サーキットでリアルタイムにコーチング! スマート・レーシングコーチ「Catalyst」がドライビングパフォーマンスアップをサポート

ガーミンジャパンは、海外で先行発売中の、サーキット・トラックでのドライビングパフォーマンスを計測・分析するデバイス「Catalyst(カタリスト)」を、1月20日に発売します。税込価格は15万円。

 

同製品は、あらゆるレベルのドライバーのために開発された、レーシングコーチ・デバイス。世界中のサーキットコースを収録したトラックデータベースがあらかじめセットされており、コースごとにトラックドライビングのパフォーマンス分析ができます。

 

あらゆる条件で精密なGPSデータを計測できる同社の技術を活用し、コーナーリング走行やラップタイムなど詳細データを取得。それらを分析することで、コーナーを曲がるときの最適なライン取りや、他の走行データと比較した、改善のアドバイスを提案します。また、TRUE OPTIMAL LAP技術により、各トラックセグメントでの最短時間と実際の走行ラインに基づいた目標ラップタイムも毎回表示し、リアルタイムとアフターセッションの両面でパフォーマンス向上をサポートします。

 

サーキットコースは手動で追加が可能で、走行中のドライビングアドバイスはヘッドホンやBluetoothを経由したカーステレオでの音声ナビゲートも提供。本体デバイスは7インチのディスプレイを備えており、走行後すぐにデータを確認できます。

 

アクテビティ記録は、スマートフォン用アプリ「Garmin Connect Mobile」で確認可能。同アプリでは、同社のウェアラブルデバイスを利用して、自身の健康状態をモニタリングすることもできます。

鉄道ゆく年くる年…開業、運転再開、新車導入ほか2022年はこんな年になる

〜〜2022年 鉄道のさまざまな出来事を予想〜〜

 

鉄道コーナーでは本年も鉄道をめぐるさまざまな話題をお届けしたい。まずは2022(令和4)年の初頭、寅年の鉄道をめぐる動きをピックアップした。

 

今年も注目の新型車両が走り始めるなか、長年親しんできた車両が消えていく。まだ日程は決まっていないものの新路線の開業も予定されている。

 

【2022年の話題①】10年の歳月を経て復旧を果たす只見線

まずは自然災害で不通になっていた路線再開の話題から。

 

福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶJR只見線は、2011(平成23)年7月30日に新潟・福島両県を襲った豪雨によって、同路線の複数の橋梁が流失し、各所で路盤が流失してしまった。1週間前に「只見線全線開通40周年」の記念列車が運転されたばかりだった。

 

一部区間はその後に復旧工事が進められ運転再開にこぎつけた。だが、被害が甚大だった只見駅〜会津川口駅間の復旧が問題となった。地元自治体との話し合いが滞り、復旧方針が定まらなかったこともあり、長年、不通のままになっていた。不通区間には代行バスが走っており、復旧費用が甚大になるということで、バス運行をそのまま続けるべきとの意見も多数見られた。

↑福島県の只見駅。同駅と小出駅間は列車が走るものの、会津川口駅との間は代行バスが走る。左上は只見駅から先の不通区間の様子

 

筆者も実母の郷里が近いため、何度か乗車したが、只見町周辺は山深いところというイメージが強い。雪深く、国道が平行して走るものの、只見から新潟県方面は、冬になると国道が閉鎖される。また会津若松方面へのアクセスも、国道に頼るしかなく、大雪になると除雪に手間どり移動が大変になる秘境エリアでもある。こうした公共インフラの脆弱さもあり、福島県がバスに変換する案に難色を示していた。

 

最終的には、福島県が復旧費用の負担を増やすなどで話し合いがまとまった。また、施設は福島県、運行はJR東日本が行う上下分離方式へ事業構造を変更することになった。2022(令和4)年度の上半期には復旧工事が完了の見込みで、2022年中の運行再開が発表された。

 

運行再開された後には、ぜひとも完乗し、路線の素晴らしさを改めて楽しみたいと思っている。

↑険しい山々に囲まれた第八只見川橋梁。雨の中でも作業船が川に出て復旧作業が進められていた 撮影:2019(令和元)年5月31日

 

↑本名ダムの前には第六只見川橋梁が架かっていた。大型重機を持ち込んでの架橋工事が進む 撮影:2019(令和元)年5月31日

 

【関連記事】
夏こそ乗りたい! 秘境を走る「只見線」じっくり探訪記

 

【2022年の話題②】西九州新幹線が秋に暫定開業へ

現在、九州には山陽新幹線と九州新幹線の路線が設けられている。この九州新幹線の西九州ルートとして計画されたのが、長崎まで走る新幹線の路線だ。2008(平成20)年に一部区間の工事が着工された。標準軌サイズのフル規格新幹線として工事が進められ、武雄温泉駅(たけおおんせんえき)〜長崎駅間66.0kmの路線工事が完了。2022(令和4)年秋に開業することになった。

 

路線名は西九州新幹線と決まり、走る列車にはかつての寝台特急、現在は博多駅〜長崎駅を走る「かもめ」の名前が引き継がれることになった。

↑JR大村線の沿線から眺めた西九州新幹線の高架橋。武雄温泉駅〜長崎駅間はフル規格の新幹線路線として開業する

 

西九州新幹線の開業はうれしいニュースだが、課題も残った。九州新幹線の新鳥栖駅と、武雄温泉駅の間の新幹線の路線を今後どうしていくかという問題だ。

 

当初、同駅間は台車の軌間サイズを線路幅に合わせて変更できるフリーゲージトレイン(軌間可変電車)を採用しようと計画されていた。

 

1998(平成10)年にフリーゲージトレインの試験車両がつくられ、各種試験が進められていた。第三次試験車両までつくられたが、予測していなかった車軸の摩耗が発生。長年の試験によりある程度の成果は得ることができたが、車両関連費用が従来の新幹線の2倍前後かかり、また安全性が確保できないということから、JR九州では導入を見合わせている。フリーゲージトレインの開発はその後も進められているものの、実用化の道は険しい。それとともに、新鳥栖駅〜武雄温泉駅間の新幹線路線をどうするのかも宙に浮いたままとなっている。

 

西九州新幹線が誕生した後に平行する在来線はどのように変わるのだろうか。

↑レトロな趣の長崎本線の肥前浜駅。同駅までは電化区間として残るとされている

 

在来線もこの秋に、大きく変更されそうだ。博多駅から武雄温泉駅までは、リレー列車が運行されることになる。以前、九州新幹線が新八代駅〜鹿児島中央駅間を先行開業した時と同じ対応法だ。現在、博多駅〜長崎駅間を走っている特急列車は廃止となるが、「かもめ」の名前は西九州新幹線の列車名として残る。

 

一方、大きく変わりそうなのは長崎本線の肥前山口駅から長崎駅までの在来線だ。現在、電化区間として電車が運行されているが、JR九州では、コスト削減のために非電化区間としたいとしている。肥前山口駅〜長崎駅間のうち、肥前山口駅〜肥前浜駅間は電化区間として残すという情報も伝わってきている。

 

長崎駅〜佐世保駅間にはハイブリット車両のYC1系がすでに走っているが、このYC1系の増備が同区間で必要な車両数以上に進んでいる。この車両を長崎本線の主力とするのであろうか。佐賀県と長崎県の在来線の運行形態もだいぶ変わりそうである。

 

【関連記事】
波穏やかな大村湾を眺めて走るローカル線「JR大村線」10の秘密

 

【2022年の話題③】走り始める注目の新車両

2022(令和4)年も複数の新型車両が走り始めることになりそうだ。まだ運転開始日は明らかになっていない車両もあるが、注目の車両に触れておきたい。

 

◆東武鉄道 C11形蒸気機関車123号機

↑2021(令和3)年12月24日に火入れ式が済み、SL大樹の牽引機の仲間入りを果たしたC11形123号機  写真協力:東武鉄道株式会社

 

今年、新たな蒸気機関車が走り始める。東武鉄道のC11形蒸気機関車の123号機だ。同車両は、滋賀県を走っていた江若鉄道(こうじゃくてつどう)が太平洋戦争後に導入した機関車で、同鉄道ではC11形1号機とされていた。その後、北海道の雄別炭鉱(ゆうべつたんこう)鉄道→釧路開発埠頭へ譲渡され、現役を退いた後は、個人が保有していた。

 

静態保存していたC11形を東武鉄道が譲り受け、2年前から復元作業を進めていた。2021(令和3)年12月24日には蒸気機関車に〝命を吹き込む〟神事の「火入れ」が行われ、2022(令和4)年にはいよいよ本線を走ることになりそうだ。

 

「SL大樹」の牽引機といえば、すでにC11形蒸気機関車の207号機と325号機が走っていて、123号機が加わることで3機体制となる。蒸気機関車はメンテナンスや検査に時間がかかる。また古い車両のため過度の負担は禁物だ。調子が悪く運転を断念せざるをえない日もある。人気の列車をこれからも継続的に運行させるために、3機体制が欠かせなかったというわけである。重連運転など、鉄道好きな人が喜びそうな運行も可能になるわけで、どのような体制になるか今から楽しみだ。

 

◆JR東海 HC85系特急用ハイブリッド車

↑防音防振対策も施され乗り心地が改善されたHC85系。先行車両の試運転も進み、量産車64両の新製も決定 写真協力:東海旅客鉄道株式会社

 

JR東海の非電化区間を走る特急「(ワイドビュー)南紀」、「(ワイドビュー)ひだ」。両特急には長い間キハ85系が使われてきた。キハ85系が新製されたのは、国鉄からJRになってすぐの1988(昭和63)年から1992(平成4)年にかけて。すでに30年以上の〝ベテラン車両〟になりつつあった。

 

キハ85系の後継車両として開発が始められたのがHC85系で、すでに試運転が始められている。HC85系は回生ブレーキによりつくられた電気を蓄電池にため、その電気とディーゼルエンジンで発電した電気を組み合わせ、電気モーターを動かして走る仕組みのハイブリッド方式を採用。ハイブリッド方式の鉄道車両としては初めて、日本最速の120km/hという高性能な車両となっている。

 

2022(令和4)年度の運転開始と発表されているが、どのような走りが見られるのか、楽しみにしたい。

 

◆JR東海 315系近郊用電車

↑丸みを帯びた前照灯にオレンジの帯の315系。まずは中央本線の中津川駅〜名古屋駅間に導入予定 写真協力:東海旅客鉄道株式会社

 

東海地区の東海道本線、中央本線、関西本線、飯田線等の電化区間を走る通勤型電車といえば、今は211系、213系、311系、313系の4タイプ。近年、313系が増備されつつあるが、国鉄時代に生まれた211系も、まだまだ走り続けている。この211系の後継車両として開発されたのが315系だ。

 

新型電車らしく、あらゆる面での性能向上が図られた。例えば211系に比べて電力消費量の35%低減を実現した。また、主要な機器が2重系統化されたために、故障しにくくなっている。バリアフリー対応の設備も充実し、全編成に車いす対応トイレを設置、車両とホームの段差を縮小するなどの工夫が施される。ほか1両に5か所の車内防犯カメラ、3か所の非常通話装置を設置。冷房機能にはAIによる自動学習・制御最適化機能も国内で初めて導入した。

 

運転開始は3月5日を予定している。2021(令和3)年度内には8両×7編成、計56両が新製される。12月中旬現在すでに4編成が試運転を始めている。

 

◆京都市交通局 20系電車

京都の町を南北に走る京都市営地下鉄烏丸線(からすません)。開業は1981(昭和56)年のことで、長年にわたり10系電車が使われてきた。最も長く走る電車はすでに40年を経過している。

 

この10系の後継車両として導入されるのが20系で、外観や内装には京都の伝統技法の「鎚起(ついき)」が使われている。従来の平面的な10系の車体正面と比べると、曲線を生かしたデザインとなり、よりスタイリッシュになった印象だ。運転開始は3月の予定で、現在走る10系20編成のうちの9編成までを、2025(令和7)年までに新型車両に置き換える予定だ。

 

◆JR九州 西九州新幹線N700S

2022(令和4)年秋の開業に合わせて同路線を走る新幹線車両が、2021(令和3)年12月22日に日立製作所笠戸事業所で報道公開された。すでに東海道・山陽新幹線用に導入されているN700Sを西九州新幹線用にリメイクした車両で、従来のN700Sが16両編成であるの対して6両と短い編成に変更。

 

デザインはJR九州との縁が深い水戸岡鋭治さんで、内外装とも水戸岡さんらしい味付けがなされている。西九州新幹線の路線に運ばれ、路線上でどのような姿を見せるか、今から楽しみだ。

 

【2021年の話題④】今年に引退していく車両といえば

新型が登場する一方で、長く走ってきた車両は引退となっていく。今年は意外な人気車両も第一線を退きそうだ。定期運用を外れる車両も含めて見ていこう

 

◆JR北海道 キハ283系気動車

↑長く札幌と道東・釧路の間を走ったキハ283系「おおぞら」。特急車両らしいスタイリッシュな姿も春で見納めとなる可能性が高い

 

キハ283系はJR北海道の札幌駅〜釧路駅間を走る特急列車に長年使われてきた。運用開始されたのは1997(平成9)年のことで、振り子式車両の特長を生かし、営業最高速度は130km/h、設計最高速度は145km/hと高速を誇る。導入前まで4時間25分かかっていた札幌駅〜釧路駅間の所要時間が、導入後は最短3時間40分と大幅なスピードアップを実現した。

 

ところが問題が生じてしまう。2011(平成23)年5月27日に脱線火災事故が起きたのだ。その後に運転最高速度を110km/hに引き下げたこともあり、性能が生かせなくなっていた。そのため、それまでキハ283系が使われていた「スーパーとかち」を汎用タイプのキハ261系に置き換え。さらにこの春には「おおぞら(以前の名はスーパーおおぞら)」も置き換えられ、キハ283系による定期運用が消滅する。

 

高性能が活かせなかったことに加えて、構造が複雑でメンテナンスに手間がかかる振り子式構造も弱みとなった。JR北海道で残る振り子式車両は、キハ281系のみとなる。キハ281系は現在、特急「北斗」に使われているが、こちらもキハ261系との置き換えが進んでいる。今後キハ281系もどうなるのか気になるところだ。

 

◆JR東日本 E3系「とれいゆつばさ」

↑山形新幹線の福島駅〜新庄駅間を走るE3系「とれいゆつばさ」。スタイリッシュな塗装で人気の観光列車となっている

 

当初は秋田新幹線に導入され、その後に山形新幹線用にも導入されたE3系。すでに秋田新幹線からは撤退したものの、山形新幹線は走り続けている。そんな山形新幹線を走る観光列車がE3系「とれいゆつばさ」である。

 

E3系「とれいゆつばさ」は秋田新幹線用のE3系0番台R18編成を改造し、2014(平成26)年から走り始めた観光列車である。車内に足湯や、座敷席があるなど、くつろげる新幹線車両でもあった。7年あまり走ってきた名物列車だったが、老朽化もあり3月に運行終了することが発表された。

 

E3系自体も後継のE8系が2024(令和6)年度から導入される予定が発表されている。まだ先の話とはいえ、長年走り続けたE3系も徐々に消えていくことになりそうだ。

 

◆JR九州 キハ47形・キハ147形「はやとの風」

↑明治期に建てられた嘉例川駅に停車する「はやとの風」。同駅で5分停車するなど、観光列車らしいダイヤが組まれ親しまれた

 

肥薩線の吉松駅と鹿児島中央駅の間を走っていた特急「はやとの風」。沿線に1903(明治36)年築という古い木造駅舎の駅、大隅横川駅や嘉例川駅(かれいがわえき)があることや、吉松駅で、肥薩線の観光列車「いさぶろう・しんぺい」に乗り継げることもあり人気となっていた。

 

この「はやとの風」が3月21日で運行終了となる。肥薩線が自然災害で不通となり、復旧が見通せなかったことが大きいのだろう。

 

ちなみに、車両は西九州新幹線の開業に合わせて生まれる新D&S列車「ふたつ星4047」に再改造される予定だ。完成後のイメージイラストを見ると「はやとの風」が黒い車体だったのに対して、「ふたつ星4047」は白のベースに金の帯になる予定で、対極とも言える車体カラーに生まれ変わりそうだ。

 

◆小田急電鉄 ロマンスカーVSE(5000形)

↑シルキーホワイトと呼ばれる白い車体にバーミリオンの帯。小田急線で長らく親しまれてきた名物車両も数年のうちに消えていく運命に

 

本原稿の準備をちょうど進めている時に、ニュースが飛び込んできた。小田急の人気ロマンスカーVSE(50000形)が春に定期運用を終了するというのである。

 

VSE(50000形)が生まれたのは2004(平成16)年のこと。「ロマンスカーの中のロマンスカー」と称され、小田急のフラッグシップモデルとして導入された。1963(昭和38)年に登場したNSE(3100形)に初の前面展望席を設けて以来、LSE(7000形)、HiSE(10000形)、そして本形式のVSE(50000形)と小田急ロマンスカーの伝統ともなっている前面展望が受け継がれた電車でもあった。

 

近年はEXE(30000形)やMSE(60000形)と展望席のないロマンスカーも導入されたが、GSE(70000形)には展望席が設けられているように、展望席はロマンスカーらしさの象徴のようにも思われる。

 

登場してからまだ18年ほどのVSE(50000形)。鉄道車両としてはまだまだ〝若い車両〟と言って差し支えない。それが定期運用を終了させるという。小田急電鉄としては唯一残った、車両と車両の間に台車がある「連接構造」がマイナス要素となったのだろうか。

 

春に定期運用が終了した後、2023(令和5)年秋ごろまでは臨時ダイヤでの運行が行われる予定だとされ、今すぐに消えるわけではないが、その動向が気になる車両となった。

 

【2022年の話題⑤】先祖返り!? 富士山麓電気鉄道へ名称を変更

この春には富士急行という鉄道会社名が消えて、新たに「富士山麓電気鉄道株式会社」が生まれる。

 

富士急行は山梨県内の大月駅〜河口湖駅間の路線を持つ鉄道会社だ。会社の設立は1926(大正15)年9月18日と古く、当時の社名が「富士山麓電気鉄道」だった。後の1960(昭和35)年5月30日に富士急行という名称に変更している。

 

その後、60年以上にわたり富士急行の名前が使われたが、2021(令和3)年に鉄道事業の分社化が発表され、2022(令和4)年4月1日からは正式に富士山麓電気鉄道となる。同社の歴史をふりかえれば、〝先祖返り〟することになるわけだ。

 

同社では分社化して動きを良くし、環境変化に即応するためと説明している。新型コロナ感染症の流行の前には、訪日外国人により非常に潤っていた同社だが、この2年は利用者の著しい減少に陥っていた。

↑富士急行の名物といえば、車窓から見る富士山の眺望。写真は8500系「富士山ビュー特急」

 

新型コロナウイルス感染症のまん延が始まったのは2020(令和2)年の春。そこからもうすぐ2年近くの歳月がたつ。鉄道経営にも経済的な影響がじわじわと忍び寄っているというのが現状なのだろう。

 

まだ始まったばかりの2022(令和4)年ながら、新たなニュースを見ていくと、鉄道自体が、難しい時代に直面していることが透けて見えるように感じる。

↑河口湖駅前で保存される富士山麓電気鉄道のモ1形、左下は富士山麓電気鉄道当時の時刻表。この当時の鉄道会社名に戻ることに

 

 

2022年はe-bike人口が増えるかも⁉︎ のりごとーが爆売れアイテム&サービスを予想

インフルエンサーは、家電やガジェット、ファッションなどの様々な情報をライフスタイルとともに発信し続けています。 今回は、クリエイターののりごとーさんに、2022年に爆売れ必至のアイテム&サービスを占ってもらいました!

※こちらは「GetNavi」2022年2月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

エコでオシャレな電動自転車e-とこ取りbike

スポーツバイクに電動アシストユニットを搭載したe-bikeが増加しています。バイクとして公道を走れる高い走行性能とスタイリッシュなデザインを両立し、要注目です。

 

e-bike 史上初めてバイク兼自転車を実現

glafit
ハイブリッドバイク GFR-02
19万8000円

自転車の外見に電動バイクの機能を備えるハイブリッドバイク。「モビチェン」機構を取り付けた際は自転車として走行できます。数年にわたり関係省庁と協議を重ね、国内史上初の車両区分切り替えが認められました。

 

街乗りに特化したコンパクトでエコなモデル

MATE. BIKE
MATE CITY
27万5000円(最大アシスト距離80㎞/14.5Ah)

3ステップで簡単に折りたためるスマートなボディのe-bike。シグネチャーモデル「MATE X」からタイヤとフレーム中心に小型化を図り、21.5㎏となりました。女性でも乗り回しやすいデザインを実現し、バッテリー出力もエコに抑えられます。

 

▼選んだのはこのインフルエンサー

[動画クリエイター]のりごとーさん
YouTube「のりごとー」チャンネルなどでガジェットレビューやファッション、旅行について発信。最近は自転車関連の動画が好評だ。

バイク? それともBMX? ユニークなスタイルで目立ち度抜群のROCKA FLAME「HAYATE」に乗ってみた

最近、街中でも見かける機会が増えている極太のタイヤを履いたe-Bike(スポーツタイプの電動アシスト自転車)だが、今回紹介するROCKA FLAME(ロカフレーム)の「HAYATE」というモデルはBMX風のフレーム構成としたユニークな1台。そのほかにも世界初という車体中央にバッテリーを搭載する設計など、個性的な機構も採用するモデルはどんな乗り味なのか?

↑価格は26万4000円(税込)。サイズは全長1695mm×全幅590mm、重量31.8kg。試乗車はオプションのライトとキャリアを装備していました

 

バイクっぽいルックスにユニークな機構を採用

ROCKA FLAMEは元はアパレルブランドでしたが、近年はe-Bike事業を立ち上げ、バイクのような極太タイヤを履いた3モデルをラインナップしています。その中でも「HAYATE」はBMXタイプのフレームを採用した最新モデル。従来であればモーターを搭載するペダルの付け根部分にバッテリーを積んでいるユニークな設計です。

↑ここに搭載されているとモーターのように見えますが、実はバッテリー。SAMSUNG製でUSBでスマホへの給電も可能です

 

↑モーターはリアホイールの車軸(ハブ)部分に搭載。BAFANG(バーファン)製で5段階に切り替えができます

 

↑モードの切り替えなどは左手側のコントローラで操作します。アシスト可能な距離はモードによって異なりますが70〜200kmとなっています

 

ホイール径は20インチと、数値的には普通のBMXと同じですが、太いホイールとタイヤを履いているのでバイクのような見た目になっています。ホイールがスポークタイプではなく、キャストになっているのも、バイクっぽく見えるポイントでしょう。フロントにはサスペンションタイプのフォークを装備しています。

↑キャストタイプの太いホイールもBAFANG製。タイヤサイズは20×4.125インチです

 

↑ブレーキは前後とも機械式のディスク。31.8kgの重量がある車体をしっかり止めます

 

↑バイクのようなコイルスプリングを内蔵したフロントフォークを採用。調整機構も搭載する

 

↑リアにサスペンションは搭載しませんが、サドルにバネが装備されていてショックを吸収します

 

変速ギアはリアのみの7速。ハンドル形状はBMXっぽいアップタイプなので、上体が起きたライディングポジションです。グリップはエルゴノミック形状のレザータイプ。自転車には珍しいハンドルロックや、サイドスタンドなど街乗りで便利な機能もしっかりと押さえています。

↑変速ギアはシマノ製のTournyグレード。7速とギアの段数は多くありません

 

↑ハンドル形状はかなり角度のついたアップタイプ。BMXには多い形状です

 

↑手のひらを受け止めるエルゴノミック形状のグリップに、指で操作するタイプのシフターを採用

 

↑アルミ製のフレームは、溶接跡もきれいで高品質。フォークの付け根にはバイクのようなハンドルロック機構が搭載されている

 

↑接地面が広く安定して車体を支えられるサイドスタンドを装備する

 

↑オプションのLEDヘッドライト。バイクっぽいルックスを際立たせる装備です

 

リラックスして走れる都会派e-Bike

BMX風のスタイルは軽快感がありますが、重量は31.8kgと重めです。上体が起きたライディングポジションで、シートもどっかりと座るタイプなので、跨ってみるとBMXというよりクルーザー的な雰囲気。アシストは力強いですが、ペダルをガンガン踏んでいくというよりは、ゆっくり流すような走り方が合っています。

↑太いタイヤが転がっていくのを感じながら、のんびりクルージングするように走るのが気持ちいい

 

太めのタイヤは抵抗が大きそうですが、ブロックのないスリックタイヤなので走っているとそこまで抵抗は感じません。お尻を受け止める形状のサドルには、スプリングも装備されているので凸凹のある路面でも乗り心地は快適です。アシストの力を借りながら、街中を走るのが適しているモデルといえます。登り坂も走ってみましたが、サドルにどっかりと腰をおろしたままペダルを回しているだけでスイスイと登っていけました。

↑立ち漕ぎをする必要もなく、座ったまま余裕を持って登っていけます

 

乗り味はBMXというよりクルーザー的なものでしたが、極太のタイヤで街中を流すのはかなり気持ちいい。アシストなしで、このタイヤと重量となるとかなり足に負担となりそうですが、e-Bikeだと全く苦になることなく走れるのも新鮮です。このスタイルはかなり人目を集めるので、人とは違った乗り物で目立ちたい人におすすめです。

 

撮影/松川 忍

 

 

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「買って間違いなし!」と断言する2021年コンパクトSUV5選。おすすめグレード付き

近年、「クロスオーバーSUV」の人気は高く、SUVといえばクロスオーバーSUVを指す場合も多く見られます。クロスオーバーSUVとはクロスカントリー車の高い走破性と、乗用車の快適性を「融合(クロスオーバー)させる」という意味が込められています。

 

そのクロスオーバーSUVのジャンルのひとつであるのが、コンパクトSUV。ボディサイズはミドルサイズSUVよりも小さくてコンパクトカーサイズ、欧州でいうとBセグメントにあたります。日本では近年、ラインアップが拡充しており、人気ジャンルのひとつとなっています。今回は自動車評論家の岡本幸一郎さんが断言する、2021年に登場した「買って間違いなし!」のコンパクトSUVを5台紹介します。

 

【その1】このサイズの中で考えられることはすべてやりつくした

ホンダ

ヴェゼル e:HEV Z(4WD)

311万8500円(税込)

2021年4月に「ヴェゼル」の2代目モデルが発売した。このサイズの中で考えられることはすべてやりつくしたという完成度が光る1台。手ごろなサイズを初代から踏襲しながらも、これがヴェゼル!? と思うほど雰囲気はガラリと変わって、まるで車格が上がったかのよう。流麗なクーペスタイルながらも車内は広く開放的で、独自のセンタータンクレイアウトによる低くフラットなフロアのおかげで高さのある荷物もラクに積み下ろし可能。エアコンの「そよ風モード」のようなユニークなアイデアも光る。

 

初代とは別物の「e:HEV」によるスムーズな加速と低燃費も魅力。乗り心地もいたって快適で、実は4WD性能も想像以上に高い。見た目のオシャレな「PLaY」も魅力的だが、なぜか4WDの設定がなく、納期にも時間を要することから、現時点では「Z」の4WDをイチオシとしたい。

 

 

【その2】カローラの名にふさわしくあらゆる面でそつのない仕上がり

トヨタ

カローラ クロス ハイブリッド(4WD)

279万9000円(税込)〜

トヨタは2021年9月、カローラシリーズ初のSUVである「カローラクロス」を発売した。コンパクトとミドルの中間的なサイズ感だが、充実した装備内容のわりに価格はコンパクトクラス並みにリーズナブル。一連のカローラシリーズとの共通性を感じさせるスッキリした内外装デザインをはじめ、各部の広さも走りもカローラの名にふさわしくあらゆる面でそつのない仕上がりで、なんら気になるところがない。

 

SUVとしてのニーズに応えるべく居住空間も荷室も十分な広さが確保されていて、リアシートを倒すとロードバイクだって積めるほどだ。ガソリン車とハイブリッドのどちらにもよさがあるが、イチオシはハイブリッドの後輪をモーターで駆動するE-Four。非常時給電モードを備えたAC100V/1500W電源コンセントが設定されているのも魅力。

 

 

【その3】ノートの魅力をさらに昇華させる上品さも感じられる

日産

ノート AUTECH CROSSOVER FOUR(4WD)

279万6200円(税込)

バリエーションを多彩に揃える新型「ノート」。そのラインアップのひとつとして加わったのがカスタムグレードの「AUTECH」で、コンパクトSUVクラスに数ある車種の中でも異彩を放っている。AUTECHブランドの一員と位置づけているのは、カタログモデルにはない特別感を表現するため。

 

とっつきやすいコンパクトなサイズ感はそのままに、専用に仕立てられた内外装は、並み居る競合車に対してひと味違う雰囲気を感じさせる。動力源をe-POWERのみにわりきったのも特徴で、内燃エンジン車にはない瞬発力のある加速はモーター駆動ならでは。さらに、従来車とは別でリアに高出力モーターを配した現行型の4WDは、ハンドリングの仕上がりも抜群によくなっていてオススメだ。

 

 

【その4】新型は粗削りだった走りも洗練された

ダイハツ/トヨタ

ロッキー ハイブリッド(2WD)/ライズ ハイブリッド(2WD)

211万6000円〜(税込)/216万3000円〜(税込)

ダイハツの5ナンバーサイズのSUVが「ロッキー」。トヨタ「ライズ」は、ロッキーのOEM車になる。貴重な5ナンバーのSUVであり、最小回転半径が5.0mと小回りが利きながらも、クロカンテイストのたくましいフォルムと、5ナンバーサイズながら車内や荷室の十分な広さが確保されているのが強み。予想していたとおり大人気を博す。

 

発売から2年が経過。これまでエンジンが1.0Lターボのみだったが、2021年に1.2Lの自然吸気とハイブリッドが加わった。当初は全体的に粗削りだった走りも最新版はずいぶん洗練されていて、「e-SMART」と名づけられたダイハツ独自のシリーズ式ハイブリッドは、バッテリー容量もモーター性能も控えめでエンジンは頻繁にかかるものの、モータードライブならではのスムーズで静かで上質な走りを実現している。

 

 

【その5】キャプチャーを選ぶなら「インテンス テックパック」

ルノー

キャプチャー インテンス テックパック

319万円(税込)

ルノー「キャプチャー」はすでに欧州ベストセラーSUVになったほどの実力の持ち主で、あらゆる点でクラスを超えている。スタリッシュな外観は見てのとおりで、内装の質感もなかなか高い。上級車からのダウンサイザーに向けて最適なスペースを確保すべく全長とホイールベースが長く確保されているほか、リアシートが16cmも前後にスライド可能で、荷室容量はクラストップの536Lと圧倒的な広さを誇る。

 

このクラスの量販モデルとしてはかなり速い154PSで270Nmを発揮する1.3L直4ターボエンジンは、4気筒らしい上質な吹け上がりを実現。極めて俊敏なハンドリングも持ち味。20万円差で操舵支援や電動レザーシートの付く「インテンス テックパック」を選ばない手はない。

 

 

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e-Bikeならではの新しさを感じる乗り味! FANTIC「ISSIMO」試乗レビュー

昔、自転車のようにペダルが付いている“モペッド”と呼ばれるバイクがあったのをご存じでしょうか? 今回紹介するFANTIC(ファンティック)の「ISSIMO(イッシモ)」は同ブランドで過去に生産していたモペッドの名前を復活させたe-Bike(スポーツタイプの電動アシスト自転車)です。イタリア生まれらしい個性的なスタイルが魅力ですが、どんな走行性能なのか確かめてきました。

↑バイクとも自転車とも違う独特のデザインが目を引く「ISSIMO」。価格は39万6000円(税込)、カラー全4色展開

 

ヨーロッパで人気のオシャレなe-Bike

FANTICはイタリアに本拠を置くバイクメーカー。近年はe-Bikeの生産にも力を入れており、本格的な走破性を持つe-MTB(電動アシスト付きのマウンテンバイク)もリリースしています。「ISSIMO」はそんなブランドが都市でのモビリティとして開発したモデル。太いタイヤに負けないインパクトのあるデザインのフレームや、幅の広いハンドルなど、e-Bikeの中でも個性の強い1台です。

 

特にユニークなのがフレームの設計。跨ぎやすいステップスルーと呼ばれる形状ですが、横から見ると井桁状のトラス構造になっていて、剛性を確保するとともに個性的な見た目にも一役買っています。

↑アルミ製のフレームは幅も広く、井桁構造にすることで剛性を確保しています

 

↑フロントにはバッテリーから給電されるライトを装備。フレームに埋め込まれたようなデザイン

 

↑リアにはボックス状のキャリアを装備していて小物を入れられます。この部分のないモデルもラインナップされています

 

e-Bikeの心臓部であるモーター(ドライブユニット)はBAFANG製。車体の中央に搭載するセンタータイプで、e-MTBなどにも採用されるグレードの高いユニットが装備されています。バッテリーも車体中央に近い位置に搭載され、フル充電でのアシスト可能な距離は70〜120kmとなっています。

↑ドライブユニットは「M500」というスポーツモデルにも採用される上位グレード

 

↑フレームと一体でデザインされたバッテリー。630Whと容量はかなり大きい

 

↑ハンドル中央部にディスプレイを装備。アシストは5段階に切り替えられる。USB端子も標準装備

 

変速ギアやハンドルなどの操作系もユニークなパーツセレクトになっています。変速ギアは5速ですが、シマノの内装式で一般的な外装式と違って停車中の変速操作もできるのが特徴です。シティサイクル的なフレーム形状ながら、ハンドルはマウンテンバイク並みに幅広で、前後に制動力の高い油圧ディスクブレーキを装備しているところも興味深いところです。

↑シマノ製「NEXUS」の内装5段変速を採用。メンテナンス頻度が少ないのもメリットです

 

↑ブレーキは前後とも油圧式で、ディスク径も大きい180mmとマウンテンバイク並みのスペック

 

↑フロントにはサスペンション式のフロントフォークを採用。ストロークは短いながらも作動はスムーズ

 

↑ハンドルの形状はシティサイクルっぽいですが、幅はマウンテンバイク並みに広い

 

↑グリップはエルゴノミック形状で、シフトやコントローラーの操作も右手側で行う

 

↑街乗り向けの車種なので、安定性に優れたサイドスタンドも標準で装備

 

似たものはないが作り込まれた乗り味

低く跨ぎやすいフレームに、幅広でお尻をしっかり受け止めるシート、それにアップライトなハンドルは街乗りにフォーカスしたモデルであることを感じさせます。ただ、実際に乗ってみると幅の広いハンドルによく効くブレーキの組み合わせは、マウンテンバイクに乗っているような感覚で、ママチャリタイプの電動アシスト自転車とは明らかに異なる上質さです。車重は33.5kgとかなり重いのですが、ペダルを回すと軽々と進むので、その点も普通の自転車とは異なり、新しい乗り物に乗っている感覚。バイクとも自転車とも違うe-Bikeならではの乗り味と言えるでしょう。

↑のんびり走っているようですが、軽々と進んで行く感覚はe-Bike独特のもの

 

重量級の車体ながら軽快に進むのは、BAFANG製の「M500」ユニットが80Nmとスポーツモデル並みのトルクを発揮できる性能を持っているから。ペダルを踏み込むというより回すような感覚ですが、これにはセットされているクランクが短いことも効いていると感じました。少ない動きでペダルを回せるので、脚の筋肉をほとんど使わずに進んでいくような気分です。

↑高トルクを発揮する「M500」ユニットに、短いクランクの組み合わせが独特の乗り味に貢献

 

力を使わずにスムーズに進む感覚は、登り坂でも同様で、ペダルを回しているだけでスイスイと登っていくことができます。坂道でも太ももの筋肉はほとんど使いません。

↑ペダルを踏み込まずに回しているだけで登って行く不思議な感覚

 

車体自体の設計も優れているようで、荒れた道を走ってもハンドルを取られることはありませんし、コーナーリングも太いタイヤと高剛性のフレームのおかげでバイクのような安定感です。今までにない新しい感覚の乗り物に仕上がっている「ISSIMO」。さらに、さまざまなカラーやデザインのサイドカバーの追加も可能で、ユーザー好みのカスタマイズも楽しめます。従来のバイクや自転車に物足りなさを感じている新しもの好きな人は、ぜひ一度乗ってもらいたい完成度です。

 

撮影/松川 忍

 

 

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大学生が世界最高峰の大会に挑む! 東海大学ソーラーカーチームの強さの秘密

1987年から始まった「ブリヂストン・ワールドソーラーチャレンジ」(以下、BWSC。創設当初の名称は「ワールド・ソーラー・チャレンジ」)。オーストラリア北部のダーウィンを出発し、アデレードまでを結ぶ総移動距離3020キロメートルの砂漠地帯を南下。日の出から日暮れまでを太陽の力だけで、5日間走り抜けます。

 

この過酷な舞台で、過去に総合優勝2回、準優勝2回、3位1回と学生ながら世界の強豪チームを凌ぐ好成績をおさめてきた東海大学。その強さの秘訣とは? そもそもなぜ学生が世界的なレースに参加することになったのか? 1996年から東海大学のソーラーカープロジェクトを指導している木村英樹教授に、モータージャーナリストの御堀直嗣さんがインタビューしました。

 

【関連記事】ソーラーカーとソーラーカーレースの驚くべき7つの真実

 

ソーラーカーレースは、メーカー競争からアカデミックな大会へ

手作りで完成した第1号車「Tokai 50TP」。安定性を重視した結果、2人乗り4輪の構造となった

 

御堀直嗣さん(以下、御堀):東海大学でソーラーカーに取り組もうと思われたのは、なぜだったのですか?

 

木村英樹先生(以下、木村):プロジェクトがスタートしたのは1991年だったのですが、翌年に東海大学創立50周年を迎えるというタイミングでした。海外で電気自動車への注目が集まり始めた時期だったため、松前義昭初代監督は電気自動車とは異なったアプローチを……と模索する中で、ソーラーカーに行きあたったのです。ここから研究がスタートしました。

 

御堀:その頃は、世界的にも地球温暖化への関心が一気に高まった時期でしたね。「ワールド・ソーラー・チャレンジ」(当時)に参加されたのはいつからでしょうか? 1987年から大会が始まり、GM(ゼネラルモーターズ)の「Sunraycer(サンレイサー)」が優勝したと記憶しています。

 

木村:はい、初代チャンピオンはGMですね。東海大学は1993年から参加していますが、当時はまだGMやホンダといった世界的な大手自動車メーカーも参加していました。ただ、アメリカのミシガン大学やスタンフォード大学、EU圏からも多くの大学が参加していたため、自動車メーカーの大会というより、アカデミックな分野としても注目されていたと思います。

「ワールド・ソーラー・チャレンジ」は今世紀に入ってからは2年に一度、奇数年に開催されているのですが、東海大学はプロジェクト発足以降、2009年と2011年に優勝、連覇を果たしています。次の2013年大会は準優勝でした。

 

1993年大会のホンダのマシン

 

こちらは、同年に初参戦した際の東海大学のマシン

 

初優勝を飾った2009年のマシンには、シャープのソーラーパネルを搭載。大会新記録を叩き出した

 

パナソニックのソーラーパネルを搭載した2011年のマシン。2位に1時間5分の大差をつけて優勝したのち、翌年の南アフリカ大会では3連覇を達成している

 

準優勝を獲得した2019年モデル。2021年現在も同マシンを使用しているが、外装には8月よりスポンサーに加わった大和リビングのロゴが追加に

 

御堀:直近で開催された2019年大会でも準優勝でしたね。

 

木村:はい。優勝したベルギーのルーベン大学とは、わずか12分差とあと一歩のところでした。

 

学生たちが主体となって進める“学生によるプロジェクト”に

2021年に秋田で開催された大会「ワールド・グリーン・チャレンジ」で、マシンを整備する学生たち

 

御堀:素晴らしい成績を残していますね。

 

木村:我々教授陣はアドバイザーとして関わっていますが、企業のエンジニアからも直接指導をいただき、さまざまなサポートを受けています。そのような環境の中で学生自ら役割を考え、チームを編成しているんですよ。

 

御堀:学生主体なんですか。東海大学のソーラーカーチームは、どのような役割分担で活動しているのでしょうか?

 

木村:壮大なプロジェクト活動の中で学ぶことを掲げた「東海大学チャレンジプロジェクト」の一つである「ライトパワープロジェクト」として、現在約60名の大学生・大学院生が活動しています。大きく分けると、戦略を考えるストラテジーチーム、運営や広報を行うマネジメントチーム、機械部分を担うメカニクスチーム、モーターやバッテリー・発電管理を行う電気チームに分かれています。しかし、機械学科だからメカニクスというように担当する分野を決めつけていませんので、SNSの運営などの広報活動も学生たちに任せています。縦割りの組織ではなく、学生も教授も学年の垣根も超えた、フラットな活動ができていますね。

 

御堀:ソーラーカーの研究を始めた1991年から、学生主体の取り組みだったのでしょうか?

 

木村:最初は大学としての研究プロジェクトとして発足し、その後、理工系の研究室が連携した取り組みでした。それが2006年から研究室の有志連合と学生サークルのソーラーカー研究会が合体し、学生主体のプロジェクトへ発展したんです。

 

東海大学工学部教授 / 木村英樹さん。東海大学工学部を卒業後、現在は東海大学工学部 電気電子工学科 教授を務める(2022年4月より東海大学 工学部 機械システム工学科に異動予定)。2006年から東海大学チャレンジセンターの立ち上げに関わり、ソーラーカーや高効率モーターの開発を推進している

 

大学は卒業しても、チームの卒業はない!

取材に参加してくださった東海大学ソーラーカーチームの学生のみなさん

 

御堀:卒業生との関係についてはいかがでしょう?

 

木村:「学校は卒業しても、チームの卒業はない」と学生たちには伝えています。理工系プロジェクトとしては珍しいかもしれませんが、大学野球や駅伝などの部活動と似ているかもしれませんね。社会人になってからも大会が近づいてくると卒業生たちもソワソワしてくるようで(笑)、手伝いにきてくれますよ。

 

御堀:「学校は卒業しても、チームの卒業はない」というのは、素敵な関係ですね。

 

木村:チームに所属している学生は大学院への進学率が高いので、長い学生は6年間ソーラーカーと関われます。毎年メンバーが入れ替わるので、経験と知恵を継承することは大変ではあるのですが、学生たちは4年もしくは6年間、真摯にソーラーカーと向き合ってくれています。

BWSCに向けて2年に一度新車を作る際も、学生のチームリーダーを中心にアイデアを出し合いながら取り組んでいます。毎年メンバーが入れ替わる中で活動を続けられているのは、柔軟な考え方で動ける学生主体の組織だからかもしれません。

 

御堀:チームに所属されている学生さんたちの就職率が100%と伺いました。ソーラーカーでの実績を残しながら人間として成長できるのは、本当に素晴らしい取り組みです。

 

モータージャーナリスト / 御堀直嗣さん。大学の工学部で学んだあと、レースでも活躍し、その後フリーのモータージャーナリストに。現在、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。日本EVクラブ副代表としてEVや環境・エネルギー分野に詳しい

 

コロナ禍に負けず、経験と知恵を継承するには

御堀:2021年に開催される予定だったBWSCは、コロナ禍で2023年へ延期になりました。練習ができず苦しんだ時もあったのではないでしょうか?

 

木村:そうですね。自粛期間中の1・2年生とは基本的にはオンラインでのコミュニケーションが中心だったので、経験としての技術継承が難しい部分はありました。そんな中、なんとかBWSCに近い形で大会に参加できないかと考えていたところ、2021年8月に秋田県大潟村のソーラースポーツラインで「ワールド・グリーン・チャレンジ」開催が決定し、東海大学も参加して見事優勝することができました。久しぶりに実践的な挑戦ができてほっとしました。

 

「ワールド・グリーン・チャレンジ」を優勝し、胴上げされるアドバイザーのひとり、佐川耕平講師

 

御堀:それはおめでとうございます。ただ、本来BWSCに参加できるはずだった学生さんは卒業してしまいますね。

 

木村:そうなんです。コロナ禍では、「いま、何ができるか?」をひたすら考え続けていたように思います。悩む時間もありましたが、「ワールド・グリーン・チャレンジ」で優勝できたことで、やっと次の2023年大会へ向けてやっと動き出したと感じています。この経験をバネに次回のBWSCに向けて取り組んでいきたいですね。

 

知恵を集結させ、気持ちよくエネルギーを使う未来へ

平面のソーラーパネルをどうやって曲面の車体に貼り付けるか、御堀さんへ説明する木村教授、福田紘大准教授、佐川講師。この3名で東海大学ソーラーカーチームをバックアップ

 

ソーラーパネルの下は、配線がびっしり!発電の効率を高めるために、12個ものブロックに分かれているのだとか。世界的に見てここまで細分化しているのは、東海大学ぐらいだそうです

 

御堀:ちょっと話はそれますが、ドライバーになりたいという学生も多いのではないでしょうか? どのように決めているのですか?

 

木村:基本的には、日頃から運転している学生になりますね。たとえば、コックピットが狭いので体格条件をクリアした学生の中から、小田原厚木有料道路を設定時間内に、当時のマイカーだったプリウスで往復し、燃費効率がよかった学生を選出したことがありました。今は、秋田県大潟村のソーラースポーツラインという1周が25㎞のコースを走行させて、データを見ながら選出しています。

 

御堀:面白い選定方法ですね。

 

木村:センスの良い学生は、自然と道路状況や燃費効率を計算し、戦略を立てられるようなドライバーになっています。

 

御堀:これからの目標をお聞かせください。

 

木村:レースというのは次世代の技術を磨くために続けられてきましたが、ソーラーカーは、太陽が出ている間しか走ることができない、とても特殊な環境で大会が進行していきます。これまで実用化が不可能と言われてきた分野ではありますが、これがもし実用化できればカーボンニュートラル社会を達成することに貢献できます。今はまだ谷の底にいる状態かもしれませんが、いろんな技術を融合させることによって、谷から地上へと這い上がり、大地の上に立てる日がくると考えています。化石エネルギーを使わなかった江戸時代に戻ろう!というわけではありません。技術や文明を退化させることなく、知恵を絞りながらどのようにカーボンニュートラルを実現させるか。気持ちよくエネルギーを使える時代になればいいと考えています。

 

御堀:そうですね。ひとつでは解決できないことでも、さまざまな科学が融合することで、人間にも自然にも快適な環境が見えてくることもありますからね。これからソーラーカーに関わりたいと考えている学生さんたちに、なにかメッセージはありますか?

 

木村:変化の激しい時代ですので、学生たちが頑張って勉強していることも3年後には時代遅れ、なんてこともあり得ます。常に新しいことに関心を持ち、吸収し、判断して、問題解決できる力を身につけて欲しいと思っています。その学ぶ場として、大学を活用してもらいたいですね。

 

チャレンジセンターに設置された、これまで獲得したトロフィーを飾るケース。BWSCの優勝トロフィーのサイズに合わせて作られており、“主”の帰還を待っている

 

新型コロナウイルスによって2021年の大会が延期になりましたが、取材時にいた学生さんに話を聞くと「延期になったのは残念ですが、これまでの経験を後輩たちにしっかりと受け継ぎたい」と明るく答えてくれました。毎年メンバーが入れ替わる中でも、技術と知恵を継承し世界でもトップクラスの成績を残す東海大学のソーラーカーチーム。2023年に開催されるBWSCに、今から期待が高まります。

 

【プロフィール】

東海大学ソーラーカーチーム

大きなスケールを誇るチャレンジプロジェクトの一つである「東海大学ソーラーカーチーム」。東海大学に所属する大学生・院生の約60名のメンバーで構成されており、学生自らが組織運営するプロジェクトチーム。省エネルギー技術を駆使した電気自動車やソーラーカーの研究に力を入れながら、ソーラーカーの世界大会でもある「ブリヂストン・ワールド・ソーラー・チャレンジ」への参加、企業とのソーラーカー共同開発、学内外への広報活動にも取り組んでいる。また近隣の小学校を対象にしたエコカー教室を開くなど、地域貢献活動にも積極的。

HP http://www.ei.u-tokai.ac.jp/kimura/kimura-lab/solarcar/solarcar.html
Facebook https://www.facebook.com/tokaisolarcar/

敵は風と気温とカンガルー!? ソーラーカーとソーラーカーレースの驚くべき7つの真実

2050年をターゲットとしたカーボンニュートラル時代に向け、「脱炭素」や「自然エネルギー」に注目が注がれています。太陽光発電を装備した住宅や企業単位での脱プラスチックへの取り組みなど、わたしたちの暮らしを取り巻く環境も急速に変化しており、もはや無関心ではいられません。

 

自動車の分野では、電気自動車や水素自動車といった二酸化炭素の排出量が少ないクルマにも注目が集まっていますが、なんと今から30年も前、1991年から太陽の力だけで走れる“ソーラーカー”のプロジェクトを推進してきた大学があるのをご存知でしょうか? 学部数日本一を誇る東海大学のチームは、国内外のソーラーカーの大会で多くの優勝経験があり、実績も折り紙付き。そこで、エコを考えるきっかけのひとつとして、今回は世界から注目される東海大学ソーラーカーチームにコンタクト。ソーラーカー、そして彼らが挑む過酷なレースについて取材しました。

 

1.最高時速は100km以上! ソーラーカーは意外と速かった

世界最高峰のソーラーカーレース「ブリヂストン・ワールドソーラーチャレンジ」に集結した世界の“走り屋”たち(写真は2015年大会)

 

“ソーラーカー”と聞いてイメージするのは、車体上部に大きなソーラーパネルを積んだ“四角いクルマ”かもしれません。ところが、東海大学で目撃した最新のソーラーカーは、曲面が美しい流線形。“近未来のクルマ”のようなスタイリッシュさを感じさせます。

 

東海大学の最新型2019年製のマシン。弾丸のような細長い車体で、ドライバーが乗るコックピットも流線形。上面に電源であるソーラーパネルが備えられています

 

ソーラーカーの開発において重要なのは空気抵抗を抑えて走行するための「空力」と、太陽光を効率よく集めパワーに変える「電力」。このふたつがバランスよく融合することで実現したのは、なんと最高時速100km! 走り出しに「ブゥ〜ン」というわずかなモーター音が聞こえますが、走行中はとっても静か。当たり前ですが、排気ガスも出ていないので、風が走り抜けていくような印象です。

 

ドライバーはヘルメットをつけてコックピットへ。空気抵抗を少なくするため、空気穴はたったひとつだけ。太陽電池で発電したエネルギーを走行に集中させるため、一般車両のようなエアコンや音響設備はありません

 

ソーラーカーの車体は低く、操縦席も極限までコンパクトな設計。小柄なドライバーでも窮屈に感じる空間です。体をほとんど動かせないため、ハンドル部分にすべての操作系を集約。アクセルもペダルではなく、ダイヤルツマミです

 

2.車体はたったの140kg! 軽さの秘密はカーボンとソーラーパネルにあった

ソーラーカーのサイズは全長約5m、幅1.2mで、重量は140kg程度。軽トラックでも700kg前後はあるので、その軽さは一般車両と比べると5分の1以下です。

 

軽さを実現した最大の秘密は、車体を形作る最先端のカーボン素材にありました。繊維メーカー、東レの全面協力により、東レ・カーボンマジック株式会社の新世代炭素繊維「M40X」を採用したことで、軽さと強さを兼ね備えた車体を実現できたのだとか。

 

また取り付けられている太陽電池も、住宅用で使われているような分厚いガラスを用いた一般的なパネルとは異なり、薄いシート状の樹脂でモジュール化したものを採用。1枚あたり7g程度のパネルが、258枚取り付けられています。

 

小さな太陽電池パネルを敷き詰めるように配置。ドライバーのヘルメットなどの影で弱まった太陽電池の発電を、周囲の太陽電池が助け合う特殊な装置により、発電電力を確保しているのだそう。また分割することで、曲面にも対応しやすいというメリットも

 

3.まるで自転車!? 細くて軽いタイヤで、路面との摩擦を低減していた

ブリヂストンによりソーラーカー専用に開発された最新の低燃費タイヤ「ECOPIA with ologic」。東海大学チームをはじめとして、世界中の強豪チームがマシンに採用しています

 

クルマに装備するタイヤらしからぬ軽さと細さ、路面をしっかり捉える弾力性を兼ね備えています。とくにこの細さと軽さが、転がりやすさの秘密。タイヤに無駄なストレスをかけずスムーズに回転させることが、燃費向上につながっているのです。

 

空気の流れを乱さないよう4本のタイヤはボディで覆われています。かつては走行時の軽量化・高速化を重視し、3輪だった時代もあるとか

 

続いて、このマシンが投入されるレースについて、世界最高峰のレース「ブリヂストン・ワールドソーラーチャレンジ」を例に見ていきましょう。「チャレンジ」と名付けられている通り、レース中はまさに挑戦の連続です。

 

4.世界最高峰のレース「ブリヂストン・ワールドソーラーチャレンジ」は5日間で3000km超を走破!

車体やタイヤに注ぎ込まれたテクノロジーと燃費性能と技術は日進月歩。でもこのマシンを動かすドライビングテクニックやチーム力こそが、本番では試されます。

 

その世界最高峰とされる大会が、オーストラリアで1987年から開催されている「ブリヂストン・ワールドソーラーチャレンジ」(以下、BWSC。開設当初の名称は「ワールド・ソーラー・チャレンジ」)。北部ダーウィンから南部アデレードまで、総移動距離は3020km! 5日間をかけたチャレンジが繰り広げられます。

 

BWSCは、約5日間をかけ、オーストラリア大陸を縦断する世界最高峰のソーラーカーレース

 

この大会は、「チャレンジャー部門」「クルーザー部門」「アドベンチャー部門」に分かれており、毎回50団体ほどが参加。東海大学が参加するのは速度を競うチャレンジャー部門で、2009年と2011年には2連覇の偉業を達成しています。

 

BWSCの開催は2年に1度。2021年大会は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、BWSCと並び30年以上の歴史をもつ秋田の「ワールド・グリーン・チャレンジ」は無事決行され、東海大学チームは見事優勝を飾りました

 

5.住宅も歩行者もゼロ! コースは寒暖差の大きなデスロードだった

コースは、赤土が続く砂漠地帯の一般道。オーストラリア人ですら足を踏み入れることは稀という、辺ぴな地域です。そこを約3000キロ縦断するとは、日本でいえば沖縄から北海道へと移動するようなもの。大会が開催される10月の現地は春ですが、スタート地点とゴール地点の気象条件は異なり、しかも砂漠地帯のため、朝晩の気温は大きく変化します。

 

スタート地点であるダーウィンは、赤道近くに位置し、とにかく暑い街。最高気温が40℃以上になることもあるため、ソーラーカーを操縦するドライバーは汗だくです。車内に冷房設備はなく、操縦席に水2Lを用意し、水分補給することが義務付けられています。太陽光がなければ走行できませんが、引き換えに過酷な暑さとの戦いでもあります。

 

また、砂漠地帯を走行するため、風の影響も避けられません。猛烈な風に煽られコースアウトや横転してしまうチームもあるといいます。そして南部のゴールが近づくにつれ、今度は寒さとの戦いがやってきます。とくに夜は気温がグッと冷え込み、半袖でも汗だくになるような日中の気温から、アウターが手放せないほどまでになるのだとか。

 

こういった暑さ・寒さと戦いながらも、太陽光パネルには常に効率よく日差しを浴びなければなりません。大会期間中は気象衛星ひまわりのデータを日本にいる解析班と協力しながら分析し、走行スピードを決めているそう。まさにチーム一丸となって挑んでいます。

 

6.サソリや毒グモも天敵! 日没にたどり着いた場所へテントを張り自給自足していた

コース上には、カンガルー飛び出し注意の看板が! 思わぬ“敵”、あるいは沿道の客に遭遇する可能性も

 

BWSCに参加する際は、日本で製作したソーラーカーをオーストラリアへ空輸。同時に約60名いる学生のうち半数が現地に行き、チームを運営します。日本に残った学生もデータ解析や、不測の事態に備え、いつでも動ける体制にあり、常に情報共有を欠かしません。

 

ゴールするまでの5日間は、全員でコース沿いにテントを張ります。もちろんスーパーやコンビニもないため食料はすべて持ち込み。公衆トイレもありません。他国の参加チームと交流しながら、自らが探り当てたキャンプ地点で夜を明かし、翌日に備えます。

 

大会中は、ドライバー以外のメンバーがサポートカーで並走します。気象衛星のデータを分析しルートや時速を調整したり、休憩場所を先取りして確保したりするなどチーム全体のマネジメントがあり、さらにレース後はソーラーカーの整備をするので、5日間は睡眠不足状態が続くのだそう。走行時間は朝8時〜夕方5時までのルールですが、太陽が出ている限り蓄電は可能。早朝3時には起床し、日の出前から太陽が出る方角に太陽電池パネルを向け太陽の光を集める準備も欠かせません。

 

日の出とともに太陽光に当て、充電を行います

 

乾燥と紫外線で唇がカサカサになり、好きなものは食べられない、温度差はキツい……と過酷な環境ですが、東海大学チームのメンバーに思い出を尋ねると、ふと笑顔に。「あの星空は忘れられない」「とにかく大自然が素晴らしい」「20年以上この大会に参加しているけれど、景色は変わらない」「トイレが大変なんだよね!」「毒を持ったサソリやクモが普通にいます!」「朝が早くて大変でした」などなど。過酷ゆえに忘れがたい思い出がたくさん生まれる機会になっているようです。

 

コース中盤、アリス・スプリングスを通過する際には、ウルル(エアーズ・ロック)の至近を走行。またアフリカ大陸の大会ではテーブルマウンテンなど、サーキット走行のカーレースと異なり、地球の雄大な自然を目の当たりにできるのもソーラーカーレースの特徴

 

ウルルの上にかかるミルキーウェイ(参考写真)。生活圏から離れているため、星空の美しさも格別でしょう

 

7.1987年の初代チャンピオンはGM。現在も受け継がれる技術と情熱

ゼネラルモーターズ(GM)の記念館に展示されている「Sunraycer(サンレイサー)」。太陽光線“Sunray”とレーサー“Racer”から名付けられたのだそう

 

「ワールド・ソーラー・チャレンジ」初代チャンピオンはGMの「Sunraycer」でした。その後、日本からはホンダもソーラーカー開発に挑戦し、1993年と1996年大会で2連覇を達成。自動車メーカーと世界の大学チームが参加する大会へと発展していきます。

 

東海大学は、1993年に初参戦。平均時速は40kmで、52台中18位だったそう。2009年・2011年の2連覇達成後、直近の2019年BWSCでは、チャレンジャー部門準優勝を獲得。優勝したベルギーのルーベン大学とはわずか12分差という、素晴らしい成績を残しています。

 

2019年大会で完走し、準優勝を喜ぶ東海大学チーム。

 

本来であれは、2021年に行われるはずだったBWSCですが、新型コロナウイルスの拡大によって大会が中止に。そんな中、どのような取り組みを続けてきたのでしょうか? 次回は、1996年から東海大学のソーラーカープロジェクトに関わり続けている木村英樹教授に話を伺います。

 

夢見た世界がすぐそこまで! ライフスタイルが快適・豊かになるモビリティ5選

AIロボットや全自動運転、空飛ぶクルマなど、SFの世界がもはや現実になる時代。昭和生まれの少年少女が夢見た世界がすぐ目の前に来ています。そこで今回は、近未来感のあるデザインや最先端な技術など我々のライフスタイルが快適・豊かになるであろうモビリティを紹介したいと思います。

 

【その1】乗り降りしやすく、操作しやすい3輪BEV

トヨタ

3輪BEV「C-walk」

ラストワンマイルの一人乗り用モビリティが俄に注目されています。きっかけは電動キックボードの登場ですが、折しも警察庁は最高速度が20km/h以下のものについては、16歳以上に限り運転免許を不要とする道路交通法の改正案を国会に提出する方針でいることがわかりました。しかも、6km/h以下で走行できるモードを備えていれば歩道も走れるというのです。

 

「C-walk」は速度を2、3、4、5、6、10km/hの6段階で設定でき、設定するとそれ以上には速度が上がらず安心して走れます。中でも見逃せないのが「C-walk」は電動キックボードと違って3輪であることです。そのため、車体の幅は広くなりますが、走行安定性は抜群に高く、歩行者と一緒にゆっくりと走るといった使い方もできるのです。今のところ、公道ではなくイベント会場内での利用を想定しているとのことですが、法改正が認められれば、公道を走れるトヨタの新たなモビリティとして注目されそうです。

 

 

【その2】早く乗ってみたい! 2人乗り空飛ぶクルマ

SKYDRIVE

空飛ぶクルマ「SD-3」

地上から空へ。空飛ぶクルマの実現を目指すSKYDRIVEは、2025年に開催を予定する大阪万博において2人乗りでのサービス開始を予定しています。これは経産省と国交省が定めたロードマップに沿ったもので、電動化によって従来の飛行とは違って環境に優しい新たな乗り物となっていくものとして期待されています。

 

その中でSKYDRIVEは2020年8月に「SD-3」で有人飛行による飛行試験を成功させており、大阪万博では100km/hの速度で20~30分程度の飛行を想定。まずは2人乗りのアトラクション的な乗り物としてスタートし、会場内の移動に使われる見込みです。SKYDRIVEでは、これをきっかけとして公共交通機関へ発展させ、将来は個人ユーザーへの発売も視野に入れています。実際、「SD-3」ではそれを意識して、乗用車ライクな造り込みが光っていました。空での移動が身近になって誰でも自由に飛べる日が確実に近づいて来ています。

 

 

【その3】車椅子型自動運転パーソナルモビリティ

WHILL

次世代型電動車椅子「WHILL(ウィル)」

搭乗口を指定すれば自動で走り出す。そんな自動運転モビリティサービスが羽田空港国内線ターミナルで運用されています。第1と第2の両ターミナルに計24台体制で運用しており、ここまで大規模な運用は自動運転パーソナルモビリティとして国内最大です。この次世代型車椅子は電動シニアカーとして実績のあるWHILL社が開発したもので、前方を把握する2つのカメラと、周囲360度の状況を監視する2つのLi-DARによって自動走行します。

 

走行時は2.5km/hと歩行速度よりも少し遅い速度で走行しますが、これは緊急時に安全に停止できることや同行者が一緒に歩けることを配慮してのこと。背後には最大10kg程度の荷物が載せられるカーゴスペースも用意されています。このサービス、ハンディキャップのある人だけでなく、健常者にも提供されているのもポイントです。この成功によって、今後は様々なシーンで同様のサービスが広がっていくものと予想されます。一般ユーザー向けモデルとして、折りたためる軽量モデル「WHILL Model F」、段差や悪路が多い場所をよく走る方におすすめのモデル「WHILL Model C2」が発売しています。

 

 

【その4】トヨタの本気宣言! bZシリーズの第一弾

トヨタ

EV「bZ4X(ビーズィーフォーエックス」

トヨタが2022年半ばに発売を予定するSUV型の電気自動車(BEV)が「bZ4X」です。「bZ」とは「beyond Zero(ゼロを超えた価値)」を意味し、名称の“4”はクラスを、「X」はSUV/クロスオーバーを意味すると予想されます。つまり、bZがBEVとしてシリーズ化され、今後は「bZ○○」という名称でのラインナップが揃うものと予想されます。

 

プラットフォームはトヨタとスバルが共同開発した「e-TNGA」を使い、既発表のスバル「ソルテラ」とは共同開発車となります。実車を見ると直線基調の中にも前後のフェンダーで脹らみを持たせるなど、写真で見るよりもはるかに上質でスタイリッシュに感じました。搭載バッテリーは71.4kWhで、航続距離(WLTCモード)は2WDモデルで500km前後、4WDモデルで460km前後とかなり“長めの足”を実現しています。折しもトヨタは2030年にBEVの350万台体制を発表しましたが、bZ4Xはその攻勢の第一歩となる重要な車種と見て間違いないでしょう。

 

 

【その5】“日常の足”レベルのBEVがいよいよ登場! 車名は「SAKURA」が有力

日産

軽EV「ニッサン IMk」(仮)

日産と三菱が軽自動車初となる電気自動車(BEV)を2022年度初頭に発売する予定です。ベース車両は東京モーターショー2019に出展された新開発のEVプラットフォームを採用し、「ニッサンIMk」との仮称を発表しています。最近になって「SAKURA(さくら)」との名前も噂されています。

 

ボディサイズは日産・デイズ並みで、補助金を加味した実質購入価格は200万円スタートとなる見込みです。バッテリーは総電力量20kWhで、日常の使用で十分な航続距離を確保し、EVバッテリーに蓄えた電気を自宅へ給電することも可能になるということです。これまでBEVは航続距離の長さを謳うことが多かったこともあり、BEVといえば高級車並みの車両価格となることがほとんどでした。あえて“日常の足”として割り切ることで車重も軽くなると見られ、それが結果として電力消費も抑えられます。その意味でこうした車種こそが低炭素社会の実現に相応しいと言えるでしょう。

 

 

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おしゃれなルックスのe-Bike! 進化した第二世代「MATE X」の乗り味は?

近年、世界的に人気が高まっているe-Bike(スポーツタイプの電動アシスト自転車)。その中でも、ここ最近で見かける機会が増えているのが極太のタイヤを装着したモデル。その代表的な存在と言えるのが、デンマーク生まれのMATE. BIKE(メイト バイク)がリリースする「MATE X」です。一度見たら忘れられないインパクトのあるルックスのMATE Xに試乗し、その魅力を確かめてきました。

↑「MATE X」33万円(税込)〜。価格は、装備(ブレーキが油圧か機械式か)やバッテリーの容量によって異なります。重量は28.5kg(バッテリー含む)

 

ホイールに組み込まれたモーターでユニークなスタイルを実現

MATE. BIKEが生まれたデンマークのコペンハーゲンは、世界一の自転車都市とも呼ばれる街。その街に暮らす開発者が“こんな機能があれば”と考えた装備が具現化されたのがMATE Xで、個性的なルックスも見た目のインパクトを狙ったものではなく、必要と考える機能を実現するためのものだとのことです。

 

例えば極太のタイヤ(20×4)と前後のサスペンションは、休日に郊外でのピクニックを楽しむ住人が多いことから採用されたもの。ブレーキも制動力の高いディスクブレーキが装備されています。

 

今回紹介するMATE Xは、第二世代モデルで初代よりもアシストのセンサーがアップグレードしています。現在は、シーズンカラーもあわせて全11色も揃えている豊富なボディカラーも魅力です。

↑タイヤは前後とも20×4.0インチのブロックタイヤを装着。グリップを高めるとともにインパクトあるルックスにも貢献しています

 

↑フロントにはサスペンション式のフォークを装備。路面からのショックを吸収します

 

↑リアにもサスペンション機構を搭載しているので、オフロード走行にも対応

 

↑ブレーキは前後ともディスク。撮影モデルは機械式ですが、油圧式も選択できます

 

e-Bikeの駆動力を司るモーター(ドライブユニット)はBAFANG(バーファン)製。リアホイールの軸(ハブ)と一体化した構造です。バッテリーはフレームに内蔵されているので、一見すると電動アシスト付きかわかりにくい見た目になっています。アシスト走行が可能な距離は80kmで、大容量のバッテリーを選択すれば120kmまで延長可能です。

↑リアホイールに組み込まれたハブタイプのモーターを採用

 

↑フレームに内蔵されるバッテリーはSamsung製。フレームを畳んだ状態で取り外すが、車体に搭載した状態でも充電は可能

 

↑カラー表示のディスプレイを採用し、走行スピードやバッテリー残量などを表示。ちなみに、ディスプレイ下部に搭載されたUSBポートでスマートフォンなどを充電することもできる。アシストモードなどの切り替えは左手側のコントローラーで行う

 

変速ギアはシマノ製の8速で、信頼性の高いパーツがセレクトされています。オフロードの走行も可能とされていますが、ハンドル幅はマウンテンバイクのように広くなく、基本的には街乗りをターゲットにした設計であることが感じられます。

↑シマノ製のALTUSグレードの変速ギアを装備。後ろのみの8段変速で、フロントには変速機構はありません

 

↑変速操作はグリップを回して行うタイプ。グリップはエルゴノミックタイプで、ブレーキレバーは少し長めのタイプです

 

↑スタンドは接地面の広いタイプで駐輪中の安定感も良好。車体の重いe-Bikeには必要な装備です

 

↑ハンドル幅は650mmで、高さ調整が可能なステムが採用されています

 

↑サドルは幅の狭いタイプですが、クッションは厚めで座り心地は良好

 

MATE Xは折り畳み機構も備えています。ハンドルを畳み、フレームを中央部から折り曲げるようにして、工具なしで折り畳むことが可能です。折り畳んだ状態でのサイズは高さ780mm、長さ1030mm、幅590mm。通常時のサイズが高さ1240mm、長さ1800mm、幅650mmなので、思った以上にコンパクトになります。ただ、重さがあるので、持ち運んで電車に乗ったりするのは現実的ではなさそう……。クルマのトランクなどには収納できるので、積み込んでアウトドアに持ち出すのには重宝しそうな機構です。

↑ハンドルを畳んでから、フレームのロックを解除し、中央部から折り畳みます

 

↑タイヤが太いこともあって、横幅は結構ありますが、長さと高さが抑えられるのでクルマにも積み込めそう

 

見た目のインパクトに負けないパワフルなアシスト

太いタイヤに28.5kgという重量級の車体なので、走り出す前は“重そう”というイメージだったのですが、電源を入れてペダルを踏み込むと予想を上回る勢いで車体が加速します。太いブロックタイヤは抵抗が大きいはずですが、俊敏に加速できるのはそれだけアシストが強力だということでしょう。

↑重い車体と太いタイヤというイメージからはかけ離れた軽快な走りが味わえます

 

アシストモードは5段階に切り替えることができ、最も弱い「1」ではさすがにペダルが重く感じますが、中間の「3」でも十分にパワフル。最も強力な「5」だと、ちょっと加速し過ぎるように感じる場面もありました。ペダルを踏み込む力に合わせてアシストを自動で切り替えてくれるオートマチックモードも選べます。

 

登り坂も試してみましたが、パワフルなアシストでグイグイ登って行ける感覚。ペダルさえ回していれば、楽に登ることができます。

↑結構な角度がある坂道ですが、座ったままグイグイ登って行けます

 

未舗装路も少し走ってみましたが、太いタイヤでグリップが良いのに加えて、路面からの衝撃も吸収してくれるので、普通に走ることができます。マウンテンバイクのように山道を駆け抜けるようなモデルではありませんが、キャンプ場などの足代わりに使うのであれば十分な性能でしょう。

 

もう1つ、感心したのは初代モデルに比べるとアシストのスムーズさが増していたこと。まだ、e-Bike市場に参入したばかりの新参メーカーではありますが、細かなブラッシュアップをしながら進化していることが感じられました。今後の進化にも期待が持てるモデルです。

 

撮影/松川 忍

 

 

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話題のSUV、スバル「レガシィ アウトバック」をゲットナビとモノマガの両編集長が鴨川まで乗りに行ってわかったこと

2022年で創刊40周年を迎える、押しも押されぬモノ誌の決定版「モノ・マガジン」と、創刊23年目を迎えたピチピチの“新卒世代”「ゲットナビ」とのコラボ企画が始動!

 

月刊誌「ゲットナビ」編集長の川内一史(かわうち・かずふみ)が、編集者としての大先輩である「モノ・マガジン」前田賢紀(まえだ・たかのり)編集長と畏れ多くも一緒に、胸を借りまくりつつ取材させていただき、両メディアで異なる切り口からレポートするのが本連載であります。

↑「モノ・マガジン」前田編集長(左)と「ゲットナビ」編集長の川内が、出版社の垣根を越えて夢のタッグ!

 

まずは僭越ながら川内の自己紹介から。東京都生まれの37歳(2022年2月で38歳)で、妻と、もうすぐ3歳になる息子、そして猫と暮らしています。2012年10月にゲットナビ編集部へ加入し、2020年7月編集長に就任。ちなみにその前は月刊のアニメ専門誌に3年間、さらにその前は週刊のゴルフ誌の編集部に4年間在籍しておりました。図らずも雑誌編集ひと筋というキャリアを歩んできてしまい、このDX時代を生き抜くことができるのか、一抹の不安を感じつつGetNavi webに顔を出してきたアラフォーおじさんです。以後ご贔屓に!

 

二つの目で見ればピントが合う!

ゲットナビ×モノ・マガジンの「ヒット」スコープ
– Target 1.スバル「レガシィ アウトバック」-

さて、コラボ企画の記念すべき第1回は、SUBARUのフラッグシップともいうべきクロスオーバーSUV、レガシィ アウトバックがテーマ。12月24日に発売されたばかりのアウトバックを体験・試乗すべく、千葉県は鴨川市にある「SUBARU里山スタジオ」にお邪魔してまいりました。

※モノ・マガジン前田編集長のレポートは記事の最後にリンクがあります!

 

東京からアクアラインで海を渡り、木更津JCTから館山自動車道へ。鋸南保田ICで下道に降りて1時間ほど走ったところに「SUBARU里山スタジオ」はあります。目印の看板を発見!

↑東京湾アクアラインで千葉へゴー。途中、海ほたるで「幸せの鐘」を鳴らす前田編集長。2021年ももうすぐ終わりますね……

 

↑山中をひた走ったあと、うっかりすると通り過ぎてしまいそうな小さな横道へ。畦道を進むと、スバルのロゴが輝くささやかな案内板が! たしかに里山スタジオの存在を伝えてくれています

 

ここから道はどんどん狭く、険しくなり、不安が襲い掛かりますが、それに耐え切って無事到着。元々キャンプ場だったところに作っただけあって、ハンパないスケール! 「スタジオ」というより「フィールド」といった様相です。

↑山林みが深い! あれ? 前を走るのは……

 

ところで、クルマってかなり大きい買い物ですよね。当然、愛車選びは吟味に吟味を重ねて慎重になると思います。特に私は小さい子どもがいたり、妻も運転する可能性があったり、マンションの立体駐車場に収まるサイズじゃないといけなかったり、そもそも予算の上限がある程度決まっていたりと、たくさんの制限付きです。「見た目がカッコ良い」とか「走りが気持ち良い」といった魅力だけでは購入に踏み切れないのが現実。機能性や取り回しの良さ、そして価格から家族内で検討して絞りつつ、そのなかからデザインや走りが気に入ったクルマに決めるというフローを、皆さん辿っているのではないでしょうか。

 

翻って、私のなかでのSUBARU車のイメージは“男のロマンを体現したクルマ”。イマドキ男女でクルマを語るなんて怒られちゃいそうですが……。学生時代にそこそこやんちゃしていた先輩が、中古でSUBARUのフォレスターを買ってカスタムしまくっていた記憶があるからかもしれません。あとは、スノーボードで雪山へ行くときにはレンタカーでよくレガシィを借りていたものです。そんな若かりしころのおもひでから、SUBARU車は「アクティブでこだわりの強い人が選ぶクルマ」という印象が刷り込まれまくり。どのラインナップもめちゃカッコ良いけれど、自分は子どもが小さいうちは購入することはないのかなー、なんて漠然と思っていました。そう、この日までは……。

 

スバルのフラッグシップSUV、新型「レガシィ アウトバック」とご対面!

↑オフロードを駆け抜ける新型アウトバックは、絵になります!(写真はアクセサリー装備車)

 

新型アウトバックの特徴はまず、いかにもオフロードに強そうなタフさを感じさせる外観。ワイルドさを強調する大型のフロントグリルと、洗練されたしなやかなラインのボディが見事に融合しています。内外装ともにプレミアム感の高い「Limited EX」(消費税込429万円)と、ダークメタリック塗装のホイールなどでスポーティさを強調した「X-BREAK EX」(消費税込414万7000円)の2グレードで展開中です。個人的なデザインの好みは、X-BREAK EX。クルマに乗ること、運転することが特別だった若き日のエモさが蘇ってくるようです。アウトバック、イイなあ……。

↑今回見せていただいたのはX-BREAK EX。スポーティな仕様が物欲を刺激します

 

と感傷に浸りつつも、「子どものいる30~40代男性」をメイン読者とするゲットナビを代表してここに来ていることを忘れてはなりません。使い勝手はどうなのか? この日、群馬県太田市にある開発拠点から、取材のためにお越しいただいた開発チームのお三方に話をうかがいながら、新型アウトバックをじっくりチェックしてみました。

↑左から、商品企画本部のプロジェクトゼネラルマネージャー・村田誠さん、小野寺圭さん、アクセサリー企画部の横居智也さん

 

運転支援システム「アイサイトX」を標準装備!

まずは、インテリア。最初に目に入るのは、インパネの11.6インチセンターディスプレイ。大きいことは良いことで、見やすいし、タッチ操作もしやすい! バック時の車両状態表示やガイドもめちゃわかりやすくて、安心感があります。

 

さらに、新世代アイサイトに「高度運転支援システム」を搭載したSUBARU最先端の安全テクノロジーが「アイサイトX」ですが、これを全車に標準搭載。これなら普段運転慣れしていない妻や、70歳が近づいている父にもハンドルを任せられそうです。

↑まるで大型のタブレットが埋め込まれているよう。視認性&操作性が高いです

 

内装もオフロード対応!

シートは、Limited EXにオプション設定となる本革(ナッパレザー)シートと、X-BREAK EXに標準装備の撥水ポリウレタンシートを用意。高級感があるのは前者ですが、濡れた状態で乗ったり、食べこぼしをしたりといった日常のシーンを想定すると、使い勝手の良い後者も魅力的に感じます。アクセサリーとして「オールウェザーシートカバー」も用意しており、よりアクティブに使う人は要注目ですね。

↑X-BREAK EXの撥水ポリウレタンシートに、アクセサリーのオールウェザーシートカバーを設置した状態。これなら食べこぼしの多い私でも安心です!

 

そして荷室。561Lという広さだけでなく、様々な工夫で収納力を高めているのが印象的でした。大きめのSUVでもゴルフバッグを横置きできないモデルは結構あるんですが、アウトバックなら余裕。キャンプギアなどの汚れモノをラフに積んでも、アクセサリーの「カーゴトレーマット」を装着すれば水や泥がクルマに浸透しにくいなど、随所に配慮が行き届いています。

↑後席を倒せばオジサン2人が寝られる広さ。車中泊しても身体への負担は小さそうです

 

ルーフトップテントも設置可能!

そして、新型アウトバックをよりアクティブなクルマたらしめるパーツが、ルーフレール。Limited EXでは、サーフボードやカヌーなどの長物を積載しやすいクロスバータイプを、X-BREAK EXでは、積載荷重がより大きく、汎用性の高いラダータイプを採用しています。このルーフレールには、カーキャリアのトップブランドであるTHULE(スーリー)のルーフトップテントを設置できるというのが、本車のウラ目玉(?)なのです。

↑アクセサリーの後席ステップガードを取り付ければ、小柄な女性でも荷物の積載が容易に

 

このときはまだナンバープレートが付いておらず公道を走ることはできませんでしたが、施設内で少しだけ動かしてみた感じでは、たしかに悪路に強そうな印象。もちろんオンロードでも、SUBARU車ならではの爽快な走りを楽しめそうです。

↑SUBARU里山スタジオ内の悪路もなんのその。排気量は1.8Lと抑えめですが、直噴ターボ車ならではのパワフルな走りでした

 

ファミリーの選択肢としてもアリ!

ってことで、3時間オーバーの取材を終えての結論。アウトバックは見た目がカッコいいし、安全性も高いし、使い勝手も良いし、アクティブな趣味にも対応するし、本当にイイとこ取りのクルマです。家族を乗せるのがメインだけど、カッコ良さも捨てたくないというゲットナビ世代には絶対ハマるはず。400万円台という価格は決して安くはないけれど、走破性に安全装備、さらにスタイリング的にも長く乗れそうなことを考えたら、ファミリーの選択としてもアリでしょう!

↑アウトバックとともに皆で記念撮影。長時間に及ぶ取材のご対応ありがとうございました!

 

と、充実感に満たされつつ帰宅。クルマ選びにはシビアな妻に、「今日SUBARUの取材に行ってきてね……」と、おそるおそる切り出してみる。取材で聞きかじった私のアウトバック話にはそれほど興味を示さなかった妻だが(私のスキルの問題です。SUBARUの皆様にお詫び申し上げます)、クルマの写真を見てひと言、「カッコ良いね。これ、私の好きなタイプのクルマだ」。買い替え、ワンチャンあるかもよ!

 

前田編集長のレポートはこちら→https://www.monomagazine.com/35426/

 

 

写真/西川節子

鉄道ゆく年くる年…運転再開、引退、DMV導入ほか2021年(下半期)の出来事をふり返る

〜〜2021年 鉄道のさまざまな話題を追う その2〜〜

 

2021年もあとわずか。今年の鉄道をめぐる話題を、前回に引き続きとりあげていきたい。今年は引退していく車両が目立った。その中には時代を飾った〝名物車両〟も含まれていた。大きく時代が変わる節目の年だったのかも知れない。

 

下半期を中心に起こった出来事を振り返ってみよう。

 

【関連記事】
鉄道ゆく年くる年…新車、廃車、廃線ほか2021年(上半期)の出来事をふり返る

 

【2021年の話題⑥】災害で傷ついた路線の多くが運転再開に

まずは災害で傷ついた路線の運転再開の話題から。この話題のみ上半期も含めて見ていこう。

 

◆JR東日本水郡線 3月27日・袋田駅〜常陸大子駅間の運転再開

茨城県の水戸駅と福島県の安積永盛駅(あさかながもりえき)を結ぶ水郡線(すいぐんせん)。2019(令和元)年10月12日から13日にかけて、列島を襲った台風19号によって、第六久慈川橋梁などの橋が流出し、長期にわたり不通となっていた。袋田駅〜常陸大子駅(ひたちだいごえき)間の復旧工事が完了したことにより、今年の3月27日に全線の運転再開を果たした。

 

◆上田電鉄別所線 3月28日・上田駅〜城下駅間の運転再開

↑千曲川橋梁(写真)の一部流失により約1年半にわたり運休となっていた上田電鉄別所線

 

長野県の上田駅と別所温泉駅の間を結ぶ上田電鉄別所線。水郡線と同じく2019(令和元)年の台風19号により、千曲川に架かる鉄橋と、築堤が流されてしまう。その後に城下駅〜別所温泉駅間の運転は再開されたものの、千曲川に架かる鉄橋の復旧に手間取った。約1年半の工事の末、この春に工事が完了、3月28日に全線の運転再開となった。

 

別所線も水郡線も2019(令和元)年の台風19号に苦しめられたが、その後に同台風は「令和元年東日本台風」と名前が付けられている。複数の路線の不通以外にも、北陸新幹線の長野新幹線車両センターが水没、停車していたE7系・W7系といった新幹線車両が水に浸かり廃車になるなど、東日本の鉄道インフラに大きな被害をもたらした台風でもあった。

 

◆叡山電鉄鞍馬線 9月18日・市原駅〜鞍馬駅間の運転再開

京都市内、宝ケ池駅と鞍馬駅の間を結ぶ叡山電鉄の鞍馬線。市内から鞍馬へ向かう観光路線として人気がある。この路線が2020(令和2)年7月8日の「令和2年7月豪雨」で運休となった。約1年にわたる復旧工事の末、今年の9月18日に市原駅〜鞍馬駅間の運転が再開した。名物〝もみじのトンネル〟が楽しめる秋の行楽シーズンに、ぎりぎり間に合う形となった。

↑貴船口駅近くを走る900系きらら。京都市近郊ながら沿線の風景を見ると、険しい山あいを走っていることがよく分かる

 

◆小湊鐵道 10月18日・光風台駅〜上総牛久駅間の運転再開

千葉県の五井駅と上総中野駅を結ぶ小湊鐵道が走る房総半島の内陸部は、養老川が蛇行し、複雑な地形が連なる。そのためか小湊鐵道は災害の影響を受けやすい。2019(令和元)年以来、毎年、運休と運転再開を繰り返している。今年は7月3日の豪雨で一部区間が運休となっていた。10月18日に光風台駅〜上総牛久駅間の運転再開を果たした。

 

再開がちょうど秋の行楽シーズンに重なったこともあり、新たに導入したキハ40系とキハ200系が連結して3両で走り始めたり、観光客に人気の里山トロッコ列車が、初めて五井駅発になったこともあって活況を見せている。

↑養老川を渡る里山トロッコ列車。これまで営業運転されなかった五井駅〜上総牛久駅間も走るようになり便利になった

 

【関連記事】
懐かしの気動車に乗りたい!旅したい!「小湊鐵道」「いすみ鉄道」

 

◆JR九州日南線 12月11日・青島駅〜志布志駅間の運転再開

宮崎県の南宮崎駅と鹿児島県の志布志駅の間を走る日南線。今年の9月16日に太平洋に面した小内海駅(こうちうみえき)の構内に土砂が流入し、青島駅〜志布志駅間が運休となっていた。復旧までに3か月ほど期間がかかり、12月11日に全線の運転再開が完了している。

 

九州では肥薩線など自然災害の影響で長期間、運休になったままの路線がある。毎年のように、自然災害で鉄道路線が寸断される日本列島。来年こそは穏やかな一年になることを祈りたい。

 

【2021年の話題⑦】下半期に消えていった車両

例年、春のダイヤ改正に合わせて引退となる車両が多いが、今年は下半期にも引退した車両が多かった。このような年は、あまりないように思われる。時代が求めている車両が、変わりつつあることを示すかのようだ。

 

◆京阪電気鉄道5000系

↑側面から見た5000系。白いドアはラッシュ時以外に開閉しない扉。正面(右上)の上部にひさしが付く個性的な姿でもあった

 

京阪電気鉄道の5000系が登場したのは1970(昭和45)年の暮れのことだった。7両×7編成+1両(事故車両の代替車両)が製造された。特長は5扉ということ。ラッシュ時の運行は5扉を利用、それ以外の時間帯には2扉を使わず、3扉のみ開閉するという珍しい造りの電車だった。日中、閉められた扉部分に、折り畳まれていたシートが下ってきて、座ることが可能になった。

 

ラッシュ時の乗降をより効率化するための策だったのだが、乗車位置が他の車両と異なること。また、今後導入が進むホームドアのドア位置が合わないことなど、問題が生じていた。すでに今年の1月29日からは3扉のみを使っての運行となったことで、中の2扉が不要となってしまった。半世紀にわたり活躍したものの9月4日で運用が終了した。

 

◆JR東日本485系 ジパング

↑岩手県内を観光列車「ジパング平泉」として走っていたころの485系「ジパング」。黒の車体がおしゃれだった

 

国鉄からJRになって団体向け列車用に多くの「ジョイフルトレイン」が生み出された。とくにJR東日本では、余剰となっていた交直両用電車485系を改造して、多種類のジョイフルトレインが用意された。

 

「ジパング」もジョイフルトレインの一列車で、いわてデスティネーションキャンペーンに合わせて2012(平成24)年に誕生した。盛岡県内を観光列車「ジパング平泉」として9年にわたり走り続けていたが、今年の10月10日に運転された団体専用列車「ありがとうジパング」を最後に引退となった。

 

485系はすでにオリジナル車両が消滅している。団体旅行の人気も下火となり、ジョイフルトレイン自体が急速に姿を消しつつある。「ジパング」が引退して、485系を改造したジョイフルトレインも、今や「華」と「リゾートやまどり」のみとなった。あと何年走り続けるのか微妙な状況になりつつある。

 

◆JR東日本 E4系

↑3月12日からはラストランロゴのラッピングがE4系の先頭車に付けられて走った

 

今年の下半期、もっとも注目を集めた引退車両は何といってもE4系であろう。E4系は1997(平成9)年の暮れに運用を開始した。総2階建ての新幹線電車で、同じ2階建てのE1系が好評だったことから、その後継車両として登場した。8両編成だが、2編成が連なる16両で走る列車は、世界の高速列車の中で最大の乗客を運ぶ列車として注目を浴びた。定員数を増やすため、自由席は横に3席+3席が並ぶ構造で、現在のように密を避ける時代となると、ややきつく感じた造りとなっていた。

 

登場当時は増える輸送量をさばく上で役立ったE4系だったが、最高時速240kmと、高速化する新幹線の中ではスピードの遅さが弱みとなっていた。2012(平成24)年には東北新幹線の定期運用から退き、上越新幹線の運用のみとなった。

 

上越新幹線にも新たにE7系の投入が始まり、2020年度中の引退が予告されていたが、2019(令和元)年の台風19号により、長野新幹線車両センターに停車していたE7系・W7系の多くが水没し、廃車となったために車両が足りなくなってしまう。そのためE4系の延命措置がとられて、予定よりも引退が遅れていた。そんなE4系も10月17日の「サンキューMaxとき」が最後の運行となった。2階から見る眺めが今後は楽しめなくなる。一抹の寂しさを覚える鉄道ファンも多いのではないだろうか。

 

◆札幌市交通局M100形

↑西4丁目付近を走るM100形。筆者もちょうど10月31日、札幌市内にいたこともあり、最後の走行を目にすることができた

 

札幌市内を走る札幌市電。2015(平成27)年12月20日に、それまで終着の停留所だった西4丁目とすすきのが結ばれ、路線が延伸されるとともに、周回できるループ路線となり便利になっている。このループ化により利用者数も増え、以前より路線が活気づいたように感じる。

 

そんな札幌市電で長年親しまれてきた名物車両がこの秋に消えていった。M100形という電車で、1961(昭和36)年に誕生。レトロな深緑(ダークグリーン)とデザートイエローと呼ぶ2色の塗り分けで走った。

 

この電車が珍しいのは、付随車を連結して走った時期があったこと。定員を増やして効率良く乗客を運ぼうという試みだった。「親子電車」と名付けられ親しまれたが、付随車のトレーラーは1971(昭和46)年とかなり前に廃車となり、その後は1両のみでの運行となっていた。

 

引退する前日、運悪く乗用車との衝突事故が起き、ラストとなる走行が危ぶまれたが、緊急に修理が行われ、最後となった10月31日は午後のみ走った。別れを惜しむ人たちが沿線に集まり、賑わいを見せたのだった。

 

◆新京成電鉄 8000形

↑8000形最後の編成となった8512編成。ピンク塗装の車両が大半となった同路線で、貴重なリバイバル塗装の車両だった

 

千葉県内を走る新京成電鉄。ほとんどの車両がピンクベースの塗装となり、より洗練されたイメージに代わりつつある。ひと時代前の新京成電鉄の主力車両である8000形は、正面中央に支柱がある独特の風貌とカラーで、どことなくユーモラスさがただよう見た目から「くぬぎ山の狸」と呼ばれ親しまれてきた。1978(昭和53)年から1985(昭和60)年にかけて6両×9編成が製造された。すでに製造から35年以上の時が過ぎ、最古参となっていた。

 

ここ数年、少しずつ車両が減っていき、最後に残ったリバイバルカラーの8512編成も11月1日をもって運用から離脱し、姿を消したのだった。

 

◆近畿日本鉄道 12200系

↑12200系を先頭に走る近鉄特急。後継車両との連結運転も可能な造りで、需要の変動に応えられる近鉄特急らしい電車でもあった

 

近畿日本鉄道(以下「近鉄」と略)の特急車両はバラエティに富み、各路線で多くの特急列車が走っている。その中でも166両と最多の車両数を誇ったのが12200系で、1969(昭和44)年から7年にわたり製造された。ニックネームは「新スナックカー」で、誕生当時にスナックコーナーを設けていたことからこの名が付いた。近年になってリニューアルされ塗装変更された車両が増えるなか、旧来の車体カラーのまま走り続けたことから、逆に鉄道ファンの間で人気となっていた。

 

そんな車両も生まれて半世紀、徐々に車両数も減っていき、2月12日に定期運用から離脱。11月20日にはラストランツアーが行われ、この日で引退となった。ちなみに、近鉄では12200系を改造した4両編成の観光特急「あをによし」を2022(令和4)年4月29日にデビューさせ、大阪、奈良、京都の3都市を結ぶ予定とされる。なんとも近鉄らしい車両の活かし方である。

 

◆JR四国 キロ47形 伊予灘ものがたり

↑日本100名城に選ばれる大洲城を背景に走る「伊予灘ものがたり」。来春からは同橋梁を新たな車両が走ることに

 

愛媛県の松山駅〜伊予大洲駅間、または松山駅〜八幡浜駅間を走る観光列車「伊予灘ものがたり」。2014(平成26)年夏にキハ47形を改造した観光列車で、7年にわたり運転されてきた。JR四国では初の本格的な観光列車で、その後に複数の観光列車が生まれたが、この列車の成功が大きかったと言えるだろう。

 

改造元の車両が国鉄形キハ47形ということもあり、老朽化の問題もあって12月27日で運行が終了する予定。すでにキハ185系を改造した新「伊予灘ものがたり」が2022(令和4)年春に登場することがJR四国から発表されている。

 

◆東京都交通局 浅草線5300形

↑浅草線5300形同士のすれ違いシーン。すでに1編成となった5300形だけに、こうした光景ももう見ることができなくなった

 

東京の都心を南北に貫く都営地下鉄浅草線。2018(平成30)年6月に新型5500形が導入され、徐々に増備されていった。新車両5500形は導入からまだ3年と日が浅いが、すでに計画していた27編成すべてが導入され、瞬く間に旧車両5300形が減ってきていた。12月22日の運用を見ても5300形は5320編成1本が残るのみとなっている。

 

5300形は2021年いっぱいで消えると言われている。最後の編成の走りを見られるのも、あとわずかとなった。

 

【2021年の話題⑧】下半期に登場した新車は少なかったものの

今年の下半期は、引退する車両が多かったのに対して、新たにデビューする車両が少なかった。完全な新造車両は東京メトロ半蔵門線の18000系のみだった。

 

◆東京メトロ 半蔵門線18000系

↑東武線内を走る東京メトロ18000系。薄いパープルのラインが、青空のもと映える

 

東京メトロ18000系は、自社内の半蔵門線のほか、東急田園都市線、東武伊勢崎線などへ乗り入れている。これらの路線で、今年の8月7日から営業運転が始められた。アルミニウム合金製の車体で、半蔵門線のラインカラーである、パープル(紫色)の濃淡の帯が車体に入る。車内のつり革もパープルと凝っている。最新の車両らしく、ドア上などにセキュリティカメラを設置している。なかなかスタイリッシュなデザインで、今年の秋にグッドデザイン賞に輝いた。筆者も、このデザインが好きで、デビュー当時に〝追っかけ〟をしてしまったほどである。

 

増備が進むに従い旧型車両が引退していく。半蔵門線では8000系がすでに40年近く走り続けており、18000系の増備にあわせて、置き換えが進みそうだ。平面的な正面デザインで、貫通扉に窓のない旧営団地下鉄特有のデザイン車両が、今後は徐々に減っていくことになりそうだ。

 

改造されて姿を大きく変えた車両も見ておこう。

 

◆東武鉄道 12系客車・展望デッキ付き車両に改造

↑展望デッキが新設された12系客車。写真は青色塗装の客車で、ほかにレトロな濃い茶色塗装の展望デッキ付き客車も走っている

 

東武鉄道の鬼怒川線を走る「SL大樹」。12系客車が展望デッキ付きに改造され、11月から列車に連結され走り始めている。SL列車なのに、煙の香りなどが楽しめないという声に応えたもので、こげ茶色と青色の2両が導入された。秋の行楽シーズンは早くも、各列車とも満席になるなど、「SL大樹」の新しい楽しみ方が増えたと話題になった。

 

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展望車の登場でさらに魅力アップした東武鉄道「SL大樹」

 

ユニークな改造車両が和歌山県内で走り始めたので、こちらについても触れておこう。

 

◆南海電気鉄道 加太線「めでたいでんしゃ かしら」

和歌山県内を走る南海電気鉄道(以下「南海」と略)の加太線(かだせん)。和歌山市街と、海に近く新鮮な魚が楽しめる加太を結ぶ。走る電車は「めでたいでんしゃ」と名付けられ、カラフルな外装、座席には魚のイラスト、魚の形のつり革が使われるなど、楽しい車両となっている。「めでたいでんしゃ」はこれまで「さち」「かい」「なな」と3編成が走っていたが、4編成目として9月18日から走り始めたのが「かしら」。黒をベースにした渋い車体カラーで、車内は船のなかのようなデザインが各所に施されている。

 

◆和歌山電鐵 たま電車ミュージアム号

和歌山駅と貴志駅間を走る和歌山電鐵。いちご電車、おもちゃ電車など楽しい電車が走っている。12月4日から走り始めたのが、「たま電車ミュージアム号」だ。デザインは水戸岡鋭治氏。和歌山電鐵のユニークな電車はみな水戸岡氏がデザインしたものだが、この電車も水戸岡ワールド全開といった造りだ。和歌山電鐵といえば、終点・貴志駅のたま駅長がよく知られていたが、いまは次世代にその〝役目〟が引き継がれている。

 

新しい電車は「いまだかつてないネコ電車」だそうだ。初代たまがニタマ、よんたまや、ファンの子どもたちに囲まれて住んでいる家、という想定で、ネコ好きにはたまらない車内となっている。

 

【2021年の話題⑨】年末にいよいよ走り始めたDMV車両

今年の暮れ、新たな鉄道システムが動き出した。ちょうど本原稿がアップされる予定の12月25日から、四国でいよいよDMV(デュアル・モード・ビークル)が走り始めるのだ。世界でも初の実用DMVの運用となる。走るのは四国の東南部の鉄道会社、阿佐海岸鉄道の路線だ。

 

DMVは、バスに鉄輪を付けた構造で、保線用の軌陸車のように車輪が現れ、線路の上は気動車のように走る。車輪を格納すれば、小型バスとして道路上を走ることができる。2019(令和元)年に車両は導入され、慎重に準備が進められてきたが、2年かけて、ようやくのお披露目となった。

↑2019(令和元)年10月に報道公開されたDMV車両(DMV93形気動車)。車体の下、前後に鉄輪が格納されている(左上)

 

走るのは阿佐海岸鉄道の阿佐東線で、路線は徳島県の阿波海南駅と高知県の甲浦駅(かんのうらえき)の間を結ぶ。両駅には、DMV乗り入れ用の〝信号場〟が設けられた。DMV列車は、同路線区間では鉄道車両として、ほか阿波海南駅と阿波海南文化村(町立海南病院)間、甲浦駅と道の駅宍喰温泉(リビエラ宍喰)間はバスとして走る。土日祝日は、甲浦から室戸岬(海の駅とろむまで運行)へ一往復が走る。

 

DMVのメリットはいろいろある。車両として小型バスを利用することで、導入および、メンテナンスにかかる費用がかなり割安となる。道路上ではバスなので、こまめに動かすことができ、沿線に住む人にとって便利になる。地方鉄道にとっては、画期的な生き残り策となりそうだ。

 

今回、阿佐海岸鉄道がDMV化されて、鉄道路線が残されたことには、ほかの理由もあった。この沿岸では将来、南海トラフ地震の影響を受ける可能性があるとされる。海沿いの地域で道路は国道55号しかない。津波などが起こり、もし国道が寸断されたら、という心配があった。やや高い場所を走る鉄道線を残したかったという実情があったのである。

 

新たな鉄道システムとして導入されたDMV。新たな鉄道ということで当初は観光客も訪れそうだ。果たしてどのような成果が生みだされていくのか、長期にわたり存続が可能かどうか、注目を集めそうだ。

 

【関連記事】
世界初の線路を走るバス・DMV導入へ!「阿佐海岸鉄道」の新車両と取り巻く現状に迫った

 

【2021年の話題⑩】トラブル対応の難しさが表面化

最後は鉄道絡みの深刻な問題に触れておきたい。

 

世界一安全といわれる日本の社会と鉄道。この安全な鉄道神話を揺るがすような事件が相次いで起きた。まずは8月6日に小田急線の車内で起きた刺傷事件、触発されるように10月31日に京王線刺傷事件が起こった。

 

事件後に、JRおよび私鉄各社などでは、こうした事件が起きた時への対応を検討し、訓練が行われている。車内にカメラを設置したり、ドアの非常コックの表示方法の変更などの対応が急がれている。とはいえ、起きた時に、その場に居合わせた個人の対応が、非常に難しく感じた。

↑千葉県の幕張メッセで11月に開かれた鉄道技術展。不審者の発見など事件に対応したAI技術などを早くも売り込む企業があった

 

11月末に行われた鉄道技術展では、早くもAIを使った不審者発見技術などを売り込む企業ブースもあった。また、問題となったドアの開け閉めに関して対応する技術も見られた。この問題は、今後、鉄道関連企業だけでなく、もし起こった時にどう対応すれば良いのか、社会へ問いかける結果になったように思う。

 

次週は2022年に予測される鉄道ニュースをお届けしたい。

ママチャリっぽく見えてクロスバイク並みに速い! パワフルなアシストも魅力のトレック「Verve+ 2 Lowstep」

近年のe-Bike市場は、大手のスポーツ自転車ブランドが数多く参入したことで大きく盛り上がっています。アメリカのトレックはe-Bikeに力を入れているブランドの1つ。スポーツタイプのモデルはもちろん、通勤や日常の使い勝手が良いモデルもラインナップされています。「Verve+ 2」もそんなモデルの1つですが、通常のクロスバイクタイプに加えて、フレームを低く抑えた「Lowstep」がラインナップされているのが特徴。今回は、その「Verve+ 2 Lowstep」に試乗してみました。

↑「Verve+ 2 Lowstep」29万5900円(税込)

 

スポーツ自転車メーカーが本気で作った街乗り仕様

跨ぎやすい低い形状のフレームで、パッと見はママチャリっぽくも見える「Verve+ 2 Lowstep」は、ベースがクロスバイクなので装備は本格的です。ホイールはロードバイクなどにも採用される700Cというサイズで、履いているタイヤは45mmと幅広。搭載されるモーター(ドライブユニット)や重量などのスペックは、同ブランドのクロスバイクタイプ「Verve+ 2」とほぼ共通で、29万5900円という価格も同じです。

↑跨ぐ部分が低く設計されているフレームですが、アルミ製で軽量に仕上がっていて、車重は23.58kg(Mサイズ)

 

↑前後ホイールは700C(29インチに相当)で、フェンダーも装備。リアにはキャリアも付いています

 

搭載されるドライブユニットはBOSCH(ボッシュ)製。e-Bike用のドライブユニットではトップシェアを誇るブランドと、米最大手の自転車メーカー・トレックのコラボによって生まれたモデルだけに期待感も高まります。

 

このモデルにはBOSCHのラインナップの中では街乗り向けに位置する「Active Line Plus」というドライブユニットが採用されています。バッテリーはフレームに外付けされるタイプですが、容量は300Wh。Ecoモードでは最大100kmのアシスト走行が可能です。

↑BOSCH製「Active Line Plus」のドライブユニットは、車体中央部に違和感なく搭載されています

 

↑同じくBOSCH製の「PowerPack 300」というバッテリーをフレームに搭載

 

↑画面が大きく、視認性に優れるディスプレイはBOSCH製「Intuvia」。速度やバッテリー残量、時計、最高速度などの表示が可能

 

サイズは3種類ラインナップされ、Sが155〜165cm、Mが165〜175cm、Lが175〜186cmの身長に対応します。今回、試乗したのはMサイズ(筆者の身長は175cm)。サドル高の調整範囲が広く、ハンドルを支えるステムも高さ調整が可能なので、夫婦で1台を共用することもできそうです。

↑高さ調整の範囲が広いサドルは、骨盤を受け止める面積が大きめで、スポーツタイプの自転車に乗り慣れない人でも座りやすそう

 

↑ハンドルを支えるステムは、工具を使って高さ(と角度)が調整可能なので、体格や好みに合わせられます

 

シティサイクルっぽい見た目ですが、ベースがクロスバイクタイプなので変速ギアは9段。ブレーキも油圧ディスクなので、握力が弱い人でも安心して乗れます。バッテリーから給電されるライトや、安定して車体を支えるサイドスタンドなど、日常での使い勝手を高める装備にも抜かりありません。スポーツタイプを得意とする自転車メーカーが本気で街乗り用のモデルを作るとこうなるのかという仕上がり。

↑変速ギアはシマノ製の「Alivio」グレードで、段数は9段。フロント側の変速は搭載していません

 

↑チェーンを覆う大きめのカバーが装備されているので、チェーンで服の裾が汚れる心配もありません

 

↑油圧タイプのディスクブレーキもシマノ製。信頼性が高く、メンテナンス性にも優れています

 

↑フロントに装備されるライトはバッテリーから給電されるタイプ

 

↑標準装備されるサイドスタンドは接地面が広く、重い車体もしっかり支えられます

 

↑ハンドル幅は広くありませんが、中央部の径が31.8mmと太くなっていて剛性が高い

 

↑グリップは手のひらが痛くなりにくいエルゴノミック形状。ブレーキレバーは2本の指で握るタイプ

 

クロスバイクタイプと同等の走行性能

「Verve+ 2 Lowstep」はクロスバイクタイプの「Verve+ 2」とスペック的にはほぼ同じと書きましたが、違いがあるのが乗車姿勢。フレーム形状が異なるため、乗り降りがしやすいのに加えて、乗っているときの姿勢がやや上半身が起きたアップライトなものになります。クロスバイクに採用される三角形を組み合わせたようなフレームに比べ、上辺がつながっていないので剛性を高く保つのが難しい形状ですが(クロスバイクやロードバイクに乗った後、ママチャリに乗るとフレームがヨレているのが体感できるほど)、トレックが作っただけあって剛性が落ちているようには感じません。

 

BOSCH製のドライブユニットはアシスト感もパワフルで、車体の重さを感じることなくグングン加速します。上体が起きたライディングポジションなので、速そうには見えませんがクロスバイクタイプのe-Bikeと全く遜色ない走行性能です。

↑リラックスして乗っているように見えますが、本気で漕げばクロスバイクタイプと一緒に巡航することも可能

 

パワフルなアシストは登り坂になると、さらにその恩恵を感じます。ペダルを回しているだけで結構な斜度のある坂もグイグイ登って行ってしまう感じ。アシストモードは4段階に切り替えられますが、最もパワフルな「TURBO」は加速しすぎて慣れていないとちょっと怖いくらいです。登り坂でも、ひとつ下の「SPORT」に入れておけば十分でしょう。

↑登り坂を息も切らさず、脚に負担を感じずに登って行けるのはe-Bikeの醍醐味

 

シティサイクルのような見た目ですが、「Verve+ 2 Lowstep」はトレックとBOSCHが力を合わせて開発しただけあって、クロスバイクに引けを取らない走行性能。それでいて、「Active Line Plus」はアシスト中のモーター音が非常に静かなのも魅力。普段はのんびり街乗りに使い、休日はクロスバイクと一緒にサイクリングロードに走りに行くといった使い方もできてしまいます。もうひとつ、BOSCH製ユニットの利点だと感じるのが、走り始めてからでも電源をONにできること。他社製のユニットは一度止まってから電源ONにしないとアシストが効かないのですが、BOSCH製は電源OFFのまま走り出したとしても、走りながらONにしてそのままアシストを効かせられます。地味ですが、これは結構便利な機能。クロスバイクタイプの「Verve+ 2」と好みに合わせてスタイルを選べるのも魅力です。

↑クロスバイクタイプの「Verve+ 2」。ライトやキャリア、前後のフェンダーなど便利な機能は同様で、日常にも使いやすいe-Bikeです

 

撮影/松川 忍

 

 

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エリア定額乗り放題サービス「mobi」2022年1月スタート! WILLERとKDDIの共同サービス、合弁会社設立も

WILLERとKDDIは共同で、エリア定額乗り放題サービス「mobi」を2022年1月から提供します。

 

同サービスは、人とまちがつながりコミュニティが生まれる「Community Mobility」をコンセプトとしたエリア定額乗り放題サービス。アプリや電話で配車可能で、AIルーティングによりお客さまの予約状況や道路状況を考慮して、半径約2kmを目安としたエリア内を出発地から目的地まで最適なルートで効率よく移動できます。

 

複数名によるプロのドライバーが運行するので、子どもから高齢者まで安心して利用可能。子どもの送迎、今までより足を延ばした場所での買い物、免許を保有しない家族の送迎、家族での外食、高齢者の自由な外出など、幅広い用途に応じた利用が可能です。

 

料金は、30日間定額プランが5000円、1回乗車プランが大人300円(小学生以下150円)。30日間定額プランは、はじめの14日間は無料でお試し可能。同居家族を1人あたり500円追加で、6人まで登録可能です(例えば3人家族の場合6000円、1人あたり2000円で利用可能)。

 

利用方法はアプリもしくは電話。現在発表されている展開エリアは東京都渋谷区、愛知県名古屋市千種区、京都府京丹後市、東京都豊島区(2022年サービス開始予定)の4エリアです。

↑アプリでは、メニューから利用エリアのプランを購入し、アプリから乗降地を指定して車両を予約。地図上のピンをタップするだけで乗降地を設定可能

 

また、両社は、合弁会社「Community Mobility株式会社」を設立します。2022年4月1日から事業を開始し、同サービスの全国展開を目指します。

 

合弁会社では、WILLERが持つ独自のITマーケティングシステムや交通事業者の知見に加え、KDDIが持つ地方自治体とのつながりやデータ活用の知見を生かして、それぞれの地域のニーズに合わせたサービスを展開予定です。「キッザニア」などとも連携し、施設への無料送迎などを検討中とのこと。

鉄道ゆく年くる年…新車、廃車、廃線ほか2021年(上半期)の出来事をふり返る

〜〜2021年 鉄道のさまざまな話題を追う その1〜〜

 

師走となり何かと気ぜわしい季節となってきた。2021年という1年、鉄道をめぐる出来事もいろいろあった。新車が登場した一方で、長年親しまれてきた車両が消えていった。また廃線となった路線もある。

 

今回は「鉄道ゆく年くる年」の第1回目、2021年に1月から6月にかけて、鉄道をめぐって起きた出来事を振り返ってみたい。

 

【2021年の話題①】長年親しまれてきた「湘南ライナー」が消滅

まずは列車の廃止、新設、また車両の置き換えから見ていきたい。

 

3月13日(土曜日)のダイヤ改正時、JRグループ内で何本かの列車が廃止、新設され、車両の置き換えがあった。中でも東海道本線の首都圏エリアでの動きが目立った。

 

ダイヤ改正の前日まで走っていたのが「湘南ライナー」「おはようライナー新宿」「ホームライナー小田原」といった座席定員制の有料快速列車だった。

↑2021年3月12日までの運行となった快速「湘南ライナー」と「おはようライナー新宿」(左上)。185系での運用も見納めになった

 

3月15日(月曜日)からはこうした快速列車がすべて廃止され、特急「湘南」に置き換わった。「湘南ライナー」は1986(昭和61)年に誕生した列車で、ちょうど35年で消えたことになる。

 

列車の変更に合わせて、車両も185系電車、215系電車から、E257系2000番台・2500番台に代わった。料金は湘南ライナー時代一律520円(+運賃=以下同)で、着席が可能だったが、特急「湘南」では50kmまでが760円、100kmまでが1020円(いずれもチケットレスサービス利用の場合は100円引き)と、割高になった。チケットレスサービスを使えば、9月30日までは300円引きとなっていたからなのか、料金が値上げになったことに関して、あまり注目されることもなく、利用者にはすんなり受け入れられたようだった。

↑全列車がE257系での運行となった特急「踊り子」。伊豆箱根鉄道駿豆線内でも、すでに見慣れた光景となりつつある

 

車両の入れ替えで目立ったのが、国鉄時代に生まれた特急形電車185系を巡る動きだろう。この春に185系は、湘南ライナーなどのほか、特急「踊り子」の定期運用からも撤退している。その後に185系は急速に姿を消しつつあり、現在は臨時で運転される季節列車や団体臨時列車といった運用のみとなっている。

 

【2021年の話題②】北日本で目立った廃線・廃駅の話題

今年の上半期、あまり目立たなかったものの、廃線、そして廃止となった駅があった。筆者は仕事柄、地方のローカル線に乗る機会が多いが、新型コロナ感染症の影響もあるのか、乗車率の低さが目に付くようになっている。その影響だけではないのだろうが、北海道で廃止となった駅が多く生まれた。

 

函館本線の伊納駅、釧網本線の南斜里駅。加えて石北本線と宗谷本線に廃駅が目立った。石北本線は生野駅など4駅、宗谷本線は南美深駅(みなみびぶかえき)や北比布駅(きたぴっぷえき)など12駅にも及んだ。これらは、多くが〝秘境駅〟と呼ばれるような駅で、駅周辺に民家があまりない。したがって乗降する人も少ない。

 

旅先でこうした〝ひなびた駅〟を発見する楽しみもあるが、営業的に存続が難しい駅は、ちょっと寂しいものの今後も廃止対象となっていくのであろう。

↑廃止された宗谷本線の北比布駅。簡易的な待合室とホーム一面の小さな駅だった

 

今年の上半期、北日本で2本の路線が廃止となっている。

 

1本目は日高本線で、鵡川駅(むかわえき)〜様似駅(さまにえき)間、116.0kmが4月1日に正式に廃止となった。同駅区間は2015(平成27)年1月初頭の低気圧による高波の影響で、各所で土砂崩れが起こり不通となり、代行バスが運行されていた。復旧の道が探られ、JR北海道と地元自治体との交渉の場がたびたび設けられたが、6年の歳月を経て正式に廃止となった。

 

このところ、自然災害の規模が大きくなる傾向がある。北海道だけでなく、九州などでも、営業休止が続く路線が複数ある。災害で寸断されやすい公共インフラ、採算をとることが困難な地方路線をどのように再生させていくのか、難しい時代になりつつある。

 

さて、もう1線、廃止となった路線があった。こちらは旅客路線でないだけに、あまり注目もされずに、ひっそりと消えていった。

↑旧雄物川橋梁を渡る秋田臨海鉄道の貨物列車。同路線の名物撮影地だったが、この鉄橋を列車が渡ることもなくなった

 

廃線となったのは秋田市の臨海部を走っていた秋田臨海鉄道で、4月1日に廃線となった。また、会社も鉄道事業から撤退している。

 

秋田臨海鉄道は1971(昭和46)年7月7日に北線と南線の営業を開始、奥羽本線の支線にあたる秋田港駅(貨物駅)と臨海部の工場間の貨物輸送に携わってきた。北線はすでに運行を終了していたが、南線の秋田港駅〜向浜駅5.4kmの貨物列車の運行と、秋田港駅構内の貨車の入れ換え作業などの事業が続けられていた。

 

廃線となった南線の貨物輸送を支えていたのが紙の輸送だった。紙の輸送は鉄道貨物の中でも大きなウェイトを占めていたが、近年はペーパーレス化の流れが高まり、輸送量が急激に減ってきている。同臨海鉄道でもそれは同様で、沿線の製紙工場の生産量は7年前には約20万トンだったものが、2020年度には約7万5000トンまで減っていた。今後、生産量の増加は見込めず、鉄道輸送からトラック輸送へシフトされた。他に同地区からの貨物輸送の需要もなかったことから秋田臨海鉄道自体の廃線に至った。

 

鉄道貨物輸送は時代の動きに大きく左右される。同路線は紙の輸送に頼っていただけに、その影響も大きかった。JRの貨物線や臨海鉄道では、今も紙の輸送量が多いが、今後は鉄道貨物の比率を減らす動きがより強まっていきそうだ。

 

【2021年の話題③】今年も鉄路を彩った車両たちが消えていった

長年、走り続け、見慣れ、乗り慣れた車両には愛着がある。とはいえ、走り続ければ老朽化が進む。平均して30年前後で消えていく車両が多い。国鉄がJRとなってすでに30年以上となることもあり、JR発足後、間もなく生まれた車両たちが次々と消えていくようになった。今年は特に引退していく車両が目立ったように思う。そんな引退車両のうち、上半期に消えた車両を見ていこう。

 

◆JR東日本215系

↑湘南ライナーの運用が終わり、車両基地に戻る215系。稼働率の低さからニートになぞらえ「ニートレイン」と呼ばれたことも

 

まずは215系から。215系は好評だった快速「湘南ライナー」の輸送量増強のために1992(平成4)年から翌年にかけて10両×4編成(計40両)が導入された。当時、東海道本線を走っていた211系の2階建グリーン車、2階建て試作車の415系クハ415-1901号車を元に開発された。

 

全車が2階建て構造という珍しい通勤型電車でもあった。当初は「湘南ライナー」以外に、日中に走る快速「アクティー」などに利用されたが、乗り降りに時間がかかるなどの問題もあり、後継車両の導入を機会に、東海道本線では「湘南ライナー」などの朝夕のみの運用となっていく。週末には快速「ホリデー快速ビューやまなし」などの臨時列車に使われたものの、決して稼働率が高い車両とは言えなかった。

 

さらに、有料の定員制列車に使われる電車なのに、グリーン車がのぞき対面式の座席だったことや、構造上、バリアフリー化できなかったり、客席の造りなどが今の時代に合わなくなっていた。他の路線や列車へ転用することもなく、この春に静かに消えていった。生まれて30年弱とはいえ、走ってきた距離は短い。ちょっと残念な車両だったように思う。

 

◆名古屋鉄道1700系

↑1700系は名鉄の車両らしく白地に赤のデザインがおしゃれだった。先頭にパンタグラフがあり目立っていた

 

名古屋鉄道(以下「名鉄」と略)の特急は他の鉄道会社ではあまり見ない運行方法をとっている。

 

2000系「ミュースカイ」のみ全車有料の特急だが、ほかの特急は豊橋駅側に連結される2両のみが有料の「特別車」で、他の車両は「一般車」となる。1700系はその「特別車」の一系統だが、2021(令和3)年2月10日に運用が終了した。運用開始は2008(平成20)年暮れと、新しかったのにもかかわらず、早めの引退となった。その経緯を見ると、この車両の風変わりな生まれに行き着く。

 

1700系はもともと1600系として1999(平成11)年に登場した。3両すべてが「特別車」という編成で、他の「一般車」と連結して運転された。その後に特急の運用形態が変わり、1600系の使い道がなくなってしまった。そのため、3両のうち1両(制動車)は廃車に、動力車と中間車のみ2両が改造されて、新製した2300系4両と連結して走り始めた。

 

特急6両のうち1700系2両の「特別車」は1999(平成11)年生まれ、2300系「一般車」は2008(平成20)年生まれという、2つの経歴を持った編成が生まれたのだった。

 

ここ数年で新塗装に変更され、リフレッシュした姿が見られたが、同系列のみでの運行した方が効率的といった理由もあったのだろう。1700系のみが引退となった。ちなみに1700系と組んでいた2300系には新たに2300系の新車が用意され〝新編成〟となって走り始めている。

 

◆JR西日本413系・415系800番台

↑七尾線を走る北陸地域色と呼ばれる塗装の413系。413系は多くが、あいの風とやま鉄道へ譲渡されている

 

国鉄時代に生まれた〝国鉄形車両〟が毎年のように消えていく。今年も数形式がJRの路線から姿を消した。七尾線を走ってきた413系、そして415系800番台も消えた形式である。

 

どのような車両だったのか触れておこう。

 

413系は急行形交直流電車451系などが種車となっている。急行列車が消えていくのに伴い、北陸地方で必要とされた近郊路線用の電車として改造されたのが413系だった。3両編成および2両編成の計31両が1986(昭和61)年から1995(平成7)年の間に生まれている。

 

北陸地方で長年にわたり使われたが、北陸新幹線の誕生により、北陸本線があいの風とやま鉄道とIRいしかわ鉄道に移行した時に、多くがあいの風とやま鉄道に譲渡、残りは七尾線を走り続けていた。

 

この春のダイヤ改正で、七尾線の普通列車がすべて新型521系100番台へ置き換えが完了、JRの路線からは413系が消えていくことになった。ちなみに、引退となった413系(クハ455を1両含む)の1編成はJR西日本金沢総合車両所で整備され、えちごトキめき鉄道に譲渡されている。

↑413系とともに七尾線を走っていた415系800番台。2扉の413系に対して415系800番台は3扉だった

 

413系とともにJRから消滅したのが415系800番台だ。この車両の生まれは今もJR九州を走る415系と異なる。JR九州の415系は、もともとこの形式として生まれた。ところが、北陸地区を走っている415系は改造車両として生まれた。種車は近郊用直流電車の113系で、この電車を七尾線用に1990(平成2)年〜1991(平成3)年に改造して誕生したのが415系800番台だった。

 

1991(平成3)年、七尾線は電化された。路線まわりの構造物の問題から交流電化には不向きとされ直流方式で電化された。七尾線の電車は路線の起点となる津幡駅止まりの電車は無い。すべての列車が金沢駅まで走っている。旧北陸本線の津幡駅〜金沢駅間は交流電化区間のために、七尾線の電車の運行には交直流電車が必要となった。

 

一部の列車には413系が使われたが、車両数が少ないことから113系を改造することに。この改造で同形式が生まれたのである。415系800番台は、33両が改造されたものの、七尾線の新型車両導入で、全車が運用を離脱した。

 

◆JR九州キハ66系

↑キハ66系には写真のような国鉄時代の塗装色の車両も走っていた。国鉄らしい姿の気動車で塗装が良く似合っていた

 

国鉄形の車両で消えていった車両のもう1形式が急行形気動車キハ66系だ。国鉄時代にはキハ58系という急行形気動車が、大量に生産された。このキハ58系を進化させ、1974(昭和49)年から九州の筑豊地区に投入されたのがキハ66系だった。走行性能、また客室の居住性も高められている。当時としては画期的な車両で鉄道友の会からローレル賞を受賞された。

 

とはいうものの、全国の路線からちょうど急行列車が消えつつあった時代ということもあり、優秀な車両だったが15編成30両のみしか製造されなかった。九州では筑豊本線を走った後に、全車が長崎に移動し、大村線の主力車両として長崎駅〜佐世保駅間の輸送に携わった。

 

走り始めてから47年。優秀だった車両も、さすがに老朽化が目立つようになり、大村線にYC1系ハイブリッド式気動車が導入されるにしたがい、徐々に車両数が減っていた。今年の6月30日がラストランとなり引退となった。

 

◆JR貨物DD51形式ディーゼル機関車

↑タンク車を牽くJR貨物DD51。四日市市内に非電化区間の貨物線があることから長い間、同形式が使われ続けていた

 

最後はJR貨物のDD51形式ディーゼル機関車である。DD51といえば、全国の非電化区間の無煙化に大きく貢献した車両で、計649両が製造され、貨物列車や、客車列車の牽引に活躍した。

 

JR移行に伴い多くの車両がJR旅客各社とJR貨物に引き継がれた。JR貨物のDD51は北海道と、中京地区を走り続けてきたが、DF200形式ディーゼル機関車の導入に伴い、まず北海道を走っていた車両が消滅、中京地区の輸送にのみ残されていた。

 

2両つらねた重連運転など力強い走行シーンが見られたが、同地区にもDF200の導入が進み、3月12日のダイヤ改正前の最終日に運行が終了している。

 

残るDD51は旅客各社のみとなり、JR東日本に2両、JR西日本に8両が在籍している(2021年3月現在)。すでに定期運用はなく、事業用列車、もしくは臨時の団体列車などに使われるのみで、なかなか見ることができない貴重な車両となってしまった。

 

【2021年の話題④】前半に登場した新車は少ないが希少車両も

引退していく車両がある一方で、新車も登場した。ここでは上半期に登場した新車を見ていこう。

 

◆京阪電気鉄道3000系プレミアムカー

↑3000系の6号車に連結されるようになったプレミアムカー。右下は3000系の先頭車両

 

まず、京阪電気鉄道(以下「京阪」と略)の3000系プレミアムカーから。京阪は大阪府、京都府、滋賀県を走る複数の路線を持つ。中でも大阪市内と京都市内を結ぶ京阪本線が〝ドル箱路線〟となっている。従来から高級感が感じられる特急形電車を導入してきたが、2017(平成29)年8月20日から、特急形電車8000系の編成に1両、プレミアムカーという有料座席指定特別車両を連結することを始めた。同車両が好評だったことから、さらに増備をすすめていた。

 

そして今年の1月31日からは特急形電車の3000系にもプレミアムカーが連結されるようになった。

 

有料座席指定の車両や列車は、JRおよび私鉄各社で導入が進められている。なかなか運賃収入の増加が見込めない中、少しでも役立てばと鉄道会社も導入を図る傾向が強まっている。さらに、新型コロナ感染症の流行により、混んでいる列車を避けて移動したいと思う利用者も多い。そうした人たちにとってうってつけの列車、そして車両となっている。需要がある以上は、今後もこうした車両・列車の導入が加速していきそうだ。

 

◆東京メトロ有楽町線・副都心線17000系

↑登場後すぐに東武東上線や西武池袋線などの路線への乗り入れを始めた17000系。丸みを持った車体が特長

 

2月21日から東京メトロ有楽町線・副都心線に新しい車両17000系が走り始めた。同線では10000系以来、15年ぶりの新車登場となった。丸形の前照灯に丸みを帯びた車体には、副都心線のブラウン、有楽町線のゴールドのラインカラーが入る。来年度までに21編成180両が導入される予定で、既存の7000系の置き換えを図る予定だ。

 

東京メトロの千代田線6000系、有楽町線7000系、半蔵門線8000系と、正面の貫通扉に窓がない独特な風貌を持つ車両が長年走り続けてきた。すでに6000系は引退となり、7000系も徐々に減りつつある。時代の流れとはいえ、親しまれてきた姿だけに、一抹の寂しさを覚える。

 

◆JR東日本E131系

↑鹿島線を走るE131系。水色と黄色のラインが入りおしゃれ。早くも房総地区の主力車両となりつつある

 

首都圏に近いJR東日本のローカル線では、これまで東京近郊を走ってきた車両をリニューアルして使う傾向が強かった。例えば房総半島を走る外房線、内房線、鹿島線では、以前に京浜東北線を走っていた209系が、車両更新されて使われてきた。そうしたローカル線の効率化を図ろうと生まれたのがE131系だ。3月13日のダイヤ改正に合わせて導入されたが、房総地区用に新しい車両が導入されたのは51年ぶりだそうだ。

 

水色と黄色の房総らしい明るい色のラインが入るE131系。12編成24両が製造され、房総地区の主力車両として活かされることになる。

 

このE131系はその後の増備も進み、秋からすでに相模線を走り、また来春からは日光線や、宇都宮線にも導入される。相模線ではE131系の増備により、早くもこれまで走っていた205系の姿が急速に減りつつある。

 

◆JR東日本E493系(事業用電車)ほか

↑新たに導入されたE493系。事業用車らしく前面は黄色塗装、JR東日本の車両らしく黄緑色の帯を巻く

 

回送作業、保線作業などに使われる事業用車は、なかなか一般利用者の目に触れることのない車両でもある。JR東日本に今年は複数の事業用車が導入され、顔ぶれが大きく変わろうとしている。

 

まずはE493系。2両編成の事業用交直流電車で、回送列車の牽引や、入れ替え作業などに使われる予定だ。

 

電気式気動車GV-E197系も今年に新製された事業用車両だ。形はE493系とほぼ同じながら砕石輸送用で、砕石を積むホッパ車(GV-E196形)を中間に4両はさむ形で運用される。

 

すでにレール輸送用のキヤE195系の導入も進められていて、JR東日本の事業用車も大きく変わることになる。

 

こうした新型事業用車に代わって消えていこうとしているのが、国鉄時代に造られた電気機関車やディーゼル機関車など。EF81、EF65、EF64、ED75、そしてDD51、DE10といった機関車が今も使われている。

 

現在、上記の新型事業用車両の試運転を続けている段階で、正式運用の開始はまだ発表されていないため、既存の車両がいつまで使われるのか不明である。あくまで推測でしかないが、量産型が導入される時には、国鉄生まれの機関車たちも、徐々に消えていくことになりそうだ。

 

【2021年の話題⑤】4月にロマンスカーミュージアムが開館

今年上半期の話題で最も注目されたのが、神奈川県の海老名駅に隣接して誕生した「ロマンスカーミュージアム」ではないだろうか。

 

長年、ロマンスカーの名前で特急列車を運転してきた小田急電鉄が造った鉄道ミュージアムで、館内には引退した歴代ロマンスカーや、昭和初期に走った小田原線用モハ1形などの車両が保存展示されている。

↑ロマンスカーミュージアムの1階に並ぶ歴代のロマンスカー。右からLSE(7000形)、NSE(3100形)、SE(3000形)

 

小田急沿線を模型化したジオラマパークや、ロマンスカーの運転が楽しめる本格的な運転シミュレーター、そして親子で遊べるキッズロマンスカーパークといった施設もあり充実している。

 

また入口にはミュージアムカフェ、屋上には海老名駅構内が見渡せるステーションビューテラスがあり、なかなか楽しめる施設となっている。

 

【関連記事】
歴代ロマンスカーが揃う小田急新ミュージアムの名車たちに迫る!!【前編】

 

次週は2021年の7月以降、下半期の鉄道ニュースをお届けしたい。

 

車両やお店が日々進化!松本明子がオープンした気軽にリーズナブルに楽しめるレンタカー業のこだわりとは

『電波少年シリーズ』(日本テレビ系)といったバラエティ番組をはじめとするテレビ番組やラジオ、またまた歌手としてのライブ活動など多忙を極める松本明子さん。

 

そんな松本さんが軽自動車をベースとする軽キャンピングカーのレンタカー「オフィスアムズ」をオープンしたと聞き、本人にその真意を直撃!アポなし、とはいかなかったものの、ひと味変わったレンタカー屋さんの実態をうかがいました。

(撮影・構成:丸山剛史/執筆:手束 毅)

 

松本明子(まつもと あきこ)/歌手、俳優。1966年4月8日生まれ。1982年、『スター誕生!』(日本テレビ系)チャンピオン大会合格後、歌手デビュー。歌手活動はもちろん、女優、タレントなどとして活躍中

 

開業のきっかけは「もっとお手軽に登山をしてほしい」から!?

