やっぱり来たんだ」とニタニタして言うと、妻は「気持ち悪い顔。虫唾が走るわ」と言った。その言い方に機嫌は完全に直っているのがわかる。なので「今日は軽く一杯行ける時間あるかな~」と言うと(授業後はたいてい飲みに行くのだ)「あるわけねーだろ、人殺し。喋りかけんな」と言うので、「ま、終わった後の気分でまた考えようか」と聞こえないふりをして流す。

 

今日から生徒たちは原稿用紙50~60枚程度の中編の脚本へ挑戦だ。まずは書きたいネタを数行のストーリーにするところから始めて、一人一人と面談をしながら進めていく。自分の家族の事や恋愛の事などプライベートをさらけ出しまくってくる彼らの話はメチャクチャ面白い。書きとおす技術があるかないかだけの違いだ。

↑一生懸命、講師然とふるまう様子。生徒さんにはきっと正体がバレつつあると思うが(by妻)

 

充実感のある授業を終え、「今日はいい授業だったねえ。お互いのねぎらいと仲直りに一杯飲んで行こうぜ」「絶対ヤダ!」などと話しながら歩いていると、「大下容子ワイド!スクランブル」のスタッフから街頭インタビューを受ける。「いつもサウナで見ています!」と言いたかったが、言えなかった。水道悪徳業者トラブルのことを知っているかと聞かれ、妻が「えー、なにそれー! ひどいー!」などともの凄くわざとらしいリアクションをして恥ずかしかった。絶対放送されないだろう。こういうことを私はすぐに口に出さなければ気が済まない性分なので、やんわりと妻を咎めると、当たり前だが不機嫌になり、やはり軽く一杯飲みには行けなかった。それにしても私はこういう街角インタビューのようなものに良く話しかけられる。インタビューではないが、以前銭湯でチコちゃんにも出たことがある。あまりこういうところで運は使いたくない。

 

10月22日

午前中、連ドラの脚本執筆。右腕及び右肩甲骨激痛し、その後サウナ。昨日取材された「大下容子ワイド!スクランブル」に映ったかどうか確認したかったが、12時になってもそのコーナーにならないので、帰宅。放映されたのかどうかものすごく気になるが、確認のしようはない。どうして録画しなかったのか悔まれる。

 

夕方、今日は息子の療育の日のため、学校終わったら超ダッシュで帰って来いよと朝言ったのに、なかなか帰ってこない。しびれを切らして迎えに出ると、通学路の途中にある八百屋でそこの店主と立ち話をしていた。この八百屋の親父さんは話好きな上に、余計で失礼な話も多く、例えば何か野菜を買いに行くと「あー今年のそれはまずい。出来よくない」などと言ったりするし、野菜のウンチクも長い。近所でもちょっとした名物おじさんだ。近所広しといえどもこの親父と話が合うのはうちの息子以外いないと思われ、よくここに立ち寄っている。

 

「何してんだ早く行くぞ!」と息子の首根っこ捕まえて八百屋から引きずりだしたところ、なんか臭い。そして息子自体が全体的に湿っているような気がするも自転車の荷台に乗せたところ、担任の先生から着信。今日は地域授業で朝からどこかの公園に行ったらしいのだが、沼の鯉だか亀だかが気になって気づいたら沼に入っていたとのこと。

 

電話を切ったあと息子に「沼入ったの?」と聞くと息子はドヤ顔で「沼入ったの学年で俺だけだから!」と誇らしげに言ったあと、「すごい? すごい? ねえすごい?」と百回くらい聞いてきたので、「すごい、すごい」と二回くらい返事をした。小2だと進んで沼に入る子はいないだろうに。

 

10月24日

娘の運動会。息子同様に「今年は足を折って運動不足だから、多分勝てない」と数日前から言い訳をしていた。息子と違って娘は足が速い。小学生のころは最終組で同学年の足の速い男子たちと走っても5年生まで1位だった。6年では2位になってしまったが。

 

中学になると、別の小学校からガーナ人の父を持つかなり運動能力の高い子が来て、その子とライバルらしいのだ。

 

今日は東京国際映画祭のチケット発売日であり、どうしても「ノマドランド」が見たく、スマホと運動会を交互に見ていた。「ノマドランド」は瞬殺だったが、何とかゲットした。

 

普段娘は100や200の短距離が得意なのだが、なぜか800m走に出た。600mまでは2位のポジションをキープしていたのだが、ラスト1周で体力が尽き、顎も出てかなり苦しそうな走りっぷりで見ている私まで苦しくなった。結果そのライバルの子にも他の子にも負けてしまい、なおかつ運動会後にこの夏折った部分を痛がるので病院に連れて行ったところ、再び2週間の運動禁止を言われてしまった。

 

私は落ち込んだが、娘はたいして落ち込んでいなかった。「ね、だから私負けたんだよ。痛かったもん」と言った。その諦めの良さにまた腹がたった。

 

 

【妻の1枚】

 

 

【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

【喜劇 愛妻物語公式サイトはコチラ】

 

 

「喜劇 愛妻物語」公開! 眠くても「エゴサーチ」しまくってしまう映画監督の日常とは?

「足立 紳 後ろ向きで進む」第6回

 

結婚18年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』(全国公開中)で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

【過去の日記はコチラ

 

 

9月3日

台風が接近している。湿気というか気圧というかなんというか、全身がじめっとしていて爽快感からほど遠い気分だ。不定愁訴とでもいうのだろうか、どこかが強く不調というわけでもないのだが、肩と背中が重だるく、頭の中が膨れた感じで、何となく目も見えないし何となく息苦しい。近年、気圧の影響をかなり受けるようになってしまった。これは老化現象なのだろうか。それとも肥満のせいか。

 

そんな中、今日は売れている芸能人並みに忙しい一日だ。朝10時から銀座で映画の打ち合わせをして、その後 お昼に「喜劇 愛妻物語」のプロモーション で「活弁シネマ倶楽部」の収録が2時間あり、その後汐留に移動しいくつか取材があり、夕方から濱田 岳さん水川あさみさん新津ちせちゃんと完成披露イベント、その後にまた銀座に移動し20時から「TIFF Studio」の生出演をする予定なのだ。

 

今日の完成披露イベントのために怒れる妻を説得し麻のシャツを買ってもらったが、「TIFF Studio」のころには汗みどろでしわくちゃになっていた。脚本家という仕事にはほとんど取材など来ないのだが、監督をするとマスコミから質問を受けることが格段に多くなる。普段アピールできない心情を吐露するのはとてもうれしい機会なのだが、なぜか良い空気が漂ってくるとぶち壊したい願望というか、不用意なことを言ってしまう癖があるため、発言に注意するのがとっても疲れる。今日も完成披露イベントでテンパって何を言っているか分からなくなり「妻への復讐のつもりでこの映画を作った」と完全に意味不明のことをのたまっていた。

 

また「活弁シネマ倶楽部」の司会の森直人さん、「TIFF studio」の矢田部吉彦さんは本当に博識の方たちなので、知的なことや映画史的なことなどを突っ込まれたりすると、無知にもほどがある私は取り繕うために1リットルくらいの汗をかいてしまう。私が謙遜なし掛け値なしのアホであることは先方も重々承知のこととは思うが、虚栄心だけは人10倍抜きんでているため、何とか良く見られたく必死で誤魔化し続けて、後半疲れすぎてゾンビの心境になった。ただ、森さん、矢田部さんともに「喜劇 愛妻物語」に本当に愛情を持って接していただけて涙がでるほどありがたい。

 

 

23時ごろフラフラになりながら帰宅。サウナに行く気力もない。疲れていたのですぐに眠れるかと思ったが脳が興奮しているのか寝つきがものすごく悪かった。「TIFF studio」を生で見ていた妻が起きていて、「あんた画面で見ると、ほんとハゲ180度いったね」と言うので、頭皮マッサージをしてくれと言ったら「はぁ? ねえよ」と言われた。

 

9月4日

午前4時半起床。始発の新幹線で大阪に向かう。昨日に続いて今日もなかなかに忙しい。11月にクランクインする連ドラのロケハンを朝から大阪市内の公園でして、その後に「喜劇 愛妻物語」の宣伝のためにラジオ出演があるのだ。この連ドラもコロナの影響で止まったり内容に変化があったりと苦労した。いやしている。

 

新幹線内で絶対に寝ようと思っていたのに、昨日の取材がどれほど露出しているかエゴサーチしていたら止まらなくなり、結局一睡もせず、新大阪駅に到着時点でスマホのバッテリーが残り10%を切っている。しかも充電器を忘れた。

 

午前10時過ぎ、プロデューサーや監督らと何とかという駅で(大阪には全く明るくないので駅名忘れた)待ち合わせし、公園やら路地やらをあちこち歩く。その合間に執筆中のシナリオの説明をしどろもどろにする。こういう説明がとことん苦手だからシナリオを書くことを生業としているのだが、やはりどんな仕事でも口頭で分かりやすく説明することを求められるのは当たり前か。

 

その後、タクシーを拾っていただき、気の利く女性プロデューサーが美味しいパンを持たせてくれて、ラジオ局(毎日放送)に向かう。タクシー内でパンを3秒で貪り食う。異様に腹が減っておりもはや噛むというよりほぼ飲むようにして食べたが、とても美味しかった。

 

12時30分にラジオ局に到着後、少し打ち合わせをして「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」の生放送に出演させていただく。

 

拙書「それでも俺は、妻としたい」を気に入ってくださったメッセンジャーの黒田 有さんが、映画の宣伝をしませんかとその番組に呼んでくださったのだ。冒頭からみっちり30分も「喜劇 愛妻物語」のために時間をさいていただいた。もう本当にありがたい。

 

コンちゃんこと近藤光史さんは毎日放送の元アナウンサーで4回結婚さていて、4回離婚されているらしい。明石家さんまさんからは「趣味が結婚、特技が離婚」と言われている強者で、そんな方にも「喜劇 愛妻物語」は楽しんでいただけたようでうれしかった。いや、そんな方だから楽しめたのかもしれない。

 

私の出演部分が終わり、ロビーに降りて行くと、ちょうど今着いたという妻と遭遇。妻は子どもたちを学校にやってから新幹線に乗ったのだが、大雨のために名古屋で1時間足止めを食っていたのだ。電波が悪く生放送を聞けなかったと悔しがる妻は「ちょっと皆さんに挨拶してくる」と言って私の首から入館証を引きちぎると、それをくわえてエレベーターに乗ってラジオ局へと入って行った。私ならいくら妻が世話になっているとしても見知らぬ人たちに一人で絶対に挨拶など行けない。そのあたりは本当にたくましいと思う。

 

9月8日

朝6時妻と散歩。午前中、連ドラの脚本執筆。肩甲骨および右腕痛し。その後、近所の行きつけの銭湯へ。

 

