民間企業だからこそ出来る支援を探す。アイ・シー・ネットが挑む新たな「ウクライナ難民支援プラットフォーム」に込めた想い

2023年2月24日で、ロシアによる全面侵攻開始から1年が経過したウクライナ戦争。いまだ収まる兆しの見えないこの戦争により発生した多くの難民は、他国で避難生活を送っています。

 

その難民たちのために、新たな支援プラットフォームを立ち上げた日本企業があります。それは、「NEXT BUSINESS INSIGHTS」の運営元であるアイ・シー・ネット。政府機関や民間企業に向けて海外進出のための開発コンサルティング行っている同社社長の百田顕児氏によれば、そのプラットフォームは「20年間国際支援の現場に立ってきた自分たちが、その場で感じていた問題意識の解決策を形にしたもの」だといいます。プラットフォームの内容と革新性、込めた想いについて取材しました。

 

●百田顕児/アイ・シー・ネット株式会社 代表取締役社長、株式会社学研ホールディングス 取締役。早稲田大学法学部を卒業後、シンクタンクでODA事業に従事。2004年にアイ・シー・ネットに入社。2019年にアイ・シー・ネット代表取締役就任(現任)、2020年8月より親会社学研ホールディングス執行役員、同12月取締役(グローバル戦略担当)に就任。

 

民間企業だからこそ作れる、効果的なプラットフォーム

「ウクライナ難民支援プラットフォーム」は、ウクライナ難民を支援したいという意志を持つ日本企業を募集し、アイ・シー・ネットが構築したルートを使って、各社が提供した支援を難民たちに素早く届けるというものです。その最大の特徴は、アイ・シー・ネットという“民間企業”が主体となっている点にあります。これまでの難民支援は、政府や国連などの公的機関を通して行われるケースが主流でした。しかしその支援には、どうしても解決できない課題があったと百田氏は言います。

 

 

「公的援助のスキームだと、支援が難民たちにとどくまでに、長い時間がかかるんです。必要なものを必要なときに届けられないケースを、私たちはこれまで多く目にしてきました。また、現地政府と連携して行われる公的機関による支援には、支援内容もその政府の要望や制約が反映されます。一方で難民たちが求めている助けは多種多様なので、そういった支援だけでは彼らのニーズを満たすことが難しいのです。だから国際開発のノウハウがある弊社が、現地での調査やネットワーク構築を行い、必要な支援を迅速に行えるプラットフォームを作りました」(百田氏)

 

ウクライナ難民支援プラットフォームは、その支援の対象をウクライナの隣国であるルーマニアの3地区へ避難した人々に絞っています。最も多くの難民が流入している国はポーランドですが、アイ・シー・ネットはなぜルーマニアを選んだのでしょうか。その理由は、支援の偏りにありました。

 

ウクライナ近隣国の現況 ※参照:UNHCR Data Portal(2023 年1 月時点)及びアイ・シー・ネット独自のヒアリングにより作成

 

「ウクライナと国境を接している国のなかで、最多の難民が流入したポーランドには、国際機関による大型支援が集中しています。しかしその他の国にはそういった支援が行き届かない傾向があり、支援の緊急度が高かったのです」(百田氏)

 

アイ・シー・ネットでは、2022年の6〜7月にわたって現地調査を実施。日本からの支援が受け入れ可能なブカレスト、ヤシ、クルージュの3地区を支援対象に選出しました。これらの地区では合計1万人以上の難民が暮らしており、そのうち3000人が子どもです。

 

いま緊急性が高まっている支援ニーズとは?

難民からの多種多様な要望のなかでも、教育支援のニーズがいま特に高まっています。というのも、彼らの母国語であるウクライナ語による教育を、避難先で受けることができないのです。

 

「ルーマニアで教育支援が行われていないわけではありません。しかしそれは、難民たちが今後もある程度ルーマニアに定住することを前提とした、ルーマニア語による教育です。ラテン系であるルーマニア語は、スラヴ系のウクライナ語を母国語としている子どもたちにとっては理解が難しいうえ、そもそもルーマニアでの恒久的定住を望む難民は少数。彼らのニーズが満たされているとはいえないのが現状です」(百田氏)

 

