「サンキュー、ジャパン」F1界のレジェンドがUSJでキノピオ姿に…? 感謝のインスタ投稿が話題

世界のトップドライバーが三重・鈴鹿サーキットに集い、今年も熱い戦いが繰り広げられた自動車F1シリーズ第17戦の日本グランプリ(GP)。大会終了後には、“ある選手”のインスタグラム投稿が話題だ。

 

今回、SNSで反響を呼んだのは、F1史上最多の103勝を挙げ、通算7度の年間優勝を誇るルイス・ハミルトン(メルセデス)。5位に終わった今大会終了後の9月26日、公式インスタグラムを更新したイギリスのベテランドライバーは、文面に「サンキュー、ジャパン」と感謝の英文メッセージを綴ると、来日中に撮影された7枚の写真を公開している。

 

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日本人アーティストの空山基氏とコラボレーションしているヘルメットの写真や、東京・豊洲のアート施設「チームラボプラネッツ」を訪れた様子などがアップされているが、なかでも注目なのが、6枚目の写真。そこには、任天堂のマリオシリーズに登場する「キノピオ」の被り物を頭に乗せ、友人たちと一枚に収まったハミルトンの姿が…。

 

また、その画像に友人の一人として写っていたのは、リオ五輪のフェンシング男子フルーレ団体で銅メダルを獲得しているマイルス・チェムリーワトソン。「人生で最高の日、最高の旅だったかもしれない」と記された彼のインスタグラム投稿では、マリオシリーズのキャラクターに変装した別のショット、さらにゲームセンターで遊ぶ姿も投稿されている。

 

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ちなみに、今回の“キノピオ姿”が視線を集めていたのは、大会開幕前からだ。米放送局『ESPN』は9日、 F1専門のインスタグラムを更新し、「ハミルトンが日本の任天堂ストアでキノピオの帽子を被り、買い物していたのを目撃される」と投稿。すでにここでは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)で遊ぶハミルトンの後ろ姿が捉えられていた。

 

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大会に出場する一方で、日本を満喫していた様子のハミルトン。38歳になった今も第一線で活躍を続けるレジェンドの走りに今後も注目だ。

F1マシンが新幹線と並走! CG? 本物? “富士山の日”の仰天画像が話題に

2月23日、“富士山の日”に合わせてレッドブルの日本版公式ツイッターが画像を投稿。富士山をバックに新幹線が走行しているが、その手前の公道にはF1マシンが。これはCGなのか、それとも本物なのか?

 

この画像が撮影されたのは昨年の11月。写っているマシンは、2021年にマックス・フェルスタッペンがドライバーズランキング1位に輝いたチャンピオンマシン「RB16B」。レッドブルは「BAKUSOU」と題して、静岡・富士市と長崎・大村市で実際にマシンを公道で爆走させた。

 

これを受けて1月28日、「めっちゃエモい写真だけど、これどこまでホント? 2日後の真相をお楽しみにッ!!」と衝撃的な画像が投稿され、一連のストーリーがスタート。

 

2日後の1月30日に、新幹線と並走する動画を投稿すると、閲覧件数は約200万に。

 

公式サイトによると、静岡、長崎ともに約2kmの直線道路とその走行区間に繋がる道を完全封鎖。県や市などの地元政府や警察、さらに地元住民の方々やボランティアの方々など総勢100名以上と協力してこのプロジェクトを実現させたそうだ。

 

2月5日には「人生で一度は言ってみたいコト 爆音鳴ってるから家の外見てみたら F1マシンが走ってたんだよね~」と、F1ファンならまさに夢のような一言をつけて、迫力満点の動画も投稿。

 

撮影後、それぞれ協力してくれた地元の方々を招き、「RB16B」のお披露目会も実施した。「俺の街にも来てほしい!」と思った人も多いだろう。

 

ちなみにこのマシンは、日本のF1ファンにとっては特別で、2021年シーズンで撤退したホンダに感謝を込め、リアウィングとボディ部分に「ありがとう」の文字が入った日本GP用特別仕様。そのマシンが日本で再び爆走したことにもファンから感謝のコメントが多く寄せられた。