銭湯内にあるサウナのテレビがいつも日テレだったのだが、テレ朝に変わっていた。この銭湯はお客にチャンネル権は一切なくリクエストもできない。今までずっと日テレだったのに急にテレ朝に変わったのは何か理由があるのだろうか。お客から「何でいつもいつも日テレなんだ! 飽きるだろ!」とクレームでもあったのか、もしくはシェフの気まぐれサラダのように、番台さんの気まぐれチャンネルにでもなったのか。

 

いつも私が行くこの時間には「ヒルナンデス!」を問答無用に見ることになっていたのだが、テレ朝に替わっていた今日は「大下容子ワイド! スクランブル」という番組が流れており、これは無知な私には「ヒルナンデス!」より勉強になりそうで、このままテレ朝でいっていただけたらと思った。

 

夕方から月島ブロードウエイで「喜劇 愛妻物語」の一般の方向けのオンライン試写。私と妻のトークショー付き。

 

その前にマスコミ取材があったのだが、登壇者が私と妻ではどのくらいのマスコミの方に来ていただけるだろうかと不安に思っているところに、伊勢谷友介さんが逮捕されたとの報が飛び込んできた。もしかしたらマスコミはそちらに行ってしまうかも……と宣伝担当のOさんがポツリと呟いた通り、来てくださったマスコミは2~3社。まあ私と妻では伊勢谷さんのことがあってもなくても変わらなかっただろう。申し訳なく恥ずかしい。

 

わずかに来ていただいたマスコミの方とサクラのように客席に座ってくれた数人のスタッフの前で妻と話すというのはなかなかにヘビーではあったが、妻の作りハイテンションで何とか乗り切った。私は上がり症のくせに観客が少ないとテンションがダダ落ちするという面倒臭い性格だから、どんな時でも意地でテンションをあげる妻はやはり本当に頼りになる。

 

が、帰り道に「お前が監督したんだろうがよ! すかしてんじゃねえよ! ホアキン・フェニックスかよ!(インタビューが盛り上がらないことで有名らしい)千年早えぇわ!」と厳しく叱責された。すかしたつもりはないし、ましてホアキンのつもりなど1ミリもないのは言うまでもないが、妻の繰り出す技(言葉)を正面切って受けなかったらしい。

 

 

しかしオンライン試写というのは当たり前だが、お客様の反応が見られないのがものすごく寂しい。声を出して笑ってもらえたり、自分では予想も付かないところで笑い声が発生したりすると死ぬほどうれしいので、それを体感できないのが残念でならない(全く笑われなくて頭を抱えることもあるが)。

 

妻とのトークショーというのは何と言うか同情も得られそうで、「どうかつまらないと思ったら、SNSなどで何もつぶやかずにこの映画は見なかったことにしておいてください」と話した。

 

9月11日

朝4時には目が覚めてしまう。5時半までどうにか我慢し、妻を起こす。いつもより早い5時45分妻と散歩。

 

とうとう、いよいよ、ついに「喜劇 愛妻物語」の公開初日だ。大変緊張する。どうか少しでも多くのお客さんに観ていただきたい。

 

私は自分の関わった映画はたいてい初日の朝一番の回にどこかの劇場で観るようにしているが、今回はメイン館の新宿ピカデリーに妻と一緒に行った。

 

一席ずつあけてのソーシャルディスタンス映画館はやはり寂しいがこればかりは致し方ない(でも、自分が客として見る時は満員が嫌い)。客席は半分くらいは埋まっていたような感じはあった。終始、妻の笑い声が一番大きく、笑う回数も一番多かったような気がするので、ありがたいがかなり複雑な気持ちにもなった。

 

その後、昼食を食べに焼肉屋に入った。妻は映画を観て寿司が食べたくなったから寿司がいいと言ったのだが(寿司を食べるシーンがあるのです)、私は予告で流れていた寺門ジモン監督の「フード・ラック! 食運」という映画の肉の映像で分かりやすく焼肉が食べたくなっていて、3回勝負のジャンケンをして3連勝で勝ったので、随分昔に来てからずっと行ってなかった「焼肉長春館」に行った(昔は映画館で予告の前に「長春館」の宣伝があり、貧乏学生だった時はあこがれの焼き肉屋さんだった)。

 

ランチ定食では飽き足らず、追加でタンやらカルビやらハラミやらミノやらハツやらレバやらホルモンやらを大いに食らう。最後にコムタンスープを1滴残さず平らげ大満足。食うだけ食ったら今度は甘いものが食べたくなり、高島屋に行きジェラートダブルをいただく。すると強烈な睡魔が襲ってきた。夕方からラジオ出演があるため、一回家に帰ると30分しか家にいれないという微妙な時間で、妻はこのまま「イル・シチリアーノ」を見に行くというので、私は自分へのご褒美と投資のためテルマー湯に向かう。最近睡眠不足が溜まっていたのでゆっくり休もうと思ったのだが、入浴サウナ後に案の定エゴサーチを始めてしまい、結局一睡もできなかった。

 

17時30分木場駅にて岡村洋一さんのラジオに出演させていただく。久しぶりにお会いした岡村さんが「今のところ、今年は愛妻が邦画では一番面白い」と言ってくださったので気分がとても良くなった。

 

9月12日

朝5時半妻と散歩。本日は舞台挨拶がある。娘は以前より用事があったので来れないが息子と妻は来ると言う。娘の用意ができておらず、時間がギリギリになってしまったとかで、朝早くから妻と娘が激しくやりあい、かなり険悪のムード。私はそれを見て見ぬ振りして日課のエゴサーチ。娘を初めての未開の駅へ送るため、妻と娘息子は9時前には出発してしまった。

 

その後、毎朝散歩で行っている近所の神社にも今朝行ったにもかかわらずまた寄り、少しでも多くの人に見てもらって、少しでも多く笑ってもらえますように……と祈り、新宿ピカデリーに向かう。

 

舞台挨拶では、新津ちせちゃんが「私のお父さんとお母さんはこんなケンカはしない」と言ったので「君のお父さんくらい大ヒットを連発していればウチもケンカしなくてすむんだよ」と余計なことを言ってしまい、ちせちゃんを困らせてしまった。彼女の顔にはわりと本物に近い困惑が浮かんでいたようにも見えて、これは大人として言うべき言葉ではなかったかもしれないと心の底から悔いた。妻からも「あんた、私だけじゃなくて誰にでも一言多いね」と言われ、さらに落ち込んだ。

※新津ちせちゃんのお父さんはアニメーション監督の新海 誠さん
↑足立の額のテカリが半端ありません!(by妻)

 

9月13日

朝妻と散歩。余計な一言から少々口論に。後半無言のウォーキング。午前中、連ドラの脚本執筆。肩甲骨および右腕痛し。その後、近所の銭湯へ。日曜は昼から混んでいる。

 

午後から麻布十番でやっている映画「アンダードッグ」のダビングに向かう。「アンダードッグ」は今年の東京国際映画祭のオープニング作品に決定している。前後編合わせて4時間半以上もあるが、森山未來さんはじめ、俳優陣の鬼気迫る演技にきっと釘付けになることと思うので、この機会に是非ごらんいただけたらうれしい。

 

劇場公開は11月27日から。その後に連続ドラマ版の配信が始まる予定だ。

 

身体の凝りを嘆いていたら武 正晴監督がマッサージをしてくれた。さすがに柔道の猛者だっただけあって(中学時代にはあの吉田秀彦選手にも勝利!)、マッサージもお手のものではっきり言ってめちゃくちゃ上手い。絶妙の力加減で肩甲骨の凝りをほぐしてくれて、その後のストレッチで右腕もずいぶんと楽になった。武監督はこの業界で食いっぱぐれてもマッサージ屋さんを開けば、今と同じくらいそちらの業界でも売れっ子になるだろう。その暁には私が受付をさせてもらおうと思う。

 

それにしても昨夏はこの「アンダードッグ」のシナリオを書いている途中に「喜劇 愛妻物語」の撮影もあり、脳みそがパンクしそうであったが、どちらもやりたいことを存分にやらせていただいただけにストレスはまったくなかった。両作品とも何とか興行的にも成功して関わった皆さんも自分も幸せな気持ちになれたらうれしいと殊勝にも思う。

 

殊勝と言えば首相が変わるが、ほとんど興味を持てないでいる。今、自分のことで精いっぱいで、その大事を自分のこととして考えられなくなるくらい自分も自分以外の何かもが鈍りきっているのかもしれない。憂鬱になる。

 

夜、寝床で、平松洋子さん著「肉とすっぽん」を読んでいたら猛烈に内臓とか羊とか馬とか鹿とかクジラとかが食べたくなるが、そんなものは家にない。それでも刺激された食欲を抑えきれず冷蔵庫をごそごそと漁り、近所のラーメン屋から買ってきたチャーシューをかじっていたら止まらなくなり、かじりすぎて胃がもたれ眠れなくなってしまった。バカとしか言いようがない。

 

9月16日

朝妻と散歩。午前中、連ドラの脚本執筆。午後は週に一回、妻と講師をしている高校へ。

 

授業で脚本作「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を半分だけ見たのだが、久しぶりに見たら南 沙良さんの無垢すぎる歌声に涙が滲んだ。この人はきっとものすごい女優さんになるのではないかと思う。私が勝手に言ってるだけの言葉だが、いわゆるぶちかまし系の俳優さんで、全身で自分の役をしょっている感じがするのだ。「幼な子われらに生まれ」という映画で演じた反抗期の娘役にもすでにその片鱗は見られていた。

 

今日は70分授業で早く終わったため、白金高輪まで電車で向かい、妻がかねてから行きたいと言っていた「鈴木屋」へ。

 

前からその存在は知っていたが、私たちの生活範囲に白金高輪はなかったし、営業時間が週4日の17-19の2時間しかないため行けずにいたが、今日なら間に合うと思い向かった。

 

1630に店につき、ホワイトボードに名前を書いたのだが、我々の前にすでに5組書いてある。店内はカウンター8席くらいとテーブル席2席のみ。ギリギリセーフだった。白金高輪の商店街を散策して時間をつぶし(美味しそうな店が沢山)、開店時間ピッタリに入店。食事は何もかもが美味しかった! 澄んだスープの煮込みも最高だったが、串焼きも最高だった。結局メニューにあるすべての品を食べ尽くし大満足。それでも二人で6千円。絶対にまた来たいと強く思った。

 

9月18日

朝妻と散歩。午前中、連ドラの脚本執筆。肩甲骨及び右腕痛し。その後、近所の銭湯へ。

 