アイ・シー・ネットが所属する学研グループでは、ウクライナ語の幼児向けワークブックをすでに寄贈しているほか、母国語による対面型授業を支援するプロジェクトも進行中だといいます。戦後直後に創業された学研は、「戦後の復興は教育をおいてほかにない」という理念のもとに生まれた企業です。学研グループによる難民支援は、その理念に根ざしたものとなっています。

 

 

学研グループによる支援の一方で、授業を行うための備品や文具、プリンターのような機材など、教育のために必要な多くのものが不足しているのが現状です。また教育以外にも、衛生・栄養や医療・介護の支援ニーズが増しています。アイ・シー・ネットの調査によれば、「新鮮な野菜や果実が手に入らず、食事量が減ってしまった」「栄養不足になり、下痢や便秘で困っている」「快適な寝具、運動器具など、ストレスを軽減させるツールがない」「風邪薬、抗うつ剤、不眠解消のためのマグネシウム・ビタミン剤が欲しい」といった声が寄せられているそうです。さらに、言語が通じない他国に避難したことによる、「人と話す機会が少ない」「道に迷ってしまったときも、言葉が通じないから周囲の人にも聞けない。外出が怖い」というような、コミュニケーション上の悩みも増加しています。

 

ウクライナ難民支援プラットフォームでは、難民たちがいままさに抱えている、これらの悩みを解決するための製品・サービスの提供を日本企業に呼びかけています。その例は多岐にわたっており、百田さんも「協力してくれる企業が増えさえすれば、できることは多い」と語ります。

 

「この挑戦をしないのは、無責任だと思った」

アイ・シー・ネットが作り上げた「ウクライナ難民支援プラットフォーム」。このプラットフォームが力を発揮できるかは、その想いに賛同する企業が多く集まるかにかかっており、まさに挑戦的な取り組みといえます。百田氏ならびにアイ・シー・ネットはなぜ、この一歩を踏み出したのでしょうか。

 

「ここ数年で、SDGsやサステナビリティをはじめとした、CSR(企業が果たすべき社会的責任)への注目が高まってきました。特に海外の機関投資家はCSRへの関心が高く、それに力を入れている企業の価値を高く評価する傾向があります。いまやCSRは、企業にとって、自身の価値を高めるためのパスポートのような存在です。さらにウクライナ戦争は大きな注目を集めている事象ですから、難民支援を行うことによる企業価値向上効果はより高まっています。そんないまだからこそ、このプラットフォームを立ち上げました」(百田氏)

 

またこのプラットフォーム作りは、同社の社会的ミッションを果たすための試みでもあります。

 

「私たちの会社は、“現地の人々の困りごとを解決する”ことにフォーカスして、これまで事業を行ってきました。そんな弊社が、ウクライナ戦争という危機にあたって、挑戦をしないのは無責任だと考えました。弊社には、国際開発の現場で培ってきたノウハウがありますし、スリランカの紛争復興支援、ロヒンギャの難民支援などに携わってきた経験も持っています。そのなかで、公的支援が抱える、スピード感の欠如などの課題を肌で感じてきました。それを解決するという挑戦は、私たちがずっとやりたかったことでもあります。そのときが、やっと来たのです」(百田氏)

 

取材の最初から最後まで、百田さんは情熱を込めて、ウクライナ難民支援プラットフォームに込めた想いを熱く語っていました。筆者としても、ウクライナ戦争が一刻も早く終わること、そして多くの企業がこのプラットフォームに集い、百田さんたちの熱意が結実することを願ってやみません。

蚊に刺される=感染…途上国への「虫ケア」でアース製薬が示すSDGsのカタチ

アジア、中南米、アフリカなどで流行している、デング熱やマラリアといった「蚊媒介感染症」(病原体を持つ蚊に刺されることで発生する感染症)。重症型のデング熱は、アジアやラテンアメリカの一部で子どもの死亡の主原因に挙げられるほど深刻な問題となっています。

吸血中のヒトスジシマカ

 

こうした蚊媒介感染症についてグローバルな取り組みを行っているのがアース製薬です。そのひとつが、蚊媒介感染症の発生率を低減する「ワールド・モスキート・プログラム(WMP)」でのベトナムにおける活動支援。2021年に新設された同社の「CSR(Corporate Social Responsibility )/サステナビリティ推進室」の皆さんに、推進室新設の経緯やASEAN諸国における感染症対策ソリューションなどについてお話をお聞きしました。