アップルのクックCEO、F1グランプリのチェッカーフラッグを振る! でも、あまり気乗りしていない様子

アップルのティム・クックCEOとサービス担当副社長エディ・キュー氏が、10月23日(米現地時間)に開催されたF1アメリカグランプリ(サーキット・オブ・ジ・アメリカズ)に参加。そしてクック氏があまり気乗りしない感じでチェッカーフラッグを振ったことが話題を呼んでいます。

↑Image:ESPN

 

米テキサス州オースティンにある同社のキャンパスを視察。そこで次世代のAppleシリコン(独自開発チップ)の設計に関する作業に賞賛を送ってから、招かれたF1グランプリに出席したかっこうです。

 

米スポーツ専門チャンネルESPNが公式アカウントで、まさにクック氏がチェッカーフラッグを振る瞬間の動画をツイートしています。しかし、本人は無表情のままで、特に感動した様子もなく、いかにも重たそうにフラッグを振っているようです。

 

この動画に対して「F1史上、もっとも惨めな瞬間」「新型スマートフォン(iPhone 14)が最小限のアップグレードしかしてないときも熱狂を偽っていたのに、壮大なレースでチェッカーフラッグを振るときに笑顔を浮かべることができないの?」とツッコミが相次いでいます。

 

おそらくクック氏がF1グランプリに出席したのは、動画ストリーミングApple TV+でF1関連番組を制作する契約を結んでいるためと思われます。今年3月、同社は数々の実績あるF1ドライバー、ルイス・ハミルトンの長編ドキュメンタリー製作を発表。ほか、ブラッド・ピット主演で『トップガン マーヴェリック』のジョセフ・コシンスキー監督によるF1レース映画の権利を獲得したとも報じられていました

 

しかし、クック氏ご本人がチェッカーフラッグを振るときは、もう少し演技力が求められるかもしれません。

 

Source:ESPN F1(Twitter)
via:9to5Mac

山本雅史インタビュー「10月9日の日本GPではフェルスタッペン選手の2連覇達成の瞬間を見たいですね」

2021年のF1グランプリ最終戦、アブダビGPで奇跡の逆転優勝を果たしたレッドブル・ホンダ。2015年にF1にカムバックするも、思うような成績を残すことができなかったホンダが、その後わずか数年でチャンピオンを獲るまでになった。その立役者の一人が元ホンダF1マネージングディレクターの山本雅史氏だ。初の著書『勝利の流れをつかむ思考法 F1の世界でいかに崖っぷちから頂点を極めたか』を上梓した彼に、6年間の思い、そして来る鈴鹿決戦に向けての意気込みをうかがった。

 

↑昨年の最終戦アブダビGP。残り1周での逆転劇は世界中のF1ファンに大きな興奮と感動を与えた

レッドブルのホーナー代表こそ、理想的で最高のリーダー

──山本さんがホンダのモータースポーツ部長としてF1に携わるようになったのが2016年。2021年にレッドブル・ホンダがワールドチャンピオンを獲るまでF1の世界で6年間戦ってきたわけですが、きっとひと言では語れないほどの紆余曲折があったかと思います。

 

山本 そうですね。確かに、僕がモータースポーツ部長になったのは2016年でしたが、F1専属になったのは2019年からだったんです。それまでは当時の八郷隆弘社長から国内のSUPER GTを立て直すように指示され、そちらに本腰を入れていました。八郷社長には「2018年にチャンピオンを獲ります!」と約束をしてしまったこともあって、本当に必死で(笑)。でも、そこで実際に制覇することができ、日本一になったという達成感もあって、「よし、次はF1でタイトルを獲るぞ」という気持ちで挑んでいったのが2019年でした。

 

──2019年というと、レッドブルとホンダがタッグを組んだ最初の年ですね。2015年にホンダがF1の世界に復帰し、マクラーレンチームとの低迷期を経て、2018年にはレッドブルの姉妹チームであるトロロッソ(現アルファタウリ)とパートナーに。徐々に速さや信頼性を取り戻している時期でもありました。

 