──私もそうですが、読者が一番知りたいのは松本さんがどうしてキャンピングカーのレンタル業を始めたかです。きっかけは何だったのですか?

 

松本 これはですね、去年の9月の末に山登り初心者だった私が、長野県と富山県にまたがる北アルプスの名峰「唐松岳」に初めて本格的な登山を経験したのですよ。標高が2696mで往復7時間くらいかけて登った頂上はまさに絶景でした!

 

頂上で味わった感動を胸に下山し自宅に戻ったのですが、今日の登山で私は何人の方とすれ違ったかなとふと振り返ったら1000人はいたなと。1回の登山で1000人の方とすれ違うって凄いなと思うとともに、そんな人達がもっとお手軽にリーズナブルに登山できる方法はないかと思いついたのです。

 

というのも、その時、私は登山のために前乗り前泊し宿泊、最寄り駅からレンタカーを借りてもいましたから結構お金がかかったんですね……。

 

また、2700m近くの山に登るのに重いリュックを背負ってテント泊をする人は大変だなと。もうちょっとリーズナブルにお手軽に、あと移動と宿泊を一緒くたにできないかとそのときから考えはじめました。

 

──そこで思いついたのが軽キャンピングカーのレンタル業だったと。

 

松本 例えば軽トラの荷台にテントを載せてそこで寝るのはどうだろうと、イラストを描いてみたのですが、よくよく考えたら走行中にテントが吹き飛ばされてしまうじゃんとか、そんなうまくいかないよねとネットで検索してみたらあったんですよ、軽トラの荷台にテントを載せた車両が!

 

それがバグトラ(※販売先の正式名称はBug-truck Camper Pro.)で、青森県の「カーファクトリー・ターボー」さんが製作・販売されていた車両なのですが、もう一目惚れをしちゃって。

 

すぐに「タレントの松本明子と申しますけれど、バグトラを手に入れるのはどうしたらいいのでしょうか?」と“アポなし”で電話をかけたところ、関東エリアで神奈川県にある「ブロー」さんという車両の架装会社が販売していると教えてくれて、翌日にはそのお店にうかがいました。

 

お店にはバグトラ以外にも車両があり、ネコバス風のブギーライダーもありますよと紹介されて、その車両も一目惚れしちゃったんですよ!

 

どちらも車中泊できます、とのことだったのでその2車種を揃えてレンタカー業を開こうと決めました。

 

ターゲットは大学生とか若い夫婦やカップル

──お店では現在、バグトラックとブギーライダー、それぞれ2車種が用意されています。これらの特徴を教えてください。

 

松本 まず、バグトラは軽トラック「ダイハツ・ハイゼットジャンボ」をベースに、荷台には網戸付きテントキットを装着した軽キャンピングカーです。荷台には木製フロアキットを装備し、マットを敷くことで車中泊が可能なスペースになります。

 

あと、キャビンと荷台の境目にある背面ガラスをスライド式にしたので、座席シート裏に置いた荷物などを寝室から取り出すことやキャビンの熱や冷風を荷台スペースに入れることもできます。

 

もうひとつのブギーライダーは軽1BOXバン「スズキ・エブリイ」をブローさんがアメリカンスクールバス風にカスタムした車両です。私は「ネコバス」と呼んでいますけど(笑)。

 

リアシートを倒すとフルフラットな空間となり、ベッドキットを取りだせば大人2人がゆったりとくつろげる広々スペースが現れます。

 

そちら2車種4台には運転時にあるとうれしいバックモニター付きドラレコ、ETC、カーナビ、USBポートが標準装備されているのも特徴です。

 

──それぞれ、2台ずつ用意されていますね。違いはあるのですか?

 

↑オーバーフェンダーや鹿よけグリルガードを装着したバグトラ2号

 

松本 バグトラ2号はオーバーフェンダーや鹿よけグリルガードを装着して1号と比べ、よりワイルドに仕上げました。かっこいいでしょ!

 

ブギーライダーは1号、2号のボディカラーがまず違います。2号のグリーンは可愛いと、とくに女性の方に人気ですね。

 

あと、ブギーライダー1号にはタワー型ルーフテントを装着しているので乗車定員4名が車中泊できるようになりました。

↑タワー型ルーフテント装着のブギーライダー1号

 

↑女性に人気のブギーライダー2号

 

──当初、ブギーライダー1号にはルーフテントがなかったと記憶していますが、車両に改良が加えられているのですね。

 

松本 そうなんですよ! お客様からの要望などから少しずつではありますが内外装に手を加えています。ブギーライダーの車内に設置したサイドテーブルは、私が東急ハンズで材料を購入し自作しました(笑)

↑自作のサイドテーブル

 

──それは凄い!お店では軽キャンピングカーを用意していますがお客さんはどのような層をメインターゲットにして開業したのでしょうか。

 

松本 やっぱり東京に住んでいる大学生とか若い夫婦とかカップルとか、免許は持っているんだけどクルマを持つことが難しい方が中心かなと想定していました。都内は駐車場が1台あたり月額3万円くらい、それ以外の維持費もかかるしで簡単に所有できないですからね……。

 

そういう方にレンタカーを利用していただき、借りる車両も軽自動車ベースなので安い。なるべくリーズナブルに登山やキャンプをするお供に使って貰えればうれしいなと思って。

 

利用者の3割は海外からの観光客

──とはいえ、開業までの苦労もあったと思います。

 

松本 苦労というわけではないのですが、お店を開こうと思ってから準備に時間がかかりました。レンタカー業に必要な「自家用自動車有償貸渡業の許可」を取得するため手続きを司法書士さんに依頼し、運輸局の審査、許可の取得、車両の登録などそれらの工程が半年くらいかかりました。

 

──そうやってキャンピングカーを扱うビジネスを展開しはじめられましたが、以前からアウトドアやキャンプに興味があったのですか?

 

松本 ソロキャンプでおなじみのヒロシさんではないので、もうアウトドア初心者ですけど河原でバーベキューくらいはやっていました。

 

でも、もともと天気が良くなると出かけたくなる症候群があったみたいで。それは四国の田舎町で育ったことが原点にあるのかもしれないですね。

 

──現在、空前のキャンピングカーブームとも言われていますが、軽自動車をベースとしたキャンピングカー以外の車種を用意する予定はありました?

 

松本 レンタカー業を始めるにあたりキャンピングカーショーに行きいろいろな車両を見たのですが、大きくてゴージャスなキャンピングカーだと女性ドライバーが敬遠すると聞いたことや、私自身も利用者側に立つと運転免許はあるものの大型のキャンピングカーを借りて運転するのはちょっと……と躊躇しちゃいますよね。

 

軽キャンピングカーも車内に水回りの設備や調理台がある車両もあったのですが、とにかく気軽に、そう、車中泊だけできる、女性にも運転が苦にならない軽キャンピングカーをという思いが強いのでいまの2車種に決めました。

 

──どちらかというと、アウトドアの達人ではなく「そこまでアウトドアを頑張らない」人のほうが合いますね。

 

松本 そうですね。そう、先日アウトドア初心者ですという22歳の男子がクルマを借りてくれて「車中泊、凄く楽しかったです♪」と返却時に喜んでくれたんですよ!

 

あと、バグトラのファンの方がけっこういるみたいで「車両を売ってくれませんか?」と問い合わせや試乗したいと借りるお客様もいました(笑)。

 

そうそう、オープンからお客様の3割くらいが外国の方なんですよ。イギリス、タイ、インドネシア、中国、台湾、韓国、フランスなどの方々なのですが休日の取り方が日本と違い長く取るみたいですね。ホリデーだからと2週間まとめて借りる方や、パソコンが有ればワーケーションできると長い期間借りてくれる方もいます。

 

先日はIT関連の仕事をされている外国の方が「東北に2週間行ってきます!」とクルマを借りていただいたり、北海道2週間まわったり、四国や広島、しまなみ海道を回ったりと長期利用していただくお客様はみんな外国の方でした。

 

お客様が笑顔で帰ってくるのを見ると本当にうれしい

──先程もブギーライダーのサイドテーブルを自作されたとお聞きしましたが、車両も日々進化しているように思えます。

 

松本 そもそもブギーライダー1号にルーフテントをつけたのは、「子どもを含めた4人でキャンプに行きたいのですが車中泊ができるのは2人までですか? 4人で行きたいんですけど……」というお客様からのオーダーを泣く泣くお断りをすることが何件かあって……。これはなんとかしないといけないと、急いでルーフにテントをつけて4人車中泊できるようにしようと、設置できるテントを走り回って探して取り付けましたね。

 

──あと、車両だけじゃなくアウトドア用のレンタル用品も充実していますよね。

 

松本 そうなんですよ!レンタル用品もお客さんのリクエストにお応えしたものが多くて、例えば冷蔵庫。北海道へ長期間、旅行に行く予定の女性のお客様から「冷蔵庫のレンタルはないですか?」と問い合わせがあり、保冷用のクーラーボックスならあるのだけど冷蔵庫が用意してないなと、すぐに購入しました。冷蔵庫本体だけでなく、シガーソケットからつないで電気を供給するためのインバーター、さらにエンジンを停止したあとでも使うことができるバッテリーも揃えています。

 

問い合わせされたお客様には「冷蔵庫を購入しましたからレンタルできます、大丈夫です!」とお伝えすると大変喜んでいただけました。

 

──気になるのがこれからの季節に重要となる防寒対策です。

 

松本 私も実際にバグトラで車中泊をしてみたのですがやっぱり冬は寒くて……。本当は温風が出るヒーターも用意するべきかと思ったのですけどバッテリーの問題や専用の電源コードなどを揃えると購入金額が40万円くらいになっちゃうんです。そうなると気軽にレンタルできるものではなくなってしまうんですよね……。

 

そのため、私どもができる範囲で、例えば寒さから身体を守るキャンプ用の銀マットを貸し出したり、車中泊スペースに洗濯ロープを設置できるフックを装着し四隅に毛布を吊る「毛布カーテン」ができるように工夫するなど、少しでも暖かく車中泊できるものを探して試している最中です。

 

──お客さんからの声や要望には柔軟に対応することもテーマにしていると。

 

松本 そうですね。レンタル品でいうと最初にBBQセットみたいなものはないのですかという問い合わせがあってすぐに買いに行きましたが、車両もそうですがレンタル品って、本当にお客様のリクエストでニーズがある製品に気がつくことが多かったですね。

 

──また、驚くのがキャンピングカーという付加価値がある車両にもかかわらず料金が安いこと。正直、採算が取れるか心配になります。

 

松本 大手のレンタカーさんの料金とか見ると、軽自動車の貸出価格はやっぱりリーズナブルなんですよね。そこを飛び出してお客様が高いなと思わないような料金設定にしました。当初、設定していた価格よりもっとリーズナブルに……正直、我慢しました、はい。

 

はっきり言って黒字にはならないです(苦笑)。希に黒字になるのは、そうですね、夏休みなどのアウトドアやレジャーのハイシーズンになった時ぐらいですけども、あとはもう本当に経費とトントンぐらいで稼働している感じです……。

 

でも、お客様が笑顔で帰ってくるのを見ると本当にうれしくなっちゃって、なんかもういっぱいサービスしたくなっちゃうんですよね。

 

あと40代以上の方だと、私と一緒に写真を撮ってくださいとか言ってくれる方がいらっしゃって、それはうれしいですね。外国人の方と20代の方、大学生の方はまったく松本明子と分かっていませんから(苦笑)。

 

一緒に楽しむお店づくりを目指す

──将来的な展望として、まずお店を知ってもらうことは当然として、他になにか考えていることはありますか?

 

松本 近い将来ですけれども、やっぱり地球温暖化や環境問題を理由にクルマの世界も徐々に変わっていくかと思っているのでどこかのタイミングでEV(電気自動車)の導入も考えなくてはいけないと思っています。

 

いまの自動車業界の変革によってレンタカー業界も変わっていくと思うので、そこはこちらもうまく取り入れたいです。

 

──最後に、この記事を読んでお店に興味を持った読者にオフィスアムズのアピールをどうぞ!

 

松本 ありがとうございます。私どもはアウトドアやキャンピングカー、レンタカー業もすべて初心者で、私が思う「こんなクルマがあったらいいな♪」という車両やお店を作りました。これからは皆さんがレジャーを気軽に、手軽に、安く楽しんでいただけるようなレンタカー店作りや車両作りを目指したいと思っています。

 

若い方、女性、ファミリー、カップル、それからソロでキャンプやレジャーを楽しみたい方など年齢性別問わずに私と一緒に多様な楽しみ方を実践したり提案してくれる方は大歓迎です。皆様の楽しみ方に合わせて、私もいろいろ発見できるようにがんばりますので、一緒に楽しんでください。

 

──いわば借り手の思い通りにカスタムや進化することができるレンタカー屋さんですね。

 

松本 そうですね。例えばバグトラ2号をワイルドにカスタムしたのも、そもそもはお客様からのリクエストでした。「もっとワイルドな車両はないですか?」との問い合わせにフェンダーと鹿よけのバンパーを装着、本当は車高も上げたかったのですが1号に比べると少しはワイルドに仕上がったと思います。

 

こんな感じでリクエストしていただければ、私達のできる範囲となりますがいろいろなことに対応していきますのでご活用ください!

【オフィスアムズについて詳しくはコチラ

 

【INFORMATION】

松本明⼦presents ⻩⾦の80 年代アイドルうたつなぎ
〜うれしなつかし胸キュンコンサート〜

アイドル⻩⾦期の1980 年代において「不作の83年組」にデビューを果たした松本明⼦がキュレーターとなり、同時代に活躍したスーパーアイドルたちと、華々しい時代の名曲たちをスペシャルなトークとともにお届けするコンサート企画。

日時:2022年1⽉23⽇(日)(昼公演・開場12:30 開演13:30/夜公演・開場17:00 開演18:00)
会場:東京・かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホール
料金:全席指定8000円(税込)
出演:松本明⼦、浅⾹唯、森尾由美、布川敏和、⻄村知美

チケットは、BSフジチケット・チケットぴあ・ローチケ(e +、CNプレイガイド、楽天チケット)などで発売中。

お問い合わせはBSフジイベントお問い合わせ(event@bsfuji.co.jp)まで。

〝なるほど〟がいっぱい!鉄道好き目線で「鉄道技術展」を追ってみた

 〜〜第7回 鉄道技術展2021(千葉県)〜〜

今年で7回目となる「鉄道技術展」が11月24日〜26日、千葉県の幕張メッセで開かれた。同時に開かれた「橋梁・トンネル技術展」まで含めると270以上と出展ブースの数も多く、企業の多くが、自社の新技術のPRに務めていた。

 

鉄道のプロ向けの技術展ということもあり、難度が高かったものの、鉄道好きという立場から、興味を引いた企業のブースをいくつか紹介してみたい。

 

*主催:産経新聞社 オーガナイザー:CNT 写真は一部、修正を加えています

 

【鉄道技術展その①】将来の高所作業はロボットにお任せ?

まずは日本信号株式会社のブースから。日本信号といえば鉄道の信号技術の草分け的な企業だが、今回は「多機能ハンドリング車」と名付けられた展示が目を引いた。〝筋骨隆々〟なロボットの横に、VRゴーグルをした操作スタッフが座っている。スタッフが操縦すると、ロボットが腕の先にある〝指先部分〟で用意された鋼管をつかんだり、鋼管を上部の1〜4番のスライド部分に差し込むという実演作業を行っていた。

↑「多機能ハンドリング車」と名付けられた実演。ロボットが鋼管をつかみ、上部にあるスライド部分に見事に差し込んでいった

 

VRゴーグルには、ロボットの頭についたカメラが捉えた状況が映し出される。左手から右手に鋼管を持ち替えて、腕を上げ、スライドして見事に入れ込んだ。見学者から思わず拍手が起こる。

 

このロボットの後ろには作業車のイラストパネルがあった。高所作業は危険と常に隣り合わせだ。イラストのように作業車の中でスタッフが操作、荷台に取り付けられたロボットが危険な高所の作業を行うロボット付き高所作業車が、少しずつ配備されていくのかもしれない。

↑VRゴーグルを付けたスタッフが操る(左)。右のロボットが鋼管をつかみ、上の1〜4番の下にさし込むという実演が行われた

 

日本信号株式会社のブースでほかに気になった技術も取り上げておこう。

 

現在、多くの駅でおなじみとなっている自動改札機。今は交通系ICカードをタッチして通り過ぎるが、日本信号が展示していたのは「顔認証改札機」なるもの。あらかじめ顔をタブレッド端末で写真撮影し、登録すれば、改札機側が顔を判断して、改札機を開け閉めするシステムだ。

 

新型コロナ感染症が流行している昨今だが、たとえマスクで顔が半分隠れていても、顔をしっかり認識し、改札が開け閉めされる。

↑マスクをしていても改札機が利用できる「顔認証改札機」。登録していないと右上のように赤い光が点灯、「出てもう一度入って」の表示が

 

「LS式踏切障害物検知装置」も興味を引いた。従来の障害物検知装置とはどのように異なるのだろう。

 

この装置の場合、踏切内の上(地上750mm)と、下(地上300mm)2段に検知エリアが設けられる。もし自動車が踏切内に取り残されても、反射率が低いボディではなく、反射しやすいホイールを検知するという。また踏切内で、車いすを利用する人が転倒したとしても、従来タイプよりも死角が少なくなり検知されやすくなるという仕組みだった。

 

高齢者の踏切事故が目立つようになっている昨今、踏切事故を減らす装置の技術革新が進められているのである。

↑新型の「踏切しゃ断機」とともに公開されていた「LS式踏切障害物検知装置」(中央部の円筒形)。従来型に比べて検知能力に優れる

 

【鉄道技術展その②】LED表示器+豪華シートに注目が集まる

前照灯、室内灯、表示器などの製作メーカーとして知られているコイト電工株式会社。LEDライト、LED室内灯、さらにLED化した行先表示器「セレクトカラー表示器」などが、多くの鉄道会社に採用・納入されている。

 

鉄道技術展でも、同社の行先表示器「セレクトカラー表示器」が展示されていた。今は3万5937色の表示が可能になっているとのこと。ひと時代前の数色しか表示できなかったころとは明らかに異なり、色鮮やかで多彩な表示ができるようになっているのである。

 

【関連記事】
見慣れた表示がいつのまにか変化していた!?鉄道車両に欠かせない「カラーLED表示器」の今を追う

 

↑コイト電工のLED表示器「セレクトカラー表示器」。色鮮やかでさまざまな絵も表示できるようになっている

 

コイト電工でLED表示器とともに、注目を集めていたのが高級シート。「クレードルシート」と名付けられた座席で、技術展には、東海道・山陽新幹線を走るN700Sのグリーン車用シート、JR東日本のE261系・特急「サフィール踊り子」のプレミアムグリーンシート、さらに近畿日本鉄道の80000系・特急「ひのとり」のプレミアムシートが展示され、リクライニングシステムの稼働が可能なように調整されていた。

 

「サフィール踊り子」用と、「ひのとり」用は、ともにバックシェル付きで、リクライニングさせても、後ろに座る人への気遣いが不要な造りとなっている。

↑JR東日本E261系のプレミアムグリーンシート。背の後ろ、バックシェル部分には軽く丈夫なカーボンファイバーが使われる

 

コイト電工の「デジタルベルブザー」も気になった。音が鳴る部分はコンパクトながら、いろいろな音が出せるという。鉄道ではベルやブザー、チャイム、または音声案内など、利用客や乗務員にさまざまな情報を音で伝えることが多い。

 

これまではベルやブザーなどを個々に鳴らして伝えていた。別々の装置が必要だったわけである。ところが、この「デジタルベルブザー」ならば、それぞれのボタンを押せば、該当する音を鳴らすことができる。音をデータ化して一つの機器に組み込んだもので、省スペース化につながるわけである。

↑単打ベル、非常ブザー、アラームなど多彩な音を出すことができる「デジタルベルブザー」。左のボタンを押せば、右の機器から音が出る

 

【鉄道技術展その③】大きな車止め表示はどこの駅のもの?

鉄道標識は、線路の先の情報を運転士に伝える大切な役割を持つ。停止する場所を示す「停止箇所標識」や、「距離標」「勾配標」などを造るのが、株式会社保安サプライ。運転に関わる標識以外にも、乗客の目に触れる機会が多い「乗車位置標」や、駅名が書かれた「駅名標」なども製作している。

 

このブースは目を引くものが多かった。まずは「停止箇所標識」。この標識、実は、地方や会社により異なっていたのだ。たとえば、下の写真は通称〝停目〟と呼ばれる「停止位置目標」を集めたもの。北海道から九州の「停止位置目標」がずらりと並んだ。

 

中でも目を引いたのが、紫色に縁取りされた四角い枠の中に「E353」という文字と「9」の文字。これはつまり、中央本線などを走る特急「あずさ」「かいじ」に使われるE353系用で、紫の縁取りはE353系のアクセントカラー、9両編成の列車は、この位置で停まるようにという運転士に伝える「停止位置目標」だったわけである。運転士が見ても分かりやすい標識のように感じた。

↑各地の「停止位置目標」。右から北海道、関東、西日本、九州と並ぶ。左下がJR東日本E353系用

 

さらに、ブースの床には「乗車位置標」のシールが貼られていた。「乗車位置標」とは、ここが停車時のドアの位置ですよと知らせるマークだ。

 

乗車位置は列車ごとで異なることが多い。そんな時に、この「乗車位置標」が必要になる。床に貼られていたのは、普通列車とともに、特急列車のものも。例えばJR西日本の特急「スーパーはくと」の場合には列車のイラストが描かれ、分かりやすい。目を引いたのは流鉄(千葉県)の「乗車位置標」だ。流鉄は走る電車が一編成ずつ異なりカラフルだ。そんな正面の姿がシールにプリントされ、楽しい造りとなっている。

 

流鉄に乗った時はこの乗車位置標にも、ぜひ注目したいなと思った。

↑ブースの床には「乗車位置標」が多く貼られていた。こちらも北から南までずらり。中でも流鉄が目立った

 

ブースには、黒と白で塗り分けられた巨大な「車止標識」も置かれていた。線路がここで終了という所に設置される「車止標識」だが、通常は280mm角だそうだ。ところが、これは倍以上の大きさ。こんな大きな「車止標識」を、実際に使っているところがあるのだろうか。

 

たずねてみると、JR九州の門司港駅で使われているものだという。筆者が撮影した門司港駅の写真を探してみると……あった。門司港駅は鹿児島本線の起点となる駅だが、この巨大な「車止標識」が設置されていた。

 

こうした展示を見ていると、標識もかなり奥深いことがよく分かった。

↑ブースに飾られていた巨大な「車止標識」。鹿児島本線の起点、門司港駅の0キロポストとともに使われているものと同じだった(左下)

 

「駅名標」もなかなか奥が深い。

 

展示されていたのはJR仙山線の山寺駅の駅名標だった。山寺駅は山形県内にある駅で、山寺の通称で名高い立石寺(りっしゃくじ)の最寄り駅である。駅名標には山寺の写真が使われている。さらにお寺が近くにある駅ということで、和風の屋根が取り付けられていた。単なる名前のみの駅名表示ではない、とてもユニークな駅名標もあることが分かった。

↑山形県の山寺駅の駅名標が展示されていた。写真付きで和の趣が漂う造りに

 

こちらのブースでは、他にさまざまなメッセージを入れ込んだ「踏切注意標[踏切内走行注意]」が展示されていた。このような注意標を付けてはいかがでしょう、という鉄道会社に向けた提案型の展示だったが、利用者の目を引くこうした注意標があっても良いように感じた。

 

さらに同社では標識類だけでなく、「融雪ブロック『とけるくん』」なる商品の展示もされていた。こちらはホーム上に装着する融雪ブロックで、雪の多い地方の鉄道向け商品。雪の多い地方では、冬には日々のホーム上の雪かきが安全確保のために欠かせない。この融雪ブロックをつけておけば、その部分は雪が溶けるので安全というわけだ。

 

鉄道関連の技術といっても実に多種多様。色々な製品が開発されていることが良く分かった。

 

【鉄道技術展その④】目を引いたいくつかの新しい技術

ここではその他の企業で気になった製品をピックアップしてみよう。

 

◆近畿車輛「車載式 自動スロープ装置」

まずは近畿車輛から。同社は100周年を迎えたとあり、生み出した代表的な車両が細密なイラストで紹介されていた。

↑100周年を迎えた近畿車輛では生み出した車両をイラストで紹介する。「車載式 自動スロープ装置」の案内も目を引いた(右下)

 

1920(大正9)年製造の阪神電気鉄道の311形にはじまり、1958(昭和33)年製造の151系特急形電車や、1996(平成8)年製造の500系新幹線電車、2020(令和2)年の近畿日本鉄道80000系「ひのとり」など、歴史的な車両のイラストがボードにずらりと並び、見ていて楽しめた。

 

一方、実機はなかったものの、パネル展示で気になったのが、「車載式 自動スロープ装置」という製品。電車のバリアフリースペースなどに取り付けられる製品で、現在、駅の係員が対応している車椅子利用者への乗降サービスを、係員が不在な駅でも対応できるようにしたもの。段差や隙間があるところでも車椅子利用が可能となる装置でもある。すでに一部の路線バスなどに装着されたものの鉄道版というわけである。

 

すぐ導入というのは難しいかも知れないが、将来的にはこうした装置が導入されると役立つように思った。

 

◆富士電機「電気駆動ドアシステム」

↑富士電機の「電動駆動ドアシステム」の紹介。従来のタイプよりも、ドアに物がはさまった時などの対応に優れるとされる

 

富士電機株式会社のブースには、実物大の両開きの乗降ドアが用意されていた。どのようなものなのかたずねると、電気駆動ドアシステム「ラック・アンド・ピニオン式ドア」の紹介とのこと。

 

電車のドアの開閉は、すべてが電気駆動で動くのだろうと筆者は考えていたがすべてではないということが分かった。ドア上部に空気配管があり、〝元空気だめ〟から圧縮空気が供給されて、ドアが開閉する装置もかなり使われているようだ。

 

国内では走行中にドアが開く事故が年に数件起きている。事故には至らないまでも、ドアに物がはさまって、開閉するものの、なかなか電車の発車ができないといったトラブルもよく起こる。

 

富士電機のドアは電気駆動ドアシステムを売りにしている。ドアごとに監視機能付きのコントローラーを持ち、もし荷物がはさまったドアがあっても、ドア個々の対応が可能なのだと言う。その結果、トラブルによる時刻の遅れを未然に防ぐことにつながる。さらに圧縮空気を使わないために、取り付けが簡単で、保守・点検が容易になるという。鉄道の技術は奥深いことが良く分かった。

 

「走行中にコックを開けてもドアが開かない!」とPRの言葉にあった。つまり走行中に乗客がコックを誤操作したとしても、開けることができない。より安全性が確保されるという仕組みとなっているわけだ。ドアの非常コックへの注目度が高まっているだけに、見学者も同社のシステムにかなり興味を示しているようだった。

 

◆ニコン・トリンプル「自立四足歩行ロボット」

↑背中にレーザースキャナー装置を付けた四足歩行のロボット。タブレットPCのモニタを利用してコントロールする

 

株式会社ニコン・トリンプルが紹介する自立四足歩行ロボットはなかなか興味深い製品だった。

 

公開していたロボットはアメリカBoston Dynamics社の「Spot」。背にはアメリカTrimble社の「3DレーザースキャナC7」を積んでいる。ロボットとスキャナを一つのソフトフェアで制御できる仕組みで、タブレットPCを使って操作する。細密に計測できるスキャナを積むことで、人が関わらずにさまざまな計測をしたり、現場を360度見渡すことができるロボットだという。物流業界のロジスティクス管理にも応用できるのだそうだ。

 

人手をかけずに、管理業務などもできるわけで、それこそ番犬ならぬ、〝番ロボット〟としても役立ちそうである。

 

【鉄道技術展その⑤】開け閉めボタンも大きく変わっていた!

今回の鉄道技術展をめぐっていると、鉄道の車内外で良く見かけるボタンを見つけた。

 

「照光式押ボタンスイッチ」と名付けられたNKKスイッチズ株式会社の製品で、車両のドア横に付く。最近、ローカル線の車両などで良く見かけるようになった開け閉めの操作ができるボタンスイッチだ。

↑一番左が屋外用のベゼル付きボタンスイッチ、その右が屋内用。屋外用ベゼルは色も多彩に揃っている

 

車外に付くボタンスイッチは、ここにボタンがあります、ということが良くわかる仕組みだ。黄色や赤といった明るめの色をした「ベゼル」と呼ぶ囲むパーツが付いている。

 

一方、屋内用にはベゼルが付かず(ベゼルレスタイプと呼ぶ)、ボタンのみだが、「開」は緑、「閉」は赤で常時点灯。単にボタンスイッチがある状態とだいぶ異なるのだ。さらにベゼルは、黄色、橙(だいだい)、赤、青、緑、灰色があり、選べるようになっている。

 

また「開」「閉」という文字で示さずに、開閉方向が分かりやすくデザイン化されている。

↑ブースに設けられた屋外用ボタンスイッチ。押せば映像のドアが開く仕組みだが、音が本物に近く、つい何回も開け閉めしてしまった

 

従来型のボタンスイッチに比べて、暗い所でも見える造り。さらにユニバーサルデザインであり、色覚バリアフリーにも対応している。防水・防塵性能にも優れていて、2020(令和2)年4月20日に発売された新しいボタンスイッチながら、急速に採用されつつあり、多くの車両で見かけるようになっている。

 

車両に付くボタンスイッチも、技術開発やデザインで、より使いやすい形に進化を遂げていたわけだ。

↑右のボタンのどれを押しても消毒液が出る仕組み。ボタンを試し押しする人が多かった同ブースでは役立つ装置だった

 

【鉄道技術展その⑥】新たなレンタル軌陸車はどこが違うのか?

最後は、やや大きめの展示物を取り上げたい。保線作業などに使う軌陸車を紹介するレンタルのニッケンのブースだ。

 

軌陸車は大半が中型トラックを利用し、車体下から鉄輪がでてくることで、道路だけでなく、線路上も走ることができる。夜間に保線などの作業に使われることが多く、鉄道会社や保線作業を行う会社が所有していることが多い。とはいえ、そうした車両は高価で保有するのも大変である。

 

レンタルのニッケンでは「鉄道工事用機械」の名前で多くの軌陸車を用意する。同社では1979(昭和54)年から軌陸車の開発を開始、今もさまざまな用途に役立つ軌陸車の開発を続けている。

 

今回の鉄道技術展のブースにも2タイプの新しい車両を持ち込みPRに務めていた。その車両を紹介しておこう。

 

◆軌陸車「鉄道用サイドステージ」

まずは「鉄道用サイドステージ」と名付けられた車両。この車両は作業員が乗りこみ作業する〝ステージ〟が上でなく、横に伸びるのが特長となっている。

↑「鉄道用サイドステージ」と名付けられた車両。作業員が乗り込むステージを横に延ばすことができる(左上)、軌陸車なので移動も簡単だ

 

高所作業車の場合には、作業をする時にアウトリガーを四方に張り出して車体を安定させなければいけない。ただし、このタイプはアウトリガーを引っ込めないと移動できない。つまり作業中の移動に手間がかかるのだ。さらに高所作業車は上部の作業に役立つのだが、斜めとなると角度にもよるが危険が伴う。

 

今回展示されていた「鉄道用サイドステージ」は低い位置の作業に向いた車両で、アウトリガーも必要としない。そのためトンネル内などでの配線や、側面作業に向いている。作業に合わせて移動することもできる。作業効率がアップするというわけだ。

 

ちなみに軌陸車の鉄輪は在来線用の1067mm幅と、新幹線用1435mmといった異なった線路幅にも対応しているのだそうだ。なかなか便利な仕組みなわけである。

 

◆軌陸車「鉄道用アンロードプラス(仮称)」

もう1台の車両もユニークなものだった。「鉄道用アンロードプラス(仮称)」と名付けられた車両で、軌陸車ながらホームでの荷物の積み込み、積みおろし作業に役立つ車両だ。

↑鉄道用アンロードプラス(仮称)と名付けられた軌陸車を横から見る。前後に鉄輪を持っている。右下の鉄輪は後輪用だ

 

ホームに到着したら、荷台をホーム側に動かすことができる。荷台を降ろしきれば、ホームとの段差もなくなり、スムーズに荷物の積み下ろしができる。軌陸車が走る時には荷台が車両の上にすっぽりと収まる仕組みだ。いろいろな作業に役立ちそうだが、特にホームドアの設置作業などに威力を発揮しそうである。

↑ホーム上に荷台を降ろすところ。完全に降ろせばホームとの段差もなくなり、作業もスムーズに行える造りだ

 

今回の鉄道技術展に登場した「鉄道用アンロードプラス(仮称)」はまだレンタルはされておらず、現場には2022年度から登場の予定だとされる。

 

ちなみに、レンタルのニッケンからは、2022年度に高所作業車「鉄道用ハイライダー9.9m」と、「鉄道用オーバーフェンス」という名前の軌陸車が登場予定となっている。「鉄道用ハイライダー9.9m」はその名前の通り、9.9mまで作業ステージが伸びる高所作業車。また「鉄道用オーバーフェンス」は、線路と敷地外にフェンスがある場合に、そのフェンスを越えて作業をする時に役立つ造りとなっている。

 

いろいろな作業に対応するような軌陸車が次々に開発されていたわけである。

 

ブースには軌陸車だけでなく、「踏切用軽量マット」という製品も置かれていた。軌陸車は踏切などの線路と道路の段差がないところから線路の上にのせる必要がある。踏切が近くにない場所でも、この「踏切用軽量マット」を敷けば踏切がわりとなり、軌陸車を線路にのせることが可能となる。重量は11kg〜17.5kgと軽めで、簡単に移動させることができる。

 

軌陸車だけでなく、こうした製品まで用意していることに感心した。

↑「踏切用軽量マット」と名付けられたマット。緑と黒が用意されている。ともに10kg台の重さで簡単に持ち運びできる

 

今回は鉄道技術展の興味を引いたブースのみを紹介した。これはごく一部であり、他にも興味深い製品が多数紹介されていた。

 

同鉄道技術展は2022(令和4)年5月25日(水曜日)〜27日(金曜日)にも、インテックス大阪4・5号館で開かれる予定だ。鉄道のプロでなくとも一般の人でも入館できるので、興味がある方は訪ねてみてはいかがだろうか。

五輪先導車の技術をフィードバック! パナソニック「XU1」はスピードを出しても安心のe-Bike

パナソニックといえば家電メーカーというイメージが強いですが、実は昔から自転車を製造・販売してきたメーカーでもあります。ケイリンに使用する本格的な競技車両も手掛けてきただけに、スポーツタイプの電動アシスト自転車であるe-Bikeに積極的に取り組んでいるのは言わば必然だと言えるでしょう。

 

そんなパナソニックが作るクロスバイクタイプのe-Bike「XU1」がモデルチェンジされました。オリンピックのケイリン競技で先導車を提供したノウハウを反映し、大きく進化した新型モデルの乗り味を体感してみました。

↑パナソニック「XU1」25万1000円(税込)。全長1840×全幅590mm、車体重量は24.5kg。カラーラインナップはシャインパールホワイト(写真)とマットロイヤルブルーの2色

 

ケイリン先導車の低重心フレームを採用

パナソニックは電動アシスト自転車の国内トップメーカーですが、スポーツタイプのe-Bikeは「Xシリーズ」として展開しています。「XU1」はそのシリーズの売れ筋モデル。クロスバイクタイプではありますが、太めのタイヤに前後フェンダーやキャリアを装備するなど長距離ツーリングも視野に入れているのが特徴です。

↑前後のタイヤは700Cと呼ばれる大径で、50mmという太いものを履いています。衝撃吸収性が高く、快適な乗り心地

 

↑前後にはフェンダーを装備し、雨天でも泥はねを防いでくれます。リアにはバッグなどを装着できるキャリアも標準装備

 

e-Bikeの心臓部であるモーターとバッテリーはともにパナソニック製。自社で車体からモーター、バッテリーまで製造できるのがパナソニックの強みです。ママチャリタイプの電動アシスト自転車とは異なり、アシストの出力軸とペダル(クランク)の軸が一体となった1軸式の「スポーツドライブユニット」を採用しているのがe-Bikeの特徴。ペダルの回転数(ケイデンス)を上げてもスムーズなアシストが得られます。バッテリー容量は8Ah(36V)で最大82kmのアシスト走行が可能。充電時間は約3時間です。

↑外観もスッキリしていてコンパクトなのがスポーツドライブユニットの特徴。アシストも力強くスムーズです

 

↑バッテリーはフレームに沿った形状のセミインテグレーテッドタイプを採用

 

↑ハンドル中央部にディスプレイを装備し、アシストパワーや速度、バッテリー残量など8項目を表示できます

 

モデルチェンジで大きく変更されたのがフレームの設計。ケイリン競技の先導車はバンクのついた競技場で時速50km以上で先導する必要があるため、高速域でも安定して走行できるように低重心化されています。そのノウハウをフィードバックし、新型「XU1」は従来モデルに比べてフレームの跨ぐ部分が40mm下げられていて、重心を下げるとともに跨ぎやすさも向上しました。適応身長は159~178cmとなっています。

↑新設計となったフレームはスタンドオーバーハイトと呼ばれる跨ぐ部分の高さが40mm低くなっています

 

↑サドルは細身なルックスですが、クッション性が高く疲れにくいものを採用

 

↑ハンドル幅は590mmで歩道を走ることのできる普通自転車の枠に収まっています

 

変速ギアはリアのみの9段。フロントには変速機構を搭載していないのは、近年のe-Bikeには共通する傾向です。ブレーキは油圧式のディスクで24.5kgの車体をしっかり止めることができます。バッテリーから給電されるライトなど、日常で便利な機能も装備。

↑変速ギアはシマノ製の「ALIVIO」グレード。9段で最大ギアは36Tが付いています

 

↑フロントのチェーンリングは41T。チェーン外れを防ぐガードが両側に装備される

 

↑シマノ製の油圧ディスクブレーキを前後に装備。少ない力で高い制動力を得られます

 

↑グリップは手のひらを受け止めるエルゴノミック形状。ブレーキレバーは2本指で操作するタイプ

 

↑フロントにはバッテリーから給電するタイプのライトを装備。かなり明るく暗い道でも安心感が高い

 

↑サイドスタンドを標準装備。しっかりした作りなので、車重のあるe-Bikeも安定して駐められます

 

オリンピック先導車から継承された安定性を実感

700×50Cというタイヤはかなり太めなので、見た目には漕ぎ出しが重そうにも見えるかもしれませんが、実際に走り出してみるとアシストが強力なのも手伝って、あっという間に速度が伸びます。e-Bikeは一般の電動アシスト自転車に比べてスムーズなアシスト感が特徴ですが、モーターを手掛けるメーカーによってそれぞれ特徴あります。パナソニック製は割と出だしから強力にアシストする傾向なので、e-Bike初心者にもアシストの恩恵が実感しやすいと言えます。特に登り坂では、アシストの強さを感じやすいはずです。

↑結構斜度のある坂道もアシストを活かしてグイグイ登って行くことができます

 

スピードが乗るサイクリングロードも走ってみましたが、オリンピックの先導車からフィードバックされたという安定感はさすが。横風が吹き付けるような状況でも振られることなく安心してスピードをキープできます。アシストが効く時速24km以下で走るのが快適ではありますが、それを超えた速度での巡航でも不安感はありません。低重心化されたフレームと、フロントフォークの角度が少し寝た安定性重視のセッティングとなっているのが効いているようです。反面、曲がるときは普通のクロスバイクに比べて慣れるまでは大回りする傾向が感じられました。

↑高速巡航での安定感が高いので、サイクリングロードのようなところを走るのが気持ちいい

 

クロスバイクやロードバイクというと細いタイヤを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、太いタイヤはエアボリュームが大きく振動の吸収性が高いので、長距離走ったときに疲れにくいという特徴があります。近年はロードバイクなどでも太めのタイヤが見直されてきていますが、e-Bikeは漕ぎ出しの重さをアシストで補えるので、メリットだけを享受することができます。

 

安定性重視のフレーム設計と相まって、走行中の気持ち良さは格別。乗っていると遠出がしたくなってきます。e-Bikeであれば、体力に自信がない人も帰りの疲れを心配する必要もないので、安心して長距離ツーリングに出掛けられます。少し長い距離の通勤などにももちろん対応できるので、リモートワークでたまの会社への出社はe-Bikeで、といった使い方にも良さそうです。

 

撮影/松川 忍

 

 

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ベネリ「MANTUS 27 TRK」は、初めてe-Bikeに乗る人におすすめ!通勤や街乗りにベストだ

近年、世界的に人気が高まっているe-Bikeと呼ばれるスポーツタイプの電動アシスト自転車。特に注目度が高いのが、通勤・通学など街乗りに向いたクロスバイクタイプのモデルですが、価格もそれなりに高いのが、これから乗ろうとしている人たちにとってはハードルでした。今回取り上げるイタリアブランド、ベネリの「MANTUS(マンタス)27 TRK」というモデルは、価格を15万6000円(税込)と抑えたものにしているのが魅力です。

↑「MANTUS 27 TRK」は全長1800×全幅580mm、車両重量22.0kg。カラー展開はシルバー、ホワイト(写真)、ブラック(Probikeshop限定カラー)です

 

フレーム内蔵のバッテリーなどトレンドを押さえた装備

MANTUS 27 TRKは2021年11月初旬から発売がスタートしました。本自転車は一見しただけで、e-Bikeだと気付けるのはちょっと自転車に詳しい人でしょう。バッテリーをフレームに内蔵したインチューブ式としているため、パッと見ではフレームの太いクロスバイクのように見えます。モーターがリアの車軸と一体となったハブモーターとなっていることも、電動アシストっぽくない見た目に貢献しています。

↑フレームを前から見ると黒いカバーが付いている部分にバッテリーが内蔵されています

 

↑カバーを外せばバッテリーを取り外し可能。充電は車体に搭載した状態でも、取り外した状態でも可能で、充電時間は4〜6時間

 

↑モーターはAKM製で出力は250W。車軸と一体となっているので目立たないのもメリットです

 

ホイール径は27インチ。クロスバイクには700Cと呼ばれるロードバイクなどと同じサイズのホイールが採用されていることが多いですが、それよりも少し小さいサイズです。ホイール径を小さくしていることと、フレームのサドル側を低く抑えた設計で、適応身長が151cm~と小柄な人でも乗れるようになっています。

↑ホイールは前後とも27インチと一般的な自転車のサイズとされています。価格を抑えるための工夫の1つでしょう

 

↑前後ともフェンダーが装備されているので、雨天でも乗りやすいのもメリット。フロントにはサスペンションも装備されています

 

↑フレームは直線基調のデザインですが、サドル側が低くなっているのでサドル高を低くすることが可能

 

↑サドルは細身ですが、クッション性は高いので初めてスポーツタイプの自転車に乗る人でも座りやすそう。サドル高は790〜980mm

 

変速ギアは後ろのみで7段となっています。前後に段数の多いギアを装備しているクロスバイクに比べると見劣りする数値かもしれませんが、アシストのあるe-Bikeではあまり多くの変速ギアは必要ないので、それを踏まえたセレクトと言えます。

↑変速ギアは7段でシマノの「TOUNEY(ターニー)」というグレードを採用しています

 

↑フロントには変速を搭載せず、チェーンが外れにくいように両側にガードのついたリングを装備

 

ブレーキは前後ともにディスクですが、油圧式ではなくワイヤーで引く機械式。この辺りも価格を抑えるための工夫の1つです。ブレーキレバーは大きめのしっかりと握るタイプで、手が小さい人にも握りやすくなっています。

↑前後ブレーキはテクトロ製の機械式ディスクとなっています

 

↑ブレーキレバーは4本の指でしっかり握ることができる大きめのタイプ

 

↑ハンドルは幅を580mmに抑えていて、普通自転車の枠に収まるので歩道の走行も可能

 

↑アシストモードの選択などを操作するスイッチはLEDのみのシンプルなもの。速度の表示機構などはありません

 

↑スポーツタイプの自転車にはないことも多いサイドスタンドも標準で装備しているので、気軽に駐輪することができます

 

e-Bikeならではの軽快な走りを味わえる

MANTUS 27 TRKはクロスバイクタイプのe-Bikeですが、採用されているホイールなどの細部を見ると、随所に一般的な自転車のパーツを採用していることがわかります。これによって価格を抑えつつ、スポーツタイプの自転車に不慣れな人にも乗りやすく仕上げるという意図が感じられます。

 

例えば、ブレーキレバーはスポーツ性を重視したクロスバイクでは2本の指で握るタイプとなっていることが多いのですが、このモデルでは4本の指で握るタイプなのでママチャリから乗り換えた人でも違和感なく握ることができます。

↑スピードの乗りも良く、e-Bikeらしい軽快な加速感と乗り味でした

 

逆に言うと、クロスバイクタイプのe-Bikeならではの軽快な走りをどこまで実現できているのか? という点が懸念されますが、実際に走ってみるとその心配は杞憂に終わりました。漕ぎ出しからスムーズなアシスト感で、自分がペダルを踏んだ力にきれいにアシストが上乗せされていくのが味わえます。

 

スムーズな加速には22kg(バッテリー含む)という車体の軽さも一役買っている印象。700Cに比べて径の小さいホイールは、高い速度を維持するうえではマイナスとなる要素ですが、e-Bikeの場合、アシストの切れる24km/h以下で走るのならデメリットはあまり感じません。登り坂でも試乗してみましたが、アシストも十分強力で車重も軽いので、結構な斜度のある坂道もスイスイ登ることができました。

↑角度のある登り坂でも、ペダルを回してさえいれば登れてしまうのがe-Bikeのメリット

 

筆者はクロスバイクタイプのe-Bikeにもずいぶん試乗していますが、MANTUS 27 TRKはそれらと同じように軽快な乗り心地を味わうことができます。スポーツバイクに乗り慣れた人は、ブレーキなどの操作感に違和感を覚えることもあるかもしれませんが、このモデルがターゲットとしているのはおそらく初めてスポーツバイクに乗るようなユーザー。24km/h以上の速度で巡航したい本気度の高い乗り手は、もう少し価格が高めのモデルを選んだほうが満足できるかもしれません。とはいえ、ブレーキやシフトのフィーリングなどはパーツを交換することでも対応できる範囲。アシストのフィーリングなど、性能の根幹部分は十分な完成度に仕上がっていますので、これからe-Bikeデビューを考えている人は安心して選べるモデルです。

 

撮影/松川 忍

 

 

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エニカで借りたヒョンデの燃料電池自動車「ネッソ」を試乗! 燃料電池車とSUVの特徴を融合した快適な走りを実感

韓国・現代(HYUNDAI=ヒョンデ)自動車の燃料電池自動車(FCV)『NEXO(ネッソ)』に日本で乗れる!そんな話をいただいたのは11月始め。個人間カーシェアリングを展開している「Anyca(エニカ)」がディーラー車の貸出車両としてネッソを登録しており、その試乗レポートをお届けします。

 

ネッソは燃料電池車初のSUVとして誕生

私がネッソに最初に遭遇したのは2018年1月に訪れた米国・ラスベガスで開催されたCES会場です。当時はトヨタが『MIRAI(ミライ)』を発売した後、FCVについてはしばらく動きがなかった中での登場に驚きを感じたものでした。その後、ネッソは2018年3月に韓国国内で発売。そして、私は同年12月にはマレーシア・クアラルンプールで開催されたモーターショーで再び遭遇したのです。個人的にも興味を抱いていただけにこの話はまさに“渡りに船”。その場で試乗を快諾させていただいたというわけです。

↑個人間カーシェアリング「エニカ」で借りたヒョンデ自動車のFCV「ネッソ」。日本での発売は未定

 

FCVとは酸素との化学反応によって発生させた電気エネルギーでモーターを駆動して走らせるクルマのことです。水素は燃焼させても排出するのは水だけなので、走行時に限れば世界的な課題として俎上に上がっているCO2は一切発生させません。水素がある限り自分で電気を発生して走ることができるので、電気自動車(EV)のような充電は不要。その意味で環境に優しく理想に近いクルマというわけです。

↑ネッソのボディサイズは、全長4670×全幅1860×全高1640mm

 

そのFCVを採用したネッソは、FCVとして初めてグローバルで人気が高いSUVを形状に採用しました。トヨタのミライはフォーマルなスタイルの4ドアセダンであるため、スペースユーティリティでは明らかにネッソの方が有利。車内は広々とした空間が広がり、カーゴルームもフロア面はやや高めであるものの、SUVらしいスペースが確保されています。環境に優しく、クルマとしての使い勝手も高めた。ここにネッソならではの魅力があるのです。

↑カーゴルームはフロアが若干高めであるものの、SUVらしいたっぷりとした461Lの容積量を備えている

 

内装は品質が高く落ち着いた雰囲気

ネッソに試乗するためにキーで解錠ボタンを押すと、ドアの取っ手が自動的に手前に迫り出してきます。最近は空力特性を向上させるために。この手の「オートフラッシュドアハンドル」を採用するクルマが増え始めていますが、ネッソはいち早くこれを採用し、ここでもネッソは未来感に富んだコンセプトを持って開発されたことがわかります。

↑スマートキーで解錠ボタンを押すとアウタードアハンドルが自動的に迫り出してロックが解除される

 

運転席に座ると中央にビルトインされたコンソールと、正面の液晶ディスプレイに取り囲まれた先進的な雰囲気を伝えてきます。手で触れる部分は品質が高くしっとりした感触で、内装はグレー系でまとめられて落ち着いた雰囲気を醸し出しています。クルマからのインフォメーションは正面とダッシュボード中央の2か所に配置されたディスプレイが使われ、中央部の12.3インチディスプレイではエネルギーモニターやBGMとしてのイメージ映像、エアコンの作動状況などが映し出されます。

↑運転席周りは大型ディスプレイと共に近未来感にあふれている。ステアリングにはADAS系のコントローラーも備える

 

↑中央ディスプレイは12.3インチと大型でエネルギーフローやエアコンなどの動作状態がモニターできる

 

一方で、操作系では、中央コンソールにあるボタンが多すぎる気がしました。文字も小さめで、光の当たり具合ではその文字すら見えにくくなります。「HOME」ボタンがコンソール上に2つあるのも迷いがち。さらにミッションの切り替えスイッチもこのデザイン中に含まれており、少なくともこれぐらいはもっとメリハリのある別デザインにしてほしかったと思いました。

↑中央コンソールには数多くのボタンが並び、HOMEボタンも2つ。どれを操作したらいいのか迷ってしまうほど

 

↑シフトスイッチはこの4つのボタンを押して操作する。形状をもっとメリハリのあるデザインにして欲しいと感じた

 

走行可能距離は820kmと十分

さて、そのネッソを行動で走らせてみます。ヒョンデによれば水素をフル充填すると走行可能距離は820km(WLTC)ということで、これをエアコンの利用などを考慮して7割と見積もっても500kmは超えます。同じFCVであるミライは850km(グレードGの場合・WLTC)」と少し上回りますが、その差はわずかでいずれも十分に長い距離を走れるクルマと言えるでしょう。

 

電気モーターで発生するパワースペックは、最高出力120kWと最大トルク395Nm。それだけにアクセルを少し踏んだだけでモーターらしい太いトルクが伝わり、車重1870kgのボディを軽々と運んでくれました。モーターらしいフラットなトルクはどの速度域でも俊敏に反応してくれ、市街地はもちろん、高速道路の流入でも力不足は微塵も感じさせません。これは内燃機関とは大きく違う点です。

↑駆動は前輪で行い、モーターの最高出力は120kW、最大トルクは395Nm。水素タンクは3本備える

 

乗り心地もすこぶる快適でした。路面の凹凸をしっかり吸収しており、荒れた路面でもフラットな感覚で上手にいなしてくれるのです。若干、フワついた印象もありあますが、それは軽めのステアリングがそう感じさせるのかも知れません。300kmほど少し遠乗りもしてみましたが、同乗者からも乗り心地に不満は一切出ませんでした。SUVとしての走りは十分な満足度が得られそうです。

↑車内はSUVらしく広々とした空間で、車内スペースのあちこちに最高レベルの環境配慮型バイオ素材を採用。ストーングレーの内装はツートーンの組み合わせで落ち着いた雰囲気だ

 

↑後席は足を組んでもゆったり座れる広さがあり、リクライニング機構も備えているのでロングドライブも楽々

 

車外からリモコン操作で自動駐車

先進安全運転支援(ADAS)の機能も十分なものでした。センシングは単眼カメラとミリ波レーダーによる組み合わせで行う一般的なものですが、レーンキーピングではフラつくこともなく自然に進んでくれましたし、アダプティブ・クルーズ・コントロール(ACC)での先行車追従でも車間を安定して制御していました。

 

運転中のアシストとして感心したのが「ブラインドスポットビューモニター」です。一般的にこの機能はミラーにオレンジ色の警告表示が出るだけですが、ネッソではウインカーを出すと同時に、出した側の様子を映像でウインドウ風に表示するのです。この映像を通して死角をなくそうというわけです。

↑ウインカーを出すと、出した側の状態がカメラ映像を通してモニターされる。写真は右側のウインカーを出したときのもの

 

そして、自動で駐車できる「リモートスマートパーキングシステム」にも注目です。これは駐車可能なスペースを自動的に検出した後、車外からコントロールして駐車枠内に自動で収める機能です。作動中はリモコン操作で外部からコントロールするので、車内はまったくの無人。これで切り返しをしながら自動的に駐車するのだから驚きです。

 

操作手順としては、機能をONにしてゆっくり走ると、自動的に駐車できる枠を検出して停止するので、そこで並列駐車か縦列駐車するかを選びます。また、この機能は運転席に座った状態も可能で、その時はコンソールにあるリモートスマートパーキングシステムのボタンを押すだけです。まさに先進性をコンセプトにしたネッソらしい機能といえます。

↑案内に従ってクルマから下りてスマートキーの作動ボタンを押せば、切り返しながら自動的に枠内へクルマを駐車。操作ボタンを離すと停止します

 

ネッソを借りたいなら個人間カーシェアリング「エニカ」で

ではこの先進性あふれるネッソにはどうすれば日本で乗れるのでしょうか。ヒュンダイモーターコーポレーションの日本法人「ヒョンデ・ジャパン」によれば、韓国での価格は「約650万円から750万円」とのことですが、残念ながら日本での販売は今のところ未定。2010年に同社が日本市場から撤退して以降、その後、大型バスなどは展開しているものの、乗用車を再び販売するという話はまだ具体化されていないのです。

 

そんな中、唯一ネッソに乗れる方法が、冒頭でも触れた個人間カーシェアリングAnyca(エニカ)の会員になることです。エニカは個人が所有する車両を融通し合って貸し借りするカーシェアリングサービスです。多くのカーシェアリングは、レンタカーと同様の車両を貸し出すのと違い、個人が所有するオリジナリティあふれるクルマを借りられることが大きな特徴となっています。

↑エニカは会員登録費、月額費が無料です

 

↑エニカでクルマを借りるにはまず会員登録し、承認されるとスマホでクルマを選択できるようになります

 

↑クルマを借りる際は、登録した免許証をセンサー部にかざしてドアロックを解除

 

↑グローブボックス内の鍵で「貸出」にまわし、鍵を抜いて車両の電源をONにすればOK!

 

そして、もう一つの大きな特徴が自動車会社が所有するディーラー車をシェアするサービスも行っていることです。実はネッソもそのサービスの一環として展開しているものなので、これは「購入を想定したクルマを少し長めに試乗してから購入を決めたい」という声に応えて有料でサービスが始まったもの。すでに多くの自動車販売店が登録済みで、今回のネッソもヒョンデ・ジャパンが提供しているものなのです。エニカに登録して、日本ではなかなかお目にかかれないユニークなクルマに乗ってみるのも面白いと思います。

 

 

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「英国の鉄道」の今を伝える写真展 & 気になる英国の鉄道趣味事情

〜〜「レールブリタニア英国鉄道写真展」を開催(東京都)〜〜

 

鉄道が走る景色は国それぞれ大きく異なり、個性がにじみ出るもののようだ。

 

「RAIL BRITANNIA」という英国鉄道の写真展が12月に東京都内で開かれる。英国に暮らす人たちが撮り歩いた、とっておきの〝英国の鉄道〟が再現された写真展だ。その一部の紹介と、英国鉄道の現在、気になるあちらの〝鉄道趣味〟〝撮り鉄〟の実情に触れてみたい。

 

【英国鉄道に触れる①】英国に住んだからこそ写せた鉄道風景

まずは写真展の概要を紹介しよう。

 

◆RAIL BRITANNIA「レールブリタニア」(副題:英国鉄道写真展)

日程:2021(令和3)年12月10日(金)〜16日(木)期間中無休
時間: 10時30分〜19時(土日17時、最終日14時まで)
会場: 富士フォトギャラリー銀座 東京都中央区銀座1-2-4サクセス銀座ファーストビル4階
入場料金:無料

出展者:相内浩平、大山敬太郎、越智喬之、関根英輝、西尾祐司(敬称略)

 

まずは写真展のタイトルだが、英国の愛国歌「Rule,Britannia!」をもじったそうである。今回の写真展のメンバーは「英国鉄道研究会」の一員であり、英国に長く滞在していたからこそ生み出されたタイトルといえよう。そうした方たちだからこそ写すことができた写真であり、日本の鉄道とはひと味違った〝鉄道景色〟を見出すことができる。

↑一見どこに駅があるのか分からない場所にポツンと立つ駅名標。周りとのギャップに思わずカメラを向けてしまった 撮影:関根英輝(以下同)

 

【英国鉄道に触れる②】英国を良く知るからこそ見えてきたこと

写真展に出展しているひとり関根英輝さん(29歳)は英国生まれの英国育ちで、生粋の〝ロンドンっ子〟だ。本サイトでも英国の鉄道事情を「秩父路号」のペンネームで何度かレポートしている。

 

【関連記事】
古き良き時代にタイムスリップできる「英国式保存鉄道」の魅力

 

そんな関根さんが日本に〝移住〟されたそうで、これを機会に英国鉄道を撮り続けてきたお仲間と写真展を開こうということになった。

↑英国の大幹線である東海岸本線。名前とは裏腹に海岸線を走るのはごく一部区間だがそこでは絶景が望める

 

関根さんに今回の写真展の主旨を紹介してもらうとともに、現在の英国の鉄道事情、趣味事情をうかがった。

 

「今回の写真展は共通の趣味を持った5人の写真家が合同で展示作品を出展しています。こだわったポイントとしては、写真を通して英国の鉄道の魅力を伝えたい、ということです。英国全土で写された写真で、風光明媚な景色、個性あふれる車両、そして鉄道の運行に関わる人々を大きなテーマとしています。

それぞれの写真に〝英国らしさ〟が込められていますので、少しでもそれを感じ取っていただければと思います。日本の鉄道とはまたひと味違った鉄道景色を見ていただき、少しでも英国の鉄道に興味がわいた、または英国に一度行ってみたいと感じていただければと思います」

 

では、関根さんが感じる英国の鉄道の魅力はどのようなところなのだろう。

 

「英国で特に目立つのは鉄道文化や風習でしょうか。最近では色々と状況が変ってきてしまいましたが、鉄道車両の顔が黄色かったり、ヘッドライトは片目しか点灯しなかったり、手動ドアの客車が営業運転で現在でも使用されていたりと、鉄道先進国の中でもユニークさが際立つところだと思います」

 

手動ドアの車両が今も使われるところなどは、日本のように効率および安全第一で鉄道を走らせる国とはだいぶ違うようだ。

 

【英国鉄道に触れる③】鉄道を保存する行動力が半端ない!

「あと大きな魅力としては鉄道文化の保存活動があげられます。一番分かりやすいのが全国各地の保存鉄道ですが、英国には鉄道遺産を後世に伝えるという情熱があふれている人たちが大勢います。

昔の姿で、かつての車両や機関車を復活させて運行したり、挙句の果てには全て廃車になってしまった蒸気機関車の形式を新造してしまったりと、尊敬するほどの行動力を感じます。その人たちのおかげで現在でも過去の鉄道文化と触れ合うことができるのが、大きな魅力だと感じています」

 

保存のために新しい形式を造ってしまうとは、うらやましいほどの行動力である。それを容認する社会の空気もあるのだろう。

↑保存鉄道でのワンシーン。昔の色鮮やかな蒸気機関車が力強く走る姿が現代でも楽しめる

 

「英国では鉄道のみならず産業・文化遺産を保存して後世に伝えるという点では情熱ある方が多くいます。日本でも同様の想いを持つ方は多いでしょうが、大きな違いはボランティア文化とチャリティ文化にあると思います。保存鉄道などは老若男女問わず多くのボランティアの方々が自由時間を割いて運営に貢献しています。

ボランティアの多くが高齢者となっていて、活動人口が減ってきているというのも事実ですが、世間一般にボランティア精神が根付いているのが大きいと思います。

また、チャリティに関しては、日ごろから何かに対して寄付をするというキリスト教から芽生えた文化でしょう。英国政府も、保存鉄道などには文化保存という名目で資金が提供することもあります。これもチャリティ文化のひとつの形と言えるかもしれません」

 

日本では、クラウド・ファンディングでの資金集めが広く行われるようになってきて、車両の動態保存などに役立てられるようになってきた。こうした活動が活発化されるのは素晴らしいことのように思う。あとはそれをいかに末長く持続させられるか、そのあたりが大きなカギなのであろう。

 

そんな関根さんが好きな鉄道車両について聞いてみた。

 

「個人的に思い入れがある車両はA4型蒸気機関車でしょうか。蒸気機関車の公式世界速度記録を保持する『マラード号』で有名ですね。小さいころ、スコットランドに住む母親の友人を訪問する際、いつもその途中にあるヨークの鉄道博物館に立ち寄ったのですが、そこで展示されているマラード号にいつも感銘を受けていた思い出があります。かっこよくて速い蒸気機関車は小さい自分の憧れでした」

↑ヨークの鉄道博物館に静態保存されているマラード号。時速203キロという公式の蒸気機関車の世界速度記録を保持する

 

では、英国で特に好きな鉄道風景は?

 

「お気に入りの鉄道路線でいえばエクセター~プリマスの間にあるドーリッシュ近辺ですかね。ここは海と崖の間に遊歩道と線路がはさまれていて、素敵なロケーションです。夏の日に散歩しながら〝撮り鉄〟するのが、本当に気持ちが良かったです」

 

【英国鉄道に触れる④】英国の〝撮り鉄〟の様子は?

日本では昨今、マナーの問題などで〝撮り鉄〟の評判があまり芳しくないのだが、英国の〝撮り鉄〟事情についてたずねてみた。

 

「元々、英国の鉄道文化は『スポッティング』という、目撃した機関車の番号をメモ帳に記録する趣味が王道で、カメラなどが普及した現在でもこれを行う『スポッター』が数多くいます。撮り鉄も少なからずいますが、日本と比較して人口は圧倒的に少ないので、撮影地などでもめることもほとんどないですし、和気あいあいとした雰囲気で撮影しています。

英国の鉄道趣味人口は平均年齢が高く、若い世代が活発に活動している日本とは対照的です。英国での撮影マナーは英国紳士らしく非常によいです」

 

なるほど、鉄道好きにとってうらやましい環境のようである。撮り鉄も、要は英国紳士らしく、マナーをしっかり守るわけである。日本も見習いたいところだ。とはいえ、まったくトラブルはないのだろうか?

 

「唯一の例外が蒸気機関車の『フライング・スコッツマン』が運行する時でしょうか。鉄道ファンだけでなく一般市民の間でも非常に有名な機関車なためか、ひと目見ようと多くの人が駅、そして沿線に詰めかけます。この機関車の写真を撮影しようと、鉄道の敷地内に入り込むなどのトラブルも頻発します」

 

【英国鉄道に触れる⑤】もし英国で鉄道を撮影したい場合は?

↑旧国鉄色に復元されたHSTをヨーク駅で撮影する現地の鉄道ファンたち

 

今後、英国に旅した時に鉄道を撮影したいと考える方もおられるかもしれない。どのような注意が必要なのか、関根さんに聞いておこう。

 

「近年は対テロ対策で人々の警戒心も強くなっています。駅で写真撮影のためにうろうろしていると〝何をしようとしているのか〟という意図の確認、また注意される可能性があります。駅で撮影する場合は事前に駅係員に撮影の許可をお願いするのが良いかと思います。

ほとんどの場合には快くOKしてくれますが、万が一〝ダメです〟と拒否された場合には潔く諦めることも大事だと思います。

ただ、イベント列車などで鉄道ファンが大勢集まる場合などは、駅の係員も自前のスマホやタブレットで撮影する姿も見受けられますね」

 

制服姿で写真撮りをしていたら、日本ならすぐ問題視されてしまうだろう。英国では大目に見られているようで、そのあたりお国柄のようである。

 

「また沿線での撮影ですが、英国では必ずと言っていいほど鉄道の敷地が外部と柵で区切られています。もちろん、こうした場所では、中には絶対に入らないようにしたいものです」

 

【英国鉄道に触れる⑥】英国に導入された日本車両の評判は?

明治時代、鉄道発祥の国である英国から学ぶことによって日本の鉄道の歴史が始まった。長らくお手本だった英国の鉄道なのだが、今は日本製の車両が走る時代になっている。導入された日本車両は不具合が多いという評判も湧き上がったようだが、実際のところどうなのだろう。

↑イギリスで活躍する日立製のClass 800シリーズ。写真は同シリーズの中でもイングランド北部を中心に走っているClass 802

 

「最初のころはやはり初期不良が出てしまい、悪いところが目立ってしまったようです。特に日立製のClass 800シリーズに関しては英運輸省が自ら発注して税金が使用されたことによって、メディアや一般でも注目されていたことが、悪い評判に転じてしまったことがあったように思います。

また、鉄道ファンの間では過去40年間、英国の鉄道の顔として活躍していたHSTを置き換えるということもあって、受け入れがたい部分があったのでしょうね」

 

このあたり、日本でも鉄道ファンが持つ古い国鉄形車両への愛着にも似ているようだ。慣れ親しんできたものへの愛着は、どこの国も同じなようである。

 

「一般の利用者からすると設備も更新され、性能のおかげでダイヤも利用しやすくなって、便利に感じていると思います。座席が固いという意見は今でも耳にしますが……」

 

確かに、日本でも新しい電車は座席が固いというものもあるようだが、向こうの日本製車両も同じような感想を持たれているようだ。

 

【英国鉄道に触れる⑦】日本に住んで感じた日本の鉄道事情は?

英国の鉄道事情に関して詳しい関根さん。日本に初めて住んでみて、日本の鉄道をどのように感じたのだろう。「現在テレワークが主流で、ほとんど通勤で使用していなのですが」と言うものの……。

 

「行楽での利用のみの感想ですが、やはり時間に正確で快適なのを痛感しました。これは鉄道会社に勤める皆さんの努力と犠牲があってこそのものなので、それを忘れずにありがたく利用していきたいと思います」

 

日本に住んでいるとそれが当たり前のようになってしまっている〝定時運行〟。世界的に見れば、貴重なものなのかも知れない。時間どおり走る電車というのは、本当に素晴らしい日本の鉄道の〝宝〟といって良いのだろう。

 

最後に関根さんから一言、

 

「もしお時間があれば、ぜひ写真展にお越しいただき、英国鉄道の世界に触れていただければ幸いです」

 

最高級アメ車のプライドを備えるSUVの最小モデル! キャデラック「XT4」を徹底分析

ベテラン自動車ライターの永福ランプとフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をする「クルマの神は細部に宿る。」。今回は、アメリカのキャデラックブランドがラインナップするSUVの最小モデルに試乗し、キャデラックの現状を暴く?

※こちらは「GetNavi」 2021年12月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

 

【レビュアーPROFILE】

永福ランプ(清水草一)

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。様々な自動車専門誌や一般誌、ウェブなどで、クルマを一刀両断しまくっている。2018年以降、ペンネームを「MJブロンディ」から「永福ランプ」へ変更している。

 

安ド

元GetNavi編集部員で、現在ではフリーエディター。永福ランプを慕い「殿」と呼んでいる。

 

【今月のGODカー】キャデラック/XT4

SPEC【プラチナム】●全長×全幅×全高:4605×1875×1625mm●車両重量:1780kg●パワーユニット:2.0Lターボエンジン●最高出力:230PS(169kW)/5000rpm●最大トルク:35.6kg-m(350Nm)/1500〜4000rpm●WLTCモード燃費:非公表

570万(税込)〜670万円(税込)

 

日本の市場ではウケないが、“アメ車らしさ”を貫いたハイスペックな1台

安ド「殿! 今回は久しぶりのアメリカ車です!」

 

永福「さようか」

 

安ド「キャデラックの一番小さいSUV、『XT4』です!」

 

永福「キャデラックとはデラックスだな」

 

安ド「サイズもさすがにデラックスです。これで最小とはさすがアメ車ですね!」

 

永福「いや、実際かなり小さいぞ。トヨタのRAV4と大差ない」

 

安ド「ええっ!? もっとデカいような気がしましたが……」

 

永福「それはアメ車に対する思い込みだ。しかし実は私も車庫入れで苦労した。というのも、左ハンドル車なのでな」

 

安ド「殿はフェラーリなどで、左ハンドル車に慣れているのでは?」

 

安ド「左ハンドル車には慣れているが、SUVの左ハンドル車にはあまり慣れていなかった。最近は輸入車でも、左ハンドル車はフェラーリやランボルギーニくらいになっているのでなぁ」

 

安ド「なるほど! それにしてもキャデラックって、いまでも全モデル左ハンドルなんですね。なぜでしょう?」

 

永福「アメリカの最高級車としての誇りもあるだろうが、なによりもアメリカ以外ではあまり売れないことが大きいのではないか」

 

安ド「つまり、右ハンドルを作るほど売れないってことですね」

 

永福「2020年に日本で売れたキャデラック車は、合計479台。ランボルギーニより少なかった」

 

安ド「そういえばランボルギーニも左ハンドルだけですよね!」

 

永福「いや、ウラカンやウルスには右ハンドルがあるぞ」

 

安ド「エエ〜〜〜〜ッ! ランボルギーニですら右ハンドルがあるのに、キャデラックは左ハンドルだけなんですかぁ!」

 

永福「ランボルギーニは、左側通行の日本やイギリスでの販売比率がかなり大きいのだ」

 

安ド「キャデラックも右ハンドル車を作れば、日本でもっと売れるんじゃないですか?」

 

永福「まぁ多少は増えるかもしれないが、大したことはあるまい」

 

安ド「このクルマ、カッコ良いし走りは快適だし、エンジンも2Lターボで扱いやすくてパワフルだし、デジタル系の機能も最新だし、内装の質感も高いのに、なぜあまり売れないんでしょう?」

 

永福「う〜ん、イメージだろうな。いま日本でキャデラックを欲しがる人がどういう人か、想像がつくか?」

 

安ド「……つきません!」

 

永福「輸入車の新車を買うってことは、高級デパートで服を買うことと同様。大事なのは布地の良し悪しよりもブランドだ。キャデラックというブランドは、昔の高級車というイメージで、洋服のブランドで言うと……何だ?」

 

安ド「わかりません! 僕はユニクロやGUでしか買いませんから」

 

永福「私にもわからん。最近はワークマンやサミットでしか買わないからな」

 

【GOD PARTS 1】ドライブモード

アメリカらしい?「ツーリング」モード

センターコンソールのスイッチを押すことで、ドライブモードが選択できるようになります。「AWD」は4WD固定、「スポーツ」と「オフロード」もありがちですが、「ツーリング」は珍しいです。アメリカらしい表現とも言えます。

 

【GOD PARTS 2】20インチホイール

大径で迫力があり、質感高くスポーティ

上級2グレードでは20インチホイールが採用されていて、デザインも高級感がありながらスポーティです。「コンパクト」を謳うSUVでありながらも、しっかり大径ホイールを採用するのは、見た目重視で良い感じですね。

 

【GOD PARTS 3】エンブレム

グレード名ではない謎の数字の正体は?

ボディ後方には「XT4」と「350T」という2つのバッジ(エンブレム)が付いています。前者は車名ですが、後者は何かと考えてみると最大トルクの数値ですね(350Nm)。トルクに価値を置くあたりは、SUVの本場・アメリカらしいです。

 

【GOD PARTS 4】ワイヤレスチャージャー

スマホを置くだけで充電できる便利装備

近年、日本車でも多く採用されているスマホのワイヤレスチャージャーが、XT4にもこっそりと肘掛けの下に隠されていました。しかもスマホのサイズに合わせてスケールを変更できる仕様がフレンドリーです。

 

【GOD PARTS 5】エアコン

ユーザーフレンドリーな室内空間を実現

グレードにもよりますが、イオン発生除菌機能付きのオートエアコンが採用されているというのは現代的で、まるで日本車のような配慮です。また、このスイッチ類が真横に一直線に並べられた姿は壮観でもあります。

 

【GOD PARTS 6】左ハンドル

あくまでも左を貫きプライドを守る思想

同じGM傘下のシボレー(コルベット)でさえ右ハンドル車があるというのに、キャデラックは左ハンドルのみの設定です。それでも日本でSUVラインナップを取り揃えるあたりは、もはや頑固さを超え、高潔ささえ感じます。

 

【GOD PARTS 7】リアハッチオープナー

ドアに付けられた謎のダイヤルの正体は?

ドアに付いていたこの小さなダイヤル。なんだろうと思っていじってみたら、リアハッチゲートの開閉スイッチでした。わざわざドア内部まで配線を通さなくてはならないため作る側も面倒だと思うのですが……。インパネに付け忘れてしまったのでしょうか。

 

【GOD PARTS 8】エンジン

小型でもアメ車らしい豪快な走り

2.0L直列4気筒のエンジンはツインターボで230馬力を発揮するパワフルなユニットです。アメ車のエンジンといえば大排気量とイメージされがちですが、小さなターボというのもまたヤンチャで楽しく、好ましいです。

 

【GOD PARTS 9】ヘッドライト&リアランプ

シャープな形状はブランドアイデンティティ

フロント、リアともにシャープでアクロバティックな形状のライトが採用されています。このところキャデラック車の顔は、目から涙が溢れているようなイメージで統一されていて、それは兄貴分のXT5やXT6などでも貫かれています。

 

【これぞ感動の細部だ!】シート

面積たっぷりでゆったり乗れる

アメリカ車のシートといえば、大柄でゆったりしていて座るだけで優雅な気分になれます。このXT4のシートもまたしかり、上級グレードではマッサージやヒーター、ベンチレーションなどの機能も付いていて、セレブ感があふれています。

 

撮影/我妻慶一

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

展望車の登場でさらに魅力アップした東武鉄道「SL大樹」

〜〜東武鉄道鬼怒川線のSL列車(栃木県)〜〜

 

東武鉄道の人気のSL列車「SL大樹(たいじゅ)」がこの秋に大きく変わった。新たな展望車が連結されるようになったのである。11月に入り2週連続で週末に訪れたが、紅葉シーズンと新型車両の登場が重なり、鬼怒川温泉駅は賑わっていた。

 

登場してから4年。列車も沿線も確実にパワーアップして魅力の度合いを高めている。列車の誕生を含め、改めて「SL大樹」の旅を見直していきたい。

 

【東武SLの旅①】「SL大樹」の生い立ちを振り返る

「SL大樹」は2017(平成29)年8月10日に、東武鉄道鬼怒川線の下今市駅〜鬼怒川温泉駅間を走り始めた。運転開始以来、今年で4年となる。

 

東武鉄道では、運転の開始前から長期にわたりSL列車運行の準備を始めていた。同社がかつてSLの運転を行っていたのは1966(昭和41)年6月まで。すでに半世紀の時が流れ、SLのことを知っている社員はほとんどいない状態から進められた。

 

SL列車の運転を行っていた大井川鐵道ほか多くの鉄道会社に協力を求め、社員を派遣し、運転方法、整備方法を長期にわたって学ばせ、技術を習得させた。そして複数の鉄道会社から車両を購入、または借用し、転車台などの施設も遠方から運び整えるなど、大規模プロジェクトとして計画が進められていった。そして2016(平成28)年12月1日に蒸気機関車C11形207号機を報道陣に公開するまでに至ったのである。

↑南栗橋車両管区に設けられたSL検修庫を前に公開された牽引機C11形207号機。このあと半年以上にわたる試験走行が続けられた

 

公開された後も、すぐには運転開始されなかった。鬼怒川線を使っての試運転、習熟運転が半年にわたって続けられた。そして満を持しての2017(平成29)年8月10日の運転開始となったのである。

↑鬼怒川温泉駅を発車する試運転列車。写真は2017(平成29)年6月4日の撮影。運転開始後、「SL大樹」はさらに進化していった

 

「SL大樹」は、東武鉄道の列車の乗車率を高めるためだけに運転が始められたわけではない。SL列車が走る鬼怒川温泉の人気を取り戻すという大きな使命があった。

 

鬼怒川沿いに温泉旅館が建ち並ぶ鬼怒川温泉。この温泉郷には大規模なホテル・旅館が多い。1960年代の高度経済成長期には社員旅行や団体旅行が大流行し、それに合わせて規模を拡大した宿が多かった。しかし、時代は大きく変化していき、社員旅行・団体旅行はすたれていく。廃業する宿も目立っていった。

 

鬼怒川温泉は日光市の藤原地域にある。藤原地域の「入込客」の推移を見てみると、2010(平成22)年度の237万3390人をピークに、その後、170万人台と落ち込んでいる。こうした藤原地域のてこ入れ策の一つとして「SL大樹」運行が計画されたのである。

 

「SL大樹」の運転が開始された2017(平成29)年度には「入込客」は233万5212人まで復活、以降、230万人前後で推移している。昨年度こそ新型コロナ感染症で「入込客」が減ったものの、SL列車の運転は一定の成果をもたらしたのだった。

↑鬼怒川温泉駅前に設けられた転車台。蒸気機関車が方向転換する時間ともなると、転車台の周りはずらりと見物客が取り囲む

 

SL列車の運転だけでなく、鬼怒川温泉駅の目の前に転車台を設けたのも効果があったのではないだろうか。転車台で行われる蒸気機関車の方向転換作業は鬼怒川温泉の人気のイベントとして定着している。転車台は、通常は駅構内にあり、利用者にはあまり縁のない作業だった。しかし、東武鉄道ではSL列車が走る鬼怒川線の起点、下今市駅とSL列車が折り返す鬼怒川温泉駅の両駅で、観光で訪れた人たちが楽しめる場所に転車台を設け、それをイベント化してしまった。これは実に画期的なプランだったように思う。

 

【東武SLの旅②】SL運転に使われている車両をチェック!

ここで「SL大樹」に使われる車両を整理しておこう。まずは蒸気機関車から。

 

◆蒸気機関車 C11形207号機

↑新展望車を連結して走るC11形207号機。前照灯を上部に付ける独特な姿が特長で「カニ目」と呼ばれ親しまれてきた

 

元はJR北海道で観光列車の牽引用に活躍していた蒸気機関車で、「SL大樹」の運転開始にあたりJR北海道から借用する形で、東武鉄道へやってきた。1941(昭和16)年12月26日生まれで、人間の年ならば今年でちょうど80歳、傘寿(さんじゅ)にあたる。現役当時、北海道では日高本線、瀬棚線などを走っていた。濃霧が多い線区を走ったこともあり、煙突の横に前照灯を2つ設けている。この独特な姿から「カニ目」と呼ばれ親しまれてきた。

 

◆蒸気機関車 C11形325号機

↑2020(令和2)年の暮れから運転が始められたC11形325号機。戦後生まれでC11形の4次形と呼ばれるグループに含まれる

 

栃木県・茨城県を走る真岡鐵道から購入したC11形蒸気機関車で、生まれは1946(昭和21)年3月28日と207号機に比べるとやや若い。とはいうものの誕生して75年になる。誕生時は神奈川県の茅ヶ崎機関区に配置され、相模線や南武線を走った。現役最後には東北地方へ移り、米坂線、左沢線(あてらざわせん)などを走った。引退後は新潟県阿賀野市の水原中学校で静態保存されていた。

 

1998(平成10)年に復元工事が行われ、真岡鐵道ほかJR東日本の路線でSL列車の牽引に活躍した後に、2020(令和2)年に東武鉄道に引き継がれ、同年の暮れからSL大樹の牽引機として走り始めている。

 

東武鉄道ではほかにC11形蒸気機関車の123号機の復元工事も進めていて、将来は3機態勢で「SL大樹」は運転されることになる。

 

次に客車を見ておこう

 

◆14系客車

↑ぶどう色という濃い茶色で塗られた客車編成。国鉄の旧型客車を思い起こさせる懐かしいカラーとなっている

 

↑青色で塗装された客車編成。14系客車を前後に中間には展望デッキ付きの12客車を連結して運転

 

14系は国鉄が造った客車で寝台車、また座席車の2タイプに分けられる。東武鉄道を走る14系は座席車で、JR北海道、JR四国で使われていたものだ。元特急列車用で回転式座席を持ち、簡易リクライニングシート仕様となっている。「SL大樹」は通常、客車3両で運転され、新展望車12系を中間に、前後に14系が連結されて走る。車体色は14系が「青20号」、12系が戦後の客車列車の趣をイメージさせる「ぶどう色2号」と、かつてのブルートレインを彷彿させる「青15号」で塗られ、すべて「ぶどう色2号」に塗られた編成も登場している。

 

◆12系客車

12系客車は国鉄が製造した急行形座席客車で1969(昭和44)年から1978(昭和53)年までに計603両が製造された。その多くがすでに引退となっているが、東武鉄道にはJR四国で使われていた2両がやってきた。今年になり展望車に改造(詳細は後述)され、SL大樹の客車の中間車として連結されている。

 

以下、「SL大樹」の運転に欠かせない車両をチェックしておこう。

 

◆車掌車 ヨ8000形

C11形蒸気機関車の後ろに連結されているのが車掌車ヨ8000形で、東武鉄道路線上では必ずペアを組んで走る。車掌車は現在2両が使われているが、JR貨物とJR西日本で活躍していた車両だ。東武形ATS(TSP)などの機器類を積んでSL列車の安全な運行を手助けする役割を担っている。

↑蒸気機関車の後ろに連結されている車掌車ヨ8000形。SL列車の安全な運転に欠かせない機器類が積み込まれている

 

◆DE10形ディーゼル機関車

↑「SL大樹」を後ろから押すDE10形ディーゼル機関車。写真の1109号機はブルートレインを牽いた機関車と同じ青色塗装で活躍する

 

SL列車の運転を補助的な役割をするディーゼル機関車で、後ろから列車を押す補機として、東武日光駅行きの「SL大樹『ふたら』」の運行などに使われる。最近は、補機を付けずに蒸気機関車の牽引のみで運行される列車も多くなっている。

 

使われるDE10形は国鉄が生み出したディーゼル機関車で、駅構内での貨車の入れ替え、支線での旅客・貨物列車の牽引と万能型機関車として使われてきた。今もJR各社で使われているが、東武鉄道にはJR東日本で働いていた1099号機と1109号機の2両が入線している。1099号機は国鉄時代の塗装、1109号機は、北海道で特急北斗星を牽いたDD51形ディーゼル機関車と同じ青色に金帯の塗装で、鉄道ファンにとっては楽しい車体色となっている。

 

【東武SLの旅③】新しい展望車はどのような客車なのだろう?

ここで11月から「SL大樹」に連結される展望車のディテールを見ておこう。

 

新展望車には前述した12系客車2両が改造されて使われている。まず、ぶどう色の客車が「オハテ12-1」、青色の客車「オハテ12-2」という車両番号が付く。それぞれ車両の約4分の1スペースを「展望デッキ」に改造し、側面を開けて手すりを設け、外気が直に感じられるようにした。

 

この展望デッキを設けた理由として、これまで乗車した人の声の中に「SLが吐き出す煙や、石炭が燃えたにおいを感じたい」、「SLのドラフト音が聞きたい」といった要望があったからだと言う。確かに現代の客車はきっちり窓が閉まることもあり、なかなかSL列車の特長が掴みにくい。

 

筆者の世代から上になるとSLが牽くローカル線の列車ではトンネルが近づくたびに「窓を閉めろ」と声が飛びかい忙しく開け閉めをした。そんな記憶や、石炭を燃やした煙の香りも頭の中にしっかりと刻み込まれている。そうしたSL列車の特長を肌で感じたいという世代も多いのであろう。

↑青く塗られた展望車オハテ12-2は11月13日から正式に走り始めた。「12系展望車就役記念乗車券」も発売されている(右上)

 

オハテ12-1は11月4日、またオハテ12-2は11月13日から「SL大樹」に連結され走り始めている。写真で展望車の特長を紹介しておこう。まずは展望デッキを横から見たところから。

↑オハテ12-2車両の展望デッキ部分を横から見る。上下すべて開いたスペースと上部のみ開いたスペースが設けられた

 

↑連結器側から見た展望デッキ。程よい高さのベンチと壁にはヒップレスト、スタンションポールが設置された

 

↑展望デッキには高さの異なるベンチを用意される。側面には手すりが付き小さな子どもたちでも安心して外の景色が楽しめる

 

↑オハテ12の客席はボックス席で真ん中にテーブルがある。テーブルの横には丸形フックが、座席の肩部分には手すりが付けられた

 

展望車の客席部分は4人掛けのボックス席で、ウッド風のテーブルを真ん中に設けている。上下2段のガラス窓は上のみ開くようにし、客室内でもSLが燃やす石炭の香りがほのかに伝わるように工夫された。

 

【東武SLの旅④】運転区間、運転状況を整理しておこう

展望車が連結されたことで新たな魅力が加味された「SL大樹」。現在どのような時刻、区間で運転されているのか整理しておこう。

 

運行パターンは7パターンがある。7つすべては書ききれないので、細かいところは「SL大樹」の公式ホームページを見ていただきたい。ここでは代表的な運行パターンを紹介しておきたい。

 

まずは平日に多い「運行パターンB」。運行パターンBはSL一両での運行となる。なお東武ワールドスクェア駅の発着時刻はここでは省略した(以下同)。

◆SL大樹「ふたら」71号 下今市駅11時28分発→東武日光駅11時51分着
◆SL大樹「ふたら」72号 東武日光駅12時33分発→下今市駅12時51分着・13時発→鬼怒川温泉駅13時48分着
◆SL大樹6号 鬼怒川温泉駅15時37分発→下今市駅16時14分着

 

↑東武日光駅に到着した「SL大樹『ふたら』」。東武日光から下今市駅への運転はディーゼル機関車を先頭にバックする形で運転される

 

週末や祝日に運転されることの多い「運行パターンD」は次のようなダイヤだ。SLは1両での運行になる。

 

◆SL大樹1号 下今市駅9時33分発→鬼怒川温泉駅10時9分着
◆SL大樹2号 鬼怒川温泉駅11時10分→下今市駅11時45分着
◆SL大樹5号 下今市駅13時発→鬼怒川温泉駅着13時48分着
◆SL大樹6号 鬼怒川温泉駅15時37分発→下今市駅16時14分着

 

運転本数が多い「運行パターンE」の場合は次のようになる。「パターンE」の日はSL2両を使っての運行が行われる(時刻順)。

 

◆SL大樹1号 下今市駅9時33分発→鬼怒川温泉駅10時9分着
◆SL大樹2号 鬼怒川温泉駅11時10分→下今市駅11時45分着
◆SL大樹「ふたら」71号 下今市駅11時28分発→東武日光駅11時51分着
◆SL大樹「ふたら」72号 東武日光駅12時33分発→下今市駅12時51分着・13時発 → 鬼怒川温泉駅13時48分着
◆Sl大樹7号 下今市駅14時55分発→鬼怒川温泉駅着15時32分着
◆SL大樹6号 鬼怒川温泉駅15時37分発→下今市駅16時14分着
◆SL大樹8号 鬼怒川温泉駅16時43分発→下今市駅17時18分着

 

さすがにSL2両を使って運行される日は本数が増え、かなり賑やかなダイヤとなる。

 

ちなみに、その日に運転されるSLが207号機か325号機かは、ホームページ上の「○月の運転日毎の編成予定はこちら」というコーナーで紹介されているので参考にしていただきたい。ディーゼル機関車が補機として連結されるかどうか、また国鉄色の1099号機か、青色の1109号機かまで分かるので大変に便利だ。

 

【東武SLの旅⑤】運転された4年間で沿線も大きく変わった!

「SL大樹」が運転される前は、鬼怒川線沿線にあまり足を運んだことのない筆者だったが、運転され始めた後は一年に数回は訪れるようになった。まさに「SL大樹」の魅力にはまってしまったのである。訪れるたびに沿線が少しずつ変わってきていること気がついた。

 

東武鬼怒川線には昭和初期に造られた駅や建造物が多く残り、それが長い間、大切に使われてきた。そんな鬼怒川線の鉄道施設7件が「SL大樹」が走り始めた2017(平成29)年の7月21日に国の登録有形文化財に登録された。SL復活運転の目的の一つには「鉄道産業文化遺産の保存と活用」の推進という大事なテーマがあったのである。

↑鬼怒川線の途中駅も徐々にお色直しされている。写真は現在の新高徳駅で、右上が以前の駅舎。きれいに整備されたことが分かる

 

そうした駅に残る文化財の保存とともに、駅がきれいに整備されていった。例えば「SL大樹」が発着する下今市駅。旧跨線橋が登録有形文化財に指定されるが、駅舎は博物館のように落ち着いた趣に整備されている。また新高徳駅はホームと古いレールを使った鉄骨造の上家が登録有形文化財に指定されている。新高徳駅は2019(平成31)年に駅舎もきれいに整備され、おしゃれな駅に生まれ変わった。

 

鬼怒川温泉駅も「SL大樹」の運転開始後にリニューアルされた。栃木県産の杉材を使った造りが評価され、2018(平成30)年に林野庁が主催するウッドデザイン賞に輝いている。構内の跨線橋には沿線の登録有形文化財に関しての案内があるので、ぜひ見ておきたいところ。時間に余裕があれば、駅前にある足湯に浸かっておきたい。

↑リニューアルされた鬼怒川温泉駅。左上はSL列車が運転開始された当時の駅舎。駅前には転車台のほか足湯も設けられている

 

【東武SLの旅⑥】代表的な人気撮影地を歩いてみると

ここからは乗車した時に役立つように沿線の見どころを簡単に紹介しておきたい。また、撮影地として人気のポイントと、車内から楽しめる美景ポイントも触れておこう。

 

起点の下今市駅側から紹介しよう。下今市駅を発車したSL列車は右にカーブして川を渡る。この川は大谷川(だいやがわ)。日光・中禅寺湖が源で、華厳の滝として落ち、日光市内で有名な神橋が上流にある。橋を渡れば間もなく大谷向駅(だいやむこうえき)だ。鬼怒川線は単線のため途中、大谷向駅ほか複数の駅に交換設備があり、特急列車や普通列車と行き違う。

↑「SL大樹」が走る鬼怒川線の路線図。地図内の写真は代表的な人気撮影ポイントで撮ったもの

 

大谷向駅を過ぎると、沿線には水田が点在、また左手には杉林が連なる。この杉林の下を通るのが会津西街道で、今市から旧会津藩の城下町・会津若松まで延びている。そんな風景を見ながらSL列車は走る。

 

間もなく倉ヶ崎SL花畑と名付けられた広場にさしかかる。地域の人たちによって整備された公園で、春には菜の花、夏にはヒマワリ、秋には秋桜が咲き、それぞれの季節には、花の写真とSL列車の写真を撮影に訪れる人も多い。ここではホタルを復活させる取り組みも行われているそうだ。

 

鬼怒川線の沿線は左右両側に架線柱が立つところが大半だが、この花畑のところは片側のみとなっていて、写真撮影には絶好なポイントといえるだろう。もちろん車内から見ても美しい。

↑倉ヶ崎SL花畑の東側には水田があり、春には写真のような水面鏡を生かした写真撮影も可能に。撮影日は2021年5月4日

 

↑倉ヶ崎SL花畑側から望む下今市駅行き「SL大樹」。列車に手を振る光景がよく見かけられる

 

次の大桑駅から新高徳駅までは変化に富んだ風景が楽しめる。勾配区間もありSLが煙を多く出しつつ走る区間でもある。また駅間には2本の大きな川が流れ、渡るSL列車が絵になる。川はまず一本目が小百川(こびゃくがわ)で、この川に架けられた砥川橋梁は登録有形文化財にも指定されている。平行する国道121号の歩道から気軽に写真撮影が可能とあって、訪れる人も多い。

 

さらに新高徳駅の近くには鬼怒川が流れる。鬼怒川橋梁は走る列車の撮影にはあまり向いていないものの、車内から見下ろす鬼怒川と遠くの山並みは新緑と紅葉時期(後述)、特に素晴らしい。

 

新高徳駅の先、小佐越駅(こさごええき)付近からは国道352号が間近を走るようになり、この国道沿いにも人気の撮影ポイントが点在する。

 

東武ワールドスクウェア駅を過ぎ、鬼怒川温泉駅が近づく途中、鬼怒立岩(きぬたていわ)信号場からは複線区間となる。写真撮影や、列車に手をふる人もこの区間は多い。ちなみにこの信号場にはかつて鬼怒立岩駅という駅があった。1964(昭和39)年に廃止となり、今は単線から複線区間へ変わる信号場として残されている。

 

鬼怒川温泉駅がSL列車の終点駅となるが、東武鉄道鬼怒川線の線路は新藤原駅まで延びている。さらにその先は、野岩鉄道(やがんてつどう)、会津鉄道と線路が続く。会津若松駅、また休日にはラーメンの町、喜多方まで行く快速「AIZUマウントエクスプレス」も鬼怒川線を走っている。

 

【東武SLの旅⑦】新展望車が連結されたSL列車に乗車した!

筆者は運転開始以来「SL大樹」の写真を数多く撮影してきたが、乗車したことがなかった。乗車しないことには、どのような列車なのかレポートもできない。そこで展望車を連結したばかりの「SL大樹」に乗車することにした。

 

予約は東武鉄道の駅窓口だけでなく、スマートフォンでも可能だ。ちょうど「SL大樹2号」の2号車「16D」という座席が空いていたのでそこを予約した。座席指定料金は鬼怒川温泉駅から下今市駅間が760円と手ごろだ。運賃は251円(ICカード利用の場合)なので計1011円となった。

 

乗車する「SL大樹2号」は鬼怒川温泉駅11時10分発。早めに乗車したいと考え、鬼怒川温泉駅の3番線ホームに。この日はC11形325号機が青い客車3両を牽いて走る日で補機は付かない日だった。跨線橋を渡り3番線に向かうと、すでにホームは家族連れでいっぱい。みな蒸気機関車を背景に記念撮影で忙しそうだった。そんな熱中する姿を見ながら乗降扉が開くのを待つ。

 

乗車すると自分が指定した2号車「16D」の席は扉をはさみ展望デッキのすぐ裏側だった。調べずに指定したのだが、なんともラッキーだった。

 

中間車となった展望車は4人掛けのボックス席で、グループ、ファミリーにはうってつけだ。今回は1人の乗車ということで心配だったが、向かい側に座られた方々と気軽におしゃべりできて助かった。出発して間もなく展望デッキへ出てみる。展望デッキはすでに多くの人で賑わっていた。

↑オハテ12-2の展望デッキから鬼怒川を見下ろす。紅葉にカメラを向ける人が目立った。窓越しではない景色が楽しめて大好評だった

 

乗車した日は絶好の晴天に恵まれた。風もなく小春日和そのもの。展望デッキに立つと、ガラス窓越しではない〝生の景色〟が楽しめる。鬼怒川橋梁では見下ろす景色が特に素晴らしく、展望デッキは歓声に包まれた。

 

【東武SLの旅⑧】乗車したご家族に話を聞いてみた

筆者の横には宇都宮市に住まわれるOさんご家族が座られた。小さいお子さんが一緒、通路側の席の指定ということで、外の景色が楽しめず。発車後は展望デッキで過ごされていた。運悪く通路側の席の指定しか取れなくても、展望デッキに出れば、外の景色をふんだんに楽しめる。これが展望デッキの良さなのだなと思った。

↑展望デッキで楽しむOさんご家族。小さなお子さん連れだったが、迫力ある展望を満喫されたようだった

 

そんなOさんご夫妻は「今日は、息子が喜ぶかなと急きょ乗ることに決めました」とのこと。

 

「満席ぎりぎりで席を取ることができたのは幸運でした。窓口で購入したら、硬券の切符で日付も自分で印字させてもらえて貴重な体験ができました」。

 

なるほど、窓口で買うと硬券切符が購入できるとは知らなかった。次回はぜひ窓口で購入したいと思った。

 

ただ、「座席や通路が少し狭かった」と感じられたそう。確かにこの日の車内は満席で混み合っていた。また展望デッキそばということで行き来する人も多くて、少し落ち着かない印象があった。

 

「息子にとっては窮屈だったようでご機嫌が悪くなってしまいましたが……、展望デッキでは風を感じながら景色もよく見ることができ、飽きずに楽しそうでした」とのこと。目の前に手すりがあるので、小さい子ども同伴でも安心して乗車できるようだ。

「沿線の方々が、手を振ってくれるのがあたたかくてうれしかったです」と話すように、鬼怒川線沿線に住む多くの人たちが、「SL大樹」を温かく迎えてくれるように感じた。

 

終点の下今市駅まで乗車時間は35分と短めだったが、濃厚な時間を過ごすことができた。小さな子どもたちでも飽きずに楽しむことができるのではと感じた。乗り足りないと思ったら、往復乗車すれば良いわけである。

 

【東武SLの旅⑨】東武鉄道の特急も新しく変わっていく!

最後にSL列車の話題から少し離れるが、東武特急の話題に触れておきたい。

 

東武特急がこの数年で大きく変わりそうである。いま鬼怒川線には100系スペーシアと500系リバティ、またJR東日本の253系特急「きぬがわ」が乗り入れている。500系は2017(平成29)年4月、「SL大樹」と同じ年に生まれた新型特急だ。500系は登場後、徐々に増車されていて、列車本数も増えてきた。

 

既存の100系スペーシアもリバイバル企画が進められている。まずは2021(令和3)年6月5日からリバイバル塗装車両が走り始めた。ジャスミンホワイトを基調に、パープルルビーレッドとサニーコーラルオレンジ、窓部分にブラックラインという100系のデビュー当時のカラーリングで走る。

 

さらに、かつて一世を風靡した1720系デラックスロマンスカーの塗装に変更された100系の新たな塗装編成が12月5日に登場の予定だ。

↑1960(昭和35)年に運転を開始した1720系。12月5日に登場する100系がどのような色になるか楽しみだ 写真提供:東武鉄道

 

さらに楽しみなニュースがある。100系の後継車両となる新型「N100系」が導入されるというのである。登場は2023(令和5)年になる予定で、6両×4編成が新造される。

 

車体色はホワイト。日光東照宮陽明門や御本社などに塗られた「胡粉(ごふん)」をイメージした高貴な白い車体になるという。イメージ図を見ると窓の格子が目立つ。この格子は沿線の鹿沼に伝わる組子、または江戸伝来の竹編み細工をイメージしたものなのだという。近未来的なデザインとなりそうだ。

 

加えて12月に「SL大樹」にも新たな話題が発表される予定とのこと。まだ明らかにされていないが〝鉄道好き〟〝SL好き〟な人には、とっておきのクリスマスプレゼントになりそうだ。

 

4年前に登場した「SL大樹」は確実に進化を遂げてきた。東武特急とともにこれからも目が離せない人気列車となっていることがよく分かった。

↑2023(令和5)年に導入予定のN100系。車体は白、窓周りなどかなり凝った造りの新型特急となりそうだ 写真提供:東武鉄道

 

 

0〜5歳まで乗れる「ストライダー(STRIDER)ロッキングストライダー」実力・コスパレビュー。1台2wayでプレゼントにも最高なランニングバイクの実力

ストライダーは世界25か国、300万⼈以上の⼦どもたちに愛用されているランニングバイク。自転車に乗るためのバランス感覚や体重移動が自然に養えるプロダクトです。GetNavi webでは以前、「【3歳半から7歳向け最強の逸品】失敗しないプレゼント選びにストライダー(STRIDER)14Xのすすめ。」と題し、実際に3〜5歳の⼦どもたちに乗ってもらったところ、みるみるうちに乗れるようになったのが衝撃的でした。

↑ストライダーの全ラインナップ

 

そのストライダーから「ロッキングストライダー」という画期的な製品が出ているのをご存知でしょうか? 通常のストライダーに乗れるのが1歳半からなのに対し、こちらは0歳から。具体的にはつかまり⽴ちができたら遊べるようになっていて、大きくなったら通常のストライダーとして外で乗ることができます。今回は、⼀台⼆役で⼦どもの発育をサポートしてくれるロッキングストライダーをチェックしてみました。

↑今回は、0歳から1歳半のお子さんが遊べる「ロッキングストライダー」について掘り下げていきます

 

【今回紹介する製品】

ストライダー

ロッキングストライダー

2万1780円(税込)

ストライダーをロッキングベースと呼ばれる台座に固定した製品。台座の下面がゆったりした曲面となっているので、子どもがゆらしたり、またがったりして遊ぶことができます。もともと「ストライダーベイビーバンドル」という名称で販売をスタートしましたが、今秋「ロッキングストライダー」という名称に変更。ロッキングストライダーは、子育てにまつわるトレンド(ヒト・モノ・コト)を表彰する「第11回 ペアレンティングアワード」を授賞しています。台座の上に載っているのはハンドルやシート高の調整幅が広いストライダーのスポーツモデル。グリーン(写真)、レッド、ブルー、オレンジ、ピンク、イエロー、ブラックの全7色展開です。

 

 

そもそもストライダーというブランドについて

ストライダーは子どもが自分の足で漕いで進むランニングバイクの代名詞。補助輪付きの自転車と違い、自分でバランスを取るので小さい頃からバランス感覚や脚力を養うことができます。また、二輪車なので、自然と自転車に乗れるようになるのも大きなメリットです。

↑子どもたちに愛されているランニングバイク。子どもたちに愛されているランニングバイク 公式サイトはコチラ

 

【ONE POINT】三輪車や補助輪付き自転車は、自転車と全く身体の動きが逆

コーナーを曲がる場合、補助輪なし自転車は曲がりたい方向に体重を移動するだけですが、三輪車や補助輪付き自転車はハンドルを切って曲がるため、体重は曲がる方向と逆の方向にかかります。三輪車や補助輪付き自転車に乗れるお子さんが自転車に乗るときに苦労するのはこのため。ストライダーは自転車と同じ体重のかけ方をするので、自転車にすぐに乗れるようになるのです。

 

筆者の子どもも小さい頃からストライダーに乗っていましたが、そこで感じたのは”安心して転べる”製品だということ。重心が低いので転んでもダメージが少なく、車体が軽量なので自分で起こして遊び続けていました。近年は小さい頃に転ぶ経験をする子どもが少なくなっているという話も耳にしますが、ストライダーで転び慣れていれば自然と自分の体を守る転び方を身につけることができます。世界25か国、300万人以上に愛用されている理由がよくわかりました。

↑何よりも子どもが楽しそうに乗ってくれることがストライダーの魅力

 

では、ロッキングストライダーはどんなモデル?

そんなストライダーに、0歳の頃から触れられるのがロッキングストライダー。つかまり立ちをしたらまたがって遊ばせることができます。台座にはしっかり固定されていて、赤ちゃんにも安心。台座自体は前後にはゆすれますが、左右には動かない作りなので転倒の心配もありません。表面は滑りにくいテクスチャ加工が施されているため、裸足でもしっかりグリップすることができます。

↑台座となるロッキングベースへの固定は強固でグラつくようなこともありません

 

↑テクスチャ加工のされているロッキングベースの表面はグリップも良い

 

つかまり立ちをできるようになったら遊ぶことができますが、グリップの部分は赤ちゃんの手でもつかみやすく、手にやさしい作りになっています。ハンドルにはバーパッドも装着されているのも安心できるポイントです。手や足で何かを触ったり掴んだりするのは、赤ちゃんへの刺激となり、発育を促す側面もあります。

↑ハンドル径は13mmと細く、小さな手でも握りやすい樽型のグリップを装着しています

 

↑ハンドルバーパットも標準装備されているので、転倒してしまっても安心

 

組み立ても簡単で、ロッキングベースはマニュアルに沿って差し込んでいくだけでかたちになります。ストライダーの脱着も工具なしで行えるので、気軽に取り外すことができます。天気の良い日は外で乗って、雨の日には室内で遊ぶという使い方もできますね。素晴らしい!

↑ロッキングベースへのストライダーの取り付けは、まず前輪を台座に差し込みます

 

↑同じく後輪もロッキングベースにセットします

 

↑そして固定パーツを後輪の左右に取り付ければ、固定は完了です

 

実際の使い勝手をレポート

ロッキングストライダーの作りのこだわりを知っていただいたところで、ここからはSNSなどに投稿されたユーザーの声をピックアップしたり、筆者が実際に触って感じたりしたポイントなど、実力のほどを紹介していきます。

 

●身体をゆらす動作/止める動作が身についた

小さい子どもが屋内で遊ぶものとしては、昔から木馬などもありますが、前後にゆらす動きは子どもに馴染みやすいものなのかもしれません。実際、ロッキングストライダーのユーザーからは動かし方を教えたわけではないのに、子どもが自分でゆらす動きを覚えて遊ぶようになったという声が多く寄せられています。

↑赤ちゃんでも直感的に遊び方がつかめるのが特徴。子どもの成長に合わせて長く乗れます

 

振り子のように自分の体を動かして、前後に動かすだけでなく、揺れを止める動きも自然にできるようになるというから不思議なものです。身体のバランス感覚が小さなころから身につけられる点は、親として見逃せません。

※出典:インスタグラム @akih0.24daより

 

●置いておくと自然に興味を持つようになった

子どもが遊んでくれなかったらどうしようというのは、子どもに何かを買ったときの親の心配事のひとつ。こちらも心配ご無用です。SNS投稿を見ると、意外にすんなり乗るようになったお子さんから、当初は警戒気味だけど、徐々に興味を示してハマってしまう子まで様々。いずれもロッキングストライダーの面白さに惹かれているのがわかります。最初から無理して乗せようとしないで、部屋に置いてお子さんが興味を持ったら、まずは一緒に遊んであげるのが一番効果的かもしれませんね。

↑SNSに投稿された写真の一部。笑顔だったり、得意げな顔だったり子どもたちが興味津々なのが伝わってきます(写真をタップするとストライダーの公式Instagramに移動できます)

 

●広くない家庭でも設置はできる

ロッキングストライダーの台座部分のサイズは長さ80センチ、幅30センチ。これは機内持ち込みできるスーツケースをひと回り大きくして縦長にしたサイズ感で、部屋を圧迫するサイズではありません。安全のために周囲に物を置かないようにする工夫は必要ですが、ジャングルジムなどを大型の遊具を購入するよりは圧倒的に省スペース。重さはストライダー本体は3kg、ロッキングベースは2.8kgで決して重くはないので掃除をする際に移動するのも苦ではありません。

 

なお、ストライダーでは設置時にカーペットなどの上で使用することを推奨しています。底面はラウンドしていますが、お子さんが激しく動いた際には床を傷つける可能性もあるため。小さなお子さんがいる家庭ではブロックマットを敷いている家庭もいるかと思います。そういったマットの上で使えばより安心でしょう。実際に、SNSの投稿でもブロックマットの上で使用している方が一定数いらっしゃいました。

 

●圧倒的写真映え!

SNSで多かった写真のひとつが、写真映えを狙った投稿。ロッキングストライダーを壁の前に置いて、壁に飾りつけてその前にお子さんを座らせて記念写真というものです。飾り付けも様々。ガーランドをつけて誕生日をお祝いしたり、五月人形を背景にしたり。(時期は終わってしまいましたが)ハロウィンなどのデコレーションも合いそうですし、年賀状の写真にも使えそう! こうして定点的に撮影できる点も魅力。子どもの成長を実感できます。

↑スマホで気軽に撮影できる時代なので、子どもの成長記録としても最適(写真をタップするとストライダーの公式Instagramに移動できます)

 

特にコロナ禍以降は気軽に外で遊べる機会が減少しており、子どもの発育面と同時に、思い出として残せる写真が撮りづらくなっています。ロッキングストライダーはこの両面を解決できるという点でも素晴らしいプロダクトといえるでしょう。

 

近年は子どもの運動機能の低下が叫ばれ、特に平衡感覚・バランス能力が重要だと言われていますが、小さい頃からロッキングストライダーにまたがり、少し大きくなったら外をストライダーで駆け回れば、子どものバランス感覚を刺激することになりそうです。室内遊びの定番品であるジャングルジムや木馬は室内でしか遊べませんが、ストライダーは外でも遊べますし、シート位置を調整できるので、楽しめる期間が最長5年間と長いのが特徴。親の立場からするとコストパフォーマンスが高く感じます。

↑ロッキングストライダーを持ち上げてみると、大人が持つにはかなりの軽さに筆者は驚きました

 

実は親が生涯で子どもと一緒に過ごせる期間は結構短く、母親は約7年6か月、父親にいたっては約3年4か月なのだとか。しかも、子どもが小学校に入るまでに、その3分の1は経過してしまっているとのこと。貴重な子どもと一緒の時間を精一杯楽しむためにも、ストライダーは最適な遊具です。

↑子どもと一緒に過ごす時間は人生の中でも宝モノの一つ

 

ロッキングストライダーはプレゼントとしてもパーフェクトだ

個人的には、ロッキングストライダーはプレゼントとしても適しています。親戚や友人に子どもが生まれたら、出産祝いや1歳の誕生日などに贈っても良さそう。また、職場の人にお子さんが産まれた場合でも、複数人で募って購入するアイテムとしては、金額的にもぴったりです。

↑ストライダーは0歳から7歳まで対応する乗り物が幅広くラインナップ

 

ひとつのモノを長く使えると、「あんなに小さかったのに、もうこんなに大きくなって!」と子どもの成長を一緒に見守ることができます。贈ったときはよちよち歩きだったのが、外をストライダーで駆け回る姿を見た時には、心が震えます。ストライダーは子どもの生育をサポートしてくれるだけでなく、大人も元気にしてくれる。単なる遊具ではない魅力に溢れています。

 

ロッキングストライダー スポーツモデル【SPEC】●サイズ:ロッキングベース800×300×110mm/●重量:ストライダー本体3.0kg、ロッキングベース2.8kg/●車体サイズ:12インチ/●体重制限:27kgまで

 

↑対象のストライダー商品を購入した方へ、トレジャーバッグとサンタブーツの両方がもらえるキャンペーンを開催中。数量限定、なくなり次第終了のため、ご検討中の方はお早めに! キャンペーンページはコチラ

 

 

■ストライダー公式SNS

Instagram https://www.instagram.com/striderjapan/?ref=badge

Facebook  https://www.facebook.com/striderjapan?filter=1 

Twitter  https://twitter.com/strider_jp

Youtube  https://www.youtube.com/channel/UCpTNCEKVFM_cH1d9wDOc-vg

 

■ストライダー正規取り扱い店

全国の販売店

 

 

撮影/松川 忍

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

 

全部入り「6万5780円の電アシ」は買いなのか? ドン・キホーテの「EVA PLUS mini」を徹底解剖!

電動アシスト付き自転車はコロナ禍以降、“密”を避ける新しいライフスタイルの拡大もあって、さらに普及が進んでいます。なかでも人気が高いのが、径の小さいタイヤを装着した小径モデル。乗り降りしやすく、オシャレな雰囲気なのが支持される理由ですが、価格的にはちょっとお高めなものも……。そこで注目したいのが、ドン・キホーテのプライベートブランド“情熱価格”から登場した「EVA PLUS mini(エヴァ プラス ミニ)」です。

 

 

全部入りで6万円半ばの高コスパ!

電動アシスト付き折りたたみ自転車​​EVA PLUS miniの価格は6万5780円(税込)。10万円オーバーのモデルも多い中で、圧倒的なコストパフォーマンスの高さです。とはいえ、毎日乗るものですから“安かろう悪かろう”では困ります。どんなパーツが採用されているのか、どんな乗り味なのかを実際に乗り回して確認してみました。

 

まずはディテールから見ていきましょう。ホイールは前後とも20インチ。ミニベロとしては一般的なサイズです。前後にフェンダー(泥除け)も装備されていて、フロントには大きめのバスケット、リアには10kgまでの荷物を乗せられるキャリアも装着されています。ギアは6段変速で、普段使いはしやすそう。

↑フロントのバスケットは大きめで買い物にも便利。最大積載量は3kgです

 

↑キャリアはフレームと同色に塗られています。サークルタイプの錠が装備されています

 

↑変速ギアは信頼性の高いシマノ製。6段変速ですが、アシストもあるので十分でしょう

 

アシスト用のモーターはフロントの車軸と一体となったハブモータータイプを採用。これは世界的に主流になっているタイプです。バッテリーはリチウムイオンで、容量は5.8Ah。決して大きめではありませんが、重さと価格のバランスを考慮したセレクトだといえます。アシスト可能な距離はエコモードで33km、標準モードで25km、パワーモードで20km。自宅から駅までの通勤や近所の買い物に使うのであれば十分な距離です。

↑フロントのハブ(車軸)と一体のなったタイプのモーターを採用

 

↑バッテリーは車体中央部に搭載。容量は5.8Ahで取り外して充電が可能で、フル充電には約4.5時間かかります

 

↑左手側に操作パネルを装備。シンプルな表示ですが漢字の表記がわかりやすい

 

↑バッテリーから給電されるライトも装備。点灯させてもペダルが重くなりません

 

車体サイズは全長1620×全幅560mm。車体は折りたたむことも可能で、コンパクトに収納することができます。フレームの真ん中から折りたたむタイプで、折りたたみ時のサイズは全長820×全幅500mmになります。

↑フレームの中央部に折りたたみ用のヒンジが設けられています

 

↑折りたたみ操作は基本的に工具を使わずに可能。ハンドルも折りたためます

 

↑折りたたんだ状態はかなりコンパクト。室内に持ち込んで保管したい人にはありがたい機構です

 

想像以上に快適な乗り心地

装着されているパーツを見る限り価格以上のクオリティを持っていると感じられるEVA PLUS miniですが、続いては実際の乗り心地を検証してみます。街中を中心に気になる坂道の登坂性能なども体感してみました。

 

まず、ペダルを漕ぎ出して感じたのは発進のスムーズさ。電動アシスト自転車の中には軽くペダルを踏み込んだだけで、グイッと車体が押し出されて慣れないとちょっと怖いモデルもありますが、EVA PLUS miniはスムーズな加速感。逆に押し出されるようなパワーを期待していると少し非力に感じるかもしれませんが、近年はこうしたスムーズな加速感のほうが乗りやすいとされ、多くのメーカーがこちらに舵を切っています。筆者は多くの電動アシスト付き自転車に試乗していますが、このスムーズさは結構レベルが高いと感じました。

↑発進もスムーズで、その後の加速も心地良い。小径タイヤですが、忙しくペダルを回す必要はありません

 

↑グリップタイプの変速も操作しやすく好印象。ギアが足りないと思うこともありませんでした

 

坂道も登ってみましたが、グイグイ登って行くようなパワフルさではないものの、ペダルを回していれば脚に力を込めなくてもスイスイ登って行ける感覚。ただ、坂を登るときはパワーモードに入れておいたほうが良さそうです。

↑写真で見るより斜度のある登り坂でしたが、力を使うことなくスイスイと登れました

 

個人的に気に入ったのはブレーキの握り心地です。低価格の自転車に乗ると、ブレーキにコストダウンの跡を感じることが多いのですが、EVA PLUS miniは剛性感のあるブレーキレバーでしっかりと握り込むことができます。後輪には高性能なローラーブレーキを装備していて、雨の中を走っても音が鳴りにくいのだとか。重さのある車体(約24.5kg)なので、制動装置はしっかりしていてほしいところですが、その辺りに手を抜いていない点に好感が持てます。

↑剛性感があってしっかり握り込めるブレーキレバー。制動力も信頼できます

 

実際に試乗してみて、感じたのは6万円台の車体としては想像以上によくできているということ。サドルの座り心地も良く、使い勝手につながる部分にはしっかりと手をかけている印象です。小径車だと、段差を乗り越えた際などにハンドルが振られるような挙動をするモデルもありますが​​EVA PLUS miniではそんなこともありませんでした。

↑段差を乗り越えても、不安定な挙動を示すこともありません

 

↑信頼性の証である「BAA」マークも取得

 

折りたたんでも重量のある電動アシスト付き自転車なので、気軽に輪行して出かける感じではありませんが、収納時に省スペース化できるのもいいところ。ボディカラーはマットブラック、マットカーキ(写真)、マットネイビーと普段使いにはちょうどいい色の3色展開。適正身長は145cm〜となっているので、夫婦で共用することもできそうです。これから電動アシスト付き自転車デビューをしたいと思っている人には、最初の1台としてもおすすめできます。

 

 

撮影/松川 忍

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

「BOSCH e-Bike試乗会」レポ! ぺダルを踏み込むことで「スポーツ」をしている気分になれるのが何よりも楽しい。

リモートワークが日常化し、自宅で過ごす時間が長くなることによる運動不足を解消してくれる自転車だが、ここで紹介する「e-Bike」は、一般的な自転車とは異なり電動アシストを持つ『次世代の自転車』として新たな歴史を刻み始めている。読者の中には「e-Bike=電動アシスト付き自転車」と思われている人も多いと思うが、この2つのカテゴリーは似て非なるモノであり、求められる用途に大きな違いを持っているのだ。電動アシスト付き自転車は日常を支える道具であり、e-Bikeは機能性を追求した趣味のギアである。

 

そんなe-Bikeの楽しさを多くの人に知ってもらうため、e-Bikeや電動アシスト付き自転車の主要コンポーネンツである電動アシストモーターを供給する「BOSCH(ボッシュ)」が主催するイベント「BOSCH e-Bike試乗会」に筆者が参加した。ボッシュはドイツで誕生した自動車機器サプライヤーであり、現在は電動工具や自転車用モーターなども手掛ける世界的なブランドとして認知されている企業である。

 

e-Bikeを駆り、標高1202mのヒルクライムに挑戦!