午後、妻と一緒に「TENET」を近所の映画館のIMAXで鑑賞。そりゃ頭悪くていろいろ分からないが、分からないことにすら気づかなったくらい(脳みそ足りなさすぎ)、2時間半あっという間だった。ただし説明は何もできない。

 

9月26日

地元商店街の制服屋さんで娘が中学で着るという学校指定のセーターを買いに行く。この制服屋さんにはお菓子とかカルピスがたくさん置いてあって自由に食べたり飲んだりしてもよく、それを知っている息子がついて行くというので3人で行った。

 

息子は相変わらずのハイテンションで店内で騒ぎまくり、空気も読まずにがんがんお菓子を食べ(私もガンガン食べまくる)それに対して恥ずかしくて娘が不機嫌になるというよくあるパターンが店内で発生しかけたので、まだ食べたいと言う息子を抱えて慌てて店を出た。

 

制服屋を出ると、商店街に新しくできたスイーツ屋に行きたくなりそこに向かう道すがら、突然息子がキレ出した。「こっちの道は嫌だ! 絶対に嫌だ!」と始まる。

 

息子は知らない道を行こうとすると大暴れするのはよくあるのだが、これが非常に面倒くさい。スイーツは食べたいが、息子のスイッチが完全にオンになってしまったので諦めた。こういうときは私よりも娘のほうが諦めが早い。

 

息子は発達障害グレーゾーンで、道を急に変えるとかそんな小さなことでも、突然の変更を受け入れられず癇癪を起こす。療育にも通ってアンガーコントロールなど一応学んでいるのだが、今のところ成果は見られない気がする(妻は休校期間中よりは少し癇癪間隔があいたと言っているが)。まあそれはそれで癇癪起こす姿がかわいい部分もあるからムカつかない時もあるが、今日はスイーツを諦めている上に、暴れる息子のケリが私の金玉を直撃したため、瞬時に脳内が真っ白になって手に持っていた娘のセーターの入った袋で息子をぶっ叩いていてしまった。

 

こちらの痛みにくらべたら数億倍は弱い痛みのくせに、父親が瞬間湯沸かし器のように突然怒ったということで息子の中でまたスイッチが入り、「この暴力男!」「お前なんか死んじまえ!」「逮捕されろ!」「懲役だぞ!」と知っているワードを総動員して商店街のど真ん中でがなりたてる。こうなるともうほっておくしかないのだが、置いてけぼりにすれば、一人で喚き散らしているので、抱えて連れて行くしかない。娘は恥ずかしがってさっさと行ってしまった。

 

それにしても、息子のことで発達障害の本を読んだり専門家の話を聞いているうちに、映画に出て来るちょっとエキセントリックなキャラクターはみんな発達障害に見えてしまうようになった。

 

夕方、声をかけてもらい子ども向けのZOOMセッションに参加する。お題は「未来の自分を考えてみよう」と言うことで、私の他にはブラインドサッカーの日本代表の方や獣医師さんなどが参加していらした。6歳の年長さんから中学1年生までのお子さんが参加してくれた。

 

子どもたちから「失敗をしたらどうやって乗り越えているんですか? クヨクヨしませんか?」とか「生きるために仕事をするんですか? それともやりたいから仕事をするんですか?」とか「周りの友達は将来やりたいことが決まっているのに僕は全然決まっていません。やりたいことはどうやったら見つけられますか?」とかなかなかに鋭い質問が来た。

 

私は今でも失敗は怖い。そして失敗したときにそれを乗り越えられない。なし崩しで次に行くしかない。失敗するたびにクヨクヨしている。人生でクヨクヨしている時間のほうが長いくらいだ。それはとてももったいない時間だと思うが、人生の大半をクヨクヨしていると子どもたちに正直に言った。そんな言葉聞きたくもなかったろうと後になって思った。クヨクヨせずに切り替えられるなら、当たり前だが断然そちらの方が良い。どなたか良い方法があれば教えていただきたいが、私にとっては百メートルを10秒台で走るくらい難しい気がしている。

 

【妻の1枚】

 

 

【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

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予告編がYouTube740万再生の注目作『喜劇 愛妻物語』監督夫妻に訊く、夫婦円満の秘訣

2020年9月11日(金)より公開される映画『喜劇 愛妻物語』。水川あさみさんが濱田 岳さんに暴言を吐きまくる予告編が話題となり、映画公開前にもかかわらずYouTubeで740万回も再生されている超注目の作品なのです。

 

 

本作の監督は、2014年に安藤サクラさん主演で公開された『百円の恋』で脚本を担当し、日本アカデミー賞最優秀脚本賞に輝いた足立 紳さん。人生のバイブルは『ロッキー』シリーズと言っても過言ではない私も、32歳直前でこの『百円の恋』を鑑賞し、エンディングで嗚咽! 人生に悩む全女子が見るべき映画として日頃からいろんな人にオススメしています。

 

そんな足立監督の最新監督作は、なんと喜劇だというではないですか!

 

しかも自伝小説をもとにした夫婦の話で、映画に出てくるエピソードはほぼ実話。内容もかなり赤裸々!! ……って、面白くないわけがない! ということで、今回は足立監督とその「妻」である晃子さんに、映画について、そして夫婦についてお話をお伺いしました。

 

「青春18きっぷ」での四国旅行も、年収50万円も、セックスレスもほぼ実話!

↑足立監督(右)と妻の晃子さん(左)

 

–本日はよろしくお願いいたします。先に映画を拝見したんですが、濱田 岳さんが演じる豪太にイライラが止まらなくて……でも最後にはなんだかこの夫婦が羨ましい気持ちにもなりました。この作品は、足立監督の自伝小説『喜劇 愛妻物語』がもとになっていますが、一体どこまでが本当のエピソードなのでしょうか?

 

晃子さん「警察に捕まるとか、法に触れること以外は実話ですよ!」

 

–えっ!?  青春18きっぷで旅行したりとか、年収が50万円だとか、夫婦がセックスレスで豪太が妻・チカ役である水川あさみさんに猫撫で声で「ねぇ〜マッサージする?」って聞いてくるのも本当……?

 

晃子さん「はい……ってここで言うの本当に恥ずかしいんですけど、この人、すっごいしつこいんですよ。疲れているからやりたくないって言っても『なんで? どうして?』って聞いてきて。やりたくないのになんでもクソもないよ!!  って思うし、実際やったとしても大したことないですし(笑)。セックスもコミュニケーションの一種なんだろうけど、内容よりも回数をしたいって思っているんですかね」

 

足立監督「いやぁ〜そういうわけでもないんだけど。奥さんには『早く終われ』って言われちゃうからね。内容を濃くする時間もなくて……」

 

晃子さん「そんな言い方すると、まるで技があるみたいじゃない!」

 

–ちょちょちょっと待ってください! 取材なのに、映画のワンシーンをみているような気分になってきました(笑)。このやりとりだけで「あぁ〜実話だな」と確信しました! 現在は二人のお子さんもいらっしゃいますが、結婚何年目ですか?

 

晃子さん「結婚してから今年で18年目ですね。私が20歳、彼が24歳のころから6年付き合って結婚しました」

 

足立監督「付き合っている時には、3回くらい別れたりしましたけどね(笑)」

 

晃子さん「この結婚するタイミングも、私が『もう別れる!』って言ったら、『いや結婚しよう!』って、なし崩し的に結婚しちゃって」

 

–なし崩し! そんな結婚初めて聞きます……。

 

足立監督「結婚した時期が、僕のどん底期だったんですよ。奥さんと出会った時は現場で助監督をしていたんですけど、シナリオを書けば売れっ子になれるでしょ〜って、先のことも考えないまま助監督を辞めたのがちょうど30歳になるころで。ろくな仕事もなかったから、もう結婚しないと死活問題で。実家に帰るか、東京でホームレスになるか、そんな状態でしたから」

 

–結婚できて良かったですね、って私が言うのもおかしな話ですが(笑)、私だったら「無理!」って断っちゃいます。

 

晃子さん「そうですね。ほんと今思い返しても本当にアホな選択をしたと思っています。 『そっか、私がいないと生きていけないよね、結婚しましょう』って思っちゃったんですよね」

 

離婚する選択も、結婚し続ける選択も同じくらいツラい

 

–映画『喜劇 愛妻物語』では、若かりしころの仲睦まじい二人が回想シーンとして出てきます。実際のお二人もあんな感じだったんですか?

 

足立監督「あんな感じでしたよ。新婚のころは、僕がなかなかうまくいかないのを同情してくれていたんだと思いますねぇ」

 

晃子さん「私も『この人面白いのになー』って思っていたし、努力をしていたことも知っていたから応援していました」

 

–でもいつのころから、映画のような感じになってしまったと……。

 

晃子さん「彼の企画が成立しないことが続いたり、応援していた私も『あんたが悪いんじゃないの?』って思うようになってきて、いろんな感情が積もり積もって爆発してしまったんですよね。これというキッカケがあったわけじゃないんですが……」

 

足立監督「あ、でも! 上の子が生まれたタイミングで、彼女には仕事も続けて欲しかったから『俺は専業主夫になるんだ』って決意したんですよ。そのころは結構、頑張ってたよね?」

 

晃子さん「……私、いつもその話の時に思うんだけど、あなたの専業主夫って全然専業主夫じゃないよ? 食いしん坊だから食べ物は作るけど、A5ランクのお肉とか豪華なお弁当買ってきたり、掃除は下手だし。昨日だってご飯あるよっていうのに、穴子寿司買ってきちゃったり、そういうところだからね!」

 

–こんなこと言うのも失礼ですが……「もう離婚!」ってタイミングはいつでもあったと思うんですよ。でもそれをせずにここまで過ごせているのは、どうしてなんでしょう? なにか努力したり、仲良くする秘訣みたいなのはあるのでしょうか?

 

足立監督「僕はちょっと恥ずかしいですけど、彼女に……週に1回は求め続けることですね」

 

晃子さん「その感覚が間違えてるから(笑)」

 

足立監督「他の家庭はわからないですけど、求め続けるって大事だと思っています。あと、離婚するという選択をして、それぞれの道を歩むっていう『マリッジ・ストーリー』的なお話もありだけど、一緒にいるのは一緒にいるで超大変なんですよね。その選択の厳しさも映画で描きたかったんです」

 

–なるほど。

 

足立監督「離婚するという選択をするのも、夫婦であり続けるという選択もするのもどちらも大変。僕自身も別れないようにする努力をしてきたつもりです(笑)。だって本当に嫌いだったらもう別れてるでしょ?」

 

晃子さん「そうね。私も大っ嫌いなんだけど、1%のいいところがあるから、そこが引っかかって捨てきれないんですよ。全部嫌いではないんですよね。なんか憎めないところというか……、超憎んでいるんだけど、可愛い部分がねぇ」

 

–取材させてもらってまだ少しですが、失礼ながら足立監督の憎めない可愛さめっちゃわかります!!