山本 僕はよく故・稲盛和夫氏(京セラ、第二電電/現KDDIの創業者)の言葉を借りて、“人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力”という掛け算の話をするんですが、レッドブルチームとは最初からこの掛け算が非常に上手くいっていました。チーム全体が、邪念なくただひたすら“レースで勝つ!”という方向を向いていましたから。そうした状況の中で、僕自身がF1に専念できたというのも大きかったです。僕はどんな仕事にも全力で挑んでいますが、体が一つしかない以上、100%の力を集中させられるタイミングというものがある。それに、メカニックやエンジニアの数だって無限にあるわけではなく、マンパワーにも限りがある。その意味で、僕も含め、すべての力を一点に集中できたのが2019年からだったんです。

↑レッドブル・ホンダにとって初優勝を果たした2019年オーストリアGP。フェルスタッペン選手は表彰台に現れると、ホンダを讃え、レーシングスーツのロゴを指差した

──その集中が見事に実り、マクラーレンとタッグを組んでいた2015年から2017年には一度も叶えられなかった表彰台という目標を、レッドブル・ホンダは2019年の開幕戦・オーストラリアGPでいきなり果たすことができました。

 

山本 マックス・フェルスタッペン選手が3位でレースを終えて。あの時は本当に嬉しかったですね。レース後はいろんな知人や関係者、友人たちから祝福のメールが届き、涙が溢れて、しばらく人前に出られなかったです(笑)。あのレースは、フェルスタッペン選手の技術のすごさはもちろんですが、やはりレッドブルチームは組織力がほかとは違うと実感した瞬間でもありました。最先端技術を注ぎ込んだF1とはいえ、最後にものをいうのは、やはり人間力なんです。いかに“流れ”を読み取り、その“流れ”が行き着く先を間違えずに突き進めていくかが大事で、かつ、それができるリーダーが不可欠になってくる。その点、レッドブル代表のクリスチャン・ホーナーは最高のリーダーだと言えます。“流れ”を間違えないために、とにかくいろんなスタッフとコミュニケーションを取り、状況と情報を把握した上で、それらを整理し、どこに集中していくかを選択していく。ホーナーさんとは一緒に仕事をするうえで学ぶことがたくさんあります。

 

──著書『勝利の流れをつかむ思考法』の中では、そのホーナーさんをはじめ、アルファタウリ代表のフランツ・トストさん、そしてレッドブル・レーシング顧問のヘルムート・マルコさんに山本さん自らがインタビューをされています。

 

山本 皆さん、快諾してくださって、嬉しかったです。しかも、手前味噌ですが内容も素晴らしくて。将来モータースポーツの世界を目指す子どもたちや、その親御さんに役立つ言葉をたくさんいただけたので、そうした方にもぜひ読んでいただきたいですね。何より、3人の言葉を全文掲載しているところがとても貴重で。国際映像でのインタビューやニュース配信などでは編集が入ったり、ジャーナリストたちの私見も加わってしまうので、F1関係者の言葉をそのまますべて読める機会ってなかなかないんです。

↑レッドブル・レーシング代表 クリスチャン・ホーナー氏(左)

──特に印象に残ったコメントはありましたか?

 

山本 どの言葉も刺激的でしたが、意外とマルコさんのコメントがドライだったのが面白かったです。やはり、純粋にレースにすべてを捧げている方なので言葉も真っすぐでしたよね。ホーナーさんには《僕に変わってほしいところはありますか?》と最後に聞いたのですが、「英語をもっと話せるようになってほしい」というのと、「あとはヘアスタイルだ」と言われました(笑)。

 

──(笑)。トストさんへのインタビューはトロロッソとホンダがタッグを組んだ際の裏話などもあり、興奮する内容でした。

 

山本 僕も初めて聞く内容があり、驚きました。また、来年もアルファタウリでレースをすることになった角田裕毅選手をどのように見ているかといったこともうかがっていますので、きっとF1ファンであれば楽しんでいただける内容になっていると思います。3人にも、次の日本GPでさっそく完成した本を見せようかと思っています。ただ、この本をクリスチャンに渡したら、「いいね、ヤマモト。で、俺にはいくらギャラをくれるんだ?」って言われるでしょうけどね(笑)。彼はそういうおちゃめなところがあるんです。だからこそ、チーム代表ではあるけれど、スタッフたちは怖がることなく、彼といろんな話や相談ができる。まさに理想のリーダーですよね。