今回のイベントはe-Bikeの実力と楽しさを知るには最高のロケーションが用意されていた。場所は河口湖からほど近い山梨県南都留郡にあるトレッキングの聖地として知られる紅葉台から三湖台までのコースとなり、1202mの標高までを一気に駆け登るというもの。紅葉台の駐車場からスタートした道程は厳しく、自転車を使ってのヒルクライム……と聞いて少しばかり尻込みをしてしまう。

↑用意されていたe-Bikeに乗ると、疲弊した中年ライターの脚力が20歳は若返ったような感覚で急坂をグイグイと上ることができた

 

コースの中には最大斜度が10%を越える急坂が続く場所もあり、電動アシスト無しのMTBでは「絶対に無理」と思えてしまうところだが、アシストモードを最大の「TURBO」にシフトすると、ダンシングをすることなくサドルにお尻を乗せたままスイスイと登坂していく。ギアを軽くし高回転ケイデンスで登る気分は漫画「弱虫ペダル」の小野田坂道クンになった気分である。

↑用意された「TREK(トレック)」、「corratec(コラテック)」、「cannondale(キャノンデール)」、「SCOTT(スコット)」のe-Bikeを参加者と交換しながらの挑戦であった

 

途中、レストハウスで昼食を取り、撮影をしながらのヒルクライムではあったが、ほど良い疲れを伴う登坂が気持ち良い。ボッシュ製の電動モーターにアシストを受けながらも、自分の脚力を使う充実感は非常に大きく感じられた。モーターに依存し過ぎないことで味わえるほどの疲労感と達成感は絶妙で、登坂力をエンジンに依存するオートバイとは違ったベクトルの楽しさを与えてくれる。

↑参加者には女性も多かったのだが、笑顔で談笑しながら10%の激坂を登っている姿を見て電動アシストの素晴らしさを再認識させられた

 

そして、約1時間の道程を経て三湖台へと到着。標高1202mからの見晴らしは素晴らしく、三湖台の名の通り西湖、本栖湖、精進湖を見晴らす眺望と、青木が原の樹海と美しい富士山の姿は圧巻だ。

↑当日はかなりの寒さだったが、山頂まで綺麗に見える富士山は素敵だった

 

帰路は紅葉に燃える木々の根が露出した荒れた林道を一気に駆け下るダウンヒルを体験。用意された試乗車たちは基本構造がMTBのため、ストローク量のあるサスペンションや剛性の高いフレームが路面の凹凸を吸収してくれ快適でスリリングな走りが楽しめた。かなりハードなルートを走ったことで気が付いたことは、メーカーが異なる各e-Bikeには同型のボッシュ製のアシストモーターが搭載されているのだが、同じスペックでありながらもフレームやジオメトリーの違いによって異なるライド感が味わえたことだ。

 

e-Bikeの楽しさが手軽に味わえる施設。トレイルアドベンチャー・フジの魅力!

約2時間のライドを楽しんだ後、一行が訪れたのは「トレイルアドベンチャー・フジ」と呼ばれる施設。今回のツアーガイドを担当してくれた岩間一成氏が勤める同施設は、富士の裾野に広がる広大な敷地にトレイルコースを整備し、初心者から上級者までがMTBを楽しめるように設計されている。

 

また、家族連れが手ぶらでも楽しめるようにレンタルバイクが数多く用意され、気軽にMTBを体験することも可能。もちろん、レンタルバイクにはe-Bikeも用意されているので「e-Bikeが欲しいけどしっかりと試乗してみたい」という人にもおすすめだ。

↑今回のツアーガイドを担当してくれた岩間さんは富士周辺の秘境を熟知したプロフェッショナル。各種ツアーも行われ、楽しい輪行と共に興味深い話を聞くことができる

 

↑トレイルアドベンチャー・フジでは2つの林間コースが用意され、自然の中を楽しく走ることが可能。レンタルe-MTBも用意されているので脚力に自信のないミドルエイジにもおすすめだ

 

BOSCHが供給するドライブユニット! 今回のツアーで満喫した注目のe-Bike!

ボッシュが開発した電動アシストモーターには2つのモデルが存在する。主にMTBタイプに採用される「パフォーマンスラインCX」は圧倒的な走破力をもたらす85Nmの駆動トルクを発生し、テクニカルセクションや変化する路面に合わせてライダーの踏力に応じた最適なアシストを発揮する「e-MTBモード」を搭載。バイクとトラクションを意のままにコントロールすることが可能。

 

また、走る楽しさを求めるスポーツモデルに搭載されるのが「アクティブライン プラス」と呼ばれるユニット。静粛性と信頼性に優れ、快適な加速を約束するユニットはあらゆるシーンで活躍する。最大トルクは50Nm。

↑ボッシュの最先端電動アシストモーター「アクティブライン プラス」

 

そしてココからは、今回のツアーで筆者が満喫したボッシュユニット搭載の注目e-Bikeを紹介します。

 

【その1】長距離ツーリング、未舗装路を走りきる!

cannondale

Topstone Neo carbon Lefty 3

キャノンデールのグラベルロードとして唯一無二の存在感を発揮するe-Bike。軽量かつ高剛性を誇るカーボン製フレームにボッシュ製のパフォーマンスラインCXを搭載。特徴的なレフティ―フォークは30mmのトラベル量を誇り悪路の走破に貢献する。

 

【その2】ロングライドが余裕を持って楽しめる

corratec

SHAPE PT500

乗り易さと快適性を追求したe-クロスバイク。コラテックが日本人向けに設計したスペシャルモデル。アシストユニットにはボッシュ製のアクティブライン プラスを搭載する。スタイリッシュなインチューブバッテリーがスタイリッシュさを助長。

 

【その3】トレイル遊びに最適なハードテール

corratec

X-VERT CX

日本人のプロライダーの思想を具現化した、トレイルライドを楽しむためのハードテイルモデル。ボッシュ製のパフォーマンスラインCXを搭載し、66°のヘッドアングルを採用することでダウンヒルでのハンドリング安定性を発揮する。

 

【その4】坂を素早く登り、下りをより楽しめる

TREK

Rail 9.7

トレックが誇るハイエンドe-MTB。ロングトラベルのカーボンフレークにボッシュ製のパフォーマンスラインCXを組み合わせ、パワフルなライドを約束する。太いダウンチューブに内蔵したバッテリーが存在感とデザイン性をアピール。

 

ボッシュの電動アシストモーターによるサポートは大きな魅力

今回のツアーに参加し強く感じたことは「電動アシスト自転車=e-Bike」ではないということだ。e-Bikeは趣味性が高く、自転車とオートバイの中間を担う自然環境に優しいパーソナルビークルである。コロナ禍により生活スタイルの変化を余儀なくされた今、密になることなく移動ができ、適度な運動ができるe-Bike。通常のMTBや電動アシスト自転車では辿り着くことのできないフィールドをより身近にしてくれる相棒は、これから欠かせない存在になることは間違いない。

 

特にボクのように年齢を重ね、脚力の落ちたミドルエイジからシルバー世代にとって、ボッシュの電動アシストモーターによるサポートは大きな魅力になることだろう。1980年代の後半にMTBブームを経験した世代がリターンサイクリストとして再びペダルを漕ぐには最適のチョイスになるはずだ。

 

 

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国の補助金なしでモビリティを変える。岐阜県多治見市で始まる「地域が主役のシェアリングサービス」の中身

パナソニックは11月10日、岐阜県多治見市において、地域に根ざす電力会社などと連携し、電気自動車(EV)と電動アシスト自転車を使ったシェアリングサービスの実証事業を12月よりスタートさせることを明らかにしました。

 

複数の地元企業が協力し合いサービスに取り組む

↑多治見市でのシェアリングサービスの核となるソーラーカーポート。小型EVが2台駐車できるほか、電動自転車用ラックも備える

このサービスに取り組むのはパナソニックのほか、同市に拠点を置く地域電力会社のエネファントやソフトバンク子会社のSBテクノロジー、自動車エンジニアリングサービスを行うAZAPAの4社。それぞれが得意とする技術を持ち寄り、地域の交通利便性の向上に役立てながら、脱炭素と地域循環の実現に向けた新たな取り組みとして成長させることを目的としています。サービスの利用者となるのは多治見市民や同市を訪れた人などで、通勤やレジャーなどに利用してもらうことを想定しているそうです。

 

今回のサービスではまず、2021年10月から電動自転車のシェアリングをスタートさせており、すでに14カ所90ラックを整備。続いて同年12月よりシェアEVとして多治見駅北/南口に1カ所ずつ計2カ所に4台のトヨタの小型EV「C+pod」を配備します。これをきっかけとして多治見市内へ順次広げていく予定ということです。(※プレサービスとして多治見市北庁舎で一部サービスを提供済み)

↑多治見市でのシェアリングサービスで予定される車両。手前2台はコンバージョンEVに改造を加え、奥の2台はトヨタ「C+pod」

 

↑シェアリングサービスに用意されるトヨタ「C+pod」。定員は2名。最高速度は60km/hであるため、走行できるのは一般道のみとなる

 

見逃せないのは、このソーラーカーポートは太陽光パネルを使った電源設備を一体化しているだけでなく、建築許可が不要なサイズとなっていることにあります。これによってスピーディに必要な場所に設置が可能。説明会では、例えばイベント会場への設置も容易に行えるのも大きなメリットとして強調されていました。

 

また、このサービスでは利用に伴うCO2削減量を見える化することも予定しており、環境負荷の少ないサービスを目指していくとしています。

 

アプリ上で1つのIDですべてが連携できる

サービス全体をコーディネイトするのは多治見市を基盤に地域電力会社として発展しているエネファントで、シェアリングの拠点となるEV用ソーラーカーポートの設置を行い、サービスそのものを取りまとめます。パナソニックは、そうしたソーラーカーポートの設置に必要な機器やエネルギー端末の供給を担当。シェアリングサービスのシステム構築はアプリ開発も含め、その分野で実績があるSBテクノロジーが担います。

 

↑シェアリングサービスはスマホのアプリ上で展開され、シェアカーのドアロック解錠はスマホのバーチャルキーで行える

 

このシェアリングサービスの利用にあたって使うのはスマホのアプリです。その活用範囲は公用車EVの有効活用や、通勤・通学向け、ワーケーション向けといった分野に及び、それらはアプリ上で1つのIDですべてが連携されます。その中にはバーチャルキーも装備され、スマホ一つでEVや電動自転車がいつでも利用可能となるのです。これによって、公共交通では補えないエリアへの移動増加に伴う経済波及効果も期待されています。

 

そして、これとは別にAZAPAは、ガソリン車などをEVに転換する「コンバージョンEV」事業を展開します。これは手持ちの車両をEV化することで、何より低コストでEV化できることが大きなポイントです。加えて使い慣れた運転環境でEVに乗れるようになるメリットもあるでしょう。この日は、EV化したダイハツの軽商用車「ハイゼット」を持ち込んでいました。今後はコンバージョンEVをシェアリングすることも視野に入れます。

 

↑AZAPAが手掛けるコンバージョンEVに搭載されるモーターを含むEVの心臓部「Eアクスル」

 

↑コンバージョンEVへの作業風景。AZAPAでは2025年までに100万円程度でコンバージョンEVを実現するとしている

 

このコンバージョンEVの価格は車両代を含めると約350万円と高めですが、自前で車両を用意した場合はその分だけ費用は抑えられます、AZAPAの近藤康弘社長は、対象車両を絞り込むことで2025年頃には100万円程度でコンバージョンEVが手掛けられるようにしたいと述べていました。

 

国の補助金を受けずに自らがプレーヤーとなる

↑可搬式バッテリーのステーション。バッテリーはEVだけでなくマイクロモビリティにも展開を予定する

また、このプロジェクトには「可搬式バッテリー」の活用も含まれます。このバッテリーはコンバージョンEVでの利用にとどまらず、電動自転車などのマイクロモビリティでの活用も視野に入れています。

 

この実用化が進めば地域でのエネルギーの最小単位として、地域エネルギーグリッドの新たな調整力につながるだけでなく、災害時などの系統電力の安定化にも寄与することも期待されます。この実現によって地域の再生可能エネルギーの導入にも貢献するというわけです。

 

↑ダイハツの商用車「ハイゼット・バン」のカーゴルームに搭載されたバッテリー。カーゴルームが犠牲にはなる

 

↑ダイハツ「ハイゼット」の運転席にはEV化に伴うモニタリングのためにタブレットが装備されていた

 

パナソニックの西川弘記主任技師は、「本サービスは国の補助金をもらわずに、地元の電気工事会社やエネルギー会社がプレーヤーとなって、自ら設計して運用している点がこれまでと大きく違うところ」とし、「このサービスについて各方面から問い合わせが相次いでいる」と関心度が高まりによる手応えを感じている様子でした。

気になる新車を一気乗り! 個性と走りが際立つ日産・フォルクスワーゲン・BMWの新車をレポート

本記事では、個性と走りが際立つモデルをピックアップ。国産勢からは日産のプレミアムコンパクトであるオーラをベースとしたオーラ ニスモ、輸入車からはフォルクスワーゲン・アルテオン シューティングブレークと、BMW・M4クーペという、ドイツの2モデルだ。

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

【No.1】その魅力はスポーティにして上質な走りにあり!

ハッチバック

日産

オーラ ニスモ

SPEC【オーラ ニスモ】●全長×全幅×全高:4125×1735×1505mm●車両重量:1270kg●パワーユニット:電気モーター+1198cc直列3気筒DOHC●最高出力:136[82]PS/3183〜8500[6000]rpm●最大トルク:30.6[10.5]kg-m/0〜3183[4800]rpm●WLTCモード燃費:23.3km/L

●[ ]内はガソリンエンジンの数値

 

しなやかな乗り心地は国際級と言える出来映え!

先代はノートをベースとしていたが、新型はノートの上位モデルに当たるオーラに、独自のチューニングを施すニスモ仕様に。ノート時代は走りとスタイリングが好評だったので、新型でもこの2点は入念に仕上げられた。外観は空力性能向上にも貢献する本格的なエアロパーツや、オーラよりリム幅を拡げた専用ホイールなどを装備。内装も、シックな装いのオーラから一転、スポーティな仕立てとなる。

 

シリーズ特有のハイブリッドのeパワーはニスモ独自の制御となり、足回りも独自セッティングを採用。それに合わせてボディもリア回りが強化されている。

 

その走りはスポーティでありつつも上質なライド感が印象的。特に日常域ではしなやかさを感じさせる足回りの動きや、一層の磨きがかかったアクセル操作に対するレスポンスは、オーラの特別モデルに相応しい。この完成度なら、ノート ニスモのオーナーだけでなく、輸入車コンパクトオーナーをも納得させるに違いない。

 

[Point 1] 空力パーツはモータースポーツ由来

ニスモ・レーシングと共同開発されたエアロパーツは、フォーミュラEを彷彿とさせる精悍なイメージだけでなく、実際の空力性能も向上。専用ホイールは、オーラよりリムが拡大された。オーラ ニスモの車両価値はモノグレード設定で286万9900円(税込)。

 

[Point 2] レッドのアクセントでスポーティな仕立てに

内装は、レッドのアクセントとダークトーンの組み合わせでスポーティに仕上げられた。多彩な表示機能を持つデジタルディスプレイのメーターも、ニスモ独自のグラフィックに。

 

[Point 3] レカロ製シートは日常での走行にも適する

オプションとなる専用仕立てのレカロシートは、スポーツ走行時のホールド性だけでなく日常域の走行にも配慮した作りとなっている。座り心地も上々だ。

 

 

【No.2】新作ワゴンはスタイリッシュな外観で勝負!

ステーションワゴン

フォルクスワーゲン

アルテオン シューティングブレーク

SPEC【TSI 4モーション Rライン・アドバンス】●全長×全幅×全高:4870×1875×1445mm●車両重量:1720kg●パワーユニット:1984cc直列4気筒DOHC+ターボ●最高出力:272PS/5500〜6500rpm●最大トルク:35.7kg-m/2000〜5400rpm●WLTCモード燃費:11.5km/L

 

エレガントな風情は4ドアクーペを凌ぐ個性

その最大の特徴は、やはりエレガントな風情を感じさせる外観だ。ボディサイズは4ドアクーペ版のアルテオンとまったく同じだが、このシューティングブレークでは伸びやかなルーフ形状が前後の長さを一層強調している。現行のフォルクスワーゲンでは、いま一番“攻めた”デザインであることは間違いないだろう。

 

シューティングブレークの導入を機に運転支援システムや内外装の細部こそアップデートされたが、2Lガソリンターボエンジンをはじめとする基本的ハードウエアは従来通り。駆動方式は4WDのみだが、それだけに走りは全方位的にソツのない仕上がりだ。ひと味違うワゴンとしても、狙い目の1台と言うことができる。

 

[Point 1] ワゴンとしての実用性も高い!

デザイン重視とはいえ、フォルクスワーゲンらしく実用度もハイレベル。荷室容量は通常時でも565L、最大では1632Lに達する。

 

[Point 2] 前後の長さと低さを強調する外観

外観は前後の長さと車高の低さが印象的。4ドアクーペ版(ファストバック)より大きく見えるが、ボディサイズは全高に至るまでまったく同じだ。

 

[Point 3] インパネ回りはワイド感を強調

インパネ回りは、マイナーチェンジでワイド感を強調する造形に。運転支援系の装備は、最新のフォルクスワーゲン他モデルと同じく最先端レベルだ。

 

[ラインナップ]

Rライン:2.0L+ターボ/4WD/7速DCT/587万9000円(税込)

Rライン アドバンス:2.0L+ターボ/4WD/7速DCT/644万6000円(税込)

エレガンス:2.0L+ターボ/4WD/7速DCT/644万6000円(税込)

 

 

【No.3】さらに研ぎ澄まされた武闘派BMWの急先鋒!

クーペ

BMW

M4クーペ

SPEC【M4クーペ・コンペティション】 ●全長×全幅×全高:4805×1885×1395mm●車両重量:1730kg●パワーユニット:2992cc直列6気筒DOHC+ツインターボ●最高出力:510PS/6250rpm●最大トルク:66.3kg-m/2750〜5500rpm●WLTCモード燃費:10.1km/L

 

ただ速いだけではなく走りの質感も楽しめる!

スポーツ性を極めるBMW Mモデルのなかにあっても、とりわけ“戦闘力”が高いことで知られる「M4クーペ」。今年上陸した最新版では、その資質に一層の磨きがかけられた。エンジンは引き続き直列6気筒の3Lツインターボだが、先代のそれとは別モノで、トランスミッションも専用の8速ATに。当然シャシーも独自のチューニングで、数々の制御システムにはドリフト走行の診断機能まで備わる。

 

その走りは、見た目のイメージ通りにシャープな味付けながら、快適性も納得できる水準を確保。また、先代比では特にエンジンの情緒溢れる吹け上がりも印象的だ。BMWらしさを味わうという点では、これだけでも乗る価値がある、と断言したい。

 

[Point 1] 6気筒エンジンらしい質感の高さも魅力

基本構造こそSUVのX3M用などと同じエンジンだが、味付けはクーペに相応しいもの。直列6気筒らしい、吹け上がりの質感も魅力だ。

 

[Point 2] 各装備がMモデルの専用仕立てに

ディスプレイやシフトレバー回り、シートなどがMモデル専用仕立てとなる室内。スポーティなのはもちろん、ラグジュアリーでもある。

 

[Point 3] まもなく4WDも選べるように!

現在の日本向けは6速MT仕様のみのベースモデルと8速ATを組み合わせるコンペティション、およびその軽量化版となるトラックパッケージの3モデル。間もなく4WD版も登場予定となっている。

 

[ラインナップ]

M4クーペ:3.0L+ツインターボ/2WD/6速MT/1298万円(税込)

M4クーペ コンペティション:3.0L+ツインターボ/2WD/8速AT/1348万円(税込)

M4クーペ トラックパッケージ:3.0L+ツインターボ/2WD/8速AT/1460万円(税込)

 

文/小野泰治 撮影/篠原晃一、小林俊樹、郡 大二郎

 

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金沢市と郊外を結ぶ「北陸鉄道」2路線−−10の謎解きの旅

おもしろローカル線の旅76 〜〜北陸鉄道石川線・浅野川線(石川県)〜〜

 

ローカル線の旅を楽しんでいると、なぜだろう? どうして? といった謎が多く生まれてくる。そうした謎解きしながらの列車旅がおもしろい。

 

今回は石川県金沢市とその近郊を走る北陸鉄道の石川線と浅野川線の旅を楽しんだ。両線を乗っているとなぜ? という疑問がいくつも湧いてきた。

 

【北陸謎解きの旅①】そもそも北陸鉄道はどこの鉄道会社なのか?

北陸鉄道は石川県の鉄道会社なのに北陸鉄道を名乗っている。北陸の隣県でいえば「富山地方鉄道」、福井県では「福井鉄道」がある。現在は元北陸本線の石川県内の路線が三セク鉄道の「IRいしかわ鉄道」となっているものの、なぜ、北陸鉄道と規模の大きさを感じさせる会社名を名乗ったのだろう?

 

下記の路線図は北陸鉄道の太平洋戦争後、最も路線網が広がった時代の路線図である。この当時の北陸鉄道の路線本数は計13路線にも広がり、路線の総距離は144.4kmにも達した。

↑昭和30年代初期の北陸鉄道の路線図。ピンク色の路線すべてが北陸鉄道の路線だったが、今は白ラインで囲む2路線のみとなっている

 

創業当時から北陸鉄道という会社名だったわけではない。1916(大正5)年に発足した金沢電気軌道という会社が大本だった。金沢市内の路面電車を運行していた会社が北陸鉄道となっていったのである。

 

1942(昭和17)3月26日に北陸鉄道を設立。翌年の1943(昭和18)年10月13日には石川県内7社の交通会社が合併した。太平洋戦争後の1945(昭和20)年10月1日には、浅野川電気鉄道(現浅野川線)を合併し、北陸地方最大規模の路線網が形作られたのだった。名実ともに北陸地方を代表する私鉄会社となったのである。

 

しかし、〝大北陸鉄道〟時代は長くは続かなかった。モータリゼーションの高まりとともに、鉄道利用者は次第に減っていき、1950年代から路線の縮小が始まる。1987(昭和62)年4月29日に、加賀一の宮駅〜白山下駅間を走っていた金名線(きんめいせん)が正式に廃止されたことにより、北陸鉄道の路線は石川線、浅野川線の2線、路線距離20.6kmとなっている。

 

【北陸謎解きの旅②】なぜ2路線は結ばれていないのか?

石川線の始発駅は金沢市内の野町駅、また、浅野川線の始発駅は北鉄金沢駅となっている。両線はつながっていない。しかも歩いて移動すると約3km強の距離がある。なぜ両線はつながらず、また両駅は離れているのだろう。

↑金沢市の繁華街、昭和初期の尾張町通りを金沢電気軌道の電車が走る。市内線は1967(昭和42)年に全廃 絵葉書は筆者所蔵

 

かつて、金沢市内には北陸鉄道金沢市内線という路面電車の路線網があった。この路面電車は全盛期には市街全域に路線が敷かれていた。路線の中で白銀町〜金沢駅前〜野町駅前という〝本線系統〟があり、路線距離はちょうど金沢駅前から野町駅前まで3.6kmだった。

 

路面電車が走っていたころは、この電車に乗れば、金沢駅から市の繁華街である武蔵ヶ辻(金沢駅から1.1km)、香林坊(金沢駅から2.2km)に行くのも便利で、野町駅へも繁華街経由で行くことができた。

 

この金沢市内線は、国内の多くの都市と同じように、モータリゼーションの高まりで、邪魔者扱いされるようになっていった。そして1967(昭和42)年2月11日に廃止された。

 

北陸三県では富山市、福井市が、路面電車の新たな路線を整備し、低床の車両を導入するなどして、路面電車を人にやさしい公共交通機関として役立て、また市内を活性化させている。対して金沢市は廃止し、バス路線化の道をたどった。まさに好対照と言って良いだろう。

↑今回紹介の北陸鉄道石川線(左)と浅野川線(右)の路線図。両線は離れていることもあり、一日で巡るには乗り換えが必要

 

地元に住む人たちはバスでの移動に慣れてしまっているのであろうが、観光で訪れた時には市内電車があれば、駅から金沢の繁華街へ行く時にも、より分かりやすいかと思われる。何より市内電車があったならば、石川線の始発駅・野町駅も今ほどの〝寂れ方〟はなかったようにも思う。

 

外部の者がそんな感想を持つぐらいだから、地元の人も危機感をもっていたようだ。実は今年の春に市内にLRT(ライトレールトランジット)路線を設けて北鉄金沢駅と野町駅を結ぶ計画が検討され始めていた。2021年度中には方向性を決め、導入に向けて環境を整えていくべきとしている。もし金沢市にLRT路線が生まれるとなれば、より便利になり、観光にも有効活用されそうである。期待したい。

 

【北陸謎解きの旅③】走っている車両は東急と京王の元何系?

ここからは石川線の概要と走る車両に関して見ていきたい。

 

◆北陸鉄道石川線の概要

路線と距離 北陸鉄道石川線/野町駅(のまちえき)〜鶴来駅(つるぎえき)13.8km
全線単線直流600V電。
開業 1915(大正4)年6月22日、石川電気鉄道により新野々市駅(現新西金沢駅)〜鶴来駅間が開業、1922(大正11)年10月1日に西金沢駅(後に白菊町に改名、現在は廃止)まで延伸。1927(昭和2)年12月28日に神社前駅(後の加賀一の宮駅)まで延伸開業。
駅数 17駅(起終点駅を含む)

 

石川電気鉄道の路線として開業した石川線だったが、開業8日後には「石川鉄道」という会社名となっている。石川鉄道を名乗る会社が大正期にあったわけだ。

 

現在、北陸鉄道石川線を走る電車は2種類ある。

 

◆北陸鉄道7000系電車

↑石川線の主力車両7000系。正面の下には大きな排障器(スカート)が取り付けられる。小柳駅付近では写真のように水田が広がる

 

北陸鉄道の7000系は、元東急電鉄の7000系(初代)だ。東急7000系(初代)は日本の鉄道ではじめて製造されたオールステンレス車両で、1962(昭和37)年に誕生した。

 

当時、日本ではステンレス車両を造る技術を持っておらず、アメリカのバッド社と技術提携した東急車輌製造によって134両が製造された。東急では東横線、田園都市線などを走り続け、北陸鉄道へは1990(平成2)年に2両編成5本が入線している。導入前には石川線に合うように電装品が直流1500V用から直流600V用に載せ変えられている。

 

今も石川線の主力として走る7000系。初期のオールステンレス車両らしく、側面には波打つコルゲート板が見て取れる。また正面下部には、東急時代には無かった大きな排障器(スカート)が付けられている。

 

7000系は、細かくは7000形、7100形、7200形と分けることができる。その中の7200形は中間車を先頭車に改造した車両で、正面に貫通扉がなく、凹凸のない顔のため他の7000系との違いが見分けしやすい。

 

◆北陸鉄道7700系電車

↑鶴来駅の車庫に停まる7700系。元井の頭線の3000系の初期型を利用した車両で、3000系の後期車とは正面の窓の形が異なる

 

元東急7000系以外に石川線を走るのは7700系。こちらは元京王電鉄の井の頭線を走っていた3000系で、東急7000系と同じく東急車両製造で製造、また誕生も1962(昭和37)年と、東急7000系と同じ時代に生まれたオールステンレス車両だ。要は同時代に同じ東急車輌製造で作られたオールステンレス車両が北陸の地で再び出会ったという形になったわけである。

 

なお、石川線が直流600Vで電化されていることから、2007(平成19)年の入線時に7700系の電装品は変更されている。石川線に入った編成は2両×1編成のみで、7000系に比べると沿線で出会うことは少なめだが、変更予定はない模様で、この先しばらくは走り続けることになりそうだ。ちなみに石川線も、市内のLRT路線計画に合わせてLRT化しては、という声も出てきている。そうなれば、現在の石川線の車両も大きく変わっていきそうだ。

 

【北陸謎解きの旅④】JR北陸本線にも野々市駅という駅がある

だいぶ寄り道してしまったが、石川線の旅を始めよう。北陸鉄道の旅をする時には事前に「鉄道線全線1日フリー乗車券(1100円)」を購入するとおトクだ。野町駅、鶴来駅、北鉄金沢駅、内灘駅、北鉄駅前センター(金沢駅東口バスターミナル1番のりば近く)で販売されている。

 

石川線の起点は野町駅。金沢市内にある駅だが、駅前はひっそりしている。路線バスが到着しても、バスから電車へ乗り換える人の姿は見かけない。筆者が訪れた時にも駅前は閑散としていた。同駅で「鉄道線全線1日フリー乗車券」を購入して電車に乗り込んだ。

↑石川線の起点となる野町駅。路線バスが駅舎に横付けするように停まる。同駅から金沢の繁華街、香林坊へはバスを使えば10分弱の距離

 

野町駅では到着した電車がそのまま折り返す形で出発する。列車の本数は朝夕が30分おき、日中は1時間おきと少なめだ。乗車の際にはダイヤを良く調べて乗車したい。

 

さて、野町駅を発車してしばらくは金沢の市街地だ。西泉駅、新西金沢駅と駅間の距離はそれぞれ約1.0kmで、駅を発車すると間もなく次の駅に到着する。

 

2つめの新西金沢駅で乗客がずいぶんと増えてきた。この新西金沢駅は、すぐ目の前にJR西金沢駅があり、同駅がJR北陸本線との接続駅になっていて、JR線からの乗り換え客が目立つ。野町駅から乗車する人よりも、この新西金沢駅から先の区間を利用する人が圧倒的に多いことが分かった。

↑新西金沢駅に入線する野町駅発、鶴来駅行きの7000系7200形。左上は同駅の入口で、乗降客が多いものの質素なつくりだ

 

ちなみに、新西金沢駅とJR北陸本線の西金沢駅の間には屋根付きの通路が設けられている。そのため雨の日でもぬれることなく乗り換えが可能となっている。

 

この新西金沢駅と、西金沢駅、また野々市駅という駅名の推移が興味深い。実は、JRにも石川線にも野々市駅があるのだ。北陸本線では西金沢駅の隣の駅、石川線では新西金沢駅から2つめの駅だ。両駅は直線距離でも2.5kmほど離れている。なぜ、2つの野々市駅がこんなに離れた場所にあるのだろう。他所から訪れる人は間違いそうだが、野々市駅が2つあるのには複雑な理由がある。

 

最初に野々市駅を名乗った駅は現在のJR西金沢駅で、1912(大正元)年8月1日のことである。その後、1925(大正14)年10月1日に現在の駅名、西金沢駅と改名した。西金沢駅は金沢市内にある駅なのに、当初は隣の市の名称である「野々市」を名乗っていたことになる。この改名と入れ替わるかのように金沢電気軌道(現・北陸鉄道)が、1925(大正14)年10月1日に上野々市駅の駅名を野々市駅に変更した。

↑北陸鉄道石川線との乗り換え客が多いJR西金沢駅。開業時の駅名は野々市駅だった

 

では、JR野々市駅はいつ開設されたのだろう。こちらは1968(昭和43)年3月25日と、ぐっと新しくなる。地元からの要望があり請願駅として駅が開設された。

 

北陸鉄道の野々市駅も、JR野々市駅も同じ野々市市内にあるが、規模はJR野々市駅の方が大きい。2面2線のホームと北口・南口がある。路線バスも野々市駅南口を通る本数が多い。

 

一方の北陸鉄道の野々市駅は、1面1線でホーム上に小さな待合施設があるだけで、規模は圧倒的に小さい。1日の乗降客もJRの野々市駅2000人に対して北陸鉄道の野々市駅は104人(それぞれ2019年の場合)と少ない。バスも通らない。こうした差もあり、地元では単に野々市駅といえば、JR北陸本線の駅を指すようになっているようだ。

 

そんな野々市駅まではひたすら市街地を電車が走る。次の野々市工大前駅付近からは徐々に水田も点在するようになる。

 

【北陸謎解きの旅⑤】雪にいだかれた背景に見える山は?

石川線の7000系は懐かしい乗り心地だ。台車はだいぶ上下動し、スピードアップするとその動きが体に感じられるようになる。

 

石川線の郊外の趣が強まるのは四十万駅(しじまえき)付近からだ。陽羽里駅(ひばりえき)、曽谷駅(そだにえき)と読み方が難しい駅名が続く。このあたりになると駅前近くには民家、周辺に田園風景が広がるようになる。そして小柳駅(おやなぎえき)へ。この駅の周囲は水田のみで、車窓からは遠くに山景色が楽しめた。

 

空気の澄んだ季節ともなると標高の低い山の向こうに、白い雪に抱かれた白山(はくさん)が見えるようになってくる。〝たおやかで気高い〟と称される白山は、地元の人たちに長年、親しまれてきた。小柳駅付近は同線で最も景色が楽しめる区間と言って良いだろう。ちなみに陽羽里駅からは白山市に入る。白山がより近くに見えることもうなずけるわけだ。

↑小柳駅から次の日御子駅(ひのみこえき)方面を望む。雪が降り積もった白山の姿が遠望できた

 

小柳駅を過ぎれば、次は日御子駅(ひのみこえき)。この日御子とは駅近くの日御子神社の名前に由来する。ちなみに日御子とは旧白山の中心部にあった、火御子峰の神に由来する名称で、白山に縁の深い地にある神社らしい。日御子駅の次は終点、鶴来駅だ。駅到着の手前、進行方向右手に石川線の車庫がある。

 

【北陸謎解きの旅⑥】終点鶴来駅の先にある線路はどこへ?

終点の鶴来駅は玄関口があるしょうしゃな駅舎で、石川線の駅の中でもっと風格のある駅といっていいだろう。1915(大正4)年に開業、現在の駅舎は1927(昭和2)年築と古い。駅舎内には石川線の歴史を紹介するコーナーや、同社関連の古い資料や備品なども陳列されていて、さながら北陸鉄道の博物館のような駅だ。

↑石川線の終点駅・鶴来駅。大正ロマンの趣を持つ駅舎では古い鉄道資料(左上)などの展示もされ、鉄道ファンには必見の駅だ

 

鶴来という駅名、「つるぎ」と読ませるだけに、この駅名にも何か白山に縁があるのか調べてみると、やはりそうだった。駅の近くに金劔宮(きんけんぐう)という神社があり、ここは白山七社の1つにあたる。この神社の門前町の地名が劔(つるぎ)でこの劔が鶴来と書かれるようになったのだそうだ。

↑鶴来駅から発車する野町駅行き電車。同駅構内には1、2番線のほか側線もあり構内は広い。駅舎はこの左手にある

 

鶴来駅で気になるのは駅舎内の古い資料だけではない。ホームの野町駅側だけでなく、南側のかなり先まで線路が延びているのである。同駅で終点なはずだが、なぜ線路があるのか、この線路はどこまで延びているのだろうか。

 

実はこの先、過去には2つの路線が設けられていた。駅から線路は右にカーブして伸びている。たどると鶴来の街中を南北に通り抜ける県道45号までは線路が敷かれ、県道の手前に車止めがあった。ここまでは鶴来駅にある検修庫用の線路からホームや本線へ入るために折り返し線として使われている。さらに県道をわたるように線路は残るが、先はすでに使われていない。緑が覆う廃線跡には入れないように柵が設けられていた。

 

調べるとこの先、実はいくつかの路線があった。まずは石川線が2.1km先の加賀一の宮駅まで延びていた。この加賀一の宮駅は今も旧木造駅舎が残り、登録有形文化財に指定されている。加賀一の宮駅の先からは金名線(きんめいせん)という路線が16.8km先の白山下駅まで延びていた。

↑鶴来駅の先に延びるレール。県道の先には旧線の架線柱と線路がまだ残っている区間(右上)が続いている

 

さらに、延びた線路の先に違う路線がもう1本あり、県道45号線のすぐ先に本鶴来駅(ほんつるぎえき)という駅があった。本鶴来駅は能美線(のみせん)という北陸鉄道の路線の駅で、この先はJR北陸本線の寺井駅(現・能美根上駅/のみねあがりえき)に接続する新寺井駅まで16.7kmの路線があった。

 

金名線は1987(昭和62)年4月29日に、能美線は1980(昭和55)年9月14日に正式に廃止されている。1980年代に入ってからの廃線とはいえ、調べるとすでに両線とも1970(昭和45)年には昼の運行を休止していたようで、なんとも寂しい終わり方だったようだ。

 

ひと昔前には、鶴来駅はターミナル駅として賑わっていたのだろう。その先に列車が走っていた時代に訪ねてみたかったと強く思った。

 

【北陸謎解きの旅⑦】浅野川線に元京王電車が導入された理由は?

ここからは金沢駅に戻り、北鉄金沢駅から走る浅野川線の旅を楽しんでみたい。まずは路線の概要と、走る車両の紹介から。

 

◆北陸鉄道浅野川線の概要

路線と距離 北陸鉄道浅野川(あさのがわ)線/北鉄金沢駅〜内灘駅6.8km、全線単線直流1500V電化
開業 1925(大正14)年5月10日、浅野川電気鉄道により七ツ屋駅〜新須崎駅(しんすさきえき/現在は廃駅)が開業、1926(大正15)年5月18日に金沢駅前までまで延伸。1929(昭和4)年7月14日に粟ヶ崎海岸駅(あわがさきかいがんえき/現在は廃駅)まで延伸開業。
駅数 12駅(起終点駅を含む)

 

まずは、浅野川電気鉄道により歴史が始まった北陸鉄道浅野川線。終点となる内灘駅へは大野川を渡る必要があり、橋の架橋に時間がかかった。新須崎駅開業の4年後に現内灘駅の先の粟ケ崎海岸まで路線が延びた。粟ケ崎には粟崎遊園があり、金沢市民の憩いの場として賑わった。後に粟崎遊園は軍の鍛練用地となり、戦後は内灘砂丘に米軍の試射場計画のため、また港湾整備などのため路線は縮小。現在は内灘駅が終点となっている。

 

北陸鉄道との合併は1945(昭和20)年10月1日のことで、太平洋戦争後のこと。戦時統合でなかば強制的に合併が決定され、戦後も計画は頓挫することなく、合併が進められた。

 

現在、この浅野川線を走る北陸鉄道の電車は2種類ある。

 

◆北陸鉄道8000系電車

↑北鉄金沢駅の地下化に伴い導入された元京王井の頭線の3000系。写真の片開き扉車両で8800番台に区分けされている

 

元京王井の頭線を走っていた3000系で、2001(平成13)年3月28日に起点の北鉄金沢駅が地下化されるのを機会に、地下化に向けて1996(平成8)年と1998(平成10)年に譲渡された。それまでの浅野川線の電車は吊り掛け式の旧型車両が多く、地下化に伴う火災対策、不燃化基準を満たさない車両とされていた。

 

京王3000系はオールステンレス車ということで地下化の基準に合致したこと、また売り込みもあり、同車両の導入を決めたのだった。同じ時期に浅野川線の電化方式を直流600Vから直流1500Vへ変更されたこともあり、この昇圧にも見合った電車でもあった。3000系は計10両が導入され、北陸鉄道8000系となった。8000系には2タイプあり、乗降扉が片開きの車両が8800番台、また両開きの扉を持つ車両が8900番台と区分けされている。

 

◆北陸鉄道03系電車

↑東京メトロ日比谷線を走った03系が浅野川線を走る。オレンジの帯で日比谷線を走っていた当時に比べると華やかな印象を受ける

 

浅野川線にとって四半世紀ぶりとなる〝新車〟が2020(令和2)年の暮れに導入された。その電車は03系。元東京メトロ日比谷線を走っていた03系で、日比谷線では銀色の帯だったが、8000系に合わせたオレンジの帯に刷新された。2021年秋までに2両×2編成がすでに走り始め、2024年度までに5編成が導入される予定だ。これが計画どおりに進めば、既存の8000系は消滅ということになりそうだ。

 

【北陸謎解きの旅⑧】そもそもなぜ浅野川線という路線名なのか?

金沢駅といえば兼六園口(東口)広場に立つ鼓門(つづみもん)が名物になっている。いつも記念撮影をしようという多くの観光客で賑わう。そのすぐ横にあるバスのロータリーのちょうどその下、地下フロアに浅野川線の起点、北鉄金沢駅がある。訪れた日、駅に停車していたのが03系だった。日比谷線を引退して以来、はじめて乗る03系だ。車内はリニューアルされてきれいに。それぞれのドア横に開け閉めのボタンが付く。

 

北鉄金沢の地下駅で見た03系は、帯色がオレンジで華やかになり、編成が短くなったものの、地下鉄日比谷線の電車として見慣れた印象があり、地下駅にしっくりと合っているように見えた。

↑金沢駅の兼六園口の地下にある浅野川線の起点・北鉄金沢駅。6時7時台と、17時台は20分間隔、他の時間はほぼ30分間隔で発車

 

ところで、なぜ浅野川線と呼ばれるのだろうか。開業時に浅野川電気鉄道という名の鉄道会社が開業させたこともあるのだが、同路線の名前にした理由は本原稿の最初に掲載した地図を見ていただくと良く分かる。

↑北鉄金沢駅からは地下を走り、IRいしかわ鉄道線をくぐり抜け地上を走り始める。次の七ツ屋駅から先はほぼ浅野川に沿って走る

 

浅野川線は北鉄金沢駅の次の駅、七ツ屋駅から大河端駅付近までほぼ平行して浅野川が流れている。車窓から川の土手を見る区間も多く、したがってこの路線名になったことが良く分かる。「金沢城の東側をゆったりと流れる浅野川では風情ある景観に出会える」と金沢市の観光パンフレットにもある。地元では金沢市街の南を流れる犀川を「男川」と呼ぶのに対して、浅野川を「女川」と呼ぶ。それほど、市民になじみの川であり、身近な川の名前だったわけである。

 

浅野川線は、しばらく半地下構造の路線を走り、北陸新幹線とIRいしかわ鉄道線の高架橋をくぐり地上部へ。そして次の七ツ屋駅へ到着する。先に乗った石川線に比べると、より都会的な路線という印象が強い。

 

路線はこの先、金沢市街を走る。磯部駅を過ぎると、進行右から川の堤が近づいてくるが、この堤を越えた側が浅野川だ。堤防の上には浅野川左岸堤防道路が走っている。電車からは道を走るクルマをやや見上げる形でしばらく並走する。

↑大河端駅〜北間駅間を走る浅野川線の8000系。この左側に浅野川の堤防がある

 

途中駅の名前を何気なく書いてきたが、意外に難読駅がある。まずは大河端駅。おおかわばたえき? と読みそうだが、こちらは「おこばたえき」だ。

 

さらに分かりにくいのは蚊爪駅。蚊に爪と書く珍しい駅名だ。いわれも気になるところなので、調べてみた。

↑ホーム一つの小さな駅・蚊爪駅。駅名の読みはホームに立つ駅名標にしかなかった。さてどのようないわれがあるのだろう?

 

「蚊爪」とは「かがつめ」と読む。この地域が金沢市蚊爪町(かがつめまち)という町名から由来する。さらに金沢市に併合される前には東蚊爪村、西蚊爪村という村があったとされる。蚊爪という名の起源は「芝地」や「草地」の意味で、そうした土地には蚊が多いということもあったのだろうか。そこまで明確な答えは導き出せなかったのが残念だった。

 

難しい読み方の蚊爪だが、金沢市民にはおなじみの地名なようだ。東蚊爪に運転免許センターがあるせいだろう。

 

【北陸謎解きの旅⑨】大野川橋りょうの形は何か意味があるの?

蚊爪駅を過ぎると、いよいよ同線の人気撮影ポイントの大野川を渡る大野川橋梁にさしかかる。ちなみに橋の手前には新須崎駅があったが、現在はもうない。橋の先に粟ヶ崎駅(あわがさきえき)があり、その先が終点の内灘駅となる。

 

大野川橋梁は少し不思議な形をしている。橋の前後に勾配があり、電車はこの橋を登って中央部からは下る。時速15kmに落としてゆっくりと渡るのだ。よく見るとガーダー橋なのだが、前後は線路が鉄製のガーダーと呼ばれる鋼製の構造物の上に線路が敷かれる。この構造を「上路線」と呼ぶ。中央部では線路がガーダーの下部に付く「下路橋」という構造をしている。単一でなく、複雑な構造をしているわけだ。また中央部には架線柱が設けられる。前後のガーダーの下は水面までのすき間があまりない。中央部のみ小さな船が通り抜けられるようにすき間をあけた構造となっている。

↑大野川橋梁を渡る03系。中央部を見ると、ここのみ橋の下の上下の隙間が広くなっていることが分かる

 

大野川には前述した浅野川が流れ込む。また大野川の上部には河北潟(かほくがた)がある。河北潟は昭和期まではフナ、ワカサギ、ウナギ、シジミなどの漁業が行われていた。しかし、干拓などの影響があったのか、漁獲量は減っていき、昭和中期に漁業権が消滅している。また河北潟から出る川はかつて大野川のみだったが、今は北側に日本海に直結した河北潟放水路が設けられている。放水路の出口と大野川を結ぶ所にはそれぞれ防潮水門があり、水量の調節も行えるようになっている。

 

大野川橋梁はそうした河北潟でかつて漁業を営んだ人たちが、小船が出入りすることができるように、こうした特殊な構造にしたのであろう。

 

【北陸謎解きの旅⑩】旧粟ケ崎海岸駅へのルートはどこに?

大野川橋梁を渡って間もなく浅野川線の終点、内灘駅に到着した。北鉄金沢駅から乗車時間17分と近い。ちなみに内灘駅という駅名となったのは1960(昭和35)年5月14日のこと。かつては内灘駅近くに粟ヶ崎遊園駅があり、その先は海岸に近い粟ヶ崎海岸まで路線が設けられていた。旧路線はどのように敷かれていたのだろう。気になるところだ。

↑内灘駅構内の左にカーブする線路が見えるが、この先に粟ヶ崎海岸駅があった。旧地図を見ると海岸まで路線が延びていたことが分かる(右上)

 

 

内灘駅には車庫があり8000系や03系が並ぶ。この駅の構造には、少し疑問に感じることがある。駅の手前でやや左カーブしてその先にホームが設けられている。古い地図を見比べてみると、この左にカーブする理由が分かった。

 

太平洋戦争前の時点では、内灘駅はまだ無く、左カーブして、その先に粟ヶ崎遊園という駅があった。さらに駅の先で右カーブ、海岸まで線路が敷かれ、海水浴場前に粟ヶ崎海岸駅があった。内灘駅開業当時の地図を見ると、左カーブしたその曲がった地点が駅となっていた。

 

今の内灘駅の検修庫に入る線路の左側にカーブした線路が敷かれるが、このカーブこそ、かつては粟ヶ崎海岸まで延びていた路線の名残だったのである。金沢にも近いことがあり、内灘駅周辺は住宅も多く、路線バスが多く発着している。石川線の鶴来駅に比べると、とても賑わっているように思われた。

↑浅野川線の終点・内灘駅。裏には車庫がある。左上は搬入された当時の03系。現在とは異なり当初は銀色の帯が巻かれていた

 

前述したように北陸鉄道の両線間にはLRT路線の建設プランも浮上してきている。LRT計画が成就したとすれば、北陸鉄道の両線は大きく変わる可能性を秘めている。その時に、また旅をしてどのように変わったのか見てみたいと思った。

 

さらに研ぎ澄まされた武闘派BMWの急先鋒!

本記事では、個性と走りが際立つモデルをピックアップ。BMWのハイパフォーマンスクーペ「M4」がフルモデルチェンジしたので、試乗してみた。

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

ただ速いだけではなく走りの質感も楽しめる!

クーペ

BMW
M4クーペ

SPEC【M4クーペ・コンペティション】 ●全長×全幅×全高:4805×1885×1395mm●車両重量:1730kg●パワーユニット:2992cc直列6気筒DOHC+ツインターボ●最高出力:510PS/6250rpm●最大トルク:66.3kg-m/2750〜5500rpm●WLTCモード燃費:10.1km/L

スポーツ性を極めるBMW Mモデルのなかにあっても、とりわけ“戦闘力”が高いことで知られる「M4クーペ」。今年上陸した最新版では、その資質に一層の磨きがかけられた。エンジンは引き続き直列6気筒の3Lツインターボだが、先代のそれとは別モノで、トランスミッションも専用の8速ATに。当然シャシーも独自のチューニングで、数々の制御システムにはドリフト走行の診断機能まで備わる。

 

その走りは、見た目のイメージ通りにシャープな味付けながら、快適性も納得できる水準を確保。また、先代比では特にエンジンの情緒溢れる吹け上がりも印象的だ。BMWらしさを味わうという点では、これだけでも乗る価値がある、と断言したい。

 

[Point 1] 6気筒エンジンらしい質感の高さも魅力

基本構造こそSUVのX3M用などと同じエンジンだが、味付けはクーペに相応しいもの。直列6気筒らしい、吹け上がりの質感も魅力だ。

 

[Point 2] 各装備がMモデルの専用仕立てに

ディスプレイやシフトレバー回り、シートなどがMモデル専用仕立てとなる室内。スポーティなのはもちろん、ラグジュアリーでもある。

 

[Point 3] まもなく4WDも選べるように!

現在の日本向けは6速MT仕様のみのベースモデルと8速ATを組み合わせるコンペティション、およびその軽量化版となるトラックパッケージの3モデル。間もなく4WD版も登場予定となっている。

 

[ラインナップ]

M4クーペ:3.0L+ツインターボ/2WD/6速MT/1298万円(税込)

M4クーペ コンペティション:3.0L+ツインターボ/2WD/8速AT/1348万円(税込)

M4クーペ トラックパッケージ:3.0L+ツインターボ/2WD/8速AT/1460万円(税込)

 

 

文/小野泰治 撮影/郡 大二郎

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

フォルクスワーゲンの新作ワゴン「アルテオン シューティングブレーク」はスタイリッシュな外観で勝負!

本記事では、個性と走りが際立つモデルをピックアップ。フォルクスワーゲンのフラッグシップ「アルテオン」がマイナーチェンジし、このタイミングで登場したステーションワゴン「アルテオン シューティングブレーク」に試乗してみました。

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

エレガントな風情は4ドアクーペを凌ぐ個性

ステーションワゴン

フォルクスワーゲン

アルテオン シューティングブレーク

SPEC【TSI 4モーション Rライン・アドバンス】●全長×全幅×全高:4870×1875×1445mm●車両重量:1720kg●パワーユニット:1984cc直列4気筒DOHC+ターボ●最高出力:272PS/5500〜6500rpm●最大トルク:35.7kg-m/2000〜5400rpm●WLTCモード燃費:11.5km/L

その最大の特徴は、やはりエレガントな風情を感じさせる外観だ。ボディサイズは4ドアクーペ版の「アルテオン」とまったく同じだが、この「シューティングブレーク」では伸びやかなルーフ形状が前後の長さを一層強調している。現行のフォルクスワーゲンでは、いま一番“攻めた”デザインであることは間違いないだろう。

 

シューティングブレークの導入を機に運転支援システムや内外装の細部こそアップデートされたが、2Lガソリンターボエンジンをはじめとする基本的ハードウエアは従来通り。駆動方式は4WDのみだが、それだけに走りは全方位的にソツのない仕上がりだ。ひと味違うワゴンとしても、狙い目の1台と言うことができる。

 

[Point 1] ワゴンとしての実用性も高い!

デザイン重視とはいえ、フォルクスワーゲンらしく実用度もハイレベル。荷室容量は通常時でも565L、最大では1632Lに達する。

 

[Point 2] 前後の長さと低さを強調する外観

外観は前後の長さと車高の低さが印象的。4ドアクーペ版(ファストバック)より大きく見えるが、ボディサイズは全高に至るまでまったく同じだ。

 

[Point 3] インパネ回りはワイド感を強調

インパネ回りは、マイナーチェンジでワイド感を強調する造形に。運転支援系の装備は、最新のフォルクスワーゲン他モデルと同じく最先端レベルだ。

 

[ラインナップ]

Rライン:2.0L+ターボ/4WD/7速DCT/587万9000円(税込)

Rライン アドバンス:2.0L+ターボ/4WD/7速DCT/644万6000円(税込)

エレガンス:2.0L+ターボ/4WD/7速DCT/644万6000円(税込)

 

 

文/小野泰治 撮影/小林俊樹

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

日産「オーラ ニスモ」の魅力はスポーティにして上質な走りにあり!

日産のプレミアムコンパクトであるオーラをベースとした「オーラ ニスモ」。新世代のニスモ デザインに、次世代e-POWERのシームレスで強い加速力と、それに呼応するシャープで強烈なハンドリングをもつノートオーラニスモに試乗してみた。

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

しなやかな乗り心地は国際級と言える出来映え!

ハッチバック

日産

オーラ ニスモ

SPEC【オーラ ニスモ】●全長×全幅×全高:4125×1735×1505mm●車両重量:1270kg●パワーユニット:電気モーター+1198cc直列3気筒DOHC●最高出力:136[82]PS/3183〜8500[6000]rpm●最大トルク:30.6[10.5]kg-m/0〜3183[4800]rpm●WLTCモード燃費:23.3km/L

●[ ]内はガソリンエンジンの数値

先代は「ノート」をベースとしていたが、新型はノートの上位モデルに当たる「オーラ」に、独自のチューニングを施すニスモ仕様。ノート時代は走りとスタイリングが好評だったので、新型でもこの2点は入念に仕上げられた。外観は空力性能向上にも貢献する本格的なエアロパーツや、オーラよりリム幅を拡げた専用ホイールなどを装備。内装も、シックな装いのオーラから一転、スポーティな仕立てとなる。

 

シリーズ特有のハイブリッドのeパワーはニスモ独自の制御となり、足回りも独自セッティングを採用。それに合わせてボディもリア回りが強化されている。

 

その走りはスポーティでありつつも上質なライド感が印象的。特に日常域ではしなやかさを感じさせる足回りの動きや、一層の磨きがかかったアクセル操作に対するレスポンスは、オーラの特別モデルに相応しい。この完成度なら、「ノート ニスモ」のオーナーだけでなく、輸入車コンパクトオーナーをも納得させるに違いない。

 

[Point 1] 空力パーツはモータースポーツ由来

ニスモ・レーシングと共同開発されたエアロパーツは、フォーミュラEを彷彿とさせる精悍なイメージだけでなく、実際の空力性能も向上。専用ホイールは、オーラよりリムが拡大された。オーラ ニスモの車両価値はモノグレード設定で286万9900円(税込)。

 

[Point 2] レッドのアクセントでスポーティな仕立てに

内装は、レッドのアクセントとダークトーンの組み合わせでスポーティに仕上げられた。多彩な表示機能を持つデジタルディスプレイのメーターも、ニスモ独自のグラフィックに。

 

[Point 3] レカロ製シートは日常での走行にも適する

オプションとなる専用仕立ての「レカロシート」は、スポーツ走行時のホールド性だけでなく日常域の走行にも配慮した作りとなっている。座り心地も上々だ。

 

 

文/小野泰治 撮影/篠原晃一

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

走る道を選ばない、タフなクルマで行こう! プロが証言するワールドクラスのオフローダー4選

“タフそう”なクルマは数多いが、岩場や泥濘路などの本格的なオフロードを安心して走行できる、ガチでタフなクルマは限られている。険しい道を突き進む走破性を備えた、本物のタフなクルマのスゴさをプロが証言!

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

プロがそのタフさを証言! 世界を走破するタフなヤツら!

【その1】高級・高性能でどんな道も快適! すべてがオーバースペックすぎる

メルセデス・ベンツ

Gクラス

1080万円~1530万円(税込)

1979年に初代モデルが登場して以来、メルセデスの本格的オフローダーを一手に担うGクラス。数々の装備による悪路走破性はピカイチだが、その変わらない無骨なデザインも人気で、オンロードユース層からも人気が高い。

SPEC【G 350d】●全長×全幅×全高:4725×1860×1970mm●パワーユニット:2986ccV型6気筒ディーゼルターボ●最高出力:245PS(118kw)/3600rpm●最大トルク:61.2kg-m(600Nm)/1600~2400rpm●JC08モード燃費:10.8km/L

 

モータージャーナリスト

岡本幸一郎さん

日本に6台しかない「6×6」や希少なカブリオレなど、様々なG

時代とともに高級化しても受け継ぐ本質は変わらない

40年余り前、元々NATOのために開発された軍用車を民生用にアレンジしたのがGクラスのはじまりだ。そう聞いただけでもどれほどタフであるかがうかがい知れよう。当初のGクラスは、まさしく質実剛健なオフローダーだったのだが、やはりメルセデスの一員らしく高級感や快適性が求められるようになり、時間の経過とともに高級SUVとして進化してきた。

 

とはいえ2018年にアップデートした現行型でも、屈強なラダーフレームにリアリジッドアクスル、LOWモードギアに前後と中央の3つのデフといった伝統の基本構成は変わっていない。それでいて世のオフローダーでダントツの性能を誇るAMGモデルがあるのもGクラスならではである。

 

街なかで乗るにはすべてがオーバースペックに違いない。その点がまたGクラスの魅力でもあるのだ。

 

【岡本さんが証言!】なぜGクラスはタフなのか

[証言1] 鋼鉄製ラダーフレームにフロント独立懸架を直付け

ロの字型の鋼材をMAG溶接した新設計ラダーフレームを採用。ダブルウィッシュボーン化したフロントサスをサブフレームを介さずに取り付け、十分な地上高を確保する。

 

[証言2]「LOWレンジ」モードでは最大の悪路走破性を実現

デフロック、もしくは通常の2倍以上の駆動力を発揮するオフロード向けの低速ギアのLOWレンジを搭載。選択すると足まわりやアクセル特性を最適化できる。

 

[証言3] 3つのデフの作動/解除はワンタッチで自由自在

通常のオフローダーではデフロックの作動/解除には面倒な操作が必要。Gクラスはスイッチひとつで3つのデフを個別にメカニカルロックできる伝統の機能を備える。

 

[証言4] 悪路で役立つ情報を表示するオフロードスクリーン

外見とは逆にインテリアは先進的に。12.3インチワイドディスプレイには勾配、傾き、方位、舵角、デフロックの状況など悪路走行に特化した情報を表示できる。

 

【その2】一輪さえ接地していれば走行可能な世界屈指の絶対的オフローダー

ジープ

ラングラー アンリミテッド ルビコン

658万円(税込)

ジープ ラングラーのなかでも最強の悪路走破性を誇るのがルビコン。2WD/4WD-H/4WD-Lの切り替えができる副変速機はルビコン専用で、最終変速比は4.100。他のラングラーモデルよりも、さらに力強い走破性を生む。

SPEC●全長×全幅×全高:4870×1895×1850mm●パワーユニット:3604ccV型6気筒●最高出力:284PS(209kw)/6400rpm●最大トルク:35.4kg-m(347Nm)/4100rpm●WLTCモード燃費:8.0km/L

 

環境・自動車ジャーナリスト

川端由美さん

工学修士。エンジニアから自動車雑誌の編集記者を経て、自動車ジャーナリストに転身。ルビコン・トレイルを走破した猛者でもある。

世界屈指のオフローダーは難コースで走破性を鍛える

タフなことで知られるジープにおいて抜きん出たオフロード性能を持つのがラングラーであり、そのなかでも最上級の走破性を誇るのがルビコンである。その名の由来は、ルビコン・トレイルと呼ばれるアメリカの難関オフロードコースに由来しており、ここで鍛え上げられた証なのだ。

 

四角四面のスタイリングは、運転席からの見晴らしを重視した設計で、無骨なバンパーも簡単に外せる。機能の詳細を挙げるとキリがないが、実際にルビコンを走破した経験から言えば、一輪が接地しているだけでも走れたり、砂が浮いた岩場のような滑りやすい路面でも駆け上がれたり、ビーバーの住む深い川にジャブジャブ突っ込んだりと、まさに「道なき道を走る」ことができるのが本車だ。

 

ルビコンに乗らずして、タフなクルマを語るなかれ、である。

 

【川端さんが証言!】なぜラングラー アンリミテッド ルビコンはタフなのか

[証言1] スタビライザーを解除して悪路走破性を高められる

電子制御式フロントスウェイバーディスコネクトシステムを搭載。悪路でスタビライザーを任意に解除し、フロントアクスルの動きを拡大。走破性を一層高めている。

 

[証言2] ほぼフラットになる荷室にガンガン荷物が積める

2列目シートを前方に倒せば、ほぼフラットになる広大な荷室が登場。その容量は4ドアモデルで最大約2000L。キャンプでも大きな荷物をガンガン積載できる。

 

[証言3] 悪路走破性の高いギア比はルビコンだけのシステム

独自の4WDシステムである「ロックトラックフルタイム4×4システム」。4Lのギア比を4:1の低レンジにすることで、オフロードの走破性をより向上している。

 

[証言4] バンパーを簡単に外してアングル角を拡大できる

アプローチアングルやデパーチャーアングルは元々大きいが、バンパーを取り外すことでより拡大できる。ラチェットハンドルと対応ソケットがあれば簡単に行える。

 

【その3】タフさはそのまま受け継ぎスタイリッシュに進化!

ランドローバー

ディフェンダー

551万円~1171万円(税込)

70年にわたるランドローバーの歴史を象徴するモデルが、昨年登場した新型ディフェンダーだ。先代のタフな魅力はそのままに、堅牢性をさらに向上。もちろん快適性は天文学的にアップしており、まさに無敵のタフネスだ。

SPEC【110 X-Dynamic SE D300】●全長×全幅×全高:4945×1995×1970mm●パワーユニット:2993cc直列6気筒ディーゼルターボ●最高出力:300PS(221kw)/4000rpm●最大トルク:66.3kg-m(650Nm)/1500~2500rpm●WLTCモード燃費:9.9km/L

 

自動車ライター

清水草一さん

『そのフェラーリください!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、自動車ライター/道路交通ジャーナリストとして活動。

無敵のタフネスを受け継ぎ都会でも超絶ハマる

先代ディフェンダーは、元をたどれば70年以上作り続けられたイギリスのジープ的存在。世界各国の軍用車両や警察、消防車両などに多数採用され続けてきたモデルで、タフさのカタマリである。

 

新型は、先代のタフさをそのまま受け継ぎつつ、都会にも完璧にマッチするスタイリッシュなデザインと、洗練された快適な乗り味を手に入れた。そのエレガントなボディの至るところに、先代譲りの超タフなメカや意匠が散りばめられている。

 

もちろん悪路の走破性は無敵だ。日本ではサイズが大きすぎて、林道では取り回しに苦労しそうだが、これも真のタフなクルマだと思えば納得。超ヘビーデューティな4WD機構はもちろんのこと、ピカイチなのはその渡河性能だ。なんと水深90cmまで耐えられるように設計されているのである。

 

【清水さんが証言!】なぜディフェンダーはタフなのか

[証言1] クリアサイトグラウンドビューで車体の下を確認可

3つのカメラの映像をリアルタイムで合成し、ボンネットの下の状況をモニターに映し出す。クルマの下にある轍や岩を確認できる、魔法使いのような機能だ。

 

[証言2] ほぼ垂直に切り立ったテールラインが印象的

徹底的に実用性を重視すると、車体は限りなく直方体に近づく。先代ディフェンダーもテールラインは垂直だったが、新型もその設計を受け継いでいる。

 

[証言3] 実用的かつスムーズな直6ディーゼルターボ

エンジンは、2L4気筒ガソリンターボのほかに、3L直6ディーゼルを用意。この性能が素晴らしく、しかもディーゼルとは思えない超絶なる滑らかさだ。

 

[証言4] 電子制御エアサス搭載で水深90cmまで走行可

電子制御エアサスペンションを搭載。標準車高より40mm低いアクセス向け車高から、75mmアップのオフロード向け車高まで変更できる。渡河性能は最大90cmだ。

 

タフなクルマこそキレイな車内を! ナノイーで清潔空間を保てる

ランドローバーの多くのモデルで、カビや菌、花粉、ニオイを抑制できるパナソニックのナノイーを搭載。過酷な道を進むタフなクルマにこそ望まれる装備だ。さらに将来的には、新型コロナウイルスへの抑制効果が検証されているナノイーXの搭載も検討中。今後の進化にも期待だ。

↑広い車内はフロント、2列目シート、3列目シート独立で空調のコントロールが可能。もちろん同期させて調節することもできる

 

↑モニター内の「ion」アイコンをタッチすればナノイーが車内に充満。一般的なイオンより長寿命のため、広い車内でも効果がある

 

【その4】狭い道でも分け入ることができるコンパクトボディとタフな走り

スズキ

ジムニー

148万5000円~190万3000円(税込)

4代目の現行型も、新開発されたラダーフレームをはじめ、FRベースの副変速機付パートタイム4WD、3リンクリジッドアクスル式サスペンションという伝統に則っている。衝突被害軽減ブレーキなどの先進安全装備も設定。

SPEC【XC 5MT】●全長×全幅×全高:3395×1475×1725mm●パワーユニット:658cc直列3気筒+ターボ●最高出力:64PS(47kw)/6000rpm●最大トルク:9.8kg-m(96Nm)/3500rpm●WLTCモード燃費:16.2km/L

 

自動車ライター

塚田勝弘さん

新車、中古車、カーナビゲーションなどのカー用品などを中心に取材、執筆している自動車ライター。元GetNavi編集部の乗り物担当。

小さくて軽いのが最大の武器大型トラックでも救出できる

数あるオフローダーのなかでもひときわコンパクトなボディを生かして、林道でもあぜ道でも狭い住宅街でも躊躇なく走れるのがジムニーの魅力だ。軽さも武器で、深い雪でも泥濘路でも容易に発進可能。しかも力持ちで、動画サイトでは歴代ジムニーが雪にハマった大型トラックを牽引して救出している様子を見られる。さらに現行型は、ブレーキLSDトラクションコントロールを標準化し、左右輪どちらかがスリップした際でも脱出しやすくなった。雪深い狭い山道を走らせたら世界最強だろう。

 

ラダーフレームによる高い耐久性やメンテナンス性はもちろん、修理できる専門ショップもパーツも多く、メンテナンスしながら長い年月乗れるタフさもある。中古車を手に入れて直して乗ったり、カスタマイズしながら楽しんだりする愛好家が多いのが特徴だ。

 

【塚田さんが証言!】なぜジムニーはタフなのか

[証言1] 大きな段差でもバンパーや車体の下側に接触しない

悪路走破時に重要な3アングル(アプローチ/ランプブレークオーバー/デパーチャー)に十分な余裕がある。岩場でも、見上げるような急勾配でも楽にクリア可能だ。

 

[証言2] 一定速で坂を降りられるヒルディセントコントロール

凍結した下り坂など滑りやすい路面でも4WD時にスイッチをオンにすることで、ブレーキを踏まなくても一定速でクリアできる機能。ステアリング操作に専念できる。

 

[証言3] いざというとき頼れるのが4WD低速用の「4L」

通常は2WD走行が基本で、豪雨時に「4H」にすれば安定した走りが可能。泥濘路や急勾配、他車を救出する際は「4L」にすることで通常の約2倍の駆動力が得られる。

 

[証言4] 剛性と耐久性を備えるタフなラダーフレーム

ラダー(はしご)型の強固なフレームに車体を載せる。現行型は中央部にX型のフレーム、前後にクロスメンバーを追加し、ねじり剛性を先代よりも約1.5倍向上させた。

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

狭い道でも分け入ることができるコンパクトボディとタフな走りが特徴の「ジムニー」

“タフそう”なクルマは数多いが、岩場や泥濘路などの本格的なオフロードを安心して走行できる、ガチでタフなクルマは限られている。険しい道を突き進む走破性を備えた、本物のタフなスズキ「ジムニー」のスゴさをプロが証言!

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

小さくて軽いのが最大の武器大型トラックでも救出できる

スズキ

ジムニー

148万5000円~190万3000円(税込)

4代目の現行型も、新開発されたラダーフレームをはじめ、FRベースの副変速機付パートタイム4WD、3リンクリジッドアクスル式サスペンションという伝統に則っている。衝突被害軽減ブレーキなどの先進安全装備も設定。

SPEC【XC 5MT】●全長×全幅×全高:3395×1475×1725mm●パワーユニット:658cc直列3気筒+ターボ●最高出力:64PS(47kw)/6000rpm●最大トルク:9.8kg-m(96Nm)/3500rpm●WLTCモード燃費:16.2km/L

 

プロがそのタフさを証言!

自動車ライター

塚田勝弘さん

新車、中古車、カーナビゲーションなどのカー用品などを中心に取材、執筆している自動車ライター。元GetNavi編集部の乗り物担当。

 

数あるオフローダーのなかでもひときわコンパクトなボディを生かして、林道でもあぜ道でも狭い住宅街でも躊躇なく走れるのがジムニーの魅力だ。軽さも武器で、深い雪でも泥濘路でも容易に発進可能。しかも力持ちで、動画サイトでは歴代ジムニーが雪にハマった大型トラックを牽引して救出している様子を見られる。さらに現行型は、ブレーキLSDトラクションコントロールを標準化し、左右輪どちらかがスリップした際でも脱出しやすくなった。雪深い狭い山道を走らせたら世界最強だろう。

 

ラダーフレームによる高い耐久性やメンテナンス性はもちろん、修理できる専門ショップもパーツも多く、メンテナンスしながら長い年月乗れるタフさもある。中古車を手に入れて直して乗ったり、カスタマイズしながら楽しんだりする愛好家が多いのが特徴だ。

 

【塚田さんが証言!】なぜジムニーはタフなのか

[証言1] 大きな段差でもバンパーや車体の下側に接触しない

悪路走破時に重要な3アングル(アプローチ/ランプブレークオーバー/デパーチャー)に十分な余裕がある。岩場でも、見上げるような急勾配でも楽にクリア可能だ。

 

[証言2] 一定速で坂を降りられるヒルディセントコントロール

凍結した下り坂など滑りやすい路面でも4WD時にスイッチをオンにすることで、ブレーキを踏まなくても一定速でクリアできる機能。ステアリング操作に専念できる。

 

[証言3] いざというとき頼れるのが4WD低速用の「4L」

通常は2WD走行が基本で、豪雨時に「4H」にすれば安定した走りが可能。泥濘路や急勾配、他車を救出する際は「4L」にすることで通常の約2倍の駆動力が得られる。

 

[証言4] 剛性と耐久性を備えるタフなラダーフレーム

ラダー(はしご)型の強固なフレームに車体を載せる。現行型は中央部にX型のフレーム、前後にクロスメンバーを追加し、ねじり剛性を先代よりも約1.5倍向上させた。

 

 

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北海道唯一の三セク鉄道「道南いさりび鉄道」10の新たな発見

おもしろローカル線の旅75 〜〜道南いさりび鉄道(北海道)〜〜

 

前回は九州最南端の指宿枕崎線を紹介した。今回は北へ飛んで日本最北端の第三セクター経営の路線「道南いさりび鉄道」の旅をお届けしよう。

 

これまでたびたび特急列車で通り抜けた区間だったが、普通列車に乗車してみるとさまざまな新しい発見があった。ゆっくり乗ってこそ魅力が見えてきた道南の路線の旅を楽しんだ。

 

【道南発見の旅①】道南いさりび鉄道と名付けられた理由は?

道南いさりび鉄道が走るのは北海道の西南、渡島半島(おしまはんとう)だ。まずは路線の概要を見ておこう。

 

◆道南いさりび鉄道の概要

路線と距離 道南いさりび鉄道線/五稜郭駅(ごりょうかくえき)〜木古内駅(きこないえき)37.8km、全線単線非電化
開業 1913(大正2)年9月15日、日本国有鉄道上磯軽便線として五稜郭駅〜上磯駅間が開業、1930(昭和5)年10月25日に木古内駅まで延伸開業。江差駅まで延伸は1936(昭和11)年11月10日、路線名を江差線と変更。木古内駅〜江差駅間は2014(平成26)年5月12日に廃止。
駅数 12駅(起終点駅を含む)

 

↑JR江差線当時の函館駅行き普通列車。早朝はキハ40系気動車を3両連結で運用。写真は釜谷駅〜渡島当別駅間

 

路線自体の歴史は100年ほど前の1913(大正2)年に始まる。とはいえ、その時に開業したのは函館近郊の上磯駅までで、その先への路線延伸の工事は順調に進まなかった。1930(昭和5)年になって木古内駅、さらに1936(昭和11)年に日本海に面した江差駅まで延ばされている。

 

この江差線は2014(平成26)年に木古内駅から先の区間を廃止。2016(平成28)年3月26日、北海道新幹線の開業に合わせて五稜郭駅〜木古内駅間の路線が第三セクター経営の道南いさりび鉄道に移管された。移管され今年で5周年を迎えている。

↑道南いさりび鉄道(旧江差線)以外にも1949(昭和24)年の鉄道路線図(左上)を見ると福山線(後の松前線)があったことが分かる

 

なぜ、道南いさりび鉄道という名前が付けられたのだろう。道南いさりび鉄道という会社が設立されたのが2014(平成26)年の夏のこと。北海道のほか、函館市、北斗市、木古内町という沿線自治体2市1町が株主となっている。

 

会社名を公募したところ、21点の応募があったのが道南いさりび鉄道という名前だった。「いさりび」とは「漁火」のこと。津軽海峡で漁火と言えば、毎年夏以降、イカ釣り船が用いる集魚灯の光のことをさす。

 

暗闇の海上に浮かぶ集魚灯の光「いさりび」は、道南・渡島半島の風物詩であり、そうした漁火を横目に走る鉄道路線の名称に相応しいとして名付けられたのだった。

 

【道南発見の旅②】松前線とはどのような路線だったのだろう?

昭和初期に現在の道南いさりび鉄道線の元となった江差線が開業した。さらに木古内駅の先、江戸時代に北海道で唯一の藩だった松前藩の城下町、松前まで鉄道路線が伸びていた。松前線である。この松前線に関して簡単に触れておこう。

 

この路線の歴史的な経緯が興味深い。木古内駅から先はまず1937(昭和12)年10月12日に渡島知内駅までを開業、さらに翌年の10月21日には碁盤坂駅(後に千軒駅と改称)まで、1942(昭和17)年11月1日に渡島吉岡駅まで開業している。太平洋戦争のさなかに開業させた理由には、軍需物資であるマンガン鉱の鉱山が松前町内にあったためとされている。

↑松前へ走る国道228号沿いに残る松前線の橋脚跡。廃線跡はこのように各所で見られる。右下は松前の観光名所・松前城

 

しかし、松前までの延伸は戦争中にはかなわず、戦後しばらくたっての1953(昭和28)年11月8日のこととなる。開業はしたものの、35年間という短い期間しか列車は走らずに1988(昭和63)年2月1日に廃止されている。当時、江差線の木古内駅〜江差駅間よりも輸送密度が高く、地元から廃止反対の声が巻き起こったものの、国鉄からJRへ移行する慌ただしい時期に廃止された。青函トンネルと松前線を結ぶ案も検討されたが、青函トンネルは新幹線規格で造られたために、線路が結ばれることはなかった。

 

松前線の渡島吉岡駅には、青函トンネル建設時に建設基地が設けられていた。27年という長い年月をかけて1988(昭和63)年3月13日に青函トンネルは開業。ちょうど同じ年に松前線は廃線となった。今振り返って見るとトンネルの誕生にあわせ、用済みになったかのように松前線は廃止されたのだった。

 

現在、渡島吉岡駅があった吉岡(現・松前郡福島町字吉岡)の地下を、北海道新幹線や貨物列車が多く通り抜けている。2014(平成26)年3月15日までは吉岡海底駅という駅もあった。現在、その地点を地図で見ると「吉岡定点」となっているが、トンネルの上に住む人たちに恩恵はなく、廃線以外に松前線を活用する方法がなかったのかとも思う。

 

筆者は松前城を見たいがためこの路線に沿って旅をしたことがあった。その時には松前線の廃線跡らしき構造物が各所に残っていて興味深かった。とはいえ、松前線の歴史を振り返るとちょっと寂しさを感じる風景でもあった。

 

【道南発見の旅③】道南いさりび鉄道のキハ40系は何色ある?

少し寄り道してしまった。ここからは道南いさりび鉄道の旅に戻ろう。まずは車両に関して見ていきたい。

 

道南いさりび鉄道はJR北海道の路線の移管とともに車両も引き継いだ。車両は江差線を走っていた車両キハ40系で、計9両が同社に引き継がれた。当初はJR北海道の塗装のままで走っていたが、2019(令和元)年までに9両すべてが道南いさりび鉄道のオリジナルカラーと塗り替えられている。カラーは次の通りだ。さて色は何色あるのだろう。

①ネイビーブルー色 車両番号1793、1799

・「ながまれ号」として2両が在籍。「ながまれ」とは道南の方言で「ゆっくりして」「のんびりして」という意味。観光列車としても走る。

②山吹色 車両番号1812、1814

・濃い黄色ベースで2両が在籍。

③濃緑色 車両番号1810
④白色 車両番号1815
⑤濃赤色 車両番号1796

・濃赤色だが茶色に近い。

⑥国鉄首都圏色 車両番号1807

・国鉄時代の気動車、首都圏色と呼ばれるオレンジ色一色で塗られる。

⑦国鉄急行色 車両番号1798

・クリーム色と朱色の2色の塗り分け

↑カラフルで目立つ色が多い。写真は山吹色と首都圏色のオレンジ色の車両

 

道南いさりび鉄道には上記のように7種類のカラーで塗られたキハ40系が走る。まさに七色の車両が走りにぎやかだ。次の列車は何色かなという楽しみがある。何色の車両がどの列車に使われるかは、道南いさりび鉄道のホームページの「お知らせ」コーナーで公開されているので、訪れる時にぜひとも参考にしたい。

 

ちなみに筆者が訪れた日は国鉄急行色の車両のみ、出会うことができなかった。次回に訪れた時にはぜひ撮影しておきたい。

↑道南いさりび鉄道の4通りの車体カラー。この中でネイビーブルー色の「ながまれ号」のみ2車両が走る

 

【道南発見の旅④】木古内駅前の道の駅に立ち寄ると得する?

今回は北海道新幹線の木古内駅から道南いさりび鉄道線の旅を楽しむことにした。東京駅6時32分発の東北・北海道新幹線「はやぶさ1号」に乗車して約4時間、10時41分に木古内駅に到着した。北海道新幹線の木古内駅と、道南いさりび鉄道の木古内駅は東西を結ぶ自由通路で結ばれる。

 

木古内駅の発車が11時16分と新幹線の到着から30分以上の余裕がある。時間があったので、木古内駅の北口、南口を回って、道南いさりび鉄道の窓口へ。自動販売機で切符を買おうとしたら、横の貼り紙に目が引きつけられた。貼り紙には「いさりび1日きっぷ」(700円)とある。ちなみに木古内駅から五稜郭駅まで切符を購入すると980円になる。直通の切符だけでなく、途中下車をすれば、断然安くなるわけだ。これは使わなければ損である。

 

ところが、木古内駅の切符の自動販売機では売っていないことが分かった。東口の駅前ロータリーをはさんだ「道の駅みそぎの郷きこない」で販売していたのだ。発車時間が迫っていたものの、急いで道の駅へ向かう。

↑高架上にある北海道新幹線の木古内駅に平行して設けられた道南いさりび鉄道の木古内駅。ホームには濃赤色のキハ40系が停車中

 

この道の駅には道南いさりび鉄道の「いさりび1日きっぷ」と、同社のグッズの多くが販売されていた。さらにこの道の駅でも「鉄印」が販売されていたのである。全国の第三セクター鉄道の鉄印を集める鉄印帖は、鉄道ファンには必携のアイテム。その鉄印帖には、鉄印の販売が五稜郭駅とあったので、五稜郭駅へは絶対に立ち寄らなければ、と思っていたのだが。

 

このように道南いさりび鉄道の旅をするならば、ぜひ立ち寄っておきたい道の駅である。筆者の場合は、発車時間に急き立てられ、グッズをゆっくり見る余裕がなかったが、次に訪れた時にはじっくりグッズ選びをしたいと思うのだった。

 

また、帰りに立ち寄るのであれば、地元のお土産や、新鮮な海産物の購入がお勧め。函館市内で木古内の地場産品はあまり見かけないだけに、そうしたお土産選びも楽しそうだなと思った。木古内町が株主の一員という鉄道会社だけに、地元の道の駅ではこうした豊富なグッズ類や「いさりび1日きっぷ」などの販売が行われていたわけである。

↑木古内駅の南口ロータリー前にある「道の駅みそぎの郷きこない」。鉄道グッズや鉄印なども販売される

 

道の駅から木古内駅へ戻り、道南いさりび鉄道の列車が止まる4番ホームへ向かう。そこには濃赤色のキハ40系1796が停車していた。

 

【道南発見の旅⑤】函館湾が良く見え始めるのは何駅から?

発車時間が近づく。そんな時に車両が停まるホームのすぐ横に赤い電気機関車が牽く上り貨物列車が入ってきた。同線を走るEH800形式交流電気機関車である。同機関車は五稜郭駅〜青森信号場間の専用機で、新幹線と共用している青函トンネルを走ることができる唯一の電気機関車だ。道南いさりび鉄道はローカル線であるとともに、北海道と本州を結ぶ物流の大動脈であることが分かる。

 

キハ40系が進行方向左手に北海道新幹線の高架橋、右手に木古内の市街を見ながら静かに走り出した。平行して走る新幹線の高架橋が見えなくなり、間もなく最初の駅、札苅駅(さつかりえき)に到着する。同駅も貨物列車と行き違いが可能な線路が設けられる。

 

道南いさりび鉄道の駅には下り上り列車が行き違いできるように「列車交換施設」を持った駅が多い。今でこそ走るのは貨物列車と、道南いさりび鉄道の列車のみとなっているが、以前は「特急はつかり」、寝台列車の「特急北斗星」「特急カシオペア」「特急トワイライトエクスプレス」といった多くの列車が走っていた。全線単線とはいえ、こうした駅の「列車交換施設」が充実しているのには理由があったわけだ。

 

札苅駅を過ぎると国道228号が進行方向右手に、平行して走るようになる。次の泉沢駅まで、国道越しに津軽海峡が見え始める。さらにその先、釜谷駅(かまやえき)からはより津軽海峡が近くに見えるようになる。

 

途中、国道沿いに「咸臨丸(かんりんまる)終焉の地」が見える。咸臨丸は幕末にアメリカまで往復し、幕府軍の軍艦として働いた後に、新政府軍に引き渡された。1871(明治4)年9月19日、函館から小樽に開拓民を乗せて出航したものの泉沢の沖で暴風雨にあって沈没、多くの犠牲者を出したのだった。この史実を筆者は知らなかったが、津軽海峡で起きた悲劇がこの地に複数残っていることを改めて知った。

↑釜谷駅の駅舎は有蓋貨車を改造したもの。貨車ながらも窓があり出入り口もサッシ。冬の寒さもこれならば防げそうな造りだ

 

釜谷駅(かまやえき)から先、渡島当別駅までは江差線当時には撮影ポイントが数多くあり、寝台列車が走っていたころには多くの鉄道ファンが集まったところでもある。筆者もその中の1人だったが、釜谷駅は今も当時のまま、有蓋貨車のワムを利用した駅舎で無骨ながら親しみが持てる駅だった。

↑釜谷駅前を通過する「特急トワイライトエクスプレス」。初夏の早朝ともなると、釜谷駅は〝撮り鉄〟が多く集合した

 

さて釜谷駅から先、津軽海峡とともに、海峡の先に函館山が見え始めるようになる。どのあたりから見る景色が最も美しいのだろうか。道南いさりび鉄道の路線は、海岸線よりも高い位置を走る区間が多く、まるで展望台から見るような眺望が各所で楽しめる。

 

筆者は同路線を「特急はつかり」や、寝台列車に乗って通り過ぎたことがある。しかし、当時は〝駆け足〟で通り過ぎるのみで、美しい景色がどのあたりから見えるものなのか、またどの区間から最もきれいに見えるのか、良く分からず乗車していた。今回、普通列車に乗ることによってポイントが良く分かり、また堪能できた。

↑釜谷駅〜渡島当別駅間にある人気のポイントから見る「特急カシオペア」と津軽海峡。この付近から右奥に函館山が見えるようになる

 

釜谷駅〜渡島当別駅間では、海岸線に合わせて路線はきれいにカーブを描いて走る。寝台列車の撮影ではこうしたカーブと、津軽海峡を一緒に写し込むことができて絵になった。撮影のポイント選びでは、途中にある踏切が目印代わりとなっていた。同駅間ではそうした踏切が複数あるのだが、釜谷駅から3つめの「箱崎道路踏切」あたりから先で函館山が見えるようになる。今回はそうした思い出を振り返りつつ乗車する楽しみもあった。

↑釜谷駅〜渡島当別駅間から函館山が見え始める。写真は箱崎道路踏切付近。車両の窓枠にも函館山が良く見えることを伝える表示が

 

【道南発見の旅⑥】渡島当別駅が洋風駅舎というその理由は?

釜谷駅から約6分、海景色を楽しみつつ列車は渡島当別駅に到着する。同駅は列車からも見えるように、洋風のおしゃれな駅舎が目立つ。洋風というよりも、修道院を模した建物といったほうが良いだろうか。なぜ修道院風なのだろう。

 

実はこの駅から約2kmの距離にトラピスト修道院がある。その最寄り駅ということでこの駅舎になったのだ。トラピスト修道院は1896(明治29)年に開院した日本初の男子修道院で、売店では修道院内で作られた乳製品、ジャムなどが販売されている。中でもトラピストクッキーは函館名物としてもおなじみだ。

 

というわけで修道院風の建物なのであるが同路線では異色の駅となっている。

↑修道院風のおしゃれな駅舎が特長の渡島当別駅。郵便局が併設された駅舎となっている。トラピスト修道院へは徒歩で約20分強

 

渡島当別駅はトラピスト修道院の最寄り駅ということもあり、観光客の乗り降りもちらほら見られた。とはいえ同列車は、観光客や〝乗り鉄〟の乗車はそれほど多くなく地元の人たちの利用が目立つ。地域密着型の路線なのであろう。

 

さて、次の茂辺地駅(もへじえき)までも海の景色が素晴らしい。

 

【道南発見の旅⑦】函館山と函館湾の景色が最も美しい箇所は?

渡島当別駅から先は、函館湾沿いに列車が走るようになる。函館山が車窓のほぼ中央に見えるようになる区間でもある。天気に恵まれれば、進行方向の右側に函館湾の海岸と連なる函館の市街が手に取るように見え始めるのがこの区間だ。

↑渡島当別駅を過ぎ茂辺地駅まで、函館山が正面に見えるようになり、また函館市街も見えるようになってくる

 

さらに茂辺地駅の先となると、函館湾の海岸線が函館市街まで丸く弧を描くように延びている様子が見えて美しい。このように釜谷駅から上磯駅までの4駅の区間は、それぞれの海景色が異なり、どこがベストであるかは、甲乙つけがたいように感じた。

↑茂辺地駅付近を走るJR東日本の「TRAIN SUITE四季島」。2022年設定の3泊4日コースでは道内、室蘭本線の白老駅まで走る予定だ

 

【道南発見の旅⑧】上磯駅から列車が急増する理由は?

茂辺地駅〜上磯駅間まで右手に函館山と函館湾が楽しめたが、同区間でこの海景色の楽しみは終了となる。道南いさりび鉄道の列車は上磯駅が近づくに連れて、左右に民家が連なるようになる。太平洋セメントの上磯工場の周りをぐるりと回るように走れば、間もなく上磯駅へ到着する。

 

上磯駅からの列車本数は多くなる。木古内駅〜上磯駅間の列車がほぼ2時間おきなのに対して、上磯駅〜五稜郭駅間は1時間に1本、朝夕は30分おきに列車が走る。この列車本数はJR北海道の時代からほぼ変わりない。

 

上磯駅〜五稜郭駅間の列車が多いのは、函館市の通勤・通学圏内だからだ。道南いさりび鉄道の列車は五稜郭駅の一駅先の函館駅まで全列車が乗り入れている。上磯駅から函館駅間は22分〜30分と近い。そうしたこともあり乗降客も増える。

↑久根別駅(左上)近くを通る貨物列車。上磯駅〜五稜郭駅間の普通列車と同じように貨物列車の通過本数も多い

 

〝撮り鉄〟の立場だと上磯駅〜五稜郭駅間は街中ということもあり、なかなか場所選びがしにくい区間である。やはり津軽海峡が良く見える釜谷駅〜渡島当別駅間が良いのだが、こちらは列車本数が少なく、列車を使う場合には立ち寄りにくいのが現状である。筆者は景色の良い区間で降りるのを諦めて、列車本数が多く移動しやすい久根別駅で降りた。数本の列車を撮影したが、景色が良いところで撮影したいという思いは適わなかった。

 

【道南発見の旅⑨】津軽海峡の区間は今、何線と呼ばれる?

道南いさりび鉄道は普通列車とともに貨物列車も多く走る。本州から北海道へ向かう下り貨物定期列車が1日に19本、臨時列車まで含めると26本ほど走る。上り貨物列車も下りとほぼ同じ列車本数だ。中には札幌貨物ターミナル駅〜福岡貨物ターミナル駅間と日本一長い距離を走る列車も含まれる。旅客列車のように、行先等が書かれていないのがちょっと残念ではあるが。

 

さて、貨物列車が走る路線とルートを確認しておきたい。普通列車とは逆に五稜郭駅側から見てみよう。貨物時刻表には「函館貨物」と「木古内」という2つの駅が道南いさりび鉄道の区間にある。函館貨物は五稜郭駅構内にあたる。実は函館貨物駅という貨物駅は別にあるのだが、これは後述したい。札幌方面から走ってきた貨物列車は五稜郭駅で折り返す。ここまで牽引してきた機関車はDF200形式ディーゼル機関車だ。この構内で機関車は切り離し、逆側に青函トンネル用のEH800形式電気機関車が連結される。

 

貨物時刻表には路線名は「道南いさりび鉄道」と書かれている。貨物時刻表には木古内とあるが、こちらは運転停車で、荷物の積み下ろしや貨車の連結作業は行われない。そして道南いさりび鉄道の木古内駅を過ぎ、北海道新幹線と合流する連絡線を上って行く。この区間および、青函トンネルの間は今、何線にあたるのだろうか。以前は「津軽海峡線」と通称ではあるものの呼ばれていたのだが。

↑木古内駅から北海道新幹線の路線への連絡線を上る貨物列車。写真は北海道新幹線の開業前でEH500形式電気機関車の姿が見える

 

現在、木古内駅の先、北海道新幹線への連絡線、そして青函トンネル区間、さらに青森県側の津軽線へ合流する新中小国信号場、そして中小国駅までの87.8kmの区間は「海峡線」と呼ばれている。

 

旅客列車がこの区間を走っていたころは、「津軽海峡線」の名が「時刻表」誌にうたわれ一般化していた。実はこの当時から正式な路線名は「海峡線」だったのだが、当時は一般には浸透していなかった。在来線だった津軽海峡線を通る列車は一部の団体列車(「カシオペア」「四季島」など)を除きなくなったことから、すでに「時刻表」誌では「津軽海峡線」「海峡線」という路線名の紹介ページはない。貨物列車の時刻を記した「貨物時刻表」のみ「海峡線」と書かれている。このあたりの変化もなかなか興味深い。

 

【道南発見の旅⑩】五稜郭駅手前で合流する線路はどこから?

上磯駅からは列車本数が増えるとともに、市街地を走る路線となり、風景もごく一般的な都市路線となる。そんな道南いさりび鉄道の旅の終点となった側の駅、五稜郭駅近くで進行方向右手から近づいてくる線路がある。道南いさりび鉄道の線路に、進行方向左手から近づいてくる路線は、函館本線であることは分かるのだが、さて右から合流するのは何線なのだろうか。

↑函館貨物駅と五稜郭駅を結ぶ埠頭通路線を走る貨物列車。函館貨物駅の本体(左上)は函館港のすぐそばにある

 

貨物時刻表ではJR北海道の五稜郭駅のことを函館貨物駅と呼んでいるが、先の道南いさりび鉄道の路線に合流する線路をたどると、それとは別の函館貨物駅という貨物コンテナを積み下ろす貨物駅へつながっている。連絡する路線は貨物時刻表では「埠頭通路線」としていて距離は2.1kmほどある。函館貨物駅は別名、有川操車場、五稜郭貨物駅という別名があり、この貨物線は「有川線」「五稜郭貨物線」とも呼ばれることがある。

 

あくまで函館貨物駅の構内線という扱いのため貨物時刻表には、その運行ダイヤが掲載されていない。列車を牽引する機関車も前照灯とともに赤ランプをつけて、構内での入れ替えと同じ扱いの列車として運行されている。

↑五稜郭駅の側線に上り列車が到着したところ。同側線で次は電気機関車が反対側に連結される。左上は五稜郭駅

 

さて、五稜郭駅が道南いさりび鉄道の路線の起点となっている。しかし、同駅始発、同駅終点の道南いさりび鉄道の列車はない。全列車が一駅先の函館駅まで函館本線を通って走っている。前述した「いさりび1日きっぷ」は同駅でも販売、また鉄印も販売されている。ちなみに五稜郭駅〜函館駅の運賃は通常250円だが、道南いさりび鉄道からそのまま乗車した時の同区間の運賃は乗り継ぎ割引される(七重浜駅〜上磯駅からは120円、茂辺地駅〜木古内駅からは190円となる)。ただし「いさりび1日きっぷ」利用の場合には、250円が加算される。

 

函館駅では1・2番線が上磯・木古内方面と表示されている。道南いさりび鉄道の路線となったものの、駅構内には道南いさりび鉄道の切符の販売機も置かれ、第三セクター鉄道の路線とは思えないような扱いだ。さらに道南いさりび鉄道の車両の基地は、函館駅に隣接した函館運輸所にある。函館駅に到着する前に、この運輸所に停まる道南いさりび鉄道の車両が見える。車両の色は七色でにぎやかに、また運賃が割高になったものの、函館駅での対応の様子を見るとJR北海道時代とあまり変わらずで、変わらない良さ、利用のしやすさも感じた道南いさりび鉄道の旅だった。

↑道南いさりび鉄道の全列車が函館駅まで乗り入れている。列車の発車は改札口にも近い1・2番線ホームからが多い(右下)

ジープ「ラングラー アンリミテッド ルビコン」は、一輪さえ接地していれば走行可能な世界屈指の絶対的オフローダー

“タフそう”なクルマは数多いが、岩場や泥濘路などの本格的なオフロードを安心して走行できる、ガチでタフなクルマは限られている。険しい道を突き進む走破性を備えた、本物のタフなジープ「ラングラー アンリミテッド ルビコン」のスゴさをプロが証言!

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

世界屈指のオフローダーは難コースで走破性を鍛える

ジープ

ラングラー アンリミテッド ルビコン

658万円(税込)

ジープ ラングラーのなかでも最強の悪路走破性を誇るのがルビコン。2WD/4WD-H/4WD-Lの切り替えができる副変速機はルビコン専用で、最終変速比は4.100。他のラングラーモデルよりも、さらに力強い走破性を生む。

SPEC●全長×全幅×全高:4870×1895×1850mm●パワーユニット:3604ccV型6気筒●最高出力:284PS(209kw)/6400rpm●最大トルク:35.4kg-m(347Nm)/4100rpm●WLTCモード燃費:8.0km/L

 

プロがそのタフさを証言!

環境・自動車ジャーナリスト

川端由美さん

工学修士。エンジニアから自動車雑誌の編集記者を経て、自動車ジャーナリストに転身。ルビコン・トレイルを走破した猛者でもある。

 

タフなことで知られるジープにおいて抜きん出たオフロード性能を持つのがラングラーであり、そのなかでも最上級の走破性を誇るのがルビコンである。その名の由来は、ルビコン・トレイルと呼ばれるアメリカの難関オフロードコースに由来しており、ここで鍛え上げられた証なのだ。

 

四角四面のスタイリングは、運転席からの見晴らしを重視した設計で、無骨なバンパーも簡単に外せる。機能の詳細を挙げるとキリがないが、実際にルビコンを走破した経験から言えば、一輪が接地しているだけでも走れたり、砂が浮いた岩場のような滑りやすい路面でも駆け上がれたり、ビーバーの住む深い川にジャブジャブ突っ込んだりと、まさに「道なき道を走る」ことができるのが本車だ。

 

ルビコンに乗らずして、タフなクルマを語るなかれ、である。

 

【川端さんが証言!】なぜラングラー アンリミテッド ルビコンはタフなのか

[証言1] スタビライザーを解除して悪路走破性を高められる

電子制御式フロントスウェイバーディスコネクトシステムを搭載。悪路でスタビライザーを任意に解除し、フロントアクスルの動きを拡大。走破性を一層高めている。

 

[証言2] ほぼフラットになる荷室にガンガン荷物が積める

2列目シートを前方に倒せば、ほぼフラットになる広大な荷室が登場。その容量は4ドアモデルで最大約2000L。キャンプでも大きな荷物をガンガン積載できる。

 

[証言3] 悪路走破性の高いギア比はルビコンだけのシステム

独自の4WDシステムである「ロックトラックフルタイム4×4システム」。4Lのギア比を4:1の低レンジにすることで、オフロードの走破性をより向上している。

 

[証言4] バンパーを簡単に外してアングル角を拡大できる

アプローチアングルやデパーチャーアングルは元々大きいが、バンパーを取り外すことでより拡大できる。ラチェットハンドルと対応ソケットがあれば簡単に行える。

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

高級・高性能でどんな道も快適! すべてがオーバースペックすぎるベンツ「Gクラス」

“タフそう”なクルマは数多いが、岩場や泥濘路などの本格的なオフロードを安心して走行できる、ガチでタフなクルマは限られている。険しい道を突き進む走破性を備えた、本物のタフなメルセデス・ベンツ「Gクラス」のスゴさをプロが証言!

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

時代とともに高級化しても受け継ぐ本質は変わらない

メルセデス・ベンツ

Gクラス

1080万円~1530万円(税込)

1979年に初代モデルが登場して以来、メルセデスの本格的オフローダーを一手に担うGクラス。数々の装備による悪路走破性はピカイチだが、その変わらない無骨なデザインも人気で、オンロードユース層からも人気が高い。

SPEC【G 350d】●全長×全幅×全高:4725×1860×1970mm●パワーユニット:2986ccV型6気筒ディーゼルターボ●最高出力:245PS(118kw)/3600rpm●最大トルク:61.2kg-m(600Nm)/1600~2400rpm●JC08モード燃費:10.8km/L

 

プロがそのタフさを証言!

モータージャーナリスト

岡本幸一郎さん

日本に6台しかない「6×6」や希少なカブリオレなど、様々なGクラスに試乗経験あり。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員の一人。

40年余り前、元々NATOのために開発された軍用車を民生用にアレンジしたのがGクラスのはじまりだ。そう聞いただけでもどれほどタフであるかがうかがい知れよう。当初のGクラスは、まさしく質実剛健なオフローダーだったのだが、やはりメルセデスの一員らしく高級感や快適性が求められるようになり、時間の経過とともに高級SUVとして進化してきた。

 

とはいえ2018年にアップデートした現行型でも、屈強なラダーフレームにリアリジッドアクスル、LOWモードギアに前後と中央の3つのデフといった伝統の基本構成は変わっていない。それでいて世のオフローダーでダントツの性能を誇るAMGモデルがあるのもGクラスならではである。

 

街なかで乗るにはすべてがオーバースペックに違いない。その点がまたGクラスの魅力でもあるのだ。

 

【岡本さんが証言!】なぜGクラスはタフなのか

[証言1] 鋼鉄製ラダーフレームにフロント独立懸架を直付け

ロの字型の鋼材をMAG溶接した新設計ラダーフレームを採用。ダブルウィッシュボーン化したフロントサスをサブフレームを介さずに取り付け、十分な地上高を確保する。

 

[証言2]「LOWレンジ」モードでは最大の悪路走破性を実現

デフロック、もしくは通常の2倍以上の駆動力を発揮するオフロード向けの低速ギアのLOWレンジを搭載。選択すると足まわりやアクセル特性を最適化できる。

 

[証言3] 3つのデフの作動/解除はワンタッチで自由自在

通常のオフローダーではデフロックの作動/解除には面倒な操作が必要。Gクラスはスイッチひとつで3つのデフを個別にメカニカルロックできる伝統の機能を備える。

 

[証言4] 悪路で役立つ情報を表示するオフロードスクリーン

外見とは逆にインテリアは先進的に。12.3インチワイドディスプレイには勾配、傾き、方位、舵角、デフロックの状況など悪路走行に特化した情報を表示できる。

 

 

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直進安定性や剛性が大幅に向上! 公道を走れる電動キックボード「Sunameri」2021モデル

フヂイエンヂニアリングは、ミニカー登録をして公道を走行できる電動キックボード「Sunameri」2021モデルを発表し、予約販売を開始しました。税込価格は59万9500円~。

 

 

Sunameriは、同社が開発し、2019年に発表した電動キックボードで、これまで累計100台以上を売り上げています。同社がこれまでレーシングフィールドで磨いてきた技術や培ってきた経験を詰め込んだ、体重移動でデッキを傾けて方向転換をする構造が特徴的なモビリティです。

 

ボディ全体に、航空機やレーシングカーなどにも採用されている、軽量で丈夫なCFRP素材を使用しており、地面からの衝撃を適度に吸収します。現在市場に出回っている電動キックボードのほとんどが原付登録車両ですが、Sunameriはミニカー登録車両で、ヘルメット着用・二段階右折の義務はありません(※安全のため、ヘルメットの着用を推奨しています)。

 

 

今回発売される2021モデルでは、フロントサスペンションやハンドルポスト折りたたみ機構をアップグレードし、直進安定性や剛性が大幅に向上。車体の回転中心から離れているハンドル部分にもCFRP素材を採用したことで、スラロームの面白さが増しています(狙ったラインをトレースしやすくなっています)。

 

利用者からリクエストが多かった部品の見直しも行い、スイッチ類やスロットル、折りたたみ構造の使い勝手も向上。今回は黒色以外のカラーバリエーションとして、三重県尾鷲市九鬼町大配の岸壁から望む美しい青色をイメージした「オハイブルー」が新登場。キャンディカラー塗装で、見る角度によって色の濃淡が出る、高級感のある仕上がりです。

 

 

受注生産で、同社公式サイトで予約を受け付けています。ハンドメイドにて1台ずつボディを成型しているので、12月末~2022年1月初旬納車予定のロットは10台限定と、生産台数は限られているとのこと。

「ランドクルーザー トゥループキャリア」にひと目惚れしたオーナーが“週末の最愛の相棒”たる魅力を分析

オーストラリアの環境は、過酷だ。北部の熱帯雨林地域では雨季に道路が冠水したり、内陸部では乾燥した赤土のダート路を延々と走らされたりすることもしばしば。オーストラリア向けに作られたトヨタ・ランドクルーザーに乗るオーナーに、そのタフさを聞いた。

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

オーストラリアで活躍する姿を見てひと目惚れ! その強さに絶対の信頼を寄せる

「タフなクルマだからこその飾り気のなさも魅力です」(白柏さん)

 

この人に聞きました!

白柏信弥(しらかし しんや)さん

「トゥループキャリアーズ・オブ・ジャパン」という会に携わり、オーナーが集まるイベントなどで主催者として活躍している。趣味はキャンプと料理。

 

豪雪地帯でも余裕の走破性と積載力の高さが最大の魅力

茨城県在住の白柏信弥さんは、ランドクルーザーのオーストラリア向け、なかでもトゥループキャリアというレア車を所有している。

 

「いまは単身赴任で茨城在住ですが、自宅は新潟です。豪雪地帯のため、走破性の高さは絶対に必要。以前はランドクルーザー70系の77、その前は73と、ずっとランドクルーザーです」(白柏さん)

 

現在所有するトゥループキャリアは、雑誌などで情報を仕入れてオーストラリアのケアンズまで足を運び、実車を見てひと目惚れ。帰国後日本のショップで購入した。

 

「2000年式で、購入時で8万6000kmの走行歴。ですが現在も快適に走ります。1HZというディーゼルエンジンが名機で、信頼を寄せています」(白柏さん)

 

トゥループキャリアの特徴は、対面式の座席を配置したリア部分。大きくて重いキャンプ道具をどんどん載せても、まったく苦にしない走行性能の高さは特筆モノだ。

 

「現代のクルマにはない、飾り気のなさも魅力です。タフでもありシンプルなクルマなので、いじり甲斐がある。大切に乗って、息子に継がせたいですね」(白柏さん)

 

【ランドクルーザートゥループキャリアとは?】

通称“トゥルーピー”と呼ばれるランドクルーザーの限定仕様車。直訳すると「軍隊輸送車」の名の通り、リア部分は対面式の横向きシートを装備する。観音扉のロングボディが特徴で、カーマニア憧れのモデルとなっている。

 

このタフさにホレた! 白柏さんお気に入りポイント

【Point 1】シンプルなインパネと視界の良さでストレスフリー

インパネまわりはムダを削ぎ落としたシンプルなデザイン。高い車高による視界の良さもポイントで、悪路走行時でも先が見やすい。渋滞時でも数台先が見えるので、イライラも減少するという。

 

【Point 2】絶対的な信頼を寄せているディーゼルエンジンの名機

ディーゼル車を好む白柏さんが信頼する4.2L直列6気筒の1HZ型ディーゼルエンジン。最高出力135PS、最大トルク28.5kg-mのパワーを誇り、大きなボディに重い荷物を載せても余裕だ。

 

【Point 3】余裕の高さと太いタイヤで雪道や砂地での走行も安心

元々トゥループキャリアは最低地上高が高いが、スプリングコイルを入れてさらに車高を上げている。これに太いタイヤを組み合わせることで、豪雪地帯や砂地でも安心して走行できる。

 

【point 4】奥行きと幅のある荷室は荷物の積載も車中泊も余裕

トゥループキャリアの特徴は奥行きと幅のある荷室。キャンプ道具をどんどん積載しても余裕で収納できる。対面型のベンチシートを活用し、ボードを渡して車中泊を楽しむことも可能だ。

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

 

14年ぶりに刷新された新型「ランドクルーザー」を全方位チェック!

中東やオーストラリア、ロシア、アフリカなど世界で絶大なる信頼を得ているランドクルーザーが14年ぶりに刷新。高い剛性を確保しつつ大幅な軽量化を実現し、オンロードでの操縦安定性や乗り心地と、悪路走破性を両立する。

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

誕生から70年を迎えた“陸の巡洋艦”が14年ぶりにフルモデルチェンジ!

トヨタ

ランドクルーザー

510万円~800万円(税込)

この夏、14年ぶりに待望のフルモデルチェンジ。エンジンは全モデルV6に変更され、ディーゼルエンジンモデルも復活した。GR SPORTグレードが加わったことでも話題を呼び、早くも納車まで1年以上かかるほどの人気だ。

SPEC【ZX ガソリンエンジン】●全長×全幅×全高:4985×1980×1925mm●車両重量:2500kg●パワーユニット:3444ccV型6気筒+ターボ●最高出力:415PS/5200rpm●最大トルク:66.3kg-m/2000~3600rpm●WLTCモード燃費:7.9km/L

 

自動車ライター

寺田昌弘さん

ランドクルーザーでダカールラリー参戦をはじめ、5大陸を走破している世界を旅するライター。愛車は70系とプラドの2台のランクル。

威風堂々たる存在感が圧巻! 意のままに走る爽快感に感動

タフなクルマの代表格ランドクルーザーは、開発において信頼性、耐久性、悪路走破性の高さを鍛え上げ、唯一無二のクルマとして世界じゅうで愛されている。

 

新型ランドクルーザーは、新設計のラダーフレームや一部ボディのアルミニウム化、コンパクトで高出力のエンジンの搭載により約200kgの軽量化を実現した。そしてパワートレインをより低くセンターに搭載することで低重心化。さらにリアサスペンションのショックアブソーバーをより縦位置に配置し、乗り心地の良さと操縦安定性が格段に向上している。

 

エンジンは3.5LV6ツインターボに加え、国内待望の3.3LV6ツインターボディーゼルエンジンも選べる。試乗したところ、低回転から発揮する大きなトルクが軽量化されたランドクルーザーを軽々と走らせる。油圧に電動式アクチュエーターを組み合わせたパワーステアリングや電子制御ブレーキのおかげで、ドライバーの意のままだ。ランドクルーザーを構成するすべてを磨き上げたことで素性を刷新し、疲れないドライビングを実現しているのである。

 

【Check Point 1】デザイン

空力性能と悪路走破性を考え洗練された大人の魅力を表現

最上級SUVとしての洗練された風格と、オフロードでライトを破損しにくい上部に配置したりバンパーコーナーを絞ったりする伝統の機能美を融合。空力性能を上げるためにキャビンやリアコーナーを絞るなど、歴代のヘリテージを継承しながら機能性を追求している。

↑全車サイドアンダーミラーなし仕様となり、フロントデザインがスッキリとした。全グレードでモニターとカメラを標準装備する

 

↑水平を基調としながら、キャビンを絞ったほか、バンパーを切り上げたデザインに変更。グラマラスなリアビューが魅力的だ

 

【Check Point 2】インテリア

ドライビングの高揚感と最上級の快適性を演出

ボリューム感あるセンターコンソールと、操作性に優れるレイアウトの各スイッチ類のおかげでドライビングに集中できる運転席。車両の傾斜がわかりやすいよう水平を基調としたインテリアデザインが、ランドクルーザーに乗っていることを実感させてくれる。

↑長時間のドライビングでも疲れにくい上質なシートを採用。ガソリン仕様は7人乗りが選択でき、ディーゼル仕様は5人乗りのみだ

 

↑7人乗りの3列目シートはフロアアンダー格納タイプでカーゴスペースが広く取れる。ゴルフバッグも4つ詰めて便利だ

 

【Check Point 3】新型モデルの注目ポイント

指紋認証スタートスイッチと前後デフロックが唯一無二

世界的に人気のランドクルーザーはセキュリティ対策にも注力。指紋を登録したドライバーがスマートキーを持ち、ブレーキを踏んで指紋認証してようやくエンジン始動できる。本格派オフローダーの証ともいえる前後デフロックをGR SPORTに装備する点にも注目だ。

↑GR SPORTのみだが、リアだけでなくフロントデフロックも装備。前後ともデフロックすることで比類なき悪路走破性が得られる

 

↑GXのみオプションとなるが、トヨタ初となる指紋認証スタートスイッチを採用。セキュリティを高めるランクルオーナー待望の装備だ

 

【Check Point 4】走破性

200kg軽量化し、サスペンションとエンジンの刷新で意のままに走る

伝統のラダーフレーム構造を継承しながら、TNGAの考えに基づくGA-Fプラットフォームを採用。日本の匠の高い溶接技術で堅牢性、高剛性と軽量化を両立した。剛性が上がったことでサスペンションのセッティングがしやすくなり、特にリアサスペンションのレイアウトを最適化。路面からの衝撃にリニアに反応し、優れた乗り心地と操縦安定性、悪路走破性を実現。

↑超ハイテンションスチール材を含め部分的に最大5mm厚の鋼板を随所に採用。サスペンションレイアウトを最適化し、悪路走破性が格段に向上した

 

↑超ハイテンションスチール材を骨格にアルミ材などを適材適所に採用。ボディで約80kg軽量化と低重心化を実現し、ワインディングも軽快に走る

 

↑80系から続くホイールベースはそのままキープ。対地障害角は前モデル同等以上を維持することで高い悪路走破性を確保する

 

【Column】ランドクルーザーは高速のパトロールカーとしても活躍中

高速道路で見かける黄色いパトロールカーにはランドクルーザーが多い。走行性能の高さはもちろんだが、牽引力の高さも理由。故障などで止まってしまった大型トラックを牽引して渋滞発生を防ぐこともある。

↑ランクルが採用される理由には、ボディの頑丈さも挙げられる。高速で走るクルマから隊員の生命を守る使命も課せられている

 

 

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過酷な使用にも耐えうる装備があるからこそ走る道を選ばないジープ! タフなクルマの絶対条件

ハイブリッドやEVが主役の昨今だが、道なき道を走破できるタフなクルマの魅力は不変。ジープをはじめとした“ガチ”でタフなクルマのスゴさを紹介する。見たことのない世界へ、さあ行こう!

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

未舗装路を想定し開発されたクルマに宿る本気装備を見よ

大流行中のSUVも、そのルーツを辿るとタフなオフロード系のモデルに行き着く。未舗装路や岩場などでも走れる高い最低地上高は必須条件。そのほかパートタイム4WDやラダーフレームなど、過酷な使用にも耐える、独特かつ必須のメカニズムを備えることがキモだ。

ジープ

ラングラー アンリミテッド ルビコン

658万円(税込)

ジープブランドのなかでも本格派オフローダーとして名高い、ラングラーの最強モデル。車名の“ルビコン”はテストコースとしても使われる、ネバダ州からカリフォルニア州のタホ湖に抜ける険しい花崗岩の道、ルビコン・トレイルにちなむ。

自動車ライター

海野大介さん

クルマや船の雑誌編集部を経てフリーランスに。JAFの国内A級ライセンス保持。雑誌、ウェブなどに多数寄稿している。

 

タフと呼ばれる所以は特有の構造と装備にある

文字通り道なき道を行くオフローダーの所以は、大地を四輪でしっかりと掴む力強さと、悪路での走破性の高さだ。それを可能にするための装備がタフなクルマの条件。特にラダーフレーム、リジッドサスペンション、パートタイム4WDからなるメカニズムが三種の神器だ。堅牢なラダーフレームと組み合わされるリジッドサスペンションは凸凹道でも片輪をしっかりと路面に接地させ、駆動力を生み出せる。パートタイム4WDにより任意で4WDにできれば、燃料のロスも少ない。

 

大きな障害物を乗り越えるときは地面と十分なクリアランスを保つ高い地上最低高もポイント。障害物に対してバンパーやボディと地面が接しない大きなアプローチアングルやデパーチャーアングルはタフさを計る物差しでもある。

 

スタックしたときに頼れる、デフギアをロックして脱出するデフロックや、シャックルなどを掛けやすい大きな牽引フックがあればさらに本気仕様。これらは岩登りや渡河もこなせる“タフの機能美”なのだ。

 

【条件1】パートタイム4WD

路面状況に応じて駆動輪を切り替えられる必須装備!

確実にパワーを路面に伝える本格派オフローダーに必須の装備。ドライバーの意思で2WDと4WDを選択できる。前輪と後輪の回転差を吸収するセンターデフは搭載されない。そのため4WD時にはコーナーなど旋回時に前後タイヤの回転差でブレーキがかかったようになることもある。

↑レバー操作で4WDに切り替える。クルマによっては走行中も操作可能だ。ラングラーにはフルタイム4WDモードも備わる

 

【条件2】デフロック機構

片輪が空転しても大丈夫! スタック回避の最終手段

デフギアは左右(前後)車輪の回転差を吸収したり、回転抵抗の少ない方に多くの回転を与えたりするもの。悪路などで1本のタイヤがスリップするとデフの特性上、その1本だけが空転し、ほかに動力がかからなくなってしまう。デフロックなら反対側に動力を伝えて走破性能を高められる。

↑タフなクルマの三種の神器のひとつであるデフロック。車種によって後輪だけロック可能、前輪もロック可能と違いはある

 

【条件3】リジッドサスペンション

常に一定のクリアランスを保てるのがメリット

車軸を通して左右の車輪が直接的につながっているサスペンションのこと。未舗装路などサスが深くストロークするような場面でも最低地上高が変化せず、片輪が縮むとてこの原理で伸びた側のタイヤを押し付け、グリップ力を高められるメリットがある。まさにタフなクルマのサスだ。

↑乗り心地に若干のデメリットもあるが悪路の走破性は随一。サスペンション自体がタフなので、信頼性や耐久性も高い

 

【条件4】ラダーフレーム

タフなクルマの象徴とも言える独特の車体構造

ボディを支えるラダー(はしご)状のフレーム。未舗装路をはじめとした悪路ではタイヤやサスペンションを大きく動かす必要があるが、ラダーフレームはタイヤとタイヤハウスの距離を大きく取れて、丈夫なフレームで衝撃を吸収してくれる。ボディとシャーシが別構造なのも特徴だ。

↑衝撃に強いラダーフレーム。多くのクルマで採用されるモノコック構造よりコストは上がるが、信頼性では格段に分がある

 

【条件5】アプローチアングル

悪路走破性能を計る物差しとなる数値

凹凸道を走破するには、高い最低地上高と、障害物に対してバンパーが十分なクリアランスを保つことが条件。バンパーとタイヤをつないだ線が地面となす角度をアングルと言うが、フロント側がアプローチアングル、リア側がデパーチャーアングルとして表示される。

↑ラングラー ルビコンではリアゲート内面に最大アングル角度を表示。車内ディスプレイに表示される傾斜角度と照合が可能だ

 

【条件6】牽引フック

荷重のかかる牽引も安心! フックはタフなクルマの証

一般的な乗用車にもフックはあるが、過大な衝撃や荷重のかかる牽引には厳しい。タフなクルマはわかりやすい位置に頑丈な牽引フックがあったり、アフターパーツで用意されたりして実用的。フックやシャックルを直接掛けられるオフローダーの装備品としても定番で、脱出時に必須だ。

↑オフロードアイテムとして定番の牽引フック。万が一の際、救出する側にもされる側にもなければ始まらない重要なパーツだ

 

 

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日本のベストセラー「アクア」の新型を深掘り! ブラッシュアップされた魅力を先代モデルのオーナーが語る

ベテラン自動車ライターの永福ランプとフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をする「クルマの神は細部に宿る。」。今回は、かつて日本のベストセラーとなったハイブリッド専用コンパクトカー、アクアの新型を取り上げる!

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

【レビュアーPROFILE】

永福ランプ(清水草一)

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。様々な自動車専門誌や一般誌、ウェブなどで、クルマを一刀両断しまくっている。2018年以降、ペンネームを「MJブロンディ」から「永福ランプ」へ変更している。

 

安ド

元GetNavi編集部員で、現在ではフリーエディター。永福ランプを慕い「殿」と呼んでいる。

 

【今月のGODカー】トヨタ/アクア

SPEC【Z 2WD】●全長×全幅×全高:4050×1695×1485mm●車両重量:1130kg●パワーユニット:1.5Lエンジン+モーター●エンジン最高出力:91PS(67kW)/5500rpm●エンジン最大トルク:12.2kg-m(120Nm)/3800〜4800rpm●WLTCモード燃費:33.6km/L

198万(税込)〜259万8000円(税込)

 

先代より断然洗練されたデザインに加え、走りも燃費も高水準と死角なし

安ド「殿! 殿は先代アクアのオーナーでしたね!」

 

永福「うむ。ディーラーで一番に予約して新車を購入し、4年半乗った」

 

安ド「フェラーリ乗りで有名な殿がなぜアクアに? というのは、皆に言われたと思いますが、一体なぜですか?」

 

永福「10年前、私は“燃費”に燃えていた。プリウスより軽くて小さいアクアは、プリウスより燃費が良いはず。つまり世界一燃費が良いはずだ! と思って買ったのだ」

 

安ド「で、どうでした?」

 

永福「4年半の平均でリッター20kmほど。プリウスよりほんのわずか下だったようだ。その点は期待外れだったが、先代アクアは見かけによらずハンドリングが非常に良かった」

 

安ド「そういうイメージ、ないですよね!」

 

永福「世間的には、すごく平凡なクルマ、というイメージだったが、クルマは見かけによらないな」

 

安ド「で、新型はどうですか?」

 

永福「まったく弱点のない、素晴らしいクルマだ」

 

安ド「素晴らしいですか!」

 

永福「何よりもまず、デザインが良くなった。キープコンセプトだが、先代のアクアより数段洗練されている」

 

安ド「ヌメッとしてるけど、どことなく上品ですよね」

 

永福「写真ではわからないかもしれないが、実物はフランス車のようなエスプリがある」

 

安ド「走りも良いですね! きっと遅いんだろうと思って乗ったら、加速の反応が良いので驚きました」

 

永福「パワープラスモードに入れると、アクセルの反応がシャープになり、日産『ノート』のように、回生ブレーキも強くなる。つまり、アクセルだけでかなり速度をコントロールできるから、ブレーキを踏む回数が減るな」

 

安ド「あれは楽しいですね!」

 

永福「運転していると楽しいが、助手席では若干クルマ酔いしてしまった」

 

安ド「えっ!? 自動車評論家なのにクルマ酔いですか?」

 

永福「実は乗り物に弱いのだ。しかし燃費はスバラシイ!」

 

安ド「今度こそ世界一でしょうか?」

 

永福「いや、新型は『ヤリスハイブリッド』に負けているが、その差はわずかだ。気合の燃費アタックを行えば、リッター40km近くいくぞ」

 

安ド「さすがトヨタのハイブリッドカーですね!」

 

永福「EVよりもエコだ。しかもAC100V給電システムが標準装備されている」

 

安ド「キャンプで便利そうです!」

 

永福「私はキャンプはしない。使うとしたら災害による停電時だ」

 

安ド「車内で生活するんですか?」

 

永福「いや、アクアの車内から延長コードを伸ばして自宅に引き込み、冷蔵庫を稼働させるのだ」

 

安ド「なるほど! 食料をダメにせずに済みますね!」

 

【GOD PARTS 1】マルチインフォメーションディスプレイ

中央にドーンと構えたインテリアの象徴

インテリアの中心には、トヨタのコンパクトカーとしては初採用となる10.5インチの大型ディスプレイが鎮座しています。同ディスプレイを中心に操作系が並べられていてクリーンな印象です。

 

【GOD PARTS 2】ハイブリッドシステム

ヤリスと同様のシステムながら走りには違いが見られる

ヤリスハイブリッドとほぼ同じシステムを積んでいますが、車重が少々(約40kg)重いため、燃費は若干負けています。一方で重心は低く、ヤリスより走りに安定感があります。乗り心地もアクアのほうがしなやかで上質でした。

 

【GOD PARTS 3】アクセサリーコンセント

非常時には電池として活躍してくれる!