 

足立監督「本音を言うと、僕は彼女のことを『お守り』みたいに思っているんですよ。映画の中でも赤いパンツが出てきますけど、手放したらダメだって思っているんです」

 

晃子さん「あぁ〜有名アーティストにありがちな、俺は売れたからって若い女と取り替えちゃうようなやつじゃないって言いたいと!」

 

–あぁ〜なんちゃらガールズに目移りしちゃったりとか(笑)。

 

足立監督「そこまで細かくは言えないですけど、僕の場合、彼女を失ったら暗黒時代に戻ってしまうのではないか? なんて気持ちはありますね。それ、うれしい?」

 

晃子さん「あんまうれしくない!なんか愛妻キャラ作ってるし。全然なのに」

 

なんだかんだ言って、笑って過ごせる夫婦は最強!

 

–映画の中でも実際も、夫が妻を求め続けるってすごいことだな! とも思うんです。最近セックスレスな夫婦って多いじゃないですか? 私自身も結婚3年目ですが、もうやらなくてもいっか、みたいな感覚になっているんですよ。お二人は夫婦のセックスレスについてどう思います?

 

晃子さん「紳はセックスレスが不思議なんだよね?」

 

足立監督「僕の中では、それくらいしか取り柄がないと思っていたから……」

 

晃子さん「待って、その流れだと自分が取り柄あるみたいになるからやめてよ(笑)」

 

足立監督「違う、違う! 彼女に寂しい想いだけはさせないようにしようって新婚のころに思って、ちゃんと求め続けるって決めたんですよ。でも毎回は受け入れられない。そのうち、お願いして断られてっていう攻防が楽しくなってきちゃって『ごっこ遊び』に発展していったんです」

 

–セックスを断られたことがきっかけで、倦怠期ゾーンに突入ってよく聞きますけど、監督はそこでめげなかったわけですね!

 

足立監督「そそそう! 一度やらなくなるだけで取り返しがつかなくなるって周りから聞いていましたし、それは嫌だと思ってました。『ごっこ遊び』についても映画の中でチカが『役所広司で』って言うシーンがありますけど、こういうのよくやるんですよ(笑)」

 

–それも実話だったんですね! 個人的にはもっと詳しく『ごっこ遊び』についてもお伺いしたいのですが(笑)、そろそろお時間なので。最後にこれから映画を観る方や、結婚生活に悩んでいるご夫婦に先輩夫婦として、お二人からアドバイスをお願いします!

 

晃子さん「私たち、別に円満夫婦じゃないからなぁ」

 

–いやいや! 今回お話をお伺いして改めて思ったんですけど、どんな出来事も「笑い」に変えているお二人は、円満夫婦です! 映画を観た人の中には、「こんなの悲劇だよ」って感想もあるかもしれませんけど、喜劇にできる夫婦って最強だな! って思うんです。足立監督の円満の秘訣はやっぱり、アレですか?(笑)

 

足立監督「うん、求め続けることですね。寝室も分けたくないです!」

 

晃子さん「私は安眠も大事にしたいから! それにスキンシップ好きじゃないんですよ。この人年中ベタベタするしっ」

 

足立監督「まぁまぁ(笑)。最近だと二人で40分くらい、朝の散歩をしています」

 

–素敵! やっぱり円満夫婦じゃないですか!

 

晃子さん「勝手についてくるんですよ。コロナの時期から始めたんですけど、近所の神社まで願掛けを」

 

–めちゃくちゃいい夫婦! 晃子さんの思う円満の秘訣も是非教えて欲しいです。

 

晃子さん「私のっていうよりも、周りの人の話を聞いていて思うのは『諦めずに言う』ですね。これが嫌だったとか、どんな小さなことでも言葉で伝えないとダメかな、と。言ったことで喧嘩になって、険悪な1週間を過ごすかもしれないけど、言ったらいいじゃん! って思います」

 

足立監督「言いたいことを言うって難しいですからね」

 

晃子さん「難しいの。私も昔は嫌なことも言わずに、自分でやっちゃってました。洗濯物とか、食器洗いとかね。でも育児に追われて『言わなきゃやってられない!』って状態になったんです。これはお互い様ですけど、『気がつくかな〜』って思っていても、言わなきゃ絶対伝わらない。うるさいなーって思われても言う、言ってみる! ひとつ屋根の下で、一緒に暮らしているわけですから」

 

–確かに。言うことをちゃんと言う妻と、求め続ける夫ということが円満の秘訣ですね!

 

晃子さん「全然噛み合ってない!(笑)」

 

足立監督「(笑)お互い我慢しないってことが円満の秘訣かもしれないですね。映画のタイトルにも“喜劇”って付けましたけど、どんな夫婦でも一緒にいるなら少しでも楽しい方がいいです」

 

–そうですね。足立家のように、悲劇も喜劇にできるような夫婦が増えて、お二人のように“笑う門には福来る”な人生を歩んでいきたいと思いました。今日は本当にありがとうございました!

 

約1時間の取材でしたが、終始笑いが絶えず、私も笑いすぎて帰りに龍角散を飲むほどでした。母性をくすぐる可愛さ満点な足立監督と、海より広い心を持って一家を支える晃子さん。映画『喜劇 愛妻物語』は、そんな二人の赤裸々なエピソードが詰まったコメディ作品ですが、コメディに留まることなく夫婦の愛を感じられる作品でもあります。

 

私が好きなシーンに、チカが豪太に代わり原稿をタイピングする場面が出てくるのですが、これも足立夫妻のエピソードに基づいたもの。タイピングが苦手な足立監督に変わって、晃子さんが原稿を打ち込んでいるのだとか。これまで足立監督が手がけてきた数多くの脚本はもちろん、現在GetNavi webで連載している足立 紳 後ろ向きで進むも、晃子さんがタイピングしているもの。

 

「時間がたっぷりあるんだから、タイピングくらい練習しなさいよ!」なんてチカに怒られてしまいそうですが、きっと二人で過ごすこの時間こそ夫婦にとって大切なものなのかもしれないなぁ〜としみじみしました。

 

そこの旦那さん、最近奥さん求めてますか?

そこの奥さん、旦那さんに言いたいこと言えてますか?

 

夫婦の愛を確認するためにも、映画『喜劇 愛妻物語』ぜひ劇場でご覧ください!

 

<作品情報>

「喜劇 愛妻物語」

2020年9月11日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー

出演:濱田岳 水川あさみ 新津ちせ
大久保佳代子 坂田聡 宇野祥平 黒田大輔 冨手麻妙 河合優実
夏帆 ふせえり 光石研

脚本・監督:足立紳
原作:足立紳「喜劇 愛妻物語」(幻冬舎文庫)

配給:キュー・テック/バンダイナムコアーツ

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予告編がYouTube740万再生の注目作『喜劇 愛妻物語』監督夫妻に訊く、夫婦円満の秘訣

2020年9月11日(金)より公開される映画『喜劇 愛妻物語』。水川あさみさんが濱田 岳さんに暴言を吐きまくる予告編が話題となり、映画公開前にもかかわらずYouTubeで740万回も再生されている超注目の作品なのです。

 

 

本作の監督は、2014年に安藤サクラさん主演で公開された『百円の恋』で脚本を担当し、日本アカデミー賞最優秀脚本賞に輝いた足立 紳さん。人生のバイブルは『ロッキー』シリーズと言っても過言ではない私も、32歳直前でこの『百円の恋』を鑑賞し、エンディングで嗚咽! 人生に悩む全女子が見るべき映画として日頃からいろんな人にオススメしています。

 

そんな足立監督の最新監督作は、なんと喜劇だというではないですか!

 

しかも自伝小説をもとにした夫婦の話で、映画に出てくるエピソードはほぼ実話。内容もかなり赤裸々!! ……って、面白くないわけがない! ということで、今回は足立監督とその「妻」である晃子さんに、映画について、そして夫婦についてお話をお伺いしました。

 

「青春18きっぷ」での四国旅行も、年収50万円も、セックスレスもほぼ実話!

↑足立監督(右)と妻の晃子さん(左)

 

–本日はよろしくお願いいたします。先に映画を拝見したんですが、濱田 岳さんが演じる豪太にイライラが止まらなくて……でも最後にはなんだかこの夫婦が羨ましい気持ちにもなりました。この作品は、足立監督の自伝小説『喜劇 愛妻物語』がもとになっていますが、一体どこまでが本当のエピソードなのでしょうか?

 

晃子さん「警察に捕まるとか、法に触れること以外は実話ですよ!」

 

–えっ!?  青春18きっぷで旅行したりとか、年収が50万円だとか、夫婦がセックスレスで豪太が妻・チカ役である水川あさみさんに猫撫で声で「ねぇ〜マッサージする?」って聞いてくるのも本当……?

 

晃子さん「はい……ってここで言うの本当に恥ずかしいんですけど、この人、すっごいしつこいんですよ。疲れているからやりたくないって言っても『なんで? どうして?』って聞いてきて。やりたくないのになんでもクソもないよ!!  って思うし、実際やったとしても大したことないですし(笑)。セックスもコミュニケーションの一種なんだろうけど、内容よりも回数をしたいって思っているんですかね」

 

足立監督「いやぁ〜そういうわけでもないんだけど。奥さんには『早く終われ』って言われちゃうからね。内容を濃くする時間もなくて……」

 

晃子さん「そんな言い方すると、まるで技があるみたいじゃない!」

 

–ちょちょちょっと待ってください! 取材なのに、映画のワンシーンをみているような気分になってきました(笑)。このやりとりだけで「あぁ〜実話だな」と確信しました! 現在は二人のお子さんもいらっしゃいますが、結婚何年目ですか?

 

晃子さん「結婚してから今年で18年目ですね。私が20歳、彼が24歳のころから6年付き合って結婚しました」

 

足立監督「付き合っている時には、3回くらい別れたりしましたけどね(笑)」

 

晃子さん「この結婚するタイミングも、私が『もう別れる!』って言ったら、『いや結婚しよう!』って、なし崩し的に結婚しちゃって」

 

–なし崩し! そんな結婚初めて聞きます……。

 

足立監督「結婚した時期が、僕のどん底期だったんですよ。奥さんと出会った時は現場で助監督をしていたんですけど、シナリオを書けば売れっ子になれるでしょ〜って、先のことも考えないまま助監督を辞めたのがちょうど30歳になるころで。ろくな仕事もなかったから、もう結婚しないと死活問題で。実家に帰るか、東京でホームレスになるか、そんな状態でしたから」

 

–結婚できて良かったですね、って私が言うのもおかしな話ですが(笑)、私だったら「無理!」って断っちゃいます。

 

晃子さん「そうですね。ほんと今思い返しても本当にアホな選択をしたと思っています。 『そっか、私がいないと生きていけないよね、結婚しましょう』って思っちゃったんですよね」

 

離婚する選択も、結婚し続ける選択も同じくらいツラい

 

–映画『喜劇 愛妻物語』では、若かりしころの仲睦まじい二人が回想シーンとして出てきます。実際のお二人もあんな感じだったんですか?