↑著書『勝利の流れをつかむ思考法』では角田裕毅選手がF1のシートを獲得するまでの経緯も書かれている

鈴鹿の見どころは予選も含めたレッドブルのストラテジー

──さて、今お話にあったように、まもなく3年ぶりの日本GPが鈴鹿サーキットで開催されます(10月9日決勝)。マックス・フェルスタッペン選手が2連覇に向けて躍進されていますが、ひと足早く今シーズンを振り返ると、レッドブルチームにとってはどんな一年だったと感じていますか?

 

山本 今年から車体のレギュレーションが大きく変わり、あれだけ強かったメルセデスが停滞するなど、勢力図が大きく変わりましたよね。でも、さすがはエイドリアン・ニューウェイ(レッドブルのレーシングカーデザイナー)で、これまでにも数々のチャンピオンマシンを生み出してきた彼が、PUの信頼性を生かして見事にアップデートしたマシンを作ってくれたなと思います。また、僕が言うのもおこがましいのですが、フェルスタッペン選手も昨年チャンピオンを獲ったことでますますドライバーとして成熟してきましたし、レースを重ねるたびにどんどんと彼にとってドンピシャのマシンに仕上がってきているので、今はまさに無敵状態だと言えます。

 

──では、ずばり今年の鈴鹿の見どころは?

 

山本 3年前の日本GPで、フェルスタッペン選手はフェラーリのシャルル・ルクレール選手と接触をし、結果的にリタイヤとなりました。ですから、彼にとっては納得できないレースのままで鈴鹿は止まってしまっている。今は彼も俯瞰でレースを見られるようになりましたし、もし同じ状況になれば、一度は引いて、改めて勝負をするという判断ができるはず。そうした成長にも注目したいです。また、その勢いで表彰台の真ん中に立ち、ファステストラップも獲ればワールドチャンピオンが決まりますからね。ぜひその景色を見てみたいです!

↑当初は昨年の日本GPで走らせる予定だった特別なカラーリングのレッドブルマシン。日本GPの代替レースとして開催されたトルコGPでお披露目された

──可能性はどのくらいあると思いますか?

 

山本 期待はしていますが、鈴鹿サーキットは低速コーナーから中速、高速ストレートとすべての場面でパワーが必要なテクニカルなコースなので、贔屓目なしで判断すると、若干フェラーリが有利かなと思っています。それに対して、レッドブルがどんなセットアップで対抗していくのか。予選の戦い方や決勝でのストラテジー(戦略)も含め、見どころは多いと思いますよ。

 

──また、山本さんは今年から国内レースの最高峰であるスーパーフォーミュラでTEAM GOHの監督も務めていらっしゃいます。10月29日・30日にはいよいよ最終戦を迎えますので、そこに向けての意気込みも教えてください。

 

山本 今年一年間、監督を経験してみて、難しさを痛感しました。スーパーフォーミュラはやはりレベルが高いんです。“日本一速いドライバーを決める戦い”という謳い文句は伊達じゃなく、マシンごとにほとんど性能差がないので、チームの組織力やドライバーの腕が顕著に出る。それに、マシンの車高が0.5mm違うだけで「挙動が違う」というドライバーもいるほどですし、そうしたシビアな状況の中で特性の異なるサーキットを戦い抜くというのは本当に大変でした。もちろん、だからこそ、お客さん側からすれば面白いレースが毎回楽しめるんですけどね。またTEAM GOHは佐藤蓮選手と三宅淳詞選手という若い2人がドライバーのチームですから、僕の力の足りなさも含めて、なかなか思うような理想的なレースができていませんでした。でも、最後はやっぱり大きく飛躍したものをお見せしたいですね。特に蓮選手はレッドブル・レーシングとホンダがタッグを組んだ若手育成プロジェクトのドライバーでもありますから、「最終戦は絶対に表彰台を獲りに行くぞ」と2人で話し合っています。

↑2021年アメリカGPの表彰台セレモニーに山本雅史氏が登壇。19年のお返しと、レッドブルのロゴを指すパフォーマンスを見せた

──楽しみです! では最後に、GetNavi webにはクルマ好きな読者が大勢いますので、山本さんがこれまで乗り継いできた愛車遍歴を教えていただけますか?