いつ大災害が起きてもおかしくない国ニッポン! ということで、国内専用車となるこのアクアには、停電などの際に家庭用電気製品が使えるAC100V電源が全車標準装備されています(1500Wまで使用可能)。

 

【GOD PARTS 4】バイポーラ型ニッケル水素電池

新型電池の採用はモーターにも良い影響を与える

従来はニッケル水素電池でしたが、新型アクアでは、不足気味のレアメタルをあまり使わずに作れるバイポーラ型のニッケル水素電池が採用されました。これにより出力が向上し、EV走行可能速度域も拡大されています。

 

【GOD PARTS 5】ボディカラー

ゴールドを除けば地味で大人向けの色味ばかり

新型では全9色がラインナップ。この「プラスゴールドメタリック」を除いて、だいぶ平凡なラインナップです。「アーバンカーキ」は素敵な色でしたが、やはり地味系。ヤリスと比べると、大人向けなクルマだからでしょうか。

 

【GOD PARTS 6】カラーヘッドアップディスプレイ

視線を逸らさずに運転できる便利な表示

新型は先代型のようなセンターメーターではなく、オーソドックスなメーターです。フロントガラスに各種情報が映し出されるヘッドアップディスプレイもオプションで選べます。

 

【GOD PARTS 7】快感ペダル

アクセルを緩めると減速する、日産同様のシステム

走行モードで「POWER+」を選択すると、アクセルペダルを緩めた際に回生ブレーキの減速感が強まります。エンジンブレーキのような感覚で、日産『ノートe-POWER』のワンペダルと同様のシステムですが、ノートより減速度は弱く、マイルドな味つけです。

 

【GOD PARTS 8】室内スペース

先代アクアと比べて前後に広くなった

ボディサイズをほとんど変えることなく、先代モデルよりホイールベース(前後タイヤ間の距離)を拡大したことで、ヤリスよりも広い室内空間を確保しています。特にリアシートの居住空間は広めで、足元も窮屈な感じはありません。

 

【GOD PARTS 9】アドバンスト パーク

手足を離したまま自動で駐車スペースへ

駐車が苦手な人にうれしい駐車支援システムがオプション設定されています。かつては高級車向け機能でしたが、これはアクアが小型車のなかでも上質なモデルということでしょう。動きは素早く正確で、実用的でした。

 

【これぞ感動の細部だ!】リアデザイン

まるでフランス車のような上質な雰囲気

初代アクアのデザインはいま思うとダサかったのですが、新型アクアはキープコンセプトながら、格段に洗練されました。ボディサイドは抑揚が増し、スピード感が強調されています。そしてリアまわりは、張り出したフェンダーと嫌味のないリアライト形状の組み合わせが、シンプルかつ知性を感じさせる仕上がり。見れば見るほど好きになる上質な雰囲気で、まるでフランス車のような趣が感じられます。

 

撮影/我妻慶一

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

 

九州最南端を走る「指宿枕崎線」−−究極のローカル線珍道中の巻

おもしろローカル線の旅74 〜〜JR指宿枕崎線(鹿児島県)〜〜

 

ようやく新型コロナウィルス感染症の状況も改善しつつあり、旅へも出やすくなってきた。本サイトでも1年ぶりに「おもしろローカル線の旅」を復活させたい。

 

復活最初に紹介するローカル線はJR九州の指宿枕崎線。鹿児島県薩摩半島の最南端を走る路線である。一部の駅は以前に訪れたことがあったものの、〝全線完乗”するのは初めて。途中で写真を撮っての旅となると相当の時間がかかった。一方で地元の人との触れ合いや、長時間にわたる暇つぶしも。やや“珍道中”となりつつも、記憶に残る旅となった。

 

【最南路線の旅①】意外!? 全線開業したのは太平洋戦争後だった

まずは指宿枕崎線の概要を見ておこう。路線の歴史はそれほど古くはない。意外にも全線が開業したのは太平洋戦争が終わって、かなりたってのことだった。枕崎市という遠洋漁業の基地があるにもかかわらず、路線の延伸はなかなか果たせなかったのである。

 

◆指宿枕崎線の概要

路線と距離 JR九州 指宿枕崎線/鹿児島中央駅〜枕崎駅87.8km
全線単線非電化
開業 1930(昭和5)年12月7日、西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)〜五位野駅間が開業、1936(昭和11)年3月25日に山川駅まで延伸開業。枕崎駅まで延伸開業は1963(昭和38)年10月31日のこと。この時に路線名を指宿枕崎線に変更。
駅数 36駅(起終点駅を含む)

 

↑指宿枕崎線の路線図。左上は昭和10年代、太平洋戦争前の薩摩半島の路線図。当時は山川駅までしか路線が通じていなかった

 

指宿枕崎線が全線開業したのは前回の東京オリンピックの前年にあたる1963(昭和38)年のこと。遠洋漁業の基地がある枕崎市という規模の大きい町がありながらである。

 

これには理由がある。鹿児島交通枕崎線という私鉄の路線が、すでに枕崎へ到達していたからである。枕崎線は、鹿児島本線の伊集院駅と枕崎駅を結ぶ49.6kmの路線だった。南薩鉄道という名前で路線を開業、1914(大正3)年4月1日に伊集院駅〜伊作駅間が開業、1931(昭和6)年に枕崎駅までの路線を延ばしている。ちなみに路線の途中、阿多駅から知覧駅(ちらんえき)を結ぶ知覧線という支線も設けられていた。

 

つまり、公営の指宿枕崎線の路線(一部開業当時は指宿線)が造り始められていたころ、すでに枕崎駅まで私鉄路線があったわけで、当時の鉄道省(国鉄の前身)としては何が何でも鉄道を延ばそうとはならなかったようである。

 

この鹿児島交通枕崎線だが今はない。1984(昭和59)年3月18日で全線が廃止されている。指宿枕崎線の全線が開業してから、20年後に起きた集中豪雨の影響で運休となり、その1年後に正式に路線廃止となっている。

 

【最南路線の旅②】西大山駅&完乗は計画的に動かないと難しい

指宿枕崎線を旅するにあたって、どのように乗れば効率的なのかプランニングしてみた。途中、JRの路線最南端にある駅、西大山駅へ降りて、そこで写真を少し撮ってから終点の枕崎駅を目指したいな、と考えた。

 

ところが、路線の途中にある喜入駅、さらに山川駅までは列車の本数が多いのだが、山川駅〜枕崎駅間は超閑散路線となる。西大山駅は山川駅から2つ先にある。ということは列車の本数が極端に少ない区間にあるわけだ。山川駅から先は日に7本、さらに終着の枕崎駅へ走っている列車となると6本になる。さらに日中ともなると2時間、3時間、列車がない時間帯がある。しかも午前中は枕崎駅着7時25分の1本しかないという具合なのである。

↑JR最南端の駅「西大山駅」。列車に乗ってこの駅を訪れ、さらに枕崎へ行こうとするとプランニングが大変であることが分かった

 

指宿枕崎線の始発列車は早い。朝4時47分、鹿児島中央駅発の列車がその日の一番列車となる。途中、山川駅での乗り換えがあるが、この列車を使えば7時25分に終着の枕崎駅へ到着することができる。

 

とはいえ、旅先では朝5時前の出発はつらい。さらに、この列車を利用しても、枕崎駅で折り返し列車の発車が7時35分で、駅での時間の余裕が10分しかない。もし、この7時35分の列車に乗らないと、次は13時20分までないのである。ということは始発で動くと、枕崎駅で5時間45分も待たなければならない。始発で終点まで行ってしまうと、枕崎駅で過ごす時間がほぼない。また、始発の列車に乗って西大山駅で途中下車しても、次の下り列車が5時間半も来ない。これはかなり厳しい。

 

そこで次のような行程で動くことにした。

鹿児島中央駅6時20分発→山川駅7時33分着→(他列車に乗り継ぎ)→山川駅7時36分発(西頴娃駅行き)→西大山駅7時48分着

 

さらにその先は、

西大山駅11時54分発→枕崎駅12時56分着(折り返し)、枕崎駅13時20分発→指宿駅14時44分着

 

これでも西大山駅で4時間ほどの空き時間が出てしまうのだが、まあそれは仕方がないと諦めた。午前中から動こうとするとこのプランしかひねり出せなかったのである。

 

【最南路線の旅③】鹿児島湾が見え始めるのは平川駅の先から

秋ともなると南国、鹿児島でも夜明けは遅い。旅をしたのは10月17日(日曜日)のこと。この日の日の出の時間は6時22分。指宿枕崎線の列車の発車時間6時20分とほぼ同時刻だった。列車はまだ暗い中、ディーゼルエンジン特有の音を奏でつつ鹿児島中央駅を発車した。

 

車両はJR九州の気動車キハ200系。鹿児島を走るキハ200系は黄色い塗装で、側面の「NANOHANA」(なのはな)と大きくロゴが入る。乗車した2両編成の座席はロングシート、片側3扉の近郊用気動車である。

↑指宿枕崎線の南鹿児島駅と鹿児島市電・谷山線の南鹿児島駅前停留場。この駅のみ指宿枕崎線と市電の乗り換えが便利な駅となっている

 

ロングシートで〝旅の気分〟はあまり高まらずだが、鹿児島中央駅〜山川駅は、このキハ200系(クロスシート車両もあり)で運行されることが多い。列車が走り出してしばらく、進行左手を鹿児島市電・谷山線の線路が近づいてくる。そして指宿枕崎線と平行して走るようになる。

 

指宿枕崎線の駅名と、この鹿児島市電の停留場名は複数が同じだ。同じだから乗り換えできるのだろうと思われそうだが、離れている駅が多いので注意したい。接続しているのは南鹿児島駅のみだ。

↑平川駅〜瀬々串駅間の海をバックにした指宿枕崎線の定番スポット。走るのはキハ200系。ラッシュ時は4両編成での運行も行われる

 

指宿枕崎線も鹿児島市内では、通勤路線の趣で高架線区間がある。ローカル線のイメージは薄い。旅情豊かなローカル線の趣が味わえるのは、鹿児島中央駅から8つめの平川駅付近からだ。平川駅を過ぎると、間もなく進行左手に鹿児島湾(錦江湾)が見え始めるようになる。ここからしばらくは海に付かず離れずの路線区間となる。

↑平川駅を過ぎてから鹿児島湾を眺める区間となる。走るのは特急「指宿のたまて箱」。同路線の名物観光列車となっている

 

指宿枕崎線の観光ポスターなどで使われる写真を撮影できるのが平川駅〜瀬々串駅(せせくしえき)間の歩道橋上にあるスポット。後ろに鹿児島湾が見え、南国らしい風景が見渡せる。筆者もだいぶこのあたりには通ったが、このスポット以外に背景に海を写し込める箇所がほぼない。山側から写すことが難しい路線区間でもある。よって、この定番スポットが観光用に使われることが多いのであろう。

 

対して指宿枕崎線の車内から見る鹿児島湾の美景は素晴らしい。つまり撮影者たちが苦労して撮る風景を、指宿枕崎線に乗れば誰もが楽しめてしまうというわけである。

 

【最南路線の旅④】指宿といえば温泉だが帰りに立ち寄ることに

朝6時20分発の山川駅行き。平川駅を過ぎ、鹿児島湾が左手に見え始める。ちょうど朝日が向かいの大隅半島方面から海を赤く染めつつ上ってきていた。そんな感動的な景色を眺めながら列車は進む。海上に大型船が数隻浮かぶのが見える。進行方向、左手先にはENEOS喜入基地の大きな石油タンクが見えてくる。基地の最寄り駅、喜入まではほぼ30分おきに列車が走っていて列車本数が多い区間だ。ここまでは鹿児島の郊外路線といった趣が強い。

 

喜入駅、前之浜駅を過ぎ、再び鹿児島湾沿いを走り始める。車窓から亜熱帯の植物も見られるようになり、より南国ムードが増していく。マングローブ樹種のメヒルギ群落の北限地も路線沿いにある。人工的に植えた亜熱帯の木々でない自然のままの南国の木々が、ここでは見ることができるわけだ。薩摩今和泉駅(さつまいまいずみえき)から指宿市となる。指宿市はこの沿線屈指の温泉郷で、全国から訪れる人も多い。

↑鹿児島中央駅〜指宿駅間を走る特急「指宿のたまて箱」。海側が白、山側が黒という水戸岡鋭治氏らしい思いきったデザインの列車だ

 

観光客の多くが乗車するのが特急「指宿のたまて箱」で鹿児島中央駅と指宿駅の間を1日に3往復走る。車内は鹿児島湾側が良く見えるような座席配置となっている。指宿は浦島太郎伝説の発祥の地でもあり、発着する駅では、列車から玉手箱から出るような白煙が立ち上る。そんな演出が楽しい人気の観光列車でもある。使われるのはキハ140形とキハ47形の組み合わせで、JR九州の列車デザインを多く手がけてきた水戸岡鋭治氏が作り上げた「水戸岡ワールド」全開といったD&S列車(デザイン&ストーリー列車)である。

 

さて、今回の指宿枕崎線の旅では、指宿に帰りに訪れることにしたものの、先に指宿の簡単な説明をしておきたい。指宿は日本屈指の温泉町だ。駅前にも屋根付きで広めの足湯があり、温泉の良さを気軽に楽しむことができる。市内には温泉宿がふんだんにあるほか、駅近くにも日帰り温泉や、銭湯があり、宿泊せずとも温泉が楽しめる。

↑指宿駅の目の前にある足湯。こちらでのんびりと温泉気分を楽しむ人も多い

 

さらに、指宿ならではの温泉の楽しみ方といえば「砂むし」。温泉の蒸気で熱せられた砂の上に寝て、スタッフに砂をかけてもらう。10分も入れば、汗が吹き出してくる。浴衣を着て楽しむ天然サウナなのであるが、サウナとは違うのは、砂に包まれて横になってリラックスできること。生き返ったような、また天に舞い上がるような感触が楽しめる。山川にも砂むしがあるので、時間に余裕がある時は楽しんでみてはいかがだろう。

 

温泉の楽しみは次の機会にして、今回はローカル線の完乗で1日をまとめることにする。

 

【最南路線の旅⑤】早朝に山川駅で乗り換え西大山駅を目指した

指宿駅の一つ先の駅が山川駅だ。進行左手に山川港が見えてきてまもなく同列車の終点、山川駅に到着した。ちなみに、山川駅はJRの路線では最南端の有人駅でもある(ただし全時間が有人ではなく、時間・曜日限定ではあるのだが)。

 

乗った列車は山川駅の駅舎側の1番線ホームに到着、2番線ホームにすでにキハ40系1両が停車していた。到着してから3分後、山川駅発の西頴娃駅(にしえいえき)行き列車となって出発する。乗り換えは地上の構内踏切を渡ればすぐなので、手間いらずだが、何ともこのあたり慌ただしい。また興味深い車両の変更である。

↑鹿児島中央駅から山川駅まで乗車したキハ200系(右側)。山川駅から西大山駅までは左のキハ40系に乗り継いだ

 

キハ200系は2両で運行、そして乗り継ぐキハ40系は1両での運行となる。要はこの先の区間は乗車する人がそれだけ減るということなのだろう。でも他に理由があるのではと推測したのだが、そのあたりの話はのちほど。

 

筆者が乗車したのは日曜日のせいか乗客が少なく、地元の利用者は皆無だった。観光客が数人、残りは〝乗り鉄〟といった具合だった。少なめの乗客を乗せて走り始める。キハ200系よりも、古い国鉄時代生まれのキハ40系。次の大山駅の手前には勾配区間があり、ディーゼルエンジンを高らかに奏でながらゆっくり勾配を登っていく。車両の必死さが伝わってくるようだ。それでもスピードは上がらず……。このあたり鉄道好きにとって、たまらなく楽しいところでもある。

 

大山駅を過ぎると、畑地が見渡す限り広がるようになる。そして朝の7時48分、この日の最初の目的地、西大山駅に到着した。

↑西大山駅を入口から見る。小さな入口の階段と屋根が一つ。対して駐車場は広い。案内板にはPRと注意事項がかかれていた

 

西大山駅はJR最南端の駅で、ホームに「JR日本最南端の駅」という標柱が立っている。鉄道最南端の駅というと、現在は沖縄県の沖縄都市モノレール線の赤嶺駅となるのだが、2本レールの鉄道ならば、ここが正真正銘の最南端の駅と言って良いだろう。

 

筆者は西大山駅に訪れたのは3回目だったが、列車で来たのは今回が初めてだった。車ならば、鹿児島市から1時間ちょっとの距離。ところが列車を使うと1時間30分〜50分かかる。この先に行こうとなるとさらに大変だ。

 

駅前には大きな駐車場がある。列車利用の人向けではなく車利用の観光客向けのものだ。多くの人が薩摩半島を巡るドライブの一つの目的地として西大山駅を訪れて〝最果て感〟を楽しむ。さらに魅力なのが、ホームの先から秀麗な開聞岳が望めることであろう。この開聞岳が、同駅のアクセントにもなっている。美景がなければ、ここまで観光客に人気にはならなかったように思う。

↑西大山駅前には土産物屋(右上)がある。ここでは地元マンゴー商品が人気。指宿観光協会が発行する「駅到着証明書」も販売されている

 

さて、西大山駅へ降りたのはいいのだが、次に乗る枕崎駅行きの列車は4時間待ちになる。何をして過ごそうか、とても悩んでしまうのであった。

 

【最南路線の旅⑥】これぞ正真正銘の日本最南端の踏切へ

4時間の合間に、まずは2本の上り列車を撮影することにした。8時36分と、9時11分の2本が西大山駅へ到着する。どこで撮るかを悩みつつ選んだのが、西大山駅の西側にある西大山踏切という遮断機付きの踏切。この踏切は正真正銘、日本の鉄道最南端の踏切となる。

↑日本最南端の踏切となる西大山踏切をキハ40系が通過する。背景に開聞岳が望める立地だ。やや雑草が多いことが難点だった

 

もう一か所は、西大山駅の東側にある中学校踏切付近。ここから開聞岳を背景に走る列車を撮影してみた。中学校の名がつく踏切だが、現在、付近には中学校がない。昔あったことからこの名がついたのであろう。よく知られている撮影地としては、他に駅の東側、徒歩20分のところに県道242号の大山跨線橋がある。青春18きっぷの2010年夏用ポスターがここで撮影された。スケール感のある景色が魅力だが、こちらは開聞岳側に歩道がなく、危険と隣り合わせのため、あまりお勧めできない。

 

さて、中学校踏切の横から撮った開聞岳が下記の写真。撮ってはみたものの、西大山駅の上に電柱と電線があって今ひとつだなと思った。

↑中学校踏切(左上)から撮影した開聞岳とキハ40系。右下に西大山駅がある。電信柱がかなり気になる場所だった

 

とはいえ、先の西大山踏切が日本最南端の踏切ならば、この中学校踏切は日本で2位となる南にある踏切ということで、記憶には残るように思った。

 

【最南路線の旅⑦】次の列車までの4時間空きはさすがに辛い

2本目の上り列車が9時11分に通りすぎ、次の枕崎駅への下り列車の発車は11時54分と時間が大きく空いてしまった。さてどうしたら良いのだろう。

 

まずは西大山駅前の土産物店で、指宿名物のマンゴープリンとマンゴーサイダーを店内でいただいた。さらに指宿観光協会が発行しているJR日本最南端の「駅到着証明書」を購入。同土産物店にはトイレもあるので、休憩に最適だ。ただ、店の人たちと会話をしつつも、小一時間の滞在時間が精いっぱい。とりあえず動こうと、店を出たのだった。

 

向かったのは西大山駅の一つ先の薩摩川尻駅(さつまかわしりえき)。地図で調べてみると、距離にして1.6km、約20分で着けるとあって、ちょうど暇つぶしには最適だなと思って歩き出した。

↑西大山駅から隣の薩摩川尻駅まで歩く途中に出会った光景。広々した畑と美しい開聞岳の組み合わせが絵になった

 

西大山駅から薩摩川尻駅まで歩いたのは正解だった。前述した西大山踏切から畑の中に伸びる道をのんびりと歩く。畑には整然とキャベツが植えられ、その畑ごしに海が見えた。歩くにつれ、畑の先にそびえる開聞岳がよりきれいに見えるようになる。何ともすがすがしい光景に出会ったのだった。とはいっても、のんびり歩いても、30分ほどで隣の駅の薩摩川尻駅に着いてしまった。

 

西大山駅がJR最南端駅ならば、この薩摩川尻駅がJRで2番目の南の駅となる。ただ、何もない駅なので、観光客は皆無だった。2番目というのはそれほど魅力にはならないようだ。また、薩摩川尻駅からは、近いにもかかわらず開聞岳があまり見えない。美景が見えたら、観光客も訪れるのだろうが。

 

ちなみに、指宿市川尻という大きな町が駅から2kmほど南、太平洋に面した場所にあり、この地名から駅名が付けられたと推測される。とはいえ、川尻の人は指宿枕崎線を使わず、ほぼ100%が車利用となるようだ。駅に隣接する踏切を通る車はそれなりにあるのだが、駅にいる人は皆無だった。これから1時間半、列車が来るまでどうしたら良いのだろう。

↑JRで2番目に南にある薩摩川尻駅。指宿市川尻から遠いため利用者はほぼいない。なぜかきれいな電話ボックスが設けられていた

 

仕方なく駅のベンチに座って、しばらくうたた寝。朝早く起きた眠気を取り去る。それでも時間がもたずに駅付近をぶらぶら。軌道用の重機が置かれていたり、人がいない駅なのにきれいな電話ボックスがあったり、ちょっと不思議な駅でもあった。そんな時に農家の男性が通りかかった。

 

駅の裏手にあるハウスで野菜づくりをしている方だった。日中、この駅で列車待ちをする人はほとんどいないそうだ。利用は朝夕に乗降する学生ぐらいなのだろう。

 

この日は日曜日だったので、「仕事はいいんだ」と長い間、世間話に熱中してしまう。いろいろ話をするうちに、薩摩半島のこのあたりは「意外に雨が降らない」と聞いた。それでも山の上に池田湖があって、この付近は水不足にならないそうだ。九州はここ数年、集中豪雨の被害にあった地区も多い。同じ鹿児島県、隣県の宮崎県を走る日南線が、豪雨災害のため運休となっている。ただ、夏はかなり暑い地区だそうで、「このあたりでは、夏は北海道へ行って、向こうで野菜づくりをする人がいるね。で、冬はこちらに戻ってきて野菜をつくるんだ」そうだ。

 

冬でも温暖な気候の薩摩半島の夏はさすがに暑い。一方、北海道では冬には農作業はできない。日本列島の南北を行き来するという思いきったことをする農家の人たちが出現していることを初めて知った。そんな会話を楽しんでいるうちに時間が過ぎていく。暇だったものの、男性の出現で有効な時が過ごせたのだった。

 

【最南路線の旅⑧】南の路線は線路端の草木の勢いが半端ない

薩摩川尻駅11時56分、ようやく枕崎駅行き列車が到着する。今度はキハ47形が2両編成だ。1両だけでなく、2両という編成での運行もある。ただし、山川駅〜枕崎駅間は、ほぼキハ40系の国鉄形気動車一色となる。鉄道ファンにとってはうれしい列車なのだが……。

 

古い車両がなぜ使われるのだろうか。もちろん、利用者が少ないということが一つの理由ではある。加えて、他の路線ではあまり見かけない光景がこの指宿枕崎線では繰り広げられていたのである。

 

南国のせいなのか、左右の草木の伸び方が並みではないのである。もちろん、鉄道敷地内の草刈りは、JR九州の手で行われているようだ。だが、敷地の外の草木となると、著しく運行を妨げる枝以外は切ることができないのが実情のようだ。薩摩川尻駅に次のような貼り紙にあった。

 

JR九州からのお願いとして、「線路側に木が倒れないように管理をお願いします」。貼り紙には特急「指宿のたまて箱」に倒木があたり、正面の運転席のガラス窓が破損した時の写真が掲載されている。

 

「倒木により当社に損害が発生していれば、賠償請求をする場合がございます。線路のそばで木を切る際は事前にJR九州に連絡をお願いします。伐採中に線路側へ木が倒れると列車の運行に支障をきたします」とあった。

↑草木に囲まれるようにして走る指宿枕崎線のキハ40系。車体に右下のように、草が絡みついて走る姿も、ここでは当たり前のよう

 

このような貼り紙を鉄道路線で見たのは初めてだった。倒木にまで至るトラブルは極端な例ながら、左右両側から想像を絶するほどの草木が張り出していた。その張り出し方は乗車していても良く分かる。

 

途中、外気が気持ちよかったので、ガラス窓を少し開けておいた。その開いた窓から草木が入る。〝ビシッ〟〝バシッ〟と窓ワクを叩く音とともに、油断すると入ってくる草木に腕を擦られることに。この路線に限っては、窓開けには注意が必要なことがよく分かった。当然ながら車両も草木が擦りつけられることによって、多くの傷がつくことになるのだろう。頑丈な車体を持つキハ40系が使われる理由の一つになっているのかも知れない。

↑枕崎駅が近づくにつれ、先ほどまで間近に見えていた開聞岳が遠くなっていく

 

薩摩川尻駅から乗車したキハ47形の車窓からは、開聞岳はそそり立つように見える。東開聞駅、開聞駅を過ぎると、開聞岳は徐々に左手後方に遠ざかり小さくなっていく。

 

入野駅から先は、進行方向の左手、やや遠めながら東シナ海が見えるようになる。頴娃駅、西頴娃駅と難読駅名が続く。ちなみに頴娃駅はローマ字ならば「ei」。2文字は国内では「津駅」に次ぐ短い駅名だ。

 

指宿枕崎線の列車は進行左手に海と集落を、右手に丘陵地を眺めつつ進む。

 

【最南路線の旅⑨】終着駅の枕崎での滞在時間は24分のみに

枕崎駅への到着は12時56分、乗車した列車は鹿児島中央駅からの直通列車だったが、2時間54分かかった。朝6時20分に鹿児島中央駅を出た筆者にとっては、途中下車し、余計な時間を過ごしたものの合計6時間36分かけての終着駅・枕崎駅への到着となった。

↑指宿枕崎線の終点、枕崎駅。車止めの横には記念撮影用のデッキも設けられ、カメラ置台(右下)も用意されている

 

枕崎駅はJR最南端の始発・終着駅となる。そんな枕崎駅まで乗車してきたのは、ほとんどが鉄道ファンという状況だった。3時間近く、のんびりローカル線に乗るというのは、一般の人ならば苦痛を伴うかも知れないが、鉄道ファンにとっては至福の時となるようである。

 

そして大半が24分後に折り返す列車に乗ろうとしているようだった。多くが、最南端終着駅に関わる関連施設の撮影に大わらわだった。筆者の場合は、街中に残る鹿児島交通枕崎線の路線跡を探そうと歩き回った。

↑枕崎駅前の「本土最南端の始発・終着駅」の案内。後ろには「かつお節行商の像」が立つ。行商によって枕崎のかつお節の名が広まった

 

さて、駅に戻ると駅前に立つ案内に目が引きつけられる。そこには「本土最南端の始発・終着駅」とあり、宗谷本線稚内駅から3099.5km、最北端から南に延びる線路はここが終点です、とあった。

 

稚内駅からこの駅まで乗り継いで旅する人がいたとしたら、枕崎駅に到着した時は感慨ひとしおだろう。筆者もゆくゆくは、最北端の稚内駅、最東端の根室本線東根室駅を目指してみたいなと思うのだった。

 

ちなみに、鹿児島中央駅と枕崎駅間にはバスが走っている。所要時間は1時間20分〜2時間弱の距離だ。本数も1日に9往復走っている。他に鹿児島空港との間にもバス便(1日に8往復)が出ている。このバス便の便利さを知ってしまうと、指宿枕崎線を枕崎駅まで乗る人があまりいない理由が分かる。言葉は悪いものの〝物好き〟しか完乗しない路線だったのである。

↑枕崎駅の北には鹿児島交通枕崎線の線路跡が残る。右は観光案内所の横に立つ灯台の形をした日本最南端始発・終着駅のモニュメント

 

発売日が待ち遠おしい! 中型二輪免許で乗れるロイヤルエンフィールド「メテオ350」!

バイクブランドの名門「Royal Enfield(ロイヤルエンフィールド)」は10月13日、クルーザーモデル「Meteor 350(メテオ350)」を日本市場に導入すると発表しました。発売日は今のところ未定ですが、グレード構成は3グレードで、価格は59万6200円~62万2600円(税込)になります。

 

モーターサイクル専用のナビゲーション「Tripper」を初導入

ロイヤルエンフィールドは、最初のモーターサイクルを製造するメーカーとして、1901年に英国で誕生した世界最古のモーターサイクル・ブランドです。現在はインドの自動車メーカー、アイシャー・モーターズの一部門となっていますが、インドとイギリスに設計・開発を行うテクニカルセンターを構え、生産拠点は南インドに2か所。年間の生産台数は約70万台に達し、世界60か国以上に790以上の販売拠点で展開中です。日本でもPCIが輸入総代理店契約となって15店舗で販売を行っています。

↑ロイヤルエンフィールドは1901年、英国で誕生した最古参の2輪メーカー。現在は生産拠点をインドに移している

 

↑英国ブランティングソープにあるロイヤルエンフィールドのテクニカルセンター。取り扱う製品ラインアップは単気筒もしくは2気筒の250~750ccという中排気量~大排気量車が中心

 

↑アジアでは日本だけでなく韓国やタイ、オーストラリア、ニュージーランドなどで展開中

 

そのロイヤルエンフィールドが新たに日本で展開するのが、メテオ350です。このモデルのエンジンはロングストロークのSOHC単気筒エンジンの349cc。日本に導入されているロイヤルエンフィールドで唯一の中型(普通)免許で運転できるモデルとなります。

↑日本市場向けにローンチされるロイヤルエンフィールド・メテオ350。写真は海外仕様

 

↑ロイヤルエンフィールド・メテオ350のもっともベーシックな「ファイヤーボール」。写真は海外仕様

 

太い低速トルクによるスムーズな扱いやすさと電子制御式フューエルインジェクション用による安定したフィーリングを合わせ持ち、765mmという低めのシートから生まれるライディングポジションはより多くの人が気軽に乗れる「イージーさ」を実現。その一方でロイヤルエンフィールドらしい鼓動感も維持。“中型二輪免許で乗れる外国車”として魅力たっぷりの一台に仕上がっているとしています。

↑メテオ350はシートを765mmと低めに設定したことで多くの人が気軽に乗れるライディングポジションを生み出した

 

ロイヤルエンフィールドとしては初めて、モーターサイクル用のナビゲーションを搭載したのも大きな特徴です。同システムは「Royal Enfield Tripper(ロイヤルエンフィールドトリッパ―)」と名付けられ、Google マップをベースとしたナビゲーション機能を活用します。スマホにインストールしたオリジナルアプリをBluetoothで連携させることで、メーター右側にあるディスプレイ上でターンbyターンのガイドを実現しているのです。

↑メテオ350のメーターパネル。右側がナビゲーション機能を司る「Tripper」

 

↑TripperではスマホとBluetooth接続することで“ターンbyターン”のガイドが受けられる

 

ラインナップは3グレード。長距離から市街地走行まで最適な走りが楽しめる

ラインナップされた3グレード中、もっともベーシックなのが「ファイヤーボール(FIREBALL=火球)」で、燃料タンクを単色としてマフラー/フェンダー/サイドカバーをブラックで仕上げ、さらにホイールリムを車体と同色にしています。価格は59万6200円(税込)。

↑メテオ350・ファイヤーボール

 

ミドルグレードの「ステラ」は、カラーリングを統一したタンクとボディパーツ、クローム仕上げのハンドルバーとエグゾーストで身をまとい、リアには快適なバックレスト(シーシーバー)を装備しました。価格は、60万8300円(税込)。

↑メテオ350・ステラ

 

最上級の「スーパーノヴァ(SUPERNOVA=超新星)」は、ステラの装備に加えてブラックとのツートーンで統一されたタンクとボディパーツを施し、削り出しのホイールやプレミアムシート、バックレストとウインドスクリーンを装備します。価格は、62万2600円(税込)。

↑メテオ350・スーパーノヴァ<フロント>

 

↑メテオ350・スーパーノヴァ<リア>

 

メテオ350の日本導入に際し、アイシャー・モーターズのマネージング・ディレクターのシッダールタ・ラル氏は、「これまで我々は、経験豊富なライダーだけでなく、バイク初心者にも素晴らしいクルージング体験を提供できるモーターサイクルを開発しようとと考えていました。メテオ350はまさにそれを体現したモデルで、長距離のツーリングから市街地走行まで最適な走りが楽しめるモデルとなっています」とコメントしました。

 

日本の二輪市場は、コロナ禍による「三密」を避けようと公共交通機関に代わる通勤や通学の移動手段として販売が好調です。一方で趣味性の高いリベンジ需要として熟年世代による輸入車など高級モーターサイクルの販売も堅調とも伝えられています。これまでロイヤルエンフィールドは大型二輪免許でなければ乗れない大型モデルだけをラインナップしていましたが、メテオ350の投入により新たなロイヤルエンフィールドのユーザーを広げるのは間違いでしょう。

 

 

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高齢者が危ない!「踏切」で〝もしも〟に出会ったら?

〜〜高齢化社会でより切実になる踏切問題を考える〜〜

 

先日、筆者は東京都内の踏切で閉まった遮断機の中に高齢の男性が取り残される場面に出くわした。まさに踏切で出会った危険な状況そのものだった。こうしたトラブルに直面したらどうしたら良いのだろう。

 

今回は踏切事故やトラブルの現状や、対応方法などを見ていきたい。

 

【踏切トラブル①】踏切での死亡事故の約4割が高齢者という現実

まずは、踏切事故の件数と死傷者数(歩行者)を見ておこう。国土交通省の資料によると、1998(平成10)年に踏切事故は487件あったが、20年後の2018(平成30)には247件と約半分に減っている。負傷者数も179人から64人に減った。ただし、思うように減らないのが死者数だ。130人が97人に減少したものの、負傷者数に比べて顕著な減少傾向を示していない。

 

2015(平成25)年度の国土交通省資料よれば、死亡した歩行者数のうち約4割を65歳以上の高齢者が占めている。なぜ高齢者が占める割合が多いのだろう?

↑ある踏切でみかけた光景。遮断機が閉まり始めてからの横断は危険だ。踏切事故の原因の半分近くが「直前横断」となっている

 

国も実態の把握につとめ、防止対策に乗り出しつつある。やや前のものになるが2015(平成27)年10月に国土交通省がまとめた資料「高齢者等による踏切事故防止対策検討会」のポイントを見ていこう。

 

踏切事故の死亡者は資料をまとめた年には93人で、そのうち73%が歩行者で、さらに歩行者の40%が65歳以上の高齢者が占めている。踏切で起きた高齢者のトラブルの例を見ると、

 

・歩行速度が遅いため取り残されてしまった。

・列車通過の風圧により転倒して取り残された。

・カートを押して横断中、転倒して取り残された。

・踏切道の縁の段差で足を取られ転倒、取り残された。

・降下中の遮断かん(遮断機に取り付けられた黄色と黒色の棒)にあたり転倒、取り残された。

 

といった事例が報告されている。踏切内に取り残される、転倒したという例が目立つ。これらは、みな現場に居合わせた通行人らに助けられた事例をまとめたものだが、もしものことを考えるとぞっとする。

 

同検討会では事故原因の分析として次のようにまとめている。上記と重複する箇所もあるが念のため取りあげておこう。

 

①踏切道を渡りきれず取り残される原因として、1)歩行速度が遅い。2)踏切道内の段差や、レールと路面との隙間に歩行者の足やシルバーカーの車輪等がひっかかり転倒。3)歩道がない踏切では自動車とすれ違いが難しく歩行を中止してしまう。

②遮断かんに阻まれて踏切道から出ることができない原因として、遮断かんを持ち上げることや、くぐることができない。

③警報機鳴動後に踏切道に進入する原因として、警報機が見えづらい等により踏切を認識できない可能性。

 

という具体例を3つあげている。ちなみに①の歩行速度だが、一般的な歩行速度を秒速1.3mとして計算されている。警報が鳴り始め、遮断機が下りて、外に出ることができる時間は、歩行速度から算出されている。しかし、成人の場合にはこのスピードで問題にならないだろうが、歩くのが困難な高齢者には、ちょっとつらい時間と言えそうだ。

 

踏切に取り残される原因には、こうしたスピードについていけなくなったこともあげられるだろう。

 

【踏切トラブル②】遮断かんは大人の力で簡単に持ち上がる

先の資料「高齢者等による踏切事故防止対策検討会」のトラブル例では多くの高齢者が、ちょうど居合わせた歩行者により、遮断かんが持ち上げられて、踏切の外に助け出されたとある。この遮断かんの機能を見ておこう。

 

遮断かんは、大人の力であればラクに持ち上げることができる。なぜラクに持ち上げることができるのだろう。

↑遮断かんの付け根には、遮断かん折損防止器という機器がついていて、車の接触などに対応できるような仕組みになっている

 

遮断かんと、遮断かんを下げたりあげたりする四角い箱(正式には「電気踏切遮断機」という)の間には、遮断かん折損防止器という〝機器〟が付いている。この機器がついていることで、遮断かんの動きは適度な融通性が保たれ、車の接触などに対応できる。また上に持ちあげて高齢者を外に出すといったことも可能になっている。

↑遮断かんを良くみると中間部がややしなっているように見える。ジョイントがここにあり、ラクに屈折できる構造となっている

 

さらに遮断かんの中間部にジョイントを設けて、屈折できる構造となっている踏切もある。もし踏切内に取り残された高齢者がいたら、助け出すのに可能な時間さえあれば、遮断かんを上げて外に出るようにサポートしたい。また踏切内のクルマが立ち往生してしまった時には、焦らず遮断かんにボディが当たってでも外に出るようにしたい。

 

ただし、せっぱ詰まった状況だと判断したら、非常ボタンを押すことが肝心になる。

 

【関連記事】
「踏切」は着実に進化していた!! 意外に知らない「踏切」の豆知識

 

【踏切トラブル③】いざという時は非常ボタンを押す決断が必要

踏切に付く非常ボタンのことを簡単に説明しておこう。非常ボタンの正式名は踏切支障報知装置で、ボタンはその操作器となる。

↑ほとんどの踏切に設けられている非常ボタン。もしもの時には躊躇なく押して非常を知らせたい。もちろんいたずらはご法度だ

 

非常ボタンを押すとただちに走行している列車に緊急信号が送られ、列車は急停車する。避けられそうにないと感じたならば非常ボタンは躊躇なく押すべきであろう。

 

ただし、非常ボタンは一般の人には、解除操作ができない。

 

筆者が目撃した例を見ておこう。京王線のカーブにある駅で電車待ちをしていた時のこと。車高の低いクルマが駅そばの踏切内で底を擦り、立ち往生してしまった。その時に非常ボタンが押されて、駅に近づいてきた通過電車が急停車して事故を防ぐことができた。その時に、ホームの詰め所で安全を確認しているスタッフが、踏切に駆けつけてボタンを解除した。非常ボタンが押されると、こうした解除作業が必要になる。

 

【踏切トラブル④】高齢者が踏切内に残されるトラブルに出会う

筆者は仕事柄、鉄道沿線を歩くことが多い。また最近、子ども向けに踏切の本(後述)を作ったこともあり、踏切の写真を撮ることが多くなっていた。そんな筆者が、高齢者が踏切内に取り残されるというトラブルに出会った。

 

ここ2年間に2件、そうしたトラブルに遭遇している。多いか少ないかはさておき、とっさの判断が大切なように感じた。その状況を見ておこう。

↑筆者が出会った高齢者の踏切内に取り残された時の例。2例とも遮断機の閉まった状態で、踏切内に取り残されてしまっていた

 

トラブル時の様子が分かりやすいように鉄道模型の踏切で再現してみた。

 

◆東武亀戸線で出会った事例

まずは東武亀戸線のある踏切で出会った例から。筆者が踏切を渡って間もなく遮断機が閉まった。すると踏切近くで工事を行う職人さんたちが騒ぎ始めた。振り返ると、筆者が立つ位置とは逆側に踏切を渡りきれずに立ち往生している年配の男性がいた。

 

閉まった遮断かんを前にして、外に出ることができない状態になっていた。同区間は複線区間で、男性が立つ側と反対側に電車がさしかかっていた。非常ボタンは押されなかったのだが、運転士が踏切内に残された男性を確認したのだろう。電車は踏切手前で急停車。運転士が降りてきて、男性を遮断かんの外に出して事無きを得たのだった。

 

◆京王井の頭線で出会った事例

京王井の頭線で出会った事例は、ごく最近のことである。この日、筆者は車で近くへ出かけ、その帰り道でのことだった。踏切が閉まり、自らの車も踏切の手前2台目の位置で停車。前を見ると、高齢の男性が遮断かんの内側、線路側に立っているではないか。非常に危険な立ち位置だった。

 

誰も動こうとしないので、筆者は車のギアをパーキングにし、サイドブレーキをかけて、念のためハザードランプを点滅させ車を降り、男性のところに近寄った。遮断かんのすぐ前に立っていたので、腕をとって「おじいさん、そこは危ないから外に出ましょうね」と遮断かんを上に少し持ちあげ、下をくぐらせて外に出した。

 

遮断かんとレールの間の距離は2〜3m。電車の車体はレール幅よりも広いから、遮断かんぎりぎりの場所に立っているとはいえ、中は危険だ。さらに通過時に巻き起こる風で転倒する可能性もある。

 

もし言うことを聞いてもらえないようであれば、非常ボタンを押さなければいけないだろうな、と覚悟しつつ、とっさにこうした行動を取ることができた。

 

資料「高齢者等による踏切事故防止対策検討会」で記されていた例を間近で体験してしまい、微力ではあるがお役に立つことができた。

 

【踏切トラブル⑤】いろいろな策が講じられているものの…

先に取り上げた「高齢者等による踏切事故防止対策検討会」ではどのような対策が有効とされているのだろうか。

 

①「踏切を渡りきれない」対応策

複線など線路が数本ある踏切は、渡る距離が当然のように長くなる。そこでレールとレールの間に遮断機で遮られた「避難場所」を設けてはどうだろう、と提言している。ただ、これは設備費用がかかりそうな解決策である。

 

②「踏切の構造上の問題で転倒」を防ぐ対策

踏切道内を平滑化(連接軌道化等)し、段差を解消することを検討。またレールと路面との隙間を緩衝材等で埋めることを検討してみては、としている。

 

③「歩道がない踏切ですれ違いできず歩行を中止」への対策

これに対しては歩道部分を拡幅して、歩車道の分離を検討しては、としている。

 

①〜③はいずれも設備費用が必要となる。特に①と③は大規模な工事が必要となるので、鉄道会社、または地域を含めた協力体制が必要となりそうだ。

 

④「遮断かんを持ち上げる、またはくぐれない」対策

歩行者の脱出が容易となる遮断かんの設置を検討しては、としている。この対策は前述したように「遮断かん折損防止器」が多くの踏切に装着され、大人の力ならば無理なく持ち上げられる。また遮断かんの中間部にジョイントを設けて、屈折しやすい構造となっている踏切も多い。

 

こうした装置をそれぞれの踏切が備えていることは、あまり良く知られていない。一般の人にこうした装置がついていることを知らせるPR活動こそ有効であろう。多くの人が知らずに、手をこまねいてしまっているのが現状のように感じている。

 

⑤「警報機鳴動後に踏切道に進入」への対策

警報が鳴っているのに入ってしまう人への対策は、警報機(警報灯)を低い位置に増設すること、また全方位警報機(赤色せん光灯)を設置することを検討しては、としている。この面でも踏切の機器は急速に進化している。

 

これまでは片側一方向のみ赤いランプが点灯する仕掛けの警報灯が多かった。ところが、ここ10数年で急速に導入が進められているのが全方向型だ。これならば周囲360度から確認でき、確認する角度を問わない利点がある。身長が低い子どもたちや、かがんで歩きがちな高齢者も、少し見上げれば点滅を確認できそうである。

↑多くの鉄道会社の踏切に導入されるようになった全方向型の警報灯。左下のように丸いタイプが使われる踏切も多くなった

 

【関連記事】
進化する踏切!? 全方向踏切警報灯シェアNo.1の「保安機器メーカーを探訪する

↑一方向のみの警報灯の場合、踏切に面した道路すべての方向に装着する必要があり、全方向型に比べると割高になる

 

全方向型の警報灯が生み出され、また設置されて以降、遮断かんの折損トラブルがかなり減ったそうだ。つまり、一方向のみの警報灯であると、点滅の確認が遅くなりがちで、気付かずうっかり踏切内に入ってしまう車や人も多かった。大型車の荷台に遮断かんが引っかかり折れてしまうというトラブルも起こりがちだったそうである。

 

ほかに「高齢者等による踏切事故防止対策検討会」では、警報器に気が付かない高齢者への対策として、見やすく、分かりやすい看板の設置や、路面の表示を検討してはどうだろう、としている。

↑遮断かんが折れてしまった例。遮断機が閉まりかけた時に大型車が通ると、こうして折れ曲がってしまうこともある

 

【踏切トラブル⑥】障害検知器は非常に優れたシステムなのだが

⑥「踏切道に取り残された高齢者等を救済する方策」は?

多方向から分かる場所への「非常ボタン」の設置と、検知能力の高い「障害物検知装置」の設置の検討を提言している。

 

「非常ボタン」はそのとおりであろう。これは多くの踏切にすでに装着されている。あとは危機を察知し、いかに早くボタンを押してもらうかになるであろう。タイミングを逃してしまった場合には、近づいてきた列車が急ブレーキをかけても止まれないことがある。

 

「障害物検知装置」はすでに多くの踏切で設置されている。「障害物検知装置」は大きくわけて2タイプある。踏切の左右に銀色の棒が立っているが、こちらを「光電式障害物検知装置」と呼ぶ。この装置を取り付けた踏切が多い。左右に立つ装置が対になっていて、その間を結ぶ光が遮られることにより、取り残された車などを確認して、踏切内に障害物があることを走る電車に伝えている。

 

ただし、光電式障害物検知装置は、車など大きなものは障害物であることを感知できるが、踏切内に立ち止まる歩行者の検知が難しい。

↑光電式の障害物検知装置(左上)は踏切内の障害の有無を検知する。感度のよい三次元のレーザーレーダー方式の導入も進められている

 

そこでより感知能力の高い三次元レーザー方式も開発され、これを設置している踏切も増えている。ただし感知能力が高い同装置を使い、検知範囲を広げてしまうと、小動物や風によって飛ばされた飛来物も障害物として認識してしまうことがあるとされる。踏切内に残された高齢者や、車などの障害物だけならば良いのだが、精度が高いと余計なものを感知してしまい、無用な輸送障害を出してしまうこともある。このあたりが難しいポイントでもある。うまく人や車といった障害物のみを感知できれば、ベストなのだろうが。

 

【踏切トラブル⑦】踏切事故ゼロにするには高架化しかない?

「高齢者等による踏切事故防止対策検討会」では他に踏切を渡らなくて良いように迂回路の設置を提言している。例えば地下道を設けて、地上とエレベーターで結ぶ迂回路の設置だ。もちろんこのような迂回路を設置するには設置費用が必要になる。〝開かずの踏切〟ではこうした迂回路も有効に思える。とはいえ歩行者が面倒がらずに迂回路を使うかどうかは、疑問でもある。

 

いま首都圏の私鉄路線の多くで、複数の踏切をなくすべく、高架化工事が進められている。高架化したら、踏切は完全になくなるわけで、それだけ危険性は減ることは確かだ。とはいえ時間がかかる。膨大な予算がかかる。鉄道会社はもちろん、自治体と協力しての大規模な工事が必要となる。いずれにしても、高齢者の踏切事故防止は、一般の人たちの理解とともに、PR活動も大事になる。

↑東武鉄道の竹の塚駅付近の高架化工事は現在、急行線の高架化が完了、残すは緩行線の高架化を残すのみとなっている

 

【踏切トラブル⑧】事故の確率がやや高い第4種踏切とは?

ここまで見てきた踏切事故および踏切対策は、ほとんどが遮断機付き踏切で起きたもの。高齢者にとってはもっと危ない踏切が、少なからず残されている。

 

踏切には4つのタイプがある。まず全国的に多いのが遮断機付きの踏切で「第1種踏切」に分類されている。「第3種踏切」は警報機が付くものの遮断機がない踏切、さらに警報機、遮断機がともにない踏切を「第4種踏切」と区別している。ちなみに「第2種踏切」は係員が常駐して遮断機の上げ下げを行っていた踏切で、現在は消滅している。

 

遮断機付きの踏切に比べて危険なのが「第3種踏切」と「第4種踏切」だ。

↑警報機、遮断機の無い第4種踏切。数は少ないものの事故は多め。閑散地区にあるため、なかなか遮断機付きに変更できない実情がある

 

2018(平成30)年の国土交通省の資料によると、全国の踏切数は3万3098か所で、これは踏切改良促進法が施行された1961(昭和36)年度の7万1070か所に比べ半分以下となっている。特に踏切改良促進法を施行以降、遮断機のある「第1種踏切」が増えていき2万9748か所、遮断機のない「第3種踏切」が698か所、警報器のない「第4種踏切」は2652か所ほどに減っている。

 

数では8%と少なめの第4種踏切だが、2018(平成30)年の事故発生数247件のうち、35件が第4種踏切で起こった。第4種踏切の数が全体の8%と少ないのに対して、事故の比率は14%と高いことが分かる。第4種踏切を通行する人と車の数は第1種踏切に比べると圧倒的に少ないはずである。その少なさを考えれば、この割合はかなり高いと言えるだろう。警報器がないところでは、列車の接近を自分の目で確認する必要がある。高齢者の場合、確認する行為に時間がかかってしまい、列車の接近に気付きにくくなっていることもあるのだろう。第4種踏切は高齢者にとって常に危険と隣り合わせと言える。

↑手で上げ下げできる遮断機がついた岳南電車の歩行者専用の踏切。こうした簡易形の遮断機の設置も一つの事故防止策として有効であろう

 

とすれば第4種踏切をなくす、また減らせば良いわけだが、なかなか理想どおりにいかないのが実情である。第4種踏切は多くが列車本数の少ないローカル線で閑散区間が多い。鉄道会社としては投資しにくいのだ。

 

国では現在、交通事故調査を行う基準として遮断機が設置されていない踏切道において発生した事故、死亡者を生じたものを調査するとしている。要は「第3種踏切」「第4種踏切」で起きた事故に限定しているわけである。調査は行われているものの、なかなかこれといった予防策を導入できていないのが実情である。ちなみに遮断機のある踏切での事故調査は5人以上の死亡事故があった場合としている。これも歩行者の死亡事故ではなかなか起きない事故であろう。

 

さらに最近、スマホに熱中し、踏切事故に遭ってしまった31歳の女性の例があったように、踏切問題は決して高齢者のみの問題と考えないほうが良いのかも知れない。いっそうのPR活動と注意喚起が必要に思われる。

 

筆者も踏切で危険な場面に複数回、出会っている。幸い死亡事故にはならなかったものの、すでに身近な問題になっているように感じる。真剣かつ早急な対応策が必要になっているのではないだろうか。

 

*  *   *

学研プラスではGakken Mook「スーパーのりものデラックス ふみきりのヒミツ!」という踏切をテーマにした児童書を出版した。発行は2021(令和3)年9月9日で1375円(税込)。付録は「ふみきりセット」で、警報灯の赤い光が点滅、また〝カンカン〟と音が鳴る。筆者も本誌の編集制作に関わらせていただいた。お子さんに向けて踏切を渡る時の注意点なども掲載している。お役立てていただければ幸いである。

↑筆者が編集制作に関わった「スーパーのりものデラックス ふみきりのヒミツ!」。付録はカンカンと音が鳴るふみきりセット

 

フランスの“二枚目”、プジョー「508」に迫る! 今年新登場のハイブリッドモデルはどう?

ベテラン自動車ライターの永福ランプとフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をする「クルマの神は細部に宿る。」。今回は、今年新たにプラグインハイブリッドモデルが追加されたプジョーの508を取り上げる!

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

【レビュアーPROFILE】

永福ランプ(清水草一)

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。様々な自動車専門誌や一般誌、ウェブなどで、クルマを一刀両断しまくっている。2018年以降、ペンネームを「MJブロンディ」から「永福ランプ」へ変更している。

 

安ド

元GetNavi編集部員で、現在ではフリーエディター。永福ランプを慕い「殿」と呼んでいる。

 

【今月のGODカー】プジョー/508 GT ハイブリッド

SPEC【GT HYBRID】●全長×全幅×全高:4750×1860×1420mm●車両重量:1790kg●パワーユニット:1.6Lターボエンジン+モーター●エンジン最高出力:180PS(133kW)/6000rpm●エンジン最大トルク:30.6kg-m(300Nm/3000rpm)●EV航続可能距離:56km

607万8000円(税込)

 

シャープな王道デザインは魅力的だが、日本ではガソリン車に軍配が上がる

安ド「殿! 今回は殿が希望していたプジョー508 GT ハイブリッドを借りてきました!」

 

永福「うむ。やはり508 GTはカッコいいな」

 

安ド「ちょっとふくよかなのに、シャープな印象を受けますね」

 

永福「それは、ショルダーを深く取っているからだ。重心も低く見えるから、結果的にシャープな印象になる。これぞスポーツセダンの王道デザインだ!」

 

安ド「なるほど! セダンのようで実はハッチバックというのも、オシャレさんですよね」

 

永福「例えれば、背広でキメたフランスのギャング。このクルマはアラン・ドロンだ」

 

安ド「ドロンパですか?」

 

永福「それはオバケのQ太郎。アラン・ドロンはフランスの超二枚目俳優だ」

 

安ド「失礼しました! ところでこの508 GTはプラグインハイブリッドですが、急速充電はできないんですね」

 

永福「充電は、自宅や会社の普通充電器で行う。ヨーロッパではそれがスタンダードらしい」

 

安ド「そうなんですか!」

 

永福「あちらでは、会社が幹部社員に通勤用のクルマを買い与えるケースが多く、そういう需要に応える設計になっている」

 

安ド「なるほど。会社に普通充電器があれば、急速充電でなくてもEVモードで通勤できるってことですね」

 

永福「わざわざ急速充電したところで、EVモードの航続距離は、実質的に50kmくらいだしな」

 

安ド「EVモードで走っていると、アッという間に航続距離が減っていくので、ソワソワしちゃいます」

 

永福「ヨーロッパでは、1日の平均走行距離は40kmだから、50km走れれば良いのだそうだ」

 

安ド「そうなんですね! でも、ガソリン車より100万円くらい高いですけど、元が取れるんでしょうか?」

 

永福「いまやあちらの会社は、社用車でガソリン車を選んでいると、“投資不適格”とされてしまう。補助金もかなり出るので、こういったプラグインハイブリッド車の需要が大きいのだ」

 

安ド「そういう事情があったんですか!」

 

永福「しかし日本では通用しない」

 

安ド「通用しませんか!」

 

永福「会社がクルマを買い与えてくれることなんてないし、自宅にも会社にも普通充電器はまずない。補助金もたいして出ない。マイカーとして買うなら、ガソリンやディーゼルの508 GTのほうが良いに決まっている」

 

安ド「決まっていますか!」

 

永福「私はガソリンエンジンの508 GTが大好きなのだ。身のこなしが羽毛のように軽やかで、最高の二枚目だ。しかもこのハイブリッドは300kgも重い。その見返りはほんのわずか。充電してない状態だと、燃費も12km/Lくらいしかいかないしな」

 

安ド「目からウロコです!」

 

【GOD PARTS 1】ガラスルーフ

クルマの美観を高めるちょっと贅沢な装備

購入時のみに選択できるオプションのガラスルーフは、まさに伊達男な装備。見た目もルーフラインにアクセントを与えるので、ファストバックスタイルの508 GTならさらに映えます。もちろん日差し除けのシェードも付いています。

 

【GOD PARTS 2】サッシュレスウインドウ

窓枠をなくしてボディサイドを美しく見せる

窓枠がないサッシュレスウインドウが508 GTにも採用されています。これにより、ボディ側面のデザインがスッキリ美しく見えます。ボディ強度が不安視された時代もありましたが、きっと最新技術で克服されているのでしょう。

 

【GOD PARTS 3】モニタースイッチ

ピアノの鍵盤のような美しさで車内の美観を高める

大型のセンターモニターの下には、まるでピアノの鍵盤のようなスイッチ類が並びます。これらは1枚1枚シルバーで加飾され、押した感触も良く好印象。モニターは若干ドライバー側に傾けられていますが、助手席からも見て触れられる素敵な装備です。

 

【GOD PARTS 4】8速AT

モーターとエンジンのための専用システム

通常の「トルコンAT」ではなく、プラグインハイブリッド専用のATが取り付けられています。8速とはいっても変速時にショックのない無段変速機のようなもので、モーターとエンジン、2つの動力をうまくミックスしてくれます。

 

【GOD PARTS 5】充電ソケット

急速じゃないけど充電できます

給油口のようなフタの下には充電ソケットがあります。日本では「外出先では急速充電で」という流れになりつつありますが、欧州ではあまり急速充電が求められていないようで、このモデルも普通充電のみ対応となっています。

 

【GOD PARTS 6】センターコンソール

トンネルの下にスマホなどを置ける

プジョーやボルボなど、ちょっと気の利いたデザインのブランドで採用されている、トンネル式のセンターコンソールが採用されています。ちょっと出し入れしにくいですが(笑)、トンネル下にはスマホの充電装置も設置されています。

 

【GOD PARTS 7】ファストバック

美しいラインが特徴の独特なスタイリング

後席があり4枚ドアというセダンタイプの構造でありながら、滑らかなラインを描く美しいルーフラインも備えています。その理由は、荷室が後席部分まで繋がっているファストバックタイプだから。大きな荷物も積みやすいです。

 

【GOD PARTS 8】フロント&リアライト

ライオンの牙と爪痕がエンブレムを想起させる

フルLEDのフロントライトの下には、まるで獣の牙のようなLEDデイライトが。リアも縦方向に赤いラインが浮かび上がるデザインで、こちらは爪痕なのだとか。ライオンのブランドモチーフを大事にするプジョーならではのデザインです。

 

【GOD PARTS 9】シートステッチ

上質かつスポーティなしつらえと形状

質感の高いレザーシートが全車標準で搭載されています。ステッチも個性的かつ上品なしつらえで、ラグジュアリーでありながら、シート自体の形状も相まってスポーティな印象を受けます。伊達男なクルマですから、これくらい当然なのかもしれません。

 

【これぞ感動の細部だ!】ハイブリッドシステム

追加されたハイブリッドモデルはEV走行が得意!

508 GT自体は2018年から販売されていましたが、今年6月にプラグインハイブリッドモデルが追加されました。「プラグイン」というのは、充電できるということで、電気モーターのみを使用したEV走行(エレクトリックモード)も可能。毎日、充電満タンで航続可能距離内の走行であれば、ガソリンが減りません。ただし、スポーツモードにすると普通に減ります。急速充電には対応していません。

 

撮影/我妻慶一

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

電動アシスト自転車や車載用Wi-Fiルーターなど爆売れ中の「乗り物」アイテム!

“いま”爆売れ中のモノを「乗り物」からセレクト。識者陣がヒットの背景を解説する。消費者ニーズに“ビッタビタ”な“ゴン攻め”商品の数々、知らないとマジでヤバいです!!

※こちらの記事は「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

【その1】決まり手は押し歩き

ツラい歩道橋の登りもラクに進めるモードを搭載

重い電動アシスト自転車をモーターがちょっとアシスト

【電動アシスト自転車】2021年7月発売

パナソニック

ビビ・L・押し歩き

12万9000円(税込)

押し歩き時の際にかかる負荷を軽減する押し歩きモードを搭載。2019年に施行された改正道路交通法に定められた、歩行補助車等が歩行者とみなされる条件を、サドル傾斜やスピードなど、4つのセンサーによる制御で満たしている。

 

本誌乗り物担当

上岡 篤

スポーツタイプの電動アシスト自転車を1年前に購入。近場なら買い物やレジャーすべてで自転車の生活を送る。

4つのセンサーを駆使して歩行者としての条件をクリア

伸張を続ける電動アシスト自転車だが、ネックは重さが生み出す押し歩き時の負担。それを減らすのがビビ・L・押し歩きだ。

 

「4つのセンサーを搭載して改正道路交通法に基づく『歩行者』の条件をクリアしています。また、スイッチを押している間だけ押し歩きモードになるなど、安全面もしっかり考慮されています」(上岡)

 

高齢者の運転免許自主返納後の移動手段としても注目されている電動アシスト自転車。ビビ・Lで初採用したのは、高齢者の利用が多い軽量モデルなのがその理由だ。

↑押し歩き専用の手元スイッチを搭載。ボタンを押している間のみ押し歩きモードが働く安全機構だ

 

↑乗車時にサドルを下げると押し歩きモードが解除され、ペダルをこいだ時にモーターのアシストが働く(左)。降車時はサドル下のレバーを上げ、サドルを引き上げると押し歩きモードに(右)

 

【トレンドのツボ】電アシ市場は拡大しシェアサイクルでの利用も増加

コロナ禍で人気の自転車。電動アシスト自転車も販売台数を伸ばし、前年比117.3%に伸長(サイクルベースあさひ調べ)。シェアサイクルでの利用体験も販売増につながっている。

 

 

【その2】クルマWi-Fiでみんなワイワイ

データ通信量を気にせず車内をエンタメ化

ドコモの回線を使用して日本全国ネットに快適接続

【車載用Wi-Fiルーター】2020年12月発売

パイオニア

DCT-WR100D

2万7500円(税込)

シガーソケットに取り付ければ車内でWi-Fiを利用できるルーター。基本は走行時での使用となる。ドコモの回線を利用するので快適に通信が可能。契約プランも豊富で、最短1日単位での契約も可能。ちょっと使いにもピッタリだ。

 

カーITジャーナリスト

会田 肇さん

自動車雑誌の編集を経てフリーに。カーナビやドライブレコーダーをはじめ、自動運転技術などにも詳しい。

最大5台が同時接続できる車内用Wi-Fiルーター

携帯電話の回線を使うとデータ通信量が気になる。でもスマホ内のコンテンツだけだと飽きてしまう。そんな悩みを解消するのが、車内をエンタメ空間にできる車載用Wi-Fiルーターだ。販売開始後3か月で、販売目標台数の3倍を超えた。

 

「定額で高速のデータ通信が使い放題になる“魔法の小箱”。車内で最大5人がデータ量を気にせず通信を快適に楽しめます」(会田さん)

 

多彩な契約プランも魅力だ。

 

「料金プランが秀逸。クルマをよく使う人、たまにしか使わない人も最適プランが選べます」(会田さん)

↑対応するカーオーディオとスマホをUSBで接続。大きな画面で操作することが可能になり、タイトルやジャケットも見やすくなる

 

↑移動時には手持ちのスマホをWi-Fiにつないで音楽をストリーミング再生。豊富な再生リストから気分に合った曲を再生できる

 

【トレンドのツボ】販売開始から3か月で目標の300%超えを達成

昨年12月に登場するや話題を呼び、メーカーの販売目標達成率の300%以上もの売れ行きで、品薄状態が続いた。リモートワーク需要を捉えたほか、コネクティッドの伸長も背景だ。

 

 

【その3】アリアまる! 日本限定車の魅力

航続距離600km超えのEVがいよいよ予約開始!

ハンズオフ運転対応の「プロパイロット2.0」を標準装備

【EV】2021年6月予約注文開始

日産

アリア limited

660万円〜790万200円(税込)

昨年7月に発表された日産の新型EV。バッテリー容量は66kWhと91kWhの2種類があり、最大航続可能距離は610km。日本限定車limitedは、高速道路でのハンズオフ運転が可能な「プロパイロット2.0」が標準で装備される。

 

本誌クルマ担当

上岡 篤

EVの圧倒的なトルクに魅力を感じるクルマ担当。だが集合住宅住まいなので実際の導入には尻込みしてしまう。

日本限定車のみに搭載される先進運転支援技術が魅力

6月に予約注文受付が開始された日産・アリア リミテッドが人気を集めている。

 

「モデルごとの詳細な価格が判明し、購入へのきっかけになりました。EVは受けられる補助額も大きいので、価格以上の割安感が人気を後押ししています」(上岡)

 

さらに日本限定車では、通常モデルではオプションとなる「プロパイロット2.0」が標準装備されるのも魅力だ。

 

「『プロパイロット』は通常モデルで標準搭載ですが、ハンズオフ運転可能な『プロパイロット2.0』が欲しいという人が多い。これも人気の要因のひとつです」(上岡)

 

↑日本限定車limitedのみのカラーを設定。バーガンディー/ミッドナイトブラック(上)とシェルブロンド/ミッドナイトブラック(下)の2トーンカラーだ

 

↑先進運転支援技術「プロパイロット 2.0」や「プロパイロット リモート パーキング」などを標準で装備。通常モデルではオプションとなる

 

【トレンドのツボ】日産の新EVに対する期待大で10日間で約4000台を受注!

リーフ以来の日産の新EV。そのスタイルや日本文化を生かしたインテリアなどは、リーフにはない質感の高さ。航続距離の長さも評価され、10日間で約4000台を受注した。

 

 

【その4】チェーンフリーでストレスフリー!

ドライブシャフトの採用で服を巻き込む心配ナシ!

世界初のチェーンレス電アシは面倒なチェーンのメンテ不要!

【e-bike】2021年2月発売

Click Holdings

HONBIKE

19万9000円(税込)

シャフトドライブによりペダルの力をタイヤに伝える電動アシスト自転車。チェーンタイプで必要な注油や張りの調整などがほぼ不要だ。5段階の電動アシスト機能を備え、ペダリングに合わせてAIが自動でアシストしてくれる。

自転車ライター

並木政孝さん

乗り物好きで自転車にも精通するライター。週末はロードバイクやMTBで輪行している。

電動アシストモーターとスポーティなデザインが秀逸

世界初の前後輪ワンアームチェーンレス電動アシスト自転車として注目を集めているHONBIKE。同様に注目なのが、電動アシストモーターとそのメカニズムだ。

 

「アシストはフロントのハブ部分に隠されたモーターで行いますが、このモーターが小さい。ヘッドライトの発電ハブと変わらない大きさなのは驚きです」(並木さん)

 

また、近未来的なフレームとツインスポークの3本ホイールが生み出すデザイン性の高さも秀逸。

 

「前後サスペンションは片持ちの一点支持を採用したことでスポーティさは満点。オシャレに乗るには最高の電アシですね」(並木さん)

↑折りたたみ可能。タイヤも20インチサイズでコンパクト。クルマに積んで旅先でのツーリングも容易だ

 

↑シャフトドライブにより駆動力を伝達。洋服が巻き込まれたりチェーンによって汚れる心配も減少する。チェーンカバーも不要となる

 

【トレンドのツボ】斬新な機構が話題を呼び応援購入総額は6億円超え!

チェーンレス電動アシスト自転車で話題に。4月にMakuakeでクラウドファンディングを行い、6月29日のプロジェクト終了時点で、Makuake最高額の6億2000万円を突破した。

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

 

中国で超人気の小型EV「宏光Mini EV」ってどんなクルマ? 試乗を通して分かったことは

脱炭素社会の実現へ向けて、クルマの電動化への動きがにわかに活発化するなか、中国ではテスラをしのぐ人気の電気自動車(EV)が話題を呼んでいます。そのEVとは日本円で100万円前後のEVなのですが、そんな中で特に注目を浴びているのが「宏光Mini EV」(宏光:ホングアン=Hongguang)です。今回はその試乗体験レポートをお届けします。

 

エアコン付きで60万円を実現! “2+2”として使える十分なサイズ

宏光Mini EVは、中国の上海汽車と米国ゼネラルモータースが合弁で設立した上汽通用五菱が開発した小型EVです。中国国内で昨年7月より発売を開始し、エアコンを装備した最上位グレードでも60万円相当で、エアコンレスのベース車なら50万円を切る価格を実現しています。その低価格ゆえに、すでに車種別台数ではテスラ「Model 3」を上回る人気を集めているほどなのです。ちなみに日本では販売されておりません。

↑中国の上汽通用五菱が販売する小型EV「宏光Mini EV」。試乗できたこの車両はエアコン付きのミドルグレードで、価格は日本円換算で60万円前後

 

上汽通用五菱のホームページによると、宏光Mini EVのボディサイズは全長2920mm×全幅1493mm×全高1621mmで、日本の軽自動車と比べると、全長で短く(−480mm)、幅でわずかに広く(+13mm)なっています。そのため、定員を4名とするものの、十分な広さを感じるのは前席だけ。後席は大人2人が座るにはかなり窮屈で、実際には“+2”的な使い方となるでしょう。カーゴスペースとしても、後席をたたんでやっと実用になるという感じです。

↑宏光Mini EVは日本の軽自動車よりも全長50cmほど短くし、タウンユースでの使い勝手を重視している

 

タイヤサイズは12インチ、145/70タイヤを装着し、ブレーキはフロントがディスク、後輪はドラム式。ヘッドライトはハロゲンランプで、左右ドアにはパワーウインドウが備わり、バックドアの開閉は電気式スイッチ式です。

↑サスペンションはフロントがストラット式独立で、リアは3リンク式リジッドアクスルを組み合わせています

 

運転席に座ると車内は無駄がないプレーンな印象です。ダッシュボードは手前を低くしつつ、ライトグレーの配色とも相まって圧迫感もなく、十分な広さを感じさせます。内装はプラスチック感は否めませんが、樹脂成型の工夫で、質感はそこそこ。この日は何故かエアコンが作動できませんでしたが、エアコンの吹き出し口は左右いっぱいに拡がっており、作動時の冷房効率は良さそうです。

↑要所にオレンジを交え、明るくポップなデザイン。ダッシュボードも手前を低くしたため、広々とした空間を生み出している

 

シートは運転席/助手席ともポジションを合わせるのには十分な調整が可能で、シートを倒したときのロックもしっかりとしています。ロック機構は後席にもあり、ロック解除オフ時にはビクとも動きませんでした。この辺りの安全対策は十分ですね。

↑後席はしっかりとした造りのシートが奢られているが、大人が座るにはかなり窮屈。カーゴスペースもシートをたたまないと実用にならない

 

コスト削減の割り切りなのか? 安全装備と呼べるのはABSぐらい

驚いたのが、ペダルの位置です。どういうわけか、全体がかなり右側(助手席側)にオフセットしていて、運転席に座ってペダルを踏むには身体を右側に傾ける必要に迫られるのです。ステアリングシャフトの影響なのかもしれませんが、これは踏み間違えを誘発する原因になるのではないかと心配になりました。だからなのか、ペダルには機能を間違えないように、アクセルが「+」、ブレーキが「-」の表記が大きくされていました。

↑ペダルは運転席正面より右側にかなりオフセットして配置されている。そのため、運転時はやや右に傾いた姿勢が強いられる

 

一方で日本では、装備が一般的となっているエアバッグや衝突被害軽減ブレーキといった安全装備は非搭載です。それでもABS(Anti-lock Brake System)は搭載されていますが、この辺りも低価格を実現するための割り切りなのだと思います。聞くところによれば欧州のラトビアでは、この車両に安全装備を加えて販売する車体メーカーがあり、その状態での販売価格は130万円ほど。日本でも安全装備を加えれば、やはり最低限そのぐらいにはなるのかもしれませんね。

 

バッテリーは最上グレードのみが13.9kwhですが、試乗できたグレードは9.3kwhとかなり控えめ。電圧も93Vと、EV用としてはかなり低めで、かなり低価格のバッテリーを使っていることがわかります。ただ、100kg近くあるバッテリーを載せているにも関わらず車体重量は700kg未満。そのためか、スペック上の航続距離は120kmと容量の割に長めです。しかも最高速度は100km/hで、中国では高速道路も走れます。なお、充電機能は普通充電のみで、急速充電器には非対応でした。

↑元々駆動用プロペラシャフトが収まっていたフロアには電池総電気量9.3kWhのバッテリーが収まる

 

↑フロントグリル内にある充電口。充電時は車内のコントロールダイヤルで充電モードに切り替えてから行う

 

踏み込みにリアルに反応。加速感も想像以上にスムーズ

さて、いよいよ試乗です。電源ONするには、キーシリンダーに鍵を挿入して回す懐かしい形式となっていました。思わず「EVなのに?」と思ってしまいましたが、古くても使えるものはそのまま活かす、コスト切り詰め感が伝わってきますね。運転モードはセンターコンソールにある回転式ダイヤルでR(後退)N(中立)D(前進)を選択し、あとはパーキングブレーキを解除してアクセルを踏めばスタートします。

↑折りたたみ式のリモコンキーを付属。電源をONにするには、このキーをキーシリンダーに差し込んで回す方法を採用する

 

走り出すとフロント付近から「クォーン」という擬音が聞こえてきました。日本でいう車両接近通報装置に相当するものだと思いますが、これは走行中の車内でもはっきり聞こえてきます。うるさく感じるほどではないですが、遮音についてはあまり配慮されていないのでしょう。また、電動車ならではの回生ブレーキは装備されず、エネルギーを回収する機構は装備されていません。この辺りはコストを徹底して切り詰めた感アリアリですね。

↑駆動力を発生するモーターは、ベース車となるガソリン車のデフギアボックスにダイレクトに取り付けた

 

試乗では決められたコースを数回走ることができたので、最初は控えめにアクセルを踏み、後半は少し強めにアクセルを踏み換えて試してみました。走り始めた印象は踏み込みにリアルに反応し、パワフル感はないものの、スムーズにスルスルッと走り出す感じです。足回りもそれほどヤワな感じはありません。アクセルを踏み込むと、それでもスムーズさは変わらず、ストレスなく速度が上がっていきました。

↑走行時のメーターパネル。速度は中央に、右上がバッテリー残量、その下に航続可能距離、左が駆動状況が示されている(限定エリア内で安全を確かめて撮影)

 

最高で40km/h+αまで出してみましたが、加速に不満は感じませんでした。ただ、試乗コースはそれほど広くはないので、アッという間にコースの終端に到着し、そこでブレーキ。この時は踏みしろの遊びがやや大きめかな? と思いましたが、制動そのものはスムーズで不安はありませんでした。割とキツメのブレーキングでもフロントが大きく沈むことなく停止。これならタウンユースで使う分には十分な能力を発揮してくれると実感した次第です。

↑センターコンソールにある回転式走行モード切り替えスイッチ。パーキングモードはなく、駐車中はハンドブレーキで駐める

 

試乗した印象は、価格以上によくできたEVというのが正直な気持ちです。衝突時の衝撃吸収がどの程度まで仕上がっているかはまったく不明ですが、少なくとも機能的には日本が来年から本格的に一般販売する超小型モビリティで十分に参考になると思いました。より高い信頼性の下、日本らしい小型EVのカテゴリーが発展していくことを期待したいと思います。

↑元々エンジンが収まっていたボンネット内はスカスカな印象。モーター制御ECUとインバーター、エアコン用電動コンプレッサーなどが収まる

 

 

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チェーンフリーでストレスフリーの「HONBIKE」! ドライブシャフトの採用で服を巻き込む心配ナシ!

“いま”爆売れ中のClick Holdingsの電動アシスト自転車「HONBIKE(ホンバイク)」。世界初前後輪ワンアームチェーンレス電動アシスト自転車、そのヒットの背景を自転車ライターの並木さんが解説します!!

※こちらの記事は「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

世界初のチェーンレス電アシは面倒なチェーンのメンテ不要!

【e-bike】2021年2月発売

Click Holdings

HONBIKE

19万9000円(税込)

シャフトドライブによりペダルの力をタイヤに伝える電動アシスト自転車。チェーンタイプで必要な注油や張りの調整などがほぼ不要だ。5段階の電動アシスト機能を備え、ペダリングに合わせてAIが自動でアシストしてくれる。

 

自転車ライター

並木政孝さん

乗り物好きで自転車にも精通するライター。週末はロードバイクやMTBで輪行している。

電動アシストモーターとスポーティなデザインが秀逸

世界初の前後輪ワンアームチェーンレス電動アシスト自転車として注目を集めているHONBIKE。同様に注目なのが、電動アシストモーターとそのメカニズムだ。

 

「アシストはフロントのハブ部分に隠されたモーターで行いますが、このモーターが小さい。ヘッドライトの発電ハブと変わらない大きさなのは驚きです」(並木さん)

 

また、近未来的なフレームとツインスポークの3本ホイールが生み出すデザイン性の高さも秀逸。

 

「前後サスペンションは片持ちの一点支持を採用したことでスポーティさは満点。オシャレに乗るには最高の電アシですね」(並木さん)

↑折りたたみ可能。タイヤも20インチサイズでコンパクト。クルマに積んで旅先でのツーリングも容易だ

 

↑シャフトドライブにより駆動力を伝達。洋服が巻き込まれたりチェーンによって汚れる心配も減少する。チェーンカバーも不要となる

 

【トレンドのツボ】斬新な機構が話題を呼び応援購入総額は6億円超え!

チェーンレス電動アシスト自転車で話題に。4月にMakuakeでクラウドファンディングを行い、6月29日のプロジェクト終了時点で、Makuake最高額の6億2000万円を突破した。

 

 

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今のうちに乗っておきたい!懐かしの鋼製電車が走る「西武鉄道」の3路線

〜〜乗りたい&行きたいローカル線車両事典No.5〜〜

 

今回紹介する西武鉄道も含め、大手私鉄の電車といえば、最近はステンレス製の電車が多くなってきた。その一方で鋼製電車が減りつつある。

 

ステンレス製の電車は現代的でおしゃれだが、鋼製電車も捨てがたい。さらに、西武鉄道の鋼製電車は自社の車両工場で造ったメイドインSEIBUそのものなのだ。いま、そんな西武の自社車両も数が減り、走る路線も限られてきた。今のうちに乗って、その良さをしっかり目に焼き付けておきたい。

*運行情報は10月21日現在のものです。変更されることがありますのでご注意ください。

 

【関連記事】
西武鉄道の路線にひそむ2つの謎—愛すべき「おもしろローカル線」の旅

 

【はじめに】西武鉄道の路線網に隠されたライバル3社の争い

車両の話をする前に、まずは西武鉄道の路線網を確認しておこう。西武鉄道の路線は東京の北西部一帯に広がっている。西武新宿駅〜本川越駅間を走る西武新宿線と、池袋駅〜吾野駅間を走る西武池袋線が幹線にあたり、ほか西武拝島線、西武秩父線といった路線に、特急・急行などの優等列車が走る。

 

路線地図を見ると不思議なことに気が付く。三多摩地区に、複数の支線が集まっているのである。特に東京都と埼玉県の間にある多摩湖、狭山湖の周辺には、西武多摩湖線、西武園線、西武狭山線と、3本の路線が集中している。西武国分寺線、西武多摩湖線は一つの会社なのに、路線がほぼ平行して走っている。この両線は東村山市内で立体交差しているのに、接続する駅がないというちょっと不思議な〝事実〟もある。

 

筆者は東村山市出身で、幼いころから国分寺線で通学していた。小さい時には感じなかったのだが、鉄道に興味を持ち始めてからは、不思議だなと思っていた。

↑太平洋戦争前の旧西武鉄道と、旧武蔵野鉄道の路線図。所沢駅で両社は接続していたが、それぞれの路線は無視され記されていない

 

この〝路線密集〟は同社の歴史にその理由があった。

 

太平洋戦争前に東京の北西部には、旧西武鉄道と武蔵野鉄道という2社の路線網があった。現在の国分寺線(開業当時は川越鉄道川越線)と新宿線(開業当時は村山線)を敷いたのが旧西武鉄道で、池袋線を敷いたのが武蔵野鉄道だった。

 

さらに、多摩湖線という路線も誕生していた。多摩湖線は1928(昭和3)年に国分寺駅〜萩山駅間の路線を開業。1930(昭和5)年1月23日に村山貯水池(仮)駅まで路線を延伸させた。

 

この多摩湖線を敷いたのが多摩湖鉄道で、その親会社が箱根土地。同会社を率いたのが堤康次郎である。堤は〝ピストル堤〟という異名を持つ実業家で、その辣腕ぶりが際立っていた。東京都下では国立などの街造りを手がけている。もともとは鉄道経営に乗り出す気持ちは薄かったとされている堤だが、沿線の宅地開発を円滑に進めるために多摩湖鉄道を開業させたことを契機に、鉄道路線の経営にも乗り出すようになる。

 

多摩湖線の終点近くにある村山貯水池(多摩湖)は、1927(昭和2)年に誕生した人造湖だ。東京市民に水を安定して供給するための貯水池で、同貯水池の北西に、同じ1934(昭和9)年に山口貯水池(狭山湖)も誕生している。両貯水池は誕生当時、東京市民の人気の観光スポットとなり、訪れる人も多かった。そのために3つの鉄道会社により複数の路線が設けられたのである。

↑狭山丘陵の窪地を利用して設けられた村山貯水池。都内最大規模(他県にまたがる湖は他にある)の湖でもある。最寄り駅は多摩湖駅

 

貯水池近くの駅として、多摩湖鉄道の村山貯水池(仮)駅が設けられた。さらに、旧西武鉄道の村山貯水池前駅が1930(昭和5)年4月5日に開業。現在の西武園駅にあたる駅だが、場所は現在の駅の位置より貯水地の築堤に近いところに設けられた。

 

旧武蔵野鉄道は、この2つの駅開業よりも1年前の、1929(昭和4)年5月1日に村山公園駅を開業させている。この駅は現在の西武球場前駅により、村山貯水池側によった場所に設けられていた。村山公園駅は、4年後の1933(昭和8)年に村山貯水池際駅と名を改めている。

 

このように、似たような名前の駅が村山貯水池周辺に3つあったわけで、当時の人は、非常に分かりにくく困ったことだろう。さらに3社によって観光客の〝争奪戦〟が行われたのである。

 

当時は昭和恐慌真っ最中の時代であり、多くの鉄道会社が経営危機に陥っていた。もともと、旧西武鉄道、武蔵野鉄道とも開業以来、鉄道経営は順調と言えず、さらに新線の延伸効果も薄く混迷を極めていく。

 

そんなさなか、堤康次郎は多摩湖鉄道だけでなく、武蔵野鉄道の経営の実権を握っていき、さらには太平洋戦争下の1943(昭和18)年に箱根土地が旧西武鉄道の経営権を獲得して、現在の西武鉄道の礎を造っていった。結果的に、小さな鉄道会社が大きな鉄道会社を飲み込んでいった形である。

 

なぜ、このあたりの路線の話をしたかといえば、いま、村山貯水池(多摩湖)、山口貯水池(狭山湖)を巡る路線に鋼製電車が走り、鉄道ファンとしてみれば、非常に〝熱い〟路線エリアであるからだ。西武狭山線と西武多摩湖線の間を走る西武山口線にはレトロカラーの車両も登場、懐かしの西武電車の〝天国〟で、古くからの西武ファンにとっては、何とも楽しいところになっている。

 

【関連記事】
西武王国を築いた「堤康次郎」−−時代の変化を巧みに利用した男の生涯

【注目の車両&路線①】赤紺黄色のカラフル電車が走る多摩湖線

まずは、西武鉄道の多摩湖線を走る電車から見ていこう。多摩湖線では長年、鋼製電車の新101系が走っていたが、今年の2月22日で運行が終了している。国分寺駅にホームドアが設置され、このホームドアのドアの数が4扉車に合わせたものだったからである。新101系は西武鉄道に残る唯一の3扉車で、ホームドアのサイズに合わないこともあり、運行を終了したのだった。

 

とはいっても、新101系が西武鉄道から完全に消えたわけではない。今も走る線区は後述ということで、まずは現在の多摩湖線を走る車両9000系から見ていこう。

 

○西武鉄道9000系

西武9000系は1993(平成5)年から1999(平成11)年にかけて、西武所沢車両工場で製造された。西武所沢車両工場は所沢駅のすぐ近くに1947(昭和22)年に設けられた同社の車両工場で、メンテナンスはもちろん、西武鉄道の車両の新造を行う工場だった。他社へ車両譲渡を行うときの整備改造もこの工場で行った。

 

電車だけでなく、自動車整備や、大型特殊車両の製造を行うなど、さまざまな業務を行う工場だったのである。大手私鉄で、自社工場を持つ例は、東急(現在は異なる経営組織となっている)などをのぞき、非常に稀だが、高度成長期には、足りない車両を自社でまかなえる利点が最大限に活かされていた。

 

その後に所沢の再開発計画がおこり、2000年代となり同工場の役割は武蔵丘車両検修場(埼玉県日高市)に移された。その後も車両新造は一部行われたが、現在の西武鉄道の電車はすべて外部への発注となっている。

 

【関連記事】
見どころ満載!「西武・電車フェスタ」詳細&おもしろ発見レポート

↑黄色いオリジナル塗装の9000系。多摩湖線は途中、菜の花が咲くところが多く、春先には黄色い電車と黄色い花のコラボが楽しめる

 

実は9000系こそ、所沢車両工場で造られた最後の自社生産の新造車両だった。10両×8本、計80両が造られている。車両の特徴として外装は新2000系とほぼ同じで、普通鋼製で車体全部が黄色塗装とされた。新車ながら取り付けられた装備すべてが新製品というわけではなく、廃車された旧101系の電装品を再利用している。要は使い回しなのだが、所沢車両工場の効率的に電車を造るという〝得意技〟でもあった。ただし、9000系の制御装置は後の2000年代になって、全編成VVVFインバータ制御方式に取替えられている。

 

この9000系の最後の編成となったのが9108編成で、この編成が所沢車両工場の最後の新造車両となった。なお9108編成は今も多摩湖線を走っている。

↑レジェンドブルーという塗装で多摩湖線を走る9108編成。この編成こそ、西武の所沢車両工場最後の新製車両となった

 

最盛期には80両という大所帯の9000系は、近年、急激に車両数を減らしつつあった。そんな〝9000系ファミリー〟だったが、ホームドア設置で4扉車に揃えたい思いもあり、中間車を抜いてワンマン運転が可能なように改造され、4両編成で走り続けている。残るのは4両×5編成、計20両となっている。

 

車体カラーもオリジナル塗装の黄色だけでなく、イベント電車用に特別ラッピングの特殊色が残り、走っているのが興味深い。まず9108編成はプロ野球・西武ライオンズの球団カラーを生かした「L-train(エル・トレイン)」として走った車両で、現在ステッカー類などは外したものの、レジェンドブルーのままの塗装で走る。

↑10両で走った時には「RED LUCKY TRAIN」を名乗った9103系。鮮やかな赤い色が写真映えする

 

また9103編成は京浜急行電鉄とコラボした「RED LUCKY TRAIN」として走ったが、こちらもステッカー類は外されたものの、当時の鮮やかなレッド塗装のまま走っている。

 

そんな鮮やかなカラー車両が走るのも今の多摩湖線の面白さだ。ちなみに終日、赤・青・黄色のカラー電車が走るわけではなく、運用によっては黄色のみの日もある。また9000系に混じって新2000系が走っている日もある。このあたり、行ってみなければ分からない。赤色9000系に出会えたら、それこそ〝RED LUCKY〟なのかも知れない。

 

【注目の車両&路線②】レオライナーにはレトロ色も走る

さて多摩湖線の終点駅となる多摩湖駅だが、これまでたびたび駅名が変わってきた駅でもある。実は、つい最近も変更されていたのだ。今年の初頭は「西武遊園地駅」だったのだが、3月13日に「多摩湖駅」と変更された。この駅、なんと改名は4回目にあたる。

 

改めて確認すると、駅開設時は村山貯水池駅、1941(昭和16)年に狭山公園前駅、1951(昭和26)年に多摩湖駅(初代)、1979(昭和54)年に西武遊園地駅(2代)とされた。そして今年に多摩湖駅(2代)と名乗るようになった。西武遊園地駅の駅名が〝2代〟となっているのは、この名前が付けられる前に、「おとぎ電車」という軽便鉄道規格の路線(西武山口線:西武遊園地〜ユネスコ村間を結んだ)が走っており、そこに西武遊園地駅という駅があったからなのである。

 

ちなみに、2021年3月からは西武園遊園地が「西武園ゆうえんち」にリニューアルされ、多摩湖駅側の入口がなくなった。西武山口線の「遊園地西駅」を「西武園ゆうえんち駅」とし、こちらの駅前が西武ゆうえんちの入口となっている。

↑西武多摩湖線の終点駅・多摩湖駅。この3月までは西武遊園地駅という名前だった(左上)。駅構内で西武山口線と接続している

 

○西武鉄道8500系

現在の西武山口線に関しても興味深いラッピング電車が走り出している。紹介しておこう。

 

まずは西武山口線の概要から。西武山口線は多摩湖駅〜西武球場前駅間2.8kmを走る。愛称はレオライナー。新都市交通とも呼ばれる案内軌条式鉄道路線で、同方式を使う鉄道路線を運営するのは大手私鉄では西武鉄道のみである。同区間は村山貯水池の北側、ゴルフ場とはさまれた場所で、狭山丘陵内のアップダウンや、カーブが多いことから同方式が取り入れられている。

 

走るのは8500系で車輪は鉄輪ではなくゴムタイヤで駆動する。基本の塗装は白地に緑・赤・青の3本の帯色の「ライオンズカラー」だが、3編成のうち1編成は昨年9月から「SDGs×Lions GREEN UP!」プロジェクトトレインとしてグリーンに、さらに1編成は今年の5月15日からは、西武鉄道の1960年代に走った電車の車体カラーに模様替えして走っている。西武園ゆうえんちの1960年代をイメージした〝あの頃の日本〟の町並みを再現したコンセプトに合わせたそうである。

↑ライオンズカラーで走る西武山口線の8500系。今年の5月から1960年代の西武電車をイメージした車両も走る(左上)

 

この1960年代の西武電車のレトロカラーだが、筆者も実際に見て乗った世代で、同車両を見ると、何とも懐かしさがつのる。一方で、こんなにカッコよい電車ではなかったなあと思うのであった。色はこげ茶色とクリームの2色塗装なのだが、当時の写真はモノクロが多く、カラーが少なかったこともあり、実はもう少し地味だったようにも記憶している。

 

【注目の車両&路線③】狭山線を走る〝赤電〟塗装の新101系

西武球場前駅で西武山口線と接続するのが西武狭山線だ。西武狭山線は池袋線の西所沢駅〜西武球場前駅間の4.2kmを走る支線である。

 

同路線を走るのが鋼製電車・新101系だ。毎日、すべての時間帯を走るわけではない。西武ドーム(メットライフドーム)でイベント等がない平日に運用される。いまや多摩湖線からも撤退し、本線系列での運行は狭山線のみとなっていて、いわば貴重な車両と出会える線区となっているわけだ。新101系とはどのような電車なのか確認しておこう。

 

○西武鉄道 新101系

新101系を見る前に、まずは101系という電車を見ておかなければならない。101系は1969(昭和44)年から1976(昭和51)年に所沢車両工場で製造された。

 

101系が登場したその年に西武秩父線が開業している。西武秩父線は吾野駅と西武秩父駅を結ぶ路線で、長いトンネルとともに急な勾配区間があった。その勾配路線を走行するために、高出力またブレーキ性能を高めた電車が必要となった。それまでの西武鉄道は、高度成長期の乗客急増時代に合わせた電車が多く、デザインは新しくとも、古い電装品、台車などを流用した車両も目立った。非力だったために、西武秩父線の運行には向かなかったのだ。

 

そして生まれた101系は当時、西武初の高性能車でもあったわけである。

↑筆者が少年時代に小手指車両基地で撮った101系の新車。運転開始前の様子で整備員が運転台の調整していたようだった

 

鉄道に目覚めた年代だった筆者も、そんな新車を小手指にできた車両基地(現小手指車両基地)に撮りに行ったことがある。上の写真はそんな時のもの。当時はおおらかな時代で、ノートに住所と名前を記入すれば、基地内に入ることができ、写真を撮らせてもらえたのだった。もちろん安全面への配慮はすべて自己責任であったのだが。

 

この101系は現在、同社から消滅し、一部が三岐鉄道(三重県)などの譲渡先で走り続けている。

 

その後に誕生したのが新101系であった。新101系は1979(昭和54)年から製造された101系のリニューアルタイプで、2両編成・4両編成。さらに8両編成化した301系という車両も登場している。101系の外観との違いは、旧101系が低運転台だったのに対して、新101系は高運転台であること。また正面の運転席のガラス窓の支柱が太くなったことが、大きく変わったポイントだった。この当時から所沢車両工場だけでなく、東急車輌製造への車両造りの委託も始まっている。一時代前には東急グループとは、箱根などで激しいライバル争いをしていたこともあり、当時のこの変貌ぶりは考えられないことでもあったのだ。

↑狭山線を走る新101系。〝赤電塗装〟と呼ばれるカラーで、1960年代から70年代にかけて西武電車の代表的な塗装だった

 

こうして生まれた新101系だが、すでに登場してから40年近く走る古参電車となった。同じ西武グループの近江鉄道(滋賀県)や伊豆箱根鉄道駿豆線(静岡県)、また流鉄(千葉県)、三岐鉄道など中小私鉄へ譲渡される車両も多い。鋼製車両で頑丈に造ってきたこともあるのだろう。使いやすさもあったのか、多数の会社で使われている。

 

西武鉄道でも、平日やイベントがない日には西武狭山線を走っている。2021(令和3)年10月中に狭山線を走る新101系を確認したが、赤電塗装と呼ばれる1960年・70年代に西武路線を走ったカラーの1247編成と、1259編成。さらに黄色一色という263編成という新101系も走っている日があった。

 

ちなみに、263編成は新101系の中でも特にユニークな編成なので見ておこう。新101系の一般車は中間車1両に2つのパンタグラフを搭載している。ところが、263編成のみもう1両に2つのパンタグラフを付けている。先頭車に2つのパンタグラフが付く何ともものものしい姿なのである。

 

現在、西武鉄道では、車両牽引用の電気機関車を所有していない。路線内で新造車の回送や、また路線内の車両回送用の牽引電車が必要となる。特に路線網から1本のみ離れた西武多摩川線といういわば〝独立路線〟があるのだが、定期検査時などは、JR武蔵野線との接続線から、武蔵丘車両検修場まで回送が必要となった。そうした新造電車や回送電車を牽引するために改造されたのが新101系の263編成なのである。この263編成も〝牽引業務〟がない時には、狭山線で通常の電車と同じように乗客を運ぶというわけである。このあたりのやりくりが、鉄道ファンとしてはなかなか興味深いところだ。

↑多摩湖線を走っていた時の新101系263編成。写真のように先頭車にパンタグラフ2個を装着していて目立つ

 

↑001系特急ラビューの新造編成をJR武蔵野線新秋津駅から車両基地へ牽引する新101系263編成。こうした光景を時々見ることができる

 

さて、狭山線の平日のみに走る新101系だが、毎日、確実に出会える線区がある。それが西武多摩川線である。次は多摩川線の今を見ていくことにしよう。

 

【注目の車両&路線④】新101系の今や聖地となった多摩川線

西武多摩川線はJR中央線と接続する武蔵境駅と是政駅を結ぶ8.0kmの路線である。路線の歴史は古く1917(大正6)年10月22日に境駅(現武蔵境駅)〜北多磨駅(現白糸台駅)間が開業したことに始まる。当時、開業させたのは多摩鉄道という会社で、多摩川の砂利採集が目的で路線が設けられた。開業してからわずか10年で旧西武鉄道が合併し、太平洋戦争中に西武鉄道の一つの路線に組み込まれている。

旧西武鉄道時代から、本体の路線網とは結ばれていない〝独立路線〟となっていた。現在もそれは変わらずで、日常の検査は路線内の白糸台駅に隣接した車両基地で行われており、定期検査などが行われる場合には、武蔵境駅〜武蔵野線・新秋津駅間は、JR貨物の機関車が牽引して運んでいる。JRの路線を西武電車が走る珍しいシーンを見ることができるわけだ。

 

そんな西武多摩川線で使われる電車は現在も新101系のみ。鋼製電車の最後の〝聖地〟となっている。

↑西武多摩川線を走る新101系。同編成は黄色の「ツートンカラー」塗装で、これが新101系の登場時のカラーでもある

 

西武多摩川線を走る新101系は4編成で、3種類の車体カラーの新101系に出会うことができる。

 

そのカラーとは、245編成と、249編成が「ツートンカラー」と呼ばれる塗り分け。黄色と濃いベージュの2色で塗り分けられていて、これが新101系登場時の色そのものだ。新101系なじみの車体カラーというわけである。

 

さらに、241編成は伊豆箱根鉄道駿豆線を走る車両と同じ白地に青い帯が入る。また251編成は、近江鉄道の開業120周年を記念して2018(平成30)年に塗装変更された。近江鉄道の電車と同じように水色に白帯といった姿に塗り分けられる。

 

伊豆箱根鉄道、近江鉄道は西武グループの一員であり、こうしたグループ会社の〝コラボ車両〟が、この西武多摩川線に集ったわけである。

↑伊豆箱根鉄道駿豆線のカラーで走る新101系241編成。ちなみに駿豆線を走る同色の1300系は元西武の新101系でもある

 

↑多摩川線を走る近江鉄道色の新101系。近江鉄道の100形と同じカラーだ。近江鉄道の100形も元西武の新101系が使われる

 

伊豆箱根鉄道駿豆線と近江鉄道には元西武の新101系が走っている。今回の車体カラーのコラボ企画は、譲られた両社の新101系の車体カラーと、西武鉄道の新101系の車体カラーを同じにしたもの。生まれた会社に残る新101系と、遠く離れて走り続ける新101系が同色というのもなかなか楽しい企画である。

 

【注目の車両&路線⑤】そのほかの気になる鋼製車両といえば?

西武の鋼製電車で気になる車両がもう一形式ある。それは2000系だ。2000系とはどのような車両なのか、触れておこう。

↑西武新宿線を走る2000系。西武初の4扉車として登場し、40年にわたり走り続けてきたが、徐々に引退する車両も出てきた

 

西武の2000系は1977(昭和52)年に登場した電車で、新101系と同じころに生まれた。西武としては初の4扉車で、当初は西武新宿線用として誕生したが、その後には池袋線も走るようになる。1988(昭和63)年まで製造が行われ2両、4両、6両、8両とさまざまな車両編成が生み出されていった。製造は所沢車両工場で行われている。

 

今、西武鉄道を走る2000系には2タイプの正面スタイルがある。1988(昭和63)年までに造られた旧タイプと、同年から1992(平成4)年に造られた新タイプの2000系である。後者の2000系は「新2000系」と呼ばれることもある。前者の2000系は正面のおでこ部分が角張ったスタイルで、後者は正面のおでこ部分がアール状で列車種別、行先表示が、一体化されて組み込まれている。

 

どちらかといえば、無骨な姿の2000系は古いタイプで、きれいにまとまっているのが新2000系というわけだ。

↑増結用に用意された2両編成の2000系。パンタグラフが2つ付く先頭車で力強いいでたちが特徴となっている

 

2000系もすでに登場してから40年近くになる。新101系に並ぶ古参車両として長年活躍してきた。そんな2000系だが、トップナンバーでもあった2001編成(8両)が10月初旬に横瀬車両基地へ回送された。廃車になるとみられている。実はこの車両編成が、現在の西武の最も古い現役車両(あとから編成を組んだ中間2両をのぞく)でもあった。わずかに残る2000系の初期タイプではあるが、残る車両も徐々に引退していくものと見られる。

 

2000系、そして前述した新101系は西武では今や少なくなりつつある昭和生まれの鋼製電車となっている。西武の昭和期生まれの鋼製電車の現状を見ると〝昭和は遠くなりにけり〟というようにも感じてしまう。今後、その動向は不明瞭だが、少しでも長く活躍してもらえればと、昭和生まれの筆者としては祈るのみである。

 

航続距離600km超えのEV! 日本限定車「アリア limited」の魅力

“いま”爆売れ中の日産のクロスオーバーEV「アリア リミテッド」。EVの特性を活かした静粛性を兼ね備え、室内はラウンジのような心地よい高級感溢れるデザインです。アリア リミテッドのヒットの背景を本誌編集部の乗り物担当・上岡が解説!!

※こちらの記事は「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

ハンズオフ運転対応の「プロパイロット2.0」を標準装備

【EV】2021年6月予約注文開始

日産

アリア limited

660万円〜790万200円(税込)

昨年7月に発表された日産の新型EV。バッテリー容量は66kWhと91kWhの2種類があり、最大航続可能距離は610km。日本限定車limitedは、高速道路でのハンズオフ運転が可能な「プロパイロット2.0」が標準で装備される。

 

本誌クルマ担当

上岡 篤

EVの圧倒的なトルクに魅力を感じるクルマ担当。だが集合住宅住まいなので実際の導入には尻込みしてしまう。

日本限定車のみに搭載される先進運転支援技術が魅力

6月に予約注文受付が開始された日産・アリア リミテッドが人気を集めている。

 

「モデルごとの詳細な価格が判明し、購入へのきっかけになりました。EVは受けられる補助額も大きいので、価格以上の割安感が人気を後押ししています」(上岡)

 

さらに日本限定車では、通常モデルではオプションとなる「プロパイロット2.0」が標準装備されるのも魅力だ。

 

「『プロパイロット』は通常モデルで標準搭載ですが、ハンズオフ運転可能な『プロパイロット2.0』が欲しいという人が多い。これも人気の要因のひとつです」(上岡)

 

↑日本限定車limitedのみのカラーを設定。バーガンディー/ミッドナイトブラック(上)とシェルブロンド/ミッドナイトブラック(下)の2トーンカラーだ

 

↑先進運転支援技術「プロパイロット 2.0」や「プロパイロット リモート パーキング」などを標準で装備。通常モデルではオプションとなる

 

【トレンドのツボ】日産の新EVに対する期待大で10日間で約4000台を受注!

リーフ以来の日産の新EV。そのスタイルや日本文化を生かしたインテリアなどは、リーフにはない質感の高さ。航続距離の長さも評価され、10日間で約4000台を受注した。

 

 

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タフさのカタマリ。ランドローバー「ディフェンダー」の4つ+αの見逃せない細部

“タフそう”なクルマは数多いが、岩場や泥濘路などの本格的なオフロードを安心して走行できる、ガチでタフなクルマは限られている。険しい道を突き進む走破性を備えた、本物のタフなクルマのスゴさをプロが証言! プチ連載形式でお届けしている本記事、今回はランドローバーのディフェンダーを清水草一さんがレポートします。

※こちらは「GetNavi」 2021年11月号に掲載された記事を再編集したものです。

タフさはそのまま受け継ぎスタイリッシュに進化!

ランドローバー

ディフェンダー

551万円~1171万円

70年にわたるランドローバーの歴史を象徴するモデルが、昨年登場した新型ディフェンダーだ。先代のタフな魅力はそのままに、堅牢性をさらに向上。もちろん快適性は天文学的にアップしており、まさに無敵のタフネスだ。

SPEC【110 X-Dynamic SE D300】●全長×全幅×全高:4945×1995×1970mm●パワーユニット:2993cc直列6気筒ディーゼルターボ●最高出力:300PS(221kw)/4000rpm●最大トルク:66.3kg-m(650Nm)/1500~2500rpm●WLTCモード燃費:9.9km/L

 

自動車ライター

清水草一さん

『そのフェラーリください!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、自動車ライター/道路交通ジャーナリストとして活動。

 

無敵のタフネスを受け継ぎ都会でも超絶ハマる

先代ディフェンダーは、元をたどれば70年以上作り続けられたイギリスのジープ的存在。世界各国の軍用車両や警察、消防車両などに多数採用され続けてきたモデルで、タフさのカタマリである。

 

新型は、先代のタフさをそのまま受け継ぎつつ、都会にも完璧にマッチするスタイリッシュなデザインと、洗練された快適な乗り味を手に入れた。そのエレガントなボディの至るところに、先代譲りの超タフなメカや意匠が散りばめられている。

 

もちろん悪路の走破性は無敵だ。日本ではサイズが大きすぎて、林道では取り回しに苦労しそうだが、これも真のタフなクルマだと思えば納得。超ヘビーデューティな4WD機構はもちろんのこと、ピカイチなのはその渡河性能だ。なんと水深90cmまで耐えられるように設計されているのである。

 

【清水さんが証言!】なぜディフェンダーはタフなのか

[証言1] クリアサイトグラウンドビューで車体の下を確認可

3つのカメラの映像をリアルタイムで合成し、ボンネットの下の状況をモニターに映し出す。クルマの下にある轍や岩を確認できる、魔法使いのような機能だ。

 

[証言2] ほぼ垂直に切り立ったテールラインが印象的

徹底的に実用性を重視すると、車体は限りなく直方体に近づく。先代ディフェンダーもテールラインは垂直だったが、新型もその設計を受け継いでいる。

 

[証言3] 実用的かつスムーズな直6ディーゼルターボ

エンジンは、2L4気筒ガソリンターボのほかに、3L直6ディーゼルを用意。この性能が素晴らしく、しかもディーゼルとは思えない超絶なる滑らかさだ。

 

[証言4] 電子制御エアサス搭載で水深90cmまで走行可

電子制御エアサスペンションを搭載。標準車高より40mm低いアクセス向け車高から、75mmアップのオフロード向け車高まで変更できる。渡河性能は最大90cmだ。

 

タフなクルマこそキレイな車内を! ナノイーで清潔空間を保てる

ランドローバーの多くのモデルで、カビや菌、花粉、ニオイを抑制できるパナソニックのナノイーを搭載。過酷な道を進むタフなクルマにこそ望まれる装備だ。さらに将来的には、新型コロナウイルスへの抑制効果が検証されているナノイーXの搭載も検討中。今後の進化にも期待だ。

 

↑広い車内はフロント、2列目シート、3列目シート独立で空調のコントロールが可能。もちろん同期させて調節することもできる

 

↑モニター内の「ion」アイコンをタッチすればナノイーが車内に充満。一般的なイオンより長寿命のため、広い車内でも効果がある

 

パイオニアのクルマWi-Fiでみんなワイワイ! データ通信量を気にせず車内をエンタメ化

“いま”爆売れ中の車載用Wi-Fiルーター、パイオニア「DCT-WR100D」。そのヒットの背景をカーITジャーナリストの会田さんが解説します!! クルマ室内をオンライン化すれば、「退屈」は「楽しさ」に変わるはず。

※こちらの記事は「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

ドコモの回線を使用して日本全国ネットに快適接続

【車載用Wi-Fiルーター】2020年12月発売

パイオニア

DCT-WR100D

2万7500円(税込)

シガーソケットに取り付ければ車内でWi-Fiを利用できるルーター。基本は走行時での使用となる。ドコモの回線を利用するので快適に通信が可能。契約プランも豊富で、最短1日単位での契約も可能。ちょっと使いにもピッタリだ。

 

カーITジャーナリスト

会田 肇さん

自動車雑誌の編集を経てフリーに。カーナビやドライブレコーダーをはじめ、自動運転技術などにも詳しい。

最大5台が同時接続できる車内用Wi-Fiルーター

携帯電話の回線を使うとデータ通信量が気になる。でもスマホ内のコンテンツだけだと飽きてしまう。そんな悩みを解消するのが、車内をエンタメ空間にできる車載用Wi-Fiルーターだ。販売開始後3か月で、販売目標台数の3倍を超えた。

 

「定額で高速のデータ通信が使い放題になる“魔法の小箱”。車内で最大5人がデータ量を気にせず通信を快適に楽しめます」(会田さん)

 

多彩な契約プランも魅力だ。

 

「料金プランが秀逸。クルマをよく使う人、たまにしか使わない人も最適プランが選べます」(会田さん)

 

↑対応するカーオーディオとスマホをUSBで接続。大きな画面で操作することが可能になり、タイトルやジャケットも見やすくなる

 

↑移動時には手持ちのスマホをWi-Fiにつないで音楽をストリーミング再生。豊富な再生リストから気分に合った曲を再生できる

 

【トレンドのツボ】販売開始から3か月で目標の300%超えを達成

昨年12月に登場するや話題を呼び、メーカーの販売目標達成率の300%以上もの売れ行きで、品薄状態が続いた。リモートワーク需要を捉えたほか、コネクティッドの伸長も背景だ。

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

 

鉄道&旅好きにお勧め!車両充実度満点の「えちごトキめき鉄道」

〜〜乗りたい&行きたいローカル線車両事典No.4〜〜

 

前回、本サイトで紹介した千葉県の房総半島を走る「いすみ鉄道」。同鉄道会社の元社長が就任したことにより、がぜん活気づいた鉄道会社がある。新潟県を走る第三セクター経営の鉄道会社「えちごトキめき鉄道」だ。

 

すでにご存知の方も多いと思うが、北陸本線を走っていた交直両用電車をメンテナンスした上で導入。休日に急行列車として走らせている。しかも国鉄当時の塗装で。この電車に乗ろうと全国からファンがつめかけている。

 

【関連記事】
〝七車七色〟の115系!行きたい!乗りたい!「越後線」「弥彦線」

【はじめに】6年目を迎えたえちごトキめき鉄道の2路線

2015(平成27)年3月14日に北陸新幹線の長野駅〜金沢駅間が開業した。以降、併行して走っていた信越本線の妙高高原駅〜直江津駅間と、北陸本線の市振駅〜直江津駅間の運営を引き継いで、列車を走らせているのが「えちごトキめき鉄道」である。

 

旧信越本線は、「妙高はねうまライン」に、北陸本線は「日本海ひすいライン」という路線名が付けられた。両路線とも自社車両だけでなく、他社車両も乗り入れている。さらにガラス窓が大きく、鮮やかな赤色に塗られた「えちごトキめきリゾート雪月花(せつげつか)」という観光列車を創業まもなく走らせ、なかなかの人気の路線となっていた。

 

転機が訪れたのは2019(令和元)年秋。鳥塚 亮(とりづかあきら)氏が新社長に就任したのである。鳥塚氏といえば、元航空会社に勤めた後にいすみ鉄道の社長に就任し、国鉄形気動車を導入するなど思いきったアイデアを取り入れ、いすみ鉄道の存続に貢献した人物だ。2018(平成30)年に社長退任の後、えちごトキめき鉄道(以下「トキ鉄」と略)に移った形となった。

 

新社長に就任して2年たった今年には、4月29日に直江津駅の構内に「直江津D51(デゴイチ)レールパーク」を開業、さらに7月4日には413系・455系を使った観光急行を運転し始めるなど、鉄道ファンやファミリー客の誘致に積極的に乗り出している。

 

筆者も今年の春以降に、すでに同路線に3回ほど訪れているが、コロナ禍による難しい時期にもかかわらず週末には、近隣はもとより、遠くから訪れた鉄道好きの姿も多く、さまざまな企画が実りつつあるように感じられた。

 

【注目の車両&路線①】7月から走り始めた「国鉄形観光急行」

同社の路線を走る車両を見ていこう。

 

同社の車両の中で最も気になる車両といえば413系・455系であろう。両車両は現在、観光急行列車としても使われている。413系・455系はどのような車両なのか見ていこう。

 

413系と455系は同じ交直両用電車ながら、生まれた経緯が異なる。直流電車が主力という地域に住む人にとっては、やや縁が薄い車両で、似た形式番号が多々あり難解な部分もあるが、国鉄時代と引き継いだJRの時代も含めて確認しておこう。

 

○クハ455-701(国鉄形交直両用455系電車)

↑クハ455-701を先頭に妙高はねうまラインを走る〝快速列車〟。この日は「赤倉」のヘッドマークを付けての走行

 

形式は455系電車にあたる。455系は国鉄時代に交流、直流両電化方式に対応した急行列車用の車両で、東北本線の盛岡地区と鹿児島本線の熊本電化開業に合わせ、また北陸地区の急行増発用に1965(昭和40)年に製造された。455系の前には453系、473系といった急行形交直両用電車があったが、これらに比べてより勾配区間のある路線で使うことを考慮し、抑速ブレーキなどの機器を強化している。

 

急行列車用に造られた455系だったが、年を追うごとに、急行列車自体の運行が減少していく。長い編成を組んで長距離を走る列車よりも、短い編成で、短い距離を走る普通列車向けの車両が必要となっていった。そのために、電源を持たない中間車は不要となっていた。

 

そこで中間車のサハ455形(種車はサハ455-1)が、1986(昭和61)年に運転台を持つクハ455-701に改造、さらに413系と組んで走るように改造されたのである。

 

クハ455-701は改造された後に413系とともにJR西日本に引き継がれ、北陸本線を長い間、走り続けた。JRの時にはB04編成という編成名で2010年代に入ると北陸地域色という青一色塗装に変更されている。当時、筆者も出会ったことがあるが、下記がその写真だ。

 

現在の姿と比べてみると、色の違いこそあれオリジナルな455系の姿はそのままである。ただし、正面の貫通扉上にある方向幕(列車種別の「急行」が表示される部分)がJR時代には表示がなく開口部が埋め込まれていたことが分かる。

↑北陸地域色に塗られたJR西日本時代のクハ455-701。後ろの413系とは乗降扉の位置と窓配置が異なる。撮影日2014(平成26)年4月12日

 

その後の2015(平成27)年には七尾色と呼ばれるあかね色に塗り替えられた。トキ鉄へやってくる前に、大きな改造と、車体色が複数回、変更されたことが分かる。ちなみに現在、455系の電源付きの車両(要するにモハやクモハ)はなく、トキ鉄に譲渡されたクハ455-701と、同じ経歴を持つクハ455-702が金沢総合車両所に1両のみが残るだけとなった。

 

ちなみに455系には微妙に違う姿形と形式がある。下の写真はクハ455-60とモハ474-46、クモハ475-46の編成で2011(平成23)7月19日に直江津駅のホームに停車する姿、クモハ475、モハ474は475系と呼ばれる455系に近い形式の電車で交流60Hzに対応するように造られた。写真のような475系と455系との組み合わせも、北陸本線では多く見受けられた。写真に写り込むクモハ475-46は準鉄道記念物に指定され、白山市の金沢総合車両所で保存されている。455系、475系とともに交直流電車の過渡期の車両であり、日本の鉄道技術を高めていく上で大きな足跡を残した〝歴史に残る車両〟なのである。

 

この車両塗装は急行列車に使われた大もとの色でローズピンク(赤13号)にクリーム色(クリーム4号)の組み合わせで「交直流急行色」と呼ばれている。

↑直江津駅で2011(平成23)年に停車する455系と475系の編成。トキ鉄のクハ455と比べると前照灯が大きい

 

○クモハ413-6・モハ412-6(国鉄形交直両用413系電車)

↑妙高はねうまラインを直江津駅に向けて走る快速列車。先頭が413系で、同車両は貫通扉上の方向幕が埋め込まれている

 

455系に関してだいぶ話が長くなってしまったが、編成を組む413系の特徴も触れておこう。

 

413系は1986(昭和61)年から製造された近郊形の交直両用電車である。453系・475系など急行形交直両用電車の台車、電装品、冷房装置などを再利用、車体を新造した。交流専用の電車717系も同時期に造られている。413系は北陸地方向けに、717系は東北の仙台地区と九州地区に導入された。

 

413系は北陸路の主力として長年走り続けた。JR西日本では近年、521系という交直両用電車を徐々に新造し、古い413系の置き換えを図ってきた。413系はJRの路線からは徐々に消えていき、最後まで走っていた七尾線の413系も、521系の導入により、今年3月12日で運用終了となった。

 

そんな413系は北陸本線を引き継いだ富山県内を走る「あいの風とやま鉄道」に5編成×3両(計15両)が譲渡された。そのうち、2編成は同社の観光列車に改造された。また一部に廃車されたものも出てきている。

 

ちなみに、413系の電車はあいの風とやま鉄道から、トキ鉄の糸魚川駅まで入線していたが、こちらの運行も2018(平成30)年3月17日で直通運転は終了している。

 

トキ鉄にやってきたのはB06編成という413系3両で、JR西日本当時には七尾線を走っている編成だった。交直流急行色に塗り替えられ、413系3両と、455系(クハ455-701)1両が購入されたが、413系のうち1両は直江津のD51レールパークの庫内で保存展示、一方、JR時代とは異なる455系1両と編成を組んで、現在は直江津駅〜妙高高原駅間と直江津駅〜市振駅間を走るようになっている。

↑七尾線を走った当時の413系B06編成で、車体色は茜色だった。撮影日は2020(令和2)年10月30日

 

413系・455系列車の運転ダイヤは下記のとおり。

 

◆快速列車としての運行

直江津8時43分発→上越妙高9時発→妙高高原9時37分着。

妙高高原9時44分発→上越妙高10時19分発→直江津10時35分着

※途中、高田、南高田、新井、二本木、関山の各駅に停車

 

◆急行列車(急行券が必要)としての運行

直江津11時26分発→糸魚川12時34分発→市振12時52分着

市振13時10分発→糸魚川13時42分発→直江津14時31分着

直江津15時03分発→糸魚川15時51分着/16時40分発→直江津17時08分着

 

【注目の車両&路線②】景色を楽しむならば「雪月花」が一押し

トキ鉄で最も目立つ列車といえば観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」であろう。あらためてどのような観光列車なのか、紹介しておこう。

↑妙高はねうまラインを走る「えちごトキめきリゾート雪月花」。こうして見ると側面のガラス窓の大きさが良く分かる

 

○ET122形1000番台「えちごトキめきリゾート雪月花」

形式はET122形で、その1000番台として造られた。ET122形はトキ鉄の日本海ひすいライン用に造られた車両(後述)で、同線は電化路線ながら、諸事情から気動車が採用された。

 

「えちごトキめきリゾート雪月花」は2016(平成28)年4月23日から運行されている。2両編成で、まず車体は車両限界ぎりぎりまで天井高を広げて造られた。さらに天井まで回り込むように側面窓が設けられている。結露がつかないよう、また断熱効果がある複層ガラスを利用。2枚のガラスの間には乾燥空気を入れ込む凝ったもので。UVカットガラスということもあり、熱も遮られる。

 

また車体の色は鮮やかなレッドとなっているが、こちらは「銀朱色」と呼ばれるカラーで、手塗りで塗装された。

 

ガラス窓から、美しい路線風景が落ち着いて楽しめるように座席幅は広く、足下のシートピッチも幅広く造られている。インテリアには木を多用しているが、こちらは天童木工が担当した。

↑日本海ひすいラインの有間川駅を通過する「えちごトキめきリゾート雪月花」。次の谷浜駅まで日本海の美景が存分に楽しめる

 

ごく一部だけを見ただけでも、手の込んだ車両として仕上げられた「えちごトキめきリゾート雪月花」。2016年度のグッドデザイン賞、2017年度の鉄道友の会ローレル賞に輝いている。

 

多くの観光列車が既存の車両を改造したものが多い中で、まったくゼロから新造している。同社の思いが詰め込まれているといって良いだろう。ちなみに同列車の運行時間は次のとおりだ。

 

◆午前便

上越妙高10時19分発→妙高高原11時30分折り返し→直江津12時26分発→糸魚川13時16分着

◆午後便

糸魚川13時59分発→直江津14時57分発→妙高高原16時16分折り返し→上越妙高16時44分着

車内では午前便がフレンチ、午後便では和食を楽しむことができる。

 

【注目の車両&路線③】多くの車両が走る「妙高はねうまライン」

トキ鉄の楽しいところは、多種類の車両が次々に走ってくることにある。先に紹介した413系・455系、「えちごトキめきリゾート雪月花」。さらに普通列車、特急列車、観光列車とさまざまな車両に出会える。まずは妙高はねうまラインを走る車両を紹介しておこう。

 

○えちごトキめき鉄道ET127系

↑妙高の山並みをイメージしたデザインが描かれるET127系。左上は通称「田島塗り」と呼ばれるラッピング電車

 

ET127系は妙高はねうまラインを走る普通列車用で、元は新潟地区を走るJR東日本のE127系だった。トキ鉄発足に合わせてJR東日本から2両×10編成が移籍した。

 

E127系には新潟地区用に造られた0番台と、松本地区用の100番台があり、0番台と100番台では、やや正面の形が異なる。トキ鉄へやってきた車両は0番台で、同社へやってきた後に、車体前面と側面に同路線から望める妙高の山並みをイメージした緑色の山模様が描かれている。

 

当初、妙高の山並みをイメージしたデザインが大半だったET127系だが、その後に地元企業のラッピングを施した車両が増えている。

 

8月には住宅建材などを扱う田島ルーフテイング社とトキ鉄がコラボ、〝初代新潟色〟に塗り分けた通称「田島塗り」ラッピング電車も登場した。ディテールに凝った広告ラッピング電車で、鉄道ファンを中心に人気となっている。このあたり鉄道ファンの好みをよく理解した鉄道会社らしい創意工夫が見られておもしろい。

 

○北越急行HK100形

↑妙高はねうまラインに乗り入れる北越急行のHK100形。直江津駅〜新井駅の1往復の列車に使われている。写真はHK100形100番台

 

新潟県内にはトキ鉄の他に、第三セクター経営の北越急行という鉄道会社がある。上越線の六日町駅と信越本線の犀潟(さいがた)駅を結ぶ「ほくほく線」の営業を行う。列車の多くが上越新幹線の越後湯沢駅と直江津駅を結んで走る。「スノーラビット」という快速列車を走らせているが、その1往復のみが、新井駅まで乗り入れている。

 

列車の運行には北越急行のHK100形が利用されている。トキ鉄の路線で北越急行の車両にも出会えるというわけだ。ちなみにHK100形の通常車両は薄紫色の帯色だが、赤い帯の100番台「ゆめぞら」の車両が使われることも。同車両は北越急行のトンネル内で車両の天井に星座を投影させる装置が付けられ、人気車両となっている。

 

○E653系 特急「しらゆき」

↑妙高の山並みを背景に走るE653系 特急「しらゆき」。アイボリーを基調に上下に紫紺と朱赤の帯が入る

 

妙高はねうまラインでは、妙高市の玄関口でもある新井駅と、北陸新幹線と接続する上越妙高駅の両駅を発着する優等列車が目立つ。特急「しらゆき」もそうした列車の一つで、新潟駅との間を1日に5往復している。

 

使われるのは1100番台に改造されたE653系で4両とやや短め編成で走る。E653系は元常磐線の特急「ひたち」用に造られた交直両用特急形電車で、新型車両導入後に、日本海側を走る特急に転用された。現在は新潟駅〜秋田駅・酒田駅間を走る特急「いなほ」と、新潟駅と妙高はねうまラインを結ぶ特急「しらゆき」として使われている。

 

○キハ40・48形 「越乃Shu*Kura」

↑妙高高原駅を発車する「越乃Shu*Kura」。週末を中心に11月28日まで運行の予定

 

JR東日本が運行する観光列車「越乃Shu*Kura」も上越妙高駅を発着駅として走っている。現在「越乃Shu*Kura」、「ゆざわShu*Kura」、「柳都Shu*Kura」の3行程が用意されているが、3列車とも上越妙高駅の発着と、もはや妙高はねうまラインにとって欠くことができない列車となりつつある。新潟のおいしい地酒と食が楽しめ、また利き酒もできる列車とあって、左党にはうれしい列車となっている。

 

○115系

JR東日本の115系も直江津駅〜新井駅を1往復走っている。新潟地区を走る115系は、7編成すべて色が違っていて注目度も高い。残念ながら夜に走るのみなので、乗る楽しみしかないのがちょっと残念なところだ。

 

運行は直江津19時18分発→新井19時43分着、新井20時13分発→直江津20時44分着だが、直江津駅を翌朝7時17分に発車するので、早朝の直江津駅構内限定ながら目にすることができる。

 

【注目の車両&路線④】「妙高はねうまライン」で注目したいのは

元信越本線の妙高高原駅〜直江津駅間37.7kmを走る妙高はねうまラインだが、路線のポイントをここで抑えておこう。まずは特急「しらゆき」の写真で見たように妙高の山並みが、路線の途中で見ることができる。

 

さらに珍しいスイッチバック駅がある。新井駅のひとつ南にある二本木駅で、上りも下りも、一度、駅ホームに入線する前、もしくは後に、折り返し線に入り、進行方向を変える。以前には、駅を停車しない特急の通過列車があったが、今は定期運行されるすべての列車が同駅に入るので〝行ったり来たり〟する様子が楽しめる。

↑二本木駅に停車する観光列車「えちごトキめきリゾート雪月花」と、駅へ進入する直江津駅行き普通列車。写真の手前に折り返し線がある

 

二本木駅の先、関山駅、妙高高原駅までの駅間の距離がかなり延び、さらに山あいの路線となる。電車がそれだけ上り下りしていることを実感させる路線だ。

 

妙高高原駅では、しなの鉄道と接続する。しなの鉄道といえば、国鉄型の115系が今も主力として走る路線で、その出会いも楽しいが、最近は新型車両の導入が進み、出会うチャンスが減ってきたのは、鉄道ファンとしてはちょっと残念なところでもある。

↑標高の高い妙高高原駅は降雪量も多い。そんな真冬のホームに止まるしなの鉄道の115系、その右に柱で遮られるがET127系が見える

 

【注目の車両&路線⑤】直江津D51レールパークを走るSLは?