 

足立監督「あんな感じでしたよ。新婚のころは、僕がなかなかうまくいかないのを同情してくれていたんだと思いますねぇ」

 

晃子さん「私も『この人面白いのになー』って思っていたし、努力をしていたことも知っていたから応援していました」

 

–でもいつのころから、映画のような感じになってしまったと……。

 

晃子さん「彼の企画が成立しないことが続いたり、応援していた私も『あんたが悪いんじゃないの?』って思うようになってきて、いろんな感情が積もり積もって爆発してしまったんですよね。これというキッカケがあったわけじゃないんですが……」

 

足立監督「あ、でも! 上の子が生まれたタイミングで、彼女には仕事も続けて欲しかったから『俺は専業主夫になるんだ』って決意したんですよ。そのころは結構、頑張ってたよね?」

 

晃子さん「……私、いつもその話の時に思うんだけど、あなたの専業主夫って全然専業主夫じゃないよ? 食いしん坊だから食べ物は作るけど、A5ランクのお肉とか豪華なお弁当買ってきたり、掃除は下手だし。昨日だってご飯あるよっていうのに、穴子寿司買ってきちゃったり、そういうところだからね!」

 

–こんなこと言うのも失礼ですが……「もう離婚!」ってタイミングはいつでもあったと思うんですよ。でもそれをせずにここまで過ごせているのは、どうしてなんでしょう? なにか努力したり、仲良くする秘訣みたいなのはあるのでしょうか?

 

足立監督「僕はちょっと恥ずかしいですけど、彼女に……週に1回は求め続けることですね」

 

晃子さん「その感覚が間違えてるから(笑)」

 

足立監督「他の家庭はわからないですけど、求め続けるって大事だと思っています。あと、離婚するという選択をして、それぞれの道を歩むっていう『マリッジ・ストーリー』的なお話もありだけど、一緒にいるのは一緒にいるで超大変なんですよね。その選択の厳しさも映画で描きたかったんです」

 

–なるほど。

 

足立監督「離婚するという選択をするのも、夫婦であり続けるという選択もするのもどちらも大変。僕自身も別れないようにする努力をしてきたつもりです(笑)。だって本当に嫌いだったらもう別れてるでしょ?」

 

晃子さん「そうね。私も大っ嫌いなんだけど、1%のいいところがあるから、そこが引っかかって捨てきれないんですよ。全部嫌いではないんですよね。なんか憎めないところというか……、超憎んでいるんだけど、可愛い部分がねぇ」

 

–取材させてもらってまだ少しですが、失礼ながら足立監督の憎めない可愛さめっちゃわかります!!

 

足立監督「本音を言うと、僕は彼女のことを『お守り』みたいに思っているんですよ。映画の中でも赤いパンツが出てきますけど、手放したらダメだって思っているんです」

 

晃子さん「あぁ〜有名アーティストにありがちな、俺は売れたからって若い女と取り替えちゃうようなやつじゃないって言いたいと!」

 

–あぁ〜なんちゃらガールズに目移りしちゃったりとか(笑)。

 

足立監督「そこまで細かくは言えないですけど、僕の場合、彼女を失ったら暗黒時代に戻ってしまうのではないか? なんて気持ちはありますね。それ、うれしい?」

 

晃子さん「あんまうれしくない!なんか愛妻キャラ作ってるし。全然なのに」

 

なんだかんだ言って、笑って過ごせる夫婦は最強!

 

–映画の中でも実際も、夫が妻を求め続けるってすごいことだな! とも思うんです。最近セックスレスな夫婦って多いじゃないですか? 私自身も結婚3年目ですが、もうやらなくてもいっか、みたいな感覚になっているんですよ。お二人は夫婦のセックスレスについてどう思います?

 

晃子さん「紳はセックスレスが不思議なんだよね?」

 

足立監督「僕の中では、それくらいしか取り柄がないと思っていたから……」

 

晃子さん「待って、その流れだと自分が取り柄あるみたいになるからやめてよ(笑)」

 

足立監督「違う、違う! 彼女に寂しい想いだけはさせないようにしようって新婚のころに思って、ちゃんと求め続けるって決めたんですよ。でも毎回は受け入れられない。そのうち、お願いして断られてっていう攻防が楽しくなってきちゃって『ごっこ遊び』に発展していったんです」

 

–セックスを断られたことがきっかけで、倦怠期ゾーンに突入ってよく聞きますけど、監督はそこでめげなかったわけですね!

 

足立監督「そそそう! 一度やらなくなるだけで取り返しがつかなくなるって周りから聞いていましたし、それは嫌だと思ってました。『ごっこ遊び』についても映画の中でチカが『役所広司で』って言うシーンがありますけど、こういうのよくやるんですよ(笑)」

 

–それも実話だったんですね! 個人的にはもっと詳しく『ごっこ遊び』についてもお伺いしたいのですが(笑)、そろそろお時間なので。最後にこれから映画を観る方や、結婚生活に悩んでいるご夫婦に先輩夫婦として、お二人からアドバイスをお願いします!

 

晃子さん「私たち、別に円満夫婦じゃないからなぁ」

 

–いやいや! 今回お話をお伺いして改めて思ったんですけど、どんな出来事も「笑い」に変えているお二人は、円満夫婦です! 映画を観た人の中には、「こんなの悲劇だよ」って感想もあるかもしれませんけど、喜劇にできる夫婦って最強だな! って思うんです。足立監督の円満の秘訣はやっぱり、アレですか?(笑)

 

足立監督「うん、求め続けることですね。寝室も分けたくないです!」

 

晃子さん「私は安眠も大事にしたいから! それにスキンシップ好きじゃないんですよ。この人年中ベタベタするしっ」

 

足立監督「まぁまぁ(笑)。最近だと二人で40分くらい、朝の散歩をしています」

 

–素敵! やっぱり円満夫婦じゃないですか!

 

晃子さん「勝手についてくるんですよ。コロナの時期から始めたんですけど、近所の神社まで願掛けを」

 

–めちゃくちゃいい夫婦! 晃子さんの思う円満の秘訣も是非教えて欲しいです。

 

晃子さん「私のっていうよりも、周りの人の話を聞いていて思うのは『諦めずに言う』ですね。これが嫌だったとか、どんな小さなことでも言葉で伝えないとダメかな、と。言ったことで喧嘩になって、険悪な1週間を過ごすかもしれないけど、言ったらいいじゃん! って思います」

 

足立監督「言いたいことを言うって難しいですからね」

 

晃子さん「難しいの。私も昔は嫌なことも言わずに、自分でやっちゃってました。洗濯物とか、食器洗いとかね。でも育児に追われて『言わなきゃやってられない!』って状態になったんです。これはお互い様ですけど、『気がつくかな〜』って思っていても、言わなきゃ絶対伝わらない。うるさいなーって思われても言う、言ってみる! ひとつ屋根の下で、一緒に暮らしているわけですから」

 

–確かに。言うことをちゃんと言う妻と、求め続ける夫ということが円満の秘訣ですね!

 

晃子さん「全然噛み合ってない!(笑)」

 

足立監督「(笑)お互い我慢しないってことが円満の秘訣かもしれないですね。映画のタイトルにも“喜劇”って付けましたけど、どんな夫婦でも一緒にいるなら少しでも楽しい方がいいです」

 

–そうですね。足立家のように、悲劇も喜劇にできるような夫婦が増えて、お二人のように“笑う門には福来る”な人生を歩んでいきたいと思いました。今日は本当にありがとうございました!

 

約1時間の取材でしたが、終始笑いが絶えず、私も笑いすぎて帰りに龍角散を飲むほどでした。母性をくすぐる可愛さ満点な足立監督と、海より広い心を持って一家を支える晃子さん。映画『喜劇 愛妻物語』は、そんな二人の赤裸々なエピソードが詰まったコメディ作品ですが、コメディに留まることなく夫婦の愛を感じられる作品でもあります。

 

私が好きなシーンに、チカが豪太に代わり原稿をタイピングする場面が出てくるのですが、これも足立夫妻のエピソードに基づいたもの。タイピングが苦手な足立監督に変わって、晃子さんが原稿を打ち込んでいるのだとか。これまで足立監督が手がけてきた数多くの脚本はもちろん、現在GetNavi webで連載している足立 紳 後ろ向きで進むも、晃子さんがタイピングしているもの。

 

「時間がたっぷりあるんだから、タイピングくらい練習しなさいよ!」なんてチカに怒られてしまいそうですが、きっと二人で過ごすこの時間こそ夫婦にとって大切なものなのかもしれないなぁ〜としみじみしました。

 

そこの旦那さん、最近奥さん求めてますか?

そこの奥さん、旦那さんに言いたいこと言えてますか?

 

夫婦の愛を確認するためにも、映画『喜劇 愛妻物語』ぜひ劇場でご覧ください!

 

<作品情報>

「喜劇 愛妻物語」

2020年9月11日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー

出演:濱田岳 水川あさみ 新津ちせ
大久保佳代子 坂田聡 宇野祥平 黒田大輔 冨手麻妙 河合優実
夏帆 ふせえり 光石研

脚本・監督:足立紳
原作:足立紳「喜劇 愛妻物語」(幻冬舎文庫)

配給:キュー・テック/バンダイナムコアーツ

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予告編がYouTube740万再生の注目作『喜劇 愛妻物語』監督夫妻に訊く、夫婦円満の秘訣

2020年9月11日(金)より公開される映画『喜劇 愛妻物語』。水川あさみさんが濱田 岳さんに暴言を吐きまくる予告編が話題となり、映画公開前にもかかわらずYouTubeで740万回も再生されている超注目の作品なのです。

 

 

本作の監督は、2014年に安藤サクラさん主演で公開された『百円の恋』で脚本を担当し、日本アカデミー賞最優秀脚本賞に輝いた足立 紳さん。人生のバイブルは『ロッキー』シリーズと言っても過言ではない私も、32歳直前でこの『百円の恋』を鑑賞し、エンディングで嗚咽! 人生に悩む全女子が見るべき映画として日頃からいろんな人にオススメしています。

 

そんな足立監督の最新監督作は、なんと喜劇だというではないですか!

 

しかも自伝小説をもとにした夫婦の話で、映画に出てくるエピソードはほぼ実話。内容もかなり赤裸々!! ……って、面白くないわけがない! ということで、今回は足立監督とその「妻」である晃子さんに、映画について、そして夫婦についてお話をお伺いしました。

 

「青春18きっぷ」での四国旅行も、年収50万円も、セックスレスもほぼ実話!