 

山本 自動車免許を取って最初に買ったのはホンダの二代目プレリュードでした。リトラクタブル・ライトで、当時ものすごく流行ったクルマなんですよね。純粋なスポーツカーであり、運転していて楽しかったです。その後は、ホンダに勤めながら全日本カート選手権にも参戦していたので、カートを積むためにハイエースに乗り換えました。次にインテグラ。マイケル・J・フォックスさんをCMに起用し、「カッコインテグラ」のキャッチコピーで一世を風靡したクルマです。インテグラのあとは、結婚していたこともあってバンを乗るようになり、まずはアダムス・ファミリーのCMが印象的だったオデッセイに。こう振り返ると、やっぱりいいクルマはCMもすごく印象に残ってますよね。それからは同じくバン系のエリシオンでした。当時は僕の奥さんもシビックに乗っていましたね。

 

──今は何を?

 

山本 奥さんとは共通してミニクーパーが好きだったので、いつか乗ろうと話していて。今はそれが叶ってミニに乗っています。それとマカン(ポルシェ)も。ミニはゴーカート感覚でキビキビ走るし、サイズもちょうどいい。普段乗りしていて非常に楽しいです。マカンはデザインが気に入っていますし、長距離を走るのにラクですね。あと、近所に買い物に行く時は奥さんのN-BOX SLASHを借りたりと、目的によって使い分けています。本当は新しいシビックのTYPE Rも欲しいなと思ったんです。デザインも性能も本当に素晴らしくて、レーシングドライバーの伊沢拓也選手も気に入って購入したと話していたぐらいなので、クルマ好きにはたまらない仕上がりになっているんですよね。でも、すごく人気で2年待ちだというので断念しました。

 

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山本雅史●やまもと・まさし…1982年、株式会社本田技術研究所に入社。 2012年、栃木研究所技術広報室長、16年、 本田技研工業株式会社モータースポーツ部長を歴任し、19年よりHonda F1専任としてマネージングディレクターに就任。 21年、Red Bull Racing Hondaのドライバーズチャンピオン獲得に貢献。 22年2月に独立し、MASAコンサルティング・コミュニケーションズ株式会社を設立。 現在、Red Bull Racingの子会社でRed Bull Powertrainsとコンサルティング業務契約を結び、アドバイザーとしてF1に参画。 一方、国内レースでは全日本スーパーフォーミュラ選手権でTEAM GOHの監督として、若手ドライバーの育成をサポート。 講演・セミナー活動なども行なっている。

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勝利の流れをつかむ思考法 F1の世界でいかに崖っぷちから頂点を極めたか

発売日:2022年10月6日(木)
発行:株式会社KADOKAWA

定価:1,650円(本体1,500円+税)
ISBN:978-4-04-605999-4
判型:四六判 ページ数:240P

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取材・文/倉田モトキ

“皇帝”が駆ったF1マシンが9億円で落札も最高額更新ならず、さらに上には上が

日本時間8月18日、アメリカ・カリフォルニア州モントレーで行われたRMサザビーズのオークションに、歴代1位タイとなる7度のF1ドライバーズチャンピオンに輝いた、“皇帝”ことミハエル・シューマッハがドライブしたフェラーリ「F300」が出品された。

 

 

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1998年のグランプリに投入されたこの「F300」はシーズン6勝を挙げ、なかでも今回出品されたシャーシナンバー「187」はカナダ、フランス、イギリス、イタリアGPの4戦で走行しすべて優勝した無敗のマシンだ。

 

8月22日に落札された入札額は622万ドル(約8億5300万円)となったが、F1マシンの最高落札額には届かなかった。

 

 

現在のF1マシン最高落札額は750万ドル(約10億4300万円)。2017年11月に落札された「フェラーリ2001」だが、このマシンのステアリングを操作したのもシューマッハ。この年、ドライバーズとコンストラクターズのWタイトルを獲得した伝説のマシンで、出品されたシャーシナンバー「211」はモナコとハンガリーGPで優勝した。

 

しかしこの日、シューマッハのマシンよりも注目された逸品があった。

 

 

これは1950年代に伝説的な名ドライバーが数多くステアリングを握ったフェラーリ“ビッグブロック”スポーツレーシング・プロトタイプで、落札額はなんと2200万5000ドル(約30億円)。上には上があるものだ。

F1レジェンド、マンセルが「セナ・タクシー」などの伝説を生んだ最強コレクションを放出!!