妙高はねうまラインを直江津駅へ戻り、次に日本海ひすいラインを走る車両を見ていくことにしよう。その前に、直江津駅にはぜひ訪れたい施設がある。直江津構内にできた「直江津D51(デコイチ)レールパーク」だ。

 

今年の4月29日に誕生した施設で、その名前のようにD51形蒸気機関車の動く様子に触れることができる。同施設のD51は、和歌山県の有田川鉄道公園で保存されていた827号機で、圧縮空気で動く仕組みに改造されている。827号機は米原機関区、中津川機関区に配置された機関車で、中央西線で活躍したのちに引退となっていた蒸気機関車でもある。

 

同機関車が乗客を乗せた車掌車を牽引。直江津駅のホーム近くとレールパークを往復し、またパーク内にある転車台に載って、ぐるりと回る様子が楽しめる。

↑車掌車を牽いて直江津駅構内を往復するD51-827号機。車両は保存状態がかなりよい、車掌車に乗車しての走行体験も楽しめる

 

レールパークは元直江津機関区を利用したもの。この直江津機関区の歴史は古く1894(明治27)年に発足し、最盛期には転車台の周りに22線という大型の扇形庫が設けられた。1960年台前半までD51をはじめ多くのSLがこの機関区を基地に活躍した。その後、機関庫は縮小され、2015(平成27)年3月14日には、JR東日本からえちごトキめき鉄道へ施設が譲渡されている。

 

機関庫は小さくなったものの、レールパークになった後は、413系(クハ412-6)が庫内で保存展示。413系の車内は休憩所として、また売店として利用されている。ほか車両移動用の小型機関車、世界的な建築家の清家 清氏が自宅で利用していたという有蓋緩急車ワフ29603が保存されている。車掌車も兼ねていた車両で、清家氏はこの車内を書斎に利用していたそうだ。鉄道好きとしては贅沢な趣味の空間であるとともに、うらやましい車両の使い方だと感じた。

↑転車台に乗りぐるりと回るD51-827号機。直江津駅の構内を走行した後にはこうした転車台に乗るシーンを見ることができる

 

直江津D51レールパークはトキ鉄の車庫(直江津運転センター)に隣接していることもあり、車庫内に停車するET127系やET122形などの車両も間近に見ることができる。車庫ならではの動きを見ることができる楽しさも、ここで味わえる。

 

◆直江津D51レールパーク◆ 

営業時間:9時45分〜17時(最終入場16時30分)
営業日:3月上旬〜12月初旬の土・日曜、祝日など
入場料:大人1000円
アクセス:直江津駅南口から徒歩約3分

 

【注目の車両&路線⑥】日本海ひすいラインの注目列車といえば

次に日本海ひすいラインの直江津駅〜市振駅間を走る車両を見ていこう。旧北陸本線ならではの車両も行き来している。

 

○えちごトキめき鉄道ET122形

↑日本海ひすいラインの谷浜駅付近を走るET122形。写真のように朝夕には2両連結で走ることもある

 

ET122形は北陸本線をトキ鉄に移管するにあたって製造された気動車で、元はJR西日本が姫新線(きしんせん)などに導入したキハ122形がベースとなっている。前後両側に運転台がある気動車で、ステンレス車両の下部に「日本海の美しい海」を表現したデザインをほどこす。計8両が造られたが、うちイベント兼用車両が2両用意された。

 

ちなみに、なぜ電車が導入されなかったのか。走る区間の市振駅〜直江津駅間は、市振駅〜えちご押上ひすい海岸駅間が交流電化区間で、梶屋敷駅(かじやしきえき)〜直江津駅間が直流電化区間となっている。えちご押上ひすい海岸駅〜梶屋敷駅間には交流・直流を切り替えるデッドセクション区間がある。

 

つまり、電車の場合には交直両用電車でなければ走れない。交直両用電車の新造は高価で、しかも最低2両で編成を組まなければいけないという問題があった。交直両用電車に比べれば安めの気動車で、輸送量がそう多くない区間のため単行運転が可能なET122形の導入となったわけである。

↑イベント兼用車両のET122-7は「NIHONKAI STREAM」と名付けられた。正面に紅ズワイガニ、側面にアンコウなどのイラストが描かれる

 

ET122形が主力車両の日本海ひすいラインだが、週末ともなるとにぎやかになる。まず413系・455系を使った急行列車が走る。さらに鮮やかな「えちごトキめきリゾート雪月花」も連なるように走るのだ。

 

日本海ひすいラインを走るのは旅客列車だけでない。貨物列車も走る。日本海縦貫線という貨物輸送に欠かせない路線の一区間にあたるだけに、昼夜を問わず貨物列車が走っている。そして牽引機といえば。

 

○JR貨物EF510形式交直両用電気機関車

↑赤い車体のEF510基本番台。レッドサンダーという愛称が側面に入る。右上写真は500番台の銀色塗装機

 

日本海ひすいラインを含む日本海縦貫線を走る貨物列車を牽引するのがJR貨物のEF510形式である。EF510は直流電化区間、交流50Hz、交流60Hz区間が複雑に連なる路線に合わせ、また国鉄時代に生まれたEF81形式の置き換え用として開発された。そして日本海縦貫線では基本番台の赤い車体、愛称「ECO-POWERレッドサンダー」が走り続けてきた。

 

その後、JR東日本が特急「北斗星」などの寝台列車牽引用に新造した500番台が、客車列車の牽引自体がほぼ消滅したこともあり、JR貨物に売却された。現在は、赤い車両の基本番台と、北斗星仕様の青色、カシオペア仕様の銀色の500番台の3色の機関車が走るようになり、貨物列車好きには楽しい線区となっている。

↑日本海ひすいラインの青海駅〜糸魚川駅間を走るEF510の501号機。JR東日本当時のステッカー類は無いものの青い車体色のまま走る

 

【注目の車両&路線⑦】日本海ひすいラインで訪れたい駅といえば

トキ鉄の日本海ひすいラインの営業距離は59.3km。その先の市振駅〜越中宮崎駅間に富山県・新潟県の県境があるため、その手前の市振駅がえちごトキめき鉄道と、あいの風とやま鉄道の境界駅となっている。

 

営業上は市振駅が境界駅となっているが、トキ鉄の普通列車の運行は、2つ先の泊駅までの運行が大半で、その先のあいの風とやま鉄道の列車も大半が泊駅止まりとなっている。あいの風とやま鉄道からトキへ乗り入れる直通列車もわずかにあり、直通列車は糸魚川駅まで走っている。

 

日本海ひすいラインはほぼ日本海に沿って走るものの、トンネル区間が多い。日本海の風景が良く見える区間といえば、直江津駅側から見ると、谷浜駅〜有間川駅間、青海駅〜親不知駅間の一部、市振駅付近が車窓から海の景色が楽しめるが意外に少ないのが残念だ。

 

そんな日本海が良く見える区間の中でも、人気なのが有間川駅の近く。同駅は日本海の目の前にあり、列車と海が一緒に撮影できるスポットとあって、訪れる人が多い。

↑有間川駅のすぐそばから撮影した413系・455系利用の急行列車。市振駅行きの列車は先頭に急行型電車が付くとあって人気がある

 

ほかに一度下車してみたいのが筒石駅。トンネル内にある珍しい駅だ。北陸本線は、同駅がトンネル内に造られるまでは、海側に地上駅があった。駅の開業は1912(大正元)年と古い。地上駅だったものの、地滑りが多発した区間で、1963(昭和38)年に民家と列車が巻き込まれる土砂崩れが発生した。その後に、安全と輸送量を確保するために複線の頸城トンネル(くびきとんねる)を掘削し、トンネル内に筒石駅を開業させた。

 

「えちごトキめきリゾート雪月花」の午前便、午後便とともに同駅に停車、10分弱と短いながらもホームに降りることが可能だ。とはいえ地上の改札口からトンネル内の下りホームまで290段、上りホームまで280段で、エスカレーターやエレベーターはない。かなり〝労力〟を必要とする駅である。とてもえちごトキめきリゾート雪月花の短い停車時間内で改札までの往復は無理だ。

 

筆者も、JR時代に訪ねたことがあるが、ホームから改札口まで大変な思いをして上り下りした。海沿いにある筒石の集落から約1kmと遠いこともあり、一日の乗車客は20人程度と〝秘境駅〟に近い。とはいうものの〝話の種〟になる駅である。

↑写真は北陸本線当時のもの。下りホームと上りホームの位置関係がおもしろい。列車通過時には強い風圧がトンネルを抜けていく

 

いま同駅を通る列車は普通列車以外に貨物列車が通過するのみとなっている。JR当時は特急列車がかなりのスピードで走り抜けていた。その通過する時の風圧は予想以上で、ホームと階段・通路の間には頑丈な引き戸が設けられていて、列車通過時に備える仕組みとなっている。

 

その先の糸魚川駅も一度は訪れておきたい駅だ。駅の建物に併設される「糸魚川ジオステーション ジオパル」には、大糸線を走っていたキハ52-156が静態保存されている。東京・六本木で開かれた鉄道イベントで使われた糸魚川産の杉材を使ったトワイライトエクスプレス展望車のモックアップも、現在は、こちらの施設に展示されている。表を飾るレンガ造りの外装は、かつて糸魚川駅のレンガ車庫だったもので、当時のレトロでおしゃれなたたずまいがよみがえるようだ。

 

日本海ひすいラインは糸魚川駅から先は3駅ほどだが、青海駅〜親不知駅〜市振駅間は特に険しさが感じられるところ。山が海ぎりぎりまで迫り、狭い海岸線に海側から北陸自動車道、国道8号、日本海ひすいライン、県道525号線の路線が平行して走る。列車に乗っていても、その険しい地形に驚かされる。

 

今のように交通機関が発達していないころに、同地を通行した人は断崖絶壁が続く海岸に難渋した。それこそ〝親は子を、子は親を顧みるゆとりがなかった〟とされる。それこそ〝親不知・子不知〟の土地なのである。

↑市振駅の西側を流れる境川を渡る貨物列車。写真は富山県側から撮ったもの。対岸が新潟県となる

 

富山県との県境近くの市振駅付近になると、急に風景が開け始める。普通列車は県境を越えて泊駅まで走るが、市振駅の先に架かる境川が、富山県との県境となる。それこそ〝境(さかい)〟の川なのだ。この先、鉄橋を渡り列車は北陸地方へ入る。この境川の川岸も、すでにあいの風とやま鉄道の路線に入っているとはいえ、なかなかの好スポットといって良いだろう。

 

ツラい歩道橋の登りもラクに進めるモードを搭載! パナソニック「ビビ・L・押し歩き」の決まり手は押し歩き

“いま”爆売れ中のパナソニックの電動アシスト自転車「ビビ・L・押し歩き」。そのヒットの背景を本誌編集部・乗り物担当の上岡が解説します!! 歩道橋や駐輪場のスロープでも押し歩きがラクラクです。

※こちらの記事は「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

重い電動アシスト自転車をモーターがちょっとアシスト

【電動アシスト自転車】2021年7月発売

パナソニック

ビビ・L・押し歩き

12万9000円(税込)

押し歩き時の際にかかる負荷を軽減する押し歩きモードを搭載。2019年に施行された改正道路交通法に定められた、歩行補助車等が歩行者とみなされる条件を、サドル傾斜やスピードなど、4つのセンサーによる制御で満たしている。

 

本誌乗り物担当

上岡 篤

スポーツタイプの電動アシスト自転車を1年前に購入。近場なら買い物やレジャーすべてで自転車の生活を送る。

4つのセンサーを駆使して歩行者としての条件をクリア

伸張を続ける電動アシスト自転車だが、ネックは重さが生み出す押し歩き時の負担。それを減らすのがビビ・L・押し歩きだ。

 

「4つのセンサーを搭載して改正道路交通法に基づく『歩行者』の条件をクリアしています。また、スイッチを押している間だけ押し歩きモードになるなど、安全面もしっかり考慮されています」(上岡)

 

高齢者の運転免許自主返納後の移動手段としても注目されている電動アシスト自転車。ビビ・Lで初採用したのは、高齢者の利用が多い軽量モデルなのがその理由だ。

 

↑押し歩き専用の手元スイッチを搭載。ボタンを押している間のみ押し歩きモードが働く安全機構だ

 

↑乗車時にサドルを下げると押し歩きモードが解除され、ペダルをこいだ時にモーターのアシストが働く(左)。降車時はサドル下のレバーを上げ、サドルを引き上げると押し歩きモードに(右)

 

【トレンドのツボ】電アシ市場は拡大しシェアサイクルでの利用も増加

コロナ禍で人気の自転車。電動アシスト自転車も販売台数を伸ばし、前年比117.3%に伸長(サイクルベースあさひ調べ)。シェアサイクルでの利用体験も販売増につながっている。

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

 

HD解像度で映像と地図が有機ELディスプレイに美しく映える! 「ストラーダ」フローティング大画面モデル3機種12月発売

パナソニック オートモーティブ社は、カーナビステーション「ストラーダ」3機種『CN-F1X10BHD』『CN-F1X10HD』『CN-F1D9HD』を、12月上旬から発売します。価格はいずれもオープン価格。

↑CN-F1X10BHD

 

↑CN-F1X10HD

 

↑CN-F1D9HD

 

同シリーズでは、全モデルで映像と地図をHD解像度での表示に対応し高画質化。高精細なHD描画に対応した「HD美次元マップ」は、視認性を考慮した配色の新デザインを採用し、ビルの明かりや影までリアルに表現する3D地図描写が特長です。

 

処理能力の高いCPUにより、起動時間やルート探索の時間を、従来モデル(2020年モデルCN-F1X10BLD/F1X10LD/F1D9VD)から大幅に短縮。直感的な操作をスマートフォン感覚で心地よく行える高速レスポンスが可能で、さらに位置精度も向上させています。

 

有機ELパネルを搭載した10V型、新たにHD液晶を搭載した9V型の大画面ディスプレイは、470車種以上に取り付けることが可能です。

 

また、スタンダードモデル4機種も、12月中旬から発売(いずれもオープン価格)。スタンダードモデルはフルモデルチェンジでユーザーニーズの高い地図・映像の高画質化に対応し、HD画質モデルのラインアップを普及価格帯まで拡充しています。ラインナップは、以下のギャラリーをご覧ください。

知っておいて損なし。いま売れているコンパクト、ハッチバック、スポーツカー、セダン4車種を紹介!

“いま”爆売れ中のモノを「乗り物」からセレクト。モータージャーナリスト清水草一さんがヒットの背景を解説する。消費者ニーズに“ビッタビタ”な“ゴン攻め”クルマの数々、知らないとマジでヤバいです!!

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

【その1】電気出力“倍ブリッド”コンパクト

出力が2倍になったバッテリーでEV走行がより快適に!

滑らかに減速できる「快感ペダル」が大好評!

【コンパクトハイブリッド】2021年7月発売

トヨタ

アクア

198万円〜259万8000円(税込)

初のフルモデルチェンジを果たしたハイブリッド専用コンパクト。アクセルペダルを緩めるだけで回生によって減速度を増大させ、滑らかに減速することが可能な「快感ペダル」を採用する。燃費を20%向上させ、35.8km/Lを達成した。

 

モータージャーナリスト

清水草一さん

フェラーリ、ランボルギーニから軽自動車まで所有経験あり。常にコスパを優先して愛車をチョイスしている。

すべてを兼ね備えた日本のためのコンパクトカー

初代アクアは10年間売れ続けたモンスターだったが、7月に登場したばかりの新型アクアはさらに魅力的。すべてを満たす超お買い得カーだ。ボディはコンパクトで使い勝手の良いサイズが自慢。

 

「同じトヨタのヤリスに比べると、後席やラゲージの余裕が段違い。ボディサイズはそのままに、全モデルよりホイールベースを50mm拡大したので、より余裕が生まれています」(清水さん)

 

パワーユニットはヤリスと同じ3気筒1.5Lのハイブリッド。だが新型アクアは出力が先代の約2倍となったバッテリーを搭載し、EVでの走行速度域を向上させた。

 

安全装備も最新バージョンへ進化し、トヨタセーフティセンスを標準装備。オプションのパーキングサポートブレーキは、車両周囲の静止物への衝突も回避してくれる。

 

「100V電源を全グレードで標準装備しています。ガソリン満タンなら、5日間くらいは家庭用電源として活用でき、災害時の停電対策にもなります」(清水さん)

 

これらの装備はすべて、日本市場の要望に応えたもの。アクアは近年珍しい、日本のために開発されたコンパクトカーである。

 

↑コンパクトなバイポーラ型ニッケル水素電池を、駆動用車載電池として世界初採用。従来型アクアよりバッテリー出力が約2倍に向上している

 

↑AC100V・1500Wのアクセサリーコンセントを全車に標準装備。駐車時でも電化製品が利用できる「非常時給電モード」も装備する

 

↑EVモードで「POWER+モード」を選ぶと、回生による減速度が増大。アクセルペダルを緩めるだけで滑らかな減速が可能になる

 

↑機能を集約させ、よりシンプルになった室内。ボックスティッシュなどを入れられる助手席アッパーボックスなど、収納スペースも多い

 

【トレンドのツボ】登場から10年が経っても販売台数上位に食い込む怪物

初代アクアは2011年の登場から順調に販売台数を伸ばし、一時期はプリウスと首位を競っていた。モデル末期の2018年に登録車の販売台数では2位に入るほど人気。新型が販売台数上位に食い込むのは必至だ。

●出典:日本自動車販売協会連合会の新車販売台数データ

 

【その2】進化した名8バック

“世界基準”モデルの8代目は電動化とデジタル化を実現

先進のデジタル技術で実現する使いやすい心地良さ

【ハッチバック】2021年7月発売

フォルクスワーゲン

ゴルフ

291万6000円〜390万3000円(税込)

跳ね上げ式のバックドアを持つ、ハッチバックのベンチマークがフルモデルチェンジ。全モデルでマイルドハイブリッドを採用。タッチ操作可能な10インチのモニターやフルデジタルメーターにより、運転席まわりのデジタル化を実現した。

 

↑48Vマイルドハイブリッドシステム。ターボエンジンに不利な低回転域のトルクを補い、燃費や加速に貢献する

 

↑10インチのディスプレイ。オンライン化を実現する「Discover Pro」も対応し、ネットワークを通じ快適にドライブできる

 

【トレンドのツボ】1か月で予約は1000台を超えベンチマークモデルへの期待大

2月に早くも予約注文が開始されたが、1か月で1000台を突破。マイルドハイブリッドやデジタルコクピットなどを導入した、ハッチバックのベンチマーク的存在に期待が集まる。

 

【その3】高い走行性能の秘ケツは低姿勢

ルーフやフードにアルミ素材を使用し低重心化を図ったピュアスポーツ

2代目はよりハイパワー化した水平対向エンジンを搭載

【スポーツカー】2021年7月発売

SUBARU

BRZ

308万円〜343万2000円(税込)

トヨタとスバルの共同開発によるスポーツカーの2代目が登場。心臓部にはスバルのメカニカルアイデンティティでもある水平対向エンジンを搭載する。初代モデルより400cc拡大された排気量で、伸びのある加速フィールが味わえる。

 

↑ハンドリングの楽しさを最大限生かす低重心パッケージ。アルミルーフの採用や前後左右の重量バランスを最適化し、世界トップクラスの低重心を実現。軽量化にも成功した

 

【トレンドのツボ】希少な国産ピュアスポーツは月産500台で人気沸騰必至!

いまや国産のピュアスポーツカーは希少。兄弟車となるトヨタ86も間もなく登場する予定だが、BRZは月産500台。前モデルからの乗り換えも考えると、人気沸騰は間違いない。

 

【その4】完成度はウルトラC!

人気輸入車ランキングの常連モデルが7年ぶりにフルモデルチェンジ!

Sクラス譲りのデザインと最新テクノロジーが満載

【セダン/ステーションワゴン】2021年8月発売

メルセデス・ベンツ

Cクラス

654万円〜705万円(税込)

1993年にデビューした初代Cクラス。今回7年ぶりのフルモデルチェンジで5代目に進化した。新型はマイルドハイブリッドもしくはプラグインハイブリッドで全モデルが電動化。Sクラス並みの豪華な装備にも注目だ。

 

↑ラインやエッジを大幅に減らし、Sクラス然としたエクステリアはベビーSクラスとも。ヘッドライトはSクラス同様のデザインだ

 

↑インテリアもSクラスを彷彿とさせる。縦型の11.9インチディスプレイはドライバー側に約6度傾け、視認性の向上をはかっている

 

【トレンドのツボ】 輸入車Dセグメントの雄は一段とコスパが向上

2015〜19年の5年連続で輸入車Dセグメントナンバー1に輝いた基幹モデル。上位Sクラスのデザイン思想を取り入れたなか、安全運転技術も大幅に向上し、コスパの高さが魅力だ。

 

 

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懐かしの気動車に乗りたい!旅したい!「小湊鐵道」「いすみ鉄道」

〜〜乗りたい&行きたいローカル線車両事典No.3〜〜

 

これまで、鉄道の旅に行きたくとも我慢していたという方が多いのではないだろうか。緊急事態宣言がようやく解除され、気軽に旅することができそうだ。

 

この1年半にわたるコロナ禍で、ローカル線は疲弊の度合いが増しているように思う。そこで、乗って少しでも営業に貢献したいと考え、今回は房総半島を走る2路線を乗り継ぎ、気になる車両観察の旅に出た。

 

【関連記事】
〝七車七色〟の115系!行きたい!乗りたい!「越後線」「弥彦線」

 

【はじめに】小湊鐵道の路線も10月中旬には全線復旧の予定

JR内房線の五井駅と上総中野駅を結ぶ「小湊鐵道」。一方、「いすみ鉄道」はJR外房線の大原駅と上総中野駅を結ぶ。上総中野駅で接続しており、乗り継げば房総半島を横断することができる。ちょうど日帰り鉄道の旅にうってつけな距離の路線である。ちなみに両社共通の「房総横断記念乗車券」は1730円とお得になっている。

 

そんな2つの路線だが、今年の7月3日の集中豪雨の影響で、小湊鐵道の路線が不通となってしまった。10月初旬現在も光風台駅〜上総牛久駅間が不通のままとなっている。この区間の代行バスの運行が行われているものの、時間が余分にかかり、半島横断もスムーズにできない。

 

そんな不通区間も、小湊鐵道の発表によると、10月中旬には復旧の見込みとされている。新しい車両の運行も始まり注目度が高まっているだけに、路線が復旧されるのに合わせて、秋の旅を楽しんでみてはいかがだろう。

 

房総半島の鉄道旅。まずは2社の列車に乗る前に内房線、外房線を走るJRの車両から見ておきたい。普通列車には、長らく209系が使われてきた内房線、外房線だが、新しい車両の導入が行われた。

 

○JR東日本E131系

新しい電車はE131系で、2021(令和3)年3月13日から内房線、外房線、鹿島線に2両編成の車両が導入されている。今後、このE131系は、相模線、宇都宮線、日光線などに導入の予定だ。

 

房総半島に導入されて半年あまりの新しい車両に乗車して、外房線の大原駅を目指し、いすみ鉄道に乗り換えて房総半島を横断した旅の最新レポートをお届けしよう(取材・撮影日は10月3日)。

↑外房線を走るE131系。ワンマン運転により運行の効率化を図ろうとJR東日本が導入を進める。この11月からは相模線などに導入予定

 

【乗ろう!いすみ鉄道①】普通車両の中で気になるのがキハ20

いすみ鉄道の大原駅はJRの駅に隣接して駅舎とホームが設けられている。さて、この日にホームに入線していたのは、肌色と朱色の〝国鉄一般色〟に塗られたキハ20。正式にはキハ20-1303とされている。

 

いすみ鉄道では普通列車用の車両が5両導入されているが、キハ20は1両のみ。〝写真映え〟するこの車両が大原駅のホームに停車していると、ついカメラを向けたくなる。キハ20に巡りあうと今日は幸先がいいな、とつい思ってしまうのである。

 

そんないすみ鉄道の車両を紹介しよう。まずは在籍する普通列車用から見ていこう。

 

○いすみ300形(301号車・302号車が在籍)

↑国吉駅を発車するいすみ300形。右の2両は同駅で保存されるキハ30と、いすみ200形。キハ30は運転体験のイベントにも利用される

 

いすみ鉄道開業以来24年ぶりの新車として2012(平成24)年に導入された。ローカル線向け軽快気動車で新潟トランシス製、中央に貫通扉がある最新気動車のごく標準的な顔立ちをしている。座席はセミクロスシートでトイレ付きだ。

 

○いすみ350形(351号車・352号車が在籍)

↑単行で走るいすみ350形。国鉄キハ20形のような顔立ちで、その後のいすみ鉄道キハ20製作のベースとなった車両でもある

 

2013(平成25)年に導入された。基本設計はいすみ300形と同じだが、正面の形は国鉄の気動車キハ20形にそっくりな姿形をしている。塗装は黄色ベースのいすみ鉄道色ながら、レトロな趣だ。座席はロングシート、トイレはない。

 

運用の傾向を見ると朝夕の混雑する時間帯や、観光シーズンなどの増結用に使われることが多いようだ。

 

○キハ20-1303

↑青空をバックに走るキハ20-1303。肌色と朱色という国鉄一般色が何ともレトロな雰囲気で絵になる

 

2015(平成27)年に導入された車両。キハ20形といえば、国鉄を代表する気動車で、全国の非電化路線の無煙化に役立った車両だ。そんな旧国鉄のキハ20形を彷彿させる姿と、そのものずばりの「国鉄一般色」と呼ばれる塗装で、〝新しいけれど懐かしい〟車両として登場した。導入時はキハ303、キハ20-303といった形式名が考えられたが、他社の既存車両の数字と重なるなどの理由から、キハ20-1303となった経緯がある。

 

座席はセミクロスシートで、トイレ付き。キハ20-1303の導入により、古いいすみ200形が全車両引退となり、新車両への切り替えが完了した。

 

現在、普通列車用の車両は計5両だが、やはり鉄道ファンから注目を浴びる車両はキハ20-1303であろう。訪ねた時にこの車両が走っている・走っていないでは、乗る・撮る気合いの入り方が不思議と違ってくるのである。

 

【乗ろう!いすみ鉄道②】もちろん看板列車はキハ28&キハ52

キハ20よりも増していすみ鉄道の名物車両といえば、キハ28とキハ52であろう。両車両は常に2両で組み、週末に運行される「急行列車」や、「レストラン列車」として生かされている。両車両とも国鉄時代に造られ、その後にJR西日本で活躍した後に、いすみ鉄道へやってきた。

 

大原駅側が「キハ28-2346」で上総中野駅側が「キハ52-125」の並びとなる。それぞれ車両は次のような経歴を持つ。

↑大多喜駅を出発したキハ20(左)とキハ52が並ぶ。大多喜駅で販売の「鉄印」(右)や、鉄印帳用のポーチもキハ52とまさに〝52づくし〟

 

○キハ52-125

キハ52形は、1957(昭和32)年に開発されたキハ20形の勾配区間用としてエンジンを2基搭載した出力増強タイプ。本州、四国、九州の多くの路線で活躍した。

 

いすみ鉄道へ譲渡された車両は1965(昭和40)年生まれで、福井県の越美北線、後に大糸線を走り続けた。2010(平成22)年に譲渡され、翌年からクリーム+朱色の国鉄一般色で走り始めた。その後に朱色一色の首都圏色に変更されたが、2019(令和元)年6月に再び国鉄一般色に戻されている。

 

○キハ28-2346

キハ28形は急行型気動車キハ58系に含まれる一形式だ。キハ28形とキハ58形の違いは、キハ28形が冷房用発電機を搭載するために、動力用のエンジンを1基しか積んでいないのに対して、キハ58形は動力用エンジンを2基積む。2基積んだものの、スペースの都合から冷房用発電機が非搭載の車両が多かったため、キハ28形とキハ58形と組んで走ることが多くなった。現在、いすみ鉄道ではキハ52形と組んで走っている。

 

いすみ鉄道へやってきたキハ28-2346は、さまざまな場所で走った経歴を持つ。生まれは1964(昭和39)年のこと。その後に米子機関区→新潟機関区→千葉気動車区→米子機関区→七尾機関区と移る。北陸での運用中にJR西日本に継承され、その後に富山運転所→高岡鉄道部→越前大野鉄道部と移り、最後は富山へ戻って最後は高山本線を走っていた。いすみ鉄道へは2012(平成24)年に譲渡されている。ちなみにキハ28形で動いているのはいすみ鉄道の車両のみとなっている。

↑国吉駅を発車した大原駅行きの急行列車。キハ28が先頭に、後ろがキハ52という編成だが、天気の良い日は正面が陰りがちに

 

筆者は10月3日の日曜日に訪れた際に、急行列車として出庫準備中のキハ52と、大多喜駅を出発したキハ20がちょうど並んだところを撮影する機会を得た。最近に製造された車両のキハ20だが、並んでみると色や形がキハ52にそっくり。房総半島で国鉄一般色2車両が並ぶ光景に出会えて嬉しく感じた。

 

【乗ろう!いすみ鉄道③】現在1往復の列車撮影の難点とは

キハ28とキハ52の組み合わせは、常に鉄道ファンに人気となっているが、実はちょっと残念なこともある。10月現在、土・日曜祝日に一往復。大多喜11時37分発→大原12時16分着。大原12時46分発→大多喜13時23分着が有料の急行列車として運行される。以降、大多喜13時26分発→上総中野駅13時50分着、上総中野駅14時→14時23分大多喜駅着は普通列車として運行されている。

 

残念なのは、現在の運行時刻だと、天気の良い日には、大原駅行きの列車の正面、つまりキハ28側に光が当たらず、陰りがちに写ってしまうのである。

↑大原駅行き急行列車は好天の日よりも、薄日ぐらいの日の方が場所選びに困ることがなさそうだ(大多喜駅〜城見ヶ丘駅間)

 

以前には8時台に走る列車があり、正面が陰ることが少なく順光でとれる場所が多かったが、現在は遅い時間帯に走るダイヤが定着してしまっている。今後、観光シーズンに増便があるのか気になるところだ。ちなみに新田野駅(にったのえき)〜上総東駅(かずさあずまえき)間など一部では、順光での撮影が可能なのでトライしてみてはいかがだろう。

↑大原発の急行列車、キハ52側の先頭車は沿線の各所で順光での撮影が可能となる(新田野駅〜国吉駅間)

 

【乗ろう!いすみ鉄道④】房総両路線横断の〝難点〟と言えば

筆者は何度目になるのか分からないほど、いすみ鉄道、小湊鐵道にたびたび乗って、撮って楽しんでいる。首都圏に近く貴重な非電化区間であり、懐かしの車両が走るとあって、つい時間があれば訪れてしまうのだ。

 

さらに房総半島を横断する列車旅を楽しむことにしている。ところが最近、やや不便に感じることが出てきた。

 

まずは昼食をどうするかで悩む。10年ほど前までは途中駅でも、駅前に飲食店や、パンやおにぎりなどを販売する店があって、昼食に困ることがなかった。ところが近年は規模の大きな大多喜駅あたりでも、駅前食堂がなくなり、飲食店へは少し歩くことが必要となってきた。コンビニなども駅前にないところが多い。いすみ鉄道と小湊鐵道が接続する上総中野駅でも、駅前付近に店がない。それだけ列車を利用する地元の人たちが減って、商売にならないということなのだろう。

 

そこで、房総半島を横断する時には事前に昼食を購入しておくことをお勧めしたい。

↑国吉駅で販売されている「たこめし」(900円)。外房沖で獲れるマダコを使用、いすみの地野菜とともに楽しめる

 

いすみ鉄道の大原駅側から入る場合には、大原駅そして国吉駅の売店でお弁当を販売している。さらに、週末には国吉駅での停車時間に、いすみ鉄道応援団の人たちが車内まで弁当の販売に訪れるので、そうした時に購入することをお勧めしたい。

 

小湊鐵道から乗る場合には、五井駅周辺で購入、また上総牛久駅など一部の駅前に飲食店がある。

↑上総中野駅にいすみ鉄道のキハ20が到着して賑わう。同写真を撮影した2020(令和2)年10月25日は小湊鐵道の一部路線が不通だった

 

さらに問題なのが、自然災害の影響を受けやすいことだ。房総半島の地図を見ると、川が右左に激しく蛇行していることが分かる。地形も複雑で、強固な地盤と言いがたい。小湊鐵道の線路端に連なる斜面などを見ると、水分を多量に含み、脆そうな印象が感じられる。

 

このところ台風が千葉県沖を通過することも多く、ここ10年の被害だけをあげてみると、いすみ鉄道での不通期間はないが、小湊鐵道では2013(平成25)年秋〜2014(平成26)年春、2015(平成27)年秋、2019(令和元)年に至っては9月9日〜21日、同年10月25日〜2020(令和2)年1月27日にかけて。さらにこの年は10月11日〜12月16日に不通となった。そして今年の7月4日以降(10月中旬に復旧予定)、というように路線のどこかの区間が不通になる状態が続いている。

 

そのたびに復旧作業が行われるのだが、こうした災害の影響が一般観光客の足を遠のかせる一つの要因になっているようにも思え、とても残念である。

 

さらに億劫なのが上総中野駅の乗り継ぎである。10月3日現在、途中区間が不通のままのため、列車本数が限定的になっていた。影響はいすみ鉄道にも波及しているように感じた。

 

筆者が乗車した上総中野駅着12時27分着のいすみ鉄道の列車は、乗っていたのが筆者1人のみだった。バスでは人が少ない例はあるものの、ローカル線の列車で、乗客が筆者のみというのは初めての経験だった。もちろん乗客1人のみでは、営業は成り立たないように思う。

 

【乗ろう!小湊鐵道①】接続する上総中野駅で列車を待つことに

いすみ鉄道の上総中野駅へ到着したのが12時27分。ここで小湊鐵道の接続列車が13時41分までない。1時間ちょっとの待ち合わせである。ちなみに、同列車の後はキハ28・キハ52利用の列車が13時50分に到着する。あと数分で、小湊鐵道の列車と接続できるのだが、なぜ接続させていないか、不思議に感じた。13時41分の後の列車は16時39分発で、3時間近く待つことになるわけで、これでは房総半島の鉄道での横断はとてもしにくい。

 

さらに上総中野駅〜上総牛久駅間を往復する列車は1日に3本のみ。いすみ鉄道の列車は上総中野駅まで走る列車は1日に11本あり、その差が大きい。

 

災害前の時刻表によると、五井駅〜上総中野駅間往復の列車は6便あった。不通になる前の時刻に戻るとしたら、いすみ鉄道との接続がかなり改善される。小湊鐵道の日常が早く戻ることを期待したい。

 

上総中野駅に到着して30分ほど。ホームへ入ってきたのは小湊鐵道のキハ208だった。キハ200形の208というわけだ。キハ200形とはどのような車両なのだろう。

 

○小湊鐵道キハ200形

↑上総中野駅に停車する小湊鐵道キハ208。後ろの木造駅舎と良く似あう。竹筒のような建物は公共トイレだがその巨大さに違和感を感じた

 

小湊鐵道のキハ200形は1961(昭和36)年から1977(昭和52)年にかけて導入された気動車で、国鉄のキハ20系をベースにしている。総計14両が造られ、長年にわたり活躍してきた。

 

キハ200形は小湊鐵道の顔と言うべき古参車両である。そんなキハ200形にも転機が訪れている。今後導入される後継車両に関しては後述するとして、上総中野駅に到着したキハ208をカメラに納めようというファンや、ローカル線の鉄道旅を楽しむ家族連れの姿が見受けられた。

 

【乗ろう!小湊鐵道②】バスに乗り継ぐ上総牛久駅で出会ったのは

上総中野駅13時41分発の列車に乗車したのは鉄道ファンや家族連れが10人あまり、この列車は上総牛久駅止まりとなる。上総牛久駅から先は不通のため代行バスの利用となる。

 

キハ208の座席はロングシートで、前後にドアは2つということもあり、ひたすら横一列の長いシートが連なる。上総中野駅〜養老渓谷駅間は、房総丘陵の横断路線の中でも、難路で途中、板谷トンネル、朝生原トンネルで房総半島のピークを越える。

 

菜の花の季節には賑わいを見せる月崎駅や飯給駅(いたぶえき)、また珍しいタブレット交換が行われる里見駅、テレビドラマのロケ地としてたびたび登場する上総鶴舞駅など名物駅を停車しつつ走る。途中駅では、駅の見物に訪れた観光客をよく見かけた。いすみ鉄道、小湊鐵道の沿線は、高速道路・国道などの道路網が発達していて、撮り鉄を含めて、首都圏からクルマでやってくる人が非常に多い。この人たちの一部でもよいので、列車で訪れて欲しいと感じた。

↑上総牛久駅に停車していたキハ207。路線不通後は、上総牛久駅〜上総中野駅間は同車両とキハ208のみで運行がやりくりされていた

 

上総中野駅から乗車して約45分。この日の〝終着駅〟である上総牛久駅の1番線ホームに到着した。3番線にはキハ207が停車していた。10月上旬現在、上総牛久駅〜上総中野駅間のみの運行となり、五井駅側はまだ路線が不通のままとなっている。

 

同社の車両基地は五井駅にある。7月初旬の水害によりキハ207とキハ208の2両が上総牛久駅〜上総中野駅間にとり残されたこともあり、かろうじて同区間の運行が続けられていたわけである。2両が残されていなかったとしたら、どうなったのであろうか。2車両による〝孤軍奮闘〟により、路線の営業が細々と維持されていたわけである。

↑上総牛久駅前にはすでに光風台駅行き代行バスが待っていた。列車が14時28分到着した後、バスは14時47分発と20分待つことに

 

上総牛久駅の代行バス発車までは約20分待ち。筆者にとって、その待ち時間の間に駅の周りなど撮影時間がとれるからラッキーだったものの、一般の利用者にとって、この待ち時間は何とも〝じれったい〟思いではないだろうか。

 

上総牛久駅で新しい施設を発見した。上総牛久駅が観光列車の「里山トロッコ」の出発駅であることから整備された施設で「里山トイレ」と名付けられる。要は公共トイレなのだが、トイレが公園風に清潔に、おしゃれに整備されていた。階段でのぼる「階段のトイレ」は列車が見える、いわば〝お立ち台〟なのだそうだ。子どもたちの遊び場にもなりそうな公共トイレだった。

↑上総牛久駅の駅前にできた「里山トイレ」。緑に包まれるようにできた公共トイレで、清潔感が感じられる。階段の上は〝お立ち台〟に

 

光風台駅行きのバスがそろそろ発車しそうだったので、断念したが、次回は階段の上の〝お立ち台〟から列車を撮ってみたい誘惑にかられた。

 

【乗ろう!小湊鐵道③】東北のような風景に見えるキハ40の走り

上総牛久駅から先は不通となっていたこともあり、2駅先の光風台駅まで代行バスでの移動となる。所要時間は12分ほどで、乗車してまもなく光風台駅に到着する。ここから先、五井駅までは30分〜1時間おきに列車が出ていて便利となる。

 

この区間では7月からすでに〝新車両〟が走り始めている。その新車両とはキハ40形だ。

 

○キハ40

↑JR只見線を走ったキハ40形。キハ40形は両端に運転席があり便利な車両だった。同塗装は東北地域本社色と呼ばれた

 

キハ40系(2代目)は国鉄が1977(昭和52)年〜1982(昭和57)年に新造した気動車で、キハ20形の後継車両として開発された。キハ40系の基本番台は車両の前後に運転台があるキハ40形、ドア位置を中央よりにした都市近郊タイプのキハ47形、片運転台のキハ48形が基本形として造られ、その派生系などを含めると大量の計888両が造られた。

 

全国津々浦々で活躍をし続け、その後にJR各社に引き継がれたものの、徐々に引退する車両が増え、JR東日本ではジョイフルトレイン用に改造された車両以外のキハ40系すべてが今年の3月で引退となっている。

 

そうしたキハ40形を今後に生かそうと引き取ったのが小湊鐵道だった。これまでのキハ200形の置き換え用に最適と考えたわけである。そして7月から五井駅〜光風台駅の運行に利用を始めている。

 

走り始めた車両はキハ40-2。JR只見線を2020(令和2)年3月まで走った塗装と同色で走り始めた。白地に濃淡2色のグリーンという塗装は、〝東北地域本社色〟と呼ばれていた。

↑稲刈りが終わったばかりの房総の田園地帯を走るキハ40-2。JR当時と同じ東北地域本社色のキハ40形が走る光景を見ることができる

 

JR只見線を走ったままの姿が房総半島で再現されたのである。それこそ行先案内の表示がなければ、これは東北の光景なのではと見間違えてしまう

 

キハ40形自体、国鉄カラーの強い車両であるし、さらにJR当時の塗装の車両が房総半島を走ることになるのは、予想できないことだった。この夏、緊急事態宣言下ということもあり、沿線では鉄道ファンの姿は限られていたものの、早くも同車両を撮影しようというファンの姿がちらほら見受けられた。

 

多くのキハ40形が小湊鐵道の五井駅にすでに運び込まれているが、今後、出場する車両がどのような塗装で出てくるのか、楽しみでならない。

 

【乗ろう!小湊鐵道④】光風台の駅へ入ってきた注目の異種編成

さて、レポートは10月3日に訪れた光風台駅の様子に戻る。代行バスが駅に着いて、まもなく駅に入ってきたのが、なんとキハ210と、キハ40-2の〝異種編成〟。気動車の場合には、電車とは異なり、このように違う形式であっても編成を組むことができるわけだ。

 

光風台駅で待つ乗客も興味津々で見ている人たちが多かった。光風台駅では、入ってきたホームからは、分岐ポイントの造りによってそのまま折り返すことができず、いったん先に進んで折り返す方式がとられていた。

↑この日、光風台駅に入線してきたのはキハ210とキハ40-2の組み合わせ。こうした車両編成での運行も今後、行われていくのだろうか

 

入線したホームから折り返し運転ができないということで、ダイヤよりもやや遅れ気味で発車した五井駅の列車。キハ210とキハ40-2という組みあせでの運行はどのようなものだろうと走りに注目した。五井駅までは5駅だが、停車は良いのだが、出発時にはあまりスムーズとは言えない様子だった。こうした異種での組み合わせに、まだ慣れていないということもあるのかも知れない。単行での運行の方がもちろん、スムーズだ。このあたり、全線が復旧した時にどうなるのか気になるところだ。

 

光風台駅からは20分ほどで五井駅に到着した。途中に寄り道はしたものの、半日がかりの房総半島横断となった。災害による路線の不通がなければ、大原駅から五井駅まで、最短2時間ちょっとで横断が可能になる。

↑上総山田駅〜光風台駅間にある第一柴の下(だいいちしばのした)橋梁を渡るキハ40-2。こちらの橋も国の登録有形文化財に指定される

 

余談になるが、小湊鐵道の路線では2017(平成29)年に22施設が国の登録有形文化財に登録された。駅や鉄道施設の多くが文化財なのだ。いわば古い時代物が数多く残っていることにほかならない。

 

そうした文化財と昭和に生み出された車両とが生み出すコラボレーションは、いわば同鉄道の〝財産〟であり〝宝物〟となっている。そんな恩恵を利用者も存分に見て、魅力を堪能したいものである。

 

【乗ろう!小湊鐵道⑤】復旧後の小湊鐵道の注目ポイントといえば

10月中旬になれば不通区間も復旧し、小湊鐵道の日常が戻ってくる。とともに、緊急事態宣言も解除されたこともあり、人気の観光列車「里山トロッコ」も上総牛久駅〜養老渓谷駅間での運行が再開されることになろう。

↑春には菜の花と桜、そして里山トロッコの共演が楽しめる上総大久保駅。こうした日常が早く取り戻されることを望みたい

 

さらに気になるのは、新しく導入されたキハ40の動向だ。下の写真が五井機関区の10月3日の状況だ。一番手前に見えているキハ40形が、キハ40-1で、小湊鐵道カラーの肌色と朱色で塗られ、イベント列車として走ることがすでに発表されている。

 

その後ろ側に「首都圏色」と呼ばれる朱色のキハ40が2両並ぶ。その横には「男鹿線色」と呼ばれる緑のラインが入った車両が止まっている。こうした塗装は、どのように変えて出てくるのか気になるところだ。

↑五井駅に隣接する小湊鐵道の五井機関区の模様。キハ200形とともにJR東日本から導入したキハ40の姿が多数に見える(10月3日撮影)

 

そんな五井機関区の車両の動向および観察に最適な小湊鐵道直営の施設もできている。五井駅の東口を降りた目の前に「こみなと待合室」という施設が今年3月にオープンした。広々したパブリックスペースでは、小湊鐵道のグッズ類の販売、そしてドリンク類やパンやスイーツが用意されている。

 

室内には駅側を見わたせるイス、さらには小湊鐵道のホームと機関区が目の前に見える中庭が設けられ、外にも座席とテーブル用意されている。それこそ、機関区に出入りする車両をじっくり見渡すことが可能なのだ。上総牛久駅の「里山トイレ」と、五井駅の「こみなと待合室」。最近の小湊鐵道の営業努力には頭が下がる。あとは、水害などの自然災害がなるべく房総半島を避けてくれることを祈るのみである。

↑ひと休みに最適な五井駅東口にある「こみなと待合室」。駅のホームや機関区が目の前に見えることもあり家族連れで訪れる人も多い

 

【乗ろう!房総の鉄道】気になる京葉臨海鉄道の赤い新型機関車

最後に、同じ房総半島を走る鉄道で注目の路線と新型車両に関して一つ触れておきたい。

 

内房線の蘇我駅と千葉貨物駅、さらに臨海工業地帯の京葉久保田を結ぶ21.6kmの貨物専用の路線がある。運行するのは京葉臨海鉄道臨海鉄道。貨物線としては屈指の輸送量を誇っている。これまで空色に塗られたディーゼル機関車KD55形とKD60形が長年にわたり使われてきたが、今年6月に新しい機関車が加わっている。

↑京葉臨海鉄道の新型DD200形の801号機。訪れた9月中旬には試運転が行われていた。後ろの村田川橋梁は明治期に米国で造られたもの

 

DD200形801号機がその新しい機関車で、筆者が訪れた9月には試運転が行われていた。「RED MARINE」という臨海鉄道らしい愛称も付けられた。

 

○DD200形ディーゼル機関車

DD200形はJR貨物が開発し、すでに複数の路線での貨車牽引だけでなく、駅構内の入れ替えなど、汎用性に富んだ機関車として使われている。JR貨物だけでなく、京葉臨海鉄道、水島臨海鉄道にもすでに導入されている。JR九州にも1両が導入された。臨海鉄道だけでなく、JR旅客会社にまでということは、DE10形といった古い国鉄形機関車の置き換えという役割を担うことになるのだろう。

 

京葉臨海鉄道の路線は内房線の蘇我駅・八幡宿駅・姉ケ崎駅からも徒歩で行ける距離にある。小湊鐵道を訪れたおりに、赤く鮮やかな新型機関車の活躍を見に行く楽しみも増えた。

完成度はウルトラC! 人気輸入車ランキングの常連ベンツ「Cクラス」が7年ぶりにフルモデルチェンジ!

8月に発売したばかりのメルセデス・ベンツの新型「Cクラス」。7年ぶりにフルモデルチェンジし、5代目にあたるW206型は全車のエンジンに電動化技術を採用。Sクラスに通じるデザインと、ふんだんに投入された先進技術により、今人気の輸入車です。

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

Sクラス譲りのデザインと最新テクノロジーが満載

【セダン/ステーションワゴン】2021年8月発売

メルセデス・ベンツ

Cクラス

654万円〜705万円(税込)

1993年にデビューした初代Cクラス。今回7年ぶりのフルモデルチェンジで5代目に進化した。新型はマイルドハイブリッドもしくはプラグインハイブリッドで全モデルが電動化。Sクラス並みの豪華な装備にも注目だ。

 

↑ラインやエッジを大幅に減らし、Sクラス然としたエクステリアはベビーSクラスとも。ヘッドライトはSクラス同様のデザインだ

 

↑インテリアもSクラスを彷彿とさせる。縦型の11.9インチディスプレイはドライバー側に約6度傾け、視認性の向上をはかっている

 

【トレンドのツボ】輸入車Dセグメントの雄は一段とコスパが向上

2015〜19年の5年連続で輸入車Dセグメントナンバー1に輝いた基幹モデル。上位Sクラスのデザイン思想を取り入れたなか、安全運転技術も大幅に向上し、コスパの高さが魅力だ。

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】

 

パナソニックからショッピングモデル最軽量の電動アシスト自転車が登場!

パナソニックが、ショッピングモデルとしては業界最軽量の電動アシスト自転車「ビビ・SL」を12月3日に発売すると発表しました。

 

ビビ・SLは、ドライブユニット、フレーム、バスケットなどを軽量化し、ショッピングモデルでは最軽量(2021年9月10日時点)となる19.9kgを実現。軽量化により駐輪時の持ち上げや、押し歩き時の取り回しがよりしやすくなりました。

 

また、新設計のかるらくアルミフレームは、乗り降りのしやすさに加え、乗車中の膝の曲げ伸ばし負荷を軽減します。バスケットには新たにカーボンを配合することで、軽さと剛性を兼ね備えた設計にしました。

 

2軸モーター業界最軽量、カルパワードライブユニット搭載

ビビ・SLが搭載するカルパワードライブユニットは、従来のドライブユニットと比べ、約24%(約900g)の大幅な軽量化に成功しました。素材や部品など一から設計を見直し、2軸モーター業界最軽量の約2.8kgを達成しています。

 

また新制御であるカルパワーアシストは、アシストの力強さはそのままに、より軽く、快適な走行を可能にします。坂道では、ぎくしゃくしたペダリングをモーターが補い、なめらかになるようアシスト。漕ぎ出し時は、平地や坂道、荷物の有無などの負荷を検知し、最適なアシスト力に調整します。加えて、中速域でのスピードの伸びも向上させることで、あらゆる速度帯において快適な走りを実現しました。

 

強度を保ちながら軽量化を実現した、かるらくアルミフレーム

ビビ・SLのかるらくアルミフレームは、ダウンチューブの形状を二重構造型から卵型にすることで、軽量化と同時に強度も確保。サドルの高さは同社従来品と比べて約5cm低くし、最低地上高67cmにしました。サドルが低くなったことで、足が地面につきやすく乗り降り時や停車時の安定感が増しています。

 

また、シート角を従来品より寝かせたことで、サドル位置が相対的に後退しました。これによりペダリング時の膝の曲げ伸ばしの負荷が減り、より楽に漕ぐことができます。

↑かるらくアルミフレーム

 

軽さと剛性を備えたカーボン配合軽量バスケット

ビビ・SL搭載のバスケットは、化学素材メーカーの小松マテーレと共同開発したカーボン配合の樹脂からなる軽量バスケットです。従来品のバスケットから、約175g軽くなっています。高強度を生かした、網目の大きなデザインで軽量化を図りつつ、底面は網目を細かくし、小物が落ちにくい設計となっています。

↑カーボン配合軽量バスケット

 

ビビ・SLの発売日は12月3日を予定。価格は12万5000円(税込)となっています。

〝ゴロンと〟気軽に休んで旅ができた!特急「あけぼの」の記録

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.6〜〜

 

特急「あけぼの」は首都圏と東北の日本海側の駅を直接に結ぶ貴重な列車だった。〝ゴロンと〟ひと眠りしたら、夜明けに目的地の駅にちょうど到着した。

 

冬は時に雪を付けたまま走り、北国の昨夜の雪の積もり具合を首都圏の人たちに伝えた。車内ではお国言葉が飛び交った。そんな旅情豊かな寝台列車が消えてすでに7年の時が経つ。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載。学研パブリッシング刊「寝台列車を乗り尽くす」誌内の図版と地図をリメイクして使用しました

 

【名列車の記録①】日本海側の都市と首都圏を結んだ「あけぼの」

まずは概要から見ていこう。

↑春先、菜の花に包まれるようにして走る上り「あけぼの」。高崎線沿線ではこうした光景が楽しめた(高崎線本庄駅〜岡部駅間)

 

■特急「あけぼの」の概要

運行開始 1970(昭和45)年10月1日、上野駅〜青森駅間の定期運行を開始
運行区間 上野駅〜青森駅
営業距離 772.6km
所要時間 下り12時間41分、上り12時間50分(最終年の所要時間)
車両 24系客車8両(多客期は増結)+電源車、牽引はEF64形直流電気機関車、EF81形交直両用電気機関車
運行終了 定期運行2014(平成26)年3月14日
臨時運転2015(平成27)年1月4日

 

↑特急「あけぼの」の停車駅と発着時間。新潟県の新津駅より先、山形県、秋田県、青森県と多くの駅に停車して走ったことがわかる

 

特急「あけぼの」の運行開始当初は東北本線・奥羽本線経由で走っていた。石川さゆりの代表曲「津軽海峡冬景色」の冒頭で歌われていた列車そのものである。最盛期には毎日3往復が走る人気列車でもあった。1997(平成9)年3月22日の秋田新幹線開業時には、東北本線、奥羽本線経由の「あけぼの」が廃止され、それまで高崎線、上越線、羽越本線経由で走っていた特急「鳥海」の名前が、「あけぼの」に変更され、その後も18年にわたり定期運行を続けた。

 

停車駅を見ると分かるように、山形県、秋田県、青森県の日本海側の駅を数多く停車して走っていた。首都圏と日本海側の都市を結んだ地域密着型の寝台列車でもあった。

 

【名列車の記録②】気軽に乗車できた2両の「ゴロンとシート」

客車の構成もユニークだった。編成図を見ると、通常期の客車編成は電源車を除く8両で、寝台はグレードの異なる4タイプを備えていた。

↑電源車を最後尾にして走る上り「あけぼの」。「ゴロンとシート」のほか、個室AB寝台と、開放2段式が連なり変化に富んだ構成だった

 

4タイプのうち1号車と8号車は「ゴロンとシート」と呼ばれる客車だった。どのような寝台だったのだろう。この「ゴロンとシート」は指定席特急券と乗車券だけで利用できる2段式開放寝台で、浴衣や枕、ハンガーなどの備品がつかない。寝台料金が不用で、開放式B寝台が使えて横になって旅が楽しめた。カーテンがついていて、寝台を仕切られるので、プライバシーは守られていた。さらに1号車の「ゴロンとシート」は女性専用で、女性の一人旅にも向いていた。車体側面にはかわいらしいクマのイラストマークが描かれ、使いやすさも演出されていた。

 

ほかには個室が2タイプあった。A寝台は「シングルDX」で、基本1人利用だが、補助ベッドも設けられ2名利用も可能だった。またB寝台個室は「ソロ」があり、1階と2階でそれぞれ広々した窓から車窓風景も楽しめた。

 

ほかB寝台は開放2段式で、通常期3両が連結されていた。このように好みに合わせて寝台が選べたのも、この列車の魅力となっていた。

 

【名列車の記録③】上越線越えには〝山男〟の牽引が必須だった

この列車には2形式の牽引機関車が使われていた。

 

上野駅〜長岡駅間の牽引がEF64形直流電気機関車で、長岡駅〜青森駅間はEF81形交直両用電気機関車が担当した。772.6kmという、それほど長距離を走るわけではないのに、なぜ交換が行われたのか。

 

その理由は、上越線の山越え区間を考えての交換だった。現在、JR貨物の貨物列車輸送でも、EH500形式といった勾配区間に強い電気機関車が列車を牽引している。上越線はそれだけ勾配が険しいのである。EF64形は上越線での走行のために設計され「あけぼの」にも2009(平成21)年以来、同機関車が使われ続けていた。「あけぼの」が消滅後も、JR東日本ではEF64形は使われ続けていて、上越線を越えての新車の配給輸送等で活躍している。

↑EF64形牽引の上り「あけぼの」が上越国境を目指す。岩原スキー場駅の近くで撮影したもので、同日は大雪で3時間遅れの運行だった

 

長岡駅〜青森駅間はEF81形交直両用電気機関車にバトンタッチして、信越本線、羽越本線、奥羽本線の牽引を行った。東北本線で特急「北斗星」を2010(平成22)年まで牽いたEF81と同形式だったが、こちらは耐雪強化されたタイプで、運転席の窓上にあるひさしは、つらら切りのものだった。塗装も深紅の赤2号と呼ばれる塗装で、退色防止のために同色で塗られていた。

 

ちなみにJR東日本のEF81形は、今も、秋田総合車両センター南秋田センターおよび、長岡車両センター、田端運転所に配置されていて、事業用機関車として役立てられている。

↑下り「あけぼの」が津軽平野を走る。正面の運転席上のひさしと、塗装が特徴だった耐雪仕様のEF81交直両用電気機関車

 

【名列車の記録④】下りは津軽富士の眺めが楽しみに

下り「あけぼの」の上野駅発車時間は21時15分とやや遅めで、首都圏での仕事を終え、また用事を済ませて乗車する人が目立った。高崎駅を22時48分に発車以降、次の停車駅は新潟県の村上駅となる。停車は3時19分と深夜のことだった。羽越本線を北上して、山形県内に入り、鶴岡駅(4時34分着)あたりで、日の長い季節は外が少しずつ見えるようになった。この先、多くの駅に停車しつつ、北を目指す。秋田駅6時45分着で、もちろん東京駅発の秋田新幹線の始発よりも早く秋田駅に到着することができた。

 

さらに東能代駅(7時48分着)、大館駅(8時35分)といった秋田の県北の駅をいくつも停まって走る。

↑下り「あけぼの」が秋田県北にあたる白沢駅〜陣場駅間を走る。深緑のなか深紅の機関車とブルートレインが絵になった

 

上の写真の陣場駅の北側で列車は青森県へ入った。しばらく走ると県内初めての停車駅、碇ケ関駅へ8時57分に到着。青森県は広く、この先まだ1時間ほど終着の青森駅まではかかった。

 

大鰐温泉駅(9時5分着)、弘前駅(9時18分着)と停車し、寝台列車にもかかわらず、地元の通勤客の姿も目立つようになる。実は特急「あけぼの」、秋田県の羽後本荘駅から先は立席特急券でB寝台が利用できるとあって、地元の通勤の足としても利用されていたのである。

 

すでに途中駅で降りていった乗客も多く、こうした地元の通勤客の利用が可能だった。弘前駅の先では、津軽富士の名でも知られる美しい岩木山が下り列車を出迎えた。

↑岩木山を背景に力走を見せる下り「あけぼの」。時間は9時29分ごろで、あと30分で青森駅着となる(奥羽本線川部駅〜北常盤駅間)

 

秀麗な岩木山を進行方向左手に眺めながら下り列車は終着駅の青森駅を目指す。大釈迦駅(9時39分通過)の先で峠を越えて、青森平野へ列車は入っていく。雪のない季節には、こうした美景にも巡りあえたのだが、筆者は厳冬期、この列車を追ったことがあった。

 

それが下記の写真。新青森駅のとなり駅、津軽新城駅から徒歩で約24分というポイントでの撮影だが、それこそ〝雪中行軍〟で大変な目に。冬ともなると日々、こうした厳寒の中を走り続けた「あけぼの」だったのである。それこそ耐雪仕様のEF81形交直両用電気機関車が十分に生かされていた。雪の中であっても、ほぼ遅れることもなく、この日も青森駅に9時56分に定刻通りに到着したのだった。

↑厳冬期は雪でおおわれる北東北地方。雪に強い機関車の牽引でこの日も時刻通りに通過していった(奥羽本線鶴ケ坂駅〜津軽新城駅間)

 

【名列車の記録⑤】首都圏に朝到着する上りならではの雪の便りも

下りの上野発が21時15分と遅かったのに対して、上りは青森駅を18時8分発と3時間も早く発車した。外の景色は、日の長い季節以外は望めなかったものの、東北地方各県の途中駅にその日のうちに発着するとあって、翌朝に首都圏へ入りたいという人には重宝されていた列車でもある。山形県のあつみ温泉駅発が23時37分と、東北3県で停車する駅は、すべて23時台までと、利用者を考えた時間設定だと言えるだろう。

 

下り列車が通過した新発田駅(0時57分発)や、新津駅(1時22分発)も停まりつつ、列車は関東地方を目指した。

↑高崎線の本庄駅〜岡部駅間を走る上り「あけぼの」。このあたりは畑地が多い一帯で、撮影スポットも多かった

 

新潟県から群馬県へ県境を越えて最初に停車したのが高崎駅だった。5時12分に到着する。日の長い季節には車窓も楽しめる時間だった。

 

神保原駅(5時31分通過)からは埼玉県へ入り、関東平野の田畑を左右に見ながら東京を目指した。5時台に高崎線を通過していったが、列車の運行終了間近には早朝にもかかわらず、列車を撮り残しておきたいというファンも多く見ることができた。

 

そして最後の停車駅、大宮駅へは6時29分に到着する。上り列車は首都圏のラッシュ時間の前に主要駅を通過するダイヤ設定がされていたのである。そういう意味でも良く考えられていた寝台特急と言えただろう。

↑日暮里駅付近で最後の走りを見せる上り「あけぼの」。厳冬期にはこうした雪をつけたままの列車を良く見ることができた

 

上り「あけぼの」は雪の多い日本海側、そして上越地方を越えて走り続けた。そのために、雪国を越えた姿そのままに首都圏に入ってくることも多かった。正面の電気機関車には雪がこびりつき、客車の下回りにも雪が多くへばりついていた。着雪が多い日には、途中駅で雪が飛んで被害を及ぼさないように、雪下ろしもされたそうだが、それでも写真のようにへばりついていたのである。首都圏に住む人たちに、雪国の便りを届ける、そんな列車でもあった。そして6時58分、ラッシュ前の終着駅、上野へ客車列車らしくゆっくりと入っていったのである。

 

特急「あけぼの」、その後に特急「北斗星」の廃止により、ブルートレインは消えてしまった。さらに急行「はまなす」の廃止で、定期的に走る客車列車も一部の観光列車をのぞき消えてしまった。なんとも寂しいここ最近となっている。とはいえその間にも時代は刻々と動いている。

 

フランスなど欧米諸国では、脱炭素化の流れが強まり、鉄道旅行が見直されるようになっている。短距離区間の移動は飛行機利用ではなく、鉄道の旅をするように推奨され、政府が鉄道の補助を行うように変わりつつある。さらに寝台列車の復活の動きも出てきたと聞く。日本では、今や寝台特急といえば、首都圏と中国・四国地方を結ぶ特急「サンライズ瀬戸・出雲」のみとなっているが、その人気は高い。

 

急がずのスローな鉄道旅行も時には良いもの。もう少し寝台列車が見直されてほしいと切に願う。

ルーフやフードにアルミ素材を使用し低重心化を図ったピュアスポーツ「BRZ」。高い走行性能の秘ケツは低姿勢

「誰もが愉(たの)しめる究極のFRピュアスポーツカー」を実現したというスバル「BRZ」。トヨタの「GR 86」とベースとなる部分は共有しつつ、スバルブランドの個性を重視して走りの特性やデザインの一部を差異化しています。今、話題のスポーツカーにクローズアップ!

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

2代目はよりハイパワー化した水平対向エンジンを搭載

【スポーツカー】2021年7月発売

SUBARU

BRZ

308万円〜343万2000円(税込)

トヨタとスバルの共同開発によるスポーツカーの2代目が登場。心臓部にはスバルのメカニカルアイデンティティでもある水平対向エンジンを搭載する。初代モデルより400cc拡大された排気量で、伸びのある加速フィールが味わえる。

 

↑ハンドリングの楽しさを最大限生かす低重心パッケージ。アルミルーフの採用や前後左右の重量バランスを最適化し、世界トップクラスの低重心を実現。軽量化にも成功した

 

【トレンドのツボ】希少な国産ピュアスポーツは月産500台で人気沸騰必至!

いまや国産のピュアスポーツカーは希少。兄弟車となるトヨタ86も間もなく登場する予定だが、BRZは月産500台。前モデルからの乗り換えも考えると、人気沸騰は間違いない。

 

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進化したVW8代目「ゴルフ」は名ハッチバック。 “世界基準”モデルは電動化とデジタル化を実現!

フォルクスワーゲン「ゴルフ」の8代目が日本に導入されました。ラインナップは1リットル3気筒エンジン搭載の「アクティブ」と呼ばれるモデルと、1.5リットル4気筒エンジンを搭載する「スタイル」及び「Rライン」。新型ゴルフは、インポートカーの中でも今人気なんです。

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

先進のデジタル技術で実現する使いやすい心地良さ

【ハッチバック】2021年7月発売

フォルクスワーゲン

ゴルフ

291万6000円〜390万3000円(税込)

跳ね上げ式のバックドアを持つ、ハッチバックのベンチマークがフルモデルチェンジ。全モデルでマイルドハイブリッドを採用。タッチ操作可能な10インチのモニターやフルデジタルメーターにより、運転席まわりのデジタル化を実現した。

 

↑48Vマイルドハイブリッドシステム。ターボエンジンに不利な低回転域のトルクを補い、燃費や加速に貢献する

 

↑10インチのディスプレイ。オンライン化を実現する「Discover Pro」も対応し、ネットワークを通じ快適にドライブできる

 

【トレンドのツボ】1か月で予約は1000台を超えベンチマークモデルへの期待大

2月に早くも予約注文が開始されたが、1か月で1000台を突破。マイルドハイブリッドやデジタルコクピットなどを導入した、ハッチバックのベンチマーク的存在に期待が集まる。

 

 

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世界じゅうで愛されるキング・オブ・SUV! ランドクルーザーが14年ぶりにフルモデルチェンジ

ランドクルーザーは世界170か国で愛されるSUVの“王様”。その走破性に寄せられる信頼は絶対のものになっている。誕生から70年の今年、14年ぶりにフルモデルチェンジ。「どこへでも行き、生きて帰ってこられるクルマ」を使命とする同車の新型は、早くも人気沸騰中だ。

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

【SUV】2021年8月発売

トヨタ

ランドクルーザー

510万円~800万円

運転しやすく、疲れないクルマを目指した世界屈指の4WD。パワーユニットは先代のV8が姿を消し、全モデルV6エンジンに変更。ディーゼルエンジン搭載車の復活や、GR SPORTグレードが加わったことが話題になっている。

 

SPEC【ZX ガソリンエンジン】●全長×全幅×全高:4985×1980×1925mm●車両重量:2500kg●パワーユニット:3444ccV型6気筒+ツインターボ●最高出力:415PS/5200rpm●最大トルク:66.3kg-m/2000~3600rpm●WLTCモード燃費:7.9km/L

 

モータージャーナリスト

清水草一さん

フェラーリと首都高をこよなく愛する自動車ライター。クルマのほか交通ジャーナリストとしても活動中。メディア連載も多数。

 

伝統はしっかり継承しつつ悪路走破性をさらに高めた

ランドクルーザーは「キング・オブ・SUV」。日本ではオフロードを走る機会はめったにないが、中東諸国や途上国では絶対的な信頼とステータスを得ている。特にアフリカでは4WD=ランドクルーザーと言われるほどだ。

 

「道路事情の悪い国では、ランドクルーザーこそ最強であり最高級。途上国での絶大な人気が日本など先進国にも飛び火し、名声は高まる一方です」(清水さん)

 

新型の開発テーマは“継承と進化”。耐荷重性、耐衝撃性に優れたラダーフレームは剛性を上げながら軽量化して継承。さらにボディ各所にアルミ材を使用することで、車両重量を約kg軽量化した。

 

「オフロードでは車両の軽さは重要で、ぬかるみにはまったときも脱出しやすくなります。ランドクルーザーはさらに生きます」(清水さん)

 

路面状況に合わせて最適なドライブモードを選べる「マルチテレインセレクト」はさらに進化し、利用可能なシーンがより広がっている。

 

エンジンはガソリン、ディーゼルともにV6に変更された。

 

「燃費の良さを求められるクルマではありませんが、新型では向上しました。特に復活したディーゼルターボモデルは、力強いトルクと9.7km/L(WLTCモード)という燃費を実現していて、環境性能も向上しています」(清水さん)

 

【トレンドのツボ】世界じゅうで争奪戦がぼっ発? 日本では納車まで1年以上の見込み

ランドクルーザーは世界各国で使われており、このクルマでないと安心して走行できないという地域も多い。早くも世界じゅうからオーダーが入っており、争奪戦となっている。日本では納車まで1年以上かかる見込みとアナウンスされた。

 

↑観光客を乗せて砂漠を走る「デザートツアー」。故障は命取りになるため、ほぼランドクルーザーが使われる

新型ランドクルーザーはココが進化!

新型モデルでは絶対的な悪路走破性をさらに高め、安心してオフロード走行ができるように進化。先代から14年を経たフルモデルチェンジの革新はココに凝縮されている。

 

1.高剛性を高めながら大幅な軽量化を実現

新開発のGA-Fプラットフォームを採用。伝統のラダーフレームは剛性を高めつつ軽量化。さらにルーフや全ドアパネルの素材をアルミ化することで、車両重量が従来より約200kg軽量に。

 

↑従来よりも20%剛性がアップした新しいラダーフレーム。TNGAプラットフォーム思想により、最新の溶接技術などを導入したことで実現している

 

↑新開発のサスペンション。サスペンションアームの位置を変えることで、ブレーキング時の車両姿勢や悪路でのタイヤの浮きづらさが向上した

 

2.充実したマルチテレイン性能でオフロード走行をサポート

悪路走破性を高めるマルチテレインセレクトを全モデルに標準装備。路面状況に合わせて走行モードを選択すれば、駆動力やサスペンション、ブレーキなどを自動で制御し、走破性を確保してくれる。

 

↑モードセレクトの動作範囲は通常の4WDであるハイレンジ(H4)モードでも選べる。より広いオフロード走行で使用可能になった

 

↑周囲の状況を4つのカメラでサポートするマルチテレインモニター。車両を停止させれば車両下の状況も確認でき、進むべき方向も教えてくれる

 

3.GR SPORTグレードにはラリーで培った技術を投入

新型モデルの目玉がGR SPORTグレードの設定。いままでにないほどオフローダーとしての性能を重視しているのが特徴だ。ダカールラリー参戦ドライバーの声を反映した専用装備が設定される。

 

↑前後のスタビライザーを独立して自動で電子制御し、前後輪それぞれの状況に応じその効果を変化させるE-KDSSを搭載。オンロードでの安定した走行と高い悪路走破性を実現する

 

↑本格的4WDではおなじみの、シャフトで左右両輪をつなぎ駆動力を生むデフロック走行。GR SPORTは前輪でも設定可能

 

【Column】ランドクルーザーを撮り続けているカメラマンがそのタフさを語る!

 

カメラマン

難波 毅さん

新聞社のカメラマンを経てフリーに。オーストラリアでランドクルーザーに出会い、以来過酷な環境下で働く姿を撮り続けている。

 

ランドクルーザーが止まればオーストラリアの生活が止まる

オーストラリアはランドクルーザーがランドクルーザーらしく活躍する場所。地下の銅鉱山では悪路、泥水、高湿度という環境で一生を過ごし、未整地の牧場では人車一体となって牛の群れを追う。産業界や官公庁で広く利用されており、「ランドクルーザーが止まればオーストラリアの生活が止まる」といっても過言ではないほどの信頼度だ。

 

↑放牧する牛の群れを追いながら移動させるのは馬に乗ったストックマンの仕事だったが、ランドクルーザーが馬の代わりとなることも。道なき牧場内を走り回るのは想像以上にタフである

 

↑オーストラリアの地下鉱山。その坑道は地下1900mに達する。地下で働くクルマは大型重機を除けばランドクルーザーだけ。いったん地下に下りたら基本的には2度と太陽を見ることはない

 

LAND CRUISER 70 YEARS HISTORY

1951

ジープBJ

自衛隊の前身である警察予備隊向けに開発された。車名の由来はB型エンジン搭載のジープ型モデル。性能は十分だったが、実績から納入は見送られた。

 

1955

ランドクルーザー 20

乗用車テイストに変化。ホイールベース違いのモデルもラインナップしていた。末期にはバンモデルも導入し、海外への輸出も本格的に開始された。

 

1967

ランドクルーザー 55

それまでのタフさ一辺倒ではなく、ランドクルーザーに求められた快適さを具現化したモデルが55型。高い快適性を持つステーションワゴンとなった。

 

1980

ランドクルーザー 60

55型の後継モデルが60型。より快適性能が向上した。エアコンやパワステ、国産4WDとしては初のATを採用するなど、より個人ユーザー向けになった。

 

1984

ランドクルーザー 70

悪路走破性能を保ちつつ快適性は乗用車と同様レベルに向上。日本での販売は終了してしまったが少しずつ進化し、海外ではいまも第一線で活躍中だ。

 

1989

ランドクルーザー 80

ラグジュアリー系RVとして地位を確立。仕様や装備は高級セダンと遜色ないうえ、耐久性や走破性能もランドクルーザーの名に恥じないものだった。

 

1998

ランドクルーザー 100

その異名は「悪路のセルシオ」。高級4WDモデルとして豪華な装備を誇った。海外ではレクサスブランドとして「シグナス」も追加されている。

 

2007

ランドクルーザー 200

ボディサイズを100型より拡大した200型。悪路などで超低速域を維持するクロールコントロールなど、先進機能を多く装備するのも特徴だった。

クラファン6億超え「HONBIKE」に“MADE IN JAPAN”和柄モデルが登場! アプリでロック機能も

電動アシスト自転車「HONBIKE(ホンバイク)」を発売するClick Holdingsは、応援購入サイト「Makuake」にて、「HONBIKE Made in Japan」プロジェクトを始動しました。価格は13万8000円~で、プロジェクトは11月29日18時まで実施されます。発送は2022年2月末から順次行われる予定です。

 

これまでHONBIKEの生産は海外工場で行なわれていましたが、二輪・自動車のパーツ製造や組立経験が豊富な地方ベンチャー企業と協業契約を締結し、国内工場を立ち上げ、JAPAN MADE「和柄モデル」の生産を行なうとのこと。

 

MADE IN JAPANにちなんで、初期生産は「和」に注目し、ホワイト「FLOWER OF LIFE」(生命の花)、ブルー「SEIGAIHA BLUE」(青海波)、シルバー「ASANOHA SILVER」、限定製品のゴールド「SCALE GOLD」と、4つの「和柄モデル」を特別にセレクトしデザイン。

 

また、専用アプリを新たに開発し、「盗難防止ロックシステム機能」を搭載。より防犯面を強化しています。

 

HONBIKE本体の応援購入には、トリプル保険、ロックキー2個(オレンジ・ブラック)、スマートフォンホルダー1個が付いてくるほか、オプションとして高機能HONBIKEヘルメット、専用スタンド、バッテリーケース、ボトルホルダー付きバスケット、専用キャリーバッグも用意されています。

出力2倍のバッテリーでEV走行がより快適に! 新型「アクア」は電気出力“倍ブリッド”コンパクト

“いま”爆売れ中のモノを「乗り物」からセレクト。モータージャーナリスト清水草一さんがヒットの背景を解説する。消費者ニーズに“ビッタビタ”な“ゴン攻め”クルマの数々、知らないとマジでヤバいです!!

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

滑らかに減速できる「快感ペダル」が大好評!

【コンパクトハイブリッド】2021年7月発売

トヨタ

アクア

198万円〜259万8000円(税込)

初のフルモデルチェンジを果たしたハイブリッド専用コンパクト。アクセルペダルを緩めるだけで回生によって減速度を増大させ、滑らかに減速することが可能な「快感ペダル」を採用する。燃費を20%向上させ、35.8km/Lを達成した。

 

モータージャーナリスト

清水草一さん

フェラーリ、ランボルギーニから軽自動車まで所有経験あり。常にコスパを優先して愛車をチョイスしている。

すべてを兼ね備えた日本のためのコンパクトカー

初代アクアは10年間売れ続けたモンスターだったが、7月に登場したばかりの新型アクアはさらに魅力的。すべてを満たす超お買い得カーだ。ボディはコンパクトで使い勝手の良いサイズが自慢。

 

「同じトヨタのヤリスに比べると、後席やラゲージの余裕が段違い。ボディサイズはそのままに、全モデルよりホイールベースを50mm拡大したので、より余裕が生まれています」(清水さん)

 

パワーユニットはヤリスと同じ3気筒1.5Lのハイブリッド。だが新型アクアは出力が先代の約2倍となったバッテリーを搭載し、EVでの走行速度域を向上させた。

 

安全装備も最新バージョンへ進化し、トヨタセーフティセンスを標準装備。オプションのパーキングサポートブレーキは、車両周囲の静止物への衝突も回避してくれる。

 

「100V電源を全グレードで標準装備しています。ガソリン満タンなら、5日間くらいは家庭用電源として活用でき、災害時の停電対策にもなります」(清水さん)

 

これらの装備はすべて、日本市場の要望に応えたもの。アクアは近年珍しい、日本のために開発されたコンパクトカーである。

 

↑コンパクトなバイポーラ型ニッケル水素電池を、駆動用車載電池として世界初採用。従来型アクアよりバッテリー出力が約2倍に向上している

 

↑AC100V・1500Wのアクセサリーコンセントを全車に標準装備。駐車時でも電化製品が利用できる「非常時給電モード」も装備する

 

↑EVモードで「POWER+モード」を選ぶと、回生による減速度が増大。アクセルペダルを緩めるだけで滑らかな減速が可能になる

 

↑機能を集約させ、よりシンプルになった室内。ボックスティッシュなどを入れられる助手席アッパーボックスなど、収納スペースも多い

 

【トレンドのツボ】登場から10年が経っても販売台数上位に食い込む怪物

初代アクアは2011年の登場から順調に販売台数を伸ばし、一時期はプリウスと首位を競っていた。モデル末期の2018年に登録車の販売台数では2位に入るほど人気。新型が販売台数上位に食い込むのは必至だ。

●出典:日本自動車販売協会連合会の新車販売台数データ

 

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登場から約10年で累計販売台数300万台突破! ホンダ「Nシリーズ」は、もはやNipponの名車です !!

“いま”爆売れ中のモノを「乗り物」からセレクトしてみました。モータージャーナリストの岡本幸一郎さんが、ホンダ「Nシリーズ」のヒットの背景を解説します。消費者ニーズに“ビッタビタ”な“ゴン攻め”の軽自動車の雄、知らないとマジでヤバいです!!

※こちらは「GetNavi」 2021年10月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

1年で平均約30万台を販売する軽自動車の雄

【軽自動車】 2017年9月発売

ホンダ

Nシリーズ

Nシリーズは若い子育て世代やミニバンなどからの乗り換え層も納得の豊富なバリエーションを誇る。軽自動車の限られたサイズを最大限に生かす工夫が満載の室内空間や、荷室の使い勝手の良さが支持され、ロングヒット中だ。

 

N-BOX

142万8900円〜194万2600円(税込)

軽自動車離れした室内の広さで人気のスーパーハイトワゴンの金字塔。抜群のスペース効率や走りの良さ、扱いやすさが支持されている。シンプルなデザインも好評だ。

 

N-BOX Custom

176万9900円〜215万2700円(税込)

アッパーグリルのメッキを立体化し、よりフロントマスクを強調したことで硬派な印象に。以前は運転席寄りだったフロントのナンバープレートをセンターに配しているのも特徴だ。

モータージャーナリスト

岡本幸一郎さん

大型輸入車から軽自動車まで、使う人目線で見るのがモットー。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員も務める。

 

徹底的なリサーチとホンダの技術力が融合

一時は軽自動車からの撤退も考えたというホンダが、一転、やるからには頂点を極めるという決意で送り出したのがNシリーズだ。

 

「代表的存在のN-BOXは、軽ハイトワゴンがどのように使われ、何が求められているのか。徹底的なリサーチに基づく企画力と、数々の金字塔を打ち立てた第2期ホンダF1直系の技術力の融合で生まれた傑作です」(岡本さん)

 

販売台数は6年連続で首位をキープするなど実績は輝かしい。シンプルなデザインも人気の理由だが、それだけではない。乗れば誰でもわかる気持ちの良い走りや、いち早く標準搭載した先進運転支援システム。軽の常識を打破した充実の性能が国民の心を惹き付けて止まないのだ。

 

ラインナップも豊富!

N-WGN

129万8000円〜182万7100円(税込)

シンプルなデザインのN-WGNは2019年に2代目が登場。最新の運転支援技術「Honda SENSING」を全車に標準装備する。

 

N-VAN

127万6000円〜187万2200円(税込)

軽商用バンとしてレアなFF車。ピラーレスのスライドドアで開口部が広く、床はフラットで使い勝手が良い。

 

N-ONE

159万9400円〜202万2900円(税込)

ボディパネルを先代から流用したデザインが話題になった2代目。6MTを導入するなど操る楽しさも備える。

 

岡本さんが語る! Nシリーズ3つの魅力

【その1】低床設計が生み出すバツグンの使いやすさ

ホンダ独自のセンタータンクレイアウトを採用。通常は燃料タンクのある後部座席の下が平らになるため、荷室フロアが競合車よりもずっと低く、リアシートをチップアップすることもできる。

 

【その2】軽自動車の水準を超えた高い予防安全技術

いち早くミリ波レーダーと単眼カメラを用いた高度なシステムを全車標準装備としたのが画期的。JNCAPの衝突安全性能についても、N-BOX、N-WGNが最高ランクの5つ星を獲得している。

 

【その3】豊富なラインナップで多様な使い方ができる

同じシリーズながら4モデルそれぞれがまったく異なるキャラクターの持ち主である点もポイント。商用車の新しい姿を目指したというN-VANは、キャンパーとしても人気を集めている。

 

【トレンドのツボ】N-BOXは6年連続軽自動車販売台数トップ!

中核を担うN-BOX・N-BOX Customは、2015年度から6年連続で軽自動車販売台数No.1。2017〜20年度は、登録車(小型車・普通車)を含めた台数でも4年連続でトップに輝き、21年も絶好調だ。

●出典:全国軽自動車協会連合会の年度別新車販売台数データ

 

 

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ブルートレイン最後の輝き!列島を縦貫線した「北斗星」の記録

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.5〜〜

 

ちょっと旅に出にくいこんな時期には、少し前の列車旅の思い出に触れてみてはいかがだろう。名列車・名車両の記録5回目は、最後のブルートレイン列車となった特急「北斗星」の活躍を振り返ってみたい。

 

長年にわたり走り続けたブルートレイン寝台特急が列島を駆ける姿は、とても輝きに満ちていた。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載。学研パブリッシング刊「寝台列車を乗り尽くす」誌内の図版と地図をリメイクして使用しました

 

【名列車の記録①】四半世紀にわたり東日本を走った特急「北斗星」

↑終着駅の上野を目指す上り特急「北斗星」。ブルートレインには青空がとても良く似合っていた

 

ブルートレインという名の起こりは1958(昭和33)年、20系客車が開発されたことに始まる。最初に同客車が使われたのは特急「あさかぜ」だった。優れた設備から〝走るホテル〟とも呼ばれた。

 

塗装は青15号と呼ばれるシックなブルーに、クリーム1号の3本の帯を巻いた姿で、20系を利用した客車寝台特急は「ブルートレイン」と呼ばれた。当初は、東京と山陽・九州方面を結んで走り、その後、東京と東北を結ぶ列車などに運行範囲が広がっていった。20系の後継として14系・24系客車が開発され、全国を走り続けた。半世紀にわたり全国を走ったが、新幹線の路線網が広がるにつれて徐々に廃止されていく。まずは西日本を走る列車が消え、かろうじて残った東日本の列車も徐々に消えていき、そして「北斗星」が最後の列車となったのである。

 

どのような列車だったのか。まずは列車概要から見ていくことにしよう。

 

●特急「北斗星」の概要

運行開始 1988(昭和63)年3月13日
運行区間 上野駅〜札幌駅
営業距離 1004.0km
所要時間 下り16時間12分、上り16時間26分(2015年の所要時間)
車両 24系25形客車12両(電源車を含む)。
牽引はEF510形交直両用電気機関車、ED79形交流電気機関車、DD51形ディーゼル機関車
運行終了 定期運行2015(平成27)年3月13日
臨時運転2015(平成27)年8月22日
↑特急「北斗星」の停車駅と発着時間。北東北ではほとんどの駅を通過、一方、北海道内で多くの駅に停車した。道内観光に最適な列車だった

 

特急「北斗星」は、青函トンネルが開通したちょうどその日、1988(昭和63)年3月13日に誕生した。青函トンネルの開通を象徴するような列車でもあった。それまでは津軽海峡を渡るためには、青森と函館の両駅で、青函連絡船に乗り換えが必要で、夜間ともなれば、眠い目をこすりながらの移動となった。それも悪天候となると欠航してしまう。

 

青函トンネルが開通したことによりその手間が省けたのである。さらに「北斗星」が運行されるようになってからは、寝台で横になって翌朝に北海道へ、または首都圏へと、移動がとてもスムーズになった。

 

ちなみに、晩年の特急「北斗星」は、下りの列車番号が「1」であり、上りの列車番号が「2」だった。時刻表の一番上の番号も「1」や「2」と記載される。この列車番号「1」「2」はJRグループの中では、当時もほかになく、今もない。栄光の番号を背負った最後の列車になった。

 

【名列車の記録②】AB寝台ともに個室が増えてより使いやすく

「北斗星」は客車構成がすぐれていた。それまでの寝台列車といえば、開放型の2段寝台が主体だった。「北斗星」には2段寝台も連結されたが、個室も用意された。

 

まずはA寝台用の1人用個室「ロイヤル」、2人用個室「ツインデラックス」、さらにB寝台用の1人用個室「ソロ」、2人用個室「デュエット」と4タイプの個室が用意された。なかでも1人用個室「ロイヤル」はシャワー付きで予約がほとんど取れない人気ぶりとなった。

↑下は「北斗星」の編成図と7号車から電源車までの内訳を記載した。7号車は特急電車からの流用車両で屋根上に冷房機器が付いていた

 

↑6号車にはロビーとシャワールームが付く。撮影した日はロビーカーを連結。臨時列車にはこうした編成も見ることができた

 

個室のほかにも「北斗星」で人気があったのが、7号車に連結された食堂車「グランシャリオ」だ。旧来のブルートレイン特急とは異なり、豪華な食事を楽しむことができた。フランス料理のフルコースや懐石御膳もあり、懐石御膳はルームサービスも頼めた。同時期に特急「カシオペア」も上野駅〜札幌駅間を走っていたが、メニュー内容は「カシオペア」のレストランと同じだった。

 

【名列車の記録③】3区間で機関車が交代しつつ列車を牽いた

鉄道好きにとっては、途中に行われる機関車の交換も興味深かった。2回の機関車交換が行われ、3形式による牽引が行われた。まず上野駅〜青森信号場間では、EF510形交直流電気機関車が牽引。青森信号場〜函館駅間ではED79形交流電気機関車が列車を牽引した。さらに函館駅〜札幌駅ではDD51形ディーゼル機関車が牽引した。

↑上野駅〜青森信号場間ではEF510形交直流電気機関車が牽引した。右上は2010(平成22)年まで牽引を担当したEF81形交直流電気機関車

 

主に本州内で「北斗星」を牽引したEF510形交直流電気機関車は、JR東日本が寝台列車用に2009(平成21)年と2010(平成22)年に15両を新製したもので、EF510形の500番台にあたる。車両は「北斗星」と同色のブルーベースのものと、「カシオペア」に合わせた銀色ベースの2タイプが造られた。

 

2010(平成22)年から「北斗星」「カシオペア」の牽引だけでなく、貨物列車の牽引も行っていたが、運行開始わずかに5年で「北斗星」、また翌年に「カシオペア」の定期運用が終了してしまう。当然ながら余剰となり、全車がJR貨物に売却された。現在は同じ色のまま(細部の飾り等は変更)日本海縦貫線をメインに貨物列車の牽引に活躍している。

 

一方で、2010年まで「北斗星」を牽いていたEF81形交直流電気機関車の一部が、今もJR東日本に残る。後に振り返れば、ちょっと不思議な新製機関車の導入でもあった。

↑津軽海峡線を走るED79形交流電気機関車。「北斗星」だけでなく、「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」の牽引にも活躍した

 

青森信号場〜函館駅間で「北斗星」を牽引したのがED79形交流電気機関車だった。青函トンネルの列車牽引用に用意された機関車だ。まさに青函トンネル開業に合わせて生まれた「北斗星」の〝同朋〟とも言うべき存在だった。赤い塗装が目立ち、津軽海峡線の花形機関車でもあった。2015(平成27)年に「北斗星」が定期運行を終了すると、ED79形交流電気機関車は、その後、1年は急行「はまなす」の牽引を行ったものの、2016(平成28)年の3月21日で運行を終えた。

 

その後に青函トンネル内の諸設備が、新幹線が運行できるように変更されたために、同機関車はトンネル内を走れなくなり、牽引の役目も終了となる。順次廃車され、2020(令和2)年に最後の1両も解体されている。

 

「北斗星」が走っていたころに話を戻そう。青森信号場では機関車の交換作業を見ることができなかったが、函館駅では下りで7分、上りで12分の停車時間があり、乗客も降りてED79形と、北海道の非電化区間を走るDD51形ディーゼル機関車の、切り離し、連結作業を見ることができた。

↑室蘭本線を走る下り「北斗星」。道内の非電化区間ではDD51形ディーゼル機関車が2両重連で列車を牽引。重厚な姿が楽しめた

 

北海道内で「北斗星」を牽引したDD51形ディーゼル機関車は外観も北斗星に合わせた塗装で、客車との色のコンビネーションも絶妙だった。原生林をバックに走る姿は見惚れる魅力があった。

 

このDD51形も全車が急行「はまなす」の運行終了に合わせて引退、JR貨物のDD51形式もすでに道内からは撤退しており(その後、東海地区からも引退となる)、その重厚なディーゼルエンジン音が聞けなくなったのがちょっと寂しい。

 

【名列車の記録④】下り列車では青森駅から先の車窓が楽しめた

下り列車は上野駅19時3分と、暗くなるころに発車した。そのために関東地方、また東北地方では車窓を楽しむことができなかった。

 

一方で、青森信号場から先は、特急「カシオペア」、特急「トワイライトエクスプレス」の運行に比べて遅い時間帯に走ることもあり、車窓の移り変わりが十分に楽しめた。

↑津軽海峡線の中小国駅〜新中小国信号場間を走る下り「北斗星」。時間は4時50分ごろで、田植えが済んだ水田にその姿が映った

 

津軽海峡線(現・津軽線)の蟹田駅が4時46分発(運転停車)で、日の長い季節には外が明るくなりつつあった。そしてまもなく、青函トンネルへ入った。青森側入口から約40分で北海道へ。その時間が5時45分ごろで、だいぶ外も明るくなっていた。

 

木古内駅(5時54分通過)を過ぎると右手に津軽海峡が見えるようになり、しばらくすると車内から函館山と函館湾が望めた。

↑津軽海峡線(現・道南いさりび鉄道)の釜谷駅〜渡島当別駅間で右手に津軽海峡が臨める。撮影した日は朝霧が出て残念ながら見えず

 

函館駅へは6時36分に到着する。同駅で機関車の付け替え作業のため7分ほど停車する。ここから進行方向が変わる。七飯駅(6時54分通過)からは上り勾配を駆けあがり、やや長めの新峠下トンネルへ。抜けると左手に小沼と、湖ごしに駒ヶ岳が望める絶景ポイントが広がっていた。

↑小沼湖畔(函館本線七飯駅〜大沼駅間)を走る下り「北斗星」。進行方向左手には駒ヶ岳が望めるポイントでもある

 

函館本線は大沼駅の先で、本線と、砂原支線の二手に分かれるが、「北斗星」は駒ヶ岳の西側を走る距離の短い本線を下り上りとも走った。本線を下り終えた「北斗星」。森駅(7時26分着)からは右手に内浦湾が望めた。この大きな湾を半周するように回り込んで走る。

 

途中、函館本線の長万部駅(8時29分着/おしゃまんべえき)からは室蘭本線へ入っていく。「トワイライトエクスプレス」が道内初の停車駅が洞爺駅だったのに対して、「北斗星」は洞爺駅(8時59分着)まですでに函館駅から4つの駅を停車、この先も伊達紋別駅(9時11分着)、東室蘭駅(9時32分着)、登別駅(9時48分着)、苫小牧駅(10時19分着)と細かく停車していく。この列車の停車駅を見ると、首都圏からの道内観光を楽しむ列車として便利なようにダイヤを設定されていたことが良く分かる。上りも同じ駅を停車して走ったこともあり、そうした北海道観光には〝役立つ寝台列車〟だったのである。

↑千歳線の北広島駅〜上野幌駅間を走る下り「北斗星」。終着駅まで残り20分弱の距離だが北海道らしく豊かな自然に包まれる

 

苫小牧駅の先では南千歳駅(10時41分着)に停車。千歳線の沿線も、札幌まで至近にもかかわらず、北海道らしく緑が豊かで、自然林に囲まれた中を、北斗星は終着駅を目指した。

 

札幌駅への到着は11時15分と遅めの到着だった。観光利用が大多数という列車だったこともあり、ホームに到着しても、長旅の余韻を楽しむ乗客が多かった。列車はしばらくの間、ホームにとどまる。その間に機関車や客車を外から記念撮影する人も目立った。17分経った11時32分過ぎに回送列車としてホームを静かに発車していく。ホーム上には、その姿を追う多くの人たちが残った。

 

【名列車の記録⑤】上り列車は関東平野の田園風景が楽しめた

次に上り列車の車内から楽しめた情景について触れていこう。

 

札幌駅発17時12分で、上野駅発に比べると2時間ほど早かった。そのせいもあり、日の長い季節ならば、道内の風景が楽しめた。千歳線沿線では広々した畑地や牧草地が見渡せた。

 

下の写真は、室蘭本線での7月初旬の情景。東室蘭駅(18時51分発)を発車した以降に、内浦湾が見え始め、運がよければ、海ごしに沈む夕日が楽しめた。こうした情景は食堂車「グランシャリオ」でディナーを味わう時にも楽しむことができた。

↑室蘭本線北舟岡駅を19時過ぎに通過した上り「北斗星」。この駅付近から進行左手に内浦湾を見ながらの旅が楽しめた

 

食堂車でのディナータイムも終わり、またロビーで寛ぐ人たちも部屋へ去り、列車はひたすら本州を目指す。函館駅を21時48分に発車以降は、仙台駅(4時54分着)まで、途中駅の停車がない。福島駅5時58分着、郡山駅6時38分着といったあたりからは、東北本線沿いの風景はしっかり楽しむことができた。

 

実は「北斗星」から15分ほど前を走る寝台列車があった。それが特急「カシオペア」だった。「カシオペア」の客車は1編成しか製造されておらず、毎日走るわけではなかったが、「カシオペア」「北斗星」と2列車が走る日は、2列車が立て続けに撮れるとあって、東北本線沿線は多いに賑わった。

↑福島県と栃木県の県境にかかる黒川橋梁を渡る上り「北斗星」。朝7時12分の通過で、朝陽に輝く列車の姿が楽しめた

 

朝7時過ぎに関東地方へ入った上り「北斗星」は、宇都宮駅に8時10分に到着した。栃木県そして埼玉県の沿線は、田畑の広がる場所も多く、車窓の楽しみともなった。もちろん撮影地も、ふんだんにあり、筆者もだいぶ通ったものである。

↑東北本線栗橋駅〜東鷲宮駅間で。ワシクリの名前で知られる名物スポットでは水田ごしの上り「北斗星」が撮影できた

 

↑東京都内はちょうどラッシュが終わるころ。写真は京浜東北線東十条駅付近。同駅付近はその後フェンスで覆われ撮影には向かなくなった

 

大宮駅には9時10分の到着。先行する「カシオペア」も9時2分着と、最も混みあう時間帯よりもやや遅くに都内へ入るようにダイヤが調整されていた。大宮駅以降は、京浜東北線と平行して走る区間で、ホームで電車を待つ人たちの視線を浴びつつ、列車は南下を続けた。

 

9時25分ごろに埼玉県と東京都の間にかかる荒川橋梁を通過。東京都へいよいよ入っていく。名残惜しむように、列車はスピードを落としていき、上野駅の行き止まり式ホームへ9時38分、静かに滑り込むのだった。

 

 

特急「北斗星」が廃止されてすでに6年の月日が経つ。夜空にきらめく「北斗星」のように魅力的で、有意義な旅が楽しめる列車だった。今後、再びこうした列車が現れることを期待したい

2012年に定期運行終了!日本海縦貫線を走った「日本海」と「きたぐに」の記録

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.4〜〜

 

ちょっと前までは実用本位そのものの長距離列車が多く走っていた。今回紹介する特急「日本海」、急行「きたぐに」がその典型だった。

 

近畿と北陸、新潟、日本海沿いの東北各県を結んだ両列車は、昼夜もなく大量に旅客を運んだ時代の、最後の〝残り火〟だったのかも知れない。そんな名列車の記録をひも解いてみよう。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載。学研パブリッシング刊「寝台列車を乗り尽くす」誌内の図版と地図をリメイクして使用しました

 

【名列車の記録①】45年間も日本海沿いを走り続けた「日本海」

↑ローズピンク塗装のEF81形が全区間を牽いた特急「日本海」。日本海縦貫線を走り抜けた貴重な寝台列車だった

 

ほぼ日本海に沿って走る北陸本線、信越本線、羽越本線、奥羽本線は、全線を通して日本海縦貫線という名前で呼ばれた。いま、日本海縦貫線という路線の総称は、貨物輸送を除いてほぼない。北陸新幹線の延伸開業(2015・平成27年3月14日)とともに、北陸本線は第3セクター経営の路線となり、JRの路線網からは切り離されてしまった。この日本海縦貫線を縦断した長距離列車が特急「日本海」であり、急行「きたぐに」だった。両列車とも、今ふり返ればかなり異色な存在だった。

 

どのような列車だったのか。まずは「日本海」から見ていくことにしよう。

 

■特急「日本海」の概要

運行開始 1968(昭和43)年10月1日
運行区間 大阪駅〜青森駅
営業距離 1023.4km
所要時間 下り14時間58分、上り14時間56分(2012年の所要時間)
車両 24系客車8両(多客期は増結)+24形電源車。
牽引はEF81形交直両用電気機関車
運行終了 定期運行2012(平成24)年3月16日、臨時運転2013(平成25)年1月6日

 

↑特急「日本海」の停車駅と発着時間。北陸そして東北地方の主要駅を数多く停車して走ったことが分かる

 

日本海側を通り、大阪駅と青森駅を結ぶ列車が生まれた歴史は意外に古く、1947(昭和22)年と戦後まもなくのことだった。「日本海」という列車名は、1950(昭和25)年に同区間を走る急行列車に付けられたのが始まりで、特急列車となったのは1968(昭和43)年のこと。当初は米原駅経由で走り大阪駅〜青森駅を結んでいたのだが、湖西線の開業後の1975(昭和50)年からは、湖西線経由で走った。

 

列車の人気はかなりのもので、当初1日に1往復だったが、その後に1日に2往復に増便され、さらに1988(昭和63)年の青函トンネル開業後は、1往復が函館駅まで延伸運転された。このころが特急「日本海」の全盛期と言えただろう。

 

2006(平成18)年には函館乗り入れは終了し、2008(平成20)年に1日に1往復に減便された。高速バスの運行などによる利用者の減少と、使われていた客車の老朽化などの諸事情から、北陸新幹線の開業を待たずに2012(平成24)年に定期運行を終了、その後に夏休み、冬休みなどの多客期のみに臨時運行されたが、それも翌年の1月で終了した。

 

【名列車の記録②】ほとんどが開放2段式B寝台という徹底ぶり

「日本海」の客車編成を見ておこう。

 

寝台列車のブルートレインも、2000年代半ばになると、どの列車にも個室が付けられるようになっていた。ところが、「日本海」は最後まで個室がつかず、B寝台はもちろん、A寝台まですべて開放2段式の24系客車が使われた。寝台車は、昼間は座席車として、夜を迎えるとベッドメイキングにより2段ベッドに変更できる「プルマン式」と呼ばれるタイプだった。

↑24系客車が連なる下り「日本海」の編成。金帯に白帯車両が混じるが基本は変わらず。下りは前方に1両のみA寝台が連結された

 

24系客車の開放2段式のB寝台車両は、1973(昭和48)年から製造されたものだ。「日本海」に使われたのはJR東日本の青森車両センター所属の客車で、製造当初のものも混じる〝年代物〟だった。客車の各所、例えば、窓枠テーブルの裏には「センヌキ」が付いていた。洗面台のデザインもレトロで、洋式トイレの壁には「腰掛便器の使い方」という記述があるなど、国鉄時代のままの機器類が残された、寝台列車の〝生き字引〟のような客車だった。

 

旅客用の客車は基本8両で編成され、1両のみが開放2段式のA寝台。残りはみなB寝台。通常時は客車8両で運行されたが、多客期にはB寝台4両が増結され客車12両で走った。ちなみに開放2段式のA寝台オロネ24形0番台は1973(昭和48)年に新造の車両で、JR東日本でわずかに3両が残った貴重な客車だった。

↑上り「日本海」は最後尾に電源車を連結していた。24系の編成には欠かせない車両だった。その前がA寝台車両オロネ24形となる

 

客車がJR東日本の車両であるのに対して、牽引機関車はJR西日本のEF81形交直両用電気機関車で、「日本海」牽引機はローズピンク一色で塗られていた。鉄道ファンには〝ローピン〟塗装車として親しまれていた。同機関車は敦賀地域鉄道部敦賀運転センターの配置で、大阪駅〜青森駅間の運行では、上り列車の場合には、敦賀駅での機関車の切り離し・連結作業が行われた。このあたりは寝台特急「トワイライトエクスプレス」と同じ運行方法だった。

↑通常はローズピンクのEF81が「日本海」を牽引したが、稀に「トワイライトエクスプレス」塗装のEF81が牽引することもあった

 

【名列車の記録③】下り列車では津軽富士が乗客を出迎えた

営業キロ数1000kmを越えて走った特急「日本海」。大阪駅発の下り列車は17時47分、一方、青森駅発の上り列車は19時31分のそれぞれ発車だった(時間等は最終運転年のもの=以下同)。

 

下り列車は北陸本線の各駅に夜に停車して、乗客を乗せて青森へ。一方、上り列車は東北地方の各駅で乗客を乗せて大阪へ向けて走った。

 

ここからは下り、上りの車窓風景について触れておこう。

 

まずは下り列車から。車窓風景が楽しめるのは早朝、秋田県に入ってからだった。秋田駅に5時32分に到着。近畿圏からの移動手段として、ちょうど一休みして、早起きしたころに到着できて便利だった。

 

その後、東能代駅(6時27分着)、鷹ノ巣駅(6時53分着)、大館駅(7時17分着)、大鰐温泉駅(おおわにおんせんえき/7時47分着)と主要駅に停まっていく。そして弘前駅にはちょうど8時に到着した。

 

弘前駅の先では津軽平野に広がる水田の向こうに津軽富士とも呼ばれる岩木山がひときわ美しい姿を見せた。やはりこの姿が見えることが、下り特急「日本海」の魅力だったと言えるだろう。

↑奥羽本線の川部駅〜北常盤駅間を走る下り「日本海」。時間は8時12分で、天気の良い日は岩木山の美景が楽しめた

 

岩木山が見えたら終点の青森駅へはあと少しの距離だった。大釈迦駅(だいしゃかえき)を通過し、次の鶴ケ坂駅までは狭隘な地をトンネルで越えた。

 

弘前駅の次、新青森駅には8時39分に到着。とはいえ、東北新幹線が新青森駅まで延伸したのは2010(平成22)年12月のことで、それから「日本海」はわずか1年4か月ほどで定期運行を終えてしまったので、「日本海」と東北新幹線の接点はあまりなかったと言えるだろう。

 

むしろ、東北新幹線が新青森駅まで延伸されたことが、特急「日本海」の廃止を早めた一つの要因になったのかも知れない。

↑大釈迦駅と鶴ケ坂駅間を走る下り「日本海」。この先で大釈迦峠の下をくぐる新トンネルを抜けて、列車は青森市へ入っていく

 

新青森駅からわずかに6分ほどで青森駅に到着。客車列車らしく、終着の青森駅のホームへ余韻を楽しむようにゆっくり入り、約15時間の長い列車旅が終わりをつげるのだった。

 

【名列車の記録④】上りは車窓から朝の琵琶湖の美景が楽しめた

さて、上り列車はどのような風景が楽しめたのだろうか。青森駅発が19時31分と遅めだったこともあり、東北地方はひたすら闇の中を走った。

 

一夜明け、北陸地方に入り金沢駅(6時16分着)、加賀温泉駅(6時50分着)、福井駅(7時17分着)と、駅到着ごとに明るさが増していった。そして敦賀駅に8時2分に到着。ドアが開くと、ホームへ降りてくる乗客の姿が多く見かけられた。一部の人たちは朝食を購入しようと駅の売店へダッシュした。

↑在来線で2番目の長さがある北陸トンネルを通過する上り「日本海」。次の敦賀駅では牽引機関車の付け替えが行われる(右上)

 

敦賀駅で8時21分の発車まで約20分の停車時間があった。ここでEF81形交直両用電気機関車の付け替えが行われたのである。大阪駅〜青森駅間を1往復、約2000kmを越える長い距離を走ってきたため、機関車の整備・点検が欠かせなかったのである。

 

多くの乗客がホーム上で機関車の切り離し、連結作業を見入った。このあたりが客車列車らしいところで、先を急がない観光客だからこそ許せる長時間の停車であった。逆に言えば、急ぐビジネス客には向いていない列車でもあった。

 

牽引機関車を付け替えた「日本海」は敦賀駅〜新疋田駅間の急勾配に挑む。このあたりは特急「トワイライトエクスプレス」と同じ行程をたどった。

↑新疋田の大カーブを走る上り「日本海」。カーブを走る列車が絵になった。同区間では現在、機関車牽引の列車は貨物列車のみとなっている

 

新疋田駅までの急勾配を上った「日本海」はこの先、福井県から滋賀県へ入る。そして近江塩津駅(8時38分通過)からは湖西線へ。湖西線では近江今津駅(8時54分通過)付近からは徐々に進行左手に琵琶湖が見え始めた。上り「日本海」の最も楽しみな景色でもあった。

 

左手に琵琶湖、右手に比良山地を眺めつつ列車は走り続ける。空気の澄んだ季節には琵琶湖の先に伊吹山などの山々が望めた。

↑湖西線の志賀駅〜蓬莱駅を走る上り「日本海」。撮影は3月のもの。遠望が効く季節には、湖ごしの山景色が楽しめた

 

大津京駅(9時41分通過)を過ぎまもなく東海道本線に合流、京都駅には9時51分に到着する。

 

京都駅の先は新大阪駅(10時21分着)、終着駅の大阪駅には10時27分に到着。こうした遅めの時間に到着することもあり、ビジネス利用というよりも、観光での利用が多い列車だった。

 

開放式寝台のみという列車は「日本海」の〝晩年〟を振り返ると、古くなりつつあったスタイルだったのかも知れない。見ず知らずの人が寝る段は違えども、睡眠環境を共にするわけである。消滅してからすでに9年あまりたち、よりプライバシーを尊ぶ時代となってきた。北陸新幹線の開業前に消えてしまった理由には、開放式寝台の意外な不人気があったのかも知れない。

 

【名列車の記録⑤】583系最後の定期列車となった「きたぐに」

特急「日本海」と同時期に消滅したのが急行「きたぐに」だった。この「きたぐに」ほど、一時代前の輸送形態を色濃く残した列車はなかった。そんな「きたぐに」が運行されたころを振り返ってみよう。

↑583系急行「きたぐに」。右下は583系のオリジナルな塗装だが、「きたぐに」はグレーと白という塗装で走り続けた

 

■急行「きたぐに」の概要

運行開始 1968(昭和43)年10月1日
運行区間 大阪駅〜新潟駅
営業距離 581.1km
所要時間 下り8時間57分、上り7時間45分(最終年の所要時間)
車両 583系交直両用特急形電車
運行終了 定期運行2012(平成24)年3月17日、臨時運転2013(平成25)年1月7日

 

急行「きたぐに」は1968(昭和43)年に大阪駅〜青森駅を走る列車として運行が始まった。その後、1982(昭和57)年に上越新幹線の開業に合わせて大阪駅〜新潟駅に運転区間が短縮された。多くの急行が特急に格上げされる中で、最後まで急行列車という〝格付け〟が代わらなかった珍しい列車でもあった。

↑急行「きたぐに」の走行ルートと停車駅、そして発着時間。地図のように、細かく停車して走った急行列車だった

 

この列車が消えたことにより、有料急行は「はまなす」(本サイトで前回に紹介)のみとなった。JRグループの有料急行列車の中で、ラスト2番目まで残った列車でもあった。

 

急行「きたぐに」が走り始めたころ、車両には14系客車を利用していたが、1985(昭和60)年3月に583系という特急形電車が使われるようになった。晩年には583系で運行された最後の定期運行列車にもなった。583系とはどのような電車だったのか触れておこう。

 

1968(昭和43)年に登場した583系は高度経済成長期に、拡大した輸送需要に対応すべく、より早く多くの人を運ぶために生まれた電車だった。昼は座席、夜は座席を寝台に変更して利用できる昼夜兼行仕様と呼ばれる電車で、直流区間はもちろん、交流50Hz、60Hzの3電源に対応できた。大量輸送時代に便利な車両だったのである。そのため434両と大量に造られ北海道、四国をのぞき、全国で活躍した。

 

昼夜問わずフルに稼働した車両が多く、全盛期には1日に1500kmも走ったとされる。そのために老朽化も早かった。また、昼夜兼行という形で運行する列車が徐々に消えていき、余剰車両も増えていった。

 

余剰となった車両は、短い編成に分けられ、北陸・九州地方を走る普通列車用の419系・715系として改造された。「きたぐに」が運転された最晩年、583系はJR西日本とJR東日本(臨時列車用に利用)にわずかに残るばかりとなっていた。

 

【名列車の記録⑥】3段式のB寝台車は国鉄時代の花形車両だった

急行「きたぐに」は583系10両で運行された。内訳は1〜4号車が自由席座席車、5号車・7〜10号車は開放3段式のB寝台、6号車がグリーン車でリクライニングシート仕様、さらに7号車が開放2段式のA寝台だった。

 

昼夜兼行で走った当時の583系は、昼は座席、夜は寝台に転換して利用された。転換は機能を熟知した専門スタッフが必要で、同一列車で営業運転中に座席→寝台化といった転換作業を行った例もあったが、こうした使われ方は珍しかった。

 

急行「きたぐに」の場合には座席か、または寝台が常に固定化されていて、途中で変更することはなかった。

 

座席と寝台が転換できるように造られたため、特急形だったものの普通車の座席はリクライニングシートではなくボックスシートで、座り心地も決して良いとは言えなかった。このような構造の583系を使い続けたために「きたぐに」は急行から特急に格上げできなかったということもあったのだろう。

↑早朝、日本海を見ながら走る下り「きたぐに」。下記はその編成図で、自由座席車と開放3段式のB寝台が多いことが分かる

 

B寝台の車両は開放3段式だった。下段、中段、上段と3段のベッドが使える構造で大量輸送が必要な時代には最適な構造だったのだろう。ブルートレイン客車のB寝台が車両の進行方向に対して直角にベッドが設けられたのに対して、583系のベッドは真ん中の通路に沿って寝る造りとなっていた。屋根も高い構造の車両のため、個々の寝台スペースは意外に広かった。

 

「きたぐに」には開放3段式B寝台は4両が連結されていた。プルマン式の3段ベッドが通路の両脇に並ぶ様子は、壮観ですらあった。寝台のカーテンにはしっかりと縫い付けられていた寝台番号の刺繍や、仕切るカーテンには換気用の通気口が開けられ、国鉄時代を思い起こさせる装備が残っていた。

 

ちなみにパンタグラフの下のみ2段式になっていて、この部分は3段式よりも人気があった。

 

3段という寝台列車は、修学旅行などの団体旅行向きと言えた。一方で、運転最終年が近づくにつれて、密な空間での旅行を嫌う利用者も増えていったように思う。583系が登場したころとは、それこそ旅のスタイルが大きく変わってしまったのである。

 

【名列車の記録⑦】下りは日本海の景色を眺めつつ新潟を目指した

急行列車ゆえに、上り下りともに31駅に停車して走った。下りは大阪駅を23時32分発で、大阪や京都から、滋賀県内や北陸の家へ、また上りは新潟駅を22時58分発で新潟県内の家へ帰るのに最適な列車でもあった。

 

さらに、夜に走りながら途中駅で適度に時間調整をして走っていた。明け方には下り列車ならば新潟県内で、また上り列車では近畿圏内で早朝に走る通勤列車として活用された。

↑朝霧の中、信越本線を新潟駅に向けて走る下り「きたぐに」。左手に日本海が広がる柿崎駅〜米山駅間で朝6時37分に通過した

 

下り列車の場合には親不知駅の通過が5時20分で、日の長い季節には日本海が見えるようになる。さらに、糸魚川駅を5時29分に発車、直江津駅(6時17分発)までの間、有間川駅〜谷浜駅(5時50分通過)間で、雄大な日本海の眺望に出会えた。さらに柿崎駅(6時30分発)付近からは線路のすぐ横に日本海が見えた。海景色は鯨波駅(6時41分通過)まで楽しめた。

↑鯨波海岸を見ながら走った下り「きたぐに」。好天に恵まれればこの付近で海上に浮かぶ佐渡まで眺望できた

 

柏崎駅(6時45分発)から先は、内陸を走るようになるが、左右に米どころ新潟平野ならではの田園風景が楽しめた。新潟駅が近づくにつれて、通勤・通学客が増えていき、座席車には立って乗り込む人も目立った。そして終着、新潟駅に8時29分に到着するのだった。

 

【名列車の記録⑧】上りは東海道本線の通勤の足として生かされた

急行「きたぐに」は、大阪発の他の特急がバイパス線ともいうべく湖西線経由だったのに対して、米原駅経由で走ったことも特徴と言えた。

 

下りは米原駅着0時54分、北陸本線の長浜駅には1時14分着だった。いま北陸本線の長浜駅を発着する深夜便がない。一方、上りは長浜駅5時13分発、米原駅5時22分発で、大阪駅に早朝に到着したい通勤・通学客には最適な列車だった。

↑彦根駅付近を走る上り「きたぐに」。時間は5時26分で、この先、約1時間で大阪へ到着できる便利な列車でもあった

 

ちなみに、現在の米原駅発の大阪方面行き始発は4時58分発で、この列車を利用すれば6時44分(「きたぐに」到着は6時43分)に大阪駅に到着する。北陸本線の長浜駅発で一番早い列車は6時ちょうどで、急行「きたぐに」があったころように、大阪へ早朝に着くことができなくなっている。また、米原駅から新大阪駅へ走る朝一番の東海道新幹線は米原駅7時ちょうどの発車で、この列車は大阪駅に7時33分と〝遅め〟に到着する。

 

急行「きたぐに」は早朝に大阪まで行きたい人にとって非常にありがたい存在だったのである。早朝に移動手段がなくなる駅も生じた。列車が消えた後に、この列車を利用した方たちはどうしているのだろうか。気になるところである。

↑山崎駅の大カーブを走る上り「きたぐに」。通過は6時27分ごろで、この先、大阪府へ入り約15分で大阪駅へ到着した

 

上り「きたぐに」の車窓風景は、下りに比べるとそう大きな注目ポイントはなかったものの、朝の近江路を見ながらの旅が楽しめた。B寝台で長距離を眠って移動する人がいる一方で、座席車は通勤・通学の足として役立てられた、2つの側面を持つ急行「きたぐに」ならではの日常の風景が長年にわたり日々繰り返されていた。

 

そうした風景も、もはや10年近く前のことになろうとしている。列車の移り変わりはまさしく走馬灯のようである。

「Zに乗ってると気合が入る」つるの剛士が、みんなに教えたくなるバイクの楽しさとは?

バイク王のCMでもおなじみのつるの剛士さん。当然ながらバイクへの愛も深く、現在はZ900RSのほかにもドゥカティ400SSジュニアなど6台を所有。そんなつるのさんに、Z900RSのカスタムからバイク業界の中での自分の役割など詳しく伺いました!

(撮影・構成・丸山剛史/執筆:背戸馬)

 

【つるのさんのZ900RSの画像はこちら】

●つるの剛士 1975年5月26日福岡県生まれ。藤沢市在住 。「ウルトラマンダイナ」のアスカ隊員役を熱演した後、2008年に“羞恥心”を結成しリーダーとして活躍。将棋・釣り・楽器、サーフィン・野菜作りなど趣味も幅広く、好きになったらとことんやらなければ気が済まない多彩な才能の持ち主。 二男三女の父親。

 

Z900RSのカスタムポイント

――つるのさんのバイクといえば、このZ900RSですね。出会ってどれくらいになりますか

 

つるの 2年弱ですね。僕はこのZ900RSが初めての大型バイクなんですよ。車とかバイクで旧車に乗ってきた経験から、部品が出てこないとか、出先で壊れるとかのトラブルに懲りちゃってまして。そのストレスで、大型バイクを嫌いになったらイヤだなと思って、初めての大型バイクは現行車にしようと。

 

――でも、やっぱり目指すのは旧車のスタイリング?

 

つるの 旧車のZは大好きだし、ずっと憧れてましたからね。だから、僕は『シン・ゴジラ』ならぬ『シン・Z』って呼んでるんです(笑)

 

――拝見するとかなり空冷Zの雰囲気に近づいてます。一番目立つのはこの4本出しマフラーですね

 

つるの ドレミコレクションさんの車検公認マフラーです。ショート管とどっちにしようか迷ってたんですけど、やっぱり大人は4本出しでしょう!と。

 

――ホイールも変えてらっしゃいますね

 

つるの ホイールは、昔のモーリスマグの復刻。もとは17インチなんですけど、インチアップして18インチにしてます。これだけでぜんぜん変わりますね。

 

――確かに、全体のまとまり感がぐっと旧車に近づきます

 

つるの みんな、自分のZ900RSの写真を送ってきてくれるんですけど、『何か、つるのさんのと違う。つるのさんのZみたいにならないんですけど、どうしてるんですか』って聞かれるから、『いや、タイヤ変えたほうがいいですよ』と(笑)

 

――旧車の雰囲気に近づくポイントはホイールのインチアップですか

 

つるの あと、変えたほうがいいのはリアのカウルですね。カウルごと変えて、テールランプをちょっとだけカウルから出して見せるんですよ。

 

――細かい!

 

つるの 出すか、見えないようへこませるかどっちか迷ったんですけど、『これは出しでしょう!』と思って。

 

――そういう細かい箇所の調整がされてるんですね

 

つるの Zって、ちょっとしたことでスタイリングが壊れるんですよ。パーツを少しズラしただけで。だから、すごく秀逸なデザインだってことでしょうね。

 

――市販パーツを買って取り付けただけでは、つるのさんのZのようにはならないってことですか

 

つるの タンクやサイドカバーのロゴも古いエンブレムにしてあるし、空冷Zに間違えられることもありますよ。話しかけてきたおっちゃんが間違えてて、『これ現行車なんです』って言ったら『え? あ、ほんとだ!』とかね(笑)

 

ドレミコレクションとの出会い

つるの もともと、自分でデザインしていたカスタムの完成イメージ画があって、そのまんまになったんですよ。これなんですけど(スマホでイメージ画を見せてくれる)。

 

――これは、AMAスーパーバイクに出たヨシムラZ1を彷彿とさせますね

 

つるの あと残ってるのは細かいところ、タンクとか、シートとかですね。それ以外は、もう変えるところがない。とにかく、ドレミコレクションには必要なパーツが全部あるんですよ。

 

――ドレミコレクションさんは、Zのスペシャリストとして有名ですね。じゃあ、つるのさんが考えていたスタイルに一気に近づいたのは……

 

つるの ドレミコレクションさんと出会ったからですね。パーツが全部あるから、相談して『じゃあこれにしちゃってください』って感じです。あとは担当の藤野さんの調整があるからできたんですね。

 

――ドレミコレクションの藤野さんは、YouTube『乗るのたの士』にもよく登場されていますね

 

つるの Zマニアの藤野さんに任せてます。僕の意向を全部伝えて、『なるほど。はいはい、これはこうでしょ、こうでしょ』って、ズバリそのパーツが出てくる。

 

――理想的なメカニックですね、藤野さんは

 

つるの ひとつ迷っているのはリアサス。どうしようかと思って。

 

――つまり、今付いているリアサスをカスタムするんですか

 

つるの そうじゃなくて、旧車のZと同じようにリアサスを2本に見せるダミーのサスがあるんですよ。

 

――なんと! そういうパーツがあるんですね

 

つるの そうなんですよ。確かにスタイルは近くなるけど、ダミーでしょ? って。ちなみに藤野さんのZ900RSはオーリンズを付けてるんですよ、本物の。

 

――ダミーとして、ですか?

 

つるの そう。ダミーなんだけど本物なんです(笑)

 

――どうです、リアは2本サスのほうがキマってるって思います?