 

アース製薬だからできるユニークなCSR/サステナビリティ活動

同社では、事業を通じて社会課題の解決を目指す「CSV(Creative Shared Value)経営」を推進。「CSR/サステナビリティ推進室」では、室長の桜井克明さんを筆頭に、都市害虫学の専門家である角野智紀さん、国際NGO団体職員としてミャンマー国境にある移民・難民のための診療所で働いていた田畑彩生さん、グローバルでマーケティング企業に従事していたライアン・グィン・フィンさんという多様性あふれるメンバーが、アース製薬ならではのサステナビリティを日々追求しています。

右から、桜井克明さん、角野智紀さん、田畑彩生さん、ライアン・グィン・フィンさん、NEXT BUSINESS INSIGHTS編集長・井上

 

特にユニークな取り組みが、以下の3点です。

 

ASEANでは民間企業初となる虫媒介感染症への取り組み:ワールド・モスキート・プログラム(WMP)

オーストラリアの研究者らが立ち上げたWMPは、世界の人々を蚊媒介感染症から守るための非営利型イニシアティブ。主な活動は、蚊に共生細菌ボルバキアを感染させることで、デング熱媒介能の著しく低い蚊を作り、デング熱感染症率を低下させる取り組み。生態系を崩さずにデング熱などの感染を防げるとあって、大きな注目を集めています。同社では、2021年からベトナムにおけるWMPの支援活動をスタート。民間企業によるWMP参画は、ASEANでは初の試みです。

 

事業を通じた社会課題への取り組み:感染症トータルケアに役立つ先端的テクノロジーの活用

革新的な酸化制御技術「MA-Tシステム」を活用した製品開発・販売を推進。「MA-T」は、亜塩素酸イオンから必要な時に必要な量の活性種(水性ラジカル)を生成させることで、ウイルスの不活化や除菌を可能にするシステムです。既存の除菌剤より安全性が高く、長期保存できるため、避難所などで使用する除菌・消臭剤、感染症予防に役立つマウスウォッシュにも活用されています。さらに、農薬・医薬品、牛の糞尿から出るメタンガスからメタノールを製造する技術などへの応用も見込まれています。

「MA-Tシステム」を採用した肌用ミスト

 

自然環境を持続させる取り組み:環境・生物多様性の保全

自然環境を保全するため、外来生物対策、動植物の分布に関する調査・モニタリングなどを実施。例えば、兵庫県赤穂市生島では、国指定天然記念物の照葉樹林を保護すべく、つる植物ムベの伐採を実施。兵庫県姫路市「自然観察の森」では土壌動物の調査、小笠原諸島ではツヤオオズアリの防除を行うなど、自治体と連携しながら生物多様性の保全に取り組んでいます。

赤穂市生島での活動風景

 

グローバルで経験豊富、エッジの効いたメンバーが集結

井上 アース製薬は、2021年に「CSR/サステナビリティ推進室」を新設し、ユニークな取り組みを進めています。なぜこのタイミングで推進室を立ち上げたのでしょう。

 

桜井 一つは昨今のめまぐるしい社会情勢の変化です。また、当社はプライム市場へ移行することとなりました。それに伴い、私たちは「感染症トータルケアカンパニー」として世界の人々の安全で快適な暮らしを実現するするとともに、社会の持続可能性や価値向上の取り組みをさらに推進する必要があると考えました。

「CSR/サステナビリティ推進室」発足の経緯を語る桜井室長

 

井上 なるほど。とはいえ、アース製薬では創業以来、虫ケア用品を提供し続けてきましたよね。専門部署こそありませんでしたが、事業を通じて社会貢献をしてきたのではないでしょうか。

 

桜井 おっしゃる通り、虫ケア用品は、販売すること自体が感染症対策になります。事業と社会課題の解決がここまで直結した企業は、珍しいのではないかと思います。

 

井上 私が勤めるアイ・シー・ネット株式会社もODA事業に関わっていますが、当たり前にSDGsに取り組んでいたからこそ、ことさら「SDGsへの取り組み」をアピールすることには少しためらいがありました。貴社も、これまではあえてアピールする必要がなかったのかもしれませんね。

 