1980年代後半から1994年まで、F1は日本でも社会現象ともいえるほどのブームとなった。そのなかでも、初期のブームを牽引したのが、アラン・プロスト、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ、そして“大英帝国の愛すべき息子”と呼ばれたナイジェル・マンセルだった。

 

そのマンセルが、自身のコレクションを世界最古の国際競売会社、サザビーズに提供。5月14日から開催されるモナコオークションで「ナイジェル・マンセル・コレクション」として出品される。

 

 

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計5台の希少なコレクションの1台が、1989年のフェラーリ640。セミオートマチックトランスミッションを初めて実戦に投入したマシンで、マンセルは初戦のブラジルGPでマクラーレン・ホンダのプロストを抑えて優勝を飾った。さらに第10戦のハンガリーGPでは、予選12位から猛然と追い上げ、マクラーレンのセナをファステストラップでオーバーテイクしシリーズ2勝目をマーク。この伝説的な一台は推定落札価格250万~500万ユーロ(約3億2000万~6億4000万円)と見られている。

 

そして、1991年のドライバーズランキング2位を飾った「レッド5」ウィリアムズ・ルノーFW14だ。

 

 

第7戦のフランスGPから3連勝を飾ったマンセル。第8戦、マンセルの地元イギリスGPでは独走で優勝すると、ウイニングラップの途中、そこまで2位だったセナがファイナルラップでガス欠。コース脇にたたずむセナの近くにマンセルはマシン停車し、セナをサイドポンツーンに乗せてウイニングランを続けたのだ。

 

「セナ・タクシー」と呼ばれたこのシーンはF1ファンの間でも伝説となっている。そして、1991年シーズン終了後、ウィリアムズはマンセルの成功を称えてこのFW14-5を贈った。ルノーのV型10気筒エンジンはシーズン終了後にルノーに移管されたため、オリジナルそのものではないが、落札価格は150万~300万ユーロ(約1億9000万~3億8000万円)となっている。

 

 

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この他にも、マンセルにまつわる希少車3台が含まれるが、フェラーリ640とウィリアムズFW14は、それらの時代のF1を象徴する重要なマシンだけに、一体いくらで、誰が落札するのか、その動向が大いに気になるところだ。

フェラーリとマクラーレンを巻き込んだ「F1スパイ事件」とは…

人の物を盗んではいけない。それはF1でも同じだ。盗んではいけないのは形ある物だけでなく、形のないモノ、すなわち技術情報にもあてはまる。

F1では人の入れ替わりが激しい(欧米では一般企業でもそうだろう)。昨年まであっちのチームにいたエンジニアやメカニックが、次の年はこっちにいるなどというケースはざらだ。例えば、エイドリアン・ニューウェイというレーシングカーデザイナーはマーチ(レイトンハウス)でF1でのキャリアをスタートし、ウイリアムズ~マクラーレン~レッドブルと渡り歩いている。

 

重要な技術情報にアクセスできる立場にあった人物が別のチームに移る場合、その人が技術情報をデータとして持ち出さなくても、頭の中に最新の情報が入っている。だから、ある程度の大物がチームを移籍する場合は、機密情報が人と一緒に移動しないよう、長期休暇をとらせるのが慣例になっている。

 

この休暇を「ガーデニング休暇」と呼んだりする。実際には強制的に休まされているワケで、「庭いじりくらいしかすることがない」という皮肉が込められている。庭いじりがしたくて休んでいるわけではない。

 