 

つるの うーん、たしかにそう思います。でも、ないのはないで好きなんですよ、スッキリしてて。なんか、あのリア周りのシュッとした感じに、仮面ライダー感があって。

 

――いずれにしても、もうカスタムのゴールは近いってことですね

 

つるの 費用的にはバイク2台分かかっちゃいましけど(笑)、最初に思い描いたテーマ通りになってるし、これ以上やりすぎないでおきたいですね。

 

ずっと抱いているドゥカティへの憧れ

――Z900RS以外にも、いろんなオートバイを所有されてますよね

 

つるの スクーター、旧車、このZと、オフ車。全フィールドに行けます(笑)

 

――今、合計何台お持ちなんですか

 

つるの 何台かな……カブ110、ランブレッタV200、ドゥカティ400SSジュニア、WR250R、セロー250にZ900RS。6台ですね。

 

――ドゥカティは20年以上所有されてるんですよね

 

つるの そうです。中免を取ってホンダ・フュージョンに乗ってたんですけど、単車に乗りたいと思って買ったのがドゥカティ400SSジュニアです。僕、どうしてもドゥカティが欲しくて。

 

――なにか思い入れがあるんですか

 

つるの 僕のバンドのドラムが、ロケットカウルの古い900SSに乗ってたんですよ。それがもうカッコよくて。ガチャガチャ~って、すごいエンジン音を立てて練習スタジオに来るんですよ。しかも、途中で壊れちゃって、毎回練習に遅れてくるんです。それでもカッコよかった。

 

――1970年代後半ごろの900SSのスタイルと音はたまりませんね

 

つるの それを見て僕も、もう欲しくてしょうがない。ただ大型だし、買うにも手が出ない。でもどうしてもドゥカティが乗りたいと思って中古屋さんに見に行ったら、この400SSがすっごく安かった。たしか30万くらいだったかな。これなら手が出るぞと思って買っちゃいました。

 

――カジバ傘下時代のドゥカティのスタイルっていいですよね

 

つるの 僕、あの時代のドゥカティが好きなんですよ。スタイルも、音も。一度モンスター400と、かけもちして乗ってたんです。ところが、モンスター400にぜんぜん面白さを感じなかったんです。

 

――それはなぜでしょう

 

つるの モンスターは、なんというか“いい子”すぎちゃって。音もお上品に感じた。昔のドゥカティのあのガチャガチャガチャ!っていう感じが自分には合ってるんだなって思いましたね。クラッチは重いし、エンジンもかからないし、気にさせてくれるんですよ。

 

――そんなところがまた……

 

つるの かわいいんですよ。不器用さがね。腹が立つときもあるんですけど、かわいいんです。ほんとに難しいところですね。いい子ちゃんだからいいってわけでもない。

 

――それが旧車の魅力かもしれないですね

 

つるの どっちを取るかですよね。だから旧車と現行車の2台あるのが一番いいんです、ホントは。

 

――ということで6台になってしまった(笑)

 

つるの (笑)。あとドゥカティだと、2000年に限定で出たMH900e、あれがどうしても欲しかったんですけど、そのときは手が出なかった。実は、あれからずーっと憧れてるんです。

 

――MH900eは一度見たら忘れないほど、デザインが尖ってましたね

 

つるの そうそう。次に手に入れるのはホンダのアフリカツインとか、アドベンチャー系のバイクもいいなと思うんですけど、そういうバイクに乗ったら快適すぎて『もうこれでいいや』ってなりそうで怖いんですよね。僕の大型バイクライフもこれからなので、まだ尖っていたいなと思ってます。

 

5歳の息子がバイクレースにデビュー

――ランブレッタV200もお持ちだとのことですが

 

つるの 息子と乗るときはランブレッタですね。タンデムベルトをつけて乗るんですけど、背もたれが付いてるんで、息子が寝たときでも安心なんですよ。

 

――息子さんはバイクに乗るのがお好きなんですか

 

つるの ええ、息子は5歳なんですけど、今度バイクのレースに出るんですよ。

 

――レースに? それはすごいですね

 

つるの 電動バイク『ヨツバモト』のレースなんです。Instagramでも上げてるんですけど、本人もノリノリで。

 

――バイク乗りのDNAが遺伝してますね(笑)。それは、つるのさんの方から始めようと?

 

つるの バイク王さんでCMをやらせてもらった関係で、バイクライフを親子で楽しめるような活動をしようとうことで『パパツー』って企画をたてたんですよ。その中でいろいろ調べているときに、ヨツバモトさんと出会いました。『乗るのたの士』でキッズバイクの動画を撮ったときに、1台置いていってくれたんですよ。それに息子がハマっちゃって、もう乗り倒してます。4歳のころから乗ってますから、めちゃくちゃ速いんですよ。坂道からノンストップで走ってくるんです(笑)

 

――子どもは吸収するのも上達も早いんですよね

 

つるの バイクは全身を使うし、動体視力も自然に使ってます。あと、何より親御さんたちの心配が消えるというか、子どもたちがあれだけ楽しそうにバイクを楽しんでて、転んだとしても自分で起き上がってくる。ああいう姿を見ると、余計な心配をしなくても子どもはもう自立してるって感じると思うんですよね。

 

――たしかにそうですね。親が思う以上に適応しますね

 

つるの 子どもの成長を感じるのに、バイクは一番手っ取り早い入り口だと思うんですよ。息子には自転車より先にバイクに乗せちゃったので、5歳の誕生日に自転車を買ってあげたんですけど、息子が『自転車のほうが乗るのが難しい』って(笑)

 

――(一同笑)そんな特殊な事情、聞いたことないですよ!

 

つるの 世の中の親御さんって、どうしても『子どもがバイクに乗るのは危ない』っていう意識があるじゃないですか。でも、僕なんかは昔から子どもとカブでキャンプに行ったりしていたので、いい思い出がたくさんあるんですよ。

 

――たとえば、つるのさんの息子さんや娘さんが、オートバイに乗りたいって言ったら……

 

つるの ぜんぜんOKです。僕のドゥカティをそのまま譲ります。実際、長男には譲るつもりです。僕の奥さんが長男をご懐妊したときも、実はドゥカティに乗ってるときだったんです。だから、実質“3ケツ”してたんですよ。その子が免許取ってそのバイクに乗るって最高じゃん!って思います。でも、ひとつ言っておきたいのは『お前、これ絶対に乗りこなせないぞ。クラッチの重さ舐めんなよ』と(笑)

 

――素敵な計画です(笑)。バイクは安全策を講じれば最高に楽しい乗り物ですしね

 

つるの 僕も若いころいっぱい転んだけど、やっぱり楽しい思い出しかないですもんね。

 

ツーリング、バイク仲間について

――ツーリングにはどのあたりに行かれるんですか

 

つるの 藤沢からだと、南箱根の『バイカーズパラダイス』までがちょうどいい距離なんです。1時間くらいだし、コーヒーを飲みに行くのにぴったりですよ。

 

――このあたりだと、海も山も近くていいですよね

 

つるの あとは、海沿いの134号線を走って、平塚のあたりによく行くレストランがあるんですけど、そこまで走って休憩して帰ってきたり、小田原にすごく美味しいラーメン屋さんがあるんで、そこに行くとかですね。

 

――そういうときって、バイクはどれで?

 

つるの Z900RSです。やっぱりZはよそ行きという感じで、乗ってると気合が入るんですよ。

 

――他のオートバイよりも?

 

つるの はい。走ってるのを見かけた方が声かけてきますから。常に緊張しておかないと、発見されると『つるのさーん』って声かけられますしね。僕は、バイクは『走る名刺』だと思っているので。

 

――バイクは走る名刺、ですか。なるほど

 

つるの バイクはライダーの個性が出る、いわばモビルスーツじゃないですか。このZを見たら、みんな僕だってわかりますからね。

 

――たしかに趣味趣向や個性が、車種やカスタムに現れますね

 

つるの Zに乗ってると、みんなが声かけてくださるし、『ステッカーください!』って言われます。だから、いつもステッカー持ってないと。あ、これどうぞ(スタッフにステッカーをくれるつるのさん)。

 

――ありがとうございます(笑)。ちなみに遠方へのツーリングは?

 

つるの 伊勢神宮に行きましたね。ドレミの藤野さんと2人で、真冬に。晴れてたんですけど風が強くて寒かったですね。あまりに寒いんで、藤野さんが途中で自転車用のハンドルカバーを買ってました(笑)

 

――藤野さんもですが、バイク仲間ってどういった方がいらっしゃるんですか

 

つるの 俳優さんだと、木下ほうかさんとか。たまにこっちに来て一緒にコーヒー飲みに行ったり、僕のツーリングにも来てくれますね。

 

――木下ほうかさんはこの連載にもご登場していただいてます。そういえば、たしかつるのさんの妹さんもライダーだとか

 

つるの 妹もこの前、ヤマハのビラーゴを買ってました。僕のまわりにはライダーが多いんですよ。日本テレビのアナウンサーの滝(菜月)ちゃん、久野(静香)さんとか。バイク王さんのおかげで、バイク界のいろんな方と知り合いになりました。メディアの方から、ミュージシャン、格闘家、芸能人、アナウンサー、芸人さん、YouTuber、オンオフのライダーさん。ホットロッド系の方もいます。ほんとノージャンルで、『楽しきゃいい!』みたいな。

 

――「楽しきゃいい!」の掛け声で人を集めるのって、実際はなかなか難しいんじゃないですか

 

つるの 僕が天然だからだと思いますよ(笑)。天然で行けるし、強い“こだわり”があるわけじゃないので。もともと僕自身、仕事柄がそうじゃないですか。俳優でもないしミュージシャンでもない。そもそも肩書きがない。なんでもありなんです(笑)

 

バイク業界の「つなぎ役」に

――お仕事のフィールドに、バイクを持ってこようと思ったきっかけとかはあったんですか

 

つるの 10年くらい前かな、バイク王さんのイベントに僕のドゥカティで行って、ツーリングしたんですよね。それからのつながりで声をかけてくださって、そこからですかね。でも、特に意識はしてなくて、自然と今のようになった感じです。

 

――先程伺った『パパツー』など、バイク王さんがバイク文化を作ろうとしているのってすごいですね

 

つるの そう、だからオフロードの人たちも、レーサーの人たちも、みんなそこでつながったんですよ。去年、『乗るのたの士』でイベントをやって、ごちゃまぜでライダーをみんな集めたんですよ。オフロードで土しか走ってない人がサーキットを走ったりして、すっごい面白かったんです。

 

――参加したライダーさんたちには貴重な機会になったでしょうね

 

つるの バイクって一言で言ってもいろんなタイプのバイクがあって、オフはオフ、SS(スーパースポーツ)はSSって棲み分けがあるじゃないですか。僕は全部が楽しいから、みんな知り合いになって“つなぎ役”をしていったら、そんなことになりました。

 

――こだわりがない、つるのさんだからできる“つなぎ役”なんですかね

 

つるの 僕、昔から思ってたことがあって、バイク好きな人ってこだわりがあるのはいいんですけど、こだわりが強すぎると、世界が狭くなってしまうじゃないかなと。僕は純粋にバイクが楽しければいいし、これじゃなきゃダメだっていう、そういうのは必要ないかなって思ってたんです。こだわりがあることが、バイクの良さでもあるんですけどね。

 

――つるのさんが、棲み分けという間仕切りを取ってしまおうと

 

つるの それも別に狙ってやってるわけじゃなくて、ピュアに『バイクに乗るの楽しいよね』って言い続けたらそうなった感じです。だから……バイク業界って狭いなって思いました。

 

――というと?

 

つるの 変な話ですけど、こんな自分ですら、いろんな人をくっつけたりできるわけじゃないですか。なんで今までバイク業界の方がやってこなかったのかなって。僕でもできるのに、と思ったんですね。

 

――それが“狭さ”に感じたと

 

つるの もちろん、みんなバイクが大好きだし、“こだわりを持ってることがこだわり”なんだろうなって思います。こだわっていくなかで、自分の好きなジャンルを深掘りしてくって面白さはあるんですけどね。横につながっていくと、もっと楽しいんじゃないかなぁ。

 

マニアックな世界の面白さを世の中に伝えたい

――バイクもそうですけど、つるのさんって趣味全部で深掘りしていってないですか?

 

つるの 全部そうしたくなってくるんですよ。僕の父親が59歳で早死にしたんで、僕は“太く短く”の人生だと思ってるんですよ。だから、楽しいことを全部やって、最後はもう『つるの剛士はめっちゃ楽しかったな、だからもういいや。来世頑張ろう』って感じで死ねたらいいなと思ってます。

 

――そういう人生哲学をお持ちなんですね。だから面白そうだなと思ったことは……

 

つるの 全部やる。将棋もそうです。バーっと入り込んで、将棋の世界ってこんな感じなんだー面白いなーって。僕が天然ぶっていろんなことやると、面白がって業界のほうも乗っかって来るんですよ。将棋も、『藤沢でタイトル戦やりませんか』なんて話していたら、今年来たんですよ、遊行寺で女流のタイトル戦が。『やったー!』って。

 

――それはすごい

 

つるの もうひとつ、自分がハマったことの裾野を広げたくなってくるんですよね。マニアックな世界ってどれも面白いじゃないですか。そこにいる人たちもみんな面白い。こんなに楽しいぜっていうのを、みんなに教えたくなってくるんですよ。それが結果として仕事になってるってこともあるんですけど。

 

――でも、マニアックな世界って閉ざされているじゃないですか。そこに入っていくのって勇気いりませんか

 

つるの 『なんでお前みたいなやつが入ってくるんだよ』っていう“大気圏”みたいなものがあるんですよ、全部の世界に。そこに入っていくのが好きなんです。そこにいかにして馴染むかってのが大事ですね。馴染むと、もうこっちのものです。

 

――そういうのをつるのさんがご自身で楽しんでいらっしゃる

 

つるの はい。どの世界も全部そうですけど、ある程度の知識や技術が伴わないと認められないんです。『ちゃんとこの人、好きなんだ』って思ってもらえないと、仲間として受け入れてくれない。でも僕はそこまでのめり込んじゃうので、みんな認めてくるんですよ。

 

――カッコだけじゃなく、仲間認定されるレベルに達するくらいにハマる。そうやって趣味を広げていかれてるんですね

 

つるの そうです。どの世界も魅力があるんですよ。

 

バイクとは、「自由」そのもの

――最後になりますが、つるのさんにとってバイクとは?

 

つるの そうですね、バイクとは『自由』ですね。行きたいところに、自由気ままに、ドアトゥドアで行ってくれて、途中下車もできる。車で行きたいとは思わないけど、バイクで行きたいと思う場所はいっぱいあります。北海道とか絶対バイクのほうがいいじゃないですか。

 

――同じ場所に向かうのでも、車とバイクじゃ趣が異なりますよね

 

つるの それに、みんな自分のバイクがモビルスーツでしょ? それぞれにキャラクターがあって面白い。サービスエリアとかも、バイクがきっかけで話も弾みますしね。ほんとに、バイクは走る名刺なんです。

 

――ご趣味でもあるし、お仕事でもある。これからのバイク人生も、楽しみですね

 

つるの やっぱり子どもとあちこち行きたいんですよ。5歳の息子があれだけバイクにハマってるので、2人でキャンプに行ったりもしたい。今、ランブレッタをオフ仕様に改造しようかなと思ってるんです。ブロックタイヤとか、パーツがいっぱい出てるんですよね~。

 

――カスタム計画も尽きないですね。じゃあ次はぜひ親子ツーリングの取材をさせてくださいね

 

つるの はい、よろしくお願いします!

 

最後の急行列車となった「はまなす」と海峡を越えた車両の記録

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.3〜〜

 

ここ10年で在来線の長距離列車の顔ぶれが大きく変わった。急行列車は消えていき特急列車のみとなった。使われる車両も大きく変貌している

 

“もう一度乗りたい名列車”の3回目は、最後の夜行急行そして客車列車となった「はまなす」と、ともに消えていった津軽海峡を越えて走った特急および名列車を振り返ってみたい。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載

 

【名列車の記録①】青森駅と函館駅を深夜に走った客車列車

かつては列島をくまなく走っていた急行列車。特急に比べて停車駅が多く、手ごろな料金で移動ができた。

 

まず特急と急行の料金を比較してみよう。特急料金の仕組みは複雑でJR各社や路線で微妙に異なるが、通常期で50kmまでが1030円〜1270円、100kmまでで1450円〜1700円といった金額だ(急行の料金設定があった2015年1月の金額=以下同)。

 

ところが、急行となると50kmまでが550円、100kmまでが750円、201km以上が1300円と安い。さらに特急が200km以上、100kmごとに割増となり最大601km以上3960円(A特急料金の場合)となるのに対して、急行の場合は201km以上という金額は設定されていなかった。それだけ手ごろな金額で乗車が可能だったわけである。

 

そんな急行列車も徐々に消えていき、2016(平成28)年に急行「はまなす」が消え、JRグループから急行列車が全廃された。今や列島を走るJRの有料列車は特急および新幹線のみとなってしまったのである(観光列車を除く)。

 

そんな最後の急行列車となった「はまなす」が走ったころを振り返ってみよう。同列車は津軽海峡を夜に越えることができる便利な急行列車だった。

↑急行「はまなす」のルートと各駅の発着時間。ED79形交流電気機関車とDD51形ディーゼル機関車が客車列車を牽引した

 

●急行「はまなす」の概要

運行開始 1988(昭和63)年3月13日
運行区間 青森駅〜札幌駅
営業距離 475.2km
所要時間 下り7時間49分、上り7時間39分(最終年の所要時間)
車両 14系・24形客車。牽引はED79形交流電気機関車、DD51形ディーゼル機関車
料金 開放式B寝台1万5980円、指定席(ドリームカー)1万20円、自由席9500円
※青森駅〜札幌駅間の大人1人分の運賃+急行料金+寝台料金・通常期の料金
運行終了 2016(平成28)年3月21日(下り)、正式には26日が運行終了日だったが、22日以降は運休扱いとなった

 

↑「はまなす」は通常期は7両の客車を牽いて走ったが、7・8月などの多客期は客車を増結して走った。この日は9両編成で運行

 

青森駅と札幌駅を結んだ急行「はまなす」は、青函トンネルが開業したちょうどその日から運行が開始された。それまで青森と函館の間の移動は、津軽海峡を渡る青函連絡船や、海峡フェリーを利用する以外に移動手段がなかった。これらの船は夜間に運航する便もあり、その夜行便に変わる役割として「はまなす」の運行が始まったのだった。

 

下り青森駅発は22時18分、函館駅着が深夜0時44分、札幌駅には6時7分に到着する。また上りは札幌駅発22時、函館駅着が2時52分、青森駅着5時39分に到着した。夜間に津軽海峡と、北海道内の移動ができて非常に便利な列車だった。

 

筆者も乗車した経験があるが、札幌から深夜に帰る会社員だったのだろう。寝台ベッドで横になって仮眠し、下車駅が近づくと身支度して降りていく人が多かったように記憶している。

 

【名列車の記録②】座席車と寝台車の〝混合編成〟で走る

「はまなす」の客車編成を見ておこう。運行最終時期の編成は、基本客車7両で運行された。客車の屋根はふぞろいで、寝台車と座席車で大きく違っていた。屋根の上にクーラーがあるのが14系座席車で、5両連結されていた。

 

そのうち、3号車と7号車の2両が自由席の座席車。5号車と6号車が特急のグリーン車用の座席を取り付けた「ドリームカー」で、こちらは指定席となっていた。さらに4号車は「のびのびカーペットカー」で、カーペットが敷かれたスペースがあり、寝具も提供された。指定席料金で、寝ながらの旅が可能とあって、人気があった。一部に女性専用のスペースも用意されていた。

 

屋根上にクーラーの突起がなく平たいのが寝台車で、1号車と2号車に14系と24系客車が一両ずつ連結されていた。ちなみに「はまなす」の14系は、元24系で、24系に電源装置を取り付け14系に改造されたものだった。14系・24系寝台車には開放2段式B寝台がずらっと並んでいた。ブルートレインなどでおなじみだった2段式ベッドで、こちらの利用の際は寝台料金が必要となった。

↑屋根の造りから後ろに2両の寝台車、その前に14系座席車が連結されていることが分かる。下は列車の通常時の編成図

 

14系および24系の客車の牽引は、青森駅から函館駅までがED79形交流電気機関車が牽引、函館駅で方向が変わり、同駅でDD51形ディーゼル機関車に付け替えられ、札幌駅まで牽引を行った。DD51は北斗星仕様で、特急「北斗星」、特急「トワイライトエクスプレス」と同じ牽引機だったが、他の寝台列車が2両連結の重連で牽引を行ったのに対して、「はまなす」は1両のみで牽引が行われていた。

↑深夜走る青森行き「はまなす」(右)。左上から14系座席車(自由席)、のびのびカーペットカー、B寝台(開放2段式)

 

急行「はまなす」は夜間に走る列車ということもあり、眠っての移動を目的にした利用者が大半だったが、下り上りとも春から初秋にかけては、車窓風景を早朝に楽しむことができた。終着駅が近づくころ、外を見ながら寝起きの時間を過ごす格別な楽しみがあった。

 

【名列車の記録③】上り列車からは津軽海峡線の朝が楽しめた

早朝に見える風景を走行写真で追ってみよう。

 

日本最長の青函トンネル53.85kmに入る時間は、下りが23時過ぎ、上りが4時15分ごろだった。起きているのがややつらい時間帯だったが、起きている時には窓の外や、後端車のデッキからトンネルの途中の海底駅を示す明かり、またトンネル内を照らす最深部の緑色のライトが確認できた。トンネルに入って約40分で出口を出る。上り列車の場合には薄明かりの時間帯になるので、外が見える確率が高かったが、それでも日が長い季節でないと難しかった。

↑津軽海峡線新中小国信号場〜中小国駅間を走る上り列車。撮影時間は朝5時40分(遅延あり)。水田に列車が反射して美しく見えた

 

上の写真は、青函トンネルの青森側出口からまもない中小国信号場から、最初の駅の中小国駅までの区間で、廃止される前年の5月に撮影したもの。通常時は5時10分ごろの通過予定だったが、この日は列車が遅れたこともあり、朝陽がややのぼり、田植えが終わったばかりの水田が〝水面鏡〟となって列車の姿が写り込んだ。この日もそうだったが、廃止1年ぐらい前からは、沿線には同列車を写そうという人が多くカメラを構えていた。

 

中小国駅の一つ先が蟹田駅だ。ちなみに蟹田港からは陸奥湾を横断するむつ湾フェリーが下北半島の脇野沢へ向けて出航している。

↑蟹田駅〜瀬辺地駅間では陸奥湾を目の前に走る。時間は5時18分で、この日は定時での運行。車内からは陸奥湾ごしに朝陽が楽しめた

 

蟹田駅では2分ほどの運転停車で、5時14分に発車する。駅からまもなく陸奥湾が見える海岸線を走るようになり、次の瀬辺地駅(せへじえき)へ向かう途中では陸奥湾の眺望が楽しめた。朝陽に輝く海岸線と沖に浮かぶ漁船といったのどかな風景が思い出される。

 

瀬辺地駅からは、ほぼ陸奥湾に沿って点在する集落を左に見て走る。そして5時39分、青森駅に到着した。意外にビジネスでの利用客が多いようで、ホームから足早に去っていく人が目立った。

 

【名列車の記録④】下り列車は千歳線の原生林を眺めつつ走る

札幌駅行きの下り列車の場合には室蘭本線の登別駅付近から徐々に外が見えるようになってくる。寝台特急「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」は登別駅に停車したが、「はまなす」は下り列車のみ停車せずに走った(通過4時31分ごろ)。このあたり、前者は観光用特急であり、「はまなす」はビジネス利用および、東室蘭駅からの通勤客が主体だったこともあったのだろう。

↑室蘭本線・本輪西駅〜東室蘭駅を走る下り「はまなす」。朝4時11分の撮影で、列車の姿もようやく捉えられる明るさだった

 

苫小牧駅が5時1分着、その後、千歳線へ入るが、同線内では南千歳駅(5時24分着)、千歳駅(5時29分着)、新札幌駅(5時55分着)と停車しつつ札幌駅を目指す。

 

千歳線は、新札幌駅付近からは急に住宅が増え、札幌の近郊住宅地の趣が強まるが、そこまでは、駅付近には民家があるものの、北海道らしい原生林が連なっている。

 

下記の写真は西の里信号場でのもの。同信号場は、新千歳空港開業に合わせて下り、上りとも追い抜きが可能なように設置された信号場だ。千歳線では北広島駅〜上野幌駅(かみのっぽろえき)間に位置するが、札幌駅までわずか20分のところに、周囲を原生林で包まれた自然豊かなところがあるのが、いかにも北海道らしかった。

↑西の里信号場を5時48分に通過した下り「はまなす」。信号場は自然林に包まれる。あと札幌駅まで20分で到着となる

 

西の里信号場付近の自然林を眺めつつ、上野幌駅を5時52分に通過、次の新札幌駅に到着した。地下鉄東西線の乗換駅ということもあり、かなりの人がおりていった。やはりこの列車は早朝に会社へ行きたいという人には格好の列車だったようである。札幌市内の住宅地を左右に眺め6時7分、札幌駅に到着した。

 

さて、廃止されて早5年。代わりとなる列車があるのか時刻表を見るとほぼないことが分かった。

 

現在、東室蘭方面からの札幌駅行き始発列車は、5時40分東室蘭発の特急「すずらん1号」で、この列車を利用すると7時13分に札幌駅に着く。6時台には到着できない。

 

一方、逆方向の列車は、22時ちょうど札幌駅発の特急「すずらん12号」が東室蘭駅まで走る最終列車で、東室蘭駅に23時31分に着く。ただし、その先、函館方面へは走らない。つまり「はまなす」のように札幌方面へ早朝に走る列車は消え、また逆方向も途中までで、その先の函館駅へはもちろん、海峡を渡って青森駅へ向かう列車はなくなってしまったのである。

 

北海道新幹線の開業により、消えてしまった急行「はまなす」。同列車を頻繁に利用していた人たちは、どのように道内や海峡越えをしているのだろうか。列車の廃止が道内での移動に微妙な陰を落としているように感じた。

 

【名列車の記録⑤】津軽海峡を越えて走った485系「白鳥」

深夜・早朝に青函トンネルを越えて走った急行「はまなす」や、「北斗星」などの寝台特急に対して、日中に津軽海峡を走った列車といえば特急「スーパー白鳥」「白鳥」が代表的な列車だった。列車の大半がJR北海道の789系だったが、混じってJR東日本の485系も走っていた。

↑津軽海峡そして遠くに函館山を見ながら走る485系「白鳥」。485系の更新車両ながら、今となっては懐かしく感じられる

 

「白鳥」という列車名の歴史は古い。特急として走り始めたのは1961(昭和36)年のことで、当初は大阪駅〜青森駅間と大阪駅〜上野駅間(直江津駅まわり)を走るディーゼル特急として誕生した。直江津駅で両列車が分割併合、直江津駅〜大阪駅間は一緒に走ったユニークな列車だった。同「白鳥」は2001(平成13)年3月2日に一度、消滅している。

 

その1年後の2002(平成14)年12月1日から走り始めたのが、特急「スーパー白鳥」と「白鳥」だった。当時は東北新幹線が八戸駅止まりだったために、八戸駅〜函館駅間での運行が行われた。東北新幹線が新青森駅まで延伸した2010(平成22)年12月4日以降は、新青森駅〜函館駅間の運行となった。

 

ちなみに、JR北海道の789系で運行した特急が「スーパー白鳥」であり、JR東日本の485系を利用した特急が「白鳥」だった。新型789系には〝スーパー〟が付き、485系はやや古かったせいか〝スーパーなし〟の扱いだったのである。

↑485系特急「白鳥」。普通車はクラシックなクロスシートだった。「はまなす」が青森駅止まりだったのに対して同列車は新青森駅まで走った

 

「白鳥」に使われた485系は国鉄が生んだ名車両の一形式と言って良いだろう。生まれは1964(昭和39)年と古い。直流、交流50Hz、交流60Hzの3電源に対応する特急形電車として誕生した。1979(昭和54)年までに計1453両の車両が製造され、列島各地で活躍した。

 

「白鳥」に使われた485系はリニューアルされた車両だったものの、形式が少し古いこともあり、JR北海道の789系と〝差〟を付けられたのである。とはいえ485系は津軽海峡線では目立つ存在だった。運行最終年には「スーパー白鳥」が8往復だったのに対して、「白鳥」は2往復と希少な列車でもあった。〝スーパー〟は付かなかったものの、鉄道ファンにとって、あえて乗りたい列車でもあった。

 

現在、485系の定期運行はなくなり、車両も大きく改造されたジョイフルトレイン用がわずかに残るのみとなっている。

 

【名列車の記録⑥】「白鳥」消滅とともに消えた希少な車両

「スーパー白鳥」の789系は、ノーズ部分と連結器部分が萌黄色(ライトグリーン)の塗装だった。「スーパー白鳥」「白鳥」は、急行「はまなす」とともに2016(平成28)年3月21日(22日〜26日間は運休扱い)に運行終了を迎えた。

 

その後、「白鳥」に使われた485系は引退となったが、「スーパー白鳥」に使われた789系は転籍し、札幌駅〜旭川駅間を走る特急「ライラック」となり、シルバー塗装の789系「カムイ」とともに活躍している。

 

実はこの「スーパー白鳥」にはとても希少な車両が使われていた。

↑函館駅を発車して青森駅へ向かう785系「スーパー白鳥」。789系(左上)とは異なる顔立ちで目立つ存在だった

 

785系が2両のみ「スーパー白鳥」に使われていたのである。785系はJR北海道が1990(平成2)年に新造した特急形電車で、当初は札幌駅〜旭川駅間用の特急として使われた。さらに札幌駅〜東室蘭駅を走る特急「すずらん」にも使われていた。

 

「スーパー白鳥」に使われた785系2両は、編成の組み換えで余剰となっていた車両で、2010(平成22)年4月に789系の増結用として改造された。789系の運転台が高い位置にあるのに比べると、785系は運転台が低く、平面な正面デザインで異彩を放っていた。他区間を走る785系はシルバーだったが、同増結車のみ萌黄色(ライトグリーン)の塗装で目立っていた。増結車だっただけに多客期にしか走らず、出会うことも少なかった。

 

こうした希少車だったが、2016(平成28)年3月21日の「スーパー白鳥」の運行終了でお役ごめんとなった。「ライラック」への転身はなく、3月末に廃車、9月には解体となった。名車両とは言いにくいものの、ちょっと残念な存在だった。

 

【名列車の記録⑦】重厚な姿が魅力だったJR貨物ED79形式

津軽海峡を越えて走った車両は北海道新幹線の開業とともに、大きく変わった。貨物列車を牽引する電気機関車も様変わりした。それまでの主力機関車といえばEH500形式交直両用電気機関車だったが、現在はEH800形式交流電気機関車に変更されている。

 

2016(平成28)年の北海道新幹線の開業に向けて徐々に変更されていったのだが、一方でその1年前に静かに消えていった貨物用機関車があった。JR貨物のED79形式交流電気機関車である。

↑津軽海峡線(現・津軽線)を走るED79形式交流電気機関車は必ず2両連結の重連で長大な貨物列車を牽引した

 

ED79形式交流電気機関車は、青函トンネルの開業に合わせて造られた。まず1986(昭和61)年にED75形式交流電気機関車がED79形式交流電気機関車に34両改造されて旅客用・貨物用に使われた。その後にJR貨物により1989(平成元)年に10両が新造された。この10両(1両は後に事故で廃車)がEH500の運行を補助する役割を負って2015(平成27)年まで2両重連の姿で使われていたのである。

 

筆者はこの国鉄形機関車が2両重連で貨車を牽く姿にとてもひかれた。津軽海峡へ訪れるごとに、好んでこの車両を追っていた。その姿は何とも凛々しく写真映えした。

↑津軽海峡線(現・道南いさりび鉄道線)特有のカーブ区間を走る重連で走るED79。とても絵になる機関車だった

 

旅客用の赤い塗装のED79も写真映えしたが、最後のころはシングルパンタに変更されたのがちょっと残念だった。一方、貨物用のED79は旧来の交差式パンタグラフに加えて、濃淡ブルーの車体、運転席の窓部分のブラック塗装、運転室ドアのワンポイントの赤塗装と、いかにも重厚な貨物用機関車という趣が強く、絵になった車両だったように思う。

↑蟹江駅〜瀬辺地駅間を走るED79牽引の上り貨物列車。同区間では陸奥湾を眺めつつ走った

 

津軽海峡、函館湾、陸奥湾を背にして走る姿が記憶に残る機関車でもあった。国鉄形機関車の重連運転は、東日本では東北本線のED75形式交流電気機関車に続いて、津軽海峡線のED79形式交流電気機関車が消えた。さらについ最近には関西本線のDD51形式ディーゼル機関車が消滅した。

 

残るは中央本線を走るEF64形式直流電気機関車の石油輸送列車のみとなっている。こちらも後継のEH200形式直流電気機関車の導入が取りざたされている。老朽化が忍び寄る国鉄形車両とはいえ、名シーンともなっていた運行風景が消えていくことには一抹の寂しさを感じざるを得ない。

↑津軽海峡線の〝主〟のような存在だったEH500形式交直流電気機関車も同区間から撤退。東北本線や首都圏に活躍の場を移している

 

ホンダ「ヴェゼル」が爆売れ中!! クルマのプロが「欠点がない」とまで言い切る実力に迫る

ベテラン自動車ライターの永福ランプとフリーエディターの安ドが、深いような浅いようなクルマ談義をする「クルマの神は細部に宿る。」。今回取り上げるのは、先代モデルのヒットに続き、新型も売れに売れている「ヴェゼル」。イメージを一新したデザインや使い勝手、インテリアの質感はどうなのか?

※こちらは「GetNavi」 2021年9月号に掲載された記事を再編集したものです。

 

【レビュアーPROFILE】

永福ランプ(清水草一)

日本中の貧乏フェラーリオーナーから絶大な人気を誇る大乗フェラーリ教の開祖。様々な自動車専門誌や一般誌、ウェブなどで、クルマを一刀両断しまくっている。2018年以降、ペンネームを「MJブロンディ」から「永福ランプ」へ変更している。

 

安ド

元GetNavi編集部員で、現在ではフリーエディター。永福ランプを慕い「殿」と呼んでいる。

 

【今月のGODカー】ホンダ/ヴェゼル

SPEC【e:HEV PLaY】●全長×全幅×全高:4330×1790×1590mm●車両重量:1400kg●パワーユニット:1.5LDOHCエンジン+モーター●エンジン最高出力:106PS(78kW)/6000〜6400rpm[モーター最高出力:131PS(96kW)/4000〜8000rpm]●エンジン最大トルク:13.0kg-m/4500〜5000rpm[モーター最大トルク:25.8kg-m/0〜3500rpm]●WLTCモード燃費:24.8km/L

227万9200円(税込)〜329万8900円(税込)

 

外観同様に、走りも内装も上質な高級感

安ド「殿! 新型『ヴェゼル』が売れまくっているそうです!」

 

永福「うむ」

 

安ド「写真をひと目見たときから、良いなと思ってましたけど、実物はさらに良いですね!」

 

永福「同感だ。写真をひと目見た時から良いなと思っていたが、実物はさらに良い」

 

安ド「僕と同じことを言わないでください!(笑)」

 

永福「同じことを思ったのだから仕方なかろう」

 

安ド「ヴェゼルのデザインは、具体的にはどこが良いんでしょう?」

 

永福「まずシンプルであることだ。余計なラインやらえぐりやら、あるいはギラギラしたデコレーションがまったくない」

 

安ド「ボディ同色グリルもですか?」

 

永福「あれも、よりシンプルな方向だ。ボディと同じ色なのだから」

 

安ド「なるほど!」

 

永福「そして、ウエストラインがほぼ水平だ。これが、スピード感や威厳を強調しないニュートラルな雰囲気を醸し出し、日本人好みの清潔感につながっている」

 

安ド「だから良いデザインに見えるんですね!」

 

永福「うむ。海外でこのデザインがウケるかどうかはわからないが、日本人の深層心理には強く訴えかけてくる。初代『ソアラ』のように」

 

安ド「初代ソアラ! 僕はまだ子どもでした」

 

永福「わしですら10代だった」

 

安ド「僕はこのデザイン、ホンダの『HR-V』みたいに、縦方向に潰れた感じが好きなんですけど」

 

永福「HR-Vも相当古いぞ」

 

安ド「若い読者にはチンプンカンプンでしょうか」

 

永福「お互い、例えが古くてイカンな」

 

安ド「走りも内装も上質ですよね。『フィット』のSUV版とは思えない高級感でした」

 

永福「うむ。見た目同様、すべてが上品で清潔感がある。しかも室内が広い」

 

安ド「燃費も良かったですよ。実測で19km/Lくらい走りました」

 

永福「フィットとほぼ同じハイブリッドシステムだからな」

 

安ド「このクルマ、良いところずくめですね!」

 

永福「うむ。若干価格は張るが、一般の皆様には手放しでオススメできる。まぁオススメするまでもなく売れているが」

 

安ド「じゃ、殿のようなカーマニアは、こういうクルマ、欲しいと思いますか」

 

永福「安ドはどうだ?」

 

安ド「僕ですか? 僕はいりませんよ。MTがないですから」

 

永福「MT車しか買わないとは、不便な人生よのう。わしはATでもいいぞ」

 

安ド「じゃ殿は買いますか?」

 

永福「買うわけがなかろう。なにせヴェゼルには、カーマニアにとって一番大事なものがない」

 

安ド「それはなんですか?」

 

永福「欠点だ。欠点のないクルマなど、面白いはずがなかろう」

 

【GOD PARTS 1】ボディサイドライン

水平に引かれたラインでシンプルさを演出

先代より全長が拡大されたことで前後に長い印象を受けるデザインですが、ボディサイドに一本通されたウエストラインが、それをさらに強調しています。この水平基調のラインが、スッキリとした印象を演出しているのです。

 

【GOD PARTS 2】シート生地

クールで上質な印象を与える特別な素材を採用

上級グレードの「PLaY」には、プライムスムース素材とファブリック素材を組み合わせた「グレージュ」と呼ばれるシート表皮が採用されています。派手過ぎることもなく、大人っぽくて、コンパクトSUVとは思えない高級感が味わえます。

 

【GOD PARTS 3】LEDルームランプ

静電式なのでそっと触れるだけ

パッと見たところルームランプの周囲にスイッチが見つかりませんが、なんと静電式で、ランプの周辺をそっと触れれば点灯できます。暗いなかでもなんとなくそのあたりに触れるだけで良い、ユーザーに優しい装備です。

 

【GOD PARTS 4】そよ風アウトレット

エアコンからの風が直接身体に当たらない

エアコン吹き出し口中央のツマミを操作することで、風向きを自在に変更できます。外側の細長い「そよ風アウトレット」を選べば、風が乗員に直接当たらず、身体を包み込むような流れに。ほど良い心地良さを味わえます。

 

【GOD PARTS 5】エアコンコントロールパネル

触りたくなるアナログなダイヤル

最近はなんでもデジタルでタッチパネルになりつつありますが、ヴェゼルのエアコン操作系は、節度感の良いダイヤルとボタンで構成されていて、良い雰囲気です。左右下にはUSBソケットが配置されています。

 

【GOD PARTS 6】リアシート

ユーティリティ性に優れたシート設計

↑通常時

 

↑チップアップ

 

↑ダイブダウン

 

燃料タンクを車体中央下に配置したホンダ独自の「センタータンクレイアウト」によって、ボディサイズのわりに室内空間は広めです。リアシートはチップアップ(跳ね上げ)とダイブダウンができるので、スペースを巧みに使うことができます。

 

【GOD PARTS 7】リアコンビランプ

あのクルマみたいなデザイン

左右のかたまりが一直線に結ばれたデザインの、リアコンビネーションランプが採用されています。天地方向の幅はかなり薄型ですが、ワイド感が強調されクールな印象です。一部では、昨年発売されたトヨタのハリアーに似ているとも言われています。

 

【GOD PARTS 8】減速セレクター

パドル操作で自在にエンブレ感覚を調整可能

ATシフトを「D」レンジから「B」レンジへ切り替えれば、アクセルを離した際の減速感をステアリング奥のパドルで調整できる状態になります。4段階にコントロールできますが、最大にしても日産のe-POWERほど強烈ではありません。

 

【GOD PARTS 9】パノラマルーフ

紫外線や熱をカットする特殊なガラス素材を採用

一部グレードに設定されるパノラマルーフには、「Low-Eガラス」なるものが採用されています。これは赤外線や紫外線をほぼ遮断しつつ、日差しによる熱も従来比約50%カットしてくれるもの。フロントは電動、リアは手動でカバーを外せます。

 

【これぞ感動の細部だ!】ボディ同色グリル

シンプルで飾らない印象を与えるセンスフルなデザイン

フレームレスのボディ同色グリルは、一見、印象が薄いように感じますが、慣れるとこれがなかなか素敵です。そもそもグリルという構造物は、デザイン的にはクルマのフロントフェイスに威厳や迫力を与えるものですが、ここをシンプルにしたことで、逆に洗練された印象を受けるのです。向かって右上部にさりげなく配置されたトリコロールの「カラーオーバーオーナメント」もオシャレです。

 

撮影/我妻慶一

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると閲覧できます)】

 

5年前に惜しまれつつ消えた豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」の記録【後編】

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.2〜〜

 

「トワイライトエクスプレス」が定期運行を終えてすでに6年あまりの年が経つ。約1500kmの行程を約22時間かけて列島を縦断した名物列車で、走り続けた25年8か月の間に約116万人の人が利用したとされている。

 

今回は“もう一度乗りたい名列車”「トワイライトエクスプレス」の後編として、列島を駆けたその勇姿を、写真を中心に振り返ってみたい。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載

【前編はコチラ

↑大阪駅と札幌駅を結んで走った「トワイライトエクスプレス」。本州では日本海にほぼ沿って走り抜けた

 

【はじめに】グッズや乗務員手づくりの品物が乗車記念になった

やや寄り道になるが最初に、同列車のグッズの話から始めたい。

 

「トワイライトエクスプレス」の魅力はもちろん、縦断する東日本の景色を車窓から満喫することだ。ただ、それ以外にも車内では有料の限定ガイド本や特製オレンジカードなどが購入でき、そうしたグッズにも魅力があった。

↑筆者が2回乗車した時に手に入れたパンフレット類や無料のポストカードなど。左上は有料の列車ガイド誌、JR北海道オレンジカード

 

サロン車で配布されていたスタンプ用紙も印象深い。用紙には列車のイラストと地図、そして17の停車駅のスタンプを押すスペースがあり、駅を通過していくごとにスタンプを押して仕上げていく楽しみがあった。しかも、この用紙とスタンプは大阪車掌区の車掌さん自ら手づくりしていたというから頭が下がる。それだけ車掌さんたちが、この列車への愛情を持っていたという証だったように思う。

↑サロン車で配られたスタンプ用紙。定期的に用紙が変更され何度乗っても楽しめた。右下はA個室寝台の乗客にプレゼントされた乗車証明書

 

さらにA個室寝台スイートルームに乗車した人には乗車証明書が配られた。厚紙を使った本格的な乗車証明書で、墨文字で乗車区間と、車掌名、乗車日が記入されていた。こんな車掌さんの気持ちが籠もった列車は、後にも先にもたぶん現れないだろう。

 

こうした乗務員が抱く“愛情”に支えられたことで、四半世紀にわたり運転されても魅力が色あせなかったのだと思う。

 

【名列車の記録①】淀川を渡り琵琶湖を眺め近畿をまず縦断する

ここからは下り列車を中心に沿線風景をたどろう。なお、停車・通過時間、メニューの料金等は運転最終年のもので紹介を進めていきたい。

 

整備・点検を終えた下り列車は大阪駅の北にある網干総合車両所宮原支所を11時2分過ぎに出発。北方貨物線から東海道本線へ入り、始発大阪駅へ向かう。

 

大阪駅への入線は11時11分過ぎ。発車まで40分近く大阪駅ホームに停車する。11時50分、長い発車ベルを合図に発車。静かにホームを離れていく。

 

電車とは異なり、客車列車の「トワイライトエクスプレス」の動きはゆっくりで、それがまた旅情を誘った。車内では「いい日旅立ち」のBGMが流れ始め、大阪駅〜新大阪駅間の間を流れる淀川にかかる鉄橋を渡るのだった。

↑大阪駅を出発して間もなく上淀川橋梁を渡る。右上は大阪駅行き上り列車。同橋梁では下りが通過した約1時間後に上り列車が通過した

 

大阪駅から約5分で、次の停車駅、新大阪駅に到着。新幹線の乗換駅ということで、この駅から乗車する利用者の姿もちらほら見られた。新大阪駅停車はわずかに1分、11時56分に出発し、次の京都駅を目指す。走る東海道本線は複々線区間となっていて、新快速列車と同じ線路をやや飛ばし気味に走るのだった。

 

約20分で山崎駅を通過。この地区は交通の要衝で、右は東海道新幹線と、阪急京都線、左は名神高速道路が平行するように走る。駅の左手に見える天王山(てんのうざん)は、戦国時代に明智光秀と豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の山崎の戦いが行われ「天下分け目の天王山」と呼ばれた地でもある。そんな天王山を横目に見て列車は次の京都駅を目指す。

↑山崎駅を12時13分に通過して京都府に入る。左手に天王山など丘陵が連なっている。この撮影地は現在、右手に住宅地が建ち並ぶ

 

「トワイライトエクスプレス」は連日2〜3編成が大阪駅と札幌駅間を走っていた。下り列車と上り列車は途中1か所、もしくは2か所ですれ違う。東海道本線では京都駅の手前、西大路駅付近で12時21分ごろに最初のすれ違いがあった。長い距離を走り、しかも列車本数が少ない“特別な列車”だっただけに、そのすれ違いもどこかドラマチックだった。

 

京都駅への到着は12時24分。ここも1分停車で12時25分には発車する。ちなみに発車は0番線から。この京都駅0番線は日本一長いホーム(558m)でもある。

↑琵琶湖を眺めて走る下り列車。場所は湖西線北小松駅〜近江高島駅間で13時11分。食堂車ではちょうどランチタイムが始まるころだ

 

京都駅を発車、列車は次の山科駅の先で東海道本線から湖西線へ入っていく。大津京駅付近からは右手に琵琶湖が眺められるようになる。しばらくは湖に付かず離れず、堅田駅(かたたえき)付近からは湖が間近に眺められるようになる。夏は湖水で遊ぶレジャー客が眺められる近江舞子駅で運転停車。後続の特急「サンダーバード」に抜かれる。「トワイライトエクスプレス」も特急だが、こちらは急がずに走る特別な列車なのである。近江舞子駅を運転停車後、13時4分に出発する。

 

この駅付近から、ちょうど3号車食堂車「ダイナープレヤデス」ではランチ・ティータイムが始まる。16時までは予約なしで軽食喫茶が楽しめる。右手に琵琶湖、左手に比良山系の山並みが美しく連なる車窓風景を眺めながらのランチが格別なものだった。

 

【名列車の記録②】北陸の田園風景や山景色を眺めながら

湖西線を通り抜けて列車は13時35分に近江塩津駅から北陸本線へ入る。県境をトンネルで越えると新疋田駅(しんひきだえき)だ。

 

この駅から福井県へ入るのだが、次の敦賀駅までのひと駅区間の行程が興味深い。新疋田駅の標高は海抜96.4mだが、ひと駅先の敦賀駅は海抜8mしかない。両駅は距離にして6、7kmしかないのだが、その間に88mも下り、また上る。よって、下り列車は標高の高い新疋田駅からは、スムーズに下り続け6分ほどで敦賀駅へ降りていく。一方、上り列車は大変だ。最大25パーミル(1000m走るうちに25m登る)という急勾配を上がっていかねばならない。路線は下り線と平行して走らずに、ぐるりと1周するループ線が特別に造られ、傾斜を緩める工夫が取り入れられている。やや迂回ルートとなるため敦賀駅から新疋田駅まで9分かかった。

 

さらに上り列車は、敦賀駅で、EF81形交直流電気機関車を交替させていた。つまり敦賀駅→大阪駅→青森駅→敦賀駅を走りきった電気機関車は、“お疲れさま”とばかり機関区に引き上げさせ、代わりに整備・点検、そしてリフレッシュしたばかりの電気機関車につけかえて、この勾配区間に挑むのだ。敦賀駅〜新疋田駅間は、それだけ難路というわけだったのである。

↑敦賀駅〜新疋田駅間の下り線は直線区間が多いのに対して、上り線にはループ線がある。眼下のループをちょうど上り列車が走ってきた

 

下り坂を疾走してきた下り列車は敦賀駅で2分停車し、13時48分に発車する。ここまでが大阪駅から約2時間の行程だ。敦賀駅を発車すると、間もなく在来線では2番目の長さを持つ北陸トンネル1万3870mを抜ける。ちなみに敦賀駅を過ぎると間もなくデッドセクションがあり、この区間で、直流から交流電化区間へ入る。

 

北陸トンネルを抜けて、しばらく走ると田園風景が広がるようになる。こちらで栽培されるお米はコシヒカリだ。今でこそコシヒカリといえば、他県産が有名となっているが、生み出されたのは福井県。そうした経緯もありコシヒカリの生産が多い。

↑福井県内では田園風景が多く広がっている。写真は北陸本線牛ノ谷駅〜大聖寺駅間で、15時2分ごろに下り列車が通過した

 

福井駅14時40分発、そして石川県の金沢駅を15時40分発と北陸各県の駅を停車しつつ北へ向かう。倶利伽羅峠峠(くりからとうげ)からは富山県へ入り、高岡駅16時14分、富山駅16時31分と停まっていく。富山駅の先、東富山駅付近から先は、行く手に立山連峰の山々がそびえ立つように見えた。

↑北陸本線(現あいの風とやま鉄道線区間)の東富山駅〜水橋駅間を16時41分に通過する下り列車。眼前に立山連峰がそびえ立つ

 

【名列車の記録③】下り列車では日本海の景色が楽しみだった

福井県内から日本海にほぼ沿って走る「トワイライトエクスプレス」だが、富山県までは一部区間を除き日本海が見えない。車窓から良く見えるようになるのが、富山県内の東端、越中宮崎駅近辺からだった。時間は18時6分過ぎのこと。つまり、日が短い季節に乗車すると日本海側の景色があまり楽しめなかった。逆に日が長い季節の列車に乗車すれば、日本海の眺望と夕日と、とことん付きあうことができた。

↑北陸本線(現えちごトキめき鉄道)有間川駅〜谷浜駅間を走る下り列車。海岸線をなぞるように走っていった

 

越中宮崎駅と市振駅間に富山県と新潟県の県境がある。県を越えた後に、まず海景色がきれいに楽しめたのが、北陸本線(現えちごトキめき鉄道・日本海ひすいライン)有間川駅〜谷浜駅(17時50分通過)だった。

↑青海川駅〜鯨波駅間にある有名な撮影ポイントで。筆者もたびたび通ったが、夕日と列車は思い通りの絵にはなかなかならなかった

 

17時59分、直江津駅を発車して信越本線に入る。信越本線には日本海の景色のベストポイントが連なる。特に同線の柿崎駅から鯨波駅まで5駅15km区間は、ほぼ路線が海岸にぴったりと沿って走る。時間は18時13分〜18時24分で、天気が良いと海上に佐渡が望めた。季節がぴったりあえば海岸線に沈むダイナミックな夕日が楽しめる区間でもあった。

 

日の長い季節には柏崎駅18時27分(通過)はもちろんのこと、長岡駅19時4分発、東三条駅19時22分(通過)ぐらいまでは車窓から風景が楽しめた。外が暗くなるころには次のお楽しみが待っていた。

 

【名列車の記録④】ディナーに加えてパブタイムも楽しみに

3号車食堂車「ダイナープレヤデス」でのディナータイムは、1回目が17時30分〜19時、2回目は19時30分〜21時とそれぞれ1時間30分にわたり豪華フランス料理のディナーコースが楽しめた。食堂車には厨房があり、そこで調理が行われ、作り立ての料理が各テーブルに運ばれた。筆者も2回ほど頂いたが、やはり取材ということでなく、プライベートで味わいたかったと今でも思う。ディナーコースは1万2000円で、列車の食堂車のメニューとしては高価だったものの、振り返ればそれだけの価値があったように思う。また部屋や、サロン車に運んでもらう形で、日本海会席御膳6000円も味わえた。

 

両メニューとも事前予約制だが、発車後に予約が可能な1500円弁当も用意されていた。

↑ディナーコース、日本海会席御膳ともに内容が細かく記載されたメニュ—が手渡された。左上は写真入りのメニュー案内

 

ディナータイムが終わる21時から23時まではパブタイムとなった。ランチタイムと同じく予約は不要で、誰もが気軽に利用できた。ビール、日本酒、洋酒、ワインを用意、軽食もミックスナッツ400円からスモークサーモン900円、夕食を食べ損ねた人向けにビーフピラフ(和牛)1200円といった料理も提供され、手軽に楽しめた。

 

筆者はこの時間が好きで乗車時は常にパブタイムを利用したが、意外に利用者は少なく、同乗したスタッフとのんびりと夜の語らいが楽しめた。

↑写真はスペアリブ1510円。パブタイムのメニューはたびたび刷新された。生ビールは札幌で積んだ北海道クラシックで人気があった

 

パブタイムが終了すると、食堂車のスタッフはようやく休憩をとることができる。翌朝6時(上り列車は6時45分から)から9時までモーニングの時間となる。後片づけ、さらに朝の仕込みと、その仕事内容は大変だったように思う。

 

【名列車の記録⑤】漆黒の闇の中、ひたすら東北を走り抜けていく

ディナータイム、そしてパブタイムを楽しむなか、列車は北を目指しひた走る。本州で最後の停車駅は新津駅で、この駅を19時45分に発車してからは、次の停車駅、北海道の洞爺駅までは旅客の乗り降りはできない。途中、待ち合わせなどでの運転停車はあるものの、漆黒の中を休みなく走る。新津駅から羽越本線、秋田駅からは奥羽本線を走った。

 

そんな運転停車駅の一つ、奥羽本線大久保駅。ここでは、ほとんど知られていなかったが、2回目のトワイライトエクスプレスのすれ違いを行う日があった。

 

秋田駅から5つめの大久保駅に深夜0時13分、下り列車が到着。この駅でしばらく停車する。0時23分、上り列車が駅に近づいてきた。上り列車の電気機関車が “ピュッ”と軽く警笛を鳴らす。それに答えるように下り列車が“ピュッ”と警笛で返す。それがこの駅での深夜の“儀式”だったのだ。上り列車が高速で通り過ぎた後に、下り列車は同駅をゆっくりと発車していった。

↑大久保駅構内に停まる下り列車(向かい側)の手前を、軽く警笛を鳴らして、上り列車が通り過ぎていった。夜の0時過ぎの“儀式が”行われていた

 

大久保駅で上り列車をやり過ごした列車は、再び奥羽本線を北上していく。途中は運転停車を繰り返すものの、ドアが開くことはない。そして奥羽本線の終点、青森駅の構内へ入っていく。

 

以前は青森信号場での折り返しだったが、運転最終年ごろには青森駅構内に変更されていた。青森駅着は2時40分ごろ。ここで牽引機がEF81形交直流電気機関車からED79形交流電気機関車に付け替えられる。

↑同写真は上り列車の青森駅発車シーン。上り列車は9時台の発車と駅の営業時間内の発着だったが、同駅では乗降ができなかった

 

青森駅はスイッチバック式の駅のため、逆方向に走り始めた下り列車は、奥羽本線から津軽海峡線(現・津軽線)へ入っていく。もちろん漆黒の闇の中で、車窓から眺めてもどこを走っているのかは良く分からない。津軽海峡線の蟹田駅で、JR西日本とJR北海道の乗務員の引き継ぎが行われる。時間は3時10分過ぎ。鉄道乗務員という職種の大変さが良く分かる光景だった。

 

そして3時30分に津軽今別駅(現・奥津軽いまべつ駅)を通過、間もなく青函トンネルへ入っていく。青函トンネルの長さは53.85km。進入した列車は2つの海底駅を通過して約40分で北海道側の出口を出る。

 

【名列車の記録⑥】起きたころに北海道の景色が車窓に広がる

青函トンネルの北海道側出口は、早朝4時20分ごろに通過する。この時間だとよほど日が長い季節を除いて、外の景色を見ることができなかった。できたとしても霧に覆われることも多かった。

↑青函トンネルの北海道側を出た下り列車。同写真は定刻の時間をかなり遅れた時の様子。通常は早朝でほぼ撮影することができない列車だった

 

前回触れたように、筆者は同列車の専門誌を作っていた時期がある。当時はJR西日本の協力を得ていたこともあり、列車の遅延に関して触れることはご法度だった。運行が終わったので触れることができるのだが、長距離、長時間を走る列車だけに、天気の影響、さまざまなトラブルにより、遅延も多かった。遅れは乗車している人たちにとっては迷惑な話だが、カメラを構えている立場の時には、ふだん撮れない場所で、撮影できるといった予想外の恩恵もあった。

↑釜谷駅〜渡島当別駅間を走る下り列車。2014年7月8日の4時49分の撮影で、霧でけぶる。右上は牽引するED79形交流電気機関車

 

木古内駅(きこないえき)を朝4時21分に通過。間もなく津軽海峡が右側に見えるようになる。夜が明けるにつれて海景色が次第にはっきりし始める。

 

4時43分、渡島当別駅を通過するころには、車窓から海越しに函館山が見えるようになる。列車が走る渡島半島と函館山の間には函館湾が深く切れ込んでいるが、海には海峡フェリーなど航行中の船舶も確認することができた。

 

【名列車の記録⑦】駒ヶ岳、内浦湾など北海道の眺望を楽しみつつ

津軽海峡線(現・道南いさりび鉄道)を走ってきた下り列車は五稜郭駅へ5時5分に到着する。この先、函館駅へ線路が延びているが、列車は函館駅まで行かずに五稜郭駅まで。ここで機関車をED79形交流電気機関車からDD51形ディーゼル機関車の牽引にバトンタッチされた。

 

5時18分、交替の機関車の連結が完了し、下り列車はまた反対方向へ向けて走り出す。津軽海峡線のみ、1号車のA寝台個室スイートが機関車の後ろに連結されていたが、同駅からは再び、最後端となって札幌駅を目指す。

 

函館本線は七飯駅(ななええき)から先、二手に分かれている。下り列車は現在の新函館北斗駅(旧渡島大野駅)側の路線を通らずに、下り貨物列車や一部の旅客列車が利用する通称・藤城線という路線を通り抜けた。藤城線は途中に駅がなく列車の運行本数をスムーズにすべく設けられたバイパス線だ。ここを下り列車は徐々に上っていく。しばらく山間を通りトンネルを抜けると急に視野が開け、左手に小沼と湖越しに駒ヶ岳が望める。

↑函館本線を走る列車の車窓からは小沼と湖の先に駒ヶ岳が望めた。写真は上り列車のもの

 

大沼駅を5時37分に通過。この先で函館本線は再び二手に分かれ、下り列車は駒ヶ岳の西側にある函館本線の本線を、上り列車は駒ヶ岳の東側にある函館本線の砂原線を走る。砂原線の方が路線として長く、それだけ遠回りとなる。下りと上り列車の営業距離の違いが出てしまうのは、函館本線のここの区間の差があったためだ。

 

駒ヶ岳山麓を走った列車は森駅へ向けて駆け降りていく。森駅のすぐ右手から見え始めるのが内浦湾だ。

↑森駅を通過した下り列車。左に内浦湾、右奥に駒ヶ岳が見える。同写真は列車遅延時のもので、実際は同駅付近では日の出が楽しめた

 

内浦湾は北海道南西部にある大きな丸い湾で、函館本線、室蘭本線はこの湾を半周するように沿って走る。森駅の通過は5時59分ごろで、3号車の食堂車ではモーニングサービスがちょうど始まるころだ。天気が良い時には内浦湾越しに室蘭方面の山並みを望むことができた。朝食時間になんとも贅沢な眺望が楽しめたわけである。

↑日本一の秘境駅として知られる小幌駅と礼文駅間を走る下り列車。内浦湾沿いは険しい地域もあり、山間部を通る区間もあった

 

函館本線を走ってきた下り列車は長万部駅(おしゃまんべえき)を6時49分に通過し、室蘭本線へ入る。秘境駅の小幌駅(こぼろえき)などを通過しつつ、内浦湾沿いに走り続け、7時18分に洞爺駅に到着。

 

この駅が本州の新津駅以降、旅客が乗降できるはじめての駅となる。JR東日本が運行していた特急「北斗星」が道内では函館駅、森駅、長万部駅と、停車駅が多かったのに対して、「トワイライトエクスプレス」は洞爺駅が道内最初の停車駅だった。やはり列車運行に協力してもらうJR東日本の意向もあったのだろう。下り列車は洞爺駅の先、東室蘭駅7時52分、登別駅8時11分と停車しつつ走った。

 

【名列車の記録⑧】札幌近くまで自然に包まれて走る

苫小牧駅に8時50分に到着。この苫小牧駅は白老駅から沼ノ端駅まで続く、日本一の直線区間(28.7km)の途中にある駅で、北海道の広さを感じる区間でもある。苫小牧駅の一つ先、沼ノ端駅からは千歳線へ入る。

 

千歳線は平和駅からは函館本線に入り、札幌駅の郊外線の趣が感じられる。とはいえ、北海道らしい緑が沿線にふんだんに残る。

↑植苗駅〜沼ノ端駅間を走る上り列車。撮影をしていたところ、タヌキが物珍しそうに近づいてきた(左上)

 

車窓からもそうした豊かな自然を眺めることができる。豊かということは野生の動物も多い。上記の写真のようにタヌキにも出会うし、駅のちかくでも「熊出没!」といった看板は多く見かけることができる。

 

次の停車駅は千歳空港にも近い南千歳駅だが、「トワイライトエクスプレス」が走っていたころには、同駅手前に美々駅(びびえき)という駅があった。この駅、下車客が1日に1人という秘境駅で、残念ながら2017(平成29)年に廃止された。新千歳空港といった施設がありながらも、住民はいないといった秘境感が感じられるのも千歳線なのである。

↑札幌駅を目指して加速する下り列車。撮影は美々駅付近でのもの。乗降客がほとんどいなかったために美々駅はすでに廃止されている

 

南千歳駅に9時10分に到着する。この駅を発車すればあとは終着の札幌駅だ。南千歳駅を過ぎても駅周辺に民家は連なるものの、緑が多い。新札幌駅あたりからは札幌市の郊外といった趣が強まる。

 

平和駅でふたたび函館本線へ入る。白石駅が過ぎると「いい日旅立ち」のBGMが車内に流れ始める。いよいよ22時間におよぶ長旅の終わり、9時52分に札幌駅へ到着。ほぼ1日がかりの長い旅ながら、列車から降りる乗客のほとんどが、疲れよりも充実した面持ちを強く感じられたのであった。25年8か月にわたる運行年月に、なんと116万人が利用したとされる「トワイライトエクスプレス」。今後も多くの人たちの記憶に残るに違いない。

 

【名列車の記録⑨】最終年、山陰、山陽を走った列車が最後に

「トワイライトエクスプレス」は2015(平成27)年3月12日を最後に大阪駅〜札幌駅間の定期運行が終了した。その後の1年は余韻を楽しむように2016(平成28)年3月21日まで「特別な『トワイライトエクスプレス』」が運転された。定期運行時の9両編成を7両編成に短縮、そのうち4両がA寝台個室車両という特別な編成だった。1両がB寝台車両(乗務員室として利用)と減ったものの食堂車、サロン車は付けられていた。

 

団体列車で金額も高めだったものの、非常に盛況だったとされる。牽引機は電化区間がEF65形直流電気機関車、非電化区間はDD51形ディーゼル機関車だった。コースは大阪駅、京都駅を起点に琵琶湖を一周するコースや、山陽本線、山陰本線を走破するコースで盛況だったと聞き及ぶ。2017(平成29)年6月17日には「TWILIGHT EXPRESS瑞風」がデビューした。もちろん「トワイライトエクスプレス」のDNAを受け継ぐ豪華寝台列車である。

↑山陰本線を走った「特別な『トワイライトエクスプレス』」。西日本での走行ながら日本海を眺めて走る豪華列車として人気だった

 

一方、「トワイライトエクスプレス」は京都市の京都鉄道博物館で、A寝台個室スイートがあるスロネフ25形501号車と、食堂車のスシ24形1号車がトワイライトプラザ内で展示保存されている。京都へ訪れた時にはぜひとも訪ねて、名車両たちとの再会を果たせたらと思う。

ヨコハマタイヤの新作スタッドレス「アイスガード セブン」解説! 氷上だけじゃなく雪上にも強いその秘密は?

横浜ゴムは7月29日、4年ぶりとなる乗用車用スタッドレスタイヤの新製品「iceGUARD 7(アイスガード セブン)」を9月1日より発売すると発表しました。アイスガードは誕生以来、今年で20年目に入り、より氷上性能を高めた“第7世代”として登場。横浜ゴムではアイスガード セブンを“ヨコハマスタッドレスタイヤ史上最高の氷上性能”を発揮する新製品として市場投入します。ラインナップは全89サイズで、すべてオープンプライスです。

↑9月1日より発売されるアイスガード セブン。ラインナップは全89サイズで、すべてオープンプライス

 

従来製品比で「氷上性能」を14%、「雪上性能」を3%向上

アイスガード セブンが持つ最大のポイントは、新開発の専用パターンと「ウルトラ吸水ゴム」の相乗効果によって、従来製品「iceGUARD 6(アイスガード シックス)」に比べて、「氷上性能」を14%、「雪上性能」を3%向上させていることです。さらに「性能持続性」や「ころがり抵抗」、ウェットに効く「ウェット性能」、音に効く「静粛性能」などの各分野では、アイスガード シックスと同等の能力を確保。その結果、総合性能ではアイスガード シックスを上回るスタッドレスタイヤとして誕生したのです。

 

横浜ゴムがユーザーを対象に調査したところによると、スタッドレスタイヤに求める性能のトップ3は、「氷上制動性能」がトップで、続いて「雪上性能」「性能持続性」の順だったとのこと。

 

実際、横浜ゴム 取締役常務執行役員 兼 技術統括の野呂政樹氏は発表会の席上、「北海道の冬季気温が年々上昇して降雪量も徐々に減少し、これによって降り積もった雪が日中で溶けて夕方以降に凍結する要因を生み出している」ことに言及。その対策として「今後のスタッドレスタイヤにはより氷上性能が求められるようになる」と予想し、これがアイスガード セブンの開発コンセプトとなったことを明らかにしました。

↑“ヨコハマスタッドレスタイヤ史上最高の氷上性能”を発揮するアイスガード セブンの製品説明に登壇した取締役常務執行役員 兼 技術統括の野呂政樹氏

 

その意味でアイスガード セブンは、ユーザーのニーズをしっかりと捉えた中で誕生したことがわかります。

 

ただ、アイスガード セブンが特徴としている「氷上性能」と「雪上性能」を両立させることはかなり困難を極めたようです。たとえば氷上性能では凍結路面に密着させられる接地面積が重要ですが、これを広げれば雪上で求められる溝面積の減少につながってしまいます。一方で雪上性能を高めるために溝面積を増やせば、接地面積が減ってしまい氷上性能が落ちてしまうことになります。つまり、「氷上性能」と「雪上性能」では相反する関係にあり、アイスガード セブンの開発にあたってはまずこれを解決することが求められたわけです。

↑氷上でのアイスガード セブンと従来タイヤの制動距離比較。そのグリップ力は明らかな差がついている

 

新トレッドパターンの開発で「氷上性能」と「雪上性能」を両立

そのために進めたのが、「接地とエッジの両立技術」を駆使した新たなトレッドパターンの開発でした。これによってヨコハマタイヤのスタッドレスタイヤでは史上最大となる接地面積と溝エッジ量を確保したのです。たとえば、氷上性能のレベルアップを図るために採用した「マルチベルトブロックEX」「コレクティブビッグブロックEX」は、接地面積の拡大とブロック剛性の向上に寄与しています。また、「マルチダイアゴナルグルーブ」「トリプルライトニンググルーブ」は溝エッジ量を増大させており、これが優れた雪上性能をもたらしたというわけです。

↑非対称のトレッドパターンを持つことで、アイスガード史上最大の接地面積とブロック剛性を確保した

 

↑「雪に効く」を実現するため、エッジ量を大幅に増加させたアイスガード史上最大のエッジ量とした

 

加えてこの効果を長持ちさせるために、50%摩耗時にサイプが太くなる新形状の「クワトロピラミッド グロウンサイプ」を採用したことで、使用後期まで氷上性能をキープ。一方で新開発の「ダブルエッジマイクログルーブ」の採用は、装着初期の氷上性能も高める効果にもつながっています。

↑新開発の「ダブルエッジマイクログルーブ」。サイプの傾斜方向と交差させて横方向のエッジ効果の向上を図り、氷上で排水効果を向上させた

 

↑新開発の「クワトロピラミッド グロウンサイプ」と従来タイヤのサイプの摩耗比較図。50%摩耗時のサイプで大きな違いがある

 

コンパウンドは「アイスガード セブン」専用の「ウルトラ吸水ゴム」を開発して対応しました。実績のある「新マイクロ吸水バルーン」に加え、新たに「吸水スーパーゲル」を採用し、これによって氷上で滑る原因となる氷表面の水膜を素早く吸水します。さらに新採用の「ホワイトポリマーII」が「シリカ」を均一に分散させ、ゴムがしなやかになって氷への密着度向上を図りました。加えて新採用の「マイクロエッジスティック」が氷や雪を噛むエッジ効果を発揮させて、さらに実績のある「オレンジオイルS」がゴムのしなやかさを維持する劣化抑制効果を発揮することにもつながっているということです。

↑コンパウンドは「アイスガード セブン」専用の「ウルトラ吸水ゴム」を開発。新たに「吸水スーパーゲル」を採用して氷表面の水膜を素早く吸水する

 

新CMで深田恭子さんとウルトラセブンが共演。凍った路面での安心感と信頼感をアピール

アイスガード セブンの発売にあたってはテレビCMにも注目です。これまでも登場していた俳優の深田恭子さんに加え、新たにウルトラセブンが共演。アイスガード セブンの新テレビCM「セブンのうた」編を、8月26日より北海道エリアを皮切りに順次放映される予定です。テレビCMの製作には円谷プロも全面協力し、その内容は冬の凍った路面でも「ちゃんと曲がる、ちゃんと止まる」安心感と信頼感を表現した内容になっています。「ウルトラセブンのうた」をアレンジしたオリジナルメロディも楽しいですよ。

↑新CMで深田恭子さんと共演して登場するウルトラセブン。円谷プロの全面協力で実現した

 

 

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5年前に惜しまれつつ消えた豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」の記録【前編】

〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.1〜〜

 

旅や遠出が思いどおりにできない今日このごろ。そんな時には、前に乗った、見た、撮った列車の記録を、見直し、また思い出してみてはいかがだろう。

 

筆者が最も思い出深い列車といえば豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」だ。2016(平成28)年3月22日にツアー専用列車の運行が終了して早くも5年がたつ。どのような列車だったのか振り返ってみたい。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載

 

【はじめに】トワイライトエクスプレス誌・計6冊を制作する

2009(平成21)年から2016(平成28)年にかけて学研パブリッシング(現ワン・パブリッシングと学研プラス)では、「トワイライトエクスプレス」関連の専門誌を計6冊ほど発刊した。全ページ「トワイライトエクスプレス」の情報と話題のみという濃い内容。筆者はこの6冊を編集者としてまとめたが、振り返れば非常に楽しい仕事だった。

↑学研パブリッシングから6冊の「トワイライトエクスレス」専門誌が出版された。一部のみ今も学研出版サイト・ネット書店で在庫あり

 

同誌は、基本カメラマンに撮影をお願いしたのだが、何しろ長い距離を走る列車だけに、追いきれない。そこで筆者も手伝い、カメラ撮影とビデオ撮影をカバーしていた。大阪行の上り列車を新潟県の日本海沿岸で撮って、さらに福井県の敦賀まで高速道路を使ってクルマで追いかけたこともある。逆に、北へ下り列車を追いかけたこともあった。今思えばかなり無謀な行程ではあったが、当時はそれが楽しかった。

 

鉄道ライターと一緒に列車に乗車して、列車の趣を体感したこともある。そんな当時に記録した写真がふんだんにあり、今回はそうした写真類から、この名列車の面影を振り返りたい。

 

【名列車の記録①】22時間以上の時間をかけて列島を縦断する

豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」とはどのような列車だったのか、まずは概要を見直してみよう。

運行開始 1989(平成元)年7月21日、団体専用列車として運行開始、同年12月2日に定期運行開始
運行区間 大阪駅〜札幌駅
営業距離 下り1495.7km、上り1508.5km
※函館本線の走行区間が下り上りで異なるため距離数に差がある
所要時間 下り22時間2分、上り22時間48分(最終年の所要時間)
車両 24系25形客車。牽引はEF81形交直流電気機関車、ED79形交流電気機関車、DD51形ディーゼル機関車
料金 Bコンパートメント26.350円、1人用A寝台個室ロイヤル3万7570円など
※大阪駅〜札幌駅間の大人1人分の運賃+特急料金+寝台料金
運行終了 2015(平成27)年3月12日、臨時運行終了(大阪駅〜札幌駅間)、2016(平成28)年3月21日、団体専用列車「特別な『トワイライトエクスプレス』」の運行終了

 

「トワイライトエクスプレス」の基本的な運行日は、大阪駅発が月・水・金・土曜の発車、札幌駅発が火・木・土・日曜。毎日走るわけではなかったため、臨時列車扱いだったが、定期運行は26年にわたった。その後に山陽・山陰方面を走る団体専用列車「特別な『トワイライトエクスプレス』」の運行が1年ほど続けられた。

↑富山県〜新潟県内はほぼ日本海に沿って走る。写真は信越本線・笠島駅〜青海川駅間で変化に満ちた海岸風景が楽しめた

 

営業距離が1500km前後と長距離で、22時間と長時間走る。本州では日本海沿岸をなぞるように走り、北海道では太平洋を見ながら走る。寝台列車としては国内最長距離、最長時間を走った列車だった。それだけに沿線各地の車窓景色が堪能できた。

※各区間の風景は後編で紹介の予定。

↑同列車の走行ルート。Mapのように本州ではほぼ日本海沿いに走った。ルートでは3形式の異なる機関車が列車を牽いた

 

料金を見るとB寝台ならば運賃など含め2万円台で、A寝台個室ならば、1人用は3万円台で列島を縦断できた。ちなみに、B寝台個室ツインは2人で5万6520円、A寝台個室スイートは2人で9万2180円だった。B寝台はかなりリーズナブルな金額だったし、A寝台個室でも極端に高い金額ではなかったように思う。

 

意外に手頃な金額だったこともあったのか、運行される列車は連日ほぼ満席・満室で、個室スイートなどの特別な部屋はそれこそ“プレミア”チケットで、手に入れるのが非常に難しかった。ちなみに6冊のトワイライト本を制作するために、スタッフ数名が複数回乗車したが、雑誌取材だからといって、特別に手配してもらえる恩恵はなかった。

 

乗車券の入手は一般の人と同じように1か月前の朝10時にみどりの窓口に並ぶ、もしくは、旅行代理店に頼んだ。懇意にしていた旅行代理店に、指定券の“獲得”が上手な営業スタッフがいて、そうした人に頼んで入手したものである。

 

【名列車の記録②】列島の四季が車窓からふんだんに楽しめた

22時間、1500kmも走るのだから、南と北ではだいぶ様相が変わる。季節によって、車窓風景の変化が楽しめることもこの列車の楽しみだった。本州では桜の開花に立ち会いつつ、北へ走るとまだ冬景色ということもあった。そんな四季で色づく列島の景色がふんだんに楽しめた。

↑北陸の石川県と富山県の県境、倶利迦羅峠(くりからとうげ)を訪れると桜が満開。そんな桜の下を列車が通り過ぎた

 

↑北海道では太平洋側は晴れていたのに、札幌付近では吹雪に急転するといった天気の変化もこの列車に乗車していると体感できた

 

車窓風景だけでなしに、車両の編成も興味深かった。客室の窓から風景を楽しめるのはもちろん、共用スペースから風景が楽しめることも、この列車の魅力になっていた。次は、列車の編成に関して振り返ってみよう。

 

【名列車の記録③】深緑色の9両の客車+電源車の列車編成

「トワイライトエクスプレス」の側面から写した車体を連ねて、解説を付けてみた。写真は下り札幌駅行の本州での列島編成だ。進行方向、左側の側面である。編成は電気機関車を頭に、すぐ後ろに電源車、その後ろに9両の客車が連結されていた。

↑計11両の車両を側面から連写。その写真を合成してみた。窓を2段にするなどブルートレインを大改造した客車が利用された

 

客車は24系25形と呼ばれる車両で、2000年代まで多く走っていたブルートレインと同形式だ。形式は同じなのだが、「トワイライトエクスプレス」の場合は大きく改造されていた。工場での改造中の写真を見せてもらったことがあるが、2段ベッドのB寝台車を除き、他は原形を留めないほど、大きく改造された。

 

各号車の概要について触れておこう。

1号車
スロネフ25形(A寝台個室)
A寝台個室のスイート1室と、1人用ロイヤル4室を備える。1号室のスイートは“展望スイート”と呼ばれるプレミアムな部屋だった(詳細後述)。
2号車
スロネ25形(A寝台個室)
2号車にはA寝台個室のスイートが1室、1人用ロイヤルの4室が設けられる。中央に大きな曲面ガラスの窓があるが、ここにA寝台個室のスイートがあった。
3号車
スシ24形(食堂車)
3号車は食堂車「ダイナープレヤデス」。おしゃれな欧風の内装が特長だった。この車両のみ屋根が低く、“きのこ型”のクーラーが載る。特急電車用の食堂車を改造したため、このスタイルとなった。
4号車
オハ25形(サロン車)
4号車はサロン車の「サロン・デュ・ノール」。大型の曲面ガラスを使った窓が並ぶパノラマサロンカーだ。室内には上下2段の座席が設けられていた。
5・6号車
オハネ25形(B寝台個室)
5・6号車は同形車で、B寝台個室のツインが7室、シングルツインが6室、用意された。シングルツインはツインに比べてせまいが2人利用も可能だった。
7号車
オハネ25形(B寝台個室)
5・6号車と同じ形式だが、2段の窓が多い。B寝台個室ツインが5・6号車の7室に対して、7号車は9室設けられ、また車両端にミニロビーが付いていた。
8号車
オハネ25形(B寝台)
開放式B寝台のBコンパート(簡易的な個室にもなる)が連なる。ブルートレイン客車と同じベッド構造だが、同列車の場合には引戸が付き4人グループ使用の時には個室として利用できた。
9号室
オハネフ25形(B寝台)
開放式B寝台のBコンパート(簡易的な個室にもなる)車両で、8号車と基本は同じだが、9号車には車掌室が付いていた。8号車と同じく横に開く引戸が付けられていた。

 

【名列車の記録④】下り最後尾にある憧れのA個室スイート

A寝台個室、B寝台個室、B寝台といった客室、寝台スペースを持っていたトワイライトエクスプレス。最も人気があったのは9両で2部屋のA寝台個室スイートだった。1号車と2号車にそれぞれ1室のみ用意された特別な部屋で、それこそ“憧れの部屋”でもあった。

 

なかでも1号車の部屋番号1のA寝台個室スイートは車両端に設けられた部屋で、部屋から列車後ろの景色が“見放題”だった。

 

特に大阪駅発、札幌駅行の下り列車の場合には、大阪駅→青森駅(運転停車 ※以下同)と、五稜郭駅(運転停車 ※以下同)→札幌駅間で、後ろ側の風景が楽しむことができた。札幌駅発の上り列車の場合には、五稜郭駅→青森駅間で列車の後ろ側の風景を楽しめたものだ。ちなみに青森駅〜五稜郭駅間は、列車の進行方向が変わるために、後ろ前が逆となる。

 

電車ならば後ろは乗務員室となるが、乗務員室の中から見る景色そのものが、部屋から楽しめたのである。これは鉄道好きにはたまらない贅沢でもあり、乗車イコール至福の時間となった。

↑スロネフ25形を最後尾に走る下り列車。部屋はスモークガラスで見えないが、スイートの室内からは素晴らしい眺望が堪能できた

 

まさに憧れの1号車のA寝台個室スイートだが、実は筆者もこの部屋に乗車したことがある。もちろん個人の旅ではなく、取材だったのだが。外からは走行シーンを撮ることが多かった列車だが、それを中から見るという特別な時間を堪能した。おもしろいのは、部屋への訪問者が意外にいたこと。中を見せていただけないかという人が複数あり、こちらは仕事ということもあり、気軽に受け入れた。海外から訪れたご夫婦の探訪もあった。

 

同部屋にはシングルベッド2つ、またソファは展開すればシングルベッドとして利用可能で3人利用が可能だった。室内にシャワー&トイレもあり、リラックスして長旅が楽しめた。さらに夕方、日本海沿岸を走るころには海に沈む夕日を見ることもできた。それこそ列車の名のもとになった「たそがれ」=トワイライトが満喫できたのである。

 

さて寝心地は? もう走っていないので書くことができるのだが、台車の上にベッドがあるせいか、震動がかなり伝わってきて熟睡できなかったと記憶している。もちろん旅をしている高揚感と、仕事で乗っている緊張感から眠気を感じなかったこともあったが……。なお、同じA寝台個室スイートは2号車の中央にもう1室があった。こちらは台車と台車のちょうど間なので、寝やすさという点で、お勧めという話を乗車した取材スタッフから聞いた。

 

やや寝にくかったとはいえ、やはり後端の客車に乗ったことはやや大げさながら一生の思い出となっている。

 

【名列車の記録⑤】食堂車&サロン車も魅力に満ちていた

「トワイライトエクスプレス」には1車両が丸ごとパブリックスペースという車両を2車両連結していた。

 

まずは3号車の食堂車「ダイナープレヤデス」。ダイナー(=食堂)プレヤデス(=プレヤデス星団/すばる)という凝った名前が付けられている。テーブルはフランス料理のフルコースに対応した大きさで、ランプなどの照明もおしゃれだった。車内の3コーナーにはステンドグラスが飾られている。

 

このステンドグラスは、国際的にも活躍しているステンドグラスの第一人者である立花江津子氏が手づくりしたものだった。筆者はこの方にお会いして取材したことがあるが、丹精を込めて造り上げたと語られていた。このような素晴らしいステンドグラスを飾られるなど、非常に凝った食堂車でもあった。

↑A寝台個室がある1・2号車と、B寝台がある5号車以降の客車にはさまれるように3号車食堂車と4号車サロン車が連結されていた

 

3号車の隣、4号車はサロン車で「サロン・デュ・ノール」と洒落た名前がつけられていた。「サロン・デュ・ノール」とはフランス語で“北のサロン”という意味だとされる。北にある北海道へ行く寝台列車にぴったりの名前でもあった。

 

車内は天井部まで回り込むような大きな曲面窓が連続している。特に日本海側の曲面窓がひと際大きく造られている。座席は大きな窓側を向いた作りで、しかもひな壇状になっている。後ろに座っても、景色が良く見えるように配慮されていた。自分の部屋で過ごすのに飽きてくるころ、また日本海が良く見える夕方になると、この車両に集う人も多かった。

 

大阪発、また大阪着という列車だったせいなのか、たとえ隣が知らない間柄でも、いつの間にか和気あいあいと親しくなってしまう。関西流の気軽さなのだろうか、そんな光景も良く見られた。景色を楽しむだけでなく、会話が弾む、楽しいスペースでもあった。時どき車掌が巡ってきて観光案内を行うといったサプライズもあった。

↑上り列車の最後尾には電源車が連結され、下りは津軽海峡線を除き、機関車の後ろに電源車がくるように列車が組まれていた

 

客車に関して、電源車のことも触れておこう。電源車の形式はカニ24形。なぜ、電源車が1両連結されていたのだろう。ブルートレインの客車形式といえば14系と24系が代表格だった。14系は電源供給するため床下にディーゼル発電機を備えていた。一方、24系は客車にディーゼル発電機を搭載せず、電源車を1両連結して、積んだディーゼルエンジンにより各車両へ電気を供給していた。

 

床下に発電機を付けないために微動もなく、客車として乗っていて静かに感じた。ちなみに電源車には3トンまで積める荷物室も付いていたが、通常時は使われなかったようである。

 

【名列車の記録⑥】3形式の牽引機関車も魅力的だった

「トワイライトエクスプレス」の記録の前編では、最後に列車を牽引した機関車にも触れておこう。同列車は3形式の機関車の牽引によって走っていた。これら機関車の引き継ぎにより約1500kmにも及ぶ長距離区間を走破していたのである。中でも最も長距離を牽引したのが次の機関車だ。

 

◆JR西日本 EF81形交直流電気機関車(大阪駅〜青森駅間)

↑本州ではJR西日本のEF81が「トワイライトエクスプレス」を牽引した。客車と同色でまた黄色い帯色が全車そろう姿が魅力だった

 

大阪駅から青森駅(運転停車)まで本州を貫く日本海縦貫線(北陸本線、信越本線、羽越本線など連なる路線を日本海縦貫線と呼ぶ)すべてを牽いて走ったのがEF81だった。客車の色に合わせて、深緑色の車体に黄色の細帯、運転席の窓周りに黄色いアクセントが入り、ピンク色の列車のヘッドマークを付けて走った。

 

EF81は直流電化区間、交流電化区間50Hzと60Hzの3つの電源方式に対応した電気機関車で、電化方式が目まぐるしく変わる日本海側の路線に対応すべく国鉄により開発され、製造された。3つの電源方式に対応した初の電気機関車でもあり、164両もの車両が造られ、旅客、そして貨物用にも使われた。

 

「トワイライトエクスプレス」運行用にトワイライト色のEF81が敦賀地域鉄道部敦賀運転センターに6両在籍したが、現在は3両まで減り、主にレール輸送など事業用に使われている。また日本海縦貫線を多く走ったJR貨物のEF81も今は同地区から撤退、九州のみを走るようになっている。

 

◆JR北海道 ED79形交流電気機関車(青森駅〜五稜郭駅)

↑早朝に青函トンネルを越えて北海道へ入った下り列車。先頭にたって列車を牽引するのがED79。シングルパンタが特長だった

 

津軽海峡線で列車を牽いたのがED79形交流電気機関車だった。ED79は津軽海峡線用に造られた電気機関車で、同ルートにある青函トンネルの急勾配、多湿環境に対応するために製造された。JR北海道の函館運輸所青函派出所に配置され、「トワイライトエクスプレス」だけでなく、特急「北斗星」「カシオペア」といった寝台列車の牽引も行った。運行最終年には8両が在籍していた。

 

JR貨物でも同形式を利用していた。貨物牽引では2両で牽く重連運転で活用された。ED79は計34両が造られたが、北海道新幹線の開業時に、青函トンネル内の電化方式が変更されたことから、全車が廃車となっている。

 

◆JR北海道 DD51形ディーゼル機関車(五稜郭駅〜札幌駅)

↑北斗星塗装のDD51が2両重連で、「トワイライトエクスプレス」を牽引した。「北斗星」用の塗装だったが、意外と絵になった

 

北海道ではDD51形ディーゼル機関車が2両重連で牽引を行った。DD51は国鉄が製造したディーゼル機関車で、非電化区間ではこの機関車の独壇場といった活躍ぶりを見ることができた。道内では、「トワイライトエクスプレス」だけでなく、「北斗星」「カシオペア」の牽引も行った。元々、「北斗星」の運行開始に合わせて、塗装も北斗星仕様としたが、「トワイライトエクスプレス」を牽引しても絵になったように思う。JR北海道のDD51は函館運輸所に10両(2015年4月1日現在)が配置されていた。

 

北海道新幹線の開業時に定期運行される寝台列車が消滅したことから、全車が廃車されている。他のDD51はJR貨物の車両が東海地方で走っていたが、2021年3月で引退となった。残りはJR東日本とJR西日本に事業用として残るのみで、ごくわずかとなっている。ちなみに北斗星塗装のDD51は海外に譲渡され、そのままの塗装でミャンマーやタイで活躍していることが伝えられている。

 

ED79やDD51といった牽引機が消えてすでに6年。時代の移り変わりの速さに改めて驚かされる。

 

約100年で大きな変化が!?「鉄道鳥瞰図」で見えてくる当時の沿線模様

〜〜大正・昭和初期の鉄道路線図・鳥瞰図を読み解くNo.2〜〜

 

大正から昭和初期に盛んに作られた鳥瞰図。観光地だけでなく、鉄道の路線案内図も多く作られた。古い鳥瞰図を見ると、意外な発見があり、それが楽しい。

 

今回、紹介する鉄道鳥瞰図は、現在も走る路線の100年近く前の姿である。この時代の鳥瞰図と絵葉書で複数の沿線の過去をたどってみよう。路線は“こんなだったのか”という発見に加えて、当時の文化の一端も見えてくる。

 

【関連記事】
吉田初三郎の熱意に引き込まれる!大正&昭和初期の「鉄道鳥瞰図」の世界

*緊急事態宣言および、まん延防止措置が引き続き一部地域に宣言・発令されています。不要不急の外出を控えていただき、宣言解除後に鉄道の旅をお楽しみください。

 

【鳥瞰図は物語る①】路線と駅名の変化が著しい静岡鉄道沿線

前回は“大正の広重”と称された吉田初三郎の鳥瞰図の魅力に注目してみた。今回は、初三郎と並ぶ存在とされた金子常光(かねこつねみつ)の鳥瞰図を中心に、話を進めたい。

 

1894(明治27)年生まれの金子常光は、吉田初三郎の10年後輩とされている。初三郎の弟子となり学んだ後、1922(大正11)年に独立し、日本名所図絵社という会社を立ち上げに関わり、約1500点ともされる鳥瞰図を作り出している。初三郎と同じく、その生涯は謎に満ちている。没年も明確ではない。当時の商業デザインの世界は、一時的に名を挙げたとしても、後世まで名を残すことは稀だったのであろう。そんな金子常光が描いた鳥瞰図を元に、約100年で大きく変わっていった鉄道路線に注目した。まずは静岡市内を走る静岡鉄道から。

*鳥瞰図および絵葉書は筆者所蔵。禁無断転載

 

◆1927(昭和2)年発行・静岡電氣鐵道「静岡清水遊覧案内」

↑金子常光が昭和初期に描いた静岡鉄道沿線図。三保の松原、久能山といった観光地も描かれる。鳥瞰図のサイズは横75cm、たて18cm

 

静岡鉄道は静岡市内の新静岡駅〜新清水駅間11.0kmを走る。路線距離は短いものの、列車本数が多く便利で、静岡市民の大切な足として利用されている。

 

紹介の鳥瞰図は今から94年前に発行されたものだ。これを見ると、まずは現在の起点、終点駅の名前が異なっていたことが分かる。新静岡駅は鷹匠町(図では静岡鷹匠町)、新清水駅は江尻新道となっている。さらに両駅ともこの先に路線が描かれている。新静岡駅側は、静岡駅前〜安西間に鉄道路線が走っていたことが分かる。また新清水側は清水終点(他資料では「清水波止場」とあり)まで路線が走っていた。調べると新静岡駅側には、静岡駅前〜安西間を静岡市内線の軌道線2.0kmが走っていたことが分かった。

↑駿府城趾の堀端を走る静岡鉄道静岡市内線の絵葉書。現在の駿府城公園の城垣から撮影したと思われる

 

新静岡駅、新清水駅から先の路線は、静岡市内線は1962(昭和37)年に、新清水駅から清水波止場までは1949(昭和24)年に廃止されている。

 

一方、当時の鉄道省(後の国鉄)の東海道本線が平行して走っていたが、こちらも現在との違いが見られる。現在の清水駅は鳥瞰図の作成当時は江尻駅と呼ばれていた。また草薙駅だが、現在は静岡鉄道とJR東海道本線の駅がすぐ近くにあり乗り換え客も多い。1926(大正15)年4月3日には東海道本線の草薙駅も誕生しているはずなのだが、図には同駅が描かれていない。印刷が間に合わなかったのか、意図して描かなかったのかは分からない。当時の鳥瞰図、路線図は、意図してライバル会社の駅や路線を入れないケースがある。このあたり、どのような背景があるのか知りたいところだ。

 

路線図を見ていて不思議に思ったのは、観光地として知られる三保の松原の半島部に点線が記されていること。また久能山の登り口、太平洋に沿った海岸沿いにも点線が記される。両線は予定線で「三保線」「久能線」という記載がある。調べてみると三保線は、実際に清水波止場から路線延長を目指して工事が進められた路線だった。着工されたが、太平洋戦争のさなかという時期もあり、路線開業が断念されている。同地域には国鉄清水港線(1984・昭和59年に廃線)がすでに敷かれていたことも、工事中止の理由としてあったのかも知れない。この点線は、2本とも未成線と終わった。

 

実は静岡鉄道にはこうした未成線以外に、路線網が広がった時代があった。太平洋戦争中の1943(昭和18)年に、旧清水市内を走る清水市内線(路面電車)と、波止場線、駿遠線を吸収合併している。この3本とも1970年代までに次々と廃止されているのだが、駿遠線に至っては68.5kmにも至る路線だった。現在は、11.0kmという短い路線のみの鉄道会社となっている静岡鉄道だが、鳥瞰図がつくられた時代から現代に至るまで、未成線となった予定線、複数路線の吸収合併、そして廃止といった、幾多のドラマが同社の歴史には隠されていたのである。

 

【鳥瞰図は物語る②】移り変わりに驚かされる黒部川流域の路線

黒部川流域といえば、現在は富山地方鉄道本線が電鉄黒部駅〜宇奈月温泉駅間を走り、その先には黒部峡谷鉄道が延びる。現在の路線となる前に、富山地方鉄道本線の路線は黒部鐵道という鉄道会社の路線で、また黒部峡谷鉄道の路線は日本電力の専用鉄道線だった。当時の路線を描いた金子常光作の鳥瞰図がある。大きく変わる前の沿線の様子をひも解いてみよう。

 

◆1931(昭和6)年発行?・黒部鐵道「黒部峡谷と宇奈月温泉」

↑金子常光作の黒部鐵道の鳥瞰図。横35.5cm、縦12.6cmと他の図に比べるとコンパクト。表には路線図が、裏には観光案内が記される

 

現在の富山地方鉄道本線の電鉄黒部駅(旧・西三日市駅/にしみっかいちえき)〜宇奈月温泉駅(旧・宇奈月駅)間の16.1km間が黒部鐵道の元路線と重なる。

 

黒部鐵道は1922(大正11)年11月5日に三日市駅(現・あいの風とやま鉄道・黒部駅)と下立口駅(おりたてぐちえき)間に路線が開業、翌年11月21日に桃原駅(後の宇奈月駅)まで路線が延びている。三日市駅では当時の鉄道省の北陸本線と接続、その先に石田港駅という貨物取扱駅があり、鉱物資源の輸送用と、黒部川の電源開発用の資材運搬線という役割が強かった。

 

鳥瞰図にも石灰石産地、大理石採掘場などの文字があり、沿線は鉱物資源が豊富だったことをうかがわせる。

↑昭和初期だと思われる宇奈月駅付近の絵葉書。電車が貨車を引いて走る様子が写り込む。走る電車は同絵葉書のようにかなり小型だったようだ

 

金子常光が描いたとされる鳥瞰図。左半分が日本海沿岸部で、右半分に黒部峡谷が描かれるが、見ると峡谷の険しさがよく分かる。昭和初期の同地域は、まだ未踏のエリアが残り、官製地図は当てにならなかったと推測できる。鳥瞰図を描いた時の作図も、さぞや大変だったと思われる。1931(昭和6)年ごろに初版発行されたようだが、同鳥瞰図は人気があったようで、筆者の手元にあるものは1933(昭和8)年暮れの発行ですでに第五版となっている。当時の黒部峡谷は、未知のエリアで、そこに魅力を感じた旅行者も多かったことだろう。

 

なお、同鳥瞰図では、宇奈月駅を境にした路線の違いが明確に記述されていない。宇奈月駅(現・宇奈月温泉駅)から先は資材運搬用鉄道が敷かれていた。管理していたのは日本電力で、同鳥瞰図の裏面には「日電専用の軌道電車」と解説されている。日本電力専用鉄道という名称の鉄道路線で、宇奈月〜猫又間が1926(大正15)年10月26日に開通した。鳥瞰図が発行されたころには小黒部川まで通じていたとの情報もあるが、鳥瞰図には、小屋ノ平までの記載しかない。

 

その理由としては、あくまで電源開発用の資材や作業員の輸送用の路線で、旅客用路線でないことが考えられる。金子常光の元には路線の開業情報が伝わらなかったようだ。そんな状況でも同鉄道は乗車希望者が多く、 “便乗”という形で列車を走らせていた。乗車券(便乗券)には「生命の保証はしない」と記されていたとされる。

↑昭和初期の日本電力専用鉄道の路線絵葉書(一部を拡大)。見ると貨車に旅客が乗車している様子が見て取れる

 

当時の絵葉書を見ても、貨車に旅客が“便乗”していたようだ。現在でこそ、黒部峡谷鉄道という立派な観光列車の路線となっているものの、当時はそれこそスリル満点だったろう。沿線には黒薙温泉(くろなぎおんせん)などの温泉宿があり、秘湯として人気だった。現在の黒部峡谷鉄道が走りだした後もこうした秘湯への道はなく、鳥瞰図ができた時代と同じように鉄道に乗車して最寄り駅へ、そして駅から歩かなければ到達できない秘湯中の秘湯がこの地にはある。

 

鳥瞰図でおもしろいのは、沿線にスキー場の文字が記載されていること。昭和初期は、スキーが最初のブームになった時期でもあり、楽しむ人向けにスキー場を設けたのであろう。ただしリフトまであったかどうかは不明だ。当時はスキーの板を担いで山を登り、斜面を滑り降りるスキー場が多かったからだ。

 

鳥瞰図で気になるのは日本海の姿。富山湾に沿った先に能登半島がないのである。このあたり、黒部峡谷の描写にとらわれ過ぎて、半島の存在を忘れたのだろうか。ちょっと不思議なところだ。

 

【鳥瞰図は物語る③】混乱が気になる大社線開通前発行の鳥瞰図

山陰地方で唯一の私鉄路線である一畑電車。路線は島根県内の電鉄出雲市駅と松江しんじ湖温泉駅を結ぶ北松江線と、川跡駅(かわとえき)と出雲大社前駅間を走る大社線の2本がある。同鉄道会社の歴史は古い。1912(明治45)年4月に「一畑軽便鉄道株式会社」として創始している。軽便の名称が付いたものの、山陰本線との車両の行き来も念頭におかれ、軌間を当初の軽便サイズから1067mmに変更して路線の開業を目指した。そして北松江線が1915(大正4)年に全通している。

 

◆1928(昭和3)年発行・一畑電氣鐵道「一畑薬師と出雲名所圖繪」

↑金子常光作の一畑電氣鐵道の沿線鳥瞰図。宍道湖を中心に右に中海が大胆に描かれる。路線は北松江線と大社線の両線が描き込まれる

 

ここで掲載する金子常光作の鳥瞰図は、昭和初期に制作されたものだ。当時の北松江線と大社線の路線が描かれる。現在の路線とはいくつかの違いが見られるので確認しておきたい。

 

まずは北松江線の起点、終点の駅名が異なっている。起点となる電鉄出雲市駅は当時の駅名が出雲今市駅、終点は現在、松江しんじ湖温泉駅だが、当時は北松江駅と呼ばれていた。ちょうど中間にある一畑口駅は、この当時は小境灘駅(こざかいなだえき)と呼ばれた。一畑口駅は現在もスイッチバック方式で、同駅で全列車が折り返しで運転されているが、当時、今で言うところの“盲腸線”で、一駅区間のみ先の一畑駅までの路線3.3kmが設けられていた。

↑賑わう昭和初期の一畑駅。一畑薬師の最寄り駅として開業した。1944(昭和19)年に休止され、戦後に正式に廃止された

 

小境灘駅(現・一畑口駅)から一駅先の一畑駅は、同線随一の観光駅で、当時の絵葉書を見ても駅前の賑わいぶりが見て取れる。しかし、場所は一畑薬師の千段階段と呼ばれる前にあり、門前までは徒歩20分以上かかり、しかも登り坂で、現代人よりも健脚だと思われる昭和初期の人たちも、さすがに大変だったようだ。そうした立地の問題に加えて、太平洋戦争の前の時代ともなると鉄道利用の参拝客が減ったようで、当時の“不要不急線”に指定され、一駅区間は休止となり、戦後の1960(昭和35)年に復活することなく廃止となった。

↑宍道湖沿いを走る一畑電車。風光明媚な路線が今も魅力となっている。彩色絵葉書のため当時の電車がこげ茶色だったことが分かる

 

金子常光作の鳥瞰図で気になるのは、大社線の掲載で問題点がいくつかあるところ。図内の大社線の路線に「大社神門(現・出雲大社前)、鳶ヶ巣間昭和四年三月開通」とある。この開通年がまず間違っている。大社線は1930(昭和5)年2月2日に開業した。

 

鳶ヶ巣(とびがす)という駅は、現在は存在しない。実はこの駅、1930(昭和5)年2月2日に廃止となっていた。ちょうど、この日に川跡駅(かわとえき)が鳶ヶ巣駅から電鉄出雲市駅側0.9kmの場所に開業し、北松江線と大社線の乗換駅として機能し始めている。鳥瞰図は1928(昭和3)年3月と大社線の開業前に発行されていたのだが、こうした路線の開業予定年の変更、また乗換駅の変更は、事前に予定していたと思われるのだが、それが盛り込まれていなかった。

 

当時、鉄道会社と鳥瞰図制作者との間のコミュニケーション手段といえば、郵便がメインだった。どうしても情報のやりとりの時間がかかり、行き違いが生じてしまったのだろうか。このあたりも興味深い。

 

【鳥瞰図は物語る④】“発見”が多い近鉄の観光路線の起源に迫る

今回、最後に紹介するのは金子常光の作ではなく、新美南果という絵師の名が入った鳥瞰図である。鳥瞰図の出来がなかなか良く、また路線の推移がなかなかおもしろいので取り上げてみた。鉄道会社の名前は志摩電鉄だ。さて志摩電鉄とは現在の何線にあたるのだろうか。

 

◆発行年不明(1929・昭和4年ごろ作?)・「志摩電鉄沿線御案内」

↑三重県の鳥羽駅と真珠港駅を結んだ志摩電鉄の鳥瞰図。リアス式海岸の英虞湾など丁寧に描かれている

 

吉田初三郎、金子常光以外にも多くの絵師が鳥瞰図を作った。当然、内容の出来不出来が出てくる。この新美南果という名の絵師の作品は現在あまり見かけないようだが、秀作のように思える。吉田初三郎の鳥瞰図の影響を強く受けていて、志摩半島から富士山が遠くに見えるといった、大胆なデフォルメが行われている。

 

さて、この鳥瞰図に記された志摩電鉄とはどのような鉄道会社で、どの路線を営業していたのだろうか。志摩電鉄とは、現在の近畿日本鉄道(以降「近鉄」と略)の志摩線の前身である。ただし、現在に至るまでは紆余曲折の路線史があった。

↑開業時ごろのものと思われる志摩電鉄の鳥羽駅の絵葉書。右手に参宮線の鳥羽駅ホームが見える。当時、線路幅は1067mmだった

 

現在、近鉄の志摩線は鳥羽駅〜賢島駅(かしこじまえき)間24.5kmを走る。多くの方がご存知のように、大阪、京都、名古屋から「しまかぜ」などの人気観光特急が走り、沿線は近鉄随一の観光エリアとなっている。

 

路線の開業は1929(昭和4)年7月29日のことで、鳥羽駅〜真珠港駅間24.8kmが開業した。路線を敷設したのは志摩電気鉄道で、同社は志摩電鉄とも呼ばれていた。開業当時に鳥羽駅で鉄道省の参宮線と接続していて、貨車の相互乗り入れが可能なように、線路幅も1067mmとしていた。ちなみに鳥羽駅まで、近鉄の路線はまだ到達していなかった。鳥瞰図に発行年は記述されていないものの、路線開業を祝して作られたものと推測される。

↑開業した当時の賢島駅の絵葉書。当時は終点駅でなく、この先に真珠港駅という終点の駅が設けられていた

 

志摩電気鉄道は、その後にやや複雑な歴史をたどる。まずは太平洋戦争のさなか、1944(昭和19)年に三重交通の路線となっている。三重交通は当時、三重県内の北勢電気鉄道、三重鉄道、松阪電気鉄道、志摩電気鉄道ほか乗合自動車を運行する会社なども合併していた。

 

戦後の変化も目まぐるしい。1964(昭和39)年に三重交通の鉄道事業を三重電気鉄道に分割譲渡、さらに1965(昭和40)年4月1日に近鉄が三重電気鉄道を合併した。1969(昭和44)年7月1日には賢島駅〜真珠港駅間0.3kmが廃止されている。さらに12月10日から鳥羽駅〜賢島駅間の路線改良工事が始まり、電車の運行が休止された。

 

この路線の工事は1067mmという線路幅を、近鉄の主要路線と同じ1435mmという線路幅に改軌することと、直流750Vだった架線電圧を1500Vに昇圧、同時にATS装置を取り付ける工事も行われている。

 

工事は3か月もかからず完了し、1970(昭和54)年3月1日に、近鉄鳥羽線からの列車の乗り入れが可能になった。ちなみに宇治山田駅〜鳥羽駅13.2kmを走る近鉄鳥羽線は1970(昭和45)年3月1日と志摩線の路線再開日にあわせて開業している。近鉄山田線、近鉄鳥羽線、近鉄志摩線と走る志摩半島へ結ぶ近鉄の観光路線網は、近年になってから完成したことが分かる。

 

志摩半島を走るローカル私鉄が、近鉄の傘下におさまり、今や人気の観光路線となっていったわけである。鳥瞰図ができた後を追ってみると、大きく変化していった歴史が同路線に潜んでいたことが改めて確認できたのである。

熱きカワサキマニアが語る! バイクだけにとどまらない「カワサキ愛」の人生

いま、世界的に見ても二輪・四輪ともガソリン車廃止の動きが活発化しています。それを見越して、EVや電動モビリティが続々と登場していますが、バイク業界では若者の”バイク離れ”が。ニュースで販売台数は最盛期の10分の1になっている情報を見ても分かるように、絶滅危惧種になっていると言えるでしょう。そんな状況下の中でも、バイクを愛し、趣味の全てをバイクにかける人々が数多くいます。社会の流れとは逆行している行動でもありますが、だからこそロマンを感じる方も多いのではないかと思います。

 

日本の主要バイクメーカーであるホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキの中でも、特に硬派かつコアな人気を得ているメーカーがカワサキ。先日『GetNavi web』で公開された俳優・市原隼人さんのカワサキZ1にまつわるインタビューにもある通り、バイクファンの間では特別視されることが多いメーカーです。(カワサキZ1の記事はこちら)今回は35年以上、カワサキのバイクばかり30台近く乗り継ぎ、カワサキマシンで日本国内の草レースはもちろんアメリカのレースにも参戦した経験もある筋金入りの”カワサキマニア”岩下隆二さんに、ロマン溢れる世界について語っていただきました。

↑岩下隆二さん。バイク雑誌のカワサキ特集でたびたび取り上げられる熱心なカワサキファン。現在は別業種に就いていますが、一時はバイク業界に身を置いていたことも

 

36年前の「三ない運動」の影に隠れてバイク免許を取得

--岩下さんはバイク、カワサキとどのような出会い方をしたのでしょうか。

 

岩下隆二さん(以下、岩下):今から36年も前になりますけど、16歳の終わり頃に中型の免許を取ったんです。ただ、当時は「三ない運動」と言って「バイクの免許を取らせない」「バイクに乗せない」「バイクを買わせない」ということを言われた時代でした。当時、僕も高校生だったわけですが、こっそりと免許を取りに行きました(笑)。

 

そして、同じように学校に隠れてバイクの免許を取っていた友達ができました。後に彼とは一緒にアメリカで開催されたバイク登山レースに行くことにもなるのですが、まだ仲良くなって間もない頃に「今度は奥多摩まで走りに行くけど、一緒に行かない?」と誘ってくれて、彼の後ろに乗って連れていってもらったことがありました。その奥多摩以来、36年間「やっぱりバイク最高だな」と思って、ずっとバイク漬けです(笑)。

 

――この頃から、乗っていたバイクはカワサキですか?

 

岩下:いや、僕が一番最初に買ったのは当時最新モデルだったホンダの「CBR400F」です。そこから「Z400FX」というカワサキのバイクに乗り換えて以来は、ずっとカワサキを中心に乗ってきました。一応、バイクメーカー4社を乗りましたが、やっぱりカワサキが一番ですよ。

↑30年以上、カワサキにこだわってきた岩下さんの自宅。ファンが見れば垂涎モノのTシャツをベッドに並べました。枕にはやはりカワサキのタオルが

 

↑カワサキのKマークが施されたツナギ

 

↑自宅1階はガレージ兼サロンのようにリフォームされていました

 

↑ガレージの壁にはカワサキ関連のレア広告やポスターが飾られています

 

↑自身のレースの思い出の写真などもありました

 

↑趣味のミニカーやラジコンなどもズラリ!

 

主要バイクメーカー4社の中で「完成されきっていない」ところが魅力

――カワサキのどんなところが特別なのでしょうか?

 

岩下:これは個人的な意見ですが、多分、完成され切っていない部分があると思っているんです。例えば自分なりにカスタムすると自分好みの乗り味を楽しめたりカッコ良くなったりします。

 

対して、ホンダやヤマハは新車の完成度が高く、乗り手や自分が入り込める感じがないんです。ホンダは優等生的で、ヤマハは洗練された洒落たバイクが多い印象があります。そんなメーカーとは違うカワサキに惹かれて、自分にピッタリ合った感じですね。

↑現在、岩下さんが所有されているカワサキのバイクは2台。1台はアメリカ・カワサキ製造の「KZ1000LTD」。もう1台はタイ・カワサキの「MAX100」

 

↑KZ関連の貴重なエンブレムを複数所有しています

 

深すぎるカワサキマニアの生態系とは?

――そんなカワサキマニアの中でも様々なタイプがあるそうですね。

 

岩下:僕みたいに走りを楽しむために、カスタムする人、旧車を骨董的に楽しむ人、最新モデルばかり追い掛ける人。大きくタイプは3つに分けられます。それぞれの楽しみ方があって良いと思いますが、高速道路のパーキングエリアで自分のバイクを停めておくと、たまにケチつけられることがあります(笑)。「この配線がオリジナルじゃないからダメだ」「フレームの車体番号が何桁か」とか。こういう会話でも分かるように、同じカワサキファンの間でも重んじる部分が違うんですよ。

 

――走りを楽しむという点では、速さを追求するのか、それともツーリングで純粋にバイク乗りを楽しむ。岩下さんは、どっち派ですか?

 

岩下:草レースに参戦していた頃は、参戦できる楽しさ、うれしさに加えて、速さを求めるところはありました。ただ、最近は飛ばさずに60キロくらいで十分楽しめています。バイクって運転技術が必要なのですが、年齢を重ねていくと、どんどん腕が衰えていくこともあるんですよ。だから、その技術が衰えないように、のんびりした走りを楽しむようにしています。あとは、他のバイク乗りや車に迷惑かけないよう走ることを心がけています。

↑岩下さんのレアコレクションの逸品・カワサキの水。14年ほど前にイベントで入手したものだそう

 

↑ボードにカワサキのZがプリントされた70年代のスケボー

 

↑カワサキ関連のステッカーやワッペン。川崎重工の船舶部が独立した川崎汽船の“K”LINEトラックのミニカーも

 

バイクファンがストリートで出会って、そのまま仲間になっていく

――運転中に見知らぬバイク乗りと「どっちが速いか」みたいな争いってあったりするんですか?

 

岩下:昔はそういう挑発に乗ることもありましたね(笑)。

 

昔、たまたま幹線道路で一緒になったヤマハの「XJ750」に乗っていた人と、少し競う感じになったことがありました。そしたら、ある信号待ちで止まった際に「おめぇ、うまいな。気に入った」といきなり声を掛けられて(笑)。その流れのまま知らないバイク屋に連れて行かれて、みんなで缶コーヒーを飲んだりすることもありましたね。こういうのは、バイク乗りの中では結構ある話ですよ。いま、僕のバイク仲間もだいたいそうやって出会った人たちです。

 

――今は、SNSで出会うことが多いかもしれませんが、岩下さんはストリートで出会っていたんですね。

 

岩下:カッチョ良く言うとそんな感じですね(笑)。バイク乗り仲間は道端で出会ってそのまま仲良くなることが多い印象があります。

↑30台近く乗り継いだという岩下さんのカワサキバイクの一つ「Z1000J」

 

↑草レースに参加し入賞したというKSR最終型のブルーサンダース・フルチューン

 

↑1977年リリースのレアモデル「KM90」

 

バイクが一番面白かった時代を過ごせた世代

――今はバイクも車もガソリン車廃止の方向に進んでいます。その傾向に関しては、どう感じていますか?

 

岩下:ガソリン車がなくなったらバイクは乗らなくなると思います。電動バイクに乗るくらいなら、カワサキが出した電動自転車に乗りますよ。改めて思うことは、バイク乗りとして本当に良い時代に生まれて、良い時代に死んでいくということ。

 

というのも、バイクが一番面白かったのは70年代〜80年代。90年代の始めくらいまでは良いバイクが沢山ありました。だけど、それ以降は似たり寄ったりなものばかりで、個性的なバイクが無くなってしまいました。その意味で僕らはバイクが一番面白かった時代を体験できたと改めて感じます。

 

――仮にガソリン車がどんどん下火になってもカワサキ愛は変わらないですか?