田畑 そうですね。確かに「SDGsに取り組んでいる」自覚は薄いかもしれませんが、どの社員も「自分たちはお客様のお困りごとを解決する製品を販売している」という認識を強く持っています。

 

井上 推進室の皆さんは、昆虫学や公衆衛生、マーケティングなどそれぞれの専門領域を極めた方々です。バックグラウンドも多様で、ユニークな顔ぶれですね。

 

桜井 ここまで経験値が高くてエッジの効いたメンバーは、珍しいと思います。例えば田畑さんは、公衆衛生を海外で学び、タイで感染症対策に取り組んできた経験があります。WHOや国連ならこうした経歴のスタッフもいるかもしれませんが、事業会社では希少。角野さんは、虫防除に関する国家資格の講師を務める害虫のスペシャリストです。

 

井上 ライアンさんは、どのような事業に携わっているのでしょう。

 

ライアン ベトナムの貧困地域に家を建てたり、衛生環境を改善したりといった海外事業を担当しています。ESG関連のデータ分析、英語によるレポートの作成なども行っています。

ライアン・グィン・フィンさんは、グローバルマーケティング企業や海外営業に携わっていた

 

井上 これだけエッジの効いた方々が揃っていると、面白い活動が生まれそうです。

 

生態系を崩さず、蚊媒介感染症を防ぐ

井上 さまざまな取り組みの中でも、ASEANなどの途上国に向けた蚊媒介感染症対策はアース製薬ならではだと感じました。蚊を駆除するのではなく、ボルバキアという共生細菌に感染させることで、蚊の個体数を下げることなく蚊媒介感染症罹患率を下げるという手法がユニークです。

井上自身も途上国での活動経験がある

 

田畑 蚊に接種したボルバキアは親から子へ受け継がれます。そのため、ボルバキアに感染した蚊の卵を公園などの木に吊るし、蚊媒介感染症を引き起こさない蚊を増やすという地道な活動を行っています。熱帯医学研究を行う、ホーチミン・パスツール研究所とも協働し、蚊の卵や幼虫を育てる設備も設けました。こうした活動により、生態系を崩さず、蚊媒介感染症の発生率を抑えることができる体制が整ってきました。

 

井上 感染症と言えば、近年では新型コロナウイルス感染症がまず頭に浮かびますが、ASEAN諸国では新型コロナよりもデング熱が喫緊の課題なのでしょうか。

 

田畑 デング熱などの感染症は、アフリカやアジアの途上国で大きな問題になっていますが、なかなか注目されることがありません。そのため、こうした病気は「顧みられない熱帯病」と呼ばれています。新型コロナウイルス感染症のワクチンはすぐに完成しましたが、デング熱のワクチンがなかなか開発されなかったのは、こうした理由もあります。もちろん創薬の難しさの違いもあると思いますが、根深い問題が横たわっているのも事実です。

 

「蚊に刺される=感染」という、日本にはない危機意識

井上 蚊媒介感染症対策を行う上で、現在もっとも注力している国はベトナムですか?

 

桜井 現在はベトナム、タイが中心ですが、今後はフィリピン、マレーシアなど現地法人がある国を起点に取り組みを拡大していきたい考えです。

 

田畑 世界では、この6カ月で約10万人ものデング熱患者が発生しています。アース製薬がWMPを通じて支援しているのは、当社工場があり、なおかつデング熱の罹患率が高い地域です。

アースコーポレーションベトナムの工場

 

ライアン 今後取り組みを拡大する際には、先ほど挙げた4カ国の現地法人が同じビジョンを持ち、同じアクションを起こしていくことが必要です。そのため、CSR報告書の英語版も作成しています。

 

井上 私はパプアニューギニアでマラリアに罹ったことがあるので、蚊には強い恐怖を感じます。日本と海外では、蚊に対する意識も大きく違いますよね。

 

田畑  タイなどでは「蚊に刺される=感染」という認識です。以前は、デング熱が蚊媒介感染症であるという認識が地方では低かったのですが、啓発活動を進めれば、意識が高まっていきます。

 

井上 そういえば、先ごろアース製薬のタイ現地法人が販売する蚊とり線香を、「アース虫よけ線香モンスーン」として日本でも販売開始されたそうですね。今後も、途上国向けの製品を日本に“逆輸入”することはあり得るのでしょうか。

タイの現地工場での生産風景

 