↑足立監督(右)と妻の晃子さん(左)

 

–本日はよろしくお願いいたします。先に映画を拝見したんですが、濱田 岳さんが演じる豪太にイライラが止まらなくて……でも最後にはなんだかこの夫婦が羨ましい気持ちにもなりました。この作品は、足立監督の自伝小説『喜劇 愛妻物語』がもとになっていますが、一体どこまでが本当のエピソードなのでしょうか?

 

晃子さん「警察に捕まるとか、法に触れること以外は実話ですよ!」

 

–えっ!?  青春18きっぷで旅行したりとか、年収が50万円だとか、夫婦がセックスレスで豪太が妻・チカ役である水川あさみさんに猫撫で声で「ねぇ〜マッサージする?」って聞いてくるのも本当……?

 

晃子さん「はい……ってここで言うの本当に恥ずかしいんですけど、この人、すっごいしつこいんですよ。疲れているからやりたくないって言っても『なんで? どうして?』って聞いてきて。やりたくないのになんでもクソもないよ!!  って思うし、実際やったとしても大したことないですし(笑)。セックスもコミュニケーションの一種なんだろうけど、内容よりも回数をしたいって思っているんですかね」

 

足立監督「いやぁ〜そういうわけでもないんだけど。奥さんには『早く終われ』って言われちゃうからね。内容を濃くする時間もなくて……」

 

晃子さん「そんな言い方すると、まるで技があるみたいじゃない!」

 

–ちょちょちょっと待ってください! 取材なのに、映画のワンシーンをみているような気分になってきました(笑)。このやりとりだけで「あぁ〜実話だな」と確信しました! 現在は二人のお子さんもいらっしゃいますが、結婚何年目ですか?

 

晃子さん「結婚してから今年で18年目ですね。私が20歳、彼が24歳のころから6年付き合って結婚しました」

 

足立監督「付き合っている時には、3回くらい別れたりしましたけどね(笑)」

 

晃子さん「この結婚するタイミングも、私が『もう別れる!』って言ったら、『いや結婚しよう!』って、なし崩し的に結婚しちゃって」

 

–なし崩し! そんな結婚初めて聞きます……。

 

足立監督「結婚した時期が、僕のどん底期だったんですよ。奥さんと出会った時は現場で助監督をしていたんですけど、シナリオを書けば売れっ子になれるでしょ〜って、先のことも考えないまま助監督を辞めたのがちょうど30歳になるころで。ろくな仕事もなかったから、もう結婚しないと死活問題で。実家に帰るか、東京でホームレスになるか、そんな状態でしたから」

 

–結婚できて良かったですね、って私が言うのもおかしな話ですが(笑)、私だったら「無理!」って断っちゃいます。

 

晃子さん「そうですね。ほんと今思い返しても本当にアホな選択をしたと思っています。 『そっか、私がいないと生きていけないよね、結婚しましょう』って思っちゃったんですよね」

 

離婚する選択も、結婚し続ける選択も同じくらいツラい

 

–映画『喜劇 愛妻物語』では、若かりしころの仲睦まじい二人が回想シーンとして出てきます。実際のお二人もあんな感じだったんですか?

 

足立監督「あんな感じでしたよ。新婚のころは、僕がなかなかうまくいかないのを同情してくれていたんだと思いますねぇ」

 

晃子さん「私も『この人面白いのになー』って思っていたし、努力をしていたことも知っていたから応援していました」

 

–でもいつのころから、映画のような感じになってしまったと……。

 

晃子さん「彼の企画が成立しないことが続いたり、応援していた私も『あんたが悪いんじゃないの?』って思うようになってきて、いろんな感情が積もり積もって爆発してしまったんですよね。これというキッカケがあったわけじゃないんですが……」

 

足立監督「あ、でも! 上の子が生まれたタイミングで、彼女には仕事も続けて欲しかったから『俺は専業主夫になるんだ』って決意したんですよ。そのころは結構、頑張ってたよね?」

 

晃子さん「……私、いつもその話の時に思うんだけど、あなたの専業主夫って全然専業主夫じゃないよ? 食いしん坊だから食べ物は作るけど、A5ランクのお肉とか豪華なお弁当買ってきたり、掃除は下手だし。昨日だってご飯あるよっていうのに、穴子寿司買ってきちゃったり、そういうところだからね!」

 

–こんなこと言うのも失礼ですが……「もう離婚!」ってタイミングはいつでもあったと思うんですよ。でもそれをせずにここまで過ごせているのは、どうしてなんでしょう? なにか努力したり、仲良くする秘訣みたいなのはあるのでしょうか?

 

足立監督「僕はちょっと恥ずかしいですけど、彼女に……週に1回は求め続けることですね」

 

晃子さん「その感覚が間違えてるから(笑)」

 

足立監督「他の家庭はわからないですけど、求め続けるって大事だと思っています。あと、離婚するという選択をして、それぞれの道を歩むっていう『マリッジ・ストーリー』的なお話もありだけど、一緒にいるのは一緒にいるで超大変なんですよね。その選択の厳しさも映画で描きたかったんです」

 

–なるほど。

 

足立監督「離婚するという選択をするのも、夫婦であり続けるという選択もするのもどちらも大変。僕自身も別れないようにする努力をしてきたつもりです(笑)。だって本当に嫌いだったらもう別れてるでしょ?」

 

晃子さん「そうね。私も大っ嫌いなんだけど、1%のいいところがあるから、そこが引っかかって捨てきれないんですよ。全部嫌いではないんですよね。なんか憎めないところというか……、超憎んでいるんだけど、可愛い部分がねぇ」

 

–取材させてもらってまだ少しですが、失礼ながら足立監督の憎めない可愛さめっちゃわかります!!

 

足立監督「本音を言うと、僕は彼女のことを『お守り』みたいに思っているんですよ。映画の中でも赤いパンツが出てきますけど、手放したらダメだって思っているんです」

 

晃子さん「あぁ〜有名アーティストにありがちな、俺は売れたからって若い女と取り替えちゃうようなやつじゃないって言いたいと!」

 

–あぁ〜なんちゃらガールズに目移りしちゃったりとか(笑)。

 

足立監督「そこまで細かくは言えないですけど、僕の場合、彼女を失ったら暗黒時代に戻ってしまうのではないか? なんて気持ちはありますね。それ、うれしい?」

 

晃子さん「あんまうれしくない!なんか愛妻キャラ作ってるし。全然なのに」

 

なんだかんだ言って、笑って過ごせる夫婦は最強!

 

–映画の中でも実際も、夫が妻を求め続けるってすごいことだな! とも思うんです。最近セックスレスな夫婦って多いじゃないですか? 私自身も結婚3年目ですが、もうやらなくてもいっか、みたいな感覚になっているんですよ。お二人は夫婦のセックスレスについてどう思います?

 

晃子さん「紳はセックスレスが不思議なんだよね?」

 

足立監督「僕の中では、それくらいしか取り柄がないと思っていたから……」

 

晃子さん「待って、その流れだと自分が取り柄あるみたいになるからやめてよ(笑)」

 

足立監督「違う、違う! 彼女に寂しい想いだけはさせないようにしようって新婚のころに思って、ちゃんと求め続けるって決めたんですよ。でも毎回は受け入れられない。そのうち、お願いして断られてっていう攻防が楽しくなってきちゃって『ごっこ遊び』に発展していったんです」

 

–セックスを断られたことがきっかけで、倦怠期ゾーンに突入ってよく聞きますけど、監督はそこでめげなかったわけですね!

 

足立監督「そそそう! 一度やらなくなるだけで取り返しがつかなくなるって周りから聞いていましたし、それは嫌だと思ってました。『ごっこ遊び』についても映画の中でチカが『役所広司で』って言うシーンがありますけど、こういうのよくやるんですよ(笑)」

 

–それも実話だったんですね! 個人的にはもっと詳しく『ごっこ遊び』についてもお伺いしたいのですが(笑)、そろそろお時間なので。最後にこれから映画を観る方や、結婚生活に悩んでいるご夫婦に先輩夫婦として、お二人からアドバイスをお願いします!

 

晃子さん「私たち、別に円満夫婦じゃないからなぁ」

 

–いやいや! 今回お話をお伺いして改めて思ったんですけど、どんな出来事も「笑い」に変えているお二人は、円満夫婦です! 映画を観た人の中には、「こんなの悲劇だよ」って感想もあるかもしれませんけど、喜劇にできる夫婦って最強だな! って思うんです。足立監督の円満の秘訣はやっぱり、アレですか?(笑)

 

足立監督「うん、求め続けることですね。寝室も分けたくないです!」

 

晃子さん「私は安眠も大事にしたいから! それにスキンシップ好きじゃないんですよ。この人年中ベタベタするしっ」

 

足立監督「まぁまぁ(笑)。最近だと二人で40分くらい、朝の散歩をしています」

 

–素敵! やっぱり円満夫婦じゃないですか!

 

晃子さん「勝手についてくるんですよ。コロナの時期から始めたんですけど、近所の神社まで願掛けを」

 

–めちゃくちゃいい夫婦! 晃子さんの思う円満の秘訣も是非教えて欲しいです。

 

晃子さん「私のっていうよりも、周りの人の話を聞いていて思うのは『諦めずに言う』ですね。これが嫌だったとか、どんな小さなことでも言葉で伝えないとダメかな、と。言ったことで喧嘩になって、険悪な1週間を過ごすかもしれないけど、言ったらいいじゃん! って思います」

 

足立監督「言いたいことを言うって難しいですからね」

 

晃子さん「難しいの。私も昔は嫌なことも言わずに、自分でやっちゃってました。洗濯物とか、食器洗いとかね。でも育児に追われて『言わなきゃやってられない!』って状態になったんです。これはお互い様ですけど、『気がつくかな〜』って思っていても、言わなきゃ絶対伝わらない。うるさいなーって思われても言う、言ってみる! ひとつ屋根の下で、一緒に暮らしているわけですから」

 

–確かに。言うことをちゃんと言う妻と、求め続ける夫ということが円満の秘訣ですね!

 

晃子さん「全然噛み合ってない!(笑)」

 

足立監督「(笑)お互い我慢しないってことが円満の秘訣かもしれないですね。映画のタイトルにも“喜劇”って付けましたけど、どんな夫婦でも一緒にいるなら少しでも楽しい方がいいです」

 

–そうですね。足立家のように、悲劇も喜劇にできるような夫婦が増えて、お二人のように“笑う門には福来る”な人生を歩んでいきたいと思いました。今日は本当にありがとうございました!