 

岩下:それは変わらないと思います。今もバイク以外で興味があるのは明石海峡大橋や、浅草のアサヒビールの金の雲。というのも、明石海峡大橋を作ったのも、浅草のアサヒビールの金の雲を作ったのも川崎重工なんです。さすがですよ、カワサキは(笑)。バイク以外でも良いものをいっぱい作ってくれているカワサキへのこだわりだけは、ずっと変わらないですよ。

↑カワサキの魅力についてたっぷり語ってくださった岩下さん

 

岩下さんが、教えてくれたカワサキの深い世界。ガソリン車の問題点が叫ばれる今ですが、カワサキを含めたバイクが様々な人々に楽しさや喜びを与えた功績は評価されるべきだと個人的に思います。未来の二輪モビリティが、どう変わっていくべきか――。バイクファンの声を取り入れながら進化してほしい。

 

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撮影:中田 悟

吉田初三郎の熱意に引き込まれる!大正&昭和初期の「鉄道鳥瞰図」の世界

 〜〜大正・昭和初期の鉄道路線図・鳥瞰図を読み解くNo.1〜〜

 

家で楽しめる鉄道趣味の世界。今回は大正期から昭和初期に“異常なほど”にブームとなった鉄道鳥瞰図を見ていきたい。吉田初三郎というひとりの天才絵師の登場により、その後、彼を追うように優れた作家たちが数多く生まれ、一大ブームとなったのだ。

 

彼らがつくる鳥瞰図は今みても、“えっ!そこまで描くか!”という構図が多く、強く引き込まれる魅力を放つ。当時の沿線模様が楽しめる約100年前の世界にタイムスリップしてみよう。

 

*緊急事態宣言および、まん延防止措置が引き続き一部地域に宣言・発令されています。不要不急の外出を控えていただき、宣言解除後に鉄道の旅をお楽しみください。

 

【はじめに】デジタル化された現代とは異なる超アナログの世界

鳥瞰図(ちょうかんず)とは、上空から陸地を斜めに見下ろすように作られた地図のこと。鳥のように空を飛び上空から眺めたところを図にしたものだ。下の図は筆者が作ったもの。ある出版社のガイドブックを編集制作した時に、立山黒部アルペンルートを上空から見るというテーマで作った。

↑ガイド誌に掲載した立山黒部アルペンルート(筆者作)。現在は地図作りがある程度できれば、そう時間がかからずに作図できる

 

現在では、カシミールという地図を3Dに加工するソフトと作図用ソフトを使えば、それほど難しくなく鳥瞰図を作ることができる。また、こうした出版用の鳥瞰図でなくとも、現代人は3Dビューの地図、つまり鳥瞰図に簡単に接することができ、敷居の高い世界ではなくなっている。

 

今でこそ簡単に作れ、また接することができる鳥瞰図の世界だが、100年ほど前に作り出していた人たちの苦労は生半可なものでなかったことが想像できる。

 

時は明治末期から大正、そして第二次世界大戦までの平和な時期。1912(明治45)年にジャパン・ツーリスト・ビューロー(後の日本交通公社、現在のJTB)が創設され、国内外に観光ブームが巻き起こった時期でもあった。そんな時期に生まれた鳥瞰図を見て多くの人が触発され、旅を楽しむようになっていった。鳥瞰図はまさに観光ブームの火付け役ともなったのである。

 

【鳥瞰図の世界①】広げれば路線全体が一望できる神秘的な世界

大正から昭和初期に巻き起こった観光ブームの中で作られた鳥瞰図の装丁をまず見てみよう。多くの鳥瞰図は、国や府県、都市などの自治体、鉄道省(国鉄の前身)、旅館組合がお金を出して、絵師に依頼し、作図してもらった。民間の鉄道会社も例に漏れず、鳥瞰図を多く発注している。下の写真はそんな鉄道会社が発注した鳥瞰図の例である。

 

その多くは厚地の表裏カバーが付き、中には鳥瞰図が折り畳まれている。開くと左右80cmにもおよぶ大きな地図が広がる仕組みだ。タテは18cmほどなので、かなり横長だった。

↑吉田初三郎という絵師が描いた鉄道鳥瞰図の例。表裏のあるカバーの中に左側のような横長の鳥瞰図が折り込まれていた

 

広げると、それこそ鳥が飛んだ時に見えるような風景がそこに表現されていた。当時の人にはさぞや新鮮に見えたことだろう。大半の人が飛行機には乗る機会がなかっただろうし(日本初飛行は明治末期のこと)、航空写真やドローンなどで撮った映像などを見ることができなかった時代だからこそ、より鮮烈に受け取ったと思われる。

 

絵師たちはどのように鳥瞰図を作ったのだろうか。

 

参考になるのは平面的な地図のみで、今ほど細かい情報は書き込まれていない。鳥瞰図を作るとなると、その情報量の少ない地図を持って、描く場所をくまなく歩いて情報を得なければならなかった。カメラも持ち歩けるようなものは少なく、また筆記用具も今のようにコンパクトではない。クルマも容易に使えるものではない。鉄道を使って近くまで行き、あとは歩くしかない。ネット時代とは大きく異なり調査はかなりハードだったはずである。

 

そうした鳥瞰図の世界でスターとも呼べる人物が登場し、その人気が沸騰していく。今回は、そのブームを生んだ吉田初三郎作の鳥瞰図を中心に話を進めていこう。

 

【鳥瞰図の世界②】吉田初三郎が生みだした新世界。初期の作例

鳥瞰図の中で最も素晴らしい作品を生み出した絵師が吉田初三郎とされる。初三郎は1884(明治17)年、京都に生まれた。10歳の時に代表的な染色技法「友禅」の図案師の元に丁稚奉公に出され、その後に洋画家に師事。さらに師の薦めで商業美術の世界に歩を進めた。

 

鳥瞰図を作りはじめたのは30歳前後のことで、1914(大正3)年に「京阪電車御案内」という京阪電気鉄道の案内を制作したのが最初とされる。この鳥瞰図がその後の初三郎の運命を決めた。ちょうど皇太子時代の昭和天皇が「京阪電車御案内」をご覧になり「これはきれいで分かりやすい」と賞賛されたのである。

 

当時の、このお言葉の影響度は計り知れない。初三郎は途端に鳥瞰図の世界でスターダムにのし上がったのだった。その後には「大正の広重」とも称されるほど大物になっていく。初三郎が生みだした鳥瞰図は果たしてどのようなものだったのか、具体例を見ながら紹介していこう。今回例にあげたものは、みな脂がのったころのものだ。初三郎ワールドが全開となっている。

*鳥瞰図および絵葉書は筆者所蔵。禁無断転載

 

◆1922(大正11)年発行・秩父鉄道「沿線名所圖繪」

↑秩父鉄道が羽生駅〜武甲駅(貨物駅)間だった時代の鳥瞰図。先の三峰口までは未完成で予定線として描かれる。図内に電車の絵も見える

 

まずは秩父鉄道の「沿線名所圖繪」と名付けられた鳥瞰図から。初三郎が鳥瞰図を作り出して8年ほどの作品である。後期の作に比べると、極端なデフォルメはなされていないものの、秩父鉄道沿線を流れる荒川が東京湾まで流れ出る構図となっていて、遠く東京には明治神宮や、浅草観音寺などの文字が読み取れる。

 

今回、横に長い鳥瞰図は見やすいように2分割して右面、左面に分けた。また文字や絵が読み取れるように一部を拡大、古い絵葉書、現在の写真などを組み込んでみた。

 

この図で紹介された秩父鉄道は、1901(明治34)年に熊谷駅〜寄居駅間の路線開業によりその歴史が始まる(当時は上武鉄道という会社名)。少しずつ路線が延伸され、1917(大正6)年に影森駅まで、また翌年には武甲駅(ぶこうえき/貨物駅)まで延伸された。鳥瞰図は羽生駅〜武甲駅間の路線が敷かれた後のもの。ちょうど鳥瞰図の発行年に熊谷駅〜影森駅間が電化された。そんな背景があり、鳥瞰図内には電車の絵が描かれている。

 

ちなみに鳥瞰図の発行翌年、1923(大正12)年には宝登山駅(ほどさんえき)が現在の長瀞駅に駅名を改めている。翌年の変更ながら情報が伝わらなかったのか、新しい駅名に変更できなかったことが分かる。

↑秩父鉄道の荒川橋梁は観光ポイントでもあり絵葉書も残る。こちらは昭和初期の貨物列車。有蓋貨車をひく様子が見て取れる

 

↑現在の影森駅から先の引込線の様子。この先に採掘場があり貨物列車が走る。初三郎の鳥瞰図でもカーブする路線が描かれている

 

初三郎の鳥瞰図は地図上、極端なデフォルメが行われているところが特長だ。秩父鉄道の鳥瞰図も、後に作られた図ほどではないが、実際には見えるかどうか微妙な、遠く東京の街まで描いている。加えて単なる路線紹介でなく、路線を線路に見立てて、そこに電車や列車を実際に走るように描いているのが特長となっている。鳥瞰図を単なる案内として仕立てるだけでなく、路線に電車を走らせて楽しくアレンジし、さらに遠くには、こんな町があるということを知らせている。見る人を引き込む要素をしっかり入れ込んでいるところがおもしろい。

 

秩父地方のシンボルでもある武甲山は図の中央にそびえさせているが、当時の武甲山は石灰石の採掘もそれほど進んでいなかった様子が窺える(現在は採掘により、かなり山容が変わっている)。色彩として平地はクリーム色、山地は緑色と変化をつけている。これ以降に制作したものよりも、やや暗めの彩色となっている。この後、初三郎の色付けは明るめなものに変化していく。

 

【鳥瞰図の世界③】ややコンパクト版の鉄道図だとこのように

◆発行年不明 1928(昭和3)年以降?・長野電鉄「沿線御案内」

↑長野電鉄のやや小さめの鳥瞰図。長野電鉄の諸施設をしっかり入れ込んでいるところがポイント。右上に「初三郎」のサインがある

 

先の秩父の鳥瞰図はカバーが付き、やや大きく“かさばる”サイズで、持ち歩くにはあまり便利とは言えない。一方で、コンパクトなサイズの鳥瞰図も制作された。ここで紹介するのは長野電鉄の「沿線御案内」で、鳥瞰図の大きさはヨコ35cm、タテ15.6cmと、長かったものに比べると半分以下となる。折り畳むとヨコ9cm(タテは15.6cmで同じ)までになり、これならば、旅先でも見ることができて便利なサイズだ。

 

この大きさでも要素はしっかり入れ込んである。沿線の観光地はもちろんのこと、長野電鉄第一・第二発電所といった電鉄の設備も入れ込んでいる。何より、長野電鉄が営業する温泉旅館「仙壽閣」が付近の観光施設の中で格段に大きく描かれているのだ。旅館の建物はもちろん、大浴場、温泉プールなども入る。これは発注したクライアントとして大喜びだったことだろう。

↑前述した長野電鉄沿線案内図には屋代線も描かれている。写真は屋代線の松代駅で、2012(平成24)年4月1日に廃止となった

 

つまり初三郎はデザインセンスもさることながら、こうした営業面での配慮も怠らなかった。発注主の受けがよいせいか、生涯1600点以上、また弟子の制作物まで含めると3000点という鳥瞰図を生み出したとされる。

 

一方で、“遊び心”も忘れていない。地図の端には遠く北は青森、函館。西は下関、門司、釜山まで地名が書き込まれている。

 

同鳥瞰図の発行年は明記されていないが、路線の描かれ方で予測ができる。同鉄道では路線網が大正末期から昭和初期にかけて広がっていった。1925(大正14)年に河東鉄道の屋代駅〜木島駅間が開業、翌年には河東鉄道は長野電気鉄道を合併して長野電鉄に社名変更をしている。1926(大正15)年には権堂駅〜須坂駅間が、1927(昭和2)年には信州中野駅〜湯田中駅間、1928(昭和3)年には権堂駅〜長野駅間を延ばして、長野電鉄の路線網を完成させている。鳥瞰図は1928(昭和3)年の路線網完成後のもので、いわば長野電鉄最盛期のものだった。たぶん、路線網完成後に依頼したものなのだろう。

 

当時、それぞれの路線名が明確ではなかったこともあり、鳥瞰図では明記されていないところも興味深い。

 

【鳥瞰図の世界④】すべて手づくりの鳥瞰図の難しさが垣間みえる

◆1927(昭和2)年発行・伊予鉄道電氣「松山道後名所圖繪」

↑伊予鉄道の昭和初期の鳥瞰図。路線が走る松山を中心に、左右に瀬戸内海を広げて描いている。駅名などが小さく見づらいのが難だ

 

初三郎の鳥瞰図の中で地形図の素晴らしさが味わえるのが瀬戸内海がらみのものだと思われる。その特長がいかんなく発揮されているのが伊予鉄道電氣「松山道後名所圖繪」で、松山を中心に、左右に瀬戸内海を幅広く描き、浮かぶ島々と、入江、そして港湾などが美しく描かれている。伊予鉄道の路線網とともに、松山のシンボルでもある松山城、道後温泉本館などの施設が大きく描かれ、思わず行ってみたくなる構図だ。

 

配色も巧みで、平野と山の色具合も、微妙な色が使われ、見ていて気持ちの良さが感じられる。そしてお得意のデフォルメで遠くには琉球、台湾まで記述されている。

 

下記はちょうど昭和初期の松山市内線の絵葉書で、札ノ辻(現在の本町三丁目)の停留場名が鳥瞰図内の路線図内に確認できる。

↑昭和初期の松山市内線、札ノ辻付近(現在の本町三丁目停留場付近)。日本家屋とともに洋館が建ち並ぶ様子が見える

 

さて、この伊予鉄道の鳥瞰図でやや気になることがあった。下記のような路線の追加訂正を記した紙が貼られていたのである。鳥瞰図が発行された1927(昭和2)年とされているが、この年の3月11日に松山駅が松山市駅と改称されている。この情報は鳥瞰図には盛り込まれている。しかし、同年11月1日に開業した高浜線の衣山駅、山西駅の記載がない。ほかいくつかの変更事項が、追加訂正の薄紙に印刷されている。

 

鳥瞰図の停留場、施設名などの記載が全体的に小さいようにも感じた。実物でも良く読めない。たぶん、当時見ている人からの指摘もあったはずだ。初三郎自身がこの鳥瞰図作りにどのぐらい関わっていたかは分からないが、入れている文字まで手書きだったせいか、修正などが簡単ではなく、総じて融通が効かないというのが、大正・昭和初期の鳥瞰図の弱点だったようだ。

↑カバーの裏には松山の観光写真が掲載されていた。その横には追加訂正の紙が貼られ、鳥瞰図の変更点などを補足していた

 

松山市を走る伊予鉄道を乗りに行ったことがある方も多いかと思う。伊予鉄道といえば、高浜線の大手町駅前にある、市内電車との平面交差区間が名高い。先の鳥瞰図を見ると、当時、大手町駅は江戸町駅(えどちょうえき)を名乗っていた。交差する市内電車の大手町線はまだ未開通で、1936(昭和11)年に大手町線の江戸町駅前の停留場が誕生している。よって、ここに平面交差区間ができたのも、鳥瞰図が作られた以降ということが分かった。

↑高浜線の大手町駅前の平面交差区間を走る坊っちゃん列車。同列車は伊予鉄道開業時に走っていた列車をモチーフにして生まれた

 

【鳥瞰図の世界⑤】初三郎の世界100%全開のパノラマワールド

◆1928(昭和3)年発行・富士身延鉄道「沿線名所圖繪」

↑富士身延鉄道全通した年に造られた鳥瞰図。非常に分かりやすくつくられている。遠くサンフランシスコまで描いていることに驚かされる

 

4枚目は富士身延鉄道の「沿線名所圖繪」を紹介したい。富士身延鉄道は現在のJR身延線を開業させた前身となる鉄道会社で、会社創設は1912(明治45)年のことだった。大正初期に東海道本線と接続する富士駅側から路線の延伸を始め、1920(大正9)年に身延駅が開業。1928(昭和3)年に甲府駅までの延伸を果たしている。鳥瞰図は全線開業時に造られたものである。

 

この鳥瞰図は伊予鉄道のものとは異なり、駅名や観光名所の紹介文字が大きめで、また大小の文字を使っていて分かりやすい。何よりも、構図が大胆で巧みである。右に富士山、左側に沿線の観光ポイントである身延山が対となるように描かれている。間に富士川が流れ、富士川沿いを突っ切るように、直線で、富士駅〜甲府駅間を走る富士身延鉄道の路線が描かれる。駅間には、無数のトンネルが描かれ、この路線の険しさが印象づけられている。もちろん、身延線は、この図のように直線ということはなく、カーブ路線が続く。それを直線で描いてしまうこと自体にも豪胆さが感じられる。

↑富士身延鉄道時代の下部駅(現・下部温泉駅)の絵葉書。当時の茶色の電車が停まる様子が見える。同駅は1927(昭和2)年の開業

 

初三郎は大正名所図絵社(後の観光社)という会社を作り、多くのスタッフが手伝い鳥瞰図を作っていた。そのために、素人目に見ても出来不出来が散見される。ただし、手作りだからこその良さも見えてくる。

 

この鳥瞰図でおもしろいのは、起点となる富士駅の東海道本線とその延長上に続く地名や地形の描き方だ。

 

雲状のデザインを配置し、そのデザインで近いところと、遠いところを区切っている。この図では東海道線に沿って見ていくと、西は大阪、神戸、さらに山陽本線が直線状に描かれ、下関まで記載されている。さらに遠くには釜山、朝鮮、金剛山、さらに台湾まで記述されている。逆には富士山越しに東京近辺を描き、遠くに筑波山と房総半島が見える。

 

愉快なのは伊豆半島の下田の先に、何とハワイ、サンフランシスコの名称が記述されているところ。今でこそ、国際宇宙ステーションにでも乗っていれば同一画面上に見えるかもしれないが、これこそ初三郎が持っていた “遊び心”の一面をよく表している。

↑身延線はアップダウンに加えてカーブの多い路線だ。初三郎はこの路線全線を直線に描き、分かりやすい鳥瞰図に仕立てた

 

吉田初三郎は、鳥瞰図を描く絵師ながら、地方を歩き、情報を仕入れ、それを絵として残す、いわば現代のジャーナリズムにも通じる視点を持っている。もちろん社員がその一部を分担したとしてもだ。そして大胆なデフォルメを施しつつも、それは見る人が分かりやすいように、意図的に変更し、デフォルメしたのである。決して間違った情報は入れ込んではいない。この鳥瞰図を見て、果たして目的地に間違いなく行けるかは疑問であるが、駅と目的地の位置関係などはすぐに分かる。非常に高度に作り出されたものである。

 

しかし、初三郎の鳥瞰図はその分かりやすさゆえにマイナス要素も生みだした。

 

昭和10年代前半まで初三郎の活躍が続いたが、太平洋戦争の前後、ぱったりと初三郎の作品が世に出なくなってしまう。その理由は港湾などの施設が緻密に描かれすぎているからだ。地図などの情報は、当時、軍事機密とされた。たしかに初三郎の鳥瞰図を敵方が見たら、良い情報源になったであろう。飛行機を操縦していたとしたら、コクピットから実際に見えたであろう情景がそこに描かれていたのだから。鳥瞰図は平和時だからできたものだったのである。

 

そのため太平洋戦争下では不遇の時代を送っている。戦時下にどのような暮らしをしていたのかは伝わっていないが、仕事がなくなったのだからつらかったことだろう。その思いが戦後の仕事に向かっている。1946(昭和21)年に広島へ足を運び、5か月にわたり、被爆地・広島の“取材”を続けた。数百名に証言を得て描いたとされる「廣島原爆八連図」を残した。なかでも原爆が爆発した時のものされる鳥瞰図は鬼気迫る凄みが感じられる。

 

初三郎はその後、原因不明の病に冒され1955(昭和30)年8月16日死去、享年71歳だった。その業績は近年になって見直され、再評価されるようになってきている。しかし、「廣島原爆八連図」にしても元となる肉筆画が見つかっておらず、未知の部分が多い絵師でもある。亡くなって60年以上の年月がたつものの、作品づくりに向かう真摯な姿勢には学ぶべきところが多い。

ウインカーも出せるLED搭載の自転車用ヘルメット「LUMOS Ultra」が発売

UPJは8月13日、LEDライト搭載の自転車用ヘルメット「LUMOS Ultra」の一般販売を開始。8月末までは期間限定の特別価格となっており、M~Lサイズモデルは1万2000円(税込)、XLサイズモデルは1万3500円(税込)です。

 

LUMOS Ultraは、海外で実施されたクラウドファンディングや「Makuake」で多くの支援を得た、香港・LUMOS製のヘルメット。本体のフロントとリアにLEDライトを搭載し、周囲の自動車、サイクリスト、歩行者からの視認性を高めることで、事故発生のリスクを低減するとしています。

 

また、左右に曲がる際、付属のリモートライトを使用すれば、ウインカーライトを出すことも可能。周囲に的確に進む方向を示せます。さらに、このウインカーライトはApple Watchと連携させることができ、Apple Watchによるジェスチャーコントロールで操作が可能になります。

 

↑車のウインカーライトと近い色が出ます

 

↑付属のリモートライト

 

↑Apple Watchとの連携が可能

 

このほか、LEDライトの点灯パターンや明るさなどを、専用のスマホアプリでカスタマイズできます。

 

重量は370g。また、バッテリーは4~10時間駆動で、充電時間は3時間です。

ドライバーの疲労軽減と安全性向上に貢献。UDトラックスが最新電子制御ステアリング世界初公開

UDトラックスは7月1日、自動運転にもつながる技術「UDアクティブステアリング」を同社の大型トラック『クオン(Quon)』に搭載したことを発表しました。このUDアクティブステアリングはドライバーの運転環境を改善することを最大の目的に開発され、CG後軸エアサス WB 7520mm車、GK WB 3200mm車にオプション設定されます。

↑UDアクティブステアリングを搭載したクオン

 

低速走行時には取り回しが軽く、積み荷や路面状況、横風などにも左右されない

このUDアクティブステアリングは、従来の油圧式ステアリングギアの上部に新たに搭載し、電気モーターを活用した運転支援機能として誕生しました。具体的には、電気モーターに付随する電子制御ユニット(ECU)が、1秒間に約2000回の頻度で様々なセンサーから運転環境を感知して走行方向とドライバーの意図を判断。あらゆる走行条件下において、ドライバーの運転操作をアクティブにサポートする機構となっています。

↑従来の油圧式ステアリングギアの上部に電気モーターを搭載し、あらゆる走行条件下において、ドライバーの運転操作をアクティブにサポートする

 

特徴的なのは、後退・右左折・旋回などの低速走行時には取り回しが軽く、速度が上がるにつれてステアリングの安定感が増していくことです。積み荷や路面状況、横風などにも左右されない安定したステアリングを実現できるため、これがドライバーにとって疲労軽減と安全に大きく貢献することにつながるというわけです。

 

その特徴は大きく以下の5つがあります。

1.低速走行時の軽いステアリング。重量物輸送時でも軽い力で操舵でき、疲労を大きく軽減。

2.高速走行時の直進安定性。スピードに応じて、ステアリングを適度な重さになるよう制御することで、直進走行時にドライバーの緊張感を軽減。

3.不整路走行時の路面状況の影響軽減。路面の凹凸から受ける影響を自動補正し、振動や意図しないステアリングの動きを軽減。

4.横風発生時の走行補正。横風の影響によるタイヤの微細な動きを素早く感知し、自動補正で直進走行をサポート。

5.後退・右左折時の自然なハンドル戻り。後退時や交差点の旋回時にステアリングは自動でニュートラル位置に戻る。

 

■UDアクティブステアリングがもたらす5つのポイント。

UDトラックスではこれらの効果を測る実証実験を行い、その結果、UDアクティブステアリング搭載車の方が運転時のストレスが低く、さらに過度な集中力を必要とせずに操作できることがわかったということです。また、搭載車では腕の力をより楽にして操作を行え、特に駐車時や路面の凹凸が激しい道路を走行する場合でも筋力を使わずにハンドル操作ができることもわかったそうです。

 

大型トラックにも関わらず、ステアリングを指1本でも回せることに驚き!

発表会後、実際にその効果のうち、「1」「3」「5」を体験する機会も提供されました。

 

まず「1」の体験として、スタートしてスラロームを低速で走ることにしました。ここでは指1本でもステアリングが回転する極めて軽いフィールを実感。大型トラックとは思えない驚くほどの軽さを体験しました。従来のトラックではこれら低速時のステアリング操作が重く、これがドライバーに大きな負担になっていたそうで、これだけでも運転環境は大幅な改善につながると思われます。

↑UDアクティブステアリングを体験すると、低速走行では本来なら感じる重さが指一本で回せるほどの軽さになっていた。これが高速走行になると重くなり安定性を増すという

 

「3」では、波状路を想定した凹凸を左側の車輪で連続して乗り越える体験。本来ならこうした凹凸を乗り越えると、その度にステアリングが影響を受けて方向が定まらなくなってしまい、ドライバーはその修正を余儀なくされます。が、UDアクティブステアリングではキャビンが大きく左右に振られても、ステアリングだけはまるで目標物があるかのように真っ直ぐ進んでいったのです。これは本当に見事なものでした。

↑波状路を想定した凹凸を左側の車輪で連続して乗り越える体験。UDアクティブステアリングではキャビンが大きく左右に振られても、ステアリングだけはまるで目標物があるかのように真っ直ぐ進んでいった

 

「5」は車庫入れでの体験です。「1」で体験したようにステアリング操作はとても軽く、左右への切り返しも楽に行えました。特に秀逸なのが手を離すとセンターポジションへステアリングが自然に戻っていくことです。今までトラックの操舵ではドライバーが元へ戻す必要がありました。トラックのドライバーは、荷物の積み卸し作業のためにドライバーは指定場所へバックで収めることが求められますが、ここまでステアリング操舵が軽ければ、かなり負担軽減につながるのではないでしょうか。

↑荷物の積み卸し作業では車庫入れが必須。低速で走行するため本来なら重くなるステアリング操作だが、UDアクティブステアリングでは驚くほど軽い。センターポジションには手放しでも戻る

 

UDアクティブステアリングが人材不足の解決につながることを期待

記者発表会に登壇したUDトラックス 代表取締役社長 酒巻孝光氏は、「ここ数年、ドライバーの有効求人倍率は全業種平均の約2倍と圧倒的に高く、その要因は少子高齢化、若者のクルマ離れ、給料、長時間労働や荷役作業のような体力的に過酷な労働環境など様々なことが考えられますが、UDトラックスができることはドライバーに常に寄り添ってその解決方法を常に考えること。我々は運ぶことをもっと楽に、そして豊かな気持ちで運んでもらえるよう、今後も技術力でサポートしていきたい」と語りました。

↑UDトラックス 代表取締役社長の酒巻孝光氏。「物流は社会の血流であり、UDトラックスは物流業界の課題解決にどのように貢献できるかということを常に考えている」とのこと

 

また、同社開発部門統括責任者 ダグラス・ナカノ氏は、「これは自動運転につながる技術。技術は人のために進化します。(UDアクティブステアリングは)ドライバーの疲労を軽減し、快適に運転できるトラックを提供することにつながり、それが人材の多様化やドライバー不足の貢献につながります」と、UDアクティブステアリングが運送業界の人材不足問題解消の一助になる可能性を挙げました。

↑同社 開発部門統括責任者のダグラス・ナカノ氏

 

↑発表会当日サプライズゲストとして登場した書道家の鈴木曉昇氏は、アクティブステアリングの技術を模して“技”を即興で書き上げた

 

このUDアクティブステアリングのオプション価格は46万円。乗用車ユーザーからすれば高く感じますが、そもそも大型トラックは2000万円ほどはする高額車両なので、それをベースにするとこの価格は決して高額とはなりません。むしろ、ドライバー不足に悩む物流業界にとっては、この出費で人材が確保できるようになれば安いものとなるでしょう。このオプションが物流業界の発展に寄与することを期待したいと思います。

↑発表会後は「物流業界の課題にトラックメーカーができること」と題したトークセッションも開催。日通総合研究所取締役の大島弘明氏(左から2人目)、ジャーナリストの橋本愛喜氏(同3人目)、交通コメンテーターの西村直人氏(同4人目)らが参加した

 

■UDアクティブステアリングの制御精度を示すデモンストレーション。クオンのトレーラーヘッドには筒状のホルダーを介して大型の筆が取り付けられ、正確さが求められる書道に挑んだ。

 

 

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“七車七色”の115系!行きたい!乗りたい!「越後線」「弥彦線」

〜〜行きたい&乗りたいローカル線車両事典No.2〜〜

 

姿は武骨ながら魅力を放つ国鉄形車両。車両数が急激に減りつつあり、残る車両が注目を集めている。特にJR東日本管内で国鉄形車両の減り方が顕著だ。

 

新潟県内を走るJR越後線とJR弥彦線には、国鉄近郊形直流電車の115系が今も健在だ。JR東日本で唯一残る115系が走る路線網ということもあり、訪れる人も多い。残る7編成はすべて違うカラーで、十人十色ならぬ“七車七色”なのだ。そんな越後線・弥彦線に残る車両に注目した。

*緊急事態宣言および、まん延防止措置が引き続き一部地域に宣言・発令されています。不要不急の外出を控えていただき、宣言解除後に鉄道の旅をお楽しみください。

【乗りたい越後線①】115系7編成のみが越後線・弥彦線に残る

JR越後線は新潟駅と柏崎駅間83.8kmを走る。一方、弥彦線は弥彦駅〜東三条駅間17.4kmを走る。両線は途中、吉田駅で接続している。越後線、弥彦線ともに全線がほぼ単線で、ローカル色が濃く、列車本数も少なめ(越後線の新潟市近郊区間を除く)。国鉄形の115系と、E127系、E129系が走る。

 

115系は日本国有鉄道(国鉄)が1963(昭和38)年に生みだした代表的な近郊形直流電車である。1921両もの車両が製造され、本州各地に配置され、長年にわたり走り続けてきた。1987(昭和62)年4月のJR移行後は、JR東日本、JR東海、JR西日本の3社に引き継がれた。すでにJR東海では2008(平成20)年までにすべてが引退している。残るはJR東日本とJR西日本に残るのみとなった。

 

【関連記事】
残る車両はあとわずか‐‐国鉄近郊形電車「115系」を追う【東日本編】

↑新潟平野の水田地帯を走る115系。3両×2編成が連なる運行もあり同列車の注目度は高い

 

国鉄からJR東日本に引き継がれた115系は、2010年代に入り急速に車両数を減らし始めた。目立つところでは、2015(平成27)年10月に中央本線・篠ノ井線などでの運用を終了、2018(平成30)年3月に北関東地区の路線での運用を終了している。残るは新潟地区のみとなったが、2018(平成30)年3月に白新線の運用が終了。現在は、越後線、弥彦線、信越本線(えちごトキめき鉄道を含む)のみとなっている。

 

このうち信越本線(えちごトキめき鉄道を含む)は、早朝発の直江津駅→長岡駅→新潟駅という1本と、夜に新潟駅→新井駅→(折り返し)→直江津駅を走る1本の運行となっている。

 

残る115系が走る区間は、越後線と弥彦線のみとなっていて、おのずとこの両線の運行が注目されるようになっている。

 

【乗りたい越後線②】115系7編成すべて色違いでおもしろい

新潟地区に残る115系は3両×7編成のみだ。興味深いのは、7編成すべてが色違いということ。編成それぞれの色を確認しておこう。

N33編成 旧弥彦色(白地に朱色と黄色の太めラインが入る)
N34編成(リニューアル車) 3次新潟色(白地に濃淡の青色アクセントが入る)
N35編成(リニューアル車) 2次新潟色(白地に濃淡の緑帯が入る)
N36編成(リニューアル車) 弥彦色(白地で窓周りが黄色、窓下に黄緑帯が入る)
N37編成(リニューアル車) 1次新潟色(白地で窓周りが濃い青色、窓下に赤帯が入る)
N38編成(リニューアル車) 湘南色(緑とオレンジの組み合わせ)
N40編成 懐かしの新潟色(旧国鉄新潟色/黄色と赤の組み合わせ)

 

↑新潟色の4編成。右上からN37編成1次新潟色、時計回りでN35編成2次新潟色、N40編成懐かしの新潟色、N34編成3次新潟色の各編成

 

新潟地区に残る115系はすべて「N」が頭に付く。これは全編成が長野地区を走っていた車両で、2013(平成25)年〜2015(平成27)年にかけて新潟車両センターへ移動したことを示す。115系の中では1000番台と呼ぶ車両番台にあたり、製造されたのは1977(昭和52)年以降と、115系の中では比較的、新しめの車両だ(とはいってもすでに誕生して40年以上たっている)。さらにリニューアル車は2000年代に入ってクロスシートを変更しているほか、内装なども新たにしている。

 

【乗りたい越後線③】新たに塗り替え魅力アップした編成も

興味深いのは検査時に塗装の変更が積極的に行われてきたこと。このことが結果として、新潟の115系の注目度を高めることにもなっている。2016(平成28)年以降に、次のように色変更された。

2016(平成28)年 ●N33編成:長野色→2次新潟色
2017(平成29)年 ●N37編成:3次新潟色→1次新潟色

●N38編成:3次新潟色→湘南色

●N40編成:湘南色→懐かしの新潟色

2018(平成30)年 ●N35編成:3次新潟色→2次新潟色

●N36編成:3次新潟色→弥彦色

2019(平成31)年 ●N33編成:2次新潟色→旧弥彦色

 

↑N33編成は2019(平成31)年に2次新潟色(右上)から旧弥彦色に変更された。各編成名は運転席の窓の左上に表示される

 

検査で工場に入場するたびに変更されてきたこともあり、115系を好きな人たちに、また乗りに行こう、撮りに行こうと思わせるのであろう。ちなみにN34編成のみ2014(平成26)年に長野色から3次新潟色に変更して以降、変わっていない。

 

これらの色の変更は新潟地区の列車運行を行うJR東日本新潟支社が、利用者に向けて「思い入れのあるデザインを1種類選んでもらう」Webアンケートを通して決められた。最も票数が多かった色を復刻するという、鉄道会社と利用者(主に鉄道ファン)との結びつきを示すような企画で、効果的だったように思う。これも新潟の115系が根強い人気を保つ、一つの理由になっているようだ。

↑N36編成は2018(平成30)年に弥彦色に変更された。窓周りの黄色いスペースが大きめなところが特長となっている

 

↑N38編成は3次新潟色から湘南色に変更された。側面にJRと大きく文字が入り、北関東を走った115系のデザインを思わせる

 

ちょっと気になるのは2019(平成31)年の塗装変更以降に、新たな塗装車両が現れないことだろうか。最新の定期検査は2021(令和3)年6月にN37編成で行ったが、1次新潟色の塗装に変更がなかった。“七車七色”の体制はしばらく続くのだろうか。

 

【乗りたい越後線④】どのような運用で115系は動いているか?

主に越後線、弥彦線を走る115系だが、全列車が115系ではない。現状4分の1ぐらいの列車が115系での運用となる。越後線の吉田駅〜柏崎駅間は、閑散路線区となっていて、日中は2〜3時間に1本という列車本数になっている。そこに組み込まれる115系が多く、乗る機会、出会う機会もレアになりつつある。

 

さらに、乗るだけならば時間を合わせれば良いが、列車を撮影したいとなると、本数が少ない路線区間だけに、移動と撮影計画をしっかり立てての行動が欠かせない。

 

本原稿では、越後線の新潟駅〜吉田駅間の上り下りと吉田駅〜柏崎駅間の上り下り、また弥彦線の吉田駅〜東三条駅間の上り下りの、115系で運用される列車のみを記した。なお、弥彦線の吉田駅〜弥彦駅間では115系の定期運用はない。また、急きょ115系に代わりE129系が代走することもあり、必ずしも絶対とは言えないところが、“追っかける”立場としてつらいところだ。

↑3両×2編成で朝夕ラッシュ時に走る115系列車がある。希少な列車だけに、しっかり抑えておきたいところだ

 

越後線、弥彦線の115系運用列車をすべて記した。なお前述したように、その日になって代走が走ることがあり注意が必要となる。時刻は2021(令和3)年3月ダイヤ改正後のものだ。

 

◆越後線上りの115系運用列車◆ ※夜間19時以降始発の列車は除く

□新潟駅→吉田駅

1532M列車 新潟11:01発 → 内野11:25着(*運用3)
142M列車 新潟13:20発 → 吉田14:24着(*運用6)
156M列車 新潟17:04発 → 吉田駅18:03着(柏崎行)(運用3・4)

□吉田駅→柏崎駅

122M列車 吉田5:56発 → 柏崎7:08着(*運用2)
132M列車 吉田7:43発(東三条始発) → 寺泊7:58着(*運用3) 
134M列車 吉田8:39発 → 柏崎9:47着(*運用2)
140M列車 吉田12:32発 → 柏崎13:41着(*運用2)
148M列車 吉田15:44発 → 柏崎16:57着(*運用6)
156M列車 吉田18:04発(新潟始発) → 柏崎19:17着(*運用3・4)
162M列車 吉田18:42 発→ 柏崎19:54着(*運用6)

 

◆越後線下りの115系運用列車◆ ※夜間19時以降始発の列車は除く

□柏崎駅→吉田駅

125M列車 柏崎6:30発 → 吉田7:40着(東三条行)(*運用4・5)
129M列車 柏崎7:28発 → 吉田8:34着(*運用2)
139M列車 寺泊9:35発 → 吉田9:50着(新潟行)(*運用3)
141M列車 柏崎10:46発 → 吉田11:53着(*運用2)
157M列車 柏崎15:30発 → 吉田16:35着(*運用2)
161M列車 柏崎17:20発 → 吉田18:36着(*運用6)

□吉田駅→新潟駅

139M列車 吉田9:56発(寺泊始発) → 新潟10:55着(*運用3)
143M列車 吉田10:59発 → 新潟11:57着(*運用4・5)
1539M列車 内野11:51発 → 新潟12:13着(*運用3)

 

◆弥彦線下りの115系運用列車◆ ※夜間19時以降始発の列車は除く

□吉田駅→東三条駅

225M列車 吉田6:53発 → 東三条7:12着(*運用3)
227M列車 吉田7:42発(柏崎始発) → 東三条8:04着(*運用4・5)
245M列車 吉田17:37発 → 東三条17:58着(*運用2)
247M列車 吉田18:41発 → 東三条19:01着(*運用2)

 

◆弥彦線上りの115系運用列車◆ ※夜間19時以降始発の列車は除く

□東三条駅→吉田駅

222M列車 東三条7:21発→吉田7:41着(寺泊行)(*運用3)
226M列車 東三条8:55発 → 吉田9:15着(*運用4・5)
244M列車 東三条18:12発 → 吉田18:31着(*運用2)

 

各列車の後ろに付く運用2〜6という数字は、例えば「運用2」にN35編成が入ったとしたら、その1日はN35編成での運行が「運用2」で続く。運用3・4または4・5と数字が2つ入っている場合は3両×2編成が連結されて走る運行スタイルのことで、6両編成による運行になる。

 

列車の時刻を見て分かることは、越後線の新潟駅〜吉田駅間での運用が少なめなこと。弥彦線では日中の運用がほぼないことだろう。

 

115系の運用は越後線の吉田駅〜柏崎駅間の運用が目立つ。同区間は閑散区間ということもあり、日中は2〜3時間、列車がないことがある。さらに筆者が訪れた時に起きたことだが、115系がE129系に変わる“代走”が行われていた。

 

筆者が目にしたのは「運用2」の代走だった。「運用2」は吉田駅〜柏崎駅間の運転が多い。だが訪れた日には115系が入らないことに気付いた。

 

ちなみに、運用が変わったことに気付いたのは、越後線と弥彦線の両路線が走る吉田駅近くのホテルに宿泊していたことから。ホーム側の部屋に宿泊していたので、窓から駅側をのぞいたところ朝5時56分発の122M列車が115系からE129系に変わったことを知ったのだった。

 

この日は代走が入ったこともあり、行動予定を変更せざるを得なかった。115系を待っていても“不発”ということがおおいにあり得るのだ。吉田駅〜柏崎駅間は列車の本数が少ないため、もし代走を知らずに撮影地へ向かってしまうと、撮れなかったわけである。115系との出会いも難しいことが分かった。

 

【乗りたい越後線⑤】弥彦線を走るE127系も気になる

越後線、弥彦線では、JRになってから生まれた車両ながら希少なものも走っている。圧倒的に車両数が多いのがE129系だが、E127系という直流形電車もわずかに走る。このE127系は0番台と100番台があり、0番台は新潟地区用に1995(平成7)年に新造された。100番台は松本車両センターに配置され、大糸線や篠ノ井線などを走っている。0番台は2両×13編成が製造されたが、2015(平成27)年に第三セクター経営のえちごトキめき鉄道設立にあたり、JR東日本から10編成が譲渡されている。

 

新造された13編成のうち1編成は、越後線で起きた踏切事故により廃車となった。残り2両×2編成が今もJR東日本に残り、弥彦線を中心に運行している。

↑吉田駅に停車中のE127系、弥彦線を中心に運用されている。E127系100番台と異なり正面の縁取りがやや丸みを持つのが特長

 

ちなみに、今年の5月2日には越後線の関屋分水路にかかる橋梁上でE127系に車両故障が起きて立ち往生してしまった。約4時間後にE129系が救援に向かい連結、移動して修理が行われたが、後に同じ編成が踏切事故に遭うなど、どうもトラブル続きの車両形式になっている。115系よりも、車両数が少ないだけに、今後どのような扱いになるのか気になるところだ。

↑越後線と弥彦線の主力車両となっているE129系。写真は弥彦線での運行の様子。E129系には4両編成と2両編成の2タイプが走る

 

現在、越後線と弥彦線の主力はE129系で、両線だけでなく信越本線、白新線での運用も多い。いわば新潟地区の標準車両となりつつある。車両の半分がセミクロスシート、半分がロングシートとなっていて、近郊形電車ながら、定員数を増やす工夫が導入されている。

 

ちなみにE129系はLED表示器をきれいに撮るのが難しい車両で、シャッター速度は100分の1以下の遅めの設定が必要となっている。

 

【乗りたい越後線⑥】115系を撮影するとしたらどこが良いか?

越後線で115系を撮影するとしたらどこがお勧めだろうか。

 

◆新潟駅〜内野駅間の撮影ならば

新潟駅〜内野駅間は列車本数が多く移動もしやすいが、新潟市の近郊住宅街となっているだけに、撮影に不向きなところが多い。

 

撮影によく利用されているのが、新潟駅〜白山駅間にある信濃川橋梁だ。越後線はガーダー橋で信濃川を渡る。西側には架線柱がなく、また保線用の通路や手すりがないために、長い編成でも障害物にじゃまされずに上手く撮れる。

↑白山駅側から見た信濃川橋梁。西側は障害物が無く写しやすい。この写真はE129系だが青空バックの115系をぜひ撮影したいところ

 

おなじ橋梁絡みの写真となるが、関屋駅〜青山駅間にある関屋分水路橋梁もおすすめ。青山駅側はやや高めのポジションからの撮影となるため、橋の横に付いた手すりをクリアできる。海側には架線柱が立つので、川上の側から撮りたいところ。時間は午前中に順光となる。午前中には新潟駅から内野駅へ向かう列車が1本と少ないのがちょっと残念だ。

↑関屋分水路橋梁を渡る142M列車。この日はN35編成だった。新潟駅13時20分発で前面は順光だが、側面はすでに日が当たらなくなっている

 

◆内野駅〜吉田駅間の撮影ならば

内野駅から先は、列車の本数がほぼ半分に減る。一方で新潟平野らしい水田地帯が広がり、抜けの良いところが多い。撮影者に人気のあるのが越後赤塚駅の南側に架かる県道46号線「新潟中央環状線」の陸橋上からの眺望だろう。目の前に広がる水田地帯と、遠くに弥彦山地が望める。

 

このポイントでは架線柱が逆側に立っていて、車両の手前に障害物がないことも良いところだろう。やや気温が低めの季節になれば、山容がくっきり見え撮影向きかと思われる。とはいえ同区間を通る新潟方面行き115系列車は、越後赤塚駅10時18分発と、11時23分と少ないことがちょっと残念である。なお吉田方面行き115系列車は午後に通過する2本がある。

↑2次新潟色だったころのN33編成。後ろに弥彦山地が陸橋上から望める。真夏は線路沿いの雑草の伸び放題が気になるところでもある

 

◆吉田駅〜柏崎駅間の撮影ならば

吉田駅から南となると列車本数が極端に減るので、場所選びにも悩む。吉田駅になるべく近くでとなれば、南吉田駅〜粟生津駅(あおうづえき)、また粟生津駅の南側には広大な水田地帯が広がるので、撮影地として向いている。南吉田駅〜粟生津駅間ならば柏崎方面へ向かう朝の列車が、粟生津駅の南側ならば、午前中の早めには吉田駅へ向かう列車。昼ごろからは柏崎駅方面へ向かう列車が順光となり、撮影に向いている。

 

撮影地として寺泊駅〜桐原駅間も人気がある。線路に沿って農道があり、さらに架線柱が道の反対側に立っているので、障害物とならない。同エリアでは午後遅めに順光となるが、桐原駅側に少し歩けば、架線柱が反対側に立つ一帯もあり、昼過ぎまではそちらで撮っても良いだろう。

↑柏崎へ向かう湘南色N38編成。寺泊駅〜桐原駅間は農道が並走している。列車と適度な距離がとれて撮影しやすい。架線柱も逆側に立つ

 

【乗りたい越後線⑦】将来115系はどうなるのだろう?

春が来るごとに115系が外されないだろうかと、気をもむ鉄道ファンも多いのではないだろうか。この春にはキハ40系がJR東日本の路線から消えていった。同車両も、それこそあっという間に消えていったような印象があった。新潟地区の115系が消えても不思議でない。

 

ここ最近の傾向として、ファンの集中を避けるためか、サヨナラ運転等のアナウンスがされない場合も多い。筆者個人の予想と思って聞いていただきたいのだが、115系に関して来春はまだ大丈夫そうである。

 

115系の定期検査が本年も行われている。引退が目の前の車両ならば定期検査をすることもないであろう。さらにコロナ禍の影響もあり、JR東日本に限らず鉄道会社の新車導入計画が遅れがちとなってきている。

 

115系に代わるとしたらE129系なのであろうが、E129系を製造している総合車両製作所新津事業所では、E129系のほぼ同形車SR1系をしなの鉄道向けに製作している。こちらは2027年度まで最大2両×23編成の導入を予定。しなの鉄道も、新車導入計画の見直しをしているようだが、こうした計画もあり工場に余力がないように思われる。

↑越後線、弥彦線で見られるトロリー線1本の区間。直接ちょう架式で電化された区間だ。左上はパンタグラフがトロリー線と触れる様子

 

さらに大胆な予想も流れるようになっている。越後線と弥彦線では電化工事が1984(昭和59)年4月に行われた。国鉄最晩年のころだ。財政難に陥ったこともあり閑散区だった越後線の吉田駅〜柏崎駅間と、弥彦線の多くの区間では、直接ちょう架式という電化方式を採用している。パンタグラフが触れるトロリー線1本が架線柱に吊られているシステムだ。JRの路線の大半ではシンプルカテナリ式が採用されている。シンプルカテナリ式の場合に、上からはちょう架と呼ばれるケーブルをまず吊り、このちょう架とトロリー線をハンガーで結ぶ。この方式の場合にちょう架が途中にあることで、トロリー線に弾力性を持たせることができる。

 

一方、直接ちょう架式の場合は、路面電車など低速で走る車両ならば良いのだが、高速鉄道には不向きで、制限速度を抑えざるを得ない。こうした地上設備の脆弱さにより越後線では最高速度85kmに抑えられている。といって越後線の吉田駅〜柏崎駅間のような閑散区間では、通常のシンプルカテナリ式に変更するなどの新たな投資は避けたいはず。こうした条件を考えると、架線の電気を使わず列車を走らせる「架線レス化」という案もあるとされる。

 

この方法はすでに烏山線、男鹿線を走る蓄電池電車や、交流と直流電化区間をまたぐ羽越本線を走る電気式気動車GV-E400系を導入といった例ですでに実用化されている。この方式を採用するならば、電機を流す必要がなくなり、新車両の導入により115系の引退も容易で、省エネ化、効率化が可能となるわけだ。

 

いずれも推測の域を出ないが、今後の動向が気になる115系である。

 

【新潟の行き帰りには】上越新幹線E4系が10月に引退する

新潟地区で最後に乗っておきたい車両の情報をあげておこう。東京駅と新潟駅を結ぶ上越新幹線で、この秋に大きな動きがある。E4系が10月で引退するのだ。

 

E4系といえば、国内で唯一残る2階建て新幹線である。東北・上越新幹線を国鉄からJR東日本に引き継いだ後に、JR東日本ではE1系、そしてE4系と2階建て新幹線を次々に誕生させた。当時、増えつつあった新幹線を利用する通勤・通学客に対応する意図があったとされる。

↑現在、E4系には「Thank you! Max!」記念ロゴ(左下)が先頭車などに付けられていて、引退ムードを高めている

 

その後に新幹線は高速化の道を歩み、240km/hというE4系の最高運転速度が時代に合わなくなってきていた。また高速で走る新幹線は車体寿命が短めで、約20〜25年とされている。E4系も本来ならば2021(令和3)年3月に引退する予定だった。ところが、2019(令和1)年10月13日の千曲川堤防決壊による、長野新幹線車両センターに停留していたE7系・W7系の12両×10編成が水浸しになってしまう。全車が廃車となり、上越新幹線のE4系からE7系の置換計画が延期され、その影響でE4系は延命した。

 

筆者もつい先日に「Thank you! Max!」と引退記念ロゴを付けたE4系に乗車したが、やはり2階建て新幹線は乗っていて楽しい。引退がせまり親子連れの利用者が非常に多くなっていることに気が付いた。子どもたちに大人気のE4系だったのである。

 

やや生き延びたE4系だが、10月1日(金曜日)に定期運行が終了し、その後に10月9・10日「サンキューMaxとき&やまびこ」を新潟〜盛岡間で運行。10月16・17日の週末に「サンキューMaxとき」が運転される予定だ(変更可能性あり)。これで見納めとなるわけだが、運転最終日には混雑が予想される。コロナ禍ということもあり、静かに見送ってあげたい。

生誕75周年を記念したベスパが2台登場! 明快にメリハリが利いた最新モデルを試乗インプレッション

イタリア・ピアッジオ社が生産するスクーター・ベスパが、今年の2021年に生誕75周年を迎えました。デザインの美しさと独特の機構で手堅い支持を得ているスクーターの歴史は前編で取り上げましたが、この後編ではベスパの最新モデルである「ベスパ・プリマベーラ」「ベスパ・GTS」の2台を試乗インプレッション。いずれも、75周年記念カラーの出荷を控えたものです。(前編のベスパの歴史を聞いた記事はこちら

 

古くからのバイクファンにとってベスパと言えば、ハンドチェンジなど、伝統的な機構をイメージしますが、最新モデルはより乗りやすく快適になっているとのこと。ピアッジオグループ・ジャパンPR 河野僚太さんにお話を聞きながら試乗していきます。

↑ピアッジオグループ・ジャパンPR 河野僚太さん。新旧のベスパの造詣、最新モデルの特徴や利点について解説をしていただきました

 

ベスパ最新モデルは大きく分けてスモールとラージの2タイプ

--1996年以降、CVTのトランスミッションの4サイクルエンジンになり現在まで続いているベスパですが、現在のラインナップのカテゴリーを教えてください。

 

河野僚太さん(以下、河野):まず、大きく分けて「スモールボディ」「ラージボディ」に大別できます。今回試乗していただくプリマベーラは、スモールボディのカテゴリーでコンパクトかつ俊敏性がある124ccのモデルです。スタイリングもどこかかわいらしく、女性でも気軽に乗っていただけるスクーターだと思います。

 

そして、同じく試乗いただく「GTS」は、ラージボディのカテゴリーで「街から街の移動に使える」という意味合いを持つグランツーリスモの278ccのモデルです。

 

――いずれも旧式のベスパに比べれば、かなりスタイリッッシュな映りですが、ベスパの伝統的なモノコックフレーム、フロントタイヤの肩持ち、エンジンとリアタイヤのユニットなどは継承されていますね。

 

河野:はい。この点こそピアッジオが考える「変わり続けるべきもの」「変えてはならないもの」のバランスを取りながら進化が行き着いたものだと思います。本当に乗りやすいので、是非試乗してみてください。

 

プリマベーラ(124cc・スモールボディ)の細部をチェック!

 

まずはスモールボディの「プリマベーラ」の細部をチェックしていきましょう。

↑シートの下を開けると、小物を入れるケースなどがあります

 

↑ケースを取ると、124ccのエンジンユニットが見えます。二輪車に多いパイプフレームではなく、ベスパ伝統のモノコックボディ自体がフレームの役割を果たしていることがここでも分かります

 

↑もちろんエンジンは、リアタイヤとユニットで駆動するもので、1946年に誕生したベスパ以降、多くのスクーターに採用されているシステムです

 

↑フロントタイヤも、ベスパ伝統の片持ちサス。タイヤ交換が容易なことが特徴です

 

↑かわいらしいコンパクトな「プリマベーラ」ですが、フロントの足回りはディスクブレーキを採用。制動面でも安心です

 

↑ハンドル周りにはアナログメーターと液晶が併設されています。シンプルで見やすくデザイン性に富んだもの。細部へのデザイン的な配慮はさすがベスパです

 

↑フロントボックスの中にはUSB電源も。バイクの電力を使ってのスマホの充電も可能です

 

低速の安定感に優れ、短距離移動に最適のプリマベーラ

ということで、早速「プリマベーラ」を試乗していきましょう。

↑低速でも安定した乗り味を感じさせてくれる「プリマベーラ」

 

スロットルをひねった際のレスポンスの良さが申し分なく、河野さんの話にもあった「俊敏性」とはまさにこのこと。エンジンの振動は極めて低い反面、トルクも十分で安定した乗り味も感じることができました。

 

前後のサスペンションが路面からの衝撃を吸収してくれるため、低速での安定感は抜群。「プリマベーラ」はストップ・アンド・ゴーを繰り返すような短距離での移動や、気軽に乗るために最適のモデルだと感じました。バイクに乗り慣れていない女性でもすぐに扱える点は、従来のベスパのコンセプト通りでもあり、なかなかの好印象です。

 

GTS(278cc・ラージボディ)の細部をチェック!

 

 

続いて、ラージボディの「GTS」の細部をチェックしていきます。基本的な構造(エンジン、足回りなど)は「プリマベーラ」と同じなので、重複する点は割愛し、GTSならでの機構を注目していきます。

↑プリマベーラが空冷エンジンだったのに対し、GTSは水冷エンジンを採用。ラジエーターをボディに搭載し、どことなくスパルタンな印象です

 

↑メーター周りは完全にデジタル。スマートフォンと連動し、多機能を実現させるマルチ・メディア・プラットフォームを搭載しており、バイクの状態を把握できる上、Bluetoothでベアリングすれば、運転しながらナビや音楽なども利用できます

 

 

 

乗り手は選ぶが、ハマればベスパの新しい魅力を味わえる

↑キビキビとした走りを見せてくれた「GTS」

 

「GTS」は278ccのラージボディですので、先ほど試乗した「プリマベーラ」に比べれば、やや重い印象を持ちましたが、スロットルを上げると安定感を見せ、キビキビした走りを見せてくれます。サスペンションも固めで、今までのベスパでは考えられないほどスポーティな乗り心地。

 

ベスパの中では高排気量に位置するモデルでもあるため、一定以上のバイクの知識・経験があるユーザーでも十分に満足できる走りが体感できると思いました。

 

プリマベーラ・GTSとも75周年記念特別仕様車も

――「プリマベーラ」「GTS」いずれのモデルも特徴がわかりやすく、それぞれの良さがありました。

 

河野:「プリマベーラ」「GTS」いずれのモデルも、これまでのベスパのテクノロジーが全て反映されており、最新の走りを楽しむことができると思います。また、「プリマベーラ」「GTS」ともに、75周年記念の特別仕様車を用意しています。限定販売ですので是非こちらにもご注目していただきたいです。

↑プリマベーラ、GTSの75周年記念特別仕様車。主に外装面での変更ですが、興味のある方は是非チェックを

 

――すでにイタリア本国では電動ベスパも登場しているようですが、75周年以降のベスパの動向にも期待ですね。

 

河野:これからもベスパの伝統を重んじながら、時代に合わせたモデルをご提供させていただければと思っています。

↑旧式ベスパから受け継がれる、オプションの可変式キャリアは最新モデルでも健在。バインダー用に物を挟むことができます

 

↑使うのがもったいなくなりそうにも感じるオプションの皮のバッグと車体購入特典のピクニックバッグ。こういった遊び心もベスパならでは

 

気になる最新モデルの価格は、プリマベーラが59万4000円(税込)、GTSが85万8000円(税込)。国産同クラスのスクーターに比べれば少々高めですが、その分、他では味わうことができない乗り心地を体験できます。購入を視野に入れる場合は、是非販売店などで試乗し比べてみてはいかがでしょうか。

 

撮影/我妻慶一

 

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今年で生誕75周年を迎えた世界一有名なスクーター・ベスパ。その知られざる歴史を辿る

イタリア・ピアッジオ社が生産するスクーター・ベスパ。1946年の初リリース以来、2021年で生誕75周年を迎えますが、これまでに世界114か国で販売、ライセンス生産をされていることから、「世界で一番有名なスクーター」として知られています。

 

映画「ローマの休日」(1953年)で、主演のオードリー・ヘプバーンがまたがり、日本では名ドラマ「探偵物語」(1979年)で、主演の松田優作が愛用。また、イギリスの1950〜1960年代のモッズカルチャーアイテムとして、その造形とカルチャーとの親和性から「オシャレなバイク」として今もなお根強い支持を得ています。そこで、ベスパ75周年を迎えた今、ピアッジオグループ・ジャパンPR 河野僚太さんにその歴史と合わせて、知られざる逸話を聞きました。

 

航空技術を反映させながら「スカートでも乗れる」斬新なモビリティだった!

--まず、イタリア・ピアッジオ社が製造・販売するスクーター、ベスパの成り立ちからお聞かせください。

 

河野僚太さん(以下、河野):そもそもピアッジオ自体は、1886年創業で船の建具などを作る会社でした。そこから発展し鉄道車両を作ったり、第一次世界大戦では飛行機も製造するようになりました。第二次世界大戦の頃になると、イタリアを代表する飛行機メーカーに飛躍しましたが、敗戦を迎えます。

 

戦後、敗戦国の工業メーカー・ピアッジオも再出発を図ることになったわけですが、今風の言葉で言えば「新しいモビリティを提案していきたい」という思いから二輪車の製造を考えました。しかし、戦後の貧しい時代です。「多くの人に乗ってもらえるような庶民的なモビリティを」という思いからベスパというスクーターにたどり着いたようです。

 

--ベスパ以前の時代には「スクーター」という乗り物はあったのでしょうか。

 

河野:あったと聞いています。もともとのスクーターの起源は、戦時中、落下傘のパラシュート部隊が敵地に降りた際に、その場で移動するための組み立て式のエンジン付きバイクだったようです。

 

そういった従来のスクーターから発想を得て開発したのがベスパですが、随所に航空技術が取り入れられています。まず、ボディはスチールモノコックボディというもので、ボディそのものがフレーム構造になっています。

 

――従来の二輪車は、パイプフレームがベースに作られ、その上にボディが乗りますが、ベスパの場合はボディ自体がフレームになっていると。

 

河野:そうです。また、フロントサスペンションが飛行機の着陸装置であるランディングギアの構造と同じで、通常の二輪車のように2本でタイヤを支えるのではなく、片側のみで支えています。なぜこのような構造にしているかと言うと、当時のイタリアは道路状況が悪く、よくパンクすることからタイヤ交換をしやすくするためだったそうです。

 

さらに、エンジンとリアタイヤをユニットにすることで、乗車する人に油などが飛んでこないように工夫しました。これが後のスクーター全般に用いられる構造の礎となったもので、革命的な開発だったと考えています。

↑1949年のイタリアでのベスパ工場。本文にもある通り、パイプを持たないフレーム構造であり、スチールボディそのものがフレームとなっています

 

↑1949年のフランスでのベスパの広告。ベスパの楽しみ方が紹介されています

 

↑1950年代には ヨーロッパだけでなくベスパは世界各国で販売またはライセンス生産を拡大。世界五大陸にはベスパが必ず走っている状態に

 

↑1966年のイタリアでのベスパ工場。発売から20年でベスパは多くの人々に浸透し、同時にモデル自体も進化していきました

 

旧式ベスパはギアチェンジを手で行う……その理由とは?

--ベスパは2000年代の大幅リニューアルまで、大半のモデルがギア式、しかも左手でギアをチェンジさせる独特の機構でした。なぜ、このような機構になったのでしょうか。

 

河野:構造上の理由もあったはずですが、やはり「女性でもギアチェンジができる」ということがあったようです。通常、ギア付きの二輪車は、足でギアチェンジをするわけですが、女性がスカートを着て、ヒールを履いていた場合にギアチェンジができません。このことから「ギアチェンジは足ではなく手でやろう」という形になったと聞いています。

↑女性でも二輪車にまたがれることを実現したベスパ

 

 

デザインの良さだけでなく、機構自体の評価が高まった時代

――ベスパの誕生が1946年。それから7年後の1953年には映画「ローマの休日」に採用されて世界中に存在が知れ渡たり、モビリティそのものの評価も高まったそうですね。

 

河野:はい。1950年代には、ライセンス生産を行っていたフランスのモデルを転じた軍用ベスパなどもありました。同じく1950年代、イタリアで6日間ぶっ通しでエンデューロ(未舗装)でのラリーを行うレースでオフロードバイクに混ざってベスパも参加し、優勝しました。

 

また、1980年にはパリ・ダカールにフランスのプライベートチームが4台のベスパで参加し、そのうち1台が完走を果たしたりと、機構面での評価を得てきました。

 

――それだけ頑丈で汎用性の高いスクーターだったとも言えそうですね。

 

河野:独特の機構ではありますが、構造がシンプルでメインテナンスをしやすいところが大きな魅力で世界中に広まっていったのだと個人的には思います。

 

――ベスパは時代を経て進化を遂げていきます。特に「庶民の足」だったところに、スピードを求めるようなモデル、あるいは小型モデルなども続々と登場します。この経緯はなんだったのですか?

 

河野:スポーツモデルが出始めたのは1960年代ですが、ベスパというモビリティが浸透したこと、そしてレースなども盛んになった影響だと思います。また、同じ1960年代には、50ccの小型モデルが誕生しましたが、これは当時のイタリアで、免許がなくても14歳から50ccバイクに乗ることができたからだと聞いています。日本で言うところの原付のカテゴリーですが、この50ccのベスパ誕生によって、販売台数が伸び、若者文化と合わせてさらに浸透していったようです。

↑歴代ベスパの中でも、今でも人気が高いGS(フランスポルト・1962年)。スポーツモデルであり、モッズたちも多く愛用したことで知られています

 

↑若年層のユーザーを意識した50ccなどのいわゆるスモールボディの広告

 

↑ベスパの浸透はアジア圏でも(写真はタイのディーラーの広告)。インド、タイ、ベトナム、台湾などでライセンス生産が行われており、各国では今なおベスパクラブなどが存在します

 

↑綺麗な流線形が特徴だったベスパですが、1977年以降、随所にシャープなデザインを用いたモデルも登場

 

ベスパの長い歴史の中で、大転換期だった1996年

――以降、世界114か国で販売またはライセンス生産されるなど、世界中にベスパが広まっていきました。その中の50年間は2サイクルエンジンを採用していましたが、1996年はオートマチックの4サイクルモデルに。ガラッと印象が変わりました。

 

河野:たしかにそれまでのベスパは、デザイントレンドを反映したリニューアルは何度か行ってきましたが、1996年は大きな転換期でした。

 

その理由は、スクーターはオートマチックが当たり前の時代になっていたことがあります。1984年にPK125オートマティカというオートマチックモデルも出していますが、この1996年にCVTのトランスミッションの4サイクルエンジンを採用して、全体的なリニューアルを行ったというわけです。ただ、当初のベスパならではの特徴であるスチールモノコックボディ、フロント片持ち、エンジンとリアタイヤのユニットなどは継承しています。

↑大変革となった1996年以降、ベスパは4サイクルのオートマチックモデルになりました

 

現在の日本市場にあるベスパは、イタリア製ではない!?

――現在、日本国内に輸入されているベスパはイタリア製のものでしょうか? 一時、日本でのベスパはイタリア製と台湾製が混在している時代もあったようですが。

 

河野:現在我々が輸入しているのは、実はベトナム製のベスパです。ファンの方によっては「イタリアじゃないとイヤだ」と言う方もいますが、実はベトナム工場のほうがシステムが新しく、また民族性なのか真面目なので、完成度はイタリアよりも上なんです。また、日本との距離もイタリアに比べれば近いため、タイムリーに輸入することができます。この点、弊社としては「メリットしかない」と考え輸入していますので、どうか安心してお買い求めいただきたいですね。

 

イタリア本国ではすでに電動ベスパも登場!?

――また、近年は四輪・二輪ともガソリン車廃止が叫ばれており、電動モビリティが注目を浴びています。今年で75周年を迎えたベスパですが、電動化の取り組みなども意識されているのでしょうか。

 

河野:実はイタリア本国では、電動ベスパがすでに発売しています。日本のカテゴリーに合わないため、現時点では日本での販売はありませんが、EV化ももちろん視野に入れて、時代ごとの基準やニーズに合わせながら進化していっています。

 

現在、日本に輸入し販売しているベスパは正直を言うと、当初の輸入台数よりも注文のほうが多く、台数が足りていない状態です。これだけの支持をいただいている理由はやはりベスパが常に「変わり続けるべきもの」「変えてはならないもの」のバランスを取りながら進化していったからだと自負しています。この姿勢は今後も変わらないと思います。

 

環境も含め、時代ごとに様々なニーズに応えながら、いつも多くの人にとっての足となれるようなモビリティであり続けてほしいと個人的には思っています。

↑現行モデルの中で乗り味が安定し、タフネスでもあるというGTS Super。もちろん当初のベスパのコンセプトである「女性でも乗れる」スクーターであることには変わりがありません

 

ベスパの生誕75周年の知られざる歴史。一見すれば「ずっと変わらない」ことが魅力のベスパのようにも見えますが、実は静かに進化し続けていたことが分かりました。

 

また、ピアッジオ・ジャパンではこの75周年を記念した2モデルを販売予定。この試乗レポートも引き続き後編で行う予定です。どうぞお楽しみに!

 

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今年で生誕75周年を迎えた世界一有名なスクーター・ベスパ。その知られざる歴史を辿る

イタリア・ピアッジオ社が生産するスクーター・ベスパ。1946年の初リリース以来、2021年で生誕75周年を迎えますが、これまでに世界114か国で販売、ライセンス生産をされていることから、「世界で一番有名なスクーター」として知られています。

 

映画「ローマの休日」(1953年)で、主演のオードリー・ヘプバーンがまたがり、日本では名ドラマ「探偵物語」(1979年)で、主演の松田優作が愛用。また、イギリスの1950〜1960年代のモッズカルチャーアイテムとして、その造形とカルチャーとの親和性から「オシャレなバイク」として今もなお根強い支持を得ています。そこで、ベスパ75周年を迎えた今、ピアッジオグループ・ジャパンPR 河野僚太さんにその歴史と合わせて、知られざる逸話を聞きました。

 

航空技術を反映させながら「スカートでも乗れる」斬新なモビリティだった!

--まず、イタリア・ピアッジオ社が製造・販売するスクーター、ベスパの成り立ちからお聞かせください。

 

河野僚太さん(以下、河野):そもそもピアッジオ自体は、1886年創業で船の建具などを作る会社でした。そこから発展し鉄道車両を作ったり、第一次世界大戦では飛行機も製造するようになりました。第二次世界大戦の頃になると、イタリアを代表する飛行機メーカーに飛躍しましたが、敗戦を迎えます。

 

戦後、敗戦国の工業メーカー・ピアッジオも再出発を図ることになったわけですが、今風の言葉で言えば「新しいモビリティを提案していきたい」という思いから二輪車の製造を考えました。しかし、戦後の貧しい時代です。「多くの人に乗ってもらえるような庶民的なモビリティを」という思いからベスパというスクーターにたどり着いたようです。

 

--ベスパ以前の時代には「スクーター」という乗り物はあったのでしょうか。

 

河野:あったと聞いています。もともとのスクーターの起源は、戦時中、落下傘のパラシュート部隊が敵地に降りた際に、その場で移動するための組み立て式のエンジン付きバイクだったようです。

 

そういった従来のスクーターから発想を得て開発したのがベスパですが、随所に航空技術が取り入れられています。まず、ボディはスチールモノコックボディというもので、ボディそのものがフレーム構造になっています。

 

――従来の二輪車は、パイプフレームがベースに作られ、その上にボディが乗りますが、ベスパの場合はボディ自体がフレームになっていると。

 

河野:そうです。また、フロントサスペンションが飛行機の着陸装置であるランディングギアの構造と同じで、通常の二輪車のように2本でタイヤを支えるのではなく、片側のみで支えています。なぜこのような構造にしているかと言うと、当時のイタリアは道路状況が悪く、よくパンクすることからタイヤ交換をしやすくするためだったそうです。

 

さらに、エンジンとリアタイヤをユニットにすることで、乗車する人に油などが飛んでこないように工夫しました。これが後のスクーター全般に用いられる構造の礎となったもので、革命的な開発だったと考えています。

↑1949年のイタリアでのベスパ工場。本文にもある通り、パイプを持たないフレーム構造であり、スチールボディそのものがフレームとなっています

 

↑1949年のフランスでのベスパの広告。ベスパの楽しみ方が紹介されています

 

↑1950年代には ヨーロッパだけでなくベスパは世界各国で販売またはライセンス生産を拡大。世界五大陸にはベスパが必ず走っている状態に

 

↑1966年のイタリアでのベスパ工場。発売から20年でベスパは多くの人々に浸透し、同時にモデル自体も進化していきました

 

旧式ベスパはギアチェンジを手で行う……その理由とは?

--ベスパは2000年代の大幅リニューアルまで、大半のモデルがギア式、しかも左手でギアをチェンジさせる独特の機構でした。なぜ、このような機構になったのでしょうか。

 

河野:構造上の理由もあったはずですが、やはり「女性でもギアチェンジができる」ということがあったようです。通常、ギア付きの二輪車は、足でギアチェンジをするわけですが、女性がスカートを着て、ヒールを履いていた場合にギアチェンジができません。このことから「ギアチェンジは足ではなく手でやろう」という形になったと聞いています。

↑女性でも二輪車にまたがれることを実現したベスパ

 

 

デザインの良さだけでなく、機構自体の評価が高まった時代

――ベスパの誕生が1946年。それから7年後の1953年には映画「ローマの休日」に採用されて世界中に存在が知れ渡たり、モビリティそのものの評価も高まったそうですね。

 

河野:はい。1950年代には、ライセンス生産を行っていたフランスのモデルを転じた軍用ベスパなどもありました。同じく1950年代、イタリアで6日間ぶっ通しでエンデューロ(未舗装)でのラリーを行うレースでオフロードバイクに混ざってベスパも参加し、優勝しました。

 

また、1980年にはパリ・ダカールにフランスのプライベートチームが4台のベスパで参加し、そのうち1台が完走を果たしたりと、機構面での評価を得てきました。

 

――それだけ頑丈で汎用性の高いスクーターだったとも言えそうですね。

 

河野:独特の機構ではありますが、構造がシンプルでメインテナンスをしやすいところが大きな魅力で世界中に広まっていったのだと個人的には思います。

 

――ベスパは時代を経て進化を遂げていきます。特に「庶民の足」だったところに、スピードを求めるようなモデル、あるいは小型モデルなども続々と登場します。この経緯はなんだったのですか?

 

河野:スポーツモデルが出始めたのは1960年代ですが、ベスパというモビリティが浸透したこと、そしてレースなども盛んになった影響だと思います。また、同じ1960年代には、50ccの小型モデルが誕生しましたが、これは当時のイタリアで、免許がなくても14歳から50ccバイクに乗ることができたからだと聞いています。日本で言うところの原付のカテゴリーですが、この50ccのベスパ誕生によって、販売台数が伸び、若者文化と合わせてさらに浸透していったようです。

↑歴代ベスパの中でも、今でも人気が高いGS(フランスポルト・1962年)。スポーツモデルであり、モッズたちも多く愛用したことで知られています

 

↑若年層のユーザーを意識した50ccなどのいわゆるスモールボディの広告

 

↑ベスパの浸透はアジア圏でも(写真はタイのディーラーの広告)。インド、タイ、ベトナム、台湾などでライセンス生産が行われており、各国では今なおベスパクラブなどが存在します

 

↑綺麗な流線形が特徴だったベスパですが、1977年以降、随所にシャープなデザインを用いたモデルも登場

 

ベスパの長い歴史の中で、大転換期だった1996年

――以降、世界114か国で販売またはライセンス生産されるなど、世界中にベスパが広まっていきました。その中の50年間は2サイクルエンジンを採用していましたが、1996年はオートマチックの4サイクルモデルに。ガラッと印象が変わりました。

 

河野:たしかにそれまでのベスパは、デザイントレンドを反映したリニューアルは何度か行ってきましたが、1996年は大きな転換期でした。

 

その理由は、スクーターはオートマチックが当たり前の時代になっていたことがあります。1984年にPK125オートマティカというオートマチックモデルも出していますが、この1996年にCVTのトランスミッションの4サイクルエンジンを採用して、全体的なリニューアルを行ったというわけです。ただ、当初のベスパならではの特徴であるスチールモノコックボディ、フロント片持ち、エンジンとリアタイヤのユニットなどは継承しています。

↑大変革となった1996年以降、ベスパは4サイクルのオートマチックモデルになりました

 

現在の日本市場にあるベスパは、イタリア製ではない!?

――現在、日本国内に輸入されているベスパはイタリア製のものでしょうか? 一時、日本でのベスパはイタリア製と台湾製が混在している時代もあったようですが。

 

河野:現在我々が輸入しているのは、実はベトナム製のベスパです。ファンの方によっては「イタリアじゃないとイヤだ」と言う方もいますが、実はベトナム工場のほうがシステムが新しく、また民族性なのか真面目なので、完成度はイタリアよりも上なんです。また、日本との距離もイタリアに比べれば近いため、タイムリーに輸入することができます。この点、弊社としては「メリットしかない」と考え輸入していますので、どうか安心してお買い求めいただきたいですね。

 

イタリア本国ではすでに電動ベスパも登場!?

――また、近年は四輪・二輪ともガソリン車廃止が叫ばれており、電動モビリティが注目を浴びています。今年で75周年を迎えたベスパですが、電動化の取り組みなども意識されているのでしょうか。

 

河野:実はイタリア本国では、電動ベスパがすでに発売しています。日本のカテゴリーに合わないため、現時点では日本での販売はありませんが、EV化ももちろん視野に入れて、時代ごとの基準やニーズに合わせながら進化していっています。

 

現在、日本に輸入し販売しているベスパは正直を言うと、当初の輸入台数よりも注文のほうが多く、台数が足りていない状態です。これだけの支持をいただいている理由はやはりベスパが常に「変わり続けるべきもの」「変えてはならないもの」のバランスを取りながら進化していったからだと自負しています。この姿勢は今後も変わらないと思います。

 

環境も含め、時代ごとに様々なニーズに応えながら、いつも多くの人にとっての足となれるようなモビリティであり続けてほしいと個人的には思っています。

↑現行モデルの中で乗り味が安定し、タフネスでもあるというGTS Super。もちろん当初のベスパのコンセプトである「女性でも乗れる」スクーターであることには変わりがありません

 

ベスパの生誕75周年の知られざる歴史。一見すれば「ずっと変わらない」ことが魅力のベスパのようにも見えますが、実は静かに進化し続けていたことが分かりました。

 

また、ピアッジオ・ジャパンではこの75周年を記念した2モデルを販売予定。この試乗レポートも引き続き後編で行う予定です。どうぞお楽しみに!

 

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必携グッズから注意点まで「夏の鉄道撮影」で気をつけたい5つのこと

〜〜緊急提言 : 夏の鉄道撮影の安全を考察〜〜

 

梅雨が明け、ようやく青空バックの写真が撮れると、勇んで撮影に出かける方も多いのではないだろうか。ちょっと待った! あなたの夏対策は大丈夫?

 

夏の暑さは年々厳しさを増しているように感じる。しっかり対策をして出かけないと、熱中症で倒れるなど生命の危険がある。今回は、夏の鉄道撮影に関して考えてみたい。

 

【はじめに】猛暑は危険! 大きなお世話と考えないで

2021(令和3)年7月19日〜25日にかけて、梅雨明けと同時に熱中症で救急搬送された人の数は8122人(速報値)に上った(総務省消防庁発表より)。

 

大半が高齢者でしょ…と思われるかも知れない。実際に高齢者(満65歳以上)が57.1%と多いことは確かなのだが、成人と少年の割合もかなり多く、合計で41.2%にもなる。発生場所は住居が42.3%でトップだが、継いで道路が18.4%、公衆(屋外)が10.7%と続く。高齢者だけでなく、若い年代の人たちも屋外で熱中症による救急搬送という割合が予想以上に多いということになる。

 

そういう筆者も過去に救急搬送まではいかなかったものの、鉄道撮影中にくらくらっとしたことが何回もあり、暑さを甘くみてはいけないと感じている。

 

【夏の鉄道撮影①】熱中症の予防はまず帽子!

下の写真はとある撮影地での様子だ。目標とする列車が来るまでの状況だが、熱さ除けに最適ということもあり日陰で待つのは良いことなのだが、直射日光から頭を守る帽子をかぶっている人たちを、あまり見かけなかった。中高年以上の人はかぶっている人が目立ったものの、若い世代は、ほぼ皆無といった状況だった。

↑夏の盛り某撮影地での状況。若い世代に帽子をかぶる人があまりいないことが分かる *写真は加工修正しています

 

政府広報にもあるが、熱中症対策のポイントとして「涼しい服装を心がけ、外に出る際は日傘や帽子を活用しましょう」とある。鉄道を撮影する人は圧倒的に男性が多いので、日傘(後述)は照れ臭いとして、帽子をなぜかぶらないのか疑問だ。帽子さえかぶっていれば大丈夫というわけではないが、有効な予防策にはなる。自分だけは大丈夫という思い込みが、実は非常に恐ろしい。

 

そういう筆者も鉄道撮影に熱中し始めたころには、帽子なんか、と見くびっていた。しかし、プロのカメラマンに同行してみると、夏はやはり帽子をかぶっている人が大半だった。

 

今では筆者も、撮影時には常に帽子をかぶり身体を守るようにしている。頭で直射日光を浴びると、急激な体温上昇から熱中症を招く一つの要因にもなる。さらに脳の温度があがり、冷静な判断ができない状態になるように感じられる。やはり熱中症の“防止”には“帽子”が一番である。

 

筆者の場合、帽子をかぶることによって、これから撮影を始めるのだという“戦闘モード”に入ることができるのも、見逃せない効用だと感じている。夏以外にもオールシーズン帽子をかぶっていて、いつの間にか家は帽子だらけになってしまった。下の写真は、その一部だ。

↑つば付きの帽子ならば、撮影の邪魔にならない。強風や、列車の通過時に帽子が飛ばされないようにヒモがついていると万全だ(左下)

 

参考になればと思い家にある帽子を並べたが、数の多さに本人もびっくり。キャップタイプの帽子よりも、まわりにつばが付くタイプを好んでかぶっている。キャップだと、カメラのファインダーを覗いた時にどうしても帽子をあげ気味にして撮影しなければならないが、つば付きならば、カメラを構えた時にも邪魔にならない。

 

帽子をかぶっていると、列車の通過時や、風が吹く日には、飛ばされてしまうことがある。そのため筆者は、ひも付きを愛用している。ちなみに最近は、アウトドア用品店などで、ひもを後付けできるタイプも少なくない。

 

◆帽子とともに水分補給が欠かせない

筆者が帽子とともに夏の鉄道撮影で大切にしているのが水分補給である。夏以外はそれほど水分を必要としないことが多いが、気温が30度近くになる日には積極的に水分補給が必要である。

 

熱中症を予防するためには、帽子や日傘とともに、水分補給が効果的という専門家の意見が多い。ちなみに持参するのは、ふだん飲み慣れている飲み物(糖質が含まれているもの)と、より気温が高まりそうな日には、もう一本、スポーツドリンクを持ち歩くようにしている。

 

日本スポーツ協会では、汗をかいた日には0.1〜0.2%の食塩と4〜8%の糖質を含んだものの摂取が効果的としている。30度以上になる日には、発汗量も高まるので、我慢せずにどんどん飲んだほうが良いと筆者は感じている。

 

【夏の鉄道撮影②】落雷、ダニ、ハチ。予期せぬ危険が身に迫る

長く撮影していると、夏場は危険なことに遭遇することも多い。私も夏の“失敗談”に事欠かない。やや恥ずかしい事例も含めて、危険な例として挙げておこう。

 

◆傾斜地の朝露に気付かず滑って側溝へドボン

寝台列車が盛んに走っていたころのこと。早朝、誰よりも早く撮影地へ出かけ、急いで準備開始。ところが、ポイント近くの傾斜地が朝露で濡れていて、見事に足を取られて側溝へドボン! 手に持っていたカメラが水没し使用不能になったばかりか、転げ落ちた時に腰をしたたか打ち、背骨を圧迫骨折してしまった。なんとか立ち上がって、帰ることができたから良いものの、後から考えればぞっとする出来事だった。

 

以来、滑りやすい朝露に注意することと、列車が近づいてきても、決して「焦るな」という教訓が胸に刻まれた。

 

◆雷の音が近づいてきたらすぐに避難

JR成田線の有名撮影地でのこと。209系を試し撮りして、さあこれから本番というところで、一天にわかにかき曇り、雨が降りだしさらに雷鳴が聞こえる。周囲は何もない水田地帯で、雨やどりの場所もない。ここで傘をさして粘ろうか迷った。

↑目的の列車の前に試し撮りの一枚。雲が厚く暗くなってきた。そしてこのあと土砂降りに。撮影をあきらめ後方の陸橋下へ逃げ込んだ

 

こうした状況での判断は非常に難しい。この時には機材を持って一目散に陸橋の下に逃げ込んだ。そのあと本降りに。案の定、近くで“ずどーん”という音と共に稲妻が光った。どこに落ちたかは確認できなかったが、近くだったようだ。あのまま立っていたら、ずぶぬれどころでは済まなかったかも知れない。ぞっとする経験だった。

↑成田線といえばEF64が牽く貨物列車が走り人気だった。雨と雷も去り、列車が来るころには晴れ間も。とはいえ背景の雲がかなり怪しい

 

◆北海道ではダニにご注意

これも寝台列車が走っていたころのお話。毎年のように日が長くなる初夏、北海道へ出かけ、早朝に道内へ入ってくる列車を撮影した。道内の撮影地の場合、草をかき分けて行き着くポイントも多く、たいして対策もとらずに荒れ地へ入っていった。撮影は無事に終了し、帰宅したのだが、数日後に体が痒くて耐えきれなくなってしまった。腕には、得体の知れない発疹が。加えて小さな穴が開いているようにも見える。その後数か月にわたって、皮膚科へ通うことになった。原因は草地に潜むダニとのことだった。

 

そこでの教訓。草をかきわけ荒れ地に入る場合は、長ズボンはもちろん(ズボンの下から潜り込んで肌に噛みつく虫すらいる)、肌を露出させないように長袖シャツは着た方が絶対に良い。国内には致死率6〜30%というマダニが生息するという。こうしたマダニは主に草むらに潜む。後から考えればなんと無謀なことをやったのだろう、と反省したのだった。

 

◆スズメバチにはご用心

こちらも茂みの中での出来事。撮影準備をしていたら、やたら羽音がしてくる。巣がすぐ近くにあったらしく、黄色と黒の大きなスズメバチがぶんぶん飛びかっている。スズメバチの活動期は4月〜11月と長い。夏は彼ら最大の活発期である。撮影はほどほどにして、刺激しないように静かに逃げ帰ったのだった。

 

怖い話を聞いたことがある。私の大先輩にあたる鉄道カメラマンが、スズメバチに刺されてこん倒してしまったのだ。その時は幸いにも同行した僚友がいて、すぐに救急車を呼び、事なきを得たが、一人だったらダメだったろう、という話を聞いた。

↑ある撮影地でのひとこま。シジミチョウに好かれるぐらいならご愛嬌だが、ハチには仲良くされたくないものだ

 

スズメバチも怖いが、自然界でさらに怖いのは熊だろう。最近は、東北や北海道の住宅街での出没情報を耳にする。人里離れたところで遭遇するケースが多く、そのような撮影地に行く時には、熊よけの鈴の持参はもちろん、ラジオを大きな音でかけて歩くのが効果的だとされる。人里離れたところでの単独行は、避けたほうが良いだろう。

 

【夏の鉄道撮影③】撮影機材はなるべくコンパクトにまとめる

筆者は最近、クルマでの撮影を極力避けるようにしている。以前はクルマ利用派だったのだが、どのような場所に停めても地元の人たちに迷惑をかけかねないし、また普段の運動不足を補うためにも、駅から撮影地まで歩くことにしている。特にコロナ禍になり在宅勤務となってからは、平日は外に出ないことが多いため、鉄道撮影時ぐらいは思う存分に歩きたい。

 

鉄道を使うことにより、対価を支払って、コロナ禍で苦闘する鉄道の営業面に少しでも貢献ができればと思う。鉄道好きにとってそれが恩返しではないだろうか。コロナ禍もあり、列車が空き気味で利用しやすい側面もある。

 

ちなみに駅のホーム等では撮影しない。というよりも、写真を商業利用している立場(専業ではないものの)ということもあり、駅ホーム等の鉄道敷地内での撮影はご法度だ。敷地内で撮る場合には許可が必要となる。また一般利用者に迷惑をかけるため極力避けている。よって駅間の撮影地へ行くことになっている。

 

駅間での撮影と簡単に言うものの、暑い季節はつらい。何より撮影機材の持ち歩きが身体にこたえる。そのために、ここ数年はなるべく機材を減らす工夫をしている。

↑映像用の三脚とビデオカメラ、その下にカメラバック、そして100円均一で買った踏み台。左のバックは三脚などを入れるために持参

 

最近の持ちものを撮ったのが上の写真。もう少し整理して撮ればと思うのだが、暑い時は、つい横着になりがちである。カメラバックにはカメラボディと標準ズーム、望遠ズームの各1本が入っている。さらに走行の映像を提供する機会が多いため、カメラの横でビデオカメラを構える。映像用にはコンパクトに折り畳める三脚を持参する。カメラ用の三脚は持っていかない。これだけあれば、十分に撮影可能というスタイルだ。

 

ちなみに鉄道専門のプロカメラマンの場合には、もう少し持ち物が多くなる。とはいえ、プロのカメラマンが言うには、機材というのは、欲をかけば欲をかくだけ増えていく、とのこと。割り切って減らせば、それほど多くなくとも撮れるとのことだ。そんな言葉の影響もあり機材はなるべく少なめにして、できるかぎりスタミナを消耗しないように心がけている。

 

◆100円均一の踏み台が一つあると便利

写真に入っている100円均一の踏み台は、一つ持っていると便利だ。まずは待ち時間に座って過ごせる。さらに脚立がわりになる。クルマだったらアルミの脚立を持っていけるが、歩いて撮影場所に向かうようになって必需品となった。壊れやすいのが難だが、安いだけに買い替えが可能だ。選び方としてはまずコンパクトであること。カメラバックの後ろポケット部分に入るものを選んでいる。あとは頑丈そうなもの。落ち着いた色のものを選ぶようにしている。

 

◆暑さから逃れ、さらに機材を守る意味もある折り畳み傘

↑カメラバックなどに直射日光を当てないように折り畳み傘を利用する。最近は軽くコンパクトで丈夫な傘が販売されていて便利だ

 

暑い時には身体を冷やす工夫をすると、熱中症の予防に効果的だ。筆者の場合には、まずは撮影地近くに日陰があれば利用する。日なたと日陰だと実は気温差がないのだが、照り返しの温度にかなり差があり、路面温度差は20度にもなるといわれる。これは役立てない手はない。とはいえ付近に日陰がない場合にはどうしたら良いのか。

 

鉄道撮影を趣味としている人の90%以上が男性だと思われる。女性の場合は日傘で暑さ対策はふつうだが、男性で日傘を愛用という人はさすがに珍しい。ただ、筆者の場合には折り畳みの傘を日傘代わりに利用していて、降水確率に関係なく持参している。昨今ではアウトドアショップで、軽くコンパクトな傘を販売している。これならば余計な荷物にならない。

 

日陰のないところでは、折り畳み傘を臆面もなく広げることにしている。自分の体温を上げずに済むし、カメラ機材を直射日光から守ることにもなる。カメラ機材は低温に弱いが、実は高温にも弱い。クルマの車内に置きっぱなしなどは、非常に危険だが、屋外であっても直射日光が長く当たることにより誤動作の元になったりする。折り畳み傘は、こんな時にもある程度の対策になるのだ。

 

◆真夏にあればいいなと思う便利グッズ

真夏の撮影での便利グッズを写真にまとめた。あくまで筆者の持ちものなので、それぞれの撮影様式に合わせて用意していただければと思う。

↑撮影機材以外に真夏に持っていきたいグッズ類。この中でファン付きベストはあれば便利だが、かさばり気味で持ち歩くのが厄介

 

①ボトルケース:カメラバックの留め具で吊るすことができるタイプが利用しやすい。日本国内では自販機が多くあり助かるが、撮影前に必ずペットボトル飲料1本は購入しておき、同ケースで持ち歩くことにしている。

②虫よけスプレー:夏には欠かせない。蚊などは茂みなどで出てきやすいので、腕などに事前にスプレーしておきたい。

③日焼け止め:撮影には持参しないが、外出前に顔、腕、首すじにぬっておくと良い。

④折り畳み傘:急な雨、さらに日陰が無いところで日傘として利用。カメラ機材を直射日光から守るためにも役立つ。

⑤携帯用バッテリー:夏用ではないが、新幹線の形をした携帯用バッテリーは細長くカメラバックに入れやすいので重宝している。

⑥携帯食:駅間は食事できる場所がないことが多い。小腹が空いた時に持っていると便利。ただ暑い日には溶け出すものがあり、夏場には注意して選びたい。

⑦飴(塩入り):汗が出た後の塩分補給に効く。数粒もっていけば十分。

⑧スポーツタオル:汗拭き用にあると便利。大きめのタオルに比べ細長いので首回りにかけても邪魔にならない。また首筋の日焼け止めにもなる。

⑨ファン付きベスト(空調服):屋外で働く人向けの夏着として販売され一躍人気に。身体自体をファンで冷やしてくれる。バッテリーは結構もつ。

⑩鉄印帳:夏にどうしても、というものではもちろんない。第三セクター鉄道を乗りに行く時には必須アイテム。

 

◆駅間撮影の時にはレンタサイクルがあると便利

↑レンタサイクルがあると夏期の撮影に便利。さらに電動機付きならば坂道にも強く鬼に金棒だ

 

歩くことを習慣にしている筆者ながら、さすがに真夏は歩く距離を短くしたい。暑いなか、汗をかきかきの徒歩移動は歩くだけで疲れきってしまう。そこで駅から遠めの撮影場所へ行く時には、レンタサイクルを借りるようにしている。行動範囲が広がるし快適。暑さによる体力消耗も防げて一挙両得だ。

 

【夏の鉄道撮影④】一番の障害は沿線の伸び放題の“夏草”

夏場の撮影で、暑さとともに困るのが沿線の雑草の伸び具合ではないだろうか。筆者もクルマで行動する時には、下草刈り用の道具を持参し、撮影の前に雑草を刈ったりしたこともある。

 

今はそうした処理をしてまで撮影する鉄道ファンをあまり見かけないが、寝台列車が走っていたころには有名撮影地ではそうした光景がよく見られた。もちろん、撮影の邪魔だからといって、他人の家の庭木の枝を切る、また地元の人たちに大切にされている木の枝を切るなどの行為はご法度。あくまで鉄道用地の外の雑草の除去である。

↑ここまで雑草が生い茂ると、撮影には不向きになってしまう。有名なポイントでも夏場は撮影できないところも多い

 

さすがに歩きではそうした道具を持ち運ぶことができない。そこで筆者がやっているのが、事前にロケハンをしておくこと。電車に乗る時には、撮影したい沿線の下草の具合を確認しておくのだ。各地の路線では必ず雑草を刈ったばかりのところがあって、そうしたところが撮影地に適している。

 

あとは、数本のみ長くのびた雑草は折って除去しておくなどして事前に撮影の準備をしておきたい。ただし、その場合もあくまで鉄道用地へ進入せずに、用地の外で目立つところの雑草のみに留めたい。たとえ雑草といえども用地に入っての草刈りはご法度であり、何よりも危険だ。

 

【夏の鉄道撮影⑤】歩いて巡ると土地それぞれの発見が楽しい

歩いて駅間の撮影地を目指すようになって、クルマでの移動では見逃しがちなことに出会うことが多い。線路沿いを歩いているうちに、ここでも撮影できるな、という撮影地を見つけることができる。

 

下の写真は本サイトで前回紹介した三岐鉄道三岐線沿線の田んぼで撮った写真だ。歩いていたらなんともシュールな案山子も出会った。ユーモアを持った農家の方々なのだろう。後ろに写り込んだ三岐線の踏切。遮断機が大きくてごつい造りだった。ひと時代前の手の込んだクラシックな姿のもので、全国で初めて目にしたものだった。

↑三岐鉄道三岐線保々駅近くの田んぼの光景。シュールな案山子の後ろにクラシックな遮断機が写り込む。こうした出会いもなかなか楽しい

 

夏場の歩きは大変だが、こうした新たな発見もまた鉄道撮影の楽しさであろう。ほかに猛暑に気をつけたいポイントをあげておこう。

 

◆35度以上の猛暑日の撮影はあきらめる

週末は、デスクワークでなまった体を鍛えるためにも撮影に行くことを常としている筆者だが、夏場に“撮影を控える”目安を一つ設けている。それは、最高気温35度以上になる日には撮影をあきらめるということである。

 

いくら撮影したい列車が走る予定でも、35度以上の猛暑日にはきっぱりあきらめている。どのように暑さ対策をしても、35度以上の猛暑は身体への負担が大きくなり、屋外での行動が有害以外の何ものでもないからだ。下手をすると、その場所で倒れる可能性もある。いくら水分を補っても無理だろう。

 

もちろん、35度以下なら大丈夫ということではない。撮影に行く場合は、上述したようにきちんと暑さ対策をした上で、体調の変化に気をつけながら行いたい。無理はしないことである。

 

そうした日に鉄道を楽しむとしたら、ひたすら乗ることではないだろうか。冷房の効いた車内で涼み、風景を楽しむ。そんな日もあって良いように思う。

 

◆地元の人に出会ったら挨拶をしておきたい

鉄道撮影に関連する事柄として一つ。最近、撮影ポイントへ行って気付くのは「こんにちは」「おつかれさま」といった〝撮影仲間〟への声かけをする人が減っていること。なかなか言いだせない雰囲気があることも確かなのだが、同好の人々が集まっているのだから、ちょっと残念である。もちろん撮影直前まで、がやがやと会話に興じても集中力を欠くことになって具合が悪いのだが。

 

鉄道撮影に打ち込む人たちには、どちらかと言えば人付き合いが苦手というタイプが多いように感じる(筆者も含めて)。ただ、勇気をもって話をしてみてはどうだろう。有益な情報が得られる場合が非常に多い。もちろん自分が持つ情報も出すことが肝心だ。

 

さらに、筆者が実践しているのは、地元の人に道で出会ったら、かならず「こんにちは」と挨拶をしている(都市部は除く)。地元の人たちは他所から来た人に警戒心を抱きがちだ。そんな時に「こんにちは」とにこやかに挨拶をすれば、大半の人が「こんにちは」と返してくれる。こうした交流が“撮り鉄は変な人が多い”という誤解をやわらげるようになると思う。

 

次の撮影の時には、にこやかに挨拶をしてみてはいかがだろう。きっと爽やかな気持ちが心に芽生え、鉄道撮影がさらに楽しくなるように思う。

 

最後にあたり、都市部を中心に再び、新型感染症の感染者が増える傾向が強まっている。夏休み目前、撮影に行きたい気持ちが高まっている方も多いと思うが、ここは我慢も必要かと(筆者への戒めも含め)。慎重に行動していただければ幸いである。

車両がおもしろい!昭和レトロが楽しめる「三重県3路線」に乗る

 〜〜乗りたい&行きたいローカル線車両事典No.1〜〜

 

トップの写真を見て昭和期の西武鉄道なのでは? と思われた方もいるのではないだろうか。これは三重県を走る三岐鉄道三岐線の光景だ。三岐線ではこうしたレトロ感満点の風景に出会うことができる。

 

古い車両を大事に使っている路線が全国には数多く残っている。今回は昭和レトロが楽しめる三重県内を走る3路線を中心にお届けしたい。

 

【乗りたい三岐線①】始発駅で出会った古めかしい音

三岐鉄道(さんぎてつどう)三岐線は近鉄富田駅(きんてつとみだえき)〜西藤原駅間を結ぶ26.6kmの路線で、四日市街といなべ市の郊外を結ぶ。

 

旅客だけでなく貨物輸送が盛んで、首都圏で言えば、秩父鉄道の姿にやや近い。旅客列車は近鉄富田駅の3番線ホームから発車する。同じホーム上の2番線は近鉄名古屋線の名古屋方面のホームとなっている。近鉄と三岐鉄道がホームを共有しているのだ。ホーム上に両線を隔てる仕切りなどはなく、近鉄電車からすぐに乗り換えることが可能だ。

 

とはいっても近鉄で利用可能な交通系ICカードは、三岐鉄道路線内では使えない。近鉄から乗継ぎ、三岐鉄道に乗る場合には、近鉄富田駅までの切符を買い求めて、さらに三岐線内の降りる駅での精算をした方が賢明だろう。発車時間まで余裕があれば改札を一度出て、硬券切符を購入して乗車したい。

↑始発駅の近鉄富田駅に停まる三岐鉄道101系。ホームは近鉄名古屋線との共用で乗換えが便利。切符は昔ながらの硬券だ(右上)

 

近鉄富田駅に停まっていた電車は三岐鉄道101系。西武時代には401系だった電車である。停車している時から今の電車らしくない、コンプレッサーの甲高い音がする。グワグワグワッ……カランカラン。表現が難しいが、とにかく静かではないのだ。古い西武電車は旧式の部品を流用することが多く、それが三岐鉄道にやってきても活かされている。客室の床にも整備用のフタが設けられているなど、旧式タイプの電車らしい姿もしっかり残る。

 

昨今の大都市圏を走る電車では聞かれない音でもあろう。微振動が体にも伝わるようだ。ただ、中高年世代以上の鉄道好きにはとても懐かしく、また若い世代にはいかにも機械が動いている感覚で、新鮮な音に感じると思う。

↑今回紹介の三岐鉄道三岐線ほか2路線は、みなJR線、近鉄線から郊外へ向けて走っている

 

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【乗りたい三岐線②】西武鉄道の旧形電車ばかりとなった三岐線

三岐鉄道三岐線の電車は先の101系のほかにも801系(元西武701系)が主力となっている。どちらも1960年代から70年代にかけて西武の所沢車両工場で造られた車両だ。

 

旧西武の701系は、高度成長期に西武鉄道沿線で急増していた旅客需要に応えるべく造られた電車で、西武初のカルダン駆動方式を採用していた。だが、先頭の制御車の台車は国鉄の払下げ品を使うなど、経済性を重んじた電車でもあった。経済性を重んじたといえば聞こえは良いが、当時の西武は実に“しぶちん”だったわけである。現在の西武鉄道の車両とはだいぶ趣が異なっていた。

 

とはいえ、筆者はこの沿線で育ったこともあり、特有の乗り心地の悪さながら親しみがあったし、赤電塗装といわれるレトロカラーも好きだった。

↑保々駅の車庫に停まる赤電塗装の801系の横を、レモンイエローの801系が走り抜ける。1970年代の西武鉄道沿線を思い起こさせる光景だ

 

三岐鉄道の電車の通常塗装は黄色ベースで、車体下部にオレンジ色の太いラインが入る。

 

そんな三岐の標準塗装が、ここ数年変わりつつある。まずは801系の805編成が2018(平成30)年3月、黄色塗装(レモンイエロー)に塗り替えられた。黄色塗装といえば、西武では1969(昭和44)年に誕生した101系以降が黄色ベースの色づかいで、赤電塗装だった車両も徐々に黄色塗装に塗り替えられていった。西武の路線網から遠く離れた三岐鉄道で1970年代の西武当時の色が完全復活したのである。

 

さらに801系803編成が、2019(平成31)年4月に赤とベージュに塗り替えられた。西武鉄道では“赤電塗装”というリバイバル塗装に変わったのである。

 

三岐鉄道では、元西武701系ができた当時の色と、その後に塗り替えられた色の2パターンが走るようになったのだった。

 

ちなみに西武鉄道の中でもリバイバル塗装車は走っている。最も古参の新101系が“赤電塗装”や黄色ベースの塗装に塗り替えられた。とはいえ、西武鉄道好きにとっては、赤電塗装といえば、湘南形と呼ばれる正面の古い形を残した元西武701系こそが似合うと思う。

 

あとは三岐鉄道の車両がはいた台車が、旧西武の時とは異なるのだが、そこまで昔の姿を求めては酷というものだろう。

 

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↑旧三岐色に塗られた101系。1970年代までは三岐線の電車はこの深緑地ベースの黄色塗装というカラーで走っていた

 

赤電塗装と黄色塗装に関心が集まりがちだが、三岐線にはほかにも注目したい電車が走る。101系101編成が2020(令和2)年4月、地を深緑に窓部分を黄色に塗装変更されている。同カラーは旧三岐色と呼ばれる塗り分けで1970年代中盤までの三岐線の代表的な色づかいだった。

 

塗装だけでなくレアな編成もある。851系3両編成は、前後で形が異なる。近鉄富田駅側は801系と同一、西藤原駅側は西武の新101系となっている。2013(平成25)年の脱線事故で廃車となった車両の代わりに、元西武新101系を新たに連結したためである。

 

ほかに751系3両1編成が走るが、こちらは元西武新101系が譲渡されたものだ。大元の西武鉄道では現在、新101系の車両数が減りつつあるが、今後、三岐鉄道に元西武新101系が譲渡されていくのだろうか。一方で、三岐101系(元西武401系)は引退になるのだろうか。とても気になるところだ。

↑851系の先頭車は旧西武新101系、後ろ2両は旧西武701系。前後で先頭の形が異なる。左上は反対側。雨どいの形なども3両で異なる

 

【乗りたい三岐線③】乗りに行ったら訪れたい保々駅の車庫

三岐線に乗ったら、ぜひとも保々駅(ほぼえき)を訪ねたい。駅舎を出て、やや近鉄富田駅側に歩けば、公道から整備工場内が見え、さらに車庫内の留置線が見えてくる。大手私鉄の車両基地のように高いフェンスはなく、背の低い鉄柵があるのみなのがありがたい。そのため停まっている電車と、電気機関車がよく見える。

 

筆者は何度か同地を訪れているが、そのたびに停まっている車両が異なっていて楽しめた。例えば最近、訪れた日(2021年7月18日)には、三岐鉄道の電気機関車の中ではレアな、ED5081形(ED5082号機も含む)が停車していた。同機関車は元東武鉄道のED5080形で、三岐鉄道へやってくる前には東武佐野線の貨物輸送で使われた機関車だ。

 

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↑保々駅の車庫に停まるED5081形。三岐鉄道では2両のみの希少な形式だ

 

訪れた日には、ED5081形とともに珍しい機関車も停まっていた。ED301形という凸形電気機関車で、通常は東藤原駅近くにあるセメント工場内での入換えに使われることが多く、沿線で見る機会がない。筆者も初めて出会う機関車だった。保々駅の車庫では、このような稀に見ることができる車両も停まっている。三岐線に乗車したらぜひとも立ち寄りたいポイントである。

↑ED301形は元南海電気鉄道のED5201形。1984(昭和59)年に三岐鉄道に移籍。主に構内の入換え作業に使われている

 

三岐線では丹生川駅(にゅうがわえき)近くにある「貨物鉄道博物館」もぜひとも訪れておきたい施設だ。ここのみに残る貨車13車両、蒸気機関車と、入換え用の小型機関車各1両が収蔵されている。うち3両は国立科学博物館「重要科学技術史資料」に登録された貨車だ。こうした多くの貨車や大切な資料類がボランティアの人たちの協力によって守られている。

 

開館は月1回のみで、毎月第1日曜日(1月のみ第2日曜日)の10時から16時まで。入館料は無料だが、訪れた時には今後のためにも寄付をしておきたいところだ。現在コロナ禍ということで、休館となる日もあり、確認してから訪ねることをお勧めしたい。

↑貨物鉄道博物館に収蔵されているシキ160形式。130トン積吊掛式大物車で1955(昭和30)年の製造。同館の収蔵車両の中で最大

 

【乗りたい三岐線④】走る貨物列車にも目を向けておきたい

三岐鉄道三岐線では電車だけでなく、貨物列車もしっかりチェックしておきたい。東藤原駅とJR富田駅を結ぶ貨物列車で、1日に下り(東藤原行)が10本、上り(富田行)7本が電気機関車2両の牽引による重連運転で運行されている(機関車のみでの単機運行を除く)。連結する貨車はセメントの粉体を運ぶタンク貨車タキ1900形、もしくはフライアッシュと炭酸カルシウムを運ぶホッパ車ホキ1000形を連結した列車も走っている。

↑小さめの電気機関車が重連で牽引を行う。写真はセメント粉体を積んだタンク車輸送で、四日市出荷センターまで運ばれる

 

貨物列車は三岐線の近鉄富田駅〜大矢知駅(おおやちえき)間にある三岐朝明信号場から貨物専用線に入りJR富田駅に向かう。その先、タンク貨車は、JR貨物のDF200形式に引き継がれJR富田駅〜四日市駅を走り、四日市駅から先は、四日市港内にある出荷センターまで運ばれる。

 

時間に余裕があれば、三岐鉄道の路線内だけでなく、四日市港内を走る姿も見ておきたいものだ。ちなみにJR四日市駅から四日市港(末広橋梁上付近)へは、距離にして1,2kmほどで、JR四日市駅などでレンタサイクルを借りれば十分に貨物列車の走行を追うことができる。

↑四日市港に架かる末広橋梁上のセメント列車。同橋は可動橋で、列車が通らない時は中央部が上に持ちあがる。国の重要文化財でもある

 

タンク貨車以外に三岐鉄道を走っている貨車がホッパ車ホキ1000形。こちらは東藤原駅からJR富田駅まで走り、その先、JR貨物のDF200形式に引き継がれ、東海道本線の稲沢駅まで向う。折り返す形で、武豊線東浦駅まで走り、そこから衣浦臨海鉄道の碧南市駅まで向かう。三岐鉄道から碧南市駅へ向かう時には炭酸カルシウムを、戻る時にはフライアッシュ(石炭灰)を運ぶ。

 

コンテナを除く貨車(車扱い貨物)が空荷のない双方向輸送を行う例は希少で、輸送効率の高い貨物列車でもある。この貨物輸送で運ばれる炭酸カルシウムは、碧南火力発電所で必要なものだが、こちらの火力発電所は燃料が石炭となっている。脱炭素化が急速に進む時代となっていて、こうした輸送含は今後どうなっていくか気になるところだ。

 

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【乗りたい北勢線①】横幅小さめの電車の特異な動き

三岐鉄道三岐線とともに、三重県を訪れたら乗ってみたいのが「三岐鉄道北勢線(ほくせいせん)」と、「四日市あすなろう鉄道」の路線だ。

 

両線は762mmという線路幅の路線で、国内ではほかに黒部峡谷鉄道以外にない。いわゆる軽便鉄道と呼ばれる線路幅だ。日本の在来線は1067mmと世界の鉄道路線の中では狭軌となるが、それよりも一回り幅が狭い。その珍しい線路幅の路線が三重県に集うように残っているのである。独特な姿の車両と、また在来線とは異なる乗り心地が味わえるので、ぜひとも経験していただきたい。

 

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↑北勢線の基本形式となる270系。タテ長で、車体もかなり短い印象の電車だ

 

三岐鉄道北勢線はJRと近鉄の桑名駅に隣接の西桑名駅が起点で、阿下喜駅(あげきえき)まで20.4kmを走る。車両は線路幅に合わせて小さめ。横幅がせまく、タテに長く見える。車体の横幅は2110〜2130mm。JR山手線を走るE235系の横幅は2950mmなので、約800mmも狭い。ほかのサイズを比べてみると、全高が北勢線の場合3190〜3670mmなのに対して、E235系は3620mm(パンタグラフ折りたたみ時3950mm)と、車体の高さはそれほどの差はない。全長は北勢線の電車が11380〜15600mmで、山手線が20000mmだ。

 

つまり車体の横幅と長さが極端に違っているわけだ。こうした特長は、乗った時の印象につながっている。室内は通路が狭く感じる。大人が対面して座ると、すぐにそれが分かる。さらに動き出すと横にゆれる独特な感覚があり、これは北勢線特有のものだ。

↑楚原駅〜麻生田駅間にある「めがね橋」。3連アーチ橋で、コンクリートブロック製の美しい姿が残される

 

車両は三岐線と同じく黄色にオレンジ色のツートンカラーが基本。ほかに先頭が平面タイプではない湘南形と呼ばれるデザインの200系も走り、こちらは三重交通時代のリバイバル塗装である下半分が濃いグリーン、上半分がクリームという色分けで走る。

 

北勢線の沿線で訪れてみたいところを挙げておこう。北勢線の開業は古く、開業は1914(大正3)年で、現在の路線区間が全通したのが1931(昭和6)年のことだった。ちなみに三岐線の開業は、北勢線全通の年と同じ1931(昭和6)年で、北勢線の起源の方が古いことが分かる。そうした古さを感じさせるポイントがある。楚原駅(そはらえき)〜麻生田駅(おうだえき)間にある2本の橋がそれで、それぞれねじり橋、めがね橋と呼ばれ、同区間が開業した1916(大正5)年に完成した歴史を持つ。ともにコンクリートブロック製の橋で、いわば煉瓦積みのように、コンクリートをブロックにして積み上げて造りあげたもの。当時に造られた橋に多く見られるアーチ状の姿が美しい。

 

最寄りの楚原駅からはねじり橋までは徒歩で12分(900m)ほどなので、時間に余裕がある時に立ち寄ることをお勧めしたい。

 

【乗りたい北勢線②】終点の阿下喜駅には軽便鉄道博物館が

北勢線に乗車したら、ぜひ訪れたいのが、終点阿下喜駅に隣接した軽便鉄道博物館だ。軽便鉄道という今となっては貴重なスケールの鉄道を紹介する施設で、ミニ電車の運転も行う。さらに博物館内にはミニ転車台、北勢線開業当時に造られたモニ226、旧阿下喜駅舎も保存されている。

 

同博物館の開館は第1・3日曜日の10時から16時まで。コロナ禍のため閉館となる日もあるので、確認の上、訪れたい。

↑阿下喜駅前にある軽便鉄道博物館。資料展示のほか、かわいらしいミニ電車の運転も行われる(運転が無い日もあり)

 

北勢線と三岐線は、ほぼ平行して路線が延びている。それこそ付かず離れずといった距離で、北勢線の阿下喜駅から、三岐線の伊勢治田駅(いせはったえき)まで徒歩22分(1.6km)ほどの距離となる。

 

両線の間を歩くことを覚悟すれば、行きは北勢線で阿下喜駅まで、帰りは三岐線といった行程も不可能ではない。

 

【乗りたい四日市あすなろ鉄道】かわいらしいミニ鉄道&ミニ路線

↑2015(平成27)年にリニューアルされたモ261-サ181-ク161の3両編成。リニューアルにあたり中間車が新造された

 

せっかく三重県を訪れたのならば、四日市あすなろう鉄道にも乗っておきたい。前述したように、四日市あすなろう鉄道は三岐鉄道北勢線と同じように、線路幅が762mmの軽便鉄道サイズだ。

 

路線は内部線(うつべせん)の5.7km。八王子線(はちおうじせん)の1.3kmと路線距離もミニサイズだ。2015(平成27)年に近鉄から四日市あすなろう鉄道に運営が引き継がれた。四日市あすなろう鉄道の路線は四日市市が保有、近鉄75%、四日市市が25%を出資した第三セクター経営の四日市あすなろう鉄道が列車の運行を行っている。

↑2編成目としてリニューアルされたモ262-サ182(新造車)-ク162の3両。こちらは黄緑とクリームカラーの組み合わせで走る

 

車両は260系で、北勢線と同じくミニサイズである。四日市あすなろう鉄道が運行するようになって走る電車が大きく変った。リニューアル化は徹底され、中間車や制御車には新造車が導入、同時に冷房化された。新しい260系は、2016(平成28)年の鉄道友の会ローレル賞に選ばれている。

 

軽便鉄道としては画期的な車両といえるだろう。塗装も、明るい青とクリーム、または黄緑とクリーム色に変更された。筆者は近鉄当時にも訪れていたが、その変化に驚かされた。

↑座席は1人掛けクロスシートが基本。吊り手もあるが座席の横にある手すりがハート型でおしゃれな印象だ

 

この四日市あすなろう鉄道では、まずは新しい260系に乗りたい。線路幅762mmのため独特の揺れは感じるものの、おしゃれに変身したミニサイズの電車が楽しい。

 

路線は近鉄四日市駅の構内の1階にある、あすなろう四日市駅が起点となる。同駅から内部駅までの内部線と、途中の日永駅から分岐する一駅区間の八王子線がある。分岐駅の日永駅の構造がおもしろい。ホームは3番線まであり、八王子線方面のホームはちょうどカーブ途中にある。あすなろう四日市駅発の列車は八王子線西日野駅行と、内部線内部駅行が交互に出ていて、分かりやすい。乗車時間はあすなろう四日市駅から西日野駅まで乗車8分、内部駅まで18分と短め。すべての路線を乗車しても、それほど時間はかからない。

 

ちなみに車庫や検修庫は内部駅にあり、駅舎のすぐ横から検修庫内が見える。ミニサイズで、このスケール感が楽しい。また行ってみたいと思わせる三重県内のこれらの路線。コロナ禍が治まったらぜひとも訪ねていただきたい。

車内でもスマホの安定感がバツグン! 手軽にセットできる「吸盤タイプの車載ホルダー」3選

スマホをナビに使うこともある昨今、クルマの中で安定してスマホを置くには、専用の車載ホルダーを使うのが便利。車載ホルダーにはマグネットタイプ、エアコン吹き出し口取付タイプなどさまざまな種類がありますが、今回は好みの位置に手軽に設置できる吸盤タイプをご紹介!

 

目次

 


2000円以下でも安定感バツグン!


エレコム 車載ホルダー EC-SH03BK

ホルダーをしっかり吸着固定することができる強力ゲル吸盤タイプで、Amazonでは1499円とお手ごろなのもうれしいところ。ワンタッチボタンにスマートフォンを押し当てることで取り付けができ、解除バーを押し込むことでスマホを取り外すことが可能。スマートフォンをしっかり支えられるフットパーツがあるのも便利です。約50mm延長できる伸縮アームと、アーム全体が約245度回転する機構を備えており、長さも向きも自由自在に調整可能。ポールジョイントを採用しており、360度回転や自由な角度に調整して固定することもできます。ユーザーからは「とても安定していてほんとにガッチリ支えてくれます! 吸盤部分の粘着力も高く、アームが伸びるのもありがたい」と評価も上々。

【詳細情報】
サイズ:106×162×110mm(最大時)
重量:約165g

 


弾性のゴムボール搭載でほぼ無制限で角度調整可能


RAM Mounts ツイストロック式 吸盤ベース RAP-B-166-2-UN7U

弾性のゴムボールを中央部に据えたボールソケット型マウントを採用し、ほぼ無制限で角度調整できます。2.75インチのツイストロック式吸盤をベースとしており、ガラス面や粘着ディスクなど、通気性のないプラスチック面で強力に固定できるよう設計されています。2つのソケットを搭載したシステムです。付属のX-Gripホルダーは精巧な4脚式のデザイン。ホルダーにはバネが搭載されており、自在に伸縮することで、携帯電話が隠れることなく、強力なホールド力を発揮します。

【詳細情報】
サイズ:最大幅8.2×奥行2.2cm(ホルダー部)
重量:186g

 


6.3cm伸縮する「伸縮アーム機能」を搭載!


SmartTap EasyOneTouch3 HLCRIO130

ワンタッチロック&リリース機能は特許を取得。指で軽く押すだけで簡単にスマホをホールドし、着脱がスムーズです。また、6.3cm伸縮する伸縮アーム機能と、充電コードに干渉しない可動式ボトムフット機能を備えています。ドイツ製のゲル吸盤はシボの粗いダッシュボードにも設置でき、湾曲部分にも設置可能です。ユーザーからも「取り付けのアームの強度が他社よりしっかりしている感じで、ジェルの接着部分も問題はありません」と高評価。

【詳細情報】
サイズ:7.7×7×4.6cm
重量:220g

 

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首都圏の大手私鉄で増えている!? レア&リバイバル塗装車両を徹底ガイド【後編】

 〜〜大鉄私鉄4社のレア塗装・リバイバル塗装2021〜〜

 

“黄色い電車に出会えた。今日はいいことがあるかも!?”というような楽しみ方をしている人が意外に多いそうである。暮らしに潤いを与えてくれるカラフルなレア塗装の電車たち。前回に引き続き、首都圏を走る大手私鉄のレア&リバイバル塗装車を取り上げてみよう。

 

【前編はこちら

 

【はじめに】レア塗装となる車両の傾向と撮影時の課題

↑東武亀戸線を走るオレンジ+黄帯塗装車。亀戸線だけでなく、大師線を走る日もあり、チェックした上で訪ねたい

 

前回も見たようにレア塗装車は、幹線路線よりも、閑散路線を走らせることが多い。レア&リバイバル塗装により、誘客効果が期待できるからだ。だが、乗りに行こうと突然訪れてもその日に走っているとは限らない。車庫に入っていたり、検査中の時もあり、出会えないこともある。

 

そこで、訪れる時はネット上に流れている運用情報(例えば「●●線運用情報」と検索してみればよい)をチェックした上で訪ねたい。首都圏の大手私鉄路線の場合、こうした運用情報が充実している。レア塗装車がどこを何時に走っているのか、すべてが分かるような仕組みとなっている。

 

レア塗装車は “古参車両”も多く、いつ引退してもおかしくない。筆者も撮りに行こうと日程を調整していたのだが、いつの間にか走らなくなっていたこともあった。

 

こうした車両は逃してしまったら、二度と撮れない可能性があるのだ。さらにコロナ禍もあり密を避けるためか、サヨナラ運転が発表されないことも多くなっている。

 

ほかの注意点としてはLED表示の問題もおさえておきたい。古参の車両でも、最近はLED表示器に変更されることがある。ちなみにすぐ下の写真にある東武鉄道の8000系もそうで、この“後付け”のLEDが厄介だ。きれいに撮影しようとすると100分1という遅めのシャッター速度が必要となることも。新しい車両のLED表示器に比べるとシャッター速度を遅くしなければならず、かなり“シビア”になることを確認しておきたい。

 

【レア塗装車その⑤】最大勢力を誇った東武8000系最後の輝き?

◆東武鉄道 亀戸線・大師線8000系 リバイバルカラー

↑東武亀戸線を走る8000系試験塗装車。ミディアムイエローにインターナショナルオレンジの帯を巻き、かなり目立つ装いとなっている

 

↑8000系試験塗装車のこちらはグリーン色の車体に白色系の帯というシックな出で立ち。同車両は亀戸線か大師線(写真)を走る

 

東武鉄道は“レア塗装車づくり”が活発な鉄道会社である。どのような路線を走っているのか、見ていこう。

 

まずは亀戸線と大師線。この路線を走る8000系は、かつて東武鉄道の主力車両で、1963(昭和38)年から20年の製造期間中、私鉄では最大の712両が造られた。東武では最大勢力を誇った8000系だったが、徐々に減っていき、東武アーバンパークライン(野田線)を除き、第一線から退きつつある。亀戸線・大師線ではこの8000系が2両化されて走り、2016(平成28)年3月23日にレア塗装車の導入が始まった。

 

まず走ったのが、インターナショナルオレンジ色と呼ばれるオレンジ塗装をベースにミディアムイエローの帯を巻いた8577編成だった。塗装の呼び名は「標準色」。昭和30年代に、東武鉄道の「標準色」として採用された塗装だった。

 

最初のレア塗装が好評だったことから、2017(平成29)年2月16日には、かつての「試験塗装色」として試された、グリーンのベース色に白帯(ジャスミンホワイト帯)の車両を登場させた。

 

さらに第3弾として、2017年7月13日から「試験塗装色」だったミディアムイエロー色の地に、インターナショナルオレンジ色の帯を巻く8000系を走らせている。

 

運行期間は当面の間ということだったが、4~5年たった今も、3色の塗装車は亀戸線・大師線を走り続けている。もう欠くことができない同路線の名物車両となっているようだ。

 

◆東武鉄道 東上線・越生線8000系 塗装変更車

↑小川町駅近くを走る8000系ツートンカラー車。現在は東上線の一部区間と越生線を走るのみとなっている

 

↑こちらはセイジカラー車。東上線では希少な8000系のリバイバルカラー車として走り続けている

 

亀戸線・大師線よりも先にレア&リバイバル塗装されたのが東武東上線・越生線を走る8000系4両編成だった。東上線開業100周年に合わせての塗り替えで、2014(平成26)年3月29日に「セイジクリーム」という淡いクリーム色に変更された。

 

ちなみにセイジクリームは1974(昭和49)年に登場した当時の標準色でもある。このリバイバル色が好評だったことから、2014(平成26)年の11月22日からは、1編成がオレンジ色とベージュ色の「ツートンカラー」に塗装変更されている。

 

ちなみにツートンカラー塗装は、セイジクリーム色となる前の東武鉄道の標準色でもあった。今でも2編成の塗装変更車が東上線・越生線を走る。とはいえ、走るのは寄居駅〜小川町駅間、もしくは越生駅〜坂戸駅間のみとなっている。

 

なお東上線・越生線には東上線全通90周年を記念して、濃い青色に黄色の帯の「フライング東上号」が2015(平成27)年11月28日に登場したが、同塗装は2019年7月で運行が終了している。

 

◆東武鉄道 日光線・鬼怒川線6050型「往年の6000系リバイバルカラー」

↑リバイバル塗装となった6050型6162編成。同色は6000系のころの塗装で、同編成も6000系を元にした更新車だ

 

6050型は東武鉄道で希少な2ドア、セミクロスシート仕様で、東武日光線や鬼怒川線の運用に利用されている。この形式には6000系(非冷房車)を更新した車両と、増備のために新造された車両がある。

 

2019(平成31)年、東武日光線90周年を記念して生まれたのが「往年の6000系リバイバルカラー」と呼ぶラッピング車両。通常の塗装はジャスミンホワイトに、サニーコーラルオレンジと、パープルルビーレッドの2本の帯が入るが、同ラッピング車両は、6000系のころのロイヤルベージュとロイヤルマルーンのツートンカラーが再現されている。リバイバルカラーとされたのは6162編成と6179編成の2編成(計4両)で、現在、南栗橋駅・下今市駅〜東武日光駅・新藤原駅間を走る。

 

ちなみにリバイバル塗装となった2編成のうち、6162編成が6000系の更新車で、元は6000系6119編成だった。同編成が6000系として生まれたのは1966(昭和41)年とかなりの前のことになる。

 

◆東武鉄道 東上線・50090型「池袋・川越アートトレイン」

↑カラフルにラッピングされた50090型51092編成。川越特急やTJライナーだけでなく、普通列車としても走る

 

2019(平成31)年3月に登場した東武東上線の「川越特急」。池袋駅〜川越駅間を最速26分で結ぶ。同特急が走り始める1か月前に登場したのが「池袋・川越アートトレイン」と呼ばれるラッピング塗装車両だった。同車両は若手画家、古家野雄紀氏が“川越に彩りを加える”というテーマで作画を担当、10両編成の全車両を使って川越の魅力を発信しようという試みが取り入れられている。

 

車両は座席定員制列車「TJライナー」用に設けられた50090型。クロスシート・ロングシートの横向き・縦向きが転換できる「マルチシート」を取り入れている。シートの転換が容易にできることもあり、TJライナー、川越特急といった優等列車だけでなく、普通列車としても走るなど、マルチな使われ方をしている。

 

【レア塗装車その⑥】気になるレトロ塗装車が3路線を走る

◆東急電鉄・東横線5000系“青ガエルラッピング”

↑東急東横線の名物電車5000系“青ガエルラッピング”。当初は90周年のヘッドマークを付けて運行、その後に外されたものの今も運行を続ける

 

東急電鉄も、レア&リバイバル塗装の宝庫だ。東横線と、池上線・多摩川線をレア塗装車両が走る。東急東横線が5000系と5050系、東急池上線・多摩川線では1000系にラッピング塗装が施されている。

 

まずここでは東横線を見ていこう。東急電鉄では5000系が東急の“標準車両”とも言える電車だが、路線ごとに形式名が異なる。まず基本となった田園都市線用が5000系、東横線が5050系、そして目黒線用が5080系となっている。ここには例外があり田園都市線用の5000系は一部が東横線へ転用されている。この転用された5000系5122編成が通称“青ガエルラッピング”塗装車となった。

 

緑色で独特な姿形から“青ガエル” と呼ばれた初代5000系を起源とする塗装色だ。“青ガエルラッピング”塗装車は東横線が開業90周年を記念して2017(平成29)年9月から走り始めた。当初は1年の予定だったものの、好評につき期限は徐々に伸びていき、すでに4年目となる。人気なだけにあえて変更する必要もないということなのだろう。

 

◆東急電鉄・東横線5000系「Shibuya Hikarie号」

↑ゴールドをベースにしたラッピング車「渋谷ヒカリエ号」。すでに走り始めて8年を迎えている。写真は西武池袋線での運用シーン

 

東横線の青ガエルラッピングとともに名物車両となっているのが「Shibuya Hikarie号」。渋谷駅近くにある商業施設の「渋谷ヒカリエ」の1周年記念プロモーション用に5050系4000番台(4010編成)が“特別車両”として新造された。2013(平成25)年4月からの運行で、ゴールドをメインカラーでラッピングされている。

 

車内にもひと工夫が見られる。シートの色分け、天井部の色づかい、吊り手に8色を採用するなど、賑やかな造りとなっている。さらに編成に1箇所のみ「キラリと光るハートマーク」を手すりに刻印。“見つけると幸せになれるかもしれない”というメッセージ性を持たせている。

 

このラッピング編成は、各社のレア&リバイバル塗装車と比べて、かなり手の込んだ造りにしている。すでに8年目となり、長生きなレア車両となっている。東横線内だけでなく、東京メトロ副都心線、東武東上線、西武池袋線、また横浜高速みなとみらい線へ乗り入れていて、そのPR効果は絶大なようだ。

 

◆東急電鉄 池上線・多摩川線1000系「緑の電車」

↑東急多摩川線を走る1000系「緑の電車」。この1000系は、他の車両と異なり中央に貫通扉が設けられている。その理由は?

 

東横線とならび、レア&リバイバル塗装が目立つのが池上線・多摩川線系列だ。同路線には2編成のリバイバル塗装車が走る。

 

まずは1000系の緑一色の3両編成で「緑の電車」と呼ばれている。「池上線活性化プロジェクト」の一環として、この編成は2019(平成31)年11月25日から走り始めた。“なつかしさ”を感じる旧3000系「緑の電車」にちなみ、1013編成が緑一色のラッピング塗装に変更された。旧3000系は1989(平成元)年まで走り続けていた緑色の名物車両である。

 

この編成、同線を走る1000系とやや異なっている。通常の1000系の正面を見ると、貫通扉が中央からややずれたところにあるが1013編成の前後両側の車両、クハ1013号とデハ1312号車とも、中央に貫通扉がある。なぜなのだろう。

 

同車は当初、東横・目蒲両線用に8両編成として造られた。4両×2編成に分割できるように、クハ1013号とデハ1312号の中央部に貫通扉を設けて連結が可能にしていた。その後、池上線・多摩川線用に3両編成化した際に、中央に貫通扉がある車両同士を前後にするために組み換えを行った。そのためにこの編成のみ、貫通扉が中央となった。ほかの1000系と組み合わせなかったのは、運転士の操作ミスを防ぐため。貫通扉の位置により、運転室の機器の配置が異なるそうである。

 

同編成をよく見ると中央に貫通扉を持つとともに、通常は中間車側の連結器部分に白ペンキで書かれる「形式」「自重」「定員数」などの表記が、先頭車側にある。以前は中間車だったのですよ、という整備スタッフからのメッセージであるようにも受け取れておもしろい。レア塗装であるとともに、車両の造りや塗り方にもこだわりが感じられる。

 

◆東急電鉄 池上線・多摩川線1000系「きになる電車」

↑池上線・多摩川線を走る1000系「きになる電車」。濃紺と黄色のツートンカラー、側面には「T.K.K」のロゴが入る

 

池上線・多摩川線にはもう1編成、リバイバル塗装車が走る。名前は「きになる電車」。それこそ気になる電車だ。濃紺と黄色のツートンカラーのボディ。側面には「T.K.K」のロゴが入る。T.K.Kとは、東急電鉄の前の会社名、東京急行電鉄株式会社(Tokyo Kyuko Kabushikigaisha)の略称で、ひと時代前の東急の電車には、この略称が車体に入っていた。また濃紺と黄色のカラーは1951(昭和26)年から1966(昭和41)年まで池上線と旧目蒲線を走っていた電車色なのである。

 

同列車は内装も凝っていて室内は木目調、吊り手も木製で職人が手作業でつくったもの。室内のライトも電球色のLED照明となっている。

 

◆東急電鉄 世田谷線300系「幸福の招き猫電車」

↑世田谷区内を走る東急世田谷線は沿線の花が美しい路線でもある。レアな「幸福の招き猫電車」が花の中を走る

 

世田谷線は、東急電鉄の路線の中でも異色の路線だ。元は路面電車の玉川線で、他線は廃止されたものの、三軒茶屋〜下高井戸間のみが残った。走る車両は路面電車タイプで、300系のみ。2両連結の10編成が走る。すべて車体色が異なり、みなレア塗装と言えるだろう。

 

ここでさらにレアなのが招き猫電車だろう。正式名称は「幸福の招き猫電車」。沿線にある豪徳寺が招き猫発祥の地で、2017(平成29)年9月25日から玉電開通110周年を記念して生まれた電車だ。ちょうど1年後の2018(平成30)年3月までの限定で運転された。

 

この「幸福の招き猫電車」が、今度は世田谷線50周年記念企画の一貫として2019(平成31)年5月から運行再開されている。新たな「幸福の招き猫電車」は、前回に比べてさらにパワーアップして、正面部分には耳が付けられた。もちろん車内の床面には猫の足あとが、吊り手も招き猫にちなむ形に。今回は1年のみならず、現在も走っている。どうも世田谷線に欠くことができない名物車両となってしまったようだ。

 

【レア塗装車その⑦】いわくつきの京成レア塗装車がおもしろい

◆京成電鉄3700形「千葉ニュータウン鉄道への賃貸車両」

↑千葉ニュータウン鉄道株式会社が所有する京成3700形の賃貸車両。9800形と形式名を変更、また帯色も変更されている

 

京成電鉄のレア塗装車はちょっと不思議な成り立ちがある。京成電鉄は北総鉄道との相互乗り入れを行っている。北総鉄道は京成電鉄が筆頭株主だ。北総の自社所有車両以外に、京成から3700形(3編成×8両)を賃貸契約で借りている。こちらは北総7800形と形式名を変更、帯の色を水色、青色の2本としている

 

さらに北総鉄道では千葉ニュータウン鉄道が所有する電車も走る。同社所有の電車を走らせる一方で、京成から3700形(1編成×8両)をリースしている。こちらも帯の色を水色と黄色に変更し、京成の3700形を9800形と形式名も変えている。これらの編成をレア塗装とすることには、多少の無理があるかも知れないが、なかなかおもしろい変更例なので取り上げておきたい。

 

◆京成3500形「芝山鉄道への賃貸車両」

↑柴又駅付近を走る芝山鉄道3500形。正面に「SR」、側面(左上)に「芝山鉄道」の名前が入り、京成電鉄の電車ではないことが分かる

 

京成電鉄には、もう1編成の賃貸車両がある。芝山鉄道へリースしている3500形だ。芝山鉄道は東成田駅〜芝山千代田駅間のわずか2.2kmの路線を持つ小さな鉄道会社で、京成電鉄も出資している第3セクター方式で運営され、京成成田駅からの乗り入れ運転が行われている。

 

自社車両は持たず京成電鉄3500形3540編成を2013(平成25)年4月1日からリースして走らせている。前述した北総鉄道、千葉ニュータウン鉄道への賃貸車両とは異なり、前面に「SR」の文字、側面に「芝山鉄道」のシールが貼られる細やかな変更のみで、かろうじて「芝山鉄道」の車両であることが分かる。

 

興味深いのは芝山鉄道の路線も走るものの、京成金町線(京成高砂駅〜金町駅間)での運用が多い。芝山鉄道と明記されながらも、金町線という東京下町の路線を走る姿もなかなかおもしろい。

 

◆京成電鉄3600形「標準塗装」「ファイヤーオレンジ塗装」

↑レア塗装車ではないものの、わずかとなった3600形編成のため取り上げてみた。同編成は京成金町線を走ることが多い

 

↑3600形唯一の6両編成の車両は標準の帯色でなく、ファイヤーオレンジ塗装という帯色にして走っている

 

京成電鉄で編成自体が希少になりつつあるのが3600形だ。3600形は1982(昭和57)年から導入された車両で6両編成×9本の計54両が造られた。今の車両に比べると正面が平坦で、やや無骨な形をしているものの、技術的には界磁チョッパ制御方式、またT形ワンハンドルのマスター・コントローラーを採用している。

 

長く都営地下鉄浅草線への乗り入れ用などに使われていたが、近年は急速に車両数を減らしている。すでに4両×1編成と、6両×1編成しか残っていない。4両編成の電車は主に京成金町線で、6両編成は赤帯(ファイヤーオレンジ塗装)のレア塗装となり、主に上野駅〜成田駅間、もしくは千葉線の京成津田沼駅〜ちはら台駅間を走っている。

 

【レア塗装車その⑧】NEVYBLUE塗装は珍しくなくなったものの

◆相模鉄道8000系YOKOHAMA NAVYBLUE

↑8000系のYOKOHAMA NAVYBLUE塗装は1編成のみ。従来の8000系とは異なる正面の形をしている

 

レア&リバイバル塗装の最後に相模鉄道(以下「相鉄」と略)を紹介したい。相鉄のレア塗装といえば「そうにゃんトレイン」も一例としてあげられるが、ここでは異なるレア塗装車に触れておこう。

 

相鉄ではYOKOHAMA NAVYBLUEという名前の、濃い青色塗装化を徐々に進めてきた。この塗装化を進める上で、希少な“異端”の車両が出てきた。

 

まずは8000系のYOKOHAMA NAVYBLUE車から。昨年の11月に7000系が引退し、8000系が相鉄電車の“最古参”となった。現在、10両×9編成が走るが、そのうち8709×10がYOKOHAMA NAVYBLUE塗装に変更され、車内外が大きく更新されている。これまでの8000系のように前照灯が先頭車の運転席の窓下中央に付いていたものが、上部に変更されているのがその一例だ。

 

今のところ8000系のYOKOHAMA NAVYBLUE車両は1編成のみで、今後、8000系は同じように変更されていくのか、気になるところだ。

 

◆相模鉄道10000系YOKOHAMA NAVYBLUE

↑相鉄10000系で唯一のYOKOHAMA NEVYBLUE塗装車。前照灯やLED表示器なども従来の10000系とは異なるものに更新されている

 

YOKOHAMA NAVYBLUE塗装は、まずは試験的に9000系に施され、徐々に編成数が増やされていった。そうした経緯もあり9000系は10両×6編成すべてがYOKOHAMA NAVYBLUE塗装とされている。

 

またJR東日本埼京線への乗り入れ用の12000系と、20000系もすべてがYOKOHAMA NAVYBLUE塗装とされている。一方でYOKOHAMA NAVYBLUE塗装が世に出る前に登場した10000系、11000系は通常のステンレス鋼の地をいかし、帯を巻く姿となっている。そのなかで異色なのが10000系のYOKOHAMA NAVYBLUE塗装車両で、10701×10の編成のみとなっている。同編成はJR東日本長野総合車両センターに入場して内外の機器なども更新した上で、YOKOHAMA NAVYBLUE塗装に変更されている。

 

10000系はJR東日本のE231系と同じ基本設計で造られた。さらに長野総合車両センターへ回送されての機器更新ということもあり、12000系と同じようにJR埼京線への乗り入れに備えたものでは、と推測されたが、現在のところ、相鉄線内を走るのみとなっている。

 

ちなみにこの塗装変更が行われたのち、10000系の別編成も機器更新が行われたが、YOKOHAMA NAVYBLUE塗装には変更されなかった。機器更新など改修が行われる時は塗装変更されると思われてきただけに、ちょっと不思議なところでもある。

 

今後ともレア&リバイバル塗装車には注目していきたい。関西、東海地方の大手私鉄も取り上げたいと思っている。

【キャンピングカーレビュー】journal standard Furnitureとコラボしたゴードンミラー「GMLVAN C-01JSF」レビュー

新しい生活様式の1つとして、近年急速に人気を集めているのがキャンピングカー。人混みを避け、家族やパートナーとともに旅を楽しめるのが人気の理由ですが、いきなり大型のキャンピングカーを購入するのは、ハードルが高いと感じている人も少なくないのではないでしょうか?