角野 あり得ます。海外のヒット商品を日本仕様に変更して発売することもありますし、「アース虫よけ線香モンスーン」のように販売するケースも増えるのではないでしょうか。グローバルの研究部と日本国内の研究部が互いに刺激し合い、切磋琢磨しながらより良い商品を開発できたらと考えています。

 

井上 近年、アース製薬では虫よけ線香や液体蚊とりを「殺虫剤」ではなく「虫ケア用品」と称していますね。

 

桜井 やはり“殺”という言葉には、ネガティブなイメージが付きまといます。私たちが目指すのは、虫を殺すことではなく人間を虫から守ること。人間と虫の住空間を分け、人間の生活をケアするという意味合いで、「虫ケア用品」と呼ぶようになりました。

 

角野 生態系を構成している生物は、必ず何かしらの役割を担っています。例えばボウフラは、汚泥を餌にしているので水を浄化してくれますし、他の生物の餌になります。オスの蚊は花の蜜を吸うため、受粉の手助けもしています。人間から見れば蚊は鬱陶しいだけの生き物かもしれませんが、ウイルスからすれば自分たちを拡散してくれるありがたい存在。そういった視点を忘れてはならないと思います。

角野さんの虫に対する造詣の深さに、推進室のメンバーも驚かされることがしばしば

 

海外でのSDGsビジネスは時間がかかる。大切なのは、長期的な視野を持つこと

井上 ASEANにおける虫媒介感染症対策は、現地の政府やNGOなどと連携して取り組みを行うケースも多いのでしょうか。

 

田畑 そうですね。現地大学と帝人フロンティアとの3者共同プロジェクト、JICAのSDGsビジネス支援事業など、さまざまな形で現地機関と連携しています。また、日本の技術を紹介すると、現地の方から「ぜひ一緒に製品開発を」とお声がけされることも多々あります。そういう時には、ローカルの方々との協働がポイント。開発する製品も現地に根づいたものになり、事業が継続的に広がっていきますから。

JICAの支援事業で活動する田畑さん(写真右)

 

角野 逆に、日本の技術をそのまま持ち出し、「これを使ってくれ」と言ってもまったく広まりません。日本とは習慣や文化が違うので、現地にアジャストさせる必要があるんです。手っ取り早いのは、現地の方々と一緒に取り組むことですね。

 

井上 国内にとどまらず、現地の人も巻き込んだグローバルなオープンイノベーションを促進しているんですね。

 

田畑 以前、国際協力、人道支援を行っていた時に学んだことですが、主役は現地の方々。彼らに「自国の人々の役に立ちたい」という思いがあると、現地に根差したものが生まれると思います。

 

井上 その考え方は、人道支援に限らずビジネスでも有効なんですね。

 

田畑 そう信じています。長年ODAに携わっていると、支援がどのように始まり、どのように終わるのか見えてきます。長く継続するのは、現地の方々が主体になって推進するプロジェクト。ビジネスにおいても、確実に同じことが言えます。モノや技術だけポンと渡すだけではダメ。丁寧にキャパシティ・ビルディング(目標を達成するために、その組織が必要な能力を構築・向上させること)を進めることが重要です。

 

角野 プロジェクトが終わってからも、定期的にモニタリングし、フォローする。それくらいやらなければ継続は難しいと思います。

 

井上 そうなると、事業化までかなりの時間がかかるケースも多くなると思います。最初から長期スパンで事業計画を立てるべきということでしょうか。

 

田畑 確かに時間はかかるので、企業が新規事業として継続するのはなかなか難しいかもしれません。本当にその国の社会課題を解決したいのであれば、長いスパンで考えるべき。と言っても、余裕のある企業でなければできないわけではありません。大切なのは、長期的な視野を持つことだと思います。

 

井上 プロジェクトを長く続ける熱意も必要。推進室には、情熱と突破力を併せ持つメンバーが揃っているんですね。現地でプロジェクトを進めるうえで、障壁になること、課題を感じていることはありますか?