 

約1時間の取材でしたが、終始笑いが絶えず、私も笑いすぎて帰りに龍角散を飲むほどでした。母性をくすぐる可愛さ満点な足立監督と、海より広い心を持って一家を支える晃子さん。映画『喜劇 愛妻物語』は、そんな二人の赤裸々なエピソードが詰まったコメディ作品ですが、コメディに留まることなく夫婦の愛を感じられる作品でもあります。

 

私が好きなシーンに、チカが豪太に代わり原稿をタイピングする場面が出てくるのですが、これも足立夫妻のエピソードに基づいたもの。タイピングが苦手な足立監督に変わって、晃子さんが原稿を打ち込んでいるのだとか。これまで足立監督が手がけてきた数多くの脚本はもちろん、現在GetNavi webで連載している足立 紳 後ろ向きで進むも、晃子さんがタイピングしているもの。

 

「時間がたっぷりあるんだから、タイピングくらい練習しなさいよ!」なんてチカに怒られてしまいそうですが、きっと二人で過ごすこの時間こそ夫婦にとって大切なものなのかもしれないなぁ〜としみじみしました。

 

そこの旦那さん、最近奥さん求めてますか?

そこの奥さん、旦那さんに言いたいこと言えてますか?

 

夫婦の愛を確認するためにも、映画『喜劇 愛妻物語』ぜひ劇場でご覧ください!

 

<作品情報>

「喜劇 愛妻物語」

2020年9月11日(金)新宿ピカデリーほか全国ロードショー

出演:濱田岳 水川あさみ 新津ちせ
大久保佳代子 坂田聡 宇野祥平 黒田大輔 冨手麻妙 河合優実
夏帆 ふせえり 光石研

脚本・監督:足立紳
原作:足立紳「喜劇 愛妻物語」(幻冬舎文庫)

配給:キュー・テック/バンダイナムコアーツ

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18年目の挙式は混沌、骨折娘は不機嫌MAX−−酷暑の夏に平穏が欲しい映画監督の日常

「足立 紳 後ろ向きで進む」第6回

 

結婚18年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!

 

『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』(9/11から新宿ピカデリー他全国公開予定)で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。

 

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8月2日

朗読劇の脚本直しに苦戦。直しというかポイントとなるセリフがなかなか書けない。

 

売れないシナリオライターの夫と売れない女優の妻の話で、最後に二人は離婚するのだが、激しいケンカをした後、数日たって少し冷静になった妻は離婚という決意は変えないが夫に優しい言葉をかける。「あなたの書くシナリオに励まされていた」と。励まされていたからには、夫がどんなシナリオを書いていて妻がどう励まされていたのかを妻のセリフとして書かねばならない。夫である売れないシナリオライターのモデルは私だ。つまり私は、自分のシナリオの良さを自分の作品の中で書いて褒めるという、すごく恥ずかしいことをせねばならない。

 

そのセリフだけ妻に書いてもらおうと思い丸投げしたところ、「あんたへの誉め言葉は虫唾が走るから書きたくない。実感のこもっていないウソになる」と言われ、結果私は自分で自分の良さを書いた。「へぇ~、こういう自己評価なんだ。相変わらず自己愛だけは深いな」と妻に言われて腹が立った。

 

だが書いてみて気づいたがこれは自己評価ではなく、こういう書き手になりたいという願望だ。どんなセリフかというと「あなたのシナリオは目線が低くて、弱者の味方で、実人生では嘘ばかりついているくせに、シナリオには嘘がない」と、だいたいこんな感じのものだ。そういう書き手になれるようにこれから精進していこうと3分ほど思った。

 

夜、店主が一人で切り盛りしている江古田の定食屋に妻と息子と行く。(娘も誘ったが絶賛反抗期のため「行かない」と一言)。この店は初めて入ったのだが、セルフサービスのため価格が安い。そして料理はどれも手作りで大変美味かった。息子が最近よく食べるようになったのでご飯の大盛を2つ頼んだら漫画みたいなザ・山盛りが出てきた。スペアリブと鶏の唐揚げと、鶏南蛮揚、野菜炒めを食べる。空腹だったので絶対に食べきれると思っていたのだが食べきれなかった。ここ数年、この手の失敗が多い。でも食い意地が張っているからついつい大目に注文してしまう。

 

かなり余らせて「もう限界」と言うと、玉ねぎサラダをつまにワインを飲んでいた妻が「何度同じ失敗してんのよ、食い意地だけはった豚野郎が。もったいねえだろ」と言って、残り物を全て食べた。太るんだから食べなければいいのに、と思うが言えない。

 

帰り路の商店街のおもちゃ屋で息子がドはまりしている怪獣・ツインテールの人形を見つけ購入。

 

8月3日

朗読劇とともに並行している映画脚本と連ドラの脚本がまったく進んでおらず(忙しい自慢はバンバンします)、慌てふためいて軽く更年期パニックになっているのに、今日は結婚式だ。

 

以前の日記でも書いたが、特に意味もない結婚18年目で、特に強い意志があったわけでもないのに、この日記を始めるからそのネタのためだけに「結婚式でもあげとく?」と私が提案したのだが(結婚10年目と15年目にもやろうとしていたが両方とも人生のどん底期のため行わなかった)、式場探しや契約などの面倒な作業はすべて妻に丸投げしていた。

 

当初4月開催だった予定がコロナの影響で夏休み中の7月に延期していたのだが、急遽7月末まで夏休み返上になってしまい、再度本日に延期となったのだ。仕事がまったく捗っておらず、結婚式など挙げている余裕はいっさいないので再度延期したいと妻に言ったが、これ以上延期するとキャンセル料も高くなるし、「もとはと言えばお前がネタだけのために式をあげようと言い出したのだろうが!」とガミガミ始まったので強行突破で行うこととなった。

 

まあ、結婚式と言っても家族4人だけでサクッとやるやつだ。だが、中一のクソ反抗期娘はこういう行事やら写真撮影を舌打ち一発「なんで私も行かなきゃなんないの」と、家を出る前から不機嫌モード全開。貸衣裳のドレスを着るのは絶対嫌だと言い張り、妻が今日のために夏用ワンピースを用意していた。一度はそのワンピースに着替えるも、家を出た後「マスク忘れた」と言って一旦家に帰宅し、何の嫌がらせか普段のTシャツ&短パンに着替えて出て来た。

 

「写真撮るんだよ!あんたの親父が面倒くさいこと言い出したせいで!」と妻が怒鳴ると、「知ってるよ。これでいいもん」と一言。私は紋付き袴、妻は着物、息子はタキシードになるというのに先が思いやられる。

 

11時、会場に到着。タキシードに着替える予定の息子が案の定「絶対着ない!」の百連発が始まる。私も妻も半グレ……じゃなかった半ギレで説得を試みるが首を縦に振らない。テコでもラリアットでも振らない。「仕方ない、息子もTシャツ&短パンだな……」と諦めていたら、結婚式場のノリのよいおねえさんに「カッコEーから着ちゃいなYO!」みたいなテンションで言われ、あっさり「じゃ、着替える」と言いやがった。しかし妻が靴を忘れてきて、タキシードに汚いスニーカーというスタイルに。なかなか完璧にはいかない。

 

式では半分スネた娘とタキシード姿になって恥ずかしくてジタバタしている息子の二人が参列しているバージンロードを紋付き袴姿の私と着物姿の妻が歩いた。

 

「あの人たちすぐ怒るんだよ。人殺しなんだよ」ともう訳の分からなくなっている息子が式場のおねえさんや牧師さんに一生懸命しゃべり、姉から「うるさいよ!」と怒られていた。

 

妻と誓いの言葉を交わし(妻が書いた)、その後は娘と息子も子どもたちとしての誓いの言葉(これも妻が書いた)を言うオプションをつけたことを最高に後悔せざるを得ない状況となり(息子「言いたくない言いたくない言いたくない言いたくない」の連呼。娘、人前にも関わらずチョーぶすむくれ)、破れかぶれのうちに式は終了。

 

↑結婚式にて。ずーっと不機嫌だった娘が急にハイテンションに。息子は最初から最後まで走り回っていた(妻)

 

その後の写真撮影で息子は異様にテンションがあがってカメラマンの方の言うことも聞かず走り回り、なぜか意味不明に機嫌の良くなった娘が我々の写真をパシャパシャと撮った。とにかく疲れた。やはり結婚式というものはネタのためにやるものではない。ネタにはしたが。

↑もはや収集つかず。ヤケクソに(妻)

 

8月4日

朗読劇の稽古。といっても今回は稽古が一日しかない。それをも楽しむというのか、やはりこういう状況でもあるし、その上でできるエンターテインメントをやることに意義があるのだと思う。

 

今日はYOUさん、マキタスポーツさんコンビと、りょうさん、三宅弘樹さんコンビの二組と稽古した。先日稽古した平岩紙さん、中尾明慶さんコンビも含めて私は3組の方々とやらせていただくが、同じ台本で皆さんそれぞれに違った夫婦の形は見ていて非常に面白かった。

 

稽古後、妻から「今日、少し疲れているから夜に少し一人時間ほしす」とラインが入っていたが私も疲れており、どうしてもサウナで一汗流したかったので、「ごめん、稽古が少し長引きそう」と返信してサウナで3時間ばかりメンテナンスして帰宅したのだが、マッサージの方から頂いた「次回10分延長無料券」を妻に見つかってしまいえらい逆ギレというのか逆じゃないけどキレられた。だが多分、私のほうが疲れている自信はある。

 

8月7日

朝から「喜劇 愛妻物語」(9月11日公開)の取材をたくさんしていただく。私は話すのが苦手で、面白い話をしようと思ってもいつも何を話すのか忘れてしまい、記者さんから質問されても、支離滅裂な話になってしまうことが多い。だから映像とか文章というものを生業にしているというか、それらのほうが少しでも自分の考えや思いを伝えられるのだ。

 

一つ目の取材が終わると、妻から娘が陸上の練習中に足を負傷したようだから迎えに行くとラインがきていた。その2時間後、ギプスで固められ、松葉づえ姿の娘の写真が来た。え、骨折!? 負傷どころじゃねえじゃん! と一気に気が気でなくなる。

 

「なんなの!?」「どういうこと!?」と妻にLINEするが、返事はパタリとなくなり、既読にすらならない。やきもきしていると、取材終了間際、妻からLINE。「疲れて昼寝してた。骨折判明、絶対安静必須。娘大泣き」。

 

8月1日から夏休みに入ったばかりで、これから合宿やサマーキャンプ、友達と今年最後になる「としまえん」のプールに行く約束など、このコロナ禍の中でも充実した夏休みを送る予定であったのに、それらが全てなくなると思うとそりゃ大泣きもするだろう。なのに昼寝できる妻に激しい怒りを覚えながら帰宅すると、大泣きして落ち着いたのか娘はいつも通り、iPadでゲームしていて「やっちまったよ」と一言。