 

そんな人におすすめしたいのがゴードンミラーのリリースする「GMLVAN」シリーズ。使い勝手の良いサイズ感ながら、快適な車中泊旅ができる工夫が凝らされています。今回はその中から、インテリアショップjournal standard Furnitureとのコラボで生み出された「GMLVAN C-01JSF」を紹介します。

 

【フォトギャラリー(一部SNSでは表示されません。本サイトでご覧いただけます)】

 

 

【今回紹介するクルマ】

ゴードンミラー/GMLVAN C-01JSF

価格 421万3000円〜

 

 

シンプルで使いやすい車中泊仕様

キャンピングカーというと、大きく背の高いキャビンのものを思い浮かべる人が多いかと思いますが、これは「キャブコン」と呼ばれるカテゴリー。居住性は高く、快適なのですが、その分サイズが大きく駐車場所や普段の運転には気を遣います。

 

日常の買い物などを想定すると、これ1台ですべてをまかなうのは難しいところ。そんなこともあり、近年のキャンピングカーの人気の中心は「バンコン」と呼ばれるバンタイプをベースとしたモデルになっています。

 

「GMLVAN」シリーズにはバンコンの中でも装備をシンプルにした“車中泊仕様”と呼ぶべき存在。トヨタ「ハイエース」をベースとした「GMLVAN V-01」と、日産「NV200」がベースの「GMLVAN C-01」がラインナップされています。

 

今回紹介する「GMLVAN C-01JSF」は「C-01」にjournal standard Furniture(JSF)のエッセンスを加えたモデル。Living Room on Wheels.をコンセプトに、リラックスできる洒脱なリビングルームをそのままクルマに持ち込んだような1台に仕上がっています。

↑日産「NV200」をベースとしたコンパクトな車体は普段使いもしやすそう

 

↑サイズは小柄ながら、車内はお洒落でリラックスできる空間になっている

 

「GMLVAN」シリーズは、過剰な装備は備えず快適に車中泊できるフラットな空間が作れることと、天然木を使った車内空間が特徴。海外では「VAN LIFE」と呼ばれる、DIYで木材を内装に貼り付けたようなスタイルが人気ですが、その雰囲気をクオリティ高く再現しています。

↑内装に天然木を多用するスタイルは「GMLVAN」に共通するものだが、「GMLVAN C-01JSF」では木材がオーク材を採用

 

↑天井に貼られる木材もオーク材となっており、より室内が明るい印象に。照明のLEDは標準装備

 

木材のパネルを組み合わせることで、フラットな就寝スペースを作り出したり、テーブルを備えたリビングに展開できるのは「GMLVAN」の基本スタイル。この機構は「GMLVAN C-01JSF」にも受け継がれています。ラゲッジ後端にはフラップ式のテーブルが追加され、より家具っぽい印象が強まりました。

↑取り外し可能なパネルを用いて、ラゲッジモードとベッドモードの切り替えが可能

 

↑パネルのうちの1枚はテーブルに転用可能で、リビングにもかたちを変える

 

↑追加されたフラップ式のテーブルは、アウトドアで活用できる

 

↑パネルを敷き詰め、その上にマットを敷けば大人2人が泊まれる就寝スペースに

 

内外装にJSFのエッセンスを注入

ボディカラーは標準の「C-01」と同じく、日産の純正と同じ工場で塗装されたもの。メーカー純正と同じクオリティと耐久性を実現しています。「JSF」モデルはさらにサイドラインや給油口のパネルなどを装備。フロントグリルはゴードンミラーのオリジナルで、「NV200」の商用車っぽさを廃しています。

↑オリーブドラブと呼ばれるカラーに、サイドラインを加えることで雰囲気を一新

 

↑給油口にはオリジナルデザインのアルミプレートをワンポイントで配置

 

↑フロントグリルには日産マークではなく、ゴードンミラーのロゴが刻まれる

 

↑オリジナルデザインのホイールはオプション設定

 

内装の大きなポイントとなっているのはシート表皮の生地。ACME Furnitureオリジナルの生地「AC-08」を採用することで、一気に洒脱な雰囲気となっています。リアシートはもちろん、同じ生地を用いたクッションも付属します。この生地はとある映画の中に登場するソファの張地をイメージしたものだとか。

↑運転席・助手席はシートカバー。オリジナル生地となり、車内の雰囲気を一新させています

 

↑前後に展開可能な2列目シートも同じ生地を使用。同柄のクッションも良い雰囲気

 

↑車中泊には欠かせないカーテンはデニム生地を採用しより明るい印象に

 

↑カーテンレールはウインドウや天井の形状に合わせて曲げられている

 

↑車内あるいは屋外でプロジェクター映像を楽しめるロールスクリーンも装備

 

車中泊も車内仕事も快適にこなせる

シンプルながら、落ち着ける内装と、小回りの効くサイズ感が絶妙の「GMLVAN C-01JSF」。実際に郊外まで出掛けてみましたが、運転がしやすく、ちょっと景色の良さそうなポイントまで気軽にアクセスできます。

 

気持ちの良い風景の中で、テーブルを展開し、ノートPCを広げれば仕事もはかどりそう。最近は、リモートワークの拡大でクルマの中で仕事をしている人も少なくないと聞きますが、こういうクルマがあるとちょっと気分転換に出掛けていつもと違う場所で仕事することも気軽にできますね。

↑ポータブル電源を積んでいけば電源の心配もいらない。テールゲートを開けて風を感じながら仕事をするのも良さそう

 

また、リアシートとパネルでフラットな空間を作れるので、寝心地もかなり快適。キャンプ用のマットや寝袋がなくても、この季節だと毛布やタオルケットを持ち込むだけで気持ち良く眠れます。実際に泊まってみましたが、日が昇るとデニム地のカーテン越しに心地よい日差しが入ってきて、気分良く目覚めることができました。眩しくないけど、外の明るさを感じられる絶妙な配色ですね。

↑フルフラットにすると、184×120cmでセミダブル程度の広さ。身長175cmでも真っ直ぐに寝られる空間が確保されているので、車中泊も快適

 

撮影した車両には、オプションのルーフキャリアやサイドオーニングも装備されていました。かさばる荷物はキャリアに載せておけば車内で邪魔になることもありませんし、手軽に日差しを避けられるオーニングは付いていると、車内の快適な空間を拡張できて便利。こういうクルマが1台あると、ライフスタイルが一気に広がりそうです。

↑ルーフキャリアは荷物を積めるだけでなく、車両の雰囲気を変えるためにも有効

 

↑サイドオーニングがあると、アウトドアでも自分のリビングを広げられる気分

 

4年ぶりのフルチェンジ!“新次元のプレミアムブリザック”VRX3の実力を一足早くチェック!

世界No.1タイヤメーカーのブリヂストンから、今年9月、最新の技術を投入したスタッドレス「BLIZZAK VRX3(ブリザック ヴイアールエックススリー)」が4年ぶりに発売されることが、本日7月15日に発表されました。同社によればこのVRX3を“新次元のプレミアムブリザック”としており、その実力の一端を先駆けて体験して参りました。

↑新横浜スケートセンターで行われたブリザック「VRX3」の事前試乗会。氷上でのグリップ力を体感することができた

 

氷上性能の大幅向上、ライフ性能、効き持ちの向上を実現

「ブリザック」は1988年に誕生し、変化するユーザーの声を反映しながら今やダントツの氷上性能を発揮。それが北海道や北東北5都市では20年連続装着率No.1 という実績につながり、ほぼ2台に1台がブリザックを装着するまでになりました。中でも見逃せないのが業務で使うタクシー業界で7割もの車両に装着されていることです。これはまさにブリザックに対する高い信頼性がもたらした結果と言えるでしょう。

 

そうした実績を踏まえ、さらなる「氷上性能の大幅向上、ライフ性能、効き持ちの向上を実現した」(ブリヂストン)のがVRX3なのです。

↑ブリザックVRX3の3種。左から主に軽自動車向け155/65R14、プリウスなど中型車向け195/65R15、大型乗用車向け225/45R18

 

VRX3の商品コンセプトは、氷上性能の大幅な向上と、ライフ性能、効き持ちの向上を実現した「新次元のプレミアムブリザック」です。ブリヂストンによれば、近年の暖冬化傾向により降雪量は年々減少傾向にあり、積雪はないものの、凍結路面に遭遇するシーンが特に増えていると言います。VRX3は特にそういったシーンでの“効きの良さ”を高めることを最大のテーマとして登場したのです。

 

また、VRX3はスタッドレスとしての効果を長持ちさせることにもトライしています。一般的にスタッドレスタイヤは柔らかいコンパウンドを使用しているため、寿命は短くなるのが常識。ユーザーも長持ちして欲しいという思いはありながら、この効果を維持するために我慢してきた部分でもあります。そこで、ユーザーの切実な思いに応えようと、VRX3の開発にあたってはこの相反する部分にも敢えてトライしたというわけです。

 

滑りの原因を毛細管現象で除去する発泡素材を採用

そもそもタイヤはどうして氷の上で滑るのでしょうか? その原因は氷の表面に発生する「水の膜」にあります。この膜がタイヤと氷の間にすき間を生み出し、これが原因となって滑るのです。スタッドレスタイヤでは氷が溶け出す温度で発生する現象であり、仮に氷が溶け出さない北極圏のような厳寒地ではこうした状況は発生しません。むしろ、氷の上でもタイヤはしっかりとグリップします。日本の降雪/積雪地は全般に氷が溶ける気温であることが多い事に加え、降雪量も多い。その意味では世界でも特殊な環境にあるんだそうです。

 

さて、そうした日本の環境に向けて誕生したVRX3ですが、氷上での効果を発揮するためにまず実施しているのは水の除去(除水)です。水を可能な限り取り除くことで、滑りの要因を低減。次に路面にしっかりと接地させて摩擦・ひっかきを働かせることでグリップ力を高めます。ただ、これらは従来製品でも実施してきたことでもあります。今回はその性能を進化させるために新たな素材として、新タイプの発泡ゴムを採用。これが除水性能と接地性の向上に大きく寄与したと言います。

↑路面でタイヤがスリップする要因は、路面との間に水膜ができるから。これは氷上の上でも同じで、スタッドレスタイヤでその効果を発揮するには除水がキモとなる

 

発泡ゴム進化の秘密はその形状にありました。従来は球状の発泡と水路の発泡で水の膜を除水していましたが、VRX3ではその断面形状を楕円形に変更しているのです。これが毛細管現象をさらに際立たせることにつながり、吸水力の大幅アップに成功。接地面積をミクロ単位で拡大させ、グリップ力の向上をもたらしたというわけです。

↑トレッド面には新発泡素材と新デザインのサイプを組み合わせることで除水効果を大幅に高めている

 

スタッドレスタイヤの柔らかさを長期間にわたって維持する新素材を配合

また、この新発泡ゴムにはゴム部分に従来使っていたオイルよりも分子量が高い新素材を配合しています。これも見逃せないポイントです。

↑VRX3では発泡ゴムの形状を楕円とすることで除水能力をさらに進化させ、接地でのグリップ力を高めている

 

実はスタッドレスタイヤのグリップ力確保に柔らかさはとても重要で、これはオイルなどを配合して対応するのが一般的です。しかし、オイルは時間と共に抜けてしまい、それによりゴムは徐々に硬化していってしまいます。ブリザックではここに気泡を含ませることで柔らかさを維持してきましたが、それでもオイル抜けは発生します。そこで、VRX3では新素材の配合で対応することにしたのです。これはオイルと違って経年による抜けが発生しにくく、柔らかさを長期間にわたって維持できるという特徴を持ちます。これによって氷上での“効き”を長期間にわたって確保したのです。

↑VRX3では新発泡ゴムの配合により、使用年数によるゴムの硬化を抑え、柔らかさ維持で効きを長持ちさせている

 

それだけではありません。トレッドパタンの変更により、確かな除水と高剛性化を進めているのです。突起つきブロック・端止めサイプを採用することで、除水した水を再び侵入することを抑制し、これがパタン全体として接地性アップにつながってグリップ力向上に貢献しました。さらにサイプ角度を見直してパタン剛性をコントロールすると共に、リブの配置やブロック形状の均等化によって接地圧を均一化することでタイヤと路面の滑りをさらに抑えることにも成功したそうです。

↑新デザインのパターンを採用することで除水能力を高め、マクロな接地能力を向上させている

 

↑タイヤと路面の滑りにしっかり対応するためにトレッド変形を抑制するパタンの高剛性化を実現した

 

横方向への滑りで旧モデルとの違いを実感! 発進やブレーキングでも効果

では、これらを装備したVRX3の実力はどうなのか。体験したのは横浜市にある新横浜スケートセンターです。試乗車は現行プリウス2台。前モデルであるVRX2と比較しながらの体験となりました。スケートセンター内ということもあり、速度域は最高で15km/hまでで、メニューは主に直線での発進とブレーキング時のグリップ力と、コーナーでの横方向への滑りの体験。実際に走行してその違いを感じ取ることにしました。

↑新横浜スケートセンサーに用意された試乗コース。最高15km/hでVRX3のグリップ力を体験した

 

最初はVRX2からスタートです。アクセルを控えめに踏むと、スケートセンターでの氷上は管理が行き届いているせいでしょうか、予想していたよりもしっかりと発進していきます。最初のコーナーではゆっくりと切りはじめ、最後に円を描く周回へと移ります。周回ではおよそ10~15km/h程度で走りましたが、VRX2でも結構粘ってくれます。ただ、15km/hに近づくあたりから外へと脹らみ出し、何回か周回するうちにスピンアウトも体験してしまいました。

 

VRX3ではどうでしょう。ここは予想以上の違いを感じました。VRX2では外へ膨らみ出した速度域でもVRX3はしっかりと踏ん張ってくれるのです。さすがに15km/hを超えると完全にアウトでしたが、それまでの速度域ではVRX3の方が明らかに周回がスムーズに行えたのです。つまり、これは横方向のグリップ力が向上していることの証しなのだと思います。ステアリングの操舵感もVRX3の方がしっかりとした印象で、それがコーナリングでの安心感を与えてくれたのでしょう。

↑旧モデルVRX2との比較試乗では、VRX3のグリップ力が明らかに優れていることを感じることができた。写真はVRX3を履いたプリウス

 

次に直線路での発進とブレーキングで、速度は15km/h。所定位置からフルブレーキングし、目印位置からどの程度で停止できるかを試しました。結果はVRX2でも十分なグリップ力を感じることができ、不安な印象はほとんどありません。次に試乗したVRX3と比較した印象では、いくらかVRX3の方がしっかりとした感じで止まってくれるかな? という程度の違いでした。ただ、いざという時に、このわずかな差が命取りになる可能性はあります。少しでもグリップ力が高い方が良いことはより大きな安心感につながるのです。

 

ウインタードライブでの安心感と楽しさをアップするブリザック「VRX3」

今回の試乗で感じたのは、本来ならわずかな差でしかないスタッドレスタイヤのスペックの中で得た氷上での確かな進化です。ステアリングを切ったときのしっかり感は次元の違いすら感じます。ブリザックVRX3は、氷上性能の大幅な向上と、ライフ性能のさらなる進化を遂げることで効き持ちの向上を実現しました。節約志向の人でもウインタードライブでの安心感と楽しさを十分感じ取れる新次元のスタッドレスタイヤと言えるでしょう。

↑デモカーのトヨタ・プリウスに装着したブリザックVRX3。タイヤサイズは195/65R15

 

ブリザックVRX3の発売は2021年9月1日を予定。ラインナップは111サイズを用意し、タイヤの速度記号はすべて「Qレンジ(最高速度160km/h)」となっています。

 

 

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スチャダラパー・Boseがこだわる車選び。コンパクトでちょい古の欧州車、そしてリノベーションしたプロボックス

ANI、SHINCOととも3人からなるラップグループ「スチャダラパー」のMCを担当するBoseさんは、80〜90年代の欧州コンパクトを愛するクルマ好きとしても有名です。そんなBoseさんの愛車遍歴やこだわり、またおすすめのカーギアについて語ってもらいました。

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:手束 毅)

 

Bose:1969年1月15日生まれ、岡山県出身。ミュージシャン。1990年にデビューしたラップグループ『スチャダラパー』のMCを担当。現在は音楽活動はもとより、中古車専門誌で連載を持つなど車に関わる媒体にも多数出演し自動車ファンからの注目も高い。2021年5月にスチャダラパーとnever young beachの2組による「スチャとネバヤン」からコラボレーション楽曲が2曲同時リリース!

 

クルマにとって造形は重要

――Boseさんといえば、クルマ好きとして自動車メディアやファンの間では有名ですが、子どものころから興味があったのですか?

 

Bose 世代的にも小さいころはミニカーなどで遊んだり当然のようにしてたんだけど、本格的に興味を持ったのはPlayStationのソフト「グランツーリスモ」で遊んでからかな。あのゲームって市販されているクルマや旧車をいじって楽しむものじゃないですか。本物と変わらないシミュレーターだよな、と感心しながらプレイしていたら、小さいころ、好きだったスーパーカーなどと繋がって。そうしていくうちに実車も少し変わったもののほうが面白いなと思うようになってたんですよ。

 

――なるほど。いただいた車歴を見るとそのことがよくわかります。最初に乗ったのは5代目三菱ミニカなんですよね。

 

Bose うん。24歳のころ、弟と共同で家を借りた時、近所にあった駐車場も借りることができたんだけど、そこは軽自動車ならなんとか停めることができるくらいの狭いとこ。中古車情報誌で探した近所の販売店で一番安く売っていたミニカを購入したんです。安かったけどいま見てもデザインが可愛かったし、何より終電の後も、クラブに遊びに行けるようになったりとミニカを所有したことで一気に遊び方が変わりましたね。ただ、デザインは良かったもののいまでは考えられないくらいボディがやわだし走りもそれなりだったかな……。

 

――その次がホンダ・シティカブリオレ。

 

Bose 確か10年落ちくらいの車両で、その当時45万円くらいで販売されてたんですよ。その価格帯でクルマを買おうとしたらセダンくらいしか買えなかったんだけど、シティカブリオレなら人とは違うテイストのわりにはコスパが良い。面白味があることを重視したクルマ選びでした。このシティには2〜3年乗ったんだけど、スチャダラパーのメンバー3人でトップを開けて遊びに行ったりドライブしたりと楽しい思い出が詰まっています。

 

――シティの次に乗ったのがゴルフカブリオレ。コンパクトな欧州車好きなBose さんらしいクルマに乗り換えましたね。

Bose 当時ゴルフは2代目になっていましたが、購入したカブリオレは初代ゴルフのボディそのままにエンジンなど2代目のパーツを取り入れた92年式のクラシックラインと呼ばれるクルマでした。シティーに乗ってたころに、スチャダラパーがそこそこ仕事になり始めてクルマを買い替えてもいいかなと。そこで選択したのが5年落ちにもかかわらずけっこういい値段がついていたゴルフカブリオレ。とにかくイタリアを代表するデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロが手掛けたデザインが格好良くて。やっぱりクルマにとって造形は重要なんだなと思い知りました。

ゴルフカブリオレはかなり気に入ってたこともあり10年くらい乗ったんだけど、最終的に故障が頻発しちゃって……。その当時、フォルクスワーゲンのインポーターや国内ディーラーがいろいろと変わったこともあったせいなのか販売店に修理を依頼したら「すぐには直りませんね、ちゃんと直すには外部に依頼するので3か月くらいかかります」と言われたことで乗り続けることを諦めました。

 

――ゴルフカブリオレの後は欧州車が続きますね。

 

Bose ゴルフに乗り続けるのが厳しいと感じてから、当時、魅力的な車種が次々と登場したことで活況だった欧州コンパクトカーに試乗しまくったんですよ。初代パンダ、シトロエンC2&C3、ルノー・ルーテシアなど全部試乗した結果、選んだのがアルファロメオ147。乗り味がよく、上級モデルの156に通じるフロントマスクなどのデザインが良かったのが決め手でした。あとバナナ色の本革シートが黒のボディカラーとも良く合っていたし。ただ、あのクルマはめちゃくちゃ壊れた(苦笑)。あれ? 販売店の人から壊れないって聞いたんだけどなと思いながら乗り続けたんだけど何度も運転中に止まってしまう…。4年位乗ったんだけど、とにかく壊れたなという印象です。

 

――Boseさんの車歴を見て「?」と思ったのがその次に選んだいすゞ117クーペです。欧州車でもないしコンパクトでもない、旧車中の旧車ですよね。なぜ選んだんですか?

 

Bose じつは旧車には前から興味があったんですよ。旧車を楽しむ趣味を持つなら40歳の手前で始めないといけない、なんて焦りがありクルマを2台持ちにしようとアルファロメオ・ジュリアやジュリア・スーパーなどを候補に旧車を探したけどどれも価格が高くて……。でも購入した95年式117クーペは、希少価値が高い「ハンドメイドモデル」ではない1973年以降に生産された第二期モデル。しかもエンジンがSOHCだったのでけっこう安かったんですよ。旧車の中では手が出しやすいことやジウジアーロのデザインが好きだったこともあり手に入れました。いすゞの旧車を専門に扱うお店を探して、そこで買えば壊れてもなんとかなるなと思い切って購入したら、当時、まだ所有していたアルファロメオ147のほうが壊れる始末(笑)。2年位乗ったけど、117クーペは意外と壊れなかったですね。

 

――その後、アルファロメオ147を初代フィアット・パンダに乗り換えたそうですが117クーペも手放していますね。

 

Bose アルファロメオ147から初代パンダに乗り換えて、これは最高だとクルマライフを楽しんでいたら東日本大震災が起こったことでクルマ2台持ち、しかも旧車2台というのはどうかなと考えちゃいました。どちらかを手放しクルマを整理しようと考えたとき117クーペは購入した専門店が信頼できるお店なので一旦手放しても5年後、もっといえば10年後も良い状態のまま乗れるなと思いパンダを残したんです。パンダは気軽に乗れるし壊れない。インパネ下部に吊り下げてたクーラーが心配なくらいだったかな。あと遅く見えるけど高速道路でもけして遅くないところもよかった。

 

――その後、選択したのは2代目ルノー・カングーですね。

 

Bose 当時、結婚して子どもが生まれるタイミングだったためパンダだとチャイルドシートが付けにくいことが問題になったのと、奥さんが運転免許を取ったばかりでMTだったパンダを運転するのはどうだろう、ということで選択したのがカングー。手頃なサイズだし、チャイルドシートも装着しやすく、かがまずに立ったまま子どもを乗せることができるリヤスライドシートが備わってる、とその時の環境にばっちりハマったチョイスでした。荷物もガンガン積めるし、ラゲッジはベビーカーを畳まずに収納できる。スライドシート付きのミニバンが売れる理由がわかりました。ただ、デザイン的にゆずれないところがあるので国産ミニバンは選ぶことはなかったけど(苦笑)。

 

――パンダに乗っていたのなら6人乗りのフィアット・ムルティプラという選択肢はなかったのですか? あの車もけっこう、運転が楽しかったですよ。

 

Bose 僕としてはその選択でもよかったのだけど、MTしか設定されていないので奥さんが乗りにくいかなと選択肢から外しました。奥さんにはマニュアル免許を取得してもらったんだけど、いきなりあの車を所有・運転するとなるとさすがに乗りにくいしね。もっとマイナーなカングーのライバル、フィアット・ドブロも考えたんだけどやはりカングーがいいのかなと。

 

――そのカングーを所有しながら、2代目パンダ100HPもBoseさんは手に入れています。きっかけはなんだったのですか?

Bose カングーを手に入れて奥さんと子どもを乗せることができるようになり便利になった一方で、なんか物足りなさを感じ始めたんですよ。そのころ、鎌倉に引っ越すことを決めたり仕事の関係で京都にも家を借りていたことから車の2台持ちもいいかと思ったのがきっかけですね。1台カングーがあることで、もう1台は完全に自分の遊び用としてMTの欧州車がいいなといろいろな車を観た中で見つけたのがパンダ100HP。以前、所有していた初代パンダより速いし全長3m弱しかないわりには4ドアでしっかりと荷物も積める。6速MTのギアもすこすこ入ると出来の良さを感じた反面、初代パンダと比べると出来が良すぎて操ってる感が薄い。逆の物足りなさを覚えたというか、車を使いこなせなかったことが手放すきかっけになりました。

 

――その後はいまでも所有している2代目ゴルフとフィアット・ウーノを手に入れることになりますが、手に入れた経緯を教えてください。

 

Bose 2代目ゴルフを手に入れたのは僕が持っている中古車専門誌の連載で訪れた専門店の存在が大きかった。117クーペを買ったお店もそうでしたが、ここで買えば購入後も安心できると、そこの社長とLINEで繋がり、いい個体が出たら教えてくださいなんて言ってたら、これいいなという2代目ゴルフが出てきたんですよ。そのクルマの元オーナーは知り合いのミュージシャンだったことも購入のきっかけになりました。クルマについてどうだったか直接聞けるのはありがたいし。

 

ウーノについては欧州車が得意な販売店に、もし出物があれば買いますよと言っていたら何年か後に本当に出てきちゃって。その時、駐車場のあてもなかったんだけど出たら買うと言ったしどうしようかと思っていたら近所に空いてる駐車場を見つけたんですよ。これは買ってもいいってことなんだと自分自身を納得させて購入しちゃいました(笑)。

 

――この2台はデビューからけっこう年数が経っているクルマたちですが壊れたりしませんか?

 

Bose ウーノは買った瞬間にお店から「あまり乗らないようにしましょうね」と言われてて、どういうこっちゃ、こういう売り方があるのかと(笑)。確かにエンジンとかゴム類がなかなかやばくて、夏場は乗れない。ただ、この時代のフィアット車って他のイタリア車の値段が上がっていく中で取り残されているし走ってるクルマも見ないから残しておかないといけないとの使命感があるんですよ。だから、パーツもオリジナルにこだわるなんて言ってる場合ではなくOEMでもなんでもあればいい。燃料タンクがだめになったからアルミで製作したまったく違うものを付けたり、劣化したプラスチックパーツ、たとえばバリバリになったウインカーレバーを販売店にある他の車両から借りてきて型を取り、FRPで作り直し貼り付ける。本来、カチャッとうまくハマるパーツなのに接着剤で貼ることに……そんな感じで対応してます(苦笑)。

逆に2代目ゴルフは、スイッチなどの細かい部品ですらある。壊れやすいパーツはたいていありますね。下手するとそこら辺の国産ディーラーより早くパーツが入手出来て修理も早い。見てくれているお店が2代目ゴルフ専門店だからということもあるけど、これって素晴らしいことかと。

 

開発当初から関わったリノカ・ユーロボックス

――そんな2台を所有していたBoseさんですが、新たな車を入手しましたね。

 

Bose 普段使いはもちろん、仕事に行く時もクルマを使うんだけどゴルフやウーノだと絶対に遅れてはいけないロケなどに行く時、かなり危険なんですよ。自分の心配よりクルマの心配をしてしまう(苦笑)。

この2台に加えて、新たにトヨタ・プロボックスをベースにしたリノカ・ユーロボックスを新たに加えました。このクルマなら仕事に遅れる心配もなく、所有してみて旧車乗りじゃない自動車ユーザーは、クルマで心配することなんてないのが普通の感覚なんだとはじめてわかりました(笑)

 

――このクルマはランドクルーザーやハイエースなどの専門店を展開しているフレックが手掛けるリノベーションカーのひとつで、中古車をベースに内外装をカスタムした車両ですよね。Boseさんも開発当初から関わっていたとか。

 

Bose 元々、プロボックスはトヨタ車の中でとくに気になっていたんですよ。スチャダラパーの機材車は以前、ワンボックスバンだったけど僕らみたいな人数のグループならプロボックスがぴったりじゃないかと買い替えたら機材や人を乗せても高速道路でめちゃめちゃ速いし燃費が全然違う。そんなプロボックスを普段使いやカスタムするのもいいなあという思いを抱えてたのです。

 

そんな中、フレックスにハイエースベースのリノベーションカー(コーストライン・ナロー)の取材へ行った際、雑談でプロボックスをベースにリノベカーどうですかと提案したら、向こうもプロボックスでやろうと思っていると。じゃあ一緒にやりましょうとなって、そこからのんびり話が進んでいったんです。

 

――クルマを作り上げる楽しさを味わえたわけですがBoseさんのこだわりなんかはどこに反映されているのですか?

 

Bose 当初、外観をもっとトリッキーな角目2灯にしようなんて考えたりしたんだけど、最終的に現行の丸目にしたりとデザイナーのやまざきたかゆきさんと一緒に考えていきました。

ボディカラーも売れ筋のベージュやグレーなどを選んでいく中でソリッドなカラーも欲しいねとなった時、80〜90年代の欧州車に採用されていた赤にしましょうと。黒や白もいいけど、目立つ赤も可愛いなと、結果的にソリッドな赤をカラーに加えたことは良かったかな。

ただ、実際に販売されているユーロボックスには付いてないものとして僕のクルマのリヤハッチは、プロボックスの兄弟車サクシードのものを装着したりと微妙にデザインが違うんですよ。ただ、そのリヤハッチは兄弟車のものだから簡単に付くかと思いきや、形状が違うので付けるのに苦労したみたい。

1リットルの牛乳パックが入るドリンクホルダーやコンビニの袋を吊り下げることができるフックなどが付いているプロボックスの内装自体は気に入って、とくに余計なことはしてないです。ただシートがちょっとしょぼいしリヤシートも人を乗せるにはいまいち。そこでゴルフGTIをイメージするチェック柄にしたんですよ。完成前の車両でチェックの色味を試したり、天井などにも貼れないかなんて考えたり、あと皮っぽいビニールシートもいいねなんてことも話していたなあ。

 

――リノカのサイトにあるユーロボックスとBoseさんの車ではフロントグリルも違いますね。

 

Bose 市販モデルはリノカのエンブレムが付くんだけど、僕の車にはFJクルーザーから流用した「TOYOTA」マークを付けてます。このためだけに、FJクルーザーのフロントグリルを購入するという無駄使い(笑)。

あと、以前からリフトアップ仕様を作りたいと考えていたから自分の車の車高を上げてます。いまは約10cmリフトアップし、タイヤもごつごつ系に履き替えたら見た目がSUVぽくなってそれも凄くいいな〜と感じてます。

 

車内での音楽との向き合い方

――いまでは安心して仕事に行けるユーロボックスも手に入れたBoseさんですが、プライベート空間でもある車内ではミュージシャンとして音楽とどう向き合っていますか?

 

Bose いまはプロボックスだけじゃなくゴルフなどにもBluetoothで繋がるオーディオを入れてるのですが、レコーディングしたばかりの音源をクラウドに入れてスマホから聴くことができるので、自宅に帰る時、すぐ聴くことができる。なんだったらスマホにメモできるから歌詞を思いついたら書くこともあるし、フレーズを思いついたら録音することもある。そういう意味では車内は貴重な時間ですね。

ただ、アンプやスピーカーにこだわってすごくいい音にする必要もないかなとも思ってます。良すぎると他で音楽を聞いたときにしょぼく感じることもあるから満足しすぎない程度の環境でいい。ただ、ユーロボックスは僕に合わせて『BOSE』製のクラシックなスピーカーを付けてくれたんだけど、車用じゃないのでサイズが大きすぎて……(苦笑)。音も、良くも悪くも昔の感じで、別の物に付け替えてもいいのかも(笑)。

 

――職業柄、よく聞かれるかもしれないですがドライブでおすすめの曲はありますか?

 

Bose 僕は移動中、スマホの音楽アプリなどにある自分が聴きたいプレイリストをよく利用するんですよ。例えばロックステディとかヒップホップとかのテーマからジャンルごとのプレイリストを検索して選ぶ。以前だったらCDをとにかくいっぱい車に積んで同じようなことをやってたんだけど、それの無限版みたいな感じ。仕事を終えたあと東京から鎌倉の自宅までの約1時間はリラックスできるような軽いレゲエのプレイリストだったり、最近は映画『フィッシュマンズ』を観てよかったなとその音楽を探したり、またザ・ベストテンなんかのフォルダーにある寺尾 聰さんの曲を「ゴルフと同時代の歌は相性いいな〜」と熱唱したりしながら帰るとか(笑)。

そういう意味でおすすめはそれらの音楽アプリでミュージシャンやDJが選択しているプレイリストですね。国内はもちろん海外のミュージシャンがセレクトしているものもあるし、ラジオ局がやっているものもある。ただ、AIがおすすめするプレイリストはいまいちしっくりこない。まだコンピュータが選ぶリストより、自分が好きなミュージシャンやDJが担当しているプレイリストの方が新しい発見も多くておすすめできます。

 

――なるほど、ありがとうございました。あと、Boseさん的なカスタムのこだわり、またおすすめの自動車向けのグッズやギアはありますか?

 

Bose どうだろう。まず僕は古いクルマを所有しているけどそこまでオリジナルにはこだわらないんです。あと、上級グレードだったりボディをカスタムしてピカピカに仕上げたいとかもあまりないですね。ノーマルちょい化粧、くらいが好きかな。

なので古いクルマにもBluetooth付きのオーディオを装着したりするけど、ただナビを付けるなら、それを買うお金でいろいろなパーツを付けることができるから気分があがるものを装着しますね。ユーロボックスにはナルディーのハンドルやシフトノブを付けてるけどやっぱり手触りなんかがとても良い。

 

ギアといえばついついBluetoothスピーカーを買っちゃうんですよ。これは旧車乗りも同様で電源はシガーソケットから取ればオーディオなしでも音が聴けるとなると下手にいろいろ装着するより気軽に音楽を鳴らすことができる。車を降りてもそのまま遊びに持っていけることもあって、けっこういいギアなんですよ。僕はソニーのこぶりなスピーカーなんかを見つけたら買いがち。何個もいらないのにね(笑)。

 

――たしかにオリジナルにこだわりたい旧車乗りにとっても、最新のオーディオに載せ替えずにすみますね。

 

Bose あと車内泊やアウトドアのレジャーに便利なのがBluetooth付きのランタン。USBで充電するタイプのスピーカー付きランタンなら、車内に吊り下げられるし音楽も聴ける。可愛いのも多いしおすすめです。

 

――確かにスピーカー付きランタンは機能性も利便性も高いですね。最後に聞きたいのですが、現在旧車2台とユーロボックス、また奥さん用のフィアット500を所有しているBoseさんですが、次に乗りたいと考えているクルマはなんでしょう。

 

Bose 次に乗り換えるとしたらゴルフかウーノのどちらかの入れ替えになるかな。

候補というわけでもないんだけどお店で販売されていたピカピカのゴルフカントリーがあってずっと憧れていたことを思い出したりとか。ただ600万円という値段がついていて、そんな値段になっちゃうのかと(苦笑)。

本気でクルマを入れ替えるとしたら、2代目ゴルフGTIの綺麗なやつもいいし、ウーノよりもっと古くてコンパクトなアバルトA112とかルノー5GTターボとかちょっと速くて希少価値が高い車と変えていくような気がしますね。あとは旧ミニ。ずっと乗りたいけどなかなか乗れなかったのでといろいろな車種が頭に浮かんじゃいます。

とにかく奥さん用の車を含めて4台はキープできることがわかった……いや、わかってるかどうかは微妙だけどユーロボックスがあるので、あとの車は古くてもどうにでもなることだけはわかってます(笑)。

 

 

首都圏の大手私鉄で増えている!? レア&リバイバル塗装車両を徹底ガイド〈前編〉

〜〜大鉄私鉄4社のレア塗装・リバイバル塗装2021〜〜

 

赤・青・黄色・緑……大手私鉄各社が走らせているレア&リバイバル塗装車の電車の姿を並べてみると、色見本のような鮮やかな色の電車がそろう。

 

このところ、鉄道会社では各社の基本色とは異なる希少な色に塗り替えたり、ラッピングしたりした電車が多く現れている。すでに首都圏を走る大手私鉄のほとんどがレア塗装車を走らせている。どのような車両が走っているのか、具体例を見ていこう。当然ながらそこには、鉄道会社の意図が見え隠れしている

 

【レア塗装車その①】注目度が低い路線に鮮やかレッド車両が登場

◆西武鉄道多摩湖線9000系「RED LUCKY TRAIN」

↑西武多摩湖線を走る赤色の9000系。これまでにない鮮やかな色づかいで異彩を放つ

 

西武鉄道の多摩湖線は国分寺駅と多摩湖駅を結ぶ9.2kmの路線だ。西武の路線の中では、あまり目立つ存在とは言えず、地味目の路線だった。路線には長い間、同鉄道の中で最も古い車両の新101系が走っていた。そんな多摩湖線だが、駅のホームドア設置のために、3ドアの新101系は2021年2月で運行が終了。代わりにワンマン仕様、4ドアの9000系を投入した。さらに3月末には赤い9000系電車が走り始めている。

 

赤い色に塗られた9000系9103編成は2014(平成26)年7月から、京浜急行電鉄とのコラボレーション企画として、「幸運の赤い電車RED LUCKY TRAIN」として走っていた。当時は10両編成で、京急と同じく赤地に側面の窓周りなどクリーム色に塗り分けられていた。多摩湖線に入線するにあたって、4両となり、またワンマン運転が可能なように改造され、真っ赤一色となった。RED LUCKY TRAINの赤が、さらに強調され、鮮やかになったのだった。

↑こちらの紺色の9000系も西武多摩湖線を走る。他に9000系の標準色でもある黄色の電車も同線を走っている

 

多摩湖線には他に紺色、また9000系の元の色でもある黄色の編成も走る。路線を走る電車は赤、紺、黄色が入り交じりかなり賑やかになった。

 

こうした車両色を導入することによる効果を考えてみよう。まずは目立つ。路線のイメージアップを図ることができる。レア塗装が走っているということで鉄道ファンが訪れる。さらに子どもたちにも人気となる。要はレア塗装、リバイバル塗装は、鉄道会社にとって、少なからず誘客につながっている。どちらかといえば、閑散路線でこうした車両の導入が多いことからもうかがえるだろう。

 

◆西武鉄道多摩川線 新101系「赤電塗装車」「ツートンカラー」

↑1960年代・70年代の西武電車の基本色だった赤とベージュの塗り分け。赤電塗装車の新101系は現在、西武多摩川線を走っている

 

↑西武多摩川線を走る新101系のツートンカラーの黄色塗装車。101系の登場したころのリバイバル塗装でもある

 

西武多摩湖線から消えた新101系だが、西武多摩川線と、西武狭山線(こちらは平日のみ運行)を今も走る。新101系もレア塗装、リバイバル塗装車が目立つ。1960年代・70年代の西武電車の標準色“赤電塗装”と呼ばれる車両も走り、人気車両となっている。他に、ツートンカラー(黄色とベージュ色)、黄色一色車両。近江鉄道色、伊豆箱根鉄道色と、すでに新101系は、レア&リバイバル塗装ばかりになっているといって良い。逆に白い色の標準タイプが消えつつあることも興味深い。

↑新101系の263編成は黄色一色の塗装。パンタグラフが4つと特別なつくりで、旅客輸送以外に新型電車の輸送にも活用されている

 

新101系はすでに多摩湖線から消えて、車両数が減りつつある。多摩川線の新101系もいつまで走るのか、危ぶまれる存在となっている。

 

西武鉄道では、埼玉西武ライオンズにちなんだ20000系「L-train」、そして30000系「DORAEMON-GO!」も走らせている。このあたりは西武球団のPR用、また親子連れを強く意識したラッピング仕様となっている。

 

大手私鉄で唯一の新都市交通システム・案内軌条式鉄道を利用している西武山口線(レオライナー)。同線を走る8500系の8521編成が茶色と黄色のカラーとなり5月15日から走り始めている。この茶色と黄色というカラー塗装は、赤電塗装よりも前の1950年代・60年代に走っていた塗装車両だ。筆者は西武沿線で育っただけに、懐かしい思い出もあり一度乗りに行きたいな、と考えている。

 

【レア塗装車その②】すっかりおなじみになった青色黄色電車

◆京急600形・2100形「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」

↑京急の600形「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」。600形は京急線内だけでなく、都営浅草線、京成線などに乗り入れている

 

↑2100形は京急線内のみの運行。快速特急を中心に運用されている

 

レア塗装を各社に定着させたのは、京浜急行電鉄(以下「京急」と略)の影響が大きかったように思う。その元祖というべき存在が、「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」だ。600形と2100形の両形式に青い塗装の電車が1編成ずつ用意されている。青は京急の路線が走る「羽田空港の空」「三浦半島の海」をイメージした色だったとされる。

 

この「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」が走り始めたのは600形が2005(平成17)年3月14日、2100形が2005(平成17)年6月11日からと16年前のことになる。すでにベテランの域に達したレア塗装車となっている。

 

◆京浜急行電鉄1000形「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」

↑京浜急行電鉄の黄色の1000形は「YELLOW HAPPY TRAIN」の愛称で、すっかり人気のレア編成となっている

 

↑黄色い電車を生むヒントとなった事業用車の京急デト11・12形。主に車庫から車庫へ資材運搬列車として活躍している

 

さらに、2014(平成26)年5月1日から1000形1057編成を黄色に塗装変更を行い「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」として走らせ始めた。

 

この黄色電車は、もともと京急の電動貨車デト11・12形の色を意識して塗られたもので、当初、3年間の予定で運転を開始した。ところが、予想以上に好評だったこともあり、その後も継続して運転されている。「黄色い電車を見ると幸せになる」という“都市伝説”まで語られるようになり、変えるに変えられないという状況にまでなった。

 

さらに、もともと黄色の電車が多かった西武鉄道とのコラボレーション企画にまで進展。京急から提案して、前述のように西武鉄道には「幸運の赤い電車RED LUCKY TRAIN」が走るようになった。その後には両社で営業面での協力が盛んに行われるなど、私鉄同士の縁を強めることにも一役かっている。

 

「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」の3編成は京急のホームページで、連日、細かい運転時間まで発表されている。こうした細かい配慮も、レア編成の人気を長持ちさせている原因なのかも知れない。

 

【レア塗装車その③】沿線の観光PR用に生まれたラッピング車

◆京王電鉄8000系「高尾山トレイン」

↑京王のラッピング車両「高尾山トレイン」。側面には高尾山の四季のイメージイラストが描かれている

 

次に京王電鉄のレア塗装車を見ていこう。京王の車両はすべてがステンレス車両ということもあり、ラッピングによってレア塗装車を生み出している。

 

そんな代表が京王線を走る8000系「高尾山トレイン」。京王沿線の人気の観光地でもある高尾山のPRを図るために2015(平成27)年9月30日に運行を開始した。もとは高尾山口駅のリニューアルや、高尾山温泉「極楽湯」の開業を機会にラッピング車両として模様替えされた。

 

ベースの薄緑色は1957(昭和32)年から同路線を走った2000系の塗装色をイメージしたもので、側面には、高尾山の春、夏、秋、冬、若草の5パターンのイラストで四季折々の高尾山の魅力を紹介している。

 

2017(平成29)年には東京屋外広告協会主催の「第10回東京屋外広告コンクール」の第4部門(車体利用広告)で、最優秀賞の東京都知事賞を受賞している。ちなみに民鉄としてははじめての最優秀賞となった。

 

◆京王電鉄9000系「サンリオキャラクターフルラッピングトレイン」

↑京王9000系の「サンリオキャラクターフルラッピングトレイン」。京王線内だけでなく、都営新宿線まで乗り入れて走る

 

「高尾山トレイン」とともに代表的なラッピング車両が「サンリオキャラクターフルラッピングトレイン(特別ラッピング車両)」。京王相模原線の京王多摩センター駅最寄りにある「サンリオピューロランド」への、京王線の利用促進を図るということで生まれたラッピング車両だ。淡いピンク色をベースにサンリオのおもなキャラクターが描かれている。2018(平成30)年11月1日に走り始め、運行時期は当面とされたが、人気車両のためか現在も走り続けている。

 

ちなみに9000系10両編成車は、都営新宿線への乗り入れ対応車ということもあり、同ラッピング車も、京王線内だけでなく、都営新宿線の終点である本八幡駅まで乗り入れている。東京都内だけでなく、千葉県内まで走るわけで、そのPR効果も大きいと言えるだろう。

 

◆京王電鉄7000系「キッズパークたまどうとれいん」

↑京王動物園線の7000系の「キッズパークたまどうとれいん」。一駅区間のわずか4分間ではとても見切れないほどの濃密な電車だ

 

京王電鉄のラッピング車両でも、とびきりレア度が高いのがこの電車ではないだろうか。2018(平成30)年3月から走り始めた「キッズパークたまどうとれいん」と名付けられたラッピング車両で、高幡不動駅と多摩動物公園駅間を結ぶ京王動物園線のみを走る。

 

7000系4両7801編成を利用。淡いピンク色ベースで、多摩動物公園駅前にある多摩動物公園、京王れーるランド、屋内型遊戯施設「京王あそびの森 HUGHUG(ハグハグ)」といった施設のイラストが描かれている。

 

さらに車内が楽しい。各車両が1号車から4号車までゾウ、トラ、シカ、フラミンゴといった動物達のイラストがあちこちに。座席シートなどもイラスト入りの特別なつくりとなっている。子どもたちには楽しいラッピング車両といって良いだろう。

 

◆京王電鉄井の頭線1000系「レインボーカラー」

↑京王井の頭線のレインボーカラー編成。梅雨時になると同路線の名物の一つ、あじさいの花が車内からも楽しめる

 

京王電鉄の井の頭線にも珍しいラッピング車両が走る。同路線を走るのは1000系のみだが、同車両は前面と側面の帯に7通りのパステルカラーで色分けされている。それぞれの色は基本4編成ずつで、これもレアと言えばレアなのだが、全29編成中の1編成という、さらにレア度が高い車両が走る。

 

それがレインボーカラーの1729編成。沿線の魅力を発信しようと生まれた車両で、ハチ公、井の頭公園、神田川、あじさい、さくらをイメージした特別ラッピング車両として運行開始された。レインボーの七色の帯色が特長で、2012年10月に誕生している。当初は1年間の運転予定だったが、人気でのびのびとなり、すでに10年近い期間を走る井の頭線の名物編成となっている。

 

【レア塗装車その④】小田急では希少な赤色レア塗装車

◆小田急電鉄1000形「赤い1000形車両」

↑箱根湯本駅付近を走る「赤い1000形車両」。姉妹鉄道提携するスイスのレーティッシュ鉄道の車両色の赤に合わせている

 

小田急電鉄は、華やかな特急ロマンスカーを目立たせるためなのか、通勤形電車の塗装を大きく変更したレア&リバイバル塗装車がほとんど走らない。そんななかで、唯一のレア塗装といえるのが「赤い1000形車両」だろう。1000形のステンレスの地に水色の帯という標準タイプとは異なり、赤色ベースの鮮やかな車両が走る。

 

この赤い車両は小田原駅〜箱根湯本駅間の箱根登山鉄道線向けに用意されたもので、箱根登山鉄道と姉妹鉄道提携を結ぶスイスのレーティッシュ鉄道の赤い車両をイメージして生まれた。現在の車両数は4両×4編成で、2009年3月からの運行と、すでに12年にわたって走り続けている。通常時は箱根登山鉄道線内がメインだが、時々、イベント列車として小田急線内での運用もあり、注目の列車となっている。

 

※まだまだありますレア&リバイバル塗装車。東武鉄道、東急電鉄などの車両は次回の〈後編〉に続きます。

大きく進化しつつある踏切!? シェアNo.1の「保安機器メーカー」を探訪する

〜〜保安機器メーカー 東邦電機株式会社〜〜

 

鉄道の安全運行に欠かせない踏切。日ごろ何気なく利用しているが、じつはなかなか奥深いものがある。先ごろ踏切機器などを中心に製作する企業を訪れる機会があった。今回は企業の探訪記と、踏切の最新情報をお届けしたい。

 

【関連記事】
「踏切」は確実に進化していた!! 意外と知らない「踏切」の豆知識

 

【はじめに】この10年で大きく変わっている踏切の設備

踏切はこの10年でかなり進化している。特に変わったのが、赤色ライトの点滅、つまり列車の接近を伝える「警報灯」だ。これまでは、丸い黒い板の真ん中に据えられた丸いライト、そして日よけのツバが付くタイプが多かった。ところが現在、踏切を巡ってみると、このタイプはそう多くないことが分かる。毎週、鉄道原稿を書く筆者だが、これほど従来のタイプが減っていることに気付いていなかった。

 

さらに、目新しい表示器を付けた踏切にも出会うことができた。どのような新しい機器が付けられていたのかレポートしよう。

 

↑小田急江ノ島線の東林間駅前にある相模大野6号踏切。警報灯は全方向形。頭上の警報灯と列車進行方向指示器には踏切注意の表示が付く

 

小田急江ノ島線の東林間駅前にある踏切。片側は古いタイプの警報灯だが、もう一方は「全方向形」と呼ばれるタイプが付いていた。さらにオーバーハング、要は上空に付く警報灯もある。これは前後両方向から確認することができる両面形だ。そして矢印でどちらから列車が来るかを知らせる「列車進行方向指示器」。前後両方から見ることができ、さらに列車が来ない時には、「踏切」「注意」と表示される。これは頭上の警報灯も同じだ。

 

この中の機器で「全方向形」と呼ばれる周囲360度から見える警報灯の出現が、踏切の機器に変革をもたらしたのである。

 

この全方向形の警報灯を生みだしたのが東邦電機工業株式会社。今回は、こちらの相模工場を訪れて機器自体を見る機会を得て、さらに製作現場を見学させていただいた。知れば知るほど興味深い“踏切機器の世界”に迫ってみたい。

↑神奈川県座間市にある東邦電機工業株式会社。踏切機器が屋外に設置され、点滅や作動風景を見ることができる

 

【進化する踏切①】全方向形の出現でどのような変化があったのか

↑従来型の警報灯が付く踏切。片面のみの警報灯の場合、このように道の向きに合わせて複数の警報灯を設置しなければならない

 

踏切のなかでも特に目立つ警報灯。赤色の点滅で、列車の接近をクルマや歩行者に伝えている。踏切には欠かせない重要な装置である。従来の片面しか見えないタイプに比べて、全方向形や両面形の警報灯にはどのような利点があるのだろうか。

 

例えば上記の踏切の例。線路とほぼ直角に交わる大通りと、線路沿いの道があり、2本の道が踏切手前で交差する。片面タイプの警報灯の場合、こうした箇所では、それぞれの道向き用のものを用意しなければならない。

 

ところが、全方向形であれば、柱に付ければ、すべての方向から点滅が確認できる。大型車、小型車、そして歩行者が確認できるよう、上下に2つの警報灯を装着すれば良い。上の写真の踏切のように片側に4つの警報灯を付ける必要がないのだ。そして右の柱に装着された警報灯まで含めると8つを4つに減らすことができる。

 

つまり、全方向形は警報灯の個数を減らすことができ、省力化が可能となるわけだ。この全方向形の警報灯を開発したのが東邦電機工業だった。最初に世に出たのは2004(平成16)年。当初はなかなか浸透していかなかったが、一つの出来事に多くの鉄道会社が興味を示した。

↑初期の全方向形の警報灯。基板は4枚付き、カバーも透明だった。点灯した姿が左下。3枚を使った現在の基板よりもやや楕円に見える

 

東邦電機工業の広報担当は次のように話す。

 

「ある鉄道事業者さんがこの全方向形を付けてくださって、そのことが大きかったですね」。どのようなことだったのだろうか。

 

この鉄道事業者では、これまで遮断かん(遮断機の先に付いたさお部分)の破損に悩んでいた。試しに警報灯を全方向形に変えたところ、遮断かんの破損が劇的に減った。つまり、片面の警報灯に比べて、視認しやすい全方向形のほうが、ドライバーも点滅のしはじめに気付きやすいという長所があったのである。大型車のドライバーも踏切の進入前に気付くことができ、そのことで遮断かんの破損が減ったのだった。

↑寒冷地、多雪地帯向けの全方向形警報灯。カバーにヒーターが付き、着雪を防ぐ。点滅時が右。ヒーターの線が入っていることがわかる

遮断かんの破損が劇的に減ったことにより、他社も次々と全方向形を取り入れるようになっていった。現在では、多くの踏切にこの全方向形警報灯が付けられ、踏切の安全に欠かせない機器となっている。

 

全方向形には雪の多い環境でも力を発揮する融雪形タイプも造られている。さらに降雪地帯向けに防雪フードなども用意されている。

 

踏切の設置場所によっては前後で見えれば良いところもあり、平たい形の「両面形」の警報灯もつくられている。

 

【進化する踏切②】全方向形警報灯の製作工程を見学した

全方向形の警報灯を開発した東邦電機工業の製作現場を見学させていただいた。個人のイメージで申し訳ないが、工場と言えば、狭く雑然としているのだろうな、と思っていたが、そんな印象が覆された。きれいに整頓されていて、工場というよりオフィスに近い印象だった。同社は35年間無災害を達成している工場でもあるのだが、これはやはり日々の積み重ねによるものなのだろう。もちろん、塵や埃のない工場が精度の高い機器を生むために欠かせないポイントになっているのであろう。

 

さて、全方向形警報灯の製作現場では、女性スタッフが黙々と組み立てを進めていた。現在、赤色LEDが付いた基板は3枚、それをアルミ板に組み込んでいく。上から見ると基板と基板の角度は120度だ。全方向形の開発当初は4枚の基板でつくっていたが、現在の3枚となっている。この方がコストダウンにも結びつき、また見え方もほぼ円形となり、利点も大きいのだそうだ。

 

↑全方向形の警報灯の組立手順、作業台で進める①〜⑥の工程は本文を参照

 

写真でまとめたそれぞれの作業工程を追うと、

 

①基盤の装着。写真ではすでに2枚の基板を装着積み、そこに最後の1枚を組み込んでいく。
②ボルト止め。
③円筒レンズをかぶせる。
④電源をつないでテスト。点灯しないLEDがないかどうかをチェックする。
⑤底部の板をボルト止めする。
⑥背板(はいばん)を2枚とりつける。基板に合わせて角度は120度となっている。

 

全方向形の警報灯は、基板に付く細かい無数のLEDが赤く点滅する。さらにかぶせる円筒レンズも赤い。LEDも赤く光り、かぶせるレンズも赤。昼間の視認性を向上させる開発当初に透明だった円筒レンズを、赤いものに変えている。

↑組立て済みの全方向形警報灯。1日中、点灯した状態でのテストが行われる。常時点灯した時の光はかなりまぶしいと感じた

 

【進化する踏切③】ほか踏切機器の制作風景も見せてもらった

工場内では警報灯以外にも踏切の関連機器が製造されていた。そんな光景をいくつか見ていこう。まずは列車進行方向指示器から。

 

◆列車進行方向指示器(LED形)

列車進行方向指示器とは、列車がどちらから接近しているのか、知らせる機器だ。工場内には、作業台の上に矢印のみの部品がいっぱい並べられていた。その近くには、黒いステンレス製の箱。この箱の穴が開いたところに矢印の部品を組み込んでいく。

↑列車進行方向指示器の製作現場。矢印部品だけが並んだところは、ちょっと不思議にも感じた

 

写真を細かく見ていこう。

 

①工場内に置かれた矢印の部品。点灯していない時は、紫色に見えた。左右別方向に交互にきれいに並べられていた。
②LEDの矢印表示器を箱の中にきれいに入れていく。
③ボルト止め。
④できあがり、点灯した状態。消灯時は紫色だったが点灯すると赤色に見える。

 

列車進行方向指示器は、鉄道会社によって仕様が異なり、今回見せてもらったのは一つの例だそうだ。

 

◆踏切警標造り

踏切警標とは、支柱(踏切警報機柱)の上についているバツ印のこと。この警標の製作工程もちょうど見ることができた。あらかじめ黒に塗装されたアルミ板に、光を反射する黄色のリフレクターのシートを貼っていく。

↑黄色のリフレクターのシートを貼り込んで踏切警標が造られていく

 

工程を追ってみよう。

 

①最初にアルミ板の端からシールを貼っていく。はみ出さず、ずれないように貼ることが大切になる。
②裏面に付いたシールをはがしつつムラの出ないように貼る。
③ローラーを使い気泡を抜く。丁寧な作業が必要なように感じた。
④バツに組み合わせ、黄色と黒が均等になっているかを確認。ボルト止めは、次の工程で行われる。

 

この工程で発見したのは、黄色シート部分のみリフレクターとなっていたこと。確かに黒面での光の反射は無理だろう。当たり前のことながら、こうして見せてもらうことで良く理解できた。

 

◆スピーカーの確認

警標とともに支柱の上にはメガホンのようなスピーカーが付いていて“カンカンカン”という音を出して、列車接近を伝えている。光る警報灯とともに、音で列車接近を伝える大切な機器である。

 

このメガホン型のスピーカーが正常に鳴るかどうか、通電して確認する。“カンカン”と鳴れば、問題なしとなって出荷になるわけだ。

↑工場内ではスピーカーが鳴るかどうか確認作業が行われていた。作業台の上には、テストを待つスピーカーが並ぶ

 

進化する踏切④】雨風あたる屋上で長期間の耐久テストが続く

こうして造られた踏切機器は、工場内で出荷前に十分にテストしてから鉄道会社に向けて出荷される。とはいえ、踏切が立つ場所は、機械が設置される環境として決して恵まれているとは言えない。風雨にさらされる状況で、製品が性能を発揮できるか、長年、風雨にさらされても故障することはないのか、そうした耐久テストが工場の屋上で行われていた。

 

屋上には、同社のさまざまな製品が並んでいた。そして、みな間違いなく稼動していた。警報灯も点滅を繰り返している。かなりの年月を経たものもある。一部は取り付けた柱などに錆が少し浮き出してきていた。

↑屋上に並ぶ東邦電機工業の製品。風雨にさらされ耐久テストが行われている。夜は20時で消灯しているそう(近隣に住宅があるため)

 

↑屋上で一番古いのが出発反応標識で、1990年5月19日という設置日のテープが付けられていた

 

そんな中で一番の“ご長寿”は1990(平成2)年5月につくられた出発反応標識だった。出発反応標識とは、視界が悪い駅ホームなどに付けられ、発車準備が整ったことを車掌に伝える装置である。同機器は、設置後すでに30年以上たったものの、しっかり点灯していた。けなげなものである。

 

【進化する踏切⑤】ユニバーサルデザインの新型警報灯も発表

東邦電機工業のショールームでこれまでに見たことない警報灯を見つけた。同社の全方向形に形は近いが、より滑らかな印象。赤色のレンズカバーが基板をきれいに覆う形をしている。

 

「踏切警報灯(全方向形)ecok(エコケイ)」という名称がついている。2020年に登場したというこの機器。どのような警報灯なのだろうか。まずは上部のアルミ板がフタ状になっている。覆う背板はなく、レンズは滑らかにカーブしたスタイル。そして軽量化されている(従来の4.6kgに対して3.7kg=本体のみ)。加えて従来型に比べて消費電力を30%抑えている。

 

ユニバーサルデザインとしたことも大きな変化だ。赤色を見極めることができにくい色覚障害の人も認識しやすい波長成分のLEDを利用しているのだそうだ。

↑ユニバーサルデザインを配慮して開発された新しい警報灯。下からでも良く見えるようにつくられている

 

色覚障害を持つ人への対応には、国も乗り出しており、すでに交差点などで利用されていた赤色と、黄色で示す「一灯式信号機」を取り外す傾向が強まっている。黄色と赤色の見分けがつきにくいためだ。

 

そうした時代の流れもあり、警報灯にユニバーサルデザインを取り入れたわけである。今は発売を始めて間もないだけに、出荷も少なめとのことだが、鉄道会社でも徐々に取り入れるところが出始めているという。

 

ところで、一般には縁の薄い踏切機器のメーカーだが、最近は、一般向けグッズも用意している。最後に同社がつくるオリジナル踏切グッズも紹介しておこう。

 

◇意外に受けている踏切グッズ

↑左から踏切ボールペン、踏切ストラップ、踏切ピンバッジ、ふみきりマスキングテープ(右下へ)。専門メーカーのグッズだけにかなり凝っている

 

黄色と黒に色分けされた「踏切ボールペン」に、360度光る「踏切ストラップ」。平面形の警報灯などをデザインした「踏切ピンバッジ」。そして警報灯や、警標といった踏切の多彩な柄がはいったマスキングテープ、などのグッズが販売されている。専門メーカーの商品だけに、鉄道好きは魅力を感じるグッズに違いない。詳しくは下記を参照していただきたい。

 

https://www.toho-elc.co.jp/original-goods/

 

踏切機器のメーカーを訪れたことにより、踏切に関して多くの発見があった。そして興味も増した。なかなか注目をあびにくい設備ではあるものの、今後も目を向けていきたいと思った。

 

売れている理由を体感! ホンダ新型「ヴェゼル」のクラスを超えた魅力

今年3月の受注開始以来、すでに約3万台もの受注を集めているホンダの新型「ヴェゼル」。世界的に人気の高いコンパクトSUV市場の中にあっても、厚い支持を集め続けているモデルです。イメージを一新し、ホンダの新しい“顔”となるモデルがどんな魅力を持っているのか、実車で体感してきました。

 

【今回紹介するクルマ】

ホンダ/ヴェゼル

※試乗車:e:HEV Z(FF)

価格 227万9200円〜329万8900円(税込)

↑ボディカラーはツートーンカラーを含め全11色。写真のボディカラーはプラチナホワイト・パール

 

 

写真で見るより実車はカッコいい

従来モデルから大きくイメージを変えたのが外観デザインです。大きめのフロントグリルと切れ長のライトを組み合わせたフロントフェイスは、発表時に写真で見た限りではあまり良い印象を持っていませんでした。しかし、実車を目の前にすると、この印象を覆すほどカッコいい。特に少し角度をつけて斜め前から見ると、グリルの微妙な凹凸が付けられたデザインにグッときます。平面で見る写真では、この辺りの3Dなデザインが伝わりにくいのが、当初の印象の要因だったようです。

↑この角度から見ると、グリルの3Dデザインがわかりやすい。メッキではなく同色に塗られているのも好印象

 

SUVでありながら、クーペ風に絞り込まれたシルエットは従来モデルから継承されていますが、新型はテールランプが水平基調となり、さらにスマートな印象となっています。

↑キャビン後方の造形はクーペのような流麗なラインを維持

 

↑スタイリッシュな印象を決定づけるウインドウと一体化したデザインのドアノブも継承される

 

↑テールランプは薄型で水平に伸びたデザインとなり、スッキリとした見た目に

 

広くなったように感じるインテリア

車内に足を踏み入れると、前モデルよりも広くなったように感じます。全幅は20mm広くなっていますが(「RS」「Touring」グレードとは同一)車体サイズはほぼ同一なので、インテリアのデザインが、「フィット」などと同じく水平基調で高さを抑えたものになっているこのが要因でしょう。個人的には華美な装飾を抑えた、オーセンティックな作りが好印象です。

↑飾った所のないインテリア。水平に広がるデザインで見通しも良い

 

リアシートに乗り込むと、広くなったという印象はさらに強くなります。ヘッドスペースは大きく変わりませんが、足元、特にヒザの辺りの空間が広くなっているのです。聞けば先代モデルより35mm広くなっているとのこと。コンパクトSUVは後席の居住性がやや狭く感じるものも少なくありませんが、この広さは特筆モノです。

↑フロントシートを大人が乗って快適な位置に合わせても、後席のニークリアランスは余裕がある

 

もう1つ触れておきたいのがラゲッジスペースです。6:4分割のリアシートは前に倒すと座面ごとダイブダウンするので、限りなくフラットな荷室空間が出現します。これだけフラットになるSUVの荷室はなかなかありません。荷物の積み下ろしがしやすいだけでなく、車中泊もできそうです。試しに寝転んでみましたが、見た目以上にフラットで、大人1人であれば快適に寝られそうでした。

 

↑身長175cmの筆者でも車体に対して斜めになれば横になれます。この状態でも、床面に角度がないので快適

 

細かい部分にも配慮を感じる

細部に目を向けても車内で快適に過ごすための配慮が行き届いているのが感じられます。フロント左右のエアコン吹き出しには「そよ風アウトレット」と呼ばれる機構を装備。これは、通常のエアコン吹き出し口の外側に、もう1つのアウトレットを備え、乗員の体に直接風を当てることなく車内を涼しく(冬は暖かく)保てるものです。

↑運転席側と助手席側はそれぞれ吹き出し口を選べるため、隣に女性を乗せた場合に、直接冷風を当てないようにできる

 

ドアのデザインは、ステップ部分まで覆う形状に。これはオフロードなどを走った際などに、ステップの部分に泥が付くことを防ぐための構造。乗り降りの際に、ステップの汚れが服の裾などに付かないようにというSUVらしい配慮です。

↑ドアが下に伸びてステップまで覆うことで、アウトドアユースでの服の汚れを防いでくれます

 

↑「e:HEV PLaY」グレードに装備される「パノラマルーフ」は開放感の高さが魅力

 

↑リアゲートは予約クローズ機能や、ハンズフリーでの開閉にも対応。トノカバーが吊り下げ式になっているのも便利です

 

クラスを超えた走行性能

今回試乗したのは「e:HEV」と呼ばれるハイブリッド・パワートレーンを搭載したグレード。先代モデルのハイブリッドは「i-DCD」という1モーターのパワートレーンでしたが、e:HEVは2モーターです。基本的にはエンジンを発電用に用い、駆動はモーターが担うシステムですが、エンジンの効率が高くなる高速クルーズ時だけは、エンジンを駆動に用います。加速力に優れるモーターと、一定速でのクルージングで効率が高まるエンジンの得意なところをそれぞれ活かしたパワートレーンといえます。

↑e:HEVはモーター走行のEVモードを中心に、ハイブリッドモード、エンジンモードと様々なドライブモードを使い分けます

 

「i-MMD」と呼ばれていた頃から、そのパワートレーンを搭載したモデルはいくつも乗ってきましたが、完成度にますます磨きがかけられている印象です。発進時はモーターらしい力強い加速が味わえ、中間速度での加減速もスムーズ。過去にドライブした際には、発電機として用いているため、アクセル開度に関わらず一定回転で回り続けているようなエンジン音に違和感をおぼえたこともありましたが、新型「ヴェゼル」ではそうした違和感もほぼ払拭されています。

↑モーターならではのスムーズで力強い加速感が「e:HEV」の魅力

 

そして、最も感心したのが足回り。大径ホイールを履き、サスペンションのストロークが長いSUVは舗装路を一定以上のペースで走るとフワフワと落ち着かない印象を受けたり、逆にサスペンションを締めすぎているように感じるモデルも少なくありません。しかし、新型「ヴェゼル」は足回りがしなやかに動きつつも、しっかりと路面を捉え、速度が上がってもタイヤを路面に押し付け続けてくれている印象。低速域では路面の凹凸をいなすように乗り心地が良く、高速域ではしっかり踏ん張ってくれるような足回りです。

↑重心の高いSUVでありながら、コーナーリングも楽しめる

 

2019年、先代モデルに「TOURING」グレードが追加された際、コーナーリング性能の向上に驚いた記憶が鮮明に残っていますが、聞けば新型はこの「TOURING」と同等のボディ剛性を基本に、足回りをさらに煮詰めているとのこと。ボディ剛性を高めることで、サスペンションは柔らかくすることができ、しなやかな動きを実現しているのです。足回りの完成度だけで言えば、2クラスくらい上の高級SUVにも勝るとも劣らない印象でした。

↑街乗りや高速クルージングは快適で、ワインディングに入ればコーナーが楽しい

 

試乗の最後に、限られた時間ですがパワートレインがガソリンエンジンの「G」グレードにも乗ってみました。受注状況は「e:HEV」が93%を占めるとのことでしたが、ガソリンモデルも好印象。出だしの加速や、しっとりした走行感はハイブリッドに分がありますが、バッテリーを積んでいない軽さからくる素直なハンドリングに、こちらも捨てがたいと感じました。メーカー担当者いわく「素うどんのような」グレードとのことでしたが、その分、このクルマの素性の良さが味わえた気がしました。これから選ぶのであれば、どちらも一度乗ってみることをおすすめします。

 

SPEC【e:HEV Z(FF)】●全長×全幅×全高:4330×1790×1590mm●車両重量:1380kg●パワーユニット:1496cc直列4気筒DOHC+e:HEV(i-MMD)●最高出力:78kW[106PS]/6000〜6400rpm【モーター96kW[131PS]/4000〜8000rpm】●最大トルク:127N・m[13.0kgf・m]/4500〜5000rpm【モーター253N・m[25.8kgf・m]/0〜3500rpm】●WLTCモード燃費:24.8km/L

 

撮影/松川 忍

 

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると閲覧できます)】

 

最大100kmの連続走行が可能な電動アシスト自転車「STORM」が日本上陸

IRIEは、日本未発売の電動アシスト自転車「STORM」を、クラウドファンディングサービス「Makuake」で、6月12日から販売しています。価格は、33%オフの超早割が適用されて9万450円(税込)です。

 

STORMは、スペックや価格帯などあらゆる面で優れた自転車を作りたいという思いから開発されたモデルです。

 

STORMには、本体バッテリーに加えて別売りの補助バッテリーを搭載することができ、2つのバッテリーを使えば1度の充電で最大100km走行できます。また、補助バッテリーはUSB経由で充電が可能。補助バッテリーからスマホへの充電にも対応しています。なお、本体バッテリーのみであれば最大50km走行できるほか、バッテリーの充電時間は約3~4時間となっています。

 

さらに、折り畳み機能や250Wの強力なモーターを搭載。これに加えて、5段階調整ができる電動アシストも採用しています。アシスト速度は最大時速24kmです。

 

Makuakeでは、33%オフのほかに、28%オフの早割適用モデルや、23%オフのMakuake割適用モデルも用意されています。

最大100kmの連続走行が可能な電動アシスト自転車「STORM」が日本上陸

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STORMには、本体バッテリーに加えて別売りの補助バッテリーを搭載することができ、2つのバッテリーを使えば1度の充電で最大100km走行できます。また、補助バッテリーはUSB経由で充電が可能。補助バッテリーからスマホへの充電にも対応しています。なお、本体バッテリーのみであれば最大50km走行できるほか、バッテリーの充電時間は約3~4時間となっています。

 

さらに、折り畳み機能や250Wの強力なモーターを搭載。これに加えて、5段階調整ができる電動アシストも採用しています。アシスト速度は最大時速24kmです。

 

Makuakeでは、33%オフのほかに、28%オフの早割適用モデルや、23%オフのMakuake割適用モデルも用意されています。

運転時の視界を遮らない! エアコン吹き出し口に装着できる車載ホルダー5選

スマートフォンを、クルマのダッシュボードやエアコンの吹出口に設置することができる車載ホルダー。吸盤タイプや粘着シールで貼り付けるタイプなど、様々な設置方法があります。

 

今回はエアコンの吹き出し口に取り付けられる車載ホルダーを紹介します。大きい端末を取り付けても視界を遮らず、運転の邪魔にならないのがメリット。新たに購入を検討している方はもちろん、買い替えを考えている方もチェックしてみてくださいね。

 

目次

 


360度回転仕様だから縦・横問わず設置できる!


Lomicall 車載スマホホルダー

ワンクリップ式の車載ホルダーよりも安定性に優れたツークリップ式。スマホを挟む爪に滑り止めが付いており、振動で揺れても落下の心配がありません。4.7~6.5インチのスマートフォンにのみ対応するので、サイズには注意しましょう。取り付け方はエアコンの吹き出し口に挟み込むだけ。360度回転式により、縦でも横でも設置可能です。購入者からは「十分しっかりとスマホを固定できるし、着脱も簡単!」と好評の声が上がっていました。なお、丸型のルーバーには対応していません。

【詳細情報】
サイズ:60~85×10×50mm
重量:50g
カラー:ブラック・グレー・シルバー

 


スマホを充電しながらでも使える!


VANMASS 車載ホルダー

スマホスタンド裏面のボタンを押すだけでアームが自動的に開くので、携帯の着脱が片手でできます。また、挟むアームはスクリーンを遮らないように設計されており、邪魔になりません。ネジ式螺旋クリップとバネ式三段階クリップの、二つのクリップが付属していて、シーンにより固定方法を変えることができます。下部には充電口があり、スマホを充電しながら使用できるのもポイントです。

【詳細情報】
サイズ:8.2×9.4×12.4cm
重量:200g

 


スマホの重みを感知してホールドするオートロック機能を搭載!


Syncwire 車載ホルダー SW-CH484

スマホの自重によって作動するオートロック機能を搭載しており、置いたスマホをしっかりホールドします。取り付け方はクリップと粘着ゲル吸盤の2種類で、エアコンの吹き出し口だけではなく、ダッシュボードやフロントガラスにも設置できます。画面サイズ4.7インチ~6.5インチのスマートフォンに対応。360度ボールジョイントにより、角度を自由に調整可能です。購入者からは「運転中でも落ちない安定感があったのがうれしいです」という声が上がっていました。

【詳細情報】
サイズ:15.24×12.19×5.08cm
重量:113g

 


設置面積が広いから安定感抜群!


SmartTap オートホールド式 車載ホルダー EasyOneTouch mini HLCRIO124

台座の中心にある「Smart Lock」ボタンを押し込むと、両側の固定アームがスマートフォンをロック。面倒な組み立ても不要で、誰でも簡単にエアコンの通風口に取り付け・取り外しが可能です。360°回転ボールジョイントを採用しているため角度を自在に調整でき、縦置きと横置きでの利用が可能です。

【詳細情報】
サイズ:6×9.5×12cm
重量:88g

 


吹き出し口式とゲル吸盤式を兼用した車載ホルダー


DesertWest 粘着ゲル吸盤&エアコン吹き出し口式兼用車載ホルダー

側面のボタン一つで、取り付けや取り外しが簡単にできるワンタッチ式。エアコンの吹き出し口だけではなく、吸盤でフロントガラスなど平滑面にも取り付けられます。強力な真空吸盤と三角構造を採用しているので、大きく揺れてもしっかり固定でき、厚みのある手帳型ケースをつけたままでも安定感があります。また、付属の超粘着性のあるダッシュボードシートで、多少凹凸のあるところにも問題なく取り付けられます。

【詳細情報】
サイズ:‎12.5×12.4×8 cm
重量:300g

 

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陸軍が造り戦時下に消えた「成田鉄道多古線」——ミステリアスな痕跡を求めて

不要不急線を歩く05 〜〜 成田鉄道 多古線(千葉県) 〜〜

 

そろそろ“不要不急の外出を控えて”という言葉も聞かなくなりつつある。今から80年ほど前に不要不急といえば、不要不急線を指した。利用率の低い鉄道路線を休止、廃止にして、線路などを軍事用に転用する。そのため全国に不要不急線が指定され、多くの路線が消えていった。

 

今回は、千葉県内を走った成田鉄道多古線の旧路線跡を訪ねた。そこにはいくつかの謎が浮かび上がってきたのである。

 

【関連記事】
「成宗電気軌道」の廃線跡を歩くと意外な発見の連続だった

 

【多古線その①】陸軍の鉄道敷設部隊が造った県営路線が始まり

かつて、千葉県のJR成田駅とJR八日市場駅(ようかいちばえき)の間を結んでいた鉄道路線があった。成田鉄道多古線(たこせん)と呼ばれる路線である。太平洋戦争中に不要不急線として指定され、運転休止となり、戦後そのまま廃止となった。

 

この路線の歴史は興味深い。まずは千葉県営鉄道として誕生した。しかし、建設したのは千葉県ではなく、大日本帝国陸軍の鉄道連隊という鉄道敷設のプロ集団だった。この連隊は、占領した地域などで素早く線路を敷設するために設けられた部隊だった。

 

この鉄道連隊の第一・第二連隊が千葉県内に連隊本部が設けられ、主に千葉県内で路線を敷く演習をさかんに行った。

↑鉄道第一連隊の架橋作業の模様。大人数の部隊により素早く架橋作業が行われた。現在の千葉市花見川区柏井だとされる絵葉書 筆者所蔵

 

この鉄道連隊は、太平洋戦争時に内外に二十連隊まで出来たというのだから、大部隊だったことがわかる。この部隊により、千葉県内では現在の東武野田線、JR久留里線、小湊鐵道線などの路線が造られ、今も使われている。鉄道会社では、用地のみ提供すれば路線を造ってもらえるとあって、非常にありがたい部隊でもあった。

 

今回、取り上げた多古線も連隊により造られ、設備、車両などは当初連隊から県が借用し、のちに千葉県へ払い下げられた。

↑第一連隊の路線造りを写した絵葉書。いかに大がかりに線路が敷かれたか分かる。場所は特定出来ないが現在の千葉市内だとされる 筆者所蔵

 

【多古線その②】戦時下に休線となり戦後、正式に廃線へ

多古線の概要と歴史を見ておこう。

路線 成田鉄道多古線・成田駅〜八日市場駅間30.2km
路線の開業 1911(明治44)年7月5日、成田駅〜三里塚駅が開業、10月5日、多古駅まで延伸。1926(大正15)年12月5日、多古(仮)駅〜八日市場駅間が開業
廃止 不要不急線の指定をうけ1944(昭和19)年1月11日に休止、1946(昭和21)年10月9日に廃止に

 

鉄道連隊による演習で、まず成田駅〜三里塚駅間の路線が敷かれた。線路敷設は軍の演習として行われたので、開業後のことなどは念頭におかれなかったようだ。初期に出来た成田駅〜多古駅間は、軌間幅が600mmという狭いスケールで造られている。軽便鉄道と呼ばれる路線ですら762mmという軌間幅(現在の黒部峡谷鉄道、三岐鉄道北勢線など)が多数なので、極端に狭かったことが分かる。要は、占領した土地での線路敷設は恒久的なものではなく、あくまで一時的で、利用しやすさなどは二の次だったようだ。

 

多古線は1911(明治44)年に千葉県営鉄道の路線として運転が開始された。その後の1926(大正15)年に開業した多古(仮)駅〜八日市場駅間は1067mmという軌間幅だった。成田駅〜多古駅間は開業当時の600mという軌間幅での運転がしばらく続けられた。

 

軌間幅が600mmのころの記録が複数の文献に残されている。軌間の狭さから列車のスピードは極端に遅かった。当時の様子を、“列車に乗り遅れても駆け足で追いつけた”、“乗客が走行中の列車から降りて、用を足した後に駆けて飛び乗った”といった逸話が残る。のんびりした列車だったようである。

 

千葉県営鉄道として開業した多古線だったが、軌間幅が狭く、さらにスピードは遅く、経営がたちゆかなくなった。そのためもあってか、1927(昭和2)年に成田電気鉄道に譲渡された。同年に成田電気鉄道は成田鉄道に改められている。そして1928(昭和3)年に1067mmに改軌され、ようやく全線を通して列車が運転されるようになったのだった。

 

それから16年後。不要不急線に指定され、1944(昭和19)年1月11日に運転を休止、戦後の1946(昭和21)年10月9日に廃止となっている。ちなみに休止した後は省営自動車が営業権を引き継ぎ、貨物運輸の営業が開始されている。

 

不要不急線として指定されたのは、もちろん利用者が少なかったこともあっただろう。それよりも、むしろ陸軍が演習で造った路線だけに、政府も不要不急線として指定しやすかったのかも知れない。

 

【多古線その③】JR成田線に沿って残る多古線の廃線跡

↑成田駅前発のジェイアールバスが、ほぼ旧多古線に沿って走っている。三里塚までは本数も多く便利な路線となっている

 

ここからは多古線の路線跡を歩いてみよう。30km以上の長い路線ということもあり、旧路線に沿って走る路線バスを何回か利用した。このバス路線はジェイアールバス関東の多古本線と呼ばれる。ただし、千葉県内を走る同社の路線バスとして主要路線となっているのに、同社の案内には多古本線の名前はない。

 

1928(昭和3)年、国土地理院(昭和初期は「参謀本部陸地測量部」)の地図を見ると、まず多古線の線路は、JR成田線の線路に沿って走っていたことが分かる。成田駅から成田線に沿って歩いてみた。すると、線路の横に細い歩行者専用道路が北へ向けて延びていた。ちょうど線路1本分ほどの幅で、明らかに多古線の跡だと分かった。この歩道も現在の成田小学校の先から途絶える。

↑多古線は成田線に沿って走っていた。現在、線路跡は歩行者専用道路に整備され、地元の人たちに利用されている

 

多古線は開業当初、成田市街を大きく迂回、遠回りして走っていたが、軌道幅を広げるにあたって、成田山新勝寺の裏手を通る新たなルートに変更されている。その新ルートの遺構が市内に残っている。

 

【多古線その④】新勝寺の裏手に路線唯一の遺構が残る

成田市街の北に成田山公園という丘陵地がある。この西に成田山新勝寺があり、裏手を通る土屋中央通り沿いに、多古線の鉄橋を支えた橋台の遺構がある。かつての多古線がここを走っていた証しだ。

 

廃線の前後が私有地となっているために、路線跡をたどれないのが残念だったが、移設した路線の工事も鉄道連隊によって行われたのだろうか。気になるところだ。

↑成田市内、土屋中央通沿いに立つ多古線の橋台跡。写真に写る側しか橋台は残っておらず、手前は住宅がひな壇状に建つ

 

多古線の橋台跡を探索した後は、そのまま路線跡をたどれないこともあり、新勝寺を参拝しつつ成田山門前へ。ここには以前、成田鉄道宗吾線の停留場があった。この路線も太平洋戦争下に休止、そして廃止の道をたどった。成田市近辺には、こうした廃線跡が複数残る。ちなみに成田鉄道は現在、千葉交通と名前を変えて、路線バスの事業者となっている。しかし、多古線は太平洋戦争中に鉄道省(後の日本国有鉄道)が営業する路線バスが営業権を引き継いだこともあり、国鉄の路線バス網を引き継いだジェイアールバス関東が路線バスを運行させている。

↑成田山新勝寺に近い成田山前バス停に到着するジェイアールバス。同地には成田鉄道宗吾線の成田山門前停留場があった

 

多古線を引き継いだジェイアールバスに成田山前から乗車した。バスはしばらく、多古線の路線から付かず離れずの道をたどる。

 

成田市の市街、東側を通り抜ける国道51号から先、道路の造りが謎めいている。

 

路線バスは通称・芝山はにわ道という高台の県道を走る。多古線は高台の下のやや標高の低いところを走っていた。現在、路線跡は片側一車線の道路(こちらの道路は名称が付けられていない)となっている。この2本の道は、その後に合流することも無く、ほぼ平行して成田空港方面へ向かう。バスに乗車した筆者は法華塚というバス停で下車して、旧路線跡を目指した。

 

【多古線その⑤】三里塚駅は現在のバス停と異なる場所にあった

バスが走る芝山はにわ道と平行した多古線跡を利用した道が、京成電鉄東成田線をまたいでいる。同路線は成田空港の開港にあわせて1978(昭和53)年に開業したこともあり、当然ながら多古線が走っていたころに、この線路はない。

↑今もバス停として法華塚の名が残る。この右手下に多古線が走り法華塚駅があった。その近く、現在は京成電鉄東成田線が通る(左上)

 

奇しくも筆者が降りた法華塚バス停の近くは法華塚駅があったようだ。法華塚バス停に近い、京成電鉄東成田線の線路との交差地点から、多古線はほぼ現在の路線バスが走る通りに沿って走っていた。この先、三里塚の町へ入る。

 

現在の三里塚バス停は、三里塚の町の中心に設けられている。多古線の三里塚駅はこのバス停より1kmほど手前にあった。

↑現在のバス通りに平行して走っていた多古線。この先、道が細くなる(左上)あたりに旧三里塚駅があった

 

↑バスターミナルとして整備された現在の三里塚バス停。同バス路線では、多古とならぶ大きめのバス停となっていた

 

さて三里塚へ到着した。三里塚といえば、古くは御料牧場があり、その後には成田空港開港時に闘争の町として記憶されている方も多いかも知れない。現在の三里塚は成田空港近郊の静かな住宅地という印象が強かった。

 

ちなみに成田鉄道の八街線(やちまたせん)という路線が八街駅〜三里塚駅を走っていた。この路線も鉄道連隊が線路を敷設していた。開業は1914(大正3)年のことで、千葉県営鉄道としてスタートしている。こちらも軌間幅は600mmと狭く、その後に改軌されることもなく、1940(昭和15)年8月19日に廃線となっている。

 

三里塚には戦後に開拓団が入植した。そうした三里塚に戦前に鉄道路線を敷くこと自体、鉄道連隊の演習路線だったにしても無謀という印象がぬぐえない。

 

【多古線その⑥】今の成田空港の滑走路上を多古線が走っていた

三里塚から先、多古線では千代田が次の駅となる。しかし、今は廃線の上を成田空港のA滑走路が貫いている。多古線は長さ4000mのA滑走路のちょうど南端部分を走っていた。旧三里塚駅からの先の路線跡は現在、細い道となっている。道は空港の西側に設けられた壁にちょうど突き当たるが、先への進入はもちろん出来なくなっている。

 

さて、多古線とほぼ同じルートで走る路線バスは、どのようなルートで走っているのだろうか。空港内を突っ切る道路はない。そのために、南側へ大きく迂回している。路線バスはA滑走路の南端にある航空科学博物館へ。また航空科学博物館を経由して、第2、第1ターミナル、貨物管理ビル前へ向かう便が多い。

↑成田空港の三里塚側は厳重なフェンスで囲まれる。ちょうど左に白い案内板があるあたりから多古線の線路は千代田へ向けて延びていた

 

その先、多古線のルートをたどるバスがないのか調べると、三里塚を出たバスのうち、千代田バス停を経由して、多古町内を通り八日市場駅へ向かうバスが走っている。しかし、このルートを走るバスは本数が非常に少ない。平日は成田駅発が7便、八日市場駅発が6便、土休日は5往復しかないのだ。

 

この路線バスは、三里塚に住む人たちが成田駅方面へ、また成田空港方面へ向かう人で成り立っているように感じた。

 

【多古線その⑦】現在の芝山千代田駅の南に旧千代田駅があった

本数が少ない閑散バス区間に、逆に筆者は興味を持った。

 

さらに多古線という路線名が付いたように、どうして多古を通るルートになったのか。筆者は、この多古線を巡る前、多古町(たこまち)という町名をあまり良く知らなかった。同音異句の言葉にタコがあり、そのことが印象に少し残ったぐらいだった。

 

成田空港の南東側は芝山町となる。この町には芝山鉄道という鉄道会社の路線が走る。路線距離は2.2kmで、日本一短距離の路線を持つ鉄道会社だとされている。終点駅は芝山千代田駅だ。この駅へ立ち寄るバスはさらに少なく、1日に上り下りとも2便ずつといった状態だった。つまり乗り継ぎなどで芝山千代田駅を使う人がほぼいないということなのだろう。

 

筆者は芝山千代田駅から最寄りの千代田バス停まで歩いてみた。空港の東側はターミナルなどさまざまな施設があり、また車の通行量も多く、それなりの賑わいを見せていた。芝山千代田駅から千代田バス停までは600mで、歩いても8分ほどの距離だった。

 

↑成田空港を芝山町側から見る。旧多古線は右上の歩道あたりから三里塚に向けて線路が延びていた。今は芝山千代田駅(左下)が最寄り駅となる

 

千代田バス停から多古線をたどって路線バスに乗車してみて驚いた。休日の日中のバスには筆者以外、誰も乗っていなかった。多古までの途中、1人が乗車してきたくらいだ。八日市場駅〜千代田バス停区間は、超閑散区間だったわけである。コロナ禍の最中とはいえこの乗車人数を考えれば、便数の少なさも致し方ないのだろうと感じた。ちなみに、走るバスも成田駅〜三里塚バス停間より古い車両が使われ、乗り心地の良さにやや欠けた。この区間に住む人たちの大半が路線バスを使わず、移動はマイカーに頼っているのかも知れない。

↑芝山千代田駅に近い千代田バス停。最寄りに旧千代田駅があった。ここからバスは東の多古へ向かう

 

【多古線その⑧】バスはひたすら田園地帯を走り多古へ向かった

バスは芝山町の千代田バス停から、多古線の線路跡を利用した道を走る。道幅は片側一車線もなく、一部区間では対向車とのすれ違いが難しい。ちょうど線路の幅を広げたくらいに見えた。とはいえ起伏が少なく、切り通しや田畑を見下ろす斜面上を走るなど、快適な道だ。交差する一般道とは立体交差する箇所もあり、やはり昔の鉄道路線らしい痕跡がうかがえる。

 

旧千代田駅と多古町の入口にあった旧染井駅との間には2つほど駅があったとされる。この区間、実は旧路線と、廃止時の新線区間があった。ここでも軌間幅を広げる時に路線の敷き直しをしたようだ。しっかりした記録がないため推測の域を出ないが、このあたりの路線造り直しも、鉄道連隊が演習として関わったのだろうか。

↑旧千代田駅と旧五辻駅間では、多古線は旧路線と新路線(写真)が平行して設けられた。現在は写真のように一般道として整備されている

 

旧千代田駅から10kmほどで旧多古駅へ到着する。この多古駅にも新旧2つの駅があった。この新旧駅を訪れて、加えて多古の町も歩いてみた。さて多古の町はどのような町だったのだろう。

 

【多古線その⑨】多古には江戸時代、小さな藩が設けられていた

路線バスは、現在の多古の公共交通機関の拠点でもある多古台バスターミナルに到着した。このターミナルからは東京駅八重洲口へ高速バスが走る。また、成田空港の第2ターミナルへのシャトルバスが約30分〜1時間おきに発着している。

 

訪れてみて、路線バスの乗客が少ないことが理解できた。今の路線バスは、昔の多古線のように成田と多古、そして八日市場を結ぶものの、その間に住む人々の移動手段として使われていない。成田空港があることで空港の東と西で、行き来が断ち切られてしまっている。むしろ、多古からは東京の都心および成田空港(鉄道駅もあり利用しやすい)との結びつきが強い。路線バスに乗って、成田と多古間を移動しようという筆者のような“物好き”は、いないようだった。

 

↑多古はかつてこの地方の中心的な町だった。古い郵便局の建物が町内に残る。右上は多古の現在の中心、多古台バスターミナル

 

多古は古い歴史を持つ町でもあった。現在の町名の書き方とは異なるが、徳川家康が関東を治めるにあたって、多胡藩という小藩が置かれた。小藩ゆえの悲哀で一時期、他の大名領に併合されることもあったが、江戸時代の終わりまで藩は続き、廃藩置県後に、多胡県、新治県となったのちに、千葉県に編入されている。

 

今も町内に藩の政治が行われた陣屋跡が残る。また、前島 密(郵便制度の生みの親)の要請で千葉県初の郵便局が開設された。同郵便局は1942(昭和17)年に建て替えられたが、今も建物が残されている。

 

多古という町は、千葉県の行政に関わる重要な都市でもあったのだ。そのために鉄道の路線名を付ける時にも多古の名前が使われたのであろう。

 

【多古線その⑩】多古町内に旧駅と新駅があった

先に多古線の歴史に触れた時に多古(仮)駅とした。千葉県営鉄道として開業した時に多古駅は、町の中心に近い場所に設けられた。しかし、その後に八日市場駅との間に設けられた軌間1067mmの新しい駅は町の南側、現在の国道296号が走る場所に多古(仮)駅として設けられた。同じ多古町多古という字名なのだが、距離差は直線距離で600mほどある。

 

筆者は両駅に訪れてみた。最初にできた駅は町の中心といっても良いところにあった。町役場もすぐそばだ。だが、新たにできた、多古(仮)駅は町の外れにあり、南側に広大な田畑が広がっていた。

↑旧多古駅(初代)に立つ多古町の歴史案内。そこに県営軽便鉄道として生まれた多古線の紹介があった

 

多古線の路線を敷くにあたり、どのように計画されたかは、今となっては調べることが難しくなっている。成田駅〜多古駅間が1067mm軌間に改軌された時に、旧駅の南側に造られた多古(仮)駅が、正式に多古駅となった。町の中心から600mほど南に移動したこともあり、当時、多古に住む人たちは不便に感じたことだろう。

 

利用者を無視した駅の移動といっても良い。利用者減少に悩み、不要不急線になってしまったわけだから、矛盾を感じる。

↑軌間幅を広げたのちは、多古町の南はずれの仮駅が正式な駅となった。現在の国道296号が通るあたりだが町外れの印象が強い

 

旧駅付近には多古町が立てた歴史散策という案内板があった。建設時の写真もあり、県営軽便鉄道として多古線が開業した当時のことにも触れている。さらに興味深い記述があった。

 

「セレベス島(現インドネシア・スラウェシ島)鉄道敷設用の資材供出のため廃線となりました。供出された多古線の鉄道資材は、輸送船が撃沈され、結局セレベスでの鉄道敷設は実現しませんでした」とあった。

 

戦争遂行のために不要不急線として休止させられ、その後に廃線となった多古線。駅の移動自体も矛盾を感じたが、不要不急線という政策自体に矛盾を感じる。廃止させられ、線路が持ち出されたものの、結局、何にも役立たなかったわけである。

 

多古線は不要不急線とならなくとも、その後に廃止されたかも知れない。とはいえ、戦後は復興に向けて必ず役立ったであろうし、なんともやるせない気持ちが残った。

 

【多古線その⑪】そして今回の終着駅・八日市場駅へ

多古から先、路線バスは多古の町内を巡り八日市場駅へ向かう。多古線の多古駅〜八日市場駅は、現在の国道296号にほぼ沿って線路が設けられていた。国道の拡幅にも路線跡が活かされたようだ。この区間には3つの途中駅があったが、今も昔も千葉県の穀倉地帯でもある広大な田畑が広がり、集落は点在するのみとなっている。

 

八日市場駅が近づくにつれて、住まいも増えてくる。現在のJR総武本線と並走したその先に、旧終点だった八日市場駅が見えてくる。

↑総武本線に並走して多古線の線路が敷かれていた。線路跡は現在、一般道として使われている

 

↑八日市場駅(左上)の西側を跨線橋から望む。駅付近の広い駐車場にはかつて多古線のホームや貨車の入換え線などがあったと推測される

 

多古線は太平洋戦争前後で休止、廃線となってしまった。多古線が走った千葉県の同エリアは現在、鉄道の無いエリアとなっている。一方、成田空港まではJRと京成電鉄の路線があり、本数が多く便利な路線となっている。

 

地元向けの鉄道路線といえば、芝山鉄道2.2kmしかない。この芝山鉄道を延伸させようという連絡協議会「芝山鉄道延伸連絡協議会」が設けられている。こちらは地元の芝山町、横芝光町、山武市の3市町で構成される。路線の延伸自体は、現在の鉄道とバスなどの利用状況を見ると適いそうにないが、連絡協議会によって空港シャトルバス・空港第2旅客ターミナル〜横芝屋形海岸間が運行されている。路線が走るのはちょうど、多古線よりも南側である。さらに前述したように多古町と成田空港もシャトルバスによって結ばれている。

 

これらのシャトルバスの運行に関わっているのが千葉交通。このバス会社こそ、多古線を運行させた成田鉄道の現在の姿でもある。成田鉄道多古線は消えたが、今も同地区ではそのDNAを受け継ぐ千葉交通のバス路線網が健在だったのである。

「Zがあれば他にはもう何もいらない」 市原隼人が愛車・カワサキZ1への深すぎる想いを語り尽くす!

最新出演映画「リカ 自称28 歳の純愛モンスター」が公開中の市原隼人さん。今回は、「誰にも譲りたくない」「自分の出演作にも出したい」という愛車・カワサキZ1への愛や、ひとつひとつのカスタムへのこだわりなどを、存分に語ってもらいました。

(撮影・構成・丸山剛史/執筆:背戸馬)

 

理想通りに仕上げた、カスタムZの現在

――先ほどの撮影では、すごく気持ちよさそうに走ってましたね。

 

市原 今日はバイク日和で最高です。

 

――このオートバイに乗るのが本当に好きなんだなって、見ていて伝わってきましたよ。

 

市原 バカかもしれないですけど、『Zがあれば他にはもう何もいらない』と思えたときもありました。なんでもない場所でも、こいつがいれば夢のような、いつまでも青春のような、そんな気分になります。

 

――ベタぼれですね(笑)。まさに愛車という感じですが、さっそく詳しく教えて下さい。まずは車種から。

 

市原 カワサキZ1です。1974年式の『Z1A』になります。

 

――かなりカスタムしていらっしゃいますね、こちらも教えてもらえますか。

 

市原 タンクとカウルのペイント、ハンドル、ステップは純正をバックステップ加工、シート、サス、ワイドホイール、点火はフルトラ化、キャブはKEIHINのCR、マフラーはPAMSオリジナル製、ヘッドライトとウインカーはミラーコートして……。

 

――訊いたものの、書ききれないですね(笑)。市原さんが特にこだわったポイントは?

 

市原 ハンドルですね。幅と高さと絞りを細かく調整してます。ハンドルポストも削って、ベストポジションになるようにパムスさんでやっていただきました。

 

――パムス(PAMS)さんは、空冷Zに造詣が深い有名ショップですね。

 

市原 今は新型コロナの関係で伺うのを自粛していますが、以前は用事がないときでも行っていました。何をするわけでもなく、ベンチに座ってボケっとしに(笑)。このZと出会ったのもパムスなんです。最初はフルオリジナルのタイガーカラーで……。

 

――フルオリジナルだったんですか。ある程度仕上げてあったわけじゃなくて?

 

市原 そうなんです。フルオリジナルで購入し、時間を置いてカスタムしました。

 

――フルオリジナル状態を壊すときの勇気って要りませんか? 名車の場合は特に。

 

市原 要りますね。ずっと付き合っていた友達がいなくなるような、なにか変わってしまう感じがすごく寂しかったです。でもやっぱり、自分の色に染めたくなってしまいました。

 

――最初はどこをカスタムしたんですか?

 

市原 CRキャブです。スロットルの返り(レスポンス)が別物になりました。『こんなにも変わるのか』って驚いて、その先は一気でした。マフラー、サス、ホイール、ハンドル……セパハンも試してみましたけど、首が痛くなりました(笑)。ハンドルはやっぱり、座ってリラックスした手の位置にグリップが来る感じにちょっと絞って、今の形になりました。

 

――かなり試行錯誤されたんですね。リアサスに関していえば、定番のオーリンズじゃないところにカスタム上級者のセンスを感じます(笑)

 

市原 あの、船に乗っているような、やわらかい純正サスもすごく気持ちいいんですよ。ストレスを感じることなく、肩の力を抜いて走っていける。ナイトロンを着けて硬めにもしてみましたが、今のクアンタムに落ち着きました。これを選んだのは、カラーもあったと思うんです。本当は、Zを真っ黒にもしたかったんですね。エンジンもタンクもカウルも全部真っ黒にした、いわゆる“黒豆”に。でも、シルバーエンジンのZ1Aを買ったので、それを大事にしようと思ったんです。シルバーを活かした統一感で、今の姿になった気はしますね。

 

――メッキやバフ掛けしたシルバーパーツを多用したカスタムZって、意外と少ないなって思います。

 

市原 意外といないですよね、それがまた良いなって思っています。

 

――タンクは、もともとはタイガーカラーだったんですね。

 

市原 タンク、カウルの色をどうしようか考えながら自分で色を決め、この色でこういうパターンで、って指定しました。

 

――あのカラーも、市原さんがお決めになった?

 

市原 はい、自分で決めました。離れて見るとちょっと黒っぽいですけど、近くで見るとワインレッドのようなカラーです。大人っぽい色を相談しながら調色していただいて。

 

――細かく調整したんですか?

 

市原 しました。ちょうどあのときはロシアにいたのかな? ずっと担当の高山さんとLINEして、どんな感じですか? と。帰国して空港から、そのまま店に行ったりして(笑)

 

――まるで、ワクワクを抑えきれない少年のようですね(笑)

 

カスタムのコンセプトとポリシー

――市原さんがひとつひとつのカスタムにこだわりを持っているのが良くわかります。

 

市原 基本的には旧車のディテールを残しながら、でもどこかで現行車の様な性能が欲しいんです。

 

――そのコンセプト通りのカスタムになってると思いますよ。

 

市原 次にやりたいのは、ヘッドライトです。あと、見た目を変えずに、もう少し現行車っぽい乗り味にしたい。見た目は40年前の雰囲気で、外から見ると『渋いけど、遅いだろうな』と思われながら、実際に走ってみると……。

 

――うわー、そのカスタム思考、レベル高いですね。

 

市原 そういうカスタムが、オシャレでカッコいいなと思っています。僕は古いアメ車も好きなんですが、たとえばマッスルカーでもあまりカスタム感をギラギラさせずに、当時のままのホイールとかで渋いスタイルなんですけど、走ってみると『うわ、すごくない?』みたいなのがいい。足まわりは何を入れてるんだ、エンジンはどうしてるんだろう、配線は……とそういうところが気になるような一台にしてみたいですね。

 

――レストモッド的な概念ですね、当時の雰囲気を残したまま性能は現代的にアップデートしているという。パーツ選びについても、こういうパーツを付けたいと市原さんから?

 

市原 僕から提示して、こういうふうにしたいっていうのを高山さんと話して。『カスタムしました感』があまり出ないほうがいいと思っているので、すごく悩んだと思いますけど。

 

――じゃあ、次にヘッドライトの中をいじりたいっていうのも、LED化して明るくするわけじゃなく?

 

市原 やはり旧車は、遠くからやって来たときにまずヘッドライトがぼんやりと現れ、次に空冷の排気音がワーッて聞こえてくるのがかっこいいと思っています。ヘッドライトは新しく変えても、旧車らしくちょっと暗いような、古臭いような……たとえば森の中にぽつんとある黄ばんだ電球のような感じが欲しくて。

 

――うわぁ、難しそうだなぁ……ある意味、デチューン的でもありますよね。それは担当の方も悩むわけですよ(笑)。それも、やはり旧車らしさを残したカスタムがいいということですね。

 

市原 乗ってる感じにしても、ちょっともどかしいくらいがいいんでしょうね。何するにも少し待たなきゃいけないというか。機械的な『ガッチャン!』という音を聞いてから次の動作に行きたいみたいなのはありますね。

 

――あくまで「旧車」であるということを感じたいと。

 

市原 走っていると安定感が違うのでリヤタイヤも太くしてますけど、オリジナルの細いタイヤも旧車らしくてかっこいいんです。ブレーキに関しても、最初は『ドラムブレーキが旧車だろう』と思ってたんです。だから、リアのドラムブレーキをディスクに変えるのはすごく勇気が要りました。

 

――そこは走行性能を取ったと。

 

市原 ええ、そうしたら全く変わりましたね。すごいなって。

 

――フロントブレーキも、ロッキードのキャリパーでWディスク化、ブレーキローターもサンスター製にスワップしてりあます。

 

市原 しっかり止りますよね。ここも旧車感は残したかったのでこのパーツを選んだんです。カスタムするとZじゃなくなっちゃうから。Zらしさをあまり壊したくなかった。

 

――「Zらしさ」ですか。それはどんなことなんでしょう?

 

市原 なんて言うんでしょうか、パーツパーツが詰まってなくて、横から見たらスッカスカで抜けが良く、フロントからリアまでどこを見てても流れるようなスタイル。ずっと見ていて飽きないんですよ。あれを超えるものはないと思いますね。いろんな規制も含めてもう作られないですし。だから、Zの前から乗っているバイクもありますけど、他のバイクが乗れなくなっちゃいましたね。国産ネイキッドはZで十分だなと。他の車種が乗れなくなるほどZの魅力にやられました。

 

――じゃあこれからのバイクライフで、買い替えはない?

 

市原 ないですね。あっても『買い足し』です。買い替えはない。誰にも譲りたくないです、あのZは。

 

「Zのここに惚れた!」

――Zと出会ったのはパムスさんということですが、それまでもパムスさんには行かれてて?

 

市原 いえ、行ったことはなかったんです。ふらっと伺い、このZかっこいい! って。で、エンジンかけてもらったら、もうすぐに『買います』と。一目ぼれですね。

 

――即決(笑)。それまでも、空冷Zを欲しいなとは思っていらっしゃった?

 

市原 思っていました。何に乗ろうか迷って、いろいろ調べていたんです。ハーレーのビンテージもいいなとか、ドゥカティにしようかとか。悩んでいるうちに『長く持っていられるものが欲しい』と思うようになりました。Zだったら長く付き合えるかなと。自分が70とか、そのくらいの歳になったとしても、違和感なく乗れるような気がしたんです。

 

――憧れの空冷Zを手にしたとき、どう感じましたか?

 

市原 わかりやすいですよね。エンジンがこれ、フレームがこれ、キャブがこれって、無駄なものが一切なく、何かで隠すことなく全部剥き出しになっている。だから冬とか、エンジンに手を当てて暖をとることもできる。そういうところも好きで。

 

――無駄な装飾がない古いオートバイってそれが楽しいですよね。

 

市原 メーカーごとの個性も出やすいじゃないですか。まず旧車って音でわかります。排気音が聞こえても『あ、GSが来た』とか『あ、Zが来た。排気量はこのくらいだ』って。Zにも音でホレましたし。

 

――音はバイクの強い個性ですよね。

 

市原 空冷で、Z1の903ccという排気量があって4気筒だからこそ出るちょっと野太い音が、カッコいいなと。

 

――のろけのまくりですね(笑)。ところで、Zは何年目になりますか?

 

市原 6、7年になります。いくら乗っても不思議と全然飽きないんですよね。以前撮影で、フロリダで、キーウエストまでハーレーで走ったんです。ハーレーで走りながらも、『うわぁ、やっぱZ乗りたいな』って。

 

――へえ! ある意味カンペキなツーリングロケーションですけど……。

 

市原 同じことを、ニューヨークでも思いました。ニューヨークではビンテージハーレーに乗ってたんですが、そのときもやっぱり『Zに乗りたいな』と思いました。ハーレーがダメとかじゃなく、魅力の違いと言いますか。

 

――市原さんに合うのはやっぱりZだと。

 

市原 これは二輪を乗る方にしかわからないかもしれませんけど、乗った瞬間に違う世界に連れて行ってもらえるって、もうバイクしかないんですよね。体は剥き出しで、風を感じるし、その土地土地の香りを感じるし、タイヤが路面を捉えるのも感じる。これが、バイクによって全然感じ方が変わってきますから。

 

――他のバイクに乗ったあと自分のバイクに戻ると、わが家に帰ってきたような感覚を覚えますね。

 

市原 またがった瞬間にもう、ハンドルの位置も、タンクの形も、色も、音も、匂いも、レスポンスも、すべてがしっくりくるんですよ。

 

バイクの楽しみ方、ツーリングなど

――ここからは、バイクの楽しみ方についてお話を伺えればと思います。お仕事もお忙しいと思いますが、ツーリングには行かれますか?

 

市原 ショートツーリングは行きます。箱根の方とかに。

 

――お気に入りの場所とか、ツーリングコースは?

 

市原 自然が好きなので、森の中を一人でゆっくり走るのが好きです。箱根~芦ノ湖スカイラインとか。たまに止まって佇んでみたり。カメラを持っていくときもあります。

 

――バイクライフを楽しんでいらっしゃるわけですね。

 

市原 実は20代後半のころ、レースもやろうとしていたんですよ。面白そうだなと思って、カワサキの元ファクトリーの方と一緒に、サーキットで練習させていただいていました。ダートもやっていて、桶川のほうまで走りに行ったり。滑らせて乗るのも好きなんですよ。サーキットとは全然乗り方が違って面白いんです。ダートは滑らせて、こけてナンボというか。

 

――ずいぶん本格的にやってらっしゃったんですね。

 

市原 レーシングスーツも持ってます。サーキット用とダート用、両方とも。

 

――全然知りませんでした。これまであまり話されていませんよね。

 

市原 バイクは、やはり役者をやりながらだと、仕事との兼ね合いという面では難しいんです。もしケガしたら、皆さんに迷惑をかけてしまいますし。

 

――確かにそうですよね。レースに興味を持つくらいですし、昔からバイクに乗られていたんですか?

 

市原 僕はバイクの免許を取ったのが遅くて、20代後半で取ったんです。

 

――若いころから乗ってらしたのかと思えば……意外です。免許を取られたきっかけは?

 

市原 ずっと仕事をしていて取る時間がなかったのもあるのですが、そのころちょっと時間ができて、何をやろうかと考えたら真っ先に『バイクの免許だ』と思い立ちました。

 

――バイクには乗りたいと思っていたんですか?

 

市原 ええ、乗り物はすごく好きですから。物心ついたころから、古いバイクや古いアメ車が好きでした。チカーノが乗っているようなローライダーの、1950~60年代のシボレー・インパラをカッコいいなって。『古いものをキレイに乗る』という文化が、すごくいいなと思っていました。

 

――物心ついたときにすでに好きだったというと、お父さんの影響があったり?

 

市原 僕の父はサンディエゴに15年間住んでいたんです。そのときの父の古い写真を見るとアメ車に乗っていて、子ども心にそれがすごくカッコいいなって思えたんです。

 

――じゃあ幼少期にはもう旧車の魅力に気付いていたと。

 

市原 ええ、アメ車もバイクも好きですし、そもそも新しい物より古い乗りものが好きなので。

 

――古いものの魅力というのはどういったところでしょう?

 

市原 シンプルさです。クルマでもバイクでも構造がシンプルでわかりやすいから、そのものを感じやすい。エンジン掛けて乗ったとき、足の裏から、手から、背中から感じる振動とか、そういうのはビンテージのものしかないと思うんです。今の新しいものは、そうやってパーツを感じ取れなくなっていると思います。

 

――今のクルマやバイクはメーターにたくさん情報が出ますが、五感で感じる情報は古いものにくらべると極めて少ないですね。

 

市原 Zは乗っていると、キャブを感じるし、タイヤを感じるし、フレームを感じる。パーツひとつひとつから伝わってくる感覚がすごく好きなんですよ。

 

――確かにそこが魅力ですね。一方で、よく「古いバイクって壊れるのでは?」って不安を持っている方もいますが、その点はどうでしょう?

 

市原 まったくそんなことないです。構造がシンプルな分、壊れても直すのも簡単だし、修理も早いです。

 

――実際、Zでこれまでに出先で止まったとかそういうトラブルは?

 

市原 一回もないです。ただ燃費だけは常に気にして走っています(笑)。けっこうガソリンを食うので、遠出するときはスタンドがあったらすぐ入ることにしてますね。でもそういうところも可愛らしく楽しいんです。

 

――カスタムしてあるとはいえ、Zでツーリングすることに不安は?

 

市原 よく言われているのですが、『Zを直す店はたくさんある』と。やはりずっと長く愛されてきたバイクなので、日本全国どこかへ行く際も絶対大丈夫なんだろうなと思ってます。

 

――ちなみに今までZで一番ロングライドしたのは?

 

市原 京都です。

 

――片道500キロ以上ありますね。なぜまた京都に?

 

市原 Zで京都を走りたいという、その一心です(笑)。京都の町を走っていて、タンクに京都の古い町並みが映ったりすると『おぉ、俺のZに京都の町が映ってる!』って感動して。

 

――へえ~! なんというか、感性が普通のバイク乗りと違いますね。「Zでどこかに行きたい」じゃなく「Zをここに連れていきたい」という感覚なんですか?

 

市原 なんなんでしょうね(笑)。自分一人だけじゃ感じられない世界を感じさせてくれるのがバイクじゃないですか。だからやっぱり一緒にいたいと思うんです。Zがいたらより楽しくなるんだろうなって。

 

――それこそ、止めて眺めているだけの時間も楽しいという。

 

市原 乗らなくても、ガレージでお酒を飲みながら磨いているときもあります。Zはいろんな付き合い方ができるから、手放さないで一生乗っていると思います。

 

――いろんな付き合い方ができるっていいですね。しかしこうメッキパーツが多いと、磨きかけるのも大変そうです(笑)

 

市原 本当はもっと磨きたいんですけどね。機械とかで一気にきれいにする方もいるじゃないですか、あれはずるいなと(笑)。やっぱり手で、綿棒とか使って磨かないと。

 

――マニアック!(笑)

 

市原 最初のころは、磨きの時間を取り過ぎて寝られなくて(笑)。まとめた爪楊枝で隅々まで磨いたりして、毎日、手が真っ黒ですよ。でもそれが楽しい。

 

――フロントフォークのボトムケースとか、汚れそうなところもシルバーですから、維持が大変そうです。

 

市原 今の課題はそれです(笑)。さすがに汚いままだと、外に出られないので。磨きの時間は必ず作るようにしています。

 

――市原さんご自身でカスタムしたり、いじったりは?

 

市原 しますよ。なので、いつか自分のクルマとかバイクの倉庫が欲しいんです。そこに好きなアメ車と好きなバイクを置いて、カメラで撮った写真を飾って、バーカウンターもつくって……。

 

――それ最高じゃないですか。

 

市原 隠れ家じゃないけど、そういう場所が欲しいですね。

 

Zでかなえたい夢 未来

――市原さんはカメラもお好きですが、カメラとオートバイ、どちらも「旅の道具」という感じがしますね。

 

市原 いつかは、バイクで日本一周したいと思っています。ツーリングバッグも買って準備していたんですけど、残念ながらタイミングがなくなってしまって。だから今の夢の一つは、Zで旅をしたいんです。テントを張って、焚火して、泊まる。バイクとともに。で、写真も撮って(一瞬、遠い目)……それ、したかったですね(笑)

 

――(笑)たしかに、タイミングってありますからね。

 

市原 海外ロケに行くときは必ず、『Zを持っていけないか?』って聞いているんです。

 

――ええ!?

 

市原 チェ・ゲバラじゃないですが、Zで世界を旅をしたくて。あと、Zって、カワサキが世界に挑戦しに行ったバイクですから、僕もそのバイクで海外を走りたいと思ってるんです。

 

――いいですね! それでもう一つの番組になりそうです。

 

市原 海外は文化も価値観もぜんぜん違うじゃないですか。でも、どんな人でもZはかっこいいって感じるだろうと僕は思うんです。バイク好きじゃなくても、このカッコよさは分かってもらえるんじゃないかと。普段乗っていて、信号待ちしてるときに、『かっこいいね!』と新聞配達のおじちゃんとかに言われたり、ぜんぜん知らない人たちに『うわ、Zだ!』って叫ばれたりとか。やっぱりZには、ほかのバイクにはない魅力が詰まっていますね。そんな出会いもすごくうれしいですし。

 

――空冷Zに乗っていると、「俺も昔、Zに乗ってたんだよ」とか話しかけられることが多いですね。

 

市原 Zには出会いや縁をもらいますね、本当に。

 

――じゃあ、「海外にもっていってOK」って返事がでたら?

 

市原 持っていきます。

 

――そこまで市原さんにホレられているZは幸せですね。ほんとお仕事が忙しく乗る時間が少ないというのが残念というか……。

 

市原 だから、自分が出演する作品で出せないかと考えています。

 

――そういえば、市原さんが主演されたドラマ『明日の君がもっと好き』(2018年/テレビ朝日)を拝見しましたが、市原さん演じる主人公が駆るバイクはこのZでした。

 

市原 衣装合わせの際に、『バイクはZじゃなきゃ嫌です』と(笑)。バイクといえばZ、しかも丸タンクのあのスカっと抜けのいいあのZだと僕の中でパっと浮かんだんです。ドラマを観る方に、バイクのよさを知ってもらいたいと思って。

 

――ドラマにZを登場させたのは、そういう思いがあったんですね。

 

市原 相当ありました。僕が携わっている作品で、自分が好きな乗り物や、その良さを、お客様に感じていただけたらうれしいと思っています。

 

――あのドラマを通じて、若い皆さんに市原さんがZに乗っていることが広まったんじゃないですか?

 

市原 そうだとうれしいです。今は、家でできるゲームだったり、インターネットだったり、娯楽がすごく増えていますが、バイクって世界をバーチャルじゃなく生で感じる良さっていう、他には代えられないものがありますので、多くの若い方にバイクに乗る楽しさを味わってほしいです。

 

――そういう意味では、バイクやクルマのカッコよさを知れる映画やドラマは重要ですね。

 

市原 『マッドマックス』や『ワイルド・スピード』じゃないですけど、この映画の乗り物いいよねとか、そう感じて欲しい。そういう作品がもっと欲しいんですけどね。

 

――同感です!

 

市原 地上波ではコンプライアンスも厳しくなってきていますが、僕の拠点であるドラマや映画で、そういう文化を入れた作品をつくりたいと思っています。

 

――期待してます。では最後に、市原さんにとってバイクとは? いや、「Zとは?」と聞いたほうがいいかもしれませんね。

 

市原 バイクとは……そうですね、ある意味、自分の逃げ道でもある気がするんです。

 

――逃げ道、ですか?

 

市原 生きていくためには、やりたくなくてもやらなくてはならないことだったり、認めたくなくても認めなきゃいけなかったり、妥協もたくさんしなきゃいけないことがあります。大きな壁に躓いたり、自分に自信を失うこともたくさんあると思うんですけれど、そういうときに、自分の頭の中をリセットしてくれるものがバイクなんです。すべてをポジティブに変換してくれます。

 

――つまり、仕事もプライベートも含めて、市原隼人という人間を構成する重要なアイテムになっていると?

 

市原 なっています。だから、Zがあれば何もいらないって本当に思っています。これだけで旅に出て、自分を見つめなおしたいと感じます。

 

――そこで旅に繋がっているんですね。

 

市原 年齢を重ねていくと時間の無駄遣いが一番贅沢だってことに気づいてきたんです。一番の時間の無駄遣いとは何かを考えたら、バイクで旅をしたいというのがまず浮かぶんです。次の日のことを考えずに、気の向くままに走る。それって最高なんだろうなと。

 

――そのときはもちろん、Zで。

 

市原 Zじゃないと考えられないですね。

 

【PROFILE】

市原隼人(いちはら・はやと)

2001 年に映画 「リリイ・シュシュのすべて」で主演デビュー。2004 年には 「偶然にも最悪な少年」で日本アカデミー賞新人賞受賞。主な作品に映画 「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」「ボックス!」「無限の住人」「あいあい傘」「ヤクザと家族」「太陽は動かない」、ドラマ「ウォーターボーイズ2」「ROOKIES—ルーキーズ—」「猿ロック」「ランナウェイ~愛する君のために」「カラマーゾフの兄弟」「リバース」大河ドラマ「おんな城主 直虎」「おいしい給食」、ミュージカル「生きる」等、他多数。また、写真家として活動。映像作品に「Butterfly」(監督・主演)アーティスト「DEVIL NO ID」MV(監督)などがある。最新出演映画「リカ 自称28 歳の純愛モンスター」が6/18 より公開中。

電動アシスト自転車としても使える電動バイク「COSWHEEL SMART EV」が発売

Acalieは6月25日、3Way乗りが可能な電動バイク「COSWHEEL SMART EV」の一般販売を開始しました。価格は22万9000円(税込)です。

 

COSWHEEL SMART EVは、2021年1月~3月にかけてクラウドファンディングサービス「Makuake」で先行販売し、人気を集めたモデル。電動バイク、自転車、電動アシスト自転車の3Wayで使用できます。

 

タイヤは太めの4インチサイズのため、コントロール性と安定性を兼ね備えているほか、20インチのホイールを採用しており、小回りの効きやすさも抜群としています。また、フレームは太いものを採用。エアロ効果と剛性を高めているそうです。

 

このほか、衝撃吸収に優れた独自のサスペンションや、バッテリー電量や走行スピードを表示する液晶ディスプレイ、最長航続距離50kmのバッテリーを搭載。充電時間は約5~6時間で、走行スピードは時速最大45kmとなっています。

 

なお、公道走行も可能ですが、ナンバー登録、自賠責保険への加入、ヘルメットの着用、第一種原動機付自転車を運転することができる免許の携帯が必要なうえ、車道を走る必要があります。また、運転には十分注意しましょう。