 

田畑 文化や感覚の違いは、大きな課題です。例えば、日本では手を洗うことが当たり前ですが、「清潔」に対する意識が違うと、手洗いの習慣もなかなか根づきません。こうした単純な違いのほかに、宗教に基づく思想、長年にわたって培われてきた価値観、心情なども障壁となることがあります。

 

角野 現地でプロジェクトを進める際には、まず我々の常識を取り払うところから始まります。わからないことは現地の人に聞く。製品開発においても、現地でのモニタリングやアンケートは非常に重要。例えば、虫ケア用品には香りをつけることが多いのですが、「絶対にこの香りが好きだろう」と日本人が満場一致で選んでも、現地でリサーチすると全然違う結果になることも。日本の常識は持ち込まないというのが、大前提です。

 

井上 それだけ価値観が違うと、「手を洗いましょう」と啓発しても根づかせるのは難しそうです。

 

角野 そうなんです。ですから、「なぜ手を洗う必要があるのか」という前提から説明する必要があります。大人は今までに身についた習慣があるので、なかなか浸透しません。そこで、幼稚園や学校など小さなお子さんに指導し、自宅でも実践してもらうようにしています。そのうえで「だから石鹸が必要なんだ」と理解してもらう。こうした啓発活動が重要です。

 

田畑 大事なのは、衛生状況をいかに改善し、感染症の発生率をいかに抑えるか。理由がわかれば納得し、行動変容につながる。もちろんその結果、当社の商品が売れればWin-Winですが、人道支援的な立場から言えば、感染症が抑えられるなら、どこの製品を使っていただいてもいい。ちなみに私自身がNGO団体からタイに派遣された時は、アース製薬の製品を国境地域で使っていました。当社の製品は、現地のラストワンマイル(顧客に製品が届く物流における最後の接点)で、消費者の方々に選んでもらえる商品力があると思います。

NGO団体での活動経験を現職にも活かしているという田畑さん

 

井上 長年培ってきた土台があるのは強みですよね。ローカルでも戦える商品力、価格競争力があるからこそ、現地の方々に選ばれる。その土台があるから、今求められる社会課題の解決にも貢献できているのでしょう。

 

地球との共生を考える、アース製薬の未来像

井上 最後に、皆さんの今後の展望や、推進室で挑戦したい事業についてお聞かせください。

 

ライアン どの国でサステナビリティ活動を展開するにしても、まず優先すべきはその地域の方々です。現地の方々とともに成長し、次のステップとして、ともに経済的に発展していく。これまでは製品を売ることが最優先でしたが、推進室では現地の方々の思いを大切にしています。そこに魅力を感じますし、今後もその地域の方々のことを第一に考え、事業を展開していきたいと思っています。

ベトナムで活動するライアンさん

 

田畑 今回は虫媒介感染症の話をさせていただきましたが、私個人としては「MA-T」の事業展開に注目しています。「MA-T」は、感染症予防だけでなくメタンからメタノールを製造するなど、気候変動、地球温暖化の問題にもリーチできる可能性を秘めています。「MA-T」の除菌剤が国連調達品となり、難民キャンプや紛争地、災害発生地で活用されることが私の願い。地球規模の課題を解決する際には、経済、教育などの格差が障壁となりますが、「MA-T」はこうした格差を埋める一助にもなると確信しています。

 

角野 まずは、当社のサステナビリティ活動の基盤づくりをしっかり進めていきたいと思っています。また、ESG評価機関などへの情報開示も推進室の重要な使命。個人的な展望としては、生物を殺すのではなく生かす取り組みに、さらに力を入れたいと思っています。昨今は気候変動、資源循環、生物多様性といった地球環境問題への対応が求められていますし、アース製薬もその流れに乗り遅れるわけにいきません。実はアース製薬は、飼育昆虫の数や種類が日本一。その経験や技術を生かし、希少な在来種の保護・保全に貢献できたらと思っています。

 

【取材を終えて~井上編集長の編集後記】

どんな会社でも創業時には熱い想いをもって事業を展開していると思いますが、時間がたつとその想いが薄れるケースも多いと思います。アース製薬は創業から130年たった今でも、全ての社員が「お客様のお困りごとを解決する製品を販売する」という認識をもっているそうですが、これは並大抵のことではなく、ビジョンをしっかり社内に浸透させ続けてきた、これまでの会社の努力があったのだと思います。明確なビジョンを持ち、そして魅力的な人材が集まっているアース製薬が、どういう活動を展開されていくのか、今後が非常に楽しみです。

 

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取材・文/野本由起   撮影/干川 修