 

「やっちまったなあ、かわいそうに」と労わると、「別にかわいそうじゃないから」とムカッとくる言い方。「こいつ、もういつも通りムカつくよ」と妻が言った。「なに、こいつって。いつも通りじゃないから!」と娘が返すと「その態度だよ!」と妻が返す。

 

空気を全く読まない息子は私にiPadを見せつけ、マイクラの何とかが何とかと大声でわめいている。明日から朗読劇に備えて部屋を出た。

↑真夏のギブス……(妻)

 

8月8日

朗読劇「大山夫妻のこと」本番1日目。緊張して馬鹿デカイ国際フォーラムに向かう。

↑国際フォーラムの会場。余りのデカさにびびりまくり、チキン丸出しの夫(妻)

 

りょうさんと三宅弘城さんのコンビがこの朗読劇の先鋒となる。簡単な場当たりだけして、あとはお客様と一緒に私は客席から見ていたが、映画とはまるっきり違う緊張感があり、ドキドキした。りょうさんの母性的で落ち着いた雰囲気に包まれた妻と、動作や表情が妙におかしい三宅さん夫妻の、噛み合っているようで噛み合っていない夫婦像が面白く、お客さんから笑いが一つ起こるとあとは落ち着いて見られた。

 

夜は、三島有紀子監督、稲垣吾郎さん、門脇麦さんによる「カラマツのように君を愛す」から始まったが、その世界観を構築する演出家の凄みに圧倒される舞台で、この後に俺のってヤバくね?と委縮した。

 

が、それは杞憂でYOUさんとマキタスポーツさんは稽古中からハマっているように見受けていたのだが、切実なおかしみが滲み出るマキタさんと、言い回しが恐ろしく自然で怖くなるYOUさんのお2人はやはり相性バッチリで、お客さんもかなり受けていた。三島監督の作品とまるきり毛色も違っていてそれはそれで良かったのかもしれない。そして客席に身を沈めていると、「やっぱり劇場はいいよなぁ」としみじみ思った。

 

その後、観に来てくれた若い俳優さんお2人といっぱいだけ飲んで、近ごろ現実逃避をしによく行く池袋のカルマルというサウナでメンテナンスをして帰宅。

 

8月10日

朗読劇の楽日。少し心に余裕が持てる。3回目は平岩紙さんと中野明慶さん。平岩さんの雰囲気のせいか、妻が柔和でかわいらしい雰囲気に。そして中野明慶さんは天真爛漫な雰囲気で、夫が可愛く見えた。激しい夫婦喧嘩のやり取りもあるが、このお2人がお客さんは一番安心して見られるのではないかと思っていたら、大ゲンカのシーンは思わぬ迫力があり、客席も悪い意味ではなく静まり返り、笑うというよりは身につまされる感じがものすごく出た。好みはあるだろうが、私はそういうのは大好きだ。

 

同じキャラクターを三者三様に演じていただいて面白い試みだったなと思う。怖気づいていたが、この仕事を受けて良かった。

 

8月14日

朗読劇が終わって数日、ひたすらプロットを考え書く。それだけの、忙しいけれど空虚な夏だ。私にとって夏とは高校野球と帰省だ。阿久 悠さんだったか、名前は失念したが女性の作家だったか、夏は部屋に引きこもって甲子園の試合をすべて見るとおっしゃっていた方がいたが、私の場合は気が向いたときと、仕事から逃げる時にうたた寝しながら見るのが高校野球で、たまにとんでもなくグレイトエンターテインメントな試合に遭遇してしまうから高校野球は面白い。2006年夏の智辯和歌山vs.帝京高校の試合を私は岡山空港で見ていたが、あまりの面白さに飛行機に乗るのをやめた。何の後悔もないほどにその試合は面白かった。

 

そしてもう一つ、夏を感じるのが帰省だ。帰省=母の小言だ。毎年夏、3泊ほど鳥取の実家に帰るが、待ってましたとばかりに小言がはじまる。顔に生気がない。身体が弛緩しきっている。心も腐りきっている。それが外見に出ている。毎年そんなことを言われ、毎年ムキになって反論している。ついでに横でその小言を聞いている妻は、自分にも言われていると思っているようで、そのとばちりが私にくることもある。だからもう二度と帰るものかと思うこともあるが、帰っている。なぜなら私には自分の理想とする夏というものがあるのだ。それは私が幼いころに夏を過ごした熊本の風景だ。

 

私の母は鹿児島で生まれ育ったが、私が物心ついたときには母の実家は熊本にあった。私は小学生のころ、夏休みに入るとすぐに母と妹と熊本に行き、ほぼ夏休みいっぱい滞在していた。そこで友達もできたし、気の合う従兄や寅さんのような叔父もいた。子どものころの私の夏のイメージは熊本で彼らと目いっぱい遊ぶことだった。今にして思うと、なぜ母があんなにも長く実家で夏休みを過ごしていたのか、そして私と従兄をどこにでも遊びに連れて行ってくれた叔父さんの事情など、大人になってから見えてきたものもあるが、小学生の私にはまるでホウ・シャオシェンの映画のような世界だった。

 

あんな夏を自分の子どもたちにも過ごさせてやりたいという思いが強いのだ。過ごせているのかどうかは知らないが、娘も息子も、鳥取に帰省すれば私の同級生の子と海に行ったりバーベキューしたりして遊んではいる。夏休みにしか会わない友達との慣れるまでのちょっと気まずい時間とか、静かすぎる田舎の夜とか、おばあちゃんとの退屈な時間とか、そういう夏の断片の記憶が頭の片隅にあるといいなと思うのだ。いずれ子どもたちは帰るのも面倒になるだろうし、私の親だって先はもう長くはないのだからあと何回そんな夏を過ごせるのか分からない。そういう夏が今年はなくなってしまったが、皆様、いろいろと失った夏を過ごしていらっしゃるのだろう。大切な時間や場所を失った方も多くいるだろうし、何も失わず「なんなら今年の夏、サイコー!」という方もいるだろう。とりあえず、私はこんな新しい夏ならいらないから来年は普通の夏に戻ってほしい。

 

8月18日

朝から苦戦中のプロット執筆。思うように書けないと右の肩甲骨がうずき出し、腕が痺れ、頭がクラクラする。よってサウナに逃げる。マッサージなどで金も使う。悪循環だ。

 

13時からzoomでメッセンジャーの黒田有さんと対談。黒田さんには拙著『それでも俺は、妻としたい』をラジオで誉めて頂き、帯まで書いて頂き、その後新潮社で対談させて頂いた。1度しか会った事のない人とリモートで対談するのは大変緊張したが、黒田さんのプロのトーク力のお陰でスムーズに話が進んだ。感謝しかない。

 

黒田さんは小説やエッセイも書かれていて、私は勝手に黒田さんの書かれるものにシンパシーを感じている。少年期や幼いころの小さな出来事を書かれているものあり、その小さな出来事が、本人にとっては心にチクリと残っているような感覚のそれらの作品は、黒田さんの原風景が見えるような気がするのだ。

 

「黒田目線」という本にはドラマにしたら面白いと思うエピソードもたくさんあり、特に女性アイドルにサインをもらいに行く話が私は大好きだ。

 

夜、骨折娘が外に出たいというので家族で散歩に出る。娘は日がな一日テレビの前でNetflix、Amazon プライム・ビデオ、hulu、U-NEXTのアニメと言うアニメを見まくっている。たまには普通の映画も観ろというと心底うざったそうな顔をする。

 

松葉杖で歩くと脇が痛いようで自分から散歩に行きたいと言い出したくせに不機嫌になってくる。おまけに夜でもクソ暑く、上半身裸の息子はうるさくはしゃぎまわって娘のイライラの矛先となり、そんな娘を妻が咎めると親子ゲンカになり、黙っている私にも妻がキレだし、私は腹いせにうるさい息子を怒り、息子が泣き、みんなバラバラで帰宅。

 

8月24日

短い夏休みが終わり、親にとっては待ちに待った新学期だ。骨折娘を自転車の後ろに乗せて中学まで送る。他の生徒も通学するなか、父親と自転車に二人乗りというのが猛烈に恥ずかしいようで後ろから悪態つきまくってきてキレそうになったが、人前なのでグッと堪えた。息子は前夜から学校に行きたくないと渋りまくりだったが、いつも迎えに来てくれるⅯ君を見ると、機嫌を直して登校して行った。

 

娘と息子を見送って帰宅すると、妻が不動明王のような顔で待ち構えておりいきなり怒鳴りだした。

「テメェよぉ! 子どもの前だから我慢したけどいい加減にしろよ!」

「え、なに……」と訳も分からずキョトンとしていると、何でも私が朝食のお皿を片付けていた時、食器を洗っている妻の胸の先をケチャップ容器の先でかすめたというのだ。(かすめたじゃねえよ! 突っついただろうが! by妻)それで妻は頭から湯気を本当に出して怒っている。

 

「普通に家事してるときに突然オッパイ突っつかれると、痛ぇしキモいしメチャクチャ腹立つんだよ!」

 

確かにケチャップで胸をかすめたのはわざとではあるし、確かにその時、妻が凄い目で睨んでいたのも覚えている。だがこのように妻が怒り狂っているとき、私は余計な一言で誤魔化そうとしてしまう習性がある。

 

「いや、オッパイじゃなくて乳首だよ」と私は言ってしまった。

 

「はぁ!? そんなのどっちでもいいんだよバカ野郎が! 痴漢ジジイみたいに相手の尊厳踏みにじってるのが分かんねえのかよ、このクソハゲ! テメェもすれ違いざまに金玉握り潰すぞ!」と地獄の底から響き渡るような声でさらに怒鳴るので、そこでようやく謝ったが、「もう今日、取材行かねえ。オメェ一人で行きやがれ」と言って出て行ってしまった。そういえば今日は夕方に妻と一緒に「喜劇 愛妻物語」について取材を受ける予定だったのだ。まあどんなに怒り狂っても取材をすっぽかすようなことをするタイプではないからいいのだが、しかしすれ違いざまにオッパイをさらっと触るくらい若いころは「ヤダ、バカ」と笑って許してくれていたのに、どうしてこうも変わってしまうのだろうか。

 

夕方の取材に案の定、妻は来た。先方の計らいで酒でも飲みながらということになり(妻が酒好きなことをご存じなのだ)、アルコールを前に妻はすっかり上機嫌になって私の悪口を話した。その模様は、このサイトに近日アップ予定ですので是非ご一読ください。

 

 

【妻の1枚】

 

【プロフィール】

足立 紳(あだち・しん)

1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が2020年9月11日から東京・新宿ピカデリーほか全国で公開予定。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『それでも俺は、妻としたい』。

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