■チーフメカニックが最新の技術情報を流した

2007年、人がチームを移ることによって情報が移動するのではなく、あるチームから別のチームに意図的に機密情報が渡された大事件が起きた。「スパイゲート」と呼ばれる、F1の歴史に残る大スキャンダルである。情報を渡したのはフェラーリ。受け取ったのはマクラーレンだ。どちらも名門であり、だからスキャンダルになった。

 

フェラーリで情報を渡したのは、チーフメカニックを務めていたナイジェル・ステップニーというイギリス人だった。マクラーレンで情報を受け取ったのは、チーフデザイナーのマイク・コフランで、やはりイギリス人である。ふたりは1980年代の一時期をロータスで過ごした。つまり、同僚だった。

フェラーリのチーフメカニック・ステップニーが最新の技術情報をマクラーレンに流した

 

ステップニーは2007年型フェラーリ(つまり当時最新である)の技術情報が記された数百ページにもおよぶ書類をコフランに手渡した。何を思ったか、コフランはその書類を印刷業者に持ち込んだ。その印刷業者がフェラーリに知らせたことで情報漏洩が発覚したと伝わる。フェラーリがアクションを起こしたことで、事件になった。

 

2007年7月上旬にフェラーリが法的なアクションを起こすと、公聴会やら何やらが頻繁に開かれ、結論が導き出されるまでに2ヵ月を費やした。もちろん、シーズンの戦いと並行しながらである。

 

フェラーリから流れた技術情報がマクラーレンの2007年型マシンに反映された証拠は見つからなかったが、ルールを統括するFIA(国際自動車連盟)は事態を重く見、この年マクラーレンが獲得したコンストラクターズポイントをすべて剥奪した。そうでなければフェラーリを僅差で抑えてチャンピオンになっていた。さらに、1億ドル(当時のレートで約120億円)の罰金を科した。

 

さらに、マクラーレンは2008年に参戦するマシンの技術情報を事前にFIAに提出するよう求められた。フェラーリから入手した情報を生かしていないかどうか、確認するためである。そのうえで、マクラーレンを2008年シーズンに参戦させるかどうか判断するとした。結果的に参戦は認められ、この年、デビュー2年目をマクラーレンで過ごしたルイス・ハミルトンが史上最年少(当時)でチャンピオンになった。

マクラーレンのマシンに、フェラーリからの技術情報が反映された証拠はなかった

 

■当事者のひとりは55歳で謎の死を遂げた

フェラーリのステップニーもマクラーレンのコフランもチームを追われた。ステップニーは機密情報をライバルチームに漏らしただけでなく、所属チームで破壊工作を試みた罪も問われた。コフランは2011年にウイリアムズのチーフエンジニアとしてF1に復帰すると、2013年シーズン途中でチームを離れた(成績不振の責任を取らされた模様)。

 

ステップニーは2010年にレース界に復帰。2012年はJRMというイギリスのチームのチーフエンジニア兼チームマネージャーとして、ル・マン24時間レースへの参戦を果たした。筆者は車両の開発状況を聞こうとル・マンでステップニーにインタビューをしたが(もちろん、スパイゲートの件には一切触れていない)、温厚なその表情からは一切犯罪者のニオイは感じられなかった。むしろ、陽気でフランクな人物という印象を受けた。

 

インタビューが終わるとステップニーは、「実はオレ、ル・マン初めてなんだよ。慣れなくて落ち着かないな」と茶目っ気たっぷりに語ったのを覚えている。

 

2014年5月2日、ステップニーはイギリスの高速道路で路肩にバンを止めて車道に降りたところ(なぜそうしたのか、理由は不明)、トラックに轢かれて死亡した。55歳だった。

 

【著者プロフィール】

モータリングライター&エディター 世良耕太

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立。F1世界選手権やWEC(世界耐久選手権)を中心としたモータースポーツ、および量産車の技術面を中心に取材・編集・執筆活動を行う。近編著に『F1機械工学大全』『モータースポーツのテクノロジー2016-2017』(ともに三栄書房)、『図解自動車エンジンの技術』(ナツメ社)など

 

世良耕太のときどきF1その他いろいろな日々:http://serakota.blog.so-net.ne.jp/